恋ぞ積もりて 淵となりぬる (鯛の御頭)
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入学式編
入学式編1


初めてハーメルンでも投稿します。
誤字・脱字の多い作者です。
お手柔らかにお願いします。


桜舞い散る春麗らかな季節。

朝夕の寒さは続くものの、昼間の暖かさは春の到来を感じさせていた。

天候にも恵まれ、入学式の門出には相応しい様相となっていた。

学内に入ると準備に来ている在校生が何人か見られたが、新入生はまだほとんどいない様子だった。

 

「納得いきません」

 

見目愛らしい少女が私たちの目の前で不満げに口を開いた。

老若男女振り返るほどの美少女が、その(かんばせ)をわずかに曇らせながら私たちを見上げた。

 

私と隣の彼はまたかと思ったが口には出さない。

幸いなことにまだ人気もほとんどないため、この場にいても目立つことはないだろう。

 

「なぜお兄様が補欠で、お姉様が新入生総代ではないのですか」

 

見目麗しい少女の名前は深雪。今年度の首席入学者で、私が妹のように可愛がっている子だ。

 

 

「私の場合、理論は達也にも貴方にも及ばなかったのよ。実技の結果も貴方以上に総代に相応しい人はいないわ」

「どこから入試結果を手に入れたかと思ったら、雅か」

 

ため息交じりに隣の彼、達也が私に言った。

結果を手に入れたことを批難されていると言うより、若干の呆れも入っている。

 

本来であれば希望した本人には入学後、入試結果の成績の開示が行われる。入学案内の段階では一科生か二科生か分かるだけだが、私はちょっとした伝手で入試結果を事前に手に入れることができたのだ。

 

「お兄様の結果に納得できなかった可愛い妹のためですから。案外、在校生にも結果が出回るくらいだから結果の横流しは黙認されていると思うわよ」

 

「結果の件は分かったとしても、ここではペーパーテストより、魔法実技の成績が優先される。補欠とはいえ、良く一高に合格できたものだ」

 

不満な様子が一切ない兄に、深雪はますます語気を強めた

 

「そんな覇気のないことでどうしますか。お兄様とお姉様以上に相応しい方はいません。それに本来の実力を持ってすればお姉様もお兄様も「「深雪」」

 

 

慌てて、達也と言葉を遮る。

それ以上は言ってはいけない事だ。

 

「それは言っても仕方がないことなんだ。俺はここの評価方法に文句を付けるつもりはない」

「ですが…」

 

深雪は肩を落とした。深雪だって理解はしている。ただ、どうしても納得できないだけだ。

 

単一の物差しでは達也は測りきれない実力を保持している。それが正しく評価されないことが私も、深雪も歯がゆくて仕方がない。

 

「ほら、そんな悲しそうな顔をしないで。深雪はどんな表情でも可愛らしいけれど、せっかくの入学の日よ。笑顔の方が嬉しいわ」

 

俯いていた深雪の白い頬に触れる。少しだけ、機嫌を直したようで頬を赤らめた。

 

だが、まだ納得いかない様子で達也を見上げている。困った子だなと私も苦笑いを浮かべて達也を見上げた。

 

 

「それに、俺たちは楽しみなんだ。可愛い妹の晴れ姿をダメ兄貴に見せてくれないか」

 

達也があと一押しにと、深雪の肩を撫でた。

 

「そんな!お兄様はダメ兄貴なんかではありません!」

「それは、同感ね。達也は自分のことを卑下し過ぎよ」

 

その点に関しては否定する私たちに、少し困ったように達也は苦笑いした。その理由が分かっているだけに、私も苦笑いにしか返せなかった。

 

こうしていても、議論は尽きない。ならばここは深雪を遅れないように送り出すことが先決だろう。

 

「貴方の晴れ姿、私たちは楽しみにしているわ」

 

ぽん、と深雪の背中を押して先を促す。少しくらいの我儘は聞いてやりたいが、今回ばかりは無理だった。

 

「はい。我儘を言って、申し訳ありませんでした。それでは行ってまいります」

 

私たちに期待されてか、深雪は嬉しそうに丁寧に一礼して入学式会場へと向かって行った。私たちは彼女が建物に入るまで見送っていた。

 

 

「相変わらず、なだめ方が上手いな」

「達也には及ばないけれどね」

 

 

昔が嘘のように、今では達也のことも敬愛してくれている。

しかし、今日みたいなことも時々起るのは嬉しい誤算と言うか贅沢な悩みだ。

 

「雅には敵わないよ」

「勝ち負けを競うものでもないわよね」

「それもそうだな」

 

くすくすと笑いあい、まだ2時間以上ある時間をつぶすために私達も歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

建物をあらかた見て回り、位置を把握する。高校と言うより、どちらかと言えば規模も施設も大学に近い。二人で話をしながら、歩いてみたがそれでも時間はまだ十二分にある。ちなみに、カフェテリアも今日は混雑を避けるために開いていない。

 

「どうする?」

「それなら、少し見てほしいものがあるんだがいいか?」

「システム関係?」

「ああ。近頃、三課にハッキングが増えてきて防壁の見直しを行っているんだ」

 

近くにあったベンチに座り、達也が端末を操作する。

 

「分かったわ。けど、達也の監修なら難しいかも」

「いつも紙切れのように突破するだろう」

「それなりに労力は使っているんですからね」

 

スクリーン型の端末を受け取り、ファイルを開く。この学校では仮想型の端末は禁止されている。未熟な魔法師にとって仮想型は有害だという説が根強いからだ。元々、読書にはスクリーン型の方が便利ではあるし、もっと言えば私は紙媒体の本が好きでもある。

 

構成されたプログラムを上から下へと見ていく。

ハッキング対策だけあってそのプログラムの工程も多ければ、システムも複雑だ。上から下までじっくりと見た後、少し息をつく。流石に情報量が多かった。

 

「システム上の欠陥はないわね。ただ、複数で取りかかった場合は危険な個所がいくつかあったわ」

 

座っていた距離を詰め、問題のあった箇所を呼び出す。

 

「ここと、ここ…それから迎撃用のクラッキングシステムのここもかな」

「ここが弱いのか?」

 

達也が真剣な表情で端末のシステムを見つめている。

 

「一人のハッカーでは無理かもしれないけれど、複数のハッカーや軍レベルの攻撃を受けるとマズイわね」

「なるほど」

 

達也に端末を返す。私が指摘したことをすぐさま、端末に記録していた。

 

「目立ったところはそのくらいかしら」

「端末でこの体たらくじゃあ見直しが大幅に必要だな」

 

やれやれと達也は肩を落とした。

 

そう言ったとしても、今回の難易度もかなり高かった。

 

電気、電子、電波、電磁力、放射線

そう言う類の感受性の強い私は、機械関係にもそれなりに強い。

時々このように、システムのチェックを引き受けている。

 

「また修正版をテストしますね」

「助かるよ」

 

あまり人気のない場所にあるベンチとはいえ、会社絡みのこの話をして大丈夫なのか。

 

通り過ぎる人も寄ってこない。

それもそのはずだ。

私が人除けの術を敷いている。かなり意識しなければここに来ることはないだろう。

風景の一つとして意識に入れないことにするだけの魔法だ。排除とか警告を含めていない術式ならば感知されにくく、まず意識に上りにくい。

更に念には念を重ね、遮音壁も同時展開している。

よほど感知系や空間認知能力に優れた魔法師ではければ、気づかれることはないだろう。

 

「そろそろ行くか?」

「そうね」

 

術を解除して腕時計を確認すると、式まであと20分少々だ。

私のこの腕時計は入学祝に両親から贈られたものだ。この時代にアナログの腕時計?という人もいる。

端末と電子マネーのカードさえあれば今時は買い物も通学も基本的に困ることはない。

 

しかし、いくら便利になったとはいえアナログのものを愛用する人もいる。合う、合わないがあるのが機械の世界だ。

達也曰く、誰にでも合うようにするのが技術者の腕の見せ所でもあるらしい。

 

 

閑話休題

 

私達も講堂へと向かうことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

講堂への道を歩いていると幾分か、にぎやかな声が聞えて来た。

新入生やその父兄が続々と来場しているのだろう。

 

入学できたことに晴れ晴れとした顔、二科生であり少し悲しそうな顔、緊張している顔。様々な表情を見せている新入生たちが遠くから見て取れた。

 

一高の入学定員は1学年200人。

一科生4クラス、二科生4クラスの計8クラス×3学年で構成される。

全校生徒はおよそ600人だが、その人数に対して校舎などの施設規模は非常に大きい。

 

魔法師は各年齢の人口に対して1000人に一人と言われている。さらに、魔法に関する事故や魔法の使い過ぎなどにより、成人後も魔法を使える者はさらにその10分の1程度と言われている。

日本は人口当たりの魔法師割合が高く、国威を掛けて魔法師の育成が行われている。

特に一高は入試難度が最高レベルの名門と言われており、入学した時点で魔法師の卵とは言え、相応の実力があってここにいるのだ。

 

 

達也が不意に足を止めた。

 

「新入生ですね。間もなく式が始まりますよ」

「すみません。今、行きます」

 

先輩の登場に私と達也は小さく頭を下げた。

その時、彼女の手首にはめられたブレスレット型のCADが目に付いた。

学校内でCADを携帯できる生徒は原則風紀委員か生徒会の役員だけである。

普通の生徒は授業や部活動で使用する時以外はCADを学校に預け、放課後に引き取るという校則になっている

達也も顔には出ていないが警戒しているのが分かった。

 

「あ、自己紹介がまだでしたね。私は生徒会長の七草真由美です。七草と書いて“さえぐさ”と読みます。よろしくね」

 

気さくに自己紹介をしてくれた先輩はどうやら生徒会長らしい。なるほど。彼女が七草家の長女、七草真由美さんか。持ち前の美貌と可憐な様子から【妖精姫】とも呼ばれる人物だ。

九校戦での活躍は名高いし、十師族に相応しい技量の持ち主だと聞いている。七草とは家の関係でつながりはあるが、直接会うことは初めてだ。

 

「俺は、いえ…自分は司波達也です」

「九重雅です」

 

私達以外にも新入生はいる。では、なぜ私たちに声をかけてきたのか。

一科生の女子と二科生の男子が一緒にいることが奇妙に思われたのか。

あるいは彼女も既に入試成績を知っているかどちらかだろう。

 

「貴方たちが司波君に九重さんね。司波君は魔法理論で平均点70点台のところを満点。九重さんは魔法式の展開速度で入試歴代一位の記録を出したんでしょう」

 

どうやら成績は知られているようだが、顔までは知っていなかった様子を窺わせた。初対面の人物に警戒心を抱かせない演技だろう。

生徒会長なら顔写真入りの生徒名簿くらい閲覧可能なはずだ。

つまり、入試成績と顔を知っていたことに加えて、二科生と一科生が並んで歩いている、ということで私たちが目に留まったのだろう。

 

 

魔法力は国際ライセンスに基づき、魔法を発動する速度と魔法式の規模と対象物の事象を書き換える強度で定義される。私は速度だけで言えば、深雪よりも上だったわけだ。

 

しかし、あの雑音の多い機械で歴代一位とは結果を見たときには驚いた。

実際、試験で速度に関してだけ再テストを命じられた。通常、二回行われる速度テストが機械を二度変え私だけ五回も行われて試験官の頭を悩ませたのは記憶に新しい。機械の性能が上がればもっと速い速度だって出せるだろう。

だが、私以上に驚きの結果は達也が出している。

 

「自分の結果はあくまでペーパーテストの結果、情報システム上のことです」

 

基本的に魔法実技が出来なければ理論もできないと言われる。それだけ達也の結果は実技結果とかけ離れて異常だったということだ。

私も結果を見た瞬間、驚いたものだ。

深雪も私も低い点数ではないし、実際理論の部門では次席と三席だ。しかし、達也の成績は私達の点数を平均で10点近く上回っていたのだ。

 

 

「そんなことはないわ。私が同じ試験を受けたとしても満点が取れるとは思わないわ。これでも理論も結構得意なんだけれどね。それに、九重さんも学校のあの機械であのスピードは驚異的だわ」

「恐れ入ります」

 

会長もあの機械と言っていることだから、多少不満が見えた気がした。

その後、小柄で可愛らしい先輩が会長を呼びに来て、私たちも会場へと向かった。

 

 

 

 

 

 

入学式会場に到着し、入り口で奇妙な光景を目にした。

 

「見事に分かれているわね」

「ああ」

 

どこに座ってもいいはずだが、前半分が一科生、後ろ半分が二科生に綺麗に分かれている。

入学前から明確に線引きがされているのが見て分かる。

まさか前側に座っていた二科生に一科生が譲るようになんて言ってないと良いが、流石にそこまでエリート思想に染まってはいないだろう。

 

「それじゃあ、ここで」

「どこに座っても構わないのでしょう?」

 

流石に達也に前に座ろうとは言わない。私が後ろ側に行けばいい話だ。

 

「入学早々、目立つのは得策ではないだろう。

それに、俺のかわりに前でしっかりと深雪を見ていてくれないか?」

 

そうは言っても、達也や私の目ならこの程度の距離の差に関係なくよく見えるだろう。あくまで建前だ。

 

「そう言うことにしておきます。でも、深雪の小言は確実だからね」

「フォローしてくれないのか?」

「さあ、どうでしょうか」

 

 

冗談めかして言うと、彼は少し苦笑いしながらまいったなという表情を浮かべていた。私が少しだけ魔法を使えば、二科生に紛れ込むことぐらい容易いだろう。しかし、ここは魔法科高校。

先ほどと違い優秀な魔法師もこの場にはいることだから、安易に使うべきではないとは分かっている。

 

「それじゃあ、また」

 

軽く微笑んで達也は後方へと向かった。

私も空いている席を探しに前側へと向かった。

 

 




以前からハーメルンで劣等生の小説を読んでいたので、こちらでも投稿させていただきました。

サイトとこちらで若干修正しているところもあります。

未熟者ですが、どうぞお付き合いください。


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入学式編2

連続投稿です。

一話の目安はどのくらいが良いのでしょうか?
とりあえず、5000字程度で区切りを付けています。


入学式は恙なく終了した。

 

生徒会長もいわゆる美少女と呼ばれる人だったが、深雪はそれを上回る。

町を歩けば、老若男女問わず振り返る稀代の美少女。

白い肌に桜色の唇、艶やかな黒髪。均整のとれた顔立ちに、服の上からでも分かるスタイルの良さ。そして見惚れるような、いや見惚れる所作。

 

案の定、会場はあまりにも美しい新入生代表に息を飲み、その答辞に耳を傾けていた。

 

 

深雪がこのような場に緊張し、ミスをするとは思わない。

しかしながら、深雪の挨拶は些か緊張した。所々“皆等しく”とか“勉学以外にも”とか危ない言葉が入っていて驚いたのだ。

 

一科と二科の意識の差はどうしてもある。

一科は自分が優れていると鼻にかけ、二科は劣っていると落胆し、見下されたと差別を恨む。たかが入試の差だと思うが、さりとてここでは明確な線引きなのだろう。実際、講堂から移動している間にも「スペアなのに」なんて心無い言葉も聞かれた。

 

深雪の答辞は聞く者が聞けば怒り心頭のことだろう。しかし内容自体、差別を助長するものでもないし、どちらが優れていると明言したわけでもない。むしろ仲良くしましょうという言葉を上手く包み込んでいる。この容姿と雰囲気も相まって、賞賛こそされ批難は間違いなくないだろう。

 

 

 

答辞が終わると会場は割れんばかりの拍手に包まれた。私も惜しみなく、拍手を送る。

深雪と目線が合い、微笑み返す。きっと達也も誇らしく思っていることだろう。

 

 

 

 

 

 

 

入学式が終わるとIDの交付がある。その後はHRだが、こちらの出席は自由だ。入学式前に、達也と今日はどこかで食べて帰ろうかという話をしていたから深雪にも伝えなければならない。

 

私は早い段階でIDを受け取り、列から離れると深雪がタイミングよく交付場所にやってきた。彼女は一年生を代表してIDを既に受け取っている。時間をみてこちらにやって来たのだろう。

達也が一緒にいないため、彼はまだIDを貰っていないかもしれない。

 

「お姉様、お待たせしてしまいましたか?」

「いいえ、丁度いいところだったわ」

「私はA組でしたが、お姉様はどこのクラスですか?」

 

少し緊張した面持ちで深雪は聞いた。こんなことでドキドキしているなんて、可愛らしいと思うだなんて身内贔屓だろうか。

 

「同じクラスよ」

「本当ですか」

 

嬉しそうに深雪が顔を綻ばせた。

 

「ええ。よろしくね」

「勿論です。お姉様と同じクラスだなんて光栄です」

「ありがとう。私も深雪と同じクラスで嬉しいわ」

 

一科はAからDまで4組あるが、入試成績の順位でAから配置されているのではなく、各クラス入試成績によって均等に割り振られているはずだ。主席と次席が同じでも良いのかと思ったが、調べてみたら過去にもそのような例があったようで問題はなさそうだ。

 

 

「それと新入生代表の答辞、素晴らしかったわ」

「ありがとうございます。お姉様にそう言っていただけて、光栄です」

「私も自分のこと以上に誇らしいわ」

 

 

軽く髪を梳いてやると、少しだけ気恥ずかしいように顔を赤らめた。

うん、可愛いらしい。

だが、少し意識を外に向けると、こちらに向けて話したそうにしている生徒が何人か垣根を作っていた。

 

 

「そういえば、どうしてお兄様は遠くの席だったのですか」

「ああ、それは「司波さん、新入生代表の挨拶素晴らしかったです」

「まさに完璧でした」

 

「ありがとうございます」

 

 

垣根の中から、私の言葉を遮るように一人の男子が話しかけてきた。

深雪は一瞬、顔を顰めたが誰も気が付いていない。直ぐにいつもの人当たりの良い笑みを浮かべた。

 

一人が話しかけると人垣が私たちを中心にして形成された。

男子だけではなく、女子も私たちを取り囲んでいる。まるで集中砲撃のように四方八方から深雪に対し、賞賛の言葉を次々と掛けられる。

 

深雪が賞賛されるのは嬉しい反面、行き過ぎたお世辞は逆に苦痛だ。そんな中で深雪は笑顔を崩さず、絶え間なく賛辞を受けている。

しかし、笑顔の下で少しずつ対応に疲れているだろう。一人一人は短時間でも、続けば長いし、そろそろ時間も気になる。

二科でも流石にIDの交付は終わったころだろう。

 

「そう言えば、司波さん達はこれからどうするんだい。皆でこれから食事に行こうかと言う話をしていたんだ」

「ごめんなさい。先に帰る約束をしている人がいるので」

 

私が断りを入れるが、その程度では怯まなかった

 

「じゃあその人たちも一緒にどうだい?」

 

初日から随分と食い下がってくる。単に親睦のために誘っているだけに見えるが、目的は深雪だ。特に、あわよくばお近づきになりたい男性が多いようだ。

 

「あまり大人数での移動も大変でしょう?ご厚意は有難いのだけれど、またの機会にしませんか」

「このくらいの人数、大丈夫だと思うよ」

「初日で緊張していらっしゃる方も多く見受けました。また明日以降、自活の時間は十分ありますので今日は失礼させていただいてもよろしいですか?」

 

 

笑顔は時に牽制になる。

笑顔は盾であり、鉾であり、そして恋の麻薬である。今回は防壁である。

少し気圧されたのか、仕方なさそうにその男子たちは引き下がった。

兄の言葉は偉大であるとこの時思った。

 

 

「そうか…分かった。其れじゃあ司波さん、九重さん。また明日」

「また明日」

「はい、失礼いたします」

 

 

軽く一礼して、その場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

人垣から離れると、予想以上に自分でも気を張っていたことに気が付いた。

 

「お姉様、ありがとうございます」

 

深雪は小さく私にお礼を言った。

 

「お礼を言われるほどの事ではないわ」

 

内心、私もあの場で素直に引いてくれて安心した。

 

「いいえ。お姉様がいらっしゃったからです。私だけではあのようにお断りできなかったと思います」

 

 

深雪は昔からこの容姿もあり、人に囲まれることが多い。単純に好意のある人、下心のある人、良からぬことをたくらむ人。慣れているからといって疲れないわけではない。それでも不快感を表に出さない様子はさすがだと言える。

あれだけお世辞の集中砲火に晒されたらたまったものではないだろう。

 

「答辞は緊張したのかしら」

 

深雪の頬に触れる。少しだけ恥ずかしいのか、深雪が視線を逸らした。

 

「深雪はお兄様の賞賛だけあればいいものね」

「いいえ、違います」

 

 

直ぐに否定されたことに少し驚いた。敬愛している兄の賞賛を深雪が喜んで受け取らない理由はないはずだ。

私が首をかしげると深雪は当然のことのように自信を持って言った。

 

「お兄様とお姉様の、ですよ」

 

先ほどとは違って、にっこりと満面の笑みを浮かべた。

 

「まあ、可愛らしいこと」

 

少しだけ予想外の言葉に二人で笑いあい、二科生のID交付場所に行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深雪は二科生のID交付場所で達也を見かけると、嬉しそうに駆け寄った。

 

「お兄様」

「深雪」

 

後ろからは達也に対して一科生の冷たい視線が注がれる。不愉快な気分になるが、今の優先順位はこちらだ。背後からの棘のある雰囲気を無視して、私も足を進める。

 

 

「お待たせしまして、申し訳ありません」

「いや、待っていないよ」

 

達也は私の後ろをみて、抜け出せなかったのだと判断したようだ。

深雪がそのような状況になったことは彼からすれば容易に想像できる。

しかし、深雪は達也と話していた二人を見て、にっこりとほほ笑んだ

 

「お姉様という方がいらっしゃるのに、さっそくクラスメイトとデートですか?」

 

なにも含みはありませんよという笑顔だが、寒気を二人は感じ取ったらしい。実際に気温が下がるのも時間の問題だろう。

確かに、美少女の笑みは時として凶器だ。私はこの程度で腹を立てることはないのだけれど、深雪は私以上に独占欲が強い。

達也は小さなため息を隠して、深雪を諌めるように言った。

 

 

「そんなわけないだろう。深雪、その言い方は二人にも失礼だろう。

この二人はクラスメイトだ」

 

深雪は兄に諌められたことで少しだけ肩を落とした

 

「申し訳ありません」

 

その様子がいじらしくて少しだけからかいも込めてフォローした

 

「深雪はお兄様と離ればなれになって寂しかったのですよ」

「お、お姉様」

「深雪は私と同じクラスだったのに、私では不足だったかしら」

 

頬に手を当てて、ため息をつく。私が少し大げさに言うと深雪は必死に否定した。

 

「そんなことありません!!

深雪はお姉様と同じクラスで大変うれしく思っております」

 

「私もよ」

 

 

よしよしと頭を撫でてやると、嬉しそうに顔を綻ばせた。

ちらり達也を見ると苦笑いを浮かべ、二人の女子は呆気にとられている。

 

「自己紹介がまだでしたね。初めまして、九重雅です」

「司波深雪です。よろしくお願いします」

 

深雪と私は先ほどの事もあり、丁寧に腰を折った。

 

「柴田美月です。こちらこそ、よろしくお願いします」

「私は千葉エリカ。よろしく。深雪と雅って呼んでいい?」

 

「ええ。どうぞ。司波だとお兄様と同じですもの」

「私もそちらの方が嬉しいわ」

 

私と深雪の反応に、二人とも少々意外だったようだ。

 

「ひょっとして深雪も雅も意外とフランク?」

「エリカは見た目通りなのね」

「ちょっとそれ、どういうことよー」

 

先ほどとは違い、媚びへつらう様子のない二人の様子に深雪は安堵と好感を抱いたようだ。

 

「見た目通り、可愛らしく利発そうで素敵な方ということよ」

「へっ?あ、ありがとう」

 

エリカはあまり褒められ慣れていないのか、私がそう言うとあさっての方向を見ながらお礼を言った。私も、一科生二科生と下らない枠組みにとらわれていない二人の対応が嬉しい。

 

これからどうしようかという話を進めようとしたところで、外野のざわめきが大きくなった。

どうやら後ろから誰か来たようだ。

 

 

「それより、生徒会の方がみえているがいいのか」

「七草会長」

 

 

振り返ると入学式前に声をかけられた七草会長が副会長を連れてやってきた。

 

 

「また会いましたね、九重さん、司波君」

 

 

柔らかく七草会長は笑みを浮かべた。しかし、後に控えている副会長の顔は若干険しい。一科生と二科生が一緒にいることに疑問に思っているのか、総代である深雪が二科生といることを快く思っていないかのどちらかだろう。

 

「深雪に何か、お話があるのですか?」

 

おそらく生徒会の打診か何かなのだろう。新入生総代は毎年、生徒会に入って学校運営の基礎を学ぶと聞いている。

 

「大丈夫ですよ。今日は挨拶だけをさせてもらっただけですから。それに、先約があるようでしたらそちらを優先してください」

「会長!」

 

副会長が会長の言葉に驚くとともに、こちらを睨みつけてきた。

 

「また後日、ゆっくりとお話しさせてくださいね」

 

そんな様子を無視して、七草会長はその場を後にした。副会長は去り際に、達也を睨みつけていた。どうやら彼は選民意識が高いようだ。

 

 

 

二人の姿が見えなくなると、深雪は憂いを浮かべた。

 

「すみません、お兄様。私のせいでお兄様の心象を悪くしてしまいました」

「お前が謝る必要はないよ」

 

 

俯く深雪に達也は優しく微笑みかけ、頭を撫でてやる。深雪もそれを恍惚とした表情で受け入れる。まるで恋人同士のような甘い雰囲気に美月は顔を赤くし、エリカは茫然としていた。

遠くからこちらを観察している一科生の方からも、驚愕の様子がうかがえた。

 

「二人とも、大丈夫かしら?」

「は、はい」

「………ねえ、いつもああなの?」

「そうよ」

 

 

美月は顔を赤らめ、エリカは私の言葉に顔を引きつらせた。初心な二人には、あの様子は些か刺激が強かったのかもしれない。数年前の私ですら、想像できなかった深雪の変わり様だ。私としては嬉しい変化でもあった。

 

 

 

 

その後、エリカの誘いで学校近くのフレンチカフェテリアで食事をとることになった。

女子が4人もいれば話に花が咲く。時折、達也にも話を振りながら夕方近くまで話し込んでいた。

 

 

「初日から良い人に巡り会えたわね」

「ええ。二人ともいいお友達になれそうです」

 

 

深雪も人に嫌われるような性格はしていない。むしろ蝶よ花よと寄ってくる人の方が多い。

 

私の場合、京都にいたころはどうしても“家”とのつながりを持とうと子どもながらに寄ってくる人も多かった。

それが親に言われての事だろうとしても、小学校からそれが続けば嫌にもなる。

 

掛け値なしに接してくれる友人。

そんな生活を私たちは待ち望んでいたのだ。

 

 

 

 




…5000字ってあっという間ですね。


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入学式編3

今日で、サイトに投稿している部分だけ更新できたらと思っています。




高校生活2日目

 

 

現代社会では渋滞、通勤ラッシュという言葉はほぼ死語に近い。

鮨詰めの満員電車から、都市部では管制制御型のキャビネットが主流になっている。

 

二人乗りと四人乗りの二つのタイプがあり、目的地を入力すれば最寄りの駅まで自動で案内してくれる。4人乗りの場合、2席×2で向かい合うように設計されている。

 

私たちが住む場所から学校までは30分ほどで、そこからは徒歩で学校に向かう。

 

深雪が最初、私と達也が隣に座るべきだと進言していたが、結局はローテーションで一日ごとに席は変えることにした。

 

今日は私と深雪が一緒に座っている。朝から、深雪の顔が少し暗い。

家を出るまではそうでもなかったのだが、どうしたのだろうか?

 

 

「深雪?」

「………昨日、あの人たちから連絡がありました」

 

 

怒りを押し込めた声で深雪は言葉を紡いだ。あの人ということは達也の戸籍上の両親からだろう

 

あまり深雪は父親と義母を好いていない。むしろ毛嫌いしている。

妻の死後、わずか半年で再婚するような父親だ。しかも、結婚してからもずっと愛人宅に居座っていたような男でもあり、好かれる理由の方がない。

 

 

「お兄様の方にはご連絡がありましたか」

「いや、なかったよ」

「そうですか…」

 

室内の温度が急激に低下した。感情の暴走で魔法の制御が上手くできず、深雪の干渉力が働いている。室内の空調が暖房設定を起動し始めたため、達也がその魔法を打ち消した。

 

「取り乱してしまい、申し訳ありません」

 

申し訳なさそうな深雪の肩を私は抱いた。

落ち着いたように取り繕ってもなお、その手はしっかりと握りしめられていた。

 

 

「会社を手伝えと言う親父の意見を無視して、進学したんだ。アテにされていたと思えば、腹も立たんよ」

 

 

達也は優しく、握りしめられていた深雪の手を取った。

 

 

「それに、俺は雅の所からお祝いを貰えただけで十分だよ」

「本当に、お姉様の御実家にはお世話になっております」

 

深雪は少しだけ申し訳なく、けれど本当に嬉しそうに微笑んだ。

 

敬愛する兄を大切にしてくれる私の実家の事を深雪も好いてくれている。昨日も連絡の電話が家の回線の方に掛って来た。

 

「烏滸がましいのだけれど、もう一つの家族のように思ってもらえたらうれしいわ」

「烏滸がましいなんてとんでもないです。お姉様の御実家はとても素晴らしい方々ばかりです」

 

深雪は語気を強め、そう言った。

 

「入学の祝いのお返しをしないといけないな」

「そうですね。お祝いの品も頂いていますし、お返しはどうしましょうか」

 

私の実家からは入学祝として、深雪には化粧用の筆一式。

達也には万年筆とボールペン、腕時計がそれぞれ贈られている。

どちらも家の方で古くから贔屓にしている職人さんのオーダーメイドだ。

二人ともとても喜んでくれたのは私も嬉しかった。

 

それと3人で暮らすのだからと、日本茶の茶器と茶葉もつい先日贈られてきたばかりだ。

 

 

「そこまで気を遣わなくてもいいわ。こちらの好意だもの」

「ですが、いつも私たちは頂いてばかりで申し訳ないです」

「確かに、深雪だけではなく俺にもいつも丁寧にお祝いを送ってもらっているからな。俺はあまりその方面には詳しくはないから、深雪が選んでくれないか?」

「昨日、お礼は言ってくれたでしょう。それで十分よ」

 

見返りを望んで、贈り物をしているわけではない。丁寧に使ってくれるだけで、お礼となる。

 

「お姉様の御実家ですもの。そう言うわけには参りません」

 

 

深雪は意気込んでいた。さっそく、端末を取り出して、嬉々としている。ここまで言われて好意を無下にすることもできないし、私も深雪からの意見に耳を傾けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昇降口

 

 

一科生と二科生では教室に向かうための階段も違う。

そのため、入り口の時点で達也とは別行動になる。

 

深雪はやはり名残惜しそうに足を止めていた。

迷惑にはなっていないが、何時までもここで立ち止まっていたらやはり人目にはつく。

 

「やはり私では不足のようね。舞い上がっていたのが恥ずかしいわ」

 

いかにも恋人らしい雰囲気を出しそうな二人を見比べた。

 

「お姉様…?」

「私も、そろそろ妹離れするべきかしら」

 

私は寂しそうな声でため息を付き、先に進んだ。

深雪の慌てた顔と達也の申し訳なさそうな顔が見えた。

 

 

「お姉様、お待ちください!お兄様、また後程」

 

 

深雪は一礼して私の後を追いかけてきた。

基本的には深雪に甘い私だが、単に甘やかしすぎない様にも気を付けている。こんな風にちょっと意地悪も言ったりするのだ。勿論、信頼されているからこそできることでもある。

 

 

 

「お姉様」

 

少し急ぎ足で深雪が私の隣に並んだ。私も一旦、足を止める

昔のように学校に下駄箱と言うものはなく、そのまま下足で入ることができる

無論、私も早足でその場を去ったわけでもないから差はそれほどなかったので、深雪もすぐに追いついてきた。

 

「御気分を悪くしてしまったでしょうか?」

 

深雪はいつにもまして憂いた表情をしていた。

その表情ですら、比較的近くにいた男子達が顔を赤らめている。

その男子を一瞥しながら、再び歩き出し、階段を上る。

 

 

「そう思うの?」

「私が我儘なばかりに、お姉様のお心に憂いを抱かせてしまったことは大変申し訳なく思います………」

「あら、いじらしいこと」

 

 

くすりと笑うと深雪は少し拗ねたようだった。

普段は何重にも押しとどめた感情を私たちの前ではより豊かに素直に見せてくるのは満更でもない。むしろ、この場で他の不特定多数の男子に見せることが勿体ないくらいだ。

 

 

「私もちょっと意地悪だったわ。それに達也だって、口には出さないけれど一緒にいたいという気持ちは同じだと思うわ」

「本当ですか」

 

 

心配そうにしている深雪は僅かに高い、私を見上げた

 

「私、貴方に隠し事はしても嘘は言わないわ」

 

ちょん、と深雪の桜色の唇に人差し指を乗せた。

 

「お、お姉様」

「せっかく新しい生活が始まったのよ。きっと楽しくなるわ」

「はい」

 

 

深雪はまるで花が綻ぶような笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………百合か」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教室に入ると、にぎやかだった様子が水面のように静かになった。

皆、深雪に見惚れているのだろう。

 

席はすでにID交付時に番号を受け取っているので、指定の端末のある席に座る。今時、氏名順ということもないが、私は運よく深雪の右隣だった。

 

「先に、履修登録を終わらせてしまいますか?」

「そうね。まだ開始時間まで余裕があるし、終わらせてしまいましょうか」

 

学校用端末を起動し、履修システムを呼び出す。

私と深雪は今時珍しいと言われるキーボード入力タイプだ。

勿論、達也の影響でもあるし、中学までは学校でもそちらが使用されることが多い。

隣の席から物珍しそうな視線が投げかけられる。

この学校用端末は脳波アシストや視線ポインタも導入されているが、個人的にはあまり好きではない。

 

 

 

一年生の段階では登録科目数も必修科目数も多いが、選択科目は少ない。

履修登録はシラバスを予め見ているので、登録自体はそんなに時間がかかるものではなかった。

 

私が少し先に終え、深雪が情報端末を閉じた。

 

「必修はすでに登録されているのですね」

「慣れない生徒のために初学期だけは登録してくれているみたい。

ただ、二学期以降はすべて自主登録だそうよ」

「そうなのですね」

 

 

知り合いの先輩からある程度、学校の事は聞いていたからそれほど今の所、困ることはなさそうだ。今日はまず履修登録、学校概要説明、カウンセラーの紹介が行われた。

 

残りの時間は、学校の施設見学の時間に当てられている。実習棟や実験の見学がメインだ。

各自好きに回ることもできるが、先生が引率してくれるコースもあるらしい。

 

 

「どうされますか、お姉様?」

「深雪はどうしたい?」

「先生について見て回ろうかと考えています」

「では、そうしましょうか」

 

開始時間を確認すると、そろそろ教室を出た方がいいだろう。

 

「あ、あの」

「何かしら」

「私たちも一緒に良いですか?私、光井ほのかって言います」

「北山雫。よろしく」

 

先ほど私たちの履修登録を見ていた二人だ。どうやら話しかける機会をうかがっていたらしい。

 

深雪がちらりと私の表情を窺う。私はそれに小さく頷いて、了承の意を伝える。

 

 

「ぜひ、よろしくお願いします。私は九重雅。仲良くしてくださいね」

「司波深雪です。お姉様共々、よろしくお願いします」

 

 

丁寧に深雪は腰を折った。

この所作は一朝一夕では身に付かない。

単に容姿だけでなく、すべての所作が美しいのが深雪の素晴らしいところの一つでもある。

 

「はひっ」

「こちらこそ」

 

緊張しすぎて光井さんは赤くなっていた。

北山さんも顔には出にくいタイプの様なのだが、深雪の丁寧な所作に少し驚いたようだ。

 

4人で教室を出ようとした時に、男子の集団も一緒についてきた。

目線をそちらに投げかけると、纏め役のような男子が話しかけてきた。

 

 

「司波さん、九重さん、僕たちもいいかな」

「ええ。目的は同じでしょう。そろそろ行きましょうか」

「はい」

 

 

彼らも先生の講義付きの学内紹介を希望しているようだ。

一々、確認する理由はおそらく、深雪に対して下心あっての行動だろう。

 

 

 

 

 

 

私たちが先生について回ろうと決めると、クラスの大半が着いてきた。先生の講義も魅力の一つだろうが、ほとんどの目当てが深雪だろう。

 

大所帯で施設見学を進めていく。

一流の魔法師育成を目的とするだけあって、設備は十二分に揃っている。

各種実験用機械や魔法薬学実験室、化学実験室、工学系のラボ。

CADの自動調節器も常設されおり、学生が個人で使うことができる。

個人的には図書館の古典文献が楽しみだ。

 

 

 

 

先生の案内が終わった後、各自で施設を見て回ることになった。

各自と言われたが、大半が深雪と見て回りたいと思っているようだ。

深雪に次々とどこを見て回るか声をかけているが、深雪から質問するとみんな顔を見合わせてだんまり。

深雪の出方を窺っているのか、聞くだけ聞いてあまり考えていなかったのか。

どちらにせよ、助け船を一度出した方がいいだろう。

 

「そんなに一度に声をかけられたら深雪も困ってしまうわ」

 

あくまで口調は柔らかく、困ったように笑う。

 

「あ、ごめんなさい」

「すみません」

 

 

彼らは自分たちの行動に気が付いたのか、少し羞恥心に駆られていた。

 

「工房の方を見に行きませんか?

今からだと後ろの方からの見学になってしまうかもしれませんが、魔工技師志望の方や部活動に入られる方は今後使用する機会が多いと思いますよ」

「そうですね。そちらにしましょうか」

「ええ、是非行きましょう」

 

 

深雪が同意を示すと、森崎君(移動中に自己紹介された)はまるで自分で決めたかのように先頭を歩いていた。

彼は少し、私の苦手なタイプのようだ。

 

 

 

 

工房見学では達也たち二科生が前の方にいたため、不満そうな一科生が愚痴を言っていた。

順番は順番だし、遅れてきた方が後ろにいるのは当然だろう。

一科生だから優先的に前に行かせろだなんて、まるで幼稚園のように並びましょうと言われなければできない子供のようだ。一緒にいる集団の中にも森崎君達の横柄な態度に嫌気を感じているような雰囲気があった。

 

 

 

そうこうしている内にお昼時となった。

 

「北山さんたちはお昼ご飯をどうする予定ですか?」

「特に決めてないよ」

「カフェテリアはもう混みはじめていると思いますし、午後も加味して今から行った方がいいでしょうね」

 

腕時計を確認すると、そろそろ移動した方が無難だろう。

 

「お姉様、お昼は別なのですよね」

 

深雪が寂しさを隠せない様子で言った。

 

確かに、この状況で置いていくのは酷だろう。

しかし、あくまでクラスメイトだ。選民意識の高い人達もいて少し不安だが、甘やかさないのは深雪のためでもあると言い聞かせる。

 

 

「ええ、ごめんなさい。また午後からご一緒させてもらっていいかしら」

「勿論です」

 

 

早く帰ってきてくださいねと幻聴が聞えた。実際、そのような顔をしている。

まるで主人が出かける前の子犬のような愛らしさだ。

 

「また、午後ね」

 

ぎゅっと手を握ったあと、微笑みかけてしばしの別れを告げる。

後ろ髪を引かれる思いで、私はその場を後にした。




行間ってこのくらいでいいんですかね。
ハーメルンで投稿して気が付いたんですが、私の場合、一文が短いですね・・・
ある程度、行間があった方が見やすいとは思いますがページがやけに白い気がします…


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入学式編4

深雪と別れ、約束していた場所に向かう。日当たりのいい中庭は広い魔法科高校の中でもガーデニングが盛んにおこなわれている場所でもあった。

私は待ち合わせの人物を探していると、ベンチに座り手を振る人物が見えた。

 

 

「やあやあ、雅ちゃん。久しぶりだね」

「お久しぶりです、祈子さん。お待たせしてしまいましたか?」

「いや、1分くらいだね」

 

隣どうぞ、と席を進められたので、一緒にベンチに座る。

 

「土地神様への挨拶は済ませたのかい?」

 

「ええ。入学式の前に御挨拶に伺いました」

 

「それは僥倖。流石に分かっているね」

 

感心、感心と彼女は頷いた。

彼女は行橋祈子(ユクハシキコ)さん。3年の一科生で、実家関係でも縁のある人である。

入学前の知識は主にこの人からの情報だ。

 

祈子さんは、ベンチに置いていた二つの紙袋を差し出した。

 

「細やかなる入学祝だよ。

私のおすすめ、スモークサーモンとクリームチーズのベーグルサンドとクラムチャウダーのスープ。BLTサンドもあるけど、どっちがいい?」

 

「ありがとうございます。お勧めのベーグルの方を頂きますね」

 

「はい、どうぞ」

 

片方の紙袋に入った昼食を受け取る。

中庭はまだ新学期とあって、在校生も新入生もあまり見られなかった。

 

「新入生総代、美人だねー。あれが君の溺愛している義妹なんだろう?」

 

「そうですよ。愛らしいでしょう?」

 

「そうだね。紫の上や輝夜姫がこの世にいたのならば、まさにあんな感じなんだろうね。これは学校中の男子が放っておかないだろうね」

 

 

にやにやと彼女は笑って、サンドイッチにかぶりついていた。

実際、すでに下心のある人はたくさん見かけた。

いずれにせよ、深雪が相手にするようなレベルではないし、第一私と達也が許さない。

 

前置きはこのくらいにして、と彼女は語り出した。

今回は部活動のことについて紹介してもらうことになっている。

 

 

「まあ、前にも説明したけど図書・古典部は文字通り魔法書籍と古典文学を扱う部活だね。

魔法科高校ならではの特徴としては、古典や歴史上の伝説の神憑り的事象の魔法による再現とそれに関する論文作成が主な活動という点かな。

部員は今の所、幽霊部員を入れて20人。マイナーな部活だけど、その分来る人はそれなりにビブリオマニアか古式魔法師だね。あとは時々小説を書いている子も来るね」

 

「古式魔法クラブもありますよね。そちらには古式の家系の人は行かないのですか?」

 

学校概要の説明の時間で、一通り何のクラブ活動が行われているのか確認しているが、部活動の数も多く、魔法系の部活から魔法を使わない部活まで様々だ。入部は必須ではないが、結果を残していれば、大学入学時に点数が加算される。

図書・古典部は魔法を使う分野と使わない分野の二面性を持っているらしい。

 

「古式魔法は知っての通り、家独自の秘匿性の高い術式だからね。この学校の古式もある程度流派が決まった生徒か、授業の応用ばかりで、気兼ねなく来られるのはむしろこちらの方だよ。

古典の翻訳は原文で当時の文書を扱えるようになる目的のある人も数名いるし、古典魔法言語の解読も盛んにおこなわれているね。まあ、活動はそんな物かな。何か質問はあるかい?」

 

 

古式魔法はその歴史からか、術式を秘匿する傾向にある。

私の流派も秘匿性の高い術式は数多く存在する。

達也から言わせれば、インデックスにも登録されていない特殊魔法がある一方、無駄の塊も存在する玉石混合らしい。

しかし、図書・古典部は所有する古書を解読がメインとなるため、流派の系統に左右されないらしい

 

 

「活動はどのくらいのペースでやっているのですか」

 

「定期的な集合は水曜日の放課後、週一回。

それ以外にも来てくれて構わないよ。本を読んでもいいし、勉強するのも、研究をするのもあり。

まあ、最大のセールスポイントは大学と連携して大学教授の知識の恩恵に預かれることだね」

 

「大学って、国立魔法科大学の事ですよね。

わざわざ高校の方の生徒にも教えに来てくださるんですか?」

 

 

魔法科高校でも教員不足は深刻な問題だ。だから一科、二科制度がある。

しかもさらに難関の魔法大学の教員が高校生の一部活動のために時間を割いていると言うことが驚きだ。

 

「ああ、部活動の顧問も勿論いるよ。ただ魔法も温故知新。

魔導書研究は比較的マイナーな分野だし、後継育成も兼ねてね。

今はどうしても体系化されて、高速化された現代魔法に焦点が向きがちだからだろうね。

実際、インデックスにいくつか理論は載せてきたし、今年も一つ出来そうだから結構学校側からは優遇されているんだよ。

部活動の予算だけじゃなくて、研究特別手当がつくのもウチくらいなものだろうね」

 

 

 

インデックスに掲載される。それは新たな魔法として正式に認められたと言う事だ。

第一線で活躍している研究者としても滅多にないことで、類まれなる栄誉とも言われている。

 

確かに、古式魔法にはいまだに解明されていない原理や現象が多々ある。

それを高校生が紐解くのは容易ではないはずだが、かなり研究実績は優秀なようだ

 

「話には聞いていましたが、本当に熱心に活動されているんですね」

「今年は君が入ってくれるなら安泰だね」

「そうなることを祈っています」

 

昨日の様子から深雪はきっと生徒会に誘われるだろうし、達也も図書室で閲覧したい資料も多いだろう。私も図書館通いをしてもいいが、前々から話を聞いてこの分野には興味があった。

 

兄や家の影響もあるが、古典分野の解析は歴史を紐解いていきパズルを組み合わせるように出来事が繋がっていくことが楽しい。図書・古典部はまさに私にうってつけのようだ。

 

 

 

 

 

 

昼食を食べ終え、祈子さんから色々な学校の裏話を聞いていく。学食のメニューは何が美味しいかや、季節限定のスイーツ、保健室の先生が可愛いだとか、ある教授の課題は鬼だとか、多種多様な話を提供してもらった。

、多種多様な話を提供してもらった。

 

その途中で祈子さんに電話がかかり、断りを入れてから彼女は少し席を外した。

私は手持無沙汰なので端末で午後からの予定を整理し、どう見学していけば効率が良いのか再プランニングしていく。

午後は七草先輩のクラスの実習と、図書館でのデーターベースの利用の諸注意があるらしい。

 

私が画面に視線を向けている途中で何度も私に視線を投げかけてくる男性がいたので、端末から顔を上げた。気が付かないふりをしてもいいが、相手は先輩の様だし、要らない面倒事は早めに片づけてしまおうと決めた。

 

私が端末から目を離すと、その男性は意を決した表情で話しかけてきた。

ちなみに知り合いではない。

 

「失礼、九重雅さんでいいかな」

「はい。そうですが………何かご用でしょうか」

 

学年は分からないが胸元にエンブレムがあるので一科生の先輩のようだ。

彼は真剣な眼差しで、少し緊張もしているのか顔も険しい。

 

 

「単刀直入に言おう。ぜひ古式魔法クラブに入部してくれないかな?」

 

文字通り単刀直入に告げられた彼の言葉は少々予想外のことであった。

 

「すみません、部活の勧誘期間はもう少し先ではありませんか」

 

 

 

部活動の勧誘期間は定められた日程から行われるはずだ。

それ以外は処罰の対象となると聞いていたのだが、これは良いのだろうか。

 

「君は入試2位の実力者。直ぐに目を付けられて他の部と奪い合いになることは必至。部として勧誘することは禁止されているが、“個人的”に声をかけること自体は禁止されていない」

 

 

詭弁だが、確かにそうだ。

祈子さんだって、個人的に私に部活の話をしているから彼を非難出来はしない。

丁重にお断りをしようと思っていたら、別の女子生徒がこちらに走ってきた。

 

 

「ちょっと待った―!!」

「なんだ、黒田か」

 

 

二科の制服を着た女子生徒が男子生徒向かって大声を上げた。どうやら彼女も先輩のようだ。

 

「彼女はうちの部が目を付けてるの!

九重さん、ぜひ統合武術部に入らない?あなたの実力は聞いているわ」

 

彼女は目を輝かせて私の手を取った。

 

統合武術とは近年発展した、空手、柔道、テコンドー、合気道、少林寺拳法などの技を複合した徒手格闘の総合武術競技だ。身体能力のみで相手を無力化させることに重点をおき、公安や陸軍の一部でも取り入れられている日本発祥の武術である。

無論、競技用には禁じ手もあるが、マーシャルマジックアーツにも生かされたり、女性の護身術としても使用されている。

 

統合武術の大会は中学校の頃、助っ人で大会に出場したことはある。

しかし数回しか出場していないのに、名前が知られてしまったようだ。

 

 

「後からしゃしゃり出て何のつもりだ。彼女に声をかけたのは僕が先だ」

 

「貴方たちは世間話をしていただけでしょう?

九重さん、ぜひ統武に見学に来てね。そしてもちろん入部してね」

 

 

私の手を握る力が強くなった。

この様子だと、本格的に部活動の勧誘期間が始まるとお祭り状態なのだろう。

二人も私がいるのを忘れたかのようににらみ合っている。

この様子では部活動の勧誘期間は今以上に、気を揉むことになるだろう。

 

 

「お二人に誘っていただけるのは光栄なのですが、既に入る部活は決めていますので申し訳ありません」

 

「「え」」

 

にらみ合っていた二人が一斉にこちらを見た。

 

「何部なんだ?!」

「図書・古典部です」

「あの魔女の部活に?!悪いことは言わないわ。止めておきなさい」

「彼女と一緒だと思われたら君も不幸だ」

 

 

彼女たちの言い分に顔を顰めそうになったが、どうにか堪える。随分と祈子さんの評判は悪いらしい。

確かに、分野自体マイナーだし、彼女自身あまり人と積極的に関わる性分でもない。

彼女の家の特性上、他人と関わる機会が多いが学校ではあまり猫も被っていないのだろう。

 

 

「おやおや、随分言ってくれるね」

「げ、行橋…」

「どうもこんにちは。私の可愛い、可愛い雅ちゃんがさっそくナンパされたから助けに来たよ」

 

 

実際はただ電話口から戻って来ただけだ。

私の非難めいた視線に祈子さんは肩をすくめながら、やれやれと口を開いた。

 

 

「まあ、確かに彼女は『九重』。古式魔法にも優れ、武術にも造詣が深いだろう。

けど、彼女が部に入部するからには彼女にとっても部にとっても益であるべきだろう。

彼女が君たちの部活に入部することで部の利益はあるだろうけれど、彼女にとって益はあまりないだろうね」

 

「それは、どういうことだ」

 

男子生徒の言葉には怒りがうかがえた。

 

「分かりやすく言えば、隔絶された実力では参考にならないと言うことだよ。

君たちの技量では雅ちゃんには10人がかりでも及ばないだろうね」

「なんですって」

 

今度は黒田と呼ばれていた先輩が声を荒らげた。

こうも面と向かって馬鹿にされたら腹が立って当然だろう。

 

「そうだろう、雅ちゃん」

「私に同意を求めないでください」

「えー」

 

子どものように祈子さんは唇を尖らせた。

 

「俺たちをコケにしているのか」

「いいや、私は歴然たる事実を述べているのだよ」

 

 

そう取られて当然の態度と言葉だ。飄々とした態度は相手を下に見ていると公言しているようなものだ。しかも、彼女の場合ワザと神経を逆なでしているのだろう。

 

「んじゃ、雅ちゃん。決闘しようか」

「なぜそう言うことになるんですか」

「だって、見せた方が分かりやすいだろう」

「私の承諾は無視ですか」

 

私がそのような事態を望まないと知っていながら、彼女は嬉々として笑っている。

面倒事ではなく、むしろこの状況を楽しんでいる。

 

「納得してもらって諦めてもらった方が時間の有効活用になるだろうね。

まあ、部活勧誘にもみくちゃにされたいと言うのなら別だろうけどね」

 

確かに、ここで一つ憂いを取っておくのも手だ。

しかし、もっと穏便に済ませる方法はないだろうかと思案しようと思ったがそろそろ昼休みが終わる。

 

結局話は放課後、ということで解散になった。新学期早々、先が思いやられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

急いで戻ると、深雪は目を輝かせた。だが、どことなく覇気がない。

その様子を見て私たちは、お手洗いということで二人で抜け出している。

流石に空気を読んだのか、女の子たちも着いてきていない。

 

 

「お疲れの様子ね、深雪」

「お姉様…」

「私がいない間になにかあったのかしら?」

「はい、実は…」

 

深雪から事の顛末を聞いた。

なんでも、深雪が達也やエリカたちとご飯を食べようとしたところ二科生だから席を譲れと一科生が難癖をつけた。雰囲気が悪くなったところで、見かねて達也が席を立って譲ってくれたそうだ。

 

 

「そうだったのね」

「はい…」

「一緒にいてあげられなくてごめんなさい」

「お姉様が謝る様なことではありません。私が不甲斐ないばかりに、お兄様のお心を痛めるようなことをしてしまった自分が恥ずかしいです」

 

深雪は悲しそうな表情を浮かべた。

ただでさえ、兄とは違うクラスで残念なのに更に自分のせいでと責めているのだろう。

 

「達也ならその状況で、自分が動くことは最適だと思って譲ってくれたのでしょう。

無駄な波風を立てたくないという心情も理解してあげてね」

「それは…。分かりました」

 

深雪は反論しようとしたが、考え直し、申し訳なさそうに了解の意を示した。

普段は文字通り優等生なのだが、兄や私が絡むと少々事情が異なる。

少しだけ我儘になるのは、可愛いことだが感情がコントロールできない場合もあるのだ。

もっと暴走すると、今朝のように周囲の気温を低下させてしまうこともある。

 

 

「午後は先輩の実習の見学よね。この時間だと3-Aが実習しているから勉強になると思うわ」

「3-Aというと七草会長がいらっしゃるのですよね」

「ええ。遠距離魔法の名手として名高いわ。九校戦の大会記録を持つくらいだから、今日も見学者で人気でしょうね」

 

 

私は九校戦を観に行ったことはないが、深雪は確か先輩たちを観ているはずだ。

あの精度の高い射撃とそれを可能にする魔法は、流石十師族直系と言わしめている。

 

 

「それと、放課後そのまま部活の関係で少し残ることになったから先に二人で帰宅してくれるかしら」

 

「部活の新歓はまだ先ですよね?」

 

「そうなのだけれど、“知り合いの私に部活の世間話をしていた”という体で勧誘を受けたの。

元々、入ろうと思っていた部活とは別の部活からも勧誘を受けて、そちらにお断りをするための時間が必要になりそうなのよ。流石に“個人的に”声をかけることまで禁止されていないからね」

 

 

祈子さんから改めて連絡が来ていたので確認すると、やはり穏やかに話し合いで解決とは行かない様子だ。

きっと彼女が更に煽ったのだろう。入学早々面倒なことをと頭が痛くなりそうだった。

 

 

「そうなのですか。お待ちいたしますよ」

 

「何時に終わるのか明確ではないし、できるだけ早く終わらせるけれど待たせることの方が申し訳ないわ。それに、達也と二人きりで帰れるのよ」

 

「お兄様と、二人きり………」

 

 

深雪の脳内には二人っきりで過ごす兄との様子が思い浮かんでいるはずだ。

ほわほわと幸せそうな緩みきった顔になっている。

 

 

「ね?」

「わかりました。ですが、お早く終わりましたら連絡をくださいね」

「ええ、勿論よ」

 

 

さあ、午後からも頑張りましょうと言う気持ちも込めて私は深雪の肩を叩いた。

 

 

 

 

 

 

午後にも七草先輩の実習の場面で一悶着起こりそうだったが、一日の予定はほぼ終了した。

私は統合武術部から道着を借り、地下演習場に向かった。

そこには既に統武の試合ができるように畳もセットされていた。

 

「お待たせしました」

 

一礼して部屋に入る。

そこには既に古式魔法クラブと思われる人と、見慣れない大柄の先輩、そして祈子さんがいた。

 

「今回の立会人、部活連会頭の十文字君だよ」

「十文字会頭が立会人ですか」

「うん。これで公平かつ公正に審判されるだろう」

 

 

十文字克人。文字通り、十文字家の直系。

しかも次期当主として後継者に指名されている人物だ。

【鉄壁】の二つ名に相応しく、強固な巌のような印象を受けた。

 

兄上の話では既に師族会議にも参加し、事実上の当主として一族からは対応されているらしい。

学校では部活動を束ねる立場にあるようだ。

 

 

「ではルールを説明しよう。

総当たり戦で彼女と統合武術部、古式魔法クラブの代表5名ずつと交互に相手をする。

総当たりの結果、勝った方のチームに九重と部活入部の交渉権が優先的に与えられる。

両部活負けの場合は、九重を部活には勧誘しない。相手に重度の怪我、後遺症を残す魔法は禁止。

統合武術は公式ルールに基づき、一本を取られた方は場から退くこと。

古式魔法は相手を戦闘不能、もしくは降参で負けとする。これで異論はないか」

 

 

私と古式魔法クラブ、統合武術部に確認を取っていた。総当たり戦か……。

試合数は多くなるが、ここにいる高校生レベルならば問題はないだろう。

 

「外野も意見してもいいのかな?」

 

にやりと祈子さんは背の高い十文字先輩を見上げた。おそらく、またなにか企んでいるのだろう。

 

「お前も当事者のようなものだろう」

 

「当事者?まあ、私の一存で決まってしまったから当事者になるんだろうねぇ。

10人もチマチマ総当たりしていたら、日が暮れてしまうだろう。

だから、各部5対1でいいんじゃないかな?」

 

「なに?」

 

「え?」

 

「おい、行橋。なに言ってんだ」

 

 

私を除く、その場にいた先輩方全員が祈子さんの提案に驚いていた。

統合武術部は男子もいる。それほどまで私に勝って入部させたいらしい。

それをいきなり多人数で相手しろと祈子さんは言っているのだ。

 

「君たちに実力差を納得してもらうならこれくらい明確なハンデがないとだめだろう?」

「だからって5対1はないだろう」

「行橋先輩。私達、それほど弱いと思われているのでしたら心外です」

 

二つの部活から反論が上がった。確かに、理不尽ともいえるハンデではある。

 

「私は構いません」

「え、九重さん?!」

 

しかし、ある程度、牙は隠していても見えるものだ。

現状、先生の所の稽古に比べるまでもないだろう。

私が了承したことと、各部それで渋々ながらも納得したことで5対1での対戦が決まった。

 



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入学式編5

相変わらず白い・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

圧巻だった

 

圧倒的だった

 

目を疑う出来事だった

 

先攻の統合武術部5人がものの数分で全員一本を決められていた。

 

決して弱い者たちではない。むしろ、関東でも強いレベルに入る。

確かに攻める側も多対一には慣れていないだろうが、それでも隙を見て押さえかかっても誰も九重に技をかけることはできなかった。

 

 

統合武術の特徴として相手の無力化に重点を置かれた実戦武術であると同時に、技のバリエーションが多いことが特徴だ。競技では男女別れて大会など行われているが、実際、技の選択と力量次第では男性が女性にひっくり返されるなんてよくあることだ。

 

九重は無駄な力はない。無駄な動きもない。最小かつ最適な動きで、すべてを捌いていた。

柳のように流水のように、歯牙にもかけられず、統合武術部は茫然と地に伏していた。

 

「ほう…」

 

十文字も眉一つ動かさず5人を倒して見せた雅に対し、感嘆を漏らした。

 

少なくとも、制服姿の雅は武道を嗜むようには見えない。

お茶やお花、ピアノが趣味の深窓の令嬢という印象を受ける。

凛とした佇まいは清廉さを兼ね備え、年の割に落ち着いた女性の雰囲気を醸し出していた

 

しかし、対峙した者は分かってしまった。

濃厚で濃密な武芸者としての経歴と実績、それにふさわしい貫禄があると

華奢な体からは考えられないほど、その技量は高校生離れしていた。

 

 

「うん、流石は雅ちゃん。高校生程度なら相手にしないね」

 

 

満足げに行橋は頷いていた

 

繰り返すが、一高の統合武術部は決して弱くない。

学内有数の武闘派と言うわけでもないが、学校創設以来ある部活でもあり、全国でも成績を残してきている。

今回も関東大会優勝の実力者が相手をしたが、赤子の手を捻るがごとく敗北した。

 

部員たちは立ち会った時に感じたのだ。歴戦の王者の威圧に当てられたとも言えるだろう。

確かに明確に、隔絶した実力差がそこにあった。

 

 

 

 

 

その様子に古式魔法クラブは慌てていた。

 

彼らも作戦は立てていた。古式魔法は発動に時間がかかる。

その不利な点をカバーするためにCADも複合して使う。

当初は閃光魔法で視界を封じる予定だったが、それを移動魔法で壁まで吹っ飛ばす予定に変更した。

女子相手に荒っぽい作戦だが、あの動きを見てそれでも躱される危険があると判断した。

移動魔法で吹っ飛ばしたら気絶すればそこで終了。

避けられた場合はその時間で用意していた幻覚魔法で平衡感覚を奪う。

 

緊張している古式魔法クラブに比べ、雅はブレスレットタイプの汎用型CADを静かに構えた。

先ほど5人を相手取ったにもかかわらず、息一つ乱していなかった。

 

開始の合図と同時に、古式魔法クラブの面々は一様に驚愕の表情を浮かべた

 

「幻術?」「まさか?!」

 

 

古式魔法クラブのメンバーは視界が斜めになったように感じた。

しかも、そう感じた瞬間には既に全員が膝をついていた

 

 

「勝者、九重雅」

 

 

静かに十文字会頭が雅の勝利を告げた

愕然としていたのは10人の2つの部活の代表者たちだった。

まさに魔法技能でも一瞬にして圧倒してみせたのだ。

 

 

「お見事。うん、まあ雅ちゃんなら楽勝だったかな」

 

殊更うんうんと満足げな様子で行橋は腕を組み、頷いていた。

彼女は最初からこうなることが予想できたうえで、この条件を持ちかけてきたのだ。

 

これでは勝負にすらなっていない。

確かに、勝敗はついた。

だが、1年生の女子に相手にされない事は悔しさ以前に諦めさえ感じさせた。

 

世界が違うと。

 

 

「九重の初手は光学系の魔法か?」

 

「そうだね。広範囲に最速で展開した光波振動系魔法だよ。

光の屈折を利用して相手の視界を歪め、幻影に似たものを作り出した隙に真正面から軽い電撃で倒す」

 

行橋が嬉々として雅が使用した魔法を解説した。

 

「フライング、というわけでもないのだろう?」

 

「雅ちゃんだからね。一つの術式で幻覚、幻影を作るくらいやってのけるよ

魔法の発動速度、入試歴代一位は伊達じゃないさ」

 

 

電撃の方も殺傷性は全くなく、単に痺れただけの様子だった。

まだ古式魔法クラブも統合武術部も茫然としている。

余裕綽々としているのは雅と行橋くらいなものだ。

 

十文字も審判と言う立場を忘れ、自身が戦った時の勝負の行方を険しい顔の後ろで試算していた。

魔法だけではなく、体術だけで男子をも圧倒してみせる古式の技術は彼にとって未知の領域でもあった。

 

 

「これで風紀委員の部活連推薦枠埋まっただろう」

 

十文字だけに聞こえるように行橋は雅を見ながら言った

 

「卒業された先輩の補充分、まだ部活連と生徒会の推薦枠空いているんだろう。

それとも2年の優秀な生徒に目星をつけていたかい?」

 

 

「………いや、人選に少々困っていたところだ。2年から出そうかと思っていたが確かに、九重なら問題ない実力だろう。5人相手でも余裕そうだったな」

 

 

十文字は雅をじっくりと見つめていた。彼女は今、倒れた古式魔法クラブの女子に手を貸していた

古式魔法クラブを倒したのは単なる静電気だ。統合武術部を倒したのは単なる身体的技術。

息一つ乱すことなく、相手を無力化した。

 

渡辺以上の才能を感じさせる女子だった。

末恐ろしい女子がいたものだと無意識に手に汗をかいていた。

 

「俺を呼んだのは最初からこれが狙いか?」

 

「それもあるけれど、勧誘期間に問題行動を起こしてもらうより今一個芽を摘んでしまった方がいいだろう?」

 

確かに、毎年部活動勧誘期間は一種の祭り状態だ。

そして祭りには喧嘩は付き物。問題も苦情もたびたび上がる。

この優秀な一年生が古典部というのは残念だが、諍いが一個無くなるのは有難い。

 

「一理あるな。だが、お前は食えんやつだ」

「ゲテモノはゲテモノで美味しいと思うよ」

「遠慮しておこう」

「それは残念」

 

 

ケラケラと行橋は笑った。

その様子を含め、十文字はため息を隠す気もなくついた。

 

 

 




1月26日 修正

指摘があり話の都合上、「合気道部」を「統合武術部」に変更しました。


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入学式編6

(´-ω-`)


雅Side

 

 

統合武術部に道着を返却し、制服に着替える。相手は思った以上に呆気なかった。

勧誘の時点では期待を込めた視線が、今では腫物を触るかのような視線に代わっていた。

実力の一端も見せたつもりはない。それでも、自分の実力が一般の女子高校生離れしているのは自覚している。

勝って気分が良くもない戦いと言うのはなんだか虚しいものだと少し感傷に浸りながら、鞄を手に取り、校舎を後にする。

 

 

終わったことを深雪に連絡したら、すぐさま正門にいると連絡が返ってきた。

まだ帰っていなかった事に疑問を感じたが、深雪もお近づきになりたいクラスメイトに足止めをされていたのかもしれない。

 

 

「いい加減にしてください」

 

急ぎ足で校門まで向かうと、美月が大きな声をあげていた。

そこではにらみ合っている一科生と二科生の一年生たち。お互いに嫌悪感が溢れている。

 

 

「深雪さんはお兄さんと帰ると言っているんです。

それをどうして二人の仲を引き裂くような真似をするんですか」

 

 

大人しそうな美月が声を張り上げていたことも驚きだが、彼女がこうまでするほど何かあったのだろうか。

 

「み、美月ったら何を勘違いしているのかしら」

「深雪。なぜお前が照れる」

「照れてなどおりませんよ?」

 

 

対面する達也たちと一科生。向かい合っていたのは今日、深雪を囲んでいたクラスメイト達だ。

状況確認のために一科生の集団の後ろから話しかけた。

 

 

「これはどのような状況なのかしら?」

「お姉様!」

「九重さん!聞いてくれ。僕たちは司波さんに話すことがあるというのに、あの二科生(ウィード)たちが因縁をつけてくるんだ」

 

森崎君が達也たちを指差して言った。思わずその言葉に顔を顰める。

 

「その言葉は禁止用語よ」

 

「事実だろう。二科生(ウィード)は一科生(ブルーム)のスペア。

司波さんだって僕らと帰るべきなんだ」

 

…この人、本当に高校生だろうか。

余りの幼稚さに驚きを通り越して呆れた。高慢も過ぎれば驕りになる。

それが命取りになることを知らない。

家業はボディガードだとは聞いているが、実戦も何も知らない子どもなのだろうか。

 

 

「暴論ですね。

そもそも、一科生は二科生に取って代わられる存在だって言っているようなものなのだけれど」

 

「僕が言いたいのはそうじゃない。彼女は主席で一科生だ。

二科生なんかと付き合っていると評判も良くない。君もそう思うだろう」

 

「今の時点でどれだけ貴方たちが優れているというのですか」

 

 

確かに、どちらが正論かと言えば美月だ。

だが、それを聞き入れるだけのプライドはなかったらしい。

 

 

「五月蠅い」

 

 

森崎君は美月たちを睨みつけた。

 

「見せてやろう、これが実力の…!!」

 

服の下に隠していたCADに手をかけた瞬間、私は森崎君の腕を掴みあげた

 

 

「ねえ」

 

 

彼の手からは特化型のCADが零れ落ちた。

外れないギリギリの力で関節を捻りあげ、膝を着かせる。

 

「今、誰に銃を向けようとしたのかしら」

 

自分でも底冷えのするような声だった。森崎君は顔を真っ青にしていた。

彼の瞳に写る私は冷酷な瞳をしていた。

 

「このっ」

「ダメッ」

 

 

 

 

別の魔法の発動を感知し、対応にエリカたちが動こうとしたがそれは第三者によって止められた。

 

「やめなさい。自衛以外での魔法の使用は犯罪ですよ」

「風紀委員長の渡辺摩利だ。全員、事情を聴く。着いて来い」

 

生徒会長と風紀委員長の登場に、その場は一気に静まり返った。

あちらはいつでも魔法を使えるように起動式を展開している。抵抗は無意味だろう。

 

私は森崎君の腕を放した。

さて、どう弁明するかと思案していると真っ先に達也が口を開いた。

 

「すみません。悪ふざけが過ぎたようです」

「悪ふざけだと?」

 

私はその意図を推察し、乗ることにした。

 

「ええ。私の勘違いで、お騒がせして申し訳ありません」

 

私は丁寧に二人に頭を下げた。

 

「森崎はクイックドロウで有名ですので後学のために見せてもらおうと思ったんですが、事情を知らなかった雅が取り押さえてしまったようです」

 

「お恥ずかしい限りです。森崎君も、すみません。

加減はしたのですが、お怪我はありませんか?」

 

「あ、ああ。問題ない」

 

 

肘と肩をさすっている。本気で捻りあげてはいないが、やせ我慢だろう。

本来だったら関節を外して、背に乗って銃口を後頭部に向けるくらいはしている。

 

 

「ではそこの女子生徒が攻撃魔法を発動しようとしていたのはなぜだ」

 

光井さんが風紀委員長の指摘に肩をすくませ、顔を青白くさせていた。

彼女も確かに魔法を使おうとしていたのだ。

未遂とは言え、それは七草先輩によって無力化されたからだ。

 

「あれはただの閃光魔法です。条件反射で魔法を使えるのはさすが一科生だと思います。魔法自体も単なる目くらまし程度の威力に抑えられていましたし、障害になるようなものではありません」

「ほう………。君は展開中の起動式を読み取ることができるらしい」

 

 

その言葉は嘘ではなかった。

実際どんな魔法が使われようとしているのか、達也は起動式から魔法を理解できる。

達也の言葉だけでそれが分かる渡辺先輩も只者ではなさそうだ。

 

 

「実技は苦手ですが、分析は得意です」

「誤魔化すのも得意なようだ」

 

 

渡辺先輩は未だ疑うような視線で達也を注視していた。

 

「誤魔化すだなんて。自分はただの二科生ですよ」

 

達也は自身のエンブレムのない肩を指差した

未だ疑いの念が晴れないその場に、深雪が弁明をくわえた。

 

 

「お二人の言う通り、ほんの行き違いだったのです。申し訳ありません」

「私も、重ねてお詫び申し上げます」

 

 

二人で頭を下げた。

深雪の助太刀もあってか、先輩方の警戒の雰囲気が少しだけ収まった。

その後七草先輩から一言、二言貰いその場はお開きとなった

 

 

森崎君は庇われたことに、感謝も自身の愚かな行動に反省もせず、捨て台詞を吐き、その場を去っていった。

やはり、彼の事は好きになれそうになかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

光井さんと北山さん改め、ほのかと雫も一緒に帰りたいと申し出たので、駅までの道を一緒に帰ることになった。

 

「それにしても雅の身のこなし、只者じゃないわよね。何か武術をしているの?」

 

エリカが好奇心に溢れた様子で聞いてきた。若干だが期待と好戦的な印象も受ける。

彼女も千葉の名前を背負うのならば、剣の腕前は確かなのだろう。

習うスポーツや武道によってただ立っているだけでも、その立ち姿は微妙に異なる。

エリカの普段の立ち姿や豆の出来た手も剣士の手だ。よほど剣術に精通していると思われる。

 

「九重八雲って知っているかしら?」

「確か、忍術使いだっけ?」

「ええ。伯父だから時々稽古は付けてもらっているわ」

 

個人的には表に名が出ている時点で忍べていない忍びと言えるかもしれない。

稽古は母から教わった時間も量も多いのだが、彼女たちにはこちらの方が良く知られた名だろう。

 

「へえ、だからクイックドロウで有名なのに構える前に取り押さえたのか」

「エリカだって森崎君のCADを弾き飛ばそうとしていたでしょう」

「俺の手も一緒にな」

「あら、そうだったかしら」

「んな、てめえなあ」

 

 

わざとらしく、上品そうに笑うエリカに西城君は顔を怒りでひくつかせていた。

エリカも分かって、そう言っているのだ。

 

「流石にあの勢いでCADに衝撃を与えたら、不具合を来すわよね?」微笑ましく思いながら、私は達也に話を振った。

 

「そうだな。森崎が使っていたモデルはどちらかと言えば、扱いやすさと軽さを重視しているものだったからな。強度自体は武装型である程度は保障されるが、硬化魔法で攻撃されたら不具合が起こるだろうな」

 

「達也さん、CADにお詳しいんですか」

 

ほのかは達也に質問を投げかけた。

 

「実技は苦手でな。魔工師を志望している」

「私とお姉様のCADもお兄様に調整をしてもらっているの」

「深雪さんと雅さんのCADは達也さんが調整しているんですか」

「ええそうよ。お兄様にお任せしていると安心だから」

「少しアレンジしているだけだよ」

 

達也は謙遜するが、あれをアレンジと言うだけなら、CADに関連する企業のいくつかは完全に廃業することになるだろう。

しかも安心どころか、完全に超一流の調整だ。それだけ達也の魔工技師としての技能は既に卓越している。しかも私だけではなく、実家の方にも大変お世話になっているので私は頭が上がらない。

 

「それでも、CADのOSを理解するだけの知識も必要ですよね」

「基礎システムにアクセスできるスキルも必要だしな」

 

美月と西城君はその凄さを短い言葉の中で良く理解していた。

ほのかも更に達也に対する感心を深めているようだった。

 

「じゃあこれも調整してくれる?」

 

エリカが先ほど使用しようとしていた伸縮警棒を持ちだした

 

「無理。そんな特殊なCAD、扱えないよ」

「へえ、これがCADだって分かるんだ」

 

にやりとエリカは笑った。

若干だが、達也がしまったという雰囲気を窺わせた。

確かに、一般人から見ればただの伸縮警棒にしか見えないだろう。

 

「刻印術式内蔵型でしょう」

「正解。流石に雅も分かってたか」

「刻印術式って燃費が悪くて今じゃあほとんど使われていないはずだぜ」

 

西城君は先ほど硬化魔法が得意だと自己紹介された。

エリカの警棒にも硬化系の刻印が施されているのだろう

 

「お、流石は得意分野。けど、はずれ。打ち込みの一瞬だけ発動するの。兜割の原理と一緒ね」

 

 

呆気らかんと言っているが、皆エリカの言葉に沈黙した。

その様子の理由をエリカは理解していなかった。

 

「エリカ、兜割って秘伝とか奥義じゃなかったかしら」

「ひょっとして、魔法科高校って一般人の方が少ないんですか?」

「魔法科高校に一般人はいない」

 

美月の素朴な疑問に雫の的確な答えが入り、皆納得してしまった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回は少し短めです


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入学式編7

3日目~生徒会へのお誘い編~

 

 

朝、登校してきたときに“偶然”七草先輩に呼び止められた。

入学式初日にも予定していた、深雪へのお話があるそうだ。

お昼ご飯に誘われ、私たちは生徒会に向かっていた。エリカたちも誘われていたが、エリカは遠慮なく、断りを入れていた。単に面倒事には関わりたくない性分なのだろう。

 

 

生徒会室に向かうにつれて、監視カメラの数が増えている。

もしかしたら、生徒会ではよほど重要な機密も扱うのかもしれない。

 

インターホンを鳴らすと小柄な先輩に出迎えられた。

中に入ると、奥から深雪、私、達也の順に座った。

深雪は些か気合いが入っているようだし、緊張とも警戒とも違う雰囲気を醸し出していた。

その雰囲気に若干生徒会のメンバーも飲まれていた。

 

 

昼食は3人とも精進料理を選択し、出来上がるまでの間に自己紹介を受けた。

 

生徒会長は七草先輩、凛とした面差しの市原先輩。

小動物を彷彿とさせる書記の中条先輩。通称、あーちゃんというあだ名がとても良く似合っていた。

あとは副会長は昨日の2年生の服部先輩(はんぞー君というあだ名らしい)をくわえた4人が今期の生徒会役員のようだ。

 

そしてこの場にはもう一人。昨日会ったばかりの風紀委員長の渡辺先輩がいた。

彼女はお弁当を持参していた。

 

「渡辺先輩のお弁当はご自分でお作りになられたのですか?」

 

バランスと色合いを考えられたお弁当は少々不格好なものもあるが、とても美味しそうに見えた。

 

「そうだが、意外か?」

 

深雪の問いかけに彼女自身、自分がそのように見られないことを良く知っているようだ。

女性にして荒事も担当する風紀委員長。

姉御気質を窺わせる様子から、弁当作りを結びつけにくい人もいるだろう。

 

「いいえ、少しも。普段から料理をされているかどうかは、その手を見れば分かります」

 

達也からそう言われると、気恥ずかしそうに渡辺先輩は絆創膏を巻いた指を隠した。

私は本当に趣味か、意中の男性でもいるのかもしれないと結論づけた。

 

 

「そうだ、お兄様、お姉様。私達も明日からお弁当にしましょうか」

「それはとても魅力的な提案ね」

「だけれど、食べる場所がね」

「あっ………」

 

 

確かに自動配膳機の食事よりも手作りの方が魅力的だ。

しかし、私と深雪だけならまだしも、学校内で人目を気にせず達也も一緒にお弁当を食べられる場所は早々にないだろう。昨日の事もあるし、言いがかりをつけられるのは懲り懲りだ。

そのことに気が付いて、深雪は少し残念そうだった。

 

「まるで恋人同士のような会話ですね」

「そうだな。達也君、どっちが本命なんだ?」

 

にやりと渡辺先輩が笑った。

からかわれているのだろうが、見方によっては達也は両手に花なのだろう。

私は達也に代わって、意趣返しをすることにした。

 

「そうですね…一度は考えたことはありますよ。もし私が男なのだとしたら若紫のように、幼子の頃から私好みに育てて、寵愛の全てを捧げてもいいと」

 

隣にいた深雪の顎に指をかけ、まっすぐ瞳を見て笑いかけた。

 

「ひぇっ!」

「えっ」

「あら」

「お、お姉様」

 

 

深雪は顔を真っ赤にして視線を彷徨わせたが、私は視線を逸らさずに。まっすぐに深雪だけを見つめる。

触れた白い頬が頬が熱を帯びているのが分かる。恥じらう姿は何とも初々しい。

思わず笑みが深くなる。

 

「………冗談はその辺りにした方がいいぞ」

 

達也は雰囲気を壊すように、ため息交じりに言った。

 

「あら。妬きました?」

 

誰にとはあえて言わなかった。

 

「いらない誤解は不本意だろう?」

 

それもそうだと私は深雪の頬から手を放し、先輩方に向き直ると茫然とした顔と赤らめた顔が並んでいた。

 

「………雅さんって、もしかして」

「冗談ですよ。ちょっとした後輩の意趣返しだと思ってください」

「………本当に冗談か?」

 

 

渡辺先輩は疑いが解けない様子で問いかけた。

 

 

「お姉様、冗談であのようなことを言われたら、深雪は心臓がいくつあっても足りません」

「あら、冗談だけれど本心よ」

「えっ」

 

深雪は赤くなる頬に両手を当てた。

 

「貴方の様な愛らしい子がいて、放っておくほど私が男なら枯れてはいないわ」

 

今度は冷ややかな視線が先輩と達也から投げかけられる。

 

「やっぱり・・・・・・」

 

わなわなとしている中条先輩に向かって真面目に答えた。

 

「冗談ですよ」

 

実にからかい甲斐のある人達だ

 

「お姉様の人誑し…」

 

深雪は小さくそうつぶやき、俯いた。顔の赤みはまだ引いていなかった。それを見て、達也が再びため息をついたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

食事も食べ終わり、本題に入った

 

生徒会は生徒会長に権力が集中する大統領型。

その中でも風紀委員のような例外を除き、各委員長の殆どが生徒会長に任命・否認権がある。

聞いていた通り一高では後輩の育成も兼ね、新入生総代は慣例で生徒会に入ることになっているそうだ。

 

「深雪さん、私は貴方が生徒会に入ってくださることを希望します。引き受けてくださいますか」

 

優しく提案しているが、半強制のようなものだろう。

深雪は私たちの顔を窺うが、二人とも揃って頷いた。これ深雪にとっても名誉なことだ。

 

深雪は意を決して返事を「………会長は兄と姉の成績をご存じですか」

 

 

「深雪」

 

達也は慌てて深雪を咎めた。だが、深雪は言葉を続けた。

 

「有能な人材を生徒会に迎え入れるのであれば、私よりも兄や姉の方がふさわしいと思います。私を生徒会に加えて頂けることはとても、光栄なことです。喜んで末席に加わらせていただきたいと存じます。ですが、その中に兄達も一緒にという訳にはまいりませんでしょうか」

 

達也は半分呆れていた。そんな道理が通るはずがないことも理解している。

深雪だって理解している上での提案だ。だからこそ、深雪の言葉が信じられなかった。

達也の立場を知っている上での言葉だとはいえ、少々出過ぎたことかもしれない。

 

「残念ながらそれはできません。生徒会役員は第一科生から選ばれることになっています。九重さんはともかく、これは不文律ではなく、規則です」

 

この規則を変えるためには生徒総会での規則改定の決議が必要になる。つまり、会長の一存で決められる事態ではないとのことだ。深雪は市原先輩の言葉に落胆を見せた。

 

「申し訳ありませんでした。分を弁えぬ差し出口、お許しください」

 

深雪は丁寧に頭を下げた。

“今の”規則であるのならば、達也の生徒会入りは事実上不可能ということだ。若干達也が安堵していたのも感じ取った

 

 

「ええっと、深雪さんは書記として今期の生徒会に入ってもらいます。よろしいですね」

 

七草先輩は明るい雰囲気を作り出して、深雪に最終確認をした。

 

「…はい。精いっぱい務めさせていただきます」

 

 

深雪は丁寧にもう一度礼をした。

その様子に満足そうに七草先輩は頷き、中条先輩に詳しいことを聞くよう付け加えた。

 

 

 

丸く収まったと思ったが、そうは問屋が卸さないようだ。

 

「ちょっといいかな」

 

渡辺先輩が話に割って入った。

 

「風紀委員の生徒会選任枠の前年度分の補充が決まっていない」

「それはまだ新学期で忙しいから選出中って言っているでしょう」

「それでだ。部活連の方は昨日十文字君から九重を推薦され、風紀委員入りが決まっている」

「すみません、初耳なのですが」

 

 

渡辺先輩の発表に私は耳を疑った。そんな話、誰からも聞かされていない。

 

「そうなのか。十文字君から実力は十二分と聞いているから期待しているぞ。昨日も見事な関節技だったな」

 

にやりと渡辺先輩は笑った。

どうやら、祈子さんの差し金であの場に十文字先輩を連れてきて、風紀委員入りを図ったのだろう。

 

「拒否権はないのですか」

 

「まあ、待て。あと、生徒会の枠が余っているだろう。

確か風紀委員に二科生を選んではいけないという決まりはないよな」

 

「ナイスよ、摩利」

 

七草先輩は思わず、椅子から立ち上がり嬉々として言った

 

「風紀委員なら問題ないじゃない。生徒会は司波達也君を風紀委員に推薦します」

 

「ちょっと待ってください。俺たちの意見はどうなるのですか。

そもそも、風紀委員が何をする役職なのか聞いていませんよ」

 

すぐさま達也は反論した

 

「妹さんにも生徒会の仕事の具体的な説明はまだしていませんよ」

 

市原先輩の言い分も最もだった。達也は閉口せざるを得ない。

 

怯えている中条先輩に達也は視線を向けた。中条先輩はその様子に肩を震わせ、怯えながらも口を開いた

 

「えっと、風紀委員の主な任務は魔法の違法使用による校則違反者摘発と魔法を使った騒乱行為の取り締まりです」

 

要約すると喧嘩が起きたら止めに入る。相手が魔法使用中でもそれは変わらないということだ。

 

「服装関係なんかの風紀のチェックは別の委員が当たることになっている。できれば魔法を使う前に鎮圧してほしい」

 

「あのですね、俺は魔法実技の試験が悪かったから二科生なのですが」

 

 

達也は思わず、声を大きくした。この雰囲気は彼にとって思わしくない方向に向いている。

深雪も兄が名誉ある風紀委員に選任されて喜ばしい様子であり、止める気配すらない。

 

 

「構わんよ」

 

しれっと渡辺先輩は言い放った。

 

「力比べなら私がいる。それに九重も魔法と武術の腕は立つのだろう?」

 

反論しようにも、昼休みの終わりの時間が近づき、続きは放課後ということになった。

 

 

 

 

そして放課後

 

昼間はいなかった、副会長の服部先輩…正式名は服部刑部少丞範蔵というらしい。

彼が達也の風紀委員入りを反対していた

二科生の風紀委員は前例がなく、魔法実技の苦手な劣等生に務まるわけがないともっともらしい理由をつけていた。

遠まわしにだが、私の風紀委員入りも疑問視している様子だった。

一科生とはいえ、女子だから下に見られているらしい。

 

その様子に深雪が怒り、達也も妹が身びいきなどと言われることが望ましくないとあって模擬戦をすることになった。

 

 

 

模擬戦の結果は服部先輩との勝負は見事達也の勝利。

服部先輩も入学以来勝負での公式での黒星は今まで無かったそうだ。

学年でも5本の指に入る使い手だそうだが、実戦はそれだけでは決まらない。

それもそうだ。物理的に彼を本当の意味で倒すことなど、不可能に近いのだから。

 

サイオンの波に酔った服部先輩も苦々しく、口には出さなかったものの、実力を認めたようだ。

 

 

 

達也が使った魔法の解説も終わったところで、不意に渡辺先輩は私に向かって竹刀を振りあげた。

二人の試合に対して万が一を想定し、渡辺先輩が持っていた竹刀だ

 

私はそれを反射的に回避し、彼女の手首を持ち竹刀を手から落とした。

それに対して彼女からの反撃の一手が出る前に振り上げられた腕の流れを利用し、合気道の要領で腕を後ろに回し、地面に倒し腕の関節を締め上げた。

 

「摩利!」

「お姉様」

 

思わぬ乱闘に、悲鳴に近い声が上がった。

 

「いや、参った」

 

早々に渡辺先輩は白旗を上げた。

 

「実力を図るとはいえ、私は無手なのですが」

 

目的は分かったが、困った人だ。私は組み伏せていた渡辺先輩に手を差し伸ばした。

 

 

「聞いていたとはいえ、凄いな。竹刀を落とされてから倒されるまで、全く動けなかったな。私もまだまだ修行が足りないようだ」

 

 

やれやれと渡辺先輩は肩を回した。

肩を痛めるような締め方はしていないので、大丈夫だとは思うがが若干罪悪感もあった。

 

「渡辺先輩。もし当たっていたらどうするんですか!!」

 

服部先輩は大声を上げた。七草先輩たちも渡辺先輩の不意打ちについては知らされていなかったことの様で、戸惑っていた。

渡辺先輩に悪びれた様子はない。

 

「いや、このままだとお前も彼女の実力に懐疑的だっただろう。

私も直に実力を知りたいと思っていたところだ。初撃を避けるぐらいはすると思っていたが、まさか無力化されるとは思ってもみなかったよ。流石は九重八雲の弟子という訳か」

 

 

私は落ちていた竹刀を拾い上げた。

 

「この場合、縦に打ち込むより横に薙いだ方が効果的ですね。後は壁ですから、逃げる範囲が今より少なかったと思います」

「なるほど。参考になった。剣の腕もあるのか?」

「嗜む程度です」

「それも冗談か」

「いいえ、本心ですよ」

 

私は剣士ではないし、剣術を極めているとも言い難い。

実戦で使用できるレベルではあるが、兄ほどでもない。まだまだ鍛錬が足りていない。

だから嗜むとしかいいようがないのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

予想外の騒動があったが、気を取り直し、生徒会室と風紀委員室に向かった。

生徒会室と中でつながった風紀委員本部の扉をくぐる。

そこには整理整頓された生徒会室とは比べ物にならないほど、散らかっていた。紙の書類にCADなどの機器類、待機途中の端末や段ボール箱などなど多種多様なものが乱雑に置かれている。

 

 

「この状況は魔工技師を目指すものとしては看過できません」

「確かに、これでは本がかわいそうです」

 

あまりの状態に達也が片づけを申し出た。風紀委員は男所帯とはいえ、これは散らかりすぎだ。乱雑に置かれた本など目も当てられない

 

「私も手伝おう」

 

申し訳なさそうに渡辺先輩も片づけ始めた。

 

達也はまず、CADや機器関係。私は紙の書類や書籍関係を整理していく。私と達也の周りは着実に片付いていくが、先輩の周りは進みが遅い。本当に整理整頓が苦手なようだ。

 

 

「そういえば、なぜ司波はあれほどの対人戦闘スキルがありながら魔工技師志望なんだ?」

「俺の実力ならどう見積もってもCランクでしょうから」

 

達也は確かに人並み外れた魔法に関する知識と、類まれなる才能を持っている。

 

しかし、事象を改変する力を問う国際ライセンスに準ずる魔法は得意ではない。

ライセンスが全てではないが、ライセンスも一つの指標であり、この学校もそれに基づいた教育と試験が実施されている。

 

しかし魔法師にとって欠かせない魔工技師は近年CADの発展と共に需要も高まっている。

既にプロとして働いている達也からすると、魔工技師“志望”という言い方は語弊がありそうだ。

 

 

「風紀委員については大よそ説明してしまったが、二科生対策に関しては期待しているぞ」

「いきなり二科生に取り締まられる点についてはどうでしょうか」

「少なくとも二科生は納得するんじゃないのか?」

 

達也は自分の置かれている位置を良く理解している。

 

「いきなり二科生の後輩に取り締まられることを良しとしない先輩方はいらっしゃらないと言えますか?」

「早々に意識というものが変わったら、この学校の差別意識なんてもっと早期に解決していただろうよ。だが、一科生の一年生でもまだ差別意識が根付いていないんじゃないか?」

「どうでしょうか。昨日は、お前を認めないぞ宣言をされましたよ」

「森崎の事か」

 

 

誰とは言わずに渡辺先輩は勘付いたようだ。

 

 

「お知り合いですか?」

「昨日、教職員推薦枠で風紀委員会(ウチ)に入ることが決まった」

「えっ…」

 

つまり、彼とは否が応でも同期の委員となるわけだ。

達也は思わず持っていた端末を落としかけていた。

 

 

「君でも慌てることがあるんだな」

「それはそうですよ」

 

達也を驚かせることができたようで、渡辺先輩は嬉しそうだった。

 

しかし、森崎君か…

昨日のことがあり、なおの事顔を合わせ辛い。

今日ばかりは、教室でも彼は私たちを避けるような素振りを見せていた。

 

 

 

話を聞きながらも手は止めない。散らかっていた本棚を整理すると、僅かに霊子反応を感じた

この時代には珍しい紙の書籍。少し高い位置に置かれたそれを抜き出すと、ずっしりとした重みがあった。

 

「魔導書まであるのですね」

 

表紙からして明らかにそうだった。こんなものまで置いてあるのか。

 

「すまん、その辺は手つかずだから私も何があるのか詳しく把握してない」

 

埃をかぶっていたそれは、年代物に見える。日光で焼けているし、状態はあまり良くない。

 

「中を見ても?」

「構わないぞ」

 

 

渡辺先輩から一応許可を貰う。僅かな霊子反応だったから、あまり強力な類ではないだろう。

感知不可能術式も掛けられてはいないし、本当に放置されていただけだったようだ。

 

同じ方向から達也がその文字を凝視していた。

彼にも見覚えのない文字の様で疑問と好奇心の色が瞳に現れていた。

 

 

「何の文字だ?」

 

 

渡辺先輩は反対側から覗きこむが眉をひそめていた。

そこには何語とも取れない文字が並んでいる。学校の魔法言語学でも用いない文字だ。

 

 

「暗号、ですね。原書ではないですから、そこまで危険性はないと思います」

 

 

文字や歴史書。古典関係の曰くつきの品々は時折呪いと呼ばれるものを含んでいる可能性がある。

この本からの敵意は感じなかったし、本物でもなかった。おそらく感じた霊子は原書の残り香だろう。

 

 

「原書だと何か問題があるのか」

「原書はそれだけで持つ人が持てば現在の法機と大よそ同じ効果を持つこともあります」

「そうなのか」

 

 

達也の魔法に関する知識は桁外れだ。

彼個人の特性を踏まえたとしても勉強熱心で知的好奇心も旺盛だ。

彼の目標とするところは高く、厳しく、険しい道であり、足りない部分をを解決する手段として彼は努力を惜しまない。

 

魔法理論に関しては詳しいどころか造詣の深さはこの学校の教師をも凌ぐ部分もあるだろう。

 

しかし、彼が得意なのはどちらかと言えば現代魔法のシステム面。

古式魔法に関する分野ならば私の方が詳しい部分もあるのだ。

 

 

「ええ。起動式が内蔵されているのと同義です。これは写しですから、原書のような効果はないでしょう。何もしなければただの本ですが、念のため解析をしてもらった方がいいでしょう」

 

「君はできないのか?入部したばかりとは言え、図書・古典部なのだろう。これが原書ではなく写しだと分かる時点である程度なんなのか目星がついているんじゃないのか?」

 

「私にはまだそこまで知識はありません。専門家に任せた方がいいと思います」

 

「専門家?」

 

「【図書の魔女】ですよ。彼女は古今東西の魔術書の解析を行っていますので、私より仕事は早いと思いますよ」

 

「行橋か。あいつ、苦手なんだよな」

 

 

苦々しく渡辺先輩は腕を組んだ。確かに、あの人を食ったような性格は私も得意ではない。

(良くも悪くも目立つ)変人揃いで有名な古典部の中でも変人と認識されている筆頭らしい。

 

「行橋とは、図書・古典部の部員か」

 

「部長だよ。一高の歩く図書館、図書の魔女、魔導書辞典(グリモワール・ディクショナリー)なんて呼ばれているそうよ」

 

「それは凄い二つ名だな」

 

達也はそう言うが、【電子の魔女】(エレクトロン・ソーサリス)【妖精姫】(エルフィン・スナイパー)も似たようなものだと思うのだがとはここには口に出さない。

 

私は本を閉じ、元の位置に戻した。

 

「ひとまず、この件に関してはそれでいいと思います。掃除の続きをしましょう」

 

 

そう言うと、再び渡辺先輩は眉をしかめた。本当に片づけが苦手らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部屋が片づけ終わったころにドアをノックする音がした。入って来たのは一科生の先輩、二人だった。どちらも背が高く、鍛えられているのが制服の上からでも分かる。

 

「姐さん、いらしてたんですね」

「委員長、本日の巡回終了しました。逮捕者ありません」

 

 

二人は綺麗に片付いた部屋を見回して驚いていた。

 

「この部屋、姐さんが片づけたんですか」

 

髪の短い先輩は驚きながら、渡辺先輩に問いかけると先輩は持っていた紙の束を振りかぶった。

 

「イテッ」

「鋼太郎、姐さんと呼ぶなと言いているだろう。お前の頭は飾りか!」

 

 

渡辺先輩は丸めた冊子で姐さんと呼んだ方の先輩の頭をパンパンと叩いていた。

 

姐さん・・・・

 

なるほど、彼女には似合う。

思わず達也と顔を見合わせて笑ってしまった。

 

「それで委員長、その二人は新入りですか」

「ああ、生徒会と部活連の推薦枠で入った新人だ。1-Aの九重雅と1-Eの司波達也だ」

 

紹介をされたので、軽く会釈をした。

 

「へえ、紋なしですか」

 

値踏みする視線が私たちに向けられる。新人が女子と二科生。渡辺先輩がいるとはいえ、実戦で女子が軽んじられることは少なくない。

 

 

「辰巳先輩、その表現は禁止用語に抵触する恐れがあります。この場合、二科生と言うべきかと」

 

「お前達、そんな単純な了見で二科生だとか女子だとか下らない先入観があると、足元掬われるぞ。ここだけの話だが服部も正式な試合で足元をすくわれたばかりだ。九重も対人戦闘に関して十文字君のお墨付きだ。入試の成績も次席だしな」

 

「なんと、あの服部が」

 

「会頭も実力を認めるとは、驚いた」

 

「これは頼もしい新入りだな」

 

「逸材ですね、委員長」

 

 

渡辺先輩の言葉を皮切りに、二人の反応が期待を込めたものに変わった。先ほどの視線も、本当に使える人材かどうかという事だけを見ていたようだ。

 

渡辺先輩が優等生に浸る一科生と劣等感にさいなまれる二科生を良しとはしていないことが分かった。人選もできるだけそうしているそうだ。

 

私もまだまだ観察眼が足りないと思った。

この雰囲気は達也にとっても良い居場所になるだろう。

 

「3年の辰巳鋼太郎だ」

「九重雅です。よろしくお願いします」

 

握手を求められて、右手を差し出す。辰巳先輩が私の手を握って少し驚いたようだった。

確かに、女子にしては掌が固いだろう。

剣も銃も、武術も行う手だ。白魚のような美しい手とは言い難いものがある。

 

だが、先輩のその目はむしろ納得や期待が込められていた。

 

「2年の沢木碧だ。くれぐれも下の名前で呼ばないようにな」

 

続いて、もう一人の男子の先輩が手を差し出した。

 

「よろしくお願いします。素敵なお名前だと思うのですが、厄除けの名前ですか」

「いや、そう言うわけじゃないんだが、厄除けってどういうことだ?」

 

 

碧と言う名前は男性では珍しいかもしれない。

この言い方からしてかなりからかわれてきたのだろう。

 

 

「体の弱い男児にはあえて女名を付けることで、悪鬼から身を護るという手段です。身内にも数人いるので、沢木先輩もそうなのかと思いました」

 

「へえ、そんな迷信があるのか。よかったじゃねーか」

 

 

ニマニマと辰巳先輩は沢木先輩の肩を叩いた。

沢木先輩は出鼻を挫かれたと思ったようで、達也の手を強く握った。

 

 

「司波もよろしくな」

 

一瞬驚いたようだったが達也は僅かに手を捻り、握手を解いた。

 

「よろしくお願いします」

「凄いな、沢木の握力は100キロあるんだぜ」

「それは、すごいですね」

 

 

以前、雫が言っていた魔法科高校に一般人はいないと言う言葉が思い出された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕日が沈み、暗くなってきた頃、七草先輩が生徒会室から降りてきた。どうやらそろそろ生徒会室を閉めるらしい。

 

「摩利、貴方がこの部屋を片付けたの?」

 

綺麗になった風紀委員本部をみて驚いていた。

彼女が就任してから、ずっと汚いままだったのかもしれない。

七草先輩は私たちを見て、ああと納得した様子だった。そして思い出したかのようにぷりぷりと可愛らしく怒った。

 

「それより、達也君、雅ちゃん。酷いんじゃない?」

「どういう事でしょうか?」

 

話の流れがつかめず、問いかける。

 

「もう、二人ってば婚約しているんでしょう。しかも生まれたときからの運命の相手なんですって」

「なに!?本当か」

 

達也と二人で顔を見合わせた。

 

「深雪ですね」

 

困った子だ。

 

「そうよ。あーちゃんなんて、真っ赤になって大変だったんだから。

リンちゃんも珍しくミスするし、それに、お姉さんにこんな重大なことを教えないだなんてひどいわ」

「そこまで驚かれたことに衝撃です」

「声高々に人に言い回る様なことでもないですよね」

 

 

確かに、達也とは生まれたときからの婚約者だ。

家の決め事とは言え、私は彼を想っているし、決定に何ら不満もない。むしろ婚約を決めた曾お婆様には感謝してもしきれないくらいだ。

 

「雅のその落ち着き、花音にも見習わせたいよ」

 

渡辺先輩がため息をつきながら私たちを見ていた。

 

「花音さん?風紀委員の方ですか」

「いや、陸上部の2年生だ。あいつも婚約者持ちなんだが、学校中でベタベタしているのが見れるからそのうち分かるぞ」

 

渡辺先輩は辟易とした様子で、両肩を竦めた。

 

 

魔法師は血筋に由来する部分が大きい。

親と得意な術式が似ていたり、血族によって使える術式もある。

この国の魔法師は十師族を筆頭に師補十八家、百家と格付けが行われている。

研究所由来からか、名立たる家は数字が名字に入っていることが多く、数字持ち(ナンバーズ)と言われている。

 

話を戻すと、魔法師は血筋によって実力がある程度見込まれるともいえるのだ。

優秀な血を継ぐために、幼少のころから婚約者がいることも少なくない。

渡辺先輩が取り上げた人たちはおそらく、その類なのだろう。

 

 

「けど、二人とも普通の家よね?生まれたときからの婚約って珍しいわね」

「親同士が妊娠中から男女であったら、婚約させましょうと話していたそうですよ」

 

 

曾お婆様のことはここでは言わない。知っている人がいるのならば、私と実家のつながりが漏れてしまう。それは現段階では好ましいことではない

 

 

「へえ、ドラマみたいなことがあるんだな。二人とも不満も不服もないのか?」

「むしろ達也君はこんな美人な婚約者がいて、さぞ鼻が高いでしょうね」

 

 

二人とも新しいおもちゃを見つけたように、問いかけた。

これは今後根掘り葉掘り聞かれる覚悟をしなければならないだろう。

 

 

「そうですね。自分には雅は勿体ないくらいですよ」

 

達也は柔らかく微笑んだ。

 

「そう思っていただけるのならば、光栄です」

 

その言葉が“本心ではないかもしれない”とは思いつつも、舞い上がっている私がいた。

惚れた弱みとはなんと弱いことだろうか。そうやって期待させて、私の心をいつも揺さぶるのだ。

 

「まあ、お熱いこと」

「摩利は良いじゃない。素敵な恋人がいるんだから」

 

 

七草先輩はいいなーとため息をつきながら言った。

 

七草先輩も贔屓目なしの美少女、もしくは美人のお姉さんと言えるだろう。

しかしながら十師族であるのならば、どうしても家に惹かれて寄ってくる男性もいるだろう。

立場もあり、自由恋愛という訳にはいかないことも理解している。

 

だから渡辺先輩や私たちが羨ましいのだろう。

 

 

「やはり渡辺先輩も恋人がいらっしゃったんですね」

「やはりってどういうことだ?」

 

納得したように私がそう言うと、なぜ知っていたのかという疑問を投げかけた。

 

「お弁当は花嫁修業の一環なのかと思っていましたから」

「なっ」

 

花嫁という言葉に大げさに渡辺先輩は反応した。

まだ彼女の場合はまだ恋人同士であり、そこまでは進展していないのだろうと推測できた。

 

 

 

 

 

 

 

幼馴染で婚約者。それが私と達也の関係だ。

 

その関係を彼がどう思っているのか

 

私にはまだ測りかねていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…司波家…

 

 

 

 

CADは魔法を高速かつ確実に発動させるためのツールとして近年目覚ましい発展を遂げている。

それにかかわる技術者も多く、国内、国外ともに優秀な技術者はそのまま国の技術力につながる。

魔法が国防の要となる現代社会において、魔法技工師もなくてはならない存在なのだ。

 

そんなCADの欠点は古式魔法以上に細かな調整が必要になる点だ。魔法はちょっとした睡眠不足やストレスで発動結果が左右され、心理的側面と体力的側面も大いに影響する。

粗悪な調整だと魔法が発動しないだけではなく、吐き気や幻覚など有害な反応を引き起こす可能性があるのだ。そのため、技師の技術と信頼関係が必要になる。

 

私が下宿させてもらっている司波家には、企業並みの設備が整っている。

 

CADの調整をしてもらうために、達也の部屋に向かった。

 

「達也、入ってもいいかしら」

「どうぞ」

 

達也はモニターの準備を進めていた

 

「深雪が先ほど、顔を真っ赤にさせて部屋に戻って行ったのを見たのだけれど何をしたの?」

 

私の言葉に、達也は思わず手を止めた

 

「誤解をするような言い方だな」

「分かっているわよ。異性の前で下着姿になれと言われて羞恥心を持たない方が不思議ね」

 

私もこれからこの浴衣を脱ぐことになると思うと、緊張して仕方がない

 

 

「深雪から釘を刺されたよ。雅がいるのに会長や委員長と親しくするのはどうなのかと」

「だから、わざわざ私たちの事を伝えたのね」

 

絶対の秘匿事項と言うわけではないが、年ごろの高校生が一つ屋根の下。

しかも婚約者となれば、色々と想像が尽きない人もいる。

 

もっとも、そんな下世話な妄想の塊のような出来事は私と達也の間にはない。

解放された性の時代は終わり、結婚するまで操を貫く女性も多い。

しかし世間一般から言えば、この状況は男子として枯れているらしいが、仕方のないことだと理解している。

そうでなければ、高校生の段階で同棲など家から許されるはずがない。

 

それに私自身、まだ捨てられない物が多くあるのだ。

 

 

そうこう考えているうちに、機器の準備が整ったようだ

 

 

 

 

夜着に着ている浴衣の紐をとき、下着姿になる。彼の視線が私の体に注がれる

 

一般的な計測は両手からサイオンを感知して行う。しかしながら服にも微量ながらサイオンが存在するため、全身のスキャンを行う際にはできるだけ邪魔になる存在がない方がいいのだ。

ここまで厳密に測定することは珍しいことでもあるが、そこは達也のこだわりだと理解している。

 

 

測定台の上に横になり、測定を受ける。

心臓はこの上なく早鐘を打っている。羞恥心で今すぐ逃げ出してしまいたい衝動に駆られる。

けれど、なんとかそれを押しとどめてじっと待つ。

 

そうして自分の心と戦っている内にようやく測定が終わった

 

週一回のこととはいえ、慣れることはないだろうと思った。

測定が終わり、浴衣を着直す。

 

「見せてもらってもいいかしら?」

「どうぞ」

 

モニターに向かって調整を行っている達也の横に座る。画面には数字の生データが並んでいた。

通常はこの数字がグラフ化されているものを元に調整するのだが、達也はマニュアルで全て調整しているのだ。

 

「使い心地に違和感はあったか?」

「全く。むしろ家で調整するより良かったわ」

 

実家にも調整機はあったし、自分自身でも調整をできるようにはしていたがやはりプロの手技は違うと実感させられた

私の場合、やり方もやり方だったため、学校で調整が必要になった場合困るのだ

 

「古式魔法に関しての調整は俺も勉強になる」

「負担だと思ったら、何時でも言ってね」

「そんなことはないさ」

「頑張りすぎて深雪が気をすり減らしているわよ。勿論、私もそうなのだけれど」

 

 

達也は私達より遅くまで起きていて、私達より早く起きる。

それは研究であったり、鍛錬であったりするのだが、身体を壊さないか二人で心配している。

いくら彼が常人より鍛えているからとはいえ、アンドロイドではない。疲れもするし、怪我もする。達也は自分自身を顧みない節もあるから余計に心配なのだ。

 

 

「好きでやっているんだ。お前達は気に病む必要は無いよ」

「達也に製作から頼んだとはいえ、特化型の方はじゃじゃ馬でしょ?」

 

今回は風紀委員に選ばれたこともあり、特化型の調整をメインにしてもらっている。

 

「確かに、雅以外が持っても使えない仕様だな」

 

このCADには、一般に公開されていない術式も内蔵されている。

現在、パウダー・レールガンという兵器は存在する。

高温で熱した金属粉末を電磁力で打ち出すと言うものだ。

 

しかし、私が使うレールガンはそんなものを必要としない。

雷神とも呼ばれる四楓院家の秘儀でもある。やりようによっては核シェルターにすら穴を開けて無力化すると言われている術式だ。

 

「それに、雅のチューニング方法は、誰にも真似できないだろうな」

 

やり方が特殊すぎる私のCADの調整方法。

その方法はCADに電子を流し込み、直接調整するというもの。

通常は機械でシステムを調整したり、全自動同調性の測定値から微調整を行うのが一般的だ。

しかし私はCADだけあれば調整できる。しかも、インストールしたい術式を自分が知っていれば機材を介さずに挿入できる。

 

その方法を説明した時には達也もさすがにどういう顔をしたらいいのか分かっていなかった。

なにせCADそのものに介入して起動式を組み込むのだから、エンジニア泣かせだと苦笑いされたのは未だに覚えている。

 

私が感覚で調整しているところを、達也は理論立てて調整をしている。その理論の勉強をこうして教えてもらいながら、やっているのだ。

 

 

「どこか違和感は?」

 

30分もかからずに調整が終わった

CADを持ってみるが、手に馴染む感覚は自分で調整した以上だった。

 

 

「いいえ。相変わらず完璧」

 

毎回感心させられる技術だ。

実験室での試し撃ちも問題なく終え、調整は終了した。達也も出来栄えに心なしか満足そうだった。

 

明日も学校があることだからと、そろそろ休むことにした。

同じ家の中だと言うのに、律儀に私の部屋まで送ってくれた。

 

 

「それじゃあ、おやすみなさい」

「雅」

 

部屋の前で別れを告げると、達也は私を引きとめた。

なにか言い忘れていたことでもあったのだろうか

 

達也は私を引き寄せて、額に唇を落とした。

まるで恋人がするかのような行動に私は思わず固まった

 

「おやすみ」

 

ああ、本当に狡い。

 

こうやって、期待して、自惚れて、そして思い知らされるのだ。

 

 

私がいかに彼を好きなのだと言う事かを。

 

 

 

 




一万字超えた(・Д・)

話の区切りから理想はこのくらいなんです・・・


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入学式編8

(*゚∀゚)

っていう顔文字が好きです


私と達也は正式に風紀委員として任命された。

深雪はそのことをとても誇らしく思っており、自分が生徒会役員に選ばれたこと以上に嬉しそうにしていた。

生徒会室と風紀委員の部屋は近いため、達也も無理やり自分を納得させていた。最も、生徒会室でなにか命に関わるようなことが起きるなんて考えたくもない事態だ。

 

なお弁当の一件は生徒会室で食べてはどうかという提案をもらった。

渡辺先輩も生徒会室で会長たちとよくお昼を一緒にしているようで、その言葉に甘えさせてもらうことにした。

 

深雪は今朝からさっそくお弁当作りに励んでいた。

私と達也は伯父の下で修業をしていたため、中身はお楽しみとなっている。

 

今日から一緒にとは思ったが、それは叶わなかった。

昼休みの時間に、私は部活動の関係で祈子さんに部室へと案内してもらっている。

少し早いが今日から始まる部活動の勧誘期間なので、顔合わせをしておきたいそうだ。

 

祈子さんの持つカードキーで図書館の特別エリアへと入る。

くぐった扉も防弾仕様であり、一目でセキュリティは厳重だった。

 

FLTでも使用されている最新型の特別キーに加え、静脈認証と監視カメラもセットされている。一般生徒立ち入り禁止のそこに部室があるそうだ。監視カメラも見えるところ、見えないところに設置されている。

 

「こんなところに部室があるのですか」

 

もしかしたら、生徒会室よりセキュリティは上ではないだろうか。

 

「機密資料が多いからね。書籍の管理上、特別エリアに部室があるんだ。ただこのエリアには入れても、その先入れるのは部室だけだよ。他の部屋は間違って入ろうとすると警報が鳴るから注意してね」

「わかりました」

 

さすがは特別エリアというだけあって、廊下にもすでに霊子が多く漂っている。最も濃度が高いのはこの廊下の先のようだ。

 

 

 

今度は更にアナログ式の大きなカギを取り出し、鍵穴に差し込んだ。

先ほどの電子キーに比べると一見、セキュリティの脆弱性は上がるように見えるが、これは鍵と鍵穴に刻印魔法が刻まれた物だった。使用者が鍵にサイオンを流し込み、扉の刻印と一致させなければ開かない仕組みとなっているようだ。これなら単純にピッキングを仕掛けたとしても破られないだろう。

 

重厚な扉を開けると、色とりどりの霊子が溢れだしてきた。光の洪水の先には少しクラシックな雰囲気の部室があった。

 

「待たせたかな?」

「いや、鎧塚がまだだ」

「そうかい。では、ようこそ図書・古典部へ。さっそくだけど、ご飯を食べながら先に始めようか」

 

 

古めかしい木製の扉の先にはすでに4人の先輩方がいらっしゃった。

今日は集まれるメンバーだけ集まったそうだ。

 

教室と同じほどの広さの部室の中はよく整理整頓がされていた。壁には図書館のような文献の閲覧端末があったり、今時では珍しい紙の魔法書も並んでいる。祈子さんによると歴代の研究や学術雑誌もデータ化されており、バックナンバーは備え付けの端末に入れてあるそうだ。

 

また驚かされたのが特別閲覧室用の閲覧端末が設置されていることだった。確かこれは学校側に使用申請を行わないと閲覧ができないはずだ。

しかし、この部活では部活動の時間に限り閲覧を許可されているそうだ。

部活動予算は聞いていないが、どれだけ優遇されているのだろうかと疑問に思った。

 

流石に配膳機はないが、部屋の中央には生徒会室同様、一枚板を使った木製の机が鎮座していた。

普段はこうして昼間に集ることもないそうで、食べ物を広げる時は端末および書籍は全て片づけなければならない規則らしい。

各自、お弁当や購買で購入したであろうお昼を机に広げ、早速自己紹介となった。

 

 

「3-B、副部長の渡良瀬 春一(わたらせ はるいち)だ。研究主題は主に仏経典だ」

 

3年生にしては渋い声の渡良瀬先輩。ご実家がお寺で九重寺のことも伯父のことも知っているそうだ。彼の実家の寺の格式も歴史も古く、家で所蔵されている仏経典の解析が主題らしい。

 

「2-Cのマリアナ・ハーフフォルトです。マリーと呼んでください。

主に西洋魔法の魔導書の研究をしています」

 

両親がドイツ人のマリーさん。祖父の代で帰化して日本人になったそうだ。金髪と鳶色の瞳が印象的な方だ。一高の制服は彼女のスタイルの良さを引き立たせていた。

 

他にも平安文学を原典で読みたいと希望してきた3年の紀野先輩。

それから、文芸を担当している2年の夏目先輩に自己紹介を受けた。

 

「1-Aの九重雅です。よろしくお願いします」

「よろしくね!小説を書きに来たの?それとも研究したいテーマはあるの?」

「日本の古式魔法の現代魔法への応用や古式魔法の解析には興味があります」

 

そういうと、夏目先輩には少しがっかりされた。

文芸部門は万年人不足で、締め切り前はいつも修羅場だと言われた。古典図書解析部門も協力して作品提出前には査読会を行うそうで、特に顧問の古典担当教諭と行橋先輩は容赦なく指導するらしい。

 

 

「ああ、雅ちゃん。そう言えば、風紀委員に任命されたそうだね。おめでとう。はい、就任祝い」

 

思い出したように祈子さんは私の方に、小さなプリンを置いた。

 

「あら、風紀委員ですか。すごいですね」

 

マリー先輩はおっとりとした様子で拍手をした。

しかし、他の部員の方は意外そうな顔をしていた。朝、ほのかや雫に話した時にも同じような反応が返ってきていたので、別段不思議でもない。

 

風紀委員は魔法を使用した校則違反者の取り締まりを行う。

つまり、それだけ魔法に対する実戦能力が求められている委員会でもある。

歴代の委員もほぼ男子で構成されており、渡辺先輩も入れて二人も女子がいることは珍しいそうだ。

 

 

「仕組まれたのは気のせいですか?」

「私は将来性のある新人を見せただけだよ。決めたのは十文字君だ」

 

しれっと言い放つ祈子さんに、若干の頭痛を感じた。

 

「世話にならないようにしないといけないな」

 

そう渡良瀬先輩は祈子さんを見ながら言い、祈子さんは心外だとばかりに肩をすくめた。

 

「事前通知してあるとはいえ、今年の馬鹿騒ぎは派手になるよ」

「何をする予定なのですか?」

 

待っていました、とばかりの様子で祈子さんは一冊の本を取り出した。

ハードカバーのそれは見るからに古く、霊子もそれに集まっていた。詳しくは分からないが、どうやら西洋系の魔導書のようだ。

 

「今回はマリーちゃんと私で実践的な古式魔導書の使い方についての実演だよ」

「実践的?」

「テーマは魔導書を使用した西洋古式魔法の実際だよ。魔導書自体は15世紀ごろのものだね。いわゆる、魔女の決闘の再現と言うわけだ」

 

話を聞けば、“本物の”魔導書を使い法機として魔法を発動する。研究の題材となったのは西洋の魔女の日記とその魔女が記した魔導書らしい。魔導書の解析はすでに終了しており、新歓と研究発表を兼ねて記載されていた魔法式を今日実演してみせるそうだ。

 

「この魔導書は図書部で保有しているのですか?」

「そうそう。図書館って言っても昔みたいに紙の書籍が並んでいるんじゃなくて、どっちかって言うとデータベースの利用スペースがあるだけだろう。魔法科高校らしく紙の書籍も魔導書の写しもあるけれど、あまり利用されていないのが実情。そんな宝の持ち腐れをなくすために、この部屋の下で魔導書の保管と所蔵を行っているんだ。先輩たちが翻訳したものが実際に機密資料として保存されるくらい、良い物は揃っているよ」

 

 

生徒会室と同様、書庫とこの部屋が内部でつながっており、書庫には大量の魔導書が眠っているらしい。

部屋には何十にも結界が施され、侵入者除けもあるそうだ。確かに、まだ書庫に入っていないにもかかわらず霊子濃度が学園の中でも高いのはそのせいだろう。

 

「凄いとは聞いていましたが、予想以上ですね」

「君の本家には及ばないと思うけどね」

 

にんまりと祈子さんは笑った。その意味がどのような意味なのか。

曖昧な言葉だ。取りようによってはどうとも取れる。

 

「少し古いだけですよ」

「君の古いという基準は世間一般で言えば歴史上のことだということを忘れていないかい?」

「九重さんのお家って凄いんですか?」

 

マリーさんが首を傾げた。

 

 

どう返答するか少し思案すると、ドアがノックされた。

 

「ちーす。遅れました」

「遅かったな」

「すんません。実習が長引いたんで」

 

入ってきたのは短髪の男の先輩だった。背は平均的だが、立ち姿は芯がしっかりしているのが印象的だ。

 

「ん?ああ、お前が哀れなる魔女の犠牲者か」

 

私の方を見て、彼は少し同情の目を向けた。

 

「鎧塚君、その言い方はないんじゃないかい?あと自己紹介がまだだろう?」

「あ、悪い悪い。2-Bの鎧塚剣太郎。剣術部と掛け持ちで滅多に来ないが、よろしくな。専攻分野は古典軍記物と古典戦術。それから、古式魔法による歴史解釈だ」

「戦争オタクですよ」

 

夏目先輩が嫌そうに言った

 

「馬鹿言え。歴史ロマンだ」

 

鎧塚先輩は熱く言った。

確かに室町以降の武家文化には長年根強いファンがいる。群雄割拠の戦国時代に江戸から明治の幕末志士たち。男性として惹かれるものが多いのだろう。

 

 

「1年A組の九重雅です。こちらこそ、よろしくお願いします」

「おう、よろしく」

「ちなみに、去年の夏に実験した八艘飛びの実験計画は彼の発案だ」

「あの、瀬戸内海に本当に船を浮かべて行ったという実験ですか?」

 

部活案内から過去の研究をいくつかみさせてもらった。昨年の研究では源義経が瀬戸内に浮かべた舟を八艘、次々飛び移っていったという伝説の再現を行ったそうだ。

 

「そうそう。CADの無い時代にどうやって義経が跳躍を行ったのか。刻印術式と詠唱による再現だね」

 

 

私も軽く流し読みした程度だが、重い甲冑をつけて当時の船も再現して実験を行ったそうだ。術式自体は元々CADを使えば容易なことだが、歴史解釈に魔法という要素が加わる可能性が実証されたとして話題となっていた。

 

「ちなみに、この部活は魔法イグノーベル賞も実績としても名高いんだ」

「イグノーベル賞って人を笑わせて、考えさせる研究に与えられる称号ですよね?」

「そうだよ。古典の歴史解釈なんてその筆頭だね。あと、バナナの皮を踏むとなぜ滑り、それを阻止するための起動式と魔法式の提唱なんて面白いだろう。これは5年前の先輩の研究だったかな」

 

確かバナナの皮がなぜ滑るのかということは90年ほど前に科学的に解析されていたはずだ。

バナナの皮が地面にあること自体、この現代日本においてはまずありえない現象ではある。日本文化はなぜかバナナの皮を踏むと滑るという定番ネタがあるが、なぜそれを防ぐ術式など検証しようと思ったのだろうか。

 

「何の役に立つんですか?」

「設置型魔法による摩擦力の増強に使われる術式になったよ」

「あれは驚きだったわ」

「検証した本人が一番驚いていたよね」

 

魔法とは、本当に使い方次第らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後になり、風紀委員が一同部屋に集まっていた。

 

「今日からまたバカ騒ぎが始まる。幸い今年は去年卒業分の補充が間に合った。紹介しよう」

 

渡辺先輩から指示を受け、この場にいる1年生3人は立ち上がった。

 

「1-Aの森崎駿と九重雅、1-Eの司波達也だ」

 

「使えるのですか」

 

 

懐疑的な視線が私たちに注がれる。沢木先輩と辰巳先輩はそうでもないが、この場で初めて紹介された人にとっては二科生と女子という新人は実力に不安もあるのだろう。

 

「3人とも実力は保証しよう。九重と司波の実力はこの目で見ているし、森崎のデバイス操作もなかなかだった。最も、不安ならばお前が指導するか?」

「遠慮しておきます。足手まといにならなければそれでいい」

 

 

この場で昨日の服部先輩のような糾弾はなく、渡辺先輩は説明を続けた。

 

森崎君はまさか達也が風紀委員になっていたことを知らなったようで、先輩達の前で声を荒らげることはなかったが、相当怒り心頭の様子だ。

先日の一件もあり、彼は達也を敵視しているが彼こそ足手まといにならなければいい。

 

2、3年生は先に見回りに向かい、1年生は備品と警備上の諸注意と記録媒体を渡された。

 

見回りで喧嘩や魔法の違法使用があった場合、録画記録をする。

ただし、これは保険であり風紀委員の証言はそのまま証拠となるそうだ。

風紀委員はCADの携帯は許可されているが、その分風紀委員が違反を犯した場合は処罰も大きいと釘を刺された。

 

森崎君は第一小体育館、達也は第二小体育館、私は第三小体育館を担当することになった。

エリアでいえば、第一は屋外の運動部、第二は室内の運動部、第三は文化部が主な担当だ。

私が荒事の一番少ない第三に振られたのは、先輩方の配慮があってのことだろう。

 

「質問してもよろしいですか」

「許可する」

「CADは部室の備品を使用してもよろしいですか?」

 

備品のCADとは風紀委員本部でつい先日まで埃をかぶっていたものだ。

達也が整備を行い、いつでも使えるように調整されている

あれは旧式だが、達也曰くエキスパート仕様の高級品だそうだ。

非接触型スイッチの感度がよく、どうやら卒業された先輩の中にマニアがいたのだろう。

 

達也はそのCADを“二つ“借りた。

私はその意図が読めたが、渡辺先輩は期待を深め、森崎君はさらに憤慨している様子だった。

 

CADは複数を同時に使用できるが、不可能ではないと言うだけで、

それは極めて精密なサイオンコントロールが求められる。

そんなことを実技で劣る二科生ができるわけがないと彼は思っているのだろう。使いこなせるわけがないと言い捨て、彼は私たちに背を向けて歩いて行った。

 

 

「見識の狭い方ですね」

 

「そう思う方が普通だろう」

 

 

達也は淡々とそう答えた。

強さを気取られないこと。それは時に強力な武器になる。

しかし、正当に彼が評価されないことは私も心苦しい。

 

「達也がつまらない評価を受けるのは、私も深雪も口惜しいのよ」

 

「そう思ってもらえるだけで、俺は幸せ者だな。雅の家も最初から掛け値なしに俺を信頼してくれて、俺は恵まれているよ」

 

「大切な人ですから」

 

家に決められた相手だなんて言わない。私が全てを捧げてもいいと思えた人。そんな人に巡り合えたことは私こそ、恵まれていると言える。たとえ、進む道が修羅だろうと茨だろうと毒蛇だろうと、歩んでいける。

 

「俺もだよ」

 

その言葉だけで私は私の思いが報われた気がするのだ。たとえ、彼の言葉が仮初だったとしても、それに私はひとたび夢を見て、笑うのだ。

 

 

 

 

 

 

達也とは途中で分かれ、担当区間へと向かう。

勧誘用に外にテントが用意されていて、各部新入生を捕まえては勧誘している。時には部員同士の衝突や、新入生の取り合いも行われる。成績優秀者はそれだけ部の成績に直結する可能性が高く、一種の祭りのような騒ぎとなっている。

 

そんな喧騒が苦手な人や、もともと文化系の部活は比較的穏やかに新歓が行われている。

私の担当区間では今のところ問題はなく、時計を確認するとそろそろ図書・古典部の研究発表の時間だ。

いったん外に出て、地図を確認して目的の場所に向かう。

実施者本人が派手と言っていた通り、室外で実演を行うそうだ。

 

実験エリアに向かうにつれて、人も多く集まっていた。

 

「よ、九重」

「辰巳先輩も見にいらしていたのですね」

 

新入生だけではなく、在校生やスーツを着た外部の関係者も見られた。どうやら大学や他の研究機関からも見学に来ているそうだ。そのためこの一帯だけ、警備員も別途配置されている。

 

「まあ、あの魔女のことだ。どうせ奇抜でド派手で、面白いことをするだろう」

「本人も派手になると言っていましたよ」

「知り合いか?」

「ええ。入部予定でもあります」

 

そう言うと、辰巳先輩は顔をひきつらせた。

 

「九重、今からでも遅くない。確かに古典部はすごいが、考え直した方がいいんじゃないか?」

「みなさん、そう仰いますよね」

 

 

ここまで言われるとため息が出そうになる。そこまで図書・古典部が忌避される理由があるのだろうか。

新歓を兼ねているとはいえ、これほどまで観客を集めている。

研究結果もあげているし、それほど風当たりが強い理由がわからない

 

 

「姐さんにも会頭にも認められる腕なら、他の部活からも引く手数多だろう。魔法競技系しかり、武道系しかり。それをなんで態々古典部なんだ?」

 

「確かに、風紀委員の末席を汚させていただいていますが、個人的には得意なことと興味のあることが別であってもいいとは思います」

「得意なことと興味のあること?」

「料理が上手で、趣味だとしても全員が料理人にはなりませんよね」

「ああ。仕事と趣味は直結しないってやつか」

「そうとも言えますね」

 

 

肩をすくめ、勿体ないなと辰巳先輩は言った。武道系の部活は最初から入るつもりはなかった。

私が手ほどきを受けているのは武術と演舞。片方は神事のための舞だが、もう一方は人を傷つけるための技術だ。人に見せられるようなものではない。

それに、古典部に入れば家にある古書の解析もより進むだろうし、新たな技術も取り入れることができるかもしれないと期待している。

 

 

「俺は近くで警備しておく。九重は入口付近を頼んだ」

 

「分かりました」

 

 

警備のことで二つ、三つ確認をして辰巳先輩と持ち場に分かれ、私は記録端末のスイッチを入れた。

 

 

 

 

 

 

 

私はお昼休みにあった、打ち合わせを思い出した。

 

和やかな自己紹介から一転、古典・図書部の部室は張りつめた雰囲気となっていた。

 

「産業スパイですか」

 

「ああ、高校生だからって、易いだろうと舐められているんだろうね。使われる文献やデータは貴重なものが多いからね。論文コンペよりはマシだろうけど、国内外から狙われてもおかしくはない。特に新歓の喧騒に紛れ込んで、泥棒猫には警戒が必要だね」

 

「それで私、というわけですか」

 

「よくわかっているじゃないか」

 

 

要するに警備名目でスパイを潰せと言われているのだ。だから私を風紀委員に推薦したのか。

入学早々、一杯食わされたものだ。だが、私も産業スパイが手引きするのは頂けない。

それは私たちの平穏な学生生活の障害となり得る。

 

「邪魔する奴には容赦しなくていいけど、発表のことも配慮してくれると助かるね」

 

特にマリーさんはこの研究にかける思いも深く、魔導書の研究は中学生のころから行ってきたそうだ。他の部員も自分たちの研究成果を汚されることを是としていない。

なにより、今後達也が活躍するかもしれないこの場でそのような憂いを残すわけにはいかない。

 

「風紀委員会もこのことを知っているのですか?」

 

「渡辺と十文字君には伝えているよ。

こちらとしても、鎧塚君を中心に警戒はしておくけど保険は多いに越したことはないだろう」

 

古典部に加え、風紀委員も対応に当たるということだ。

もしかしたらこちらも実戦ということになり得るが、さっそく調整した特化型の出番とならなければいいと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

会場に設置された巨大ディスプレイによって、研究目的と研究結果が発表されていく。

近年、魔法という要素を加えた歴史解釈や伝説の解析は盛んに行われており、今回もその一環だそうだ。

 

古典部所蔵の魔女の日記をもとに、イギリスで伝説となっている黒い丘の魔女戦争を再現が始まろうとしていた。

 

CADを使用しない魔法に興味を持つ在校生。

 

お手並み拝見と期待を込めた来賓。

 

良からぬことを企む招かれざる者。

 

それぞれの視線を一身に集め、西洋魔法の実演は始まった。

 

 

 

サッカーコートほどのグラウンドで、マリーさんと祈子さんは互いに魔導書を持って対面していた。

 

実演するのは西洋の古式魔法であり、CADは使用しない。

 

古式魔法と言っても、流派や時代によって一括りにはできない。

精霊魔法に化生体の生成、陰陽道に通ずるものに始まり、魔法薬草学や魔法言語学、魔法幾何学などは古式魔法から派生したものが多い。

 

今回は精霊を使役し、事象を改変する魔法の一種だった。

予め、仕掛けられた魔方陣と焚かれたハーブによって精霊が喚起されている。

 

精霊への干渉はサイオンに頼りっきりだが、術式は攻撃性に富み、詠唱によってその威力は格段に上がっていた。

二人の立つ地面には複雑な魔法陣があり、詠唱も加わって魔法の発動を補助していた。

 

起動式は魔導書に記録されており、それを詠唱によって呼び出す。

CADに記述されるような数字とアルファベットで定義される式よりも起動式の長さは短く、速度は劣るものの事象の改変は起きていた。

 

宣言通り、派手な魔法だった。

炎で作り出したドラゴンの対決に、鎌鼬の応戦。地面に干渉し、高い壁を作り上げての防御。

 

これでパターン化された戦いだから凄い。

二人ともかなりの実力者だが、CADもなしにこれほどの魔法が使える人が実家の関係者以外にもいるとは私も驚きだった。

 

呆気にとられる観客に必死に解析用のコンソールをたたく来賓の方々。

当の二人は消耗しているが、楽しそうだ。

 

 

だがそこに、余分な悪意を感じた。喚起されている精霊たちが私に敵の存在を知らせる。

会場を見回るふりをして、静かにターゲットの背後に近づいた。

 

「風紀委員です。御同行ください」

「なんのことかな。私は今回招待された学者なのだが」

 

私は正面からスーツ姿の男性に近づいた。来賓以外にも研究所や企業からの招待はある。

来賓席以外にも学校外の関係者は多く見られる。

一見するとこの男性も怪しい点は無いようにも見える。

 

「映像機器は使用禁止と案内がありましたよ」

 

私はネクタイピンを模したカメラを手に持った。

怪しくは見えなくとも、重大な規約違反だ。今回カメラの類は一切持ち込み禁止となっている。

それを持ちこんだ時点で黒だ。

 

「なにっ」

 

相手は私が目の前に持ち出すまで盗撮用カメラを盗られたことに気が付かなかったようだった

 

「くそっ」

 

私からカメラを奪い取ろうとしていたスパイの後ろ手に回り、肩の関節を外す。

鈍い音がして、男性がうめき声をあげた。肩を押さえて蹲るスパイを、駆けつけた警備員に引き渡す。

 

近くにいた生徒たちには問題ないことを告げ、警備に戻る。

会場全体を見回すと、あきれるほど情報略取を狙う者が尻尾を見せていた。よほど今回のことは良い餌になったようだ。

 

 

「辰巳先輩」

『なんだ』

 

私は辰巳先輩に通信を入れた。私から通信に緊迫した空気が伝わったのか、相手も声を押さえていた。

 

「壁際のマスコミ風の女性…黒いタイトスカートとメガネの方です。ハッキングツールと盗撮製品を装備しています。メガネのつるに盗撮用レンズが埋め込まれているはずです」

『本当か』

 

辰巳先輩は驚きながらも、冷静だった

 

「ええ」

『わかった。話を聞かせてもらおうじゃないか』

「できるだけ穏便にお願いしますね」

 

 

その後も会場全体を見回し、警備員と風紀委員に連絡を入れ、スパイを検挙してもらう。

逃走してもその先には部活連から派遣された対人戦闘になれた先輩方が無事捕らえてくださったので一件落着と相成った。

 

研究発表は無事成功。生徒たちにもスパイの近くにいた人以外は、何があったかもわからないだろう。約束通り、穏便に終わらせることができて一先ず安心した。

 

 

文字通り、会場からは興奮の歓声と拍手が鳴り響いていた。

マリーさんはうっすら涙を浮かべ、とても誇らしそうにしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、私は事の顛末を聞くための事情聴取でかなり時間を取られた。

遅くなってしまったし、待たせて悪いと達也と私のおごりでこの前とは違う喫茶店に入った。

 

「雅も今日は大変だったみたいね」

「話が早いわね」

 

エリカはもうどこからか情報を仕入れてきていたようだった

 

「俺も噂で聞いたぜ。古典部の研究発表の警備で、産業スパイを一網打尽にしたとか」

「産業スパイですか。雅さん、危なかったんじゃないですか」

 

美月は若干顔を青くしていた。彼女は私が風紀委員入りしたことも心配してくれていた

私が荒事に向いていなさそうと言われるのはよくあることだ。

 

「取り押さえたのは警備員と風紀委員の先輩方よ。私は特に危ないことをしていないわ」

 

実際、スパイと対峙したのは一度きりで後は情報提供ばかり行っていた。手柄は取り押さえた人にこそ相応しいだろう。

 

「あの広い会場でお姉さまがスパイを見つけなければ、被害が拡大していたでしょう。穏便に終わったのはお姉さまの活躍があってこその結果です」

 

生徒会からは市原先輩が見学と警備に来ていたはずだから、深雪も生徒会で事の顛末を聞いていたのだろう。

 

「にしても、どうやって会場で特定のスパイを見抜けたんだ?知覚系魔法か?」

 

西城君は首を傾げ、疑問を投げかけた。研究発表が行われたのはサッカーグランドとほぼ同等の会場サイズだ。

達也の【精霊の目】や七草会長の【マルチスコープ】なら可能だろうが、私程度の実力では肉眼だけだと会場全てをカバーしきれない。

だから少し助けてもらったのだ。

 

「精霊魔法の応用よ。雷に関連する精霊に会場を見張らせて、盗聴器やクラッキングツールなんかを発見したの」

「精霊魔法ってそんな風にも使えるんですか?」

 

美月が意外そうに聞いた。精霊魔法も基本的には情報の改変の媒体に使われることが多いし、精霊自体も実体を持たない情報体と定義されている。知覚系魔法との関連があまり想像できないのだろう。

 

「ええ。精霊と対話できれば可能だと思うわ」

 

この地には私の目となり手となる精霊が手助けしてくれる。

その存在に多くの人たちは気が付いていない。

多くの魔法師は活性化された精霊を感じることができる。

私の場合、活性化されていなくても精霊を見て対話することができる。

実家では誰だってできることで、それほど難しいことではなく、呼吸をするかのように当然のことだった。

 

 

「ちょっと待って、精霊の対話ってどれだけ高等技術なのか知らないわけじゃないでしょう」

 

エリカは私の言葉に、一人狼狽していた。

 

「そうなの?」

「何年も修行してもできない人もいるくらい、難しいのよ」

「エリカ、古式魔法にも詳しいのね」

「あ、いや、そういうわけじゃないけど」

 

エリカは言葉を濁した。知られたくない関係もあるだろうと、私もそれ以上は追及しなかった。

 

 

 

私が遅れたのはともかく、達也もひと悶着あったそうだ。

演舞中の剣道部に剣術部が突っかかった。

そこまでならただの喧嘩だが、剣術部が殺傷ランクBの高周波ブレードを使用。

言うなれば竹刀を持った相手に真剣で切りかかったようなものだ。

 

しかし、その違反者はすぐさま達也によって取り押さえられた。

騒動を起こした剣術部だけ風紀委員に摘発され、それに納得しなかった剣術部員が次々に殴り掛かってくるが、それを達也は全てかわし、流し、14人もの相手を捌ききった。

 

確かに、剣術部は竹刀を持たない戦い方に慣れていないと言える。

しかし、魔法を発動しようとしても全て発動せずに終わっていたとエリカは語った。

その絡繰りに深雪も私も気が付いていた。

 

「魔法式の無効化はお兄様の十八番なの。お兄様、キャストジャミングをお使いになられましたでしょう」

「深雪には敵わないな」

 

達也はその原理を語るつもりはなかったようだが、深雪に言われたことで説明しないわけにはいかなくなった。

 

「それはもう、深雪はお兄様のことならば何でもお見通しですよ」

「それ、兄妹の会話じゃないぜ」

 

 

甘い雰囲気を出しそうな二人の雰囲気に、西城君が思わず突っ込みを入れた。

エリカは半ば呆れ、美月はほんのりと頬を赤らめていた。

 

「そうか」「そうかしら」

 

しかし二人にとっては、自然な会話であり特に違和感のない様子だった。

まあ、世の中には色々な解釈があるのだろうと、私は少し冷めたミルクティに口を付けた。

 

「このラブラブ兄妹に突っ込みを入れようとした方が間違っているよ」

「それもそうか」

 

角砂糖をかみ砕いた雰囲気にエリカと西城君はやれやれと言った雰囲気だった。

一人、美月だけは本当にそんな関係ではないかと悶々とした様子だった

 

「私とお兄様が恋人に見られるのは光栄ですが、お姉様には申し訳ないです」

 

深雪は私にちょっと遠慮した様子で、はにかんだ。

 

「深雪と達也が深い兄妹愛で結ばれていることは事実でしょう。

そうね・・・・でも、少し私も寂しいわ。以前は私の後ろをお姉さま、お姉さまと雛鳥のように愛らしく着いてきていた深雪が今ではお兄様一辺倒ですもの」

 

「それはお兄様の素晴らしさを知らなかった愚かな頃の私です。

もちろん、お姉さまには昔も、今も、未来永劫変わらぬ敬愛をささげておりますよ」

 

深雪は私の両手をとり、恍惚した様子で私に笑みを浮かべた。

 

言葉通り、昔も今も変わらず私を慕ってくれているが時々フィルターがかかっているのではないかと思う。

時折この子は私を神聖化している節があるのは事実だ。特に“ある事件”以降それは顕著だ。

達也にそれとなく聞いてみたら、彼の知る限りずっとそうで一緒に暮らしている今もそれは変わりないそうだ。

まあ、かわいい義妹に慕われて嬉しくないはずがないのも事実だ。

 

「お、おう」

 

「えっ」

 

「深雪さんたちって………」

 

だが、距離の近い私たちに達也以外の三人はその事情を知らないため、顔を赤らめていた。

見方によってはそう見えなくもないだろう。

そうだとしたら深雪は本当に魔性の美少女となってしまうな。

 

 

「そう言えば、ずっと聞こうと思っていたんだけど、達也君と雅って付き合ってるの?

何度かそれっぽい発言を聞いたんだけど………え、本命はどっち?」

 

「渡辺先輩と同じようなことを聞くのね」

 

 

渡辺先輩という言葉を出すと、エリカは隠しもせず嫌そうな雰囲気を見せた。

もしかして、入学以前からの知り合いだったのだろうか。

 

「まだ説明していなかったかしら。お付き合いではなくて、お兄様とお姉様は許嫁同士なのよ」

 

深雪はここでも隠す様子もなく、むしろ誇らしげな様子で私たちの関係を暴露した。

 

「許嫁?」

 

「ってことは…」

 

「ええ、婚約者とも言うわね」

 

 

深雪は追い打ちをかけるように、もう一度事実を認識させるように3人に説明した。

 

「「「婚約!!」」」

 

三人とも思わず大きな声を上げていた。その声に、私も達也も少し驚いた。

 

「マジかよ、達也」

 

「ああ」

 

「そんなに驚かれるとは思わなかったわ」

 

「今日一番、いや今月一番の衝撃だ」

 

西城君は私と達也を見比べていた。渡辺先輩達も信じられない様子を見せていたし、そんなに不思議なことだろうか。むしろ似合わないと言われたら悲しくなる。

 

「じゃあ、何時から付き合ってるんだ?」

 

「付き合うというか、婚約が決まったのが生まれて1か月もしない内だったわね。性別が分かった時点から話は上がっていたらしいわ」

 

「お姉様とお兄様はまさに出会うべくして出会い、縁を結ばれたのです」

 

誕生日もおよそ10日違い。幼少期の記憶のほとんどが達也と過ごしたものだ。

 

達也が一般的な魔法がうまく使えないと知っていても、特殊な魔法に演算領域がとられていたとしても、たとえ特殊な実験を受けていたとしても、日陰の身であろうとも、その決定は今まで覆ることはなかった。

 

曾お婆様の決定に私は感謝している。

この先どれだけ素敵な男性が現れようと、どれだけ困難があろうと、私の唯一は彼だと言える。

一生かかっても叶わない想いかもしれないと、心の奥で苦しみながら私はこの想いを消し去ることなどできはしないのだ。

 

 

 

話は戻るが要するにキャストジャミングはアンティナイトを使用せずに魔法を外部からキャンセルさせる方法だ。

 

サイオン波によって擬似的にアンティナイトと同様の効果を得る方法で、無系統魔法に属する魔法の一つであり、未公開の魔法である。

 

対抗魔法の一つであるアンティナイトは希少価値が高く、一般には流通していない。

だから魔法師の脅威にはなり得ていない。

それを使用しない魔法妨害は、非魔法師にとっては魅力的な技術である。

エリカの言うとおり、魔法を中心として国力を担っている現代において社会基盤そのものが揺らぎかねない。

キャストジャミングに対抗する方法はその妨害以上の魔法力が必要となるため、軍略的な面でも公開すべきではないことを達也は考えている。

 

西城君達は達也が理論的に新しい魔法を生み出したのに、目先の利益に囚われず先を見通した様子に感心しており、深雪も兄が認められたことでとても誇らしそうだった。

 

 



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入学式編9

逃げたい現実があっても、立ち止まりたい時があっても、それでもその日は迫ってくるわけで、
どれだけ喚いても、嘆いても、憤っても、変えられない、変わらないことがあります。

後悔はいつだって、後から苛まれるもので、時間は戻らないけれど、これから自分をどうするかは自分で作り出せると信じています。

努力は実らないかもしれないし、結果が全てだと言う人もいるかもしれません。
諦めなければ叶うとも言わないけれど、奇跡も実績もそれを叶えるだけの夢と努力がなければ、生み出せません。

奇跡は努力の先にあるものだと、私は言いたい。


頑張れ、受験生。


文字通り、一週間の部活動勧誘期間はお祭り騒ぎだった。

各部の小競り合いだけならいいが、わざと達也に向かって飛ばされる魔法が騒ぎを拡大させていた。祈子さん曰く、例年以上に血気盛んな騒動が多いらしい。

一度私の方にも流れ弾が飛んできたこともあり、怪我はなかったが達也は顔を不機嫌そうに顰めていた。

 

周りの霊子も彼に当てられたように活性化していて、不謹慎だが私のために怒ってくれる彼が嬉しかった。

 

そんな乱闘騒ぎも終わったが、まだ気が抜けない。

二科生の風紀委員。

魔法を使わずに並み居る魔法競技部のレギュラーを打ち倒す謎の一年生。

 

学校内でそんな噂が立っているのだ。

達也の実力が評価されることは喜ばしいことではあるが、達也としては不本意に目立ってしまったのだろう。

 

加えて、青、白、赤のトリコロールカラーのリストバンドをしている学生が目に付いた。

国際犯罪組織ブランシュの下部組織エガリテのマークだ。

 

メンバーは精霊を介し、すでに把握している。犯罪組織が魔法師の雛鳥である魔法科高校にも蔓延しているとなると、この学校の状況に不安を覚えた。

もしかしたら、家の方から“依頼”が来る可能性もある。それ以上に平穏な学生生活が脅かされる危険性がある。

家を気にせず普通の学生として楽しみなさいと言ってくれた父にも申し訳が立たない。

 

大事にならなければいいが、伯父の耳にも入れておいた方がいいだろう。

無論、あの人の場合は知っている可能性も高く、一応世俗とは身を切っているが、こちらにはない情報が入る可能性がある。

 

祭の騒ぎは終わり、CADの携帯は通常通り、部活動の時間や特定の役員以外禁止となる。

これで少しは騒ぎが収まることを期待したい。

 

「それで、魔導書の件はどうなったんだ」

 

深雪を生徒会室に送り届けた後、達也と一緒に図書館に向かっていた。

深雪は待たせて申し訳ないと言っていたが、私もこれから部活があるし、達也もようやく調べ物ができるので苦ではなかった。

 

「それが…渡してみたら、奥の方から原書を取り出してきて解読の課題にされたわ」

「原書?」

「図書部で保管していたそうよ。分担して解析することになったの」

 

図書・古典部は研究発表のインパクトが強かったようで今年は私を除き15人とかなり新入生が多い。

そのうち残るのは半分もいればいいだろうと祈子さんは見立てていた。

夏目先輩は文芸部門に新年度早々4人も入ってくれて感激していた。

文芸部門の彼女たちは純粋に興味があってきたので、残る可能性が高いだろう。

 

図書・古典部の先日の研究発表は確かに目を見張るものではあったが、そこに至るまでの過程は辛く厳しい。それに耐えられるのか、諦めるのか、それは本人たち次第だろう。

 

 

話を戻すが、達也が原書という言葉に純粋に驚いていた。

 

「一部活動が魔導書の原書を保持しているのか?」

 

「活動内容が一部活の範疇を越えているから、かなり資料は揃っているみたいよ。

部室も図書室の一角を借りているし、図書館でしか使えない情報端末も部室にあるわ。

大学側とも協力して解析を行っているから、古書の解析においては大学並の研究費が入ってくるそうよ。」

 

借りた原書は難解であり、早速皆で頭を悩ませていた。

なにせ私以外はほぼ、一からのスタートだ。

先輩方からアドバイスをもらえたとしても基本は自分たちの努力次第だ。

私も委員会がないときは部活に顔を出すつもりだ。

 

 

廊下の突き当りで、二科生の先輩がいらっしゃった。

 

「司波くん」

「確か、壬生先輩でしたね」

 

どうやら剣道部と剣術部の一件で揉めた先輩だそうだ。

 

「ええ。ちょっとお話をいいかしら」

 

もしかしたら達也の勧誘かもしれない。

部活の入部は必須ではないが、達也は今回の騒動に掛かりっきりで部活動決めをする時間は十分になかったと言える。

達也の身のこなしと連日の噂からぜひ入部させたいのだろう。

 

達也は視線だけを私に動かした。

女子の先輩ということで、一応は気を使ってくれているようだ。

 

仕方ないと心を押しとどめながら、小さくうなずき同意を示す。

胸の奥底で静かに燻るものは苦い痛みを伴っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして翌日、聞いたのはあまり喜ばしくない噂話だった。

 

生徒会室でお昼を食べている時だった。

最初は自動配膳機の食事であった先輩方もお弁当を持参することが定番となっており、今ではおかずを交換することも多い。

 

今日は深雪のリクエストで私が主体でお弁当を作った。それに七草先輩と渡辺先輩がおかず交換を申し出たので、差し上げると食べた後に美味しいとは言いつつどこか苦い顔をされた。

 

味付けを間違えたかと心配になったが、深雪曰く、和食は未だにお姉様に敵わないとため息交じりに言われた。

 

私自身、実家の厨房に立つこともあるが、主婦歴の長い母や祖母の味には追いつけない。

出汁の取り方一つをとっても、味の違いを感じさせられる。

ひとまず、口に合わないわけではないらしいので安心した。

 

 

「そう言えば達也君、剣道部の壬生を言葉攻めにしたと言うのは本当かい」

 

和やかなお昼の雰囲気に渡辺先輩が爆弾を投下した。

達也は一瞬、身体を強張らせた。

単に意外性のある言葉に驚いているのではなく、どうやら自覚があるらしい。

 

「そんな事実はありませんよ」

「そうかい?壬生が顔を真っ赤にさせて恥らっている様子を目撃した者がいるのだが」

 

冷静に否定する達也に、にんまりと渡辺先輩は問いかけた。随分言い方に含みがある。

茶化されてはいるが、これではまるで私の前で浮気を糾弾しているようなものだ。

中条先輩は心配そうに私を見ていた。この人が生徒会の良心だろう。

 

「お兄様」

 

だが、心中穏やかではないのは私だけではない。

 

「お姉様と言う人がありながらどういうことですか」

 

生徒会室に冷気が吹き荒れた。春の暖かさから極寒の冬に逆戻りするかのように、深雪を中心として霜が降りはじめた。感情の揺らめきにサイオンコントロールが暴走してしまっている。

 

「落ち着け、深雪。ちゃんと説明する」

 

「深雪」

 

私は冷たくなっている深雪の手を握った。はっとした様子で、深雪は魔法を停止させた。

 

「申し訳ありません」

 

深雪は小さくうなだれ、謝罪の言葉を述べた。

深雪の魔法力は素晴らしいが、現在の課題は強すぎる力のコントロールだろう。

そのコントロールが上手くいかない理由は分かってはいるが、それでも今のように感情が大きくぶれるたびに魔法が発動してしまうのは良くない。

 

深雪も分かっている様で、若干の後悔に苛まれていた。

最も、その感情を揺らす原因となったのは達也と渡辺先輩のせいである。

 

「深雪さんって本当に事象の干渉力が強いのね」

 

テーブルにあったお弁当やお茶は凍りついている。

 

CADなしでも魔法師は魔法を使える者が多い。BS魔法師は例外だが、CADを使用した魔法とは違い事象の改変に時間がかかったり、工程が少ないもの、効果が小さいことが一般的だ。

しかし、深雪はCADもなしに季節を逆転するような魔法を無意識で使っているのだ。

これはよほど魔法力、特に事象の改変力が強くなければできないことでもある。

 

幸い、生徒会室には配膳機の機能で再加熱もできるので、凍ったご飯を食べなければならなことはないだろう。

 

「それにしても、雅は動揺しないんだな?」

 

ここのいる先輩方は私と達也の関係を知っている。

ある程度は根拠があるようだが、くだらない噂話と知っていて、この場で持ち出してきたのだから達也に対する嗜虐心も含まれているのだろう。

 

「渡辺先輩は私たちが慌てふためくのを楽しみにしていらしたのですね」

「まるで私が後輩をからかって遊ぶのが趣味みたいな言い方じゃないか?」

「そう思われたのでしたら失礼しました」

 

思った以上に自分でも言葉が淡々としていて、感情が籠っていなかった。

 

「嫉妬心とか君には縁のない言葉だったかい?」

 

嫉妬心?そんなこと、聞かれるまでもない。

 

「そうですね………強いて言うならば、達也さん。私に夕顔を手折らせないでくださいね」

 

達也にそう笑いかけた。

彼は少しばかり目を見開いたので、私の意図する言葉の裏を読み取っているだろう。

言葉遊びも込めた、少々の意地悪だ。

先輩たちは首をかしげているが、深雪も意味が分かったようで、「まあ」と小さく笑った。

 

「お兄様、いくらお姉様が寛容でいらしても、それに甘えてはいけませんよ」

「分かっているよ」

 

深雪の言葉も相まって、苦笑いを浮かべた。

 

私だって、分かっている。

本当は嫉妬だなんて、無意味な感情だ。彼に対して、私がそう思う事すら空回りしている。

この醜い感情を表に出したくない、精いっぱいの強がりなのだ。

 

 

気を取り直し、食後の一服を付きながら話の続きとなった。

どうやら壬生先輩たちを含め、二科生の中には風紀委員を良く見ていない者も多いらしい。

学校権力を傘にしているだとか、二科生ばかり取り締まりを受けているだとか、根も葉もない悪評が出回っている。

 

それを裏で先導するのは誰か。おそらく、反魔法団体だろう。

彼らは学生を使って、意識を先導している。魔法が全てではないことを刷り込ませている。

魔法師が社会的に優遇されていると、格差を生み出す象徴であると声高々に触れ回っているのだ。

 

そして、それで得をするのは誰か。国力を削がれたこの国を狙う禿鷹だ。

そうなれば、達也も、私も、黙ってはいられない。

特に、一高に干渉を強めてくるのならば十師族も黙ってはいない。

そうなれば深雪の楽しみにしていた普通の生活も崩されてしまう。

 

高校は小さな箱庭だ。

今も戦時中にもかかわらず、基本的には安寧な生活が過ごせるのは抑止力のお陰もある。

しかし、ひとたび戦争になれば魔法師の雛鳥とはいえ戦場に駆り出される可能性だってある。

 

あくまで可能性だ。

しかし、悪意の芽をのさばらせるほど、私は寛容ではない。近いうちに私にも指令が下るだろう。達也の言葉に耳を傾けながら、机の下で手を握りしめた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のお昼は実習が長引いているため、先に食べてくれと達也から連絡が入った。

深雪は残念そうだったが、ほのか達と一緒になだめ、カフェテリアに向かった。

実習棟近くのカフェテリアは、お昼時とあって人は多いが、テイクアウトもできるようで、店内には4人が座れる席もあった。

メニューを見ると、以前祈子さんに御馳走になったお昼もここでテイクアウトしたようだ。

 

そこで昼食をすませると、達也たち4人分の軽食を買って実習棟に入った。

まだエリカと西城くんは実技の途中だったが、達也に発破を掛けられ規定タイムはクリアできたようだ。

 

「お待たせ」

「雫もほのかも悪いな」

「いいえ、そんなことないです」

 

達也たちに買ってきた昼食の入った紙袋を渡した。

情報端末のあるエリアはダメだが、それ以外の場所での飲食は禁止されていないそうだ。

昼休みもそう長くはないし、軽食で十分だろうと達也から連絡を貰っていたのだ。

 

 

「ねえ、雅」

「なにかしら?」

「ちょっと歩いてもらえない?」

 

エリカにそう言われ怪訝に思いながらも、10歩歩いて、10歩で戻ってきた。

7人分の視線を受けながら、歩くのはなんだか妙な気分だった。

 

 

「やっぱりそうだ」

 

エリカは私を見て、ひとり納得したように頷いた。

 

「どうしたの?」

 

「雅、やっぱり忍者なんだね。歩く時、一切足音してないよ」

 

エリカは凄いわねと付け加えるが、感付いたことも凄い。

達也と深雪以外はエリカに言われ、気が付いたようだった。

 

「確かに。なんで?」

「言われてみれば、確かにそうでしたね。どうやって歩いているんですか?」

「忍びの性ってやつか?」

 

雫、ほのか、西城君の順に質問を投げかけられた。

 

「忍びは関係ないわね。神楽を舞うときに不用意に足音を立てないためよ」

「神楽?」

 

馴染みのない言葉に首をかしげる人が多かった。

 

「実家は神社なの。結構特殊な神楽だから、演者は一切足音も衣がなびく音も立ててはいけない。神様はそこにいらっしゃるが姿も見えなければ音も立てない。

だから、神様を演じる時は人間らしい物音を立ててはいけないの。そのために普段から無駄な音を排除して生活するように言われてきたから、癖になってしまっているのよね」

 

優雅な所作は物音を立てないと言われているが、私の生活は人並み外れていたと思う。

なにせ幼少のころから鈴を両手足に付け、生活をしていたのだ。音が鳴るたびに、厳しい注意があり、鈴の量が日に日に増やされていった。意識して鳴らさないように気を付けても、鈴は鳴ってしまうし、かといって動かない訳にもいかない。掃除、洗濯、炊事、寝るとき以外の家での私生活全てにそれは行われていた。普段は優しい両親もこればかりは厳しく、躾けられていた。

 

それが習慣化してしまえば、足音も物音も一切立てずに生活するのが常だ。

足音や、無駄な人らしい物音を立てることは私にとって、逆に演技になってしまう。

司波家では後ろから深雪に話しかけると驚かれることが多いのはそのせいだろう。

 

 

「雅さん、神楽をなさるんですか?」

「お姉様の神楽は素晴らしいわよ。本当に神様がいらっしゃるようですもの」

 

美月の問いかけに深雪が嬉しそうに答えた。

 

「神様?」

「ええ。神々しいや幻想的だなんて陳腐な言葉で語りきれない、高貴で優雅で荘厳で、神秘的な舞台よ。その場を目に出来たことすら烏滸がましいほど、隔絶された世界だわ」

「大げさね」

 

いくらなんでも神格化しすぎていないだろうか。

私程度の若輩にそこまで言われれば、兄たちの舞はいっそ桃源郷とでも言うべきなのだろう。

確かに幼いころの私も、あの神楽は神様と語らうのではなく、神様がいらっしゃると思い込んでいた節があるので深雪の言葉を完全には否定できない。

 

「そこまで言われると見たくなるわね」

「機会があれば招待するわ。余程の事がない限り、一般の観覧は難しいと言われているから」

 

京都九重大神宮。その系譜にのみ許された神楽がある。

今では廃れた古式の技術の集大成ともいえる神楽だ。精霊と意思を交わし、神への祈りを捧げるために舞い、楽を奏でる。私もその担い手として神事に参加させてもらっている。

 

「深雪が見たことがあるってことは勿論達也君も?」

「ああ」

「お兄様ったら酷いんですよ。私にも内緒で何度か観に行っていらしたんですよ」

「あら、お熱いですこと」

 

エリカはあえてわざとらしく手で顔を仰いだ。彼女もまた、嗜虐趣味のある人のようだ。

 

 

「ねえ、深雪たちの授業ってどんな感じ?」

「ほとんどやっていることは変わらないわ」

「教諭が補足説明や発展的な知識を提供してくれることは有難いわね」

 

一科生と二科生の違いは教員による魔法実技の指導の有無だ。優秀な魔法師は今でも実践的な軍事面や研究部門に多く在籍しており、絶対的な教員数は不足している。

そのための二科制度なのだが、その意味をはき違えている生徒も多くいるのもまた実情だ。エリカ曰く、できもしないのに指導だけ強請るのはお門違いだそうだ。それは一科生、二科生、双方に言えることだろう。

 

「お手本みせてくれない?」

 

エリカは先ほどまで使用していた教育用CADを指差した。

 

「お手本でしたらお姉様が適任ですわ。お姉さまは入試の際に起動式と魔法式の構築スピードは学年1位の成績でしたから」

 

「へー、そうなんだ」

 

「速さだけよ。あまり参考にならないと思うけれど」

 

「それは見てから決めるからさー、その1位のスピードを見せてよー」

 

エリカだけではなく、西城君や実際に見たことのある雫たちでさえ期待してみているので、これは応えないわけにはいかないだろう。

 

待機モードになっていたCADを起動し直し、手を置く。

このテストは起動式を呼び出し、魔法式を構築するスピードを測定するものだ。

いかに早く魔法式を発動し、事象を改変できるのかという魔法力の一つを測るものでもある。

 

起動式を呼び出し、魔法式が展開された。表示されたタイムは思った程度のものだった。

 

「二〇三mm秒?!」

「マジかよ」

「凄いです」

 

見慣れているはずの達也や雫たちですら、多少驚いていた。

タイムはそれなりの結果であったが、起動式の精度とハード面が改良してもらわないと雑音が酷い。いっそ弄ってしまいたい衝動に駆られる。

 

「人間の反射って目で見て動くまで0.2秒程度だよな。ほぼ反射で魔法を使っているってことか」

「すごいわね。どうやったらそんなスピードが出るの?」

「コツとかないのか?」

「コツ、と言われても感覚的なことだから伝えにくいわ」

 

スピード面に難航していたエリカと西城君に質問されるが、言葉にして説明するのが難しかった。

兄に言わせてみれば、会話するのに一々呼吸のタイミングを意識するのかと言われる程度なので、この程度で天狗になっていたら鼻で笑われるだろう。

 

「でも、雅って凄くこのCADは使いにくそうだよね」

 

ほのかは『光井』の名の通り、光のエレメントの血を引いている。

そのため、光への感受性が強く、魔法を発動する際のサイオン波の余剰ノイズに対しても鋭敏な感覚を持っている。ほのか曰く、入試で見た達也の魔法は一点のぶれもなく魔法力全てを事象改変に使い切る綺麗な魔法らしい。

 

 

「CADのノイズが酷いのか」

「ノイズですか?」

「深雪や雅のように感受性が強いと、調整の粗いCADはノイズが多く感じるんだ」

 

言うなれば、片言の言語を受けている感覚に近い。理解できなくはないが、いつもの精錬された起動式を使用しているとどうしても見劣りしてしまう。

 

「お兄様のCADでなければ深雪もお姉様も全力が尽くせません」

「そうだな。会長にでも提言してみるか」

 

おそらく感受性の高いであろう会長も不満を零していただろうし、案外実現するかもしれない。

甘える妹に優しく笑いかける達也。相変わらず深雪には甘いことだ。

 

 

 

割と皆もその様子に見慣れてきた様で呆れ半分に見ている。

 

しかしながら一人、深雪に背を向け雫が小声で聞いてきた

 

「ねえ、雅は気にならないの。あれだけ仲がいいともしかしたらって」

 

雫が言わんとしていることが分からないわけではない。

確かに、過剰な兄妹愛は兄と妹という枠組みを超えて見えてしまうのだろう。

深雪の美しさも相まって、それはどこか芳しい禁断の園を覗いているようだと称されたこともある。

 

「全く。兄妹が仲睦まじいことは喜ばしいことよ」

「雅って独占欲とか嫉妬心とか縁がないの?」

「そう言うわけではないのよ」

「そうは見えないけど」

 

雫はあまり表情が変わらないと言われるものの、周囲の霊子や精霊の様子を見ていたら感情の機微は簡単に読み取れる。空気を読むという言葉があるが、文字通り空気に漂う霊子を読み取れる程度のことはできてしまう。ポーカーフェイスを気取っていても、嘘も真意も読み取れる。

 

勿論、普段から使うようなことはないが、単に怖いだけかもしれない。

達也の本心を知ってしまったら、それがどのようなものであれ私はきっと泣いてしまう。

 

そのようなことを雫に伝えるわけにもいかず、私はそれらしい理由を持ち出すことにした。

 

「………事象の干渉能力ってあるでしょう。深雪みたいに無意識化で魔法を使って事象を改変してしまう事。私も昔、それでひどく苦労したから抑え込む事には慣れてしまったの」

 

「意外…」

 

雫が目を見開いた。流石に彼女も予想外の答えだったらしい。

 

「私、深雪以上に怒ると怖いのよ。地雷踏んだら文字通りドカンよ」

「もし踏んだら?」

「少なくとも学校中の電子機器が使えなくなることは覚悟しておいた方がいいわね」

 

そう言うと雫は目を瞬かせた。

 

私は、一度とんでもない電波、電磁障害を引き起こしたことがあり、制御は徹底している。

深雪のように周囲を凍りつかせるだけならまだいいが、私の場合は電子機器の発達した現代において厄介者でしかない。

だから感情が溢れないように、どれだけのことがあろうと干渉しないように徹底して訓練してきた。

 

その反動か、嫉妬の一つもしないだなんて可愛くないと言われてしまうのだ。

 

悟らせないだけだ。そんな醜いもの、見せられはしないと空虚な仮面の下に隠しているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入学から2週間ほど経ち、浮き足立っていた新入生も学校生活にも慣れてきた様で、達也に対する喧騒も下火となっている。

仲の良いグループもでき始めており、A組ではほのか、雫、深雪、私の4人で行動することが多い。実験や実技のペアを組んだり、課題を話し合ったりと充実した学校生活となっている。

 

ほのかは光波振動系や魔法の細かい制御を得意としており、雫は振動系魔法や大がかりな魔法を得意としていた。二人とも実技、理論共に流石は一科生と言わしめる実力者だった。

部活はSSボート・バイアスロン部に所属していて、部活は大変そうだが、とても楽しいらしい。

 

私も新歓の喧騒が終わったことで少しずつながら、課題図書の解析を進めている。

魔女が使っていたとされるテーベ文字には不慣れだが、今後西洋の古典文献には欠かせないから慣れるしかないだろう。

最初に解析できたところによると、どうやら恋愛小説風の書き口だった。

 

研究者にとって自身の手がけた研究や資料は宝であり、万が一の流出を恐れて暗号化・秘文化されているものが多い。それを解析し、日陰だった魔法に再び光を当てるのがこの古書の解析でもある。欲を言えば、現代魔法への体系化や新術式の発見が出来れば万々歳だと祈子さんは語っていた。

 

今回の課題の難易度は彼女からすれば1か月もあれば完璧に読んでしまえる程度らしいので、無理難題を吹っかけられているわけではなさそうだ。

 

 

 

今日は部活の集まりもなく、課題も授業中に終わらせてしまっている。

学校の地下書庫も気になるし、解析に関する資料を集めでもしようかと考えていた。

 

しかし、その予定は完全に崩れ去った。

二科生に対する差別を撤廃する有志同盟と名乗る、二科生を中心とした学校の待遇に不満を持つ生徒たちが放送室を占拠した。

 

 

それに対しすぐさま風紀委員の招集がかかり、放送室前へと向かった。

野次馬も続々と集まっている様で、風紀委員と先生方が冷静になるようにと促していた。

先に来ていた渡辺先輩の話を聞くと、電源はカットしこれ以上の放送はないとのことだ。

 

しかし、マスターキーが奪われており外からは開けることができない。いくら身内の犯行とは言え、マスターキーが奪われるとは警備システムはどうなっているのだろうかと不安を覚えた。

十文字会頭は交渉に応じても良いが、首謀者を取り逃がすつもりはないらしい。

また、学校の備品を壊してでも確保すると言う強硬な策も取りたくないそうだ。

 

ひとまずはこの扉を開けないことには始まらないだろう。放送室は今時珍しいアナログ式の鍵だ。電子キーならばハッキングで簡単に開錠できるが、わざわざアナログ式ならピッキングも早々にはできないのだろう。

 

 

達也は中にいる壬生先輩に連絡を取った。呆気にとられる周りを余所目に生徒会、部活連とも交渉に応じることを伝え、日時決めをするとの理由から中から扉を開けさせるようだ。

そしてそのまま、首謀者たちを拘束する算段だ。

 

「俺は壬生先輩の身の安全は保障しましたが、他の人の分までは保障していませんよ」

「あら、いけない人」

 

私がそう言うと、達也は苦笑いを浮かべた。詭弁だが、交渉事にはそれは付き物だ。達也は風紀委員を代表していると言ったわけではないし、生徒会と部活連の意向を伝えただけだ。

無血開城となればそれに越したことはない。

 

「それよりお兄様。わざわざ壬生先輩のプライベートナンバーを登録されていたことについて、あとでじっくりお話をお聞かせ願えますか」

 

しかし、一人深雪はアルカイックスマイルの後ろに絶対零度の般若を携えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




会話の中に出てきた【夕顔】は源氏物語第四帖の事です。

雅    = 六条御息所
壬生先輩 = 夕顔
源氏の君 = 達也 に置き換えています。

夕顔を手折らせるなとは、嫉妬で呪い殺させるなと暗に告げているのです。
誰か、分かった方はいらっしゃったでしょうか?


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入学式編10

入学式編、これでようやく終了です。

想像していた以上に、長くかかってしましました。



放送室占拠の一件は生徒会に一任されることになり、土曜日に同盟側と生徒会側で公開討論会を行うことになった。

 

生徒会側の討論者は会長一人で行うそうだ。準備期間も少なく下手に複数の討論者を出して、主義主張が食い違うよりは彼女一人で討論した方が矛盾なくできると自信をのぞかせていた。

 

おそらく、同盟側は差別撤廃だと大義名分を掲げているが理詰めの論破では彼女には敵わないだろう。伊達に七草と一高生徒会長を名乗っているわけではない。

同盟側が感情的になって暴動や感情論にななければ、勝算は十分だとしていた。

 

それに会長を論破できるほどの意見ならば、これからの学校運営に生かしていけばいいと前向きにとらえていた。想像していた以上に強かな人だ。

 

それにしても、今朝から嫌な雰囲気が漂っている。学校にいる精霊たちもどこか落ち着かない。

生徒に感化されてかと思ったが、そうでもなさそうだ。

これは一悶着以上の事が起きるだろうと内心ため息をついた。

 

校内では二科生の差別撤廃を掲げる有志同盟(以下、同盟)が、討論会に参加する様呼びかけていた。どこか一昔前の新興宗教か学生運動の再現のようだと祈子さんは呆れていた。

 

少々行き過ぎた同盟参加への勧誘もあるようで、風紀委員会からもあまり行き過ぎた勧誘は注意し、行動を注視するようにと言われている。

 

歴史は繰り返す。

形を変え、方法を変え、見方を変え、味方を変え、正義を変え、真実を変え、世界を変える。

そうやって争い事は常に歴史を動かしてきた。

 

百聞は一見にしかず。

経験に学んだはずの愚者の言葉も、賢者の教えも、歴史を知らない雛鳥には文字の上での話だ。

分かっていても、そこに漬け込む闇はいくらでもある。

 

伯父からの話によると怪しいと睨んでいた3年生、司甲(つかさ きのえ)はブランシュの日本支部のリーダーの義弟らしい。エガリテにも所属し、一高でメンバーを言葉巧みに集めていたそうだ。

 

一高内部はあれだけ選民意識や差別意識があり、劣等感や優越感に溺れている。高校生らしく不安定な心理状態はまさに格好の餌食だったのだろう。

しかも、そのリーダーはまさしく非合法活動も行うような立派なテロリストだと判明した。

攻め入ってきた場合、容赦は必要ないと言うことだ。

 

実家からは指令こそ下らなかったものの、【大黒天】が動くだろうと言われている。

家の者が動くこともないが、彼が動くのならば表にせよ裏にせよ、かなりの大事になるはずだ。

 

 

 

 

 

 

そして臨時の公開討論会の土曜日を迎えた。

参加自体は強制ではないが、注目度は高く、講堂には在校生の約半数の300人ほどの生徒が集まっていた。

風紀委員も同盟側が万が一、暴力的手段を取ることに備え、それぞれ配置についている。

 

私、達也、深雪、渡辺先輩はステージ袖で待機し、警戒に当たっている。

 

私は普段は汎用型だけで対処しているが、念のために特化型も携帯することにした。

ブレザーの下の専用ホルスターに装備し、待機モードにしておく。

 

討論会自体は多少緊迫した雰囲気ではあったが、まだ理性的な話し合いが行われている。

案の定、烏合の衆であった同盟側は七草会長に論破されていた。

 

ブルームとウィード。

禁止されているにもかかわらず、公然と使われるその蔑称。

会長は退任時の総会で二科生が生徒会に所属できないという規則を改定し、意識の克服を行いたいと締めくくった。

最後は討論ではなく演説になったが、会場からはその会長の心意気に対し、惜しみない拍手が送られていた。同盟側はもはや太刀打ちはできないだろう。

 

 

 

安心したのもつかの間、校内の精霊が敵の存在を知らせた。

 

「達也」

「ああ」

 

達也も同じく“見た”ようで、警戒レベルを引き上げた。

 

「お兄様…」

「大丈夫だよ。深雪」

 

深雪が心配そうに私たちを見ていた。

敵襲の可能性は知らせてあるとはいえ、争い事を好む子ではない。相手は卑劣な手段も辞さない相手でもあり、学友が巻き込まれる可能性も高い。

深雪は強く、優しい子だ。だからこそ、彼女の手を汚したくはない。

 

「雅、どういうことだ」

 

渡辺先輩と服部先輩が私たちの雰囲気を察知し、険しい表情を浮かべた。

会場は未だ熱が冷めやらないままであり、これでは格好の餌食となるだろう。

 

「来ますよ」

「なに?!」

 

爆発音が聞こえると同時に講堂全体が揺れた。

それを知っていたかのように動き出した生徒たちはすぐさま待機していた風紀委員が捕える。

 

捕えたのもつかの間、講堂二階部分のガラスが割られ、催涙弾のようなものが投げ込まれた。

着地した弾は煙をまき散らそうとしていたが、服部先輩がそれを収束させ、ガスごとまとめて建物の外に追いやった

催涙弾に合せて突入してきたガスマスク部隊は渡辺先輩の魔法により無力化された。

 

二人とも鮮やかな手つきだった。

 

 

「雅、分かっていたのか」

「それより、ここだけではありませんよ」

 

 

問う渡辺先輩を横目に精霊と視覚同調を行い、敵の位置を把握する

 

「最初の爆発は実技棟ですね。数はおよそ50人ほどですが、全員武装したテロリストです。

既に生徒たちも応戦しています」

 

精霊を通じてリアルタイムに多角的な情報がもたらされる。

 

工作員らしき男たちは散弾銃やロケットランチャーまで持ち出している。

生徒たちは物陰に身を隠したり、複数で対峙することでテロリストの相手をしていた。

殆どの生徒がここにいるので、襲撃は少人数でも行けると踏んだのだろう。

 

「知覚系魔法か。それで、敵の目的は?」

 

「今の所不明です。一番人が多く集まっているのは……中庭です。

万が一、拉致の可能性も否めませんし、武装集団ですから情けは無用です」

 

「分かった」

 

渡辺先輩は各委員にすぐさま指示を送っていた。

 

「委員長、俺は爆発のあった実技棟に向かいます」

「達也君」

「お兄様、お供します」

 

深雪と達也も鎮圧に向かうようだ。

達也の魔法戦闘力は言うまでもないが、深雪もその魔法力と実践力応用力は同年代を凌駕する。

 

「そちらは任せた。私も現場に向かう。雅は引き続き、情報収集と連絡を頼む」

「分かりました。皆さんご武運を」

「大丈夫です。お兄様がいてくださりますから」

「それもそうね」

 

達也がいる限り、深雪は絶対の安全だ。彼が深雪に向けられる害悪を見逃すわけがない。

無論、それは私も変わりない。

 

鎮圧に向かった三人を見送りながらCADを起動し、精霊を新たに放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

爆発で混乱した会場は中条梓の魔法により鎮静化され、不安な表情の生徒が多いものの、目立った混乱はない。

 

入り口には風紀委員が警戒に当たり、部活連の幹部などが二階をカバーしている。

心理的に不安定な生徒たちのフォローは生徒会や教職員を中心に行われている。

 

「実習棟近くのカフェ、店員を人質に取ろうとしています。

正面から一人、裏口から一人、店内を窺っています」

 

「了解。山下君が一番近くにいますね。向かってください」

 

「正門前、追加人員が来ます。数は8人。パワーライフル、ロケットランチャー、手りゅう弾も所持しています。撤退補助要員、遠距離支援部隊と思われます」

 

「そちらは十文字会頭が向かわれました」

 

一点、その会場で緊迫した場所がある。

 

雅と市原鈴音のいるエリアだ。

雅は立ったまま、焦点の定まらない視線を彷徨わせている。

一見混乱しているのかに見えるが、その口調は冷静かつ安定している。

まるでここではないどこかを、集中して、一つの取りこぼしもなく見ているかのようだ。

雅から発せられる情報はまるで俯瞰でこの学校全体を見ているかのように的確な情報だった。

 

 

「了解です。中庭で負傷者5名。

一人は脳震盪かなにかで気を失っています。他、骨折と切り傷のある生徒もいます」

 

「安宿先生、生徒の受け入れをお願いします」

 

「部活動エリア。敵接近中」

 

「森崎君が向かっています」

 

「問題ありません。部活中だったようで生徒に、無力化されています」

 

 

鈴音は講堂にあった端末を利用し、情報を整理し、風紀委員を始め各所に連絡を回す。

 

 

「実技棟には…あまり人がいない?図書館に侵入者ありです。古典部の2人が応戦しています」

 

 

初めてとは思えない、息の合ったやり取りだった。

それを横目で見ていた、あずさはあまりに正確な情報と実戦のような緊迫した雰囲気に無意識に鳥肌が立っていた。

 

雅が精霊を使い情報収集をしていると、ポケットにしまっていた個人端末が震えた。

 

「はい」

『部室は無事だよ。それより、奴さんは特別閲覧室だね。どうやら学生がキーを奪取したらしい』

 

着信は交戦中の行橋からのようだ。

 

「目的は機密資料ですね」

『正解。今、司波君達が向かったみたいだ』

「分かりました。取りこぼしの無いようお願いします」

『勿論さ。きっちりお灸をすえておくよ』

 

 

通話を終わると、雅は視線を動かさずに先ほどの通話の内容を伝えた

 

 

「市原先輩、敵の狙いは本校の機密資料の様です。既に深雪たち3名が向かっています」

「敵残存兵力はどの程度ですか?」

 

鈴音も情報を整理しながら、舌を巻いていた。

テロリストの行動に加え、現場に当っている教職員や風紀委員の情報をリアルタイムで正確に把握している。

しかもこれだけの範囲に対し、連続して魔法を使用しているのに全く疲れた様子さえ見せない。

そして何より誰よりもこの中で、実戦を知っているかのように落ち着いていた。

争いの雰囲気にのまれることもなく、冷静に戦況を見つめていた。

 

七草のマルチスコープも遠距離知覚魔法として有名であり、かなりの高精度を誇るがこれほどまで離れた位置のものを同時かつ、多角的に把握できるかは分からない。

 

 

「戦況はこちらの有利です。すでに侵入者の半数が拘束されています。

数の利はこちらにありますので、交戦地域も間もなく鎮圧されるでしょう。

陽動班は撤退を始める様子も見られます」

 

「撤退する人員は風紀委員と保安部に、先生方は生徒の救護と安全の確保をお願いします」

 

 

今連絡に使用しているのは、今年度初めて導入されたばかりの無線連絡端末。

生徒会と教職員、風紀委員が一同に連絡を取れるようにシステム化された端末だ。

情報の混乱を避けるため、通常は学校長を中心に対策本部が組まれるが、今回は生徒会が主体となって事に当たっている。

 

保安室にも監視カメラは設置されている。

しかし、その警備員も鎮圧にあたっており、尚且つ教員も武装したテロリストであり生徒を守るために駆り出されている。

 

加えて、高性能のカメラ以上に的確に情報を取捨選択し、把握しているのは雅だ。

事実上、生徒会に指揮権を委任された形となっている。

 

 

「一部撤退を開始しました。裏口からも生徒1名、逃走中」

 

「裏口の方は沢木君と辰巳君が向かっています。撤退した人員には十文字君が向かっています」

 

「敵の8割が捕縛完了。残りの1割が撤退を開始、1割が未だ交戦中です。

交戦場所は…図書館、裏口、正門です。応援は必要なさそうです」

 

「分かりました。

先生方からテロリストを完全に拘束し、警察の到着を待つようにとの連絡です。」

 

戦闘が始まってすぐさま、警察にも連絡が回っている。

テロリストとあって、特殊部隊も来ているのも雅は“見て”いた。

 

「言うまでもありませんが、敵の武器ならびにCAD、アンティナイトを全て外したうえで行ってください。負傷した生徒の救助も始まっています。それと正門の方は既に十文字先輩が鎮圧を終えられました」

 

「流石ですね」

 

 

十文字克人は十師族の一角、十文字家の次期当主である。

鉄壁の二つ名は伊達ではなく、文字通り攻守で生徒を護り、敵を次々となぎ倒していった。

恐れをなし、逃走を図ろうとしていたテロリストたちは逃走用車両ごと転がされていた。

 

「裏門と図書館での戦闘も終結しました。

壬生先輩が負傷しているようですが…腕の骨折だけの様です」

 

「わかりました。彼女も含め、色々と事情を聴く必要があるようですね」

 

警察の特殊部隊が一高に到着し、テロリストを次々と拘束していくのを精霊を通して雅は確認していた。相当数の警察部隊が出てきており、生徒たちの協力もあってすぐさまお縄となっていた。

 

達也と深雪も無事な様で、胸をなで下ろし、雅は精霊とのリンクを切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

取りこぼしなく、侵入してきたテロリストは一人残らず警察に連行された。

ただ、関与していたであろう一校の生徒はひとまず処分は保留となっている。

魔法を学び、これからのこの国に貢献するであろう魔法師が反魔法団体に協力したとあっては良い醜聞だ。

 

講堂にいた生徒たちは簡単に事情を聴かれた後、下校を許可された。

ただ不安な生徒が多いようで、カウンセラーの先生がカウンセリングに当っているそうだ。

 

 

 

 

エリカとの戦いで負傷した壬生先輩の話を聞くことになった。

 

壬生先輩がなぜ犯罪組織に手を貸すことになったのか。

いくら部活の主将がリーダーの手下だとしても、アンティナイトを渡されたり、手引きをした時点で不審に思わなかったのか。

 

疑問は残るものの、壬生先輩が魔法だけが評価の全てではないと思い込むようになった原因は渡辺先輩にあったそうだ。

入学時、試合を申し込んだが二科生だからという理由で手酷く断られたと悔しそうに語っていた。

 

しかしそれも、壬生先輩の思い違いだった。渡辺先輩が断ったのは、壬生先輩の方が技量が上であり、自分では相手にならないという理由だった。

 

認知のズレが発生している。

壬生先輩に漂うものを良く見てみると、不自然なオーラの歪みがあった。

元々壬生先輩を取り巻くものを不自然に歪めている。

これは誰かに魔法を掛けられていた可能性がある

 

達也も記憶の相違からマインドコントロールの可能性を示唆した。

 

 

 

そして達也は決めた。

深雪の平穏を脅かしかねないテロリストは根絶やしにすると。

 

そして、カウンセラーの小野先生が保健室の扉の前で聞き耳を立てていた。

気配を消すのが達者のようだが、保健室の扉一枚程度なら彼には見通せて当然だ。

彼女はなぜか敵のアジトの位置を知っていた。

 

 

その理由は追々ということで、彼女の話によると敵は郊外の廃工場へと拠点を移したそうだ。

殲滅部隊に加わったのは、十文字会頭に私と達也、深雪にエリカと西城君。

 

そして、桐原先輩を加えた計7名だ。これには少し、意外だった。

同じ剣技を磨く者にとって、壬生先輩の行動は桐原先輩にとって許せなかったはずだ。

しかもそれが、テロリストによって洗脳された結果だと知って静かに怒りを燃やしていた。

 

敵の残存数はそれほど多くもなく、7人で事足りるだろう。

エリカも西城君も文字通り暴れる気満々だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十文字会頭が用意した車を使用し、郊外にある廃工場まで向かっていた。

 

車両内部は緊迫した雰囲気だった。予め放っておいた精霊を呼び出し、建物周辺と内部の状況を把握する。

 

 

「工場周囲にも内部にも爆弾などトラップはありません。敵兵力は武装した人間が50人です。

一番人が多いのは正面から入って1階の中央、裏口から内部へ通じる廊下にも20人員は割かれています。予備兵として10人、2階に待機しています」

 

「司波、お前が考えた作戦だ。お前が指示を出せ」

 

「了解です。レオは退路の確保を。エリカはレオのアシストと逃げ出した敵を仕留めてくれ」

 

 

捕まえなくていいのかと聞くエリカに安全確実に処分しろと達也は言った。

 

エリカは恐れてはいない。

彼女の実力はまだ実際には見ていないが、おそらく人を殺せるだけの技術と覚悟がある。

そうでなければ、自分からついてこようなどとは言わないだろう。

 

十文字先輩と桐原先輩は裏口から、残りの私たちは正面突破となった。

 

「向こうもようやく気が付いたようです。

ですが、新たに動く気配がありませんので、正面から迎え撃つつもりの様です」

 

「なら、作戦通りに行こう」

 

 

正面から車で鉄柵に突撃し、工場の敷地に入る。

エリカたちはそのまま車の周囲で待機、会頭と先輩は裏口へ、私たちは正面へと向かった。

電力供給もない、昔ながらの鉄製の扉を開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

既に敵は銃を持ち、こちらを出迎えた。

 

「やあ、待っていたよ」

「お前がブランシュのリーダーか」

 

少々演技掛ったように自己紹介したのは司甲の兄、司一(つかさ はじめ)だった。

 

彼は深雪と達也、私の事も知っており、達也のキャストジャミングに興味を持っていた。

壬生先輩を使って達也に接触してきたり、司甲に達也を襲わせたのも彼の指図らしい。

達也が一応、形式にのっとり投降勧告をするが、自分の優位を疑っていなかった。

 

「司波達也、我らが同胞になれ!」

 

 

光の信号が達也に浴びせられる。

一瞬グラついたように達也は見えたが、それも単なる演技だった。

 

司一が放った魔法は邪眼に見せかけた光波振動系魔法で、単なる催眠術の域を出ない姑息なものだ。これで壬生先輩もマインドコントロールを受けたのだろう。

 

魔法を見破られた司一は薄っぺらい化けの皮が外れ、工作員たちに攻撃を命じた。

しかし、銃は発射されることなく、部品の形態にバラバラにされた。

自身の知らない圧倒的な魔法に恐れをなした司一は真っ先に逃げ出した。

 

「お兄様、追ってください」

 

「ここは私達で十分よ」

 

「分かった」

 

達也は敵の工作員の真ん中を堂々と歩き、司一を追って行った

 

 

「このっ」

 

工作員の一人が達也に向かってコンバットナイフを取り出した瞬間、私は彼を打ち抜いた

 

「があっ・・・ぁ・・・あ・・・・」

 

高圧電流を浴びた敵は倒れ、無様な悲鳴を上げた。

 

「ほどほどにな。お前たちが手を汚す相手じゃない」

 

達也はこの程度の相手に私たちが遅れを取るとは思っていないので、余裕を持ち司一の後を追った

 

「このくそアマ」

 

残された敵が愚かにも隠し持ってきた拳銃を取り出そうとしていたので、もう一発、見せしめに電流を浴びせる。

 

全身が雷に打たれたように痙攣して男は倒れた。相手にはもはや恐怖しか映っていない。

 

 

「お姉様、ここは私にやらせてください」

 

「深雪。貴方が手を汚す相手ではないわ」

 

「お姉様とお兄様に刃を向けたことを後悔させなければなりません」

 

「そう」

 

 

私は一歩下がった。

 

 

深雪の怒気にあてられたかのように室内の気温が下がる。

 

振動系冷却魔法『ニブルフレイム』

液体窒素さえ作り出すと言う高等魔法だが、深雪にとっては何の造作もない魔法の一つだ。

敵は足元から凍りつき、恐怖のまま氷像となった。

 

魔法を終了させると、私は深雪を抱きしめた。深雪も冷静になったのか私にしがみ付いた

 

「お姉様、私…」

 

人を殺してしまった重圧に深雪は震えていた。

 

「大丈夫よ、深雪。貴方は誰も殺していないわ」

「えっ…」

 

彼らはまだ生きている

簡単に言えば、極端に体温の下がった仮死状態だ。

表面は凍りつき、凍傷は免れないだろうが、死んではいない

 

 

「動き出すこともないでしょうし、エリカたちと合流しましょう。

達也と会頭も合流してリーダーも捕えたわ」

 

振るえの止まった深雪の肩を抱いて、私たちは建物の外へと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

後日談

 

事後処理は十文字先輩が引き受けてくださった。

西城君とエリカは出番もなく、不満げな様子を漏らしていた。

 

壬生先輩をはじめとした協力していた一高生徒の多くが洗脳下にあったため事実上の御咎めなしとなった。

彼女と司先輩も洗脳の影響が判明するまで入院となったらしい。

 

その間、桐原先輩は熱心に見舞いに行っていたとエリカから聞いた。

あの一件以降、壬生先輩とエリカは仲良くなり、サーヤと呼ぶまでの仲となったらしい。

 

 

そして退院の日、私、深雪、達也で病院までお見舞いに行った。

既にエリカと桐原先輩は到着しており、和やかに談笑していた。

 

「退院おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 

深雪が壬生先輩に花束を渡した。

最後に会った時から随分と壬生先輩も晴れた顔つきをしており、安心した。

 

 

達也は壬生先輩の父に話があると呼ばれ、二人で席を外した。私は彼の顔に見覚えがあった。

 

壬生勇三

内閣府情報管理局(通称、内情)に属する人だ。

内情にはウチにも関わりが深い部署でもあるが、そこは兄たちの仕事の範囲だ。

 

聞き耳を立てるのはマナー違反でもあるし、しばらく雑談をしていると、達也が戻ってきた。

少々達也の纏っている霊子がざわめいていた気がしたが、何か彼を動揺させる言葉でもあったのだろうか。

 

「お父さんとなんの話だったの?」

 

「昔、俺がお世話になった人が御父上の知り合いだったそうです。世間は狭いですね」

 

「へー、やっぱりサーヤと達也君って深~い縁があったんだね。

ねえ、サーヤ、どうして達也君から桐原先輩に乗り換えちゃったたの?

サーヤって達也君の事、好きだったんでしょう?」

 

「なっ、エリちゃん」

 

「ルックスだけなら達也君の方が上だけど、どうして?

やっぱり顔に似合わず、桐原先輩のまめな所?」

 

壬生先輩は真っ赤にさせて、貰った花を抱きしめていた。

男は顔じゃないよと真面目な風に語るエリカに桐原先輩は青筋を浮かべて泣かすぞと言っていた。

 

「お姉様…」

 

深雪が心配そうに私の腕を抱きしめた。大丈夫よと言う代わりに深雪に笑いかけた。

 

「たぶん・・・私、司波君に恋をしていたんだと思う」

「えっ」

「なにっ」

 

エリカと桐原先輩もまさか本当だったとは露知らず、驚きの声をあげた。

 

「私が憧れていた揺らぐ事の無い強さを持っていたから。

けれど憧れるだけで、私がどれだけ走っても、司波君には追いつけない。

桐原君なら…喧嘩しながらでも同じ速さで歩いていけると思った。だからかな」

 

 

壬生先輩の言葉に桐原先輩は照れくさそうに頭をかいた。

 

「へー、ごちそうさま。ねえねえ、桐原先輩はサーヤのこと何時から好きだったの?」

 

甘酸っぱい告白にエリカも流石に満足したようで、次の狙いを桐原先輩に切り替えていた。

 

「五月蠅い女だな。お前には関係ないだろ」

 

「そうだぞ、エリカ何時からだなんて関係ない。

大切なのは桐原先輩が壬生先輩に本気で惚れていると言うことだ。

詳しくはプライベートなことも含むだろうから話せないが、ブランシュのリーダーを前にしたときの桐原先輩の勇姿には男として敵わないと思ったよ」

 

達也も悪乗りが嫌いではない。

昔、散々兄たちの言葉遊びや悪戯につき合わされたおかげか、茶化したり、冗談を言ったりすることもある。

エリカは目を輝かせ、桐原先輩は自分の言葉を思い出したのか顔を赤くしていた。

 

「へー。達也君、後でその話詳しく聞かせてね」

「司波、てめー絶対に喋るなよ」

「しゃべりませんよ」

「えー、いいじゃない。」

「千葉、この野郎」

「きゃ~」

 

病院のロビーで騒ぐ二人を余所目に達也は微笑み、私の背を軽く叩いた。

心配することはない、そう言いたいのだろう

 

 

 

 

 

 

 

そろそろ時間もあり、私たちは3人を残して病院を後にした。

 

「お兄様、お姉様」

 

顔を曇らせていた深雪も、今は笑顔で私たちの手を取った。

 

「深雪はお二人が音の速さで天に駆け昇ろうと、星々の高みの昇ろうと、ついていきます」

 

深雪の言葉に達也は苦笑いを浮かべた。

 

「どちらかといえば、置いて行かれるのは俺の方だと思うのだがな。

だが今は高みを目指すより、地を固める方が先だ」

 

今日は土曜日なので、本来は学校がある。

達也は実習があるようで、これをサボると日曜日に学校に出て補講となるそうだ。

A組だと今日は一般科目が残っているが、深雪と私ならそれほど困ることもないだろう。

 

 

深雪は少しだけ、俯いて自信がなさそうに聞いた。

 

「お兄様、学校はお辛くないですか。お兄様は本来、高校に通われるまでもない実力をお持ちです。それでも侮りを受けてまで、学校に通われているのはやはり私のために無理を「それは違うよ」

 

達也は深雪の言葉を遮って、真っ直ぐした瞳で言葉を続けた。

 

「俺は学校に嫌々通っているわけではないよ。

俺はこの日常が今しかない、掛け替えのないものだと知っている。

俺は雅と深雪と、普通の学生をできるのが楽しいんだ」

 

「私も二人と同じ学校にしてよかったわ」

 

兄二人も二高に通っていたし、本来なら私もそこに入学するはずだった。

 

直前で進路を変えたのは、深雪たちからの申し出と、家からの後押しがあったからだ。

家の名を知らない友と出会い、星めぐりと共にありなさいとそう言ってくれたのだ。

平穏な日常が何より心地いいと感じさせてくれた。

 

 

この二人は私にとって、掛け替えのない世界だった。

 

 

 

 

 




司波達也の軍用ネームがなぜ【大黒竜也】か。
達也→たつや→竜也→りゅうや、なんだろうなとはなのだろうとは思っていましたが、
司波→シヴァ神=大黒天→だいこく→大黒→おおぐろ となったことに調べてようやく気が付きました。

なので、雅の実家からは縁起を込めて【大黒天】と呼ばれています。


佐島さんも言葉遊びの好きな人なのでしょうか。



さて、間を挟んでいよいよ九校戦です。

次の更新がいつになるかな・・・・


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特別な人

今回は深雪と達也視点です

それぞれの思いについて少しでも伝えられたらと思います。


・・・深雪・・・

 

私には血の繋がった兄と血の繋がらない義姉がいる。

姉は兄の婚約者で、そう遠くない未来本当に私の義姉となる。

 

姉と兄の朝は早い。

姉は寝る時間こそ私と同じか、少し早いくらいだが、兄はいつも私より遅くに寝て早くに起きている。

 

今日も兄と姉は八雲先生の所へ修行に行っているだろう。

以前は一緒に手解きを受けていたが、今の私では足手まといにしかならない。

 

姉は凄い。

あの華奢で繊細で、美しい姿からはまるで想像できないほど身体能力が高い。

幼少期から神楽と武術を嗜み、先生にもお墨付きをもらっている。

それは家の都合もあってのことだが、それは彼女の覚悟があって初めて成り立つ。

 

それだけではない。

料理一つとっても、裁縫の一つをとっても、華道も茶道も姉と私では姉の方が優れていることが多い。それは掛けてきた時間の長さもあるだろうが、なにより料理に関しては兄も姉の味付けの方が好きな様子だ。

あまり口には出してはいないものの、兄は姉が料理した時の方がご飯の進みが良い気がするのは気のせいではないはずだ。姉曰く、母乳に始まり3歳までほぼ同じものを食べてきたのだから、個人の嗜好はあるだろうが味覚が似て当然との事らしい。

 

 

正直、ちょっとだけ悔しい思いもある。

 

 

魔法に関してはほぼ拮抗しているが、特に遠距離からの攻撃力は姉に軍配が上がる。

十師族直系と匹敵する実力をその身に宿しているのだ。

それはあの家に名を連ねる者なら、さりとて珍しい話でもない。

あの家はそうあるべくして、そう宿命づけられてきたのだ。

 

幼少期

私が今よりずっと幼くて何も知らない子どもだったころの話だ。

 

兄はお姉様の母、桐子さんに育てられた。

誕生日が10日ほどしか変わらない兄と姉は双子のように育てられたと聞いている。

 

私の母は魔法師として才能がないと告げられた兄に絶望し、兄を実の子と思えなくなったそうだ。

もし、兄が四葉で育てられていたのならば、きっと兄は私にここまで尽くしてくれることも、優しくもしてはくれなかっただろう。

母さえ見限った子を四葉が真っ当に育てられたとは思わない。

例え母の施術を受けたとしても、それはきっと心の底で暗い思いとなって残っていたはずだ。

 

 

兄は愛されている。

姉からも、九重の両親からも、その家族からも。

無条件に、利益も、思惑もなく、純粋な愛情をきちんとその心に刻み込まれている。

ただ、人として、子どもとして大切にされ、守られ、愛されていた。

 

それがどれだけ奇跡的で、どれだけ幸福なことで、だからこそ今、私たちと共に笑えるのだと兄は語っていた。

 

無論、私も兄の事を愛している。

この思いは兄妹愛以上にはなることはないが、それでもこの思いは愛なのだと思う。

 

それでも、姉には敵わない。

生まれながらに決められた相手だなんて決して姉は言わなかった。

曾祖母が達也を選んでくれたことが何よりの幸福だと常々口にしていた。

 

揺らぐ事の無い、絶対の信頼と愛情。

例え兄が姉に対して、信愛以上の想いを抱けなくても、姉は兄の全てを知って受け入れた。

兄と、私達と歩むために決めた覚悟を私は推し測ることができない。

 

姉と兄は比翼連理。

兄と姉が共に過ごしてきた時間はきっと私よりも長いかもしれない。

生まれたときから、互いに寄り添い、分かち合い、共に歩んできた。

 

私はもうほとんど覚えていないが、私の遊び相手にと言われ姉と過ごした記憶もある。

本当の姉だと信じて止まなかったころだ。

何でも出来て、何でも知っていて、美しく、可憐で、愛らしく、神様のようで、私の世界の一つだった。

 

桜の舞い散る中での神楽は筆舌しがたいほど美しく、まるでおとぎ話のようだと思った。

ただ、ただ桃源郷のような夢舞台に私は九重神楽の虜だった。

 

 

 

昔は理不尽に姉になぜ兄なんかの婚約者なのだと憤ったこともあった。

四葉の中にも兄と姉の婚約に疑問を持つ者いる。

黒羽の小父様は四葉との婚姻なら文弥君はどうか、だなんていつも姉に勧めていた。

 

四楓院家直系。九重神宮の姫宮。

どの家からも喉から手が出るほどそのネームバリューは高い。

 

四楓院を四葉に繋ぎとめるための種馬だなんて、信じがたい言葉を兄に浴びせた者もいる。

姉のことを四葉の借り腹だなんて揶揄した愚か者もいた。

無論、その者たちは即刻叔母様に処断されていた。

 

私を守ってくれるのが兄ならば、姉は兄と共にある剣であり、鞘だった。

私が兄をガーディアンとしての役目から解放しない限り、きっとこれからも、そうあり続けるのだろう。

 

私だけが兄を普通の人に戻してあげられる。

私だけが兄と姉にごく普通の幸せを与えることができる。

それにもかかわらず、私はそれができない。

 

きっと私は手放したくないのだ。

兄も姉も、二人とも。

 

何と強欲だろうか。

自分でもこの薄暗い感情に呆れてしまう。

それでも、きっと兄も姉も喜んで私といてくれる。

 

そう思えても心の底では怯える自分がる。

もし、兄が私のガーディアンではなくなれば、姉とどこかに消えてしまうのではないだろうか。

そう思えて仕方がないのだ。

 

 

 

 

・・・京都某所・・・

 

「我らは伊耶那美(イザナミ)の系譜」

 

「我が軍門に入る覚悟はあるか」

 

「我らは楔」

 

「我らは鉾」

 

「我らは盾」

 

「我らはこの地の守護者」

 

「主はその名を頂くに相応しきものか」

 

「主の力は何のためにあるか」

 

「主は誓うか」

 

「平穏な世のために」

 

「安寧の礎となることを」

 

「その身を捧げると誓えるか」

 

ろうそくの炎だけが立ち上る、薄暗い空間

白い装束に鬼の面。

異様な気配のその場には一人、背を伸ばし前を見据える少女がいた

 

 

「我が身、生まれし時から雷神の血を引く者。戦神の子

我が宿命、我が本望

我は望む

我が名に誓う

我は真にその名を継ぐに相応しき者なり」

 

「……………よかろう」

 

「主を軍門に加える」

 

「よろしいでしょうか、我らが主様」

 

「勿論じゃ」

 

「では、主様より名を賜る」

 

「主の名は―――――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・達也・・・

 

偉大なる連休(ゴールデンウィーク)と昔は呼ばれた5月の連休も、今ではごく普通の平日となっている。

仕事もフレキシブルな自宅勤務や自由な時間設定となり、公共交通機関だけではなく、会社や自宅も機械化も進み、人の手はほとんど家事や移動に掛らなくなった。

時間に追われることは今でも少なくはないが、西洋社会から驚かれた過労死という言葉は死語になりつつある。

 

季節は桜も散り、若葉の緑がまぶしい5月となった。

5月6日の今日は雅の誕生日だ。

 

帰宅後は深雪が腕によりを掛けますと言って、楽しげにキッチンに向かっていた。

お二人は2階で待っていて欲しいと言われたので、楽しみにしながら俺の部屋で待っている。

深雪も気を使って、二人っきりの時間を作ってくれたのだろう。

 

 

制服から普段着に着替える。

当初は思った以上に嫌気のさしていた二科生の制服も、今では慣れたものだ。

クローゼットに制服を掛けておけば、後は勝手に機械が皺を伸ばし、簡単なクリーニングを行う。

何処の家庭にも一般的な装置だ。

 

端末でニュースをチェックしていると、部屋の扉がノックされた。

雅だろうと思って扉を開けると、予想外の姿だった。

 

 

「似合わない、かな?」

 

扉を開けた先には、少し時期には早いサマードレス姿の雅がいた。

 

家の中だとなぜか露出の増える深雪とは違い、雅は基本的には何時来客があっても問題ない様な上品な服装が多い。

 

スカートも膝丈まで、ショートパンツ、ミニスカート、肩口の大きく開いた服なんて以ての外らしい。

 

深雪は雅にもっと挑戦するべきだと熱弁しており、このサマードレスを買った時も少々企んだ様子だった。

白を基調とし、スカートの部分と襟には細かな刺繍が施されている。

ウエスト部分で少しくびれ、ふんわりとスカートの裾が広がるタイプのワンピースだ。

少々値の張るものだが、深雪との共同購入ということで今朝プレゼントしたものだ。

 

深雪は誰よりも先に渡したかったようだ。

流石に今の時期に半袖は早すぎるのもあるが、萌黄色のカーディガンと薄手のタイツは深雪に対する細やかなる反抗心だろう。

膝上のスカートには慣れず、雅は少々気恥ずかしい様子だった。

 

「いや、綺麗で驚いた。深雪より先に見て、怒られてしまいそうだ」

「ありがとう。深雪は達也に真っ先に見せるために今朝贈ったのでしょう?」

 

深雪の考えならお見通しという訳だ。

何時までも戸口で立ち話ということで、部屋の中で一息ついている。

 

深雪が夕飯作りに精を出しているにもかかわらず、お茶を入れてきてくれたのだ。

その時の深雪は着替えた雅を見て、感嘆を浮かべていた。

言わずとも分かるが、抱き付いて言葉の限りの賛辞を尽くしていた。

深雪は嬉しくて仕方がなかった様子だ。

ひとしきり愛でた後、深雪はさらに嬉々として夕飯作りに戻っていった。

 

雅は少々気疲れしたようだが、満更でもなさそうだった。

 

 

「久しぶりの実家はどうだった?」

「相変わらず。でも、拝命の儀は流石に緊張したかな」

 

雅の家は特殊だ。

魔法師が表舞台に登場する以前から魔法を使い、それを受け継ぎ、秘密裏に発展させてきた。

古式魔法の大家で、元祖ともいわれる家の直系。

表は神職だが、裏はこの国の根幹と深くかかわっている。

 

「それで、名前はどうするんだ」

 

「学校ではそのまま九重を名乗る予定よ。

仕事名は【鳴神】になりました」

 

「なるほど。ぴったりだな」

 

「安直と言えば割と安直ね」

 

彼女の長兄は【焔】、伯父は【嵐】、他にも【織姫】【鐡】【玉造】と“家業”や“役職”にちなんだ名前を持つ者がいる

 

仕事名を貰うことは一族として実力と才能を認められ、責任のある立場となったことを示す。

 

「でもよかったのか?【舞姫】も貰える可能性があったのだろう」

 

 

彼女が拝命したのは守護職【鳴神】。この国の鉾となり、盾となり、刃となるための仕事だ。

 

その名を貰うために彼女は血反吐を吐くような訓練をしている。

才能ある者がなおその才能を伸ばすために、努力を重ねる。

 

それは全て家のためだけではない。俺たちと歩むためだと知っている。

 

「確かに憧れていた時期はあるけれど、私は姫より達也と共に守るための剣の方がずっといい」

 

 

雅は俺たちの事も知った上で覚悟をしている。

俺たちが歩もうとしているのは平坦な道ではない。それでも雅は供にあると言ってくれた。

 

「雅」

「はい」

「苦労を掛けるな」

「いいえ。二人と一緒にいることは私が望んでいることですから」

 

幸せそうに微笑む彼女から視線が逸らせなかった。彼女は後悔など一つもしていなかった。

 

「達也さん」

 

俺をまっすぐに見つめ微笑んだ。

 

「お慕い申し上げております」

 

俺は返事のかわりに彼女に唇を重ねた。目を閉じて受け入れる雅。

 

少し触れるだけのそれで、雅は顔をほのかに染めた。

静かに俺の胸に寄りかかってきたので、背に手を回して抱きしめる。

雅は嬉しそうに、幸せそうに、だけれども泣きそうに笑うのだ。

 

雅のことは好きだ。だが、決して男女の恋愛感情ではない。

信愛と友愛でしかない。

 

そう思うことができないのは、俺が一番知っている。

 

 

残酷なことをしている。

そう理解していても、この温もりを手放すことは考えたくなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




愛されなくては愛せない。

愛されていても愛せない。

愛しているけど愛されない。

形が見えないからこそ不安定で移ろいやすく、不安を紛らわすかのように人は名前を付けることで見えないものを縛るのでしょう。

人との関係性はまさにそうで、友人、知人、恋人、家族
人を繋ぐのは心と名前なのだと思います。




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九校戦編
九校戦編1


いよいよ、九校戦編です。

基本的には原作通りですが、オリジナル要素強めとなるかと思います。


学生であれば逃れられない、付きまとわれるのが成績の評価であり、生徒たちの学力の到達度を手っ取り早く評価するのがテストだ。

魔法科高校も例外ではなく、むしろそのカリキュラムの詰め込み具合は数ある高校の中でもトップクラスだ。古典や数学、化学などの一般教養に加え、各種魔法理論と魔法実技の授業が組まれ、土曜日も例外なく学校がある。

 

校内順位は魔法実技、魔法理論、総合成績の上位20名が公開され、生徒たちのモチベーションを上げている。一般教養の科目はそこまで重要視されていないが、魔法科目同様、赤点を取ると夏休みに補習という痛い現実が待っている。

 

一学期定期テストの結果は次の通りだった。

 

総合順位

一位 司波深雪

二位 九重雅 

三位 光井ほのか 

四位 北山雫 

五位 十三束鋼

 

 

とAクラスの女子がトップ5の中に4人となっており、これは教職員も頭を抱えているそうだ。

 

毎年、各クラスの実力が均等になるように入試結果を踏まえてクラス分けが行われているはずだったが、今年はなぜかAクラスに上位者が固まりすぎていたのだ。

これだけならまだよかったのかもしれない。

 

 

魔法理論の結果は先生方のみならず生徒たちの間でも話題となっていた。

 

一位 司波達也

二位 九重雅

三位 司波深雪

四位 吉田幹比古 

 

と達也が私と深雪に“平均点”で10点以上の差をつけている。

今回、私の理論の成績が良かったのは、古典部主催の試験対策講座のお蔭もあるだろう。

数か月だが、私もずいぶんと理論的な思考を叩きこまれた。

 

他にも今回の定期テストでは魔法理論で美月が17位、エリカが20位とこちらも二科生の名前が例年に比べて多いそうだ。

 

ちなみに実技は 一位 司波深雪、二位 九重雅、三位 北山雫 四位 光井ほのか となっている。

 

女子がここまで上位を独占するのは男子のメンツが丸つぶれだと、同じ古典部の男子から愚痴をこぼされたが仕方がない。そう言う年もあるだろう。

 

達也は理論だけずば抜けていたため、教師に実技で手を抜いているのではないかと疑われていた。

勿論そんなことはないと分かってもらえたようだが、その代わり理論を重視している四高への転校を勧められたらしい。

 

深雪が聞いたら憤慨すること間違いないだろう。

 

その他にも理論の所では、少し気になる名前があったので達也に聞いてみた。

 

「吉田君って古式魔法の名門吉田家の次男でしょう。かつて神童とまでうたわれていたけれど、事故があったそうよ」

 

「それで二科生なのか」

 

精霊魔法、彼らから言わせれば神祇魔法の名門であり、歴史もそれなりにあったはずだ。

優秀な次男の噂は聞いていたが、彼がそうなのだと知ったのは入学してしばらくたってからだった。

 

「達也も気が付いていた?」

 

「ああ。思った以上に体は動くし、視野も広い。昔ながらの荒行をしているのならば理解できる」

 

「理論の成績も4位ですからね」

 

おそらく、その事故さえなければ一科生だっただろう。

 

未熟な魔法師はちょっとした事故で魔法が使えなくなる。魔法は精神状態に大きく左右される。

そのため、事故に対する不安、魔法に対する不信感。魔法師にとって魔法を行使するためのイメージが現実の事象改変となるため、それを信じられなくなると魔法が使えなくなる学生がどうしても出てくる。そのための二科生制度でもあると考えている人もいる

 

魔法を使える人材はとても貴重であり、各年齢人口千人当たり一人というのが魔方師の実際だ。

一般人の中にも、サイオン量は多くある者もいるが、実際に事象を改変する事の出来るレベルで魔法が使える人間は限られている。しかも、成人後も実用レベルで魔法師として活躍できるのはその10分の1、つまり一万に一人しかいない計算になる。

 

一高も入学時200人いた生徒も1割~2割が何らかの原因で退学や休学しているので、実質の全校生徒は600人に満たない。

 

未だ100年ほどしか研究が進んでいない魔法は不安定で、解明されていない不可解なことが多い。それでも魔法という不確かな才能に縋り、自分の才能に賭ける生徒は少なくない。

それだけ、魔法という分野は魅力的で、社会的な地位も保障されていると言える。確かに危険性があっても魔法という稀有な才能を誰も簡単にあきらめたり、手放したりできないものである。

 

 

さて、苦しいことの後には楽しいことが待っている。

魔法科高校一大イベント、夏の九校戦の開催が近づいていた。

 

私と深雪も選手に選ばれ、深雪は生徒会役員として準備に追われている。

ユニフォームや備品の準備だけではなく、応援に来る生徒のホテルの確保まで生徒会の仕事らしい。

選手は既に1年生から3年生まで決まっているが、技術スタッフの不足が深刻らしい。

 

九校戦のメンバーは主に三種類。

 

まず、競技選手。

昨年度まで男女枠がない競技も多く、負担の度合いによって競技を分けていたが、フェアリーダンスとモノリスを除き、今年度は各種目男女別で行われる。

 

競技は10日間にわたり、1年生が出場する新人戦と学年制限枠のない本戦がある。

しかし実際に本戦に1年生が出場することはほとんどなく、こちらは2、3年生が主力だ。

 

そして選手を支える作戦スタッフと技術エンジニア。

九校戦は魔法“競技”であるため、ルールと制限がいくらか設けられている。その一つがCADのスペックであり、既定のハードのなかで各校はソフトとハードの調整を行うことが求められる。魔工技師志望の生徒を中心に、腕の見せ所でもある。

 

作戦スタッフは文字通り、競技に関する作戦を立案するスタッフである。

各校、誰がどの競技に出場するのか情報を集めたり、競技用の作戦を練ったり、確実に点数を稼げるよう調整するのも一つの役割だ。

 

あとはボランティアで雑務等をするためにいくらかの生徒が手伝いに来てくれるらしい。

 

九校戦の競技選手は1年男女が20人、本戦メンバーが男女20人、作戦スタッフ4人、技術スタッフ8人が最大枠になっている。

学校の威信もかかっているためか、正式なメンバーは夏休みの課題が免除となり、九校戦に打ち込めるよう学校を上げて選手団をサポートしてくれている。各部活も選手の活躍が評価に加えられ、予算が配分されることから、各部出場が決まった選手の強化にも必死だ。

 

 

 

 

 

いつものように生徒会でお弁当を食べていると、自然と話は九校戦の事になる。

 

今一番難航しているのは技術スタッフの確保であり、学生でCADの調整ができる人材は貴重らしく、今年度は特に3年生は魔法師志望に偏っているそうだ。2年生は中条先輩や百家の本流、五十里先輩など優秀な人材がいるが、まだ必要な人数が確保できていない。

 

競技日程は10日間に渡るとはいえ、競技は5種目、そのうち各校から3人まで出場できる。一人の選手が参加できる競技は二種類まで。

 

選手一人一人、サイオンの特徴も異なれば、得意な魔法も異なるため、調整内容が変わってくる。会長や十文字会頭は自分で調整できるそうだが、そうでない方が多数だ。

 

 

「摩利がせめて自分のCADくらい調整できるようになればいいのに」

「いや、深刻な問題だな」

 

渡辺先輩は七草先輩や十文字先輩と並び称される【三巨頭】の一人であり、高い魔法力があるがCADの調整はまた別の話らしい。

力なく机に突っ伏す七草先輩はどうやら相当行き詰っているらしい。

 

話の流れを察知してか、達也が私たちに目くばせをした。

 

 

「では俺はこれで」

 

厄が回ってくる前に、お弁当を持って立ち去ろうとした。だが、彼は厄星に愛されているようだ。

 

「だったら司波君に技術スタッフをやって貰えばいいんじゃないですか?

深雪さんと雅さんのCADは司波君が調整しているんですよね?」

 

「え?」

 

「盲点だったわ!」

 

達也を風紀委員に任命した時同様、いやそれ以上に嬉々とした様子で七草先輩は達也を技術スタッフに推薦することにした。

風紀委員会のCADも達也が調整しているし、中条先輩も深雪のCADの出来栄えには感嘆していた。

だが達也は二科生であること、CADの調整はユーザーとの信頼関係が重要なことをあげ、断ろうとしていた。

 

「私は九校戦でもお兄様にCADを調整していただきたいです。お姉様もそちらの方が安心でしょうし、いけませんか」

 

「そうよね。深雪さん達も信頼できるエンジニアがいてくれたら嬉しいわよね」

 

「ええ。お兄様がエンジニアならば光井さんや北山さんも安心して全力を出すことができます」

 

 

深雪にそこまで期待されてしまえば、達也の性格上断ることはできない。

むしろ反対意見をねじ伏せる様プレゼンをしなければならないだろう。

 

「ダメかな?」

 

私もお願いすると達也は眉を下げたが、ここまで来てしまえば王手だった。

 

 

 

 

達也はもはや諦めモードに入っていた。

その後、気を紛らわすためか、普段は生徒会室ではしないCADの調整を行っていた。

 

それに気が付いた中条先輩は調整途中の達也からシルバー・ホーンを借り、うっとりとした様子で眺めていた。前々から思っていたが、中条先輩はデバイスオタクらしい。

普段の大人しい様子とは打って変わって、新鮮だった。

 

「そういえば、あーちゃん、課題があるとか言ってなかった?」

「ふああああ」

 

昼休みも三分の二を過ぎたところで、中条先輩はやらなければならない課題を思い出したそうだ。

可愛い後輩のため、七草先輩が手伝うことを申し出た。

 

課題は現代魔法の三大難問がなぜ解決できないかであり、二つは理解できたそうだ。

 

「常駐型重力制御魔法がどうして実現できないのか上手く説明できなくて…」

 

常駐型重力制御魔法。つまり、重力を操作し、飛行する魔法だ。

重力を軽減して跳躍や落下を防止する魔法や、空中を一定距離移動する魔法は存在する。しかしながら長年飛行魔法は実現に向けての実験が行われているにもかかわらず、未だに三大難問に数えられている。

 

魔法は連続で発動し続けると前の魔法式に対して上書きを行うため、前の魔法以上の干渉力が必要になる。過去には飛行魔法も確認されているが、基本的にBS魔法、つまり超能力的な俗人的技術として見なされている。

 

「理論と個人技の中間にはなりますが、一応古式魔法で飛行の定義はできていますよ」

「本当ですか?!」

「ええ。汎用性に乏しいですが、理論として実証されています。」

「これですね」

 

古式魔法の話が出たので、私が言葉を挟むと市原先輩が生徒会室にある端末で論文を出してくれた。

 

「精霊喚起による限定的飛行術式です。

魔法陣を描き、回路の役割を果たす術者を陣に配置し、精霊を喚起して飛行を行います。いわゆる重複魔法の応用だと考えてください」

 

「ちょっと待って、こんな術式で本当に飛べるの?」

 

 

中条先輩と七草先輩が半信半疑で論文の内容を見ていた。

確かに古式魔法に精通していないと、この理論は分かりにくいだろう。

 

「ただ飛ぶ方も、陣に作用する魔法師も想子量が相当量必要ですので、飛行可能時間はおよそ5分が限度です。限定的と言う言葉があるように、自由自在に宙を舞う範囲は限られています。

重力制御ではなく、指定領域内の気流を操って前後左右上下に移動しているんです。

あまり実用的とは言えませんが見かけ上は重力に逆らって自由に飛行していますね」

 

「つまり、5人がかりで一人を飛行させると言うことですか?」

 

「ええ。魔法の相克が起こらない様に、あくまで術式自体は精霊の喚起です。一定空間内の風にまつわる精霊の密度を上昇させることで、気流を操りやすくするのが特徴ですね。実用的というより、目的としては歴史上の再現実験になります」

 

「なるほど」

 

「でも今回は常駐型の重力制御ですので、参考にはならないと思います。蛇足でしたら申し訳ありません」

 

「いえ、とても勉強になりました」

 

 

実はこれ以外にも空を飛ぶ方法はある。

 

四楓院家お抱えの【織姫】。彼女の作る最高傑作の一つが「天の羽衣」と呼ばれる織物だ。

一見はただの精巧な織物にしか見えないが、手にするとそれは羽よりも軽く、さらに複数の魔法が編み上げられた魔法道具だ。

風の精霊に対して感受性の高い織物であり、そこには気流の操作と重力の軽減魔法が組み合わされており、纏った者に空を飛ぶという能力を与える。

 

稀に文献では聖遺物として取り上げられている代物だ。現代技術をもってしても作成不可能と言われる聖遺物。

しかし、天の羽衣は作れる人材と使用できる者が限られているため、その作成方法は四楓院家によって秘匿にされている。

 

さて、話は戻るがなぜ飛行魔法が実現不可能なのか。

魔法式は魔法式に作用できないという大前提がある。

魔法が終わる前に新たな魔法を発動するとそれだけ干渉力が必要になり、それは領域干渉も例外ではない。イギリスの実験はその点についての認識が間違っており、失敗したのだと達也は説明した。

 

流石、今研究しているだけあって詳しい。

達也の説明に呆気にとられる先輩に無情にもお昼の終了を告げる鐘が鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして放課後の準備会議。

内定者が一堂に集まる中で、達也に向けられる視線は敵対的なものも少なくなかった。

中には風紀委員としての実力を知っているために、そこまで不思議ではないと思っている先輩方もいるが、特に男子からの視線が厳しい。言わずもがな、森崎君をはじめとするグループだ。

彼らも実力はあるが、少々子供っぽいところもあり、プライドだけが高い。

彼らを横目に、私は先輩の中に見知った顔がいることに驚いた。

 

「鎧塚先輩も参加されるのですね」

「おう。作戦スタッフで市原先輩の手足だな」

「少し意外でした」

「どういう意味だ?」

 

言い方が悪かったのか、鎧塚先輩は眉を顰めた。

 

「てっきり、選手として出場されると思っていたので」

「ああ、一応補欠要員だぜ?まあ、知略・戦術は得意分野だからな」

「彼の戦術には目を見張るものがあります。少々突拍子もないことも多いですが、概ね期待していいと思いますよ」

 

市原先輩が補足をしてくれた。確か鎧塚先輩は剣術部でもどちらかといえば戦術家だと聞いている。

 

 

 

 

会議が始まると案の定、達也の技術スタッフ入りを支持しない生徒も多かった。

雫やほのかは応援する側だが、様子見半分の生徒、反対意見半分強の様相となっている。

グダグダと感情的な意見が多くまとまらない中、十文字先輩からの提案で達也の力量を見ることになった。

 

実際の調整を受ける役に十文字会頭や七草先輩が立候補する中、その役を買って出たのはあの桐原先輩だった。新歓の一件を表面的に知っている生徒はかなり意外そうだったが、彼の男気ある行動に達也も心なしか嬉しそうだった。

 

 

 

指示された内容は桐原先輩が普段使用しているCADの起動式を競技用CADにコピーし、即時使用可能とすること。ただし起動式には変更を加えない事という条件だ。

スペックで劣る競技用にハイスペック機種の起動式をそのまま移行するのはあまり好ましいことではないが、安全第一にと言って達也は調整を始めた。

 

起動式のコピーと測定は時間がかかることなく終わり、達也は調整に掛っていた。

普通はここにグラフ化された本人のデータや二つのCADのデータが表示されて、微調整していくだけだ。だが、達也は測定後、じっと画面を真剣に見つめていた。

深雪と私はいつもの見慣れたことなので安心してみていたが、興味を持った中条先輩は画面を覗き込んだ。

 

「へっ?」

 

華の乙女には少しばかり似つかわしくない、間の抜けた声が聞えた。

画面には数字の羅列、つまりグラフ化されていない生データが並んでいる。

そのデータを元に、達也がキーを高速で(といっても達也にとっては普通のスピード)で叩き、サイオン測定波のデータをコピー元に適合するように調整していく。

目まぐるしく画面が移り変わって数字が流れていくが、目で追えている生徒は私と達也だけだ。

多くはそのキーボードタッピングに目を奪われているようだが、技術スタッフの優秀な人は達也がどれだけ高度なオペレーションをしているのか理解していた。

 

 

時間にしておよそ5分もかかっていないが、調整は終わった。起動式自体には手を入れていないため、時間自体はそれほど必要なかった。

桐原先輩は少々緊張した様子で、CADを腕に付け、魔法式を展開させた。

 

「桐原、どうだ?」

「問題ありませんね。自分のものと比べても全く違和感がありません」

 

 

それは過小評価も過大評価もしていない、純粋な感想だった。

しかし、魔法を問題なく発動出来ただけであり、平凡だと指摘する上級生も多かった。まだ難癖を付けるつもりだろうか。

 

意外にもすぐさま反論したのは中条先輩だった。

 

「私は司波君のスタッフ入りを支持します。彼が見せてくれた技術はとても高度なものです。あれだけ安全マージンを大きく取りながら、すべてマニュアルで調整するだなんてとても私にはまねできません」

 

「でもそれだけ安全マージンを大きく取るより、効率を重視した方がいいんじゃないの?」

 

「それは…その、急だったからで・・・」

 

中条先輩は勢いこそ良かったものの、あまり弁の立つ方ではないようで、尻すぼみになっていた。

 

「補足説明させていただいてもよろしいでしょうか」

 

僭越だが、助け船を出すために手を挙げて発言を求めた。

 

「構わん」

「ありがとうございます」

 

 

十文字先輩の許可を貰い、私は反論していた先輩の方を向いた。

 

「携帯端末で学校の教育用端末のデータをそのままコピーしただけで、処理できると思いますか」

 

「そりゃ、当然OSも違えば容量も処理速度も違うだろう」

 

「彼が行ったことは、それを可能にしたといえば分かりやすいでしょうか。つまり、携帯端末レベルのものに膨大なデータベースを植え込んだようなものです。しかも安全かつ運用できるレベルで置き換えたといっても遜色ないと思います」

 

「まさか…」

 

 

少々分かりにくい例えだったかもしれないが、どうやら凄さは多少なりとも伝わったようで、反論していた先輩も驚きの表情を浮かべていた。

 

「桐原の個人のCADは競技用のものより性能が高い。その性能の差を感じさせない技術は高く評価されるべきだと思いますが?」

 

私の言葉にさらに援護を重ねたのはこれまた意外にも服部先輩だった。

 

 

「会頭、私は司波のメンバー入りを支援します。技術スタッフの選考に難航している現段階で、肩書にとらわれるのではなく、能力にベストなメンバーを選ぶべきです」

 

九校戦はチームであり、学校の威信がかかっている。

下らない感情論よりも、優秀なスタッフの確保の方が先決だろう。

 

 

「決まりだな」

 

服部先輩の後押しもあってか、達也のエンジニア入りが正式に決まった。達也も思いがけない後押しに、少しだけ笑ったように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、内定メンバーで競技決めが行われた。

 

達也は棒倒し、ミラージ、スピード・シューティングの女子の3競技を担当することになった1年女子からの強い推薦(主に深雪)もあって、作戦スタッフや練習も手伝ってくれるそうだ。

 

残念ながら私の出場はそれ以外。バトルボードとクラウド・ボールになった。

 

理由としては二つある。

一つ目に私は自分のCADくらいならば自分で調節できる。

達也ほど高速かつ、精密にはできないが、達也からすれば十分だと褒められた。古式魔法の現代魔法への転換や起動式の無駄な部分を指摘してもらったり、分からないことは助言してもらっている。

 

私だって万能ではない。

特に、今回は魔法の“競技”であり、戦闘ではない。

ただ相手を倒せばいいのではなく、定められたルールが多数存在する。限られた中でどう魔法を組み合わせていくかが、どのように力を配分するかも勝敗を左右する鍵になってくる。

一応念のため、バトルボードは中条先輩、クラウドボールは和泉先輩のお世話になることになった。

 

 

二つ目に、私と深雪の戦力分散だ。

ほぼ実力が拮抗していると言われる私達。

同じ競技にして、1位2位で表彰台を取るより別競技で1位をそれぞれ取った方が点数効率はいい。新人戦の得点も半分とは言え、総合優勝には関わってくる。

 

深雪は非常に残念そうだった。私と同じ競技かつ、達也に担当してもらいたかったようだ。本音では私も達也に調整をお願いしたかったが、競技が被っている以上、可愛い妹に譲ってやるのが姉の性分だろう。

 

「深雪はどんな衣装にするのかしら?」

 

深雪が出場する女子のアイス・ピラーズ・ブレイクは毎年ファッションショーと名高い。

衣服の規定は『公共良俗に反しない事』のみであり、見た目の美しさが点数に換算されることはないが、メディアも観客としても美味しいところなのだろう。

深雪がリビングで電子ペーパーの雑誌を見ていたので、おそらく衣装決めをしていたのだろう。

 

「その・・・・・・お姉様は御実家で、巫女用の緋袴を着ていらしたでしょう?私も是非着てみたいと思ったのですがどうでしょうか」

 

深雪は少しためらいがちに私に聞いた。

 

「あら、良いと思うわ」

 

「本当ですか」

 

私が同意を示すと、深雪は嬉しそうに微笑んだ。

 

「ええ。深雪は何を着ても似合うけれど、清廉な様子が際立つと思うわ」

 

「ありがとうございます。それで、申し訳ないのですがお姉さまが着ていたものを貸していただけますか」

 

実家では巫女の手伝いをすることもあり、個人用に緋袴を持っている。流石にこちらに来て使うことはないため、実家に置いてある。

 

「私の?深雪に合わせて誂えなくてもいいの」

「お姉様のものがいいのです」

 

お古でいいのかと聞こうと思ったが、新しく買っても深雪が着る回数もそう多くないだろうし、あの袴はお婆様のお手製であるから箪笥の肥やしにしておくには勿体ない。

 

「分かったわ。家に連絡してみるわね。必勝祈願も掛けてもらわなくちゃ」

「それは心強いです」

 

私の方が若干背は高いが、数センチの差だから困ることはないだろう。

細部は送られてきた後に調整すれば問題ない。

私の実家は深雪も可愛い義妹としているので、このお願いははむしろ歓迎されるだろう。

正式な魔法儀式でもないし、多少髪飾りや装飾も付けても良いだろうと可愛い妹を見て思った。

 

 




原作のイラストで、どことなく挿絵のお兄様と某王子様、一条君とス〇クが似ているな、と思っていたのですが、イラストを描いている石田さんはアニメーターだそうで、コードギアスにも関わっていたそうです。

今更ながらですが、納得しました


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九校戦編2

深雪は自他ともに認める優等生である。今日も日付が変わるころまで勉学に励んでいたが、あまり眠気は起きていなかった。

 

安眠導入器を使うのは深雪も達也も好むところではないし、気分転換にでも紅茶を入れようと席を立った。無論、兄と姉のためである。

 

兄は研究に勤しんでいるが、姉は地下の実験室で神楽の練習をしているのだろう。

姉は足音や物音を極限まで立てないので、部屋に戻ってきているかは分からないが、幸いにも明日は土曜日。深雪たちのクラスの予定ではあまり比重が重い科目はないため、問題はないだろう

 

兄には暖かいものを、姉には冷たいものを用意しよう。そう思って姿見の前を通り過ぎたときに、少しだけ深雪の中で考えが浮かび、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出雲流神楽、伊勢流神楽、巫女神楽、男装舞、等々日本には古来より多くの神楽が存在する。

現代にも通ずるそれは豊穣祈願や厄除けの意味合いの他にも、庶民の娯楽としても楽しまれてきた。

 

しかし、九重神楽はつい100年前まで庶民に知られることのない神楽だった。

一般向けの神楽も行われていた一方、国のごく一部の者しか知らない秘匿された神楽舞があった。実際今でも知りえる者は同業の神職、華族の出身者や魔法師の中でも古式魔法を使うものが多い。

 

中枢に関わる政治家や官僚の一部も知ってはいるが、名前のみでその実際を知る者はよほど九重神宮に縁のある者だけだ。一般の観覧はさらに難しく、裏では50万を超える値でチケットが取引されていたこともあるそうだ。

 

九重神楽を知っている者は皆口をそろえてこう言う。

幻想郷は存在した、と。

 

 

 

ではなぜ、九重神楽はそう言わしめるにも関わらず秘匿化され続けていたのか。

 

それは魔法という概念が一般に知られる以前から体系化された魔法を使った神楽のためである。

現代では廃れてしまった歩法による魔法の発動、器楽と詠唱、歌による精霊喚起、術者のもつ衣服も小道具もほぼ全て魔法道具からなる。

 

魔法儀式として最古にして最上の神楽と言わしめる九重神楽。

CADを一切使用せず、世間一般では燃費の悪いと言われる刻印によって術式は主に発動するため、演者たちの力量は推して測るべきものである。

 

故に、日々の精進は欠かせず、雅も例外ではなかった。

 

 

 

 

地下二階分の広さを持つ実験場の中央では雅が静かに舞っていた。

もしこの場に誰かがいて、目を閉じていたならば、足音も、衣の靡く音も聞こえず、呼吸音だけがわずか聞こえる程度だろう。

 

重いはずの袴姿の練習着が、まるで重さを感じさせないように翻る。

軽やかで優美な動き、荒々しい動き、繊細な表情の変化。

無意識レベルに動けるようになるため、型を体に覚え込ませ、何十、何百と繰り返し動きを確認する

 

歩法による魔法は消耗が一際激しい。歩いた形跡によって陣を描き、足からサイオンを流し込み地中の精霊を活性化し、術を発動させる。

 

サイオンは手で操作するものだと一般的に思われている。

移動魔法や加重系魔法など足元に作用する魔法も魔法の発動範囲を足元に指定しているため、足元で魔法が発生する。

 

しかし魔法師はサイオンの良導体であり、足からでも使おうと思えば使える。感覚的に遠い足を使うより、手の方が正確にできるため廃れていった技術でもある。

 

雅は術を発動せずに舞っているが、小手先の魔法で舞そのものを誤魔化すことは不敬である。神様のように幻想的でも、その裏には血と汗のにじむ鍛錬を隠し、優雅に舞い踊るのだ。

 

 

 

雅は最後の一節を舞い終えると、刀を鞘に戻した。

 

全身から汗が流れ、高い位置で結上げた黒い髪も汗に濡れている。

雅は目を閉じて息を整えていると、不意に実験室の扉開いた。

 

「流石です、お姉様」

 

深雪が少し冷やされたタオルを差し出した。

 

「見ていたの?」

 

雅はそれを受け取るが、少し困ったような顔をしており、それに対して深雪はいつにも増して上機嫌だった。

 

「あまり練習は見せるものではないのよ」

「すみません。余りに美しいものでしたから、お兄様と一緒に見惚れていました」

 

この実験場には記録用のカメラがある。それを通じて深雪たちは雅が何をしているのか実験室で見ていたのだろう。

 

「それより、こんな時間にどうしたの?」

 

雅は深雪がミラージ・バッドのコスチュームでわざわざ深夜にこの場に来たことに疑問を感じているようだった。

 

「お兄様はまた一つ、偉業を達成されたのです」

「偉業?ああ、飛行魔法が完成して、今から実験なのね」

「ああ」

「はい」

 

長い間研究してきただけあって、達也もこれからの試運転に期待できる様子だった。

深雪は早く試したくてうずうずしていた。部屋の中央から少し離れて達也と二人壁際に寄った。

 

深雪がそのCADのスイッチを入れると、重力に逆らって宙に浮いた。

 

達也が出した答えは移動魔法の連続使用による重力制御の実現だ。

極限まで起動式を精錬し、少ない魔法力で飛行を維持する。

深雪にとっては普段の余剰サイオンに多少色を付けた程度のことだろう。

魔法式の終了時間を正しく記録することで魔法式の重複を回避することがこの魔法の肝らしい。

 

ミラージ・バッドは別名フェアリーダンスと呼ばれる。

可憐な少女を妖精と例えることはよくあることだが、可憐な衣装で舞う深雪の姿はまさしく妖精そのものだった。

 

達也も実験の観察そっちのけで宙を舞う深雪を嬉しそうに見ていた。

また一つ、彼の夢が実現した瞬間だった。

 

 

深雪は一通り満足したのか、ゆっくりと降下してきた。

 

「楽しかったようね」

「はい。実験であることを忘れてしまいました。お姉様もいかがですか?」

「私も?」

 

深雪は使っていた飛行デバイスを差し出した。

 

「ああ。あの無駄すぎる術式よりずっと疲れないはずだ。

踊った後で疲れているだろうし、無理はしなくていい」

「無駄すぎるって、一応古典上の再現実験だからね。あまり、効率は求めていないわよ」

「分かっているさ。あれはそもそも飛行ではないだろう」

 

 

達也が言っているのは昼間の精霊魔法による飛行実験の話だ。

あれは飛行とも言えなくはないが、領域内の気流操作がコンセプトになっている。

 

「そうね。きっと此方の方が楽しいわ。ああ、でも今日は無理よ」

「無理をさせてまで実験につき合わせるつもりはないさ」

「疲れているとかその理由ではないわ」

 

雅は苦笑いを浮かべた。今ここでこの飛行魔法を試すことはできる。

先ほどの稽古はあくまで型の確認であり、魔法は使用していない。

体力的にも休憩を入れており、少し飛ぶくらいなら問題はない。

 

「どういうことでしょうか?」

「裾の絞っていない袴で重力に逆らって飛ぶとどうなるかしら?」

 

 

深雪の質問に雅は軽く、袴を摘まんだ。

スカートタイプの行燈袴ではなく、ズボンタイプの馬乗袴ではあるが重力に逆らえ言わずもがな。流石に男性のいる前でそんなはしたないことをするわけにはいかない。

 

「………すまない」

 

達也は申し訳なさそうに視線を逸らした。

彼にとっては予想外の答えであり、自分の配慮が足らなかったことに気まずさを感じていた。

 

「達也も浮かれていたのね」

「そうですね」

 

深雪と雅にくすりと笑われ、達也は自分が舞い上がっていたことにようやく気が付いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

日曜日

 

あいにくの天気ではあったが、私たちはFLTまで出かけていった。

この前完成した飛行魔法を持ちこむためだ。

 

天下のトーラスシルバーが裏口から入らなければならないとは皮肉なものだと思いながらも、裏口は三課に近く、窓際部署と言われていた弊害だろう。

 

達也が三課に入ると、技術者一同、研究者一同、皆喜んで出迎えた。

FLTの開発第三課はいわば、変わり者が集められた部署だった。

そこに達也を配置したのは彼の親の思惑もあるが、結果的に彼に自由となる手段の一つを与えたことは誤算だったようだ。

 

謎の天才エンジニア、トーラス・シルバーは達也と牛山さんの二人の名だ。達也がソフトの担当、牛山さんがハードを担当し、世に名高いシルバーモデルを発表しているのだ。私の特化型も二人の協力あってこそできたCADでもある。

 

作製に当たり、牛山さんに畑の違う古式魔法の技術的問題を何度も吹っかけ、どれだけ連日彼らの頭を悩ませたのかは明言しないでおく。

 

 

牛山さんはすぐさまテスターたちを集め、飛行魔法の実験の手筈を整えた。一般的な魔法師でも飛行魔法は無事成功し、テスターたちはサイオンが切れるまで実験そっちのけで遊んでいた。

 

達也と深雪も昨日の夜、あの無重力の楽しさのあまり追いかけっこをしたのは良い思い出だ。

達也が牛山さんと細かい打ち合わせをしている間、私たちはティーラウンジで待っていた。

 

「そう言えば、小父様はいらしているのかしら?」

「お父様ですか?今日は休日ですし、いらっしゃらないと思います」

 

深雪は淡々とそう言った。

これは口に出すべき話題ではなかったのかもしれない。

 

彼らにとって父親とは戸籍上に必要な親であり、隠れ蓑でしかない。

幼少期から父親らしい役割をしてこなかった彼が深雪に冷たい態度を取られても当然だと言える。

 

人は子どもを持てば親にはなれる。

だが、真に親として行動できるかは別だ。

親だって学ばなければならないし、親としての役割、義務、責任、愛情、子どもを育むための努力を必要とする。

 

それをしてこなかった以上、父親とは名ばかりなのだろう。

嫌な話はここまでと深雪は兄の偉業に対し、お祝いをしたいと口にした。

私も彼らの父についてこれ以上話すこともないし、何がいいかしらと頭を切り替えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

達也の用事も終わり、帰り道の廊下。

裏口の使用者はごく僅かであり、ここまでもすれ違った人はいない。

 

 

しかしながら、今日は運が悪い。

廊下の最終ブロックで見知った二人に出会ってしまった。

 

「これは、ご無沙汰しております。深雪お嬢様、雅お嬢様」

 

 

一人は燕尾服を着た執事風の老人、もう一人はスーツを着込んだ壮年の男性。四葉家の執事の青木と深雪と達也の父親、司波龍郎だ。

 

恭しく頭を下げる青木に深雪は嫌悪感を顔には出さなかったが、僅かに眉を顰めた。

 

「お久しぶりです、青木さん。こちらこそ、ご無沙汰しておりますが………ここにいるのは私とお姉様だけではないのですが?

お父様も先日は入学祝いの連絡をしてくださり、ありがとうございました。しかし、偶には実の息子にもお言葉を掛けて頂いてもばちはあたらないと存じますが?」

 

深雪の可憐な声は鋭い棘を纏っていたが、相手も厚顔。

この程度の事では慌てる素振りも何も見せず、あくまで紳士的に対応してみせた。

 

「深雪様は四葉家当主を一族から心から望まれた身であり、雅お嬢様は由緒正しき四楓院(しほういん)家直系の姫君でございます。

この青木は四葉家で財産管理の一端を任されている身ですので、お嬢様の護衛に過ぎないその者に礼を尽くせと言われましても秩序と言うものがございます」

 

「彼は私の兄ですよ」

 

「お言葉ですが、青木さん。随分穏やかでないことをおっしゃる」

 

深雪が声を荒らげる前に冷めた達也が深雪を遮った。

だからと言って相手の高慢な態度は変わることはなかった。

 

「構わんよ。たかが、ボディガードとは言え君が深夜様の子息にあることは変わりない。多少礼儀をわきまえていなくても仕方のないことだろう」

 

「先程、深雪が次期当主となることを使用人皆が望んでいると聞こえたのですが、それではあまりに他の候補者の方々に不穏当ではありませんか。

それとも伯母上は深雪を次期当主として指名した、もしくは内定のお話でもされましたか」

 

その言葉に青木さんは言葉を詰まらせた

 

真夜様の持つ力は強大であり、彼女もまだ若い。

四葉の当主候補は深雪以外にもいるが、まだ真夜様は次期当主を指名していない。

 

「あら、そうなのですか。そしたら色々と準備をしなければなりませんね。此方の家からもお祝い申し上げる手はずをいたしますわ」

 

私からの言葉にますます青木さんは奥歯を噛んだ。

 

「真夜様はまだ何も仰せられてない」

 

「これは驚いた!

四葉家内序列四位の執事が次期当主候補者に向かって家督の相続について自分の憶測でしかないことを吹き込んだのですか!

しかも、四楓院家の雅がいる前で貴方はそうおっしゃった意味をご理解なさっていますか?」

 

やや芝居がかった言葉が青木さんの顔を更に赤くさせ、彼の反論の道を絶った。

だが彼は口先だけの感情論に出た。

 

「……憶測ではない。同じ家中に仕える者であれば、他心通はなくても心を通じ合わせることはできる。心を持たぬ似非魔導師ごときには分かりはしない事だろう」

 

 

その言葉に突如として霜が舞い降りた。

急速に廊下の温度が冷え、深雪の足元から冷気が流れ出した。

彼の言葉は私と深雪の怒りに触れた。

 

達也がすぐさま左手をかざし、魔法を停止させた

 

私も必死に心を落ち着かせ、達也は怒りで蒼白となった深雪の肩を抱いた。

 

 

「俺は四葉家現当主とその姉によって行われた実験によって、魔法師としての演算エミュレーターを埋め込まれました。二人の実験でできた俺が贋作と言っているのと捉えてもよろしいのでしょうか」

 

達也の切りつけるような冷徹な瞳が青木を叱責する。

深雪が達也のかわりに涙を流した。

私も、もう我慢の限界だった。

 

 

「失礼ですが、青木さん。私を四楓院家直系とご存じでいらっしゃるのであれば、その伴侶となる彼を貶すということは四楓院家を貶しているとお見受けしてよろしいのでしょうか」

 

「いえ、そのようなことは」

 

私の言葉に彼は顔を青くした

 

苦しい時こそ、敵の前では笑え。

許しがたい時こそ、冷静になれ。

 

深雪のように怒るでも、達也のように冷徹な目でもなく、笑みを浮かべる私は彼と目があった。

 

「そうですよね。四楓院家当主と執事たる貴方が仕える四葉家当主の決定を否定なさるはずがありませんよね。

それとも、四楓院を貶す手段として彼を利用しているのでしたら、とても意地悪なことをなさるのですね」

 

「滅相もございません。四楓院家の方々には我々四葉一同、日ごろ感謝の念を忘れず、また今後とも良い関係を続けていきたいと願っております」

 

彼には恐怖しか映っていなかった。

 

この言い方は嫌いだが、四楓院の名は絶大だ。四楓院から四葉にもたらされた恩恵と恩義を彼が知らないはずがない。

彼の発言が四楓院の気を損ね、下手をすれば文字通り彼の首が飛ぶ。

むしろ人として死ねるなら慈悲があったくらいだろう。

 

「そうなのね」

「はい、勿論でございます」

「そのくらいにしてもらえませんか」

 

私の言葉を遮り、萎縮する彼を庇うように傍観していた人物が口を開いた。

 

「達也もそのくらいにしなさい。お母さんを恨む気持ちも解らなくはないが・・・・」

 

 

それは保身のための頓珍漢な言葉だった。

社長と言っても、この会社の実質的な支配権は四葉にある。

本家と私の家の機嫌を損ねないための、卑屈な言葉だ。

 

心底辟易としたが、私は笑みを崩さなかった。

自身の父の背を知っているだけに、彼は“父親”ではなかった。

 

「お言葉ですが「雅」」

 

私の言葉は達也が遮った。

小さく首を振る達也に、これ以上の口論は無用だと察した。

 

「親父、俺は母さんを恨んではいないよ」

「………そうか」

 

 

深雪が私の腕に抱き付き、その場から足を進めた。

 

すすり泣く彼女の頭を私はできるだけ優しくなでた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

分かっている。

 

言われるまでもない。

 

彼が抱く本物の情念は一つだけ。

 

彼の役目のために意図的に残された感情だけだ。

 

激昂も、悲哀に打ちのめされることも、憎悪も、強い嫉妬も、恋愛感情も抱くことはない。

 

深雪を護るためだけの、兄妹愛だけが彼に残された感情だ。

 

だからと言って彼に対しての侮辱を聞き流すことができたとしても、私と深雪はそれを許すことはできない。

 

そして、そのような事実があったとしても、何があっても、誰に言われても、真に愛されることがないかもしれないと分かっていてもなお、私は彼を想っている。

 

それだけは譲れない真実だった。

 

 

 



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九校戦編3

気が付いたらお気に入りが100件を超えていました。
読んでくださっている皆様、ありがとうございます。

誤字・脱字が非常に多い時もありますので、ご指摘いただけると助かります。
また、感想、評価をお待ちしております。


さて、今回の話ですが…中二臭いは褒め言葉です(キリッ)


あの思い出すのも嫌になる出来事も、九校戦の準備の中で忙殺されていった。

準備ほぼ最終段階であり、昼休みに改めて今年度発行の競技規定を読んでいる時だった。

規定は一通り確認していたが、細則まで読んでいると、その文章の中に思いがけない文章があり、疑問に思ったままそれを口に出してしまった。

 

「皆さん、後述詠唱強化対策ってなさっているんですか?」

「「え?」」

「コウジュツ詠唱ってなんですか?」

 

 

大会備品や九校戦の選手団の発足式の最終チェックをしていた生徒会室はポカンとした雰囲気に包まれた。

 

「ああ、こちらではあまり主流ではないのですね。後に述べると書いて後述です。魔法発動後、魔法力の上乗せを詠唱によって行うんです」

 

「詠唱は古式魔法でよく用いられる手法ですが、スピードが優先される現代魔法が主体の九校戦で使用されるのですか?」

 

市原先輩は私の言葉に疑問を呈した。

 

「魔法の発動速度自体はCADに軍配が上がります。しかし、詠唱術による魔法の強化は本人の力量以上の結果をもたらします」

 

「本人の力量以上?」

 

達也以外はますます訳が分からないという顔をしていた。

 

「詠唱は想子だけではなく、霊子にも作用すると言われている方法です。CAD誕生以前の古式の流派の一部では今まで主流で使っていたくらいですので、古式魔法の家系が多い二高、六高では使ってくると思いますよ」

 

「それって、そんなに驚異的なんですか?」

 

「いえ、使える競技は限られていますね。どうしても時間はかかる手法ですし、棒倒しか、モノリスくらいにしか使われないでしょうが、モノリスコードで遮蔽物の多い場合や、棒倒しで干渉力勝負になったら分が悪いです」

 

 

私は今回の作戦には組み込む予定はなかったが、これは対策を考えておくべきだろう。

しかし、私は対策があるというか馴染みがあるが、この様子ではまず詠唱を使うこと自体目にしたことのない生徒が多いようだ。

 

「今まで使用していなかった理由はなんだ?」

 

深雪が生徒会用の端末で競技場の細則について拡大表示し、その前に生徒会室にいた面々が集まった。

先ほど質問を投げかけたのは渡辺先輩だ。

 

「CADを介さない魔法はどんな危険が伴うか分からないと規制されていたそうです。今回は実験的に解除すると規則欄に追加されていました。実際お見せした方がよろしいですか?」

 

 

魔法競技のかなり補足的な位置に書かれていたため、あまり持つ意味合いは大きくないと考えられているのだろう。

 

禁止だった理由も建前はそうなっているが、本音はきっと古式魔法の秘匿性にあるだろう。

術式を隠したがる家も多く、公開されていない術式も多い。

私の場合、詠唱によって発動プロセスを補助する程度のことなら、家からも禁止はされないだろう。念のために確認を取るが第一、事象を改変できるレベルで詠唱をできる魔法師は現代において一握りだ。

 

「そうだな。規則が変わったのなら知らないでは済まされないし、ぶっつけ本番で相手に使われて対応するより、今多少なりとも知識があった方がいいだろう」

 

市原先輩も神妙に渡辺先輩の言葉に頷いていた。

 

「雅さん、悪いのだけれど準備できるかしら」

「分かりました」

 

 

 

 

 

善は急げというわけで、その日の放課後、急遽アイスピライーズブレイクに出る選手とエンジニアが集められた。

いや、いくらなんでも急ぎ過ぎではないのかという思いも正直ある。ピラーズ・ブレイクは本来出場しない種目であり、私は練習どころかCADすら用意していなかった。

私の力量に期待してくれたのは嬉しいが、七草先輩のいった“準備”の時間はあまりにも短かった。

 

「手加減しないわよ」

「お手柔らかにお願いします」

 

しかも、私の相手に選ばれたのは2年生の千代田花音先輩。

【地雷源】の二つ名を持つ百家の本流、千代田家の血筋だ。

確か、去年の新人戦でもかなりの成績だったと聞いている。

今回も優勝候補として目されており、おそらく今回も得意の振動系術式で来るだろう。

 

 

やぐらの上に上がり、私は競技用にカスタマイズされた汎用型CADを構えた。

今回は時間がなかったため、達也にも調整を手伝ってもらった。

急な決定だったにもかかわらず、1時間とかからずに術式をインストールし、調整を行った技術はさすがだと言える。先輩も相当好戦的かつ自信ありげな様子だが、達也にお膳立てをしてもらって、負けるわけにはいかない。

 

 

今回は試しということもあり、本番の半分、互いに6本の氷柱が用意されている。

 

天気は晴れ。

地面に設置されたそれは夏の暑さ照りつける日差しを受け、少し溶けだしていた。

これなら、あの術式がいいだろう。

 

 

試合の開始を告げる、ランプが点灯する。

赤になった瞬間、情報強化と領域干渉を自陣に展開する。

 

実力を見るためにあえて、一本だけ緩くかけてある。

千代田先輩は甘いと言わんばかりに、そこを狙って私の自陣の氷柱が地面を媒体とした振動によって一本倒された

 

なるほど。

強引で派手な術式だが、干渉力もかなり強固だ

にやりと得意げな千代田先輩には悪いが、私も易々と負けるつもりはない。

 

「“轟の地よ。我、静寂を望む者なり”」

 

「えっ」

 

大地の震動が一斉に止まった

千代田先輩の魔法は地面を直接振動させ、氷柱を砕くと言う力技だ。

彼女の強力な干渉力とキャパシティがあるからこそ可能な手法だろう。

だが、地面そのものが振動できなければ意味がない。大地の精霊が彼女からの魔法を拒否する。

 

 

一方の花音は相当焦っていた。

情報強化や領域干渉ではない。魔法が発動しても防御されているのではない

「強制停止」の魔法とも違う、まるで大地そのものが振動を拒んでいるようだった。

 

反撃するよりも先に冷静にこちらを見据える一年生に鳥肌が立った。

一瞬の油断だ。だがその油断が大きかった。

 

 

「“日輪の光よ。

注ぎ、集まり、融解させよ。業火も生むその力、我が前に示せ”」

 

 

上空から降り注ぐ日の光を相手陣地中央に集約する。

氷柱から3メートルほど上空に出来たそれは、まるで小さな太陽なようだった。地の精霊と火の精霊が活性化され、魔法を強化していく。

 

「“日の輪の加護、大地の加護、我が鉾となれ、我が盾となれ”」

「なによ、これ」

 

花音はあまりのまぶしさに目を腕で覆っていた。

氷の表面は鏡のように反射し、更に日の光を強める。

 

「“不動たりて守りたまえ

爛々、煌々として蹂躙せよ

その力、今ここにありて我に従え”」

 

 

一瞬にして光が6つに分裂し、氷がまるで光学レーザーで切り裂かれたように縦真っ二つ位に割れていき、6つの氷柱全てが轟音を立てて、地面に倒れた。

 

 

千代田先輩は大きく目を見開き、茫然としていた。

離れて見学していた選手たちも同じく、茫然としていた。

唯一にっこりと誇らしく笑っていたのは深雪と、満足そうな達也であり、半数以上が事態が飲み込めていなかった。

 

「流石はお姉様です」

「CADも問題なかったみたいだな」

 

頭を抱えるばかりの選手とスタッフを横目に、雅はやぐらを降りた。

 

「ちょっと待ってくれ。一旦整理させてくれ」

 

渡辺先輩がまず質問を投げかけ

 

「後述詠唱と言ったな。つまりこれは詠唱無くして実現しない干渉力の強化ということか」

 

「そうですね。千代田先輩は振動系を使用されたので、まず自陣の地面への領域干渉、情報強化を行いました。一方、こちらが攻撃で使用したのは日光を収束させて熱線のように使用しました。

それぞれ、詠唱によって効力は増強されています」

 

氷柱を倒した魔法自体はそれほど珍しいものではなく、収束・発散の応用だ。

だが威力自体は軍関係者もびっくりの高出力である。

 

 

「花音は実際戦ってみてどうだったんだ?」

 

「びっくりですよ。詠唱が進むにつれてどんどん干渉力が上がってるんですよ。普通の干渉力強化なんてレベルじゃないです!」

 

あり得ないと千代田先輩は未だに驚きを隠せない様子だった。

 

「たしかに、あれだけ干渉力が強化されるのは厄介だな。花音が一発でやられるとは思ってもみなかった」

 

不意打ちであり、一瞬とは言わないが、あれだけあっさりと優勝候補が倒されたことは先輩方にも衝撃だったらしい。

 

「使用する魔法や流派が違えば詠唱も異なります。

ですが、基本的に棒倒しに使われる技術は系統魔法ですし、それに対応した詠唱は各流派持ち合わせています。基本は干渉力の強化ですが、中にはCADの同時操作のような並行での使用をする人もいます。

此方の場合、片手間ですのであまり強い事象改変はおこりません。

ですが、使い方を工夫すれば工夫はさらにできますね」

 

「具体的な対策はありますか?」

 

続いて市原先輩を質問を投げかけたが、対策と言っても今更古式魔法の対策は無用の長物だろう。

 

「干渉力を上回るしか今の所実用的な対策はないですね。若しくは詠唱を始める前に早期決着を図ることです。あとはそれぞれの魔法特性によると思います」

 

「こちらも詠唱で対抗はできないのか?」

 

目には目を

歯には歯を

詠唱には詠唱を

対抗手段としては尤もらしい考え方だろう。

 

「その詠唱を覚える時間があるなら練習に当てた方が効率的ですね。

難易度的に言えば、CADの同時操作より少し簡単か、もしくは同等と言われていますので、今の段階からでは些か遅すぎます。詠唱自体使える人数が少ないため、対戦で当たるかどうかも分かりませんし、確実な戦法を取る方が建設的だと思います」

 

「CADの同時操作と同程度ってことは、雅はそれができるっていうことだろう?」

 

「私の場合、古式を先に学んでCADを使う魔法を後から学んだので、それほど抵抗がないんです。詠唱系の古式流派ではどちらかと言うと、それが一般的ですよ。特に二高は古式魔法の名家が揃っていますので、もし使える相手と当たったら厄介ですね」

 

「これは一度考慮すべきですね」

 

市原先輩や五十里先輩はモニターの数値を見ながら小さくため息をついていた。

この段階で詠唱という彼らにとってほぼ未知の領域である魔法は、ある意味現代魔法に特化した故の弊害だろう。最も、私の家のようにこれだけ現代において古式魔法を使う方が少数派だとは言える。

 

「ちなみに、雅ちゃん。出場選手の中ではあなた並に詠唱による強化ができる選手はいるの?」

 

七草先輩も選手団代表としてこの場に来ていた。

詠唱自体は古典部の公開実験の中でも行われているが、あれは事象の改変がメインだったので、干渉力強化に使われるなどと誰も思っていなかったのだろう。

 

「私並になるか分かりませんが、何人か詠唱を使うことのできる家の名前がありました。彼らならあの程度の詠唱なら造作もないと思います。私が存じ上げない方でも、既に詠唱の練習をしていれば使用される可能性はあります」

 

各校既に選手のエントリーは終わっており、他校のメンバーの中には私も見知った名前が多くあった。同じ流派の人物もおり、使うかどうかは別として実力は認められている者たちばかりだった。

 

「花音、やばいぞ。もしかしたら今からでもお前から九重にエントリー変更になるぞ」

 

「なんでですか!

確かに不意はつかれましたけど、次は負けません。九重さん、もう一回やるわよ」

 

「馬鹿、本来出場選手でなければ練習もしていない九重に負けたんだぞ。それで本番詠唱ができる相手に当ったらどうするんだ」

 

「勝ちますよ。今度はもっと早く倒します」

 

 

私に噛みつかんばかりの勢いの千代田先輩を五十里先輩と渡辺先輩がなだめていた

選手の中でもエントリー変更の話が出る中、それを遮ったのは達也だった。

 

「俺は今からのエントリー変更は必要ないと思います」

 

「司波君?」

 

「今から焦って練習をするより、確実に上位を狙うのならば堅実に今までの練習を積み重ねることの方が重要でしょう」

 

「私もそう思います。詠唱を実用レベルで使いこなせる選手はそう多くない事ですし、それ以上に本番に向けた調整を行う方が先決です」

 

奇策に対する対策より、まずは正攻法で確実に上位進出を目指す方が理に適っている。

むしろ既に詠唱を使いこなせる相手に詠唱で挑むより、こちらも別の種類の奇策を仕掛ける方が効果的だろう。結局詠唱対策については十文字先輩から古典部に協力要請をすると言うことで話がまとまり、各自練習に戻ることになった。

 

「けど、悔しいからもう一回勝負よ」

「いい加減にしろ」

 

未だに悔しそうな千代田先輩は渡辺先輩に軽く頭をはたかれていた。

その後も私を見かけるたびに彼女から勝負を持ちかけられることになったのは、予想外の出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

九校戦は例年富士裾野の軍用演習場で行われる。

立地の関係上、遠くの九高から現地入りし、調整をする。

 

一高は大会前の懇親会当日に現地入りするのが通例となっている。

集合時間は既に過ぎたが、バスはまだ発車していない。

 

七草先輩が家の都合で遅れるそうで後から別に行くという連絡があったが、2時間程度なら待つと十文字先輩と渡辺先輩が決めたことで待つことになっている。

 

技術スタッフは狭い資材を積んだ車両であり、尚且つ達也は出席確認のために外に出ている。

 

七草先輩しか遅れていないため、わざわざ外で待つ必要はないとは思うが、全員が一科生で尚且つ未だに敵対心を向けられるのは彼としては居心地が悪いのだろう。

 

その様子に、深雪が不満げな様子を浮かべているのは言うまでもなかった。静かに怒っている深雪にほのかや雫も困っており、私に助けを求める視線を投げかけた。

 

「深雪。少し、席を外すわね」

「はい」

 

私が立ったことで二人からの視線がより強くなったが、仕方がない。

 

私はバスの外に出ると、日傘をさした渡辺先輩と制服をきっちりと着込んだ達也がいた。遅れると分かっていながら二人とも律儀なことだと思う。

 

「どうした、雅」

「真夏のこの時期に外はお辛くありませんか?」

「何だ、それは?」

 

私は一枚の札を地面に張り付けた。精霊に命令を下すと、地面から涼しい風が吹き抜け、周囲の気温が快適温度まで低下した。

 

「会長がいらっしゃるまでは涼しいと思います」

 

「そうだった。君は古式魔法まで使えるんだな。障壁もなしに屋外で冷却魔法とは古式魔法も侮れないな」

 

渡辺先輩は興味深そうに地面に張った札を眺めていた。

日差し避けの魔法も組み合わさっているから、実際の気温以上に体感温度は下がっているだろう。

 

「実家では古式が主流でしたから。大会前ですのでお疲れの出ない様にしてくださいね」

「ありがとう」

「助かる」

 

二人に念のためにお茶の入ったペットボトルを渡し、私はバスの中に戻った。

 

 

 

 

 

 

深雪の雰囲気に何とかしようとほのかが声を掛けていたところだった。

 

「深雪、何か飲む?」

「大丈夫よ、ほのか。私はお兄様のように炎天下で待たされていたわけではないもの」

「外も冷却してきたからしばらくは大丈夫よ」

 

ほのかの助けてと言う無言のメッセージを受けながら、私は深雪の隣に座った。

 

「お姉様、おかえりなさいませ」

「なんか札みたいなのを使っていたのは見えたけど、何してたの?」

 

雫は窓際なので先ほどの私の様子を見ていたようだ。

 

「簡単に言えばあの空間だけ冷房機能が効いている状態ね。室内と変わらないくらいの状態にはなっているわ」

 

「普通の冷却魔法ではないのですか?」

 

「それだと術者が魔法をかけ続けなければならないでしょう?

それを時間設定と地脈を利用した古式魔法で継続して発動できるようにしたの」

 

「じゃあ、魔法をかけ続けなくても魔法が発動したままになるんですか?」

 

「そうね。想子の供給は地脈の精霊が行っているから、魔法師はスイッチ機能のようなものね。温度の設定は札の魔方陣がやってくれて、それにのっとって精霊が作用しているわ」

 

基本的に質量保存の円環理論を使った魔法だ。

水の精霊と風の精霊がその場の空気を冷却し、余分な熱量はその精霊のエネルギーとなる。

熱エネルギーは太陽光から出ており、術者は魔法発動のための精霊喚起だけを必要とする。

日光避けは単なる収束系の応用でありこちらは現代技術として確立されているものを、術式に一体化して入れ込んだだけだ。

殆どが既存の魔法であり、それを組み合わせただけだがインデックスが掲載を検討している段階にあると聞いた。

 

 

「それって、とてつもなく凄いことなんじゃないですか?」

 

持続魔法は現代魔法の課題の一つでもある。設置型魔法式の導入や術式の効率化によって術式の発動時間は伸びつつある。

しかしながら、魔法はあくまで一時的な事象を改変するものであり、永続的な効果は望めない。魔法式を保存して発動を継続させる方法は研究されているが、未だに成功した例はない。

 

「定期試験の後に発表された新しい魔法よ。開発は図書・古典部の共同ね。少なくとも難題と言われてきた飛行魔法ほどではないけれど、使い方次第では応用の幅は広いわ。現段階では古式の術式のままだから、体系化が今後の課題ね」 

 

「お姉様も開発に関わられたのですよね」

 

「私はほんの触りの部分よ」

 

実家にも似たような術式はあったし、念のため確認したところプロセスが違うため公開しても問題ないとなった。

ただ、精霊への感受性が強いことと地脈を読める才能が必要になるため、まだ現代魔法への応用には程遠い魔法である。

 

 

「九重さん、そのことで少しお話をいいですか?」

 

市原先輩は私に話しかけてきた。

 

彼女も今回の研究には多少興味を持っている様子だった。

魔法理論において3年生の中でも特に優秀と聞いているし、論文コンペに向けての研究は重力制御型熱核融合炉の技術的な課題の解決らしい。彼女の追及している研究でも設置型魔法を使用する機会があるのだろう

 

「ええ、私にお答えできる範囲でしたらどうぞ」

 

深雪も幾分か穏やかになったことだし、私は市原先輩の隣に座って彼女からの質問を受けていた。

途中で鎧塚先輩も巻き込まれ、サブスタッフとして市原先輩に協力している平川先輩と五十里先輩も参加してミニ討論会となった。

 

後から聞いた話だが、理論が苦手な生徒は日本語なのに日本語が分からないとぼやいていたらしい。

 

 

 

 

 

 

その後、七草先輩が到着し、バスは目的地に向けて出発した。

雫のフォローもあって、深雪の剣呑とした雰囲気も収まり、下心のある生徒たちはここぞとばかりに深雪に話しかけていた。

あまりに群がる男子達に渡辺先輩がついに切れ、深雪と私を彼女たちの後ろに、私たちの後ろには十文字先輩が睨みを利かせるという席順になった。

深雪も顔には出さなかったが、流石に逃げられないバスという状況下で話したくもない相手と話をするのは苦痛だったようだ。

 

「席は余ってるのにどうして別なのよ」

 

生徒たちは夢の中に飛び立っていたり、話に花を咲かせたりと思い思いの行動をとっていた。

ちなみに前にいる千代田先輩は五十里先輩と別なのが気に食わないそうで、隣に座る渡辺先輩に盛大に愚痴を零していた。噂には聞いていたが、本当に一時も離れたくないらしい。渡辺先輩は流石に呆れて疲れた様子が窺えた。

 

「お前、少しは雅を見習ったらどうだ。あいつも同じく婚約者が別にもかかわらず、文句ひとつ言わないぞ」

 

「え!!!

雅ちゃんって婚約者いるの?!」

 

私の前の席に座っていた千代田先輩が立ち上がり、後ろを振り向いた

 

「千代田先輩、バスの中でいきなり立たれると危ないですよ」

 

「いいから答えなさいよ。

誰よ、誰!!

手伝いスタッフの方にいるの?

それとも応援に駆けつけてくるの?」

 

好奇心ではつらつとした顔で私に迫る。彼女とはあの一件以降、仲良くさせてもらっており、話しかけられることが増えた。殆どが勝負を持ちかけられることが多いが、時々盛大な惚気も聞かされることがある。そんな千代田先輩は五十里先輩と婚約しており、校内でも有名なカップルとなっている。

 

原因となった渡辺先輩を見ると、申し訳なさそうに手を合わせていた。

ちらりと深雪に助けを求めれば、にっこりと深雪は微笑んだ。

嫌な予感がする。

 

「お兄様ですわ」

 

………ブルータス、お前もか

 

「嘘、司波君?!」

 

バスの中にその声が大きく響いた。

聞き耳を立てていた人達以外にも、伝播しているのが分かる。

 

「マジかよ」

「え、司波兄が…」

「嘘だ…」

 

それぞれ別々の話をしていたにも関わらず、バスの中にはざわめきが広がり、それと同時に私たちの会話に聞き耳を立てられているのが分かる。

 

 

「深雪」

 

「あら、今更ではありませんか。お姉様とお兄様が天より高く、海よりも深く想いあっていることは事実でしょう」

 

深雪の明言に再びバスの中がざわめいた。

 

 

 

 

「付き合ってるだけじゃなくて、婚約……」

「え、これ、夢」

「残念ながら現実だ」

「ちくしょううううううう(小声)」

「うわあああああああああああ(小声)」

「え、お前九重さん派だったの?」

「おのれ、司波兄め・・・・」

 

男子からの声は聞えなかったふりはしたが、あまり気分のいいものではなかった。

 

未だ目を白黒させながら千代田先輩は私に聞いた。

 

「雅ちゃん。司波君とクラスも違うなら尚更、一緒にいたいと思わないの」

 

「千代田先輩は五十里先輩と達也が乗っている車がどの機材を積んでいるのか、ご存じですか?」

 

「機材?」

 

「ええ。お二人は棒倒しで使う機材を乗せた車にいらっしゃいます。

機材の最終チェックにも余念がありませんでしたよ。それって千代田先輩や深雪を大切にしたいと思う表れではありませんか?」

 

 

先ほどの不満げな様子から一転、千代田先輩は嬉しそうな表情を浮かべた

 

「そうなのかしら」

 

「ええ。実際、搬入の時からとても気を配っていらっしゃるようでしたよ」

 

「もう、啓ったら」

 

「お兄様も仕方のない人ですね。私ではなくもっとお姉様に気を使っていただかなければ、愛想を尽かされてしまいますね」

 

「私は深雪を大切にしない達也なんて想像できないのだけれど」

 

 

どうやら千代田先輩だけではなく、別行動に不満を持っていた深雪も私の言葉に満足したようだった。

にこにこと満足げな深雪は私から見ても愛らしく、この場に達也がいないのは勿体ないと感じた。

 

 

 

不意に袖を引かれると、通路を挟んで反対側の雫が袖を持っていた。

 

「雅、婚約って今初めて聞いたんだけれど」

 

雫とほのかがまだ目を丸くしている。エリカたちには話していたが、そう言えば雫たちには話したことはなかった。

二人ともなんとなく、私と達也が交際していることは知っていたが、婚約までは予想外だったようだ。

 

「ごめんなさい。話したつもりだったのだけれど、雫たちにはまだだったみたいね」

「じゃあ、雅さんって達也さんと結婚するんですか」

 

ほのかが視線を彷徨わせ、顔を真っ赤にさせていた

婚約という話題は初心な彼女たちには少々重い話題だったようだ。

 

「勿論です。お姉様にはお兄様、お兄様にはお姉様しか考えられないもの」

 

深雪が私以上に自信たっぷりに、なおかつ嬉しそうな様子で明言した。

 

「私が愛想を尽かされない限りはそうなるわね」

「ありえません。それこそ、天が落ちるようなことです」

 

深雪は先ほどの笑顔とは一転、私の言葉に一際真剣な顔をして言った。

 

「お姉様はもっと自信を持つべきです。お姉様がどれほど、お兄様に想われ愛され、大切にされているかをご理解ください」

 

深雪はそう言うが自信と言われても、彼は私に友愛以上の感情を抱いていない。

それは理解している。

だからこそ、彼は深雪のためにも私と私の家を繋ぎとめるための“恋人らしい”行動をしてくれているのだ。

 

恋は人を愚かにすると言うが、まさに滑稽だ。

利用されていると知っていても、それでも彼らといたいと思う私は相当末期なのだから。

 

 

 

 

 

 




理性で恋ができるのならば、

理性で本能を押さえられるなら、

恋なんて存在しない。


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九校戦編4

まだ試合が始まりません…

今回はオリジナル要素強めです。


途中で事故があったものの、一高は事情聴取を含めて1時間ほどで事故現場から会場へと向かった。

冷静にバスを停止させた市原先輩、消火を行った深雪、バスとの間に防御を行った十文字先輩、相克の起きた魔法式を吹き飛ばした達也の活躍もあって怪我人なく片付いた。

あの状況で10人近くの魔法式を吹き飛ばしたことに関して、渡辺先輩は疑問に思っていたものの、口には出さなかったので助かったのは心のうちに留めておく。

 

 

バスから降りて荷物の整理のために深雪や達也とホテルに入ると、後ろから視線を感じた。達也も出発時点とは異なる視線に疑問を感じていた。

 

「お兄様?」

「………いや、なんでもないよ」

 

達也はそう言ったものの、明らかに強くなった殺気の籠った視線は私としても気分が良くない。

 

「事故が起こる前ね、深雪と渡辺先輩が私と達也が婚約していることを話してしまったの」

 

達也は予想外の答えに一瞬固まったものの、すぐさま納得したようにため息をついた。

 

「それで、この視線か」

「お姉様に不届きな思いを抱く者を一掃できると思ったのですが…」

 

口を滑らせたのは渡辺先輩だが、深雪が明言しなければ何とでも誤魔化せた。

 

だが、言葉は訂正できない。エリカたちは知っていることだし、知れ渡るのは早いか遅いかの違いだったのだろう。

 

「雅が俺のだと言ったのだろう。悪い気はしないさ」

「………」

「お姉様?」

「狡い人…」

 

彼はどれだけ私に期待させれば気が済むのだろうか。

不覚にもときめいてしまった。あんな優しげな顔で言われてしまえば、もう私は深雪を非難出来なかった。本当に狡い。

 

 

 

 

 

 

達也の話によるとあの事故は意図的なものだったらしい。

何者かが事故に見せかけて一高に対して妨害工作を仕掛けてきたとみて良いだろう。優秀な魔法師を捨て駒にするとは、相手も相当駒数は多いらしい。

 

兄からも“道具”を持って行くようにと言われており、これは確実に今後も何かあると見てのだろう。

 

 

荷物を片づけて、一高の本部に向かう。CADの調整用の機材は機材車両内でそのまま調整できるため、あまり私たちが関わる部分はない。

 

試合の解析用の端末やスポーツドリンク、救急箱など備品の準備があるのだ。本部はホテルから少し離れた演習エリアに仮設のテントが設置されている。仮設と言いってもむき出しの床ではなく、防音と冷房設備が整えられ、高価な機材を置いても問題ないような本格的なものらしい。

 

バスを降りたときは富士の裾野とあって精霊も多く、澄んだ気で満ちていたが、一高の本部に近づくにつれて嫌な気配がしていた。

精霊も弱々しく、黒々しいオーラが漂っている。不信感は強くなるが、術者の気配はない。

悪霊か怨霊でもいるのだろうかと警戒しながら、本部の扉を開けた。

 

 

「失礼、します………ッ」

 

中に入った瞬間、思わず口と鼻を覆った。

 

「お姉様?」

 

鼻の曲がる様な酷い匂いがする。

こんな不浄な気に当てられたのは久しぶりだ。この場所が悪いものの吹き溜まりになっている。夏だと言うのに鳥肌が立ち、身震いがした。

 

「おう、きたか」

 

気さくに渡辺先輩が手を挙げた。

 

「みなさん、何ともないんですか?」

 

本部のテントでは私以外は平然とした様子であり、私の様子に疑問符を浮かべていた。深雪も特に体調が悪いこともなく、心配そうに私の背をさすってくれた。誰もこんな空気が淀み、停滞し、息をするだけで気分の悪い場所にいて、私以外に何もない方がむしろ恐ろしかった。

 

「お姉様、体調がすぐれないならホテルに戻りませんか?」

「こっちは良いから、休んだ方がいいんじゃないのか」

「いえ、大丈夫です。それより、一つ確かめてもいいでしょうか」

 

よほど酷い顔しているのだろうか、渡辺先輩も心配そうに私の元に来た。

 

「おいおい、真っ青だぞ。無理はするな」

「お願いします。私の杞憂で終わればそれで構いません」

 

正直、立っているのも辛いが、解決しないわけにはいかない。

ここでようやく兄の言っていた意味が理解できた。

 

「お姉様」

「大丈夫よ、深雪。念のため、私の鞄を持って来てもらっていいかしら」

 

憂い顔で背をさすりながら私に寄り添う深雪に、私は仕事用の道具鞄を持ってくるようにと頼んだ。

念のため持って行くようにとは言われていたが、まさかこんなに早く使う羽目になるとは思わなかった。

 

「分かりました。すぐ戻ってまいります」

 

深雪は私の言葉の意味する所をすぐさま理解し、急ぎ足で本部を出ていった。私と深雪は同室であり、その道具を持って来ていることを説明しているため、迷わず持って来られるだろう。

 

先輩から椅子を勧められたが、一度座りこんだら立てる気がしなかったため遠慮した。道具は深雪に任せるとして、私は吹き溜まりの吹き出しの近くに立った。

 

 

「七草会長、床のこの部分、切り取ってもよろしいでしょうか?」

「床を切り取ってどうするの?」

「酷い死臭がします」

 

鼻が曲がるような悪臭だ。腐敗と血液、汚泥と汚物を混ぜたような、そんな匂いがする。匂いも酷ければ、オーラも黒と紫、錆色と緑青を混ぜ込んだようなオーラをしている。

富士の裾野になぜこんなものがあるのかと疑問に思うが、霊子を見ると鳥の形をとっていた。

 

「死臭?まさか死体でも埋まっているとでも言うのか」

 

死体という言葉に動揺が広がった。

 

「人間ではありませんが、よくないものがあります」

「………分かりました。許可します」

「ありがとうございます」

 

私の言葉に半信半疑だったが、責任は自分が持つと七草先輩は許可を出してくれた。

 

 

 

 

 

 

騒ぎを聞きつけたのか、床は桐原先輩が高周波ブレードで切り取ってくれた。気持ち悪さは相変わらずだが、土地が土地だけに精霊も私の周囲に良く集まってくる。この地の精霊が悪い気を私の周りだけは排除するように働いてくれていた。

 

むき出しになった地面の土を発散の魔法で水分を取り除き、砂に変える。目標の位置まで砂にすると、そこからゆっくりと移動魔法をかけ、手を触れずに埋まっていたものを取り出した。

 

「これは…壺か?」

「あまり近づかないでください。まだ使用されている魔法を停止させたわけではありません」

 

縦50cmほどの壺が埋まっていた。茶色の壺には呪の刻まれた布が巻きつけられ、木の蓋で口がふさがれている

毒々しいオーラが漂っている

 

これは面倒なものを…

内心舌打ちをしたい気分だったが、それどころではない

 

先輩方は予想外の物が出てきたことで、私の言葉がようやく嘘ではない事が分かったようだ。もしこれが単なる呪具ではなく、爆弾だったらと思うとぞっとする。

 

「九重はこれが何か知っているのか」

 

未知の物体に対し、念のため十文字会頭が壺の周囲を囲っている。

見れば見るほど禍々しいものだ。取り出してみてようやく姿が掴めたが、霊子は烏の半身を形取っていた。

 

「おそらく、中に烏の死骸が入っています。烏は墓場鳥、死喰鳥と言われる地方もあり、凶を示すものです。烏は死骸を見せないと言われていますが、それがこの地に埋まっているということは、凶運をこちらにもたらします」

 

随分と古い手法だが、私のように精霊に対して感受性が強くない限り気が付かれない物だ。おそらくこの本部ができる前から埋められていたのか、若しくは一高の本部の設置を狙って埋めたのだろう。

 

「そんなもので、運が悪くなるのか?」

 

「無論ただ烏の死骸を入れただけではそれほどの効果はありませんが、この壺には刻印が施され、悪い気がこの場所に溜まるようになっています。加えて、霊峰の力を受けて術者が仕掛けた以上に力が増大しています」

 

日本屈指の霊峰である富士。

富士には聖域と呼ばれる一方、天への門、黄泉への入り口、樹海はこの世とあの世の交わる場所などと言われている。

つまり、富士の恩恵を受け、霊魂の類も力を得やすい場所である。普通は自浄作用が働くはずだが、ここはあくまで富士の裾野であり、土地神の気配も弱いのかもしれない。

 

「待て。では、これは誰かが仕掛けたということか」

「そうでなければここにはありません。術式から見て大陸系の術式だと思います」

「どうしてこんなものがここに…」

 

本部は得体の知れない不安感に包まれていた。誰も足元にこんなものが埋まっているだなんて思いもしなかったのだろう。

 

「一高に対する妨害工作の一つかもしれません。しかも、埋められているのはこれだけではありませんよ」

「なんだと」

「まだあるのか」

 

私の言葉に先輩方は驚愕の表情を浮かべた。

 

「これは悪い気をこの地に留めるもの。この場所から良い気を奪い、悪い気を呼び込むものが少なくとも合せて2つはあるはずです。

それによって地脈の流れを変えていると考えられます」

 

 

土地の力は一定ではない。

多い場所、少ない場所、枯れた場所、溢れる場所、淀んだ場所、澄んだ場所同じ場所に見えても、地脈の流れによって精霊の活性や霊子のレベルは違う。

 

私は運気の流れまでは見通すことはできないが、術式から発せられるオーラはこちらの運気を吸い取り、別の場所に流そうとしているのは感覚的に分かる。今は私が抑え込んでいるが、術式自体はまだ停止していない。

 

「それで、これはどうやって処分するんだ」

「お姉様、お待たせしました」

「ありがとう、深雪」

 

深雪が息を切らせて、本部に入って来た。

その後ろには状況を聞き駆けつけた、達也も一緒だった。

 

「お姉様、御無理はなさらないでください」

「ええ」

 

私は深雪から鞄を受け取ると、持ち手にサイオンを流し込んだ。

見た目は普通のアタッシュケースだが、登録した個人のサイオン波に反応して開錠される特殊仕様の鞄だ。

 

「それは?」

「なぜか持って行くようにと言われた古式魔法の道具です。こんなことに役立つとは思ってもいませんでした」

 

本当に【千里眼】は恐ろしいと同時に心強い存在だった。

 

 

 

 

一旦、場所を外に移して邪気払いをすることになった

塩と祝詞で穢れを軽く祓い、移動魔法を使って壺を本部の外に持ち出す。

本当は神酒も欲しいが、贅沢は言えない。流石に飲まないとはいえ、未成年が酒を所持しているのは外聞が悪いため、今回は持って来ていない。

 

札に墨で刻印を描き、壺の四方に札を貼る。大きめの和紙にも刻印を描き、それを壺の下に敷いて準備は完了だ。

 

 

鞄の中から、9つの金色の鈴がついた神具を取り出す。神事や厄払いに使われるこれには、ありとあらゆる場所に刻印魔法が刻まれている。

鈴を振ると、軽やかな音ではなく、見た目以上に重い音がした。

 

小さく息を吸い込み、壺に向かって鈴を打ち鳴らす。

 

「“其は何ぞ

何ぞここにあるや

ここにありて地脈を乱すものや

誰そ言われてここにあるや

此は清浄の地、富士の腕(かいな)

何ゆえ災、持ち込むや”」

 

鈴の音と共に、地の精霊が喚起され、壺を蛇のように取り巻き締め上げる。それと同時に壺から黒々しい煙が浮かび上がる。

 

「“我が問いに答えよ

地の眷属の怒りを知れ

我がもとに跪き、頭を垂れよ”」

 

壺が中に生き物が入っているがごとく、音を立てて動き出す。

ぎゃあぎゃあと烏の鳴き声が響く。

 

それを“霊子”で押さえつける。

烏が暴れ、鋭い爪と嘴で私が施した術を突破しようとする。

私は更に精霊に与える力を強め、烏を模した術を締め上げる。

 

傍目には鳥の声と鈴の音が響いているようにしか見えないだろう。

しばらく力比べをすると、相手は観念したように大人しくなり、改めて祝詞を読み、塩を撒いた。

火の精霊が使えればもっと確実で良かったが、証拠として残さないといけない以上仕方がないだろう。

 

「九重は何をしたのだ?」

「何か鳥の声が聞こえたんですが…」

「鳥?聞こえなかったわよ」

「私も聞こえませんでした」

「私は聞こえました」

「自分も見えました」

 

先輩や同級生は離れた位置で見学しており、先ほどの精霊を感じ取れたり、鳥の鳴き声が聞こえたりしたのも半数だろう。

ここにいる魔法師は良くも悪くも現代魔法に特化した者が多い。

それゆえ、活性化された精霊を感じ取れるが理解はできておらず、意見が分かれたのも精霊に関する感受性の度合いだろう。

 

「開けても問題ない程度に邪気払いをしました」

「妙に手慣れているな」

 

渡辺先輩は薄気味悪そうに壺を見ていた。

若干顔も青いので、彼女も何かしら感じた方なのだろう。

 

「高校生にもなれば“手伝い”の一つ二つさせられるものですから」

「そう言うことにしておこう」

 

家の事を根掘り葉掘り聞かれるかと思ったが、今はこちらの方が優先であり、渡辺先輩はそれ以上追及しなかった。

 

「これは開けられる状態なんだな」

「気分を害されると思いますので、見ない方がよろしいかと」

「ここまできて確かめない訳にはいくまい」

 

十文字先輩が四隅を囲っていた防壁を解除した。

 

「では女性は少なくともお下がりください。きっと気分の良い物ではありません」

 

私は分かってしまったが、術者に対しても嫌悪感を持つような術だ。

よくこんなものを作ったのだと思うし、正直精神を疑う。

 

 

邪気払いも完了し、中身の開封に関しては鎧塚先輩がその役目を買って出てくれた。曰く、体調の悪い後輩にこれ以上の無理は先輩としてさせられないらしい。男前である。

 

鎧塚先輩は入念に手袋とマスクをして呪のついた布を外し、木の蓋を開けた。

 

「これは…」

「烏、なのか」

 

私も思わず顔を顰めた。

中には4羽の烏。足をくくられた状態で壺の中に押し込まれていた。

しかも身が縦に裂かれていたり、目が抉られていたり、羽が折れていたりする。

 

「生き埋めですね。その方が効果は高かったのでしょう」

「惨いな」

 

祓ったとは言え、それは術式だけだ。

死体が持つ死臭や媒体そのものを消去したわけではない。

 

達也も術式を凝視していた。彼は作業車で機器の点検をしていたため、深雪に言われるまで本部にある異変に気が付かなかったようだ。古式の魔法とはいえ、事象改変を伴うものではないし、霊子ならば彼の目にも捕えられない何かが働いているだろう。

 

「ひとまず、大会運営委員を呼びましょう。雅さん、大丈夫ですか」

 

七草先輩が神妙な面持ちで、そう言った。

 

「ええ、ご心配ありがとうございます」

 

辛いが、術式自体を止めてしまったので問題ない。気持ち悪さはまだ残っているが、心配そうに私の周りに漂う精霊が周りの気を浄化してくれるのでまだ何とかなっている。

 

「お姉様、こちらにどうぞ」

「ありがとう」

 

流石に一度座らせてもらうことにした。

深雪は温かいお茶を用意したり、体調を気遣ってくれたりと甲斐甲斐しく私の世話をしてくれていた。彼女に心配をかけ、泣きそうな顔をさせてしまったのは申し訳ない。

 

達也は鎧塚先輩や五十里先輩と術式の検分をしていた。

 

私の実家や伯父の影響で古式魔法についても達也は一般に比べて知識は多い方だ。

五十里先輩は刻印術式で有名な家であるし、鎧塚先輩は古典部で憑きの物を取り合った経験があるため、3人に任せて問題ないだろう。

 

 

 

先輩方の予想以上に深刻なこの事態に大会側にも知らせることとなった。

大会委員会側は知らないことだったようで当然焦っていた

最初は何かの間違いでは、と言われたが十師族の二人がいる手前、その名前を持って言われてしまえば一大会委員ごときではどうしようもできない。

 

「それで、九重が言うにはまだこの辺りに何か埋まっているのだな」

 

「今の所、感知できたのはこれを除き、4つです。不自然な地脈の流れがありましたので、そこだと思われます」

 

精霊から聞いた話だと、まだこの術式は終わっていないそうだ。

あくまであれは核であり、核をとっても周囲の術式は微弱ながら影響を及ぼすそうだ。

 

「検分をしたいのだが、よろしいか」

「わ、分かりました」

 

壮年の大会委員は上の役員の様で、顔を赤くしたり、青くさせながらも同意を示した。

 

「ただ、一高のテント周囲だけではないのです」

「まだ他の場所にもあるというのか」

「はい3つはここの周囲にありますが、一つは別の方向にあります」

 

精霊の話を踏まえ、休んでいる間に少し感覚を伸ばしてみると、予想以上にここの地脈は意図的に歪められていた。

此方は運気を奪われる方。ならば運気を集めている物もあるはずだ。

その場所が分かれば犯人の意図も分かるだろう。

 

「こんな惨いものがまだあるのか」

 

「いえ、少なくとも地脈を変えるための指向性をもった術式だと思います。少なくとも、誰かが地脈を操ってまでしたいことがあるのでしょう」

 

「先にその3つを探すか。九重、行けるか?」

 

「大丈夫です」

 

未だに心配そうに私を見つめる深雪を安心させるために、頭を撫でてやり、荷物を持った。

 

「七草たちは明日以降の準備を進めてくれ」

 

「分かったわ。鎧塚君と五十里君は悪いけれど、そちらは任せたわ。

二人とも、大会前だから準備を終えてからでいいわ。

残りは任せたわ、十文字君、九重さん」

 

「司波、お前はこちらに来い」

 

「分かりました」

 

解析を続けていた達也も一緒に呼ばれた。

深雪もと申し出たが、彼女にあのような不浄なものを見せるのは私としても心苦しいので、当日心配なく競技に臨めるよう準備を任せた。深雪は申し訳なさそうなのと、残念そうな様子だったが、彼女は自身がいても古式魔法に関して何かできるわけでもないと理解している

 

「お兄様、よろしくお願いします」

「ああ」

 

十文字先輩が気を使ってくれたのか、達也の同行は私にも心強かった。

 

 

 

 

 

 

大会委員と回った結果、感知した場所に両手に乗るほどの大きさの箱が埋まっていた。

空間把握を得意とする十文字先輩によって、箱は地中から取り出された。私が指定した場所から寸分たがわず、見えない地中に魔法を行使するのは流石と言えた。

念のためと言うことで、干渉装甲もその箱の周りに張ってもらっている。

 

およそ地中1メートル下にあるそれは、陰の気には黒い血まみれの箱。

陽の気を流す場所には白い箱が埋まっていた。

どちらも念入りに邪気払いをし、中を検分する。

陽の気には動物の爪らしきものが入っていた。

陰の気のものには縦に裂かれた烏の半身が押し込められるように入っており、またもや気分を削がれた。

 

「こちらは虎の爪ですね」

「虎の爪?」

「陽の代表格であり、虎は権力の象徴でもあります」

 

白い箱には丁寧に処理の施された虎の爪が入っていた。

黒い箱とは違い、これは装飾品のような様相だ。

 

「あと一つはどこにあるのだ」

 

取り出したのは全部で3つ。

あと一つまだ残っている。

 

「それが………」

「どうした?」

 

言い淀む私に十文字先輩の視線が刺さる。

 

「おそらく、三高の本部のある位置なんです」

「三高の?」

 

「はい。陽の気が一番集まっているのがそこです。不自然なほど地脈が集合していますので、あれでは飽和状態を起こしてしまいます」

 

「陽の気が飽和するとどうなるのだ」

 

「人間も陰陽併せ持つ存在です。それが片方に傾くと、体調や運に変化が現れます」

 

なにも運気があればいいという訳ではない。

人は分相応の運気でなければ、破滅する。

 

盛者必衰。

不用意に手にした力は、破滅への階段を自らの上り、転がり落ちるのを待っているだけだ。

 

「それほど地脈に左右されるのか」

 

達也の疑問は十文字先輩も同様に感じていたことの様だった。

 

「ええ、一高も地脈の上にあるし、ここは更に土地が特別だからよ」

 

栄える場所は元々地脈が太かったり、活発な場所が多い。

一高は普段から魔法を使っている場所であり、例え感じ取れないレベルだとしても魔法師と土地で相互に関係している。

 

更に霊峰富士は一高の比ではない。太古から続く信仰と霊場としての機能により、その土地の力は国内屈指だ。

 

 

 

三校の本部前に向かいながら、私はまた気分の悪さを感じていた。

達也も私の変化に気が付いたのか、支えるように背をさすってくれる。荷物まで持ってもらって申し訳ないが、ここはここで地脈が異様な場所だ。

 

「三高には俺と大会委員から説明しよう」

「お願いします」

 

十文字先輩と大会委員が行った。どうやら、この状況でも大会前に流石に本部には入らせてもらえないようだ。

 

本部から少し離れた位置で達也と二人、待機する。

実際の物を見ていないので、こちらが言いがかりをつけて偵察に来たとも取れる。最も十文字先輩がいるにもかかわらず、そう考える方はよっぽど猜疑心の強い人だともいえる。

話は難航している様子だった。

 

「分かりました。では、2年の上杉を呼んでもらえますか」

「知り合いか?」

「はい」

「お呼びですか、お嬢」

 

テントの入り口から、待ってましたと言わんばかりにひょろりとした男子がやってきた。

 

「初めまして、一高の方々。第三高校2年、上杉謙十郎信介です」

 

見た目は細いがこれでも剣術の名手として知られている。

彼は母方の祖母の家系であり、九重寺にも縁がある人物だ。どことなく飄々としており、笑い方が伯父に似ているのが癪に障るが、そうも言ってはいられない。

 

「お久しぶりです。早速で悪いけれど、一つ頼まれてくれませんか?」

「話は大方聞きましたけど、マジっすか」

 

十文字先輩がどこまで深く説明したのかは分からないが、彼は半信半疑の様子だった。

 

「そうでなければ、大会前の忙しいこの日にこんなことはしていないわ」

「それもそうですよねー。分かりました、やりましょう」

「ありがとう。

ここから真っ直ぐ13m、その位置に立ったら、右を向いてさらに3m30cm、立ち止まった位置の直径1m以内、深さ1mの位置に壺が埋まっている筈よ。調べてちょうだい。その壺自体は触って大丈夫だから」

 

ここまで近くに来れば僅かに壺から発する電磁波や霊子を捕えることも容易だ。例え地面に埋まっていようともそれは分かる。

 

「あい分かりまして候。ちょっと話付けてきます」

 

少し演技がかったように彼はテントの中に戻っていった。

壺を取り出すまで時間がかかるだろうし、その間、私たちは外で待機だ。

 

「壺を触っても大丈夫なのか?」

「陽の気だから、一高にあったものとは違って触っても害はないわ」

 

少しだけ足元がふらついた。富士の裾野だからと言って甘く見ていたようだ。

 

「辛いか?」

「少し……けど、これが最後ですから」

 

一高とはここは逆であり、力が集まりすぎて気持ちが悪い。私がこの場に来たせいもあるだろうが霊子だけではなく、精霊も活性し始めている。おびただしい光の洪水に飲まれながらも私は何とか立っていた。

 

 

達也がさり気なく、私を支えるように後ろに立った。

その優しさに甘え、少しだけ寄りかからせてもらう。

 

「俺たちには感じ取れないが、地脈が乱れるとそこまで不調を来すのか」

 

十文字先輩にとって地脈は馴染みのない概念であり、疑問に感じて当然だろう。

魔法師として才能があることと、感受性が強いことはまた別である。

私は使用する魔法の都合上、幼少期からの訓練もあり、感受性は高い方だ。しかし、制御しているにもかかわらず、これだけ乱されてしまうのならば鍛錬が足りないと兄に怒られるだろう。

 

「いえ、普通はここまで気分を悪くするようなことはないのですが、土地が土地ですので、悪いものはさらに悪く、良いものはさらに良く、総じて魔法の効果が強まっているんです」

 

「先ほど、壺と言っていたが、ここにはあの箱が埋まっているのではないのか」

 

「ここには不自然なほど、陽の気が集まっています。つまり、一高に仕掛けられたものとは反対の陽の気が集まる物が置いてあるはずです」

 

どいうやら陽の気を集めていたのは三高であり、彼らにとっては運気上昇をもたらす作用がある。しかし、それも意図的に集められたものだ。自然なものとは違い、どうしても綻びが生じる。

 

 

 

10分もしない内に上杉が苦々しい顔でテントから出てきた

 

「ありましたよ、壺と箱」

「中身は虎の手?」

 

壺を開けていたことは、霊子の増加でテントの外からも見て取れた。

 

「正解です。お嬢、千里眼でもあったんですか?」

「あったら今頃もっと大変でしょうね」

 

一瞬千里眼という言葉が引っかかったが、彼らには悟られてはいないだろう。

 

「それもそうっすね。アレ、害はないんですよね?」

 

「今のところはないわ。三高に優勝してほしい誰かが一高から運気を奪っていったという線が強いでしょうね」

 

「地脈を乱すって言ってましたけど、今後どうするんですか。ただ埋まっていたものを取り出しただけじゃあ無理っすよね」

 

彼も古式魔法の家としてそれなりに古式魔法には通じている。

しかし、どちらかといえば戦闘向きの術式であり、このような呪術関係にはそこまで知識がないようだ。

 

「乱れた地脈を直すには現状、私だけでは無理ね。専門家を呼びます。

ですが、お盆の前で忙しいですから時間があるのかどうかも分かりません。今日明日は少なくともこのままでしょう」

 

「んじゃ、三高には強運、一高には悪運ってわけですか」

 

不謹慎だが、彼は自分の所に害がないと分かって安心したようだった。

 

「そうともかぎらないわ。勝手に地脈を乱して、移動させた、不自然な運気よ。何もしないままだったら大会期間が終わった途端、ツケが回ってくるわよ」

「マジっすか」

「虎の手を使っていても、実際は猿の手って言えば分かるかしら?」

 

不用意に手にした力は破滅をもたらす。その力は絶対ではない。自分のものだと過信して、仮初に過ぎない力に溺れてしまえば、待つのは転がり落ちる坂の下だけだ。

 

「うわああ。それって、どうなるんですか」

「躁状態、多幸感ばかりの人が出たら要注意ね」

「お嬢、お力を貸していただけませんか?」

「術を取り出した以上、これ以上悪化することはないわ。気休めに経でも読みあげなさい」

 

項垂れる上杉に、少々口調がきつくなってしまった。どうにかしたい気持ちはあるが、こっちも自分と自分を取り巻く精霊を押さえるだけで精いっぱいなのだ。

 

「そうします………」

「すみません、少しよろしいですか」

 

ため息をついた上杉の後ろから現れたのは、小柄な男子生徒だった。

 

「三高1年の吉祥寺です。先ほど、掘り出したもので少しお話をよろしいですか?」

 

三高の吉祥寺真紅郎

彼が噂のカーディナル・ジョージなのだろう。13歳にしてカーディナル・コードを発見した天才として知られている。

 

「今日中に解決していただきたいのですが、何やら話が長引いているようでしたので。改めて、状況を整理したいのでこちらにどうぞ。席を用意しました」

 

「先ほどは断られたが、大会前に入っても大丈夫なのか?」

 

「ええ。流石にウチの生徒が誰一人として気が付かなかったことですし、一高としても早期に問題を解決したいのでしょう。三高の会長からも許可をもらいました」

 

どうやら事態の深刻さを理解したのか、三高側も話を聞いてくれることになったようだ。

だが、この場所にはあまりいたくない。せき止められていた地脈と運気が流れ出し、霊子の波に溺れるような感覚だ。

 

「すみません、十文字会頭。雅の体調が思わしくないので一度、戻ってもよろしいですか」

「でも…」

 

体調は最悪だが、私がいなければ説明もままならないだろう。

だが二の句を紡ぐ前に、達也と目が合った。

思った以上に彼は有無を言わせない様子で私を見つめており、これは私が大人しくしているべきなのだろう。

 

「ああ。三高の会長には俺から話をつけよう。すまないが、一番詳しい者が術の影響を受けている。俺の分からない範囲は持ち帰る形になるがいいか」

 

「ええ。流石に体調が悪い女性を引きとめておくほどこちらも狭量ではありませんよ」

 

「申し訳ありません…」

 

「競技に支障をきたしては元も子もない。司波、任せたぞ」

 

「はい」

 

達也に支えられながら私はその場を後にした。

 




感想・評価ありがとうございます。
とても励みになっています!

残念ながらしばらく更新停止します。
月末には再更新できるように頑張りたいです。
感想もお返事出せないと思いますが、読むだけはできると思いますので、気が付いたことがあれば何でもご連絡ください。


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九校戦編5

1月は行く、2月は逃げる、3月は去ると言う通り、早くも2月の終わりが近づいてきていますね。
ようやく一段落つきました。
息抜きにちょこちょこ書いていたのですが、色々あって燃え尽きてしまったので、この時期の復活となります。

大変お待たせいたしました。
いつも通り拙い文章ですが、楽しんでいただけたら幸いです。



おぼつかない足でホテルに向かって歩き出す。離れたのはいいが、状況が改善されているわけではなかった。目の前には精霊が飛び回り、霊子の眩しさに目が焼かれそうになる。

 

「大丈夫か?」

「なんとか…それより、どこか魔法を使っても問題ない場所はないかな?」

 

どうにか押さえているが、私に当てられたかのように雷の精霊が反応し、パチパチと静電気が発生して空中で小さなスパークを起こす。

 

文字通り、この場でコントロールしている力が解放されれば大問題となる。

10年前と同じように周囲一帯に電波障害が発生して、電子機器が壊滅状態となるだろう。

 

「…分かった。少佐たちも来ているようだから、聞いてみよう」

 

達也は私がここまで干渉力を乱したことを見たことはなく、事態の深刻さを理解してくれた。

 

「ご迷惑を」

「気にするな。これは俺にとっても問題だ」

 

彼には申し訳ないと思いながらも、この事態を収拾するには力を借りない訳にはいかない。

達也はすぐさま端末で連絡を取り、ホテルとは少し離れた軍用施設まで向かうことになった。

私の腰を支えながら歩く達也に危害を加えないよう必死に精霊たちを抑えながら、私たちは歩みを進めた。

 

 

 

 

九校戦は軍関係施設を利用しているが、全ての場所が利用されるわけではない。指令室や軍用の訓練場、機密を取り扱う研究所などはまた別の施設があり、そこは本来関係者以外立ち入り禁止だ。

 

監視カメラもあり、不用意に近づくと警報が鳴るはずだが、一時的に解除されているようだった。その施設の裏口で待っていたのは予想通り、響子さんだった。

彼女がカメラの映像や警報を一時的に遮断してくれたのだろう。

 

「雅ちゃん、大丈夫」

「響子さん、すみません。無理を申し上げて」

「顔、真っ青じゃない。救護室に行く?」

 

私の手を取る前に響子さんは一度、立ち止まった。

電子の魔女と呼ばれる彼女も私同様、電子電磁波などに感受性が高い。今、私の周囲には喚起していないにもかかわらず雷の精霊が集まっており、制御しきれない精霊が時折、パチパチとスパークを散らしている。

 

 

「藤林さん、電磁砲を使っても壊れないレベルの地下施設はありますか」

「あるにはあるわよ」

「今すぐ貸していただけませんか?」

 

達也の申し出に響子さんは少し間を置いた。

 

「………この状態の雅ちゃんと関係あるのね。分かったわ。本来民間人が入れる場所ではないけれど、今は都合よくウチの隊が使っているからね」

「すみません」

「いいのよ。可愛い魔女の弟子が困っているなら師匠は助けないといけないでしょう」

 

茶目っ気を含んで笑う響子さんに少しだけ心持が軽くなった。

 

 

 

 

 

施設に入ると真っ直ぐに廊下を進み、エレベーターを降りて、地下深くの魔法訓練室に通された。壁も核シェルター並とは言わないが、強固であり、これなら問題なさそうだ。

 

「皆さん、部屋の外に出て頂けますか?」

「そんなフラフラの状態で、可愛い女子高生を見捨てる大人に見えるか?」

 

中で訓練をしていた真田さんが気障にそう言うが、今はそんな冗談を言っている場合ではなかった。

 

「巻き込まない自信がありません。お早く」

「行きましょう」

 

私が語気を強めて言えば、響子さんに背中を押されるようにして真田さんは部屋の外へと引きずり出された。

 

二人の気配が遠ざかるのを確認して、私は一息ついた。

視界を埋め尽くすほどの精霊たちのコントロールを外し、サイオンを一気に解放した。

 

 

 

 

 

 

一方その頃、何重もの防弾ガラスで仕切られた観測室では達也と一〇一のメンバーが演習場にいる雅を見ていた。観測室内は緊張の糸が張り詰め、険しい表情が浮かんでいる。

 

雅が息を吐き出すとサイオン活性を示すキルリアンフィルターが、異様なまでのサイオンを感知する。

 

最初は小さな雷だった。

それが徐々に規模を増し、雅を中心として部屋中を電気のスパークが蹂躙する。膨れ上がった雷はやがて轟音を立てて、大きな塊になっていく。

 

「CADなしであの規模の魔法を…」

「驚いたな」

 

雅はCADを一切使用していない。

ただ集まる精霊に自身のサイオンを与え、活性化させているだけだ。

測定モニターにはその活性のレベルが示されており、部屋に入った時点で異常なほど雅の周りには精霊が集まっていた。

 

それらの精霊が一気に反応すればどうなるのか。

言わずもがな、力を得た獰猛な龍のごとく、超高圧電流が部屋の中で暴れまわっていた。殺傷ランクA相当、多数を即死に至らしめるレベルの魔法が息つく間もなく展開され続ける。

 

5分もしなかっただろうか。

次第に雷の規模は小さくなり、やがて収束していった。

 

雅が一息つくと、観測室の方を向き一礼した。サイオン切れを起こした様子もなく、むしろすっきりとした様子で顔色が良くなっていた。

 

だが、観測室にいた面々の心中は穏やかではなかった。指令室にいた真田は思わず苦笑いを浮かべ、風間もその目は何か深く考え込むような様子だった。

 

部屋の中は電流が這いずり回った結果、所々が焼け焦げている。

まるでレーザーでも使用したか、高出力のガスバーナーで焼いたかのように装甲が焼け焦げている部分もある。後日、地上戦の戦略級兵器の開発でもしているのかと軍上層部に問われるほどの惨状だった。

 

 

 

 

 

 

 

風間少佐からの指示を受けて、私はすぐ隣の観測室へと向かった。

響子さんから暖かい紅茶を差し出され、一息ついた所だった。

 

「あれだけCADなしで放電して、疲れないのかい?

普通、あの規模の魔法は一発でサイオン切れ起こしてもおかしくないよ」

 

真田さんは部屋の惨状を横目に見ながら私に尋ねた。部屋は壁があちらこちら焦げ付き、剥がれ落ちている部分があり、魔法戦闘用の超合金が容易く破損していた。

 

真田さんは技術士官でもあり、兵器開発にも関わっている。部屋の壁に設置されていたのはロケットランチャーを撃ち込まれても貫通しない装甲であり、魔法戦闘用の部屋がこうも損害を受けたことに衝撃を受けている様子だった。

 

「いわば決壊寸前のダムだったので、余剰分を発散させただけですよ。もし外で暴発したら、一帯が電波障害を引き起こしていたと思います」

「サイオンの暴走?違うわよね」

 

響子さんも観測データを見ながら思案していた。

 

「サイオン供給の過剰です」

「供給って言っても、自分の体のサイオンでしょう?」

「地脈と精霊のサイオンです。コントロールが未熟で申し訳ありません。流石に富士霊域は違いますね」

 

私の言葉に真田さんは首を傾げ、響子さんは半信半疑で問いかけた。

 

「じゃあ、まさか土地からサイオンを吸い上げたとでも言うのかしら?」

 

「ええ。三高にあった呪具を解除したら、地脈の精霊が憑代を求めて私の所に寄って来たんです。元々ここは力のある土地ですから、予想以上に上手くコントロールが効きませんでした」

 

三高に集められた運気と精霊は憑代をなくし、感受性の強い私の所に逃げ場を求めて集ってしまった。元々一高にあった呪具のせいで、気力が削がれたところに今度は過剰な精霊と霊子に襲われたのだ。過剰にサイオンが与えられれば、いくら私でもコントロールしようにもあの場ではどうしようもなかっただろう。

 

 

「大丈夫か、雅」

「ええ」

 

達也が私の頬に手を添えた。鍛錬で硬くなった掌が私の頬をなぞる。

 

「顔色も良くなったな」

 

彼も心なしかほっとした表情をしていた。思った以上に心配を掛けてしまったらしい。

 

「心配をおかけしました。もう、大丈夫よ」

 

一通り発散させたので、精霊も散り散りになり、元の場所に戻っていった。これで地脈も少しは回復するだろう。

 

 

ごほんとワザとらしく咳が聞えた。音の主は風間少佐で少々居心地が悪そうな、何とも言い難い顔をしていた。

 

達也の手のぬくもりが離れると、置かれていた状況を理解し、慌てて立ち上がり少佐に向かって一礼をした。

 

「風間少佐。急な申し出にもかかわらず、一般人の私に施設を貸してくださりありがとうございます」

 

一般人の私に軍用施設を無断で貸し出したと分かれば、この人の立場上よろしくない。

いくら響子さんがカメラやデータを誤魔化していても、この訓練場の惨状をどう説明するのかという問題を残してしまった。

 

「構わない。こちらも部屋の強度と言う面ではデータを取れたな。それに、君も無関係とは言えないだろう」

「………そうですね。外面だけではなく電気系統は無事でしたか?」

 

確かに私も名を貰い、軍とは“無関係”とはいかなくなったのを既知のようだった。

 

「ああ。これでも魔法戦闘用の部屋だからな。そん所そこらの衝撃ではビクともしないさ。修理と言っても表面だけで済むだろう」

 

真田さんは肩を竦めながらそうおっしゃったが、修理費と言っても相当高額になるだろう。いくら一〇一が魔法関連で多額の研究開発費を貰っていても、これは予想外の出費になるはずだ。

 

「本当に、未熟なばかりに申し訳ありません」

 

急なこととはいえ、達也を始め多大なる迷惑を掛けてしまって恥ずかしい。これは兄達に合わせる顔がない。最近は九校戦の練習ばかりだったから、本格的に基礎訓練のやり直しをしなければならないだろう。

 

「謝罪はそのくらいにして、本題に入らせてもらってもいいだろうか」

 

比較的穏やかだった表情から一転、風間少佐は軍人としての顔になった。本題とはつまりあの壺の事だろう。

 

「特尉から大方は聞いたが、地脈を乱すほどの術者がこちらに来ていたのか」

 

「いえ、術式自体は難しく高度なものですが発動自体は容易です。壺の刻印術式などからしておそらく大陸系の術式です。壺自体の魔法は強力ですが、発動自体はサイオンをごく少量流すだけであとは地脈に沿って自動で作用しますので製作者と設置者が別だとしても問題はないでしょう」

 

私も大陸の術式にまで精通していないが、日本にも似たようなものがある。

地中に何かを入れて運気を集めたり、乱したりする手法は平安時代より前から行われていたことだ。

しかし、今時日本では不確定要素も多く、昔と違って地脈を読む事の出来る術者も少ないため表立って使われることのない手法だ。

 

「なるほど。僅かでも魔法師としての能力があれば設置自体は可能と言う事か」

 

「ええ。埋め込んでおけばその後の回収も調整も必要ありませんから、準備と効果が表れる時間を考慮しても気取られにくい手法です」

 

「しかも、一高から三高に運気が流れるようにした。ただの三高贔屓とみるには、些かキナ臭いな」

 

「対外勢力が働いている可能性があると見てよろしいでしょうか」

 

達也も同じく、軍人としての顔をしていた。彼から聞いたが、最近「無頭龍」という国際犯罪シンジケートがこの付近で活動しているのが確認されている。時期的にも九校戦狙いであり、今回の一件も彼らの関与が考えられる。

 

「その可能性が高いな。藤林、調べを進めてくれ」

「了解しました」

「それから、雅さん。ここは軍事施設だ。ここで見たこと、聞いたことは他言無用で頼む」

「心得ました。こちらこそ、御無理を通していただきありがとうございます。後日、改めてお礼に参ります」

 

あの部屋の現状は私の財布だけでは無理だろう。心苦しいが、家にいくらか頼むことになりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

九校戦は明後日、八月一日から行われる。

しかしなぜ二日前に全ての魔法科高校が集められるのか。それは今から行われる懇親会のためだ。会長はいらない腹の探り合いは気が進まないようで、達也もあまりパーティやレセプションという華やかな場は好きではなかった。

 

「制服が合わないのか?」

「いえ、問題ありません」

 

乗り気でない、むしろ嫌そうな達也の雰囲気が伝わってしまったのか、摩利から疑問を投げかけられた。

校章が前から見えないといけないからという理由で、半ば無理やり達也は一科生の制服を着せられていた。いくら基本的なサイズは揃っているとはいえ、個人に合うかどうかはまた別だ。

校章がワッペンなら楽なのだが、これは刺繍であり、二回しか着ないのにわざわざ買うのもどうかと思い、達也は学校で用意されていた予備の制服を着用している。

 

「お姉様が調整してくださいましたから」

「雅が?アイツ、とことん器用というか万能と言うか、家庭的だな」

 

達也の制服について深雪が嬉しそうに答え、昔で言われたところの“女子力”が高すぎる雅に摩利は半ば苦笑いだ。

 

達也が試着した予備の制服は一回り小さいものは胴回りが少し窮屈で、また大きいものは余ってしまって見た目が悪かった。

雅は大きい方の制服に糸を通し、達也の身丈に合うように仕立て直していたのだ。

無論、借りものであるため元に戻すのも容易であり、言われなければ裏地であっても仕立ての糸も目立たない。

 

今や裁縫をできる女子も珍しく、洋服の仕立て直しをできる雅は別の意味で特殊だった。

深雪も刺繍などは淑女の教養として一通りできるが、雅は家の仕事柄必要になるため、和裁まで教えられている。

 

「何時嫁ぎにいらっしゃっても万全ですよ」

 

満足げに笑う深雪の言葉に何人かの男子生徒は心の中で血の涙を流していた。

雅の隣には深雪がいつもいるので、雅自身そこまで自分の事を綺麗や美人だとは思っていない。それは彼女の兄も理由の一つだろうが、ここでは説明を省略する。

 

彼女自身、良くて上の下か中の上程度だと思っている。

京都にいたころは実家との繋がりを持ちたくて彼女の周囲に集まってきている人が多く、また高校に入ってからも基本的に寄ってくる人物は深雪に対して外堀を埋めに来たと思い、穏やかな顔をしていても警戒心は常々持っている。

 

そうは言っても実際の所、人当たりが良く同学年だけではなく上級生からの信頼も厚い。

基本的には敵を作りやすい達也の緩衝材となったり、深雪も兄が絡んだ場合には人が変わるため雫やほのかをはじめとしたA組では唯一のストッパーとなっている雅を頼りにしている。

また風紀委員からも新歓や春の襲撃事件で披露された知覚系魔法の腕前を評価され、一部の生徒は武の方でも腕が立つと知っている。

どちらかといえば人柄はいいが、仕事柄上どうしても荒事が多く、馴染みにくい風紀委員会に物腰の柔らかい雅がいたことで女子生徒からも安心されている。

 

長々と語ったが、基本的にモテるのだ。

深雪は高嶺の花、深窓の令嬢、稀代の美少女かつ新入生総代とあって未だに遠巻きに見られることが多い。勇気を持って話しかける生徒もいるが、基本は彼女のアルカイックスマイルにやられ、尚且つ鉄壁の兄と義姉がいる。

 

深雪は無理でも雅ならばと淡い期待と憧れを持つ男子生徒も少なくはない。

一年生からは同学年にしては落ち着いた雰囲気に惹かれ、上級生からは一歩引いて周りを立てる様子に好感を持たれている。

高校に入ってから実際に告白をされたことはまだないが、雅に思いを寄せている生徒がいるという噂の一つや二つ、達也や深雪の耳にも入っていた。

 

「それで、その達也君の嫁は大丈夫なのか?」

 

“嫁”という言葉に一瞬達也は顔を引きつらせ、他の生徒もギョッとしていたが、ここで反論しても摩利の嗜虐心を煽るだけと彼は知っているので、額面通り質問に答えるだけにした。

 

「言うなれば船酔いに近いようなものだったみたいですよ。今は回復して、専門家と連絡を取っています」

 

無論、船酔いと例えるのがこの場合適切ではないことを達也は知っている。しかし、雅から余計な不安感を周囲に与えないようにと釘を刺されており、やむなく船酔いという表現を使っている。

 

「専門家?」

 

慌てる様子も恥じらう様子もない達也の反応に若干面白くなさそうな表情で摩利は聞き返した。

 

「流石に地脈を乱されたので、ある程度修復をしなければならないそうです。持って来ている道具だけではそれが不可能なので、その筋の方に依頼をしているところです」

 

雅の持ちこんでいた道具は基本的に厄払いの道具だけである。そのため地脈を正常にするためにはまた新たに呪具を埋め込むか、相応の術者が地脈を修復するしかない。

 

しかしながらこの七月、八月は夏祭りやお盆が控えている。

魔法科高校生にとってメインは九校戦だが、寺社仏閣関係はそちらの準備に手を取られている。特に霊的にも活発になるのがお盆の時期であり、霊能関係の問題が出現しやすい時期でもある。

心霊スポットを興味本位で見て回る愚か者はいつの時代にもいるため、まれに本当に霊傷を受けた者のために、除霊や厄除け等々の仕事も舞い込んでくる。

魔法が体系化されたとはいえ、未だに古式魔法の一部や霊能現象は完全に解き明かされていないのである。

 

見えない故にそれを恐れ、見えない故に干渉されても対抗できず、見えない故に過ちを犯す。

本格的に超常現象を相手に出来る霊能者は現在の日本において希少な存在であり、古くから化け物退治にも関わって来た九重の系譜は師走と並びこの時期は大変なのだ。

 

それゆえ、一高と三高のことは他の案件と優先順位を考慮しても、今の所大きな問題はなく、少なくとも今日はこのままだと達也は雅から聞いている。

彼女の家ならこのこと自体を見透かして、今回の事は別の仕事を終わらせてからでも出来ると判断したため、雅に道具を持たせていたと推測できる。

 

いずれにせよ、壺の解析も五十里と鎧塚によって処理されたため、達也に出来ることは現時点ではなかった。

 

 

 

 

 

 

懇親会は選手だけでも360名を超え、裏方を入れると400人を超える。それ相応に広い会場となり、スタッフも臨時で雇われた学生が多く見られた。

 

実家のコネを使ったエリカや幹比古もバイトとしてこのホテルに宿泊しており、美月やレオは裏方の仕事をしていると分かった。関係者とはこのことだったらしい。

 

エリカが幹比古を探しに行くと、入れ替わるように深雪を探しに雫とほのかがやって来た。他の一高メンバーはというと、一年生同士で集まり、こちらを窺っていた。

 

「みんな達也さんにどう接したらいいか分からないんですよ」

「なんだそれは。俺は番犬か」

 

自分が「異端」だと感じている達也もさすがに、馴染みにくい雰囲気に晒されるのが心地いいわけではない。

 

普段なら雅が間に入って緩衝材となっているのだが、まだこの場には来ていない。

しかも、雅との関係が判明してからというもの、彼に向けられる殺気は増すばかりだ。無論、本当に殺意を持っているわけではないが、害意には鋭い彼にとっては気が休まらない場でもある。

 

「ばかばかしい。同じ一年生で今はチームメイトなのにね」

 

竹を割ったように断じたのは、千代田花音であり、五十里啓と共にこちらにやってきた。

 

「分かっていてもままならないのは人の心だよ、花音」

「それは時と場合によるでしょう、啓」

「どちらも正論ですがこの場合、もっと簡単な方法がありますよ。

深雪、皆の所に行ってきなさい。チームワークは大切だよ。ほのかと雫もまた後で。」

「…分かりました」

 

3人とも少し不満そうだったが、その辺は大人しく達也の言葉に従って他のメンバーの元へと向かった。あまり良く知らない同級生といるよりも、達也といる方が有意義であり、心理的にも好ましいのだが、少女たちも達也の意図を理解していた。無論、納得はできていないのが二名ほどいるのは達也も気が付いていたが口に出すようなことはしなかった。

 

「後回しにしただけじゃない」

「この場合は良いんですよ。時間が解決してくれることもありますから」

 

彼自身が孤立することは一向に構わないが、深雪たちが巻き込まれるのであれば別問題だ。それに彼にとっては同級生の幼稚な嫉妬じみた視線程度に心は動かされることはなかった。

 

「それで、司波君はどうするの?」

 

言い負かされて少々ムッとしたように花音は達也に尋ねた。雅との一件から彼女の事は知っているが、改めて相当な負けず嫌いのようだと達也は思った。

 

「あそこで捕まっている雅を助けに行きますよ」

 

達也が視線を入口付近に向けると、つられるように二人の視線もそちらを向いた。

 

そこには5人の他校生と会話をしている雅がいた。

制服もバラバラであり、学年も学校もまとまりはなく、一見どのような繋がりがあるかは推測しにくい。上級生の二人は見知った顔のある一方、達也は知らない顔が多かったが関係性は容易に推測できた。

 

「雅ちゃん、体調大丈夫そうなの?あと他校生ばっかりだけど、知り合い?」

 

「あの場から離れて休んだら持ち直したようです。

話しているのはおそらく雅の親戚関係か家の仕事の関係でしょう」

 

表向きは神社という仕事柄に加え、九重は京都でも有数の名家、名門であり、雅の顔はかなり広い。古い家でもあるため、親戚関係も幅広く、たった三代でも辿れば全国各地に親類が存在することになる。当然、この九校戦に出場できるレベルの同世代の親戚や友人も少なくない。

 

 

「元気になったのならそれでいいわ。新人戦の要だもの。しっかり体調を整えてもらわなくちゃ。あと、にこやかに談笑しているようにしか見えないけど助けるって?」

 

傍から見れば雅は二高の女子と和やかに談笑しているようだが、長い付き合いの達也は雅が笑顔の下に苛立ちを覚えているのが分かった。深雪も巣窟で育まれたというべき天使も悪魔も逃げ出す笑顔を武器とした対人スキルは持ち合わせているが、雅もまた多くの人波に揉まれてきたため人当たりの良さそうな笑顔を作り出すことくらい容易だ。

 

 

「雅は元々京都住まいですから、二高ではなく、一高に来たのでとやかく言われていると思います」

「ひょっとして司波君と一緒にいるため?雅ちゃんもやるわね」

 

先ほどの仕返しか、花音はニヤニヤと笑っていた。

 

「………では、失礼します」

 

達也にとって花音の指摘はまさに図星であり、下手に反論するより、あちらの方が優先だと頭を切り替え、二人に目礼をした。

 

「うん、またね」

「お姫様を助けに行ってらっしゃい」

 

ニコニコと笑う五十里と花音に別れ、達也は雅の元へと足を進めた。

 

 

 



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九校戦編6

長かったので、分けました。
え、分けたのに1万字超えるだと・・・・
そして、まだ九校戦は始まりません。

※方言等出てきますが、にわか知識です。役割語として理解していただけると助かります。


軍施設からホテルに戻り今日の一連の事件について実家に連絡を終えると、私は急いで懇親会の会場に向かった。連絡調整をしてもらった結果、どうやら京都から人員は出せないが、関東の守護代なら比較的手が空いているそうだ。道具を持っていけと言われた以上、このこともお見通しだったようだ。

 

懇親会前に鎧塚先輩にあの壺を解析してもらった結果、埋め込まれたのは少なくとも1か月以上前の事らしい。五十里先輩が辛うじて術式について知っていたらしいが、壺に掘り込まれた刻印はかなり古い大陸系の術式で、私の見立て通り今ではほとんど使われることのない代物だそうだ。

 

 

来賓の挨拶には間に合ったようで、生徒たちは同じ学校で固まって食事や会話を楽しんでいた。

生徒会や部活動などで顔なじみのある生徒たちは互いに闘志を燃やし、腹の探り合いを繰り広げていた。深雪もおそらく生徒会として他校への顔合わせと挨拶回りに行っている頃だろう。

 

夕食の時間だが、昼間の事があり、それほど食欲はない。

幸いにもあっさりと食べやすい古式魔法師向けの精進料理も用意されているため、食欲はなくとも少しつまむ程度に食べておいた方がいいだろう。

ひとまず様子を見計らって会長に報告にしようと思って姿を探すと、前から見知った顔が満面の笑みを浮かべて突撃してきた。

 

 

「みやちゃん、久しぶりやな!!」

 

香々地橙(カカヂ アカリ)。二高の一年生で、私の古い友人だ。九校戦の出場は知っていたが、早々に突撃されるのは予想外だった。

 

「久しぶりね。嬉しいのは分かるけれど、公衆の面前で抱き付くことはやめなさい」

「えー」

「知り合いとは言え、大会前にチームメイトを不信にさせるべきではないでしょう」

「相変わらず、お堅いなー」

 

雫よりも小柄で、中条先輩より少し背が高い彼女は抱き付き癖の様なのもがあり、これは昔からなので、今ではもう慣れたものだ。

 

(わきま)えなさい」

「はいはい」

 

普段なら気にしないが、今回は場が悪い。いくら知り合いとは言え事情を知らない生徒が多く、他校生と仲良くしていてはチームメイトにもあまりいい印象は持たれない。無論、そのようなことは言わせておけばいいとは思うが、二高の前で悪目立ちするのは避けたかった。

 

彼女は大人しく離れるが、悪びれた様子は全くなかった。年相応に可愛らしいが、少々子供っぽいのが玉に瑕だ。

 

「今回、ユズ君も出場してるやで。あ、ユズ君にマコさん!」

 

少し離れた位置で話していた二人の男子を燈ちゃんは呼んだ。

 

六高の錦織柚彦(にしこおり ゆずひこ)と九高の梅木真(うめき まこと)。柚彦君は二年生でこちらも古くからの顔なじみであり、真さんは従兄にあたる。

 

「!?」

「早よ、早よ!」

 

柚彦君はおろおろと首を振っていたが、燈ちゃんに引きずられるようにして私の前に来た。真さんは半分呆れ顔だ。

 

「よう、久しぶりだな」

 

片手をあげ、真さんは気さくに挨拶をした

 

「久しぶり。会うのは春以来ね。柚彦君は技術スタッフとして今回は参加するんですね」

 

背は高いが、気は小さい柚彦君はコクリと首を縦に振った。

 

「楽しみにしています」

 

もう一度、今度は少し恥ずかしそうにコクリと首を振った。

彼は話せないわけではないが、少々声にコンプレックスを持っており、声を発することは少ない。それでも長年の経験でなんとなく話したいことも分かり、意思疎通はできる。

 

「ユズ君、何の競技の担当なん?」

 

燈ちゃんが担当競技を聞くと柚彦君は手をパタンと倒したのと、鉄砲の様を打つような仕草をした。

 

「アイスとシューティング?……クラウドか!」

 

燈ちゃんが答えると、彼は嬉しそうにコクッと頷いた。男女どちらの試合か、本選か新人戦か分からないが、クラウドだったら私は彼の担当選手と当たるかもしれない。クラウドで詠唱は使われることはないだろうが、六高も古式魔法の家が多く、ピラーズ・ブレイクは要注意だ。

 

 

「お嬢、ここにいらっしゃったんですね」

 

広い会場だが三高の上杉も私たちの姿を見つけて、こちらに歩み寄って来た。

 

「ああ上杉の所の次男坊か。お前んとこと一高は大変だったみたいだな」

 

真さんの顔にはいたわりの念と、若干の疲れが浮かんでいた。

 

「大変で済んだらいいんですが、自分は何分疎いものでして、お嬢に指摘されるまで少々気が澄んだところ程度にしかおもっていませんでしたよ」

 

「ウチのとこも調べてみたが、無反応だったな。狙いはそっちってことは、優勝候補潰しか?」

 

念のため彼らにも一高と三高の事を伝えてある。他にもあのような呪具がないかそれぞれ調べてもらったが、そのようなものはなかったそうだ。

 

「二高もなしや。あと、ハル君が台風の目はこっちだって言ってはったな」

 

ハル君とは私の兄であり、九重の次期当主だ。この会場には来ていないが彼の能力で“見た”のだろう。台風がこちらにあると言うことは、要するにこの場でまた何か起こると言うことだ。

 

 

「この時期に俺たちが家に呼ばれないって今年は相当安泰かとおもったら、そんな事だろうと思ったよ」

「厄払い本家本元のお嬢がいて、これとは今年は皆揃って厄年ですか?」

 

真さんと上杉が揃って私を見てやれやれと肩をすくめた。

確かに、この時期に私達がこれだけ集まれるのも珍しい。

皆神社や寺の息子や娘であり、夏祭りやお盆の時期に合わせた神事にかかりっきりなので、どの家も猫の手を借りたいほど忙しくなる。

それが揃いも揃ってこちらに出場できること自体、通年あり得ない。

兄達も二高に通っていたが、実家の手伝いのため九校戦の出場を辞退していた。それだけ今年はこの場で起こるであろう事件の比重が高いと言えるのかもしれない。

 

「ユズ君、顔蒼いで。心配し過ぎやって」

 

若干柚彦君の顔が青くなっていた。彼はどちらかといえば、理論の方が得意であり、さらに刻印魔法を主体とした神具作製の家系である。魔法技術もそれなりにあるが、気も弱い方で荒事も苦手としている。

 

春の一件のようにテロリストが襲撃してくるだなんて思いたくはないが、実際に侵入されてあのような物を埋め込まれたり、事故を起こされたりしているので、絶対にないとは言い切れないため、油断はできない。

 

 

 

九校の会長、六高、三高の2年生男子二人、一高、二高の1年生女子二人。初参加もいるなかで、珍しい組わせの集団だろう。少々目立ってしまったようで、あまり気乗りのしない人がこちらに向けて歩いてきていた。

 

「あら、華やいだ方がおりはると思うたら雅さん。ごきげんよう」

「お久しぶりです、円花(まどか)さん」

 

二高の三年生である彼女、舞鶴円花さんもまた私の知人である。くっきりとしていて、華やかな顔立ちは人目を引き、深雪や会長とは違ったタイプの美人だ。

 

「昨年の秋の宴以来ですね」

「ええ、そうやね。御実家を離れて一高に通ってはるようやけど、元気そうやなあ」

「ええ、お蔭様で」

「てっきりお兄様方と同じ二高(ウチ)に来はると思うたのに、残念やわ。でもそんだけ【星巡り】はええ方なんやなあ」

 

ニコニコとしているが、声は冷たく、私の事を値踏みするような視線が絡みつく。私も同じように笑みを作っているが、本音を言えば相手をしたくない。

 

「とても誠実な方でいらっしゃいますよ」

「あら、そうやの。安心したわ」

 

上品に見えて、この人も相当いい性格をしており、特に私を敵対視というかライバル視しているの節がある。昔は互いに高め合い、意識し合う間柄であったが、彼女にとって今や私は気に入らない存在の一言に尽きるだろう。その理由は完全に理不尽な思いで、苛立っている理由も知っているが、私にはどうしようもないことだ。

 

「せやけど、雅さんがそうしゃべらはりますのなんか変な感じやなあ。もうすっかり御郷を忘れはりましたん」

 

そして苛立っているからと言って私に当ることはお門違いだ。ウマいこと言葉を誤魔化しているが、後ろに隠された意味は酷い物だった。

 

「いややわあ。そないきつう言わんでも、ええのに。円花さんもいけずな御人やわあ」

 

先ほどの言葉遣いから、笑顔は同じまま、京言葉に変える。

 

「いけずやありまへんよ。あまりにも惚気はるもんやから、ちょっと照れた様子でも見せてくだはったら可愛らしいのに」

 

「ほな、意地悪言うてはりますやん。円花さんかて、【鶴ノ宮】の名前は未だ健在で、綺麗な御人やから殿方からお慕いされてますやろ?」

 

此方がそう言うと円花さんは僅かに口元を引きつらせた。【鶴ノ宮】は彼女が昔使っていた巫女舞の名であり、彼女にとって捨てた名だ。もう触れられたくない名でもある。

 

私達の冷戦に、燈ちゃんは辟易しており、柚彦君は怯え、後の二人はとばっちりを避けるため傍観を決め込んでいた。皆、無駄に口出しをして矛先を向けられる方が面倒だとよく理解している。

 

 

静かに火花を散らし見かけ上、笑いあっていると後ろから声を掛けられた。

 

「雅」

「達也」

 

私が振り返ると皆の視線が達也に注がれた。

 

「………ああ。あんさんが雅さんの【星巡り】なんか」

「!」

 

私が単に呼び捨てにしたことだけで分かってしまう円花さんも相当目敏いが、私が名前で呼ぶこと自体、仕事のつながりがあるか、古くからの知り合い以外あり得ない。私も迂闊であったが、彼女が私と彼の関係性を推察して、鎌をかけてきたのだろう。達也も私の実家以外では呼ばれない呼び方に緊張感を漂わせた。

 

「へー、そこそこイケメンやん。ハル君やみっくんには敵わへんけどな」

「ああ、そうだったんですね」

「お前が【大黒天】か」

 

燈ちゃんは少々意外そうで、上杉と真さんは納得したように達也を見ていたが、達也の方は警戒心を解いていない。

 

「雅」

「九重神宮の関係者です」

 

【星巡り】と【大黒天】

どちらも実家では達也を意味する言葉だ。

【星巡り】は【千里眼】の伴侶や彼らによって選ばれた婚姻関係を示すことが多い。達也も私の曾祖母に選ばれ、私の【星巡り】と呼ばれている。

 

私に婚約者がいるのは周知のことだが、どこの誰であるかは伏せられている。当然、彼が四葉の関係者だとは知られていない。そのため、私も九重神宮の関係者と彼らを紹介した。これだけで彼には十分に伝わったようだ。

 

「初めまして。一高一年の司波達也です」

「司波ね…聞いたことない名やけど、無名の所に嫁ぐなんて雅さんも酔狂やな。それともどこかの落し種なんやろうか」

 

円花さんは達也を上から下まで一通り見て、鼻で笑った。

 

「あら、円花さんは鳥目やったん」

 

達也のことを何も知らないくせに、息をするように侮辱する彼女に言いようのないほど私は苛立った。達也をコケにされて私も穏やかではない。

 

「はいはい。二人とも、大会前やからそこまでにしときや。

二高一年、香々地燈や。よろしゅう。んで、こっちが六高二年の錦織柚彦君や」

 

一触触発の雰囲気に燈ちゃんが私と円花さんの間に入るようにして、私たちを諌めた。

 

「九高三年、生徒会長もしている梅木真だ」

「改めて、三高の上杉です。今日はお互い大変でしたが、本番が無事迎えられるよう尽くしましょう」

 

男性陣三人も自己紹介をし、私に目くばせをした。大会前にこれ以上の口論は悪印象だろう。私も少し頭が冷えたと同時に不甲斐なさも覚えた。

 

「こちらこそ、よろしくお願いします。彼女は七草会長に呼ばれていますので、ご歓談の所申し訳ありませんが、よろしいでしょうか」

「構わへんよ。ウチらも話すこと話したし、また何かあったら連絡してや」

「こっちも動きがあったら連絡しよう」

 

真さんと燈ちゃんも早く行けと目で私を促してくれた。

 

「よろしくお願いします」

 

私は“4人”に一礼すると、達也に促されるように背を向けた。

 

「雅さん」

 

だがそれを遮るように円花さんに呼び止められ、振り返ると相変わらず見かけ上は綺麗な笑顔のままの彼女がいた。

 

「ごきげんよう。精々お気張りやす」

「ごきげんよう。こちらこそ、どうぞよろしゅうお願いします」

 

最後まで嫌な人だ。

 

 

 

 

 

 

あの場を離れ、人混みに紛れると、ようやく一息つけた。昼間の事と合せ、今頃疲れが一気に襲ってきた。

 

「大変だったみたいだな」

「私は別にいいのよ。それより、ごめんなさい。嫌な思いをさせてしまって…」

 

いくら彼の素性を明らかにしていないとはいえ初対面で、あんなに彼に対して酷く言われてしまったのは情けない。怒りよりも、今は不甲斐なさの方が大きい。

 

「気にするほどじゃないさ。雅の家の事情は知っているし、俺のような無名の人間がどうしてと思うのも無理はない」

 

達也はそう言うが、私の気は収まらない。いくら彼がそのようなことに一々心を痛めるようなことがないと言ったとしても、あの発言を私が許せるわけではない。深雪がいたら、きっとあの場には吹雪が吹き荒れていたことだろう。

 

「彼女、本選に出てくるから直接は相手できないけれど、ミラージで徹底的に渡辺先輩に打ちのめされてしまえばいいわ」

 

私が彼女に試合で直接手を下せないのが残念だ。

 

「穏やかじゃないな」

 

私がここまで悪態をつくのは珍しいので、達也は苦笑いを浮かべていた。

 

「貴方を貶されて、私が怒らないとでも?」

「そう思ってくれるだけで嬉しいよ」

 

諌めるように穏やかに彼は微笑むが、未だ私の心は穏やかではなかった。

 

「もし、深雪があんな風に馬鹿にされて『お兄様が私のために怒ってくださっただけで深雪は十分です』って言われて、達也は馬鹿にした相手を許せるの?」

 

「それは………無理だな」

 

達也は少し間を置いたが、きっぱり無理だと答えた。

実際、春に深雪の目が曇っていると言われ、達也が服部先輩に模擬戦を持ちかけたのがいい例だ。大切な人を侮辱されて大人しくしているほど私も大人ではない。

 

「そう言う事よ。私も深雪と達也が大切なの。だから、達也が自分を大切にしない発言は悲しいわ」

 

彼が四葉でどのように育ち、扱われてきたのか知っている。彼がこの程度のことが日常茶飯事だとしても、慣れているとは言いながらも、侮られても仕方がないと肯定すること自体が私には少し寂しい。

 

大切な人が自分を大切にしていない。

それは悲しくもあり、寂しくもあり、同時に切なかった。

努力と無茶は違う。

度胸と無謀は違う。

認めることと許すことは違う。

 

彼が自身を顧みないことは今に始まったことではないが、それは今まで達也を大切にしてくれる誰かいなくて、無理や無茶を止めてくれはしかなったと言うことだ。

 

「…気を付けるよ」

「今度あったら、深雪にも言いつけるからね」

 

私がそう言うとまた困ったように彼は笑った。

 

いっそ彼を生まれたときからそのまま九重に引き取ってしまえば良かったと思う。今更あり得ない、もし、たられば、なんて夢物語だとは分かっていながらも、何度幻想を抱いたことだろうか。

彼に愛される未来を幾度夢見て、思い知らされたことか。

 

彼が大切だと思いたいと思ってくれることだけでいいはずなのに、私はいつの間にか我儘になっている。以前は声が聞けるだけで良かった。メールの一つが待ち遠しかった。年に数回の逢瀬が何よりも楽しみだった。

 

それなのに、今では積もり積もった思いで、押しつぶされそうだった。甘えられないのに甘やかされて、頼って欲しいのに頼るばかりで、愛されないのに愛していて、嫉妬も笑顔の後ろに隠して素直じゃない、可愛げなんてない。仕草の一つで、言葉一つで踊らされる、なんて都合のいい嫌な女なのだろうか。

 

そんな悲劇のヒロイン気取りの自分に気が付いて、また嫌になった。

黒く渦巻くドロドロとした酷い感情を悟られたくなくて、綺麗なままを見繕うようにして私は道化の仮面をかぶり悪戯めいて笑うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

所かわって三高の一年生のグループ。

 

彼らの視線を釘づけにしていたのは、それは見たこともないほど美しい少女だった。一高の生徒会長も小柄だが、大人っぽさと可愛らしさを兼ね備えた美人かつ実力も良く知られており注目度も高い。

 

しかし人目を集めていたのは可憐だとか、綺麗などという陳腐な言葉では言い表せないほどの美少女だった。いっそ男子の欲望と願望を詰め込んだホログラムかアンドロイドかと思うほどの美貌に男子だけではなく、女子も見惚れ、思わずため息をついていた。

 

「ジョージ、彼女は?」

「ああ。制服を見れば分かるだろうけれど、一高一年の司波深雪さん。出場種目はピラーズ・ブレイクとフェアリー・ダンス。一高一年のエースらしいよ」

 

一年生で名実ともに知られたクリムゾンプリンスとカーディナル・ジョージこと一条将輝と吉祥寺真紅郎。

一条将輝は一年生にしては高い、180cmの高身長と甘いマスクでいかにも女性が好みそうな顔だちをしており、吉祥寺の方は彼に比べると小柄だが、研究者にしてはしっかりと鍛えられている立ち姿をしていた。

 

彼らの視線は生徒会として挨拶に来た深雪に注がれていた。

特に熱のこもった視線を送っているのは一条将輝の方だ。

 

「へえ、司波深雪さんか」

「珍しいね、将輝が女の子に興味を示すなんて」

「そりゃ一条はがっつかなくても女子が集まってくるからな」

「イケメンはいいよな」

 

同級生の冗談と本気の混ざったモテナイ男の八つ当たりを聞きながら、将輝は誤魔化すように話題を変えた。

 

「そう言えば、あの壺を見つけたのも一高の一年生だろう」

「ああ。それならあそこに上杉先輩といるよ。体調悪そうだったんだけどもう大丈夫なのかな」

 

二人の視線の先には他校生たちと談笑している上杉の姿があった。

その中には一人、立ち姿の美しい一高の女子生徒がいた。

 

「九重雅さん。出場種目はバトルボードとクラウドボール。こちらもエース級らしい」

 

「九重か。確か古流の一派だったな」

 

「そうだね。九重と言えば、九重八雲は忍術使いとして知られているし、古式魔法の大家だ。親類であれば、誰も反応できなかった地中に埋まったあれを見つけられたんだと思う」

 

十文字家次期当主の十文字克人が直接やってきて悪い物が埋められているという話をしてきたときには、いくらなんでも荒唐無稽だと三高のほとんどが半信半疑であった。

 

しかし実際に床を剥がし、地面を掘り起こしてみれば、指摘通りに大きな壺が埋まっていた。上杉が開けても問題がないとして、壺の蓋を開ければ、綺麗に処理が施された虎の腕が入っていた。その事実に衝撃を受けた生徒は少なくなかった。

 

「なるほど。けど、あれって掘り起こさなくてもウチには問題なかったんじゃないか?ウチには運気が上がるものが埋まっていたんだろう」

 

一高には烏の死体という運気が下がる壺が埋められ、尚且つ良い影響を与える地脈ごと三高に集められていたと聞いた。むしろ三高にとっては掘り起こさない方が良かったのではないかという意見は自然な反応だろう。

 

「上杉先輩と一高の十文字さんから聞いた話だと、地脈の力が使われないのに溜まりすぎると暴発することもあるらしい。多幸感とか躁状態、一種のトランスだね。ついでに、もしあのままだったら、不用意に手に入れた運気のツケの精算は僕たちがしなければならないそうだよ」

 

彼らにとって運気を操ると言うことは馴染みのないことだが、猿の手の話を聞いて少しだけ理解はできた。意図せず得た力は、決して本人の実力ではない。それが他人にもたらされた物であるにも関わらず、災を被るのは自分たちとあっては穏やかではいられなかった。

 

「なるほど。それは危険だったんだな」

 

「正直、彼女が言う事が本当ならきっと予想外の出来事ばかり起きていただろうね。なにせ数値では全く現れない事象だし、僕らだけでは手が付けようがなかったよ」

 

肩をすくめる吉祥寺は内心かなり焦っていた。あのような事態は彼らにとって全くの不測の事であり、しかもそれを発見したのが他校の生徒だと言うことだ。

三高の代表団は現代魔法に優れた生徒たちで構成されており、一番古式魔法に詳しいのが上杉となっている。そんな彼も理論より実践の人間であり、特に何かを感知するのは得意ではないと言っていた。

 

これは今後精霊魔法や隠密性に優れる古式魔法で妨害にあった場合、三高は容易に足元をすくわれる可能性があると言うことだ。

 

「でもある意味では、幸運だったのかもしれないな」

 

一条の皮肉めいた言葉に、吉祥寺はまた苦笑いを浮かべた。あれやこれや悩んだところで、自分達にはどうしようもない魔法であり、直面する問題はひとまず回避できていた。

地脈云々については、追々専門家が直しに来るだろうと上杉から聞いているため、彼らに出来ることは九校戦に全力で向かう事だった。

 

「そうだね。運だなんて不明確なものに惑わされるほど、武の三高は甘くないって証明してみせよう」

「ああ」

 

少々芝居掛ってしまった吉祥寺のセリフだが、一条も乗り、周りの生徒も二人の雰囲気に心の安定を取り戻しつつあった。

そんな中ですら、視線が一向に例の彼女から離れない一条に吉祥寺はやれやれと内心ため息もついていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

懇親会も終わり、私は一度本部のあるテント向かった。昼間に一通り祓ったため、地脈の勢いは弱いものの特に大きな問題は今の所なさそうだった。

 

明日は大会前日であり、練習と調整に当てられている。私の試合は4日目以降なので、明日は様子を見ながら地脈直しを手伝うことになるかもしれない。

 

五十里先輩から改めて状況の整理と壺について詳しい話を聞いた後、軍関係者がやってきて壺は軍の方で預かることになった。流石に侵入してきたのが軍用施設なので、対外勢力が持ち込んだと思われるこれを証拠品として押収すると言われた。風間少佐からも連絡は貰っていたので、この件に関しては任せて良いだろう。

問題は乱れた地脈だが、明日の夕方に術者の派遣が決まった。

念のため、もう一度祝詞で場を清めてから、無理はするなと七草先輩と渡辺先輩に半ば押し出されるようにして本部を後にした。

 

 

 

体調も悪くはないし、もう少しやりたいことがあったが仕方がない。

一旦ホテルに戻ると、エイミィと里見さんがフロントで何かを受け取っているのが目についた。

 

「あ、雅。本部に行ってたの?」

 

エイミィは私を見つけると、荷物を持って私のほうに歩み寄って来た。

 

「ええ。詳しいことを五十里先輩に聞いていたのと、念のためにもう一度どんな状態なのか確かめてきたところよ」

「雅も大変だね」

 

里見さんが少々芝居染見た様子でやれやれと肩をすくめた。あの場にいた生徒は少なくなく、話は既に伝わっている。

オカルトの苦手な中条先輩や他の生徒には先ほどフォローしてきたが、こればかりは本人の気の持ちようだろう。明後日からの競技に支障がないと良いが、まだこれだけで終わるはずがないことは分かっているため、明日以降も警戒する必要があるだろう。

 

「でも、雅がいてくれたおかげで助かったじゃない。」

「それもそうか」

 

今の所、私が少し体調を崩しただけで目立った実害が出たわけでもないので、彼女たちはあまり気にしていないようだった。

 

「それで、こんな時間にどうしたの?」

 

競技用の荷物や器具は本部や設備車両にあるし、個人の荷物は昼間に各自の部屋に運び入れている。アメニティも大概は部屋に揃っているため、この時間にフロントを訪ねる人はかなり少数だ。

 

「そうそう。この施設の温泉借りられたから、皆で入りに行こう!」

「軍用施設なのによく許可が出たわね。でも私達、水着は持って来ていないのだけれどどうするの?」

「それも大丈夫!湯着とタオルを貸してもらったから」

 

どうやら先ほど受け取っていたのはそれだったらしい。深雪たちも呼びに行き、女子6人で大浴場へと向かった。

 

 

 

 

 

昼間色々とあったせいで、嫌な汗もかいていたため懇親会の前にシャワーは浴びている。だが手順にのっとって全自動シャワーブースで体の埃を流すと、髪を簪で纏め、湯着に袖を通す。

 

湯着を借りたときにも思ったが、予想以上に胸元や裾が心もとない。白いミニ丈の甚平、ただしズボンなし、といったところだろうか。一昔前の大衆浴場は全裸が基本だったと言うし、つい100年ほど前までは混浴風呂もあったと言うのが驚きだ。現代では混浴風呂と名の付いたレジャー施設もあるそうだが、そちらも水着着用が必須となっている。

女の子らしい声を上げてはしゃいでいる湯船に向かうと、皆の視線が一斉に私に集った。

 

「な、何かしら?」

 

どこか可笑しいところでもあっただろうかと心配になるが、襟のあわせも間違ってはいないし、紐もきちんと横結びになっている。

 

「雅、着やせするんだ・・・・・・」

 

沈黙を破るようにエイミィが上から下まで私を眺め、ぽつりとつぶやいた。

 

「着やせするって言うか、姿勢がいいからスレンダーに見えてたのかも」

 

付け加えるようにほのかが呟いた。

 

「それを言うならほのかだって、スタイルいいじゃない」

 

私が湯船に足を浸けると、ごくりと生唾を飲む音がした。視線の理由に気が付かないほど鈍感ではないが、同性にそんな目で見られてもどう反応したらいいのか困ってしまう。じっくりと人様に裸体に近い様な姿を見られるのはさすがに気恥ずかしい。

 

「もう!雅には達也さんがいるんだよ」

 

ほのかの悲壮な声が浴室に響き、エイミィは苦笑いを浮かべ視線を逸らした。ただ里見さんだけはじっと私に視線を向けたままだった。

 

「どうしたの、里見さん?」

 

「ああ、スバルでいいよ。いや、てっきり欲望の痕の一つ二つあると思ったんだけれども

ふむ…やはり司波君は朴念仁なのかい?」

 

ニヤリと笑った彼女の目は好奇心に溢れていた。

 

「随分と下世話なことを聞くのね」

 

私は思わずため息が零れた。

 

「いや、みんな知りたがっているとは思うよ。それで、実際は?」

「頭の中ではご自由に」

「やれやれ、連れないね」

 

演技めいた様子でスバルは肩をすくめた。彼女が言いたいことは理解している。

彼女たちは私と達也が婚約していることを知っていて、更に言えば実際そう言った方面が気になるお年頃でもあるので、そう思っても仕方のないことだろう。

 

「えっ、えっ」

「それって…」

 

ほのかは顔を赤く染め、スバルと同じようにエイミィは目を輝かせていた。

 

「司波君と雅がどこまで進んでいるかって話だよ。ほのかも司波君が気になっているんだろう?」

「いや、私は、その…」

 

ほのかが達也に向ける視線は恋心を帯びていると知っている。

彼女自身嘘をついたり、隠し事をするのが得意ではないタイプのようなので、その思いを口には出していないが、感付いている人は少なくない。

 

「確かに、達也さんって雅の前だとどんな感じなの?意外と甘えてきたりするの?あと、二人の関係ってどこまでいったの?」

 

私の意地汚い独占欲が心の中を渦巻くが、そんなことはお構いなしに、エイミィは頬を染めるほのかを煽るように私に聞いてきた。この手の話は相手がある程度満足するまで深追いしてくるのが常だ。

 

「なんの話?」

 

どう答えればいいものかと思案していると、タイミングよくシャワーを終えて湯船に深雪がやって来た。案の定、三人は色香を纏った深雪に視線を奪われていた。正直、助かったのは言うまでもない。

 

 

 

その後、雫がサウナから戻ってきて、温めの浴槽につかりながら、話に花を咲かせていた。

女子が集まればファッションだけではなく、色恋の話になるのは当然だ。懇親会にいたカッコいいと噂の他校生の話やバーの小父様まで、各々の趣味が分かった一時でもあった。

 

「そう言えば、お姉様。お兄様にお聞きしたのですが、京言葉でお話をされていたのでしょう」

「深雪、なぜそのように目を輝かせているのかしら」

「だって、私は聞いたことありませんもの。お兄様ばかり狡いです」

 

この時代、方言という文化は廃れつつあった。

未だに高齢の老人や地方の一部では使われるものの、全国的に標準語が浸透している。その中でも関西圏の方言は魂に根付いているようで、未だに関西弁はコントや落語、役割語として演劇や小説の中でも登場する。

 

ちなみに、関西圏の人間は一様に関西弁と括られるのを嫌う節がある。関西も地方地方で微妙に語尾のニュアンスが違い、イントネーションが異なることが多い。

京都は京言葉というのが京都人の言い分だ。何せ〇〇弁というのは方言であり、田舎言葉を意味するからだと兄から教わった。東京に首都が移された今でも1000年以上続いた都気質は失われていないらしい。

今や方言を使う若者は年々少なくなっている中、私が方言を使うとあって驚いているメンバーが多かった。

 

「え、雅ちゃん。関西出身なの?」

「実家は京都よ。5歳になるまでは関東の方だったから、住んでいたのは小学校と中学校だけね」

「へえ、そうなんだ。普段は方言出ないよね」

 

雫とほのかは私が京都出身と以前話したことがあるので知っていたが、エイミィとスバルは意外そうに私を見ていた。

関西の魔法科高校は第二高校が兵庫県の西宮市にあり、中四国、関西圏の魔法師はここを目指すことが多い。実際、兄たちや響子さんも二高を卒業しており、わざわざ遠く離れた魔法科高校を受験するのは何かしら特色のある学校に行きたいという希望があっての事か、レベルにあった学校に行くためがほとんどだ。態々京都から一高を受験した理由は聞かれなかったが、達也と深雪がいるからという理由は皆言わずとも分かっているのだろう。

 

「お姉様、いけませんか?」

 

期待を込めた視線が深雪を始め、皆から注がれる。

先ほどの視線のお返しもしてあげようと、私は深雪の頬に手を添えて話しかける。

 

「しゃあない子やなあ。堪忍しておくれや。私かて話そう思うて話しとるわけやないし、達也さんの前かて不可抗力や。私が深雪さんに敵わんと知っとって、そない可愛いこと言わんといてや」

 

深雪はまるで頬紅を入れたかのように顔を赤らめ、他の4人からは小さく悲鳴が聞こえた。

予想通りの反応に笑みを深めながら、隣にいた深雪に詰め寄り、深雪の細い腰に手を回す。慌てる深雪に耳元でふっと息を吹きかけ、さらに低い声を意識して囁く。

 

「こない人が仰山おる所で…

深雪さんだけやったら、朝までたぁんと睦言も囁いてあげようかと思うとったのに残念やわぁ」

 

硬直した深雪の頬に指を滑らせ、白い首筋をなぞる。声にならない悲鳴が深雪の口から零れ、皆一様に顔を染めたところで私は一呼吸おいて深雪から離れた。

 

「これでいいかしら?」

「「「・・・・え?」」」

 

真っ赤な顔からぽかんと呆気にとられた顔に変わっていた。

 

「皆、まさか本気だと思ったわけじゃないでしょう」

 

そうは言ったものの皆あちらこちらに視線を逸らしており、私も嗜虐心があったことは否めないが、少々冗談が過ぎただろうか。

 

世間では同性で恋人関係になる人がいることは知っているし、昔は衆道が嗜みだと言われていた時代もある。私は深雪の事は勿論好きだが、あくまで可愛い妹であり、恋愛感情ではない。言うなれば家族愛に近い物だろう。

 

「お姉様、決して、お兄様以外にその口調使わないでください」

「………そんなに似合わなかった?」

 

深雪がいつになく真面目な声で私を諭すように言った。

 

「いいえ。声も出ないほど素敵でした。特に男性の前ではいけません。お姉様の艶やかさに不埒な輩がやられてしまいます。御実家では仕方ないですが、絶対ですよ」

 

深雪に加え、他の皆も一様に首を縦に振っていた。

 

「確かに、危ないね」

「うん、危険。ダメだよ、達也さん以外に使ったら」

「危険って、スバルも雫もそんなに私がこの口調だと可笑しいのかな?」

 

京都でも今時ここまで方言を使って話す人は少ないが、東育ちの無骨者だなんて言われたら嫌でも覚えるしかないだろう。

 

「危機感をお持ちください。お姉様の魅力が更に増して、深雪は心配でなりません」

「大げさよ、深雪」

 

深雪の贔屓目と心配性はよく理解している。それに魅力と言われても、思う相手を惹きつけられない魅力だなんて私には必要のないことだと、また悲観めいたことを思ってしまった。

 

「あれ、雅って意外と鈍い?」

「素でアレなの?」

 

そんな私と深雪をエイミィとスバルが呆れたように見ていた。

 

「雅、人誑しだから。特に深雪に対して」

「雫、誤解を生むような発言は止めて頂戴。その言い方だとまるで私と深雪が恋人みたいじゃない」

「達也さんと深雪の兄妹丼…」

「むしろ司波君は両手に花だね」

「雫とエイミィ、本当に怒るわよ」

 

 

冗談交じりの年頃の少女らしい話で笑みを浮かべ、笑いあう私たちの中で一人、ほのかが切ない表情を時折浮かべていたのを私は見てしまった。

 

 

 

 

 

 

ほら、また燻る感情が悲鳴を上げている。

 




忍ぶれど 色に出りけり わが恋は 物や思うと 人の問ふまで



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九校戦編7

よ、ようやく九校戦が開幕します。
長かった・・・


お風呂から上がり、部屋に帰ると時計は11時を回っていた。髪を乾かしたり、入浴後のお手入れをしたりと女子は色々と時間がかかるのだ。明日は調整日であり、朝の集合時刻も早くない。

 

大会に備えてゆっくりと睡眠をとるべきなのだが、私にはやるべきことが残っていた。

 

いくらホテルの部屋数は多いとはいえ一人部屋ということもなく、大抵同級生や仲のいい者同士で同室となる。私は深雪と二人部屋で、深雪は寝る準備を整えているところだった。

 

「そう言えば懇親会でお話をされていたのはお知り合いの方だったのですか。その…あまりご様子が良くなかったとお聞きしたのですが、何かあったのでしょうか」

 

深雪は少し戸惑いがちに私に尋ねた。私が本部に行っていた間に達也から色々と聞いていたのかもしれない。

 

「ああ、舞鶴の御嬢さんね。二高の三年生で、血の繋がりは薄いけれど分家の一つよ。私も大人げなかったけれど、彼女の言葉を言い換えるとね、“男目当てに親元離れて粋がってんじゃねーよ、阿婆擦れ”って言った所かしら」

 

京都の親戚や仕事の関係先は私が二高に進学するものだと思っていた。それが一高を受験したと分かると、考え直してくれと多くの声があったと聞いている。舞鶴家の彼女も私が実家を離れ、東京で婚約者の近くで暮らしていると聞かされていることだろう。

 

実家が不動産資産として司波家から少し離れた位置にマンションの一室を持っていて、私はそこに住んでいると言うことになっているのだが、実際はあまり使用していない。

兄達が東京に出てきた時のホテル代わりに使うことも多く、必要最低限のものは揃っているが、生活感はほとんどない。

 

流石に高校生で同棲というのは外聞も悪いが、伯父の元やそのマンションで一人暮らしをするよりも司波家の方が安全だとして、両親も了承している。最もそれは大前提として達也が私に手出しをしないと信頼があってのことだ。

 

「そんな意味合いの言葉を向けられたのですか」

 

深雪は怒りに顔を赤く染めた。彼女の周りの精霊が活性化し、今にも気温が下がりそうな様子だ。

 

「言葉の棘は目に見えないから厄介ね」

 

深雪の背を優しく撫で、握りしめられた手に私の手を重ねた。

 

「私が我儘を言ったばかりに、お姉様の心象を悪くしてしまったのでしょうか」

 

悲しそうに俯く深雪に私はそっと後ろから肩を抱きしめた。

 

「あら、私は深雪と達也と同じ学校に通えることが決まって柄にもなく舞い上がっていたのよ。そんな風に言わないでほしいわ」

 

一高に通うことができて良かったと思う。良い友人にも会えたし、先輩方も良い人達ばかりだ。

 

深雪は私の言葉が嬉しかったのか、甘えるように私にすり寄って来た。達也と別行動が多く、余計に寂しくて甘えてきているのだろう。

そんな彼女が可愛らしくて、満足するまで私は彼女の背を撫でたり、髪を梳いてやった。

 

 

 

「少し、出てくるわね。もしかしたら長引いてしまうから先に寝ていて頂戴」

 

出かけるにはよろしくない時間だが、昼間の事もあったし、最低限の事は終わらせておきたい。認識阻害の術を掛けながら行けば、人目につくことはないだろう。

 

「分かりました。昼間の事もありましたし、お暗いですから十分にお気を付け下さい」

「ありがとう。いざとなれば近くにはきっと達也もいるわ」

 

彼はまだこの時間までCADや設備のチェックに余念がないだろうから、まだ整備車両か本部にいるはずだ。

 

「ふふ、そうですね。では、お姉様。お休みなさいませ」

「お休み」

 

静かに扉を閉めて、私は部屋の外に出た。

廊下はシンと静かであり、人通りもない。

好都合だと“いつも通り”足音を消して、私はホテルの外へと向かった。

 

 

 

 

 

ホテルから少し外れた森の中。

もうすぐ日付が変わる時刻なので辺りには人影もなく、明かりもない。月明かりだけが木々の間から地面を微かに照らしている。

 

山の中とあって空気は都市部よりも涼しいが、真夏の夜の湿った空気と生ぬるい風が頬をなぞる。

目を凝らし漂う霊子を頼りに、力の集まっている先を探す。

 

そうホテルから離れていない大きな木の下に小さな木造りの祠があった。御神酒と花も供えられ、丁寧に奉られている。

 

 

祠の前に立つと静かに息を吐き出す。目を閉じ意識だけを地脈のもっと奥深く、精霊と霊子が漂う川のその先に沈める。

光の帯を通り抜け、その先に降り立つと、辺りは何もない虚空が広がっており、漂う霊子があたりを仄暗く照らしている。

 

足元の石畳に導かれるように歩みを進める。

時折人ではないモノが視界の端にいたり、道からはぐれた御霊が漂っていたり、幼子の笑う声も聞こえる。日本最高の霊峰の麓とあって、神域の霊子の密度も濃い。名を貰っていなければ、到底たどり着くことのできなかった場所だろう。

 

 

しばらく道沿いに歩いていると煌々と松明の明かりの灯る場所に行きつき、見上げるばかりの立派な神社があった。

 

朱塗りの鳥居を深く頭を下げてくぐる。

神社の前では艶やかな黒の束帯をおめしになった神様が狼の形を模した眷属たちと月見酒をしていらっしゃった。

 

『はて、誰の子か?この場に来たということは縁ある子か?申してみよ』

 

男性とも女性ととれる不思議な声が頭に響く。

 

「イザナミの系譜でございます」

『そうか。よもや神域まで来た生霊がと思えば、主はイザナミの子孫か』

 

感嘆を帯びた嬉しそうな声が響いた。どうやら興味を持っていただけたようだ。

 

「はい。遅ればせながらご挨拶に参りました」

『面をあげよ、イザナミの子。そなたには礼をせねばならぬな。

我が土地にあのような不浄を取り除いてくれたことに礼を申そう』

「恐れ入ります」

 

顔を上げるとそこには、優雅に微笑む土地神様がいらっしゃった。

見るからに絵巻物から飛び出して来たような美丈夫であり、麗しい顔は思わずため息が出るほどだった。無論そんな無様な姿をさらすわけにもいかず、動揺を悟られないようにするので精いっぱいだった。

有無を言わせないような圧倒的な神域の中枢に自我を保てているのが自分でも不思議なほどだ。

 

『そのように畏まらずとも良い。近う寄れ』

「はい。御前、失礼いたします」

 

お許しが出たので鳥居の付近から、神様の元へと近づく。

一歩踏みしめるたびに神気に圧倒されそうになる。

こんなにも濃密な神の気配は、5月の拝命の儀を彷彿とさせた。最も、あれはこれ以上に圧迫感も威圧感もあり、畏怖と恐怖に竦みそうになってしまった苦い経験でもある。

 

 

『一献、いかがか?』

 

土地神様は朱塗りの杯を差し出される。

 

「恐れながら、私めには貴方様より賜った神酒を飲み干すほどの力はございません」

『人の身でありながらここまで来ておいて良く言う。我の酒が飲めぬと?』

 

圧迫感が増すが、ここで折れる様では守護職の名折れだ。

差し出された神酒を受け取れば、私は常世に戻れなくなる。それほどまで神から直接何かを頂戴すると言うのは人には過ぎたことなのだ。

 

「主より固く禁じられたことです故、ご容赦くださいませ」

 

更に頭を下げ、許しを請う。

此方は人。其方は神。どちらが上かなど言うまでもないことだ。

 

『まあ、母が言うなれば仕方なしか』

 

興ざめしたのか、神様が差し出した空の杯に眷属が酒を注ぐ。彼の方はそれを豪快に飲み干した。

 

 

『下手人であるが、どうやら金ごときで動いた誇り無き能無し蜥蜴ぞ。蜥蜴は思いもよらぬ所にもぐりこむものぞ』

「心得ました。乱された地脈は家の者を遣わせます。大変恐縮ですが、しばし御辛抱くださいませ」

『うぬ。あの程度で乱される我ではない。心配はいらぬ』

「お心、痛み入ります」

 

私が来た目的も、彼の方にはお見通しだったようだ。

蜥蜴という言葉は何かキーワードなのだろうか。

 

『イザナミの子。そなたに土地の加護を与えよう。挨拶に参った者はおれど、人と言葉を交わすことは久しぶりじゃ。楽しかったぞ』

 

「有難うございます」

 

もう一度、深く礼をする。

 

『宴、楽しみにしておるぞ』

 

神様は私のそばまで歩み寄ると、私の肩に手を置いた。

 

濃密な神気が私の気に混じり、絡みつく。日本最高峰の神域の神の力は強大であり、畏怖を感じずにはいられなかった。

 

しかし私には兄と父の守りの力が取り巻いており、尚且つイザナミ様の名の下に彼女の加護も少なからず受けている。

私に手を出せば、彼女が黙ってはいない。日本最初の夫婦にして、様々な神を生んだ母であり、黄泉の世界に燦然と君臨し、根の国からこの国を護り続ける絶対者。

 

いくら土地神様だとしてもこれ以上私に手出しをして彼女の不興を買うような軽はずみな行動はとらず、静かに手を離された。

 

「はい。ご期待に沿えるよう、尽くします所存です」

『うぬ。』

 

少し残念そうな土地神様に、頭を下げると私は常世へと意識を上らせた。

 

能無し蜥蜴

その正体が導き出されるのはもう少し、後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、地脈に関しては、予想通りに祈子さんと彼女の兄がきて地脈を直してくれた。祈子さんは研究の途中で呼び出された不満を隠せない様子だった。彼女にとって学校の威信よりも自分の知識欲と研究欲の方が高いらしい。

 

不満は口にしつつも、仕事はきっちり終わらせ(多少渡辺先輩や服部先輩と衝突したことは割愛し)、他にも仕事があるからと早々に彼女たちは富士の裾野を後にした。当然のことながら、九校戦自体、彼女の視界には入っていないようだった。

 

目先の不安を取り除いた所で10日間に渡る九校戦がいよいよ開催された。初日は本選バトルボードとスピードシューティングの予選が行われる。初日から優勝候補筆頭の渡辺先輩と七草先輩が登場するとあって、会場の熱気は高まっている。

 

8月の暑い日差しが照りつけているが、現代では衣服の通気性の向上と半室外であるドームの空調システムの構築によって、室内までとはいかないが快適に過ごせるよう配慮されている。

まず七草先輩のスピードシューティングの応援に行こうと思ったが、早朝から呼び出され、私は男子バトルボードの控室にいる。

 

「悪いな、九重。ちょっと頼まれてくれないか?」

「ものにはよりますが、一体何でしょうか?」

 

予選を控えた村上先輩が最終調整をしている傍らで、申し訳なさそうに鎧塚先輩は眉尻を下げた。私をこの場に呼び出した鎧塚先輩は作戦スタッフとして男子バトルボードに関わっている。

 

「なんか、オカルト系だめだったみたいであんまり調子が良くないんだ。だから、祓ってもらえないか?」

「あの呪具の効果は消失していますよ」

 

昨日も説明したが、呪具の効果は発見した後に停止させている。

地脈に関しても、一朝一夕ではどうにもならない部分もあるが、祈子さん達の手によって正常に機能している。外的な不安要素は排除しているが、それによってもたらされた精神的な揺らぎは本人次第だ。

 

「気休めだろうが、ないより今のアイツにはましだろうから頼んだ。一応、できることはできるんだろう?」

「祓うと言っても邪気もなにもないのですが…」

「病も気からっていうだろう」

 

確かに見るからに緊張されている。学校の名前を背負って出場しているプレッシャーもさることながら、今年は大会3連覇の期待もかかっている。ほどよい緊張はいい刺激となるが、行き過ぎた緊張や不安は体を固くし、思考を停止させ思わぬミスにつながる可能性がある。

 

あまり期待しないでくださいねと鎧塚先輩に前置きをして、私は調整画面を見ている村上先輩に近寄った。

万全の状態で臨むための調整は選手としての仕事だが、あの忌々しく穢れた呪術は昨日今日で払拭できるかといえばそんな安い物ではなかったようだ。

 

 

 

「村上先輩」

「あ…九重か」

 

村上先輩は私の顔を確認すると、視線を逸らし、顔を青くしていた。どうやら相当彼には堪えたことだったようだ。

 

「すみません。先日は私の配慮不足でした。苦手な方もいらっしゃったでしょうに、申し訳ありません」

 

ちらりとモニターを盗み見たが、数値上もあまり状態が良くないのが窺えた。これでは実力が十二分に出せないのだろう。

 

病は気からという言葉があるが、実際そうなのだ。

体が病めば気も病み、気が病めば体も不調をきたす。悪い思考には邪気が寄ってくるし、活気に満ちた人には運気が巡ってくる。

 

特に魔法は本人の精神状態に左右される側面が大きく、不安定な心理状態では魔法は失敗する可能性が高い。

 

「いや、むしろあのままだったって方が怖いぜ。それで、試合前になんだ?」

 

また何かあるのだろうかと不安げな面持ちを窺わせた。私がこの場に来たことで余計に不安を煽ってしまってしまったのかもしれない。

 

私は髪に刺していた簪を引き抜くと、柄の部分を持ち、玉の部分を彼に向けた。ぎょっとする先輩方に私は言霊を込めた。

 

「“風が運ぶ水面を行くものよ

我、争覇を祈願し、風神に申し上げる

神域の霊峰富士の腕を通いし、水の神々よ

彼の者にその名の加護を与えたまえ

我は彼の者の勝利を祈り、奉らん”」

 

 

昨夜、私には土地神様より直々に土地の加護を頂いている。

 

更に三高に集められたのは不用意に捻じ曲げられたものだが、私にもたらされたのは純粋なる土地の力。この地の精霊はほぼ無条件に私に従い、それに惹きつけられるようにして運気の流れすら変えてしまう。私が得たのはそんな力だ。

 

土地神様の力は制御の範囲だが、私の性質諸々を制御するために5色の玉の付いた簪をしている。これは祖母から誕生日の祝いに頂いた魔除けの道具でもある。

 

呪術と宝玉との関係は古くから論じられている。

魔法が体系化される前もパワーストーンと呼ばれる石は存在し、お守りとして重宝されてきた。この簪に使われている玉はさらにそれを進化させ、柄の部分と石を取り巻く金属の台座には細やかな刻印が刻まれている。いわゆる法機にあたるわけだが、発動しなければただの簪にしか見えない。

 

水を表す黒い玉が霊子を纏い、収束したのちに淡い青い光となって彼の元に飛んでいく。昨日神様から頂いた運気を少しだけ彼に分け与えた。

 

無論、頂いたものに比べたら爪の垢にもならないほどの量であり、彼の精神系の魔法をかけたわけでもない。祝詞に反応した精霊が少しだけ、彼の味方をするだけだ。

 

「必勝祈願です。月並みですが、ご活躍を期待しています」

 

私が一礼すると、呆気にとられていた先輩はようやく正気に戻ったようだ。

 

「あ、ああ。ありがとう」

 

どれほどの効果があったかは私にもわからないが、試合に向かう彼の足取りは確かに力強かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

化粧室で髪を結い直した後、私は急いでスピードシューティングの会場に向かった。

会場は予選だというのに、多くの観客でほとんど席が埋まっていた。

決して立地の良いわけではない富士のこの場所でこれだけ人を集める九校戦はよほど注目されているのだと改めて感じた。

この会場の場合、七草先輩のお陰もあってか黄色い声援がとんでいる。

 

「お姉様」

 

深雪たちを探していると、階段構造になった席の中ごろの位置に勢ぞろいしていた。ご丁寧にと言うべきか、達也の隣の席は私のために空けられていた。その反対側には無論、深雪が陣取っている。

 

「なにか問題だったのか」

 

呼ばれた段階では何の用事だったか、詳しく分からなかったため達也たちにもその事情は告げていない。

 

「問題と言うほど問題ではなかったわ。一昨日の事でちょっとナーバスになっている先輩がいたから、その関係で呼ばれていたの」

 

エリカたちも一昨日の事態については知っている。吉田君から精霊がざわついていることを質問され、そこから芋づる式に説明せざるを得なかったのだ。

 

「も、もう何ともないんですよね」

 

ほのかが少し挙動不審にそう尋ねた。彼女も先日の話を聞いただけで顔を青くさせていた。目に見えないから恐れる気持ちは私にもわからないでもない。それがどれほどの効果を持つものなのか、知りえぬ者からすれば不安を募らせるのは当然だ。

 

「ええ。むしろ不安になりすぎる方が問題ね。吉田君と美月は今のところ問題はないかしら」

「ありませんよ?どうしたんですか」

「念のために持っていて」

 

首をかしげる美月と吉田君に私はポケットから根付けを二つ渡す。大粒の天眼石をメインにその上に小さなオニキスを3つ連ねたお守りだ。

 

「根付けですか?」

「ええ。二人とも感受性が強いみたいだから、お守りとして持っていると楽だと思うわ」

「ありがとうございます」

「ありがとう。でもいいのかい。これ高価な物だろう?天眼石にオニキス…両方とも天然物だよね」

 

天眼石もオニキスも強力な厄除と魔除けのお守りとして知られている。特に天眼石は未来を見通す石として実家では言われている御利益のある石だ。現代では宝石も安価な工業製品が出回っているが、天然石は長い年月をかけ、大地の力を吸収し力を宿している。

それを適切な形で活性させれば魔法具としての役割を持つ。

 

「作っている方と知り合いだから、ご贔屓価格だし気にすることではないわ。特に美月に富士の地は大変でしょう」

「最初来た時は思った以上でびっくりしたんですけれど、雅さんこそ大丈夫だったんですか?」

 

「ねえ、さっきからどういうこと?」

 

エリカも西城君も訳が分からないという風に眉を顰めた。

置いてけぼりにされた感覚があるのだろう。

 

「雅さんって私と同じくらい色々なものが見えているのに、眼鏡も掛けていないでしょう。コントロール出来ているからなんでしょうけれど、こんなに力の強い場所で大丈夫だったのかなって」

 

「え、そうなの?」

 

これにはエリカだけではなく、雫やほのか、吉田君も驚いていた。

表情は変わっていないが、達也も深雪も別の意味で警戒していた。

 

「今日付けている簪はそのためのものですよね。この根付けとよく似た、けれどもっと凄いオーラがあります」

 

「驚いたわ。良く分かったわね。私が見えるだなんて一言も話してはいないでしょう」

 

『霊子放射過敏症』というものがある。

普通の魔法師には霊子を感じることはあっても、霊子を見ることはできない。魔法を発動する際には霊子放射光が伴うが、先天的にその光が見えすぎてしまう魔法師もいる。鍛錬やオーラカットレンズを使用して抑え込むことができるが、裸眼でコントロールできるようになるには相応の年月がいる。

 

ちなみに伯父である八雲や祈子さんもこちらのタイプだ。

実家では皆、世間的に言えば霊子放射過敏症なのだが、見やすいレベルにまで抑えることは無意識に行っている。強烈な刺激に視神経を焼かれることもなく、そうであることが当然として霊子放射光を見ている。私達にとってみれば世界がそう見えるだけである。

 

「以前、眼鏡を外した時に雅さんの周りって喚起もしていないのに精霊が飛んでいたので、もしかしたらって思って……

霊子は私が辛いなって思った時にさりげなく術を掛けてくださっていましたよね」

 

「まさか九重さんも精霊が見えるのかい?!」

 

精霊は感じることができても、見ることができない。

これは一般常識であり、魔法も同様に発動徴候やどのような魔法が発生したのか推察はできる。古式魔法の術者の多くは精霊の持つ波動を感知して、精霊の属性を識別している。

達也の【精霊の目】や兄たちの【千里眼】のように直接魔法の構造やサイオンを目にする技能の存在の方が珍しい。

 

「………吉田君なら京都の九重で分かるかな?」

 

私は少しためらったが、家の名前を出した。

 

「京都の九重?まさか、君が!!」

「そろそろ始まるわね」

 

吉田君の驚きはそのままに、私は試合に目を向けた。

試合が始まれば、七草先輩の競技に釘付けだったが、終わった以降も時々後ろからの視線を感じていた。

その視線も達也と深雪の若干冷たい視線を浴びてから、意識的に私に向けらることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

九校戦の熱狂冷めやらぬ競技の時間は過ぎ、その日の夜。

 

仮にもバイトという名目でこのホテルに宿泊しているエリカたちは今日も給仕の雑用に追われていた。パーティのように大きな会場を歩き回ることはないが、各校それなりの人数が来ているため、当然仕事は少なくない。

 

そのバイトが終わってからエリカはホテルの裏で幹比古と二人でいた。夜間に人気はなくこのような場に男女がいるとはあまり外聞も良くないが、二人にそんな関係性はなかった。むしろエリカの雰囲気は若干殺伐としたものだった。

 

「それで、雅の家ってなんなの」

 

エリカが問い詰めたのは雅の事だった。彼女にとって短くはない付き合いの幹比古があれほどまで動揺し、顔を赤らめて密かに雅に視線を送っていたことに気が付いていた。

無論、達也も雅もその視線に気が付いていたようだが、口に出すようなことはしていなかった。彼女としては友人の色恋が略奪愛や横恋慕になることを危惧している部分があった。

 

「僕たち古式魔法の家も色々な格付けがあるんだけれど、京都の九重は別格なんだ」

 

エリカの雰囲気も相まって、幹比古は半ばあきらめた様子で口を開いた。

 

「別格?」

 

「言うなれば古式魔法の十師族というところかな。

藤林や梅木、須王、吉田もそれなりに名家なんだけど、九重だけはどの家とも比べ物にはならない。最古参にして今もその力は絶大なんだ。表は勿論神職で、九重神楽は古式魔法の中でも最上位の魔法儀式として知られていてその全容は当事者以外にはまるで秘密なんだ。直系の姫宮がいるとは知っていたけれど、まさか彼女がそうだったなんて思いもよらなかったよ」

 

未だに信じられないと自分の発言を噛みしめるように幹比古は言った

 

「やけに詳しいわね」

 

雄弁に語った幹比古にエリカはますます疑問を募らせた。

確かに雅の実力は桁外れだ。

深雪は魔法力が並はずれており、これはエリカのみならず多くの者たちの認識だ。

達也も、並はずれた魔法知識と魔法実技とのギャップ、さらに春の一件をはじめとした魔法戦闘技能は優れていることを知っている。

雅も魔法力は深雪と並び賞されており、古式魔法に加えて、立ち姿からも武の腕もあるとエリカは感じ取っていた。

 

同年代の女子でこれほどまで鍛えられた人物をエリカは知らなかった。自分も剣術に関しては人並み以上の実力があると自負しているエリカだが、単純に素手なら雅に軍配が上がるだろうと考えている。

噂では新歓前に行われた古式魔法クラブと統合武術の先輩方との決闘で、相手を歯牙にもかけず圧倒したそうだ。名字に「九」が入っているが、十師族の関係者ではなく、偶然だそうだ。

 

「いや、その・・・・まあ有名だからね。僕らにとっては知っていて当然のことだよ」

 

若干、言葉に間があったのは当たり障りのない言葉を選んだか、何かしらエリカにも告げられない何かがあると言う事なのだろう。

 

「本当に?じゃあ、なんであんな雅を見て顔を真っ赤にさせて、あれだけ熱―い視線を送ってたのかなー」

「別に赤くなんてしてないよ!」

 

エリカが茶化して言えば、幹比古は気恥ずかしさに顔を赤くした。だが、そんな茶化した態度も一転、エリカは真剣な顔で幹比古に向き合った。

 

「もし、ミキが雅の事を好きだとしてもやめときなさい。達也君と深雪が黙っていないわよ」

 

その言葉と態度に幹比古も同じく真剣な顔つきとなった。

 

「勿論、僕なんかじゃ到底手出しできないような人だよ。九重の直系だから彼女の所には婚姻の話も相当舞い込んでいるらしいけれど、全て相手がいるって断られているそうだ」

 

幹比古は九重神宮の話を良く聞かされていた。どうにかして繋がりを持ちたいと大人たちが躍起になっているのも知っており、彼としては見たこともない様な相手にそこまで躍起になるのが理解できなかった。

 

それもそうだ。

彼は九重神楽も知らなければ、雅がどのような人物かも知らない。

雅が九重神宮の直系だと知ったのも、今日の出来事だ。

彼女なら精霊が見えたとしてもおかしくはないだろうとは思いながらも、やはり衝撃は抜け切っていなかった。

今日渡された根付けも確かに強力な魔除けの効果があり、七草先輩の試合で盛り上がった会場の熱気に当てられることもなかった。

同じ神道系の術者(厳密には陰陽道なども交じっているが)として、意識せざるを得なかった。無論、神童として呼ばれていたころと比べた自身の不甲斐なさに劣等感を抱いたのもある。

 

「あ、それが達也君ね」

「え、達也?」

 

呆気らからんと告げたエリカの言葉をまるで確かめるように、幹比古は聞き返した。

 

「うん。雅の婚約者は達也君だよ。ミキは知らなかったの」

「達也が?!」

 

思ったより大きな声が出たのか、エリカは大げさに耳を塞いだ。

 

「あ、ごめん」

 

「まあ二人ともあの性格だから触れ回る様なことはしないし、学校でベタベタするようなこともないから知らなくても無理はないでしょ。ただ行きのバスの中で深雪が暴露したらしいから、この分だと夏休み明けは学校が荒れるわね」

 

達也と雅がいちゃついていることはほぼない。

どちらかといえば、二人揃って深雪を可愛がっている方が多い。

 

しかし、二人の関係を知ってからよくよく見れば、二人とも異性間にしてはパーソナルスペースが狭い。

雅がレオや幹比古と話す距離と達也といる距離は違う。

知り合ってからの年月もあるだろうが、達也も深雪と雅以外の女子との距離は違う。深雪を見て笑う笑顔が同じなのだと気が付いたときは、あの三人は兄妹とか婚約者とか、幼馴染ではなく夫婦とその子どもに見えて仕方なかった。

 

そんな事情を詳しく知らない幹比古は肩を落としていた。

 

「達也と九重さんが・・・・」

「あら~、ショックなの?」

 

ニヤニヤと笑うエリカにそんな邪な気持ちはないと幹比古は首を振った。

 

「恋愛の意味ではなくて驚いて言葉も出ないよ。九重さんが九重神宮の人で、尚且つ達也がその相手だなんて夢にも思わなかったよ。正直驚きすぎて頭が付いて行かないや」

 

「そんなにすごい家なの?」

 

エリカ自身、京都の九重でピンと来るものではなかった。九重八雲なら辛うじて聞き覚えがあった程度のことだ。

 

古式魔法の家はどちらかといえば、古式魔法の界隈では有名であっても、エリカのように【数字持ち(ナンバーズ)】と呼ばれる家系にはそれほどまで関わりがなかった。【数字持ち】が研究所出身の家系であることを示すと同時に、魔法師の家系を示すものでもある。

今では表だった人体実験などは禁止されているが、あくまでそれは魔法師でない大多数を納得させるための表向きの部分だ。どの世界も裏事情があることは高校生であるエリカも幹比古も知っている。

 

そういった研究所によって”作り出された”魔法師と違い、古式魔法師は占いや加持祈祷に始まり、この国に根付いた術者たちによって現代まで受け継がれてきた技術である。魔法師の才能は遺伝的要因も大きく関与しており、古くから魔法が使えると言うことはつまりそれだけ魔法師としての血が濃いことの表れでもある。

 

九重は古くを辿ればやんごとなき血筋にも連なる家系であり、その歴史は軽く千年を超える。それだけ歴史と伝統ある家であり、京都でも名立たる名家の一つでもある。

 

「古式魔法の家にとっては十師族の本家から嫁を貰うより、見初められれば幸運な事と呼ばれているよ。てっきり僕は九重八雲の親類で古式魔法に精通しているとばかり思っていたんだ」

「雅自身、あんまり自分の家とか話してないもんね」

 

確かに雅は話を振ることや聞き役となることが多く、あまり話していない人がいればさり気なく会話に入れるように気を配っている。すらすらと零れる賞賛の言葉にも全く嫌味がなく、達也のように見放すこともない適度な距離感を保っている。

時々深雪や達也と茶番を演じることも彼女たちにとってみれば、すでに日常の光景だ。

 

ひとまず、その日常に思いがけない亀裂が入ることはひとまずなさそうだとエリカは密かに胸をなで下ろした。

 

 

 



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九校戦編8

お待たせしました。
今回も長いですが、お付き合いください。


・・・九校戦二日目・・・

 

今日も引き続き、九校戦の本選が行われる。試合日程は、男女クラウドボール予選~決勝、男女アイス・ピラーズ・ブレイク予選が予定されている。クラウドでは七草会長が出場し、今年も優勝が確実視されている。

 

クラウドボールはトーナメント方式で行われ、一日で全ての試合を消化する。1セット3分で女子は3セット、男子は5セットマッチで試合が行われる。透明な箱で覆われ、風の影響を受けないコートで低反発のボールが20秒に一個ボールが射出され、最大九個のボールが目まぐるしく飛び交うことになる。相手コートにボールがバウンドすると一ポイント入り、セットごとポイントで勝敗が決まる。

 

ラケットを使用する選手と魔法のみで戦う選手に別れるが、私や七草先輩は魔法オンリーのスタイルだ。その後の試合も考えてある程度の失点は織り込み済みで試合を行うのが通常なのだが、七草先輩はダブルバウンドの単一魔法だけで勝ち上がっていた。

 

身長の割に長い手足と真っ新な白いユニフォーム、少し動けば容易く翻るスコートに特に男性の観客は目が釘付けになっていた。昨日もそうだったが、先輩方には熱心なファンがついているそうだ。ふと疑問に思ったのだが、あの服装は良家の子女としての立場もあるだろうに、誰も咎めないのだろうか。

 

魔法のみの選手でも、ボールがぶつかっても大丈夫なようにサポーターを付けるのが普通だが、七草先輩は持前の魔法力で無失点のまま試合を消化していった。

私の隣には渡辺先輩が座っており、毎年このスタイルだと説明してくれた。確かに単一魔法の方が疲れないかもしれないが、これだけ連続して魔法を発動できるのはやはり十師族相応の実力者だと改めて思い知った。

ちなみに、深雪たちは氷柱倒しの会場で試合を観ているためこの場にいない。エリカたちも桐原先輩が出場する男子のクラウドボールの会場にいる。

 

「君たちも別行動をすることがあるんだな」

「いくら親しいからといって四六時中一緒ではないのですが」

「いや、その、イメージだよ」

 

渡辺先輩は歯切れの悪そうに、そう答えた。

 

「渡辺先輩、魔法師にとってイメージとは現実になるのですが」

「…………達也君も同じことを答えそうだ」

 

答えにはなっていないが、試合が再開されようとしていたのでその話は中断された。

その後分かったことだが、達也も七草先輩に同じようなことを言われたそうで、やっぱり似たもの夫婦だなと笑いを堪えた様子で渡辺先輩が私の肩を叩いた。七草先輩まで同じように堪えきれずに笑い出すものだから、なんとなく居心地が悪く早々に私と達也は氷柱倒しの会場に向かった。

 

生憎と嗜虐されて喜ぶような性格は二人ともしていない。茶化すのは嫌いではないが、それは自分が対象にならない時に限る。だが、似たもの夫婦という言葉が嬉しかったのか、少しだけ締まりのない顔となってしまったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アイス・ピラーズ・ブレイクの試合会場に到着すると、試合時間が押していた様で前の試合が丁度終わりかけていた。純粋に魔法のみを使用するこの競技は純粋に魔法力が試されると同時に、最後は気力勝負だと言われている。

加えて、女子アイス・ピラーズ・ブレイクはファッションショーと呼ばれている。特に動き回る様なこともないから、女子の服装はかなり個性的だ。一昔前の女子高生の制服に、野球のユニフォーム、はたまたゴスロリファッションまで思い思いの服装をしている。流石に動きを制限される服や公共良俗に反した露出の多い服装で登場する選手はいなかった。

 

対戦が行われていたのは二高と四高で、二高の選手は良く知った燈ちゃんだった。

彼女の得意魔法は振動系と加速系。

加速系で水分子の運動を加速して、融解したところを振動でドカンというのが手法のようだ。

1年生にも関わらず本選出場を果たしたと言うことは、先輩より実力があっての事だろう。彼女も詠唱を使えるが、予選の段階ではまだ出し惜しみしているのか、それとも使う必要もないのか、危なげなく相手陣地の氷を破壊し尽くしていた。

 

試合終了のブザーが鳴るとピースサインを浮かべ私に手を振って来た。水色に金魚柄の浴衣に金魚帯の出で立ちとあって年齢より子供っぽく、笑顔も活発な性格が窺えた。この広い会場で良く分かったなと思いながら手を振りかえす。

 

 

その後、深雪たちと合流し、スタッフ用のモニタールームに入った。

深雪や雫たちは新人戦で同じ競技に出場するのだから入っても問題ないだろうが、私は競技も違うし辞退しようとしたのだが、千代田先輩に来いと言われてこの場にいる。

 

ついでに村上先輩の事を聞いていたのか、必勝祈願を迫られた。

彼女の場合、邪気も吹っ飛ぶようなオーラの持ち主なのだが、五十里先輩にも申し訳なさそうな顔で頼まれてしまえば断るわけにもいかず、略式だが祝詞をあげた。自信たっぷりな様子で満足げに笑っていたので、良しとすることにした。

千代田先輩の試合は倒される前に倒してしまえ、のスタイルで地面を媒体とした振動系魔法で次々と氷柱は壊れていった。

 

私が試合をしたときは半分不意打ちな様なもので、これが本来の実力なのだろう。試合が終わって満面の笑みを浮かべて、こちらにピースサイン向けており、五十里先輩も嬉しそうに手を振っていた。

 

千代田先輩の思いばかり強いと思ったが、五十里先輩もきちんと千代田先輩を想いっているのが伝わって来た。お似合いのカップルで、積極的で素直な千代田先輩が少しばかり羨ましくもあった。

 

「五十里先輩、少々よろしいですか」

「なんだい?」

「先ほどの試合にいた二高の彼女、詠唱の使い手です」

 

私は一つの懸念を伝えておくことにした。

おそらく燈ちゃんと千代田先輩は確実に対戦することになる。

少ししか試合は見られなかったが、燈ちゃんの実力で言えば優勝を取っても間違いない。

魔法オンリーより武術を組み合わせた方が彼女のスタイルには適しているのだが、単に魔法だけでも十二分に強い。細かい制御は苦手としていたが、氷柱は壊せばいいだけなので精密なコントロールより、いかに威力を収束させて無駄なく魔法が発動できるかが鍵になるのだろう。

 

「二高って一年生で出てきていた彼女だよね」

 

五十里先輩は試合前の調整で彼女の試合自体はあまり見ていないだろうが、一年生が出場しているとあって記憶にはあるようだ。

 

「ええ。元々干渉力は強いですし、詠唱も使用可能です。得意魔法は振動系と加速系魔法ですので、地面を媒体とした振動の停止は彼女にとっては得意分野です」

「一年生がわざわざ試合に出てくるなら、それ相応の実力があるはずだよね」

 

五十里先輩は悩ましげに顎に手を当てた。

ちなみに詠唱を使った私と千代田先輩の対戦成績は私に軍配が上がっている。私も自分の練習があるのであまり試合ができたわけではないが、それでも何度も彼らの頭を悩ませてきた。倒される前に倒してしまえばいいとは言うが、比例するようにではなくピーキーに干渉力が上がる詠唱術式は対応がどうしても後手になりがちだ。

 

「二高は実力主義で、一年生でも上級生より優れていれば新人戦ではなく本選に出場できると聞いています」

「知り合いなんだっけ?」

「ええ。彼女に関して言えば干渉力は強いですが、発動速度はそこまで速くありません。先手必勝で詠唱が完成する前に倒しきることが先決ですが、先輩のスタミナ次第ですね」

 

今日見た限り、千代田先輩の様子は問題なさそうだ。初日から飛ばしすぎないようにと注意しているくらいであり、CADを含めた仕上がり自体は全体的に上々のようだ。二校のエンジニアがどのくらいの実力を要しているのか早々に判断はできないが、詠唱は正直CADのスペックはほぼ関係ない手法だ。

 

「ちなみにあっちのスタミナは?」

「おそらく、得意魔法だけなら千代田先輩以上にタフです」

「当るとしたら決勝リーグか。厄介な相手になりそうだね」

 

困ったように五十里先輩はいうが、どことなく挑戦者の気合を窺わせていた。私達はさておき、似たもの夫婦はここにもいたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・九校戦三日目・・・

 

一高は誤差の範囲で予定通り勝ち進んでいるが、三高が予想以上にポイントを伸ばしてきているらしい。七草先輩の二種目優勝があったとはいえ、男子クラウドボールの不振などによって予定より獲得ポイントは少ないようだ。

 

今日はアイス・ピラーズ・ブレイクの予選・決勝とバトルボードの準決勝・三位決定戦・決勝が行われる。今日の結果によって順位に変動が起きるかもしれない重要な日でもある。

 

残念ながら試合時間の都合で先輩方が出場する試合を全て見るのは不可能であり、どの競技を観に行くのか選ばなければならない。渡辺先輩からは絶対来いと私も達也も言われているが、同じ生徒会の服部先輩を深雪が観に行かないわけにはいかない。

会場と会場はそれなりに距離があり、どうしたものかと達也と思案していると慌てた様子で七草先輩が私たちに駆け寄ってきた。

 

「雅ちゃん、達也君、ちょっと来て!」

「どうされました、七草会長」

「説明は後でするわ。いいから早く」

 

予想より強い力で私は腕を引かれ、達也はそれに着いて来た。もしかしてまた古式魔法の妨害工作でもあったのだろうかとお互い顔を引き締めた。

 

 

 

 

 

七草先輩に作業車両の中に連れ込まれると、そこには服部先輩とエンジニアの先輩が悩ましそうにモニターを見ていた。

 

「どうしたんですか。先輩方はそろそろ試合が始まりますよね」

 

達也が訝しげに眉を顰めた。デバイスの規定チェックの時間を考えても、あまり時間がない。先輩方もそれは言われるまでもなく分かっている様で、焦燥が浮かんでいた。

 

「時間がないのは分かっているわ。今からできることも限られているし、達也君にはソフトのごみ取りをお願いしたいの」

 

昨日の試合で達也は臨時のエンジニアとして七草先輩に付いていた。

先輩は自身でCADを調整できるため、達也がすることはほとんどなく、ソフトのごみ取りを行った程度の事らしい。CADのソフト自体アップデート前のファイルの残骸は残りにくいようにできているが、それでも完全ではない。そう言ったものを取り除くことによって、起動式の展開速度がわずかながらに向上する。それでも普通は気が付かない程度の事らしいが、七草先輩は流石と言うべきか感付いたらしい。

 

 

それはさておき、服部先輩の事だ。

服部先輩を担当する先輩も先輩としての意地もあるだろうが、三連覇がかかった大事な大会に背に腹は代えられないと言うことで、七草先輩が達也を呼んだそうだ。

これで達也が呼ばれた理由は分かったが、一緒に私まで呼んだ理由が分からない。説明されている間に、監視の式神やこちらに向けられた悪意がないか密かに探っていたが、そのような危険性もない。

 

「雅ちゃんは必勝祈願をお願いね」

「私まで必要な事でしたか?」

「人事を尽くして天命を待つ。やれることはすべてやったのなら、運気ぐらい神頼みもしたくもなるわよ」

 

七草先輩は小さく肩を落とした。

服部先輩は特にバスの一件や呪具の事件以降、あまり調子が良くないそうだ。幸い怪我人も出ず、大きな事故にはならなかったが結果的に何もできなかったことは、副会長として何か思うところがあったらしい。

 

目を凝らすと、彼を取り巻くオーラはいつもより弱々しい。体調面というより心理面から来ている様だった。安請け合いするものでもないのだが、致し方ないだろう。

 

俯いた服部先輩の前に立ち、私は柏手を一度鳴らした。

音に弾かれるようにして服部先輩が顔を上げた。

 

『“水面の戦乱

速きことを求める勝負事

風よ、彼が味方となれ

水よ、彼を支えたまえ

戦神の加護、彼を導きたまえ

神風が彼にあらんことを

我は祈り、申し立て奉る”』

 

祝詞に言霊をのせ、彼の様子を窺っていた邪気を払う。幸いにも簡単な言霊で払える程度のものだったので、大した悪意もなかったのだろう。

 

「改めてするまでもないですが厄除けと必勝祈願です。初日の厄は完全に祓われていますよ」

「あ、ああ」

 

服部先輩は半信半疑の様子だが、信じる信じないはその人次第だ。

見えないものを見えると言えば気味悪がられ、あるはずもない物があると少数が言えば異端だと糾弾される。結局私が感じている邪気や運気も知らない人、理解できない人、受け入れられない人にしてみれば戯言なのだろう。七草先輩に頼まれたとはいえ、受け取るかどうかは本人次第だ。

 

 

達也の仕事も終わったようで、CADを手にした服部先輩は目を見開いていた。どうやらあの短時間でソフトのごみ取りだけではなく微調整までやってしまったらしい。流石にその調整速度にエンジニアの先輩だけではなく、七草先輩までもが呆気にとられていた。

後は服部先輩が人事を尽くすだけだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

先輩方と別れ、急いで女子バトルボードの会場に向かう。席は深雪たちに確保してもらっているが、競技時間ギリギリになってしまった。席に着くと、ほぼ息つく間もなく試合を告げるランプが点灯した。

 

先行したのは渡辺先輩。しかし追い上げる七高も速い。

聞けばこの組み合わせは去年の決勝カードらしい。

決勝に進めるのは三人中一人だけだ。どちらも優勝候補とあって水面が荒く波打っており、これは魔法を打ち合っている証拠だ。

渡辺先輩がカーブを曲がった瞬間、どこかで精霊が活性化したように感じた。

 

「え!?」

「オーバースピード?!」

 

鋭角になったコースの所で死角となったため直前の動作は見られなかったが、微かに精霊が何かを起こした気配を感じた。七高の選手がカーブの手前で減速ではなく加速し、渡辺先輩の方向に突っ込んでいった。

後からの気配を察知してか、渡辺先輩は魔法と体術の複合により高速で180°のターンを行った。そして飛んでくるボードを吹き飛ばし、七高選手を受け止めるために魔法を準備させていた。

 

ここまでわずか数秒

魔法技術もさることながらこの危機的状況に臨機応変に対応してみせた。それに驚かされたが、まだ危機的状況には変わりない。

受け止める準備をしていたところにまたしても精霊の反応があり、それと同時に渡辺先輩のボードが沈んだ。ただでさえ寸分も狂うことを許されない状況下で、足場が不安定になったことにより魔法発動の時間がずれた。

向かってきていたボードは弾かれたが、七高選手が真正面から飛んできた勢いを殺せず、衝突に巻き込まれるようにしてコースの壁にぶつかった。

 

会場に悲鳴が響き渡る。

中止を告げるフラッグが上がり、観客はざわめきだした

私と達也は思わず立ち上がってみると、渡辺先輩は七高選手と壁に挟まれるような状況であり、意識もないようでぐったりとしていた。

 

「行ってくる。お前達は待て」

「分かりました」

 

達也ならばガーディアンとしても簡単な外科治療を行えるだけの知識と技術がある。

スルスルと人垣を縫ってスタンドの前に行く達也とは反対に、私は意識を深層に沈める。真っ暗闇の中で糸を引くように精霊が戻っていく場所がある。

私は人の流れに逆らうようにして静かに会場の外へと走り出した。

 

 

 

 

 

 

糸を手繰り寄せるように精霊の気配を探り、会場の外に出ると、真夏にもかかわらずロングコートを着込んだ細身の男性がいた。

精霊が悪意に反応するように私の周りで活性化する。私の姿を視認すると相手は背を向けて走り出した。おそらく妨害を行った術者とみて間違いない。

 

私も魔法を使って追いかける。

向こうは銃も所持していたのか、後ろ手で銃弾を放ってきた。

放たれた銃弾を移動魔法で逸らし、火の精霊によって銃を内部で爆破させる。素早く銃を手放した術者はダメージを受けることなく、逃走のスピードを上げた。

 

 

背後からの魔法の気配がすると鎌鼬が何重にもなって術者に襲い掛かる。しかしそれも自己加速術式によって術者は更に逃走のスピードを上げたことで回避された。

 

「真さん!」

「あいつが妨害してきた野郎だな。どこの流派だ」

 

私達も魔法を使って速度を上げた。

この制服、本当に動きにくい。激しい運動をするために作られた物ではないので、機能性は優れていると言っても限度がある。相手もそれなりの術者のようで距離が中々縮まらない。

 

「五行を用いた大陸系の魔法師ですね」

 

術者には焦りの感情もなにも見られない。場数を踏んでいるにしてもあまりにも感情が平坦すぎる。おそらく何らかの手術か術式で感情がコントロールされているのかもしれない。走りつけていると、相手の姿が揺らいだ。

 

「幻影魔法?!」

「猪口才だな」

 

直ぐさま精霊の支配を奪い、相手の幻術を無効化する。

ここの土地で私に精霊魔法で勝てる術者はいない。この土地の加護を受けた私にとって相手の精霊を御することなど息をするより容易いことだ。

 

術者は逃走が無理だと判断したのか体を反転させると、式神の紙を放った。

だがそれも化成体として姿を現す前に、媒体となる呪符を燃やす。

呪符も情報体の塊ではあるが、それ以上の魔法力を加えてやれば術式そのものを無効化することも可能だ。燃やされたことに気を取られた一瞬の隙を見て、真さんが加速をつけて術者の鳩尾を殴り飛ばした。

 

移動魔法と硬化魔法、更に加重系魔法の応用したその一撃は文字通り成人男性を宙に浮かせた。空中で着地のために反転したところを更に追い打ちをかけるように上空から私が雷撃を食らわせる。

 

全身がけいれんした術者は膝を着いた。だが意識があるようで、こちらに向かって手を伸ばしてきた。

 

「タフだな」

 

真さんが追撃を加えようとしたところで、援軍が現れた。

細い針が何本も術者の体に刺さり、完全に動きを封じた。

 

「間に合ったようね」

「響子さん」

 

私服姿の響子さんが避雷針を片手に構えていた。

真さんは戦闘体勢を緩め、地面に這いつくばる術者を見下ろした。

 

「“コレ”はなんですか」

 

サイボーグのように強化された肉体。無駄な感情をそぎ落とした精神。人間であれば気絶必至の雷撃であったにもかかわらず意識があったのはまず強化人間か何かとみて間違いないだろう。

 

「ジェネレータよ」

「ジェネレーター?」

「噂には聞いてましたけど、これがそうなんですか」

 

聞き覚えのない単語に私は首を傾げたが、真さんは苦々しげに倒れた術者を一瞥した。

 

「流石は真君。大亜連合の事情には詳しいのね」

 

大亜連合という言葉が出たと言うことは、大陸系の術者という予測は外れていなかったようだ。

真さんの実家は九州は福岡、大宰府に位置する。

九州は古くから大陸の侵攻を受けてきた土地だ。

彼も四楓院家守護職の任を拝命しており、九州地区の防衛に当っている。侵攻を受けやすい土地柄、大陸の情報に関しては私より詳しい。

 

「無頭龍の一員であることは間違いありません。ひとまずこちらで預かります」

「分かりました。詳しいことが判明したらまた連絡いただけますか」

「ええ、勿論よ。ご協力感謝します」

 

敬礼をした響子さんに少し遅れて二人で敬礼を返す。

傍目に捕えたジェネレーターは苦しみながらも未だに私たちに攻撃の意思を示していた。

命令に従うように人道を無視して作られた魔法師。その存在に言いようもないほど嫌悪感を覚えた。

 

 

 

渡辺先輩にはいち早く現場に駆け付けた達也と責任者として七草先輩が付き添って行った。

一高生徒も混乱した様子だが、十文字先輩の一声で安定を取り戻しつつあった。やはり三年生という支柱は大きな存在であった。

 

私は念のため、五十里先輩と共にアイス・ピラーズ・ブレイクの技術者席に来ている。

万が一、一高に対する古式魔法での妨害に備えての事だ。

響子さんを通じて軍の警備も増やしてもらっているが、七高選手に行った妨害方法が分からないため、注意しすぎることはないだろう。

 

決勝の第二試合のカードは二高の燈ちゃんと一高の千代田先輩。

予想通り、燈ちゃんも決勝まで問題なく駒を進めていた。

 

「千代田先輩の状態は?」

「渡辺先輩の事故で少し混乱はしたけど、大丈夫。むしろ穴を埋めるように優勝する気満々だよ」

「落ち込むかと思ったが、むしろ燃えていたよな」

 

部屋には私の他にもエンジニアの五十里先輩と作戦スタッフの鎧塚先輩がいる。

やぐらが上がり、選手が登場する。

片やボーイッシュな半袖半ズボン姿の千代田先輩。

片や愛らしい浴衣姿の燈ちゃん。

どちらも闘志がみなぎった顔つきをしている。

 

「実質、この試合が今回の決勝リーグの行方を左右するだろうね」

 

五十里先輩も緊張しているのが窺えた。

燈ちゃんはこれまで詠唱無しに勝ち進んでいる。

千代田先輩は予選もあまり消耗せずに勝ち、スタミナも十分でこの決勝の舞台に立っている。

サイオンの活性を示すキルリアンフィルターや先輩のバイタルなどの数値を示したモニターも問題ない。会場に悪意を示す精霊がいないか隈なく見張るが、今の所なんの徴候もない。

 

張り詰める空気の中、試合を告げる赤のランプが点灯し、ふたりは表情を引き締める。赤から黄色、そして青のランプが点灯し、ブザーが鳴ると二人はほぼ同時に魔法を発動した。

 

燈ちゃんの魔法は地面を媒体として振動させ、千代田先輩の氷柱にヒビを入れた。一方、千代田先輩は燈ちゃんの陣地の氷柱を一つ、完全に振動で破壊した。

どちらも得意とする振動系魔法。

責め続ければ不利なのは燈ちゃんだ。

魔法に関してはほぼ同レベルだが、試合に関しては千代田先輩の方が優勢だ。それは先輩としての意地でもあり、単に競技に掛けてきた経験の差でもあるだろう。

 

 

早々に燈ちゃんは切り札を持ちだした。

 

『“神域に住まう精霊たちよ、かしこみ、かしこみ、申し上げる”』

 

声を張り上げると、場の精霊たちが一斉に彼女の声に反応した。

サイオンを乗せた声が場の空気を変貌させる。

予想通りの展開に、千代田先輩は魔法の展開、発動スピードをより加速させる。詠唱が完成しきりる前に倒せばまだ勝ち目はある。

 

『“八大地獄の火の海よ、煉獄に焼かれ、焦土と化せ

八寒地獄の氷の世界よ、冷徹なる吹雪に凍土と化せ”』

 

だが、振動系魔法の強化ではなく、燈ちゃんが使用したのは火と水の精霊魔法だった。

会場からも驚きの声が溢れている。片や焦熱、片や極寒を中心で綺麗に分け、作り出している。

空気ごと熱せられた氷柱はじわじわととけだし、ヒビの入っていた一本を倒壊させた。千代田先輩が休む間もなく攻撃を続けるが、燈ちゃんの陣の氷柱は冷気で強化され、容易には倒れない。地面には強制停止も同時に展開しているのだろう。

 

「インフェルノ?!」

「まさか!あれはA級ライセンスの試験に出題される高等魔法だよ」

 

鎧塚先輩はガラスに張り付きフィールドを眺め、五十里先輩は深刻そうにモニターに視線を落とした。

 

「いえ、違います。あれは精霊の活性化です」

「「精霊の活性?」」

 

「インフェルノは一方のエネルギーを減速し、余剰エネルギーをもう一方に流すことで灼熱と極寒を作り出す領域魔法です。

一方あの魔法は火の精霊と氷の精霊に干渉し、それらの精霊の分布を意図的に変えて、活性化させています。領域内部の温度変化をもたらしています。インフェルノと同じように物理的に温度が上昇していますので、情報強化では防げない点がこの魔法の優位な点です。

発動プロセスが分子の運動を利用するか、精霊を利用するかですので、結果は同じでも使用された魔法は異なります。さらにこの魔法力を上回るだけの魔法力に加え、精霊に干渉する力がなければこの状況は覆せません。」

 

モニターを見ると千代田先輩のエリアは摂氏100度を越え上昇し続けていた。先輩も焦っているのが目に見えて分かった。

 

『“祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き有り

沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す

奢れるものも久しからず

ただ春の夜の夢のごとし

猛きものはついに滅びぬ

一重に風の前の塵に同じ”』

 

千代田先輩が意地をみせ、どうにか冷やされ硬度を増した相手の氷柱を砕き、燈ちゃんの陣地の氷が残り二本となった。

 

『“瓦解せよ”』

 

だが、勝ったのは燈ちゃんだった。

溶け出した氷が得意の振動系で一気に崩壊した。

 

会場は興奮冷めやらぬ様子で歓声を送っていた。

燈ちゃんは疲れた様子も見えたが、それ以上に達成感に満ちていた。

 

千代田先輩は悔しそうに手を握りしめていた。五十里先輩も力及ばずと悔しそうだったが、試合会場からは目を逸らしていなかった。

 

「二高の選手の詠唱、平家物語だよな。それで魔法が強化されるのか」

「詠唱とは精霊に対する祈りがもととなっています。信仰心と声にサイオンを乗せることができれば可能です。この時期が時期ですから精霊の反応も上々だったようです」

「時期?」

「お盆を前に精霊は活発になっていますから、術も発動しやすかったんでしょう。加えて、氷を作る水も霊峰の力を得た水でしょうから作用の効果は相乗されています」

「古式魔法も奥が深いな」

 

鎧塚先輩が映したモニターには、急速にサイオンが活性していた状況が示されていた。

 

「逆に言えば、安定はしていませんね。時期や土地によって左右される術もありますから、一律に魔法を発動することはできません。その幅をどう調整していくかは術者の実力です」

 

燈ちゃんが二勝、千代田先輩が一勝、三校の選手が勝ち星なしで本選女子アイス・ピラーズ・ブレイク決勝リーグの結果は一位 二高、二位 一高 三位 三高となった

 

 

 



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九校戦編9

ついに通算20話になりました。予想以上に反響、感想頂けてうれしい限りです。

構想としてはかなり先まで進んでいるのですが、如何せん書きたい場面が多くて大変です。
オリジナル展開多めで今後も行きたいと考えています。お暇つぶしにでもお付き合いいただけると嬉しいです。


・・・三日目夜・・・

 

渡辺先輩の意識も戻り、検査の結果大きな後遺症なども出ていないと聞いた。ただ肋骨骨折を伴っており、当然激しい運動となるミラージ・バットは棄権となる。

一高ブレーンも優勝候補と予想していた千代田先輩が準優勝となり、三高と一高の点差が更に縮まっていた。今も七草先輩を中心に作戦スタッフと共に今後の作戦を練り直しているらしい。

 

検証はこちらに任され、五十里先輩と鎧塚先輩に加えて吉田君と美月も部屋にやって来た。

達也は病院の付添から帰るとすぐに渡辺先輩の競技の検証を行い、夜になって先輩方も検証に加わってくれた。吉田君と美月は達也が聞きたいことがあると呼んでいる。

本来だったら五十里先輩に付き添って千代田先輩も一緒に来ただろうが、準優勝のショックにまだふさぎ込んでいるらしい。健闘したとは言うものの、それは結局負けたことに対する慰めにしかならないのだろう。

 

「こちらを見てください」

 

達也がモニターを操作すると事故直前の様子がモニターに映し出された。七高のオーバースピードと不用意に沈んだ渡辺先輩のボード。これらは一高に対する妨害工作だと達也は結論づけていた。

 

「水面の陥没は水中から発生していることが分かりました。その方法ですが、どうやら精霊魔法を使い、ボードを水中に引っ張ったようです」

「精霊魔法だって?!水中に妖魔か何かが仕込まれていたのかい?!」

 

吉田君が驚きの声を上げる。化成体は、一般的に霊的エネルギーを可視化させたものであると言われている。サイオンの塊を土台に幻影魔法で姿を作り、物質に干渉する加重、加速、移動魔法などで肉体を持っているかのように見せている。偵察や攻撃にも用いることができ、水魔もその一種だ。

しかし、水魔を潜りこませれば魔法協会や選手が気が付かないわけではない。

 

「いや、そうであれば大会役員が見落とすわけがない。細工をされていたのはボードの方だ」

 

達也が画面を切り替えると渡辺先輩が使用していたボードが拡大して映し出し出された。事故後大会側にボードは回収されてしまっており、一高の手元にはない。

競技中の映像からどうにかボードの先端付近の背面が映るものがあり、その映像を確認する。スローモーションにして再生すると、一瞬だけ謎の刻印が浮かび上がっていた。大きさにして直径10cmにも満たない円状の刻印だ。

 

「地脈を使いボードに示された刻印を目印にして魔法が発動したようです。術者は既に取り押さえられており、軍関係者に引き渡されました」

「ひょっとして雅さんが?」

 

美月と吉田君が真っ青な顔で私を見ていた。

あの場で私が会場の外に出ていったことは彼らも周知のことだ。軍関係者が出てきたことはこの場で初めて知らせることであり、先輩方も驚きを隠せないでいた。

 

「結果的に取り押さえたのは軍の方です。取り調べの結果はこちらに渡してもらえるよう交渉してあります」

 

取り調べの進捗状況は分からないが、相手は訓練された術者なので早々に口を割ることはないだろう。精神系魔法の使用は硬く禁じられてはいるが、取り調べや自白では密かに用いられている。

渡辺先輩に至っては空気中で微量の香を調合し、相手の嗅覚を支配し、“合法的に”自白させることもできる。軍には取り調べのスペシャリストもいるだろうし、裏で手を引いている者とその目的が分かるのも時間の問題だろう。

 

私の話はさておき、確認のため五十里先輩がもう一度映像を再生していた。

 

「じゃあ、渡辺先輩が標的にされたってことかい」

「七高の選手と同時に棄権に追い込むことが目的だったようです」

 

達也が再び画面を切り替えると、渡辺先輩と七高選手の去年の記録が映された。タイムから計算するとカーブで減速するタイミングで七高選手が加速すれば、渡辺先輩と衝突する計算になる。

 

「おそらく七高にも何かしら仕掛けがされて、加速と減速の切り替えが起きていたのでしょう」

「七高に裏切り者がいたっていうことかい?」

 

五十里先輩からの質問に、達也は首を振った。

 

「七高側にCADを見せろと言っても一蹴されるでしょう。おそらく大会委員会に工作員が紛れ込んでいる可能性が高いと思います」

 

部屋の中がギョッとした雰囲気に包まれた。皆一様に絶句していた。

 

「お兄様、CADは各校で厳重に管理しています。いついかなる時にCADに細工をしたのでしょうか?」

 

深雪が達也の言葉を疑うことはないが、更にその先の考えを求めた。

 

「CADは一度大会側にレギュレーションチェックで引き渡される」

「おそらくその瞬間に何かしら精霊を潜りこませたのかもしれないわ」

 

バトルボードであった事故で感じた精霊は二つ。

一つはおそらく七高選手に仕掛けてあったものだ。

コースの壁に阻まれて直接視認はできなかったが、ここは土地神様のいらっしゃる場所だ。彼の方に尋ねるまでもなく、土地の加護を受けた私の精霊に対する感受性は上がっている。

精霊が反応した数自体は少ないが、目に起きた効果は大きい。

術者が七高選手に術を発動させた形跡もなかった。

 

「精霊による妨害か・・・」

「あ、電子金蚕じゃないか?」

 

悩ましげに考え込む五十里先輩に鎧塚先輩が思い出したようにつぶやいた。

 

「電子金蚕ですか?」

 

達也ですら聞き覚えのない単語に首をかしげた。

 

「知らなくて当然だろうな。かなり前の東シナ海での戦争で使われた精霊魔法の一種だ。有線回線を通じて電気回路に侵入するタイプの魔法で、システムをいくらチェックしたところで発見されない。

俺も詳しくは知らないが、一連の妨害魔法が大陸系だったんなら古いもの好きのあの国はまだ使ってんじゃないか?」

 

「よく御存じですね」

 

達也は素直に賞賛した。軍事作戦の一部である情報を一般市民の彼がそのようなことを知っていることに対する驚きも含まれていた。

 

「俺、進路希望は霞が関の背広組。もしくは陸軍の司令官。とりあえず防衛大に進む予定だ」

「なるほど」

 

祈子さんによると鎧塚先輩は古今東西の軍事戦略に詳しいと聞いている。

兵器関係や数々の戦略や戦術にも造詣が深い。実家で所蔵していた軍記物を彼に貸し出したこともあるが、本当に軍事作戦や戦略的思想においては同世代以上リードした知識を持っている。

 

「電子回路に侵入するならシステム用のアンチプログラムも無意味ってことだよね」

 

「具体的な対策をどうしていたかは覚えてないが、伝手があるんなら分かるんじゃないか?」

 

鎧塚先輩はちらりと私の方を見た。引き渡した術者から情報を得られないかということだろう。若しくは取り調べを行った軍と取引か何かができないかと目論んでいるはずだ。

 

私達もまだ試合が残っている。大会委員側に手引きをする者がいるのならば、早急に対策を整えなければならない。

 

 

 

 

 

 

大方の検証が終了したころに、軍関係者から呼び出しがあった。

達也たちは電子金蚕に対する調べものと対策を引き続き話し合っているだろう。

電子金蚕についてはこちらの交渉カードの一つとなるだろう。厳重なセキュリティチェックを終え、ホテルとは離れた軍施設に案内される。私だけではなく、場に居合わせた真さんも同席している。

 

「二人とも夜分遅くに済まない。真君は久しぶりだね。活躍は聞いているよ」

 

応接室と呼ぶには少し味気ない造りの会議室に通されると、そこには風間少佐と響子さんがいた。

 

「お久しぶりです、少佐。こちらこそお忙しいところわざわざ時間を作っていただき感謝いたします。」

 

真さんが一礼すると風間少佐は神妙な面持ちで口を開いた。

 

「まず、報告だ。取り押さえた術者は精神を焼き切って自害した。その結果、我々が彼から得られた情報はごくわずかとなってしまった」

 

これは少なからず驚かされた。これだけ軍関係者が見張っているのにも関わらず魔法を使って自害できたことは予め失敗も織り込み積みだったと言うことだ。

ジェネレーターに関しては真さんから少し教えてもらったが、人為的に後天的に調整された魔法師であり、薬や手術によって人の命令を忠実に聞くようにされているそうだ。

倫理や人道なんて存在しない手法だ。

情報を割らせないために自害を強要することなど容易いのだろう。若しくは予め軍関係者に捕まった場合の対応は命令されていたのかもしれない。どちらにせよ気分は良い話ではない。

 

「ごく僅か、ということは何かしらの情報は得られたと言うことですね」

 

確認を含めて、私は風間少佐に尋ねた。

 

「ああ。被疑者と接触していたのは大会前日に忍び込んでいた賊だった。術者はほぼ間違いなく無頭龍の一員だったのだろう」

 

「これほどまで高校生の大会に狙いを絞っているのはなぜですか?」

 

「それに関してはまだ調査中だ。だが三高贔屓にしていること、一高を貶めようとしていることは判明している。何かしら賭け事でも裏で行っているのかもしれない」

 

「確かに、今年の予想では一高のぶっちぎり優勝が最有力ですからね。三高を勝たせればその分の配当は大きい」

 

真さんに視線を向けると目があった。

九高の会長である彼の口から一高の優勝を語るのは少し複雑な心境ものぞかせた。

真さん一人なら数字持ちに引けを取らない実力を持っている。

しかし、四から九高は全員が魔法の実習を教員に指導してもらえるが、実力的には一から三高に一歩遅れていると言われている。九校戦は団体戦であり、彼一人の活躍だけでは総合優勝は厳しい。

 

「賭け事であると決めつけるのも些か早急だ。可能性としては将来ある魔法師を潰す目的もあって可笑しくない」

 

「確かに、国防を担う若者の芽を摘むには良い機会でしょう。ついでに言えば衆人環視の場で魔法事故を見せれば反魔法師団体にとっては良い餌になるでしょうね」

 

皮肉も込めた真さんの言葉に風間大佐も肩を軽く竦ませた。

反魔法師団体は魔法師は人間ではないと言う人間主義を大義とした団体だ。魔法師はその歴史上、戦争とは切っても切り離せない存在だ。

“兵器”として生み出された、人間とは別の“種族”だなんて言い方をする者もいる。

1000年以上も前から魔法は存在するのに馬鹿馬鹿しい考え方だが、大なり小なり非魔法師にはそう言う考え方を持つ人もいる。魔法師や魔法関連の事故があるたびにその意見は活性化し、彼らの活動も活発化する。

 

「その点に関しては現段階では問題ありません。世論的にもスポーツに関する事故は付き物という意見が大多数です」

 

真さんの質問に答えたのは響子さんだった。

事故からまだ一日も立っていないが、ゴシップなども調べ上げるとは仕事が早い。

九校戦は青少年のスポーツ競技だ。裏事情はさておき、社会的に大きな損害を与えたわけでもなく、毎年多数の観客、視聴者を集める一大イベントだ。人間主義の団体も表立って活動しにくい部分もあるだろう。

 

「今後も一高に対して妨害工作は行われると考えてよろしいでしょうか」

「敵が一高の優勝を妨害しようとしているのならば今後も何かしら策を練ってくるだろう。侵入者の一件で警備のレベルは上げているが、内部の工作員に関してはまだ調査中だ。」

「風間少佐も魔法協会の身内に敵がいるとお考えなのですね」

「頭の痛いことだが、その線が濃厚だ」

 

ため息交じりに風間少佐はそう言った。

軍と魔法協会は同じ組織ではないため、干渉が過ぎると多方面に余計な波風を立ててしまう。縦割り社会の弊害でもあるだろう。

響子さんに淹れてもらった紅茶で一息ついた。

 

これからが本題だ。

 

「風間少佐は電子金蚕をご存知ですか」

 

私はここでカードを切った。

 

「電子金蚕?確か東シナ海で大亜連合が使用した精霊魔法だったか。

機器の電子回路に潜りこむ厄介な魔法だったと記憶している」

 

「一高で事故の検証を行ったのですが、おそらく電子金蚕が使われた可能性が上がりました。七高のCADや渡辺先輩のボードが運営側に調査目的で引き取られてしまっているので、こちらから動くことはできません。電子金蚕に対してなにか技術的な予防策を講じる手立てがありますか?」

 

「電子金蚕ですね。少々お待ちください」

 

響子さんが端末を操作すると電子金蚕に関する資料が表示された。

 

「現在、この魔法を使うのは大亜連合の一部です。侵入対策としては精霊を寄せ付けない魔法を施すことですが、これは刻印術式の結界で応用可能です。万が一潜りこんだ場合は電子回路の総点検が必要になりますので、これは時間がかかります。どの電子回路、魔法式に作用するスイッチに潜んでいるのか発動するまでほぼ分かりません。あくまで電子金蚕は発動しなければ精霊としての活性を示さない弱い魔法です。潜りこんでいる電子金蚕を見つけるにはかなり感受性の高い術者が必要でしょう」

 

「その結界については技術提供していただけるのですか?」

 

示された資料には肝心の刻印の結界に関する記述はない。

まだ電子金蚕と決まったわけではないが、対抗策は持っておくに越したことはない。

軍が無理ならば、別の伝手を頼るしかないだろう。

「すみません。電子金蚕が変化していると言うことはありませんか」

 

電子金蚕の話では口を噤んでいた真さんが熟考した上で問いかけた。

 

「どういうことですか」

「魔法の発展と共に当然古式魔法、精霊魔法も進化しています。新型の電子金蚕や新たな回路やシステムに潜りこむ精霊魔法があるのではないですか?」

「この場でその魔法が使用されたかもしれないということですか」

「あくまで仮説です。ですが彼の国とて古さばかりに固執している愚者ではないでしょう」

「新型の魔法の実験にされていると?」

 

風間少佐の顔つきが一段と険しくなった。

 

「格好のパフォーマンスの場でしょう?効果的に用いられれば魔法師の戦力を脅かす軍略兵器になり得る可能性がある。無論、CAD以外の電子機器も危ないでしょうね」

 

航空戦闘機、巡洋艦、陸上戦闘兵器。

大よそ原始的な武器以外の近代に発展した機械類は電気を用いる。それが原因不明に使えなくなれば、戦場は一気に混乱する。小さな精霊が戦況を左右しかねない兵器になり得るのだ。

 

「真君も中々の考えを持っているな。すぐにでもウチに欲しいくらいだ」

「防衛大にでも推薦していただけますか?」

 

二人とも冗談を言ってはいるが、新たに出てきた可能性に私は混乱した。電子金蚕だけならまだしも、それ以上に厄介な魔法の可能性がここにきて現れてしまった。響子さんはこの間にも電子金蚕に関する情報を集めている。

 

「明日以降、一高の点差次第では更なる強硬策に出てくる可能性もあるやもしれん。気を付けてくれ」

 

少佐の硬質な言葉に、二人揃って了解の意を示した。

優勝候補潰しとなると、私や深雪、その友人たちも標的となる可能性がある。精霊魔法はこんなことに使うためにあるのではないと私は一人、苛立ちを抑え込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

機密保持のためにいくつかの事項を確認し、私と真さんは響子さんに連れられてホテルに戻ってきた。ロビーまで送ってくれた響子さんと別れ、真さんも明日の準備があるからと部屋に戻っていった。

私は飲み物でも買おうと自販機を探していると、不意に後ろから声を掛けられた。

 

「お待ちください」

 

体ごとそちらに向けると、馴染みの顔だった。少し早歩きで近づいてきた彼は嬉しさを隠しきれないといった様子で微笑んだ。

 

「こんばんわ、雅さん」

「こんばんは。お久しぶりですね、芦屋さん」

 

彼は陰陽師の名門、芦屋家の直系で次期当主として指名されている年齢は一つ上の高校二年生で、古くから九重とも親交がある。

私が名字で呼べば、彼は整った顔に憂いを浮かべてみせた。

 

「これは寂しい。私と貴女の仲です。どうぞ充(ミツル)とお呼びください。まさかこのような場でお会いできるなんて思いもしませんでした。二高にいらっしゃらないのは残念でなりませんが、こうして選手として出場されていると知ったときは、舞い上がってしまったのですよ。表だって応援できないのが残念でなりませんが、明日からの試合も楽しみにしています」

 

「ありがとうございます」

 

「貴女が京を離れ、東下りまでなさって婚約者の元に行かれたとお聞きした時は引き裂かれるような気持でした。いくら私が愛した桜姫様が最早手の届かない場所に行ってしまったのだと、袖を濡らす日々。たった半年の事なのに桜のない京など永久の冬のようでした」

 

まるで息をするかのように端正な顔立ちから発せられる言葉は、鈍感な者でも気が付くような恋心を匂わせた言葉だった。芦屋家もまた私に対して婚姻を申し込んでいる家の一つである。

家系も平安時代まで遡れるほど長く、陰陽師では安倍と並び称される古式魔法の名門の一つであり、達也がいなかったら私の婚約者候補だったのかもしれない。

彼の家からはいくら私に婚約者がいると知っていても、毎年のように誕生の祝いと四季折々の贈り物をしてもらっている。受け取れないと言っても、こちらの気持ちだからと諦めずに丁寧な手書きの手紙まで添えてくるのだから彼も大概だ。どう転んだとしても【星巡り】は切れやしないし、私が彼の気持ちに応えることは生涯あり得ない。

 

 

「冬の京は澄んだ空気も、控えめな雪化粧も美しいでしょう」

「ええ、無論。ですが、やはり花の盛りこそ心揺さぶられるのですよ」

 

にっこりとした笑顔の後ろにはやはり情熱を携えた恋情が見え隠れしていた。

目は雄弁に私に対する想いを語っていた。手に入れられないから燃えるとも言われたが、私としては早急に諦めて良い人を見つけてくれることを祈るばかりだ。好意を告げられて、好かれていることは決して悪いことではないはずだが、正直参っている部分もある。

 

「今宵、再び相見え、やはり貴女様への尽きることない気持ちを思い知らされました。濡れ枕のもとで見た夢の貴女など霞がかかっていた様で、今なら篝火に焼かれる愚かな虫の気持ちが分かる気がします。この胸を燃やす貴女への恋情に焼き殺されてしまうのなら本望ですが、やはり貴女を私だけの舞姫にしたいと思うのは男の性でしょうか」

 

一歩、彼との距離が縮まり、私に手が伸ばされる。

やんわりと微笑んで牽制するが、彼には逆効果だった。

 

「貴女がお許しいただけるのであれば、このまま攫って「このアホ!!みやちゃんに何しとんねん」

 

 

触れあうほどの距離まで彼の手が伸びたところで、怒号と共に彼の頭に向かって缶ジュースが投げられた。彼は振り返りざまに片手で難なくそれをキャッチした。

 

「二高の副会長が大会も終わってもないのに他校の女子を口説くな、ド阿呆。大体何年片思い続けとるねん。略奪婚なんて死んで詫びても許さんで」

 

般若を携え、今にもCADを発動しかねない様子の燈ちゃんが仁王立ちしていた。

 

「略奪だなんて人聞きが悪い。最終的に彼女が誰を選ぶのか、だろう?」

 

ふっと燈ちゃんを見て芦屋さんは鼻で笑った。

私に話しかけていた甘ったるい声ではなく、意地の悪そうな顔をしている。どちらかといえばこちらの顔の方が彼の本性だ。私の前では何重にも猫を被っているのを知っている。

 

「いけしゃあしゃあと言いやがって、はっ倒すぞ」

「口が悪いな、鬼っ子」

「狐野郎に言われたかないわ。人畜無害そうな甘ったるい蜂蜜顔の癖にめっちゃ胡散臭いねん」

 

忌々しく吐き捨てるように燈ちゃんは私の腕を取った。

 

「胡散臭いとは失敬な。品のない鬼子には風雅の一つも分かるまい」

「お生憎様。こちとら元から花より団子や。雅ちゃん、明日試合やろ。さっさと休みや」

「ありがとう。そうさせてもらうわ」

 

チッといった舌打ちの音は聞こえなかったことにした。

 

「では、芦屋さん。遅い時間ですので、失礼します」

「ああ。せめて夢の通い路にでも君に出会えることを祈るよ」

「うわ、くっさ。イケメンだからって調子こいとるな」

 

辟易と燈ちゃんは芦屋さんを嗤った。私の手前とあってか、眉を一瞬顰めたものの何重にも猫をかぶり直し、苛立ちを隠して芦屋さんはその場を後にした。

 

京都から離れたとしても煩わしい関係は続くものだ。今度帰省した時にでも安井金毘羅宮で悪縁でも断ち切って貰う方がいいのかもしれないと私は人知れずため息を零した。

 

 

 




達也さん、ライバル登場です。


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九校戦編10

いよいよ新人戦の開幕です。

関係ない話ですが、寮生活をしている弟と久しぶりに会いました。
第一声は『ちっさ!!え、姉貴こんなに小さかったん?』です。
お姉ちゃん泣きたくなりました。(´;ω;`)
前は姉さん呼びだったのに、何時の間にか姉貴になってる(´;ω;`)
小っちゃいのは認めるけど、お前だってそんなにデカくないだろう!


・・・九校戦四日目・・・

 

一高でとある噂が立っていた。

 

九重雅に必勝祈願をしてもらうと、試合に強くなるらしい。

 

受けたのはバトルボードに出場した村上や服部、ピラーズ・ブレイクに出場した千代田などだが、こぞって成績上位に入っている。しかも服部に至っては予選の段階から調子が上がっていなかったにもかかわらず、決勝ではまるで重荷が外れたかのように快走していた。

 

嘘か真かさておき、それからというもの、雅は選手に引っ張りだこだった。勿論、それを必要と感じていない人や気休めだと言う人もいたが、呪具事件や摩利の事故もあってからか頼みに来る人は多かった。

 

「お姉様も選手だと言うことを忘れていらっしゃるのではないですか?」

 

深雪が不満げにそう口にした。雅は苦笑いを浮かべ、気にしていないと言う風に笑った。深雪は姉が皆から頼られて嬉しい反面、美しい祝詞を受けることができた者たちが羨ましくもあった。

 

雅は末席とは言え神職の端くれ。九重神宮はその名の通り神を奉り、神に仕え、また古くは神の系譜との婚姻もあったと言われる由緒正しき家系だ。善意で施されている祝詞は通常どれだけ金銭を積んだとこで易々と受けられない代物であり、その筋の者が聞けば泡を吹いて倒れるだろう。

 

「神頼みならぬ雅頼み?」

「雅さんの激励なら御利益ありそうです」

「エリカも美月も止めてよ。私のような若輩が鼻高々にしていたら、笑われるわ」

 

雅は疲れた様子で肩をすくめた。

雅が施しているのは略式簡易な祝詞であり、あくまで気休め程度のモノだ。力ある者が本腰を入れた邪気払い、必勝祈願をしたのなら命運すら変わる。しかしそこまでのレベルであれば魔法と言われている領域に入るため、雅も弁えている。

 

人にとって神様はそこにいらしゃれど存在は見えず、聞こえず、触れられず。されどその加護は大地に染みわたり、息吹は空気に満ち、世界を潤している。

 

そんな世界の一端を見ること、聞くこと、触れること、与えることができるのは古より信仰を続けた九重神宮に連なる者だからなのだ。裏を返せばそれだけ強大な世界への影響力を持っていると気取らせないことが何よりの畏怖すべきことだ。

 

そんな裏事情は花の乙女たち、若者らしい友情の前には出すべきではないと感じている雅は友人たちと年相応に楽しそうに話を弾ませていた。

 

 

 

 

九校戦も四日目。本選は一旦休みになり、今日から新人戦が始まる。

種目の組み合わせは本選と同じであり、今日は男女スピードシューティングと男女バトルボードの予選が行われる。雅やほのかも午後からバトルボードの予選があるが、下手に待ち時間を作って緊張しないようにと試合を観に来ている。

 

これから行われるのは女子スピード・シューティング予選。

達也がエンジニアとして担当する種目であり、これから雫の試合が行われる。一高カラーのジャケットとスキニーのパンツルックは本人の顔立ちも相まってより凛々しく見えた。

 

予選は一人で行われ、決勝トーナメントでは対戦形式となる。

二人で同じ場に魔法を使用する場合の難易度は一人で魔法を使用する場合より数倍上だ。

魔法は物体に付属する情報を書き換えると言う性質上、同じ領域で作用すれば術式同士が相克を起こし、魔法が正しく発動しなかったり、暴発したりしてしまう。真由美のように領域外からも有効エリアの的を打ち砕く魔法と自前の知覚系魔法があるのはまさに例外であり、それが強さの所以でもある。セオリー通りの戦いならば的に直接振動を与えるか、的同士を移動させてぶつけるという手法が取られる。

 

 

雫は一つの的も撃ち漏らすことなく、予選の結果はパーフェクト。

能動空中機雷(アクティブ・エアー・マイン)と名付けられた魔法は、雫の得意とする振動系の系統魔法である。有効エリアの内部に立方体の仮想空間を生み出し、頂点と立方体の中心に番号を付けた座標を指定する。

 

素焼きの的は競技上必ずその有効エリアを通過するため、変数として入力した座標番号から振動を発生させることで的を砕いている。ただし起動式が長大なため術者にはそれなりの演算スピードと領域が要求されるが、学年トップレベルの実力者である雫なら十分だった。

 

さらにその術式の考案が達也だと聞いたE組メンバーは開いた口がふさがらない様子だった。実戦では射出されたポイントも的も本人の視線の先も一定ではないが、競技ならばそれらすべては同一だ。射撃魔法として実戦応用は効かせにくいが、他者からの妨害を受けることない競技では画期的な魔法である。

 

競技場の隅の方で待機していた達也も結果に満足そうな様子を窺わせた。

 

 

 

 

 

スピードシューティングは午前で女子の予選から決勝、午後で男子の予選から決勝が行われる。女子スピードシューティングの三人は見事予選を通過し、決勝リーグでも他校を圧倒してみせた。セオリー通りのものから型破りな魔法まで、全て達也が関わっていたことは周知の上だ。

最初は二科生なんかがと言っていた先輩方や口には出さないが二科生がエンジニアをすることに対してアレルギーに似た嫌悪感を抱いていた者も予想だにしなかった結果を出されてしまえば、文句は言えなかった。

それを口にしたところで劣等感や嫉妬心を誤魔化すための戯言でしかない。むしろそこまで敵対心を持っていない上級生の先輩方からは賞賛の嵐であり、達也は謙遜しながらも心なしか嬉しくもあり、同時に対応に困っていた。

 

その様子にまるで比例するかのように一高一年男子からの刺々しい視線が増え、それに対して深雪が機嫌を降下させるといった悪循環になったため、二人は早々にバトルボードの会場にとやって来た。

一年生の予選とあって観客はそれほど多くはないが、来賓席にいる人の数が多いと達也は観客席から見ていた。

 

「司波君、こっちです」

 

来賓の事を一旦頭の隅に追いやり、声のした方を向いた。深雪も同じ方向を見ると小さな体を伸ばし、手を振る可愛らしい先輩の隣には本来ここにいるはずのない先輩の姿があった。

 

「渡辺先輩も応援ですか?」

 

先日負傷したばかりの摩利が腕組みをし、憮然とした態度で座っていた。

摩利は二人の言葉に不満げに眉を顰めた。彼女の頭には未だ包帯が巻かれており、制服の下も固定のためのサポーターをおそらくしているはずだ。

 

「達也君はまるで私が来てはいけないみたいな良い方だな。怪我人だが、病人ではないし、激しい運動は禁止というだけだよ。」

 

いらない強がりをしているのではなく、現代医療では骨折程度ならその日の内に退院できる。脳震盪もあったため、検査を含め大事を取って摩利は今日の昼前に退院となった。肋骨以外は問題なく医者も退院許可をだしているし、今後も定期的な検査は必要になるが魔法師生命には支障なかったのは不幸中の幸いだろう。

 

「それで、雅は大丈夫なのか?」

「大丈夫ですよ。俺より担当の中条先輩の方が良くご存じでしょう?」

「雅さんのCADはほとんど手を入れる必要はありませんから。流石司波君仕込みの調整です」

 

あずさの裏表の無い言葉に深雪は満足そうにうなずき、摩利はにやりと笑った。

 

「ほう、そうなのか。まあ雅なら達也君のサポートがなくても相当なことがない限り予選突破は間違いないだろうな」

「ずいぶんと買っていらっしゃるのですね」

「当然だろう。妨害のない単純な直線スピード勝負で私を負かしたのはアイツだけだよ」

「へっ?そうなんですか」

 

あずさの驚きの声に摩利は渋々ながら答えた。

 

「単純に魔法の使い方が上手い。そつなく複数の工程をこなすし、視野も広いし、何より判断が早い。本選で私と張れるだろうよ」

 

摩利は雅を十分評価している。

あの淑やかで精錬された佇まいに騙される人も多いが、魔法力も高ければ魔法戦闘力も高い。魔法戦闘、対人格闘を始め実戦慣れしているし、私情に囚われず冷静かつ公平な判断もできる。

摩利は次の風紀委員長の後継に2年の千代田花音を考えているが、雅もいずれは風紀委員長となって欲しいと考えている。無論、達也でも構わないが生徒会からの引き抜きがある可能性も考慮し、早めに雅だけでも押さえておきたいと思っている。

風紀委員は男所帯だが、流石に婚約者持ちの女子生徒に手を出す馬鹿はいないだろうし、むしろ雅に返り討ちにされるのが関の山だろう。

 

 

摩利の心の内はさておき間もなく試合を告げるコールが鳴ると、選手が一斉に位置に着いた。

 

雅は腰まである長い黒髪を結上げ、ひと纏めにしている。普段は制服に包まれている身体が密着したウエットスーツによってしなやかな曲線美を描いている。隣にいた同姓の選手ですら一瞬息をするのを忘れていた。

 

深雪が不健康に見えないギリギリに細く、庇護欲をそそる華奢な体つきだとするならば、雅は磨き上げられ研ぎ澄まされ、必要な所には十分ついているのに余分なものを落とした扇情すら感じさせる出で立ちをしている。実際その清らかな雰囲気に相反する欲を煽る姿に背徳的な考えを浮かんだ男子も会場には少なくない。

 

凛とした面立ちと真剣な瞳に周囲の選手だけでなく、会場でも息を飲む者も多かった。威圧しているわけではないのに、雅だけ他を圧倒する存在感があった。

 

 

今か今かと早鐘を打つ心臓を押さえながらスタートを待ち構える選手たち。スタートのブザーが鳴るとほぼ同時に誰よりも早く雅は魔法を発動し、先頭に躍り出た。

 

「速いです」

「おいおい、飛ばし過ぎじゃないか?」

 

コースは全長3kmの人工水路を三周、およそ15分の競技だ。それだけの時間魔法を使い続ける集中力と風圧に耐える体力が求められる。

しかし、スタートから快走している雅は疲れなどいざ知らず、まだ4分の1すら終わらない段階で後続と距離が開いていた。それもカーブを曲がるたびにその差は広がっていき、一周を終えるころにはほぼ独走状態だった。妨害魔法も視認されない距離まで離されてしまえば効果は薄く、雅相手には意味を成していなかった。

 

「カーブは常にインコースギリギリだが、ほぼ減速魔法は使っていないのか?ボードと体の固定はこの前教えてものにしているようだが、いくら魔法を使って移動しているからと言ってあれだけのスピードでボードを傾ければ普通は遠心力で外に飛ばされるものだぞ」

 

摩利は考え込むように顎に手を当てた。

ラップタイムを見れば、去年の摩利の決勝にも劣らぬスピードだ。

加えてカーブにほぼ減速なしで突っ込む試合風景は迫力があると言えば聞こえがいいが、前日の事故を彷彿とさせる部分もあった。今日は一試合しかないとはいえ、流石に15分も魔法を使い続け、風圧を受け続けるのは体力的にも魔法力的にも消耗する。

雅の安全に加え、後半ガス欠になりはしないかと摩利は心配していた。

 

「カーブの時には魔法を追加で使っているようです」

「あ、収束系魔法ですね」

「収束系?中条、アイツ得意魔法は古式関係だよな」

 

疑問を呈した摩利にあずさが得意げに答えた。

 

「雅さんは現代魔法で言えば収束・放出系の魔法が得意だと聞いています。コースの壁沿いにチューブ状のエアクッションを作り、それに沿って移動することでカーブのギリギリを減速せずに曲がることができます。クッションは通過後に風船のように一点に穴を開けて追い風にもしていますし、風圧も直線ではその圧力を運動エネルギーに変換し、推進力にもしています」

 

「それであのスピードか」

 

摩利は素直に賞賛した。

自分もマルチキャストは得意とするが、発動の切り替え、組み合わせの多さには舌を巻いていた。練習を積んだというより、魔法を使うことに慣れているという気がする。無論、実際にコースを走ったり、魔法を使った妨害など練習はしていることを知っているが、魔法の発動に一切の迷いがない。

 

息をするかのように複雑な過程をそつなくこなす後輩の才能に対する嫉妬ともし怪我がなければなどという後悔の念が生まれる。

自分の事故が妨害によるものだった可能性も聞かされている。苛立つ反面、細工に気が付けなかった自分が情けない。だが、そんな気持ちを持ったところで自分の怪我が今すぐ治るわけでもない。自分にもまだできることがあると心を落ち着かせていた。

 

 

雅のレースは2周目以降はスピードを落としていたが、それでも既に半周は差がついていた。その後も独走。選手以外からの妨害もなく、余力を残して予選突破には十分すぎるタイムだった。

 

その次に行われたほのかも光波振動系魔法による妨害魔法で予選突破。

新人戦女子は初日からスピードシューティングの表彰台独占とバトルボード予選突破の幸先の良い結果となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

九校戦五日目

 

今日の種目は男女クラウドボールと男女アイス・ピラーズ・ブレイクの予選だ。優勝の期待がかかっている試合前の雅の控室には真由美と鈴音が応援と様子見に来ていた。

 

「雅ちゃん、その格好で出るの?」

「そうですが、可笑しいですか?」

「いいえ、似合っているわよ」

 

大会二日目に披露した真由美のウエアは白のポロシャツと短い丈のスコートだった。胸元のボタンも少し外し、動けばアンダースコートが見えるような代物だった。

クラウドの場合、男子は特に校章が分かれば細かなユニフォームの規定はなく、女子は白というテニスを踏襲した色指定になっている校章がついた各高校揃いのユニフォームを着用することが多い。

 

一高は会長の方針もあって、基本的なルールさえ守れば各自自由となっている。

ただし女子はスコートね、と訳の分からないルールを半ば真由美に強制され、ため息をついた女子が数人いた。無論、雅もそれに入る。

魔法オンリーで動き回らないとしても、ボールに当った時のためにプロテクターをするのが一般的だ。他校は半ズボンスタイルが多い中、雅は白のポロシャツの下に黒の長袖インナーを着込み、スコートの下もアンダースコートではなく、ランニング用のレギンスを着用している。真由美とは異なり、顔と手の他に露出がほぼないのが特徴だ。

 

「達也君は観に来ないの?」

「今日はピラーズ・ブレイクの予選ですから、あちらにかかりきりだと思いますよ」

「雅ちゃんは残念じゃないの?いくら自分で調整できて、深雪さんが望むからってエンジニアを譲るだなんて。それも自分以外の女の子を担当させるって内心穏やかじゃなかったりする?」

 

雅の応援には鈴音と真由美が来ていた。エリカたちも応援には来ているものの、選手でもないため観客席にいる。達也は朝から出場選手三人の調整に追われており、試合をモニターで見る暇もあるかどうかさえ分からない。最初からそれは分かりきったことであり、雅はそれに対して不満も不安も一切言わなかった。

 

傍から聞けば冷めた間柄にも聞こえなくはないが、達也も深雪も雅の実力を十分知っており、朝の短い時間の中でできるだけ時間は作っていた。最も深雪にすれば二人と一緒にいられる時間は足りないぐらいだが、雅は気にかけてくれることだけで十分だった。

 

選手控室は落ち着いた雰囲気であり、試合前の殺伐とした緊張感もない。

むしろ冗談をいって和ませようとする余裕もある。

 

「会長」

「だって、達也君も雅ちゃんもドライなんだもの」

 

一緒に来ていた鈴音は隠す様子もなくため息をついた。

真由美の性格は3年間で少なからず理解しているつもりだが、試合前に余計なことを言わなくても良いだろうと思っている。この程度で崩すようなことはないと知っていながらも、大事な優勝候補にあまりプレッシャーやいらない心労をかけるのは頂けない。

 

「確かに二人とも嫉妬心とか執着心とかに縁が薄そうですが、あまり言葉が過ぎると後輩に嫌われますよ」

 

「表に出にくいだけですよ。七草先輩の立場を考えれば、少し失礼かもしれませんが可愛らしいことです」

 

鈴音の苦言に雅はいつも通り穏やかに微笑んだ。

 

「か、可愛らしい?」

「ええ。十師族、七草家直系の長女。第一高校生徒会長に、九校戦3連覇の期待。私はそのお立場を推し測ることしかできませんが、重圧は感じていらっしゃると思います。そんな中、笑顔でチームを引っ張っていく。中々ストレスの絶えない環境ではあります。それを消化するために、達也さんや服部先輩をからかうという行動に出ているのでしょう。そう考えると、私が言うのも失礼ですが、年相応で愛らしいことだと思いますよ」

 

予想外の言葉に真由美は間の抜けた表情となっていた。

 

「お美しい方でもいらっしゃいますから。今回の大会でも好奇の目に晒されているのを感じていらっしゃるでしょう。期待は重すぎるものだと思いますが、それを乗り越えてしまえるほど会長の才覚は未熟な私でも十分理解できます」

 

水の様に滑らかに溢れ出す賛辞に、真由美は徐々に顔を赤くしていた。

確かにストレスの捌け口に後輩男子を茶化したり、手玉に取ってみるようなことしていることは真由美自身も理解していた。大体の被害者は服部だが、最近では達也もターゲットになっている。

 

「九重さん」

「何でしょう」

「その辺にしてあげてください。会長が羞恥心で死にそうですから」

 

雅はその理由も理解した上で、その真由美の行動を可愛らしいと称した。

後輩にそれを咎められるでもなく、まるで自分が酷く子供じみていると指摘されているようで真由美は羞恥心に駆られていた。

 

「七草先輩は私程度の賞賛には慣れていらっしゃると思ったのですが、意外です」

「誰でもそこまで面と向かって褒められれば照れますよ。それに、会長の“趣味”まで理解されているのですからね」

「ああ、もう。雅ちゃんの馬鹿!」

「すみません」

 

 

 

 

 

試合前とは思えない雰囲気に気が緩むのではないかと些か心配したが、コートに出れば雅の雰囲気はまさに強者のソレだった。

肩に力が入りすぎるわけでもなく、自身の力に驕っているわけでもない。

 

ただ集中しているだけ。呼吸を少し整えるだけで、雅は試合前に既に相手に苦手意識を植え付けていた。ただでさえ初出場で緊張する九校戦で相手は動じず、静かにただ自分を倒す時間を待っている。

対戦相手にとっては生殺しも良い状態だ。いっそ今すぐ殺せと言いたくなる気持ちを相手はぐっと堪えていた。

 

「あらら。呑まれちゃってるわね」

「九重さんは試合慣れというより、こういった場慣れもしていますね」

「私もそう思うわ。それよりユニフォームは規定通りだけど、あれだけ露出がなくて暑くないのかしら?」

 

雅は試合開始直前までは丈の長いクーラージャンパーを着込んでおり、体型すらわからない状況だった。真由美たちは着替えてすぐの状態の時間帯に来たためユニフォームを見ているが、雅があそこまで露出を嫌がるとは思っていなかった。

 

「…当校のユニフォーム全般、九重さんはあまりいい顔をしていませんでした。理由を聞いてみたのですが、会長はご存知ですか?」

「なんて言ってたの?」

 

鈴音はいつも通りの分かりにくい表情で冷徹に言い放った。

 

「はしたない、とおっしゃっていましたよ」

 

その言葉に真由美はしばし固まり、閉口した。

 

「………保守的なのね、雅ちゃんは」

 

辛うじて出た声は覇気もなく、随分と小さかった。

 

「バトルボードも試合直前までジャンパーを着込んでいたようですし、露出や体のラインが分かる様な服は好まないようですね」

「あれだけスタイルも顔も良いなら、恥ずかしがるような要素はないんじゃないの」

 

雅は九重寺での訓練に加え、普段から舞の練習は欠かさない。

魔法の持久力と個人の演技力、体力を求められる九重神楽は一曲だけで普通の魔法師が地に這いつくばるほど消耗する。九校戦ではミラージ・バッドがフルマラソンに相当する疲労と言われるが、それで済むなら易いことといわれるほど難易度が高い。

必然的に鍛え上げられてはいるが、女性特有の美しい曲線を維持したままなのは全身が無駄なく、バランスよく鍛えられているからなのだろう。

それが白と黒のユニフォームによって一層際立たせられている。

 

さらに雅は客観的に評価しても美しいと言われる美貌である。

人々の美の極みを極め天文学的な奇跡のバランスで成り立った生来の美少女が深雪であれば、雅は内側からにじみ出る高貴さが自身の整った美貌を際立たせている。言うなれば黒漆の漆器。艶やかに光を反射するそれは漆を何度も塗られては削り、塗り重ね、磨きあげられた美しさだ。

笑顔であれば親しみも持てるのだが、無表情であればいっそ畏怖を与えてしまうほどの美しさ。

 

似ている様で異なる二人の美少女はその魔法力でも他の追随を許していなかった。

 

「会長とは違って不特定多数の、それこそ司波君以外の男性の視線は嫌なんじゃないですか」

「なによ、それだと私がまるで露出狂みたいじゃない」

 

慌てて反論した言葉は真由美が思っている以上に上ずっていた。真由美にとって『はしたない』という言葉は少し堪えた。別に男性の視線を集めたたいがためにあの服装だったわけではないし、試合では一歩たりとも動かないから多少露出度が高くても問題ない。

 

ただ、ちょっとばかり後輩の反応が鈍かったのは頷けないが、それも雅の相手ならば納得の事だ。

彼は真由美を色目で見ることは一切なかった。それもそうだ。神に愛されたのか悪魔と取引したかのように美しい妹が献身的に隣にいて、手を出すことを躊躇わせる高貴さと女として滲み出る美しさを孕んだ婚約者がいれば自分など眼中に入るわけもなかった。

 

「現代のドレスコードから言えば、九重さんの反応の方が普通だと思いますよ」

 

鈴音の言葉に真由美は閉口するしかなかった。

あからさまな露出がないだけに想像欲をかきたててしまう。丁寧に整えられた烏の濡れ羽色の黒髪は長く腰まで伸ばされており、後ろ姿だけでもため息が出そうなほど美しい。今は高い位置でポニーテールにされ、歩くたびにしなやかに揺れている。

日本人離れした深雪の白い肌と比べても見劣りしない吸いつくように整った柔肌は日焼けを知らないかのような印象を受ける。黒い髪に隠されていた真っ白な項は男心をくすぐり、肌を守る布の奥を暴きたいという欲求を与える。

もしもそんなことを口にしたり、実行しようものなら真夏に氷像と成り果てることは言うまでもない。

 

 

 

試合に関しても文句は付けることなどできない圧勝だった。

雅の雰囲気に呑まれてしまったせいか相手の動きも鈍く、危なげなく勝利を収めた。

しかも失点はゼロ。文字通り、その場から一歩も動かずに試合を制してしまった

 

使用した魔法はなんと障壁魔法。

クラウドボールでは今まであり得ない魔法だった。

 

雅はボールの回転を瞬時に判断すると、ボールの直径と同じサイズの立方体を出現させ、相手のボールを弾き返した。この魔法の厄介な点はラリーすら続けさせてくれないことだ。

ボールが地面に落ちると失点だが、障壁を当てる位置によってボールを無回転にされたり、極端に前に落とされたり、回転がかかり出鱈目な方向にバウンドするのだ。当然照準は定まらないし、ラケットを使用する選手はコート内を全力で走りまわされる。相手が何処に打とうが、どんなボールだろうが全て返される。

 

障壁魔法はボールを弾き返すだけの強度だから、消耗も少ない。さらに場にいくつか残った障壁のせいで、狙えるコースも限定されてくる。

意図的に消していく場合もあったが、規模は小さいとはいえ、複数の障壁を維持する魔法力はモニターで見ていた十文字も唸らせていた。

 

知覚系魔法なしに多数のボールの回転を瞬時に判断して魔法を展開させるそのスピードと動体視力にも驚かれていた。得意魔法を除き、雅の魔法発動速度は深雪を上回り、魔法の発動スピードを求められる競技はまさに適正だった。

 

 

結局決勝まで、失点はゼロ。

相手は雅が一セット取るだけでほぼ棄権に追い込まれる状況であり、もはや1年生のレベルではなかった。決勝は例年以上に満員となり、立ち見も出ていた。相手も決勝まで勝ち進んできたとあって粘ったが、結局一セットも取れずに雅の前に膝を着いた。

 

全試合無失点での優勝は七草真由美に次いで二番目の快挙となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・大会五日目 午後・・・

 

午前中から行われていた女子ピラーズ・ブレイクの予選はエイミィと雫もそれぞれ得意とする砲撃魔法、共振破壊によって無事を突破した。

これから優勝の大本命、深雪の試合となる。

 

「良かった、間に合った」

「お姉様」

 

雅が選手控室に入ると、五十里、千代田、摩利、真由美の4人が応援に駆け付けていた。雫たちもエリカたちと観客席で応援すると言っていたため、この場には来ていない。雅は優勝後、メディカルチェックを早々に終え、シャワーを浴びると昼食もそこそこに深雪の元へと駆けつけた。

 

「雅ちゃん、優勝おめでとう」

「ありがとうございます、千代田先輩」

 

花音はピラーズ・ブレイクで一年生に敗北すると言う苦い結果にへこたれていた時もあったが、持ち前の負けん気で翌日にはいつもの調子を取り戻していた。無論、そこには五十里と言う婚約者のフォローがあったと言うことは言うまでもないだろう。

 

「頼もしい応援団だが深雪、緊張しすぎるなよ」

 

達也の言葉に小さく吹き出す先輩がいたが、おそらく過保護だと思われたのだろう。

 

「大丈夫です。お兄様とお姉様がついていてくださるのですから」

 

この兄と姉にしてこの妹ありと言うべきか、深雪には先輩方の期待より何より兄と姉のために勝利を捧げてみせようと意気込んでいた。

 

「深雪」

「はい」

 

雅は懐から簪を取り出し、深雪の前に立った。簪は初日から付けている厄除の神具の一つ。普通の魔法師が手にしたところで精々お守り程度にしかならないが、彼女が手にするだけで悪鬼を滅する力を持つ。

 

妨害工作がいつ、どのように行われるかもわからない。CADに細工するだけではなく、外部からの侵入もあり得る。憂いは少しでも取っておくべきだと雅は感じていた。

 

深雪は姿勢を正し、静かに目を閉じ僅かながら頭を下げた。その頬は微かに桃色に染まり、姉の祝詞を受けることに対して歓喜していた。二人の様子はどこか浮世離れしており、先輩だけでなく達也までも息を呑みその姿を見ていた。

 

『“氷雪の名を持つ者

その名のもとに我が愛しき子に力を与えたまえ

霊峰の地に住まう精霊たちよ

水の精霊、凍原のごとくその身を凍てつけ

火の精霊、烈火のごとくその身を燃やせ

彼の者の勝利の礎となれ”』

 

雅の口から紡がれた言葉は静寂の中で空気を震わせ、耳に残った。

鈴を転がしたような愛らしい声でも、小鳥の鳴くような可愛らしい声でもなく、水が沁みこむように淑やかで美しく落ち着いた声だった。

 

言葉には言霊が宿り、声には力が宿る。花音や真由美は雅が選手に対して祝詞をあげていたところを見ているし、花音に至っては直接受けている。

 

だが、今回のコレとは比べ物にならない。

感覚的にしか捕えられない何か特別なもの。神聖だとか神憑りだとか神々しいという言葉を通り越し、無意識のうちに畏れ、小さく体を震わせた。

 

この瞬間、ここにいる誰もが確信した。深雪の優勝は絶対揺るぎないと。

 

 

 

 

 

 

茫然とした空気も試合時間が近づけば落ち着き、深雪は控室からステージへと向かった。深雪が櫓(やぐら)に上がり、ステージに姿を現すと会場は喧騒に包まれた。

 

「そりゃ驚くよね、あれは…」

 

花音の驚くは似合いすぎて驚くという意味の言葉だった。

達也と雅からすれば、なぜそこまで驚くのだろうかという具合であり、認識の齟齬があった。

深雪の姿は白の単衣に緋色の女袴。一般的には巫女さんと言われる姿だが、本人の美貌と相まって神々しいまでの美しさを演出していた。長い髪は緩く下の方でリボンで結われ、静かに試合を待つ佇まいは相手選手だけでなく観客も呑まれていた。

 

「確かにあれはあたしでも気後れするかもしれん。・・・達也君はもしかしてそれも計算の内か?」

「魔法儀式の衣装としては一般的だと思いますが?」

「・・・達也君のお家は神道系?」

 

摩利からの質問に対して、達也が答え、再度真由美が質問をした。

 

「雅の家がそうですよ。あの装束も雅が以前着ていたものです」

「確かに、雅ちゃんも似合いそうね」

 

真由美は達也の後ろに控えている雅を見てそう言った。

彼女たちは雅について深くは知らない。九重八雲が寺の住職であり古式魔法にも造詣が深いため、神道か仏教関連だとは思っていた。

 

普段は深雪も含めた三人でいることが多いが、こう達也と雅が一緒にいるところを見ると摩利と五十里は内心納得していた。この二人は自然なのだ。まるで長年連れ添った、生まれながらにしてそうあるべきだと言われても納得するような雰囲気だった。

 

「細部は少し深雪に合せて整えていますよ」

 

あの巫女装束は雅のために作られたものだが、今後雅が着る機会は少ない。実質箪笥の肥やしがここで日の目を見たことになる。

あの巫女装束は結婚式などで新婦の身の回りの世話を任された時や神事の手伝いとして着ていたことはあるが、厳密に言えば巫女は神職ではない。だからこそ正月は学生がバイトでできたり、食事などに関しても規則が緩い。

 

巫女の所以は呪術を行うシャーマンとしての祖もあるが、古くは人身供物としての意味合いもあり、巫女服姿に頭に熨斗を付けている神社もある。九重神宮では神職見習いや手伝い等の衣装となっている。

 

あの装束は【織姫】によって心血注いで縫われ、裏地に厄除と神隠し防止の呪いが万遍なく刻まれ、雅が何度か着用し、さらに祝詞を捧げられたことで目に見えない神気を纏っていた。

これで如何なる妨害があろうとも深雪の安全は守られている。

規定チェックに引っかかりそうなものだが、残念ながら服に対してはその対象ではない。盲点と言えば盲点なのだろうが、あくまで護身用の術式。

氷柱が直接飛んでくるようなことが起きなければ、あくまで巫女装束は巫女装束に過ぎない。

 

 

強い光を宿した深雪の瞳に会場全体からため息が漏れ、会場は既に試合を観戦する雰囲気ではない。

 

誰もが深雪の一挙手一投足に注目し、試合開始を今か今かと待ちわびていた。ライトの光が点灯し、赤、黄色、青と変わった瞬間、深雪はCADに指を滑らせた。相手が魔法を発動するより圧倒的に早く、かつその事象改変の力はすさまじい物だった。

 

「これは、まさか・・・」

氷炎地獄(インフェルノ)だと・・・」

 

摩利や真由美が驚くのも無理はなかった。

中規模エリア系振動系魔法に分類されるそれは、エリアを二分し、運動や振動などのエネルギーを減速し、その余剰エネルギーを加熱をすることでエネルギーの収支を調整する熱エントロピーの逆転魔法だ。A級ライセンスの課題として出題され、受験生を苦戦させる高等魔法ですら深雪にとってはごく普通に使える魔法だった。

 

達也と雅は不測の事態に備え、モニターと競技場を隈なく見ているが、どうやらその心配も無用だった。空間は既に摂氏200度まで加熱され、相手の氷は瞬く間に解け出し、ひび割れていた。相手も必死に冷却魔法を発動するが、干渉力の差に焼け石に水状態だった。

 

深雪は氷炎地獄をキャンセルし、新たな魔法を発動させると、相手の氷は一瞬にして木端微塵に砕け散った。急速冷凍された氷は内部に気泡を多く含む粗雑なものであり、空気の収束と解放により脆くなっていた氷は跡形もなくなった。

 

こうして一高女子は他校の選手のみならず、大会関係者、観客も注目することとなった。

 




※摩利の退院日を一日早くしています。


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九校戦編11

『〇〇〇物語』という作品タイトルで作品を紹介するというネタがありました。『世界を救う物語』、『愛とは何かと問う物語』、『幸せになりたい物語』、『夜ひとりでトイレに行けなくなる物語』、『笑いたいだけの物語』
作品を持っている方は名前を付けてみてください。

色々なタイトルがあるのでしょうが、この作品に名前を付けるとするのならばきっと『自分と向き合う物語』なのだと思います。
それはこれまでの話だけではなく、今後の展望も含めた意味合いです。



九校戦、折り返しの六日目が始まります。


・・・九校戦六日目・・・

 

女子バトルボード準決勝。

3人で行われる準決勝は勝者一人が決勝へと進むことができる。

予選を突破したのは雅とほのかであり、第一レースでほのかが無事勝ち進み、一高の表彰台は確実となった。

 

準決勝第一試合はほのかが出場したため、予選で見せた水面に光を乱反射させ視覚を奪う妨害魔法の対策として選手は全員サングラス着用の異様な雰囲気だった。

しかしそれすら布石であり、水面に影の明暗を付けることで色の濃いゴーグルをつけた選手たちは水路の幅を錯覚し、カーブで大回りをしてしまった。

結局は達也の掌の上で踊らされているだけのようだった。最も、ほのかとしては達也に作戦を授けてもらったということ自体がモチベーションアップの要因だろう。

 

「お待たせ。ボードのチェック、問題なかったよ」

「CADもOKです」

 

中条先輩と五十里先輩がデバイスチェックを終え、選手控室に戻ってきた。私のエンジニアは中条先輩だが、五十里先輩は今回特別に協力してもらっている。五十里先輩は本来なら新人戦男子ピラーズ・ブレイクのエンジニアだが、男子は予選で敗退したため今日はオフとなっていた。

 

「ありがとうございます。提案しておいて、今更ですが自分でもよく通ったと思いますよ」

「想定外って言う方が大きいんじゃないかな?前例はないし、僕もこんなところで得意分野が生かせるとは思わなかったよ」

 

中条先輩からCADを受け取り、五十里先輩からボードを受け取って両方の感触を確かめる。

紡錘形のボードはサーフボードなどと同様にカラーリングされているだけなのだが、これには五十里先輩の手によって刻印魔法が刻まれている。術式自体は私が提供したが、それを難なく刻むことができた先輩は既に高校生ながら腕は十分満足いくものだった。

 

「問題ないですか?」

「はい」

 

外部からの妨害工作、特に電子金蚕の不安は未だに残っている。軍から提供された術式により、一高選手全員のCADのハードカバーの裏面に侵入防止の術式を刻んである。ただし、刻印を刻むにもそれなりの時間がかかる。万が一デバイスに不調があった場合は予備機に交換するが、それには刻む時間がなかった。さらに、他校に仕掛けられていた場合はこちらでの対処は後手になるため、万全の対策とは言い難い。

 

私は毎回チェックのたびにCADに異物が紛れ込んでいないか内部まで深く精霊を巡らせてチェックしている。今回も特に問題なさそうだ。

 

「流石は五十里先輩と中条先輩です。中条先輩は掛け持ちで大変ですし、五十里先輩は難しいお願いでしたでしょう?」

 

「いえ、私がしたことは最終チェックぐらいなので大したことないです。」

 

「こっちもいい勉強になったよ。それに司波君ばかりにいいところを持って行かれているからね。期待しているよ」

 

達也の活躍は僅か二日で他校だけではなく大学関係者、大手企業にも知れ渡っている。おそらく達也がいなければ、一高はここまで快進撃を続けることはできなかっただろう。一年生ばかりにいい所を取られるのはいくら穏やかに繕っていても、先輩方にも意地がある。五十里先輩も中条先輩もそれは同じエンジニアとして思うところがあるらしい。

 

「恐れ入ります。全力を尽くします」

 

与えられた機会に最善を尽くすこと。それが私に出来る唯一であった。

 

 

 

 

 

 

所かわって観客席。

 

一高E組のメンバーは第一レースに引き続き、雅の試合観戦のために席に着いていた。一般用の観客席は既に多くは埋まっており、関係者席にも人が多い。深雪目当てに観戦していた観客がこちらに流れてきたのだろう。

 

選手が入場すると観客から拍手が送られる。そこで幹比古は雅が抱えているボードの柄が前回と異なることに気が付いた。

 

「あれって刻印魔法だよね」

「ボードに描いてある図柄?確かに啓先輩がエンジニア席にいるし、もしかして雅の秘策?」

「さあ、分からない。僕も五十里先輩ほど魔法幾何学に詳しいわけではないし、何らかの理由があっての事だろうけど・・・」

 

エリカたちは一様に首をかしげた。

 

刻印術式は正直燃費が悪い。それをバトルボードで使用すれば、想子切れは目に見えた結果だ。それをどのようにバトルボードに生かすのか皆目見当がついていなかった。

 

「精霊が、集まっている?」

 

感覚的に何かあると感じ取った美月は恐る恐る眼鏡を外して、雅を凝視していた。普段であれば卒倒するような夥しいほどの霊子放射光なのだが、雅からもらったお守りのお蔭か酔うこともなく、少し眩しく感じるだけで済んでいた。

 

「どういうことだい、柴田さん」

「雅さんのボードに水色や青の精霊が集まっています」

 

美月の目は雅の持つボードに漂う精霊を捉えていた。

 

「青って事は水性魔法をかかりやすくしているのかもしれないね」

 

吉田家の神祇魔法では青の精霊は水に属するものと分類されている。

バトルボードでは水面に魔法で干渉し、妨害することはルール上問題ない。渦を作ったり、波を立たせるなどポピュラーな方法だ。

だがしかし、これまで達也の戦略を見ていた者たちにはそんな単純な手法とは思えなかった。特に幹比古は自分も知らない精霊魔法が行われるのではないかと食い入るように試合を待ち望んでいた。

 

 

 

試合を告げるコールがなり、青いランプが点灯すると雅は予選同様先頭を走りだした。

 

「相変わらず速いわね」

 

エリカは自己加速術式を得意とするが、流石に水上となると自分とは畑が違う。そうだとしても、いくら加速出来ても感覚が追いつけなければ意味がない。制御できる限界の速さを維持し続けている魔法とそれを可能にしている身体的技術と感覚にはエリカも舌を巻いていた。

 

いくら魔法師でも基本となる肉体は超人的なまでの高速移動を実現する感覚を初めから持っているわけではない。調整体魔法師は最初から感覚を鋭敏にしたり、反射速度を特化した者もいるが、雅もエリカもそうではない。易々と動いているように見えて、その背景には血の滲むような、歯を食いしばって耐えてきた努力の積み重ねがある。そう言った意味でもエリカは雅を評価していた。

 

「けど、第一試合ほどじゃないぜ?」

 

大型モニターに表示されたラップタイムを見れば第一試合の方が良いタイムであり、二位との差もそれほど開いていない。

差があまりない以上、前方に渦を作られたり、横波を浴びたりしているが、雅はバランスを崩すことなく硬化魔法でボードとの位置を固定しながら走り続けている。

 

 

混戦状態は2周目以降も続き、雅がリードを保っているが結果がまだどうなるか分からない。見ごたえのあるレースに観客は盛り上がり、出場校の応援団は声援を必死に飛ばしていた。

後続二人は焦りが見えているが、雅はまだ余裕そうな表情だ。

 

 

そして勝負が動いたのはラストとなる三周目。

 

雅はスピードを上げると、水面から冷気が立ち上った。

 

「水面を凍らせている?!」

「確かに氷の方が摩擦は少ないけど、3kmにもわたる距離を全て凍らせるのは難しいんじゃないか」

 

会場にどよめきが広がった。

ボードの数メートル先まで水面が幅1mにわたり凍りつき、雅はその上を滑走していた。

 

水上と氷上では摩擦係数は氷上の方が少ない。

よってスピードは今までとは段違いになり、カーブも傾斜をつけた氷によってスピードをほぼ落とすことなく走っていた。

 

「こんな規模の魔法を発動するってことは、余裕がないのか?」

「いや、狙いは違うよ」

 

レオの疑問を幹比古は間髪入れずに否定した。

氷そのものの厚さはそれほどなく、凍りついた水面は雅が通った直後、衝撃によって砕け、水路上に散らばった。

後続の選手たちは障害物のため、否応なしに減速するしかなかった。

 

「ただの水面を走行するのと、氷混じりの障害物のある水上では出せるスピードが違う。氷を避けようにも、あれだけ散らばった状態で避けるにも時間をロスしてしまう。かといってそのままのスピードで進めば、間違いなくバランスを崩し、無駄な魔法力を使う羽目になる。九重さんはその間にも氷上を進むから差が開くんだ」

 

平面コースだけ凍らせているが、その差は既に追いかけることが絶望的な距離であり、スピードは増すばかりだった。残り四分の一程度の距離で水面を凍らせることなく走ったが、振り返ったところで相手選手の姿は既に見えない距離まで開いていた。

 

そのまま余裕を持ってゴール。

観客は割れんばかりの拍手を送り、興奮した様子で一高関係者は立ち上がっていた。この瞬間、一高のバトルボード優勝、準優勝が確定した。

 

 

 

 

 

 

 

雅の準決勝を達也と深雪と雫はモニターで眺めていた。これからしばらくすれば雫の試合だが、二人とも試合結果が気になって仕方なかったようだ。

 

「大会新記録だね」

 

雫がNEW RECORDの文字を見て小さく驚きを浮かべ、深雪が自分のこと以上に誇らしそうにしていた。

達也はそんな二人と感慨深げにモニターに映る雅を見ていた。

初めは担当エンジニアをしてやりたい気持ちが強かったが、自分などいなくても教えたことを十分発揮できたようだ。刻印術式を使用するとは初耳であり驚かされたが、今回の一件で魔法を使った移動アイテムに刻印術式が刻まれるという技術的発想が広がるだろうと思案していた。

 

「達也さん、どうやって移動魔法を使いながらあんな大規模な魔法を仕掛けたの?」

 

モニターを一緒に見ていた雫は素直な疑問を呈した。

雅は確かに首位に立っていたが、自分が見た限りでは一回戦と似たような魔法しか使っていなかった。おそらく水面を凍らせたのは水分子を対象とした減速魔法だが、あの規模でスピードを維持しながら行うにはかなり難しいはずだ。

 

「1周目からだ」

「1周目から?だって、首位争いをしているあの状況で?」

 

達也の端的な答えに雫は瞳を見開き、確認を含めて再び疑問を口にした。

 

「ああ。CADだけが魔法じゃない。2周分の時間を使って詠唱を行ったようだ。おそらく1周目から水の精霊を喚起していたのだろう。通常、5分もあれば足りる術式を二回行えば干渉強度は増強している。ボードも刻印術式が刻んであるし、あれが魔法の補助道具の役割を担っているんだろう」

 

「あれって規定違反にならないの?」

 

「全面凍結なら流石に危険行為とみられるだろうが、他の選手がコース取りできるようにスペースも開けてある。イエローフラッグも上がってないし、問題はないはずだ。ボードもデバイスチェックを通ったんだし、有効と認められたんじゃないか?」

 

「なるほど。あと刻印術式って普通かなり消耗するんだよね?」

 

いくら三位決定戦を挟むとはいえ、この後も決勝戦が残っている。この後の試合も考えて、消耗は抑えるべきところであるが、雅の行った魔法は効率がいいとは言いにくい。

 

「使ったのは三周目の平面部分だけ。それ以前に精霊喚起は行っているし、消耗自体大したことはない。前半は雅にとってかなりスローペースだったし、あの程度の事は造作もないだろう」

 

雅は一般的な術者と異なり、精霊喚起に要する魔法力は非常に少ない。

それこそ言葉を語りかける程度の労力で、精霊たちは雅に力を貸す。

それは九重だからできることあり、おそらく幹比古が聞けば卒倒するような才能だ。

 

「流石はお姉様です」

 

自分の担当種目ではないのに良く知っていると雫は思った。

確かに雅の魔法力は深雪と並んで、頭一つ抜けている。

それは同じクラスで実習を行ってきたほのかも雫も良く理解している。だからこそ、決勝を控えた自分の親友の事が気がかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午前中の試合を終えた段階で、女子ピラーズ・ブレイクは三人とも準決勝で勝ち、一高が決勝リーグを独占することになった。バトルボードも決勝は一高同士の組み合わせとなり、早くも一高内部はお祭り騒ぎだった。快進撃の裏ではやる気が空回りしてしまった男子メンバーがいたたまれない様子で、暗い顔を浮かべていた。

 

達也とあずさ、ピラーズ・ブレイクに出場した深雪、雫、エイミィ、バトルボード決勝の雅とほのかはホテルのミーティングルームに集められた。

 

「皆、よく頑張ってくれました。決勝リーグが同一校で独占されるのは初めてのことであり、バトルボードも上位独占は初の快挙です。」

 

誇らしそうに賛辞を述べた真由美に後輩たちは礼を返した。真由美は一呼吸置くと、少しだけ申し訳なさそうに言葉を続けた。

 

「勝敗に関わらず、各校に与えられるポイントは同じです。決勝戦を省略しないかという話が大会委員側からでているのだけれど、皆はどうかしら?」

 

その言葉に雅とほのかは顔を見合わせ、ピラーズ・ブレイクの三選手も互いの顔を見た。

 

達也は真由美の言葉に皮肉げに唇を歪ませ、あずさは困惑していた。

良いように取り繕ってはいるが、要するに大会委員が楽をしたいと言うだけだ。

エイミィはあまり調子も良くなく、三回戦で激闘したため棄権を申し出た。達也もこれは妥当だと判断した。

 

「私は深雪と戦いたい」

 

雫の瞳は強い意志を宿し、真っ直ぐに真由美を見ていた。

 

「ほのかは?」

「私は…」

 

ほのかは視線を下に彷徨わせた。正直、雅相手に勝てる気はしない。

雅が残した大会記録は男子と合同で行っていた時の競技記録を合わせても今までの最速だった。

ほのかは苦手な魔法もなく、細かい制御も得意だし、光学系魔法は誰にも負けないと思っている。

それでも雅は勝負慣れしている。体力的にも雅の方が十分あるし、魔法を自分よりも使い慣れている。勝率は考えるまでもなかった。

 

「・・・私も雅と決勝戦をやりたいと思います!」

 

それでも雫が深雪に挑戦すると言ったように、ここで自分が逃げてしまえば自分が抱く思いからも逃げてしまうことになる。決して敵わないことだと知っていても、ほのかにも女の子として譲れないものがあった。

 

「北山さんがわたしとの試合を臨むのならば、私に断る理由はありません」

「私も同意見です」

 

そんな二人の熱意を受け、深雪も雅も勝負の場に上がることを望んだ。

 

 

 

 

 

 

ピラーズ・ブレイクの決勝リーグは決勝戦と看板を変え、他の競技と時間をずらして行われることとなった。一般席は立ち見もあり、関係者席も空席がないほど埋まっていた。それほどまでこの競技の注目度が高いことが窺える。

 

二人の少女が登場すると、会場は歓声ではなく水を打ったように静まり返り、試合が始まるのを待ちわびた。

 

方や清廉な白の単衣に緋袴。

方や水色の涼やかな振袖。

静寂な闘志はこの競技に相応しい雰囲気だった。

 

 

 

試合が開始されると、深雪は一回戦から同じく『氷炎魔法』を発動し、雫は氷柱の温度変化を抑える情報強化を施していた。

同時に深雪の陣地に共振破壊を行うが、全て地中で遮断されている。

しかもエリアに作用する『氷炎魔法』は空気の過熱を伴い、情報強化では防げない。

 

雫が袂から拳銃型の特化型CADを引き抜くと、一瞬深雪の顔が驚愕に染まった。

CADの同時操作は極めて精密なサイオンコントロールが要求される。

達也や雅ならいざ知らず、サイオンを暴走させてしまう深雪にはまだ無理な技術だ。それをこの九校戦の短期間で仕上げてきたことに、深雪は動揺を隠せなかった。起動式が読み込まれ、CADから熱線が発射され、今大会初めて深雪の氷柱が砕けた。

 

雫が発動したのは『フォノンメーザー』

超音波の振動数を上げ、熱線として使用する魔法であり、達也が雫に授けた秘策の一つだった。

 

だが、深雪が動揺したのは一瞬。

雫が新たな魔法を発動させると同時に、『氷炎地獄』を解除。

新たな魔法を作り出した。深雪の陣地はたちどころに白い霧に覆われ、ヒビの入っていた氷柱を再び凍結させた。

 

広域冷却魔法『ニブルヘイム』

本来は領域を均一に冷却する魔法だが、応用として液体窒素、ダイヤモンドダストすら発生させることもできる。

 

雫の発動した情報強化は元ある氷柱だけに作用している。

直前まで温められていた空間で融点に達した液体窒素は氷柱に付着し、水たまりを作った。

それを膨張させれば、雫の氷柱は一斉に轟音を立てて崩れ落ちた。

 

その迫力に、一拍遅れで試合終了を告げるブザーが鳴った。

とても一年生とは思えない高等魔法が立て続けに展開され、専門家の度肝を抜いていた。健闘をたたえる拍手が送られるが、雫は悔しげに手を握りしめていた。

 

 

 

 

 

 

 

雅はその様子をモニターで様子を見ていた。

 

CADの調整と試合時間の関係上、直接試合会場には行けず、バトルボードの控室で観戦していた。試合はこれから三位決定戦が行われた後、雅とほのかの決勝戦が行われる。

雅は控室で最終調整を行っていたが、それも終わっている。

あずさは先にほのかの調整を行っているため、彼女が最終確認に来るまで手持無沙汰の状態だった。術式は予選から変わらない部分もあるが、使うかどうか迷っている術式もある。

 

「失礼する」

 

部屋の扉がノックされて、応じると十文字と鈴音が立っていた。珍しい組み合わせだった。

生徒会と部活連の共同で九校戦を支えているが、この二人が揃って来ることは雅にとって予想外だった。

 

「様子見と応援に来ました。調子は良さそうですね」

「ええ。問題ありません」

 

鈴音は真由美からエンジニアを打診されたときも調整は専門ではないと言ってはいたが、才女と名高い彼女にしてみれば選手の状態とCADの状態を示すモニターを読み取ることは朝飯前の事だった。

 

「何か今の所、問題はありませんか」

「ありません。強いて言うならばあまり待ち時間がない方が嬉しいですね」

 

まだ試合開始まで一時間以上あり、選手はこの時間の過ごし方によってコンディションが左右されることもある。そのため、選手のメンタル面のサポートとして鈴音と十文字が来ていた。無論、ほのかの方には真由美と摩利が応援に行っている。

 

「ソレを使うのか?」

「いえ、まだ最終判断をしかねているところです」

 

十文字が目に付けたのは、自身も何度か見たことのあるCADだった。

調整用の台に置かれたのは指輪も付属された特化型CADのグローブ。

魔法を使った徒手格闘技マーシャルマジックアーツで使用されるものだ。

 

一つのリングに一つの起動式が組み込まれ、選択した起動式がグローブとつながった手首のCAD本体に繋がる。戦闘中でもCADを親指の動き、または指にサイオンを集中させることで操作できるという利点があるが、ブレスレット型やアームを覆うタイプに比べてボタンが少ないため、起動式も少なくなってしまうのが欠点だ。

 

バトルボードでどのように使われるのか十文字の興味を引くところであった。

 

「十文字会頭、一つ年長者としてのご意見をお聞かせ願えますか?」

「なんだ」

 

雅は一呼吸おいて、十文字に尋ねた。

 

「相手がこちらの全力を望んでも、こちらと実力が明確な場合、手を抜くべきなのでしょうか。それとも相手の心を折る可能性があっても、相手の望むように全力を尽くすべきなのでしょうか」

 

雅は決してほのかの事を下に見ているわけでもなく、光波振動系や細かい制御の技術も十分評価している。ただ主観的にも客観的にもこの競技に関しては雅が優勢である。

無論、十文字や鈴音は双方を応援しているが、九分九厘雅の勝利であると思っている。それは贔屓などではなく、純然たる力の差である。

 

「場合にもよるが、次の決勝戦のことか」

「ええ」

「お前が思うほど、光井は弱いのか?」

「わかりません。決して弱くはありませんが、ただ全力でなくとも勝てる算段があります」

 

雅のタイムからすれば、準決勝までの手法でほのかより先にゴールすることは十分可能だ。

例え光学系魔法で視界を塞がれたしても彼女は精霊が導くことでコースを進むことができるし、身体がコースを覚えている。ほのかが勝つための道はほぼ潰えている。

しかも先ほどのピラーズ・ブレイクの試合結果はほのかにも伝わっているだろう。

親友の雫が深雪に敗北したことは、彼女にとって少なからず心理的影響を与える。加えて、雫に勝った深雪に唯一比肩するのは雅であり、彼女の受けるプレッシャーは彼女が想像している以上に重い。

 

十文字はそんな背景をあまり深く知らないが、先輩として後輩の問いに応えることにした。

 

「獅子は兎を狩るのに全力を尽くす。だが、俺たちは人間だ。

一高生として、先輩として言わせてもらうなら、お前は全力を尽くすべきだと思う。それが選手として選ばれた責任であり、責務だ」

 

十文字は毅然とした態度で自分の主張を述べた。

圧倒的才能の差に相手が折れることもある。才能だけで実力が決まるのではないのと同じように、努力だけではどうしようもないことがある。その壁が立ちはだかった時に立ち止まってしまうのか、諦めて別の道を探すのか、壁を壊すのか、それはその時にならないと誰も分からない。

たとえこの後、ほのかが立ち止まることになったとしても雅は遠慮すべきではない。いずれは当たるべき壁だ。ただ、早いか、遅いだけの差しかない。

 

「―――分かりました。ありがとうございます」

「決勝、期待している」

「ええ、ご期待ください」

 

思った以上に好戦的な笑みを浮かべた後輩に、楽しみだと十文字は僅かに口元を上げた。

 

 

 

控室から出た後も、二人とも位置に着くまで一言も話さなかった。真剣勝負に交わす言葉は必要ない。結果が全てを語る。試合は刻一刻と迫っていた。

 

雅とほのかがフィールドに出ると、歓声が上がった。

こちらもピラーズ・ブレイクに劣らない観客が押しかけている。

ほのかはあまりの大歓声に一瞬息を詰まらせたが、何とか震える足を進める。

隣にいる雅を盗み見るが、その様子はいつもと変わらない。凪のごとく冷静に、淡々と試合を待っている。

 

「雅」

 

ほのかの声は少し震えていた。そんな自分を落ち着かせるように、ほのかは何度も大丈夫と心の中で呟き、汗だらけの手を握りしめた。

雅と視線が交わる。一瞬、ドキリと心臓が跳ねた。

 

 

知らない。

こんな瞳をした雅をほのかは知らない。

普段の穏やかな瞳からは想像できないような、真剣な面差しだった。

 

ほのかはもう一度ぐっと手を握りしめて、雅を真っ直ぐに見返した。

 

「負けないよ」

 

例えどれだけ自分が不利な状況だとしても、越えられない才能があるとしても、彼の前で逃げるようなことはしたくなかった。

 

雫が頑張ったんだ。

自分が雅から逃げることは、自分の恋心からも逃げることになる。ほのかにはそう思えて仕方がなかった。

 

それは10秒だったのか、はたまた1秒にも満たない間だったのだろうか。そんな決意を胸に、ほのかは雅と対峙していた。

雅に何を言われるのか、何も言われず試合が始まるのか、高鳴る心臓の音がうるさく感じていた。

 

そして、ほのかの予想を裏切るように雅は笑った。ふんわりと花が綻ぶように笑っているのに、瞳だけは熱を持った挑戦的な物だった。

 

ほのかだけではなく、二人の様子をズームにしていたカメラマンもモニターの映像を見ていた観客も思わず息を呑んだ。いっそ身震いがするほど、それは美しいものだった。

位置に着くようにとアナウンスが流れ、ようやくほのかは動くことができた。

 

 

 

 

メディカルチェックを終えた深雪と機材の片づけを終えた達也はバトルボード決勝の観客席にいた。雫は対戦直後のショックからまだ立ち直れておらず、一旦ホテルに戻っている。

バトルボードの試合会場も一高同士の戦いとあって、注目が高い。

特に雅は準決勝で大会記録を出しており、刻印術式を併用した戦術は企業や大学だけでなく、軍関係者たちの興味を集めていた。満員必至だったため、エリカたちが先に席を確保しており、深雪たちは混雑しているものの難なく席に着くことができた。

 

「当然、達也君は雅の応援?」

 

深雪の隣に座ったエリカが意地の悪そうな聞いた。

先ほどの深雪と雫の時同様、相手が先輩からクラスメイトに変わっただけで彼にとってはほぼ同じ質問だった。

 

「まさか恋人すら応援しないほど冷徹だと思っているのか」

 

達也は眉を一瞬顰めると、エリカだけではなくレオや幹比古、美月からも意外そうな目で見られた。

 

「いや、なんとなく達也君なら平等に両方を応援すると思ってたけど…」

「競技に関しては“平等に”対応したつもりだが?」

 

達也の言葉に深雪は小さく吹き出した。

おそらく兄は気が付いていない。

少しずつ色を帯びている思いにまだ彼の意識は自覚していない。

深雪とも、ここにいる友人たちとも、親類とも違う思いを達也は雅に対して抱いている。

あの呪具の一件で心配そうに寄り添っていた様子も、幹比古から雅への視線に対して苛立ちを抱いていたことも、姉に対して送られる熱を帯びた観客の視線に嫌悪感があるのも、全て無自覚。

なんと鈍いことだろうか。それが彼の特性上、仕方ないことだとしても深雪は可笑しくて仕方なかった。身内だから分かる達也の微妙な表情の変化や態度は、雅に対する想いを表していた。

 

「深雪、どうしたんだ?」

 

突然深雪が笑ったことに、達也たちは不思議そうだった。

 

「いえ、なんでもありません。

お兄様が鈍いことを改めて理解しただけです。」

 

自覚しなければ意味がない。

本当の意味で兄が姉に対して、信愛以上を抱いているのか。

自分から母の呪縛を解くことができるのか。

疑問符を浮かべる兄に、深雪は笑みを深めた。

 

 

 

そんな観客席の一幕を余所目に、二人がスタート位置につき、試合が開始された。

予想通り、雅の方が魔法発動速度は早くほのかの前に躍り出た。

そして第一コーナで水面が内側に向けて斜めに傾いた。

 

「え!!」

「水面が傾いた?!」

 

雅がカーブを通過すると水面は元の状態に戻り、ほのかに正面から荒波が襲った。

逆に雅は移動した水の反動で更に加速する。

直線でもカーブでも雅は今までの試合のスピードがまるで手抜きだったかのように、圧倒的な速度でほのかを突き放していく。

 

「なるほどな」

「ごめん、達也君。あのスピード、どうやって実現してるの?」

 

一人雅の魔法に納得している達也にエリカはたまらず解説を求めた。

移動魔法、硬化魔法によるボードとの位置の固定は今までと変わらない。

コーナーでも移動魔法で水を移動させ、傾斜をつけ、遠心力によって減速せずに走行しているのは見て分かる。

深雪は風圧も推進力に変換していることは知っていたが、それ以上の魔法が使ってあるように見えた。

 

「あのスピードを実現するには三つの要素が必要だ。

一つは移動魔法は言うまでもないが、体に受ける空気抵抗を推進力に変換している。

加えて水面とボードの接地摩擦も限りなく減らし、それも推進力にしているから滑るように水面を走行しているんだ。氷上のようにとはいかないが、あれでかなり抵抗は減っているはずだ。」

 

「それであんなスピードがでるんだな」

 

「雅さん、怖くないんでしょうか…」

 

感心するレオの横で美月が青ざめていた。

既にレースは1周終えた時点で大会記録を大幅に上回っている。

これはこのまま特別な魔法を使わなくても記録が更新できるペースだ。

 

「ほとんど減速していないように見えるんだけど、あれは?」

「要所で減速魔法は使っているようだが、減速から加速までのタイムラグがほとんどないのも速さの理由だ。三つ目の要素としてカーブのコーナリングは見て分かるように水面に干渉して傾斜を付けている。サーフィンと同じ原理だが、体重移動と慣性の力を使ってコーナリングをしているんだろう」

 

ほのかとの距離が離れ、妨害魔法をするにも難しい位置まで雅は先行している。

しかも全く疲れる様子もなく、複数の魔法を発動し続けている。

 

「でも、魔法戦闘用のCADを競技に使うなんて、九重さんもなんていうか…予想以上だよ」

 

幹比古自身、風圧と摩擦力の推進力変換魔法については理解していたが、雅の多才さに驚かされていた。九重は古式魔法にも造詣が深いと知っていたが、準決勝で刻印術式による精霊喚起を水上競技であんなふうに使うとは思いもよらなかった。しかも喚起した精霊は雅に恭順であり、レベルの高い精霊が集まっているのを感じていた。とてもじゃないが、今の自分には不可能な領域だった。手に力が入っていたのは単に高速で突き進む雅のレースを観ているからだけではなかった。

 

「そうだな。あの右手のグローブと指輪もCADの一部で、親指で触れるかサイオンを一つの指に集めることで操作しているんだ。あれだけの高速移動中に腕を動かしてCADのボタンを押すのは体制を崩す可能性も高いから、一番使用する加速・減速を最速で行うためにはあの形状となったんだ。

要するにアクセルとブレーキが手で操作できるという利点があるな。他の魔法に関しては、通常通りのCAD操作で使用可能だ。

補足だがゴーグルもほのかの光学系魔法対策というより、単にあのスピードで風圧を受けた場合、目を開けていられなくなるからな」

 

「………ねえ、まさかなんだけどあれも達也君が?」

 

またお前かと言いたげな表情でエリカは達也に尋ねた。

 

「魔法の組み合わせやCADのアイディアは雅だぞ」

「製作は達也君なんだな」

 

幹比古とレオも半分呆れ気味だ。

 

「ほのかだけに策を授けて、お姉様に何もしないなんて贔屓でしょう」

 

深雪はさも当然のように言った。

確かに達也はほのかと雅に策は授けた。

だがしかし、鬼に金棒とはこのことだろうとほのかに憐れみを覚えた。

 

そして3週目もほのかはついに雅の背中を捕えることができず、半周近くの差をつけて雅はゴールした。観客席は他校の生徒まで立ち上がり、歓声を上げていた。

 

「おいおい、マジかよ」

「九校戦の大会新記録。しかも女子の記録だけじゃなくて、男子の記録も塗り替えるだなんて…」

 

普通、最高時速が50~60km、時間にして15分ほどのレースだ。

それが歴代最高スピードで決着した。

最高時速は直線で90kmを越え、時間も自身の大会記録をさらに12分台に更新し、平均のラップタイム記録を1分も短縮してみせたのだ

 

 

圧倒的な結果を以って、大会六日目は終了した。

 




勝利の裏で流れた涙は語られない。


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九校戦編12

見誤った。4月がこんなに忙しいとは思いもよりませんでした。
この休日2日で頑張りました。

私のワードさんは顔文字登録を『かお』で登録しているので、シリアスな場面でも『かお』と打つと(*゚∀゚)とか出てきて、微妙な気分になります。



九校戦七日目

 

新人戦も四日目となり、いよいよ佳境を迎えてきた。

一高は女子の活躍もあって、新人戦優勝が十分射程圏内だった。

本日行われるのはミラージ・バッドとモノリスコードの予選だ。

ミラージは達也の担当競技であり、朝早くから機材のチェックに出ている。本来であれば深雪も今日出場予定だったが、渡辺先輩の代理として本選に出場することになっているため今日はオフだ。

 

『それで、蜥蜴の目的は判明しましたか?』

『予想通り賭博の胴元だそうだ。レートは本命が一高、次に三高だな』

『嫌な予感が当たりましたね』

 

伝令用精霊を用いて真さんと通信を繋げる。精霊の同調によって行われ、術者以外には会話の内容が漏れることがない便利な術だ。

 

私は今、ホテルのロビーで深雪たちを待っている。今日は別行動を取っており、達也と一緒に早めの朝食を終えた後、本部と競技エリアの見回りを行っていた。

 

到着日の事件以降、本部には偵察用の精霊侵入防止結界を張っている。札と香も併用した設置型魔法だが、それでも毎朝異常がないのかチェックして、正常に作用しているのか確認していいる。土地神の加護を得ているから、一日という長時間の魔法の維持が可能になっている。

 

深雪たちが朝食を終えた後に落ち合うことになっており、私はロビーのソファーで何食わぬ顔で魔法を使っていた。

 

『一高の優勝確定までは妨害があると考えてくれ。“アレ”と“蚕”も投入してくるだろうし、特に蚕は改良版のテストが行われるはずだ』

『既存の防衛策はないものと考えるべきでしょうね』

『ああ。注意は怠るなよ』

『分かりました』

 

精霊の通信を切り、媒体となった紙を懐にしまう。

時計で時間を確認するが、まだ試合開始には十分余裕がある。

 

女子のミラージは予選と決勝の二試合だが、15分×3ピリオドのハードな競技だ。一試合でもフルマラソンに相当すると言われ、それが一日二試合もある。決勝は夕方からであり、選手には7時間程度のインターバルが取られているができるだけ疲労の少ない状態で決勝に臨むことがベストだ。

 

端末を開いてメールを確認するが、未読メールはない。ニュースでも見ようかとしていたところで、こちらに向けられる視線に顔を上げた。目が合うと意を決したように二人の男性が私の前までやって来た。

 

「すみません」

「九重雅さんですよね」

「はい」

 

返事をすれば、緊張した面持ちで二人は丁寧に頭を下げた。

 

「私は第二高校、三年生の南條と申します。家は伊勢神宮の外宮が一つ、豊受大神宮を任されております」

「同じく第二高校、二年の毛利です。厳島神社に連なる家系の者です」

 

二人とも選手だろうが、残念なことに名前に聞き覚えはない。態々家のことを出してきたことに少し引っかかるものがあったが、まだ思惑が分からない。

 

「第一高校、一年の九重雅です」

 

私もあくまで丁寧に座ったままだが礼をした。

 

「九重の姫宮がまさかこのような大会に出ていらっしゃるとは思いもよらず、是非ともご挨拶をさせていただきたいと思い立った次第であります」

 

「遅ればせながらクラウド・ボール、バトルボードの優勝おめでとうございます。御高名なお兄様方にも引けも劣らぬ技量、感服いたしました」

 

年齢的に目上なのは二人なのだが、大げさすぎる敬語を私に使っているところみると、私の家も知っていると思っていいだろう。

 

「私のような若輩が兄と並び賞されることなど恐れ多いことです」

「これはまた御謙遜をなさる」

「誉れ高き九重の桜姫のことは縁もなかった我々も聞き及んでおります。あのように刻印魔法を使い、水霊を呼び出すなど考えもしませんでした」

 

緊張しながらも、頑張って笑みを浮かべようとしている様で大げさな賛辞は後ろの思惑を匂わせた。

 

「私一人ではとてもできなかったことです。エンジニアの先輩方のお力添えがあってのことです」

 

「一高は良いスタッフをお持ちだ。よろしければ、ミラージの会場までお供させていただいてもよろしいですか」

 

「エンジニアもそうですが九重神楽について是非とも教えて頂きたいこともありますし、お許しいただけますか」

 

「申し訳ありませんが、友人を待っておりますし、お互い今は競い合う者同士。いらぬ不安を学友に与えることは貴方がたとしても不本意なことでしょう」

 

精々挨拶程度なら良かったが、まさか観戦まで誘われるとは随分と積極的なことだ。

やんわりと断ったが、彼らは曖昧に笑うだけで引く様子を見せない。

連絡が来たと適当に言い訳を付けてこの場を離れようと思ったが、それを妨げた者がいた。

 

 

「南條先輩、毛利君」

 

二人は肩を大げさにあげ、驚いたように後ろを振り向いた。

 

「芦屋…」

 

二人の緊張がこちらまで伝わって来た。

いや、緊張より恐怖も入り混じった雰囲気であり、芦屋さんは嫌なほど薄ら笑いを浮かべていた。顔は笑っているが、目は笑っていないとはこのような表情を言うのだろう。

 

「これは、雅さん。おはようございます」

「おはようございます、芦屋さん」

「バトルボード、並びにクラウドボール優勝おめでとうございます。

本来でしたらもっと早くにお祝い申し上げたかったのですが、学校の(しがらみ)というのは煩わしいものです」

 

芦屋さんは二人をまるでいない者かのように、二人の間を割って入り私に近づいた。二人は怖気づいたかのように、一歩私達から距離を取った。

 

「ありがとうございます。此方のお二人に御用があったのではないですか」

「ええ。お二人は後で、お話がありますのでお時間を頂けますか」

 

にっこりと笑っているのに、声は殺伐としたものであり、二人は顔を真っ青にさせた。

 

「あ、ああ」

「分かった…」

「では、また」

 

彼は無言でここから去れという視線を二人に送った。冷徹な瞳は二人を萎縮させ、足早に二人は立ち去る羽目になった。

 

 

「朝からお手を煩わせ、申し訳ありません。二人には十分注意しておきますので、どうか私の顔に免じてお許しください」

 

丁寧に腰を折った彼に私は首を振った。

 

「顔をあげてください。許すも何も、少しお話をさせていただいたまでのことです」

 

「貴女はいつもお優しい。・・・ですが私は貴女から向けられる微笑みを私以外の男には認めたくないのです」

 

ふうと吐き出されたため息は思わず女性が顔を赤らめたくなるほど色気があるのだろうが、私にはまったく響かなかった。

ここまであからさまにアピールされて、気が付かないほど鈍い感性はしていない。正直、人目もあるロビーでやめてほしい。

 

「まあ、お上手ですこと」

「本心ですよ。貴女の心を占めている者がいると考えるだけで、私は息もできぬほどの嫉妬に駆られるのです。しかも、貴女のなんたるかを知らない不届き者たちが思いを寄せるなど許せるはずがありません」

 

彼の瞳は静かに嫉妬の炎に燃えていた。ああ、本当に厄介だ。これが単に家のためや、本人の野心だけならこうも戸惑うことはなかっただろう。

 

「雅さん、私は「お姉様」

 

恋焦がれる声に、凛とその場を制したのは深雪の声だった。

 

「遅れて申し訳ありません」

「深雪」

 

深雪は怒りを抑え込み、こちらに向かって歩いてきていた。水精があたりの空気を冷やそうと活性化していた。

 

「お話し中に失礼します。先に吉田君たちが席を取ってくれているそうですので、試合会場に参りましょう」

 

芦屋さんを睨みつけたその表情は今まで見た事の無いくらい冷徹で、今にも吹雪が襲いそうな勢いだった。

 

「ええ、そうね。芦屋さん、では失礼します」

「名残惜しいですがまた、いずれ」

 

眉を下げ寂しそうな表情で芦屋さんは私を見つめた。そのように熱のこもった目で見られても、私は応えるつもりは微塵もなく、表情を変えずに立ち上がった。深雪は私の手を取ると、芦屋さんを一瞥し、その場を足早に立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「大変だったわね」

 

エリカは場をほぐすように肩をすくめて笑った。

 

「そうね」

 

会場に着くまで深雪と雅に声を掛ける不届き者が後を絶たなかった。

深雪単体でも注目度は非常に高いのだが、そこに雅が加わればまさに大輪の花が二輪咲き誇っているようなものだ。互いに互いの美しさを引き立てあい、並び立つ二人の様はまさに眼福だった。

 

深雪は先ほど雅が絡まれていたことで殊更機嫌を更に悪化させ、男子は遠目で見るに止まるようになった。しかし雫や美月も間違いなく美少女であり、そこに清廉さと高貴さを兼ね備えた目もくらむような美少女がいれば煩わしい蛾が寄ってくるのは仕方のないことだとエリカは牽制役を買って出ていた。

 

それでもめげない男子に深雪の機嫌は急降下の一途だった。

 

周りの助けてくれという視線に雅は仕方なしに自分と深雪に認識阻害魔法をかけた。自身の存在を視界に入れないのではなく、視界に入れても違和感なく空気に溶け込むと言う簡易なものだ。

その際に術の効果をあげるために雅と深雪が腕を絡めて、手を握るという特典が付いたので、深雪の凍てつきそうな怒気は一気に春爛漫の上機嫌となった。兄だけでなく、姉と手を繋ぐことは深雪にとって兄と同じくらい嬉しいことであった。

 

ちなみに間近でその様子をみていた友人たちはなんだか見てはいけない物を見てしまったような、背徳的な感覚に襲われていた。

 

 

「それにしても雅にはやけに家が云々っていう男子多くなかった?」

「…ああ、それは仕方ないわ。私に家の名前を売っておきたいのでしょう」

 

雅は慣れていると言った雰囲気で、あまり先ほどの事も気に留めていないようだった。

 

「雅さんの家は確か神社でしたよね」

 

「お姉様の御実家は由緒正しく、格式高く、お姉様自身も九重の桜姫と謳われる素晴らしいお方なのですから上辺に囚われて目が眩む愚か者もいるのです」

 

美月のちょっとした確認に応えたのは深雪で、その言葉はやはりどこか怒気を含んでいた。

 

「で、でも雅さんには達也がいるしな。他の奴らなんてきっと目じゃないぜ」

「そ、そうですよ。深雪さん。雅さんには達也さんという立派な方がいらっしゃるじゃないですか」

 

必至にフォローするレオと美月に深雪はますます語気を強めて言った。

 

「そのお兄様がしっかりしていないから、このような事態になるのです。お姉様がいらぬ噂を立てられることになったら、お兄様とて少し考えて頂かなければなりませんね」

 

普段は兄と姉に全身全霊で敬愛を注いでいる深雪がここまで兄に対して怒りを露わにしているのは珍しい。八つ当たりにも近いのだが、それを口にする愚か者はここにはいなかった。

当然いつ吹雪くか分からない状態に、友人たちの救いを求める瞳はやはり雅に向けられていた。

 

「深雪」

「はい、お姉様」

「九校戦が終わったらデートしましょう」

「「「「え!!」」」」

 

驚く友人たちなど目もくれず、深雪は嬉しそうに破顔した。

 

「デートですか?」

「ええ。誕生日に貰ったサマードレスのお店も行ってみたいし、夏物の小物もチェックしたいの。九校戦前はテストと準備であまり時間がなかったから、夏休みはゆっくりお買い物をしましょう」

 

深雪は先ほどの怒りはどこへ行ったのか不思議なほど嬉々とした表情に変わった。

 

「私が選んだ服を着てくださるのですか」

「貴女の望むままにね。ただし、露出の多いものは勘弁してね」

「ええ、勿論です。深雪は今から楽しみでなりません」

 

呆気なく上機嫌になった深雪に友人たちは驚きを隠せなかった。

なぜ買い物に出かけることだけで深雪の機嫌が直るどころか女神ですら逃げ出すほどの笑顔になるのか。

 

単に二人が出かけるといっても洋服を見て回ったり、お茶をしたりするにとどまらない。まず着ていく服のコーディネート、化粧にネイル、髪のセットも全て深雪が甲斐甲斐しく雅の世話を焼く。至高の作品を作り上げるかのように、頭の先からつま先まで万遍なく深雪の手が入る。

そしてそれは深雪の自己満足に留まらず、ひいては達也のためである。誰よりも高貴な姉を敬愛する兄のために着飾る誉れを頂けることは深雪にとって何よりの褒美だった。

 

しかも深雪と雅が出かけると大概雅が深雪の着せ替え人形になる。

無論、達也の意見も参考にするが率先してコーディネートを考えるのは深雪であり、時にはポケットマネーでポンと大きな買い物をしてしまう。ちなみにその際の出資金は主に達也からだというのは言うまでもない。

 

甘やかしてあげること、尽くさせてあげることが何より深雪の喜ぶことだと雅は良く理解していた。流石はあの兄妹のストッパーだと友人たちは無言で顔を突き合わせ、頷いていた。

 

 

 

 

 

ミラージ・バットはスバルもほのかも無事予選突破。決勝戦は6人で戦うことになるので、同じ学校から2人出場が決まったことはまたしても快挙だった。

 

決勝は夜なので、それまでスバルもほのかもホテルで睡眠カプセルを使用して休息を取っている。

 

今頃はモノリスの予選が行われているだろうが、生憎達也にはそれを観戦する義理はない。深雪と雅は本部で観戦するだろうが、達也が応援したところで士気が下がると容易に想像できる。

 

初日から何かと忙しかったので、休憩のためにホテルに一人戻ってきていた。エレベーターを待っていると、一瞬だけ空気が揺らぐ感覚がした。

 

「誰だ」

 

咄嗟に精霊の目を発動させると、蝶の形をした式神が達也に近づいているのが見えた。

 

「案外聡いな。流石は九重八雲の弟子といったところか」

 

廊下の奥から現れたのは二高の制服を着た男子生徒。背は標準より少し高いくらいだが、柔和な顔立ちに反して鋭い目つきが特徴的だった。

 

「随分と不躾な術だな」

「へえ、術式の種類まで分かるようだな。九重に選ばれただけのことはあるのか」

 

二高の生徒が手を伸ばすとふよふよと蝶は方向を変え、彼の指に止まった。無論、普通の蝶ではない。偵察用の式神の一種だ。

 

「司波達也。FLT社長、椎葉龍郎の長男。第一高校1年E組。二科生初の風紀委員。九重八雲に武術の手解きを受けている。

魔法実技の成績は味噌っかすだが、理論に関しては学年トップ。

九校戦では手がけた選手全員が今の所表彰台入りを果たしている。

表の経歴だけ見れば君は天才だね」

 

「なにが言いたい」

 

達也の視線は鋭く、声は硬く、明らかに敵に対するものだった。

達也の威圧にひるむことなく芦屋は上辺の笑みを深めた。

 

「聡い君なら言わずとも分かるだろう」

「芦屋家きっての天才術者に聡いとは、光栄だとでも言っておこうか」

 

彼のことは達也も少なからず知っていた。

 

芦屋充(あしやみつる)。第二高校二年、生徒会副会長。

日本の陰陽師の家系で二大勢力と言われているのが芦屋と安倍であり、どちらも平安時代から続く古式魔法師の中でも古い家系だ。

それ以前にも八雲から注意を受けていた人物でもある。

 

芦屋が達也の言葉に目を細め、懐に仕舞っていた扇子を開くと、周囲に認識阻害の結界が展開された。無論、これは完全に人の認識から存在を隠す高度な術式だった。もしここで達也が刺されたとしても、周囲を歩く者たちは何事もなかったかのように通り過ぎる。

 

「彼女から手を引け」

 

芦屋は周囲を舞っていた蝶を掌で握りつぶした。顔から笑みが消え、空気が凍えた。

 

「九重の桜姫がどれほどの存在か、知らないわけではないだろう。それとも単に成金が高貴なる血を求めて九重に近づいたのか」

 

「成金に媚びる九重だと思っているのか。それとも先々代の目が節穴だったとでも言いたいのか?」

 

達也の声も底冷えのするほど聞く者からすれば恐ろしい怒気を帯びていた。

 

「威を借る狐とは、小さい男だ」

「はて、狐はどちらかな」

「狐か。あながち間違ってはいないが、そうなればお前は差し詰め卑しい泥棒猫といった所か」

「まるで俺が雅を奪い取った様な言い草だな」

 

両者の間には火花ではなく、冷徹な吹雪が吹き荒れていた。若しくは真剣勝負の張り詰めた空気のような、一触即発の雰囲気だった。

 

 

にらみ合いが続く中、突如として結界全体に罅が入り、砕け散った。

すぐさま臨戦態勢を取る二人の前に、結界を破った人物が姿を見せた。

 

「おいおい、ホテルのロビーで逢引か?」

「マコさん、冗談やとしてもおもろないで」

「梅木の三男に鬼子か。随分乱暴な挨拶だな」

 

黒曜石の数珠を付けた梅木と特化型とみられるグローブ型CADを構えた燈がいた。

 

「こんな場所で結界まで張っとる方が場違いやで。てか、毛利さんと南條さん死にそうやったで」

「さあ、なんのことだ?」

「いけしゃあしゃあと、相変わらずの狐面が」

 

ケッと吐き捨てるように燈は睨みあげた。

同じ学校とは言え、仲がいいとは限らない。

むしろこの二人は九校戦の試合に関しては本気で勝つために協力はしていたが、それ以外の場面では基本的に周りが冷や汗をするほど憎まれ口を叩きあっている。

 

「もうじき二高の試合だ。作戦スタッフの副会長がいつまでも本部を離れているのはどうかと思うが?」

「それは貴方もでしょう」

「俺はこれから行くから良いんだよ」

 

梅木も芦屋も生徒会役員であり、あまり本部を離れるわけにはいかない。

芦屋は興味が失せたという風に、踵を返した。立ち去る際に達也を睨んでいたが、それを一々気に留めるほど達也の精神は繊細ではなかった。

 

 

 

「災難だったな」

「ありがとうございます。助かりました」

 

苦笑いを浮かべる梅木に達也は小さく頭を下げた。

 

「狐野郎は昔っからみやちゃんに盲目で、近づく男は全員容赦ないからな。面倒な相手に目付けられたな」

 

不愉快な様子で燈は辺りに塩を撒き始めた。塩は清めの効果があると古くから言われているが、好戦的な燈が持ち合わせているのが少し意外だった。

 

「雅の立場は理解していますよ」

「なんや、腹立たんのか。アイツ、みやちゃんに惚れ込んどるで」

 

雅に迫る男がいると言うのに、その冷めた態度はなんだといいたげな様子に燈は達也を見上げた。

 

「腹は立ちますよ。ただ言い寄ったとしても雅が靡くとも思いませんし、九重を無視して手出しするほど彼は愚かではないでしょう。俺にあれこれ言ったとしても、精々負け犬の遠吠えですから気に留めません。実害が出るならそれ相応の対処をさせてもらいますよ」

 

達也の淡々とした口調から発せられた刺々しい言葉に、燈と梅木は一瞬気を取られたが、揃って強気な笑みを浮かべた。

 

「なんや、自分。案外黒いな」

「流石は当主に見出されただけはあるな」

 

梅木と燈に笑いながら少々強く背を叩かれたが、達也は別段悪い気はしなかった。

惚れた弱みに付け込んで、雅を裏切れないようにしている。

あの家に対抗するには自分と妹だけでは足りず、彼は高校と言う場を使って地盤作りをしている。自分でも悪い男だと達也は乾いた笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

達也がホテルで休んでいる間、事件は起こった。

モノリスコード予選。一高対四高の試合で、四高がフライングで発動した破城槌で一高選手は重傷を負った。破城槌は室内で人がいる環境ならば殺傷ランクがAに格上げされる。

四高は失格。一高選手は瓦礫の下敷きとなり病院に運ばれて手当てを受けている。少なくとも三日は絶対安静だが、魔法師生命に関わる様な怪我ではないことがせめてもの救いだった。

 

予選の途中だったので、このまま一高が棄権となれば新人戦の優勝は三高の結果次第となる。

三高には十師族の一角である一条家次期当主、一条将輝と魔法理論研究者の中ではその名を知らぬ者はいないと言われる天才、吉祥寺真紅郎の二人がいる。

当然、モノリスコードは三高優勝と目されている。

昨日の時点で新人戦準優勝以上は確定しているが、ここまでの成績を残したのならば優勝したいという意見が多数だった。

 

そして、代理選手として白羽の矢が立ったのは達也だった。

達也は当初、自分はエンジニアとして登録されており、一年生男子の中には一試合しか出場していない選手もいる。加えて、二科生の自分が出場すれば現在修復しつつある一科、二科の確執を再燃させる可能性があるとして拒否した。

 

しかし、十文字からリーダーである七草が提案し、他の3年生も同意した。

十文字は“弱者の立場に甘えるな”と言った。選ばれたからには責任がある。エンジニアとして選ばれたとしても、一高代表には変わりない。

横暴だが、責任は3年生が取るから全力を尽くせと言っているのだ。

達也はそれを受け入れた。

 

 

残りのメンバーだが、レオと幹比古が選ばれた。そこで不満も出たが、達也の実力で選んだと言う言葉に十文字は興味深そうに笑みを深めた。

 

 

 

 

突然の出場要請にレオも幹比古も正直戸惑っていた。なにせ自分たちは準備どころか、選手のエントリーすらされていない。だがそれも、結局は十文字先輩も七草会長も了承していると言うことで、諦めたようだった。

 

達也はレオのCADと武装一体型デバイスである『小通連』をレオに合せて調整し、次に幹比古のCADのアレンジをしていた。

全てマニュアル調整で、尚且つキーボードオンリーという珍しい手法に幹比古は驚いていた。

だが、幹比古以上に驚いて画面を見つめていたのは達也と同じエンジニアのあずさだった。幹比古のCADにインストールされた魔法はお世辞にも古式魔法を現代魔法の式に翻訳機で翻訳したような不自然さがある。それを調整するだけならあずさにでも可能だ。

 

だが、達也がやっているのは起動式のアレンジではない。術式を読み解き、術の発動に必要なエッセンスを抽出し、新たに起動式を構築している。これがどれだけ高度な事なのか、少なくともあずさにも、そして並の魔工技師ですら不可能なことだった。

食い入るように見つめる二人の視線を背中に感じながら、達也は自分の任された仕事に取り組んでいた。

 

 

 

幹比古の調整が始まって30分を過ぎた頃だろうか、来訪を告げるチャイムが鳴り、幹比古とあずさは揃って肩を飛び上がらせた。

 

「だ、誰でしょう」

「あ、僕が出ます」

 

内心、驚いてしまった不甲斐なさにドキドキしながら、幹比古はインターホンに応対した。モニター越しに見えたのは制服姿の雅で、幹比古とあずさは胸をなで下ろした。

 

「雅さん、こんばんは」

「こんばんは、中条先輩、吉田君。達也もお疲れ様」

「ああ」

 

達也は一旦手を止めて、雅の方を振り返った。時間は確かにないが、小休憩するには良い時間だった。

 

「本部のシステムはいいのか?」

「ええ。後は市原先輩が引き継いでくださったから、大丈夫よ」

「後でチェックに行く」

「それなら私が行くので、司波君はこっちに集中してください」

 

あずさはとんでもないと言わんばかりに、椅子から立ち上がった。

 

「わ、分かりました」

 

達也はあずさの勢いに素直に首を縦に振った。

あずさとしては流石にこれだけの調整をして、まだ自分のCADの調整が残っているにもかかわらず、余計な負担を後輩に強いるわけにはいかなかった。

 

 

「私は見ない方がいいかしら」

 

雅は調整を再開した画面から視線を逸らしながら言った。

CADなら見られても構わないと幹比古は達也に言ったが、術について別の流派である雅に知られることに抵抗がないかという問いでもあった。

 

「いや、むしろ九重さんからもアドバイスがあればもらえないかな。

君のCADも達也がアレンジして古式魔法を取り入れているんだろう。」

 

「ええ。昔からお世話になっているわ」

 

「九重はいい技師を見つけたね」

 

お世辞ではなく、幹比古は素直に達也を賞賛した。達也のエンジニアとしての技術は言うまでもなく、早々に達也の才能に目を付けた九重には感嘆を通り越して茫然とした気分にもなった。

 

幹比古の言葉に雅は本当に嬉しそうに微笑んだ。

運が良かったで片づけるには彼は出来過ぎている。自身のCADはまだ使っていないが、普段古式魔法のアレンジを行っているのならばその慣れた手つきも納得だった。

 

達也としては自分がまだ技術者として有名になる前から世話になっている九重には頭が上がらなかったし、むしろ殆ど率先して仕事をさせてくれたことには感謝しきれない。

いくら雅の存在があったからといって、早々に部外者である達也に秘術のあれこれを任せるのは相当の反対があったことは知っている。だからこそ、達也は九重から与えられた仕事の期待に応える以上の仕事をするつもりで挑んでいた。

今回、ここでそれが役に立つとはなんだか不思議な縁だと感じていた。

 

 

キーボードをたたく音をBGMに雅は神妙な面持ちで切り出した。

 

「吉田君には不安を煽ることになるけれど四高のフライング、事故ではないわ」

 

幹比古は雅の言葉に驚き、一瞬言葉に詰まった。

 

「フライングじゃないって、どういうことだい」

「遅延発動術式によるCADの誤作動よ」

「まさか外部から魔法を仕掛けられていたのかい」

「ええ。発見が遅れたのは私の責任ね」

 

悔しげに手を握りしめる雅に、あずさはすぐさま否定の言葉を入れた。

 

「雅さんのせいじゃありません。あの時、一高本部の端末にウイルスが送り込まれました。しかもただのウイルスじゃなくて魔法を使った攻撃だったので、対応に雅さんも入ってもらっていたんです。その間に試合が始まってしまって、森崎君達が巻き込まれたんです」

 

幹比古はまたもや驚かされた。事故があったことは知っているが、ウイルスの件は初耳であり、しかもそれがつい先ほどのことだ。

 

現代社会はインターネット犯罪には特に厳しい。

一高でも情報管理は徹底されているし、本部にも選手の名簿や重要な魔法に関するデータが入っているためセキュリティは高い。それを攻撃されたとあっては本来ならば大騒ぎのはずだ。

 

「雅さんのハッキングの交戦は本当にプロなみで、魔法を使った攻撃にも関わらず迎撃用のクラッキングまで仕掛けて相手を追い詰めていくさまは圧巻でした。

あの有名な【電子の魔女】もびっくりですよ。急ごしらえでその後作ったファイアー・ウォールも高校レベルじゃなかったですし、あれは先生に話して学校にも導入すべきですよ」

 

「あの、中条先輩。少し落ち着いてください」

 

雅に食いつかんばかりの勢いのあずさに、幹比古はいたたまれなくなって声を掛けた。あずさははっと自分の発言と行動を想いだし、顔を真っ赤にさせて椅子に座って、恥ずかしそうに体を小さくしている。

 

 

幹比古のCADを達也は宣言通り一時間で終わらせた。

その後、自分の競技用のCADを調整し、幹比古は実際に新たに調整されたCADを使ってみることとなった。演習場はエリカのコネで確保しているため、場所には困らない。

 

ここには幹比古の手助けをしてくれる精霊も豊かにいる。

後はどれだけのことを幹比古自身ができるかどうかにかかっている。

 

車を出ると、幹比古は目を見開いた。

あたり一面の精霊が活性していた。

一瞬誰かが攻撃か偵察用の精霊を送り込んだのかと警戒したが、悪意を感じるものは一切ない。むしろここに来てから一番と言えるほど空気は澄み渡り、力強い精霊の息吹を感じた。

 

自分には精霊を視認する特殊な目は持たないが、波長は感じ取ることができる。一体何があったのだろうかと、足を止めて振り返るとそこには当然のように達也と雅とあずさがいるだけだった。

 

だが、車を出て雅だけ雰囲気が違った。

通常では人としてあり得ない神気のようなものを帯び、精霊が彼女のそばに侍っているのが感じられた。この飛び交う精霊の波長はおそらく雅からもたらされているのだと理解すると、幹比古はぞっとした。

 

精霊に好かれやすいと彼女は言っていたが、そうではない。

精霊を使役する吉田の術式とは異なり、彼女はまるで何もしていない。ただそこにいるだけで、精霊は彼女を寵愛する。

 

「九重さん、君は…」

 

震える声で、幹比古は口を開いた。

まさか神霊の血族なのかという問いは喉の奥に飲み込んだ。

スッと雅の目が少しだけ細くなると、周囲の精霊は今まで通りに戻った。まるで今までの精霊が夢うつつのものであったかのように、自然に、息をするように彼女は精霊を操った。

 

ああ、これが古式魔法の至高。

九重の系譜なのかと幹比古は戦慄した。

 

 

 



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九校戦編13

進まない_(┐「ε:)_


九校戦八日目、新人戦最終日

 

モノリスコードは本来、今日は決勝リーグが行われる予定だったが、昨日の事故もあり、残っている予選を消化することになった。

一高メンバーは危なげな様子もありながら、達也の武術を取り入れた機動力と吉田君の奇襲に優れた古式魔法、西城君の小通連での攻撃で順調に予選を勝ち進んでいった。

 

予選で既に別グループだった三高が一位通過をしているため、一高は予選も全勝し、一位突破が望ましい。

一応試合と試合の間には2時間程度の休憩が挟まれているが、連続での試合は選手の負担になる。

特に今日は5試合もこなさなければならず、できるだけ消耗の少ない状態で三高に挑めるように予選から考えていかなければならないだろう。

 

急ごしらえのチームだが、個々の能力を発揮し、作戦スタッフの予想以上の結果を残している。

もう予選はまだあと1試合残っているが、私は深雪を雫とほのかに任せ、ホテルに一旦先に戻っている。直接会場で応援したかったが、あの人が来るということは嫌な予感がしてならなかった。

 

 

 

ホテルの中でも立ち入り禁止エリア、最上階付近は軍の高官や来賓の特別宿泊室になっている。

目的のフロアで降りると、廊下には陸軍の白い軍服を着こんだ軍関係者が立っていた。

フロアを間違えたかと問われたが、端末で生徒証明書を見せると敬礼をして、ご案内しますと言われ、私はその後に続いた。

 

案内されたホテルの応接間、それも最上級の部屋に私を呼び出した人物は優雅に座っていた。

 

 

「御無沙汰しております、兄上」

 

私は深く彼に頭を下げた。

軍人は部屋の外で待機しており、この部屋には私と彼の二人だけだ。

 

「久しぶりだね、雅」

 

応接室で私を待っていたのは、私の兄で、九重の次期当主だった。

私は兄に促され、顔を上げると対面するようにソファーに座った。

 

「早速本題だけど、ちゃんと毎日土地のお清めはやっていたようだし、思ったより術自体は大したものではなかったよ。元あった流れに定着させるまでは少し時間がかかるだろうけれど、ここは特別な土地だからね。九校戦が終わるまでには復活しているだろうよ。一応、明日まで様子見だね」

 

兄の“眼”を持ってすればこの程度の距離など、あってないようなものだ。土地の様子もその場でなくとも読み取り、精霊とも意思を交わせる。

 

「私が未熟なばかりに、お手を煩わせて申し訳ありません。

ですが兄上がおいでになるなら、それ相応の理由がおありのはず」

 

「可愛い妹たちを見に来た、ではダメかい?」

 

涼しげな目元に笑みを浮かべ、小さく首をかしげるその様子ですら気品が漂うのだから美丈夫とは恐ろしい。今世の光源氏と言われた曽祖父によく似て、普段から神々しいまでに美しい兄は、曽祖父と同じく九重神楽の舞手だ。歴代当主の中でも強い力を持ち、幼少期から長兄ではなく次兄である彼が当主として目されていた。

 

この部屋にも私が入ってすぐに遮音壁が張られ、精霊の侵入防止結界も同時に展開しされている。九重は息をするように魔法を使うというが、それを体現しているのがこの兄だ。

 

「高校時代ですら出場されなかったのに、このような一件でわざわざ御足労頂くには納得いきません。既に術は解かれ、追加で祈祷が必要であれば東京から太刀川や佐鳥の方々を派遣すれば良い話です。供も連れず、一体どういうおつもりですか」

 

例大祭での舞台を来週に控え、演者の合わせも大詰めのはずだ。

それをわざわざ欠席し、はるばる富士の麓まで来るのだから何かしら彼でなければいけない理由があるはずだ。それほどまで九重は人手が足りないわけではない。

 

「理由はこれから行くところで分かるよ」

「どちらへ向かわれるのですか?」

「世界最技巧の翁殿の所へ。僕らと昼食でもどうか、とご招待を受けたんだ」

 

私は思わぬ言葉に、一瞬言葉に詰まった。

 

「九島閣下からですか?裏がある様な気がしてなりません」

 

十師族の長老。かつて世界最技巧と呼ばれた九島烈は九重との縁も深い。

私達から見れば曾祖叔母、曾お婆様の妹が九島閣下の奥方になる。つまり、閣下は私達から見れば直接的な血の繋がりはない義理の曽祖伯父となるわけだ。

更に九島は更に九重との繋がりを深めたいと考えている。繋がりを強める方法として古来より結婚はその最たる例だ。22世紀を迎えようとしている現代でも、それは変わらず、むしろ魔法師に関しては早くから次世代を求められているほどだ。

 

「ああ、僕のということも考えられるけれど、あそこには光宣君もいるからね。まだ雅の事も諦めていないと思うよ。彼も満更じゃあないみたいだし、須王に、芦屋に最近だと七草もだったかな?達也はライバルが多いね」

 

「七草も、ですか?」

 

須王や芦屋の事は知っていたが、七草については寝耳に水だ。

 

「うん、あそこの次兄にってね。最近話がきたみたいだから、用心すること。あの御嬢さんはまだ知らないだろうけど、近いうちに彼女を介して接触してくるから」

 

「わかりました」

 

「あと、もうちょっと素直になった方がいいよ」

 

誰に対してとは言わなかったが、少し意地悪そうな瞳は全てを見抜いていた。

 

「可愛くないのは知っています」

 

「理解しているのなら、なおさらだよ。六条御所しかり、葵の上しかり、宇治の大君しかり、嫉妬で袖を濡らし、素直になれなかった女性は美しく悲劇的ではあるが、それを妹にさせないように兄としてお節介の一つや二つ、焼きたくもなるよ」

 

「けど…」

 

「甘えて良い。頼って良い。素直に気持ちは告げること。確かに彼は多くを背負っているし、未来のために茨を薙ぎ払っていくけれど、雅の思いすら受け止められないほど心が乏しいわけではないだろう。そう言う方面での彼の鈍感さは表情の機微や仕草なんかの知識で補うよう色々教えてきたけど、案外近しいと見えなくなったりするものだよ」

 

ふんわりと笑う彼の瞳はどこまでも穏やかで、私の不安なんて些細な物だと諭しているようなものだった。

 

「大丈夫。雅との関わりで彼の心はちゃんと成長している。他でもない、この兄の言葉に嘘はないよ」

 

兄はそう言うけどれど、怖い。

 

重い女にはなりたくない。彼の足枷だなんて、それこそ私自身が許せない。それならいっそ都合のいい女でいる方がずっと楽で、本当の心を押しとどめていた方がもし捨てられるようなことがあっても、傷つかなくて済む。

彼のことになるとどうしてここまで弱くなってしまうのだろう。必死に取り繕ったプライドも、兄の前では紙切れ同然の薄いものだった。

 

「確かに、思い知って、思い知らされて、理解はしていて、認めたくない。彼に課せられた役目がそうさせているのは重々知っているだろう。

だけれど、それでも彼と歩むと決めて、愛されたいと望むのなら、自身の黒い気持ちも認めて、受け入れて、ちゃんと消化すること。表面の絵の美しさだけじゃない、キャンバスの後ろの汚れも傷も愛してくれるのが、本当の愛だよ」

 

「こんなに汚いのに?」

 

確かに私はCADの調整ができるから、達也には他の子のエンジニアを任せたが、何も感じないわけじゃない。ここにきて彼の評価は上級生から同学年、他校でも急上昇している。

彼が賞賛されることは素直に嬉しい。しかし、別の感情を、淡い思いを向けている瞳があることは私にとって耐えがたい苦しみとなって胸を襲っている。

ドロドロとした醜い嫉妬心を悟られたくなくて、大丈夫だと笑って見せる。なんて無様で滑稽だろうか。

 

「作り物の笑顔を張り付けた綺麗で素直なだけのお人形より、ずっと愛おしいよ。一昔前の偉大なる美女の言葉を借りれば、最悪の時を一緒に過ごしてくれないのならば、最高を過ごす価値はないってことだね」

 

少し茶目っ気のあるように笑う兄に甘えてもいいのだろうかという思いが出てきた。

 

「大丈夫。曾お婆様が導いた【星巡り】だ。恋人として多少の甘えと我儘をかなえてやるくらいの甲斐性は達也にもあるよ。もしなかったら、深雪ちゃんと一緒に一発殴りに行くから」

「物騒ね」

 

 

深雪が笑顔で怒っている場面が想像できてしまい、思わず笑みがこぼれた。

 

 

 

 

 

魔法師協会や軍関係者ではない、九島烈のSPに連れられて、私たちは彼が試合を観戦しているVIP席に案内された。本来であれば制服姿の私がここに入ることは外聞が悪いだろうが、閣下直々の御呼び出しに口を滑らす者はいないだろう。

 

「お久しぶりです、九島烈様。本日はお招きいただきありがとうございます」

 

兄がまず挨拶をし、同じように私も頭を下げた。

 

「そんなに堅苦しくなくていい。馴染みとして爺の話し相手になってくれればいいんだ。雅も久しぶりだね」

 

「御無沙汰しております、閣下」

 

「九島のお爺ちゃんでも、構わないぞ」

 

齢九十を超えても尚その名を知る者は彼を畏れ、軍事関係にも強いパイプを持っている。私には親戚と言う関係より、油断ならない相手という印象が強い。

 

「お戯れを。私はもう稚児ではありませんよ」

 

「そうだね。君も美しい子に育った。いくら星巡りがいようと、君に好意を寄せるものは多いだろう」

 

「閣下の元までそのような噂が流れてしまっているのだとしたら、お恥ずかしい限りです」

 

きっと彼の情報網の事だ。深雪が一高選手に私達の事を広めた初日の時点で、既に彼は私の星巡りが誰なのか目星をつけているだろう。

彼の家の事までは調べられるかは分からないが、深夜様と真夜様はこの方の下で魔法の練習をしていた過去があるため、達也のことも知っている可能性もある。

好々爺に見えて、実際は魔法の黎明期からこの国を支えた人物である。一筋縄ではいかないことは分かっている。

 

「光宣は君が出場すると知って、楽しみにしていた。私も君の活躍が見れて良かったよ。刻印魔法と障壁魔法、どちらもよく工夫を凝らされていたね」

 

満足げに笑う閣下に私は再び深く礼をした。

 

「このような若輩の身に閣下からお褒めの言葉を頂き、身に余る思いでございます」

 

挨拶はこのくらいにして、続きは料理を食べながらと言うことで席に着いた。

 

 

朝のビュッフェのレベルも十分高い方だが、昼に出された料理は来賓用とあって殊更贅沢だった。贅沢と言っても私達に配慮して精進料理だったが、使われている食材はどれも良質なものだった。

 

「さて君から見て、この九校戦はどうかい?」

 

食後のお茶を前に、閣下は本題を切り出した。

 

「九島様ともあれば、ある程度は推察なされているのでしょう」

 

閣下の問いかけに兄は優雅に返事をした。

 

「一高に何者かが悪意を持っていると考えていていいのかな?」

 

「ええ、その線が濃厚です。出発時の事故、深夜の工作員、埋められた壺。全て同一犯とみて良いでしょう。加えて、明るみになっていませんが組み合わせの確率変動も行われているはずです。今回の対戦相手の当たりの悪さについても、それは大会側が意図して組み合わせていますね」

 

「ふむ、なるほど…軍用施設と魔法師協会に入り込むとはいやはや、敵も侮れんな」

 

声は笑っているように聞こえるが、鋭い瞳の奥は静かに怒気を孕んでいた。

 

「魔法師協会側は特に、金で動いた可能性が高いですね」

「では協会側に内通者、もしくは工作員がいると?」

「壺も会場の設営や下見をする協会関係者なら容易に設置することが可能でしょう。

どの選手と当たるか、同様にウイルスでも入れれば簡単に変更できるはずです」

「君が言うのであれば絶対なのだろう」

 

なぜ部外者である兄がここまで事情を理解しているのか。

九重は現代魔法、引いては十師族とは基本的に不干渉の姿勢を取っている。達也はそれこそ例外だが、本来であれば俗世と距離があるのが神職としての在り方だ。

 

しかしながら、九重は裏の名で動く場合について、政府高官や軍の一部、十師族の当主にはその意味が知らされている。たかが100年程度の現代魔法の歴史に比べ、1000年を超える九重の魔法は未だに系譜以外には再現不能な異能として継承されている。継承できるのはまず当主としての実力と器がなければならず、たとえ兄弟だとしても年功序列は関係ない。実際曾祖母も女の身でありながら九重の当主であり、長兄も次兄が当主であることを納得している。

 

「尻尾は、CADの事前チェックで判明しますね。明日のミラージ本選の前に発覚しますので、閣下にもご協力いただけると助かります」

 

「私を使おうと言うのかい?」

 

目上の者を使うというのではなく、この十師族であり、九島の当主を使うという問いであった。面白そうな様子で笑う九島に兄は困ったような笑みを浮かべてみせて、静かに首を振った。

 

「私のような若輩が閣下を使うなどとは恐れ多いことですよ。ただ、懐かしいものと面白い人物がいますので、お楽しみ頂けると思います」

 

不遜とも取れるお願いだが、九島閣下は満足げに楽しみにしていると頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

決勝ステージは正午から行われ、第一試合は三高対八高の試合だ。

達也たちはその後に試合なのだが、試合観戦のために少し早めに昼食を食べ終えていた。

風紀委員長である摩利とエリカの兄である千葉修次との逢瀬にエリカが遭遇したことと、エリカが深雪に対してブラコン発言をしたことで達也は少々気疲れを感じていた。

あの時の深雪の様子は筆舌しがたいものだったと美月は後々語った。

時間に余裕をもって移動しようとしていたが、達也と深雪の端末に同時に連絡が入った。

 

「あ、もしかして本部から呼び出し?」

「いいえ、本部からではないわ。今、お姉様のお兄様がいらしているそうなの」

「えっと、雅のお兄さん?」

 

エリカの問いに深雪は肯定を示し、嬉しそうにふんわりと微笑んだが、達也は来訪を告げるメールに一瞬眉を顰めた。既に高校を卒業した九重の次期当主が直接出向いてくるだけの理由があるのかと推察することは自然なことだった。

 

「雅の競技は終わったのに?」

「ええ、そうなのだけれどお仕事でいらしているそうよ。お姉様が友人を紹介したいそうだから、皆も一緒にどうかしら?」

 

美月とエリカは友人の分類に自分たちが入れてもらえていることを面と向かって言われたことに少し気恥ずかしそうにしていた。

 

「それじゃあ、雫とほのかも呼ばないとね」

「吉田君と西城君も呼びましょうか?」

 

美月の問いかけは達也に向けられたものだったが、達也は思考を巡らせた。確かに自分の友人として紹介することに何ら抵抗はないが、試合前と言うのが気にかかった。

 

「エリカ、幹比古から九重について何か聞いているか」

 

達也は自分より付き合いの長いエリカにその判断を仰ぐことにした。

達也の言葉は言い換えれば、吉田はどこまで九重を知り、距離感を取っているのかということだ。

エリカとしてはは幹比古を紹介することを渋っているのかと眉を顰め、ぶっきら棒に答えた。

 

「さあ。私が知っているのは割と世間一般的なことで、古い家だってことくらいよ。もし幹比古が会って絶望するような人なら早めに会っておいた方がいいんじゃないの」

 

「エ、エリカちゃん」

 

慌てる美月にエリカは達也から視線を逸らさずに言った。

 

「達也君、大丈夫よ。かつての捻くれたミキならともかく、今の状態は達也君が良く知っているでしょう」

 

エリカは幹比古がかつて神童と呼ばれたころの状態に戻っていることを知っている。それ以上に魔法を使えるようになっていることを千葉の『眼』は見抜いていた。だから後は本人がそれを自覚するだけなのだ。

 

「分かった。悪いことを聞いたな」

「いいのよ。勝つためにプレッシャーになるかもしないって心配してくれたんでしょ」

 

エリカはいつもの明るい調子で笑った。

気の置けない友人の様子に達也はふと笑みがこぼれた。

繋がった縁は案外心地いいものだと感じていた。

 

 

 

 

 

 

ホテルの自室で昼食を取っていた幹比古とレオを呼び出し、8人と言う大所帯になった。

ホテルのロビーで待ち合わせていると、美月は不意に何か大きな気配を感じた。何の変哲もない廊下の先に何かいるような、悪い物ではないが、何か大きな存在がいるような胸騒ぎのする感覚だった。

 

もしかしたら何か魔法が仕掛けられているのではないかと美月は恐る恐る眼鏡を外した。曲がり角から人影が現れたと思ったら、美月の目に光の洪水が襲い掛かった。眩い白い光の中に極彩色の光の球が飛び交い、視界を埋め尽くした。

 

「きゃっ」

 

美月は思わず眼鏡を落し、目を塞いでしゃがみこんだ。

 

「美月!」

「柴田さん」

 

エリカと幹比古が大丈夫かと寄り添い、幹比古は警戒のために札を取り出した。

だが、その意に反して現れた人物にその場にいた者たちは呼吸が止まった。美月の前に一人の男性が膝を付き、眼鏡を拾い上げた

 

「すまない。お嬢さん、大丈夫かな?君には少し辛かっただろう」

 

美月は目の痛みが引き、恐る恐る目を開けるとそこには柔和に微笑む一人の男性がいた。

美月も他の者たち同様に息が止まる思いだった。

天上の美を集約させ、今世に産み落としたかのように麗しい青年が目の前にいた。驚きすぎると悲鳴さえ上がらないのだと美月は夢見心地の中で感じていた。

 

「良い目をお持ちだが、少しこの土地は辛いだろう。きっとその目が役に立つ機会があるよ」

 

青年の美しい指が眼鏡のフレームをなぞった。

あれほどまで光で覆い尽くされていた美月の視界はいつの間にか少し眩しい程度のいつもの世界に戻っていた。

 

「どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 

美月は眼鏡を受け取り、いつものように身に着ける。

開けた視界はなぜだかいつも以上に美しく見えた。

立ち上がるために差し出された手を見て、美月はようやく事態が飲み込めたのか顔を真っ赤にして立ち上がった。

 

「だ、大丈夫です。ありがとうございました」

 

美月は顔から火が出そうな思いで頭を下げた。にっこりと笑う麗しい青年に女性陣だけではなく、男性たちも性別を超えた美しさを感じ取っていた。

 

「雅の知りあい?」

 

何とも言えない雰囲気の中、雫がいつもの口調で雅に問いかけた。彼とこの場に一緒に来ていたのだが、衝撃的な出会いに誰も聞けずにいた。

 

「驚かせてごめんなさい。次兄よ」

「え、お兄さん?!」

「そんなに驚くかしら?」

 

驚くに決まっている。

元から知っていた深雪と達也以外はこれほどまで美しい男性がいるのかと思った。

藍色の着物に黒い帯、羽織まで着込んだ着物姿の青年は着物が似合っているとか様になるというのではなく、その方のためだけに作られたような芸術性を感じさせた。

背は達也と変わらないくらいだが、姿勢の良いすらりとした出で立ちは様になっており、ここが座敷ならば更に似合いの場となっただろう。微笑む姿も気品にあふれ、一目で上流階級の出身かそれに比肩する教養のある者だと理解できた。

 

「はじめまして、ご友人の方々。私は九重(はるか)。雅の兄です」

 

小さく頭を下げた悠に釣られるように、友人たちも自己紹介をしていった。

深雪を見たときもあまりの美しさにこんな美少女は二度といないだろうと思ったが、まさかこれほどまでの美丈夫が雅の兄だとは世間は狭いのだろう。

 

「妹と可愛い義妹がお世話になっている様で、これからも良くしてやってほしい」

「は、はい」

「勿論です」

 

反射するようにほのかと美月は大きく頷いた。その様子に可愛いねと言いたげな様子でまた微笑むものだから、正直女子たちは心臓が持たない気がしてならなかった。

 

 

 

その後、達也を少し貸してほしいと言われ、雅たちは一足先に会場に向かった。何でも男同士の話し合いというやつらしい。

悪戯っぽく笑う様も絵になったが、達也には裏を感じさせる一言でもあった。

 

 

ホテル1階の会議室。

それほど大きくはない部屋だが、許可を得ていないはずの悠が易々と入れたのはコネとしか言いようがないだろう。今回も仕事という名目で来ているため、クライアントが存在するはずだ。

 

「観にいらしていたのですね」

 

「別口の仕事で霊峰に用事があったのと、雅を助けてくれたお礼をしてきたところだよ。大丈夫、君が想像している人の意志はあるけれど、今は純粋にOBとして応援に来ただけだから」

 

達也が想像している人物は二人。

一人は九島烈

彼はこの大会の来賓の中でも軍や魔法師協会とのつながりが強く、また九重の直系から嫁を貰っている。一高周辺で起きる事件について、彼の人が雅のことを気にかけていたとしても不思議ではない。

 

もう一人は四葉真夜

達也と深雪の叔母にして、世界最強と呼ばれる魔法師の一人だ。

彼女もまた雅のことを娘のように可愛がっているそうで、雅から彼女の着せ替え人形になったことがあると聞いたときは軽く眩暈を覚えたほどだ。自分や深雪が目立つことは彼女にとって、決して良いことではなく、悠の来訪は忠告の意味合いもあるのかと達也は推察していた。

 

身構える達也に悠はいつもの調子で切り出した。

 

「地脈は戻したよ。けれど警戒は怠らないようにした方がいい。あまり良くないものもこの地は招きやすいから」

「それは何かこの大会で起きると?」

 

達也の問いかけに悠は良くできましたと言いたげな笑みを浮かべ、肯定した。

 

「霊峰富士の領域だ。また十中八九起きるだろう。実際、大会前にも、今回も色々あっただろう。用心するに越したことはないね」

 

「では、大会側にも工作員が入り込んでいるのですね」

 

達也の問いかけは疑問ではなく、あくまで確認だった。

 

「そうだね。かなり閣下はご立腹だったよ。君も彼の人に目を付けられないよう気を付けるんだね」

 

「それは【千里眼】としての忠告ですか」

 

九重には裏の名が存在する。

【千里眼】はその裏の名を示すものの一つでもあった。

文字通りこの国くらいならば人工衛星など使わずとも見渡すことができる。それも通常の人に見えるものから見えないものまで、ありとあらゆることを見通せる。

それがどれだけ恐ろしいことなのか、同じく視覚系の異能を持つ達也はよく理解していた。

 

「そう思ってくれてもいいけど、可愛い義弟がエンジニアとしてどの程度やれるか見ものだと思ってね」

「可愛いだなんて思ってもいらっしゃらないでしょう」

「君たちの星巡りは切っても切れなさそうだから嫌なんだよ」

 

達也が皮肉を込めてそう返答すると、端正な顔が困ったように眉を顰め、笑った。

 

達也と雅の縁は先々代の九重当主が結んだ。彼女もまた【千里眼】と呼ばれる眼を持っており、一目見て達也が魔法師として欠陥があることを見抜いた。未来まで見通すと言われる千里眼に達也と雅の婚姻を持ちかけた際には四葉は紛糾したらしい。

 

達也には呪いにもにた魔法が施されている。

妹しか家族として愛することができない、一生大切だと思えるのは深雪だけという呪いだ。魔法を使えるようにするための演算領域を確保するために感情を白紙化した。それが深雪を護るためのものであり、自分があの家で生きるための方法だった。

 

そんな自分を憐れんでか、母にさえ疎まれ、忌まわしい力を持って産まれた自分に九重は雅と分け隔てなく育ててくれた。深夜のことは母だと認識しているが、母だからと言って甘えることもなかった。

 

達也の知る慈愛は全て九重から受けたものだった。深雪を妹として大切だと思えるのも、きっと九重で無償の愛を注がれていたからだと考えている。

 

人は知る。人は学ぶ。

人は人を見て知る。人を見て学ぶ。

人とは不思議なもので、たとえ必要な栄養を与えられ、必要な世話をされていたとしても、心を育てられないと体も育たない。

 

情緒、発達、社会性。

そう言ったものは人の中でしか学べない。

同い年の雅がいたことと、教育熱心だった九重の家庭で達也は人並み以上の幼少期を過ごしていたことに間違いはない。欠陥魔法師として生まれた自分がどんな立場に置かれるのか、【千里眼】がそれを見ていないわけではない。

それなのに雅を愛せない自分の許嫁に選ぶとは何とも皮肉なものだと思う。九重が見誤った可能性もあるが、九重の思惑を達也はまだ知らされていない。聞いてもこの兄もきっと誤魔化すか、まだ時期ではないと言うだろう。

それでいい。少なくとも雅との関係は手放すには惜しいほど、達也には心地いいものだった。

 

 

 

 

 

 

達也が会場に向かった後、九重悠は自宅に連絡を入れた後、帰ろうとしていたところで気になる相手を見つけた。少し憂鬱そうな様子に好奇心が勝り、声を掛けた。

 

「こんにちは、千葉の麒麟児君」

 

後から気配もなく声を掛けられ、千葉修次は思わず飛びのいた。半径3mの近接戦闘において、5本の指に入ると言われる実力者だ。それが全く反応もなく迫られたのだから、本能的に回避しようとするのは剣士としての性でもあった。

 

「貴方は九重の光源氏・・・」

「その言い方、好きじゃないんだ。九重悠。同い年だから、どうぞよろしく」

 

千葉修次も九重悠の噂は聞いていた。

九重神楽の名手であり、類まれなる美少年。

今では着物の良く似合う美丈夫だが、これで神職の狩衣を着ればどれほど様になったことだろうか。九校戦では戦うことはなかったが、その実力は嫌と言うほど二高出身の同期に聞かされた。あれが少なくとも敵ではなくて良かったと口を揃えて言っていたのを良く覚えていた。

 

「千葉修次です。何かご用でしょうか」

「暗い顔をしていたからね。少し気になったんだ」

 

まさか見ず知らずの他人に心配されるほど、自分は悪い顔をしていたのだろうかと修次は心配になった。くすくすと人当たりの良さそうに笑う悠は人間関係なら力になれるよ言った。その美貌も合わさって、話してもいいのではという気持ちになってしまった。

 

「その、一つ聞いてもいいでしょうか?」

「なにが知りたいんだい」

「その………」

「ああ、恋人との相性ね」

 

修次の言動で分かったのか、悠は微笑ましい様子で核心をついた。

 

「高いよ、対価は。と言っても、金銭的な高さではないけれどね」

「金銭的ではない…?どういうことですか」

 

一瞬何か仕事か依頼を持ちこむためだったのかと修次は身構えた。

 

「占いの対価は何も金銭だけで取引していないということだよ。どこまで占うかによるけれど、今回はそうだね…タイのお土産でも後日送ってもらおうかな」

「それでいいのですか」

 

修次の予想だにしなかった対価に呆気にとられてしまった。

 

「勿論。その代り、品物はこちらが指定するからね」

「分かりました」

「じゃあ、今日は簡単に姓名と生年月日の占いでいいかな」

「お願いします」

 

修次は照れくさそうに端末に入っている摩利の名前と生年月日を見せ、自分の生年月日を教えると悠はにっこりと笑った。

 

「縁は良好。現段階に道に石はあるが、岩はない。気持ちは恥ずかしがらずに伝えるべきだね」

 

占いに入りそうな水晶やタロット、万年図も何も見ていない。名前と生年月日だけで分かるものだろうかと不思議に感じる部分もあったが、少なくとも千葉の中でも『眼』のいい修次を騙しているようには見えなかった。

 

「つまり、それは?」

「将来的に多少躓くこともあるけれど、行き詰る様なことや、乗り越えられない障害はないってこと。相性はいいよ」

「本当ですか」

 

悠にそう言われたことで修次は思わず大きな声が出た。

妹と摩利の一件があっただけに少々不安に駆られていたが、九重にそう言われたことでなんだか御利益がある様な気がしていた。

 

「占いは取引だ。九重の名に懸けて嘘をつかないよ」

 

優美な笑顔に詐欺師でも名乗れるのではと思うものもいるだろうが、他人の命運を知る占いがどれほど重い契約か悠は理解していた。

名前と生年月日でその人の前世、今世、来世の運命程度、【千里眼】である彼には見通せた。細かい未来はそれこそ道具を使った方が詳しく出るだろうが、この二人には必要のないことだった。

 

 

上機嫌で修次は悠と別れたが、九校戦後にタイに戻って土産を調べたがそれが王家縁の品で紆余曲折なんとか譲り受けることができた。安易に値段を確認せずに頼んだ自分も悪いが、九重の占いは安くないと思い知らされた修次であった。

 

 




キャラ設定
九重悠(ここのえ はるか)
女の子みたいな名前は厄除のため

雅の5歳年上の兄。早生まれで、来春20歳

学生時代も今も崇拝者がいるほどの美丈夫
付いた名前が『九重の光る君』
九重の次期当主で、神楽では専ら女役なので、男だと知った観客はこぞって血の涙を流している。男役をすれば女性は狂喜乱舞。
神楽の腕前は稀代の天才と呼ばれた曽祖父譲り。
意外と仕事はしっかりしているが、それ以外の部分で割と自由人なので長兄の胃を痛める存在。

容姿のイメージは刀剣乱舞の青いおじいちゃんをちょっと若くした感じです。





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九校戦編14

この前書いていた弟がゴールデンウイークで彼女を連れてきました。

弟とあまり身長の変わらない可愛らしい御嬢さんでした。

え、私?喪女ですが何か(#^ω^)?


大会8日目 午後

 

モノリスコード決勝リーグ第一試合はやはり三高の勝利で終わった。

その試合内容はまさに独壇場。一条将輝が敵の陣地までまっすぐ歩いて行って、敵を無力化した。

その間、三高の二人は自陣で待機。

本来であれば一条将輝は中距離からの先制飽和攻撃を得意としており、今回の戦い方は彼のスタイルからは外れている。しかも実質魔法を使ったのは一条だけであり、他の二人のスタイルはある程度推察できても不明な部分が多い。

 

一高も準決勝の九高との戦いで勝利を収めたが、決勝戦は今までのようにいくとは限らない。

しかも遮蔽物のない草原ステージであり、今までのような奇襲作戦も実行しにくい。

達也は多くの制限を受けてこの試合に臨んでいる。殺生与奪の観点で力が強いと言う意味では一条も同じだが、これは試合であり、相手を殺せばいい戦闘ではない。術式解体はまだしも、分解や再生も使うわけにはいかない。

普通の魔法技能が劣っている達也にとってはかなり厳しい試合である。

 

試合前に柔軟をしていると、深雪から達也は決して負けない、負けてほしくないというお願いをされてしまい、勝たなければいけなくなった。彼にとっては深雪のお願いは半ば命令として受け取ってしまう。それ以上に兄として可愛らしい妹に期待されて、どう考えても勝率の低い戦いに勝つしかなくなってしまった。

 

 

「気合は十分そうね」

「雅」

 

試合会場に向かっていると廊下で雅が待っていた。

 

「どうしたんだ、深雪と一緒に会場に行ったんじゃなかったのか?」

「忘れ物があったの」

「忘れ物?」

 

雅にしては珍しいと思いながらも、悠が来ていたのならばそれもあり得るだろうと達也は思った。

 

雅と兄達との仲は良い。雅は年の離れた妹と言うのもあるが、あの家は家族のつながりが希薄化していると言われる現代で嘘のように家族の情が深い。無論、躾や教養は言うまでもないが、兄達は九重神楽の兄弟子でもあるため、厳しい一面も見せている。それも雅は兄弟子として仕方のないことだと知っているし、兄達に惜しみない敬意を払っている。

 

今回は予期せぬ訪問で、呪いの壺やジェネレーターの一件もあり雅も気を張っていたのだろう。試合が終わったら、労わってやるかと頭の隅で達也は思った。

 

「正確には物ではないかな」

 

雅は達也に歩み寄ると結上げていた髪から簪を抜いた。美しく長い髪が重力に従って雅の背に落ちた。雅は簪を自身の目の前で縦に持ち、胸の前に構える。

 

『“我、闘神の血を引く者

この地にありし精霊たちよ

彼の者に武運を

彼の者に勝利を

彼の者に我が守護を

彼の者を救い、支え、護りたまえ

彼の者の鉾となり、刃となり、剣となり勝利を導きたまえ”』

 

 

凛と響き渡った声は空気を伝わり、達也の鼓膜を震わせた。言葉の一つ一つに想子でも込められたように力強く、清廉であった。これは深雪が受けた祝詞と同じかそれ以上の力が込められていた。命運を曲げるほどの力はなくとも、達也には深雪の激励と等しく奮い立たされるものだった。

 

「これは、ますます勝つしかなくなったな」

「どうか、ご武運を」

 

優雅に腰を曲げる雅に達也は行ってくると声を掛けた。先輩に期待され、可愛い妹に応援され、雅からの加護を受け、達也は思った以上に自分の周りには自分に期待してくれている人がいるのだと知った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして始まったモノリスコード決勝戦

 

一高の新人戦優勝は既に決勝リーグ出場の段階で決定しているが、だからと言って勝負を捨てる理由はなかった。三高も準優勝が確定しているが、モノリスコードの優勝だけでも欲しいのが心情だ。

 

選手の登場に歓声が巻き起こる・・・・はずだったが、戸惑いの声が多く上がっていた。

達也がCADを3つ携帯していたこともさることながら、目立っていたのは幹比古とレオの二人だった。幹比古は灰色のフードつきのローブ、レオは黒いマントを着ていた。ルール上は問題ない、というか想定されていない携行品に観客だけでなく、無論三高の選手たちにも軽い動揺が走った。

レオと幹比古自身は野次馬的な視線を感じているのか、居心地が悪そうな様子だった。達也に泣きごとを言っても、自分は前衛でそんな動きにくいものは邪魔だからと一掃されてしまった。レオは今頃大爆笑しているであろうクラスメイトに対して、恨めしそうに唇をかんだ。

 

 

 

一方の観客席

雫、ほのか、深雪、雅といったA組女子メンバーは観客席の一番いい位置を確保していた。

 

「いよいよですね」

「ええ」

 

ほのかは緊張している様子だったが、雅は試合開始前だと言うのにモニターではないどこか別の場所に視線を向けていた。

 

「お姉様、いかがなさいましたか」

 

雅の視線を辿るようにしながら、深雪が問いかけた。選手の登場とは別のざわめきがその場には広がっていた。

 

「ああ、珍しい方が来賓席にいらっしゃるのよ」

「珍しい方?」

 

雫とほのかが眼を凝らすとそこには大会役員と九島烈がいた。初日の挨拶で見かけて以来だが、彼は毎年観戦に来ているからこの会場にいてもおかしくはないが雅には何か別の思惑があると思えて仕方なかった。

 

「九島閣下がこっちで観戦って珍しいね」

「そうなの」

「大体VIP用の部屋で観戦していると思う」

 

雫は毎年会場で観戦しているので、九校戦にも詳しい。雫の記憶にある限り、来賓席までわざわざ観に来たのは今回が初めての事だと言う。

 

「三高を見に来たのかな?」

「きっと達也さんだと思うよ」

 

ほのかの問いかけに雫が冷静に答えた。確かに彼の立場なら達也がどれだけ『一条』相手に戦えるのか見ておきたいのは理解できた。

様々な思惑もはらみながらも、試合開始のブザーが鳴り響いた。

 

 

 

最初は挨拶代りの遠距離魔法の砲撃合戦。

達也は準決勝と同じ二丁拳銃型CAD、一条は拳銃型の特化型CADで攻撃を繰り出していた。二人の距離はおよそ600m。その距離をお互いに歩み寄りながら詰めていた。視認すら難しい距離で確実に攻撃を当て続ける様子は観客を沸かせた。

だがしかし、当の本人たちは互角とは言えない戦いとなっていた。

現在は挨拶かわりの攻撃だが、一条の攻撃は一撃一撃が相手を倒すのに十分な威力を内包しているにもかかわらず、達也の攻撃はあくまで牽制以上に意味合いはなかった。事実、一条が無意識に展開している情報強化の防壁に阻まれる程度のモノだった。

その結果、達也はますます防戦一方にならざるを得なかった。

 

達也が準決勝とは違う魔法をわずか2時間足らずで変えてきたことに吉祥寺は驚きながらも、予定通り残りの二人を倒すために動き始めた。

吉祥寺が走り出したと同時に、達也は300メートルの距離を疾走した。

魔法の発動に物理的な距離は影響されない。

魔法師が遠いと思えば発動は困難になり、魔法師ができると思えば魔法は長距離だろうが発動する。事実、軍では衛星とリンクした映像で魔法を発動させる実験は古くからおこなわれてきた。

史実にはまだカメラもないような戦国の世で数キロ離れた敵陣に落雷を起こしたと言われる術者もいるとされている。

 

しかし、物理的な距離が近くになれば魔法発動は容易になる。

それだけ視認で照準が付けやすくなるのだ。

達也は『術式解体』で一条が放つ圧縮空気弾が顕在する前にそれらを打ち砕く。事象改変を感じることのできる魔法師はその吹き荒れるサイオンに感嘆し、キルリアンフィルターを通じて映し出されたSFのような風景に観客たちは手に汗を握っていた。

 

 

 

一条の攻撃を達也がギリギリのところでさばききっているのを横目で窺いながら、吉祥寺はレオと対峙していた。

一高のモノリスまでおよそ100mの距離。

後衛の二人が着込んでいる怪しげなマントとローブがなんなのか、未だ検討は付いていなかった。

吉祥寺がレオに『不可視の弾丸』を放つために照準を付けた。

だが、レオはマントを脱ぎ棄てるとそれを硬化させ、壁のように自身を覆い隠した。

吉祥寺は思わず舌打ちをした。

『不可視の弾丸』は視認しなければ発動できないというデメリットがある。遮蔽物のない草原ステージではうってつけの魔法なのだが、遮蔽物を作り出されてしまえば直接レオの体を視認することはできない。

マントを盾にするようにして、横から小通連の刃が襲い掛かる。

すぐさま移動魔法を使い、後方に大きくジャンプすることで回避した。

だが吉祥寺が空中にいる瞬間、突風が彼を襲った。吉祥寺はそれに流されることで威力を軽減し、ダメージなく着地した。

 

視線を向けると灰色のローブを着た幹比古がいた。先に厄介な後衛を潰そうと『不可視の弾丸』で照準を定めるが、幹比古の姿がぶれた。

 

「幻術?!」

 

二重、三重とぶれてあたりに姿をくらます幹比古の体をかすめるようにして『不可視の弾丸』は通過した。厄介なと唇をかむ吉祥寺の脳天に小通連の刃は飛来した。

明らかに回避不能な攻撃に、反射的に吉祥寺は目をつむった。

 

 

 

「ぐあああ」

 

だが、響いた苦痛の声はレオからだった。

達也を相手していた一条がレオのあたりの空気を爆破させ、レオは直撃を受けて倒れ込んだ。魔法の効力が切れたことで、小通連の刃は重力に従って落ちるだけの金属の刃となった。

 

「将輝!」

 

助かったと吉祥寺は一言かけ、CADのコンソールに指を滑らせた。

 

「くっ」

 

動揺したのは幹比古も同じで咄嗟に受け身も取れず、横に向かって落ちた。

吉祥寺が発動した加重系魔法により、幹比古は重力に引き寄せられ地面に縫い付けられた。普段の何倍もの重力が彼の身に降りかかり、息も出来ず、酸欠で頭がぼうっとしていた。

 

 

一条の気が吉祥寺の方向に逸れた一瞬。その一瞬で達也は一条との距離をわずか5mの距離まで縮めた。迫りくる達也に一条は戦慄した。

それは戦場を駆け抜けた兵士としての勘か、魔法師としての反射か、人としての生存本能か。

咄嗟に発動した魔法は18連発の圧縮空気弾。

明らかにレギュレーションを越える威力の魔法が達也を襲った。

 

達也は『術式解体』でそれを迎撃した。

術式解体は射程が短い以外にも弱点がある。

弱点と言うべきか、これは全ての魔法に共通するが魔法は術者のサイオンを消費する。

特に『術式解体』は相手の魔法式を力ずくで吹き飛ばす魔法だ。

強引に吹き飛ばすためには、一発で膨大なサイオンを消費する。

加えて魔法式にも強度がある。魔法力の強い魔法師の放つ魔法式はそれだけ改変を受けにくい性質がある。

並の魔法師にとっては一日掛けても作り出せるかどうかのサイオンを、達也にとっても少なくはないサイオンを大量に圧縮していた。

 

それが18発分

14発はどうにか間に合い、消し去ることができた。

しかし残った4発の圧縮空気弾が達也の身に襲い掛かった。

威力を抑えていても、地面を大きく抉るほどの威力。今は全ての弾の殺傷性が上がっている。直撃では大けが必須の魔法で一条の目の前には派手に土ぼこりが上がり、視界を遮った。

 

一条は臍を噛んだ。

彼自身、魔法発動直後に規定違反以上の出力で魔法を発動させてしまったことに気が付いていた。

しかも明らかに直撃コース。

レッドフラッグは上がっていないが、反則を犯したことは彼自身よく理解していた。そして相手に大怪我をさせてしまったことも。

 

動揺した中、立ち上る土煙の中で相手を探すが人影はない。

悔やむ一瞬の隙に一条の顔に前方から黒い手が伸びてきた。

反射的にその手を避けると、耳元でまるで音響手榴弾のような爆音が響いた。

 

 

 

混乱し、揺れる頭の中、一条は立ち上がって何事もない様な達也を見た。まさかと思うが、思考は黒く塗りつぶされ、身体は地面に倒れた。

 

 

吉祥寺は混乱した。

轟音の先で、倒れているのはまさしく自分の相棒。

そして達也は膝こそついているが、その目はまだ死んでいなかった。

将輝が負けた。

吉祥寺を動揺させるには十分な事実だった。

 

「吉祥寺、避けろ!」

 

パニックになりかけた頭に響いたのは味方の声だった。吉祥寺の頭上には雷撃が迫っており、咄嗟に避雷針の術で雷を地面に逃がし回避した。先ほどまで自分が重力魔法で押さえつけていた幹比古がよろよろと立ちあがっていた。

どうやら先ほどの爆音で魔法を中断してしまったらしい。

 

まだ倒れていなかったのかと感心する反面、吉祥寺は幹比古に向かて『不可視の弾丸』を放った。

だがそれも先ほどと同様に、幹比古の輪郭がぼけ、多数の人影に見えた。当らない攻撃に徐々に吉祥寺は苛立ちを募らせていた

 

一方の幹比古は息をするのも苦しかった。加重を掛けられ肋骨が折れているのではないかと思うほどであり、頭もまだ酸欠状態から抜け出ていない。それでも状況はしっかり確認していた。

達也が一条を倒した。だが、彼のコンディションも良くなさそうだ。

レオはまだ立ち上がれそうにない。

ここは自分が何とかするしかない。

 

ここまで達也にお膳立てしてもらった。

ボーイの真似事など名家の神童にさせるには辛い待遇から、一高代表の一選手として押し上げて、決勝まで勝ち残ってきた。

このまま達也だけの力だと思われるのは癪だった。

それは魔法師としての幹比古のプライドだった。

自分の実力でここにいること。

自身を這いつくばらせたカーディナル・ジョージ程度、自分が倒してやろう。高慢なまでに幹比古は自分に言い聞かせた。

 

そして幹比古は大型携帯端末型CADのコンソールに指を滑らせた。

幹比古が入力した魔法は五つ。

地面を叩きつける動作と共に地面が割れ、吉祥寺に迫っていた。実際には加重系魔法で地面を割っているのだが、手で割れたように吉祥寺は錯覚してしまった。

それを回避するように吉祥寺が魔法を使って上空に飛んだが、なぜか草が足に絡みついて動くことができなかった。草が意思を持っている動いたように纏わりつき、吉祥寺は一瞬混乱する。

現代魔法に関する知識の多い吉祥寺にとって、古式魔法で定義された曖昧な魔法、風の方向性によって草を絡みつかせるという思考には至らなかった。

強引に魔法の出力を上げ、上空に逃れようとする。

足元は陥没したように抉れ、草がまるで自分を地面に引きずり込もうとするかのように錯覚した。

その錯覚から逃れるようにして、吉祥寺は跳躍の術式に全力を注いだ。本来ならば、そうする必要などなかった。

 

一瞬幹比古の姿を吉祥寺が見失うと同時に、上空から雷撃で撃ち落とされた。幹比古が発動した魔法の四つは布石。

そう理解する前に吉祥寺の意識はなくなっていた。

 

 

「この野郎!」

 

まだ一人、無傷の敵がいる。

幹比古は地面に手を付いたままの姿勢で動けなかった。

迫りくる土砂は『陸津波』。本来の威力よりは随分と小さいが、それでも魔法力も体力も残っていない幹比古は避けると言う選択肢すらできなかった。

 

結局負けてしまったかと諦めかけたその時、目の前に黒い壁ができた。それはレオが使っていたマントだった。

 

「はああああああ」

 

いつの間にか起き上がっいたレオは武装デバイスを振り回し、飛翔物体で三高選手を横殴りにした。三高選手が起き上がれないのを審判が視認すると、そこで試合終了のブザーがなった。

 

 

「勝ったのか?」

「ああ…」

「勝った?」

「やったあああああああ」

 

観客席は勝利を確認するように、歓声が沸き上がった。

だがそんなお祭り騒ぎも一瞬

観客席の最前列でポロポロと涙を流す深雪と深雪の肩を優しく抱いている雅を見て収まった。

達也は心配ないと少し疲れたように手を振り、深雪は無言で頷いていた。

その様子をまるで励ますかのように周りからは徐々に拍手が送られて行った。

それに呼応するかのように観客席からは暖かい拍手が送られた。

予想外に温かい声援を受け、達也たちはどこか気恥ずかしさも覚えていた。

 

 

 

 

 




原作との変更点
一条の放った空気弾16発→18発
この理由は後々語ります。



前回分の誤字脱字訂正まだ終わってない。゚(゚´Д`゚)゚。


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九校戦編15

まさかの九校戦15話
あと、2、3話で夏休みに入ります。



大会9日目

 

新人戦優勝も、お祝いはまだ本選が残っているため持ち越しとなった。残念な様子を見せる生徒もいたが、立役者の達也はまだ翌日の準備があるし、レオと幹比古も疲労からか辞退していた。

 

新人戦は一高の優勝。

ミラージの予選の結果次第では総合優勝が確定する地点まで到達していた。

雅は朝早くからミラージ本選の選手である小早川と彼女のエンジニアである平川と一緒にいた。

 

「おはようございます、小早川先輩、平川先輩」

「おはよう、九重さん!」

「小早川先輩は随分と調子がよさそうですね」

「悪いけど、司波さんが決勝に行く前に私が優勝を決めるからね」

 

予選の抽選の結果、小早川は第一試合、深雪は第二試合となっている。そのため、小早川が決勝進出を決めれば一高の総合優勝が確定するのだ。摩利は彼女の事を気分屋と称していたが、今回ばかりは気合が入って当然だろう。

 

「あんまり気を張りすぎてもダメよ」

「分かっているわよ」

 

平川が小早川を諌めるが、彼女としては応援も入った言葉だった。

 

「けど、今更妨害なんてあるの?」

「念のためですよ。まだ優勝確定とは言えませんから」

 

雅としては兄に言われた言葉が気がかりった。無論、深雪に妨害を仕掛けてくる可能性も十分にあるが、達也がそれを見逃すはずがない。

しかし、敵が誰をターゲットにしてくるのかは知らされていない。

杞憂で終われば何事も問題ないはずだ。次の試合の試合選手やエンジニアもスタッフ席で観戦予定なので、問題なければそのまま深雪たちと一緒にいる予定だ。

 

 

選手控室とその周辺には警備員と、金属探知機が設けられている。

選手とスタッフはそれをくぐって、競技エリアに入り、一旦荷物はコンベアーに載せてスキャンされることとなっている。

 

雅が感知したのは一瞬の違和感。それは精霊が外敵を知らせるような感覚であり、雅はスキャンの機械を見つめた。

 

「どうしたの?」

「いえ、なんでもありません」

 

自身の持つCADと小早川達の持つ競技用CADをバットに乗せ、コンベアーに流す。空港で行われる手荷物検査のようなものだ。

金属探知機は競技エリアに入るための徽章IDの検査も兼ねており、IDのない物は競技エリアに入ることはできない。

3人は問題なく通過し、荷物が出てきたところでそれを手に取った。

 

それは一瞬

雅がCADを手に取ると同時に、一人の競技スタッフが座っていた椅子から転げ落ちた。彼の上着のポケットから、なにか白い小さな端末が零れ落ちた。

 

「な、何をするんだ」

 

慌てふためく競技スタッフたちと動揺する小早川と平川。

雅に事情を聴こうとする魔法協会のスタッフはその冷徹な目を見て戦慄した。

いっそ整った顔が恐ろしいまでに歪んでいればいいものの、薄ら笑みを浮かべながら競技スタッフを見下すさまは自分に向けられた視線ではないと知りながら周りにいる者たちを萎縮させた。

 

「九重さん、一体何のつもり?!」

 

先輩としての矜持か、平川は雅の腕を掴んだ。これ以上、事情も聴かずに後輩の勝手にさせるわけにはいかなかった。

 

「面白い改良ですね。まさか無線方式の電子金蚕ですか」

「なんですって?!」

 

雅の言葉を受けて二人は驚愕した。電子金蚕の話は既に一高の代表には伝わっている。その対策もしていた。

 

ただ、今回平川が用意したのは予備機だ。本来使うものは事前練習の際、破損してしまいそれに伴って予備機を使うことになった。当然その準備に時間を取られ、電子金蚕の防御刻印も刻めていない。そこを突かれたわけだ。

 

「本当なのよね」

 

その答えは顔を青ざめさせた競技スタッフが物語っていた。

彼の足は振るえ、立ち上がることすらできなかった。

雅は小早川の使うCADを手に取り確認すると、それを彼女に手渡した。

 

「30センチほど上昇した後、真っ直ぐ斜め下に移動する魔法を使ってください。その術式に対して魔法が仕込まれていて、強制的に魔法がキャンセルされるはずです」

 

地面に転がされた競技スタッフは顔面を蒼白にさせた。

彼の両脇は既に警備員によって取り押さえられている。本来であれば乱暴を働いた雅を取り押さえるはずだが、ここの警備員への根回しは既に九島が行っていた。

 

小早川は恐る恐るCADを装着し、自身の体を移動魔法で30cm上空に浮かせ停止。そのまま斜め下に移動する魔法を発動しようとしたところで魔法が突如キャンセルされ、地面に着地した。その顔は間違いなく動揺が走っていた。これがもし競技中にあれば、どんな事態になっていたか、想像に難しくなかった。

 

「競技時間も迫ってますし、このデバイスは使えませんね。お二人は調整を急いでください」

「分かったわ」

 

平川は急いで調整までの時間を逆算した。自分の調整スピードならば、ギリギリ第一試合に間に合うはずだった。CADもまだ確か誰も使っていない予備があったはずだとすぐさま本部に連絡をした。

二人が小走りに調整室に向かうのを見て、雅は視線を取り押さえられているスタッフに向けた。

 

「さて、協会の皆さま。彼の処分はいかようにされるおつもりでしょうか」

「そ、それは」

「彼は臨時の者でして、魔法協会の人間ではなく・・・」

「バイトだから仕方がないって言いたいのか?」

「真さん」

「よう、話は聞いてたぜ」

 

彼女の後ろには梅木真が立っていた。

彼は九高生徒会長として自校の選手の激励を送るために競技エリアに向かっていたのだが、偶然この場に居合わせたのだ。口を挟まなかったのは、彼自身、本当に電子金蚕が仕込まれていたのかどうか測りかねていたからだ。

 

「こんな場所で仕掛けていやがったのか」

 

真は落ちていた白い端末を拾い上げた。電子金蚕を送り込んだ無線端末だ。

 

「ひぃ」

 

真のドスの聞いた声に、思わず悲鳴を上げた。

まだ20代前半の青年に現状を打開できるほどの経験は積んでいなかった

 

「ひとまず大会本部に彼を連れていってください。ここで起きたことは全て、各校に伝達させていただきます」

 

「そ、それはお待ちください」

 

雅の言葉を制止したのは、集まってきた中で壮年の男性スタッフだった。

 

「なぜです?」

「それは…」

 

魔法協会としては隠蔽したい事実だ。なにせバイトがCADに細工をしていたと明るみに出れば協会の信用は失墜する。ただでさえ、モノリスの事故であれこれ言われているにもかかわらず、これ以上の失態の公表は避けたかった。

 

「ひとまず、荷物チェックは機械の不具合で中止でいいだろう。その後の話はゆっくりさせてもらおうか」

「は、はい」

 

真の言葉に男性は反射的に頷いた。どちらが年上か分からない状況だった。

 

 

小早川の予選の結果は3位。惜しくも予選敗退だ。

いくら一高スタッフが総力を挙げたとしても、本人も動揺を抑えきれなかったし、結局は調整が間に合わなかったらしい。誰よりも二人は実力が発揮できなかったことに悔し涙を浮かべていた。

 

 

達也としては雅がいて電子金蚕が発見されただけでマシだっただろうという心情だった。

彼は博愛主義者ではない。

同じ高校の先輩が巻き込まれたとしても自分たちに火の粉が降りかからなければ、それでいい。

冷徹とか血も涙もないとか人は言うのだろう。残念ながら達也はそう出来ている。

それを口にすることは彼の妹を傷つけることでもあるため、達也は無言で作業に取り組んでいた。最終調整を終えると、深雪を本部のテントに残し、達也は試合直前のデバイスチェックに向かった。

 

 

 

 

 

 

軍関係者、魔法師協会との話し合いを終え、雅は本部テントに戻ってきた。彼女の兄の予測では九島烈が何らかの形で電子金蚕の発見に携わると見立てていた。今回はそれもなく、軍と協会側だけでの話し合いだったため、まだ油断はできない。

九島の耳に入るのも時間の問題だが、悠の言う興味深い人物とはおそらく達也の事だろう。つまり深雪のデバイスをチェックの際に仕掛けが施されると言うことだ。

雅が本部に入ると生徒の視線が雅に注がれた。

 

「雅ちゃん、お疲れ様」

「お疲れ様です七草会長。それで何かあったのですか」

 

この視線に気が付かないほど雅は鈍感ではない。結界の変化はなし、地脈も問題なく作用している。別問題が発生したとみて良いだろう。真由美はやや困ったように話を始めた。

 

「先ほど当校の生徒がデバイスチェックの場所で暴れているという話が入ったのよ。雅ちゃんは関係者に連れて行かれていたし、たぶん達也君だと思う」

「そうですか」

「それだけ?」

 

雅はそれほど驚かなかった様子に真由美は眉を顰めた。達也の事が心配ではないのかという意味とどうしてそんな冷静なのだと言う非難めいた意味合いも持っていた。

 

「あちらでも電子金蚕の使用があったのだと思います。やはり改良され、無線型になっていました」

「確か電子金蚕は有線回線を通じて電気回路に侵入するSB魔法だよな。それが無線に改良されていたってことか?」

 

鎧塚は作業をしていた手を止めて、話に割り込んだ。聞き耳を立てていましたと言っているようなものだが、真由美も同じ疑問を抱いていたので咎めはしなかった。

 

「ええ、おそらく競技前のデバイススキャンと同じ信号を利用して無線方式で魔法を仕掛けていました。彼が発見したものが有線か無線かは分かりませんが、彼自身が組み上げたシステム領域に侵入があれば気が付かないはずがありません」

 

他のエンジニアからすればどうやって電気機器を通じて侵入した魔法を見抜いたのかと突っ込みを入れたい気持ちが強かったが、大人しく口を噤み作業をするふりをしながら話を聞いていた。

鎧塚と真由美もそんなことができるのかと疑問に感じたが、同時に達也ならばできるのだろうとどこか納得した。

彼の魔法工学に関する知識は一高校生レベルを超えており、自分が手掛けたデバイスの違和感に気が付いたとしても納得がいく。

雅に関しても精霊に対する鋭敏な感覚は遅延発動術式だとしても関係なく、その姿を捉えることは不可能ではないと理解していた。

 

「暴れたって言うのは?」

「深雪を傷つける者を彼が許すとでも?」

 

本部に何やら生暖かい空気が漂った。一高生の意見を代弁するかのように、うすら寒い笑顔を浮かべて真由美は雅に確認した。

 

「つまり、重度のシスコンのお兄さんが妹のために怒っただけなのね」

「達也はきちんと落とし前付けてくれたようですからね」

 

ぴりりと文字通り、空気が緊張した。

それはほんの一瞬の怒気だった。

しかし場を威圧するには十分で、生暖かい目になっていた生徒たちも一瞬で背筋を伸ばした。

抑え込んでいるのだ。湧きあがる怒りを、その内に。

彼女も妹のように大切にしてる深雪に何かあれば黙ってはいない。

表面が穏やかなだけあって、底知れぬ恐怖を感じた。

普段怒らない人間が怒ると怖いというが、これは怒らせてはいけないと感じさせた。

 

 

「お姉様…」

 

深雪は一人美しい顔を曇らせ、目には涙を浮かべていた。

雅は怒りを収めると、優しく深雪に微笑んだ。

 

「深雪、お化粧を直しましょう。折角の晴れ舞台ですもの。達也が戻ってきたときに安心した顔を見せてあげて頂戴」

「分かりました」

 

雅は深雪の涙を指で軽く拭った。

肩を抱いて部屋の奥へと行く二人を見ながら

 

「なんか、あそこ恋人とか婚約者とかその妹とかじゃなくてさ」

「夫婦とその子供よね」

 

3人がいなくなった本部のテントでそんな事が呟かれ、しみじみと頷く者がいたとかいなかったとか

当然、達也が本部に戻ってきたときは生暖かい空気で歓迎された。

戸惑う達也に天才エンジニアもシスコンと言う弱点があったんだなと肩を叩かれ、他の先輩たちにも穏やかな目を向けられた。嫁さんと可愛い妹が待っているぜと鎧塚に言われ、達也は居心地が悪そうに深雪たちが待っている部屋に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

一騒動あったが、試合は時間通り執り行われることとなった。

ミラージ・バットの別名はフェアリーダンス。

少女たちが妖精のように飛び交う様子はまさに幻想的で、衝突を避けるため選手は昼間は太陽の下でも鮮やかな色の衣装をまとっている。深雪が着用しているのはマゼンタのカラーだが、下品に見えず彼女のスタイルの良さを強調している。

 

関係者が控えるブースでは雅と達也が控えていた。本来であれば、エンジニアと作戦スタッフがいることが普通なのだが、今回は例外。

先ほどの妨害工作もあって、一高作戦スタッフは満場一致で雅を送り出した。深雪は誰よりも近くで姉と兄に試合を観てもらえることで、文字通り天にも舞い上がりそうな気分だった。

 

6人の選手が位置に着き、試合を待っていた。

天気は曇天。

ミラージにはうってつけの天気だった。

会場の熱気に後押しされるかのように試合開始のブザーが鳴り響いた。

色鮮やかなコスチュームに身を包み、飛び交う様子は絵になる様だった。特に深雪は一人だけ、着地も離陸も優雅でふわっといった形容詞が良く似合った。

順調にポイントを重ねているが、そこは九校戦の本選。一筋縄ではいかなかった。

 

「舞鶴だったか」

「跳躍系は彼女の得意分野ですから」

 

第一ピリオドが終了し、深雪は2位につけていた。

現段階で1位は一高の摩利と並びミラージの本命と言われていたのが二高の3年生、舞鶴円花だ。

深雪の使用しているCADは達也が起動式を最小化し、高速化を極めたものだ。

しかし円花はただ目標への到達が早いだけではなく、進路の妨害やコース取りも上手い。

第二ピリオドでは深雪が挽回したが、相手も僅差で、最終ピリオドに向けて余力を残しているように感じられた。

 

「かつて雅と舞姫を競っただけはあるな」

 

円花はこちらを見ながら挑戦的な笑みを浮かべていた。

九重神楽は魔法を使用した神楽だ。鶴ノ宮と呼ばれた彼女は跳躍を使用し、誰よりも軽やかに華々しく舞うことに秀でていた。舞姫に選ばれず、九重神楽からは引退したが、その分現代魔法にも熱心に取り組んできたようだ。

感心する達也に焦りはなかった。

 

「お兄様、あれを使わせていただけませんか」

 

達也は知っている。

深雪がただ美しく、可愛いだけの女の子ではないことを。勝利に対する欲も、努力を厭わない姿勢も良く理解している。負けたくないと言う表情は妹が見せる表情の中で達也がとりわけ好きなものだった。

 

「いいよ。全てはお前の望むままに」

「ありがとうございます」

 

一方の深雪は本選のミラージ出場が決定した際に、この舞鶴円花にだけは負けるわけにはいかないと決心していた。懇親会で誰よりも敬愛する姉と兄が言われのない蔑みを受けたのだ。

それは何よりも許しがたいことだった。いくら兄や姉が何も言わなくても、深雪は黙っていられなかった。

 

 

深雪が力強い足取りでステージに向かっていくのを達也と雅は見送っていた。

 

「アレ、決勝用の秘密兵器でしょう」

 

深雪が手にしているのは手のひらサイズのCAD

ON/OFFのボタンが付いただけの単一起動式が組み込まれた特化型だ。

 

「下手に消耗するよりいいだろう。それに徹底的に打ちのめしたいと思っていたのは俺も同じだ」

 

雅が懇親会で毒付いていた言葉を達也は覚えていたようだ。決まりが悪そうに雅は視線を逸らした。その様子が年相応の少女の様で、達也はふっと笑みを浮かべた。

 

 

 

 

第三ピリオドが始まった。

 

開始同時に深雪はボタンを押しこみ、上空に舞い上がった。光の球の手前で二高選手が近づいてきているのを確認すると、上昇スピードを上げ、スティックで光球を叩く。その後、通常であれば10m下の着地エリアに下りるのだが、歓声が鳴りやんだ。

深雪は一度も着地せずに、水平に空中を移動すると一つ、二つと得点を重ねていった。

そして人々がそれを認識すると会場は別の喧騒に包まれた。

 

「飛行魔法…」

「トーラス・シルバーの?!」

「まさか、あれは先月発表されたばかりだぞ」

「だけど、飛んでる・・・」

 

空中を自由自在に凛々しく舞う深雪の姿を人々は陶然と見上げた。

不可能と言われていた奇跡の実演にこの上なく美しい少女は誰よりもふさわしく、可憐に舞っていた。10mを往復する選手と水平移動だけの選手の効率の差は言うまでもない。

深雪は予選、2位以下に大差をつけ決勝進出を決めた。

 

 

 

 

 

 

 

カーテンを閉めた室内。

夏だと言うのに曇り空で室内は薄暗い。

オレンジ色の優しい光が室内を照らし、夕方のような雰囲気を作り出している。焚かれた香は夏らしいラベンダーとジャスミン。

甘い香りの中にも涼やかさを感じさせる深雪の好きな香りだった。

 

「お姉様……」

 

薄暗い中で深雪はベッドにうつ伏せに横たわっていた。

その瞳は潤み、肌は赤みがさしている。

 

「ごめんなさい、痛かったかしら」

「いいえ、気持ちいいです。あっ………」

「ふふ、ここがいいのかしら」

 

同じベッドの上に雅もいるが、彼女は深雪の隣に座っている。

雅の手が触れるたびに深雪は恥ずかしそうに声を押さえ、時折堪えきれずに吐息が零れていた。

満足げに微笑む雅に深雪は恍惚とした表情を浮かべている。

ああ、なんて自分は贅沢で幸せなのだろうかと夢心地の気分だった。

 

「お姉様、そこは」

「ここが一番気持ちいいでしょう」

「ですが、お姉様に…っ」

「ほらね」

 

見透かされたようにくすくすと笑う雅に深雪は恥ずかしげに枕に顔を埋めた。

姉の美しい指が自分の足に触れていると思うとなんだか背徳感を感じさせた。ご褒美と称されてベッドに寝転ばされ、自分は雅のされるまま快感に浸ることしかできない。

強弱をつけた何とも言えない加減に深雪は息を長く吐いた。

なんて贅沢なご褒美なんだろうと深雪は吐息を漏らした。

ああ、このまま流されても良い、この心地よさに身を委ねてしまおうと深雪は瞳を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

昼を過ぎ、来客が来たことを告げるノックに達也は応じた。

扉を開けると雅だけがそこにいた。

 

「いらっしゃい」

「おじゃまします。一人で来るのは初めてね」

 

達也はそれに特に驚くこともなく、雅を中に招き入れた。

 

「深雪は寝ているのか」

「ええ。マッサージの途中でウトウトして、そのままね」

「あれは癖になるからな」

 

達也は自分にも覚えがあるため、少し苦笑いを浮かべながら頷いた。

雅のマッサージはただのマッサージではない。

手で揉んだり、押したりという動作に加えて、掌から超微弱な電流を流し、筋肉をほぐしている。

九重神楽と言うハードな練習に耐えうるために雅が編み出した手法であり、彼女の家族そろってそのお世話になっていると言う。

何とも言えない力加減も加わり、疲労時にあれをされた達也も思わず眠りの淵に立った経験がある。

ミラージ前半で、跳躍魔法を使い続けた深雪は確かに肉体的に疲労しており、休息が必要だった。

だが深雪にとっては敬愛する姉にあれこれと世話を焼かれ、申し訳ない気持ちと感動のせめぎ合いだっただろうと達也は心の中で合掌した。

 

「達也もする?」

「いや、深雪にして疲れているだろう。俺はまたでいいよ」

「じゃあ、私がしたいって言ったら?」

 

珍しく甘えるような言い方に達也はそう言えば雅も気疲れしているはずだと思いだした。

本来であれば、二人とも使用人に世話を焼かれる立場なのだが、世話を焼くのが好きなのは雅も深雪も良く似ていた。

 

「手だけ頼むよ」

 

椅子を隣に並べ、雅は達也の手を取った。

 

「似合っているわね」

「そうか?」

 

マッサージされている方とは反対の左手には銀の腕時計が巻かれている。アナログ式で多機能な割に男性モデルにしては細見なデザインであり、腕にもしっくりと馴染んだ。

一見ブランドだけみれば分からない者も多く、高校生が付けていても問題はないデザインだが目敏く見つけた藤林には誰からの贈り物か問われたほどだ。同級生の中では雫も知っていたようだが、それは資産家の令嬢として目の肥えた彼女だからだろう。

 

こういった贈り物の一つも思われていることが伝わってきて、なんだか気恥ずかしい気持ちだった。達也は自身のために心を割いてくれる九重には申し訳なさと有難さと伝えきれない感謝を感じていた。

 

「痛くないかな」

「いや、良いよ」

 

女性の場合はオイルやクリームを塗って行うことが多いそうだが、普通のハンドマッサージだった。男性とは異なる柔らかい手に揉まれたり指圧されると、予想以上に凝っていると自覚した。

達也自身、身体を鍛えていて筋肉自体が凝りにくい方ではあるが、先日までの疲れで揉みこまれた手が軽くなっていくのを自覚した。

ふんわりと香るラベンダーの香りは深雪の安眠に使った香だろう。

普段とは異なる香りに少し戸惑うが、鼻につくわけではなく、嫌な感覚はしなかった。

 

「CADは返却してもらえた?」

「いや、まだだ。どうせ術式をコピーされて各校に配布されるだろう」

 

委員会側が検査させろとCADの提出を迫り、達也は大人しく差し出した。

九島の名前を出してやろうかと思ったが、なんだか威を借る狐の様で何も言わずに渡している。工作員もひとまず捕まっており、これ以上の妨害はないだろうと判断した結果だった。

もしこれ以上の妨害があれば協会の信用は地に落ちることになるだろう。

 

「誰もが使えることと、誰もが同じように使い続けることができることは違うからね」

 

雅も納得したようにうなずいた。

たとえコピーされたとしても深雪以上にあの術式を使いこなせる魔法師は存在しないだろう。元ある魔法技能ではなく、サイオン量が物を言う術式だ。現時点で達也や深雪に匹敵しうるサイオン量を保有するのは雅だけだ。

飛行術式は時間による終了条件を細かく定義した魔法の連続発動だ。

サイオンの自動供給によって確立しているため、たとえ起動式を最小化していてもありあわせの機器では消耗量が大きく、効率は本家には敵わない。

現代魔法の三大難問と呼ばれるだけあって、その完成には時間を要したが、これも達也にとっては足掛かりの一つに過ぎなかった。

 

「後は元締めがどこにいるかよね」

「それに関しては問題ない」

「既に尻尾は掴んでいるの?」

「影には影の事情を任せた方がいいからな」

 

影の意味を雅は理解したのか、処理で出かけるのならば連絡してほしいと言った。止めないあたり、今回の事は相当頭に来ているのだろう。彼女としては我がもの顔で土地を荒らされたことも怒りの一つだろう。

 

達也は丹念に揉み解している雅の手を握った。

 

「どうしたの?」

 

くすくすと笑う雅は何時にも増して上機嫌だった。

婚約者と言う名前は付いているが本来であれば俺たちは他人だ。それこそ九重の言う【星巡り】がなければ、ここまで親しくすることはなかっただろう。不思議な巡り合わせだと思う。

 

四葉家直系男子

それだけでも竦む者もいるはずだ。触れてはならない者たちと呼ばれる四葉の後継者と思われても仕方がない。

達也は四葉としては認められてはいないが、そう呼ばれた可能性もあったのだろうかと思うこともある。雅とは縁を持つための婚姻と呼ばれても仕方のない間柄のはずだった。

 

幸か不幸か達也は情報を改変すると言う魔法師としての才能を持たず、母に育児放棄された。

【千里眼】によって才能がないことは見抜かれえていた上で、それでも九重直系の雅の相手にと申し込まれた。

『分解』と『再生』

この二つの魔法がなければ早々に達也は九重に養子にでも出されていたはずだ。

幼少期は養子同然に、まるで肉親のような情を注がれて九重に育ててもらった。同じ家で育ってきただけあり、達也は雅の事を幼少期は妹かそれと等しい存在だと勘違いしていた。

 

今の関係に達也自身が名前を付けることはできない。客観的に婚約者と言う括りがあっても、今後どうなるかはまだ決まっていない。

ガーディアンとしての全ての決定権は深雪にあり、たとえ兄妹であっても立場上の上下関係は深雪が上なのだ。

雅の事を愛しているのかと問われても、愛という感情を深雪に対する兄妹愛しか持てない俺にどうしろと答えるしかない。嫌かと問われれば、むしろ気の知れた心地いい間柄だと思う。無関心かという問いにも当てはまらない。

 

「雅」

 

達也は握っていた手を引いて、空いていた左手で雅の顎を持ち上げる。驚く顔を間近に触れた唇は柔らかく、当然嫌な感覚はしなかった。それほど長くない触れあいに達也が手を離すと雅は茫然とした後、顔を染め手で口を覆った。

逸らされた視線も羞恥心からか辺りを彷徨っている。相変わらず初々しい様子に思わず笑みがこぼれる。

 

それと同時に、この表情が別の男の者になるのは気に食わないという感情も湧き起こる。深雪からは二高の男子に声を掛けられていたことに苦言され、悠からも注意するようにと言われている。

いつも冷静で穏やかに微笑む雅にこのように年相応かそれ以上に無垢で愛らしい顔を他の誰にも見せたくはなかった。

 

「なんだ?」

 

雅は遠慮がちに達也の袖を引いた。

 

達也自身、その声がとても穏やかなことに気が付いていなかった。

顔を先ほど以上に桜色に染め、蚊の鳴くような声で“もう一回”と、雅は瞳を閉じた。

達也は雅の頬に手を添えて、唇を塞ぐ。

何をしているんだと問いかける自分と、雅を繋ぎとめるための行為だと言い聞かせる自分がいて、達也は考えるのをやめた。

 

 

 

 

 

 

 

「おはよう、深雪。体調はどうだい」

「はい、気力体力ともに万全です。お姉様がマッサージをしてくださいましたから、体も軽いです」

「それは何よりだわ」

 

上機嫌な深雪を見て、先輩方もこれは勝てるだろうと早くも優勝を確信していた。もっとも、三高が1名だけしか決勝リーグに出場できなかった時点で深雪が棄権しない限り一高の総合優勝も決まっている。

 

「お姉様、私が休んでいる間に何かありましたか?」

 

深雪にはほんの少し達也と雅の距離が遠い気がしていた。

 

「特に問題はなかったわよ」

 

ほんの些細な変化に、兄はいつも通りのポーカーフェイスであり、雅も平常通りに見えたため気のせいだったのかと言い聞かせた。深雪はいってきますと元気にステージに上がっていった。

 

 

深雪を送り出した上級生たちはニマニマと達也と雅を見ていた。

 

「なんでしょうか」

 

たまらず雅が問いかけると、真由美は問いかけた。

 

「深雪さんが休んでいる間、二人はどこで何をしていたのかなー」

「会長、それは試合に関係することですか?」

 

明らかに茶化すための質問に達也は冷静に問い返した。これが深雪であれば顔の一つも赤らめて誤解を誘うところだが、雅の面の皮も十分厚かった。

 

「会長、セクハラ扱いされれば負けますよ」

「え、ちょ、りんちゃん。私はただ会長として問題なかったか聞いただけじゃない」

「真由美は二人が不純異性交遊に耽っていたと聞いているようなものだぞ。ああ婚約者ならば不純でもないが、ほどほどにしろよ」

 

摩利の発言に達也も雅もさすがに驚き、あずさに至っては当事者でもないのに顔を真っ赤に染めていた。あずさはこういった下世話な話の耐性はないようだった。

 

「市原先輩、上級生からのセクハラ発言はまず相談するにはカウンセラーの先生でしょうか」

「そうですね。相談の結果、著しい名誉棄損とストレスが認められれば会長のリコールもあり得ますね」

 

やましい気持ちのない雅は鈴音に問いかけ、鈴音は白い目で真由美を見た。友人の裏切りに真由美に更に動揺を見せた。

 

「ちょっと、それだったら摩利も同罪「おいおい、私は真由美の言葉の意図を言い換えただけだぞ」

 

またしても友人に裏切られ、真由美は肩を落とした。おろおろと先輩たちの間で狼狽えるあずさはやはりどこか小動物のようだった。

 

「ほ、ほら、試合がそろそろ始まりますよ」

「そうですね」

「会長、応援しますよ」

「もう、分かってるわよ!」

 

 

ミラージ・バッド決勝は達也の予想通り、最初から各校飛行術式を発動させていた。

だが、第一ピリオドで二人、第二ピリオドで一人脱落した。

誰でも使える魔法は誰もが上手く使えるとは限らなかった。

深雪は誰よりも上手く魔法を使いこなし、点数を重ねた。

息も絶え絶えな二人を横目に、深雪は一人優雅に点数を重ね、優勝を飾った。

 

 

 

 

深雪の優勝で一高の総合優勝が決定し、生徒の一部は既にお祭りモードだった。

しかし、大会はまだモノリスコードの本選が残っていると言うことで祝勝会は先延ばしにされた。

生徒から不満もでたが、そこは真由美が上手くお茶会を開催し、ガス抜きを行っていた。プチ祝勝会の意味合いが強く、レオや幹比古だけではなく、エリカや美月も誘われたのか会長の意図があった。

本来であれば優勝の立役者と言われている達也もこの場にいるはずなのだが、疲れたと部屋で休んでいる。ほのかは明らかに残念そうだったが、不満に感じているのは深雪も同じなので口には出さなかった。

 

「あれ、お兄さんはもう寝ちゃったの?」

「ええ、流石に疲れたと申しまして」

「そっか、ずっと大活躍だったもんね。怪我もしてたし無理ないかな」

 

五十里が花音に腕を引かれるようにしてやってきた。

五十里は本来であれば明日の試合の調整なのだが、花音に文字通り引っ張ってこっられたというのが正しいだろう。

 

「あれ、啓先輩」

「ん?エリカくんじゃないか」

 

啓は本来では選手でもないエリカがここにいることに驚いた様子だったが、咎めるような無粋な真似もせず、むしろ歓迎の雰囲気だった。

エリカと五十里は旧知の間柄であり、エリカの伸縮警棒の刻印は啓が編み上げたものらしい。

高校生で術式を組めるとあれば相当の技術者であることが1年生にも窺えた。

 

「九重さん、実はずっと気になっていたんだけれど、その簪見せてもらってもいいかな?それ、ホウキだろう?」

「え、そうなの」

 

遠慮がちに尋ねる五十里に花音は驚きの声を上げた。

 

「ええ、どうぞ」

 

雅が止めていた簪を抜くと、艶やかな髪が重力に従って背中に落ちた。思わず女子でもため息が出るような美しさであり、一緒にいたレオや幹比古はなんだか気まずい気分になった。

 

五十里はありがとうと感謝を述べてから、簪を手に取った。柄は銀製。先端には黒紫、白、緑、赤、黄の五色の玉とそれを取り囲むように金属の細工がされている。

金属には一つ一つに異なる緻密な印が刻まれており、全て五十里の知らない術式だった。

 

「激励のときとか、使っていたけれど魔法は使ってないよね?」

「誓って、ありません」

「それならいいんだ」

「啓、どういうこと?この簪がCADなの?」

「そうだよ、花音」

 

何もしなければただの簪なのだが刻印があると見抜けたことは流石刻印術式の権威たる五十里家だと言える。五色の玉が透かし模様の入った金属の球に囲まれており、金属の模様はすべて異なる。少し揺らせば玉と金属がカチカチと高い音を立てる。

 

「魔除けも兼ねているんです」

「でもこれ凄いな。こんな短い刻印で複数の工程を可能にする魔法を組むだなんて、相当高い技術者なんだね。もしかしてこれ、司波君からの贈り物?」

「いいえ。祖母から誕生日祝いに頂きました」

 

少しだけからかった五十里のセリフに達也に対する対抗心も見え隠れしていた。

 

「うちも刻印術式に関しては結構長けていると思ったけれど、これを見ると自信なくすよ」

「啓は凄いわよ!」

 

花音は五十里のかわりに胸を張ってそう言った。

 

「神具の応用ですので、五十里先輩とはまた畑が違うと思います。六高2年の錦織さんが刻印術式に関しても詳しいはずですので、後夜祭にでも話しかけてみてください」

「錦織?確か、準決勝で花音の相手だった六高の技術者だよね?」

「玉造の系譜ですので、刻印術式にも詳しいですよ」

「へー、玉造ね」

 

五十里には聞いたことのある名であったが、ここにいる者は知らない者が多数だった。

 

「啓、玉造って?」

「山陰では結構由緒ある家だよ。刻印術式の権威としては五十里と同等と言われているけれど、武器なんかに組み込むんじゃなくて専ら神具や法具に用いられる刻印の開発、研究を行っているんだ。武装型の刻印術式も遥か太古から行われているっていう噂だけれどね」

「お詳しいですね」

「刻印術式自体、かなり特殊な分野だからね。同業者くらいは知っているよ」

 

五十里は一通り簪を眺め、雅に返却した。

 

「彼は少し人見知りなので、戸惑うかもしれませんが悪い人ではありませんよ」

「司波君の知らないところで男の子の影?」

「花音」

 

ニヤニヤと笑う花音に悪気はなかったが、深雪も側にいるため不用意な発言をしないでほしいと言う1年生からの視線が飛んでいた。

 

「あちらから嫁入りがあって、縁戚関係になる予定ですから知っていて当然かと」

「そうなのですか」

 

雅の発言に嬉しそうに深雪は問いかけた。

 

「ええ、九重(ウチ)の長兄に錦織本家の長女が嫁いでいらっしゃるわ」

「それはまたお祝いしなければなりませんね」

「先日婚約が決まったばかりだから、式は当分先よ。

九校戦が終わったら実家に遊びに来てはどうかしら」

「よろしいのですか」

「ええ。次期舞姫のお披露目もあるし、九重神楽も観られるわよ」

「お兄様とぜひお伺いさせていただきます。ですが、深雪としてはお姉様が舞台に立たれないのが残念です」

 

傍から見れば仲のいいグループの会話だが、距離を取って聞き耳を立てていた男子達はこぞって悔しそうにしていた。

司波兄が実家に挨拶だと、畜生婚約者が九重さんだなんて、今日は飲むぞ、それジンジャーエールだろうなどと言う会話は彼女たちの耳に入ってこなかったのは幸いだろう。

 

 




※達也は雅に告白してません。


余談
『錦織』は「にしきおり」「にしこおり」「にしこり」の3パターンあるそうです。


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九校戦編16

いよいよ九校戦最終回です。



九校戦最終日

 

一高は前日の予選で無事決勝リーグ進出を決めていた。

本選の出場メンバーは十文字、服部、辰巳の3人だった。

主たる攻撃は辰巳と服部であり、十文字は後方からの援護に務めていた。

状況に合わせた服部の安定した魔法に、前衛を務める辰巳のアタックに一高は瞬く間に相手選手を無力化した。

服部は魔法力が高いというより魔法技術が高く、安定して魔法を発動できることが強みだった。

辰巳は単一魔法での干渉力が強く、攻撃を避けるために跳び上がった選手を上から加重魔法を掛けて撃墜させた。

そして「鉄壁」の異名を持つ十文字。

卓越した空間認識能力を持ち、目標を定めにくいステージでも寸分たがわずの座標に障壁を発動させていた。

 

3人は危なげなく勝利し、無事決勝進出を決めていた。

この分なら決勝も問題ないだろうと安心させる試合だった。

 

 

 

決勝戦は13時でまだ時間があり、達也、深雪、雫、ほのか、雅の5人は冷たい物でも食べようかとアイスの屋台まで来ていた。

 

「あ、みやちゃん」

 

アイスの屋台には短い列ができており、その前には雅の良く知った人物がいた。

 

「燈ちゃんも来ていたのね」

「今日は暑くて敵わん」

 

一度寒冷化があって地球の平均気温は低下したものの、真夏のこの時期はやはり暑いことに変化はなかった。列には観戦に来たであろう家族連れも並んでおり、一部オートメーション化されていても、人力の部分は大忙しだった。

 

「3段がお得やで」

「お昼ご飯食べられるの?」

「別腹や」

 

まるで母と娘か妹のような会話にほのかは小さく吹き出した。

 

「あ、はじめましてやな。二高一年の香々地燈や。よろしゅう。みやちゃんの親友やで」

 

ニパっと燈は笑顔を浮かべた。

お淑やかな雅と活発そのものの燈が親友とは不思議な組み合わせだった。達也は面識があったため、深雪、ほのか、雫がそれぞれ自己紹介をした。

 

「燈ちゃんは何味?」

「イチゴとチョコと抹茶やな」

 

注文は表示コードを読み取って、端末で支払う一般的な方法だ。

 

「懇親会で助けてくれたお礼するよ」

「マジか!棒倒し優勝したから、ワッフルコーンにしてもええか?」

「良いわよ」

「みやちゃんの太っ腹!」

 

燈は嬉しさのあまり抱き付いた。雅も慣れているようで、頭を撫でると燈は大人しく離れた。

傍で見ていた方は親友と言うより、姉と妹の方がしっくりくる。

燈は背も低く、特に3段アイスを目の前に目を輝かせる様子は制服を着ていなければ小学生にでも間違われただろう。ますます落ち着いた雅との年齢差があるように見えた。

 

 

5人もそれぞれアイスを注文し、近くのベンチで座って食べることにした。

 

「しっかし、マジでインフェルノ使う女子高生がおったなんて驚いたで」

「でも、決勝戦で使ってなかった?」

 

雫は本選決勝の様子を思い出した。深雪が使ったインフェルノほどの威力はなかったが、雅の読み通り詠唱を使った試合展開となった。

 

「アレ、インフェルノやないで。八寒地獄と八大地獄のミニマムバージョンや」

「聞いたことない魔法だけど、古式魔法なの?」

「せやで」

 

燈はドヤッと言わんばかりの自慢顔だ。子どもが褒めて褒めてと言わんばかりの様子に微笑ましい様子だった。

 

「かなり力技よ。火の精霊と氷の精霊を二つに分けて、両方とも活性化させて、焦熱と極寒を作り出す方法よ。効率で言えばインフェルノの方が何倍も良いもの」

 

雅が補足で説明を加えた。

 

「実際100度ちょとまでしか上がらんかったし、ウチはそこまで加速・減速が得意なわけやないしな。てか、自分よくインフェルノの術式知っとったな」

「お兄様が組み込んでくださいましたから」

 

深雪が達也を見ながら微笑んだ。

彼女にとって減速系の魔法は得意分野であり、A級魔法だろうが容易く発動できる。Aランク魔法師の試験で受験者泣かせの問題の一つだろうに、深雪はそれを歯牙にもかけなかった。

 

「確かに使える方も使える方やけど、それを組む方もやばいで。

みやちゃんの相手やからタダもんやないとは思うとったけど、自分ホンマに規格外やな。

しかも頭でっかちのお堅い技術者かと思ったら、ちゃんと動けるし、流石は千代婆様の見立てやな。もし、しょーもない奴やったら文字通りけっちょんけっちょんにしてやったで」

「けちょんけちょんって」

 

ほのかも深雪も溜まらず笑い出した。

アイスを片手に達也に向かって指を指しているが、その口の周りはチョコレートアイスが付いていた。何とも締まらない格好である。

 

「皆笑っているけど燈ちゃん、統合武術の中学生王者だよ」

「統合武術って日本武術・武道の総合格闘技?」

 

統合武術は柔道や合気道といった畳の複合競技である。

近年、剣道や薙刀道、弓道まで加えた得物ありの試合形式も一部では進められており、無差別級は素手でも得物ありでも良いクラスが設立された。中学生までは安全の観点から畳の上の競技だけだが、一般の試合になると得物を素手でへし折る猛者たちの熱い戦いが見れるとあって人気のある競技となっている。この小さい体にそんな力があるのかと雫やほのかは半信半疑だった。

 

「凄いですね」

 

ほのかが感心したように燈を見つめた。

 

ほのかも雫も優秀な魔法師の卵だ。客観的にも、主観的にもそういえるだろう。

しかし二人とも魔法力が強いことに自信があっても、それが全てだとは考えていない。二人の魔法力を凌ぐ存在は常に二人の前を悠然と存在しているし、魔法の戦闘となればか弱い女子に変わりない。

体格がいいわけでもない燈が統合武術に優れていることに対して純粋に賞賛いるのだ。

 

「せやで。まあ、それしか取り柄がないんやけどな」

 

雅が可愛いわよと言えば、それは常識だとしたり顔で言うのだからまたもや笑いがその場を包むことになった。

 

雅の親友で妹ポジションが危ういと危機感を抱いていた深雪も、燈の歯に衣着せぬ物言いと愛嬌に笑みを深めた。

 

「あと自分、結構噂になっとるで。九重の桜姫が東下りしてまで選んだ相手はどこの誰やってな。ウチの副会長とか確実にみやちゃんのこと狙っとるやろうし、九重の姫さんにお近づきになりたい奴ばっかりや」

「やはりそうなのですね」

 

深雪の目が冷ややかになったのを燈は感じ取った。

 

「みやちゃんが二高に来とったらもっと大変やったで。ウチが言うまでもないやろうけど、後夜祭は雅ちゃんから離れん方がええで」

 

燈はワッフルコーンの先を口に放り入れながら言った。

ほのかの顔が一瞬暗んだ。

その変化に気が付いたものは女子たちだけだったが、口に出すことはしなかった。芽吹いたばかりの思いを摘むほど彼女たちは無慈悲ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後夜祭

 

12日前の懇親会とは打って変わって、会場は和やかな空気に溢れていた。大会の緊張から解放された反面か、生徒たちは何時にもまして浮き足立ち、フレンドリーな様子が窺えた。

 

会場には高校生だけではなく、大学関係者や魔法協会の関係、大会のスポンサーやはたまたメディアの関係者まで訪れている。単なる取材もいるが、将来有望な若者と面識を持ちたいという思惑を含んだ者もちらほらといる。実際、好成績を叩きだした生徒には声を掛けられている場面が多く見られた。

 

圧巻なのは深雪の所であり、二重、三重と人垣ができている。傍らに市原先輩がいて、怜悧な視線で牽制をしつつ、後輩を不躾な者たちからガードしていた。

達也もまた魔法関連の企業や達也と独立大隊との関連を知らない軍の高官から声を掛けられていた。そして言うまでもなく、私の周りにも人が集まっていたのだが、大人たちがこぞって奇妙な物を見るかのような表情を浮かべていた。それは隣にいた渡辺先輩も、そして私ですら予想だにしない展開だった。

 

「お久しぶりでございます、雅様」

「お久しぶりです、春日井教授」

「おや、私のような者を覚えていただけるとは光栄に存じます」

「春の園に足を運んでくださったことは聞き及んでおります。

ご挨拶できたら良かったのですが生憎と高校も始まる時期とあって忙しく、お礼申し上げるのが遅くなりもうしわけありません」

「とんでもございません。この場であいさつできただけで光栄の極みでございます。

まさか九重の方が九校戦に出場していらっしゃるなど思いもよりませんでした」

 

魔法の黎明期からこの国を支えた権威ある老齢の魔法師が一介の高校生に対して敬語を使っている。明らかに周囲の魔法関係者は驚きを隠せなかった。

この春日井教授は魔法大学の中でも指折りの気難しい性格と知られており、苦手とする人物も多い。それが最敬礼を取り、まるで自分が下であるかのような敬意を払っているとは天変地異の前触れではないかと現実逃避をする者もいた。

 

「兄達が高校生らしく伸び伸びと楽しんでくれと送り出してくれましたので、その好意に甘えさせていただきました。本来であれば末席として神事に率先して加わる身なのですが、次の舞台は新たな舞姫も決まりましてお披露目の場となっております」

 

「それはお優しい兄君でいらっしゃる。九重の名が広く知られたことは私としましてもまるで自分の事のように嬉しく思います。新たな舞姫誕生、おめでとうございます。僭越ながらお祝いと御祝電をお送りいたしますので、なにとぞ今後もよろしくお願い申し上げます」

 

気難しいはずの教授が声を落ち着かせ、孫のように年の離れた一生徒に最上級の敬語を使っている。周りの学者たちや企業、大学関係者はこの少女は一体なんなのだと雅に近寄ることすら躊躇わせた。

 

「はい。父にもそう申し伝えます。それとこの場にいる私は一介の学生に過ぎませんので、あまり畏まれますと周りの方々が驚かれているようです」

「これは失礼いたしました。ですが、私のような分家も分家の者が九重の姫君と言葉を交わすことが許されるとは、苦労した甲斐があると言うものです。

積もる話もございますが、ご多忙と存じますので御前失礼させていただきます」

「はい。お声掛け頂きありがとうございました」

 

一目見て私達のやり取りに尻込みをした関係者も多く、腫れ物に触れるかのように雅はその後別の関係者に声を掛けられていた。渡辺先輩は市原先輩のように後輩に対する牽制役のつもりで、出鼻を挫かれたが、その後の意外と丁寧な対応に安心していた。渡辺先輩には事故もありその身を案じて声を掛けられることも多く、二人でいれば声掛けは後を絶たなかった。

 

 

 

ひとしきり時間が過ぎると関係者たちは会場を後にし、生徒たちだけの時間となった。

達也は側にあったドリンクを手に取り、一息ついた。

 

「渡辺先輩、ありがとうございます」

「達也君も色々と声を掛けられていたようだね。最後はローゼンの日本支部の社長だろう。一年生が声を掛けられたのは初めてじゃあないかな」

「そうですか。自分は初参加なので」

 

喜ぶでもなく、相変わらずな後輩の答えに渡辺先輩は面白くないと肩をすくめた。

 

「君がなぜ名前を売ることに消極的なのかは知らないが、宝石と贋作を見るくらい名の知れたものにはできるだろうよ。

―――私は少し出てくるから、きちんとフィアンセのエスコートはするんだぞ」

 

渡辺先輩はニヤニヤと含み笑いを浮かべ、達也の肩を叩いて会場を後にした。きっと恋人に会うためだろうと達也も私も柄にもなくゴシップ的な想像をめぐらせた。

 

 

 

大人たちの白々しい化かし合いも終われば、優美な管弦の生演奏が聞こえ始める。

この後夜祭はダンスパーティも含まれており、他校の男子は積極手に声を掛けていた女子を連れ、会場の中央に集っていた。

制服と言うのが残念に思える人もいたが、女子はシルクテイスト・オーガンジーのインナーガウンを着用しており、曲に合わせて華やかな雰囲気を作り出していた。

 

深雪はギリギリまで来賓に囲まれていたため、あまり話せなかった男子たちは気後れをしており、誰もまだその手を差し伸べていなかった。達也と一緒にスルスルと人垣を抜け、深雪の隣に立った。

 

「久しぶりだな、一条将輝」

「む、司波達也か」

 

その人垣の中にはクリムゾン・プリンス、一条将輝の姿もあった。

勝った者と負けた者、気安い挨拶に見えてあまりお互いに気を使っていなかった。

 

「耳は大丈夫か」

「お前に心配されるまでもない」

「そうか」

 

十氏族『一条』の次期当主として、それなりに力もあり、それ相応に訓練も積んで実戦経験もある自分が苦杯を飲まされたとあって一条の態度は友好的ではなかった。

一条の素っ気ない返答に、達也はそれもそうかと納得していたが、深雪の不快だと言わんばかりの視線を受け、一条は狼狽えた。

 

「えっと司波さん・・・・・・ん?司波ってもしかして」「一条さんたら私とお兄様が兄妹だと思っていなかったんですか」

「いや、その・・・・」

 

くすくすと深雪に笑われ、彼は視線を彷徨わせていた。

 

「いつまでもここに固まっているわけにもいかないし、一条と踊ってきたらどうだ?」

 

達也の言葉に一条さんはがばっと嬉しそうに顔を上げた。

半ば信じられないという表情でもあったが、すぐさま恭しく作法にのっとって深雪に一礼した。

 

「ぜひ、一曲踊っていただけませんか」

「こちらこそよろしくお願いします」

 

作法通り、それ以上に美しく深雪も礼を返し、一条の手を取った。

どうやら彼女のお眼鏡に叶ったようだ。

 

「お兄様、お姉様行ってまいります」「ああ」

 

二人の姿に深雪を囲んでいた男性陣はクリムゾン・プリンス相手に仕方がないと互いに慰めながらその場を離れていった。

 

 

 

 

達也はあまりダンスには乗り気ではないだろうし、壁の花でもしていようかと提案しようとしていた。だが、達也は丁寧に腰を降り、作法通りに手を差し出した。

 

「雅、俺と踊ってくれませんか」

 

昨日と言い、今日と言い、達也は一体どうしたんだろう。

達也がこういう場を好まないことは知っている。ダンスだって積極的に踊る様なことはない。

私だからだなんて自惚れてしまう。私はシンデレラじゃないけれど、一夜くらい夢を見ても良いだろうか。

 

「喜んで」

 

私が手を取ると、ふわりと達也が微笑んだ。

泣きたいほど私の指はきっと震えていた。

 

 

中央に出るとやはり注目されていたのは深雪と一条さん。

美男美女で、お互い試合でも活躍していたから視線を集めるのも無理はない。

達也と向かい合って、曲に合わせてステップを踏んだ。いつもより近い距離に心臓の音が伝わっていないかとひやひやしていた。

 

「ワルツは久しぶりね」

「ああ」

「深雪とも練習したの?」

「少しな。中学でも踊る機会があったんだ。深雪には雅の方が踊りやすいと言われてしまったよ」

 

達也は少し困ったように言った。確かに私が深雪のためにと私のワルツの練習につき合わせていたが、その深雪からは合格点はもらえなかったようだ。

 

「ふふ。深雪も贅沢ね。こんなに安心してリードしてもらえるのに」

「そう言ってもらえるのは光栄だよ」

 

達也は映像を見て、動きを再現しているので優雅とかは抜きにして正確性だけは満点だった。

他のパートナーにぶつかることもないし、私の足を踏むなんてこともない。少し意地悪をしてステップを変えてみても、難なくついてくる。

 

「流石だね」

「雅だから合わせられる。他ならこうも上手くはいかないよ」

 

言葉一つに踊らされる私も相当今日は可笑しい。

時折すれ違う深雪たちと視線を交わしながら、一曲を踊りきった。

 

 

一条さんは深雪と踊り終えると上級生のお姉さま方からダンスのお誘いを受けていた。深雪は静かに私の元にやってきた。その顔は満足げで一条さんとのダンスが良かったのではなく、私と達也が踊っていたのを見て感激していたと言う。

ちなみに達也は勇気を出して誘ってきたほのかに連れていかれてしまった。

少しだけ後ろ姿を見送るのが心苦しく、さっきまで重ねていた手のぬくもりが恋しかった。

 

「深雪、美男美女で絵になってたよ。達也さんと雅、息ぴったりだったね」

 

エイミィが私を見ながらしみじみと言った。

 

「お姉様がお兄様にワルツを教えていらっしゃったし、昔からお兄様の練習相手はお姉様だったのよ。合わないはずがないわ」

 

深雪は満足げにそう言った。

 

「一条さんとはどうだったの?」

「観た通りよ」

 

ニマニマと聞くエイミィに深雪は自分の感想を告げづにそう言った。

悪いともいいとも言っていないが、ほほうとエイミィは目を輝かせた。

 

「お姉様、深雪と踊っていただけませんか?」

「私でいいの?」

「お姉様がいいんです」

「分かったわ」

 

ほのかのことを知っていたのか、深雪が元気づけるように私を誘った。女性ペアというのは珍しいだろうが、正式な舞踏会でもないし、いいだろうと私は深雪に手を差し出した。

 

私が男役、深雪が女役だ。

他のペアの邪魔にならず、女子同士ても目立たないようにと端の方で踊ることにした。優美な曲調に合わせて踊る深雪は完璧にステップを踏み、その上優雅なのだから自然と人目が集まっていた。

 

「流石はお姉様。一条さんより踊りやすいです」

「ダンスの時はパートナーをしっかり見ることよ。私達の方ばかり見ていたでしょう」

「すみません。お姉様とお兄様が踊っている姿をこの目に焼きつけたくて」

「可愛らしいことを言っても駄目よ」

 

私も口では諌めながらも仕方ないなと思っていた。深雪も分かっていますと微笑み返した。

上級者向けのステップも難なく踊れる深雪に感心しながら、私は男役に徹していた。身長的にはさほど変わりないが、深雪に男役と言うのは忍びなかった。

曲が終わると大きな拍手が送られた。深雪は上機嫌な様子だった。

 

「お姉様、ありがとうございました」

「私も貴女と踊れてよかったわ」

「お客様、御飲み物はいかがですか」

 

エリカが初日と同じく、ウェイトレスの恰好でドリンクを持ってきた。西城君や吉田君も誘われていたようだが、厨房のほうでアルバイトに精を出しているそうだ。

ドリンクで一息を付きながら、エリカは深雪を見ながら意地悪そうに笑った。

 

「深雪も策士ね。これは雅と深雪を誘う男子のハードル上がったわよ」

「あら、なんのことかしら」

「とぼけちゃって」

 

満足そうな笑みに隠して、深雪の行動にはなにか踊る以上の意図があったのだろうか。

 

「どういうこと?」

 

私がそうエリカに問いかけると、仕方なさそうにエリカは言った。

 

「だって、あれだけ達也君と息ぴったりに綺麗に踊った後に深雪でしょう。しかも雅が男性パートを完璧に踊っているから、男子はかなり自信がないと雅とパートナー組めないでしょう」

「エリカ、仕事していたの?」

「ちゃんとしてたわよ。ちょっとした休憩よ」

 

深雪の訝しげな視線ににエリカは茶化したように反論した。

詳しく見ていたのならばあまり説得力のない言葉だった。

その後、誘われたのは雫とエイミィで二人とも面白そうだからと言う意見だった。勿論私が男役で、二人とも満足そうにしていたので良しとした。

 

 

 

二人と踊り終えると私たちの方に近づいてくる女子の一団を見つけた。

 

「あ、あの…九重さん!」

「はい」

 

視線が合うと、二高の3年生であろう人が私に声を掛けた。

 

「私達とも踊っていただけませんか」

 

集団はまるで獲物を見つけた猫のように目を輝かせたり、あるいは乙女のように頬を染めていた。

状況が理解できずにいると、燈ちゃんが小走りにやって来た。

手に持った皿には予想通り、大量のケーキが並んでいた。

 

「あんな、鶴ちゃんが、みやちゃんが九重神宮の高雅様やって言ってしもうたんよ」

 

あの人はっ、と思わず頭を抱え込みたくなる。

高雅の名前は厳密な秘匿事項ではないが、知られたら煩わしいことも増える。本当に困ったものだ。

 

「たかまさ様?誰?」

 

雫がそう聞くと、燈ちゃんは意外そうな顔をしていた。

神楽をすることは告げているが、男装していることは話していない。

高雅の名も一高では知らない者が多い。

それもあって一高に行ったのだが、これではあまり意味がなかったのかもしれない。

 

「せやで。皆、知らんのか?九重神宮の高雅様。みやちゃん、男装して神楽踊るんやで」

「学生で神楽に興味がある方が少数よ」

「それでなのかな。正直、雅の方が男子相手より踊りやすかったよ」

「ありがとう、雫」

 

本気かお世辞か分からない雫の言葉に私は素直にお礼を言った。

 

懇願する瞳で私を見つめている一団に向かって、一礼して断りを告げた。

 

「皆さんの事をお誘いしたい方々を差し置いて、私がお相手をさせていただくのは申し訳なく思います」

 

深雪や雫たちは同じ学校の友人だかと言えるが、流石に他校の女子相手にダンスとは彼女たちにとっても外聞も悪いだろう。

此方に視線を向けている男子も多く、きっと誘いたい女子もいるはずだ。それを差し置いてまで私と踊ることはないだろう。

 

「学校の男子なんてどうでもいいです!」

 

一番前にいた女子が涙ながらにそう言った。

 

「お願いします、高雅様」

「私たちに、常世の夢を魅せてください」

「牛若丸のころより、拝見しております。まさか、こんな場所で巡り合えるだなんて…」

「私なんて、桜姫のころからのファンでした」

「春の宴、観覧させていただきました。お会いできるだなんて光栄の極みです。今宵ひとたびのご慈悲を頂けないでしょうか」

 

学年関係なく、女の子たちが私の周りに集まっていた

主に二高と六高の女子生徒たちだ。

 

「さっすが、みやちゃん。人気者やな」

 

呆れたように半ば面白がって燈ちゃんは私の背中を叩いた。諦めろということなのだろうか。泣かれたとあっては私も居心地がが悪い。

 

「わ、分かりました。ですが、誘っていただける方がいらっしゃったらそちらを優先してくださいね」

「高雅様と踊れるならそんなお誘いいりません!」

「むしろ、こっちから願い下げです!」

 

女の子たちの気迫に押されながら、比較的おとなしそうな上級生を選び、ダンスの輪の中に加わった。

 

 

 

 

 

 

残った女子たちで喧嘩しそうな状況を見かねた燈によって整理された順番に沿って、雅は女子とダンスをすることとなった。ただ、普通のペアに申し訳ないと言うことで隅の方で踊ってはいたが、女子同士のペアと言うのはなかなか人目を引いた。

これが一度の事ならまだしも、片方はずっと女子と踊っているのだ。

相手の女子の恍惚とした顔を浮かべていた。

雅は男子の自尊心が崩れるくらい誰に対しても完璧なリードであり、雅と踊った人の中には感激のあまり、泣きだす人もいたくらいだ。

 

もちろん、勇気を持って雅やその周囲の女子を誘おうとした男性陣もいた。

しかし、ことごとくお呼びでないと冷ややかな視線を浴び退散してしまった。よもや、雅も自分の名前がこれほどにまで知られていることに驚いた。

その後も女子の列が絶えることなく、雅は終始女子とダンスを踊り続けていた。文字通り、休む間もなくである。それでも笑顔を崩さないのはさすがの演技力と言えるだろう

 

 

それを見ていた雫やエイミィは驚きを隠せなかった。

いくら深雪と雅が誰よりも優雅に、上品に気品あふれる様子で踊っていたとしても、納得できなかった。あの心酔したような瞳はまさしく雅を以前から知っている者のようだった。騒ぎを聞きつけた深雪も来たが、彼女は不満げな様子を隠していなかった。

 

「なんであんなに、雅は他校の選手から人気なの?しかも女子ばっかり」

「お姉様のお家は神職だから、お姉様も幼少のころから神楽をなさっていたの。

今は男装舞の名手として知られているわ」

「男装舞?それで女の子ばっかりなんだね」

 

若干トゲトゲしさを感じる深雪の声にエイミィはへえと感嘆を零した。

 

「雅が男装ってちょっと想像つかないけど」

 

雫が言うように、姐さんと慕われる渡辺や芝居がかって少年っぽい言動を意識している同級生の里見スバルならいざ知らず、凛とした面差しで美人と名高い雅からはどちらかと言えば巫女姿の方が似合いそうだ。

雫もエイミィも男装と言われても全く想像がつかなかった。

 

「ほんまに、神様やで。女でも男でも関係なくみやちゃんの舞は惚れてまうからな」

「お姉様の人誑し」

 

深雪の不満そうな言葉にケラケラと燈は笑った。

 

「そりゃ、今まで殿上人の様やと思うとった人が、目の前におったらな。光源氏もびっくりなモテ方やな」

「その光源氏はこの比ではないでしょう」

「せやった」

 

女性がこぞって侍りたがる光源氏の二つ名を持つ彼女の兄の姿を想いだし、燈はたまらず大笑いをした。

 

 

 

 

 

 

何人もの女子と絶え間なく踊り、ようやくラストダンスの時間となった。もうラストはいらないくらい、踊っていたから壁の花を決め込もうとしたところで人垣が割れた。

あの女子の視線もものともせず、赤と黒を基調とした制服の彼が私の前に手を差し伸べた。

 

「九重さん。ラストダンス、俺といかがですか?」

「熱い視線を送っていらっしゃる方は多くいらっしゃいますよ」

「それは君にもね」

 

その目には困惑も見えたが、それ以外にもなにか企んでいる様子が窺えた。甘いマスクに隠して、腹の内では何を考えているか。

確かめる意味合いもあり、私は一条さんの手を取った。

 

 

ラストダンスとあって、周りにいるペアも人一倍気合が入っているようだった。

 

「女の子とも踊っていたけれど、君はどちらも踊れるんだね。むしろ男性パートの方が得意なのかい?」

「お恥ずかしながら、どちらも嗜む程度ですよ。男性パートが踊れるのは深雪の練習相手にもなっていましたから」

「なるほど。そのおかげで多くの男性陣の心は折れかけたわけだ」

 

苦笑いを浮かべる一条さんに私の踊っていた様子も見られていたようだ。

 

「では貴方は心の強い勇者というわけですか。それとも、王子様とお呼びした方が良かったでしょうか?」

「よしてくれ」

 

彼がため息をつく瞬間に、方向転換。慌ててついてくる様子に動揺したのが窺えた。

私が今踊っているのはどの教本にもないステップ。リズムを外してはいないが、動きが変則的なのだ。彼は戸惑いながらも、リズムに合わせて私についてきた。

普通男性側がリードするものだが、リードしているのは私であり、彼は思った以上に頑張っている。手慣れているとも言えるかもしれない。

 

「師族会議から通達がありましたか?」

 

私の言葉に彼の顔が強張った。その表情だけで図星だと窺えた。

 

「消音術式は敷いていますので、私達の会話限定で聞こえないですよ」

「いつの間に」

「それが古式の術式ですよ」

 

懐にある式神を使い、手を握っている間には少なくとも私たちの会話が漏れることはない。読唇術を使われれば分かる人もいるだろうが、この人であふれる中で理解できる手練れはそういないだろう。

 

「君との婚姻を勧められた」

 

少し照れた様子で彼はそう口にした。私としては特別驚きもせず、そちらの方向から来たかと冷静に感じていた。

 

「京都の九重神宮直系。裏の名も知っている」

「ご存知でしたか」

「流石に『一条』が知らないわけにはいかないだろう。九重は魔法師の最古参だ」

「神職ですよ」

「それは神社としての仕事だろう。君らの本質はさらに深い」

 

彼が言いたいのは『九重』の裏の名『四楓院』

代名詞は【千里眼】とも言う。

『九重』=『四楓院』ではなく、『四楓院』は優秀な分家の人間や臣下も含めた集団の名だ。

個人に与えられ、主に名を貰い、この国の守護を司ることになる。

15歳ごろから20歳ごろまでに任命され、死ぬまでその任を解くことができない。

呪われた名だと言う人もいる。

十師族の当主には代々九重と四楓院の関係は知らされている。

彼も次期当主とあって最近知らされたのだろうし、達也に敗北したとあって、彼の周囲は相当焦りもあるに違いない。

 

「ならば、【星巡り】の話も知っているのでしょう」

「ああ。婚姻避けの者だと思っていたのだが、見つかったのか?」

「見つかったではなく、既にいますよ」

「いつまでもその相手を隠せるのか?」

 

【星巡り】は私と達也仲のことだ。誰なのか正式に公表していない以上、フェイクと思われているのだろう。私は分かりやすくため息をついた。

 

「深雪にあんな視線を向けておいて……お心はどちらにあるのでしょう」

「え!!あ、いや………その…」

 

彼のステップが乱れ、内心、ほくそ笑む。足を踏まなかったのは流石というべきだろうか。

 

「その…司波さんは君の親戚か何かではないのか。彼女が姉と慕うほど、親しいのだろう」

「そうですね。可愛い妹のような存在です。ですが生き別れの姉妹とかそのような設定はないですから、むしろ残念ですか?」

「そうだな。彼女は普通の家なのだろう」

「ええ」

 

彼女たちの情報は恐ろしいほどガードされている。

秘密主義と言われる四葉が徹底的に隠し、調べれば調べるほど彼らの情報は四葉と縁がないことに行きつく。私と達也を経由し、『四楓院』の名に行きついたとしても、それは【千里眼】の青田買いで言い訳が付く。達也のサイオン量と魔法戦闘技能、深雪の魔法力から見れば『四楓院』の保護下にあることは子供でも推測できる。

 

しかるべき日まで彼らの素性は闇に葬られていなければならないのだ。

 

「今日の事は聞かなかったことにしておきます」

「星の王子様が怒るのか?」

「氷の女王様も怒りますよ」

「愛されているんだね」

「私にとっても大切な人達ですから」

 

ステップはある仕掛けを施すためにかなり難解なのだが、少しは慣れて彼はどうにか私に引きずられることなく合せている。感覚的に上手い部分もあるのだろうが、十師族の次期当主とあれば経験も豊富なのだろう。

 

「私のことはともかく、深雪に連絡先を渡すぐらいの強気でなくてどうするんですか?」

「いや、そこまでまだ話したことがないのにいきなり連絡先を渡すだなんて…」

 

一条さんは顔を真っ赤にさせた。いくら周りに聞こえていないとはいえ、明らかに周囲の様子を窺っていた。

どうやら深雪に対して好意があることは確かなのだろう。

先ほどの婚姻云々の話は私が四楓院を知っているかと言う確認を込めたものだったのだろう。

 

「案外奥手なんですね。普段、周りの方からのアプローチの方が多いからでしょうか」

「いや、そんなことは…・・・」

 

一条さんは言葉に詰まった後、苦々しく眉を顰めた。

 

「君、案外良い性格しているよな」

 

私の発言だけではなく、このステップと音取り。

男性としてリードしているはずがリードされている感覚だろう。

 

「私と達也さんの壁を乗り越えずに深雪に到達できるだなんて思わない事ですね」

「確かにそれは厄介だ。肝に銘じておくよ」

 

最初の場所からぐるりと一周し、曲もラストに近づいてきた。

最後の音に合せて、私は最後の“術式”を踏み込んだ

 

 

 

 

 

 

一条将輝は九重雅のダンスの相手をしていた。

彼女の反応からして『九重』が『四楓院』であることは間違いないだろうと確信していた。

色々と誤魔化した言葉や上級者向け以上に困難なステップで惑わされはしたが、当初の目的は達成したと言えるだろう。ラストまで踊りきると、頭上に情報が改変される予兆を感じ取った。

一条以外にも感覚の優れた者は天井を見上げると、眩い光が降り注いだ。

 

「これは………」

 

金色の光が割れ、まるで粉雪のように細かい金の光がゆっくりと降り注いでいた。音もなく淑やかに降る光の粒は照明に照らされキラキラと輝き、まるで天から祝福されているかのようにも見えた。

 

演出用の照明ではない。光の屈折を利用した魔法だ。ラストを飾るにふさわしい、幻想的な演出だった。

 

「誰が…」

 

一条は会場を見渡すが、それらしいサイオン揺らぎ窺えない。

むしろ皆、突然の演出に驚き、喜んでいる様子を窺わせた。

いくらダンスに気を取られていたとはいえ、この規模の魔法を一体いつだれが行ったのか。

彼女の方を見るとさほど驚いていなかった。むしろ、周りの反応をみて満足げのようにも見えた。一条は直感的にその考えが浮かんできた。

 

「まさか、君が…」

 

優雅に、清廉に、淑やかに、それでいて蠱惑的な笑みだけでで、彼女はその答えを示した。

 

 

 

 

これから会場は一校だけの祝賀会が行われる。優勝校のご褒美と言える特典だ。連絡先を渡したり、親睦を深めた生徒たちに構わず、一条は真っ先に壁際にいる相棒の元へと向かった。

 

「お疲れ様。司波さんに九重さん、一高のW(ダブル)エースと踊った感想は?」

 

吉祥寺は一条が深雪を誘うことは理解できたが、雅まで誘うとは思っていなかった。茶化しを込めて、ドリンクを渡すと乱暴に彼はそれを受け取った。

 

「やられたよ」

 

いつもの余裕はなく、一条は苦々しく、豪快にソフトドリンクを飲み干した

 

「確かに、九重さんは珍しい足運びだと思ったけど何か言われた?」

「あのステップ、ただの意地悪かと思ったら違ったんだ。あれだけ踊りながら、会話しながら、魔法を使用されて気配さえ気が付けなかった」

「将輝が?!魔法って、最後のアレは九重さんが発動した魔法なのかい?」

 

吉祥寺は純粋に驚きを浮かべた。彼もダンスフロアを見ていたが、見た事の無いステップに翻弄されていた一条に笑いを堪えている程度だった。

手慣れているはずの一条が焦るくらいに彼女のステップはかなり特殊なのだろうが、単に意地悪でもされているのかと思っていた。

 

「ああ、おそらくそうだ」

「けど、彼女は何時CADを使ったんだい。あんな規模の魔法をまさかCADなしでだなんていわないよね」

 

ダンスをしていた中央の天井から光の屈折を利用した魔法が降り注いだ。

演出的な意味合いのある魔法であり、魔法協会の誰かがサプライズにでも仕掛けたのだろうと思っていた。それが一条を相手にしながら、それを全く気取らせずに発動してみせた。

 

「あれは歩法による魔法だ」

「歩法?確か、古式の術式の一つだよね」

 

吉祥寺は頭の中から知識を引きずり出していた。

 

「魔法陣に足からサイオンを流して魔法を発動する。発動までの時間が長いし、安定性も悪いって今じゃあほとんど使われない方法だ」

 

「しかも術式自体に魔法の感知防止も掛けられている。そしてその今はほとんど使わない技術が残っているのが彼女の家だ。おそらく、踊り終わるころに完成するように踊りながら陣の形成とサイオンを注いでいたんだろう」

 

一条は残っていたドリンクを煽った。

あれだけの規模の魔法が殺傷性があれば自分は死んでいた。

完全に遊ばれ、掌で踊らされ、こちらの意図もすべて理解されていた。それが一条のプライドをズタズタにしていた。

 

「このホールに人がいる状況で、将輝を相手にしながらそれをやってのけたのか?」

 

吉祥寺は信じられないと言う風に目を見開いた。

いくら踊りながらとはいえ、これだけの魔法師の目をあざむく術式を吉祥寺は知らなかった。

モノリスコードでやられた吉田も古式魔法使いだったが、あれはまだ理解できる。しかし、今回の方法は彼の理解の範疇を越えていた。

 

「ああ、そうだ」

 

司波達也の他にも強力な防壁がいたものだと一条は苦虫を噛みしめた。どうやら、ハードルは相当高そうだと高嶺の花の少女を思い出した。

 

 

 

 

 

祝賀会場

一高生がお祝いムードに浮かれる中、深雪はにこやかに1年女子と談笑していた。だが、そこに達也と雅の姿がない。

 

「深雪さん達も楽しんでいるかしら」

「あ、会長」

 

真由美は会長らしく、グループそれぞれを回っていた。

先ほどのダンスでは達也の相手もし、他の男子とも積極的に踊っていたことから彼女の場合はこういった場は苦手としないようだった。ちなみに、白々しい嘘の合戦やお世辞のオンパレードさえなければという条件が付く。

 

「あれ、達也君は?雅ちゃんもいないようだけど」

 

真由美も二人の姿がないことに少々ふくれっつらだった。彼女としては構い甲斐のある後輩がこの場をすっぽかしたことが気に食わないようだった。

 

「あら、聞くだけ野暮ではないですか」

 

深雪が淑女の笑みを携えてそう言った。

一瞬の停止のあと、真由美は恐る恐る問い返した。

 

「え、それって」

「ご想像にお任せします」

 

達也と雅が逢引をしていることは確定したわけだが、真由美にとっては意外だった。

彼らにとって最優先は妹である深雪に違いないのだが、深雪を置いて抜け出すようなことをするとは思わなかった。深雪が納得している様子から、どうやら彼女が気を利かせたことに間違いないだろうと真由美は考えた。

 

「あら、達也君も隅に置けないわね」

 

真由美はこの場に彼らが顔を出しに来たら茶化してやろうと意気込んでいた。

 

「ねえねえ、深雪。達也さんと雅のラブラブっぷりなエピソードとかないの?」

「あ、いいね。聞きたい聞きたい」

「お姉様たちの?そうね、あまり差しさわりのない物ならいいわよ」

 

その後、深雪による兄と姉自慢が始まるのだが、誰もがお腹いっぱいになったのは言うまでもなかった。

 

 

 

 

 

 

ラストダンスが終わった後、達也は深雪に呼び出された雅を待っていた。雅は深雪に呼ばれたのだがどうしたのかと問えば、祝賀会に行ったと答えた。

どうやら深雪は気を利かせて二人きりにしてくれたようだ。

あたりは薄暗いが、月明かりで足元は思ったより明るい。

ホテルの薔薇園を少し散歩してから、祝賀会に戻ることにした。

 

「それで、十文字先輩は何と?」

 

雅は達也が十文字先輩と出ていったのは見ていた。その後を追うようにして深雪も出ていったので、何かあったのは言うまでもないだろう。

 

「世間話と言っても、ダメだろうな」

 

雅の言葉にその通りだと達也は肯定した。

十文字はおそらく達也が十師族の関係者ではないかと見込んでいるはずだ。若しくは四楓院家の関係者であるという可能性だ。

次期当主候補ではなく、一族からは当主としてほぼ認められている彼ならば四楓院家の事も知っているはずだ。九重の血筋がどれほどの者か、当事者である彼女が一番よく理解している。

魔法師の力は遺伝する。それが1000年を超えて続けばどうなるのか。この国の中で最も濃い魔法師としての力が雅には流れている。

 

その九重が選んだのが達也だ。

当然、それ相応の血筋と力があると理解しているはずだ。

裏から四葉が彼らを護るとするならば、表の名で牽制しているのが九重だ。

【千里眼】の名を知る者の秘密を暴こうとするのならば、【千里眼】に全てを暴かれる。

それだけ情報とは強力な武器になりえるのだ。

 

達也は隠すことは無用と判断したのか、先ほどあった話をしてくれた。

 

「四楓院家の子飼いかと問われたよ。そうでなければ十師族の一員かと聞かれた」

 

おそらく達也に関する調べは進んでいる。

一条に膝を付かせたことで、彼のことは徹底的に様々な情報網を使い調べられている。調べたところで出る情報は真っ赤な嘘ばかりだ。

達也の血筋を知っている者たちが漏らさない限り、彼らの情報は保たれている。

 

「四楓院の名も知っているのね」

「ああ。次期当主ではなく、既に彼が当主なのだろう」

 

表向きはまだ高校生であるため、伏せられているが十文字は次期当主とみて間違いないだろうと二人は目算していた。

 

四楓院の名は避けて通れ。四楓院も四葉と並び忌避されるものだと知っている。四楓院の刃が自分たちに向けばこの国での地位は危ぶまれる。それほどまで裏から力を持つ一族であることは言うまでもないのだ。

警戒しなければならないものが増えたと達也はこれからのことに頭を悩ませた。

 

達也が一条に勝ったことは今更なかったことにはできないため、達也は別の話を切り出した。

 

「一条とラストダンス踊ったのか」

「ええ、何か聞きたい様子でしたので。あと四楓院家の事を知っていたわよ。それと、深雪に好意があるのは確実ね。牽制はしたけれど、彼、結構本気みたい」

「それだけか?」

 

達也が問うと、雅は困ったように笑った。

 

「家から私との婚姻を勧められたそうよ」

「雅と?」

「【星巡り】が誰なのか明かしていないから、婚姻避けのフェイクと一部では思われているみたい」

「そうか………」

 

一条家が雅を相手にと言うのは間違った策ではない。

四楓院とのつながりが持てれば、それこそこの国に置いて確固たる地位を確立できる。年齢も合い、しかも直系の女子は雅だけなのでその価値は言うまでもない。

 

「達也」

「なんだ?」

「妬いてくれた?」

 

雅の蠱惑的な笑みに達也の思考は一瞬停止した。

 

「・・・良い気はしないぞ」

「ふふ」

 

雅は本当に幸せそうな顔で笑った。

達也は自分が恋をできないことも、家族として愛せるのも唯一深雪だけとだと知っている。雅もそれを理解している。

達也は雅の思いに応えることができない。

それでも深雪のためにも雅を手放すことはできない。

どれだけ残酷なことをしているのか、何度も自問自答した。

 

「達也」

 

雅は足を止めて、達也を真っ直ぐに見上げた

 

「好きよ」

 

好き

そう、彼女は言葉を重ねる。

何度も、言葉を変え、思いを伝えられてきた。

決して答えが返ってくることはないと知っていながら言葉を紡ぐ。

燻るように胸の内に渦巻く感情の名前をまだ彼は知らなかった。

 

 




今回は長めでした。視点が変わって読みにくけれ、申し訳ないです。


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IF設定のお話とモブ子のお話

二話続けてのお話です。
達也がもし九重に預けられ、そのまま京都に行っていたらという話とA組モブ子のお話です。
設定上、水波ちゃんが年を誤魔化して1年生になっています。
そしてジョージと達也がかなり親しい設定です。

見なくても支障はないので、興味のある方だけどうぞ。


 

九校戦のある日

 

ほのか、雫、美月、エリカ、深雪、水波の仲の良い女子6人は一緒に朝食を取っていた。

その中で深雪がいつにも増して機嫌が良いため、ほのかが何かあったのかと問いかけた。

 

「深雪さん、兄妹がいらっしゃるんですか?」

「ええ。兄と姉がいるのよ」

 

にっこりと深雪は笑顔を浮かべた。

 

「どんな人なんですか」

「そうね。私の憧れで、私の理想で、神様みたいな人よ。本当に素晴らしい方たちなのよ」

「深雪さんがそこまでおっしゃるなら、すごい人なんですね」

 

一緒に朝食を取っていた美月もどんな人なのだろうかと思いを巡らせていた。

これほどの美少女の兄妹ならば、美形に違いないと思っていた。

 

「水波さんも知ってる?」

「ええ。色々な意味で凄い方たちです。

お兄様の方は魔法戦闘力に関してもの実力も一級品ですし、雅様はとても美しく、古式魔法に優れた方です」

「それは興味深いわね」

 

水波の素直な賞賛にエリカたちはますます興味を膨らませた。

 

「正直、お姉様とお兄様と競うようなことがなくてよかったわ。今の私では相手にならないでしょうから」

「そ、そんなにですか?」

 

深雪の魔法力は言うまでもなく、他を追随しないレベルで高い。

上級生でも敵わない者も多く、間違いなく今回の出場競技も優勝が見込まれている。

そんな深雪が敵わないと明言した人物とは一体どんな偉人なのかと謎は深まるばかりだった。

 

「ええ。今日と明日の時間を作って来てくださるの。

友人を紹介してほしいとおっしゃっていたから、少し時間があるかしら」

 

深雪の提案に5人は肯定の意を示した。

 

 

 

 

深雪たちがホテルのロビーで待っていると、一組の男女がやって来た。

夏らしい水色のスカートに白のブラウス姿の少女とカジュアルな雰囲気のあるジャケット姿の少年だった。

少女の方は落ち着いた雰囲気で、可愛いと言うより洗練された美しさの光る人だった。

少年の方もあまり派手な顔立ちではないが、立ち姿が凛々しい好青年に見えた。

 

「お姉様、お兄様」

 

深雪は二人の姿を見つけると、満面の笑みを浮かべて二人に近寄った。

 

「元気そうだな、深雪」

「試合前に会えてよかったわ」

「このように朝早くに申し訳ないです」

「貴方に会うためなら苦ではないわ」

 

友人たちは深雪が年相応に少女らしい笑みを浮かべた姿に驚いていた。

深雪は確かに自分たちと笑うことも多いが、身内に向ける笑みには敬愛を込めた視線があった。

 

「お二人ともお忙しいのに、本当にありがとうございます」

「深雪が気にすることはないよ。せっかくの可愛い妹の勇姿を見過ごすわけにはいかないからね」

「まあ、お兄様ったら」

 

くすくすと上品に笑う深雪は本当に嬉しそうで、たまたま通りかかった人も思わず顔を赤らめていた。

 

「水波ちゃんも久しぶりね。」

「ご無沙汰しております、雅様。」

 

水波は丁寧に一礼した。

水波は彼らとはあまり面識がないが、丁寧にお相手せよと本家から言われている。

彼らの目の前に立つと背筋がいつも以上に伸びている気がした。

 

「深雪、貴女の友人を紹介してくれるかしら」

「ええ。ご紹介します。同じクラスの北山雫、光井ほのかです。こちらの二人はクラスは違いますが友人の千葉エリカと柴田美月です」

「司波達也です。妹がお世話になっています」

「初めまして。九重雅です」

「九重?」

 

水波と深雪を除く4人の女子に疑問が浮かんだ。

その疑問を素早く察知した達也が深雪に問いかけた。

 

「深雪、なんて皆には説明していたんだ?」

「お兄様とお姉様が応援しに来てくださると」

「少し説明が足りなかったみたいね」

「いいではありませんか。お兄様は正真正銘私の兄で、お姉様はお兄様と婚約なさっているから私にとっては義姉となるのですから」

「へっ、婚約してらっしゃるんですか?」

 

ほのかが間の抜けた声を出した。

いくら魔法師の結婚が早いとは言っても、彼女からすればそう年の変わらないカップルが婚約とは珍しいのだろう。

 

「なるほど」

「素敵ですね」

 

エリカと美月は納得したように頷いていた。

 

「ありがとう。でも敬語ではなくていいのよ。同い年ですもの。」

「はい?」

「え、でも兄妹なんですよね?」

「もしかして、深雪さんと司波君は双子なんですか?」

 

ほのか、雫、美月の順に質問を投げかけた。

 

「良く聞かれるんだが、俺が4月生まれ、深雪が3月生まれなんだ」

 

深雪の説明では言葉が足りず、誤解を受けることが多い。

達也も慣れたように関係性を説明した。

 

「二人とも凄く落ち着いているのでてっきり大学生くらいなのかと思ってました」

 

すみませんと少し恥ずかしげな美月に気にしていないと達也も雅も言った。

 

「私達も同級生の目もあるから、あまり表だっては応援できないけれど楽しみにしているわ」

「はい。ご期待に応えられるように頑張ります」

 

深雪は背筋を伸ばし、兄と姉に向かってそう言った。彼女からすれば誰よりも心強い応援だった。

 

 

 

 

試合までの合間、達也は別の人物と約束を取り付けていた。

 

「達也」

「ジョージ」

 

赤と黒の制服に身を包んだ小柄な少年、吉祥寺真紅郎が笑みを携えて彼らの元にやってきた。

 

「元気そうだね。雅さんも久しぶり」

「そっちもな」

「久しぶりね。新人戦のスピードシューティング優勝おめでとう」

 

ジョージは照れくさそうに頬をかいた。

賞賛は同じ学校の生徒から受けたが、彼らから直接聞くとまた特別なものに聞こえた。

 

「ありがとう。でも今回の九校戦は正直、君たちがいなくてほっとしている」

「ずいぶんな言い方だな」

 

ジョージの不躾な言い方に達也はおいおいと肩をすくめた。

ジョージも気の知れた仲なので、拗ねたように言った。

 

「だって君たちの相手は骨が折れそうだからね。君がいたらミラージ・バットは確実にそっちの勝ちだろうし、射撃だって九校戦に合わせて汎用型のモデルをわざわざ作ったんだろう」

「元はドイツの技術なんだが、やり始めたら面白かったんだ」

 

FLTの第三課、通称窓際部は東京にある本社から大阪の支社に飛ばされた。

そこで達也と出会い、キャプテンシルバーとその一味の大阪の乱が巻き起きている。

近々独立するのではないかと言わんばかりに、本社に迫る勢いで業績を伸ばしている。

その理由が世界で初めてループキャストを実現させたシルバーモデルだった。

最近だと照準補助機能付き汎用型射撃デバイスや三大難問と言われた飛行魔法の実現である。

これによって、今期の営業利益は歴代最高を叩きだすこと間違いないだろうと言われている。

その立役者が誰であろう、達也なのだ。

 

「ねえ、今からでも良いから三校に来ない?」

「何度も言っているだろう。俺は動かないよ」

 

何度目かの分からないジョージの勧誘に、達也は首を振った。

ジョージも分かって言っていた様で、やれやれと肩をすくめた。

 

「そうだね。こんなに美人の婚約者を置いてはおけないよね」

 

 

吉祥寺を探していた将輝はその姿を見かけると如何したのかと問いかけた。

私服姿の少年たちに彼は見覚えがなく、ジョージの所属する研究所の人間にしては若い気がしていた。

 

「将輝、紹介するよ。二高の司波達也と九重雅さん。司波君とは学会で意気投合したんだ」

「九重…?まさか京都の九重か?」

 

一条は司波の名前に聞き覚えはなかったのか目の前にいる少女がかの有名な九重の桜姫なのかと驚いた。そしてもう一つの名も彼にとっては忘れられない記憶となっている。

 

「御存知でしたか」

 

「“一条”が知らないわけにはいかないだろう。佐渡でも世話になったしな。

二人とも二高の代表ではないのか?」

 

九重がどれほどの家系なのか、裏の名も含めて彼は聞かされ、佐渡ではその力を目にしていた。

だからこそ、ジョージと知り合いだと言うことに驚かされていた。

 

「この時期は実家が忙しいので、手伝いに駆り出されているのですよ。

今日はどうしても、見たい試合がありましたので、少し無理を通しました」

 

「そうなのか。司波くんも聞いているよ。

ジョージが目標だって言っている凄いエンジニアなんだろう」

 

雅の言葉に一条は納得はしていなかったが、深く掘り下げるには場が悪いとしてターゲットを達也に切り替えた。一条の言葉に達也が若干非難めいた視線をジョージに向けた。

 

「英才カーディナル・ジョージに目標だなんて恐れ多いな」

「そのセリフ、天下のシルバーに言われたくないよ」

「シルバー?」

 

軽口を叩きあう二人にも驚いたが、シルバーとはなんなのだろうかと一条は考えをめぐらせた。

 

「あの天才エンジニア、トーラス・シルバーが高校生の試合になんて出たら話にならないだろう」

「えええ!」

 

思わず叫んでしまい、一条は注目を浴びた。

慌てて、こほんとワザとらしく咳を付き、仕切り直した。

 

「達也、大会側から出場禁止にされたんだろう」

「オフレコで頼むよ」

 

達也は困ったように眉を顰めた。彼にとっては知られてると色々と不都合が多い名前だった。

 

「なんで、もっと大々的に公表しないんだ」

「理論は得意なんだが、実技が苦手でな。実践して見せろと言われても発動が遅すぎて話にならないんだ」

「本当にアンバランスだよね」

 

ジョージがしみじみと口に出した。

不可能を可能にし続けたシルバーが実は魔法が苦手だと知れば多くの関係者は驚くことだろう。

同時に納得もするはずだ。

自身の魔法を最大限生かすために、起動式の短縮化と効率的なデバイスが生まれたのだと。

 

「二高は早くから魔法工学科を設立していたんだよな」

「ああ、そうだ」

「達也はそこのトップ。雅さんも一年生のトップなんだよね」

「二人とも出場しないだなんて本当に勿体ない、いや助かったと言うべきか」

 

冗談めいた言葉に達也はそうでもないさと口にした。

達也と雅は妹の応援があるからとその場を後にした。

 

 

 

 

・・・続かない

 

 

 

 

 

 

 

スピンオフ~A組のモブ子のお話~

 

 

「なあ、今日はどっちだと思う?」

「簪」

「ストレート」

「昨日は結んでたんだっけ?

じゃあ、ストレート」

 

はろー、皆さま。

私は東京の魔法科高校一年A組のしがないモブ子です。

実はA組では男子達があることを毎朝、予想して遊んでおります。

 

「おはようございます」

「あ、深雪、雅。おはよう」

「おはよう、ほのか」

 

我がクラスのアイドル、深雪さんと雅さんが登校してきた。

 

「よし、ストレートだ」

「あー、また外した」

 

こそっと男子が一喜一憂していた。

毎朝密かに行われているのは、九重さんの髪型当てです。

それこそ楊貴妃とか小野小町とか、クレオパトラも逃げ出すような美少女の深雪さんがうちのA組の看板なのですが、彼女が姉と慕う雅さんは可愛らしいと言うより美人という表現が似合う人だ。

お姉様と慕われるだけあって、深雪さん同様お淑やかな様子はさることながら、彼女の前だと深雪さんも妹のように甘える仕草が男性陣の心を鷲掴みです。

二人に甘い幻想を抱く男子も多いが、深雪さんと雅さん、薔薇と百合のようにどちらも美しいので、男子だけではなく女子にも眼福です。

 

「雅、今日は髪の毛結ってないんだ」

「今日は体育があるでしょう。癖がついてしまうから、今は結ってないの」

「終わったら、深雪が結ってもよろしいですか」

「勿論よ」

 

雅さんの髪はそれはもう美しい。

緑の黒髪、烏の濡れ羽色の髪、なんて言うような純日本人のストレートな黒髪だ。

一度、どんなお手入れしているのか聞いたら思ったより普通で、尚且つ上品な良い香りがしたので、神様は不公平。彼女が普段使っているもののサンプルを貰ったのだが、その日一日どころではなく三日はツヤツヤの髪だった。これは良いやつと調べたら私が普段使っているものより3倍以上は高く、ブルジョワジーはすげえと思いましたよ。

 

んで、そんなお美しい雅さんの髪はこれまたお美しい髪をお持ちの深雪さんが手入れをしたり、遊ばれたりすることが多い。雅さんも喜んで構わせており、雅さんは朝と夕方で髪型が違うこともある。美しすぎる深雪さんってなんか近寄りがたい雰囲気なんだけど、雅さんと一緒だと年相応の表情をしており、親しみやすい印象を持つ。

 

雅さんが間に入って空気を読むのが上手いのもあるけど、ストッパーとしての意味合いが一番助かっている。深雪さんの魔法力は半端ない。

自分もまあ、そこそこと思っていた頃があったのだが、今ならふざけんなと殴ってやりたい。

その魔法力チートの深雪さんが暴走した時に唯一止められるのが雅さんであり、A組は多大なる感謝の念を抱いている。

 

「マジか」

「これは、どっちになるんだ」

「入って来た時だから、ストレートの勝ちだろう」

「ジュース一本な」

 

下らない賭け事をしている男子はさておき、個人的には雅さんは結っている方が美しい。

今では日常でほとんど見る事の無い簪で髪を上品に結上げてくる雅さんを見たときの私は、和風美人キターと脳内で暴れまわっている。これらを従姉妹に話したところ、なにそれ百合姉妹、美味しいと言われ時々ネタを提供しております。ちなみにこの前、正式に連載が決まったらしいです。

 

 

 

入学二日目からもしかしたら彼女たちは百合ではないかと思っていたが、断言しよう。百合だ。

深雪さんは雅さんに褒められるたびに、これまた特上に嬉しそうに頬を染めるし、雅さんが例え事務連絡であったとしても男子と話していると不機嫌になっている。

 

深雪さん、もう可愛いよ。

美人なんだけど、お姉様、お兄様、大好き過ぎて玉に傷なんだけど、むしろ可愛いよ。

実際百合疑惑については血の繋がりがないのにも関わらずお姉様呼びなのもあって、私以外にもそう思っている人たちはいるそうだ。

 

「いいなー。私も髪伸ばそうかな」

「ほのかの長さでも十分結えるわよ」

「そうなの?」

「ええ。流石に全部は無理だけど、ハーフアップにしてお団子にしたところに簪を指しても可愛いと思うわ。時間もあるし、やってみましょうか?」

「本当ですか」

 

そして雅さん、誑しである。

特に女の子ホイホイ。

私もときめいたことは数知れず。

重い荷物持ってくれたり、高いところの資料取ってくれたり、男子より女子に優しいフェミニストな女性だ。

美人なんだけど、鼻に掛けてなくて、謙虚で人当たりも良い。

才色兼備、眉目秀麗、成績優秀の三拍子がそろった美少女が二人もいるだなんて、今年は当たり年だろう。人誑しな雅さんはほどいた光井さんの髪を櫛で梳いている。

 

「今の髪型は活発で明るいほのからしいけれど、利発さの引き立つ仕上がりになるわよ」

 

ほら、さらっとそう言う事から光井さんが照れている。

手慣れたように光井さんの髪を纏め、髪を半分すくい上げ、お団子にする。

そこに小さな簪(雅さんの私物)を指すと、文字通り雰囲気の違った大人びた光井さんになった。

そして雅さんの手際ヤバイ。あれは半分プロだ。

 

「こちらも可愛らしいでしょう」

「ほのか、似合ってるよ」

「本当!」

北山さんにも褒められ、手鏡を前に光井さんはかなり嬉しそうだ。

男子もこそこそとあの光井さん、可愛いと言っているのが聞えた。

だがしかし、ちょっぴり不満そうなのが深雪さん。

 

「深雪は帰ってからね。今日はアクセサリーのお店に寄り道して帰ろうかしら」

「!はい」

 

結局彼女にとっても最優先はやっぱり深雪さんで、何が言いたいかというとああもうあそこの姉妹末永く爆発してしまえ。

 

 

 

 





次は夏休み編です。


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夏休み+1
夏休み編1


書き溜めてたんですが、中々更新できずすみません。

劣等生の16巻が発売されたそうですが、私はまだ14巻までしか読んでません。買に行かねば


夏休み編

九校戦を終えても達也の忙しさには変わりがなかった。

FLTでの飛行魔法デバイスの発売に向けた調整に、独立魔法大隊の訓練、加えて個人的に行っている八雲との訓練や妹の家庭教師もあればスケジュールは空きがほとんどない状況だった。

 

そんな中で予定を組んだのは一泊二日の京都の九重家訪問と二泊三日の北山家別荘でのバカンスだった。

 

二人とも京都は何度か九重神楽を見るために出かけたことがあるが、兄妹が本当の意味で揃って訪問することは今回が初めてだった。

東京からリニアに乗り、公共交通を使って九重の本邸に向かう。

 

都会的な部分を残しながら、名所周辺や観光地は古き良き日本文化を思わせる木造風の建物が並び、海外からの観光客も絶えず多い。

特に桜と紅葉のシーズンはどこのホテルも旅館も満室で、予約が取れないことで有名だ。

そんな京都の中心地、桜の名所としても知られている京都御所のほど近くに九重神宮はある。

 

神社にも位があり、簡単に言えば上から神宮、大社、神社となっている。

神社は神々を奉る所ではあるが、『宮』と名の付く場所は皇室と縁が深い場所である。

東京の明治神宮、三重の伊勢神宮がその最たる例であり、九重神宮は数ある神宮の中でも指折りの歴史を誇っていた。

 

九重神宮は日本で初めて生まれた夫婦の半神、イザナミノミコトを主宰神としている。

日本神話によればイザナミは夫であるイザナギと契り、数多くの神々を産み、日本列島を始め山や海などの森羅万象誕生の母だとされている。

しかし火の神である迦具土神(かぐつち)を産んだために火傷を負って病に臥せのちに亡くなった。

 

悲しみに暮れたイザナギはイザナミに会いに黄泉へとつながる道を通り、黄泉の国へと向かった。

死者の国にいるイザナミをどうしても一目見たくて、見てはいけないという言いつけを破りイザナギは櫛に火を灯して見てしまった。

彼女の体は腐乱し、雷神八神がその身に憑りついていた。

恐怖で逃げるイザナギをイザナミは悪鬼、鬼神と共に追いかける。

しかし、黄泉国(よもつくに)と地上の間の黄泉路において黄泉比良坂(よもつひらさか)を通り抜けたイザナギは大岩で道を塞ぎ会えなくしてしまう。

そしてイザナミとイザナギは離縁した。

この後、イザナミは黄泉国の主宰神となり、黄泉津大神、道敷大神と呼ばれるようになったとされている。

京都でイザナミを奉るのは厄除のためであり、京都御所が近くに置かれたのも公家に降り注ぐ災厄をイザナミの加護を持って退けようとしたという(いわ)れがある。

 

 

閑話休題

深雪と達也は公共交通機関を使い、京都駅から九重神宮へと参拝する。

まず初めに九重神宮本殿に参拝し、九重本邸へと向かう予定にしていた。京都御所の近くとあって九重神宮にも参拝者は多い。

アジアから西洋まで外国人も多く見られるが、やはり美少女の深雪が通り過ぎるたびに振り返っている。なまじ場所が神聖さを助長するように、深雪の淑やかな雰囲気も相まって今回ばかりは誰も声を掛けるような無粋な真似をしてこなかった。

 

手水を終え、外宮を周り、本殿に参拝する。

九重神宮は他の神格高い寺社と同じく本殿が見えず、板張りの塀に囲まれている。

九重神宮の参拝の特徴として柏手を八回打った後に再度柏手を1回打つ八開手というものがある。

達也は信仰心も薄く、神に祈ることも願うこともなかったが、作法として挨拶に来た旨を思い浮かべていた。

 

そこから徒歩で九重の本邸へと向かう。観光地の近くではあるが、人通りはほとんどない。周囲には九重の分家や研修者の住まいも立ち並ぶ中、一際大きい門構えの家の前に二人は立っていた。

 

こちらがインターホンを鳴らす前に向こうから門が開かれた。

深雪は驚いたようだが、達也にはいつもの事だった。九重の屋敷を訪ねてインターホンを鳴らすことの方が少なく、いつも向こうから出迎えられる。

 

「いらっしゃい、達也、深雪」

「驚きました。お姉様だったのですね」

 

雅は悪戯めいた笑みを浮かべた。

 

「私も待ちきれなかったの。さあ、どうぞ」

 

九校戦後、里帰りをしていた雅は涼やかな水色の着物を身にまとい、長い髪を結上げていた。司波家では専ら洋装だったため、和装姿の雅に深雪は早速目を輝かせていた。雅は京都にいたころは普段着が着物であり、動きが制限される着物だろうと板についていた。

 

「どうぞ」

「おじゃまいたします」

 

雅に促され、敷居をくぐって中に入ると外観に相応しく、純和風の荘厳たる庭園と家屋が待ち構えていた。

庭は枯山水を基調とし、木々の深緑と白い砂のコントラストが鮮やかだ。桟橋がかかり、池には蓮の花が見ごろを向かえていた。

神道なのに仏教様式の庭なのは神仏習合的な意味合いもあるとともに、単に現当主の趣味が反映されている結果だ。

八百万の神々がいる日本では家の中に神棚と仏壇があるように、基本的に日本の神様は他の宗教に関して寛容なのだ。

 

 

 

玄関を上がり、二人は応接用の床の間に通される。

庭に面したその部屋は観光地の喧騒を感じさせない落ち着いた雰囲気を醸し出していた。

今時珍しい床の間と正座の組み合わせに深雪は心躍らせていた。

四葉の屋敷は和室も洋室も混在しており、部屋ごとに趣が全く違う。

古き良き日本の風景に深雪も日本人として心くすぐられる部分もあるのだろう。

座椅子を出そうかと雅は提案したが、深雪も達也も丁寧に断った。

深雪は茶道のお稽古もしているし、達也も八雲のもとで修業をしている身であるため、正座には慣れている。

 

「いらっしゃい、達也さん、深雪さん。暑かったでしょう。お茶にしましょう」

「ご無沙汰しております、桐子さん」

「今日はお招きありがとうございます、桐子小母様」

 

程なくして襖を開けて入ってきたのは、雅の母、桐子であった。

両手にはお茶の乗ったお盆があり、彼女が淹れてきたのだろう。

運ばれてきた冷茶はやや甘く、深雪と達也の喉を潤わせた。

 

「遠くからご苦労様。今日は湿度も高いから暑かったでしょう」

 

桐子は八雲の妹にあたるのだが、この兄妹の外見はまったく似ていない。八雲がどこか掴み所のない好々爺ならば、桐子はどんな場面でも毅然とした凛々しさがある。

達也は風間から八雲を紹介されたときはこれが本当に雅の伯父で、桐子の兄なのかと疑いの目で見ていた。実際に接してみれば、雅の兄の悠と八雲は似通った部分があり、肯定しないわけにはいかない部分があった。

 

「ええ、とても暑くて驚きました」

 

京都の夏は暑く、冬は寒い。盆地であるため、海風が入りにくく、冬は山からの冷たい風が吹き降りてくる。

寒冷化が一度あったとはいえ、地形が変わったわけではなく、例年通り京都は暑い夏に見舞われていた。公共交通機関や建物内部は空調で管理されているが、屋外はそうもいかない。

文明の利器に飢えた現代人は悲鳴を上げているころだろう。

二人は徒歩で移動したが、達也は軍事訓練で慣れているし、深雪もお得意の魔法で涼しい状態を作り出していた。

加えて九重神宮には森もあるため、比較的京都の中でも涼しいのが幸いだったと言えよう。

 

「深雪ちゃんは小学校以来ね。九校戦での活躍は聞いているわ。二種目優勝、おめでとう」

 

「ありがとうございました。お兄様とお姉様の御力添えがあったことが最大の勝利の要因だと思います。九校戦では、お姉様の御着物も貸して頂きありがとうございました」

 

「深雪さんに着てもらえるのならお婆様も拵えた甲斐があったわよ。雅はもう着ることは、滅多にないでしょうからね」

 

「お姉様の巫女姿が見られないのは勿体ないです」

 

深雪の不満げな視線に雅は困ったように笑った。

彼女は神職の末席に加わっている。

女子の身ではあるが、九重神宮は女人でも神職につくことができる。

ただし、未婚の女子か若しくは当主にしか認められておらず、それ以外の場合は男装して狩衣を着るのが決まりとなっている。

 

「あら、雅を達也以外の所に嫁がせるの?」

 

未婚の女子が巫女の格好で神域に立ち入ることは、神に心身を捧げていることを示す。達也の所に嫁ぐならば、雅は神事に関わらないか、男装するしか方法がないのだ。

 

「それはいけません」

 

慌てたように深雪が言うのだから、桐子はくすりと笑った。

相変わらず妹は雅の事が好きでたまらないのだと達也は感じていた。

 

 

 

 

「そう言えば、達也さんと深雪さんの昔の写真があるのだけれど、見る?」

「昔の写真ですか?」

「ええ。達也と雅が一緒にだった頃のものもあるのよ。元々体調を崩しがちな深夜さんのためなのだけれど、深雪ちゃんらは見たことことないでしょう」

 

桐子は懐から端末を取り出すと、空中ディスプレイを起動させた。

仮想型は魔法科高校では禁止されているが、一般的にはごく普通に使用される端末だ。空中に投影された画面には幼子が二人、手を繋いで満面の笑みを浮かべていた。

 

「これ、お兄様ですか」

 

深雪は口を押えて画面を食い入るように見ている。そこに写っていたのは自分の知らない兄の姿だった。

 

「そうそう。こっちが雅ね」

 

達也自身も茫然と見ていた。

おそらく記憶にもないくらい幼い2歳か3歳ごろの自分の姿だ。

それが満面の笑みを浮かべている。祭りの風景で、空いた手には林檎飴を持ち、紺色の甚平を着ている。

 

「お兄様もお姉様もなんて愛らしいんでしょうか」

 

深雪はうっとりとした表情で画面を見つめていた。深雪が達也と兄妹らしく生活し始めたのは3年前だ。それ以前は同じ家にいても他人同然の生活をしていた。雅の方が姉として慕われていたくらいであり、当然幼少期の事は知らないことが多い。

 

「こっちは悠も入れて3人でお昼寝している所よ」

 

次に画面に表示されたのはもっと小さなころの写真だった。

1歳に満たない雅と達也が色違いの服を着てお昼寝をしており、雅の隣には5歳くらいの悠が寝ていた。あどけない寝顔に深雪は興奮しすぎて声になっていなかった。

 

「桐子さん、流石に気恥ずかしいのですが」

 

達也が遠慮がちに止めてほしいと言ったが、桐子はにこりと笑うだけだった。

 

「桐子さん、もっとお写真はありませんか」

「あるわよ」

 

深雪のお願いに、嬉々として写真を見せる桐子に達也は益々いたたまれなくなった。

これが自分の覚えている頃の記憶であればいいのだが、幼児と呼ぶに差し障りないころの記憶などほとんどない。

ましてや赤ん坊のころなどいくら記憶力に優れた達也であっても、覚えていなくて当然だった。

雅に視線を向けると、雅は流石に見たことがあるようで、申し訳なさそうにこちらを見ていた。

達也はしばし妹が嬉々として、時に恍惚として写真を眺める様を達也は見守るしかなかった。

 

 

ひとしきりアルバムを見終ると、深雪はほくほくと満足げな表情を浮かべていた。

 

「よく写真なんて撮れましたね」

 

達也はため息交じりにそう言った。

達也にとっても桐子が見せてくれた写真は色々と衝撃的だった。

泣いた顔、怒った顔、笑った顔、驚いた顔

今の自分とはかけ離れた多種多様な表情をしていた。自分にもこんなに感情を表面に出していた時期があることは、驚きだったと共にほとんどの写真が雅と一緒だった。

 

達也は3歳になるまで九重で育てられていた。

桐子には自分の母より母らしく接してもらっている。

かつて自分をまるで年相応の子どものように深雪と分け隔てなく接していた穂波のように、達也は桐子に頭が上がらないところが多い。単に達也が忘れている一番世話を掛け、一番恥ずかしいころの記憶がこの人の中にはきちんとあるのだ。

 

「本来だったら、深夜さんに見せる予定だったのよ」

 

桐子は少し悲しげに笑った。

 

「お母様にですか?」

 

深雪と達也は驚きで目を丸くした。

既に故人となった彼女たちの母は、達也に対して人一番冷たかった。

実の子であるにも関わらず、妹には兄と思わないようにと教育を施し、愛情を持って接することはなく使用人同然として扱っていた。達也自身、それを苦痛と思うような心は既にその頃にはなかったが、なぜこの写真が深夜ためなのか理解できなかった。

 

「九重が達也の事を告げて、精神的にすぐに子育てをできるような状態ではなかったからね。生まれたばかりの達也を引き取って悪いことをしたとは思いつつも、せめて子供の成長くらい見せてあげたかったの」

 

遂にこの写真が日の目を見たことがあったのか、桐子の雰囲気にそれ以上は聞けなかった。

桐子は端末に指を滑らせた。そこに写っていたのは唯一、深夜と達也が一緒に写った写真だった。

窓辺に座り、深夜はまだ首も座っていない達也を抱いていた。

きっと達也が生まれたばかりの頃の写真だ。その表情は深夜のわずかな変化をとらえた写真だった。

 

「お母様…」

 

深雪が胸元で手を握りしめていた。

 

深夜は笑っていた。静かに眠る達也に微笑みかけていた。

それは一瞬の事だったかもしれない。だが確かに深夜は笑っていた。

達也も信じられなかった。

仮に写真に写る子供が自分ならば、あの母が自分に笑いかけていたことがあるのだという事実に感情が追いついていなかった。

 

これはなんだ。いっそ合成だったと言われた方が納得できる。

それほどまでどこか浮世離れしていた。

 

「達也」

 

桐子は達也の名を呼んだ。

 

「はい」

 

達也はそれに応えた。

 

「愛していなければ、貴方に自分の名から名前を取ることはしなかったわよ」

 

達也は一瞬言葉の意味が理解できなかった。

深雪は母と同じ『深』の字を貰っている。

ならば達也はどうなのか。

司波龍郎が父の名だ。『龍』を『達』に変えたのは理解できる。『也』が『夜』から来ているのだとしたら・・・

 

言いようのない感情がこみ上げ、達也はそこで思考を停止させた。

 

「分かりませんよ。そんなこと」

 

自傷気味に達也はそう呟いた。本当は自分の事をどう思っていたのか。自分は生まれてきて良かったのか。

色々と推察できたとしてもそれを問うても、答えてくれる人はこの世にはいなかった。

 

 

しんみりとした空気も一瞬、来訪者によって空気は変えられた。

 

「達也さん、深雪さん、いらっしゃい。よう来はったなぁ」

「ご無沙汰しております、千代様」

 

達也と深雪は丁寧に頭を下げた。

 

「千代お婆様、こちらに戻っていらっしゃったのですか」

 

雅が立ち上がり、新たに座布団をひいた。

 

「隠居は口出しすると若い人らが遠慮しはるやろう」

 

九重千代。雅の曾祖母にして、女性ながらに九重の先々代当主だった人物だ。

女性ながらにして先々代九重当主を務め、現在も政財界、魔法関係各所に太いパイプを持つ人物だ。達也と雅の婚約を決めたのもこの人物であり、【千里眼】も健在であると言われている。

御年94歳になるはずだが、肌艶や姿勢から到底そのような年には見えず、雅の祖母と言いっても通じそうな具合である。

 

「桃花さんはどうでした?」

「さほど難しいことするわけやないし、緊張はしてはったけど、大丈夫やろう。」

「初舞台ですからね」

 

雅は茶器を用意して、千代の前に置いた。九重は年功序列、家父長的な部分も色濃く残っており、雅は基本的に世話を焼く立場にある。

 

「二人は泊まっていくんやろう。」

「ええ、その予定です」

 

当初は挨拶だけをして日帰りの予定だったが、夜から祭りと舞台があるので、一泊してはどうかという提案があった。達也には予定もあったが、朝の段階で東京に帰れば十分間に合う予定だったので九重家に宿泊することになった。達也としては深雪がお泊りと聞いて嬉しそうにしていたのが一番の要因だったかもしれない。

 

「なら、丁度ええな。夜から祭りやから、着物の準備をしましょうか」

 

千代はにっこりと笑った。

 

「勿論、達也さんの分もありますよ」

「そんな、お心遣いだけで結構です」

 

達也はスーツを持参している。

九重神楽は神事だ。浴衣や軽装では入場前に止められてしまう。

深雪は着物を貸してくれるということなので、着替えることは知っていたが、自分の分まで用意されていることは知らなかった。

 

「そないなこと言わんでも。うちの大切な孫息子になる御人や。深雪さんも、そっちの方がええやろう?」

 

千代の言葉は達也に提案はしているように聞こえるが、あくまで確認だ。

 

「ええ。お兄様、是非着てください」

「私も見たいわ」

 

加えて、深雪も雅もが目を輝かせていた。

 

「………分かったよ」

 

女性4人に期待され、達也はうなずくしか道はなかった。

 

 

 

 

 

 

「お似合いです、お兄様」

「ありがとう。深雪の方が似合っているよ」

 

深雪の着物姿は達也にも眩しかった。

夏らしい白い着物で、近くで見ると麻の葉模様が万遍なく施されている。上品な紫の朝顔が描かれており、帯紐は赤と白で蝶の帯留めが付いている。髪は簪で一つに結上げ、簪には桜色のトンボ玉が付いている。神事であることからか、髪はシンプルにまとめられている。

 

「深雪さんは何着ても似合いますなあ」

 

千代様は満面の笑みを浮かべていた。

 

「お兄様の着付けはお姉様が?」

「ああ」

 

達也がシャワーで汗を流して、襦袢に袖を通し、宛がわれた部屋に行くと待っていたのは雅だった。達也が来ているのは灰青の着物に黒地に白い麻の葉柄の帯。落ち着いた色合いで、達也によく似合っていた。

 

「そう言えば、お姉様は?」

「自分も着替えてくると言っていたな」

「待たせたかな」

 

二人が最初にいた床の間に一人の少年が入って来た。二人はその人物に視線が釘付けになった。

神職の中では下位の深緑色の狩衣と白い指貫。

白皙の美貌に切れ長な目元。左右の均整のとれた顔立ちに、ピンと伸びた背筋。背はそれほど高くはないが、美少年には間違いなかった。

 

「あら、もう着替え終ったの」

「はい。もたもたと着替えていたら兄上に怒られてしまいます」

 

声は低く通るテノールで、くすりと笑った顔はどこか悠に似ており、親戚だろうかと達也と深雪は感じていた。

 

「御親戚の方ですか?」

 

深雪が問うと少年は子供らしい笑みを浮かべた。

 

「私だよ」

「お姉様なのですか!」

 

少年の口から発せられたのは雅の声だった。

達也も深雪はまじまじと雅を見ていた。

どう見ても女性の面影はなく、言われなければ誰も気が付かないだろう。雰囲気が悠に似ていたのはそのためだと分かった。

確かに男装していることは達也も深雪も知っていたが、これほどまで化けるとは思いもよらなかった。達也に至っては、神楽で男装姿を見たことがあるにもかかわらず、一呼吸置いて目の前に立つ人物が理解出来た

 

「さて、舞台が始まるまではまだ時間があるから祭りでも巡っていらっしゃい。雅は裏にいるから、困りごとがあれば二人とも遠慮なく連絡するのよ」

「分かりました」

「行ってまいります」

 

桐子の言葉に三人は頷き、それぞれ目的の場所へと向かった。

 

 

 

 

 

 

達也と深雪は外宮周辺を歩いていた。

雅は境内の見回りと、神楽のための準備があるため別行動だ。

夕方になれば露天も出店し出し、浴衣を着た参拝客が増え始めていた。最も境内は神域であるため、周囲の土産物屋が連なる通りが祭りのメインだった。

 

「人通りが多いな」

 

肩がぶつかるほどではないが、時折自由に進めないこともあった。

専らその理由は深雪に見惚れて足が遅くなる人がいるためであった。

着物姿は京都では珍しくないとはいえ、これほどの美少女がいれば振り返らない男はいない。

事実隣に精いっぱいおしゃれをしてきた彼女を連れた男性ですら、深雪の美貌にくぎ付けだった。罪作りな美少女であると改めて達也は感じていた。

 

「お兄様」

「なんだい」

 

深雪が控えめに手を差し出した。

 

「はぐれてはいけませんから…」

 

恥ずかしげ頬を染め、視線を逸らす深雪に達也はためらいなくその手を取った。

手を繋ぐことなどいつもしていることであり、可愛い妹のお願いならば、達也は喜んで聞き入れた。その瞬間、深雪が満面の笑みを浮かべており、この時ばかりは女性までも美しい笑顔に見惚れてしまった。

 

 

 

大道芸や夜店など祭りを一通り楽しんだ二人は、再び境内に戻っていた。

舞台の開場時間が近づくころには夜の帳が降り、提灯の明かりが参道を照らしていた。どこか不気味で、どこか恐ろしいそんな雰囲気に深雪は達也の手をぎゅっと握りしめた。

達也は安心させるように深雪の手を握り、人気の減った参道を歩く。

この時間に境内にいるのは、遅れてやってきた観光客か今回の神楽の招待客だけだ。

 

九重神楽の観覧は誰でも可能なわけではない。

大抵が昔からの付き合いのある家系や名立たる名家であり、達也たちほどの年齢は少ない。そもそも九重神楽自体、12歳以上からしか入場ができないものとなっている。

 

「あ、司波君に司波深雪さんや」

 

受付で順番を待っていると、後ろから声を掛けられた。

二人が振り返ると、小柄な少女が手を振っていた。白地に華やかな手毬小紋の着物に深緑色の帯。髪は簡単に黒いバレッタで留めてある。

 

「二高の香々地さんですね」

「おん」

 

つい先週会ったばかりの香々地燈がいた。ニパっとした笑顔は上品な着物を着ていても変わらず、和服を着ていてもを年齢に対して背伸びしているように見えた。

 

「二人も招待されたんか」

「ああ。そっちは六高の錦織だったか?」

 

燈の隣には鶯色の着物と丁寧に羽織まできた六高の錦織柚彦がいた。

柚彦は自分がまさか名前を憶えられているとは知らず、少し驚いた表情を浮かべた。

 

「ウチは親父の代理で、ユズ君は沙羅さんの付き添いやで」

「初めまして。錦織沙羅と言います」

 

燈たちの後ろにいたのは深雪よりも背の高い女性だった。大柄というより、すらりと長いという印象の女性で、ふんわりと柔らかい表情は親しみやすさを感じた。

 

「煉さんの婚約者や」

「あら、そうなのですか。婚約おめでとうございます」

「ありがとう。一高も九校戦優勝おめでとう」

 

煉とは雅の兄であり(正式には九重煉太郎と言う)、現当主の長男だ。

次期当主は悠であるが、補佐として兄も九重の神事に携わるらしい。

錦織の令嬢は次代【織姫】として認められ、九重に嫁入りが決まったそうだ。

九重神楽はその衣装も魔法道具である。

一折一折、一針一針にとてつもない労力と手間をかけ、織り込まれた衣装はたとえ類似品は作れても全く同じ効果を出すものはできない。八雲が九校戦に用意した魔法が掛りやすくなる刻印は存在するが、単一魔法だけであり、汎用性は低い。曰く、現代技術をもってしても不可能な聖遺物の一つである天の羽衣も古代、【織姫】が作り出したとされている。

 

柔らかな笑みに隠し、この女性もそれなりに魔法力が優れているのだと達也は認識を改めた。

 

 

 

 

 

今時珍しい紙の招待状を一人一人確認され、門をくぐり、席に案内される。

本殿から見て南側、参拝殿の前に神楽殿は設けられている。神楽殿に壁はなく、柱はあるが天井は高いのが特徴であり、舞台であるため床上まで1m程度ある。本殿に面したところを避け、三方を囲うように席が設けられていた。

達也たちは狙ったように横並びに席が設けられていた。既に他の観覧席には達也でも名前を知っている政財界の大物や名立たる名家と思しき人が座っていた。席は百席あるかないか、その程度だ。

 

達也たちは全体で見て中ほどの席にだった。今日お披露目になるのは次代舞姫候補だと聞いていた。

 

「九校戦に出ていた舞鶴の御嬢さんは知っとるやろ」

「二高のミラージュ・バットのエースだろう」

「鶴ちゃんは絶対自分が舞姫やと思って、長年神楽をしてきたからな。巫女舞は鶴ノ宮か桜姫、と言われるほどみやちゃんと並んで、次代舞姫として候補に挙がっていたんやけど、12歳の時には後継者に指名されんかったんや。んで今日お披露目の舞姫に自分の妹が指名されたから、九校戦ではイライラしてたんや」

「たとえ虫の居所が悪くとも、お姉様とお兄様を侮ったことは許せません」

 

深雪は決勝の場面を思い出していた。二高の彼女は最後までステージに立っていた。予選でも深雪をリードする場面があった。その力量は認めるが、自分の大切な人が侮蔑を受けるのは我慢ならなかった。

 

「まあ、分からんくもないけどな。妹ちゃん――桃花ちゃんもまさか自分がって感じやったからな」

 

深雪の怒り様を見て、燈は肩をすくめた。両方の立場を知っているだけに、彼女も能天気にはいられないのだろう。

 

「どういう基準で舞姫は選ばれるんだ?」

「そんなんきまっとる。信仰心や」

 

達也の問いに当然と燈は言い切った。

 

「鶴ちゃんは自尊心、桃ちゃんは信仰心。巫女神楽を踊る舞姫にどっちが選ばれるか言うまでもないやろ」

 

田楽や歌舞伎が庶民向けの娯楽として発展したように、神楽も神事と娯楽を兼ね備えた特性を持っている。特に大神楽や出雲神楽はその特色が強い。

だが、純粋に九重神楽は神にだけ捧げられてきた舞が存在する。観覧者はなく、ただ神だけのために舞うものだ。

 

「自分のために神楽をしとる人間が神様に楽しんでもらおうなんて無理やな」

 

神楽は神の雅楽にして、神を楽しませるためのも。信仰心なくして九重神楽は神楽になりえないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

達也たちが席に着く少し前、舞台の開始が刻一刻と近づく中で雅は一人の少女と対面していた。

 

「どうして、お姉ちゃんじゃないんでしょうか。私の舞は特別なわけではありません」

 

御簾の中にいる少女は不安げに瞳を涙で潤ませていた。

まだ13歳になったばかりの少女は上質な白の衣と緋色の袴を身にまとっていた。頭には金冠と桃の花。黒い髪は腰まで伸ばされ、丁寧に揃えられている。

次期舞姫に選ばれた彼女は、舞鶴桃花。九重神楽に選ばれた一人であった。しかし薄く化粧をほどこした顔は暗く、自信がない様子だった。

 

「貴女の舞は十二分に心惹かれる。桃の節句、桃源郷と言われるように桃は特別な花。それを冠する貴方は特別な舞姫だ」

 

雅は今、男性神職の格好をしている。

声も変え、姿も変え、警護役としてこの部屋に控えていた。雅は警護していた扉の前から、御簾の前まで歩み寄り、板張りの床に膝を付いた。

 

「前を向きなさい。貴方が舞姫だ。誰よりも高雅に、誰よりも優美に、誰よりも幻想的に、誰よりも神聖な舞姫。誇らしいその名を貴方が継ぐんだ」

「私は、舞姫なんて器ではありません」

 

声は震え、今にも泣きだしそうだった。

彼女は確かに九重神楽に励んできた。

しかしそれも13歳までの事だからと半ば諦めながら、舞い続けていた。

それが今回、次代舞姫として指名され、今後神事に加わることが決まったのだ。鶴ノ宮の二つ名の通り、優雅に踊る姉とは違い、自分には大きな魔法力はなかった。

姉ですら叶わなかった舞姫に到底相応しいとは思えなかった。

桃花の他にも次代舞姫は何人かいる。正確には舞姫候補と呼ぶべき巫女で、修行に耐えて選ばれた者だけが神前で舞うことが許される。

ただ憧れるだけの世界だったのに、それがいざ自分の目の前に転がると、嬉しさより恐ろしさの方が大きかった。

 

「今は確かに舞姫と名乗るにはまだ不足が多い。けれど貴女は確かに桃の舞姫。自信を持ちなさい。貴女にしか舞えないから貴女は舞姫に選ばれた。貴女が最もふさわしいから貴女は舞姫に指名された。憧れなのだろう。憧れるだけではその名声には届かない。その名にふさわしくないというのなら、努力しなさい。それがきっと自信になる」

 

「・・・・高雅様」

 

桃花は知っている。

誰よりも愛らしく、誰よりも気高く、誰よりも誇らしかった憧れの桜姫。その姿に憧れ、自分はこの舞台に足を踏み入れた。

初めて見たそれは幻想より美しい桃源郷に他ならなかった。

悠様も今代舞姫様も絶世と呼ばれるほど美しい。それでも桃花の神様はただ一人だった。

 

「私の憧れは桜の舞姫。あの人が最後に踊ったあの時の舞です。私は桜姫のようになれますか?」

 

あれほどまで世界を美しいと思えたことはなかった。あれほどまで心を揺さぶられることはなかった。桃花の神様はかつて雅が演じた桜姫だった。

 

「貴女は舞姫。桜姫より上の舞を貴方は舞うことができるのですよ」

 

御簾越しにふわりと笑いかけた。例え桜姫がいなくても、この人に恥じる事の無い舞を桃花は見せたかった。

 

「行きましょう、時間です」

「はい」

 

御簾を上げて立ち上がり、対面する。

自分に優しく微笑む神様は誰よりも高雅であった。

 

 

 

 

その後、行われた舞姫の任命式。

粛々と披露された次代舞姫候補は実に儚げで、静かな美しい少女だった。舞うたびに袖から光の粒が零れ、床に落ちては虚ろに消えていく。憂いを帯びた表情は、儚げな印象を助長し、誰もが庇護欲をかき立てられた。

陶然と舞台を見上げる人々は新たな舞姫誕生に酔いしれていた。

 

 




登場人物紹介

九重 千代
 先々代九重当主。雅の曾祖母
 雅と達也の婚姻を決めた張本人
 90歳を超えるが、ご婦人という名称が良く似合う女性
 最近の口癖は『玄孫(やしゃご)の顔見るまでは死ななない』

九重 桐子
 雅の母。八雲の妹。
 あまり八雲とは似ておらず、凛々しい美人。
 童顔というより、美しさで年齢不詳。

九重 煉太郎
 雅の兄。22歳
 九重当主は弟になることは小さいころから決まっているため、そこまで当主に対して執着はない。最近の悩みは嫁が可愛すぎて辛いこと。


これらの人物は今後も出てきます。



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夏休み編2

悩んで、ため込んで、爆発せずに潰れて

泣けなくて、笑えなくて、楽しくない

ご飯も喉を通らなくて、夜も眠れない

苦しいと言えない、辛いと言えない、助けてと言えない

話すことで解決することもあれば、話しても変わらないこともある

心が軽くなることもあれば、一人自分を責めることもある

浮き沈みの激しい人の心は儘ならないと思う日々です。



さわやかな夏の朝。まだジトジトとした嫌な空気もなく、港には涼やかな風が吹いていた。

風に漂う磯の香りはこれからの旅の楽しさを助長させた。

 

朝6時、葉山のマリーナに達也たちは集合していた。

これから二泊三日で北山家が所有するプライベートビーチに向かう予定なのだ。

クルーザーの中から現れた雫の父、北山潮から“手厚い”歓迎を受けた達也はそのことを表情に出さず、一礼して深雪と雅を呼んだ。

 

「これは九重の姫君。朝早くから御足労いただきありがとうございます。

御耳にしているかは存じませんが、高名な父君には不肖なこの私めの婚姻の際に、多大なるご協力いただきましたことを感謝申し上げる日々でございます。当家のあばら家にお招きすることは大変恐縮ではございますが、何卒ごゆるりとして頂けましたら嬉しく思います。」

 

雫の父の敬語に驚いたのは友人たちだけではなく、娘の雫もだった。

ビジネスや家の都合でパーティや挨拶回りを良くすることのある彼女でもこれほどまでの(へりくだ)った表現を父が使うことは見たことがなかった。

前世紀から続く家系であり、名家、旧家との繋がりもあるが、これほどまでの対応はしていない。友人たちが茫然とする中、雅は丁寧に一礼した。

 

「北山様にはいつも手厚いご支援いただき、こちらこそ感謝申し上げるべきところであります。

雫さんには常日頃大変お世話になっておりまして、今日もこのような機会がいただけましたことを嬉しく思っております」

 

「それは慶福でございます。御父君、並びにご家族様にはよろしくお伝え下さいますようお願い申し上げます。」

 

「はい。今後とも末永くよろしくお願いいたします」

 

深雪と達也は見慣れたやり取りだったが、友人たちは事態が消化しきれなかった。

潮は雅とは違って深雪には頬を緩ませ、剽軽(ひょうきん)な様子で芝居じみた様子で話しかけている。

雫とほのかに鼻の下が伸びていると指摘されて、いそいそと退却したのは明らかに娘たちの言葉に動揺したからだろう。

 

達也はきっと娘とバカンス気分を味わいたかったのだろうと一人同情をこめた視線で走り去る大型乗用車を見送っていた。

 

「雅、小父様と知り合いだったの?」

 

ほのかが恐る恐る聞いた。

ほのかは北山家に娘同然に可愛がってもらっているため、彼のことはそれなりに知っているつもりだった。

それがあんなに背筋を伸ばし、緊張した面持ちで話しかけているのは彼女の記憶になかった。

 

「先ほどまで直接の面識はなかったけれど、ご贔屓にしてくださっているのは私も聞き及んでいるわ」

 

なにせ前世紀から続く企業家の家系。

寄進料だけでも桁違いであることは雅も知っていた。

 

「結婚の相談をしたのが雅のお父さんなんだって」

 

雫が淡々と答えた。彼女は父が九重神宮にかなりの額を寄進していることは知っていたが、雅にあんな態度を取るほど信仰しているとは知らなかった。

 

「雅さんの家って神社でしたよね。もしかして、とてつもないお家なんですか?」

 

一連のやり取りを見ていた美月がそう問いかけた。

 

「ちょっと古いだけよ」

「千年単位の神社がちょっとなら、その辺の神社は赤ん坊かい?」

 

幹比古が皮肉を込めて肩をすくめた。

ふと家で雅の名前を出した時の両親の顔が忘れられない。

あれほどまで必死になっている様は幹比古にとっても若干トラウマだ。

確かに吉田も古い家系ではあるけれど、九重は別格だった。

それこそ姫と呼ばれても不思議ではないほど、九重の直系と言う身分は歴史の長い日本の中でも指折りの家系なのだ。

 

「うちは厄除の神様をお祀りしているのだけれど、縁結びの神社には行かなかったのかしら」

「縁はあるから勝負に出たって言ってたよ。」

「小父様らしいわね」

 

雫の言葉にほのかは納得したように頷いた。

実は名立たる実業家ほど信心深かったりするのである。

 

 

 

 

 

定刻通りに出発した船旅は波は荒かったものの思ったよりも揺れず、快適だった。

予定では昼ごろに到着し、それから水着に着替えて海で遊ぶことになっている。

クルーザーの中では夏休みの様子を話したり、これからの予定について話し込んでいた。

 

「僕の名前は幹比古だ」

「いいじゃない、ミキはミキで」

「良くない!」

 

いつものエリカと幹比古のやり取りにクルーザーの中は笑いに包まれた。

 

「そう言えばさ、幹比古って珍しい名前だよな」

「そうかい?」

 

レオの問いかけに、幹比古は首をかしげた。

エリカにミキと女性みたいな呼び方にされてはいるし、同名を見たことがないが、奇抜な名前でもない。

加えて、海外交流が盛んになったことでハーフやクオーターなども珍しくない。

名前が多少和名ではなくとも、それほど目立つ事の無い社会となっている。

ついぞ80年ほど前は所謂キラキラネームと呼ばれる当て字の名前が流行ったが、今や裁判所に改名が認められている。親の黒歴史裁判事例として法律関係者の間ではネタにされているほどだ。

 

「確かに、凄く期待されて付けられた名前なんでしょうね」

「え、期待?」

 

雅の言葉に反射的に幹比古は聞き返した。

 

「名前の由来とか聞いていないのかしら?」

「特に聞いてはいないけれど、それより期待されたってどういうことだい?」

 

幹比古は次男だ。天才と持て囃されたことはあるが、それも過去の栄光。

長男が家督を継ぐことは現代でもごく普通な事であり、生まれたときから次男の自分に期待されていたということが良く分からなかった。

 

「幹は言うまでもなく、支えとなるもの、柱となるものという意味ね。

加えて“比古”っていうのは“日の子”という言葉と掛けられていると思うわ。

昔から太陽はどの宗教でも絶対的崇拝の対象で日本では、神の血を引く者は天子とも言うわね。

そんな名前ですもの。たとえ親が意図せずとも力を持つ名前よ」

 

さらりと雅が言った言葉が幹比古の想像を越えていた。

たとえ意図しなくても期待された名前であり、優れた名前だと言うことを面と向かって言われることはどうも気恥ずかしい思いだった。

 

「へえ、凄いじゃん」

 

それをエリカがニヤニヤとした笑みを浮かべて肘で小突いてくるのだから、幹比古は眉間にしわを寄せた。

 

「憶測も多いから、名付け親に意味を聞くのが一番いいと思うわ。ああ、ちなみに…」

 

雅は美月だけに聞こえるように囁いた。

“太陽と月。陽と陰、男性と女性で吉田君と美月、相性がいいわよ”

 

 

雅の言葉を受け、美月は顔を真っ赤にさせた。

 

「み、雅さん!!」

「え、なになに?なにを言ったのよ」

 

エリカが面白い物を見つけたとばかりに美月に詰め寄った。

 

「私からは内緒よ。美月から言ってもいいわよ」

「ほら、美月答えなさいよ」

「無理です!絶対に!」

 

美月は一瞬、幹比古と目線が合い、思わず逸らしてしまった。

ははんと目を輝かせたエリカは何としても聞きだしてやるとと意気込んでいた。

一方、目があったのに逸らされてしまった幹比古は地味に一人凹んでいた。

 

 

 

 

 

クルーザーは予定通り、別荘のある島に到着した。

 

それにしても、眩しい。達也は思わず目を細めた。

水際ではパシャパシャと水を掛け合って、楽しむ少女達。

達也はそれをビーチに刺したパラソルの下で見ていた。

普段とは違って露出の増えた5人の美少女達は年頃の男子にとって目の毒だ。

目の保養とは言えるが、直視しにくい実情にある。

 

「達也、呼ばれているわよ」

「雅もな」

 

ハッキリ言えば、達也が一番直視できないのは隣にいる雅なのだ。

ミニスカートや肩口の大きく開いたニットなど、深雪は家の中だと露出が増える。

 

一方、雅はとことん露出を嫌う。

寒冷期の名残があったとしても場所によってはショートパンツやチューブトップを着る若者もいる。しかし、雅は夏らしい格好といってもせいぜい膝丈のスカートに5分丈以上の上着を着ている。実家では着物が多いうえに、司波家でも上品な格好が多い。

週1回、CAD調整のための計測を除けば、人前で雅は肌を出すことはほとんどない。

家風もあるだろうが、基本的には保守的なのだ。

 

その雅が水着だ。

深雪が嬉々として選んだデザインは青のビキニの上に濃紺のパレオの付いたものだった。

パレオを胸元で巻いているため、一見丈の短いワンピースタイプの水着かサマードレスにも見える。加えて今は白いパーカーまで来ているため、上半身の露出はほぼない。

長い黒髪には一輪の白のハイビスカスを飾っている

 

一番露出していないにも関わらず色香は他の5人とは別格だった

濃い青色のパレオから覗く白い足は扇情的で、白い項も高い位置で結上げられた黒い髪との対比で更に白く見えた

汗が首筋に流れる様子ですら、戸惑わせた

なにせ着替えて出てきたとき、パーカーを脱いでいないこの状態ですら女子たちですら生唾を飲み、レオや幹比古などあからさまに視線を逸らしていた

 

 

何時まで経っても来ない二人にしびれを切らしたのか、女子たちが達也と雅の周りを取り囲んだ。

 

「達也さんも雅も泳がないの?」

「ははーん。さては達也君とのお楽しみの痕があるのかな?」

「エリカちゃん!」

 

下世話なエリカの発言に美月とほのかは顔を真っ赤にさせた。

 

「ホレ、脱げ」

 

わきわきと手を動かしているエリカに雅は反射的に後ずさりをした。

 

「雅はスタイルいいでしょ?」

 

だが、雅は雫に左腕を押さえ込まれていた。

 

「ちょっと待って、なんで雫も?!」

「深雪から恥ずかしがっているだけだからって」

 

雅の抗議にしれっと雫は雅の体を見た。

確かに、5月生まれとあって同年代より発育は比較的早いのかもしれない。

雫も控えめな体格とはいえ、他人から見ればそこまで幼児体型という訳ではない。

しかし、プロポーションが劣っているのも事実だった。雫の行動は半ば腹いせであった。

 

「お姉様。折角、深雪が選んだ水着を見せてはくださらないのですか」

「あの、深雪?」

「いけませんか?」

 

深雪は雅の腕を取った。

雅は深雪のお願いに甘い。可愛い義妹が選んでくれて、お願いされて、周りも取り囲まれている。まさに四面楚歌。これが知人でなければ、容赦なく投げ飛ばすこともできるのだろうが、雅は基本懐に入った人間には甘い。

助けを求める視線が飛ばされるが、達也は目で謝る。

薄ら涙目になっていたのが余計にたちが悪い。

 

「えい」

「あっ」

 

エリカにパーカーのチャックを開けられ、深雪と雫に腕を押さえられ、あれよあれよという間に上着は奪い去られた。

 

文字通り、その場にいる者は皆固まった。普段凛とした雅が、目を潤ませ、頬を染めている。

ギャップもさることながら、どうしても夜の想像をしてしまった者もいるのだろう。

むき出しの白い肩や、そこから伸びるすらりとした腕など思わずため息が出るほどだった。

艶めかしい雅は高校生になったばかりの青少年たちには少々刺激が強かったようだ。

 

「プライベートビーチで、水着だって分かっていたでしょう」

 

その雰囲気を和らげるかのように、エリカは呆れて言った。

 

「元々、海には入れないから水着を着る予定もなかったのよ」

 

恥ずかしそうに美月の後ろに雅は隠れた。この中で一応止めようとしてくれていたのは美月だけだったので、美月を盾にするように雅はその陰に隠れた。

 

「入れない?泳げないじゃなくて?」

 

エリカが雅に聞き返した。

 

「人並みには泳げるわよ。お盆を過ぎては海に入ってはいけないの」

「それって家の決まり事?」

 

雅の家の制約は多い。

曰く、お盆過ぎには海に入るべからず。

曰く、女性は月ものの際には寺社仏閣に立ち入るべからず。

曰く、七歳を過ぎて男女が同じ部屋に寝てはいけない。

 

他にも精進潔斎や禊など神事に関係することで生活が縛られる部分もある。

エリカが家の事情を聴いたのも幹比古にも何かしら制約が付いて回るからなのだろう。

 

「足首くらいなら浸かっても大丈夫みたいだから、グレーゾーンという所かしら」

「そうなんだ。ボートでも乗る?」

「沖に出ることは一応止めておくわ」

 

結局波打ち際で水かけでもしようということで、達也も連れ出されることになった。

 

 

 

 

 

時折ジェット水流のような攻撃(無論、魔法を使用)も繰り出されながら、少女たちは楽しく遊んでいた。

 

的役に徹していた達也は少し沖で泳いでくると言い、不満そうな女子たちの視線を受けながら沖に出た。流石の彼も美少女6人に囲まれて遊ぶのは精神的に疲労していた。

 

残った女子たちはボートに乗ろうということになり、エリカ、深雪、ほのか、雫は少し沖に出ていた。

雅と美月はパラソルの下で一休みをしている最中だった。

 

「海に入れなくて残念ですね」

 

美月は北山家のハウスキーパーの黒沢女史が持ってきた飲み物を雅に渡した。

ありがとうと一言告げ、雅はコップを受け取った。

 

「海に入ることではなくて、目的は遊びに来ただけだから気にしていないわ。

それに海神のお嫁になりに行くようなことはするなって言われているからね」

「わだつみ?」

「海の神と書いて“わだつみ”と読むのよ。お盆を過ぎたころの海は危険で、大昔は台風や不漁の時期に若い娘を海神に捧げていたと言われているわ。いわゆる人身供物ね。今時海に入った程度でそんなことはないだろうけれど、言い伝えにあるなら何かわけがあっての事よ。」

 

意外と古くからの言い伝えは何かしら現代に通じる理由がある。

例えばお盆を過ぎたころの海は彼岸で帰ってきた御霊に連れていかれるだとか、クラゲが出るから危険だという説もある。

現代人にとっては窮屈に感じる仕来りも、生まれたころからそれならば雅は特に面倒だと感じることもなかった。

 

 

 

ほのかのボート転覆事件があり、達也は今ほのかの命令で一緒にボートに乗っている。

なごやかな二人の雰囲気に深雪の機嫌は急降下。

深雪が持っていたフルーツがフローズンフルーツになってしまったほどだ。

真夏でも深雪の魔法力を持ってすれば、無意識にできてしまう事だった。

 

「皆、集まっていることだし、少しお話でもしましょうか」

「そ、そうだな」

「そうしましょう」

 

見かねた雅がそう言うと、レオと美月が勢いよく首を縦に振った。

二人としてもこの空気はどうにかしたいものだった。

 

「夏と言えば怪談よね」

「「「え゛」」」

「ああ、そんなに怖くない話だから大丈夫よ」

 

にっこりと笑った雅の笑顔が逆に恐ろしかった。

美月とレオはいらない虎穴に入ってしまったのだと理解した。

不機嫌だったのはなにも深雪だけではなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔、昔、これはある海辺の村のお話です。

ある村では長年、台風の被害に見舞われていました。

台風によって、漁には出られず、潮によって田畑は枯れてしまうこともありました。

困った村人たちはこれは海神さまがお怒りなのだと考えました。

海神様をお慰めするためにはどうすればいいのか。

村人たちは悩みました。

こうしている間にもまた一人、食い扶持を保つために親が子を殺していました。

 

そうして村人たちはある考えに至りました。

海神様に供物を捧げよう。

その供物に選ばれたのは身寄りのない女の子でした。

お腹の空いた子どもにご飯を与え、お化粧を施しました。

いつもとは違う優しい村人の対応に、少女は戸惑いました。

そして少女が寝ている間に、ボロ船に少女を入れ、海へと流しました。

碌に舵もない小さな小舟は波にさらわれ、すぐに海の深く沈んでしまいきました。

 

そうして一夜明けると、台風は過ぎ去り、空は晴れ渡っていました。

それからというもの、海は大漁続きでした。

村は豊かになり、人々は活気づいていました。

所がある年、疫病が村を襲いました。

困った村人たちは海神さまにお願いして疫病を鎮めてくれるように願いました。

そして供物に選ばれたのは、生まれたばかりの赤子でした。

するとどうでしょう。

三日もせずに、疫病はすっかり息を顰め、村人たちは元気になりました。

海神様、ありがとう。

人々は口々にそう言いました。

そうして村では天災や疫病のたびに村で身寄りのない女性や子どもを捧げていました。

 

 

ある年、一人の青年が海辺に倒れていました。

それを助けたのは村のうら若い女性でした。

彼女は夫を嵐で喪って以来、一人で生活を切り盛りしていました。

自分の食べる分を減らし、女は必死に男を看病しました。

海から自分の最愛の人が戻ってきてくれたのだと、半ばそう思っていました。

男が元気になり、ここに留まってはくれないかと女は乞いました。

男は首を振りました。

自分にはいなければならない場所があるのだと言いました。

女は泣きながらせめてもう一晩、ここにいてはくれないかと頼みました。

男は女がかわいそうになり、もう一晩だけここにいることにしました。

 

その日は昼から雲が出て、男たちは急いで嵐の用意をしました。

予想通り夕刻になると黒雲が空いっぱいに広がり、激しい雨が打ち付けました。

運悪く高潮と重なり、海辺の家の人間は高台に避難していました。

怖いねという女に、直ぐに止むさと男は言いました。

夕飯の準備をしているころ、トントンと戸を叩く音がしました。

女が戸を開けると、村のまとめ役がいました。

村の集会所に来るように男は言いました。

女は嫌な予感がしながらも、付いていきました。

 

 

男はじっと女の帰りを待っていました。

女が帰ってくると、女の顔はぞっとするほど青白くなっていました。

男がどうしたのだと問うと、女はその場で泣き崩れてしまいました

次は自分が海神の供物に選ばれたのだと女は泣きながら言いました。

身よりもなく、男もこの地をさるならば、身寄りのない彼女が一番適任でした。

男は怒りました。自分が行ってくるから、君はここにいろと言いました。

女は行かないでと縋りました。

男は大丈夫だと言い、女の着物を着て、ボロ船に乗り込みました。

村人たちも村の外の男なら都合がいいと逃げ出さないように手足を縛って海に流しました。

 

 

翌日、空は良く晴れました。

心配していた被害も少なく、漁師たちは漁に出かけました

するとどうでしょう。

いつもはたくさんの魚がかかる網に人骨が大量に絡みついていました。

それが一つの船ではなく、多くの船で人骨が引き上げられました。

着物が残っていた人骨にはどこか見覚えのある着物を着ていました。

それは今まで海に捧げていた女や子どものものでした。

それから数年、その海では何も取れない年が多く続きました。

いくら女性を捧げても、いくら子どもを捧げても、海で何も取れない年が続きました。

 

そうしていくうちに一人、二人と村人たちは去って行きました。

荒れ果てた村に残ったのは一つの寺でした。

海に捧げられた者たちを奉る寺であり、そこには熱心な尼僧がおりました。

 

 

ある時に尼僧はある時、不思議な夢をみたそうです。

それはまだ小さな子どもでした。

村人たちから優しくされ、御馳走を食べていました。

化粧をしていい着物を着せられ、なにかお祝いなのだろうかと思いました。

子どもが寝静まった頃、男たちは子どもをボロ船に寝かせ、荒ぶる海に流しました。

子どもが目を覚ますとそこは暗い海の底でした。

誰もいない海に嘆き悲しみ、涙は海の水嵩を増し、声は風をかき立て、やがて嵐になりました。そうして泣きはらしていると一人の赤子が目の前にいました。

誰かが来てくれたのだと喜ぶ子供でしたが、その子は冷たく、死んでいました。

しばらく泣いていると今度波に運ばれてきたのはやせ細った女性でした。

そうしている内に子どもの周りには多くの人がいました。

中には子どもとおしゃべりしてくれる人もいました。

子どもはますます楽しくなって、誰か来てほしいと波を荒らします。

そうすると新しい人が運ばれてくるのを理解していました。

 

そうして遊んでいる内に、ある時一人の男が流れてきました。

今まで流れてきたのは女の人や子どもばかりで男の人は初めてでした。

子どもは嬉しくて駆け寄ります。

男の人はごめんなと子どもの背を撫でると、子どもはウトウトとしていました。

ここにきて初めて眠くなりました。

 

子どもが目を覚ますと、次にいたのは閻魔様の前でした。

閻魔様の裁判で子どもは地獄に行くことになりました。

死後でも人殺しは重罪です。子どもの魂は長い時間を掛けて、罪を償うことになりました。

 

尼僧はその子どもが最初の供物だったとようやくわかりました。

そして供物となった子どもは寂しさから人を呼び、殺してしまったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから海のある近くの寺はその名残で今でも供養塔が立てられているところもあるのよ。」

「じゃあ雅が海に入らないのは…」

「感受性が強いって言ったでしょう。引きずり込まれることがあるみたいなの。

本当かどうか、私にも分からないけれどね」

 

まだ夏の暑い時間帯だと言うのに、皆一様に鳥肌を立てていた。

昼間でも怪談は十分な威力を持っていた。

 

「・・・そんなに怖い話でもないわよね」

「十分怖いわよ!!」

 

エリカが腕をさすりながら言った。美月やレオ、幹比古に至っては蒼白だ。

 

「なにをしているんだ?」

「ああ、達也とほのか。お帰りなさい」

「ただいま。それで何をしていたんだ?」

 

達也は顔色の悪い友人たちと比較して、ケロリとしている雅を見て言った。

 

「ちょっとした怪談よ。」

 

雅のちょっとしたが、友人たちにとっては文字通り肝の冷える話だったようだ。

神話や伝承をベースとした神楽もあるため、寝物語を含めて雅の知っている話は多い。

しかも語り部が実際に幽霊の類まで見えると言われる千里眼直伝の話なので、余計にたちが悪い。被害者の友人たちに達也は心の中で合掌した。

 

 

 

 

 

 

日が傾き始めたころ、そろそろ夕食の時間になるため、片付けを始めていた。

その最中、風でビーチボールが飛ばされた。

 

「取ってくるね」

「悪いな」

 

風下にいた雅がそれを取りに向かい、他の者は片づけを続けた。

風に煽られたボールは海に入り、波にボールが攫われてしまい少しだけ沖に流れた。

仕方ないと雅は膝下程度まで海に入り、ビーチボールを拾い上げた。

砂浜に戻ろうと踵を返すと不意にぞわりと嫌な感じがこみ上げてきた。

 

「お姉様」

「雅!!」

 

咄嗟に背後を振り返ると雅の目の前には急激にできた大波が迫っていた。

思わず目をつぶり、雅は頭から波をかぶった。

 

 

ビーチにいた達也たちは大波に飲みこまれた雅の姿を探すが、一向に立ち上がる気配がない。多少沖に流されているかもしれないが、浮き上がってくることもない。

 

「あれ、いない…」

「嘘だろ」

 

彼女が取りに行ったボールだけが波間に浮いているのが見えた。

雅の姿はどこにもない。ましていた場所は溺れるような深さでもない。

 

「まさか、本当に引きずり込まれたんじゃ…」

「達也君!」

 

達也がいち早く駆け出し、海面を『水蜘蛛』を使い走った。精霊の目で確認すると雅とそれに対抗する何かの気配を感じ、直下の位置で魔法を解除し、海に潜った。

 

 

海に潜って達也が目にしたのは “ナニカ”に引きずられる雅の姿だった。

ロープのような、鎖のような黒いものが雅の足に絡みついているのが見えた。

潜水艇でもいるのかと思ったが、達也がそんな悪意ある存在を気が付かないはずがない。

第一、視界に映っているのは仄暗い形の分からないナニカだった。

そこから伸びた黒いものが雅を海底に引きずり込もうとしている。

 

雅は必死に抵抗しながら、魔法を使い、退けようとしている。

しかし、CADなしの魔法には限界があり、第一水中とあってはいくら雅でも場が悪い。

雅はおそらく水圧軽減魔法と水の分解による酸素の生成に魔法力を割いている。

ここで達也が分解を使えば敵は倒せるかもしれないが、敵の正体が理解できなかった。

 

達也の目はイデアを見ることはできても、霊子までは見ることはできない。

今はCADもなく、達也に出来る魔法も限られている。

 

物理的に引きはがそうと達也が水中を切った瞬間、雅の足を捉えていた拘束は解除された。

それはサメのようだった。

草食の小柄なサメで、黒いものを威嚇するように泳ぎ回っていた。

ナニカの方はその場から動かなくなった。

達也は敵の攻撃が無くなったと判断すると、力の抜けていた雅の体に腕を回した。

薄気味悪さも感じながら、達也は水圧と息の量も考え、排除より撤退を優先した。

達也に気が付いた雅は魔法を使い、達也にもかかる水圧を軽減した。

達也は泳ぐスピードを上げ、水面に顔を出した。

 

 

「ゲホッ」

「大丈夫か、雅」

 

多少水を飲んだようで、雅は軽く咳き込んだ。

力も入らないのか、達也の腕に捕まるようにしていた。

 

「何とか・・・ありがとう、達也」

「ああ。それより急いでこの場から離れよう」

 

海岸を見ると、短時間ではあり得ないほど沖まで流されていた。

潮の流れもあり、ここから雅を抱えて泳ぐには時間がかかりそうだった。

いつさきほどのナニカが出てくるか分からないため、水蜘蛛を使おうとしたところで達也は妹が手を振っているのが見えた。

さらにその手にはCADを握っているのが見えた。

ふわりと達也と雅の体が軽くなり、海水から空中に浮く。

息切れをおこし、力が入らない雅を達也は横抱きにした。

 

「達也、抱えなくても大丈夫よ」

「いいから、捕まっていろ」

 

恥じらう雅を言いくるめ、二人は深雪の魔法によって波打ち際まで運ばれて行った。

 

「雅さん」

「お姉様、大丈夫ですか」

 

二人が砂浜まで到着すると、すぐさま友人たちは二人の元へ駆け寄った。

明らかに雅の顔は蒼白だった。

いきなり大きな波にのまれ、尚且つCADなしに複雑な魔法をつかっていたのだ。

命の危険もあり、消耗は計り知れなかった。

 

「雅さん、足が・・・」

 

口を覆って震える美月。

美月に言われて雅の足に目を向けた面々も驚きを隠せなかった。雅の足にはまるでロープのようなもので縛られたかのように、赤い線がいくつも絡みついていた。

 

「大丈夫、直ぐに治るわ」

 

心配させまいと雅は笑おうとするが、声には覇気がなかった。

 

「ひとまず戻ろう」

 

達也はそのまま雅を抱え、別荘へと戻っていった。

 

 




続きます。


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夏休み編3

前回の話、それほどホラーではなかったつもりなのですが・・・

お化け屋敷は笑いながら進み、絶叫系アトラクションも甲高い悲鳴は出ない鯛の御頭でございます。

さて、今回でバカンスは終わりです。
次は生徒会選挙を挟んで、論文コンペ編に入ります。


全員シャワーと着替えを終えると、リビングに集っていた。

別荘とあって、客室も十分な大きさがあり、個人個人にシャワー室が備え付けられていた。

バーベキューの予定ではあったが、そのような雰囲気ではなくなったため、急遽室内での食事に切り替えられた。

 

「しかし、なんであそこだけあんなに波が高くなったんだ?引き波で引きずられたにしては随分と沖に流されないか?」

 

「美月、なにか見えた?」

 

レオの問いかけに答える代わりに、雅は美月に質問を投げかけた。

美月は一瞬驚いたものの、恐る恐る口を開いた。

 

「はっきりとした姿は分からなかったんですけれど、精霊のようなものが波の中に沢山集まっているのが見えました。ただ、精霊よりはなんだか黒々として気味が悪い様子でした」

「間違ってはいないわ」

 

雅の言葉に全員が目を見開いた。

 

「なにがいたんだい?」

 

幹比古は唾を飲み込んだ。

彼には特別な目はない。神道系の術者であるが、実家は神職ではない。もしこれが悪意のある精霊ならば感知できただろうが、彼にとってはただ波が雅を攫ったようにしか見えなかったのだ。

 

「沈没船よ。登れなかった魂が残っているみたい。沈んだ後に慰霊祭もしてもらえてなかったみたいだから、恨み辛みが溜まっているようね」

「まさか、幽霊…」

「そうとも言えるわ。同じように見える美月ではなく、私を狙ったのは理解してほしかったみたいね」

 

雅は淡々と語った。

そこには襲われた恐怖もなく、ただただ冷静に見えた。

 

「現世(うつしよ)に体はなく、彼の岸にも逝けない。救いを求めているのでしょうね」

 

雅は窓に視線を向けた。

窓の外は濃紺の星空と白い砂浜、黒い海が広がっている。

雅のその目は海の更に遠いどこかを見つめているようだった。

その表情ははどこか儚げで、浮世離れしていた。

繋ぎとめておかなければ消えてしまいそうな、そんな危うさがあった。

 

「救うって言ったってどうするの?」

「死者への弔いの言葉くらい習っているわ。少し準備があるけれど、今日中に終わると思うわ」

「ちょっと、雅だけで片づけるつもり?」

 

エリカはムッとした声で言った。彼女としては今更蚊帳の外は聞き捨てならなかった。

 

「除霊なんて人様に見せられるものではないの。今回は私一人しかいないし、安全は保障できないわ」

 

雅はすっと目を細めた。

その声にエリカは気圧された。雅は決してエリカを下に見ているわけではない。

ここにいる友人たちは確かに皆魔法と言う優れた能力を持ったエリートである。

しかし、それとこれとはまた分野が違う。

彼女が行おうとしていることは彼らにとっては目に見えない存在との戦いだ。

迂闊に手を出せば火傷では済まない。

 

「確かに、そっちの知識はないけれど何もできないわけじゃないわよ。特にミキと美月は役に立つわよ」

 

エリカはそれでも引かなかった。彼女は友人が危険に飛び込もうとしているのに傍観しているだけの弱虫でも腰抜けでもなかった。

 

「うん。九重さんだけの問題じゃないよ。準備とか何か手伝えることがあれば遠慮なく言ってほしい。」

 

幹比古の真意としては、あれだけの事があったのに気が付けなかったのは情けないから、挽回させてほしいという思惑もあった。

 

「お姉様、私もお手伝いいたします」

「そうだよ、雅。ここはうちのビーチなんだから、私が何もしないわけにはいかないでしょう」

 

深雪と雫の言葉に雅は思案した後、困ったように笑った。

 

「分かったわ。色々と準備もあるから、お手伝いは宜しくね」

 

 

 

雅が水垢離をしている際中、残った面々は雅に頼まれた物を作っていた。

雅が用意するように言ったのは、榊と神酒と船と蝋燭。

送り火と送り船だ。

榊と神酒はこの家にある神棚に備えているものの予備があり、直ぐに用意できた。

舟は達也が簡単な図面を引き、レオが森で適当な木を選び加工していた。

のこぎりや釘などはアウトドアのためにと倉庫に置いてあったらしい。

魔法も使えば木の加工も容易だった。

 

 

準備を終えると、雅が現れた。

白いシャツに白いスカート

長い髪は高い位置で結上げ、目元には赤い戦化粧を施していた。

口紅は引いていない。

化粧も目元の赤だけだ。

それなのに雰囲気がこれまでとは恐ろしく違った。

 

畏怖

 

それほどまで彼女の気は張り詰めていた。

能面のように表情のない顔はいっそ恐ろしいまでに美しかった。

 

「雅さん…」

 

友人たちはここでようやく理解した。

彼女が戦おうとしているのはそういうものなのだ。

 

 

 

別荘のビーチに雅たちは来ていた。

雅は波打ち際におり、それ以外の面々は幹比古が張った結界の中にいた。

雅は準備してもらったものを海に流した。

 

雅は3度、音を立てずに忍び手で柏手を打った。

無音で行うのは死者の霊を無暗に祓ってしまわないための作法だ。

 

舟は沖へと進む。

蝋燭の炎が海面を薄らと照らしている。月明かりのない暗い夜だ。

 

雅の口から祭詞が奏上される。

仏教では御霊が死後に極楽浄土に逝くのに対し、神道では家の守護神となる。

しかし、今回御霊は現世を彷徨ったまま、人を巻き込んでしまった。

浄土にも逝けず、守護神となる家もない。

祭詞で現世との縁を切り、彼岸に行くための舟を用意し、あの世へと渡すための祭詞を奏上しているのだ。

 

雅の口から紡がれる祭詞は海風の吹く砂浜でも響き、耳に心地よく残る。女性にしては低い声で紡がれる祭詞に身が震え、力強い声に圧倒された。

 

海上にあった舟は波に流されていたはずだが、一点で留まっている。

蝋燭の炎は煌々と燃え、新月の水面を照らしていた。

長い祭詞をよどみなく奏上し続けると炎が一気に燃え上がった。

雅は玉串を流すと、達也たちも結界から出て順に玉串を流す。

蝋燭の炎が消えると、船は暗い水平線に消えていった。

全員で忍び手を打ち、葬送は終わった。

 

 

 

 

 

 

 

雅の膝が崩れ落ちるよりも早く、達也は雅を支えていた。

 

「お姉さま」

「ごめんなさい。少し疲れたわ」

 

一人で立とうとするが、足には力が入っていなかった。

暗くて良く分からないが、顔色があまり良くない状態だった。

 

「あんなに魔法を連続で使用して大丈夫なはずありません!!」

 

深雪はぽろぽろと涙をこぼしていた。雅は申し訳なさそうに深雪の涙を指で掬った。

 

「もしかして詠唱?」

「正解よ、雫」

 

自分たちが聞いていた祭詞は詠唱による術式。

詠唱による術式は声にサイオンを乗せて、精霊を喚起する古式魔法の一種だ。

雅が詠唱を続けていたのはおよそ1時間。その間、ずっと魔法を使い続けていたことになる。

昼間の事を加味しても、消耗することは間違いなかった。

 

「普通は廃れて、忘れられてなくなるはずのものが偶々残っていて、うちは古式魔法の中でもそれが顕著なだけよ。お蔭で今回みたいに影響も受けやすいのだけれどね」

 

雅は流石に疲れたようで、ため息をついた。

本来であれば精進潔斎をこなし、祭祀用の服装で準備を整えて行うものだ。

正式な手筈を踏んでいない以上、多少強引な部分もあったのだろう。

魔法の使い過ぎで足元がおぼつかないため、昼間と同様、問答無用で雅は達也に抱きかかえられ運ばれていた。

 

「まさか一日で2回も達也に抱えられることになるなんて…」

 

雅は顔を手で覆っていた。彼女としては友人の前であろうと、なかろうとこれだけ達也と密着しているのは羞恥心以外の何物でもなかった。

 

「もう達也のところ以外にはお嫁にいけない」

「他にやるつもりも無いから安心していい」

 

雅がため息交じりにそう言うと、達也はしれっとそう返した。

 

「えっ………」

「ん?」

 

予想外の返答に雅は顔を赤らめ、達也は雅の反応が分からず首をかしげた。

 

「惚気ね」

「珍しいな」

「お兄様ったら、もう………」

 

エリカ、レオは友人の意外な姿に生暖かい視線を向けていた。

深雪にいったっては恍惚とした表情で二人を見ている。達也の無自覚もここまで来ると天然ものだと言いたくなる。

 

 

 

 

 

 

別荘のリビングに戻り、黒沢女史が淹れたお茶で一息ついていた。

お茶には詳しい雅や深雪納得の味ではあったが、レオは茶より茶菓子に舌鼓を打っていた。

 

「けどさ、私ビックリしたんだけど」

 

エリカがマカロンを口に運びながら言った。

 

「確かに私もこんな事態になるなんて思わなかったわ」

 

雅が困ったように笑った。確かに海に入ってはいけないことは知っていたが、まさか沈没船があるだなんて予想もしていなかった。先の大戦で戦艦の多くも海に沈んだが、大抵戦後に供養はされている。供養もされていないのか、はたまた不十分だったのか、いずれにせよ彼の岸に御霊は渡れたのだから、ひとまずは安心できた。

 

だが、エリカは首を横に振った。

 

「そうじゃなくて、達也君よ」

「お兄様が、ですか?」

「そうそう。あんな必死な表情の達也君なかなか見れないわよ。雅ってやっぱり愛されているわね」

 

にんまりと笑った顔に達也は面白くなさそうな顔をしていた。

 

「エリカ、それは今更よ。お姉様とお兄様の仲はたとえ海神だろうと引き裂けないということが証明されたわ」

「あらあら、お熱いことで」

 

深雪は満足げな様子で、エリカは呆れたように笑っていた。

深雪は兄が姉のことを人並み以上に大切にしているのを良く理解しているし、それを兄がよく理解していないのも知っていた。

 

兄は未だに姉のことを深雪のために大切にしていると思い込んでいる。

それ以上の感情はないと言い聞かせている。

雅を海中から助け出した際にあれだけ感情を露わにした達也に深雪は不謹慎ながら少し嬉しくもあったのだ。

 

「二人とも淡泊なんだろうとはおもっていたけれど、ちょっと意外だったわ。九校戦もあったことだし、これは二学期が大変ね。」

 

二人の関係性が一高生に知られた以上、達也の周りが今まで以上に賑やかになることは容易に想像できる。どこにでも噂好きの人はいるもので、部活に入っているエリカやレオなどは根掘り葉掘り聞かれることだろう。

 

「そうかしら。ほのかはどう思う?」

 

雅は何の気なしにほのかに話題を振った。

迂闊だったとしか言いようがないが、雅は疲れてる頭ではそこまで配慮する余裕もなかった。

 

「私ですか?そうですね。達也さんは確かにカッコいいですし、強いですし、私もそんなところが好きですけれど」

「え、ほのか…?」

「なに、雫?私変な事・・・・・・・きゃあああああああ」

 

ほのかは自分の発言を意識していなかったのか、茫然とする友人たちに首をかしげた。

そして言葉を思い返すと、顔を真っ赤にして立ち上がり、外へと飛び出した。

雫は慌てて、ほのかを追いかけて行った。

 

 

リビングに残された面々は何とも言えない雰囲気だった。

達也にはどうするのだと言う視線が投げかけられており、非常に心地が悪かった。

達也はいくら好意に鈍感だとしても今日一日の行動やあの発言を無視できるほど、鈍くはない。

九校戦の時も薄々と感じていたが、達也はほのかが何も言わなければ黙っているつもりだった。

 

「達也、二人を追いかけて。夜目が利くのは達也でしょう」

 

雅は淡々とそう言った。

その顔には怒りも悲しみもない、能面のような冷たさもない、いつもと変わらない表情だった。

 

「………分かった。」

 

達也は少し思案したものの、返事をしないわけにはいかないと部屋を出ていった。

達也が出ていった部屋では誰もが動かず、言葉を発しなかった。

 

 

 

 

リビングの窓から達也が走っている背中が遠ざかるのが見えた。

 

「いいの?」

 

エリカの声は心配と若干の怒りを孕んでいた。

婚約者である達也をああも簡単に送り出したことに腹を立てているのだ。

プライベートビーチとはいえ、混乱している状況なら思わぬ事故も起こるかもしれないし、昼間の一件もある。

ひとまず落ち着かせるにしても、迎えに行くのはレオや幹比古でもよかったはずだ。

 

「決めるのは達也よ」

 

雅は瞳を伏せた。

彼を縛っているのは深雪との主従だけだ。

雅との関係は所詮、名義上のものでしかなく、四葉に対抗しうる後ろ盾としての意味だ。

いくら雅が達也を愛そうとも、彼には雅を愛する心がない。

深雪以外に対する感情は白紙化されている。

およそ10年間、嫌と言うほど雅はそれを味わってきた。

愛情と言う名で達也を包むことはできても、彼から友愛以上の手を伸ばされることはない。

 

それでいいと自分を納得させてきた。

都合のいい女でいよう。我儘を言わない。彼にとってせめて大切だと思いたい人でいよう。

涙で枕を濡らすたび、何度も決意してきた。

それでも達也と過ごすたびに、触れあうたびにあふれ出す感情は泣きたくなるほどの愛しさだった。

 

九重と四葉の関係も知らないほのかが、純粋に達也個人を好きでいることは、雅にとって堪らなく羨ましかった。

雅が達也に向ける感情は恋と呼ぶには重すぎて、愛と呼ぶには息苦しい。

様々な思惑が絡まりすぎた関係の中で、雅が達也に向ける思いだけは一途だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

夏の日の出は早い。

東京よりさらに日の出のは早いこの島では、4時半を回るころには地平線がぼんやりと明るくなり始めていた。達也が目を覚ましたのは偶々だった。

普段の鍛錬でもこれほど早いことはない。

それでもなぜだか目が覚めてしまい、カーテンを開けると砂浜には人影があった。

達也は上着を羽織ると、静かに外に出た。

 

 

 

「早いな」

「達也もね」

 

達也が砂浜につくと、雅は精霊を集めていた。

雅にとって呼吸をすることと変わらない精霊喚起は日常の一つだった。

 

「昨日あれだけ魔法を使ったんだ。休んでいなくていいのか」

「ぐっすり寝たから大丈夫。思ったほど疲れは残っていないわ」

 

サンダルから覗く足には昨日の傷もなく、砂浜と同じ真っ白な肌があるだけだった。

あれは物理的な傷ではなく、霊傷のようなもので本人の霊力次第で治せるものだった。

 

二人はしばらく、ゆっくりと何も言わずに砂浜を歩いていた。

波の音が静かな朝によく響き、涼しげな海風が吹いていた。

 

「・・・・・気にならないのか」

 

達也がほのかと雫を連れて別荘に戻ってきた頃には雅は既に部屋で休んでいた。

どうやら深雪が無理やり寝かしつけたらしい。

きっとあの場にいては雅もほのかにも悪いと思ったのだろう。

 

「ほのかが告白した。達也はそれを断った。その事実だけでいいのよ。

それに、全てを告げて断ったわけではないのでしょう」

 

確かに事実だけ言えばそうだ。

淡々とした言葉に、怒りも悲しみも無いように感じた。

揺るがない背筋の伸びた雅が達也の隣にいるだけだ。

 

「時々思うの。薔薇の名が薔薇ではない別の名でも香りには変わりはないのにね」

 

雅は足を止めて、達也を見上げた。静かな瞳は達也を真っ直ぐに映していた。

 

「捨てられる名があるのなら、今すぐにでも。

だが、新たな寝床が棺桶になるのならば、深雪を泣かせてしまうな」

 

達也の返答に雅は意外そうな顔をしていた。

 

「分かったのね」

「シェイクスピアだろう」

 

シェイクスピアの名作、ロミオとジュリエットの一節だ。

二人の間にあるのは大きすぎる家の名前だった。

二人を縛る関係もまた、家が決めたことだった。

 

「これでも、かなり妬いているのよ」

 

先ほどの表情も嘘のように、雅は泣きそうなのに笑った。

気丈に振る舞う姿に達也はいつも騙されている

そんな顔をさせてしまうのは、その後ろに報われない感情があると知っているからだ。

そしてその思いに応えることは自分はできないでいた。

雅に思いを告げられて、決して短くない時間が過ぎた。それでも達也は未だに自身の中の感情に名前を付けかねていた。

 

 

朝日が昇り出した。水面は太陽に照らされ、輝いている。

 

「達也」

 

雅は光を背に浴び、より一層その笑顔は眩しく見えた。

 

「好きよ」

 

たった三文字に込められた雅の思い。

朝の静かなビーチに雅の声はより澄んで聞こえた。何度目かも分からないほどの告白は、狂おしいほど愛しく彼のことを好いていると声は語っていた。

 

達也は応えるかわりに雅を抱き寄せた。

そうすることしかできない自分を誤魔化すように、腕に力を込めた。

 

 

 

 

 

二日目は一日目のことを払拭するかのように、深雪は全力で達也と雅に甘えていた。

ほのかも、断られることは理解していたのか、少し吹っ切れたように遊んでいた。

雅は今日も砂浜で楽しげに遊ぶ様子を眺め、時折波打ち際での遊びに参加していた。

 

 

 

バカンスを満喫し、バーベキューも楽しみ、充実した一日となっていた。

しかし、お泊りに欠かせないのが夜更かししてのおしゃべりであり、醍醐味であった。

 

「んじゃ、普段は聞けないあれやこれ、語っちゃってください」

「いえーい」

 

エリカの明るい声に雫の淡々とした声が応じた。

部屋に集っていたのはエリカ、美月、雅、雫の女子4人だった。

深雪は昨日の事で悶々としていたことと、今日はしゃぎ過ぎたことで既にベッドに入って夢の中だ。ほのかも昨日のことで寝不足であり、睡魔に負けて同じく夢の中だ。

 

「んじゃ、まず馴れ初めから」

 

エリカはマイクを持つふりをして、雅に話を強請った。

夜に女子が集まれば、話の内容は恋バナか愚痴だと相場が決まっている。

意外なことに雫も興味津々の様子だった。

 

「馴れ初めね…深雪と達也って年子でしょう?

お母様も体力的にきつかったみたいで、私の家に達也が預けられることが多かったの。」

「へー、じゃあ幼馴染ってこと?」

「そうとも言うわね。小学校になってからは、連絡は取り合っていたけれど年に数回会う程度よ」

 

ふむふむとエリカと雫は頷いていた。

 

「生まれながらの婚約者って言っても、雅は達也君のどこに惚れたの?

幼馴染から男子として意識するようになったのはいつ?」

「あんまりいつからとか、明確にはないかな?気が付いたら好きだったってことなんだと思う」

「なんだか素敵ですね」

 

美月の言葉に雅はありがとうとお礼を言った。

美月自身、自分が恋愛の話を振られることは苦手だが、興味がないわけでもなかった。

特に純愛と言うものは憧れるし、身近に恋人同士である雅と達也話は興味があった。

 

「じゃあ、もうちょっと際どい質問しちゃおうかな。ズバリ、ファーストキスはいつ?」

「エ、エリカちゃん」

「あ、私も気になる。そもそも達也さんってキスするの?」

 

真っ赤になる美月とは対照的に、雫とエリカは前のめりになって話を聞き出そうとしていた。

今までの質問は特に顔を赤らめることなく答えていた雅は流石にこの質問には頭を悩ませていた。

 

「答えなきゃダメ?」

「うん」

「聞きたい」

 

エリカと雫は即答だった。

あの淡泊な達也が雅と深雪だけに対しては甘い。

しかも雅とは婚約者であり、雅は実家が京都なのにわざわざ一高を受験したほどだ。

これで達也がなにもしていないとは言えない。

むしろこのような美人を目の前にして何もない方がおかしい。

 

「あんまり言いたくないけど、事故なの」

「へ、事故?」

 

渋々口を開いた雅にエリカは思わず聞き返した。

 

「組手をしているときに私がバランスを崩して、倒れ込んで、ぶつかったって言い方の方が合ってるのかな」

「・・・なんか、一昔前のラブコメみたいな展開ね」

「むしろ少女マンガだと思う」

「それね」

 

苦笑いを浮かべるエリカに雫がぽつりとつぶやいた。

表情が分かりにくいが、雫も少し意外に思っているようだった。

 

「んで、ファーストキスはともかく、普段から達也君はキスとかしてくれるの?

むしろもう全部美味しく頂かれちゃった?」

「エリカちゃん、それは流石そこまで聞くのは良くないよ」

 

美月は顔を赤らめながらエリカを諌めていた。

結婚前に婚前交渉をしない女子が増えたとはいえ、女子高校生であればその手の話にも興味が出てくる。それが朴念仁と言われる達也だろうが、清純そのものに見える雅だろうが気になるものは気になる。

 

「私今朝見たよ。達也さんがぎゅーって抱きしめてたよね」

 

雅が答えるより早く、雫が爆弾を投下した。

雅が思い出していたのは今朝のこと。

あれを見られていたのかと思うと、雅は顔に熱が集まった。

昨日抱えられているところを友人たちに見られたのは、まだ仕方ないと自分を言い聞かせることができる。しかし、今朝の事は事故でもなければ怪我でもない。

 

自分から求めたわけではないが、達也は抱擁なら厭うことなくしてくれる。

応えられない代わりに、慰めであるかもしれないが、雅はそれ以上を望まないようにしていた。

雅は赤く染まった顔を抱きかかえていたクッションに埋めて隠した。まさか見られていただなんて露にも思わなかった。

 

「海に飛び込んで泡と消えたい」

「人魚姫みたいなこと言わないでよ」

 

ケラケラと笑うエリカはこの調子だとキスまでいっているかすら怪しい雰囲気だと思った。

 

そうして二日目の夜は更けていった。

 

 

 

 

一方、そのころの男子部屋でも似たような話題となっていた。

 

「なあ、達也。ぶっちゃけ雅さんとはどこまで進んでんだ?」

「ぶっ!!」

 

レオの直球の質問に幹比古は飲んでいるお茶が気管に入り、咽ていた。

男子も3人で部屋に集っていた。正確にはレオに誘われて、夜更かしをしているという言い方が正しい。

 

「それを知ってどうするんだ?」

 

達也は呆れたようにため息をついた。

この手の類は先輩方からも受けてきたが、いざ友人にも聞かれると返答に困った。

 

「どうするっていうか、単なる興味だ」

 

レオはしれっと言い放った。

 

「実際、達也と雅さんの婚約はなにか理由があるのか」

 

雅は日本有数の名家の出であり、魔法師のコミュニティ以外からの婚姻申込みも多いらしい。

それが生まれながらにして婚約とは意図があっても不思議ではなかった。

 

「好奇心は猫を殺すぞ」

「退屈は人を殺すぜ?」

 

達也の鋭い視線に飄々とレオは応えた。

伊達に幾度か危ない場面を切り抜けたことがあるため、肝は据わっていた。

 

「母親同士が友人で、予定日も近かったから男女であれば結婚させようと約束していたらしい」

「一昔前のドラマみたいな展開だな」

 

レオは今時そんな珍しい婚約もあるのだと意外な気持ちだった。

一方の幹比古は達也の答えだけでは足りない気がしていた。

古式魔法の大家。神職としても高位にある九重が母親同士の約束だけで婚姻を決めるということは、疑問が多すぎた。

 

「んで、幼馴染だったんだろう。どこまで進んでんだ?」

 

レオの目は答えるまで逃がさないぞと語っていた。

なぜこうも人の恋愛事情が気になるのか達也にはイマイチ理解できなかった。

 

「幹比古、女性が神職としてあるための一般的な条件はなんだ?」

 

幹比古は不意に問いかけられ、一瞬肩を上げた。

 

「えっと、現代は昔の決まり事とは違うだろうけれど、未婚の女性であることだよね」

 

昔は巫女とは神に仕える身であり、神に奉仕する立場であった。

故にその身は純潔でなければならず、婚姻は愚か恋愛も禁じられていた。

現代では法律も変わり、仏教徒も神道教徒も肉食の禁はなく、婚姻の自由なども認められている。

 

「では未婚とはどんな状態を指していたか分かるか?」

「それこそ九重神宮ができたくらいの昔をいうのならば、未婚は…あ!!」

 

達也の発言の意図に気が付いたのか、幹比古は顔を赤らめた。

九重神宮は格式高く、歴史も古いため昔ながらの風習も残っている。

 

「おい、どういうことだ?」

 

一人話についていけないレオは不満げに幹比古に理由を求めた。

幹比古は申し訳なさそうに視線を達也から逸らした。

 

「つまり、その…達也が九重さんとの関係性を進ませればそれは婚約ではなく、婚姻になるっていうことだよね」

「ああ」

 

未婚とは言ってしまえば処女だ。純潔を散らすことは婚姻と同じであり、達也がもし雅に手を出せば、婚約者から晴れて夫に格上げされる。

 

レオは達也を信じられないような目と同情を込めて見ていた。

あれだけの美人がいるのに手出ししようものなら、婚姻待ったなしなのだ。

現代は女性が結婚まで貞操を貫くことは普通でも、男性は昔も今も経験のあるなしは一種のステータスだ。

ましてや達也は婚約者という将来が決められた相手がいたとしても、欲望のままに求めることはできないのだ。

 

達也は自身の性質上、そう言った欲も薄く、別段困るようなことではない。

しかし、世間一般から見れば達也の境遇は生殺しそのものであり、レオは無言で達也の肩を叩いた。

 




達也「解せぬ(´・ω・`)」


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生徒会選挙編

日に日に暑さが増してきましたね。夏生まれなので、そこまで夏は嫌いではないのですが、照りつける日差しを憎らしく感じることはあります。

さて、生徒会選挙です。
この辺はストックがないので時間がかかりました。
生徒会選挙といっても、話題に出るだけで話にはあまり出ません。
さらっと流して、横浜事変を書きます。


生徒会選挙

 

魔法科高校の夏休みは8月31日までである。

この長さは一般的で、芸術系高校や体育系高校は9月半ばまで夏休みとなっている。

二学期最初の目玉は生徒会選挙、といっても大抵候補者は一人の信任、不信任を問う選挙となっている。

数年前、自由な生徒会長選挙を公約したところ、魔法の連発の血で血を洗う選挙が繰り広げられたらしい。

 

クラスでも選挙の事は話題になるが、今年は服部先輩は部活連会頭に十文字先輩から推薦されているらしい。

それならば生徒会長は元生徒会役員の中条先輩だが、彼女は生徒会長にはならないと言っている。つまり、現段階では候補者がいない状態なのだ。

 

「雅。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、今時間ある?」

「ええ、大丈夫よ」

 

部活の前にエイミィとスバルがクラスにやって来た。

彼女たちとは九校戦を通じて親しくなった仲だ。

二人ともこの後部活だそうで、一緒に部活棟のある方へと向かった。

 

「雅は生徒会選挙についてなにか聞いてる?」

「僕らのところには面白い噂が入ってきてね」

「ああ。達也が出馬するか、深雪が出馬するかっていう噂でしょう」

 

私がそう指摘するとエイミィもスバルも驚いていた。

 

「耳が早いね」

「部活で割と情報通な人がいるからね」

「ああ、【図書の魔女】だろう。あの人なら、情報が早いのも納得だ」

 

祈子さんは割と情報通だ。古今東西の書籍を漁っているだけではなく、マルチメディア部とも仲がいい。仲がいいと言うより腐れ縁だとも彼女は言っていた。

 

「ぶっちゃけ、雅なら知ってるかと思って来たんだ」

 

エイミィはえへへと申し訳なさそうに頭をかいた。

 

「それで実際の所どうなんだい。2年生にも優秀な人はいるけれど、会長になるには生徒会経験があると言うのが暗黙の了解だろう」

 

スバルは面倒な言い回しをせずに、単刀直入に聞いてきた。

眼鏡の奥の瞳は好奇心が見え隠れしていた。

 

「もしなるとしても、達也の所属は風紀委員会だし、彼自身立候補することはないと思うわ。可能性があるのは深雪だけれど、順当に行けば去年の総代の中条先輩をどうにかして立候補させると思うわ」

 

七草先輩と市原先輩が抜けると、その穴にはおそらく総合成績でも優秀な五十里先輩が選ばれるだろう。

千代田先輩は渡辺先輩が後継に据えることにしている。

書類整理ができる私と達也もそのまま風紀委員会に残ることになるだろうし、深雪は来年の時点で生徒会長に推薦されること間違いないだろう。

 

「ちなみに雅が出馬する可能性は?」

 

エイミィが面白半分に聞いてきた。

 

「ないわよ」

「えー。面白くない」

「そもそも私は風紀委員なのだけれど」

 

呆れたように言うと、スバルもエイミィも忘れていたと言わんばかりの雰囲気だった。

 

「なんか、雅も深雪と一緒に生徒会のイメージだった」

「仕方ないよ、エイミィ。

風紀委員になって目立った荒事は司波君に向いていたからね。

優秀な旦那さんは僻まれることも気にしないようだから、雅の気苦労が増えそうな予感がするよ」

 

スバルの旦那さんと言う言い方が気になったが、からかい半分なのだろう。

 

「あとさ、深雪さんと雅って実は付き合っているって本当?」

 

一瞬、エイミィの言葉の意味が理解できなかった。

 

「ごめんなさい、聞き間違いじゃなければ私と深雪が交際していると言ったのよね」

「うん」

「それは僕も初耳だなあ」

「九校戦が終わったあたりから一部では噂されてるよ。女の子同士だし、雅には司波君がいるし、私はあくまで噂だって分かってるんだけどね」

「冗談じゃないって思っている人がいるのね」

 

どうしたらそんな噂が立つのだろうか。

現代では同性愛は欧米各国にならって一部の地域では婚姻関係のような制度も認められている。

しかし、魔法師の中では優秀な次世代育成のために一種のタブーと言われている。

 

「深雪さん、雅さんの事大好きでしょう。だからあながち間違いじゃないかなって」

「確かに、君たちの百合説は時々噂されていたからね。

愚かな男子生徒の目では麗しの司波さんと雅の距離が近すぎるのが、禁断の関係に見えるのだろうね」

 

これには閉口するしかなかった。

確かに深雪は私の事を好いてくれているが、それは敬愛であり、恋愛感情ではない。

実の姉のように慕ってくれており、私も実の妹のように大切にしている。

確かに達也との関係性を知らない赤の他人から見れば、確かに達也と私ではなく、私と深雪に見えなくもないかもしれない。

それでも恋人だなんて行き過ぎた噂だ。

 

「深雪は義妹よ。恋人になるわけないじゃない」

「勿論知ってるって!じゃあさ、司波君と一夏の焼けるような思い出とかなかったの?」

「それは是非、聞かなければならないね」

 

エイミィとスバルはニマニマとした表情を浮かべていた。

人の色恋沙汰はどこに行っても女の子の話題になるのだろう。

 

「残念ながら特にないわよ」

「えー、実際面白い話の一つや二つ、あるでしょう」

「ご想像にお任せするわ。ほら、部活の始まる時間でしょう?」

 

エイミィとスバルはグラウンドの方向で、私は図書館の方向なので玄関付近で別れることになる。

後で絶対教えてねーとエイミィは言い残し、二人は部活へと向かい、私も部活を行っている部室へと向かった。

 

 

 

 

 

端末をかざし、部室のある特別エリアに入る。

およそ一か月ぶりに入った特別エリアはいつもより、漂う精霊も多く、霊子も活性化している。

これはなにか特別な書物でも入ったのだろうか。

支給されたサイオン感知式の鍵を差し込んで部室に入ると、一気に光の渦が溢れだした。

 

「やあ、雅ちゃん」

「失礼します。何を持ってきたんですか?」

 

部屋には祈子さんと渡良瀬先輩の二人がいた。

他の部員はまだのようだった。

 

「おや、流石に目がいいね」

 

机の上には古い扇があった。

骨組は黒漆、金箔の張られた紙は古いがかなり豪奢な雰囲気だ。

第一、とてつもない霊子がそこからあふれ出していた。

 

「渡良瀬君の実家の蔵の虫干しの途中で出てきたものらしいよ。巻物も一本入っていてね。これが解読したものだよ」

「仕事が早いですね」

 

祈子さんが端末を操作すると壁のモニターに読みやすくされた原文と、現代語訳の文章が映し出された

 

「『菊花水霊祭』って言って、うちの寺で昔、大神楽をやったらしい」

 

『菊花水霊祭』とは聞いたことのない物だが、時期を考えると重陽の節句なのだろう

映写された解読記録を読み進めていくと、どうやら魔法儀式の文献だったようだ。

歩法による術と扇を使った舞。

様式は少し異なるが、九重神楽と似通った部分も多い。

ただ、これは神楽ではなく重陽の節句に合わせた祈祷の舞だろう。

 

九重神楽は魔法を使った神楽として唯一現存しているものだが、かつては魔法を使った神楽や祈祷術など九重以外にも存在していた。

しかし明治の文明開化の流れと共に、神仏に対する信仰心が薄れ、科学が台頭すると、ひっそりと姿を消すようになった。

大よそが口伝としか伝えられない術式や、記録はあっても歩法自体が衰退してしまったため、再現不可能となりお蔵入りされている。

昔は書籍も電子化されていなかったために戦争で焼失してしまったものも多い。

 

「流体制御の術はこの夏修得しているんだろう。歩法自体は難しくないし、君なら易いことだよね」

「私が舞う事前提ですか」

「君の実家は今、重陽の節句の準備で忙しいだろう。うちの次郎君は残念だが流体制御はできない。楽師なら十分用意できたし、既に準備もさせている。それとも9日は既に予定があったかな?」

 

祈子さんはにっこりと笑った。

どことなく含みがあるのはいつもの事だ。

外堀はきちんと埋めてから私に話を持って来ているのだろう。

そうでなければこんなに短期間で話を持ってくることはない。

一週間あれば精進潔斎としては十分だし、舞そのものも確かに難しいものではない。

 

「場がなければ、九重寺を借りているところでした」

「それは僥倖」

 

私の答えに祈子さんは満足げに頷いた。

用意しているのならば、もっと早く連絡してほしかった。

 

「本当に良いのか?」

 

渡良瀬先輩が眉を顰めながら聞いた。

自分から持ち出した話題とは言え、こんな急な展開で良いのかという問いも含まれている。

 

「むしろ女人が寺で舞っても良いのかどうかですね。宗派によっては禁制の所もありますが、大丈夫なのですか」

「ああ、問題ない。爺さんに話したら、今世一番の誉れだと言ってたよ」

「これも何かの縁でしょう。積極的に客集めをするようなことがなければ、私は構いませんよ。祈子さんの事だから九重(ウチ)に許可は取ってあるんでしょう」

「ああ。ぜひ舞わせてやれと言われたよ」

 

祈子さんはにんまりと笑った。

実家にまで話を通されているなら、私が肯定しない理由はない。

流体制御の術式は夏の間に習得しているし、丁度いい機会でもあった。

 

「じゃあ、今日からウチで合わせをしようか。衣装も取り寄せたから、それの合せもだね」

「今更だが、一週間かそこらの準備で間に合うのか?」

 

渡良瀬先輩が画面を見ながらそう言った。

術を知らないと人から見れば、さぞ難解なものに見えるのだろう。専ら古典部でも取り扱うのは詠唱が多く、歩法など文献でしか見たことがないそうだ。試してみた人も歴代にはいたそうだが、軒並み実験は失敗していた。

 

「色々と準備があるなら、私も手伝いましたよ」

 

困ったように私が笑うと、祈子さんは肩をすくめた。

 

「そりゃ私の趣味半分に本家様からお手伝いいただくのは申し訳ないのさ」

「満足いくものしか見せたくなかったの間違いでは?」

 

研究者肌の祈子さんの事だ。解読も終わらないうちに九重に依頼をすることは、彼女のプライドが許さなかったのだろう。

夏前に発表した地脈を利用した持続型術式のことで学会にも呼ばれていただろうし、夏休みといっても時間はなかったはずだ。

 

私の言葉に祈子さんは珍しく苦い顔をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新学期が始まって一週間を過ぎたころ、生徒会長選挙が公示された。

関心が薄かった生徒たちも、あずさや服部が出馬しないと言っている以上、誰がでるのか関心を持ち始めていた。

達也は自分がなぜか生徒会長選挙に出馬すると先輩や教員の間でも言われていることに疑問を感じた。

それがどうやらカウンセリングの先生からも聞いたと友人たちが言うのであれば、これは事情を聴かなければならないと密かにため息をついた。

 

 

「生徒会選挙の事もあるだろうけれど、専ら話題なのは達也君が深雪と雅に二股かけてるって話でしょう」

「は?」

 

達也は思わず、間の抜けた声が出ていた。

自分の聞き間違えでなければ、確かにエリカは達也の二股疑惑を口にしたのだ。

 

「または、深雪と雅が付き合っているって話ね」

 

達也は思わず言葉に詰まった。幹比古やレオも同じく呆気にとられていた。

エリカはその様子に肩をすくめ、同情半分、からかい半分で笑った。

 

「九校戦の時に、雅と達也君が婚約しているって広まったでしょう。

それが一部受け入れられない男子達の願望も入って、伝言ゲームで達也君と雅じゃなくて、深雪と雅になったり、達也君が二股って話に挿げ変わったみたいね。」

「どこからその情報を仕入れてきたんだ」

「私は部活の先輩からよ」

「私も部活で聞きました。結構広まっているみたいですよ」

 

噂好きのエリカはともかく、交友関係の広くはない美月の所まで広がっているなら達也が想像していた以上に噂は広められているのだろう。

流石の彼でもどう反応していいか分からない状況だった。

 

「災難だね、達也」

 

幹比古は苦笑いを浮かべた。幹比古としては慰めたつもりだったが、達也にはそうは聞えなかった。

 

 

「俺と深雪は兄妹だし、雅と深雪は女同士だろう。どうしてそんな噂に行きつくんだ」

 

達也は深いため息をついた。

自分と雅の事が広がるのはまだしも、女性同士が付き合っているとは随分ゴシップの好きな生徒もいるのだと呆れていた。

 

「深雪って雅大好きで、雅も深雪の事すっごく可愛がっているでしょう。

入学した時から百合説は出ていたし、あれだけ二人とも美人なら禁断の愛もありって盛り上がる男子もいるんじゃないの?」

 

エリカはニマニマと面白そうに笑った。

 

同性愛は魔法師の中では一種のタブーだ。

次世代を早期に求められる魔法師にとって、大学在学中であっても産休、育休を取ることは珍しくない。

同姓しか愛せない魔法師は体外受精を行うか、仮面夫婦を演じるか、一生独身を貫くしかないだろう。

そんなドロドロとした事情もしらない高校生たちは面白半分に噂と思っていても、流布して回っているのだろう。

 

「達也、後ろから刺されないようにな。防刃チョッキでも仕込んでおくか?」

 

レオは達也の肩を叩いた。

 

「一昔のチンピラみたいなセリフだな」

 

レオのいい笑顔に達也は今度こそ、深くため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

九月九日金曜日

 

空は茜色から、闇色に変わり、夜の帳が降りる。

荘厳な木造の寺には、多数の人が訪れていた。

現代的な光はなく、灯篭や行燈のおぼろげな明かりが照らしている。

庭には菊の鉢植えが互いを競うように咲き誇っている。

 

白、黄色、赤、紫、橙

厚物、大掴み、管物、小菊

 

色とりどりの鉢植えは、さながら菊の展覧会の様だった。

人々は見事な菊に目を奪われ、華やかな香りを楽しんでいた。

 

「大きなお寺ですね」

「本当に私たちも来てよかったんでしょうか」

 

東京都内、それもかなりの敷地と規模を誇るその寺院は多くの人が集まっていた。

だが、学生の姿は達也たち以外にはなく、どことなく美月やほのか達は居心地が悪そうだった。

 

「招かれたのだから、来ない方が失礼よ」

「雅さんは先に来ているんですよね?」

「ええ。そうよ」

 

雅を除いた達也たちいつもの7人は東京の外れにある寺に来ていた。

学校からそれほど遠くないこの寺の敷地は広大で、本堂の他にも三重の塔や大きな池もあった。

池には大輪の菊が浮かべられ、流し灯篭を模した明かりが水面に反射している。

鈴虫の鳴く静かな夜に空からは三日月が仄かな光を地上に届けていた。

 

「お、司波か」

「鎧塚先輩もいらしていたのですね」

 

達也は寺の境内に九校戦で知人となった鎧塚の姿を見つけ、一礼をした。

その隣には見慣れない外国人がいたが、制服を着ていたのでどうやら一高生の様だった。

達也たちの視線を感じてか、彼女は丁寧に腰を折って礼をした。

優雅な礼はそれ相応の教養の良さを感じさせた。

 

「はじめまして。マリアナ・ハーフフォルト。図書・古典部の2年生です」

 

彼女の事を達也は名前だけ知っていた。

春の新入生の部活勧誘期間で、西洋魔導書の公開実験を行った生徒だ。

風紀委員の辰巳が現場そっちのけになりそうなほど、派手な実験だったらしいとは聞いている。

魔導書を解析した論文も達也は目を通したが、西洋独自の起動式は彼の知識欲を刺激する物だった。

 

「司波も渡良瀬先輩に呼ばれた口か?」

「いえ、雅からです」

「ああ、主役に呼ばれたんなら来ないわけにはいかないな」

「鎧塚さん、雅が主役ってどういうことですか?」

 

エリカは達也の前に出て、鎧塚に尋ねた。

彼女は剣道部と剣術部繋がりで鎧塚とは面識があった。

今日エリカたちが連れてこられたのは、雅の招待があったからであり、勉強になるだろうと達也の後押しもあったからだ。

具体的に何があるかは聞いていないが、特にこれといった用事もなかったため、全員が参加することにしたのだ。

 

「司波、お前言ってないのか?」

 

意外そうに鎧塚は達也に聞いた。

 

「純粋に楽しむためならば、余計な知識はない方がいいと思いまして」

 

達也はいつも通り答えたつもりだったが、口にはかすかに笑みが浮かんでいた。

その笑みに気が付いたのは正面にいた鎧塚と、口ぶりで気が付いた深雪だけだった。

鎧塚は一瞬眉を顰めたが、ふっと笑いを零した。

 

「まあ、一理あるな。そろそろ時間になるだろうし、場所は取っておいた方がいいだろうな」

「そうですね」

 

疑問符の残る友人と共に、達也たちは神楽が行われるという池の前に移動した。

 

 

 

 

 

 

広大な寺の敷地に合わせて、庭の池も50mプールが悠々と入ってしまうほど大きい。

柔らかな行燈の光に照らされた水面は大輪の菊が風に揺れて移動している。

 

池の周囲にはいくつか席が設けられており、達也たちは中央を少し外れた席を取ることができた。

既に席についている人物の中には大企業の社長や国会議員の姿もある。

 

留袖姿のご婦人やスーツをきっちり着込んだ壮年の男性が多い中、制服姿の達也たちは良くも悪くも目立っていた。

何人かは不躾な視線を向けてきたが、場が場であるため、恥を塗りたくる様な人物はいなかった。

 

用意された席がすべて埋まると、客席の灯篭の光が一つ、二つと消えていった。

徐々に薄暗くなる境内。

そうして本堂から池に続く道だけに行燈が残っている。

 

本堂のすぐ脇には白い布で囲まれた衝立がある。

外からは一切中の様子は見えず、白い布で四方と天井が覆われている。

観客の視線が自然と其方に向くと、チリンと鈴の鳴る音がした。

僧侶たちが大きな白い布に棒が取り付けられた『行障』を手に取り、衝立を更に囲った。

 

チリンと再び鈴の音が鳴ると、僧侶たちがゆっくりと歩き出した。

どうやら衝立の中から何かを移動させているようだ。

僧侶たちの後ろには楽器を持った袴姿の神職たちが続いている。

ゆっくりと鈴の鳴る音に合せて白い布の列が移動していく。

中の様子は全く窺い知れない。

 

 

やがて池の前までくると、楽師たちが位置についた。

チリンと鈴の音が高らかに鳴ると先頭で行障を住職が開いた。

 

恭しく僧侶たちが頭を垂れる。

行障の中から鈴の音に誘われて現れたのはまだ年端もいかない少年だった。10歳を過ぎたばかりかそこらの幼い少年だ。

 

真っ黒で長い髪は殿上童の鬟に結われ、衣装は白い童子狩衣、濃紺の袴。

狩衣には手毬菊の文様が描かれており、衣裏は黄色になっていた。

 

白皙の美貌と一重の涼しげな目元が印象的な少年だった。

怖ろしいほど左右の均整のとれた端正な顔立ちをしており、どことなく儚い印象を与えた。

だが、決して弱々しいのではない。

黒い瞳は黒曜石の様で、いっそ神々しいような、おとぎ話の精霊のような神秘的な気配を漂わせていた。

 

年端もいかない少年に驚く観客たちには目もくれず、少年が水面に足を下ろすと、水面が鏡面のように変化した。

風で小さく波打っていた水面は、止水となり、池の一面が鏡のようになったのだ。

少年は一歩、二歩と水面を優雅に歩いて行った、

鏡のような水面は水に浮かぶ行燈や菊も鏡のように映し出し、少年の姿もまるでもう一つの世界がそちらにあるかのように鮮明だった。

 

少年が池の中央に立つと静かに扇を取り出した。

 

観客は浮世離れした光景に息を呑み、その光景を見守っていた。

少年が扇を振ると同時に、管弦が軽やかな音色を奏でる。

扇を一振りすると水面の菊が動き出した。

管弦に合せて舞う少年に合わせ、菊花も動いている。

 

少年が扇で水を攫うとその水は空中に漂った。

管弦の音を受け、少年が扇を振るうたびに自在に水は空中で形を変えた。

時には兎を、時には龍を、時には蝶を、時には虎を

少年が舞い、水面に触れるたびに水は意思を持っているかのように動き出す。

水を操り、狩衣を翻すその姿は実に優美であり、高雅であった。

ただ少年の舞う姿だけではなく、鏡面のような水面に映る姿や、行燈の光も幻想的な美しさを助長していた。

周囲の水もまるで少年を彩るように舞っていた。

観客たちは瞬きを忘れ、ただその光景を見入っていた。

 

 

管弦が高らかに鳴り響くと水は収束し、水面へと還った。

これでまだ曲の前半でしかない。

 

少年が水面から黄色の菊を拾い上げ、口元に運んだ。

大菊に口付けした伏し目がちな表情は高貴な人を盗み見た様であり、得も言われぬ感覚を観客たちは味わっていた。

 

少年は水面に菊をゆっくりと降ろすと、水面に手を入れた。

すると菊の花が散り、水面の少年の影が消えると、少年は何かを引き上げた。それは少年と瓜二つの顔をした人であり、衣装は黄色に白菊の文様が描かれていた。

 

楽が始まると、少年たちはそこが鏡であるかのように同じ動きで舞いだした。まるで今まで水面の下で踊っていた少年が、現世に現れて舞っているようだった。動きは寸分たがわず同じであり、向かい合って踊っているときなどまるで鏡写しの様だった。

 

鏡面の下には少年たちの影は映っていない。

菊や行燈、空に浮かぶ月は写っていても、少年たちの姿はその下にはなかった。

 

 

二人の動きに合せて、水も二人を彩るかのように取り巻き踊る。

二人がすれ違いざまに笑む表情など、なんと美しいことだろうか。

ただただ、美しく、幻想的な舞に陶然としていた。

 

舞が終盤に向かうにつれて、楽も舞も勢いを増していく。

観客も食い入って見ていた。

笛の高い音と共に二人の手と手が重なった。

それと同時に二人の姿は花と散り、少年たちのいた場所には白と黄色の菊が浮かんでいるだけだった。

池も鏡面のような輝きから、ただの水面にもどり、小さく波打っていた。

 

全ては安易な光の映像による演出ではない。

池の中にも板など仕込まれていない。

あれはまさに神憑り的事象だった

観客は一人、二人と思い出したかのように拍手を始めた。

 

「本当、あれどうなってんだ」

「わかりません。けど、すごくきれいでした」

 

レオとほのかも熱気が抜けないのか、茫然と手を叩いていた。

 

「とにかく、凄かったわ。え、美月どうしたのよ!ミキも?!」

 

エリカは隣に座る美月とその隣にいる幹比古を見てギョッとした。

 

「え、エリカちゃん?」

「ちょっと、どうして二人とも泣いているの」

 

そこで美月も幹比古も自分たちが涙を流していることに気が付いた。

 

「え、あ、本当だ。なんででしょう。・・・私にもわかりません。

なぜだか涙が出て仕方がないんです」

 

美月は眼鏡を外し、涙をぬぐった。

あたりには美しい霊子が漂っている。

これほどまで清廉なものは美月は見たことがなかった。

ただ眩しくて苦しい世界が、これほどまで美しく見えたことは初めてだった。

 

幹比古も自分が泣いていたことが指摘されるまで気が付かず、恥ずかしそうにハンカチで目元を押さえていた。

ただ、感涙したわけではない

あれほどまで清廉で、力強い気を浴びたことがなかった。

水の精霊の波長は彼の元まで届いてきており、あの少年が精霊や神霊の類だと言われても幹比古は信じただろう。

それほどまで彼にとっては、彼の家にとっては珠玉にも等しい情景だった。

 

 

達也はこの光景をよく知っていた。

全ては魔法で構成されている。

楽師も演者も魔法師。

サイオンを通した音が池を鏡面に変え、菊を自在に動かしていた。

神楽は神への奉納の舞もあるが、同時に人々の幸せを願い舞われることもある。

 

九月九日は五節句の内の一つ、重陽の節句だ。

奇数を陽、偶数を陰とすると、九は陽の最上級の数であり、それが二つ重なると転じて災いとなるとも言われている。

別名菊の節句とも呼ばれ、無病息災と長寿を願って、菊酒を飲んだり、菊の朝露をしみこませた綿で体を拭いたりする。

 

明治以降、他の節句と異なり廃れていったが、一部では今も欠かさず行事として残っている。

 

「精霊や霊子に感受性が高いなら、何かしら感じるものがあってもおかしいことではない。念のために霊子が池より外にあふれ出ないように結界は張られている。体には問題ないだろう」

「達也はこれがなんだか知っているのかい」

 

幹比古は涙こそ止まっていたが、まだ気恥ずかしそうに顔を逸らしていた。流石に高校生にもなって人前で泣くのは羞恥心があるのだろう。

 

「一人だけこの場にいないだろう」

「まさか、これが九重神楽なのかい」

 

幹比古はごくりと喉が鳴った。

レオやエリカでさえ絶句している。

あれほどまで美しい少年が自分たちの良く知る友人とは夢にも思っていなかった。

 

「詠唱をしないだけ難易度はそれほど高くないだろう」

「確かに九重が重陽の節句に何もしないわけないか…」

 

幹比古はそう呟いた。

 

『九重』は宮中を示す。

五節句は宮中の年間行事が民間に広まったと言われている。

九重である雅がただ悠々としているわけではなかった。

菊の浮かぶ水面は、普通の水面に戻っていた。

あれが夢か精神魔法の一種だと言えれば、楽だったのかもしれない。

観客の何人かも椅子に座ったまま未だに茫然としている。

それほどまであの神楽は人を魅入らせてしまうのだ。

 

「深雪が雅に心酔するのも分かるわ」

 

深雪は未だ席で陶然と神楽の舞台を見つめていた。

その目にはしっとりとした熱を帯びており、まるで懸想しているようにも見えた。

達也は妹を現実に戻すために、そっと肩を叩くのだった。

 

 

 

 




入れようと思って長くなった蛇足。
五節句について

一月七日は魔除けと邪気払いのある七草を入れた粥を食べ、無病息災を祈りました。一説には正月に疲れた胃を休めるとも言われています。

三月三日は桃の節句。ひな祭りとも呼ばれます。桃は邪気を払うと言われている存在です。

五月五日は端午の節句。別名菖蒲の節句とも呼ばれます。菖蒲と尚武は掛けられており、男児の健やかな成長と武勲を祈っています。甲冑などが飾られるのはその所以だと思います。
ついでに柏餅の柏は葉が上から見たときに重ならないように広がるので、子孫繁栄を意味しています。たぶん。

七月七日は七夕の節句ですね。昔は旧暦のお盆の時期に当ります。私の地元では旧暦に合わせて七夕は8月に行っていました。

九月九日は重陽の節句。菊の節句とも言います。旧暦で言えば10月に当り、稲刈りの時期にあたります。収穫の祝いも兼ねていたと言われています。

こう見ると、重陽の節句だけメジャーではありませんね。
にわか知識なので悪しからずご了承ください。


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横浜騒乱編
横浜騒乱編1


忙しくて、中々更新できませんでしたが、何とか生きてます。

いよいよ論文コンペが始まります。
オリジナル多めで、割とサクサク進めていきたいと思っています。


選挙戦は当日に多少荒れたものの、無事に中条先輩が生徒会長に選任された。

それに伴い、生徒会メンバーも新しくなった。

副会長は深雪、会計は五十里先輩、書記はほのかとなった

私は変わらず風紀委員だが、達也は2年生から生徒会副会長として任命されることになった。

七草先輩の退任の際、公約としていた生徒会役員における一科生の規定はなくなり、二科生からも選出できるようになったのだ。

達也の生徒会入りには中条先輩と千代田先輩が絡んでおり、中条先輩は達也か私がいなければ深雪を押さえられないと言った。

しかし、千代田先輩は私や達也がいないと風紀委員会の事務が回らないと堂々と言ったのだ。

 

風紀委員は実務部隊だ。事務処理関係は各自が分担して行うことになる。

しかし、実質的に事務を行っているのは私達であり、詳しい事情を知らない中条先輩はそれを鵜呑みにしてしまった。

交渉の結果、私の風紀委員残留と達也の2年生からの生徒会入りが決まったのだった。

これは達也の意向を無視した結果であり、現在達也の頭痛の原因となっていることだ。

 

「達也君は残念だったが、ぜひ君には次代の風紀委員長を担ってほしいんだ」

「それは千代田先輩が就任早々に言うことですか?」

 

渡辺先輩は風紀委員室で優雅に紅茶を飲んでいた。

宝塚の男役が似合うと噂される渡辺先輩は紅茶を飲む姿も様になっていた。

 

「後輩育成も重要な仕事の一つよ」

 

渡辺先輩も千代田先輩も気が早いのではないだろうか。

風紀委員長という柄は私にはあまり向いていない気がする。

風紀委員会も生徒会長も三代続けて女子になるが、部活連は長く男子が代表を続けているからそれでつり合いは取れているのだろう。

 

「花音は結構そそっかしいからな。

あと達也君や君の書類処理能力は手放すのが惜しい」

 

「本音はそちらですか」

 

呆れて言うと渡辺先輩はまあまあと私にも紅茶を勧めた。

ちなみにこの紅茶も私が淹れたものだ。深雪には劣るだろうが、悪くはない味だ。

 

「それで、今回相談したいのは論文コンペにおける護衛の事なんだ」

「たしか、発表者には念のために護衛が付くんですよね。」

 

論文コンペはただの論文発表会ではない。

その成果が認められれば学術雑誌への掲載や企業からのスカウトがある。

魔法は解明されていない部分も多く、内容によっては国益を左右することがある。

実際、コンペの発表者が襲われて怪我をした事例やひったくりにあった事例も報告されている。そのためコンペの前後数週間、発表者には警護が付くことになっているのだ。

 

「良く知っているな」

「古典部の活動歴に残っていましたから」

 

古典部も論文コンペに出場した経歴がある。

大会は毎年魔法協会本部のある京都か関東支部のある横浜で行われる。

京都会場では理論的な分野、横浜では技術的な分野での論文が好まれる傾向にある。

そのため、古典部が出ていたのは京都大会でのものが多かった。

 

「毎年、古典部は論文コンペに出場する気合いで挑んでくるからな。今年は選考に出さなかったのか?」

 

「今は大学との合同研究の資料解析でそれどころじゃないんですよ。

夏に発表した設置型魔法の応用研究が忙しいそうです。

インデックスにも正式採用されたようですから、実用化の目途を立てるみたいですよ」

 

「ああ、あの地脈を利用した研究云々ってやつか」

 

渡辺先輩は九校戦前に見ているが、地脈を利用した魔法の発動時間の延長を目的とした術式。

地脈という概念は古式魔法では一般的なものだが、現代魔法では解明されていない分野でもある。マイナーな研究分野だが、現代魔法に応用できるとあって注目度は高いらしい。

メイン研究者であった祈子さんは大学から既に推薦入学の話が来ているほどだ。

 

「話を戻すが、君には達也君と市原の警護役を頼みたい。勿論ローテーションで部活連も協力してくれるから、拘束時間が長くなるようなことはそれほどないはずだ」

 

「達也は護衛はいらないと言いそうですけれど」

 

「まあ達也君の魔法戦闘技術を見たらな。

護衛も壁役にしかならないし、むしろ足手まといにしかならないか」

 

今回の論文コンペには達也も選ばれている。

平川先輩がサブの執筆者として選出されていたが、九校戦の電子金蚕のことにショックを受け、体調を崩しているらしい。

未然に発見できたとはいえ、自分の技術不足を嘆き、学校にもあまり登校していないらしい。

代役として抜擢されたのは達也であり、市原先輩とも共通の研究テーマを持っている。

10日もないギリギリの日程だが、難題と言われているだけあって達也以外の適正はないと市原先輩は推薦したそうだ。

 

「啓には私が付くし、達也君も雅ちゃんが付くなら案外OK出すかもよ」

 

護衛では達也が物理攻撃に対しては絶対的な優位性を持っている。

軍で一流の戦闘訓練を積んだ達也なら暴漢程度、赤子の手を捻る様なものだろう。

私も隣に立つことはできたとしても、達也から見ればまだ弱い。

 

「まあ、その辺のローテーションも含めて達也君に確認したら、服部と話し合いだな」

「渡辺先輩が部活連との調整をしているのですか?」

「ん?まあ、花音は最近風紀委員に入ったばかりだからな」

 

案外渡辺先輩も心配性なのだろうか。

受験も控えている時期だろうに、後輩の面倒見も良いようだ。

 

 

 

 

 

 

 

「九重さんも悪いね」

「構いませんよ。古典部の備品で切れていた物もありましたから」

 

一高の購買部は十分すぎるほどの品ぞろえを誇っている。

一般の商店では購入できない魔法実験関連商品を揃えるためでもあるが、それでも品切れやラインナップにない物がある。今回は実験で使う3Dプロジェクタの記録用フィルムが品切れとなったため、商店街に買いに来ている。

先輩の手を煩わせるのもどうかと私と達也で出かける予定だったが、五十里先輩もサンプルは確認しておきたいと希望し、それに千代田先輩が護衛として手を挙げたのだ。

 

千代田先輩は五十里先輩と腕を絡め、まるでデートのようだ。

ちらりと達也を見上げると二人の様子に辟易とした様子だった。

千代田先輩が甘えて、五十里先輩が受け止めていると言う雰囲気であり、千代田先輩は満足げで五十里先輩は仕方ないなと言いながらも笑みを浮かべていた。

お似合いのカップルだと思った。

 

ゆっくりとした歩調で商店街を歩きながら、当たり障りのない程度に達也に論文の進み具合を聞いた。今のところは順調に進んでおり、デモ機やリハーサルの準備も視野に入れているところらしい。

 

「二人とも色気のない会話ね」

 

前を歩いていた千代田先輩が振り返った。

 

「手くらい繋いだらどうなの?」

 

私達に見せつけるように千代田先輩は五十里先輩と腕を絡めた。

その笑顔は幸せそのもので、これが普通の恋人なのだろうかと胸の奥が痛くなった。

五十里先輩も苦笑いを浮かべているが、満更ではなさそうだ。

 

「買い出しであって、デートではありませんから」

「お堅いわね」

 

私の返答に面白くなさそうに千代田先輩は頬を膨らませた。

 

「価値観は押し付けるものじゃないよ、花音」

「けど、あまり素っ気ないと愛想尽かされるわよ。もしくは深雪さんに持って行かれるわよ」

 

千代田先輩の言葉に達也の足が止まった。

 

「まさか千代田先輩も碌でもない噂を信じている人ですか」

 

達也がウンザリだと言いたげに千代田先輩を見た。

先輩は気にも留めていないようで肩をすくめた。

 

「2年の私の所まで来ているくらいには雅ちゃん達は有名人なのよ」

 

確かに老若男女見惚れる深雪の美貌は入学当初から話題になっていたし、九校戦では2種目優勝の大活躍だ。学年は違えど、同じ九校戦のメンバーで生徒会には五十里先輩も所属しているから噂話の一つや二つは持ちこまれるのだろう。

 

 

 

 

ゆっくりとした歩調で目的の店まで到着すると達也と私は早々に必要な買い物を終わらせ、外で待つことにした。

街路樹の木々はすっかり秋めいた色に染まり、空も澄んで青かった。

今頃京都も紅葉の見ごろなのだろう。

少しだけ日が陰り、ノスタルジックな雰囲気に感傷的な気分となった。

 

だが、そんな感傷にも浸らせてくれるほど私の周りは穏やかではなかった。

達也とアイコンタクトを取ると、彼もこちらに向けられている視線に気が付いていたようだ。

尾行されていた感覚はなかった。

精霊が私を監視する視線を無視するはずがない。

となれば、待ち伏せされていたのだろう。

これだけ直接的な視線。魔法を使うまでもなく分かる監視者の位置。明らかに素人だ。

どうしたものかと思案していると、店から五十里先輩と千代田先輩が出てきた。

 

 

「お待たせ。・・・・・・何かあったのかい?」

 

達也も私も表情には出してなかったはずだが、五十里先輩は何かしら違和感を覚えたようだ。

その証拠に千代田先輩は五十里先輩の言葉に首をかしげている。

 

「いえ、どうやら監視されているようなのでどうしたものかと「監視?スパイなの?!」」

 

達也の言葉を遮るように千代田先輩が声を上げた。

これでは監視者に対して逃げろと言っているようなものだが、達也は視線だけそちらに向けた。

 

達也が示した先には走り出す女子生徒の姿があり、千代田先輩が彼女を追いかける。

千代田先輩は陸上部のスプリンターであり、魔法を使わなくても一般女子より脚力はある。

すぐさま距離を詰め、10mまで距離が迫ったところで走り去った彼女が半身を返した。

千代田先輩が顔を覗き込もうとすると、その手から小さなカプセルが零れ落ちた。

 

達也が咄嗟に私を庇うように前に立ちふさがった。

達也の背中越しに強い光が溢れていた。おそらく閃光弾の類だろう。

これはただ事ではないと、式神を準備する。

 

そうしている間にも事態は進行し、千代田先輩の魔法を達也が妨害し、監視者はスクーターに乗って逃走しようとしていた。

それを五十里先輩が『伸地迷宮(ロードエクステンション)』でスクーターを立往生させる。

怖ろしく複雑な魔法式を咄嗟の場面で使用する五十里先輩の実力に舌を巻いた。

タイヤが空回りし、監視者は手詰まりかと思われたが、時に素人は恐ろしいことをしでかす。

後部座席が飛び、ロケットエンジンが発射された。

 

魔法とはいえ、物理的な力には敵わないことがある。

無理やり魔法を振り切り、彼女はスクーターのスピードに背をのけ反らせながら逃走していった。

余りの事態に先輩たちはあきれ顔だ。

液体燃料のエンジンをあんな位置に仕込んでいて、もし横転でもしたら爆発間違いなしだ。

幸い倒れることなくスクーターは走り出したのだが、一歩間違えば大惨事だ。

 

「なにを考えているの、あの子・・・」

「今回はお互いに運が良かったと言うことだね」

 

どうやら先輩方も同じことを思っていたようだ。

 

 

 

「雅、追っているのだろう」

「ええ。追跡用の式神は付けていますよ」

 

先輩方が彼女の足を止めていた間に準備は終わらせていた。

万が一、逃走された場合に備えて式神をくみ上げていた。

 

「いつの間に・・・」

「先輩方が準備の時間を作ってくださいましたから」

 

一旦目を閉じ、鳥に擬態させた式神に視覚同調を行う。

すぐさま式神の視点が流れ込み、上空から逃げる彼女の姿を捉えていた。

 

「現在、人の少ない山間部の方向に向かっています。

先ほどの彼女は学年までは分かりませんが、制服に刺繍がないので二科生ですね」

 

一瞬、頭に春の一件が浮かんだ。

あれは二科生に対する差別撤廃などと都合のいい言葉を吹き込んだテロリストたちの犯行だった。今回、達也を付け狙っていたならば何かしらの報復だろうか。

スクーターはどんどん山奥へと人目を避けるようにして逃げていく。

ロケットエンジンの燃料が切れたのか、威力は最初よりは少し落ち着いてきている。

 

「メモ帳はありますか?」

「これ使って」

 

私の問いかけに、五十里先輩が持っていた紙のメモを私の手に押し付けた。

 

「ありがとうございます」

 

私は手に持つ紙にサイオンを込めた。

 

「念写?」

「そのような物です」

 

五十里先輩の問いかけに端的に答える。

 

現在、式神と私は視覚同調でつながっている。

それを手に持つ紙にまで同調させ、イメージを紙に焼き映す。おさげ髪の少女が徐々に念写されていく。

 

「あれは…」

 

彼女がスクーターを山奥で乗り捨てると、その前からワゴン車が現れた。

仲間なのだろうか。

注意深く車両ナンバーと車の中にいる人物を観察する。

 

此方の視線に気が付いたのか、ワゴン車から一人の黒服の男が降りると、上空の式神に銃口を向けた。咄嗟に視覚同調を解き、式神を燃やした。

即席の式神のため、隠密行動の設定はしていなかったので魔法師の男には気が付かれてしまったようだ。

 

「すみません、式神に勘付かれました」

「念写はできたみたいだね」

「ええ」

 

写真のように精密とはいかないが、似顔絵程度のものができた。

おそらく一年生なのだろうが、私には見覚えはなかった。

一科二科では授業も教室がある場所も違うため、部活以外では接点がない。顔の広いエリカならば分かるだろうか。

 

「達也は見覚えある?」

「いや、ないな」

 

達也は小さく首を振った。

心当たりがないとすると、どこから恨みを買ったのだろうか。

 

「生徒会室で生徒名簿を調べればいいんじゃないかな。花音も閲覧の権限はあるだろう」

 

生徒会と風紀委員長には生徒情報へのアクセス権限がある。

無論、住所や家族構成などのプライベートな情報は伏せられているが、全員の顔写真とクラスなら閲覧可能だ。

二科生の女子で、おそらく一年生であればかなり数は絞られているはずだ。

わざわざ一高の制服を着ていた部外者の可能性も捨てきれないが、可能性は低いだろう。

 

「そうですね。千代田先輩にお願いしてもよろしいですか」

「いいけれど、なんで啓じゃなくて私なの?」

 

私は千代田先輩に持っていたメモ帳を渡した。

千代田先輩は五十里先輩ではなくわざわざ自分が指名された理由を問いかけた。

 

「横顔を見ていらしたのなら、この念写も合わせて該当する人物の特定はしやすいと思います。でも本音を言えば、深雪のいる生徒会室で達也を付け狙っていた女子生徒の検索をしたくないんです」

 

私の言葉に先輩も達也も閉口した。

脳裏にはきっと絶対零度の笑みを浮かべた深雪が降臨しているはずだ。

生徒会選挙の一件でスノークイーン深雪様、深雪女王様などとあだ名付けられた義妹の姿は全校生徒の記憶に新しい。

誰よりも敬愛を注ぐ兄が“女子生徒”に付け狙われていたとあれば、深雪の心中は穏やかではない。物理的な被害があるなしに関わらず、彼女が自らその監視者を排除にする可能性もある。

 

千代田先輩はメモ帳を見ながら、無言で首を縦に振った。

 

 

 

 

 

 

念写を元に監視していた者の絞り込みはできたが、こちらから接触はしていない。

相手は基本的にこちらに危害を加えたわけではなく、見ていただけなので取り締まるに取り締まれないと言う方が正しい。当分は受け身での警戒になりそうだ。

 

論文コンペまでの日も近づき、達也たちはそろそろ論文の提出を終えている頃だろう。

 

「お姉様?」

 

訝しい顔をしていたのが伝わったのか、深雪は心配そうな目を私に向けた。

 

「深雪、それに雫やほのかも変な感じはない?」

「変な感じ?」

「特に普段と変わりませんが?」

 

雫たちは私の言葉に首をかしげた。

外塀沿いに張り巡らされた防御用の陣に阻まれているが、今日は諦めが悪いようで何度もこちらに干渉してきている。一高全体を網掛けて監視するような視線は、いい加減煩わしい。

教職員の先生方もこれだけ術が発動してれば気が付いているだろうが、今のところ対応していないようだ。

今の所、直接的な侵入を許しているわけではないので、様子を見た方がいいのだろう。

 

午後からの授業の準備をしていると、端末で呼び出しがかかった。

あて先は祈子さん。

呼び出しの案件は至急集まるように、とのことだった。

しかも次の授業は公欠扱いになるとも書かれている。

公欠ということは生徒会絡みか、教師陣も絡んでいるのだろう。

 

「深雪、次の授業は抜けるわね。ちょっと先生に仕事を頼まれたから」

 

一般教養の科目なので、課題を熟せば問題のない科目でよかった。

 

「わかりました」

「いってらっしゃい」

 

深雪が小さく頭を下げ、雫が小さく手を振った。

私は愛用の通学かばんを手に、職員室へと向かった。

 

 

 

 

 

職員室に向かうと、不機嫌そうな顔の祈子さんがいた。

 

「早かったね」

「少しは隠しましょうよ」

「ストーカー相手に気を使う理由はないね」

 

祈子さんは吐き捨てるように言った。どうやら今回の監視に対して、相当ご立腹のようだ。

 

「お待たせ。申請は通ったよ」

 

職員室から出てきた図書・古典部の顧問、墨村先生はにっこりと笑みを浮かべていた。

年齢は50代後半で、古典の担当教諭でもあるこの男性教諭は古式魔法にも造詣が深い。

図書・古典部を立ち上げたのもこの先生で、秘蔵図書関係の管理も行っている。

その手にはなにやら厳重に鍵の掛けられた小さなアタッシュケースがある。

 

「ありがとうございます。さて、雅ちゃん。歩きながらで良いから話をしようか」

「分かりました」

 

事情はなんとなく分かっているが、大人しく私は彼女の後に続いた。

 

 

 

 

 

魔法実験室地下10階

地下実験室では危険性の高い術式の実験や秘匿性の高い実験が非公開で行われている。

軍の魔法兵器を使用することが可能なレベルの耐久性を誇り、普通1年生では立ち入りが禁止されている。しかも地下10階のこの部屋は存在していたことすら隠されていたはずだ。

それをわざわざ使うには何かしらの理由があるのだろう。

 

「この大がかりな術式はなんですか」

 

わざわざ紙の資料で印刷されたそれはお蔵入りしていた研究だ。

現在外塀沿いにめぐらされている防御魔法は球状に地下と上空もカバーしている。

文字通り360度の結界が作られていることになる。

 

「コンぺも近いから、もう一重に結界を重ねようと思ってね。

今回の煩わしい視線すら入ってこない最強の代物だよ」

 

「あまり強すぎる結界では侵入者の存在に気が付かないのでは?」

 

結界は文字通り外からの魔法攻撃を妨害するものだ。

逆に言えば、内側からの攻撃には弱く、春の一件でそれは露呈した。

 

「物理的な強化ではなくて、これは悪意を持った攻撃対象への反転魔法術式だよ。

此方に外から攻撃が加われば、文字通り術者にそれが跳ねかえる。

加えて、内部に侵入した敵のマーキング効果も含まれているよ」

 

祈子さんがアタッシュケースを開けて取り出したのはかなりの重さの球体だった。バレーボール大の大きさの銀色のそれには複雑な魔方陣が幾重にも描かれている。ただの金属球ではない。

 

祈子さんは私にその金属球を手渡した。

 

「核は勾玉ですか」

「そう。中心部に黒曜石と白の瑪瑙石の勾玉が埋め込んであるんだ」

 

レリック、聖遺物とよばれる種類の勾玉には魔法式を保存する機能があると言われている。

魔法は基本的に術者が魔法をかけ続けなければならない。

現在利用されている地脈による発動継続術式はこれを覆す方法として注目されている。

しかし、大規模な魔法に対する実用化には程遠い現実がある。

実家では別の術式で結界を張っているが、これは門外不出の秘術であり、私も全貌は把握していない。

 

「まさか完成したのですか?」

「学校でお蔵入りしていた研究を発掘して、再構成しただけだよ」

 

簡単に言ってはいるが、とんだ機密情報だ。

なにせ学校の防衛を一高校生に任せていると言っても過言ではない。

 

「公表する気は更々ないよ。あくまでこの場所の防衛だ。これを作るのにも相当予算がかかったからね」

 

二級品とは言え、聖遺物の勾玉二つだけでも相当価値の高いものだ。

どこから出土した物かは分からないが、高校生が気軽に持つことができるものでもない。

 

「確かに私としても予想外の出費でしたよ」

「おや、校長先生。良くいらっしゃいました」

 

一高の校長、百山東

学校の防衛において、最高責任者であるこの人が出てくるとあればただ事ではすまなさそうだ。

 

「どんだけ術式が優秀でも結局は受け入れてもらえるかだよ。

私達はひたすらお願い申し上げるしかないんだ」

 

祈子さんは金の台座を実験室の中央に設置した。

 

「それで私が呼ばれたのですね」

 

この実験室のすぐ下は土だ。

基礎工事はされているが、最もこの敷地の中で深い場所になる。

一高の下にも大きな地脈が走っている。

力のある土地には土地神が住まう。そこにこの術式を受け入れて頂くようにお願いするのだ。

 

「春の一件以降、生徒が事件に加担する可能性も考慮しなければいけなくなりましたからね。カウンセリングは行っていますが、その網をすり抜ける者もいないわけではない」

 

校長は真剣な表情をしていた。この人は高等教育の権威でもあり、生徒に対する権利擁護にも力を入れている。それだけこの学校の事を考えているのだろう。

 

「九重さん、やってくれるかね」

「分かりました」

 

私は台座に玉を乗せる。この術式はこちらが発動させるのではない。

土地神様にお願いして地脈を分けてもらうのだ。

 

「はい。神酒」

「ありがとうございます」

 

精進潔斎も水垢離もできなかったので、せめて内側から清めの酒を入れる。未成年の飲酒と咎める大人はここにはいなかった。

 

 

 

 

玉の前に座ると私は目を閉じ、意識を沈めた。

 

 

 

 

 

 

目を開ければ、そこは見渡す限りの豊かな葦原だった。

 

【葦原の千五百秋の瑞穂の国】

 

穀物が豊かに実る国という意味であり、数ある土地の中でもここまで豊かな神域は現代では珍しい。地平線まで見渡せるほどの広大な場所だった。

葦をかき分け、土地神様を探す。

秋色らしく高く澄んだ青空と、金色の大地。

春に来た時も思ったが、これは探すのに骨が折れそうだ。

 

ガサガサと私の周りで葦が動いている。足を止めると、動いていた葦も止まる。

 

待ち構えていると、一斉に小さな塊が私の所に突進してきた。

それらを全て受け止め、腕の中に抱え込む。

 

「捕まえましたよ」

 

腕の中には白い子どもの狼が3匹、じたばたと動き回っていた。

 

『おやおや、我が子らは修行が足りないな』

 

音もなく、気配もなく、後ろから声が掛った。

抱えていた狼たちを放し、頭を下げ振り返った。

狼達はみな、一目散にその声の主の元へと走っていった。

 

「手厚い歓迎、ありがとうございます」

『うむ。腕を上げたか、イザナミの配下よ』

 

私の背丈以上もある白い狼がそこに座していた。

白銀の毛並みを持つ狼は嬉しそうに目を細め、甘える子狼を舐めていた。

 

『して、イザナミの配下、何故この地に参った』

「大神の眷属たる白狼君よ。お願いがあってまいりました」

 

私は視線を上げず、低頭したまま答える。

 

『最近ちょっかいを出している外の国の術者かね』

「左様でございます」

『それで、護りを増やしたいと』

「まことに勝手ながら、お力添えをお願いしたく参りました次第であります」

『それはこの地に災禍をもたらすあの小僧を排除するのが先ではないか』

 

ひしひしと怒りにもにた圧力が私の身に降りかかる。

凍てつくような風が私の肌を刺し、冷や汗が噴き出る。

 

『彼の者と恋仲とは酔狂な童よのう』

「人の心は儘なりませぬ。神世のころからそれは言われてきたことでございましょう」

 

息もできない圧力になんとか言葉を紡ぎだす。

 

『大人しく我らが寵愛を受ければよいものを進んで人の身に落ちるのが良いのか?』

「私は元より人の身でございます。人には人の理があります故、律を乱すわけには参りませぬ」

『人の身でありながら、有り余る力を得ることができても、それを望まぬのか?』

「人には人の時の流れと相応の身分がございます。人の身でありながら欲望のままに神々の系列に加わるなど、それこそ愚かしきことと存じます」

 

白狼君は立ち上がると、私の首元に鼻を近づけた。

少しでも動けば文字通り、食べられてしまう。

精神だけでこの場に来ている私は文字通り変死してしまうことになるのだろう。

じっと頭を下げたまま、許しを待つ。

 

『イザナミの子に手を出したとあっては、母に怒られてしまうか』

 

圧力が消え、頭上の影が消えた。

 

『毛一つと変わらぬ力だ。助力してやろう』

「ありがとうございます」

『これを持ていくがよい』

 

子狼が稲穂を一つくわえ、私の元に持ってきた。

両手を差し出し、それを受け取る。

 

『それが印だ。それを元に引き出すがよい』

「恐れ入ります」

 

私は再度頭を深く下げた。

 

『気が変わればいつでも嫁ぎ先を紹介してやろう』

 

クツクツと喉の奥で笑うような声だった。

 

「私が人の身が煩わしくなり、彼の方のお許しがありましたら、お願い申し上げます」

 

静かに気配が遠ざかると、意識が浮上していく感覚がした。

 

 

 

 

 

目を開けると目の前には術の礎となる銀色の玉。

右手に持つ稲穂をその上に置き、祝詞を述べる。

次々に口からこぼれる言葉は私の知らないもので、地脈と縁を繋ぐためのものだとぼんやりとした頭で感じていた。

刻まれた刻印が光り、玉全体に広がる。

地下からの強大な力がこちらに上がってきているのを感じ、私も力を注ぐ。

全体に力が行きわたると、球状に結界が広がる感覚がした。

手を離すと、設置された玉は神気を帯び、結界の役割を果たしていた。

上手く行ったことを確認すると、私の体は横に倒れた。

 

 

 

 

同時刻

 

午後からも続く視線に心配を募らせながらも美月は授業を受けていた。

姿の見えない敵とはこれほどまで恐怖を掻き立てられるのかと今日何度目か分からないため息をついた。

思うように進まない課題に何とか向き合おうとするものの、外からの視線に気が散って仕方なかった。

直接侵入してくることはないと言われていても、そうですかと楽観することもできなかった。

 

「え?」

 

だが、それも突如として終わりを告げた。

なにか、ふわりとその身を通り過ぎたのだ。

ほんの一瞬の事。白昼夢だったかのように意識していなければ気が付かないほど些細な揺らめきだ。その揺らめきのあと、煩わしい視線は一斉に静まり返った。

いつもと変わりない空気が戻っていた。

 

 

同じく教室で授業を受けていた幹比古もそれを感じていた。

以前感じた神気にも似た感覚だった。

気のせいで済ませられるほどそれは曖昧な物ではなく、その証拠に精霊のざわめきも消えた。

机の下でこっそりと術を発動し、警戒を強めるがなにもない。

そこにはいつもの学校があるだけだった。

 

疑問が残るまま、その日の授業は終わっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

知らない天井だ。そんな半世紀以上も前のセリフを思い出した。

清潔な白い寝具と少し残る薬品の匂い。

お世話になったことはないが、ここは医務室なのだろう。

 

身体を起こすと少しだけ頭が痛んだ。どうやらあの後、気を失ってしまったらしい。

幸いにして頭をぶつけてはいなかったようで、こぶなどは触ってみてもなかった。

カーテンに手を掛けると、そこには安宿先生と達也がいた。

 

「大丈夫か」

「ええ。ところで授業は?」

 

達也が私の鞄を持ってなぜこの場にいるのか分からないが、まだ午後の授業が残っている時間帯のはずだ。ぼんやりとする頭で時計を探せば、17時を示していた。

 

「・・・え?」

「もう放課後だぞ」

 

私が実験室に入ったのは午後1時過ぎ。それから少なくとも四時間も経過していた。

神域では時間の感覚が現世とは違うと言うが、寝ていたのも精々1時間かそこらだと思っていたがかなり時間が過ぎている。相当力を持って行かれたのだろう。

 

念のためにと安宿先生にバイタルを測られ、問診をされた。

ひとまず問題ないと帰って良いことになったが、きちんと休むようにと告げられた。

予想通り、簡易的なサイオン測定の結果、サイオンが少なくなっていると言われた。予想以上に持っていかれた量は多かったらしい。

ゆっくりとネクタイを締め直し、上着を羽織る。

 

髪を整えて、靴を履いて達也と一緒に保健室を後にした。

夕日の射す廊下を二人で進む。

皆は校門のところで待っているらしい。

 

「あまり無茶はするな。先生から連絡があった時、肝が冷えた」

「・・・何があったのか聞かないの?」

 

深雪には先輩に呼び出されたとしか言っていない。

達也には授業を抜けたことも言っていなかった。

 

「結界を新たに張ったんだろう。外からの術者がいなくなった」

 

どうやら彼には見えていたようだ。

本来であれば生徒のいない日曜日に行った方が安全だったのだろうが、春の一件もあって早めに先生方も対応したかったのだろう。

 

「心配かけてごめんなさい。けど、無茶はするなって達也にも言えることよ」

 

コンペの準備だけではなく、レリックの解析も任されている。

さらに今回の一件で産学スパイの可能性も浮上してきた。

いくら彼が人並み以上に丈夫だからといって、気が休まる時間はなくなってしまう。

 

「自分の事を棚に上げているのは分かっているさ」

 

達也は困ったように笑った。忙しさに任せて体を蔑ろにしてしまうのは彼の悪いところだ。

今回は私も無茶をしたということで、これ以上の話はなかった。

 

 

 

 

久しぶりに九人で下校することになった。

深雪には特に心配をかけたようで、私の姿が見えると真っ先に抱き付いてきた。

今にも泣きそうな深雪の背を撫でながら、落ち着かせ、ようやく帰宅となった。

達也がこれからコンペで忙しくなるため、少し喫茶店で寄り道して帰ろうということになった。

早く帰って休まなくてもいいのかという意見もあったが、十分休んだので少しくらい寄り道したところで問題はなさそうだ。

 

それに尾行者の視線も気になった。

式を放っていた術者とは違い、この間の女子生徒でもない。

機を窺って問い詰める気満々のエリカと西城君の誘い文句に気が付かないふりをして喫茶店、アイネブリーゼに入った。

 

9人でも座れるいつもの席は埋まっていたので、カウンターとボックス席に分けて座ることになった

ボックス席には私とエリカ、雫と西城君と吉田君の5人で座っていた。

達也はカウンターに座り、両サイドには深雪とほのかが座っている。ほのかの隣には美月が座っている。じゃんけんの結果、別れたので深雪は私がいないことに若干不満そうだ。

 

「本当に大丈夫?」

「大丈夫よ。ちょっと大きな非公開実験だったから、予想外に疲れただけよ」

 

機密情報も多いため、事実の大半は伏せる。

察しの良い友人たちはそれ以上の事は聞くことはなかった。

吉田君や美月などは私を見て驚いていたから、神域に触れていたことで私の雰囲気も違ったのだろう。

 

 

 

しばらく歓談しているとエリカと西城君がそれぞれお手洗いと電話で席を立った。

吉田君は手元から紙を出すと、筆ペンを手に取り何やら書き始めた。

堂々と私の前でやっていることから、あまり隠す気はないようだ。

 

「派手にやりすぎると見つかるから、ほどほどにな」

 

達也もカウンターから吉田君の手元を見て、これから何をするか理解したようだが止めはしなかった。

雫も相変わらずのポーカーフェイスでコーヒーに舌鼓を打っていた。

古式魔法でも監視システムには引っかかるが、そこは達也が響子さんに連絡を入れてくれるのだろう。

私がハッキングをしても良いだろうが、生憎今日は大がかりな魔法を使うだけの気力がない。

大人しく後処理はまかせることにして、少しだけ温くなった紅茶に手を付けた。

 

 

 



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横浜騒乱編2

16巻買いました。
本屋さん四軒巡ってようやくめぐり合いました。

どうなるのかなワクワク(・∀・)→(・Д・)→((((;゜Д゜)))






翌日

 

九校戦は選手とエンジニア、作戦スタッフの50名程度で構成されるが、論文コンペに出場する生徒は3人。

しかし、実際に関わるスタッフ数は九校戦より多い。

魔法理論系や工作系の部活動は実験器具の準備や実験補助に駆り出され、女子有志から準備するスタッフにお菓子やお茶が振る舞われる。

同時に、部活連と風紀委員を中心とした護衛チームは有事に備えて訓練をしている。

 

連日の慌ただしく、騒がしい毎日の中、準備は着実に進んでいた。

中庭で準備されたテスト実験の場で、エリカ、レオ、幹比古、美月は深雪に促され、見学の輪に加わった。

 

エリカは足元にある見学者と実験エリアを隔てる白い円が目に入った。

およそ三メートル間隔で二重になっており、円と円の間には雅だけが立ち、実験に携わる生徒三人は一番内側の円の中にいる。

 

「それより、雅はなにかしているの?」

「産学スパイ対策で、実験器具やCADに向けられる外部電波の遮断をしてもらっているわ」

「それって大丈夫なの?昨日随分と大きい魔法を使ったみたいだけれど」

 

雅の魔法力は深雪に匹敵する。その雅が倒れるほどの魔法力を行使したとなれば、一日二日で回復するとは思えない。

展開している魔法の規模はそれほど大きくはないが、持続して使うのならばそれ相応に魔法力を使うはずだ。

 

「私もそう言ったんだけれど、安宿先生からはOKが出ているし、得意魔法の分類だから特に問題ないそうよ」

「ふーん」

 

雅の得意魔法は電子の放出系魔法。

【電子の魔女】の弟子として仕込まれたテクニックに加え、先天的に電子操作は得意魔法であるため、並大抵のハッカーが仕掛けてきたところでこの防御は崩されないだろう。

 

「でも、この結界は電波の妨害だけではないですよね」

 

幹比古は深雪に尋ねた。彼の目は特殊な物を見分けるほど優れてはいないが、精霊の感受性は高い。かつて神童とよばれていた頃を上回る力を身に着けた幹比古にとって、精霊の感知は少し集中すれば精霊の気配をつぶさに読み取れた。

この中庭は普段とは異なり、周囲に精霊の気配が一切しないことは異常だった。ましてや精霊に愛されているとしか言えない雅がいるのにもかかわらず、その場はまるで凪のようで不気味でもあった。

 

「念のために精霊を遠ざける術式も組んでいるそうですが、そちらは古典部の方がなさっていますよ」

 

深雪の視線の先に四人も目を向けると、円の外縁で不貞腐れた顔で何やら長い経典を持ちブツブツと口を動かす女子生徒がいた。

 

「【図書の魔女】かよ」

「うわー」

 

レオとエリカは揃って顔を顰めた。

 

「古典部の部長さんですよね。理論でも技術でも凄い方だってきいていますよ」

 

美月はエリカたちの反応が分からず首を傾げながら問いかけた。

 

「いや、凄いのは知ってんだけどな・・・」

「その凄いの方向がオカシイのよ」

 

図書・古典部は高校生ながらにして古典魔法の研究の筋では有名だ。

インデックスに掲載されるような魔法から、歴史の新発見まで、魔法科高校創設当時からある部活とあって名立たる賞や研究結果も挙げてきた。

 

しかし、ある意味忌避されるようになったのは行橋が入学してからのことらしい。

『火の巨神兵事件』と呼ばれる彼女を話題の人物にさせた事件では、100年前の某アニメに登場する兵器を模していたことからそう言われている。

化生体を使った魔法であり、火の七日間を再現するような魔法ではなかったのだが、如何せんその見た目の派手さに彼女の名は三巨頭とは別に知れ渡っている。

他にも武勇伝もあるが、ここでは割愛する。

 

「でもこれだけ厳重に警戒していたら、産学スパイだって入り込むすきはありませんね」

 

風紀委員も見物人に混じって周りに目を光らせているし、なにより深雪と雅の目の前で達也に手出ししようものならどんな未来が待っているのか言うまでもないだろう。

 

「まあ、物理的に手出ししてきたなら分かりやすいけれど、ハッキングや透視ってなれば感知系の能力がないと難しいからね」

 

エリカは仕方ないかと肩をすくめた。

 

「あなたたちも来ていたのね」

「あ、さーやと桐原先輩も来ていたんだ」

 

見学者の中で警備に回っていた桐原と壬生は一番前の見学者の列に出てきた。

 

「なんだ、千葉も見学か?」

「そうですけど、なにか?」

 

確信犯というか、からかいたがるエリカといつもそのネタされている桐原の間にはバチリと火花が散り、美月はおろおろと二人をなだめた。

 

「エリカちゃん、そんな喧嘩腰にならなくても…」

「そうよ、桐原君。1年生が後学のために見学するのは良いことよ。

彼女たちは司波君の友人でもあるんだし、そんなに邪険にする必要はないでしょう」

 

彼女からの言葉に流石の桐原も一瞬言葉に困った。

 

「さっすが、さーや。どっかの頭の固い人とは違って、優しいー」

 

それにエリカが悪乗りするものだから、彼の怒りはこみ上げてくるばかりだった。折角下手に出ていれば、この後輩は一々茶化さなければ気が済まないのだろうかと拳を握りしめた。

 

「千葉、てめえ。追い出されたいのか?」

「えー、私、誰がだなんて言ってませんよー」

 

きゃっきゃとはしゃぐ同級生と先輩を余所に、口も出さず深雪はただ達也の実験が始まるのを見守っていた。

 

 

実験の第一段階は無事終了。

湧きあがる生徒たちだったが、当事者たちはこれがまだ第一段階とあってぬか喜びはしていなかった。

まだ組み立てる器具が残っているため、バラバラと持ち場に見学者は散って行った。達也は実験結果について鈴音たちと話しており、雅は行橋と話していた。

 

「ん?」

 

エリカは雅の目が一瞬鋭く、見学者の一人に向けられた気が付いた。

その視線の先を辿ると一人のお下げ髪の女子生徒がいた。

 

「あの子・・・」

「おい、壬生」

 

偶然にもエリカと同じ女子生徒を見つけた沙耶香はその場を去る彼女を追いかけた。苦々しい顔で走り出した沙耶香はエリカと桐原も訳が分からず追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一通り完成しているだけの実験器具の試運転を終え、私は保健室に向かっていた。

 

安宿教諭に許可は貰っていたとはいえ、メディカルチェックを受けることが前提となっていたためだ。私からしてみれば息をするかのように簡単な作業だったのだが、傍から見ればかなり消耗する魔法らしい。

呼び鈴を押してから入室の案内を待つ。

 

「あら、丁度良かったわ」

「何事ですか?」

 

少し間を置いて、ドアを開けて出てきた安宿教諭は少し困ったように眉を下げた。中に入ると、千代田先輩と五十里先輩、それに例の女子がいた。

 

「雅ちゃん、どこか怪我でもしたの?」

「いいえ。安宿教諭に来るように言われていたので」

 

ベッドに座っていた例の女子は私の顔を見るなり、鋭い目つきで睨みつけてきた。

 

「ああ、一昨日振りですね。車で迎えに来ていたのはお友達でしたか?」

 

彼女はハッと目を見開き、狼狽えた。

 

「貴女、まさか監視していたの?」

「今日もずいぶんと楽しげな玩具を預かっていたみたいですけれど、随分とお顔が広いんですね」

 

私がそう言うと彼女はぎりりと手を握りしめた。

彼女があの実験の最中、非合法のハッキングツールを使っていたことは感知している。

無論、結界の前では無線の電波は一切通さないから彼女の持っていた機械はただの玩具にしかならなかったようだ。

ただの学生が非合法のハッキングツールを持つには何かしら理由がある。

一学期の壬生先輩のように良いようにテロリストたちに利用されている可能性もある。追跡していた式神を通して見えたあの黒服たちもそおそらく海外の工作員か何かだ。

 

「それで、盗み出してどうするつもりだったのかしら?

まさか海外に高く売りつけるつもりだったのかしら」

「別に。貴女に応える義理はないですよ」

 

彼女は苦々しく顔を逸らした。

どうやら私の事は良く思われていないらしい。

 

「じゃあ、風紀委員長として聞くわ。平河千秋さん。なぜパスワードブレーカーなんてものを持っていたの?壬生さんには何かが欲しいわけではないと言ったみたいだけれど、何が目的なのかしら」

 

パスワードブレーカーが使えなくて逃げ出したのは知っているが、どうやらそれを壬生先輩が追いかけていたようだ。

実験の途中で戻ってきたエリカや西城君もなにやら不服そうな感じを漂わせていたから、一悶着あったらしい。

 

「データ自体が目的ではありません。私の目的はプレゼン用の魔法装置の作動プログラムを書き換えて使えなくすることです。

パスワードブレーカーはそのために借りました」

「当校のプレゼンを失敗させたかったのかしら」

 

千代田先輩の顔には怒りが滲んでいた。

彼女にとっては大切な五十里先輩の大舞台を壊そうとしていたことに腸を煮えくり返していた。手の早い千代田先輩にしてはよく耐えている方だ。

無論、私も怒っていないはずがない。

 

「違います。私は失敗したらいいだなんて思っていません。

悔しいけれどあの男はその程度のことあっという間にリカバリーしてしまいます。ただ、アイツに一泡吹かせたかった。何日も徹夜で作業してダウンしちゃえばいいと思ったんです。だって、アイツばかり良い思いをするだなんて許せるはずがないじゃないですか」

 

平河さんの目には涙が滲み、次第に嗚咽を漏らしだした。

顔を覆って泣き出す彼女に千代田先輩は困ったように五十里先輩を見た。

五十里先輩は何か考え込むようにして、ベッドの脇のスツールに座った。

 

「平河千秋さん。君のお姉さんは平河小春先輩だね」

 

五十里先輩の優しい声掛けに彼女は顔を上げた。

 

「小早川先輩のことを君は司波君のせいだと思っているのかい」

「だって、そうでしょう。アイツは小早川先輩の事故を防げたのに何もしなかった。そのせいで姉さんは責任を感じて…」

 

彼女は手を膝の上で握りしめて、私を睨みつけた。

 

「貴女だって見ているだけで何もしなかったくせに」

 

呪詛を込めたような低い声だった。

 

「小早川先輩のCADに細工されていたのを発見したのは九重さんだよ。彼女がいなければ本番で墜落という可能性だってあったんだ」

 

「発見したけど未然に防止はできなかったじゃないですか。案外貴女も大したことないんですね」

 

あざ笑うかのように彼女は笑った。歪んでいる。

妄執に取りつかれ、霊子は歪に黒く淀んでいる。

 

「もしあの事件で二人に責任があるとするならば、同じエンジニアとして技術スタッフ全員の責任だよ」

 

「笑わせないでください。姉さんにも分からなかったんですよ。

直前に仕込まれた魔法に勘付いたのはそこの女だけ。その後にあの男も妹のCADに仕掛けられた魔法を見破っていたんでしょう。そもそも相手の手法は分かっていたなら、予備機まで防御用の刻印を入れておくべきだったんですよ」

 

五十里先輩が悔やむように紡いだ言葉を真っ向から彼女は否定した。

カッとなって立ち上がった千代田先輩を五十里先輩は手で制した。

 

「選手の人数と競技数を考えて、それは不可能だよ」

「でも、姉はそのせいで推薦を取り消されたんですよ」

「平河先輩が推薦の取り消し?」

 

千代田先輩は初耳だったようで、彼女の言葉を繰り返した。

 

「電子金蚕の事は一般の生徒には伏せられていますよね。

小早川先輩のことは結局、平川先輩の調整技術不足ってずいぶんと心にもない言葉を投げかけられたのでしょう。箝口令も出されていましたし、反論もできず平河先輩は随分と苦しまれたみたいですね」

 

魔法協会に海外のスパイが入っていた事件だ。

生徒たちには箝口令が敷かれており、電子金蚕は一切伏せられている。

平河先輩は今年3年生で大学入試が控えている。

成績優秀者は学校推薦があるが、まだ推薦者は内定段階だ。

平河先輩は推薦がもらえるほど優秀だったが、現在学校を休んでいるため推薦の可能性も取り消されてしまったようだ。

 

「貴女に姉さんの苦しみの何が分かるのよ」

 

平河さんはベッドから立ち上がると、私のブレザーに掴みかかった。

五十里先輩と千代田先輩の二人で引き離そうとするが、どこにそんな腕力があったのか彼女の手は緩まない。

 

「アイツも貴女もムカツクのよ。何でもできるふりして、自分からは何もしない。あの人がそう言っていた。本当は魔法だって使える癖に二科生になって無能な人を嘲笑っているんだわ」

 

妄執に囚われ、恨みをまき散らす瞳はどこか空虚だった。

これは春の壬生先輩の一件のように催眠か何かを掛けられている可能性が高い。深く探るために手を伸ばしかけたその時、彼女の体に小さな衝撃が走った。

 

「はいはい、そこまでよー」

 

緊迫した空気とは裏腹にのほほんとした声で、平河さんの体から力が抜けた。倒れる平河さんを安宿教諭が受け止める。

 

「先生、安静の仕方としてはいささか乱暴では?」

「興奮して他害の恐れがあったなら仕方ないわよ」

 

後遺症は残らないだろうが、柔らかな顔で留める手法は少々乱暴な魔法だった。私は緩んだネクタイを締め直し、上着の皺を手で伸ばした。

 

「ひとまず彼女は附属病院の方で診てもらうわ。

親御さんには私から連絡しておくから、五十里君と千代田さんは準備に戻ってもらって大丈夫よ。九重さんは念のため、ちょっと残ってもらっていいかしら」

 

「分かりました」

 

先生の申し出に千代田先輩は不服そうだったが、五十里先輩に制止されそのまま大人しく退出した。

 

 

 

 

 

 

「さてと、貴方の方のチェックも済ませてしまいましょうか」

 

診察室に移動し、テキパキと準備をする先生の横で私は椅子に座らされて待つ。

 

「問題ないと思いますよ」

「問題ないなら問題なしでいいのよ。何かあってからは遅いからね」

 

簡易的なサイオン測定の後、いくつか問診をされたが、安宿先生はうんうんと頷いていた。

 

「貴女は元々サイオンの回復が早いのね。

一日で倒れるほど使っても、またほぼ最大量まで戻っているもの。

普通これだけの量を回復させるなら、少なくとも3日間安静にしていないとだめよ」

 

サイオン測定の結果を見るが、いつもと変わらない数値だった。

元々九重神楽の練習で、魔法を使い続けることは慣れている。

小さいころからの稽古、稽古の日々で回復力の高さだけは取り柄だった。

 

「『術式解体』を連発できる司波君もサイオン保有量は凄いから、二人ともそこは似ているのね」

 

「総量は彼の方が多いと思いますよ」

 

実際の測定値は知らないが、先天的に持っている量は深雪も達也も相当多い。現代魔法ではサイオンの保有量で才能の優劣は付かないが、CADの性能が良くなる一昔前なら達也も世間一般でいう『優秀な魔法師』だったことだろう。

それよりここで達也の話題が出てきたことについての方が問題だ。

 

「貴方たちの婚約話は私の所まで回ってきているのよ。ふたりとも上手くいってる?」

「おかげ様で、恙なく清く正しくお付き合いさせていただいていますよ」

「あら、そうなの。お互いの家にお泊りなんてしないのかしら」

 

のほほんとしていながら、保険医としての職務には忠実のようだ。

 

「深雪もいますから、時々遊びに行くことはありますよ。ただ、先生が考えていらっしゃるようなことは何も」

 

「司波君は自制が上手な様ね」

 

暗に私と達也の間に肉体関係がなかったのか確認したかったようだ。

世間一般の男子高校生はこの時期が一番昂りやすいというから、先生も少し気になっていたところなのだろう。

次兄の婚約者も未だ決まらない中で、私と達也の婚姻が先行するのは外聞が悪い。

 

全く興味がないのかと言われれば嘘になるが、身体を繋げることが愛の全てではない。身体だけ満たされていても、心が伴わなければ一夜の遊びで済まされる。だから自分から強請るような下卑たマネもしない。

 

「先生のご心配は杞憂ですよ」

「それならいいわ。いくら私たち魔法師が早婚を求められていても、困ることがあれば相談に乗るからね」

「ありがとうございます」

 

にっこりと笑う安宿先生は私の答えに満足した様で、そのまま準備に戻って良いことになった。

先生も職務の一環として聞いているのだが、保健室を出た後にため息をついた私も悪くはないはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の帰り道

西城君とエリカはいなかったが、千代田先輩と五十里先輩がいつものメンバーに加わった。平河さんの暴走について、ほのかは憤慨し、雫は驚きを通り越して呆れていた。

一方、美月と吉田君は少しだけ平河さんに同情的だった。

深雪はというと、怒りを一瞬だけ見せたものの、この程度の事で兄の成功は揺らがないと表面上は落ち着いていた。

 

「それなら、放っておいても大丈夫ですね。

先輩方は俺を狙った嫌がらせに巻き込んでしまい、申し訳なかったです。

セキュリティの方は無線形式のもので敗れるほど軟なものは組んでいませんし、あの場では雅もいましたから」

 

「いや、セキュリティは心配していないし、装置の方もロボ研と共同で監視しているから問題ないと思っているよ。ただシステムクラックが効かないとなると、彼女はもっと暴走しないかと思ってね」

 

五十里先輩は悩ましげに眉間にしわを寄せた。

 

「やっぱり平河先輩から言ってもらった方がいいのかな」

「それはあまりいい方法ではないと思います。姉妹とは言え先輩には関係も責任もありませんから。それに、ちょろちょろしているのは平河姉妹の妹だけではありませんから」

 

達也の言葉を受け、皆の表情が強張った。

不審な人影はないが、吉田君と五十里先輩はサイオンの微かな揺らめきを感じ取ったようだ。

 

「やっぱり護衛を付けるか?」

 

千代田先輩は感知こそできなかったが、五十里先輩の表情を見て達也の言葉に偽りがないことに気が付いたようだ。

 

「視線は煩わしいですが、校内では全てシャットアウトされていますし、向こうから手出しをする気配はありません。それに雅、今潰しに掛っただろう」

「あら、なんのこと?」

 

とぼけてみせるが、達也は戒めるように少し語気を強めた。

 

「今の所見ているだけだ。あまり刺激するな」

「家まで付いてこられたら迷惑でしょう」

 

私がしたのは上空で待機していた化生体の烏を同じく烏に擬態した式神で壊しただけだ。

 

現代魔法では魔法と使用者の間には逆流防止のシステムが必ず組み込まれている。しかし、古式魔法の中には術の威力を高めるために術式とのリンクを継続している場合もある。

 

学校を出たときから監視の目は付いてきていたので、念のために式神を放って迎撃できる態勢を取っていた。

静かに探っていれば化生体と術者の間にリンクがあったので、それを辿って術者に直接攻撃を仕掛けた。これで術者の位置も大方特定できた。

ちょっとだけ、呪詛返しのような術式も入れ込んだが精々3日寝込むようなものだ。

 

吉田君が何かを感じ取ったのか上空を見上げた。

 

「ひょっとして、あの烏かい?」

 

吉田君に釣られるようにして皆が上空を見上げた。

肉眼では見えにくい高度にまでいるため、私は式神に命じて近くの屋根にまで降下させた。

 

「良く見えましたね」

「いや、なんとなくだけど・・・・」

 

吉田君は目を白黒させながら私の作った式神を見ていた。

彼が使う式とはまた術式が異なるため、興味があるのかもしれない。

 

「やっぱり、司波君の護衛に雅ちゃんは付けましょう」

 

千代田先輩が改めてそう言った。

 

「感知できるのが雅ちゃんしかいないなら、なおさら付いてないとダメでしょう」

「ですが」

「お兄様、ぜひお姉様に護衛についてもらいましょう」

 

千代田先輩の発言を深雪は嬉々として肯定した。

 

「相手が素性も分からない敵で、古式魔法を使ってくるのだとしたらお姉様がいてくださったなら万全です。勿論、お兄様が十分御強いことは知っておりますが、お姉様も揃えば発表までの護衛に死角はありません」

 

深雪の思惑としては、少しでも私と達也が一緒にいる時間を増やしたいのだろう。

 

私のシフトには主に市原先輩の護衛が含まれているため、最近は一緒にいる時間も減ってしまった。それを危惧してか、気を利かせてか、一緒にいるための口実を作りたいのだろう。

 

「よろしく頼む」

「はい」

 

達也は深雪のお願いとあってか、はたまた煩わしい監視の目に辟易していたのか、千代田先輩の提案に乗ることにした。

後で深雪にはケーキでも買ってお礼をしなければと私は緩む頬を堪えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京都

 

薄暗い畳張りの巨大な部屋は薄暗いろうそくの明かりだけが揺れていた。

上座には九重の当主が座して集まった者たちを見渡していた。

続いて左には天から授けられたごとき美貌を持つ美麗な青年、九重悠

右には無骨ながらに腰の落ち着いた青年、九重煉太郎が座していた。

 

下座には屈強な面持ちの男達や、優男、華奢な女性、老齢の者など、およそ少年少女以外の者は一通り揃っていた。

年齢に共通点はないが、一様に皆現代では見かける機会も減った和服姿だった。

 

「やれやれ。我が妹は相変わらず甘いな」

 

悠は妹の緩んだ表情を思い出し、笑みを浮かべた。

彼が持つ異能【千里眼】は京都と東京間という短い距離をいとも容易く全てを見通すことができた。

春の一件も、夏の九校戦もモニターなど見なくても彼にとってはどこで何が起きているのか知ることはそれこそテレビのチャンネルを切り替えることと変わらないくらい簡単なことだった。

 

「泳がせていた獲物はそろそろ釣れるのだろう」

「藤林の御嬢さんは狐狩りをしてくれるそうだよ」

 

煉太郎が渋い顔で聞くと、悠は楽しげに和服の袖で口元を隠した。

その目はにんまりと笑っており、見慣れているはずの下座にいる者たちでさえ言い知れない恐ろしさを感じた。

美麗なものが怒ると怖いとは昔から変わらない教えらしい。

冷や汗をかく重臣たちはそれを紛らわせるかのように口を開いた。

 

「さっさとこちらで巣穴を潰してしまえばいいものを、相変わらず政の人間は保守的だ」

「表で片づけられる敵は大人しく表の人間に任せればいい。

それにある程度危機感がないと動かないものだ」

「確かに痛みを知らぬ若者にはいい薬になるやもしれんな」

「だが領域を荒らされたとあってはあちらの面目もあるまい」

 

ここにいる者たちは10月30日

横浜で行われる論文コンペディションで何が起きるのか“知っていた”。

 

「事実ここが大きな転換点になるでしょう。世界のパワーバランスが大きく崩れるほどに」

 

静かに悠の声が重臣の間に広がった。

 

「ほう。やはり嵐の目はあの小僧か」

 

「ええ。そのための我が妹です。ああ。この一件に関してはあの方の了承も得ています」

 

“あの方”という言葉に一同が反応した。

皆、嬉しそうに目を輝かせた。

 

「それならば久々に暴れられると言うものだ」

「これだけ揃うことは珍しいですねえ。前は沖縄と佐渡でしたか」

「中華街も一緒に潰して膿は出しきったほうが良いのではないか?」

 

血気立つ臣を抑えるように上座から声がかかった。

 

「あまり性急に進めてはこちらが目立ちすぎる。我らの任の領分は弁えておけ」

「けれど中華街に飛び火してもこの場合、怒られはしませんよねえ」

 

にやにやと何かをたくらむ様子の眼鏡の男に当主は本来の目的から外れなければ構わないと許可を出した。

 

「して、若様よ。紫の上は見つかったのかな?」

 

悠の祖父より高齢の男性は笑みを浮かべながらも、腹の中では自分の孫を悠の妻にと長年進めてきていた。

他の者たちも次期当主の伴侶として、家柄も魔法力も相応しい者を一族から選り抜いてきた。

現当主の妻は全く一族とは関係ない関東の人間であり、婚姻を目論んでいた者たちにとっては苦杯を飲んだ経験がある。

次代こそはと機を狙っている家は少なくない。

 

悠は愛おしげに笑みを浮かべた。

 

「迎える手筈は整えておりますよ。今は少しずつ思いに色を付けているところです」

 

【千里眼】の相手は【千里眼】自身が見つける。

運命の赤い糸も、運命を結ぶ糸も自ら見つけ出すのが【千里眼】の役目だ

20年を過ぎても相手を見つけない次期当主に分家の老人たちはしびれを切らしかけていた。

 

「それは僥倖」

「おや、それはどこのお嬢様でしょうか」

「いつまでも次代様が独り身では私どもも落ち着いて腰を据えられません」

「あの方もお楽しみでいらっしゃることだ」

 

しかし、腹の内ではどこの娘か皆探りを入れていた。

次期当主と恋仲だと言う噂はいくつも上がっても、それは周りのでっち上げに過ぎない。

突然の発表に焦りを出さなかっただけ、ここにいる者たちの面の厚さがうかがえる。

 

「そう遠くないころに、皆さまにもお伝えいたしましょう」

 

不敵に愛おしげに笑う悠にいよいよ本格的にこちらも忙しくなると重臣たちは新たな策を巡らせていた。

 

 

 




感想・評価、毎回読ませていただいています。
嬉しいご意見、厳しいご意見、全てありがたいです。

お返事は申し訳ないのですが、希望者のみにしたいと思います。
予想以上に忙しくて、中々時間も取れない状況です。

誤字・脱字の指摘もあればお待ちしております。





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横浜騒乱編3

ちょっと今回は短めです。
若干グロい場面もありますが、苦手な方は飛ばしてください。


論文コンペまで一週間となった。

実験装置は完成したが、演出面等も考えられ、調整が続いていた。発表者以外にもまだまだ働き手は忙しくしていた。

 

また、コンペ当日の会場周辺の警備のために体育会系の部活を中心に警備隊が結成された。

他校からも警備隊は選ばれるが、総隊長には十文字先輩が選ばれている。

今回の模擬戦も10対1でするとは言いながら、十師族次期当主と戦えと言われれば尻込みしそうなものだ。沢木先輩から吉田君も誘ったようで、今頃訓練に汗を流している頃だろう。

 

美月も美術部の手伝いが終わったようで、途中から警備隊への差し入れ部隊に駆り出されていた。

 

風紀委員として校内の巡回を行っていると、闘技場の方から美月が走って来た。

 

「あら、美月。どうしたの?」

「み、雅さん」

 

美月は顔を真っ赤にさせ、目を潤ませていた。

 

「雅さん…」

 

美月は私に抱き付いた。

咄嗟に受け止めるが、彼女の目からは涙が流れていた。

 

「よしよし。ちょっと移動しようか」

 

はい、と小さく頷いた美月を連れ、私は図書館の方に移動した。

 

 

 

 

 

 

図書館近くのベンチに座り、遮音壁と認識阻害の結界を張る。

途中の自販機で買ったカフェオレを美月に渡し、一息ついた。

 

「すみません。風紀委員のお仕事の途中だったんでしょう」

「女の子が泣いていたらそれは事件よ」

 

少し芝居じみて言えば、美月はくすりと笑った。

 

「ふふ。キザですね」

 

美月はカフェオレを飲んでから、ポツリポツリと話し出した。

 

「すみません。ちょっと、驚いただけなんです」

 

話を纏めると、警備隊の訓練の休憩時間に闘技場に差し入れに行った時に吉田君がいた。

おにぎりとサンドイッチを配るまでは良かったがそこが最後だったため、給仕部隊もそこで休憩となった。

美月は知らない男子の先輩ばかりで緊張しており、闘技場という場所のため正座をしていた。普段慣れていない正座で足がしびれてしまい、立ち上がった時にバランスを崩してしまった。

倒れそうになったところを吉田君が支えようとしてくれたのだが、運よくと言うか、運悪くと言うか胸を掴まれてしまったらしい。

 

驚いたのと、恥ずかしいので混乱した美月はそのまま闘技場から走り出して逃げてきてしまったらしい。

 

「それは、災難だったわね」

 

美月も、吉田君も、とは言わなかった。

 

「あの、逃げてきてしまったんですが、どうしたらいいんでしょうか」

 

美月は恥ずかしそうに視線を彷徨わせた。

美月も吉田君もこういったハプニングには弱そうだ。

特に今、闘技場に取り残された吉田君は針のむしろ状態だろう。

 

「美月は今回の一件で、吉田君を軽蔑したとか、もう絶交する、とは思っていないのでしょう」

「そんな!そもそも私が倒れたのが悪かったので、吉田君はなにも悪くないんです」

 

興奮する美月を落ち着けるように、私は美月の肩を撫でた。

 

「ええ。分かっているわ。

だったら、美月がすることは一つ。これまで通り、仲のいいお友達でいること。

きっと吉田君は真面目で責任も感じているだろうから、明日あたりきちんと謝罪に来ると思うわ。下手に意識すると吉田君もきっといつまでも引きずってしまうだろうから、謝罪を受け入れてあげて、それ以上このことについては話をしない。それが後腐れなくていいと思うわ」

 

「けれど、落ち着いていられるでしょうか」

 

「今日はまだ美月も吉田君も混乱しているから、少しだけ時間を空ければいいのよ」

 

私は少し温くなったカフェオレを魔法で温め直した。

心配する美月に再度、彼女の背を撫でた。

 

「大丈夫。きっとうまくいくわ」

「雅さん・・・」

「ね?」

 

念押しするように言えば、美月はぐっと手を握りしめた。

 

「分かりました。明日、頑張ってみます」

「その意気よ」

 

笑顔が戻った美月に私も一安心した。

 

「もし何かあったらエリカと一緒に吉田君を懲らしめてあげるから」

「雅さん、やっぱり頼もしいですね。流石は深雪さんのお姉さんって感じです」

「ありがとう」

 

末っ子なのにあまり妹らしくないと言われるのは、きっと深雪も達也もいたからなのだろう。

それ以外にも親戚で小さい子はいたから、自然と私はお姉さんだった。

その日は達也と深雪に断りを入れ、美月を送って帰ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日曜日の放課後

 

論文コンペのために多くの生徒たちは登校してきている。

朝聞いた話によれば、美月と吉田君は無事に仲直りをしたらしい。

吉田君はご丁寧にも長い謝罪文の手紙を持ってきた様で、少しだけ身構えていた美月も毒気抜かれてしまったらしい。

 

私はといえば、渡辺先輩と共に平河さんの入院先に来ていた。

 

「ああ。君が九重さんか」

「初めまして。御高名は兼ねてからお聞きしております」

 

そこにはもう一人、男性が来ていた。

 

千葉修次

エリカの兄でもあり、近接戦闘では魔法師の中で5本の指に入ると言われる天才剣士。ちなみに、渡辺先輩の恋人でもあるそうだ。

 

「そう言えば、君のお兄さんにはお世話になったから、改めてお礼を伝えておいてもらえるかな」

「タイでは随分とご活躍されたのでしたね」

「九重の次期当主に頼み事は易々とする物ではないと身に染みたよ」

 

彼は乾いた笑いを浮かべた。

私も兄から聞いた話では、兄が九校戦に来ていた時に偶然二人は出会ったらしい。そこで兄が悩んでいる彼に一つ簡単な占いをしたそうだ。

その対価として求めたのがタイの王室に縁のある品で、それを手にするために王室の親衛隊隊長と一騎打ちをしたらしい。

 

「なんだ、シュウは雅の兄と知り合いだったのか?」

 

渡辺先輩は少し不機嫌そうに尋ねた。

折角会えた恋人が後輩ばかりと話しているのが面白くないらしい。

いつもは颯爽としているのに、この人も年相応に女性として可愛らしいところもあるのだと再認識した。

 

「九校戦の時にちょっとね。九重の光源氏は摩利も聞いたことあるかい?」

「見たことはないが、世に二人といない絶世の美丈夫なんだろう」

「ちょっとした占いをしてもらったんだ。女々しいかと思うけれど、将来的にも良い結果だったよ」

「そうなのか」

 

渡辺先輩は照れくさそうにしていた。

将来的にというところが特に嬉しかったようだ。

 

甘い雰囲気を出す二人に居心地の悪さを覚えた。

はっと思い出したように私を見て、渡辺先輩はわざとらしく一つ咳をついた。

 

「シュウ、すまない。忙しいのに来てもらって」

「いや、そんなに忙しいわけじゃないよ。

早朝の出発だけれど着くまでは砲術科と操縦科の連中の仕事だからね。

着いてからの方が忙しくなると思うよ」

「そうか」

 

今日来た目的というのは、入院している平河さんのお見舞いと称した尋問だ。

 

私は本来なら彼女を刺激するために来ないほうが良かったのかもしれないが、胸騒ぎがしていたため渡辺先輩にお願いしてここにきている。

式神や精霊を放って敵の侵入がないか探りたいのだが、大学病院内とあって、魔法感知のセンサーもいくつも置かれているためそれもできない。

 

「ひとまず、平河さんの用事を終わらせて、後はお二人の時間を作れるようにしましょう」

「な、雅!」

「はは、お気遣い有難う」

 

顔を真っ赤にする渡辺先輩に対して、千葉さんはこの程度の冷やかしなら慣れているようだった。

いつも達也をからかっていることに比べたら可愛いお返しだろう。

 

 

 

和やかな午後の病院のロビーに、突如として警報が鳴り響いた。

 

「シュウ!」

「火災ではない。これは暴対警報だ」

 

嫌な予感が的中してしまった。

しかもそれが4階となれば、彼女が入院している階だ。

ここまでくれば嫌でも想像がついてしまう。

 

3人とも自己加速術式を展開し、階段で4階へと駆け上がった。

 

「何者だ!」

 

4階に到着すると大柄な男がまさに病室のドアノブを壊そうとしているところだった。

 

そこにいたのは思わず鳥肌の立つような濃密な殺気を纏った男。

 

「人食い虎、呂剛虎(リュウ・カンフウ)」

「幻想刀、千葉修次か」

 

近接戦闘で世界五本の指に入ると言われる実力者たちが対峙していた。

千葉さんは折り畳み式のナイフを取り出し、戦闘を開始した。

相手は素手だが、鋼気功で纏った鎧で斥力の刃に対抗していた。

 

「九重、お前は逃走経路を塞げ」

「分かりました」

 

此方に攻撃した時に迎撃できるようにCADを構えていたが、それを渡辺先輩が制止した。

 

千葉さんの援護は息の合った先輩に任せることにした。

繰り出される攻防は一撃一撃に殺意が籠っており、どちらも引いていなかった。

 

高速かつ高度で繰り出される魔法の応酬に、渡辺先輩は攻撃の機を窺っていた。

 

私はその隙に逃走防止用の結界を張り巡らす。影からこちらを覗く気味の悪い視線を遮るように逃走経路を障壁で封鎖した。

 

千葉さんが肉を切らせて骨を立つべくして攻撃し、渡辺先輩が追撃を食らわせた。わき腹に深手を負った相手は階段に転がり落ちようとした。

しかし、それも障壁に阻まれ叶わない。

 

「チィッ」

 

障壁を作ったのが私と分かると隠遁術で姿をくらませた。

 

「消えた」

「しまった」

 

天井に一瞬の痕跡、姿を現した時には私の目の前に肉薄していた。

 

「雅!!」

 

渡辺先輩の悲鳴にも似た叫びが響く

ニヤリと笑う呂は勝利を確信しているようだった。

だが、私があれだけの間に障壁だけを組んでいたのではない。

私の姿を捉えたと思った呂の手が空を切った。

 

「?!」

 

空振りをした瞬間、私は彼の背後から至近距離で特化型CADを体に打ち込んだ。纏う鋼気功ごと体を貫通し、廊下の先まで焦がした。

腹を狙って打ったが、流石は世界屈指の魔法師

咄嗟に体を捻り直撃を避けたが、わき腹に風穴を開け、肉の焼ける焦げ臭いにおいが広がった。

 

苦悶を顔に浮かべているが、まだこちらを殺そうと体をこちらに向けてきたので意識を完全に落とすためにスパークを食らわせた。

人の体も電気信号で動いている。

ガードの緩くなった体に高圧電流は容赦なく意識を刈り取った。

呂の倒れた廊下には血だまりが広がっていた。

 

「殺したのか?」

「死んではいませんよ。ここが病院なので手早く処置すれば問題ないはずです」

 

内臓はいくつか焦げてダメになっているだろうが、即死のものではない。多少神経系に麻痺が現れるだろうが、敵の素性を吐ければ問題ない。

 

「呂の攻撃は当たっていたように見えたんだが、空を切った。怪我はしていないのか」

「大丈夫ですよ、渡辺先輩」

「しかしどんな魔法を使ったんだ?」

「摩利」

「あ、スマン」

 

渡辺先輩は千葉さんから諌められた。

相手の使う魔法について聞くことはマナー違反だ。

 

「どんな術かは言えませんが、九重八雲に師事していますと言えば分って頂けるでしょうか」

「なるほど、忍術の類か」

 

千葉さんは感慨深げに頷いた。

伯父も九重だが、京都の九重とはたまたま同じ名字だっただけだ。

 

私は障壁を解除し、階段の方を見た。

もう一人、潜んでいた人物は呂が倒れるや否や姿を消した。

式神を付けて追跡したが、古式魔法に精通しているのか、すぐさま姿をくらました。隠遁術か遁甲術の一種だろう。

 

逃げられたことは痛手だが、呂を捕まえただけでもお釣りがくるだろう。

すぐさま院内の警備兵が駆けつけ、血まみれで倒れている呂を見て狼狽えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

千葉さんの治療と事情聴取ということで、私たちは一旦警察に拘束された。相手が相手だったため、過剰防衛とは取られなかったのだが、事件が事件だけに長く拘束された。

千葉さんは軍関係者で明日以降の訓練があるため、早々に解放されたのだが、私は都合が良かったのか、何時までも話を聞かれていた。

 

ようやく解放されたのは夜の8時を過ぎてからで、流石に疲れも溜まっていた。ロビーに向かえば既に人は少なくなっていた。

切っていた端末を見れば、深雪と達也から連絡が入っていた。

二人も事件の顛末は聞いていたのだろう。

今日は司波家ではなく、自分の家の方に戻ろうとしたところで精霊のざわめきが変わった。

 

「やあ」

「・・・どうしてここに?」

「んー、仕事の関係でね」

 

正面玄関から入ってきたのは京都にいるはずの次兄だった。

兄の美貌にやられてか、老若男女からの視線がこちらに集っていた。

 

「詳しい話は車の中でしようか」

 

いつもの柔和な笑みに女性陣から黄色い悲鳴が上がった。

だが、私には彼の到来は嵐の前兆にしか思えなかった。

このタイミングでわざわざ兄が動くと言うことは相当なにか大きなことが起こるのだろう。

 

「分かりました」

 

私は兄の後に続いて、兄が持ってきた自家用車に乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

車の中で粗方の話は聞いた。

響子さんが計画している狐狩りの材料も大方揃っているそうだ。

実際に動く猟犬は警察なのだが、そこは手柄を挙げたということで帳消しにされるだろう。

 

遅い時間ではあったが、車は九重所有の家ではなく、司波家に向かっていた。内容が内容なだけに連絡が早い方がいいのだろう。

 

「お姉様、おかえりなさい。悠お兄様、いらっしゃいませ」

「こんばんは、深雪ちゃん。夜遅くに悪いね」

 

司波家に着くと深雪が出迎えてくれた。

普段、深雪は来客があるならも少し落ち着いた服装なのだが、今日はいつもと変わらずミニスカートだった。

兄ならば身内に入るので構わないと言う事だろうか。

 

「いえ、どうぞお構いなく。御夕食はお済みですか?」

「二人ともまだなんだ」

「そう思って、温めておきました」

「深雪ちゃんの手料理とは楽しみだね」

 

深雪は嫌な顔一つせずにリビングへと私たちを招いた。

達也もリビングにおり、その表情は少しだけいつもより固く見えた。

遅い時間なので軽めの夕食に舌鼓を打ち、食後のコーヒーの時間となったころ、兄が重い口を開いた。

 

「さて、楽しくないお話の時間だ」

「悠さんがこちらまで出てくるのに値することですか」

 

達也の眼が一段と鋭くなった。

兄は何時もの柔和な顔を顰め、同じく意志の強い目で達也を見返した。

 

「そうだよ。一応表の仕事もあるけれど、今回は血なまぐさいことになるからね」

 

深雪もその雰囲気を感じ取ったのか、緊張した雰囲気が窺えた。

 

「単刀直入に言えば、10月30日。論文コンペの当日、大亜連合の工作員が横浜を攻撃する。といっても、こちらは陽動で本当の目的は戦争に備えた前哨戦っていうところだね」

「まさか開戦するのですか」

 

深雪は口元を押さえていた。ただの産学スパイと思っていたら、これから戦争に発展すると言われれば当然の反応だ。

彼女の脳裏には沖縄の一件も思い出している頃だろう。

 

「大亜連合の港には一個大隊が集結している。

軍事演習の通達もないし、事実上の戦争準備と言っても良いだろう。

実際は国土を焼くような開戦にはならないが、しばらく軍は騒がしくなることだろうね」

「軍関係者にこのことは?」

「リークはしているが、動くのはもう数日後だろうね」

「それを見越して話をするのが【千里眼】なのではないですか」

「証拠もないのに軍は動かないことは君が良く知っているだろう」

 

達也と兄の間に鋭い視線が飛び交う。

緊迫した雰囲気に深雪も目を逸らさずに聞き入っていた。

 

「それで、それを俺に教えてどうするのですか」

「情報があるのとないのと大違いだろう。一〇一も出動するだろうし、魔法協会の関東支部も攻撃対象だ。当日はウチからも何人か出る予定だけれど、軍が駆け付けるまでの時間稼ぎだからね」

「それは、お姉様もですか」

 

深雪は思わず立ち上がった。

 

「そうでなければ【鳴神】の名の意味がないだろう」

 

深雪の顔は蒼白になっていた。

冷徹な言い方だが、実際有事になれば私も駆り出される。【鳴神】の名を頂いたその時から、私は既に彼女の家臣であり、配下であり、軍門であり、子どもであった。彼女が滅ぼせと言うならば、私はこの身を鬼神と化してでも任を果たさなければならない。

それだけの力を私は彼女の庇護下で受けている。それが九重の、四楓院家の使命だった。

 

深雪は唇をかみしめていた。

 

「---深雪、雅。席を外してもらっていいか」

「お兄様」

 

達也は柔らかく深雪に微笑んだ。

 

「後で何を話したか伝える。雅も疲れているだろうから、少し休んだ方がいい」

 

兄からあらかたの事はここに来るまでに聞いている。

当日まであと3日しかないが、下準備は兄達が進めているはずだ。

 

「わかりました。お姉様」

「行きましょう、深雪」

 

顔色の悪い深雪の肩を抱くようにして、私達はリビングを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

雅は深雪を落ち着けるために、司波家で借りている部屋にいた。

お互いに話すことはなく、ただ雅は深雪の背を撫でていた。

 

縋りつく深雪だが、決して行くなとは言わなかった。どれだけ自分が言ったところで雅は戦場に出ていく。

【千里眼】である悠が断言したのなら、それは間違いない未来だ。

なぜ姉がそんな道を選ばなければならないのか。

今にもあふれ出そうになる涙を必死に堪えていた。

 

しばらくそうしていると、不意に部屋のドアがノックされた。

雅が扉を開けると、少し申し訳なさそうな悠が立っていた。

 

「雅、達也の所に行ってくれるかい」

 

先ほどのヒリヒリと焼けつくような気配はなくなり、いつもの兄としての顔に戻っていた。

雅はちらりと深雪を見るが、深雪は無言で頷いた。

 

「分かりました」

 

雅は静かにリビングへと下りた。

 

 

部屋に沈黙が訪れる。どちらも口を開かない。

 

「深雪ちゃん」

 

先に沈黙を破ったのは悠で、彼はベッドに座った深雪の前に膝を付いた。悠は握りしめられていた手に自身の手をゆっくりと重ね、落ちついた声で語りかけた。

 

「大丈夫。君の所にちゃんとお兄さんは戻ってくるし、雅も怪我一つしないよ」

「本当ですか」

 

深雪は震える声でそう聞き返した。

 

「本当。【千里眼】は見えたことに嘘は言わないよ。君はドンと構えて、見送ってあげればいいんだ」

 

悠は柔和に、しかし少し悲しげに微笑んだ。

 

「けど、待つのはつらいね」

「いえ。大丈夫です。お兄様とお姉様が無事帰ってきてくださるなら、深雪には怖いものはありません」

 

深雪は二度首を横に振った。

兄がどれだけ苦難の道を歩いているのか、それを自分が強いているのか、深雪自身良く理解していた。

彼女にとって世界とは兄と姉がいる世界だった。

その二人がいなくなること。それが何より怖いことだった。

 

悠は懐から一本のリボンを取り出した。

白地に藍色の牡丹と桜が描かれている。

 

「お守り」

 

それを深雪の手に握らせた。肌触りの良さから絹だと思われる。

 

「君もきっと戦火の中で友人たちを守るために動くことになる。

君の身に万が一はないと知っているけれど、着けてくれると嬉しい」

 

「悠お兄様…」

 

深雪はギュッと手にしたリボンを握りしめた。

 

「もしかして、趣味じゃなかった?」

「そんなことありません。大切にします…」

 

深雪の言葉に悠は嬉しそうに微笑んだ。女性でも、それが絶世の美少女と言われる深雪でも見惚れるような美しい笑顔にしばし、彼女の思考は停止した。

 

 

 

 

 

 

 

深雪たちを部屋に残し、私はリビングに下り、静かに扉を開けた。

 

「達也」

 

達也は一人掛けのソファーに座っていた。

リビングの椅子からこちらに移動したようだ。

自分の考えている手法とは異なるアプローチの論文に、連日の産学スパイ、継母から命じられた聖遺物の解析。物事を考えるのは一人の人間で、一つの頭だ。いくら達也でもオーバーワークだった。ここにきて大亜連合が攻めてくるとなれば、一旦頭を整理したいのだろう。

 

私は静かに達也の前に立った。

 

「綺麗ごとだと分かっているが、雅も深雪も手を汚す必要はない」

 

懇願するように達也は私の手を取った。

深雪の様に綺麗ではない

訓練でできた傷も豆もいくつもある。

人の命を奪ったこともある手だ。

達也の手は私以上に固くなっていた。

決して綺麗ごとでは済まない世界に私たちは身を置いている。

 

「本当はゲリラを殲滅する方法もあるわ。秘密裏に全部なかったことにしてしまうこともできる。けれど、それをしないと兄達が決めたことに意味があるのだと私は思うの」

 

魔法師にとっての転換点。大きく世界が動くことになる。兄はそう言った。一羽の蝶の羽ばたきも世界を壊す台風となることがある

 

「大丈夫。私が弱くないことを達也は知っているでしょう」

 

空いた手で達也の髪を梳いた。出来るだけ笑おうとするが、どこか私もぎこちなかった。

 

「雅」

 

達也が私の手を引き、額を合わせた。

不思議と心臓の高鳴りより安心感を覚えた。

握っていた手を離し、達也の手が私の髪を撫でた。

言葉はいらなかった。

ただ、時間だけがゆっくりと流れていた。

永遠はないけれど、これからどれだけ残酷なことが待ち構えていても、刹那の幸せを私は噛みしめていた。

 

 

 




雅が呂の攻撃を躱したのは『パレード』です。
九島と血縁があると言うことで、雷、電子、パレードの要素は同じにしています。

次から論文コンペの発表になります。
戦闘シーン苦手ですが、頑張ります。

追記:誤字脱字酷過ぎますね。訂正していただき感謝です。


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横浜騒乱編4

気が付いたらお気に入りが1000件を超えていました。

感想、評価きちんと読ませてもらっています。
全てにお返事はできませんが、質問、誤字などありましたら、随時よろしくお願いいたします。




いよいよ論文コンペの当日となった。

風紀委員として警備隊に組み込まれているのだが、私の持ち回りは会場警備ではなく、達也の警護役だ。

 

会場は十文字先輩を中心とした総合警備隊が警戒に当たっている。

会場の見回りは良いのかと聞いたのだが、煩わしい輩に声を掛けられるよりは司波についていろと十文字先輩直々に言われた。

九重である私が他校生から声を掛けられるのを予防してくれたのだろう。

 

意外にも細かい気遣いのできる十文字先輩に感謝しつつ、私は朝8時から達也たちと会場入りしていた。一高のプレゼンは15時からだが、達也と五十里先輩は実験器具などの警備も含めて早めに会場入りしている。

 

一旦、五十里先輩たちと合流した後、私はロビーで待ち合わせをしていた人物と顔を合わせた。

 

「響子さん、おはようございます」

「おはよう。元気そうで何よりだわ。仲良くやっているようね」

「お蔭様で。先日は狐狩りもお疲れ様でした」

 

響子さんは満足げに笑った。

呂という大きな獲物も捕まえたことで、大よそにして満足のいく狩りだったのだろう。

 

「そこは追い詰めてくれた猟犬に感謝しないとね。今日も真面目にお仲間を引きつれてきてくれたみたいよ」

「あら、それは心強いですね。それに今日は兄二人も来ているんです」

 

正規の警備隊以外に、武装した警察官の姿もあったため、準備は万端のようだ。

兄上が軍に侵攻作戦の事をリークしているのもあり、打てるだけの手駒は動かしてきているようだ。

 

「煉君も悠君も来ているの?」

 

声こそ大きくはなかったが、響子さんは驚きに目を見開いた。

 

「ええ。“仕事”の関係で立ち寄るそうですよ」

 

響子さんは一瞬。緊迫した雰囲気を漂わせた。

兄二人がこの場に来ることの意味を彼女も知っている。

彼女の頭の中にはもしかしたらの杞憂や、念のための保険を使うことになる未来が描かれているのだろう

 

「貴女もお手伝いを?」

「ええ。これでも仕事の端くれは任されていますから」

 

第三者が聞けば、文字通り表の神職としての仕事関係にしか聞こえないだろう。

響子さんは心配そうに眉を下げた。

彼女は【四楓院】も【千里眼】の役割を知っている。

私の身の心配もあるだろうが、これから起きることを案じているのだろう。

 

「九重周辺が騒がしいって聞いたら、ついに紫の上が見つかったって言うじゃない。

しかも京都に続き、こっちも慌ただしくなるのね」

 

響子さんはため息交じりに愚痴をこぼした。

【千里眼】の婚姻はその眼を持って、本人が決定する。

その決定は同じ【千里眼】を持つ者しか異を唱えることができない。

兄の言う紫の上が誰なのか、私にも聞かされていない。

まだあの様子では相手にも伝えていない事なのだろう。

 

「兄はいつも唐突ですから」

「まあ、悠君の事はさておき、二人は控室かしら?」

「ええ」

 

響子さんは軍の技術士官という肩書があるため、九校戦で見事な活躍をした達也を訪ねても問題はない。それに、私が仲介に入れば達也と同じ一高に通う血縁を頼って来たというそれらしい体面もできる。第三者からは青田買いに見えるのだろう。

 

こちらを盗み見る人影にちらりと視線だけを動かした。

 

「彼女には私からお話ししておくわ」

 

響子さんは気にすることはないと視線も動かすことなく、そう言った。彼女も軍人、盗撮されていたことには気が付いていたようだ。

 

「顔見知りの私の方がいいのではないですか?」

「大丈夫。ちょっとお灸をすえるだけよ」

 

そのお灸が火傷にならなければいいが、好奇心で怪我をするなら自業自得だろう。

私と響子さんは達也と深雪の待つ控室に入った。

 

 

 

 

 

 

響子さんとの話し合いを終え、ホールへと向かった。

響子さんからもたらされた情報はほぼ兄から聞いたものと相違なかった。数日前に兄が情報をリークしているため、霞が関も魔法協会も今頃大忙しだろう。

 

響子さんも要点だけ話すと、早々に通信用の個室に入った。

兄が来ていることを含め、現在の状況を風間少佐に伝達するのだろう。

緊張していても私にできることは現時点ではなく、時間が来るまでは九重雅として警備にあたることにした。

三人でロビーを歩いていると前に一条さんと十三束君が見えた。

 

「司波さん」

「一条君」

 

後から呼び止められ、足を止めると一条君は深雪を見つけると花が綻ぶように笑った。腕には『警備』の腕章が付けられており、総合警備隊の一員だと分かる。

 

「お久しぶりです、司波さん。後夜祭のダンスパーティ以来ですね」

 

深雪に会えたことの嬉しさと、少しだけ緊張を含んだ声だった。

ここまでくればもう確定だろう。

 

私はちらりと達也と目を合わせた。彼も深雪に向けられている感情を理解している様だが、よくあることなので今のところは静観している。

 

「ええそうですね。ご無沙汰しております」

 

深雪はにっこりと笑顔を作ったが、どこか雰囲気は冷ややかだった。

彼女は私が一条君と踊ったことがあまりお気に召さなかったようで、どこか態度は素っ気なかった。

一方、一条君も出し抜かれて魔法を使われたことが苦い思い出となっていたのか、一瞬だけ渋い顔をした。

 

深雪は苛立つ気持ちを隠して、完璧に微笑んだ。

 

「会場の見回りですか?」

「え、ええ」

 

だが、恋は盲目と言うべきか、恋愛経験が少ないと言うべきか、一条君は深雪の微笑みに顔を赤らめていた。

それこそ、絶世の美丈夫と名高き兄と一緒に暮らしている同姓の私ですら見惚れる美貌だ。その微笑みたるや、淡い恋心には強烈だったのだろう。

 

「一条さんが目を光らせてくれるなら、より一層安心です。よろしくお願いしますね。十三束君も会場の警備、頑張ってくださいね」

「は、はい」

「ありがとうございます」

 

二人は揃って背筋を伸ばした。

どうやら、深雪の発破は年頃の少年たちには刺激が強かったようだ。

 

 

 

 

 

午後を前に市原先輩、七草先輩、渡辺先輩が会場に到着した。

本来であればもう1時間ほど遅い時間の予定だったが、事態が変わったらしく、早めに来たそうだ。

 

彼女たちが早く来た理由は関本先輩の一件にあった。

論文コンペの準備中、風紀委員の関本先輩は達也を睡眠ガスで眠らせ、論文のデータを盗もうとした。幸い未遂に終わったが、教職員推薦の風紀委員が犯した失態に教員たちは頭を抱えていた。その関本先輩の尋問を今朝行ったそうなのだが、どうやら彼も平河さんと同様に対外勢力の手が入っていたそうだ。

 

今後の襲撃の可能性も含め、十文字先輩は会場の警備隊に防弾チョッキの着用を指示した。

私と千代田先輩は警護役のため、防弾チョッキの着用はないが、CADを待機状態にしておくよう指示された。

 

 

 

 

 

今回の注目は基本コードの発見で研究筋には名の知れた吉祥寺君だが、一高も三大難問に取り組むとあって注目度は高い。

 

論文の発表は市原先輩。

実験機器の操作は五十里先輩が行い、達也は裏でCADのモニターの切り替えを行っている。

私と千代田先輩はそれぞれ下手と上手で警備についている。

魔法協会のスタッフが発表者たちが不正をしないように裏からも監視しているが、三人は緊張もせず着実に発表を行っていた。

 

 

 

30分間の発表は無事に、終わった。

継続的熱核融合へのこだわりを捨て、断続的核融合炉の実現は『ループキャスト』によって実現された。革新的な発表を行った市原先輩に会場から惜しみない拍手が送られた。

拍手を一身に受ける市原先輩は何時ものクールな表情は崩さない中でも、誇らしさがにじみ出ていた。彼女にとって夢ともいえる道のりに着実に歩みを進めていた。

 

 

時計を確認すると、もうじき時間だ。

会場は10分の短い間にデモ機の入れ替えが行われている。

この10分が一番スタッフにとっては忙しい時間になる。

 

「達也、先に出ているわね」

「ああ。こっちは大丈夫だ」

 

一瞬達也の手が私を引きとめるかのように、ゆるく触れた。

瞳が一瞬揺らいだように見えたが、私は気が付かないふりをして微笑んだ。

 

「深雪を、みんなをよろしくね」

「………ああ」

 

言いたい言葉を押し込めて達也は首を縦に振った。

その様子は、まるで私が彼に愛されているかのような錯覚を覚える。

 

彼が本当に深雪だけしか世界にいらないのだとしたら、きっと彼は私を喜び勇んで送り出すはず。私が敵を屠れば屠るほど深雪の安全は守られる。

まるで私の身を案じる様子は、少なくとも彼の世界に私という存在は少しでも色を残せているのだろう。

 

これから血だまりの世界に身を投じると言うのに、私の心はそれだけで天にも昇る思いだった。

 

かつて文豪はI Love you.を『私、死んでもいいわ』と訳した。

彼の貴婦人は将来を誓った相手に『今日を限りの命ともがな』と詠った。

今ならその気持ちも解る気がした。

こみ上げる思いを振り切るために私は彼に背を向けた。

 

 

 

 

認識阻害の術を掛けながら控室に入った。それと同時に、人除けの結界を張った。

既にプレゼン最後の三高を残すだけであり、控室は無人だった。

 

ロッカーに隠していたアタッシュケースを開け、戦闘服に着替える

防弾用のインナーは着てきている。

防弾チョッキとプロテクターを付け、上から家紋の入った白い羽織を着こみ紐を結ぶ。

羽織には魔法が掛りやすくなる刻印が刻まれており、薄い布に見えて魔法師が使えば高度な鎧となる。

 

左耳に無線端末を装着し、最後に鬼の面をつければ、四楓院家守護職【鳴神】になる。

 

 

時計を確認すると15時35分。

あと2分ほどでこちらにも攻撃の部隊が到着する。

戦地に立つのはこれが2度目だ。

国内の小競り合いには混じったことはあるが、侵略者との戦いは3年前の沖縄戦以来だ。

そっと面の下で目を閉じて、息を整える。

 

“彼女”が相当お怒りなのか、精霊たちが殺気立っている。

 

あと1分

再度、装備した拳銃型のCADを見つめる。

ここに入っているのは人を殺すための術式だ。

私に授けられた四楓院家の秘術

“彼女”の力の権化

それを使うことの意味と重さは理解している。

 

引き金を引くことにためらいを覚えてはいけない。

容赦などしたらこちらが命を落としてしまう。

残り30秒

 

『パレード』を展開し、短髪の青年をイメージする。

これで誰も私だと気が付かない。

 

CADの安全装置を外し、轟音と共に私は外に飛び出した。

 

 

 

協会から手配された正規の警備員たちは対魔法仕様のパワーライフルで次々となぎ倒されていく。訓練は所詮訓練かと、思った以上に使えないと心の中で悪態を付きながら遠距離からライフルを撃ち落としていく。

ライフルを暴発させたため、何人かは指や腕がちぎれていった。

上がる悲鳴を余所に、私は腰に差した脇刺しを抜き、ゲリラの頸動脈を切り裂いた。

鮮血が降り注ぐ前に、次のゲリラに突進する。

ゲリラは恐怖が浮かんだ顔でコンバットナイフを出してきたが、第三者によって後ろから心臓が串刺しにされ絶命した。

 

混乱を極めた残り5人ほどの敵に照準を定め、高圧電流を流し込んだ。

ものの数分で敵はいなくなり、ロビーには血の海が広がっていた。

 

私は援護をしてくれた相手を振り返った。

 

「表の掃除は終わったぞ」

 

余裕の表情で薙刀を担ぐ兄がいた。

彼も私と同じように四楓院家の紋が入った羽織と仮面を着けている。

 

「何人か通している」

「そりゃ、お前の手柄がないとだめだろう。ついでに肩慣らしだよ」

 

薙刀に付いた血を払い、兄は仮面の下で淡々と指令を出した。

 

「正式に命が下った。指令は魔法協会並びに魔法師の保護、それと外敵排除だ」

「了解」

「相当、お冠だぞ」

 

仮面の下でも兄が苦笑いを浮かべているのが分かった。

 

「援軍でも寄越してくれるの?」

「さっさと夷狄(いてき)を片付けろ、だとさ」

「そう言う事か」

 

それが“あの方”の意思ならば仕方がない。

臣下としての役目を尽くすのが守護職の務めだろう。

 

ロビーからコンペ会場の外に出ると、ミサイルが飛んできていた

兄は空中でそれを全て爆破させる

私は破片がこちらに飛んでこないように障壁を展開した。

煙が晴れるとあちらこちらから火の手の上がる街の様子が見えた。

 

「そうは言っても、しっかり加護は付けてくれたぞ。ついでに、京都にも工作員が向かっていたんだが親父らと鬼子もいるぞ」

「それは不運ね」

「こっちも10人規模で守護職を用意している。軍が掃討作戦に移るまでが仕事だな」

 

既に軍と警察に根回しはされている。

正規部隊が到着するまでが私たちの仕事。

一番の危機さえ乗り越えれば後は物量にものを言わせた炙り出しだ。

 

「状況は前に説明したのと大差ない。ゲリラを含め、1000人規模の攻撃だ。

ある程度、情報はリークしていたがまだ潰しきれてないな。

港の警備も提言はしたが、袖にされた結果だ。小笠原周辺で待機していた追加兵は既に駆逐したと報告が入った。こりゃ、今期政権も危ういな」

 

四楓院家の千里眼は文字通り、未来さえ予知できると言われている。

この状況になる前から、既に潜伏していたゲリラは公安を使って内々に排除していた。

それでも敵兵が減って1000人単位とはこれは骨が折れそうだ。

兄は軽口をたたいているが目はしっかりと追加兵に向いていた。

ロケットランチャーまで持ち出してきたが、兄は銃口の長い特化型に持ち替えて次々と爆破させていく。

 

「それで、本命は?」

「狙いは魔法士協会と今いる雛鳥たち、本命は協会の情報だな。そっちもウチの人間が入っている」

 

こちらに向けられた部隊は片づけた。

会場も混乱しているだろうが、中は中で優秀な人がいるため落ち着いて行動しているだろう。

深雪たちが心配だが、それに後ろ髪を引かれている場合でもない。

自己加速術式を使いながら移動し、攻撃してくるゲリラ兵を絶命させていく。

 

「あと、一個制御を外していいと許可が下りた」

 

二人で自己加速術式を停止し、足を止める。

そこまで許可が出るとは驚いた。

 

「親父と嵐さんが公安と政府にキレてたぜ」

 

一旦、二人でビル影に身を潜める。兄は数珠を手に持ち、私の額に手をかざした。

 

『“封じられしイザナミの系譜の力よ。雷獣の角、今ひとたび解き放たれん“』

 

封印媒体に使われていた黒い数珠がはじけ飛んだ。

抑制されていた魔法力の枷が外れ、身体が軽くなる。

同時に地の底から湧き上がる様な怒気を感じた。

この様子なら敵は無事に地獄へ行くことすらできないのだろう。

 

『やっほー』

 

気の抜けた声が無線機から聞こえてきた

 

「兄上…」

『戦況はこちらから随時伝えていくね』

 

私の呆れ声を諌めるように、語尾に星でも飛んでいそうな場違いな明るい声だった。

この状況下で呑気なものだと驚きを通り越して呆れていた。

だがこの余裕も彼の目があってこその態度なのだろう。

 

『とりあえず、【鳴神】は直進。市民の保護が遅れている。

(ほむら)】はそのビル周囲のゲリラ排除を任せる。

高校生たちの保護は対応済みだから問題ないよ』

 

 

【焔】は長兄の仕事名だ。彼もまた彼女に与えられた戦うための術式を持っている。

 

会場に残る友人たちの姿が一瞬脳裏に浮かんだ。だが会場に残された高校生たち、とくに一、二、三高には対人戦闘にも慣れた精鋭が揃っている。武装したゲリラだろうが、魔法師だろうが、身に降りかかる火の粉くらいはふりはらうことができるだろう。

納得させるだけの理由を頭の中で思い浮かべ、焦れる心を押さえつけた。

 

 

『こっちで防衛ラインと全体の指示はするよ。サトリが援護射撃もしてくれるから、背中は任せてね』

「「了解」」

『さあ、ここがどこの土地か分からせてやろうか』

 

無線越しに聞こえた兄の声は楽しげな声色の裏に怒りを孕んでいた。

 

兄の言葉と共に、精霊たちが私たちの周りに付き従う。

これも彼女から与えられた加護なのだろう。

 

私と兄はそこで別れ、敵の殲滅に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三高は会場から少し離れたバスの駐車場に来ていた。

日帰りできるようにバスを手配していたのが功を奏したのか、シェルターや避難船より近い位置にバスは置いてある。

 

だが、相手のロケットランチャーがバス後方に当り、タイヤはパンクした。幸いにして軍用車両と同じ素材を使っているバスは多少のダメージを負ったものの、運転は問題なく行える。

吉祥寺を指揮官として急いでタイヤの交換を行っている最中、一条はまさに敵を殲滅する勢いで攻撃をしていた。

 

 

「一条、少しは手加減しろ!!」

「黙ってください、先輩」

 

三高はバリケードを築きながら敵に応戦していた。

特に前線で敵を率先して屠っていたのは十師族が一角、一条家次期当主である一条将輝だった。

 

一条家の代名詞であり、秘術とされる『爆裂』

対象物の液体を一瞬で気化させる魔法。

気化した血漿は筋肉と皮膚を突き破り、鮮血を散らす。

真っ赤な花を躊躇いなく引き金を引いて作り出す一条将輝の横顔はまさしく戦争を経験した戦士だった。クリムゾンの真の意味をしった三高生も敵もまた一人、二人と士気を大いに下げ、前線から離脱していった。

 

「止めなくていいぞ、一条」

「上杉先輩」

 

そこにただ一人一条の隣に立つ生徒がいた。

先輩の意地か、それとも実戦経験があるのか、一条にはどちらでもよかった。

 

「そこまで得意じゃないが、援護してやる」

「ありがとうございます」

 

将輝が使っている術式が液体を沸騰させる術式と判断できた者がいたのか、相手は早々に攻撃方法を切り替えてきた。

実体はあるが、生き物ではない。

想子をベースに作られた幻影を術者が展開し始めた。

幽鬼とも呼ばれるそれらは、大陸の精霊魔法の流儀を組んでいる。

 

「ここが、大陸でなくて残念だったな」

 

幽鬼隊で攻撃を繰り出してきた相手に、上杉は懐から経典を取り出す。

詠唱より作り出された領域は魔法の展開そのものを阻害し、化生体を霧散させた。

 

「干渉力の領域展開じゃないですよね」

「説明求めんな。敵に集中しろ」

 

一条の問いかけに、上杉は次の詠唱を開始した。

幽鬼隊も阻まれたことで敵に焦りが見え始めた。無線で何やら指示を仰いでおり、援軍を呼ばれても厄介だと一条は早々に決着をつけることにした。

 

たかが高校生と舐めていたゲリラたちは焦りを覚えていた。

援軍を呼ぶために無線を繋いだが、電波が悪いのか通じない。

そうしている内に敵は体が熱いと感じ始めた。喉の渇きを訴え、痛みを感じるころにはすでに遅く、次々と地面に倒れていった。

 

『叫喚地獄』と呼ばれるその魔法は分子を加速させ、液体の温度を徐々に上昇させていく魔法だ。蛋白質は変性すれば元には戻らない。茹で卵が生卵に戻らないのと同じ原理だ。

情報強化の防壁を持たないただの兵士はあっという間にその数を減らした。

 

残った魔法師に将輝が照準を定めるより早く、敵は遠方からの狙撃で心臓ごと打ち抜かれた。

 

「どこから…」

 

一条はその狙撃に目を見開いた。

情報改変の気配は感じたが、援護射撃だとしても遠すぎる。

少なくとも肉眼が捕えられる位置にはいない。

味方か敵かも分からない攻撃に一条は緊張を強めた。

 

「目に見える敵はひとまず片づけた。さっさと撤退するぞ」

「俺は残ります。」

 

上杉の提案を一条は敵のいた場所から目を逸らさず首を振った。

 

「なんでだよ、将輝!」

 

バスの修理を終え、一条たちを呼びに来た吉祥寺が叫んだ。

 

「ジョージ。俺は一条家次期当主として、十師族として魔法協会に対する責任があるんだ。

ジョージは皆を連れて撤退してくれ」

「僕も残るよ」

 

食い下がる吉祥寺に一条は振り返りすらしなかった。

 

「まだあの攻撃が援護と決まったわけではない。

ジョージがいれば俺も安心して義勇軍に参加できる。上杉先輩も三高をお願いします」

 

「いくぞ、吉祥寺」

「上杉先輩!」

「見誤るな。お前が判断を遅らせれば巻き込まれるのは他の生徒だぞ」

 

温和な上杉の一喝に吉祥寺は言葉に詰まった。

確かに、ここで意地を張って言い合っても三高の生徒を危険に晒すだけだ。

吉祥寺はそれを良く理解している。

自分の我儘と親友の信念。

戦場の中でもそれを判断できるだけの理性は残っていた。

 

「必ず、勝って帰ってきてよ」

「ああ。みんなは任せたよ、参謀」

「分かったよ、将輝」

 

自分に背を向け、戦場に目を向けたままの親友の背中に吉祥寺は語りかけた。

親友から託された役目を果たすため、吉祥寺はバスに乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一条将輝が義勇軍に加わる少し前の時間

達也は風間少佐率いる独立魔法大隊に出動を命じられ、完成したばかりのムーバル・スーツに着替えた。

防弾、耐熱、緩衝、対BC兵器仕様に加え、簡単なパワーアシスト機能の付いたそれは達也が設計したものだ。

ベルトのバックル部分に装着されたCADには7月に完成した飛行魔法の術式も組み込まれ、移動は元より空中からの狙撃も可能となる。

達也は自分が設計した以上の出来栄えに対して、製作に当った真田を賞賛した。

 

一通り満足げに握手を交わした真田に時間がないと風間は目で諌め、本題を切り出した。

 

「既にイザナミ部隊がかなりの数は減らしている。

【千里眼】から入電が入り、義勇軍の指揮は彼が取ることが決まった。

特尉は柳と合流してくれ。現在、水穂埠頭で敵と交戦している」

「了解しました」

 

達也はバイザーに柳の位置情報を呼び出し、トレーラーの外に向かった。

 

「特尉、“あの子”も出ているのか」

 

達也が飛行ユニットを起動させる前に、風間が渋い顔で声を潜めて達也に尋ねた。

 

風間の言葉が誰を示しているのか、達也は直接的な名を出さなくても理解していた。

 

風間がコンペの発表会場に現れ、状況を説明したあの場に雅の姿はなかった。八雲を師とする風間と雅は兄妹弟子の間柄になる。

それこそ彼女の事を年端もいかない幼いころから知っている風間からすれば、年齢的にも娘を戦地に送り出す心境なのだろう。

 

「それが【四楓院】ですから」

 

達也は自分にも言い聞かせるように、小さくそう言って飛行CADを起動させた。深雪の身の安全は達也の守護によって守られている。それはどれだけ距離が離れようと、干渉力の制御を外された今でも働いている。

 

しかし、達也には【千里眼】のスキルはない。

雅の身の安全は案じることしかできないのである。

達也は迷う気持ちを振り払うように飛行速度を速めた。

 

 

 



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横浜騒乱編5

あの日の茜色の空は血の色によく似ていた。



戦場に立っていると言うのに私の頭はやけに冴えていた。

躊躇いもなく敵を屠る。

背を向けた相手すら容赦はしない。

 

肉の焦げる臭い

硝煙の臭い。

真っ赤な血と真っ赤な炎

響く雷鳴と絶命の声

銃声にかき消された恐怖の声

畏れ、慄き、怒り、恨み、嘆き、悲しみ、そして息絶えていく。

呆気なく消えゆく命に何の感傷もなかった。

 

『直立戦車が来るよ。剪紙成兵術とソーサリーブースターの併用だから、手強いよ』

「了解」

 

無線で受け取った指示で、ビルの屋上へと駆け上がる。

敵との距離はおよそ100m

相手が視界に入ると同時に、発生させた静電気を直立戦車を天から頭上に向かって打ち抜く。

直径2mほどの穴が開き、直立戦車はその動きを止めた。

 

『お見事。だけどちょっと威力が大きいね』

「感覚が合わない」

『ずっと封じていた反動で持て余しているみたいだね』

 

私の力は、父と二人の兄によって封じられている。

深雪が達也の力を抑えるために約半分の魔法力を割いているのとは違い、私の力は単にコントロールが未熟なせいだ。およそ10年前、京都一帯を原因不明の停電事件にして以来、私の身に余る力は危険なものとして判断された。

今はその枷も一つ外され、更に土地の加護を全面に受け、力が溢れている。

 

ビル影からこちらにロケットランチャーを構えているゲリラが見えた。

敵に姿を見せるなんてお粗末なものだと、CADの引き金を引いた。

途端に体を痙攣させ、泡を吹いて倒れた。

 

自然界で電離は発生しやすい。人体もまた電気信号によって機能している。加えて人体のおよそ6割は水分であり、通電性は高い。外部から強烈な電気を流してしまえば、神経系に大ダメージを与えることができる。

 

しかもここは田舎の山奥ではなく都市部。地下に埋められた電線から電力を持って来れば、あっという間に敵は感電死する。

 

『逃げ遅れた生徒や民間人は無事にシェルターに入ったよ。

一高生が地上に残って警戒してくれているので、そっちは大丈夫。

魔法協会側の義勇軍がちょっと苦戦しているから、支部での援護を任せるよ』

「了解」

 

相変わらず、指揮官としては温い指示に呆れながら、自己加速術式を使って魔法協会の方へ向かった。

 

 

 

 

 

 

国防軍の迅速な対応と予想以上に攻勢を見せている義勇軍の活躍で戦況は日本側に傾いていた。独立魔法大隊が動員され、空からの攻撃で重装備の戦車をはじめとした敵戦力を削いでいった。

 

しかし、中華街の方は魔法協会が主体となった義勇軍が何とか持ちこたえている状況だった。

一条将輝は敵兵を真っ赤に散らせながら、奮闘し、それに協会の義勇軍も援護していた。

しかし、敵の攻撃が機甲兵器から魔法によるものに切り替わり、消耗が激しくなった。

『爆裂』は対象内部に液体に作用する魔法だ。

実体を持たない幽鬼との相性は悪く、苦戦を強いられていた。

上杉のように幽鬼を無力化できる古式魔法師は生憎おらず、領域全体に広く干渉力を作用させることで幽鬼の姿を消した。

ただし、これは一条のスタミナもごっそりと削り取って行った。

 

だが、そんな幽鬼の幻影も一瞬にして、その場から消え去った。

驚いたのは一条だけではない。

敵兵も敵魔法師も状況が飲み込めなかった。

そして驚きの表情のまま、次々と心臓を押さえ、絶命した。

拮抗していた戦況は一気に崩れ、協会側の義勇軍は呆気にとられた。

 

「誰だ」

 

音もなく侵略兵を背後から寸分の狂いなく殲滅させたのは場に不釣り合いな羽織姿の男だった。顔も修羅を模した面で覆われ、直接視線すらわからない。

不気味に風にはためく男に一条は警戒を強め、CADの銃口を向けた。

 

「この姿を忘れたか」

「知らないな」

 

一条の脳裏に少なくともこんな男の姿はない。

こんな印象の強く、尚且つ嫌に背中の寒くなるような男を一条は知らなかった。

 

戦慄していた。

音もなく相手を殺した魔法に、一条は何もできずただ見ているだけだった。

 

「まあ、十三の時なら余裕もなかったか。佐渡以来だな、一条の坊」

 

佐渡という言葉に炎燃え盛る佐渡の地に降り立った白い羽織の後ろ姿を思い出した。

宣戦布告もない、沖縄の大亜連合の襲撃と時を同じくして行われた侵攻は島民の多くを殺害した。

 

一条将輝も父と同じく義勇軍に加わったが、助け出された島民たちは口ぐちにこういった。

 

土地神様がお怒りだ。

鬼が地獄から侵略者を落としに来た。

うわ言のようにつぶやく島民に、カウンセリングを行った者たちは集団ヒステリーのように幻影でも見たのだろうと結論づけていた。

 

だが、一条は戦場で間違いなく彼らを見ていた。

真っ赤に燃える大地に立つ、白い羽織と鬼や狛犬、鳥や猿などの面をつけた者たちの姿をしっかりとその目に焼き付けていた。

 

「四楓院家の…」

「【焔】だ」

 

声はそう老けてはいないように感じた。

成人しているだろうが、それほど成熟した年齢でもない。

 

「コレから指示もらえ」

 

【焔】と自称した男は将輝にイヤホン型の無線を投げ渡した。

一条はそれを片手で受け取った。

 

「【千里眼】からの指示が来るはずだ。現場での指揮は任されるだろうが、戦況はそれから適宜伝えられるだろう」

「分かりました」

 

一条は周囲の警戒を怠らず、耳にイヤホンを装着した。

 

「あと、言い忘れたが一条の坊。魔法へたくそだな」

「んな!」

「燃費悪いし、戦い方も知らない新兵か?

爆裂がお家芸だとしても戦術と戦略を知らないんじゃないよな?」

 

同胞のいる中華街内部に逃げ込もうと兵たちが戦車を連れて攻撃を仕掛けてきた。

 

【焔】が特化型の銃口の長いCADを構えると、歩兵は次々と真っ赤な鮮血を散らした。

眼球破壊

銃のみの爆発による手や顔の火傷と損傷

空気も利用した全身の熱傷魔法

一条が戦車を片づけている内に焔は数十人いた歩兵を一瞬にして屠ってしまった。

 

「今の爆裂ですよね」

 

一条は信じられないと言った表情で【焔】を見ていた。

確かに『四楓院』が戦う姿を見たのは二度目だが、あの時はそんなことまで悠長に観察する余裕がなかった。

だが代名詞ともいえる秘術をいとも簡単に使われたのだとしたら、それを無視することはできなかった。【焔】は大したことではないと言いたげな雰囲気だった。

 

「一条の秘術だが、そもそも四楓院が十師族のどの家とも家系的つながりがあることを忘れてないか?」

 

十師族はこの100年で出来た家系だ。

その中には四楓院の分家から嫁いだものや、四楓院家に嫁入りした家もある。

いずれにせよ、日本最高の魔法師の血統と言われるのが四楓院だ。

一条は人知れず、背中に感じる悪寒を拭い去るように自身を奮い立たせた。

 

「スタミナを無視した戦い方は長期戦では不利だ。

普段は優秀な参謀がいるみたいだが、策も練れない大将になるなよ」

 

【焔】は中華街の門の前に立った。一条が見据えた背中には四葉楓の紋

その背中はやけに広く見えた。

 

「お前は【将】だろう。武の道を行くなら極める覚悟を持てよ」

 

【焔】の言葉に一条は手を握りしめた。

確かに、今の自分では戦力にはなるが、効率は悪い。

今回はたまたま運よく敵兵には屈しなかったが、相性の悪い相手も自分より術を上手く使える者もいた。歯を食いしばるようにして、一条は【焔】の背を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

横浜ベイビルズタワー

魔法協会関東支部の屋上に羽織を着た二人組の男がいた。

 

片方は立ったまま広く戦場を見渡している、九重悠。

四楓院家次期当主である彼は戦場に10人ほどの部下を引き連れて、指令を下していた。

白皙の美貌と涼しげな目元には穏やかに見える表情とは裏腹に燃え滾るような瞳が戦火を映し出していた。

 

もう片方はライフル型のCADを構え、スコープを覗き込んだままの男だ。

長い髪を緩く束ね、糸のような細い目をしている。

 

「んー、そろそろ面倒な敵が来るかな」

「別働隊ですか」

「そうそう。厄介な虎君と人形遣いだよ」

「へえ。【人形遣い(ネクロフィリア)】が一緒とは面倒ですね」

 

二人ともまるでモニター越しに戦場観戦をしているかのような、緊張感のない口調だった。

年齢は悠の方が年下だが、序列で言えば、悠は当主に次いで2番目の権限を持っている。

 

平河千秋を襲撃しようとした呂は雅の手によって重傷を負った。

しかし、病院から留置所に搬送している途中で何者かによって護送車が襲われた。

護送車に呂の死体はなく、軍本部は包囲網をすぐさま敷くことになった。

お蔭で今回の襲撃にも迅速に対応できたのだが、軍の面目は丸つぶれだろう。

 

「一高の御嬢さんたちが手伝ってくれるだろうから、データの入手まではいかないよ」

「おや、あえて侵入させるんですか?」

「克人君を引き戻してもいいけれど、あれはあれで戦ってもらった方が士気も保たれるからね。あ、ゲリラが民間人を人質にとるよ」

「狙撃完了ですよ」

 

まるで、そこにあるものを取ってくれと言わんばかりの簡単な口調で10kmを超える狙撃は行われていた。

立っている男の方は渡る広大な戦場を的確に把握し、それを狙撃手も伝え、攻撃を的中させる。

本気を出さなくとも日本全土を見渡せる【千里眼】と呼ばれる悠の視界はこの戦場は全域を俯瞰で見下ろすことができた。

 

土地の加護を受け、傍らに控える狙撃手もまた七草家のお家芸である『魔弾の射手』を使用し、座標を作り出していた。

有視界外から仲間が次々に狙撃される様子に侵略兵たちは顔を青ざめさせた。

いくらビルの陰に隠れていようが、民間人に紛れ込んだ格好をしていようが、関係なく、一人、また一人と戦場から消え去ることとなった。

 

「ちょっとは協会も危機感を抱かないと後々面倒だろう。今回は運よく私たちがいて、運よく武装していて、運よく助けてあげたけれど、自衛手段くらいもう少し強化してほしいよね」

 

「おや、その自衛手段を紙切れのようにあしらって義勇軍の指揮官をしている貴方が一番危険なのではないですか」

 

「非常事態だから黙認されるよ。こんな若造に良いように使われたから頭の固い文官は喚き散らすかもしれないと思えば少し面倒だけれどね」

 

やれやれと【千里眼】の男はため息をついた。

 

「【鳴神】、中華街が片付いたら協会に戻ってきて。虎を片づけても【人形遣い】が来るよ」

『了解』

 

無線から聞こえた声は男にも聞こえるアルトの声だった。

パレードを展開している雅は声もその姿も全てが偽りで出来ている。

彼女の友人も彼女を知る敵も戦場を駆け抜ける鬼を九重雅だと認識することはできない。

 

「【焔】は中華街にいる引きこもりを捕縛しておいて。

逃げられたらマーカーだけでも付けておいて」

『了解』

 

【焔】に指示を出すと、悠はくるりと戦場に背を向けた。

 

「ちょっと下に行くから、狙撃は協会周囲と中華街だけでいいよ」

「おや、殲滅しなくてもいいのですか?」

「掃討作戦は軍にさせればいいよ。敵も撤退し始めたから、そろそろこっちも引き上げを始めるよ」

「了解しました」

 

狙撃手の男は群がり出した敵の第二部隊に向け、狙撃を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

警戒チームとして戦っていた一高メンバーは七草真由美が用意したヘリに搭乗していた。

五十里と桐原はゲリラによって瀕死の重傷を負わされたが、それは達也の魔法で一瞬のうちに無傷の状態となった。

摩利は深雪に達也の使った魔法はいつまで保たれるのかと尋ねた。

 

深雪は静かに首を振り、淡々と答えた。

それは治癒魔法ではなく『再生』という魔法。

この神のごとき魔法に達也の演算能力は取られているのだと彼女は言った。

何十倍もの痛みを凝縮させて『再生』を深雪の願いで使ってくれた達也に、深雪自身一番後悔していた。

 

 

暗い雰囲気の中、美月がぽつりと言葉を漏らした。

 

「…雅さんは大丈夫なんですか?」

「お姉様は大丈夫です」

 

深雪は断言した。

この場に雅がいないことは会場から出た時点で分かっている。

所在を問う友人たちに深雪も達也も“大丈夫”という言葉しか返さなかった。

それは暗にどこにいるかは言えないという事だった。

ここで美月が改めて深雪に問うたのも、自分たちはこのまま安全に逃げることができるだろうが、所在不明の友人が優しい彼女には気がかりだったからだ。

 

「けど、どこ行ってんだ?この状況で一目散に逃げ出したって柄でもないだろう」

「どこかに避難していればいいけれど、深雪さん所在が分かっているの?」

 

レオと真由美の言葉に深雪は再度、首を横に振った。

 

「すみません。私の一存で、お姉様についてお話しすることはできません」

 

彼女は指が白くなるほど、その手を握りしめていた。

声こそ抑揚がないものの、その目は悲しみと心配で押しつぶされそうになっていた。

兄も戦場に出ている上に、姉もその所在ははっきりと分からない。

だれよりも一番不安なのは深雪だった。

深雪の様子に誰も言葉を発することはできなかった。

 

 

 

突如として雷鳴が響いた。

現在、上空に雲はあるものの、おおむね晴れている。

強い事象干渉の気配を感じ真由美はマルチスコープで地上を見た。

戦車を率いたゲリラ部隊に一人で立ち向かう白い羽織を着た鬼面の青年がいた。

 

背中には四葉楓。四楓院家の家紋が描かれている。

 

「四楓院…」

「えっ!」

「四楓院家が出てきているんですか?!」

「四楓院家?」

 

首を傾げる者もいたが、古い家系や数字持ちはその顔を青ざめさせた。

四楓院といえば所在は正確ではないが、日本屈指の古式魔法使いとして知られている。

日本の歴史の影に四楓院ありと言われるほど長い歴史のある家だ。

四楓院家は国内での争いや、権力闘争には興味がない。

しかしながら、対外勢力の侵攻にはその名を聞かずに終わることはないと言われている。

それが出てきたということはかなり意味のある戦場だったと言うことだ。

不意に幹比古の頭に一つの考えが浮かんだ。

 

「司波さん、もしかしてだけれど九重さんは四楓院家に縁ある身じゃないのかい」

「九重さんが四楓院家に?」

 

戦慄する五十里に幹比古は重く口を開いた。

 

「そうとしか思えないんだ。精霊魔法、刻印魔法、歩法による術式。古式魔法をあれだけ息をするかのごとく使いこなしていた。縁がないと言われる方が可笑しいんだ」

「じゃあ、雅が千里眼だって言うの?」

 

清廉な気配を身にまとい、誰よりも高雅な雅が裏の世界の番人、『四楓院』とは想像できなかった。

確かに魔法力は深雪に匹敵し、古式魔法の造形は煌々の世界には収まらない。

彼女が四楓院として戦場に加わっているのならば、この場にいないのも説明が付く。

 

「お姉様は四楓院家の【千里眼】ではありません。それだけははっきりと申し上げることはできます。それ以上の事は、どうかお許しください」

 

深雪は丁寧に頭を下げた。

深雪の絞り出すような声にヘリの中はざわついた。

 

 

誰もがかける言葉を探している中、美月は「えっ!」と驚きの声をあげた。

 

「どうしたの、美月?」

 

深雪はできるだけ柔らかく尋ねた。

 

「あ、あの。野獣のようなオーラが魔法協会の方から見えて・・・」

「野獣?」

 

幹比古が精霊を喚起して地上を見ると、そこには魔法協会の職員と戦う呂の姿があった。

近接戦闘世界屈指の実力者かつ、今回平河を襲撃した相手とあって、ヘリの中は緊張感に包まれた。

摩利が戦う意思を示し、エリカとレオに応援を要請した。

二人とも当然だと言わんばかりに目をぎらつかせていた。

他のメンバーはそれぞれ周囲のゲリラ兵の相手と内部に侵入した敵の排除に別れることとなった。

 

ヘリで降りられる場所を探していると、副操縦席に座っていた名倉が真由美に無線を渡した。

首を傾げる真由美だが、名倉の顔が有無を言わせないほど緊迫していたので、素直に受け取った。

 

『こんにちは、七草真由美さん』

「誰かしら」

 

身構える真由美に投げかけられたのは落ち着いた女性の声だった。

雅の声色とも違い、少し艶のある大人の女性の雰囲気を漂わせていた。

 

『四楓院家の【千里眼】です。ヘリを下げるなら協会のヘリポートをどうぞ。プロテクターを用意しましたので、戦われる方はどうぞお使いください』

 

真由美はどうしてそれをと言いたげだったが、一呼吸おいて虚勢を張った。

 

「あら、流石は【千里眼】。何でも御見通しということね」

『ごめんなさい。これだけ近くで自分のことが挙がっていたら、つい気になってしまいますからね』

 

クスクスと笑い声でも聞こえてきそうな雰囲気だった。

何を考えているのか分からない。相手の姿が見えてこない。

声色は確かに女性だが、現代技術では機械を通して声を変えることなど造作もない。

しかし、これは七草家が所有するヘリだ。

盗聴対策は万全だし、易々と入り込めるような無線でもない。

きっと名倉は録音して声紋を取るだろうが、きっと何重にも誤魔化しが入っているのだろう。

少なくとも今は敵ではないと判断した真由美は彼女の提案に従うことにした。

 

「ご助言感謝いたします」

『それではどうぞ、ご武運を』

 

無線が切れると同時に真由美はどっと冷や汗が噴出した。自分の親が怒った時にも感じた事の無い言い知れぬ恐怖。まるで深淵を覗きこんでしまったような感覚だった。

 

「真由美、大丈夫か。千里眼に何を言われたんだ?」

「大丈夫よ。ヘリを下ろせる場所を教えてもらったのと、協会からプロテクターを用意してくれるそうよ」

 

真由美は心配させまいと笑顔を作った。

ほんのわずかの時間だったのにあれだけ緊張したのはいつ以来だろうかと一人震えそうになる手を握りしめていた。

 

 

呂剛虎は病院で痛手を食らわされた摩利に向いていた。

好戦的な彼は3人相手でも経験の差によって勝っていた。

吹っ飛ばした3人に留めを刺すべく走り出した瞬間、頭上に拳大のドライアイスの塊が降り注いだ。

それを掌底で迎え撃つとうとした呂だが、そのドライアイスは二酸化炭素に戻り、帰化膨張の衝撃で呂の体はのけ反った。

その気道に二酸化炭素が侵入し、肺にまで到達した。

急激な酸素濃度の低下と二酸化炭素濃度の上昇で呂の体は地に倒れた。

『ドライミーティア』と呼ばれる七草真由美の持つ殺傷性のある魔法だ。

世界屈指の近接戦闘魔法師は遠距離精密射撃を持つ少女によってとどめを刺された。

 

吹き飛ばされた3人に五十里たちが駆け寄る。

3人ともプロテクターの効果もあり、無事だった。

 

「ひとまず外の部隊は倒したし、中の深雪さん達の所に向かいましょう」

 

真由美の提案に従い、呂の脇を通って協会内に足を向けた時だった。

それは魔法師としての勘か、戦場にいるために張り詰めていた感覚か、

嫌な雰囲気を感じ取った幹比古は呂の姿を振り返った。

 

「幹比古、どうしたんだ」

 

足を止めた幹比古にレオは緊張を孕んだ声で周囲を警戒した。

 

「いや、少し嫌な感じがしただけだよ」

 

もしかしたら自分も気を張り詰めすぎていて間違えたのかもしれないと幹比古は首を振った。

だが、その感覚は裏切らなかった。

 

 

動かないはずの、死んだはずの呂の体がゆっくりと動き出し、立ち上がったのだった。

 



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横浜騒乱編6

横浜騒乱編はこれで完結です。
次から、おそらく追憶編に入ります。


追加で書き加えた部分があります。



「な!!」

「なんで、動いているんだ」

 

それは信じられない光景だった。

確かに呂は絶命した。

それは確かな事実だった。

 

不可解な現象に混乱するものの、呂の体が起き上がったのと同時にエリカは刀を構え、レオも戦闘態勢を取った。

狙いをつけて襲い掛かろうとする呂に突如として何もなかった空間から人の姿が現れた。

呂は両腕をクロスするように鋼気功を纏い、乱入者の刃を弾いた。

弾かれた方は少し距離を取り、脇差を腰に戻した。

 

「あれは、四楓院家の紋!」

 

呂と対面しているのは四葉楓の紋の入った白い羽織の青年。

先ほど呂に対して使用した脇差を鞘に仕舞い込み、腰のホルスターから拳銃タイプの特化型CADを取り出した。

 

【人形遣い(ネクロフィリア)】。まさか味方の死体まで兵隊にするのか」

 

青年の言葉を受けてか、周りにいたゲリラ兵たちもむくり、むくりと立ち上がり始めた。一人、また一人と魔法協会に死んだはずの兵士たちが集まり出した。

 

「おいおい、どこのホラー映画だよ」

「安いB級にもならないわよ」

 

レオとエリカは青い顔で軽口を叩きながらもしっかりと戦闘体勢を取っていた。どういう仕組か分からないが、少なくとももう一度厄介な戦闘が始まると言うことだ。

 

「おい、アンタ。これはどういう状況だ!」

 

桐原はたまらず呂と対面している男に問いかけた。

呂の動きは先ほどより精細欠くものの、人間離れしており、絶え間なく青年に襲い掛かっていた。青年は距離を詰められないように牽制しながら、隙を窺っていた。

エリカたちは呂の援護をするために襲い掛かってくる死んだはずの兵士たちを相手にしていた。兵士は虚ろな目をしたまま、銃を撃ち、ナイフで襲ってきた。

 

「死体を人形のように操って兵士にする【人形遣い】がいる。

分かりやすく言えばキョンシーだ」

 

青年は間合いを取りながら、スパークを呂に浴びせた。

呂の体はビクビクと震えはしたものの、それすら意に留めず、青年へと襲い掛かった。

 

「キョンシーだって?!」

 

幹比古は驚愕した。

キョンシーとは古代中国に伝わる死体を動かす魔法だ。

現在では倫理的配慮のため、禁術の一つにも数えられている。

 

死体の軍団は疲れを感じない。

痛みを感じない。

恐怖を感じない。

兵士としてはこの上ない戦力だ。

 

呂クラスの魔法師をベースにすれば、脳に残された記憶を使い、魔法を発動することも可能である。襲い掛かって来た敵をエリカやレオは斬り倒すが、致命傷となるはずの頸動脈を切っても、腕を一本切り落としてもその死体は動きを止めず攻撃を仕掛けてきた。

 

「キリがない」

 

際限なく立ち上がってくる兵士たちにエリカは苛立ちを募らせいた。

 

「ミキ、どうすれば片付くの?」

「術者は今探している。キョンシーと言ってもベースは人間。

胴体を上下で切り離したぐらいだったら、まだ襲ってくる可能性が高い。それこそ原型をとどめないくらいに破壊するか、もしくは四肢を落とせば動けはしないよ。」

 

幹比古は術者の特定を急いでいた。

この状況を作り出している魔法師を倒すことが一番の先決だった。

精霊を喚起して周囲一帯を探すがどこにも術者の姿が見えない。

おそらく術で姿を念入りに隠しているのか、精霊も届かない遠隔から操っているのだろう。

 

「術者はおそらく協会の中に侵入している」

 

呂と対面していた青年は幹比古に向かって叫んだ。

上空からは七草の『ドライブリザード』の援護射撃が降り注ぎ、青年と呂の間に弾幕を張る。

青年の言葉を受け、エリカは幹比古に叫んだ。

 

「ミキ、お願い」

「分かった」

 

幹比古は目の前にいた敵を魔法で吹き飛ばすと、協会内に入った。

彼の脳裏に浮かんだのは美月の姿。

深雪と一緒にいるならばいいが、敵が内部に侵入している以上、安全な場所はない。

焦る気持ちを必死に抑えながら、幹比古は探索用の精霊を放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陳祥山(チェン・シャンシェン)は魔法協会内部に侵入し、データ入手を行おうとしていた。

彼が発動した『鬼門遁甲』は方位に特化した精神干渉系の術式。

相手の意識を逸らすことなどこの術の基本だった。

電子金蚕を使ったカードを端末に接触させ、鍵システムを強制解除する。

通常の方法以外でロックが解除されたため、警報が鳴り響く。

しかし彼は余裕だった。

協会関係者は術によって彼を見つけることはできないし、10分程度の時間があれば十分だった。

 

 

易々と協会に侵入すると、彼は冷気を感じた。

薄暗い部屋の中にいたのは、笑みを携えた少女だった。

 

「司波深雪・・・」

「あら、私をご存じということは最近お兄様に付きまとっていたのは貴方だったのですね」

 

絶世の美貌はこの上なく冷たい微笑みを浮かべていた。

 

「なぜここにいる。私の術が通じなかったのか」

 

陳は自分の術が破られたことに驚きを隠せないでいた。

否、何か話でもしていなければこの少女に飲みこまれてしまうと無意識のうちに怖れていた。

 

「貴方が人の感覚の方位を操っているのならば、360°全てに気を配っていればいい話です。幸いこちらには見えないものが見える魔法師もおりますし、術によって見えないことにされていたあなたも見ることができたのです」

 

既に手の内がばれていたのかと陳は奥歯を噛んだ。この少女を手早く潰さねばと思うのに、思考は徐々に鈍くなっていた。

 

「貴方がいなくなれば、しばらくは静かに過ごせますね」

 

冷徹なまでに可憐な笑みを携えた瞬間、陳は寒気ではなく、自分の体温が低下し、身体が動かなくなっていることに気が付いた。

 

「私もずいぶんと上達しましたのですよ」

 

その言葉を耳に、陳の意識は闇へと沈んだ。

 

 

 

 

 

 

 

深雪がほっと一息つくと協会側に連絡を取った。

低体温に陥って行動不能にした陳を拘束するためだ。

 

待ち構えていた協会側の職員に陳を引き渡すと、深雪は美月のいるモニタールームに向かった。

 

陳の術は映像媒体にも有効な様で、美月がいなければ深雪は陳の姿を認識することができなかった。幸いにして無事に捕獲できたし、友人たちもそろそろ戦闘を終えていることだろう。

深雪は廊下を進んでいると錆鉄のような匂いが鼻についた。

 

CADは手に所持したまま待機状態にし、警戒を続ける。

息を殺し、身体を隠して廊下の曲がり角の先を見ると、そこにはずるずると足を引きずるゲリラ兵の姿があった。

視認して座標は確認できたので、CADから起動式を呼び出し、ゲリラたちの体温を下げてしまう。これが普通のゲリラ兵ならば深雪の姿を見る前にその足を止めるはずだった。

 

だが、そのゲリラたちの足は止まらない。

魔法が正しく発動している感覚はあるが、全く効いていない。

深雪に一瞬焦る気持ちはあったものの、すぐさま意識を切り替え、『ニブルヘイム』で物理的に凍らせることでようやくゲリラたちは足を止めた。

 

警戒しながら廊下の角から移動し、ゲリラたちを直接確認する。

薄暗い廊下で先ほどはしっかりと分からなかったが、どの兵も銃弾に打たれた跡や、酷く怪我をしていた。中には致命傷となっている傷もあるが、どれも先ほどまで動いていた人だった。

気味の悪さを覚えながら、急いで合流しようとしたところで不意に気配を感じ、振り返った。

 

「誰ですか」

 

足音もなく背後に忍び寄っていた相手を深雪は睨みつけた。

 

「大丈夫かい、深雪ちゃん」

 

だが、彼女の予想に反してそこにいたのは悠の姿だった。

 

「悠お兄様?」

「そうだよ」

 

白い四楓院家の羽織を身にまとった悠が悠然と立っていた。両手を挙げて、敵意がないことを示しながら悠は深雪に近寄った。

 

「どうしてここに…」

「大事な“お仕事”だよ」

 

悠はにっこりと笑った。

血なまぐさい死体を前に、何とも場違いな微笑みだった。

 

「深雪ちゃん、ちょっと手伝ってもらっていいかな」

「なにをですか?」

 

 

悠はそっと深雪を自身の背に隠した。

 

「初めまして、【人形遣い】」

 

悠は廊下の先に向かって声を掛けた。

 

「初めまして、【黄泉の鬼】」

 

深雪は第三者の登場に緊張感を強めた。

廊下には人影はない。

術を使って姿を認識させていないのか、物理的に隠れているだけなのか。いずれにせよ【千里眼】の目の前ではその姿を認識させないことは不可能だと深雪は理解していた。

 

「見逃しては貰えないのかな」

 

悠が人形遣いと称した男の声はやや芝居がかっており、戦場というその場であえて不釣り合いなように演じているようだった。

 

「残念ながらできない相談だね」

「ならば仕方ない」

 

ずるり、ずるりと足を引きずるような音が廊下に響いた。

二人のいる廊下の角に追い詰めるように二方向から新たなゲリラ兵が現れた。

どの兵も目は白濁しており、服にも血が滲んでいる。片腕のない物、目の潰れているもの、いずれもまともな姿をしている者はいなかった。

 

「これは・・・」

 

深雪は思わず口元を覆った。

死体が動いている。

そうとしか思えない光景だった。

腐っていないだけましなのかもしれないが、乾かない血の臭いが臭覚を刺激した。

 

【人形遣い(ネクロフィリア)】。死体を操って戦う趣味の悪い大陸の古式魔法師だよ」

「愚劣な」

 

深雪は姿の見えない敵に嫌悪感がした。いくら術だとしても味方の兵を死んでも尚使うとは深雪には言い難い不快感を覚えた。

 

「おや、趣味の悪いとは酷い言い方ですね」

「人形に任せてさっさと退散しなかったのですか?」

「そう考えていましたが、気が変わりました。貴方たちも一緒にコレクションに加えましょう。出来るだけ綺麗な姿で死んでください」

 

狂気じみた男の言葉に深雪はしびれを切らした。

 

「深雪ちゃん、容赦はいらない」

「勿論です」

 

悠と背中を合わせ、深雪は死体となった兵に『ニブルへイム』を発動した。

死体となっているならば慈悲はいらない。

体の芯まで凍らせた状態で無理やりにでも体を動かせばその体は砕ける。死体の兵士たちは皆、その場で物言わぬ氷の彫刻となった。

 

「なに?!」

 

人形遣いの驚愕の声が聞え、深雪は悠の方に振り返った。

悠の方はただ、扇を横に振っただけだ。それだけで死体兵たちは皆、動きを止め、その場に崩れた。

人形遣いの苦々しげな声が聞えた。

 

「貴様、何をした!」

「君との縁を切らせてもらったよ」

「くそっ」

 

死体兵の一番奥に【人形遣い】と呼ばれる男は控えていた。

スーツ姿の青年はどこにでもいるこれといった特徴のない顔をしていたが、その顔は焦燥が浮かんでいた。

多数を制御する関係上、媒体と術者の距離はそれなりに近くなければならない。

無様に背を向けて逃げる男に悠は容赦なく扇を構えた。

彼がひとたびそれを振れば鎌鼬が発生し、男の首を刈り取った。

 

「演技の下手な三下さん、さようなら」

 

その言葉を最後に人形遣いの男はなすすべなく地面に転がる自分の胴体を見る羽目となった。痛みを脳で知覚する前に、彼は完全に絶命した。

 

 

 

廊下の惨状を目の当たりにしながら、悠は無線を繋いだ。

 

「はい」

『焔だ。すまないが、引きこもりには逃げられた』

「マーカーは?」

『それはばっちりだ。少なくとも1年は消えない』

「じゃあ、結果は上々だね。部隊まとめて引き揚げさせて」

『了解』

 

悠は死体に見向きもせず、敵を凍りつかせた深雪を見た。

廊下を埋め尽くすサイオンの煌めきは彼女の力の強さを表している。

霊的物質も知覚できる悠の目には強烈な輝きを持つ霊子も見えていた。

 

「深雪ちゃん、モニタールームまで送るよ。僕らは後処理もあるから、深雪ちゃんは先にお帰り」

「お姉様は御無事なのですか?」

「外で死体となった呂の相手をしていたけれど、そっちは吉田の次男君が操っていた人形遣いを倒してくれたから片付いたみたいだよ。怪我もしていないし、大丈夫だよ」

「そうですか」

 

深雪は片腕で自身を抱いた。

悠はトントンとあやすように深雪の背を叩いた。

 

「よく頑張ったね、深雪ちゃん」

「悠お兄様…」

 

深雪は緊張していたものが一気に解放された感覚になった。

今まで張り詰めていた思いを悠の前で無様に吐き出してしまいそうで涙が出そうだった。そんな姿は見せられないと深雪は気丈に首を振った。

悠もそんな深雪の気持ちを理解してか、ゆっくりと肩を抱いて廊下を進んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深雪が悠と合流するより少し前、幹比古は協会内部に放った精霊を通じ、【人形遣い】と呼ばれる術者を探していた。

おそらくあれだけの数の兵士と死してなお強力な戦力となっていた呂を操るには、近くで操作をしている可能性が高い。

 

「ミキ!」

「エリカ、レオ?!」

 

幹比古が三階への階段を上がっていると、後ろから声が掛けられ、幹比古は足を止めた。そこは自分を送り出したはずのエリカだった。

 

「四楓院のヤツが相手も複数だから追えって言われてきたのよ」

 

エリカとレオ、幹比古が並ぶと三人で足音を消して走り出した。

敵が中に侵入している以上、どこにいても気が抜けない。

 

幹比古は感覚を最大限に尖らし、エリカとレオもまたあちらこちらに目を光らせていた。

 

 

異臭が鼻につくと、二人は揃って廊下の角に身を潜めた。

途端に銃弾が廊下を埋め尽くす。

 

「見つかったか!」

「キョンシー兵も鈍くても銃ぐらいは引き金を引けばできるからね」

 

エリカは舌打ちをしながら、反撃の機を窺っていた。

獲物は既に脇差に切り替えてきている。先ほどまで使っていた「大蛇丸」は『秘剣:山津波』を発生させるためのデバイスだ。

刃渡りは140cmほどあり、室内での戦闘には向かない。

 

レオもまた「薄羽蜻蛉」を待機状態にして、腰に差した状態にしている。5m規模に伸びるカーボンチューブは長さを調節できるが、それを使用した室内向きの戦闘訓練までは行っていない。

今は使い慣れた音声認識型のCADのみだ。

 

銃弾の雨が横を通り過ぎる中、幹比古は『鎌鼬』を発生させ、ゲリラを切り刻んだ。

幹比古が精霊と視覚同調をすると手足、首の切れた死体があった。

鉄の臭いが狭い廊下を伝わって幹比古たちの元にも伝わって来た。

 

「助かったわ。ミキ。これで敵がいるって言っているようなものだからね」

 

エリカは勝気な笑みを浮かべた。獲物を目の前にした猛禽類のような鋭い目つきだった。

レオもまた獲物を前に鋭い目をしており、幹比古は気を引き締め直した。

 

「ミキの魔法で扉を吹き飛ばしたら、私とコイツで突撃して仕留めるわ。中にもさっきのキョンシーはいる?」

 

「いや、中にはいないよ。術者は確かにいるけれど、こちらにはまだ気が付いていないみたい」

 

幹比古はドアの隙間から精霊を送り込んだ。

表の戦闘に集中しているのならば、都合がいい。

 

三人は扉からやや距離を取り、息を殺した。

エリカが目線で合図を送ると、幹比古は突風でドアを内側に吹き飛ばした。それと同時にエリカとレオが突入する。

 

扉を壊した衝撃で視界が晴れない中、いち早く敵の姿を捉えたのはエリカだった。

相手が小型銃を取り出すために懐に手を入れるより早く、エリカは脇差で敵の男の喉を掻っ捌いた。血しぶきが舞い、もう一人いた術者の照準が合う前にレオが敵を殴り飛ばした。

 

強烈な一撃によって男は強化ガラスに頭から突っ込み、ガラスに血をまき散らした。泡を吹いて倒れる男は頭蓋の形が変わっており、ぴくぴくと白い目を剥いて体を痙攣させていた。

 

 

男の体が動かなくなったのを確認すると、三人がガラス越しに下の様子を見た。どうやら呂とキョンシー兵の姿も止まっており、この人物たちが術者に間違いなかったようだ。

 

「終わったな」

 

レオは長い溜息をついた。

 

「四楓院のヤツも去って行ったから、大丈夫なんじゃない?」

 

エリカはやれやれと刃を仕舞い込んだ脇差の柄で肩を叩いた。

 

「深雪と美月を迎えに行きましょう」

「ああ」

「そうだね」

 

三人が窓から離れ、部屋から出ていこうとしたその時、【人形遣い】の死体が背後から三人に襲い掛かった。

エリカが脇差から刃を取り出すより早く、レオが防御態勢を取るより早く、幹比古が札を構えるより早く、2つの【人形遣い】の死体は首と四肢を打ち抜かれ、物理的に止められた。

 

「倒したはずなのにまだ動くのかよ!」

「それより、狙撃よ!」

 

エリカは一旦部屋の外まで二人を押し出した。

情報改変の反応は部屋の中であった。

つまり、狙撃主がどこから狙っているか分からないが、相手は自分たちの有視界外から狙撃が可能ということだ。

 

しばらく部屋の外から様子を窺い、緊張を張り詰めていたがその後、一向に攻撃はなかった。

 

「援護射撃だったってことか?」

「そうだと思う。死んでも動き出したのはきっと、自分にも死後に動き続ける術を掛けていたからじゃないかな」

 

幹比古は身震いをさせながらそう言った。

あの時援護射撃がなければ自分たちは何かしら怪我を負っていた可能性もあった。

無意識に手を握りしめながら、今度こそ三人は美月と深雪を迎えに向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風間は指令室の一角でモニターを見ながら戦況を把握していた。

 

「強いな、イザナミ部隊は」

 

まさに鬼が現れたと称するほどその実力は浮世離れしていた。

戦場に不釣り合いな真っ白な羽織と面。

 

 

『特務部隊 イザナミ』

 

特尉ばかりで構成されるその部隊は実質、軍属とは言えないが国防の一翼を担っていた。

いや、一翼ではない。

この国の守護の根幹とも言っていいだろう。

見えるもの、見えないもの。この国への害悪を排除するための部隊だ。

 

彼らの名が軍上層部に知れ渡ったのは35年前の対馬の侵略事件。

自治軍の急襲を受けた島はなすすべなく、虐殺の対象となりかけていた。

それを救ったのがイザナミ部隊だった。

当時を生き延びた人は語った。

神風がこの地を護ってくださったと。

実際、イザナミ部隊がいなければ住民が7割以上虐殺されていたと言われており、拉致された人も救出不可能だった。

当時の状態で被害を最小限に抑えられたのは彼らがいたからだと今でも語り継がれている。

鬼の面や戦場に不似合いなはずの羽織姿が次々に敵を屠っていった。

鬼が歩けば骸が転がると言われるほど一騎当千の奮闘だった。

 

「イザナミ部隊、撤退を始めました」

「了解した。そのまま下がらせろ」

「よろしいのですか」

 

部下からの質問に風間は小さく首を振った。

 

「上層部は五月蠅いだろうが、姿を掴むべき相手ではない。しかるべき話し合いはその内、上の方がするだろう」

 

歴史の影に四楓院家あり。

国内の争いには関せず、外国からの侵略があれば一切容赦はしない。

魔法が古式魔法を除き100年ほどの歴史なのだとしたら、四楓院家の家系は古く神話の時代まで遡る。魔法師としての特性は血縁によるところが大きいと言うが、それを体現しているのが四楓院家だ。

 

まるで呼吸をするように魔法を使う。それだけ四楓院家は魔法師としての血をどこよりも強く受け継いできた。

直系筋に男児が生まれれば、我が娘をとの声が上がり、女児が生まれれば、我が家にと声が上がる。

そうして脈々と血縁による強化を行って来たのが四楓院家である。

たかが100年の技術は未だ数千年にも及ぶこの国の守護を司る一族には敵わない。

 

「残存兵力の掃討は鶴見と藤沢の部隊に任せる。サードアイの準備をしろ」

「了解しました」

 

見据えたモニターに既に白い羽織姿の男たちはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薄暗い板張りの部屋に、向かい合うのは一組の男女。

上座には女が御簾越しにくつろいでいた。

一方、冠をかぶり、和服の礼装を来た男の方は板張りに正座し、頭を垂れていた。

 

「此度の出撃、大儀であった」

 

艶のある女性の声だった。御簾越しであるので、顔は分からないが、どこか言い知れぬ気品が溢れていた。

 

壮年の男は再度頭を低くした。

 

「恐れ入ります」

「【鳴神】も【焔】も次期【千里】もよう働いてくれたようじゃのう」

「貴方様から加護を賜りまして、皆の者は奮迅いたしました。

こちらに鉾を向ける大陸はもうじき灼熱に焼かれることでしょう」

「ああ。あの大黒天の小僧か。人の欲望は恐ろしき力を望むものじゃのう」

 

色気の混じった息交じりのその声は呆れと鼻で笑ったかのような侮蔑を含んでいた。

 

「それが人の業にございますれば、また償うのも、癒すのも人の領分でございます」

「そのように硬い顔をせずとも良い。他の者と違って小僧を排す気はない。妾はこの国を荒らすことがなければそれでよいのじゃ。【鳴神】も付けておるなら、早々に暴走はせぬじゃろう。まあ、泣かせるようなことがあれば妾は黙っておらぬぞ」

 

クスリと御簾の奥で真っ赤な唇が弧を描いたように見えた。

光源の少ない室内では、姿ははっきりとしないが、男には緊張が走った。

 

「アレを妾も気に入っておる。いくらそなたらが結んだ縁とて、妾の気紛れで切ってしまうやもしれぬぞ」

 

パチンと御簾の中で扇子を鳴らした。

男の背には冷や汗が伝っていた。

 

「これからも励めよ」

「はっ」

 

再度男は頭を下げた。

女が立ち上がると、部屋を照らしていたろうそくの明かりが消えた。

そこには最初から誰もいなかったかのように静まり返っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

叔母との通話を終え、深雪はソファーに体を沈めた。

行儀が悪いと言われるかも知れないが、今は家に誰もいない。

兄は対馬要塞に向かっていると連絡が入った。明朝には帰れると言うことで、先に休むように言われていた。

 

しかし、深雪には兄の言いつけに従って体を休めることはできそうになかった。ひっそりと静まり返る家の中はどこか寂しく、兄と姉が恋しかった。

 

深雪が見てきたのは、まさしく戦場だった。

血が吹き出し、人が倒れ、人を殺す。

自分が殺めた命に深雪は一人震えていた。

 

時刻は深夜近くになっていた。

不意に家のインターホンが鳴った。

兄や姉が帰ってきたのならばインターホンはならない。

恐る恐る深雪はドアホンを確認するとそこには悠と雅の姿があった。

深雪はすぐに開けますと言い、玄関に向かった。

 

 

 

 

玄関のカギを解除し、中から扉を開ける。

 

「お姉様、ご無事ですか?」

「ええ、大丈夫よ」

 

深雪は目に涙を浮かべ、雅に抱き付いた。

雅は疲労の色は濃かったものの、目に見える傷は一つもなく、しっかりと自分の足で立っていた。深雪の背を撫でる手には傷一つなかった。

 

「深雪ちゃん、雅を休ませてあげて良いかな?」

「ですが・・・」

 

雅は深雪を抱きかかえたまま、兄を窺い見た。兄がいる手前先に休むのが申し訳ない気持ちと、達也が帰っていないのに深雪一人で待たせるのは忍びないという気持ちがあった。

 

「お姉様、顔色もすぐれませんし、今日はお疲れでしょう。深雪は大丈夫ですので、お休みください」

 

深雪は涙声でそう言い、雅から離れた。余程疲れているのか、雅もそれ以上のことは言わず、部屋へと入って行った。

 

 

 

雅が部屋に向かった後、リビングで悠は深雪が淹れたお茶を飲んでいた。日本茶にしようかと深雪は尋ねたのだが、偶には紅茶が飲みたいと二人でカフェインの少ない紅茶を飲んでいる。

 

「夜分遅くに申し訳ないね」

 

少し眉尻を下げて微笑む姿に深雪は静かに首を振った。

 

「いえ。それよりどうしてこちらに?」

「雅がいくら無事だったって言っても、君は姿を見るまでは安心できないと思ってね。それに、こんな夜に女の子を一人にしておけないよ」

 

悠は深雪の瞳を真っ直ぐ見ていた。

図星だったためか、それとも深雪でさえ緊張する絶世の美丈夫の柔らかい微笑みのためか

いずれにせよ深雪は紅茶に手を付けて自分を落ち着かせた。

 

「あら、キザですね」

「キザで良いよ。刈り取った重みに必死に耐えている子を無視できるほど、薄情ではないよ」

 

深雪は黒曜石のように黒い悠の瞳に見入ってしまった。

自分の心中を言い当てられてしまったのもあったが、必死に取り繕っていたものが揺らいだ気がした。

 

「君の選択は間違っていない。けれど忘れてはいけない。その重みが僕らが生きている理由でもあり、使命でもあるんだ」

 

深雪はソーサーにカップを下ろした。

なにも深雪にとって人の命を奪うことは初めての事ではない。

あの四葉の家にいた時もそうだし、沖縄の時だってそうだ。

だが、決して心地いいものではなかった。

仕方ないと割り切ることはできても、何時だって命を凍らせるときは必死に奥歯を噛みしめていた。今日だって、一人で家にいるのは不安で、寂しくてたまらなかった。

 

「泣いてもいいよ?」

「いいえ、大丈夫です」

「そう。じゃあ、隣にいてもいい?」

「はい………」

 

悠は深雪の座るソファーに腰を下ろした。

深雪の手を優しく包むその手はやはり男の人のもので、すっぽりと深雪の握りしめられた手を覆ってしまった。触れる手の温度はどこまでも優しくて、深雪はそっと悠の肩に顔を埋めた。

 

深雪は悠を(達也)に重ねているのかもしれないと頭の片隅で感じた。

ほのかに香る気品ある香りは確かに兄と違ったけれど、鼻につくような嫌な物ではなく、悠にならば似合いの香だった。

悠に申し訳ない気持ちもありながら、深雪は優しい温もりに縋った。

 




書こうかどうか迷ってる話。
『王立魔法科学院 劣等生の騎士』

設定
・西洋ファンタジー風
・魔法がファンタジーとして成立する世界
・十師族が納める十の領と九つの王立学院と、一つの王立大学
 学院は男女でクラスが分かれている。
 1年は共通学科。
 2年生から、魔法師コース、騎士コース、錬金術師コースに分かれる
・魔法は王家門閥貴族階級の者が多い。
・そこに通う子女は名門の貴族、お嬢様が多い。
・従者も通うことができるが、かなりの難関なので余程実力がないと無理。学院内では下民と謗られることもある。

登場人物設定
・深雪:第4領秘蔵の娘。男女通じて学年トップの魔法使い
    身分を偽り、九重の親類として学院に通っている。
    安定のシスコン、ブラコン

・達也:錬金術師志望。深雪の従者として入学。
    深雪と同じく身分を偽って入学している。雅の婚約者
    裏では謎の凄腕錬金術師として名を馳せている。
    騎士コースの先輩も一発で片づける凄腕。    

・雅 :王家縁の神殿の娘。家柄は王家に準ずる。達也の婚約者。
    巫女としてあがめられている。

・エリカ:騎士コース志望の女子。
     妾腹と姉になじられて、家出するように学院に入学した。

・美月:錬金術師志望のちょっと変わった目を持つ女の子。学院の癒し。
・レオ:移民の祖父を持つ、騎士コース志望。
    血の気が多いので、よく魔法師志望の坊ちゃんと喧嘩沙汰。
・幹比古:あまり有名ではない神殿の次男坊。魔法神官志望

・七草真由美:第7領の領主の息女。仮面パーティが好き。
・十文字克人:第10領の時期領主。王立騎士団に入団予定。

・一条:第1領の時期領主。学院交流会で見かけた深雪にフォーリンラブ
・吉祥寺:自称参謀。錬金術理論では有名な発見をした天才。


力尽きた_(┐「ε:)_
要望あれば書きます


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追憶編
追憶編1


ずれた歯車は歪な音を立てて動きを止め、やがて錆びつき朽ち果てる。

結ぶのは難しく、解くのは簡単で

作るのは時間がかかり、壊すのは一瞬。

目に見えない不確かな存在に縋り、惑わされ、絶望し、そして終わりは呆気なく訪れる。

人を人としているのは何だろう。

このどうしようもない煩わしい感情はどこから生まれたのだろう。

心とは何か、精神とは何か。

深淵を見てきた私にも答えはでない問いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京都

 

神社の周囲には出店が立ち並び、浴衣を着た人々で溢れている。

小さな子供の手を引く両親、はぐれないように手を繋ぐ初々しい恋人たち、仲間同士で一夏の恋をしようと躍起になっている青年たち。

活気ある露天の声と香りたつ食べ物の香り。

薄暗くなった夕暮れの参道の灯篭に次々と橙色の明かりがともされていた。

表の賑やかな様子や林檎飴や綿菓子など祭りの出店に見向きもせずに達也は参道を進んでいた。

 

長い参道を人とぶつからないように進み、鳥居の足元まで来ると、一人の男性が手を挙げた。

 

「達也、よく来たね。背もずいぶん伸びたな」

「ご無沙汰しています」

 

懐かしそうに目を細める男性に達也は表情を変えずに頭を下げた。

男性はとっくに還暦は過ぎているものの、若々しく力強い印象を受けた。

達也を出迎えたのは九重の先代当主。現在は隠居をし、息子に当主を譲っている身だった。

鳥居を通り過ぎる人の中には彼に丁寧に一礼をしてから去っていくものも多くいた。

 

「俺への仕事とはなんでしょうか。任務の内容はこちらに来てから教えられると聞いています」

「長旅で疲れているだろうから、話は中でしようか」

 

達也は先代当主の出迎えに若干驚きながら、今回の任務の重要度を見直していた。

達也は彼の後に続いて立ち入り禁止の神社の敷地内に入って行った。

参道から一歩外れれば、どこか寂しげな夕暮れの風景が広がっていた。急ぎ足で駆け抜ける神官達も彼を見れば、一旦足を止めてから通り過ぎていた。

 

九重の私宅に入り、立派な応接間に通される。畳を入れ替えたばかりなのだろうか、イグサの香りが夏の香りと共に鼻に抜けた。

 

運ばれた冷茶でひとまず喉を潤していた。先代から菓子も進められたが、達也は気遣いは結構だと丁寧に断った。

彼は達也の事をまるで孫を見るかのような、とても優しい瞳をしていた。達也はどことなく居心地の悪さを感じながら、冷茶に口をつけた。

 

「さて、任務のことだが、それ自体建前だから気にしなくていいよ」

「建前ですか?」

 

達也は一瞬眉をひそめた。内心慌てていつもの顔に戻そうとしたが、【千里眼】たる彼を騙せるわけもなく、彼は困ったように眉を下げた。

 

「そうでも言わないと真夜さんや深夜さんは君をこちらに寄越してはくれないだろう?

二人とも知っているから気にしなくてもいいよ。実質休暇だと思って、羽を伸ばしてくれ」

 

「でしたら、俺はあちらに戻らせて」

 

「雅は君が来るのを楽しみにしているんだが、会って行かないのか?」

 

「ですが・・・」

 

達也は言葉に詰まった。

雅は彼にとって生まれたときから婚約者と決められた幼馴染だ。

自分に普通の魔法が使うことができないと判明しても尚、その関係性は解消されることなく今日まで続いてきている。

雅と達也は3歳ごろまでは同じ時を過ごし、4歳を過ぎてからは雅は深雪の遊び相手となり、達也には厳しい戦闘訓練が課された。

 

京都にやってきたのも任務の一環だとして言い渡されたが、休暇にするとは契約違反なのではないかと達也は幼い頭ながらに考えていた。

 

「じゃあ、会場の警備の補助を頼もう。それだったら“任務”になるだろう」

 

渋る達也に先代は代案を出した。

会場には既に九重からも優秀な魔法師が何人も配備されているが、保険は多いに越したことはない。加えて、子どもというのも相手に危機感を抱かせないとして重宝される。

 

だが、この達也が向かい合っている男はきっと達也に危険なことはさせないし、第一警備に構えた神職たちも大人の矜持で許さない。

達也は大人たちの思惑も頭の隅にありながらも、わかりましたと頭を下げ、先代に連れられて舞台裏に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

室内の涼しさとは違い、外は夏独特の蒸し暑さに包まれていた。

先ほどより空は紺色に近くなり、日が沈んだことで少しだけ気温も下がっていた。

舞台の主役は精神を集中させるために一室が与えられているが、前座には簡単な白い布の天幕で仕切られた控室だった。

そうは言っても外には警護役の神職が構えており、先代の登場に二人は丁寧に頭を下げた。

 

達也の存在も先代と一緒ということで特に咎められることなく、中に入れてもらえた。一声かけ、二人で天幕の中に入った。

中にいた雅は達也と目が合うと、大きな瞳を見開き、嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 

「本当に来てくれたんだ」

 

雅は座っていた椅子から立ち上がると、達也に駆け寄った。

 

「雅」

「あ、ごめんなさい」

 

達也に触れようとした時、先代から言葉で制された。伸ばしていた手を雅はさっと引っ込めた。

 

「潔斎した後だから男の人には触っちゃだめなんだって。ごめんね。」

「いや、気にしていない」

 

舞台映えするように施された赤い紅やほんのりと乗せられた白粉は幼さも残しながらも、特別な雰囲気を助長していた。

巫女服と頭の金色の簪も良く似合っていると達也は思った。

達也はしげしげと観察していると、雅は恥ずかしそうに頬を染めた。

その様子を先代は優しげな表情でニコニコと笑っていた。

 

「達也と私は袖で見ているからね」

「はい」

 

雅は祖父の言葉に丁寧に頭を下げた。

先代は小さく達也の肩に触れた。達也が見上げて目を合わせると、にっこりとほほ笑まれた。なにか言葉を求められていると達也は理解し、雅に視線を戻した。

 

「・・・・頑張って」

「うん」

 

達也の言葉は何よりもありきたりだったが、雅は花が綻ぶように笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

舞台は夜7時から。

雅の出番はそこから10分の前座。7歳の子が行うには九重神楽の負担は大きく、簡単な場の清めの舞か脇役を演じるだけだ。

雅の出番は早々に終わり、大人たちの神楽が始まった。

観客は100人から200人ほどだが、一様に九重神楽の幻想的な雰囲気に呑まれているのが見えた。

 

彼は舞台に気を配りながらも、観客に目を光らせていた。任務としては警備なので、与えられた仕事に真面目に取り組んでいた。

 

舞は1時間で終わり、問題なく大成功を収めた。

達也は何度か見慣れぬ魔法に目が奪われながらも、任務をやり遂げた。先代に報告に行こうとしたところで、廊下で雅の母の桐子に呼び止められた。

雅は巫女服から子供らしい桃色の浴衣に着替えていた。

水色の巾着には涼やかな金魚があしらわれ、長い髪はトンボ玉の簪でひとまとめにされていた。

 

「二人でお祭りを楽しんでいらっしゃい」

「警備の仕事はいいのですか?」

 

達也の子供らしからぬ言葉に悲しげな表情を一瞬浮かべたものの、にっこりと笑顔で雅を促した。

 

「ええ。折角会えたんですもの。はい、お小遣い。達也、次の仕事は雅の護衛よ。護衛しているとは分からないように、遊んでいらっしゃい。9時までには戻ってくるのよ」

「いいのですか」

 

雅はマネーカードを受け取り、嬉しそうに母を見上げた。勿論よと彼女は再度、雅の浴衣の細部を整えてあげていた。

 

達也は今回、九重の依頼でここに来ている。つまり、今だけ彼の雇い主は深雪ではなく、九重になる。拒否権は最初から達也にはなかった。

 

「達也は疲れたかしら?」

「いえ、大丈夫です」

 

念のため確認を取る桐子に達也は首を振った。

警備といっても暴動も混乱もなかったため、達也に疲労はなかった。

いつもと違う雰囲気や仕事内容に達也は戸惑いを覚えながらも、二人で祭りへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

達也と雅は特に問題もなく祭りを楽しんだ。

九重の膝元で犯罪を起こす無粋な者はおらず、時折酒に飲まれた男たちが騒いで連れていかれていた程度だった。

祭りから帰った達也はそのまま、九重本邸に宿泊することになった。

湯を浴び、後は寝るだけとなったが、達也はなぜか目が冴えていた。

 

庭に面した客間の廊下に出て、ぼんやりと空を見上げた。

およそ記憶にある母に笑顔を向けられたことはなかった。

同じ屋根に暮らしている妹とも顔を合わせることはなく、生活していた。

学校の通学で同じ時間を過ごしてはいるが、特に言葉を交わすことはない。

深雪は次期当主候補、達也はガーディアン

同じ両親から生まれたが、家の者からの対応は天と地ほども違う。

同じ学校に通っているものの、およそ兄妹らしい会話はない。

 

達也にとって深雪のことは大切だ。

母が達也に施した魔法で、強い感情は妹に対する家族愛以外は全て白紙化された。

情報を改変する魔法の使えない自身にとって四葉で生き残るためにも仕方のないことだった。訓練だって毎日の事でもう慣れたことだった。人を殺すことだってした。

 

十師族の一角、四葉家

謎に満ち、触れてはならない者たち(アンタッチャブル)と呼ばれるのが達也の生家だった。

 

 

対して、九重はどこまでも達也にとって清い世界だった。

裏の事情など微塵も表ににじませることはない。

今日だって四葉の人間ではなく、雅の婚約者である司波達也としてのもてなしを受けていた。

胸が焦がれるような、ざわめくような感覚だった。どこか忘れていた懐かしい感覚を呼び起こされるような気がしていた。

 

達也を一人前の人として接し、優しさも厳しさも兼ね備えていた。

達也がなにかに成功すればきちんと労い、道理を間違えれば本気で叱ってくれる大人だった。

 

訓練で怒鳴りつける大人とは違う。

蔑んだ目で見てくる家人とも違う。

世間一般で言う親とはきっとこんな感覚なのだろうと達也は痛むはずのない胸がうずいた。

水でも一杯貰ってこようかとしようとしたところで、廊下の先に人影が見えた。

 

「おや、久しぶりだね、達也ちゃん」

 

寝巻用の浴衣にガウンを羽織った老女がそこにいた。

にこにこと達也に向かって話しかけてくるが、達也には生憎面識がなかった。

少なくともこの家の人物だが、生憎九重は親戚も多い。赤ん坊のころにあった人もいるだろうが、流石の達也にも記憶はなかった。

 

女性はゆっくりと達也の隣に座った。

 

「覚えていないわよね。雅の曾おばあさんよ」

「貴方が千代様ですか」

 

齢86歳とは思えない、背筋の伸びた婦人だった。

白髪に顔や手に刻まれた皺はそれなりの年齢を重ねているように感じさせたが、年より若かった。彼女もまた【千里眼】であり、先々代四楓院家当主だった女性だ。

 

「ええ、そうよ。貴方と雅の婚約を決めたのは私ね」

 

生まれて間もなくの達也に魔法の才能がないことを見抜き、雅が生まれるとすぐに婚姻を持ちかけたのはこの人だ。

周囲からはなぜという声も多く上がっていたと聞いた。実際、今でも疑問視されている。よほど四葉直系の血筋が欲しいのかと揶揄されていた。

しかし、この方にはそんな思惑はないようだった。

 

「私の目に狂いはなかったようだね」

 

ゆっくりと達也は頭を撫でられた。不思議と嫌な感覚はしなかった

 

「力を持つ子。貴方は多くの事に縛られるでしょう。それでも、幸福はあります。

これから先の人生、多くの事を学び、多くの事に躓き、多くの事を成し、多くの人と出会うでしょう。良い縁、悪縁。全て貴方の糧となります。あの子と幸せになりなさい」

 

達也は否定しなければならなかった。

道具のように使われる自分にあんな綺麗な雅は相応しいとは思えなかった。

なぜ選んだのか、聞きたかった。

それでも、言葉は出なかった。

慈愛に満ちた瞳が全てを語っていた。

 

「さあ、もうおやすみなさい。お月様はあんなに高いところにあるわ」

「はい。失礼します」

 

いつもと違う場所のせいか。

それとも、あの言葉のせいか。

その日は珍しく良く寝つけなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

限られた季節の逢瀬。

雅の舞う神楽には必ずと言っていいほど招待された。

名目上は警備だったが、実質はほぼ無償で招待されたと言ってもいい。

時間の許す限り、任務や訓練の合間で観に行っていた。

年を経るごとに雅は舞台の中でも華へとなっていった。雅一人だけの舞の時間が取られるほど、その神楽舞は卓越していた。

 

誰もが忘我となる、常世忘れの舞。九重の桜姫と称されていた。

舞台ではまるで手の届かないような存在なのに、隣にいる雅はいつも笑みを浮かべて幸せそうに俺の隣を歩いている。

 

一緒に鍛錬をすることもあった。

武術も雅は人並み以上の腕で、その実力に驚くことも多かった。

文字通り、実の親以上に愛情を注いでくれていたのは九重の家だった。

誰も俺を否定しないし、蔑みもしない。

何時だって諸手をあげて歓迎してくれた。

そこに、打算も思惑もない。

あるとするならば、雅の幸せを願ってのことだ。

ぬるま湯につかっているような感覚だった。

ここでは四葉のガーディアンではなく、司波達也でいさせてくれた。

それがそことなく、歯がゆくもあり、嬉しくもあった。

 

 

 

 

そして月日は移ろい、達也たちは小学校を卒業する歳を迎えた。

その春は雅が巫女として舞える最後の年だった。

平安時代は11~12歳で裳着、今でいうところの成人式を迎えていた。本来だったら12歳でも成人扱いになるのだが、現代に合せて小学生までの取り決めとなっている。九重神宮では13歳以上の女性で舞えるのは男装舞か舞姫として未婚を貫く女性だけだった。

 

観覧は12歳から許されており、先日12歳を迎えたばかりの深雪は最初で最後の舞に心を踊らせていた。達也は警備名目で裏からいつも神楽を観ていたが、それは婚約者としての特権と特例だった。

深雪の隣には調整体のガーディアン、桜井穂波がいるため、達也は離れた位置から危険がないか目を光らせていた。

 

「達也君」

「お久しぶりです、桐子様」

 

来賓の相手が終わったのか、観客席の最後尾で立っていた達也に桐子が声を掛けた。

 

「様はいらないわ。昔のように桐子叔母様でも桐子さんでも構わないのよ」

 

少し話があると、桐子は達也を誘った。

達也は穂波とミストレスである深雪に告げ、その場を離れた。深雪は勝手にすればいいと我関せずと言った様子で、穂波がそれを優しい言葉で諌めていたが、聞く耳は持っていなかった。

精霊の目で会場全体を見て危険がないのを確認した後、達也は桐子と共に人気のない関係者用の場所まで移動した。

 

消音壁を音もなく展開し、桐子は時間もないから手早く話を終わらせた。

 

「深雪さんの隣に座らなかったの?」

「俺はガーディアンですから」

「九重が招待したのは司波達也よ。誰もガーディアンとして貴方を呼んだとは書いてないはずです」

 

確かに招待状は司波達也、司波深雪、それと司波深夜の名で来ていた。深夜は体調がすぐれないため、代理で穂波が来ている。

 

「ですが…」

 

達也は少なくとも人より物事の分別の付く人間だった。九重が招待の一人として数えてはいたが、話を聞いた家の者たちの中には面白くない者もいた。

 

「外聞を気にする輩はここにはいません。貴方は堂々とそこにいればいいのよ。それに席が空いている方が目に付くわ」

 

達也の席は深雪の隣に指定されていた。それを深雪が快く思わなかったため、達也は離れた位置で待っていた。

 

「今回が巫女舞の最後だから、あの子も気合いが入っているの。

貴方と深雪さんが来ると知ってから、より気合いを入れていたわ」

「そうなんですか」

「だからなおの事、しっかり見える位置にいてほしいのよ」

 

達也は雅がどれだけ神楽に真摯に取り組んでいるのか知っている。

どれだけそれが困難な事象を実現させているのか知っている。

だからこそ、何時だって目を奪われてきたし、彼女の努力する姿勢は素直に感心した。

 

「お願いね」

「…分かりました」

 

達也はこれも仕事だと自分を納得させ、観客席へと戻って行った。

 

 

 

席に着けば隣の深雪から冷たい目があったが、淑女として彼女は暴言を吐くようなことはなかった。穂波は困ったように笑みを浮かべたが、少し嬉しそうだった。

 

 

神楽殿の隣には満開の桜が咲き誇っていた。九重神社は桜の名所として知られており、風が吹けばどこからともなく花びらが飛んできていた。

 

雅が舞台に登場すると、観客は息を呑んだ。

12歳というにはあまりに大人びており、伏せた目はどことなく儚い印象を抱かせた。

ゆっくりと雅が顔を上げると達也と雅の視線が交わった。

その瞬間、桜の舞姫は誰よりも春に相応しい笑みを浮かべた

蕾が綻ぶように、満開の花さえ霞むように優雅で可憐に微笑んだ。

 

 

管弦の曲が鳴り響けば、そこは祝福された世界が現れた。

神々しく、神秘的で、常世の者とは思えない幻想が広がっていた

 

「綺麗…」

 

隣の深雪が思わず声を漏らした。

優美な雅楽に合せて装束が翻り、軽やかな鈴の音が響き渡る。

桜が舞い散る中で踊るその様はまるで春の精が降り立ったようだった

芽吹きの春に相応しい愛らしく、可憐で、それでいて力強さも感じる

観るもの全ての目を引き付けていた

舞台には一人しかいないにもかかわらず、圧倒的な存在感だった

魔法で重力に逆らって幻想的に舞う桜の花びらや酩酊するかのように漂う桜の香り

光の加減で色を玉虫色に変える装束

サイオン体をベースにされた鳳凰が空から飛翔し、舞台に色を添える。

そこにいる者全てが、その全ての動作を止めてこの光景を脳裏に焼き付けなければと感じていた。きっと、桃源郷があるのならこのような世界を言うのかもしれないと感じていた。

 

曲の終わりに少しだけ寂しそうに笑った。

桜の舞姫は今日で見納めなのだ。

そう思うと、達也の胸には残念な気持ちが湧いてきた。

湧きあがる拍手を受け、誉れ高き桜姫は惜しまれながら舞台を後にした。

 

 

 

深雪は感涙が止まらなかった。雅の神楽は凄いと聞かされていたが、想像をはるかに超える情景に心の方が追いつかなかった。

 

涙を流し続ける深雪に九重から少し休んでから帰った方がいいと言われ、達也たちは九重本邸に招かれた。

深雪の側には穂波が付いており、達也だけは当主に呼ばれた。

 

「よく来たな」

「お招きいただきありがとうございます。」

「深雪さんには刺激が強かったようだね」

 

くすりと当主は笑った。

 

「君にとってはどうだったかな?」

「あれだけ難易度の高い魔法を道具による補助はあるとはいえ、続ける技術は凄いと思います。俺が観覧させていただいた中では一番の舞だったと思います。

ーーーだからこそ、俺のような立場に雅は釣り合いません」

 

誰よりも、高雅で優雅で綺麗な舞姫。達也にはそんな彼女に血塗れで大した魔法の才能のない自分が相応しいとは思えなかった

 

「ふさわしくなければとっくに解消させているとは思わないのかい」

「四葉との関係維持のためですか」

「その程度の理由で君を縛ろうとは思わないよ。第一、九重も四楓院も魔法師社会の中では基本的に中立だ。」

 

十師族にも師補十八家にも九重も四楓院も入っていない。

それはナンバーズと呼ばれる家々は後発的に作られた家であり、九重とは歴史も格も違う。

魔法師としての血をどこの家よりも濃く受け継ぐのが九重の本家であり、九重との婚姻を目論んでいる相手も少なくない。雅だって達也が知らない中で色々なところから声を掛けられているはずだ。

四葉にとってはメリットのある相手でも、九重にとって欠陥品である自分を選ぶ理由が達也には分からなかった。

 

「訳が分からないという顔だね」

「俺には魔法師としての才能が有りません」

「君の才能は誰にもできないことだ。君の言う才能はライセンスの獲得のための評価基準で、数ある物差しの内の一つに過ぎない。うちがライセンスを重視していないのは知っているだろう」

 

九重当主は真剣に達也と向き合った。

 

「毎年招待しているとはいえ、断ろうと思えば断れるだろう。それでも毎年来るのはなぜだい」

「俺程度の人間が九重の招待を無下にはできません」

「そこは雅に会いたいくらい言ったらどうだい」

「失礼しました」

 

達也の殊勝な態度に当主はやれやれと言った風に笑った。

 

「責めているわけではない。せめてこの家にいる時ぐらいは司波達也として、素直にいて欲しいという親心だよ」

 

この人物も達也を昔から知っている。

物心の付く前から厳しくも優しく接してくれたまるで父のような存在だと達也は感じていた。

血の繋がりしかない父は所詮血縁だけだ。彼は達也が尊敬し、教えを乞うことができる数少ない相手だった。

 

「君と雅の縁は時が来れば教えよう」

 

今はまだ告げることができず、いずれその時が来るということだ。

【千里眼】にはそれがいつのことか分かっているのだろう。

この家の掌だと思うと少し不満もあるが、少なくとも雅にとって害になることはない。

そして深雪にもおそらく牙をむくことはない。

きっと達也が乞えば力を貸してくれるだけの関係はある。

それさえ分かっていれば、達也はぬるま湯の関係に甘んじることにした。

 

 

 

 

 

客間に戻る道を進んでいると、達也は途中で悠と出くわした。

 

「お勤め、お疲れ様でした」

「ありがとう」

 

悠は風呂上がりのためか、少し肌が上気していた。

髪も男性にしてはやや長めであり、それが風呂上がりの肌に張り付いており、女性が見ればこれだけで卒倒物だった。

だが達也にそのような趣味はなく、悠はちょっかいの多い義兄という立場だった。

 

彼は次期当主と言う割に性格ものんびりしており、どこか気の抜けてしまう相手だった。それが演技なのか、素なのかは分からないが、少なくとも彼も達也を弟のように可愛がっていた。

 

「父の所で何かあったかな?」

「今日の感想を少しお話していたところでした」

「それで雅は君に相応しくないと思ったんだね」

 

的確に会話の内容を言い当てられたことに一瞬達也の心臓ははねた。

だが、面の皮はいくらでも誤魔化せるよう厚くなってきたので、顔に出るようなことはなかった。

 

「何度も言うけど、激情はなくても感情はある。君がいくら心を閉ざそうとも、凍らせようとも、君には心がある。それは確かなのだろう」

「最低限の情動はありますよ」

 

達也は母の手により激情を最低限の情動を残して消され、魔法演算領域を埋め込まれた。強いは深雪を護るための思いしか残されていない。

つまり、恋心も雅に対する信愛も決して深雪以上の感情にはなりえない。それは悠も知っている筈だった。

 

「今はね。人は変化するものだ。良くも悪くもね。」

 

悠は何でも知っている風に語った。その真意は達也にも理解できなかった。まるで彼の良い方は彼が強い感情を取り戻すかのような言い方だった。

 

「雅はどうだった?」

「きっと、あれを美しいと言うのでしょうね」

「心揺さぶられた?」

「分かりません」

「否定しないのならば、きっと君の心に残ったのだろうね」

 

口元に笑みを携えた。

確かに悠がいうように否定はできなかった。

だが、彼には感動する心すら希薄になっている。そんな自分の心を揺さぶってくるのは、何時だってこの場所だった。

 

「九重の方々といると、時々自分の感覚が可笑しくなります」

「そりゃ、捨石として見るのと、未来の義弟と見るのでは違って当然だろう」

「妹離れできない兄と見られてしまいますよ」

「君が言うセリフかな。昔は一丁前に独占欲丸出しで雅に構っていたくせに」

 

きっと物心も付く前の事だが、今の達也にそんなことを言われても達也にはどうしようもなかった。

 

「残念ながら、記憶にありません」

「それは残念だ」

 

カラカラと笑う悠に達也は不満げに口を曲げた。

 

 

 




九重家 設定

家族構成の整理
曾祖母、祖父母、両親、長兄、次兄、義姉(兄嫁)


九重歴代当主
先々代:曾祖母 先代:祖父 今代:父 次代:次兄 

九重当主は皆【千里眼】のスキルがある。


親戚筋
・九高生徒会長 梅木真(3年生):従兄
 雅の父の弟(雅の伯父)が梅木家に婿入りしている。

・九重八雲:伯父
 雅の母、桐子の兄。

・九島烈:義大叔父
 烈の妻が九重千代(雅の曾祖母)の妹(故人)。

・藤林響子
 九島烈の孫であるため、九重とも血縁あり


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追憶編2

突き付けられた現実は私を置き去りにして進んでいた。




・・・深雪・・・

 

夏休みを使い、私と母、それとガーディアンである兄は沖縄旅行に来ていた。

兄と旅行らしい旅行はこれが初めてで、少し複雑だった。

昨日は夜遅くまで黒羽家の取り仕切るパーティでちょっとだけ憂鬱だったけれど、まだ沖縄旅行、楽しみなことが待っていた。

 

いつもは京都にいるお姉様がやってくるのだ。

お姉様は本当の姉ではないけれど、私にとっては姉のような存在で、よく連絡を取り合っている。同じ学校に友達はいるけれど、家のこともあってあまり深い付き合いにはなれない。

お姉様も魔法師で、御家も歴史がある所で私のちっぽけな悩みだって親身に聞いてくれる。

九重神楽の舞手で【九重の桜姫】とも呼ばれていて、観覧させていただいた舞台に私は涙が止まらなかった。

あれがお姉様にとって、巫女舞の最後だとは非常に残念だった。

あれほど早生まれの自分を恨んだことはなかった。

 

いつもであれば、お姉様はお家のお手伝いで夏は忙しいのだけれど、今年は特別。

少し羽を伸ばしていいと言われた様で、私たちと一緒にバカンスを楽しむことになった。

私達から1日遅れで、昼過ぎに沖縄にやってくる。

今は桜井さんが空港まで迎えに行っている。

はしたないとは分かっていても、どうしてもそわそわと落ち着かなかった。

姉の到着を今か今かと待っていると、窓の外から一台のエレカが家の前に止まったのが見えた。

 

私は慌てて鏡で身だしなみを整えて、2階から玄関ホールへと下りた。

 

 

「お姉様!」

「深雪、元気そうね」

「お待ちしておりました」

 

姉はにっこりとほほ笑んだ。

姉は夏らしい涼やかな水色のワンピースを着ており、長い髪は簪でまとめられていた。

洋服と黒い木の柄と藍色のトンボ玉の簪はお姉様にお似合いだった。

 

「お疲れではありませんか?」

「東京より飛行距離は短いから大丈夫よ」

 

お姉様は私の頭を撫でる。

ちょっと子どもじみているけれど、姉が私の髪を撫でるこの手が大好きだった。

 

「深雪さん、積もる話はお部屋でしませんか」

 

桜井さんに言われ、私ははっとした。

久しぶりの再会に舞い上がってしまったようだ。

 

「そうですね。失礼しました。お姉様、こちらへどうぞ」

 

私がお姉様をリビングへ案内しようとしたところ、丁度あの人が2階から降りてきた。

 

「達也」

 

それは私にも見せた事の無い姉の笑顔だった。

花が綻ぶように、まさに内側の美しさが外側に滲み出るような笑みだった。

茫然とする私を置き去りにしてお姉様はあの人の所へ近寄った。

 

「久しぶり、学校はどう?」

「久しぶり。順調だよ」

「一緒に旅行するのは初めてね。楽しみだったの」

 

お姉様の微笑みにあの人も一瞬頬を緩めた。

あの人が笑った。

ほんの一瞬、だけど確かに雰囲気が変わった。

私はその事実が信じられなかった。

仲の良い二人の雰囲気に二人にフツフツと心の中で湧き上がるものがあった。

 

「お姉様、早く行きましょう。お母様もお待ちです」

 

私は話している途中のお姉様の手を取り、リビングへと向かった。

お姉様はあの人を振り返ったが、あの人は文句も言わず私たちの後ろを着いて来た。

 

 

 

 

 

 

大好きな姉にも一つだけ、許しがたいことがある。

それはお姉様とこの人が婚約者だという事実だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お母様とお姉様とのお茶を終え、お姉様をお部屋に案内した。

無駄に大きな別荘は客室も多く、姉の部屋は私の隣だった。

荷解きを終えた姉とテラスで海を眺めながら、ゆったりとした時間を過ごしていた。

 

「今日は夕方からセーリングの予定です」

「あら、そうなの。夕日も綺麗に見えると良いわね。深夜様と達也も一緒よね?」

 

お姉様は期待を込めた目をして、少し照れくさそうに私に尋ねた。

私はこの目を知っている。

同級生の女の子たちにも同じ目をした子がいる。

それはまさしく恋する乙女の瞳だった。

 

「ええ、そうですが…」

「深雪は不満なの?」

 

歯切れの悪い私の言葉にお姉様は少し寂しげに笑った。

お姉様にこれだけの思いを寄せられているがあの人だと思うと、腹が立って仕方なかった。

 

「よりによってどうしてお姉様の御相手があの人なんですか。お姉様には悠お兄様のような方がお似合いです。少なくともあの人はガーディアンで、お姉様には相応しいとは思えません」

「どうして、と言われても私には達也以外を選ぶという考えはないわよ」

 

私の不満にお姉様は当然のようにそう言った。

あの人とお姉様は婚約者だ。それも生まれて1か月もしない内に婚約が決まり、今もそれは継続している。

 

「なぜですか!!お姉様ならば十師族直系の家でも恐れ多いほどの方です。それがなぜあの人をお選びになったのですか。御家に言われての事ならば、深雪はお姉様のお味方を何時だってしております」

 

あの人もお母様の子で、私の兄。四葉の血を引く存在だから、きっと九重もそれを目当てにしているのだろうと使用人の誰かが口にしていた。

叔母様は二人の婚約に関して口は出さないし、今後どうなるかもあの方の裁量次第だ。

 

だが、私にはあの人とお姉様は不釣り合いにしか見えなかった。

どう考えてもあの人にとってお姉様は身分不相応の高貴な方なのに、お姉様は使用人同然に扱われるあの人に恋をしている。

あの人もまんざらではなさそうな様子が私には腹立たしかった。

 

「深雪」

 

一言、名前を呼ばれただけ。

それだけなのにお姉様の目が私を射抜いた。

諭すように柔らかなのに、黒曜石のような黒々とした瞳に思わず背筋が伸びた。

 

「も、申し訳ありません」

 

お姉様の怒りを買ってしまった。

折角のバカンスなのに、私は何をしているのだと私は頭を下げた。

あれも、これも、きっとあの人のせいだと心の中で悪態をついた。

 

「顔を上げて、深雪。私は怒っていないわよ。貴方が私のことを思っているのはよく分かるわ。それでも家同士のことだからとか、決められた相手だからなんて絶対言わない。私は本当に幸せなことよ」

 

お姉様はゆったりと言い含めるように私の髪を梳いた。

 

「深雪は、お姉様のことが分かりません」

 

頭をあげても、お姉様のことを真っ直ぐに見ることはできなかった。

 

一体あの人のどこがいいのだろう。

『術式解体』以外、大した魔法も使えない。

想子の保有量は多くても、魔法技能はとても優秀とは言えない。

そのため、身体技能を磨くことでガーディアンとしての地位を得ることができた。

弱ければ四葉の中で生き残ることはできない。

そんな兄の事を私はほとんど知らない。

家の中でも他人同然に生活しているし、四葉の血を引いていても使用人と変わらない扱いを受けている。それがあの歴史ある九重家に認められ、婚約者となっている。

 

私にはお姉様の気持ちも、九重と四葉の考えも理解できなかった。

 

「きっと分かってくれると信じているわ。私を思ってくれるのならば達也を大切にして頂戴。

貴方が達也をどうしたらいいのか分からないのなら、私が大切にしたいと思う相手だから大切にしてくれたらいいの。兄妹と思うなと言われても、私には貴方も彼も掛け替えのない存在なの」

 

お姉様は悲しそうな顔をしていた。

そんな顔をさせてしまって、申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになった。

姉は確かにあの人の事を思っている。

そこまで言ってもらえる兄が羨ましくて、大好きなお姉様を取られた様で悔しかった。

 

「…分かりました。お姉様がそこまで言われるのでしたら、努力します」

 

だから私もこんな素直じゃないことを言ってしまう。

昨日だって桜井さんに言われたのに、この天邪鬼な口は何時だって生意気な事しか言えないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沖縄は本土より日の昇っている時間が長いらしく、夕日にはもう少し時間がかかりそうだった。コバルトブルーの海はキラキラと夏の日差しを受けて光り輝いていた。

 

舟は8人乗りのセーリングヨットで、操舵主とその助手の人、私達で乗組員は7人となった。

操舵手の話によれば、運が良ければクジラやイルカも見ることができるらしい。

低気圧が接近している様で、少し風が強いが上陸まではしないので天気は荒れないそうだ。

遠ざかる景色を見ながら、隣に座る達也を盗み見た。彼は熱心に帆船の操作を見ていた。

 

「お姉様、見てください」

「なにかしら」

 

私の視線が達也に向いているのに気が付いたのか、深雪は私の手を引いた。

深雪は私が達也と話すことをあまり快く思っていない。

可愛い独占欲ではあるけれど、せっかくの旅行なのに達也と話せないのは残念だと言う気持ちが強い。

私も毎日の稽古であまり自由な時間はなく、達也も日夜訓練と勉強だそうでとても忙しくしている。連絡は許されているが、それも週に1度あるかないかのことだ。

 

 

ため息を笑顔で隠し、深雪と共に船旅を楽しんでいた。

頬を撫でる風は優しいが、どこか精霊が落ち着かない。

沖縄自体初めて来たが、来てからずっと後ろ髪を引かれるような、誰かに呼ばれているような気がする。

慣れない土地で本土と精霊も違うのだろうかと考えるが、精霊魔法は問題なく使えた。

注意深く海面を見ていると、精霊たちが私に悪意を伝えた。

それは船尾側から近づいてきていた。

 

「桜井さん、達也」

「なんですか」

「なにか、いませんか?」

 

私の発言に二人は警戒を強めた。

言葉は少なかったが、その何かが単なる海の生物ではないことを二人は気が付いていたようだ。

 

緊張感が肌を刺す。

操舵主の助手は必死に無線で叫んでいる。

聞えた言葉の中には潜水艦という文字があり、雰囲気からして国防軍ではなさそうだ。

沖縄という位置を鑑みても、おそらく大亜連合の潜水艦が領海侵犯をしているところに出くわしてしまったようだ。

 

「お嬢様、雅、二人とも前へ」

「分かっています!」

 

深雪は高圧的な物言いで達也に席を譲った。

深夜さんも桜井さんに守られるように船頭側にきている。

 

「くそっ、通信が・・・」

 

通信妨害を受けている様で、助手の人も操舵主も顔は厳しく、焦りが浮かんでいた。

 

「見せてください」

「お嬢ちゃん!」

 

私はポーチに入れていた汎用型のブレスレットタイプのCADを腕につけ、キーを指で叩く。

通信障害は電波によるジャミングである可能性が高い。発信源もそう遠くなければ解除するのは容易だ。

 

「これでどうですか」

「やってみる」

 

助手の人が港の管制に通信を繋げた。

どうやら通信障害は無事取り除かれたようだ。

 

 

船尾の方を見ればCAD片手に桜井さんが魔法を海面に叩き込んでいた。

 

「深雪」

「お姉様」

 

私は震える深雪の肩を抱いた。

彼女は信じられない物を見るように達也を見ていた。

きっと彼が魔法を使ったところを見たのだろう。

この旅行で彼女の中で何かが変わっている。

私はそう感じた。

 

 

 

 

 

 

 

港の管制室でいくつか話を聞かれ、私たちは別荘に戻ることになった。

夕食後、私が達也の部屋で話をしていると、達也が不意に部屋の窓の外を見た。

 

 

「誰か来たの?」

「ああ」

 

外を見ると、白い軍服姿の男性が二人、家の前に立っていた。

 

「今日の潜水艦の事で事情を聴きに来たのでしょうね」

「俺と桜井さんで話すから、雅は部屋に戻っていてくれ」

「私も行くわ」

 

達也は渋っていたが、私は是非とも顔を合わせたいと思っていた。

 

「あの軍人さん、顔なじみの人なのよ」

 

達也のその時はきっと、ハトが豆鉄砲を食らったようだと言うのだろう。

私はそれが可笑しくてクスクスと笑った。

 

 

 

 

二人でリビングに下りると、そこには涼しい顔でお茶を出す桜井さんがいた。

上手に隠しているが、不服そうな様子が窺えた。

 

「風間の小父様、沖縄で演習ですか?」

「おや、雅さん。君も来ていたのか」

 

私の姿を捉えた風間さんは一瞬鋭い視線となったが、すぐさま柔らかい人当たりの良さそうな笑みを浮かべた。

 

「ええ。司波家のお誘いを受けまして、お邪魔しております」

 

私自身、自分の家の立場と価値をよくよく言い聞かされている。

何が起こらずとも私がいるだけで風間さんがあれこれ思案してしまうのも仕方ないことだろう。

 

その後、深夜様と深雪が降りてきて、話をすることとなった。

 

 

 

達也曰く、魚雷自体が発泡弾だったようだ。

スクリューをダメにして生け捕りにするつもりだったらしい。

電波障害は私の魔法で解除させたが、魚雷を分解したのは達也の魔法だ

 

「兵装を断定するには根拠として弱いが」

「無論、それだけではありません」

「他にも根拠があると?」

「はい」

「それはなんだい?」

「回答できません」

「・・・・・・・」

 

達也は真っ向から回答拒否を申し出た。

それは彼の目を持ってすれば可能なことだが、その事実を告げる必要はない。

その後、深夜様がそろそろ終わりにしてはどうかと拒絶の意思を示したことで風間さんはソファーから立ち上がり、この家を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日は接近した低気圧の関係で、朝から天気は荒れ模様だった。

マリンスポーツやショッピングにも向かない天気であり、どうしようかとリビングに集って検討をしていた。

 

「どうしようかしら?」

 

深夜様がチョコンと首を傾げる。

仕草が子どもらしいというか、彼女の見た目の幼さを助長する。

桜井さんの方が若いのだが、どうしても深夜様の方が年下に見えてしまった。

 

「そうですね。琉球舞踊の観覧などどうでしょうか。衣装の着付け体験もできるそうですよ」

 

桜井さんがディスプレイを起動し、コントローラーを操作し、案内を呼び出した。

予約や事前申し込みもいらないようで、気楽に参加できるようだ。

 

「面白そうね。深雪さんと雅さんはどう思いますか」

「私も良いと思います」

「私も観てみたいです」

 

深夜様は私と深雪に尋ね、達也に意見は仰いでいないところが少し寂しい。

ちらりと達也を見るが、彼の顔つきに特別変化はなかった。

深夜様は桜井さんに車の手配を頼むが、この講演は女性限定らしい。

必然的に達也は観覧できない。

 

「達也、今日は一日自由にして構いません。確か昨日の大尉さんから基地の見学に誘われていましたね。丁度よい機会ですし、訓練に参加させてもらえるかもしれませんよ」

「わかりました」

 

深夜様は自由にとは言いながらも、達也に基地に行くように命じた。

彼にとってあまり休暇は休暇らしくないようだ。

 

「あの、お母様」

「なにかしら」

「私も兄さんと、ご一緒してもよろしいでしょうか」

 

これは私も達也も驚いた。

深夜様は深雪が急にこんなことを言い出したため、訝しげな視線を向けていた。

深雪は二、三度視線を彷徨わせた後、理由を述べた。

 

「えっと、私も軍の魔法師がどんな訓練をしているのか興味がありますし、ミストレスとして自分のガーディアンの実力は把握しておく必要があると思います」

 

深雪の解答にしばし、深夜様はじっと考え込んでいたようだった。

深夜様は深雪の同行を許した。

ただし、四葉関係者と分からない様に達也に深雪の事をお嬢様と呼ぶことを禁し、兄弟として振る舞うよう命じた。

これには深雪も一瞬ドキリとしたようで、小さく肩を上げた。

 

「雅さんは私と沖縄舞踊を観に行きましょうか。」

「私もご一緒してよろしいのですか?」

 

深夜様がこういいだすことは意外だった。

てっきり私も空軍基地の見学に行くように言われるのかと思っていた。

 

「神楽とはまた違うでしょうけれど、勉強になると思うわ」

「ええ。ぜひご一緒させてください」

 

沖縄舞踊に興味はあったし、軍施設に立ち入ることは私の家の関係上褒められたことではない。思いがけない申し出に私は賛同することとなった。

 

「お姉様は、お母様と行かれるのですか?」

 

だが、深雪は絶望した目で私を見ていた。

きっと達也がいれば私も付いてくると思っていたのだろう。

 

「深雪さん、二人だけで何か不都合でも?」

 

深夜様の言葉は『ないわよね』と副音声が付きそうな有無を言わせない物だった。

深雪も自分が言いだした手前、ここで意見を変えるわけにもいかなかった。

 

「………いえ、ありません。失礼しました。」

 

深雪は不服そうながらも達也と施設見学に向かった。

 

 

 

 

 

車の中で私と深夜様は隣に座り、公演が行われる会場へと向かっていた。車内には私と深夜様、桜井さんの3人が座っている。

 

「深夜様、お気遣い有難うございます」

「あら、なんの事かしら」

 

コテンと深夜様は首を傾げた。

素知らぬ顔をしているが、この方は色々と考えてくれている。

 

「私を軍の基地から遠ざけてくださったことです」

 

京都の九重を知る人物がどこまでいるか分からないが、私が軍関係施設に顔出しすれば親戚や従事の神官達は良い顔をしない。

神職として表向きの争い事からは遠い位置にいなければならない。

そんな私の立場を理解して、深夜様は私を誘ってくれたのだ。

 

「たまたまそうなっただけよ」

「ですが、結果的に助かりました」

「お礼は九重神楽で良いわ。深雪さんが珍しく大興奮だったのよ」

 

深夜様はにっこりと笑った。

見る者を魅了する魔性の笑みだった。

魅入られそうになるのをぐっと堪え、私も笑みを浮かべた。

 

「まだ男装舞の練習をしているところですので、お恥ずかしながら御見せできるようなものではありません。ですが、近いうちにご覧いただけるよう精進いたします」

 

男装舞を始めたのはこの5月に入ってからで、まだ3か月しか練習していない。今までと同じ部分もある一方、剣の使い方や歩法など初めて覚えることも沢山ある。人前で披露できて、尚且つ舞台に上げてもらえるのは秋以降のことだろう。

 

「そう。楽しみにしているわ」

 

深夜様は笑みを深めた。

この方と一対一で接することに若干の苦手意識はある。

私や深雪には厳しくも優しいが、達也には一切の愛情の欠片も見せてはいない。血の繋がった息子としては認識しているが、深雪のガーディアンとして相応しいか目を光らせている。

私にはそれがどうしても辛かった。

 

親子の形はそれぞれだと思う。

十師族やそれに連なる家、私のような特殊な家は特にそうだ。

深雪は少しずつ彼との距離を近づけようとしている。

おそらく深夜様もそれを知ってはいるが、咎めるようなことはしていない。

 

この旅行がきっかけとなって少しでも家族の距離が近くなればいいと私は願わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沖縄に来て2日目の朝

 

ベッドから起きて時計を確認するといつもと同じ5時だった。

夏の日差しを遮るカーテンをあけると、天気は朝から夏らしい晴天となった。

台風は無事に過ぎ去ったようだ。

身だしなみを整え、2階の部屋からキッチンへ下りる。

まだみんな起きてくる時間ではないし、水でも貰ってから少し鍛錬に出かけることにした。

キッチンに繋がる扉に手を掛けると、中に人の気配を感じた。

 

「おはようございます」

「おはようございます、桜井さん。お早いですね」

 

まだ日も昇り始めたころだと言うのに随分と早くから、桜井さんは起きていた。

 

「今日は少し朝食を凝ろうと思って早起きしました」

「そうなんですか」

「雅ちゃんはお散歩、というより運動かしら?」

 

桜井さんは私の服装を見て、そう言った。

沖縄という気候を考慮して、通気性と速乾性の良い半袖シャツと7分丈のジャージだ。

朝のこの時間は普段境内の掃除か朝の修行に加えてもらっている。

夏休みだからといって怠けて、身体を動かさないと舞台を下ろされてしまう。

 

「朝食より前には戻ってきます」

「ええ。気を付けてね」

 

お水を一杯貰ってから、桜井さんに行先を告げ、玄関に向かった。

しっかりと靴ひもを締めていると、階段を下りる音が聞えた。

もう一人どうやら誰か起きてきたようだ。

 

振り返ればそこには達也がいた。彼もなにか運動をするのか、動きやすい軽装だった。

 

「鍛錬か?」

「そうだよ。」

「俺も行こう」

 

彼も日頃から訓練を欠かしていないので、休みだからといってそれを怠ることはないのだろう。彼との手合せは久しぶりで、胸が高鳴った。

 

「お手柔らかにね」

「こちらこそ」

 

朝から一緒だなんて、今日はいいことがありそうだ。

 

 

 

 

近くの砂浜で準備運動をしてから、組手をする。

ゆっくりと動作を確認しながら行う組手は集中力とゆっくり動かすための筋肉を使う。

早く動かすことは反動で出来るが、ゆっくりした動作は筋肉と柔軟性、バランス力を要する。

ゆったりした舞の多い神楽では、このような練習も取り入れられている。

 

ゆっくりとした動きの次は素早い動き。同じ型を徐々にスピードを上げて行う。

達也も私も額からは汗が流れ出ていた。

朝とは言え夏の日差しは容赦なく私達に降り注いでいた。

水面が太陽の光を反射し、輝いている。

吹き抜ける海風は涼しく、少しだけ熱さを軽減させた。

 

型の訓練が終われば、最後に実戦形式の勝負をすることになった。

一撃一撃が重い達也に私は防戦一方だった。

隙を見て反撃をするが、軽くいなされてしまう。

距離をとっても達也の方がリーチが長いので、不利となる。

 

距離を詰めて懐に潜りこんで掌底で顎を狙うが、ギリギリの所で避けられる。

少しだけバランスが崩れたところに足を掛けて引き倒す。

達也は半身になって片手を付き、空いた手足で蹴りの攻撃に移る。

その蹴りを避けずに足首を掴み、力を流すことで達也を地面に倒した。

 

「大丈夫?」

 

手を伸ばしたが、達也は大丈夫だと自分で立ち上がった。

ちょっと悲しかったが、負けた相手の手を借りたくないのだろうと都合のいいように考えた。

 

「強いな」

「力だったら達也の方が上だよ」

「いつも俺は転がされているんだが」

「九重仕込みは伊達じゃないのよ」

 

達也の背中についた砂を払う。

お互いに護身術を越えるレベルで体術を仕込まれている。

今日はあくまで組手の延長だったから、私が勝てたが、武器あり、殺傷ありなら確実に達也に軍配が上がるだろう。

 

「軍の風間大尉とも知り合いなんだろう」

「そうだよ。東京の伯父の所で時々一緒に訓練しているから、私の兄弟子になるよ」

 

風間さんは東京の伯父の元で忍術、体術の訓練をしている。

古式魔法師の出自だそうで、その縁あって九重で修業をしている身らしい。

 

「達也は昨日軍の訓練に参加させてもらったんでしょう。どうだった?」

「面白かったよ。CADも貰ったから調整しているところだ」

「後で見せてくれる?」

「いいよ。雅のCADも調整しようか?」

「いいの?」

 

自分の道具は自分で調整、整備できるようにというのが九重(ウチ)の方針ではあるが、流石にCADのシステムは難しい。

自動調節器による調節はどうもしっくりこなくて、どうにか方法を模索している最中だ。

達也ならば魔法理論や工学に関する知識は人並み以上にあるので、私にとっては喜ばしい申し出だった。

 

「ああ。折角だし、練習させてくれないか」

「勿論」

 

達也が一瞬微笑んだ。

その笑みだけで私の心臓は高鳴るの。

これが恋なのかと火照る頬を夏のせいだと言い訳にした

 

 

 




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追憶編3

辛い時ほど悲しい恋の話が浮かびます。




達也の部屋でCADの調整を見ていると、部屋の扉の前に誰かが立つ気配がした。桜井さんかと思ったが、精霊の反応からすれば深雪だろう。

 

「どうしたのかしら」

「わからないが、俺が行くよ」

 

達也は半分分解状態のCADをそのままに、扉を開けた。

予想通りそこには深雪がおり、急に扉が開いたことに戸惑いと怒りを見せていた。

前者は声を掛けてもいないのに気が付かれたこと、後者は私が達也の部屋にいたことに対する感情だろう。

 

「どうされたのですか?」

「あの・・・」

 

深雪はしばし、思案していた。

彼女が達也を訪ねてくるだなんて今まで無かったことだ。

私がこの部屋にいることは知らなかったはずだから、彼女は文字通り達也の部屋に用事があって来たのだろう。

 

「あの、お邪魔しても良いですか」

 

その言葉に驚いたのは私も達也も同じで、戸惑いながらも達也は深雪を部屋に招き入れた。

 

 

 

「それで、何のご用でしょうか」

 

達也の問いかけもそこそこに、深雪は部屋に入ると物珍しそうにCADのワークステーションを見ていた。ディスプレイには複雑な起動式が羅列されており、机には工学機材が並んでいる。

深雪は達也がCADをいじっているところを見るのは初めてのようだ。

 

 

「お嬢様?」

「お嬢様なんて呼ばないでください!」

 

深雪が悲鳴のような声で叫んだ。

驚いたのは私も達也も、そして叫んだ深雪自身も同じだった。

 

「あの、その、そうです。普段から慣れておかないと、いざというときにボロが出るでしょう?」

 

深雪の言い訳に、達也は不審そうな目をしていた。

確かに昨日、深雪は基地見学の上で達也から深雪と呼ばれていたはずだ。それでもそれはその場限りの事で、普段から達也は深雪の事はお嬢様と呼んでいる。

血を分けた兄弟であっても、使用人と当主候補ほど地位の開いた二人には明確に大人たちによって区別が付けられていた。

 

「私の事は深雪と呼んでください」

 

深雪はそれだけ言うときゅっと目をつぶった。まるでこれから怒られる子どものような仕草だった。

 

「わかったよ、深雪。これでいい?」

 

達也の言葉は普段のものから幾分か砕け、友人に接するような、妹に接するようなものと変わりなかった。優しい声で優しい瞳で深雪を見ていた。

 

「………それで、結構です」

 

深雪は目を潤ませた。

深雪は逃げるようにしてこの部屋から出ていった。

 

取り残された私たちは顔を見合わせた。一体どうしたのだろう。

 

 

「泣かせてしまった・・・」

 

達也は流石にショックだったようで、肩を落としていた。

彼にとって深雪は掛け替えのない存在だ。

そう思うように彼はできている。

私は痛む胸を抑え込むように、達也の肩を叩いた。

 

「深雪は少しずつだけど達也との距離を縮めようとしているよ」

「そうか」

 

その笑顔に悲鳴を上げたいほど胸が締め付けられた。

私には見せた事の無い戸惑いながらも、嬉しそうで、幸せそうな笑顔。

ドロリとしたどす黒い感情が私の頭を支配する。

 

『独占欲』と『嫉妬心』

 

今までの深雪は達也を兄としては見ていなかった。

少しずつだけどこの旅行を通じて深雪は達也を理解しようとしている。

達也も戸惑いながらも、それを嫌がるようなことはなかった。

無条件に愛される深雪が羨ましかった。

私を映してほしい瞳は一つ年下の可愛い妹を映していた。

私だけを見てだなんて、構ってほしい子供と一緒だ。

 

 

 

深雪を慰めてくると言い訳を付けて、私は達也の部屋から逃げ出した。

どうして大お婆様は私と達也の縁を結んだのだろう。

もし私が彼の妹ならば、無条件に愛されたのかもしれない。

芽吹いたばかりのこの感情は私を何時だって振り回して、縋って泣き叫びたくなるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

少しだけ私も部屋で落ち着いてから、深雪の部屋を訪ねた。

 

「深雪。私よ」

 

ノックをして声を掛けるが、返事がない。

 

「………入るわね」

 

本当は入室の許可も得るのがマナーなのだけれど、今回は仕方ないだろう。

深雪はベッドの枕に顔を埋めたままだった。

 

「深雪?」

「お姉様・・・」

 

深雪はゆっくりと顔を上げた。

目元は赤くはれていて、目も潤んだままだった。やはりここで泣いていたのだろう。

 

「どうしたの?」

 

深雪は体を起こし、私は彼女の横に座った。

 

「私にも分からないんです。ただ、あの人が私に向けた言葉も冷たい計算の内なのだと思うと、悲しくて…」

 

ぽろぽろと静かに涙を流す深雪に私はハンカチを差し出した。

慰めるために私は深雪を抱きしめた。

深雪は私の胸に縋って、また泣いた。

 

 

 

この時の私の思いは一つだった。

 

なんて狡い。

なんて羨ましい悩みなのだろうか。

 

無条件に達也から愛情を受けられる唯一の存在なのに、それに気が付いてもいない。

いくら私が努力しても、必死に足掻いても、彼の強い感情を引き出すことはできない。

どこまで行っても私の存在は達也の中で友達以上になりえない。

大切だと思いたいと思ってくれているのは知っている。

それでも、『大切だと思っている』とは言ってくれない。

達也が本当に命を掛けても守りたいのは深雪だけ。

 

私がどれだけ好きになっても、どれだけ隣に立てるように努力しても、私に手を伸ばされることはない。あれだけ深雪が邪見な態度をとっても、達也は深雪を嫌い、愛想を尽かせるようなことはない。

それは彼に掛けられた魔法の力だったとしても、その事実は私にとって何より理不尽だった。

 

女の子はお姫様だ、なんてチープなCMが言っていた。

けれど、王子様はきっとお姫様がいてこそ王子様になれるのだ。

舞台で一人踊る私は、きっと三流の喜劇役者なのだろう。

 

いっそ、この立場も思いもたち全て放り出して笑い話に出来たらいいのに

いっそ、深雪の事も、達也の事も、嫌いになって、ただの私を好きだと言ってくれる人がいればいいのに

いっそ、記憶も全て無くなって、何も知らないころの幼い私に戻れたらいいのに

 

在りもしない現実を思いつく私が何より、私は嫌いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沖縄旅行6日目

 

その後の深雪たちはいつも通りだった。

深雪が振り回して、達也が付き従う。

それこそ私や深雪が勉強しているときは深雪も心静かにいられたようだが、長年の関係は早々に改善されるものではなかった。

 

私は明日の朝、一足先にバカンスを終え、家に帰ることになっている。

流石にお盆の時期をそのまま何も家の手伝いをしないわけにはいかない。

 

今日はなにをしようかと話し合っていると、テレビから突如告げられたのは残酷な現実だった。

国籍不明の潜水艦が西方海域より侵攻。

宣戦布告もなく、すでに攻撃が始まっているとのことだった。

精霊が騒がしいと感じていたが、まさか敵が直接攻めてくるだなんて思ってもみなかった。

 

すぐさま真夜様の計らいで、恩納空軍基地に避難させてもらうことになった。

基地には私たちの他にも民間人が避難していた。

おそらく政府高官か、たまたま視察か見学に来ていた人達だろう。

 

 

 

通された部屋で待っていると、銃の発砲音が部屋の中に響き渡った。

それと同時に達也と桜井さんが立ちあがった。

どうやらアサルトライフルが乱射されているようだ。

結界魔法が施されていて、中から外を魔法で探索するのは難しい。

式神も放っているが、上手く視覚同調もできない。

 

深夜様は達也に外を見に行くように命じた。

達也は状況の分からない中、深雪を置いていくわけにはいかないと反論したが、深夜様に身分をわきまえろと冷淡に言われた。

深夜様は達也が深雪の名を呼ぶことを許さなかった。

胸が締め付けられるようだった。私は同じように苦しみを感じている深雪を抱きしめた。

 

「達也君、私がこの場を引き受けます」

 

桜井さんが口を出し、その場をとりなした。

 

「分かりました。状況を確認してきます」

「達也、気を付けてね」

 

私がそう言えば、達也は静かにうなずき、外に出ていった。

 

「お姉様…」

「達也なら大丈夫よ」

 

外では戦闘が続いて居るのか、銃声が鳴りやまない。

まさか基地内部にも敵が侵入しているだなんて、敵はどれほどの戦力で侵攻してきているのだろうか。

もしかしてスパイがいた?

大亜連合ならば休戦協定も結んでいないし、宣戦布告なしの攻撃だってあり得る。

物量にものを言わせてこの島に既に上陸しているかもしれない。

嫌な考えばかり頭に浮かんできてしまう。

 

 

あれこれ考えている内に部屋に迎えの人が来たみたいだ。

どうやらシェルターまで案内してくれるようだが、達也がまだ戻ってこない。

迎えに来た若い兵士たちのマシンガンは熱を持っており、全員がレフト・ブラッドと呼ばれる人だった。

達也が残っているからとシェルターに行くのを拒む深夜様に、迎えに来た兵士たちは苛立っていた。

それは本能的なものだったのか、精霊の声だったのか私にも分からない。

だけれど、この人達を信用してもいいのか疑問が頭に浮かんで消えなかった。

 

命令口調でシェルターに向かうように言う兵士たちに、外から別の兵士が迎えに来た4人に向かって発砲した。

 

 

「なぜ軍を裏切った!」

「ジョー、お前こそなぜ日本に味方する」

 

話から推測されるのはレフト・ブラッドの確執。

よそ者扱いされ、フラストレーションがたまっていた兵士たち。

それを焚きつけられ、侵攻の手助けをすることになったようだ。

ジョーと呼ばれた男性が魔法師だったためか、一人がアンティナイトを持ちだした。

頭の中にガラスを引っ掻いたような嫌な音が響く。

アンティナイトを使ったキャストジャミングだった。

 

「深夜様!」

「お母様!」

 

深夜様は胸を押さえて、蹲っていた。

サイオン感受性の高い深夜様は若い時の無理の影響で、体調を崩している。

何とかしなければと思うが、下手に動けばこちらにも攻撃が飛んでくる。

 

ジャミングが弱まるのを待っていると、深雪がアンティナイトを持った男性を凍りつかせた。

CADを構えていなかったので、おそらく精神を殺したのだろう。

 

だが、敵は一人ではない。

私達が魔法師だと知った敵は銃口をこちらに向けた。

桜井さんが障壁を展開するが、私は考えるよりも早く深雪を押し倒していた。

咄嗟に障壁を張ればとか、相手をスパークで気絶させればとか、倒れながら頭の中には浮かんでいたが、それよりも早く、銃弾が私の体を打ち抜いた。

 

激しい衝撃が襲い床に倒れる。

一番熱かったのはお腹だった。

肩や足も撃たれ、発狂しそうな痛みが全身に駆け巡る。

悲鳴すら上げることができず、私は自分の血が流れ出ていくのを感じていた。

 

 

「お姉さ、ま………」

 

薄らと目を開けると、深雪が目を見開いていた。

 

「みゆ、き・・・大丈夫?」

「深雪は傷一つありません。お姉様、血が………」

 

彼女の手は真っ赤に染まっていた。

ここに流れているのは私の血なのかと思うと、身体が寒くなった。

私の頭に死が過った。

 

「そう、良かった…」

 

けれど、私は特に怖くはなかった。

深雪が無事だった。

それでこの命は十分価値があったと思えた。

あれだけ妬んでも結局私は深雪の事が好きなのだ。

 

大切な妹。

達也の守りたい子。

それが守れただけで十分だ。

 

「お姉様、いけません。お姉様!」

 

瞼が重くなってきた。

深雪が体をゆするが、目を開けてられない。

耳はよく聞こえているから、泣いているのが分かった。

 

「お姉様、嫌です。お姉様、目を開けてください」

 

小さくなりだした深雪の声。どうやら血が足りなくなって頭が働かなくなっているのだろう。

もう指一本動かすのも億劫だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真っ暗になった視界。

ただただ暗くて、誰もいない場所に私は立っていた。

どこに行ったらいいのか分からず、歩き出す。

足元に地面があるのかもわからない場所だった。

いや、歩けているのだからあるのだろうけれど、暗い中なので自分の足すら見えなかった。

 

しばらく歩いていたら梔子(クチナシ)の花の香りがした。

その香りの方に私は引き寄せられるようにして進んでいった。

なにか、嫌な感じがする。

にぎやかだけど、どこか寂しくて、苦しそうな感じがしていた。

それでも私の足は私のものではないかのように、止まることはできなかった。

 

嫌だと思っていると、ぼんやりと人の姿が見えた。

 

『おや、我が子や。迷子かのう』

 

紅を引いた唇が、にんまりと吊り上った。

誰だろう?

一人の女の人だった。

昔の着物、十二単よりもっと前の、中国の影響が大きかったころのひらひらした服を着ている。

怖ろしく左右が整った顔立ちに、暗闇の中でも光を反射して艶めく黒髪。

雪のような白皙の美貌。

 

兄や深雪のように人間離れした美しさを持つ人は今まで見たことがある。

それでもこの人は別格だった。

背筋が凍るほど美しい顔をしていた。

 

どこか妖艶さもあるその女性は私に手を伸ばすと、肩に両手を添え、歩いてきた方向に戻した。あれだけ自由に行かなかった足がいとも簡単に動いた。

 

『あちらはまだ早い。ぬしにはまだ働いてもらわねばならぬ』

 

その人は私の頭を撫でた。

どこか懐かしくい手だった。

母の手とよく似た、優しい手だった。

 

『封は私が解いてやろう。存分に暴れるが良い』

 

その人は私の額に手を伸ばした。

プツンと何か糸のようなものが額の前で切れる感覚がした。

 

その人の姿をもう一度見ようと振り返ろうとしたら、意識が浮上した。

 

 

 

 

「…え?」

「雅!」

「お姉様!」

 

目を開けば、達也と深雪がいた。

あれ、私は撃たれて死んだはずではなかったのか。

恐る恐るお腹を見れば、そこには傷も血の跡すらなかった。

傷が治っている?

驚いて達也を見れば、私のかわりかのように達也は額に脂汗を浮かべている。

走って戻ってきたせいではない。

痛みに堪えるように眉をひそめている。

 

「達也、貴方が…?」

「ああ」

 

高度な治癒魔法ではない。

治癒だとしても、汚れた服はどうしようにもならない。

傷を負ったことがまるでなかったかのようになっていた。

私は私の身に起きたことが信じられなかった。

深雪は私の無事を確かめるように抱き付いた。

彼女にも同じく傷一つなかった。

 

「お姉様!」

 

深雪は肩越しに泣いていた。

その暖かさに私は自分が生きていることを感じた。

だが、私は動悸が止まらなかった。

 

私は確かに一度死んだ。

完全に息絶えてはいなくても、死の淵にいた。

それがこの場に五体満足で生きている。

私が見たあの暗い世界も、梔子の香も、人ならざる美しい女性も、全て死の淵でみた夢だったのだろうか。

 

私は空いた手でそっと額に触れた。

当然そこにはいつも通りの自分の額があるだけだった。

 

達也は深夜様と桜井さんの所にいた。

彼が左手のCADを使うとその姿は傷を負う前の状態に戻った。

達也は情報体を遡り、その情報を自身の演算領域にコピーし、対象が傷を負う前の状態を現在の状態に張り付けている。

 

『再生』

 

達也に与えられた魔法の一つ。

実際に目の当たりにするのは初めてだった。

 

 

 

茫然とする私だったが、乱暴なまでに荒々しい気配に顔を上げた。

精霊が一気にざわめきたつ。

私は抱き付いていた深雪の肩を押さえ、私の背に隠した。

 

「お姉様、いかがなさったのですか」

 

深雪が心配そうにそう聞いた。

 

「気を抜かないで。何か来ているわ」

 

風が慟哭をあげている。

いつもよりなんだか感覚が敏感になっている気がする。

精霊と視覚を同調させて、基地の様子を窺い見る。

いつの間にか部屋は天井が無くて、反乱兵も消えていた。

ざわめきが大きい部分に精霊を向けると、誰かがこちらに駆けているのが見えた。

人数は5人ほどで、戦場には不釣り合いの白い羽織とそれぞれ顔を覆うお面を全員が着けていた。

お面は狐だったり、隈取がしてあったり、猫だったりと様々だが、羽織は統一された白で、背中を見れば四葉楓の印。

私はその羽織に見覚えがあった。

 

 

 

 

5人の内、一人がこちらの部屋の前に到着した。

 

「雅」

 

白い羽織を風になびかせ、緑色の鬼の面をした人が私の名を呼んだ。

空軍基地という場に、戦場には不釣り合いな、まるで祭りのような出で立ちだった。

深雪が私の背中でギュッと服を握った。

 

「深雪、敵ではないわ」

 

警戒する深雪に出来るだけ優しい声で語りかけた。

ゆっくりと立ち上がる。

貧血も起きていない。手も足も動く。魔法も問題なく使える。

 

「初陣だ」

 

お面の男性からは馴染みのある声が発せられた。

遂にこの時が来てしまった。

予想より早いが、成長を戦争は待ってくれはしない。

この道を選んだからにはどの道避けては通れないことだ。

 

「分かりました」

「お姉様、どちらに向かわれるのですか」

 

深雪が私の袖を掴んだ。

縋るような深雪の手に私の手をゆっくりと重ねて振りほどいた。

 

「終わったら、説明するから待っていて頂戴」

「お姉様、行かないでください」

 

振り絞るような深雪の声が心苦しい。

だが、戦況はそれを許さない。

 

「征きましょう、叔父上」

「ああ。ここでは【嵐】と呼べ」

「分かりました」

 

悲痛に歪む深雪の顔を最後に、私は基地を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・深雪・・・

 

空軍基地の指令室に通された私たちはモニターに映し出された戦況を見ていた。

お兄様が右手のCADを敵に向ければ、銃弾も、戦車も、兵士も塵となって消える。

お兄様が左手のCADを味方に向ければ、致命傷を負った兵士はまるで一瞬で再生したかのように戦場を駆ける。

味方にとってはこの上なく頼もしく、敵にとっては言いようがないほどの不安と恐怖に駆られる存在だ。

まるでSFXのような、まるで作り物の映像のような現実感のない光景だった。

 

お兄様が持つ二つの魔法。神のごとき魔法によって私達は救われた。

 

『分解』と『再生』

 

この二つの魔法にお兄様の魔法演算領域は占領されており、情報を書き換える普通の魔法が使えなかった。

それをお母様が人工魔法演算領域をお兄様の精神に埋め込んだことで、お兄様は人並みとは言えないが普通の魔法も使えるようになった。

しかし何の犠牲もなく演算領域を確保することはできない。

お母様の手によって、お兄様の激情の部分にその演算領域を埋め込んだ。

残された激情は私に向ける兄妹愛だけだった。

 

お母様は私といる時間が長いからだと言ったが、その時にはお姉様は婚約者だったはずだ。

未来の婚約者より、四葉家次期当主を護るために妹を選んだ。

 

「お姉様はお兄様の事をご存じなのですか」

 

「知っていて、すべて受け入れて、それでもあの子は達也を手放すことはないのよ。

無論、【千里眼】は最初からこうなることも知った上で雅を達也に宛がわせたようだけれど、私にはなぜそこまで達也に固執するのか理解できないわ」

 

私が兄は姉の相手として相応しくないとお姉様に言えば、困ったように笑っていた。だけれど、その笑みは本当に困惑だけだったのだろうか。

 

お兄様が愛情を持てるのは妹の私だけ。

お姉様の思いは決して届く事の無い想いだった。届いたとしても決して報われることのない愛だった。

 

「お兄様はお姉様を大切に思っていらっしゃらないのですか」

「そうね。あの子は貴方だけを妹として大切にできるわ。無論、一時の感情に流されることも、不確かな恋愛感情に溺れることもないわ」

 

姉は知っていた。

だからこそ、あんなにも困ったように、否、悲しそうに笑っていたのだ。

愛されない人を、愛してしまった。

愛されないと知ってもなお、愛すことを決めた。

それはどれだけ苦しく、悲しいことだろうか。

 

「お兄様がお姉様を愛することはないのですか」

「ええ。仮に深雪さんに牙をむくようなことがあれば、達也は躊躇なく雅を殺すでしょうね」

 

お母様の容赦のない言葉に私は小さく悲鳴を上げた。

喉が焼けるように痛かった。

お母様の施術によってお兄様は激情を奪われた。人らしい感情を最低限だけ残し、魔法師にさせられた。

それが四葉で生きるためにお兄様に課せられた運命だった。

だが、お兄様は間違いなくお姉様を大切にしている。それは私の目から見ても明らかだ。そうでなければあんなに泣きそうな顔をしてお姉様を助けたりはしない。

 

 

私は涙で滲む視界を画面に向けた。

お兄様が敵を殲滅させていた。

まさに神のごとき力だった。

私にできることはなんだろう。

 

私がお兄様とお姉様にしてあげられることは何があるのだろう。

私のこの命ですら、お姉様とお兄様に頂いたものなのに・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

敵を壊滅状態に貶めた風間たちの部隊は別の命を受けた。

捕虜となった大亜連合軍の兵士を引きつれて内陸部に撤退することだった。

敵の砲撃距離はおよそ20km

連射可能のフレミングランチャーは射程範囲に入れば、その場は焦土と化す。

並の魔法師以下では耐えられない攻撃だ。

 

達也に撤退を命じる風間に達也は算段があると言った。

そのために達也は長距離攻撃が可能な特化型CADを求めた。

風間は撤退する部隊を柳に任せ、達也と共に残ること決めた。

 

その到着と共に、達也は銃弾一つ一つに魔法式を込めた。

どんな魔法が作用しているのか、ただ強力だと言うこと以外には真田と風間には推測できなかった。

 

ガサリと近くの茂みから物音がした。

 

「誰だ」

 

真田は音のした方に銃を向けた。

そこには戦場とはかけ離れた服装の二人がいた。

一人は服の上からでも分かる鍛えられた体つき。

一人はまだ少なくとも成人はしていないと思われる体躯の少女。

どちらも揃いの白い羽織を着ていた。

その羽織には傷一つなく、いっそ返り血の一つも付いていないのが不気味だった。

男の手には大太刀が握られており、少女は不釣り合いな拳銃タイプのCADを所持していた。

 

「久しいな、風間」

「四楓院家の【嵐】か」

 

風間が手をかざし、真田に銃を下ろさせた。

 

「困ってるみたいだな」

 

人を馬鹿にしたような言い方に真田は眉をあげたが、風間は状況を知っていることに特に驚いてはいなかった。

 

「知っていると思うが、砲撃艦が接近している」

「こっちの攻撃も向こうの射程圏内じゃないと現段階では届かないんだろう」

 

男は大太刀を鞘に仕舞った。

視線を少女に向ければ、既に彼女は動き出していた。

 

「調整し直します」

 

達也は一旦左手のグローブを外し、少女と手を繋いだ。

少女は空いた手をCADにかざす。

サイオンの輝きが二人の側からあふれ出す。

 

「これは…」

 

設計した真田は驚愕していた。

自身の設計したCADに組み込まれた起動式が凄い速度で書き換えられている。

通常は専用の機器に接続して何時間もかけて調整するものだ。

それをただ手と手を触れあわせるだけで、使用者のパーソナルデータを読み込み、魔法によって直接CADの起動式のプログラム領域にアクセスし、CADをパーソナルデータに合せて最適化した。

 

通常CADは手にしている場合、魔法による干渉を受けにくい。

それは無意識に使用者が持つ情報強化によって守られているからだ。

技術者からすれば非常識な、魔法工学の常識を覆すような光景だった。

 

「起動式のアレンジはできるか。威力は無視して、飛距離を伸ばしたい」

「やってみる」

 

達也の要望に少女は静かに魔法を発動し、調整を続けた。

その間にも真田たちは接近する巡洋艦の情報を集めていた。

予想よりやや早いペースで接近しており、おそらくあと5分と掛らず射程範囲に入る。

真田は焦れる気持ちを抑えながら、調整を待っていた。

 

「焦らんでもいいぞ。」

 

側に控えて海を見ていた男は飄々とそう言った。

 

「この状況で呑気なものだ」

「信じて良いぜ。四楓院が付いてんだ。これは勝ち戦だよ」

 

真田は四楓院の名に目を見開いた。

敵に対する体の良い噂でしかないと言われていた四楓院家。

この国に災あるとき、黄泉の世界からこの地を護るために使わされた軍団の名だった。

この男が実際に黄泉の世界から、死した人間かどうかは分からないが、少なくとも油断ならない相手というのは分かっている。敵ではないが、味方でもないかもしれない。

 

少女が閉じていた目を開いた。

仮面越しでも目の動きは分かったが、真田は仮面の奥の瞳に底知れぬ深い色を見た気がした。

 

「調整終わりました」

 

その声に真田は現実に戻った感覚がした。

戦場に立っているのに、砲撃が迫っていると言うのに、真田には目の前の少女と得体のしれない男しか映っていなかった。

真田は軍人失格だなと奥歯を噛みしめた。

 

「試射します」

 

達也はグローブをはめ直し、銃を上方45度に構えた。

筒の先端に仮想領域が展開される。

射出された銃弾は設計飛距離を大きく超える距離で飛んでいた。

 

「20kmを越えました」

「これでいけるか」

「いや、短いだろう」

 

真田の期待を込めた声は鬼面の男が首を振って否定した。

敵も既に試射を始め、砲撃距離を測っていた。

陸には到達していないが、海面には水しぶきが上がっている。

この場に爆弾が降り注ぐのも時間の問題だろう。

 

「ギリギリまで引きつけて撃ちます」

 

達也は銃を構えたままの姿勢でそう言った。

 

「こっちが攻撃される可能性は度外視か?」

「四楓院なら神風くらいおこせるでしょう」

 

男の問い賭けに対して達也の返答は不遜な物言いだった。こんな時に運頼み、神頼みとは何とも勝算のない賭け事だ。

 

「ははっ、良いぜ。おい、お前も詠え」

 

だが、達也の物言いが気に入ったのか、男は大太刀を抜き、少女も腰に差していた小太刀を抜いた。一体射程どころか、攻撃範囲も狭い刀剣で何をするのか、真田にはまったく理解できなかった。

 

神風とは言ったが、それはあくまで歴史上のことだ。

かつて元の国から攻め入られた九州北部は神風によって敵を退けたことが有名だが、季節風の影響としか言えないことだ。

あるいは黄泉の者なら人ならざる力を持って風向きすら変えることができるのかと風間と真田は離れた位置で見守っていた。

男と少女は向かい合い刀を交え、祝詞を紡いだ

 

 

『“太古よりこの地を護りし精霊よ

我らが呼びかけに答えよ

水の精霊

風の精霊

地の精霊

火の精霊

金の精霊

この地を荒らす災いを葬ろう

この地を護り安寧を取り戻そう

我らはイザナミの系譜

我らはこの国の守護者

今、この地に神風をもたらせ”』

 

二人が祝詞を終え、海に向かって互いに刀を向けた。

その瞬間、真田たちの背後から突風が吹き荒れた。

まさかと思い確認すれば、風向、風量共に射程を延ばすことができるバランスであり、この風が続けば敵の射程に入る前に攻撃が可能となる。

 

「本当に貴方たちは人間ですか?」

「ん?人間だと名乗ったつもりはないぜ?」

 

驚きを通り越して呆れる真田に鬼面の男は仮面の奥で目を細め笑った。

 

 

 

 

 

そして敵巡洋艦が射程範囲に入る前に達也は続けざまに4発の銃弾を放った。その内の一発が巡洋艦4隻の中央の上空に達した。

達也は精霊の眼を通じて得た情報を元に、右手を突き出し、開いた。

 

質量分解魔法『マテリアル・バースト』

 

後に戦略級魔法と認定されるその魔法が初めて使用された瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 




追記:誤字訂正しました。

感想いつもありがとうございます。


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横浜騒乱編 その後

17巻発売されてたんですね・・・


灼熱のハロウィンから1週間が過ぎた。

テレビでは若干熱は冷めたものの、未だに朝鮮半島で起きた謎の大爆発のニュースが取りあげられている。

テロリストの犯行、大亜連合内部の分裂、はたまたUSNAの陰謀説まで出ている。

 

論文コンペで横浜にいた私たちはテロリストと交戦したため、事情を聴かれることもあったが、普段通りの学校生活を取り戻していた。

達也は風紀委員の見回り、深雪はこの間の論文コンペの関係で生徒会の仕事をしている。

三高のプレゼンが出来なかったので、研究成果の発表をどうするのか、調整を行っているらしい。

 

今日の所は部活もなく、私は行きつけの古書店に足を運んでいた。

手袋をはめ、茶色くなった古めかしい本をめくる。

祈子さんから紹介してもらったこの店は駅から学校までの大通りから少し脇道に入った場所にあり、一高生徒でも知っている人は少ない。

 

日本は何でも記録するのが好きな民族らしい。

海外に行って写真ばかり取っているアジア人がいたら日本人だと思えと言われるほど、ありきたりな物でも写真に残す人が多い。

それは様式の異なる昔の日本でも同じことで、下らない笑い話や噂話ののった江戸庶民の日記も多く残っている。

電子化された現代では150年分くらいの出版物は電子媒体で購入できる。

絶版も無縁の存在となり、多種多様な本が電子化されることは購入のしやすさという面からみればいいことなのだろう。

 

しかし、紙の本には意思が宿ることがある。

それは持ち主の強い感情だったり、書き手に惹きつけられた精霊だったり、付喪神となったものまでいろいろだ。名立たる経典や魔導書の一部には霊獣や魔法生物が宿るというのだから現代魔法から言えば眉唾な話でもある。九重の神社には奉納された文献も数多くあり、中には悪さするために封じられているものもある。

 

曰くつきの文献は重要に保管されているが、ごくたまに古本市に流れることがある。

古式魔法師の目に留まればいいが、扱い方を間違えた一般人が持っていると不運を招くこともあり、取り扱いは慎重にしなければならない。

この古書店でも何冊か霊子が集まったものに目星をつけ、購入し、実家に送る。

今すぐお祓いをしないと危ないものはなかったが、素人が下手に扱うより専門家に聞くのが早いだろう。

 

 

 

古書店から出て表通りに戻り、駅までの道を歩く。

この道を通うのも半年となれば、随分と早い気がする。

いつもは深雪や達也がいるが、一人で歩く道はなんだかやけに長い気がした。

もうすぐ冬を迎える秋の空は高く、街路樹も葉を散らせ、少し物悲しげな様子だった。

 

「雅ちゃん」

 

後から声を掛けられ、振り返ると七草先輩が手を振っていた。

三年生は既に自由登校になっているが、今日は来ていたようだ。

立ち止まって先輩が追いつくのを待った。

 

「今帰りよね?」

「部活はないですし、何かお困りごとですか?」

「暇だったら、お姉さんとお茶していかない?」

 

七草先輩はにっこりと笑った。

何で私を誘ったのかという疑問より、この人受験生なのにいいのだろうかというのが第一に浮かんだ。

七草先輩が大学に落ちるようなことがあると言えば、それこそこの間のような侵略か天災に見舞われない限りないだろう。

先輩は先輩で家や勉強の愚痴の一つでも零したいのかもしれない。

同級生は受験勉強で忙しいし、中条先輩にはあまりアンダーグラウンドの話はしにくい。

その点、私ならば古い家で何かと人のあれこれを見てきた分、問題はないと判断したのだろう。偶然体の良い後輩が捕まったともいえる。

 

「あまり遅くならなければ大丈夫ですよ」

 

仕事で出向いていた次兄は明日京都に戻るため、夕飯を一緒に食べることになっている。

仕事といっても、横浜の一件とは無関係に神職としての仕事だ。

私の返答に七草先輩は満足げに頷いた。

 

「そう。じゃあ行きましょう」

 

七草先輩に少なくともこの時は裏など感じられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

七草先輩の案内で行きつけだという喫茶店に入った。

駅から学校へ行く道とは反対方向の店で、私は初めてくる場所だった。

チーズケーキの美味しいお店ということで、渡辺先輩や市原先輩とも立ち寄ることがあるそうだ。

 

話は案の定、七草先輩の愚痴やおしゃべりに付き合うものだった。

最近の様子や勉強の事、家族の事や魔法のことも話題になった。

灼熱のハロウィンの事も話題に出たが、私もニュースで出ていること以上の事は知らないと通した。

 

あの日、私の姿は横浜にあったが誰も所在は知らない。

即日、生徒全員に安否確認の連絡がなされたが、その辺は適当に誤魔化した。

カメラ映像を出せと言われているわけでもないし、いざとなれば適当に響子さんに協力してもらえばいいことだ。

七草先輩も引き際を弁えているのか、あまり深く聞くことはなかった。

 

家の愚痴については詳しくは語られなかったが、七草先輩も十師族で色々と(しがらみ)があるらしい。

 

「へー。雅ちゃん、お兄さんいるのね」

「兄が二人いて、私は末っ子ですね」

「そうなの。私も兄は二人と妹が二人いるわ。双子で、来年入学してくるからよろしく頼むわね」

 

【七草の双子】は【妖精姫】とはまた別に有名な存在である。

来年入学であれば、どちらかが主席である可能性は高いだろう。

 

「七草先輩の妹さんなら心配はないと思いますよ」

「そうかしら。結構二人ともそそっかしいというか、子どもっぽいところが多くて」

「頼れる姉がいるからこそ、子どもらしく甘えているのではないでしょうか」

「そうかしら。ああ、でも深雪さんと雅ちゃんを見ているとそんな気がするわ」

 

クスクスと笑う七草先輩に私もつられるようにして笑った。口をつけたコーヒーはアイネブリーゼのマスターの方が美味しい気がした。

喫茶店に入って30分ほどしたころだろうか。七草先輩の携帯端末が鳴った。

七草先輩は端末に表示された名前を見て、一瞬顔をしかめたものの、直ぐに笑顔に戻った。

 

「ちょっと外すわね」

「ええ」

 

端末を持って先輩は一旦外に出ていった。

多少興味はあるが、所用でもあるのだろう。

手持無沙汰だったので、個人用に古書店で買った古本を開く。

魔法がファンタジーだったころの洋書で、児童文学にしては意外と面白いと店主から勧められたものだった。それほどまで七草先輩も電話に時間を取られないだろうから、パラパラと捲るだけにしておく。

 

しばらくして再び扉を開けて店の中に入って来た七草先輩は深刻な顔をしていた。

 

「雅ちゃん、悪いけど一緒に来てくれる?」

「分かりました」

 

理由はこの場で聞かない方がいいのだろう。

支払いは七草先輩がテーブルで済ませており、店の外には既に七草家のものと思われる車が止まっている。

本を鞄に戻し、喫茶店から出て七草先輩に続いて車に乗り込む。

 

「雅ちゃん、多少荒っぽいことになるかもしれないから覚悟してね」

 

車が発進すると同時に後ろから後続の車が付けてきた。

相手は自動運転ではない。完全マニュアル仕様の改造車だった。

こちらとの距離をある程度は取りながらも、スピードは既に規制速度を超過している。

通常、一般車ならば規制速度を越えないように自動制御が働く。

この車も速度超過しているが、七草家という家柄であれば不思議ではない。

 

「しつこいわね」

 

七草先輩はCADを待機状態にした。町中にサイオン感知レーダーが配置されているが、緊急事態ならば魔法の発動は許可されている。

 

「お嬢様、増援はしてあります」

「到着は?」

「あと3分ほどお待ちください」

 

名倉さんは焦る様子もなく、車を自在に操っている。

追跡者との距離は未だ開いたままだが、しびれを切らしたのか、相手は窓から銃を持ちだしてきた。しかもアンティナイトによるキャストジャミングも併用してきている。

七草先輩も頭を押さえ、顔を歪めた。

魔法師にとって天敵ともいえるアンティナイトだが、その希少性から流通しているのはごく一部だ。よほど力のある組織が攻勢を仕掛けてきたのだろう。

 

「ああ、もう」

 

七草先輩が苦々しく、背後の車を睨みつけた。当然、この車は防弾使用であるためロケットランチャーでもない限り、ダメージを与えることはできない。

だが、魔法師の使うジャミングは非魔法師の使うジャミングに比べて持続時間、範囲、効力共に上回る。

遠距離魔法の世界屈指の使い手を相手に準備は入念にしているようだ。

こうしている間にも車間も詰められたように感じる。

 

「なんで交通量が多いのよ」

 

七草先輩が苛立たしげに進行方向を睨みつける。帰宅ラッシュの時間とも重なっているのか、下手に魔法を発動させて相手の車を攻撃すれば周りにも被害が及ぶ。

渋滞するほどではないが、車と車の間を縫うようにしてスピードを出している状態だ。

私は鞄から札と特化型CADを取り出し、安全装置を解除した。

 

「雅ちゃん、どうするつもり?」

「車を止めます」

 

札を窓ガラスに張り付け、ジャミングをシャットアウトする。

頭の中の金属音が止み、追跡している車に魔法を投射する。

追跡していた車は徐々にスピードを落し、停止した。

七草先輩が目を丸くしていた。

 

「あれだけジャミングがある中で、どうやったの?」

「力技ですよ。キャストジャミングを上回る干渉力で、魔法を発動しただけです」

 

私達周囲のジャミングは札で結界を張り、影響が無いようにしている。

ジャミングの波はさながら波を貫く弾丸のようなイメージで乗り越え、追跡者の車の電子回路を破壊した。

 

「雅ちゃんってそんなに干渉力高かったの?」

「ジャミングの波と波の間を貫くような感じでしょうか。

七草先輩もジャミングのない場所からの攻撃ならば、届きますよ」

 

キャストジャミングの対策として、ジャミングの有効範囲外からの攻撃は対抗策として有名だ。物理的に攻撃するのも一つの手だが、360度全方位にジャミングがめぐらされていなければ、ジャミングの影響のない位置の情報を改変すれば魔法は発動できる。

ただし、自身にジャミングが浴びせられていたら、そもそも魔法発動自体が難しいので、必ずしも使えるわけではない。

 

「お嬢様、このまま本邸に戻ります」

「ええ。分かりました。悪いけど、雅ちゃんにももう少し付き合ってもらうわね」

「ええ」

 

後方を振り返れば既に七草家の増援が追跡車に張り付いており、容疑者の取り押さえを行っていた。

車のロックシステムも破壊していたはずだから、内部から鍵を開けることもできず、閉じ込められた格好となっていたのだろう。

札を剥がし、特化型CADを鞄にしまう。

 

十師族が一角、七草家。

これ以上何もなければいいがと邪推してしまうが、果たして鬼が出るか蛇がでるか見ものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七草家本邸は一目で豪邸と呼ばれる規模だった。

私の実家も広い方ではあるが、それでもまだ広いですまされる規模だ。

七草家は広大と呼べる規模であり、聞けばスピードシューティングの練習場まであるらしい。

応接間に通され、出された紅茶に口を付ける。

名倉さんの話では付けてきたのはおそらく七草先輩を狙った誘拐犯の類であり、先日の横浜襲撃の残党兵らしい。今は警察と協力して主犯格の炙り出しも行っているそうだ。

今日は兄と夕食の予定だったが、これは迎えに来てもらった方がいいのだろう。

 

「巻き込んでごめんなさい。遅くならないうちに家まで送るわ」

「大丈夫ですよ」

「念のためよ」

 

七草先輩は語気を強めた。確かに今回の襲撃は七草先輩を狙ったものかもしれないが、私も顔が割れているかもしれない。

 

「今夜は兄と食事をすることになっているんです。兄に迎えに来てもらいますから、構いませんよ」

 

四葉本邸ほどではないが、この家の雰囲気もあまり好ましくはない。

外観も内装も意匠が凝らされ綺麗に整えられているのに、どこか仄暗いオーラがしていた。

七草先輩が渋い顔をしていると、部屋の扉がノックされた。

扉の向こうからの名乗りはなかったが、名倉さんがドアを開け、背筋を伸ばし一礼した。

 

「失礼する」

 

入ってきたのはスーツ姿の壮年男性だった。50歳には届かず、細身の体躯のビジネスマンといった風貌だが、その目は野心的だった。色つきの眼鏡の奥には動かない左目があった。

その姿と名倉さんの態度に彼がこの家でどのような立場にいるのか理解した。

 

「お父様、どうしてこちらに」

「九重さんにお話があってね。真由美、少し席を外してくれないかい」

 

困惑する七草先輩に七草家当主は言葉こそ丁寧だが、有無を言わせない声色でそう言った。

名倉さんは既に扉を開いて待っており、退出を目で促していた。

 

「彼女は私の都合に巻き込んでしまっただけなのですが、お話とはいったいなんでしょうか」

「真由美」

 

引き下がった七草先輩を容赦なく隻眼が射た。

その眼光に七草先輩は一瞬体を固くした。

 

「お邪魔しております、七草家ご当主様。

御在宅とは存じ上げず、挨拶が遅れましたこと大変失礼いたしました」

 

私は椅子から立ち上がり、出来るだけ丁寧に一礼した

 

「面白いお話はできませんが、『九重』に『七草』からどのようなお話を聞かせていただけるのでしょうか」

 

私はゆっくりと唇に弧を描いた。

私の問いかけに当主は笑みを深めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七草先輩が部屋を出ていった後、新しい紅茶が私たちの目の前に運ばれてきた。

先輩が部屋を出ていく直前まで当主を睨みつけていたのは見なかったことにしておいた。

 

「初めまして、九重の姫君。七草家当主、七草弘一です。今日はこちらの事情に巻き込んでしまい、大変申し訳ありませんでした」

 

七草家当主は人のよさそうな笑みを浮かべていた。

先ほどまでの野心的な目は一旦身を潜め、獲物を狩る準備をしているようだった。

 

「下手人は既に捕らえておりますので、どうぞご安心ください。不謹慎ではありますが、九重の桜姫が我が家に来ていると耳にいたしまして、こうして機会を設けさせていただきました」

 

「それは光栄です」

 

私の返答に満足げに七草当主は紅茶に手を付けた。

 

 

「そういえば」

 

自然と1トーン下がった声が、静かな応接間に響いた。

 

「長兄は結納も済まされ、次兄も北の方を見つけられたとか。司波達也は生まれながらして貴方の婚約者という誉れを授かっていると耳に挟みました。九重は縁起の良いことが重なりますね」

 

「ありがとうございます」

 

「どのような縁を紡がれたのか、お聞きしてもよろしいですか」

 

横浜の一件から随分と調べが早いことだ。

ただの高校生である達也や深雪の動きは七草家当主なら把握しているのだろう。

しかも深雪は七草家のヘリに同乗していたので、『コキュートス』までは知らなくても、精神魔法を使ったことは知られているかもしれない。

 

「九重は名門中の名門、歴史にその名を刻む素晴らしき系譜だと心得ております。次期当主の伴侶となれば、それ相応の家から嫁がれるのでしょうね」

 

「何かと制約の多い九重当主が唯一自由を許されているのが、婚姻相手の選定です。残念ながら私にもお相手が誰なのか教えてくださいませんが、兄が選んだ者を私は信じます」

 

九重の光源氏と呼ばれる兄の相手は何時しか『北の方』、『紫の上』と陰ながらに呼ばれている。私も誰を選んだか知らされていない。ただ、それとなく話を聞いてみたらこれから自分色に染め上げると言っていたので、私は心の中でその相手に合掌した。

ぽやぽやと浮草のような兄だが、根付かれたら今世は離してもらえないだろう。

 

「ご存じないのですか」

「ええ。薄情な兄です」

 

ため息交じりに言えば、七草家当主は顔色を変えずに矛先を私に向けた。

 

「では、貴方と司波達也の縁はどうなのでしょうか。彼は二科生ながら規格外の優秀な成績を修めていると聞いています」

 

達也にまで目を付けているのか。

確かに、九校戦では圧倒的なエンジニアとしての才能を見せつけ、モノリスコードで一条将輝に勝利し、論文コンペに1年生で参加していれば、嫌でも目に付くだろう。

深雪も含め、家系的な因子を探られても不思議ではない。

私の婚約者ということで四楓院家の子飼いだと思われるならばいいが、十師族の系列だと思われるのは厄介だ。

 

「彼が選ばれた理由はただ一つですよ」

 

私の言葉に期待するように、七草当主はやや姿勢が前のめりになった。達也には興味を持っているのが見て取れる。

 

これは何度も自問自答してきた答えだった。

どうしてこんなにつらく苦しいのに、達也が嫌いになれないのかと。

好きになってもらえない現実が苦しい。

報われることがないと知って、諦めようとしたこともあった。

 

「私がいて、彼がいた。それが縁の全てです」

 

ある意味必然の出会いで、縁だった。

かつて曾祖母に尋ねたことがある。

それでもただ曾お婆様は優しく語りかけるだけだった。

互いの縁が互いを生かしている。

この赤い糸が切れれば、どちらも生きてはいなかった。

私には見えない、千里を見通す目がそう語った。

だから、お互いの存在自体が生きている理由で、これからも生きていく理由なのだと曾お婆様は語った。

 

私はそれを信じることにした。

隠すことはあっても偽らない【千里眼】を信じ、何より達也を大切にしたい気持ちを大切にしたいと思ったのだ。

 

「おや、随分と詩的な表現ですね」

 

私の答えに七草当主は失笑した。

確かに運命論だなんて、ロマンチスト気取りの気障な言葉だろう。

 

「私が語るのも烏滸がましいですが、本来婚姻とはそれだけで十分ではありませんか」

「そうありたいと願えども、そうなれないのが人の世の辛いところです」

 

当主は一瞬眉をひそめ、その瞳の奥に燃え上がる物を見た気がした。

以前、会長の事を話したら兄がそっと呟いたことがあった。

彼女の名からは忘れられない初恋の香りがするらしい。

 

「真夜」と「真由美」

 

よく名前に使われる字であり、偶然だとしても、邪推してしまうのは人の性だろう。

沈黙が部屋を支配する中、外に控えていたメイドがインターホンを鳴らした。

 

 

「失礼いたします。当主様、九重悠様がお見えです。雅様のお迎えだそうですが、外でお待ちです」

 

どうやらタイミングよく、兄が迎えに来たようだ。

待ち合わせ場所の変更も連絡もしていないが、今回の事も兄にとっては目の届く範囲の出来事だった。

 

「外で?」

 

七草当主は怪訝な表情を浮かべた。

客人を迎えに来たにしても、相手は九重の次期当主。

応接室にまでは通すのが礼儀だとこの家の者は理解しているはずだ。

 

「『色々と見られても困るものがあるでしょう』とのことでした」

 

当主はその言葉に眉間の皺を深めた。

私の手前とあって一瞬の事だが、千里眼の力がどれほど見通せるのか分からない中で家の中に招き入れるのは得策でないと判断したのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

玄関ホールまで当主に見送られ、七草先輩は外までついて来た。

兄に事情の説明と挨拶をするためだと言っていたが、兄の事なら私が連絡せずともここにいたことは知っていたし、事情もさらに深くまで知っていただろう。

名倉さんまで付いてきているのは使用人として客人を見送るためなら仕方ないにしても、兄がいることに対する警戒心もあるのだろう。

 

門を開けてもらい、外に出ると壁沿いに車が横付けされていた。

外では兄が普段通りの着物で立っていた。

 

「待たせて悪かったね」

「お迎えいただきありがとうございます」

 

兄は気さくに手を挙げ、私は一礼した。

七草先輩は兄を見るなり茫然としていた。

確かに兄は目を疑うような美丈夫で、美しいを通り越して麗しいといえる。

絶世の美少女と称される深雪や、儚い美少年の光宣君が隣に並んだとしても霞む事の無い均整の整った顔立ちは見る者の目を奪う。

同じ親から生まれたとは思えないほど整いすぎた兄だが、平成の光源氏と呼ばれた曽祖父の隔世遺伝だろうと言われている。

長いまつげに縁取られた瞳が柔らかく微笑んだ。

 

「こんばんは、七草の御嬢さん。はじめまして、雅の兄です」

「こ、こんばんは。七草真由美と申します」

 

七草先輩は淑女らしく丁寧に頭を下げた。声が上ずったのは仕方のないことだろう。

同じ家に住み、幼いころから見てきた私ですら時折恐ろしく感じる美貌だ。初対面ならば衝撃も理解できる。

 

「今日は危ないところをありがとうございます。後日、改めてお礼をお送りしますので、お世話になりましたお父様方にもよろしくお伝えください」

 

「いえ、こちらこそ巻き込む形となって申し訳ありませんでした。父にも申し伝えます」

 

にっこりと笑った兄の目は笑っていなかった。

これは予想以上に黒い思惑が当主にはあったのかもしれないと掌に汗が滲んだ。

 

「それでは、これで失礼いたします」

 

兄が助手席の扉を開ける。自分で助手席位開けられるが、なんだかエスコートされている様で微妙な気分になった。

 

「七草先輩」

 

乗り込む前に一度七草先輩を振り返った。

 

「誘拐犯は身内の様ですよ」

「えっ」

「今日は美味しいお茶を御馳走様でした。またの機会はないと思いますので、よろしくお父様とお兄様にお伝えください」

 

何のことかと言いたげな様子の先輩を無視して、私は車に乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

予定通りレストランでの食事を終え、兄に家まで送ってもらった。

今日は司波家ではなく、マンションの方に帰る予定にしていたがいつのまにか進路を司波家に向けていた。念のために一緒にいた方がいいというが、兄がそう言うなら七草がこの車を付けていると言うこともないのだろう。

残念なことに明日は平日だが、七草先輩は自由登校であるし、学校で会うことはないかもしれない。

 

 

司波家には事前に連絡していたため、深雪がお茶の準備をして待っていた。

 

「テロの残党を騙って狂言誘拐とは、随分と手の込んだ招待の仕方ですね」

「雅の実力を見たかったんだろう。女子で九重神楽を舞い、四楓院に名を連ねるのは100年ぶりだからね」

 

今日の誘拐犯、ただ事ではないかと考えていたが、どうやら七草家の自作自演だったようだ。

先日の意見も考えて手の込んだ訓練に偶々私がいたため、七草当主は好機とばかりに話を持ちかけたようだ。

 

「達也。七草は今後も警戒しておきなさい。君たちの素性も怪しまれている。達也と一〇一大隊との関係を探ってきているのは既知かな」

 

「軍との関係が探られていることは知っていましたが、七草だとは初耳です」

 

達也は灼熱のハロウィンの一件で軍との接触を四葉当主に禁じられている。

達也が軍属であることを七草先輩が対外に漏らすことはないだろうが、ボディガードの名倉の主人はあくまで七草当主だ。

言葉さえ気を付ければ、当主に情報を渡すこともできる。

 

「七草家がお姉様を狙っているということでしょうか」

 

深雪は心配そうに眉をひそめた。

 

「正確には四楓院の直系として目を付けられているようだ。

京都と違って煩わしい相手も少ない分、味方も少ない。君たちは頼りにしているよ」

「分かりました」

「お任せください、悠お兄様」

 

達也は真剣な表情で頷き、深雪も誇らしげに首を縦に振った。

 

「それじゃあ、そのお礼に一つ面白い情報をあげよう」

 

口を付けていたカップをソーサーに戻し、兄は指を立てた。

達也の顔が強張る。深雪も息を呑んでいた。

【千里眼】からもたらされる情報の意味が軽くないことは重々承知の上だった。

 

「3学期に来訪者があるが、君たちとも浅からぬ縁になるとだけ言っておこうかな」

 

USNAが灼熱のハロィンの原因は質量分解によるエネルギーではないかというところまで推測している。直接的に関わりがあった私達に直接探りを入れてくることは不思議ではない。

魔法師の保護のために、海外渡航は厳しく制限されているが、同年代の魔法師が訪日してくると言う事だろうか。

 

「軍関係者ですね」

「これ以上は追加料金だよ」

 

本心の読めない笑みに達也はそれ以上言及しなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

時間も遅くなったことで兄はマンションに一泊してから帰ることにしたそうだ。

明日は休みにしていたので、それほど仕事には支障がないらしい。

深雪は兄を玄関まで見送っている。

私が本当であれば見送るべきなのだが、疲れているだろうから良いと深雪が出てくれた。

 

「疲れたのか?」

「うん。少しね」

 

あまり褒められた格好ではないが、ソファーにもたれかかる。

達也は私の隣に座った。

眉が少し下がっており、心配してくれているのが分かる。

 

「ねえ、達也」

 

私も色々と気疲れしているのだろう。

もしかして不安だったのかもしれない。

あまり思考の働かない頭で、普段は絶対に聞くことはないことを聞いてしまった。

 

「私のこと……」

 

達也の動きが止まった。

それと同時に私の頭も一気に冷えた。

何を聞いているんだ、私は。

そんなの分かりきった、答えられない問いではないか。

 

「ごめんなさい、困らせるようなことを言って」

 

私は達也の手を掴んだ。

焦りで心臓が早鐘を打っている。

 

「大丈夫よ。少し疲れただけだから、気にしないで」

 

声が震えた。

達也の顔を見ることができなかった。

口の中が急速に乾いていく感覚がした。

 

「雅」

「少し早いけれど、休ませてもらうわ」

 

達也は何も言わない、これが正しい答えだ。

縋るように掴んでいた達也の手を離す。

だが離れていく私の手を達也は掴み、引き寄せた。

達也の腕が私の背中に回る。

痛いほどの抱擁に私は戸惑うばかりだった。

 

「達也?」

 

抱きしめられているので、彼の顔を窺い知ることはできない。

悲しんでいるのか、これもただの慰めなのか、私には読み取ることができなかった。

 

 

 

 

 

「・・・・すまない」

 

 

 

達也の口から小さく漏れたのは謝罪だった。

それは何に対しての謝罪か。

改めて意味を聞くまでもなく、私の胸を引き裂くには十分な言葉だった。

私は達也の胸を押し、彼から離れた。

顔を上げることはできなかった。

 

逃げるようにしてリビングから出て部屋に駆け込んだ。

知っていたはずなのに、理解していたはずなのに、改めて現実を突きつけられると涙があふれてきた。

 

 

 

どれだけ強がっても、私はきっと彼に愛されたいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四葉本邸

 

ここは『四(死)の魔法師工場』と呼ばれている四葉の中枢だ。

その屋敷の主人である、四葉真夜が優雅に紅茶を嗜んでいた。

これから来客を予定している。

客といっても、彼女にとっては油断ならない相手だった。早々に会ってしまい別の仕事に取り掛かりたいのはやまやまだが、一旦気分を落ち着ける必要があった。

 

世界から最強の魔法師として畏怖されている自分が身構えてしまう相手。

魔法的にも物理的にも相手が一人でこの屋敷にやってくる以上、戦うことになっても勝率はこちらが圧倒的に高い。

もし命を脅かそうともこれから訪れる人物は優雅に微笑んだままだろう。

それに対し、薄気味悪いと言うより、どこか畏れを感じてしまう。

 

圧倒的な力を持ちながらもそれを私欲に使うことはない。

鉾がこちらに向いてくることがないとはいえ、大義名分のもとに力が解放されてしまえばその力は強大だ。

 

おそらく彼にはこちらがこうして思案していることすら御見通しなのだろう。

 

「真夜様、そろそろお時間です。御通ししてもよろしいですか」

「ええ、どうぞ」

 

四葉家筆頭執事の葉山は主人の気持ちを慮りながらも執事としての仕事を全うしていた。

外にいた女性の使用人に客人を招くように伝え、自分は真夜の紅茶を一旦片づけ、新しいものを入れ始めた。

 

「あの一件で色々と面倒が増えているのに、また面倒事が舞い込んでくるのかしら」

 

真夜はソファーに身を預け、深いため息をついた。

灼熱のハロウィンの一件で、大亜連合艦隊とその基地は壊滅ではなく消滅した。

出撃のために軍港にいた十三使徒の一角も巻き込まれ、戦死している。

USNAが爆発の原因の尻尾も掴んでいるし、達也たちが目星をつけられているのも既知のことだ。国防軍には達也との接触をしばらく禁じたが、近いうちにUSNAからスパイか何かが接触してくる可能性も高い。

 

「上手くいけばこちらも有益な情報がもたらされますよ」

「そうね。でもそれは虎穴であることは変わりないでしょう」

 

その名を四葉に知らしめたのはおよそ30年前の事。

真夜によっても大きな意味合いを持っていた。

忘れたくても忘れられない記憶。

絶望と凄惨と憐憫と悲哀に満ちた日々と幸福と慈愛を与えてくれた人の記憶。

今でも真夜の心の奥底に残り、ほろ苦く甘い記憶となって甦る。

真夜が追憶の波に浸っていると、扉が静かに叩かれた。

 

「失礼します。九重悠様をお連れいたしました」

 

青年の声に葉山が真夜と視線を合わせ入室の許可をだした。

真夜は姿勢を正す。

優雅で気品のある貴婦人としての笑みを浮かべ、来客を待ち構えた。

 

「こんにちは、悠さん」

「ご機嫌麗しゅう、真夜様」

 

背筋が凍りつくような美丈夫は優雅に微笑んだ。

深雪の絶世の美貌を知っている真夜や葉山ですら、一瞬見惚れる笑みだった。

 

「お茶はいかが?いい茶葉が入ったのよ。」

「ああ、それは楽しみですね」

 

【千里眼】の鬼がもたらすのは吉か凶か。

優美な笑みの下、お互いの眼は静かに炎を浮かべていた。

 

 




大漢事件の一件も少々改変が入っています。
後々語ることになると思います。


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来訪者編
来訪者編1


皆さまご無沙汰しております。

ご心配おかけしましたが、ちゃんと生きております。
更新遅くなってすみません。




冬を前に乾いた空気が私の頬を撫でる。澄んだ空気は空まで綺麗に映し出し、朝焼けの眩しい空をより高く見せた。

空気を吸い込めば肺に冷たい空気が流れ込み、息継ぎに吐き出す息は白く、青空の下で空気に溶けていく。

 

静かな朝だ。

ピリッと背筋が凍えるような冷たい空気が私の気も研ぐようだった。

 

結界が張られた空間では精霊がまばゆい光を伴い、舞っている。

私が練習用の扇を振れば風が吹きあがり、私の体を軽くする。

汗が流れる、息が上がる、足に出来た血豆が破れる。

砂利を鳴らしてしまえばそれは失敗で、もう一度音が鳴らないように地面を踏みしめ直す。

私は舞うことを止めない。

今練習している舞は年末年始が本番で、練習期間はあと1か月程度しかない。

型を真似ることはできても、魔法として成立するにはまだほど遠い。

何十、何百と型を体に染み込ませ、呼吸と同じくできるまで繰り返し、繰り返し練習を続ける。百の練習をしたところでできるとは言えない舞も存在する。

 

 

何度目かもわからない動作の繰り返し、細部の修正に追われる日々。

次の動作に移るときに汗で手が滑り、扇が風に吹かれて地面に落ちる。

また失敗してしまったと心の中で舌を打つ。

できない自分に対して怒りと焦りが生まれていた。

 

「随分と熱が入っているね」

「伯父上」

 

扇を拾い上げたのは九重寺の和尚で私の伯父である九重八雲だった。

今日は境内を借りて九重神楽の練習をしているところだった。

扇と一緒に渡されたタオルで汗をぬぐう。

気温も湿度も低い冬とは言え、動かした体は火照っていた。

 

「結界が切れるとは、ずいぶんと荒々しいね。今回は随分と難しい演目なのかい?」

 

叔父の示す方向に視線を向けると、10m四方に組まれた結界の紐が一部切れていた。地面には梵字の刻まれた10cmほどの木の杭が撃たれ、赤い紐がめぐらされている。

これは朝、溢れんばかりの精霊を閉じ込めるために設置したものだが、私の制御が甘かったため切れてしまった。

精霊はふよふよと私の制御下から離れ、辺りを漂っていた。

 

「君がここまで練習しなければならないとなれば、随分と太刀川の指導は熱心なんだね」

 

太刀川とは九重神楽から流派分けをした一派だ。

流石に神楽の練習をするにしても師匠なしではできないため、4代前の舞姫に稽古をしてもらっているのだ。

指導は本家に劣らず厳しいものだが、最近は私の不安定さを見抜かれているのか叱責が多い。

 

「気持ちを整理してから出直してこいと言われました」

「おや」

 

私の言葉に伯父が首を傾げた。細めていた眼を開き、私に続きの言葉を求めていた。

 

「『鬼気迫るものはあるが、何とも人間らしく無様で滑稽である』と言われてしまいました」

「人間らしく無様で滑稽とは、なかなかの言いようだね」

 

伯父はカカと笑った。

 

私が演じるのは神の世界。

人でありながら、人らしくあることは許されない。

一切の足音、衣ずれの音、息が上がって肩で呼吸することも許されない。

先ほども砂利の音がしてしまったから、失敗であり、そもそも寒さで白い息になったことも神の所作とは言えない。

 

 

「雑念が多すぎると見抜かれてしまいました」

「君の心を悩ませるのは何時だって彼だね」

 

何処から聞いたのか、はたまた察したのか、伯父は私の現状をよく理解していた。

私と達也の仲は今、何とも言い難い状態にある。

険悪な雰囲気で口を利かないわけではない。

ただ、いつもとは少しだけ距離がある。

鋭いエリカや雫にも見抜かれてしまい、それとなく喧嘩をしたのかと聞かれた。

 

喧嘩ではない。

分かりきっていたことを私が尋ねて、勝手に自己嫌悪に陥って、神楽の練習にのめり込んだふりをして彼を避けているだけだ。

表面上はいつもと変わりない。それでもどことなく、彼との距離は以前より遠く感じた。

胸の中で渦巻く言葉が喉まで出て押しとどめてしまう。

手を伸ばそうとしても、その手は空を切る。

欲しい言葉は一生かなわないと知っている彼の心の内。

欲張りにそれを私が求めてしまった。彼への想いを自覚してから、聞きたくても聞けなくて、聞いてしまえば思い知らされた絶望。

誰が悪い、というわけではない。

答えられない達也でも、答えを欲した私でもない。

不思議なほど不安定で不確実で、それなのに名前だけは決められた関係に私はいつも不安で臆病だった。

 

深雪も心配しているし、早く私もこの現状からどうにか抜け出したい。

それでもあと一歩がどうしても怖くて踏み出せなかった。

彼が私に向ける感情が愛情には変わらないとどれだけ自分に言い聞かせても、少しだけでも私と同じ気持ちでいて欲しいという欲が出る。

本当に、自分の心というのは儘ならず、恋愛というものは人の心を惑わせる。

自分の心も上手にコントロール出来なくて、神楽に支障が出るなんてとんだお笑い草だ。

 

 

伯父は顎に手を置き、しばし思案した後、私から距離を取り構えた。

 

「かかっておいで」

「いきなりなんですか?」

 

この話の流れでどうしうてそうなるのか、意味が分からない。思わず眉をしかめてしまった。

今日は体術の稽古をする予定はない。

この消耗した体で相手をしてもらっても、良いように地面に転がされて終わるだろう。

 

「八つ当たり上等。君の荒れた心も含めて稽古してあげるよ」

 

にんまりと笑みを浮かべる伯父に少しだけ呆気にとられた。

何も言わなくても分かってくれる伯父の存在はどことなく兄とも似ていた。

私はタオルを近くの木にかけると、遠慮なく伯父に蹴りかかった。

結果は言わずもがな、気持ちいいほどの惨敗だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

達也は学校の地下の資料庫に来ていた。

聖遺物の研究資料は第三課のラボで閲覧できるデータベースにあるものは大方集めた。

しかし、それらの資料は既存の失敗実験のデータであり、解明に利用するには不完全といえる。

そうなればもっと古い文献、データにもなっていない図書文献や魔法科高校の秘蔵資料まで幅を広げてみる必要があった。

達也は論文コンペ以前から何度か地下資料庫に来ているが、他の利用者とすれ違ったことはない。

なぜならこの資料庫は利用者が日に1名あるかないかの稼働率だ。

好き好んでこの場に来なくても、授業内容程度の調べものなら図書館のデータベースで事足りる。

 

部屋の壁際には資料検索用の端末とデータ化された文献の入ったタブレット端末が備え付けられている。空間のほとんどを占めるのは天井まで続く書籍の棚であり、外からの光の入らない地下空間はひっそりと静まり返っている。

紙の書籍を閲覧するための机といすは更にその奥にある。

達也が検索端末に近づいたとき、その先の本棚の間から一人の利用者が顔をのぞかせた。

 

「おや、私以外にこんなところに来る物好きがいたとは驚きだ」

 

背はそれほど高くない。腰まである長い髪はずっしりと量もあり、顔立ちは悪くない方だがどこか胡散臭そうに笑っていた。

 

「行橋先輩ですね」

「そうだよ、司波達也君」

 

達也は彼女を知っていた。

図書・古典部の元部長であり、古式魔法研究、魔導書研究の分野では有名人だ。

【魔導書辞典】(グリモワール・ディクショナリー)、【図書の魔女】などと仰々しい二つ名が付いているが、知る人から言わせれば天才と変人は表裏一体だと言われる。

高校生ながら数々の魔法文献の解読、魔法言語学の解析、古式魔法の復刻など研究の数は一高でも随一と言われ、二つ名に恥じない活躍をしている。

しかし本人自体はクセの強い人間のため、一部生徒からは尊敬以上に忌避されている存在でもある。

 

「なにか?」

 

達也は自分をただ見ている以上に観察をしているような行橋の視線に疑問を投げかけた。事象改変の予兆もないが、達也を通して何かを見ているような感覚がしていた。

 

「いや、改めて感じただけさ。【大黒天】の名を持つだけの存在感はあると思ってね」

 

彼女から発せられた【大黒天】の名に達也は反応した。

 

「なるほど雅のお目付け役だったんですね」

 

達也を【大黒天】と呼び、その名を知っているのは四楓院の系列だけだ。

 

「これでも一応『佐鳥』の一門だよ」

 

達也の鋭い視線を向けられても本心が掴めない笑みは崩れることはなかった。

 

「『太刀川』ではなく、『佐鳥』ですか」

「『太刀川』は従兄の方。私はどうも『佐鳥』の血の方が濃く出たようでね。といっても私が読めるのは精々本に残されたものだけれどね」

 

四楓院家は九重の裏の名前であると同時に、一つの役目を果たす集団の名でもある。九重以外の家はそれぞれ四楓院から与えられた家名があり、『佐鳥』、『太刀川』もその一つだ。

 

「会ったついでといっては何なんだが、早く雅ちゃんのご機嫌取ってくれないかい。成果が出てなくて本家様に迷惑がかかるんだよ」

 

大げさに肩をすくめて、行橋はため息をついた。

 

「ご機嫌取りですか?」

 

「君の立場上、それは不可欠なんだろう。それに九重神楽がどれだけ繊細でどれだけ演者が心身ともに消耗するか君は承知の上で何時までも現状のままでいるのかい」

 

 

行橋は達也との距離を詰めた。

達也はその場から動かず、行橋はつま先がわずかに離れているだけの距離に近づき、達也の顔を下から覗きこんだ。

 

「千代様が結ばれた縁に文句を言うつもりはないけれど、君の妹と同じく雅ちゃんも人を惹きつけることを忘れてないかい」

 

目と口に弧を描き達也に迫る行橋に対して、達也の表情は微塵も変わらなかった。

第三者が見たら今にも唇同士が合いそうな距離であり、しばらく二人の間は無言で見詰め合っていた。

 

 

「・・・・それじゃあ、頑張ってくれたまえ」

 

行橋はそれだけを言うと、踵を返し、一度も振り返ることなく地下資料庫から出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夜、リビングで達也はWebニュースを眺めていた。

コーヒーをテーブルに置き、次々とページを進める様はさながらビジネスマンのようだが、どこかいつもより真剣みが足りない。

おそらく第三者から見ればさして変わらない無表情だが、そんな表情に気が付くのは何時も通り彼女だった。

 

「お兄様、いい加減にしてください」

 

秀麗な目元を吊り上げ、声はいつにも増して刺々しいものだった。

深雪は淹れたばかりのコーヒーの載ったトレーを心なしか乱雑に置いた。

机の上に置いてあったものは既に冷めきってしまっている。

いつもの達也なら冷める前に飲みきってしまうのだが、今日はほとんど口を付けられていなかった。

 

深雪の剣幕に達也は少したじろいだ。

 

「どうしたんだ」

「悠お兄様から事情は聴きました」

「雅ではなく、悠さんから聞いたのか」

 

達也は小さくため息をついた。

どこまでも見通す【千里眼】が達也と雅の微妙な距離感を知ることなど、労力とは感じないほど容易いことだろう。

飄々としていている割に、雅には兄として優しく厳しい悠だが、深雪にはめっぽう甘い。それこそ猫かわいがりしていると言っていいほどであり、今回の一件も二つ返事で答えたのだろう。

 

「お姉様はきっと教えてくださりませんから。今回の一件はお兄様が悪いことはご理解していらっしゃるのでしょう」

 

深雪は達也が座っていた二人掛けのソファーの隣に座った。

 

「お兄様、お姉様の愛情に甘えないでください。お姉様がいかにお兄様を大切に、お兄様だけを想っていらっしゃることを深雪は誰よりも知っています。お兄様もお姉様が大切なのではありませんか」

 

「俺は、深雪以外を大切にできない。そうできている」

 

達也は自分自身に言い聞かせるようにそう言った。

淡々と事実を述べているようで、その瞳は揺らぎを見せたりはしなかった。

 

「嘘です」

 

だが、そんな達也の言葉を深雪は一蹴した。

 

「深雪は知っています。お兄様がどんな目でお姉様を見ているのか、誰よりも一番近くで見てきました」

 

深雪は二人の様子がいつもと違うことに気が付いていた。

深雪の前ではいつも通りに見せていたが、その距離が遠いことに深雪は疑問を感じた。

雅は何もないと誤魔化してしまうだろうからと、悠に連絡を取ってみればあまりにも達也が酷いことを言っていたので、深雪も腹を立てた。

兄の鈍さに対して深雪は呆れる以前に、姉を悲しませたことに怒りを抱いていた。

 

「お兄様にはお姉様しかいらっしゃいません。

私でも、お母様でも、叔母様でも学校の友人でもありません。

お兄様が女の子としてお姉様を大切にしたいと思っているのが、どうしてわかりませんか」

 

「だが、俺にはその資格がない」

 

深雪の指摘に達也は小さく首を振った。

彼自身、雅が自分の事を想っていることは十分知っている。

知っているからこそ、不誠実に『好き』だとは言えなかった。

 

自分は母の魔法によって妹しか強い感情を、愛情を向けることはできない。

達也には雅を大切にしたいと思いたいと思うことはできても、雅と同じ気持ちだと言うことはできない。達也の胸の中に渦巻くチリチリと焦げるような感情はきっと不甲斐ない自分への憤りだろう。

 

「お兄様、人を愛することに資格なんていりません」

 

深雪はそっと達也の胸の中心に手を重ねた。

 

「お兄様はお姉様が大切なのです。九重だから必要だと利己的に感じるまでもなく、お兄様が友愛や信愛と感じていらっしゃる以上に、お姉様を想っていらっしゃるのです」

 

深雪の言葉を達也はどう解釈するか、判断しかねていた。

前提として達也は雅を愛せないようにできている。

なのに、深雪はまるで達也が雅に好意以上の感情を持っているように語る。

 

確かに達也にとって雅は特別だ。

その特別が意味する言葉は単に婚約者だからという訳ではない。

だが、愛しているかと問われれば、分からないと達也は答えるだろう。

不確実な名前の付けられない感情が達也の中に渦巻いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

--司波家地下室--

 

地下二階分を丸々魔法演習用に改造したこの部屋の中で、雅は舞っていた。

裸足の指にはテーピングが巻かれ、所々血が滲んでいる。

額からは滝のように汗が流れ、黒い髪を濡らしている。

息が切れるほど、動き続けているのに足音も衣の靡く音も一切しない。

サイレント映画のように静寂の支配する空間は術者を彩る空間だった。

 

無音の中で舞に合わせて光波振動系魔法が空間を極彩色に飾る。激しい動きにもかかわらず、優美さの薄れることのない舞は完成にほど近い状態だった。

扇を指で遊ばせ、空中で一回転させる。

再び指で扇を掬おうとしたが、汗で扇子が床に滑り落ちる。

扇の落ちる乾いた音が空間に響く。

途端に空中に展開されていた極彩色も消え、辺りは無機質な部屋に戻った。

 

雅は苦々しく眉をひそめ、ため息を吐きながら扇を拾い上げた。

一旦集中力が切れれば途端に感じる疲労。

魔法の連続使用はその強度にもよるが、肉体的な動作を伴うとなれば魔法力をより消耗をさせる。

小さいころから放課後、土日もほぼ稽古に費やしている雅は人より魔法を使い続けることに慣れている。だが類まれなる魔法力を持つ九重の家系でも、神獣、神を演じる舞は一握りの演者にしかできない神業だった。

 

雅は持って来ていたタオルで汗をぬぐうと、そのまま壁に縋って座り込んだ。

今年が終わるのもあと少し。期末試験も控えた今、並行して神楽の練習をすることは体力的にも厳しいものがある。

目をつぶってしまえば、このまま眠ってしまいそうになる気がした。

雅は頭からタオルをかぶり、深く息を吸い、吐き出す。

 

焦っているのは雅自身分かっている。

ここまで舞うことができないとは舞の難易度以上に精神状態もよろしくないのだろう。師にも叱責され、時間も迫る現状は雅の精神をすり減らせていた。

 

どうにかしなければと思いながらも、きっと達也に謝ったところで心が晴れるわけではない。達也から謝られてもまた惨めになるだけだ。期待して、舞い上がって、自惚れて、勝手に落胆して、そしてまた期待する。

どれだけ同じ気持ちになることはないと理解していても、心の奥底では僅かな希望に縋っていた。

何時か優しく私の手を取ってくれる時があるのではないかと、何時だって憧れていた。

 

多くは望まない。

そう決めたとしても、たった一言で決意を揺るがされる。

なんと弱く、脆い心だろうか。

これだけ雑念が多すぎるのだから、みっともない舞になってしまうのだと再びため息をついた。

 

 

 

 

「雅」

 

不意に肩を叩かれ、顔を上げる。

 

「え、達也?」

 

雅の目の前には達也が心なしか心配そうに顔を覗き込んでいた。

普段の雅であればこれほど近くに来なくても気が付くはずだが、思考の海に浸っていたせいで気配に気が付くことができなかった。

 

「そろそろ12時を回る。」

「あ、もうそんな時間なの?」

 

壁に設置されたデジタル時計を見れば、あと10分ほどで日付が変わろうとしていた。

稽古のためにこの部屋に入ったのが夜の10時より前の時間だから、2時間近く踊り続けていたことになる。

 

「熱心なのはいいが、怪我をしては元も子もないだろう」

 

雅が足の指先を見ればテーピングから滲んだ血が擦れて床に広がっていた。出血量自体は酷くないが、練習に練習を重ねた足は血豆ができてはつぶれていた。

練習のしすぎでボロボロになった足を見られるのが恥ずかしく、雅は裾で足元を隠すように立ち上がった。

 

「ごめんなさい、直ぐにきれいにするから」

「いや、怪我の手当てが先だ」

 

掃除をすると言う雅に達也は有無を言わせず、腕を取った。

 

「でも」

「踊っていた時は気が付かなくても、今は相当痛いんじゃないか」

「歩けないほどじゃないから大丈夫よ」

「ダメだ」

 

何時にもなく強い達也の語気に押されるようにして、雅は大人しく首を縦に振った。

 

 

 

 

 

 

シャワーで汗と汚れを洗い流し、雅はリビングへ向かった。

着替えは深雪が用意しており、今回の一件も深雪が達也に何か言ったのだろう。

相変わらず気の利く妹に感謝しつつ、着なれた寝巻用の浴衣に袖を通す。

 

髪を乾かしリビングに向かうと、達也が待っていた。

雅は自分で手当てをすると言ったのだが、達也が譲らず、恥ずかしながら手当を受けている。

雅はソファーに座り、達也が足に新しい包帯を巻いている。

達也も雅も口を開かない。

深雪は部屋にいる様で、二人以外の物音はしない。

 

「きつくないか」

「ええ、ありがとう」

 

達也の性格を表したように綺麗にまかれた包帯はぴったりと雅のつま先から足首まで包んでいた。

指先の血豆が潰れただけでなく、寒さでかかとまで切れていたため足首まで包帯を巻かれていた。

一応、この家にも救急箱というものは置いてある。

達也も雅も九重寺で鍛錬をすれば当然、打ち身の一つや二つする。

それを甲斐甲斐しく手当てするのが深雪の日課になっており、意外と使用頻度は高い。

 

達也が救急箱を片づけるために立ち上がると、雅は達也の背に抱き付いた。

 

「そのままでいいから聞いて」

 

突然のことに振り返ろうとした達也を雅は静止した。

達也は大人しく、雅の言葉を待った。

 

「深雪以上に私を守って欲しいとか、私を大切にしてほしいだなんて言わない。少しだけ、少しだけでいいの。貴方の心を頂戴。貴方を想うことを許して」

 

雅に許されるのはそれだけだ。

達也は深雪を守ることから逃れられない。

深雪以外に心を割くことは、彼にとってはできない。

達也にとって他人とはいれば物事がうまく進む便利な存在で、最悪世界に深雪さえいればいいのだ。雅だって深雪を守るためにはこの先必要となる後ろ盾だ。

それを理解しているから、達也は雅を拒絶できない。

 

雅はそれを理解して、利用している。

割り切ることのできない恋という厄介な感情を達也に抱いてしまったその時から、雅はずっと叶わない想いを抱き続けている。

 

「雅―――」

「謝ったら怒るよ」

 

達也は再び口を噤んだ。

達也の胸に渦巻く感情が愛着なのか、執着なのか、それとも独占欲というものなのか。

今の達也には判断できなかった。

 

雅は達也の服をそっと離した。

達也は雅と向かい合う。

雅は泣きそうに笑っていた。

何度も見てきたこの顔は達也の胸に小波を立てる。

達也は雅を腕の中に抱きしめた。

 

「達也?」

「―――俺は、雅を大切にしたいと思いたいし、大切だと言いたい」

 

絞り出すような声だった。

生まれてから今まで過ごしてきた年月は達也の中で雅を特別な位置に据えていた。

家族でもなく、妹でもなく、友人でもなく、知人でもなく、敵でもなく、雅に抱く感情と同じ相手はいない。

降り積もった雪のように大地に少しずつ染み渡り、達也の感情の奥底に集っていた。

 

だが、彼の運命はそれを許さない。

彼がそう思うことを許していない。

与えられた役目から逃げ出し、自分で未来を選ぶだけの力も立場も全て足りない。

それは彼自身が誰より自分に言い聞かせてきたことだった。

雅は達也の背に手を回した。

細く見えてしっかりとした背中は大きなものを背負っていた。

その重みを分け合ってほしいと願って、雅は何時もその手を伸ばしていた。

 

「今はそれでいいよ。達也の一番は深雪だもの。私の一番は、私の唯一の想いは達也だけにあげる」

 

伊達に雅は何年も片思いを続けてきたわけではない。

何度も叶わない想いだと現実に打ちのめされても、雅にとっては何より譲れない想いだった。

 

「いっそ雅も妹だったら、心から大切にできるのにな」

「私は兄と結婚だなんてイヤよ」

 

くすくすと笑いあう二人にはいつもの雰囲気が戻っていた。

 

「ねえ、達也。一つだけ我儘言っても良い?」

「なんだ?」

「デートしましょう。私と達也だけよ」

 

出かけるとなれば大抵3人でのことが多い。

雅と深雪で出かければあちらこちらから声を掛けられるため、二人きりの外出は控えている。

達也と雅でデートらしいデートをしたことは数えるだけしかない。

 

「喜んで」

「約束よ」

 

背中から手を離し、二人は手と手をからめた。

 

世界は二人に優しくない。

それでも優しい現実を作り出すことはできるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日枝神社初詣

 

 

年明けの空は晴れ晴れと澄み渡り、青い空が広がっていた。

初詣を迎える神社は人で一杯だった。

賑やかな露天の店に振り袖姿の艶やかな女性たち、受験合格を祈る学生と親など、思い思いの願いを持つ人たちで溢れていた。

 

達也と深雪は一旦、九重八雲と小野遥と合流し、都内にある日枝神社に向かった。

鳥居の下ではエリカ、レオ、美月、幹比古、ほのかが既に待っていた。

雫は年明けに控えた留学準備と家の関係で欠席。

雅は終業式が終わった時点でクリスマス会にも出られず、京都に里帰りをしている。

 

「わあ、深雪さん。素敵ですね」

「ありがとう」

 

美月は開口一番にそう言った。

深雪も達也も一目で一点ものの高級品だと分かる。

着物も比較的安価で作られるようになった現代では、洗える着物や化繊の着物もあるため日常的に和装を好む人もいる。

しかし、晴れ着と呼ばれる振袖は今でも職人の手作業の品が多く、深雪も当然その類だった。

赤の艶やかな色合いは黒い髪とよく映えており、同じく振袖を着て気合を入れてきたほのかが気後れするほどだった。

 

「達也、あけましておめでとう」

「今年も、よろしく頼むぜ。なんか達也はどっかの若頭って感じだな」

 

幹比古とレオが達也の立ち姿を見てそう言った。

黒染の紋付羽織は確かに達也の風格を見れば、少なくとも10代には見えなかった。

 

「あけましておめでとう。エリカも幹比古も良く来られたな」

「雅の名前を出したら一発だったわ」

「僕もそんな感じだよ。流石に九重神楽の観覧に誘われて断るだけの行事ではないからね」

 

終業式の時点で雅から日枝神社で行われる九重神楽の観覧券が配られていた。

販売は一切せず、身内だけで配り終えてしまうという貴重な観覧券はプレミアが付いて50万円で取引されることもある。最も、オークションに出された物は全て廃番であり、受付で涙を呑む者も少なくない。

幹比古もエリカも正月は実家の用事に引き出される予定だったが、九重からの招待の方が優先順位は上だった。幹比古に至っては正装しなくていいかと親に心配されたほどだった。

 

 

達也は友人たちに八雲を紹介し、本殿に参拝した後、神楽の特設会場へと向かった。

途中、一昔前のギャルファッションに身を包んだ金髪碧眼の美少女に達也たちは見られていたが、物珍しさだろうと余り気には留めなかった。

 

日枝神社で九重神楽が舞われるのは今回が初めての事だ。

流派分け自体最近の出来事であり、披露できるだけの楽師と演者の確保は至難だったらしい。

本殿からそう遠くない位置に設けられた神楽の舞台は四方を塀と門で囲まれ、外から様子は窺い知ることはできない。

巫女服姿や浅葱色の袴の男性が門の手前で受付をしている。

 

「おや、あけましておめでとう。九重和尚に司波達也君一行」

「やあ、祈子君。板についているね」

「私も手伝いをしないわけにはいかないからね」

 

長い髪を髪紐で結った受付の女性は達也たちも知る行橋だった。

 

「小野先生は引率ですか」

「まあ、そんなところよ」

 

遥は自分が司波達也一行に加えられたことが気に食わなかったが、表だってそれを言うことは大人の矜持としてなかった。無論表情には出ていた様で、行橋は笑みを深めていた。

 

「観覧券を拝見します」

 

今時珍しい紙のチケットを一人ずつ渡し、行橋はそれを一枚一枚確認すると、7人を中に通した。

 

「行橋先輩はバイトなのか?あの人受験生だろう」

 

レオは受付を振り返りながら言った。

 

「京都の九重とは遠縁で、祈子君の実家がここだよ。大学からの推薦も来ているようだから、そうそう受験でしくじることはないはずだよ」

 

「へー、やっぱすごい人なんだな」

 

レオの疑問には八雲が答えた。

一部からはオカルト魔女と呼ばれている行橋だが、成績優秀なのは後輩の耳にも届いていた。

 

会場の観覧席はおよそ150席

舞台の広さは5間(1間=約1.8m)四方の床に朱塗りの柱が設置されている。

屋根は通常の神楽殿より随分と高く、黒い瓦に覆われている。

舞台奥の一面だけ壁があり、楽師が位置するための五色の垂れ幕と敷物が設置されている。

正面に100席、左右に25席ずつ設けられており、達也たちは正面の最後尾の位置だった。

段差がないため見えにくいかもしれないが、人がそれほどいるわけでもなく舞台の高さもあって支障は無さそうだった。

 

 

 

 

時間が近づけば続々と席は全て埋まった。

大物政治家、大企業の社長など年始だというのに、政財界の有名人が揃っていた。

当然、達也達ほどの年齢層はいない。物珍し気な視線を送られるも、深雪の美貌を一目見るや納得して席に着く者が多かった。

 

開園時間が近づき、楽師が舞台後方に着くと観客たちも静かに待機をする。始まる前に携帯のマナーモードと観覧のマナーをお知らせするのは、100年前の演劇でも変わらないことだった。

 

まず初めに可愛らしい巫女服姿の幼女たち4人が神楽鈴を持って、シャンシャンと鈴を打ち鳴らし、円を組み神楽の舞台を回る。

太鼓と笛の音に合せて鈴が鳴り響き、巫女姿の幼女が舞う姿は健気で愛らしい様子だった。

だが、ここまでは前座だ。

場を清めるための余興に過ぎない。

 

幼女たちが去ると、登場したのは蘇芳色の狩衣に白い袴、黒い烏帽子の男性。顔は額の位置から白い布で隠されており分からないが、背はすらりと高い。

舞台に立っているその姿だけで息を呑むように空気が張り詰める。

 

楽が始まると男は懐から扇を取り出した。

広げた扇は金箔が施されているが、柄は特に描いていない。

男がそれを近くに植えられた梅の木にかざせば途端に梅の絵が浮かび上がる。

それを客席に向かって一振りすると梅の香りと共に、赤と白の二色の梅が風に流れて扇からあふれ出ているようだった。

 

「綺麗…」

「梅の花?」

 

美月とほのかが手を伸ばすと確かに梅の花が手に載っていた。

ゆったりとした舞と共に風に吹かれ、梅の花が舞う。

まるで風を操っているかのように静かに美しい舞は晴れた空によく映えていた。

優雅に時に力強く舞台を踏み鳴らす様子は神楽を初めて見る者にも歓心を抱かせていた。

飛んだり跳ねたり、歌舞伎や狂言のような荒々しさはない。

それでも楽に合わせて翻る装束の美しさや、洗練された動きは見る者を魅了した。

風を自在に操り、花と流れるように優美に舞う姿は顔の見えない神秘さも相まって、美丈夫を想像させた。

 

 

10分にも満たない舞を終えると、観客たちは拍手を送る。

魔法に反感までとはいかないが、得体の知れなさを感じていた者も素直に舞台の見事さに魅入られていた。

だが、観客の拍手を打ち消すかのように琵琶と銅拍子の音が高々と空に鳴り響いた。

舞台上の男が足を止め、太陽の上った東の空を見上げる。

釣られるようにして観客たちもその方向を見れば、何かがいた。

飛行機でも鳥でもない。

太陽からこちらに駆けてくる何かがいた。

眩しさに目を細めながら観客たちはそれを注視すると、なにか白い動物の様だった。

その姿がはっきりと視認できるほどになれば、観客は息を呑んだ。

 

長い(タテガミ)と真っ白な体躯。大きさは馬か牛かそれほどの大きさだろう。頭には角があり、顔以外の身体にはいくつかの目がある。

 

神々しいまでに日を受けて輝く毛並は白銀と呼ぶにふさわしく、ゆったりと空を駆ける様は神々しく、頭上から見下ろすそれはまさに神の使いの様だった。静寂が場を支配する。

魔法師たちの中には圧倒的な想子の輝きに、目を塞ぐ者もいた。

観客の中にはその獣が何と呼ばれているか知る者もいた。

 

「白澤…」

 

幹比古は震える唇でそうつぶやいた。

鳳凰、麒麟などと共に徳の高い為政者の前に現れると言う霊獣は観客たちにはわき目もくれず、舞台に音もなく降り立つ。

舞台にいた男はゆっくりと膝を折り、頭を垂れる。

白澤は金色の目を細める。

その鼻先を男の額に付けた。

途端に光が会場に満ち溢れ、観客たちはあまりの眩い光に目を押さえた。

 

 

 

光が収まるとそこに現れたのは全身真っ白の狩衣姿の男だった。

額にも赤く目が描かれており、魔除けを施した赤い目元に白さの際立つ美貌。額には白く伸びた角もある。

切れ長な瞳は伏しており、ゆっくりと瞼を開ければ瞳の色は金色だった。

人ならざる容姿と人ならざる雰囲気。まるで霊獣が乗り移ったかのように、その男は人離れしていた。

 

 

男が一歩踏み出せば板張りの舞台に植物が芽吹き、扇を振れば梅の花が風に舞う。

衣を振れば極彩色の光が溢れ、白い着物を染め上げる。

雅楽に合せて舞う姿などまさに圧巻。

ゆるりとした動作で地面に落ちた梅の花を拾えば鶯に変わり、それに息を吹きかければ鳳凰となって空に飛び立つ。

舞台を踏めば地面から野兎や狐、狸、リスや鹿が現れる。

 

一切の衣ずれの音がしない。

息遣いさえ聞こえない。

足音すら近くにいる観客も聞き取れない。

楽の音に消されているのではなく、文字通り動作に音が伴っていなかった。

 

動きこそ優美でゆったりとしたものだが、その動作一つにも何かが起こる。

何もない空中に腰かけてみたり、何もない宙で舞ってみたりと音に合わせて動作が彩られていく、

先ほどの静かな舞とは一転、華々しく豪勢な舞は人々を唖然とさせた。

 

これはなんだ。

これは人であるのか。

これはまさしく神ではないのか。

観客達は息の仕方も忘れたかのように、舞台から視線を逸らすことができなかった。

人ならざる美しき者に呼吸も忘れ、観客は見入っていた。

目を疑うような幻想的な情景に魅入られていた。

 

 

一瞬、蕩けるようにその神が笑う。

花が綻ぶように、春を運ぶように、生命が芽吹くように、その微笑み一つで世界が変わる。

心臓を射抜かれたかのように観客たちは打ち震えた。

ああ、これが九重神楽。

神への奉納ではなく、神が舞う神楽なのかと夢心地に舞台を見上げる。

 

 

幻想的な風景も、長くあったとしても感覚としては一瞬。

その場に慌ただしく槍を構えた兵士たちが登場する。

兵士たちがやんややんやとはやし立て、その男の周りを取り囲む。

男は優雅に扇で口元を隠す。

囲まれてもその笑みは崩れなかった。

司令官が軍配を振ると槍をもった兵士たちはいっせいに男を串刺しにしたかに見えたが、男の場所からは梅の香とともに一陣の風が吹き抜ける。

男達が風に煽られ、舞台に転げると、男のいた場所には扇だけが残されていた。

一人の兵士が司令官にその扇を差し出した。

それを開けば、無地だったはずの扇にはいつの間にか白澤が描かれていた。

 

 

観客は無言だった。

いっそ、手品だったと言われればよかったのかもしれない。

いっそ、これは夢だったと笑われれば良かったのかもしれない。

だが、紛れもなく目の前で起きた極彩色の光景は現実だった。

これが九重神楽。

これが神の系譜に連なる者たち。

 

周りが呆気にとられる中、達也と八雲は拍手を送った。

その音に釣られるようにして一人、二人と拍手を送る。

舞台は折り重なるように拍手が響いていた。

 

「すごいわね」

「圧倒されちゃいました」

 

エリカとほのかが拍手を送りながらそう言った。

観客の中には拝む人の姿や涙を流す人の姿もいた。

前回の菊花水霊祭の時と同じく、美月と幹比古も涙を浮かべていた。

感受性の強い二人にはまた違った世界に見えていたのだろう。

 

「白澤までできるようになるとは彼女も腕をあげたね」

「彼女?」

「女性だったのですか?」

 

八雲の言葉に遥と深雪が反応した。他のメンバーも演者が女性だと気付いておらず、驚いた表情を浮かべていた。

八雲はにっこりと達也に笑みを向けた。

 

「達也君は流石に気が付いただろう」

「雅ですよね。京都にいるはずでは?」

 

明らかに雅には見えなかった。

男女を越えた神々しいまでの美貌と華奢ながらも背の高い男性を想わせる背格好は女性には見えない。あれほどまで美しい男がいるのも驚きだが、あれほどまで男に見せる技量も並はずれていた。

 

「太刀川の次男坊が疲労骨折で降板したんだよ。急な代役を務められるのが彼女しかいないだろう」

 

京都でも同じく九重神楽が行われている。

雅は京都で昼の舞台に出演予定だと達也たちは聞いていたが、どうやら京都の方でも代役を立てたらしい。

 

「本当に神様みたいでした」

 

夢心地で美月が呟き、皆それに頷いていた。

 

「神獣まで舞えるのは九重でも片手の人数だ。今回は危ぶまれていたけれど、どうやらちゃんと調整してきたみたいだね」

 

八雲の笑みはニマニマと達也に向けられていた。

魔法の行使は精神状態と関わっている。

達也との一件が片付いたことで雅も心理的に安定していたため、舞えるようになったとも言える。

居心地の悪さを感じて、達也は演目も終わったから会場から出ようと声を掛けた。事情の分かっている八雲と深雪は目を合わせてくすりと笑みを深めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

美月はしばらくは茫然としていたが、友人たちと解散する時には既に夢心地から覚めていた。

美月は自分の部屋に帰り、椅子に座った瞬間、ふと思った。

 

観客に向けられたあの笑みは、きっと達也に向けられて微笑んだものではなかったのか。

天上の美しさを凝縮して、泉のように慈愛に満ちた、幸福が溢れ出すような笑みだった。

そうだとしたらなんて綺麗な顔で笑うのだろうか。

格好は男の姿でも男性も女性も魅了してしまう、そんな笑みだった。

 

恋をすると女性は美しくなると聞いた。

それはホルモンの働きであり、本能的な部分で魅力が上がるのだと言う。

愛されると言う幸福はどれほどその人を輝かせるのだろうか。

 

美月は気が付けばスケッチブックと鉛筆を手に取っていた。

人はあれだけ美しくあれる。

美月はその衝動を胸に真っ白のキャンパスに向かった。

 

 




『愛している』とは言わずに、
『好き』とは言わずに、
あふれ出る愛しさを言葉に出来たら素敵だと思います。


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来訪者編2

人を傷つける言葉があるのだとしたら、

人を救うのもまた言葉であると思います。




およそ2週間の冬休みは終わり、新学期が始まった。

休み中の話題に花を咲かせるA組の中で、いつもと違うのは交換留学で雫がいないこと、USNAから交換留学生が来ていることだろう。

今回は一高だけではなく、二高、三高、魔法科大学にもそれぞれ留学生が来ているらしい。

 

魔法黎明期の海外交流が積極的な時代ならいざ知らず、現在では魔法師は国によって厳重に“管理”されている。

魔法技術流出予防と一人でも多くの魔法師を確保するために、海外渡航も制限されている。

 

その流れを断ち切るようにいきなり交換留学となったのは10月31日のあの事件が大きいだろう。

大亜連合艦隊と軍港を一瞬にして地図上から消滅させた大爆発は世界各国を震撼させた。

 

原因究明が急がれるとともに、魔法によるものではないかという説も浮上している。

現在公式に発表されている十三使徒に続く戦略級魔法師の存在は世界のパワーバランスを一転させる。

 

その存在に焦っているのは直接的な被害を受けた大亜連合だけではなく、海を渡ったUSNAも危機感を抱いているとのことだ。今回の留学もおそらくそれを見越してきているのだろう。

 

「どんな人でしょうか」

 

そんな世界の情勢まで考えてはいないほのかは、少しばかりの緊張と楽しみが混じった表情で私に尋ねた。

 

「女子生徒らしいわよ」

 

裏事情を知る生徒、知らない生徒といるが、まだ姿の見ぬ留学生にそわそわと浮き足立っている。

深雪が主席として校長室で顔合わせをしているので、そろそろ戻ってくるだろう。

 

 

 

ほのかに冬休みのことを聞きながら、留学生を待っていた。

ほのかは雫が留学するギリギリまで北山家でお世話になっていたらしい。

雫の留学先はバークレーだそうだ。魔法研究で有名なのはボストンだが、東海岸は反魔法師団体の活動が活発ということでバークレーになったらしい。

 

HRの予鈴を告げるチャイムが鳴った時、深雪が留学生を連れて教室に戻ってきた。

そのとたん、教室中が言葉を失った。

留学生は深雪と比肩する美少女だった。

光を受けて輝く金髪に空をイメージさせるスカイブルーの瞳。

ツインテールという少々子供っぽい髪型も彼女のスマートな大人びた顔立ちを和らげていた。

黒曜石とサファイヤを並べてもどちらも見劣りしない。

深雪や兄のように整った美貌の持ち主がいるとは意外と世間は狭いものだ。

 

「なんか、すごくキラキラしてます」

「言いたいことは分かるわ」

 

とにかく絵になる二人だった。

クラス中が留学生の美貌に見惚れており、入学式の時、深雪の美貌に見惚れていた様を彷彿とさせた。

深雪が教壇の位置でクラスに留学生の紹介をした。

 

「アンジェリーナ・クドウ・シールズです。皆さん、よろしくね」

 

太陽のような笑顔に男子だけではなく、女子も色めきだった。

美少女の微笑みとは罪作りであるなと、私は拍手を送った。

リーナの美貌は黙っていれば絵画の中から出てきた天使にも見劣りしないだろう。

だが、生まれた時から吉祥天より美しく魔性の美貌を持つ兄と深雪に囲まれて育ち、光宣君という美少年にも度々会っていた私の眼は随分と肥えている。

 

私に釣られるようにしてクラス中から割れるような拍手が巻き起こった。

どうやら留学生は好印象でクラスに迎え入れられたようだ。

 

 

始業時間も迫っているので、雑談は抜きにして、彼女は席に着いた。

深雪を挟むようにして私と彼女が座っている。

 

「改めまして、アンジェリーナ・クドウ・シールズよ。よろしくね。リーナって呼んでください」

「九重雅です。よろしくお願いします」

「光井ほのかです。よろしくお願いします」

 

席に着いたとき、目が合ったので私とほのかも自己紹介をする。

コーカソイド特有の真っ白な肌と金髪碧眼は近づいてもその美貌に陰りはなかった。

ソバカス一つない顔は陶磁器のように滑らかで白く、金髪は絹を染めたかのように艶やかだった。

深雪とは傾向の異なる美少女は纏う霊子もキラキラとまぶしいものだった。

 

「端末の使い方はあちらと変わらないと思うけれど、一通り説明するわね」

「お願いするわ」

 

深雪がリーナに端末の使い方を教えている間、クラスメイト達も質問攻めにすることはなく、遠巻きに見守っていた。

いや、近づけないと言う方が正しいだろうか。

深雪と並んだ姿があまりにも浮世離れしていて入りにくいに違いない。

今日一日、A組は賑やかになるだろうと私も端末を起動させた。

 

 

 

 

 

休み時間になれば予想通り、噂の美少女留学生を一目見ようと廊下は生徒で一杯だった。

はじめは1年生だけだったが、しばらくすれば上級生たちも集まっていた。

最初は遠巻きに見ていたクラスメイト達もリーナの側に来て質問をするようになった。

リーナの持前の明るさ、気さくさもあって、彼女の周りに人は絶えなかった。

今日の昼はひとまず私達と食べることになったが、明日以降の約束も既に取り付けられているようで、人気者は大変だと感じた。

 

達也に一人分追加で席の確保をお願いして、私たちは食堂に向かった。

 

 

 

達也を含めたE組の4人と合流し、リーナを紹介する。

予想通り、達也以外の3人は均整のとれた顔立ちを茫然と見ていた。

昼食はいつも通り和やかに始まった。

周りの視線もあるが、ほとんど好奇心から来るものであるし、深雪がいる時は大抵注目されているためそれほど気にはならない。

 

「そう言えば、リーナは九島閣下と親戚なのか。確か閣下の弟がUSNAに渡って家庭を築いたと記憶しているんだが」

 

達也が気になっていたことを代表して聞いた。

魔法師の国際結婚が奨励されていた時代もあり、魔法師でハーフやクオーターは珍しくない。

エイミィや西城君がそうだろうし、逆に海外に渡った日本人も少なくはない。

魔法師以外の国際交流も盛んで、帰化した外国人も珍しくない世の中となっている。

 

「良く知っているわね。私の母方の祖父が九島将軍の弟よ。雅とも親戚になるのよね」

「そうなのですか、お姉様」

 

聞いていないとムッとした批難の目を深雪から向けられる。

確かにリーナの発言は間違いではないが、受け取り方としては誤解を招くものだった。

 

「私の曾祖母の妹が九島閣下の奥様だから、私とリーナは遠縁でも血縁はないわよ」

「えっと、リーナと雅は血がつながってない親戚ってこと?」

 

家系図を思い浮かべるように上を見ながら、エリカが言った。

 

「ええ、そうよ」

 

九重に外国の血が入るなんて、それこそ天地が引っくり返るような出来事だ。

婚姻の際には家系調査は念入りにされるが、あくまで九重本家と縁を結ぶ家だけで、その嫁ぎ先の親類の婚姻まで口出しする権利はない。

九島家の婚姻に関しても当時の風潮からすれば珍しくはないことであり、それで九重がどうこうするわけでもない。

『パレード』が流出したとなれば少々気がかりだが、当主からどうするか言明されていない以上思案する以上の事はする必要がない。

 

「意外と世間って狭いわね」

「私もそう思うわ」

 

エリカの発言には同意する。

特に魔法師の世界は絶対数が少ないので、何かしらの縁があることが多い。

今回も数奇な巡り合わせだ、と思いたいが時期が時期だけに裏を感てしまう。

私の家に関してそれ以上の事は気にはなっている人もいたが、家系の詮索はマナー違反だとよく分かっているため、好き好んで空気を乱す人はいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リーナが留学して一週間がたち、彼女の実力はクラスの垣根を越えて知れ渡ることになった。

一緒にいる深雪と並んでも見劣りしない、対比するような金髪とサファイアの瞳を持った美貌も相まって、その勢いはとどまることを知らない。

美貌もさることながら、その魔法力も彼女を有名にする一因となっていた。

 

 

今はリーナと深雪が実験用の装置の前にいる。

クラスメイトだけではなく、わざわざ見学に来ている自由登校になった3年生も二人の勝負の行方を見ていた。リーナの魔法力は同学年だけではなく先輩の間でも有名になっており、こうして先輩が見に来ることは初めての事ではない。

渡辺先輩と七草先輩も来ており、目が合うと軽く手を振られたので礼を返した。

 

A組で行っている実験は細いポールの上にある金属球の支配をどちらが奪えるのかというゲーム性の高い実験であり、それゆえ単純な魔法力が示される。

 

「カウントはリーナが取っていいわ」

「OK」

 

向き合う二人の目は真剣そのものだった。

 

「3・2・1」

 

リーナのカウントに合わせ、二人同時にコンソールに手をかざす。

 

「「GO!!」」

二人は掛け声と共に据え置き型のパネルインターフェイスCADに指を滑らせる。

発動速度は目視ではほぼ同等か、ややリーナが優勢。

座標となった金属球で干渉力がぶつかり合い、眩いサイオン光輝が実験室に広がる。

なまじ目を覆えば防げる感覚ではなく、外からの魔法干渉の抑制の弱い生徒は首を振ったり、目をしばたたかせたりしていた。

 

光輝は一瞬で消え、金属球はリーナの方に転がった。

 

「あー、また負けた」

「ふふっ、これで二つ勝ち越しよ」

 

盛大に悔しがるリーナに、余裕ではなくどこかほっとしたような深雪。

この実験、同学年では私と深雪の実力が頭一つ以上出ているため、必然的に毎回深雪と組んでいた。

この噂を聞きつけた新旧生徒会のメンバーに試合を申し込まれたが、圧勝してしまい申し訳ない気持ちになったのはつい最近の事だ。

私以外には負ける事の無い深雪がリーナ相手になんとか勝ち越している状況であり、それだけリーナの魔法力は卓越している。

少なくとも基礎単一系の発動速度は私と同等であり、今回は深雪が発動速度以上に干渉力で上回ったためどうにか勝てた状況だ。

 

「すごいですね」

 

隣で二人の勝負を見ていたほのかがぽつりとつぶやいた。

ほのかは光のエレメンツ、魔法発動時のサイオン光にも敏感だ。

そのほのかから見ても二人の魔法力は圧倒的だったのだろう。

 

「深雪の作戦勝ちだけれど、基礎単一系だけでみれば、実力はほぼ拮抗しているわね」

 

私とリーナの戦績も似たり寄ったりだ。お互い魔法構築速度には自信を持っており、大抵スピード勝負となる。

今の戦績は私が勝ち越しているが、リーナも負けじとくらいついてくるから私もつい熱くなってしまう。贅沢な言い方かもしれないが、張り合う相手がいるということは悪くない環境だった。

 

「あ、始まるみたいですよ」

 

もう少し勝負をするようで、この後4回実験を行い、深雪の二つ勝ち越しで勝負を終えた。

 

 

 

 

 

あちらこちらの生徒に引っ張りだこだったリーナと留学当日以来のお昼を一緒にすることになった。

 

「大人気ね、リーナ」

「ありがとう。皆さん良くしてくれるわ」

 

エリカの褒め言葉にあっけらからんとリーナは答えた。

照れたり、下手に謙遜せず飾らない言葉は私たちに目新しく映り、民族性はあれど彼女の魅力の一つなのだろう。

 

「リーナはUSNAを代表してきているからすごいだろうと思っていたけれど、まさか深雪さんや九重さんに匹敵するとは驚いたよ」

 

吉田君は私と深雪を見ながらそう言った。

 

「驚いたのは私のほうよ。深雪と雅には勝ち越せないし、ほのかには総合力では勝っていても精密制御では負けるわ。私も魔法の発動速度には自信があったけれど、基礎単一系での構築スピードでこれだけコテンパンにされたのは初めてなのよ。さすが魔法技術大国・日本ね」

 

リーナは少々オーバーアクション気味にそういった。

リーナの話では向こうの高校でも負け知らずだったのに、日本で互角の実力をもつ魔法師がいることに驚かされたとのことだった。

 

人口規模は違えど、魔法師の比率は日本は世界トップクラスを誇る。婚姻による因子が大きい魔法師において、比較的婚姻統制をしやすい風土があったこともあるが、それ以上に技術の進歩が目覚ましい。その中でも深雪は間違いなく同世代の中では頭二つは抜き出ているだろう。

その深雪と張り合うリーナも間違いなく規格外の魔法師だった。

 

 

「見てなさい。必ず留学が終わるまでに勝ち越してみせるんだから」

「リーナ、実習は実習であまり勝ち負けにこだわらなくてもいいと思うわ」

 

熱くなったリーナを深雪がやんわりとたしなめるが、リーナはせっかくゲーム性の高い実験なのだから勝負にこだわったほうがいいと臆せず言った。

こういったところも私たちには目新しい光景だった。

その後、達也にもたしなめられ、リーナも自分が勝負に熱くなっていることを認めた。

 

その際、若干エリカからシスコン発言があり、空気を変えようと達也は話を切り出した。

 

「話は変わるが、アンジェリーナの愛称は『アンジー』だったと思うのだが、記憶違いか?」

 

達也の質問は決して不自然な物ではなかった。

だが、リーナの顔には一瞬の動揺が見え隠れした。

 

「いいえ、でもリーナと略すことも珍しくないわよ。エレメンタリー、えっと小学校の同じクラスにアンジェラって子がいて、その子のあだ名がアンジーだったのよ」

 

「なるほど。それでリーナは『アンジー』ではなく『リーナ』と呼ばれるようになったのか」

 

リーナの動揺など一切気に留めなかったといった雰囲気で、達也は納得といった風に首を縦に振った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

金曜日の夜、司波家で週1回のCADのメンテナンスを受ける。

4月からの慣れた作業だが、達也の前で下着になるのは流石にいつまでたっても慣れなかった。

正確な測定をするために、できるだけ肌を覆うものが少ないほうがいいとは分かっているとはいえ、羞恥心がなくなるわけではない。

 

深雪には勝負下着で挑んでみてはどうかとアドバイスされ、2,3点デザインが派手なものを贈られた。

ただでさえ緊張する私にそんなものを着る勇気はなく、箪笥の奥で眠っている。

 

 

いつも通りスムーズに計測を終え、素早く浴衣を着なおす。

最近は肌寒くなってきたので、ガウンも羽織り、計測値を眺めている達也の隣に座る。

汎用型の整備は達也に任せているが、特化型は私も最近調整できるようになってきた。

特化型CADは命を預けるものだから、特に念入りに整備をしている。

今回は両方の整備をする予定だが、測定値を眺める達也の横顔が心なしか曇っていた。

 

「どうしたの?」

 

どこか数値の異常でもあったのだろうか。

体調は悪くないし、精神的にも落ち着いていると思う。

最近は古典部の研究発表の準備で忙しいが、メイン発表者でもないため根を詰めすぎていることはないはずだ。生データを見るが、サイオンの活性化など数値は良かった。

 

「いや、余裕を持って設計したつもりだったが、CADの処理能力が雅の魔法力についていけなくなっている。深雪もそうだったから、リーナが来ていい刺激になっているみたいだな」

 

達也は調整画面に表示を切り替える。

私の問題というより、エンジニアとして達也の頭を悩ませるようだ。

 

「確かにUSNAを代表しているとはいえ、予想以上だったわ」

 

私と深雪はお互いに高め合っていたからどうにか勝ち越せているが、ここにきてリーナという存在は新たな刺激になっているのだろう。

ライバルらしいライバルがお互いしかいなかった分、リーナの存在は確かに私たちの勝負心に火をつけていた。

遠慮なく本気で実力をぶつけられることは日々の成長につながっているのだろう。

私も深雪も普通の高校生レベルの魔法師だとは思っていない。

それは実力を同じくするリーナもまた然り。

 

「達也はリーナがシリウスだと考えているの?」

 

昼休みの質問は不自然な問いかけではなかった。

灼熱のハロウィンの一件以降、スターズが動いているという話は耳にしている。

実力主義のUSNAなら高校生だろうとスターズ入りしている可能性はある。

名は体を表すというように、『リーナ』という愛称は『アンジー・シリウス』との関係を隠す意味合いがあるのかもしれない。

 

「その可能性が高いと思う。だが、シリウスは大物過ぎる」

「彼女が来訪者なのかしら」

「可能性が高いが、単純すぎないか?」

 

兄は年が明ければ来訪者があり、私たちとも浅からぬ縁となると言っていた。

だが、リーナを来訪者だと決めつけるのは早計な気がした。

あの兄ならば、そんな単純な言い回しは使わない。

言葉遊びは彼の十八番であり、含みを持たせた表現など呼吸をするかのように紡ぐ。

問題なのは来訪者が浅からぬ縁となること、つまり深くかかわる人物や物事である可能性が高い。

敵対するか、味方になるかはまだわからない。

 

「どのみち、今はまだ様子見ね」

「それしかないな」

 

向こうがシリウスとしての尻尾を見せても、明確に敵対することがなければこちらとしても手出しをする必要はない。達也も私もそのような指示を互いの家からされているわけでもなく、あくまで自由裁量の範囲内のことだ。

 

「リーナが仮にシリウスだとして、リーナは諜報役に向いているとは思えない。

USNAの切り札というべきシリウスを隠れ蓑にして、本隊は別に動いているはずだ」

 

「シリウスが動くほどの大物事件・・・」

 

その時、私の脳裏に兄の別の助言が頭によぎった。

 

「『怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵を覗き込むとき、深淵もまたこちらを覗き込んでいるのだ』

これってどういう意味だと思う?」

 

「ニーチェの『善悪の彼岸』か」

 

 

解釈は訳者によって異なるが、ここで意味する深淵は人間の心の最奥部にある、哲学者たちがあえて掘り下げることをせずに隠しつづけてきた「より深い洞穴」「広大で異様で豊饒な世界」、つまり深淵があるとされている。

だが、日本における深淵は別の意味を表している。

日本政府が対外的に公表している戦略級魔法師は五輪澪、その魔法名と二つ名は【深淵(アビス)

水面を球状に数十km規模で陥没させる魔法であり、潜水艦、揚陸艦など海上兵器には天敵の魔法だ。

共通点といえば『十三使徒』という点があるが、直接対決するどころか、会うことすらまずないだろう。

 

彼女は日本の戦略の切り札。

虚弱な体質を鑑みても、常に監視と護衛が付けられている。

迂闊に手出しをして外交問題に発展するリスクを考えればUSNAとしても利はないはずだ。

 

「その言葉が悠さんの言葉遊びなら何かしら意味があってのことだろう。USNAの情報も注意してみておくよ」

「そのほうがいいわね」

 

取り越し苦労で済むならそれでいい。

横浜事変のように危機的状況なら直接言ってくるはずだから、今回はそこまで大きな規模のものではないかもしれないし、まだ動きを見せていないだけかもしれない。

仮初の友人とはいえ、リーナと敵対する状況はできれば避けたいとは、私も随分と甘くなったものだ。

 




今回は少し短めです。

低速ですが、頑張って更新はしていきますので、よろしくお願いします。

感想、誤字指摘あると喜びます(*・ω・*)


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来訪者編3

人によって小説の書き方はいろいろあると思うのですが、私はある程度刺激がないと書けません。
一番の原動力は萌えです。
誰かおすすめの漫画教えてください(´;ω;`)。
少年少女なんでも読めます。


週明けの月曜日、学校はあるニュースで持ちきりだった。

大手マスコミがスクープしたのは不可解な死体。

傷口がないにもかかわらず、死体からは血液が抜かれていたのだという。

巷では吸血鬼事件と呼ばれ、血液ブローカーの仕業や魔法師絡みの犯罪など様々な憶測が飛び交っている。

町中にはサイオンレーダーが防犯カメラとともに設置されているため、魔法師絡みとは一概には言えない。

しかしながら、上級の魔法師の中にはサイオンレーダーを誤魔化すことができる術者もいる。

読者が鼻白むほどオカルト的な側面を合わせ、センセーショナルに報道されている。

そして、その話のために捕まった相手は何も同級生だけではなかった。

 

「例の吸血鬼事件、九重はどこまで把握している」

 

受験を控え、自由登校である十文字先輩と七草先輩と対面していた。

昼休みになると、七草先輩のアドレスでクロスフィールド部の第二部室に呼ばれた。

学校内部にも防犯カメラがあり、様々な込み入った話をするには向いていない。

ここは十文字先輩が管理しており、非公式な会合の場所として公然の秘密となっている。

 

「それは十文字家としての問いでしょうか」

「ああ。今回の事件、七草と十文字で共闘することになった」

「報道はされていないけれど、今回の事件で七草家にも被害が出ているの」

 

七草先輩の話によると、被害の実数は報道の3倍。

最初は魔法大学の学生と職員に被害が出て、調査を始めた七草の関係者が次々と無残な姿になってしまったらしい。

犯人のほうは魔法師かそうでないかはまだ不明だが、少なくとも狙いは魔法師である可能性が高いとのことだ。

遺体を調べてみればどれも不可解な死因であり、被害の拡大も受け、今回の一件は十文字家と共闘することになったらしい。

 

「私が知っている範囲で報道外のことですと、USNAでも同様の事件が起きているということでしょうか。時系列でいえば、あちらのほうが発生は先だったそうです」

「どこからの情報だ」

 

十文字先輩は私の発言に眉間の皺を深くした。

 

「同級生の北山さんが留学先で得た情報だそうです。あちらでも報道規制が敷かれているそうで、都市伝説として広がっているそうですよ」

 

学校でも当然のことながらその手の話題は出ており、ほのかが雫から聞いた話ではどうやらアメリカ南部のダラスでも吸血鬼事件があったらしい。ワールドニュースにも現地のニュースにも上がっていなかったことで、雫も留学先の情報通に聞いたとのことだった。

 

「今回の古式魔法の可能性も含め、できることならば四楓院家にも手を借りたい」

 

どうやら魔法師絡みの犯罪、それも古式魔法の可能性もあり得るとのことだった。

死体は刺し傷、切り傷もなく、CTもMRI、血液検査の結果も白。

現代科学では解明できない死因だそうだ。

 

「古式魔法なら九島、関東近辺なら吉田家など古式の名家は揃っているのではないですか」

 

「横浜での一件を踏まえれば、動ける人数、戦闘能力を考えれば九重が一番ふさわしいと判断した。九重の一存で決めることはできなければ、当主に話をしてもらえないか」

 

10月の横浜での白い羽織を纏った集団と私との関係はすでに知っているようだ。

公にしてはいないとはいえ、十文字家代表として四楓院家についても知らされているらしい。

 

「七草家も四楓院の協力を望むということに相違ありませんか?」

「ええ、私からもお願いしたいわ」

 

二人の目は十師族を代表して話しているだけあって、揺るぎないものだった。

今回の一件は魔法師に被害が出ている以上、四楓院も何かしら情報をつかんでいると思っているのだろう。

それでなくとも千里眼は国内外の出来事ならば手に取るように把握できると言われている。

情報源と期待するのは無理もないことだろう。

 

「残念ながら、今回の一件、『四楓院』は基本的に関与しません」

 

私は二人の期待を明確に否定した。

十文字先輩はピクリと眉を上げた。

 

「四楓院は事件解決に手出ししないということか」

「身に降りかかる火の粉は払いますが、現段階では積極的に退治するという方向にはなっていません。領分は弁えているつもりですよ」

 

今回の吸血鬼事件については事前に家として手出しはしないように言われている。

四楓院が絡むのは基本的に対外戦争や国の転覆にかかわる危機のみである。それ以外は基本的に俗世にかかわらず、静かにしているのが常だ。

表舞台に登場し、動くことがある方が異常なのだ。

四楓院家は全国に配下が散らばっているとはいえ、名だたる家は基本的に京都に集まっている。地理上の領分の踏まえ、手出しをしなくても解決できるという意味でもある。

 

「・・・承知した」

 

しばし間があり、十文字先輩は承諾した。

元々それほど協力に期待をしているわけではなかったようだ。

ダメ元半分、四楓院に借りを作るデメリットも考え、話だけでも持ち掛けたのだろう。

 

「四楓院は情報を持っていても一切援助しないってことかしら」

「お言葉ですが、七草先輩。11月の一件をお忘れでしょうか」

 

11月の一件という言葉に七草先輩は息を詰めた。

私が七草家の狂言誘拐に巻き込まれ、四楓院家のあれこれを聞き出そうとしたことだ。

達也がいるにもかかわらず、あわよくば私との婚姻関係まで考えていたというから私からすれば呆れるばかりだ。

少なくとも七草先輩は関与していないので、彼女に対する怒りはない。

だが『七草家』が『四楓院』に協力を求めることは、随分と腹の虫がよさすぎる注文だ。

 

「その一件に関しては父が申し訳ないことをしたと思っているわ。改めて謝罪いたします」

 

七草先輩は静かに頭を下げた。

 

「いいえ。私としては“七草先輩”とはこれからも良いお付き合いをしていきたいと思っていますよ」

 

七草先輩は個人的に見れば良い先輩だと思う。多少後輩で遊ぶ悪癖さえなければ、尊敬できる先輩だ。

公私の身の振り方もわきまえているし、十師族の名に恥じない魔法力も努力に裏付けされたものだとわかる。彼女とのコネクションはあったほうが今後のためにも良いと考えている。

 

「一つ、こちらで把握していることをお伝えします。非正規ルートでUSNAの魔法部隊が日本に入国していることはご存じですか」

 

「あのスターズが来ているということか」

 

「構成員の数までは私の方で把握していませんが、少なくとも一等星クラスが何人かいるというのは小耳にはさんでいます。USNAの者たちは少なくとも侵略目的で我が国に入国しているわけではないようです」

 

リーナのこともあるが、次兄からの情報なので少なくとも間違いはないだろう。

私の提示した情報に十文字先輩は渋い顔をしていた。

どうやら今回のスターズの訪日は四葉以外の十師族はノーマークの完全秘密裏だったようだ。

断りもなく軍関係者が私用外で外国を訪れることは侵略か、もしくはスパイだと思われてもおかしくはない。

USNAが危険な橋を渡っても秘密にしたいほど、今回の吸血鬼事件は後ろめたいことでもあるのだろう。

 

「そのことは七草でも調べてみるわ。分かり次第、連絡するわね」

 

「任せた。九重、これはあくまで先輩として(・・・・)の頼みなのだが、留学生が何か不審な行動をとれば連絡を入れろ。場合によっては実力行使も許可する」

 

十文字家からの依頼ではなく、先輩としてのお願いならば私が動くことは問題ない。

 

「分かりました。私のできる範囲でやってみます」

 

リーナがシリウスだとは知らない二人だからこそ、私に軽々しく実力行使も辞さないと言えるのだろう。リーナがシリウスとしての力を出さなければ私にも勝算はあるかもしれないが、本気になった場合の被害が分からない。本気で敵対することがなければいいと願うばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・放課後・・・

 

私の放課後は部活か風紀委員の見回りか、神楽の練習の3パターンが多い。

今日は風紀委員の見回りで構内の見回りをしている。

部活のエリアは部活連の管轄なので、基本的に遠くから見るだけで足を運ぶことはない。

千代田先輩はよく顔を出しているとのことだが、領分争いで部活連との衝突は今のところない。

 

実習室を見回り、実験棟に移動した際、精霊の気配を感じた。

古式魔法クラブが活動している日ではあるが、今日は野外練習場だと聞いている。

敵意は感じないが、人除けの術が敷かれている。

認識疎外の結界のようなものだろう。

上手に周りの気配に溶け込ませてあるので、感覚の鋭敏な者か古式魔法に精通していなければ気が付かないだろう。

 

いずれにせよ、部活動以外での魔法の使用は基本的に禁止であり、風紀委員の取り締まり対象である。記録用のデバイスに電源を入れ、術の境界を越え、術者を探す。

精霊の気配をたどると、あまり使用頻度の高くない実験室から人の気配がした。

扉に手をかけ、ゆっくりと開けるとまるで私を待っていたように吉田君がいた。

 

「九重さんなら気づくと思っていたよ」

 

精霊喚起の香が卓上で煙を揺らしていた。

 

「込み入った話かしら」

 

吉田君の発言ぶりからは、私が結界に気が付いて入ってくることは予想済みだったようだ。

記録用端末をオフにして、扉を閉める。

吉田君は一拍呼吸を置いて、前置きなしに話を始めた。

 

「今回の吸血鬼事件、どう思う」

「死体からは大量の血液が喪失しているが、血を抜かれた形跡はない。死因はいずれも不明。謎の不審死が相次いでいるっているというところまでは共通認識として良いかしら」

「ああ、僕はこれが単に人の仕業には思えない」

 

巷を賑わせている吸血鬼事件。

東京都内で発生した事件だけあって、学校からも注意情報が出されている。

吸血鬼のターゲットが魔法師だと知っているのはごく一部だが、被害者が増えればマスコミがかぎつけるのも時間の問題だろう。

組織的な犯行やオカルト的な事象など様々な噂が飛び交っているが、吉田君はそれを人ならざるものの仕業だと言った。

 

「人ならざる物が原因なら現代医学では死因が分からなくても不思議ではない。

ただ、これは僕の古式魔法師としての勘に過ぎない。不確定な情報だし、いたずらに不安を煽るようなこともしたくはない」

 

「吉田君は犯人の目星がついているということかしら」

 

「ああ。僕は人ならざる物、『パラサイト』だと思っている」

 

「確かロンドン会議の定義ではPARANOMALPARASITE(超常的な寄生虫)だったわね」

 

魔法という存在が科学的にも社会的にも確立するにつれ、それぞれ各国でバラバラだった用語や概念の共通化が図られた。

それは現代魔法だけではなく、むしろ古式魔法の分野で積極的に行われていた。

イギリスでも何度も国際会議が開かれ、国際的な連携を行っている。

『パラサイト』もその一つで、人に寄生して人間以外の存在に変えてしまう魔性のことであり、妖魔、ジン、デーモンなどがそう呼ばれている。

 

「ああ。それほど怪異に出くわす頻度が高いとは思えないけれど、可能性がないわけではない。だが、確信が持てないから九重さんの意見を聞きたいんだ」

 

確かに怪異が表舞台に現れ、悪事をなすことは決して多くない。

有名なのは菅原道真の怨霊だったり、玉藻御前だったり、酒呑童子が知られている。

エクソシストはそんな悪霊と戦うすべを持つ職業として一般にも知られているし、高僧や神職の中にも魔性を払うことができる者もいる。

だが、人ではない存在は何もすべてが悪事を働くわけではない。

 

「一つ訂正よ。人ならざるものは私たちの日常のすぐ隣にいる、いわば隣人のような存在よ。吉田君も毎日接している普遍的な存在だと思うわ」

 

「毎日?…まさか精霊がそうだというのかい」

 

「精霊の定義は実体を伴わない情報の海を泳ぐ情報体。世間一般で意思がないと言われているのは、単に私たちがその意思を科学的に証明できないからではないかしら」

 

「・・・言われてみれば確かにそうかもしれない」

 

吉田君は深く考えるように顎に手を置いた。

概念や用語の定義は進んでいるとはいえ、流派によって事象の解釈は異なる。

 

「精霊はあくまで隣人。元々この世界に存在する物。だけれど、今回のパラサイトはちょっと種類が違う気がするの。」

「種類が違う?」

 

個人的な感覚だが、今回の事件少し嫌な感じがする。なにか心が落ち着かないというか、空気がざわついているような、少しだけ異質な感じがしていた。

兄ほど見通せる感覚も間隔も広くはないが、漂う気配はそこにあるべきではないモノが混じりこんだような感覚だ。

念のために土地神様にお話を聞きに行ったらいい顔をされはしなかった。

八百万の神々がおわすこの国で、その神様が拒む存在とはいったい何なのだろう。

普段は潜んでいるのか、相当意識しなければ感じることはないが、土地神様も穢れを感じ取っていた。

精霊のように目に見えるわけでもなく、私も視認していないので何とも言えないが、感覚的にあまり近づきたくはない存在だ。

 

「私も上手くは言い表せないけれど、空気の馴染みが悪い気がするの」

「馴染みが悪い…。どこか別の世界から来たということかな」

 

お互い、しばらくの沈黙が続いた。

吉田君考えをまとめているだろうが、私もあまり遅くなるわけにはいかない。

 

「ひとまず、ここで議論をしていても尽きないわね。吉田君は妖魔退治の術を持っているかしら」

「あるよ。念のために準備を進めておくよ」

 

私も道具を取り寄せておいた方がいいのだろう。

妖魔退治は経験したことはないが、念入りに自衛の術は教えられている。

その用意が取り越し苦労ではなくなるだなんてその時は思いもしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、西城君が吸血鬼に襲われたとの連絡が入った。

昨日の今日で十文字先輩や七草先輩、吉田君にもいろいろと相談はされていたが、あくまでニュースの中での出来事だったものが、一気に他人事ではなくなった。

幸い、命には問題ないとのことなので、放課後にお見舞いに行く事になった。

廊下の長椅子にはエリカが座って待っていた。

どうやらエリカの兄、寿和さんが依頼していたことが入院の理由の一つだと悪態を付きながら教えてくれた。

 

病室に入ると西城君は ベッドから体を起こして、気さくに手を挙げ、元気な様子を見せた。

最も、心配をかけまいと空元気だったが、それを見抜けた人は多くない。

 

「酷い目にあったな」

「みっともないところを見せちまったな」

 

達也の問いかけに西城君は苦笑いで答えた。

 

「見たところ怪我は見当たらないが」

「そう簡単にやられてたまるかよ。俺だって無抵抗でやられたわけじゃないぜ」

「じゃあ、どこをやられたんだ?」

「それが俺もよく分からないんだよな…」

 

話を聞くと、巷を騒がす吸血鬼らしき不審者が誰かに襲いかかっていたところを見つけ、交戦したところ、いきなり体の力が抜けたらしい。西城君は一発相手にもお見舞いし、不審者は逃げていったが、西城君も立っていられなくなって倒れてしまったらしい。

切り傷も刺し傷もなく、毒を受けたわけでもなく、血液検査の結果も白。

これまでの吸血鬼事件と同様に原因が現代医学ではわからないらしい。

相手の手がかりを聞くが顔は白い仮面で隠し、体型も黒のロングコートとカーボンアーマーで良く分からなかったそうだ。

ただ、相手の構えた拳が小さく、もしかしたら女性かもしれないとのことだった。

一見、普通に会話もできており怪我がなさそうな様子だが、オーラはどことなく弱い。

兄や美月のように相手のオーラまで読み取るほど私の目は良くないが、少なくとも気力が普段より枯渇しているのは見てわかる。

 

「九重さん」

 

吉田君は推測が確信に変わった眼をしていた。

 

「ええ、間違いないと思うわ」

「なに、ミキも雅も原因がわかったの?」

 

主語のないやり取りにエリカが首を傾げた。

 

「僕の名前は幹比古だ」

 

吉田君は不貞腐れたようにいつもの決まり文句を返す。

 

「なにか心当たりがあるのか?」

 

達也にそう問われた吉田君は躊躇いがちではあるが、自信をもって考えを述べた。

 

「僕はこの事件は妖魔、パラサイトの仕業だと考えている」

 

吉田君は『パラサイト』のことを説明した。

人を乗っ取り、人以外のモノに変えてしまう魔性だとロンドン会議の定義では定義されている。

 

「まさか悪霊や妖魔が実現するだなんて・・・」

 

ほのかは不安そうにしていたが、魔法だってつい100年前まではお伽噺の世界だったのだ。

心配しないように達也がほのかの肩に手を置いた。

ほのかは達也に全幅の信頼を寄せている。

だからこそ、彼がそうすることによってほのかは肩の力を抜いた。

達也はすぐその手を放したが、ほのかが名残惜しそうにしていたのは私も見なかったことにした。

 

「レオ、幽体を調べさせてもらってもいいかな」

「お、おう。・・・ん、幽体?」

 

吉田君は決意した目をしていた。

その気迫に思わず西城君もたじろぐほどだった。

だが、すぐに幽体という字が分からず、オウム返しに問い返した。

現代魔法でも定義されている霊体ならまだしも、幽体は一般的な魔法用語ではないので、西城君と同じように首を傾げた者も少なくない。

肉体と精神を繋ぐ霊質で作られた器(情報体)のことを幽体と言う。

流派によって呼び方は多少異なるが、おおむね意味することは変わらない。

 

「幽体は精気、つまり生命力の塊。人の血肉を食らう魔物は血や肉を通じて精気を摂取していると考えられているんだ」

 

「つまり吸血鬼は血を吸うけれど、本当に必要なのは精気ってこと?」

 

エリカの問いかけに吉田君は緊張した様子で肯定した。

 

「ああ。でも、元々は物質的な生態を持たない彼らは本来精気さえ取り込めればいいはずだ」

 

ちらりと吉田君は私の方を確認した。

彼も書物の中でしかしらないことなので、確証がほしいのだろう。

 

「私の見立てもほぼ吉田君と変わりないわ。ただ、精気は彼らにとって餌ではなく、繁殖のために邪魔なものだったんだと思うの」

「邪魔なもの?」

 

エリカは眉を吊り上げた。

 

「寄生虫って名前が付いているくらいだから、乗っ取らなければ彼らにとっては意味がないでしょう」

 

シンと部屋の中が静まりかえった。

西城君やエリカはおろか、吉田君も予想していなかった答えだったらしい。

 

「んじゃ、なんだ。俺はただ襲われたんじゃなく、あいつの同族にされかけたのか」

 

言葉の意味を確かめるように西城君は聞き直した。

 

「あくまで推測の域よ。単純に邪魔だったから倒しただけだったかもしれないわ。

普通の人間は幽体に触れることは不可能。防御も攻撃も普通の人間はしていないわ。だから、なにもしていない幽体は魔性にとっては生身同然なのよ」

 

幽体を魔性から守るにはそれなりに準備が必要だ。

人の世の理ではなく、彼らの理で動くモノに合わせることは知識と技術がなければ不可能だ。

なまじ対策を知らなければ、ミイラ取りがミイラになってしまう。

 

「犬神憑き、狐憑き、蛇神憑き、日本に古来より伝わる憑き物たちは現世での器を得るために人に取り憑く。吸血鬼も人間の血を吸うことでその人間を吸血鬼にする。今回の一件もそうじゃないかと思っただけよ」

 

「まるでファンタジーだな」

 

力なく西城君は笑った。

あまりに突拍子のない話に現実感が伴っていないようだ。

 

「話が逸れたわね。吉田君、幽体を調べるのよね」

「あ、ああ」

 

吉田君ははっとしたように頷いた。

どうやら彼も話を聞き入ってしまったらしい。

 

「レオの幽体を調べさせてもらえばはっきりしたことが分かると思う。

実は今回のことは最初から人間の仕業には思えなかった。

科学的に証明できないということだけじゃない、僕の古式魔法師としての本能がそう言っていた。

だが、確証が持てなかった。九重さんにも相談はしていたんだけれど、いたずらに不安を煽るようなことは避けたかったんだ。そのせいでレオが襲われて」

「いいぜ、幹比古」

 

吉田君の後悔を西城君はさえぎった。

それは二つの意味での許しを持っていた。

吉田君はその信頼に応えるべく、顔をさらに引き締め、持ってきていたカバンに手を伸ばした。

 

和紙に呪が書かれた札と伝統的な呪具を使って、西城君の状態を調べていく。

幽体を調べる方法は九重にもあり、知ってはいるが、私も経験がない。

今回は吉田君に任せた方が確実だろう。

そして西城君の状態が出たら、吉田君は驚きを隠せない様子だった。

たぶん隠すという考えもないほど、異常事態だったらしい。

 

「達也も凄いと思っていたけれど、レオも本当に人間かい?」

「おいおい、あんまりな言い方だな」

 

冗談ならともかく、何度も紙を見直しながらそういう吉田君はまだ信じられない様子だった。

西城君は明らかに吉田君の発言に気分を害していた。

 

「いやだってさ、よく起きていられるね。これだけ精気を食われていたら普通の術者ならば昏倒して意識がないよ」

「精気が何かはさておき、失った量までわかるのか?」

 

達也はすごいなという顔で問いかけた。

吉田君は満更でもなさそうにうなずいた。意識しているにせよしないにせよ、達也に認められることは吉田君もうれしかったようだ。

 

「幽体は肉体と同じ形状をとるからね。入れ物の大きさが決まっているからどのくらいの精気が入っているのかおよその検討はつくよ。今のレオは普通の人なら意識を保てるのが不思議なほどの精気しか残っていない。

こうやって体を起こして話ができるなら、余程肉体の性能が高いんだね」

 

だが、西城君にとっては吉田の「性能が高い」という言葉はどうにも気にかかるようだった。

 

「まあな。俺の体は特別性だぜ」

 

そんな表情も一瞬でひそめ、二カッといつも通りの明るい笑顔を見せた。

 

「じゃあ、やっぱり俺は覆面女に精気を喰われたってことでいいのか?」

「そう思う。だけれど今までの被害者が血液を失った理由が分からないんだ。九重さんは心あたりがあるかい?」

「私もわからないわ」

 

血液を根こそぎ持っていくならわかるが、一部だけ抜き取る理由が分からない。触れるだけで精気を喰らうことができるならば、わざわざ血を抜く必要はない。血を抜くことが目的ではく、何かをしたことによって血が結果的に喪われたのだろうか。

いくらか考えを上げることはできるが、あくまで不確定な根拠のない推測でしかない。

 

結局その場では答えが出ず、面会時間もあり解散となった。

 




イチャイチャ成分が足りないよ(・д・`)


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来訪者編4

18巻買いました。
まだ読んでません(´・ω・`)



達也は九重寺で八雲との鍛錬を行っていた。

体術は互角。

駆け引きは達也が何手も及ばず。

ゆえに手数で達也は八雲と渡り合っていた。

距離を取られた後、距離を詰め達也が相打ち覚悟で繰り出した掌底は空を切り、関節を押さえ込まれるように地面に倒された。

 

「いやー、焦った、焦った。『纏いの逃げ水』が破られるだなんて思わなかったよ」

 

八雲は押さえ込んでいた手を外し、冷や汗を拭う動作をした。

口で焦ったとは言いながらも、まだまだ底の見えない実力と余裕を見せていた。飄々とした様子は若く見えるが、実年齢は達也の父親よりも上だ。

 

「師匠、あの術は普通の幻術ではありませんね。『纏いの逃げ水』と言うんですか」

「やれやれ、君の目は厄介だね」

 

嘆息する八雲だったが、愉快そうに唇の端が歪んでいた。おそらく達也に見せたということは隠すつもりはなかったのだろう。

 

「視ただけで相手の術式を読み取ってしまう君の異能は相手にとって脅威そのものだ。だが、それを逆手に取る方法がないわけではない。

君はよく知っているはずだし、今まで見たことあるはずだよ」

 

考えてみろという問いかけに、思考の海に入る。

可能性を上げては絞り込んでいく中で、ふと達也の脳裏に桜の中に翻る装束が浮かんだ。

 

「九重神楽ですか」

 

達也は何度も九重神楽の舞台に招待されている。

雅は13歳からは男装をして臨んでいるが、時折元の年齢や性別とあまりにかけ離れた容姿をしていることがある。化粧技術と服装によるものだと思っていたが、確かにそれだけでは言い表せないこともある。

宗教儀式であると同時に、魔法の詮索はマナー違反。特に古式はその秘匿性が強いため、達也も興味がありながらもその本質に触れることはなかった。

 

「そう。あれも人と八百万の神々の眼を楽しませ、誤魔化すためのものだよ」

「誤魔化す?単に奉納目的ではないということですか」 

「いいや。奉納の意味合いが強いよ。ただ、姿を変えていないと女性は神様に魅入られてしまうからね。君だって雅君が君以外のところに嫁ぐのは不本意だろう」

 

八雲のからかいも達也はいつものことと流した。

八雲は達也の連れない反応も織り込み済みで、言葉を続けた。

 

「纏いも九重神楽もこの世ならざるモノのためにあるんだ。

纏いは異能への対抗手段、九重神楽は神様への奉納。

互いに意味合いは違っても起きている現象は近いものがあるよ」

 

完全な変身は物理学上も魔法科学上も不可能と言われているが、光波干渉系魔法で外見の印象を操作することはできる。先ほど見せられた纏いも九重神楽も座標を偽るという意味では同じだった。

だが、それ以上に達也には八雲の発言の中に気になる言葉があった。

 

「師匠、今この世ならざるモノとおっしゃいましたか」

 

正解だと言いたいような顔つきで八雲はうなずいた。

 

「ああ、僕たちが相手にするのはなにも人間ばかりではないし、それほど珍しいことではないよ」

 

八雲が明確に答えを言わないことはいつものことだ。

自分で答えを出してみろと言っているのだろう。

達也は妖怪の存在は信じていないが、ただの人間ではない者がいないとも信じてはいなかった。

 

「・・・おや、雅君。練習は終わったのかい」

 

達也が八雲との問答を続けていると、境内の奥から雅が姿を現した。

その髪は汗でぬれており、肌も上気していた。

冬の寒さも相まって汗が冷えてしまうが、その点は寒気を遮断する魔法を作り出して体を冷やさないようにしている。

 

「ええ、ありがとうございました」

 

彼女は彼女で舞の練習があり、境内の一部を借りていたところだった。

九重神楽の練習はどこででもできるわけではない。

たとえ練習であったとしても精霊を喚起してしまうため、サイオンレーダーに引っかかる場所ではできない。

術式の秘匿性もあり、練習風景を見られるわけにもいかない現状がある。

そうするとある程度広さがあって、なおかつ外部からの侵入も偵察もない場所となればおのずと場所は限られてくる。

 

「容易いことだよ。さて、待っている間に答えは出たかい」

「意図的になら人ならざるモノに遭遇はできるということ、ということですか」

「うーん、君のような知恵者でも先入観と予備知識の罠から逃れるのは難しいか。君は今まで何度も遭遇しているし、隣で使っているのもよく見ている。君たちがSB魔法とよぶ魔法は一体何を媒体としているかい」

「あ・・・」

 

達也は思考の穴を突かれた感覚がした。

それは確かに今まで何度も遭遇しているし、雅や幹比古が使っていたのを見てきた魔法だった。

 

「『生体を持たない』という点ではこの世ならざるモノだよ。ウイルスや細菌と同じく意思を持たなくともそれらは人体にとって害をなす『生き物』に異論はないはずだ」

「現象から切り離された孤立情報体の『精霊』もまた『この世ならざるモノ』だということですね」

「ああ。それに精霊に意思がないだなんて誰が確認したんだい」

「それは誰もいませんね。千里眼なら知っているかもしれませんが」

 

達也はちらりと雅の方を見た。

雅は困ったよう苦笑いを浮かべる。

彼女としても考えはあるにしてもここで口を挟むつもりはない様だ。

 

九重の流派をはじめ神道系の魔法師の中には精霊に意思があると思っている者もいる。岩や森、海といった自然界の者にも霊が宿ると言われるアニミズムも古くから受け継がれ、現代の日本人の根底に根付いている。

 

「現代魔法では精霊は自然現象に伴ってイデアに記録された情報体が実体から遊離して生まれた孤立情報体と定義されています。精霊はもとになった情報を記録し、それに指向性を持たせることで情報から現象を再現できるとされています。では人の幽体に寄生して人間を変質させるパラサイトは何に由来した存在なのでしょうか」

 

「パラサイトか。イギリス風の言い方だね。さて、雅君はどう思うかい」

 

八雲は雅の考えを問うた。彼女は途中からしか話は聞いていないが、大よそ話の流れはつかめているだろう。

 

「パラサイトは人の精気を喰らい、乗っ取る。

精霊が現実の現象から離れた存在なのだとしたら、精神の現象に由来していると考えるのが理論としては成り立つ気がします」

 

思案する間もなく、雅は回答を述べた。

八雲は雅の回答に満足げにうなずいた。

 

「僕も同意見だよ」

「つまり、妖魔も悪霊も何かしらのもととなる精神情報体が存在するということですか」

「そうだね。現実現象に由来する精霊がこの世界と背中合わせの影絵になっているように、精神現象に由来するパラサイトも精神現象世界から来た影絵になっているんじゃないかな。ロンドンに集まった連中からしたら異端の解釈なのだろうけれど、僕はそう考えているよ」

 

久しぶりに見せた古式魔法の大家としての意見に達也は珍しく感心した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西城君のお見舞いの日から二日

現在、吸血鬼討伐のために動いているのは3つのグループである。

 

日本版FBIと公安を加えた警察当局、内情(内閣情報管理局)をバックアップにつけた七草、十文字の十師族の捜査チーム、そして千葉が組織し吉田家の協力を仰いだ私的報復部隊だ。

どうやらエリカの弟子である西城君がやられたということでエリカが黙っていなかったらしい。

エリカと吉田君には“個人的に”吸血鬼対策の知恵を施して、今夜にも捜索に向かうそうだ。

 

私は古典部と大学の研究発表で遅くまで学校におり、司波家に帰ったのは夜10時を過ぎていた。

自宅マンションにも日用品は揃っているし普通に生活できる空間なので、夜遅いこともあって今日はそちらに帰ろうと思ったのだが、達也から話があると司波家に向かった。

 

「おかえり。随分と遅くまでかかったんだな」

 

いつもなら出迎えは深雪がしてくれるのだが、どうやら彼女は手が離せないらしく、達也が出迎えてくれた。

 

「ただいま。来週には発表だから、しばらくは遅くなるわ」

 

4月に見つけた魔導書の解析に加え、私は大学で演者がいないということでそちらの研究に移籍することになった。研究自体は大学の方で進められているので、私はその研究をもとに演技をするだけだ。

 

詳しい話は着替えてからということで、部屋に戻りコートと制服から普段着に着替える。

リビングに降りると、達也が紅茶をいれて待っていた。

冬の夜となればそれなりに外は寒く、じんわりと温かさが体に広がった。

 

「それで、話って?エリカと吉田君が吸血鬼と遭遇したのかしら」

「その通りだ。二人とも無事だが、その場にはスターズも居合わせていた」

 

予想通り、今日エリカたちは行動を起こしたらしい。

エリカはシリウスと、吉田君は吸血鬼と交戦したらしい。

達也は吉田君から連絡を受けて増援に向かったが、エリカが負傷し、吸血鬼にも逃げられたため今日の捜索はそこで打ち切られたらしい。

エリカの負傷も鎧下(正確には防刃、防弾の合成ゴムのアンダーウェア)をつけていたため、軽症で済んだとのことだ。

 

「幹比古は根付けが砕けたと嘆いていたぞ」

「身代わりになったならそれでいいわ」

 

吉田君には妖魔対策も兼ねて、九校戦のときに渡した根付けを持っていくように言っていたのだが、どうやら一撃をもらったのか、身代わりになって砕けたらしい。

安物ではないが、命には代えられないものだからそれほど壊れたことには気にしていない。

 

「それで、リーナはシリウスだったの」

「ああ、可能性は高い。今回の件で確信に変わった」

「そう」

 

達也の目は単に『精霊の目』があるから優れているのではない。

並外れた観察眼は九重の千里眼と体術の師である八雲から教え込まれたものであり、動きから個人を断定することは彼にとっては苦でもないことだった。

 

「目的はUSNAからの脱走兵の始末らしい」

「確かにスターズの一等星クラスなら隊長自ら出向く理由はあるわね」

 

裏切り者の始末は徹底しなければならない。

たとえ正式に除隊したとしても、ほぼ一生涯に渡る管理を魔法師は受けることになる。特に機密情報も扱う軍部ならば半ば監視といっても差し障りないだろう。

 

「それで、話したかったことの本命は?」

 

このくらいのことなら電話でも十分な内容だった。私の端末もこの家の端末も情報セキュリティでいえば、最高レベルに値する。

よほど外部に知られたくない私的な情報や重要機密が関わることでなければ、わざわざ直接でなくともよかったはずだ。

 

「やれやれ、雅にはお見通しか」

 

達也は困ったように苦笑いでため息をついた。

 

「少なくとも達也が私に助言を求めるときは自分の知識の範囲外か、よほど自分と相性が悪いときでしょう」

 

達也から頼りにされることはそう多くない。

私の名前で動かせる人材は多くないが、裏にも表にもコネクションは多いので少なくとも足手まといにもならないし、協力はいくらでもできる。

私自身も守られる存在として達也から頼りにされないのは少し不満な部分であるのだが、そこは男としての矜持だからと言いくるめられてしまった。

 

「雅は『仮装行列(パレード)』を使えるか」

 

それは疑問ではなく、確認だった。

『仮装行列』。その名前は九島家の秘術と言われている。

だが、元になった術は『纏いの逃げ水』であり、私はどちらの術も使うことが可能だ。

 

「シリウスが『仮装行列』を使っていたのかしら」

「ああ。雲散霧消(ミスト・ディスパージョン)が外された」

 

雲散霧消は物質の構造情報に干渉することにより、物質を元素レベルの分子に分解する魔法であり、軍事機密にも規定されている殺傷ランクAの魔法だ。

対して仮装行列は魔法の照準を仮装の情報体にすり替えることで術者本人にかけられた魔法を躱すことができる。偽情報体に雲散霧消を作用させても、そこには実体のない空っぽの虚像があるだけなので、結果的に魔法は作用できない。

 

「結論から言えば使えるわ」

「それを俺に対して見せることは可能か」

 

達也が念入りに確認をするのは正しいことだ。

いくら婚約者だからと言って、家のことも含めてすべて打ち明けることができるかと問われればノーだ。特に四楓院に関わる事情は達也はおろか、京都九重の血を継いでいない母にも私からは話すことができない。

秘術の類も秘匿される理由があるから秘術なのであり、力であると同時に外に漏れれば不利益を被る可能性が高い。

それを見せることができるのか、と達也は問うている。

 

今後遠くない未来、シリウスと対峙するにあたり、有効な手立てを考えるためには実物と対峙してみることが一番だ。

 

ぬるくなった紅茶をソーサーに戻し、私は暫し思案した。

 

「私から術に関する概念、発動方法、弱点、その他術式に関連する全てのことを説明することはできない。でも、見せるだけなら構わないわ」

 

彼の目があれば解明されてしまうかもしれないが、どの道リーナで見ているのなら理解されるのも遅いか早いかの差だ。リーナが自分から術について漏らすことはないだろうし、八雲も多くは語らないだろう。

そうなれば私が達也に術を見せたところで九重が不利益を被ることはないだろう。

 

「いいのか」

「むやみやたらに術式を広めるなら問題だけれど、対抗手段を考えるだけでしょう。術そのものを教えるわけではないから、問題ないはずよ」

 

最近、情勢が不安定なのも兄なら見越して私をこちらに進学させたのかもしれないとホケホケと笑う次兄を思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

司波家の地下実験室

地下三階分にも相当する広さの空間は戦艦砲が撃ち込まれてもびくともしない強度を誇っている。二人とも動きやすい服装に変え、部屋の中央で5mほど距離を空けて向かい合う。

 

「達也と手合わせって久しぶりね」

「そうだな」

 

叔父と二人まとめて相手にされることはあるが、神楽の練習も今年は多かったので、達也と手合せをするのは本当に久しぶりだ。

私が帰宅していた時にシャワーを浴びていた深雪はお兄様とお姉様が戦われるならこの目に焼き付けておかねばと見学に来ている。

流石に危ないので、防弾ガラスでできた観測室にいてもらっている。

 

「合図はいらないわよね」

「ああ」

 

試合と違って戦闘は準備も掛け声もなく始まる。

部屋の照明も夜間の戦闘である可能性が高いため、星明り程度まで落としてある。私も達也も物理的な光源を絶たれても見える手段はあるため、さほど問題はない。

武器を使用しても構わないということで、ホルスターには投擲ナイフ、鉛玉、棒手裏剣と、拳銃型の特化型CADをそろえた。飛道具を中心にしているのは、これから見せる術を意識してのことだった。

 

達也は愛用の特化型CADをホルスターから抜いている。

 

勝負は達也が私を捕まえれば勝ち。

私は時間まで逃げ切れば勝ちだ。

簡単に言えば魔法を使った鬼ごっこだ。

 

手始めにパチンコ玉ほどの鉛玉を投げればそれをすぐさま避けて達也は距離を詰めてくる。私も同じく自己加速術式を使って、バックステップで距離をとると同時に棒手裏剣を時間差で5つ投擲する。

刃は潰してあるとはいえ、魔法によってスピードが強化されているため、当たり所が悪ければ致命傷になる。

達也はもちろん暗がりでもそれが見えているようで、一つ、二つと避けていき、三つ目、四つ目は分解しようとしたが術は発動しなかった。

驚きを浮かべる間もなく、時間差で三つめが肩に、四つ目、五つ目がわき腹と太ももに掠ったのが見えた。

 

「こんな使い方もあるんだな」

 

パレードで偽ることができるのは自分の情報だけではない。物に付随する情報を偽れば、偽情報体を持った攻撃を相手は視認してしまう。

回避、迎撃したと思っても、時間差で実体を持つ攻撃が襲って来ればそれだけ隙が生まれる。

 

感心した様子で達也は体制を立て直すと、臆することもなく距離を詰めた。

仮装行列も万能ではない。実体を掴ませなければ攻撃位置がずれることで相手を翻弄できるが、実体が消えているわけではない。

近接格闘で手や足を掴まれれば、居場所が分かってしまう。

 

だから、私はひたすら距離を稼ぐ。今までの達也は肉眼での視界と心眼での視界でみる世界が異なるという経験をしたことがなかった。

見ただけで情報体を理解してしまう彼の目は裏を返せば、情報が偽りだと気が付けなければ誤魔化すことは可能なのだ。

私はゴム弾が装填された銃を構え、弾にもパレードをかける。

サイレンサー付きの銃を放てば達也もまたCADを構え、分解を行使する。

今度は座標設定を広くし、ゴム弾を分解した。

ピンポイントにゴム弾に術の座標を設定しなくても、ある空間に存在すると定義すれば確かに魔法式は正しく作用する。

見えない相手への広範囲攻撃は確かに有効だった。

 

確信を得たのか、達也は私を捕まえるべく、自己加速術式を使う。

フラッシュキャストを使っているので、その速度は一級だ。

認識以上の速度で迫る達也が私の腕を腕を掴むが、その位置もまた偽り。

実際は達也の横にいて、するりと部屋の中央まで逃げる。

 

「予想以上に厄介だな」

 

再び距離が開いていることに気が付いた達也は一息ついていた。

五感全てを惑わす情報に彼の脳の処理が付いていけていないのだろう。

 

「お兄様、あと1分です」

 

鬼ごっこ終了までの時間が深雪から告げられた。

達也は再び私に接近した。どう逃げようかとワクワクしていると、不意に背後から肩を掴まれた感覚がした。

 

『おや、鬼事かい』

 

聞き覚えのある、艶のある女性の声に私の意識は遠退いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残り1分が告げられ、多少焦っていた達也は嫌な気配を感じ取った。

かなりの運動をして体が温まっているにもかかわらず、地面を這い背筋が凍るような寒気が襲ってきた。

『精霊の目』で見てもなにも変化はない。

物理的に室温が下がったわけでもない。

根源的な恐怖がせり上がるように、空気が変わった。

 

暗闇にいる雅はにんまりと笑った。

その笑顔がいつもとは違う気がしていた。

妖艶に唇を歪ませ、楽し気に笑っていた。

だが、どこか薄ら寒い笑顔だった。

 

不審に思いながらもこれも幻影かもしれないと達也は五感に頼らずに実体を探していた。

 

だが、手を伸ばしてもすり抜け、伸ばした手は空を切る。

実体、幻影の差が分からない。

まるで舞を舞っているかのように軽やかに達也から逃れる。

術の発動速度が速いのは言うまでもなく、どことなく遊ばれている感じがしていた。

元々足音がしないのはそういう訓練を雅が続けてきたからであるが、加えて床に伝わる振動まで偽装されている。

自分の五感はすべて騙されながら、相手の実体を捕まえる。

語るは易く、行うは難かった。

 

雅の目は雄弁にもう終わりかと語りかけてくる。

ヒラリ、ヒラリとつかんだと思っては消えるその姿と艶やかな笑みに、なるほどこれでは魔性も魅せられると納得していた。

賭けに出て幻影とは全く異なる場所に不意に手を伸ばした。

 

その手は雅の腕をとらえ、引き寄せると達也の腕の中にすっぽりと実体が捕まえられた。

 

それと同時に終了のブザーが鳴った。

 

「あれ?」

 

雅はなぜ達也に捕まえられているのかよく分かっていないようで、首をかしげていた。

 

「雅?」

「ごめんなさい、夢中になってたみたい」

 

夢心地で雅はそうつぶやいた。

残り1分になってからどことなく雰囲気が違ったが、あれがいわゆるゾーンとかそのような状態だったのだろう。朝も早くから神楽の練習、大学でも研究の手伝いをしていれば疲労は溜まる。半ば無意識に魔法を発動していたに違いない。

 

「ありがとう。今日はもう休んだ方がいい」

 

フラフラと足取りのおぼつかない雅を支えるよう達也は雅を先に促した。

雅を見ても疲労以外に見られる異変はない。

いつもと変わらない声色で、目つきも変わらない。

気のせいだと思い込みたかったが、達也の脳裏にはあの魔性のような笑顔が離れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

盆地で底冷えのする京都には雪が舞っていた。

星の見えない灰色の空から、音もなく白い雪は静かに積もっていた。

風の音もなく、古都京都に降り注ぐ雪は街を趣深いものに変えていた

 

だが、その幻想的な雰囲気にも関わらず、顔をしかめる老女と憂い顔の青年がいた。

 

「お婆様」

「・・・時間がないようだね」

「ええ」

 

二人の目には同じ情景が見えていた。

それはこれから起こるであろう試練の時を見通していた。

彼女が生まれたときから決まっていた運命がついに歩み出した。

 

「達也はまだ決めかねているようだね」

 

老女が仕方のない様子でため息をつく。

周囲の人間がいくらその感情に気が付いているとはいえ、本人が自覚して行動しなければ意味がなかった。

性格を変えることは容易ではない。

それは生まれと環境で左右されるが、彼の育ってきた環境はお世辞にも心を育てるのによいとは言えなかった。

 

「その色に気が付くのも時間の問題だけれど、少しお節介は焼いてあげなさい」

「分かりました」

 

 

 

 




蕾はまだ芽吹かない。


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来訪者編5

寒さが厳しくなりましたね。
私のところは雪はまだありませんが、布団やこたつから出られません(´-ω-`)



前話の誤字脱字訂正しました。
ご指摘ありがとうございます。


翌日、吸血鬼は取り逃したがリーナとはひとまず決着がついたようだ。

叔父もわざわざパレードを他にむやみに広めないようにとの口止めに出たらしい。

その際、周りを取り囲んでいたUSNAのサポートスタッフも撃退したのはまあ仕方のないことだろう。

 

達也を殺すと言ったリーナに怒り心頭の深雪とリーナが対戦することになったのも予想外だが、勝ったのは深雪で、リーナからいくつかの情報を聞き出すことに成功した。

やはりというべきか、吸血鬼はUSNA軍所属の脱走兵だそうだ。

吸血鬼が精神も変性させている可能性が高いとのことだ。

 

吸血鬼の方は保険として合成分子機械を達也が打ち込んでおり、機械からは微弱な特定パターンの電波を発生させている。

そちらは十師族の捜査チームと千葉家のチームで追い込むことになったらしい。

 

そして達也が雫に頼んでいたUSNAでの吸血鬼事件の原因についてはどうやら余剰次元理論に基づくマイクロブラックホール生成・消滅実験に起因するものだそうだ。

理論としては次元の向こう側には魔法的なエネルギーに満ちた世界があり、ちょうどこの世界と次元の壁によって釣り合いの取れた世界がある。

魔法式は事象改変の結果として生じるエネルギーの不足分を異次元から引っ張ってくるプロセスがあるため、見かけ上破たんしていたエネルギー保存の法則が結果的に帳尻合わせされる。

だが、事象改変ではなく無理にエネルギーを引っ張って来ようとしたため次元の壁から魔法エネルギーを持った情報体が侵入した可能性がある。

これがパラサイトである、もしくはこのエネルギーによって元からこの世にいたパラサイトが活性化したということだ。

 

 

 

これが日曜日までに起きたことだ。

私は完全に蚊帳の外だが、話を聞けば聞くほど私の領分である気がした。

最初からそのことはわかっていたが、家から手を出すなと言われている以上、情報も不用意に渡すことはできない。

もどかしいが、それは仕方のないことだった。

 

今日も今日とて深雪とは別にお昼をとり、実験棟で今週末に控えた実験の最終調整だ。

と言っても私は大学の研究に出るので、発表原稿の最終チェックに付き合っているに過ぎない。

お昼を食べながらの気楽な話し合いとなっている。

図書・古典部の新部長はマリーさんになった。

 

「雅さん、調子はどう?」

「問題ないですよ」

「そう。今度の発表、楽しみにしているわ」

 

私は途中まで研究に参加していたのだが、大学の研究でできる演者がいないので、そちらに引っ張られていた。

主役という話も出ていたが、研究を続けてきた学生にも申し訳ないと流石に辞退した。

 

「それより、祈子さんは受験の方は大丈夫なんですか」

 

三年生で受験目前の祈子さんまで態々学校に来て、私たちの研究を見に来ている。流石に手出し、口出しすることはほぼないが、受験に焦りはないのだろうか。

 

「九重、この人が落ちると思うか」

 

今更だろうと言いたげな様子で鎧塚先輩がそう言った。

 

「それもそうですね」

 

理論だけでなく実技も祈子さんの成績は良い。大学からすでに唾をつけられているので、当日テロに巻き込まれるとか、インフルエンザになるとかそのくらいでなければ落ちることはないだろう。

 

 

 

 

 

昼休みも半ばを過ぎたころ、不意にここでは感じるはずのない、あちらの世界の感覚がした。

土地が怒りを抱くほど、異様な空気が私の肌を撫でた。

 

「なに、これ・・・」

「どうしたの」

「なんか、変な感じしなかった?」

 

古典部には元々そういうモノに敏感な人もいる。

そのためか、私以外にも何人か異変を感じ取ったようだ。

祈子さんと無言で視線を合わせると、やはり彼女も感じたようで無言で席を立った。

 

「すみません、少し席をはずします」

 

正確な場所まではわからないが、位置的にはそれほど遠くない。

外部からの侵入となれば業者か大学の関係者か何かに紛れ込んできたのかもしれない。

 

「皆は出ない方がいいね。マリーちゃん、鎧塚君、あとは頼んだよ」

「分かりました」

「はい」

 

マリー先輩や鎧塚は特に何かを感じたわけではないが、私たちを見て状況を察したようだ。

 

 

実験室から出ると人ならざる気配が強くなっていた。

 

「奴さんからお出ましとは探す手間が省けたね」

 

例の吸血鬼とみて間違いないだろう。ピリピリと精霊が警戒を私たちに告げている。

 

「どうします。十師族も吸血鬼を追っているようですが、呼びますか」

「十文字君なら空間の変化に敏感だ。おそらく、分かっていると思うよ。ひとまず、様子見に行こうか」

「分かりました」

 

場所は精霊が導いてくれる。

私たちは足早に外へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マクシミリアンのスタッフとして一高には6人のスタッフが派遣されていた。その中にはリーナと同じくUSNAからスパイとして潜入してきたミカエラ・ホンゴウがいた。

 

(偽装解除方陣とは。ただの高校とは侮っていましたね)

(ばれたと思いますか)

 

声なき問いかけは霊子を振動させ、仲間に声を伝える。

蜂の羽音のようなざわめきは人には全く聞こえない吸血鬼の「声」だった。個我はないが、それぞれが全くの同一個体というわけでもない。

彼女たちが潜入して学校にめぐらされていた方陣のせいで霊子波と想子波が一瞬揺らいでしまった。

 

仲間の反応を見ると、霊子波を読み取れる魔法師はごく僅かであり、気が付かれた可能性は低いとのこと。

彼らの目的を考えるならば裏向きには潜入すべきではなったが、彼女にとっては表向きの捜査上必要なことだった。

 

「ミアとニコルは積み荷を降ろす準備をしてもらっていいかしら」

「分かりました」

「はい」

 

ミアと呼ばれた20代ほどの女性とニコルと呼ばれた栗毛の30代の男性は上司の指示に従い、トレーラーの外に出る。

ニコルもまたミアと同じく吸血鬼だ。

彼の口添えもあり、ミアはマクシミリアンに容易に潜入できた。

周囲を見回すが、業者搬入口のため当然ながら生徒の姿はない。

二人は安堵しつつ、大型の機材を降ろすための準備に取り掛かっていた。

 

「すみません。少しよろしいですか」

 

話しかけてきたのは二人の少女。

二人とも長い黒髪をしており、一人は現代では珍しい眼鏡をかけており、一人は琥珀玉の簪で髪をまとめていた。

一見すると、普通の高校生だ。

世間一般の観点でいえば美しい見た目をしているが、人外というほどでもない。

 

だが、彼らは自覚した。

彼らの感覚がその存在を知覚した瞬間、鳥肌が立った。

それは恐怖だった。

原始的な記憶にして、生命存続のための絶対的な感情。

季節のせいではないほど、その存在は冷え冷えとしていた。

まるであちらの世界のような、何もなく底知れない。しかし、明らかに自分たちとは異なる力。

 

自分たちを確実に殺すことのできる存在を目の前にしたとき、彼らはすぐさま行動に移した。

 

(ニコルは眼鏡の方を)

(分かりました)

 

二人は瞬時に二人を殺すべく接近してきた。

鉤爪状にされた指にはそれぞれ角錐状の力場を纏っており、素手で肉体を抉るための攻撃力を兼ね備えていた。

だが、二人が踏み出すと同時に胴体に容赦のない雷撃が撃ち込まれた。

人間の体を借りているため、体を動かすための電気信号がいったん麻痺する。

致死クラスの電撃を浴びせられても二人は一瞬にして傷ついた神経、内臓を修復させ、意識を取り戻した。

 

「やはり物理攻撃は効きませんね」

 

簪の少女はいつの間にかCADを構えており、清廉な見た目に不釣り合いな無機質なそれは一寸の隙も無くこちらを向いていた。

 

「準備ができるまでは任せたよ」

「分かりました」

 

眼鏡の少女は数歩下がり、なにやら彼らにとって厄介そうな準備をしていた。和紙でできた手のひらサイズのそれからは霊子の濃密な気配がしていた。あれが整えられれば自分たちに勝ち目はない。

マクシミリアンの人間はこの際、意識する必要はない。元々隠れ蓑に過ぎなかった存在だ。

幸い二人以外に生徒の姿はなく、さらに一人は準備ができるまでは無防備で数の上でこちらが有利だと二人は再度距離を詰めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔性の気配を感じて、精霊に導かれながら向かった場所は業者の搬入口だった。私たちのほかには学生も教授もおらず、業者はトラックから普通に搬入業務を行っていた。

精霊を見れば、敵意を持った存在は確かにあそこにいると示していた。

トラックから降りてきたスタッフに話しかけたら、「何か」と問われる前に二人そろって攻撃を仕掛けてきた。

幸いにして風紀委員の私はCADの携行を許されている。

二人と交戦していると、リーナが校舎の陰から走って現れた。

 

 

「ミアと雅?貴方たち、何をしているの!」

 

どうやらリーナとマクシミリアンの彼女とは既知の間柄らしい。

 

だが、そんなことを彼女に確認する間もなく、吸血鬼二人はリーナに目もくれず、こちらに突撃してくる。肉体を強化しているのか、元々訓練を積んでいたのかわからないが、スピードはそれなりにある。

こちらは背後に祈子さんを控えさせているので、彼女に手を出されるわけにはいかない。

飛道具を持っていないようで、素手での攻撃を繰り出している。

CADすら操作していないところを見ると、サイキックである可能性も高い。先ほどの攻撃で神経を焼き切ってもだめだったため、攻撃方法を変えることにした。

 

目に意識を集中させると、どうやら脳の一部に強い思念を感じる。

二人の眉間目がけて攻撃を集中させる。

女性に向かった1発は避けられたが、男性には命中し、動きを止めた。

やはり脳にパラサイトは巣食っているらしい。

迫る来る女性は私を攻撃しようと拳を引き絞っている。

 

CADのトリガーを引く直前で、エリカが小太刀を片手に高速で吸血鬼に迫っていた。すぐさま攻撃をキャンセルし、距離をとる。

吸血鬼が背後のエリカの存在に気が付いたと同時にエリカが持っていた小太刀で心臓を一突きにした。

胸からは大量の血が流れるが、エリカは苦い顔をしていた。

 

「エリカ、下がって」

 

エリカが刀を引き抜き、スカートにもかかわらず吸血鬼を蹴り飛ばすと同時に追い打ちをかけるようにピンポイントで吸血鬼二人に冷気が襲い掛かった。一瞬にして吸血鬼は氷の中に閉じ込められ、動きを止めた。

 

「深雪、達也」

 

振り返るとCADを構えた深雪と達也がいた。

 

「お怪我はありませんか。お姉さま」

「ええ。ありがとう」

 

達也と深雪が私たちの近くまでやってきた。

 

氷漬けにされた二人からはまだ嫌な感じは取れていない。

おそらく、神経を焼き切っても生きていたのだ。

人間の皮が使えなくなる程度ではいずれ出てきてしまうだろう。

 

「マクシミリアンの人はどうしたの。まさか殺したの」

「人聞きの悪いことを言うな。眠ってもらっただけだよ」

 

リーナの問いかけに、達也は心外だという風に首を振った。

おそらくマクシミリアンの社員は部外者で、二人の存在は知らなかったのだろう。そうでなければ、態々今まで夜に活動していた理由がない。

 

「ちょっと待ってよ。ソレを持っていかれたら困るんだけれど」

 

エリカが身柄の行方について手を挙げた。

 

「そいつがレオをやったやつならいくら達也君でもやるわけにはいかないのよ。こっちにも面子ってものがあるのよ」

 

エリカはこの吸血鬼について一歩も譲るつもりはないらしい。

千葉家としても証拠もなく吸血鬼を討伐したとは言えないだろう。

彼女は殺していないので、証言は取れる。おそらく、どのような形かはわからないが、処断されることは間違いないだろう。

 

 

「おいおい。くだらない言い合いはそこまでにしてくれないか」

 

祈子さんがエリカの剣幕に呆れながら、二体の吸血鬼を眺めていた。

 

「まだ、こいつら死んでないから」

「へ?」

「なに?!」

 

エリカと十文字先輩が疑問の声を上げると同時に、頭上に嫌な気配を感じた。

 

「危ない!!」

 

トレーラーの方から吉田君が叫んだ。咄嗟に祈子さんの腕を引き、十文字先輩が広く頭上に障壁を張った下に引き入れる。

 

深雪とエリカが氷漬けの二人を見る。

その二人は先ほどとから身動き一つしていなかった。

当然氷漬けの状態で魔法が使えるわけがないし、そもそも意識があるはずがない、という常識を覆すような光景だった。

 

「自爆?!」

 

氷像が内部から電光を散らして急激に光りだした。

 

「伏せろ!」

 

十文字先輩が注意を促し、体を丸めて防御態勢をとる。

まるで紙切れのように女性の体は燃え上がり、何もないところからゴルフボール大の雷球が飛来した。速さはせいぜい弓矢ほどだが、威力は人を気絶させるには十分だった。

十文字先輩が張っていた障壁で第一波は防ぐことができたが、攻撃は休むことを知らない。

360度ランダムに打ち出される雷球は想子で編まれた魔法式による事象改変だ。その事象改変の気配に何とか反応し、対応しているが、普通の魔法師にはパラサイトの存在は見えない。

 

「っこれは強烈だね」

「祈子さん」

「悪いけど、ちょっと役に立たなそうだ。」

 

祈子さんは両目をふさいでいる。

 

祈子さんは、『佐鳥』は“悟り”の力を持つ。

触れたモノ、目にしたモノ、聞いたモノ

それぞれ術者によって得意なモノはあるが、五感で感知できない情報を知覚する能力がある者を四楓院では『佐鳥』と呼ぶ。

祈子さんは本に残された意思を読み取ることを得意としているため、目と触覚が人より優れた感覚がある。

 

私は主神の恩恵と加護を受けているから、魔性の光に苦しめられることはなく、存在も見えている。だが、この攻撃を捌きながら封印に集中することは難しい。

 

「達也」

 

背中合わせになった達也を振り返る。

 

「1分、守って」

「・・・分かった」

 

一瞬だけ、私の手を握った。

任せられた、頑張れと言われている気がした。

 

「手があるのか」

 

十文字先輩が祈子さんを背に守りながら訪ねた。

 

「ええ。ですが、先ほどより抵抗されますし、その間は無防備になるので、防御はお任せします」

「分かった」

 

二体分のパラサイトの攻撃は依然として苛烈を極める。

肉体を失ってもなお逃げ出さないのは依代を求めているからだ。

つまり、この場にいる誰かに憑りつこうと目論んでいるからに他ならない。そんなことはさせない。

無理やりこちらの世界に来させられたとはいえ、土足でこの土地に踏み入ったのだ。それ相応の代償は受けてもらわなければならない。

 

 

祈子さんが持っていた人型の依代を受け取り、髪にさしていた簪を抜いた。

 

 

 

 

私は静かに息を深く吸い込んだ。

 

『“黄泉の門より出でし、来訪者よ

ここはイザナミの守りし土地

イザナミが育みし土地

彼岸の国、黄泉の国、根の国のものよ

選ぶがよい”』

 

パラサイトが悲鳴にも似た波動を放つ。私が詠唱を始めると、理の世界にいた霊子情報体が現実世界のものとなって現れだした。

 

「あれがパラサイト?」

 

リーナが突如として姿を見せたパラサイトに目を見開いていた。

何もなかった空間に霞のような存在が浮かび上がる。

 

『“魂なく、姿なく、声なく、さりとて意志あるものよ

汝に憑代を授けよう

さもなくば死を与えよう

霞と消えゆくか、我らが軍門に降るか選ぶがよい“』

 

バチバチと電球の飛来数が増加する。触手のようなものを伸ばし、こちらに取り入ろうとパラサイトも必死になって抵抗する。

 

『“ここは大神の守護する土地”』

 

声に想子を乗せる。

 

『“ここは天の葦原より授かりし土地”』

 

大地が共鳴する。

 

『“選択せよ”』

 

怒りを抱いた土地がパラサイトを押さえ込む。

 

『“汝の名を述べよ”』

 

クラゲのような、粘菌のようなパラサイトは抵抗を続ける。

空気を震わせ、不快な波動をまき散らす。

想子を乗せた言霊の鎖でパラサイトを縛る。

 

『“我ら系譜にその姿と真の名を示せ”』

 

 

簪の玉が反応し、和紙の依代に二体のパラサイトが抑え込まれる。

物理的な明るさだけではなく、霊子的な眩い閃光が辺り一帯を包み込む。

光が晴れると、地面には人型を模した依代が落ちていた。

 

「終わったの・・・?」

 

リーナが呆然と依代を見ていた。

今まで感染者を粛正するしか方法がなかった彼女からしてみれば、自分のしてきたことを否定されるような出来事なのだろう。

依代を拾い上げるために簪を手にしたまま近づくが、手を伸ばした瞬間、一つの依代が真っ二つに切れた。

 

パラサイトは封印を突き破り、逃げるべくトレーラーの方向に向かった。

私相手では分が悪いのか、一度は封印されて脆弱化しているからか、私たちを避けるようにパラサイトは飛んで行った。

トレーラーの陰には美月と吉田君がいる。

 

「美月!」

 

電光に紛れて美月を乗っ取ろうとパラサイトから糸が伸びる。

吉田君が美月の前に立ち、剣を模した想子で触手を切り取る。

だが、即席の術なのですぐさま再生し、再び美月に襲い掛かった。

だが、私が振り返るより早く、達也が術式解体で襲い掛かろうとしていたパラサイトの本体を触手ごと吹き飛ばした。

 

「逃げられたか」

 

十文字先輩の問いかけに達也は無言だった。

術式解体は想子流の圧力で情報体を押し流す技であり、「解体」という名前はついているが強固な情報体なら流されるだけで破壊はされない。

今回も弱体化はしただろうが、結果としてどこかに逃れてしまった。

それは達也もわかったうえで、美月を守るために術式解体を使った。

逃てしまったパラサイトの気配は残渣ほどしかなく、私でも感知できない。

 

「まあ、一体は確保したからいいんじゃないかい」

 

祈子さんは私が拾い損ねた依代を懐紙で直接手に触れないようにして拾い上げる。

 

「行橋、お前達は何をした」

 

十文字先輩は訝し気に祈子さんを見ていた。

 

「実体を持たない寄生虫に憑代を与えたところだよ。今は抵抗して疲れて眠っているからなんともないけど、潜在的な能力はまあ凄いんじゃないかな」

 

「ソレにパラサイトがいるというのか」

 

「いるけどさっきの一件で力を使って休眠中だから、こちらもあちらも何ともできないね。逃げたやつも人間に取り入るだけの力は残っていないだろうから、精々学校に迷い込んだ猫とか、鳥とかに寄生するんじゃないかな」

 

そう遠くには行っていないはずだが、気配が探れない以上どうしようもない。祈子さんの見立てでは少なくとも人間に寄生するだけの力はないので、ひとまず学校の生徒には被害は出ないだろう。

 

「行橋先輩、それにパラサイトがいるということですが、先ほどのように依代を破って出てくることはないのですか」

 

達也の質問に祈子さんは首を振って否定した。

 

「あっちは肉体の段階であまり霊子体にダメージを与えられなかったから出てきたけど、こっちは雅ちゃんが攻撃しているから逃げることはないと思うよ。動き出すにしても誰かが強い思いをこの子に与えてやらないとだめだね」

 

「思いを与える?」

 

リーナやエリカは訳が分からないという風に疑問を呈した。

彼女たちの理解、特にリーナに取ってみれば精霊に意思があるだなんて眉唾もいいところだろう。

 

「そうだ。精霊には意思がある。霊子にも無論、意思がある。

なまじ実体を持たないから、強い力や思いに惹かれやすい。

私たちの流派ではそう言われているよ。常識を超え、見えないものを理解するのは今の君たちには大変だろう」

 

結局、魔法は世界の認識の仕方なのだ。

科学的に定義された現代魔法がある一方で、古式魔法のように明確に定義されていなくても発動できる魔法はいくつもある。

精霊や霊子も一般的な解釈はあれど、流派や学者によって提言するものは違う。本格的に研究されだしたのが100年前の歴史の浅い学問だから、解明されていないことも多い。

 

「結局、ソレはどうするのだ」

「ウチで預かってお焚き上げでもして、在るべきところに帰す方がいいのかもね。ひとまず、攻撃してくることはないよ。君らも面子はあるだろうけれど、処理してしまってもいいかな」

 

祈子さんが十文字先輩とエリカたちに許可をとった。

 

「こちらは構わん」

「ミキはどう?」

「僕もあの封印方法は見たことがないから、下手に手を出して復活させるよりは行橋先輩に任せた方がいいと思う」

 

封じこめられた以上、解析の方法もあるが、他の流派の術式であり、今回は引くということだ。

 

達也は一切口を挟まなかった。

美月を助けるためとはいえ、何の成果もなく敵を逃してしまった。

被害は出なかったが、同時に成果も少ない。

この捕まえたパラサイトもすぐさまあちらの世界へと還されるだろう。

 

「達也」

 

私は俯いたように見える達也の手を掴んだ。

 

「守ってくれてありがとう」

 

素人が魔性に手を出して、被害が出なかっただけで儲けものだ。

誰か一人が大けがを負ったり、最悪憑かれていた可能性だってある。

攻撃を受けながらでは私一人では封じることができなかった。

だから、今回は仕方がない。

そう思うしかないのだ。

 

 

達也は静かに奥歯を噛みしめていた。

 



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来訪者編6

あ、ありのままに起こったことを話すぜ。
1話分として書いていたらなぜか1万7千字を超え、2話に分割することになった。おかしいだろう。
ついでにもう一つ分のエピソード入れようとしてたんだぜ(゜Д゜≡゜Д゜)?






次の日、リーナは学校を休んだ。

あの騒ぎで流石に生徒の一部も気が付いたらしく、大きな混乱にはならなかったが、後処理に追われた。

リーナの方はUSNAのサポートスタッフも校内に入り、混乱に乗じて脱出していた。

パラサイトに憑りつかれていた女性はリーナの知り合いということで尋問があるだろうと思っていたが、特に十文字先輩は問い詰めるつもりはないらしい。

エリカはまだ仲間なのではないかと疑っているようだが、完全な仲間という確証がない以上、下手に手出しはしないとのことだ。

 

あの封印したパラサイトは同日夕方、祈子さんの家で内々に処理された。

処理した者の証言では、霊体の大きさからしていくつか分裂したモノの一つらしい。

封印から逃げた吸血鬼だけではなく、まだ複数の吸血鬼がこの東京近郊に隠れているということだ。

 

達也は吸血鬼対策として八雲(叔父)のところで理の世界への攻撃方法を特訓している。

理の世界に攻撃を行うことは古式魔法師にとって魔性対策としてよく知られていることだが、現代魔法しか知らない者にとって習得することは才能が左右される。

達也は精霊の目というアドバンテージがあるため、3日で情報の次元に攻撃を当てることができるようになったが、まだ決め手になるほどの成功率も威力もないとのことだった。

1週間ほど訓練をしているが、行き詰っているらしい。

だが、深雪からできると全面的な信頼と断言をされてしまった以上、達也は不可能だと言うこともできず、頑張るさと苦笑いをこぼした。

 

 

 

 

 

 

吸血鬼の接触からおよそ1週間

前触れもなく、USNAから持たさされたニュースは朝の情報番組をにぎわせていた。

 

「これは…」

「雫から教えられた情報と同じね」

「ああ」

 

ニュースの中身はとあるUSNA政府関係者の内部告発という体をとっていた。

USNAが朝鮮半島で起きた日本軍の秘密兵器に対抗する手段の開発を魔法師に命じた。

魔法師は科学者たちの警告を無視し、マイクロブラックホールの生成実験を強行。

異次元からデーモンを呼びよせ、これによって日本の機密兵器に対処しようとしたが、管理を離れて暴走した。

巷を賑わせている吸血鬼事件はこれが原因であり、魔法師がデーモンに乗っ取られて、事件を起こしていると報道されていた。

 

脚色は随分とされているが、結論として言いたいのは魔法師排斥だ。

東海岸では随分と人間主義の運動が高まっているというし、デモも発生しているらしい。

 

「圧倒的に魔法師ではない人間が多い以上、世論がどちらに傾くかは明確だな。それより気になるのはニュースソースだ」

 

いくら吸血鬼事件が民間レベルで騒がれているとはいえ、USNAがトップシークレットとして守っている情報だ。それが内部告発という形であれ、漏れ出るのは如何なものだろうか。

軍に本当に告発者がいたのか、可能性は低いが外部侵入したハッカーから情報をリークされたのか、報道の文面からは読み取ることができない。

 

 

達也が考えを巡らせた後、電話機のコンソールに手を伸ばして、中断した。

どこかに確認をとろうとしたのだろうが、何か躊躇う理由があったのだろう。

 

「聞いてみましょうか」

 

少なくともこの程度のソースなら海を隔てていても千里眼には見えるはずだ。

USNAの軍内部の今後の動きも含め、詳細な情報が得られるだろう。

 

「いや、今は良い」

 

達也は迷いながらも首を振った。

家には吸血鬼と遭遇したことはもちろん伝えているが、報告だけであり、その後の対応については私に一任されている。達也に力を貸せとも、迅速に処理しろともいわれていない。

今回の一件は単に七草、十文字だけではなく、四葉も動いている。

彼らの狙いが何にせよ、藪を突っついて蛇ににらまれるようなことはしなくてもよいとのことだった。

 

達也が誰にかけようとしたのかはわからなかったが、戸惑ったところを見ると全面的に彼の味方というわけではなさそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

朝、いつもより少し早く学校の最寄り駅についた。

学校までは一本道であり、降りる乗客のほとんどが魔法科高校生または教員だ。

3人で改札を出たあたりで待っていると、遠くからでも人目を惹く見事な金髪が見えた。

その表情はどこか暗く、朝から覇気がなかった。

顔をややうつむいたまま改札から出てきたリーナは達也と私を見るや否や、一目散に踵を返し、改札口へ戻った。

 

「おはよう、リーナ」

「・・・・おはよう、深雪」

 

だが、改札の方には深雪が素早く待ち構えていた。

 

「人の顔を見て逃げ出すとはどういう了見だ」

「あ、アハハハハハ」

 

リーナは乾いた笑いを浮かべた。

どうやら反射的に逃げ出してしまったようで、笑ってごまかすことにしたらしい。

 

「まあ、無駄話をして遅刻する理由もないからな。歩きながら訊いても構わないか」

「え、ええ」

 

話題は同然、今朝のニュースについてだった。

リーナも見たようで、その顔は不服げな様子が浮かんでいた。

 

「どこまで本当なんだ」

「肝心なところは全部嘘っぱちよ。表面的な事実だけ押さえてあるからタチが悪い。情報操作の典型だわ!」

 

リーナは不満を爆発させていた。私たちが事情を知っていて話しても問題ないという相手だから、溜まっていた鬱憤を消化させているのだろう。

 

「やはり世論操作か」

 

リーナの言葉に達也は納得したようだったが、リーナはその態度が理解できなかった。

 

「やっぱりって?」

「いや、単なる推測だ。それより、表面的な事実関係は正しいんだな」

「・・・そうよ!」

 

リーナは不本意丸出しで吐き捨てるように言った。

まるでUSNAの魔法師全てが悪として報道されているかのようなニュースに腹を立てているのだろう。もしかしたら彼女にとっても寝耳に水だったのかもしれない。

 

「あの内容なら当然機密扱いになっていただろうが、外部の人間から調べられたのか」

「・・・・・・・・・『七賢人』よ、たぶん」

 

苦々しく流麗な眉をひ潜めながら、リーナはポツリとそう答えた。

 

「『七賢人』?ギリシャ七賢人と関係あるのか」

「The Seven Sages を名乗っている組織があるのよ。詳細はUSNAも尻尾をつかめていないわ」

 

USNAが正体を掴めていない組織ということで、私たちは驚いた。

 

「USNAの組織なんだろう。それが正体不明なのか」

「あるのよ。悔しいことにね。七賢人って組織もあっちから名乗ってきたことだし、分かっているのはセイジの称号をもつ7人の幹部がいるってことだけなのよ」

「賢人か。そのままだな」

「だから、いったじゃない」

「ちょっと、リーナ。お兄様に当たらないでちょうだい」

 

怒り心頭のリーナに深雪が冷ややかに釘を刺した。

深雪の指摘は話題と的外れであったが、言葉に詰まったリーナはぶつぶつと何かつぶやいていた。

ここからは推測と今までのかかわりからの判断らしいのだが、七賢人は人間主義といった狂信的な存在ではないそうだ。

どちらかといえば愉快犯的な存在で、USNAがその情報に助けられたこともある。

どのような手段を用いて情報を仕入れてきたのか、情報の出どころは不明だが、その情報が外れたこともない。

 

 

『七賢人』

USNAの機密情報を盗むことができる存在。

父や兄ならもしかしたら正体を知っているかもしれない。

 

千里眼は九重の歴代当主のみがもつ異能だが、それが海外にもある可能性は否定できない。

物理的な距離を無視して情報を把握できるこの異能は情報システムを介さずに情報を仕入れることが可能だ。異能であるため、科学技術では太刀打ちできないのがこの能力の強みである。

 

「リーナ、もう一つ確認してもいいか」

「・・・なに」

 

校門までもう少し距離があったが、達也は質問を切り上げることにした。

リーナも真面目な表情をしていた。

 

「パラサイトをこの世界に呼んだのは意図したことか」

「いいえ。本気でそう言っているなら、私、怒るわよ」

 

怒ると言いながらもすでにリーナは怒っていた。その対象は達也ではなく、別の対象に向いていた。

 

「私はすでに『感染者』を4人も処分しているのよ。これが誰かの仕組んだことだったのなら、私は許さないわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リーナは朝から気分が優れなかった。

体調が悪いとか、気分が憂鬱というわけではなく、とにかく腹の虫の居所が悪かった。

イライラとした気持は自分に出番がないことを理詰めで言い聞かせ、納得させ、落ち着かせていた。

 

昼休みを終えるころには冷静さをいつも通りとは言わないながらも、随分と普段通りに振舞うことができていた。

自分は感情のコントロールが向いていない。

上官にも指摘されたリーナの弱点でもあった。

仮面のように、本物と見まごうばかりに仮装行列を展開することができたとしても、心までは誤魔化せない。いくら規格外の魔法力と戦略級魔法の使い手であっても、16歳の少女。

上からも多少はまだ多めに見てもらえていた。

 

ランチタイムを終え、教室にリーナは戻っていた。

席はまばらではあるが、真面目な日本人らしく半数が席についていた。

A組は深雪や雅もいるせいか、特に真面目な生徒が多いというのはリーナの感想だった。

 

「あら、雅は?」

 

リーナは予鈴が鳴っても姿の見えない雅の所在を深雪に尋ねた。

 

「お姉さまなら今日は大学の研究に呼ばれているから午後からお休みよ」

「大学の研究?」

 

リーナは首を傾げた。雅が部活動で古式魔法の研究をしていることは知っているが、わざわざ大学の研究まで出向いて手伝っているのだろうか。

 

「放課後、中庭で古典部との合同研究があるからリーナもどうかしら」

「ああ、そうなの。大学の研究に呼ばれるってことは、雅って相当優秀なのね」

「お姉さまの優秀さは私が改めて言うまでもないけれど、分野が特殊であるから、そもそもの研究人数が少ないそうよ。USNAはどうなのかしら」

 

達也と同じように滲み出るような愛しい瞳をしながら深雪は説明した。

深雪は雅に幻想を抱いているというか、神聖視している。

深雪の思いは崇拝まではいかないが、彼女たちの間には一種の花園を感じていた。

リーナはそんな態度も織り込み済みだという風に、深雪の問いかけに答えた。

 

「研究者がいないわけではないと思うけれど、どちらかと言えばUSNAは魔法の軍事利用が主だから私も詳しく知らないわ。EUの方が古式魔法の研究は盛んだったはずよ」

 

リーナが知っている知識は現代魔法に偏っている。パラサイトのことも事件が発生してから聞かされたことであり、リーナは古式魔法といいう存在は身近ではなく、その研究というものには多少なりとも興味があった。

 

「私も行ってもいいのかしら」

「ええ。生徒会は優先的に入れてもらえるから、安心してね」

 

リーナも一時的とはいえ生徒会メンバーに入れられているので、席は確保されているらしい。

 

「楽しみにしておくわ」

 

研究テーマなど詳しく聞きたかったが、生憎とチャイムに邪魔をされ、放課後までの持ち越しとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後になり、深雪、リーナ、ほのかは発表が行われる中庭に移動していた。大学の発表を高校の敷地でやることは珍しく、多くの生徒が集まっていた。

深雪たちは生徒会役員なので、直接会場で発表を見ることができるが、入りきらなかった生徒のためにライブビューイングも行われている。

 

いつもの中庭には大掛かりな舞台が組まれていた。地上から2メートルほど高く作られた木組みの舞台があり、上手には神社のようなセットがある。また、舞台後方には赤く細長い絨毯が敷かれている。

さらに舞台の前にはしめ縄で囲われた席があり、ゴザに赤い座布団が敷かれ、神酒と柏が供えてあった。

 

 

これからどのような実験を行うのか聞かされてないリーナは首を傾げた。

 

舞台が建てられているのは室外という場所ではあるが、聴衆の席は透明なイベント用の囲いがされているため室内と変わらず温かかった。

前方には移動が可能な巨大スクリーンと、発表用の演説台が置かれていた。席は当然というべきか、達也たちE組のメンバーもいた。

 

「お兄様、お待たせしました」

「待ってないよ。俺たちの実験が早く終わったから、先に来られただけだから」

 

3人分の席は確保されており、達也たちの前に3人は座ることになった。

 

「あら、リーナ。久しぶりね」

「ええ、久しぶり」

 

エリカはにこやかに微笑みながら眼だけは挑戦的にリーナを睨みつけた。

エリカは先日の一件について根には持っていないが、本人を目の前に能面のように感情を出さないというわけにはいかなかった。

美月と幹比古はハラハラと心配しながら今にも火が付きそうな様子を見守っていた。

エリカとリーナは暫し睨みあっていたが、先に折れたのは意外にも仕掛けたエリカだった。

 

「まあ、今は良いわ。雅の舞台の前に水を差したくないからね」

「そうね」

 

リーナも大人しく席に着いた。

ここで事態を大きくするのは得策ではなく、何より人目がありすぎた。

 

「随分とカメラも来ているわね」

 

会場の後方には記者とカメラが結集していた。

20社ほどだろうが、魔法師関係の学術誌ならともかく、大衆向けの大手メディアも取材に訪れていた。

 

「魔法関係以外のメディアも来ているな」

「これって普通なの」

 

リーナの問いかけに達也は首を振った。

 

「いや、大学関係者やその手の研究を取り扱っている企業や魔法関連の広報誌ならともかく、大学教授の発表、しかも古式魔法の研究にこれほどメディアは集まらない」

 

彼はトーラスシルバーの名前で魔法研究をしており、発表は会社の人間がプレゼンをするのだが、発表の場にどのようなメディアが来ているのかは聞き及んでいた。だから今回の異様さが分かり、しかも軍事目的や産業と直接結び付かない古式魔法は、普段は見向きにもされない分野だ。

だからこそ、今回の集まりように裏を感じていた。

 

「なにか意図することがあるということでしょうか」

 

ほのかは心配そうに後ろのメディアを盗み見た。

自分たちが発表や会見をするわけではないが、記者たちの雰囲気は決して魔法師に対して好意的なものではなく、居心地の悪さを感じていた。

 

「発表そのものか、もしくは魔法師について問い詰めたい連中もいるんだろう。今朝ニュースがあったとはいえ、随分とスクープがほしいようだな」

「なにそれ。あいつら発表の邪魔をしに来たってこと?」

 

エリカは殺気を込めた刃のように鋭い視線を記者に飛ばした。

何人か記者が身震いしたので、美少女の、それも怒りの表情は威力があるのだろう。

 

「邪魔はしないさ。いくらか難癖は付けられるのは発表者もこの状況なら織り込み済みだろう」

 

日本では大規模なデモや抗議運動は発生していないが、今後の動きによっては人間主義の風潮が日本でも高まる可能性がある。

ただでさえ横浜事変と、朝鮮半島での爆発で世間はまだ落ち着いていないというのに、吸血鬼を招いたのが魔法師の落ち度となればそれ見たことかと鬼の首を取ったようにメディアは騒ぎ立てている。

今回の研究発表は殺傷性のない魔法であり、世間の風潮を荒らげるようなことはないとは思うが、記者は恰好の機会を逃すはずがないと達也は踏んでいる。

ハイエナのように学生研究にたかるメディアに達也も確かに嫌悪を抱いていた。

 

 

 

 

 

 

会場には徐々に人も集まり、開始時刻前にはすでに満席になっていた。

生徒会役員だけではなく、風紀委員も万が一の事態に備えて待機している。

メディアが多数来ている以上、スパイの可能性も否定できない。厳重にチェックされているが、盗撮機器などの精度は年々向上しており、人の目でも警戒は必要となっている。

 

ピリピリとした緊張感の中、最初の発表は一高の図書・古典部だった。

壇上には一人の女子生徒が登場し、一礼をして説明が始まった。

 

「今回、私たちが行った研究は古式魔導書の解読と再現です。元となった文献は図書・古典部所蔵のもので、解明されず放置されていたものでした」

 

スクリーンには古ぼけた紺色の表紙の魔導書が映し出された。

表紙には金字でタイトルらしきものと、丸と直線で描かれたいくつかの図形が重なり合うように描かれている。

 

達也にはこの本に見覚えがあった。四月、風紀委員室で埃をかぶっていた魔導書の写しがこれと酷似していた。原書が図書部にあったことは聞いていたが、どうやらそれが解析されたらしい。

 

「文章は全てこのような特殊な文字をしていました。まずこの文字自体、既存の魔法言語学にあてはまるものではありませんでした。

文節が一定の区間で区切られており、いくつか共通した単語らしき存在も確認できました」

 

映し出された文献の文字は所々擦り切れているが、原型はとどめている。

いくつかの文字が映し出されていくが、作者の癖のある文字なのか、既存の魔法言語学にあてはまるものではなかった。

 

「これらが何を意味した言葉なのか。いくつかの既存の解析方法を試した結果、答えは鏡にありました。こちらは16世紀以降西洋で使われていたテーベ文字の一つAです」

 

スクリーンに映し出されたのはアルファベットのyのような形をした文字だった。それが映像のなかで上下反転にされ、さらに鏡のように左右に反転された。

 

「この魔導書は魔女の間で使われていたテーベ文字を上下反転し鏡文字にし、さらにそれを一定の法則で順番を入れ替えてありました。これが置換に用いた表です」

 

テーベ文字とはラテン語をベースにした西洋魔導書に用いられてきた文字だ。独特の形をもつテーベアルファベットと英字アルファベットの置換表がスクリーンに表示される。

 

「置換後の文章から解明したのは、これはとある魔法研究の成果だということでした」

 

スクリーンが再び魔導書の表紙に切り替わる。

 

「表紙のこの図形は魔法陣であり、構造だけ描かれ、肝心な文字列がありません。そこに魔導書の中にある説明通りに文章を順にあてはめていくと、このような図形になります」

 

表紙の図形に文字があてはめられていき、完成したのは一昔前に流行った黒魔術のような奇怪な魔法陣だった。大円の内側に小円が4つ、それを繋ぐように四角が置かれ、さらに45度ずらした四角形が刻まれている。

中央には二重の円があり、図形のいたるところには細かな解析前のテーベ文字が刻まれている。

 

「この魔法陣によって発動するのは基礎単一系の跳躍術式と減速魔法ですが、一般的な刻印術式のようにサイオンを送り込むのではなく、自動でスキュームする機能が入っています。これは今年7月に発表されたトーラスシルバーの飛行術式のデバイスに使われているものと同じ手法であり、魔法師はイメージによって跳躍を可能にします」

 

ここで一人の男子生徒が舞台袖からステージに上がる。

その手には30cm四方の金属製のプレートを携えており、聴衆に分かるように掲げて見せた。そこにはスクリーンに映し出されているものと同じ魔法陣が刻まれていた。

 

男性生徒はステージ中央にに刻印を刻んだプレートを設置し、ステージ端まで下がる。少し加速をつけて走り、プレートを右足で踏み込むとふわりとその体が宙に浮いた。

もちろんCADは身に着けておらず、事象改変の反応はプレート部分を起点として発生していた。

男子生徒は3mほど飛び上がると、跳躍したスピードの10分の1のスピードでゆっくりと降下した。

 

「跳躍距離は1mから最大25mまで可能であり、着地も組み込まれた低率減速魔法で安全性は確保されています。

低率減速もある程度調整でき、降下速度も変更可能です。今回は会場の設計上、3mに設定しています」

 

魔法師である生徒たちにとっては見慣れた光景だが、後方に控えていた記者たちからは小さな歓声が上がった。

 

「魔法名は『グラスホッパー』

魔法事体は既存ではありますが、この魔法の特徴はCADを操作するという作業を省いていることです。魔法師はイメージだけで魔法発動が可能であり、加えて刻印術式でサイオンの自動スキューム機能は現在発表されておらず、今後ほかの系統魔法への応用も期待されています」

 

古典部の発表が終わると拍手が送られた。1年生グループが中心として開発したという点を見ても、称賛される内容だったのだろう。

 

 

 

「ねえ、達也君。これって、どんなことに役立つの?」

 

拍手を送るエリカが隣に座る問い掛けた。

 

「魔法競技系のスポーツでは使えそうだな。サバイバル系の競技ならトラップになるだろうし、軽新体操なんかにも使えるんじゃないか?」

 

あのように持ち運びできるほどのサイズならば安価で量産は可能であるし、メンテナンスの必要も既存のCADほど必要ない。

古式魔法の長所は細かな整備を必要としない点であり、それを有効に生かしている。

 

「1年生であそこまで研究できるのね」

 

リーナは感心した様子だった。

 

「USNAこそ研究はどうなの?」

「学生がやる研究なんて精々教授の手伝いや学生発表のレベルよ」

 

USNAは基礎研究、または軍事利用の応用が基本であり、学生レベルで本格的な研究をしているのはよほど才能のある魔法師だけだ。

そういう意味では研究熱心な日本人の性格も相まって、日本の研究分野は恵まれていると言えるかもしれない。

 

「そういえば、雅さんは出ていませんでしたが、裏方でしょうか」

 

美月が観客の間を除くように雅の姿を探していた。

 

「お姉さまは大学の研究だから、この後出られるわ」

 

先ほど発表をしたのは1年生を中心としたチームであったが、雅の姿はなかった。研究発表は単に壇上で発表をするだけではなく、裏方も大きくかかわっている。

研究の規模にもよるが、基本的に裏方の支援なく研究は成功しないと言われているほど重要な役割を持っている。

 

「そうだったんですね」

 

今回は大学の研究チームとの合同発表会であり、いわば高校の発表は前座のようなものだ。古典部の発表も発表としては十分な成果と評価を得られるものではあったが、大学の研究は専門性、魔法の難易度合わせはその上を行く。

 

会場は本命である大学の発表を待ちわびていた。




続きます。


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来訪者編7

意外と話が終わらない、進まないですね(・д・`)

追記:感想で指摘があった誤字等修正しました。
いつもありがとうございます。


10分ほどの休憩をはさみ、大学の研究発表に移った。

壇上に現れたのは魔法科大学の教授だった。年齢は50代半ばごろ。

日本人にしては彫りが深く、年相応に年季を重ねた渋い顔だちをしている。

紺色のスーツに身を包み、鈍色のネクタイをきっちりと締めている。

 

司会者の女性から紹介があり、魔法科大学の古式魔法研究者だと説明された。古式魔法の中でも歴史解釈や刻印魔法の解読を得意としており、今回の研究もその一環だそうだ。

 

紹介を受けた教授が演説台に立った。

研究の発表は先ほどと同じようにスクリーンを使って進められた。

こちらの研究も同じく、一冊の本から始まった。

今回の研究は刻印魔法を用いた魔法であり、民間伝承の話がベースになっている。

 

本と伝承でしかなかった歴史を魔法によって再現できるかどうか。

それが今回の発表だった。

 

古書を現代語訳すると、時代は平安時代まで遡る。

都のはずれの屋敷に美しい姫がいるという噂が公達(きんだち)の間で広まった。冬になれば美しい赤椿が咲き誇るその家の姫はいつしか椿の君と呼ばれた。

 

ある時、姫と懇意にしていた男は年老いた女房から相談を受けた。

夜な夜な姫のもとに鬼が現れ、姫をそそのかしているのだという。

家の者たちは鬼を恐れ近づけず、鬼も近づかない限りは手出しをしてくることはなく、姫に文を送っては話をして去っていくらしい。

姫も家の者たちに何かあってはいけないと、心優しいもので、鬼にはかたくなな態度をとりながらも決して礼を失わないよう接していた。

(しとね)を共にするどころか、声すら直接聞かせてはいないが、いつ鬼が本性を現し、姫を我が物にしてしまわないかと家の者たちは恐れているとのことだった。

 

男はすぐさま、家の者たちを集めると、鬼討伐のために立ち上がった。

鬼は夜になると現れるというので、家の周りや庭に松明を煌々と焚き、鬼を待っていた。

男が鬼の首を討ちとれば、上の耳にも入り、出世にもつながると男は密かに目論んでいた。

だが、それ以上に愛しい姫が人間異形問わず他の男に掠め取られるなど許せることではなった。

屋敷を取り囲むように兵は万全の守りを固めていた。

 

冬の凍てつくような寒さが身に染みる。

風は唸り声を上げるように夜空を駆け巡る。

屋敷の戸もがたがたと音を立て、不気味に揺れている。

固唾をのんで鬼の到来を待っていると、一陣の風が吹き荒れ燃え盛る松明がすべて消えた。

 

月のない暗い夜に男たちは慌てた。すぐさま火をつけ直すように男は指示し、兵たちが慌ただしく駆け回る。次々と松明が灯り、屋敷に明かりが戻ると女房の悲鳴が聞こえた。

男が屋敷の中に入ると、そこに姫の姿はなかった。

姫は男が贈った打掛を残し、消えていた。

男はまだ温かさの残る打掛を掻き抱いた。まるでまだそこに姫がいるかのように感じられるほど香もぬくもりも残っており、男は涙で袖を濡らした。

 

女房も涙を流し、失った姫を嘆いた。

嘆き悲しむ男のもとに外にいた兵から急ぎの知らせが入った。

どうやら鬼は都の外の荒れ果てた社を根城にしているらしい。

連れてきていた呪術師がそう予見したのだと報告をしてきた。

男は袖で涙をぬぐい、すぐさま馬を走らせた。

 

雪のチラつきだした夜の山道を馬は駆ける。

一刻でも早く鬼を討ち取らなければ、姫が食われてしまう。

男は力強く、馬を蹴った。

 

舞台は鬼が住まうという社の前から始まる。

スクリーンは一端下げられると、舞台が正面から見えるようになった。

刻印は舞台一面に刻まれており、それを術者が歩法によって発動させる。

歩法の補助具として術者の履物に刻印を刻んだ金属を地面と接する部分に埋め込んであるとのことだった。

 

木組みの舞台から外れた後方の赤い絨毯が敷かれていた場所には楽師が準備を終えていた。

舞台には柳の色目の狩衣を着た男が剣を鞘から抜いていた。

剣には細かな文様が刻まれており、刻印魔法だと目のいい観客は気が付いた。

 

秀麗な男が勇ましく名乗りを上げる。

静寂に凛々しい声が高々と響き渡る。

剣を引き抜き、男は正眼に構える。

 

男の問いかけに応えるように荒れ果てた社の戸が軋む音を響かせ、開かれた。

現れたのは見まごう事なき鬼だった。

炎のように朱く、血染めのように紅く、赤漆のように艶めく髪を風になびかせ、男の前に現れた。

額には異形の証である白い角が異彩を放つ。

筋骨隆々ではなく、どちらかと言えば細身の体躯。

派手な赤や金のちりばめられた黒地の着物はいかにも荒くれものらしく、派手な髪色を一層際立たせていた。

足元は重々しい金属製の一本下駄が揺るぎなくその姿を支えている。

 

美しい鬼だ。

修羅を模した鬼面で素顔はわからず、地を這うような恐ろしさも怖ろしさも感じる。

だが、闇に燦然と存在するその鬼は確かに人並み外れた美しい鬼だと感じさせていた。

鬼は無言で腰にさしていた太太刀を引き抜く。

刃は弱い光源を受けて赤黒い鈍色を放つ。

幾人の血を吸ったのか検討のつかないほど刃からは邪気が漏れていた。

 

男は祈祷を受けた破邪の剣に力を籠める。

震えそうになる手を気合で押し込め、腰を深く落とす。

 

「いざ、参る」

 

男の剣と鬼の刀が交わり、轟音が響き渡る。

剣圧で空気が引き裂かれるような猛烈な剣劇だった。

鬼の一撃は重く、細身からは想像が出来ないほど軽々と大太刀を振り下ろす。

受け止める男の体が重さに沈み込むような強さにも関わらず、片手でも易々と扱って見せた。

男が必死に押し返すと鬼は宙に浮いたように、1歩で大きく後ろに下がる。

地を揺らすほど大きな音で地面を踏み、男の背後に周り込む。

逆袈裟切りに振り上げられた刀を男は反射的に弾く。

刀と剣、鉄と鉄が交わる高い音が響き渡る。

 

男は強かった。

武芸にも、学にも秀で、順調に出世すれば近衛の中将と呼ばれる才覚を持っていた。

しかし、相手は鬼だ。

人として強くとも、異形に立ち向かうにはさらにそれを越えなければならない。

鬼の一撃は苛烈を極めた。

まるで地響きのような踏み込みから繰り出される斬撃は重く、鋭い。

重い斬撃に速さも加われば、それは一筋縄ではいかない一撃が必殺の威力を持っていた。

鬼は大太刀を軽く扱っているが、鉄の重みは振ることでさらに重さを増す。

男の狩衣はすでにいくつか刃を受け、切り裂かれていた。

 

息も絶え絶えな男に対して、いっさい鬼の太刀筋はぶれなかった。

圧倒的不利な状況の中、男の瞳は死んでいなかった。

眼前に相対する鬼を倒すべく、鋭い瞳を向けていた。

鬼は社の前まで後退すると、刀を上段に構えた。

刀に光が走ったと思うと、次の瞬間には巨大な火の玉ができていた。

男の目が驚愕に見開かれる。

人ではありえない力を前に、男は尻込みなどせず神に祈るように剣を縦に掲げた。

無常なまでに圧倒的な火の暴力は微塵の容赦もなく男を襲った。炎は男に到達するとその全身を包んだ。

 

 

聴衆からは悲鳴が上がる。室内にいる自分たちのところには熱さは届いていないが、明らかに目に見えているのは巨大な燃え盛る炎だった。

それが人を飲み込んでいる。

唖然とする者たちを尻目に、関係者はどこまでも冷静だった。

 

 

舞台上で鬼が振り返り、社に戻ろうとすると、突如として炎が光った。

鬼が振り返るとそこには男が燃え盛る炎の中、攻撃を受けたときと同じく剣を縦に構えていた。

まるで見えない防御の膜が彼を守るように覆い、炎は一切彼に届いていなかった。

剣を一薙ぎすると、炎は瞬く間に散り散りになる。

鬼が初めて動揺を見せた。

 

男が祝詞をあげる。

剣に込められた呪が光を放ち、刀剣を煌めかせる。

男は勢いよく鬼に迫る。鬼も大太刀を振り上げる。

鬼が上段から、男が逆袈裟切りに剣を振るう。

交わったのは目に見えぬほどの一瞬。

交差した二人の刃。

時が止まるような静寂の中、ゆっくりと地面に倒れたのは鬼だった。

 

 

 

 

 

 

しぃぃんと聴衆は無言に包まれた。

これが研究発表だということを忘れ、一つの演劇を魅せられたかのように静かに言葉を失っていた。

これは魔法なのだろうか。

記者の中には自分たちが知っている魔法とは恐ろしく狂暴で、戦争の引き金となる存在ではなかったのかと疑いを持ち出していた。

魔法を使えない者たちにとっては凶器を突き出されているように魔法とは恐ろしい存在で、それが自分たちに向かって来ないのは魔法師の倫理感と国が作った法律という檻がそれを押しとどめているにすぎないからではなかったのか。

 

ではこれは、なんなのか。

これは兵器でも武器でもなく、ただ単純に圧倒されるほどの存在だった。

自分たちが知る以上に魔法という世界は可能性を秘めた世界なのではないか。

寒気ではない鳥肌が立ち、恐れ以上の魂を揺さぶるような感情を抱いていた。

 

 

冬の静けさのような静寂の後には熱気のこもった喝采が贈られた。中には立って歓声を上げる者もいた。実験や検証というにはあまりにも美しく、圧倒的な舞台に聴衆は酔いしれていた。

 

教授が研究のまとめを話し、現代魔法への応用を述べたところで研究発表は終わった。

その後何点か、大学関係者や企業関係者からの質問が行われ、記者質問に移った。

 

本来なら大学関係者からの質問までで学生は退出してもよかったのだが、風紀委員や生徒会役員はその後の片づけの手伝いもあり、残っていた。

美月やほのかも彼女たちの性分から、出ていくことはせず、エリカも記者に対してはあまりいい感情がなく見守るために残っていた。

当初、記者からの質問は魔法関係の研究雑誌がメインだったが、もちろん来ているのは一般的なメディアも多い。

問題はそこで発生した。

スーツを着たいかにもキャリアウーマン風の女性だった。

年は30代前後だろうが、その目はどこか正義感に満ち溢れたように傲慢だった。

 

「東報新聞の鈴木です。魔法が兵器として利用されている。魔法科高校生や魔法科大学の生徒が軍人として育成されているという意見についてはどうお考えでしょうか」

 

その発言に会場がざわめいた。

確かに、今日発表されたUSNAの魔法研究の不祥事から、魔法師に高い地位を与えるのはどうなのか、また魔法師が軍人として育成されているのではないかという提言は多くのメディアで取り上げられている。

そもそも魔法は黎明期より軍事面で活躍を期待されていた分野であり、それは今日も変わらない。魔法による技術革新は多く起こってきたが、それはまだ一般人の認識としては広く浸透していない。

 

魔法師排斥運動は日本でも少なからず起きていることであり、東報新聞もその論調が強い新聞社として知られている。

だが、それを魔法師の目の前、しかも高校生の目の前で述べるとはずいぶん恥知らず、場違いも甚だしいことだと多くの聴衆が感じていた。

 

「申し訳ありませんが、研究に関係のない質問は差し支えさせていただきます」

「魔法科高校生の実に6割が軍関係、または軍事産業に関わっているという調査もあります。

未来ある若者を兵士として育成していることについて教授はどうお考えなのでしょうか」

 

司会の女性が発言を諫めるが、記者は聞き入れなかった。まるで魔法は悪だ、魔法は争いを呼ぶ元凶だと言わんばかりの強硬な姿勢に多くの者が顔を顰めた。

 

「何あれ。感じわる」

「ニュースがあったばかりだからな。メディアが食いつくのも仕方ないだろう」

 

エリカが射殺さんばかりの鋭い視線を向けた。自分たちは間違っていない、魔法こそ間違った存在だと言わんばかりの姿勢は多くの人の神経を逆なでしていた。

ここで答えなければ問題から逃げていると都合のいいように記事にされることは間違いないだろう。

 

教授は悩みもせず、マイクを取った。

 

「解釈だと思います」

「解釈、ですか」

 

短く告げられた答えに、女性記者は聞き返した。

 

「ええ。例えば、貴方の持つマイク、レコーダー、それと記者のカメラは兵器ですか」

 

「いいえ。これらは殺傷性をもつ武器ではありません」

 

「確かに鈍器として使用しない限り、それらの道具は兵器になりえないでしょう。しかし、ペンは剣より強しということわざの通り、報道の力は数々の悪事を世に知らしめる武器となりました。また、戦争にマイク、レコーダーなどは広く情報統制は行われ、時に人々を先導しする政治の道具にされていたのではありませんか。

それは人々を戦争へ扇動し、人を殺す武器としての役割があったのではありませんか」

 

記者は絶句していた。

あまりに教授の発言は暴論だった。

 

「それは」

「発言の途中です。最後まで聞いてください」

 

だが、暴論は記者も同じ。教授は発言を続けた。

 

「私が行っている研究は日本における歴史の魔法解釈です。魔法もまた、歴史の中で立場が移り変わりました。

古来は祈祷師、呪術師として人々から敬われ、崇められ、部族の行く末、政治を左右する存在でした。

科学が発達するにつれそれらはオカルトとして好奇心の中に噂され、ひっそりと息を潜めながらも存在していました。

現代では確かに魔法は軍事産業をはじめ先進各国において重要な役割を果たしており、歴史、政治に影響を与えるモノになったことでしょう」

 

聴衆は皆、教授の言葉に聞き入っていた。

教授は感情を波立てることなく、現代までの歴史と客観的事実を述べていた。

 

「時代が変われば、技術が発達し、人の生活も変わりました。魔法は技術です。薬を過剰摂取すれば毒になるように、技術は使い方によって善にも悪にもなります。

ノーベルが発明したニトログリセリンを用いた爆弾は元々、採掘用に発明されました。

それが大量破壊兵器になるとは彼も想像はしていないことで、とても憂いたことでしょう。

人が歩みを止めない限り、生活をよくするために技術の発展は続きます。

道具は手段であって、何かを成し遂げるための結果ではありません。

魔法も同じです。魔法は手段であり、技能であり、科学です。

専門的知識、専門的技術がなければ扱えない職業があると同じように、魔法師は魔法を扱っているのです。

現代魔法のおよそ100年の歴史の中で、魔法とはどのようにあるべきか、多くの議論がなされてきました。魔法をどう使うのか。それをどう若い世代に教育していくのか。それが私たちが今日抱える課題ではないでしょうか」

 

先ほどの物語の終わりはこうだった。

男は鬼の髢を切り取り、帝に献上した。

男はその武勲が認められ、高い地位につき、姫との間にも子どもを授かり、幸せに暮らしたと言われている。

人の解釈で見れば、これは鬼を打ち取り、姫を救った武勇伝。

しかし、鬼の目線で見ればこれは悲しい話

椿を愛した鬼の話の哀れな末路だった。

 

立場、解釈が異なれば物語の意味も異なる。

ひょっとすると教授はそれが言いたかったのかもしれないと達也は思った。

 

記者は二の句も告げず、表面上の感謝を述べ、引き下がった。

魔法は技術であり、科学であり、道具である。

だから、魔法師は道具を使っているに過ぎない。

魔法師自体が戦争の道具ではないと言っているように達也は感じていた。

 

 

会場は再び静かに息を潜めていた。

魔法師たちにとっては自分たちがどうあるのかを考える言葉として、魔法を使えない者たちにとっては兵器ではない技能の魔法とは何なのかについて、それぞれ受け止め方は違っても教授の発言は心に響く言葉であった。

司会者が気を取り直して質問がないかと問い掛けた。

先ほどの教授の言葉もあり、発言しにくい雰囲気だった。

だが、その中でまっすぐと一人の手が上がった。

 

「日報社の有田です。先ほどは忌憚なきご意見ありがとうございます。私たちがどう報道していくのか、事実を皆様にどうお伝えするのか、改めて身に染みるお話しでした」

 

今度は40代ほどの女性だった。

先ほどの記者とは違い、随分と社会人としてわきまえた発言だった。多少先ほどの記者に対して皮肉も込められており、少しばかり会場の空気が解れた。

 

「魔法のあり方は解釈だとおっしゃいました。教授にとって歴史の魔法解釈とはどのような意味合いを持つのでしょうか」

 

「私たちは魔法の多くを知りません。タイムトラベルができるわけではありませんから、かつて歴史上で魔法が使われていたのか、奇異なことがすべて魔法だったのかということは目にしたわけではないので、多くの資料から仮説を立て、実験を繰り返していくしか方法がありません。

魔法がどう使われていたのか、それを解き明かしていくことで、私たちの祖先がどのように魔法と付き合っていたのか知ることができると思います」

 

魔法は決して100年前にできたわけではない。

古式魔法はこの国に古くから根付いたものであり、超常現象と呼ばれるものは多くの歴史書や民間伝承に残されてきた。

それを解き明かしていくこと、社会人文学の視点から魔法を考える研究は確かに重要な役割を持っていた。

 

女性記者に触発され、続いて男性記者が手を挙げた。

 

「学生にも質問をさせていただいてもよろしいでしょうか」

「研究に関することであれば構いません」

「ありがとうございます」

 

控室にいたという学生たちが次々と中に入って来る。先ほど舞台にいた者や楽師たちも一緒だった。

 

「あれ、意外と小さい?」

「隣の人が大きいだけじゃないかな」

 

エリカと幹比古が言ったのは先ほどの舞台の男と鬼だった。

鬼の方は高下駄で身長は割り増しされ、170cmから180cm程度だが、その隣の男性は190cmを超える長身だった。舞台は離れていたため、さほど違和感はなかったが、改めて近くで見るとその差はかなりあった。

どちらも圧倒的な存在感があり、舞台ではないにもかかわらず、煌びやかに見えた。

 

「仮面を外したらどうだ」

「そうですね」

 

隣の男にそう言われ、鬼は仮面に手をかけた。

カメラのフラッシュが眩いばかりにたかれる。

鬼面を外して現れたのは、背筋の凍るほど美しい鬼だった。

整った顔立ちは言うまでもなく、薄い唇もつやがありどこか色っぽく、紅を入れた目元は金の瞳を彩っていた。

一見華奢な印象も、顔の造形と合わせればなんと魅力的に映ることだろうか。

豪奢な着物も赤漆のよう艶めく髪も彼の美を際立たせる。

会場はその美貌に呆気に取られていた。

異形と知りながら、魔性はこの世のモノとは思えないほど美しかった。

 

「質問をどうぞ」

 

教授に促され、意識を取り戻した記者は咳ばらいを一つして、マイクを構えた。

 

「演者の方に聞きします。どういったところが今回の研究の難しいところだったでしょうか」

 

質問に答えるべくマイクを受け取ったのは鬼を打ち倒した男の方だった。

 

「演者が二人となると、それぞれの魔法が相克を起こさないように注意しなければいけません。

床には刻印が刻まれていますが、それを見ずに正しく踏むことも何度も練習を重ねてきました。

見た目は派手ですが、制御は非常に繊細で、踏み間違いや、動作を一つでも誤れば魔法そのものが発動せず、舞台は成立しませんでした」

 

研究の発表の中にもあったが、実際舞台は見た目以上に術者の技量がものをいう。

刻印術式は魔法力を多く必要とするため、サイオン量が必要なこともさることながら、足でサイオンを操るのは困難だ。

長年の訓練が必要であり、現代魔法では廃れた方法であるため感覚をつかみ取るまでが長い。

そういう意味で古式魔法は原理が分かっていても、発動できる術者を探さないといけないことも多い。

 

「足でのサイオン操作ってできるものなの?」

 

リーナはふと疑問を呈した。

サイオンの自動スキュームならまだしも、足から注ぎ込むということに彼女にとって馴染みはなかった。

 

「できるぞ。魔法師は体がサイオンの良導体だ。手でCADを操作することが多いから、手でしかサイオンを使えないと思っているかもしれないが、操ろうと思えば全身で可能だ。

難易度は手で操る何倍も高いが、練習を積めば誰しもが可能な技術だ」

 

リーナ以外は九重神楽を観たときに達也から説明を聞いているので、違和感なく今回の演技を受け入れていた。しかし、圧倒されたのは言うまでもないことであり、感受性の高い美月や幹比古は今回も雰囲気に飲まれていた。

 

「ピアノのようなものだそうだ。両手で違う旋律を奏でながら、足ではペダルを操作する。

両手足で違う動きをしていても、それを違和感なく行えるだけの練習を積めば可能だろう」

 

「お兄様は簡単に言いますけれど、お姉さまの血の滲むような努力があってこそですよ」

 

達也は簡単にかみ砕いて説明したが、リーナにはそのあとの深雪の発言に聞き捨てならないものがあった。

 

「ちょっと待って。あれ、どっちか雅なの」

 

リーナは驚きのあまり声が上擦った。

空色の目を見開き、達也と深雪に問い掛ける。

 

「ああ。気が付かなかったか?鬼の方は雅だぞ」

「嘘でしょう」

 

リーナは再度舞台を見た。やはりそこにいるのはどう見ても美しい鬼にしか見えない、女の気配は微塵も感じさせない魔性のように美しい鬼だった。

 

「魔法と化粧でどうにでもなるだろう」

 

仮装行列(パレード)』で姿、形を誤魔化しているリーナは自分のことを棚に上げ、呆けたようにステージ上の雅を見ていた。

 




次はデートとバレンタインです。
年内にもう一回更新できたらいいなと思います。


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来訪者編8

おかしい
私は1話分を書いていたんだ。
それがどうして半分にしても1万字を超えるのか(; ・`д・´)
ようやくイチャチャできると思ったら文字数だけ増えて話は進んでません


「どうですか」

「随分と進行しているよ」

 

兄は秀麗な眉を顰めた。

重々しい口ぶりは私を心配するものであった。

 

「皮肉なものだね。神に仕える僕らが、神に近づけば近づくほど気に入られ、人の世から離される。魅入られれば長くはない」

 

かつては神通力、神力とも呼ばれた力はいまだに存在する。

魔法力とは別に高僧や上位の神祇官などは強い霊力を授かる。

それらは悪鬼悪霊羅刹から身を守るためのものであると同時に、唾付きの印だ。今世は無事でも来世が短命になったり、魂ごと輪廻の輪から外され持ち帰られる。

兄は私に宿るその力の度合いを見ていた。

 

「分かっているよね」

「ええ」

 

そう遠くない未来、私は舞うことができなくなってしまう。

それはあらかじめ決められたことであり、数か月の差異はあれど、きっとあと数年のことだ。

回数は両手の数はあるだろうが、きっと数えるだけしかない。

 

「20歳の春、そこが最大限の譲歩だそうだ」

 

あと4年、もうすぐ春がくるので最大3年と少し。

 

「それまでに達也が選ばなければ、君は桜を見ることはできなくなるだろう」

 

短い人生になるかもしれない。

言外に兄はそう告げた。

 

それもそうだ。

13歳の夏、私の命は一度彼岸まで行こうとしていた。

それが今まで無事だったほうが不思議なくらいだ。

あと何度、舞うことができるのだろうか

あと何度、彼に思いを伝えることができるのだろうか

あと何度、私は・・・

 

「それでも、私は・・・」

 

 

 

 

 

 

 

とあるバレンタイン前の日曜日

 

年明け前に約束をしていた達也と雅のデートだったが、当初の予定とは異なる様相となっていた。

 

「急に悪かったね」

「とんでもないです。お兄様たちが気兼ねなくお出かけできるのであれば私も幸いです」

「後で達也が怖そうだ」

 

二人は約束を交わしたはいいものの、雅の舞台やパラサイトの一件もあり、随分と遅くなっていた。

ようやく日程が合い、深雪も快く二人を見送るつもりだったが、悠が京都から東京まで来ることになった。

雅に直接会って話があるということなので、重大なことである可能性が高いと三人は言葉にはせずともよく理解していた。

それほど話自体は長くはなく、せっかく来たのだからと深雪が悠を誘い、昼を4人で食べ、午後から達也と雅、深雪と悠で別行動になっていた。

 

4人がやってきたのは都心の複合施設。若い女性をターゲットにしたショップだけではなくファミリー向けの遊具施設、劇場や映画館も併設されている。

 

日曜日ともあり人も多いが、その中でも目もくらむような絶世の美少女と美青年の二人組はそこだけ浮世離れしていた。

男性も女性も二人が通り過ぎると、思わず振り返り、小声で話をしていた。

二人とも生まれた時から人の視線を集める容姿をしているが、流石に今日の視線は煩わしい思いをしていた。

悠は普段の和装から、ジャケットとタートルネックの冬らしい装いをしている。どこかの雑誌のモデルより整った顔立ちときれいな立ち姿はただ歩いているだけでも人目を引いていた。

 

こういった日はどこかの芸能事務所のスカウトや雑誌のスナップ写真が行われているので、騒ぎ立てられても面倒な事態になる。

 

「深雪ちゃん、ちょっと手を貸してもらっていいかな?」

 

普段、深雪は人除けを名目に達也に恋人のふりをしてもらいショッピングを楽しんでいるのだが、今回はその役目を悠がしてくれるのだと思った。

 

「はい」

 

悠が差し出した手に深雪は手を重ねた。

その手は女性が嫉妬しそうなほど美しくも男性らしく、筋張っていた。

恋人のように指を絡めたりするわけでもなく、重ねて繋いだだけの手から伝わる体温に深雪はどこか落ち着かなかった。

兄以外の男性に触れられることなどほとんどないことに加え、魔性のごとき美しい悠に触れられていると思うと、深雪は自然と鼓動が早くなった。

深雪はいわゆる面食いというわけではないが、平均以上どころか間違いなく神様に祝福されたとしか考えようのない美形が隣にいて緊張しない女性などいないと若干混乱する頭で結論付けていた。

 

隣を歩く悠は深雪のそんな感情などきっとお見通しで、ただ優しく微笑むだけだった。

この笑顔は達也()深雪()に向けるものと同じだったので、深雪としてはどうも子供に見られているようで少し癪だった。

 

 

手を繋がれていることに少し慣れ始めたころ、歩いていくにつれて深雪はあることに気が付いた。

 

「悠お兄様、これは?」

 

今まで自分たちに向けられていた視線がなくなった。

自分たちが通り過ぎても振り返られることもなければ、こそこそと見られることもない。

自分たちの存在が見えていないわけではなく、人とぶつかることはないが注目されすぎることもない。

 

「小野先生だったかな?君の所にも認識阻害のスキルを持つ人はいるだろう。その類だよ」

「サイオンレーダーに引っかからないのですか」

 

これがもし光波系の隠遁術式なら深雪も多少なりとも事象改変の予兆は感じ取れるし、鬼門遁甲のように精神に働きかけるものであるのならば深雪も秋に経験済みだった。

だが、どちらもサイオンレーダーに感知され、すぐさま魔法師の警察官が駆け付ける事態になる。

 

「霊子的な操作だから、違法にはならないよ」

「霊子的な操作?」

 

霊子は情動を司っている粒子だとされている。それがどのようにして認識疎外を行っているのか、深雪は見当が付かなかった。

 

「詳しい説明はできないけれど簡単に言えば、視界に入りにくくするってことかな。超記憶の持ち主でない限り、すべての風景や通りすがっただけの人の顔を記憶しながら歩いているわけではないだろう。

だが、目を引く存在、例えば目的地の看板だったり、路上で演奏しているミュージシャンだったり、何かしら自分の中で目的意識があったり、引き寄せられる要素、この場合は音楽だったり人垣だったりがあると、自然とそちらに目が行く」

 

「引き寄せられる存在ではなく、まるで通り過ぎる風景の一部として私たちが周りには見えているということですか」

 

「その通り」

 

よく出来ましたと言わんばかりに悠はにっこりと笑った。

深雪にとっては便利な術式であり、興味はあったが、目立たないとはいえ魔法に関する話は避けた方がいい。それ以上に術式について詳しく聞くことはマナー違反でもあり、深雪は大人しく術の恩恵に甘えることにした。

 

 

 

 

 

 

二人は一通りウィンドウショッピングを楽しんだ後、水族館に併設されたカフェに来ていた。

店員は二人の美貌に驚き、定型通りのあいさつも噛みながら席に案内した。

 

店内にも水槽がいくつもあり、クラゲや熱帯魚などの小さな海の生き物が展示されていた。

薄暗い店内もあって、二人が入店してもそれほど騒ぎになることがなかったのは都合がよかった。慣れたこととはいえ、よくもわからない他人からじろじろと好奇な目を向けられることは気分の良いことではなかった。

通されたのも奥の席で、通路を通る客からも見えにく場所になっているのも好都合だった。

ケーキと飲み物を頼み、二人は一息をついていた。

 

「今日はありがとうございました。お兄様たちお二人だけの時間ができてよかったです」

「恙無く上手くいっているようだね」

 

悠がその気になれば、二人の行動どころか会話内容の詳細までその目で見ることができるが、流石に妹のデートシーンを覗くような無粋な真似はするつもりはない。深雪の様子からそう予想したまでのことだった。

 

「お兄様がご自身のお気持ちをいつまでたっても認められないのは、少々もどかしくはあります。あれではお姉さまが報われません」

「達也にはどれだけ自分が緩んだ顔をしているのか、一度カメラに収めてみせるべきじゃないかな」

「そうですね。あれだけ特別だと目が物語っていても、自分では見られませんから」

 

クスクスと二人で声を潜めて笑いあう。

どこからどう見てもお似合いのカップルで、ケーキセットを持ってきたウエイターも思わずトレー片手に固まるほどだった。一人だけでも奇跡的な美形が二人も揃うと、たとえ薄暗い空間でもそこだけ眩い光が散っているような感覚を覚えていた。

正気を取り戻したウエイターから注文した品を受け取り、深雪は紅茶、悠はコーヒーのセットを味わいながら、近況を話し合っていた。

 

 

 

 

話は学校のことを中心に、話題は達也と雅の関係についてが多かった。

ケーキも食べ終え、話も一通り終わると、悠は微笑みを絶やさないまま問い掛けた。

 

 

 

「深雪ちゃん、心配なことがあるのかな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

射干玉(ぬばたま)のような黒い瞳が私を見た。

吸い込まれそうなほどに黒く美しい瞳はまるで心の奥底まで見透かされているようだった。

一瞬兄と姉がいるので、何も心配はないと言おうと思った。だが、この方を前に私の薄っぺらい仮面など無いも同然の存在だった。

 

「時折思うのです」

 

私は落ち着くために、ぬるくなった紅茶を口にした。冷めて渋みが出ているが、落ち着くにはちょうど良い刺激だった。

 

「私がお兄様を解放することが、お姉様とお兄様が幸せになれるのだと

けれど、私はそうすることができないのです」

 

これは懺悔だ。

 

「お兄様とお姉様の事を私は誰よりも敬愛しております。ご結婚なさるのであれば、私は心から祝福いたします。けれど、私は一人になってしまう。それが堪らなく、恐ろしいのです」

 

これは誰にも打ち明けたことのない、心の内だった。

 

「二人の幸せを望んでいながら、二人を縛り付ける。私はそんな私が許せないのです」

 

二人のやさしさに甘えている。兄が自分から離れられないことをいいことに、姉が兄同様私も大切にしてくれていることに、縋り、甘え、守られ、救われている。

 

兄をガーディアンの身分から解放し、姉と普遍的な幸せを築かせてあげられるのは自分だけ。

それを知っていて、理解してなお、私は二人を手放せない。

それは甘えだと、我儘な独占欲だと自覚していた。

兄がどれほど深く自分のことを考え、身を粉にしてくれているのに、私は自分が孤独になることを恐れている。

 

本当なら墓場まで持っていくと決めていた思いだった。

それを敬愛する悠お兄様に話してしまった。

呆れられたかもしれない。

蔑まれるかもしれない。

愚かだと糾弾されるかもしれない。

 

深雪は静かに水槽の青の水を見た。

大海原にいるはずの魚たちは水槽のという小さな箱庭の中で守られている。敵に襲われることなく、何もしなくても餌が与えられる。

小さな偽りの海の中で完結する世界は果たして本物の命の営みだと言えるのだろうか。

 

 

「その感情は自然の事だよ。あの家で君が後ろ盾のないまま、生きていくにはあまりにも孤独だ」

 

悠お兄様は最初に問い掛けた時と同じ、静かな微笑みを浮かべたていた。

 

「だけれど、君には雅も達也もいる。甘えも、弱音も、努力も、幸せも、君といるから分け合える。君がいたから達也は生きる理由を見いだせたのだし、君がいたから達也は守られている」

「私がお兄様を?」

「そうだよ」

 

私はいつもお兄様の背中を見送るだけだった。

その体がどれだけ傷つこうと、どれだけ困難にさらされようと、お兄様は立ち上がる。

私を守るために、何があったとしても。

危険な目にあわせて、我儘を聞いてもらっているばかりの私がお兄様を守っているとはどういったことだろうか。

 

「身内で達也の味方になれるのは君だけだ。それが達也の心をどれだけ救っているのか、守っているのか、もっと自信をもっていいよ」

 

悠お兄様は迷いなくそう言われたが、私にはその自覚も自信も持てなかった。

 

「・・・そう、でしょうか」

「深雪ちゃんに嘘は言わないよ」

 

確かに悠お兄様の言葉は肝心なところを隠すことや言わないことはあっても、嘘だけはついたことがなかった。冗談めいた分かりやすい嘘はあっても、それが人を傷つける結果となったことは私の知る限りない。

 

「あと、君の不安の一因として周りの将来の相手が次々と決まっているのもあるんじゃないかな」

 

姉と兄の婚約関係は前々からだが、煉太郎さん、悠お兄様も相手が決まり、私の相手だけがなんの兆しも見えない。

そして自分にはその決定権もない。

叔母の頭の中にはいくつか候補がある、もしくはある程度決めているかもしれないが、顔も知らない相手との婚約など考えるのも嫌で仕方なかった。その指摘はすとんと私の胸に落ちてきた。

 

「大丈夫。君の星巡りも案外近くにいるものさ」

 

茶目っ気たっぷりに悠お兄様は片目を閉じた。

千里眼ならばもしかしたら私の相手も知っているのかもしれない。

だがこの場でそれを聞いても何処の誰かはきっと教えてはくれないだろう。

 

それでいい。私の未来はお兄様たちと歩んだ先にある結果なのだから。

 

「悠お兄様がそうおっしゃるのであれば、大丈夫ですね」

 

ふと、この方の星巡りはどのような方なのだろうかと思った。

この世を照らす光源氏にふさわしい、春のように儚く美しい紫の上。

きっと選ばれたからにはどこまでも清廉で美しい方なのだろう。

一瞬、私が悠お兄様の隣に立つ姿を想像した。

けれど、それはあり得ないことだった。

 

悠お兄様の星巡りは“最近”見つかった。

私との出会いは私がまだお母さまのお腹にいるころからだ。

その時既に千里眼としての力をお持ちだったから、私がそうではないことを知っている。

―――少しだけ、この方の隣に立てる女性が羨ましかった。

きっとその二人ならばどこまででも美しく幸せな世界を築いていけるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、深雪と悠と別れた達也と雅はショッピングモール内を歩いていた。

バレンタイン直前の週末とあり、どこもかしこもイベントに合わせてプレゼントのフェアやラッピングなどが華やかになっている。

14日が平日であるため、デートと洒落込んでいるカップルも少なくなかった。

もちろん、それには達也と雅も入っているのだが、深雪や悠のように特別人目を引くわけでもないので、普通通りの買い物風景だった。

 

「どこか行きたい店があるか」

「それならチョコレートを見に行ってもいい?」

 

雅は今年手作りをすると達也は聞いていたので、道具や材料はすでにそろえてあるはずだ。

そこから導き出されたのは急に必要になった分だ。

 

「悠さんか?」

「正解。来るならもっと事前に言っておいてほしかったのだけれど、あげないとそれこそ後で拗ねるのよね。毎年すごい量をもらっているのにね」

 

雅はわざとらしくため息をついた。仕方ないとは思いながらも、あきれ顔だった。

達也が知っている限り、悠の人気は神格化され、信仰の対象にされているとも言われるほどだ。

深雪は女子だからか、誰に渡すのかで周りは賑やかだったが、悠はもらう側だ。本人だけでなく、九重神楽を知っている者からしたらそれこそ一世一代の機会だ。

 

「呆れるほどすごいのか」

「二高では一部の生徒が取りまとめて全員でチョコレート一箱っていうルールが決まっていたのだけれど、裏では内緒で渡してくれって紙袋二つでは収まらないほど頼まれたわ。」

 

雅の話では悠が在学中のころは高校内部での統率が取れていたが、雅に頼めば渡せるとあって毎年雅もかなりの量を預かっていた。

そもそも、統率が必要なほど悠を取り巻く状況は特殊だったのだろう。

時期九重家当主とあってその伴侶が決まっていない状況では、彼の唯一になりたいと思う女子は決して少なくはなかったはずだ。

あの見た目に加えて、人当たりもよく、尚且つ魔法力も優れているとあれば誰もが一度は可能性があるかもしれないと思うのは年頃の少女らしい淡い夢なのだろう。

 

「メッセージカードだけならチョコと一緒に託けたり、個人的に本人にカードを渡すのはOKになっていたから、それでガス抜きはしていたらしいわ」

 

本来はバレンタインとは西洋の文化であり、九重にとっては異教の文化でもある。それでも宗教の垣根の低い日本、それも若者にとっては一大イベントであることに変わらなかった。

 

「芸能人みたいだな」

「ある意味芸能に携わっているから、間違いではないかもしれないわね」

 

それもそうかと達也は納得した。

悠は魔法科高校卒業後、大学には通わず、九重で神職として勤めている。

彼目当てに参拝をしたり、祈祷を頼みに来たりする者も少なくないことは事実であり、時代が時代ならば神として崇められていただろう。

それほど九重の中でも悠は特別な位置にいた。

 

 

 

 

雅と達也が向かったのは輸入物を中心とした取り扱いを行っている酒店だった。

人の多いショッピングモールにも関わらず、店内は賑やかというより随分と落ち着いたものだった。店内にはワインのサンプルが並べられており、ナッツやシャンパングラスなども置かれていた。

店の雰囲気からはチョコレートを取り扱っている様子には見えなかった。

 

「普段はネット販売が中心だけれど、この時期だけは店頭販売もしているそうよ」

「そうなのか」

 

先日、大学の研究発表で共演したのが九重神楽の流派を組む太刀川の者で、行橋祈子の従兄に当たる人物だった。

日枝神社には毎年多くの奉納品が運ばれ、その中にはお酒も多い。

酒宴も付き合いであることから随分とお酒に精通しており、銘柄だけではなく酒の肴や洋酒のチョコレートも詳しく、雅は彼からこの店を教えてもらったのだった。

 

 

二人がチョコレートのショーケースを探していると、女性店員が笑顔で出迎えた。

 

「お客様、バレンタインにこちらなど如何でしょうか。新発売のチョコレートリキュールの試飲でございます」

 

差し出された小さなグラスにはチョコレートリキュールが注がれていた。

生クリームかミルクと混ぜてあるのか、チョコレートにミルクを混ぜたような色をしていた。

 

「すみません、未成年ですので」

「大変失礼いたしました。落ち着いた雰囲気がお似合いなので、てっきり大学生かと」

 

店員の接客(リップサービス)を受けながら、チョコレートの入ったショーケースを見せてもらった。

 

「家族用にお酒の入っているチョコレートでおすすめはありますか」

 

「そうしましたら、こちらのボンボンショコラの詰め合わせなど如何でしょうか。オレンジリキュール、シェリー酒、ラム酒、コニャック、日本酒、焼酎の6種類のアソートとなっております。チョコレートもすべて違う調合となっており、香高いお酒の風味と甘いチョコレートの両方を味わうことができます」

 

店員は試食用の半分にカットされたチョコレートボンボンを取り出した。

普通、高級チョコレートの専門店では試食を行わないが、店に人は少なく、バレンタインデーとあって特別なのだろう。

チョコレートを指でつまみ、一口で口の中に入れる。

カカオの多いビターチョコレートと香高いオレンジリキュールの風味が通り抜ける。舌の上でガナッシュがトロリととろけ、後味はオレンジの風味でさっぱりしている。

おそらく細かく刻んだオレンジピールも入れてあるのだろう。

お酒の辛みはなく、純粋に香りだけがよく残されていた。

 

味は上々。悠もお酒は好きな部類なので、これは気に入るだろうと雅は思った。

 

「どう?」

「いいんじゃないか」

 

達也も未成年と言いつつ、ガーディアンの訓練の一環として酒は飲まされているので味の良し悪しは多少なりともわかる。

雅は二つ返事にアソートのボックスを2つ購入し、店を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外に出ていくつか店を見て回っていると、なにやら精霊が少し騒がしかった。敵意ではない。

しかし、見過ごすには大きな騒めきだった。

兄が近くにいるときはこのような反応を示すことがあるが、姿は見えない。達也もやや体に力が入っていたので、なにか感知したのだろう。

 

「おそらくリーナだ」

 

達也や兄のように前を向きながら後ろを把握する目はないが、訓練によって監視の目くらいには気が付けるだけの感覚は養っている。

意識を後ろに伸ばすと角の建物から私たちから見ている気配があった。

 

「どうする?」

 

リーナは元々監視役には向いていない魔法師であり、ターゲットに気が付かれただけでまずお粗末としか言えないだろう。

サポートスタッフもいるかどうかわからない中、むやみに私たちから会いに行くのも憚られる。

 

「普通に買い物をしていればそのうち向こうも諦めるだろう」

「そうね」

 

今日はただ純粋に買い物に出かけただけだ。

折角の二人きりなのに残念だという気持ちは口にしなかった。

そんな私の気持ちを汲んでか、達也は私の手を握った。

知り合いが見ているのにと思いながらも、私は達也との距離を少し縮めた。

 

 

 

その後もリーナの分かりやすい尾行は続いていた。

本当に何をしに来たのだろうかと問い詰めたくなる。

おそらく私たちの行動に目を光らせておけと上からの指示があったのだろうが、流石に無駄なところに神経を使わなければならず、いささか面倒に感じていた。

 

「達也、ちょっとお灸をすえてもいい?」

「そうだな。いい加減、あっちも疲れてきただろう」

 

達也も意図もわからず分かりやすい尾行に嫌気がさしてきたようで、私の提案に乗ってくれた。

一端お手洗い入り、達也と別れる。

達也はそのまま近くのベンチで待機し、私は入ったほうとは反対側の出入り口から外へ出る。

 

足音も気配も消してリーナの後ろに回り込む。

リーナはカフェテラスの陰でお茶を飲みながら達也を見ていた。

変装のつもりか、ツインテールにしている長い髪は降ろされ、大きなサングラスをかけている。だが、サングラスでも隠せない美貌は人目を集めていた。幸か不幸か、声をかけるような勇者はいないようだ。

 

リーナは達也に気を取られているため背後の私には全く気が付いていなかった。スターズの総隊長ともあろうものが、随分と警戒心が薄いのではないかと他人事ながら心配になる。

 

 

私は彼女の後ろを通り過ぎて、空いた彼女の正面の席に座った。

 

「こんにちは、リーナ」

「み、雅」

 

リーナは急に座った私に驚き、飲みかけのコーヒーがむせていた。

 

「大丈夫?」

「平気よ」

 

咳込みながらリーナは私を睨んだ。先ほどまで監視していた対象が目の前にいるだなんて、思いもよらない事だろう。

彼女の中ではいろいろと言い訳の理由を考えているはずだ。

 

「私、リーナにストーカーの趣味があったとは知らなかったわ」

「たまたま居合わせただけよ!」

 

リーナはすぐさま否定した。一瞬目が泳いだのを私は見逃さなかった。本当に私たちを監視していたらしい。

 

「今日は、深雪はどうしたのよ」

「私の兄と行動しているわ」

 

彼女の中では私たちは三人セットで考えられているのだろうか。

それに彼女の会話は私と達也が歩いていたのを見たと裏付けるような発言で、墓穴を掘っていた。

 

「やあ、リーナ」

「は、ハーイ、達也」

 

私の隣には達也が立った。リーナの前に座った、彼はこちらに向かって歩いてきていたのだ。リーナは私に気を取られたことで達也から目を離してしまったため、話しかける距離まで接近されても気が付いていなかった。

 

やっぱりこの子は甘いところが多い。

 

「せっかくだし、別の店で話をしないか。ここのコーヒーは口に合わなかったんだろう」

 

確かにリーナのコーヒーはほとんど減っていなかった。

猫舌の可能性があるとしても、冷めたコーヒーは風味が飛んで本来のおいしさとはかけ離れている。

達也の誘いはみはきっとリーナにとって悪魔を前にした審判に他ならなかっただろう。

リーナは笑みを引きつらせながら達也の意見に頷いた。

 

 

 

 

 

 

私の家も長年お世話になっている茶屋がこのモールに出店したとDMが贈られてきた。

今までも東京のデパートで委託販売している場所はあるが、直営店はこのショッピングモールに1月に出店したばかりだった。

お茶の販売だけではなく、ちょっとしたカフェスペースもあり、外国の方にも配慮して掘りごたつとなっていた。

新調したばかりであろう畳のイグサの香りが茶の香りと相まってとても落ち着く雰囲気となっていた。

 

私と達也から尋問を待つばかりのリーナは腹を括ったのか、ツンケンしながらも私たちについてきた。

店内はお茶の時間帯で人が多かったものの、席にはすぐに座ることができた。リーナは苺大福、私と達也は季節の生菓子セットにした。

 

「今日、リーナは何をしに来たの?」

「特に目的はないわ。たまには息抜きも必要でしょう」

「そうね。もうすぐ期末試験もあるし、最近は忙しかったものね」

 

何で忙しいかなどリーナには言わなくてもわかっているだろう。

吸血鬼事件は解決していない。

日本に潜伏している吸血鬼が殲滅されない限り、今後も被害は拡大するだろう。

 

お茶とお菓子が運ばれてきて、ひとまず一息つくことにした。

リーナも私もピリピリしていたのではお茶がおいしくなくなってしまう。

寒椿の練り切りを楊枝で切り分けて、口にする。

甘すぎない上品な甘さが口の中に広がる。

流派にもよるがお茶を食べてから抹茶をのむのがお茶事の一般的な作法なのだが、リーナは先に抹茶をのんでいた。

茶室ではなくここはカフェであるため、お茶席のルールは持ち込まなくていいだろう。

 

「あ、おいしい」

 

リーナが思わず声を漏らした。どうやら本格的な抹茶初挑戦のリーナも納得の味だった。

 

「いい茶だな」

「そうね」

 

普段、抹茶は口にすることが少ない達也でもわかる名店に恥じないいい茶だった。

 

抹茶の風味は口にする前からたち、菓子に合わせて濃い目に点てられている。渋みはなく、旨みの濃い茶だった。

 

だが、おかしな点があった。

明らかに値段に合わない。

詳しい品名はわからないが、抹茶もこの値段で提供されるべき抹茶ではないくらい高級品だ。

器も工業品ではない一つ一つ手焼きの茶器であり、金沢の方の窯元の作品だった。オープン記念かもしれないが、確認する術はない。

 

「生菓子もいいけれど、抹茶アイスクリームやチョコレートも人気があるわね」

「そうなんだ」

 

リーナが甘いものと聞いて目を輝かせた。こういったところは年相応の可愛い面が見られる。

 

「上司へのお土産にどうかしら」

 

「私はあの人の好みはよくしらないのよね。女性だから甘いものは好きだと思うけれど、そもそも好みは知らないの」

 

「そうなのね。和三盆のクッキーはコーヒーにも合うからちょうどいいんじゃないかしら」

 

リーナに命令を下すことができる人物。軍属に女性が少ないのはどこの国も変わりないことであり、まして上級将官となればUSNAでも限られてくる。彼女たちの指揮系統に関してあまり知識がないが、この言葉で達也はある程度検討が付いただろう。四葉にリークするかどうかは彼に任せればいい。

 

「そういえば、雅のこの前の研究発表はすごかったわ。あんなに使い方もあるんだなんて驚いたし、化粧で随分と変わるのね」

「厚塗りだから毎回大変なのよ。達也にはすぐに見破られたみたいだけれど、リーナだって変装は得意でしょう」

「あれを見破れる達也がおかしいのよ」

 

じろりとリーナは達也を睨みつけた。と言っても本気で怒っているわけではなく、悔しさ半分、それを認めるの半分といったところだろう。

 

リーナに探りを入れつつ、お茶会は30分程度で終了した。

話題はUSNAの学校生活やバレンタインのことについてであり、魔法に関することは一般の人もいる場面では不愉快に取られることもあるので控えた。

リーナの話によるとどうやらUSNAにも日本独自の文化として知られているらしい。リーナは誰かに渡すつもりはないらしいが、目が泳いだので、14日が楽しみになった。

 

店から出る前にいくつかお土産を買って帰ることにした。

 

「すみません。注文をしてもよろしいですか」

「かしこまりました」

「6番、7番の抹茶を50gずつと10番のほうじ茶を100gお願いします」

 

隣にいたリーナが私の注文にギョッとしていた。

ショーケースに並んだお茶は確かに抹茶を知らない人が量と値段を見れば驚く値段だろう。

抹茶の値段もピンキリだ。普段から飲めるようなものから、特別な日のための高級茶まで、生産地やメーカーによってその差は大きい。

 

「紅茶だって自販機に売られているものから、専門店のものまで様々でしょう」

「そうだけど、日常でそんなに抹茶って飲むの?」

「これはお土産用よ」

 

伯父のところにはチョコレートを深雪と連名で渡す予定にしている。

甘いものは好きな人だが、生臭坊主といってもお茶事などの素養は深い人だ。普段からお世話になっているし、このくらいの奮発はしてもいいだろう。

 

私が会計をしていると、店の奥から壮年の男性が出てきた。

従業員とは違い、奥ゆかしい色合いの渋柿色の着物を着こんでいた。

 

「九重様」

 

従業員の反応からおそらく店主、もしくはそれに準ずる立場なのだろう。私を見て顔が分かるということは京都の方の店であったことがあるかもしれないが、生憎記憶にはなかった。

 

「おいしいお茶をごちそうさまでした」

「いえ、ほんの気持ちでございます。これからもどうぞご贔屓にお願いいたします」

 

お互いに深々とお礼をして、店を後にした。

袋をみると、注文していないはずの焼き菓子まで詰められていた。

 

「雅、知り合い?」

「茶屋自体は京都にもあるから知っていたのだけれど、店主の方は初対面よ。向こうは私を知っていて、サービスされたから知らんぷりはできないわよね」

「サービス?」

 

リーナは何のことかわからず、首を傾げた。

彼女にとってはどの点が値段以上のサービスかわからなかったようだ。

 

「席に運ばれたお茶、たぶん私が買った値段くらいのモノよ。他のお客さんにはどうしているのかわからないけれど、お菓子付きでメニューの価格で出すには赤字になるわ」

 

抹茶の品目まではわからなかったが、安い抹茶の味ではなかった。

点て方も機械任せではなく、人が点ててあり、水もよかった。

私を九重と知った店主がサービスしたということ以外考えられない。

 

「そうだったのね。私には違いが判らなかったわ」

 

「日常的に飲んでいれば味の違いは多少なりともわかって来るわよ。せっかく日本に来たのだから、大統領のティパーティには劣るかもしれないけれど、お茶席でも設けましょうか。面倒なボディチェックもないわよ」

 

私の言葉にリーナは顔を引きつらせた。

 

「雅、いい性格してるわよね」

 

笑顔を浮かべているものの、蟀谷に青筋でも浮かびそうな表情だった。多少なりとも皮肉は通じたようだった。

 

 

 

 




本日のハイライト

リーナがデートに割り込んだと知った深雪のブリザード(氷の女王様)


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来訪者編9

『愛らしい』も『美しい』も『綺麗』も

『愛している』とは同じではない。


2月14日

乙女の決戦日

チョコレート会社の陰謀

聖ウァレンティヌスの命日

 

色々な呼び方のあるこの日は街も少しだけ浮足立つ日だった。

昨日はチョコレートを作るために自宅として登録しているマンションに帰っており、私は達也と深雪とは別に登校していた。

普段は端末や部活動の道具だけ持って登校してくる生徒も、今日はバレンタインとあって色とりどりの紙袋やカバンを片手にどこか早歩きで学校に向かっていた。

お菓子会社の策略だと言われても、それでもイベントごとにかけて気持ちを伝える日であることに世の風潮は変わらない。

 

古典部の方は女子の連名でお金を出し合って、男子部員に配ることになっている。

部活によってバレンタインのイベントは様々で、全く無関心な部活もあれば中には男性もチョコレートを持ってきて交換する会にしている部活もあるそうだ。

 

冬らしい寒々とした木々が続く学校への道だが、少しだけ木には蕾が付きだしていた。春らしい日はあまりないが、特にこの日は恋人たちにとっては体を寄せ合う口実になるのだろう。歩いている間にも初々しくチョコレートを渡す女子生徒や、もらってスキップしそうなほど舞い上がっている男子生徒が見られる。いつもは寒さに耐えて早歩きで進む生徒たちも何処となく足取りが軽かったり、逆に緊張で重くなっている人もいた。

 

学校の校門に差し掛かったところで、二人の先輩が学校側からこちらへ小走りで向かっていた。

逆方向だが、時間帯的に忘れ物をしたというわけでもないだろう。目当ての人でも見つけたのか、二人の手にはチョコレートらしき包み紙があって、周りからも頑張れよといった生暖かい視線が送られていた。

 

視界に入った程度のことだったが、なぜか二人は私の前で立ち止まった。面識のない、制服からして二科生の先輩であろう人たちだが何か用だろうか。

 

「九重さん、受け取ってください」

 

二人は同時に私に向かってピンクにラッピングされた包み紙を渡した。

 

「私にですか?」

「はい」

 

今日という日を考えて、おそらくこれはチョコレートだ。だが深雪ならともかく、私にチョコレートとはなぜだろうか。

見ず知らずの先輩にチョコレートをもらう理由はないはずだ。

 

「この前の舞台、よかったよ」

「楽しみにしているから、また学校で発表会してね」

 

理由を聞く間もなく二人はそれを言うと、足取り軽く学校へと戻っていった。

 

 

 

 

私は渡されたチョコレートを見た。

ごく一般的に市販されているチョコレートだ。デパートなどでよく売られているメーカーだが、そこまで高級志向のお店ではない。

学生でも手軽に手の出せるお値段で、デザインが可愛いことで女性人気が高いお店だったはずだ。

雰囲気からしても、同性という相手からしても疑う余地のない義理チョコレートだ。

 

「どうしたの、九重さん」

 

チョコレート片手に立ち止まっていたのがいけなかったのか、後ろから声をかけられた。振り返ると、今度は見知った先輩だったことに少し安堵した。

 

「おはようございます、夏目先輩。先輩と思われる方からこれらを頂いたのですが、思い当たる節がなくて…」

 

夏目先輩は図書・古典部の先輩だ。朝、一緒になることは珍しいが私も登校時間がずれているので偶然だろう。

 

「ああ。まだメディア部の新聞を見てないの?」

「校内新聞ですか」

「そうそう」

 

夏目先輩は携帯端末で校内新聞を起動させた。

 

一高ではメディア部が新聞部と放送部を兼ねた部活になっている。九校戦や論文コンペ、各部活動など主に校内の出来事を取材し、記事にしたり、ミニ番組を作ったりしてている。

校内新聞は学校のHPに掲載されており、先輩の端末に映し出されたのは一面に私の素顔と先日の研究発表の鬼の姿だった。

見出しには大きく『九重雅、変幻自在の美貌』と付けられていた。

 

「私は別室の方で見ていたけれど、みんな九重さんとは気が付いてなかったよ。随分と熱を上げている人もいたから、女性と分かってショック半分、ミーハー心半分といったところじゃないかな」

 

ちなみに写真の掲載許可はしていない。おそらく祈子さんが勝手にしたものだろう。

 

「男装していたのは認めますが、ほとんど化粧ですよ」

「男装の麗人がモテるのは古今東西不変の事実だよ。ようはどう見えるかだから、写真加工無くあれだけ美形に仕上げれば上出来でしょう」

 

確かに中学時代もチョコレートを女性から頂くことはあった。主に兄に対する窓口であったが、私に対するものも決して少なくない量を用意されていた。

主に渡してきていたのは九重神楽を観たことのある人や、その両親、家族からの伝手で渡されたものだった。

流石にこちらに来て、今年はないだろうと高を括っていたが、メディア部の暴露によってそれは現実のものとなってしまった。

 

「ソレも未開封で市販なら問題ないでしょ。ありがたく受け取っておいたら?今日はチョコレートまみれになるかもね」

「面白くない冗談ですよ」

 

こちらではまだ熱狂的な九重信者がいないだけマシだとは思うが、少しだけ気の重い一日となりそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのころ、達也とほのかは密会スポット(もしくは告白スポット)と言われているロボ研ガレージ裏に来ていた。

深雪と美月が気を利かせて二人と別れてから、ほのかの心臓は今までにないほど早鐘を打っていた。

緊張しすぎて口が乾燥し、なんだか自分がうまく歩けているかさえ自信がなかった。

顔が真っ赤になっているということは鏡を見なくてもわかるほどだった。

今日はほのかにとって勝負だった。

 

「たちゅやさん、これ・・・・」

 

名前を噛んでしまった。

それにさらに顔に血が集まる。

 

差し出した手が小さく震える。

受け取ってもらえるだろうか、もし断られたら、でも達也さんなら、とほのかの中で自問自答が繰り返される。

1秒がまるで何時間にも感じるほど、達也からの答えが出るまでの時間は長く感じた。

期待と不安、達也に向ける恋心に揺れるほのかに、達也は静かに目を閉じた。

 

 

 

 

 

「すまない。受け取ることはできない」

 

 

 

 

 

ほのかは一瞬、その言葉の意味が理解できなかった。

 

「えっ………」

 

いや、言葉の意味は理解できても、その言葉を告げられた事実が理解できなかった。

少なくともほのかは達也が受け取ることを断るとは思っていなかった。雅もほのかが達也に思いを寄せ続けていることを知っているし、それについて咎めることはしない。

婚約者という立場の余裕であるかもしれないが、ほのかはそれをいいことに達也にチョコレートを渡すつもりだった。達也の性格上、断ることはないだろうと雫からも後押しされた。

 

「ほのかの気持ちは知っているよ。だからこそ、それは受け取ることはできないんだ」

 

言葉にしていなくても、ほのかが達也を想う気持ちは変わっていない。それは純粋に達也だけを想う、強い気持ちであり、それは達也も理解している。

だが、彼には雅がいる。以前の達也であれば、肝心な気持ちは返せずともこれ(物としてのチョコレート)を受け取ることはしていたかもしれない。たとえ何らかの策を弄して答えを先延ばしにすることもできただろう。

だが、実際に直面してみるとほのかから達也がこれ(恋心の代名詞)を受け取ることは、雅に対してもほのかに対しても裏切りにも似た行動としかならないと感じていた。

 

「そうですか・・・・」

 

ほのかは差し出していた手を一度下げた。絶望の底に落とされたような感覚だった。

 

告白されて断られるのはなにも初めてではない。それでも経験していたからと言ってその心の傷は決して浅いものではなかった。

 

「達也さん、4月から私は達也さんに助けてもらってばかりで、九校戦でも達也さんのおかげでミラージュでは優勝できました。だから、これは、私からの感謝の気持ちです」

 

もう一度ほのかは達也にチョコレートの包みを差し出した。

 

ほのかの声は震えていた。

完全な敗北だ。

だが、この場でこの贈り物の名前が本命から義理に変わったとしても、ほのかの気持ちは変わらなかった。

いまにも零れ落ちそうなほど浮かんでくる涙を泣くまいと必死に堪え、今すぐにでも逃げ出したい衝動に駆られながらも、達也が受け取るのを待っていた。

ゆっくりと達也はその包みを受け取った。

 

「ありがとう、ほのか」

 

達也は申し訳なさそうに眉を下げ、微笑んだ。

ほのかは耐え切れず、校舎へと走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後となり学校の浮ついた空気は一気に加速した。

恋人のいる者にとっては大きなイベントの一つであり、またこれからと意気込んでいる者にとっても勝負の日だった。

 

その勝負に敗れてしまった結果は聞いてはいけない。

ほのかが1時間目を休み、2限目に現れた時には目を真っ赤に腫らしていた。

何があったかなんて今日のこの日に聞く者はいなかった。朝、深雪と達也は別れてほのかと達也を二人っきりにさせたらしい。達也は人の気持ちに鈍感だと言われているが、人がどのような言葉でどのような反応を示すのか想像し、把握することは訓練の一環として織り込まれていた。

となれば、達也がほのかを意図して傷つける発言をすることはないはずだ。

 

ほのかも私に話しかけてくることはなく、クラスもどことなく空気を読んでいた。

こんな日に部活はないが、風紀委員の見回りに駆り出されていた。

先輩方は今頃、青春の一ページを刻んでいることだろう。同じように達也も今日は見回りに割り振られていた。

二人揃ってのローテーションはどこか仕組まれた感覚はあるが、それをわざわざ指摘するほどでもなかった。

 

「あの、九重さん」

「この前の研究発表見ました。信じられないほどかっこよかったです」

「あ、私も」

「私もどうぞ」

「ありがとうございます」

 

差し出されたチョコレートをひとまずすべて受け取る。顔も知らない相手から渡された数はもう数えていない。

 

「きゃあああ」

「渡しちゃった、どうしよう」

「けど、受け取ってくれた~」

 

 

そして現在進行形で私のもとには厄介ごとが舞い込んでいた。私の手元にはまたしてもチョコレートがあった。

途中から数を数えるのをやめたが、少なくとも20人は超えた。

中学の頃も決して少なくない量をもらっていたが、深雪が一つももらっていないのに私がこれだけもらうのが理解できない。

いくら校内新聞で大々的に報道したとはいえ、昨日今日で随分と熱心なことだと感心するより呆れてしまう。

 

「あ、いたいた。雅」

「うひゃ~、すごい人気だね」

 

頂いたチョコレートで紙袋が二つ目なったところ、スバルとエイミィが私を見つけてやってきた。

 

「なにかトラブル?」

「ないよ。それより雅の両手の荷物は?」

 

エイミィが風紀委員の腕章をつけながら両手に紙袋という様子に疑問を持ったのか、中身を訪ねた。

 

「チョコレートよ」

 

ただ放課後の見回りをしているだけのはずだったが、時間がたつにつれて荷物が増えていく。

甘いものは好きだが、限度はあるし、とてもすぐには食べきれない。

気持ちだけもらって一部は叔父の寺に寄贈しても問題はないだろう。

 

「もしかして全部貰い物?」

「そりゃ、あれだけ派手に記事を書かれたんじゃあ、盛り上がるのも当然だよね」

 

私がチョコレートを女子から大量にもらうことに関してエイミィは冷やかし、スバルは納得といった様子だった。

 

「正直、お返ししきれないわ」

「全部返さなくてもいいんじゃない。単にこの間の舞台に感動してミーハー心であげた人もいるんだし」

「まあ僕らも人のこといえないけれどね」

 

スバルは堂々ととエイミィはニッコリとチョコレートを差し出した。

 

「友チョコだよ」

「ありがとう」

 

二人からもチョコレートを受け取った。改めて大量のチョコレートを見て、これはホワイトデーのお返しが大変なことになりそうだと感じた。

顔もわからない人はともかく、見知った人はリストにしておいた方がいいだろう。

 

「そういえば、七草先輩が司波君といい感じだったけど大丈夫なの」

「いい感じ?」

 

エイミィが思い出したようにそういった。

七草先輩は受験生だが、こういったことは息抜きになるだろうし、イベントごとは好きな人だ。

達也との接点も少ないわけではないし、先輩がチョコレートを達也に渡すことは別に可笑しなことではないだろう。

 

「雅以外の女子からチョコレートもらっいてたけど、いいのかい」

「問題なのはチョコレートじゃなくて、どんな思いで渡すかということだと思うのだけれど」

「大人な回答だね」

 

スバルは面白くなさそうに肩をすくめた。中学時代、達也は優等生で人からの好意に鈍いとはいえ匿名でチョコレートをもらっていたという。

それに、相手が七草先輩ならチョコレートも一筋縄ではいかない、癖のあるものだろう。

 

「それに七草先輩なら単に高級チョコレートとかじゃなくて、胸やけがするほど甘いとかスパイス入りの辛いチョコレートとか持ってきそうな気がするのよね」

「七草先輩が?」

 

エイミィは意外そうに首を傾げた。

 

「こう言っては失礼かもしれないけれど、意外とお茶目なのよ」

 

一般的に頼れる生徒会長というイメージの生徒からは想像つかないだろうが、その被害者は主に服部先輩や達也であり、揶揄われたり、無茶ぶりをされたりということは珍しいことではない。命に関わったり名誉にかかわるような理不尽な注文はないが、目立つことを好まない達也にとってはいい迷惑だし、行き過ぎると生徒会室に吹雪が吹き荒れていたらしい。

今回も吸血鬼事件で散々振り回されているようだから、多少お返しをすることは間違いないだろうと踏んでいる。

 

「そうなんだ。ということは、司波君はご愁傷さまだね」

「あとから雅とあま~いバレンタインを過ごすんならチャラになるでしょ」

 

エイミィとスバルはにんまりと意地の悪そうに笑った。想像を膨らませるのは勝手だが、その対象が自分となると複雑だった。

 

 

 

それ以上に、私は今日という日が怖くもあった。

チョコレートは達也に昔から毎年贈っている。ホワイトデーのお返しも毎年のようにもらっている。達也に喜んでほしい気持ちに偽りはない。

 

肝心な気持ちが返せないと知っていても欲しがる私は喉の奥で自分勝手な我儘を噛み殺す。

愛は求めるものではなく、与えるものである。

そうありたいと思っても、つい欲が出てしまう。

 

美しい絵の額縁の裏、キャンパス裏の汚れた心まで達也は受け入れてくれるのだろうけれど、みっともなくそれを晒すことは臆病な私にはできなかった。

甘いバレンタインはいつもほろ苦く、少しだけ切ない日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は遡ってその日の昼休み。

 

ほのかは一人でいた。

いつもは深雪たちと一緒に昼を取るのだが、今日はとてもじゃないが無理だった。

 

達也に振られた。

それはわかり切った答えだったとしても、確かにほのかの心は悲鳴を上げた。

応えてもらうことに期待はしていなかったが、これほど明確に拒絶を告げられるとは予想もしていなかった。

 

それだけほのかにとって衝撃だった。

あまりのショックに1時間目は保健室で過ごしたほどだ。

安宿先生は何も言わなかったが今日という日を察してくれていたので、優しくベッドを貸してくれた。

 

午前中は授業もまともに集中できず、かといって誰かに相談することもできず、ほのかは溜まらず雫に電話をしていた。

国際電話もインターネット回線を使えば以前よりずっと格安でできる。

時差もちょうど向こうは夕食の時間帯だ。

 

「雅、ずるい」

『ほのか・・・』

 

電話越しに静かに雫は話を聞いてた。

 

「勝ち目がないことは最初から分かってたよ。雅、きれいで魔法力も凄いし、優しいし、すごい家だし、私なんか敵わないって。それでも、私だって達也さんが好きだもん」

 

思い出してきた今も涙があふれて止まらなかった。

達也からもらった水晶の髪飾りが揺れた。誕生日プレゼントとしてもらった日からほのかは毎日これをつけていた。

達也が自分のために選んでくれた。それだけでほのかの心は天にも昇る気持ちだった。

だが、今日はそれを見るだけでも辛く、かといって捨てるには躊躇いがあった。

 

『正直、達也さんが断るなんて私も予想外。達也さん冷たいときもあるけれど、人の好意は決して無下に扱わないから。

だから、それだけ達也さんはほのかに嘘をついて、雅を裏切ることはしなかったってことなんだよね』

 

「分かるよ。達也さんが雅を見る目、すっごく優しいの。雅も達也さんがいると幸せそうだし、本当にきれいに笑うんだよ」

 

 

泣きすぎて息も絶え絶えにほのか答えた。

 

最初は純粋な憧れだった。それが恋だと自覚するのに時間はかからなかった。

雅という婚約者が達也にいたとしてもほのかはこの気持ちを諦められなかった。

不毛な恋だと誰かに言われても、略奪したと後ろ指をさされても、ほのかは達也が自分といてくれるのならば、それでよかった。

断られてもまだ諦めきれないと心は叫んでいた。

 

お似合いの二人だった。

知り合って時間のそう長くはないほのかから見ても二人は間違いなく相思相愛で、自分が達也の心に入り込む隙間など無いとわかり切っていた。

それでも恋心は止まらず、達也への想いは依存にも近い形でほのかの心の多くを占めていた。

 

 

 

 

昼休みの時間もそう長くはなく、また時間を作って話をすることで落ち着いた。

ほのかは電話を終え、いったんトイレで顔を洗うことにした。

泣きはらした顔ではとても教室には戻れなかった。

歩いている間にも涙は零れてしまいそうになりながら、できるだけ人の少ない廊下を選んで歩いていた。顔を見られないようにうつむきながら早歩きで、進んでいく。

 

それがまずかったのだろう。廊下の角を曲がるとき、よく見ていなくてひとりの女子生徒とぶつかってしまった。

ドザドザとなにかが落ちる音が廊下に響いた。

 

「す、すみません」

「こちらこそ、ごめんなさい」

 

相手が布の袋に入れて持っていた本がぶつかった衝撃で手を離れ、廊下に散らばっていた。ほのかは慌ててしゃがみ、本をかき集めた。

幸いにも本は表紙やページが折れることなく、落ちる前の状態と変わらなかった。散らばった本もそれほど量はなく、二人ですぐに集めることができた。

 

「すみません。前をよく見ていなくて」

「大丈夫です。集めるの手伝ってくださってありがとうございます」

 

今時珍しい紙の書籍は珍しく、よほどの本の虫(ビブリオマニア)か、作者のサインを入れるために印刷される程度のものだった。

魔導書や古典文献はともかく、日常好んで荷物になるような本を持ち歩く人はさらに少ない。

 

「珍しいですか」

「いえ、本が好きなんですね」

「乱読家なだけですよ」

 

ぶつかった女子生徒は一冊の本を取り出し、ほのかに差し出した。

タイトルは『貴方のために薔薇を植えよう』という小説だった。

ほのかは小説も読む方だが、作者の名前に見覚えはなかった。どうやら一昔前か、マイナーな作家なのだろう。

 

「お節介ですが、よかったら心の薬にどうぞ。一般的に失恋を癒すのもまた恋だと言います。貴方が追い求める相手から一端距離をとって、新しい恋を探すというのも手ですよ」

「そんな」

 

ほのかの赤くなった目元を見てか、今日という日に失恋したことは初対面の彼女にもばれてしまっていた。

しかも見ず知らずの人に新しい恋を探せなんて、とんだお節介だった。

反論しようにも続けざまに彼女が話したことにほのかは反論の意思が風船がしぼむように小さくなっていた。

 

「人と人は親密であるほど関係性に名前がないと不安になります。友人、肉親、恋人、知人。あなたが恋を諦められず、それでもその人の思い人になれないのであれば、せめて友人、もしくは役に立つ存在になればいいのではないですか。そうすることで少なくともその人の視界には入ることができると思いますよ」

「・・・役に立つ存在」

 

ほのかは言葉を反芻した。

見ず知らずの人なのに、自分たちのことを全く知らないであろう人なのに、なぜかそれが答えである気がしてしまった。

 

「あなたの思い人がどこの誰かは存じませんが、使われる覚悟があるのならば、利用される傲慢さがあれば、その人の隣に立つ資格はできますよ。都合のいい女と言われても、笑ってそうだと言えるぐらいの度胸があれば、いつかはその努力が報われると信じる心があれば、いずれ関係の名前が変わることがあると思いますよ」

 

 

達也と恋人になりたい。達也に愛してほしい。

そう思うのはほのかの本心だった。

だけれど、それ以上にほのかは達也の役に立ちたかった。

みっともなくてもいい。狡いと言われてもいい。

これは恋なのだから、仕方がない。

 

「ありがとうございます」

 

達也はこちらが思うことだけは許してくれる気がしていた。

これが一生叶わない片思いでも、今のほのかにとって達也は恩人で、友人で、なにより好きな人だ。この関係性を変える努力は自分次第だ。

 

「あの、名前を聞いてもいいですか」

 

ほのかはありがたく先輩から本を借りることにした。きっとこの日から変わっていける気がした。

 

「2年F組の夏目です」

「1年A組の光井ほのかです。ありがとうございます、先輩」

 

ほのかの髪に揺れる水晶が光ったのを、彼女に触発されて水を得たモノがいたことを、その時は誰も気づきはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

チョコレートは全部で53個

友人や先輩から冗談半分でもらったものを含めても例年以上に多かった。帰るとき多くのチョコレートを携えた深雪は若干不機嫌だったが、夕飯のときにはすっかり上機嫌になっていた。

 

 

深雪からのチョコレート尽くしの夕食というバレンタインプレゼントを受けたあと、私は達也の部屋に来ていた。

部屋をノックするのがいつもより緊張した。気恥ずかしいが深雪に説得され、ちょっとだけ丈の短いスカートにしてみた。

チョコレートは久しぶりに作ったが、名店には負けるものの、納得できる味になった。

 

「達也、あのね・・・」

 

達也は私の言葉を待ってくれた。

 

「ハッピー・バレンタイン」

 

私は手にしていたチョコレートの包みを差し出した。

 

一瞬泣きはらした顔のほのかを思い出した。事情も何も聞いていないが、おそらく達也が原因だろう。

もしかしたら私もという思いが浮かんで足がすくむ。私はこんなにも臆病だっただろうか。

達也を知れば知るほど、同じ時を過ごせば過ごすほど、この距離は近づくようで核心的な部分には触れられない。

達也は大切にしたいと思いたいと言ってくれた。その言葉に嘘はないと信じたい。

 

「私が頑固で諦めが悪いのは知っているでしょう」

 

好きだとは言葉にしなかった。

このチョコレートに込められた気持ちを達也が理解してくれると信じたかった。

燃えるような愛も舌の上で蕩けるように甘い恋も求めない。

萌える若葉のように青い思いでも、優しい時間が過ごせるのならば幸福だ。

雨の降る日も、寒さに震える日も、何にもない日も、特別な日も、彼と同じ時を歩むことに幸せを感じている。

 

「ありがとう、雅」

 

達也はチョコレートを受け取った。目の奥がツンとした。

泣きたいほど心は舞い上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

達也の目の前で雅は幸せが零れるような笑みを浮かべた。

彼が知っている彼女は様々な笑顔を見せてくれる。

面白いとき、嬉しいとき、悲しみに耐えるとき、幸福が満ち溢れるとき。

人の表情を読み取るという部分は人間特有の高度な脳機能だ。

相手のしぐさ、表情、声色、話した内容、視線

雰囲気とひとくくりにしてしまえばそうだが、言葉のない感情を読み取ることは幼少期に養われるものだ。

 

達也はそれにひどく偏りがあった。

嫌悪、憎悪、嫉妬、侮蔑、軽蔑、忌避、憤怒、殺気、殺意

人間の負の感情に対してはガーディアンとして敏感に感じ取ることができる。そうでなければ深雪を守ることはできない。

その反面、与えられるべき相手から与えられなかった感情は達也にとって知識としては理解できても感覚としては鈍くしか感じられなかった。

魂を決める3歳までは代わりに九重から惜しげもなく与えられていた。

だが、その後の血反吐を吐いても、どれだけ怪我を負っても辞められない訓練、痛めつけた体、徹底的に強制された四葉のガーディアンとしての道は達也の心を凍らせるのには十分な地獄だった。

そしてその凍り切った心に母は鍵をかけた。

最低限の情動と妹への家族愛は慈悲だったのか、彼を深雪を守ることに縛り付けるための呪いだったのか、答える者がいない今となっては知るよしもない。

 

 

達也は一端、チョコレートを机に置いた。

 

「雅」

 

名前を呼んで、静かに腕を広げる。

目の前にいる雅は達也の行動の意味を理解すると頬を桜色に染める。

いつもは大人びて姉らしく振舞う雅の恋人としての顔は達也にとって愛らしいと思う。

たった数歩の距離を雅はゆっくりと近づき、達也の腕の檻にとらわれる。

 

ふわっと広がる上品な香は清廉で、艶めく黒髪は音もなく静かに背中を流れる。

達也は雅を美しいと思う。

神楽の高雅な振る舞いも、積み上げられ丁寧に磨かれた気品も、意思を如実に表す凛々しい立ち姿も、妹をみる慈愛の瞳も、時折壊れそうなほど不安げな様子でさえ、儚い美しさを伴っている。

手を出すのをためらうほどの清純に、新雪を散らすように踏み入るのはちっぽけな独占欲だろうか。

頬に手を滑らせれば、雅は恥じらいながらも達也に委ねるように顔を傾ける。

親指で柔らかな唇をなぞれば、雅はためらいながら瞳を閉じて少しだけ首を上に上げる。

 

少しだけ達也に合わせて雅が背伸びをする。

達也は一度だけ触れて離れる。

 

いつもはこれで終わる。子どものような、色欲のかけらもない口づけだ。

 

達也に寄り添う雅が瞳を開ける前に、達也は雅の顎に指を添え、上を向かせる。

体を固くする雅に達也は同じことを繰り返す。

ただそれは一度のことではなかった。

 

一度目より長い触れ合いは、一度離れると間を置かずにまた唇が重なる。

触れては離れ、唇を啄むように何度も口付けを交わされる。

達也の手はしっかりと雅の後頭部と腰に回されており、雅は身動きを取ることはできない。

雅はただ達也の行動に翻弄され、目をつぶり、達也のシャツを握りしめる。

 

唇が重ね、啄み、離れ、そしてまた触れ合う。

呼吸の仕方を忘れ、吐息まで食べられてしまいそうな口付けに雅はただ必死に受け入れるしかない。

目を閉じている分、やけに耳が冴えてしまい些細な吐息やリップ音でさえ羞恥心を駆り立てる。

互いに下品に舌を絡めるわけでもなく、ただ達也が雅の唇を食むようにしているだけだ。

 

それでさえ一瞬の触れあいしか経験した事の無い雅には未知の領域で、頭は思考を止めていた。

達也の指がが雅の髪を遊ぶたび、達也の唇が触れるたび、雅の思考はドロドロに溶かされていく。

やめてほしいのに、突き飛ばすどころか縋り付くことしかできない雅は達也のなすがままになっていた。

そうして何度目かの唇が重なり合った後、軽い音を立てて唇が離れた。

 

雅が達也を見上げると薄らと熱を帯びた瞳が雅を見つめていた。

雅は息をのんだ。こんな達也の顔を雅は知らない。

その瞳から逃れるように、雅は達也の胸に額を押し付けた。

 

「酔ってるの?」

「いや」

 

小声でつぶやいた雅の問いに達也はなぜだと言わんばかりに否定した。

夕食で出たチョコレートフォンデュに使ったアルコールが飛んでいなくて深雪は少し酔ったようだったが、達也にその様子はない。

達也は雅の腰に回していた手を背中に回し、後頭部を支えていた方を雅と繋ぎ指を絡める。

雅は耳まで赤く染め上げ、達也に顔を見られないように俯く。

 

「嫌だったか」

「嫌じゃないけど」

 

これがただの慰めではなく、女として求められている。雅はそう錯覚してしまいそうだった。

人並みにとは言わないが、達也も性欲も持ち合わせている。

雅を欲するような、色香を含んだ口付けは雅を困惑させた。

 

「心臓が持たない」

 

その目は言葉以上に雄弁に雅を想っていると語っている気がした。自惚れでもいい。

彼の心が少しでも特別であると思ってくれる部分があるのだろうと思いたい。

そう願わずにはいれなかった。

 

 

 




作者の一言

喪女の痛い妄想乙(・∀・)wwww
書いてて砂糖吐くかと思った。

感想、誤字脱字指摘待ってます。


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来訪者編10

お久しぶりです。2月中に更新したかったのですが、3月ギリギリの更新になりました。

18巻発売されましたね。これから読みますが、楽しみです(・∀・)


バレンタインから一夜明けた2月15日

校内は浮ついた雰囲気から奇妙な困惑に変わっていた。

 

なんでもロボ研所有の3H(人型家事手伝いロボット)が魔法を行使したのだという。

朝からその噂を聞き、電子金蚕のようなSB魔法の可能性を含め、私たちは先輩方に呼ばれていた。

最も呼ばれたのは私と達也と古式魔法に精通している吉田君と、特殊な目を持つ美月だけだったのだが、生徒会として問題を解決する責任があると深雪が同行を申し出ると、エリカと西城君も便乗したため、大所帯となった。

 

五十里先輩から事の詳細を聞くと、なんでも自己診断プログラムを実行した3H・タイプP94、通称「ピクシー」は既定の手順通りに診断を終えた後、なぜか学校のサーバーにアクセスを始めた。

ピクシーの自己診断自体に異常はなく、通常であれば再びサスペンド状態に戻るはずだったが、それがなぜか学校の生徒名簿に不正アクセスし始めたのだった。

サーバーはすぐさまそれを感知し、検索を止めるべく指令が送られた。

その命令に従ってアクセスを止めるべきはずのピクシーはなぜか拒否できてしまった。

結局サーバーへの無線アクセスを強制的に切ることでピクシーは停止した。

 

何者かがピクシーを不正操作した形跡はなく、監視カメラには表情を変えないはずのピクシーが嬉しそうに笑っていたのだというから、謎は深まるばかりだった。

その後、廿楽先生が調べてみたところ、高濃度の想子が電子頭脳の部分から観測されたらしい。

加えて霊子もピクシーから観測されたため、電子頭脳の解析を含め、その原因究明のために私たちは呼ばれた。ロボ研のガレージでは設備が不十分なため、メンテナンス室にピクシーを移動させ、解析することになった。

授業は中条先輩の会長権限で出席扱いになるそうだが、やや気が引けた。

現在、自走式の台車に取り付けられた椅子に座っているピクシーはサスペンド状態であり、特に異常は感じられない。

 

「雅、それは?」

「妖魔の封印のためのものよ」

 

吉田君とエリカが机の上に置いた箱を訝しむように見ていた。

これは祈子さんがパラサイトの校内侵入以降、古典部の部室に置いていたものだ。

真言の刻まれた桐箱は素人目にも普通ではないものかよくわかるのだろう。

 

箱を開け、中に入った赤い紐2本取り出しす。

太さは私の親指ほどで、長さはおよそ10m。

紐には木札がいくつかつるされており、全て封印のための印が墨で刻まれている。

二本の紐をピクシーの両手首と両足首に結び付け、反対側の端は私が握っている。

 

「すでに見た目だけでアウトな気がするが・・・」

 

西城君がぼやくようにピクシーを見ながらそう言った。

確かに美少女型ロボットと赤い紐の組み合わせは、倒錯的な雰囲気があることに否定はしない。

 

「へえ、あんたの好みってあんな感じなんだ」

「んなわけねーだろ!」

 

西城君とエリカの漫才をBGMに私は準備を整えた。

これは万が一暴れた場合の対策であり、サイキックも私の意思一つで封じることができる。

吉田君には精霊除けの結界を張ってもらい、パラサイトがこの前のように乗っ取りを企てた場合の対処にあたってもらうことにした。

 

 

「ピクシー、サスペンド状態を解除」

 

達也と私以外は結界の中に入り、結果を見守っている。

ピクシーの音声認識は正しく作動しているようで、スムーズな動作で立ち上がった。

 

「ご用でございますか」

 

やや機械的な音声がピクシーのスピーカーから発せられる。

私は目を凝らしてピクシーの電子部分頭脳の部分を見つめる。

電子的な感応性の高い私は機械関係についても響子さんに仕込まれた部分もあり、それなりに得意としている。

 

「今朝午前7時以降の操作ログと通信ログを閲覧する。その台の上に仰向けで寝て、点検モードに移行しろ」

「アドミニストレイター権限を確認します」

 

ピクシーの視線は本来、達也の胸元に提示されている管理者IDを見るべきなのだが、なぜか達也の顔に視線は固定されている。達也は顔パスの機能にも登録されていないし、虹彩認証機能はこの距離での実用化はされていない。

 

ピクシーが笑顔を浮かべ、ミツケタ、と小さくつぶやき、台車から降りた。

瞬間、私と達也は1歩大きく下がった。

私は紐にサイオンを注ぎこむと紐はピクシー本体を雁字搦めにし、地面にうつ伏せにして押さえつける。手足も拘束し、さながら赤い芋虫状態になって顔だけは嬉しそうに笑って達也を見上げるピクシーは顔を顰めるほど不気味だった。

 

しかもその瞬間、買い物を終えた深雪と千代田先輩が戻ってきてしまった。

部屋の中心には地面に這いつくばるように縛られたピクシー。

部屋中に薄ら寒い空気が漂い始めた。

 

「お兄様・・・」

「へえ。司波君ってそんな趣味があったんだ」

「非常に不名誉な誤解です」

 

ロボットとはいえ、仮にも美少女の姿をとったピクシーの緊縛された様子は事情を知らない者が見たら仕方のないことだろう。

 

「雅、外してくれ」

「いいの?」

「攻撃の意思はなさそうだ」

 

十中八九、ピクシーの電子頭脳にパラサイトが巣食っていることは間違いないだろうが、前回とは違い荒々しい感覚はしない。

前回は明確な攻撃意思を持っていたが、今は達也に対して熱のこもった視線を送っているように見えなくもない。

その姿は作り物のはずなのに、感情が伴うような姿は異様だった。

私はもう一度サイオンを込め、術を解除する。

手足に紐はつけたままだが、雁字搦めの状態から解放されたピクシーは静かに立ち上がった。

 

「ピクシー、モード変更のコマンドは取り消す。その台座にもう一度座れ」

「かしこまりました」

 

今度は素直に命令に従ってピクシーは台座に座った。

 

「美月、ピクシーの中に何かいないか見てくれ。幹比古は美月がダメージを追わないようにガードしてくれ」

「は、はい?」

「なにか憑いているのかい」

 

いきなり指名された美月は虚を突かれた声をあげ、吉田君は無意識に声を潜めていた。

遠回りの聞き方だが、彼の中に確信めいた推測があるのだろう。

 

「この前取り逃がしたパラサイトだと思うけれど、この前とは様子が違う感じがするのよ」

 

私にわかることは攻撃性がないことと、達也だけを例外視していることだけだ。

 

美月は恐る恐る眼鏡をはずしてピクシーの胴体部分をみていた。

胴体部分というより、電子頭脳の当たりを見ていた。

美月の目が見開かれた。

同時にピクシーが笑顔の表情を作る

普通は初期設定の微笑寄りの無表情だが、にっこりとまるで人間のような笑みを浮かべていた。

 

「・・・います。パラサイトです」

 

エリカや吉田君はその言葉にすぐさま身構えていた。

 

「危険性はないのよね」

「ええ。このパターンは・・・」

 

美月は悩んだ様子で後ろを振り返った。

そこには待機している深雪、エリカ、ほのか、吉田君、西城君、五十里先輩、千代田先輩、中条先輩の8人がいる。

美月はピクシーとほのかの間を何度か視線を行き来させた。

 

「このパターン、ほのかさんと似ています」

「え!!わたし?!」

 

ほのかはいきなり自分の名前があげられたことに驚愕していた。

ほのかは先日、2体のパラサイトが潜入していた時にはパラサイトと鉢合わせをしていない。校内に潜伏している可能性はあったが、気配が微弱すぎて私も祈子さんも探し出せなかった。

ほのかは学校のどこか、正確にはこのピクシーの近くにいた際に何かあったのだろう。

 

「パラサイトはほのかさんの思念波の影響下にあります。正確にはほのかさんの思念をパラサイトが写し取ったか、『想い』を焼き付けたような感じです」

 

美月はきっぱりと断言した。

 

「ほのか、ロボ研の近くにいた心当たりは?」

「ロボ研の近くにいたことはありますけど、何かをしただなんてことはありません」

 

私がそう尋ねるとほのかはややきつい口調で反論し、反射的に目を背けた。聞かなくてもわかる後ろめたいなにかがあったのだろう。

ピクシーになにかをした、ということではなくロボ研の近くでなにかをしていたかということに対してだろう。

 

「美月、ほのかが意図してやっていたわけではないのだろう」

「あ、はい。意識的なものではなくて残留思念に近いものだと思います」

 

パニックになりそうなほのかを諫めるように、達也は美月に確認した。

 

「残留思念ってことは、光井さんが強く思った何かが偶々近くを漂っていたパラサイトに写し取られてピクシーに憑依した?もしくはピクシーに憑依していたパラサイトに光井さんの想いが焼き付けられた?」

 

吉田君のつぶやきは思考をまとめるためのものであったが、ほのかは心当たりがあるようで顔を赤らめていた。両手で顔を覆っているが、その表情を隠しきれてはいない。

 

「祈子さんが強い思いをパラサイトに与えると甦るといっていたから、ほのかの意識が呼び水となったのかしら」

 

 

 

『その通りです』

 

どこからか聞こえてきた声は耳からではなく、脳に語り掛けてくるようだった。それは本人ではなく、本体からもたらされたテレパシーだった。

 

『私は彼女の彼に対する強い想いで覚醒しました』

「能動型テレパシー?」

「残留想子の正体は魔法ではなく、サイキックだったようですね」

 

中条先輩の言葉に対して、達也がピクシーの前に進み出た。

 

「音声によるコミュニケーションは可能か」

『音声を理解することは可能です。ただ、この体の発声器官を操作するのは難しいのでこちらの意思伝達はテレパシーを使わせてください』

 

ピクシーの音声は内部スピーカーから発せられる。

機械的な音声信号をスピーカー(外部出力装置)に送ることは今まで人間の体を使っていたのと勝手が違うのだろう。

 

「それにしても我々の言語に随分と通じているようだが、どうやって修得したんだ」

『前の宿主より知識を引き継いでいます』

「お前はやはりあのパラサイトか」

パラサイト(寄生体)。私たちは確かにそのようなモノです』

「宿主を変えることができるようだが、今まで何人を犠牲にした」

『犠牲。その概念には異論があります。何人かという質問には答えられません。私はそれを憶えていない』

「憶えていないほど複数だということか」

 

達也の尋問にピクシーはよどみなく答えていく。

誰も口をはさむことはしなかった。

 

『違います。我々が宿主を移動する際に引き継ぐことができるのは宿主のパーソナリティをかい離した知識だけです。パーソナリティと結び付いた知識は移動の際に失われます』

「なるほど。前の宿主がどんな人物だったかはわからず、その人数も不明ということか」

『その通りです。貴方の理解は正確だ』

 

質問以外にも感想を述べることができる。

想った以上にパラサイトは思考能力としては優れているのだろう。

単に宿主に依存するだけならウイルスや細菌と変わりない。

吸血鬼事件の一件を鑑みても、ある程度知能を持っていた、知能を利用していたと考えるのが筋だろう。

 

「お前たちに感情はあるのか」

『我々にも種の保存の欲求があります』

「つまり自身の保存に対する善悪の感情は存在するということだな」

 

パラサイトが侵入したあの事件では私と祈子さんは一言かけただけで襲われた。こちらが明確に悪意を向けたわけではないが、彼らにとっては私たちの存在はすぐさま敵と判断するに値したのだろう。

 

「ここでお前の感情の有無を論じるつもりはない。お前のことは何と呼べばいい」

『我々には個別の名称がありませんので、この体の個体名称であるピクシーとお呼びください』

「電子頭脳から知識を引き出させるのか」

『この個体を掌握してから可能ですが、個体名称については貴方が先ほどそう呼んでいました』

「では、ピクシー。お前は我々に敵対する存在か」

『私は貴方に従属します』

 

その言葉に達也は一瞬思考を巡らせ、後に問いかけた。

 

「俺に?なぜだ?」

『私は貴方の物になりたい』

 

ピクシーの目が一層情熱的に達也を見つめた。

 

『私は彼女、個体名「光井ほのか」のこの思念によって覚醒しました』

 

声にならない悲鳴が後ろから漏れた。言うまでもなくほのかのものだ。

振り返ってみると深雪とエリカが二人掛かりでほのかの口を押えて、今にも暴走しそうなほのかを押しとどめていた。

特にエリカは口角をあげ、ニヤニヤと嬉しそうに見えるのだから(タチ)が悪い。

 

『我々は強い思念に引き寄せられ、それを核として自我を形成します』

「強い思念?それはどのような感情でもいいのか」

『いいえ。我々を目覚めさせるのは純度の高い思念のみです。あなた方の概念でいえば「祈り」が最も近いものと思われます』

 

ピクシーがどんな『祈り』で目覚めたか聞くまでもない。

達也もそれをわざわざ問うつもりはないらしい。

 

『貴方に尽くしたい』

『貴方の役に立ちたい』

『貴方に必要とされたい。貴方に所有されたい」

『それが私の願いです』

 

まるで懸想するかのうようにピクシーは熱のこもった視線を達也に向ける。エレメンツの依存性という特性もあるだろうが、ほのかの心の内を晒し出す情熱的な告白だった。

 

ほのかは衆目に自身の感情を暴露され、ドサリと音を立てて床に崩れ落ちた。あまりの恥ずかしさに失神してしまったようだ。

あれだけ私も自身の感情を他人に吐き出されてしまったら、立ち直れないかもしれない。

ほのかには心のなかで合掌した。

 

「興味深いな」

達也はほのかに対する“情”ではなく、パラサイトに対する“知”の方に関心があった。

 

「お前たちが受動的な存在で、自我があることは意外だ。つまりお前たちは望んでこの世界に来たわけではないのだな」

『我々は本来、ただ在るだけの存在です。自我を目覚めさせる望みは宿主から与えられます』

「耳が痛いな。責任の所在は一旦置くことにしておいて、ピクシー、お前は俺に従うということか」

『それが私の望みです』

「では俺に従え。今後俺の許可なくサイキックの使用を禁じる。表情を変えているのも念動の一種だろう。それも禁止だ」

「ご命令の、ままに」

 

ややぎこちない発音でピクシーは恭しい様子で音声に切り替えた。

表情も仮面と変わらないものとなったが、瞳だけはその意思を如実に表していた。

 

 

 

「達也、ピクシーに強制停止装置でもつける?」

 

私が言っているのは機械的に強制停止させるのではなく、パラサイト事態を強制的に封じるかどうかだ。

今は道具がないが、四楓院家からは封印に関する道具は借りてくることはできるだろう。九重は専門ではないが、魔性を使役することは四楓院家の一派に長けた者はいる。

私は使役よりも滅却してしまう力が強いので、術が困難ならば依頼することは可能なはずだ。

 

「いや、今のところは必要ないだろう。真偽はともかく、有益な情報は得られた。経緯はともかく、他の個体のことも聞き出せるかもしれない」

 

放たれた吸血鬼は少なくとも1体ではなかった。USNAから逃げ出したのであれば、協力者が複数いると考えてよいだろう。

他のパラサイトも仲間が捕らわれたとあれば、救出に来る可能性もある。

囮としての有効性もあるだろう。

ピクシーが語ったことが事実であれ、虚構であれ、有効な手駒を一つ手にすることができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夜、私は神楽の稽古の帰り道だった。

祈子さんの家での鍛錬からの帰りで、行橋家所有の自動運転車で送迎をしてもらっていた。

 

時間はすでに夜の11時を過ぎ、高校生である身分も考えると補導されても仕方のない時間帯でもある。

24時間稼働している無人コミューターも格安で各地に張り巡らされているが、行橋家もこの時間まで私を引き留めたとあって、ある程度の体裁をとる必要がある。この車両はドライビングAIだけではなく、軍用車両並みの性能を備えているため、一人で帰宅しても安全性は高い。帰りも目的地に着けば自動で行橋家まで戻っていくため、私の手間はない。

 

 

ふと窓の外を見ると、夜でも輝く金髪の隣を通り過ぎた。

振り返ってみると、やはりリーナだった。

防弾仕様のウエアを着ていることから任務だったのだろうが、それにしても周囲のサポートがなさすぎる。

仮にプライベートだとしても、ジョギングをするにしては随分と遅い時間帯だ。

 

私はパネルを操作し、車を道路脇に停止させた。

道路には停車可能ゾーンが設けられているためほかの車の通行の妨げになることはなく、駐車場に停めなくても都合の良い道だった。

ドアを開け歩道に出ると、リーナがしまったという目で私を見ていた。

私はそれに気が付かないふりをして、リーナにごく一般的な疑問を投げかけた。

 

「こんばんは、リーナ。徒歩でどうしたの?」

「雅こそ、こんな時間まで何をしてたのよ」

 

質問に質問で返すのは答えたくない事情があってのことだろう。

 

「稽古事の帰りよ。それより、いくらリーナが強いからと言って一人で夜歩きは危ないわ。乗っていく?」

「申し出はうれしいけれど、大丈夫よ。少しだけでいいのだけれど、マネーカード借りてもいいかしら?」

 

リーナは申し訳なさそうに、おそらく移動分程度の金額を要求した。学校にいる間だけだが、リーナは端末の仮想通貨しか使っておらず、マネーカードは持ち歩いていなかったはずだ。

 

「まさか何も持たずに出かけたの?」

「違うわよ。ちょっと予想外の事態が色々起きて、私も混乱しているの」

 

黒い防弾仕様の服装通り、作戦行動中だったらしい。

魔法を使った形跡は感じられるので、CADまで相手に奪われたのだろう。

リーナにはサポートスタッフが必ず付いて行動しているはずだし、そのスタッフもやられ、通信手段まで奪われるとあれば相当相手は手練れだろう。

 

USNA最強の魔法師部隊の隊長が遅れをとる相手などおそらく数えられるほどしかいない。となれば、ある程度相手の目星も付く。

連絡はないが、後で確認すれば裏がとれるだろう。

 

 

「ここじゃあ目立つから、渡すにしても、ひとまず乗ってちょうだい」

「え、ええ」

 

いくら深夜に近い時間帯とはいえ、人通りがないわけではない。

そんな時間に言い合っていたら自然と不審な目を集めてしまう。

リーナはおとなしく私の後に続いて車両に乗り込んだ。

 

 

 

 

何時間走っていたのかわからないが、リーナの額にはうっすら汗がにじんでいた。私は未開封のペットボトルのお茶を差し出すと、リーナは申し訳なさそうにそれを手に取り開けた。どうやら相当喉も乾いていたようだ。

 

 

「それで、相手は達也?」

 

リーナは答えるより雄弁に動揺を見せた。お茶を吹き出さなかったのは彼女の矜持だろう。

 

リーナ自身、実戦経験は豊富なようだが、諜報や交渉には向いていないのだろう。人材が豊富で役割分担が明確にされていて必要ないならそれでも良いが、トップであるならば甘いままでは居られないだろう。

 

「ああ、ごめんなさい。作戦行動中だろうから、話さなくて結構よ」

「じゃあ、なんで聞いたのよ」

 

リーナはむっと頬を膨らませながら反論した。

 

「深い意味はないわ。それより、リーナ。家までのお金で十分なのよね」

「ええ」

 

私の回答に納得していないが、早く帰宅したいリーナは不本意ながらも頷いた。

 

「作戦本部に行かなくても良いの?貴女の所在を本来ならバックアップチームが総力を挙げて探し出すはずが、探しにすら来ない。貴女のフォローを後回しにしなければならないほどの事態が起きていると考えるのが普通じゃないかしら」

 

戦闘後のシリウスの回収、しかもおそらく負けた彼女の保護を二の次にする程のことだ。

例えば、USNA本国で何かあったのか、あるいは日本における作戦行動で甚大な被害を被ったか。

いずれにせよ、スターズ総隊長を置いてまで先に解決しなければならない案件なのだろう。

 

リーナもそこで初めて気が付いたようだ。

いくら通信等がやられても、衛星等を使って探し出せないわけではないし、彼女に作戦を命令した上官が彼女の安否すら確認しないのは不自然だ。

 

「作戦本部の場所なら知っているわ」

 

兄を通じてスターズが使用している建物は把握している。

本来なら一国の首相ですら知らない情報だが、兄の手にかかれば地図で家を探すようなものだ。この国にいる以上、千里眼から逃れることはできない。

 

「なぜ、貴女がそれを知っているのかしら」

 

リーナは殺気を滲ませた。

狭い車内だが、わずかに半身になり、何時でも戦闘態勢がとれるようにしている。リーナは丸腰であるが、曲がりなりにも軍人。それも最強の魔法師部隊のトップとあれば、当然白兵戦の知識も技術も修得しているだろう。

 

私の答え次第によっては実力行使に出てくる場合もあり得る。

最も、その場合私も容赦はしないし、CADがある分、何倍も私が有利な状況であるには変わらない。

 

それを踏まえた上で私は事実だけを述べた。

 

「私の伯父が誰だか貴方も知っているでしょう」

 

情報の出所を千里眼()ではなく、忍者(八雲)だと仄めかした。

 

「×××!」

 

リーナの口から思わずスラングが飛び出した。仮にも上流階級のマナーと教育を仕込まれているだろうに、流石に叫ばずにはいられなかったのだろう。彼女も伯父に一杯食わされていたはずなので、再びしてやられたと口惜しさ半分、怒りは満載といったところだろう。

 

私もそうとは言っても出所が叔父であると断言したわけではなく、リーナが勝手に勘違いしただけだ。

 

疲労と失敗が重なるとこういった単純な言葉遊びに引っかかってしまう。

やはり軍人としての成熟度は精神面も含め、達也に遠く及ばない。

甘いといえばいいが、きっとその甘さは彼女を苦しめる原因ともなっているだろう。

 

力があるがゆえに登用される。

自分の意思とは関係なく、そうせざるを得ない状況に彼女もまたあるのだろう。

 

「ひとまず、そちらでいいかしら」

 

ナビに住所を入力し、夜の道に車を走らせた。

 




裏話


羞恥心でぶっ倒れたほのかは、雅が運びました。

ちなみに他の男子の場合
五十里 ⇒ 花音が許さん。
達也 ⇒ 深雪が許さん。お姫様抱っこなら私かお姉さまにっ
幹比古 ⇒ ヘタレ。力的に運べるけど、女の子に触る?!羞恥心で無理。
レオ ⇒ 一番角が立たないが、面白くないので却下


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来訪者編11

ようやく更新できました。
随分と要約することになりました。
書きたいシーンがとりあえず書けたので、よしとします。

ついに魔法科高校の劣等生映画化ですか°˖✧(・∀・)✧
楽しみですが、田舎なので近くで放映してくれるでしょうか・・・




達也はピクシーから「吸血鬼事件」について実験棟の空き教室で尋問していた。

ピクシーはロボ研と交渉し、達也が借り上げている。達也をマスターとして認めている以上、下手にロボ研所有にして問題があった場合の対処が面倒なのと、第三者に学外に持ち出され、パラサイトを奪われる可能性を考慮した故の判断だった。

普段はロボ研のガレージにいるピクシーだが、尋問には向かない部屋のため、美月経由で美術部から借りた女子用制服をピクシーに着用させ、実験棟まで移動させていた。

 

 

ピクシーは達也の命令に対し従順に行動し、淀みなく尋問にも答える。

達也には一つの疑問があった。一連の事件の被害者は外傷がないにもかかわらず、失血が認められており、検死と捜査は進むがその謎の解明はされていなかった。

 

ピクシーから魔法師を襲った経緯について語られた。

パラサイトの増殖のシステムは幽体の掌握を行うために人間にパラサイトの切り離した一部《分離体》を埋め込むことから始まる。

ターゲットの血液を分離体に置き換え、人間に付随する情報体を掌握し、パラサイトと同化させる。

情報体を掌握すれば、相互関係として実体も掌握できる算段だ。

 

だが、成功例はない。

血液の喪失は同化に伴う肉体の変容に使用され、失敗した場合は埋め込んだ分離体は生気(いき)と共に体外に排出される仕組みとなっている。パラサイトにも同化失敗の理由は不明であり、その解明のために日夜実験という名の魔法師の殺害が起きていたわけだ。

 

一見無表情に見えるが、どことなく嬉しそうな声色で達也の質問にテレパスを使って答えていく様が達也にとっては正直気分が悪い。

好意を寄せられているとはいえ、その相手が魔物とあれば心境は複雑だ。

 

 

 

 

達也が一通り尋問を終えると、タイミングを見計らったかのようにドアが開けられた。

 

「達也君、ちょっといい?」

「ああ」

 

聞き耳をたてられていたのか、偶々なのかは分からないが、エリカが教室に入ってきた。達也は第三者がこの部屋に近づいていることに気が付いていたが、ピクシーからの返答はテレパスであり、第三者に聞かれることはないため、無視していた。

おそらくエリカならば達也が気が付くだろうと普段ならば思っただろうが、あいにく彼女の雰囲気からノックをして部屋に入るということが頭から抜け落ちているのだろう。

 

「話を聞くのは構わないが、そう殺気立たないでくれ」

「ああ、ごめん」

 

達也の指摘にエリカは頬を恥ずかし気にかいた。

刺々しいというより、刃を研ぐような鈍く光るような殺気が霧散する。

どうやら無自覚だったようで、これから話すことはそれだけ彼女にとって重いことのようだ。

 

「それで、聞きたいことって?」

「わかってるでしょう」

「予想はつくが?」

「……うちの兄が醜態をさらした件についてよ」

 

エリカの回答は達也の予想通りだったが、その内容は一つではなかった。

 

「それだけか?」

「ひとまずこっち」

 

どうやら彼女にも順序があるようだ。

 

「相手は?」

「USNA軍、魔法師部隊総隊長、アンジー・シリウス」

 

達也は相手を嘘偽りなく、昨晩相手取った者の名前をエリカに伝えた。

エリカは素直に教えてもらえるとは思わず、虚を突かれた。

エリカがそれを受けてどう返答する間もなく、達也は首を横に振った。

 

「止めておけ」

 

エリカがその名前を聞いてどうするのか、達也には聞くまでもなく分かっていた。

 

「無理だって言いたいの?」

 

エリカの怒気が膨れ上がる。

 

「無理だな。実力的にも、結果的にも」

「結果的にも?」

 

エリカは達也の言葉を図りかねた。実力的に無理だといわれるのは予想通りだが、結果的にという言葉が気にかかった。膨れ上がった怒気は疑問によりいくばくか小さくなっていた。

 

「今朝のニュースを見たか?活字でも映像でもいいが」

「なんのニュース?」

「USNAの小型艦船が漂流していたニュースだ」

「あれね」

 

エリカの脳裏には通学中にキャビネットの中で流し読みしたニュースを思い出した。

日本領海を航行中のUSNA所属の小型艦船が機関トラブルにより漂流し、日本の防衛海軍に保護されたというニュースだ。

当日は霧もなく、天候も海上も穏やかだったので、動力系のトラブルではないかと記事では推察していた。このところ、目立ったニュースがなかったせいか、活字だけではなく映像媒体でも話題になっていた。

 

「まさか……」

「ああ。おそらくシリウスはもう出てこない」

 

エリカはこれが、ただの機器トラブルではないことを理解した。

表立った軍部や警察ではなく、おそらく、裏の力。それもシリウスが絡むとなれば魔法師で力のある家が動いた可能性が高い。

 

「…………ねえ、達也君。貴方、何者?」

 

エリカは達也をまるで知らない存在のように見た。

 

「少なくとも千葉(ウチ)には無理だわ」

「そうかな」

「ううん。十三束も、五十里も、千代田だって無理よ。もっと上の力。例えば十師族のような……」

「エリカ、もう止めないか」

 

ややぼかした回答で言外に達也が教えられないことを告げても、この日のエリカはなぜか引かなかった。

 

「力のある家でないと無理よね。首都圏を勢力範囲にしている勢力。もしくは地域に関係なく動ける家」

「エリカ、もう止せ」

 

察しの良い彼女にしては珍しく踏み込んでくると達也は思いながら、明確にエリカに制止をかける。

だが、エリカは知らず知らずに自分の首を絞める思考を深めていた。

 

「九重の勢力?北陸を地盤にしている一条は除くとして、関東近郊を拠点としていると言えば十文字、七草、あとは四葉。達也君、貴方まさかっ」

「止せ、と言っている」

「っ!」

 

特別大きな声だったわけではない。

それでも達也の声には、エリカに口を閉じさせるには十分な圧力が込められていた。

 

「これ以上はお互いのためにならない。この話はもういいだろう」

 

達也は静かにそう告げた。修羅場をくぐってきたのはエリカも達也も並ではない。

 

「ええ、そうね。ゴメン……」

 

エリカは自分の声が震えていないだけマシだと思った。自分が無意識に境界の向こう側にまで、それも彼の核心的な部分まで踏み込んでいたことにようやく気が付いた。

 

「わかってくれればいいさ。シリウスが誰かだなんて捜索しても良いことはない。この話は終わりにしないか」

「ええ、そうしましょう」

 

達也の提案はエリカのためのみならず、彼にも深入りされたくない事情を含んでいた。

その後パラサイトのことについてお互い協力関係を確認し、エリカは部屋を出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

エリカは達也と一通りの話を終え実験室から離れ、二科生エリアに着いたところで足を止めた。

そこでようやく息がつけた気がした。大きく息を吐きだし、廊下の壁に寄りかかる。

今更ながら冷汗が額から伝っていた。

 

迂闊だった。

普段の自分ならきっと気が付いて踏み込まなかったはずだ。

エリカは達也のことを十二分に認めている。

それは単に魔法戦闘力だけではなく、理論的思考力や彼の人柄も含めてのことだ。

深雪の実力も含め、今まで話題にならなかった方が珍しいほど、他を寄せ付けない圧倒的な魔法力を秘めている。

エリカはてっきり九重や軍が秘匿している人物と思っていたが、藪をつついて出てきたのは蛇どころか龍の逆鱗だった。

一瞬の殺気。死線をくぐってきたつもりの自分が視線一つで封じられた。

 

目を閉じて、天井を仰ぐ。

彼らのことも分かってしまえば、色々と納得できることも多い。

今まで不自然だった彼らの実力も、触れてはいけない者たちなら納得だ。

だが、これは誰にも話すことができないし、去り際に釘もしっかり刺されてしまった。

彼を守ってやるだなんて、なんて自分は傲慢なことを考えていたのだろうか。

自分は彼らのことを守らなければならない立場に追い込まれてしまった。

雅は知っているのだろう。知っていて彼の隣に立つことを決めた。

 

茨の道なんてものじゃない。蠱毒の中に自ら入っていく覚悟がないと、蠱毒の中で打ち勝つ強さがないととてもじゃないけれど無理だ。

一体、どんな覚悟をしたら、どれだけの想いをかけたらその決意は得られるのだろうか。

七草も十文字もおそらく二人のことを掴めていない。

徹底的に隠され、守られている。

そうしなければならないほど、二人が重要な立場にいるということだ。

 

兄にどう報告するか、なんて誤魔化すように思考を飛ばした。

言えないこと、聞いてほしくないこと、聞いてほしいけど自分からは言えないこと。

誰だって一つや二つ胸の奥底に抱えている。

それはエリカだって同じことだ。

きっと彼は私がどこかで話してしまっても笑って許してくれそうな気がする。

墓場まで持っていかなければならない秘密かもしれないし、意外とすぐに公表されるかもしれない事実かもしれない。

その日が来るまでこの口は裂かれてもその真実をこの口から割ることはできない。

 

 

 

トン、と誰かに肩に触れられた。

 

「エリカ」

「え、ああ。雅?」

 

足音もなく、気配もない中いきなり現れた雅にエリカは驚き目を開けた。自分も油断していただろうが、思わず攻撃態勢にならなかっただけよかったのだろう。

雅は心配そうにエリカに問いかけた。

 

「顔色が悪いけれど大丈夫?」

「あー、うん。大丈夫よ。それより、雅はどうしてこっちに?」

 

一科生と二科生では校舎も異なる。設備的には同じものを使っているのだが、如何せん生徒間にある見えない壁はいっそ校舎を分けてしまった方が楽であった。

基本的にお互いの校舎を行き来することはなく、制服でどちらの生徒かわかるので生徒会役員のような有名人でなくても多少目を引くことはある。

そのため、エリカの疑問も特別おかしいことではなかった。

 

「先輩のところにちょっと用事があって出向いていたところよ」

「ああ、そうなの」

 

雅の返答も特別当たり障りのない答えだった。

エリカにとっては、どう切り返せばいいのか今の状況に困っていた。

先ほど重大な秘密を知ってしまい、当の本人とまではいかないが浅からない相手が目の前にいる。

雅の鋭さはエリカもよく理解しており、声をかけたのもきっと自分の雰囲気が違ったか何かなのだろう。

 

「雅」

「何?」

 

雅と達也の間柄は生まれた時から決められている。

それに疑問を思ったことはないのか、達也の家を知って戸惑わなかったのか、どんな思いでそれを受け入れたのか。生まれたころから聞かされていた雅と自分では衝撃も違うだろうが、そんな言葉が喉から飛び出そうになった。

だが、今はまだそれを聞くべきではないと、理性が歯止めをかけた。

 

「何でもない」

 

エリカは結局誤魔化すように笑うことしかできなかった。

きっと下手くそな笑顔に違いない。そう思った。

 

「へんなの」

 

雅もつられて笑う。

ひとまず、この大きすぎる秘密は彼女の心の中にしまっておくことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

達也たちがピクシーを連れて青山霊園へ向かっているころ、私は神楽の稽古に励んでいた。

その原因は兄にあった。

学校終わりの帰宅を見計らったかのように、兄から通信が入った。

 

コールが5回をカウントする前に、私は通話に切り替えた。

 

「はい、雅です」

「学校は終わった時間かな」

「ええ。もうすぐ家です」

 

監視カメラを確認し、背を向けるように口元が映らないように壁際に寄って電話の声に耳を傾ける。

四葉がUSNAに忠告をし、これ以上USNAから我が国の魔法師に対する妨害はないとのことだった。

私たちを監視していた衛星はもうないので、そこまで警戒する必要はないかもしれないが念のためだ。普段この時間にかけてくること自体珍しく、いやな予感がしたのは間違いではなかった。

 

「そうかい。ああ、本題に入るけど今晩、この件で君は動く必要はない」

 

今晩、ピクシーを餌に他のパラサイトを釣る算段をしている。

彼らは異なる体に同一の思考を持った存在。

国内のみならテレパスを可能とし、互いの存在を認識している。

 

彼らの目的は種の保存と繁栄。

原始的な欲求に従い、行動しているが、ピクシーの場合、ほのかの思考に惹きつけられたため、リンクは現在切れているらしいと達也から聞いた。

失った同胞を取り戻すべく、他のパラサイトは何かしらの動きを見せるだろうと予想している。

 

兄には随時、こちらで把握した吸血鬼事件に関することは伝えていたが、今晩の一件は伝えていない。伝えていなくても、兄ならば今更不思議なことではない。

 

「それは九重としての決定ですか」

「そうだよ」

「理由をお聞かせ願えますか」

「吉田の次男がいるなら君までいなくてもパラサイトは封印できる。封印できなくても精神物質由来のパラサイトは深雪ちゃんに滅却される。一等星(シリウス)もこちらに刃を向けてくることはない。君の存在は保険にはなるだろうけれど、彼らにも成長は必要だろう」

 

言われていることは理解できる。

話の筋も通っているが、私をわざわざ争い事から遠ざける理由として不十分に思えた。

 

「まだ、何かお隠しですか」

「納得しなかった?」

 

困ったな、と全然困った様子など感じさせない口調で兄は答えた。

出ても出なくても良いのではなく、出るなということは私や九重に不利益があるということだ。

例えば少なからずこの事件に関わっている十師族や九重という立場がこの一件に関わっていたという事実だ。

 

「……わかりました」

 

達也たちの実力は知っている。兄の言う通り、この一件は私が関与しなくても彼らの実力で十分な案件かもしれない。

だが、歯痒いような、参加を許されない悔しい気持ちがないわけではない。

九重の決定に反目することもできず、私は従うだけだ。

 

「そう気を落としている時間はないよ。君に許された季節も舞台も数えるだけしかないことを忘れてはいけないよ」

 

兄の言葉が耳に突き刺さった。

私が“高雅”の名前で舞うことができるのはほんの少しの時間。

過ぎ去れば一年があっという間で、また終わりもそう遠くない距離に近づいている。

 

はい、と答えた声は震えてはいなかっただろうか。

決心はしたつもりでも、いざ突き付けられた現実を私はうまく消化できていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

兄の読み通りの流れで、その日のうちにとはいかなかったが吸血鬼事件は幕を下ろした。

直接パラサイトと対峙した達也たち以外にも四葉、七草、九島もそれぞれの思惑の下で暗躍していた。

 

この世界にやってきたパラサイトは全部で10体。内、1体は校内で最初に接触した際に封印し、あちらの世界に還されている。残りの9体の行方はというと、1体はピクシーに留まり、2体は封印、6体は深雪のコキュートスによって滅却された。封印したパラサイト2体は四葉と九島で分配したようだ。

事件当初から動いていた七草は青葉霊園の一件でこれ以上の利はないと手をすでに引いており、最終的な手出しはなかったそうだ。

 

 

そして人知れず、魔物と魔法師との戦いが終わった裏で、ゆるやかに日常は過ぎていた。

春は出会いの季節であり、別れの季節であった。

 

私の親しい先輩たちは無事、それぞれ次の進路が決まったようで晴れやかな表情をしていた。

七草先輩、十文字先輩、市原先輩、それに祈子さんは危なげなく魔法科大学への進学が決定した。

渡辺先輩は防衛大の方に進学するようで、合格後まで聞かされなかった七草先輩は少々ご立腹だった。

 

小早川先輩と平河先輩はともに防衛大に進むことになったそうだ。

小早川先輩は九校戦以降、スランプに悩まされ、平河先輩も一部の生徒からのバッシングにあい、ずいぶんと悩んでいた。

どうにかできなかったのかと、渡辺先輩は達也に聞いた。

彼女としては自分も事故に会いながら辛うじて事なきを得ており、とても他人事とは思えなかったそうだ。自分だけはバッシングを受けず、さらに論文コンペでの平河千秋の暴走がその悩みを深めていたのだろう。

 

どうにか直前ではなく、準備段階で発見ができなかったのかと。

 

それに対して達也の答えは否だった。あの事件も未然に防げただけで上出来だ。

達也も私も全能でも全知でもない。千里眼がない以上、未来まで見通すことはできやしない。

 

だが、渡辺先輩はさらに達也に問う。魔法の使えない魔法師が活きる道がないかと。

達也はそのまま無情に切り捨てることに気が引けたようで、情報の出所は言わないようにという前提で話した。

 

魔法師は主に国防や軍事関連産業に携わることが大多数だ。

魔法が現代兵器にも勝るとも劣らない性能を発揮するという事実がある以上、どうしてもその役割が求められる部分がある。したがって、必然的に前線での戦闘をこなす魔法師が多いため、魔法を取り入れた作戦を考える後方支援部隊の要員が不足しているらしい。

 

小早川先輩にとってはそこが活路となったようで、受験まで残り半年という短い期間であったが防衛大への進学を決めたらしい。魔法が使えなくなった人でも人生を諦めたり、道を閉ざす必要はない、と思えたのだそうだ。

同時に平河先輩も防衛大の魔法工学部への進学を決めた。どうやらウジウジといつまでも悩んで閉じこもっていたところを小早川先輩に発破をかけられ、ギリギリではあったが合格できたそうだ。

 

 

 

 

そして今日は卒業式。

式自体は形式に沿って、卒業生入場、卒業証書授与、校長、来賓、卒業生代表、在校生代表が挨拶をして終了となった。

 

式が終われば、3年生は一科生と二科生で別れて卒業パーティがある。2つの会場で別れて実施するのは大学進学率だとか、一科、二科にある見えない壁を考えると分けた方がいっそわだかまりも少ないのだろう。

 

立食形式でのパーティに加え、恩師からのビデオ映像や各部活後輩からのメッセージなど会場は涙あり、笑いありの賑やかな雰囲気だった。

 

「みんな、アリガトー」

 

そして私はそのパーティに駆り出されていた。今一番盛り上がっているのは催し物のコーナーだった。ステージ袖にいても聞こえるほど、会場は歓声と拍手で大盛り上がりであり、熱気に包まれている。そのステージ上に立っているのはリーナと有志のバンドメンバーだった。

 

年度末は卒業式など行事だけではなく、生徒会は予算等の事務処理にも追われている。

臨時とはいえ、リーナも生徒会所属なので深雪から送別会での催し物を頼まれていた。

深雪や中条先輩の案では適当に有志を募って、ステージをしてもらえばよかったのだが、リーナが勘違いして自分が催し物をするものだと思ったらしい。深雪は途中で勘違いに気が付いたのだが、面白いからと先輩たちにも口止めをしてそのままにしていたそうだ。

 

リーナは直前までその勘違いに気が付かず、自力でバンドメンバーを集めて、この送別会のステージで歌を披露している。プロ顔負けとは言わないが、鍛えた肺活量と元々ハイクラスのお嬢様だけあって音感は良く教育されており、歌もかなり上手いといえるレベルだった。

 

音響関係は放送部の部員が手伝い、照明は演劇部の協力、私は舞台演出に関わっていた。舞台演出といっても、曲はリーナたちが決めており、私は袖で光波振動系魔法による演出をしているという状態だ。

 

大学の発表で舞台にも魔法を仕込めるなら、魔法科高校らしく魔法で送り出してもいいのではないかとリーナから提案されたのだ。念のために先生方に確認すると、安全性の高い魔法ならばと案外すんなりと許可を出してしまったのだ。

光波振動系魔法はほのかの得意分野なのだが、彼女は別に仕事を任されており、私にお鉢が回ってきたところだ。

 

ノスタルジックな曲にはゆったりとした光の玉をシャボンのようにふわふわと揺蕩わせ、ロックにはぶつかったときに火花や電流が迸る様に弾けるような小さな色とりどりの玉を操る。

CADはもちろん達也の調整だ。

九重神楽でノウハウはある程度あるものの、完全に余興、それもロックやポップスに合わせる作業は初めての経験だった。しかもリーナは会場の雰囲気とノリでアドリブをサービスとばかりにするものだから、こちらの予想外の動きをすることもある。

おかげで気楽とは遠い演出になったが、それはそれで心地いい緊張感があった。

 

 

アンコールの曲を前にリーナが歌を一旦止め、マイクをとった。

 

「先輩方、卒業おめでとうございます。留学して3か月も経っていない私だけれど、この学校はとても刺激的で毎日が驚きの連続だったわ。

3年間を過ごした皆さんなら私以上に多くの思い出と掛け替えのない友人に出会えたことだと思います。私もこの学校で過ごせたことを誇りに思うわ」

 

会場はすでに拍手喝采。口笛で囃し立てる音も聞こえた。

リーナは歓声に手を振った後、一呼吸おいて、まっすぐに会場を見据えた。

 

「『才能も、容姿の美しさも、家柄も、それらはすべて贈り物であり、それらを誇ることは決して美しいことではない。卑しくそれらに媚びる者たちを貴方は友としてはいけない。世界は苦しいことでいっぱいだけれども、それに打ち勝つことでもあふれている。どんな絶望の底に落ちたとしても、背筋を伸ばして前を見て歩めば自然と貴方は真の友を得ることができるでしょう。』

私が勇気づけられた言葉です。皆さんのこれからに幸多からんことを、祈っているわ」

 

綺麗な笑顔でそう彼女は締めくくった。

リーナの言う才能とはきっと魔法という才能だ。

この才能は稀有であり、将来を有望された才能である。

時にその才能は唐突に終わりを告げることも、栄光に群がる亡者を呼び込むこともある。

だから常に考え、背筋を伸ばし世界と世間を見なければならない、と言っているのだろう。

 

考えさせられる言葉だった。

特にリーナは戦略級魔法師という平均的な魔法師以上に特殊な立場にある。

いつから軍属なのかは正確には知らないが、きっと悩んだことも多かったはずだ。

あれはきっと彼女が救われた言葉なのだろう。

 

 

 

盛大な送別にしようと思う。お世話になった先輩に、これからの門出を祝うにふさわしい光を。

そう思って私はCADに指を滑らせた。

過ぎ去る今日までの日々と、輝かしい明日をイメージした朝と夜の交わる空が天井に投影される。

降り注ぐ桜の花びらように切なくて美しい白い光が音に合わせて静かに舞い落ちる。

 

明るくも切ない歌詞の別れの曲は滲んだ空色に溶けていった。

 



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ダブルセブン編
ダブルセブン編1


ようやく2年生に入りました。
難産でした。
ゴールは見えているのに間が詰まらなくて、四苦八苦していました。

今回は入学式前の春休み編と番外編です。


九重神宮で行われる九重神楽は年に数度、観客を入れた観覧が行われる。

それ以外はすべて神前のみ行われる非常に閉ざされた神事であり、秘匿性の高い舞である。

その数少ない公開の中でも最も美しく、最も名高いのが春の園だった。

 

九重神宮は桜の名所として知られており、京都に数ある名所の中でも指折りの人気だ。

ソメイヨシノの並木道だけではなく、樹齢1000年を超える枝垂桜も優劣つけがたく、さらに外苑に植えられた山桜や八重桜も美しい。

四季折々、様々な色合いを見せる庭の中でも咲き誇る満開の桜の下に行われる、九重神宮の中でも特別華やかな行事だった。

 

天気は晴天。

蒼穹の空には白い雲がゆったりと漂い、心地よい春風が吹いていた。

京都では九重神楽が行われる日は雨が降らないと言われており、外出の指標にしている人もいるほどだった。

 

大勢の花見の参拝客に交じって、続々と観覧者が訪れていた。

観覧を許されたのは九重と縁の深い家々に限られている。

一筋縄ではいかない名家の当主、夫人などが揃う中、少年とも呼べる年齢層の者はどうやら今回も達也たちだけのようだった。

 

「楽しみですね」

「そうだな」

 

その日の深雪はいつにもまして麗しい装いだった。

薄い水色に控えめながら手の込んだ刺繍の訪問着と、黒髪の美しさが際立つように結い上げられた髪はいつもより深雪を大人の女性に見せていた。

流水紋に花と千鳥の図柄は清廉さを際立たせており、完璧とも呼べる美貌をより芸術的なまでの美しさに昇華していた。

この場にいるべくして、呼ばれるべくして呼ばれたといえるほど、所作も美しい深雪は女性たちからも視線を奪っていた。

 

隣にいる達也は流石に深雪と比べると華やかさは劣るものの、まっすぐに伸びた背筋と仕立ての良いスーツのおかげで場に浮くことはなかった。

 

 

二人が案内された位置に座り、開始時間を待っていると、会場がややざわめいた。

 

「お隣よろしいですか」

 

若い声に深雪が顔を上げると、そこには達也も瞠目せざるを得ない美少年がいた。

麗しい美形と言っても女性らしさはない。

しいて言うならば典型的な美少年がそこに立っていた。

柔らかそうな髪は春の風に揺れ、風に吹かれて舞い散る桜がその姿を彩っている。

華奢ではないが、どこか儚さを感じさせる雰囲気を醸し出した少年はまさしく奇跡的なバランスで成り立っていた。

卸したてのようなスーツは少年らしい、少し背伸びをした少年と青年の間の微妙な時期の上にうまく調和していた。

 

このような美貌を持つ男性を達也も深雪も知っている。

九重悠

雅の兄であり、【千里眼】を持つ次期九重当主。

現世の光源氏と名高き麗しの青年が、数年前まではこのような美少年だったことを達也は思い出した。

 

「こんにちは、達也君、深雪さん」

 

そんな彼の後ろから、二人がよく知っている人物がいつもとは違った装いで訪れた。

 

「藤林さん。いらしていたのですね」

「ええ。彼の付き添いでね」

 

普段のかっちりとした軍服姿とは違い、大人らしい気品の漂う訪問着姿だった。白と若草色を基調とした着物に色の濃い帯は、流石名家の令嬢という彼女に納得の着こなしだった。

 

「司波深雪さんと司波達也さんですよね。初めまして。九島家当主、九島真言の末子、九島光宣(くどうみのる)です。今日はおじいさまに無理を言って観覧させていただくことになったんです」

「そうなんですね」

「光宣君、いつまでも立っていると深雪さんたちが疲れてしまうわよ」

 

藤林にそう指摘され、光宣は恥ずかし気に失礼しますと、一言断って達也の隣に座った。

達也は一瞬、光宣の視線が鋭くなったのを感じた。

深雪も藤林も気が付かないほどの一瞬。

 

さて、どうした理由か、達也にはいくつかその答えに当てを付けていた。

彼が九島の秘蔵っ子だとしても、達也と深雪の素性を知るには至っていないはずだ。

彼らの真の情報は国家レベル以上に秘匿されている。彼らのことを探れば探るほど十師族とは縁がないという結果に行きつくように工作がされている。

同じ十師族だからと言って、易々と漏れることはない。

とすれば、この視線の意味は悠から以前受けていた忠告に当たるものだろう。

 

「今日の演目をご覧になったことはありますか」

 

光宣は人当たりの良さそうな表情で達也たちに問いかけた。

 

「確か、10年以上前に一度行われた演目だそうですね」

「ええ。その時も同じ桜の見ごろの春だったそうですよ。春を守護する青龍に捧げるのにふさわしい舞だったと聞いています」

「青龍が春?」

 

深雪の疑問に光宣は頷いた。

 

「四神にはそれぞれ天を守る方位と司る季節があり、東を守る青龍。東は春で青春。南を守る朱雀は夏。朱夏。西を守る白虎は秋。白秋。北を守る玄武は冬。玄冬。といった具合に五行信仰の一つとして数えられています」

 

深雪の問いかけに光宣は丁寧に答えた。

 

「お詳しいですね」

「いえ、とんでもない」

 

少し照れたように謙遜する様子も微笑ましく見えるだろう。

 

 

今回の演目は神楽殿ではなく、庭園にある巨大な池の上で行われた。

今日のためだけに用意された特設のわずか1m四方の石の上で、白い狩衣を身にまとった男装姿の雅は手に白い反物を持っていた。

それをゆっくりと端から解くと、まるで意思をもっているかのようにゆっくりと宙に布が浮き始める。

反物はまるで薄絹のような軽さと薄さであり、空気に溶けるようだった。

その長い布を見事に操りながら優雅に舞えば、次第に反物は龍へと姿を変えていく。

その場全てが神域であるかのように、空気が変わる。

力強くも透明な竜笛の音色と琴の音色が春の庭に彩を添える。

 

龍と共にある姿は神との対話のようで、感嘆のため息すら漏れる間もなく、神々しいまでの神楽は盛況のうちに終わった。

初めて体感した観客は陶然とした様子で席から離れられず、何度も観覧に訪れたものでさえ口々に筆舌しがたい光景に名前を付けようと必死になっていた。

 

 

 

 

感動の空気が少し落ち着き、徐々に会場から人が去り始めるころ、深雪と達也も席を立った。

 

「すみません、達也さん。少しお話をさせていただいてもよろしいですか」

 

光宣は申し訳なさそうに達也を呼び止めた。

この提案に大きくは表情を変えなかったが、藤林も驚いているようだった。どうやら『九島』からの話ではなく、彼個人の話なのだろう。

 

「構わないよ」

「ありがとうございます」

 

達也は深雪に視線を送ると、深雪は一礼して藤林と一緒に観覧席から少し離れていった。

達也と光宣も席から庭の隅の方へと移動した。

深雪たちの姿は視界にあるが、会話が聞こえない距離は十分とられていた。

 

「それで、話しとは?今日の神楽の感想、というわけではないだろう」

「それもぜひ語り合いたいところではありますが、それはまたの機会にしたいと思います」

 

どうやら勿体ぶるつもりはない様だ。

光宣は一呼吸置いた。

美少年が桜の下で息つく姿はそれだけで一枚の絵画のようであり、これで向かい合っている相手が女性なら告白の一場面のようだろう。

もっとも、二人の間に流れる雰囲気は甘いとは、冗談にも言えないものだった。

 

「今日、神楽を観に来たのは本当です。でも、それ以上に一度、会ってみたかったんです」

 

静かな声だった。それでいて、その言葉の力は強い意志を持っている。

春風が桜を浚う。

ふわりと舞う甘い香りと、柔らかな風とは裏腹に目の前の少年の瞳はどこかピリッとしていた。

 

「恋敵に」

 

彼は達也の目をまっすぐに見据えて、断言した。

 

「僕は彼女が好きです。確かに血が近いという欠点はあるでしょう。ですが、世の中で反対されるほどの近さではありません」

 

その瞳は嫉妬。そして挑戦。

 

「貴方には負けるつもりはありません。確かに千里眼が結んだ縁は強力だけれども、それが世界のすべてではないことを彼女はもちろん知っています」

 

現在過去未来を見通し、この世に跋扈(ばっこ)する魑魅魍魎芥を断罪するために神から授けられたといわれる千里眼。

千里眼の予言が外れたということを達也は見たことがない。多くを語らないことはあっても、決して的外れな回答はない。

達也と雅の縁も先々代の九重当主の決定だ。

不確定な未来だとしても、それを前提とした話が行われる。

 

「僕は彼女がいい。彼女が僕の隣に立つ未来がほしい。もちろん、彼女の気持ちを最優先にしますが、これからも譲る気も、諦める気も、アプローチをしないつもりもありません。

なので、そのつもりでいてください」

 

明確な宣戦布告。

彼は雅を好きだと断言した。

これからも譲る気はないということは、これが昨日今日の想いではないということだ。

九重直系の姫宮ということで、雅は幼いころから様々な家から婚姻の話が舞い込んでいる。

神楽の舞台に立つ回数が増えるにつれ、その申し込みは増えているのだという。

 

彼女は人を惹きつける。

それは神楽という舞台だからではなく、彼女という人柄に惚れる男性は少なくない。

淡い想いで終わるだけなら良いが、婚約者の存在を知りながらも、それを覆そうとする存在を達也は聞いている。

 

「生憎と、こちらも譲るつもりはない」

 

だが、達也は雅を手放すつもりはない。

それは勿論深雪のためであり、達也にとって深雪は命令の最優先として位置付けられている。

彼女のガーディアンとして、兄として、『四葉』という家で、『九重』の名前の重さを知っている。

 

「わかりました。お二人も待たせていることですし、今日はここまでにしましょう」

 

達也の威圧に怯むことなく、光宣は話を切り上げた。彼も十師族の端くれだけあって、この程度のプレッシャーなど受け慣れているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

観覧終了後、達也と深雪は九重の本家に招待されていた。

婚約者ともあれば、本家に立ち入りを許可される身分であり、古き良き日本を彷彿とさせる庭には立派な枝垂桜が満開を過ぎ、風に揺られて花びらを散らしていた。

その、本家の客間にて、達也と深雪は悠と対面していた。

 

「今日はお招きいただき、ありがとうございます」

 

深雪は丁寧に悠に一礼した。

 

「こちらこそ、遠方からよく来てくれたね」

 

悠はにこりと人当たりがよいながらも、気品あふれる笑みを浮かべた。

麗しさでは深雪も劣らないが、春が綻ぶような笑みに深雪は頬をわずかに染めた。

 

「今回の神楽舞はどうだった?」

「大変素晴らしかったです。言葉で言い表すと平凡な言葉しか並べることができませんが、美しく、清廉で、心が洗われるようでした」

「雅にもぜひそう言ってやってほしい。桜はあの子の季節だからね。今回は随分と気持ちがこもっていたから」

 

【九重の桜姫】

舞い散る桜の中で、誰よりも美しく気高く清廉に舞うことからそう名付けられた雅の二つ名だった。

春の園には彼女の舞がなければ成立しないといわれているほど、17歳を前にその実力は九重神楽の演者の中でも卓越している。

 

「そういえば、夜の部は悠さんが主役だとお聞きしていましたが、準備はよろしいのですか」

「主役はバタバタせずに休んでいろと、邪魔者扱いされてしまってね。これでも一応次期当主なんだけれど」

 

悠はやれやれと大げさに肩をすくめた。

どこまで本当の話なのかは分からないが、九重次期当主が二人の接待をするだけのために舞台の当日に場から離れることはまずない。

簡単な連絡や接待ならば当主の母か、通信等でもよいはずだ。

にもかかわらず、直接話す必要があるということに、二人は並々ではない内容だと意識していた。

 

「さて。楽しい話はひとまず置いておいて、『九重』から『四葉』に対して、情報提供をしようと思う。が、その前に。一つ、達也。君に苦言を呈そう」

 

苦言と聞き、深雪の表情に緊張が走る。

達也も一瞬身構えるが、あくまで悠の雰囲気も姿勢も変わらない。

静かにそこに座しているだけなのに、九重次期当主であると言わしめる風格がある。

呼吸一つ、視線一つ、声色のみで相手を制することができる。

だが、そんな二人の緊張をよそに、悠は先ほどと同じくふわりと微笑んだ。

 

「達也、君は許されているよ」

 

それはまるで原罪に対する赦しのようだった。

 

「九重も四葉も、君と雅の関係を認めている。だから君が躊躇う必要も、自分を卑下する必要も、諦める必要もない。残されたのはただ一つ。君自身が君のことを認めることだ」

「おっしゃる意味がよく分かりませんが」

 

核心的なことを何も語らない、それでいながら何を示しているのか達也も深雪も理解することのできる内容だった。

悠は困ったように笑ってみせた。

 

「そこまで君が鈍感とは僕も思っていないよ。あくまでわからないというのなら、考えてもいい。例えば雅が君以外の男性を選ぶ未来だ。

その笑顔を向けられるのも、その手に求められるのも、その腕に抱く子も全て君以外に許せるのかい?」

 

達也の脳裏にはふと、先ほど会った九島光宣の姿が浮かんだ。

彼の口ぶりから彼と雅は遠縁以上に親しい関係にあることは明らかだ。

雅ならば、彼を弟のように見ているかもしれないが、そんな彼女に甘えるように彼は少しずつ彼女に近づいているはずだ。

それくらいのことなら、彼はすんなりとやって見せるくらいのことはできる口ぶりだった。

達也はギリっと机の下で拳を握りしめた。

 

「君たちは素直じゃない。お互いがお互いを思っているのに、指先が触れるか触れないかの距離で怯えている。一歩と言わない距離にいながら、核心には決してお互いに触れない」

 

それは弱さだ。そう、悠に言われているようだった。

 

「君にとって名前の付けられない感情の正体を、きっと君は肯定するのを恐れている。その恐れは未知に対する恐怖か、失うことへの恐れか、どちらだろうね」

 

「お兄様……」

 

深雪は心配そうな瞳を浮かべ、達也の拳に手を重ねた。達也は安心させるべく、わずかに微笑んで机の下で深雪の手を握った。

 

「そう心配されなくても、雅が一途なのを誰よりもご存じなのではないですか」

 

不遜とも、自信ともとれる言葉は、達也がどう彼女を思っているのか、ということは一切語っていなかった。

悠は仕方ないねと、ため息をつき、本題の方を切り出した。

 

 

 

 

 

 

京都からの帰りのリニアの中で、達也は背もたれに体を預けた。

 

「お兄様、お疲れですか?」

「そうだな。流石に衝撃だったとしか言いようがないな」

 

心配そうに視線を落とす深雪の頭を達也は撫でた。

千里眼はこの国を滅ぼそうとする害悪の芽を許さない。それがたとえ身内と呼べる相手であろうとも、国益に反することに対しては敏感だ。

 

悠からもたらされた情報は、九島がパラサイトを使ったヒューマノイドの開発を行っているということだ。

今回神楽の会場で鉢合わせた九島光宣の祖父、いまだ軍関係者にも強い影響力を持つ九島烈が主導して行っていることらしい。

魔法師が兵器としてあるのではなく、魔性をベースに兵器を作る手法を大陸系の呪術師の力を借りて秘密裏に進めているそうだ。

そしてその実験場に、夏の九校戦が計画されているという段階まで来ている。

 

九校戦では、昨年度の実績から当然深雪も雅も出場することがほぼ内定している。

それを実験場に使うということは、二人を危険にさらすということに直結する。

今後国防や魔法の発展を担うであろう魔法師の雛鳥を実験台にすることが、本当に国のためになるとは到底思えない。

どのような形で会場や競技に妨害されるのか、競技内容が発表されていない以上、断定はできないが、千里眼の予想は外れない。

その絶対的な情報源を前に、達也の頭はこれから訪れる障害を排除する算段を付けていた。

 

「大丈夫。お前達のことは、俺が絶対に守るよ」

「お兄様……」

 

深雪は達也の言葉に、嬉しそうに頬を緩ませた。それは兄にそう言われて、舞い上がっているのではない。

 

「お兄様、気がついていらっしゃいますか?」

「なにがだ?」

 

先ほどの不安そうな様子とは一転、声色にも嬉しさが滲む深雪に達也は分からず問い返した。

 

「今、お兄様はお前“達”とおっしゃいました。それは私だけではなく、お姉さまのことも含めているのではありませんか」

 

ふふっと深雪は笑った。

それは達也にとって全くもって無意識だった。

 

達也にとって深雪の安全は至上の命題だ。

彼の使命であり、生きる理由であり、生かされている理由でもある。

魔法によって家族愛以外の感情を抹消された達也にとって、深雪以外の他人の命は二の次だ。

それを守ろうとするのは深雪が悲しむから、という理由に基づいている。

だが、今、達也はごく自然に二人を守るという意味で“お前達”と言った。

 

「不謹慎ですが、深雪は嬉しいです」

 

達也の頭の中は妹が喜んでいるということ以上に混乱に占められていた。

頭に浮かんでは消している感情の名前に、達也はあり得ないと否定した。

0から1は誕生しない。

ベースはあったとはいえ、白紙化された激情の場所には魔法の仮想演算領域があり、キャパシティがそこにはない。

 

だが、この胸に渦巻く混乱の原因の名前が世間一般でどう呼ばれるものなのか、達也も知識として知っている。

自分は例外だと思いながら、確かに感じた思いは偽りではない。

そこから結論付けられる結果に、達也は困惑した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

番外編~とある少女の回想~

 

 

私はいわゆる霊感があるという部類に入る。

母の先祖が拝み屋だか祓い屋だか、そんな類の職業をしていたこともあり、大した力はないがなんとなく嫌な感じというのはわかる体質だった。

なんとなく嫌な気配がある通りや場所だと思ったら大事故があったとか、昔墓地だったとか、そんなところだ。

時々変なものも見えることがあったが、たいてい無視をしていれば問題はない低級のものばかりだった。

 

科学の進んだ現代社会で胡散臭いこと極まりないが、魔法師だってつい100年前までオカルトの領域だったのだ。

拝み屋だって、呪殺師だって、憑き物筋だっていてもおかしくないだろう。

まあ、母もその祖父母も一般人の感覚しかなかったが、私はちょっと変わった子だという周りの認識はさておき、普通の学生生活をしていた。

まあ、魔法科高校に通っているので一般でいう普通の学生とは少し違うだろうが、二科生の私は特にやっかみを受けることもなく安全な生活を送っていた。

 

この学校には酷い人が何人かいる。

決して多くはないが、背中に何かを背負っていたり、気持ち悪い何かを腹の中で飼っていたり、潔癖のようで酷く歪んでいたり、普通とはいいがたい日常を送ってきただろう人がいる。

 

それは一科生や名家と呼ばれる家の人達に多く、その中でも特別酷いのが司波兄妹だ。

特に兄の方。

あれは酷いという言葉でしか言い表すのも足りないくらい、歪んでいる。

司波君本人は二科生の中では評判はいいし、魔法工学に関しては天才の域で、魔法理論だけでいえば学年1位をたたき出している。

特に十師族とかかわりがあるとか、名家出身ということではないらしいが、きっと嘘だろう。

正当な血は引いていなくても、間違いなく血みどろの世界を知っているはずだ。

 

彼を初めて見た日は、とてもじゃないがまともに眠れなかった。

怨念と執念と妄執と嫉妬と怨嗟と憎悪を煮詰めて溜め込んだようなものをまとっているのを見たときは、思わず卒倒しかけた。

間違いのないように言うが、これは恋だとかいう感情ではない。

久々に恐怖で眠れないという感覚を味わった。

どうやったらあれだけ人の負の感情を背負えるのかというほど、彼には黒いものがまとわりついていた。

まとわりついているというより、魂にこびりついたかのようだった。

 

司波さんも、司波さんでどこか謂われある家の出なのだろう。

彼女が背負うものも何処となく仄暗いものがある。

二人とも家系的にどれだけ悪行を重ねてきたのかわからない。

知ってしまえば、口にしてしまえばそれこそ私の身が危なくなるほど、二人の存在は私にとって恐ろしい。

 

 

 

だが、それも一瞬で吹き飛ばされてしまうことがある。

それが九重さんだ。

彼女はこの二人とは別の意味ですごい。

家は古い神社だと聞いて納得したが、あの司波君の背負っている悪霊みたいなものを一瞬にして消してしまう。

彼女がそばにいるときはあの怨念たちは彼に近寄ることができない。

圧倒的に清廉な気配を持っている。

 

彼女は特別だ。

悪霊も怨念も憎悪の視線も、彼女の前ではその影さえ表すことができない。

たまたま道端にいた浮遊霊や地縛霊ですら一瞬で払ってしまう。

まるで神嫁のように彼女には濃密で絶対的な加護があるのだろう。

 

ちょっと運のいい人や九死に一生を得る人、そんな人は守護霊がついていたり、信仰の厚い人だったりする。

そして、時々いるらしいが神様に好かれた人も幸運に恵まれることがある。

 

 

あの大学の研究の舞台のときにそう思った。

彼女は神様なのだ。

神様に愛され、神様の加護を受け、神様のモノなのだ。

だから、ただの人間の思念のカスには近づけない。

悪霊だろうと怨霊だろうと、邪気だろうと彼女の前には存在することすら不可能なのだ。

だからこそ、あれだけ美しく、あれだけ神々しく、あれだけ絢爛で、どこか懐かしくも切なくなるのだろう。

 

その切なさは命の儚さに似ている。

そう感じた。




番外編:少しだけ世界の見え方の違う魔法師(モブ)のお話し。


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ダブルセブン編2

実宣君ってなんだよ。光宣くんだよ、鯛の御頭はバカですか(・д・`)

感想・誤字の指摘ありがとうございます。



入学式の前日

東京都内で指折りの豪邸と呼ばれるレベルの邸宅、北山邸では北山家長女の帰国祝い&進級祝いのパーティが行われていた。

実際、この家に住んでいる雫の家族は祖母、両親、弟と本人を合わせた5人なのだが、家長である北山潮は5人兄弟である。

富裕層では5人程度の兄弟は珍しくない数ではあるが、潮が晩婚だったため雫の従兄弟たちは成人済みの者が多く、なおかつ家庭のある者が少なくない。

加えて、今日のパーティには結婚はしていなくてもフィアンセや近々婚約を控えているパートナーも同伴している。

そのため、身内のパーティとはいえ、ホームパーティと呼ぶには些か多い人数が集まっていた。

 

そして、入学式の前日という忙しい日にこのパーティが開かれたのは、雫の社長令嬢という側面も考慮してのことだった。

帰国後ほぼ息つく暇もなく、雫は関係各所へのあいさつ回りに追われていた。北山家は前世紀から続く実業家の家系であり、彼女は従業員を多数抱える社長の令嬢という立場もある。

身内向けのパーティも忙しいとはいえ、体面上行わないわけにはいかない。

 

「まあ、身内といってもまだ他人まで連れてくるのはどうかと思うけれど、蔑ろにはできないのよね」

 

北山夫人、雫の母である北山紅音はそう愚痴をこぼした。

主催者夫人(ホステス)にあるまじき発言だが、幸い聞いていたのは隣にいて適当に相槌を打っていた達也だけだった。多少居心地の悪さは感じながらも、理由を付けて逃げる場所もなく、おとなしく達也は彼女の会話に付き合っていた。

 

「潮君はビジネスが絡まなければ身内に甘いからね。厚かましさは好きにはなれないけれど、多少許しましょうか」

 

達也は一部納得する部分もあった。愚痴の内容というより、雫の的確なツッコミはこの母からきているのかと納得していた。彼女は毒舌だが、社長夫人としてTPOはわきまえているだろうし、吐き出す相手は選んでいるはずだ。

 

一通り話してすっきりしたのか、紅音は達也にターゲットを変え、値踏みをするような視線を向けた。

 

「ところで、貴方がほのかちゃんの片思いの相手で、九重さんの婚約者なのかしら」

「片思いの名称はともかく、そのような者ではあります」

「あら、否定しないのね」

 

達也が片思いの部分を誤魔化さなかったことを紅音は評価したようで、表情が多少友好的なものに変化した。

 

「モテるのね。ほのかちゃん可愛いのに、揺るがなかったのかしら」

「可愛いと思いますよ。容姿だけではなく、性格も。ですが、それとこれは別問題でしょう」

 

随分と不穏当な発言だと達也は思っていた。

 

「あら、誠実なのね」

 

少しだけ面白くなさそうに紅音は言った。

 

「でも貴方なら器用にほのかちゃんを使えるし、彼女も役立つし、喜んで仕えてくれるんじゃない」

 

だが、その後の発言はあまりに大きな爆弾だった。魔法師が魔法師に向ける言葉として、それは不謹慎でナイーブな問題に切り込んでいた。

ごく普通の高校生ならば彼女の言葉の意味を理解していなかっただろう。

魔法師の中でも若い世代でその言葉の意味を知るものは少数だ。

その例外にあてはまってしまったのが達也であり、わずかな表情の変化から紅音は彼がその意味を理解していることを読み取った。

 

「わかっていてそういう顔ができるのね。ひょっとしてほのかちゃんと友達でいるのも計算なのかしら」

「利用しているつもりはありませんよ」

 

紅音の声はやや硬質で怒りを心の奥に沈めているようなものだった。

少しずつ敵意を向けられていることを達也は感じていたが、それに対して動揺しないように訓練されている。彼はそういう風に作られた人間である。

紅音は目の前の少年があまりに少年離れしていることに、より疑念を深める。

 

「……ほのかちゃんは雫にとって親友だと思っているし、私達ももう一人の娘のように大切にしているわ。だから、貴方のことも調べさせてもらったわ。司波達也君」

 

挑発的な視線を紅音は向けた。

 

「貴方、何者?企業連合のサーバーを使っても君のパーソナルデータ(PD)がないだなんて」

「PDがないということはないのでは?それがなければ高校にも入学できないわけですよね」

「大人を舐めない方がいいわ。貴方のPDは適度にネガティブなデータとポジティブなデータが入っている。清廉潔白すぎるということもない。私も雫から話を聞いて、なおかつ九重と婚姻を結べるほどの相手と聞かなければ気が付かなかったわ」

「どこかおかしな点でも?」

 

達也はあくまで知らないと無機質な声で反問した。それが余計に紅音の神経を逆なでした。

 

「九重という家の重さは、私も理解しているわ。関西方面や古式魔法の方面には明るくなくても、日本という国で九重という家系の特殊性は一言では言い表せない。だから、貴方のパーソナルデータがあまりに普通であることがおかしいのよ。こうして話しているだけでも貴方が『普通じゃない』という印象の方が強くなるわ」

 

敵か味方か、高校生とはいえ、まるで得体のしれない、油断ならない相手と対峙していると紅音は感じていた。

 

「天才とも鬼才とも呼べるあなたの才能を九重が早くに目を付けて、上手に匿っているという可能性は勿論あり得るわ」

「PDはあくまで情報ですので、本人から受ける印象とは違うと思いますよ」

 

達也は推察ではなく、あくまで理論的に反論する。彼は憶測での反論を許さなかった。

 

「……とぼけるつもり?」

 

声量こそ落としていたが、彼女の口調はまるで喧嘩のように荒っぽいものになっていた。だから、少しずつだが二人の会話に注目が集まってしまっていた。

 

「紅音、少し落ち着きなさい」

 

身内とはいえ、集まっているのは完全な身内(仲間)ではない。

主催者夫人が自分の子供とそう年の変わらない少年に怒っている姿を見られることは当然好ましいとは言えない。慌てて北山潮が仲裁に入ることは当然だった。

 

「妻が失礼したね」

「いえ、こちらも随分と生意気なことを言ってしまいました。未熟な若輩がいうことですので、ご容赦いただけると助かります」

 

潮に頭を下げられ、達也も丁寧に一礼した。言葉はややトゲのある物だったが、それを咎める者はいなかった。

 

「雅さん、ずいぶんと連れまわしてしまって悪かったね」

「いえ。色々と興味深いお話を聞かせていただきました」

 

潮に声をかけられ、雅は集団の輪の中から一歩抜け出し、達也の隣に立った。

 

雅は会場で『九重』とわかると否や、大勢の大人に取り囲まれていた。

主役の雫を差し置いてでも、ここにいる者たち、それも家長と呼べるような年齢の者たちは顔を売ることに必死だった。

 

九重神宮の名前は古式魔法に疎い魔法師よりも、むしろ一般社会の方に影響力が大きい。家の名で言えば、この会場にいる誰よりも雅は家の格が上である。九重の直系と友人であるというだけで雫の株も上がり、雅を招待できるというだけで北山家にとっては収穫が大きい。

だから、潮が失礼のないようにと、雅に取り入ろうとする親戚連中を牽制しつつ、つきっきりで相手をしていたのだ。

 

「二人とも、雫とも話をしたいだろう」

「そうですね。雅は久しぶりになるでしょうから。……それでは御前を失礼します」

 

達也は潮の提案を素直に受け取り、潮に一礼した。達也に続いて雅も一礼し、足を友人たちの方向に向けた。

同時に潮もクールダウンが必要だと判断し、妻を壁際の椅子へとエスコートしていた。

 

 

 

声を張り上げなくても届く距離になると、まず雫は頭をペコリと下げた。

 

「達也さん、雅、ごめんなさい」

 

顔を上げた雫は乏しい表情ながら、置き場のない羞恥心にかられているようだった。幸いにして会話の内容までは聞いていなかったのか、自分のパーティに招いた同級生に母親が突っかかっていたように彼女には見えたのだろう。

 

「自分の娘が見ず知らずの男と仲がいいのなら、母親として心配もするだろう」

 

だからこの話はこれで終わり、と達也は微笑んだ。

その提案に雫は首を縦に振った。

 

「でも雅はグッジョブ」

 

雫は小声で親指を立てた。どうやら彼女はおじ様方の長い話は好ましくないようで、その役目を雅が引き受けてくれたことへの感謝で空気を換えようとした。

 

「これから雫があいさつ回りでしょう」

「……頑張る」

 

あまり気分が乗らないようで、乏しい表情の中で声だけはやや暗さが見えた。その様子にほのかや深雪はクスクスと笑いあった。

 

 

だが、一難去ってまた一難というべきか、雫たちが談笑をしていると、一人の青年が近づいてきた。

 

「雫ちゃん、久しぶり」

 

なれなれしい言葉で挨拶をしたが、ペコリと雫は頭を下げた。

どうやら従兄の一人のようだ。やや軽薄そうな印象を受けるが、身なりは富裕層らしく品も悪くないようにまとめている。

だが、その隣にいる女性についてはやや怪訝な目を向けていた。ルックスもスタイルも納得の美女と呼べる女性であり、整った容姿にドレス姿も宝石、化粧もTPOに合わせている。どうやら彼女と雫は初対面のようなので、北山家の親族ではなさそうだ。

 

「あ、俺婚約したんだ。といっても、まだエンゲージリングは受け取ってもらっていないんだけれどね」

 

その視線に気がついてか、青年の方から紹介があった。

 

「そうなんですね。おめでとうございます」

 

雫は礼儀的に祝いの言葉を述べた。

 

「初めまして。小和村真紀(さわむらまき)です。よろしくお見知りおきをください」

「あの、ひょっとして女優の小和村真紀さんですか。『真夏の流氷』でパン・パシフィックシネマの主演女優賞にノミネートされていましたよね」

「あら、あの映画、観てくださったの?」

 

ほのかの問いかけに上品さは失っていなかったが、やや得意げにそう答えた。

雫の従兄が連れていたのは、夏ごろ話題になった映画の主演女優だったようだ。海外の賞にもノミネートされ、芸能ニュースでも取り上げられていたはずだ。映画に疎い達也たちでも、作品の詳細は知らなくても話題になっていたことは覚えていた。

 

ほのかは直接映画館で観たらしく、興奮気味に感想を伝えていた。

真紀はそんなほのかを初々しいと受け止めているように、笑みを浮かべながら話を聞いていた。達也や深雪としてはその女性に対する興味はあまりなく、マスコミと密接に関係する間柄の人物との接点が多いのは彼らにとってはマイナス面が多すぎる。

早く他の場所へ行ってはくれないかと、相変わらず読めない表情のまま達也が思っていると、彼女の視線が雅を捕らえた。

 

「すみません。ひょっとして九重雅さんですか」

「ええ。そうですが、以前お目にかかったことがありましたでしょうか」

「いいえ。彼に雫さんが出ているからと九校戦の中継を見ていたんです。それに今日は随分と話題になっていましたから、私もお話しをしてみたかったんです」

 

雅は礼節の仮面を張り付けながらも、彼女に対するキナ臭さを感じていた。一癖どころか、何重にも癖があり、一筋縄ではいかない二枚舌を持つ者たちの相手をしてきた雅にとって、彼女に何かしらの下心があることを見抜くことは容易いことだった。

にっこりと優しげで、なおかつ目を輝かせた少女のような印象を与えるように真紀は言葉を続けた。

 

「九重神楽の噂は常々お聞きしています。極楽浄土すらこの光景には敵わないだろうと言わしめる舞台はとても素晴らしいと。私はまだ観覧をしたことがないのですが、観覧した方のお話を聞くと絶賛しか聞いたことがありません」

「そのようにお褒めいただき光栄です」

「芸能に関わる身としてはその演出方法や舞台には興味があって、よろしければ、今度私達のサロンに皆さまでいらっしゃらない?」

 

少しだけ砕けた口調で、無垢と無邪気を上手に混ぜ込みつつも、女くささを消して人当たりの良い仮面を彼女は演じた。

だが、演じることに関しては雅の方が一枚も二枚も上だった。そんな安い演技には釣られないとばかりに、雅は微笑みを絶やさずに首を横に振った。

 

「確かに神楽は芸能としての側面も持ちますが、九重神楽は神事ですので些細なことでも、お話しできないのです」

「魅せ方というのを参考にさせていただきたいと思いますが、それもダメでしょうか」

 

一瞬にして悲し気に眉を下げて見せる表情の変化を、流石は女優なだけはあると達也は感心していた。

 

「たとえ友人でも話せないことですので、ご容赦ください」

 

雅は同じく申し訳なさそうに見えるように笑って、彼女の提案を拒否した。

 

「そうですか」

 

彼女の視線がほんの一瞬怒気を含んだのを達也は見逃さなかった。

事実上、名家の出身といっても10歳近くも年の離れた少女に全く相手にされなかったのだ。

言葉遣いは丁寧だとしても、雅が真紀に対して興味がないことを彼女は感じ取っている。多少、その自尊心が傷ついたことは確かだろう。

何とか次の言葉を探そうとしている一瞬の間に、達也は雅の腰に手を回した。

 

「では、失礼します」

 

その意図に気が付いた雅は優雅に一礼して、彼女に背を向けて歩き出した。敵意の視線を達也は背に感じたが、この場で済むことに、怨まれ役を買うことはどうということはない。

 

その時の達也は彼女に今後も関わりができることを想像していなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

新学期

 

魔法科大学付属第一高校では、今年度から新たな取り組みがおこわなれる。

入学定員は変わらず。一科生100人、二科生100人の計200人だが、2年生に進級する段階で魔法工学科のコースが選択できるようになったのだ。

無論、それは選抜制であり、試験をパスしたものだけが進めるコースである。新学科設立のモデルを兼ね、魔法科大学から講師が派遣されるそうだ。将来的には入学の時点で魔法工学科が選択できるようになるというところまでが計画されている。

一般教養科目はどの科でも以前と大きく変わらないが、魔法工学科はその名のとおり、魔法工学技術にカリキュラムの重点が置かれており、魔法工学技師志望の者が多数を占める。

 

さらに一科、二科から選抜された分、一科の生徒の空き分は二科生から成績優秀者が順に一科への転科が認められている。

そもそもこの制度ができた裏側には、九校戦で大活躍してしまった達也を対外的にも「補欠」という立場に置いておくことができない学校側の立場もあるのだろう。

 

 

さて、新学期を迎え、私たちの所属も少し変わった。

まず、クラス編成では達也と美月が魔法工学科へ転科。達也は昨年度から内定していた生徒会に副会長として正式に就任。

エリカは西城君とまた同じクラスだったそうだ。

私と深雪はクラスが別れ、私はなじみのある顔ぶれでは雫とエイミィと同じB組になった。深雪はほのかと同じA組であり、ほのかも深雪も雫と私がいないことにショックを受けていた。

上位成績者4人が一クラスに集まっていたので、今年は各クラスのバランスも考え、分散されたともいえるだろう。

お昼は一緒に食べましょうね、といつも以上に距離が近く、さらに人目もはばからずに抱き着いてくる深雪を慰めることに追われていた。

 

 

始業式というシステムは魔法科高校にはなく、各自で連絡事項は確認するようにとのことだ。

1時限目こそ選択教科等のオリエンテーションに使われたが、2時限目以降は普通のカリキュラムだった。昨年度の復習がメインだったが、春休みボケをしている余裕はなさそうなほど密度の濃い日々が戻ってきた。

 

 

 

そして、新学期の放課後。

 

私は部活連の役員として召集されていた。

第一高校部活動連合会、通称:部活連は第一高校で正式に活動している部活動、クラブのすべてが加盟している団体だ。

昨年度までは必要数を各部から選出していたが、今年度から常任制になり、男女総勢二十名となり、生徒会、風紀委員を超える規模となった。

執行部役員は部活動に所属している生徒から選抜され、部活動全般に対する意見の取りまとめや、学校や生徒会への報告や部活関係でのトラブルの折衝などの仕事がある。

 

日常の仕事はその程度だが、一番大きな役割は九校戦メンバーの選出だろう。九校戦は学校を代表するメンバーであり、出場する選手は夏季課題の免除だけでなく、出場経験だけでも大学入試には加点となる。

さらに成績を上げれば高校生の内から企業や大学から声がかかることもある。

 

そのための選出には色々と利権も絡むため、公平・公正な判断ができる人物が求められる。その選出に関わる部活連の役員は部活動の成績も加味して、教職員選抜と各部推薦によって決定される。

昨年度、生徒会から引き抜きのあった服部先輩は十文字先輩からの推薦だったそうだ。

 

執行部役員は文化系、魔法競技系、非魔法競技系からバランスよく選出され、一応不公平感のできるだけでない体制を目指している。

3学期の途中まで、私はそのまま来年度も部活連推薦枠で風紀委員の予定だったが、これはちょっとした訳があった。

 

 

 

~回想~

 

3学期が終わる直前、服部先輩が風紀委員会本部に訪ねてきた。

部活連と風紀委員会は、魔法を使った違反者の取り締まりの関係で協同したり、対立したりすることがある。

最近では特に大きなトラブルはなかったが、その日の服部先輩は来年度の部活連の役員に私を風紀委員会から引き抜きたいと打診したのだ。

 

「ダメよ。雅ちゃんがいなくなったら、誰が風紀委員会の書類を整理するのよ」

「千代田先輩、胸を張って言うセリフではありませんよ」

 

勿論、それは現風紀委員長である千代田先輩も同席しての話であり、真っ先に拒否した理由に私は呆れた。

私は図書・古典部所属なので、部活連の役員になれる権利はある。

だが、現在所属している風紀委員との兼務は利害関係が絡むため禁止されている。

 

「実力だけで言えば、勿論部活連幹部に相応しい人物は十分いる。だが、部活連の会頭は部活動の代表で、九校戦をはじめとした学校を代表する立場の一つだ。彼女以上に相応しい人物はいない」

「雅ちゃんは1年から風紀委員の実績があるし、調整とか尋問にも欠かせないのよ」

「古典部で彼女の実績は十二分に評価されている。風紀委員の書類仕事や荒事の調停も部活連として十二分に生かせる」

 

話は私を置き去りにして平行線。

あわや一触即発の雰囲気に、生徒会も絡む騒ぎとなった。

 

 

 

 

 

「で、結局どうなったんだい?」

 

3学期末のいきさつを話しながら部活連の会議室に向かう最中、隣を歩くスバルがそう聞いた。彼女も同じく、今年度から部活連の役員に選出されている。

 

「千代田先輩と服部先輩が模擬戦をすることになって、服部先輩が僅差で勝利」

「晴れて雅は部活連の役員入りってことか」

 

ちなみに、私の意思の確認は最後まで二の次だったことはここに明言しておく。

 

「そういうこと」

「風紀委員はどうするか聞いているのかい」

「吉田君と雫が教職員推薦枠と部活連推薦枠で加入するそうよ。二人とも書類仕事はできるだろうし、特に吉田君は頼まれると断れないタイプだから書類負担は彼にかかるわね」

 

今日あたり、正式に推薦がされるだろうが、昨年度出た欠員分の補充は吉田君と雫が当たることになっている。

あと1名、教職員推薦枠が残っているのだが、そちらは1年生の内から誰か、入試で優秀な成績をとった生徒から選出されることになっている。

 

「おやおや。それはご愁傷さまだね」

 

いつも通りの演技かかった口調でスバルは笑った。

 

「雅はそれで、よく生徒会に引っ張られなかったね」

「深雪は不満そうだったわよ」

「相変わらず麗しい姉妹愛だね」

 

風紀委員ならば、生徒会室と部屋がつながっているため、気軽に私も行けたのだが、部活連の活動している部屋は生徒会室からも遠い。

クラスも分かれたため、深雪はかなり寂しがっていた。

 

「でも、意外だね。服部先輩が雅をそこまで買っているなんて、司波君は嫉妬しないのかい?」

 

にやりとからかう様に、スバルは尋ねた。

 

「服部先輩がどこまで見越していたか分からないけれど、結局真っ正面から深雪に向かって反対意見が言える人材が欲しかったんじゃないかしら」

「どういうことだい?」

「生徒会と部活連、それに名誉職だけれど風紀委員会は三つ巴で学校を支える仕組みになっている。昨年度は三巨頭と呼ばれるくらい、それぞれ実力・名声・人柄のある人物が揃っていた。今年度は3人とも穏やかに話し合いができるメンバーで、多少の立場上の意見の違いはあっても結果的には妥協点を見つけて話していける人たちだと思うの」

「だが、僕らの学年はパワーバランスの面を見ると現在の配置では不安が残るということかな」

「そういうこと。まして部活連は学校と生徒会相手に予算請求もするから、なおさら深雪と対等に話ができないと務まらないでしょう」

「意外と考えられた選出だったんだね」

 

服部先輩から直接聞いたわけではないが、私の推察にスバルは納得したように、首を縦に振った。

 

 

 

 

部活連の会議室には新旧役員が顔をそろえていた。

昨年度は男子一辺倒だった部活連だが、今年度は私とスバルが久々の女子役員ということで、少し注目を集めていた。

年度当初の議題は各部活動の新歓に向けた対策と、新規役員の顔合わせが主だった。

 

「では今年度、新規役員として2-Bの九重雅、2-Dの里美スバルの2名が加わることになった」

 

2年生の中では十三束君と五十嵐君は昨年度の時点で声がかけられており、二学期にはすでに役員として活動していた。今年度は昨年度卒業された先輩の補充で私達2名が追加で任命された。服部先輩の紹介に合わせて、スバルと二人で席を立ち、一礼する。

部活連は部活動の顔役とあってか、3年生の先輩も部活動で表彰を受けた人が目立つ。生徒会とは異なり毎日の仕事は少ないが、その分、各自部活動でも成績がある程度求められるせいもあるだろう。

 

「今年度最初の活動だが、入学式の際に各部活動が新入生勧誘のフライングをしていないか、入学式後に見回りを毎年行っている。配置は先ほど端末に送った資料を各自確認してくれ」

 

簡単な紹介を終えると、服部先輩から今年度の年間予定の説明があった。

入学式と新歓時期の見回りを終えると、5月下旬には九校戦の選手選定が始まる。思った以上に新学期の活動は忙しくなりそうだ。

 

「それと例年、各部新入部員の獲得に必死になるだろうが、今年は部活連も巡回に当たることになった」

 

毎年、新歓の時期はお祭り騒ぎ、喧騒騒ぎになる。

特に入試成績が裏で出回っていることから、魔法力の高い一科生を中心とした争奪戦が毎年行われるため、事態の収拾に風紀委員と生徒会が当たっている。

昨年度、剣術部のデモで殺傷性の高い魔法が使われたことや、反魔法のテロ組織に魔法科高校生が利用されていた事件も踏まえ、今年度は見回りを強化することになったらしい。

 

「風紀委員との兼ね合いはどうされるのですか」

 

十三束君が手を挙げて質問した。

 

「そこは、早く現場に到着した方が指揮を執って対処することになった」

 

風紀委員会と部活連で騒動の収拾ではなく手柄の取り合いにならなければいいが、一応の規定は決められているらしい。喧嘩早い千代田先輩や沢木先輩のことはやや不安が残るが、冷静な吉田君と雫の活躍に期待するしかない。

 

「それから、今年度から生徒会や風紀委員会同様、部活連でも1年生を入れようと考えている。多くても人数は二人。指導係は五十嵐と十三束に頼んでいる」

 

生徒会と風紀委員会では、新入生からメンバーを選出している。後継者育成のために早くから人材教育をしているが、部活連は早くて1年生の後半からの加入になる。十文字先輩は良くも悪くもカリスマ性で引っ張ってきた部分があるから、組織として機能させるなら、後継者育成は重要な仕事だ。

部活動に入ってまもなく役員というのも大変かもしれないが、生徒会も風紀委員会も力量を見て仕事を振っていたので、服部先輩も無茶をさせるようなことはないだろう。

 

 

 

 

 

 

久しぶりになる司波家へ帰宅すると、いつも以上に甲斐甲斐しい深雪の歓迎が待ち受けていた。玄関先での出迎えに加えて、かばん持ちから着替えまで手伝わせてしまった。そこまでは必要ないと私が言うものの、深雪は好きでしているのだからと、クラスが離れて寂しかったのだと、いつも以上にべったりだった。

至れり尽くせり、というより実家でもここまで世話を焼かれることはないので、なんだか気恥ずかしかった。

 

水波ちゃんの入学祝を兼ねた少し豪勢な夕食を終え、コーヒーで一息ついていると、話題は明日の入学式のことになった。

水波ちゃんは3月に第一高校の入学が決定して、四葉本家から司波家へとやってきた。当主である真夜様の命令なので深雪たちも断ることはできず、年頃の男女が4人で同居生活という不思議な構図ができている。

同居にあたり、水波ちゃんは二人の従姉妹と言う事になっている。

実際は水波ちゃんは使用人で、深雪は主人の立場だが、どちらが家事をするかで無言の攻防があったらしい。今は達也に関することは概ね深雪がすることで落ち着いたが、虎視眈々とどちらもその役割を担おうとしていると達也から聞いた。

 

閑話休題

 

「そういえば新入生代表はどんな人だった?」

 

私がそう尋ねると、深雪が顔を顰めた。

確か今年度の代表は師補十八家の中でも十師族に近いといわれる七宝家の長男だったはずだ。

実力、規模も十師族には一歩劣るものの、現代魔法への貢献度はそれなりにある。十師族の地位に固執しているという噂も聞く。

 

「まさか、いきなり深雪とにらみ合いになるとは思わなかったが、七宝家の長男はどうやら好戦的な性格のようだ」

「なにかトラブルがあったの?」

 

今日は生徒会の方で明日の入学式に向けたリハーサルが行われていた。

リハーサルと言っても発表原稿の最終確認と当日の流れの説明程度で、それほど時間のかかるものではない。達也たちは今日が初めての顔合わせだったが、どうやら印象は良くなかったらしい。

 

「お兄様に対する彼の態度は不遜というより、どこか敵対心がにじみ出ていると感じました」

「俺に対して敵対心というよりも、深雪に対してライバル認定しているのだろう」

「わたしが、ですか?」

「深雪は去年の新入生代表。七宝は今年の新入生代表。比較されるのは当然だし、深雪は九校戦でも大活躍だった。彼がお前を意識することは仕方のないことだろうし、俺はせいぜい深雪の付属物として敵視されている程度だろう」

「そんな、お兄様は付属物ではありません!」

 

今にも立ち上がらんばかりの深雪を達也は落ち着くよう手で制した。

 

「そんなに興奮しなくても……あくまで七宝から見た仮定であって」

「そんな仮定は受け入れられません」

「受け入れられないって言ってもな……」

 

やや暴走気味の深雪に、達也は困ったように私に視線を向けた。

 

「赤の他人にそれほど憤慨するのは時間が勿体ないでしょう。達也が誰よりも素晴らしいことは貴女が誰よりも知っているのではなくて?」

「お姉さま……そうですね。取り乱してしまい、失礼しました」

 

深雪はしゅんと頬を赤らめ、自分の行動に対して羞恥に駆られていた。

兄を見下されたことに彼女が怒らないはずがないが、赤の他人に対して怒りを向けるより今、兄と話しているこの時間の方が大切だと頭を切り替えたのだろう。

達也を見ると流石だなと言わんばかりに苦笑いを浮かべていた。

 

「もう一つ、可能性は低いが俺たちが十師族の関係者だと知っている場合だ」

「それは、考えすぎではありませんか?」

 

あれほど興奮していた深雪も声のトーンをかなり落とした。

彼らが四葉の関係者だと知られる可能性はかなり低い。

それも他の十師族ではなく、師補十八家。情報網もコネクションも劣るが、何かしら特別な手段で情報を手にする可能性も捨てきれない。

 

「考えすぎかもしれないが、彼の目にはそれほどまで強い思い込みが宿っていたように感じる」

 

達也が言うほどだ。十師族に向けるような敵対心を彼らに持つということは、何かしら事前情報があってのことだろう。

 

「九重との関係も考えたが、七宝家は魔法工学と古式魔法にはそれほど熱を入れていない。念のためだが、注意はしておいた方がいいだろう」

「そうですね」

 

この時はまさか、七草先輩との関係を疑われているとは思いもよらなかった。

 




久しぶりに1万字超えましたΣ(゜д゜;)
そして、水波ちゃんが一言も話していない・・・


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ダブルセブン編3

お兄様、伝説になるそうですよ。


西暦二〇九六年四月八日

 

達也、深雪、雅、水波の四人は第一高校の入学式準備のために、入学式2時間前に登校していた。

水波は本来、入学式に合わせて向かえばいいが、ガーディアンとしての立場もある以上、家に一人で待っているのも気が引けたので、同伴することになったのだ。

 

「なんだ?」

 

朝からにこにこと笑顔で機嫌の良い雅に達也は問いかけた。

 

「似合っているわよ」

「デザインはほとんど変わっていないが」

 

達也の胸元には昨年度とは異なり、八枚の花弁を取り囲むような歯車を図式化したエンブレムがあった。今年度から設立された魔法工学科所属を表すシンボルだった。

 

「去年より晴れやかに見えるわ」

 

達也にとってはまだ違和感の強い制服だが、似合っているという言葉なら素直に受け取っておいた。だが、雅が言う様に気分が晴れやかかと言われれば、さして変わらない気がする。

入学初日は確かに、エンブレムがないことを自分が意外と意識していたことに対して苛立ちも感じたが、日が経てば慣れたものだった。二科生という劣等生のレッテルも事実、魔法実技の成績が良くない自分には仕方がない(・・・・・)と割り切っていた。

たがが制服一つでそう人の中身が変わるものでもないと、達也は新しい制服と学科に対して冷静に受け止めていた。

 

「そうですよ。お兄様。お兄様にとっては些細なことかもしれませんが、深雪は大変誇らしく思います」

 

深雪は先日、ファッションショーのごとく達也に新しい制服を着せて、ポーズをとらせ、満足げに眺めていた。昨年度、兄の胸元にエンブレムがないことで酷く鬱憤の溜まっていた深雪にとって、新しい制服を着た兄の姿は実に晴れやかだった。

達也にはいまいち納得のいく理解はできなかったが、ひとまず、妹たちが楽しそうなのでそれでいいかと結論付けた。

 

 

 

 

 

入学式の準備に駆り出されている生徒たちは一度、見回り班も含めた全員が講堂に集まり、当日の連絡と確認事項を伝達し終わると各自持ち場に散らばった。

生徒会のメンバーはリハーサルの打ち合わせを行うために講堂に残り、会場準備の担当は名簿など最終的な受付の確認をしていた。

部活連のメンバーである雅は、打ち合わせ通りに校内の見回りを行っていた。

 

如何せん、魔法科高校は高校と呼ぶには設備も敷地も規模が大きい。

案内板や誘導の生徒が立ってはいるが、敷地の奥の方にある講堂までは距離がある。

仮想型の携帯端末が禁止されているので、スクリーン型に慣れていない者にはやりにくいだろうし、LPSアプリを使った道案内でも迷う人は出てくる。似たような建物も点在しているので、新入生も入学してから案内図なしに目的の教室に行けるようになるまではしばらくかかる。

まだ式には30分以上時間があるが、ちらほらと新入生と保護者がやってきていた。

 

 

雅は土地神様が祀られている祠へ挨拶を済ませると、敷地内の見回りへ向かった。

基本的に学内の食堂やカフェテリア、図書館なども今日は休みであり、中に入ることはできない。

基本的に情報を含めた会場のセキュリティは万全だが、春にテロ組織の下部組織が活動していたこともあり、外部の人間が敷地内に出入りするこの日の警備のレベルは引き上げられている。人数は多くはないが部活連の見回りの生徒ですらCADの携行を許可されている当たり、その点がうかがえるだろう。

 

満開の桜は麗らかな春の日差しを受け、静かな風に揺れていた。桜は花が咲くとすぐ散ってしまうことが多いが、この100年でさらに品種改良が進み、以前より長く桜を楽しむことができるようになっている。白く舞い散る花びらも、浮足立つ祝いの場に(いろどり)を添えていた。

 

雅が講堂へと続く桜並木の近くを見回っていると、新入生が興味深そうに休みとなったカフェテリアを覗いていた。

 

「へー。カフェまであるんだ」

「今日は混乱を避けるためにお休みだそうですよ」

 

肩にエンブレムがあるのが見えたので、どうやら一科生の女子生徒のようだった。二人は同じくらいの背格好であり、おそろいの黒と白のストライプのリボンをつけていたのでよほど仲がいい友人なのだろうと雅は思って見ていた。

 

「ストロベリーチーズケーキフラペチーノだって。おいしそうだよね。今だけホイップクリーム増量が無料だって」

 

ショートカットの少女は女の子らしく甘いものには目がないようで、カフェのメニューをキラキラと目を輝かせて眺めて談笑していた。

 

「太りますわよ、香澄ちゃん」

「いいんだよ。その分運動するから」

 

可愛らしく微笑ましい新入生のやり取りに雅はくすりと笑みをこぼした。

昨年、自分たちが入学してきた日が1年前に思えないほどあっという間だったと雅は思い返していた。自分も同じ時期、達也と深雪と同じ学校に通えることに心躍らせていたことが懐かしく思えた。

 

「あっ」

「おはようございます」

 

カフェのガラスに反射していたのだろう。後ろを歩いていた雅に二人は気が付き、舞い上がっていた姿を見られて少し恥ずかしそうに挨拶をした。

 

「おはようございます。新入生ですね」

 

雅はにっこりと緊張感を相手に与えないよう柔らかい笑みを携えた。

 

「講堂の場所はご存知ですか」

「はい。大丈夫です」

 

振り返った二人の女子生徒は髪型がショートカットと肩で切りそろえられたボブガットで異なるが、顔立ちは一目で二人が双子とわかるほど似ていた。近くに保護者の姿は見えないが、魔法科高校は全国で九校しかなく、高校生でも一人暮らしをする生徒は珍しくない。

交通の便が良くなったとはいえ、仕事もある平日なので保護者同伴ではなくとも珍しくはない。魔法師は親子の情が少ないといわれている現状もあり、高校ともなると保護者の出席率はそれほど高くはない。 

 

 

「もうすぐ開場ですので、良い席に座りたければ、早めに行かれることをお勧めしますよ」

 

ひとまず迷子ではないことは確認したので、雅は開場時間を告げ、見回りに戻るべく足を進めた。

 

「あの」

「はい」

 

だが、歩き出そうとしたところでボブカットの少女がやや緊張気味に雅を呼び止めた。

 

「もしかして、九重雅さんでしょうか?」

「ええ」

 

雅が肯定すると、少女は目は嬉し気な瞳でほほ笑んだ。

 

「初めまして。(わたくし)七草泉美(さえぐさいずみ)と申します」

「同じく、七草香澄(さえぐさかすみ)です」

 

ボブカットの少女、泉美はお淑やかに、ショートカットの少女、香澄はハキハキと自己紹介をした。髪型や雰囲気もあるが、泉美の方はおとなしい文学少女、香澄の方は活発な体育会系といった雰囲気を感じさせる。平均よりやや小柄な体格や、顔のパーツは確かに彼女たちの姉である真由美とよく似ていた。

真由美はお茶目な様子が垣間見えるお姉さんといった雰囲気だったが、年下の二人の初々しい様子は雅にとって新鮮だった。昨年度一悶着あった『七草』の名前を前に、雅は表情を崩すことはなかった。

 

「ひょっとして七草先輩の妹さんかしら」

「はい。姉がお世話になりました」

「お世話になったのはこちらよ」

 

この二人が数字持ちの中では「七草の双子」と何のひねりもなく呼ばれる二人なのかと、雅は冷静に彼女たちを見ていた。雅の言った“お世話なった”にはさまざまな意味合いも含まれていたのだが、彼女たちが『九重』と『七草』の関係を知っているのか、どのように当主から言い聞かせられているか知らない以上、必要以上に警戒せず、あくまで一人の先輩として接していた。

 

「私も九重先輩の話は姉から常々伺っております。とても気品のある美しい方で、文武両道の才女でいらっしゃると。九校戦の試合も拝見いたしましたが、大変素晴らしかったです。あの、よろしければ雅先輩とお呼びしてもよろしいですか」

 

泉美は頬を桃色に染め、熱のこもった潤んだ瞳で雅を見上げた。

 

「どうぞ。私は泉美ちゃん、と呼んでも?」

「はい」

 

返事をした泉美はまるで恋する乙女のようにキラキラと目を輝かせていた。

 

雅はいきなり初対面の少女に舞い上がって熱っぽい視線で見られても驚くことはなかった。雅が九重神楽で男装舞をするようになってから、女性からある種の憧れというか、恋にも似た視線を向けられることは珍しくない。

泉美は九重神楽を観覧したことはないのだが、目の前にいる一つ年上の先輩がとても大人の女性に見え、お近づきになりたいと思っていた。実際に会った雅は九校戦でモニター越しにみた姿より何倍も美しく、纏う空気が清廉であった。

ピラーズブレイクでのA級魔法インフェルノ、フェアリー・ダンスの優雅で飛行魔法を披露した奇跡の体現のように美しく気高い司波深雪という先輩も、泉美にとっては会ってみたい先輩の一人ではあったが、対面した泉美に柔らかく春のように微笑む雅の得も言われぬ和の雰囲気の美しさに感動していた。この学校に入学した甲斐があったと、泉美は早くも上機嫌だった。

 

「ボクも香澄って呼んでよ。雅先輩」

「ええ」

 

片割れの熱しやすさに呆れながら、香澄は砕けた口調で話しかけた。礼儀を知らないわけでもないし、敬語を使えないわけではないが堅苦しいのは苦手な彼女は自分に対して甘い人間を見分けるのも上手い。少々口うるさい姉に聞かれたら咎められるかもしれないが、幸いにしてその姉とは別行動中だった。

 

「今日はご両親も一緒かしら」

「いえ。姉が一緒なんです」

「七草先輩が?」

「はい。あちらに」

 

泉美と香澄が視線を桜並木の先に向けると、スーツ姿の女性とそれとやけに距離の近い男子生徒――達也の姿があった。

 

「まあっ」

「あーーー!!」

 

姉の姿に小さく泉美が声を漏らすのとは対照的に、香澄は叫びながら桜並木の一本道をまっすぐに走っていった。

 

「こらー!お姉ちゃんから離れろ!!ナンパ男!」

 

駆けていった先は達也とスーツ姿の女性、七草真由美だった。

突然の叫び声に驚いたのか、真由美はヒールだったのが災いして振り向いた瞬間に足を滑らせ、体勢を崩した。無様に転んで尻餅をつくようなことはなく、すぐに達也に肩を支えられたが、それは香澄の誤解を加速させた。

 

「離れろって言ってるだろ、ナンパ男!」

 

香澄は叫ぶと同時にふわりと空中に浮かび上がり、空中で加速しながら膝蹴りの格好で達也の顔面めがけて突っ込んでいった。

達也は慌てることなく片手を顔の前に出して、彼女の膝を掴み、運動の方向を上に変えた。避けられたり、ガードされたりするならまだしも、突然、不安定な掌の上にバレリーナよろしく持ち上げられた香澄は当然のごとくバランスを崩した。

 

それを見ていた雅はすぐさまブレスレットタイプのCADに手をかけたが、隣の泉美が魔法を発動しようとしていることに気が付き、呼び出していた魔法をキャンセルした。

香澄はソフトコートの舗装とはいえ、堅い地面に顔から落下することなく、重力を軽減するようにふんわりとその体が落下するスピードが落ちた。

泉美が香澄にかけた減速魔法の効果だった。普通、他の魔法師に魔法をかけることはその人物が無意識に展開している情報強化の防壁、エイドス・スキンを破壊するため、高い魔法力が求められる。だが、泉美がかけた魔法はまるで自分に魔法をかけた時と同様にエイドス・スキンを損なうことはなかった。

香澄が無傷で軟着陸すると、達也はすぐさま後ろに大きく飛び3mほど距離をとった。

 

「香澄ちゃん、大丈夫ですか」

 

着地に合わせて香澄に寄り添うように、泉美は駆けだしていた。

 

「ケガはないかしら」

「ありがと、泉美。助かった。雅先輩、ケガはないよ」

 

雅も遅れず走り出していたため、泉美と同じく香澄の隣に立っていた。

 

「こいつ、ナンパ男のくせに強いよ」

「えっと、香澄ちゃん?!」

 

メラメラと燃えるような、今にも達也に噛みつかんばかりの香澄の様子に、泉美は確かに姉に近づいていた男子生徒を不審に思いながらも片割れのことの方が気になった。

 

「ちょっと、落ち着いたら……」

「ボクの直感が叫んでる。こいつ、ただ者じゃない」

 

香澄が地面に膝をついたまま、達也をにらみ上げた。香澄は左袖を上げ、ブレスレットタイプのCADを操作すべく指にコンソールを走らせようとした。だが、そのCADの上に静かに別人の手が重ねられ、発動を制止された。

 

「香澄さん」

 

香澄の隣にしゃがみこんだ雅の声はいつもより低く、彼女の名前を呼んだ。雅の顔は怒ってはいない。しかしながら、発せられた声によって空気が重さを帯びているようだった。

 

「CADの使用についてお父様から教わらなかったかしら」

「止めないでよ、……雅、先輩」

 

香澄の声は最初だけ威勢がよかったが、終わりになるにつれて徐々に小さくなっていった。香澄を見る雅の瞳に香澄は呑まれていた。

射干玉のように黒く、黒曜石よりも美しい瞳が、笑みを携えたまま香澄を咎めていた。香澄は途端に重ねられた手が石のように重くなったように感じた。一瞬、息も忘れてその瞳に射竦められてしまった。

 

「いい加減にしなさい!」

 

沈黙する空気の中、今まで事態を呑み込めずに呆然としていた真由美が、烈火のごとく容赦なく香澄の頭に拳を振り下ろした。香澄は痛みで声にならない声を発しながらうずくまった。

 

「……いきなりなんなのさ、お姉ちゃん」

「それはこっちのセリフです。香澄ちゃん、いきなり何をしているの」

 

真由美は本気で怒っていた。意味ありげな言葉と笑顔に本音を隠す彼女にしては珍しく、直情的に怒りを露わにしていた。

それをみて香澄の表情は赤から青へと変わっていった。

 

「魔法の不適正使用は犯罪だって言っているでしょう。それを入学当日から……一体どういうつもり!」

 

真由美は腰に手を当て、声もいつもより荒らげながらまくして立てていた。香澄は萎縮しながらも、小さな声で反論した。

 

「で、でも……そいつがお姉ちゃんにヤらしいことしようとしてたから」

「や、ヤらしい?!」

 

今度は真由美が絶句する番だった。

 

「私たちはそんなことしていません。何を言っているのですか、貴方は」

 

結局は火に油を注ぐだけで、真由美の怒りは収まらなかった。

忙しい両親に変わって真由美が入学式に連れてきたらしいのだが、どうやら二人があちこち見ている間に達也と真由美は話していたらしい。

 

「ごめんなさい。達也君。妹がとんでもないことをしてしまって。香澄ちゃん、貴方も謝りなさい」

 

真由美は達也に対して深々と腰を折った。

香澄も心の内は別にしても、潔く頭を下げた。

 

「申し訳ありませんでした」

「私からもお詫び申し上げます。司波先輩。香澄のご無礼をお許しください」

 

加えて当事者ではない泉美も丁寧に頭を下げた。

三人の美少女から謝られている達也は居心地が悪かった。

奇跡的に膝蹴りの場面を目撃していたのは雅だけだったが、今はこちらを見ている生徒の姿もちらほらとある。これではまるで達也が彼女たちをいじめていると誤解されかねない。

 

「顔を上げてください。結果的に何もなかったから気にしていませんよ」

 

達也が気にしていないのは本当だが、本音を言えば野次馬の目線が気になるから、さっさとこの場から離れたかったのだ。

 

「七草先輩」

 

それに助け舟を出したのは冷静に状況をみていた雅だった。

 

「お久しぶりですね」

「あ、ごめんなさい。雅ちゃん、挨拶が遅れて」

 

顔を上げた真由美は眉を下げながら、小さく頭を下げた。

 

「いいえ。突然のことでしたから」

 

雅も苦笑いで答えた。彼女としては最初から目撃はしていたが、下手に手を出して香澄にケガを負わせるより達也が回避する可能性が高いと思って状況を見守っていた。結果的に誰もケガをせず、香澄が真由美に叱責されるだけで済んだ格好になっている。

 

「あのね、達也君、雅ちゃん」

 

神妙な面持ちで真由美は声を潜めた。

 

「何でしょうか」

「本当だったら職員室に報告しなきゃいけないんだけど、この通り。二人とも今回のことは私に免じて」

 

パンと両手を合わせて真由美は頼み込んだ。

 

「この程度のことに騒ぎを大きくするつもりはありませんよ」

 

達也にしてみればこの程度のことで指摘されていたら、深雪も達也も補導された回数は去年1年間で両手を超えるだろう。達也にとってはお互いさまのようなものだと思っている。

 

「それに寸止めにするつもりだったことは分かっていますから」

 

起動式を読み取れる達也にしてみれば、容易いことだった。あの膝蹴りは本気で相手を攻撃するのではなく、あくまで威嚇目的。達也の手前10cmで停止するように設定されていたし、そうでなければ達也もあれほど穏便に対応はしていない。減速と停止の位置が分かっていたから、停止直前のタイミングで魔法を強制終了させ、片手で受け止めるという方法に出たのだった。

 

「……流石ね、達也君」

 

感心した様子の真由美の横で、香澄はなぜそれが分かったのだという愕然とした表情を浮かべながら達也を見ていた。

 

「それより、先輩。俺たちは見回りがあります。講堂は開いていますので、どうぞお入りください」

 

達也は話を切り上げ、言外にこれ以上話すつもりはないという意味を込めて会場へと三人を促した。

何か言いたげな、今にも噛みつかんばかりの雰囲気の香澄ではあったが、姉に怒られた手前素直に入学式の行われる講堂へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

「…………一応言っておくが、誤解だ」

 

講堂に入っていく三人の背中が小さくなったところで、達也が弁解した。

達也の横に立つ雅は相変わらず凛と静かだった。

 

「わかっているわ。七草先輩、パーソナルスペースが狭いもの」

 

達也に必要以上に近づいていてまるで恋人のような距離感ではあったが、後輩をからかっているだけの真由美に悪気はないため、雅も怒るに怒れず、かつ新入生の手前とあって表面上は穏やかに繕っていた。以前の雅だったら辛そうに笑ってごまかしていただろうが、今の雅は春の穏やかな空気に似つかわしくない少々不満げな表情を浮かべている。

 

可愛いと、達也は思った。

素直に妬いていると言葉には出さずとも、長い付き合いの達也にはわかっていた。例えばここに居合わせたのが深雪ならばその後どうご機嫌をとるのか考えていただろうが、珍しく素直に感情を露わにする雅に対して達也はもう少し見ていたいという欲の方が出てくる。

 

演じることに長けている雅は感情をその演技の下に何重にも隠してしまう。名だたる家だけあって、それ相応に社会的地位の高い人物とも話す機会が多く、喰われてしまわないように幼いころから負の感情を表にださないように教育されている。達也の前では素直に拗ねてみせるのはそれだけ雅に気を許されていることでもあり、分かりにくい雅の甘えでもあった。

 

先ほど香澄が攻撃を仕掛ける前、達也は真由美と話していたが、その際に達也が自由になった顔をしていると言われた。去年、二科生の制服を着ていた時の自分と今の自分は全然違う顔をしていると。制服に対する劣等感だけではなく、“自由になった”という言葉に達也は真由美の観察眼の鋭さに驚かされた。

 

「見回り、一緒にするか」

「そうね」

 

この感情をどう伝えるべきか、達也には悩ましい問題だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入学式は(つつが)なく終了した。

新入生代表で答辞を読んだ琢磨の挨拶も無難なものであり、昨年度のように会場全ての視線を釘づけにするわけでもなく、一昨年のように在校生だけではなく新入生もハラハラするようなものではなかった。

入学式終了後に来賓として招かれていた国会議員に深雪が少々長い間、話に付き合わされていたことを除けば、概ね問題なしといってよかっただろう。

雅が見回っていた講堂の外も部活の新歓時期のルール違反等なく、単に案内役としての役目だけで終了した。

 

達也、深雪、雅、ほのか、雫、幹比古、水波の7人は入学式の帰り道、アイネブリーゼで昼食をとり、いつも通りコーヒー片手に談笑していた。

 

「そういえば、新入生の生徒会への勧誘はどうなったの?」

 

ふとした会話の切れ目に、雫が問いかけた。

例年、新入生総代は生徒会へ勧誘する慣習となっている。去年は深雪、一昨年はあずさが生徒会に勧誘され、そのまま生徒会役員として活躍している。

 

「だめだった」

 

自分のせいではないのにもかかわらず、がっくりと肩を落とし、ほのかは項垂れた。

 

「本人は部活を頑張りたいと言ったらしいな。他にやりたいことがあるなら仕方ない」

 

達也の言い方は気落ちするほのかに気にするな、と言い聞かせている意味合いが多かった。

 

「部活連が今年から1年生を入れることになったから、こちらに来るかもしれないわね」

「え、そうなのかい」

 

驚いたように声を上げたのは幹比古だったが、雫やほのかも初耳だという表情をしていた。部活連以外にはまだ公表していない事実であり、幹比古たちが知らなくても不思議ではなかった。

 

「服部先輩が早くから人材育成を取り組む必要があると判断したみたい。教職員推薦枠で風紀委員に行く可能性もあると思うけれど、主席を放っておくことはないと思うわ」

 

部活連の役員は早くても1年の後半から選出される今年度は組織改革の一環として一年生を登用することが計画されている。入学主席ならば申し分ない人材だろう。

 

 

「それより、生徒会に新入生が誰も入らないというのも後々を考えると都合が悪い」

 

達也が真面目な顔で頷くと、深雪が思いついたように手を打ち鳴らした。

 

「そうだ。水波ちゃんを役員にするというのはどうでしょう」

 

深雪の発言に水波は顔を強張らせた。ただでさえ、ほぼ初対面の2年生に囲まれて無言で気配を消していた水波はいきなり注目され、居心地が悪そうだった。

 

「深雪、それでは水波がかわいそうだよ。主席を生徒会に誘うことが慣例なら、代わりの人も成績で選ばなければ」

 

水波がほっとした表情を浮かべた。達也に意見を却下された深雪はにこにことしており、どうやらからかい半分のアイディアだったようだ。

 

「次席はだれなの?」

「えっと、七草泉美さん。七草先輩の妹さんだよ」

 

雫の問いかけに、生徒会書記として入試成績を把握しているほのかが答えた。端末をみなくても、上位の順位はしっかり覚えていたらしい。

 

「三位が七草香澄ちゃんで、同じく七草先輩の妹さんよ。今年は一、二、三位が僅差で、その三人が突出した成績だったのよ」

 

同じく入試成績を把握している深雪がほのかの説明を補足した。

 

「じゃあ、七草先輩の妹さんのどちらが生徒会に入ってもおかしくないということですよね」

「順当にいけば泉美さんの方じゃない」

 

幹比古の発言に淡々とまるで興味がないように雫が突っ込んだ。深雪は少々いやそうな顔をしており、それに気が付いた雅は疑問に思った。

 

入学式後、真由美と一緒にやってきた泉美、香澄の二人は現生徒会役員に挨拶をした。その際、泉美が女神のように美しい深雪に感動し、やや熱狂的で崇拝的な様子を呈していたことに対し、深雪はやや苦手意識を感じてしまった。そのことについてはまだ雅は聞かされていなかったので、雅が深雪の表情に疑問に感じすることは自然だった。

 

「決めるのは会長だが、最終的には本人の意思だろう」

 

深雪の感情を(おもんばか)ってか、達也は簡潔に話を纏めた。

 

 



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ダブルセブン編4

こんにちは、生きてます。|д゚)
相変わらず、誤字脱字は酷いけど、すり身並のメンタルで鯛の御頭は頑張ってます。
感想もらえると、水を得た魚になります。お返事はできないことが多いけれど、「もう、しょうがないな(*゚∀゚)」って方はぽちっと書いてもらえると、元気出ます。








新学期が始まり、およそ二週間が過ぎた。

その日の魔法工学科は午後から実技の授業が組まれていた。魔法工学科は魔法工学的な分野に力を入れているとはいえ、通常通り魔法を使った実習も行われる。

 

実習内容は昨年度行われた実習の復習だった。

質量、形状、材質の異なる物体を指定された位置に1m移動させること。

物体から術者までの距離は20mに設定されている。

移動された物体の位置の正確性と終了までの時間が評価の対象となる。

用意される物体は実習のレベルによって異なるが、今回用意されたのは5つのビー玉、100mlの水、重さ100kgのベンチプレス用の重り、20gの砂、10cm四方の白い和紙の5種類だ。

ビー玉の直径は1.7cm

移動する先には直径3㎝ほどの赤・青・黄色・緑・透明の5色の筒状の入れ物が設置されており、それぞれの筒に同じ色のビー玉を移動させるようになっている。水は目盛りのついたビーカーに入れられ、水のみを移動させ、コップに移すという課題だ。また、和紙も移動する場所が明示されており、誤差0.5mm以内に移動させなければならない。

 

魔法工学科は元二科生が多数だが、元一科生も少なくない数いる。入試成績に加え、一年間教員の指導があった成果もあり、ここで明確に元一科、二科の魔法力の差が出てくる。

 

達也は昨年度からクラスの同じだった美月と組むことになった。

 

この実験、物を移動するという簡単そうな実技に見えるが、難易度が高い物体が含まれている。水という不定形の物体、砂という単一で定義しにくい細かな物体は、どのような魔法を使用するかによっても結果は大きく異なる。

 

更に、昨年度までは学校側が用意したCADを使用していたが、今回の実習では生徒自らCADを用意することが課題の一つになっている。課題内容については事前に予告されていたため、自分の力量も含め、最善の魔法は何かについて考えることが魔法工学科としての目新しい点であった。

 

しかし、CADの規格はある程度決まっているとはいえ、CADの調整技術はまだ高いとは言えない生徒が多く、加えて本人の魔法力が無関係な課題とはいえない。単なる移動でも100kgの質量を移動させるにはそれ相応の干渉力が必要となるため、魔法力の低い生徒には厳しい課題だ。

 

30秒以内で課題をクリアできればかなり優秀。最低でも1分以内でクリアが基準となっている。それぞれ、工夫を凝らした魔法を用意して課題をクリアしている生徒がいる一方、二科生出身の生徒は苦戦している者も多く、また、遠隔魔法を不得手とする十三束も目標タイム以内のクリアはできていなかった。

 

 

起動式のアレンジは達也の十八番ともいえる得意分野だ。起動式の簡略化による魔法力の省エネ化、CAD自体の最適化により、達也の乏しい仮想演算領域でも発動できる魔法を用意してきていた。

 

特に今回の課題で最難関なのが水だ。水分子の分布を調整して水面を傾けたり、移動魔法の応用で渦を作ったりすることは難しいことではない。しかし、水そのものを操る流体制御の起動式の規模は大きく、それをさらに移動させるとなれば当然難易度は格段に上がる。魔法工学科の中でもタイムどころか、全ての物質を移動させることができない生徒も出るほどだ。

 

 

「達也さん、凄いですね。49秒。目標タイム内です」

 

美月が半分驚いたように、タイムを告げた。達也はあらかじめ、自宅で実習用と同じ規格のCADで練習を行っていたが、その際の結果は1分を数秒超過していた。起動式を再度見直してみても、1分をコンマ数秒単位で切れるか切れないかというレベルにまでしかならなかった。

 

しかし、今回の記録は49秒とテスト記録から大幅に結果が良くなっていた。その結果は魔法工学科内でみれば、十分上位の成績だった。

その結果に流石だと感心する男子生徒と、怨恨じみた視線で睨み付ける女子生徒がいたが、達也はそれらについて微塵も気に留めなかった。

 

「水の流体制御をやめ、疑似的な無重力の空間を形成し、それを一つの物体とみなして移動させているんですよね。水の空中での高度維持に魔法力を割かなくても、疑似的な無重力空間に閉じ込めた水は空間内を移動するものの、不定形のままの移動が可能になるんですね。流石です、達也さん」

 

興奮気味の美月の声も半ばになりながら、達也は冷静に結果を分析していた。その結果は、明らかに以前の達也が残した記録より発動スピードと干渉力が増加していたことを表している。

 

魔法力とは魔法式を構成するスピード、事象改変の干渉力、魔法式を構築できるキャパシティの三つの要素から成り立つ。

『再成』と『分解』

達也はこの二つの能力に先天的な魔法演算領域が占められており、後天的に母によって激情を白紙化させることで植え付けられた仮想魔法演算領域の能力は、一般の魔法師としては酷くレベルが低いものであった。だから達也は昨年度は二科生なのであり、実技の成績は赤点にはならないが学年で言えば下から数えた方が早い順位だった。

 

それ故、魔法師としての重大な欠陥を補うためにCADの技術や体術を磨き上げることで、ガーディアンとしての役目で四葉で生き残ることができている。

だが、今の結果は達也の予想と実感を大きく上回るものだった。

実験用のCAD機器は確かに昨年度より比較的精度の良い物と入れ替えられ、それに伴って昨年より良い結果が出ることは一般的にはあり得る。

しかし、それだけでは説明できない部分が多く、一番可能性が高いのは自身の魔法力が向上しているということだった。

 

「達也さん…?」

 

返答のない達也に美月が問いかける。

 

「……ああ、悪い。少し考え事をしていた。理論は美月が言っていたことで間違いないよ」

 

達也はやや間をおいて答えた。

 

「達也さんが悩まれるということは、随分と難問だったんですか」

「………そうだな。難問だ」

 

魔法の行使は精神的な部分にも大きく左右される。この世の事象に付随する情報を見通す精霊の眼を持ってしても、達也が行きついた仮説は頭を抱えるほどの難問だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生徒会入りを拒否した七宝君は予想通り服部先輩の推薦の元、部活連の所属となった。毎年新入生総代が迎え入れられている生徒会には入試次席の泉美ちゃんが入り、香澄ちゃんの方は教職員推薦で風紀委員会入りしたそうだ。

 

新入生の役員が決まったところで、今年も賑やかな時期がやってきた。

部活動のお祭り騒ぎ、新入生歓迎、通称:新歓の時期だ。

この時期だけは魔法競技系の部活動の部員に対してCADの携帯が許可されるため、それを悪用し、新入生獲得を巡って衝突も発生することがある。

その対処に部活連、生徒会、風紀委員会で見回りや魔法を使った違法行為の取り締まりを行っている。魔法を使わずとも喧騒は起きるが、それは大事に至ることなく使用時間の厳守や単なる新入生の取り合い程度のことだった。

 

騒動は毎年のことだが、大きく規制できないのには理由がある。

第一高校では各部活動の活動実績、大会成績によって学校から支給される活動費が左右される。活動費が増えれば、それこそ設備投資も増え、ホテル宿泊費や遠征費も賄うことができる。

そのため、入試成績は裏で出回っており、成績上位の生徒はこぞって魔法競技系の部活から勧誘を受け、例年新入生獲得を巡った争いを起こす部活が出てくる。

活動費がかかっているため各部活動の競争心を掻き立てると言えば体はいいが、要は結果を残さなければ活動の意味がないとしてシビアに切られるということだ。

 

幸いにして新歓初日は珍しく大きな問題なく終わった。

去年、下手をすれば停学処分になった剣術部の乱闘騒ぎや図書・古典部の産学スパイ騒動などあったことが珍しいのだと認識しなければならない。

 

 

新歓は四月十二日木曜日から一週間。今日は新歓二日目になる。

私は弦楽部や合唱部といった文化部系のステージ発表の見回りを終えて、部活連本部に報告に戻っていた。インターホンを鳴らすと、内側から鍵が解除され、中に招かれた。

 

「よう、お疲れ。ステージ発表は問題なかったか」

 

桐原先輩が片手を上げて様子聞いた。私が見回りに出た際は達也と深雪が生徒会から応援に来ていたのだが、本部には桐原先輩と服部先輩しかおらず、おそらく二人はどこかのトラブルの対処に向かっているのだろう。

 

「お疲れ様です。弦楽部の片付けに時間がかかり、少々予定時刻より遅れましたが、進行に大きな支障はありませんでした」

「毎年文化部は基本的に平和だよな」

 

桐原先輩は昨年の自分の失態のことを言っているのだろうが、発言を咎めなくても服部先輩は非常に呆れ顔だ。

 

「司波兄妹はロボ研とバイク部の仲裁に向かったぜ」

「そうですか」

 

時間を確認すれば、もうすぐ設けられている勧誘時間は終わりに近い。このまま二人は生徒会に戻って今日の報告を上げているのかもしれない。

 

「戻りました」

「おっ、お疲れ」

 

噂をすれば影ということで、深雪たちではなかったが十三束君が見回りを終えて戻ってきた。その声は覇気がなく、立ち姿も力なさげで随分と萎れていた。そして助手として連れていたはずの七宝君の姿がない。

 

「七宝はどうした」

「ちょっと頭を冷やすために、先に帰らせました」

 

服部先輩が聞くと、十三束君は疲れたようにため息をつきながら答えた。

頭を冷やすためというのはどこか怪我をしたということではなく、取り締まる側の彼が揉め事を起こしたか、感情的になっていたのだろう。

私は部活連で準備していたお茶を淹れ、十三束君の前に置いた。

 

「ありがとう、九重さん」

「どういたしまして。そんなに大変だったの」

「ロボ研とバイク部の問題というより、取り締まりの方でトラブルがあって……」

 

十三束君は報告を始めた。

ロボ研とバイク部が新入生を取り合って、いがみ合いを発生させているという連絡を受け、十三束君と七宝君が現場に駆け付けた。

二人が仲裁に入ったのだが、少し遅れて風紀委員の香澄ちゃんが登場。

七宝君が香澄ちゃんに引けと言ったものの、なぜか次第に彼らの雰囲気は喧嘩腰になっていき、ロボ研とバイク部をそっちのけで一触即発の状況となっていた。なんとか十三束君が二人をなだめると、すでにロボ研とバイク部はおらず、周りの生徒に聞けば生徒会が撤収させたのだという。

それにさらに気を悪くして、二人は手柄をとられただの、お前が喧嘩を吹っかけてきたせいだ、とまた口論を始め、十三束君は諫める作業が追加され、無駄に気疲れしたらしい。

 

「以上が報告です」

「それは、ご苦労だったな」

 

桐原先輩が十三束君の肩を叩いた。

 

「一応取り決めでは、先に到着した方が対応することになっているが、風紀委員の彼女は知らなかったのだろうか」

「入ったばかりだから無理もないと思います。ただ、ちょっと僕は冷や冷やしました」

 

訝し気に眉を顰める服部先輩に十三束君は苦笑いを浮かべた。

 

「風紀委員の方には俺からルール確認を含めて、言っておこう」

「はい。僕の方からも反省が足りないようならば、七宝には改めて注意しておきます」

 

教育係として十三束君は当初から大変そうだった。

 

魔法師としては優秀なのかもしれないが、話を聞く限り、七宝君の態度や行動は褒められたものがない。私自身、七宝君とは挨拶程度で特に会話らしい会話はしたことがなく、部活連に入ったのもつい先日のことで、見回りも今のところ同行したことはない。

今回は大事には至らなかったが、今後彼が大きな問題を起こさなければいいと願うばかりだ。

 

 

 

 

 

新歓最終日 4月19日

一週間の熱気のこもった新入生獲得の騒動はひとまず終息し、明日以降のところで生徒会と風紀委員、部活連の代表で今回の新歓の反省会が行われる予定になっている。

最終日の本部には当番として私とスバル、七宝君が待機していた。

他の先輩方は見回りに出ていたり、自分の部活動の勧誘に出ていたりするため不在であり、七宝君の教育係も今日だけは私が代理で務めている。

代理と言っても、今日の業務はほぼ終了の時間に近いので、新歓時期の報告データの整理をしている程度だ。

その整理も終わりが見えてくる程度に片付いている。

 

「あの、九重先輩。先輩は古式魔法に精通しているとお聞きしました。よろしければ、ぜひ古式魔法の最上と言われる九重の術を見せてくださいませんか」

 

比較的緩やかな空気の中、作業をしていた七宝君が手を止め、唐突にそう切り出した。

 

「理由を聞いてもいいですか」

 

私も作業を止め、彼と向き合う。

ここで私に問いかけたことに対して、彼の真意が見えてこない。

話を聞く限り、短い時間で彼から受ける印象は『不遜』と『驕り』。

自分が優れているということを疑わない、傲慢さが言葉の端々から滲み出ているように思う。

 

「実は恥ずかしながら古式魔法については文献での知識しかなくて、ぜひ勉強させていただけたら嬉しいです」

「古式魔法クラブを見学するという手もあると思うわよ」

「先輩は昨年、古式魔法クラブに圧勝されたんですよね。勉強させていただくなら、レベルの高いものを拝見する方が有益だと思います」

 

殊勝な態度を見せているが、古式魔法がどれほどのものか値踏みするつもりだろう。

そして、昨年ほぼ非公式で行われた試合について、なぜ知っているのかという点はこの際気にしないことにした。

 

「簡単なもので構わないかしら」

「はい」

 

少しだけ高い鼻を折ってやろうと、私は彼の提案に乗ることにした。

 

 

持ってきていた筆ペンで懐紙に円を基本とした魔法陣を描く。

懐紙はこの部屋に置いてあった備品であり、もちろん事前に細工などはしていない。言ってしまえば工業生産されたただの和紙だ。

仕掛けがないことは同席しているスバルにも七宝君にも確認してもらった。

 

魔法陣を描き終えると、お茶を淹れるために用意されていた水をガラスのコップに半分程度注ぎ、筆ペンで描いた魔法陣の上に置く。

魔法陣は四つの円と八つの小円を中心に、その外側に均等に配置された六つ円を線でつなぎ、円の内には隈なく梵字書いたものを基本にしている。

今回はかなり略式の手法をとっているが、本来であれば墨も清酒で擦り、新品の硯を用いて作るのが好ましい。

さらに欲を言えば媒体となる水も水道水ではなく、自然濾過された綺麗な清水を使い、水晶で清めてから発動するのが良いのだが、いつ呼び出しがかかるか分からないため略式で行うことにした。

コップのふちを指で一度なぞり、目を閉じて、肺の奥まで息を吸い込む。

 

『色は匂へど 散りぬるを 我が世誰そ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて、浅き夢見じ 酔いもせず』

 

私の声を呼び水に精霊が喚起されているのを感じ、ゆっくりと目を開ける。淡い光を帯びた精霊が明滅している。存在を語り掛けてくる精霊に、さらに言霊に想子を乗せて力を与える。

 

『移ろいゆく世に万物、一として同じものはなし、変わらざるものはなし

過ぎ去る時は二度と戻らず、森羅万象、我は存在せず、御仏の導く縁起に所以する』

 

声に導かれた水精がコップの水に溶け込む。

それを合図にコップに手をかざせば、重力に反して水が宙に浮かぶ。

濃い精霊をまとった水は丸い球形を保ち、ぷかぷかと無重力状態であるかのように浮いている。それを机から50cmほど浮かせ、停止させた。

 

『一を分かてば、憐れ死は忽然と、微々たる千射の弓に塵埃(じんあい)のごとく病と散る』

 

詠唱と共に、一だった水が十分の一に均等に分かれた。その十分の一がさらに十に分かれ、水の塊は宙に浮いたまま次第に水の粒、粒子、微粒子と徐々に小さくなっていく。

 

『しばらく(バク)模糊(もこ)逡巡(しゅんじゅん)してみれば、息つく間もなく、指を弾き、刹那、六徳を積めど虚空に清浄され、あらや、あまら、涅槃寂静』

 

詠唱の最後に手を一度合わせれば、霧状までに微細になった水は極彩色の霞となって、宙に儚く消えた。

即席にしては悪くないが、水の規模も少量なので、せいぜい本部の部屋を彩る程度だった。正式な手順を踏み、九重神楽で用いれば視界一面の天空から降り注ぐような極彩色の光を出現させることもできる。

 

反応はどうかと七宝君を見れば、口を開けて呆然としていた。

それを見てか、スバルはやや芝居がかったように大きく手を叩いた。

 

「さすがは雅だ。CADなしで、この規模の魔法を展開し、息切れ一つも起こさないなんて驚きだ。詠唱も命数法とは面白いね」

「よくわかったわね」

 

思った以上にスバルは博識のようだ。

仏式のこの詠唱は『三方印』と『命数法』をベースにしている。

三方印とは仏教用語で『四苦八苦』を理解するための釈迦の掲げた三つの心理、『諸行無常』『諸行無我』『涅槃寂静』のことを指す。九重は神道の家だが、神仏習合の時代の名残もあり、仏教用語も交えた詠唱も数多く存在している。

 

「面白がって調べてみたことがあってね。小数があるということは、大数の数え歌もあるんだろうね」

「さあ、どうかしら」

 

興味深そうにしている割に、面白半分で細かな詮索をしてこないのがスバルのいいところだった。聞かれたくないところの引き際をよく(わきま)えている。

 

 

そんな息抜きの間にトラブル発生のコールを端末が告げた。

 

「お呼び出しだね」

 

端末をとり、状況と場所を聞きながら席を立った。

どうやら馬術部の馬が柵を飛び越え、脱走したらしく、風紀委員も出動して校内を追いかけているそうだ。

 

「行きましょうか、七宝君」

「あ、はい」

 

ようやく現実に戻ってきた七宝君を連れて、私は現場に向かった。

 

 

 

 

 

トラブルの報告を受けて現場に向かって雅の後ろを進む琢磨は冷静を装っていたが、内心は酷く混乱していた。

簡単な古式魔法だといって披露されたのは、琢磨を閉口させる圧倒的な魔法力の実力差だった。

現代魔法に置き換えれば、少なくとも加重系マイナス魔法、流体物制御、移動魔法を発展させた群体制御、光波振動系のマルチキャストだ。

彼女はその高度な魔法をまるで息をするかのように平然と使って見せた。

今の琢磨にはたとえCADを使用したとしても実現不可能な魔法だ。

そのどこが簡単だといえるのか!!と琢磨は内心悪態をついていた。

しかも、自分のお家芸ともいえる群体制御を、しかも扱いの難しい水という不定形の物体に対して使って見せたのだ。

これがどれだけ高度なことか、説明されるまでもなく、否、高い魔法力と人並み以上の魔法に対する知識がその実力差を理解させていた。

 

古いだけの九重家がどれほど優れていても、現代魔法に古式魔法は敵わないと思っていた。

古式魔法の大家だから何なのだという思いを持って、半ば興味半分、自身の目的半分のことだった。

しかし、目の前の先輩が発動して見せたのは、琢磨の認識を根本から覆すような、目を疑うような絶景にして絶技だった。

ギリッと奥歯を噛みしめた。

 

父からも七草はともかく、最低限九重には丁寧な対応をするようにと言いきかされていた。

確かに九校戦の結果は見事だったが、学校では司波深雪には劣る次席という順位。

琢磨の中で現代魔法の優位性も疑うことはなかった。

しかし彼女に対する認識を改める必要があるほど、一瞬にして琢磨の常識が覆された出来事だった。

この先輩を自分の陣営に取り込めないか、琢磨は虎視眈々とその布石を考えだした。

 

 

 

 

 

 

 

同日夜。

日中の麗らかな温かさとは違って、春の夜はまだ寒さが堪える。

暗闇の九重寺の境内で、私は伯父相手に幻術と体術の訓練を行っていた。

 

「そういえば」

 

何もない空間から声がして、伯父の足が顔面を捕らえようと蹴りだされる。それを腕でガードしつつ、反動で後ろに衝撃を逃がすために跳ぶ。

 

「今度、民権党の神田議員が一高に行くそうだよ」

「国防軍に批判的な若手議員ですよね」

「そうだね。名目は魔法師の権利擁護。本心は魔法師が軍と大きなつながりを持つことを避けたい思惑があるそうだよ」

「面倒ですね」

 

先週からマスコミの反魔法師報道が急増している。つい先日、四葉家経由、正確には諜報を担当している黒羽家経由で告げられたUSNAの反魔法師勢力によるマスコミ工作の一環だろう。

論調としては、魔法師の権利擁護を建前に、魔法の軍事利用を批判。さらに魔法大学卒業生の四割が軍属であるということから、教育機関と国防軍の癒着を指摘。

魔法科大学に多くの生徒を輩出している一高をターゲットに、軍事利用されている子どもたちの解放をアピールするとのことらしい。

 

「理解できない存在は忌避される。避けられない人間の悪癖だね」

 

姿を完全に見せた伯父が放った砂礫が飛んできたところを避け、叔父の姿より半歩右を標的に蹴りを繰り出す。

なにもない半歩ずれた空間ながら魔法でガードされた感覚がした。

予想通り、幻術で自分の位置を誤魔化していたようだ。

 

「おや、お見事。ちなみに裏で煽動しているのは七草家だよ」

「七草がですか」

 

攻撃が当たっても伯父の声には焦りもなにも感じられなかった。

 

「態々、魔法師に不利益になることに協力して、大きな見返りでもあるのでしょうか」

「そこはもっとよく考えてみてごらん」

 

考えろという割に、その隙に伯父の手元から閃光玉が地面に落とされる。

炸裂する前に移動魔法でそれを遠くに飛ばすと、パレードを使って自身の姿を偽る。

 

「世論操作の目的が何かしらある。それは結果的に魔法師や魔法師社会、七草家の利益になることである」

「間違ってはいないが、核心は分からなかったみたいだね」

 

幻術の腕は伯父が遥かに卓越している。体術もまた然り。

こちらの攻撃はすべてガードされ、手数もあちらが圧倒的に多かった。

 

「去年の横浜事変から世界情勢は不安定だ。そしてその中心となっている事項は何かなんて言わなくても分かるだろう」

 

要するに、魔法はマスコミからしても叩くのに“おいしい材料”というわけだ。

 

「反魔法主義者は早くからそれに目をつけ、魔法は悪だという世論を作り上げようとしている。圧倒的に非魔法師が多いこの国では、意見がどちらに傾くかは明確だね」

「だから、対象を魔法全体から高校生が軍人教育されているという話題にすり替えたということですね」

「ご名答」

 

いやな気配を感じて横に跳べば、先ほどまでいた地面に千本が刺さっていた。刃をつぶしてあるとはいえ、咄嗟に避けていなければ、危なかった。

パレードを展開していて、視界に映る位置を誤魔化したとしても、伯父は正確に本体を突いてきていた。

伯父の前では秘術も形無しだ。

 

「世論と言っても、結局世間は他のニュースやスクープに追われてその勢いを衰えさせられ、下火になる。七草絡みという点を考えると、四葉と一○一との関係性を考慮しての部分も大きいんじゃないかな」

「強すぎる四葉の弱体化が真の目的ということですか」

「だから七草が動いたと僕は見ているよ」

 

このことが露見すれば七草も火傷では済まないだろうが、諜報には七草も力を入れているという。そう簡単に露見することはないだろうし、あるいは確固たる擁護される理由があってのことだろう。

 

「俗世には関わらないんじゃないんでしたか」

「可愛い姪っ子を憂いての情報提供だ。四葉もこの程度のことは掴んでいるんじゃないかな」

 

立ち止まって暗闇の中に潜む伯父の気配を探っていると、ぴたりと背後から首にクナイが添えられた。少しでも動かせば、頸動脈を切り裂かれるだろう。

 

「はい。今日の鍛錬はここまで」

「ありがとうございました」

 

無論、稽古なのでそんなことはなく、簡単にクナイは除けられた。

 

「いやー、雅君も成長したね。ヒヤリとする場面も増えたよ」

「会話の片手間にするには難易度高すぎませんか」

 

私たちがやっていたのは、互いに幻術を掛け合いながらいかに相手を制圧できるかという化かし合いだった。

 

「幻術と体術が同時に訓練できて効率的だろう?」

「その幻術が果心居士(かしんこじ)の再来と謳われるレベルですよ」

 

実家では幻術に最も優れていると言われるのが次兄であり、母も伯父の妹だけあって幻術の腕は高い。九重神楽の幅を広げるための訓練でもあるが、これほどまでに手も足も出ないとは思わなかった。

 

「達也君は次の策を考えているのかい?」

「情報はリークされていましたから、なにかしら対策はとると思いますよ」

 

国会議員がマスコミを連れて出てくるとなれば、あまり私は矢面に立たない方がいいのだろう。九重という家は良くも悪くも表にも裏にも顔が利く。たとえ未成年だとしても、私が表立って動くことは憚られる。

この件は一旦持ち帰り、達也と検討すべきだろうと私は額の汗を拭った。




雅と達也をイチャイチャさせたいが、どうしようか検討中です。
雅の誕生日は考えているんですが、達也の誕生日が未定です(´-ω-`)


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ダブルセブン編5

心配してくださった皆様、感想くださった皆様、ありがとうございます。
皆さまのコメントで水を得た鯛の御頭が喜び飛び跳ねると、砂糖の神様が降臨されました。
濃いコーヒーかお茶を片手にお楽しみください。
(・∀・)つ旦~~


与党の神田議員が一高に来校するのは、4月25日の土曜日になったと黒羽家から達也に情報が入った。マスコミを引き連れて視察という名目のパフォーマンスだろう。

 

彼の論調は魔法師の権利擁護を名目に、軍に魔法師が入ることを一方的に悪と決め、魔法師が軍に関わることを遠ざけている。

彼の主張が通れば魔法師は防衛大に進むこともできず、国防軍に入隊することもできない。魔法師は職業選択の自由を奪われ、さらに魔法師が軍や国防に興味を持つことすら禁じる思想統制にも繋がりかねない。

 

その主張に反論するため、一高の魔法教育が軍事利用以外にも役立っている。そう大々的に示すために達也が考え出したのは、加重系魔法三大難問の一つ、常駐型重力制御魔法式熱核融合炉の実験だ。

 

昨年の論文コンペで市原先輩が発表した研究は、常駐型重力制御魔法式断続型(・・・)熱核融合炉の実験だ。

そして今回達也が披露しようと考えているのは持続型(・・・)の熱核融合炉の実験だ。昨年度の論文コンペよりわかりやすい形で核融合炉実現の可能性について述べることができるらしい。

 

魔法師を単に戦争の道具としないあり方の一つであり、自然エネルギーに頼らない社会の実現に関わる実験だ。神田議員の来校を知った五十里先輩と中条先輩も達也の意見に賛同し、生徒会主体で実験を行うこととなった。

 

授業カリキュラム以外の魔法実験は部活動であれば所属の顧問が、それ以外の活動であれば担当教官に申請することになっている。担当教官のいない二科生の場合は事務室に届け、その後職員内で担当者が協議される仕組みになっている。

今回は発案者である達也が、魔法工学科の担当教官であるジェニファー・スミス教諭に申請し、最終的に校長まで決済され、実験の許可が下りたそうだ。

 

熱核融合とあって当然核被曝の可能性もある。そのため、監督として廿楽教官が立ち会うそうで、わざわざ生徒会室に足を運んでもらっていた。私も実験の実施については聞いていたが、実験全体の概要は知らないため、生徒会室に呼ばれていた。

 

「実験の計画書を見せてもらいましたが、面白いアプローチだと思います」

 

ピクシーが運んできたお茶で喉を潤した廿楽先生は続けた。

 

「それで司波君。役割分担はどのように考えていますか」

「まず、ガンマ線フィルターですが、光井さんにお願いしようと思っています」

「私ですか?!」

 

いきなり名前が挙げられたことに、ほのかは素っ頓狂な声を上げた。

 

「電磁波の振動数を制御する魔法において、ほのかの右に出るものを俺は知らない。引き受けてくれないか」

「わかりました! 頑張ります!」

 

達也からのお願いとあって、実験の詳細を聞いていないにもかかわらず目に見えてほのかは張り切っていた。

 

「クーロン力制御は五十里先輩にお願いしようと思っています」

 

五十里先輩が頷いた。廿楽先生も納得した様子で頷いた。

 

「中性子バリアは一年生に心当たりがあるので、彼女にお願いしてみようと思います」

「一年生にですか? 大丈夫なのですか」

 

廿楽先生も不安を禁じえなかったようで、思わず口を挟んだ。

 

「名前は桜井水波。自分の従妹で対物障壁においては天性の才能を持つ子です」

 

廿楽先生は前のめりになっていた体を椅子の背に着けた。達也が自信をもって天性の才能と言い、さらに深雪の従妹となればそれなりに魔法力においては信頼できるのだろう。

 

「要となる重力制御は妹に任せようと思います。第四態相転移(フォースフェイズシフト)は九重さんにお願いするつもりでしたが、当日の参加は少々難しいようです」

「九重さんでも難しい魔法ということですか」

 

廿楽先生は実験計画書で使用する魔法式にしても把握している。私の実力を知っているのであれば、得意分野の放出系に該当する魔法が難しいとはどういうことかと疑問に思っても仕方がないだろう。

 

「実験を計画している25日には図書・古典部全体で大学の研究発表の場に呼ばれていますので、当日の参加は難しい可能性があります。担当者が見つからなければ、発表の方は欠席も仕方ないと考えていますが、今の段階での欠席は好ましくないそうです」

 

議員の来校予定の日は、前々から招待を受けていた魔法科大学の研究発表の日と重なっている。図書・古典部のOBであり、その縁もあって招待された。出欠については既に連絡が大学側にしてあり、古典部の顧問である墨村先生に確認をしたが、体調不良というわけでもなく、後から入ってきた実験でもあり苦い顔をされた。

正直、一高校生とはいえ大学側としては出席者に九重の名前欲しさも見受けられたが、発表者は九重の遠縁でもあり、今回の発表も私がいるから呼ばれたようなものだ。九重ではほぼ末席に位置するとはいえ、部員の今後も考えると私が出ることの価値はあるのだろう。

 

神田議員の来校が午前中ならば参加できるのだが、午後からの発表に合わせて出かけるので、私を欠く場合もある。その可能性を考えると、最初から別の人材を選ぶ方が賢明だ。

 

「そうすると、第四態想転移(フォースフェイズシフト)を中条さんにお願いするというのはどうでしょう」

「会長には全体のバランスを見てもらおうかと思っています」

「なるほど。その方が適切ですね」

 

廿楽先生は自分の提案を引っ込め、思案顔になった。

 

「あの、もしよろしければ、(わたくし)達にやらせていただけませんか」

「私達というのは香澄と泉美の二人ということかい」

「はい。私一人では力不足かもしれませんが、私達二人ならばきっとお役に立てるはずです」

 

二人で一つの魔法を使うということがどういうことなのか、ここにいるメンバーで分からない者はいない。

 

魔法式に魔法式は作用できない。これは現代魔法、古式魔法に共通する通説だ。

古式魔法の場合、例えば九重神楽のように一つの魔法を使用するにも雅楽、詠唱、歩法によってそれぞれ魔法干渉の領域を分けているので、一つの場に発生する魔法は相克を起こさない。もしくは膨大な魔法式を祭壇や詠唱等を回路に用いて重複しないように層別化し、複数で一つの魔法式を作り、大規模魔法を発生させるという手法もある。

 

だが、現代魔法の場合、同じ物体に同じ魔法を二人の魔法師がかけようとすると、魔法力の強い方の魔法のみが作用する。同じ魔法でも複数の魔法師が発動する魔法の存在はむしろ邪魔にしかならない。

首を傾げたり、疑問の表情が多い中、達也と廿楽教授は特に表情を変えず、むしろ納得顔だった。泉美ちゃんはまさか達也にも知られているとは思わず、やや身構えた。

 

「廿楽先生はともかく、司波先輩にも知られているとは思いませんでした」

「その話は別の機会にしようか。

―――廿楽先生。光井さんと七草さんは実験の詳細を知りません。確認の意味も含めて、一通り説明したいと思うのですが」

「はい。構いませんよ。私も資料でしか詳細は知りませんので、ぜひそうしてください」

 

廿楽先生の同意を得て、達也は恒星炉の説明を開始した。こうして、実験の第一歩が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

恒星炉の準備は議員到着までをリミットとすると、論文コンペと比べ圧倒的に短く、さらに全校生徒の協力が得られるわけではない。

あくまで課外活動の実験であり、生徒会と有志の協力しか得られない。

しかも私たちは野党議員が来校することを知らない上でこの実験を行うこととなっている。

 

しかし論文コンペのように実際に実験装置を動かすわけではないので、達也は十分に準備可能と判断した。達也が五十里先輩と中条先輩を除く5人分のCADを調整し、実験が目に見えた形で整ってきたころには不安を抱く者はいなくなっていた。

有志の中には十三束君や巻き込まれる形で不服ながら十三束君の手前、実験準備に手を貸している平河さん、達也に憧れて一高に入学してきた魔法工学技師志望の隅守賢人(すみすけんと)君などの姿があった。

 

 

そして迎えた4月24日、火曜日の放課後。

本番を明日に控え、最終リハーサルが行われた。

尤も、本来魔法式が正しく作用するか、期待している結果が得られるかは今日の実験ですでに判明している。明日はマスコミ対策と、加重系魔法の三大難問に挑戦とあって見学をしたい生徒には見学を許可しているらしい。

 

私は実験には参加せず、七草姉妹のフォローをしたり、細やかな雑事をしていた程度だ。

この日も少しだけ部活に顔を出し、実験終わりを見計らって私と雫は生徒会室で達也たちが戻ってくるのを一緒に待っていた。

風紀委員の部屋と生徒会室は中でつながっており、雫も渡辺先輩や千代田先輩同様、生徒会室に入り浸っている。配膳機を含めた諸々の設備などは生徒会室の方が良い物が揃っており、加えて言えば男所帯の風紀委員室より雫も気が楽なのだろう。

 

「雅、今日って達也さんの誕生日だよね」

「そうよ」

 

今日は達也の17歳の誕生日だ。プレゼントはまだ渡していないが、夜は深雪たちと一緒に祝う予定になっている。

 

「ほのかから誕生日プレゼント、渡させようと思うけどいいかな」

「友人からのプレゼントを断れというほど私は嫉妬深くないわよ」

「………雅はほのかの気持ちを知っているんだよね」

 

ほのかが達也に友人以上の気持ちを抱いていることは知っている。

婚約者という私の存在があってか、表立った行動はないが、視線が達也を追っていることは知っている。その瞳に込められた感情は焦がれる思いを乗せている。

 

「例えそうだとしても、思うことすら禁じるのは酷よ」

 

ほのかの思いが片思いの内なら、それについて私に口出しする権利はない。

私だって未だに片思いなのだ。

私と達也の関係は、あくまで家が決めたことであり、達也が私のことをどう思っていたとしても家の決定がなければ覆されることはない。私と彼を縛る形式染みた関係は、他人の力で最初からなかったかのように解くことだって可能だ。

 

緩やかに縛られた関係に甘えれば、時々私に現実を突きつけて喉を締め上げる。それでも、達也が全く私を思っていないとは思いたくない。私に向けられる笑みや瞳に、優しく触れる手に、それらに籠る感情が全くないとは思えない。

 

「達也さんが浮気するかも、って思わないの?」

「もし、そうだとしたら私、泣くわよ」

 

達也の感情が色鮮やかに彩られていくことは、喜ばしいことだ。

穏やかで、柔らかな日差しと徐々に眩しくなる緑の季節。雪解けの水は大地に染み渡り、厳しい冬を越えた堅い種から柔らかな芽を出し、花や木々の栄養となる。まどろみのように全てが優しい日差しに守られている生命の輝く季節。春の嵐も雨のたびに夏を迎えるように日差しは強く、緑は逞しく濃くなっていく。そんな春のように淡い感情だとしても、得られないと絶望した日々を思えば奇跡のような出来事だ。

 

しかし、それが私ではない誰かに彼が微笑む日が来ると考えると、私の心は春の嵐のように黒く染まる。

 

「それはあり得ない。達也さんは雅を好きでしょう。誤解はあっても浮気はないよ」

 

自分から浮気を疑わないのかと聞きつつ、あり得ないと雫は断言した。

雫からは少なくとも私たちは恋人らしく(・・・・・)見えているようだ。矛盾しているようだが雫の心情としては親友として、ほのかの恋を応援したい気持ちもあるが、達也の不義を認めるほど寛容ではないようだ。

困ったように笑う私に、ちょうどよく、生徒会室のドアのインターホンが鳴った。

 

扉に近かった雫が立ち上がり、ロックを開ける。

 

「おかえり」

「お疲れさま」

 

最終実験をしていた達也たち7人が生徒会室に戻ってきた。

 

「遅くなってすみません、お姉様。雫もありがとう」

「特に何もなかったよ」

 

特別連絡や部活動関係のトラブルも持ち込まれず、平穏な放課後だった。

達也たちもそれほど疲れていないようだったが、どことなくそわそわとしているほのかが目についた。

 

「ほのか」

 

雫がほのかに声をかけた。ほのかの肩がピクリと跳ねる。

おそらく、先ほど話題に出ていた誕生日プレゼントだろう。

ここで渡してしまわなければ、ズルズルとほのかは渡すタイミングを逃してしまうのが目に見えている。

 

雫は強引に達也とほのかを向かい合わせると、勝手知ったほのかの鞄の中から小箱を取り出し、ほのかに差し出した。私と深雪の目がある中でだが、ウロウロさせた目を閉じ、意を決したように、小箱を達也に差し出した。

 

「達也さん、今日お誕生日でしたよね」

 

ほのかは緊張してか、声も堅く、早口になっている。

 

「気に入ってもらえるかわかりませんが、一生懸命選びました!」

「ありがとう」

 

一瞬、深雪から刺すような冷たい視線が送られたが、すぐにそれは勘違いだったかのように霧散し、達也もそれを指摘することなく、ごく自然にその小箱を受け取った。

背後から香澄ちゃんが「司波先輩と光井先輩ってそんな関係だったの!?」と驚愕の声を上げた。

もしかして、彼女たちは達也と私の関係を聞いていないのだろうか?

私の立っている位置は達也たちより、中条先輩や七草姉妹の方が近いので綺麗に聞こえた。

 

「私とほのかの連名だよ」

 

五十里先輩たちの手前か、雫がそう付け加えた。

 

「司波先輩ってモテるんですね」

 

そんな様子を見てか、意外な様子で整った眉を歪めながら香澄ちゃんが言った。その呟きを聞き取っていた五十里先輩は一瞬首を傾げた後、納得したように小さく頷いた。

 

「ああ、七草さんたちはまだ知らなかったんだね」

「何がですか」「何でしょうか」

 

七草姉妹が同時に尋ねると、遅れて中条先輩も分かったようでニコリと頷いた。

 

「あ、そうですね。てっきり真由美さんから聞いていると思っていました」

「司波君、九重さんと婚約しているよ」

 

私が口を挟む間もなく、五十里先輩から暴露されてしまった。

2,3年生には知れ渡っていることだから、1年生である二人の耳にもいずれ届くことだろうが、なにも異性からプレゼントをもらっている場面で言わなくてもいいだろうに。

 

「「え?」」

「雅先輩と?」

「司波先輩が」

 

香澄ちゃんは私と達也に視線を往復させ、泉美ちゃんは絶望した表情で私を見上げていた。

 

「嘘ですよね」

「雅先輩!!」

「司波先輩と婚約だなんて嘘ですよね」

 

縋りつくように私の制服を掴む二人に内心ため息をつきながら、事実を告げた。

 

「本当よ」

 

二人して同じ顔で私にしがみついたまま、達也を睨んでいた。まるで親の仇を見るかのような顔つきであり、いつ達也はそんな恨みを二人から買ったのだろう。

 

実験には協力的なので、本心から嫌っていないだろうが、これでは明日の実験に心配が残る。複数の術者で行う実験であり、CADも達也が調節しているだけあって信頼関係は大切だ。

 

一触即発とは言わないが、不穏な空気が生徒会室に漂い始めた。

睨まれている達也はいつも通りのポーカーフェイスで、深雪もお淑やかなままだ。中条先輩とほのかは二人そろって、どうにかしなければという顔をしながら混乱していた。水波ちゃんと雫は不干渉を貫いている。単に面倒ごとに巻き込まれたくないのだろう。

 

「そろそろ、閉門時間になるので帰ろうか」

 

そんな混沌とした空気を変えるために、爆弾を落とした五十里先輩(張本人)が提案し、中条先輩は全力で首を縦に振った。

 

「そっ、そうですね。生徒会役員がいつまでも残っていたら他の生徒にも示しがつきませんからね」

 

時間も差し迫り、先輩に言われてか二人も鞄を持ち、9人は生徒会室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

下校途中、深雪の提案で達也は雅とデートをしていた。時刻もそれほど遅くはないが、夕食前とあって1時間ほどウインドウショッピングをして帰った。

基本的に雅も達也も学生とはいえ、放課後や週末は予定が入っていることが多く、久々のデートとあって雅は終始機嫌が良かった。

連名とはいえ、ほのかから誕生日プレゼントを受け取ったことに対してやや引け目があったが、雅は全くと言っていいほど気にしていないようで釣られるように達也も短い時間を楽しんでいた。

 

 

雅と一緒に司波家に戻った際に、いつもなら深雪か水波が出迎えてくるのだが、それがないことに疑問を感じた達也がリビングの扉を開けると、パンッという音と共に紙吹雪が降ってきた。テーブルには二人の力作であろう色とりどりの料理が待っていた。

 

「つまりこのための時間稼ぎか」

 

あきれ顔の達也に、雅と深雪が揃って笑って目を逸らした。

 

「気持ちは嬉しいよ。ありがとう」

 

要するにびっくりさせたかった、ということだろう。誕生日ケーキに歌と手拍子までついたパーティは、少人数ながら賑やかに行われた。

終始ハイテンションな深雪に乗せられて、達也も雅も騒いでいたが、今は達也は自室で寛いでいた。明日の発表を前に、達也の気分転換にと気遣ってのことだろう。

 

ふと達也は鞄の中に入れっぱなしになっていたプレゼントを思い出し、机の上に置く。丁寧に紺色のラッピングをはがすと、手のひらに乗る程度の木箱が入っていた。

 

その蓋を開けると、中に入っていたのは銀製のゼンマイ式懐中時計だった。このような時計は実用品としてではなく、美術品として愛好されている。達也が普段着けているとあるメーカーの腕時計は九重からの贈り物であり、同じ時計を贈るということは雅への対抗意識もあるのだろう。

かなり高価なものだが、雫が連名といった証拠に、箱の裏には雫の父が経営する企業グループのコーポレートマークが刻まれていた。

蓋の裏側には写真が入れられるようになっていたが、そこは流石に空になっていた。雫ならここにほのかの写真を仕込むことくらいやっていただろうが、流石に婚約者のいる相手に対して、それは憚られたようだ。

 

達也は椅子に背を深く預けた。

 

雅の気持ちにすらまだ答えられていない自分には、ほのかの気持ちは正直持て余すものだった。ほのかに対して、答えは既に去年の夏に伝えてある。それでも一度芽吹いた思いに、ほのかは区切りをつけられていない。

横恋慕だと分かっていても、理性的になれないのがこの感情の厄介なところなのだろう。

 

 

 

「お兄様。深雪です。少々お時間よろしいでしょうか」

 

思案する達也に囁くように、ドアの外から深雪がギリギリ部屋の中に届く程度の声量で問いかけた。水波や雅を憚ってのことだろうかと、達也は静かに椅子から立ち上がり、部屋のドアを開けた。

 

そこには華やかにドレスアップした二人の美少女がいた。

深雪は淡い桜色にレースをふんだんに使い、ローブ・デコルテのワンピースは背中と胸元を大胆に露出している。

対して雅は鮮やかな光沢のあるチェレステカラーのホルターネックのワンピース。首元はリボン結びで留めてある。線の細い白い肩が惜しげもなく、晒されており、正面からでは分からないが、おそらく背中も露出したデザインなのだろう。

二人とも髪もしっかりセットされ、薄く化粧も施している。

 

「あの、お兄様」

 

沈黙している達也に深雪が不安げに声をかけた。

普段とは違う華やかな出で立ちに、達也は不覚にも見とれてしまっていた。

 

「ああ、ゴメン。入って」

 

達也は横にずれ、二人を中に招き入れた。

二人は手ぶらではなく、雅はトレーに乗せた足つきのグラスを三脚とハンドバック。深雪はボトルと同じくハンドバックを持っていた。

 

「ありがとうございます」

 

二人はトレーとボトルを机に置き、雅はグラスを並べた。

 

「ほのかと雫からのプレゼント?」

「ああ」

 

机の上に置きっぱなしにしていた懐中時計に目に留め、雅が尋ねた。

 

「上品なデザインね」

「そうだな」

 

雅にそのつもりはなかっただろうが、自分の不義を咎められているような、どことなく間の悪さを感じた達也はそれを箱ごと机の引き出しにしまった。

 

「それで、これは?」

 

壁面収納に納められた予備のスツールを雅と深雪に勧め、三人で膝を突き合わせるように座った。

 

「せっかくですから、三人での時間が欲しくてお姉様にも協力していただきました」

 

深雪が協力と言っていることから、この衣装もすべて深雪の発案だろう。

肌の露出を好まない雅が、深雪のお願いとあって結局は断り切れず、このドレスを着るまでの様子が目に浮かぶようだ。雅の髪も化粧もすべて深雪が念入りに仕上げたことだろう。

 

「シャンパンか」

「アルコールはほとんど入っておりませんよ」

 

ボトルを手にしてラベルの表示を見れば、確かにそれほどアルコール度数は高くない。一度、チョコレートのアルコールで酔った経験のある深雪にはあまりよくないだろうが、グラスのサイズから一杯程度なら問題ないだろうと達也はボトルを戻した。

 

「お兄様、乾杯しませんか」

「ああ」

 

深雪がボトルを手に中々栓が抜けず四苦八苦していると、達也はボトルを取り上げ、コルク栓を飛ばすことなく、簡単に栓を抜いて深雪にボトルを返す。

三人分のシャンパンを注ぐと、深雪は達也と雅にグラスを渡す。

深雪が右手でグラスを掲げると、達也と雅も同じ高さにグラスを掲げる。

 

「お兄様……ハッピー・バースディ。お兄様がここにいてくださることに、感謝します」

「誕生日おめでとう、達也。この日を祝えることを幸せに思うわ」

「ありがとう」

 

チン、と澄んだ音が響く。

三人は同時にグラスを傾けた。

 

 

 

 

 

 

深雪は最初の一杯に留め、残りは達也と雅で処理していた。

元々分解能力が高い達也はアルコールに対して耐性が高く、雅も家柄上酒宴の多い家系とあって、人並み以上にアルコールには強い。

爽やかなシャンパンは舌の上でしゅわりと弾けて、喉を通り抜けるのを楽しみながら、話に花を咲かせ、夜は更けていく。

 

時刻が10時の手前になったころ、深雪が優雅に席を立ち、一礼した。

 

「それでは、お兄様、お姉様。深雪は一足先にお休みさせていただきます。お姉様はどうぞお兄様とお過ごしください」

 

明日も学校があるため、雅も遅くならないうちに失礼しようと席を立とうとしたが、深雪に目でにっこりと微笑まれれば、浮かせていた腰を落ち着かせるしかない。

達也と部屋で二人きりになることはもちろん初めてではないが、妹分に気を使われているとあってどことなく気恥ずかしい思いが雅にはあった。

 

「お兄様」

 

深雪が部屋を出て、扉から半分だけ顔をのぞかせて悪戯気に笑った。

 

「明日の朝食はお赤飯がよろしいですか」

「深雪!」

 

滅多に大声を出すことがない雅が驚きのあまり、上ずった声になってしまっていた。

くすくすと楽し気な笑みを携え、深雪は達也の部屋を後にした。

 

「あの子、酔っていたのかしら」

 

雅は頬に手を当て、ため息をついた。

からかわれているとは知りつつも、薄っすらと雅の頬は赤くなっていた。

同級生や先輩から言われるなら冷静に取り繕えるが、妹に近い深雪に言われるとあれば身内の恥ずかしさもあるのだろう。

 

 

二人きりになった部屋で雅は達也に視線を向けた。話したいことは、デート中に大方話してしまっており、沈黙が部屋に流れる。

 

「そういえば、一つ欲しいものがあるんだが」

 

先に沈黙を破ったのは達也だった。

 

「欲しい物?」

 

プレゼントは先ほど、深雪と雅から贈っている。

深雪は写真の入れられる月と星と太陽をモチーフにした金色の円形のロケットペンダント、雅からはマネーカード用の財布だった。

 

紙やコインの貨幣は存在するが、先進各国では基本的には端末での引き落としが多く、それ以外は定額式やチャージ式のマネーカードが多い。春に財布を変えるのは縁起が良いとされ、達也も専ら端末とマネーカードを使用していたが、やや古びてきたため丁度良かった。シックなこげ茶色の本革の財布は新品ではあるが、手によくなじみ、使っていけば革製品独特の味が出てくる良品で、見た目に反してスキミング防止の機能も取り入れられている。

 

二人からの贈り物を気に入らなかった素振りはなく、外れだったかと雅はやや心配そうに達也に尋ねた。

達也は首を横に振った。達也が欲しているのは厳密に言えば“物”ではない。

 

右手の人差し指でトントン、と自分の唇を叩くと、その手を雅の頬に伸ばし、するりと細い輪郭をなぞるように滑らせると、人差し指は唇に、他の指は顎を捕らえた。

 

「誕生日、だろう」

 

柔らかな声に少しだけ意地悪な笑みを浮かべ、達也は微笑んだ。

雅は言葉を飲み込むのに一拍置いた後、達也が欲しているものを、求めている”もの”を理解した。雅は言葉の意味を理解すると同時に、心臓は早鐘を打ち、頬には熱が集まる。

 

「えっと……」

 

表情を取り繕う余裕もなく、雅は視線だけを彷徨わせた。

これからすることは今回が初めてではない。

ただ今まで改まって求められるようなことはなく、その場の雰囲気というものがあったが、今回は雅から動かなくてはならない。痛いほど心臓が高鳴る中、それほど長い沈黙ではなかったが雅の頭は混乱しつつも決意を固めた。

ただ緊張しているのか、雅はまっすぐ達也を見ることもできず、伏し目になりながら小さく息を呑んだ。

 

「目、つぶって」

 

蚊の鳴くような声ではあったが、静かな部屋、それも至近距離の達也はその音をよく拾っていた。

達也は思わず笑みが零れた。

その笑みは冗談やからかいではなく、いつもと違って声もろくに出せないほど冷静ではない雅が新鮮であり、達也にはうれしい発見でもあった。

笑われたことを非難する余裕すらない雅はゆっくりと椅子を立った。

達也は少し顔を上げ、目を閉じた。百面相をしているだろう雅の顔を見てみたい半面、達也も内心照れくさい部分はあった。

こんなことを求める柄ではないことは自分自身、よく分かっていた。

それでも今日は特別な日であると、大して感慨深くもない17回目の誕生日に意味が見いだせるのであれば幸いだと思った。

 

雅はゆっくりと達也の肩に手を置いた。

吐息も聞こえる距離が徐々に縮まっていく。

よく知っているはずの、よく知っている唇が、やけに今日だけ目についてしまう。

近づいて、あと数センチの距離で恥ずかしくなった雅は目を閉じ、残り僅かな距離をゼロにした。

 

ほんの一瞬。

 

それだけで逃げようとする雅の後頭部を達也は支えると、再び唇を重ねる。一瞬だけ雅の体が硬直したのをいいことに、達也は椅子から立ちあがり、雅の腰に手を回す。

吐息ごと唇を食み、角度や強弱を変えて、何度も唇を重ねる。

羞恥心からか、突然の達也の行動に驚いてか、首を振って逃げようとするが、後頭部を支えていた達也の手が顎を捕らえ、逸らすことを許さない。

唇で甘噛みするように唇を捕らえ、ワザと唇が離れる音を立て、吐息交じりに低く雅の名前を呼ぶ達也に、雅の頭は沸騰しそうだった。

 

自分がどうやって立っているのかも分からなくなるほど、どうやって息継ぎをしたら良いのか分からなくなるほど、雅は与えられた感覚にただ溺れるしかなかった。恥ずかしくて顔を逸らしたい、未知の感覚に怯えるように逃げる雅に達也が背骨をなぞるように指を滑らせれば、ゾクリと雅は震える。羞恥心からくるイヤもダメも、全て達也の唇が邪魔をして、発することはできない。

 

 

どのくらいの時間だっただろうか。少なくとも雅が羞恥心でへたり込みそうになるほどの時間、雅は達也に翻弄されていた。

どんな意図があって、達也がこんなことをしたのか。

雅は睨み付けるように達也を見上げ、息を呑んだ。

 

知らない。

 

蜂蜜を煮溶かして固めたように甘く、それでいて春の木漏れ日のように柔らかな笑みを達也は雅に向けていた。

雅は、こんな達也を知らない。

達也の笑顔自体、何度も見てきた。

それでもこんなに頬も緩み、目じりも眉も下がって、幸せそうな笑みを浮かべる姿を知らない。

 

激情を白紙化され、恋愛感情一つ持つことが叶わない達也に、まるで愛しいと言われているような、そう錯覚してしまうほどだった。

その行動の訳を尋ねる言葉も、その心に秘める感情を問う言葉も何一つ出すこともかなわず、雅は達也の胸に飛び込んだ。

願わくば、この夜の出来事が夢でないことを祈りながら、達也の胸に縋った。

 

 




|д゚) リア充末永く幸せに爆発しやがれ!!
書いてるこっちが恥ずかしいぜ。

深雪さんの心情としては、先にお姉様LOVEだったので、お兄様もLOVEになってからは、二人が一緒なここは天国かしら(*゚∀゚)=3
って感じです。


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ダブルセブン編6

前回は甘い雰囲気を、お楽しみいただけだようで嬉しいです。
書いてくださった感想読んで、私もニマニマしてました。
そして、相変わらずの誤字脱字。指摘、修正感謝しています。

今回は、器の小さい七宝琢磨が色々やらかす話です。



23時と高校生にしては比較的遅い時間に帰宅した琢磨は使用人から書斎にいる父に呼ばれていると告げられた。どうせいつもの小言だろうと、面倒に思いながらもそのまま父の書斎に向かう。

 

デスクに座っていた父、七宝拓巳に勧められたソファーに座ると、彼も座っていたデスク席から立ち、琢磨の前に座る。

 

「琢磨、どうだ。高校は楽しんでいるか」

 

こんな時間帯に呼んでおいて世間話とは話の切り口だとはわかっていても、琢磨はムッとした。しかし、子どものようにそれを感情のままに言うことはなく、まだ理性的だった。

 

「親父、前にも言ったはずだ。俺にとって高校は楽しむために行くためのものじゃない」

 

息子のセリフに拓巳はやれやれといった表情を浮かべる。

 

「お前はどうしてそう強情なんだ。何もそう肩肘を張ることはない」

「親父こそ何を悠長に構えているんだ。師族選定会議は来年に控えているのに、このままだと風見鶏の七草に十師族の地位をかっさらわれて、あいつらの風下の地位に甘んじるんだぞ」

「師族選定会議は二十八家から選ばれるものだ。七草だけに固執するものではない」

 

この親子のやり取りは何度も行われてきたものだが、話は平行線のままだった。

妄執ともいうべき十師族の地位への思いを琢磨は持っている。いったい自分の息子がどこでそんな覚えを持つようになったのか、父としても理解できていなかった。

 

「七草が『三』を裏切り、『七』の技術を盗み取って十師族の地位を手に入れたのは事実じゃないか」

 

「『七草』が『三枝(さえぐさ)』だったのは、十師族成立以前の話だ。老師が十師族体制を提唱されたときには、すでに『七草』は『七草』で頭一つ他の家より抜きんでていた」

 

「その抜きんでていたのは、第三研究所と第七研究所の研究成果を摘み取ったからだろう。第七研究所が基礎研究から始めていた『群体制御』をあいつらは我が物顔で使っている。三矢も七夕も七瀬も七草(あいつら)にまとめて、虚仮(こけ)にされているのに、親父はどうしてそう平気なんだ!」

 

「琢磨、七草も我々と同じ実験体の魔法師だったんだぞ」

 

その指摘に、琢磨は文字通り言葉に詰まる。

 

「人為的に作られた魔法師は数少ない魔法師の中で二割ほどで、他は先天的な能力強化だ。…………九重の末姫とは部活連で一緒だったな」

「ああ」

 

七草との話の流れで、どうして九重がと不審に思いながらも返事をする。

 

「失礼はしていないか」

「親父がどうして、年下の九重に気を使う必要があるんだ」

 

九重雅は確かに古い家で、京都では名家かもしれないが、琢磨はそれほど脅威に思っていない。古式魔法に優れているとは聞いているが、なんらかの成果を上げ、社会に貢献しているという話は聞かない。

役者のように神楽という名前でいいように議員や名士に媚びを売っているという話は聞いたが、所詮素晴らしいといくら言われようとも、古式魔法でピエロの真似事をしているに過ぎないと琢磨は感じている。魔法を見世物に使う姿に琢磨は共感できず、むしろ否定的だった。それなのに、父を始めとしたこの家の者たちは九重を特別視している。

 

「七草に固執するのは構わないが、九重とだけは敵対するな」

「なぜだ。ただ古式魔法の古い家じゃないのか」

「ああ。古い家だ。魔法成立以前、神話のころから九重は魔法を脈々と受け継ぐ血筋だ」

「七宝と違って由緒ある家だから敬えと?」

 

確かに九重雅に見せられた古式魔法の一種は、琢磨には再現不可能なものだった。ピエロの延長という考えは一時期なくなったが、あの澄ました態度が琢磨には鼻につく。七宝家のお家芸である群体制御なのに、こんなことすらできないのかと言われているような気分になった。

重苦しい黒髪も、高く留まった様子も気に食わない。

敵対するなと言われているが、司波伝手に七草とも深い関係があるようなら、琢磨にとっては敵だ。

 

「学校で(へりくだ)る必要はない。だが、九重の次期当主の伴侶はさる高貴な家から嫁がれるとの噂だ」

 

父の声はいつにもまして、思慮深く、言葉選びも慎重だった。

 

「高貴な家?」

「皆まで言わせるな」

 

琢磨が父の言葉だけでその家にたどり着くには情報が足りない。

 

二十八家でも、九重の次期当主が伴侶を見つけたことは密かに広がっている。裏にも表にも人を使い、九重悠の一挙手一投足に目を凝らしている家があると聞くが、一向にその相手とやらは姿が見えない。

婚姻除けの噂話かという声もあったが、ある筋から言われている恐れ多い家の名に恐々としているのもまた事実だ。

 

「それと、琢磨、明日は学校を休め」

「いきなりなんだ」

 

終わらない話し合い、互いの主張のずれに、拓巳は肝心の本題を切り出すことにした。父のいきなりの命令に、琢磨は不審そうに眉をひそめた。

 

「明日、野党の神田議員が一高に視察に訪れる」

「野党の神田議員?人権主義者で反魔法師主義者の議員か」

「マスコミを連れてな」

「何のために」

 

琢磨の怪訝はより一層深くなった。

 

「魔法を強制されている少年たちの人権を守るためのパフォーマンスだろう」

「人権?!」

 

仰々しい名目に、琢磨は吐き出すようにそう言った。

その議員が言うように魔法を強制されていると言っても、魔法科高校選択時点ですでに魔法師になることを志してきた生徒だ。道半ばでリタイアする生徒も少なくないなか、決して軍事演習を課せられているだとか、権利が全く尊重されていないとは感じない。正直、大きなお世話。見当外れも甚だしい。

 

「お前の言いたいことは分かる。だが、相手は国会議員だ。問題を起こすのはまずい」

 

マスコミを連れてくるあたり、何か一つでも魔法の失敗や事故があれば、それ見たことかと足元を掬われる。いくら反論しようとも、メディアが書きたてたことに聴衆は流されやすい。

 

「いくら気に食わない相手だからって、誰構わず喧嘩を売るほど俺はガキじゃない」

「相手から挑発されてもか?」

「当たり前だ。そう簡単に挑発に乗るものか」

 

まるで小さな子どものように言いきかされているようで、琢磨はムッとした。

 

「そこまで言うのならば、自分の言葉に責任を持てよ。このことは七草殿が対処する。くれぐれも余計なことはするな」

 

こういった駆け引きではまだ、並々ではない十師族とも渡り合ってきた父に軍配が上がる。

 

「七草が?!」

 

琢磨が激しい反発を示すが、言質はとられている。

 

「琢磨、先ほどの言葉を忘れたか」

「―――っ、わかったよ」

 

父の念押しに、琢磨は乱暴にソファーから立ちあり、部屋から出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

琢磨が欠席した水曜日

まるで野党議員の来校に合わせるように司波達也発案で恒星炉の実験が行われた。

琢磨のクラスにも見学していた生徒はいたようで、実験の詳細をよく知らない議員やマスコミが核爆発の実験かと質問するなど、終始悪意のある質問は見られたが、廿楽先生とジェニファー先生の理論的な正論に反論できず、コケにされた格好となった。

野党議員も取り巻きのメディアを連れて尻尾を巻いて逃げ帰ったそうだ。

翌日の今日、木曜日には朝からテレビや新聞、Webニュースなどの各マスコミが訪問の結果について報道し、中には水爆実験かとあり得ない見出しを付けているところもある一方、おおよそ肯定的な記事は多かった。

CAD機器の大手、ローゼン家の日本支社長もこのニュースを取り上げ、日本の高校生のレベルの高さと実験に込められたエネルギー問題解決への姿勢を評価していた。

 

実際各メディアが実験に関わった生徒の名前を出したわけではないが、メンバー中には琢磨が敵対視している七草の二人も関わっていた。

世間的な評価を得て、実験に関わっていない生徒たちも浮足立っていた。

琢磨はそれが何より気に入らなかった。実験に九重雅ではなく、七草を使ったあたり、二人の狡猾さがうかがえる。

 

おかげで朝から苛立ちが収まらず、学校でも話題は恒星炉の実験に占められ、部活中もいつもならしない些細なミスをしてしまった。

 

益々苛立ちとモヤモヤとした感情は募るばかりで、だから、間が悪かったとしか言いようがない。

 

クラブを終え、下校途中の琢磨と風紀委員で見回りをしている七草香澄が遭遇したのは偶然のことだった。部活動勧誘期間を終え、風紀委員には通常通り、校内の見回りを当番で行っている。香澄も1年生だからということで、特に昨年と変わりなく一人で見回りを行っていた。

時間帯的にはもうすぐ委員会室に戻ってもおかしくない時間帯で、香澄は琢磨をただ視界に入れただけだった。

別段、おかしくはないことだっだが、間が悪かったのだ。

 

「随分とうまくやったもんだな、七草」

「何のこと?」

 

鼻先で笑われ、とぼけたように琢磨は感じた。

 

「昨日の公開実験のことさ。ローゼンの支社長にまで注目されるなんてすごいじゃないか」

「公開実験?七宝、あんた何か勘違いしていない?」

 

香澄は不快感を隠さずに、琢磨に反論した。不愉快だと言いたげな様子でさえ、琢磨を苛立たせる要素にしかならなかった。

 

「とぼけるなよ。魔法師に否定的な国会議員が来ると知ってて、昨日のことを仕組んだんだろう。九重先輩を押しのけて、司波先輩をよく利用して、名前を売ったものだぜ」

「利用ですって?変な言いがかりは止してくれる。それに九重先輩は部活の用事で元々実験に参加できなかったのよ」

 

香澄の言葉がやや歯切れの悪かったことに、琢磨は自分の推測が正しかったと断定する。

琢磨同様、香澄も神田議員の来校を知っており、その点は確かに琢磨の言ったことは間違っていなかった。だが、雅を押しのけただとか、自分が名前を売るために実験に参加したという点については全くの言いがかりだった。

 

「迂闊だったよ。あの人たち、魔法科九校ではちょっとした有名人だったんだな。流石は七草、抜け目がない。姉に引き続き、お前たちも誑し込んだのか。お前たち双子は見てくれだけはいいからな」

「ふざけるな!」

 

香澄は、爆発したように、啖呵を切った。

その怒気は一瞬、琢磨がひるむほどだった。

 

「誑し込むとか私たち七草には考えつかないよ。随分下品なんだね。その下品なあんたが、無関係の雅先輩までコケにするって一体どういう了見?あんたこそ、顔はかわいいんだから、ツバメにでもなって養ってもらえば?今時ツバメなんて飼ってるのは、どこかの色ボケ芸能人くらいだろうけれどね」

 

香澄が揶揄した、年上女性の若い男性を指す「ツバメ」という俗称は、最近芸能ニュースをにぎわせていた有名女優の売春問題のゴシップ記事の片隅にあってのことだ。

琢磨と”とある女優”のことを意味していたわけではないが、七草がその情報を仕入れていてもおかしくはないと、琢磨は判断した。

 

「……喧嘩を売っているのか、七草」 

「さきにふっかけてきたのはアンタの方でしょう。二度と買う気を起こさせないくらい、安く買いたたいてあげるわ」

 

二人の右手は左手の袖口にかかっている。

そこにはブレスレットタイプのCADが装着されている。

 

「そこの二人、何をしている」

「二人とも手を下ろしなさい」

 

魔法を使った喧嘩になりそうな事態に、琢磨の背後から男子生徒の声、香澄の背後から女子生徒の声で静止がかかる。

自衛目的以外の魔法の使用は校則違反である前に、法律違反だ。

香澄が手を下ろして振り返った一方、琢磨はCADが発動できるよう構えたまま振り返った。

だが、二人が振り返るタイミングで目の前で空砲が打ち鳴らされたような、乾いた破裂音が響き渡った。咄嗟に二人とも体が飛び上がり、一瞬の間ができる。

琢磨が音源を探ると、こちらに向かって走ってきている見覚えのある男子上級生が厳しい顔で左の懐に右手を入れているのが見えた。

ショートホルスターから特化型のCADを抜こうとしていると判断した琢磨は反射的にCADのスイッチに指を滑らせた。

相手はまだ抜ききっておらず、発動は琢磨の方が先んじる。

そう思った一瞬で、身体を前後に揺さぶられ脳震盪を起こし、眩暈に襲われ膝をついた。

 

 

香澄はたとえ、自分ではない対象だとしても魔法が発動されたことに緊張する。

 

「ドロウレス…」

 

香澄の口から驚きと共に呟きが漏れる。

琢磨を攻撃したのは香澄と同じ風紀委員の森崎だった。

特化型と汎用型では発動スピードは特化型に軍配が上がるが、すでに構えていた琢磨の方が発動は早いと香澄は見ていた。

しかし実際に膝をついたのは琢磨だ。情報強化の防壁によって威力は抑えられてしまったが、琢磨の攻撃を封じるには十分な威力だった。

 

それを可能にしたのが、ドロウレスという高等技術。

森崎が使用していたのは拳銃型の特化型CAD。なまじ拳銃型の特化型CADは向けた方に照準を付ける照準補助機能があるので、抜かずに打つのは難しい。

 

香澄は今まで先輩である森崎を魔法師としてあまり評価していなかった。

発動速度は速い部類だが、それでも自身の知る九重雅よりは遅く、他の魔法力と合わせても平凡に少し色が付いた程度の実力だと思っていた。

だが、ホルスターに入れたままの状態で自分の認識だけで照準を付け、特化型の特徴である発動の速度を活かした高等技術に、上級生は当たり前にこの程度をやってのけるのだと香澄は感心していた。自分も頑張らなくてはと思っていた矢先、森崎が香澄の後ろに視線を向けた。

 

「九重さん、牽制助かった」

「え、雅先輩!?それに北山先輩も…」

 

思いがけない名前に香澄が背後を振り返ると、雅の姿があった。その顔はいつもと変わらないように見えたが、変わらないが故に薄ら寒い怖さがあった。雅の隣にはムスっとした表情の北山雫が立っていた。二人ともちょうど帰宅するところだったようで、すでに鞄を持っていた。

 

「ひょっとして、さっきの破裂音は雅先輩が?」

「それは後で説明するとして、問題が起きた経緯を報告する必要があるわね」

 

雅と目が合った瞬間、マズイという感情が香澄の頭の中を駆け巡った。

瞳が笑っていない。普段怒らない人を怒らせると怖いということを、香澄は知っている。

乾いた笑みすら出ずに、香澄は借りてきた猫のようにおとなしく、琢磨と共に先輩の後ろを付いて歩いた。

 

 

 

 

 

 

 

事情説明のために、私と雫、森崎君は二人を風紀委委員本部に連れて行った。校内での魔法使用の違反行為ということで風紀委員からは千代田先輩、部活連からは服部先輩と教育係の十三束君、生徒会からは達也が同席し、事情を聴くこととなった。

 

「最初に言っておくけれど、香澄は完全な未遂だけど、停学の可能性は覚悟しなさい。未遂とはいえ、CADの操作に入っていた七宝君は最悪、退学よ」

 

千代田先輩は二人の言い分を聞く前に、しっかりと釘を刺した。

実習、部活および自衛以外での魔法の使用は禁止されており、校則にも明記されている。金属バットもただ持っているだけならば野球の道具だが、それを人に向ければ暴行罪や殺人罪に問われることと同じだ。

それ以上に私たち魔法師はただでさえ世間からの風当たりの強い立場なので、幼少期からその使用については厳しく教え込まれている。

魔法を使った犯罪や事件が起きるたびに、当事者でもないのに批判に晒されることは珍しくない。魔法師の絶対数が少ない以上、世論はマイノリティを差別する方向に向かうのは必然だ。

 

「それを念頭にして、何が原因だったか説明しなさい」

 

千代田先輩は強い口調で二人に尋問した。七宝君は退学という言葉に、拳を握りしめ、震えている。それが自分の過ちを恥じているのならばいいが、そうは見えない。

 

「七宝君が七草家を侮辱しました」

「七草から許しがたい侮辱を受けました」

 

どちらから因縁をつけたのかわからないが、互いに家の名前を出して侮辱したようだ。二人とも目を合わせないあたり、相当内容は過激だったようだ。

 

二人の(かたく)なな様子に、千代田先輩は頭を抱えた。

香澄ちゃんは風紀委員の身内、七宝君も部活連の身内なので服部先輩も公平さの面から、この一件をどちらが悪いとも言えない。

そうすると、二人の視線は第三者である生徒会、つまり達也のほうに向かった。

 

「司波君はどう思う?」

「二人に試合をさせればよいのではないでしょうか」

「それは、二人を見逃すってこと?」

「話し合いで解決できないことは実力で決着を付ける。当校ではそれが推奨されていると、前委員長にそう聞き及んでいます。お互いの誇りがかかっているのなら、結論も長引くこともなく、遺恨にならなくてよいかと」

 

達也の言葉に、十三束君は驚き、千代田先輩と服部先輩は納得顔だった。

 

「魔法の不適正使用は重大な違反ですが、未遂の生徒まで厳罰にする必要はないでしょう。新入生にはよくあることですし」

 

森崎君が苦い表情で顔を背けた。昨年の春の一件のことであると指摘する人は幸いにもいなかった。

千代田先輩と服部先輩は達也の意見に賛同。生徒会立ち合いの正式な試合が決定された。この後、実習室を借りて勝負をつけるそうだ。

 

 

だが、それに反論した人がいた。

 

「司波先輩、一つお願いがあります」

「七宝、不服があるのか」

 

本来であれば処罰を受けるべき七宝君が図々しくも提案を持ち掛けたことに、十三束君はやや語気を強く咎めた。

 

「いえ、七草との試合を許していただけるのならば、七草香澄と七草泉美の二人とたたかわせてください」

「七宝、あんたバカにしているの」

 

先輩の前という手前で乱暴な口調だったが、そう思うのも無理はない。

取りようによっては、一人では相手にならないから二人を相手にさせろと言っているようなものだ。

 

「理由は?」

 

好奇心に駆られたのか、咎めるより前に千代田先輩が尋ねた。

 

「これは七宝家と七草家の誇りが掛かった戦いです。それに『七草の双子は二人そろって真の力を発揮する』というのはよく言われていることです」

「七宝はこう言っているが、香澄はそれでいいか」

 

達也が視線を香澄ちゃんに向けた。

 

「構いません。その思い上がりを後悔させてやります」

「ではそのように」

 

達也は生徒会室へ手続きのために向かった。

待ち時間の間に香澄ちゃんは端末で泉美ちゃんを呼び出していた。

私と雫はどうするか、視線を合わせた。

 

「北山さんと九重さんは帰ってもらって構わない。ご苦労だった」

 

服部先輩の許しも出たので、私たちは帰宅しても良いようだ。

 

「雅、私、残って試合観ていくつもりだけど、どうする?」

「今日の当番は森崎君で、雫は非番だったわよね?」

 

一緒に帰る途中、確か雫がそう言っていた気がしたし、森崎君は腕章をつけているので、彼が今日の担当だろう。

 

「森崎君」

 

代わってもらってもいいかな、という言葉は名前を呼ぶだけで伝わったようだ。代わりに千代田先輩が答えた。

 

「所属からは一人出せば十分でしょう。部活連は服部君?」

「いえ、教育係は僕に任されていますので、僕が立ち会ってもよろしいでしょうか」

 

十三束君が手を挙げた。

 

「構わない」

「ありがとうございます」

 

どうやら十三束君も七宝君に対して思うところがあるようだ。一度実力を見るという面からしても、丁度よい機会なのだろう。

 

「私は、稽古事がありますので、失礼させていただいてもよろしいですか」

「稽古って神楽?」

 

雫がそう聞いた。お茶、お花も稽古と言うし、叔父との鍛錬も稽古と言えば体術の稽古だ。

雫の目が面倒臭そうな様子から一転、少し輝いて見えるのは、招待を期待しているのかもしれない。

 

「ええ。夏祓の神楽があるの」

 

年の丁度半分、6月30日には、全国各地の神社で大祓が行われる。大祓は民間では、毎年の犯した罪や穢れを除き去るための除災行事として定着していて、年二回、6月30日と12月31日に行われている。

6月30日に行われる大祓は『夏越の祓(なごしのはらえ)(名越の祓)』または『夏祓』『六月祓』とも呼ばれ、この時期は梅雨から日照りの時期に移り変わるころであり、過酷な時期を乗り越えるための心構えとしての役割も持っていた。

 

その行事に合わせてこの時期からすでに稽古が始まろうとしていた。予定の時間はそれほど差し迫ってはいないが、新しい演目に合わせて衣装も仕立て直すそうで、色々と今日明日は忙しくなる。

 

「三流ピエロの真似事ですか」

 

私たちの会話に割り込むように鼻で笑うような七宝君の発言に、委員会室の空気が凍った。

流石に面と向かってこのような発言は驚いた。

私と七宝君以外が呆気にとられ、冷ややかな視線で七宝君を見ている。

 

「目の前の相手のことに集中できていないようですね。貴方が余所見をしていて勝てるほど、七草が弱い相手ではないことは十分知っているのですよね」

「貴女に言われる筋合いはないでしょう」

 

キッと私を睨み付けた。

 

私が彼に何かをしただろうか。

七宝家と九重に因縁めいた物はないし、私も彼に対してそれほど接点は多くない。今日だって偶々通りかかってのことだ。

それがなぜ、こうも言われなければならないのかという気持ちがあるが、他人の指摘も助言も高慢に聞き入れないのなら相手にしない方が賢明だった。

 

「……それもそうね。じゃあ、頑張ってね。お先に失礼します。」

 

私は残っていた人たちに挨拶をして、深雪と達也に先に帰宅することを告げるため、生徒会室へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雅が部屋から出た後、短い二人のやり取りに、周りはドッと疲れていた。

 

「七宝、この場に司波兄妹がいないことを感謝しろよ」

 

森崎はこの無知で恥知らずな馬鹿を殴りつけなかった自分を褒めたかった。司波兄妹がこの場にいた場合、ブリザードが吹き荒れるか、徹底的に司波達也に論破されていただろう。そうしたら、七草と七宝の因縁など知ったことではない。自分達がそれに巻き込まれないように保身に走ることが賢明だ。幸いにして、それが起こらなかった偶然に森崎は普段は大して信じていない神に感謝していた。

 

「怖いもの知らずって恐ろしいわ」

 

花音も一年生の予想外どころか、奇想天外な発言に、今頃になって沸々と怒りがわいていた。可愛がっている後輩、それも実力も伴う期待の星にケチつけられたようなものだ。七草姉妹と変わって、今からでも自分がぶちのめしてやりたい気持ちだった。

 

「何ですか」

 

当の本人はさほど悪びれている様子はなく、反省もしていない。

それが周囲の頭を痛ませた。

 

「七宝君は九重神楽を観たことは?」

「客集めの魔法演劇なんかに興味ありません」

あくまで教育係としての立場か、怒りを抑えながら質問した十三束に七宝はそっけなく返事を返した。

 

「現代魔法の歴史はおよそ100年、九重神楽の歴史は約1500年。数字持ち(ナンバーズ)が生まれる以前、神代の時代から脈々と受け継がれる魔法を使った最古の儀式にして、今も進化をしているこの国の誇るべき最高傑作だ。それを知りもしないのに、土足で踏みにじって、唾を吐いて、それはお前が無知と喧伝しているようなものだぞ」

 

「だったら、なぜその技術を公表しないのですか。それだけすごいのなら、現代魔法の発展のために貢献すべきでしょう。それができないなら、所詮それまでのただ古い技術ってことですよね」

 

呆れてものも言えないとはこのことを言うのだろうと、七宝を除く一同の心は一致していた。

 

 

 

 




琢磨の雅に対する偏見は、同じ魔法を使うにもかかわらず、自分は実験場生まれ、片や周囲から畏敬を持たれる由緒ある家柄。周りからは凛としてる、大人びている、気品のあると評される雅も、人を見る目のない人間からすれば、お高く留まっていると見えるということです。

個人的には雅を馬鹿にされて、「はあっ?」と切れるお兄様を書きたかったが、試合どこではなくなるので、没に。良かったな、七宝琢磨。寿命が延びたよ!


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ダブルセブン編7

編集せずに投稿してしまったので、再投稿します。

前の話で小和村真紀の名前が唐突だと、指摘いただいたので、編集しています。これでわかりやすくなっているといいなーと思います。


夏バテはしていませんが、夏風邪引きました(´゚ω゚`)
鼻水出すぎて、水分出て行って、干物になりそうでした。


朝の通学で使うキャビネットの中、達也は雅に昨日の琢磨と七草姉妹の試合の結果を説明していた。

キャビネットの中は達也と雅が隣同士に座り、達也の正面に深雪、雅の正面に水波が控えめに座っている状態だ。

 

試合は最初は学年トップとは言え、一年生らしい魔法の使い方が決して上手いとは言えない試合だったが、七草姉妹が『窒息乱流(ナイトロゲロン・ストローム)』を発動させてからは試合が一気に動いた。

『窒息乱流』は空気中の窒素分布を著しく偏らせる魔法と空気塊を移動させる移動・収束の複合魔法だ。

その流れを操るという制御の非常に困難な術式であると同時に、相手が窒素に偏った空気を吸い込めば低酸素状態に陥り、意識を失う。

 

高校生レベルでは発動すら困難な魔法であり、それを可能にしたのは二人が【七草の双子】と呼ばれる所以でもある『乗積魔法(マルチブリケイティブ・キャスト)』を使用したからであった。

魔法師が同じ魔法を発動しても、それは事象改変の威力が増すどころか、干渉し合い、結果として効力を顕すのは、最も魔法力が大きい魔法のみである。

 

複数の魔法師で行う儀式魔法は魔法式を層別化して分担することで、複雑で巨大な魔法式を発動させることができる。九重神楽も同様に、魔法式を層別化して分担するか、もしくは明確に事象干渉の領域を魔法師ごとに定義している。つまり、とある一つの情報体に対して、複数の魔法師がアプローチした場合、最も強い魔法が優先的に発動されるというのが現代魔法の常識だ。

 

にも拘らず、七草姉妹の場合、魔法式を分担するのではなく、魔法力そのものを二人で掛け合わせることができる。二人が同一の遺伝子を有するだけではなく、魔法演算領域まで同一でなければ有り得ない事象だ。

数少ない魔法師の中にも双子は存在する。

しかしながら、例え一卵性の双子であったとしても、このように乗積魔法が使える存在は両手で収まるだけしか報告されておらず、例外中の例外だった。

 

七草姉妹が発動させた窒素の乱気流に押された七宝君は切り札である『ミリオン・エッジ』を発動。

ハードカバーの本、正確には魔法の刻まれたページが破れ、百万枚を超える紙の刃となり、七草姉妹に襲い掛かった。

二人は窒素乱流によって空気中の窒素を集めていた副産物として、偏在していた酸素を集め、『熱気流(ヒートストーム)』を追加発動して、紙片を焼き払おうとした。

多種類多重魔法制御は第三研究所の魔法師強化プログラムであり、その制御技術は十文字家の代名詞である『ファランクス』にも応用されている。

七草の――第三研の出身である元『三枝(さえぐさ)』だった――二人にとって難易度の高い魔法とは言え、二つの魔法制御は能力の範囲内のことだった。

 

摂氏500度を超える温度下でもミリオン・エッジの魔法式の効力で、紙は刃の形を維持しており、じりじりと高熱の紙片は二人に迫っていた。

かく言う七宝君も真空断層を作って窒素気流を防御していたとはいえ、競り負ければ低酸素脳症を起こしかねない状況に、危険と判断した達也が試合を強制的に中断させた。もちろん、三人分の魔法式を術式解体で強制停止させてからだ。

 

当然、両者とも引き分けに納得しなかったが、途中から面倒に思った香澄ちゃんが手を引いたらしい。彼女としては、これ以上難癖を付けられて問題を持ち込んでこなければ勝負の結果には拘らなかったようだ。

 

一方の七宝君はジャッジが公平ではないと怒り、自分は『ミリオン・エッジ』を制御し、殺傷性のない程度に留めていたと主張する。誰の目から見ても明らかにルール違反だったが、冷静ではない彼はその後も支離死滅な主張で自分の優勢を主張していた。

しかも、審判である達也を無傷で降参させてみせると豪語したという。

そのあまりにも稚拙で不遜な七宝君に、ついに堪忍袋の緒が切れた十三束君が殴り掛かったらしい。

 

「十三束君が?!」

 

マーシャルマジックアーツという魔法競技系の中でも格闘系の部活に所属しているとはいえ、正直温厚な十三束君がいきなり手を出すとは想像できない。

 

「お兄様を雑草(ウィード)などと許しがたい言葉で侮蔑したのです。いい薬でしょう」

 

深雪の当然と言わんばかりの表情を肯定するように水波ちゃんも首を縦に振っている。その場に吹雪が吹き荒れなかったか心配だが、蒸し返さない方が賢明だろう。

 

「それで、七宝君は無事だったの?」

 

ノーガードの状態で本気の十三束君に殴られたのなら頬や顎の骨が折れかねない。男子にしては小柄な体躯であったとしても、【レンジ・ゼロ】の二つ名(忌み名)は近接戦闘での無類の強さを誇ることを示している。

 

「流石に手加減はしていたようだ。尻餅を付く程度でケガもしていない」

「思わず手が出るってことは、よほど教育係として見てられなかったようね」

 

十三束君からは、何度か七宝君の対応について相談されていたが、彼の態度が軟化することは無かった。十三束君はそれでもストッパーとしてあくまで冷静に対応していたようだが、今回の一件は許せるものではなかったようだ。

 

「お姉様は彼の無礼千万な態度を許されるのですか」

 

むすっとした深雪は不服そうにそう尋ねた。

達也に対する暴言は許せるものではないが、的外れも甚だしいことではあるし、達也が無関心を決め込んでいる以上、私が口出しするのも余計なことだろう。

 

「確かに部活連でも七宝君の態度は問題に挙げられたこともあるけれど、謙虚という言葉を覚えれば、才能としてはあるのだから腐らせるのは惜しいという話もあるからね」

 

まるで自分が一番優れているといわんばかりの彼の態度は正直目に余るものであるが、部活連として彼を全く評価していないわけではない。

 

「七宝の近辺については藤林さんが一枚噛んで調べている。どうやらどこかの野心家に踊らされているようだ」

「煽てて木に登らせて首を絞めているってこと?七宝家の力を削ぐことが目的かしら?」

 

師補十八家の一角、十師族に一番近いといわれながらも、規模や勢力は決して大きいとは言えない。だからこそ、十師族には届かなくても、七宝家ならば、という考えがあってのことだろうか。

去年のようなテロ行為を誘発させる国外勢力は表立って動いていないが、マスコミ工作などの魔法師に対するネガティブキャンペーンを行っている。

確かに激情的な七宝君が表立って事件を起こせば、それだけ騒ぎ立てる輩は出てくるだろう。裏で糸を引いているのが国外勢力となれば独立魔装大隊が動くのも納得できる。

 

「その点についてはまだ不明だ。ひとまず、明日の15時から七宝と十三束で試合をすることになったから、後援者には近いうちに接触することが考えられる」

「十三束君が直接指導するのね。今日は予約が取れなかったの?」

 

十三束君が直々に教え込むとなれば、天狗も多少は落ち着くだろう。

 

「ミリオン・エッジは使い捨ての魔法だ。準備とクールダウンの時間を考えてのことだろう」

 

ミリオン・エッジは一度、魔法を発動直前の状態まで持ってゆき、その状態で待機させており、魔法式構築の時間を必要としない条件発動型遅延術式だ。

一撃必殺とは言えば聞こえはいいだろうが、再発動させるには新たな媒体を準備する必要があり、切り札と言っても、使い勝手はあまりよくない。

十三束君はミリオン・エッジを実際に目にしているので、その攻撃力を遠距離魔法なしに戦っても勝てるとわかっているから勝負を持ち掛けたのだろう。

 

「動きがあれば、連絡する。雅の手を煩わせることはないと思うが、もし何かあれば教えてくれ」

「わかったわ」

 

そうこう話しているうちに、最寄り駅まで到着した。

爽やかなはずの春の風は、どことなく不穏な空気を感じさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七宝琢磨と女優、小和村真紀は同盟関係にある。

二人はお互いの目的のため、魔法師の手駒を欲している。

そのために琢磨は一高内で自分の派閥を作り、将来的に十師族になった時の傘下の獲得を目論んでいた。

 

北山家のパーティに真紀が出席したのもその一環だった。

魔法師の中で特に派閥に所属していないことと、成績優秀者であることを踏まえ、北山雫とその友人とのコネクションを築くことが目的だった。

結果としては光井ほのかの反応は上々だったが、北山雫には顔と名前を覚えてもらった程度、九重雅や司波兄妹の反応は今一つどころか完全に袖にされた形となった。

 

琢磨にそれを告げるのは真紀のプライドが許さず、後の三人は七草家と関係があると嘘を告げた。七草と聞いて頭に血が上ったのか、真紀の女優としての演技力に見事に騙され、琢磨は司波兄妹と九重雅が七草派であると信じ切った。生徒会入りを断ったのも、そのためだった。

 

真紀とは同盟関係、対等な立場だと思っている琢磨は、彼女の掌の上で面白いように踊っていた。多少背伸びをした自己承認欲求の高い男の子は、一筋縄ではいかない芸能界において演技力で若手ナンバーワンと呼ばれる地位を築いてきた真紀が、そっとその心の隙間を埋めるように、甘言を囁けば、ころりと信頼を置くようになった。

 

 

真紀と琢磨は度々、真紀のマンションで密会を行っているが、この日訪ねてきた琢磨は何時にもまして不機嫌な様子だった。

また面倒そうだと思いながらも、真紀はいつも通りに彼を迎え入れた。

苛立ちと愚痴を彼にぶつけられるのを避けるために、ブレイクタイムも含め、真紀は遅めの夕食に琢磨を誘った。

用意したバケットのオープンサンドに香りづけとしてリキュールが掛かっていたのも偶然のことであったし、用意していた果実水にもアルコールが少し多めに入ってしまったのも、仕方がないことだった。

 

琢磨は夕食を既に済ませていたが、食べ盛りの高校生という年齢と、むしゃくしゃしていたので暴食気味になってしまったこともまた仕方がないことだった。

自分用に用意した夕食を琢磨がほとんど食べきったのを目にし、真紀は変幻自在な「顔」の後ろに、にやりと悪い女の笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕食後の時間帯、自宅にいた達也は藤林に七宝琢磨の件で呼び出され、指定された場所に二輪車で向かった。雅は今日も神楽の練習で不在であり、深雪と水波に留守番を言い含めて外出している。

 

駅にバイクを止めた達也は、大型セダンに乗り込み、七宝琢磨がマンションに入っていく様子を見ていた。彼がこちらの監視の目に気付いた様子はなく、おそらく諜報訓練のようなものは受けていないと見受けられた。

 

セダンの中には藤林だけではなく、何故か真田もいたが、十師族と折り合いが悪くて才能があるのならば、独立魔装大隊にスカウトすることも念頭に置いてのことらしい。達也としては、こちらに手出しをしてこなければ構わないが、現在の状態では何かしら噛みついてくることが目に見えてわかっている。この一件に関わっているのも、七宝の身を案じてのことではなく、昨年のブランシュのように二人目、三人目の面倒な相手が出てくることは、避けたい事情があってのことだ。

 

ため息交じりに説明する達也に、真田と藤林は小さく噴き出した。

要するに、潰しても湧いてくる鬱陶しい相手の面倒は懲り懲りだということだ。

 

「あ、接触したみたいよ。聞く?」

 

琢磨につけていた盗聴器から、”黒幕“の声が聞こえてきたようで、藤林は付けていたイヤホンから車内のスピーカーモードに音声を切り替えた。

スピーカーは若い女性と七宝の会話を車内に響かせた。

 

「部屋は?」

「所有者の名前は小和村真紀。今絶好調の若手人気女優。父は小和村喜夫(さわむらよしお)。カルチャー・コミュニケーション・ネットワーク、通称カル・ネット社の社長ね。テレビ局を含む複数のメディア企業を傘下に持つ持ち株会社ね」

「反魔法師を訴えるマスコミが黒幕ですか」

 

やれやれと呆れた様子の真田に、藤林はモニターに彼女とカル・ネットに関する情報を表示した。

 

「一概にそうとも言えないみたいね。今回の魔法科高校生が軍事利用されているっていう暴論にはどちらかと言えば批判的で、一高で達也君が成功させた恒星炉の実験も肯定的に報道しているわ」

 

カル・ネットが取り上げた記事が表示されるが、確かに今までも魔法師に対して極端に批判する意見は少なく、今回のマスコミの反魔法師風潮にも一歩引いた態度で報道している。

 

「それにしても、黒幕があの人気女優ですか。人は見かけによらないとよく言いますね」

「父のコネクション、芸能界の顔の広さでいえば、ありえない話ではないでしょう」

 

真田のつぶやきに、藤林は冷静に切り返した。

彼女の美貌は確かに、一般的な思春期の少年ならば憧れるものであり、直情的な七宝が手玉に取られることは十分想像できる。北山家のパーティで少ない時間、彼女と接した達也にも、その演技力の高さは伺えるものだった。

 

 

盗聴器の音声では、琢磨と真紀が食事を終えた頃、琢磨は多弁に愚痴を漏らしていた。琢磨はフェアな勝負ではなかった、公平な勝負なら俺が勝っていたと何度も口にしている。

 

それを真紀は聖母のごとく柔らかく甘い声で嫌な雰囲気一つ出さずに聞いていた。勝負運に恵まれなかっただけ。琢磨は実力がある。そんな小さな勝負の結果にあなたの将来は左右されない。

真の実力者は最後に必ず勝つことができる。だから大丈夫。

真紀はそう甘言を乗せる。

 

『真紀……』

 

しばらく会話が途切れると、鈍くドサリという音がした。

まるで誰かをソファーに押し倒したような音であり、スピーカーからは湿っぽい音声が響いていた。

 

「あらあら、面白いことになっているわよ」

 

年頃の男女がいれば、このような展開はあり得るが、それが人気女優と高校に上がったばかりの未成年ともあれば、目も当てられない。

面白がる藤林に対して、真田と達也は呆れもせず、かといって赤面もせず、いたって表情を変えず涼しい顔をしていた。

 

「これは都合がいいですね」

 

盗聴器を通して聞こえる音声に、達也はしばし考える素振りをした後つぶやいた。

 

「あら、何を企んでいるの?」

 

楽しそうな表情のまま、藤林は問いかけた。

 

「つい最近、女性芸能人による少年売春が話題になりましたから、たまにはこちらがマスコミを利用しても構わないでしょう」

「よくもまあ、そんなことをすぐに思いつくものだね」

 

達也の提案に、真田は頬を引きつらせた。技術が絡めば、性格が悪いのは真田も変わらないので、その証拠に“すぐに”の部分にアクセントが置かれていた。真田もこれを利用する手立てを時間があれば思いついたと言外に示していた。

 

「実行犯になると学校側が受けるダメージも大きいですので、未遂のうちに踏み込みましょう」

 

真田と藤林の反応も意に介さず、達也は淡々と提案をした。

 

 

 

 

 

 

黒の覆面に防刃防弾、電波吸収素材仕様のアーミースーツを纏った達也は、ベランダから小和村真紀のマンションに侵入した。

真紀と事に及ぼうとしていた琢磨には強力睡眠剤入りのスポンジボールを投げつけ、無力化し、女性ボディガード二人も達也の前に手も足も出ず、地に伏すこととなった。

 

真紀は侵入者が達也だと気が付いたようだが、達也はそれを意に介さず、淡々と交渉を進めた。未成年に手を出さないこと、七宝琢磨と切れることを要求し、了承すれば盗聴していた音声データは削除すると提示した。

彼女のキャリアを考えると要求を呑まざるを得ない。

 

それだけを告げて達也は来たとき同様、ベランダから外に躍り出た。

生身で地上二十階から飛び降りれば、いくら魔法師とはいえ無事では済まない。慌てて真紀がベランダから下をのぞき込むが、彼の姿は一切見当たらなかった。

 

いないのも当然。達也は下ではなく、マンションの屋上にいたのだ。

当初の予定では背負っているグライダーで地上に降りる予定だったが、小和村真紀の部屋に向かう途中に不審な機影を見かけていた。

それは黒い小型の飛行船だった。一瞬ステルス飛行船かと勘ぐったが、機体の形からマスコミや映画関係者が使用する空撮用の飛行船によくあるタイプだった。

 

「少尉、こちらに接近中の飛行船はどこの所属かわかりますか」

「捕捉しているわ。フライトプランによればテレビ局のものね」

 

高度は飛行船にしては低く、単に遊覧しているだけではないだろう。

黒一色で塗装されていることから、なにかしら良くない意図があってのことだ。

 

そのテレビ局は小和村真紀の父が傘下にしているテレビ局のライバル局だった。真紀のスキャンダルを狙っての盗撮か、いずれにせよ未成年とこんな時間に二人でいる姿を撮られるのはまずい。

 

達也は藤林にこの地区のサイオンレーダーをオフにするように頼み、トライデントを右手で抜いた。飛行船からは縄梯子が降りてきたのが見えたので、どうやら部屋まで侵入する気のようだ。

早く片付くと思ったが、もう一仕事必要そうだと達也は跳躍の術式を発動させた。

 

 

 

飛行船に乗り込んだ達也に浴びせられたのは、日本語の怒声ではなく広東語か北京語のような東亜大陸系の言語だった。

しかも、手には拳銃。銃口が五つ、こちらを向いている。

彼らがただのテレビマンではないことは一目瞭然だった。

 

達也は冷静に『分解』を発動し、向けられた拳銃を解体した。

だが、男たちはバラバラと床に転がる銃のパーツに見向きもせず、真鍮色の指輪を達也に向けた。

魔法師にとって不快極まりないノイズが発生するが、達也はトライデントの引き金を二度引くと、キャストジャミングのノイズが分解され、五人の男たちの両足の付け根を打ち抜いた。

 

しかし、それだけでは終わらなかった。

崩れ落ちる男たちのうち、一人が何かを握りしめていた。

開け放たれたままのゴンドラの入り口から達也は身を宙に投げ出したと同時に、飛行船は爆発した。

 

このまま落下すれば達也の身が危ないことは理解していたが、この飛行船の残骸がマンション街に落ちれば大惨事は免れない。

爆風に晒される中、達也は体をひねり、トライデントを飛行船に向ける。

仰向けに落下しながら、雲散霧消(ミスト・ディスパージョン)を発動させた。

 

飛行船が塵状となったのと同時に、達也は慣性制御の術式を呼び出す。真紀のマンションとは別の棟の屋上に背中から落下したが、落下した位置とマンションの高さで慣性制御があまり効果がなく、『再成』がなければ全身骨折で二度と歩けないどころか、命はない状態だっただろう。

 

『達也君、なにがあったの?』

 

通信機から聞こえる藤林の声も流石に焦っていた。

 

「どうやら飛行船はハイジャックされていたようです。元々、テレビ局もグルだったかもしれませんが」

 

達也は落下の痕跡を魔法で消し、マンションから飛び降りた。

減速魔法を使い、着地直前のスピードを緩やかにし、地面に降りる。藤林たちが乗っているセダンとの距離はそう遠くなく、加速魔法ですぐさま移動して車に乗り込む。

遅い時間とは言え、十分起きている人がいる時間帯だ。監視カメラも切ってあるとはいえ、人目に付くのは避けたかった。

 

「お疲れさま」

「流石に驚きました」

 

覆面を取りながら、全くもって涼しそうな顔で達也はそう切り出した。

真田と藤林は視線を合わせたが、それ以上話を広げるのは避けた。

 

「手掛かりはテレビ局の方にあると思いますが、乗っていたのは東亜大陸系の一員でした」

「それについては、こちらで詳しく調べてみるわ。ひとまず、今日は撤収しましょう」

「了解」

 

大型セダンは静かに、マンション街から夜の交通の流れにその車体を紛れ込ませた。

 

 

 

 

 

翌日の夜、達也は自室で藤林から連絡を受けていた。あの飛行船に乗り込んでいたテロリストかマフィアの正体についての調査報告だ。

 

『飛行船はテレビ局から盗み出されたもので、フライトプランの申請コードも盗用されたものというのがテレビ局側の言い分ね。残念ながら人員については、チャイニーズマフィアということ以上は分からなかったわ』

「チャイニーズマフィアということは、身元が分かっているんですか」

『無頭竜の残党、ロバート・孫、首領だったリチャード・孫の甥の従兄弟に当たる人物が飛行船強奪を指揮していたらしいわ』

「甥の従兄弟ですか?」

 

ほとんど他人でなはいか、と思ったが、達也の身近にも血縁に組み込まれている例を思い出したので、口にはしなかった

 

『まあ、ほとんど他人よね。実際少人数しか付いてこなかったみたいだから』

 

どうやら藤林も同じことを思ったらしい。

 

『もちろん、昨夜みたいなことは少人数では不可能。黒幕か裏で手を引いている支援者がいるはずなんだけど、正体は不明よ』

「正体不明ですか」

『ええ』

 

未遂とはいえ、東京都心でテロとなれば由々しき事態だが、藤林の調査でその黒幕の尻尾すら掴めないことの方が達也にとっては深刻に思えた。

現段階では証拠不十分という点もあるだろうが、油断ならない相手というのは間違いないだろう。

対外関係なら四楓院が出てくる場合もあるが、それはあくまで最終的なことであり、何かしらの情報が【千里眼】からもたらされる事はあったとしても、彼らは達也が望む情報を無条件で差し出してくれる相手ではない。

 

厄介ごとが自分達に降りかからなければいいがと、エゴイスティックに達也は願うばかりだった。

 




次の話でさらっと書きますが、七宝君が十三束君に瞬殺されるシーンはカットしました。感想では、七宝君がフルボッコにされるのを望んでいる方が多くてびっくりです。

この話で、雅と達也が会話するシーンが少なくて、寂しいです(´・ω・`)
次は、盛大にイチャイチャさせますので、お楽しみに


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貴方の世界を許す人
前編


イチャイチャだと思った|д゚)?
残念、まだだよ。

筆が乗って、修飾語が長々しくなるのが鯛の御頭の悪い癖ですが、文章までも長くなるも特徴です。




時期はゴールデンウィークに突入し、校内も長期休暇の予定で盛り上がっていた。

今年は5月1日、2日が平日で、3日から6日までが連休になっている。

普段なら土曜日も授業が組み込まれているのだが、この連休だけは例外になっている。

丁度この時期は部活動も全国大会の予選を控えているため、練習に熱がこもっている。

 

 

部活動に所属していない香澄と泉美は適当に同級生とは話を合わせつつも、本心ではそれほど興味はなかった。

 

魔法科高校はカリキュラムも詰め込まれているが、部活動を熱心にしている方が魔法大学への内申点が良い。全国大会や九校戦で結果を残せば、校内推薦に選ばれる可能性もある。最も、それを目的にしている生徒はどちらかといえば少数で、大半が自分の趣味や勧誘で興味を持った部活動に所属している。

 

「あーあ。雅先輩と遊べるかと思ったら、実家に戻るなんて残念」

「仕方ありませんよ、香澄ちゃん。雅先輩のご実家は京都なのですから、連休でなければゆっくりもできませんもの」

 

泉美は部活動には所属しておらず、今日は生徒会の仕事もないため、香澄と一緒に帰宅する予定だった。泉美も香澄を諫めつつも時間があれば、雅先輩や深雪先輩を誘ってお茶にでも行きたい気持ちは当然あった。

香澄はふてくされたように泉美の前を後ろ向きに歩いた。

 

「危ないですよ、香澄ちゃん」

「誰もいないじゃん」

 

人通りの少ない廊下であったため、香澄はそのまま、器用に後ろ向きで歩いていた。泉美の予想通りというべきか、案の定、廊下の角に差し掛かったところで誰かとぶつかり、肩を支えられた。

 

「あっ」

 

謝罪の言葉を香澄が口にしようと思った瞬間、その言葉は声にならなかった。

 

「余所見は危ないよ、お嬢さん」

 

自分の背後から顔を覗き込むように、美男子が微笑んでいたのだ。

きりりと涼しげな一重の瞳に、すらりとした鼻立ち、緩やかにほほ笑むその顔に香澄は引き込まれていた。

しかも、着ているのは制服ではなく、なぜか緑色の狩衣であり、結い上げた髪には冠もつけている。なにやらふわりと、清廉な香しさも感じる。

呆けたように泉美も香澄もその美貌に魅入られてしまった。

 

高雅(たかまさ)さん、行きましょう」

 

呆れたように金髪の美人、おそらく香澄と泉美にとっては先輩であろう人がその人に声をかけた。

 

「それじゃあ、またね、お嬢さん」

「は、はい」

 

香澄は姿勢を正して、去っていく後姿を見ていた。

 

「綺麗な人……」

「ボク、びっくりしちゃった」

 

香澄も泉美も面食いというわけではない(もちろん、顔が良いに越したことは無い)が、思わずため息がこぼれ、目を奪われるほどの美貌は入学式で先輩である司波深雪を見て以来だった。

ピンと伸びた背筋は凛々しく、歩く姿さえまるで日本画から出てきた貴公子のようだった。

 

「いったい誰だったんだろう?」

「演劇部ではないですよね」

 

二人とも顔を見合わせて、先ほど青年がやって来た先と去って行った先を見ていた。

 

 

「七草姉妹、何してんの?」

 

やや顔の赤い二人に対して、廊下の先から一人の男子生徒がさして興味なさげに尋ねた。

 

「あ、ユキリン」

「誰がユキリンだ。僕は“よしのり”だ」

 

太刀川 由紀(たちかわ よしのり)

古式の名門、太刀川家の養子の三男坊であり、昨年卒業した元図書・古典部部長、【図書の魔女】と呼ばれた行橋祈子の従弟だ。

香澄と同じC組であり、初対面で香澄が彼の名前を「ユキ」と呼び間違えてから、彼女は面白がってユキリンと呼んでいる。本人としてはユキと呼ばれることはまだしも、ユキリンなどとどこぞのアイドルのように呼ばれるのは非常に遺憾だった。

しかしながら、客観的に見ればそのあだ名は似合わないことは無い。

 

彼は男子生徒にしては小柄で華奢な体躯をしており、顔立ちはあどけない可愛さが残っている。ツンツンと尖った態度も猫のようで、可愛らしい顔の造形も相まって一部の年上からは可愛いと称される態度に見える。

 

その彼は、なぜか神職用の浅縹色の袴姿で、両手に柏の枝を抱えている。

 

「その恰好は?」

「図書・古典部の実験用。今から野外演習場で実験するんだよ」

「ひょっとして、さっき通った男の人もその関係者?」

「緑色の着物を着ていらっしゃったのですが、ご存知ですか?」

 

香澄と泉美の問いかけに、嫌そうに由紀は顔を顰めた。

 

「そうだけど、それで?実験でも見たいわけ?」

「よろしいのですか」

 

来いとは由紀は言わなかったが、見たいかと言われれば、もちろん泉美も香澄も見たいに決まっている。二人とも古式魔法への造詣は一般的とは言わないが、入試程度の必要最低限のものしか知らない。あのように美しい男性が参加するとなれば、多少のミーハー心があって当然だろう。

 

「公開実験とまではいかないけど、別に部外者禁止ってわけでもないから別に来てもいいけど」

「素直じゃないね、ユキリン。そこは古典部の雄姿を見に来たまえ、くらい言ってもいいんじゃない?」

 

ニヤニヤと芝居掛かったように笑う香澄に、由紀は益々嫌そうに眉間の皺を増やした。

 

「お前ら、絶対来るな」

「やだねー。ついていくよ」

「チッ」

 

乱暴に早足で歩いていく由紀の後ろを香澄と泉美は顔を見合わせて笑いながら付いていった。

 

 

 

 

 

 

 

第一高校の学校裏には人工林が併設されている。

魔法の訓練だけではなく、軍人や警察官、レスキュー隊員などの進路を希望する生徒のニーズを満たすための体力増強を目的とした施設であり、訓練のために木々の密度や起伏が調整されている。

さらに水路や砂利道、走路や様々な運動用器具も備え付けられており、非魔法競技系の部活動の練習にも用いられている。

 

香澄と泉美は通学用のブーツではなく、野外演習用の安全靴に履き替え、由紀と共にその演習林へと来ていた。二人が履き替えている間に、律儀にも由紀が待っていたのは予想通りのことだった。

 

由紀は草履姿のままであったが、すいすいと両手に荷物を抱えたまま、演習林の奥の方へと進んでいた。小柄な見た目に反して、体は鍛えているようで、多少起伏のある道も難なく進んでいた。

七草姉妹もある程度体力はある方なので、それほど奥でもない人工林の一角に到着するころには、少々体が温まる程度の疲労しかしていなかった。

 

「あら、二人とも見学かしら?」

「深雪先輩!」

「桜井さんも一緒なんだ」

 

見学者の一角には深雪と達也、それと水波の姿もあった。

声をかけられた深雪はにっこりと微笑み、水波は小さく一礼した。

さらにお馴染みというべきか、同じく見学者として美月と幹比古の姿もあった。

本来ならエリカやレオ、ほのかと雫も来るつもりでいたのだが、大会前のため当然のように部活動の練習が入っており、今回は見学に来れない事情があった。

 

「古典部の研究発表と聞きまして、後学のために見学をさせていただくことにしました」

「そうなのね。とても“勉強”になると思うわ」

 

深雪がにっこりと微笑めば、心酔しきった様子で泉美は返事をした。

その様子を見ていた水波と香澄はちらりと視線を合わせ、無言で首を縦に振っていた。

 

二人とも同じクラスではあるが、仲の良い友人というわけでもない。

二人とも達也発案の恒星炉の実験には参加したが、それ以降、特に積極的に話すわけでもなく、かと言って雰囲気が悪いわけでもない。お調子者で活発な香澄と、使用人としての性か大人しく目立たないようにすることが癖になっている水波ではそれも仕方がないだろう。

しかし、この時ばかりは二人とも同意見のようだった。

 

「今日は何の実験なのでしょうか」

「全体説明は鎧塚君からしますが、図書・古典部お蔵入り案件の検証実験って言ったところですね」

 

泉美が深雪に問いかけたところで、図書・古典部部長のマリーと同じく図書・古典部の部員である夏目が見学者の方にやってきた。

 

「それこそ、今まで術式は分かっていても術者がいないから再現できないなんてザラにあったから、埃をかぶっていた研究の掘り出しもしているところなのよ。あ、あとで資料は回収するから、無くしたり、コピーとったりしないように」

 

夏目が達也たち7人に実験の概要が示された紙の資料を手渡した。

A4サイズの紙の両面に文献解析の結果、今回の実験の目的、手法、結果の見込みが記されている。流石に研究論文の全文は乗っておらず、抄録程度の内容であり、あくまで説明のための補助資料といったところだ。

 

「あと、最近出るらしいんですよねぇ」

 

意味深な様子で、マリーは頬に手を添えながら、ため息をついた。

 

「出るってもしかして……」

 

美月が恐る恐る尋ねた。

 

「幽霊ですよ」

 

現代魔法科学では幽霊という存在は定義されていない。

幽鬼や精霊、悪魔の存在は比較的研究が進んでいるが、幽霊(ゴースト)に関しては、概念としてはあるが科学的には実証されていない。

死者の体を使うキョンシーも移動魔法や傀儡の要領で動かしていたり、魔法式にどのように動くか記述されている。定義はされていないが、科学的に観測できないだけであり、存在はしていると論じる研究者もいる。

 

大半は22世紀を前になんとオカルトじみたことかと鼻白んでいる泉美や香澄のような反応が一般的だ。

しかし、案の定、なにか嫌な気配を感じていたのか、美月の顔は青くなった。

 

「なんでも演習林に闇夜に浮かぶ光を見たり、演習中に耳元でささやく声が聞こえたり、誰もいない茂みに枝が絡むわけでもなく裾を引かれたなんてこともあったそうです。当然、噂だって半分笑い話なのですが、最近やけに骨折する人が出てきたようで、墨村先生がついでに祓の舞をしてしまえばいいだろうと今回の実験を提案されたのです」

「気休めだとしても、実力でも、祓えの力はお墨付きでしょう」

「まあ、そうですね」

 

マリーと夏目の言葉を受け、達也は太刀を()いている狩衣の人物に目配せをした。

その人物と達也の視線が合うと、彼はゆっくりと一度瞬きをした後、小さく微笑んだ。

自分に向けられたものではないにも関わらず、香澄も泉美も赤面してしまうような、高貴で美しい表情だった。

 

「司波先輩、お知り合いですか」

 

じとりと、訝し気な視線で香澄が達也を見上げた。雅というものがあろうに、まさか男色の気があるのか、と香澄は感じたのだが、この司波達也という先輩はちょっとやそっとじゃ表情の変化がなく、いつも涼しい顔をしている。例外はもちろん、深雪や雅に関することであるが、今も香澄の邪な考えを分かっているであろうに、不快であるとも、図星であるとも読み取れない。

 

「後で説明する」

 

達也がそう言って前を向いてしまったので、後で説明すると言うのならば、と香澄はひとまず引き下がった。

 

「この場には霊子除けの結界が張ってあるから、悪いものがこちらに飛んでくる可能性はかなり低い。美月も幹比古もあまり心配しすぎる必要はないだろう」

「そうですね。まだ、幽霊だなんて決まったわけではないですよね」

 

達也の言葉に美月は気丈に拳を握りながら、そういった。

 

「たとえ万が一、何かあれば幹比古が守ってくれるさ」

「え、あっ、その、そうだけど、達也!」

「なんだ?」

 

いつもはエリカが幹比古と美月を揶揄う鉄板ネタを達也が言ったことに、幹比古と美月は顔を赤くした。下級生たちは、先輩方はそんな関係なのかとニヤニヤと笑みを浮かべ、深雪は珍しい兄の様子に小さく笑いをこぼした。

 

 

 

 

 

「準備はできたし、んじゃ、始めるぞ」

 

発表者である鎧塚が大きな声を上げた。

 

「新入生は今回、初めて古式魔法を見るってやつもいるだろうから、改めて基礎的な部分について説明する。

古式魔法と一口に言っても、密教系、神道系、真言系等々、流派によって術や作法は異なるが、おおよそ現代魔法100年より以前に使用されていて、デバイス発明以前の魔法を全部ひっくるめて古式魔法と呼ぶことが多い。その中でも儀式魔法は雨ごいや豊作祈願、はたまた戦勝祈願のために用いられ、神前に捧げられるものと、攻撃のために、大掛かりな術を複数の魔法師で分担して行うためのものがある。今回はそれほど大掛かりじゃないから、詠唱なしの歩法によっての術のみだが、詠唱や器楽を併用する場合、魔法を発動する領域を明確に分ける繊細さが必要であり、術者は自分が魔法のどの要素を担当しているのか意識しなければならない」

 

資料を見てくれ、と鎧塚が言ったことで、見学者たちは一斉に渡されていた紙の資料に目を通す。

 

「今回の実験は、古典部のOBが文献を解析まではこぎ着けたが、実践にまで至らなかったケースだ。

研究では、とある信心深い武家の人間が、家に降り注ぐ悪縁を断ち切るための祓いの舞ということと、その術式で用いた歩法についてまで解析されている。今回はその実証実験だ」

 

資料には、とある関東近辺の有数な武家に続いた不幸を祓うために行った舞だと記されている。

 

「文献の記述にある術の作法に則り、祓詞(はらえことば)で場を、神酒で地を既に清めてある。

歩法については、予め陣を描いてからそれに想子を注ぎ込むタイプと、歩を刻み、想子を注ぎながら陣の形成を行うタイプがある。今回は後者のタイプだ。歩法自体馴染みのないやつは、原理としては刻印魔法に近い発想だと思ってくれ」

 

紙の資料には菱菊模様を更に図案化した歩法で刻む陣について、描かれている。

菱菊模様は魔除けと厄除けの意味合いのある図案であり、時期に合わせて衣装にも同じ模様が刻まれており、衣も菖蒲の重ね色になっている。

菖蒲は尚武とかけられ、武家に好まれる図案でもあり、今日の舞台を行う人物の冠にも咲いたばかりであろう菖蒲の花が飾られている。

 

「今回の研究では、術式の発動は歩法がメインだが、刀の持つ切る力を補助するためのものだと伝えられている。

神話の時代から謂れのある刀は存在し、権力の象徴であったり、御神刀として家を守ったり、宝剣として大切にされてきた。だが、刀の本質は切ることにある。人や物だけではなく、悪鬼悪霊、悪縁、病を切ると謂われのある刀もある。

今回の実験も一部の生徒が面白がって広めただろう、悪い噂を断ち切る意味合いもあると思ってくれて構わない」

 

実験場は演習林の一角

春過ぎとは言え木陰はまだ薄ら寒く、10mを超える木々が立ち並び、日の光をさえぎっている。比較的空間のある林の中に設けられた実験場は、見学者と検証者の間は地面から10cmばかり上で杭に留められた注連縄で区切られており、結界の役割を果たしている。

 

「んじゃ、頼むぜ。ここからは、俺らは良いといわれるまで決して声を出すなよ」

 

鎧塚が狩衣の男性に声をかけると、ゆるりと礼をして、清められたといわれる場所に立つ。

狩衣姿の男性が帯刀している太刀を抜く。

きらりと日の光を受けた刀を、正眼に構える。

流麗な舞のようであり、精錬された剣術の型のようであった。

 

男が一歩、一歩踏みしめるたびに、風の精霊が活性しているのが、達也や美月の目には見えていた。精霊を見ることはできなくても、幹比古は精霊の波長を感じており、見学者も一様に息をのみ、その美しい姿に見入っていた。

 

緑色の狩衣の内側は紅梅色となっており、品格がありながらもどことなく色気を感じさせるものであった。

音のない舞台にもかかわらず、まるで風がそれを彩るように、木々の葉を揺らす音が響く。

 

しばらく、見学者たちがその姿に見入っていると、いつの間にか、どこからともなく刃が交わる音がしていた。

空を裂いているはずの刀がなぜか、見えない刀とぶつかるような、金属同士がぶつかる音が響く。

緑が深くなった木々は、激しい風を受けて騒めき、まるで魔物を駆り立てるように、激しく枝がしなる。

風を裂く刀は何時しか、見えない相手を退治するように、勇ましいものへ変わっていく。

 

何もいない、何も見えない、だが、確かに何かそこにいる。

有り得ないと目は訴えるが、魔法師としての感覚がそれを否定する。

 

「(犬…?)」

 

人並み以上に目の良い美月はオーラカットのレンズの向こう側、霊子溢れる景色にぼんやりと二本足で立つかのような巨大な犬の姿を見た。犬は牙や爪で刀を防ぎ、喉元を食いちぎらんばかりに荒々しく口を開ける。

狩衣の男性はそれを冷静にさばき、攻撃を流し、鋭い突きを繰り出す。

彼を味方するように波長を送る精霊も同じく、きっと見えていない生徒には独り相撲のように見えるかもしれない。

だが、そこには確かに化け物と対峙する姿があった。

 

「(あっ…)」

 

美月は声が漏れないように、口をふさいだ。

男性が一刀両断すると、犬のようなものはその姿を保てなくなり、まるで蛍のような光へと変わった。少し日が陰り、オレンジ色に染まる雲に光が昇っていく様は、静かに天に召されるような情景だった。

男性は刀を静かに鞘に納めた。

 

「終わりましたよ」

 

男性がそう言うと、ドッと歓声と拍手に沸いた。

 

「先輩、すごいですね。なんか、よくわからなかったですけど、手に汗握りました」

「古典部ってみんなこんなことができるようになるんですか」

 

一年生部員らしき生徒たちが、鎧塚に興奮気味に聞いている。

初めて見る生徒にしてみれば、華やかさは無くても、初めて見る古式魔法に興味津々だった。

 

「言っとくが、入部したからって、あれができるようになるとは思わないことだな」

「知識と技術を齧ることができても、大半は才能です。できない人は、全くできません。現代魔法に置き換えればできないことはない魔法も、古式魔法の再現とするには力量が足りないってことはよくあることです」

 

マリーが鎧塚の言葉を補足する。今回も文献の解析で終わっていたのは、再現できる人物がその当時部員にいなかったからだ。

古式魔法は体系化された部分もある一方、個人的な技量によるものが大きく左右される。

 

泉美も香澄も拍手を送りながら、感嘆していた。

 

「CADもなく、あれだけ高度な光波振動系魔法が使えるなんて驚きました」

「途中の戦っている様子もすごかったよね。誰かが機械で音出していたんだよね」

 

きょろきょろと七草真由美直伝であろうマルチスコープを使いながら香澄が機械を探すが、どこにも機械は見当たらない。

 

「いや、音声装置などは使ってない。あれも、術の一環だろう」

「一つの刻印で異なる二つの魔法式を発動させることができるんですか」

 

達也の言葉に香澄は質問を続ける。資料に乗せられている歩法のための陣は一つだけ。複数の陣を用いるとは書かれていない。

 

「菱菊模様は菱模様と菊文様の組み合わせだ。それぞれ別の術のために陣を刻み、一つの術が終わると、その次の術が発動するように仕掛けられていた。同じ振動系ならば、それほど難しいことでもないだろう」

「そうなんですか」

 

古式魔法に関しては一般的な知識程度しかない泉美はやや納得しかねる様子で問いかけた。

 

「ああ。ついでに言えば、この大規模な風も精霊を利用した術の一部だ」

「あっ、やっぱりそうだったんですね。狩衣に風系統の精霊が多く集まっていたので、香を焚きしめてあるんですよね」

「特に実験には必要ないことだっただろうが、演出の一環だろう」

 

美月は始まる前から、菱菊模様の狩衣自体に精霊魔法が掛かりやすいようにしてあるかと思ったが、かすかに風に乗ってきた香に精霊が引き寄せられているのが見えていた。

 

「ちょっと待ってください、司波先輩。じゃあ、あの人は振動系の術を二つ使いながら、尚且つ精霊魔法も使っていたということですか?

CADもなしに?」

「そんなに驚くことか?」

 

香澄の驚き様に、今度は達也が首を傾げる。

なにせ、魔法発動におけるCADの使用の有無は、発動速度において天と地ほども変わる。さらにそれを複数の術式ですることは、相当魔法力が高くなければ難しい。

第三研究所と第七研究所出身の家系である二人からすれば、多重魔法発動は困難な事ではないが、それをCADなしで行えと言われたら当然無理だと断言できる。

例えるならば一般人がスキューバダイビングをしなければ潜れない深さと時間を、素潜りでやっているようなものだ。歩法や香の補助があるとはいえ、気休め程度のものでしかなく、あくまで術者本人の力量が物を言う。

 

「そっか。普通は凄いことだよね」

「雅さんだから、私たちもつい納得してしまいました」

「雅先輩?」

 

泉美も香澄も今日は雅の姿を見ていない。図書・古典部の所属と聞いているが、記録や会場の手伝いもしていないようだった。神楽の稽古があると聞いているので、部活よりそちらを優先したのかもしれないと二人は考えていた。

 

「今、鎧塚先輩と話しているのが、雅だ」

 

二人は揃って狩衣の男性と達也を見比べた。

 

「司波先輩、冗談はよしてくださいよ。どこからどう見ても、大学生ぐらいの男性じゃないですか」

 

面白くない冗談だと、香澄は鼻で笑った。

 

「振動系魔法で声帯の振動数を下げれば、女性も男性のような声が出せるそうだ。身長も10cm以上高いだろうが、靴で何とでも調整はできる。あとは化粧でどうとでも、顔は変えられる」

「本当に、雅先輩……?」

 

信じられないものを見るかのように、香澄と泉美は男性にしか見えない雅を凝視した。

九重神楽のすごさ、素晴らしさは耳にする機会があっても、実際どれほどのものなのか、香澄と泉美はその片鱗を見た気がした。変装の達人なら七草の家人にもいるが、ここまで美しく仕立てる人物は知らない。

驚愕の瞳で二人が雅を見ていると、茶目っ気たっぷりに雅は内緒だよと言わんばかりに口元に立てた人差し指を持っていき、片眼を瞑った。

 

「はうっ」

「泉美!?」

 

キューピッドに心臓を打ち抜かれ、恋する乙女のように泉美は胸を押さえた。アリだと思った自分は悪くない。悪いのは美しい雅先輩だと、泉美は赤い顔で恨めしそうに雅を睨み付けた。

 

「お姉様の人誑し」

 

不服そうに深雪が呟くのもいつものことだった。

 

 

「深雪先輩、九重神楽って実際どんな感じなの?」

 

香澄はミーハーな片割れを放置し、深雪に問いかけた。

 

「そうね。古式魔法の至高、現代に神代の美を伝え、まるで神様が舞うようだと言われているわ。一観覧者としてならば、天上の美を凝縮して、幸福と慈愛の瞳に祈りを乗せて、どんな画家にも描けない極彩色の世界で、ただ優雅に悠然と、立つ姿だけで打ち震えるほど素晴らしいのよ」

「へえ。司波先輩もそれで雅先輩に惚れたんですか?説明してくださるんですよね」

 

ニヤニヤと茶化すつもりが見え見えの香澄は、揚げ足は取っていると達也に問いかけた。昨年、散々先輩方から雅との関係を突かれた達也にしてみれば、香澄の質問は随分と可愛いものに思えた。

 

「そうだな……“天津風”と言ったところか」

 

今日の姿を見てか、かつて桜姫と呼ばれた姿を思い出してか、達也はすんなりとその言葉が出てきた。

 

「あまつかぜ?」

 

疑問符を浮かべる者が多い中、達也たちの前に資料を集めに来た夏目だけは何とも言えない、渋い顔をしていた。

 

「夏目先輩、資料の回収ですか?」

「そうだけど、いや、司波君が意外とロマンチストというか、その言い回しを使うことに驚いただけ。まあ、時期は違うけど九重さんには合いすぎた内容だし、ちゃんと本人の目の前で言ってあげなさいよ」

 

夏目がわかる内容ならば、当然、雅もこの言葉の意味を理解する。流石に本人にきちんと言えと言われれば、照れくさい部分もあるが、傍から達也を見ている者たちにはそれは一切読み取れない。

 

 

 

その話題にされている雅はと言えば、鎧塚と墨村教授と話しているようだが、話を聞いていた鎧塚と墨村の表情が一気に曇った。

 

「はい!撤収。神酒と塩撒いて帰るぞ」

 

鎧塚は両手を打ち鳴らして、部員たちに指示を出す。

 

「えー。もうですか」

「もっと見たいです」

 

文句を垂れる新入部員を鎧塚は剣術部で鍛えた肺活量で一喝する。

 

「詳しい解説は部室でもう一回するから、一度戻るぞ」

 

怒気を一瞬孕んだ声に、新入生はすぐさま大人しくなった。

不測の事態が起きたのか、墨村教諭も眉間に皺を寄せている。

 

「と、言うわけで、解散になったから、貴方たちはここまでね。また、実験の機会があればよろしくね」

「はい、ありがとうございました」

 

資料を夏目に返し、見学者一行は、演習林を後にした。

 




続きます。
次回はイチャイチャというか、この話の核心的な部分に触れます。


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後編

私はこのシーンを書くために、この話を作ったといっても過言ではない話です。
ですが、当初の予定より砂糖加重積載です。
これもそれも、世間の荒波にもまれている鯛の御頭に、皆さんが砂糖水のごとく感想をくれるからです。

中々報われないものがあっても、認められないことがあっても、褒められないことがあっても、私はここに救われています。
ありがとう。





先日の土曜日に行われた十三束君と七宝君の試合は、予想通りというか十三束君の圧勝だった。達也と深雪が生徒会として立会人になっており、試合の様子を教えてくれた。

 

七宝家のお家芸であるミリオン・エッジも、紙が体に当たる前に十三束君が身に纏っている想子の鎧――接触型の術式解体――で魔法式を解体され、ただの紙切れにしかならなかった。

そのあとは、十三束君が一撃で七宝君を沈めると、十三束君は達也に試合を持ち掛けたらしい。七宝に実力者同士の戦いを見せてほしい、と十三束君が達也にお願いしたそうだ。二人の試合は白熱し、特に近接戦闘を含めた魔法の応酬は手に汗握るものだったと深雪が興奮気味に語っていた。

結果として達也が勝利したが、間違いなく強敵だったと達也自身も語っていた。

 

七宝君が上級生の実力に触発されて、自分の器の小ささを思い知って大人しくなってくれればいいが、昨日の今日では流石にその変化はすぐには見えてこない。

ひと月後には九校戦のメンバーの選定も控えており、彼は間違いなく実力はあるので選手に選ばれるだろうから、それまでに落ち着いてくれれば部活連としても助かる。

 

 

 

演習林で鎧塚先輩の研究発表に携わった後、部活は閉門時間までに終了し、解散となった。その後は特に伯父の元での体術の稽古や、神楽の稽古もなかったので、まっすぐ司波家に戻った。基本的に帰りが遅くなる場合は、迷惑をかけないように自宅として登録しているマンションに帰宅するようにしている。

 

司波家で今回の古典部の研究発表を話題にしながら、夕食を終え、シャワーで体を清めた後、地下の作業部屋で、いつも通り週に1度のCAD調整を行っていた。

衣服が少ない分、より正確に調整できるとはいえ、下着姿で調整台に乗りサイオン等の計測するのは、例え達也はモニターを向いていて直接体を見られていないにしても、慣れるものではないし、緊張してしまう。

 

しかも、目立つようなものでもないが、私の体や腕にはいくつか傷跡が残っている。神楽の稽古で失敗をした時のものだったり、武術、剣術の訓練でできたりしたものだ。

九重に生まれ、さらに四楓院としての名をもらった以上、そのことに後悔はしていないが、深雪のように傷一つない玉のような肌に憧れるのは仕方がないかもしれない。醜いと思われていなければいいが、あいにく達也の本心まで見えるほど私の目は優れていない。

 

測定が終われば、私は重い溜息を吐き出さないようにして、浴衣を羽織る。達也は私が着替え終わるまで振り返ることは無いが、年頃の男女がこのような状況で何もないとは枯れていると世間的には言われるかもしれない。

 

尤も、何かあっても私も困るのだが、魅力的に見えないのだろうかと時折心配になる。浴衣をはだけさせたまま、後ろから抱き着いてみようかと一瞬(よこしま)な考えが浮かび上がったが、すぐさま理性がはしたないと歯止めをかける。その一方で、『お姉様まで奥手でどうしますか!』と頭の中で深雪が叱咤したので、いつもよりほんの少しだけ緩めに胸元を合わせ、帯を締めた。

 

 

 

達也が出してくれていた予備のスツールに座り、達也の隣で調整している画面を見る。膨大な数字とアルファベットの羅列にしか見えない生のデータから、私の状態に合わせて達也はCADを最適化していく。

ちらりと盗み見た横顔は真剣なもので、私の羞恥心なんてまるでお構いなしだった。心臓の音や脈を診てみればわかるかもしれないが、作業をしている傍らそんなこともできず、私はモニターを見つめた。

 

測定の値は、1年近く達也が調整してきたのを傍らで見ていたので、悪くない結果だということは私にも分かる。むしろ神事に関わった後の方が、魔法力は消耗しているはずなのに、良い結果が出ることが多い。

達也も気分的なものだろうと納得していないにせよ理由付けはしているが、その真実を語るだけの覚悟が今の私にはできていなかった。

 

「そういえば、舞い終わった後、鎧塚先輩と墨村教諭と何を話していたんだ?」

 

ふと、達也が作業の手を止めずに、質問した。

 

「噂は(あなが)ち間違いではなかった、って言ったところね」

 

一瞬だけ、キーボードを叩くスピードが遅くなったものの、達也はそのまま調整を続けた。

 

「犬か?」

「達也にも見えていたの?」

「いや、美月が巨大な犬を見たと言っていた」

 

やはり美月の目は凄いと改めて思う。その目は望む、望まないに関わらず多くのものが見えてしまう。きっと苦労をしてきたことも多いだろうが、特に古式の家からすれば喉から手が出るほど魅力的な目だろう。

今は美月自身が目立つようなことがないから安全に過ごせているのだろうが、もし広く古式の家々に露見すれば穏やかな学生生活は送れなかっただろう。

 

「正確には犬は犬でも、犬神の失敗作といったところかしら」

「犬神って、あの犬神か?」

「ええ。術自体完全なものじゃなかったのが、幸いだったわね」

 

犬神とは、犬の神様ではなく、呪術の一種だ。

犬を首だけを土の上に出した状態で生き埋めにして、目の前に食べ物を置き、餓死する直前で首を刎ね、その首を辻道に埋める。人々がそれを知らず知らずに踏んでいると、やがて怨念を増した霊となり、それを呪物とする蠱術の一種だ。

犬の首を用意するのは学校以外でも構わないので、首だけ埋めるなら短時間の作業で済む。校内と違い、演習林は隠しカメラもなく、さらに人がいても一定の場所に長時間留まることはないので、人目につかずに作業ができただろう。

 

「まさか、昨年の九校戦のように、外部の誰かが埋め込んだのか?」

「いいえ。大方あそこの演習林を使う部活動や生徒を恨む人物がこっそり埋めたもの、という見方が強いわ。術のやり方は図書館かインターネットで簡単に調べられるからね。首の方は念のために辺り一帯を消毒して、然るべき施設に埋葬されるそうよ」

「内部犯となれば、犯人の目星はついているのか?」

「詳しくは調査中ね。ただ、場所が悪いのよね」

 

一高の土地神様は狼の姿をしている。

犬は眷属も等しい存在だ。

犬を用いた呪術は、仕掛けた本人が意図したにせよ、せざるにせよ確実に怒りを買っていた。

私が滅却してしまったので、埋めた本人には呪い返しというほどのものは降りかからないだろうが、確実に土地神様は実行犯の正体をつかんでいるだろうから、しばらくは不幸が続くことだろう。

 

「人を呪わば穴二つ、だろう」

「そうね」

 

問えばその正体を教えてくださるだろうが、私もわざわざ意図的に呪いを持ち込んだ生徒を助けるほど慈善家ではない。

 

 

 

 

いつも通り、素晴らしい速さで調整されたブレスレットタイプのCADを左腕に装着し、待機状態にする。

 

「どうだ?」

「問題ないわ。いつも通り最高の仕上がりよ」

 

特殊なものでなければ自分でもCADの調整はできるが、やはり達也の調整の方が自分には合っている気がする。魔法の発動にタイムラグや違和感なく、CADにアクセスしたときの反応も良い。

世界最高の魔工師との呼び声も高いトーラス・シルバーの片割れに毎回調整してもらえるなんて、確かに測定に多少の羞恥心があることも贅沢な悩みかもしれない。

 

「里帰りは6日までで戻ってくるんだよな」

 

明日は学校が終われば、そのまま京都行きのリニアに乗り、実家に戻る予定になっている。5月6日は私の誕生日だが、昨年は四楓院の一員として認められるための儀式があったし、今年は当然のように神楽の稽古だ。夏祓に向けた稽古で、みっちりとした練習と、合間にも神職としてのお勤めが待っている。

 

「6日も午前中だけ稽古をして、リニアで戻ってくる予定よ。ただ去年に続き、今年も一緒に過ごせないのは達也があんまりだろう、ですって」

 

流石に疲労も溜まるだろうということと、気を利かせた兄が口添えしてくれたので、午後にはこちらに戻ってくることができることになった。

 

「それなら、雅の誕生日、残りの時間を俺にくれないか」

 

少し期待はしていたが、いざ誘ってもらえるとなると、足元からふわふわと浮き上がりそうなほど嬉しい。達也とのデートが待っているなら、実家でのどんな厳しい指導にも耐えられる気がした。

 

「喜んで」

「どこか行きたい場所はあるか?」

 

ショッピングでもと思ったが、当日既に体力を使っているだろうから、歩き回るようなものは避けた方が無難だろう。遠出もできないだろうから、場所は都内か近郊がいい。

 

「プラネタリウムって、どうかな?」

 

たしか横浜の有名なプラネタリウムがリニューアルしたとニュースで報道されていた気がする。

博物館や科学館に設置されているのではなく、施設自体はショッピングや映画館などの複合施設なので、終わった後もしばらくは色々見て回ることができるだろう。私の提案に達也は二つ返事で、了承した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして迎えた5月6日。

 

衣装合わせと、軽めの稽古を終え、昼食もそこそこにして、私は東京行きのリニアに飛び乗った。着替えやお土産などの嵩張る荷物は宅配サービスで配送してもらうので、ハンドバック一つで事足りていた。

目に見えて浮足立っていたようで、当然兄たちからは揶揄われたが、上の兄も新婚でお熱い様子だし、下の兄も星巡りが見つかったとかで、二人とも人のことを言えない。

 

今日の服装は白いシフォン生地の膝丈フレアワンピースと紺のカーディガン、靴は歩きやすさ重視のウェッジソールにしている。

母と義姉から可愛いとお墨付きを貰えたので、大丈夫だろう。

 

横浜で降りて、そこからはキャビネットで待ち合わせ場所へと向かう。

改札を降りると、初夏の眩しい日差しに目を細める。春から夏に向け、街路樹も緑が徐々に濃くなっている。五十年前ほどに起きた寒冷化の影響もあり、日差しはあるものの、風は穏やかで爽やかな空気が流れている。

大亜連合が引き起こした横浜事変で一時は足が遠退いていた横浜だが、その後迅速に復旧作業が行われ、かつての賑わいを取り戻している。

 

「ごめんなさい、待ったかしら」

 

待ち合わせ時間より数分早めに到着したが、改札を出たところで達也が待っていた。

黒のジャケットと、白のシャツに襟ぐりが深めのブルーグレーの薄手のニットベスト。身長があるのと、姿勢がいいのもあってよく似合っている。達也はシンプルな着こなしが多いので、カフスボタンとか、落ち着いたデザインのラペルピンでもあると映えるだろうと今日の服装を見ながらふと思った。今日のショッピングのルートに入れてもいいかもしれない。

 

「いや。それほど待っていない。雅こそ、連日稽古だったんだろう。疲れていないか?」

「今日のためを思ったら、なんだって平気だったわ」

 

朝は6時から境内の掃除と朝拝があり、昼は神楽の稽古、夕拝ののち、再び稽古と学校の課題を仕上げるという密度の濃い日々だった。

京都に戻っての三日間、稽古は体力の限界まで舞うことの繰り返しで、何度となく意識がない時もあった。いつにもまして難易度の高い術に挫けそうだったが、それでも何とか及第点を貰えるまでに成長したことは救いだった。少なくともこれから2か月間でどこまででできるか、自分の限界を伸ばすための挑戦になる。

連日の疲れが顔に出ていなければいいが、今日はそれほど歩き回る予定でもないので、大丈夫だろう。

 

「それじゃあ、行こうか」

 

自然と伸ばされた手に、頬が緩んだ。

達也の手を取り、目的の施設の方へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

施設内の最上階、ドーム型のプラネタリウムは国内でも有数の規模を誇る。

 

リニューアルされたとあって観覧に来た人は多かったが、予約をしていたことと、達也は優待チケットを持ってきていたことで待ち時間なく入ることができた。チケットの出所はというと、この施設自体、フォーリーブステクノロジーが一部協賛していたようで、その関係者に配られるものだった。

 

なんでも、達也が牛山さんに連休中の予定を根掘り葉掘り聞かれた際に、ここに行くことを答えたら、任せろと言って取ってきたらしい。ここの協賛自体、CADの研究開発に関わる第三課とは別部署の管轄だったが、そこは業績を上げている牛山さんのゴリ押しで通ったそうだ。持ってきてもらった以上、有り難く使わせてもらうことにした。

 

「プラネタリウムって小学校以来かな」

「俺もそうだな」

 

理科の学習の一環で見たことはあるが、個人的に来ることは初めてだった。プラネタリウムは、宇宙の成り立ちと夏の星座にまつわる神話がメインのプログラムになっていた。

 

近年の宇宙開発の分野は、寒冷化と第三次世界大戦の影響もあり、一時停滞していた時期もあるが、魔法研究とも歩調をとり、太陽光エネルギーを軸としたエネルギー研究や、特に放射性物質の研究の分野での発展が著しい。実際、クルーの一員として魔法師は宇宙に上がり、宇宙ステーションにおける放射線被曝量の軽減や無重力状態での重力魔法の研究などにも取り組まれている。

 

国際宇宙ステーションのように、各国が協力して研究を行っている施設もある一方、宇宙での魔法研究の部分では各国が独自に行っている現状がある。魔法は未知の部分が多く事故の可能性が排除できないことに加え、魔法の研究開発はどうしても軍事面から国家間の争いにもなるため、共同歩調がとりにくいからだ。

今回は近年の宇宙の研究開発のというより、どちらかと言えば娯楽向けの上映内容となっている。

 

 

 

最新の映像技術を使い、臨場感のある立体的な天体が映し出される。

最初はビックバンからの宇宙の誕生について説明が行われる。

モニターだけではなく、空中にも映写されたり、足元にも宇宙の映像が映し出されるなど、とても迫力のある演出になっていた。

 

 

星座と神話については、夏の大三角と言われる、わし座、こと座、白鳥座のことから話が始まっていく。

こと座はオリュンポス十二神の一角、アポロンが息子のオルフェウスに渡した琴がモチーフになっている。

琴の名手、オルフェウスは結婚したばかりの妻、エウリデュケを毒蛇に噛まれて亡くしてしまう。嘆き悲しんだオルフェウスは冥界まで降り、冥界の神ハデスに琴を弾きながら、エウリデュケを返してくれるように懇願する。琴の音に感動したハデスは、冥界を出るまでの間、決して振り返ってはいけないという条件を付けたが、オルフェウスはそれを破ってしまう。エウリデュケはそのまま冥界に連れ戻され、オルフェウスは川に身を投げて死んだ。その時に流れた琴をゼウスが拾い上げ、空に上げて星座にしたとされている。

こと座の一等星、ベガは織姫星とされており、七夕伝説の元になっていることも説明されていた。

 

面白いことに、各地に残る神話や迷信には共通性が見られることがある。

この話も、日本神話に登場する黄泉平坂を通り黄泉の国へ伊弉冉(イザナミ)様を迎えに行く伊弉諾(いざなぎ)様の話と似ている。

また、ギリシャ神話にも死した人は船に乗り川を渡るため、コインを渡し守に渡すという言い伝えがあるが、仏教でも三途の川の運賃として六文銭を持たせるという話がある。

流石にそこまでの説明はなかったが、人工的な星空の雄大な景色に疲れも自然と抜け落ちていくようだった。

 

 

 

夕食を近くのレストランで終え、私と達也は施設に併設された観覧車に乗っていた。

 

施設の目玉でもある観覧車は一周およそ15分、関東でも有数の大きさを誇る。直径100mを超える観覧車からは、昼は水平線の彼方、夜は都会の暗闇を照らす色とりどりのイルミネーションが見られるとあって人気のスポットとなっている。連休最終日のこの時間帯は並ぶほどでもないが、恋人同士で来ている人が多かった。

 

4人乗りのゴンドラに、私と達也は向かい合って座っていた。ゴンドラにはめ込まれたアクリルガラスは、他のゴンドラから中の様子が見えにくい加工がされており、それも人気の一つになっていた。

 

「今日はありがとう。楽しかったわ」

「戻ってきた当日だが、疲れてないか?」

「大丈夫。楽しかったから、あっという間だったわ」

 

プラネタリウムもそうだったが、楽しい時間は自分が感じている時間以上に早く過ぎてしまう。

 

「神楽の稽古で連日大変だったんだろう」

「夏の大祓は『風神雷神』の演目が控えているし、来春までに鳳凰まで舞えるようになるのが目標かな」

「雷神役か?」

「ええ。風神は梅木の叔父様の予定よ」

 

九重神楽で二人で舞台に上がるとなれば、魔法のコントロールはいつも以上に精度の高いものが求められる。

風神を演じる叔父は、父の弟であり、【嵐】の名前を頂いている。荒事の舞に関しては卓越した技術と才能を持っており、40代後半なのに衰えを全く知らない。

 

神楽も魔法を使わないものならば、60代を過ぎても舞うことはできる。

しかし、九重神楽は体力と高い魔法力が求められるものであり、年齢が上がるにつれ、引退をして楽師に転向する者も少なくない。その中で現役を続ける叔父は、規格外と言えた。

 

「随分と豪勢な舞台だな」

「それだけ今年は厄が大きいみたい」

 

千里眼が見通した未来では、今年中に京都に大きな厄が来るとされている。それを防ぐためのものであり、結界のような役割も果たしている。

今年は論文コンペが魔法協会本部のある京都で開催なので、もしかしてそれに合わせて昨年のようなことが起きないとは限らない。

どのような厄なのか、私には知らされていないが、防げる部分は兄たちが秘密裏に手をまわしているだろう。

 

「ひとまず、何か起こるにしても7月以降だから、それまでは国内も静かだそうよ」

「あの九島が考えているアレも、次の九校戦で出てくるなら静かにもしていられないだろうな」

 

達也が言わんとしているのは、九校戦でパラサイトを使ったヒューマノイドのことだ。リーナが態々海を越えて追いかけてきたパラサイトは、最終的に達也たちの手により大方は破壊され、一部は四葉と九島の手に渡った。

中でも九島家はパラサイトの戦闘力に着目し、魔法師に代わる兵器として利用しようと考えている。その実証実験に九校戦を充てることにしているそうだが、日本の高校生相手に兵器の性能実験なんて、はっきり言って本末転倒な気がする。

 

 

「荒っぽい話はこれで終わりにしよう。せっかくの誕生日なんだ」

 

達也の方から、これ以上は不要だと話を切った。

今日は私の誕生日。

世間の裏にある荒事については、ひとまずお休みだ。

 

達也がジャケットのポケットから取り出したのは、紺色のリングケースだった。レザーに金の刺繍の入ったシックなデザインのものであり、サイズは比較的小ぶりのものだった。

指輪のケースに一瞬ドキリとするが、ケースを開けて中に納められていたのはクラウンをモチーフにした華奢な作りのピンキーリングだった。

ちょっとだけ期待した自分と安心した自分がいる。

 

「まだ薬指には嵌めてやれないのが、口惜しいな」

「えっ」

 

私の心を読んだかのようだったが、それ以上にプロポーズを匂わせる言葉に心臓が高鳴る。

達也は私の左手を取ると、リングを小指に嵌める。

サイズの確認はされていないが、当然のようにピッタリだった。

 

「可愛い……」

「気に入ってもらえたのなら、なによりだ」

 

指輪に視線を落としながら、本当は達也の顔を見られないくらい恥ずかしい。普段から達也は素っ気ないわけでもないし、全く私に触れないこともないが、こうもさらりと恋人らしく扱われると照れてしまう。

顔が熱い。耳まで赤くなっていないか、心配になる。

本当にズルい。

惚れた方が負けだなんてよく言うけれど、敵いっこないと思い知らされる。

 

 

 

ゴンドラは静かに頂上付近へと向かっている。

建物が徐々に小さくなり、イルミネーションが暗闇に散る宝石のように輝いて見える。

向かい合わせに座っていた達也が静かに席を立ち、私の隣に座る。

 

 

「雅……」

 

甘く深く、囁くような声で私の名前を呼ぶ。

脳髄まで痺れるようで、お酒は一滴も飲んでいないのに私の頭は酩酊したようだった。

私の右手に達也の大きな手が覆うようにして重なり、絡められた指が優しく私を捕らえる。

視線が交わる。

時が止まったように、私は目を逸らせない。

空いた手で私の髪を梳き、頬に手が添えられる。

この観覧車がいくら他から見えにくいとはいえ、こんな場所でと理性がブレーキをかける。

しかし、私の体は私のものではないかのように自由にならず、ゆっくりと近づく達也に私は目を閉じるしかない。

 

 

あと少し、呼吸が聞こえるような距離に私は達也のシャツを握りしめる。

唇が触れるか触れないかの距離で、突如として、観覧車の明かりが消える。慌てて目を開けると、他のゴンドラも明かりが消えているようで、観覧車全体が暗くなっていた。

 

「停電?」

 

こんな時になんでと思う反面、安堵してしまった。

まだ心臓がうるさい。

達也の顔が不満そうに見えたのは、私の願望であってほしい。

 

 

『お客様にお知らせいたします。ただいま、当観覧車は停電のため、運転を一時見合わせております。安全のため、しばらくそのままでお待ちください』

 

 

 

観覧車の中は非常用の明かりが足元を照らす程度で、地上からの距離もあるため薄暗い。幸い風もなく、ゴンドラが揺れるようなこともないが、どことなく不安になるのは仕方ないだろう。

 

「見たところ、電気系統の故障が原因のようだ。しばらく待てば復旧するだろう」

 

達也は精霊の目で確認したのだろう。どうやら大きな事故や危険はないようなので、ほっと肩をなでおろす。

 

達也の魔法ならばこの位置からでも電気系統の故障なら直せるだろうが、いきなりそんなことが起きても怪しまれる。静かに待っておくことの方が賢いだろう。

 

なんだか、先ほどのことで一気に疲れた。

私は達也の肩に頭を乗せる。

重ねられた少し体温の低い達也の手が心地よい。

 

どんな縁が私たちを導くに至ったのか、曾御婆さまは教えてくださらない。例え達也との関係が名前だけの仮初であったとしても、私は今が幸福だとはっきりと言える。

きっと憧れることも、ありもしない仮定を望むことも、これから先、何度となく繰り返すだろう。

報われない恋だと、人は言う。

それでもいいと、それでも愛そうと思った。

達也以外の隣に立つ自分も、達也以外を想う未来も、私には想像できなかった。

達也には重い荷物にしかならないだろうこの感情も、想うことを許してくれるだけで私は救われている。

そう思わせてくれた。

それだけで、今日は満足だ。

 

 

 

 

「“昔は物を思はざりけり”」

 

 

静かな観覧車の中、ぽつりと達也がそう呟いた。

 

「え……?」

「上の句は言わなくてもわかるだろう」

 

ふわりと優しく笑う達也に、私は言葉がすぐに出てこなかった。

 

「………ねえ達也、私、自惚れてしまうのだけれど」

 

かすれそうな声で私は問い直す。

もしかしてと願う気持ちに、何度そう願って涙を流したのだと、過去の自分が歯止めをかける。

だって、達也は恋をすることも、深雪以外を本当の意味で愛することもできない。そんなこと、ずっと昔にわかりきったことで、心の底から望んでも手に入らないものだと知っている。その魔法は達也を四葉に縛る鎖で、私を苦しめる杭のようでなもので、深雪を守るための何よりも堅牢な盾のはずだ。

 

 

「自惚れではないよ」

 

達也が首を振る。

 

「俺に残された本物の感情は兄妹愛。唯一、情を抱くのは深雪への兄妹愛だけのはずだったんだ。雅も確かに大切にしたいと思いたいと思っていた。けど、そうじゃないんだ」

 

達也は一つ一つの言葉を噛みしめるように語る。

 

「雅への思いは少なくとも友人でも家族でもない。ただ一人、雅だけに抱く感情だ。それをどう表現すべきなのか、なかなか答えが出なかった。

いや、気が付かないふりを無意識にしていたのかな」

 

瞳に、仕草に、吐息に、笑顔に、言葉はなくとも愛とはそこに存在している。何より愛しいと心が叫んでいる。

そう気づいたのはいつの時だろうか。

積もり積もった年月。白紙化された激情のその場所に名前の無かった感情が淡く色が付きだした。

 

「雅」

 

この恋にもう泣くことはしないと誓っていた。

それでも、私の目からは涙が止まることがなかった。

だって、こんな幸せなことが、こんな奇跡のようなことが、あっていいのだろうか。

 

「泣かせるつもりはなかったんだが……」

 

達也は困ったように笑い、私の頬を両手で包む。

一生叶わない願いだと思っていた。

一生叶う事の無い想いだと思っていた。

 

「俺は何度、雅を傷つけたのか分からない。まだ足場も定まっていないし、深雪より優先することはできない。それでも、俺といてくれるか」

「はい」

 

長い冬は終わり、芽吹きの春が訪れた。

蕾はようやく、花を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静かな夜。

星と月だけの明るさで、縁側に腰を掛けた青年は月見酒を楽しむ。

赤漆の盃には月が浮かび、それを青年は飲み干す。

 

「“稲妻”と言うように、雷は稲に実を付けるという信仰があった。

また“(イカズチ)”は“(いか)()”に由来し、昔は鬼や蛇など恐ろしいものを示す言葉で、自然現象の中でも特に神との関わりが強いカミナリを表すようなった。

つまり、“雷”は文字通り“神鳴り”であり、豊穣の化身と言う考えがあるんだ」

 

青年が独り言のように呟く。

傍らで月を見上げる少女はよくわからないと言いたげに首を傾げる。

 

「実り豊かになること。達也の感情が雅との関わりによって活性化されたとしても可笑しくはないことだよ。まあ、結局どう裏付けをしたとしても言えるのはね、愛の力は偉大だということだよ」

「愛?」

 

青年の言葉に少女は問う。

不確かで時に不誠実で、普遍的で、傲慢で、幸福で、心が満たされるもの。

 

「そう。愛だよ」

 

青年は緩やかに目を細めて笑う。

 

「君も愛されて生まれてきたんだ、輝夜姫」

 

 




前編後編の作中で、達也が意味していた『天津風』と『昔は物を思わざりけり』、タイトルである『恋ぞ積りて』について
天津風(あまつかぜ) 雲の通ひ路(かよひじ) 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ
・逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり
筑波嶺(つくばね)の 峰より落つる 男女川(みなのがは) 恋ぞつもりて (ふち)となりぬる

内容については、ぜひ調べてニヨニヨしてください。次回、答え合わせというか、個人的な解釈をします。
自分で書いていて、可笑しなことですが、心を持たない(正確には激情を持てない)達也が昔はものを思はざりけり、とは感慨深いですねえ
そういえば、この小説を書きだしたのは丁度、超訳百人一首と明言している『うた恋』に触発されてのものでした。
31字のラブレターに込められた思いがどれだけ深かったのか、勉強になります。
ちなみに恋とは元々、目に見えない対象を求める(乞う)ものだそうです。
あとこれは、正しいのかわからりませんが、恋とは()しいと()しいと言う心(戀:旧字体)なのだそうです。



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スティープルチェース編
スティープルチェース編1


ギリギリ9月中の更新に間に合いました。

忙しいというわけではなかったのですが、猫を飼い始めました。
3か月の子猫です。
遊んで(=゚ω゚)ノ構って(=゚ω゚)ノ とじゃれてきます。
かわいいなあ、畜生(モフモフモフ)




達也が雅に告白したとはいえ、二人の関係が大きく変わるということは無い。二人の関係の名前は相変わらず、婚約者であり、同じ学校に通う同級生であり、司波家に住む同居人だ。

 

夕食の後、達也は雅を部屋に招いていた。デカフェのコーヒーを片手に、その日あったことや、時期が近付いてきた期末テストや九校戦の話、魔法理論に関する話など話題は尽きることがない。

 

変わったことと言えば、達也は雅に触れることを厭わなくなった。

慰めでもなく、哀れみでもなく、ただそこに伴う感情を探すように達也は雅の手に触れる。

武術訓練や神楽の稽古でできてしまった肉刺(まめ)や傷があっても、柔らかく女性的な細さのある雅の手は美しい。本人は気にしているが、努力の証がそこにはある。その手が作り出すものは何時も温かく、気品に溢れている。

 

掌を合わせ、指を絡める。達也より少し高い体温の手が心地よい。

 

「なあに?」

「なんでもないよ」

 

くすぐったそうにクスクスと笑う雅に、達也は握る力を少し強くする。

 

もう一つ、変わったことと言えば、以前にも増して雅は綺麗に笑うようになったと達也は思う。

 

惚れた欲目もあるだろうが、雅の曇りのない笑みに自分の出した答えに間違いがなかったと達也は安堵する。手に入らないと思っていた、否、想ってはいけないと理性で歯止めをかけていた感情を素直に認めてしまえば、気恥ずかしさは伴うものの、ひどく落ち着く自分がいた。

 

達也にとって世界は深雪がいれば、十分だと思っていた。

それは自身に掛けられた魔法がそう思わせていたが、それだけでは世界は成り立たない。

無条件に泉のように与えられる雅からの愛情は、雪を解かすように、雪解けの水が大地に染み込むように、達也の感情を少しずつ満たしていた。

きっと、この感情を幸福と呼ぶのだろう。

自分にもそんな感情が持てることに驚きつつも、待ち構えている障害に決して浮かれてはいられなかった。

 

達也に掛けられた魔法が完全に無効化されたわけではない。

そして、この感情の変化を四葉には悟られてはいけない。

達也の激情が封じられているのは、深雪を守るためであるのと同時にその力を暴走させないためである。

 

どんな傷も瞬時に復元してしまう『再成』。

どんな物質でも意のままにバラバラにしてしまう『分解』。

 

この二つの魔法を先天的に備えた達也は、四葉の中でも異質な存在だった。味方の内は良いだろうが、それが敵対するとなれば“触れてはならないもの(アンタッチャブル)”と忌避される四葉一族の魔法師といえどその差は歴然としている。

今でこそ深雪のガーディアンとしての立場があるが、それも見方を変えれば自分を四葉に縛り付けるための枷の一つだ。

 

四葉に使われる魔法師に成り下がるつもりはない。自分や深雪に利益がある任務としてそれを行うことは構わないが、体のいい駒になるつもりはない。自分の立場に絶望し、思考を止めている暇はない。

 

トーラス・シルバーという魔法工学技師の地位。

大黒竜也という戦略級魔法師としての地位。

それだけではまだ足りない。

深雪を守るためにも、雅と共に歩むためにも、達也にはやるべきことが多くある。そのための、足場固めが必要だった。

 

「達也?」

 

雅は首を傾げる。雅の瞳に映る自分は少し硬い顔をしていた。

 

「すまない、少し考え事をしていた」

「思考型CADの開発でFLTでも忙しいんでしょう。いつも働きすぎなくらいだから、偶には休んでも罰は当たらないわよ」

 

達也の体調を心配してか、明日も学校があるため雅は席を立った。

 

「私ももう休むわね」

「ああ」

 

普段忙しいのは雅も達也も変わらないため、雅を送るために達也も立ち上がったが、不意に湧いた考えに雅を静かに引き寄せて、腕の中に閉じ込める。

 

「達也?」

 

突然腕を引かれても、するりと体を預けられるほど達也は雅に信頼されている。無条件の信頼に自然と頬が緩む。

急にどうしたのかと達也を見上げる雅の唇を指でなぞる。

達也がそのまま目を閉じて、顔を近づければ見えていなくても雅が体を強張らせ、狼狽えたのが分かった。

 

どうやら雅は達也からされることは構わないが、自分でするとなるとどんなことでもかなり恥ずかしがることが分かった。

特に達也が告白してからそれは顕著だった。

 

達也が改まって触れたり抱きしめたりすると、一瞬だけ体を固くし、恥ずかしそうに視線を彷徨わせ、最後にはふわりと目じりを緩ませて幸せそうに笑うのだ。

雅と達也は生まれてからの付き合いであり、さらに以前は慰めだと雅も半ば諦めとともに割り切っていたのだろうが、思いが通じた今、達也の変化に雅も戸惑っていた。

 

こくりと小さく息を呑み、達也の頬に両手が添えられた。

触れている手からも緊張が伝わってくる。

数秒もしないうちに、ほんの一瞬だけ唇に柔らかいものが当たる。

 

「お、おやすみ」

 

目を開ければ達也の胸を押しのけ、顔を赤くして慌てて部屋を出ていく雅に、部屋に一人残された達也は自然と笑みがこぼれた。これが愛おしいということなのだろうと、達也は湧き上がる感情に名前を付けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近、お姉様の様子がおかしい。

 

深雪はそう感じていた。

神楽の御稽古で忙しいのは重々承知だ。

しかし、お兄様とお姉様。二人の関係がどこか余所余所しいのは如何なものだろうか。

あくまで深雪の前では普段通りの二人に見えるが、二人とも感情を表に出さないようにすることは難なくできてしまう。

 

特に変化を感じたのはお姉様の誕生日以降だ。

お姉様の左手の小指にはお兄様からの贈り物の指輪が収まっていた。薬指に贈ればいいのにと思いながらも、それができないのは深雪のせいでもあるため、深雪が口にするのはお門違いだった。

二人とも幸せそうな様子に見えたので、デートを楽しまれたのは聞くまでもないことだったが、それ以降なぜか、二人の関係がぎこちないように感じる。

 

特にお姉様の方がお兄様を避けているように感じる。

生徒会で仕事のある兄と、神楽の稽古で早く帰宅する姉では一緒に帰ることも減り、稽古が遅くなる日は自宅に戻られてしまう。

すれ違いの多い生活にまさか、という思いが一瞬胸をよぎる。

姉の不義を疑うわけではないが、お兄様がいつまでも奥手でいるのであれば、愛想をつかされるということもあり得なくはない。お姉様はお兄様のことを愛していらっしゃる、だが、愛されない寂しさに付け込む男性がいるとしたら?

ただでさえ、神楽を行うお姉様は人を魅了してやまない方であり、色々な家から今でも縁談の申し込みがあると聞いている。

 

「お姉様、今日お泊りをしても構いませんか?」

「いいけれど、急にどうしたの?」

 

土曜日の午後。

お昼休みの時間に深雪はそう切り出した。

 

「最近お姉様がめっきり深雪と一緒にいてくださらないのですもの。たまには私にお姉様を独占させてください」

 

九重神楽はその難易度から稽古は非常にハードであり、日ごろの鍛錬が欠かせない。加えてお姉様はこの国の守護を担う役目を負っているので、武術の訓練も含まれている。

部活動の日はあるが放課後に予定がないことの方が珍しく、学校がない日も基本的には予定で埋まっていることが多い。

 

しかし、そんな姉でも稽古を休まなければならない日がある。

女性特有の月ものの期間だ。

寺社仏閣は清浄な領域であり、穢れを嫌う。血は穢れであるという信仰が古くからあり、お姉様もその時ばかりは立ち入ることができないそうだ。

 

普段そのような日には、差しさわりのない華道や茶道の稽古に取り組んでいるが、これから先しばらくは休みが取れないだろうからとこの日曜日は休みにされていた。

 

「いいけれど、何もないわよ?」

「お姉様がいれば、深雪はそれだけで十分です」

 

お兄様も今夜から明日にかけて、軍の関係で遠方に出かけられていて不在だ。自宅でもいいが、水波ちゃんもたまには一人きりで息抜きをしたいだろうし、雫やほのかのように友人宅にお泊りということをやってみたかったのもある。

一番の目的はお姉様の本音を引き出すことだが、お姉様が一筋縄でいかないのは重々承知している。

 

それでも確かめなければならないと思った。

この胸に渦巻く不安を杞憂だと笑ってほしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雅が住所として登録している単身者用のマンションは司波家と最寄駅を同じくしており、利便性の良い場所にある。単身者用とはいえ、セキュリティは充実しており、コンシェルジュも在住している。

九重家は他にも、都内と関東近辺にも不動産資産とホテル替わりのマンションを所有しており、この家も元々は不動産資産として持っていたものを利用した形になる。

 

一度家に荷物を取りに戻った深雪は、昼休みの内に注文していた手土産のフルーツタルトを携えて、雅の部屋へとあがった。

 

「いらっしゃい」

 

エプロン姿の雅に出迎えられ、まるでこれでは自分が新婚のようではないかと深雪は緩みそうになる頬を必死に堪えていた。

 

「お邪魔します、お姉様」

 

通されたリビングは無駄なものがなく、調度品は茶色と白を基調とした落ち着いた雰囲気でまとめられており、広い窓からは東京の夜景が一望できる。学生の一人暮らしには贅沢すぎる作りかもしれないが、セキュリティと雅の立場を考えれば当然の配慮だった。

 

「簡単なものしかないけれど、いいかしら?」

 

既に雅は調理を始めており、いい匂いがリビングには広がっていた。

 

「お手伝いします」

「じゃあ、盛り付けをお願いしていいかしら」

 

深雪は冷蔵庫にケーキを入れ、雅の手伝いに加わった。

この日のメニューは雑穀ご飯、鶏肉の照り焼き、副菜としてミニトマトのマリネ、ソラマメと卵のサラダ、ワカメと油揚げの御味噌汁、ナスの漬物、と簡単なものだと言いつつバランスも考えられている。

鶏の照り焼きは甘辛い醤油の香りが食欲を刺激し、あっさりとしたミニトマトのマリネは箸休めに丁度良い。春が旬のソラマメの鮮やかな緑と卵の黄色のコントラストは見事であり、丁寧に出汁が取られた味噌汁はほっと一息つけるものだった。京都から送られたであろうナスの漬物も、歯ごたえが良く、塩味が控えめながらこれだけでご飯が進んだ。

 

深雪も料理はするが、姉のように手早く美味しいものを作ることは、どちらかと言えばそれほど得意ではない。

深雪はどちらかと言えば、時間をかけてゆっくりと調理する方が得意であるのに加えて、兄や姉のためならばあえて面倒な方法でも時間をかけてでも、おいしいものを食べてほしいという気持ちが強いせいでもある。

料理の方は敵わなくてもと思いながら、深雪は食後のケーキに合わせて紅茶を入れた。

 

ケーキと言えば濃厚なチョコレートケーキが好みの深雪に対して、雅はムースやフルーツタルトなど比較的口当たりの軽いものを好む。

今日は姉の好みに合わせて、イチゴ、ブルーベリー、ラズベリー、クランベリーが贅沢に乗ったフルーツタルトを用意していた。

甘酸っぱく、つややかな果物の下には濃厚だが後味のさっぱりとしたマスカルポーネチーズの入ったフィリングがあり、底のタルト生地は香ばしくサクサクした食感がアクセントになっている。

 

「やはり紅茶やコーヒーは深雪の方が上手ね」

 

ふわりと頬の緩んだ雅にケーキも紅茶も気に入ってもらえたようで、深雪も満足だった。

 

 

 

夕食の片づけはHALに任せ、順番にシャワーを浴び終えると、二人は広い寝室のベッドで寝転んでいた。この家は達也も来たことがあるが、ベッドルームまで他人が入るのは深雪が初めてだった。それを聞いた深雪は兄に申し訳ない反面、少しだけ優越感を覚えていた。

 

一人には十分大きなダブルベッドは、女性二人ならば少し狭いが問題なく休むことができる。

さらりと肌触りの良いシーツに皺を作りながら、二人は向かい合わせにおしゃべりを楽しんでいた。

今度近くにケーキのお店ができる、とある恋愛映画が話題になっている、クラスの誰々さんが付き合っているらしいなど他愛のない話をしながら、夜は更けていた。

 

話は尽きず、時計が12時を回るころにそろそろ寝ようかと、雅は電気を落とそうとした。

吐息まで聞こえそうなほど近く、尚且つ同じベッドに姉と一緒とあって、ドキドキと深雪の心臓が音を立てていた。それはおそらく、これから切り出す話題のこともあってだろう。

 

「あの、お姉様」

 

深雪は一度、言葉を切った。

緊張で口が乾いていた。

もし嫌われたらどうしよう、もしこれから聞くことが本当だったらどうしよう。聞かなければならないと決心したにもかかわらず、深雪の頭には嫌な予感ばかり浮かんでいた。

 

「最近、お兄様と何かありましたか?」

「何かって、どういうこと?」

「私の勘違いかもしれませんが、お兄様のことを避けていらっしゃるように感じて……」

 

心配そうに目を伏せる深雪に、雅は困ったように笑う。

 

「特に何もないわよ。一緒に帰ることが少なくなったから、私が達也を避けていると感じるのかしら?」

 

その言葉は、一見嘘偽りないように聞こえた。だが、何時にも増して神経を研ぎ澄ませていた深雪はその言葉がどうしても信じられなかった。

完全なウソではないにしても、どこか隠し事がある。

そう思えて仕方なかった。

 

「お姉様、本当のことを教えてください。深雪は心配なのです」

 

深雪は不安げに視線を落とした。その手はかすかに震えているようにも見える。

 

「…………わかったわ」

 

雅は観念したようにため息をついた。

深雪の胸には不安が渦巻くが、それでも姉の口から直接真実を聞くまでは分からないと自分に言い聞かせる。

雅は言葉を選ぶように視線を彷徨わせた。

それはどこか後ろめたいというより、まるで恥じらうように頬の色が変わっていた。

 

「達也にね、その…………。告白、されたの」

「えっ…………」

 

思わず、深雪は声を漏らした。

雅の言葉を頭の中で反芻させる。

告白?

お兄様が、お姉様に想いを告げられた?

深雪は、口元に手を当て、息を呑む。

 

「お兄様が?……本当、なのですか?」

 

信じられないと再度問う深雪に、雅は小さく頷く。

それは、信じがたい奇跡のようだった。

 

「お姉さまっ」

 

深雪は目に大粒の涙を浮かべ、雅の胸に縋りついた。

 

「深雪は、深雪はっ。この日を、幾日も、誰よりも、心から待ちわびておりました」

 

その片鱗は深雪も感じ取っていた。

母によって激情を白紙化され、四葉の魔法師として生きていくことを運命づけられた達也が、雅との日々で少しずつ変化していた。

まるで春の桜のように、白紙化された恋心は淡い色に染まっていた。

桜の花のような、淡く頼りない色ではあるが、決して白ではない色。

 

その胸の中に灯っては消え、次第に溢れるようになった感情の名前を愛や恋だと、達也は認識するのを避けていた。

無意識に思っていたとしても、その感情に名前を与えられなかった。

与えられるべき相手から与えられなかった普遍的で原始的な感情は、達也も認識をできないまでの深層心理に深く傷をつけていた。

 

それが、遂に報われたのだと思うと深雪は誰よりも嬉しかった。

自分のせいで人並みの幸せを手にすることができない兄と姉が、掴み取った結果に深雪はただ涙が止まらなかった。

深雪を守るために兄を縛り付けている自分が嫌だった。

深雪のせいで報われない恋に泣く姉に心が痛んだ。

深雪の心の奥で何度となく抱いてきた懺悔が、ようやく許されたようだった。

 

 

しばらくして泣き止んだ深雪は目が真っ赤になっていた。深雪もまさかここまで泣いてしまうとは思わず、申し訳ないような、恥ずかしいような気持ちでいっぱいだった。

 

「すみません、お姉様」

「どうして謝るの。嬉し涙でしょう?」

 

布団も枕も涙で濡らしてしまった。そこは雅がさっと魔法で乾かしてしまったが、深雪はやるせない気持ちに苛まれていた。

 

「お姉様。思いが通じ合った今、どうしてお兄様を避けられたのですか」

 

泣いていたのも一瞬。むすっと一転、唇を尖らせる深雪に雅は眉を下げながら答えた。

 

「今更なのだけれど、どう接していいのか分からなくて……」

 

雅から達也へ想いは何度も伝えてきた。報われない想いと知ってもそれでも、その気持ちを、その胸に宿る感情を伝えずにはいられなかった。

それがいざ両想いになった途端、雅は気恥ずかしさに苛まれていた。

今までの自分はどう達也に接していたのか、普段みんなの前でどうしていたのか、どんな顔をしていたのか分からなくなるほど、雅の心もかき乱されていた。

 

「羨ましいです」

 

恋をする姉も、幸せそうな二人も、両想いになれたという事実も、素直に深雪は羨ましかった。

達也は、ふとした瞬間に緩く、柔らかく微笑むようになったと深雪は感じている。その笑顔を取り戻したのは紛れもなく姉の献身的な想いがあってのことだった。

 

「深雪にもきっと素敵な人が現れるわよ」

「そうでしょうか。全ては叔母さまの心の内でしょうから」

 

口に出した言葉は、深雪の思った以上に冷えきっていた。

深雪には縁談の話はまだない。

四葉家当主である四葉真夜は未婚だが、忌まわしい事件による後遺症があるため仕方がないことだと認識されている。

 

だが、深雪はいたって健康体だ。恐らく妊娠も出産も問題ない。

魔法師にとって世代を繋ぐことは一種の使命であり、おそらく十師族当主になればそれが当然周りからも求められる。

それを本人が望むにしても、望まないにしても。

達也と深雪の両親は政略結婚であり、父親は母の死後たった半年で愛人と再婚した。思い返せば、母も父に対して大した感情もなかったようで、元々結婚生活は冷めきっていたが、それでも愛情の欠片もない様子に深雪はあの人を父と思いたくなかった。

 

雅の両親のように寄り添い支え合う夫婦となり、惜しみなく子どもに愛情を注ぐような家庭を築くことが深雪の目には何より幸せに映る結婚だった。

どんな試練も困難も手を取り合って乗り越えていける。そんな未来に憧れた時期もあった。

今は自分が望んだような結婚ができるとは深雪も思っていない。夢を抱いて傷つくのは自分だと分かっている。

 

いずれこの体が異性に触れられ、暴かれ、そして子どもを産むことになる。

そう考えるだけで深雪は吐き気が止まらなくなる。無垢な赤ん坊や子どもは可愛いと素直に感じるが、いざ自分が産むとなると忌避感しかなかった。

深雪は自分の思考を振り切るように、話題を変えた。

 

「悠お兄様にも、紫の上がいらっしゃるのですよね」

「見つかったって本人は言っているけど、私も誰か知らされていないわ」

 

昨年辺りから、雅の兄がついに運命の相手を見つけたということは深雪の耳にも入っていた。しかし、その相手について本人は明言を避けているため、彼の両親以外は全く知られていない。妹である雅にも話さない徹底ぶりだ。

 

「心当たりはあるのですか」

「気になるの?」

「だって私だけですもの。将来の相手が決まっていないのは」

 

少し拗ねたように言う深雪に雅は仕方ないなと、深雪の頭を撫でた。

 

「【明石の輝夜姫(かぐやひめ)】と呼ばれる子がいるのだけれど、私が知っている中で一番可能性が高いのはその人かしら」

「輝夜姫ですか」

「ええ。血縁はないけれど、家としての歴史は古いわ。ちょっと病弱で、おっとりしているけれど、芯の通った美しいお嬢さんよ」

 

チクリと深雪の胸が痛んだ気がした。きっとこの痛みは周りに置いて行かれる寂しさだと自分に言い聞かせた。

 

「なぜその方が?」

「兄様の神職としての名前は悠月(ゆづき)でしょう。輝夜姫は月の生まれで、五人の皇子と帝に求婚されるも月に帰ったという話もあるから、変な勘ぐりをしている人もいるみたい。彼女以外にもこの人じゃないかって、周りが勝手に予想したり、ぜひうちの娘を嫁にと推薦してくる家もあるわね」

 

【明石の輝夜姫】

天文学的に美しい悠を知っている雅が美しいというならば、それは間違いなく綺麗な女性なのだろう。輝夜姫と言われるならば、月の光もかすむような美少女かもしれない。

 

「さて、もう遅くなったからそろそろ寝ましょう」

 

流石にもう時刻も遅く、雅の目は眠気でやや虚ろだった。

雅が部屋の電気を落とす。

 

「はい。おやすみなさい、お姉様」

「お休み」

 

シンと静かな部屋に、深雪の目はやけに冴えていた。

どんな人なのだろうかと考えるあまりか、慣れないベッドのせいか、姉が隣にいて緊張するせいか、深雪はしばらく寝付けなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第一高校では例年と比べて1か月前から九校戦に向けて準備に動き出していた。

九校戦前は期末考査もあり、中条先輩の心配性も相まって、早めの調整を行うこととなった。

 

大会の詳しい競技やルール変更等は大会1か月前にならないと分からないが、成績上位者はほぼ例外なく選手候補として名前が挙がる。

それを取りまとめているのは生徒会であり、加えてホテルの準備や大会関係者との連絡調整、選手の最終決定、ボランティアや応援に来る生徒の管轄等々、一部それが生徒会の仕事なのかと疑問に思うような案件もあるが、総じて言えるのはその量が膨大だということだ。

 

部活連や教師陣も選手の選出に大きくかかわっており、各部活動から選りすぐりの選手、スタッフが候補として名前が挙がる。九校戦は定期テスト以上に学校も力を入れており、大学入試の成績にも加味される。

競技選手、エンジニア、作戦スタッフに選ばれた生徒は一律夏季課題免除に加え、A判定がもらえる。

それだけあって、選手選びは慎重になるがここ数年は競技に大きな変更はないため、今年度もそれを前提とした選手選びが行われている。

 

私はその準備の段階で部活連から生徒会へお使いに出ているところだった。

他の教室と変わらない構造に見えて、生徒会室周辺には見えるところ、見えないところにセキュリティ対策が行われている。生徒会室は誰でも気軽に入れる場所ではなく、基本解除キーを持つ生徒会メンバーの同伴が必要となる。

 

生徒会室の扉の横に備え付けられたインターホンを押して開錠を待つ。

 

「雅先輩、こんにちは」

「こんにちは、泉美ちゃん」

 

ドアを開けたのはにっこりと笑顔を浮かべた泉美ちゃんだった。彼女は下級生らしく、こういった細々したことも率先しているようだった。

中に入ると生徒会室には達也を除く生徒会メンバーが揃っていた。

 

達也は図書館で調べものか、おそらく山岳部と一緒に野外演習場でトレーニングに出ているのだろう。私も手伝っていたとはいえ、昨年は達也ほぼ一人で風紀委員の活動記録や学校に上げる報告などを作成していたことから分かるように、達也の事務処理能力は一般の高校生の域を超えて高すぎる。

生徒会でも任せている仕事を早々に片づけてしまうため、中条先輩は苦肉策として達也に早退推奨をしているそうだ。

 

深雪は残って仕事だが、達也が深雪一人を置いて帰るわけもなく、図書館に行ったり、西城君と水波ちゃんが所属している山岳部に顔を出したりしている。山岳部では参加させてもらっている対価として部員のCADを調整しているので、一部からは名誉部員とも言われているそうだ。

 

「あ、推薦メンバーが決まったんですね」

「ええ、これがデータになります」

「ありがとうございます」

 

中条先輩にメモリを渡すと先輩はすぐに専用の端末に接続して中を確認した。

九校戦の選手とエンジニアのデータはネットワークには接続せず、メモリのみでやり取りとなる。生徒会や部活連が使用する端末は当然セキュリティレベルの高いものだが、念のために正式決定まではオフラインでやり取りするのが通例となっている。

 

「はい。確かに受け取りました」

 

名簿には各競技の選手候補の学年、クラス、選手の所属の部活動、活動成績、上位で公表されている定期考査での校内順位、得意魔法などが載っている。学生らには公表されている成績や情報ばかりだが、生徒が扱うにしては個人情報満載過ぎて持ち歩くのも怖い代物だ。

 

「雅さんは今年もクラウドとバトルボードにエントリーですか?」

「いえ、クラウドのみエントリー予定ですが、今年度は九校戦出場も辞退させていただくことを検討しています」

 

私の報告に中条先輩はガタリと乱暴に椅子から立ち上がった。顔面蒼白。手もガタガタと震えている。

他の人たちも何事かと手を止めた。

 

「な、な、なんでですか?!

どこか調子が悪いんですか?もしかして、ケガとか、魔法力を損なうような事故とか、はっ、もしかして司波君と」

「落ち着いてください、中条先輩」

 

何を口走ろうとしたのかわからないが、とりあえず中条先輩を落ち着いてもらわなければ話は進まない。

 

「す、すみません」

 

先輩は周りの目線にも気が付いたのか、火に水を掛けたようにおとなしくなる。なんだか、小動物が叱られて耳を垂れているようにも見え、罪悪感があった。

 

「事故や怪我は今のところありません。今年は家の都合で、神楽の舞台の数が多いので、そちらを優先させていただこうかと考えているところです」

「そんなにですか?」

「正直、大会で月の半分、練習も含めれば1ヶ月半も拘束されるのは厳しくて、出場する日だけ当日会場にいればいいというものでもありませんし、出場辞退が一番良いと考えています」

 

6月末には夏祓、7月は祇園祭に出雲での出張神楽、八月は納涼祭、九月は重陽の節句に月見の宴と、元々神事が多い中で今年は各地で九重神楽が予定されているため、忙しさが段違いだ。

九重には役者も楽師もそれなりに揃ってはいるが、普段の神事も行いながら並行して準備を行うので、正直猫の手も借りたいほど忙しくなる。

 

「服部君は反対しなかったんですか?」

「部活連としては出てほしいと言うしかない、とのことでした」

 

年度替わりの際に今年の神楽の予定は出ていたので、九校戦欠場の可能性も服部先輩には伝えていたが、それでも構わないということで私は部活連入りしている。

競技種目に変更がなければ出ることは可能だろうが、練習もほぼしないまま出場することになる。本選の選手として、それは不満を他の選手から抱かれても当然のことであり、競技種目が変更になれば準備もほとんどできない私を選出しておくより、最初から競技適性に合った選手を探す方が賢明だろう。

 

「練習や準備のお手伝いは可能な限り参加しますので、どうかお許しいただけないでしょうか」

 

私の申し出に、「うー」とか「あー」とか、中条先輩は唸りながら、しばらく悶々と考えた後、苦い顔をしてため息をついた。

 

「分かりました。大会側に当日参加のみでもいいか確認もします。なので、推薦選手の中には名前を入れておきますので、そのつもりでいてください」

 

一高は今年、九校戦総合優勝四連覇の記録が掛かっている。

特に生徒会長である中条先輩にはそれは言われているだろうし、彼女にもプレッシャーを掛けられているはずだ。

 

ここでは語れないが、今年は神楽以外にも出場辞退をしなければならない理由がある。始まる前から嵐が訪れると分かっている九校戦に手出しができない自分がもどかしかった。

 




前回の和歌解説
『うた恋』の超訳百人一首を参考にしてます。
http://utakoi.jp/study/waka.html#accordion

天津風(あまつかぜ) 雲の通ひ路(かよひじ) 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ
現代語訳『天を吹く風よ、天女たちが帰っていく雲の中の通り道を吹き閉ざしてくれないか。乙女たちの美しい舞姿をしばらく地上に留めておきたいのだ。』
本作における意味:この和歌は五節の舞姫たちのことを読んでいます。つまり、神楽をしている雅はどうかという問いに対しては、天女のようだと例えています。意味が分かる人が聞いたら完全に達也の惚気です。

・逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり
現代語訳『君と出会った後の心に比べれば、片思いをしていた時は心などなかったに等しいほどだ』
本作における意味:雅に出会わなければ恋も愛もを知らない、まるで心がなかったかのようだ。

筑波嶺(つくばね)の 峰より落つる 男女川(みなのがは) 恋ぞつもりて 淵となりぬる
現代語訳『あるかないかの想いでさえも、積もり積もって君のことがこんなにも愛おしい』
本作における意味:語るまでもないですね。


別件ですが、達也が雅に贈ったピンキーリングは付ける指によって意味が違うそうです。
右手の小指:表現力を豊かにする。身を守る。
左手の小指:幸運を逃がさない。チャンスをつかむ。
達也にとって幸運()を逃がさないってことですね。
気が付いた人、いました|д゚)?


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スティープルチェース編2

ふと思ったのですが、ここの読者様って男性はいるんでしょうか。ハーメルン自体が男性が書いたような作品の多い印象ですが、どうなんでしょう。

多趣味なので、筆は遅いですが、今後も頑張ります。
感想、誤字脱字の指摘ありがとうございます。特に感想はニマニマしながら読んでます(。・ω・。)ゞ



6月30日

 

日本各地の神社では夏越の祓の神事が行われる。

一年の折り返し、半年分の厄や穢れを祓い、残り半年を無病息災で過ごせるように祈る行事であり、心身を清めて盆を迎える行事でもある。

 

多くの神社では茅の輪くぐりが設けられ、これを八の字に三回くぐると厄払いができるといわれている。また、地方によっては名前を書いた人形(ひとがた)を神社に奉納し、川に流したり、お焚き上げを行うことで穢れを祓う。

 

一般的には新年を迎えるにあたっての大祓の方が有名であり、夏越の祓はそれほど有名ではない地方もある。

しかし、寺社仏閣が多く現存する京都一帯では今でも脈々と続く伝統行事であり、特に厄払いの神様を祭る九重神宮では多くの参拝客が訪れる。

 

九重神宮のお膝元の商店街も活気にあふれており、水無月と呼ばれる小豆の乗った外郎(ういろう)や小豆のアイスが人気を集めている。小豆の赤は邪気を払うと言われており、おはぎやぼた餅もその効果を願ってのことだと言われている。

 

そんな商店街の喧騒とは離れて、九重神宮の一角では着々と舞台の準備が進められていた。神職たちが足早に通り過ぎる中、演者や楽師は静かに出番を待っていた。

 

「全く、ひどく陰鬱としたお(あつら)え向きの天気だな」

 

緑の衣を身にまとった壮年の男性、嵐は不遜な笑みを浮かべ、空を見上げた。

天気は曇天。夏を前にジメジメと生暖かい風が吹き、普段は日差しを受けて眩しい緑の木々も鬱蒼としている。一般的にはよい天気とは言えないが、この日の演目には似合いの天候だった。

 

「梅雨ですからね」

 

白い衣を身にまとい、金の腕輪と足環をつけた高雅は冷静に答えた。

 

「雨が降らないのは主神様のご加護だろうな。んで、そっちの出来は?」

「ここにいることが全てでは?」

 

大舞台を前に調子を聞く嵐に、当然と言わんばかりに高雅は言った。

 

「そりゃそうだ」

 

吐き出すように嵐は笑った。

 

九重神楽だけではないが、神楽や舞楽は楽師と演者の一体感が重要となる。特に九重神楽の場合、演者が二人以上ならばよりその合わせが重要になり、舞台上で魔法が相克しないように細心の注意を払わなければならない。

しかし、この日行われる『風神雷神』の演目は本番まで雷神役と風神役が一切、合わせを行わない。楽師との合わせはそれぞれ行うが、稽古も含めて舞台までは二人が互いの演技を見ることは無く、本番一発合わせになる。それだけあって、他の神楽に比べて難易度も一段上になる。

九重神楽の中でも特に荒々しいと呼ばれる舞台であり、それを祓に持ってくるのは今年この国に訪れる厄が大きいことを暗示していた。

 

 

 

この日も多くではないが、観覧客が招待されていた。九重の古くからの信者を中心に、地元の名家や政財界の関係者が多数を占めている。

達也と深雪は都合が合わず、観覧には訪れていない。

そもそも土曜日である今日は通常通り学校であり、雅は欠席して今日の神事に臨んでいた。

 

 

 

まず舞台に上がったのは風神役の嵐。

風神はイザナミとイザナギの間に生まれた神ではあるが、民間伝承では邪気を運ぶ邪神や妖怪としての側面もある。風神は寒暖の隙間、物の隙間から入り込み、人々の口に黄色い風を吹きかけて病をもたらすと言われている。

 

そんな風神はまさに舞台でも傍若無人。唯我独尊。

荒々しく舞台を踏みしめれば風は轟轟と吹き荒れ、空を流れる黒雲は流れる速度を増し、今にも雨が降りそうな天候を作り出す。両手に持った風を集める袋には言い伝え通り、黄色い風の流れが見て取れる。

 

刮目しろ。私が神だ。天候を操り、病をもたらす邪神である。

恐れ、(おのの)け。矮小な人間など所詮神に翻弄される惨めな存在であると嘲笑うかのように、凶悪な笑みを携え、目じりを吊り上げ、荒々しく舞う。

 

深い新緑のような衣には黒雲に似た文様が浮かび上がり、背筋の凍るような、底冷えのする冷たい風が観客にも届く。厄災の権現であるかのような恐ろしさに、観客たちは逃げ出すこともできず、ただ椅子に縫い付けられたかのように舞台に釘付けになる。

 

普段は軽やかな音色を奏でる横笛は、甲高く、大気を切り裂く風の音を演出する。低い音で鳴り続ける琵琶の音も人々の不安を煽るように体に響いている。

舞台全体に漂うのは迫力ではなく、威圧。まるで今年の大厄が巡ってくると言わんばかりの様子だった。

 

 

風神の独壇場かと思われた舞台だが、突如として目を覆うばかりの雷光と地響きのような雷鳴が響く。観客の目が眩しさから回復すると、そこにいたのは、白い肌と色素の薄い金に近い髪と金の瞳が印象的な少年だった。

まるで稲妻に乗って来たかのように一瞬にして舞台に現れ、ふわりと重力に反するように、長い髪は一部が浮き上がり、やがて静かに背中に落ちる。

背負った電電太鼓にはパチパチと紫電が迸り、白い衣は雷光を受け、青い稲光を模した紋様が浮かび上がっている。背は決して高くないが、悠然とまるで人など視界にないかのような瞳は不遜な神のごとき雰囲気があった。

 

観客は年下にしか見えない雷神の光溢れる神々しさに風神とは別の意味で息を呑んだ。

曲に合わせた軽やかで重さを感じさせない流麗な舞に反して、舞台の床を一歩踏みしめるとともに響く音は、まるで低く轟く雷鳴のようだった。電電太鼓が雷に合わせて鳴るかのように楽師の奏でる太鼓の音は響き、一瞬の光と共に高い鈴の音が鳴る。

 

観客にまるで見せつけるかのように舞う風神に対して、雷神は人など全く見向きもしていなかった。雷光溢れる舞台は決して観客には危険はないと分かりながらも、その迫力たるや、無意識に手が震えるほどだった。

軽やかに跳ねるような動作に、着地に合わせて重々しい太鼓が鳴る。雷を起こすとともに、雷神自身が雷であるかのような舞だった。

 

雷神の登場に、今まで大人しくしていた風神が突風を吹き荒らす。静かに舞と共に揺れていた袖はバタバタと乱暴に風に揺れ、それに反応した雷神の周りにはバチバチと雷が迸っていた。

二神はまるで舞競うかのように、左右に分かれて雷と風となって舞う。

風神は雷神を意識しているようだが、雷神はまるで視界にないと言わんばかりに視線は下界を見ていた。

 

雷と暴風がぶつかる威圧そのままに、雷鳴と風音が大気を震わせる。

神と神がぶつかるその様はまさに天災だった。観客の中にはその構図に、彼の有名な風神雷神図屏風を幻視した者もいた。

 

舞台が佳境に差し掛かると、ひと際大きな術をそれぞれ発動させる。濃密な風と雷がぶつかり合い、突風が観客を襲う。舞台にこれまでにない緊張感の糸が張りつめる。まるでここが世界の終末であるかのように、これが神の領域であるかのように、類まれなる自然の衝突に人間の小ささを実感する。

 

そして、二神がぶつかった後の舞台は音がなくなったかのように驚くほど静かだった。世界は天災に見舞われ、そして平穏が訪れた。

二神は舞っていた位置そのままに、向かい合っていた。

そして音もなく口元に小さく笑みを浮かべ、二神の足元が淡く薄れていくと、その姿はやがて金の粒となって天上に立ち上って消えていった。

 

二人が消えると同時にしとしとと静かに小雨が降り出す。しかし黒雲からは光がのぞき、青い空が見えていた。

 

呆然とする者、静かに涙を流す者、ため息をつく者、九重神楽を何度か見てきている神職たちですら思わず息を重く吐き出した。九重の魔法師は、九重神楽は天候まで変えてしまうのかと呟く者もいた。

 

あれほどまで恐ろしく、威圧される舞台であったにもかかわらず、観客たちの心にあるのはどこか晴れやかな気持ちだった。文字通り厄を祓い、浄化されたともいえるような光景だった。自分たちのケガレはすべて美しく強い神に吹き飛ばされ、浄化されてしまったかのようで、まさに厄祓いにこれ以上ないほど相応しい舞台だったと言えるだろう。

 

 

 

 

 

口々に感動を述べて、喝さいの響く舞台の裏。観客の前では汗も呼吸の乱れも一切見せない演者だが、それは舞台上だからだ。光学系の魔法を使い、観客たちに一切気付かれることなく舞台から降り、控室に戻った二人は息も絶え絶え、椅子に座り込み、呼吸を整えていた。

 

「おい、息があるか」

 

まだ苦しいながらも息のできている嵐は、ゼーゼーと荒い息をしている高雅に携帯型の酸素ボンベを渡す。

 

「…………何度、か……死ぬか……と思い、ましたよ」

 

ボンベを口に当て、高雅は時折咳込みながら息も絶え絶えに答える。普段は伸びた背筋もこの時ばかりは力なく、椅子に寄りかかっている。

 

「そんだけ喋れるなら、上出来だよ」

 

ミラージ・バッドがフルマラソン相当の運動量だと言われるが、九重神楽は演目によってはそれ以上の魔法力と体力を消耗する。

加えて、決して舞台上では息を乱してはいけないどころか、呼吸音すらご法度。どれだけ動こうとも額に汗が滲んではいけない。人ならざる役ならば、徹底的に人間らしい生理現象は排除しなければならない。

 

九重神楽の演者の中でも大ベテランと呼べる嵐の魔法力に食われないように、高雅は舞台上では涼しい顔をしながらも必死だった。お互い予定されていた動作と魔法ではあるが、一発本番の緊張感はそれだけで精神的な疲労感を生む。

特にこの演目に初挑戦の高雅は嵐が繰り出す容赦ない荒々しい舞に、自分が優位な立場を演じているにもかかわらず、まるで余裕はなかった。

 

「これで今年は大人しくなってくれるといいけどな」

「京都はどうかわからないですけれど、富士は今年も荒れるそうですよ」

 

背もたれに体重を預けながら、高雅は少し落ち着いてきた息ではっきりと答えた。

 

「じじいがヤバイこと計画しているんだったか?ついに耄碌したか」

「日本の将来を案じてとのことですが、雛鳥を巣から落とすような本末転倒な計画ですよ」

「まあ、ウチとしては手を切るいい理由ができたな」

 

勢いよく、しかし動作はあくまで静かに嵐は水を煽った。二人とも額からは滝のような汗が流れ、雨に打たれたかのように髪も濡れている。

魔法の折り込まれた衣は当然、それなりの厚さがある。衣装の重さとこの季節柄、着ているだけでも汗が滲む代物だ。それを身にまとい魔法を使うことがどれだけ消耗することか、言うまでもないだろう。

 

「で、化け物退治は大黒天の仕事か」

「正式にウチから依頼するでしょうね」

「それくらいしなけりゃ、本家の姫はやれんだろう」

 

ニカニカと笑う嵐に高雅は無関心を決めていた。

雅は高雅として立っているとき、雅として思考はしないようにしている。役になりきる前に、高雅としての役を身にまとっている。女性の残り香もなく、動作も声も見知った間柄の者にさえも女性であることを忘れさせるその立ち居振る舞いは、九重の三男と呼ばれるほど完成されていた。

 

今回の舞台でもこれが17の小娘が演じていただなんて、誰も思わなかっただろう。こりゃ、もっと化けるだろうなと嵐はガシガシと高雅の頭を乱暴に乱しながらそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

九校戦の種目が各校に正式発表される7月2日、月曜日。

全国の魔法科高校は衝撃に包まれていた。

 

毎年大会一か月前までに運営委員会から競技が発表される規定だが、今年は三種目も競技の変更が行われたのだった。ここ数年は競技やルールの大きな変更がなかったとはいえ、いきなり三競技も変更とはどこの学校も予測していない事態だった。

 

大会側からすれば規定通りの対応だが、実際に本番まで1か月ほどしかない中で新競技に向かう生徒たちの心境は計り知れない。

今大会ではバトルボード、クラウドボール、スピードシューティングが廃止され、新たにロアー・アンド・ガンナー、シールドダウン、スティープルチェース・クロスカントリーの三競技に変更になった。

更に今までは競技の掛け持ちが一人二種目まで許可されていたが、今年はスティープルチェース以外の掛け持ちはできない。しかも、スティープルチェースは2年生以上の選手なら全員出場が可能だ。

 

モノリスコードとミラージ・バッドは男女それぞれの競技であることに変更はないが、本戦には他にもロアー・アンド・ガンナー、シールドダウン、アイス・ピラーズ・ブレイクではペアとソロの部門ができた。

 

男女別に試合が行われる点は昨年度とは変更はないが、新人戦は競技数のせいか、上級生と比べれば魔法に不慣れなためかソロのみの競技となっている。

 

 

新競技について簡単に説明すると、ロアー・アンド・ガンナーは漕ぎ手とガンナーに分かれ、無動力のボートに乗り、水路上に設置された的を撃ち、その撃破数とゴールまでのスピードを合計した得点で競われる競技だ。ソロが設けられているので、漕ぎ手とガンナーの兼務したものもある。この競技はUSNAの海兵隊の陸上支援訓練として行われていたものがベースとなっている。

 

シールドダウンは盾を使用した格闘戦であり、相手の盾を破壊するか、場外に落とすか、相手の盾を奪うことが勝利条件となる。

直接相手の体に魔法をかけたり、体に触れる攻撃を行ったりすることは禁止だが、それ以外に対しての魔法の使用は許可されている。自分の盾で相手の盾を破壊してもいいし、自分の拳や魔法で相手の盾を壊したり、相手選手を風圧等で場外に押し出しても有効だ。今回のルールでは相手が5秒以上盾を手放せば勝ちとなる。

 

そして問題なのはスティープルチェース・クロスカントリーだ。スティープルチェースは障害物競走という意味で、クロスカントリー、つまりそれを今回は山道で行うということだ。

これも軍事訓練の一環として各国軍隊で取り入れられているものであり、当然道中には魔法、非魔法のトラップが仕掛けられている。

順位が上の選手に高得点が与えられることは他の競技と変わりないが、一時間以内にゴールできれば順位に関わらず得点がもらえる。

つまり各校2年生以上の全選手が出場可能で、仮に全員出場となれば最大108人が一斉に山道を駆け巡ることになる。

 

競技変更に伴い、新種目は昨年度に増して軍事色の強い競技となっている。昨今の社会情勢を見れば、軍上層部としても魔法の有用性は認めているところであり、マスコミが囃し立てたような魔法科高校生が軍人として育成されていると言われても仕方のない状況になっている。

国際社会の情勢からみれば、今年度から急いで取り入れる必要があるかと言われれば、そうとも言えないが、横浜事変が契機となったことは言うまでもないだろう。

 

 

稽古帰りの雅は、司波家で達也から今年度の新競技についてそう説明を受けていた。

 

「九島が新兵器の実験に使う舞台はスティープルチェースだそうだ」

「ただでさえ危険な競技なのに、それを実験場にするなんて……。そこまで浅はかな考えをする方ではないはずだけど、今回ばかりは理解できないわ」

 

雅も兄から九島の工作については聞いていたが、どうやら達也の方にも匿名という名前で藤林から今回の一件についての連絡があったらしい。

 

「達也に情報を流すということは、藤林家は九島の計画に反対したってことかしら」

「いや、そうとも言えない。表立って反対することもできないから、俺に情報を流したのだろう」

 

藤林家は古式魔法の名門だが、勢力的にも九島家の方が上だ。表立った造反は一族から反感を買うが、彼女は軍人。この国に害なす存在であれば、たとえ身内であっても切らなければならない時が来る。

 

「このことについては明日、師匠のところへ行く予定だ」

「私もお邪魔して良いかしら」

「ああ。そのつもりで話をしている」

 

九島家をはじめとした第九研究所のテーマは古式魔法と現代魔法の融合をテーマにしており、先代の九重寺の住職も関わっている。

古式魔法の家々には因縁のある名前でもある。

かく言う雅の実家も当時、九島家と古式魔法の家々との対立が目に見えて激化していた時代、牽制も兼ね九島家へ嫁を出した経緯がある。

 

「今回の一件についての九重からの正式な依頼状よ。本当は身内の恥なんて達也に処理させたくないんだけど、どうしても九重は動けないから……」

 

雅は申し訳なさそうに眉をひそめ、今は珍しい和紙の手紙を達也に手渡した。特殊な組紐で結ばれており、達也がそれに想子を流すと紐はひとりでに解けた。

 

「あの報道の過熱を見ると仕方もないか」

 

立地的にもこの問題は既に情報を仕入れている九重が動く方が、事は楽に片付くだろう。しかし、九重と九島は縁戚関係にあり、更に四楓院の名前もこの国に害をなす対外勢力の掃討のために振るわれる。

たとえ将来ある若者の未来が掛かっていても、国内の事情には基本的には干渉しない。国力を削ぐために対外勢力の息が掛かった者がいれば動く理由はできるが、まだそれが明確ではない以上、手出しはできない。

 

加えて、今年の九重は表の行事が立て続けにあり、動かせる人材は多くない。7月に行われる京都の祇園祭では毎年伝統芸能の奉納が行われ、九重神宮も今年は演目を披露することになっている。

 

しかも、どこの手の者が裏で操作をしているのか、達也もはっきりとは把握していないが、現在、美しすぎる神官として悠はSNS上で話題となっていた。春に行われた流鏑馬神事で、その見事な馬裁きと類まれなる容貌も相まって神がかり的な美しさを醸し出しており、合成や写真加工だという噂も飛び交っていた。

 

しかし、この報道やネット上の拡散の裏には、とある筋との婚約が噂されている悠の動きを牽制する目的もあった。

その婚姻を好ましく思わない家、とりわけ魔法師だけではなく、その家との結婚を避けるべく表の権力も形振り構わず使っている者たちがいた。

 

九重家から雅を通じて達也に送られたこの依頼状は、達也の行動を保証するものでもあり、達也が四葉家や八雲の手を借りるための強い効力を発揮する。

同じ家に住みながらも、同じ高校生でありながらも、達也と雅ではこのことに向かう立場が違っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして迎えた、7月3日の朝。

 

夏の朝らしい眩しい日差しの下、達也、深雪、雅の三人は九重寺を訪れていた。

三人とも今日は稽古の予定であったが、昨日達也のもとに送られてきた情報の相談をするため、今日の稽古は中止となっていた。

中止と言っても寺までは普段通りのトレーニングを兼ねて魔法を使っての移動を行うため、スポーツウエア姿である。

 

そして、三人の師匠は九重八雲。

中止と言っていたにもかかわらず、山門をくぐれば、門人達が襲い掛かってくるのはあくまで想定の内だった。この程度の運動は稽古の内には入らないだろうと八雲なら飄々と言いそうだと、達也はこの後の相談時間を鑑み、手早く、つまり一片の容赦なく門人を叩き伏せた。

 

「おはようございます、師匠」

「やあ、おはよう」

 

仕掛けた八雲は悪びれもなく、門人たちが簡単にねじ伏せられたのもまるで気にしていなかった。多少、彼らの師として思うところはあるだろうが、いつもの何を腹の内で抱えているかよくわからない笑みを携え、三人を僧坊へと案内した。

 

 

 

僧坊の中は窓もすべて締まっており、真っ暗だった。

人が入ると勝手に扉が閉まり、木製の見た目に反して自動なのか、外から門人の誰かが閉めたのかわからないが、入り口からの光もなくなり闇が濃くなる。

閉まるとほどなくして、壁一面の蠟燭が灯る。強い匂いが漂ってきたのは、蝋に練りこまれた香油か何かだろう。もちろん、明かりを灯したのは八雲の魔法だ。

 

「これは結界ですか?」

 

精霊には好む香りがあり、精霊魔法や魔法薬学では一般的に用いられている。好みがあれば嫌いな香りも当然あり、想子情報体が嫌う香りがあることを達也は知識として知っていた。

 

「内緒話だからね」

 

四葉を含め、この寺に八雲に気付かれずに入り込めるのはおそらく四楓院くらいなものだろうが、八雲が必要というならばそれに従うのが筋だろう。

 

「深雪、頼む」

「かしこまりました」

 

深雪はCADを起動し、電磁波と音波を遮断する障壁を展開した。

 

「師匠、この度は面倒ごとを持ち込んでしまい、申し訳ありません」

 

達也が頭を下げるのに合わせて、深雪もそれに一礼する。開口一番、達也は先制とばかりに八雲の助力前提で謝罪をした。

 

「九島も随分と危険なことを考えたね」

 

八雲の方も話を聞いていた時点ですでに協力する心算だったのか、いつものように無駄話を挟まずに核心を突いた。

 

「今更言う必要もないが、スティープルチェースは危険な競技だ」

「やはり先生もそうお考えなのですね」

 

深雪の声は静かに怒りに震えていた。

魔法競技には事故や怪我は付き物だ。それは一般のスポーツ競技にも言えることであり、程度の度合いはあれ、最大限注意を払っていても、人間である以上ミスは生じてしまう。

 

従来の競技でもミラージ・バッドやモノリスコード、バトルボードは魔法喪失のリスクのある競技だ。しかし、スティープルチェースの危険度は一段違う。

 

「その新競技の場で新兵器の実験をしようだなんて、正気を疑うよ」

 

一般人からすれば狂気としか思えない荒行を一般的に行う八雲からでたこの言葉には重みがあった。

 

「師匠は九島家が計画している新兵器について、何かご存知ですか?」

 

達也が藤林からの連絡を受け、八雲に今日の約束を取り付けたのは昨日の夜8時。京都の九重から何か情報を得ていれば別だが、話の通りが良すぎると達也は感じた。

 

「P兵器という名称は知っているけれど、残念ながら詳細は不明だ。達也君は既に何か聞いているのかな」

 

「パラサイトをヒューマノイドに憑依させたパラサイドールを九島は開発し、九校戦で高校生を相手に試験させる予定です」

「なるほど。これは厄介だね」

 

達也の包み隠さない答えに、八雲はにんまりと瞳の鋭さを変えないまま、笑みを深めた。

 

「九島が相手ならば京都の九重は直接手を下しにくい。雅君が富士に行かない以上、いや、行かせないと言った方が正しいのかな」

「京都九重として、この一件は彼に一任することになりました」

 

沈黙を守っていた雅が口を開いた。

雅の出場辞退は表向きは神事のためだが、九校戦に九重を出場させるだけの価値がないと暗に示している。九重の方針に対して、関西の魔法師の各家では魔法科高校に通う子どもを九校戦に出場させるかどうか頭を悩ませていた。

軍事色の濃い内容の九校戦に対しての反対を示す意味合いもあり、すでにいくつかの家から九校戦の競技に対しての抗議文も送られている。

 

「なるほど。四楓院は出てこないのかな」

「パラサイドールの研究に大陸の術師や横浜の一件で取り逃がした術者がいれば関わる理由はできますが、動くにはまだ理由が足りません」

「四楓院も中々縛られた立場だからね。それで、相手がわかっているとはいえ、九校戦に出る前に潰すに越したことは無い」

 

八雲は目を薄く見開いた。その瞳は何時になくやる気に満ちているようにも見える。

 

「……奈良に行くべきだろう」

「第九研究所ですね」

 

八雲の提案に達也は即座にその意味を理解した。第九研究所は九島の息が掛かった場所であり、八雲にとっても因縁の場所だ。

 

「案内はこちらから出しましょう」

 

雅は速やかに協力姿勢を見せた。立地的にも九重の息のかかったものが多くいる地域だ。人数が多すぎるのも隠密行動には向かないが、土地勘のあるものがいた方がある程度動きやすい。

 

こうして、九重寺、京都九重、四葉の対パラサイドールの協力体制が秘密裏に築かれていた。

 

 

 




※投稿時にお題を書いていたのですが、ご指摘をいただきまして削除しました。大変申し訳ありません。


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スティープルチェース編3

感想のお題とかも、アンケートになるそうなので、前回あとがきに載せていたものは削除しました。アンケートをする場合、感想ではなく、メッセージ欄ならOKみたいでした。大変、申し訳ありません。

あと、この作品については、内容的にも女性読者が多いだろうなー、男性には好かれない文章だよね(´・ω・`)、と勝手に思っていた節があったので、予想以上に反響いただいてうれしいです。

あと、皆さんがイチャイチャご希望だったのですが、今回はあんまりありません。微糖です。おそらく……。次回、おそらく甘酸っぱくしますので、ご期待ください。


九校戦の種目が正式に公表される7月3日のお昼休み。

私は生徒会室に呼び出され、中条先輩と服部先輩と一緒にいた。

 

「雅さん、お願いします。九校戦に出場できませんか」

 

私の両手を持ち、祈るような眼をした、藁にも縋る思いの中条先輩がいた。

 

競技についての説明は前日に達也から聞いていたので省略されたが、急な競技変更に対応するため、私に再度九校戦への出場を嘆願されていた。

昨年度の私の出場競技はバトルボードとクラウドボール。今年エントリーをしてほしいと希望されたのはロアー・アンド・ガンナーのソロだ。

照準を付けてボールを打ち返すクラウドボールと水上を移動するバトルボードに出ていた以上、競技適性は高いと判断されたのだろう。

 

「残念ながら、以前から申し上げていたように今年は不可能ですね」

「どうしてもか」

 

一分の隙もなく断る私に、服部先輩も苦い顔をしていた。

新競技と旧競技では必要となる魔法も異なるため、生徒会と部活連を中心に再度選手選びから準備を行わなければならない。ロアー・アンド・ガンナーはバトルボードの選手が応用できるとはいえ、射撃の技術も問われる。

昨年度の射撃競技であるスピードシューティングの選手候補から選ぶという手もあるが、移動しながら的に照準を付けるとなればマルチキャストの才能も必要となる。部活連のメンバーで昨年度も実績を上げた私を候補から外すという選択肢は、二人にとっても惜しいようだ。特に新競技となれば各校持ち味はあれど、横並びと言ってもいいだろうから、作戦より魔法力が物を言う場合もある。

 

説得の場に服部先輩を連れてきたということは部活連の場合、各学校との顔合わせもあるため、できれば参加することが望ましいのだろう。

食い下がる服部先輩に、渋々だが、威を借りることにした。 

 

「とある方がお見えになるので」

「とある方?」

 

私がその方の名前を出した途端、二人は絶句し、文字どおり閉口した。

 

「……それは、仕方がないな」

「そうですね。九校戦どころの話ではないですもんね」

 

二人にようやく納得してもらえたようだ。主役ではなくても、今年は舞台の数が多いため、手伝いや端役で仕事は多い。

 

九重神楽の演者としての寿命は短い。

九校戦も確かに学校にとっては大事な行事であり、出場選手、スタッフは夏季課題の免除に一律A評定は確かに魅力的だが、今年は私も出場を家から取りやめるように言われている。

九島が新兵器の実験場として九校戦を使用することは分かっているのに、手出しができない現状はもどかしかった。

 

 

 

雅の去った生徒会室で、あずさはぽつりと独り言を漏らした。

 

「本当に雅さんの家ってすごいんですね」

 

十師族である十文字や七草の凄さはあずさも目の当たりにしてきたし、警察や政治家への影響力も理解していた。

しかし、九重は二人とは違う意味で別格だった。彼女が口にしたその名前が出てくること自体、日常生活ではまずありえない。

それが珍しいことではないかのような彼女の口調は、見ている景色が違うと感じさせられた。

 

「中条、それを俺たちが気にすることは無い。九重は九重の事情があるが、あくまで一高生徒の一人で、俺たちの後輩だ」

 

服部は自分に言い聞かせるようにそう言った。

彼らの学年には百家の出身の者はいるが、十師族の者はいない。それこそ昨年の先輩の実力を目の当たりにし、自分の立場を思い知らされたが、結局それだけではないと学んだはずだ。

それが誰のおかげかだなんて、服部は口にする気はないが、少なくともあずさよりは冷静に受け止められていた。

 

昨年は接点が少なかったが、今年度に入り、服部は雅の人となりを知る機会が増えた。礼儀正しく、品行方正。少々毒気のある場合もあるが、七宝のような無礼者に対してのみであり、自分の立場を驕りもせず、他者を見下しもしない。

司波兄との関係を下世話に話す者がいると聞いた時も、冷ややかに呆れて『想像力が豊かなのでしょうね』の一言で片づけてしまった。

魔法実技、理論の成績も申し分なく、古式魔法の造詣に至っては、大学レベルの話ができる。

こう並べてみれば、非常に真面目な非の打ち所がない優等生だ。去年の自分と比べて劣等感を感じるが、理性がそれは意味のないことだと冷静に静止をかける。

 

「遠巻きに見て、勝手に壁を作ることこそ、九重が最も厭うことではないのか」

 

あくまで想像だが、服部はそう感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

期末テストを控えた7月8日、日曜日。

 

学校が休みのこの日、達也はFLTに出向いていた。

かねてから作成していた完全思考操作型CADの最終テストが、達也の到着を待ちきれなかった牛山の手によって行われていた。

 

世界初の完全思考操作型CADは、半年前にドイツのローゼン・マギ・クラフト社から発売されている。FLTとはコンセプトが異なり、想子波でスイッチを操作する専用機であり、携帯型というには大型である。

 

対してFLTでは魔法を記録しているCADは従来のままに、それを指で操作するのではなく、無系統魔法で操作するというコンセプトとなっている。ローゼンは専用機を必要とするが、FLTのものは従来使い慣れたCADをそのまま使用することができる点が大きなメリットだろう。

新たに従来のCADにペアリング用のソフトをインストールしなければならないが、過去五年間に発売されたCADの約八割をカバーし、特化型・汎用型の制限なく使用できるため、メーカーの枠を超えた大きな追加購入の需要が見込まれる。

 

その完全思考操作型CAD自体はとても小型で、直径3㎝、厚さ6mmの艶消し加工のされた銀色の円盤となっているため、首から下げて使用できる。

従来品のように想子波でCADのスイッチを操作する場合、間違ったスイッチを押してしまうこともあり、CADの認識誤認率も高かった。一方これは想子操作に慣れていない魔法師でも正確に起動式を選択でき、CADの誤認識もなくすことができていた。

コンセプトは異なるが、完全思考操作型のCADとしては上位互換品と言っても差しさわりないだろう。

 

魔法を発動させるための起動式をわざわざ魔法を使って出力するとあれば、一見回り道に見えるが、CADを動かす想子波は単純なものでよいため、魔法師にかかる負担は無視できる範囲だ。

実質、思考するだけで確実に魔法が選択できる点は大きく評価されるだろう。

完全思考操作型CADの最終テストを行い、バグ等も見つからなかったため、完成品となったCADを手土産に達也は自宅に戻っていた。

 

 

 

 

バグ対応や最終点検に予定していた午後の時間帯が丸々空いてしまったが、達也にこれといった予定はない。テスト前なのでテスト勉強をするのが普通なのだろうが、あいにく達也の場合、その必要は直前でもない。

魔法工学の最先端で活躍する達也にとって高校生レベルの魔法理論などまさしく釈迦に説法。その他一般科目も、ある程度出題範囲の教科書や問題集を確認すればよいだけのことだ。

 

家に残っている深雪や雅は流石にそういうわけにはいかないので、ある程度直前にも詰め込む方が効果的だが、理論に関しても二位、三位を入学時からキープしているため、今回も大きく出題傾向が変わらなければ、上位の順位は変わらないだろう。

 

深雪は九校戦の準備で随分と振り回されているようだし、雅も神楽の稽古で多忙だ。少しだけ息抜きに誘ってみても良いかもしれないと、達也はリビングの扉を開けた。

 

 

深雪は偶々手が離せないのか、珍しく達也を出迎える者はいなかった。

だが、リビングは無人ではない。

達也は足音を立てないように、ソファーに近づくと、そこに静かに寝息を立てている雅を見つけた。座ったままの姿勢で、ひじ掛け部分に体を預け、達也が近付いても起きる気配はない。

 

珍しいこともあるものだと思うのと同時に、流石の雅も激務だったと理解した。神事は新暦に合わせて行われているが、長年の慣習によって時期が決まっているため、たとえ雅がテスト前であろうと関係ない。

しかも今年は舞台が立て込んでいるため、いつも以上に稽古に掛ける時間が多い。

 

九重神楽の演目は術者の才能がそのまま反映される。

難しい演目をこなせる人材は、九重神楽の演者の中でも指折り数えるほどしかいない。雅もその一人に数えられるため、数か月先だけではなく、まだ7月だというのに既に来年に向けても動き出している。しかも、今回の九校戦では九島の工作もあり、雅も色々気苦労もあるのだろう。

 

ソファーという寝心地の良いとは言えない場所で不自然な格好を取っていると、体を痛めてしまうから起こすべきなのだろうが、いつもより少しだけあどけなく見える無防備な寝顔にこのままもう少し見ていたいという欲が出てくる。

 

どうするべきかと悩んだところで、リビングへと続く廊下から足音がした。

 

「おかえりなさいませ、達也様」

 

時間を見ても、おそらく昼食の準備をしに来たであろう、水波だった。どうやら彼女はここに雅が寝ていることは知らず、達也の気配を感じて入ってきたのだろう。水波が声を出したことで、雅もようやく目が覚めたようで、うっすらと目を開けた。

 

「え、あれ、達也?」

 

目の前に達也がいることに驚いた雅は目を白黒させた。

 

「おはよう、雅」

「お、おはよう」

 

雅は慌てて、体を起こし、手櫛で髪を整える。

 

「あの、その、ごめんなさい。だらしない恰好で」

「いや。疲れていたんだろう」

 

達也に寝顔を見られたのが恥ずかしかったのか、雅は達也から目を逸らしている。対して達也は一見複雑そうな苦笑いに見えて、実に困惑した緩んだ笑みを浮かべていた。

 

 

 

その場に居合わせた水波は達也のその表情を見て、内心ひどく驚いていた。

水波はこの4月から司波家で生活するようになったが、それまでは深雪はおろかガーディアンである達也とも訓練を一緒にするどころか言葉を交わしたことも無かった。

四葉家の使用人たちから聞く達也はひどく冷徹で、熱を持たない人形だと嘲笑われていた。四葉家当主の甥であるにもかかわらず、同じ一族の中からも疎まれている。

使える魔法が魔法なだけに、四葉もその力を手放せないが、そうは言っても放置するにはあまりに大きい力だと理解している。だから、いくつもの目に見える枷、見えない枷を設けてその行動を抑制している。

 

雅との婚姻は九重家から持ち掛けられたものだが、達也以外の誰かに嫁がせる方がよいのではないかとの声もある。九重のネームバリューは絶大だ。

魔法師社会だけではなく、一般社会にも名の知れた家であるため、歴史の浅い四葉にとっては願ってもない相手であり、その関係性を繋ぎとめるために達也は使われていると誰かが言っていた。種馬の子どもは所詮種馬かと揶揄されていることも耳にしたことがある。

 

 

使用人にも四葉家の人間にも悪評が多い達也だが、水波から見た達也は、シスコン、よく言えば妹想いの努力家だ。水波もガーディアンとして四葉の訓練で鍛えられてはいるが、一体どんな訓練を受ければ彼のようになれるのか想像できない。

血の滲むなどでは言い表せない。血反吐を吐いて、何度骨を折り、筋を傷つけ、打ちのめされ、倒されても、死ぬことができない体。

ガーディアンとしては理想なのだろうが、水波はそれを決して便利だなんて思わない。

 

水波も四葉で世話になっている以上、一般的な見方とは多少ずれているとは理解しているが、それでも彼のことは異常としか言えない。

 

勉学の面でも追随する者は学内にはおらず、魔法理論に至っては学生レベルとは言えない、紛うことなき天才。規格外の想子量を持ち、事象を改変するというごく普通の魔法が使えない部分を他の才能や技術で補っている。

彼にしか使えない『再成』と『分解』の魔法もさることながら、『精霊の眼(エレメンタルサイト)』といった特殊技能や『術式解体』といった圧倒的対抗魔法。世界で非公表、未確認も含め、50人もいないと言われる戦略級魔法師の一角。

 

異質で異常で天才で鬼才で、一個人に与えられるには理不尽なまでの戦力を有している。

その達也が、ごく普通の恋人に向けるように微笑みを浮かべていた。

その様子が水波にはまさに衝撃だった。

その微笑みは一瞬で、テスト勉強や九校戦の練習などからくる疲れから来た見間違いかと水波は思ってしまった。

まるで幾万の言葉を使ってその愛しさを語っても足りないほど、雄弁にその瞳から愛しさが滲み溢れていた。

 

達也は深雪以外を大切にできない、そうできないように彼の母によって魔法がかけられている。

そう水波は聞いている。

しかし、一緒に暮らしてきた中で達也と雅を見ていると、本当にそうなのかと疑いを持つようになった。雅は無条件に達也を信頼しているように見えるし、達也も雅を守ろうと動いている。

二人とも家で人目も憚らずに体を寄せたりすることは無く、むしろ深雪と達也だったり、深雪と雅の方がベタベタと接点が多い。

愛しているが愛されない恋人と愛することのできない恋人という悲しく空しい関係ではなく、まるで長年寄り添った夫婦のように同じ笑顔で微笑む。

 

本当に名前だけの関係なのだろうかと、疑いたくなる光景だった。

水波は達也の監視も当主から密命として受けている。彼が四葉転覆を図ることがないように、何重にも防壁は設けられているが、可能性は捨てきれない。

もし、雅のことを達也が本当に好いているのだとしたら、それは達也のアキレス腱になり得る。同時に、深夜様がかけられた魔法が解けかかっている、または既に解けている可能性がある。

 

このことを報告すべきか否か、水波は頭の中で思案した後、もう少し様子を見ることにした。まだその可能性があるだけの段階であり、報告するにしてもあくまで水波の主観的な情報のみで根拠が足りない気がしていた。

 

「水波ちゃん、お昼の準備?」

「あ、はい」

 

水波は考えている途中で急に雅に話しかけられ、上擦った声で返事をした。そういえば、そのためにキッチンに来たのだと、水波は平静を装って急いで昼食の準備を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月21日土曜日。

 

7月下旬になり、新競技の調整に手間を取られていた達也もようやく手が空くようになった。

 

新競技のシールドダウンやロアー・アンド・ガンナーの選手も形になってきており、練習相手の選手に勝ち越せるようになってきた。唯一気がかりなのはスティープルチェースだが、これは特に対策のしようもなく、演習林を使った体力作りがメインになっている。どんな仕掛けがされているのか不明なため、下手に対策して先入観を持たないようにするためだ。

 

 

学校もこの時期は土曜日の授業はなく、九校戦の準備が主体になっている。達也たちは選手とエンジニアであるため、午前中から練習に参加し、夕方には解散になった。

 

三人はまっすぐに家に帰ると、早めの夕食を取り、それなりにフォーマルな衣服に着替えると、キャビネットに乗り込んで目的地まで向かった。

三人が向かったのは東京駅近くにある四葉系列のホテルの談話室だった。

一般のチェックインならば受付にある機械に端末をかざせば、料金の支払いも鍵の受け取りもできてしまう。しかし、サービス業とあって細やかな部分は人間が対応する方が向いており、フロントにもスタッフが配置されている。

 

達也たちは宿泊ではないため、フロントのスタッフに予約の名前を伝えると、待ち合わせの相手はまだ到着していないようだった。

この場所は先方から指定されているが、相手は遠方から来るのと、達也たちが予定より早く来ていたため、それについては特に問題はない。

部屋に案内され、スタッフが出ていくと、達也はすぐさま盗聴器や盗撮器の類を調べるが、反応は白だった

 

達也たちが到着してから10分ほど待ったところで、待ち人は到着した。

 

「夜分にすまないね」

「ごきげんよう、達也お兄様、深雪お姉様」

 

ホテルには遅れて黒羽貢と黒羽亜夜子の二人が到着した。二人とも場所に合わせてスーツとワンピース姿だが、亜夜子のワンピースは趣味なのか、黒いレースがあしらわれたゴシックスタイルと呼ばれるものだった。

 

「いいえ。こちらこそ、調整を付けていただきありがとうございます」

 

達也と貢の目は礼儀的な笑顔を浮かべながらも、どこか挑戦的だった。

黒羽貢と達也の関係は、友好的とは言えない。

達也を兄のように慕う文弥や亜夜子とは友好的な関係が築けているだろうが、貢は四葉の諜報部門のトップと言っても差しさわりなく、達也も何度か接してきたが、常々その心を読ませるようなことがないと感じている。

情報自体は信頼できるが、達也の味方かと言われるとそうではない。

しかも本人にその気がどの程度あるかわからないが、文弥は四葉家次期当主候補の一人であり、深雪とはライバル関係になる。

文弥が次期当主に指名されれば、当然、一族の中で貢の地位も上がる。

 

対する貢も深雪の魔法師としての才能には一目置き、四葉家当主としての器はあると評価しているが、達也については、どこか冷ややかだった。

彼が有する魔法と戦闘能力は言うまでもないが、黒羽家当主として諜報の任務で幾度も命のやり取りをしてきた直観と、彼の生い立ちを知っているばかりに、嫌悪感の方が先に立つ。

 

目に見えない攻防は部屋に入る前からすでに始まっていた。

 

「こんばんは、亜夜子ちゃん。春の一件ではいろいろと力を貸してくれてありがとう」

「どういたしまして。達也お兄様と深雪お姉様のご尽力があったからこそ、ですよ」

 

表面上は明るくも冷え冷えとした空気を、深雪と亜夜子は修正しようと目いっぱい笑顔で挨拶を交わした。

黒羽家は四葉の中でも諜報を担っている。

本来ならば八雲との話し合いでは達也が奈良に出向き、パラサイドールの始末を考えていたが、京都の九重から正式に依頼があったことで、四葉家から静止がかかった。餅は餅屋ということで、諜報は黒羽家に一任されることとなった。

 

「早速だが、話をしようか。こちらも、予定があってね」

「分かりました」

 

貢の提案に5人は席に着き、飲み物を注文した。ウエイターが出て行ったあとの部屋にはすぐさま、水波の手によって電波と音波を遮断する障壁が構築され、完全な傍聴対策のとれた密室が出来上がる。

このホテル自体は四葉の系列であり、達也が盗聴器の有無は調べているが、話の内容が内容だけに用心しすぎることはない。

 

「それで、第九研究所で行われていたのはパラサイドールの研究で間違いはないですね」

 

達也の発言に、貢は亜夜子に目配せをした。

亜夜子はハンドバックから携帯端末用のデータカードを取り出した。

その表情がどこか得意げだったのは、気のせいではないだろう。

 

「こちらが、調査結果になります」

「これは亜夜子ちゃん一人で?」

「いや、流石に亜夜子だけの力ではないよ。九重から事前に情報を貰っていた分、こちらも動きやすかったことは確かだろう」

 

少し驚いたような深雪の言葉に貢が苦笑いを浮かべた。彼としては九重からの依頼だとしても、案内役が付いていた部分は不服なのだろう。

無事に仕事をするのか、監視役とも言っても差しさわりないだろう。

流石に魔法について詮索しないことは暗黙の了解となっていたが、身内以外に諜報活動を身近で見られるのは気分の良いものではなかったはずだ。

 

「流石に同じ十師族とあって、調査も容易ではありませんでした。情報がマスコミに流れれば糾弾必至の妖魔を使った兵器の開発。警備体制は非常に厳しいものでした」

「知ってのとおり、亜夜子の能力は諜報向きだからね。戦闘や制圧向きの能力の深雪ちゃんと得意分野が違っていて当然じゃないかな」

 

貢の言葉は客観的な事実であり、達也もそれに同意する。しかし、深雪の顔はどこか暗い。

 

集団の制圧において、深雪は亜夜子より勝っているが、きっと今この場で兄の役に立てているのは間違いなく亜夜子だ。深雪は昔から亜夜子に対抗心を抱いており、逆もまた然り。

 

得意分野が違うと言っても、今達也の手にあるデータカードが慰めを無意味にする。作戦の障害となり得る感情を達也のように割り切ったり、貢のように切り捨てたりするには、深雪もまだその部分については年相応らしい子どもだった。

 

 

 




サブタイトル:家政婦、水波は見た|д゚)!


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スティープルチェース編4

『スティープルチェイス』と『スティープルチェース』は後者の方が正しいそうです。発見次第、直していきます(;・∀・)


最近寒いですね。もっふもふの毛布にくるまれて、眠りたいだけの人生だった。_(:3 」∠)_


 

月曜日の朝。

 

達也は九重寺を訪れていた。いつもなら付いてくる深雪は達也に言い包められて、雅も昨晩遅くに京都から戻ったばかりとあって、共に不在だ。

門人たちが敷地に足を踏み入れた瞬間に襲い掛かってくるのもいつも通りであり、達也は面倒に思いながらも一撃で倒していった。

僧坊内に結界を張り、八雲と達也は向かい合っていた。

 

「わざわざ、京都まで足を運んだ甲斐があったよ」

 

八雲はケーブルを使い、達也の端末にデータを発信した。

八雲は土曜日から日曜日にかけて、九重神楽の観覧と合わせて情報収集のために京都へ出向いていた。

四葉とは別口、それこそ彼独自のルートで調べた情報網は達也も全容は把握していないが、その情報が偽りだったことは今までない。

達也と深雪の正体のように掴めないものはあっても、間違ったものを掴まされたことはない。例え間違った情報だとしても、そこから推理をし、正しい情報にたどり着く。まさしく忍びの如く、諜報能力は非常に優れている。

 

今回八雲が達也に見せた情報は、顔写真と簡単な身上書だった。名前も顔立ちも漢人風の三人の男だ。

 

「これは、亡命してきた大亜連合の方術士ですか」

「先週密入国した方術使いだよ」

「タイミングが良すぎるように思われますが」

 

身上書には、彼らの得意魔法まで記録されていた。

彼らは木や石、金属で作った傀儡を操る術者であり、その術は達也が黒羽から受け取ったパラサイドールの操作の術式と方法が似ている。傀儡とは仮初の意思を与える孤立情報体、それに働きかける精神干渉系魔法をベースにしている。

更に特記事項として、他の術者のコントロール下にある孤立情報体を奪い取る術、孤立情報体を制御から切り離して暴走させる術に長けていると記述されていた。

 

「偶然じゃないだろうね。今回の実験を利用しようとする者に招かれたのだろう」

「利用する?彼らを招いたのは九島家の意図するところではないとのこと……ああ、そうか」

 

達也の八雲への質問は、途中から独り言へと変わった。

今回も一筋縄ではいかない相手のようだ。

通常、兵器を暴走させることに九島の利はない。

しかし、それが敵ならば、おかしくはない。つまり、九島家は意図しない形で敵を招き入れてしまったということになる。

 

「それについては神楽の見物ついでに悠君から話を聞いてきたよ」

 

どうやら、最初に動いたのは国防軍の強硬派であり、九島のパラサイドールはそれに便乗した形になる。

強硬派は、昨年の横浜事変と灼熱のハロウィンでの一件で結ばれた大亜連合との講和に反対する派閥だ。

総艦隊の三割を失って弱体化しているこの機に、長期的な侵略の脅威を取り除くという名目で、大亜連合との開戦に踏み切ろうとしていた。横浜事変以前はそれほどまで強い意見ではなかったが、それ以降は講和を結んだことで、強硬派の結束を強めることとなってしまった。

 

この勢力は国防軍幹部も無視できない範囲まできてしまっている。魔法協会に対する圧力は容認されたものの、今年の九校戦が軍事色が強いのは強硬派に配慮してのことだった。

 

「これが今回の九校戦に関する軍内部のイザコザの顛末だよ。最も、九島の意図するところは、別のところにあると僕は考えている」

「別のところ?」

 

達也は訝しげに眉を寄せた。

 

「悠君の推測もあるけれど、老師はどちらかと言えば、魔法師の軍事利用に反対している。彼自身の従軍経験がそうであり、また彼には多くの家族がいる。最初から魔法師を兵器とするのではなく、魔法を使ったパラサイドールに魔法師がやられるところを見せつけて、軍事的にはパラサイドールの開発を進める方が有益だと思わせたいんじゃないかな」

「言いたいことは理解しますが、有効な方法だとは思いませんね」

「あくまで推測だからね」

 

八雲はいつも通りの笑みを浮かべた。

 

魔法の軍事利用については、未だ議論が尽きない大きな課題だ。各国がその戦力を保持している以上、日本だけが軍事面で魔法を排除することはできない。戦時下における魔法の有効性については、昨今の横浜事変で明らかになった。

彼が今後の魔法師の未来を憂いて今回の一件を企てたのだとしたら、多少の犠牲など長い目で見れば些細なものだと思っているのかもしれない。

しかし、達也はそれを看過することはできない。

最愛の妹がその標的となっている以上、達也はそれを排除する責任があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

九校戦を控えた学期最終日。

 

全校生徒を集め、九校戦選手団の発足式と壮行式が行われる。

 

魔法科高校では実験や実習、体育などを除き、標準的な学習速度は決められているものの、およそ座学は授業自体が各自のペースによって進められる。そのため、上級生ほど休み時間と授業時間の区別が無視される傾向にある。それが全校生徒をわざわざ集めるとなると、それだけ学校側が九校戦を重視しているかがわかる。

 

選手にはテラード型のスポーツジャケット、技術スタッフにはブルゾンが配布され、ID用の紀章を壇上で付けてもらうことになっている。昨年度の進行役は生徒会長であった七草先輩が、選手に紀章を付けて回る担当は深雪だった。

 

今年も同じく深雪が紀章を付けている。

昨年度同じように出場した選手もタジタジとしながらであったのに、まして初めて九校戦の選手に選ばれた一年生は心臓が爆発しそうなほど緊張していた。普段は遠巻きにしか見ることができない絶世の美少女が手の届く距離、それも紀章を付けるためとはいえ自分の胸元に手を添えているとあれば、男子も女子もソワソワと落ち着かない様子だった。

 

「去年もこんな感じだったの?」

「まあね。去年は達也君のメンバー入りが気に食わない輩もいたから、もうちょっとピリピリしていたのよねー」

 

呆れたように小声で雅とエリカは話していた。九校戦代表者以外の生徒の席割りは自由のはずだが、自然と一科生が前、二科生は後ろという暗黙のルールができていた。

 

しかし、去年は一科生や上級生が占めている周りの白い目も気にせず、E組の生徒が前を陣取っていた。言わずもがな、二科生唯一かつ、一年生初の技術スタッフとして達也が選ばれたことを応援するためだった。

それを企画したエリカの中にはエリート意識を逆なでしようとする愉快犯的な意識もあったが、それを雅に言ったところで反感を買うこともなく、流されてしまうのだろうとエリカは分かっているので、口にはしなかった。

今年は達也が魔法工学科の生徒として、エリカやレオとは別のクラスになったため、大人しく全体の中ほどの席で見ている。

 

「けど、あの女がこれ見よがしに勝ち誇ったように見下しているのは、気に食わないわね」

 

エリカは壇上でこちらを愉悦感に浸りながら見てきたある女子生徒をにらみ返した。

雅が出場を辞退した事情をどれだけ知っているのか、知らずにやっているのか、エリカにはわからないが、それでも友人が嘗められて平然としているほどエリカは薄情ではない。

ある程度離れていても、エリカの目つきは死線を潜り抜けてきた経験から来る鋭さもあり、一般市民の女子生徒には過剰な圧力だったようで、あからさまに視線を逸らし、拳を握りしめながら平静を装っていた。

 

「流石に九校戦の邪魔はしないと思うから、それでいいわ」

 

雅はさらりと気に留めていないことを告げた。

エリカは本人以外が怒り散らしても仕方ないと、もやもやとした気持ちは残りながらも渋々ながら怒気を沈めた。

 

虚仮にされて平静でいる雅が不思議だが、きっと彼女はこの程度は慣れっこなのだと何となく察してしまった。古い家であれば、それだけその縁に群がろうとしてくる大人たちも多くいるだろう。それを妬む輩も当然あるだろうが、いちいち腹を立てていてもきりがない。

 

達也と深雪に告げ口してやろうかと考えたが、威を借る狐のようで、エリカはその考えを打ち消した。

 

そうこう思っている間に壮行式はつつがなく終了し、最後に技術スタッフの一年生の名前が呼ばれたところで、講堂は選ばれたメンバーに向けられた拍手の音に包まれた。

 

 

 

 

 

 

その日の放課後。

 

部活連では、九校戦に向けた最終確認が行われていた。

部活連の主な役割は選手選出に関わる部分だが、昨年度は呪物が本部の地下に埋め込まれたり、電子金蚕が仕込まれたりと、予想外の出来事が多かったため、今年はローテーションで警備を組むことになっている。

本部には生徒会メンバーをはじめとした生徒が待機しており、基本的には無人にならないようにタイムスケジュールが組まれている。

明日の出発を控え、部活連では予定の再確認と有志でプチ壮行会を企画していた。

 

今日は各自、最終調整で練習も無理をしないようにと通達されているため、息抜きも兼ねて毎年行われているそうだ。

ちょっとしたお菓子とジュースの用意された親睦会のようなものだ。部活連の役員は基本的に部活動でも成績上位者から選ばれているので、九校戦の出場者は多い。

 

特に服部先輩や十三束君は上位進出が期待されている。七宝君も学年主席なので、先輩から励ましの声を掛けられ、得意気だった。

例年は男子生徒の多い部活連だが、今年は女子生徒も半数近くいる。

服部先輩が掲げた方針だが、思ったよりうまく機能している。

非魔法系の文化系競技が蔑ろにされていた、とまではいかないが、校風的にもどうしても魔法競技系の部活動の発言力が強くなる。服部先輩が取り入れた体制になってから、少しはそれが是正されたと上級生から聞いた。

 

十文字先輩はよく言えばカリスマ性がある、言い換えればワンマンタイプだったが、服部先輩はうまく周りの意見を集約し、妥協点を詰めていっている。例えば、例年取り合いになる体育館や運動場の使用日や、生徒会との予算の折衝なども、生徒会で揉まれたノウハウがあってか、上手に処理している。

 

今年は安泰だなと、私は先輩たちの話に相槌を打ちながら、こっそりと時間を確認した。一応今日で一学期は終了なので、私は明日の早朝に京都の実家に戻る予定になっている。適当なところで、そろそろ切り上げた方がいいだろう。

 

 

「でも、九重さんが出場辞退って、何事かと思ったわよ」

「すみません。今年はどうしても、外せない行事が多くて…」

「いいのよ。それだけ今年は凄いことするんでしょう」

 

部活連に女子生徒が増えたとはいえ、男子は男子、女子は女子で固まっている。かく言う私も女子の先輩や同級生と話をしている。

この二人も九校戦には出場しないので、どちらかと言えば九校戦のことは蚊帳の外だ。ボランティアとしては参加するそうだが、ボランティアはあくまで自主的な参加なので、仕事は正規スタッフに比べると少ないが、夏季課題は免除にならないので、それについても愚痴っていた。

 

「でも、司波兄妹は寂しがるんじゃない?」

「そうそう。応援も来れないんだっけ?」

「そうですね。深雪には泣きつかれました」

「へえ~」

「ちなみに司波君は?」

 

先輩の発言に、他のグループでも聞き耳を立てている人がいる。

部活連に入ってから揶揄われることは減ったが、今日は無礼講的な雰囲気も出ているため、二人も踏み込んできたのだろう。面白い回答は返せないと思いながら、私が口を開きかけた途中で横から口を挟まれた。

 

「無計画に子どもを作って、出場辞退だなんて九重は良い身分ですね。しかも、相手は司波先輩ですか」

 

七宝君は私を見て、嫌悪感をむき出しにしてそう言った。七宝君の発言の内容に、私たちだけではなく、部屋一帯が静まり返った。

 

「子ども?私が?」

 

訳が分からないと問い返すと、七宝君はとぼけるなと怒気を強めた。

 

「妊娠中なんでしょう、先輩。九校戦なんて危なくて出場できないのは当然でしょうね」

「本当か、九重」

 

あまりの事態に服部先輩が事実確認をした。部屋にいる他の人たちもざわざわと、本当かどうかと野次馬めいた目を私たちに向けている。

 

「いえ。そんな事実はありませんし、そんなデマは一体誰が?」

 

正直、全く身に覚えがない。

九重では女性が神職としてあるためには、男装をすることと、純潔でなければならない。バイトの方たちは違うが、神楽を舞うような正式な巫女は未婚の女子だけだ。

 

私と達也は婚約者という間柄だが、当然そこまで進んだ関係ではない。

七宝君の発言から、私と達也が交際関係にあることは先ほど知ったようだし、なぜ私が“妊娠して九校戦に出場できない“なんて突拍子もない考えに至ったのか理解できなかった。

 

「誰って、先輩本人がそう言っていたじゃないですか。2月が予定日なんでしょう。ベビー用品のこととか、性別のこととか、ヘラヘラと話していたじゃないですか」

「………あっ」

 

ベビー用品と2月ということで私には真相が理解できたが、私の反応にほら見ろと勝ち誇ったような七宝君の姿に、事実だったのかとざわめきが広がる室内。

しかし、彼はとてつもない勘違いをしているようだ。

 

「七宝君、それは私じゃなくて兄夫婦のことなのだけれど」

「えっ」

「新婚の兄夫婦の話を私のことと勘違いしたんじゃないかしら」

 

兄夫婦の第一子が来年2月に生まれてくる予定だ。

まだ安定期には入っていないため、悪阻で義姉が参っていると話を聞いていた。ベビー用品のことや、予定日の話は確かに学校でもしていた覚えがあるので、それを七宝君が一部分だけ聞き、間違った方に解釈してしまったのだろう。

 

「え、じゃあ。先輩がわざわざ九校戦の出場を辞退するのは、なぜですか」

「それは舞台が立て込んでいる、と説明したと思うのだけれど」

 

彼は怒りからか、羞恥心からか顔を真っ赤に染め、ようやく自分の勘違いを思い知ったようだ。

なんだ、そんなことかと、周りも安堵していた。

しかし、勘違いとは言え、妊娠なんて言われて私は正直気分がいいものではない。

 

「九校戦を蹴ってまで政治家に媚び諂う舞台が大切ですか!」

 

だが、私の回答に納得しないのか、七宝君は半ば叫ぶようにそう言った。

自分の過ちを謝罪しないあたり、4月からあまり成長していないのかもしれない。なぜこんなにも私を目の敵にするのか知らないが、彼には良い感情は持たれていないようだ。

 

「招待した方の中には政治に関わる方もいらっしゃるけれど、大半が九重の氏子さんたちよ。近世以前でもないのに、そんなインターネットに広がる陰謀めいた俗説に振り回されているのかしら」

 

ネット上の掲示板には、寺社仏閣に纏わる眉唾な話やオカルトめいた話が溢れており、歴史の古い九重神宮に関する発言もある。中には事実もあるだろうが、どこまでが虚構でどこまでが事実なのかわからない情報に振り回されるなんて、幼稚すぎる。

七宝君に対して白けた雰囲気が広がる。時間もそろそろいいだろう。

 

「すみません。空気を悪くしてしまいましたね。私は先に失礼します。応援には行けませんが、九校戦での活躍を楽しみにしています」

 

私は鞄を持って、一礼して部活連の部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

静まり返った部屋で、一言も謝罪をせず、勘違いで雅を貶した七宝琢磨には当然、上級生たちから厳しい目が向けられていた。

 

「蒸し返すようで悪いけれど、七宝君の発言はセクハラに取られても当然の言葉だから、気を付けた方がいいよ」

「九校戦だけれど、自分の言葉としてではなく、一高の発言として取られるからね」

 

雅が出て行った後、上級生女子からの冷ややかな視線を浴び、七宝は委縮した。琢磨は女子を敵に回すと面倒だということは理解しており、特に集団の女子は恐ろしい。一人に話したことが、翌日にはクラス中を超えて広がっているなんてことは往々にしてあることだ。

琢磨がしでかしたこの失敗も、面白おかしく尾鰭を付けて、吹聴されるだろう。

 

しかも相手はあの九重雅。

学年を超えた有名人を相手に、七宝は自分がとんでもない発言をしたことを棚に上げ、リカバリしなければと考えていた。またしても恥をかいたと、七宝は歯を食いしばった。

 

やることなすこと、雅に関してはすべて裏目に出ているような気がしていて、つい威勢を張ってしまう。

謙虚さがないと馬鹿にされることはあったが、それは自信の表れでもあったし、琢磨は間違いなく自分は優秀な魔法師だと思っていた。

司波兄妹や十三束の実力を目の当たりにし、その柱が揺らいでいたが、最近では少しずつ周りの意見も聞くようにしていた。先輩からの信頼も少しずつ築いていると感じていた。

しかし、崩すのは一瞬だった。

 

 

「司波と九重は確かに婚約関係にあるが、外野が邪推していい話ではなかったな」

 

一言も言葉を発しない琢磨の場の空気を持つように、服部がため息交じりに漏らした。

 

雅と達也の関係は上級生の中ではよく知られた関係だ。二人でいてイチャイチャと目立つことは某バカップルのようになく、むしろ深雪と雅や深雪と達也の方が普段は目につくので、目立ちはしない。なので、一年生の間ではあまり知られていない事実だった。

 

「えっ、婚約者なんですか?!」

 

あれだけ大口を叩いてそんなことも知らなかったのかと、上級生はさらに呆れた目をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一応今日からは夏休みだが、達也も深雪も昨年同様、九校戦にかかりきりになるため、あまり休みという感じはない。

今年は8月3日に前夜祭があり、比較的会場に近い一高は昨年度と同じく、3日の朝に出発となっている。

今年の大会日程は前夜祭を含め、全12日間の予定だ。

競技変更の影響も考慮してか、今年は2日遅い開催となった。

雅は明日の早朝の便で実家に戻るため、司波家でゆっくりとしていた。

部屋着のコーディネートから深雪お手製の手の込んだ夕飯を食べ、水波も内心たじろぐほどの甲斐甲斐しさだった。

 

深雪が背中を流したいという申し出をしてきたときは、思わず雅も即決で断っていた。司波家のお風呂は一般家庭より広々としているだろうが、公衆浴場でもないので、狭い浴室に二人きりというのは気が引けた。

今は達也の部屋に避難している。

深雪も達也と一緒ならば邪魔をするのは無粋という考えが先に立つようで、コーヒーを持ってきた後の突撃は今のところなかった。

 

「深雪が随分と世話を掛けたな」

「生徒会の仕事で大変だったみたいね」

 

深雪はもともと、世話焼きの方だ。ストレスが溜まると逆に甲斐甲斐しくなり、今回は一段と手伝いなど手をかけていた。

雅も達也も慣れているが、あまりに近しい様子に水波は完全に我関せずの状態を貫いていた。明日からしばらく会えないとはいえ、恋人以上に近い距離に、もしかしてこっちの方がデキているのでは?と水波が邪推するほどだった。

 

「達也はどうなの?」

 

達也には深雪以上に負担が掛かっている。

昨年度より多い選手のCAD調整に加え、作戦スタッフも兼任している。

昨年度からの競技変更に加えてパラサイドールのこともあり、九校戦に入る前から気を揉んでいるはずだ。

後輩である一年生の技術スタッフの指導も行っているようで、いくら達也が人並み以上に色々できるとはいえ、限度がある。

 

「疲れた、と言って休むわけにはいかないからな」

 

達也には深雪を守る使命がある。

それは単に家族だからという理由だけではなく、妹しか家族として愛するということができない魔法の枷であり、四葉家で達也が生かされている理由でもある。達也だから、の一言で片づけられてしまうことが雅は嫌だった。しかも今回ばかりは手を貸すことはできない。

 

 

達也は雅の迷いを感じつつも、明日早い出発のために、もう寝るようにと促す。雅は若干、迷った後、小さく腕を広げた。

 

「えっと、その……。ハグをしてもらうと、ストレスが軽減されているという結果があってね、その…しばらく会えないし………」

 

雅は懸命に言葉を探すが、徐々に言葉尻が小さくなっていく。

雅は何をしてしまったんだと内心思いながらも、手を広げてしまった手前、今更引っ込めるのもおかしい。これで達也が何か言えばいいのだが、生憎笑い出しもしないので、雅は居たたまれない気持ちになる。雅の視線は恥ずかしさを誤魔化すように彷徨っている。

 

達也は一歩距離を詰めると、ゆっくりと雅の肩に顔を埋めた。

 

「ありがとう、雅」

「どういたしまして?」

 

少しだけ戸惑いながら雅は、優しく達也の髪を梳いた。いつもとは逆のパターンだが、達也には予想以上に照れくさいものだった。

 

四葉にいた際に、誰かに頭を撫でられることは、達也の記憶の中でおよそない。子どもにするような労りの動作の感覚は、おそらく九重に預けられていた幼少期に受けたものだろう。

自分が深雪を守るだけにプログラムされた兵器ではなく、人として育ててくれた九重に達也は感謝している。九重へ達也が預けられたのは、人として基本的な感情を育てるためだった。

 

四葉の中の教育だけでは、達也はおそらく歪んでいた。生まれた時から忌避されて育ったとしたら、深雪を妹として愛する心すら育たないだろう。

感情のコントロールも人との関係づくりも、親との関わりで学ぶものである。無条件に大切にしてくれる存在は心の安寧にもなり、幼少期の子どもには欠かせない存在である。

 

そして、道徳観の基礎はおよそ3歳ごろに築かれる。おそらくその時期に、九重から切り離されたのは躊躇なく人を殺すことができる兵器としての訓練を積むためだった。別れ際、痛まし気に顔を歪ませ、達也を抱きしめた雅の母の顔は未だに記憶している。

これから自分が歩く道を、自分の子どものことであるかのように、心を痛めてくれた。それがどれだけ幸運だったか、どれだけ今の自分に重要なことだったか、今になって思い知る。

 

達也の胸に宿る感情の名前の土台は九重から与えられ、雅が芽吹かせた。

あるかないかの感情は、温かく、愛おしく、そして少しむず痒い。

 

達也は一度雅から離れると、今度は達也から抱きしめる。

達也にはやはり、こちらの方が落ち着いた。雅はその背中に縋るように小さくシャツを握る。

 

「ごめんなさい」

 

依頼をされているとはいえ、九島の一件を達也に片づけさせてしまうこと、傍に居られないこと、深雪を危険な目に合わせる可能性があること。

何に対する謝罪か、達也も聞かなかった。

 

「謝る必要はない。雅は雅のなすべきことをしてくれればいい」

「無理はしないって言える?」

「約束はできないかな」

 

達也は苦笑いをした。雅も顔は見えていないが、それは感じ取っていた。

 

「俺はそういう風にできているから」

 

諦めのようなつぶやきに、雅の心は締め付けられる。

冷静に状況を判断できるが故、達也は自分ができることとできないことを理解している。

できないことにできる可能性を見出し、できるようにすることは可能だが、自分の体の安全については無頓着な部分がある。

『再成』という魔法の存在がそうさせている部分もあるが、間違いなく彼の考え方には四葉の洗脳と狂気じみた戦闘訓練が大きな影響を及ぼしている。

雅も戦闘訓練や諜報訓練はなされているが、それでも人に行う範疇である。

 

「それでも、私は嫌よ」

 

身勝手なわがままだと理解している。

矛盾していると理解している。

それでも雅は達也を傷つけ、死線に向かわせる運命に抗いたかった。

 




次回、ようやく九校戦に入ります。
懐かしい去年の面々が登場予定です。


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スティープルチェース編5

毎回、ワードで下書きしてから、こっちに更新しているのですが、書いてたデータの一部飛びました( ;∀;)
フリーズしたので再起動して、自動保存から復活させようとしたところで間違えたみたいで、この話の3分の1くらいが消えてました。その日は流石にふて寝しました(ノД`)・゜・。

劣等生はついに、20巻発売されました。これから読みます


 

例年、第一高校では九校戦の前夜祭当日に会場入りしている。

今年の日程は前夜祭が8月3日、開会式は一日挟んだ8月5日となっている。去年のように会長が集合時刻に遅れてくることもなく、テロリストの自爆攻撃に巻き込まれることも無く、いたって安全に予定通りに一高選手団は会場入りを果たした。

 

昨年度と違うのは、今年は作業車がグレードアップしたことだろう。キャンピングカーを流用したこの車は給湯システムも搭載されており、昨年度が小型ワゴン程度の規模と設備だったことを考えると格段に豪勢になっている。

 

当然、これは深雪が一枚噛んでいる。昨年度は名誉ある九校戦の技術スタッフでありながら、狭苦しい作業車に兄を追いやることに不満と怒りを抱いていた深雪は、技術スタッフの居住性改善を断行した。

当然その資金は自分の父に(正確にはFLTの名義で)出させるつもりだったが、雫の父からの寄付でその全額は賄われた。しかも、その台数は4台。

比較的安価なキャンピングカーが登場しているとはいえ、それを流用しているとあればカスタム費用が別途かかる。それも4台となれば、寄付の大きさがうかがえるだろう。それは他校から見てもその充実さは目を丸くするものだった。

深雪は兄のことにはとことんわがままになるが、他のスタッフも恩恵にあやかれるとあって、皆表立って反対することも、意見することもなかった。

 

今年の一高選手団は競技変更に伴い、本選男女選手各12名、新人戦男女選手各9名、作戦スタッフ4名、技術スタッフ8名の全54名となっている。

作業車には一人ずつ技術スタッフが乗り込む形になっており、達也と五十里も勿論そちらに乗るつもりだったが、二人とも作戦スタッフを兼ねているからと説得されたため、大型バスに乗り込むことになった。

説得したのは誰なのか言うまでもないだろう。

 

加えて、今年はロボ研が所有しているヒューマノイド・ホームヘルパーのピクシーも作業車に乗り込んでいる。名目としては人手不足な技術スタッフの補助ということだが、ピクシーにはパラサイトが寄生している。一般生徒には伏せられていることだが、達也に従属しており、攻撃性はないため、存在を知っているあずさや五十里も特に問題視していない。

 

九島家が九校戦を使って稼働実験を企てているパラサイドールもパラサイトを流用したものであり、活動状態にあるパラサイトは互いを認識することができる。ピクシーもその目的で連れてきていることに加え、サイキックの使用許可を出せばいざという時の保険にもなる。

 

達也がピクシーを同行させることについては、一部の選手やスタッフは疑問と反感を持っていたようだが、昨年度散々達也の奇策を見せつけられた上級生にしてみれば、達也ならばヒューマノイドだろうと無駄なく使うのだろうと半ば感覚がマヒしていた。

 

 

 

 

 

一高選手団は定刻通り会場に到着し、前夜祭パーティの開催を迎えていた。立食形式とは言え、前夜祭の段階では各校固まっていることが多い。

生徒会や部活連など顔役はあいさつ回りをしていたり、旧知の間柄ならば話に花が咲いていることもあるが、開始すぐとあってまだそのような者はまばらだった。

 

達也の隣には深雪が立っており、達也の胸元を見ながら、嬉しそうに微笑んだ。

 

「どうしたんだ、深雪」

 

達也は深雪が作り笑いなのか、本心から笑っているのか見分けられるが、いきなり微笑んだ深雪の、心から嬉しそうな様子の理由が気になり、問いかけた。

 

「お兄様に魔法工学科の制服がよくお似合いで、深雪は嬉しくなってしまったのです」

「改めて、どうしたんだ。もう4か月もこの制服を見ているはずだろう」

 

深雪の背後に控えた水波もなんなんだ、この人と冷めた目をしていたが、その意見はこの場では少数派だった。

 

「私もそう思います」

「私も」

 

勢いよく同意するほのかに、小さく頷く雫。

 

「そうそう。去年はしっくりこない気がしていたんだよ」

「だよねー」

 

スバルと英美も同意し、達也は面食らっていた。達也の周りには二年女子から選抜された生徒が全員揃っていた。しかも、スバル以外は達也が担当する選手だ。

 

同じ2年男子の十三束や幹比古や森崎は沢木につかまり、3年生に囲まれてこちらも居心地が悪そうにしている。幹比古は昨年度の実績も認められ、今年度九校戦の正式選手としてこの場に立っている。居心地が悪そうにしながらも、去年とは顔つきが違うなと周りの生徒たちもそれは理解していた。

 

出場競技は深雪が昨年度に引き続きアイス・ピラーズ・ブレイクのソロ、同競技で雫が花音とペアだ。

スバルとほのかは昨年同様、ミラージ・バット、エイミィは3年の先輩とペアでロアー・アンド・ガンナーに出場予定だ。

達也は女子が苦手というわけではないが、間違いなく美少女と呼ばれる少女たちに囲まれて、落ち着かない部分がある。

達也は居心地の悪さを誤魔化すように会場を見回すと、同じように女子生徒に囲まれている男子生徒を見つけた。その人物も達也と目が合うと、その女子を引きつれたまま、達也の方に向かってきた。

 

「お久しぶりです、司波さん」

「ええ、ご無沙汰しております、一条さん」

 

真っ先に達也ではなく、深雪に声をかけながらも緊張で強張る一条に対して、愛想笑いが板についた深雪。一瞬場が白けるが、すぐさまフォローに回る人物がいた。

 

「横浜事変以来ですね。変わりなさそうでなによりです、司波達也君」

 

一条は男子一人というわけではなく、相棒兼参謀の吉祥寺真紅郎も一緒だった。

 

「そちらも壮健で何よりだ、吉祥寺」

 

ややぶっきらぼうながら、彼にしては友好的に達也が応じ、その横にいる一条にも視線を向けた。

 

「そして、一条。横浜でも大活躍だったそうだな。流石はクリムゾン・プリンス」

「その呼び方、やめてくれないか」

 

一条は二つ名とも言われる『クリムゾン・プリンス』の呼び方がお気に召さなかったようで、辟易としたような苦い顔をしていた。

 

「嫌だったか?揶揄ったつもりはなかったんだが」

「仰々しいのが嫌なんだよ。普通に一条、でいいだろう」

「分かった」

 

達也は素直にうなずいた。

一条はやや意外そうだったが、何が意外かは口にしなかった。その間に一高女子と三高女子の間では和気藹々と交流をしており、達也たちにとっては好都合だった。

 

 

 

「それにしても、本当に来ていないんだな」

 

一条は会場を見まわしながら、確認するように呟いた。誰が、と言わなくても達也と深雪には理解できたが、吉祥寺が冷静に補足した。

 

「選手名簿に九重さんの名前がなくて、驚きました。上杉先輩には当然だろうと言われていましたが、昨年の君のようにピンチヒッタ-で出てくるなんてことは無いですよね」

「優勝を狙える選手を揃えているので、その心配はない」

 

不遜とも、自信とも取られる言い方で達也が冷静に答えると、一条と吉祥寺の目も挑戦的なものになる。

 

司波達也は二人にとって苦杯を飲まされた相手だ。戦術、戦略もさることながら、レギュレーションの規定はあったとはいえ、実戦形式の試合で十師族次期当主である一条将輝に膝をつかせた無名の家の選手。

一条も吉祥寺も伝手を使って身辺を調べてみたが、彼らに繋がるそれらしい有力な家の名前は出てこない。当然、二人の行動は一条家当主の知る所であり、九重と旧知の間柄ならばその素性が出てこなくても当然と釘を刺され、それ以上の詮索はできなかった。

一条としては深雪に気があるので、ゆくゆくは家柄は気になることであったが、司波達也に雪辱を果たすには関係のないことだった。

 

「それは楽しみにしています」

「ですが、こちらも去年のようにはいかないですよ」

 

闘志に燃える二人に心揺さぶられることは無く、達也は高校生らしいなとどこか達観してみていた。逆にそれが二人には挑戦的に見え、益々やる気を出しているのに気が付いていたが、これ以上の言葉は蛇足な気がして、達也は特に反論はしなかった。

 

 

 

まるで試合前のようなピリっとした雰囲気をわざと壊すかのように、気の抜けた明るい声で、一人の女子生徒が会話に割り込んだ。

 

「どうもー。邪魔するで」

 

一高でも三高でもない、制服。サイドテールにしている髪がピョコっと撥ねている女子生徒だった。

 

「久しぶりやな、司波兄妹」

 

にっと効果音の付きそうな笑顔を片手に気軽に手を挙げると、深雪にハイタッチをねだる彼女に、深雪は「久しぶりね」と、パチンと軽く手を合わせる。女子高生らしい気軽な様子に一条が奥歯を噛みしめたのは、達也も吉祥寺も見なかったことにした。

 

「んで、プリンスは知らんやろうからな。二高二年、香々地燈(かかじ あかり)や。よろしゅう」

「プリンスはやめろ。それに、1年生で去年の氷倒し本選優勝者だ。知らないわけじゃない」

「今年はシールド・ダウン、ソロに出場予定ですよね。司波君とはお知り合いだったんですね」

 

一条も吉祥寺も彼女のことは知っていた。昨年度、詠唱による精霊喚起という手法で本選の氷倒し優勝を飾った選手だ。今年度出場予定のシールド・ダウンも中学生統合武術王者の肩書を持って優勝候補筆頭と言われている。

 

「記憶力ええな、王子様。ついでに一高と三高だけが、美味しいところ取るわけやないから覚えとき」

 

どうやら先ほどの会話もばっちり聞かれていたようで、一条にメンチを切りながら、燈が宣言する。尤も本人の小柄さと相まって、目つきの鋭い上目遣いにしか見えないのが、勿体ないところだった。どうしても、可愛らしさが抜けないので、深雪は笑っては失礼だとは思いながら、緩む頬を必死に抑えていた。

 

「それで、世間話をしに来たわけじゃないだろう」

 

達也が本題を切り出すと、せっかちだなと言いたげな様子で燈は肩をすくめた。

 

「せやな。紅王子はさておき、ウチが来た理由は分かってはるんやろ」

「香々地さん、おちょくっているのか?」

 

プリンス、王子様などと一条の二つ名を明らかに意識していじっている燈の様子に、一条は深雪の手前、できるだけ苛立ちを面に見せないように問いかけた。

 

「天丼や、天丼。ちっさいこと気にしとると、モテへんよ、クリムゾン・プリンス」

 

余計なお世話だと言いたげな一条を尻目に、燈はふざけた様子を一転、声を潜めた。

 

「まあ、この九校戦に誰の息が掛かっているのか、知っとるやろ」

 

同時に燈がなにかしらの術を展開したのを残りの4人はすぐに感じ取った。障壁とまではいかないが、音声を一定方向以上に広がらないようにする術式であり、精霊魔法の一種だった。念のため達也も眼を広げるが、こちらに聞き耳を立てていたり、盗聴の気配はないことを確認する。

 

「今年の九校戦、変だとは思ったが、やはり九校戦が魔法技能を競わせる以外の意図に浸食されているのか」

「は?調べとらんのか」

 

聞き間違いかと言わんばかりに燈は眉を顰める。一条がろくに調べていないことをその一言で察した燈は、馬鹿だろうと言いたげな様子で、呆れて聞き返す。

 

「名前は飾りとちゃうねんよ、王子様。疑問に思ったら調べるなんて小学生でも今時知っとるし、まして危険だと分かっとるなら、情報の有無が死線をわけるなんてザラやろう」

 

意味しているのはスティープルチェースのことだった。

今年度の九校戦は異例尽くしだ。それでも競技変更や戦闘系競技に偏った競技構成はまだ理解できる。

だが、スティープルチェースは軍事訓練に用いられるものであり、それを疲れが残る最終日に行うリスクを魔法協会が鑑みないわけがない。一種のショー的側面のある九校戦において、競技の様子が一切中継されないのもおかしな点である。

 

加えて、試合中に死傷者が出れば非魔法師団体の格好の餌食となるのは目に見えた構図だ。去年のような犯罪組織の妨害はまだ事故として処理(隠蔽)できる。しかし、スティープルチェースでは事故映像は流れないが、最初から競技の様子がわからないならば魔法協会が安全措置を取らなかったと難癖付けられる可能性もある。

 

そこまでの状況を分かっていながら、一条と吉祥寺は何も手を打たずにこの場にいることを露呈した。

 

「喧嘩腰になるな、香々地。だが、俺もその意見には賛成だ。調べられるリソースがあるなら調べるに越したことは無い。知識や情報を知らなくてよかったなんて俺は思ったことがない。知識が足りなくて困ったことはあっても、知識が邪魔になったケースはない。一条はそういった経験があるのか」

「いや、それはないが、それとこれとは………」

 

口ごもる一条にとどめを刺すように達也が畳みかける。喧嘩腰になるなと燈に注意しながらも、結局達也の言葉もどこか棘のあるものになっている。

 

「残り12日では十分とは言えないが、何もできないと諦めるだけ短いわけではないだろう」

「将輝。ここは司波君たちの言う通りじゃないかな」

 

口をへの字に曲げている一条に、吉祥寺はなだめるようにそう言った。

 

「僕たちの手に余ることだけど、剛毅さんなら何か突き止められるかもしれないよ」

「分かった。家の者に調べさせてみよう」

 

一条の言葉は吉祥寺ではなく、達也に向かって言っていた。この場で燈に聞くという手段もあったが、あの態度では一割も情報を出す気はないだろうと吉祥寺は目算していた。だから剛毅の名前を出し、十師族の一条家として調べるという形に将輝を誘導していた。

その策略に達也も気が付いており、思ったより上手に一条を転がしているなと吉祥寺に対する評価を改めていた。

 

 

 

 

 

 

その後、雫の従兄経由で文弥と亜夜子が初対面を装って自己紹介を申し出た。そのような体裁をとるように当主である真夜から言いつけられたことであり、達也も深雪もその必要性は理解していた。

 

去年、深雪と達也はいささか注目を集めすぎた。

四葉家としては二人の素性を探られては困るので、黒羽の二人はいわば今回の注目株として目立つように仕向けていた。深雪も達也も二人が自己紹介を申し出た時、その程度のことは言葉を交わさなくても理解していた。

 

亜夜子と文弥は現在、第四高校に通っている。

そして巷では、四葉家の配下の中に有力な『黒羽』という分家があるという噂が出ている。

しかし、その黒羽家にどのような人がいるのか、どのような役割を果たしているのかは不明。噂では、音もなく人を殺す暗殺一家、噂では政治家を牛耳る裏の顔役、とある噂では有力とは名ばかりの衰退した家である、などなど名前だけが独り歩きしている状態だ。

 

秘密主義の四葉家の情報。魔法師にも知られているのはせいぜい当主の名前と、かかわりがある中では窓口となる使用人の執事程度だろう。当然、この会場で『黒羽』の名前を持つ二人に注目が集まるのも無理はなかった。

 

四高では、本人たちは四葉家とのかかわりを否定しているが、生徒たちの間では二人の実力は知られており、噂を信憑付けるものとなっている。

一般の高校生を舌先三寸で丸め込むのは、第一線で諜報を担う黒羽の二人にとっては朝飯前のことで、上手に周りを利用しながら、着実に四高での立ち位置を確保していた。

 

文弥が初対面であるという体裁にも関わらず、絶世の美少女である深雪に顔を赤らめたり、積極的に話そうとしなかった様子はじっくり見れば不自然かもしれないが、芝居を壊すようなほどではなく、他の集団にも達也たちと黒羽とは他人同士の間柄に見えただろう。

 

来賓挨拶の際に九島閣下が体調不良で欠席したことで、会場には少しざわめきが起きたが、それ以外の大きな混乱はなく、前夜祭は締めくくられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

一高では、学年の人数の関係と男女の人数の関係上、宿泊施設の部屋割りは深雪と花音、五十里と達也ということになっている。

軍施設なので当直兵の見回りはあるが、それも部屋までは入ってこない。

一高も夜間点呼などないので、一年生以外はこの部屋割りが意味することにたどり着いていた。

 

当然、その部屋割りで深雪と五十里が入れ替わり、達也と深雪が同室になっている。

最初この提案をされた時、達也は耳を疑った。そしてその企てに加担する深雪に呆れていた。五十里と花音は婚約者とはいえ年ごろの男女が同室など外聞のいい事とは言えない。

達也の場合、深雪と同室に忌避感も嫌悪感もないが、万が一それが外部にばれた時に妹の評価が傷つくことを恐れていた。

 

深雪は達也のことを敬愛しており、同室でも全く問題はないのだが、あくまでそれは深雪が妹だからである。姉であるならまだしも、自分がそのような立場に置かれて嬉しい反面、やや複雑だった。きっと姉ならば千代田先輩も困った人ね、と笑い深雪を咎めることなどなさそうだが、この状況に姉の心境を考えると心配になる。

 

達也も深雪が同室の方が今後のことに都合が良いため、結局その提案を受け入れてしまっている。

 

「もし何か言われたら、先輩の提案に逆らえなかったと証言するんだぞ」

「分かりました」

 

確かにそうなのだが、容赦なく先輩を主犯に仕立てる達也の遠慮のなさが可笑しくて、深雪はクスリと笑みをこぼした。

 

 

 

 

 

 

全身を黒い服に着替えた達也は、スティープルチェース・クロスカントリーが行われる演習林へと向かっていた。

本来ならばステルススーツか、改造して隠密性のあがったムーバル・スーツが望ましいのだが、軍の任務として動いているわけでもないので、ないものねだりだとはわかっている。

 

現段階でパラサイドールが設置されているとは達也も考えてはいないが、地形から配置を逆算することは可能であると考え、コースの下見にやってきたところだった。

 

しかし、達也は実際、コースに入れないでいた。蟻一匹通さないような厳重な警備システムを見ながら、達也は内心舌打ちをした。去年もこのくらい警備をしていれば無頭竜に侵入されることは無かったと考えたが、むしろこれはその侵入を受けての結果だと察した。

 

正規軍の施設が一犯罪組織にやすやすと侵入され、あまつさえそれに気が付かなかったとなれば、施設の管理者は憤死ものだろう。

 

達也は精霊の眼を使い、周囲の情報を洗い出す。『精霊の眼』はセンサー類に反応するものではないが、五感外知覚力に鋭敏な魔法師がいれば、勘づかれる可能性はゼロではない。いつでもアクセスを切れるようにしながら、達也は視野を広げていく。

 

その視野の中に見知った存在を知覚する。物理的な距離は離れていないが、情報の次元では距離が遠いと判断される。つまりそこに存在しているが、限りなく気配が薄い。達也は腕を上げたなと感心しながら、そちらの方向へと歩き出した。

 

 

 

 

5分ほど歩いたところで達也は闇に紛れた影に話しかける。

 

「文弥、亜夜子」

 

驚いたという気配が広がると同時に、影が人の形を成し、その姿を現す。夜目に慣れた達也は驚いた顔の亜夜子と、うれしそうな顔の文弥の姿を認めた。

 

「いきなり話しかけないでください、達也さん。驚きました」

「そんなつもりはなかったが」

「だったら、あんなに怖い声を出さないでくださいよ」

 

亜夜子は本気で達也を非難していた。確かに達也は戦闘状態とは言えないものの、それに近い心理状態にある。威圧感のある声になってしまったのも仕方がない事だろう。

反省はしながらも反論と謝罪はせずに、達也は話を進めた。

 

「それで、お前たちもコースを見に来たのか」

「ええ。ですが、警戒が厳しくて……」

「中に入れなかったんです」

 

言い淀む亜夜子の言葉の続きを文弥が代弁した。

 

「中に入れなかった?」

 

達也は意外性を隠せず、事実を再確認した。

亜夜子の得意とする、『ヨル』という二つ名の由来となった魔法について、達也は知っているどころか、開発に関わったとも言える。その亜夜子の技術をもってしても入れない警備となると、その厳重さが伺える。

 

「ああ、悪い。責めるつもりはなかったんだ」

 

亜夜子が唇を噛みしめ、悔しさに苛まれている様子に、達也はすぐさま謝罪した。

 

「達也兄さんも調査に来られたんですか?」

「ああ。俺も入れずに困っていたところだった」

 

達也の得意とする分野は戦闘と暗殺だ。八雲に師事を受けた成果から、諜報の技術も一流とはいえるが、生来諜報向きの能力を手にした亜夜子には及ばない。亜夜子でも突破できない警備システムを達也が感知されずに侵入することは不可能だった。

 

「達也兄さんと、僕らが力を合わせれば、あるいは―――」

「いや、その必要はないよ」

 

文弥の提案を遮る第三者の声が響く。

 

「誰!?」

 

亜夜子と文弥が警戒心を最大限にする。声を掛けられるまで気配はしなかった。諜報で年齢の割にかなりの場数を踏んでいる文弥と亜夜子でも感知できなかった。その実力はそれだけで十分理解できた。

 

「師匠、普通に登場してください」

「こればかりは忍びの性だから仕方ないさ」

 

達也はため息交じりに、影に視線を向ける。

 

「達也さん、この方がもしかして?」

 

亜夜子は八雲の正体に見当を付けたのか、警戒心をわずかに緩める。

 

「亜夜子の考えている通りだ」

「この方が、九重八雲先生なのですね」

 

感慨深げに文弥は頷いた。二人にとって八雲の名前は表に知られている以上に、知っている。諜報を担う黒羽をもってしても正体の全容がつかめない相手だった。亜夜子と文弥に感知されなかったのも、彼ならば悔しいながら納得できる。

 

「師匠、それで必要ないということは、何かわかったのですか」

「まあね。中には何も仕掛けてなかったよ」

「入れたのですか?この警備網の中で!?」

 

思わず声を上げた亜夜子は慌てて、口をふさぐ。二人が四苦八苦していた警備システムを突破したなんてとても信じられなかった。

 

「いやいや。それほどでも」

 

八雲はいつも通り軽い笑みを浮かべ、鼻高々で謙遜もない言い方に、達也は大人気ないとは思いながらも話を進めた。

 

「侵入手法は気になりますが、中にはパラサイドールはまだ仕掛けてなかったということでよろしいですか」

 

人の発する遠赤外線を受動的に感知するパッシブセンサー類ならば亜夜子の魔法を用いれば、無力化にはそう手間を取らない。問題は近赤外線を使用したアクティブセンサー類をどう誤魔化したのか、ということだ。

 

近赤外線は人体に影響のない不可視光線で、可視光と遠赤外線の間の波長の光である。その光線を反射したり、遮ったりするものを全て高感度で検知するため、照明や自動ドアなどの人感センサーにも用いられている。

八雲にそのセンサーを欺いた手法を聞いたところで、手の内を簡単に明かすとは達也も思っていない。それよりも本来の目的を優先するべきだと考えた。

 

「今はまだ普通の障害物が計画的に配置された演習林だね」

「パラサイドールが配置される位置の特定はできそうですか」

「いや。どこだろうと同じだろうね。その程度は運用可能な実践的な兵器として開発が進んでいると考えていいんじゃないかな」

 

当日の配置すらわからないとなれば、今回の調査は無駄足だったようだ。

八雲が中に入ってみて、普通の障害物というならば、去年のように呪物が埋め込まれている可能性も低いだろう。

 

「あとひとつ、伝言があるんだ」

「伝言ですか」

「そう。『とりあえず、最終日までは問題なし。思考は試合に使った方が有効だよ』だって」

 

八雲をメッセンジャーに使うとなれば、兄弟子である風間少佐かと見当をつけていたが、内容を聞いて達也は眉を顰めた。どうも友人のような気楽すぎるメッセージだった。どんな確証をもって最終日まで問題なしと言っているのかも気になる。

 

「誰からの伝言ですか」

「君たちのクライアントだよ」

 

達也はまた悠さんかと、内心ため息をついた。あの人ならばこの状況になることを見越しての伝言なのだろう。

日本中どこにいたところで千里眼の領域から逃れることはできない。その精度の高さから未来まで見通していると言われるほど、九重当主の身に受け継がれる類まれなる異能だ。

 

「もう少し早く伝えていただいても良かったのではないですか?」

「まあ、僕の方は念のために呪物の類のチェックも頼まれていたし、達也君に連絡したところで黒羽の二人と僕は初対面だから、出くわしたら面倒なことになっていただろう」

 

八雲の言うことは頷けるものはあるが、反論したくなる気持ちを押さえ、達也は八雲に礼を言い、文弥たちに声をかけ、別々にホテルへ戻っていった。

 

 

 




この作品の文字数はルビも含めて、60万字を超えるのですが、400字詰めの原稿用紙で考えると1500枚分です。1500枚っていう数字だけみるとにすると大した事なさそうですが、500枚入りのコピー用紙の厚さを見て、あっ(;・∀・)って思いました。


あと表に雅ちゃん出てこないけど、どうしようか(; ・`д・´)


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スティープルチェース編6

一万字、久々に超えました(;・∀・)

今回は雅ちゃんも登場します。だいぶ本編を要約していますが、話の筋が通っているでしょうか。


京都 九重神宮

 

真夏の日差しが照り付ける京都は、観光客が多い時期はあっても絶えることはない場所である。

九重神宮の周囲は緑も多く、地元の人の散歩コースにもなっていたり、夏休みシーズンとあって観光客も多い。

 

一方、表の賑やかな雰囲気とは打って変わって、神職たちが利用する施設は静かだ。

九重家の地下に設けられた鍛錬場では、来週に控えた舞台に向けて最終調整が行われていた。

わざわざ地下に施設が設けられているのは音漏れ防止に加えて、その術式の秘匿性もあってのことだった。部屋に入ることができるのも九重神楽に関わる者たちだけであり、たとえ親族であっても術に直接関わらない者は出入りが禁止されている。当然部屋にも条件発動式の結界が張られており、周囲の精霊を必要以上に刺激しない術式と外部からの諜報を遮断する作用がある。

 

演者たちは実際に舞台で纏う衣装を試しながら、楽師も入れた本格的な合わせが行われている。

今はちょうど休憩中であり、携帯や電子機器は鍛錬場では使用できないが、休憩室なら使用可能だ。

魔法、非魔法に限らず諜報対策が厳重に行われており、電子機器も使える部屋が決まっている。

 

「結果はどうだい?」

 

次兄が私の携帯をのぞき込みながら九校戦の結果を確認した。

九校戦初日の競技はアイス・ピラーズ・ブレイク・ペアの予選リーグ、ロアー・アンド・ガンナー・ペアだった。雫と千代田先輩は氷倒しの予選を危なげなく通過し、新競技のロアー・アンド・ガンナーはエイミィと3年の国東(くにさき)先輩が出場し、優勝。現段階で一高は総合2位の順位につけている。

 

「『海の七高』と呼ばれる実力は確かですよ」

「水上競技はお家芸だからね」

 

去年、七高は一高を巻き込む事故を起こし、今年は大丈夫かと危惧されていたが、むしろ去年の雪辱に燃えており、男子ペアは優勝を飾った。

ロアー・アンド・ガンナーの順位は男子1位七高、2位三高、3位一高、女子は1位一高、2位七高、3位三高となった。

今回導入されたペアのある競技の場合、1位に60点、2位40点、3位30点が振り分けられるため、まだ上位の点差は団子状態だ。

 

「インビジブル・ブリットの散弾型とは面白いアレンジだね」

 

一高の優勝を決定したレースのハイライトの映像を見ながら、兄が呟く。

 

「的を外したペナルティがないですからね。スピードシューティングのように相手の的まで壊す可能性もないですし、ループキャストでマシンガンのように弾数を増やす作戦は、スピード競技で照準が定めにくい点を上手に補っていますね」

 

『インビジブル・ブリット』は三高の【カーディナル・ジョージ】の代名詞とも呼べる魔法で、高等魔法に分類されるが、起動式自体は公開されている。一般公開されているのは狙撃型のタイプだが、その狙撃の要素自体は一点に圧力をかけるという魔法のコンセプトには直接関わらない。エイミィは初挑戦の魔法だっただろうが、上手に本番に向けて調整ができていたようだ。

 

「やっぱり出たかった?」

 

兄が私の顔を覗き込みながら問う。

 

「馬鹿なことは聞かないでください」

 

全く出場する気がなかったかと言えば嘘になるが、優先順位くらい分かっている。今回は九重が今年一番と言ってもいいほど気を遣う演目なのだ。

しかし、達也にパラサイドールの一件を任せてしまうのは非常に心苦しく、許されるならば今からでも駆けつけたい気持ちに変わりはないし、それができないことも、重々承知している。

 

「舞台に立たせていただく以上の誉れはないでしょう」

 

それでも私にも役割はある。花の寿命は短いのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

8月6日 大会二日目夜

 

達也は作業車で翌日に向けたCADのチェックを行っていた。

 

大会二日目に行われたのは、アイス・ピラーズ・ブレイク・ソロの予選リーグ、ロアー・アンド・ガンナー・ソロ。氷倒しのソロには深雪が出場し、今年も圧倒的な実力差を見せつけての予選突破。決勝リーグに進んだ他の選手と比べても、深雪の優勝はほぼ間違いないだろう。男子の方も危ない場面はあったが、何とか予選は突破したので、得点が入ることは確実だった、

 

しかし、ロアー・アンド・ガンナーの方は一高首脳陣の心配が的中し、男女ともに結果は4位と得点ゼロの結果となった。何人からか雅が出場していればという泣き言も聞こえたが、そんなことを言っても今更結果は変わらないと誰もが知っているため、翌日に向けた作戦会議にすぐさま切り替えられた。

 

ロアー・アンド・ガンナーに七高は男女アベック優勝を果たし、得点は200点追加される。そして三高は男女とも2位であり、120点が追加される。

その結果、一高の順位は3位に後退。三高自体、残りの競技で七高を追い抜けると目算しているはずなので、一高は去年と違って三高を追いかける格好となる。

 

そして明日行われるのがシールド・ダウン・ペア、アイス・ピラーズ・ブレイク・ペアの決勝リーグだ。

シールド・ダウン・ペア男子には、3年の桐原と2年の十三束が出場し、達也は桐原を担当する。午後には氷倒しのペア決勝に雫が出場するため、調整が必要になる。

また、大会4日目にはシールド・ダウン・ソロに出場する沢木を担当し、アイス・ピラーズ・ブレイク・ソロの決勝もあるため、深雪を引き続き担当する。

ここ二日は優勝候補筆頭の選手がそろっており、また達也もその選手に関わることが多いため、エンジニアとして一番忙しくなることが予想される。

 

そのため、達也は夕食後の時間帯も作業車で1年生の隅須賢人や他のエンジニアと共に明日に向けた調整を行っていた。達也は正当な手順で賢人にCADの調整を教えており、当初は教育目的の部分が大きかったが、知識も1年生にしてはある方であったので、十分助手として戦力になっていた。

作業の終わりが見え始めたころ、達也を一条将輝が訪ねてきた。

 

「こんな時間にすまん。今、時間あるか?」

「少しくらいなら構わない」

 

達也は賢人に休憩を伝え、作業車の光が来ない位置まで移動した。

 

「一年生のエンジニアがいるんだな」

「それを言うなら俺も去年は1年だったさ」

 

皮肉交じりの達也の言葉に一条はまあ、そうだったなと苦笑いを浮かべた。

 

「それで、スティープルチェースのことか?お前が俺のところに来る理由はそれくらいしか思いつかないが」

 

一瞬深雪のことを思いだしたが、流石にこんな時間にわざわざ訪ねてくる内容でもなく、加えて兄に直接聞いてくる内容でもないだろうと達也はその選択肢をすぐに排除した。

 

「ああ。どうも思った以上にきな臭いぞ」

「何かわかったのか?」

「国防軍の強硬派が関わっているようだ」

「国防軍の?」

 

達也は知らない体で話を聞いた。

 

一条は達也が軍属であることを知らない。加えて秘密裏に九重と四葉がこの一件に絡んでいることも知らないはずだ。それを今回、一条に話すつもりは達也にはなかった。

今回の情報も追加で何かわかれば御の字としか思っていない。相手が情報を持ってきたとはいえ、必要以上にこちらの情報を渡す必要はない。話したところで情報の出所を突かれて困るのは達也だった。

 

「ああ、すまない。大亜連合に対する強硬派のことだ」

「それが九校戦の裏で暗躍していると?」

 

ここまでは達也も知っている。

今回の一件は大亜連合強硬派の思惑に九島家が便乗した形になっている。強硬派は魔法師の軍事育成を目論むが、反対に九島は九校戦の場を使って魔法師よりパラサイトを使った魔法兵器の方が有効であると印象付けたい思惑がある、というのが九重の見方だった。

 

「酒井大佐は、俺たち魔法科高校生が魔法大学や防衛大を経由せずに、そのまま国防軍に志願することを望んでいるそうだ」

 

今日明日の開戦を望んでいるわけではないだろうが、強硬派の目的が即戦力となる志願兵の確保ならば、今回の軍事色の強い競技も納得できる。

おそらく魔法科高校生の破壊衝動と闘争本能を解放させたかったのだろう。そうすることで軍人魔法師を目指す若者を増やしたい思惑があったのだろう。

だが、それとパラサイドールを暴走させる術式が結び付かない。強硬派はどこまで九島の思惑を知っているのか、もしくは別に黒幕がいるのか、現段階の情報では確定的な判断はできない。

 

「だが、よく酒井大佐の名前まで分かったな」

 

一条家も国防軍とパイプを持っているだろうが、よくこの短期間で首謀者の名前まで分かったものだと達也は思う。政党政治でもあるまいし、軍内部の派閥は名簿などになっているはずもなく、決して容易ではなかったはずだ。

達也の独り言のような問いかけに、一条は苦笑いを浮かべた。

 

「いや、親父と酒井大佐が昔の知り合いなんだ」

「一条、まさか………」

 

達也がある疑惑を向けると、一条は慌てた。

 

「いや、違う。誤解するな、司波!」

 

これ以上敵が増えるならまだしも、関係性がこれ以上ややこしくなることは流石の達也も面倒だったので、一条の否定は一安心というところだった。

 

「酒井大佐は、佐渡侵略事件で現場の最高責任者だったんだ。一条家が義勇軍を組織して、一先ずは佐渡を奪還し、親父は連隊規模の援軍を要請したが、国防軍は一大隊を派遣する予定しかなかったんだ。沖縄も大亜連合の侵攻を受けていて、国防軍の目がそちらに向いていたから、その事情も理解できなくはない。

だが、酒井大佐が親父の要請を受け入れてくれたおかげで、大兵力があったからこそあれ以上の攻撃はなかった。それは俺も親父も感謝している」

 

一条の話を耳に入れながらも、達也はこじれた事態に備えて、コースの破壊の計画を頭の中で整理し始めた。

最終日は結局、深雪やほのか、雫など主要な競技が終わった後であり、スティープルチェースがなくなったところで問題はない。中途半端に九校戦が中断されると、論文コンペのように魔法協会の面目はつぶれるが、達也の知ったことではない。一高の優勝も達也には、それほど重要なことではない。最優先は深雪の安全である。

 

自作のサードアイならば数キロ程度なら微量質量の照準が付けられ、地表付近ならば火山を刺激することもなく、夜中ならば他校に被害も出ない。問題は首謀者を誰に仕立て上げるかということと、深雪にそれを悟られずに実行できるかだ。

 

「だが、大佐は沖縄の戦闘が一段落すると今度は新ソ連へ逆侵攻をしようと軍部に提案したんだ。親父がいくら諫めても聞きやしないし、結局派遣された連隊が通常配備に戻るまで口論は続いて、喧嘩別れのようになったらしい。昨日親父と話した時も『反乱なんてバカなことをしなければいいが』と悩んでいたが、『もはや他人だから仕方ない』と頭を振っていたくらいだ」

「反乱?」

 

達也が半分、一条の言い訳を聞き流しながら思考を暴走させていると、聞き捨てならない言葉が耳に入った。

それまで達也が冷静に話を聞いていると一条は思っていたので、突然達也が反応した『反乱』の言葉は過激だったかと少々別の焦りも生じていた。

 

「いや、酒井大佐のグループが実際に反乱をもくろんでいるわけではないが、『そのうち反乱でも起こすんではないか』と噂されている程度だ」

「根拠はないが、噂にはなっているということか」

「ああ。そうらしい。とにかく!一条家と酒井大佐は過去に関係はあり、知り合いも多いからその伝手で今回のことも分かったが、現在は無関係だ。酒井大佐も反乱までは俺も考えているとは思わない。企むとしたら若い魔法師を自分の派閥にいれて大亜連合に攻め入ろうと考えているくらいだろう」

 

達也は一条の考えがおそらく違うことを分かっていたが、この一件に彼を巻き込むつもりはなく、話を切り上げた。

 

「それだけでも十分穏やかとは言えない話だが………礼を言う。参考になった」

「別にお前のために調べたわけじゃないから、礼には及ばない。大会中に特に手を出してくることは無いだろうが、動くならば大会後に個別に声をかける程度だと思っている。

詳しいことがわかったら、また連絡する」

「助かる」

「それじゃあな」

 

一条は必要以上にせかせかと歩きながら、ホテルへと戻っていった。

 

 

 

 

達也は一度冷静になるために息を吐きだした。

替え玉に使えそうな首謀者が見つかったことは幸いだったが、偽装工作をするにしても最終日まで正味10日を切っている。四葉や八雲の手を借りれば可能かもしれないが、彼らが達也の軍事演習場の部分爆破に手を貸すとは思わない。

柄にもなくあれこれ迷っているようだと、達也は自身の疲れを自覚した。一先ず、今日の作業を仕上げてしまおうと達也は作業車に戻ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

大会三日目

この日はシールド・ダウン・ペア、アイス・ピラーズ・ブレイク・ペアの決勝リーグが行われ、シールドダウンでは十三束、桐原ペアが見事優勝。

ピラーズ・ブレイクのペアも花音、雫ペアが危なげなく優勝を飾った。

しかし、シールドダウン女子ペアが三高のペアに接戦の末、予選敗退。三高ペアがそのまま優勝し、2日目終了時点で40点だった一高と三高の点差は100点に開いてしまったため、お祭りムードとは言えなかった

 

その夜、達也の作業車ではお茶会が開かれていた。テーブルにはコーヒーと少々の茶菓子が並び、まるでキャンプのような様相だった。作業車自体キャンピングカーを流用したものであり、その性能と3Hを使って、息抜きに集まっていた。

去年のように達也の部屋に集まるにしても今年は人数が多く、またロビーとなるといつまでも集まっていれば迷惑になり、かと言って今年は達也の部屋は深雪と同じだ。ほのかもそんな部屋には入りにくいし、表立ってそれが周りの生徒に知られると面倒になることは理解しての結果だった。

 

このお茶会も初日夜から行われていたが、徐々に人数が増え、今日の段階では2年生女子選手とエリカ、美月、幹比古、レオ、水波、賢人に達也を加えた計12名となった。これ以上増えるならば流石に椅子と机を調達しなければならないだろうが、今のところその見込みはない。

 

「雫、優勝おめでとう」

「まあ、雫の実力なら当然だよね」

「おめでとう、雫」

「ありがとう」

 

去年は深雪に苦杯を喫した雫に、今年は屈託なく飛び交う

その言葉に、雫ははにかみながらお礼を言った。

この場にいない花音もよほど去年、1年生にしてやられたのが悔しかったのか、存分に五十里に甘えていたのを下級生たちは見ていたので、二人ともよほど嬉しかったのだろう。

 

「明日は深雪だね」

 

雫は恥ずかしさを誤魔化すのと、深雪へのエールを込めて、話題を振った。

 

「深雪は頑張りすぎない方がいいんじゃないかな。肩に力が入ると、思わぬ落とし穴にはまるかもしれないし」

「落とし穴にはまった程度で深雪が負けるなんて思わないけど、気を張りすぎてフライングで失格になるのは心配よね」

「もう。スバルもエリカも私がそんなおっちょこちょいだと思っているの?」

 

スバルとエリカの言葉に深雪はおどけた口調で抗議をした。

 

「まあ、そうだけどね」

 

スバルが苦笑いを浮かべ、深雪もそれ以上の追及はしなかった。

 

「それより、エイミィの機嫌が直ってボクは一安心だよ。あのまま一晩中不貞腐れていたら、困ったものだったよ」

「不貞腐れてなんかないよ!」

「じゃあ、拗ねてた?」

「す、拗ねてないもん。拗ねてなんかないもん」

 

無気になって反論するエイミィにスバルは「まあまあ」と彼女を諫める。スバルとエイミィは同室である。会場に来てからは二人で行動することが多く、彼女に機嫌を傾けられるとスバルも居心地も悪いだろうし、友人として何とかしてやりたかった部分もあるのだろう。

 

「何かあったの?」

 

深雪はエイミィにではなく、スバルに聞いた。

 

「何もないってば!」

「いや、十三束のやつがね……」

 

その程度の反論ではスバルの口は塞げず、彼女が暴露した原因に、ああ、と納得する者が多かった。

 

「十三束君がどうかしたんですか?」

 

事情の分からなかった美月は隣に座っていた雫に問いかけるが、その質問にはエリカが回答した。

 

「どうせあの女とイチャイチャしてたんでしょう」

「あの女?」

「平河千秋よ」

 

そこでようやく美月はエリカが言いたいことを理解した。

平河千秋は今回、エンジニアとして十三束のCADの調整を行っていた。彼女はソフト面よりハード面の方が得意であり、CADのアジャストなどは良いが、起動式のアレンジは苦手分野だった。しかし、十三束のエンジニアとして選ばれたことに気合を入れており、苦手な起動式のアレンジも担当教員であるジェニファー・スミスの元に通いつめ、それを完成させた。

実際、彼女がアレンジした『爆風(ブラスト)』は試合でも威力を発揮し、遠距離が苦手な十三束でも遠距離攻撃ができるように手元の空気塊を打ち出すという魔法を成功させていた。コンセプト自体は達也から十三束に伝えられていたが、それは平河千秋の知らないところである。

試合後の夕食の時間帯に十三束と親しげに話していたのを選手のメンバーは見ていた。

 

「十三束君のことだから、本当に感謝の気持ちを示していただけだと思うよ」

 

ほのかの慰めに、エイミィは何でもないってば!とその裏の感情を大げさに否定していた。

 

「エイミィ。十三束君はダメだよ」

「何が‼??」

「十三束君は達也さんと違って本当に鈍いんだから、はっきり言ってあげないと」

 

雫が省略していた部分を後出しされて、エイミィは微妙な顔で達也を見ていた。達也を弁護する気はないが、弁護したくてもできないという顔だった

引き合いに出された達也もどんな顔をするといいのかわからず、微妙に困惑した表情をしていた。達也自身、鈍いというより、その感情の自覚を避けていたということは認識しているので、反論できないという部分もある。

しかし、達也の困惑も長くは続かなかった。

 

『マスター』

 

ピクシーが達也にテレパシーで呼びかけた。達也はある状態にならない限り、テレパシーの使用を禁じていた。

つまり今がその状態ということを意味していた。

達也は静かに立ち上がると、機械の調子が悪いみたいだから見てくると、どうとでも取れる言い訳をして、作業車の中に入った。

 

 

 

 

作業車ではピクシーが運転席の情報パネルに地図を示していた。どうやら同胞の位置をキャッチ、つまりパラサイドールの位置を捕捉したようだった。

しかしこちらが捕捉できたように、向こうもこちらを捕捉したようで、反応はすぐになくなった。どうやら休眠状態にしたようだが、それまでの段階で移動した様子はない。

向こうにこちらの存在を認識されたのは不安材料だが、達也は無駄足になる可能性も含め、装備を身に着けて車の外に出た。

 

 

 

達也が外に出ると、お茶会は既にお開きになっており、深雪が彼らを見送っているところだった。

 

「達也さん、おやすみなさい」

「司波君、深雪、お邪魔しました」

「司波君、御馳走様」

 

賑やかにホテルへと戻っていく一行に深雪は小さく手を振っていた。

 

「お兄様は今からお出かけなのでしょう。そう思いまして、みんなには引き揚げてもらいました」

 

恐ろしいまでに正確に兄の行動を深雪は見据えていたが、達也もそれも今更かと動揺を面に出さなかった。

 

「お兄様、行かないでください」

「深雪?」

 

深雪は強い意志を目に、達也の前に立った。

 

「お兄様が今、敵の元に向かわれる必要があるとは深雪は思いません」

「だが、ピクシーが敵の居場所を探知した。ようやく掴んだ手がかりだ」

「それ以前の問題です。私がお尋ねしたいのは、なぜお兄様がこの問題を、九島家の実験を事前に阻止しなければならないのですか。確かに、九重から依頼を受けていることではあります。ですが、お兄様が九島の実験とその結果に責任を負われる必要はどこにもありません」

 

深雪は毅然と言い放った。達也もその言い分は理解できる。

 

「同時にお兄様は、スティープルチェース・クロスカントリーに出場するすべての選手に対して責任を負う道理はありません」

 

そもそも達也が依頼されたのはパラサイドールの破壊もしくは封印に関することのみであり、それがもたらした被害については九重は言及していない。つまり、被害がどの程度出ようと、九重はこの一件を咎められない。達也はおぼろげながら深雪が言いたいことを理解し、自分の過ちについて気が付いた。

 

「お兄様に身勝手で、浅ましい我儘を言います。お叱りは後から甘んじて受けいれます。ですから、聞いてください」

 

深雪の意思は揺らいでいなかった。

 

「お兄様は私だけを守ってくださればいいのです。お兄様が責任を負われるのは、この場で私だけです。お兄様が一高の生徒を、まして他校の生徒までお気遣いになる必要はないのです!」

 

深雪の声は泣きそうなほど震えており、その目に溜まった涙を隠すようにうつむいた。

 

「パラサイドールなど当日まで放っておけばいいのです。パラサイト本体さえ解放されなければ、試合終了後に本体は私がまとめて壊してしまえばいいのです。それでも行くというならば、僭越ながら全力で止めさせていただきます」

 

深雪はうつむいていた顔を上げ、挑戦的な本気の瞳で達也を睨み付けるように見上げた。

この宣言に達也は本気で狼狽した。

 

「よせ、深雪。まさか俺の『眼』を封じる気か」

「明日の競技は棄権どころか、魔法が使えなくなって退学の可能性もありますね。ですが、これ以上お兄様に無理をさせるよりましです!」

 

深雪は興奮した様子を隠さず、泣き声で達也を必死に止める。その目からはボロボロと涙がこぼれていた。

達也は朝から夕方まで選手のCADの調整、他の技術スタッフからの相談に乗り、その後には後輩の技術指導に翌日の準備。加えて国防軍と九島家のことをしていれば、いくら達也でも身が持たないことを深雪は心配していた。いくら達也がどれほどの困難を可能にしてきても、どれほどの茨と毒蛇の中を渡ってきたとしても、彼は万能ではない。自らのことを顧みて心配しない兄を諫めるのは妹である深雪の責任でもあり、姉が不在の今、それができるのも深雪だけであった。

 

そこでようやく達也は、深雪が思い詰めていることすら気付けないほど、疲れ切っていたことを自覚した。それと同時に自分の心の中で巣食っていた迷いも消えてしまった。

 

「深雪がそんなことをする必要はない」

 

達也は穏やかに優しく深雪に語り掛けた。

 

「今日はこのまま部屋に戻ることにするよ」

「お兄様……?」

「俺が間違っていた。深雪の言うことが正しいよ」

 

深雪は俄かに信じられなかった。本当ならば、一般的な倫理観からすれば達也の行動の方が正しい。自分が説得できるとは思っていなかったので、強引な方法を示唆したのだし、それでも無理なら止む無く姉の助力を得るところだった。

 

「今は、お前だけ守れればそれでいい。俺が守るべき相手は深雪だけだ。俺はお前がいてくれるだけでいいんだ」

 

その言葉は深雪の望む言葉で、深雪に達也を縛り付ける言葉だった。

深雪は呆然と達也を見つめる。先ほどの雄弁さはどこに言ったかのように、口はまるで開かない。

 

「部屋に帰ろう」

 

達也に背中を押され、深雪は促されるまま、ホテルへと足を向けた。

その姿を終始背景に徹して一から十まで見ていた水波は、むず痒そうな顔をしていた。

 

 

 

 

3人がホテルに帰る途中、達也の携帯端末に着信があった。

着信相手は雅。

珍しいなと思いながらも、水波に深雪を部屋まで送るように言いつけると、達也は周囲に人気のないことを確認して電話に出た。

 

『こんばんは、達也』

「こんばんは」

 

電話越しだが、久しぶりに聞く雅の声に微かに達也の頬が緩む。

 

『今、電話大丈夫だった?』

「ああ。どうしたんだ、急に?」

 

基本的に今の時期、雅は稽古にかかりきりだろうし、神職としての務めがあり、朝も早いため、緊急の連絡の可能性もあった。

 

『ちょっとだけ、声が聴きたくなって迷惑?』

「いや、構わないよ」

 

緊急ではないことにひとまず安堵し、珍しいこともあるのだと達也は思った。

 

雅から達也に甘えてくることは、あまりない。奥手とか初心ということもあるだろうが、基本的に達也にその感情を押し付けないためでもあった。

今までは達也に対して、雅は叶わない片思いをしていた。嫌われないように、疎まれないように、重石にならないように、触れられた温かさに愛おしさを感じながらも、どこか苦しさが抜けなかった。

 

一方、達也は言葉にできない感情を確かめるように雅に触れていた部分もある。慰めや婚約者としての体裁など雅を繋ぎとめるための理由をあれこれつけていたとしても、雅のことを達也はいつの間にか手放しがたくなっていた。その感情を自覚してからしばらく経ったが、いまだにどこか胸がむず痒い感覚には慣れない部分があった。

その雅からならば電話一本程度、可愛いお願いと思えるものだった。

 

『でも、なんだか不思議な感じ。以前は電話が多かったのにね』

「そうだな」

『あ、そういえば九校戦、雫もエイミィもすごかったわね。特にインビジブル・ブリットの着眼点と起動式のアレンジはみんな褒めていたわよ。桐原先輩も優勝だったから、達也が担当した選手の不敗神話は継続中ね』

「俺の実力じゃなくて、選手が優秀だからな」

 

選手の活躍が達也の実力であるかのように誇大に言われることが多いが、達也は選手の実力であると自身の技能を驕ることは無かった。周りから謙遜が過ぎると言われることもあったが、必要以上に目立つことは達也にとっても望ましいことではない。今年度はさして新しい魔法の提案もしなかったし、選手として急きょ出場する事態も起こらないはずだ。ついでに言えば、黒羽の二人が話題をさらってもらうことを期待している。

加えて、レギュレーションの範囲内であれこれ考えるのは、普段最新の研究を行う達也には良い経験だった。起動式のアレンジは達也の十八番と呼べることであり、普段軍事目的を第一にした研究が主になっているため、ある程度ルールの固定された競技用の調整はそれはそれでやり甲斐があった。

達也にしてみれば九校戦自体はそれほど重要なことではないが、かと言ってそれを怠惰に過ごすほど腑抜けてはいない。

 

『優秀な方が多いのは知ってるわ。達也も加わればまさしく“竜に翼を得たる如し”って事よ。でも今回は担当試合数も多いし、九重(ウチ)からお願い事もしてしまったから、心配していたんだけど、無理してない?』

「さっき深雪に諫められたばかりだよ」

 

達也は苦笑いで答えた。電話のタイミングが良すぎるが、雅は達也の担当選手を知っているので、忙しくなる日は承知していたのだろう。達也の無理も雅にはお見通しだったようだ。

 

『やっぱり。けど、こってり絞られたなら、私が今更言うまでもないわね』

 

雅から事前に無理をしないようにと釘を刺されていたので、達也は少々申し訳ない気持ちになっていた。

 

「そっちはどんな様子だ」

『精進潔斎がちょっと大変かな。豆腐は美味しいけど、そろそろ別のものが食べたい』

 

精進潔斎とは食事も肉や魚を断ち、菜食に努め、飲酒もしないことである。タンパク質は豆腐やおからなど大豆製品から、エネルギーはご飯から摂取する。甘いものは神楽の稽古で体力を消耗するので多少ならば食べてもよいとされているが、バターや卵も肉食の類になるので、和菓子などが中心で品数も限られる。そんな食生活が続けば、気を付けていないと体重が落ちて舞台映えがしなくなるので、体型維持のためにも食べなければならない。

特に雅は男性の役ばかりなので、衣装でわかりにくいとはいえ、あまり細すぎると華奢で役に合わないことがあるので、毎日体重計とにらめっこしている。加えて小食というわけではなく、精進潔斎にも慣れているとはいえ、今年は舞台の数が多いため、その分潔斎の期間も増えているので、口寂しいものはある。

 

「深雪も連れてケーキでも食べに行こうか」

『九校戦優勝のお祝いも兼ねてね』

 

雅の中では現時点で三高と100点の点差がついていても、一高の総合優勝は揺らいでいないらしい。なんだか選手団より頼もしい言葉に聞こえた。

 

『じゃあ、ありがとう。深雪にもよろしくね』

「ああ」

 

時計を確認すれば普段の達也からすればさして遅いとは言えない時間だが、雅も気を使って早めに切り上げたのだろう。

もう少しだけ聞いていたい気持ちもあったが、雅も明日は当然早いだろうから、達也も長引かせるようなことはしなかった。

 

『おやすみなさい』

「おやすみ」

 

電話を切ってしまうのが名残惜しい、だなんて随分と自分も変わったものだと達也は思いながら、今度はきちんとホテルへと足を向けた。

 




思ひ寝に 我が心から みる夢も 逢ふ夜は人の なさけなりけり



CV.中村悠一の『おやすみ』の破壊力は凄いと思うの




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スティープルチェース編7

それは、柔らかな慈愛だった。
どれだけ疲れていようとも、どれだけきつく当たろうとも、彼女はすべてを受け入れる。自己犠牲の偽善と取られるかもしれない。
それでも、私たちにはなくてはならない存在だった。
柔らかく体を包み、大丈夫だと問いかけるように、まるで母のような愛で私を離さない。離れようとしても、寂し気に私のことを引き留める。
最も、離したくないのは私なのだが。

彼女には感謝しなければならない。私のためだけに存在し、私を癒し、私を守り、私を救ってくれている。どれだけ彼女に助けられたことだろうか。願わくば、彼女に抱かれて死にたい。





大会四日目 8月8日。

この日はアイス・ピラーズ・ブレイク決勝リーグとシールド・ダウンのソロが行われる。二競技とも女子が午前中、男子が午後の日程になっており、それぞれ競技開始時間は微妙にずらしてある。

 

氷倒しの場合、試合で使った氷の準備片づけにある程度時間がかかるため、競技時間が多めに取られている。

達也は、一試合目を1分以内で片づけて休憩に入っている深雪のCADのチェックを行っていた。相手選手がトラウマにならなければいいがと心配するような試合ぶりだったが、昨年の深雪の実績から鑑みて、ある程度この競技は各校2位狙いか捨てている部分もあるだろう。

 

 

深雪と達也がいる選手控室のモニターには、別会場で行われているシールド・ダウンの予選の様子が映し出されていた。

女子の予選は二高と三高が同じ予選グループになっており、一高は多少有利な抽選の結果となった。

 

一高からは3年女子の千倉朝子(ちくら ともこ)が出場し、得意とするベクトル操作を使い、肉弾戦を挑んでくる相手を場外に落として順調な様子を見せていた。

相手が突っ込んでくるタイミングに合わせて魔法を発動するため、タイミングが物を言う魔法だが、練習でエリカ相手に散々スピードに慣らされた千倉にとってはまあまあの速度かな、としか思わない程度までになっていた。彼女の実力ならばおそらく、決勝リーグには残れるだろうと一高首脳陣も考えている。

 

一方、優勝候補筆頭と目されているのが二高2年の香々地燈だ。

統合武術中学王者、高校でも各大会優勝を総なめにしている実力に基づき、肉弾戦で相手を圧倒。小柄な体躯を生かしたスピード感とスピードから生まれる重さをもって、相手の盾を次々に破壊していった。

 

丁度この時間には、二高対八高の試合が行われていた。

燈がエリカにも劣らない自己加速術式を用いて八高女子に接近し、相手がスピードに呆気に取られている一瞬で小さい体を利用して懐に潜り込むと、手にした盾同士がぶつかった。見たところ、燈は加速術式が終了する時点に合わせて盾に加重魔法と硬化魔法をかけ、重さと硬さの伴った一撃を繰り出していた。

相手もとっさに硬化魔法を使ったようで、わずかに罅が入った程度で破壊の判定はまだ出ていない。ひるんだ八高選手に畳みかけるように、燈は足でその盾を上段蹴りの要領で場外に弾き飛ばす。

あの衝撃を正面から受けた相手選手の手は痺れが出ており、握力は一時的に低下している。さらに蹴りの一撃も加わり、盾は罅から破損状態となり、場外に落下して完全に破壊された。

手に汗握るような攻防に、会場は熱い歓声に包まれていた。

 

「統合武術の中学王者だからな。動けるだろうとは思っていたが、予想以上に早いな」

「千倉先輩は大丈夫でしょうか」

 

深雪がやや心配そうに達也に問いかける。

 

「ああいった真正面から向かってくる相手の方が、先輩にとって練習経験は多いが、彼女の場合これだけでは済まない気がするな」

「まだ秘密兵器のような物があるということでしょうか」

「推測だが、警戒するに越したことは無いだろう」

 

四楓院家の一員として燈が認められているのかどうか、達也は知らない。しかし、現状この競技への適性は高いとみていいだろう。

お節介だろうと知りつつ、達也は千倉のエンジニアをしているあずさに連絡をすることにした。

 

 

 

 

 

 

達也は深雪の次の試合の準備を終え、昼食後、午後からはシールド・ダウンに出場する沢木の調整の最終確認を行った。

 

「司波君、今日はずいぶんと調子がよさそうだな」

「そうですか」

 

唐突だなとは思いながらも達也は問い返した。

 

「ここ3日はどことなく集中しきれていないように見えたが、結果は出していたし無用な口出しかと思ったんだが、何か悩み事でもあったのか」

 

厳密にいえば悩みではなく、迷いだった。

そもそも達也自身そのことを表情に出したつもりはない。

ほのかや幹比古など周りの友人でもなく、ましてエンジニアとして話す機会の多い五十里やあずさでもなく、沢木にそれを指摘されたことに達也は内心舌を巻いていた。

確かに普段接していないから些細な変化に気が付くということはあるかもしれないが、恐るべき観察眼だった。

 

「今日はすっきりした顔をしているな。覇気が伝わってくる」

「気が付かない内に疲れがたまっていたようです。昨日はぐっすり眠れたので、そのせいでしょう」

 

不自然ではないが上手ではなく、達也自身ならば納得しない回答だが、沢木はそこまで深追いはしなかった。

 

「それは良かった。てっきり嫁さんから励ましの一つでもあったのかと思ったが、その調子で気合入れていくぞ」

 

沢木自身、心身ともに安定。気合も十分な様子だ。沢木は服部会頭と並んで、一高の二本柱と呼ばれているので、今回の優勝も堅いとみている。

 

 

 

沢木のCADの最終調整は問題なく、あとは試合を待つばかりとなった。

まだ午前中の女子の決勝が残っており、それが終わり次第、随時男子の試合が行われる。

 

「本当に司波が言う通り、何か作戦を立ててきているのか」

 

沢木はモニターを見ながら、達也に問いかける。

シールド・ダウン決勝リーグ、最終試合は一高対二高の試合が行われる。

予想通り千倉は順当に決勝リーグに進み、第1試合を見事勝利。あと1勝で優勝が確定する。

一方の燈も第2試合に出場し、危なげなく勝利。千倉とは違い、2試合続けての試合になるが、疲れはまるで見せていない。

 

 

一高は現在、三高を追いかける立場にある。

ここで勝てば一高は大きく三高との点差を縮めることができる。

それは千倉も分かっている。だからこそ、そのプレッシャーを糧にやる気を見せていた。彼女にとっては最後の大会。気合の入り方も十分だった。

 

一方の燈もここまで順当に勝ち進み、あと1勝で優勝なのは変わりない。

千倉の気合と緊張の入り混じる雰囲気とは反対に、すぐにでも試合を始めたくて仕方がないといった臨戦態勢だ。

 

「あれは…」

 

ステージに上がる燈の足元を見て、達也はとあることに気が付いた。

 

「なにか仕掛けがあったのか」

「刻印魔法ですね。ブーツの底に仕込んでいるようです」

 

燈はすでに定位置についており、地面に足がつけられているため、ブーツの底に仕込んであるという刻印は見えない。

 

「加速系か?」

「振動系の術式ですね」

 

沢木がモニターを食い入るように見つめる。

余計に緊張するので、同じ学校であっても自分の出場する種目は見ないという選手もいる中、沢木は他校の戦略傾向がわかるなら幸い、加えて戦法として参考になるのならば積極的に取り入れていくだけの精神的な余裕は十分あるようだ。

達也が1年のころから彼の実力、胆力は見聞きしているので、高校生の試合程度を前に怯むとは当然思ってもいない。

 

「足で振動系となると、桐原のように地面を振動させるのに使う可能性が高いな」

「もしくは盾への直接攻撃は認められているので、蹴りの一撃に振動を加えることで破壊力を増す作戦なのかもしれません」

 

千倉はおそらく、燈のブーツに仕込まれた刻印魔法には気が付いていない。

何かしら策を設けていることは警戒しているだろうが、それに瞬時に対応できるかどうかが鍵になってくるだろう。

 

 

会場中の視線が集まり、両者張りつめる空気の中、試合開始のブザーと共に千倉はCADに指を滑らせる。

あと一つ決定ボタンを押せば、魔法を発動させられる。これまでの試合を見ても、相手は先手必勝、一撃必殺。ならば後手でも得意のベクトル操作で盾をはじくことができると前の試合を見て考えていた。

 

しかし、千倉の、会場の予想に反して燈はその場から動かなかった。

 

『丸竹(えびす)押御池(おしおいけ) 姉さん六角蛸錦 四綾ぶったか松万五条』

 

まるで童話でも歌うような朗らかな様子で、燈は盾を構えた姿勢のまま、詠う。

 

『雪駄ちゃらちゃら魚の棚 六条三哲通りすぎ 七条越えれば八九条 十条東寺でとどめさす』

 

会場も突然、今までの戦法を変えて詠唱らしきものを始めた燈に呆気にとられた。会場同様にリングに立った千倉は焦った。詠唱の威力は昨年、九重雅と目の前にいる彼女に見せつけられた。

しかも彼女は去年の大会で1年生ながら氷倒し本選で優勝した。それを成しえたのは後述詠唱の威力だと言われている。

今年は素早い攻防が必要となるこの競技では使ってくる相手はいないとみていた。

しかし、この場面で、この決勝の大舞台で、一歩も動かずにその詠唱を使った。

 

当然、今の詠唱がどんな魔法のためか、千倉はそれが分からない。

だが、詠唱が完成される前に倒してしまえば問題ない。見るところ。CADもまだ使っていないように見える。千倉は準備していた魔法をキャンセルして、偏移解放の魔法の起動式のボタンを押し、決定ボタンを押そうとした。

 

 

途端、まるで目の前に爆弾でも落ちたような爆音と振動にステージが揺れた。

 

 

 

踏鳴(ふみなり)

震脚とも呼ばれる足で強く地面を踏みつける動作がある。魔法を使ってその威力を増幅させるとどうなるのか。

文字通り地面が揺れるほどの振動と爆音に、千倉は一瞬体が硬直する。

その隙に燈は千倉に一瞬にして接近し、自らの手にした盾を叩きつける。振動している地面も普段から稽古がてら野山を駆け回っている燈にしてみれば些細なものだ。

 

千倉は直前で魔法を変更していたため、ベクトル操作で相手を場外にはじき出すことはできない。当然迫ってくる相手に盾を使わないというのは本能的に危険を感じている今、できはしない。

盾と盾がぶつかる鈍い音が鳴る。

 

燈から放たれた一撃は予想以上に重いものだったが、千倉は何とか盾を飛ばされずに堪えていた。相手も策を残していると達也から聞かされた時、最低限相手のパワーに負けないように攻撃をやむを得ず盾で受けるときは両手で支えるよう達也がアドバイスをしたのが功を奏したようだ。

手の先が痺れるような一撃に相手にこのまま上空から偏移解放で空気をぶつけて牽制するか、それともベクトル反転で次に盾がぶつかったときに方向を逸らすか、迷ってしまった。

 

しかし、近接ではその迷いが命取りだ。

千倉が次に目にしたのは口角を吊り上げ、予想通りというような燈の顔だった。燈は片手で千倉の盾の上部をつかむと、自らの体に加重を掛け、地面に対して直角になるように盾を真上からステージに叩きつけた。

 

一高の盾は紡錘形をしている。戦法に合わせて形状はある程度調整しているが、チームとして出した方針だ。

先端が比較的細いその形質上、そこに力が掛かれば当然割れやすい。

千倉は上に弾き飛ばされる可能性を考えていたため、下に引き込まれる動作に咄嗟に対処できなかった。

二度目の攻撃は耐えられず、罅が盾全体に広がった。

 

ブザーが響くと同時に歓声が沸き上がる。シールド・ダウン、女子ソロの優勝はこの瞬間、二高に決定した。

 

会場中は一瞬の出来事に盛大な拍手を送る。燈は千倉に手を貸した後、満足げに会場に手を振っていた。

 

 

 

一方、モニターで観戦していた達也と沢木の表情は当然思わしくないかと思えば、そうでもなかった。同じ学校の選手が負けて不謹慎だと言われるかもしれないが、二人とも戦法に感心していた。

 

「まさかこの競技で詠唱を使ってくるとは予想外だったな」

「いえ、詠唱は囮です。千倉先輩が動揺した隙に、本命は靴に仕込んだ振動系魔法だったようですね」

 

今年早々に図書・古典部が発表して話題となった、踏むだけで発動する刻印魔法を流用したのだろう。あれならばCADに一切触れなくても魔法発動は可能だ。足で想子を操作するのは難しいが、九重の縁者ならば全身で操作できても何らおかしくはなく、加えて想子の自動スキュームも盛り込まれていればさらに容易なことだろう。

 

「あの詠唱は魔法発動には関係なかったのか」

「ええ。ただの京都の通りの数え歌です。実際、詠唱には想子は乗せられていませんでした」

 

今までの戦法はこの奇策のための準備であり、決勝まで温存していたのだろう。

 

「二高は他にもこんな手を使ってくると思うか?」

「いえ。奇策や奇襲は一度使われれば、当然相手も使いにくいと思います。千倉先輩なら無理でも、沢木先輩ならあのスピードで接近されてもカウンターが可能でしょう」

「足場は不安定だが、相手がこっちにまっすぐ向かってくると分かっていれば、難しくはないな」

「戦法は大きく変えず、正攻法で攻めるべきでしょう」

 

達也と沢木は次の試合に向け、すでに思考を切り替えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

8月9日から12日までは新人戦が行われる。

 

アイス・ピラーズ・ブレイクには泉美、ロアー・アンド・ガンナーには香澄、シールド・ダウンには水波が出場し、前日の沢木や深雪の優勝の好調を引き継ぐように次々に優勝を果たした。

 

当初は女子の花形であるミラージ・バットに、泉美か香澄のどちらかに出場してもらう意見があったが、達也が強引に首脳陣を説得し、二人をその競技から遠ざけた。雅にも協力してもらい、泉美には深雪と同じ競技だから練習中も一緒よと囁き、香澄には去年のバトルボードの経験を生かして、直接指導を行った。その結果、二人は簡単にその競技の練習に率先して取り組むようになった。

二人とも競技適性があると達也は理論立てて説明したが、その裏、ミラージ・バットでは敵わない相手がいると知っているからだった。

 

 

今日一日はオフになっている達也と深雪は、新人戦ミラージ・バットの会場に来ていた。会場はある一人の選手に釘付けとなっていた。

 

「……これは、仕方ないか」

「やはりミラージ・バットで亜夜子ちゃんと勝負をするのは難しいですね。私でも相手にならないと思います」

 

会場では、一人次々と得点を重ねている黒羽亜夜子の姿があった。

亜夜子の得意とする魔法は『極致拡散』、通称『極散』と呼ばれる特異な魔法だ。指定領域内の気体、液体、物理エネルギー的な分布を平均化させ、識別できなくさせる魔法だ。系統で言えば収束系の魔法に該当し、起動式を記述することは可能だが、現実にその使い手はほとんどいない。

せいぜい下位の『拡散』程度ならば使える術者はいるだろうが、達也は『極散』の使い手は亜夜子しかしらない。

鳴った音を拡散させ、どんな音なのか分からなくなることが『拡散』ならば、音の発生そのものが生じなかったことになるのが『極散』だ。隠密行動においてこの魔法は非常に有効であり、亜夜子はその魔法の特徴もって【ヨル】というコードネームを与えられている。

 

加えて、もう一つ得意とする魔法が『疑似瞬間移動』だ。

瞬間移動と言っても、あくまで疑似的なもの。自分やあるいはパートナーを空気の繭で包み、慣性を中和し、真空チューブの中を一瞬で通り抜けて移動する複合魔法の一種だ。

 

ミラージ・バットでは真空チューブが他の選手の妨害とみなされるが、ダウングレードさせれば目にも止まらない速さで目標まで到達できる。

飛行魔法ほどの長距離や横移動には適さないものの、地面に降りてから再度跳躍するその速さは桁違いだった。

 

結局、亜夜子の独り舞台。

圧倒的な点差で優勝を飾った。

 

 

 

 

 

 

 

8月12日 新人戦最終日。

 

前日に引き続き、今日はモノリス・コードが行われ、今日の結果で新人戦の優勝が決定付けられる。

一高は現在、新人戦での得点は一位であり、新人戦の点数の半分は総合成績に反映されるため、一勝でも勝ち星を重ねてほしいところである。

本選選手も最後のオフをゆったりと満喫していた。

 

学校ごとに朝食の広間が割り振られており、バイキング形式のメニューが取り揃えられている。試合開始まではまだ時間があるため、達也たちは朝食をゆっくりと取りながら雑談をしていた。

広間にはテレビが備え付けられ、朝のニュースの中では九校戦の結果などもハイライトで放映されている。芸能ニュースのコーナーになったところで、達也は視線をテレビに向けた。

 

「あ、九重神宮って雅のところだっけ」

 

達也の視線に合わせてエイミィが反応すると、つられてそこで食事をとっていた面々も一斉にテレビの方を向く。

番組では11日夜に行われた九重神楽について取り上げられていた。

全国ニュースで一神社の行事が取り上げられることは時々あるが、時間はそれほど長くはないことが普通だ。一方、そのテレビ局では九重神宮の成り立ちから神楽についてまで、時間を割いて解説をしていた。

 

 

九重神宮は日本屈指の厄除けのご利益があると言われている。

悪神や邪神、悪霊なども転じて丁寧に祀れば災厄を免れると信仰されてきた。日本で最も強い厄除けの神と言われているイザナミを祀る九重神宮もこの考えのもと、生まれたとされている。

そして九重とは宮中を示し、かつては京都御所の鬼門に構え、宮中に入り込む災厄を退けていた逸話はいくつも残っている。

 

今回話題となっているのはやはり九重神楽。

その神楽で演じられたのはコノハサクヤビメの火中出産の伝説だ。

日本神話の中で、天照大神の孫であるニニギノミコトは美しいサクヤヒメに結婚を申こむと、それを喜んだ父は姉のイワナガヒメと一緒に妻として送り出した。

 

しかし、ニニギノミコトはサクヤヒメだけを選び、醜いイワナガヒメを送り返す。姉妹の父が彼女たちを嫁がせたのは、生まれてくる御子が岩のように長く生きることができ、木の花が咲くように繁栄することを願ってのことだった。

しかし、サクヤヒメだけを選ぶというのならば、御子は花のような命となるだろうと、告げ、以降生まれる御子は神と比べると短命となってしまった。

 

その後、二人は結ばれ、一夜にして子どもができた。

しかし、ニニギノミコトは、一夜にして子ができるのはおかしい、その子は国津神(土着神)の子ではないのかと、サクヤヒメの不義を疑う。

ニニギノミコトは天津神の子(天界の神の子)

生まれてくる子もまた天津神の子であると証明するため、誓約を立て、サクヤヒメは産屋に火を放つ。

そして三柱の子どもを無事に生み、そのうちの一人の孫が神武天皇であり、これが日本の皇室の始まりであると言われている。

 

 

二柱の出会いからサクヤヒメの出産までの流れを今回の演目で披露し、一部様子を収めた写真が公開された。元々九重神楽自体公開されることは少ないが、昨今の魔法師への批判的な風潮を鑑み、政府やマスコミからの要望もあって公開に至ったという裏があるが、流石にその点については言及されることは無かった。

歴代総理や寺社仏閣に関わる九重の縁者、とある高貴な方々もご列席されたことを報道していた。映像はないが、何点か公開された写真には絶世の美女と美丈夫が舞台で夏なのにまるで春のような柔らかく、美しい笑顔を浮かべていた。比翼連理を表すように、夫婦として慈愛に満ちた表情を浮かべている。

 

「なるほど。これは九校戦も辞退するしかないね」

 

次々に恍惚と興奮を隠し切れない表情で神楽の感想を述べる列席者を横目で見ながらスバルが呟いた。スバルの前に座っているエイミィも首を無言で縦に振っている。

 

「雅って、本当にすごかったんだ」

「今更?」

 

雫は首を傾げて尋ねる。

雫は古くから続く大企業の娘であり、九重神宮の名前は両親の結婚に関わったとしてよく聞かされていた。その家の古さも、家格も比肩する家は数少ない名家であると知っている。

しかし、雅自身はそのことを積極的に公言するわけではないので、友人たちの中でも雅の家については認識の差がある。

 

「いや。魔法師としてすごいのは知っていたけど、家の方は想像以上でビックリしたってこと。だってこれ、例えるならば教会で生演奏付きで、首相や英国王室の方々を前に讃美歌を披露するくらいのことでしょう。私、もしそうなったら泡吐いて倒れるよ」

 

茶化す様子もなく無理、無理と真顔でエイミィは首を横に振った。

九校戦も国会議員や芸能人なども見に来ることはあるが、選手が直接その人物と関わる部分は少ない。しかも来賓の方々はVIPルームに案内されることが多く、後夜祭でも大学関係者や企業から声が掛かる生徒がいる程度だ。

九重神宮はそれを招待する側の人間だということが何より、その名前の大きさがわかることだった。

 

「それにしても、美人に拍車がかかっているね」

 

スバルは携帯端末を取り出し、九重神楽に関するニュース記事をさらっていた。内容は魔法を使った神楽に擁護的なものであったり、魔法師そのものに批判的であったりと様々だが、どの情報誌も掲載写真は変わらない。

衣装や楽器もすべて魔法道具であり、本来は秘匿されるべきものだ。その写真が公開されるだけで、相当な政治的圧力があったこと、内部外部で揉めたであろうことは、聞くまでもなく達也は推察できた。

 

「スバル、見せて」

「はい」

「ありがとう」

 

エイミィはスバルから携帯端末を受け取ると、一通り見てそれを隣に座っていた雫に渡す。

拡大された写真には、まるで花咲き零れんばかりの慈愛に満ちた表情のサクヤヒメとそれに寄り添う凛としたニニギノミコト。

どちらも美しいと言える容貌だが、特にサクヤヒメの方はまるでCGかのように均整の取れた顔立ちと花も霞むような美貌をしている。

長いまつ毛に彩られた黒い瞳と、白くきめ細やかな(かんばせ)

そこに紅に染まった唇が得も言われぬ色気を醸し出し、写真ですらため息が出そうなほどその容姿は人並み外れている。

 

「綺麗……」

 

エイミィから携帯端末を渡されてそれを見た雫やほのかも、そう呟くほどだった。

 

「司波君はあれだけ美人の恋人なら心配はないのかい?」

 

スバルの問いかけに、司波兄妹は一度顔を見合わせると、何とも言えない複雑そうな表情をしている。普段ならば、雅が褒められれば本人より誇らしげにする深雪も何と言ったらよいのかわからないかのように、達也を見ていた。友人たちの誤解を解くために、達也は重い口を開いた。

 

「おそらく雅の兄だ」

「兄?」

 

一見的外れな回答に、スバルは問い返す。

 

「雅は男装舞しか今はしていない。となれば、その女性役は雅の兄だろう」

「姉じゃなくて?」

 

雫は端末の写真を見ながら再度確認する。

 

「男性だ」

 

達也の答えに、深雪を除く女性陣は信じられないと言わんばかりの表情だ。

 

「だって深雪みたいな絶世の美貌なんて二人といないと思っていたけど、しかも男性!?」

 

エイミィはあり得ないと、達也と深雪に確認する。

これだけの美人が男性なんて、女子としてとても信じられなかった。

歌舞伎や演劇の舞台での女装は珍しくはない。

それでも写真ですら見惚れるばかりの美貌に、これを男性ですと言われて「はい、そうですね」とは素直には頷けなかった。

 

「まさにとりかえばや、だねえ。男女逆転していることの衝撃もだけれど、男装を難なくこなす雅の多彩さには驚かされるよ」

 

スバルは演技掛かったように、やれやれと肩をすくめた。

その感想に異論を唱える者はいなかった。

 

 

 

 

 

 

達也たちの朝の騒ぎはさておき、新人戦最終日のこの日。注目を集めている選手がいた。

モノリス・コードは今年度から新人戦も本選も総当たり戦となり、試合数は昨年度より増加している。

一高、三高が勝利を重ねる中、同じく勝ち星を挙げていたのが四高だった。例年、四高はそれほど九校戦での成績は良くない。

技術系の学校であるが、戦闘面において他校に劣っていることは無い。しかし、一、二、三高と比べると選手層の厚さの差は出てくる。

 

一高は三高に辛勝をすると、モノリス・コード優勝、新人戦優勝の二文字が見えてきた。選手もやや浮足立つが、それを引き締めるように三高が四高に負けたというニュースが入ってきた。

 

続けて行われた一高対四高の試合では、その噂の彼が活躍を見せていた。

 

「ちっ」

 

琢磨は四高のとある選手に苦戦していた。

 

「ちょこまかちょこまかと」

 

琢磨は悪態を付きながらも、攻撃の手を緩めない。

ステージは岩場ステージ。

大小さまざまな岩が転がるステージは、岩を防御に使ったり、それを相手にぶつけたりとできる一方、地面のクッション性がなく、足場も不安定なので、そちらにも注意を払わなければならない。

大岩から大岩へ飛び移り、琢磨を翻弄しているのは黒羽文弥。

 

四葉家との親類関係が噂されている『黒羽』という家の苗字と一致している。そしてそれを裏付けるように姉の黒羽亜夜子は圧倒的な実力差を見せつけ、ミラージ・バットの優勝を果たしている。弟の文弥もこれまでのモノリス・コードの勝利に貢献していることは間違いない。

 

「ぐっ」

 

琢磨は真正面から受けた見えない攻撃に苦しげに息を吐く。

無系統魔法『幻衝(ファントムブロウ)

形はないが、衝撃としてまるで琢磨の攻撃のタイミングに合わせるかのように意地悪く攻撃が襲ってくる。昨年は達也もこの魔法をモノリスでは使っていたが、達也より威力は上であり、加えて『ダイレクト・ペイン』も織り交ぜている。

 

文弥が得意とする精神に直接痛みを感じさせる系統外魔法『ダイレクト・ペイン』。威力は本来のものから落としてあり、魔法技術者でもその魔法が使われたことに気が付いている者はおそらくほぼいないだろう。

 

琢磨自身も威力の強い『幻衝』であるとしか認識していない。しかし、一撃で意識を刈り取るまでに威力を下げているとはいっても、衝撃や痛みが蓄積されると当然、集中力は落ちてくる。

文弥は琢磨の攻撃を搔い潜り、『幻衝』を打ち込み、ついにダウンさせた。

 

 

トータルの結果では、新人戦は一高の総合優勝。

しかし、その一高を圧倒した四高の黒羽姉弟の活躍は、益々その噂の信憑性を高めていた。

 

 

 




前書きのタイトル『ああ、お布団(¦3[___]』

予約投稿にしてみましたが、できているかな(*´>д<)

某テーマパークで数年前にとある漫画とコラボしていたロンギヌスの槍の刺さったココア(ホットチョコレート?)並みに、甘くて、思わず壁を叩きたくなるようなシチュエーションを思い浮かびました。しかし、盛り込むにしても原作軸で言えば2年の冬の予定です。残念。





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スティープルチェース編8

珍しく筆が乗りました(`・ω・´)
だが、イチャイチャはない(`・ω・´)




新人戦の好調に引き続き、一高は残りの本戦ミラージ・バット、モノリス・コードで優勝し、その時点で三高との点差は95点まで開いた。

スティープルチェースでも深雪、花音が1位、2位となり、更に雫とほのかは仲良く、5位6位となった。

3位は二高の燈だったのだが、2位の花音との接戦の末、0.5秒差で敗れた。花音としては昨年度の雪辱を果たした結果となる。

 

男子の方は三高の一条将輝が十師族次期当主であると周りに印象付けるように圧倒的な差で優勝し、一高は2位が吉田幹比古、3位が服部となり、こちらも上位に食い込んだ。

 

スティープルチェースは、1位から3位までの点数は他の競技と変わらないが、4位から6位には5ポイント、時間内に完走すれば1ポイントが加算される。

最終競技でも一高が上位を占めたため、一高は4連覇を果たした。

しかし、魔法科高校の一大イベントの一つが終わったが、その裏で行われていた静かな戦いを知る者は少ない。

 

 

 

 

 

 

 

じっとりと、湿度の高い京都の夏の夜。

星は地上の光に遮られ、わずかばかりの光を地上に届けている。

風は穏やかだが、時折ざわざわと揺れる柳や竹の枝は怪談話のような不気味さを伴う。灯りは極力減らしてあり、蝋燭の灯りが部屋を薄暗く照らしている。

九重の敷地の一角。離れに設けられた茶室では悠と雅が向かい合っていた。二人とも自宅の茶室とはいえ、和服の正装姿だった。

 

「それで、顛末は教えていただけるのですよね」

 

雅は今回、九校戦に出場するなと九重当主である父から言いつけられていた。

表向きは九重神楽のため、世間が勘違いしている目的は軍事的競技の多くなった九校戦に苦言を呈するため、真の目的は九重と旧第九研究所の家系との縁切りだった。

雅は部活連所属という一高での立場はさておき、個人的には九校戦はそれほど重要視していない。

 

しかし、九島の実験にも直接関与するなと言われ、その対応に達也を当たらせると聞けば話は別だ。九重本家では末席でしかない雅が当主の決定に異を唱えることはできないが、条件を持ち掛けることは可能だった。

 

「まあ、知っていて損はないかな」

 

雅は九校戦の裏で起こる九島、軍部の起こした一連の顛末を伝えることを望んだ。その役目を仰せつかった悠は茶を()てる準備をしながら、一部始終を語りだした。

 

 

 

まず、今回の一件は国防軍所属の酒井大佐を中心とする大亜連合強硬派が発端となり、九校戦を軍事的な競技が中心となるように魔法協会に圧力をかけた。

それに便乗する形で九島家が主体となりパラサイドールの稼働試験を提案し、強硬派は賛同する。

次にその九島に取り入るように横浜華僑の周公瑾(しゅうこうきん)という人物が、大亜連合の亡命術師の受け入れを要望する。

亡命と言っても、意図的に傀儡を得意とする方術士を送り込んだとみて間違いはない。

 

そして今回、問題となったパラサイトの憑依したヒューマノイド、通称パラサイドール。このパラサイドールに応用されている傀儡の術式には、守る対象と攻撃対象が記述され、それを破った場合にはドールに罰が与えられる。

傀儡の術式自体、服従と封印がセットになっていることが前提だ。例え亡命術師がパラサイドールを暴走させる術式を組み込んだとしても、大元の傀儡術式がそれを許さず、制御術式から封印術式へと変わり、それ以上作動しなくなると旧第九研究所の研究者や九島家は考えていた。だから、パラサイドールが魔法科高校生を傷つけることはあっても殺すようなことは無い、と判断した。

 

 

しかし、今回傀儡として利用したパラサイトは精神世界の精神情報体であると言われている。

パラサイトはこの世界と鏡合わせのようにある精神の世界から次元の壁を越えて、人間の強い思念にひかれてこの世界にやってきた。

九校戦最終日には各校、勝ちたい、優勝したいという気持ちであふれるその感情にパラサイトが引き寄せられ、ヒューマノイドの電子頭脳にパラサイトを固定している術式が暴走しかねない。もしくは方術士の手によって暴走術式の作用が強まるかもしれない。

たとえ暴走してもしなくても、誰かの手によってパラサイトが憑依している機械人形本体が破壊された場合、パラサイトが機械人形から離れて自由になる可能性がある。

そのパラサイトが熱気高まる九校戦選手の思念に引き寄せられ、選手に憑依しないとは言い切れない。一般的な魔法師は霊体が無防備の状態であり、乗っ取ることは容易だ。そうなれば、もはや九校戦どころの騒ぎに留まらない。

 

 

達也は競技会場に侵入し、コース後半に設置されたパラサイトを破壊するために動いた。

その際、個人的な協力者として藤林響子からムーバル・スーツの提供を受け、パラサイトの存在を感知できるピクシーを利用し、競技中の選手がその場に到達する前に全てを片づけた。

機械人形だけを壊せばパラサイトが解放される可能性があったが、達也は、パラサイトと機械人形を結んでいる術式を一度『解体』し、パラサイトが機械人形から離れる前に、微量な想子を注ぐとともに服従術式を『再成』した。

 

達也の『再成』は、なにも生物、非生物などの物質のみに留まらない。

想子情報体のあるものであればすべて、そのエイドスに記録された情報を手掛かりに24時間以内であれば、情報の複写・上書きによる再構築が可能である。

少量の想子しか与えられず、機械に縛り付けられたパラサイトは、結果的に休眠状態となった。

 

「16体のパラサイドールも強力だったけれど、達也は20分以内で片づけて見せたよ。流石だね」

「怪我一つなく、というわけではないでしょう」

「まあね。あと、結果的に今回の事件の責任は強硬派と旧第九研究所の連中が取ることになったよ」

 

淡々と一連の結果を述べる悠に、雅は膝の上に置いた手を握りしめた。

パラサイトは魔法ではなく、念動力を主にした超能力を使うことができる。

超能力の発動速度とその威力は雅も体感している。

それを16体。

しかもパラサイドールは戦闘目的に作られたものであり、単純な人形とはわけが違う。

本当の意味で達也を傷つけることができないとは分かりながらも、達也が受けた傷の多さを想像し、雅は奥歯を噛みしめる。達也に深雪を守る使命があったとしても、討伐を依頼している以上その傷は実質、九重が負わせたようなものだ。

 

雅は冷静になるため一度、目を閉じ、一呼吸置く。

 

「もう一点、お伺いしたいことがあります」

「なんだい」

 

苛立ちも憤りも歯がゆさも、悠にぶつけるべきではないことは頭では重々理解している。九校戦に出場しないことは当主からの命があったとしても、最終的に同意し、決めたのは雅自身であると分かっている。

それでも達也が傷ついて、顔色一つ変えずに平気でいられるほど雅は大人にはなり切れていなかった。

 

「九島家がパラサイトを使った自立魔法兵器を開発するためにパラサイトを捕獲したのであれば、その段階で止めに入れたのではないですか」

「僕らがパラサイドールの開発を見過ごした、容認したと言いたいのかな」

 

パラサイトは今年に入ってから、スターズとも渡り合いながら解決してきた事案だ。雅にパラサイト制圧を命じなかったのも、今回の事件を機に関係を切るために現場に関与しないようにさせるためだったと考えられる。

 

「容認はしてないよ。だから、四葉家と伯父上に協力を求めている。今回の一件は軍内部の強硬派の粛清と九島との縁切りが目的だからね」

「黒幕ともいえる周公瑾はどうされるのですか」

「そっちの方も手は打ってあるよ。彼も色々とやってくれたから、相応の対応をさせてもらうよ」

 

冷静で怒りも感じさせない声に、いつも通りにゆるりとした笑みを携えた美貌には、一瞬身震いのするほどの恐怖を感じる。

兄であっても、雅と悠の間には隔てようのない感覚の差がある。

 

歴代当主の証であり、九重が脈々と引き継ぐ【千里眼】の異能。何時如何なるように発現するかは個人差があるが、唯一共通しているのはこの国を守るための使命を課され、この国に縛られる命運となること。

その責務は、同じ九重の名前を背負っていても重さがまったく違う。この国への慈愛と、敵に対する冷徹さの片鱗に、雅は兄への畏怖を再認識した。

 

 

 

 

 

 

2096年8月16日。

 

横浜中華街を静かな喧騒が包んでいた。

周公瑾を捕らえるべく、黒羽家当主である黒羽貢が動いていた。

それなりに力のある部下が一人手傷を負ったことを聞き、流石に国内を散々と引っ掻き回しただけあって個人の実力もあるのだと舌を打つ。だが、四葉の諜報の要、黒羽家当主の指揮の下、周公瑾は追い詰められていた。

 

「ここまでだな、周公瑾」

 

黒羽貢は周公瑾の前に立ちはだかる。

一高を襲ったブランシュ、九校戦での無頭竜の暗躍、横浜事変での大亜連合の特殊部隊の手引き、USNAからのパラサイトの密入国。関東を中心とした対外勢力が関与した事件は全て、この男が一枚噛んでいる。

 

「私のような小物に四葉の闇、黒羽家当主直々のお出ましとは、随分と買っていただいているようですね」

「買いかぶりだとは思わんな。だが、この距離では得意の奇門遁甲も使えまい」

「ええ。ここまで懐に入られれば、遁甲術も意味がありませんね」

 

貢を前に、うっすらと笑みを浮かべながら周公瑾は余裕だった。

 

「ですから、少し痛い思いをしてもらいます。――(チイ)哮天犬(シャオピェンチェン)』」

 

周の言葉に貢が反応するより早く、貢の右腕は激痛と共に失せていた。

空から降ってきた黒い影のような犬に片腕を食いちぎられており、その犬の姿はすでにない。

 

「おや、避けましたか。あれを作るのに十年かかったのですが、黒羽家当主の片腕と引き換えとなれば十分と思いましょうか」

 

そう呟くと、周の姿は闇に紛れて消えた。

 

 

 

「父さん!」

 

達也と文弥が現場に到着したのは、それから間もなくしてのことだった。

貢を取り囲む黒服たちを押しのけ、文弥は父に駆け寄る。

 

「一体誰が……達也兄さん!」

 

縋りつくような文弥の視線を受け、達也は拳銃型CADを抜く。

 

「止せ、君の世話にはならん」

「なにを言っているんだ、父さん」

 

苦しい声で貢は達也の魔法の行使を拒否する。

重傷者を揺さぶるという暴挙に出た文弥を達也は肩を叩いて諫める。

 

「貴方はご不満でしょうが、このままでは文弥と亜夜子が悲しみますから」

 

達也は黒羽貢のことを好いてもいなければ、憎んでもいない。訓練で散々痛い目にあわされたが、その程度で怒りを抱くほど彼の心は豊かではない。何をもって彼が達也を毛嫌いするのか、おそらく彼の所有する魔法が関係しているだろうが、達也には関係のないことだった。

 

達也がCADの引き金を引くと、今までどこかに行っていた貢の右腕がどこからともなく現れ、傷口が合わさって以前と寸分たがわず繋がった。

それと同時に貢が傷を負ってから今までの時間に感じていた痛みを、一瞬に凝縮した痛みが達也に襲い掛かる。達也が無意識に腕を押さえることは無理のないことだった。

 

「貴方にこんな重傷を負わせるなんて、周公瑾はどんな魔法を使ったんですか」

「分からん。奴は『哮天犬』と言っていたが、そのままではあるまい」

 

重症とも呼べる傷が戻って間もなくだが、貢は動揺もなく、苦々しくはっきりとした口調で答えた。

 

「化成体魔法の一種でしょうか。随分と厄介な相手だ」

 

達也は周がどこに逃げたかは問わなかった。その代わり、貢のものではない、濃厚な血の匂いと肉が腐敗する匂いを知覚する。感覚的にではなく、達也はそれを精霊の眼を通した情報として認識していた。

 

「達也兄さん?」

 

その先に何かあるかのように一点を見つめる達也に、文弥は周囲に警戒を配りながら問いかける。

 

「文弥たちは先に戻ってくれ」

「僕も――」

「文弥、いくぞ」

 

文弥が達也についていこうと言葉を続ける前に、貢は踵を返した。

 

「父さん」

 

文弥も引き際は分かっているが、こちらが痛手を被り、周の行方もつかめないまま撤退するのは悔しい部分があった。

 

「京都が出ているなら、こちらがこれ以上追う必要はない」

 

貢は有無を言わせない強い口調で文弥に命じる。その“京都”が単純に地名を意味しているのではなく、とある家のことを言っていると文弥はすぐに理解した。文弥はそれ以上反論せず、申し訳なさそうに部下を引き連れて、達也と別れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

周公瑾は庭のように知り尽くした暗闇の横浜中華街を歩いていた。

足取りは決して遅くないものの、辺りの警戒は怠らない。

優秀な諜報は自身の引き際をよくわかっている。

そうでなければ、木乃伊(ミイラ)取りが木乃伊(ミイラ)になる。

 

黒羽の追撃はないだろうと踏んでいるが、相手はあの『四葉(アンタッチャブル)』。

緊張の糸を緩めるには、早すぎる。

術を使って逃げた先、周が逃走用にしている店を目前にし、辺りを更に入念に見回す。追手の気配はない。周囲には通行人もいない。

好都合だと、もう一歩踏み出したところでなぜか周はその場から動けなくなった。

 

何の変哲もないいつも通りの地面だったはずだ。当然、人影だけではなく、精霊などの術式にも気を配っていた。しかし、場数を踏んだ周ですら気が付かないほど、それでいて強力な魔法が仕掛けられていた。

周がその場所を踏んだ瞬間、まるで強力な電磁石に引き寄せられる金属のように何をしても動けなかった。

 

『一つの頭で幾千の考えを巡らせど、二つの(まなこ)では世界のすべてを見通せず、三つの時に魂は決まり、四肢の広さは世界の広さを知る。幾万の顔があれど腹を開けば五臓六腑はみな同じ』

 

闇の中で声だけが響いた。

それは男の声だった。

詠唱などと大陸でも廃れた古い手法を使う魔法師がいることが驚きだが、今はそれどころではない。視線を下に向けると、足元には何やら刻印が浮かんでおり、一部でも消すことができればおそらく発動は止まる。

 

『幾億の願いを重ねれど、七星に天命は委ねられる。八大地獄に落ちる咎人よ、天保九助を願えども、泡沫に全ては無に帰す』

 

幸い上半身は動かすことが可能だった。周は懐から呪符を取り出し、先ほどとは異なる簡易的な犬の化成体を作り出す。強力な加重系魔法か、硬化魔法の一種と判断し、化成体に足元の地面を攻撃するように命じる。

 

『煉獄門』

 

詠唱が終わると突如、周の後ろに見上げるばかりの大きさの牛頭と馬頭の異形の姿があった。

周は目を見開く。

まるで地獄の門番をする牛頭馬頭のようではないかと悪態を付く。

それらは一切のためらいもなく、構えていた矛を周めがけてまっすぐ振り下ろした。それとほぼ同じくして化成体が足元の術を一部消し、足がわずかに軽くなる。

周が矛を避けるように前に飛びのくのと、右腕に激痛が奔るのは同時だった。奇しくも黒羽貢と同じく周は右腕を奪われた。

 

「おや。肩から丸ごと頂くつもりだったんですが、年の功というやつですか」

 

先ほどと同じ男の声がした。

背後にいた牛と馬の姿はすでにない。

『哮天犬』と同類、もしくは別の化成体か何かだったのかもしれない、と考えつつも、周は警戒を強める。

 

 

周の視線の先の影から、白い蛇の面をした男が出てきた。

すらりと背は高いが、武器のようなものは一切持っているように見えない。

声は老齢にも、若くも聞こえた。

壮年かと言われれば、そうかもしれないが、相手は白い羽織に手袋、顔全体を隠す面で年齢は読み取れない。

 

「全く、次々と………誰です、貴方」

 

周は痛みに耐えながら、動揺を隠し、気丈に笑う。

切られた腕からは血が絶えず流れ、地面に血だまりができている。

 

「『黄泉の鬼』と言えばわかるでしょうか」

 

白い羽織と面で気が付くべきだったが、その思考力すら痛みで麻痺していたようだ。

 

「ハハハッ、こんなところで相まみえるとは思いもよりませんでしたよ」

 

周は声をあげて笑い出す。

まさかこの国の伝説が周一人のために出てくるとは、自分は心底この国の敵として認定されたようだ。

 

「この国から引け。要件はそれだけです。亡霊にもそう伝えなさい」

「生憎、あの方は私の意見を取り入れてはくださらないのですよ」

 

周に告げるその男の口ぶりからして、周の師のことも既知のようだ。

日本には古くから『黄泉の鬼』と呼ばれる者が存在すると、大陸の魔法師のごく一部には知られている。

日本が対外勢力に攻め入られた時、どこからともなく現れ、敵を屠り、そして霞の如く消え、姿も正体も誰も掴めない。

知られているのは戦場に不似合いな真っ白な羽織と顔を隠す面。

一部では四葉の魔法師がそれではないかと言われていたが、大漢に攻め入った時の四葉とは使う魔法も異なり、その説は下火になった。

 

「っ……」

 

周が目の前の男を見据えながら、突破口を考えている間に、傷口に変化が起きた。切られたばかりの切り口から腐敗の匂いがする。傷口から滴る血が濁り、肉が腐り、腐食が進む。

切られた痛みから薬品でもかけられたかのように焼けるような痛みに代わり、その激痛が思考を鈍らせる。

普通の人間ならショックを起こしても不思議ではないような傷だ。

このような術、否、呪いは聞いたことがない。解呪の方法も見当が付かない。これ以上進行しないように呪の上の部分で切り落とすべきだろうか、だがそれをして正解だとは限らない。

 

「今までの利子も付けています。存分に味わってください」

 

そうして男は再び影の中に消えた。

周はこの場でとどめを刺さないことを疑問に思いながらも、この傷を止めるべく、隠れ家へと重い足を動かした。

 

 

 

 

 

 

達也が目的地に向けて走っていると、前から面をした男が歩いてきた。

体格がいいわけではないが、すらりと背が高く、衣服の白く清廉な印象とは裏腹に、纏っているのは血の匂いだ。血の一滴すら付着していないのに、それ程濃い血臭は相手から流れた血の多さを物語っている。

そして何より目を引くのは蛇の面。それも鱗が刻まれた白蛇とは薄暗い路地裏と相まって恐ろしさが助長されている。

しかし、達也はその男は敵ではないことを知っている。

 

「出雲に戻ったと思っていましたが、貴方でしたか」

 

達也は面の男に確認する。

強力な透視防止の印が刻まれた面だとしても、達也の『精霊の眼』であれば、目の前の人物が誰かなど接近する前から分かっていた。

言い当てられた方も驚きながらも、達也を警戒していない。

 

「よくわかりましたね。大黒天」

 

正解だと言わんばかりに、男はコツコツと被った面を指でたたく。

 

「名前の重さはありますね」

「恐縮です。それで、奴は?」

 

元々この一件は彼らから依頼されたものであり、彼が周と一戦交えてきたのは明白だった。

 

「この国の膿の吐き出しも一緒にするので、目印を付けた上で泳がせるとの意向です」

「あえて逃がした、ということですか」

「あれはしばらく、この国に面倒ごとを引っ張り込むらしいです。しかも、彼を倒してももう一回親玉がこの国に来るから面倒ですよ」

 

男は芝居がかったようにため息をついた。

つまり真の黒幕や主犯は別にいて、それがまたこの国に手を伸ばしてくるということを意味していた。

 

「昨年の横浜が魔法師の軍事史、魔法師の転換点だったようです。ここからしばらくは荒れますよ」

 

つまり、この一連の事件はただの通過点。

これから先にまだ、日本にも、そして日本の魔法師にも厄介ごとが舞い込んでくると予言していた。

 

 

 




蛇面の男性は去年の九校戦でも出てきた柚彦君です。
今年の九校戦に出せなかったのが悔やまれます。
喋らない設定は、声のイメージがCV.速水奨さんで、イケボ過ぎて雰囲気とのギャップに驚かれるからです。この設定も生かしきれなかった(´・ω・`)

ようやく九校戦終ったので、雅ちゃんたくさん出します。
また夏休み編オマケみたいな感じで、ベッタベタに甘い話が書きたいな_(:3 」∠)_


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古都内乱編
古都内乱編1


シングルベール、シングルベール、クリぼっち♪(# ゚Д゚)♪

というわけで、サンタさんの代わりに、ケーキをホールで食べたくらい胸焼けするほど甘い話をお届けするぜ(`・∀・)b




夏休みの最終週になり、ようやく雅は京都から東京へと戻ってきた。

連日、舞台の稽古と神事の手伝いに追われていたが、課題は既に片づけられている。

夏季課題程度なら、学年上位を維持している雅にしてみれば、予習復習程度の労力だ。

 

夏休みはまだ数日残っているが、魔法科高校ではすでに一部の生徒は登校している。

二学期から一部の生徒を除き、3年生は本格的に受験モードに入り、それに従って部活や各種委員会等も新規役員に代わる。夏休み後半から9月にかけては引継ぎや新規役員の候補者選びが行われ、正式な活動は10月から始まる。

 

生徒会選挙は例年、生徒会経験者の中から一名選出されて、信任投票が行われる。

生徒会は間違いなく深雪が次の生徒会長として選ばれるが、部活連や風紀委員は次のトップは未定である。風紀委員長は幹比古か雫が有力視されており、部活連会頭は十三束か雅のどちらかと言われている。生徒会長は信任・不信任を全校生徒が投票し決定する一方、風紀委員長は風紀委員会内部での互選、部活連は先代会頭からの指名と役員による信任投票が行われる。

深雪と達也は生徒会副会長として新学期の準備があり、雅もまた今年度の九校戦のデータをまとめるため、夏休み中とはいえ一般的な生徒より早い時期から学校に登校しなければならない。

 

雅にとっては何の制約もない夏休みは、明日の一日のみだった。

勿論、その日は達也のために使われる。

いつも通り買い物デートなので、雅は深雪も一緒にどうかと誘ってみたが、深雪は頑なに断った。

深雪は申し訳なさそうにいくつか理由は述べながらも、顔は雄弁に一緒に行きたいと語っていた。けれど兄と姉の邪魔をするわけにはいかないと、自重しているのだが、雅も達也も深雪を邪魔者に思ったことは一度もない。

雅と達也はそんな深雪の思いを分かっているから別の日に約束を取ると、まるで春のように綻んで笑うのだから、裏表のない素直な様子に思わず二人で笑みを零した。

 

深雪の豪勢な夕食を堪能した後は、翌日のデートプランをまとめるために、コーヒー片手に雅は達也の部屋にいた。

深雪も途中までは一緒だったのだが、先にシャワーを浴びると言って退散してしまった。雅と達也に気を使ってのことだったが、あまり気を使われすぎるのもどこか雅にとっては気恥ずかしい。

 

対して達也にとって、雅を想う感情はあるかないかと問われれば、ないとはいえず、かと言って我を忘れるほど冷静でいられないほど強いものかと問われれば、おそらくそれも違う。

だが、その手に触れるのも、その瞳が向けられるのも、その唇が微笑み、囁くのも、自分以外の男ならば不愉快であるという感情はある。勿論、世間一般でその感情にどんな名前が付けられているのかも知っている。そうではあるが、改めて文字にすると、自分に不似合いな感情だと苦笑いをせざるを得ないことも分かっている。

一生抱くことのないと思っていた感情は、達也の中で知らず知らずに芽吹いて、いつしか無視のできない大きさになっていた。

 

楽しそうに夏休み中のことを語る雅に、達也は自然と頬が緩む。

一年前の自分なら、こんな自分の変化にすら無頓着だった。この変化を、この感情を、なかったことにはもうできはしない。

雅を繋ぎとめるための恋人らしい行動は、いつしか自分が望んでの行動へと変わっていた。か細く不確かな感情の糸を()り集めるように、雅との日々で編まれた思いは、雅を手放しがたいものへと変えていた。

 

 

 

「それじゃあ、おやすみなさい」

 

明日に備えて、早めに部屋に部屋から出ていこうとする雅の腕を達也は捕らえる。

不意に腕を掴まれた雅が振り向くと、達也は正面から雅を抱きしめる。予告なく掴んだにもかかわらず、雅は驚きこそすれ緊張もしていない。自然と達也の腕の中に納まっている。

 

 

「どうしたの、達也」

「……いや、なんだろうな」

 

自分の行動の意味や感情の名前を頭の中で探すが、達也は首をひねる。ただ手を伸ばせば届く距離に雅がいたので、腕を伸ばした、というのが一番近い気がする。

他人から向けられる好意的な感情と同じぐらい自身の感情の機微に疎いとは自覚しているが、なにせ、達也にとってもこの感情は未知のもの。そもそも一般的な男子が経験する感情の多くを抑制されていたため、経験が絶対的に不足している。あれこれ一通りの理由を頭の中で思い浮かべてはみるが、答えになるようなものはなかった。

 

「もしかして、寂しかった?」

 

雅が冗談半分に聞いてみれば、達也は一瞬固まった後、照れくさそうな声で笑った。

 

「確かにそうかもしれない」

 

言われてみれば、去年の四月から雅とこれほどまで長く離れていたことは無い。夏休み中も連絡は取りあっていたとはいえ、思い返せばどこか物足りなさはあった。

腕の中にある存在に、達也はようやくその感情を知る。寂しさなど自分の中に存在していたことにも驚きだが、それ程不愉快ではないのも不思議であった。

 

 

一方の雅は堪ったものではない。心臓が止まるような言葉はやめてほしいと心の中で悪態を付きながら、雅は達也にしがみつく。嬉しいやら恥ずかしいやら赤い今の顔は、締まりがなくてとても達也に見せられないと言わんばかりに雅は達也の胸に顔を埋める。雅にとっては慰めのためでも、恋人らしさのためでもなく、純粋にこうして求められることに未だ慣れはしない。

 

「雅」

 

普段の凛と澄ました雰囲気ではなく、恋を知ったばかりのような初々しい雅の様子に、達也は自分の中にある感情の正体が間違いではないと知る。

顔を上げてほしい、と言いたげに、達也は軽い音を立ててつむじに唇を落とす。ピクリと雅は肩をすくめるが、シャツを握りしめる力を強めるだけで、やだやだと、まるで小さな子供のように頭を振る。頬に手を添えられても、雅は顔を上げない。

可愛い姿だと思いながら、達也は雅の髪を梳き、一房手に取ると、軽い音を立てて唇を落とす。

雅が驚き顔を上げると、ドロドロに煮溶かしたようなチョコレートより甘い声で達也が笑う。

 

「やっと顔が見られたな」

 

どこでこんなこと覚えてきたんだと、雅は恥ずかしさを天邪鬼な悪態に変える。

達也は雅を甘やかすのが上手になった。恋人としてそれ以前が不足だったと言うわけではないが、雅に触れることを躊躇わなくなった。雅にとっては嬉しい変化ではあると同時に、いまでも逃げ出したくなるような感情は消えてはくれない。

降参だと雅は目を閉じて、達也に寄りかかる。達也は目尻を緩めながら、片手を頬に添え、雅の柔らかい唇を食む。

二、三度、軽い音を立てては離れる唇に、今度は隠しもせずふにゃりと雅は表情を崩す。嬉しいかと問わなくても雄弁に語る、緩められたその瞳に、達也は不意にどこまで自分が許されているのか試してみたくなった。

 

もう一度という言葉の代わりに項に手を回すと、雅は少しの躊躇いと恥ずかしさで一度視線を落とした後、素直に目を閉じる。

信頼しきった雅に達也がこれからすることを思うと、自然と口角が上がる。

 

戯れのように啄むように口づけた後、雅の唇を熱い舌でなぞる。

小さく息を呑む雅は、まるで口を開けろと言わんばかりの達也の様子に恐る恐る小さく口を開く。

少し長めに唇を押し付けられ、そして熱い舌が境界を越える。雅の小さな口の中を逃げる舌を追いかけ、こすり合わせる。

そのたびに雅が小さく鼻にかかった吐息を零し、逃れるように待ってと言う言葉は達也の口の中に消える。

言葉を潰すように達也から絶え間なく与えられるそれに、まるで愛嬌のような甘ったるい鼻にかかる声が漏れてしまい、雅の羞恥心を駆り立てる。

 

雅もこれがどんなことなのか、知識としては知っている。それでも体感したことのない未知の感覚にぞわぞわと肌が泡立ち、体が跳ねる。

子どものような戯れではなく、雅の全てを欲しているような口付けは思考をドロドロに煮溶かしていく。

雅が薄っすらと目を開けると、ゾッとするほど熱を孕んだ瞳とかち合い、たまらず目を閉じる。それでいて濡れた音が耳までおかしくする。

いけないことなのに、はしたない事なのに、という思いに反して、その手は達也を突き飛ばしもせず、ただ力なく縋りつくことしかできない。離れていく唇が名残惜しくて自分から求めてしまいそうになる。

一つ一つ、達也から与えられる感覚に、雅は冷静ではいられなかった。

 

 

すっかり息が上がったころに離れた唇に、雅はもう限界だった。

一切乱れていない達也の呼吸に反して、雅は瞳に薄く涙を湛えながら視線を彷徨わせる。神楽や武道で鍛えているだとか、人並みに肺活量があるだとか、そんなことは関係ない。

まるで自分のものだと言わんばかりに許された唇を、達也は好きに楽しんでいた。

 

雅が呼吸を整えていると、達也は額を合わせ、空いた手で雅の長い髪を梳く。腰まで流れる艶やかな黒髪は普段は雅の清廉さを引き立てるものであるのに、浅く息をする色づいた頬に背徳感のようなものが沸き上がる。

 

「かわいいな」

 

猫なで声のような甘ったるい声で達也が囁く。

凛と大人びた雰囲気はなりを潜め、達也の手によって恥じらう乙女に変わる。この顔を知っているのは自分だけだと思うと、達也はわずかばかりの優越感を覚える。

 

雅は可愛くなんかないだとか、恥ずかしかっただなんて言葉が喉まで出かかって、結局声にはならず、達也の胸で顔を隠す。

クスクスと忍び笑いが耳にかかり、雅は益々居たたまれなくなる。

恋人のように甘やかされるのは、嬉しいという感情より先に恥ずかしさが来てしまう。

言葉はなくても、大切にされている。言葉よりも雄弁に、その声色と瞳が語っている。

 

「嫌だったか」

 

達也は困ったような口ぶりで、声は全然困惑した様子ではなく聞くのだから雅の感情はとっくにお見通しだ。心臓がいくらあっても足りはしない。

 

「いや、じゃない」

 

蚊の鳴くような絞り出す声で雅はつぶやく。

本当に狡い人だと雅はため息をつく。

何時だって雅は振り回されて、白旗を上げるしかないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2096年9月1日は土曜日であり、一部の学校ではまだ夏休み中だが、スケジュールの過密な魔法科高校にとってはこの日が始業式だ。

始業式は、九校戦や各部活動の結果報告会も兼ねている。

九校戦については中継とニュースで報道され、インターネット上にも即日結果が公表されている。結果について知らない生徒はいないだろうが、九校戦は全校生徒を集めて壮行式までしているのだから、結果報告もということのようだ。

 

加えて、魔法科高校に通う生徒は比較的に裕福な家庭が多く、教育だけではなく、習い事などの教養にもお金を掛けられてきた生徒が多い。

それなりに個人で実績を上げた生徒、部活動も同時にこの機会に表彰されている。

文系、理系、体育系、美術系と高校の段階である程度、進路分岐が進んでいるとはいえ、各学校、それなりに文化、スポーツの部活動は行われている。第一高校も例外ではなく、九校戦に選ばれなかった選手も部活動の大会やコンクールなどで成績を残していれば、魔法科大学や防衛大入試への加点にはなる。部活動予算も大会成績によって左右されるため、大会成績は重要な要素となる。

学校自体、部活動や委員会活動を推奨しているが必須ではないので、帰宅部や委員会活動、個人での習い事等に精を出す生徒もいれば、のほほんと緩く部活に参加している生徒もいる。

 

また九校戦と同じように大会結果自体は学校のホームページに掲載されるが、弦楽部やコーラス部などは二学期には演奏会を開いたり、魔法理論系の部活動も校内で研究報告会などを行ったりしている。そして日の当たらない技術棟の廊下の一角を用いて、美術部や写真部による展示が行われていた。

 

美術部である美月の作品が展示されているのであれば、達也たちがその場に足を運ぶのも必然だった。油絵や水彩画、CGやデジタル作品などが並ぶ中、特別に額付きで飾られていたのは美月の作品だった。

 

「おおっ」

「都の展覧会にも出展予定かー。さっすが美月」

「凄いですね」

 

雫、エリカ、ほのかに口々に褒められ、当の美月は顔を真っ赤にして俯いている。

 

「雅さん、すみません。許可なく描いてしまって」

 

所在なさげに目線を動かしながら、美月は謝罪を口にした。

 

「許可なんていらないわよ。それにこれだけ綺麗に描いてもらえるなんて、役者冥利に尽きるわよ」

 

美月が描いた作品は、元旦に行われた日枝神社での九重神楽を題材にしていた。

枝ぶりの見事な白い梅が手前にあり、奥に神楽殿が設置され、神楽の奉納の様子が描かれている。

奥の神楽殿からは音楽が聞こえてきそうな情景と、手前の梅の静かな様子の対比も見事であり、水彩画独特の淡い色彩と、光の美しさが際立つ作品だった。

『早春』と題名がつけられたように、春らしい温かさを感じる作品となっている。

他にも美月の作品として、牡丹や薔薇などの花や一高周囲の風景が描かれたもの、昨年度の菊花慰霊祭を模した作品などが展示されている。

 

「そういえば、雅。今年も9日は何かするの?」

 

展示されている菊花水霊祭の絵で思い出したのか、エリカは雅に問いかけた。

 

「正月同様、日枝神社で神楽の予定ね。ただ、未成年の観覧は難しいみたいだから、招待できなくてごめんなさい」

「またマスコミ?」

 

辟易したようにエリカは聞き返す。

横浜事変と灼熱のハロウィン以降、魔法師に対する風当たりは強まっている。直接魔法師に対する暴力行為や違法行為にはつながっていないが、九校戦の会場に向けた応援バスさえ、反魔法師団体の抗議に巻き込まれたりしている。一部マスメディアでも魔法師のネガティブキャンペーンが行われていたこともあり、観覧制限と聞いてエリカが外部からの圧力を考えることは無理のないことだった。

 

「菊酒が振舞われるから、未成年に飲酒がないようにそもそも観覧する年齢自体に制限を設けたのよ」

 

魔法を使った神楽の一般公開を正式に許可されているのは、東京の日枝神社、京都の九重神宮、福岡の太宰府天満宮の三か所に過ぎない。その他伝統の復活ということで、各地の神社や寺に伝わっていた文献を九重神宮と魔法科大学の共同で解析し、公開してはいるが、その数もまだ多くはない。

 

魔法の使用には制限が伴う。

それはたとえ神事であろうと変わりはなく、魔法協会や国、地方自治体への根回しなど面倒な手間が多く存在している。

エリカが言ったマスコミや反魔法師団体もあるわけで、安全性の確保の観点も含め、未成年が除外されたことは日枝神社にしてみれば譲歩の一つだった。

 

「達也君なら入れそう」

「確かに」

 

エリカの言葉に、雫もうなずいた。

達也の雰囲気ならば、制服を仕立ての良いスーツに変えさえすれば、受付も年齢を確認せずにパスできそうなものである。老け顔ではなく、彼の持つ高校生らしからぬ落ち着いた雰囲気がそう二人に感じさせているのだろう。

 

「そうだとしても、達也だけ来たら深雪が拗ねるでしょう」

「あの、お姉様………。そのように、子ども扱いしないでください」

 

仕方ないなと深雪の頭を撫でる雅と素直に撫でられている深雪はどう見ても、仲の良い姉と妹にしか見えない。深雪は夏休みで離れていた分、どうも最近甘えたな部分もあり、雅も気にかけてやっているところである。

相変わらず見目麗しい二人のやり取りに、遠巻きに見ている男子など百合姉妹の噂は真実だったのかと、囁き合っている。小声だとしても常人より感覚が鋭く、尚且つ情報の次元でそれを感じ取った達也にとっては溜息の出る噂でしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9月10日の夜、達也は九重寺を訪れていた。

九重寺は旧東京都府中市の小さな丘の上にある。しかし、その実際、100年ほど前にこの場所には丘はなかった。

 

二十年世界戦争の後期、調布飛行場を中核として、調布、府中、三鷹の武蔵野地区には首都圏防衛部隊が配置された。流石に首都圏も戦争の被害がゼロというわけではなかったが、この防衛部隊の配置によって旧都区圏は無傷で済んだ。しかし、この部隊の配置に伴い、この地域の住民は疎開を余儀なくされた。

 

戦後も復旧による区画整理に伴い、一部の住民は元には戻れなかったが、いち早く導入された『個別電車(キャビネット)』によって町の様子は以前とは様変わりした。キャビネットを走らせるための高架軌道に加え、大小の施設、住宅施設などが建設された。九重寺もその一つだった。

 

九重寺のある丘は大規模地下防衛施設を作るために掘り起こされた残土で作られた人工的な丘である。外観も古風を狙って作られてはいるが、その実、それ程歴史は古くはない。一応寺として法要や葬式も行っているし、門人たちも力仕事のボランティアに精力的なので地域住民にも受け入れられている。

いつも通り達也を手荒い歓迎で出迎えた門人たちを軽くあしらい、本堂前で悠然と座っていた八雲の前に立った。

 

「やあ、達也君。月曜日から熱心だね」

「こんばんは、師匠。地下をお借りしますね」

「構わないよ。そのための施設だ」

 

そして地下には地上からは想像できないほど広大で、当時としては最先端だった魔法実験施設が存在している。達也はその最下層にある最も強固な部屋で、以前からとある魔法の実験を行っていた。

達也の家にも一般家庭にはふさわしくない魔法実験施設が存在しているが、これから行う実験の安全性を考えると、この寺の施設が適切だと判断した結果だ。

 

「師匠、それは?」

 

達也は八雲の横に置かれている徳利とお猪口が目に入った。寺で飲酒とは生臭坊主のようだが、今時寺社仏閣に使える門人であっても肉食や飲酒の制限はない。

今夜は半月で、雲も薄いため、月を肴に飲んでいるのだろう。

 

「昨晩頂いた菊酒の残りだよ。君も飲むかい」

「未成年ですよ」

「神酒とは言え、律儀だね」

 

呆れる口調の達也に失敬失敬と、八雲は手酌で猪口に酒を注ぐ。

昨日は9月9日。重陽の節句だ。八雲が昨晩は留守にしていたのも達也は把握しているし、その酒の出所も知っている。

 

「それにしても、雅君。以前に増して色気が随分と出てきたね。あれは確かに寿命も延びるよ」

 

雅は昨晩、日枝神社で重陽の節句に合わせて祈祷の舞をしていた。

菊が長寿の象徴と言われるようになったのは、魏の文帝の時代の菊慈童の伝説が有力だ。昨年、雅が古典部の研究の一環で披露した菊花水霊祭も、この故事をベースにして作成されたものであり、重陽の節句の謂れとなった逸話である。

観覧者には菊酒がふるまわれるとあって、未成年である達也と深雪は観覧することが叶わなかったが、雅の叔父である八雲が招待されることは珍しいことではない。

 

「若々しく、瑞々しく、それでいて清廉。多くはため息すらしたことに気が付かないほど見入っていたよ。これも君のおかげかな」

「雅の実力ですよ」

 

雅がひと際美しく輝くのは舞台の上だと達也も知っている。男も女も関係なく、この世の美を凝縮させた絢爛にして古い時代から脈々と受け継がれた魔法。男装舞は難易度の高さから、その担い手はかなり少なく、雅も本家筋で言えば200年ぶりの演者と言える。

その雅が夏休みの間、研鑽に研鑽を重ねれば、以前からの神懸かり的な美しさに拍車がかかることは無理もない。そして、その稽古も九重神楽の本流直伝とあれば、その厳しさも、その実力も、言葉にするまでもないだろう。

 

「雅君の調子は君との関係で多少幅が出てくるからね。今回はいい方向に働いたみたいだけど」

 

どうやら昨年末のことを掘り返しているようだが、その程度の皮肉で達也の表情筋は動くほどのことでもなかった。

 

「無論、君もそうだろう」

 

知っていてそう発言しているのか、鎌をかけているのか、八雲は目は笑わずに口元だけで笑みを深めた。

 

達也の感情の変化については、深雪と雅しか知らない。

達也に掛けられた制御と母から施された魔法について、八雲には当然教えていない。

勘の鋭いこの師がどこまで知っていて、感じ取っているのかは分からないが、不用意なことは口にできない。八雲は達也の体術の師であり、四葉に対する義理はないが、どこからどのようにそれが伝わるか、警戒するに越したことは無い。

 

「深雪君以外には無頓着だった君が、雅君に関しては特別視している。それは間違いないだろう」

「婚約者ですからね」

 

達也が唯一この世界で守るべきものが深雪であることに変わりはない。それでいて雅の存在は、確実に他人と切り捨てることはできない大きさになっている。達也の抱く感情が変わったと言え、関係性は以前のまま変わりない。

 

だが、達也が感情を取り戻すことで困るのは、四葉の上層部や分家の家長たちだ。

達也が今まで通り、深雪を守ることを唯一命題とする兵器であれば、深雪の安全を害する恐れがなければ、牙をむく危険はないと知っている。いくら忌まわしい能力を持っているとはいえ、その戦力を簡単に手放すには惜しいため、飼い殺しにすることが一番有効な手立てなのだ。

達也にかけられた魔法が完全に解除されるのか、それは達也にも分からない。

ただ、そうなることを思わしくないと思って居る輩がいることも事実だ。

 

「流石の達也君も、色恋の話は苦手と見える」

「師匠相手にするつもりはないですよ」

 

軽口をたたきながら、八雲はそれ以上問い詰める気はないと示す。

達也としても安堵する部分であった。

 

「あまり遅くならないようにね」

「わかりました」

 

八雲に一礼すると、達也はようやく実験室に向かうことができた。

 

 

 

 

 




某ブランドの“二次元と運命が交差するスカート”とか同じブランドのピアノスカートとか、ツイッターで話題になった軍服ワンピースを着た、雅ちゃんと深雪ちゃんが見たい。
あと「ラグジュアリー」と「ノスタルジー」をテーマにした薔薇がモチーフの某ブランドとか。
パニエでふわっとしたスカートとか、ワンピースとか、クラシカルな格好をさせたいんじゃ(/・ω・)/
脳内妄想しているので、誰か二次元にしてください(ノД`)・゜・。


誤字脱字の指摘ありがとうございます。
非常に助かってます(`・ω・´)ゞ
来年の目標は誤字脱字の撲滅に努めること、にします。



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古都内乱編2

切りが良かったので、ちょっと短めです。短いと言っても8000字はありますが……

もうじき、高校生はセンター試験ですかね。もうひと踏ん張りですね。
風邪には気を付けてくださいね(。・ω・。)


本年もどうかよろしくお願いします。感想、誤字脱字の報告待ってます。誤字脱字はないと良いな(´・ω・`)



9月23日(日)

達也の休日というのは、大抵FLTの研究所に出向いているか、独立魔装大隊の訓練等に呼び出されているかの二択が多い。水波が来たことで、深雪をひとり家に取り残しておくことがなくなったため、その頻度は去年より増えている。

 

たが、この日は偶々何もない休日だった。否、これから来客があるので何もないとは言えないが、予定らしい予定が直前まではいっていなかったのは事実だ。

普段であれば深雪と共に買い物に出かけることも珍しいことではないが、当の深雪はとてもそんな気分にはなれなかった。これから来る相手は親しくはあっても休まらない、身内であっても気を緩められない者だと自覚しているからだ。そう思えばまだ関係上は他人である雅の方が、何倍も気を許せる相手であることは確かだ。

 

「文弥、亜夜子、よく来たな」

「文弥君、亜夜子ちゃん、いらっしゃい」

 

いくら深雪にとっては気が進まないとは思っていても、それはあくまで深雪個人の感情であるため、達也が歓迎の姿勢を見せている以上、深雪も歓迎の姿勢を見せた。四葉で徹底的に磨かれた社交辞令の挨拶と共に、水波に案内されてリビングに入ってきた二人に親し気でありながら一分の隙もない完璧な笑みを見せた。

 

「達也さん、深雪お姉さま、お邪魔いたします」

「達也兄さん、深雪さん、お久しぶりです」

 

歓迎的な二人の雰囲気とは対照的に、黒羽姉弟の返答はどこか硬いものだった。この家に二人が足を運んだのは今日が初めてのことではないが、以前と違って今回は二人とも緊張が隠せない様子だった。表面上は上手に取り繕っているが、目敏い達也や人の機微には細やかな深雪にはお見通しだった。

黒羽の一員として四葉家からの仕事を任されている二人が緊張すら隠せない様子とあれば、今回の訪問が余程の事情というのは聞かなくても分かることだった。

 

「遠方から疲れただろう」

「いえ、いい席を用意してもらいましたから」

 

文弥と亜夜子が通う国立魔法大学付属第四高校、通称:四高は静岡県に置かれている。文武両道をモットーにした三高の後に作られたとあって、魔法技術を重視する校風である。

二人の実力であれば三高や二高でも受験可能であったが、司波兄妹との関係性を隠すため、四高に入学するように四葉家当主から言いつけられている。そういった経緯から普段は二人とも静岡暮らしであり、リニア新幹線が開通したとはいえ、遠距離であることに変わりないので、達也の労いも間違いではなかった。

 

「ひとまず、お茶でも飲もうか。二人とも甘いものは苦手だったか」

 

キッチンの奥から水波がケーキと紅茶を乗せたワゴンを持ってきた。

 

「いえ、いただきます」

「ありがとうございます」

 

達也の提案に二人は疑問に感じながらも、素直にうなずいた。お茶だけなら当然理解できるが、菓子まで付けられるとは正直予想していなかった。

文弥と亜夜子は司波兄妹のことは好意的に思っている。二人の父親である貢は達也のことを殊更よく思っていないことは理解しているが、二人は純粋に達也を慕っている。

それと同じく文弥と亜夜子は、兄妹から全面的に好意的な感情を抱かれているわけではないということも理解している。

四葉家内での関係性から言えば、文弥と深雪は次期当主候補であり、その立場を巡って対立する時期が来るかもしれない。当人たちが望もうと望まざろうと、十師族という立場に置かれるということはそういうことだと表面上は納得している。

だから、予想以上に好意的なもてなしに、二人が嬉しさより困惑するのは無理もないことだった。

 

目の前に置かれたのは秋らしく栗のモンブランと、紅茶の組み合わせだった。

メレンゲで作った口当たりの軽い生地の上に和栗の渋皮煮が置かれ、硬めに泡立てられた甘さ控えめの生クリームが乗せられ、その上に少しお酒の香りのきいたマロンクリームで贅沢に覆われている。マロンクリームの濃厚さに対して、生クリームで丁度良い甘さとなっており、渋皮煮の渋みがいいアクセントになっている。

紅茶もそれなりに上質なものを飲みなれている二人にしても、十分良いと呼べるできだった。

 

「美味しいですね。どちらのお店ですか」

 

亜夜子が年相応の少女らしく口元をほころばせながら、深雪に尋ねる。こういったものは達也ではなく、深雪の領分だろうと考えた結果だった。

 

「京都から届いた栗から雅と水波が調理したんだ」

 

達也からもたらされた“京都”の単語に、二人が一瞬表情を硬くする。よもや手作りの一品だと知った驚きなどこの際、二人にとっては二の次だった。

 

「達也兄さんは今日のことはご存じだったのですか」

「いや、何も聞いてはいないよ」

 

息を呑み、慎重に言葉を選ぶ文弥に達也は首を振る。

 

達也はあくまで今日の来訪目的を知らない。事前に京都の九重家から贈り物があった時点で今回の二人の来訪に絡んでいることは推察できるが、詳しい内容までは言葉にはされていない。だから文弥の推測は外れではないが、正解ではない。

探り合いのような二人の雰囲気を変えるため、亜夜子は紅茶を優雅な手つきでテーブルに戻すと、小さく息を吐き出す。

 

「文弥、元より私たちはただの使者。選択肢などないのですから」

「そうだね」

 

雰囲気が和やかさから少し張りつめたものに変わるのに合わせて、水波は空になったケーキの皿を下げ、新たな紅茶を淹れなおす。

紅茶が四人の前に置かれると、観念したように文弥はジャケットの内側から白色の封筒を取り出す。

表書きは空白。

達也は文弥から渡された封筒を受け取り、裏返すとそこにある名前を見て軽く眉を顰めた。深雪も隣に座る兄の手元にある封筒の差出人の名を見ると、無言で口元を押さえた。

 

「ご当主様から直々にお預かりしてきました」

 

そこに書かれていたのは四葉家当主にして、達也たちの叔母である四葉真夜の名前が直筆で添えられていた。

達也が頼むより前に水波は既にペーパーナイフを準備しており、達也はそれを受け取ると、封を開いた。

 

中に入っていたのは便箋一枚程度の簡単なものだった。達也はその内容をじっくり読み、更にエレメンタルサイトで細部まで確認すると、隣で律儀に待っていた深雪に便箋を渡す。

 

「文弥はここに書かれている内容について知っているか」

「知っています」

 

やや躊躇いながらも、文弥は亜夜子に頼ることなく、自分で答えた。

 

「そうか」

 

達也が深雪に視線を向けると、丁度読み終わったのか、達也を見て頷いていた。達也に回答を任せるということでいいのだろう。

 

「ここには周公瑾の捕縛について依頼する、と書かれているが」

「そのように聞いています」

「そうか。言葉通り“依頼”なんだな」

 

頷く文弥と亜夜子に、達也は分かりやすく眉を顰めた。

 

「あの、お兄様。どうして叔母様は私たちに依頼という形をとるのでしょうか」

 

深雪の質問は“命令”ではなく、“依頼”といういつもと異なる形式をとってきたことに対しての疑問だった。

 

「それについては(わたくし)が当主様から伝言を預かってきております。今回の件はお断りしても構わないそうです」

「叔母様がそのように?」

 

深雪は思わず声を上げ、恥ずかし気に「失礼しました」と呟いた。

深雪は四葉家当主である真夜の決定が絶対であるという風に思っているが、達也にとって真夜からの命令の優先度はそれほど高くない。

ミストレスである深雪を最上位に、次いで国防軍の関連だ。これは四葉と国防軍独立魔装大隊の間で、深雪の護衛に支障をきたさない範囲で軍の仕事を優先させるよう取り決められているからだ。そのため、真夜とて達也に命令できるものはそう多くない。

普段は達也の予定をどこからか仕入れてか、軍の仕事がない間に命令を下してきている。達也もそれに素直に従っているが、今は真夜と対立する時期ではないと考えているからだ。

それを普段通りではない方法を取ってきた以上、普通ではない事情があると思っていいのだろう。

 

「文弥、叔母上には『承りました』と伝えてくれ」

「確かに伝えます。…………すみません、達也兄さん」

 

文弥は悔しさと情けなさを隠せずに頭を下げた。

 

「周公瑾の捕縛は僕たち黒羽に与えられていた任務です。それを僕らが不甲斐ないばかりに達也兄さんの手を煩わせることになって……」

 

文弥は膝の上で手を握りしめた。

九校戦後、横浜中華街に潜伏していた周公瑾は黒羽家当主の腕を引きちぎり、更に黒羽の包囲網を逃れた。四楓院家によって手傷は負わされたはずだが、その後の行方は把握できていない。日本屈指とも呼べる黒羽の諜報能力をもってしても捕らえられないことに、歯痒さと文字通り不甲斐なさを感じているのだろう。

 

「文弥、謝る必要はない。自分たちに任せられた仕事を自分たちで達成したいという思いも分かるが、優先されるのは任務の達成であって、誰が達成したかということではない。これが黒羽の仕事だというのならば、尚のこと、お前は私情を殺して俺を頼るべきだ」

「達也兄さん……」

 

声こそ厳しいものの、達也の優しさが滲む言葉だった。それは言われるまでもなく文弥も亜夜子も、そして達也の隣に座っている深雪も感じ取っていた。

達也としては全く打算の意味がないわけではないが、達也の心情はこの場合二の次で構わない。

 

「お前や俺の仕事には失敗が許されないものがある」

「そうですね。ありがとうございます、達也兄さん」

 

今度は謝罪ではなく感謝の意味で、文弥は再度頭を下げた。

 

「では、現在までの状況を教えてくれ」

 

説教じみた話もこれまでにしよう、と達也は実務的な話に移った。

 

「分かりました。初めに、九重から依頼されていた一件の終了に伴い、周の管轄は四葉に移管されることになりました」

 

九校戦で九島家が中心となって画策したパラサイドールの処分については、九重が四葉家経由で達也に依頼したものだ。そのため、九重からの依頼は形式上、終了したことになっている。依頼が終了したとはいえ、それでこの一件が終息したわけではなく、黒幕と言える周公瑾を九校戦後も黒羽家が追っているのは達也も知っていた。大陸の息のかかった方術士が、国内で行われていた魔法師を巻き込むテロ行為の後ろ盾をしていたとあれば、四葉として動く十分な理由になり得る。一連の事件も計画からすべて周の単独犯とも考えにくく、大亜連合のスパイか、テロ組織の一員なのか、そういった意味での捕縛の依頼なのだろう。

 

「どうやら周公瑾の支援者には『伝統派』が絡んでいるようで、九重が全面的に排除に乗り出すと古式魔法師界隈の内乱にもつながりかねないとの見立てです」

「伝統派か」

 

達也が重々しく口を開く。どうやら達也が思っていた以上に状況は複雑なようだった。

 

「達也兄さん、御存じなのですか」

「『九』の各家と対立関係にある古式魔法師の組織ということは文弥たちも知っているだろう。国内のはぐれ古式魔法師を集めているだけではなく、大陸から亡命してきた方術士も傘下に入れて勢力を拡大していると聞いている。そういえば、あの一件で九島にも大陸の方術士が関わっていたそうだが、九島が手を貸している可能性はあるか」

「その心配はありません。その方術士たちは周が横浜から逃亡する際に旧第九研究所を逃げ出し、伝統派と合流したようです。このことは九島に確認し、こちらでも直接確認しています」

 

黒羽が直接確認したとなれば、その事実に間違いはないだろう。

 

「となれば、九の各家が伝統派と裏で手を組んでいる可能性もない。九島の裏切りはないとみていいだろう」

「達也兄さんは九重から何か聞いていることはありませんか」

 

達也が九重に贔屓にされていることは、四葉の内部では公然と知られていることだった。

わざわざ直系の娘をガーディアンの身分の者に嫁がせるとあれば、それ相応の理由が存在していると勘ぐられている。達也が秘密裏に九重から情報を仕入れていると聞いたとしても文弥は驚かなかった。

達也としては何も聞いていないが、京都からの贈り物である程度、何かしら自分たちの周りに起きることは予測していた。栗は『勝ち栗』と呼ばれ、古くから縁起物として使われている。今回の任務に込められた期待も伺えるものだ。

 

「膿掃除も一緒に行うと言っていたな」

 

達也は具体的には何が起こるかも、何を九重がするのかも聞いてはいない。雅から話を聞けばある程度は分かるかもしれないが、現状達也に伝えられている正確な情報はそれだけだった。

 

「それは伝統派を壊滅させるということですか」

「いや、口ぶりからして恐らくは違うな。多少、痛い目に合うことは容認しているだろうが、根絶やしにするつもりはないだろう。もしくは他のテロ組織もまとめて処分することを意味しているのか、それも言葉から読み取れる推測の段階でしかない」

 

良くも悪くも伝統派は古式魔法の一大派閥。大きな組織を潰すとなると、それ相応の反動も反発も起こる。ただでさえ魔法師に対する風当たりは世界的に見ても厳しい状況であるため、このような状況下で下手に大規模な粛清は行われないだろう。古式魔法の伝統と秘術の保存も含め、ある程度灸を据える程度に留めるだろう。

 

「それで、周の足取りは?」

「現在のところ、周の正確な居場所は掴めていません」

 

文弥が苦々しく現状を報告した。黒羽が横浜から太平洋に逃れようとした周公瑾を阻止し、伊勢に上陸し、北上した周を琵琶湖周辺で捕捉したが、またもや取り逃がした。

現在は京都方面に潜伏している可能性が高く、旧滋賀県と隣接した京都の大原周囲の捜索を重点的に行っているそうだ。

達也が知る中で、四葉が敵勢力の所在地を捕捉できなかったケースはなく、何度もその追跡を逃れていることから周の隠遁能力はかなり高いとみていいだろう。

 

「なるほどな」

「達也兄さん、九重は伝統派とは敵対しているとみていいのでしょうか」

 

文弥は声をやや潜めて達也に問いかけた。

 

「もともと伝統派と『九』の因縁に九重は関連していない。対立寄りの中立とみるのが妥当だろう。歴史が古い分、伝統派にも全く血縁がいないわけではないだろうが、管轄がこちらに移された以上、その点は特別考慮する必要はないはずだ」

「そうですか」

 

文弥が胸を撫でおろす。万が一、伝統派の人間が九重の威を借りることがあれば面倒だが、管轄が移った以上、伝統派の処断についても口を出さないということだ。

 

「伝統派については、念のためこちらで九重の意向を確認しておこう」

 

京都の膝元で起こっている事態だ。九重を始めとする四楓院が把握していないはずはない。ある程度、情報提供が得られることも見越しての判断だった。

 

「分かりました。僕らも何かわかり次第、随時報告します」

 

達也は頭の中で情報収集を含めた今後の算段をまとめながら、亜夜子と文弥を見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

同日夜。

 

雅は昨日作ったモンブランを片手に、達也の部屋で達也に依頼された件について話を聞いていた。黒羽姉弟が訪ねてきた時間帯、雅は神楽の稽古に出ていた。

関係者である雅が立ち会わないのは不自然かもしれないが、今回の一件はあくまで四葉家当主の依頼を黒羽姉弟が伝えに来たというだけだ。そういう体面上、むしろ雅は部外者であり、立ち会わない方が良いと判断した結果だった。

達也から聞いた話は雅が聞いていた話と一致しており、確認作業に過ぎなかった。

 

「伝統派について、九重は口を出さないとみていいのか」

「京都で行われる戦闘や捜索についても、四葉家なら目を瞑るということよ」

 

関西近辺は観光地であることも含め人の出入りが多く、昔から外国人勢力が活動しやすい土地柄である。だからこそ魔法協会本部は京都に置かれており、十師族で言えば阪神地方の方は兵庫県芦屋に居を構える二木(ふたつぎ)家が監視を行っている。加えて言えば、記録として現存しているだけでもこの国最古とも言われる魔法の歴史を持つ九重神宮を始め、陰陽道として名を世に知られた芦屋家など、古式魔法の大家も揃っている。その九重が許すと言えば、多少の無理は通ってしまう。

 

「それにしても、難しい依頼だと分かっていて受けたの」

「受けると分かっていただろう」

 

達也の返答に雅は複雑そうに口を曲げる。分かっていても、心情としては複雑なのだろう。

紅茶のカップをゆっくりとソーサーに戻し、雅は目を閉じる。

 

「血が流れるわ」

 

それは単に誰かが怪我を負うということではなく、死人が出るということを暗示していた。

長い歴史の中、京都は長く国の中心として機能していた。戦争では大きな被害はなかったとはいえ、この国の中でも流れた血の多さと怨念の深さは随一ともいえる。

雅もまた、その地のために血を流す立場であることは忘れてはいない。

 

「横浜のような表立った戦闘にはならないけれど、相手の口先の上手さは筋金入りよ」

「伝統派も口車に乗せられたか」

 

雅はもう一度ため息をついた。

 

「隆盛を願うのはどこの組織も同じね」

 

伝統派としては自分たちがこの国の魔法を担ってきていたという自負もあり、その発言権の拡大を望んでいる部分がある。周にとっては渡りに船というか、甘言を囁くには格好の獲物なのだろう。

 

「居場所探しはどうするの?」

「九島の手を借りるつもりだ」

「九島の?」

 

雅としては、千里眼の手を借りることも頭にあった。この国で起こることは有形、無形に関わらず、全て見通すことができる千里眼にとっては周の居場所を探し出すことは容易なことだ。特に一度手の者が接触しているだけあって、その居場所はおそらく掴んでいる。泳がせるつもりだとしても、どのタイミングで炙り出すのか、算段しているつもりだろう。

 

「九校戦の貸しがあるからな。貸しにせよ、借りにせよ、長引けば腐れ縁になる。これを機に清算してしまった方がいいだろう」

 

達也としては、九重の手を借りるつもりはなかった。周の一件自体、管轄が移ったということは、つまり九重が依頼元である可能性もある。

自分たちで処理できない相手ではないだろうが、必要だから手を引いたとみて間違いないだろう。

 

「国防軍ではなくて、わざわざ九島家にしたのはどうして?」

「大元の依頼がどこからにせよ、四葉の仕事の関係で国防軍に借りを作るよりは、伝統派として対立している『九』の家の方が得策だと考えている」

「なるほどね。(しがらみ)が十重二十重と絡まる日本魔法界を曲がりなりにも支えてきた重鎮より九重は恐ろしいのかしら」

 

冗談めかして笑う雅に、達也は反対に苦笑いで肩をすくめた。

 

「九島烈はおそらく俺の素性を知っている。四葉家先々代当主と親交があった縁で、四葉深夜と四葉真夜の私的な教師をしていた時期もあるそうだ。そういう意味で、俺自身に興味は抱いているだろうし、協力は得られるはずだ」

 

一般的に言っても雅の婚約者ということで無名の達也が注目を浴びる要素はあるが、それでも四葉家により改竄されたパーソナルデータによって、達也と深雪は四葉家とのつながりは一切出てこないようになっている。それでもなお分かるとすれば、四葉家と親交のあった者の推察ということが一番有力だ。

達也はどちらかと言えば平凡な父に似た顔立ちだが、深雪に深夜の面影がないわけではない。例え有力な証拠がなかったとしても、秘密主義の四葉だということで説明がついてしまう。それを心の内に入れている間ならば、四葉も無理に動く必要は無い。

そして九島烈ほどの人物であるならば、達也のことを伏せておく程度の知性と理性は持ち合わせていると達也は判断したからだ。

 

「直接会うのならよろしく伝えてもらえるかしら」

「雅は直接アポイントを取れるんじゃないか?」

「買いかぶりすぎよ」

 

今度は雅が困ったように笑う。

血はつながっていないが、九島烈の奥方は九重の血筋に当たる。その点もあってか、雅のこともまるで孫のようにかわいがっていると耳にしたことがある。

光宣と雅の仲を持たせようとするくらい、彼にとっては簡単なことだろう。

いずれにせよ、達也にとっても雅にとっても、油断のできない相手には変わりなかった。

 




ふと、雅ちゃんのイメージCV誰なんだろうかと思いました。頭の中にイラストというか、イメージ画はあるが、再現できないこの手が恨めしいです。

神楽とかの時のイメージは、さいとうちほ先生の『とりかえ・ばや』の沙羅双樹の君が舞をしている場面とかに近い雰囲気ですねー。


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古都内乱編3

待ってた。ずっと待ってた。でも、嘘だと思った。
世界情勢からして、あと2,3年は先だと思てた。
けど、実現した。

将国のアルタイル、アニメ化決定です!!



9月24日(月)

 

論文コンペまで約一か月となったが、生徒たちの話題はまだ論文コンペより、週末に控えた生徒会選挙となっていた。教室や部活動の場でも、生徒会長に深雪が選ばれることは間違いないとの声が多く、そうなると注目されているのは役員の方だった。

 

「例年の傾向だったら1年の七草さんが持ち上がりで副会長になって、会計は光井さんかな」

「じゃあ、司波兄はどうなるんだ?いなくなるとストッパーがいないだろう」

「雅さんが引き抜かれるんじゃなくて?ねえ、雅さんは何か聞いてないの」

「ごめんなさい。私も特に聞いてはいないわ」

 

それは古典部の部室でも同じであり、深雪と仲の良い雅はこの手の質問は先輩後輩問わず、部活でも教室でも振られていた。司波家でも特に話題にはでないのか、深雪が出さないようにしているのか、詳しい役員についてはまだ雅は何も聞かされていない。

話題の中心である深雪は、今日は生徒会室に避難してほのかと雫と昼休みを過ごしている。今でもその美貌から何もしていなくても注目を浴びることが多いが、野次馬じみた好奇心の目に晒されるのは精神衛生上あまり良くない。

この様子だとおそらく達也も同じ質問を浴びているだろうと雅は心の中でため息をついた。

 

雅がそう言った以上、分別をわきまえている部員たちはそれ以上の追跡はなかった。

 

 

「あ、そういえば司波先輩は論文コンペに出さなかったんですか?確か魔法工学科は全員コンペ用に選考論文の課題提出がいるんですよね」

「恒星炉の実験とかインパクトをみれば、去年の実績からして選ばれてもおかしくはなさそうですけど……」

 

一年生の二人は雅に質問を投げかけた。達也の魔法工学分野での優秀さは学年を問わず知れ渡っている。それと同時に2学期にもなれば1年生たちにも達也と雅の関係も浸透してきている。

 

「今は別に自主的に取り組んでいるテーマがあるみたいで、そちらが間に合わなそうなので、エントリーはしなかったみたいよ。それに論文コンペは京都と横浜で交互に開催されているけれど、京都では純理論的な分野、横浜が会場の時は技術的な分野が高く評価される傾向があるんです」

 

「具体的に言えば横浜では魔法式を利用した動力システムや魔法式の構築、起動式の改良のような実用的な部分。京都では魔法そのものにかかわる理論や原理の発表の方が好まれるんだ」

 

雅の説明を鎧塚が補足した。選考を行う教師陣もその点を考慮して最終的な一高の代表発表者を決定している。

 

「そうなんですね」

「五十里先輩って九校戦ではエンジニアを務めていらっしゃったので、技術畑かと思っていましたが、純理論にも精通されているんですね」

 

一年生たちは納得したようにうなずいていた。

 

「へえ。司波君、エントリーもしなかったんですか」

 

和やかな雰囲気とは対照的に元部長であるマリーの周りは空気が一度、下がったようだった。マリーは今年のコンペにエントリーしていたが、校内選考で五十里に敗れ、論文コンペへの出場はならなかった経緯がある。古式魔法における詠唱の意義をテーマにした論文は教師陣からも評価が高かったが、各自が点数を付けた結果、僅差で五十里に軍配が上がった。

評価されている題目があり、実力があるにもかかわらずエントリーをしなかった達也にマリーが多少苛立ちを覚えても仕方がないだろう。

 

「それでも校内発表の場にはこぎ着けられたじゃないですか」

「そうですよ、先輩。それに先輩の方は魔法理論雑誌の方にも掲載の打診があったじゃないですか」

 

後輩たちが不機嫌なマリーをフォローする。マリーは顔立ちがはっきりとしているため、不機嫌そうになられると表情の怖さは二割増しになる。普段は穏やかなマリーだが、無表情であればその顔の造詣も相まっていつも以上に冷淡に見える。その矛先が自分達ではないにしろ、張り詰めた雰囲気は部員たちにとっては居心地が悪い。

 

「先輩、頂き物なんですけれど、チョコレートを持ってきたので、実験の説明をしながらいかがですか」

「あら、本当。ありがとう、雅さん。それじゃあ、実験の打ち合わせをしますよ」

 

そんな空気を読んでか、雅は机の上に某有名店のチョコレートを広げた。

甘いものの登場に剣呑な雰囲気が霧散したマリーは、上機嫌で今日の打ち合わせの資料を配布した。

部員一同、雅に心の中で拍手を送ったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

9月29日(土)

 

昨年度のような波乱も一切なく、生徒総会と生徒会長選挙はつつがなく行われた。

前回の投票では無効票が多かったことを鑑みて、今年から電子投票が導入された。入場の際に入り口で使い捨ての近距離無線カードが配布され、席に着いたまま投票することができる。昨年度同様、候補者は一名のため、「信任」「不信任」のボタンのみあり、押すと電波が一度だけ飛んで投票される仕組みとなっている。

当然紙よりはコストは掛かるため、高校の生徒会長選挙にそこまでする必要があるかという意見もあったが、北山家の傘下企業からの試供品の提供という形でコスト面の問題がなくなったため、今回採用された経緯がある。集計にかかる手間もなく、その場で結果が開票されるメリットもある。

 

即時開票の結果、深雪が信任率100%で当選した。体調不良や不登校など、事情により欠席した生徒は含んでいないが、冗談や間違っても誰も不信任を押さなかったことに驚きが広がっていた。

 

 

 

「それでは深雪の生徒会長就任を祝って、乾杯」

「「「乾杯!!」」」

 

エリカの音頭で乾杯の唱和と共に、ソフトドリンクが入ったグラスが掲げられた。

アイネブリーゼで就任祝いが行われていた。

参加者は達也、深雪、雅、エリカ、レオ、美月、幹比古、ほのか、雫、水波、七草姉妹、ケントの大所帯だった。香澄の方は普段、このグループとのかかわりはあまりないが、泉美に引っ張ってこられたのと雅がいるのならばと付いてきた経緯がある。

 

「まあ、当然と言ったら、当然の結果よね」

 

エリカの言葉に反論する者はいなかった。それが恐怖によるものか、一種の憧憬じみた心酔なのか、この場で口にする勇者はいなかった。

 

「当然です!深雪先輩以外に一高の生徒会長にふさわしい人物はいません!一高を代表するにふさわしい実力!才能!美貌!立ち振る舞いの美しさ!この結果はまさしく天の思し召しです」

 

異論はなかったが、泉美はすっかりエキサイトしていた。詰め寄られた深雪も思わず体を引いてしまうほど、泉美は熱狂的だった。

香澄は片割れの熱のあがり方にもはや諦めているのか、我関せずとチビチビとソフトドリンクを飲み、視線を逸らしていた。この様子では、ここに来る前も熱弁されたのだろう。

 

「深雪、役員はどうするつもり?」

 

達也や雅でさえ、どのように泉美から熱い視線を一身に浴びる深雪を助ける方法を考えているときに、雫が話題を振る。

深雪はできるだけ泉美を視界に入れないようにしながら、全体を見回した。

当の泉美は緊張と期待で目を輝かせており、生徒会役員として達也の動向が気になるほのかもどことなくソワソワと落ち着かない様子だった。

 

「副会長は泉美ちゃんにお願いしようと思うの。ほのかも手伝ってもらえるといいのだけれど、他の役員についてはまだ決めかねているわ」

 

深雪が申し訳なさそうに言えば、それ以上踏み込む者はいなかった。

 

「光栄です」

 

悲鳴を押し殺して、一人恍惚とした表情で深雪を見つめる泉美に、上級生たちも呆れ気味だった。

達也としては一時期の深雪も雅に対しては一部信仰めいた憧れを抱いていたので、年頃の女子が陥りやすい一種の病なのだろうと達観していた。

 

 

「そっか。部活連の方は?」

 

今度は視線が雅に集まる。雫は次の標的を雅にしたようだ。

 

「明日、正式に服部先輩から次の会頭候補が発表されて、そのあとに役員による信任投票ね」

 

雫の突然の話題転換にも雅は嫌な顔一つせずに答える。結果が決まっている深雪とは違って、雅の進退はまだ不明だ。来季も部活連役員ということは決まっているが、役職が付くかは現段階では分からない。

 

「歴代男子が多いって聞くけど、雅が指名されたら女子の会頭って何年ぶり?」

「少なくとも10年は空いているそうよ」

 

例年、部活連は男子の会頭が担っている。十年ほど前に師補十八家の女性が会頭になったのを最後に、それ以降女子の会頭は選ばれていない。生徒会の方は例年女子生徒が多いため、釣り合いを取っている部分もあると一部では言われている。

現2年生の学年は十三束やエリカのように百家に数えられる家系はいても二十八家に連なる人物はおらず、並みの数字持ち(ナンバーズ)以上に家柄の伴った雅ならば対外的にも顔が効く。加えて今年度から部活連の役員自体の体制が変わり、才能、実力、実績の伴った雅ならば会頭に選ばれても不思議ではないという風潮はある。

 

「いろいろ意見はあるとは思うけれど、結局明日になってみないと何もわからないから何とも言えないわ」

 

雅自身、役員自体にそれほど抵抗感はないが、神楽や部活動で時間が取られている以上、負担が大きいのも考え物だ。

一般的な3年生は受験も待ち構えているが、基本的に生徒会や風紀委員などの役員関係は成績優秀者から選ばれるため、受験前になって涙を流すような生徒はまずいない。名誉職の風紀委員は除き、生徒会役員であれば魔法科大学入試の時点で加点にもなっているため、メリットがないわけではない。

生徒会と風紀委員、それと部活連会頭と補佐は例外的に学内でCAD携行許可もあるが、それは万一の際の対応を迫られる責任も伴う。責任があるから権利があり、権利があるから責任がある。ただ(いたずら)に目先の利益に飛びついて立場だけを欲するのは、愚者と呼ばれても差しさわりない。

 

 

一部盛り上がった者もいたが、おおむね店の雰囲気に合った和やかさでパーティは終了した。

アイネブリーゼで出された軽食はそれなりに量があったので、司波家に戻った4人はこの日の夕食を取らないことにした。

帰宅後のお茶の時間は外せないようで、いつも通りに水波と深雪の間でどちらがお茶を淹れるか攻防があったが、「今日は深雪のお祝いだったから」と達也の鶴の一声で深雪は大人しくソファーに座って待つこととなった。

 

三人掛けのソファーに達也を中央にして、深雪と雅が両端に座っている。達也は両手に花の構図だが、それを見て水波が表情を変えることは無い。

見慣れてしまったというより、姉妹丼などという一部同級生男子が口にしていた俗物的な単語が一瞬頭を過ったとしても、メイドとしての心構えによりその程度のポーカーフェイスはお手の物だった。

達也にコーヒー、雅と深雪の前にミルクティーを並べ、水波はテーブルの横に立った。

 

「水波ちゃん」

「はい、深雪姉さま」

 

一瞬悟られたかと冷や汗をかいたが、水波はいつも通りの口調で返事をすることができた。

 

「実は、生徒会の新役員として水波ちゃんに庶務をお願いしようかと思うのだけれど」

「庶務、ですか」

 

やや呆気に取られつつ、深雪の言葉を確認するように水波は繰り返した。

 

「ええ。試験的に役職を増やしてみることにしたの」

 

現行方式の生徒会執行部は、会長、副会長1名ないし2名、書記、会計1名ないし2名の最大6名まで採用することができる。

生徒会の仕事は時期にもよるが、高校生に任せるにはやや多いと言える事務量である。役職ごとに仕事が割り振られてはいるが、繁忙期は各自でそれぞれの分野の手伝いを行うこともある。今年度は達也が入ったことで多少緩和された部分があるが、例外的な達也の事務処理能力を基準にすると、今後の生徒会運営にも支障が出かねない。

 

前年度以前から人数の拡充は話題になっていたが、それでも生徒会執行部の有能さもあり、先送りにされてきた現状がある。魔法科高校は学生による運営を尊重しており、新生徒会発足時に必要性を理詰めで固めて深雪が教師に説明をすれば、その決定に意見は出たとしても反対はされないだろうと踏んでいる。

実際に、深雪の演説の中に生徒会役員の拡充について盛り込まれていたが、壇上に上がった深雪の姿に多くの生徒は内容について耳半分といったところだった。

 

「担当としては生徒会に関わる庶務と広報を担ってもらう予定よ。詳しくは月曜日に説明するわ」

「…………はい」

 

硬い声で水波は了承をした。本音を言えば、彼女にとってあまり目立つのは好ましくないと考えている。それは自分が使用人だからと卑下しているわけではなく、単に性格的な部分もあり、学校運営の矢面に立つことに抵抗感があるのだ。

加えて、家でも距離感の近い三人を見ているのに、放課後の時間までその様子を見ることに対する抵抗感も内心ある。

しかし、ガーディアンとしては深雪と同じ時間を過ごせることは護衛上必要なことであるとも理解している。

 

「そうだな。CAD携行のメリットもある。水波は生徒会役員になるべきだろう」

「そうですよね」

 

深雪が嬉しそうにわずかばかり開いていた達也との距離を詰めた。この二人の決定したことに、水波は反論できるほどの権限も弁舌も持っていない。いくら抵抗感はあっても抵抗はできないのだ。

 

 

「でも生徒会ではなくても部活連も会頭補佐なら、CADの携行はできるわよ」

 

雅が不憫に思ったのか、水波に助け舟を出す。次代の会頭の推薦は前会頭に権利があるが、補佐役については新たに部活連会頭となった人物の裁量による。

最大二名まで選出できるので、二人の内一人を一年生にしたところで部活連運営にかかわる人材育成と説明できる。

 

「ただ、補佐をしてもらうなら部活連にいる七宝君ともれなく顔を合わせることになるわよ」

 

水波は部活連の役員の資格はあるが、現段階で役員ではないので、いきなり部活連会頭補佐に抜擢されれば注目が集まることは間違いない。平穏に仕事がしたいと思っても4月から活動している七宝琢磨を押しのけて補佐役になったとすれば、自尊心の塊のような彼と衝突する未来は目に見えている。

結局、水波の天秤は生徒会役員に傾いたのだった。

 

 

 

 

翌日の日曜日。

 

夜も近い時間になり、神楽の稽古を終えた雅は九重八雲に呼び出され、九重寺を訪れていた。

僧坊の一室には結界が張られ、精霊の侵入を拒むとともに現代魔法や電子機器による盗聴の類もできなくなっている。込み入った話であることは部屋の準備を見れば一目瞭然だった。

 

「夜分にすまないね」

「急ぎの御用事なのでしょう」

「急ぎというより、君らが厄介ごとに巻き込まれているようだったからね」

 

雅は八雲の語る厄介ごとの内容に心当たりがあった。

 

「不躾に人様を盗み見る輩のことですか」

 

早朝、司波家から神楽の稽古のために出かけた雅は、駅で人造精霊の待ち伏せを受けた。

盗聴と監視目的の精霊であることは視認するまでもなく、駅に到着以前から雅の周囲に自然と集まる精霊が悪意を伝えてきていたので、その存在は感知していた。

不特定多数を監視している可能性もあったため、雅はキャビネットが到着するまでは人造精霊に気が付かないふりをしていた。数分後に到着したキャビネットに乗り込み、目的地を入力する動作を取ると、精霊がキャビネットに張り付こうとしており、狙いは雅だと確定された。

雅は懐に隠していた扇を開き、一振りすると、人造精霊を使役主のところへ送り返した。多少しっぺ返しも付けたが、数日寝込む程度のものであり、命に別状はない。術者のレベルが高くなかったのか、駅の比較的近くに潜んでいることも把握していた。

 

「うちの血気盛んな若い衆が流石の腕だとほめていたよ。」

「光栄です」

 

八雲にとっては自分の庭とも呼べる街中で、古式魔法師がウロウロしていることに気が付かないはずがない。また、ロードワークを兼ねて朝の見回りを行っていた九重寺の門人たちがそれを発見することもまた、八雲の弟子ならば当然の腕だった。

 

「それで、相手の狙いは兄ですか」

 

この場に雅が呼ばれたということは、不躾な輩の正体と誰の指図か分かっているということだ。

雅の兄である悠は意中の相手がいると噂されているが、その影は未だ誰にも掴まれていない。妹である雅にすら内密にしており、両親や千里眼を持つ祖父はおそらく知っているだろうが、それを雅が聞いたところで簡単に教えてくれるわけではない。

しかし、雅が【紫の上】が誰だか知らなくても、周りの人間はそうとは思わない。雅を尾行することによってその正体を炙り出してやろうとする輩がいないとも限らない。

 

「いや、今回は別件だろう」

 

 

八雲は僧坊の入り口の扉を見つめた。

外では何やら門人たちが威勢の良い声を上げているようだが、正確な内容は聞き取れない。そうして音が止むと、扉の前に人の気配がした。

 

「失礼します」

「やあ、達也君。こんばんわ」

「毎回、わざわざ皆さんで丁重に(・・・)出迎えていただかなくても結構ですよ」

 

扉を開けて入ってきた達也の皮肉に、八雲はいつも通り剽軽(ひょうきん)な様子で肩をすくめた。

 

「彼らが君に対抗心を燃やしているんだ。君もいい肩慣らしだと思って、大目に見てやってくれないかい」

 

達也に八雲の門人が束になって襲って来ようと、準備運動にしかならないことは八雲も分かっている。師である八雲ですら達也の体術は目を見張るものであり、彼の並外れた眼の才能があったとはいえ、ベースにある地獄のような鍛錬の上で成り立っていることは理解している。しかし、このところ毎日のように新しい魔法の開発で根を詰めているので、その息抜きにでもしてほしいという師としての心遣いという名目もあったが、達也にしてみれば、有難迷惑と言ったところだ。

 

「まあ、本題に入ろうか」

 

達也が雅の隣に腰を下ろしたことで八雲は本題に取り掛かった。

 

「君らが随分と面倒な相手に絡まれていると聞いてね」

「君ら?」

 

達也がわずかに眉を寄せる。この場に雅がいることと、八雲の言葉で雅の方に何かあったことは、明確に言葉にされなくても理解できた。

 

「駅で少し人造精霊に付きまとわれただけよ。害はないわ。そっちは?」

 

雅は淡々と答えた。現代魔法、古式魔法問わず、不意打ちだろうと雅が遅れをとるとは達也も思っていない。ただ、達也の知らないところで雅の方にも敵対する古式魔法師の手が伸びているということが問題だった。

 

「こちらも人造精霊が家の中を覗こうとしていただけだ」

 

司波家の方も、昼前の時間帯、人造精霊が家に侵入しようとしていた。しかし、一高と同レベルで外壁に展開し、機能している防御術式に阻まれて侵入すらできず、達也の手によって人造精霊を構築する魔法式を”分解”された。

付け狙ってきた古式魔法師の裏にいるのはおそらく周公瑾であり、狙いは世間で四葉とのつながりがあると噂されている黒羽姉弟が協力者として選んだ自分たちを監視するためだった。黒羽姉弟が並みの古式魔法師程度の尾行に気が付かないはずがなく、おそらく家の居場所を突き止められたのも達也を一種の囮として使うための四葉家の計画の一つだろうと考えている。

 

「仕事を受けまして、それに対するトラブルだと思われます」

「仕事?風間君かい」

「いえ、軍ではない方です」

「内容を聞いてもいいかな」

 

達也は言葉を選びながら、八雲の質問に答えていく。

 

「おそらく京都方面での仕事になるかと。師匠の手を煩わせることは無いと思います」

「遠慮はしなくていいんだよ。『伝統派』とは因縁もあるしね」

 

八雲は僅かに唇の端を吊り上げた。達也は昼間の連中は八雲が確保していると確信した。

 

「やはり『伝統派』と呼ばれる古式魔法の一派が関わっていましたか」

「名乗っているだけなんだけれどね……」

 

全国の古式魔法師の中には、伝統派という名称すら嫌がる者もいる。元々、伝統派を名乗る輩は伝統的な修行方法を良しとせず、古式魔法と現代魔法との融合を唱えた旧第九研究所に協力した古式魔法師だ。本当の意味で古くからの伝統を守っている一派から言わせれば、恥ずべき存在だと顔をしかめる者もいる。一部の表にも知られた古式魔法師の派閥の中には、伝統派を粛清すべきという声も上がっている。

 

「でしたらなおのこと、師匠の手を借りるわけにはいきません。古式魔法師の内乱なんて洒落にならないでしょう」

「やれやれ。僕も悟りにはまだ遠いな」

 

八雲の剣呑とした雰囲気は和らいだ。

 

「それで、うちの家を覗いていた奴らはここにいるんですよね。俺にも聞きたいことがあるんですが」

「今は無理じゃないかな。ちょっと無理をさせちゃったから、今は静かなところで休んでいるよ」

 

いつもの薄ら笑いは変わらず、底冷えのするような声で八雲は世間話のように言った。

 

「でしたら、そいつらの素性を教えてもらえませんか」

「彼らは伝統派に雇われた野良の魔法師だよ」

「野良の?」

 

達也は訝し気に問い返した。

 

「意外かい?」

「現代魔法師の最低基準を超えなくても、特定の術を使える人はそう少なくないわよ。実際、小野先生がそうでしょう」

 

八雲の言葉を、雅が補足した。雅や八雲は意外とは思っていないようだが、達也にしてみれば聞きなれないことだった。魔法師は貴重な人的資源だ。この国では、魔法師は老人から子供、善人から犯罪者まで国によって厳重に管理されている。その例外ともいえるべき達也のような存在は、十師族体制によって間接的に国が管理しているとも言える。

 

「小野先生も公安に身を置いているし、そういう人物は十師族やそれに準ずる家が私的に囲っている場合が多いだろう」

「裏道はどこにも存在するだろう」

「では古式魔法師にはフリーの魔法師が多数いると?」

「正確な数は僕は把握していないけれど、かなりの数はいるんじゃないかな」

 

達也とすれば伝統派の規模はある程度目星は付けていたが、対峙しなければならない敵の数を上方修正した。

 

 

 

 

 

八雲との話が一通り終わり、雅と達也は九重寺にある地下の実験室に来ていた。雅は雅で試したいことがあり、達也は取り組んでいる新魔法の実験を行うためだった。

 

「進捗はどう?」

「正直なところ、少し行き詰っている」

 

雅の質問に達也は深くため息をつきながら答えた。

達也が開発しようとしているのは分解が効かない相手への殺傷性のある魔法だ。

具体的には高密度の中性子線による物理攻撃であり、分解魔法が効かない相手への対処として生み出そうとしている魔法だ。

中性子線は非常に透過力が高く、そのエネルギーを吸収するには中性子と同じ程度の質量をもつ水素や水素イオンのある水やコンクリートにぶつける必要がある。

エネルギー吸収の際には熱量が発生するため、高密度の中性子線を浴びると生物の細胞の水分は超高温に熱せられ、致死性のダメージを負う。

 

いつも使用している特化型のCADに炭素鋼でできたアタッチメントを装着し、そのアタッチメントを『分解』でバリオン、陽子、中性子にする。バリオンが拡散するという物理法則が働く前にバリオンを薄い円盤状に収束させ、対象に射出する、という理論はできている。原理的にはスターズのアンジー・シリウスが使っていたブリオネイクとそう変わらない。

 

魔法で改変された事象は本来この世界にない事象であることから、物理法則が発動するまでごくわずかなタイムラグが生じる。現段階で、達也はバリオンを取り出し、収束させる段階まではできている。

 

しかしながら分解魔法の発動後、物理法則が強制力を取り戻すまでの極小時間内にバリオンを射出させるための移動魔法を完成させる目途が立っていなかった。魔法式を出力するだけならフラッシュキャストを持つ達也ならば一般的な魔法師より、断然早く可能だ。だが出力させても、魔法を完成させるだけの干渉力が必要になる。本来『分解』と『再成』に干渉力を割かれている達也にとっては、そこが難問だった。

 

「移動系術式もシミュレーション上は問題ないから、もう少し全体の起動式の見直しを行うつもりだ」

「理論は一応理解できたつもりだけれど、移動魔法を使わないという方法はないのよね。例えば、刻印魔法や電子機器による機械的な補助も不可能なの?」

「ブリオネイクは結界装置内でFAE理論上の極小時間延長を図り、移動はローレンツ力を使っていた。だが、効率となれば直接移動魔法を使うのが一番いい。まあ効率を重視しても、現段階では、とんだ自爆攻撃にしかならないがな」

 

皮肉めいた表情で現実性のない仮定を呟くほど、達也は糸口の解決に困っているようだった。

 

「中性子って、自然法則に従えば拡散しようとする力を持っているのよね。バリオンの射出を極小時間内で完結させることが出来ていないならば、あえて収束も移動魔法もその極小時間を過ぎて物理作用が働きだすところで作用させることはできないのかしら。拡散しようとする物質を収束させるのだから、その余剰なエネルギーを移動魔法に利用すればエネルギー収支的には釣り合いが取れるんじゃないかしら」

「それも考えてみたが、FAE理論上の極小時間内で作用させれば計算上は秒速一万キロで射出が可能で、魔法力以上の威力が生み出せる」

「効率、威力を考えれば極小時間内ですべてを完結させることが最上の回答というわけね」

 

雅は肩をすくめた。雅はどちらかと言えば、感覚で魔法を理解するタイプだ。理論分野が苦手というわけではないが、達也ですら理論の解明に3か月かかった難問のさらに実用化の課題について急に考えれば、頭を抱え込みたくなる。

 

「だが、少し整理もできた。ありがとう」

「それならよかったけれど、偶には冷たい水じゃなくて、ゆっくりとお風呂にでも浸かったら、いいアイディアでも出てくると思うわ」

「今日はそれほど遅くまで残るつもりはないよ」

 

達也はここのところ、八雲の地下室で実験をしたときにはいつも帰宅は深夜近くだ。流石に雅を連れて深夜に帰宅すれば、皮肉と冗談と期待を込めて、『明日はお赤飯の用意をしますね』と深雪に言われることは目に見ている。そして合わせて水波の冷たい視線も浴びる羽目になるだろう。

 

「雅の予定は?」

「30分程度あれば十分よ。今度、古典部の研究発表の内容の確認みたいなものだから」

 

10月に入れば、論文コンペに向けた準備で学校全体が徐々に忙しくなる。古典部もその忙しさのさなかに発表をするよりは、10月上旬の比較的忙しくはない時期に設定したのだろう。

 

「たしか、大学との共同研究の一環だったか」

「そうよ」

 

大掛かりな屋外での魔法実験を行うときは生徒会に報告するようになっている。達也が事前に内容を知っていたのも、業務の一環として申請書に目を通していたからだった。

 

「時間があれば、見に来てくれると嬉しいわ」

「既に深雪が時間調整は終わらせていたよ」

 

雅が舞うとなれば、深雪が黙っているわけがない。申請があったその日のうちに、発表の日の業務が極力少なくて済むように既に手はまわしてある。

深雪が雅を慕っていることはよく知っている。加えて最近は泉美や香澄も心酔まではいかないものの、確実に惹かれている。同性に懐かれたり、崇拝されることは雅にとって珍しくないことだと達也も知っているが、気分がいいかと言われれば複雑と言うほかない。恋愛感情が伴う者がいないだけまだ救いなのだろう。

そんな胸中を見越してか、雅が頬を緩めた。

 

「達也は知らないでしょう。私、達也がいるときが一番美しく舞えているって、悠兄様に言われたのよ」

 

九重神楽は美しい。神に捧げ、人々の安寧を願うものであるから、優雅で耽美で、清廉で、そして少しだけ畏怖を孕んでいる。軍事目的ではない魔法の数少ない利用方法でもある。

雅はその演者として名を知られているが、天上の美しさを顕現させた悠の方が優れているのも確かだった。

そんな悠が羨ましそうに雅に零したことがある。恋の酸いも甘いも知り、愛し愛される者の満たされた笑みにかなう美しさはないと。

 

「そうか」

 

達也は同じように頬を緩めた。

複雑と表現した達也の心情にはおそらく僅かばかりの嫉妬心や独占欲も混じっていた。意味のない感情であると達也は理解しているが、感情は素直だ。本人が自覚している感情も自覚していない感情も、名前があり、理由や意味が伴っている。無頓着だった自分の感情の機微を自覚できるようになったのも、雅がいたからだった。

 

達也の行動は全て、ひとえに深雪のためにある。深雪が四葉という巨大な存在から自由になるために達也の今までは捧げられ、これからも実現するその日までそうあることは変わらない。

それでも、唯一、雅だけは達也が自分のために繋ぎ留めたいと願ったものだった。




更新遅くなりました。
少し時間に余裕ができてきたので、感想の返事が書けると思います。
今まで感想を書いてくださったのも、全て読ませて頂いております。

誤字脱字報告、感想などお待ちしております(*゚∀゚)


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古都内乱編4


もっと早く更新したかったのですが、後半の魔法理論に3日掛かりました。魔法理論って難しいよう(´・ω・`)
あくまで私の解釈なので、矛盾点あればご指摘いただけると助かります。
同じく、感想などもお待ちしています。



10月1日

2096年度、魔法大学付属第一高校の新生徒会が発足した。

役員は会長・司波深雪、副会長・七草泉美、会計・光井ほのか、書記・司波達也、庶務・桜井水波の5名となった。生徒会以外にも、そのほかの委員会や部活動などもこの時期で新体制が正式に発足することが多い。

 

「えっと、一年間よろしくお願いします」

「よろしくお願いします、吉田君」

 

そしてそれは風紀委員会も同じであり、新しく風紀委員長となった吉田幹比古が代表して挨拶をした。彼としては深雪と初対面でもなく、フレンドリーにしようと心がけていても、些か硬い挨拶となっていた。気恥ずかしさもあるが、彼に深雪の美貌を至近距離から正面で受け止めるだけの度胸はまだ備わっていなかった。

 

雫が次の風紀委員長になるのではないかという大方の生徒の予想を裏切って、当選したのは幹比古だった。

風紀委員長は現職の委員による互選により決まり、雫は幹比古、幹比古は雫に票を入れた。元二科生を風紀委員長にするのはどうかという選民意識の抜けない委員もいたが、その一方で、そんな面倒なことはやりたくないと雫の全身から発せられるオーラに負けた委員が幹比古に票を入れた。

ふたを開けてみれば、幹比古が5票、雫が4票の僅差ではあるが、幹比古が当選した。

 

雫は正式な名称ではないが、副委員長のような立場にはされるようで、幹比古が不在の時は、雫が組織のトップを務めることになる。この時期は3年生の引退や辞任による委員の補充がある場合もあるが、生徒会推薦の生徒は全員そのまま委員を続けることになり、特別な手続きは必要なく、挨拶のみで終ってしまった。

 

やや硬い挨拶をした幹比古とは対照的に、念のため付いてきた雫は隅の方でほのかとガールズトークに花を咲かせていた。

手持ち無沙汰な幹比古は、この場で唯一、話をするのに気を使わない達也に話を振った。

 

「達也、部活連の会頭は連絡があったかい?」

「幹比古達が来る少し前に連絡が入ったところだ」

 

先ほど生徒会の端末に会頭が決定したと連絡があったため、もうじき部活連の新役員たちが挨拶に来る予定になっている。

 

「僕らは戻った方がいいかな?」

 

幹比古は深雪と達也に確認する。決定権は深雪にあると言え、達也の意向は深雪の意向と言っても差し支えないことはこの1年で幹比古は学習している。

 

「論文コンペで色々と共働することもあるだろうから、部活連との顔合わせはあってもいいと思うぞ。急ぎの用事あれば別に構わないが」

「いや、特に今のところはないから、待たせてもらおうかな」

 

幹比古は念のため、一緒に来ていた雫に視線を向けるが、問題ないと首を縦に振った。

 

「達也さん、新しい部活連の会頭は誰だったんですか?」

 

ほのかは達也に問いかけた。

風紀委員会からは幹比古が委員長になり、直接挨拶に行きたいという旨が知らされていたため、事前に生徒会も誰が来るか知っていた。

 

「いや、部活連からは挨拶に向かいたいという事だけだったな」

 

生徒会の端末に連絡があったが、前会頭の服部からの文章メッセージのみであり、新しい会頭については記されていなかった。

下馬評では十三束か雅のどちらかという意見が大半だ。

生徒会も風紀委員会もどちらかだろうという意見には同意しているが、どちらが会頭に就任してほしいかと言われれば答えは決まっている。

 

 

 

 

数分後、生徒会には新たに3名の生徒がやってきた。

 

「部活連会頭就任、おめでとうございます、お姉様」

「ありがとう。深雪と達也相手でも予算要求は手を抜かないから、覚悟しておいてね」

「まあ、どうします?お兄様」

「手強い相手なのは確かだな」

 

困った口調で深雪が達也に問いかけ、達也は真面目に雅を見返す。

それでいてクスクスと冗談めかした会話に、場の空気が和む。

 

「論文コンペをはじめ部活連には協力をお願いすることも多いと思いますので、円滑な生徒会運営にご協力をお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

部活連の方は前評判通り、雅が会頭に就任した。

深雪としては会頭という学校の顔役の一人に雅が選ばれることが嬉しい反面、ただでさえ忙しい雅に新たな仕事が追加され、一緒の時間が減ってしまうことに少しだけ複雑だった。

 

「補佐役は五十嵐君と十三束君にお願いしています」

「よろしくお願いします、司波さん」

「よよよ、よろしく、お、お願いしますっ!」

 

十三束ははにかみながら、五十嵐は緊張の隠せない様子で深雪に挨拶をした。

部活連会頭補佐の一人に選ばれた五十嵐鷹輔(いがらし しょうすけ)は成績上位者であり、深雪とは魔法実験などで同じグループになることもあったのだが、まだ深雪の美貌には慣れないらしい。

それ以上に幹比古や雫までいる生徒会室の中で挨拶するというのは、彼でなくとも緊張するシチュエーションではあるだろう。

 

「五十嵐君、緊張しすぎ」

「うっ、すみません」

 

雫に呆れたようにそう言われ、五十嵐はより体を小さくさせた。

 

「雫とほのかは同じ部活動だったな」

「はい、そうです!」

 

達也の問いかけに、なぜか五十嵐が大きな声で答えてしまい、変に注目を集めてしまったことに気が付いたのか、五十嵐は顔を赤くする。

 

「知り合いがいるのは頼もしいわね」

 

雅はちらりと雫とほのかに視線を送った。

 

「五十嵐君、よろしくね」

「部活動の揉め事は任せた」

 

笑顔で気にしていないという雰囲気を出すほのかと、風紀委員に面倒ごとは持ち込まずに解決しろよと言外に示す雫。三人からのフォローに申し訳なさそうに、五十嵐は小さく頷いた。

 

 

 

 

 

10月2日

 

新体制で動き出した生徒会や部活連、風紀委員会を始めとした新役員たちは、早くも残り1か月に迫った論文コンペに向けて動き出していた。

 

警備体制のトップはその年の九校戦モノリスコードの優勝校が務めることになっており、今年は前部活連会頭だった服部が総隊長を務めている。

今回の開催地が京都であるため、魔法科高校の中では比較的に近い立地にある二高にも仕事は任されている部分はあるが、最終的な警備の責任や諸々の承認は警備総隊長の役目だ。

発表者の警護の方は既に始動しており、担当者はそれぞれローテーションで登下校などで発表者に付いている。

 

雅は部活連に割り当てられた執務室で会場周辺の警戒に当たる警備班の最終案の作成を行っている。

さすがに9名の風紀委員だけでは人手が足りないので、毎年部活連からも各部活動に働きかけ有志を募って警備隊に入ってもらっている。有志という体を取ってはいるが、ある程度魔法戦闘能力を見込まれて採用されているのは言うまでもない。部活連はその人選と得意魔法の整理、把握及び準備期間から当日までの人員配置について案を作成している。

服部が会頭の時にすでに動き出していたこともあって、警備役の選出もあくまで最終確認程度のものだった。

 

「部活連会頭就任、おめでとうございます」

「ありがとう、七宝君」

 

当然、部活連の役員である雅と七宝は否応なしに顔を合わせなければならない。

 

「魔法競技系の部活動の名簿です」

「ありがとう」

 

雅は七宝がまとめたデータを確認し、人員の割り振りを行っていく。

琢磨の今日の仕事は既に終わっているが、まだ部屋に居座っている。なにか言いたげな琢磨の様子に、雅は作業を一時保存すると、琢磨に視線を向けた。

 

「随分と不服そうね」

「生徒会との癒着が目に見えているので、素直に喜べはしないですよ」

「その心配があるならば、そうならないようにしっかり監視することね」

 

言いたいことはそれだけかと、雅は画面に視線を戻す。

琢磨の悪態めいた言葉を雅は全く意に介していない。琢磨の何の捻りもなく、直球的な物言い程度、日頃何重にも猫を被って皮肉を八ツ橋に包んだ魑魅魍魎と渡り合ってきた雅にとって駄々をこねている子どもと変わりなかった。

 

「それと論文コンペとは別件で仕事を頼んでもいいかしら」

「何ですか」

 

雅個人は琢磨を好ましくは思っていなくても、仕事は仕事だと割り切っている。個人的な感情と仕事を行う上での理屈は分けて考えるだけの技量は既に備わっている。

服部が雅を部活連会頭の後釜に据えたのも、責任ある立場での毅然とした立ち振る舞いと物言いができると判断してのことだった。

 

「明日行われる図書・古典部と大学共同の実験の警備よ。風紀委員にも警備をお願いしているのだけれど、どこも新体制になったばかりだし、論文コンペのこともあるから部活連からも一人警備役をお願いしたいということで依頼がきているの」

「古典部の?」

 

琢磨は渡されたA4サイズほどの持ち運び用の端末を見ながら、顔を顰める。琢磨にとって図書・古典部は、理論系の部活動の中では異色の部活動だと認識している。

 

魔法師は社会全体に奉仕する存在であると定義されている。

先進各国において、魔法と魔法師はなくてはならない存在であり、魔法の持つ兵力とそれを必要とする現代社会によって成り立っていることくらいは理解している。論文コンペに出場するような学生レベルの論文でも、いずれは魔法の発展に寄与する一助であることは間違いない。

 

しかし、琢磨に言わせてみれば図書・古典部が日頃研究しているという、日本をはじめとした世界各国の伝承やおとぎ話を魔法解釈することなど、歴史的な価値以上に何があるのか理解できない。同じ魔法師の中でも研究費の無駄遣いだと鼻で笑われ、反魔法師主義を訴える一部からは蛇蝎の如く嫌われていることも確かだ。

 

「予定があるなら、構わないわ。絶対に七宝君でなければならない理由もないからね」

 

雅は古典部が虚仮にされ、不快感を一瞬だけ表情に浮かべるが、偶然視線が逸れていた琢磨には気が付かないものであった。

 

「やりますよ。古典部程度の発表にわざわざ警備に人数を割く必要があるとは思いませんが」

 

売り言葉に買い言葉で、つい琢磨はいつもの癖で引き受けてしまった自分に内心舌を打つ。頭に血が上りやすいことは自分でも理解していて、そうならないように努めてはいるが、長年の癖は中々意識していても早々変わるものではない。

 

「去年の発表時は産学スパイが数名潜り込んでいたわよ」

「産学スパイ?」

「論文コンペ前とあって魔法科大学の関係者以外の外部の人は入らない予定だけれど、念のために警備の眼は多いに越したことは無いのよ」

 

雅が1年生の時に行われた古典部の新歓デモンストレーションを兼ねた研究発表では、国内外の息のかかった産学スパイが摘発されている。

実質的な被害はなかったが、技術は時として莫大な富を、時に残酷なほどの兵器を、時に救えなかった命に希望を与えるものになる。

古典部の研究に価値を見出していない琢磨にそれを述べても、心に響かないことは目に見えている。だから雅は無駄になる諫言も甘言も口にすることは無い。

 

「古典部の発表にそんな価値があるんですか」

「価値があるかどうか、それはあなたの眼で確かめてみたらどうかしら。歴代研究の抄録とその応用研究の実績なら図書館でも閲覧可能よ」

 

疑いの目を向ける琢磨に雅はあくまで冷静に答える。

 

「七宝君にそこまで古式魔法が目の敵にされる理由を知らないけれど、当日は教授もお見えのようですから自分の物差しでの発言は控えるよう忠告しておくわ」

「大学教授がたかが高校生の発表に?」

「それだけの価値は学校側も認めてくれているという事よ」

 

実際研究分野がマイナーすぎて、研究者も国内外で少ないことに加えて、全国で九校ある魔法科高校の中で魔法の歴史研究や魔導書の解析をやっている部活動は一高にしかない。大学側からも協力は惜しみなく行われており、研究者の囲い込みのために早くから共同研究にも手を出している。

入試のための点数稼ぎと陰口を言われることもあるが、所詮成績や結果を残していない生徒の嫉妬に過ぎない。

 

 

 

 

 

 

 

翌日、10月3日

 

琢磨が嫌々ながらも演習林で行われるという古典部の実験会場にやってくると、既に見学者を含め、20人程度の人が集まっていた。

演習林の中でも奥まってはいるが、やや開けた場には、大学の研究者らしいスーツを着込んだ壮年の男性や、研究の補助員らしい大学生、それとどんな役割なのか場違いな白い狩衣を着込んだ人物が5人ほどいる。

 

「へー、七宝も来たんだ」

「七草か」

 

どうやら雅が言っていた風紀委員からの警備は香澄が配属されていたようだ。

琢磨は以前と違って七草姉妹を見かけても、理由もなく突っかかっていくわけでもなく、普通の同級生とほぼ同様に話をすることができている。

この変化は1年生の中で一時期話題になったが、この時点ではすでに下火になっていた。

 

「あんたも警備役でしょう。でも、司波先輩と深雪先輩が目を光らせていて、手出しするような馬鹿は出てこないと思うわよ」

「司波先輩たちも来ているのか」

 

琢磨は見学者の中に二人の姿を見つけた。そこには確かにこの時期は論文コンペに向けて忙しいはずであろう生徒会の会長と書記が、二人揃ってこの場を訪れていた。

 

部活動でも大掛かりな実験の場合、生徒会にも届け出が必要になることは知っているが、立ち合いが必要であるという規定はない。大学関係者が来ているというだけあって生徒会役員がいてもおかしくはないだろうが、会長1名で十分であるはずなのに、あの兄妹の方がデキているのではないかというような密接ぶりだ。兄弟のいない琢磨にとって一般的な男女の兄妹でもあれほど近いという話は彼ら以外耳にしたことがない。

 

「実験が始まるみたいだよ。そろそろ持ち場に行ったら?」

「言われるまでもない」

 

琢磨の不遜な言い方に香澄は特に気にすることもなく、自分の持ち場へと歩いて行った。

香澄に言われるまでもなく、時間のことは琢磨の意識の中にあった。ただ今は会場全体を見渡して、気になる点がないか探していただけだったと琢磨は己の中で言い訳をする。

 

琢磨が任されたのは生徒の見学エリア周辺、舞台から見ると上手の方の警備だ。古典部と一般の見学者は既に集まっており、香澄も同じく下手側に警備についている。

 

 

実験用の舞台は麻縄で仕切られた10m四方の空間だ。

警備役には実験概要は知らされており、琢磨もおおよその内容は頭に入っている。

今回の研究としては日本神話にも登場する太陽の黒点に住むという八咫烏(やたがらす)を主軸に据えた実験であり、難易度としては現代魔法のAランク相当だとされている。日本を統一した神武天皇を、八咫烏が熊野国から大和国まで先導したという神武東征の故事の再現だ。

 

舞台後方には、赤い絨毯が敷かれており、そこには白い狩衣を着た5人の楽師が並び、舞台中央とおぼしき場所には一人の少年がいる。舞台と言ってもステージを組むこともなく、何の舗装もされていない人工林の地面だ。

 

今回の実験の肝であろう舞台に立つ少年は、長い黒髪を赤い紐で高い位置で結い上げ、身にまとった白い狩衣も楽師とは違って光が当たるとよく分かるが、銀糸でなにか紋様が記されている。白塗りはしていないだろうが、元々肌が白いのか目元に施された赤い化粧が良く映える。

体格からしてまだ少年、おそらく15歳から16歳。琢磨と同じ1年生だろう。顔に馴染みがないが、二科生であれば知らない生徒もいるし、一科生でも化粧で多少知っている顔と印象が違うかもしれない。美少年と言われればそうだが、唇に差された艶のない赤い紅がどことなく蠱惑的な印象を醸し出している。

 

 

「では、お願いします」

 

教授らしき壮年の男性が合図をし、少年が頷く。

 

横笛から始まり、琵琶や太鼓の音が重なる。

音に合わせて優雅に少年が歩みだす。

ひらりと華麗に広げた扇と、指先から足先まで意識が行き届いた動きだと素人目にも分かる。

動作自体は非常にゆったりとしている。

雅楽や神楽を知らない者からすればひどく退屈に見えるだろうが、全くそれを感じさせない。

 

琢磨からしてみれば、物珍しい部分もあるが、なぜだか視線が引き付けられる。自分の役割が会場警備であることは理解しているが、それでも目は自然と少年の動きを追ってしまう。同じく警備役の香澄を盗み見ると、彼女も同じ状態のようで、気を引き締めなければと琢磨は周囲の演習林を見渡す。

 

 

 

5分ほどしたが、まだ事象改変の気配はない。おそらく舞台に精霊を喚起しているのだろうが、まだそれ以外の魔法の発動兆候はない。

警戒していたはずの産業スパイや怪しい動きを見せる見学の生徒もいない。

 

本当にただの古典様式の舞台ではないかと疑問を持ち始めたころ、横笛が鳥のように甲高くなると、少年は足を止め、扇を宙に放る。

くるくると高く上がった扇に視線が集まるが、その背後、突如として太陽の方角から金色の鳥が現れる。太陽の輝かしさを顕在させたかのような金色の翼の鳥は一直線に少年へと向かい、飛翔する。

 

やがて落下した扇を少年が高い位置で手に取ると、その鳥はそのまま扇に止まり、金色の粒となって弾け、光の粒が吸い込まれるように少年の白い狩衣が金に染まる。まとめられた黒髪も、根本から毛先にかけて金色に染まり、睫毛も瞳も淡い色に変わっていく。目元に入れられた魔除けの赤だけが、彼だった証を残している。

少年が落ちてきた扇に手を伸ばして受け止めると、扇から金の風が流れる。その風の流れが彼に纏うと、腕に翻る長い狩衣の袖が翼のようになる。

 

 

なんだこれはと、見学者たちは一様に目を丸くする。そして再び舞い始めた少年は動きこそ優雅だが、質素だった舞台が一変、金色の光溢れる世界へと変わる。

動きも先ほどと変わらない。

変わらないからこそ、その美しさが際立つ。

足は地面についたままで、それでいて鳥が舞うように軽やかで、艶めく翼のような袖が翻るたびに、まるで羽ばたいたように風が流れる。

今度こそ、目が逸らせない。

吸い込まれるように、魅入られるように、舞台の少年に釘付けになる。

実験の主催者たちでさえ、計器そっちのけで食い入るように舞台を見ている。

 

 

やがて曲の終わりを迎え、舞い終えた少年が膝を付き、首を垂れると、徐々に金色の光が体から背中に向けて離れ、大きな鳶のような形を取り、声高々に一鳴きする。そして太陽の方角へと飛び去って行った。

 

 

 

 

空気が止まる。

誰も声を出さない。

これが魔法であることは誰もが理解している。

それでも単に魔法と呼ぶにはあまりにも美しい光景だった。

 

「成功だ」

 

主催であろう壮年の男性が、歓喜を押さえきれない様子で絞り出したような声でつぶやく。

 

「お、おおー」

「うおおおお」

 

その言葉に反応して、実験の企画側からは歓声が上がる。見学者たちも釣られるように拍手を送る。

 

 

楽師たちもようやく緊張から解放されたのか、やれやれと僅かばかり姿勢を崩す。中にはよほど緊張していたのか、荒い呼吸をしながら絨毯に突っ伏す者もいた。

 

少年が区切られた舞台から外に出ると、大学の大人たちにすぐさま囲まれる。実験の測定をしていた研究者たちは興奮冷めやらない様相で少年に矢継ぎ早に質問を重ね、手元の端末に記録を残していく。

楽師たちも同じように舞台から離れ、準備されていた椅子に座ってひとまず休憩をしている。

 

 

琢磨は呆然としていた。これが古式魔法だとは信じられなかった。

無媒体での魔法は難易度が低ければ、少々時間を掛ければ可能である。一般的な技量を持つ魔法科高校生ならば、ごく簡単な基礎単一系の術式の場合、20秒程度あれば発動できる技術である。つまりCADは魔法の発動時間を短縮するための道具に過ぎない。

しかし、この実験では歩法や雅楽が魔法式を構成するとしていたが、単に閃光を作り出すような単純なものではなく、次々に舞台の様相が切り替わる。最近FLTが完全思考型CADの製品を発表していたが、今回の実験ではそれを使ったと言われた方がまだ信じられる。

 

 

「お疲れ様です、行橋さん」

「やあ司波兄妹。態々ご足労頂き悪いね」

 

琢磨は親しそうな様子で楽師と話している司波兄妹の会話に聞き耳を立てた。一高OBが参加することは知っていたが、行橋という苗字に心当たりはなかった。研究所生まれ魔法師の系列ならともかく、琢磨はそれほど古式魔法の家系には明るくない。九重雅と親しい司波兄妹なら多少つながりはあってもおかしくはないのだろう。

 

「それにしても金鵄(きんし)とは、大きく出ましたね」

「身内贔屓と言われるかもしれないだろうけれど、論文コンペの成功を願うなら、瑞獣のほうが縁起もいいだろう。本当は赤竜をしてもらう予定だったんだけど、時期が合わなかったからね」

「確かに、今は秋か冬の演目ですね」

 

司波達也と行橋と呼ばれた女性は実験について理解していると言いたげな様子で、話をしている。聞き耳を立てていた琢磨からすれば、赤竜も聞き馴染みのない単語だった。かろうじて瑞獣というのは、縁起のいい伝説上の生き物で、鳳凰とか、青龍だとかという事は聞いたことがある。

 

「すみません。時期が合わないって、どういうことですか?」

 

司波兄妹の近くにいた香澄が時期という言葉が引っ掛かったのか、二人に問いかけていた。科学的実験において、環境条件が同じならば、いつ、どこで行っても同じ結果が得られるという再現性を求められる。時期が悪いという事は、魔法発動には季節性、あるいは日照条件などが影響しているのか確認しているのだ。

 

「日本神話の当時のできごとには大陸文化の思想を色濃く残している部分がある。その中でよく登場する五行思想は、この世の万物は木・火・土・金・水の五つの元素から成り立っているとされ、四季はこの五行の移り変わりであると説かれている。方角や色などあらゆるものがこの五つに当てはめられ、大陸で古くから信仰されていた竜のなかでも、赤竜の守護は南で季節は夏に分類されている」

 

恐らく古式魔法への造詣も一般程度と言える香澄に対して達也は細かに解説をしていく。

 

「対して金鵄(きんし)とは八咫烏、金烏とも同視されており、吉兆、勝利、建国の象徴と言われている伝説上の生き物だ。五行説で言えば金行は、方角は西、干支は酉、季節は秋が割り振られているから、京都で論文コンペがあるのも見越しての選択でしょう」

「ご名答。まあ、五行説は古式魔法の基礎みたいなものだからだね。基本的にどの流派も大なり小なり押さえている事柄だろう」

 

達也の解説に満足げに行橋は頷いた。

 

「まあ、再現できたのも演目の時期性云々より雅ちゃんの実力だけどね」

「は?九重先輩」

 

聞き捨てならない言葉に琢磨は思わず声を出してしまう。

四人の視線が琢磨に集まる。

 

「おや?今回の主役だろう」

「あれが、九重先輩だっていうのか」

「美少年に磨きがかかっているから、素人目でも玄人目でも判別はつかないね」

 

行橋はやれやれ、またこのパターンかと言いたげな様子で肩を竦める。

 

琢磨はもう一度、あの少年を探す。

まだ大学教授たちに囲まれていたが、背の高さも確かに似ている。

だが、顔立ちは全く違う。確かに中性的かと言われれば、中性的かもしれないが、それでも立ち振る舞いや声色などは明らかに男子のそれだ。

 

「流石は雅先輩」

 

香澄は感嘆と共にため息をつく。

琢磨は己の眼が鈍らだと言われているようで、苦々しく奥歯を噛む。

 

「この舞台ですが、魔法をわざわざ使わなくても、立体映像で可能なものですよね。それのどこに研究的な価値があるといえるのですか」

 

琢磨は優位性を確かめるように実験の意義を問う。

現代の映像技術を用いれば、空中に立体映像を映し出すことは可能であり、つい80年ほど前にはプロジェクションマッピングの技術は確立されている。古式魔法の再現実験であることはともかく、単純な再現可能性でいえば、現代技術をもってすれば可能であると琢磨は判断した。

 

「おや、随分と無礼な物言いだね」

 

琢磨の悪態ともいえるべき意見に、行橋はまたこれかと半ば諦めた様子でため息をつく。

 

「まあ君の言う通り、立体映像を使えば再現可能な現象だね。それは、確かに認めるよ。あれほどの現象を再現できるなら、ぜひ再現してほしいものだけれど」

「では、今回の研究の意義を教えてください」

「おいおい、君って本当に主席入学者かい?」

 

それにしては随分とお(つむ)が残念だなと、行橋は言いたげに鼻で琢磨を笑った。

小馬鹿にされていることが目に見えてわかり、琢磨は拳を握りしめる。騒ぎを起こすつもりも、実験自体を馬鹿にしているつもりもなかったが、それでいて相手に貶されれば苛立ちもする。

 

「司波君、説明する?今にも君の妹が冷気振りまきそうな様相だけど」

「お兄様、ぜひともお願いします」

 

琢磨が深雪を見ると、絶対零度の笑みを浮かべていた。

顔が笑っているのに目が笑っていないとはこのことを言うのかと、身に染みて琢磨はその怒気に半歩下がる。

 

達也は妹の様子ではなく、説明を丸投げした行橋にため息を内心つく。説明は構わないが、軽率な琢磨の言い分は確かに気に障るものだったのは確かだ。

 

「今回の研究の目的は伝説上の古式魔法の再現実験ですが、そこから導かれる研究の意義としては魔法発動工程(プロセス)に関する提言、具体的には複数の魔法師が関わる場合の魔法発動の領域分担に関する提言でしょう」

「魔法の発動工程?」

 

再現実験そのものが意義ではないのかと琢磨は首を傾げる。

 

「複数の魔法師が同一対象のエイドスを改変しようとすると、複数人の魔法力が合わさった強力な事象改変作用が働くのではなく、より魔法力の強い魔法師の魔法が優先される」

 

達也が述べた理論は、七草の双子のように完全に同一の魔法演算領域を使って発動する乗積魔法(マルチブルキャスト)を除き、一般的に言われている魔法の性質だ。

例えば100kgの重量の物体に対して魔法師10人が同時に移動魔法を使った場合、一人当たり10kg分の魔法力で移動が可能なのではなく、10人の内、最も魔法力の強い魔法師の魔法が発動し、その人物が100kg分の魔法力を行使しなければならない。場合によっては互いの魔法が干渉を起こすので、100kgの質量を移動させる以上の魔法力(負担)を必要とする。

 

「だが儀式魔法のように、複数の魔法師が関わる事象改変の場合、術者が担う事象干渉の対象を明確に定義するか、魔法式を層別化して分担することで巨大な魔法式の発動を可能にしている」

 

例を挙げると、平面上に置かれた固体の物体Aを地点Bまで垂直に上昇させ、一時停止、その後減速して同じ地点に戻すだけでも、魔法の工程は加重系反重力魔法、移動系停止魔法、加重系重力制御魔法、移動系停止魔法の四つの工程を必要とする。

この工程はそれぞれ独立した魔法ではなく、一連の工程であり、この現象を成立させるには四つの工程を可能にするだけの魔法力が必要となる。もし魔法力が足りなければ、最初の重力に反して物体が浮く、という現象すら発生しない。

儀式魔法で魔法式を層化している場合、別々の術者がこの四つの工程を切れ目なく繋ぎながら行うことで、同じ結果を得ることができる。

 

「これは儀式魔法に使う要素、具体例としては詠唱、器楽、歩法等によって層別化を図っていると言われているが、その層の切れ目を科学的には証明できていない。今回の研究から、層別化した魔法式の分担の体系化がされたならば、魔法力の小さい魔法師でも複数人ならば大きな事象改変を行うことができる可能性が示唆される、という事でしょうか」

「お見事。大正解」

 

行橋は満足げに頷いた。

 

「昨年発表された飛行魔法のように、タイムレコーダー機能によって魔法発動時点を正確に記録する、つまり魔法の終了条件を充足させることで、同一エイドスに対する魔法式の上書を防ぐことはできている。これに倣ってデジタル的な処理の面からも現在は研究が進められている分野だが、この研究では古式魔法を切り口に複数の魔法師で巨大な事象改変作用を生み出す方法を研究している。CADもない状態でこれだけのものができる魔法をただの属人的技術と切り捨てるには、まだ議論が足りないだろう」

 

行橋はにんまりと笑みを深めた。

 

九重神楽は見た目の絢爛さ厳粛さに惑わされがちだが、それを再現している術者にしてみれば針の上を歩くような精密な魔法であり、一分の失敗も許されない。人数が多ければそれだけ呼吸を合わせることも難しいことは言うまでもない。

今までは属人的な技術として、術式自体の秘匿性もあり、表立った研究は行われていないが、九重の演目ではなく、歩法や詠唱自体は大学で用意したものなので、研究を進めるには問題のない題材である。

それを務めるにも、それだけの人材が今回揃ったので再現実験も可能であったのだ。

 

「古式魔法も歴史の上に胡坐をかいているわけじゃないんだよ、七宝家のお坊ちゃん」

 

文化とは政治や民衆によって常に隆盛と衰退を繰り返し、歴史を刻んでいくものであり、その歴史の陰に消えた伝統も少なくはない。長い歴史を持つということは、それを残すだけの価値とそれを担い、支えてきた者たちの努力があって成立する。

 

「科学的にも意義のある研究という事は理解できました」

 

七宝は苦虫を噛み潰したような顔をしながら、苛立ちを抑えるような声で吐き出した。

 

「それは結構。ちなみにそこの司波君は、実験概要を読んだだけで応用研究までの推察をやってのけたけどね」

「生徒会には内容を知らせていたんでしょう」

 

鎮火したかに見えた七宝の八つ当たりに、何を思ったのか行橋はさらに油を注ぐ。七宝琢磨程度が多少睨んだところで達也の心情に波風一つ立ちはしないが、正直達也としてはいい迷惑だ。

 

「聞き間違えてはいないかい。私は実験概要と言っただろう。今回の目的はあくまで再現実験。司波君の推論は、教授や共同研究者が執筆する部分であって、概要には載せてないよ。第一、先行研究があるとはいえ、まだ実験段階の論文の内容を魔法科高校とはいえ外部に持ち出すなんかしたら大問題だよ。術者も勿論、実験に関しての同意と守秘義務があるからね」

 

達也は自力で考え付いた答えだと行橋は言う。

確かに行橋の言うことに間違いも矛盾もない。

だからこそ、同じ実験概要を渡されただけで、司波達也がたったあれだけの情報でそこまで実験を理解して、その展望まで述べることができることに悔しさを感じる。

魔法の使い方だけではなく、理論面やCADの調整技術の高さも知っていた、知っていたつもりだったが、実際に見せつけられるのとでは違う。

 

この日、琢磨は九重雅と司波達也の実力について、再認識することになった。

 

 




七宝琢磨m9(^Д^)プギャーってなったかな?
君とは格が違うのだよ、格が( ・´ー・`)ドヤ


原作の深雪ちゃんの迷走、書記長:司波達也については、雅と達也の説得の末、設立されなかったことになっています。
書ききれなかった(;・∀・)
あと今回の雅ちゃんのイメージは某刀の擬人化(男)の烏の父上です。


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古都内乱編5


進んでないくせに、相変わらず文章が長いです…
古都内乱編10話以内で収めたいな…

お待ちかねの甘めの話です(`・ω・´)



 

先日、雅は大学との合同研究で舞台があったとはいえ、九重の行事には関係のないことだ。

雅は雅で神楽の稽古が日夜ある。

論文コンペに向けて忙しくしていてもそれは変わらず、雅が自宅マンションに帰宅したのは夜9時を過ぎてのことだった。

 

稽古中は携帯端末を触れないので、雅が達也からのメッセージを確認したのは稽古場から家へ向けて走り出したコミューターの中だった。達也は多少遅くなっても構わないから直接話がしたいという一言だけ添えられていた。司波家も雅が自宅として登録しているマンションもセキュリティは通常の一般家庭よりはるかに高いレベルで守られてはいるが、電話や明日学校で話すには差しさわりのある内容であることは容易に推測でき、雅はすぐさま了承の連絡を送った。

 

雅が帰宅して15分程度したころ、来訪を告げるインターホンが鳴った。

司波家とこのマンションは最寄り駅を同じくしているので、徒歩でも移動が可能な距離にある。コミューターを使えば、それ以上に時間は短縮でき、雅も早い到着に驚くことは無かった。

 

「夜分にすまない」

「急ぎの用事なんでしょう」

 

リビングへ達也を案内し、お茶を用意した。

帰宅が遅くなったとはいえ雅は稽古先で夕食は済ませているため、カフェインの少ないハーブティーを用意した。

雅は普段から司波家にいることが多いが、帰宅の遅くなる日や朝早く出かける必要がある場合は、遠慮して自宅マンションを利用している。一人暮らしとはいっても不動資産として所有していた一般家庭サイズのマンションのため、リビングも相応の広さがある。三人掛けのソファーに雅と達也は並んで座った。

 

「野良の古式魔法師に襲われたということで間違いはないのよね」

 

時間も時間のため、雅は本題を切り出した。それは疑問の口調ではなく、あくまで確認だった。

 

「情報は祈子さんからよ」

「あの人も情報通だったな」

 

達也は一瞬驚くも、この東京都内、しかも一高校生相手の事件を四楓院家が知らないわけがないかと納得してしまった。

その情報の出所は達也はおろか、軍の中でも【電子の魔女(エレクトロン・ソーサリス)】と名高い藤林響子でさえ尻尾は掴めていないという。千里眼ほどではないとはいえ、その手の情報収集に長けた異能がある可能性は否定できない。

 

「相手の素性はどの程度分かっているの」

「古式の魔法師であることは間違いない。俺たちを襲撃した時も破魔矢を使っていたし、逃走用に用いたのも自分を認識させにくくする精神干渉系魔法だった」

「そんな代物を破魔矢だなんて呼びたくはないけれど、手法だけ見れば確かに古式魔法師ね」

 

破魔矢と言えば正月に神社や寺社で授与される縁起物であり、本物の破魔矢を知る雅からしてみれば名汚しも良いところだ。

しかし達也が言う破魔矢はS B(スピリチュアル・ビーイング)を介した魔法を妨害する道具であり、魔法式を直接対象に投射する現代魔法にはあまり効果がない。

 

「ああ。それを用いたのは俺たちも古式魔法師と相手は勘違いしていたようだ」

「私のつながりから?」

 

雅がやや表情を強張らせたのを見て、達也は安心させるように雅の手を握る。

雅と達也の婚約は一高の中では比較的有名なことだ。九校戦にも出ていた達也たちが現代魔法しか使っていなくても、その素性を探って何も出てこなければむしろ九重が秘匿していると考えるのが普通だ。加えて、九重八雲に師事を受けていることも知っていれば、自ずと古式魔法師の流れを汲む血筋だと判断してもおかしくはない。

 

「いや、その可能性も否定はできないが相手は俺や深雪の素性までは流石に掴んでいない。先週の日曜日に人造精霊が家の中を探ろうとしていたが、その術者は師匠に捕らえられた。その線から俺たちを黒羽に雇われた古式魔法師だと思い込んだんだろう」

 

周公瑾の裏が誰であろうとも、一介の野良魔法師がつかめるほど達也と深雪の情報のガードは甘くはない。達也たちが協力者だと分かったのも、黒羽姉弟が司波家を訪れた際に雇われ野良魔法師に尾行されていたからであり、尾行を許したのもおそらく四葉家からの指示であることは間違いない。素性までは探らせなくても、達也を囮として使う算段なのだろう。

 

「黒羽は四葉の有力な分家の一つと言われていることは裏の素性に疎い一般的な魔法師にも既知のことだが、その黒羽が訪れた家を四葉の配下とは思っていない。四葉の魔法師と思っているならば古式魔法を妨害する道具は持ってこないはずだからな。そして相手が俺たちの素性を知らないという事は、俺たちが四葉の協力者として選ばれた理由も分かってはいない」

「つまり、敵の攻撃が私たち以外にも及ぶ可能性がある、ということ?」

 

雅や達也ならば、隠遁術や奇襲に長けた古式魔法の不意打ちだろうと対処できる自信はある。物理的に強硬策に出てきたとしても、それを軽くあしらう程度の技量は持っている。

 

「その可能性が高いとみている。今回の襲撃で伝統派が俺たちを敵と認識していることは明確になった。しばらくは警戒することに越したことは無い」

「分かったわ。でも、私以上にほのかや美月の方が危ないんじゃないの?」

「その辺は師匠にお願いしてある。流石に自分の庭で古式魔法師が好き勝手嗅ぎまわるのは師匠も無視できないだろう。念のためほのかには雫の家にしばらくお世話になるよう話してみるつもりだ。美月の方もエリカか幹比古に登下校は頼もうと考えている」

 

保険は既に掛けてあるが、保険を重ねることは必要な措置だ。

エリカやレオ、幹比古はともかく、美月やほのかは魔法力やその特殊能力は除き、基本的な身体能力は一般的な女子高生と変わりない。八雲には高い借りにはなるだろうが、四葉や黒羽に警戒に当たらせるよりは妥当な選択だろうと達也は既に割り切っている。

 

「今日の襲撃があったとはいえ、明日の九島邸への訪問の変更はしないのかしら」

「ああ。伝統派の狙いが俺たちだと分かった以上、九島への協力の取り付けと周の手掛かりがつかめるなら無駄足にはならないだろう」

 

達也が藤林経由で取り付けた九島のアポイントは明日の18時となっている。

周の居場所は黒羽も探っているだろうが、有力な情報は未だ手に入っていない。これほど捜索が難航していることは、達也にとっても憂慮すべきことでもある。

 

十師族は非常事態を除き、共謀、協調体制を結んではならないと取り決められている。

しかし、達也を経由して四葉から九島に協力を取り付けることは可能だと達也は踏んでいる。九島家として受けることはできなくても、司波達也と九島烈の個人の約束ならば問題はない。

 

「伝統派の主要拠点の多くは京都に集まっているけれど、奈良にもいくつかあるから、周の息のかかった組織はあるかもしれないわね。家から色々聞けたら手助けにはなるだろうけれど、残念ながらまだ釣りの最中らしくて私は静かにしていろと言われたわ」

 

雅は申し訳なさそうに眉を下げた。

今回は四葉真夜から達也に依頼された一件であり、雅が口を挟む義理はない。それでも古式の一大派閥である九重家にとっては他人事ではないが、雅が動くには時期尚早として実家から止められている歯痒い状況にある。

 

表立って九重が伝統派に対して強硬な策に出れば、内戦にもつながりかねない事態に発展する可能性がある。同じく八雲も大々的に動くと、総本山の比叡山まで動き、同様の事態になることが目に見えている。それならば元々古くからの因縁のある九島ならば、過激な伝統派の炙り出しはしやすいと雅も頭では理解している。

 

 

「いらない心配かもしれないけれど、気を付けてね」

 

達也や深雪が遅れをとるとは思わないが、相手は隠遁術に長けた古式魔法師だ。古くから暗殺や秘密裏に動いてきた組織だけあって、土地勘もある分、待ち伏せや襲撃はやりやすいだろう。

 

「油断はしないさ」

「油断はしなくても、無茶はするでしょう」

 

達也の言葉に少しきつめに雅が反論する。

 

「達也が顧みない分、私と深雪が心配するのよ」

「これでも気をつけてはいるんだがな」

「確かに以前よりは気を付けているけど、放っておいたら無茶も無理もどれだけでもするでしょう」

 

夏の九校戦のことがあるのか、雅の意見に残念ながら達也は反論を持ち合わせていなかった。

 

 

達也はカップの中を一度空にした。

雅が二杯目を入れる様子を見ながら、話題を変えるために今まで抱いていた仮説を口にする。

 

「確かに、無茶をしてきたのは分かっている。できることが普通の魔法師に比べれば少ないからな」

 

新しくいれられた紅茶に手を付ける。二杯目だが、紅茶の温度は下がることなく、少し濃い飲み口も思考を整理するには良い刺激となっていた。よいティーポットを使っていても温度は下がるものだが、その点も雅が魔法を使って温度を一定に保っていたことは見えていた。

 

「そもそも事象を改変する演算能力は俺にはない。激情の一部を白紙化して後天的に植え付けられた部分も、一般魔法師の最低限のレベルだった」

「だった?」

 

過去形の形容に雅が聞き返す。達也は『分解』と『再成』の魔法に演算能力をすべて取られており、ごく普通の魔法師が使える事象を改変するという魔法が使えない。激情を一つだけ残して白紙化することでそのキャパシティを確保したが、ごく小さな力しか使うことができないはずだ。

 

「若干、事象改変に対する魔法力が向上している。実感したのは今年の春ごろだ。何があったか考えれば、一番可能性が高いのは雅だ」

「私?」

 

雅と共に過ごす時間が増えた高校の1年目。

それ以前からあった感覚と否応なしに向き合わされ、否定し、周りから諭され、理解した感情は、長い冬を超えてようやく芽吹きの春を迎えた。それでも目に見えない感情という存在は、達也の頭をひどく悩ませたものであり、未だにそうである。あの魔法がかけられてから碌に考えてこなかった10年間分のツケだと思えば、そうなのかもしれないが、慣れないことには変わりなかった。

 

「雅に対する感情をないとは言えないということは、四葉深夜がかけた魔法が解けかけている可能性がある」

「えっ…」

 

雅が呆然と息を呑む。

 

いくら魔法が永続的な効果を発するものが少ないとはいえ、四葉深夜が達也に施した魔法はとても強力だ。精神に働きかける魔法はとても希少で、その使い手もまた限られている。

四葉の魔法師は研究所の成り立ちから精神に働きかける魔法を得意とする者も比較的多いが、一人一人使える魔法が異なるため、深夜と同じ能力が使える魔法師がこの先出現するかどうかもわからない。誰が望もうと望まざるとも達也に課せられた楔は、一生このままである可能性の方が高かった。

 

「一般的な人間と同程度の感情の起伏が戻るなら、激情を白紙化して後付けした仮想魔法演算領域の規模はさらに低下すると考えるのが理論的には納得できる」

「だけど実際には事象改変能力が向上している」

 

戸惑いがちな雅の言葉に達也は首を縦に振る。

 

「その通りだ。しかし、まだそのあたりの仕組みが解明できていない。魔法が行使された6歳当時と比較するなら、脳神経学的な発達は当然しているが、それでも今になって急に魔法力が向上したことに、正直戸惑っている部分もある。そもそも魔法が解けかけているというのもあくまで可能性だ。精神の領域はまだ不可解な領域であることは確かで、解析となると俺でも手間を取る」

 

事象改変に対する魔法力が向上したとはいえ、あくまで達也の基準で考えればという話である。今まで同学年の中で下から数えた方が早い順位から、下の上、良くて中の下へと言ったところだ。国際的な基準を元に格付けしても、未だにどれだけ頑張ってもCランク相当の魔法力しかない。

 

「そっか」

 

雅はホッとしたような、それでいて少し泣きそうな様にも見えた。おそらく達也以上に、雅はこの魔法に苦しんできただろう。

 

達也は自分の感情を口にすることは苦手だ。単なる物の好き嫌いならいいが、嬉しさや驚いたという言葉は相手に印象付けるための演技である感覚がどうしても抜けはしない。

いつか雅の望む言葉を、一点の曇りもなく口にすることができればと望まないわけではない。あの日の告白も雅だからわかるようなものだったが、未だに直接的な言葉にできない自分を悠ならば不誠実な臆病者だと皮肉に笑うだろう。

 

雅が長年叶わないと笑顔の裏で涙を流し、報われない想いを抱え続けていたからこそ、達也は今も簡単にその言葉を口にはできない。

一緒にいる時間が長くなったからか、些細な表情や仕草は雄弁に達也を想っていることを示していることに気が付くようにもなった。

言葉にできない感情の代わりに抱きしめ、口をつけ、贈物をする。

雅が喜ぶ顔が見たいということに間違いはないのだが、言葉にできないから行動で誤魔化していると言われれば、確かに自分は臆病なのだろう。

 

雅は達也の肩に頭を寄せる。確認するまでもなく、嬉しそうで幸せそうに頬を緩める雅は、言葉以上に雄弁に達也を想っていると語っているようだった。それを見て、達也は自然と頬は緩むし、どうしようもなく安堵している。

こんな関係を築けるとは、昔の自分は夢にも思わなかった。もしかしたらと想像しなかったわけではないが、望みとしても奥底に隠し、無理だろうと否定してきた。

深雪のために存在し、深雪を害する全てを排除する。例えそれが雅であろうと変わらないと言い聞かせてきた。それが今となっては自分より少し高い雅の温度が心地よく、手放し難い。

 

 

達也は寄りかかる雅に少し力を入れて寄りかかる。

徐々に力を入れれば雅の体は傾いていき、アイボリーのソファーの海に黒い絹の髪が広がる。

覆いかぶさるように達也が雅の顔の横に手を付くと、何か言おうとしていた雅の声をふさぐように達也は雅と唇を重ねる。

唇で啄むように戯れるように可愛らしいものから、徐々に長く、深いものへと変わっていく。

はしたなく舌を絡めたり、唾液を零すようなことは無く、ただ触れては離れ、時折音を立ててまた重なる。

 

雅は所在のない手を達也のシャツを握りしめることで誤魔化す。嫌ではないけれども、それでも逃げ出したくなるような恥ずかしさで顔に熱が集まる。

強引な達也の様子に、何かあったのだろうかと考えるも、霞のかかったように頭はうまく働かない。背中に手を回すことはまるで自分が続きを強請っているようで、縋りつくこともできない。

そうしている内に節だった男性らしい指が雅の首筋をゆっくりと這い、鎖骨を撫で上げ、胸元に降りようとしたその時、雅は気が付いたように達也を押しのけた。

 

「達也っ」

 

雅の制止に達也は素直に体を引いた。

 

「すまない。あまりに無防備だったからな」

 

達也は雅の手を取って起き上がらせると、困ったように笑う。

その表情に雅は困惑する。達也が訳もなくこのようなことをするとは思っていないが、その回答は予想外ではあった。

 

「激情が戻るという事は、こういうこともあるとは想像していなかったか」

 

達也も健全な、とは言い難いかもしれないが年齢だけで言えば17歳の男子高校生である。激情が白紙化されているとはいえ、食欲や睡眠欲など体を保つために必要な最低限の感情、欲望は残されている。当然、枯れているのかと周りに冷たい目で見られようとも、性欲もないわけではない。

 

しかも婚約者である雅は世間一般で言っても美しい容姿をしている。上品な服装は本人の清廉さを引き立てるものであり、無意識レベルで磨かれた所作は細部まで美しい。

それでいて達也の前では年相応に顔を綻ばせ、時に口づけ一つで白い肌が色めく。

この部屋には二人だけで、司波家であれば気にする深雪も水波もここにはいない。状況も整っていれば、その先を知りたいと悪魔が囁くことは無理からぬことだった。

忠告も込めて達也はそう言ったつもりだった。

 

 

「達也」

 

雅は達也の目を見据え、手を握り返した。

 

「大丈夫よ」

 

達也の忠告の意味を雅は理解している。しかし態々試さなくても、この程度で雅が達也を嫌いになることも、避けるようになることもあり得ない。それだけ雅は達也を信頼しているし、想っている。

 

雅のこの体は雅一人のものであるようで雅一人が自由にできるものではなく、九重雅は九重直系の娘であり、高雅は九重神楽の演者であり、【鳴神】は彼の方の臣下であり矛である。

心だけはいくらでも達也に与えることが出来ようとも、今は雅の全てを渡すことはできない。

達也もそれを知っているから、雅の思いを無視してその先に手を伸ばすことは無い。

雅はそう信じている。

 

 

達也は雅の言葉をかみ砕き、行間を思案した後、何か言いたげに開きかけた口を閉じた。

その目はバツが悪そうに雅から視線を逸らしている。雅は静かに達也の胸に頭を寄せる。

 

(まま)ならないな」

 

達也は少し乱れた雅の髪を梳きながら、ため息交じりに答えた。随分と子ども染みた行動だと達也も今更ながらに反省した。

我儘を言って親を困らせる子どものように、達也は無意識に雅の愛を試していた。達也が忠告という体を取りながらも、それを踏まえて雅は大丈夫だと答えた。揺らぐことのない瞳と声色に、達也は毒気を抜かれてしまっていた。

 

「それが思いというものでしょう」

 

雅にしてみれば、可愛い甘えだ。それを言葉にすれば達也が拗ねるまではいかなくても、不服そうにすることは目に見えているから口に出しはしないが、どうしても口元は緩んでしまう。

達也にもそれは伝わっているようで、髪を遊ぶ手がどことなくぎこちない。

 

 

雅も達也も世間一般から言えば特殊と言われる家庭で育っている。

雅が歴史ある九重で与えられたのは、厳しくも全てはどんな苦境に立たされても前を向いて歩けるだけの教養と知識、そして優しい家族からの愛だった。

対して四葉から達也に与えられたのは兵器としての在り方であり、逆らわない従順な兵士としての役割であり、妹を人質にしたガーディアンとしての教育という名前の訓練だけだった。愛情や慈悲を向けられることが皆無だったわけではないが、四葉家当主と分家の各家からの意向に表立って逆らう者がいないのも確かだった。

 

達也に施された訓練と呼ぶには過酷すぎる地獄の日々の中で、激情さえ唯一妹を守るためのものだけを残された達也が、比較的まともに対人関係が築けているのも3歳までは庇護下に置いてくれた雅の両親の存在があったからだと理解している。

それでいて何度雅から想いを伝えられても、根底で時折黒い影が雅の恋心を利用しているだけではないかと達也に囁く。雅を好意的に思うのは現段階では害がなく深雪が親愛を寄せている存在であり、九重の名前の価値を蔑ろにはできないからだと理由をつけていた時期もあった。

 

その考えを否定したいと思っても、そう思考している時点で可能性も捨てきれないことも確かだった。そうやって達也がいくら雅に対して宿る感情に対して理屈を捏ね回して立てようが、今となっては雅を想っていることは疑いようのないことだった。

 

「むしろもう少し我儘を達也は言うべきじゃないかしら」

「四葉の支配から離れること以上の我儘か?」

「それは深雪のための理由でもあるでしょう。第一、それは目標であって我儘じゃないわよ」

 

我儘と言われても、達也には欲望の類は薄いことは変わりない。いくら自分の感情の機微に多少は気が付けるようになったとはいえ、長年の思考パターンや行動は早々変わるものではない。我儘と言われて、雅にこれだけのことを許されている以上の我儘は達也には思い浮かばなかった。

 

「そうだとしても恵まれているよ、俺は」

 

この力を達也は望んで得たわけではない。

時に悪魔と形容され、時に神と畏怖されるこの能力によって達也は存在を忌避されてきた。

生まれたことすら祝福されなかった。

使い勝手のいい駒として育てられた。

そこにあるのは肉親の情ではなかった。

 

しかし思い返してみればトーラスシルバーとしての今までの実績は、深雪を四葉から解放するための一つの手段だったが、深雪がその功績を喜ぶだけではなく、確かにあの研究室は自分の居場所の一つとなっている。

深雪の護衛と魔法科大学とその系列高校のみに許される資料の閲覧を目的に入学した魔法科高校も、いつの間にか気の置けない友人や自分を慕う後輩、認めてくれた先輩がいる。

普段は物臭でも学ぶべき点の多い師もできた。

 

達也はかつて雅の曾祖母にして、先々代の九重当主である彼女の言葉を思い出した。

 

『力を持つ子。貴方は多くの事に縛られるでしょう。それでも、幸福はあります。これから先の人生、多くの事を学び、多くの事に躓き、多くの事を成し、多くの人と出会うでしょう。良い縁、悪縁。全て貴方の糧となります。あの子と幸せになりなさい』

 

今となってはその意味も分かる気がした。

 





甘いのでしょうか。切ないのかな。いかがでしたでしょうか。
感想たくさんいただいて、感激です。励みになります(*・∀・*)



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古都内乱編6

3月忙しかったのは確かなんですが、それ以上に「小説家になろう」の600話越えの連載にはまってしまって、読み切るのに時間がかかってしまいました(; ・`д・´)

4月から環境が変わって、4月が一番忙しいと言われる所になりました………( ;∀;)
映画まで生き残ります。




達也たちが奈良から戻った翌日。

私は達也の部屋で奈良の九島邸で行われた九島烈との会談の結果を聞いていた。

昨日は京都から帰ってきたばかりで疲れているだろうからと、私は自宅マンションに帰っていた。内容的に学校で話をするわけにもいかないので、詳細を聞くのはこれが初めてだ。

 

「周の捜索まで入れた強行スケジュールだったんでしょう。九島は協力してくれたとみていいのかしら」

「確かに協力は取り付けられたから一応の成果は得られたな」

 

達也は九島の協力が得られたと言う割に、あまり表情はよろしくない。僅かに眉間に皺をよせ、深く考え込んでいる。九島は達也に借りがあるはずだが、なにか協力を求める代わりに条件でも付けられたのだろうか。

 

「何かあったの?」

「雅は九島光宣を知っているよな」

「ええ」

 

光宣君と達也と深雪は、今年の春に九重神宮の神楽の観覧の折に顔を合わせていたはずだ。九島の家での話し合いに彼も同席していたのだろうか。

 

「九島烈との会談には参加しなかったが、俺たちが来た目的は聞いていたようだ。土地勘があるからと奈良での捜索に同行したんだが、その際、奈良を拠点としている伝統派と遭遇した」

 

遭遇と言っても、おそらく戦闘になったはずだ。達也や深雪が敵の手先である野良の古式魔法師と戦闘になることは周公瑾の捜索をしている以上、想定される状況ではあるが、予想以上に関西圏域の伝統派が敵側に染められている状況に頭が痛い。

周自体が身を隠しているため、伝統派も表立った行動は少ないだろうが、それでも派閥は違っても今後の状況によっては古式魔法師と世間では認識されている九重に飛び火する可能性がないわけではない。悪い予想が顔に浮かんでしまっていたのか、達也は安心させるように私の手を握った。

 

「それほど手強い相手でもなかったから、傷一つない。敵の身柄も国防軍から横槍を入れてきた情報部へと移されたが、情報入手の伝手がないわけでもない。

それより気になったのは、戦闘で見た九島光宣の実力だ。十師族ともなれば、ある程度才能があることは予想できたが、思った以上に魔法力が高いと思ってな」

「病弱と言っても、コンスタントに実力を発揮できないだけで、九島の秘蔵っ子と呼ばれるくらい実力は九島家の中では抜きんでていると思うわ」

 

私は彼の技量を直接確認する機会はあまりなかったが、燈ちゃんの伝手で聞いた話では二高でも実力者の一人に数えられているそうだ。勿論、理論の成績も上位から数えて早い位置にいる。病弱で学校を休みがちなことを差し引いたとしても、十師族の名前に相応しい実力だと評価はされている。

だが、達也は未だ厳しい表情を変えていない。

 

「起動式の整理がつかないからと複数のCADを使用していたことは珍しいとはいえるが、それ以上に驚いたのは9月に発売した完全思考型CADを完全に使いこなしていた。戦略級魔法を除けば、単純な実力はおそらくリーナに匹敵する」

「リーナに?」

 

そこまでの実力があるとは私も驚いた。リーナの実力は私も達也も今年早々に目の当たりにしており、その達也にリーナに匹敵すると言わしめる光宣君の実力は、まだ一端に過ぎないと言うから底が見えない。家からは特に何も言われていないが、光宣君も一応警戒しておいた方がいいのだろうか。

 

「雅とは以前からの知り合いなんだろう。実力を見る機会はあまりなかったか?」

「光宣君は体調を崩しやすいし、中学も別だったから、年に数回、数えるだけよ。気になるところでもあったの?」

 

彼との接点はそれほど多くない。個人的な連絡先も知っていて、時々ある連絡で思わせぶりな恋心を匂わせる言葉を使ってくることはあっても、あくまで季節折々の挨拶やお祝いごとなどで、ほとんど日常会話のようなものだ。彼も私が忙しいのは知っているだろうし、彼は彼で体調が良くない日が多いため、それほど密に連絡を取り合う間柄でもない。

私の思いとは裏腹に、達也は複雑そうに眉を寄せながら、笑った。

 

「恋敵と認定されたからな」

 

心臓が嫌な音を立てる。光宣君との関係に後ろめたい事は何もなくても、まるで達也に叱責されているようでじわりと胸が締め付けられる。

 

「雅に想いを寄せている男がいない可能性の方が低いことは分かっていたさ。あれだけ純な想いならば、猶更雅も無下にはしにくいだろう」

 

達也は淡々と状況を述べているだけ、声色に怒気も軽蔑も含んでいない。

私は面と向かって光宣君に告白されたことは無いが、達也に恋敵と断言したなら彼の気持ちは思わせぶりなのではなく、間違いようもなく恋と呼ばれるものなのだろう。

九島とも縁戚関係にある以上、私が余計な荒波を立てないよう今まで光宣君の言葉を素知らぬ顔をしてのらりくらりと誤魔化してきたが、一度態度をはっきりさせるべきだろうか。それでも明確に言葉にされていない以上、こちらから話を切り出すことも憚られる。

 

「そんな顔をしなくても、雅が絆されることは無いと分かってはいる」

 

達也は握っていた私の手に手を重ねる。

そんな顔と言われても、私は今どんな顔をしているのだろうか。困っているのか、みっともなく悲壮的に縋りつくような顔をしているのかわからないが、私は半ば無意識に重ねられた彼の手を指を絡めて握り返す。

 

光宣君と連絡を取り合っていたことは達也には話してはいなかったが、私からの言葉の中で達也に後ろめたいことや隠し立てするようなものは一つもない。いくら彼が私に想いを寄せようと、私の心はずっと前に決まっているし、これからも変わらないことを願っている。

 

達也は困ったように眉を下げながら、私の頬を撫でる。

 

「まあ、確かに面白くはないな。だが、九島家の協力を得た以上、顔を合わせる機会は今後もあるかもしれない。一応、俺が一緒ならあちらも表立った行動を雅にしてくることは無いだろうから、雅はそこまで態度をいきなり変える必要はないだろう」

 

やや早口に達也は言い切る。

 

正直、付き合いの長い私でも達也の感情は読みにくい。喜怒哀楽を笑顔の仮面の下に押し込めて仕草の一つさえ変えて心情を気取らせない兄たちと比べて、達也は感情の起伏そのものが少ない。読ませないと言えばどちらもそうなのだが、達也自身が意識して隠していなければ、長年の経験でわかるようになってきた。

それでも、今の達也から推測する感情の名前が正解かどうか、私も自信がない。

 

「ねえ、達也。世間一般ではそれを何というか知っている?」

 

覗き込むように達也の顔を見上げると、達也は分かっていたのかバツの悪そうに、眉を寄せた。どうやら、間違いではなかったようだ。

達也は言葉にすることは癪なようで、お手上げだと肩を竦めて小さく息を吐き出した。

こんな小さな変化でさえ、こんなことでさえ達也が私に心を動かしてくれることが嬉しくてたまらない。

私が笑みを深めるほど、達也は複雑そうな困った顔をしているが、達也としても名前が付けられるようになった感情の変化に戸惑いの部分がまだ大きいのだろう。

素直に認めてしまえばいいのに、そこは男子のプライドというやつなのだろう。

 

「達也、あのね――」

 

私が囁いた想いを乗せた二文字の言葉は、秘密ごとのようで、どこかくすぐったい。

昔はただ報われない想いを受け止めてもらうだけで切ない言葉だったのに、同じ言葉でも今はこんなにも意味が違ってくる。

 

「知ってる」

 

達也に呆れたようにそう返される。素っ気ないそんな返事でさえ、私はどうしようもなく胸が高鳴ってしまう。

重なった手が温かいのは私だけではないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

裏で達也が動いていようとも、着実に日付は過ぎており論文コンペまで残り20日となった魔法科高校では、準備が進められていた。生徒たちは警備担当やコンペの発表の補助など割り当てがあり、ボランティアも含め、学校はコンペ一色となっていた。

そんな慌ただしさも収まった閉門後の時間帯。

この時間となると、残っている生徒もごくわずかだ。

深雪は既に達也が水波と一緒に帰らせたし、校内にいるのはほぼ男子生徒ばかりだ。

一応閉門しているから生徒は帰る規則になっているが、論文コンペ前の忙しさもあり、コンペの中心メンバーの五十里やその警護役も残っている。当人たち以外にも準備の中心となる生徒会役員である達也や、部活連会頭である雅が閉門後の時間帯に残っていても不審に思う生徒はいなかった。

 

 

雅と達也は一緒に生徒会室で幹比古を待っていた。

傍から見れば生徒会と部活連、風紀委員の会合にも見えるが、時間は既に閉門時間を超えている。特にいくら部活連会頭という役職があっても女子である雅が残るにはあまり褒められた時間ではない。念のため、遅くなる旨を学校に届け出していてもこの部屋に雅がいることを知っているのはごくわずかだ。

 

来客が訪れるまでの短い時間を縫って、二人ともレポートを片づけていた。

達也は昨年度の実績から五十里に手伝いを頼まれたり、服部が率いる警備隊の訓練に付きあったり、もちろん生徒会として様々な関係役員等との調整や準備も並行して行っている。

雅も部活連会頭とあって警備隊の訓練の段取りを中心に、女子の簡単な護身術訓練なども担当しているため、どうしても日ごろのレポート課題が後回しになってしまう。そして本人の忙しさを縫うように、達也は軍と会社、雅は神楽を始めとした稽古事に追われている。

二人きりというシチュエーションであるにもかかわらず、生徒会室の中の空気は甘ったるさとは縁遠いものだった。

 

「幹比古の方は、横浜事変で手引きしていた外国人に関わる件だと伝えているからそういう体で話を進めてほしい」

「分かったわ」

 

二人は情報共有をしながらも、手元のレポートを作成する手は止まっていない。

雅は念を入れて遮音フィールドと結界も展開しながら作業を行っているが、特別疲れた様子はない。この程度の魔法ならば負担でもなく、半ば無意識にでも展開し続けられるだけ慣れた魔法でもある。

二人がレポートをせっせと片付けていると、生徒会室に来訪者を告げるチャイムが鳴った。

部屋に控えていたピクシーが幹比古の生体反応を確認すると、ドアが開錠する。

 

「達也、九重さん、ごめん。待たせたかな」

「いや、丁度いい息抜きだった」

 

達也は気にしていないと言うが、幹比古の視線は達也が展開したままになっているモニターに向いており、そこから並行していくつものレポートをしていたことが読み取れる。魔法科高校の課題は一般教科も決して難易度が低いわけではないが、それを息抜きというのかというツッコミは心の中だけにしておいた。今日はそれほど無駄話ができるほど時間があるわけではないと幹比古も分かっている。

 

「九重さん、急なお願いだったにも関わらず時間を取ってくれてありがとう」

「重要なことなんでしょう」

 

わざわざ放課後の人の少ない時間帯を選んでの話だ。しかも電話やチャットではできない急ぎの用事かつ秘匿性の高い内容であることは言葉にしなくても理解している。

 

「達也、九重さんは僕が聞いた情報は既に知っているという形で話を進めてもいいのかな」

「ああ。大方話してある」

 

達也は朝、既に一度幹比古から呼び出されていた。

昨日、達也が危惧していたように伝統派に雇われた野良の古式魔法師の手は美月にまで波及した。幸い、送り迎えには幹比古が付いており、美月には気取られることなく撃退したが、勘の悪くはない幹比古が単に産業スパイと思うにはきな臭い案件だった。

幹比古から問い質された達也は詳しいことは話せないと前置きしながらも、横浜事変で手を引いていた外国人が伝統派に匿われている可能性が高いと伝えた。幹比古は横浜事変の関係で軍の任務に関わる問題だと思ったようだが、達也はその言葉を否定しなかった。

今の幹比古にはそれが四葉から依頼された件だとは一言も言っていない。幹比古を達也の事情に巻き込むには時期尚早だった。

 

「念のために聞くけど、九重さんの身の回りは大丈夫かい?」

「流石に相手も私の名前が怖いみたいよ」

「古式魔法の大家に正面切って喧嘩売る馬鹿がいる方が驚きだよ」

 

幹比古の口調は冗談交じりのような気軽さを演出するようにしていたが、言葉の裏で小さく安堵する様子が達也や雅には見て取れた。達也も雅も些細な表情や声から心情を読み取る術は、親切心を衣に纏い近づいてくる悪意のある大人を見分けるために身についており、同級生で接点の多い幹比古が気にしている懸念は達也も雅も織り込み済みだった。

幹比古は一息ついて、達也と雅に向き直った。

 

「まず立場をはっきりさせておくよ。伝統派は良くも悪くも古式魔法の一大派閥。古式魔法師は大きく分けて伝統派を支持する派閥と敵対する派閥に分かれていると言っても過言じゃない」

「吉田家はどちらに属すんだ」

「ああ。吉田家は宗教的秩序から早くから離れてた家だ。神々を祀るのも神へと至る術法を見出すため」

 

これは伝統派に多くみられる傾向だ。

 

「だからこそ、吉田家は伝統派と敵対している。そもそも旧第九研究所に協力していた伝統派と吉田家では考え方が違う。力が増せばいいと考える伝統派と違って、僕らは昔から神へと至る術法を目指している。だから根本的に考えの違う彼らの手を取りようはない。聞くまでもないけど、九重も伝統派の味方というわけではないだろう」

 

「今のところ明確に敵対はしていないけれど、確かにお互い味方には数えられないわね。だけど、九重は表立って伝統派とやり合うつもりは今のところはないわ。あくまで私たちも神様に捧げる奉納の一環で魔法を用いているだけで、古式魔法師の派閥争いに持ち込むつもりはないわ」

 

二人ともそれぞれの家の矜持がある。九重も吉田も立場は違っても、大きく分ければ伝統派とは対立する派閥の一つと言える。

 

「幸いにして、今年の論文コンペは京都だ。警備の観点から現場周辺の下見に警備チームを向かわせることを予定していたんだけど、そこに僕も加わろうと思う」

「伝統派の巣穴を突くつもりか」

「だから達也も警備チームに回ってくれたんだろう。達也は市内を自由に動いてもらって構わないよ。去年の一件もあるから、会場周辺を広く見て回るという名目にしておくから」

 

一戦交えるつもりかと探るような達也の問いに、幹比古はそのつもりだったのだろうという表情で答える。達也は論文コンペ当日の役割として警備チームに組み込まれている。幹比古の提案は達也にとって有難い申し出だった。

 

「幹比古はどうするつもりなんだ」

「僕は囮だ。会場の新国際会議場から目一杯探索用の式を放って、伝統派の神経を逆撫でしてやるつもりだ」

「あら、面白そうね」

 

雅が軽い口調でにやりと口角を上げる。

幹比古も同調して大きく頷く。

 

「伝統派が手を出して来たら正当防衛。これは吉田家の喧嘩になる。家としても協力は惜しまないつもりだよ」

「戦力差はどうなの?」

 

伝統派は古式魔法の一大派閥。言い換えればそれだけ力も人数も揃っていると言える。吉田家も名門とはいえ、有能な魔法師がいたとしても単純な物量の差で状況は覆されることがある。

 

「一人ひとりの戦力なら負けはしない。大事なのはあくまで向こうから手を出してきたという事実だ。古式魔法師は面目を重視するから、古式諸派の家々もこちらから手を出せば傍観に回るだろうけれど、伝統派が僕らに手を出せば事が大きくなる前に仲裁に入るだろう」

「確かに、軍や警察が押し寄せれば、市街地を戦場にすることになりかねないからね」

 

そうなれば周公瑾の捕縛はより難しくなる。混乱に乗じれば乗じるほど、この国が荒れて喜ぶのは彼に他ならない。

 

「でも京都で吉田家が大きな顔をして喧嘩をすると、この先足を踏み入れるのが大変よ」

「確かに、吉田家全体が絡むことになれば事情を説明しないわけにはいかないだろう」

 

古式諸派が仲裁に入れば、否応なしに伝統派は調べられることになる。達也にとっては望ましい展開ではあるが、京都という特殊な土地柄を考えると得策とは言い難い。

吉田家がいくら伝統派と敵対し、九重もその風潮であるとしても、吉田家の基盤はあくまで関東だ。九重を始め古式魔法の大家が揃う京都の市内で、外様の吉田家が我が物顔で荒立てれば遺恨になりかねない。

加えて、幹比古だけではなく吉田家が絡むとなれば幹比古にさえ説明ができていない達也の事情をその親族までするとなると、現実的にはほぼ不可能だ。

 

雅と達也が懸念を口にすれば、幹比古は想定済みだというように頷く。幹比古自身も達也が軍属であることを両親に告げ、家として協力を求めることは守秘義務もあること以上によい言い訳が思い浮かばなかった。

 

「じゃあ作戦その2だね。伝統派の中には大陸の古式魔法師も加わったんだろう。だったら、想子波のパターンがこの国の術式とは違うからね。達也に散々鍛えられたおかげで、想子波のパターンの識別は僕の十八番だ」

 

幹比古は誇大にではなく、自信をもってそう断言した。今の彼は神童と呼ばれた以前の実力を上回る実力を手にしている。一時期のスランプなどこの力を手にするための踏み台にしかならなかったとも思えるほど、今や幹比古は一高の中でも実力者に数えられている。

探索用の式を放って伝統派に術を使わせることで、敵の居場所を突き止めることは変わらない。ただ喧嘩をするのは吉田家ではなく、あくまで魔法科高校生として次に行われる論文コンペの現場周辺の下見に来て、伝統派に因縁をつけられたという体を取るのだ。これならば、多少伝統派と小競り合いがあったとしても、軍まで動くような事態にはならない。

 

「九重さんには、事前にわかる範囲でいいから伝統派の勢力範囲を教えてほしい」

「分かったわ」

「日程はどうするの?」

「正式な日程は生徒会や学校側にも話を通してからになるけど、学校側に根回しもして、早くて金曜日には生徒会と部活連に話を持ちかけられると思う」

「分かった。生徒会の方でも手を回すよう深雪に行っておくよ」

「土地勘がある方がいいでしょうから、私も参加の方向で話を進めておくわ」

「よろしく頼むよ」

 

幹比古はこれまでにない強力な布陣に、敵対する伝統派を哀れに思い、思わず苦笑いを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月12日 金曜日

 

論文コンペの準備は俄然忙しさを増してきていた。

メイン発表者である五十里は自ら陣頭に立って準備に追い込みをかけ、警備担当である服部も訓練に積極的に参加し現場の声を拾いながら連携を密にしている。

生徒会の方も京都への移動の手配や関係機関との調整連絡に追われていた。

そんな激務な各所属から時間をひねり出して場が設けられたのは、閉門時間直前であった。

 

「お邪魔します………」

 

幹比古は風紀委員会本部と生徒会室を繋ぐ直通階段に慣れない様子で、生徒会室へ入室した。

 

「時間通りだな、幹比古」

 

どうやら幹比古が最後だったようで、生徒会メンバーと部活連を代表して雅は既に席についていた。

 

「あれだけ忙しくしているのに、遅れてくるのは流石に気が引けるよ」

 

文字通り、生徒会役員の中でも飛びぬけて忙しいのは達也だ。論文コンペの発表内容の準備そのものにも関わり、警備の訓練に顔を出し、生徒会の通常業務も手掛けている。達也だからできるのであって、通常は一人が行う仕事量ではない。

 

「皆さんが吉田君のような心がけだったら助かるのですが、難しいものでしょうか」

 

深雪は半ば諦めが籠った様子でため息をついた。

 

「時間がないことは確かだから話を始めましょうか」

 

先に生徒会室で待っていた雅が本題を切り出すと、幹比古は慌てて空いた席に座った。事前に雅が話題を切り替えたからいいものの、どこで深雪の不満が吹雪くか冷や冷やしながら行う会議程胃に悪いものはないだろう。

幹比古はさっそく手に持っていた大判の電子ペーパーを会議用の机に広げた。京都市内の地図が机いっぱいに広がり、京都市内の様子が俯瞰で分かるようになっている。

 

「今日打ち合わせをお願いしたいのは、現地の警備に対する下見についてです」

 

幹比古は改まった様子で話を始めた。

 

「当日の警備については服部前部活連会頭が中心になって進めてくださっています。他校との打ち合わせも先輩自らやってくださっているので、その点はお任せしても大丈夫だと思います」

「二高の方も率先して警備には念を入れてくださっているようで、地元警察や魔法協会とのやり取りも今年度は大きな問題なく進行しているそうよ」

 

上級生が十師族の権力と実力をもって関係機関にある程度要望が無理にでも通った過去と異なり、服部は他校とも組んで関係機関との調整に先陣を切って動いている。

一高からは開催地が遠いため、警備担当が一高であることを不安視する声もあるが、流石十師族の下で交渉を見てきただけあって妥協点の見つけ方も話の落としどころもよくわかっている。同じ魔法科高校生からも、服部の押しつけがましくなく、細やかな対応は好意的にみられている。

 

「服部先輩をお呼びしなくても大丈夫なのですか」

「あくまで私たちが考えている下見は情報収集だから、服部先輩としてはきちんと報告をしてくれればいいと言われたわ」

 

泉美の質問に、同じく警備の担当として動くことの多い雅が答える。

 

「それで、会場はここです」

「ずいぶん外れの方ですね」

 

泉美の遠慮ない言葉に幹比古は乾いた笑みを浮かべた。論文コンペの行われる国際会議場は京都駅からは離れている。重要な史跡や寺社が集中している地区を外し、尚且つ昨年度のテロを考えてみても京都市内で魔法関連の大きなイベントをするには、まだ一般市民の理解が得られていないことが伺えた。

 

「確かに市内の外れに見えて、去年と違って周囲の交通量は多くないけれど、その分自然が多いから潜伏しようと思えば、場所もたくさんある。そして近くに潜伏できる場所がなければ少し離れたところに拠点を設ける可能性もある。去年の一件を例に出せば、論文コンペの会場自体が陽動だったし、中華街の方でも小競り合いがあったから、会場周辺の下見だけでは不安が残ると考えている」

「つまり吉田君は会場を含め、広く京都を見回るべきだと考えているんですね」

 

幹比古が地図を会場周辺から京都市内一帯に切り替えたところで、深雪が予定通りの合いの手を入れる。

 

「去年の二の舞はごめんだからね」

「賛成だな。俺たちは高校生だが、できる限りのことはやっておくべきだろう」

 

達也の援護射撃に深雪と幹比古は大きく頷く。

 

「それで、下見のメンバーはどうするんだ」

「僕は行こうと思っている」

「学校の方は大丈夫なのか」

「北山さんの方にお願いするつもりだよ。それと達也と九重さんにも一緒に来てほしい」

「構わないぞ。警備の担当が一人でも現地を見ておくことは必要だろう」

「私も日程によるけれど、可能よ」

 

予定調和の打ち合わせだが、この忙しい時期に警備や警護の担当として大きくかかわっている雅や幹比古、生徒会役員として手腕を振るっている達也が抜ける以上、他の生徒会役員に理解してもらうためには必要な会議だった。

 

「お兄様、お姉様。私もご一緒させていただいてもよろしいですか」

「深雪も?」

 

今初めて聞いたという風に雅が聞き返す。このような役回りは雅の方が向いていることは達也も重々理解している。

 

「ええ。応援の皆さんが泊まるホテルの方々と直接お目にかかって打ち合わせをしておきたいのです。万が一の事態のために、シェルターなども直接確認しておきたいですし、如何でしょうか」

「深雪、そんなことだったら私が……」

「ほのかは移動や予算のことで細かなことを個別に頼んでいることがあるでしょう。私は全体の統括で特定の仕事を受け持っていないから、私の方が動きやすいでしょう」

 

深雪の言い分はほのかも分かるが、達也と名目上は会場周辺の下見という名前の京都旅行に行きたくなかったかと言えば嘘になる。そしてそれはほのかだけではなく、期待した表情で深雪を見ているのは泉美も同じだった。

 

「泉美ちゃんには副会長として私の代理を頼みたいのだけど、お願いできるかしら」

「勿論です。お任せください」

 

泉美は二つ返事で了解をした。泉美の思惑を予想してか、彼女が同行を申し出るより早く、深雪は別の仕事を頼む。

確かに生徒会長の代理は副会長と相場が決まっている。一年生である泉美には荷が重いかもしれないが、深雪に期待されていると分かると、全力でやり遂げると息巻いている。

 

「日程はどうする?」

「ギリギリにはなるけれど、論文コンペ前の土日がいいと思う」

「妥当な線だな」

「回りたいところを教えてくれたら、私の方でルートを考えておくわ」

 

閉門時間が近づいているという事で、詳しいことは後日、実際に下見をするメンバーで詰めていくという事で、その日は解散となった。

 

 

 

 

 

 

達也たち4人を乗せた帰りのキャビネットの中、深雪は隣に座る雅と端末を見ながら、当日のルートについて相談していた。

深雪も下見だとはわかっているものの、どうしても観光気分となってしまうのは仕方ない。雅の実家のある京都市内だが、意外と深雪は訪れた回数はそれほど多くない。

 

生粋のお嬢様かつ四葉家の次期当主候補である深雪の行動範囲は、未成年であるためそれなりに制限されてきた。今は高校生になって家に報告しなくても外出は自由になったが、一人ではいまだに出かけることを許されていない。彼女の眩いばかりの美貌に引き寄せられた悪い虫はどこにでもおり、上流階級出身の教師のいるプライベートな習い事ならともかく、常に彼女の隣には水波か達也がいる。

文字通りの箱入り娘の深雪の事情を達也は知っているからこそ、深雪が多少浮足立っていても咎めることはしなかった。

 

「ちなみに、あの場では聞かなかったけれど、宿泊先はどうするの?」

「論文コンペで使えるホテルが押さえられるといいと考えている。水波、頼んでもいいか。当日も深雪と雅のサポートを頼みたい」

「畏まりました」

 

水波は一瞬驚いた表情をわずかに浮かべるが、静かに了承を示した。水波の主は深雪であるが、深雪が達也の提案に何も言わない以上、ガーディアンである水波には基本的に拒否権はない。

 

「この時期は観光客も多いから、もし部屋がいっぱいなら、ウチに泊まる?」

 

雅の提案に達也も水波も目を丸くする。

 

「それは、最終手段だな。水波、部屋は高くても構わないからできるだけ同じホテルで頼む」

「はい」

 

水波にしてみれば、雅とは少なくとも悪いとは言えない関係だとは思っているが、流石に自宅に、それも古式魔法の大家である九重の邸宅に泊まるという提案は心臓に悪いものだった。深雪と達也ならばまだしも、九重本家の面々と面識のない自分がいくら使用人らしく空気に徹しようとあくまで九重にとっては客人として扱われるため、落ち着かないことは目に見えて分かっている。水波は深雪の許可を得て、論文コンペでも使用するホテルの予約状況を確認するために端末を起動させる。

 

「面倒ごとを抱えたまま、九重に世話になるほどの厚かましさはないよ」

「あら。残念」

 

雅も断られることは分かっていたのか、少々残念そうに肩を落としてみせた。

 

「水波ちゃん、私は宿泊の数に入れなくていいわ。ホテルと自宅はそこまで離れているわけではないから、当日落ち合うことも十分可能よ」

 

京都の外れとはいえ、京都は人気の観光地だ。交通網も整えられているため、多少郊外のホテルでも割安だからと国内だけではなく外国からの旅行者も少なくない。特にこの時期は紅葉を目当てにした観光客も多く、土日となればホテルは既に満室の可能性もある。

雅が自宅に泊まるとなれば、達也と幹比古、深雪と水波を同室にすれば可能性は上がり、更に最悪周辺のホテルのスイートも想定して水波は予約画面に向き合った。

 

達也は達也で現地の情報を集めるために、端末を開く。

本格的な情報収集となるとデスクトップの端末の方が向いているが、地方ニュースや政治ニュースの中に手掛かりになるようなことが隠れていることもある。

表の動きも把握していなければ、それに付随する裏の情報も拾うことはできないとは彼の師の言葉だった。

いつも通りの速読で配信記事を読んでいた達也が僅かに眉を顰めた。

 

「お兄様、どうかされましたか」

 

達也の表情の変化に気が付いた深雪が声を掛ける。

 

「ああ。この記事をみてくれ」

 

達也から端末を受け取った深雪は雅にも見やすいように近寄りながら、記事を確認した。

達也が見ていたのは京都市内の有名観光地で他殺死体が発見されたという京都のローカルニュースだった。

殺された人物の名前は名倉三郎。

同姓同名でなければ七草真由美のボディガードをしていた初老の男性だ。

 

「雅、聞いていたか」

「いえ、まだよ」

 

雅にも知らされていなかった事案ではあるが、達也にはこれが周とは無関係とは思えなかった。

名倉はおそらく数字落ち(エクストラナンバーズ)、十師族を作り出した魔法技能師開発研究所の出身であり、一度数字のついた名を与えられながら剥奪された家のことだ。

達也も接したことは少ないが、立ち振る舞いから相当な手練れだと窺い知っており、それが無残な姿、つまり魔法戦闘で敗れたならば、それができる人物も限られている。

黒羽貢に手傷を負わせ、未だに黒羽家の追跡を掻い潜っているあの男の存在を達也は意識せざるを得なかった。

 




基本、チートというか、強い故に不遜なキャラが好きです。強いから許された傲慢さと孤独みたいなものに惹かれます。
具体的に挙げると、マギの紅炎さんとか、Dグレの神田とか、黒バスの青峰とか、07-GHOSTのアヤナミ様とか、ギアスのシュナイゼル様とか、テニプリだと跡部様と幸村君でした。
大抵、主人公のライバル的やラスボス的なポジションにいることが多いですね。そう思うと私がお兄様を好きになることは必然でしたね。

ちなみに、もうすぐ10年来の友人になる友人1の好みは天才にはなれない秀才で友人2の好みはマッチョとのことでした。聞いているとハマるキャラクターにはその人の憧れも詰まっている気がします。


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古都内乱編7

お久しぶりです。最近日間ランキングに劣等生のジャンルがあると嬉しくなる鯛の御頭です。自分の作品ではなくても、劣等生が読まれているとなると嬉しいですね(*゚∀゚)

忙しさが落ち着いたので投稿できました。忙しさとは裏腹にビックリするぐらいホワイトな雰囲気でビビってます。前は心臓をすり潰して、味噌っかすの気力を毎日絞り出して、気が付いたら奥歯を噛みしめているようなところだったのに………

というわけで、結構元気になりました!
心配してくださった皆さん、ありがとう。感想も、ぼちぼち返していきます(`・ω・´)ゞ




10月16日

論文コンペを二週間後に控えた第一高校はコンペの準備の賑やかな様子とは別に、とある一人の来客の話題で盛り上がっていた。

 

「久しぶりね。達也君、雅ちゃん」

「お久しぶりです」

「ご無沙汰しております、七草先輩」

 

来客として応接室に案内されたのは、第一高校元生徒会長にして、七草家長女の七草真由美だった。

 

「ごめんなさいね。一高(ここ)に来る方が無難だと思ったから……」

「いえ。外では話しにくい事なのでしょう」

 

ちらりとドアの方をみて申し訳なさそうに眉を下げながら言う真由美に、淡々と達也は話を進めた。

真由美の名前をこの学校で知らない者はごく少数だ。七草家の影響力は単に魔法師という枠組みだけには及ばず、政財界の領域にもつながりが深い。優秀であることが当然のように求められる七草家の直系筋において、真由美は名前にふさわしい実力と才能を兼ね備えた才女であり、深雪まではいかなくても魔貌と揶揄されるその美貌は上級生下級生どころか、学校を問わず人気を集める一つの要因になっていた。

 

当然、彼女の突然の来訪に生徒たちの関心も集まっており、この応接室に達也と雅が来るまでも興味が隠しきれない生徒たちの視線を浴びていた。

幸いにして雅も伴っていたため、下世話な邪推をされなかったのは、達也の精神衛生上助かることだった。

 

わざわざ学校ではなくても一個人の住所程度、七草家ならば調べることは容易ではあるだろうが確かに真由美の言う通り、司波家にも雅の自宅として登録しているマンションにも、見られては困るものがいくつか置いてある。普通の来客には見えはしないだろうが、彼女の()ならばふとした拍子に何か見えてしまう可能性も否定できない。

そう言う意味もあって一高で面会を行うことは利にかなっているとはいえるが、これから行われる話の内容としては面倒事の可能性も否定はできないこともまた確かだった。

 

「その、調子はどうかしら」

「今年は警備だけですから、去年ほどの忙しさはありませんよ」

 

控えめに尋ねる真由美に、達也は簡単に現状を説明する。

去年は急きょコンペのメンバーに抜擢され、発表に関するデータ集めや機材の準備、根拠となる論文集めなど主役の補佐をしながら、継母に命じられた聖遺物の解析、さらに大亜連合のスパイ対策など、達也の仕事は多岐にわたっていた。それと比べれば、裏で動いている一件はともかく今年は直接コンペの論文に関わらない分、まだ余裕がある方だった。

 

「あら、そうなの?達也君が発表メンバーに入ってないなんて意外だわ」

「ええ。ですから、相談の内容次第では協力できるかもしれませんよ」

 

目的があって達也と雅に面会を求めたのであろうが、真由美の瞳はまだ躊躇いに揺れていた。

 

「そうね。いつまでも私の都合で二人の時間を取るわけにはいかないからね」

 

真由美の言う通り三人とも、それほど自由にできる時間は多くはない。

達也と雅は論文コンペに向けた準備がまだ残っており、真由美も魔法科大学の講義が詰まっている。

一部の名前だけの大学ならともかく、魔法科大学は全国の魔法科高校からさらに優秀な者が選ばれ、最新の研究に取り組んでいる。拘束時間で言えば、時には泊りがけで訓練もある防衛大の魔法科の方が長いかもしれないが、決して大学生だからと言って暇を持て余しているなどとは冗談でも言えない。

一呼吸置いた後、真由美はまっすぐに達也と雅を見た。

 

「二人は名倉さんを覚えてくれているかしら」

「ええ。この度はご愁傷さまでした」

 

達也と雅は二人そろって小さく頭を下げる

 

「死因についてどの程度知っているのかしら」

「他殺と報道されていたことは知っています。おそらく状況から魔法師同士の戦闘だったと」

 

真由美は二人が名倉の死を知っていることはある程度想定していたようで、それほど驚きはしていなかった。

 

「雅ちゃんは何か聞いていない?」

 

真由美は冷静に雅にも意見を求めたつもりだったが、達也に比べるとやや声色は硬いものだった。

真由美個人が動かすことができる人材は多くはない。

全容は真由美も掴み切れてはいないが七草家としてみれば、情報収集や潜入、工作など息のかかった人間は魔法師、非魔法師合わせて少なくはない数いるだろう。

だが真由美には彼女の一存で自由にできるだけの者もいなければ、彼らが雇われているのはあくまで七草家と七草家当主であり、ボディガードの名倉ですら仕事の一環というスタンスは崩れることはなかった。結局権力があるのは、七草という名前と父という決定権を持つ存在であり、個人的な能力を除けば、真由美はただの大学生とそう変わりない。加えて、全く行動範囲外の京都となると縁も伝手もない真由美にはお手上げだった。

その分、京都でも指折りの名家である九重ならばローカルニュースで取り上げられる以上の情報が入っているのではないか、と真由美が推察することは正しい判断だといえよう。

 

「地元ではそこまで大きな不安が市民に広がっているという話は、今のところ聞いてはいません。魔法師絡みのニュースなので論文コンペの開催を不安視する声は一部メディアから上がってはいるようですが、開催について大きな影響はないと思います。ただ残念ですが、事件の詳細について七草先輩に教えられることは何も」

 

申し訳なさそうに雅は首を横に振る。聞き取り方によっては、雅が名倉の事件について犯人や手掛かりなどを何も聞いていないと聞こえるが、教えられることがないという事に主眼を置けば、知っていても教える義理はないともとれる。

七草と九重の関係は今、密接とは言い難く、敵対とまではいかないが距離を取っていると表現するのが正しいだろう。七草家当主が半ば非合法な手を使って、雅を七草家に招待した一件を九重は許してはいない。

加えて次期当主として指名されている悠の結婚相手が見つかったとあって、多方面から探りを入れてきているということもあり、雅としては真由美はともかく七草家を信用してはいない。

そのため、雅はまだ真由美の出方を伺っていた。

 

「そう。報道通りよ。名倉さんは誰かに殺された。私にはその犯人が誰かわからない」

「私には?」

 

雅が聞き返すと、真由美は躊躇なく言葉を言い切った。

雅からの答えに真由美が特別気落ちすることが無かったのは、情報を知っていても教えられないのか、はたまた知らないのか、そのことは今の真由美にとっては大きな問題ではなかったからだ。

 

「父は、誰が名倉さんを殺したか知っている。確実ではなくても少なくとも心当たりがあるわ。名倉さんは父に命じられて秘密の仕事で京都に出向いていたの」

「秘密の仕事ですか」

 

達也は一瞬雅の横顔を盗み見るが、眉一つ動かさず平静を保っている。

雅は少なくとも地元で十師族が暗躍していたと聞いて動揺はおろか、苛立ちや不快感ですら微塵も気取らせはしない。達也も雅の感情は推測の範囲だが、真由美は珍しく自分のことで精一杯であり、おそらく雅の心の内には気が付いてはいないだろう。

 

「どちらもはっきりと父が言ったわけではないわ。あくまで父が命じた『ある仕事』で京都へ名倉さんは出向き、その内容について私が知る必要はないと言ったまでよ」

「なるほど」

 

暗に裏の、非合法に近いか完全に黒と言える仕事を行っていたことは確実だろう。そしてそれを七草家当主は、真由美に対して少なくとも隠すつもりはないようだということも二人にはわかった。

 

「それで、七草先輩はどうしたいんですか」

 

やや口調がきつくなったのか、視線が鋭くなってしまったのか、はたまたどちらともか、真由美は達也のストレートな言葉に一瞬たじろぐ。わざわざ面会を求めて単に情報収集というわけではないだろうと達也は踏んでいる。そして、話の筋から真由美が何を求めているのかおおよそ算段が付いている。

 

「私は真相が知りたい」

 

真由美はそれでも達也から視線を逸らさなかった。まっすぐに達也を見返し、目的を告げた。

 

「正直に言って私と名倉さんの関係はそれほど親密ではなかった。それでも名倉さんが七草家の命令で命を落としたのは確かだわ。父が死ねと命じたわけではないけれど、死ぬ危険が高いことが分かっていたのは確実だわ」

「つまり七草先輩は犯人が知りたいと」

「ええ。せめて私は七草家の一員としてその事実から目を背けるわけにはいかない。せめて真相を知っておきたいの」

 

真由美は逸る気持ちを押さえながら、言葉を選んでいた。

 

「ご立派です」

 

達也の物言いに真由美が流麗な眉を吊り上げる。

 

「ですが、それも結局は七草先輩の自己満足と言われればそれまでではありませんか。先輩の護衛を任されるほどの手練であろう名倉さんが敗れた相手となれば、決してリスクは低いと言えないことはご承知だとは思いますが」

「ええ、自己満足よ。それの何がいけないのかしら」

 

確かに褒められた言い方ではないが、達也はあくまで状況を判断したうえで冷静に意見を述べた。その事実だが言葉選びに容赦がない様子に怯むどころか、むしろ真由美は強い意志の宿った口調で開き直ってそう言った。これには達也も雅も意外感を覚えた。

 

「私は七草家の長女。良くも悪くもそれは逃れられないし、今のままでは私はそう胸を張って言うことができない。自己満足だと言われようとも、名倉さんのことに納得ができていない」

 

真由美は七草家の長女という立場を誰よりも考えている。真由美が何をしても、何を話しても全て十師族の一員としての言動となる。真由美個人という個がないわけではないが、彼女にとって七草の名前は生まれてこの方、切り離すことができない忌々しくもあり時に助けられた名前でもある。

逃れられないならば誇れるように自分が納得のいくように、せめて真相を知りたいという姿勢は確かに達也の言う通り立派と呼べるものだろう。

 

「ですが、俺たちに何を望んでおられるのですか。流石に犯人探しとなると、探偵のノウハウもない俺たちに犯人を見つけることは難しいかと思われますが」

 

京都も九重神宮周辺ならば達也もある程度、土地勘はある。悠に息抜きという名目で遊びに連れまわされた経験もあり、京都市内ならば全く見知らない土地というほどではない。それでも、名倉を殺したと思える相手を探し出せるほど京都の町や魔法師に精通しているわけでもない。最近は多少静かになってきた分野違いの野良の魔法師の存在すら達也には感知の範囲外だった。

そう考えてみると達也は雅も同席している以上、真由美は断られること前提で九重家への顔つなぎを依頼しているのかと勘繰った。

 

 

「申し訳ありませんが、今回協力できることはなさそうです」

 

達也も九重と七草の関係が良いとは言い難いことは知っており、四葉から仕事を依頼されていることもあり、七草と九重と天秤にかけるまでもない。可能性の低い予想を真由美が間違っても口に出す前に、達也は雅に視線を向けて席を立とうとした。

 

「待って!」

 

達也の明確な拒絶にもかかわらず真由美は二人を呼び止めた。

 

「犯人はおそらく横浜事変の関係者よ」

 

だが、その言葉は二人をその場に留めさせるには十分だった。

 

「根拠はあるんですか」

「確信ではないけれど、可能性は高いとみているわ」

 

どうやら名倉は真由美のボディガードを離れることも時々あり、その際にはお土産として中華街の物を持ち帰っていたそうだ。真由美は父や名倉本人からどこに出かけていたかは聞くことは無かったが、今としてはそれが彼からのメッセージに思えて仕方なかったそうだ。

 

「確かに名倉さんは中華街に出向き、何かを探っていたのは確かかもしれません。ですがそれを横浜事変と結びつけるのは早計ではないですか」

「それはそうだけど……」

 

達也の言い分は尤もであり、真由美も明確な根拠がないので、強くは出られない。

 

真由美への態度とは裏腹に、達也は真由美を京都の下見に加えてもいいと考えていた。肉体的には一般女性とそう変わりないが、横浜事変の折に彼女の魔法戦闘能力はある程度は把握している。少なくとも足手まといにはならないだろうと踏んでいた。

 

「じゃあ、達也君は私の思い込みだと思うの?」

 

半ば八つ当たりのように真由美が不貞腐れたように達也を睨みあげると、達也は愛想笑いを浮かべた。

 

「いえ、先入観で事実が見えなくなることもある、ということですよ」

 

先入観と思い込みって同じじゃない、という真由美の言葉は二人とも独り言だとして聞き流した。

 

「危険だという事は理解していますか」

 

達也が真由美の意思を再確認する。

 

「ええ。それと、かなり厚かましいお願いだという事は理解しているわ。特に雅ちゃんには協力する義理どころか、こちらは正式に謝罪もしていないんですもの」

「七草先輩は無関係だという事は理解していますよ」

 

雅は暗に気にしていないと首を振る。確かに無礼極まりない招待の仕方だったが、家同士の関係はともかく、雅に実害らしい実害はないので、何時までも話題に出せば嫌味にしかならない。

 

「以前にもお話した通り、私は七草先輩とは良好な関係でいられたらと思っていますから」

 

二人とも行動に家の名前が伴う以上、本人たちの気持ちはさておき、家の意向を無視できないことに変わりない。雅の言葉ですらあくまで社交辞令ではあるが、全くの嘘というわけではない。

 

「それよりも、本当によろしいのですか」

「ええ。お願い。私に力を貸してちょうだい」

 

真由美の真剣な言葉に、雅は達也をみた。

 

「―――わかりました」

 

雅の了承も得たこともあり、達也は仕方ないと言った様子で協力に同意した。

真由美も目に見えてホッとしている様子だったが、内心達也も安堵している部分がある。今回の一件は真由美が強く望んで、達也と雅が協力しているという体裁をとるために、随分とまどろっこしいやり取りではあったが、時に交渉には回り道も必要であることは理解している。

 

「それで、具体的に七草先輩は何をなさるつもりですか」

「ひとまず名倉さんが殺された現場に行きたいと思っているの。達也君たちも京都へ下見を考えているでしょう」

「ええ、次の土曜日に」

「達也君には現場への同行を頼みたいの。勿論、論文コンペの下見が優先よ」

 

達也ではなく雅に良いだろうかと真由美は目で問いかける。婚約者のいる手前、実質二人で出かけるとなると流石に真由美も体面を気にする部分はある。その程度気にしないという雅のすまし顔を盗み見つつ、達也は事務的に話を進めることにした。

 

「今のところ21日の日曜日でしたらある程度時間は取れるかと思います。時間と場所は先輩の都合に合わせます」

「ありがとう。詳しいことはメールでまた連絡します」

 

真由美はソファーに座ったまま、深く頭を下げた。達也はその後、名倉の遺留品について真由美に確認し、その日の面会は終わった。

達也も雅もここまでの話の中で名倉の死に周公瑾が関わっていた可能性は低くないと考えている。黒羽家当主の右腕を奪い、未だに黒羽家の追撃を逃れている周ならば数字落ちの名倉の敗北にも納得がいく。しかも七草家当主の命令で周を追っていたとなれば、七草家と周が裏でつながっていた可能性も否定できない。

 

いずれにせよ、達也がやることは大きく変わらない。

周が無頭竜やパラサイドール、横浜事変の黒幕として動いていたことは黒羽からの報告で聞いている。魔法師の立場を悪くする者、魔法師を狙う者、つまりそれは深雪もその対象にはいっているということだ。四葉から与えられた任務ではあるが、達也の中ではすでにこの一件はコンペまでに片づけなければならないものとして位置づけられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四葉家本家の所在地は、十師族であっても正確にその場を知る者はごくわずかだ。おおよその位置は旧長野県と旧山梨県の辺りだと言われているが、秘密主義と言われるだけあって世界各国の諜報部門が衛星を使ってもその正確な位置は把握されていない。

実際には旧長野県のほど近く、旧山梨県にある地図にもない狭隘な盆地にある村が四葉の本拠地である。周りを取り囲む山々は深緑から秋らしく色を付けた木々が増え、秋らしい景色へと切り替わりつつある。一見のどかで一昔前の日本の原風景とも呼べるような村で、一際は立派な平屋建てが四葉家本家の邸宅である。

 

「そういえば、達也さんの方はどうかしら。真面目に働いているのよね?」

「今のところ、大きく反抗的な態度は見られませんが、黒羽家の手を掻い潜る相手とあって流石に苦戦はしているようです。また、開発中の新魔法についても特に隠し立てすることなく、慶春会の席で披露できるだろうと報告を受けています」

 

その固有の魔法から【夜の女王】と恐れられる四葉家当主であり、この四葉家邸宅の主人である四葉真夜は腹心の部下である葉山から報告を受けていた。

真夜は周公瑾の捕縛を達也に依頼したが、これはあくまで依頼の体を取った命令であることくらい、達也が理解している前提で行っている。四葉家に恭順かどうか、達也への試しの意味合いも含まれている一件でもある。

 

「詳細は聞かなかったのかしら」

 

しかし、真夜としては達也が開発している新魔法の方が気になるようだった。彼女は当主としてあちらこちらに指示をし、情報収集をする傍ら、彼女は魔法師の性能向上を最優先課題とする四葉家らしく魔法研究に多くの時間を割いていた。死の魔法師工場と悪名高い四葉の研究は常軌を逸したものから、基礎研究まで幅が広い。当主が研究に理解を示していることから、予算も大幅に割かれている部分でもある。

当然、彼女自身新しい魔法と聞いて興味があるのは事実だった。

 

「恐れながら、奥様方(・・・)の目的にはそこまで確かめる必要はないと存じましたので」

「あら、目的というほど大それたものではないのよ」

 

葉山の窘めるような口調に、真夜は僅かに肩をすくめる。一般的には俗っぽい動作だが、彼女が行えばどこか気品のある気さくな雰囲気さえ伺わせる。

 

「あの子が私の甥だからという理由ではないわ。彼を排斥することは四葉の利益にはならない」

「実の甥御様だからという理由で差し支えないかと存じますが」

「葉山さん……」

「失礼いたしました」

 

咎めるような口調に、葉山は恭しく一礼する。本来ならば謝罪ではなく、差し出口だったと口にすのが正しいようだが、真夜が拗ねたように少し赤くなっているところを見ると謝罪で間違いはないようだった。

 

 

 

真夜は葉山の言葉に荒立てることもなく、紅茶の新しいものを淹れさせながら、もう一つの懸念事項を口にした。

 

「それと、九重はなにか動きがあって?」

 

今回の一件は九重から四葉に管轄が移されたが、九重の意向は無視できない存在だった。

京都は名門と呼ばれる古式魔法の家々が揃っている。その中でも九重はその歴史の長さで追随を許さない。

代を重ねるごとに魔法師としての性能が良くなっている現代魔法師を見ればわかるように、魔法師の才能は血統に由来する部分が大きい。神の使いや巫女と崇められ、単にシンボルとしての役割ならいざ知らず、千里を見通す眼をもって、この国の中からさらに選抜きの魔法師を選び、血筋に入れてきたとなれば、その積み重ねた時間の重さはどれほどか推し量ることすら難しい。

諜報・暗躍は四葉のお家芸だが、それでも馴染みのない土地ならば九重が動いていたとしても捕まえることは至難である。僅かでもなにか動きがあるのなら、それによって多少四葉家としての動き方も左右される。

 

「今のところは静観しているようです。伝統派と少々騒ぎが起きても目を瞑るとのことでした」

「あら、随分と寛容ね」

「あちらも(しがらみ)が多いでしょうから、かえって外部の者の方が怪しまれることは少ないでしょう」

「歴史が長いと言うのも大変ね」

 

真夜は他人事のようにおっとりと首を傾げる。そもそも、九重は神職としての役割があり、裏を纏める四楓院も海外勢力の侵攻のみその姿を見せるとされている。

暗躍する鼠を狩ることは古くからしているだろうが、今回の獲物は四葉が狩ることに意味があって管轄を移してきたのだと踏んでいる。周の裏に何者がいるのか追っている最中ではあるが、これだけの事件を引き起こしてきた人物の後ろ盾となれば小物というわけにはいかないだろう。

 

「そちらの一件は達也さんの働きに期待させてもらうとして、あの準備は整っていて?」

「中々骨が折れますが、恙なく進めております」

 

葉山の中で準備と呼ばれる案件はいくつか思い浮かぶものがあるが、主語を隠してのこととなると、思い浮かぶものは一つしかなかった。

 

「そう。内外の反対は多そうだけれど、(くつがえ)すだけの理由を持ってこられる方がどれほどいるかしら」

 

真夜は葉山の良好な報告に笑みを深める。実に内緒ごとを抱えた子どものように無邪気でいて、その雰囲気から来る妖艶さがどことなく背筋を寒くする笑みだった。

 

真夜の計画を知る者は、この家に置いて葉山しかいない。

腹心の部下にしか打ち明けられない重大な決定であり、下手に動けば真夜の立場すら危うくさせかねない計画であり、リスクを承知でもそれを取るだけの見返りが得られる計画でもあることは確かだった。

 

「少なくとも七草家は反対を表明するかと思われます」

「そうね。丁度良い年頃の子どももいることですし、他の家と結託してということもあり得えないことではないわね」

 

真夜は秋らしく少し高くなった空をぼんやりと眺める。

 

その計画は単に打算だけではない。

後悔、それとかつて少女だった真夜が願ったほんの微かな夢の残り香。

奇跡に縋るほど、夢に溺れるほど、ありもしない現実を願うほど、真夜はもう子どもではない。残酷で、醜く、汚く、吐き気のするほど憎たらしい理不尽な世界に復讐するために作られた魔法がある。その存在が消え果てても、地の底に落ちようとも、彼女が世界を呪う声は止まらない。

その魔法を忌避し、恐れた者たちによって殺されかかった魔法は、何度挫けても折れないただ一縷に想いによって新たな枷を作り出した。

 

「野暮なこと」

 

それを奇跡だとは呼ばない。

まして魔法なんて言わない。

恐ろしく気の遠くなるような長い糸に絡め捕られただけなのだから。

 

 




果たしてそれは、誰が絡めた(意図)だったのだろうか。


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古都内乱編8


あの日芽吹いたこの花を、僕は今も渡せずにいる。








10月20日土曜日。

 

通常ならば、学校では授業が行われているこの時間、達也、雅、深雪、水波の4人はトレーラーを使って移動していた。

 

ここで言うトレーラーとは一昔前のような被牽引自動車を指すのではなく、この場合はリニアモーターを使用した連結列車を示す。トレーラーという名前が付いているのは、一階部分に個型電車(キャビネット)を収容し、二階部分に乗客がくつろげるアメニティスペースを設けている点にある。個型電車の車輪は車体を支える役割として設置されており、それ自体が動力とつながっていないため、個型電車より速い速度で走るトレーラーが車線上で個型電車を駐車用パレットで掬い上げることによって、乗客は最寄駅から乗り継ぎをせずに長距離移動が可能になっている。

 

リニア特急とそれほど速度も変わらないが、個型電車の沿線上にトラブルがあるとトレーラーの運航に支障をきたす可能性もあり、リニア特急のみ運行する路線と比べれば到着時間の確実性はやや劣る。それでも年々遅れの時間は改善されており、リニア特急に比べるとコスト面からも若者の長距離移動には支持されている手法である。

 

「あら、達也君たちもこの時間だったの」

 

達也たちが2階のアメニティスペースでくつろいでいると、聞きなれた声が聞こえてきた。

 

「おはよう、エリカ」

「おはよう。すごい偶然ね」

 

エリカは偶然というが、それほど珍しい鉢合わせではない。沿線上を走っているトレーラーは都市間軌道を規定時間で走っているため、目的地と時間が決まっていれば、自ずと同じトレーラーに乗り込む可能性は高い。

4人に倣うように、エリカはリラックスチェアに座り体を伸ばした。

 

「やっぱり手足が伸ばせるっていうのは良いわね」

「エリカは個型電車を窮屈だと感じるタイプなの?」

 

様々な体格の人、特に海外からの利用者や荷物の積み込みも想定して個型電車はゆったりとした設計となっているが、閉鎖空間とあって一定数それを窮屈だと感じる人は存在する。

深雪がエリカにそう質問したのも、それを想定してのことだった。

 

「そうでもないよ。これでも狭い部屋の中に正座で何時間も座っている鍛錬とかもあるからね」

「そんな鍛錬があるの?」

「クソ親父は剣術の修行だって言い張るんだけどね」

 

辟易したように眉に皺を寄せながら、エリカはため息交じりに吐き出す。

この言葉に達也たちは意外感を覚え、顔を見合わせる。

エリカは一見ガサツなように見えて、言葉遣いや所作には良家の子女としての教育が伺える少女だ。バカ兄貴程度の憎まれ口ならともかく、クソ親父のような汚い言葉は本人も好まないはずだった。

 

「茶道とか、お稽古事?」

「あ、分かった?」

 

雅の問いかけに少々驚きながら、エリカは肯定した。

 

「茶道と武道を結び付けた個人は少なくないと思うが」

「まあね。うちの親父もその真似事をやらせたいんだろうけど……まず跡取りにやらせるべきじゃない?」

「それはそうだと思うが」

 

達也がやや返答に困っていると、すかさず深雪がフォローを入れた。

 

「でも、それは酷な話じゃないかしら。お茶のお稽古はどうしても女性のお弟子さんの方が多くてお兄様方は入りにくいんじゃないかしら」

「逆にエリカが茶道を習っていてもおかしくはないと思うな」

「ええっ、そう?」

 

エリカは上擦った声でそっぽを向く。

普段の様子からも、エリカ自身もお淑やかという言葉が似合わないと思っており、それを茶道のようなお稽古事が似合うと言われると正直に喜ぶよりも照れる部分の方が多かった。

 

「ああ。流派の違いで多少差はあるだろうが、あの雰囲気はエリカに似合っていると思うぞ」

「達也君も嗜みがあるんだ」

 

エリカは一瞬意外感を覚えたが、深雪と雅がいて一度も茶席に招待されないと言うことは無いのだろうと考え直した。

 

「いや、俺は一通りの作法を習った程度で、嗜みと言えるほどではないな」

 

茶道は総合芸術と言われる。客人をもてなすための茶室を整えるにあたり、そこに用意する菓子や茶だけではなく、掛け軸や生け花にも意味を込める。今は工業生産品も出回ってはいるが、手焼き独特の風合いは愛好されており、陶芸は細々とではあるが、全国に窯元が残っている。

そのような茶道具の出所の話から掛け軸の作者やそこに描かれたものに対する知識だけではなく、何をどう選ぶのかというセンスも問われるものであり、茶の湯の世界では流派は枝分かれしていても、一生の勉強であることはどこも変わらない。それを客人としての一通りの振舞いができる程度を嗜みと呼ぶには程遠いと達也は感じていた。

 

「私だって嗜みだなんて呼べるほど大それたものじゃないわよ。それに、似合っているって言っても、深雪や雅ほどじゃないでしょ」

 

拗ねたようにそっぽを向いたエリカの態度は照れ隠しであり、達也は困ったように、深雪と雅は微笑ましげに笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

定刻通りにトレーラーは京都駅に到着した。

休日とあって人は多いが、比較的朝早い時間帯とあって人は少なく、達也たち5人が京都駅の改札を出たところでは、既に幹比古とレオが待っていた。まだ集合時刻前だが、どうやら二人は達也たちより早い時間帯のトレーラーに乗り込んだようだ。

 

「二人とも早かったな」

「ちょっと気が焦ってしまってね」

 

幹比古はやや照れくさそうにそう答えた。元々生真面目な性格をしている分遅れてくるようなことは無いと思っていたが、少し気も張っているようだ。

これから相手取るのは古式魔法師。幹比古も相手に後れを取らない自信はあっても、土地勘のない場所での戦闘となると土着の古式魔法師の方に地の利がある。変に肩に力は入っていないが、性分として落ち着かない部分があったのだろうと達也は解釈した。

 

「じゃあ、これで全員揃ったね」

 

京都の視察メンバーは生徒会長、風紀委員長、部活連会頭という実質学校の三トップに、護衛としてエリカ、レオ、達也、水波が選ばれた格好になっている。エリカの言うように、一高のメンバー7人は合流したが今日の視察に参加するのはそれだけではない。

 

達也が見知った気配を感じてそちらを向くと、つられるようにして雅や深雪もそちらを向く。

 

「雅さん」

「光宣君、燈ちゃん」

 

視線が合ったことで、やや小走りに光宣は7人のところに駆け寄った。

 

「お久しぶりです」

「久しぶりね。元気だった?」

「今日はばっちりです」

 

光宣はまるでそこに日差しが差し込んだかのように、光満ち溢れるような綺麗な笑みを零した。目の前にいる初対面のエリカたちだけではなく、見ず知らずの通行人すら思わず息を呑むほどの純粋な笑みだった。恐ろしく均整の取れた美少年の笑みは、それだけで一種の絵画のようで、思わず躓く人や足を止め渋滞ができるほどだった。

 

「燈ちゃんも今日はよろしくね」

「任せとき」

 

光宣からやや遅れるように燈も雅の前に立つ。

 

「紹介するわね。二高二年の香々地燈ちゃんと一年の九島光宣君。みんなにはメールで連絡したとおり、二人とも下見を手伝ってくれることになったの」

「よろしゅう」

「よろしくお願いします」

 

達也や深雪はともかく、呆気に取られているエリカやレオのために雅は二人を紹介した。気を取り直したように、やや混乱しながら二人とは初対面である幹比古が自己紹介をし、それにエリカ、レオも続いた。

 

「急なお願いで大変じゃなかったかしら」

「まあ視察はある前提で準備は進んどったみたいやし、流石に警備の頭はそっちでも、現地を知らん人らに任せるには不安やって声もあって、キツネ黙らせて休みもぎ取ったわ」

 

申し訳なさそうに尋ねる雅に、燈は構わないと言うように手を振る。

九校戦の警備のトップは一高の前部活連会頭である服部が行っているが、データ上だけで判断するよりも土地勘があるに越したことは無い。

達也たちが視察に訪れることは開催地に最も近い二高にも連絡を入れており、一高のトップが揃っている状況で二高が視察対応に動くことはおかしな話ではない。人選に関して多少揉めたようだが、達也にとって燈も光宣も顔見知りであり、尚且つ達也が動いている一件については知らせても問題ない相手のため、達也としてはありがたいメンバーだった。

 

「それにしても、深雪の男の子バージョンっていうのかな。ビックリするぐらいの整った顔立ちの美少年だよね」

 

エリカが小声で達也に話しかける。

流石に声量は控えているが、本人を目の前にしていう事ではないなと達也は思ったがそれは口にはしなかった。

 

「しかも結構雅と親しいの?九島ってことは親戚なんでしょう」

 

エリカは輝かんばかりの美貌に呆気に取られはしていても、流石に状況はよく見ていたのか、はたまた冷静になって気が付いたのか、達也は内心エリカの鋭さに舌を巻いていた。

女の勘という部分もあるだろうが、達也の考えでは光宣は魔法技能に比べあまり感情を隠すような対人関係の訓練は積んでいないためだと思っている。エリカや幹比古が自己紹介した時も、千葉や吉田の名前に【剣の魔法師】と称される千葉家のことや古式魔法としては比較的名の知られた吉田の名前に反応した素振りが伺えた。その点で言えば年相応らしいと言えるが、もしこれが演技なのだとしたら末恐ろしいとも感じる。

光宣は幸いなのか、雅との会話に花を咲かせているようで、こちらの話は一切聞こえていないように見えた。

 

「まあ昨日、今日の感情ではないとは知っているし、面と向かって宣戦布告はされたからな」

「へえ、恋敵なんだ。でも意外と深雪が静かなのはなんで?」

 

エリカと同じく声を落として達也は淡々と述べた。

達也の言葉にエリカは僅かに目を見開いたものの、すぐさま光宣たちの会話を見守る深雪にちらりと視線を向ける。その表情はいつもと変わらないお淑やかな美少女に見えるが、それなりの付き合いのあるエリカには深雪がやや困惑しているようにも見受けられた。

初対面であるエリカにも分かりやすい光宣の反応に、吹雪でも吹き荒れはしないか心配したが、これはこれでエリカにとっては意外な反応だった。

 

「いくら表情と声に感情を乗せようとも、直接的な言葉がないから、いきなり苦言までは難しいだろう」

「ふーん。可愛い顔して、九島の名前は飾りじゃないみたいね」

 

十師族という事を抜きにしても、婚約者のいる相手をあきらめないと宣言するだけ強かなのは確かだろう、と達也はエリカの考えに心の内で同意した。

 

 

「まあまあ。話は積もるやろうけどこの辺にしといて、まずは九重さんに挨拶しに行くか」

 

燈が小さく手を打ち鳴らした。

 

「九重さんって九重神宮のことですか」

「せやで。自分らは先にホテルに荷物置きに行く方がええか?」

 

聞きなれない呼び方に幹比古が質問を投げかけると、燈はサイドテールを揺らしながら答える。

 

「そう考えている」

「んじゃ、そうしよか」

 

達也に確認を取った燈はさりげなく光宣と雅の間に入ると、コミューター乗り場へと足を向けた。

光宣が一瞬面白くなさそうな顔をしたが、燈は知らぬ存ぜぬと楽し気に雅に話しかけていた。今の一瞬ではあったが、どうやら燈も光宣が雅に向ける感情は察しているようで、今のも牽制の一種だろうと達也は理解した。

光宣も今回の下見の目的は理解しているだろうが、せっかくの機会を利用しない手はないと思っているのだろう。

厄介なことにならなければと思うが、隣から無言で笑みを張り付けた深雪の視線に居心地の悪さを覚えながら達也もコミューターに乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

電車のような大型輸送からキャビネットのような個別輸送に切り替わったことで、路面電車や路線バスというものも形態を変え、公共交通の一つとしてAIタクシーであるコミューターが普及している。

バイクなどの二輪車や自動車など個人持ちの移動手段も広く存在はしているが、観光地や学生などはもっぱらコミューターを使っての移動が多い。

特に観光地は観光客向けに5人乗りのコミューターの台数も多く、特にこちらは事前予約なども必要としない。

 

2台のコミューターでホテルまで移動し、カウンターに荷物を預ける。チェックイン時間にはまだ早かったが、事前に荷物を預けることができるのは今も変わらないシステムとしてある。

週末で観光客の多い時期ではあったが、ホテルは幸い論文コンペで一高が使用するホテルと同じところを押さえることができた。光宣はこのホテルに泊まるとのことだったので合わせて荷物を預け、雅は元々報告や進捗も兼ねて実家に泊まる予定であり、燈も同じく九重に宿を借りるとのことだったので、特に大きな荷物はない。

 

 

9人が最初に移動したのは九重神宮だった。

九重神宮は京都御所から北東の位置にあり、論文コンペが行われる京都新国際会議場までも徒歩圏内にある。京都盆地の境に近く、鎮守の森を擁し、本殿前までは緩やかな坂道となっている。

 

九重神宮は厄除けにご利益があると言われており、京都御所から見て鬼門の位置に設置されているのも宮家に降りかかる災いを祓うために建立された謂れがある。古くから清めの地として京都各所の寺社をめぐる際には訪れるとよいとされていたが、最近になって美しすぎる神主と悠が一部SNSで話題になったこともあってか、女性の観光客も多い。

紅葉の時期としてはまだ早いが、夏の盛りを過ぎて色が薄くなり、一部赤や黄色に色づきだした木々もあり、カメラを片手に散策する人も見受けられた。

 

「話には聞いてたけど、本当に立派ね」

「歴史はそれなりにあるからね」

 

鳥居の大きさや見て取れる敷地の大きさに感嘆しているエリカに雅が少し照れたように言う。

今では木造建築は古くからある神社や寺、保存区画の町家などには多くみられるが、一般家庭では木材より安価な木目調の合成建築資材が主流になっており、本物の木の要素はインテリアとして用いられることが多い。

雨に吹き曝しになるような場所の木材というのは手入れをしなければ耐久性は鉄には劣るため、鳥居の先にある大門だけでも数百年を数える歴史的な価値のある建築物である。

達也や深雪にとっては見知った場所で、何度か参拝したことのある場所ではあるが、それでも背の伸びるような感覚はすがすがしさを伴っており、それを維持する九重の神職には敬意を払っている。

 

ここで記念撮影をするのが高校生らしい行動とは言えるのだろうが、そのようなことを口にするような者はいなかった。活気あふれる門前の商店街を背に、一礼して朱塗りの大鳥居を順にくぐっていった。

 

幹比古も一礼して鳥居を過ぎようとした瞬間、静かに息を呑むこととなった。

そこは紛れもない神域だった。

名のある寺院や神社、霊峰や神域として呼ばれる場所など、幹比古が精霊の息吹や波長を感じることができるスポットは多々ある。しかしこれほどまで濃密かつ、清廉で、それでいて圧倒的な神域は初めてだった。

観光客も多く、賑やかな場であるのに、幹比古が感じるのは静寂。圧し掛かるような威圧感や息苦しさではなく、自然に頭を垂れるような、それでいて背筋の伸びるような空気を感じていた。

これでまだ入り口だというから、本殿前はどれほどのものだろうかと、身震いがした。

 

「吉田君、大丈夫?」

 

幹比古が立ち止まっていたのに気が付き、雅が声を掛ける。幼馴染の様子にエリカは周囲を警戒するが、それらしい敵の気配はない。そもそも達也も雅も警戒していないので、すぐさまエリカも剣呑な気配を鎮めた。

 

「あ、うん。少し驚いただけだから、問題ないよ」

「みやちゃんのお帰りや。多少気合入るのも無理ないわな」

 

幹比古の呆然とした様子に、燈は腕を組み当然だと言わんばかりに頷き、雅はやや苦笑いを浮かべた。だが、状況が呑み込めていない者が大半だった。

 

「何かあったか?」

 

訝し気に達也は尋ねた。九重神宮の敷地内で手を出してくる馬鹿はいないとは思っているが、念のためこの周囲に敵がいないことは既に達也の目では確認している。

だが達也とて幹比古のような古式魔法に鋭敏な感覚は持ち合わせておらず、自分の知らない範囲で何か行われているのかと再度周囲に気を巡らせていた。

 

「大したことないで。吉田の坊ちゃんが、ここの神気に気圧されただけや」

「香々地さん。坊ちゃんはやめてくれ」

 

燈の言うように文字通り圧倒されたのは間違いないが、それでも幹比古にとっては坊ちゃん呼びは看過できなかった。

 

「ほな、ミキティ。問題ないなら行こか」

「ミキティ?!」

 

燈の思いがけない呼び方に幹比古は仰天する。

幼馴染からミキと女子のような呼び方をされるならまだしも、ほぼ初対面の女子にどこかの女性アイドルのような呼び方をされるとは思ってもみなかった。

 

「よかったじゃない、ミキティ。早速あだ名で呼んでもらえるだなんて」

 

ニヤニヤと幹比古を隣で小突くエリカに、幹比古は米神のあたりが動くのを感じた。

 

「だから、僕の名前は幹比古だ」

 

そう決まり文句を言う時点で、既に幹比古がいいように揶揄われているのはもはや鉄板のことだった。

 

 

 

 

その後は晴天の秋晴れに突如として雷鳴が轟いたり、声を荒らげる観光客がいるようなこともなく、平穏無事に参拝は終わった。

会場周辺の様子を確認する意味も含め、九重神宮から徒歩で新国際会議場まで移動した。去年の横浜事変に先立ち発生した一連の事件で、外国人工作員が拠点として使用できるような老朽化したビルなどは取り壊され、周囲には二階建てまでの民家しかなく、大人数で潜伏するような場所はない。

それほど鬱蒼とした深い山ではないが周囲には木々が多く、当日テロ等を目論んでそこに潜伏してくる可能性もある。民家も少人数ならば潜伏先としては周辺住民さえ誤魔化せば、警察にも怪しまれないため向いている。

 

「土地柄としては古式魔法師も多いから、少人数で潜伏されると探し出すのは難しいと思う」

 

幹比古は会場周囲を見回して問題点を述べた。

 

「さっすがに九重さんのこんな近くでドンパチする阿呆はおらんとおもうけど、その阿呆が出てこんとも限らんのよな」

 

燈は周囲をぐるっと見回しながら、ため息をついた。去年の横浜事変において、襲撃を受けたのは魔法協会関東支部だけではなく、すぐ近くの魔法協会本部も少人数のゲリラによる襲撃を受けた。

攪乱が目的だったが、その騒動を燈は知っているだけあって、去年の二の舞はごめんだと考えている。

 

「周囲を手分けして歩いてみるか?暗示ならともかく、結界なら違和感程度なら察知できると思うが」

「いや、それは非効率だと思う。民家に隠れているなら結界もごく最小限にしてあるはずだ。みんなの能力を疑うわけではないけれど、偶然気配を感知できる幸運にかけるのは時間がもったいないと思う」

 

事前に台本は用意していなかったが、達也の提案に対して幹比古は達也の思惑通りの返答をした。

 

「なるほど。では、どうする」

「僕が探索用の式を打ってみるよ。その間、どうしても周りの注意が疎かになるからエリカとレオは周りを警戒する役目をお願いしたいんだ」

「仕方ないわね。いいわ。守ってあげる」

 

気が乗らないというような返事だが、エリカの眼と表情には闘志が静かに漏れ出ていた。

 

「よろしく頼む。それで、達也たちの方なんだけど、最初の打ち合わせ通り市内を回ってみてくれないか。えっと……」

 

幹比古は燈と光宣に視線を向け、戸惑いの表情を浮かべる。当初の予定では一高だけの下見であったため、光宣や燈のことは事前連絡があったとはいえ、ここからの二人の行動は未定だった。

 

「んじゃ、ウチはこっちに回るわ」

 

燈はエリカの横に立ち、幹比古の方に付いていくことを示した。

 

「吉田の坊ちゃんが術を間近で見られていややって言うならあれやけど、ウチと光宣君は別がええやろ」

「いや、僕は構わないよ」

 

燈も光宣も名目上は視察対応として参加している。達也たちが二組に分かれるなら、燈と光宣も別に動いた方がいいのだろう。

 

「じゃあ、燈ちゃんよろしくね」

「任しとき」

 

9人は二手に分かれ、行動を始めた。

 




キリがいいので、少し短めです。
久々に2話投稿します。

関西圏の出身じゃないので、燈ちゃんの口調があってるのかどうなのか悩みながら書いています。


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古都内乱編9

2話投稿です。こちらは後の方になるので、内乱編8を未読の方は先にそちらをどうぞ。

当初予定では10話程度の予定だったのに、終わりが見えてこないぞ(; ・`д・´)


達也たちと別れた幹比古、エリカ、レオ、燈の四人は新国際会議場の周辺を歩き回っていた。ただ歩きながら周囲を確認しているのではなく、幹比古が派手に探索用の式をまき散らしながらである。一見すると高校生の集まりや旅行にも見えなくはないが、警戒の糸は緩めていない。

 

会場周辺は外国人の逗留者向けのホテルが完備されているだけではなく、池や緑化公園もあり、緑豊かな里山がある。しばらくは何の反応もなかったが、コンペ会場を宝ヶ池の対岸から見ていた時、こちらを見張る気配を感じ取った。

 

「来たみたいね」

 

エリカは幹比古の隣に駆け寄り、日傘を傾け、下から覗き込むように確認した。カモフラージュのためか恋人らしい動作に、燈は一歩下がってレオの隣に立った

 

「んで、エリちゃんは、どっちと付きおうとるん?」

「「はあ?!」」

 

レオとエリカが同時に素っ頓狂な声をあげ、幹比古も危うく躓きかけた。

 

「冗談やめてよ。ミキは幼馴染で、コイツは私の弟子」

「ほうほう。三角関係か。なかなかの悪女やなあ」

 

エリカの説明に、分かっている、分かっていると言わんばかりにしたり顔で燈は頷いた。周囲に古式魔法師が迫ってきているので、誰も気を緩めてはおらず、燈の場違いな問いかけに驚かずにはいられなかった。

 

「こいつが相手だなんて、冗談キツイゼ」

「なによ。こっちこそ、あんたみたいなデリカシーのない男なんか願い下げよ」

 

レオとエリカは互いにそっぽを向きながら全面的に否定した。

 

「そんなカリカリするとハゲるで。あっ、飴ちゃんやけど食べる?」

 

燈がゴソゴソとポケットを探り、手を出した瞬間、幹比古の隣を何かが高速で通り抜けた。

それとほぼ同時に背後で何かにぶつかる音がして、そちらに視線を向けると幹比古たちから10mほど離れた木の上から人が落下していた。

その体と一緒にボーガンと簡易の破魔矢があり、幹比古達を狙っていたのが一目でわかる。

 

「ほら、奴さんのお出ましや」

 

燈はグローブを両手に手に嵌めながら、周囲を見回した。燈の行動は攻撃を仕掛けようと思った側からすれば思ってもみない先制攻撃であり、周囲の緊張が一気に高まる。

 

「はっ」

 

エリカは飛んできた鬼火を、日傘に仕込んでいた銀鞭で薙ぎ払う。

流石に観光地で木刀や模造刀が売っているとはいえ、真剣を持ち歩くことはできないため、達也がFLTの第三課に依頼して大急ぎで作ってもらった武装一体型CADである。

速さに重きを置いて慣性制御・加速術式が組み込まれており、下手に扱えば骨や筋を痛める代物であるが、エリカは難なく使いこなしていた。

 

「先手は向こうに出させるつもりだったんだけどな」

「ボーガン持っとる時点でしょっ引かれて当然。正当防衛や!」

 

愚痴のような幹比古の言葉を燈が一蹴する。

取り囲んでいる敵は分かる範囲で7人。

人数で言えば向こうが有利、地の利もこの場所で待ち構えていたことを踏まえるとあちらにある。

それでも人数差がそのまま戦力差というわけでもなかった。

レオと燈は近くの敵を片っ端から殴ったり、蹴ったりして昏倒させ、エリカも急所に容赦なく銀鞭を振るい、なぎ倒していく。前衛の三人を援護するように幹比古は影に潜んだ敵を察知し援護攻撃を仕掛ける。

古式魔法独特の幻覚も幹比古がそれを打ち破る精霊魔法を行使し、ほどなくして7人は地面に伏せることとなった。

 

「これで終わりか」

「増援の気配はないわね」

 

エリカも構えをとき、周囲に目をやる。

相手はクナイや巻物を持った忍術使い。隠遁に長けているのは四人とも知っており、警戒は緩めていない。

 

「しっかし忍者とはねえ」

 

レオは足元に転がる敵を見ながら乾いた笑みを零す。

 

「忍者やなくて忍術使いやで。本物には程遠い味噌っかすの連中やけど」

「こっちは古式魔法が盛んで、近くには伊賀や甲賀もある。鞍馬山にも忍術使いが中心となって作った古式魔法師の拠点があったはずだ。この人たちもそこの人じゃないかな」

「鞍馬も汚染されとるんかい」

 

幹比古の言葉に燈が忌々しく舌打ちをする。ニパニパと明るく気さくな燈がそのように隠しもせず顔を歪めるほど、状況はひどいのだろうかと幹比古は思案する。

 

「とりあえず、こいつらどうしよっか。警察に引き渡す?」

「いろいろ聞きたいこともあるんやけど、下手になんかして拷問だ―とか言われても面倒や」

 

燈とエリカは警察を呼ぶことに躊躇いはない。

コネがあるからというわけではなく、自分の正当性に自信があるからだ。

 

「警察か」

「僕もそれが一番だと思う」

 

レオはやや警察に苦手意識があるのか渋っている様子であるのに対し、幹比古は情報端末を取り出し、音声通話機能を起動しようとした。

しかし、すぐさまそれをポケットにねじ込み、片手で持っていた扇型の補助デバイスを広げる。

 

「敵か!」

 

幹比古は想子の塊である探索用の式神を放つ。幹比古はレオの質問に答える暇も惜しみ、眉間に皺を寄せている

 

「あそこや!」

 

燈が叫んだ先を見ると、池の中から水でできた四匹の小さな怪物が飛び出してきた。

 

「化成体か!?」

「違う。実体があるからゴーレムだ」

 

レオの声に幹比古が叫び返す。

幹比古は瞬きもせずにその四匹の怪物を凝視している。

 

軨軨(れいれい)合窳(ごうゆう)長右(ちょうゆ)、それに夫諸(ふしょ)だって?」

(やっこ)さん、大陸の道士やな」

 

牛のような体にとらのような縞を持つ軨軨(れいれい)

イノシシの体に人面を持つ合窳(ごうゆう)

四本の手を持つ手長猿の長右(ちょうゆ)

四つの角を持つ鹿の夫諸(ふしょ)

これらの怪物は大陸で洪水を起こすと言われた怪物であり、池から現れたのはそのミニチュア版だった。

それが次から次から池より飛び出てくる。一体一体は小型犬ほどの大きさだが、どんな術式を秘めているのかまだ判断できず、これだけの数となると数で押される可能性もある。

 

「ちんけな道士や。こんだけの数なら複雑な命令はきかんはずや」

 

燈は近くにいた一体を蹴り飛ばす。勿論ただの蹴りではなく、無系統の想子を纏い、ゴーレムを構成していた術式を破壊する。

 

「本当に冗談じゃないわよ」

 

エリカも銀鞭を振るい、近くにいたゴーレムを倒す。

 

「いったん引いて……えっ?」

 

退却も視野に入れて幹比古が周囲を警戒しているとゴーレムは4人に向かうのではなく、地面に伏せた7人へと向かっていった。

 

「くそったれ」

 

燈は近くにいた忍術使いの男の襟首をつかむと、大きく後ろに飛びのいた。それを追ってゴーレムも燈に群がろうとするが、幹比古が退魔の力を帯びた迦楼羅炎でそれを焼く。

ミニチュアの怪物は地面に伏せた6人にまとわりつくと、その体を生きたまま貪り始めた。

 

「口封じや」

 

燈が咄嗟に叫んだこともあって、エリカと幹比古は慌てて群がるゴーレムを薙ぎ払い始めた。異形の怪物が全て水に還ったところで、レオが硬化魔法を纏い、苦し気にうめく忍術使いに近づく

 

「うげっ」

 

レオが思わずそう呟くのも無理はなかった。

動けなかった忍術使い達は咄嗟に喉や目など急所は守ったようだが、腕や足などを齧られ、骨まで達するようなものはないが、放っておけば失血死の可能性もある。

レオは一人ひとり首元に手を当て、生死を確認する。

 

「一応全員生きてるぜ」

 

相当な激痛であるにも関わらず、ショック死した者はいない。

忍術使い達の訓練の賜物なのか、元々痛めつけて殺すための術式なのかは分からないが、いずれにせよ見ていて気分の良いものではない。

 

「おかしい」

 

エリカは銀鞭を構えたまま、呟く。

 

「どうして水が地面に染み込まないの」

 

ゴーレムが制御を失ってただの媒体の水になれば、普通の水と変わらない。それがなぜか地面に血と混じったまま浮いている。

 

「うおっ」

 

レオが叫び声と共に4mほど飛び退いた。予備動作も術式もなく恐ろしいジャンプ力だが、今はそれを議論する場合ではない。

血の混じった水は勢いよく池に戻っていく。

 

「敵の魔法だ」

 

幹比古の声にエリカもレオも戦闘態勢を取る。

池の水が魔法で渦を巻き、そのスピードが徐々に速くなっていく。

そして轟轟と音を立てて渦の中心から浮かび上がったのは、泥水でできた異形の大蛇だった。

 

相柳(そうりゅう)……」

 

呆然と幹比古がその巨大な蛇を見上げる。相柳は四凶と恐れられる混沌の部下にして、九つの人顔を持つ巨大な蛇だ。

 

「千客万来やな」

 

苦々しく燈が吐き捨てる。

 

「避けて!」

 

九つの人顔が口を開いたのを見て、幹比古は叫ぶのと同時に風の障壁を展開する。

相柳の九つの口から細い濁流が放たれる。4人はそれぞれに直撃を避け、地面からの跳ね返りは幹比古が展開した風の障壁が遮断する。

だが、地面に伏せた忍術使い達はそうもいかない。

ミニチュアの怪物に齧られた時以上の呻き声が忍術使い達から上がる。人体にかかった混濁した水は、そこから泡を出して忍術使い達の体を溶かしていく。

 

「酸?!」

「いや、腐食の術式だ」

 

エリカの言葉を幹比古は否定する。

 

「気を付けて!酸と違ってあの水が掛かった以外の部分も溶かされている」

 

溶けた傷が広がっていく様子を見れば、幹比古の言葉は疑いようもない。

 

「吉田の坊ちゃん。こんだけデカイ術式なら術者も近いな」

「ああ。だが、正確な位置がつかめない」

 

林の中から漏れ出した術式の気配からおおよその場所は掴んでいる。しかし放った探索用の式から応答はないため、よほどの手練れか相手が鬼門遁甲のような隠遁の術を使っている可能性も高い。

伝説上の怪物の名前の通り、その攻撃の威力は驚異的でエリカとレオの身体能力を以っても避けるのが精一杯。幹比古も障壁を張るので精一杯で、とても新たな式を打てるほどの余裕はない。

 

「ウチが術者叩くから、その間持ちこたえられるか」

「あまり長くは持たない」

 

苦し気に幹比古は答える。

 

「2、3分もあれば十分や。撤退するなら、このオッサンも連れてってや」

 

燈の言葉にエリカとレオは拒否感を示す。燈が庇っていた忍術使いは気を失った成人男性だ。運ぶのはおそらくレオの役割になるだろうが、敵をわざわざ助ける義理はない。

それに意識を取り戻したときにこちらが攻撃されない保証もなく、意識がない人間はそれだけで大きな足かせとなる。

 

「魔法で軽くして運べば大した重さやないで。証言者は必要や」

 

燈はポケットからハンカチサイズの布を広げると、それを自らの手首に巻く。

 

「んで、3分いけるか?」

「分かった。ただ彼のことは期待しないでくれ」

 

幹比古が相柳を見ながら、頷く。

撤退しようにもこの状況であればそれすらも難しい。

そんな状況下で自分達の安全すら危ういのに、足手まといの保証まではできなかった。

 

「無理すんじゃねーぞ」

「当たり前や」

 

レオが声を掛けるのと同時に燈は自己加速術式を使い、幹比古が張った風の障壁から抜ける。

囮のように飛び出した燈に相柳があの濁水を浴びせるかと思いきや、相柳は全く感知していない。三人ともその様子に驚くが、恐らくあの手首に巻かれた布が隠遁の術を補助する役割を担っているのだと幹比古は理解した。

一瞬で燈の姿はその場から見えなくなり、林の中へ消えていった。

 

「ああは言ったけど、3分で片付くのか」

「彼女、九重さんの親戚だよ」

 

先ほどの燈の戦い方は、どちらかと言えば現代魔法を駆使したスタイルであり、近接戦闘がメインだった。

しかし、九校戦でみせたような詠唱や靴に仕込んだ刻印術式など、決して古式魔法が苦手というわけでもない。雅の親戚ならば人並み以上に古式魔法に対する知識も対策もあるはずだ。

 

しかし、幹比古にもこの場を乗り越える考えがないわけではない。

伝承をかたどった傀儡(ゴーレム)は、その伝承によって力を増している。

相柳も邪神とはいえ、水の眷属。

その上位固体であり、水の最上位神霊である「竜神」にアクセスして行使する術式ならば倒せる可能性はある。

可能性があっても発動に至らないには理由があった。この術は幹比古が力を失うと錯覚するほどのスランプに陥った術式である。

 

(今の僕にできるのか……)

 

幹比古は自問する。

かつて以上の実力を手にできたと言う自覚はある。

それでも神霊を御せるかと言われれば、躊躇いは消えない。

燈が術者を倒してくると言ったが、3分以上かかる可能性もあり、それまでに自分たちがこの場から安全に逃げられる保証もない。

 

 

 

幹比古は決断に悩んでいたが、結局その決断を下す必要はなくなった。

突如相柳の中心、九つの顔の真ん中に位置する顔の奥に強烈な想子光が生じた。

弾道を描いて照射されるのではなく、情報体の次元に座標が定義されることで突如そこに発生する想子情報体。

そして九頭人面蛇身の巨体は爆発した。

怪物を模した傀儡式鬼を作ると言う結果が壊されたことで、傀儡形成の魔法も崩壊し、飛び散った水飛沫はただの水となり、池に落ちていく。

忍術使い達を蝕んでいた腐食の術式も止まった。

 

「大丈夫か」

 

三人とも何が起こったのか問う必要はなかった。

ダークレッドのブルゾンに黒いスキニーパンツ、黒いブーツ、赤と黒を基調とした拳銃形態の特化型CADを持つ同世代の少年。初対面でも彼らはその人物の名前を知っていた。

 

「一条将輝」

 

レオがその名前を呟いた。

颯爽とした佇まいの少年。十師族一条家の長男、一条将輝がそこに立っていた。

 

「ん?お前たち、一高の」

 

将輝は1年生の時のモノリスコードで対戦した幹比古とレオの顔を覚えていた。正確には対戦したから覚えたのではなく、戦略的な考察のために何度も試合映像を見たため嫌でも覚えていると言った方が正しい。

 

「吉田幹比古だ。一条君、助太刀、ありがとう」

「いや、どういたしまして。十師族としてあんな悪質な魔法が市内で使われているのを見過ごすわけにはいかないからな。気にする必要はない」

「それでも助かったよ。結構危ないところだったからね」

「あの観察しとったのは一条の坊ちゃんやったんか」

「うわっ」

 

一条は背後からした声に咄嗟にCADを向ける。

幹比古も突如現れた燈にギョッとした。

 

「エリちゃん、無事か」

「大丈夫よ」

 

燈が音もなく戻ってきていた。さほどまだ離れていなかったのか、それとも加速の術式で移動したのかは分からないが、彼女の方も何かあって戻ってきたのだろう。いくら燈が小柄で一条の背後にいれば隠れる背丈とはいえ、至近距離で気配がしなかったのは、手首に巻いた布の術式が影響していた。

 

「香々地か。脅かすな」

 

将輝はすぐさまCADを下ろす。

 

「すまんな。んで、どないする?とりあえず術使っとったやつは死んどるけど、確認行くか?」

「殺したのか?」

「殺したんと違うで。血を供物にしよったから、死んだんや」

 

燈の言葉に幹比古はやはりそうかと顔をやや落とし、残りの三人は訳が分からず首を傾げる。

 

「血を供物に、水を材料に作った傀儡術式だからだね。傀儡の操作術式は古式魔法の一種だけれど、魔法発動後も術式の本体と術者の精神とはつながり続けている」

「魔法が発動したら『情報』の逆流が起きないように、魔法式を魔法師から切り離す現代魔法とは違うんだな」

 

幹比古の補足説明に一条は興味深そうにうなずく。

 

「とりあえず、見に行ってみよか。プリンスはどうする?」

「プリンスはやめろと以前にも言っただろう」

 

一条は鳥頭かと一瞬暴言を吐きそうになったのをグッとこらえた。

 

「居場所は分かっているのか」

「一条君も来るかい?」

 

幹比古の問いかけに、一条は静かに頷いた。

 

 

 

 

秋になり、雑草も夏ほど繁殖力もなく、下草がまばらとなった斜面を幹比古達は歩いていく。

唯一無事だった男はまだ気絶していたため武装解除をしたうえで手足を縛り、猿轡を噛ませ、更に木に括り付け、幹比古が式神で見張りをつけさせた。万が一逃走しようにも、幹比古が式神を通じて雷撃を打ち込み気絶させることもできるし、たとえ逃走しても顔が分かっているため、警察に捕まえられるのは時間の問題だ。

 

幹比古の予想通りそれほどの距離もなく、汗をかかない内に方術士の元へと到着した。

 

「………分かっていたけど、気持ちのいいものじゃないね」

 

方術士はうつぶせに倒れていた。

 

「自業自得や。悼みはしても、後悔する必要はあらへん」

 

暗い顔をしている幹比古と対照的に、燈の顔はまだ怒りの方が滲み出ている。

 

「死んでいるのか」

「脈はないな」

 

将輝のつぶやきに、白髪頭の方術士の隣に膝を付き、首筋を確認したレオが神妙に答えた。死体を前にしてニコニコしているほどレオは空気が読めないわけでもなく、淡々と事実を告げた。

その顔を確認すべく、体を反転させたところで、彼の動きは止まった。

誰もが息を呑み、数々の死線を超えたエリカでさえ悲鳴を噛み殺した。

それほどまでに壮絶な死に顔だった。

 

「……吉田、確認なんだがこいつは俺があの術を壊したから死んだのか」

 

幹比古の傀儡の説明から一条はその考えに行きついていた。

一条は自分の選択が間違いだったとは思っていない。

そして人を殺したのも今回が初めてではない。

あのタイミングで「爆裂」を使ったことは正しい判断だったと言えるが、その判断すら今となっては迷いを生ませるほどその死に顔は壮絶だった。

 

「あの種類の魔法は術が巨大になればなるほどその反動も大きくなる。それを理解していない術者はまずいない。香々地さんの言う通り、自業自得だよ」

 

幹比古は小さく首を振った。

燈が敵を殺さずに術を止めさせることが、間にあう可能性もなかったわけではない。それでも時間が掛かればかかるほど、幹比古達の安全は危ぶまれた。結果的に見れば無傷だったが、決して楽な戦いというわけではなかったのだ。

 

「……すまん、吉田。気を遣わせたな」

「いいよ。助けられたのは僕らだ。合わせて警察への説明も僕らがしておくよ」

「いや。俺も付き合う。えっと、それからそっちの彼女…」

「千葉エリカよ。私に気を使う必要はないわ。こういうのは慣れているから」

 

エリカの言葉に一条は目を見張って硬直する。【剣の魔法師】の二つ名を持つ千葉家の名前は彼も耳にしたことがあるようだ。

 

「千葉って千葉家の」

一高二年(・・・・)の千葉エリカよ」

 

そして今度はエリカの突っ慳貪(つっけんどん)な態度に目を白黒させた。家族を除けば一条は同世代の女子からこのようなぞんざいな扱いを受けることは早々ない。例外と言えば、未だになにかにいら立っている香々地ぐらいなものだろう。

 

「失礼した。三校二年の一条将輝だ」

「ご丁寧にどうも。西城レオンハルトだ。よろしく」

 

暗い雰囲気を吹き飛ばすように、殊更明るい口調でレオも自己紹介をした。

 

「てか、プリンスも視察か」

「ああ。万が一、来週のコンペで昨年のようなことがあったら困るからな」

「ふーん。ツレはおるんか」

「いや、一人だ。だから時間の都合はつく」

「まあ、一先ずポリさんへ連絡やな」

 

燈が端末を取り出すよりも早く、エリカが既に警察へと連絡を繋いでいた。

 

「エリちゃんが連絡してはるみたいやからそれは一旦置いといて、一条の(ボン)。土曜日ってことは学校に届けは出しとるやろうけど、二高にはなんも連絡しとらんよな?」

 

燈は端末をポケットにしまいながら確認した。一高他各校で事前に下見がしたいと名乗りを上げた高校は今日までのところで済ませている。

生徒が来るのではなく、宿泊先のチェック等を兼ねて事務方の職員が出てきている学校もあれば、二高との交流を兼ねて生徒が来ている学校もあった。だが、一条の今回の視察について燈は耳に挟んでいない。

 

「あ、ああ。今回の一件は私的に休みを取っているから俺は公休というわけじゃないな」

「はあ!?」

 

燈の怒気を含んだ反応に、一条だけではなく、当事者ではないレオや幹比古も体を固くする。エリカも担当刑事と話しながらだが、何事かと目を向けている。

 

「プリンス、今すぐ学校に連絡せぇ。この後警察行くなら学校にも連絡行って休みの裏付け取られるで」

 

一高と二高からの視察は公休扱いになっており、なにかしら大きな問題があれば生徒から学校へ連絡をするし、関係先から学校に連絡がいく。

だが、一条はあくまで今回は私的な休みであり、学校は一条が京都に下見に来ていることを把握はしていても、学校として許可を出してはいない。

 

「証言者と路上カメラでこっちの過剰防衛にはならんやろうけど、ただでさえこっちの人らはポリさんも軍も魔法師は古式魔法師寄りで、現代魔法師には風当たりきついんやで。そんなとこやのに学校無許可で休んで問題に首突っ込んだって自分大馬鹿もんやな」

 

燈が忌々し気に吐き捨てながら再度携帯端末を取り出した。

 

「助けてもろうたことには感謝しとるで。でもそれとこれとは別の話や。一条のボンボンが正当防衛だろうと警察沙汰の問題起こして学校無断欠席したってなると、三高はコンペの参加はできても応援に来るなって話になるで」

「そんなに飛躍するか」

 

一条も燈の暴言にかなり苛立ちはするが、コンペの応援禁止などと言われれば聞かないわけにはいかなかった。

 

「別に理由なんて向こうさんにはなんでもいいんや。要するに責任の所在と建前の問題。自分でっかい看板背負っとるんなら、下と裏はしっかり固めんとあかんやろ。ド阿呆」

 

燈は一条の根回しの甘さに嫌気を覚えながら、端末で雅と光宣に必要最低限の内容を記してメールを送る。

通話にしなかったのは、向こうがどのように動いているのか把握できていないためであり、必要以上の心配は不要と伝えるためでもあった。

エリカが通報を終えて、端末を切ったのを確認して燈は切り出す。

 

「警察さん来はる前に、何人かはさっきん所に戻ろか」

 

警察を待つ間にも、二高に連絡を入れたり、実家に連絡を入れたりと連絡をしなければいけない先はいくつかある。

証言者が動いた形跡はないと幹比古がなにもしていないところを見ると伺えるが、あの状況を野ざらしにしておくのは気が引けた。

忍術使いたちが結界を張ってあってこの周囲には人除けがしてあり、戦闘は周りにはそう気づかれていなかっただろうが、術者が倒れた今、結界もなくなっているため通行人が死体を見つけて騒ぎ出さないとも限らない。

燈はこれからの長引くであろう事情聴取を考えると、疲労が倍にもなったような気分だった。

 

 

 

 




一条君がけちょんけちょんに言われて申し訳ない(´・ω・`)
だが、高校生らしいと言えばそうなんだだが、一条家として看板を背負うにはまだ自覚のない甘ちゃんだと思うんだ。
………七宝ほどじゃないけどな。


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古都内乱編10

難産でした_(:3 」∠)_
10話では終わらなそうなので、もしかしたら15話ぐらいいくかも。
恐らく周との戦闘はガッツリカットされるかもしれない………
早く四葉継承編書きたい

ちなみに今回のコンセプトはあざと可愛い子犬系年下男子、九島光宣君です。





幹比古たちと分かれた達也一行が最初に向かったのは、京都市東北郊外にある名刹三千院で知られる大原だった。ここは周公瑾が最後に黒羽に目撃された場所であり、周は近くにある小川に沿って京都市内に逃走したとみられている。

目撃されたのは夜ではあるが、昼間のこの時間帯は観光客もそれなりに多く、また周辺には民家も見られ、郊外と言ってもそれほど山奥という場所でもない。

 

「逃げて行った方向で一番近い伝統派の拠点は鞍馬山ですが、達也さん行ってみますか?」

 

律川(りつせん)にかかる短い橋の上で光宣は達也にそう尋ねた。

方角的には鞍馬山は三千院からほぼ真西にある。鞍馬山とは山で隔たれており、逃走ルートとして考えられなくはないが、周の得意とする術式を考えるとそれは違うように達也には思えた。

 

「いや、市街地に戻ろう」

「市街地にですか?」

「鬼門遁甲は方角を惑わす術だから、人が全くいない場所より人気のある方が周囲の攪乱には向いているわね」

 

意外な表情をしている光宣や深雪に雅が補足をした。雅も達也と同じ意見のようだ。

 

「なるほど、木を隠すなら森の中というわけですか」

 

光宣の例えは若干達也が思う意味合いとは違ったが、わざわざ訂正するほどの物でもないため、そのまま話を進めた。

 

「市内の伝統派の拠点は分かるか」

「ある程度、人通りが多くて拠点がある場所と言えば金閣寺と嵐山と清水寺、それと鞍馬寺の方ですね」

「意外と少ないんだな」

 

もう少し多くの場所を捜索することを想定していた達也は、予想以上に光宣が口にした場所が少ないことに言葉通り意外感を覚えた。

 

「京都は本物の伝統を受け継ぐ勢力が奈良以上に強いですから。名前だけの新興派閥は山の方へと押しやられているんですよね」

 

光宣に同意を求められた雅は少し困ったように笑う。

京都市内では、神道は九重家、陰陽道は芦屋家と安倍家、仏教系はさらに宗派ごとに日本古来より脈々とその技と神秘を守ってきた名門の本家や本山が揃っており、迂闊に伝統派のような新興の者が騒ぎを起こすと二度と京都に足を踏み入れることはできなくなる。

長く京都でその秘術を守り続けてきた歴史は、表舞台で華々しい活躍や名声を響かせることは無くとも、人々の中で畏怖と敬意を持たせる。

観光客はともかく、京都に住み着いたとしてもたかが100年にすら満たない伝統派に連なる者たちは、京都に古くから続く家にしてみれば余所者でしかない。

 

「ひとまず、清水寺に向かいましょうか。鹿苑寺方面の方の優先順位は低いと思うわ」

「何か聞いているのか」

「拠点なら具体的な位置まで分かるわよ」

 

雅の発言に光宣は声に出さずに驚きの表情を浮かべていたが、達也や深雪にとっては初耳ではなかった。

光宣と違って、雅は居住地自体が京都市内だった。

九重である雅がそれぞれの流派がどの程度の規模でどこを拠点としているかということは当然教えられており、また九重であると言うだけで、雅の顔や名前は京都市内の古式魔法師にはそれなりに知られている。伝統と格式を重んじる古式魔法師にとっては、問題を起こせば口々に直ぐに知れ渡り、ひいては家の恥となるため、直接的な接点や面識はなくても勢力と管轄は常識の一つとして扱われている。

 

「清水寺自体は、本職の方は今回のことには無関係。参道にある観光客向けの食事処の店主が伝統派の(まじな)い師一人と聞いているわ」

「一般の店に偽装しているのか」

 

寺院や歴史的な名所の拠点に匿われれば面倒だと思っていたが、奈良から京都に逃れてきたとなれば名家の影に息を(ひそ)める他ないだろうと達也は思い直した。

 

「ある程度、人の出入りがあっても目立ちにくいでしょう。用心することに越したことは無いけれど、黒幕は確かに随分と悪事に手を染めているけれど、手を貸している方は母数が多いだけあって思想も黒幕に対しての思い入れも違うみたいだから、その辺の見極めがいるだろうっていう話よ」

「あくまで下見という体を装いつつ、向こうの反応を伺う方が無難か」

「休日で人通りも多いでしょうから、できれば穏便に済ませたいですね」

 

清水寺と言えば京都でも有数の観光名所。

古くからの趣のある建物や雰囲気は残しつつも、監視カメラや想子センサーの類は随所に配備されており、制服や私服の警官も歩き回っている。

達也だけならまだしも、雅のいる手前で戦闘行為となれば九重の名前にも響きかねない。光宣の言う通り、騒ぎは最低限にしつつ相手を釣れれば僥倖だろう。

 

「吉田君たちと合流しますか」

 

深雪の確認に達也は静かに首を振る。

 

「いや、このまま5人で向かおう。ただでさえ人数は多いわけではないし、京都市内に周が逃げたという俺の考えが外れている可能性もある。ひとまず、手掛かりになりそうな清水寺周辺から見てまわろうか」

「分かりました」

 

5人はコミューターに乗り込み、一度清水寺を目指すこととなった。

 

 

 

 

 

清水寺までの参道は緩やかに長い上り坂が続いており、途中まではコミューターで上がれることになっているが、達也たちは麓から歩くことにした。

伝統派の拠点は雅が把握しているとはいえ、いきなり門を叩くほどこちらの準備はできておらず、相手の敷地に入るとなればそれなりの術も敷かれている可能性もある。

雅の顔は古式魔法師の中ではそれなりに知られており、例え一見観光地巡りをしているように見えようとも、相手が警戒する可能性は高い。

相手が雅に対して警戒や敵意の視線や気配を発すれば、達也の感覚で捕捉できる。

情報の次元(イデア)を知覚する眼を使っても、今のところは尾行やこちらを監視するような人や魔法は感知されていないが、相手は隠遁や隠密に長けた古式魔法師。並み程度の術者ならば問題ないが、師匠である八雲や四楓院と並ぶような凄腕が仕掛けていれば、達也とて感知できない可能性がないわけではない。

 

周囲を広く浅く警戒しながら進んでいたが、予想以上に5人が進む速度はゆっくりだった。

京都の市内は世界規模の戦争の折に外国からの観光客が一時期途絶えたものの、今は全盛期と変わらぬ人通りを見せている。

また、日本再発見と称して国内からの観光客も絶えずあり、賑やかな女子大生のグループやツアー客であろう高齢者の団体もみられ、治安が比較的落ち着いた今日では肌の色や話す言葉の異なる様々な人種が集まっていた。

 

「凄い人出だな……」

「東京はもっと人が多いのではありませんか?」

 

達也の呟きに光宣がこてんと首を傾げる。

その瞬間、人間によるスリップ事故と玉突き事故が発生する。

光宣に見とれた複数の女性の観光客が事故の発生源だった。

幸い大きなけがにはなっていないようだが、躓いていたのが単に若い女性に留まらない事態が彼の美貌を物語っている。

 

深雪も類まれなる美貌を持つ美少女ではあるが、例えその可憐な容貌に男女問わず見惚れる者がいようともこのような混雑した場所を通ることは珍しく、普段は先ほどのような事故になることはない。

また、達也が悠に連れ出されて遊びに付き合わされた時も、悠自身、黙っていれば神々しく近寄りがたい人ならざるような気配をしているので、こちらも遠巻きに見られるだけで済んだ。

 

一方、光宣は女顔というわけではないが肌が白く線の細い美少年であり、先ほどのような小首を傾げるような仕草は童話の無垢な王子のようで、どのような年齢だろうと乙女心を擽られるのも無理はない。身動きが取れないほどの人出でもないが、それでも至近距離で見る美少年の衝撃は一瞬周りを見えなくするのだろう。

 

「これだけ人が多いと九重のお祭りでこうやって雅さんと歩いたのを思い出します」

「小学校に上がったくらいだったかしら」

「はい」

 

雅が覚えていてくれたことに光宣ははにかみながら頬を緩ませる。

言葉にしていなくてもこれほど分かりやすい感情はあるまいと達也は光宣を観察する。いくら道が混んでいるからと言って、どことなく二人の距離も近いように感じるのは達也の気のせいではないだろう。

敵意や嫌悪など負の感情を読み取ることを達也は得意としているが、恋愛感情などはあくまで表情や言動を分析して感情を考察しているという方が正しい。

交渉術や戦闘訓練の一種として些細な反応から相手の心理状態を見分けることはある程度鍛えられてはいるが、そんな些細な行動に目を光らせるまでもなく、光宣が雅に好意を寄せているのは否定できない事実であった。

達也と伝統派について話すときは理知的で少し背伸びをした少年という印象を抱くが、こうして雅の隣に立っているのを見ると、年相応に恋をする少年の純情さが伺える。

 

「途中はぐれて半ベソだったのよね」

「もう、それは忘れてください」

 

拗ねたように唇を尖らせる光宣に、またもや周囲では人身事故が発生したのは言うまでもない。

それと同時に達也の隣で重く圧し掛かり、まるで季節を急速に冬にしたような冷気を感じた。物理的な冷気ではなく、あくまで気配だけでそれ程までに寒々とした怒りにも似た雰囲気を醸し出している妹になんと声を掛けるべきか達也でさえすぐには出てこなかった。

下手に深雪を咎めてもこの状況では達也が不甲斐ないと怒りの矛先を向けられる可能性もあり、かと言って無理やり光宣と雅の間に達也が割り込むほど看過できない事態ではない。

深雪はその冷気を笑顔の下に押し込むと、光宣と雅の間に割って入るように雅の腕に抱き着いた。

 

「お姉様、目的の場所は参道の途中にあるとはお聞きしていましたが、せっかくですから本殿の方にお参りをしませんか」

「深雪は初めてだったわね」

 

深雪の突然の行動に雅は少し驚くものの、特に気に留めた様子もなく、後ろを歩いていた達也に確認するように視線を向ける。

その一方で光宣は拗ねるとは別の意味で少し不機嫌そうだった。

 

「本来の目的もですが、論文コンペの下見として俯瞰で市内を見ておくというのも大切だと思うのです。それに相手が潜んでいるのは食事処なのですから、観光客として入った方が自然ではありませんか」

「それもそうね」

 

確かに深雪の言うことは理に適っている。

伝統派が潜んでいるという食事処は参道の途中にあるが、まだ距離があり、また相手がこちらに気付いている様子はない。どこか別の場所でお昼を取るにしてもまだ時間はあり、このまま向かったとしても相手の出方も分からない。

拠点が分かっているなら、こちらが焦る必要もない。

幸いにして鹿苑寺の方は今回の一件には噛んでいないと分かっているので、鞍馬寺を午後に回せば時間的には十分間に合うと頭の中で達也は予定を組みなおす。

 

「達也さん、どうしますか」

 

光宣の確認と共に妹からの無言の笑顔が達也に向けられる。

この状況で達也に反論する権利はないも同然だった。

 

 

 

 

 

 

清水の舞台から飛び降りる、の慣用句で有名な清水寺本堂前の檜の舞台は、やはり観光客であふれていた。

京都を一望できるここは、春には桜、秋には紅葉の名所としても知られているが、まだ紅葉の時期には早く、木の葉の色は夏の濃い緑から黄色に変わりつつある。高く澄んだ秋空は行楽日和と呼ぶにふさわしく、狭い範囲だが京都市内を俯瞰で広く見ることができていた。

 

可能性は低いと知りつつ、達也は想子の多い地点を注視してみる。

達也は周と直接対面したわけではなく、いくら情報の次元を見ることのできる精霊の眼(エレメンタルサイト)があったとしてもそれは砂粒の中から砂金を見つけることのできる千里眼ではない。達也が周を探すにはあまりにも情報は少なく、絞り込めないのが現状だった。

 

「何か分かったか」

 

達也は光宣に問いかける。精霊の眼といっても、使用者の瞳が光り輝くわけでもなく、誤訳から精霊と名前がついていても精霊に導かれるわけでもない。傍から見れば達也の行動は観光として見えただろう。

 

「いえ。思ったより雑多な視線が多くて、僕にはなにも」

「確かにな」

 

達也は雅と深雪に視線を向けた。

二人は檜の舞台に設けられた手すりから軽く身を乗り出して、怖々とその高さを楽しんでいる。他の観光客と変わらない行動だが、雅はともかく深雪は仕事のことなど忘れて無邪気にはしゃいでいるようだった。光宣を近寄らせないためか、深雪は何時にもまして雅との距離が近い。そして光宣を近づけないための深雪の指示なのか、反対側は水波が控えている。

流石に光宣はあそこに割って入るほど空気が読めないタイプではないので、大人しく本来の目的に従事していた。

 

「深雪たちに向けられる視線は全てチェックしている。怪しからん視線は山のように注がれているが、あまりこの件には関係ないだろう」

「す、全てですか」

 

達也の発言に光宣が思わず頬を引きつらせる。

光宣はナルシストというわけではないが、自分の顔が比較的整っていることは客観的な事実として認識している。そして経験的にも人目を集めることも理解している。

そこに10人が10人とも振り返るような天性の美貌を持つ美少女もいるとなれば人目を集めないはずがない。

その害悪を見分けるだけで情報量がどれほど膨大になるのか、それをいとも簡単に“全て”判別している達也に驚愕が生じても無理からぬことだった。

 

「いや、いつものことなので慣れている」

 

達也がチェックしているのはあくまで深雪に対するものだけであり、光宣に対するものまで好意や欲望以外の感情が向けられていても見分ける自信はなかった。

 

そして伝統派が目をつけるのはおそらく雅か光宣だ。光宣は研究を主導していた第九研究所出身の魔法師で九の数字を持つ家系であり、伝統派にとっては因縁の相手と言っても過言ではない。光宣自身が表に登場する機会は少なくとも、前回の奈良の一件で京都の伝統派にも顔が割れている可能性は十分にある。

雅もおそらく警戒は十分される対象だが、伝統派に九重と対決するだけの度胸があるとは思えない。例え大陸の導師の助力を受けざるを得ないほど逼迫していても、九重と事を構えることがどれだけ無謀な賭けなのか分からないほど無能ではないと達也は考えている。

 

「しかし、これではあまり意味がないかもしれないな」

 

達也の呟きに、責められていると感じたのか、光宣は身を小さくする。

叱られた子犬のような表情に周囲から光宣に向けられる視線がヒートアップしている。

 

「いや、光宣を責めているわけではないぞ。光宣の協力にはとても助けられている」

「でも、雅さんだけで十分だったんじゃないですか」

 

半ばいじけたような光宣の言葉に、こちらを観察していた周囲の女性がガタガタと足踏みをしたり手すりに寄りかかっている。達也は女性たちが何を勘違いしているのか分かってしまったが、それを直視する気にはならなかった。ついでに携帯端末を取り出して何かを熱心に打ち込んでいる女性も見なかったことにした。

しかし、達也がそのような女性陣を意識の外に排していても、深雪は音の発生源が気になったようだ。光宣と達也と周囲を見回し、状況を把握したのかにっこりと笑みを張り付けて二人の傍に寄ってきた。

 

「お兄様、あまり光宣君をいじめてはダメですよ」

 

絶世の美少女が絶世の美少年を庇う。

その様子は先ほどの光宣の言葉もあって、深雪を見ていた男性、光宣を見ていた女性、それにつられるように何事かとこちらを見た周囲の者たちを硬直させた。深雪に悪気はなくても、先ほどの勘違いのボヤに油を注ぐような発言だった。

 

達也は快楽的な殺戮や猟奇的な殺人はともかく、自身が行うものも含め、必要な殺害については忌避感を覚えない程度に倫理観が歪んでいることは理解している。だが、性的思考に関してはあくまで一般的な感性を持ち合わせている。プラトニックな関係ならともかく、肉体的な愛欲は忌避感を覚える。

達也はフェイクで深雪と雅がそのような対象ではないかと一高の一部の生徒(変態)に騒がれていることも耳にしてはいるが、半ば当事者として自分に向けられる視線は非常に不快だった。

 

その不快な視線から逃れるため、達也は周囲の要注意人物を再度確認する。悪意のあるなしはチェックしているが、決定打はなくとも念のために怪しげな者はマークしている。

 

達也はその人物たちの中で一人だけ異質な視線を捕らえた。

異常ではなく、異質。

その男の戸惑いは周囲と同様。だが、顔には下世話な好奇心や欲望ではなく、呆れが浮かんでいた。なぜこのような子どもたちを自分は見張らなければならないのかと言わんばかりの顔だった。

 

「冗談もその辺にして、先に進みましょうか」

 

雅も男に気が付いたのか、達也の表情を見て分かったのか、この場からの移動を提案した。

 

「そうだな」

 

他の3人の返答を待たず、二人は参道経路に沿って進んでいった。

深雪はそれだけで分かったのか何も言わず、静かに雅の隣に並び、水波は戸惑いこそすれ少し遅れて深雪の後を付いて行った。

一方何も説明されていない光宣はそういかず、水波を追い越して達也の隣に立った。

4人で並べないほど狭いため、深雪と雅は達也と光宣の後を付いて歩くように後ろに下がる。

 

「達也さんも雅さんも急にどうしたんですか」

 

相手は魔法を使っていなかったから光宣が分からなかったのも無理はない。深雪や雅は分かっているだろうが、水波もまだ確信はないだろう。

達也は答える代わりに情報端末を取り出し、スタイラスペンで書き込み、デジタル文字に変換されたディスプレイを光宣に見せる。

 

『尾行者らしき男を発見した。誘い込むから気付いていて誰か分からないふりをしてくれ』

 

光宣は指示の意味がよくわからなかったのか、一瞬首を傾げた後、辺りをきょろきょろと見回したり、見当違いな方向に振り返ったりする演技をした。要するに尾行者がいるが、それが誰だか分かってはいないということを相手に分からせたかったのだ。

 

まさか相手も尾行に気がつかないふりならともかく、気が付いているふりをするとは思いも寄らなったのか、ぴったりと一定の距離を開けて光宣の後ろに付いてきた。尾行者は二流なのか、あるいは実力に自信があるのか、達也にとってはようやく見えた魚影に慎重に糸を垂らしていた。

 

 

 

奥の院から音羽の滝へ降りる坂道は、子安の棟へ向かう所で分岐点になっている。どちらに進むか達也は振り返って深雪や雅と話をしながら、尾行者を視界に入れる。

尾行者も同じように立ち止まるのは変だと思ったのか、カメラを取り出し、本堂を下から撮ったり、木々に阻まれてあまりいい画ではないだろうが子安の棟を撮ったりして誤魔化している。

しかしいつまでたっても動かない達也たちに痺れを切らしたのか、男は忌々し気に音羽の滝の方に向けて5人の横を通り過ぎるように歩いて行った。

 

「おい、あんた」

 

達也は眉を顰めたまま、不機嫌そうな声で尾行者に声を掛けた。男は明らかに動揺を見せるが、自分ではないと言いたげに足早にそこを立ち去ろうとする。

 

「聞こえなかったのか。そこのあんただ!」

 

ただでさえ目つきが鋭い達也が怒った顔をして見せれば、迫力が出る。

その様子に周りの観光客も何事かと足を止める。

 

「な、何の用だね」

 

達也が呼び止めた男は、いかにも気弱そうな感じで足を止める。

どこにでもいそうな凡庸な顔の中年男性だ。背が高いわけでもなく、特別鍛え上げられているわけではない、人込みに紛れてしまえばすぐに誰だったか思い出せなくなるようなこれといった印象の薄い男だった。

ギャラリーからみれば善良な市民が質の悪い学生に絡まれているように見える。現段階では達也の方が理不尽に絡んできたとみなされるだろう。

 

「あんた、俺の連れを盗撮していたな」

 

だが、この一言で野次馬たちの視線は男に集中する。

深雪や光宣のような滅多にお目にかかれない美少女と美少年を盗撮するなど、いかにも冴えない中年男性がしでかしそうなことだ、周囲は達也の発言を信じ込んだ。

 

「濡れ衣だ。何を根拠に」

 

男がカメラを慌ててショルダーバッグにしまいこんでしまったのも、周囲からの冷たい蔑みの視線に拍車をかけた。

 

「濡れ衣かどうか、警備員に判断してもらおうか」

 

既に周囲は完全に達也の味方だった。男の退路が断たれていくにあたって、遂に男は苦し紛れに人込みをかき分けるように走り去った。だが一般の中年男性程度の脚力で、軍で鍛えられた達也に勝てるはずもなく逃走距離十メートルほどで呆気なく取り押さえられた。

 

 

 

 

 

 

男を取り押さえた後、ギャラリーが通報しようとしていたが、「この人も生活があるから可哀そうだ」と物憂げに投げかけた慈悲深い光宣の言葉にそれ以上の騒ぎになることは無かった。勿論この言葉は達也が言わせたことだが、美少年フィルターが掛かっているのか、多少戸惑ったような声も盗撮魔を前に気丈にふるまっているようで、女性陣の庇護欲を擽ったのも効果的だったのだろう。

光宣は危なくなったらすぐに助けを呼ぶんだよと周りに念押しをされ、近くにあった自販機で買ってきたのか、温かい飲み物を人数分渡されていた。顔がいいのも使いようだなと達也は無感情にそう感じた。

 

 

野次馬から解放され、比較的人目の少ない場所まで男を連れて移動すると、達也の詰問は始まった。

 

「俺をどうするつもりだ」

 

男は先ほどの気弱な様子から一変、憎たらし気に吐き捨てた。

 

「別にあんたをどうこうするつもりはない」

 

達也の言葉に男が怪訝に眉を顰める。

 

「職業倫理に反することは理解した上で問う。雇い主は誰だ」

「……なんのことだ」

「彼が日本の魔法師の頂点に立つ十師族だと知っているな」

 

達也の言葉に男は無言を通す。動揺もないところを見ると知っていると言っているようなものだった。

 

「魔法を使えば魔法師に見つかる。街中には想子レーダーも配備されている。だから魔法の使えない一般の探偵に探らせるのは悪くない考えだとは思う」

 

雇い主にはその探偵の実力までは見る力量はなかったようだが、と達也は心の内で付け加えた。

男は逃走できる隙を探すように目だけを動かすが、達也が一睨みすれば大人しくなる。別に達也たちは男を取り囲んでいるわけではないが、男からすれば見えないプレッシャーに包囲されているような圧迫感は存在し、単なる脚力だけなら目の前の男子に敵わないことは既に理解している。

 

「答えられないか」

 

達也はわざとらしくため息をつき、口元だけに笑みを浮かべて多機能ウオッチに手を伸ばした。これはCADでもなければギミックを仕込んだ特注品でもない、単なる腕時計だ。

だが、目の前にいる男は動揺を走らせる。

 

「無断で魔法を使えばお前たちの方がお縄だぞ」

 

その言葉に深雪がクスリと笑みを零す。単に男の言葉が面白かったのだろうが、男にしてみれば魔女の微笑みにしか見えなかった。

 

魔法師にとっては衣服同然のようなCADも、一般人にはそれを見分ける術はほぼない。せいぜい腕に巻いた機械で魔法を使う程度の認識しかない。

達也が単に腕時計に手を伸ばすだけで、魔法を使う準備をしていると男が認識することは達也の予想された結果だった。

 

「待って。この人も仕事で命じられただけなのでしょう」

 

雅が悲し気に首を振り、達也の腕をつかむ。

 

「だが、その危険を理解して受けている。相応の覚悟はあるのだろう」

 

達也は雅を一瞥すると、冷酷に男に言い放つ。男は益々顔を青ざめさせ、縋るように雅に視線をやる。

雅は男をみると、観音様のように慈母に溢れた笑みを零す。男にとっては地獄におろされた1本の細い蜘蛛の糸のようだった。

 

「■■■■■■」

 

だが、その男の表情は雅が優しく紡いだ言葉で凍り付く。

なぜ、と男が小声で呟く。

雅が言ったのは間違いなく男の依頼主の名前と居場所だった。

 

「思考が読めるのか!?」

「魔法を使っていたら警備員が飛んでくるだろう」

 

暗に既に知っていると達也が言えば、男は苦々しく奥歯を噛む。

男の反応で既に答えを言ったのと同然だった。

 

「さて、依頼主は確認できた。お前はもういい」

 

達也は男に踵を向けた。呆気に取られる男は達也の言葉が信じられなかったのか、未だにその場から動こうとしない。

 

「どうした」

 

達也が緩慢に振り返ると、男は緊張で体を強張らせたまま問う

 

「……良いのか」

 

先ほどのように油断させておいて地に落とされたのでは堪ったものではない。

 

「お前の顔は覚えた。どこに行こうとすぐ分かるから、言いたいことが残っているなら今の内だぞ」

「い、いくらなんでもそんなことができるのか」

「なぜできないと思う」

 

あくまでも冷静で抑揚のない達也の言葉に男の顔が恐怖で引きつる。

自分など敵ではないと、何時でも殺せると言われているのだとそう思えた。

 

「そこのお嬢ちゃんの言う通りだ。嘘はついてねえ」

「嘘をついていないなら怯える必要はない」

 

さっさと行けと達也が顎でしゃくると、男は足をもつれさせるように参道を走り下りて行った。

 

 

 

男の背中が小さくなると、深雪は堪えきれなくなったのかクスクスと笑みを零す。

 

「お兄様もお姉様も人が悪い」

「あら、飴と鞭は話し合いの基本でしょう」

 

フっと笑って見せる雅はどこか蠱惑的に見えた。

 

「その割には随分と楽しそうだったではありませんか」

「そう見えた方が効果的だろう。魔法を使ってしゃべらせるわけにはいかないだろうし、そもそも俺には精神干渉系の術式の適正はないぞ」

 

尾行者を前にした雅と達也のやり取りに光宣は呆気に取られていた。

顔にはあまり現れてはいないが、水波も達也のそのような芝居がかった脅し方に意外感を覚えた。水波は達也に、どこか問答無用で指の一本や二本、折る程度の拷問でもするのかと思っていた節がある。

 

「相手も確認できたことだから、行きましょうか」

「はい」

 

光宣と水波は顔を見合わせた後、三人から一歩遅れるように後ろについて歩き出した。




今週の衝撃
・魔法科高校の劣等生 キャラソン発売
・豆司波達也
・まだ21巻読んでないのに、22巻が届いた
・前回の投稿から1か月以上経過


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古都内乱編11


鯛の御頭さん、劣等生の映画観に行くの?と聞かれました。

それでは聞いてください。

映画館までの交通費、7000円!!(往復)

軽い旅行だよね(´・ω・`)けど、行きたいな。


 

伝統派に雇われた探偵から裏付けを取り、伝統派の頭目が経営しているという食事処に5人は来ていた。

 

「ここ、ですか?」

「ええ」

 

建物の外観や店の前のモニターに流れているお品書きを見ながら光宣が戸惑いがちに聞くのも無理はなかった。事前に食事処と聞いていた深雪や水波も同じように困惑を示している。

観光客向けといっても伝統派の頭目的位置づけの男が経営しているなら、それなりに値段の張る若者には入りにくい店を想像していたが、実際は豆腐や湯葉などの精進料理を手軽に楽しめることを売りにした店だった。中から出てきた客も外国人や若者など明らかにただの観光客だ。外観自体は京都の古い町並みに合わせてあるが、細部を見れば実際は建てられてからそれほど古くないことが伺える。人の出入りの多い場所なら不特定多数が利用しても目立たないと言えば隠れ家として向いているとも言える。

 

達也は眼を広く建物全体に向けてみたが、この時間に表立って古式魔法師らしき気配を持つ者が出入りしている形跡は見られなかった。

 

「店自体の評判は悪くないみたいよ」

「そういえば、昼食の時間帯か」

 

達也は熱心にお品書きを見ている深雪と水波を視界に捉えていた。伝統派の店という事を抜きにしてもメニューはそれなりに惹かれるものがあるのだろうと達也は入ろうか、と一言声を掛けて店に足を踏み入れた。

 

 

 

「いらっしゃいませ。5名様ですか」

 

明るく元気の良い店員に迎えられ、すぐに席に案内された。深雪と光宣のような輝かんばかりの美少女と美少年が揃っていても目を奪われず対応したのは大したプロ意識だと達也は静かに感心していた。

 

休日ということもあり客の入りは良いようで、テーブル席の方は既に満席であり、5人は座敷席に案内された。本音を言えば達也としてはテーブル席の方が何かと対応がしやすいと思ったが、同行者から反対意見も出なかったため、そのまま席に着いた。

 

ここでも既に深雪によって雅の両脇は達也と深雪が来るように固められた。席順に関して言えば達也に文句はないが、打ち合わせは特にしていなかったようなのに店に入った瞬間からの水波と深雪の息の合った連携に、席順一つでそこまでするかと達也が妹に対して若干の呆れを覚えるのも無理はなかった。

 

「取り敢えず、昼食を済ませてしまおうか」

 

達也の目はすでに目当ての魔法師とおぼしきエイドスを店の奥に捉えている。向こうがこちらにどの程度気が付いているのかまだ定かではないが、自身の存在を隠そうとしている素振りはない。この様子ではこちらが食事をとっている間に逃げられる心配もないと判断し、観光客らしく振舞うことに決めた。

 

「お姉様は如何なさいますか」

 

深雪は雅と注文用のタブレット端末を一緒に見ながら問いかけた。座敷席だけあって密着と言ってもいい距離感は光宣にとっては当てつけにも見えるだろうと達也は思ったものの、わざわざ指摘することもなかった。

 

「くみ上げ湯葉にしようかと考えたのだけれど、その分時間もかかるけれど大丈夫?」

「そうなのか」

 

雅は達也に確認を求めた。

湯豆腐というと南禅寺のイメージがあった達也がだが、今回の目的はあくまで会場周辺の下見という体の周公瑾捜索の一環だ。観光目的の飲食のリサーチは確かに不足していたと言えるだろう。

 

「できた湯葉を竹串で引き上げて食べるから、単純に食べ終わるまでの時間がかかるのよね」

「なら、別のメニューの方がいいかもしれないな」

 

日程の都合上、時間に余裕がある調査とは言えない。雅と光宣の協力があってそれなりに捜索範囲が絞られているとはいえ、途中で戦闘となる事態も想定している。そうなれば自衛目的だとしても警察の事情聴取や学校への説明など後処理にそれなりに時間を取られることは確実だった。優雅に食事を楽しんでのんきに京都観光というわけにはいかない。

 

「食べて早々乗り込むのはあまり行儀がいいとは言えないわよ」

「客として入っているだけでそれなりに回りくどいと言えないか」

「こちらの流儀では早急すぎるって言われてもおかしくはないわよ」

「あの出迎え(・・・)をしておいて、態々その流儀に付き合う義理はないだろう」

 

雅の言う行儀の良い対応をしていれば伝統派の男への接触は確実に日を跨いだ翌日ということになる。時には面倒な手順を踏んで人を介して事を進めることが必要になる場合も理解しているが、達也としては今回のことは早急な対応というわけでもなく、そもそも監視を仕掛けてきた相手に使う義理はない。

 

「あの、達也さん。ここで食事は大丈夫なのですか」

「表向きは真っ当な商いを行っているようだ。それ関して問題はないだろう」

 

光宣は不安そうに達也に尋ねたが、達也はその必要がないと判断していた。

 

「仮に何か入っていればどんなものか俺には分かる。それに先ほどの男の雇い主らしき男の気配が店の奥にあった。裏からでも逃げ出せばすぐにわかる」

「………達也さんって、何でもありなんですね」

 

光宣が素直に感嘆を漏らした。光宣の周りにも優秀と言われる魔法師が揃っており、光宣自身もそれなりの腕の良い魔法師だが、あくまで魔法師として有能であり、達也のようなことができる人物を他には知らない。九重の千里眼ならできるだろうが、その実力は光宣も底を見たことがないので、あくまで推測でしかない。光宣にとっては一つしか学年が変わらないのにこれほどまで有能な人物を目の当たりにしたのは初めてだった。

 

「できないことの方が多いぞ。それより、光宣はそんなに簡単に俺の言葉を信じてもいいのか」

「僕に対して嘘をつくメリットもないでしょう。それにもし仮にできないことの方が多くても、できることを認められて雅さんといるんでしょう」

 

眉時を下げて、光宣はやや固い笑みを作った。その表情は憂いにも困ったようにも、悲しそうにも見える。この場では口にすることのできない想いが滲み出るような、そんな表情だった。

僅かながらに沈黙が訪れる。

店内の喧騒がまるでBGMのようだった。

 

「………ひとまず注文をしてしまおうか」

 

達也は隣に座った雅から端末のメニューを受け取った。

 

達也に光宣の気持ちを肯定することはできない。達也という相手が決まっている雅に横恋慕をしていることは光宣自身が重々承知しているはずだ。それに伴う感情の整理は光宣自身がつけなければいけないことであり、達也が口出しすることは何もない。

かつての達也ならば雅のことを一番に考えられない自分ではなく別の誰かが幸せにしてくれるならば、と身を引く考えも残っていただろうが、自身の感情を自覚してからはその選択肢はすでにない。

九島家が光宣の感情を優先して雅を求めるために手を尽くすならば別だが、現段階では達也にとって光宣は協力者だ。第一優先は任務の達成であり、そこに絡まる思惑はひとまず排除していた。

 

「そうですね」

 

光宣は空気を壊してしまったことを詫びるように、申し訳なさそうに小さく頭を下げた。

 

 

 

達也と光宣は湯豆腐、女子三人は湯葉入り豆乳鍋を注文し、和気藹々と食事を楽しんだ。光宣の心配は杞憂に終わり、食事自体は真っ当な、それなりに美味しいと言えるものだった。

水波などはかなり気に入ったようだったが、達也や雅は老舗料亭で出されても遜色ない湯豆腐を知っているため、まあ観光客向けならこんなものかと特別感動もしなかった。

 

食事が終わり、一息ついたところで適当な偽名を名乗って生駒の九島さんの紹介ということを店員に伝え、店主に挨拶したいと申し入れた。珍しいことではないのか、店員は確認してくると一度厨房の奥に下がっていったのが見えた。

 

「応じると思いますか」

「そうでなければ、別の手を考えるまでだ」

 

達也の見立てでは伝統派の頭目がこの話に乗ってくる可能性は高いとみている。伝統派が雇った探偵がこの場を教えたことは九島の名前だけで相手は理解する。因縁の九島家の者を前に過激な連中が手を出してこないとも限らないが、今のところ殺気立った気配も武装している集団も達也の眼には見当たらない。

 

 

あまり待たせることなく店員は達也たちの席に戻ってきて、店主が面会に応じることを伝えた。

店員に案内され、通された部屋は座敷ではなく和洋折衷の客間だった。漆塗りのテーブルに透かし彫りがされた精巧な作りの椅子は、応接セットとしては一目で高級なものだと分かるものだった。

呪い師と雅から聞いていたため、ここまでくる間に達也は精霊の眼を使い、廊下や部屋の中をくまなく見てみたが、術が仕掛けられている気配は一切ない。

中にいたのも一人であり、達也たちがこの店に訪れてからこの男が接触したのは店員だけのようだ。少なくとも歓迎はされてはいないだろうが、敵対の意思は今のところないことが伺えた。

5人が部屋に入り引き戸が閉まるのを確認し、頭を下げていた作務衣姿の店主―――古式魔法師の男は顔を上げると目を見開いた。それは光宣や深雪の美貌に目を奪われてではない。男は正面に位置していた雅を凝視した。

 

「なぜ、貴女が……」

「突然の訪問にもかかわらず、この度は快く場を設けてくださりありがとうございます。実際にお目にかかるのは初めてですが、私のこともご存知頂いているようで恐縮です」

「え、ええ。まさかこのような場所でお目にかかれるとは思いもよりませんでした」

 

上品に柔らかな笑みを浮かべる雅に対して、伝統派の男の額に浮かぶのは脂汗なのか冷や汗なのか、緊張が手に取るようにわかる。九島家の訪問を想定していた男にとって予想もしなかった雅の登場に男は目だけは(せわ)しなく動いており、何か考えを巡らせているのが伺える。

 

男は目尻のしわや白髪の具合から50代ほどに見えるが、魔法師は老化が早いものもいれば、逆に何時までたっても老化が目立たない者もおり、あまり見た目の年齢があてにならないこともある。第九研究所は研究所の中では最後にできた研究所ではあるが、男がそれほど年を取っていないことに少し意外感があった程度だ。

 

男は5人を立たせたままだったことを詫び、椅子をすすめた。席には雅を中央にして隣には達也と光宣が付いた。部屋にあるのは8人掛けの大きな机であるが、並んでは3人までしか座れないため、机の短辺には水波と深雪が座ることとなった。達也と深雪の関係で言えば深雪が雅の隣に来ることが上座・下座で言えば正しいのだが、この場では話を進める都合上、達也が深雪より上座に位置している。

 

「お伺いも立てずに申し訳ありません。ですがこちらに伺う前にとても丁重にお迎え(・・・・・)をいただいたものですから、ぜひ挨拶をさせていただこうと思いまして―――。お食事も楽しませていただきましたこと、重ねてお礼申し上げます」

「とんでもございません。粗末な店ではございますが、お口に合ったのでしたら幸いです」

 

丁寧だが含みのある雅の言葉に、男は声をわずかに上ずらせながら頭を下げる。男は冷静を取り繕うとしているが、それすら目の前の雅には見透かされている。

少女の域を出ない雅に対して、父親ほど年齢の離れた男が恭しく恐怖と緊張が入り混じった態度を見せるのはどこか奇妙ではあるが、雅の雰囲気に気圧されていることは言うまでもない。

 

「それにしても九重と九島は少し距離を置いていると聞き及んでおりましたが、この度は如何様(いかよう)なことでございましょうか」

 

光宣と雅を交互に見ながら男は問いかけた。彼の耳には九重と九島が友好関係から一歩遠退いていることは届いているのだろう。広いようで狭い古式魔法師の界隈で、九島をはじめとした第九研究所出身の魔法師に反感を抱いている伝統派ならば、敵対する組織の情報は掴んでいて当然のことだった。

 

「それは、あなた方が一番よくご存じではありませんか」

「………何のことでございましょうか」

 

雅としては九島との関係を突かれたところで痛くもかゆくもない。

男は声色こそ変わらなかったものの、一瞬男の目が泳いだことを雅も達也も見逃さなかった。あくまで白を切る男に、雅は殊更優しく重ねて問う。

 

「そうですね。今、あなた方はどこにいらっしゃるのでしょうか」

 

口元には笑みを携えたまま、視線だけは刃のように鋭い雅を前に男は膝の上で握っていた手に力が入る。それは小娘に(あなど)られているという怒りからではなく、答えを間違えれば奈落の底に落ちるかのような絶望が目の前に広がるよう感じられたからだった。時間が経つごとに真綿でゆっくりと首を絞められるかのようで、答えるために視線が合っただけでまるで首筋に刃を添えられたかのような雅のプレッシャーに男は唾を飲み、絞り出すように口を開く。

 

「私どもは、既に『九』と事を構えるつもりはございません」

「それはそちらの総意ですか」

「いえ。あくまで私の考えです。最初は私も第九研究所のやり方に怒りを抱いていました。いつかは目にもの見せてやると意気込んでおり、その怒りは仲間の内でも特に激しいものでした。だからこそどの宗派にも属さない者たちの旗頭として担がれたのだと思います」

 

この状況を前に白を切るのを止めた男の言葉は、少なくとも嘘ではないようだった。

 

「頭目としての役割は不本意な結果だった、と仰るのですね」

「少なくとも私はそう思っております。それでも最初は真面目に報復を考えておりました。具体性は皆無でしたが、その矛先はあくまで第九研究所に対するもので、なにも祖国を裏切るつもりはなかったのです。いくら心の内で炎を燃やそうとも、時間は偉大な万能薬です。全ての傷を癒してくれる。例え元通りにはならなくとも、新たに見えてくるものもあるというものです」

「時間だけでは治らない傷もあると思いますが?」

 

雅のゆったりとした問いかけに男はもう一度唾を飲み込み、漏れそうになるため息を押し込んだ。

 

「同じところに傷を重ねているだけですよ。火に燃料を注ぎ込まなければいずれ消えてしまうのと同じです」

「そうですか。―――では、抽象論はこれぐらいにしましょうか」

 

視線だけで彼女は、話の進行を達也に引き継いだ。

 

「まず初めに確認しますが、貴方は何をもって我々に敵対心がないと示していただけますか」

 

前振りもない達也の言葉に男はやや不躾だとは思ったものの、雅が発言を許しているこの状況で彼にそれを咎める権利はなかった。

 

「先ほど貴方は祖国を裏切るつもりはなかったと言った。つまり大陸からの亡命導師の受け入れには否定的であり、合わせて第九研究所への対立を止めるという事でよろしいですか」

「正直奈良の連中のやり方は理解できません。獅子身中の虫となると分かっていながら、なぜ大陸の術師を受け入れるのか。彼らの忠誠心は祖国にしかないと言うのに」

「それが口先だけではないという証明をしていただきたいのです」

 

言葉だけでは信用できないと言う達也に、伝統派の男は隠しもせず深くため息をついた。

 

「それで私に何を求めていらっしゃるのですかな」

「我々は横浜から逃げてきた華僑の魔法師を探しています。名は周公瑾。この国に様々な厄災をもたらしています」

「私などが知っている程度の情報は九重ならばご存じではないのですか」

 

ちらりと男が雅に視線を向けるが、雅は笑みを浮かべるに留めた。答える気はないと無言で示している。

 

「彼女は別件で同行していただいているだけです」

 

雅の代わりに達也が答える。別件という言葉は必ずしも正しい言葉ではなかったが、論文コンペの下見という建前がある以上間違いでもない。

 

そして男に聞き出そうとしていることは、四葉から達也に与えられた依頼に関わることである。四葉からの任務という命令ではなく、仕事としてどの程度の実力を示すことができるのか試されていると達也は推測している。

九重の手を借りることは禁じられているわけではないが、管轄が移った以上、九重はこの件から手を引いているという体裁になる。そうなった以上、雅の同行はまだ許容されても、九重として頼ることはできないでいるのが実情だ。

 

「分かりました」

 

男は観念したようにうつむき、首を縦に振った。

男の話では周公瑾は宇治川を越えた南にはおらず、まだ京都市内に潜伏しているとのことだった。宇治川は一種の結界としての役割を持っており、川の水を聖別することによって特定の敵がそこを越えたのかどうか判別できるのだと言う。川の水の全てを浄化するのではなく、あくまで一部の水を聖別しているだけなので、結界の作用としては精々警報程度の識別作用しか持たないが、なまじ機械による判別より相手に気付かれにくく、情報を読み出す術者によって個別の設定ができる利点がある。

この店主はその結界の管理者の一人であり、周公瑾を危険と感じてからは彼が宇治川を越えたかどうかずっと監視していたのだと言う。

 

「それと鞍馬寺と嵐山の連中には気をつけなさい。あの者たちは随分と大陸の術者たちに取り込まれている」

「貴重な情報感謝します」

 

聞きたいことは聞けたと達也は雅に視線を向けた。

 

「この度はお時間を取っていただいてありがとうございました」

「とんでもありません。どうぞ良しなに」

 

殊更丁寧に頭を下げる男に雅は最初と同じ笑みを向け、退室した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

店を出て時間を確認するとまだ日没までの時間はあり、他の場所を見て回る時間は十分あった。

 

「これからどうしますか」

 

参道の坂を下りながら光宣は達也に問いかけた。

あの呪い師は鹿苑寺の一派については言及しなかった。雅も鹿苑寺の優先順位は低いと言っており、男の発言と雅の発言は少なくとも矛盾してはいない。

 

「宇治川より北と言われても範囲は広い。5人で探すにしてももう少し情報がほしいな」

「一度、向こうのグループの状況を確認する?」

 

雅は端末を取り出し、連絡用のアプリを立ち上げたところでわずかに表情を変えた。

 

「何かあったのか」

 

付き合いの長い達也だから分かるような些細な表情の変化だったが、来ていた連絡が好ましくない内容であることは伺えた。

 

「燈ちゃんからよ。あっちのグループは忍術使いと交戦することになったみたい。幸いこちらに怪我人もいないし、偶々来ていた一条君に助けられたそうよ」

 

深雪と光宣は交戦と聞いて一瞬顔を強張らせたが、怪我人はいないと聞いてすぐ胸を撫でおろしていた。

 

「一条もおそらく会場の下見だろう。三校も流石に去年の一件があってか警戒はしているようだな」

 

各校が事前に会場周辺の下見を行うことは不自然ではない。事実その対応に二高は動いていることはここにいる者たちにとっては既知のことではあったが、一条が今日京都に下見に訪れることは初耳だった。恐らく二高には連絡を入れずに十師族として独自に動いているのだろうと達也は判断した。

 

「それで、エリカたちは?」

「まだ連絡がないから、警察署で事情を聴かれていると思う。幸いあの辺りは監視カメラの多いところだからから、正当防衛は成立するし、燈ちゃんがいるなら大きな問題にはならないと思うわ」

「エリカや一条ではなく、香々地が?」

 

達也は香々地の家系についてそれほど知っているわけではない。本人は統合武術の中学・高校の王者であり、探知より戦闘を得意とした古式魔法師という事は知っている。雅とも遠縁であるそうだが、ほぼ血縁はないに等しいほど遠いらしい。

 

「二人もそうだけどこちらは魔法を使える警察官も古式魔法師の出身が多いから、彼女がいるだけで下手に拘束時間を延ばされることは無いだろうし、おおよその魔法を使う剣士が千葉の流派を経験するように、こちらで無手の近接戦闘においては香々地の名前を聞かない人はいないのよ」

 

こちらでそれなりに名の知られた古式魔法師ならば『千葉』や『一条』よりも警察に対してコネは使いやすいのだろう。

 

「それほど有名だったのですね」

「こっちの警察や軍の新人魔法師で燈ちゃんに投げられていない人はいないと思うわ」

 

雅の発言に水波と光宣は意外感を示した。

燈は同世代の女子から見ても小柄だ。身長は150㎝に届くかどうかであり、はっきりした物言いはするものの、裏表のない明るい性格と受け入れられる。それが成人した魔法師を投げ飛ばすと言われれば、冗談か誇張にしか聞こえないのも無理はない。

 

「メールが来ていたのはいつごろだ?」

「私たちが清水寺を回っているころよ。忍術使いの素性として可能性が高いのは鞍馬寺や伊賀だけれど、どこかまでは記されていないわね」

 

時系列を考え、達也はしばし考え込む。

 

「監視カメラ映像の確認と現場確認。事情聴取で長くても夕方には解放されるか」

 

自分の考えを纏めるように達也はつぶやいた。達也もそう経験があるわけではないが、魔法師であっても学生を長時間拘束することは無いだろうと試算した。

 

「少し早いが深雪たちはホテルに先に戻っていてくれ」

「お兄様はどうされるのですか」

「鞍馬寺方面を調べてみる」

 

当初は方角からしても明日の嵐山の捜索に合わせて鞍馬寺方面を調べるのが良いと考えていた。しかし伝統派の襲撃があった以上、周も何らかの動きを見せている可能性はある。未だにその背中さえ見えてこない以上、可能性の高いところは潰してしまった方が良いと達也は考えている。

幹比古たちの襲撃が伝統派の独断であるのか、周の差し金であるかも今のところ判断できないが、忍術使いとなればわざわざ伊賀の忍術使いを連れてくるより鞍馬寺の者だと考えるのが妥当である。

 

「一人で向かわれるのですか」

「あの男の言葉を全面的に信頼するわけではないが、仮に周公瑾の指示だとして幹比古たちの襲撃に失敗したとなれば拠点を移動する可能性もある」

「達也さんの実力を疑うわけではありませんが、その周公瑾はかなりの実力者なのでしょう」

 

光宣は暗に達也の単独行動に異議を唱えた。

周公瑾は黒羽貢の腕を奪い、四葉家の諜報網を潜り抜ける実力者だ。捕捉されたとしても形跡らしい形跡を残さず移動しており、ある程度絞り込めたとは言え範囲は広く、未だに正確な所在地はつかめてはいない。鞍馬寺が大陸の導師たちに取り込まれていても、周の痕跡が一切なく無駄足に終わる場合もある。それと同時に周と接触して戦闘になる可能性も捨てきれない。

 

「私も今回は勧めないわ。バックアップ体制も整わない上で協力者のいる状態の周を相手取るのはリスクが大きいのではないかしら」

 

今回、達也にはムーバルスーツもなければ、黒羽のバックアップもない。

伝統派の古式魔法師に後れを取るとは思わないが、万が一周を見失った場合、黒羽の追跡の手がないのは痛い。

一度達也が接触し、戦闘となれば周は益々巧妙に行方を眩まし、捜索はさらに難航するだろう。そうなれば任務達成の難易度はさらに上がることとなる。

 

「すまない。少し焦っていたようだ。確かに今日鞍馬寺に乗り込むのは得策ではないな」

 

周の捕捉の可能性と戦闘時のリスクを考えて、達也は鞍馬寺へのアプローチを断念した。

 

「達也さんでも焦ったりするんですね」

「光宣は俺をどんな完璧人間だと思っているんだ」

「少なくとも僕が張り合いのある相手と思うくらいには」

 

心外だと呆れたような達也物言いに、光宣は達也ではなく雅を見たのち、達也に視線だけを向けながらそう言った。二人の間で視線がぶつかり火花が散ったように見えたのは深雪や水波の気のせいではないだろう。

雅はそんな様子に表面上は無反応を貫いている。

 

「宇治の方面は陸軍の補給基地もありますから、僕の方から響子姉さんに頼んでみます」

「ああ。頼む。次の行先は歩きながら考えよう」

 

来た時と同じく注目を集めながら、5人はひとまずコミューター乗り場へと向かった。

 





イチャイチャが書きたい(*´>д<)
シチュエーションばっかり浮かんでいるので、そのうち公開します。

感想、誤字脱字の指摘ありがとうございます。お気に入りも気が付いたらたくさんの人たちにしていただいて、感激です。


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古都内乱編12

短めです。そして進んでない。いいんだ。原作でも京都の下見に尺が取られてたんだから

イチャイチャさせたい(/・ω・)/





 

 

警察の事情聴取から解放された幹比古たちは、体力的な消耗や魔法力的な消耗はともかく、取り調べでの精神的な消耗からその後の捜索は打ち切り、予定していた時刻より早いがホテルに戻ることにした。達也たちに連絡を取ってみれば彼らも諸事情で早めに捜索を切り上げたという事でお互い都合がよかったのもある。

 

取り調べに千葉や一条、香々地の名前が影響したことは否めないが、無罪放免が言い渡されたのは路上に設置された監視カメラと想子センサーの記録によるところが大きかった。古式魔法は現代魔法に比べて想子センサーにかかりにくいとはいえ、単に術者の特定が難しいだけであり、魔法が使用された形跡はしっかりと記録される。死者が出たとはいえ加害者の一人を生かしていたこともあり、5人は日が暮れる前には警察署を後にすることができた。

 

状況報告と現状確認も含め、一条将輝を連れて宿泊先のホテルに戻った5人は丁度チェックインをしていた達也たちと鉢合わせた。

ロビーのエントランスで座って待っていた雅は5人に駆け寄った。

 

「お疲れ様。みんな、大丈夫だった?」

 

雅の確認は単に怪我の心配だけではなかった。初動で担当した刑事が魔法師ではない場合や現代魔法師嫌いの場合、よそ者であるエリカたちが不利益な調書を取られなくとも無駄に取り調べを長引かされたり、しつこく正当性を疑われたりすることは否定できない。

 

「かすり傷一つなしや。最終的に知り合いの刑事さん来はったからスーっと話は終わったで。まあ、学校には連絡行くやろうけど、コンペには影響ないやろ」

 

燈は問題ないと軽く手を振った。

 

「一条君が助太刀してくれたのでしょう。ありがとう」

「いや、礼を言われるまでもない。こちらとしても見逃せない事態だったからな」

 

将輝は達也と深雪が来ていることは幹比古たちから聞いていたが、雅が来ていることはこの時まで知らなかった。しかし一高の下見に京都出身の彼女がいない方が不自然だと思い直したのか、そのまま会話を続けた。

 

「エリカも無事で安心したわ」

「まあ、ちょっとヒヤっとしたところもあったけどね。ネチネチ警察に絡まれなかっただけマシよ」

 

エリカは疲れたように肩を竦めた。彼女にとっては戦闘そのものの疲労より、取り調べの拘束時間の方が負担だったようだ。

 

 

 

荷物を受け取り終えた達也と深雪が会話をしている6人に近づくと、将輝は深雪を見つけて途端に目を輝かせた。

 

「一条」

「司波さん」

 

一条に呼びかけたのは達也だが、一条は深雪に呼び掛けた。甘いルックスに花が舞うようなはにかむ笑顔に、呼びかけられた深雪は反射的に余所行きの笑顔を張り付けた。

敬愛する兄の呼びかけを無視するとは何事だと内心思いながらも、エリカたちを助けてくれた手前、会って早々それを指摘するのは憚られたため、万感の思いで深雪はその言葉を封じた。恋は盲目というべきか、はたまた深雪のよく鍛えられた鉄壁の笑顔というべきか、深雪の不機嫌は将輝に悟られることはなかった。

 

「お久しぶりです、一条さん。京都にいらしていたのですね」

「こちらこそ、ご無沙汰しております。来週の論文コンペの下見をと思いまして」

「自分らと違って学校無断欠席やけどな」

 

二人の会話に割り込むように燈が指摘すると、将輝は少し不機嫌そうに言い返す。

 

「それは既に終わった話だろう」

「ウチが助言してやったからやで。感謝しいやプリン」

「だから、その呼び方はなんだ。しかも食べ物になっているぞ」

 

将輝も燈の軽口にいちいち反応するのだから、燈のトークは加速する。外野のレオやエリカなどはニマニマと笑みを浮かべている。

 

「見通しも根回しも甘っちょろいプリンスはプリンで十分や」

「その点に関しては甘かったのは認めるが、せめてその呼び方はどうにかならないのか」

「はいはい、そうカリカリすんなやプッチンプリン」

「プッチンプリン!?」

 

燈と将輝の掛け合いに、堪らず深雪とエリカは笑い声を漏らす。

燈との幼稚なやり取りを深雪に笑われ、途端に将輝は顔を赤らめる。

こんなつもりではなかったと一条は燈を恨めしく睨むが本人はどこ吹く風。好きな女の子の前では格好つけたいお年頃の将輝にとっては、調子を狂わせられる燈は一種の鬼門だった。

 

「一条さんは京都に宿泊予定ですか」

「ええ。ホテルは隣のKKホテルですが、明日も下見の予定です」

 

深雪に話しかけられた将輝は姿勢を正して答えた。

 

「よろしければ今回の一件のお話を聞かせていただいても構いませんか」

「勿論です」

 

深雪の提案に将輝は二つ返事で了承した。

その様子に達也と雅は顔を見合わせてやや呆れたように笑みを浮かべている。どうやら恋した相手を前にしては達也や雅など既に視界に入っていないのだろう。

 

「一条と雅、それと香々地は先に会議室に向かってくれ」

「会議室?」

 

将輝は今度はきちんと達也に聞き返した。下見の宿泊にホテルの会議室まで取っていることに、意外感があったのだろう。

 

「コンペ前日にもリハーサルで使うから設備の確認を含めて借りているんだ」

「そうなのか」

 

ホテルの客室は原則宿泊客以外の立ち入りを禁止している。元々宿泊予定のない雅や燈と打ち合わせをする目的もあり、予約をしていた。会議室の規模から将輝一人増えたところでは問題なかった。

 

「じゃあ私たちは先に会議室に行って準備しているわね」

「ああ、頼んだ」

 

雅と燈、将輝は会議室に向かい、残りはエレベーターに乗り込み宿泊の部屋へと向かった。

 

 

 

 

 

 

荷解きは後ですることにして、ホテルに宿泊するメンバーは準備が整った会議室にやってきた。防音設備のしっかりとした会議室ではあるが魔法的な探索を警戒して、雅と水波の手によって盗聴防止の遮音障壁と人除けの結界を用いて会議室の機密性を高める。

 

当初の予定と違い、将輝がこの場にいることでエリカたちは今回の一件を達也の軍務であると言わずにどう将輝に伝えるか思案していた。

 

「一条、去年の横浜事変で大亜連合侵攻軍の手引きをしていた魔法師が京都方面で匿われていることが分かった。俺はその捜索任務として来ている」

 

しかしその思案は本人によって不必要なものへと変えられた。エリカたちだけではなく、深雪や雅も想定外だったのか、顔を見合わせ一瞬戸惑いの表情を浮かべる。

 

「任務だって!?司波、お前……」

「第一高校の生徒であると同時に俺は国防陸軍一〇一旅団独立魔装大隊所属の特務士官でもある」

「なん……だと」

 

その言葉が嘘ではないことは、彼の隣で沈痛な面持ちの深雪が物語っている。

 

「一条、言うまでもないがこのことは他言無用だ」

「分かっている」

 

十師族として次期当主と目され、13歳で既に義勇軍として佐渡防衛の任務に当たった将輝にはその機密の重要性が分かる。

国防陸軍一〇一といえば、大天狗と畏怖される風間玄信少佐が率いる部隊として将輝も耳にしたことがある。横浜事変の一件では大亜連合の強襲にいち早く駆け付け、飛行魔法師部隊を展開させ、市街地における敵勢力の制圧に大きく貢献したと父伝えに聞いていた。

 

司波達也が魔法工学理論と体術において並外れた実力を持っていることは将輝も痛感している。妹の深雪の才能も無視できるようなものではなく、九重の直系と縁組できるともなればそれなりに名の知られた血筋である可能性も視野に入れていたが、今のところ九重によって匿われているのか彼らの素性を洗っても怪しい点は一切見当たらない。だがその理由も今となっては納得がいく。

 

それ以上に未成年が戦場に出るという意味を将輝が理解していないわけがない。

戦場は戸惑いなく引き金を引ける者だけが生き残る。相手が大人だろうと、顔見知りであろうと、女性であろうと、敵兵としてこちらに銃を向けた以上は排除すべき対象となる。ただ者ではないと思っていたが、特務士官という肩書も達也の口ぶりから昨日今日の話ではないだろう。

 

「その工作員は今回の論文コンペでもなにか騒動を引き起こす可能性が高い。幹比古たちはコンペの安全確保を兼ねて手伝ってくれている」

「工作員の素性は分かっているのか」

 

将輝は動揺を押し殺し、達也に説明を求めた。

 

「周公瑾と名乗っている。外見は20代前半の青年、正確な年齢は不明。写真を見る限り整った顔立ちと長髪ということは分かっている」

「周公瑾だと!?」

 

将輝は聞き覚えのある名前に思わず奥歯を噛みしめる。

 

「知っているのか」

「横浜事変の際に中華街に逃れた侵攻軍の引き渡しを迫った。その時に対応した男がそう名乗っていた」

 

横浜事変の折、将輝は義勇軍として大亜連合の魔法師工作部隊と交戦し、侵攻軍の一部の者は同胞の多い中華街へと逃げ込んだ。その連中の引き渡しを求めて素直に応じたのがこの男だった。

何か裏があるのではないかと疑っていたとおり、引き渡しが終わると静かに中華街へ戻ろうとする周を四楓院の男は攻撃した。将輝は突如始まった戦闘に呆気に取られていたのと、工作員を正規軍に引き渡す責任もあったため、四楓院の男も周の姿もその後は知る由もなかったが、そもそも侵攻の手引きをしていたのなら四楓院の攻撃にも納得がいった。

 

「その男が京都に潜伏しているなら九重家ならば何か掴んでいるのではないか」

 

九重と四楓院に繋がりのあることは現行の十師族当主ならばほぼ知っている。将輝も横浜事変に関わった後に父からその存在について知る限りのことは聞き及んでいる。

文字通り千里を見通し、その正確さから未来まで見通すと言われる千里眼ならば、一度手の内の者が交戦しているならばその所在も明確に掴んでいるのではないかと将輝は考えたのだった。

 

「一条君、私に九重家として動けばいいのではないかということ?」

「相手が利用しとる派閥を忘れたんか」

 

それに対する雅と燈の返答は冷たいものだった。

 

「…すまない。考えが至らなかった」

 

将輝は敵勢力図とこちらの人員を思い直し、失言だったことに気が付いた。

 

「すまん。俺もまだよくわかってないんだが説明してもらえるか」

 

レオが恥を忍んでか、会話の説明を申し出た。エリカも無言で巻き込むなら詳しく話しをしろと雅ではなく達也に鋭い目で訴えている。

 

「九重さんが、九重家がこの状況下で周公瑾の捕縛に乗り出せば伝統派と諸派の内乱になる危険が高いんだ」

 

確かに先ほどの会話だけでは言葉足らずではあっただろうと、主にエリカを宥めるためと自身の考えに間違いがないか確認するため、幹比古が説明を買って出た。

 

「第九研究所への恨みから『九』の各家や現代魔法師に反感を持つ伝統派とそれと対立する組織。大まかに分けてしまえば、古式魔法師はそのどちらかに属する」

「んで香々地(ウチ)も吉田も九重も伝統派とは反目する家や。特に九重が伝統派を敵として対立するなら、最悪こっちの軍や警察の魔法師は統制が効かんようになるで」

 

呆れたように肘を付きながら、燈は深くため息をついた。

 

「古式魔法師の家の出身言うたかて、いちいち流派ごとに組織分けされとるわけやない。今日の一件で吉田の坊ちゃんは関東の人間やから多少抗議したところで日和見連中の牽制程度やろう。ウチが攻撃されたかてまあ大したことにはならんけど、九重が動いて伝統派が匿っている奴を捕まえるいうことは伝統派の連中はいよいよ後がない。んで、馬鹿な奴は保身に走って軍と警察の所属やろうと周を逃がしにかかるんやで」

「軍や警察が!?」

 

燈の発言を静かに聞いていたエリカが驚愕の声を上げた。声こそ上げなかったものの、レオや幹比古、将輝や光宣までも顔には驚愕を浮かべている。いくら古式魔法師の間の溝があったとしても、国家の保安を司る組織が対外勢力の息のかかった人物を逃がしにかかるなどとは耳を疑った。

 

「敵さんが一人かどうかは知らんけど、いくら伝統派が甘言に乗せられとったとしても、ちょろすぎる。精神支配系か認識操作系、もしくは両方の魔法を使った二枚舌の可能性もあるやろ」

「鬼門遁甲以外にも警戒が必要というわけか」

 

達也もその可能性を捨ててはいなかった。実際、その方が内部工作員としては有用な能力だろう。

 

「まあ精神操作系魔法とか鬼門遁甲の対処は一旦置いといて、今回の件はみやちゃんが論文コンペに合わせての散策ならまだ言い訳が効く。けど、九重家そのものもが動くなら火薬箱の中に爆竹ぶち込むようなもんやで。伝統派が九重に楯突いたなら連鎖で比叡山や芦屋も動くで」

 

芦屋も比叡山も伝統派とは対立する組織だ。芦屋としては伝統派の処罰に九重が動いたとなれば、陰陽系の筆頭として動くことは予想される。次期当主が雅に入れ込んでいるとあれば、恩を売りたい思惑も理解できる。また、延暦寺は雅の叔父である九重八雲が住職を務める九重寺の本山である。元々比叡山は伝統派に対して粛清やむなしの過激派寄りであるため、この期を逃すはずがない。

 

「そうなれば人探しどころじゃなくなるな」

「ついでに内乱おっぱじめたら大亜連合や新ソ連が侵攻してくる可能性もあるで」

 

この発言は達也も聞き捨てならなかった。

 

「侵攻の準備がされているのか」

 

新ソ連や大亜連合の軍が動いているという話は達也の耳には入っていない。

だが、横浜事変の際も侵攻の直前まで、本格的な戦争をすべく大亜連合の艦船が集結している情報を軍諜報部は掴めていなかった。その結果、日本は新たな戦略級魔法師が存在する可能性を他国に知られる危険性を冒してまで、戦略級魔法(マテリアルバースト)を用いて大亜連合の基地及び艦隊を消滅させたのだ。文字通り朝鮮半島の一部が地図上から消失したこの一件は、灼熱のハロウィンと世間で呼ばれている。

大亜連合の被害は尋常ではなく、表沙汰にはされていないが戦略級魔法師も死亡していることがほぼ確定しているためしばらく大規模侵攻はないと達也は踏んでいたが、どうやらその想定が甘かった可能性はある。なにせ人口規模にものを言わせた物量戦は大亜連合が古くから得意とするところだ。早急に藤林か風間に確認が必要だと達也は予定を一つ追加した。

 

「国内の眼が一か所に集まっている隙を突くのは戦争の定石やろう」

「僕もそこまで考えてなかった」

 

幹比古は古式魔法師の内乱を最悪の想定としていたが、事と次第によっては開戦となると聞かされ、顔を青くしている。

 

「忘れとるかもしれんけどまだ戦時中やで。5年前の沖縄侵攻に合わせて新ソ連が佐渡でなにやったかなんて態々一条の坊ちゃんに説明する必要はないやろ」

 

表情が良くないのはなにも幹比古だけではない。敵味方の血にまみれ、地獄のような戦場を進み、クリムゾン・プリンスという二つ名が付いたあの戦争は将輝の脳裏にこびりついている。

 

「燈ちゃんは最悪の可能性を提示したけれど、少なくとも私個人で論文コンペの安全確保という名目で動く部分に関しては咎められることは無いわ」

「とりあえず明日の行動について話を進めよう」

 

場の空気が俄かに重くなりだしたころ、達也と雅は目下の行動について話題を切り替えた。

燈の想定は昨年と同じ状況を仮定してのものだ。

達也の目的はあくまで周公瑾の捕縛。そこを押さえないことには今後も脅威はなくならない。最悪の事態が示されたとはいえ、明日行うことも同じく変わることは無い。

 

「これが京都市内の地図で、宇治川がここね」

 

雅はスクリーンに京都市内から宇治の一部が表示された地図を示した。

 

「周が最後に目撃されたのが先週。場所は今日私たちが下見に訪れた三千院だそうよ」

「そうなると意外と範囲が広いな」

 

将輝は地図をじっくりと見る。それなりに京都には足を運んだことがあるが、この人数で人一人を見つけるには範囲が広いのは確かだった。下見という体裁をとっている以上、警察に協力を求めて路上の監視カメラを当たるわけにはいかない。第一その権限は今の自分達にはない。

 

「そうでもないわよ」

 

雅は端末を操作し、スクリーンの画面を切り替えた。

京都市内の地図の大半が濃淡の異なる青に塗りつぶされ、塗りつぶされていない場所のうちいくつかには赤のフラッグが立っている。青に塗りつぶされている地点をよく見れば、古くからある寺院や神社が目立ち、赤のフラッグの数はそれほど多くはなく、どちらかと言えば中心地ではなく市の外れの方に位置している。

 

「青く塗りつぶしている場所が伝統派とは対立している京都市内の古式魔法師の流派の土地。それより薄い青は魔法師と関係ない組織、または魔法師自体と反目している団体ね」

「赤のフラッグが伝統派の主な拠点ですか」

 

幹比古の問いかけに雅は首を縦に振る。

 

「伝統派って九重と敵対するくらいだからもっと拠点が多いかと思ったんだけど、そうでもないのね」

 

エリカが意外そうに地図を見ながらつぶやく。

 

「奈良に主要な拠点があるから、こっちはそれほど多くはないわよ」

 

九重が動くことは無理だが、雅が知っている知識を提供する程度なら問題はない。濃淡の異なる半透明の青で塗りつぶされた場所は7割以上に及ぶ。官公庁や民間企業などの不明個所も多いが、古式魔法師の拠点が絞れているだけで周の移動範囲は随分と狭まっている。

 

「ただ楽観視ばかりはできないわよ。宇治川は越えていないことは今日のところでわかったのだけれど、宇治川を越えずに大阪方面に向かうルートも残されているのよね」

「山伝いに鞍馬寺や嵐山方面に逃げ、そこから大阪方面に既に逃れたのなら厄介だな」

 

達也は地図を見ながら、これまでの情報を元に潜伏している可能性が高い場所を割り出していく。宇治川は桂川と木津川と合流し淀川になるが、結界が果たして宇治川のどのあたりまでを宇治川とみなしているのか不明な以上、範囲として削除はできない。プロファイリングは彼の専門ではないが、捜査の基本は藤林から仕込まれている。

 

「そこまで逃走距離が広がれば何かしらの移動手段を使わないわけにはいかないだろう。まだ京都市内に潜伏しているとみて可能性の高いところから叩いていくしかないか」

 

将輝の意見に達也も異論はない。

 

 

「当初の予定通り幹比古たちは会場周辺を頼みたい」

「分かったよ。達也の方は?」

「俺たちは嵐山と鞍馬寺の方へ向かうつもりだ」

 

清水寺近くに居を構えていた伝統派の男の話を鵜呑みにするつもりはない。嘘の中に真実を混ぜることはその虚言の信憑性を逆に強く印象付ける。裏が取れるなら重畳。そうでなければ可能性の一つがつぶれることには変わりない。

 

「なあ、みやちゃん。チーム交代してもらっていいか?」

 

燈が達也たちとの同行を申し出た。

 

「嵐山か鞍馬でドンパチすんならウチの方がええやろ」

「まだそうと決まったわけではないわよ」

 

先ほどの戦闘でやや余韻が残っているのか、燈は一戦交えるつもりだった。

 

「あっちは血の気荒い連中みたいやから念のためな。みやちゃんがそっちに付いとった方が、やられた連中の身内も馬鹿な報復なんぞしてこんやろう。光宣君はそのままでええか」

「分かりました」

 

光宣はやや不満な表情を一瞬浮かべたものの、仕方なさそうな雰囲気を隠して燈の申し出を受け入れた。光宣は伝統派ができる原因ともなった第九研究所出身の家系だ。

相手が目をつけてくるのは光宣であり、ただの会場周辺の下見よりは達也たちと嵐山に向かう方が敵を刺激しやすい。

燈は光宣に囮になってもらうことを言外に望んでいる。光宣自身それには不満がない。今回の一件は九島が見てみないふりをしてきたツケでもあるからだ。先ほど見せた不満はあくまで雅と別行動になることに対してだった。

 

「俺はどうしたらいい?」

 

将輝は正直言えば部外者だ。勝手にすればいいと言ってしまえばいいのだが、その言葉に反発しない男ではないことは達也も理解している。

それにチラチラと妹を見る目に期待が込められていることは明白だった。

 

「一条さんには私たちに同行をしていただけると嬉しいのですが」

 

深雪はそれほど相手の視線に鈍感ではない。達也から提案するより深雪が申し出た方が丸く収まると判断した。

 

「はい!お任せください」

 

深雪にはその方が将輝のモチベーションが上がるという打算的な判断はなかったと釈明しておこう。

 





プッチンプリンはイライラしてプッチンときれた一条君(クリムゾン・プリンス)でプッチンプリン。鯛の御頭にギャグセンスは期待しないでね(´・ω・`)






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古都内乱編13

ようやく京都視察終わった_(:3 」∠)_
だが、話の切れ目の関係で過去最大に1話が長いです。

21巻、22巻読みました。そして23巻が8月発売って、佐島先生の執筆スピードどうなってんの???



翌10月21日、日曜日。

 

達也たちは昨日打ち合わせたとおり、二手に分かれて京都市内を調査することになっている。

本来の目的を告げられた幹比古は、前日よりやる気と緊張感を滲ませている。過度に肩に力は入っていないが、内戦からの開戦などという最悪の想定を聞かされた以上、決して調査とは言え気の抜けるようなことにはならなかった。

雅の自宅が会場に比較的近いため、九重神宮前で合流すると昨日調査できなかった辺りを歩いて回ることとなった。

 

「おはよう、雅」

「おはよう」

 

早朝という時間帯ではないが、観光地である九重神宮には既に観光客の姿もあり、エリカたちも仲の良い友人たちと観光に来たように見える。

 

「うん………。改めてみると凄いね」

「なによ、ミキ。一人感心しちゃって」

 

独り言のような幹比古の感嘆にエリカは目敏く反応する。

 

「だから僕の名前は幹比古だ」

 

茶化し交じりの呼び方に幹比古が訂正するのもいつも通りのことだった。

 

「昨日は圧倒されて終わってしまったけど、神格の高い神社というのは本当に空気から違うと思ってね」

 

昨日は緊張していた部分もあってよく分かっていなかったが、敷地に踏み入れる前ですら目の前の場所は清廉な所であるという事が伝わってくる。

精霊も多いのは儀式を行う際に喚起した精霊がまだ残っているのだろうが、水の精霊も土の精霊も風の精霊も力強い波動を幹比古に伝えている。

心なしか雅の周りにも精霊の波長を感じるので、朝から祈禱かなにかしてきたのだろうかと幹比古は推測していた。

 

「時間があったらもう一度参拝していく?今日は特に催し物はないけれど、周りのお店も含めて案内するわよ」

「じゃあ抹茶の甘いものが食べたいな。できれば敷居の高くないところで」

「エリカ、遊びに来ているんじゃないんだよ」

 

九重神宮の参拝に心ひかれる幹比古ではあったが、能天気に観光に乗り気なエリカに釘を差す。

 

「昨日今日と続けて襲撃するほど、向こうも頭が回らないわけじゃないし、こっちには雅もいるなら余計に手は出しにくいだろうから、ホテルから会場周辺までのルートと駅からホテルまでのルートを押さえておけば十分だって昨日の打ち合わせで決まっていたでしょ」

「まあ、そうだけれど……」

 

あっけらからんと言うエリカに幹比古は口渋る。

狭いようで広い古式魔法師のコミュニティは、噂が回るのもそれなりに早い。昨日吉田家の人間を襲撃してきた伝統派の連中も、報復の考えはあっても二日続けて騒ぎを起こすほど愚かではないと分かっている。

家から出した抗議文もおそらく牽制にはなり、昨日のような大掛かりな手出しはないとみている。

加えて雅がいれば更なる牽制にもなり、監視されることはあっても排除されることは無いと昨日の打ち合わせでは確認している。

 

「あまり昨日の話を吉田君がそこまで深刻に受け止める必要はないわ。達也が依頼されて動いているってことはそちらからのサポートもあるのよ。協力まではしてもそれ以上のところまで踏み込むことはないわ」

「意外と冷静なんだね」

 

地元で騒ぎが起きているとはいえ、達也が任務としてくるほどの一件に雅が他人事のような雰囲気で説明をするので幹比古やエリカは意外感を覚えた。

 

「まさか。血で汚した人をもてなすほど寛容ではないわよ。準備だけは整えているわ」

 

三人が抱いた意外感は一瞬で消え去った。雅の穏やかそうに見える表情の奥に目だけはどこか底冷えのするような冷たさを孕んでいた。

京都という地元の土地を引っ掻き回されて、古式魔法師同士の対立を煽る周をむざむざ放置するほど九重は甘くない。その準備が何を意味するのか、分からない三人ではなかった。

 

「そういえば、九島君体調崩したって聞いたけど、雅にも連絡あった?」

「ええ、聞いているわ」

 

剣呑な雰囲気を振り払うように、エリカは話題を切り替えた。

光宣は病弱であり、学校も休むことが多い。

昨日までは調子よく過ごしていたが、明け方から熱が出て今日はホテルに残ることになっている。雅も心配ではあったが、達也から水波がホテルに残って看病に当たっていると聞いているので、そこまで酷いものではないのだろうと考えていた。

 

「それと向こうの組には七草先輩が来られるそうなの」

「七草先輩が?」

 

突如登場した意外な名前に三人が首を傾げる。

達也や深雪には親交があるとはいえ、すでに卒業し大学生である彼女が軍も絡んだ今回の調査に同行するほど親しいとは三人とも思っていない。まして真由美は十師族であり、簡単に動くには立場が大きすぎる。

 

「七草家に仕えていた名倉さんっていう方が桂川河畔で任務中に亡くなったから、その調査と言っていたわ」

「先輩本人がってことはその名倉さんの任務がよほど重要だったのか?」

 

レオはそのようなニュースは聞き覚えがなかったので、おそらくローカルニュースに取り上げられていたのか、警察や公安によって情報規制がされているのだと考えた。名倉が仮に京都に縁があったとしても、十師族のボディガードが遠方地で何かあったとなれば、それなりに重要な案件のはずだ。十師族の体裁上、たとえ殺害されたとしても身内の失敗が表沙汰にされることは権威の低下につながる。殺害されたとしても十師族とのつながりが出ないようにしているはずだ。

 

「先輩自身は名倉さんが受けていた任務の内容までは知らないそうよ。彼女の護衛として縁のあった方だったから、事件の真相が有耶無耶なのが納得いかないそうなの」

「意外と正義感溢れているのね」

 

エリカはそれほど真由美の人となりを知っているわけではないが、よく言えば公私の弁えができている、俗っぽく言えば猫かぶりの気質のある真由美のような強かな女性は、涼しい笑みを浮かべながら冷酷なことも時にはすることができると思っていた。まして十師族の七草家としてではなく、真由美が個人的な捜査をしていることが意外性を高めていた。

 

「その件に達也君が協力することにしたの?」

 

周の捜索という任務もあるのに面倒をまた持ってきたのかとエリカは疑問とあきれ顔半分だった。達也に巻き込まれることはもうエリカは何度も経験しているが、巻き込まれるのではなく恋人のいる達也に協力を迫る真由美も図々しいとも思う。

 

「横浜事変もしくは周と接点があった可能性が否定できないみたいなのよ」

「七草家が!?」

 

エリカが思わず大きな声を上げ、一瞬周りの観光客から視線を集める。慌てて咳払いをすると、観光客は何事もなかったかのように通り過ぎていった。

別件かと思った真由美の参加が、まさか今回の調査に関わる事案と聞いて驚かずにはいられなかった。

 

「七草先輩の推測も混じっているわよ。その方が亡くなる直前に横浜によく出向ていたそうだから、無関係とは思えないと言っていたわ」

「それってやばいんじゃないの?」

 

エリカが思わず声を潜めて聞き返す。年が明ければ十師族を選定する師族会議が控えている。海外の諜報員と繋がっていたなど他の家に知られれば七草家の十師族としての地位も危ぶまれる。それどころか日本を代表する魔法師の家の一つがそのように外患誘致をしていたとなれば、魔法師そのものの信用も失墜する。ただでさえ横浜事変以降、魔法師を排斥する風潮が強まっていると言うのに、この状況でそれが明るみになった場合を想像できない者はいなかった。

 

「仮にそれが事実で表沙汰になればという話よ」

 

現状、周の関与は真由美の推測に過ぎない。真相は当主と名倉、それと逃走中の周だけが知っている。表に出なければ、世論も動きようはない。

 

「会場周辺の下見を終えたらホテルと京都駅からの移動のシミュレーションをしましょうか」

「了解。行きましょ!」

 

一先ず雅たちの行動は昨日の打ち合わせ通りである。四人は近くのコミューター乗り場へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

一方の達也、深雪、燈、将輝は嵐山ではなく、その道中でコミューターを降りていた。これからもう一人落ち合う人物がいると燈と将輝は聞いていた。

 

「達也君、遅くなってごめんなさい」

「時間通りですよ」

 

ほどなくして駅前で待っていた達也たちの前に駆け寄ってきた女子大生は深雪も良く知る顔だった。

 

「あら、深雪さんたちも?」

「ご無沙汰しております。先日はお目にかかれなかったのでお久しぶりですね」

「ええ、そうね」

 

にっこりと余所行きの笑顔の深雪に対して、真由美は戸惑いを隠せていない表情で相槌を打つ。

達也は協力するとは言ったが、なにも彼一人とは真由美に言ってはいない。逆に言えば同行者がいるとも言っていないのも確かだ。

 

「一条君は初対面でもないけれど、一応自己紹介させていただきます。七草真由美です」

「お目にかかったことは覚えています。一条将輝です」

 

真由美は猫を被り直し、淑女らしく丁寧に頭を下げた。真由美は何時だったか父と共に参加したパーティーで彼を紹介された覚えがあり、尚且つ九校戦でも生徒会長として彼のことを紹介されていたが、直接会話したことはないに等しい。

九校戦で『妖精姫(エルフィン・スナイパー)』として有名であり、七草家の長女という肩書上、真由美のことは将輝も知っていた。当時、上級生同級生問わずその美貌と才能は注目を集めていたことは記憶に新しい。

 

「それと確か香々地さん、だったわよね」

 

真由美は燈と初対面ではあるが、2年連続九校戦の個人種目で優勝という経歴は耳にしている。雅の遠縁だとも聞いているので、今回の達也と行動を共にしている理由もそれだろうと推測していた。

 

「どうも。香々地燈言います。よろしゅう」

 

燈は素っ気なく簡潔に挨拶をした。雅に対する七草家の横暴は燈も知るところであり、燈個人はまだ真由美を信用していなかった。

遠距離魔法の実力は指折りだと聞いてはいるが、血生臭い近接戦闘ができるタイプではないと立ち振る舞いから判断するに評価を留めていた。

 

「ところで雅ちゃんは?」

「幹比古やエリカたちと会場周辺の見回りをお願いしています」

「そうなのね」

 

真由美としては同行者が深雪より雅の方が有難かったのだが、今回の一件で彼女が真由美に協力する義理はないことは理解している。達也の協力があるだけで助かるのは確かだったが、将輝や燈を巻き込むか、真由美はまだ決めかねていた。真由美としては一条の跡取りを顎で使うように自分の一件に巻き込むことにやや抵抗があったのだが、この状況下で話さないわけにもいかないだろうと腹をくくり、達也に名倉のことを説明しても良いと伝えた。

将輝と燈にも達也から状況を説明したのち、真由美の案内で駅から徒歩で事件を担当した刑事のいる警察署へと向かうこととなった。

 

 

 

 

 

 

所変わって、ホテルに残った水波は達也から光宣の看病を頼まれていた。

看病と言っても光宣は少し熱が高い程度で容体は安定しており、水波が甲斐甲斐しく世話をする必要はない。

ホテルではするべき家事もなければ、勉強もない。

雅から面白いと勧められた小説を読みながら、静かに部屋でのんびりとしていた。今時珍しい紙媒体の書籍だが、静かな部屋の中でページをめくるのは中々悪いことではなかった。

 

同じ年頃の男の子がすぐ近くにいるのに、水波の心はひどく穏やかだった。絶世の、それこそ目のくらむような美少年が同じ部屋にいるのに、このように寛いだ気分になれることが不思議だった。

毎日顔を合わせている深雪がいるおかげで、目を見張るような美貌が目の前にいたとしても既に慣れがあるというわけではない。

九島家で光宣を初めて見た時はそれこそドキドキと胸が震える思いをしたが、それはあまり接点のない同年代の男子に対するものであったと今になって思う。

光宣は九島の秘蔵っ子と呼ばれるほど魔法力は深雪に匹敵しうるほどであり、外見の特異性もまた言うまでもない。

そんな非凡なはずの彼に、なぜか水波は親近感を覚えている。同い年だからという単純な理由ではない。どこか自分に近い(・・)と感じさせる何かがあった。

彼に惹かれている、意識している自分を自覚してどこか緊張もしている。

 

「情けないですよね、ボク」

 

そんな考え事をしていると、光宣からの独り言のようなつぶやきに水波は思わず手に持っていた本を落としそうになった。

 

「折角雅さんの役に立てると思ったのに、一緒にいられると思ったのにこのザマだなんて」

 

今にも泣きそうなほど光宣の声は弱弱しく震えていた。

傍から見た限り、光宣は今回の調査に熱心だった。

元々は九島が引き起こした問題の後片付け的な意味合いもあるが、雅と行動できることがなにより嬉しそうに見えた。達也や水波とも普通に話はしているが、雅と会話している時ほど花が舞い散るように嬉々とした様子ではない。それが何を意味するのか、水波は深雪から既に聞かされて理解しており、雅と光宣の間に入ることもしばしばあった。

その際に非常に残念そうな顔をされることは水波の罪悪感を駆り立てたが、主人の命令の方が優先だと自分自身に言い聞かせていた。

 

「病人の弱音だと思って聞き流してください」

 

へにゃりと光宣は笑おうとするが、どこか力がない。単に熱があるからという理由だけではないだろう。

 

「光宣様は雅さんのことを……いえ、何でもありません」

 

水波は途中まで口にした言葉を閉ざした。

聞くまでもない。

聞いてはいけない不必要な話題であったと反省する。

仮に光宣が雅に好意を寄せていたとしても、それを水波の立場としては肯定するわけにはいかない。

 

「好きですよ」

 

だが、光宣は水波の質問に答えた。

まっすぐとした、迷いのない言葉だった。

光宣自身、驚くほどすんなりとその思いを言葉にしていた。

 

「おじい様に連れられて奈良で行われた九重神楽の舞台に連れて行ってもらったんです」

 

当時、光宣はまだ本来ならば観覧は許可される年齢ではなかったので、九重神楽の舞台と言っても本番前の練習を見させてもらっただけである。

それだけでも光宣の脳裏にはその光景が今でも鮮やかに残っている。

桜の淡い色が何より鮮烈で、小さいころに信じていたおとぎ話のような魔法で、ただ舞台の雅から目が離せなかった。

一目惚れだった。

 

美しさで言えば、当時はまだ少年の域を出ない悠の方をこの上なく美しいと称賛する者が多かった。それでも光宣には舞台で可憐に舞う雅が誰よりも、少なくとも知り得る限りの女の子の中で一番綺麗に思えた。

雅には将来を決められた婚約者がいると知っても、この想いを憧れまでに留めようとしても、微笑みかけられ、言葉一つでその決意は崩れ去る。

 

「でも、僕はまだなにも告げられない」

 

水波には雅に対する思いを口にできても、この想いはまだ雅本人には曖昧にしか伝えられていない。達也に遠慮はしないと言っても、光宣は意気地のない自分に嫌気がさす。

 

今の彼女からもらえる答えは決まっている。

核心的な言葉を口にすれば、今までとは同じ関係ではいられない。

親戚という雅に近づくための建前も、パラサイトの一件で九重が九島と距離を取ったことで、向かい風に変わる。

雅が年下に甘いという認識を光宣はしている。

雅は利益を狙って近づいてくる相手にはいくら押しが強かろうと譲ることは無いが、真摯な相手には本気で向き合ってくれる。

 

そう知っているからこそ、猶更言葉を押し殺してしまう。

浮かんでは飲み込んだ言葉の数は、積もり積もって心の中で躊躇いという重石に変わる。自分だけを見てほしいと思いながらも、そう口にすることを恐れている臆病者だった。

 

「初恋は実らないだなんて誰が言い出したんですかね」

 

それでも好きだと心が叫ぶ。なんて不自由で儘ならないものだと悪態を吐く。いっそ知らなければこんな苦しむこともなかったのにと思うのに、無関心でいられたらと思うのに、思い通りにはならず現実はひどく胸を締め付ける。

 

「っ……」

「光宣様!」

 

水波が慌てて椅子から立ち上がり、光宣の枕元に付き添う。

今まで弱弱しくも話ができていた光宣の呼吸が乱れたのだ。息はか細く、浅い。額に手を当ててみれば熱も上がっているようだった。

水波はフロントに連絡し、医師を手配しようと部屋備え付けの連絡端末を手にしたところで一度停止する。

 

光宣は第九研究所の作品の血を引く魔法師だ。普通の医者に見せてもいいのだろうかと思案した。魔法師は体のつくりとしては特別な器官が備わっているわけではない。中には遺伝子調整体など人為的に作られ、敏捷性や反応速度などの身体能力が強化された者も存在するが、人体の構造上は非魔法師と魔法師の差はない。それでも彼個人になにかしらの事情があるのならば、普通の医師では対応できない可能性があり、尚かつ彼個人の人体に関する情報が検査されてしまう。

だが、素人看病だけで済む領域は越えている。

水波は考えを巡らせた後、部屋の備え付けの端末ではなく自分の端末を手にして達也に指示を仰ぐことにした。

 

 

 

 

水波が達也に連絡をしたころ、達也たちは警察署を出て名倉の死体があった渡月橋で有名な桂川の川原、嵐山公園の中之島地区の方に来ていた。

連絡を受けた達也は今は通常通りの看病をすることと、藤林に連絡をすることを水波に伝え通話を終了させ、続けて藤林に連絡を取る。

元々藤林からは光宣が体調を崩した場合、連絡をするように言われており、状況とホテルの部屋を伝える。直ぐ向かうという事だったので、光宣が体調を崩すことを予期していた部分もあるのだろう。

 

「光宣君、熱でも上がったんか」

 

会話の断片を聞いていた燈が達也に問いかけた。

 

「そのようだ。藤林さんに来てもらうように頼んでいるから、そちらは問題ないだろう」

「まあ、光宣君学校もあんまり来られへんからなあ」

 

学年は違うが、光宣は学校でも有名人だ。

十師族という肩書に加え、あの美貌となれば噂にならない方が可笑しい。

そして体調を崩しやすい事もまた知られており、学校も4分の1程度休まざるを得ず、本人の儚げな印象を加速させている。

今回の体調不良も燈は心配こそしても驚きはしていなかった。

 

「それより、香々地は先ほどのアレをどう感じた」

「なんや。唐突に」

「名倉さんの遺留品だ。アレを見て顔を顰めていたが、単に血痕に眩暈がしたわけではないだろう」

 

達也は先ほどの警察署での燈の様子が気になっていた。

警察署では事前に真由美が頼んでいたとおり、名倉の遺留品を検分させてもらった。名倉の遺留品は衣服や時計など日常身に着けている物しかなく、CADは既に七草家によって回収されている。CADがあれば直前にどのような戦闘が行われていたのか推測も容易になるのだが、CADは魔法師にとっては機密情報の塊である。

達也もそれは想定の範囲内だったので、衣服に魔法的な痕跡がないか検分し、名倉が幻獣の類に襲われたことが感知できた。加えて、事件を担当した刑事の証言や真由美からの話を合わせて名倉の死因を、魔法によって自らの血を針のように打ち出した捨て身の攻撃と推測していた。

 

燈は積極的に検分には参加していなかったが、遺留品を一瞥すると眉間に皺を寄せ、険しい顔をしていたのが達也には気になっていた。

燈は初対面の真由美がいるから意見を遠慮するような可愛い性格ではない。そして例え血まみれの遺留品を見たところで顔を青くするほど肝の小さい少女ではないことも知っている。

達也には感じ取れなかった何かがあったとみるべきなのだろうと推測していた。

 

「自分、後ろに目でもあるんか」

 

燈は気が付かれていないと思っていたのか、驚きを通り越して呆れ顔だ。

燈は目を一度伏せ、ため息をついた。

 

「あれはヤバイで」

 

ヤバイという言葉に真由美と将輝の表情がより真面目なものに変わる。

 

「獣くさいのと、腐臭が酷すぎる」

「そんな悪臭したか?」

 

将輝は燈の言葉に疑問を呈した。

名倉の血は既に時間が経過し、固まっている。匂いも鼻を近づければ分かるだろうが、腐臭がするほどではなかった。

衣類に付着していたのは全て本人の血であり、その他は現場にあった砂利などの微細なものしか付着しておらず、犯人の痕跡は警察の分析でも分からないままだった。

 

「感覚的なもんや。獣くさいのはたぶん幻獣で間違いないけど、腐った匂いは飼い主やな。しかも単なる怪我やのうて、呪術の類や」

「周が何らかの致命傷を負っているという事か」

 

九校戦の最終日、達也は周が四楓院家の者と接触したことを知っている。決して小さくない傷を負っただろうが、その傷が何らかの理由で治癒できていないとなれば、傷の一部が腐敗している可能性も十分にある。

 

「知らん。少なくとも戦った時には既に腐っとる。誰かに呪われたか、なんかの術を使った代償かまでは分からん」

「術の代償で悪臭や腐敗を伴うものがあるのか」

 

古くは他人の体や自分自身を供物として、大掛かりな術を発動させる魔法が存在した可能性は示されている。今となっては各流派とも伝承としてしか残っていなかったり、禁術に指定されているが相手にその常識が通じていたら、そもそも工作員などやっていない。危ない橋はいくつも渡っていることだろう。

 

「多少誤魔化せるやろうけど、死体傀儡(キョンシー)なんかはそうやろ。けど周が自分によく似た傀儡を使って戦闘したのかまではウチには分からん」

 

燈の感覚では戦闘の詳細までは分からない。

『佐鳥』の家の者ならば衣服一つでその服の製造先から誰の手に渡り、名倉が身に着け、さらにその服が受けたであろう攻撃のすべてを把握することができたであろうが、それを口にするほど燈は今回の名倉の件に関して協力するつもりはなかった。

 

「ひとまず周りを見て回ろうと思いますが、よろしいですか」

「分かったわ」

 

達也たちが今いる場所は既に警察の現場検証は終わっており、現場にも問題なく入れた。血痕など事件があったことを示すものは一見なさそうだった。真由美の同意も得られたので、達也は足を上流へと向けた。

 

 

 

 

 

 

その後上流に向かって歩いて行った五人は渡月橋を渡り、嵐山公園亀山地区の丘陵を登っていた。坂の頂上までくれば竹林の道と示された案内板があり、更に進めば天竜寺に行きつく。

 

「ちょっと達也君」

 

真由美は裾の広がった丈の長いスカートとヒールのあるローファーであり、スニーカーとパンツスタイルの深雪や燈に比べると動きやすさという点では劣る。決して動きやすさを無視したわけではないが、同じように歩いてきた深雪や燈が涼しい顔をしているのに対して真由美は上り坂にやや息を切らせていた。

 

「少し速かったですか」

「そうじゃないけど、達也君どこか当てがあるの?全く迷う素振りがないけれど」

 

指摘されて、達也は自分の態度が不自然なものであったことに気が付いた。

このあたりに伝統派の一味が潜んでいると前日、料理屋の呪い師から聞き及んでいてそれを確かめるべく達也は歩いていたのだが、真由美に伝統派の一件は何も話していないため達也はすぐさまどう誤魔化すべきか、思案する。

将輝はそれほど接点がなく、巻き込んでも後腐れがない。光宣に関しても最初から協力者であり、伝統派とも因縁のある家だ。だが、真由美は中途半端に親しく、巻き込んで怪我でもさせたならば「責任を取れ」などと借りたくもない借りを作る羽目になる。あくまで達也が真由美に協力しているという体裁を崩したくはなかった。

 

「なあ、取り込み中のとこ悪いけど、囲まれとるで」

 

燈は小声でつぶやいた。

その静かな声は4人の警戒を引き上げるのに十分だった。

 

「いつの間に」

「人除けの結界や。感知されんようにうちらを囲うような形で敷かれとる」

 

確かに言われてみれば、観光地であるはずなのに人気があまりにもない。

達也が眼を外に向けると、確かに結界が自分たちに感知されないように大きく取り囲む形に設置されていた。

一条や真由美は視線を彷徨わせて相手に気取られるようなことは無く、真由美はすぐさまマルチスコープで潜んでいる敵を探し出し、一条もポケットに入れていたCADの待機状態を解除していた。

 

「お兄様!」

 

深雪が領域干渉を広げる。

こちらに飛んできた鬼火が深雪の対抗魔法に呑まれ、消えた。それを見た相手もすぐに手を切り替え、真空の刃を走らせるが、またもや領域干渉に阻まれ霧散し、達也たちに届くことは無かった。敵には強力な領域干渉の下では、それを維持し続けるだけの魔法力がないことは明らかとなった。

 

「一条!」

「任せろ!」

 

達也と将輝で前後を挟むように真由美と深雪を守る体制を取った。

燈は側面を守るべく、指ぬきのグローブを既に手にしている。

 

「正当防衛は成立やな」

 

燈は心なしか嬉しそうに、深雪に向かって伸びてきていた青、赤、白、黄、黒の紐を掴み取る。燈が小さく舌打ちをしたのを目にした達也がそれを燈から引き受けると、キャストジャミングに似たノイズが奔っていた。

 

空間に魔法発動を阻害するノイズをばらまくアンティナイトとは違い、対象の魔法発動を直接阻害する効果がある。密教系の古式魔法師が使う羂索と呼ばれる術だった。達也は羂索そのものを分解せず、ノイズのみを分解した。掴んだ紐を力強く引っ張ったところ、二人の男が竹藪からつんのめるようにして姿を現せた。一般的な男子より力は強いが達也は並外れた怪力というわけではなく、普通ならば大の男二人を引きずり出すほどの力はない。だが、相手の古式魔法師は思わぬ方法で術が破られたため虚を突かれた格好となった。

 

「二日続けて警察のお世話は勘弁やで」

「穏便に制圧できるのか」

 

ちらりと燈を盗み見ると既に呪符を用意していた。どうやら何か策があるようだった。

 

「合図したら耳塞ぎ」

「遮音壁でいいのか」

「せやな」

 

真由美がブレスレット型のCADに指を走らせると雹の礫が竹林に降り注ぐ。空気中の二酸化炭素を固体化させ、時速500㎞を超える高速で発射されたドライアイスの礫に、古式魔法師たちは重症には至らなかったものの所々に血を滲ませていた。隠れていても無駄と悟ったのか、攻撃を回避するためか、竹林から達也たちを前後に取り囲むように姿を現した。

だが、その数は11人。達也の眼にはまだ一人竹林に潜んでいる術者の姿を捕らえていた。

 

「壁頼むで」

「分かりました」

 

準備が終わったのか、深雪は燈を除く形で遮音壁を展開する。

燈は大きく息を吸い込む。

燈が大きく口を開き何か叫んだ途端、古式魔法師たちは耳を押さえて膝をついた。燈がもうよいと手を振り、深雪は展開していた遮音壁を解除する。

 

 

「穏便に済んだやろ」

「穏便の定義はさておき、大音響による鼓膜破壊と三半規管へのダメージで気絶させたか」

「まあ去年、自分がモノリスでやったパクリやけどな」

 

燈が実行したのは新人戦のモノリスコードで達也が行った音響攻撃の手法であり、将輝は苦い顔をしている。

 

「あの距離で気絶するだけの音量を出していたのか」

 

達也がモノリスコードで将輝を気絶させたときは耳元で音を増幅させていたが、今回の燈の手法は敵との距離が少なくとも10mはあった。

いくら爆音とは言え、音は距離に比例して感知できる音量が変化するため、至近とは言い難い距離に気絶させるほどの威力を出す方法には疑問が残った。

将輝はCADを構え、警戒しながら術者に近づき安否を確認する。

全員、耳から血を流しているが、息はあった。

音響攻撃というのは牽制や奇襲の意味合いが強いが、暴徒の無力化にも用いられる。鼓膜が破壊されたとはいえ、内耳に影響が出るほどでなければ後遺症も残らない。

方法としては確かに穏便とも言える。

 

「精霊を使って術者の耳元で増幅するように調整していたのだろう」

「せやで。女々しい声で喉痛いのが難点やな。人除けの結界もあんだけでかい音がすれば流石に気付いて誰か来るやろ」

「それで悲鳴か」

「昨日の一件であっちこっち警察の魔法師が巡回しとるから、ボチボチ来てもらえるやろ」

 

古式魔法師たちが敷いていた人除けの結界であっても音まで防ぐ類のものではなく、女子の悲鳴となれば騒ぎになることは確実だった。通行人はいなかったものの、悲鳴を聞いたと言う証言があれば警察にも襲われたと言う印象を持たれやすいだろう。

竹藪の中で気絶していた男も合わせ、12人の男たちを羂索の紐を用いて固く縛ると警察に一報入れることとなった。

 

「時間的に鞍馬は行けん可能性あるけど、最悪ミヤちゃんたちに頼むか?」

「いや。こちらの騒ぎを聞きつけて相手も今日は警戒しているだろう。話を聞いてくれるとは限らない」

「コイツらが話せば早いんやけど、鼓膜イッてるからなあ」

 

失敗だったなあと言わんばかりの表情で燈はやや冷や汗をかいている。

 

「例え耳が無事でも、私人が取り調べを行えば下手をすれば拷問、不当逮捕、脅迫、暴行などの罪に問われる」

「てことは、また警察に丸投げかい」

「そうするしかないだろう」

 

燈の重い溜息を聞きながら、背後では既に深雪が警察に連絡を取っていた。達也は古式魔法師たちに目を向ける。それでいて焦点は負傷者たちの上にないことを真由美も将輝も気が付いていなかった。

 

 

 

 

 

 

案の定、警察での取り調べが長引いた結果、達也たちは鞍馬寺方面まで回ることはできず、ホテルに戻ってきていた。

担当した刑事が十師族に好意的な人物でなかったことも時間が長引く要因となっただろう。傷自体は燈や将輝が前日相手取った者たちよりは小さいものの、二日続けて未成年の魔法師が起こした問題に警察としてもなあなあで済ませるわけにはいかなかったようだ。

一条と七草の名前があって不利な調書を作られることは無かったが、取り調べをしたのが芦屋の傍系の陰陽系の古式魔法師とあって燈には敵対心が滲んでおり、燈が下手に出ていても嫌味の過剰積載だった。

真由美が場を持ってくれたおかげもあったが、精神的に疲労したのは言うまでもない。

幹比古たちが帰ってきたのはそれからおよそ30分後のことだった。

その30分で達也はホテルに来ていた藤林に頼まれとある調べもの(・・・・・・)をしたせいで精神的な疲労度が強まったのは、予期せぬことだった。

 

 

藤林が口利きをしたのか、今日は会議室ではなく燈や雅も男子が使用していた和室に揃って今日の成果について情報交換することとなった。光宣も藤林が持ってきた薬を飲んで体調が回復したのか、ダルさから布団からは起きられないものの呼吸は安定しているので、話し合いを聞くこととなった。

 

幹比古たちの方は特に大きな問題はなかった。昨日の一件があってか警察の制服、私服の魔法師が多く巡回に当たっていたらしい。会場周辺にも不審人物や不審な建物も見られず、去年のような事件は引き起こしにくいと判断していた。

 

達也たちの方は密教系の古式魔法師に小倉山の麓で襲撃を受けたが、こちらは無傷で済み、襲撃者は既に警察に引き渡したことを伝えた。

 

「それで、これからのことなんだが」

「今日でホテルをチェックアウトして東京に戻るんじゃないの?」

 

エリカが素っ頓狂な声をあげる。

エリカの言う通り、変則的だがこの後チェックアウトして東京に戻る予定になっていた。

 

「俺はもう一泊していく。明日警察に行って今日捕まえたやつらのことを訊いてくるつもりだ」

「私も報告をかねて家に寄ってから朝には東京には戻る予定よ」

「お兄様とお姉様が残られるのでしたら、私も」

 

深雪の言葉を達也は途中で遮った。

 

「深雪、お前は生徒会長だ。いくらコンペのためとはいえ、この時期に二日も学校を休むのは宜しくない」

「……分かりました」

 

深雪にとっては学校よりも達也と雅のことが重要だったが、強い口調で命じられれば彼女に反抗する言葉はなかった。

 

「風紀委員長が二日連続で不在にするのも、ずる休みをするのもよろしくない」

 

エリカは自分が残ると言いたげに上げかけていた手を所在なく下におろした。

 

「達也は良いのかよ」

「俺は立場上、もう少し調べる必要がある」

 

レオや幹比古は達也の言う立場が何か知っているし、エリカはさらに詳しいことまで知っている。それを持ち出されれば素直に他のメンバーも引き下がるしかなかった。

 

 

 

 

まるで今生の別れかのように目を潤ませた深雪に思わず計画の変更をしそうになったものの、達也はなんとか深雪を宥めて駅まで見送りをした後、雅と九重本宅を訪れていた。

 

雅は報告がてら一泊して、早朝のリニア特急で東京に戻る予定になっている。京都での稽古事が長引くこともあり、制服は京都の自宅と東京の住まいの両方に置いてあるため、東京の家に帰って準備をしなくても自宅から通学することができる。早朝のリニアは人気もまばらなため、見慣れない第一高校の制服を着ている生徒が一人いたとしてもそれほど目立つことは無い。交通機関の発達により朝早いことと金銭的な負担を除けば、京都から東京というのは通えなくはない距離にある。

 

達也と雅は本家の客間に通され、そこには悠が座していた。

一枚板の立派な応接机を挟んで、悠は達也と雅に茶を出した。

茶室ではないので、湯呑に入った普通の緑茶だが、それ程茶葉に詳しくない達也でもそれなりの品だという事は分かった。

 

「随分と派手に仕掛けられたそうだね」

 

悠が昼間の戦闘を把握していることは達也の想定の範囲内だった。

青年の域に入った悠が濃紺の普段使いの小袖を着て、ゆったりともてなしていたとしても達也としては姿勢を崩すことはしなかった。

九重の中でも悠は今のところ好意的に達也を扱ってくれてはいるが、全幅の信頼を寄せる味方というわけではない。息抜きと称して達也を色々なところに遊びに連れ出して随分と振り回された経験もあるが、油断のならない相手という意識は抜けない。本人はそれを非常に残念そうにしているが、達也はそのスタンスを崩すつもりはなかった。

 

「それで収穫はあったかい」

「有力な手掛かりというほどのものはありません。ただ周公瑾が幻獣を使う可能性と、何かしら負傷をしていて治癒できていない可能性が浮上しました。足取りについては明日、鞍馬寺近くに潜伏している術者に確認する予定です」

「ちょっとお灸も据えておいてくれると助かるな」

「手短に済ませるつもりです」

 

達也の返答に悠は満足げに笑みを深めた。

 

「それと達也。光宣君を見た(・・)のだろう」

 

監視されていた気配が一切ないのにもかかわらず、千里眼で悠に見られていたことに達也は思わず眉間に皺が寄りそうになる。なまじ異能の類であって魔法的な痕跡が非常に残りにくい千里眼は、達也の感覚を持っても感知することは非常に困難だ。隠し事は通じず、手の内は全て知られ、行動も把握されているという前提で動かなければならない厄介な相手である。

その眼から逃れる術を達也は聖遺物も含め模索はしているが、それですら知られていることだろう。

 

達也たちがホテルに戻ってから雅たちが戻るまでの30分間。

真由美は同じホテルの別室におり、将輝はバイクを引き揚げ、金沢に帰っていった。光宣がまだ穏やかに寝ていたその時間で、達也は藤林にとある調べものを頼まれていたことを素直に認めた。

 

「ええ。藤林さんから彼の病弱の理由が想子体にあるのではないかと言われ、確認しました」

「それと彼のルーツも知っただろう」

 

達也の精霊の眼で光宣を見てほしいと藤林に頼まれたが、想子体を見るという事は光宣が何によってできているか、彼のルーツを知ることになる。

その情報は光宣一人だけではなく、彼の両親の遺伝情報、ひいては第九研究所の研究成果の一端まで分かることとなる。

 

「雅にも話しておこうか。それとも達也から話す?」

 

達也は首を横に振る。悠が同じことを知っていたとしても、自分の口から話せるような内容ではないことは確かだった。

 

「光宣君は九島真言氏と藤林の奥方との子だよ」

 

悠は一呼吸置いた後、無機質に事実を告げた。言葉の意味を察した雅は目を見開き、体を強張らせる。

 

「九島家の実の兄妹間の子ということですか」

 

雅の確認に悠は静かに首を縦に振った。

光宣は対外的には九島烈の長男と彼の妻の間にできた子であるとされている。しかし達也の眼は九島真言と藤林に嫁いだ九島烈の末娘の子であるという結果を示した。

 

「調整するために人工授精だっただろうけれど、なんらかの不備があったのか、虚弱ではないけれども体調を崩しやすくコンスタントに実力を発揮できない体になってしまった。彼があれだけの美貌と才能が有りながら驕るどころか謙虚という自信のなさが表れているのはそのせいだね」

「なぜ九島はそのような愚かなことをなさったのですか」

「九島家というより真言殿がということかな。彼個人は魔法師としては有能でも、トリックスターと称され軍でも活躍していた先代当主に比べれば、劣等感に駆られることもあったんじゃないかな。ならば自分の血を引く最高の魔法師を誕生させたいと妄執に捕らわれてもおかしくはない」

 

雅が息を呑み、膝の上で拳を握りしめる。大人の身勝手な理由で光宣が生まれたことは明白だった。

 

「彼はこの事実を知っているのですか?」

「知らないと思うよ。知っているのも九島家のごく一部だろうし、倫理的に大問題であることは承知のはずだよ」

 

黎明期の魔法師研究所でさえ、近親間の魔法師の交配は避けられていた。

例え遺伝子を調整したとはいえ、近すぎる遺伝子情報が魔法師の身体や精神にどのような影響をもたらすのかはっきりしなかった部分もある。

 

 

達也としてはするべき報告は既に終わっている。

この後は達也は適当に定食屋かどこかで夕食を済ませてホテルに戻るつもりだったが、雅の母から達也の分も夕食の準備ができていると言われれば断るのは忍びなかった。

夕食を辞退する理由が全くないわけではなかったが、一見気丈に見えるが、光宣の出生の秘密を聞かされ、衝撃を受けている雅を放っておくほど達也は薄情ではなかった。

 

「あ、そうだ。達也」

 

夕食が用意されている部屋に移動するために席を立った達也を、悠はちょいちょいと小さく手招きをする。机を回って悠の傍に近づくと、悠は懐にしまっていた扇を広げ、口元を隠しながら達也の耳元で囁く。

雅には口の動きは見えないが、僅かに眉を顰めるように動かした達也の反応を見る限り、あまり達也にとっては良い話ではないことが窺えた。雅がいるこの場で話したことであるので、差しさわりがある話というより、おそらく揶揄っているのか何かなのだろう。

 

 

 

その後、ホテルに戻るとなぜかホテルのBarから出てきた酔いどれの真由美に絡まれ、部屋まで送り届けたは良いものの、幼児退行した口調で服まで脱がせろと無茶を言ってきたのには閉口した。達也はやはり千里眼に嬉々として予言された日には碌なことが起こらないと思い知った。

 

 




悠が達也に耳打ちした言葉

「今夜だけど、女難の相が出ているよ。頑張ってね( `・∀・)ノ」






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古都内乱編14

これで古都内乱編はひとまず終了です。
書ききれなかった部分も多々ありますが、ちょこちょこ捕捉していけたらなと思います。

今日は2話投稿します。次はオマケみたいな話なので、読み飛ばし可です。


ちなみに23巻買いましたが、表紙のお兄様の美麗さに打ちのめされてまだ読めてません(;゚Д゚)


10月28日(日)論文コンペ 当日

 

昨日夕方に起きた宇治基地での騒ぎは、大半の生徒たちの耳には入っていない。本来ならば陸軍憲兵隊が内々に処理する案件を、達也と一条君が基地を襲撃し、潜伏していた周公瑾を炙り出した。潜伏先は鞍馬の古式魔法師と軍に裏を取ったようだ。金沢に位置する三高も前日入りしており、一条君には達也が協力を要請したらしい。

 

補給と名前がついていても相応の戦力を有する基地の襲撃はリスクも高く、内乱一歩手前どころか、ほぼ内乱と言っても差し支えない事態だったそうだ。

 

そして結果的に言えば、周公瑾は自決した。

襲撃の騒ぎに乗じて周は基地から車を使って逃走し、宇治川で二人に追い詰められ、最期は自ら発動した炎に包まれて塵となって死んだらしい。

 

魔法師の体は機密情報の塊だ。スパイならば生きていれば生体実験、例え死体であろうともバラバラにされ、遺伝子情報の解析をはじめ数々の実験に用いられる。そこには死者に対する尊厳など存在しない。

大亜連合ならばソーサリーブースターに流用される可能性もある。今ではソーサリーブースターの供給源となっていた無頭龍(ノン・ヘッド・ドラゴン)はほぼ瓦解状態ではあるが、一度できた技術ならば復活も時間の問題だろう。

そういう事情もあってか体を残さず死んだのは、自身の体を調べられることを恐れたからだろう。

 

 

そう達也から教えられたのは、昨夜9時を少し過ぎてからだった。硝煙も戦闘の埃っぽさも微塵も感じさせなかったが、どことなく達也からは血の匂いが感じられた。

怪我がなかったことは幸いだが、達也としては捕縛できなかったことで任務の結果には満足していないようだった。今回の一件は四葉から達也に与えられた任務であり、達也の四葉家への貢献と力量を図る意味合いもあった。

この結果がどう左右するのか、今の段階では分からない。全てはまだ真夜様の裁量次第だった。

 

 

 

目下の標的であった周公瑾の存在を気にしなくてよくなったことは幸いだが、私は朝から警備の担当として(せわ)しなく動いていた。

一高の発表自体は午後から予定されているが、警備の主体は一高であり、私も朝から会場入りし、各校の警備担当との最終確認をしている。各校担当と最終的な打ち合わせが済めば、簡単に全体会を行い、持ち場に散ることになっている。

各校から人員を割いてもらっているが、単純な人数言えば一、二、三高の生徒が多い。一高は警備責任、二高は開催地に最も近い学校、三校は武の三高と呼ばれるだけあって立候補が多かったこともあるが、単純に各学校の人数比率に合わせている部分もある。

 

 

「おはようございます、一高の方々」

 

警備の打ち合わせは二高の代表からはじまり、打ち合わせの時から何度か画面越しに顔は合わせていて知ってはいるが、二高の警備代表は芦屋さんだ。

 

「二高警備主担の芦屋充(あしやみつる)です。服部総隊長、本日はよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしく頼む。二高には準備をはじめ多くのことに協力してもらい、感謝している」

 

芦屋さんは薄っすら笑みを携え丁寧に一礼したのに対し、服部先輩も背筋を伸ばし、軽く頭を下げた。二人とも元々生徒会役員であったためコンペ以前から面識があり、今回の警備の件で何度も打ち合わせの通信をしているので知らない相手ではないが、やけに挨拶は堅苦しさがあった。

服部先輩は警備総隊長という役割と本人の性分もあるだろうが、芦屋さんもどこかピリピリしている。芦屋家ならば昨日の基地襲撃の一件を耳にしていても不思議ではない。

 

「いえ。本来ならばこちらが任せていただくべき事ですので、お気になさらず」

「土地勘がある者がいるのは心強い。去年のようなことがないように念を入れてはいるが、それに油断することなく気を引き締めていきたいと考えている」

 

二高があるのは旧兵庫県の西宮市であるが、二高からしてみれば京都開催は地元での開催と言っても差しさわりないくらい熱が入っている。その年の九校戦モノリスコードの優勝校が警備主担当になることが慣例とは言え、余所者に大きな顔をされるのはあまり気分のいい事ではないのだろう。

芦屋さんは服部会長から私に視線を移し、先ほどとは違う人当たりのよさそうな柔らかな笑みを浮かべた。

 

「雅さんは、予定どおり受付でしょうか」

「ええ。受付の警備の後、来賓の皆さまに警備状況の説明をする予定です」

「そうですか。何かお気づきの点がありましたら、遠慮なくおっしゃってください」

「ありがとうございます」

 

当日なので二、三点報告と確認だけで二高との打ち合わせは終わった。昨年は対人警護の方に当たっていたので私は全体警備の細々とした部分は詳しく知らなかったが、準備自体は当日までに整えているので、それほど今日改めて確認することもない。体調不良の生徒などが出ると配置転換などもあるが、人員は余裕をもって配置されているため、一人抜けた程度では大きな支障は出ない。去年のようにテロが発生すること自体、異例だったと思わなければいけない。

 

「それではまた」

 

芦屋さんは一礼して、その場を後にした。芦屋さんと直接会うのはかなり久しぶりのことだったので少し身構えていたが、特に何もなく挨拶のみで終ったので心配は杞憂だったようだ。

 

「九重は二高の元生徒会長と知り合いか」

 

沢木先輩が芦屋さんの去った後に小声で話しかけてきた。沢木先輩は警備スタッフの訓練に携わることが多かったので、代表の打ち合わせについては連絡を受けているだけで実際に芦屋さんとはこれが初対面のはずだ。

 

「中学時代に学校間の交流で何度かお会いしたことはあります」

 

事実とは言え、まさか求婚されていますとは口が裂けても言えない。学校こそ違ったが、彼も京都在住であり中学時代は生徒会に所属していた関係でなんどか顔を合わせたことはあるので間違いではない。

 

芦屋という名前から分かるように、古式魔法師でも名門と呼ばれる芦屋家の嫡男であるため、顔を合わせる以前からその噂は私の耳にも入ってきていた。全く知らない相手ではないが、あれほどまで好意的にみられている理由が分からないのが腑に落ちないところではあるし、いい加減諦めてほしいと常々思っている。

 

「単なる顔見知りならいいが、変に因縁を付けられても困ると感じたところだ」

「大丈夫ですよ。なにか気になる点でもありましたか」

 

服部先輩との会話にも私との会話にも、芦屋さんの対応に問題はなかったと思うが、沢木先輩は苦手なタイプだと言わんばかりに眉間に皺を寄せていた。

 

「笑顔が胡散臭い。対応は丁寧だが、言葉の端々といい、眼の奥といい、なんか腹にヤバイものを飼っていそうな気がしてならなくてな」

 

これには私も驚いた。燈ちゃんが狐と称するように、彼も十重二十重に縁絡まる陰陽系古式魔法師の筆頭とも言える一家の跡取りとしてそれ相応に内に飼っているものはあるし、それを常人に悟られないための処世術も持っている。短時間のやり取りではあったが、沢木先輩の観察眼は並ではないようだ。

 

「コンペ自体に水を差すような野暮なことはなさらないと思います。強いて言うならば、二高生としての矜持ではないでしょうか」

「まあ、プライドは高そうだな。やっぱ念のため司波を呼んどくか?」

「達也ですか?」

 

生徒会長である深雪は審査員の一人として朝から会場に詰めているため、ここで言う司波は達也のことだろう。昨年はコンペの発表メンバーだったため警護される側だったが、今年は警備の一人だ。魔法工学科の生徒でもあることが配慮されたのか、発表の行われるホールの方の警備が中心となっている。

 

「嫁さんが他の男に色目使われているなら、追加の警備くらい司波も引き受けるだろう」

 

芦屋さんに好意を持たれていることは知っているが、沢木先輩に達也を引き合いに出されるとどう返答して良いか困るものではあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

京都開催ともあり、来賓の顔をそれなりに知っているという事で私は来賓受付の担当に朝から出ていた。生徒会からは泉美ちゃんが同じく受付に割り当てられており、姉仕込みであろうマルチスコープで許可をされたメディア関係者以外の違法すれすれの盗撮機械の発見に尽力していた。

 

学生コンペと言っても産業スパイなどの危険もあり、指摘された者は恐らく来年から出入り禁止になるだろう。来賓の来る時間帯はある程度決まっているので、予定人数が来たところで私は来賓の皆様に警備の説明をして、その後は警備隊の詰め所で待機していた。

警備隊の詰所はホール近くにあり、中での発表の様子や観客の様子はモニタに映し出されているので、コンペの発表を全く見られなかったということは無い。

 

交代でホールや会場の見回りもして午前の部が終わると、私はとある控室に呼ばれていた。一部の来賓は開会式で帰ってしまった人もいるので、来賓控室は設けられているが、全員が全員個室というわけではなく、個室の控室を利用しているのはごく一部だ。

 

「改めて久しぶりね、雅さん」

「ご無沙汰しております、舞衣様」

 

私は来賓として訪れていた二木(ふたつぎ)家の当主に割り当てられた個室の控室に来ていた。

 

「そのように畏まらなくてもいいのよ。コンペは久しぶりだから少し顔を見せにきただけなの」

 

にっこりと笑う二木家当主、二木舞衣。表向きは複数の化学工業、食品工業会社の大株主だが、十師族の一角の二木家として阪神、中国地方の警戒監視に当たっている。

京都の監視は九島家の管轄だが、彼女が筆頭株主である企業が京都にいくつか存在し、九重神宮にも多額の寄付をしてもらっているので何度か会ったことはある。ただ、個人的に親しく連絡を取り合う間柄でもなく、九重神宮としてはともかく、家としての付き合いは無いに等しい。

私が呼ばれた理由はいくつか思いつくが、まだこの段階では推測に過ぎなかった。

 

「昨日はちょっと宇治の方で騒ぎがあったみたいだから心配していたけれど、雅さんが警備をしているなら安心ね」

「恐れ入ります。協会とも連携し万全を期しておりますが、至らない点がありましたらご指摘いただけたら幸いです」

 

宇治の方というのは、昨日夕方、陸軍宇治第二補給基地が何者かに襲撃された件だろう。実行犯は身元不明の男性二人と確認されているが、未だ犯人に迫る確定的な情報はない。そもそも陸軍憲兵隊がこのことを表沙汰にしていないので、捜査自体行わないことになりそうだ。

 

それでも十師族という立場上、その情報は個人的な伝手か協会を通じて彼女の耳には入っているはずだ。その情報の真偽も確かめるべく、私の反応を伺っているのが見て取れる。

 

「説明を聞く限り警備に不足はないと感じたわ。協会も警察もいつもこのくらい協力的ならば助かるのだけれど、派閥の枠というものは困ったものだわ」

 

彼女は困ったようにため息をついて見せた。

京都という都市は複雑だ。

近くに第二研究所、第九研究所出身の家々があり、魔法師が絡む組織の監視体制が敷かれている一方で、古式魔法師の地盤がとても強い。宇治基地の中でも被害が大きかったのは古式魔法師の派閥であり、周を匿っていたのもまた密教系のグループが中心となっていたことは私の耳にも入っている。派閥は違っても、すぐ近くの宇治であったことを私が知っていると推察することは当然だった。

 

「ですが市民の方々にも丁寧に広報をしてくださったおかげで、無事開催できたことは喜ぶべきことです」

 

聞かれてもいないことを答える必要はない。彼女が言外に昨日の一件の情報を求めていたとしても、宇治基地での顛末を私が説明する義理はない。

情報を渡して借りを作ることもできるが、それをしたところで九重に利益も不利益もない。精々寄付の額に色が付くかつかないかの差だろう。

どんなに憲兵隊が秘密にしようとも、二木家ならばその内事態を把握できることだろう。

 

私が答えないことが伝わったのか、それ以上の詮索はなかった。

彼女は少し姿勢を正し、用意されたお茶を口に含んだ。

 

 

「それにしても、雅さんは素敵なお嬢さんになっていて驚いたわ」

 

声色はそれまでと変わらない。それでも目の色から先ほどの話があくまで導入でしかなかったことが伺えた。

 

「そんな。魔法も神事に関しても未熟な点が多く、お恥ずかしい限りです」

「さぞ噂の婚約者も鼻が高い事ね。上のお兄様も錦織家の方とご結婚なされたんでしょう。うちの子もそろそろと思っているのだけれど、そんなに興味がないのかまだ独身で、結婚については姪の方が乗り気なくらいなのよ」

「確か麻美様さん、というお名前でしたでしょうか」

 

彼女の長女の二木結衣さんは今年で28歳。魔法師としては結婚は遅い方だが、次期当主ならばそれだけ相手選びにも慎重になっているだろう。それより、ここで姪のことを持ち出してきたことが重要だった。

 

「ええ。身内贔屓かもしれないけれど素敵なお嬢さんなのよ」

「今は魔法科大学に通われているのですよね」

 

次兄の高校時代の同級生だったので、話くらいは聞いたことがある。

 

「ええ。3年生よ。でも研究テーマに魔法技術の経済学を選ぶ当たり、ウチの商売人としての気質が出たのかしら。確か貴女のお兄様とは高校の時の同級生だったのよね」

「同じ学年のはずです」

「悠さんにも素敵な方が見つかったのでしょう。九重は祝い事続きね」

 

ここまでくれば彼女の本題は明らかだった。

 

「さぞ縁の深い人なのでしょうね。その方には貴女もお会いしたことがあるの?」

「いいえ。薄情な兄は時期が来るまではと教えてくれないのです。もしかしたら妹に紹介だなんて気恥ずかしいと思っているのでしょうか」

「あら、そうなの」

「流石に両親には伝えているようですよ」

 

意外そうな反応はしているが、私を探る視線は止まない。

次兄の婚約者の存在は公表されていない。存在は確定したが、正式な結納もまだであり、私でもその彼女の年齢も家柄も何も分からない状態だ。

 

「聡い貴女なら、私が招いた理由はお判りでしょう」

 

九重の次期当主として内定している兄の婚約者の存在は、十師族としても関心事だ。昨今の魔法師を取り巻く情勢を考えれば、九重という看板は家の名を大きくすることに役立つ。

そして身内でも同じ血が流れているのか時々疑いたくなるような美貌を持つ兄に見染められたいと思う女子は決して少なくない。それが同じ学校であったならば可能性があると考えることは不思議ではなく、正式な婚約者の発表前ならばその候補として名乗りを上げることも可能だ。

魔法力はともかく、二木家の家柄は魔法師としては上に位置し、年齢の釣り合いも取れている。次期当主に自分の娘を据えるならば、親戚をどこか有力な家に嫁がせ、後ろ盾を得るということは当主として間違った判断ではない。

 

「このような場を使って申し訳ないけれど、後日正式にお話を持って伺うことを伝えていただいてもよろしいかしら」

「承りました」

「吉日、お目にかかりましょう」

 

彼女は十師族、二木家当主。その名前は伊達ではなく、柔和な笑みの奥に蛇のような狡猾さを伺わせた。

控室から退室した私は長く、息を吐きだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

落ち着かない時間だった。

お姉様が二木家の当主に呼ばれたと知らされたのは、周公瑾の最期を聞きに来た七草先輩との面会を終えた後のことだった。

 

「お姉様、大丈夫でしたか」

「大丈夫よ。個別の挨拶をしただけだから」

 

来賓控室から出てきたお姉様はどこかお疲れのようだった。

いつも通りに笑って何もないと私の髪を梳いてくれるが、私にはそれが強がりにしか見えなかった。私を心配させないようにという気持ちから来るものではあるのだろうが、それが少し悲しかった。

 

通常、生徒が来賓個人に呼ばれることは無い。

審査員と個人的に会うことは審査への関与を疑われるが、来賓には審査を左右する権限はない。来賓は魔法科高校に大なり小なり関わる者なので、影響力が全くないとは言えないが、コンペの審査はあくまで審査員の裁量次第だ。

だから今回、お姉様が二木家当主に会うことは表向き問題のないことだ。

呼び出しの理由も会場警備についてもう一度聞きたいと言われた以上、説明担当であるお姉様が対応されることに間違いはない。ただ、個人的な挨拶と呼ぶには重要な話があったことは聞くまでもないことのようだった。

 

「まだ時間がありますのでどこかで休まれますか」

「警備の詰所にいるわ。警備体制の説明を行ったとなれば、服部先輩に報告が必要よね」

「私もご一緒してもよろしいですか。今のところは大きな問題は上がってはないと聞いていますが、念のため服部先輩と状況を確認しておきたいのです」

「分かったわ」

 

ラウンジは昼休憩の時間とあって比較的人が多い。

多くが制服を着た魔法科高校の生徒や国立魔法大学の関係者だが、生徒の保護者らしき人や受験を控えた中学生なども聴衆として来場している。

魔法科高校の生徒たちも制服が違う生徒たちで話し合っていた。九校戦と違って論文コンペでは、応援に来た生徒たちは和やかに歓談していたり午前の発表内容を議論したりと交流の機会になっていた。

 

お姉様を見かけて話しかけたそうな男子生徒もいるようだったが、私がそちらを見ると慌てて視線を逸らしたり、顔を赤らめていたりしていたので、話しかけるまでには至らなかった。この程度で怯んでいるような相手にお姉様のお話の相手が務まるとは到底思えない、と私はお兄様に代わり、お姉様に近づこうとする不届き者を警戒していた。お兄様がいてくださる方が安心なのだが、お兄様は今、発表者である五十里先輩の激励に向かわれている。

私は午前中のところで五十里先輩には挨拶したので、あまり重ねて行っても負担になるだろうと辞退したところだったが、お姉様が二木家に呼ばれたと聞いたのはお兄様がそちらに向かわれた後だったので、タイミングが悪かったとしか言いようがない。

 

ラウンジを横切るように歩いていると、前の方から私たちめがけて近づく女の子の姿があった。魔法科高校の制服はどこもブレザーを基調としているので、濃紺のセーラー服は聴講に訪れた中学生の可能性が高い。

隣にいるお姉様に目配せをすると、二人に気が付いたお姉様はその場で立ち止まった。

 

雅お姉様(・・・・)!」

「こんにちは」

「久しぶりね、二人とも」

 

お姉様は顔見知りのようで、二人に笑顔を向けた。お姉様の笑顔に緊張もなく、愛想笑いでもないので、どうやら少なくとも敵対している家ではないのだろう。

 

「今日はお兄様の応援に?」

「二高の応援もですが、後学のために参りました」

「二人とも受験生ですものね」

「けど結構難しかった」

「確かに高度な内容よ。後日、コンペの内容は論文と総評を合わせて本にまとめられるから、時間があれば読んでみるといいわ」

 

私が思ったよりお姉様にとっては親しい相手のようで、二人とも気さくに話していた。それよりも私は驚きを上手く消化できなかった。目の前の少女から視線を外すことができないでした。

 

「お姉様、あの」

「ごめんなさい。紹介がまだだったわね」

 

やっとのことで私が声を出すと、お姉様は私と視線を合わせた。

 

「いえ、お名前は存じておりますわ。司波深雪様ですよね。九校戦のアイス・ピラーズ・ブレイクで二年続けて優勝なさった方ですし、ご活躍は遠く京都の地まで聞き及んでおります。ご挨拶が遅れ、申し訳ありません。雅お姉様(・・・・)の初等科からの後輩に当たります芦屋玲奈(あしや れいな)と申します」

築島小夜子(つきしま さよこ)です」

 

自己紹介と共に、二人は静かに少しだけ頭を下げた。

私のことを知っていることに別に驚きはしない。彼女が話した内容は九校戦を見ていたならば知られている情報であり、一般的な検索エンジンで調べても出てくる情報だ。

 

率先して話しかけてきた芦屋玲奈は、お姉様に言い寄る不届きな芦屋家次期当主の関係者だろう。彼とは顔立ちはあまり似ていないようだが、人当たりのよさそうな可愛らしい笑顔と油断ならない雰囲気はそっくりだった。本当ならば義理の妹になる私だけに許される“お姉様”という呼び方をしていることも気になる点ではあったが、今はそれよりも重大なことがあった。

 

その顔をはっきりと認識してから、目が離せない少女がいた。

咄嗟に声を上げなかった自分が不思議なほどの衝撃だった。

それはあまりにも自分が知る人物に似ていた。

肩より少し長い程度まで伸ばされたゆるく波打つ長い黒髪。受験生といっていたので、おそらく中学3年生あたりだろう。背丈は高くないことも相まって少し幼い顔立ちが実年齢より幼く見せている。おっとりとしながら良家の出らしく背筋の伸びた粛々とした雰囲気を持っている。

今は緊張からなのか、元々なのか、あまり表情の変化がないのかもしれないが、うっすらと笑みを浮かべれば魔性と呼ばれるような大人びた笑みを浮かべるだろう。

 

これが単なる美少女であればよかった。

けれど、その少女はあまりにも自分の叔母である真夜に似ていたのだ。

叔母のように穏やかに見えて息が詰まるような笑みの中に含まれた圧力はないが、その顔立ちは他人の空似にしては似すぎている気がした。叔母の10代のころを直接知るわけではないが、仮に彼女の写真を見せられて叔母の学生時代だと言われたら深雪は信じてしまいそうなほどだった。

赤の他人の空似というには似すぎている。

 

「私も本当は雅お姉様と同じ一高を受験したいのですが、両親の許可が下りず、残念でなりませんの。ですが、私たちも来年は二高を受験予定ですので、今後お会いする機会があるかと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします」

「ええ。大変だと思うけれど、良い結果が出ることを願っているわ」

「ありがとうございます」

 

芦屋玲奈は私に向かってにっこりと可愛らしく微笑んだ。

私も混乱を押しとどめ、彼女に向かって当たり障りない返事を返す。

本当ならばニ、三点、諫めたいこともあるのだが、築島小夜子と名乗った少女のことの方が優先だった。

単なる他人の空似ならば構わない。

けれどもし、という想像が私の頭を支配する。

 

「雅お姉様、この後ですがよろしければ一緒に拝見いたしませんか?」

「申し訳ないけれど、色々と仕事も任されているから一緒にというのは難しいわね」

 

芦屋玲奈の申し出に、お姉様は残念そうに眉を下げた。

 

「そうですわね。ご多忙のところを引き留めて申し訳ありません。お姉様、もしお時間がよろしければ当家にいらしてください。今は紅葉が丁度見ごろを迎えたころなんですよ」

 

懇願するようにお姉様を見上げる彼女は随分と自分の可愛さを理解している。お姉様を単に慕っているならばそれに文句を付けるつもりはない。

ただ、お姉様にお兄様という存在があることを知ってなお、彼女が芦屋充の協力者としてその提案をしているのならば、随分と顔の面の厚い少女であると評価せざるを得ない。

 

「ありがとう。時間があれば、連絡させてもらうわ」

「お待ちしておりますわ」

「雅お姉ちゃん、またね」

 

お姉様は当たり障りなく返事をした。

この場で断ってしまっても私としては構わないと思うのだが、色々と九重家としての付き合いがある以上、即断することは失礼にあたるのだろう。

芦屋玲奈はそれ以上話を長引かせることはなく、お姉様に対して一礼し、築島小夜子も続くようにその場を後にした。

 

 

 

 

 

二人がホールへと戻っていくのを確認し、私は息を吐きだした。どうやら自分が思っている以上に肩に力が入っていたようだ。

 

「お姉様、築島家とは親戚なのですか」

「かなり遠縁だけど、親戚にはなるのかしら。そんなに怖い顔をしてどうしたの?」

 

お姉様が心配そうに私の頬に手を添える。お姉様の手はいつも通りに温かかったが、私の心は少しも晴れはしなかった。

 

「他人の空似としてはあまりにも叔母様に似ていませんか?」

「確かに言われてみれば似ているかもしれないわね。かなり昔まで遡って遠縁同士のつながりはあるかもしれないけれど、小夜子ちゃんは違うだろうから四葉家(そちら)九重家(ウチ)には血縁はなかったはずよ」

 

お姉様はそう言うが、私の不安は消えてはいない。

叔母は過去の忌まわしい出来事によって子どもはできない体だと聞いている。

だが、自分での出産が不可能だとしても、現代医療の技術をもってすれば卵子自体が無事であれば代理母という手段は可能ではある。

もし仮に叔母が自分と同じ目に合う可能性を恐れ、四葉とは無関係な家に自分の子を託したのだとしたら。

家に仕える者たちが言う、九重への大恩にそれが含まれるのだとしたら。

突如として出現した可能性に、深雪は今すぐ兄の元へ駆け出したくなった。

 

 

 

 

 

その後、波乱はもう一つ起きた。

一高の発表は問題なく、この論文発表が優勝を飾っても相応しい内容だった。

 

ただ、二高の発表者が突如変更となったことでその評価は塗り替えられる。

発表者は九島の秘蔵っ子である光宣君。

発表内容は『精神干渉系魔法の原理と起動式に記述すべき事項に関する仮説』。

未だ解明されていない点の多い精神の分野について、実験の解析結果から能動的な精神作用が想子情報体を作り出していることを示し、テレパシーなどの知覚系『超能力』と呼ばれる能力も想子情報体を使用した魔法と解釈できると推測した。加えて精神干渉系魔法の定式化、それに対する対抗魔法に関する理論応用、属人的技術に寄らない魔法の発展の可能性を示唆した。

発表終了のしばしの静寂の後、割れんばかりの拍手に包まれ、彼はコンペ優勝の栄冠を飾ったのだった。




お兄様成分が足りない_(:3 」∠)_
いいんだ。もうちょっとしたらイチャイチャ書くから。もう少しお預けです。

感想、評価ありがとうございます。毎回励みになってます。ぼちぼちですが、お返事返していきますのでお待ちください。



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番外編

神社とか寺とかに纏わる怖い話・不思議な話 まとめ風味

夏なのでホラーっぽいものを一つ。若干グロい表現あり。
九重神宮とか九重家にまつわる話です。そんなに怖くないと思います。
そしてなんちゃって2chまとめ。
読まなくても今後の話に支障はないので、読み飛ばし可です。



Episode1

 

 

117:以下名無しに変わりましてVIPがお送りします。

神社の話と聞いて、私の身に起きた不思議なことを語ってもいいでしょうか。

 

118:以下名無しに変わりましてVIPがお送りします。

おk

 

119:以下名無しに変わりましてVIPがお送りします。

いいよ

 

120:以下名無しに変わりましてVIPがお送りします。

ありがとうございます。書き溜めていないので、ゆっくりですが、ご容赦ください。

 

 

私が当時アラサーのころの話です。

結婚する前からいずれ子どもが欲しいと言う話は夫としていたが、中々子宝に恵まれなかった。

夫も私も仕事が忙しい時期がずれていたし、できたらいいねーぐらいにしか考えていなかった。

けど、結婚生活がたつにつれ義実家も実家からも孫はまだかと催促され、職場でもそれとなく子どものことを聞かるのが苦痛になってきていた。

私の後から結婚した後輩たちの妊娠出産の話を聞くと喜ばしいとは思いながらも、すごく羨ましく思っていた。

あんまり年齢が上がると体力的にも厳しいし、そろそろちゃんと調べて不妊治療とか始めた方がいいのではないかと考えていた。

それを夫に愚痴ったことで喧嘩になってしまった。

普段なら大きな喧嘩になることは無いんだけど、私がそれを口にしたのが夫の夜勤明けだったのがいけなかったんだと思う。

 

 

長くなったけど、ここからが不思議な体験。

普段は関東で仕事をしているけれど、偶々年何回かある出張で京都に行ったんだけど、先方の都合で面会がキャンセルになった。

翌日も大阪で仕事の予定だったから、会社もそのまま休んでいいと言われたので、気分転換に京都観光でもすることにした。

出張は私一人で特に気を遣う同僚がいないのはラッキーだった。

修学旅行以来だなあと思いながら、どうせなら前に行けなかったところに行くことにした。

前は清水寺とか嵐山とか金閣寺とかド定番のところしか見てなかったんだよね。

桜のシーズンは終わっていたけど、新緑の時期も緑の多い神社とかお寺とかはなんだか落ち着いた。

夫には出かける前に謝ったけど、帰ったらちゃんともう一回謝ろうという気分にもなれた。

下開けといて。

 

 

 

121:以下名無しに変わりましてVIPがお送りします。

 

ありがとう。続きます。

 

昼過ぎだったかな。

厄除けで有名な某神社に行って、本殿前にお参りしてから、なんだから歩き疲れて参道の途中にあったベンチで休んでいた。

平日だったけど、観光客はそこまで多くなくて、じろじろ見られることもなかったし、仕事用のヒールのある靴で歩いていたから気が付いたら結構足が痛かった。

早めにホテルに帰ろうかなと思ったんだけど、なんだかそこから動けなかった。

 

ぼんやり遠目に人が行きかうのを見ていて、ふと横を見たら、ビックリするほど綺麗な幼女がいた。

4歳とか5歳とかそのぐらいの子どもなんだけど、目はくりくりしてて、睫毛は長いし、髪は艶々天使の輪っかになってるし、これは生涯を通じた美人になると確信できる子だった。

おかっぱぽい髪型もやぼったい感じじゃなくて、とりあえず天使かな?って冗談じゃなく思った。

 

 

122:以下名無しに変わりましてVIPがお送りします。

幼女キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

 

123:以下名無しに変わりましてVIPがお送りします。

幼女キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

 

124:以下名無しに変わりましてVIPがお送りします。

幼女キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

 

125:以下名無しに変わりましてVIPがお送りします。

幼女キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

 

 

 

126:以下名無しに変わりましてVIPがお送りします。

>>122~125 おまわりさん、こっちです。

 

って冗談でもなく、正直変態じゃなくても誘拐されたり、大富豪に貢がれたりされるレベルの美少女。

あまりにびっくりして声が出なかった。

一瞬どっか迷子か、近所の子かな?とおもったんだけど、その子は子供用の巫女さん衣装だったから多分その時は神社の関係者じゃないかなって思った。

また巫女さんの衣装がすっごく可愛かった。コスプレ用の安っぽい衣装じゃなくて、本当にきちんとしたいい布を使っていた。

昔バイトでいい値段のアパレルで働いていたから、多少縫製とか布の良し悪しは素人目だけど分かった。

 

「お姉さん、どうしたの?」

 

コテンって首を傾げながらその子が聞いてきた。

顔だけじゃなくて声まで可愛いなあと思いながらも、自分がここからずっと動いていなかったことに気が付いた。

 

「大丈夫よ。歩くの疲れて休んでいたから」

「お姉さん、頑張たんやね」

 

その瞬間、私は泣いていた。

恥も外聞もないけど、その子の前でボロボロ泣いた。

情けないけど、緊張の糸が切れたみたいに頑張ったねって言われて涙が出て止まらなかった。

ここまで美少女じゃなくても小生意気な女の子でも、夫に似たちょっと眉の濃い男の子も見てみたかった。

なんで自分に子どもができないのか、子どもがいないことにとやかく言われないといけないのか。

言っている方に悪気はなくても、知らず知らずにストレスになっていたんだと思う。

私が泣いていてもその子は慌てたり、逃げたりせずに俯いていた私の頭を落ち着くまで撫でていてくれた。

それにまた泣いた(´;ω;`)天使だった。

どっちが子どもか本当に分からない様子だったけど、運よく誰も近寄ってこなかった。

 

 

127:以下名無しに変わりましてVIPがお送りします。

アラサーを慰める幼女(天使)

 

128:以下名無しに変わりましてVIPがお送りします。

アラサーうらやま。

 

129:以下名無しに変わりましてVIPがお送りします。

幼女は心まで天使だったか。

 

130:117改めアラサー

もうコテハン、アラサーでいいや。今はもっとBBAだけど。

 

続き。

しばらく泣いてから、嗚咽もちょっと落ち着いてきたら女の子が、じっとこちらの眼を見て話をしてくれた。

 

「あのな。お姉さんのおうちのお庭におっきな柏の木があるやろ。その木もお姉さんみたいに疲れとるみたいやから、日の当たるとこに移したってな」

 

一体何のことだろうと思ったが、とりあえず分かったと頷いておいた。

 

「大事にしてやってな。おじいちゃんが言っとるよ」

 

にっこり笑われて、それに見惚れていたら気が付いたら予約していたホテルの部屋だった。

端末で確認したら神社からホテルまでコミューター使って帰っていたらしいけど、本当に記憶がない。

チェックインした覚えもなかった。

あまりに疲れすぎていて記憶が飛んだのだとその日は早めに寝て、次の日の出張に備えた。

 

 

出張は無事に終わって、幸い夫とも仲直りができた。

変に仲が拗れることもなく、それまで通りに生活していた。

けど、神社で会った子が言っていた柏の木って言うのがずっと気にかかっていた。

柏かどうかその時は分からなかったけど、確か実家の庭に大きな木があったなあと思いだした。

交通の便があんまりよくないから、結婚してからあんまり実家には帰っていなかったけど、思い切って有給使って帰ることにした。

突然帰ってきて驚かれたけど、まあ母も喜んでくれた。

 

帰ってから知ったんだけど、私が結婚してから家の隣に3階建てアパートができていた。

おかげで庭の一部は日が当たりにくくなって、一部ジメジメした感じになっていた。

庭の隅に植えてあった立派な木も元々日当たりがそんなに良くなかったのが、悪化して素人目にも元気がないと分かった。

ネットで調べてみたらそれが柏の木っぽかったので、本当にうちにあって驚いた。

父に聞いたら、父方の曽祖父がとても大切にしていた木で家を建て替えるときも前の家から持ってきたらしい。

手入れも自分たちが年を取ってからだと大変だし、近頃元気がないからいっそ伐採してしまおうかという話も出ていたが、私がお金を出して移動させることにした。

母はちょっと渋っていたが、父も大切にするようにと言われていたらしく、木を残すことには賛成だった。

料金は安くはなかったけど、この前の出張手当と子どもができた時にとちょくちょく自分で貯めていたお金でどうにかなった。

樹木医さんにも木を見てもらったけど、植え替えたら元気になるだろうという事で、植え替えも問題なく終わった。

 

 

131:アラサー

長いので分けました。

 

 

それからしばらくして、やっぱり子どもが欲しいから不妊治療をしようと夫と話し合って色々調べてもらうために産婦人科に行ったら、何と妊娠が分かった。

確かにダメもとで一発試してしてみてはいたけど、まだ悪阻もなかったから妊娠は思いもよらなかった。

そして驚くことに、ここから私だけじゃなくて親戚一同ベビーラッシュだった。

新婚の妹夫婦には双子が生まれただけじゃなくて、晩婚で子どもは諦めていた兄夫婦もなんとおめでた。

兄嫁は高齢出産だったけど、母子ともに超健康。

私も3人の子どもに恵まれた。

男の子は立派に夫の遺伝子を継いで生まれた時から眉が濃いwww

墨で書いたかな?ってくらい生まれてきたときから夫そっくりwww

そこから数年は出産子育てに追われ、実家も義実家も振り回され、ヒーヒー言っていた。

あれだけ厭味ったらしく孫はまだかと言っていたので、疲れ顔の義母に念願の孫ですよ~っとあやしてもらっている。

 

今は子育ても少し落ち着いて、末っ子が小学校入学したのを記念にカキコ。

 

 

132:以下名無しに変わりましてVIPがお送りします。

幼女は天使ではなく、木の精霊だったとか?

 

133:アラサー

>>132

分からない。実際お礼に何回か参拝したけど、宮司さんも心当たりがないそうだ。

ただすごく感謝している。

 

あと、実家の柏の木は子宝の木として近所でも評判になって、今ではウチのご神木と化している。

後で調べてみたら、柏の木って子孫繁栄の縁起のいい木らしい。

孫に甘いジジババも、この木だけは悪さすると鬼のように怒るし、今でも大切にされている。

 

 

 

 

 

 

 

Episode2

 

7つ上に従姉がいるんだけど、この従姉が小さいころ、不思議な体験をしたらしい。

 

当時、従姉は4歳。

 

ある夏、従姉とうちの家族が河原でバーベキューをしていたそうだ。

川と言っても山の方じゃなくて下流の川幅の広くて流れも弱いところだったから、私の兄や従姉他数人は川辺で遊んでいたそうだ。

勿論、間違って川の深いところに行かないように大人は目を離さないようにしていた。

ただ従姉は足を滑らせて、川は浅く溺れはしなかったものの、石に頭をぶつけて脳震盪を起こしてしまった。

直ぐに病院で診てもらった、レントゲンもCTも異常なかったし、その日のうちに家に帰った。

 

だけど、帰ってから様子がおかしかった。

従姉は今でも大人しいと言うか、どちらかというと内気なタイプで、外で遊ぶより絵を描いたり、本を読むのが好きな子だった。

それが手の付けられないくらいやんちゃな子になった。

男の子と喧嘩はするし、外でこんがり焼けるくらい遊びまわるようになったし、叔父大好きだったのに叔母にべったりになった。

それが一時的なものなら子どもの気分変わりで済ませられるんだけど、逆に好きだった絵や本に見向きもしなくなったから、従姉の両親も困惑していろいろな病院で診てもらったそうだ。

だが、どの病院も検査は異常なし。

心理的な検査もしたみたいだけど、知能的にも対人関係も問題ない普通の子どもの範囲内だと言われてしまった。

 

祖父母も甘えたい盛りだからしばらくは様子を見ても良いのではないかと、変わりようは不思議に思いながらもそれほど気にはしていなかった。

当時、叔母は第2子妊娠が分かって赤ちゃん返りではないかと思っていた。

 

だけど叔母はどうしても気になって、ダメ元で中学時代の友人を頼ったそうだ。

その友人は九州の方ではかなり有名な某神社の一人娘で、叔母とは仲が良かったらしい。

連絡はしばらく取っていなかったが、幸いにして家の場所は分かるため手紙を送った。

連絡は思ったよりもすぐに帰ってきて、子どもを連れて遊びに行くから様子を見せてほしいと言われた。

夏の終わりごろ、友人夫婦が5歳男の子を連れて遊びに来た。

叔母は妊娠中だったため、友人と家に残り、叔父と従姉と友人夫とその男の子で遊びに出かけることにした。

 

 

叔父たちの方は、例のバーベキューをしていた河原へやってきた。

何かするのかと思ったら、始めたのは土手での駆けっこに鬼ごっこ、水切り遊びに変わった石探しなど、本当に普通に遊んでいたそうだ。

年が近かったのもあって男の子と従姉もめいっぱいで遊んで、時には喧嘩したり、叩きあったりして怒られながら、川遊びを楽しんだらしい。

ちなみに普段デスクワークの叔父は早々にばてて一人監視という名の休憩をしていたと聞いた。

 

一通り遊び終わって、土手に座りながら休憩していると、友人夫が従姉の頭を撫でながら奇妙なことを尋ねたらしい。

 

「楽しかったか、(ボン)

 

坊って、男の子に対する呼び方に、叔父も一瞬首を傾げた

従姉の当時の服は遊びやすい服装とは言え、きちんと女の子だと分かる格好をしていた。

単に言葉の意味が分かっていなかったのか、従姉は大きく頷いた。

 

「そうか、そうか。楽しかったな。じゃあそろそろ帰ろうか」

「やだっ。まだ遊ぶ。まだここにいる」

「坊」

 

その男性は従姉の頭を撫でると、目線を合わせてしゃがみこんだ。

 

「坊は独りぼっちでここにおるのが寂しかったんやろう。……そうか。坊は従姉ちゃんと同じように呼ばれとったんか。従姉ちゃんが羨ましかったんやな。お母ちゃんに抱っこされたかったし、もっと遊びたかったなあ。けど、坊が行く場所はここやない。坊も分かっとるやろ。母ちゃんがきっと探しとるよ」

 

まるで迷子の子どもに言い聞かせるように従姉に話していたそうだ。

従姉は終始泣きじゃくっていたらしいが、叔父はなぜか止めることができなかったらしい。

 

「お母ちゃん、探しとる?」

「探しとる。向こうで首長くして待っとるよ」

「お母ちゃん、怒らん?」

「寂しかったのはお母ちゃんも一緒や。いっぱい抱っこしてもらい」

 

この時叔父は友人夫が従姉ではなく、別の誰かに話しかけているのではないかと感じたそうだ。

従姉はその後散々泣いて、泣いて、泣き疲れて家に帰って起きたら前の内気で絵と本の大好きな女の子に戻っていたそうだ。

まるでケロっとしていて、叔母が拍子抜けするほどあっけなかったらしい。

友人夫は、しばらくは少し敏感な部分があるかもしれませんが、年と共に落ち着いてきますので、大丈夫だと言っていたそうだ。

 

従姉は大人になってからその話を聞かされたそうだが、全く覚えていなかったみたい。

友人夫の話だと、従姉にはあの川で昔亡くなった子どもが憑いていたらしい。

その男の子と従姉が丁度同い年で、太郎だから“たーちゃん“みたいなかんじで同じように母から呼ばれていたから、羨ましくなって、だからたまたま波長の合った従姉に憑いて、母に甘えたり、遊んだりしていたそうだ。

従姉はしばらくは確かに何となく嫌な気配がするとか、変だなと思った場所は昔墓地だったり、事故現場だったり、第六感が冴えていたこともあったそうだが、今はぼんやりとしか分からないと言っていた。

 

 

結局この叔母の友人夫は、京都の方の超絶有名な神社の家の出で入り婿にとても来てもらえるとは信じられなかったほどの家柄らしい。

曰く、やんごとない方々の血を引いているとかいないとか、陰陽師とのつながりもあったとかないとか、実家の方にも個人的にも眉唾な話は山ほどあるらしい。

 

 

 

 

 

 

 

Episode3

 

825:以下名無しに変わりましてVIPがお送りします。

そういえば、先週京都の九重神社でお守り買ったら、旅行先で一人だけ牡蠣に当たらなかった。

厄除けのお守りってウイルスにも勝てるのか。

 

826:以下名無しに変わりましてVIPがお送りします。

>>825

某スプレータイプの消臭剤には除霊効果があるくらいだから、効くんじゃないか?

 

 

827:以下名無しに変わりましてVIPがお送りします。

 

>>825九重神宮のお守りは人によってはガチ。特に厄除け。

 

俺のじいちゃん。死ぬまで毎年正月の参拝とお守りを買う事続けてたらしい。なんでか聞いてみたら、なんでも爺ちゃんが若いころの車って今と違って事故率も高くて、自動運転もそんなに進んでなかったらしい。

 

旅行で記念と何となく気分で厄除けお守り買ったんだけど、ある日、高速道路走ってたら反対側の大型トラックが突っ込んできた。中央線はあったけど、縁石とかも低くて普通に乗り越えてきたんだって。

危ないって咄嗟にハンドル切って衝撃が来た!!って思ったら助手席側がペチャンコにつぶれてた。

幸い、じいちゃんは無傷。相手のトラックの居眠りだったらしい。

 

ただ、不思議なことに運転席側に吊るしていたはずのお守りがまるで圧縮されたみたいに小さくなってたんだって。こう、トラックに踏みつぶされた助手席側みたいに。

 

 

 

 

 

 

 

 

Episode4

 

部活の先輩が、超有名な某神社の息子だったんだけど、やっぱり神社関係ってなんらかの神通力持ちの人っているのかな。

 

中学高校で俺は武道系の競技をしていた。何の競技か想像に任せる。

先輩は3年で俺は2年の時だった。

ある日の部活終わり、部室の更衣室で着がえていた。

その先輩は奥のロッカーを使っていて、俺たちは入り口に近い側だった。

先輩が先に着替え終わって、帰ろうとしていたので、俺と友人Aは『お疲れ様です』と挨拶をした。

先輩は足を一瞬止めて、『お疲れ』と俺と友人Aの肩を叩いた。

普段、あんまりそんなことはしない人だからびっくりしたけど、俺も友人Aも部活の顧問に叱られた日だったから、励ましなんだろうなと思っていた。

 

Aと俺は、学校の帰り道を一緒に駅まで歩いていた。

特にいつも通りの道だったんだ。

今日の部活のこととか、顧問への愚痴とか、先月発売された漫画のこととか特に変わったことは話していなかった。

 

駅までの道の半分ぐらいだったところで、俺とAはなぜか肩を引かれた。

何も言われずにただ肩を引かれて驚いた。

誰かがすぐ後ろにいるなんて全く気が付いていなかったが、後ろを振り返るとそこには誰もいなくて、Aと揃って首を傾げた。

 

途端、俺たちが進んでいた方向から轟音がした。

慌ててそっちをみたら、ほんの数歩先に看板の一部が落下していた。

看板は結構大きくて、2mはあったと思う。それが大きくひしゃげていて、もしそのまま歩いていたら直撃していたのは間違いなかった。

俺とAは呆然としていたんだが、直ぐにその店の店員がやってきて、怪我がないか聞かれた。

呆然としたまま俺とAは頷いた。

その後警察とかに事情を聞かれたり、親にも心配されたし、翌日は学校の連中にも知られていた。

 

まあ次の日も普通に部活があって俺とAは部室で着替えていたんだけど、俺たちが入った後に例の先輩が入ってきた。

 

「昨日は大変だったな」

 

先輩がそう言ったので、先輩も俺たちが危ない目にあったことを知っていたようだ。それで通り過ぎるときに昨日の帰りみたいに俺と友人の肩を叩いて行った。

マジビビりましたよー、とか俺は普通に話していたんだが、Aは無言だった。

俺たちが先に着替え終わったので、部室から先に出たんだが、Aは青い顔をしていた。

体調が悪いのか聞いたが違うらしい。

何なんだと聞いたら、Aは声を潜めて俺に聞いた。

 

「なあ、あの日、何かに肩引っ張られただろう」

 

そんなに強い力じゃなかったが、誰もいなかったのに確かにAも俺も肩を掴まれて立ち止まった。

幽霊とか信じる方ではないが、助かったので悪いものではなかったのだと勝手に思っていた。

俺が頷くと、Aはさらに顔を青白くさせた。

 

「肩引っ張られたのって、昨日と今日、先輩に叩かれたのと同じ所じゃないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

Episode5

 

お守りとか絵馬とかは別だけど、神社のものは無暗に持って帰らない方がいい。

場所は言えないけど、京都の某神社。

丁度桜が満開の時期で、俺はその写真を撮りに神社に来ていたんだが、偶々見かけた参拝者のマナーが最悪だった。

その神社は敷地内にかなり桜が植えてあって、名所としても有名だから、観光客でごった返していた。

立ち止まっていると後ろの人の流れがつっかえるくらいだったので、俺はできるだけ通行人の邪魔にならないように写真を撮っていた。

 

マナーの悪い参拝者は5人組の外国人だった。

はっきりした国籍までは分からないが、とりあえず海外からの観光客っぽい感じだった。

とにかく、声は大きいは、横に広がって歩くわ、通行人の邪魔にはなっていた。

嫌な感じだなあとは思っていたが、そのうちの一人の男が手を伸ばして桜の枝を折った。

その神社の桜は樹齢の長い老木が多いから、すごく大切に手入れがされているのを知っていたので、その男の行動に怒りが込み上げてきた。

だが、チキンな俺はそれを注意することはできず、悔しい思いをするだけだった。

写真を撮って証拠があれば神社の人にも言えたんだろうけど、その時の写真は丁度撮っていなかったし、落ちていたと言えば言い分は通ってしまう。

 

俺は気を取り直して場所を変えながら写真を撮っていたが、神社から去ろうとする例の集団とまた遭遇してしまった。

もうさっさと帰れと思いながらそいつらを見ていたんだが、そいつらの一人が入り口の階段のところで突然消えた。

その後悲鳴が聞こえて、辺りは騒然としていた。

俺も野次馬根性むき出しで近づいて行ったら、その男は頭から血を流し、腕や足の骨が折れていた。

その神社は門前のところが長い階段になっていて、男はほぼその一番上から落ちたようだ。

階段で転んでどの程度怪我をするかよく知らないが、足は変な方向に曲がってたし、腕の骨も皮膚を突き破っていたのでかなり重症だってことは素人目にも分かった。

しかもも折れた方の腕がさ、ちょうどあいつが折った桜の木の枝みたいに骨が出てるみたいだった。

 

仲間が必死に呼びかけているが、男は弱弱しい反応をしていた。

すぐ救急車がきて搬送されたが、その後の男については俺も全くわからない。

 

ただ、あれ以来その神社だけではなく、どこで写真を撮るときも周囲を確認している。

 

 

 




ちなみに設定

Episode1 悠(幼少期)厄除けで女の子の格好をしていたころ
Episode2 雅の叔父(嵐)
Episode4 雅の兄(煉太郎)

そんなに怖くなかったですよね?


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四葉継承編
四葉継承編1


1か月って過ぎるの早いですね。毎日のように更新されている方とか、どんなスピードで書いているんでしょうか…。

ここからはシリアスというトラックに砂糖を積んで行きます((((っ・ω・)っ
原作から乖離してくる部分もあるので、ご了承ください。

今回はお待ちかねの壁を叩きたくなるほど甘い話はありますが、本文に都合で入れられなかったので、あとがきに長々と書いてあります。さて、コーヒーの準備はよろしいでしょうか。



魔法とは、おとぎ話の産物から属人的かつ先天的な才能ではなく体系化された技術となってからおよそ100年の物である。

近代魔法の黎明期から絶えず現在も魔法研究は国を挙げて行われてはいるが、魔法にまつわる事故というものは決して少なくない。

 

元々兵器利用や軍事目的での開発が主立っていたことも原因の一つではあるのだが、どこの魔法科高校でも魔法技能を損なうほどの障がいや魔法に対する不信感から魔法を行使できなくなる者が毎年出てくる。

重力制御魔法で体を浮かせていたら魔法力を切らせて落下したり、戦闘系の魔法技能を鍛えている際に当たり所が悪かったり、身を守る必要に駆られ、自身の許容量以上の魔法を一気に行使しようとしたり、事故例は様々だが、ほんの些細な失敗や油断で魔法という才能を失う可能性は誰にだってある。

そのため事故事例を基にした魔法使用におけるリスクマネジメントも魔法師の教育には組み込まれている。また飛行魔法のようにCADへの想子の供給量が減少した場合、減速魔法が発動して安全に着陸できるようプログラミングされていたり、もっと単純に命綱を使用したりするなどソフト、ハードの両面から安全対策は取られている。

 

ただ、事故は何時だって望んで発生するものではない。例え、それがいかに優れた魔法師だとしても魔法に関する事故というのは魔法師である限り、一生存在するものであるのだ。

 

 

 

 

 

 

11月中頃。

 

論文コンペを終え、生徒達の熱気はひとまず収束したが休む間もなく月末には期末テストというものが差し迫っていた。ある者は魔法理論の確認を同級生と話し合い、ある者は出題の予測を立て復習に余念がないなど、学校のあちらこちらで熱心にテスト対策を行う生徒の姿が見られる。

 

魔法科高校は中間テストというものが存在しないので、期末考査の結果で成績が大きく左右される。例え魔法実技の成績が優れた一科生であったとしても、魔法理論の知識は十全とはいえず、最新の研究の時事的な知識から魔法工学など複雑な理論、魔法幾何学や魔法薬学などの選択科目も覚えることは多い。成績上位者は魔法科大学への推薦もかかっているため、上位をキープしていると言って安心はできない。さらに赤点という悲惨な結果を取ると冬の短い休みであっても補講に駆り出されることになっている。つまり、クリスマスは親しい友人や家族とのパーティではなく勉強漬けのしょっぱさを味わうことになる。

 

 

朝早くから学校に来て図書室や教室で自習に励む生徒もおり、一科生で成績の上位10番以内に常に入っている雫も家より学校の方が勉強しやすいタイプであったので、いつもより少し早く登校してきていた。

 

「おはよう、雫」

「おはよう」

 

席の順番は名前の順となっており、『北山』と『九重』で二人は前後の席だ。雅は日によって来る時間が異なるが、早い時は真面目に予習や試験勉強をしていることが多く、今日もその日なのだろうと早い登校に雫はそれほど気に留めなかった。

 

「雅、手首怪我?」

 

雫が席に着くと、雅の左手首に普段はしていない黒いサポーターが目についた。

 

「稽古中に捻ってしまったの。体育は種類によっては見学だけど、利き手でもないから日常生活に支障はないわ」

 

雅は左手首に視線を落とした後、溜息交じりに答えた。

忍術使いを叔父に持つだけあって雅の人並み以上の運動神経の良さを目の当たりにしていたが、弘法も筆の過りというべきか雅でも怪我をするんだと、思い出したかのように雫は一人納得していた。医学の進歩によって薬剤で治療できる疾患や予防できる病気は格段に増えているが、こういった外傷は魔法治療で誤魔化しても安静が一番の薬になる。

 

「お大事にね」

「ありがとう」

 

雅が操作している端末を覗き込みながら、雫は話題を次の期末考査に切り替えた。

 

 

 

 

その日の実習は手元のモニタに指示された色を20m先の的に投射するという光学系の魔法だった。一分間に照射できた個数とその正確性と発動速度が評価され、間違った色を照射すると回数は1回分マイナスでカウントされる。

これはあくまで初級レベルのものであり、カリキュラムが進んでいくにつれ、指定の色が同時に二色に増えたり、壁の向こう側に的を置いたり、カウントの読み上げなしの60回/分のリズムで正確に的に照射させたりと、難易度が徐々に変化する。

 

今回の合格の基準は1分間に60回以上の記録を出すことだが細かな制御はあまり得意ではないと言う雫も、優等生らしく1分間に80回をクリアしていた。

このような単一系の魔法であれば一回当たりの魔法発動速度が0.5秒をコンスタントに切り続ける深雪や雅に至っては、普段から120回はサラリとやってのけていた。

 

「なにかあった?」

「雑念が入ったわ」

 

だがこの日、雅の1回目の結果は90回に留まっていた。ミスこそないが、魔法の発動速度がマチマチでありリズムが崩れていたのが見受けられた。

珍しいこともあるのだと思ったが、魔法は精神的な部分に左右されることが大きいので、なにか頭を悩ませる問題でもあるのだろうと雫は考えた。

雅の実家は日本でも指折りの歴史の長い家であり、古式魔法の大家である。雫も北山家という大企業の娘であり、自分が望もうと望まざろうと名前に伴う責務もあることは理解している。

テストに関わらず、雅は日々神楽の稽古にも励んでいるため、年末年始に向けてそちらの方も追い込みをかけているのだろう。多少疲労やペースの乱れが見られても不思議ではない。

 

雅は休憩を挟まずに2回目を行い、回数も120回を超えていたのでそれほど雫は気にしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後の生徒会室。

 

期末試験が近づくにつれ部活動は原則、自主練習という名前の休暇に入るところが多いが、生徒会は終業式の準備や年末の資料やデータ整理など仕事があるため、完全に休みにはなっていない。生徒会に所属する生徒は学内でも指折りの成績優秀者であるので、試験前に慌てるようなことは無いが、それでも仕事を切り上げる時間はいつもよりずいぶんと早い。

 

「深雪、ちょっといい?」

「ええ、大丈夫よ」

 

生徒会業務が終わるころを見計らって雫が生徒会室を訪れた。風紀委員会本部は生徒会室と中でつながっているが、雫はそちらには寄らなかったのか、一般生徒も使用する廊下側の入り口から許可を経て入室した。

 

「少し話があるから風紀委員会本部なら今誰もいないから、来てもらってもいいかな」

「分かったわ。時間になったら泉美ちゃんたちは片づけて帰ってもらって大丈夫よ。試験前だから無理して残る必要もないわ」

「いえ。深雪先輩と一緒ならむしろ息抜きになります」

 

泉美にしてみれば、テスト期間は麗しい深雪といられる時間が短くなるので、テスト自体の煩わしさよりそちらの方が問題だった。

深雪はいつも通りの泉美に愛想のいい社交的な笑みを浮かべた後、雫の後に続いて風紀委員会本部に向かった。単なる憧憬を通り越して崇拝にも近い泉美の態度も、入学から半年もすれば深雪にも多少なりともあしらい方も分かってくる。

 

 

 

部屋は以前のように備品や書類が乱雑に置かれ、顔を顰めるような状態ではなく、また書類を誤って捨ててしまったかもしれないと慌てる委員長がいるわけではないため、整理整頓がきちんと行われている。

風紀委員長である幹比古の性格上、物の場所は分かりやすく仕分けされているだけではなく、今までの委員長と違って率先して掃除まで行っているため、本部はいつ来客があろうとも見苦しくないように整えられている。

 

「それで、話って?」 

「……一応、念のため遮音壁張ってもいい?」

 

雫は一瞬ためらったが、いつになく真剣な目をしてそう提案した。

 

「ええ。構わないわ。大切な話なのでしょう」

 

風紀委員である雫はCADの携行が許可されているため、素早く端末を起動し、二人の周りだけに遮音壁を作り出した。

この時期は部活動が自主練習期間であるため、風紀委員の見回りもいつもより簡単に済むため、風紀委員会本部を訪れる生徒もほぼいない。それでも周りに聞かれるには差しさわりのある内容なのは間違いなかった。

深雪は達也のように異能に近い知覚系の魔法に適性があるわけではないので、雫の提案は深雪としても有難いところだった。

 

「まだ確信はないし、余計なお世話かもしれないけど、雅の怪我って魔法が原因?」

「神楽の稽古とおっしゃっていたから、おそらく魔法使用時のことだとは思うわ」

 

神楽の稽古と言っても九重神楽の演目の中には殺陣のようなものが含まれている場合もあり、繰り返し行う動作に手足の肉刺が破れたり、タイミングがズレて打ち身ができたりするような怪我を負うことはあると深雪も聞いている。今回の怪我も不安定な姿勢からバランスを崩して手を突いた時に捻ってしまったらしい。

 

「ちょっと実習で雅らしくないことが続いていたから気になって」

「お姉様らしくない?」

 

思いもよらない雫の言葉に深雪は声を一段落とした。

 

「十分高レベルの合格範囲内だし、気にしすぎかもしれないけど、気になって」

 

雫も最初はそこまで気にしてはいなかったが、光学系の実習以外にも雅のわずかな異変は続いていた。

移動系の魔法では移動対象の指定の範囲が甘かったり、全体的な発動速度が今までより遅れたり、威力の調整が不十分だったりと、雅らしくないミスが起きていた。無論、どれも合格の範囲内であることには変わりなく、2回目にはほぼ完ぺきに修正していたのだが、ペアを組んでいる雫以外にも首を傾げるクラスメイトがいるほど、雅の魔法はやや不安定だった。

勿論、今までと比較すると、という話であり、文句なしの一発合格であるのだが、その微妙なズレが雫には気にかかっていた。

 

「確かに珍しいで済ませていいのか気になるわね」

「雅だから話せない事情とかもあるかもしれないけど、本人は特に何もないって」

 

雅自身が一番不調については自覚しているだろうが、すぐに修正ができているだけあって雫は深く話を聞けていない。

雫は雅を友人だと思っており、雅が話してくれるならばどんな重たい内容でも受け止められるくらいの気概でいるが、当の雅に話す気が全く見られないこともあり、今は静観している。深雪ならば何か話しているかと思ったが、深雪も初耳のようで驚きと戸惑いを隠せないでいる。

 

「そう。私の方からもそれとなく伺ってみるわ」

 

雅は大したことない風にふるまってはいたが深雪は怪我をした手首を見て、胸が締め付けられる思いだった。

深雪は雅の怪我に敏感だ。

かつて沖縄で深雪を庇って死の淵に立つような大怪我を負わせてしまったことがトラウマとなっているのか、いくら稽古で体を酷使することもあるとは知っていても深雪は気が気ではなかった。ましてやそれが魔法の行使にも影響を与えているかもしれない。

ただの思い過ごしだといいのだけれど、と深雪は願うばかりだった。

 

 

 

 

 

その日の夜。

雅と達也は二人きりで、司波家の地下にある研究室に来ていた。

二人きりで邪魔をされない防音の効いた部屋で密会というわけではなく、CADの調整とそれを行うための測定であり、年頃の男女らしい浮ついた様子はなく、真剣なものだった。

達也の研究室は個人が所有するには十分すぎるほどの設備が整っており、最先端の魔法科学研究所と同等の性能を持つ機器が並んでいる。

基本的にはトーラスシルバー名義で購入したメーカーの純正品ではあるが、ところどころは使いやすいようにカスタムしており、ワークステーション一つにしても高級車が余裕で買えるような値段である。まさか世界的な魔法工学技師の個人ラボがこんな住宅街の地下にあるとは誰も思いはしないだろう。

 

より精密な測定を行うため、肌を覆う布は極力少ない方が良い。

そのため、測定時は深雪や雅は下着姿で測定用の寝台に横になり、測定を受ける。

達也はワークステーションの画面を見ているため、いくら直接肌を見られることは無いとはいっても、週1回、期間にして1年半以上この測定方法を実施しているとはいっても、羞恥心を全く覚えないほど雅も慣れているわけではない。

被測定者の心理状態が測定結果に影響を及ぼすことは達也も理解しているが、そのあたりは微調整で済む範囲内である。

ガウンの衣ずれの音やうっすらと頬を染め恥じらう様子を目の当たりにする達也の気まずさもまた無視するべき範囲内だった。

 

達也は数字で構成された生データである測定結果が表示されたモニターを眺めながらわずかに眉を寄せた。

 

「やっぱり数値に出ている?」

 

雅はガウンに袖を通し、胸元の合わせまで整えると達也の隣に置かれたスツールに腰を下ろした。測定結果が分かっていたように雅の声は落ち着いており、表情にもそれほど大きな変化は見られない。

 

「怪我の影響もあるだろうが、大きく設定を変えるほどではないよ」

 

確かに雅にしてみれば調子が崩れているとは言えるだろうが、設定そのものを見直すほど大きな問題ではない。微調整とも言えないが、短時間で調整ができることに違いはない。

 

「実習の結果もイマイチだったから、調子が悪いのは分かっていたわ」

 

自分に苛立つ様子を隠しながら、雅はため息を零した。

1年半以上、達也の隣で調整を見てきており、自分でもある程度CADの調整はできるので生データの段階で数値的な不調は見て取れるのだろう。

 

「稽古の疲れもあるだろう」

「今までで一番難しい演目だからね。焦りもあるのも確かよ」

 

新春に行われる九重神楽の演目は『鳳凰』。

1000年前の文献に残っていた演目ではあるが、理論としては成り立っていたがそれを実践できるだけの術者がおらず当時も実演はされていなかった演目だ。それを悠が再検討し、実演可能なものに昇華させたものだ。

 

いくら技術的な発展は著しいとはいえ、九重神楽の原則は機械的な補助を一切行わず、あくまで刻印魔法や詠唱、精霊魔法などといった古式的な媒体を元にした魔法であり、CADを使用した魔法に比べれば安定性も高速性も劣る。さらに複雑な魔法をいくつも組み合わせるため絢爛な羽を模した衣装は九重の数ある舞台演目の中でも一番重く、それを自在に操り優雅に見せるためには体力も魔法力もかなり消耗する。

 

相手役の悠が『凰』、つまり女性役であるため身長の兼ね合いから鉤爪を模した足は踵の部分が不自然に見えないぎりぎりまで上げられており、雅はかなり不安定な体勢で舞い続ける。2時間の稽古が終わればしばらくは座り込んで息を整えなければならないほど、見た目の優雅さとは裏腹に苦しい演目だ。

そんな九重神楽の中でも最難関とも呼ぶべき演目に雅は手古摺っていた。全く舞えないわけではないが、何度舞っても納得のいくような練習にはなっていない。難しい演目の中での怪我とあって、動揺と焦りが数値に現れることは無理からぬことだった。

 

「CADの方はフィードバックを少し強めに設定するが、いいか」

「ええ。お願い」

 

達也がちらりと顔を合わせたその瞳には焦りと悔しさが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

その後も雅のどことない不調は続いていた。

稽古を重ね、できることは増えていても完成には程遠く、期日も迫る中で焦りは加速していた。焦るべきではないと思いつつも、完全にはその感情をコントロールできず、学校の実習にも支障が見られていた。

深雪も心配していたが、こればかりは本人の問題であるため率先して身の回りの世話を焼くくらいのことしかできずもどかしい日々が続いていた。

 

 

そんな様子を耳にしたのか、ある日曜日に悠が訪ねてきていた。

場所は司波家ではなく、普段雅が神楽の稽古にも使わせてもらっている九重寺の境内の一角であった。部屋の中には精霊除けの香が焚かれ、昼が近づこうとしているのに部屋の中は蝋燭の灯りが無ければ何も見えないほど薄暗い。

 

「稽古は難航しているみたいだね」

「今回の演目が机上の空論と言われなければ、既に再現はされているでしょう」

「確かにそうだね」

 

悠は苦笑いで取り繕うともなく、悠々と用意された茶を啜った。

 

「そちらの方は順調ですか」

「楽師の方も随分と大変なようだけれど、概ね準備は整ってきているよ」

「それで、こちらまで技術指導にいらしたわけではないのですよね」

 

雅は冷静に目的を問う。

悠の一挙手一投足が何を意味しているのか探るように張りつめた雅の雰囲気とは違い、悠はどこまでも穏やかな笑みを浮かべている。

 

「古式にせよ、現代魔法にせよ魔法の発動時に違和感があるだろう」

 

雅はとっさに言葉が出なかった。

確かに不調の原因の一つに怪我はある。だが、それは完治していることに変わりなく、既に動作自体には問題ない。肝心の魔法の発動については、精神的な焦りも影響していることは確かだったが、まだ誰にも話してはいないがずっと抱えてきた違和感を悠は見抜いていた。

 

「小さな魔法でさえ少し肌がざらつくような感じはあります」

「まだ多くを封じているからね。器との釣り合いが取れなくなってきたのだろう」

 

当然だと悠はもう一口茶を啜り、静かに茶托に湯呑を置く。

 

「随分と難儀しているようだから君の枷を一つ外すことになった」

「よろしいのですか」

 

雅は驚きを隠せずに問い返す。

雅の力は幼少期に暴走した経験から、未だに一部が父と兄二人の手によって封じられている。わずか6歳にして見境なく周囲10㎞を停電にした魔法力に、当時の京都は大混乱となった。

幸いにして町中の想子センサーごとお釈迦にしたので、魔法的な形跡は残らなかったが、正しく己の力を使えるようになるまで制限を掛けることになっていた。今までその枷を外した経験は片手で足りるほどであり、すべての封が解かれたことは無い。

 

「君も成長しているからね。今なら一つ外したところで問題はないだろうという判断だったよ」

 

神楽が演じきれない根本的な原因が封じられた力にあるならば、それを解放してしまえば魔法力的な余裕はできる。

封じられている力というのは魔法力そのものに制限を掛けているので、扱える力が多くなった分、制御力は必要にはなるが、一回の魔法に多量の想子を使う九重神楽においてはタンクが大きいことに越したことは無い。

 

「ただ、リスクも承知しているだろう。君はただでさえ彼方(あちら)に近い」

 

力の使い方を間違えてはいけないと静かにその瞳は語る。

 

 

「深く潜りすぎないことだよ、【鳴神】。まだ人として在りたいのならね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雅の封を解放した悠は、そのまま京都に帰るわけではなく深雪と都内に出かけていた。

雅の状態を心配した深雪が悠に連絡を取っており、報告のお礼ということで悠に連れ出されていたとも言う状態だった。

 

「用事に付き合わせて悪いね」

「いえ、私も少し出かけていたいと思っていたので」

 

悠との外出は深雪にとって予想外のことではあったが、丁度テスト前の息抜きとなっていた。普段から真面目に課題に取り組んでおり、常に成績上位をキープしている深雪は例え明日がテストだろうと問題はない程度に出題範囲程度のことは理解している。

 

「雅のことで随分と気を使わせてしまったね」

「お姉様はよろしいのですか」

「原因は怪我というより、魔法力の上限の問題だったからね。数日は制御に手間取るかもしれないけれど、確実に今より改善するよ」

 

同じ九重神楽の舞台に立つとしても悠は全く制限のない状態で臨んでいるのに対し、雅は枷を付けられた状態で今まで行っていた。器を鍛える意味もあったが、十分に鍛えられた今、過大な制限が負担になっていた以上、それを外してしまえば雅の演者としての段階は一段以上飛躍する。

 

「僕としても楽しみな演目になるのだけれど、君達は今年の正月は本家だから観には来られないんだろう」

「はい」

 

悠の言葉に深雪の少し浮足立っていた足取りが重くなった。

今までは色を付けていた木々の葉が、着々と近づく冬の到来に枝を寒々とさせている。秋晴れの良い天気なはずなのに、心は凍えるような現実を自覚する。

 

毎年、正月は四葉本家に挨拶に伺ってはいるが、今年は例年とは違うことがあった。分かっていてもいざその差し迫った事実を突きつけられると、深雪は胸が苦しく、掻きむしりたくなるような衝動に駆られる。

 

「それで、どちらに向かうのですか」

 

深雪は笑みを浮かべ、悠に行先を尋ねた。

上手に笑えているだろうかと深雪は不安になるが、悠の表情はじっと深雪を見つめたまま変わらない。何度も見ているはずなのに、いざ近くで見ると深雪ですら息を呑むような整った顔立ちに圧倒されてしまう。

 

「おまじないを買いにね」

 

深雪を伺う表情から一転、悪戯に笑う悠の笑顔に深雪の心臓は高鳴った。不意打ちの笑顔は卑怯だと、深雪はグッと言葉を飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

都内の大通りから一歩入り、大学や美術館などが多く見られる地域の中で、ひっそりとしたビルの1階にその店はあった。

 

「ここですか?」

「資料館の意味合いもあるけれど、天然の紅を専門に扱うお店だよ。次の舞台用の物が欲しくてね」

 

悠お兄様が言うおまじないを買う店とは、本紅を扱う店であり、日本でも数少ない専門店だった。古来、大陸文化の影響から、神社の門扉や柱などは朱塗りにされていることにも表れているように赤は厄除けや魔除けの意味があるとともに、縁起の良い時にも紅白を用いるように祝い事の色でもあるらしい。

悠お兄様の言うおまじないというのは、神楽で魔除けのために目元にさす紅のことを意味していたのだろう。

 

 

悠お兄様が店に入ると、すぐに店員が対応し、奥の個室に通され、注文していただろう品が運ばれてくる。

悠お兄様はしばらく吟味したいからと従業員を下がらせた。

机の上にはお猪口に入った口紅と、黒い漆の箱に入った顔料が並べられている。

 

本紅とも呼ばれる紅花から抽出された紅を見ることは私も初めてだった。

お猪口に塗られた紅は純度が高すぎるため、光の加減で反対色の金緑色に輝いて見える。

あまり陶器のことには詳しくはないが、おそらくお猪口に描かれた色付けも職人の手作業のものであり、これ一つでも工芸品であった。

 

「紅は女性的な要素の一つだからね。一口に赤と言っても色も毎回悩みどころなんだ。天然の紅は重ね方で色も変わってくるから、面白いところでもあるんだけれどね」

 

並べられた顔料の箱を吟味しながら、説明してくださった。悠お兄様が演じられる演目は女性の役が多く、紅の色には気をつかうところらしい。

顔料が入れられた箱は私にはどれも同じにしか見えないが、悠お兄様の眼にはその純度や品質も微妙に違って見えるのだろう。息が掛からないように口元をハンカチで押さえながら、一つ一つの箱を点検されている。

 

点検が終わった箱の蓋を閉めると、悠お兄様は次に紅の塗られたお猪口を手に取った。

きらりと艶やかな笹紅が光る。

真剣な目つきで品定めをしているそのお姿だけで、まるで一枚の写真のように絵になる光景だった。

 

「深雪ちゃん、付けてみる?」

 

私がじっと見ていたことに気が付いたのか、悠お兄様は紅筆を手にしていた。

 

「ご自分で試されなくてもよろしいのですか」

「僕らが舞台で使うには、少し手間を加えてからじゃないといけなくてね」

 

なんでも本紅は水で溶けやすいので、崩れにくくするために事前準備がいるようなのだが、単体で使った場合と若干色味も変わってくるそうだ。

悠お兄様はすっかり乗り気のようで、楽しそうに紅を水で溶き、筆をこちらに向けている。

筆を受け取ろうと手を伸ばしたところで、細く美しい指が私の顎を捕らえ、少しだけ上を向かせる。

まさか悠お兄様に紅を引いてもらうことになるとは思わず、“自分でします“と口にしようとしたところで黒曜石より美しい真剣な目にその言葉は喉の奥で消えてしまった。

二、三度柔らかい筆が唇をなぞると、悠お兄様は満足そうに微笑んだ。

 

「うん。綺麗だね」

 

心底美しいものを見たかのように目尻を下げたその顔こそ何よりも美しかった。

悠お兄様が非常に整った顔立ちをされているのは理解していたが、こんな至近距離で見つめられると思わず頬に熱が集まる。

 

「悠お兄様、誰にでもそのように言われない方がよろしいですよ」

「鏡を見てごらん。揶揄っていると思った?」

 

クスクスと心外だなと、笑いながら悠お兄様は手鏡を差し出す。言われたように店の方で用意していた手鏡を受け取ると、鏡の中では不満げに色づいた口をとがらせている私がいた。

重ね方で色が変わると言っていた通り、あまり重ね過ぎなかった紅は健康的な血色で唇に自然に馴染んでおり、雪女のようだと称された白い肌ですら映えるようだった。いい紅であることは口に出して言うまでもないことのようだ。

 

「そうは思いませんが、あまり不用意に女性にそのようなことを言われますと誤解されますよ」

「まだ僕の目は曇っていないと思うけれどなあ」

 

クスクスと悠お兄様は舌の上で、やっぱり可愛いねと言葉を紡ぐ。

紅がいいからでしょうとか、可愛くないですなんて皮肉や不満を口にしようとしたところで、言い包められてしまうことが目に見えていたので、口を噤む。

 

「なんだい?」

「いえ、なんでもありません」

 

悠お兄様の視線から逃げるようにもう一度鏡を見ると、不満を隠しもしない幼い私が映る。悠お兄様にはいつも子ども扱いされている気がしてならない。

 

「気に入らなかった?」

「そうではありません」

 

棘のある天邪鬼な言葉が口を突いて出てしまう。悠お兄様からしてみれば私は雅お姉様より年下の子どもかもしれないが、背伸びをしたい私が生意気な口を利く。

 

「じゃあ、これは深雪ちゃんのおまじない」

 

悠お兄様は蓋のついた椿の模様が描かれた器を私の掌に乗せる。

 

「よければ今度の慶春会の時に使ってほしい」

「ありがとうございます」

 

その言葉にこの器が途端に重くなったように感じた。

『慶春会』というのは、四葉本家で開かれる元旦の集まりのことだ。

新年のあいさつに本家にはお兄様と共に出かけてはいるが、例年分家の当主も列席する慶春会への出席を命じられるのは今年が初めてのことだった。

 

 

「あまり気分が乗らないみたいだね」

「呼ばれることが初めてですから」

 

渡された紅の器を両手で包む。

先日届いた叔母様の直筆を添えられた招待状は、これが決して避けて通ることのできないものだということを痛感させた。例えお兄様に分家の当主がどんな不遜な物言いをしても、私がその言葉を遮ることは今のままではできはしない。

 

そして、私は今までどおりの子どもではいられなくなる。

先ほどまで悠お兄様に子ども扱いされることに腹を立てていたのに、今は時が進まず子どものままならいいのにという我儘が支配する。

思っていたよりもその日は早く訪れてしまった。

 

ついに叔母様は私を次期当主として指名するつもりなのだ。四葉家の次期当主は、その時最も優秀な魔法師が当代当主から指名される。

今、次期当主として(ふるい)に掛けられているのは自分を含めて4人。

私とお兄様に『誓約(オース)』を課した津久葉(つくば)家当主の娘であり、精神干渉系魔法全般に強い津久葉夕歌(つくば ゆうか)さん。

諜報を担う黒羽家当主の息子であり、ダイレクトペインという人の感覚に直接痛みを与える系統外の固有魔法を有する黒羽文弥君。

新発田家当主の息子であり、気体、液体、固体に関わらず物質の密度操作を得意とする新発田勝成(しばた かつしげ )さん。

 

それぞれ得意とする魔法を有していたとしても、主観的にも客観的な魔法力で判断しても私が次期当主として選ばれるだろう。

ただ、今の私は四葉家の当主になりたいかと問われても、当主の座が欲しいとは思わない。そして、指名されてしまえばその地位はいらないと投げ出すこともできはしない。

 

12歳のあの日の出来事までは、周りの使用人から「候補者の中で貴方が当主にふさわしい」と言われてその気になっていた。

当主になることで、当主の守護者であるお兄様に浴びせられる不遜な声を黙らせることができるのならば、それに越したことは無い。九重であるお姉様がお兄様と結ばれるならば、私の後ろ盾としてはこの上ない組み合わせである。

 

けれど、私はどうなるのだろう。

当主になったならば私もいずれ、その相手を宛がわれる。病弱でも虚弱でもない私は、おそらく次期当主として次世代を望まれる。それは四葉家の中でも、十師族というコミュニティの中でも、おそらく変わりはしない。

それが何よりも不安で、何よりも不快で、何よりも恐ろしい。

 

「僕なら重たすぎる君の名前を取ってあげることもできるんだよ」

 

悠お兄様は私の両手に手を重ねた。

無意識に事象に干渉して部屋の気温までは下げてはいなかったが、重なった温かさに私の指先は氷のように冷たくなっていたことを自覚した。

 

「……悠お兄様、いくら悠お兄様でもそれは無理なことです」

「そう?」

 

まるで不可能なことではないかのように悠お兄様は問いかける。

今になってそんな夢は見てはいけないと理性が歯止めをかける。

 

「深雪ちゃんの望み次第だよ」

 

深淵のように深い黒の瞳がまっすぐに私を見据える。

私の望みは何だと問いかけている。

 

「悠お兄様、それは―――」

 

 

小さくベルが部屋に響いた。

どうやら店側が店員の入室を求めているのだろう。

悠お兄様は重ねていた手をゆっくりと外し、入室を許可する。

 

あの時、私は何を口にしようとしていたのだろうか。心臓が嫌に早く脈打っている。

私以外の次期当主候補者の中の誰かを九重が推薦し、その人が当主として選ばれる。そうなれば、少なくとも私は当主の責務からは解放される。

そうなった場合、お兄様の待遇がどうなるか不明だが、お姉様の伴侶を今のような立場に追いやることは無いだろう。

 

 

悠お兄様の問いかけは地獄に垂らされた蜘蛛の糸のようだった。

 

 

 

 




尺の都合と話の流れで入らなかった雅と達也のデートシーン




悠は深雪を連れて出かけていた時、心配をかけた深雪へプレゼントを選ぶために雅と達也も出かけていた。12月に入る前だと言うのに、どこのテナントもクリスマス商戦を行っており、クリスマスらしいオーナメントやプレゼントにといったポップが並んでいる。

「時期的にボディクリームとかリップバームとかかしら」

クリスマスプレゼントは別に考えているため、今回はそれほど値段の高くないお礼として気軽に受け取ってもらえるものに雅は焦点を絞っていた。

「この前水波とハンドクリームはどれがいいかと話していたぞ」
「そのあたりで探してみるわね」

現代では店頭に展示品を置いているのはそれなりの値段のする店のみであり、中堅レベルの服飾店でも3D映像による商品展示が主流になっている。試着も合成映像で済ませる店が多数であり、手触りや質感などの誤差はあるが、その点は返品対応ができるようになっている。
ただ、化粧品は本人の体質によるものが大きく、香りや使用感によっても購入は左右されるため、店頭にもサンプルが並んでいることが多い。

「どっちが好み?」

雅はいくつかハンドクリームの候補を見繕い、香り見本を達也に渡す。

「俺に聞くのか?」
「自分が気に入っても達也が不快に思う香りを深雪が身に着けると思えないのだけれど」

当然でしょうと言いたげな雅に達也は呆気に取られた後、苦笑いとともに肩を竦めた。
いくつか達也のチェックをクリアしたものの中から、雅が最終的に深雪に送る物が決まったところで、雅は別の棚に置かれたサンプルの容器が目に留まり手に取った。

「練香水か?」
「これはリップバームだって」

500円玉ほどの大きさの手毬型の入れ物にはリップバームが入っていた。香りも蜂蜜やバラ、ラベンダーと言った定番のものから緑茶や柚子、桜など和をイメージした香りも用意されており、香りだけではなく、実際にその成分も入っているようだ。

「そういえば、保湿力は勿論大事だけどリップバームは見た目の可愛いより、味で選びなさいって言われたのよね」
「保湿力は分かるが、味か?」

雅はサンプルを手に取り、香りを確認しながら言った。達也にもそれを渡してきたので、これも追加で買うかもしれないと香りを確認する。パッケージも深雪が好みそうな可愛らしいものであり、渡された柚子の香りはあっさりした柑橘系の香りでった。次に渡された蜂蜜やバラは随分と甘い香りだと感じたが、上品に作られているため鼻につく嫌さはない。

「だって美味しい方が相手から沢山―――」

嬉々とした表情から一転、そこまで口にしたところで雅は香り見本を棚に戻しながら、達也から視線を逸らした。

「ごめん、聞かなかったことにして」

未だ恥ずかしそうに口元を押さえながら目線を泳がせている雅の続きの言葉が何だったか、達也は思案する。美味しい方が良いと言われた(・・・・)ので、おそらく雅に誰かが助言したことなのだろう。リップバームは食べるものではないが、物によって口に入った時に苦かったり不味いものもあるらしい。
その上でで”相手から”という言葉がある以上、自分だけではなく他人が能動的に関わる事であるはずだ。それも沢山の何かがある。
リップバームがどこに用いる物かということが組み合わされば、導き出される答えは限られてくる。

「匂いはこちらの方がいいな」

達也は棚にある商品見本を、指でトンと叩いた。

「味はまた今晩、教えてくれ」

達也は雅にだけ聞こえるように耳元で囁いた。
一拍おいて雅は、達也の顔を見上げたまま硬直し、“はい“と力なく頷いた。









ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
その夜、散々味見(・・)されて、達也から「確かに美味しい方がいいな」と、言われて、真っ赤になった雅ちゃんが見たい。_(┐「ε:)_力尽きた




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四葉継承編2

感想ありがとうございます。お返事、順次返していきます。

前回、達也が散々味見した話は脳内補完してください。書けたら書きたいですが、今のところ予定は未定です。四葉継承編でも、また今後『ん˝ん˝ーー』と甘さに悶える話を書いていくのでお楽しみに。


西暦2096年12月25日 火曜日

 

魔法科高校では二学期最後の日であり、多くの生徒たちは解放感に浸っていた。最終日に合わせて成績も開示されるが、保護者面談が行われるのは進級・卒業が危ぶまれる生徒だけで、成績に一喜一憂しながら画面を保存する生徒たちが大半だ。

 

午前中のみ授業ではあるが、終業式に相当するものはないため、足早に帰る生徒もいれば、部活などのクリスマス会のために残っている生徒も見られた。

 

そんな中、私は終業後に呼び出されていた進路指導室を後にし、一人溜息をついていた。

 

 

「あれ、雅?」

「君が呼び出しとは珍しいね」

 

紙袋やダンボールを抱えたエイミィとスバルが丁度部屋の前を通りかかった。

 

「ああ、進路のことで先生と少しお話があったの」

「そういえば進路調査があったね」

 

期末テスト後に進路希望調査が合わせて行われており、現在の成績と進学先の難易度を含め、合格基準を満たせるかどうか判定される。魔法科高校に在籍する生徒の大半は魔法科大学や防衛大の魔法科、もしくは山岳救助隊や警察学校の魔法科などを志望する生徒が多い。

高望みにしても安全策にしても、自分の実力に合わない学部を希望している生徒については、個別に面談が行われることになっている。これはまだ進級や卒業に関わらないため、生徒と担当教員との二者面談であり、私もその一人に該当するようで、こうして呼び出されていた。

 

「雅が呼び出されるってどんな安全圏書いたのよ。雅なら大手を振って魔法科大学が歓迎してくれるんじゃない?」

「流石に入試も受けずにそれはないと思うわよ」

 

茶化したようにスバルはそう口にするが、そもそも私が呼ばれたのは提出した進路そのものについての確認であり、間違いはないとは言っても、再度両親ともよく話し合うようにと釘を刺された。兄二人も進路では学校側と意見が対立したと聞いているので、私の呼び出しも予想していた範囲のことだった。

 

「二人は大掃除かなにか?」

 

あまり現状では私の進路について広めたくないため、話題を切り替えた。

 

「クラブであったクリスマス会の片付けも合わせてね」

 

スバルは踏み込まれたくないのを察したのか、素直に私の質問に答えた。

 

昨日も各部活動でクリスマスパーティが開かれており、既に期末試験も終わっているため休みを前に羽目を外す生徒が多い。

学校中が浮ついた雰囲気となるため、風紀委員の一部も見回りに出かけたり、普段はあまり顔を出さない部活顧問も一応小言を言って帰ったりするくらいのことはしている。

今年は幸い大きな騒ぎにはならなかったが、剣術部と剣道部合同のクリスマスパーティでは甘酸っぱくイチャイチャと見せつけてくる某カップルに嫉妬の炎が上がったそうだ。

 

「雅はこれから司波君とデート?」

 

ニンマリと期待に満ちた笑みを浮かべながらエイミィが問いかける。

 

「残念ながら、私にクリスマスは存在しないのよね」

 

私の言葉が予想外だったのか、二人そろっては首を傾げた。

 

「実家が神道だからかい?」

「小さい時は人並みにサンタさんを信じていたわよ。ただ今は家の事情でこれから年末まで稽古で予定が詰まっているし、参拝客で年末年始が一番忙しいから、正直デートどころか精進潔斎している身だからケーキも何も食べられないのよね」

 

今の私は一月前から精進潔斎、つまり肉、魚類、乳製品などを摂取しない所謂(いわゆる)菜食主義のような生活をしている。ケーキや七面鳥、ローストビーフなどクリスマスのご馳走と呼ばれるような物は食べることができない。

舞台に参加することが少なく、かつ成長期のころは舞台の前には1週間ほどの潔斎に抑えられてはいたが、今は完全に大人と同じ期間の潔斎を行っている。運動量に対して食事がどうしてもカロリー控えめになるので、体重維持の方に気を割かなければならない。あまり体重が落ちると舞台映えが悪くなり、体力も落ちるため、このところは補食も取りながらの生活だ。

 

 

「それは大変だ」

「それじゃあ司波君からのプレゼントが唯一の楽しみというわけか」

「そういうことにしておくわ」

 

達也や深雪は今日、アイネブリーゼでエリカや吉田君をはじめとした友人を囲んでのクリスマス会と聞いている。

私にも参加のお誘いはあったのだが、食べられないものが多すぎることもあり、舞台の稽古の大詰めであるためこれから直接京都の実家に戻ることになっている。

そのため、達也からのクリスマスプレゼントは昨日の時点で渡されている。

 

「ちなみに何貰ったの?」

「司波君、朴念仁に見えてセンスは悪くないだろう」

「あ、スバルもそう思う?」

「拘らなさそうに見えて、使っている小物はどれも良いものだろう。シンプルが故に際立つ様式美というのがいかにも司波君らしい」

 

エイミィはスバルの言葉に同意するように首を縦に振っている。九校戦で担当エンジニアであったとはいえ、二人とも達也と同じクラスになったことは無いのに、意外とよく見ている。

確かに達也は使っている小物のブランドに拘りはないものの、使い勝手の良さを反映した物は良いものを選んでいると思う。達也が褒められていることは嬉しいが、さり気なくそのあたりまで細かく見られていると思うと私としては複雑だ。

 

「それで雅はなにを貰ったんだい?」

「むしろ雅は、プレゼントはワ、タ、シ♪とか?」

「二人とも、それではよいお年を」

 

茶化して色っぽく言うエイミィに私はさっと背を向けて歩き出した。

 

「あ、ちょっと、待ってよ。冗談だってば、冗談」

 

私の反応に焦ったようにエイミィが私のブレザーを引っ張る。

 

「分かっているわよ」

「雅が真顔で言ったら冗談にならないよ!」

 

エイミィは心臓に悪いと、頬を膨らませる。

 

「まあまあ。これも雅なりの照れ隠しだろう」

「へ?ああ、そっか。やだ、雅かわいい」

 

生暖かい視線の二人に私は溜息をつく。揶揄われるのは性分に合わない。

この様子だと答えるまで突き詰めて話をしてくるだろうから、さっさと答えてしまった方が楽だろう。

 

「ストールとブローチよ」

 

コーラルピンクの大判のストールは柔らかな風合いで、暗くなりがちな冬の服装にいいアクセントになるし、無地だから和装にも使える。合わせて贈られた雪の結晶を模したブローチは、さり気なく魔除けの刻印を意匠化したものであり、とても細かな細工がされている。

ちなみに深雪からはお揃いの手袋、水波ちゃんからはオーガニックのハーブティを貰った。

 

私から達也には、スーツにもカジュアルにも使えるカフスボタンやラペルピン、それとネクタイピンを贈った。達也が持っているスーツは学生が着ても浮きはしない程度の既製品だが、達也が着ると伸びた綺麗な背筋から社会人に見えてしまうらしく、少し遊び心の見られるものを贈った。

牡牛座が刻まれたシルバーのカフスボタンは深雪と一緒に選んだものであり、生まれの星座であることに加えて、トーラスシルバーとしての功績がいずれ堂々と達也が成し遂げたものであると言える日が来ることに願いを込めてある。

 

「ちなみにどんな感じで渡されたの?」

 

もっと話せとエイミィが下から私を覗き込む。

 

「どんなって、稽古帰りに少しだけお邪魔して、深雪にも水波ちゃんにもプレゼントを渡したから、期待しているような話はないわよ」

 

プレゼントといっても、二人きりではなく、深雪や水波ちゃんも同席しているリビングでの話だ。クリスマスイブとはいっても、精進潔斎をしている身であり、翌日も学校だったためそれほど遅くまで騒ぐという事もない。

私がそう話すと、つまらなそうにエイミィは唇を尖らせる。

 

「夜景の綺麗なホテルでディナーとか、そのままお泊りとか、何かこうロマンチックなことは?」

「そのエイミィの妄想は十三束君にお願いすることね」

 

私がそういうと、エイミィはとたんに真っ赤になって手に持っていた荷物を派手に落とした。

 

 

 

 

 

冬休み初日。

 

達也はFLTの第三課の一室で魔法工学技術を最大限利用した新しい大規模システムのアウトラインを作成していた。ある程度見通しができたとはいえ、現状ではプランの企画とシステムの設計までだが、魔法師が経済的に必要不可欠な存在として兵器としての宿命から解放される理想を実現するための構想の一つだった。ループキャストシステムも恒星炉もこの計画のための一部に過ぎない。

達也としては力の入るプロジェクトではあったが、彼の意気込みは開始一時間で中断される事となった。

 

「お久しぶりです、黒羽さん。夏以来でしょうか」

「ああ」

 

元々今日の達也の予定に黒羽貢との面会は入っていない。そもそもFLTは四葉家の純然たる資金源の一つではあるが、その経営や開発において諜報を担う黒羽家は関与していない分野である。多少、黒羽家に対して物資的な融通はしているが、それでもわざわざ訪ねてくるほどの場所ではないため、達也は彼の目的を計り兼ねていた。

 

用事があって呼びつけているのにも関わらず、貢の方は不機嫌な様子を隠しきれていない。達也相手に気を遣うほどでもないと軽んじられていることもあるが、親子ほど年の離れた達也が貢に対して緊張どころか気後れすら見せない様子に苛立ちを感じていた。

 

「ご用件は何でしょうか」

 

達也は貢が自分のことを好意的に思っていないことは重々知っており、無駄口を挟まずに目的を尋ねた。その言葉には作業を中断され、いい迷惑だというニュアンスが含まれている。

 

「慶春会への出席は見送りたまえ」

 

貢は達也が言葉の裏に込めた意味を理解し忌々し気に舌を打つと、体裁を取り繕わずに用件だけを簡潔に述べた。

 

「俺は初めから出席する予定にはなっていません。慶春会への出席はご当主様が深雪に命じられたことです」

「屁理屈を」

 

憎々しく貢は顔を歪める。

深雪が招待されているならば、ガーディアンである達也が同伴することは決まったことも同然であり、そして当主の決定であるから貢が口を挟む要件ではないことも暗に達也は示している。

 

「では、君の方から深雪さんに出席を取りやめるよう説得してもらいたい」

「なぜ本人に直接言わないのですか」

「私が言っても深雪さんは納得しないだろう。だから君に頼んでいる」

 

達也の言外の拒否に、貢の答えは達也の思っていた方向と少し違っていた。

 

「深雪に対してではありません。ご当主様に撤回を進言されないのですか」

 

達也の言葉に、一瞬の間ができる。

 

「……真夜さんには、再三時期尚早だと翻意を促してきた」

「確かに文弥を当主に推すためにはもう少し実績が欲しいでしょうから、時期尚早というのは理解できます」

「邪推だ!」

 

貢は強い声で反論する。

思わず拳を握り、膝や机をたたかんばかりにわずかにその腕が上がっていたが、冷静になったのかゆっくりと前のめりなっていた体をソファ-に落ち着ける。

 

「元々私は文弥を次期当主に据えることは乗り気ではない。あの子は才能があっても当主として四葉を率いていくには気性が優しすぎる。当主候補の中で次期当主として最も相応しいのは深雪さんだと考えている」

「そうなのですか。では時期尚早とは何に対してなのですか」

「君の処遇だよ」

 

貢は口元を歪める。その瞳は深淵のように暗く、目の前にいる忌々しいものをあざ笑うかのようだった。

 

「次の慶春会はおそらく次期当主の指名の場になる」

「そうでしたか」

 

達也は今知ったかのように相槌を打つが、深雪が出席を命じられた時点で当主の指名は予想していた。

 

「しかし君の件が片付くまでは、深雪さんの当主指名を延期すべきだと考えている。これは私一人の意見ではない。椎葉、真柴、新発田、静の四家の当主も同意見だ」

 

四葉家には、椎葉(しいば)真柴(ましば)新発田(しばた)(しずか)津久葉(つくば)武倉(むぐら)の六つの分家がある。

貢を含む四つの分家の当主は深雪が次期当主として指名されることで、達也が少なからず四葉家の中枢に近くなることを避けたいようだ。

 

「あと二年もすれば『桜シリーズ』の桜井水波が次期当主のガーディアンとして十分な力を身に着ける。彼女は四葉が召し抱える調整体の中でも優秀な素質を持っている。そうなれば君はガーディアンとしてお役御免だ」

 

貢は珍しく自分の言葉に酔ったように言葉を重ねる。

 

「ああ、魔法科大学は卒業させてやろう。その後は『トーラスシルバー』として四葉に貢献させてやる。特務士官として国防軍の仕事もする必要はない。それからお前の父が持っているFLTの株の名義を君に変えてやろう。君の存在を対外的に示すわけにはいかないが、それでもFLTの最大株主だ。悪くはない話だろう」

「そんなことには興味がありません」

 

心底うんざりしたように達也は貢の言葉を切り捨てる。

確かに金銭は金銭で問題解決の一つの手段となり得るが、達也には既に特許料として膨大な資金が手元にあり、例えこの先働かなくても生活していくには十分すぎる金銭が、これからも口座に振り込まれていく。

達也の迷惑そうな表情など意にも介さず、貢は鼻で笑う。

 

「無論、九重との婚姻も手を打とう。いくら四葉が九重に大恩があって受けた縁談だとは言え、君が相手となれば彼女も肩身が狭かろう。年頃を考えると新発田の長男に嫁がせるのが適当だな」

「黒羽さん」

 

達也は語気を強める。

 

「今の提案は全て黒羽さんの一存で決めることができることではないでしょう。それでは黒羽家が反逆の意思があると誤解されることにはなりませんか」

 

達也はあくまで淡々と冷静に事実を述べた。だが、この場に深雪がいたならば、その瞳が憤りに満ちていたことを感じ取っていただろう。

 

貢はようやく自分が普通ではなかったと自覚したのか、膝の上で指を組み、押し黙る。

 

「黒羽さん。深雪の出席はご当主様―――叔母上が決められたことで、俺たちの一存ではどうしようもない。その程度、貴方なら理解されているはずだ」

「私は文弥と亜矢子を悲しませたくないだけだ」

 

達也は貢の言葉に目を細める。

 

「本気ですか」

「私は中立だ。心情的には君の敵だが、手を出すつもりはない」

「日和見というわけですか」

 

敵対を宣言する貢に、達也はそれを既知の事実としてとらえる。貢だけではなく、分家の当主や使用人に達也は好意的に思われていないことは既に承知のことだ。今までは陰口程度で直接手を下されることがなかっただけで、心情的には達也の敵であったことに今更変わりはない。

 

「そこまでして俺から深雪を遠ざけたい理由は何ですか」

「……君が期日までに本家に到達できたら答えよう」

 

貢はソファから立ち上がり、あいさつ代わりにそう告げていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

京都 九重神宮

 

新しい年を前に、九重神宮の境内は神職たちの手により一層丁寧に清められ新年を迎える準備が行われている。年の終わりの近づくこの日にはまだ参拝客は少ないが、大晦日から三が日は一年で一番人が集まる時期であり、社務所の方でも警備や人員の確認に余念がない。

神社から離れた地下の稽古場でも、朝早くから元旦に行われる神楽の合わせが行われていた。

 

「形にはなってきたね」

「形には、ですよね」

「まあ細部の美点で言えば、まだまだ改善の余地はあるのは確かだよ」

 

地下に設けられた稽古場には雅と悠だけであるが、兄妹とはいえ稽古中とあって和やかさより真剣さの方が際立っている。

楽師と言っても神職たちは昼間にはそれぞれお勤めがあるため、楽師を入れた全員での本格的な合わせは夜に行われる予定だ。大晦日は慌ただしくなることは分かっており、全員での合わせが行われることも30日までである。

 

雅は週末になると京都に帰って稽古はしていたとしても、悠や楽師を入れた合わせの回数はそれほど多くない。舞自体が安定して舞えるようになっていなかったので、合わせるに合わせられなかったところもあり、朝から熱心に舞の細部を詰めていた。

 

「少し休憩を挟もうか」

「すみません」

 

鳳凰が舞う様子を模した神楽は、魔法力も体力も大幅に削られる。

男性役である雅は特に動きが多く、重く絢爛な衣装を身にまとっていないにもかかわらず、額からは汗が流れている。体を冷やさないように少し暖かい茶を用意し、雅は休憩用の椅子に腰を据える。

 

「こっちも忙しいのは確かなんだけど、今年は達也と深雪ちゃんは慶春会に呼ばれているから大変だね」

「………なにかあるのですか」

 

雅は悠の言葉に含みを感じた。

達也が慶春会で新魔法を披露することは知っているが、分家当主も列席する慶春会に出席を命じられたことは特別なことらしい。

ここ数日の深雪の浮かない表情を見ていれば、自然となぜ出席を命じられたのか雅も予想がついている。

 

「来年は内外共に荒れるよ」

 

悠の眼が細められる。

九重家当主の資格でもある千里眼は文字通り千里を知覚し、情報の海に散らばる星を集め、その正確さから過去、現在だけではなく未来まで見通すと言われている。荒れると明言することから、今までのようなマスメディアが先導するような世論の流れに晒されるだけではなく、問題の渦中に放り込まれることになるのだろう。

 

「九重にも影響があるということですか」

「雅と達也のこともだけれど、7日に主だった縁戚を招いての会があるだろう。そこで僕の星巡りについては話すつもりだよ」

 

九重神宮に連なる者の新年の集まりは、参拝客が一通り落ち着く7日頃に例年行われている。表の神事を司る九重神宮の集まりだけではなく、名を頂いた四楓院としての集まりも同日行われるため、九重本家ではその準備にも追われている。

このところの関心事は専ら悠の意中の相手であり、隙あれば相手が誰であるか聞き出そうとしたり、年頃の良い相手を紹介されたりしている。

その悠がついに相手を明かすとなれば、それがどこの女性だろうと大なり小なり荒れることは間違いないだろう。

 

「雅は相手が知りたい?」

「話していただけるのですか」

「分かっているとは思うけど、当日までは誰であっても口外してはいけないよ」

「承知しています」

 

そして雅は告げられた名前に絶句することとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

貢にほのめかされた通り、本家に向かう道中には足止めが待っていた。

多少血生臭いことはあったが、達也も深雪も傷一つなく本家に到着し、達也と深雪は本家の母屋の二間続きの客間に通された。

 

現在、四葉家本家に達也や深雪の居室はない。

達也が生活を主にしていたのは実験場や訓練場を主体とした施設であり、深雪は深夜が使用していた屋敷に居所を置いていた。当然二人が文字通り同じ屋根の下で生活するようになったのは、母がなくなり父親名義の家に移り住むようになった中学のことだ。

達也はいくら当主の甥とは言え四葉家においてはガーディアンとしての立場しかなく、深雪との待遇にも大きな差があった。それが今日は深雪の兄として遇されていたことに違和感を覚えていた。

 

一緒に来ていた水波はここでは客人ではなく使用人であるため、以前使用していた四人一室の使用人部屋に荷物を置くと、慶春会の準備に駆り出されていた。

 

「失礼します」

 

長袖の黒いワンピースに白いエプロンを付けた使用人スタイルの水波が一声かけてから部屋の襖を開けた。部屋付きの担当も水波のようだ。

 

「達也様、深雪様」

 

水波は畳に額が付くほど深々とお辞儀をし、その顔を上げた。

ここでも達也は水波の言葉に引っ掛かりを覚える

 

「水波、ここではその言い方はあまり良くないのではないか」

 

学校では水波は深雪と達也の『いとこ』という設定で通学しているため、「達也兄さま」、「深雪姉さま」と呼んでいる。無論この場でそのように呼べと達也は言いたいのではなく、自分のことを好ましく思っていない使用人らの前でそのように呼ぶのは、水波がいらぬ非難を浴びるのではないかと懸念していた。

 

「いえ、白川夫人から伝言を預かっております」

 

白川夫人とは四葉家の家政婦を取り仕切る女性であり、水波の上司に当たる。

 

「『達也様と深雪様は七時になりましたら奥の食堂へお越しください。奥様がお待ちです』とのことです」

 

水波は淡々と白川夫人の言葉を告げた。

この言葉に深雪と達也は顔を見合わせる。少なくとも達也の記憶にある限り、達也に「様」を付けられて呼ばれたことは無い。深雪が同席している場では「達也殿」、深雪のいない場では「司波さん」と呼んでいたはずだ。他の家政婦や使用人もそれに準ずる呼び方を使用している。

敬称一つではあるが、少なからず四葉家において変化が起きている。それも達也が絡むことである。少なくとも悪い変化ではないが、見通しの見えない不気味さがあった。

 

「叔母様が奥の食堂でお待ちになっている?本当にそう言われたのね」

「はい」

 

深雪の言葉に水波は淀みなく頷いた。

奥の食堂とは真夜が私的に会食を開く場であり、特に重要な客を招く場所であり、食事をしながら機密性の高い内容を話し合うときに使われている。

 

「事前に話があるのだろうな……」

 

達也は貢とのやり取りから、おそらくこの慶春会で次期当主が指名されることは間違いないと踏んでいる。そうなれば候補には事前に話をしておくということは、配慮としてあってもおかしくはない。深雪も達也の言葉で察したようで、表情に影を落とす。

達也は机の下で深雪の手を握ると、状況を再確認した。

 

「水波、文弥や亜夜子は既に到着しているのだろう。その食事会には勝成さんや夕歌さんも招かれているのか」

「文弥様と亜夜子様は昨日より滞在なさっているそうです。勝成様、夕歌様の出席については存じ上げません」

「そうか」

 

恐らく全体に周知された食事会ではなく、給仕も限定された会であるのだろうと達也は推測していた。

 

「水波、その食事会には俺も呼ばれているのか」

 

白川夫人からの伝言では、ガーディアンとして食堂まで深雪と一緒に来るように命じられているのか、達也も食事会に参加するのか、その両方の意味に取れる。

過去達也が深雪以外とこの屋敷で食事を共にしたことは無く、稀に訪ねてきた九重家の面々と席を共にすることはあっても会話に形式的に茶と菓子が添えられる程度のことだ。

 

「はい。達也様も深雪様とご一緒に御出で願います」

「分かった」

 

水波は再び平伏する。

 

「御用がありましたら、そちらの呼び鈴をお使いください。すぐに参ります」

 

水波は静かに立ち上がろうとしたが、達也が呼び止める。

 

「水波、一つ頼みたいことがある」

「はい」

 

水波は達也に向けて座り直す。

 

「黒羽殿のご都合を伺ってほしい。できればすぐに二人だけでお目にかかりたいと伝えてくれ」

 

ここで言う黒羽殿は黒羽貢を意味する。

 

「承知いたしました」

 

水波は今度こそ襖の奥へと姿を消した。

 

 

 

「お兄様、黒羽の叔父様にどのようなお話でしょうか」

「大したことではないよ。少し訊きたいことがあるだけだ」

「今回の襲撃の件についてですか」

「それも含めて、確かめに行くんだ」

「お一人で向かわれるのですか」

 

深雪はやや不満そうに達也を見つめる。

 

「おそらく深雪がいたら本当のことを話してくれないだろう」

 

達也の中での確信ではないが、直観的にそう思っている。それは達也が黒羽貢に信頼されているというのではなく、達也ならばどんな暴言も聞くに堪えない醜聞もいとわずぶつけることができる相手だからだと達也は考えている。

 

「……分かりました」

 

深雪はしばしの沈黙の後、素直に言いつけに従うことにした。

 

「お話についてはお兄様にお任せいたします。ですが話していただいた内容については、お兄様が良いと思われる範囲で構いませんので私にもお教えいたただけますか」

「分かった。ただ慶春会が終わってからだ。今はお前の心を煩わせたくない」

「はい」

 

二人の話し合いに折り合いがついたところで、水波が再び入室を求めた。

どうやらすぐ都合がついたようで、達也は黒羽家が滞在している離れに向かう事となった。

 

 

 

 

 

達也は黒羽家の離れに通されると、そこにはまだ貢の姿はなく、離れの家政婦が用意した茶を飲みながら待っていた。水波については、達也の案内を離れの家政婦に引き継いだため、既に本宅のほうに戻っている。

 

「待たせてすまない」

 

達也が用意された湯呑の三分の一程度を空けたところで、黒羽貢は現れた。

 

「それほど待っていません」

「そうか」

 

貢は家政婦が新しく入れた湯呑に口を付けると、目配せをして下がらせた。

前回FLTに来た時より貢は随分と落ち着いているように見えた。深雪が既に本家に到着してしまったので、諦めてしまったのかもしれない。

 

「それで私に話とは何の用だい」

 

達也は貢の言葉に目を丸くして見せた。

 

「お約束を頂戴していたはずですが」

「私と君が?」

「はい」

 

貢はどうやら自主的に切り出す様子はないようだ。

 

「FLTにいらした際に、期限内に到着出来たら理由を答える、と約束されましたので」

 

貢は苦々しく舌を打つ。自分の迂闊さに対して苛立っているようだが、残念ながら達也はそれを慮って聞くのを遠慮する(たち)ではない。

 

「聞けば後悔することになるぞ」

「聞かずに後悔するつもりはありません」

 

達也の様子に貢は口を真一文字に結ぶ。

約束を反故にすることはできないことではないが、それを達也の前ですることは彼の気位が許さないのだろう。

 

「君は、空木譲(そらき ゆずる)という男を知っているか」

「……いえ、初耳です」

 

少なくとも四葉の分家にはない名前だ。達也が知る魔法師の家系の中にもない名前でもある。

 

「では、そこから話そう。ただし、質問をされても答えない。私には答えられないからな」

 

貢は指を組み、わずかに視線を落とした。

その目は今ではない、過去へと向いていた。

 

 




次回、大漢事件編から達也の誕生にまつわる話です。

活動報告に書きたい別作品のネタ上げてますので、気の向いた人はそちらもどうぞ。


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四葉継承編3


皆さま、色々四葉家の当主について感想で考察していただいているようですが、まだ出ません。
原作だと追憶編に収録されている西暦二〇六二年の悪夢から始まります。
一応伏線はあったのですが、多分気付いた人はいないでしょうね( ˘ω˘ )




精神に働きかける魔法の研究を主体とした旧第四研究所の成果を引き継ぎ設立された四葉家は、他の十師族と比較してもその秘密主義は別格である。

当主とごく直近の親族しか名前が知られておらず、関東近辺ということ以外、本格的な所在地も不明。稀に外部から人を呼ぶことがあったとしても、直接の住所は知らせず、家からの使いが出向き、屋敷に到達するまでもいくつもの関門と術で隠遁された地域を抜けていく。

閉鎖主義であるが、秘密裏に繋がった政財界の大物や息のかかった企業の利益を含め、その影響力は家の設立当初から追従する家はない。

 

そんな四葉でも、身内以外に全く外部とのつながりがないわけではない。

特に精神系の魔法に関しては他の魔法と比べても未解明な部分が多く、精神系の魔法に関して適性を持つ者についてはある程度調べがついている。

大した影響力のない小規模な魔法ならばそのまま放っておくが、時にユニークな才能を持つ者については私的に囲うこともある。

 

空木譲と呼ばれる少年もその一人だった。実際は九重家の遠縁にあたり、四葉の庇護を必要とはしていなかったが、自身の魔法を解析するため四葉と利害が一致し、研究所に顔を出すことが許された数少ない外部の人間である。

 

空木家は元々、洗脳や自白といった古式魔法の中でも情動に働きかける魔法を得意とする家だが、その中でも空木譲の持つ特異な魔法に『因果返し』というものがあった。

これは自身に傷を負わされた場合、相手にも同等の傷を与えるという魔法であった。現代魔法的に言い換えれば、自身の情報体を変化させた情報を相手の情報体に強制的に転写させることができるカウンター魔法であり、防御はほぼ不能である。

 

空木家を庇護している九重家としては譲は四葉家とのパイプ役であり、四葉家としては彼の魔法を解明し、体系化させることを目論んでいた。

 

 

「あら、お使い?」

「そんなところだ」

 

研究所に出入りする傍ら、譲は九重を筆頭とする四楓院家の使いとして稀に四葉家本宅に顔を出すことがあった。

そんな中で当主の娘である四葉真夜や四葉深夜と顔を合わせたことはそれなりにあり、特に真夜の方は、元々魔法研究に熱心だったこともあってか、気安く研究成果を語り合う程度には親しい間柄だった。

 

「これからお父様とお話なの?」

「終わって帰るところだよ」

「毎度毎度大変ねえ」

 

空木家は兵庫県の明石市に居を構えており、いくら公共交通の便が良くなっているとはいえ、片道半日程度は覚悟しておく必要がある。

 

「慣れればそんなでもない。ところでお前、七草の長男と婚約するんだって」

「そうよ」

「おめでとう。どうぞ幸せにな」

 

譲は社交的にそういうと真夜は素っ気ない態度が気に入らなかったのか、やや口をとがらせて下から譲を覗き込む。

 

「ありがとう。そういえば、貴方は恋人とかいないの?」

「余計なお世話だ」

 

譲はマセガキと呟き、真夜の額を指ではじいた。

この家で真夜にそんなことをする人物は、おそらく存在しない。

小さい頃は深夜と喧嘩もしたものだが、仮にも次期当主候補であり最近は淑女らしく見た目上大人しい彼女たちにそんなぞんざいな扱いをする者は、この四葉家にいれば文字通り首を切られていてもおかしくはない。

しかし、あくまで譲は客人であり、真夜も物珍しさから邪険には扱っていなかった。

 

当時、真夜と譲の年齢は12歳と17歳。

やや離れてはいるものの年齢の頃合いは悪くはなく、今後の九重との関係性を鑑みて真夜との婚約話も浮上したことはあるが、当主は十師族として七草家の長男の七草弘一との婚約を選んだ。

 

七草家にとって、秘密主義ながら他を圧倒する力を持っている四葉家は無視できない存在であり、その秘密主義の一端を垣間見るための婚約であることは間違いない。顔見知りの間柄とはいえ、この婚約については当人の感情は二の次になる。

九重家からは良縁ではないと遠回しに七草家との縁談を否定されたが、当主をはじめとした重鎮らからは空木譲と縁組させたい故の苦言だろうと相手にされていなかった。

 

「レディの扱いがなっていないのではなくて?」

 

真夜は額を両手で押さえ、譲を下から睨み付ける。

小気味のいい音がしたが、大した力で弾いたわけではなく、真夜が大げさに痛がっているだけだ。

 

「淑女というには色気がねえよ。あと10年修行しな」

「本当に何時も失礼よねえ」

 

会話だけ聞けば不穏当だが、当の本人たちはいたっていつもの軽口の叩き合いであり、幸い出くわした廊下には口うるさく目敏い使用人もいなかった。

 

「はいはい、リトル・レディ。機嫌を直してはくれませんか」

「あら、どうしようかしら」

 

真夜は考え込むように人差し指を顎に当て、小首を傾げる。

譲は色気が足りないと言ったが、少女から女性へと変わりつつある発展途上の色気は愛らしい顔立ちも相まって蠱惑的にさえ見える。真夜も自分の容姿がそれなりに優れていることを自覚しているので厄介である。

 

だが譲はそんな真夜の遊びを歯牙にもかけず、ため息一つでやり過ごすので、真夜としては面白くはない。

 

「ではこちらをどうぞ」

 

不機嫌に傾きそうな真夜に対し、譲は掌に納まる大きさの桐の箱を取り出した。

 

「七草の坊ちゃんとの婚約祝いだ」

「綺麗ね。真珠?」

「ああ」

 

真夜がその場で箱を開けると、中には真珠の光沢をもつ白い牡丹のブローチが収められていた。花弁の一枚一枚はとても薄く、写実的でありながら柔らかく光を反射している。

大人びたデザインだが、華美すぎることはなく、真夜の雰囲気を上品に引き立てるような良い品であることは確かだった。

 

「今度台北で交流会があるんだろう。そこにでも持って行ってくれ」

「気が向いたらそうするわ」

 

真夜は1週間ほど先に、国際魔法協会アジア支部主催の少年少女魔法師(マギクラフトチルドレン)交流会に参加するため、四葉家をしばらく空けることになる。そこには真夜だけではなく、婚約者の七草弘一も出席予定である。

 

「……初の海外だから迷子になって迷惑かけるなよ」

「そう一言多いからモテないのよ、アナタ」

「余計なお世話だ」

 

まるで小さい子供に言い聞かせるように本当に心配そうに譲がそう言うものだから、クスリと笑って真夜も皮肉を重ねるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

そして、四葉が『触れてはならない者たち(アンタッチャブル)』と呼ばれるに至る事件が起こる。

四葉家は非常に重苦しい空気に包まれていた。

何も知らない者でさえ、この敷地に足を踏み入れた瞬間、肌を刺すような殺気と憎悪を煮詰めた雰囲気にまるで息すら許されないような感覚に陥っただろう。

 

その理由は、三日前に交流会に参加するために台北を訪れていた真夜が誘拐された先で受けた惨状を知ってのことだった。

一緒にいた七草弘一も誘拐犯との戦闘で右手足の骨折、裂傷に右目の眼球を失う大怪我だった。

 

だが、真夜が受けた屈辱は、たった三日で行われたことが信じがたいほどだった。

誘拐された真夜が発見された場所は泉州、悪名高き崑崙方院の支部研究所だった。

 

当時、中国大陸は大漢と大亜連合の二国に分断されており、大漢は世界群発戦争勃発の早い時期に中国の南部が分離してできた国である。大亜連合が対馬に進軍したことをきっかけに、大漢と日本は大亜連合を共通の敵として同盟は組んではいないが軍事面で共同歩調を図っていた。

 

物量では大亜連合が勝っていたが、現代魔法の研究を担っていた崑崙方院が大漢に付いたこともあり、大亜連合は現代魔法のノウハウのほぼすべてを失い、南北は緊迫状態のまま膠着していた。

魔法師開発研究所として機能し、悪名高いことは四葉も同じことだが、崑崙方院は特に女性にとって聞くに堪えない内容の数々の実験が行われていると魔法師たちの中では知られていた。

 

真夜を救出した際にその支部は壊滅させたが、そこには真夜に行われていた数々の実験と凌辱の限りが記されていた。そのデータは既に研究者と共に灰に消えている。

 

 

「真夜、気が付いた?」

 

懐かしい、聞き覚えのある双子の姉の声を聞き、真夜はゆっくりと目を開けた。

 

「姉さん……ここは、第四の病室?」

「ええ、そうよ。気分はどう?頭痛がしたりしない?」

「頭痛は……ないわ。意識も記憶もはっきりしている」

「記憶も?」

 

真夜は迷いに揺れた瞳の姉を不思議そうな顔で見上げた。

 

「姉さん。私、ずっと夢を見ていたの」

 

淡々と語りだす真夜に深夜は思わず目を背け、膝の上で手を握りしめる。

 

「夢では私が男たちに酷いことをされているのに、起きたら私には一切傷がないの」

「傷がない?」

 

確かに真夜の体は帰国してすぐ第四研の病院で検査、治療が行われたが、救出当初から真夜の状態は研究所に残されていた記録よりずっと軽傷だった。

繰り返し実験するため治癒魔法をかけられた形跡もなければ、研究記録が改ざんされた様子もなく、実験を行った研究者たちの証言も取れている。

間違いなく真夜は耐え難い仕打ちを受けたはずだった。

 

「可笑しいでしょう?だって私は強姦されていたはずなのに。体の中も外もぐちゃぐちゃにかき回されて、アイツらに汚されていない場所なんてないのに、その感覚は全く覚えていないの」

 

真夜の言葉を聞きながら、深夜はスツールから立ち上がりそうになる自分の膝を必死に押さえつけていた。

 

「ねえ、譲は?」

「彼がどうしたの?」

「だって謝らないと。せっかくもらったブローチが壊れてしまったの」

 

真夜は掌に握りこんでいた白いブローチの欠片を見せた。

持ち物はおろか着ていたものすら剥ぎ取られてしまったが、これだけは何とか手元に残ったらしい。ブローチは大部分が欠け、残った部分もかろうじて真珠でできたと分かるほどくすんではいるが、真夜がこれに執着していることが深夜には不可解だった。

確かに譲と真夜は気が合っていたようだが、助け出されて一番にそれを心配するほど彼に入れ込んでいた様子は見ていない。

 

「しばらく研究所には来れないと言っていたけれど、お父様が京都に向かわれたから何かあれば分かると思うけれど」

「京都?」

「真夜の居場所を特定するために千里眼の力を借りたの」

「そう……」

 

真夜は本当に大事なもののようにその欠片を胸の上で握りしめた。

これがあったから助かった。そのように思えてならなかった。詳しくは覚えていないし、そもそも自分が汚されたことすら現実か定かではないのに、どうしてもこれは手放せなかった。

真夜の様子に疑問は残るものの、深夜は決心したように切り出した。

 

「真夜、私はお父様からあなたの“記憶”を“知識”に変えるよう言われたわ」

「記憶を知識に?」

「貴方が受けたあの三日の出来事を自分が体験したこととしてではなく、知識としての容器に作り替えるように言われたわ」

 

元造は真夜が四葉家に戻ってくるまでに真夜が受けた凄惨な実験の数々を報告されていた。

救出時は気を失っていたが、おそらく状況から心の傷も著しいと判断し、深夜に真夜の心を守るためにその魔法の行使を命じた。

 

「姉さんがその魔法を使ったから、私は夢をみていたと感じるのかしら」

「いいえ。まだ魔法は使っていない。貴方の心はまだ壊れていないと分かったから。けど、私には三日だけの記憶を知識に変換することはできないの。貴方がこれまで生きていた全ての記憶を知識の器に作り替えることしかできない」

 

深夜の魔法は記憶を操作する魔法ではなく、たとえ特定の事柄についてそれが精神の領域にあるものが記憶であるか知識であるか分かるだけであり、一部の記憶を都合よく意味記憶として知識化することはできない。

 

「真夜、貴方が望むなら私は魔法を使うわ」

「今までの私を殺すということ?」

 

真夜のあどけない声の問いかけは深夜の心臓を突き刺す。

背筋が急に寒くなり、全身の血が凍りつくようだった。

 

「だってそうでしょう?人は経験によって形作られていくものだもの。過去の自分があって今の自分がある。過去の経験が全てデータになるのだとしたら、今までの自分が自分以外のものに作り替えられて消えてしまうという事……」

 

楽しかったことも、苦しかったことも、姉と喧嘩したことも、悪戯をして父に叱られたことも、これまで過ごしてきたすべての思い出は思い出ではなく、知識としては残るがそこに伴う感情はそうだったという事実の認識でしかなくなる。

 

「私は昨日までの自分を姉さんに殺されるの?」

 

真夜の闇のように黒い瞳が深夜を見つめる。

同じ顔をしている妹なのに、生まれてきたときからずっと一緒にいて見てきたはずの妹なのに、ここにいて自分を見上げる妹はまるで知らない他人のようだった。

 

「貴方が望むなら、私はそうするわ」

 

それでも深夜の決意は揺らがなかった。

魔法の行使は深夜が決め、元造が責任を持つと言っていた。

それでも真夜の心がまだ生きていたから、まだ希望が見えたから、深夜はその魔法を使うことを真夜に委ねた。

 

「………少し、考えさせてちょうだい。疲れてしまったわ」

 

一度に色々なことを話したのだ。

まだ目が覚めたばかりに重たい話だったことは間違いない。

 

「ええ。ゆっくり眠って頂戴」

 

今度は悪夢なんて見ないようにと、深夜は祈る気持ちで真夜の頭をゆっくりと撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

 

京都九重が持つ屋敷の一室で、当代の九重家当主と四葉家当主である四葉元造が対面していた。

 

「この度は、娘の救出にご尽力いただき、痛み入ります」

「ご息女が戻られたことは、何よりだった。今回のことは心中お察し申し上げる。悪い噂の絶えない場所と聞いていたが、一日も早い回復を願っている」

「ありがとうございます」

 

元造の掌は血が滲まんばかりに固く握りしめられていた。

国外のこととあって手の者を総動員しても真夜の救出に時間がかかると判断した元造は、九重家の当主の【千里眼】を頼り、真夜の最終的な居場所を突き止めた。

本来ならば一秒でも長く真夜の傍にいたいが、九重には義理ができたため、元造自ら京都まで救出の報告と感謝の意向を伝えに出向いたのだった。

 

「千里眼ならばこれから我らが行うことも見通しておられるのでしょう」

 

元造は一度息を吐き出し、沸き起こる怒りを腹に留め、九重当主を見据えた。

 

「これは私怨です。娘を犯された親の復讐です。私は魔法師を家畜とし奴隷とする愚かな『国家』に我々の意地を見せつけるのです」

 

元造の瞳は憎悪と憤怒に燃えていた。

歯向かう全てを殺しても足りないと思えるほど、娘を弄ばれた父は怒りに突き動かされていた。

 

「私にあなた方を止める理由はありません。どうぞ最期まで存分に」

 

元造の覚悟を知ってか、おそらく今生の別れと分かっているのか、九重の当主は静かに深く一礼した。

 

「一つ、一度戻られるのならば真夜さんに伝言を頼めるだろうか。無論、すぐにではなくとも、貴方の口からでなくとも構わない」

「承ります」

 

九重には大きな借りをしたが、おそらくそれは元造には返すことができない。今できる些細な頼まれごと程度は大恩を返すまでの利息にはなるだろう。

 

「譲はもうそちらに出向くことはできないでしょう。彼の残りの日々が息災であること私たちは祈っていると」

「彼にも何かあったのですか?」

 

真夜の一件で四葉全体が慌ただしく動いており、元造は数々の指揮を取っていたため彼のことは正直抜け落ちていた。

真夜の誘拐以前にしばらく来られない旨は聞いていたが、今後も出向くことはできないとなれば、時期を同じくして何かが彼にも起きたと考えるのが自然だ。

 

「なかったとは申し上げられませんが、彼が決めたことの結果です」

 

九重当主の言葉は今までどおり冷静さを保っており、拳は膝の上から動いていないにも関わらず、先ほどの元造と同じようにきつく握りしめられていた。

 

 

 

元造は京都から戻ると、真っ先に真夜のいる病院へと向かった。

元々研究所が母体になっているとはいえ、病院には最新鋭の設備だけではなく治癒魔法師も揃っており、主に一般の病院では検査ができない調整体の魔法師や薬物投与の実験を行っている子飼いの魔法師の研究にも用いられている。

 

このように怪我を負った者が収容される通常の病院としての機能もあるが、真夜の病室は病院の中でも格段広く、シャワーやリビングなども備えられた個室となっていた。

昼間に一度目を覚まし、大きな混乱もなく今は静かに眠っていると担当医師に聞いてはいるが、いつフラッシュバックがあってもおかしくはないため、病室は24時間監視されている。

 

まだ寝ているようだったので元造は極力音を立てずに病室に入る。

そこには安らかな顔で静かに息をする娘の姿があった。

 

娘の寝顔など幼少期のごく一時期しか見たことがなかったが、まだあどけなく幼さが残る顔や体には痛々しい治療の跡が見られる。

それだけで言葉にしようのない怒りが込み上げ、娘に暴虐の限りを尽くした大漢と崑崙方院への復讐を心に刻む。

 

地獄に落とすだけでは足りない。

許しを乞う者がいたとしても容赦はしない。

地獄の釜すら温いと感じさせる絶望を味合わせたところで、この怒りは死ぬまで消えようもない。

この胸に渦巻く怒りと痛みは、自分が例え真夜と同じ目にあったとしても感じることはないだろう。

四葉が血の池に落とした者たちに後ろ指を指されようとも、元造たちは止まるつもりはない。

復讐に正義などありはしない。

 

 

本当ならば父としてできるだけ真夜の傍にいてやりたいが、四葉家当主たる元造にはこれからすべきことが多くある。

名残惜しいが、元造は病室を後にすることにした。

 

もう一度娘の寝顔を確認すると、元造は偶々ベットサイドの机に置かれた小さな塊を見つけた。

一見すると薄汚れた陶器の欠片のようにも見えるが、わずかに真珠の輝きを残している。元々は何かの細工だったのだろうが、今や優美さの面影もない。

真夜が誘拐時に身に着けていたものだろうかと、その欠片を手に取る。

 

その欠片に目を凝らす。

魔法的な痕跡は既にほとんど残渣のようなもので、魔法戦闘の余波が辛うじて残っている。

しかし、それとは別の独特の波長には覚えがあった。

 

とても強力な精神干渉魔法の使い手である元造だから分かったその波長は空木譲のものに相違なかった。

なぜ、と思うと同時に今日の九重当主の様子が思い浮かぶ。

なぜこのタイミングで譲が長くないと話したのか、なぜ譲の魔法の気配がするものがここにあるのか、真夜の傷が記録より小さなものだったのか、そして譲の特異的な魔法は何だったのか。

元造はこの時、ようやくその理由が分かった。

 

 

「そうか。彼だったのか……」

 

ぽつりと零した声は静かな病室に溶けて消えた。

元造は真珠の欠片を元の位置に戻すと、静かに病室を後にした。

 

 

 

真夜が救い出されて3か月。

体の傷は癒えたものの、心の傷は深かった。

自分が犯された実感は覚えていなくても、客観的に自分が犯されたと言うことは認識しており、自分を犯した男性に似た者を見かけるとその場で足が止まり、動けなくなってしまったり吐き気を覚えていた。それでも真夜は、深夜の魔法を受けることはなかった。

 

深夜の魔法に頼り、記憶を記録にしてしまえばおそらく真夜の苦しみは今より軽くなる。

しかし客観的にその事実を受け止められるようになるだけで、過去が変わるわけではない。

食欲も落ち、何も食べられない時期もあったが、精神分野のスペシャリストが揃う第四研究所の成果を元に少しずつ真夜は回復の方向に向かっていた。

 

魔法の発動も以前と変りなくできるようになると、忌まわしい記憶を振り払うように真夜は魔法研究に傾倒していった。

時には寝食すら疎かにしかねない妹の様子に、深夜は父から預けられた一通の手紙を真夜に差し出した。

 

 

 

「お父様からあなたが落ち着いたら渡して欲しいって」

「お父様が私に?」

 

四葉当主が大漢に復讐を決めたその日から、大漢では次々に政府関係者や魔法師が暗殺されているらしい。表沙汰にはなっていないが、すでに日本国内でも一部掲示板には大漢での不可解な事件が(まこと)しやかに語られている。

 

崑崙方院のやり口に魔法師の恨みを買ったのだろうという意見や、はたまた大亜連合の魔法師による工作説、あるいは新ソ連の暗殺部隊やUSNAの大統領の極秘任務など眉唾な話はあるものの、まさか一つの家の私怨によるものだとは誰も思っていないようだ。

 

「とても大切なことが書かれているそうよ」

 

正直、まだこの手紙を渡すには早いのではないかと深夜は悩んでいた。

 

深夜はこれを渡された時の父のあの眼を今でも覚えている。

苛烈な怒りを瞳に映しながらも、誰よりも二人のことを案じていた。

この手紙の内容は知らないが、心の代わりに身を削るような真夜の姿は見ていられなかった。

 

 

真夜は何も書かれていない味気ない白い封筒の封を切る。

元造からの手紙には真夜の体を案じる旨と、真夜が救出された日に九重家当主からの伝言が記されていた。

 

譲がもうあまり長くないという一文に、真夜の持っていた手紙が手から零れ落ちる。

居ても立っても居られなくなった真夜は、九重へ向かうと今にも家から飛び出そうな勢いだった。

あまりの慌て方に深夜どころか、留守を預かっていた叔父の栄作も出てきて真夜を止めにかかった。

その日はもう日暮れが近い時間であり、先方の予定も伺わないといけないと真夜を引き留めることができたが、あれほどまで感情をむき出しにする真夜を見たのは、深夜ですら久しく感じることだった。

 

 

 

それから数日後、手紙の内容を確認するため、真夜は京都の九重家を訪れていた。

護衛は万全を期し、真夜の状態を鑑みると遠出にはまだ早い時期だったため、医師も同行している。

真夜の来訪に対応したのは現当主ではなく、先代当主である九重千代だった。真夜は全ての男性が受け入れられないわけではないが、真夜の状態を鑑みてのことだろう。

 

 

真夜は譲が療養しているという離れに案内された。

九重家の庭は丁寧に手入れがされ、夏の盛りを過ぎた木々の緑は少しずつ秋の装いを整えていた。

観光客の多く集まる九重神宮がすぐ近くにあるはずだが、雑多な喧騒は聞こえてこない。

枯山水の庭を横目に、ただ静かに、ゆっくりと時間が流れるように穏やかな空気に満ちていた。

 

千代に案内され、真夜は離れの敷居をまたぐ。

香が焚かれているのか、かすかに涼やかな香りが漂っている。

千代が一声かけてから、居室の襖を開けると、真夜は立ちすくんだ。

 

 

 

「なんで……」

 

先ほどまで感じていた穏やかさは、今や指先まで凍えるように冷え切っていた。

そこにいた譲は真夜の知る譲ではなかった。

 

神職の見習いらしからぬしっかりとした体の筋肉はこそげ落ち、屈託な笑みを見せていた頬は窪み、己を律するように強い瞳は今や見る影もなく空虚だった。

身なりこそ周りの者が整えてはいるようだが、心はここにないかのように虚空を見つめている。

爪は噛んでしまったのか、すべて深爪になっており、血が滲んでいるところもある。

いつものような気の利いた皮肉は口から一つも出ず、薄くかさついた唇が力なく開いている。

襖が開いたというのにこちらを見向きもしない。

 

体としては生きている。息をしている。

それは確かだ。

しかし心はここになかった。

 

たった数か月顔を合せなかっただけ。

それなのに、真夜はそこにいる譲が譲であるとは信じられず、足も重石を乗せられたかのように動くことができない。

 

辛うじて視線だけ隣にいた千代に向けると、千代は小さく頷いた。

 

 

「譲さんは【空木(うつるぎ)】やから、遅かれ早かれ誰かのために(・・・・・)こうなることを決めてはったわ」

 

 

 

『空木』は“ウツルギ”、すなわち移り気の隠語であり、気とは精神を表す。

空木家は精神情動系魔法を継ぐ一族であったが、その特性は個人でかなり異なる。

ある者は物に自分の魂の一部を定着させ、その物がどこに移動しようとも周囲の状況を把握することができる。またある者は、任意の相手に好きな幻覚を見せ、発狂させることも自殺させることもできた。

 

強力な魔法であるせいか短命な者が多く、空木譲の親族も片手で数えるほどしかおらず、精神系魔法が受け継がれている者は譲とその父だけだった。

 

そして空木譲の魔法『因果写し』の真の特性は、身代わりとなることだった。

誰かの傷や害を引き受ける。

任意の相手の情報体に一定以上の身体機能を損なう情報が付加されると、その情報を自身の情報体へと転移させる。

指定した相手が一度傷つくことは避けられないが、受けた傷は全て譲に移されるため相手の傷はなかったことになる。

 

譲が引き受けたのは真夜が本来受けるはずだったものだった。

故に、譲は生殖機能を失った。

精神を患った。

真夜が身に受けるはずであった傷だけではなく人体実験のモルモットにされ、男たちに凌辱される感覚も全て譲が請け負っていた。

 

しかし、一人が受けられる災は限られている。

譲の魔法は不完全であったため、真夜の体にも傷が残り、まして心の傷まで引き受けるわけではない。

それでも、生きていた。

死んでいないだけだとも言えた。

目の前にいる真夜が誰だか分かっていない。

それどころか自分のことすらままならない。

 

 

「馬鹿な人……」

 

真夜は静かに呟いた。

そんな声すら譲には聞こえていない。

 

「本当に、何考えているのよ……」

 

真夜はただ、その場に立っていることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからさらに3か月後。

大漢と崑崙方院を悪夢が襲う。

 

ある研究施設は一夜にして人が全て窒息しており、研究データがことごとく破壊され、ある高級官僚が開いていたパーティでは参加者も使用人も全てが絞殺されており、ある軍事施設では突如同士討ちが発生し、最後の一人は拳銃で頭を打ち抜いていた。

まさしく悪魔が到来したような日々が続いており、おそれを成した政府官僚や魔法師の一部は国外逃亡を図っていた。

 

たった半年にして大漢の力の象徴でもある崑崙方院は崩壊し、大漢の四千人の閣僚、高級官僚、士官、魔法師と研究者が暗殺され、中華大陸の現代魔法研究の成果を須らく破壊された。

 

その一年後、大漢は内部崩壊し、大亜連合が中華大陸を統一した。

東アジアにおける南北の統一は、北半球における世界群発戦争の収束に繋がった。

 

四葉家はこの戦いで当主と一族の者合わせて三十名を失い、戦力の半分を欠くこととなった。

一つの家が一国を崩壊させたこの真実を知る者たちによって四葉家は『触れてはならない者たち(アンタッチャブル)』と呼ばれることになる。

 

 

 






空木譲の伏線は、横浜騒乱変、その後の最後に記載されています真夜の回想です。
これは当初から決めていた話なのですが、若干当初から軌道修正してますね。本当は真夜様の妊孕性は残すつもりでしたが、16巻の衝撃により亡くなりました。

達也の過去と四葉家の当主指名については次回です。
半分以上書けたので、おそらく今月中には更新できるかと|д゚)期待はしないでね!


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四葉継承編4

その感情の名前は―――






崑崙方院が壊滅して数か月。

 

真夜は足繁く譲の元に通っていた。

譲は九重家から明石市にある自宅へ移り、家族の元で療養していた。

 

譲の傷は、表向きの病院にも魔法師を受け入れている病院にもかかることができない特殊な症例であり、四楓院家お抱えの医師が日々の治療を行っていた。責任を感じた四葉からも精神魔法解析の魔法師が出向いた結果、周囲に対し全く反応のない状態から馴染みのある家族の声には多少反応を見せるようになっていた。

 

そして真夜が誘拐されて1年が経とうとする頃。

真夜はいつものように譲の元を訪れていた。

 

譲が負った傷の全ては、本来ならば真夜が受けるはずのものだった。

空木家は真夜に恨みを覚えることも、責めることもせず、面会を許していた。

ただ、謝罪も受け入れてはもらえなかった。

 

真夜としてはそれがなにより心苦しかった。

恨むべき諸悪の根源は、父と一族の者たちによって処断された。

だから真夜は怒りや悲しみをぶつける相手すら既にいない。

背負う必要のない傷を真夜の代わりに肩代わりした譲に対して声を掛けても届きはしない。

何に対しても心を動かすことも動かされることもなく、淡々とした日々が続く。

世界から自分だけが取り残され、自責だけが募っていく。

 

 

 

幾度か日が昇り、日が沈み。

通い慣れてしまった空木家に真夜はいた。

真夜は変わりはしないと分かりながらも、深夜にも家族にも見舞いは十分ではないかと窘められながらも、空木家を幾度と訪れていた。

 

何が変わるわけでも、何が良くなるわけでも、過去が戻ることもない。

満たされることもない。

言ってしまえば真夜の自己満足だ。

偽善とも言われても仕方のないことだ。

それでも、真夜には願いがあった。

 

 

真夜がいつものように譲のいる部屋に行くと、そこはいつもと違っていた。

そこには抜け殻の布団があった。

途端に頭を殴られたように眩暈がした。

 

譲は一人では歩く事すらままならない状態だ。

今日は部屋にいると聞いているので、療養のためどこかに出かけているという事もない。

そうかと言って部屋に荒らされた様子もなく、誰かが連れ去ったという形跡もない。

 

部屋を見回すと庭に続く障子が開いていることに気が付いた。

フラフラと覚束ない足取りでその先に進むと、縁側に胡坐をかき、庭を眺める譲の姿があった。

 

「よう、元気だったか迷子のレディ」

 

真夜の記憶と同じ声で、真夜が知る彼より少しだけ皮肉に、ひどく懐かしい面影のある笑みで、譲は真夜に問いかけた。

 

「―――馬鹿よね、アナタ」

 

真夜は自分でもぞっとするほど冷たい声が出ていた。

 

「本当に信じられない。自分がしたこと、分かっているのかしら」

「まあ、親不孝な魔法を持って生まれたのは分かっているさ」

 

譲は飄々と眉を顰めながら肩を竦めて見せた。

全く気にもしていない譲の様子に真夜はさらに苛立つ。

 

「いや、そんなに怒るなよ。媒体自体が試作だったし、海外行くなら保険程度になら良いと思っていたんだよ。まあ、不完全な魔法だったが生きていた俺も運がいい」

「運がいいって、そんなこと!」

 

真夜は拳で譲の肩を殴りつけた。

筋肉ではなく、骨と薄い皮の堅い感覚に真夜の手は痛みを感じる。

 

「おいおい。泣くなよ」

 

真夜が大粒の涙をこぼすのを見て、譲は慌てる。

 

「泣いていないわ。貴方が、馬鹿だからあまりに哀れで涙が出たのよ」

「はは、そうかよ」

 

どう見ても意地を張っている真夜に、譲は申し訳なさそうに近くにあったティッシュを渡す。

生憎涙を拭ってやるハンカチはここにはなかった。

 

「馬鹿、馬鹿。本当に、馬鹿。考え知らず」

 

真夜は差し出されたティッシュ箱を掴むと譲に投げつける。

遂には顔を覆うようにして真夜は泣き出した。

 

嗚咽を上げて泣き出す真夜に、譲はバツが悪そうに頭を撫でてやる。

その手すらすぐに下げてしまうほど、譲の腕は力が入っていなかった。

 

誰も真夜を責めない。

まして真夜の代わりに傷を負った譲すら気にしていない。

真夜はどうしたらいいのか、誰も教えてはくれない。

真夜はただ迷子の子どものように涙が枯れ、声が潰れるまで泣き続けた。

 

 

 

 

 

 

真夜が赤い目のまま帰った直後、譲の元にはもう一人来客があった。

 

「深夜か」

 

譲は起き上がるのがつらいのか、座椅子に体を預けながら問いかけた。

訪れた深夜は、部屋の敷居をまたぐことなく、廊下に立ったままだった。

 

「お前の魔法か?」

「ええ、そうよ。貴方の心が死にかかっていたから」

「そうか。情けない所見せたな」

 

譲は申し訳なさそうに眉を下げた。

 

「真夜には?」

「話していないわ。今まで通りのあなただと思っている」

 

深夜は、真夜と何度か譲の面会に来ていた。

譲の心はこのままの状態ではいつ死んでも可笑しくはない状態であり、おそらく何もしなければ数か月も持たないだろうことが分かった。

 

「ありがとな」

「平気なの?」

 

深夜が譲に使った魔法は記憶を知識に変える魔法だ。

譲が真夜の代わりに引き受けたすべての傷の記憶とそれによって苦しんだ記憶を、知識の器に入れ替えた。

ただ部分的に入れ替えることはできないため、譲がこれまで生きてきたすべての思い出は、知識として認識されることになる。

真夜はこの魔法は今まで生きてきた自分を殺す魔法だと言って深夜の魔法を受けなかった。

だが、譲は違った。

 

「大方ウチの両親もそう願ったんだろ。生きながらに死んでいるか、生きてから死ぬのとじゃあ天地との差だ。今までの思い出が記録になろうとな」

 

譲としては、生きていただけ儲けものだった。

なにせ同じ魔法を使える者は譲の他にはおらず、調べようにもあまりに古すぎる記録から果たしてその魔法が正しく発動できるかどうか実際に試すまで不明だった。

 

だが、結果的に真夜も譲も生きている。

それだけは覆しようのない結果だ。

その身体に何が残っても、その心に何が刻まれたとしても、死人に語る口はない。

 

「全ては大漢の変態クソッタレ野郎どもが仕組んだ結果だ。お前に責任はない」

「貴方は真夜が好きだったの?」

 

真夜は少なからず、譲に対して執着していた。それが恋なのか、自責なのか、それとも別の感情なのか。深夜ですら分からない。真夜もその感情には名前を付けていない。

 

だが、譲は命がけで真夜を守ってもいいと思った。自分が真夜の代わりに受ける必要のない傷を負い、心身ともに死の淵に立った。

それは愛と呼ぶに他ならなければ、何なのだろうか。

 

深夜の問いかけに、譲は眉を下げた。

 

「さあな。ただ、俺の妹とお前らって同い年だろ」

 

譲は疲れたのだろうか、静かに目を閉じた。

 

「その時の俺は、俺が代われてよかったと思っていた程度には後悔してなかったぜ」

 

 

 

 

その後、七草弘一と真夜の婚約は破談となった。

真夜が汚されたからだとか、そんな下卑た理由だけではない。

 

真夜は子を自身で産むことができない。

譲の魔法はあくまで相手が負わされた傷を引き受けるが、引き受けきれなかった傷も存在する。

生殖機能が完全に失われたわけではないので卵子提供による代理出産ができる可能性はあったが、あの惨状を横目で見ていた真夜には到底受け入れられなかった

体には傷は存在していなくても、傷を負ったという事実は変わらない。

むしろその状態で真夜が正気だった方が不思議なほどだ。

 

真夜の譲への思いは、恋とも違えば、愛とも違う。

あるのは後悔と寂しさだった。

真夜を助けるために譲は犠牲となった。

いくら深夜の魔法で精神的には回復したとはいえ、体の傷は著しく、20歳を過ぎたところでその生涯を閉じた。

 

四葉家は大漢に復讐を果たし、その結果一族の半数を欠くこととなった。

そして真夜の片割れである深夜とも、譲に行使されたという魔法を聞いてから顔を合わせることも会話をすることも絶え、その隔絶は深夜が亡くなるまで続くこととなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

大漢の崩壊から15年の月日が経った。

四葉家に待望の新しい命の知らせが広がった。

深夜の妊娠だ。

 

計算に計算を重ね、選び出された配偶者から提供された遺伝子を元に、最高の精神干渉魔法師が育む命。

当時は真夜が拉致され、人体実験にされた忌々しい事件の記憶が今より濃く残っており、一族にとって新しい命の存在はそれだけで心を明るくするものだった。

 

あの悲劇のせいで、四葉の者たちにはある一つの妄執に捕らわれていた。

相手が国家であっても、世界であっても、我々四葉を理不尽から守ってくれる最高の魔法師の存在を願っていた。

個人で世界を圧倒する絶対的な超越者をいつか四葉の総力を結集して作り上げるのだと。一族全体がそんな超人願望を抱いていた。

 

四葉の者たちは何度も深夜の元を訪れ、無事に生まれてくるように、非道で理不尽な世界からの魔手を退ける力をこの子に与え、強い子が生まれてほしいと願い続けた。

そして四葉の子どもたちを守る力になってほしいと、如何なる悲劇も寄せ付けない絶対的な守護者になってほしいと。

時には口に出してそう願い、深夜もそんな子が生まれてほしいと肯定していた。

最初こそ真夜に対して遠慮もあったが、その真夜が誰よりも深夜の懐妊を喜んでおり、周りの者たちも再び姉妹の仲が回復することを願っていた。

 

しかし、生まれてきたのは世界から四葉を守るための守護者ではなく、世界に復讐するための魔法師だった。

深夜の真の願いは、世界に対する報復だった。

真夜を傷つけ、深夜を傷つけ、自身の父を殺し、一族の者の大半を殺した世界への復讐だった。

世界を断絶せしめる復讐者こそ、彼女の心が真に願っていた存在だった。

 

生まれたばかりの赤子は『世界を破滅させる魔法』を背負い、生まれてきたのだ。

なぜそう分かったのか。

四葉家先代当主であり、真夜や深夜、黒羽貢の叔父である故・四葉栄作は他人の魔法演算領域を解析し、潜在的な魔法技能を見通す精神分析魔法の使い手だった。

栄作により作り出された術式は、四葉の魔法演算領域分析系魔法の基礎となっている。

 

誰もが子どもの持つ魔法が何か告げられるのを待ち望む中、栄作は重苦しく口を開いた。

『この子は世界を破壊する力を秘めている』と。

 

情報体を壊す力と全ての情報体を24時間以内であれば復元する力。死なない限り蘇り、蘇らせる力。

『分解』と『再成』の魔法を宿した子だった。

それは四葉の者たちが望んでいた力ではなかった。しかし無関係ではかった。

 

全てを修復する力。それは守れなかった者たちの傷をなかったことにする力だ。

そして(たお)されない力。戦力の補充がなくとも、個人が世界を相手に戦えるための必要条件だった。

 

そこで四葉の者たちは自らの罪を自覚する。

自分達が一体何を望んでしまったのかということを、その時になってようやく思い知ったのだ。

 

一人の赤子の命を捻じ曲げ、何を生み出したのか。

生まれてきた赤子に罪はない。むしろ赤子は被害者だ。だが、世界を破壊しうる力を持った子を生かしておくべきなのか、我々の罪を生かしておくのかと。

 

魔法は本人の激しい感情で時に暴走する。

理性の整わない赤子ならば猶更、気づく間もなく世界が滅んでしまうこともあり得る。

 

どうするべきなのか、四葉家の者たちはひと月以上議論を重ねた。

その議論に、黒羽貢も加わっていた。

そして、議論の結果、赤子は死なせてやるべきだ。否、殺すべきだという結論に至った。

 

 

 

 

しかし、その結論に待ったをかけた者がいた。

四葉栄作と九重千代の二名だった。

 

 

「殺めるのでしたらが、こちらにくださいな」

「アレが持つ魔法を知っているのだろう」

 

渋い顔をする栄作に、千代は柔らかい笑みを浮かべたまま、首を縦に振った。

 

「ええ、勿論」

 

四葉家を訪れた九重千代は全てを知っていた。

千里眼ならば四葉に魔法師が生まれ、その者がどんな魔法を持っているのか見ていても驚きはしなかった。

 

「アレは兵器として育てることにした。それに、そちらに遣る理由はない」

「四葉のための最強の人間兵器ですか」

「そうだ」

 

四葉家の多くの者たちが出した赤子を殺すという結論に対し、栄作は世界を相手できる切り札を手に入れたのだ。罪の意識に溺れるより、有効活用すべきと周囲の者たちに言い聞かせた。

その点も千里眼には筒抜けのようだった。

 

「守る心すら育たなければ、人形にしかなり得ませんよ」

「深夜の魔法でそのあたりは調整させる」

「基礎的な情操教育すら魔法に頼ると」

 

感情の暴走によって魔法が無意識に発動されるのならば感情を荒立てないように、喜怒哀楽を徹底的に抑え込む訓練を施す。

『分解』と『再成』に魔法の演算領域が取られているならば、魔法なしでも血路を切り開いていけるよう戦闘訓練を施し、最強の魔法師にする。

生まれた時から適正な栄養を与え、歩けるようになるころには適切な体の動かし方を体に染み込ませる。

 

それが四葉当主として、四葉栄作がその時下した判断だった。

 

「アレが生きていくには他に道はあるまい」

「兵器以外の道も如何様にでもご用意できますよ」

 

穏やかな笑みを携えたままの九重千代に、四葉栄作はそれだけではない裏を感じ取っていた。

 

「私どもにお預けください」

「寄越せではなく、預けろと?」

「丁度我が家にも女児が生まれましたので、都合がよろしいかと」

 

つまり九重はその赤子の婚約者としての立場を望むと言っているのだった。

当然、四葉としては育てると決めた以上手放すつもりはなく、その申し出は断った。

いくら九重には大恩があろうとも、到底受け入れられない要求だった。

 

「それに、その子の枷になる者を考えていらっしゃるのでしょう?」

 

喜怒哀楽を押し込んだところで、四葉に忠誠を誓うわけではない。

だから四葉から離れられないように、決して逆らえないようにするための枷が必要だった。

裏切れない理由を作り出さなければならなかった。

だが、現時点ではまだ計画段階も初期であり、それを知る者はごく僅かった。

そして、その枷の一つに九重もなると申し出ているのだ。

 

「…………どこまで見えているのだ」

「黄泉平坂のその先、彼の方が御座(おわ)しますその場所まで」

 

九重千代の笑みは最後まで、崩れることは一切なかった。

 

 

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「そこから先は君も知るとおりだ。3歳までは九重家の下で育ち、その後は四葉で訓練を行った。分家の中には四葉から出すべきではないと苦言を呈した者もいたが、九重が君の訓練の基礎は作っていたようで、その出来上がりに表立って文句を言う者はいなくなったな。そして6歳の時に真夜さんと深夜さんによって、君は人造魔法師計画の被験者となり、深雪さんのガーディアンとなった」

 

憑りつかれていたように淡々と語っていた貢は顔を上げ、ようやく普通に話し出した。

 

「その頃のことは自分でも覚えています」

 

人造魔法師実験以前の記憶も明瞭にあったが、どこか達也にはそれがあまり自分のこととは実感できていなかった。

実験の前の記憶は、朧げに九重で育てられたことも、四葉で受けた訓練のこともどこか映画を見ているような印象があった。四葉で受けた血の滲むような訓練への恐怖心や反抗心も、九重から受けた人としての慈愛も、おそらく母である四葉深夜の手によって全て記憶から知識へと書き換えられていたのだろう。

そうでもしなければ、先天性の魔法をいくら兼ね備えていたとしても達也の精神は今以上に歪んでいたはずだ。家族愛という感情すら持てないまま、世界に対する色を知らないまま、夢を抱くことすらないまま、ただ体のいい兵器として機械的に生きるしかなかっただろう。

 

「まあ、そうだろうな。六歳以降の話だ」

 

貢は途中、女中が持ってきていた水差しから水を注ぎ、コップの半分以上を一気に飲み干す。

 

「栄作伯父上が亡くなっても君の訓練は続いた。成長期が訪れて過度の訓練が身体の成長を妨げると判断されるまでな。深夜さんも反対はしなかった。彼女にとって君はいずれ世界へ復讐を果たす存在であり、君には生きてもらわないといけなかったからな」

 

貢は残っていた水を飲み干した。

 

「君は深夜さんの世界に対する復讐の体現者。四葉が作り出してしまった罪の象徴。だから我々は君を四葉の中枢に置くことはできないし、国防軍からも切り離さなければならない。我々もこれ以上罪を重ねるつもりはない」

 

貢はようやく其処で口を噤んだ。どうやら彼の話したいことは終わったようだ。

 

「よく分かりました」

「それが真実ならば、すぐさま深雪さんのガーディアンを辞退したまえ。あの子も君の言う事ならば聞くだろう」

 

冷笑を浮かべる貢に達也は首を振った。

 

「自分が分かったというのは、自分に対する貴方がたの理解できない行動の動機が、センチメンタルな罪悪感によるものだということです」

「何っ!」

 

貢はソファの肘掛けを叩き、立ち上がった。

達也も同じく立ち上がる。

貢には達也を殺しうる隙が見えはしなかった。

達也には貢を倒しうるいくつもの手が浮かんでいた。

 

「……帰りたまえ。私から話すことはもうない」

「失礼いたします」

 

貢はハンドベルで家政婦を呼び、達也を玄関まで案内するよう命じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午後6時55分。

 

水波に案内される形で、奥の食堂に達也と深雪は招かれた。

達也は当主候補が勢ぞろいし、事前に次期当主について説明があると予想していたが、用意されている席は三つだけだった。

 

一つはホストである真夜の席。

そしてそれと向かい合うように用意された二つの席は、水波が座りやすいように背もたれを引いている。

状況から見て達也は護衛ではなく、招待されたという事は間違いないようだ。

 

部屋にはまだ達也、深雪、水波の三人しかいない。

 

「水波、呼ばれているのは俺と深雪だけか」

「はい。奥様が招待なさったのは深雪様と達也様だけでございます。どうぞ、お掛けください」

 

深雪は達也に戸惑いの視線を向けるが、達也はしばし沈黙した後席に着くことにした。

深雪も達也が席に着いたのを見て、静かに席に腰を下ろす。

水波は給仕役のようで、二人を席に案内した後、壁際で待機している。

 

「お兄様」

 

隣に座る深雪も三人での食事とは予想外だったようで、心配そうな目を達也に向けている。

深雪だけではなく達也も招かれている以上、なにかしら達也にも伝えるべき内容が向こうからあるはずだ。

それも他人を介したものではなく、真夜直々の命令に近いだろう。

関わっている使用人の少なさからも秘匿的な内容であることは間違いない。

 

そして時刻は7時を迎える。

食堂の奥にある当主専用の扉が開き、四葉真夜が葉山を従えて現れた。

当主の登場に、椅子に掛けていた深雪は椅子の高い背もたれを水波に引かれ、達也は自ら椅子を引き、静かに立ち上がる。

 

「こんばんは、二人とも。今日は急な招待だったにもかかわらずようこそ。どうぞ座ってくださいな」

 

葉山が引いた椅子に真夜は優雅に腰を下ろすと、二人もそれに順じた。

 

「まずお食事にしましょう。明日が和風のおせちなので、今日は洋風のコースにしてもらいました」

 

食事はフレンチの体裁をとっていたが、あまり格式ばったものではなく、話題もしばらくは世間話的なことが大半だった。

いっそ不気味なほど、真夜は本題を話に滲ませることは無い。

達也も表面上は話を合わせてはいるが、真夜の真意を図りかねていた。

食後のデザートと紅茶が出た後、真夜は本題を切り出した。

 

「さて、そろそろ本題に入らせてもらうわね」

 

真夜は艶然と微笑んだ。

黒に近い真紅のドレスが彼女の笑みを彩る。

 

「おそらく耳に入っていると思いますが、明日の慶春会ではいくつかの発表があります。二人にも無関係ではないことですから、驚かせないように事前にお話をしておきますね」

 

真夜の発言に深雪は体を固くする。

表情こそ変化はないように努めていたが、膝で重ねられていた手は白くなるほど握りしめられていた。

 

「まず今回の慶春会で次期当主指名が行われると耳にしているかもしれませんが、今回の慶春会では次期当主の指名はしません」

 

真夜の発言に二人とも声こそ出さなかったが、その内容には驚くしかなかった。

なぜなら分家は真夜の周囲の動きから当主指名の場になることを見越して、深雪や達也の足止めを行っていたからだ。

当主の指名自体が行われないということは、できない理由ができたからということに他ならない。

達也の予想していなかったことが次々に起きており、頭の中では急速に状況を整理していた。

 

「実は深雪さんに縁談が来ているの。四葉家としてはそれを受けようと思います」

「…………分かりました」

 

瞳が絶望に染まった後、一度目を伏せ、深雪は粛々と一礼した。

力強く握られていた手は小さく震えている。

当主の指名だったら深雪にもまだ覚悟ができていた。

少なからず予想はしていた。

 

だが、それよりも先に婚約者を決められるとは思ってもみなかった。

少なからず自由に相手を選べないことは分かっていたが、今日、こんなにも唐突にたった一人とも呼べる相手を宛がわれるとは夢にも思わなかった。

 

「念のために聞くけれど、深雪さんは意中の方はいるのかしら」

「……いいえ」

「不安よね。突然のことですから」

 

真夜は深雪の心情を慮ったように、ゆるりと柔らかく微笑んだ。

 

「安心なさって。貴方も良く知っている方よ」

 

真夜はそしてその名前を告げる。

 

 

 

 

 

「お相手の名前は九重悠さん。貴女は九重家に嫁ぎ、次期当主の伴侶となるの」 

 

 

 

 

 




予想通りの人も、予想外の人も、いかがでしたでしょうか。
でも、ちゃんとこの結論にも意味があります。
また、十師族会議編で語るつもりです。
それに伴い、ちょっとずつ原作から設定が乖離していきます。


感想ありがとうございます。
お返事は大概返すの遅いですが、お待ちいただけると嬉しいです。


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四葉継承編5

お久しぶりです。まさかの1か月ぶりの投稿です。

日中、パソコン作業が増えて帰ったら目が死んでるのでしばらく執筆できませんでした_(:3 」∠)_

今回は2話投稿です。こちらから先にお読みください。


「私が、悠お兄様の?」

 

深雪はまるで譫言(うわごと)のように真夜の言葉を繰り返した。

 

「ええ。お話はあちらから持ちかけられたものよ」

「そう、ですか」

 

深雪は改めて真夜の言葉を聞き、その意味を理解すると体から少しだけ力を抜いた。その目はまだ戸惑いに揺れているように見えた。

 

「あら、満更でもなさそうね」

 

だが、真夜はそうは捉えなかったようで、まるで少女と見紛うばかりの好奇心に満ちた笑みを浮かべた。

 

その指摘に深雪が体を震わせ、先ほどとは違った緊張が走った。

単に真夜の決定が意に沿わないという態度を示した失態に震えているという意味ではなく、まるでそうあることを望んでいたかのように恥じらいを必死で隠そうと努めているようだった。

その証拠に、隣にいる達也の表情を伺うどころか視線すら合わせることがない。

 

達也にしてみれば確かに悠は深雪を猫可愛がりしていたが、まさか九重家に迎え入れるほど深雪を思っていたとは露とも知らなかった。深雪も雅の兄である悠に対して、少なからず憧憬や尊敬の念はあるとは感じていたが、突如として挙がった婚約話に拒否感がないということはつまりそういうことだ。

 

深雪が幸せに思える相手ならば達也としてはこの上なく幸いな事ではあるが、その相手が悠というのは複雑な部分はある。

達也は深雪の幸せを心から願っているが、単に深雪の望む相手で真夜が認めているからと言ってこの婚約が簡単に成しえたものだとは思わない。

深雪は四葉家にとっても大きなカードだ。魔法力を鑑みても、当主としての気質を取っても、現状深雪以上に相応しいといえる次期当主候補はいない。

 

「合わせて、達也さんは次期当主候補の一人として加えます」

 

深雪の婚約話の衝撃が収まりきる前に、真夜はもう一つの大きな決定を告げた。

 

「それは、深雪のガーディアンから外れるという事ですか」

 

 

深雪が嫁ぐことが決まった以上、達也は遅かれ早かれガーディアンの任を解かれていた。今の達也は次期当主候補の深雪のガーディアンとして、命令権の最上位は形式上、深雪である。

 

それが次期当主候補という立場を手にした結果、達也は深雪の傍にいて彼女を守らなければならないという誓約はなくなる。自分の立場が次期当主候補に置かれることはひとまず保留にしておいても、深雪の安全が保たれるかどうかは達也にとっては最優先だった。

 

「水波ちゃんに引き続きガーディアンとして働いてもらいますので、達也さんはその監督をしてもらいます」

 

つまり対外的に達也は深雪のガーディアンから外れたことになるが、まだガーディアンとして未熟な水波の指導と補佐がてら護衛に着くことは構わないということだ。

 

「現状では深雪さんが九重に嫁ぐことはまだしも、達也さんが当主の座に就くことを分家の当主の方々は納得しないでしょう。だから、達也さんは雅さんを迎えるその日までに分家の皆さまから次期当主としての承認を取り付けなさい。本来ならば私の決定だけで十分なのだけれど、家の中に火種が燻ぶっているのは見苦しいでしょう。幸い、ライバルらしいライバルではないですからね」

「これを機に分家が結束することは無いのですか」

 

達也がなぜ分家の当主だけではなく、使用人たちにも忌避されている理由は先ほどの黒羽貢からの話で分かった。

今回、深雪が次期当主に指名されないように画策していた分家の者の多くが、達也が当主候補に挙がることすら納得はしないだろう。

仮に次期当主候補であることは容認したとしても、何が何でも達也以外の候補者を次期当主に指名させたがるはずだ。

 

達也は四葉家当主の地位どころか四葉家自体になんら執着もなく、分不相応な地位だと辞退を申し出ても構わないが、雅が達也の婚約者である以上、対外的にも内部的にも相応の地位が必要にはなる。

残念ながら達也が単独でその地位を確保することは難しく、そのための次期当主候補への格上げだとは理解しているが、さきほどの発言からも分家の反発を買ってまで真夜が達也を次期当主にしたがる理由がまだ理解できていなかった。

 

「あら、次期当主候補の皆さんへの根回しは終わっているわよ」

 

婚約のための露払いは終わっていると真夜はにっこりと微笑んだ。

 

「新発田勝成さんはガーディアンの堤琴鳴さんとの婚姻承認、津久葉家には新当主の元での安全の確約をそれぞれ取り付けました」

「安全の確約ですか?」

 

深雪が真夜に津久葉家との密約について詳細を求めた。

次期当主候補である新発田勝成のガーディアンの一人に堤琴鳴(つつみ ことな)という女性がいるが、彼女は四葉家で開発された『楽師』シリーズの調整体魔法師である。勝成と琴鳴が事実上の内縁関係であることは達也も耳にしているが、楽師シリーズは遺伝子的にもあまり安定していないため、早世の可能性が高い。つまり次期当主の妻という立場にはふさわしくないと言わざるを得ない。

真夜がそれを承認するという事は、言外に新発田勝成を次期当主にするつもりはないと告げているも同然だ。分家当主にそれが理解できないほど疎いものはいない。

 

しかし、津久葉夕歌については特に次期当主を降りるメリットはない。女性であるため魔法戦闘力こそ高くはないが、『マンドレイク』という恐怖を引き立てる精神干渉系の魔法を得意としており、深雪には劣るが総合的な魔法師としての優秀さであれば達也より上である。頭の回転も悪くなく、必要な犠牲を割り切れるだけの気構えもある。

 

「姉さんの死後、私の決定により津久葉家現当主は『誓約(オース)』を行使し、深雪さんの魔法力を用いて達也さんの魔法力の一部を封印させました。これは津久葉家としては本意ではなかったようで、その点については達也さんに了承を得たいということと、この魔法を理由に津久葉家に不利益がもたらされることがないようにという確約よ。加えて、津久葉家は次期当主をいち早く支援したという実績も欲しいみたいね」

 

達也としては『誓約』についても、自身の力を四葉家が管理するための一つにすぎず、深雪の魔法力が使われていることにこの魔法の厄介さを覚えることがあっても、その魔法が使われていることについて逆恨みするという考えすらなかった。

津久葉家とはそれほど親交はないが、夕歌を含め現状、達也と敵対するつもりはないとみていいだろう。

 

「深雪の婚約、並びに自分の次期当主候補への参入について、分家の当主の方々はご存じなのですか」

「いいえ。まだ知っているのは私と葉山さんだけよ。このことについては明日の慶春会の場で発表します。達也さんだけだと反対意見も出るでしょうから、亜夜子ちゃんも次期当主候補の一人とします。達也さんには明日、次期当主候補の一人として慶春会に出席してもらいます」

「分かりました」

 

達也は真夜の言葉に素直に頷き、真夜はその反応に満足げに笑みを深めた。

だが、素直な態度とは反面、達也には気がかりがあった。

達也を最終的に四葉家当主としたいことを軸とした真夜の意向は確認できたが、その真意までは読めていない。

なにかしら裏があったとしても状況は達也が断ることができないように整えられているため、この場で次期当主候補の地位返上という事も迂闊には出来ない。

 

「深雪さん、明日は深雪さんの婚約発表と達也さんの次期当主候補指名の日よ。晴れ舞台に備えて今日はしっかり自分を磨いてらっしゃい」

「お心遣い、感謝いたします」

 

深雪は深々と頭を下げた。

固く握りしめられていた手はもう震えてはいない。

 

「葉山さんは深雪さんの入浴に何人か手配して。水波ちゃん、深雪さんをお部屋にお連れして。それからお風呂の準備が出来たら連絡させるから案内して頂戴」

「かしこまりました」

 

葉山は深く一礼し、今まで静かに壁際で立って控えていた水波も一礼する。

 

「達也さんはもう少しお話をしましょうかしら」

「ええ、お願いします」

 

深雪が水波に案内され出て行ったのを確認し、真夜が立ち上がる。

葉山が奥へと続くドアを開ける。

達也が真夜の後に続いて扉をくぐる。

達也に対して葉山が恭しく一礼する。

それがこの部屋で達也の待遇において最大の変化だった。

 

 

 

 

 

 

達也が真夜の後に続いて入った部屋は応接用のソファもある書斎だった。

達也がこの部屋に入ることはこれが初めてであり、部屋の内装から普段司波家に連絡を入れる時とは別の部屋のようだった。

 

しかしここは執事の葉山以外は家具屋とHAR(ホームオートメーションロボット)の技術屋を除いては四葉家の人間が立ち入るのは達也で実質二人目であり、真夜のプライベートルームに近い。

 

「達也様、コーヒーはブラックでよろしかったでしょうか」

 

葉山から“様”を付けて呼ばれる事は甚だしく違和感があるが、それを気にしてはいけないのだろう。達也が葉山の提案に了承すると、先に真夜の前にハーブティが置かれ、達也の方にはブラックコーヒーが置かれた。

真夜が口を付けるのを待った後、達也もコーヒーに口を付けた。

それは達也にとって誠に遺憾ながら深雪が淹れたものより美味しいものであった。どうやら淹れる時にちょっとした魔法を使っているらしい。

 

「さてと、何からお話しましょうかしら」

「そうですね」

 

達也は一度カップをソーサーに置いた。

 

「叔母上は何を望んでいらっしゃるのですか」

「私の意向は先ほどお伝えしたと思っていたのだけれど」

「意向は伺いました。しかし、深雪の婚姻と俺の次期当主候補への参入について、どのような目的があってのことでしょうか」

 

真夜の意向は理解できた。

しかし、それだけでは両家の婚姻の目的が弱い気がしていた。

十師族という家柄である以上、法律はどうあれ婚姻は自分の自由にできるとは達也も深雪も考えていない。それでも九重との関係を考えるならば達也が雅を迎えるか、深雪を悠に嫁がせるのかどちらかだけで良いはずだ。

 

そうしなければならない、もしくはそうしたほうが四葉家にとってメリットがある、あるいは真夜個人の目的があっての今回の婚約発表に至ったと達也は考えていた。

 

真夜は優雅な微笑みを崩し、諦めたように息を吐きだした。

 

「本当は、深雪さんを四葉次期当主とし、貴方を私の息子として迎え深雪さんの婚約者にするつもりでした」

 

達也は眼を見開いた。

 

「兄妹間での結婚は不可能ですが」

 

色々と聞きたいことを飲み込んで達也はひとまず質問を投げかけた。

法律上も達也の倫理観としても、達也には深雪との結婚など考えられなかった。仮に真夜の言うように達也を真夜の養子にしても、法律上、三親等以内の血族間の婚姻は禁じられている。そもそも真夜が近親間での婚姻による遺伝子異常を理解していないはずがない。例え肉体的には完全に調整しても、九島光宣のように霊体に異常をきたす場合も考えられる。

 

「だって達也さん、貴方は私の息子だもの。『あの事件』の前に冷凍保存していた私の卵子を人工授精して、姉さんを代理母として生まれたのが貴方なの。父親はもちろん龍郎さんではないわ。深雪さんとの関係は従妹になるから、結婚は可能なのよ」

「あり得ません」

 

達也は断言した。

 

「あら、そう思う根拠は確かなの?戸籍だって私たちにはいくらでも用意できるし、DNA鑑定の結果だってあなたが実際に調べてみたわけではないでしょう」

 

真夜の言葉は確かに嘘ではない。しかし、達也の眼にはそのような社会的な証明や科学的な根拠というものは必要なかった。

 

「叔母上」

 

達也は語気を強めた。

 

「俺を誰だと思っているのですか」

 

誤魔化しは聞かないと言わんばかりに真夜を見据えた。

 

「俺は物質の構造と構成要素を認識し、任意の構成段階に分解することができる異能者だ。物質の構成要素を認識するという事は、それの素が何からできているのか理解できるということです」

「貴方の時間遡及性は24時間が限度だったと思うけれど」

 

達也の追及に真夜はおっとりと小首を傾げた。

 

「構成要素に関する情報は現存するものの中にあります。時間遡及は関係ありません。だから分かるのですよ。俺と深雪の肉体の素となっているのが、同一女性の卵子と同一男性の精子の受精により発生したと分かるのです」

 

真夜と葉山にとって達也の回答は思いがけないものであり、真夜には若干の焦りが、葉山には純粋な感嘆が浮かんでいた。

 

「あらあらあら…………。貴方って本当に人間離れしているのね」

「お褒めに頂き光栄です」

「褒めているつもりはなかったのだけれど」 

 

達也も皮肉と分かっていての返答だったが、困惑気味に微笑んで真夜は一度カップに手を付けた。

 

「いいわ。確かにあなたは姉さんの子で、私の卵子から生まれたという事は嘘です。でも貴方が私の息子だということも全くの偽りではないのよ」

 

全く悪びれずに真夜は先ほどの発言は嘘だと認めた。

 

「では、なぜそのようなことをおっしゃったのですか」

「その前に一つ、深雪さんと貴方が実の兄妹ではないという事も完全な誤りではないのよ」

 

真夜の返答は達也の質問の回答にはなっていなかったが、達也にとっては聞き逃せないものであった。

 

「だって、深雪さんは調整体だもの」

 

再び達也は絶句することになる。すぐさま次の言葉が出てこないほど、達也にとってもその衝撃は大きかった。

 

「深雪が遺伝子操作をされているということですか?しかし、そんな兆候は」

「事実よ。深雪さんが調整体の歪さ、不安定さが見られないのは、彼女が四葉の“完全調整体”というべき四葉の最高傑作だからね」

「何故……」

「何故って貴方のためよ、達也さん」

 

真夜が当然とばかりに口にした内容に、達也は完全に口を閉ざした。

思考が停止するほど、達也にとってはまさに青天の霹靂だった。

 

「貴方の力は万が一にでも暴発させてはならないものだった。最悪、命を懸けて力づくで止めなければならないものよ。精神干渉系の魔法を持つ姉さんだったら、相手の無意識領域に干渉して“ゲート”を一時的に閉じることは可能だったでしょう。けれど姉さんは確実にあなたより早く寿命を迎える。だから常に傍にいて、貴方を止める魔法師が作り出された」

 

先ほどとは異なり、真夜はこの上ないほど真剣な目つきで達也を見据えた。

 

「大体、あんなに綺麗な女の子が自然に生まれてくるはずがないでしょう。あれだけ完全な容姿、完全な左右対称の身体の持ち主なんて自然に生まれてくるはずがないわ」

 

恐ろしく均整の取れた顔というと、深雪のほかにも悠や九島光宣が思い浮かんだが、彼らは完全に左右対称というわけではない。九重光宣は調整のミスがあったせいか、体調を崩しやすく調整体としては不完全であり、悠は左右対称に見えるが、実際体にある黒子などは非対称であったはずだ。

 

「もっとも同じ手順を繰り返したとしても深雪さんみたいな子が作れるとは思わないのだけれど。そういう意味では神の悪戯か奇跡と称するのでしょうね」

 

真夜は自分の発言に嫉妬が混じっていたことに気が付いたのか、少し芝居がかったような言葉を選んだ。

真夜によると深雪はこの事実を知らず、四葉家内部で知っているのも存命しているのは片手で数えるだけに留まるそうだ。

 

 

「ねえ貴方と深雪さんとの縁は親子より強いものかもしれない。けれど、遺伝的なつながりでいえば、深雪さんより貴方と私の方が繋がりは強いのよ」

 

真夜は達也の機嫌を伺うような少し甘えたような声で話しかける。

 

「しかし」

「叔母と甥の関係ではあるけれども、精神的には達也さん、貴方は私の息子なのよ」

「精神的に?」

 

達也は真夜の発言の意味が理解できず、素直に話の続きを待った。

 

「貴方に宿った魔法を聞いて、叔父様たちも貢さんも、多くの者たちが失望し、恐怖した。でも私は嬉しかった。それこそ裸足で駆け出してしまいそうなほど、心が震えたわ。だってあなたの魔法は私の願いを叶えるものだったから。貴方の魔法はこの星に死をもたらすことができる。この世界に復讐できる。私の大切な人たちと未来と女としての小さな幸せを奪った理不尽な世界に報いることができる」

 

真夜の表情は恍惚とした艶を帯び、甘い声色でいて言葉には狂気が混じっていた。

 

「貴方をこの世に生み出したのは姉さんではなく、この私の願望なの。貢さんたちはその点を勘違いしていたようね。貴方を世界の破壊者にしたのは私の願い、私の祈り。私の思いによって貴方は生まれてきてくれたの。肉体的にあなたを望んだのは姉さんだけれど、貴方の魔法をそう形作ったのは私なのよ」

「叔母上は精神干渉系魔法が使えないはずですが」

「ええ、確かにそうよ。けれど私と姉さんは双子だったからかしら。私の強い願いが魔法の理さえ動かし、姉さんの魔法を私が動かすことができた。姉さんの我が子に対する思いより、私の願いの方が強かったから、姉さんの魔法は私の願いを実現したのではないかしら」

 

真夜は熱っぽく言葉を紡ぎ続ける。

まるでこのことを語ることを幾千日待ち続けたように、まるでお伽噺を夢を見ている少女のように、焦がれ続けていた思いを微笑みながら熱っぽく語った。

 

「姉さんはそれを知っていた。自分の胎が乗っ取られ、自分の魔法がいつの間にか妹に乗っ取られていたことを。でもね、姉さんは貴方を愛そうと努力していたのを分かって頂戴」

 

言葉では慈愛に満ちた慰めを口にしながら、その実、眼にはまざまざと実の姉に対する嘲笑が浮かんでいた。

 

「人造魔法師計画は貴方が感情的に暴走して魔法を暴発させることがないように計画されものだったの。最も不安定な幼少期は九重が上手にコントロールしていたし、姉さんは最後まで渋っていたけれど、貴方が世界を壊すことがないように貴方に手を掛けた。本当は感情をすべて白紙にしてしまう方が簡単で、姉さんの負担も少なかったんだけれど、それが自分の寿命を削ることを知っていてなお、貴方の強い感情だけを消し去った。生まれる前に私が捻じ曲げた貴方の精神を姉さんは注意深く手を加え、暴走しないように改造したのよ」

 

真夜は一呼吸置くと、達也に質問をさせるわけでも自分がカップに手を付けることもなく、話を続けた。

 

「深雪さんが貴方に対して無関心だったのも姉さんの教育の賜物ね。関心がなければ嫌うこともない。万が一、癇癪を起して貴方を止められて(・・・・・)しまわないためにも、淑女として徹底的に教育されたのよ。常にお淑やかで控えめで、感情をむき出しにすることは無い。こっちは完全とは言い難いけれど、幸い近くにいいお手本がいたから良かったわ」

「深雪の力が暴走するのは『誓約』のせいですよ」

「あら、仲がいいのね」

 

くすくすと笑う真夜に達也は居心地の悪さを感じる。

 

「つまり、深雪は肉体的にも精神的にも調整されているため、仮に自分と結婚したとしても子どもに遺伝子異常が出ることはないということですか」

「ええ、そうよ。四葉の持つ遺伝子工学技術だけではなく精神干渉系魔法によって肉体的にも精神的にも、完全に調整されているわ。あの子は調整体の持つ欠陥を完全に克服し、人間以上に人間として完成された完全調整体よ」

 

確かに、深雪が調整体だと告げられた時の衝撃は大きかったが、達也には全く思い当たらない点がないわけではなかった。

達也と深雪は同一の父母の生殖細胞を構成要素としている。しかし、それだけは説明がつかない要素があったことも事実だった。達也に分かる範囲で深雪に害のあるものではないと分かっていたが、達也と深雪の構成要素の差異も調整の結果だと言われれば不本意ながら合理的に解釈できる。

 

「では、その計画を破棄させてまで、九重との婚約を取った理由はなんですか」

「それが最善と判断したといっても貴方は納得しないでしょうね」

 

真夜は先ほどの狂気的な饒舌とは打って変わって、困ったように微笑んだ。その困った様子も仕方がないと言わんばかりだ。

 

「私もまさか予想外だったわ。貴方が深雪さん以外を大切に思えるだなんて」

 

真夜の発言に達也は瞬時に思考を巡らせる。

達也の雅に対するこの感情は、四葉家に知られてはならない類のものだ。

達也は魔法演算エミュレーターを埋め込む代償に深雪以外のことについて強い感情を抱くことができないと思われている。

そうであるからこそ、四葉家には深雪という人質があり、達也は他人に対して煮え返るほどの憎悪も我を忘れるほどの怒りも感じることができないため、分家は達也を排除しない。

だが、その前提が崩れてしまえばおそらく危ないのは達也ではなく、雅だった。

 

「俺から深雪以外に抱く激情を白紙化させ、人工魔法演算領域を埋め込んだといったのは叔母上です。激情を他人に向けるには、そもそも領域がありません」

「そんな怖い顔をしないで頂戴。咎めるつもりはないのよ」

 

真夜は達也の反応が面白いのか、口元を手で押さえながらこらえきれない笑みを浮かべている。

 

「どんな強力な魔法であっても愛の力には敵わなかったということかしら」

「良好な関係は維持していますよ」

「あらあら、照れ隠しかしら」

 

真夜は恋話に色めき立つ少女のように目を輝かせた。

まさか今日(こんにち)、当主である真夜とこんな話をすることになるとは達也は予想すらしておらず、精神的な疲労をここで自覚した。

葉山が場の空気を換えるためか、すっかり冷めてしまったカップを下げ、新しいハーブティに取り換えた。

達也にも珈琲のお代わりを聞かれるが、結構だと断った。

真夜は葉山に一言礼を言うと、運ばれてきた新しいカップに口を付ける。

 

「貴方は私の復讐のために生まれてきた。貴方が世界を滅ぼしうる力を持ち、けれどもそれを暴走させないように多くの枷を課したのは四葉だけれど、きっと貴方が生まれた時から、千里眼はこうなることを見ていたのよねえ」

 

真夜の瞳には狂気が燻ぶってはいるが、どこか寂し気に見えた。

黒羽貢や真夜自身の話から、亡くなった空木譲と真夜は恋人関係とは言わなくても少なからず相手のことを想っていたと推測している。

世界から自分だけが取り残されたような、殺されながら死にきれなかった真夜の思いは、消化されずに今でも心の底に居座り続け、今でも時折その傷をのぞかせるのだろう。

人でなしと言われ続けた達也にもそのくらいの真夜の心の機微は理解できた。

 

「明日もあることだし、そろそろ終わりにしましょうか。達也さん、まだ聞きたいことはあったかしら?」

「では、あと一つだけ。深雪の婚約発表と自分の次期当主候補への認定が明日になった理由は何でしょうか」

 

諸々の発表が明日ではなければならない理由はないようだ。

達也が力をつけ、完全に四葉から離別するための下準備の時間を与えるより、不本意ながら達也や深雪が目立ってしまったので、早い段階で公表してしまった方が良いと判断したのかもしれない。

 

「本当は今年のお正月に発表したかったのよ。でも、横浜事変の一件から達也さんたらUSNAにちょっかい出されたり、それが終われば九校戦ではパラサイドールを駆除したり、コンペでは伝統派を焚きつけた周公瑾を捜索したりと忙しかったでしょう。だからこの時期になってしまったのよ」

「そうですか。分かりました」

 

少なからず明日でなければならない確固たる理由はないようだ。

達也は少なくともそれだけ分かっただけで収穫と思うことにした。

 

「達也さん、お部屋の場所は分かりますか」

「大丈夫です」

「そう。では、案内も付けずに申し訳ないけれど、一人で部屋に戻って頂戴。お風呂の準備が出来たらまた呼びに行かせますから」

「分かりました」

 

話はこれで終わりだと達也はそう受け取った。

 

「コーヒーごちそうさまでした」

 

葉山と真夜に一礼し、達也は部屋を後にした。

 

 




続きます。


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四葉継承編6

本日2話目。

長くなってしまいましたが、四葉継承編はここまでです。

甘い話が書きたい(/・ω・)/
十師族会議編は甘さ増量したい。



達也が部屋を去った後、真夜は昨年11月上旬の出来事を思い出していた。

横浜事変の後始末、灼熱のハロウィンで四葉家内部も隠蔽工作に忙しかったが、この日の来訪者に四葉家は静かな緊張に包まれていた。

 

「よい茶葉ですね」

「口に合ったのならばよかったわ」

 

四葉家の中でも最上の来客のために用意された応接室で、真夜が対面していたのは九重悠だった。

 

九重家は四葉家にとって特別な意味を持つ。

かつて真夜と七草弘一の縁談に苦言を呈したことも一因となっているのか、それとも都市伝説めいた噂話がそうさせるのか、気の抜けない相手であることは間違いないことだった。

 

「最近はゆっくりお茶を楽しむ時間もあまりなくて、こちらこそありがとうございます」

 

世間は未だ横浜への大亜連合の特殊部隊の侵攻と朝鮮半島で起きた謎の大爆発のニュースに持ちきりだった。

それに関しては四葉も四楓院も無関係ではないことでもあり、悠の話の内容次第では真夜が指示している達也や深雪の個人情報の操作についても方針を変更する必要がある。

達也と国防軍との関係は秘匿すべきものであり、朝鮮半島の爆発も日本の非公開戦略級魔法師であると他国に嗅ぎ付けられるのは困る。

既にUSNAが調査名目で日本に魔法師を派遣しようと外交で圧力をかけてきており、水面下で日本は胃の痛い交渉に臨んでいると真夜は耳にしている。

 

「それで、私にお願いだなんて一体何をさせる気かしら」

 

悠がこのタイミングで現れたことに、真夜は警戒しないわけにはいかなかった。

お互い表面上はにこやかに会話をしているものの、部屋の空気はいつ荒れてもおかしくはない静けさを保っていた。

 

 

「その前に確認を一つさせていただいてもよろしいですか」

「何かしら」

 

悠はゆったりと持っていたカップをソーサーに戻した。

特に意識していなくてもそれだけで絵画が成立してしまうかのような細部にまで気品の漂う所作だった。

 

「深雪ちゃん、調整体でしょう」

 

悠は恐ろしく整った優美な笑みを携えたまま、まるで明日の天気を尋ねるかのような気軽さで真夜に質問を投げかけた。

いや、質問の体裁を取ってはいるが、あくまで確認といったように悠にはなんの疑問も驚きも浮かんではいない。形式上の確認作業だった。

 

「あら、どうしてと言う問いは貴方には不要ね」

 

深雪ですらまだ知らない、四葉家でもまだごくごく限られた者しか知らない真実を悠は簡単に告げて見せた。

自身の声に驚きは滲んでいなかったが、真夜はこの時点で警戒のレベルを引き上げた。

 

真夜にとって衝撃は大きかったものの、すぐさま千里眼ならば深雪が調整体であることなど知っていても不思議ではないと感情を鎮静化させる。

千里眼の能力のすべてを知るわけではないが、文字通りこの国のことならば現在だけではなく、過去未来すら全て見通せると噂されている。秘密は全て知られているという前提でありながら、不用意なことは口にはできない。

 

「ここからは私の推測ですが、彼女は達也の伴侶となるべく肉体的にも霊体的にも調整された。調整によって近親間での遺伝子異常も精神的な異常も発生しない。しかし、異常は発症しないとしても最善、最良の相手ではない」

「仮にそれが事実だとして、貴方のお願いと関係があるのかしら」

 

悠の推測はまさに事実と変わりないものだった。

現状、真夜はただ深雪が調整体であるという事実だけで、悠が揺さぶりをかけてきているわけはないことは分かっている。

深雪が調整体であることは表沙汰にされれば確かに四葉にとっては不利益を被る部分もあるが、仮にそうなったとしても雅と達也の婚約が内密に決まっているため、九重も無傷では済まない。

雅と達也の婚約解消の名目に使えなくはないが、そもそも二人の婚約は九重から持ち掛けられたものであり、当初の真夜の計画を考えれば四葉にとっての不都合は軽微なものだ。

 

「深雪さんを私の妻にしたいと考えています」

「本気?」 

「ええ」

 

真夜の予想とは全く異なった回答に、それが嘘や冗談の類のものではないことは聞くまでもなく悠の眼が語っている。

 

「調べてみます?遺伝子の相性」

 

ある意味究極のプライバシーとも言える遺伝情報を解析してよいなどとは普通、一般人であっても魔法師であっても口にするものではない。特に魔法師の遺伝情報は文字通り国の魔法師研究の一端であり、仮に研究所出身ではない家系であったとしても軽々しく調べてよいと言うべきものではない。

遺伝情報があればどんな疾患を抱えているのか、将来どんな疾病にかかる可能性が高いのか、さらに提供されたサンプル次第ではクローンだって生み出すことができる。

しかも調べるのは悠ではなく四葉家が行っても良いという事に、悠の本気度が伺える。

 

「貴方なら最良だと?」

「私が語るより結果を見た方が納得されるかと。雅の遺伝情報もお持ちなのでしょう」

 

確かに四葉家は雅の遺伝情報も悠の遺伝情報も所持している。

悠が口を付けたカップに付着した唾液からも遺伝子サンプルは採取でき、当然雅のサンプルも同じように保管されている。

当然、四葉家にはその遺伝情報を秘密裏に解析する設備と人員があり、配偶者として相応しい遺伝子のパターンを導き出すことも可能だ。

 

「もう一つ聞くわ。なぜ深雪さんなのかしら」

 

このタイミングであることも不可解だ。

九重家として考えるならば雅と達也の婚姻ではなく、次期当主である悠の婚姻を優先するはずだ。

雅と達也の婚約は先々代当主の千代が結んだことだが、悠と深雪の縁は見えなかったという事なのだろうか。それとも意図してこのタイミングでの申し出であるのか、今の段階では判断が付かなかった。

 

悠は真夜の言葉に少し驚いたように目を丸くして首を傾げる。

少々彼にしては子どもらしい仕草だったが、演技めいた素振りのない自然な仕草だった。

 

「恋に理由は必要ですか」

 

そして至極当然と言わんばかりに悠は優美に微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

数週間後、真夜は秘密裏に調べた二組の遺伝子鑑定の結果を受け取った。

結果は単純に個人が持っている遺伝的な要素の特性だけではなく、仮に達也や深雪の配偶者とした場合、生まれてくる子どもの魔法師としての可能性も記されていた。

対象については検査をする者もごく限定し、かなり秘密裏に行ったため、その混じりけのないデータと分析結果は真夜の背筋を凍らせるのに十分だった。

 

真夜は結果が表示された紙を机に放り投げ、天井を仰ぎ見た。

 

「ふふふふっ………あはははははははは」

 

最初は零れるようにして小さく、やがてまるで少女のように高らかに真夜は笑った。

傍に控えていた葉山の記憶にある限り、このように彼女が高笑いどころか大声をあげて笑う様を見ることは随分と久しいことだった。

 

「奥様」

「ごめんなさい、葉山さん」

 

葉山に一声かけられ、一息ついた真夜は目尻に溜まった涙をハンカチで拭った。

一瞬乱心したかと錯覚するような見事な笑い様であり、落ち着いた今でも真夜の眼は興奮が冷めていない。

 

「九重の【千里眼】。私は見誤っていたようね」

 

いつからだろう。

いつからこれは編まれた(意図)だろうか。

10年、20年ではない。

30年以上前に真夜を大漢から救ったことも、あまつさえ空木譲の犠牲も、この時に至るための布石であったように、もしかするとそれより遥か遠くから、千里眼は見ていたのだ。

魔法師の中枢の一角、その中でも四葉家(触れてはいけない者たち)を抑え、やがて世界を破壊する力を持った達也(戦略級魔法師)を抑えるその術を。

それに至る道筋を。

 

「そのための四楓院家『守護職』かと」

「ああ、確かにそうね」

 

彼女は巫女でも、舞姫でもなく、この国の守護を任ぜられた。

時に刃としてこの国を敵から守り、時にこの国が抱える刃の鞘となる。

いずれ世界に復讐するための魔法からこの国を守るために生み出された。

 

「彼女も同じだったのね」

 

彼女もまた、達也のためだけに生まれたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――

 

 

2097年、元旦。

慶春会の朝は使用人だけではなく、客人である達也や深雪もめまぐるしく忙しかった。

朝早いことには二人とも慣れているが、流石に和風着付け人形とされ他人に全て着付けをされるという作業には慣れなかった。

他人に衣装を着せられることは達也は勿論のこと、艶やかな振袖となると帯も堅いため、深雪一人では難しい。

達也は断固拒否したが、更に化粧までされるとなると疲れは倍増し、1時間経ち身支度が終了したところで深雪も達也も早くも帰りたいという感情が頭を占めていた。

 

一度控室に通され、呼ばれたら広間へ向かうようだ。

控室には夕歌、文也と亜夜子がおり、達也と深雪が入るとすぐに案内役である水波が文也と亜夜子を連れて行った。

待ち時間の間、夕歌から不可解なアドバイスをされたのが気がかりだったが、達也と深雪も待ったと思わない程度の時間に呼ばれることとなった。

 

「次期当主候補、司波深雪様及びその(おん)兄上様、おなーりー」

 

水波の口上に、達也は膝が崩れかけ、深雪も笑いを堪えるためかこめかみが引きつっていた。確かに夕歌の忠告がなければ、みっともない姿をさらす羽目になっただろう。

さらに使用人が一斉に平伏するのを見て、ひょっとしてどれだけ表情を取り繕えるのかという試験なのではないかと達也が現実逃避をしてしまうほどだった。

 

達也と深雪は早々に、所作だけは丁寧さを注意して膝を付き、一礼する。

達也と深雪が案内されたその席にざわめきが起こる。

しかも達也が深雪より真夜に近い席にいるため、達也には鋭い視線がいくつか向けられている。深雪としては非常に腹立たしいことだが、祝いの場であるここでそれを注意すべくもなく、感情を落ち着かせることに神経を割いていた。

 

達也の正面には新発田勝成と堤琴鳴がおり、こちらは席順で言えば勝成が3番目、琴鳴が5番目に位置する。和装の勝成は堂々と座っているが、隣の琴鳴は居心地の悪そうにも見える。

 

「皆様、改めまして、新年おめでとうございます」

 

席がすべて埋まったところで、金糸の豪奢な刺繍のされた振袖の真夜の声がざわめきを一瞬にして止め、続いて来客が合わせて「おめでとうございます」と祝いの言葉を揃えて口にした。

真夜はその様子に満足げに左右を見回した。

 

「今日は新年のお祝いもありますが、合わせて三つのおめでたい話題を皆様にお伝えすることができます。私はこれを心より嬉しく思います」

 

真夜は視線を勝成に向けた。

 

「まず初めに、この度、新発田家の長男、勝成さんと堤琴鳴さんが婚約されました」

 

これにはいくつかのざわめきが起こった。

どうやら「まさか」というより「やっとか」や「ようやく」という声が多く、二人の関係性を真夜が認めたという事に対してのざわめきのようだ。

 

「これから先、楽しい事だけではなく、色々と苦労も多いでしょうが、今は二人の前途に祝福をお願いします」

 

会場から拍手が沸き上がる。

真夜の”苦労も多い”という言葉に頷いていた者たちも多く、どうやらこの者たちは勝成支持とみても問題ないだろう。

拍手が収まると、真夜は視線を深雪に向けた。

 

「もう一組、婚約が調(ととの)いましたことをお伝えます」

 

真夜の言葉には予想外の者が多く、年齢からみて夕歌だろうかと視線を向けたり、逆に次期当主候補筆頭と目されている深雪かと勘ぐる視線が飛び交う。

文弥や亜夜子に向けられる視線がないわけではないが、誰なのだろうかと二人とも我関せずといった態度であるため、早々に視線は外れる格好となった。

真夜の言葉を待つかのようにざわめきが下火になったところで、真夜は焦らすようにゆったりと間を取った。

 

「司波深雪さんに、九重家次期当主、九重悠さんとの縁談の申し出がありました。四葉家としてはこれを受け入れ、正式に二人の婚約を結ぶ運びとなりました」

 

一瞬の静寂の後、今までにないざわめきが広がった。

真夜が手を挙げて制すると、無駄口は一旦止んだ。

話題の中心となっている深雪は粛々と真夜の方を見ており、隣に座った達也には昨夜の動揺からは抜けたように見えた。

 

「これは四葉家と九重家の婚姻になります。達也さんと深雪さんを私の甥と姪であることを公表し、魔法協会を通じて正式に発表する予定です」

「失礼ながら真夜様」

 

真夜からの発表はまだ途中だったが、新発田家当主の(おさむ)が前のめり気味に食って掛かった。

 

「なんでしょうか」

 

不躾だと言われかねない行動だが、真夜は理の発言を許した。

 

「深雪さんが九重家に嫁ぐため、司波達也と九重家の長女との婚約は破談となったということですか」

「いいえ。達也さんと雅さんの婚約についても正式に発表されます。九重家からの要望で魔法協会への発表は1月14日になりますので、二組の婚約についてはまだ内密にお願いいたします」

 

決して漏らすことのないようにと真夜の言葉には圧力が滲んでいた。

九重家はこの時期非常に忙しいため、少し時期が落ち着いてからという事、まだ主だった家々に内々の発表が済んでいないこともあり、2週間後の発表となる。

 

「次期当主候補が一人減りましたので、次期当主の選定を見直し、新たに司波達也さん、黒羽亜夜子さんも次期当主候補とします。皆様の関心事でありました次期当主につきましては、数年を目途に指名いたします」

 

使用人も含め、ここにいる者たちは真夜の意図を察した。

九重の直系を嫁入りさせる相手が、ただの分家当主や護衛役ということはいくらなんでも外聞が悪すぎる。最低限、四葉家が用意できる最高の地位となれば四葉家当主に他ならない。

その証拠と言わんばかりに達也が真夜に次いだ位置に席を設けられていることからも伺えるだろう。

 

次期当主候補の一人である新発田勝成に調整体魔法師との婚約を認めたことから分かるように、真夜に彼を次期当主にするつもりがないことも同時に理解できる。

 

いくら真夜が達也を当主に据えるつもりだと言外に示しているとはいえ、達也のことを出来損ないだと軽んじていた者や達也の持つ力を理解する者たち、罪の意識を持つ者にとっては、表面上取り繕ってもいきなり敬うことはできない。

達也にとってこの場で向けられる視線は慣れたものだが、これがいずれ嫁ぐ雅にも注がれることになると考えると気分のいいものではない。

宴会の場であるため、不穏当な視線を咎めるつもりはないが真夜の言う通り、少なからず分家当主の承認は取り付けておくべきなのだろう。

 

 

 

 

その後、余興がてら達也が見せることになった新魔法『バリオン・ランス』の威力に、敵に回すべきではないという認識を植え付けられたことはこの慶春会数少ない収穫だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

慶春会を終えた達也と深雪は、1日は四葉家本宅に宿泊したが、2日目の昼には東京の司波家に戻っていた。

達也が急に変わった使用人の態度に嫌気がさしたのと、急に次期当主として真夜のお気に入りとなっている達也に媚び諂おうとする者が出てきたため、早々に荷物を纏めて帰宅することとしたのだ。

 

交通渋滞とは無縁とも言える現代のインフラであっても、年末年始は多少混雑は避けられず、幸いピーク時ではなかったため、席も確保することができた。

 

深雪は自分の部屋に戻り、部屋着に着替えるとようやく一息付けた気がした。

31日に真夜に告げられた悠との婚約以降、深雪はどこか自分が夢でも見ているような気分だった。

いっそ非現実的な夢ならば夢だとは思えるのだが現実的でありながら、実際起きていることが腑に落ちない奇妙な感覚を味わっていた。

緊張からそう感じるのだろうが、これまで自分が抱えてきた葛藤は何だったのだろうかという気にもなる。

 

仕方のないことだと理屈では分かっていた。

兄と姉のように、困難がありながらも支え合い、思い合える素敵な関係が築ける相手だなんて憧れながらも夢見ていられないことは知っていた。

それでも選ぶことは許されないと理性が冷や水を浴びせてきた。

いくら淡い期待を持ったところで儚い希望に過ぎない。

諦めて心を殺すことで自分を保っていた。

 

自問自答するしかない、兄にも姉にも告げられない、心の滓を悠にだけは口にできた。

それはなぜなのだろうか。

友人たちにはとても気軽に話せない自分の複雑な立場を知りつつ、自分よりももっと重い九重家という次期当主という地位を持っていたからだろうか、年上の包容力というものがあったからだろうか、それとも神のごとき(かんばせ)にまるで懺悔している気分だったのだろうか。

 

深雪には分からない。

悠の真意が分からない。

なぜ、自分を選んだのか、そもそもどうして自分なのか、一体いつから決めたことだったのか。

深雪は荷解きも途中だった鞄の中に入れた桐の箱から手のひらに乗る小さな陶器を机に置いた。悠が深雪に“おまじない”として渡した口紅だった。

慶春会の当日に、仕上げのために重ねて使ったが、豪奢な衣装に負けない強い発色をしていた。

しかしひんやりとした陶器は何も語らない。

 

深雪は溜息をつくと、紅を元の箱に仕舞い、化粧台の棚に入れた。

 

気分転換にお茶でも入れようかと深雪が部屋を出ようとしたところで、携帯端末が着信を告げた。

友人からの新年のあいさつはすでにメッセージアプリで元旦に届いている。

特に電話なら殊更珍しい。

 

深雪を心配した雅からならば良いが、まさか婚約を知らされた父だろうかと嫌な予感が過りつつも、ディスプレイに表示された名前に深雪は小さく喉を鳴らした。

表示されていたのは【九重 悠】という文字だった。

タイミングが良いのか悪いのか、予想をしていなかった相手に深雪は混乱する。

電話のコールが1回響くごとにまるで心臓の音まで大きくなっていくような気がしていた。

そのコールが6回目を告げたところで深雪は半ば勢いで通話を押す。

 

『もしもし』

「悠お兄様っ」

 

掛けてきた相手はまさに悠だった。

深雪はさらに心臓が早鐘を打つのを自覚する。

 

『あけましておめでとう、深雪ちゃん』

「おめでとうございます」

『驚いた?』

「驚いたどころではありません」

 

深雪の動揺などまるで手に取ったように、電話口で悪戯が成功した子どものように忍び笑いをする悠に思わず深雪の声は大きくなる。

 

『嫌だった?』

「誰もそんなことは申してはおりません。そんなことではなく、悠お兄様は――」

 

深雪はそこまで言葉にしたところで、口を噤んだ。

自分は何が聞きたいのだろうか。

先ほど思っていた疑問が次々に頭の中に再度浮かんでくるが、どれも電話で聞くべきことではないような気がしていた。

 

『まだ混乱しているかな。顔合わせが12日にあるだろう。その時にゆっくりと時間は取ってもらえそうだからその時に』

「……分かりました」

 

九重家から深雪と悠の婚約の申し出はあったものの、それは真夜との非公式の会談の結果であり、体裁上の顔合わせが必要となる。

1月12日、真夜や達也と共に出向き、正式に顔合わせを行う予定になっている。

深雪にも確かに冷静に受け止める時間が必要だった。

 

『そうそう。この前は言い忘れていたけれど、僕が口紅を贈るのは後にも先にも深雪ちゃんだけだよ』

 

悠はじゃあ、またと言い残すと通話を終了した。

電話を掛けてきたのは悠だが、この三が日にあまり時間がない中、掛けてくれたのは深雪でもわかる。その気遣いは理解できるが、できるならば婚約について叔母の口からではなく、悠の口から聞きたかったものだと心の中で悪態を付く。

 

ふと深雪は悠の残した言葉が気になって、その場で端末で贈物としての口紅の意味を調べてみた。そして深雪は達也が声を掛けるまで部屋から出ることは無かった。

 

 

 




感想、誤字脱字の指摘ありがとうございます。

寒い時期ですが、皆様体調にはお気をつけて良いお年を。


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師族会議編
師族会議編1


前回、皆様体調にお気をつけくださいと言っていたのですが、鯛の御頭は人生初のインフルエンザでしばらく浜辺に打ち上げられていました。
体調が悪い時に文章を作ると、文章が全く整いませんね。
書いては消して、消しては書いての難産でした。何時にも増してシーンがかなりコロコロ入れ替わります。

1シーズンで2回インフルエンザになる人もいるらしいので、この冬まだまだ気が抜けませんね。




新学期を翌日に控えた1月7日の夕刻。

雅は京都から東京へと戻り、司波家に足を運んでいた。

 

「二人とも中々連絡が取れなくてごめんなさい。遅くなったけれど明けましておめでとう」

「おめでとう。今年もよろしく頼む」

「こちらこそよろしくお願いいたします、お姉様」

 

3人とも実際離れていた日数より、こうして顔を合わせるのは随分と久しぶりな気がしていた。深雪や達也からすれば年末からの騒動と元旦の慶春会での発表で気を揉んでおり、雅もまた神楽と年末年始の行事に追われ、更に主だった親戚への婚約内定の発表もあり、目まぐるしく忙しかったため、体感としては実際の日数より多くの日が掛かったように思えていた。

 

「その……なんというか、驚いたでしょう?」

 

雅は申し訳なさそうに言葉を選んだ。

何についてなど今更聞かなくても深雪も達也も分かっていた。

 

「ええ、とても驚きました」

「私も28日に知らされたのよ。信じられる?」

 

雅は呆れ顔で隠しもせずため息をついた。口ぶりからするに、悠に振り回されたのは雅も同じだったようだ。

 

「お姉様にも本当に秘密だったのですね。ですが、叔母様の口から聞かされた私の身にもなってください」

「ロマンチックなプロポーズは後日に期待しましょう。流石に深雪に何も語らないほど人でなしではないとは思うわ」

 

不貞腐れてみせる深雪に、雅はいつも通りに髪を梳いてやりながら宥め聞かせた。

リビングには3人掛けのソファがもう一台向かい合わせであるというのに、三人は向かい合って座るのではなく、一つのソファに雅を真ん中にして座っていた。

使用人らしくキッチンに控えていた水波は、仲の良すぎる義理の姉妹についてはこの1年で散々見せつけられたので、既に慣れてしまっているが、例えばここに下品なクラスメイトがいたら花の名前を囁き合っていたことだろうと思考を飛ばしていた。

 

「悠お兄様も人が悪いですね」

「本当よ。親戚を集めての発表も大変だったんだから」

 

流石の雅にも声に疲れが滲んでいた。

生まれた時から九重家次期当主としてほぼ確定していた悠の婚約者の地位は、四楓院を初めとした有力な縁戚関係者のみならず、古式魔法師の家々は元より十師族や百家、さらに非魔法師の名家からも申し出があった。千里眼の星巡りは自身で見つけることが内々の仕来(しきた)りとなっているため、悠は長年その相手を公表していなかったどころか相手が分かっていることすら内密にしていた。

世界的な情勢が不安定な方向に傾きつつあるこのタイミングでの婚約発表、それも兄妹揃って四葉家に縁がある者となれば一波乱起きても不思議ではない。

 

「深雪の名前はまだ出していないけれど、四葉家当主にごく近い存在だという事は伝わっているわ。聞いているかもしれないけれど、12日の土曜日に両家の顔合わせをして、14日の午後には魔法協会を通じて正式発表するみたいだから、覚悟しましょう」

「分かりました」

「それと今更かもしれないけれど、今後私たちに向く目も増えるから私が司波家に居候という立場はよろしくないそうよ」

 

雅が学校に届け出ている住所は司波家ではなく、九重家所有のマンションの一室である。実態としては司波家とそのマンションを行ったり来たりしている生活ではあるが、深雪たちの立場が明らかになるに伴い、今まで以上に行動が注目される。多少の滞在ならば問題はないだろうが、年頃の男女が同棲しているというのはいくらなんでも外聞が悪い。

 

「大丈夫なのですか」

 

深雪が案じているのは、例え雅が九重家という名前に守られていたとしても、達也との関係が明らかになれば四葉の恨みを買う者から襲撃を受ける可能性がないわけではないということだ。現在は登下校の大半は達也や深雪と一緒であるため、仮に襲撃があったとしても対処はしやすかったが、一人の時間が増えるという事はそれだけ狙われやすくなる。

雅自身、魔法戦闘にも長けているため軽々しく手出しをできる者がいないとはわかりつつも、深雪の心配は尤もであった。

 

「元々セキュリティの高い物件で、部屋の方も魔法的な防御も父が仕掛けたものだから問題はないと思うわ。あとは伯父に目を光らせてもらうっていう事で話が付いているわ」

「師匠にはもう話が通っているのか」

 

3が日の内に九重寺には深雪と達也で挨拶に出向いているが、多少達也が雅との関係を揶揄われた程度で、四葉家のことを追及された記憶はない。

知っていて無反応なのは何か思惑があってのことだろうが、元々腹の内を読ませる相手ではないため、知っていたかどうかは今のところ判断が付かない状態だ。

 

「出家しているとはいえ、私の伯父であることに変わりはないから、今日のところで母から話が行っているはずよ。兄の相手が四葉家に縁のある人物という事は伝えているけれど、深雪だという事は正式な発表を待ってからになると思うわ。私もこの後挨拶に行く予定なの」

「事情は分かりましたが、お姉様と過ごせる時間が減ってしまうのは少し残念です」

「私だって寂しいわ。でもその分、深雪は今のうちに思う存分お兄様に甘えておくといいわ」

「分かりました」

 

雅が悪戯顔で深雪を唆せば、深雪は達也を見ながら同じように悪戯顔でくすくすと忍び笑いを漏らす。

達也にしてみれば雅と過ごす時間が少なくなった分、深雪がどのような行動をとるのかという事は予想の範囲内だった。

 

「それと、これはうちのお兄様から深雪に」

 

雅は比較的大きなサイズの紙袋を深雪に手渡した。紙袋の中は更に箱のようなもので包装されているが、外側にブランド名がないことからおそらく市販品の類ではない。婚約話云々で驚かせてしまったことを含めた、悠から深雪へのご機嫌取りとみて良さそうだ。

 

「深雪、俺は雅を送ってくるから部屋に上がって見てきたらどうだ」

 

悠からと聞いて、深雪は澄まし顔を気取りながらもとっさに緩んだ頬に嬉しさを隠しきれていなかった。

中身が気になるのか、ややそわそわとしていることも達也にはお見通しだった。

 

「九重寺までは自動運転の範囲内だ。今からコミューターを呼ぶより早いだろうから、送っていくよ。それに師匠がどこまで知っているか気になる」

 

司波家には自家所有のロボットカーがあり、自動運転の範囲内であるため移動には免許は必要としない。幸い九重寺も自動運転の範囲内であるため、コミューターを捕まえるより手間は少ない。

 

「じゃあ、せっかくだからお言葉に甘えるわね」

 

当然、雅にも深雪の焦れる心の内はお見通しで、達也の提案に了承すると深雪は申し訳なさそうにしながらも、どこか嬉し気だった。

 

「お兄様、今日は少し遅めに夕食をご用意いたしますので、私たちのことは気にせず先生とお話してきてくださいね」

 

それならば、と深雪も兄と姉が少しでも一緒にいられる時間を増やせるように言葉を添える。

深雪に気を使われると、やはり雅としては気恥ずかしいところだった。

 

 

 

 

 

 

 

1月8日、火曜日。

 

新学期初日のこの日は、晴れ渡る快晴ながらも、風は手がかじかむような寒さであり、時折風が強く吹くときもあった。

 

この時期となると三年生は既に自由登校のため、改札を通る生徒は以前より少ない。

雅と達也、深雪の3人は人通りが2学期と比べて少なくなった学校へと続く道を歩いていた。水波も改札を降りたところまでは一緒だったのだが、クラスメイトがいたため、そちらに合流して今は別々に学校に向かっている。

 

「新しいガウンだけれど、よく似合っているわ」

「ありがとうございます、お姉様」

 

深雪はその場でくるりと回って見せた。まるでファッションショーの一幕のような可憐な動作に、思わず他の生徒が足を止めるほどだった。

 

女子生徒が着用を許可されているインナーガウンは、月・花・雪のいずれかのデザインと基本の型紙こそ決まってはいるが、公共良俗に反しないならば、生徒が独自にガウンの色やそれに施す図柄を決められる。勿論いくつか既にデザインされたものの中から直接購入する生徒もいるが、テーラーマシーンが安く一般に貸し出されているため、オリジナルを作ったところでそれほど手間もお金もかからない。中には友人同士でお揃いのものにしたり、季節に合わせてデザインを変えたり、憧れの先輩からデザインを引き継ぐ生徒もいる。

 

ちなみに男子生徒にはそのような自由に選べるガウンなどはなく、精々ジャケットの下に着るベストが数種類あるだけだ。

深雪や雅も何着か自分好みのガウンを持っているが、深雪が今、身にまとっているのはその中でも特に意匠が凝らされていた。

 

「図案化されているとはいえ、五十里先輩や幹比古あたり、分かる人には分かるんじゃないか」

「分かったとしても納得するだけの理由があるならいいんじゃないかしら」

 

一見分からないようになっているが、インナーガウンの柄は厄除けのための魔法陣になっている。白から若緑のグラデーションの下地に、雪輪柄と雪華模様をモチーフにしたデザインが散りばめられており、雪和柄の中には紗彩模様が描かれているなど少し和のテイストも入れ込まれているが、特定の線や模様を繋げると厄除けの図柄になるように配置されている。

術としてはかなり高度であり、尚且つ刻印も目立たないように上手に隠されているため、よほど魔法幾何学や魔法陣に精通していなければ分からない仕様になっているが、分かる者には随分と手の込んだ守りを固めていることは分かってしまう。

 

「あら、お兄様。似合いませんか?」

「そんなことはない。よく似合っているよ」

 

これが悠からの贈物という点に釈然としないが、この頃可愛いというより大人びてきた美しさが滲むようになった深雪には上品さと可憐さを兼ね備えたデザインだった。デザインとして月を用いることもできただろうが、使わなかっただけ悠も遠慮や自重の気持ちはあるのだと、達也は自分を納得させていた。第一、深雪が喜んでいることに達也は水を差すつもりはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新学期は始まったが、雅が会頭を務める部活連はしばらく活動自体に余裕がある状態だ。

3年生の部活動の引退は部によって異なるが、本格的に2年生が主担当となり活動が始まるのは2学期からであるので、すべての部活は既に新体制に移行している。防衛大や警察学校の魔法科に進む3年生の中には体力づくりや魔法戦闘の訓練のため、所属していた部活動に顔を出す者もいるが、基本的に運営は2年が行っている。

 

来年度の予算要求についても部活連が取り纏め、昨年中に生徒会に提出しているため、予算の配分結果が生徒会から提示されるまでは定期の活動程度であり、目立って忙しい予定はない。その定期活動の一つである部活時間中の見回りについても、既に新しいシフトについては部活連の委員に電子データで配布されている。

 

「あけましておめでとう、九重さん」

「おめでとう。今年もよろしくね、十三束君」

「なにか冬休み中に問題でもあったかしら」

 

昼休みの時間になって十三束と五十嵐がB組を訪ねてきていた。

冬休み期間中の部活動の揉め事や陳情などもそれほど多いわけではないので、役員の雅もしくは十三束や五十嵐のところに直接持ち込まれる。

 

「いや、特に大きなことは無かったよ」

「僕の方も何も連絡はないよ」

 

端末で連絡しても済む内容だっただろうが、二人とも律儀に挨拶を兼ねてわざわざ教室まで出向いたらしい。

 

「マーシャルマジックアーツは、寒中稽古ってあるのよね」

「強制じゃないけど、2日に初稽古は終わったよ。寒中稽古っていっても、流石に雪の中とか上半身裸でマラソンとかじゃないけど、指導に来たOBの一人が防衛大の教官だったから、結構厳しかったかな」

「年明け早々ハードだね」

 

力なく笑う十三束君の遠い目に、五十嵐君は同情の目を向けていた。

 

「おっ、十三束君と五十嵐君じゃん」

「明智さん」

 

エイミィが雅の机のところへと寄ってきた。

新年のあいさつを交わすと、エイミィは嬉々としてお菓子の袋を取り出した。

 

「さっき購買で買ったんだ!よかったらどうぞ」

 

赤と白の手毬模様の大粒の飴が三人に配られた。

 

「ありがとう。可愛いわね」

「でしょ。受験シーズンだから購買で結構そういう商品多くなっていたよ。あと雅って飴なら大丈夫?」

「これからしばらく舞台はお休みだから大丈夫よ」

 

新春の大きな舞台が終われば、雅の次の舞台の出番は3月となっている。無論、その間にも先々の舞台に向けた稽古はあるが、2月には古典部の発表もあるため、雅としては1か月舞台がない月があるかないかで心構えは大違いだった。

 

「あ、そっか。九重さんのところはそれこそお正月が本番か」

「有難いことに、報道の影響はそれほどなかったみたいで例年と変わらない賑わいだったわ」

 

思い出したように言った十三束に、雅はわざとらしくため息交じりに笑って見せた。

魔法師を取り巻く国際的な情勢は厳しく、日本もその例外ではない。

九重神宮の宮司が魔法師であることは調べればすぐにわかることではあるが、元々京都に古くからある名の知れた神社であり、地元の基盤は強く、それほど参拝客の足は遠退いてはいなかった。また麗しすぎる神職と噂になった悠を一目拝んでみたいという興味半分の参拝客も今年は多かったのではないかと、冗談半分で言われていた。

 

「皆はあいさつ回りとか初詣とかは行ったのかしら」

「スバルと初詣には行ったよ。ウチは親戚も海外だったり、遠方だから挨拶はメールか電話で終わりだね」

「僕のところも挨拶回りと新年会はあったけど、一応部長だから2日の稽古の日は免除されたよ」

 

エイミィや十三束に続いて、五十嵐も似たようなものだと答えた。

 

 

「そういえば、十三束君のお母様って、今は魔法協会の会長よね」

「そうだよ。協会の会長は百家で持ち回りだからね」

 

雅がそう尋ねると、十三束は少し恥ずかしそうに頷いた。

日本魔法協会の会長任期は1年間であり、今期は十三束の母である十三束翡翠が務めている。

 

「今年は師族会議もあるから大変ね」

「正月に帰ってきたときに流石に愚痴ってたよ。今年は平穏でありますようにってね」

「任期は7月からなのよね。引継ぎをしてすぐ夏の九校戦の種目変更があったし、論文コンペの時も本部が開催の主導だから随分と忙しい1年だったんじゃないかしら」

「そうそう。厄年だよ、本当に。九重さんのところでお祓いでもしてもらったらいいかな」

「お気軽にどうぞ。今年もお世話になると伝えてもらえると嬉しいわ」

 

来週すぐまた忙しくなることは目に見えていたが、その理由を十三束に伝えるわけにもいかず雅は心の中で謝罪をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1月12日、土曜日。

 

魔法科高校ではカリキュラムの都合上、土曜も祝日も基本的には授業があるのだが、この週は珍しく授業のない土曜日であった。

今回の九重家、四葉家、両家の顔合わせは黒羽家が諜報の一環で使用している静岡県某所にある料亭を貸し切りで使用することになっている。

両家の距離があることに加え、東京ではいくら用心していても人目に付きやすく、逆に京都に近いところでは九重の婚姻について探っている者たちの目につく可能性があるため、このような形が取られることとなった。

 

両家顔合わせという名目だが、達也と深雪の実父の龍郎やまして継母の小百合には婚約のことすらまだ知らせていない。

14日の正式公表に合わせて、龍郎には連絡が行くことになっているが、本人たちからではなく、四葉家の使用人から伝えられる手筈となっている。

顔合わせには四葉家として叔母である真夜が参加していた。

 

「本日はお忙しいところお時間を頂きまして、このような場を設けていただきありがとうございます」

 

そもそも顔合わせと言っても双方知らない間柄ではないため、形式上、悠が進行を務め、会食の方は、当たり障りない話に終始した。

料理は料亭らしく懐石料理となっており、口紅が落ちにくいようにと配慮されているのか、一口で食べられるようにしながらも見た目も美しく切り揃えられている。

量は成人男性には物足りないだろうが、着物で腹部が圧迫されている女性のために少量で品数が多くなっている。

 

「後は二人でゆっくりとお話もしたいでしょうから、私たちは別のお部屋に行きましょうか」

 

会食も一通り終わり、一息ついたところで雅と悠の母、桐子がそう切り出した。

 

「そうですね。雅さんもこの頃お忙しかったようだから、達也さんと一緒がいいわよね」

 

真夜は雅を気遣っているようだが、大人は大人で話があるため、外すようにということだ。

 

「お心遣いありがとうございます」

 

達也は雅を伺うと、予想していたことだったのか、特に困惑はしていなかった。

 

「お隣のお庭は椿が咲き始めたそうよ」

「そうですか。では、少し見て回ってきます」

 

真夜にそう提案された達也は、大人達の会談の内容が気になりつつも大人しく従うことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部屋には悠と深雪だけが残された。

料亭の人数も給仕については人数をかなり制限しているため、人の足音もしない。

都市部の喧騒からも少し離れているため、日常から切り離されたような静けさが部屋に満ちていた。

 

「約束通り、聞きたいことがあれば答えるよ」

 

悠はいつも通りまっすぐ深雪を見ながら優美に微笑んでいた。

 

 

深雪にとって悠はどういう存在なのか再度思案する。

九重家次期当主であり、【千里眼】の異能持ち。

九重神楽の稀代の舞手。

現代魔法を使うところはあまり見たことは無いが、あの雅をして未だ底を知らないと言わしめる実力者であると聞いている。

深雪や光宣のような作り物ではない、まさに天の采配の末、この世に誕生したとしか思えない神のごとき美貌。

深雪の敬愛する雅の兄であり、達也のことも深雪のことも少なからず可愛がってくれている。

幼少期に遊んだ記憶は深雪にほとんどないが、深雪が中学以降のころには達也が京都に出向いた時のことを内緒で教えてもらっていた。

じれったい達也と雅のことで、何度か相談したこともあれば、自分の懺悔を告白したこともある。

何度か一緒に出掛けたこともあるが、とても紳士的だ。

深雪に意地悪を言うことはあっても、決して嫌な言い方ではない。

天邪鬼のような深雪の態度も、恥ずかしげもなく可愛いと繰り返す。

甘やかされているのだという事は深雪にも分かる。

 

だが、知っているようで、深雪が悠について知っていることはそう多くはない。

 

「いつから、私のことを?」

「深雪ちゃんのことを?」

 

悠はゆったりと言葉の続きを待った。

悠に深雪が言いたいことを分からないわけがない。

悠が分かっていながら聞いていることを、深雪もまた理解していた。

 

「いつから、私のことをその……想ってくださっていたのですか」

 

深雪は尻すぼみになりながら言葉を選んだ。

直接的な言葉ではないにも関わらずこれほどまで緊張してしまうものかと、深雪はやけにうるさい心臓を押さえつけていた。

何とか目線だけは逸らさないようにしているが、悠からの言葉はまるで審判を待つかのように思えた。

 

千里眼に見通せないものはないと言われている。

深雪の葛藤だってきっと彼には手に取るように分かっている。

それでいて悠は全く緊張も動揺も見せないものだから、自分の質問が間違いだったのかと不安になり深雪は逃げ出したくなるような衝動に駆られていた。

 

「何時からって言われたら、君が生まれた時からかな」

「そんな」

「初めて顔を見た時ね、ああ僕はこの子と結婚するんだなあって漠然と思ったんだ」

 

悠の声には、堪えきれない嬉しさが滲んでいた。

 

 

深雪には知られていないことだが、九重悠は凪の海のようだと称される。

この世の者とは思えないほど左右の均整が取れた美貌に、名家の跡取りとして恥じない洗練された所作。

大学こそ受験しなかったものの、高校時代は常にトップの成績を維持し、また舞台稽古で鍛えられているだけあって細いなりに体にはしっかりと筋肉が付いている。

光り輝かんばかりのその顔立ちとその経歴や家柄に普通の人ならば距離を取ってしまうのだが、話をしてみれば冗談を交えたり、さらりと時事ネタを盛り込んだりと話はウイットに富んでいる。

そしてなにより、彼が感情を荒らげた場面があるかと彼を知る者に問えば、記憶にないというほど彼は穏やかな人物だった。

サラリと皮肉を交えることがあっても、それもまた美しさの中に孕んだ茨を彷彿とさせる。

凪の海のように、穏やかで美しく、心地よい雰囲気にこちらも自然体でいることができる不思議な相手だと言われる。

 

「だから待ったんだよ」

 

神のごときと称されるその顔が、この世の春を手に入れたかのように微笑む。

 

 

「16年間、ずっと」

 

 

だが、凪の海だとしても、そこは海である。

穏やかに見えて底が深く、小さな人間には計り知れない。

そして海には昼もあれば、夜も存在する。

空が黒雲に覆われ、風が轟轟と飛び回り、波が飛沫を上げる嵐の時の海よりも、凪の海は暗く、まるで闇に引き込まれるように静かで恐ろしい。

飲み込まれたら最期、どちらが上かさえ分からず下へ下へと降りて死に至る。

そんな危険を秘めている。

それでいて月の光を反射する凪の海は、夜空の星屑を散らすように美しい。

 

 

「深雪ちゃんは僕のことが好き?」

「分かりません。けれど、尊敬しております」

 

小首を傾げて尋ねる悠に、好きか嫌いかというならば、深雪は悠のことは好きだった。

ただこの感情が恋愛感情かどうかということは、深雪は分からなかった。

身を焦がすほど心のすべては悠で占められているというわけではない。

この顔をみていると胸が忙しなくなるのも、整いすぎた顔立ちにときめかない女子などいないからだ。

身近な年上の男性に、思春期特有の憧れを恋という感情に錯覚しているという可能性もある。

だから、まだ深雪は悠を好きだと、この感情が恋なのだとは言えなかった。

 

「本当に?」

「―――分かりません」

 

深雪の頑なな様子に悠はゆるりと目を細める。

 

「可愛いね」

「悠お兄様は意地悪です」

「そう?………嫌いになった?」

「いえ、そんなっ」

 

悠がしょんぼりと眉を下げ、あまりにも悲しそうな声で問うので、深雪はとっさに否定してしまったが、それは墓穴を掘る行為に他ならなかった

その証拠に悠は悲し気な顔から一転、先ほどと同じように愛おしいものを見るように穏やかでありながら楽し気な笑みを浮かべている。

 

「……やっぱり意地悪です」

 

深雪の口から出てくるのは、やはり小生意気なことばかりだった。

悠はそんな深雪の様子さえ可愛らしいと微笑んで見せる。

 

「深雪ちゃん」

 

深雪の名前を呼ぶのはどこまでも甘い声だ。

普段から祝詞を読み上げていることもあり、よく磨かれた声は深雪に耳から指先まで甘い痺れをもたらす。

 

「僕に君の名前をくれるかな」

 

あの日、彼は重すぎる深雪の名前を取ることができると言った。

その意味を深雪はようやく理解した。

 

「あら、名前だけでよろしいのですか」

 

おどけた様に笑いながらそう言うことが、深雪の精一杯の強がりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

達也と雅の玄関までの案内は、使用人として同行していた水波が務めている。慶春会と異なり、今日の水波は旅館の職員と似た色味の着物姿だった。

 

「達也様、雅様。庭の方には茶室がございますので、そちらをご用意しております」

 

どうやら料亭らしく庭を見ながら茶を楽しむことができるように、茶室が建てられているらしい。

外は身の引き締まるような寒さだが、日差しは温かく、風も穏やかであったが、大人たちの話し合いがどれほどになるか分からないため、時間をどう潰すか達也としては考えていたところだった。

 

「分かった。適当に見て回ったら、そちらに向かう」

「畏まりました」

 

水波は二人を庭まで案内すると、一言申し出でてから茶室の方へと向かっていった。

よく手入れされた庭は喧騒から隔絶されたように静かで、良く晴れた冬晴れの空は澄み渡り遠く雪化粧した山々まで見渡すことができる。

冬の時期で花は少ないが、聞いていた通り赤と白、ピンクの椿が蕾を膨らませていた。

 

「タイミングを逃してしまったが、振袖よく似合っている」 

「ありがとう」

 

今日の雅は振袖姿であり、白地に桜や菊、牡丹など色とりどりの花々と、縁起物の扇が描かれている。達也は着物の審美眼があるわけではないが、一点ものと言われるような名品であることは確かだった。

外に出るという事で、達也がクリスマスプレゼントとして贈ったストールも羽織っている。

 

「雅はあちらで何が話されているか知っているか」

「詳しくは聞いていないけれど、兄がしばらく国内外ともに荒れるって言ってたからたぶんその話だと思う。詳しい内容はまだ私も教えてもらっていないけれど、何かしら大きな事件が起こることは覚悟しておいた方がいいかもしれないわ」

 

達也の視線は本館の方を向いていた。思案しているように見えて、付き合いの長い雅にはどことなく達也が所在なさげにしているように見えた。

 

「それより深雪が気になる?」

「気にならないわけではないが、悠さんに聞きたいことも溜まっていただろう。深雪が納得できればそれで十分だよ」

 

ここ数日、口に出すことは無かったが、深雪があれこれ思い悩んでいたことを達也は見ていた。

 

「達也としては、やっぱり複雑かしら?」

「悠さんに不満はない。俺が語るのも可笑しな話かもしれないが、深雪なら九重の中でも立ち回っていける。深雪は俺に守られているだけの女の子ではない。そう分かっていたつもりだったんだが、俺は深雪の色々な表情を知っているようで、実はそれほど多くを知らなかったんだなと思ってな」

 

データという意味で言えば、達也のほかに深雪のことを深雪以上に分かっている者はいない。パーソナルデータだけではなく、日々のCADの調整の結果、達也は深雪の情報をデータとしてはよく把握している。

実際一緒に生活するようになったのは、中学生になってからだが、それよりずっと前から達也は深雪のことを見てきたし、深雪のことを守ってきた。深雪を守るために生かされてきた。

好き嫌いも、主義主張も、達也や雅の前だけで見せる子供っぽい仕草も、献身的な姿も、優しい心根も、達也は見てきた。

けれど、深雪が悠に抱く感情を、向ける視線の意味を、達也は分からないふり、気づかないふりを無意識にしていたのかもしれない。

 

「ちょっと寂しい?」

 

茶化したように尋ねる雅に、達也は眼を丸くし、足を止めた。

 

「―――そうか。寂しいのか、俺は」

 

まるで独り言のように、達也は息を吐きだした。

達也の胸にあるこの言いようのない漠然とした空白は、悠と深雪の婚約を聞いた時も、達也が知らない深雪の表情を見た時にもあった。その感情に戸惑い以外の感情があるのだとしたら、きっとそれは寂しさに他ならなかった。

何時か手放さないといけないことは知っていた。

少なからず、深雪のその手を達也以外が取る日が来ると分かっていた。

それでも直面してみれば、心の方はまるで追い付いてはいなかった。

深雪以外に強い感情を持てないように魔法で制限されているから仕方のないことだと言ってしまうこともできる。

それでも、どうしようもなくその感情は達也の胸に居座っている。

理性的に状況を判断できたとしても、本当の意味での納得という事は達也にはまだできそうになかった。

 

「寒くなってきたし、中に入りましょう」

 

雅は静かに達也と手を重ねた。

なぜかいつもよりその手は小さく感じた。

 

 

 




この続きも書いていたのですが、話として乗せるには続きが書ききれていなかったので、次回。この次はようやく甘い話です。

感想、評価、誤字脱字の報告ありがとうございます。特に感想は毎回ドキドキしながらお待ちしております。




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師族会議編2

冬ってなんでこんなにチョコレートが美味しいんだろう(´・ω・`) (おなかのお肉をつまみながら)


前回書ききれなかった甘い話です。直接的な表現を使わずに、甘さを出そうと思えば曖昧でわかりにくく、直接的に書けばなんか稚拙に思えてしまう今日この頃。脳内補完よろしくお願いします。

感想、誤字脱字報告ありがとうございます。これから、前回のお返事返していきます。



料亭は小さいながら旅館も兼ねており、達也たちはそのまま宿泊してから東京に戻ることになった。

翌朝から仕事のある悠やその両親は京都に戻ることとなり、真夜も若い人たちだけの方が楽しいだろうと葉山を連れて四葉家へと戻っていった。

 

これから先、旅行らしい旅行もしにくくなるだろうからという真夜からのプレゼントらしいのだが、間違いが起きないとは分かっていながらも達也としては素直に喜べないものだった。後日、真夜から根掘り葉掘り聞かれることは覚悟しておいた方が良いのだろう。

 

 

 

 

 

達也は用意された部屋に誰もいないことを確かめてから戸を開ける。玄関からその先の襖を開けるとその場で敷居をまたぐことなく、思わず足を止めた。

 

室内の内装は高級感がありながらもどこか落ち着く、昔ながらの和室ではあるのだが、そこには布団が一組だけ敷かれていた。ただし枕は二つある。

布団も明らかに一人で寝るには大きすぎるサイズであり、部屋も薄暗く、行灯の光だけが室内を照らしている。

完璧に用意されている状況に達也は思わず頭を抱えそうになる。

 

「達也?」

 

背後から雅の声がして振り向いた。

廊下から続く戸を開けたところで、達也がいることに驚きと困惑を浮かべている。

 

この料亭には小さいながらも温泉があり、雅と深雪はそれを堪能していた。風呂上りで肌は上気しており、長い黒髪もまるで絹のように艶やかに整えられ、ゆるく簪でまとめられている。

旅館備え付けの浴衣にも関わらず、雅が身につけているとまるで彼女のために用意されたかのようだった。結い上げられた首元から少し緩めに合わせられた胸元の白い肌が、薄暗い室内ではやけに目についた。

 

「私、部屋間違えた?」

 

雅がいる位置からも布団の敷かれている室内が見えたのか、目を瞬かせていた。

 

「―――おそらく、叔母上の采配だろう」

 

雅もこの部屋だと伝えられたという事は、意図的に同じ部屋になるように部屋割りされたのだろう。

深雪は既に部屋に向かっており、どうやら達也たちの部屋とは随分と離れた位置に案内されているらしい。深雪ならば離れていてもおおよその位置は精霊の眼を使わなくとも達也には把握できるため、雅にも悟られることは無かった。

 

「一応弁明させてもらうが、俺が入った時には既にこうなっていた」

「達也が冗談でこんなことはしないと分かっているけど………」

 

新婚旅行みたい、という雅の小さな呟きは達也の耳にも届いた。

 

「そうだな。もう少し先の話だったな」

 

達也がそう返答することは意外だったのか、自分から言い出したことなのに雅は頬を染め上げた。単に風呂上がりだから、というわけではないことは達也にも分かっていた。

 

「ひとまず、立ったままもおかしいだろう」

 

雅は昨日の夜遅くに京都に戻り、今日も朝早くから準備に追われていたはずだ。あまり休めてはいないだろうから、早めに休ませた方が良いだろうと達也は雅を室内に促した。

 

 

 

 

 

結局、雅と達也は同じ布団の中にいた。

今日も早朝から起きていたにもかかわらず、雅は中々寝付けずにいた。

室内の行灯の電源は切られ、室内は障子から差し込む月明かりで薄暗い。

都会の往来の賑わしさもなく、とても静かな夜だった。

 

落ち着いて寝るには良い環境であるはずなのに、それができないのは隣にいる達也の存在がどうしても気になっていたからだ。

達也と雅がもっと幼いころは、同じ布団で寝せられていたこともあった。

しかし、小学校にも上がるような年齢になると布団も部屋も分けられるようになり、雅が司波家で滞在していたときも同じ布団で寝起きしていたことはない。

 

僅かに聞こえる自分以外の呼吸音と、布団の温かさ。隣に誰かがいるという状況に体は疲れているはずなのに、やけに目は冴えてしまっていた。

雅が何度目かになる寝返りをしたところで、横にいた達也がゆっくりと目を開けた。

 

「ごめんなさい。起こした?」

「いや、柄にもなく俺も緊張しているようだ」

 

申し訳なさげに謝る雅に達也は笑みを零した。

 

実はこの状況、全くどうにもならなかったわけではない。

仲居を呼び、もう一組布団を用意してもらうという方法も取れただろう。だが、期待と不安と緊張を織り交ぜた雅の瞳に達也はこのままでいいのではないか、とつい魔が差してしまった。

雅も冷静になればそのくらいは考え付いただろうが、表面上は落ち着いて見せても、内心混乱でそんな余裕は全くなかったのだろう。

 

室内の物は念のため一通り確認したが、薄いゴム製品の入った小箱だけは全力で見なかったことにして、雅の目に入らないように隅の方へと押しやってある。

雅に対して達也がそういうことをできないことは真夜も知っているにも関わらず、こういった物が置いてあるのはこれも配慮という名前の達也に対する嫌がらせのように思えてきた。

 

そういうこともあり、達也もなんとなく落ち着かず、完全に眠りに入るという状態にはならなかった。

 

「嘘」

 

そんな達也の心情を知らない雅は冗談だと思ったようで、呆れ顔で笑う。

信頼されていると喜ぶべきなのだろうが、あまりに無防備なのは達也としては面白くない。

 

「そんなことない」

 

達也は布団の中で雅の手を取ると、手首に温かく柔らかい唇を落とす。

 

「自制しているだけだ」

 

暗闇の中で確かに視線が交わり、雅は射すくめられた。

握られている手が熱く、ふと気付くとかなり近い距離に達也がおり、雅は思わず布団の中で後ずさりをするが、達也は逃げる雅の腰にそっと手を回す。

鼓動まで聞こえてきそうなほど距離を縮めると、雅が緊張と驚きに小さく体を震わす。薄い浴衣越しに伝わる体温に、雅の頭は沸騰しそうになっていた。

 

「達也、あのっ」

「大丈夫、何もしない」

 

この状況でそのセリフ自体はなんとも安心できないフラグが立ちそうなものだが、あまりにも穏やかな声で達也がそう言うものだから、雅は僅かな戸惑いを見せたのち、体の力を抜いて達也に(しだ)れかかる。

達也はするりと雅の背に流れる黒髪に指を通す。

 

 

「―――喜ぶべきなのだろうな」

 

ぽつりと達也はそう呟いた。

 

「深雪があの家から解放され、少なからず思っていた相手との結婚が叶う。兄としては祝福して送り出すべきなのだろうが、同時に雅には重いものを背負わせることになる」

 

達也としては、自分が次期当主の跡目争いに巻き込まれることは全く予想していなかった。

四葉家では使用人を中心に、深雪が次期当主として筆頭と目されており、口にはしなくても他の候補者も本心で深雪に勝てると思いあがるような愚かな者はいなかった。

 

深雪を支える立場として今後も達也はしばらく四葉家に使われることは分かっていたが、いずれはその支配から逃れる算段を付けていた矢先に次期当主候補としての指名を受けた。

しかも対外的に自分が四葉家当主候補であると示すという事は、四葉家次期当主が真夜の口から明言されていなくても、真夜が達也を当主に据えたがっているということは目に見えている。雅との婚約も合わさってその真実味は増すだろう。

 

「次期当主候補の方は悠さんと叔母上に丸め込まれたようだ。内心はどうあれ、少なからず自分が当主の座から外れることに文句はないが、分家の現当主はそもそも俺を認めてはいない」

 

戦略級魔法を抜きにしても、どれだけ見積もっても魔法師として優秀と言い難い達也自身が候補に挙がる事すら分家はまだ認めていない。

例え一方的な罪悪感から達也を四葉家で管理しつつその中枢からは遠ざけようとしても、当主である真夜が達也の存在を公にするとなれば、分家が達也以外に手を出してくる可能性は無視できなかった。

 

「雅にも害が及ぶかもしれない」

「私が弱くはないって知っているでしょう」

 

雅は絡められた手を強く握る。

達也の隣に立つことを望んだその時に覚悟は決めていた。

例え深雪がいたとしても、孤独で困難な道を彼一人で歩ませることは雅にはできなかった。

哀れみではない。

同情でもない。

彼の手を取り、同じ方向を見据えて、この先を生きていくと決めたのは雅自身だ。

そのために必要なことは雅自身、身に着けてきたつもりだ。

達也を操るための傀儡に成り下がるつもりは毛頭ない。

迷いのない雅の言葉に、達也は腕に力を籠める。

 

「―――例えそうであったとしても、手放すことができない俺を許してくれ」

 

今の達也と共にあることが、決して雅にとって安寧と幸福を得られると断言できるわけではない。むしろ困難に直面する機会の方が多いかもしれない。

だが、例えそうだとしても、自分以外の他人が雅の手を取り、微笑み、それ以上の何かを許される関係になることにひどく嫌悪感を覚える。

雅の幸せを主軸にしない、なんともエゴイスティックな考えに達也自身呆れもするが、それでも考えは変わらない。

そして傷一つ付けさせるつもりもなければ、鳥籠に押し込み枷をつけさせることを許すつもりもない。

 

「俺には深雪だけいればよかったはずだったんだがな」

 

弱弱しくも嬉しさが滲む達也の言葉に、雅は一瞬息を忘れる。

 

「ねえ、それって……」

 

じわりと雅の目元が熱くなる。

人の心は良くも悪くも変わるものだ。

達也には深雪だけいればいいと思うように魔法がかけられている。

深雪以外は大切に思えないよう、強い情動を司る部分を縛られている。

雅のことは大切だと思いたいと思ってくれるだけで、それだけで雅は報われていた。

しかし、その魔法も解けかけてきている可能性があると達也から聞いてはいた。

 

雅が確かめるように達也の顔を見つめると、緩く微笑む瞳と交じり合う。雅の目からあふれる涙を達也は拭うと、夢ではないと示すように吐息を重ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1月14日 月曜日

 

達也と深雪の存在が四葉家から公表され、さらに九重家との婚約も正式発表される今日。

学校のある時間を考慮して、魔法協会には15時に知らせが届くように設定されており、少なくとも今日一日の学校生活は平和に送れていた。

この安穏とした生活が畏怖と奇異の目に晒されるようになるかと思うと深雪の気分は憂鬱だった。

 

「心配?」

「ええ、少し」

 

知らず知らず幾度目かになる深雪のため息に、帰宅中のキャビネットの中で心配そうに雅が問いかけた。

 

「深雪が恥じるようなことは何もないでしょう」

「いえ、ですが私はお姉様まであの家のせいで中傷を受けることにならないか心配なのです」

 

深雪自身、いずれ公表される日が来ることは理解していた。

それはまだ仕方のないことだと割り切れる。世間からなんと思われようと、間違いなく深雪は四葉家の人間であり、どうあったとしてもその事実は変えようがない。

しかし、心配なのは深雪たちのせいで雅までもが避けられてしまうことだ。

 

「リーナが言っていたでしょう。『才能も、容姿の美しさも、家柄も、それらはすべて贈り物であり、それらを誇ることは決して美しいことではない。卑しくそれらに媚びる者たちを貴方は友としてはいけない。どんな絶望の底に落ちたとしても、背筋を伸ばして前を見て歩めば自然と貴方は真の友を得ることができるでしょう』って。

これで離れるようなら友達から、友達だった人に変わるだけよ。それに私の、雫やエリカたちと友人でいたいという気持ちに変わりがなければ、あとは向こうが結果を示してくれるわ」

 

雅はそう答えながら、優しく深雪の背を撫でる。

 

魔法協会を通じての公表は、二十八家と百家の名門どころに絞られているとはいえ、一高全体に広まることも時間の問題だ。

近しい友人にも語ってはいない深雪と達也の出自に、昨日と何も変わることなく今まで通り接してくれるという甘い考えを抱いていない。

 

達也としては、雅の言うとおり離れてしまうならそれまでの関係と割り切ることはできるし、無駄な感傷もおそらく抱かないだろう。

むしろ友人たちに避けられることで、深雪や雅が心を痛めることの方が懸念すべきことだった。

 

「でも信じてはいるけれど、私も少しだけ不安よ」

 

深雪の手前、大丈夫だと言って見せても雅も不安が全くないわけではない。二人に近い雅も根掘り葉掘り聞かれるか、遠巻きに見られることは覚悟している。

部活連会頭という立場上、生徒間で話し合うことも多いのでそれに支障がなければいいと頭では言い聞かせても、深雪や達也がそのような奇異の目で見られ、雅を見る目もまた一変するかもしれない状況を心に細波を立てず受け入れることは到底できそうもない。

 

「距離を置かれたら寂しいし、辛くなると思う。だからもし教室や生徒会室の居心地が悪いなら、お昼は別のところで一緒に食べましょう。先輩から穴場は聞いているから」

 

いつものように食堂に集まって皆で昼食を食べるという事も出来なくなるだろう。それがしばらくのことになるのか、これからずっとのことなのか、友人たちの振舞い方次第だ。

だから雅も深雪も待つしかないのだ。

 

 

 

 

 

 

自宅に一度戻り、私服に着替えると司波家所有のロボットカーで九重寺へと向かう。今日の訪問は事前に伝えていたので、高弟に案内されると、八雲は既に茶の用意をして待っていた。

 

「改めて婚約おめでとう」

「ありがとうございます、師匠」

 

八雲は点てた抹茶を三人の前に順に置いた。

正式な茶会ではないため、三人とも平服であり、また簡単な菓子と茶だが、この形式をとっている以上もてなしているという八雲の姿勢が伺える。

 

「達也くんと雅くんについては、前々から知っていたとはいえ、深雪くんと悠くんとの婚約は流石の僕も驚いたよ」

「伯父上の御耳に入らなかったとなれば、兄もしてやったりといったところでしょうか」

 

情報通の八雲の耳にも悠と深雪の縁談については入っていなかったようで、婚約に関する情報についてはかなり制限されていたことが伺える。

雅は家族の中では比較的遅くに知らされたが、本人から口に出されるまで相手が深雪であるとは予想もしていなかった。

 

「まあ、それはまた本人にも問い詰めるところさ。深雪くんに馴れ初めを聞いても面白そうなところではあるけれどね」

「師匠」

 

舌なめずりに鋭い眼光、口にはいやらしい笑みを浮かべた八雲に思わず深雪の笑みが引きつるのを見て、達也はそれが冗談と分かりつつも釘を刺した。

 

「おっと、失礼」

 

飄々と頭を叩いて見せるが、悪びれてはいない。

2杯目を点てながら、八雲は話を進めた。

 

「僕の知る限り、かなりの速度で君たちのことは広まっているよ」

「そうなのですか」

 

深雪が小さく驚きとともに問い返した。

 

「そりゃあの謎多き四葉の情報、それも次期当主候補とその妹、さらにその婚約者がそれぞれ名門九重神宮の直系となれば騒ぎにならない方が不思議じゃないかい。このタイミングでの発表に注目は集まって然るべきだろう」

 

今日、魔法協会を通じて、二十八家と主だった百家には次期当主候補である達也の存在とその妹の深雪、さらに九重家との連名で二組の婚約も発表された。

八雲は雅の母であり八雲の妹である桐子から今朝、この事実を聞かされたばかりではあるが、事情が事情なだけにそれからすぐ各所の出方を注視していたのだ。

方法やルートについては秘密だと言われたが、確かな情報であることは間違いないのだろう。

 

「雅くんはこの後あいさつ回りかい?」

「太刀川と佐鳥の家にも挨拶をしに行く予定です」

 

太刀川も佐鳥も四楓院家に関わる家の名前で九重家から今日のところで正式に雅と悠、それぞれの婚約について知らせは行っているが、雅は九重神楽の稽古でも普段世話になっているため、今日のところで報告に行くことにしている。

 

「達也くんも同席するのかい?」

「いえ。深雪を一度自宅に送った後、風間少佐に報告を」

 

魔法協会を経由している以上、軍の方もなんらかの形で九重家と四葉家の発表は入手しているだろうが、それはそれとして達也は報告に行くべきだと考えていた。

達也は四葉家次期当主候補として、表立って軍には協力はできないが、四葉家と独立魔装大隊との利害が一致する限り、協力関係は続けることになっている。

逆に言えば、隊の編成などが行なわれ、首脳陣が入れ替わり、信用が置けない場合は軍から手を引くことも考えてはいるが、横浜事変をはじめ独立魔装大隊の功績が認められたとして、1月に風間をはじめ多くの士官が昇任しているため、しばらくは部隊構造に大きな変化はないと風間から聞いている。

それと共に、国際情勢の不安定化に伴い、東アジア地域のどこかで中規模の軍事衝突が起こる可能性が高いという分析がなされていることも聞いていたため、連絡は密にしておく方がよいと達也は考えていた。

 

「そうかい。なら雅くんの方は僕が付いていこう。あちらには久しく出向いていないからね」

「師匠が?」

「この婚約に反対の声もいくつか既に上がっているからね。目に見える形で警戒していることは分からせるべきだということだよ。他人がどうこう言う権利はないけれど、それでも四葉や京都の九重へのパイプが欲しい連中は多いんじゃないかな」

 

要するに達也や深雪、もしくは雅や悠に誰か別の婚約者を当てようと目論む者がいるということだ。

雅には九島光宣や芦屋充が長年思いを寄せていたことは達也の知る所でもあり、四葉という名前に深雪や達也にも他の十師族からも婚約の申し出があるとも限らない。

 

「いきなり無体を働くような所はないと言いたいけれど、魔法師自体に今は不満が燻ぶっている状況だ。師族会議もあるから気を引き締めておきなさい」

「分かりました」

「それから達也くん。明日から少し厳しく鍛えてあげるから、そのつもりで」

 

達也は目を見張った。八雲は今回の一件は気にせず、達也が四葉家との関係が公になったとしてもこれまで通りの関係を続けるという事だ。

姪である雅が四葉に縁付くとなれば八雲も無関係とはいかないが、それでも今までと変わらない対応をするという八雲に、達也は僅かばかりの安堵を覚え、深雪は瞳を涙で潤ませていた。

 

 

 

 

 

 

 

1月14日 月曜日 午後22時

 

「ほのか、遅くにごめんね」

「平気、平気。それよりどうしたの?」

 

ほのかは北山家の雫の部屋にいた。

幼馴染である雫の家には幼いころからよく泊まりに来てはいるが、夕食も終わった時間に泊まりに来るようにと言われたことは初めてだった。

論文コンペ前のように何か危険でも迫っているのかと心配したが、そうではないが、重大な話があるという事で北山家の迎えの車に乗ることになった。

 

雫も夕食を終えていたので、二人で広いお風呂に入ると、あとはもう寝るだけの態勢になっていた。

重要な話があると聞いていたのに、あまりに緊張感のないいつも通りのお泊りに、ほのかは当初の目的を忘れそうになっていた。

 

「今日、四葉家から魔法協会を通じて主要な数字付き(ナンバーズ)の家に通知があったの。それをお母さんが昔の伝手で仕入れてきた」

「四葉家から?」

 

雫の口から出た名前を思わず聞き返した。

ほのかの父は有力な数字付きの部下であり、そもそもあまり会話はないのだが、幼いころに興味本位に十師族、それも四葉家のことを聞いた時の父の顔は、今もほのかの脳裏に焼き付いている。あれほどまで何かに恐れている父を見たことがなかった。絶望の底を覗き込み、狂気に触れたかのように『その話は止めろ!』と叫んだ父の声は、今まで聞いたことのないものだった。

だからほのかはその名前が雫の口から出てきたことに驚きを隠せなかった。

 

「そう。達也さんと深雪、四葉家当主の甥と姪なんだって」

「深雪と達也さんが!!??」

 

ほのかは大きなショックを受けていた。

ベットサイドに座り込み、目の焦点も定まっていない。

 

「そっか………。びっくりした。でも二人の才能も実力も四葉家なら納得かな」

 

だが、ほのかが放心していたのはそれほど長い時間ではなかった。

目の焦点も定まっており、どこかすっきりとした顔で雫との会話も問題ないように見える。

 

だが、ほのかに対し、もう一つ告げなければならないことがあった。

雫にはとても気の重い話ではあったが、ここで聞かなくてもどこかでほのかの耳には入るはずだ。だからこそ、余計に雫が話さなければならないことでもあると思っていた。

ほのかを泣かせるかもしれない。否、きっと泣くことが分かっているから気分が重く、尚且つ雫は自分が口下手であることを自覚しているので、どのように話すべきか言葉選びに時間がかかっていた。

 

「通知はもう一つあって、これは四葉家と九重家の連名なの」

「九重って雅の家?」

 

ほのかの口元は強張っていた。不安げに揺れる瞳が、雫からの言葉を待ちながらも、雫から発せられる言葉を恐れていた。

 

「達也さんは四葉家次期当主候補の一人で、雅と婚約。深雪は雅のお兄さんで、九重家次期当主と婚約が正式に決まったって」

「そんなっ」

 

ほのかは絶句した。

 

「現状、達也さんは当主候補だから次期当主に確定したわけじゃない。けど、雅が嫁ぐならほぼ当主として四葉家の意向は固められていると思う」

「四葉家当主に達也さんが?雅はそのために婚約?」

「どうして婚約が決まったかそこまでは分からない。けど、二人とも生まれる前からの婚約だって言っていたから、少なくとも雅は達也さんと深雪が四葉だって知っていたと思う」

 

雅と達也の婚約、それと深雪と雅の兄の婚約は法律上なにも問題はない。

珍しい事ではあるが、兄妹間や親族間のように忌避されるような血族の近さもなく、姻族間の結婚であるため、倫理上の不都合はない。

未成年であるため、まだ結婚までの時期はあるとしても、魔法師自体結婚時期は一般的な同世代と比べて早く、次世代を早く求められる傾向にある。

国力に直結する魔法師に関しては権力闘争の関係上、親同士が決めた結婚、高校生で婚約というのもまた決して珍しいことではない。

 

表の世界にも名が知られている神道系古式魔法の大家である九重家と十師族の中で情報があまりない中でも、頭一つ他の家を抜いていると言われる四葉家。この二つの家が結婚によって繋がりが強化されるとなり、さらに力をつけることは目に見えていた。

 

通知を受けた四葉家を除く二十七の家と百家のいくつかから、発信された情報は瞬く間に魔法師の間に広がっていた。

だが、そんなことよりも雫にとっては親友が抱える問題の方が大きなことだった。

 

「ほのかは、達也さんのことが好き?」

「好きだよ」

 

ほのかは即答した。

 

「婚約者が、……達也さんには雅がいるっていうのはずっと分かっている。何度も諦めようと思ったの。いけない恋だって。でも、私、達也さんを忘れることなんて……」

 

ほのかは堰を切ったように涙をこぼし、嗚咽を漏らした。

何度も諦めようとは思いながらも、それでも達也を目にするたびに高鳴る心臓に嘘は付けなかった。

雅の存在に何度も心を痛めても、何度優しい視線が雅だけを見つめていても、いつかその視線が自分だけに向けられることをほのかは夢見てきた。

 

1年生の夏までは、本人の口から婚約を聞くまで、二人が恋人であることは微塵も気が付かなかった。

だが、今は違う。

ベタベタと接触が多いわけではなく、歯の浮くようなセリフが飛び交うわけでもないが、二人は相思相愛であることは間違えようのないことだった。深雪にも見せていない、ふとした瞬間、達也が雅の前だけで見せる笑みを、ほのかは胸が締め付けられる思いで見てきた。

 

「ほのかがどれだけ達也さんを好きか、私は見てきたよ」

「雫……?」

 

諦めきれないと泣くほのかを諭すのではなく、非難するわけでもなく、雫は淡々とこの先を提示した。

 

「ほのかが諦められないって言うのなら、折り合いが付けられるまでアタックするのも一つの方法。でも、達也さんを諦める。これが一番ほのかが傷つかない方法」

 

三番目の方法として、ほのかが達也の愛人になるという方法もある。

だが、雫はこの考えをほのかに告げなかった。

できるだけ達也の特異的な魔法を引き継がせる子どもが欲しいと四葉も考えるはずだ。

 

そうなると雅以外の女性にも子どもを設けさせる方が手段としては早い。

だが、仮にほのかが選ばれたとしてもほのか自身は単に子を産むだけの存在で、雅という正妻がいるのであれば、ほのかと達也の間に子どもができたとしても雅と達也の子として育てられるだろう。

仮に四葉の欲するような子が産まれず、ほのかが母として名乗ることができたとしても、その子は達也の子として認知はされないだろう。

達也が認知しないというよりは、次期当主の子ではないという四葉の決定がなされるということだ。

どう転んだとしても、そこにほのかの幸せがあるとは考えられなかった。

 

「ほのかはどうしたい?」

「私は…………」

「まだ、達也さんのことを今はまだ諦められない」

 

自分の婚約者に他の女子が思いを寄せているなんて雅も気分がいい話ではない。今までだってどれだけ平気な顔をして、知らないうちに傷つけてきたことも多くあるのだと思う。

それでも雅とも友人でありたいとほのかは我儘に願った。ライバルとして、その前に立つ権利が欲しかった。

 

「きっと雅を傷つける。けど、達也さんに一番に愛されないのは嫌。可能性がゼロになるまで、何度でもアタックするよ。……たぶん、すぐには無理だけど」

「じゃあちょっとお休みしよう」

「恋愛に?」

「恋心に」

 

珍しく気障な雫の言葉にほのかは小さく噴き出した。

雫はほのかから離れて恥ずかし気にベットの隅に座り直した。

 




オマケというか、定番朝チュン

達也は明け方、はだけた雅ちゃんの浴衣の胸元に目が向いてしまい、その後目を閉じて必死に素数を数えていればいいと思うの。


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師族会議編3

前回作品を上げたのが、まだ雪の時期。もうすでに桜が満開……
春となってしまいました。

ちなみに桜餅は長明寺派こしあん党葉っぱは食べる会所属です(`・ω・´)。




1月15日 火曜日

 

四葉家、九重家の両家から重大発表があった翌日。

私は普段通り学校に登校していた。

 

最寄り駅は達也や深雪と同じではあるが、毎日待ち合わせをしているわけではないので、この日は二人の姿はない。否が応でも注目を集めてしまうだろうからと、二人から別々に行くことを提案されたため、時間をずらして少し早めに登校している。

 

始業までまだ随分と時間があるため、教室に着いたのは私が一番早かった。がらんとした教室に、少し安堵を覚えると同時に無意識に不安と焦りが生じていることを自覚した。

 

私も達也も深雪も、何も変わったことはない。

私は九重で、彼らは四葉。

そしてその関係性が公表されるだけだ。

それだけであるはずなのに、いつか明らかになることと分かっていたはずなのに、心に細波が立っているようで、何かをしていなければ落ち着かない衝動に駆られている。あれだけ深雪に大丈夫だと言ってみせても、実際のところ心穏やかにいられない自分が情けなくもある。

 

この時間を自習に当ててもいいだろうが、あまり集中はできないだろうし、クラスメイトに事実確認という名前の質問攻めにされる可能性もあるので、結局進まないだろうと一度起動しかけた端末をスリープモードに移行する。図書部の部室か部活連の本部で時間を潰して、できるだけギリギリに教室に来た方が良いだろうと、鞄を持って教室を後にする。

 

まだ空調の効ききらない校内はひんやりとしており、冬の朝日はまだ低い位置から差し込み、長い影を作っている。乾いた風が窓を打ち付け、カラカラに干からびた落ち葉を舞い上がらせている。登校する生徒はまだ(まば)らで、寒さに肩を竦めながら校舎に向かっている。

 

何の変りもない、いつもの光景だ。

昨日と今日で大きく変わることのない光景だ。

明日いきなり大学入試を迎えるわけではなく、テロリストが突入してきて戦場に変わるわけでもなく、ただの日常と呼べるそんな日の朝。

そうであるはずなのに、どこか今日と昨日とで違って見えるような気がした。

 

 

 

「あれ、雅。おはよう。随分早いね」

「おはよう。エイミィ」

 

部活連の本部に向かっていると、作業着姿のエイミィと鉢合わせした。彼女が所属する馬術部の馬の世話は基本的に生徒主体で行われているので、彼女は早朝から部活の仕事があったようだ。

 

「そうそう。司波君との婚約正式に決まったんでしょう。おめでとう!」

 

その話題に一瞬身構えてしまうが、すぐに彼女の屈託のない笑みに毒気を抜かれてしまう。

 

「ありがとう。もう知っていたの?」

「ウチには直接連絡があったわけではないけど、まあ色々と伝手でね。ビックリしたの半分、深雪と司波君なら納得なのが半分かな」

「そう」

 

伯父の言った通り思ったより、昨日の発表は魔法師の中ではそれなりに広まっているようだ。二十八家や百家の一部にしか知らせていないはずの事柄だが、そこから先は人の口に戸口は建てられない。

 

「あれ、浮かない感じ?マリッジブルー?」

「そんなんじゃないわよ。隠していたとか、嘘をついていたとか言われるかと思って」

「え?少なくとも雅は別に嘘ついてないじゃん。深雪と司波君の家のことは、仕方ないんじゃない。別に親を親だと呼べないとか、隠されて育てられるなんて陳腐な小説の中だけじゃないんだから」

 

確かエイミィの祖母は爵位を持つ貴族だったはずだ。彼女も名前にゴールディという家の名前を許されていることから、それなりに仄暗い世界を知っているのかもしれない。

 

「英国の魔法師も色々と事情があるのね」

「魔法を受け入れてくれる土壌はあっても、貴族社会の名残もあって、血統とかは結構気にする人は多いかな」

 

妖精や精霊信仰が根付いている英国では、魔法に対する憧れや期待はあるが、封建的な身分は未だに気にする人も多くいるようだ。

 

「それで、プロポーズの言葉は?」

 

エイミィは期待と好奇心に目を輝かせていた。

 

「……ナイショ」

「えー!!」

 

いつもと変わらないで接しようとしてくれる彼女の心持が私にはなにより嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

昼休みになると、達也と深雪はそれぞれ弁当を持参して、雅が予め連絡しておいた空き教室に来ていた。

念を入れて雅の手で人除けの陣も敷かれており、よほど強い目的意識を持っていなければ、教室の扉を開けようとは思わないような仕掛けになっている。なお、魔法の形跡は達也がピクシーに命令したことにより記録には残らないことになっている。

 

「クラスの方はどうだった?」

 

お弁当を一通り食べ終わった後、達也はそう切り出した。

深雪は少し考えた後、寂しそうに微笑んだ。

雅や達也に心配を掛けまいと辛さを押し込めているようにも見える。

 

「話しかければ答えてはもらえるのですが、どことなく避けられているという感じでした。話していてもどこか皆さん奥歯にものが詰まったような言い方で、遠巻きに見られていることの方が多かったです」

「俺は誰からも話しかけてすらもらえなかったな」

 

達也はそれほどクラスで話の中心になるような立場ではないが、困ったときには頼られる程度の関係性は築いている。薄々感じていた得体の知れなさの正体が明かされたことで、クラスメイトからはそれが腫物を触るような態度で遠巻きに見られている。

 

達也は人間があまり好きではない。それは自分自身も含めて。

最近まで深雪さえいれば達也には良かった。

他人という存在は物事を円滑に進めるためにはいた方が都合が良いというだけであり、都合がよいからこそそれなりに良好な関係を維持することが好ましいとは思っている。

 

だが、今回の一件は達也が歩み寄って解決する問題ではない。四葉という名前に一歩引いた態度をとることに無理はないと理解している。

しかし、達也自身はそうであっても、深雪や雅が肩身の狭い思いをすることはあまり気分の良いものではない。

 

「私の方はエイミィが結構気をつかってくれたから、そこまで居心地が悪いという感じではなかったわね」

「エイミィが?」

 

深雪は意外そうに問い返した。

 

「深雪と達也のことも驚きこそしてもそれほど悪いようには捉えていないと感じたわ。もしくは、分かった上で普段通りを気遣ってくれたのかもしれないけれど、無駄に根掘り葉掘り周りが聞いてくることもないから助かっているのは事実ね」

「そうなのですね」

「雫も発表のことは知っていたみたい。ほのかにはまだ今日は会ってないから分からないわ」

「登校はしていましたよ。ただ心ここにあらずというか、何というか痛々しいような様子でした」

 

深雪の不満げな視線が達也に向けられる。

流石に自分に対する好意には鈍いと自覚している達也でも、ほのかが未だに達也に恋愛の意味合いで好意を持っていることは把握している。達也としては何度か断ってはいるものの、ほのかはその気持ちを変えることは無かった。

 

「私たちの婚約が正式に発表されたこともそうだけれど、今は二人が四葉だと知って混乱している部分もあるでしょう。少し様子を見ましょう」

「時間が解決することもある。今はまだ悲観する時ではない」

「はい……」

 

深雪は二人の言葉を噛みしめるように頷いた。

 

「ですが、お兄様。きっとお兄様のことですから本当に時間が経つまで放っておくつもりなのでしょう。偶にはお兄様から歩み寄られることも必要ではないですか」

「参ったな」

 

茶目っ気たっぷりの深雪の指摘に達也は困ったように肩を竦めた。

 

 

 

 

 

 

水曜日の朝

 

九重寺では、八雲の宣言通り厳しい訓練が待っていた。

お決まりの弟子たちの出迎えの洗礼を受けた後、達也が相対しているのは、雅だった。

体格差のなかったころならば、達也が雅に転ばされることもあったが、上背も腕力も勝るようになってからは体術だけで言えば、達也は雅に勝っている。雅も幼いころから訓練を続けているため弱いわけでは決してないのだが、もはや八雲ですら単純な体術だけでは達也に勝利することは難しくなってきている。

師より強くなれば教わることは無いと、世間知らずだったころの達也ならば思うのだろうが、この体術に魔法が加わるとなると簡単にはいかない。

 

雅が顎をめがけて放った掌底を横にズレて躱すと、軸足を狙うように後方から切っ先を潰した俸手手裏剣が飛んでくる。

それを反対の足で横薙ぎに払うと、体勢を立て直す間に、早くも胴に一撃入れようと雅の拳が迫っている。

回避不能と判断し、掌でその拳を受け止めようと構えるが、十分威力を殺せる余裕があったつもりが予想外の速さで拳が掌に到達し、体重の乗った拳が達也の掌にぶつかる。

八雲に体内時間の感覚を惑わせる精神感応系領域魔法が使われたかと一瞬考えるが、仮装行列(パレード)の応用で位置を誤魔化していたのだろう。

幸い、加速魔法や硬化魔法を使用していない拳は達也に取ってみればそれほど脅威でもなく、そのまま突進してきた力を利用し、一歩下がって投げの体勢に入ろうとしたところで、やはり足元に俸手手裏剣が飛んできて、その場に縫い留められる。

 

達也は今、雅の体術の訓練に合わせ、援護射撃をする八雲の相手もしていた。意識の隙や次の動作に移る際の軸足に対し八雲は攻撃を仕掛けることで、達也の次の動作を封じている。

 

いつ飛んでくるか分からない手裏剣ばかりに気を取られていると、鬼気迫る雅の鋭い手刀が顔のすぐ横を通り過ぎる。

一瞬でも打つ手を間違えれば、決定打を叩きこまれる。

息つく間もなく二人から仕掛けられる攻撃に、達也は現状、凌いでいるとしか言いようがない。

 

雅から少し距離を取ると、下がった達也のすぐ近くその背には既に八雲が迫っていた。

八雲は援護のみで体術では手出しをしないと事前に言っていたが、全く近づかないとは言っていない。

だが、達也は八雲から向けられた拳を完全に無視すると、達也の正面から距離をつめてきていた雅の手首をつかみ、足払いを掛けて引き倒す。

既に八雲の姿は達也の背にはない。

 

「はい、今日はここまで」

 

八雲の声がかかったのは雅の後ろ、つまり達也の正面だった。

 

「最後の攻撃は中々面白かったけど、達也君のその眼は遂に仮装行列も見破るとは恐れ入ったよ」

「ヒヤリとはしましたよ」

 

最後の攻撃は達也の背後に仮装行列で偽りの八雲の姿を出現させ、そちらに気を取られている隙に決め手にまでもっていきたかったのだろう。

雅と特別な段取りもなしに八雲もそれに乗じて、自分の姿を意識から外すようにしていたので、仮装行列を見破ることができたのは八雲から感じる威圧の差程度しかなかった。

 

「雅は攻撃の流れをもう少し工夫するように。特に終盤、体力が落ちてからが単調になりがちだ」

「はい」

 

悔しそうに付いた土を払いながら、雅は肩で大きく息をしている。

冬だというのに額からは汗が流れ、濡れた黒髪が肌に張り付いている。

最初はきっちりと着込んでいた稽古着も、今は少し胸元が緩くなっている。稽古の間はそんなことは全く思わなかったが、寺という場に反して扇情的に見えてしまう。

八雲が弟子をこの場から排していたことは正解だったと言えるだろう。

 

 

「ひとまず汗が冷える前に着替えてくるといい」

「分かりました」

 

雅は八雲に一礼すると、寺から少し離れた居住スペースへと向かっていった。

 

 

「さて、達也君。少しいいかな」

 

八雲は寺の縁側に胡坐をかいて座ると、弟子が冷えた茶を持ってきていた。鍛錬後であるため、水分補給の意味合いもあるのだろうが、未だに八雲の表情は読めない。口元には笑みを浮かべてはいるが、それが必ずしも達也にとって良い知らせであるとは限らない。

早朝という時間、この後学校があることを鑑みて、達也は八雲の隣に腰を下ろし、茶を受け取る。

 

「古式魔法の派閥がこぞって四葉と九重の婚姻に反対しているようだ」

「こぞってとは、ずいぶん不穏当ですね」

「おや、驚かないんだね」

 

既に耳にしていたのかと問う八雲に、達也は首を振った。

 

「予想はしていました。九重の血筋に四葉という血が入ることが許せない人物も少なくはないでしょう」

 

魔法という技術が表舞台に現れる以前、九重にはいくつもの高貴(・・)と呼ばれる血筋との婚姻がある。

日本でも有数の歴史を誇る名家である九重家と、研究所出身であり、かつ何かと正体不明で色々と黒い噂の絶えない四葉家との婚姻には内外から反対があることは簡単に予想できることだった。

 

「どちらか片方だけならまだしも、人質交換のように娘を嫁がせるのはいかがなものかと抗議が上がっているんだ。悠君が重い腰を上げたと思えば、その相手は四葉の直系。しかも妹も四葉に嫁ぐとなれば、婚姻を目論んでいた家々は大慌てさ」

「慌てたところで口出しできる家はそう多くないとは思いますが」

「だから団結して抗議なのだろうよ」

 

一つの家だけならば言い掛かりにしかならないが、四葉という家の印象を良く思っている者の方が少ない。運が良ければ、九重の近縁からも同意が得られる話ではあるため、強気に出ているのだろう。

 

「九重の方には改めて二木家と芦屋家からそれぞれ悠君と雅君に婚約の申し出があったそうだよ。他の家も基本的にこの提案を支持している」

「元々アプローチはかけていた家ですね」

「君たちのところにも色々と申し入れがあったのかい」

 

子どものような好奇心を覗かせてみせながら、八雲は問いかけた。

 

「一条家から深雪に対して縁談話がありました」

「おや、あのクリムゾンプリンスが。いやはや。深雪君も隅に置けないねえ」

 

八雲はクツクツと笑いながら、茶を啜る。

 

「無論、深雪には受ける気はないようですが」

 

達也の冷たい視線を受け、これは失敬と、八雲は飄々と取り繕う。

 

「乱暴な手立てを取ってくるとは思わないが、足元を掬われることがないようにと忠告しておくよ」

 

この場合、雅や深雪に無体を働くというよりは、達也に対してなんらかの汚点をつけて婚約そのものを破談させてしまうということなのだろう。

 

「用心します」

 

達也の返答に満足げに八雲は頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

木曜日

 

校内の空気は相変わらず。

初日よりは少し落ち着いたものの、まだ好奇の視線を向けられることに変わりはない。

中には哀れみのような視線を私に向けてくる人までいる始末だ。

教室での雰囲気もどこか取り繕ったような、居心地が良いとは言えない状態が続いている。

そんな折、今は自由登校中の古典・図書部の3年生から校内にあるカフェテリアに呼び出された。

 

「九重さん、司波君との婚約おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 

名目としては婚約祝いということらしく、先輩方からランチをごちそうになることになった。

 

「ささやかですが、お祝いです」

 

マリー先輩から手渡されたのはナッツの蜂蜜漬けだった。

ガラスの瓶がハートの形になっており、見た目にも可愛らしい。

 

「蜂蜜酒は自重したよ!」

「お心遣い感謝します」

 

夏目先輩が良い笑顔で親指を立てるが、私は笑顔を引きつらせないようにする方に気を取られていた。

ハネムーンの語源はHoney Moon(ハニームーン)であるという説があり、新婚の夫婦は蜂蜜酒を嗜みながら初夜に励んでいたという謂れからきている。

未成年なので、ナッツの蜂蜜漬けになったのだろうが、中に入っているアーモンドはたくさんの実をつけることから多産の象徴や繁栄を意味し、ヨーロッパの方では色付きの砂糖でコーティングされたアーモンドが結婚や誕生日のお祝いに用いられているそうだ。文芸に造詣の深い夏目先輩か、あちらの風習に詳しいマリー先輩が選んだのだろう。

 

「それと雅ちゃん、九重神宮って今年は巫女の募集とかしてる?まだ就職の受付大丈夫?」

「あの、夏目先輩は魔法科大学を受験される予定ですよね」

 

古典・図書部の3年生は全員が魔法科大学の受験を予定している。

鎧塚先輩は防衛大と迷っていたそうだが、魔法科大学を経てから防衛大を再受験し、戦術士官を目指すそうだ。

 

「マリーちゃんや鎧塚と違って元々運が良ければ受かる程度の才能なのよ、私は」

「気張れ、夏目。後輩に泣きつく暇があるなら理論の一つでも覚えるために口に出せ」

「フィッツナー検証って何年だっけ?2076年?」

 

鎧塚先輩の厳しい言葉に、夏目先輩は明後日な方向を見ながら虚ろな目をしている。

 

「残念。2067年だ」

「先行研究であるベルク検証を引き継ぎ行われた気圧変化による加重系魔法の事象改変の差異についての検証です。2076年は同検証を元にした加重系加速魔法と減速魔法の起動式の簡略化についての発表ですよ」

 

鎧塚先輩とマリー先輩の訂正に低い唸り声をあげながら、夏目先輩は携帯端末にメモを取っていた。

受験で切羽詰まった中でこうしてお祝いに駆けつけてくれたので、今回のお礼も兼ねてデザートでも追加したほうがいいかもしれない。

 

「はっ。今更、媚び売ってんのか」

「あ?」

 

突如投げかけられた第三者の侮蔑めいた声に、鎧塚先輩が低い声を上げる。

 

 

「寺森か。何の用だ」

「四葉に繋ぎが欲しいとは驚きだな。婚約にかこつけてまで顔を売っておきたいのか」

 

私は見たことのない男子生徒であったが、鎧塚先輩の様子から少なくとも知り合いのようだ。全校生徒の顔を把握しているわけではないが、雰囲気からみるところ三年生なのだろう。

鎧塚先輩は射殺さんばかりの鋭い非難めいた視線を向けた後、憐れむようにため息を吐いた。

 

「おいおい。そんなんだからテメエは、1年の時に彼女作ると宣言しながら3年間彼女いなかったんじゃねーか」

「なっ!!それとこれとは関係ないだろ!」

 

寺森と呼ばれた男子生徒は顔を羞恥に染めながら、声を荒らげる。

クスクスと様子を見守っていた人達から忍び笑いが漏れる。

 

「そう思うなら、思っとけよ。てか媚びるとか、人様の御祝いに一々茶々入れんなよ。他人の幸せを祝えないなら、一生右手を恋人にしてな」

「鎧塚、流石にそれはないわ」

 

中指を立てかねない鎧塚先輩の口調に、夏目先輩やマリー先輩は汚いものを見るかのように顔を引きつらせている。

正直、右手が恋人という言い回しの意味が理解できなかったが、先輩方の様子からあまり品のいい言葉ではないのだろう。

 

「いえ、鎧塚君は間違いではないです。九重さん、九重神宮は確か厄除けで有名でしたよね」

 

マリー先輩が気を取り直して、私に問いかけた。

 

「こいつとの縁は丁寧に切っておいてもらえ」

「ついでにこんな阿呆に泣かされる女子が出ないとも限りませんので、彼の女運の方も丁寧に取り除くようにお願い申し上げます」

 

寺森という生徒にはマリー先輩や夏目先輩からも冷たい視線が向けられている。カフェにいる他の生徒からもまるで外の冷気が入り込んできたような温度のない視線が向けられている。

 

「いや、いくらなんでもそれは」

 

周りの様子から、自分の不用意な発言に気が付いたのか、それとも保身のためか私に対して縋りつくような目をしている

 

「ああ?お前、さっきから何を恐れてたんだ?」

 

鎧塚先輩のその問いに対して、誰からも答えはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後、馬術部の管理する馬が脱走したという報告を受け、部活連の役員と風紀委員は捕獲に駆り出されていた。幸い怪我人もなく、馬も無事であったため、馬術部は厳重注意に留まった。後で報告書と再発防止策の提出はしてもらうが、活動禁止等のペナルティがないことは甘い処置だっただろうか。

 

「雅って乗馬経験あったの?」

流鏑馬(やぶさめ)をするから一通り習ったけれど、どうして?」

 

風紀委員として雫も馬の追い込みに駆り出されており、私と一緒に行動をしていた。今は一仕事終えて、それぞれ報告をするために校舎に戻っているところだ。

 

「馬を引く手つきが手馴れていたから」

 

雫もなんどか乗馬体験はしたことがあるようで、人より大きな馬の隣を歩いていてもそれほど緊張していなかったのはそのせいだろう。

 

「男装?」

「神事だから男装ね。女性だけの流鏑馬をやっている地方もあるそうよ」

「そうなんだ。でも雅の流鏑馬って深雪が喜びそう」

「写真をねだられたわ」

 

ついでに兄の写真も何枚か転送したが、顔が赤くなっていたのは見間違いではなかったはずだ。きちんと保存した後、ロックまで掛けていたのがいじらしい。

 

「九重さんも司波君も揃って万能だよね」

 

私たちのすぐ前を歩いていた十三束君がため息交じりに苦笑いを零した。

 

「似た者夫婦ってやつかな」

 

十三束君の茶化した言葉に雫も静かに首を縦に振り肯定していた。

二人が思うほど私も達也も万能でも、完璧でもないのだが、普段こんなことで揶揄ったりしない十三束君の言葉が気にかかる。

 

「九重さんが先週言っていた僕の母に世話になるって伝えてほしい、って司波君とのことだったんだね」

「お忙しいところに申し訳なかったと、個人的に伝えていただけると嬉しいわ」

「いや、まあそれは仕事の内だからいいんだけど、問題はちょっと別にあって……。魔法協会として九重家と四葉家には祝電を送ったんだけれど、それに京都近辺の古式魔法師から反発があって、大変らしい」

「直接は言いにくいから、魔法協会に意見しているってこと?」

 

私の問いかけに、十三束君は言葉では肯定しにくいのか、やや遠慮がちに頷いた。

多少反発はあると分かっていたが、魔法協会にも迷惑を掛けているなら考え物だ。実際、表立って私に反対の声は聞こえてこないが、現状どうなのか父にも聞いてみなければならないだろう。

 

「九重さんは司波君が四葉家の人間だって知っていたんだよね」

「ええ」

「最初知った時、驚かなかったの?」

 

十三束君はまだ達也や深雪が四葉家に関わりがあると聞いて、あまり気持ちの整理がついていないのだろう。

 

「物心つく前から知っていたら、驚くも何もないわ」

「そんなに前から?」

「そうね」

 

できれば公表されないまま、達也と深雪が四葉の束縛から解放されることが望ましかった。

しかし、状況を固められてしまった以上、例え次期当主候補から達也が下りたとしても易々と家の名前から逃げることはできないだろう。

 

 

 

 

そうこうしている内に、部活連の本部にまで戻ってきた。

雫も風紀委員会に渡す資料があったので、そのまま付いてきてもらった。

カードキーをかざして室内に入ると、耳を抑えて悲痛な表情を浮かべるほのかとその手を強引に掴もうとする七宝君がいた。

 

「七宝君、何をしているの?」

 

状況だけ見れば、嫌がるほのかに七宝君が無理やり迫っているようにしか見えない。

 

「ほのか」

「雫……」

 

状況をみた雫はすぐさまほのかに駆け寄り、大丈夫だとその背を優しく撫でた。ほのかは雫の顔を見ると、強張っていた体の力を抜いた。

 

「何を言おうとしていたの」

 

雫が向けた言葉は冷たく、刺々しい。

七宝君は宙に浮いたままの手を静かに下げる。視線は床の方を彷徨っており、焦りが見られる。

 

「弱っているところを口説くとか、最低」

 

雫はそのままほのかを連れて本部から出て行った。

風紀委員会への資料はまた後で持っていっても差しさわりはない。

ほのかの用事もおそらく修正された予算データの確認だろう。

これも期日はそれほど迫っていないため、明日以降に回しても大丈夫だ。

 

 

 

「状況を確認させて頂戴」

 

見たままの状況は黒だが、どういった経緯であのような場になったのか、確認する必要がある。

 

「九重先輩は光井先輩の友人なのでしょう」

「私はそう思っているけれど、それとこれに関係があるのよね?」

 

私はほのかのことも、雫のことも友人だと思っている。

相手のすべてを知っていることが友人の条件ではないし、知られたくないことはお互いにいくつかあって当然だ。深雪や達也であっても、私には話せていないことも、話すつもりもないこともある。

話してもらえなかったということにショックを受ける気持ちも分からなくはないが、話せなかったことだとはほのかも雫も理解している。

ただ気持ちがついていかないだけで、まだほのかが私たちと友人でありたいと思うならば、その感情に折り合いがつくまで待つしかない。

 

「よくあんな酷いことができますね」

「七宝」

 

吐き捨てるような七宝君の言葉に十三束君が制止をかける。

 

「酷いって、達也と私の婚約について?それとも達也が家のことを話さなかったことについて?」

「先輩方の婚約はこの際関係ありません。光井先輩はイーブンな状態で九重先輩と張り合う事が出来ていなかった」

「七宝、冷静に考えろ。そもそも九重さんと司波君の関係は入学以前からのものだ。高校で知り合った光井さんと差があるのは仕方のないことだろう」

 

七宝君の主張に十三束君が反対意見を述べる。

 

詭弁だが、恋愛のスタートラインは同じではない。

メールの回数、デートの回数、目線があった数、会話の時間、どれをとっても全て公平になんていかない。

だが、七宝君が言いたい本質はそんなことではないのだろう。

 

「七宝君、ひょっとしてほのかが可哀そうって思った?」

 

達也のことをほのかは好いているのに、見せつけるように婚約を公表したことが七宝君のいう酷いことならば、あれほど悲嘆にくれるほのかを見て同情しても不思議ではない。

七宝君の反応を見ると唇を噛んで、俯いている。図星とみていいのだろう。

雫の言うとおり弱みに付け込んだということを否定できなかったのはそのせいだろう。

 

「そうだとしたらそれは、ほのかに対する侮辱だわ」

 

私に対して、負けないと言えるだけの強さがある。

達也を思い続けていた事実がある。

私という婚約者がいる達也を好きでいつづけることは、周りから良い目では決して見られなかっただろう。

それでもほのかは、その思いを否定していなかった。

 

家の思惑だとか打算の絡まない、純粋な個人の思いをほのかは達也に捧げていた。

ひょっとしたら、家の方針で何時でも切られてしまう関係に不安になっている私の方が弱く臆病なのかもしれない。

私が時折羨ましく思うほど、同時に焦りを感じるほど、ほのかは達也に対してひたむきだった。

だから、それを可哀そうだなんて周りの価値観で決めつけられることではない。

 

 

七宝君はそれ以上何も言わず、ただ拳を握りしめていた。




我等は 姿無きが故に それを畏れ


BLEACH第1巻 冒頭より


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師族会議編4

4月の荒波を越え、ゴールデンウィークは遊んでたら、こんな時期になりました(;・∀・)

お待たせしました。今回の話はそんなに甘くはないですが、切ないと思ってもらえたらいいなあ


 

土曜日

 

「悪いわね。忙しい時に」

「いいのよ。部活の方も少し落ち着いたところだから」

 

部活動の帰り間際、私はエリカに呼ばれ空教室にいた。

この時期は日が暮れるのも早く、鮮やかなオレンジ色の光が長い影を作り出している。

土曜日の今日は平日ほど残っている生徒も少なく、閉門時間も近いため既に部活動の多くが帰り支度を始めているころだった。

 

「それで実際に話があるのは、エリカじゃなくて吉田君?」

「流石にやましいことは無いとしても、密室に二人っきりは良くないでしょ」

「お気遣いありがとう」

 

確かに私にその気がなくても、男子といる二人きりという状況だけで根も葉もない噂を立てられるのは煩わしい。

ただ話をするだけなら部活連や風紀委員の執務室なら差しさわりがないのだろうが、委員や役員がいつでも出入りできる状況で話せる内容ではないのだろう。

学校の生徒がいない喫茶店など誰の耳があるか分からない場所でもまた話しにくい事と考えて良さそうだ。

ただ人除けの結界は張ってはいても、防音障壁までするほど内密な話ではないようだ。

 

「ほら、ミキ」

 

エリカが横に立っている吉田君を肘で小突く。

さっさと本題に入れと言わんばかりのエリカに、吉田君は不満を滲ませながらも何かその目は決意に満ちているようだった。

 

「話というのは私に?それとも九重家に吉田家から?」

「両方だ」

 

短く言葉を区切ると、吉田君は自身を落ち着けるように小さく息を吐いた。

 

「九重さんと達也の婚約は1年生の時から聞いていたことだし、今回の発表で達也の実力も腑に落ちた。情けない話、整理が中々付けられなくて戸惑った部分もあるし、話してもらえなかったことに不満はあっても、二人の婚約が正式に調ったことは友人としては喜ばしいことだと思う」

 

戸惑ったという主張通り、一つ一つの言葉を確認するような、半ば自分自身に言い聞かせるような口振りだった。体をこちらにまっすぐと向け真摯な態度は伺えるが、時折迷いを感じさせるように視線が下を向き、彷徨っている。

 

「ただ、吉田家の人間としては古式の各家からは反発も大きいと言わざるを得ない」

「私は四葉家に対する人質で、深雪は兄を誑かした性悪な魔女かしら」

 

私たちのことが公になって各派閥の出方もおおよそ固まってきており、吉田君の指摘は既に私の耳にも入っていることだった。

 

「残念ながら君たちのことを知らない家が、状況だけ見てそう言っていることは耳にしている。たとえ今回の婚約が義兄弟同士だとしても、法律上問題があるとは言えない。けど、古式の家々としては四葉家を九重家に嫁がせるということが、どうしても許せないと思っている者もいるらしい。僕の知る限り、反対している家々は芦谷家当主と君との婚姻を推し、九重次期当主の伴侶としては二木家を支援すると聞いている」

「え、なにそれ。婚約決まった間柄のところに別の縁談持ち込んでいるってこと?」

 

エリカが目を丸くして信じられないと言いたげな声で口を挟んだ。

 

「そういう動きがあるのは確かだそうだ」

 

吉田君はため息交じりに肯定した。どうやら彼も少なからずこの横槍には思うところがあるらしい。先ほどの喜ばしいと言った言葉が少なくとも嘘だったということはないことに、少し私は安堵した。

 

「反発が大きいのは分かっていたわ」

 

正式に発表される以前から、私と達也の婚約は不釣り合いだという声が上がっていた。それが四葉という家柄が明らかにされてから、一層強くなったと聞いている。

深雪の方にも一条家から縁談があったと達也伝手に聞いたが、古式の派閥の中にはそれを後押しする家も存在しているだろう。

 

「単純な構造だけ見れば、私と深雪はそれぞれの家の人質と思われているのでしょうね。だから望まない結婚を強いられている可能性を見込んで、不躾だと思われようと別の縁談があがるのでしょう」

「人質?」

 

エリカが眉間に皺を寄せ、怪訝な声で尋ねる。

 

大なり小なり魔法師の結婚というものは利権や派閥の絡みが存在する。

魔法師の素養は両親の魔法師としての才能を受け継ぐことが多く、より優秀な次代の魔法師を誕生させるために結婚という体裁をとることは珍しいことではない。

私たちの思いを勘定に入れず、ただ単に私たちに付随する肩書だけを見れば、今回の婚約は随分と他人には非情に映るのかもしれない。

 

だが、脈々と続くこの血脈の中に縁のない婚姻は存在せず、そしてその縁が結ばれた理由はいくつかあっても、ただ一つの変わらない指針に基づいている。私と達也もそうして結ばれた縁の一つである。

 

「九重がどこを意味する言葉で、なんのために置かれ、そしてその意味は今も変わらない」

 

遥か昔、文字が伝わるより以前から九重には引き継がれてきた定め事がある。幾千、幾日、朝と夜を繰り返し、時代がどのように移り変わろうともそのことだけは揺らぐことは無い。

 

「そう言えば吉田君は分かってくれるかしら」

 

私の問いかけに吉田君は、言葉を続けられないまま、ただ立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕方までの冬晴れとは一転、夜になると風が甲高い音を立てて吹き荒れ、夜空を黒い雲が速い速度で流れていく。刺すように冷たい風が乱暴に雨戸を打ち付け、雲の切れ間に月明かりが流れていく。

雨でも降りだしそうな荒れた空模様に反し、板張りの室内ではわずかな物音だけが耳に付くようだった。底冷えのする板の間は部屋の四方に置かれた燭台が室内を薄暗く照らしている。

 

「君が訪ねてくるのは随分と久しいことになるかな」

 

九重寺の一室の中央、風間と八雲は座して向かい合っていた。

 

「中々顔出しできず、申し訳ありません」

「君らが忙しいことは承知の上さ」

 

深々と丁寧に頭を下げる風間に、八雲はさして気にしていないと頭を上げるよう促す。

 

「それで態々出向いて何が知りたいのかな?」

 

八雲は風間の師匠ではあるが、風間にとって味方でも身内でもない。

彼にとっての八雲は文字どおり忍術の師であり、時として貴重な情報源であった。

風間の元にも軍関係をはじめとした各方面の伝手や藤林という諜報に特化した部下はいるものの、古式と言っても十把一絡げにできない流派ごとの情報を一番正確かつ早く手にしている者は、風間が知る中で八雲に並ぶ者はいない。無論、京都の九重家などは八雲より早く情報を手に入れているかもしれないが、そこは風間と接点が無いに等しいため、勘定には入れていない。

 

「今回の九重家と四葉家の婚姻は、四葉家の抑止のためでしょう」

 

風間の問いに、八雲は口角をわずかに吊り上げる。

 

「九重家直系の雅さんが達也の伴侶として四葉家に入る。四葉家としては家系としての箔を得ると同時に、いくら嫁いだとは身とは言え彼女の名前に傷を負わせるわけにはいかない」

「加えて達也君は深雪君を非常に大切にしている。それこそ世界と彼女とを天秤にかけて彼女を取ることを厭わないほどね。それが彼の元を離れて九重という一種の特殊な家系に入るということは、いくら彼であっても簡単に手出しできなくなる。この上なく安全である場所ではあるが、達也君にとって深雪君という竜玉の一つを外部が持つことになる」

 

重々しい風間の言葉に八雲の口元には飄々と笑みを浮かべながらも、糸のように細い目は薄っすらと開かれており、薄刃の刃に似た鋭さを感じさせる。風間にとっては答えてもらえるか期待できない質問であったが、思ったよりも饒舌な口ぶりに安堵より先に緊張が走る。

 

「九重神宮は都の安全と安寧を願って設立されたと聞いています」

「そうだね。そしてその意味は今も変わらない」

 

八雲の九重はその師から継いだ名前だが、京都の九重の本当の意味を知る者は果たしてどれほどいるだろうか。

気の遠くなるほど過去から今に至るまで、そしてこの先もその血が絶えることなく、この国に捧げられてきた。

九重の家に生まれ、四楓院の名を授かった。

そうである以上、彼女もまた安寧の礎となるべく身を投じ捧げられるべくあると言っても過言ではないだろう。

 

「幸いというべきは二組ともこの婚約を望んで受け入れていることだ。しかし、果たしてこれは何時から組まれていた縁なのだろうね」

 

八雲の問いは独り言のように蝋燭の照らさない部屋の片隅の暗闇に溶けて消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月曜日

 

ほのかは朝一番で雅のいるB組を訪れていた。

一週間ほど経過し、当初ほど司波兄妹と雅の関係について表立って騒ぎ立てる生徒はいなくなったものの、まだ誰もが以前と同じようには振舞う事が出来ていない。どこか遠巻きにみるような、積極的に話しかけることもなく、どこか目に見えてわだかまりがあるようだった。

 

ほのかも先週まではその一人だった。雫に会いに来ることはあっても、ほのかは意図的に雅と話すことを避けていた。無論、話しかけられて無視するような事はしていないが、顔を合わせたくないというのが正直な感想だった。

 

以前はB組に来ることは何ら抵抗もなかったが、今は同情に似た視線がほのかに寄せられている。

失恋した可哀そうな女の子。

叶わない恋をしてしまった子。

四葉家相手に横恋慕だなんて怖いもの知らず。

被害妄想かもしれないそんな視線に足元が揺らぎそうになるが、ほのかは笑顔を意識して雅のところへと向かっていた。

 

「おはよう、雅。今日の放課後時間あるかな?」

「おはよう。今日は部活に顔を出すけれど、時間は頑張れば作れるわよ。予算の事?」

 

少し声の堅いほのかと違い、雅は変わらない自然な態度に見えるが、内容が事務的なものなので周りからはそう見えるだけかもしれない。

 

2年生の中ではほのかが達也に想いを寄せていることは表立って口外しないだけで、比較的知られたことだ。雅という婚約者がいる以上、ほのかにどちらかと言えば良い顔をしない生徒もいる一方、その健気な様子を影ながら応援する生徒もいる。

この一週間、ほのかが自分から雅に話しかけることはほとんどなく、部活連に関わるような事務的なやり取りもメールや深雪を通じて行われていた。

 

B組の生徒の視線が集まる中、ほのかは雅から視線を逸らさなかった。

雫もすでに登校していたが、ほのかの傍に立ったりするようなことは無く、大多数と同じように視線だけを向けていた。

 

「じゃあ、終わった後でいいから少し話ができないかな」

「分かったわ。早めに切り上げられるよう頑張るわね」

 

表面上、なんとか目的の約束を取り付けることができたほのかは、浮足立っていた。

 

「分かった。じゃあ、また放課後に」

「また連絡入れるわ」

 

最初の授業までまだ時間があったのだが、ほのかは足早にB組を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後の生徒会室。

室内には深雪と雫だけであり、他の役員は出払っていた。

泉美は手持ちの仕事が終わっているため深雪から今日のところは帰宅するよう告げられており、達也と水波は突発的に発生した学校近くで起きた一高生徒が絡む厄介事に駆り出されているため不在だった。

 

雫は風紀委員であり、役員ではないのだが今頃決心を告げているほのかを生徒会室で待っていた。

深雪は生徒会室で次年度に向けた細々とした予定を確認しており、風紀委員の雫は特に仕事もないため手持ち無沙汰に深雪を見つめていた。

 

改めてじっくりと見てみると恐ろしいほど均整の取れた顔立ちをしている。入学時から存在していることが信じられないほど美しい人だとは思っていたが、今もその思いに変わりはない。

顔を合わせる機会が多いとはいえ、未だに時折ため息が出そうになるほどその(かんばせ)も所作も絵画になりえるほど洗練されている。

 

「なにかしら?」

 

雫が無言で不躾にじっと見つめていたものだから、流石に疑問に思った深雪は何か言いたいことでもあるのかと尋ねた。

馬鹿真面目に深雪の顔を観察していたと言っても許される間柄だとは思うが、雫は十分に考える間を置いた後、そういえばと思い出したように今行われているだろうほのかと雅のやり取りについて思いを巡らせた。

 

「正直、深雪からほのかに牽制が入ると思ってた」

 

本音を言えば、ほのかには今すぐ達也を諦めてほしいと雫は思っている。

ほのかが選んだ道はほのか自身を傷つけ、雅も傷つける、いばらの道でしかない。

それでもほのかはその道を選んだ。

だから雫は静かにその恋を見守り、親友が疲れた時に休める場所になるだけだ。

 

雫はほのかの恋を見守る立場だとしても、深雪からみればほのかは他でもない敬愛する兄と姉の間に亀裂を入れようとしている。

今、ほのかが雅のところに行っていることは深雪も知っていることであり、事前に苦言の一つや二つ、あって当然のことだと思っていた。

 

「私も全くの無関係という事ではないのだけれど、私が口出しすべき立場でもないでしょう」

 

深雪はさらりと言っているが、その声色は雫にはやや冷ややかに聞こえた。ほのかに肩入れしている自覚があるから雫にはそう聞こえるのか、それとも深雪が微塵も動揺せずにただ待っていることがそう感じさせるのかもしれない。

 

「それに、お兄様がお姉様以外を選ぶことなどありえないのよ」

 

深雪は信じて疑わない、光差し込む聖女のような微笑を浮かべた。

 

 

 

断言しても良い。

深雪はもしかしたら達也以上に、達也が雅を大切に思っていることを理解していた。

兄が唯一、願ったもの。

母の魔法により、世界を滅ぼさないために多くに対する激情を封じられ、深雪のためだけにその強い情動は残され、深雪のためにその身を犠牲にしても盾となり、時として深雪を諫め、導いてくれた。母の死後、兄の庇護がなければ、深雪はもっと孤独だった。

 

本来頼るべき親からの愛はなく、当主の甥であるというのに身内から向けられるのは侮蔑の視線、与えられたのは血の滲むような訓練だけ。家の呪縛から逃れるべく、深雪のせいでこれまでの多くを犠牲にしてきた兄がようやく、自ら欲した人。

無自覚なほどその心の奥底に染みわたり、長く凍り付かされた他人に対する情動を芽吹きの春を迎えて解かすように、一途な無償の愛を与え続けてくれた人。

世界でただ一人、深雪ですら同じ感情を向けられることのない、お伽噺のようなそんな光景を深雪はすぐ近くで見てきた。

敵を作ることを厭わないような無愛想な兄が、本当に大切なものを見るかのように緩く微笑みかけるその姿が、どれだけ尊いものか、深雪は理解している。

姉を呼ぶときにわずかに柔らかくなる声も、無意識のうちに許している距離も、嫉妬や独占欲も、全て姉が芽吹かせた。

 

深淵の魔法に捕らわれた兄を救い出したのは、深雪ではない。

深雪は兄を縛る枷で、重石でしかない。

それも九重の力で深雪は兄を自分から解放することができた。

自分が兄から離れなければならないのは分かっているが、まだどこか寂しい。

それでも兄はもう孤独ではない。

その事実が何より深雪を安堵させる。

 

「お姉様だけなの」

 

世界で唯一、その隣を許されているのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後の部活連執務室で、ほのかは予算の最終決定を報告しに来ていた。

今日は特別活動がないため、雅以外の部活連の役員はいない。

予算の話は先週の時点で報告できたことなのだが、色々と予期しないトラブルもあったため今日まで延びてしまった。

雅は概ね要求通りの額が各部活に振られていることを確認して、そのまま各部長宛てに来年度の予算についてデータを送った。

 

「わざわざありがとう。お茶でも飲んでいく?」

 

最終の下校時間まであまり時間はないが、雅には本題はこれからだと感じていた。

 

「いいよ。雫を待たせているから」

 

ほのかは雅の申し出を断ると、視線を床に落とした。

その態度に、雅はただ次の言葉を待っていた。

 

「雅、あのね……」

 

意を決し、雅と視線と視線を合わせ、ほのかは逃げ出したくなるような衝動をスカートを握りしめて抑え込んだ。

雅の静かな瞳が、ほのかに自制を促すような、咎められているようなそんな気配すらさせている。

急に口の中が乾いていき、どう切り出すかなんて何回も考えたはずの言葉があれこれ浮かんでは口には出せず、唇を震わせるばかり。

決めたはずなのに、どこか後ろめたい自分を叱りつけてほのかはもう一度、前を向いた。

 

「私、諦めないことにしたから」

 

今更何を、なんてほのかが説明する必要も雅が尋ねる必要もない。

 

「私が『はい、どうぞ』、と言ってあげられないのは分かっているでしょう」

 

淡々とした口調で雅は問いかけた。

ほのかも頭では理解している。

ほのかの決心は、誰から見ても褒められることではない。

それどころか後ろ指を指されても仕方のないことだ。

達也にも、もしかしたら呆れられることかもしれない。

きっと引き返すことができるのはここが最後かもしれない。

 

「うん。今の私じゃ、到底雅に向いている視線を奪うことはできない。だけど達也さんに、二番目でも良いからなんて甘えたことを言うつもりもないよ」

「そこまで分かっていても?」

「私、負けないよ」

 

再度問いかけに、ほのかの声は震えていなかった。

負けないと口にしつつも、最後まで勝負にすらならないかもしれない。

それでもほのかは達也のことを好きでいることに決めた。

必要とされたい、愛されたい、私だけを見てほしい。

あの大きな手を繋いでみたい、抱きしめてほしい、そしてその先も欲しい。

例え友人の婚約者という許されない相手にした恋だろうと、ほのかは達也以外考えられなかった。

 

「そう」

 

雅には眩しくも感じるような強さだった。

あれだけ達也に大切にされながらも、どこかで不安で、臆病に怯えている自分を自覚していた。

報われなかった時期が長かったせいか、どこかいつもまだ自分以外の誰かがその隣を歩く姿を思い浮かべてしまう。

 

「譲らないわ」

 

雅は頭の中に浮かんだ嫌なイメージを決意を持って消し去る。

達也は自分のものだなんて子どもじみた主張はしないが、その隣を明け渡すつもりは更々ない。

 

手放し難いと達也が思ってくれているというだけで、雅はこの場で堂々と前を向いてほのかと向かい合うことができる。最初から決められていた関係だとしても、なにより今は雅自身が彼と歩むと決めた。

この先、ほのか以外にも達也に想いを寄せる女性が出てくるかもしれない。四葉家の次期当主候補というだけで達也との婚約を望む者も出てくることも想定できる。

どのような相手だろうと下を向いてはいけない。

それが雅に向き合うほのかへの礼儀だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すっかり日の沈んだ寒空の下を達也、深雪、雅、水波の四人は自宅の最寄り駅までの帰路についていた。

司波家と雅が住んでいるマンションは駅を基点に反対方向であるため、普段はコミューター乗り場での解散となる。

時には雅が司波家に呼ばれて夕飯を食べたりすることもあるが、部活の後にも稽古事が重なるここ最近はあまりそのような機会には恵まれていなかった。

 

「お姉様、今日は特にこの後ご予定はありませんよね」

「特にないわね」

 

今日の雅のこの後のスケジュールは課題を片づけて時間があれば予習をする程度であり、普段に比べれば時間はある方だ。

舞台を控えていると学校が終わった後、稽古で夜9時、10時までなんてザラにあることだ。

 

「それでしたら、今日はこちらで夕食をご一緒できませんか。なにかと用心しておいた方がよろしいと思いますし、いけませんか?」

 

深雪がやや普段とは固い口調であることには理由があった。

四人は直接遭遇してはいないが、人間主義の団体が魔法科高校の生徒に対し、暴言やストーカー紛いの行為を働いているという報告が何件か上がっている。

警察に行ったところで犯罪として取り上げられるほどのものではなく、精々暴言を浴びせた相手に厳重注意がされる程度だ。魔法師ではない警察官が対応した場合、そもそも生徒側に非があったのではないかと疑われる場合もある。

今のところ被害が大きいのはやはり学校周辺であり、ここから雅の自宅まではコミューターを使うため、ほぼ接触する機会はないと考えられるが、集団で行動するに越したことは無いだろう。

 

「あまり遅くならないうちにお暇するわね」

「朝までお兄様のお部屋でごゆっくりなさっても構いませんよ」

 

雅としては翌日も学校であるため、それほど長居するつもりはないが、深雪は口元を抑えてお邪魔はいたしませんと淑女らしく笑ってみせる。

 

「おませなことを言うのはこの口かしら」

 

雅は照れ隠しに深雪の頬をつまみ上げる。

つまむといっても、指先には力が入っていないので深雪も笑いながら雅の優しい攻撃を甘んじて受けている。

四人は久しぶりに同じ家へと帰ることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕食の準備ができるまで二人はしばらくゆっくりしていて欲しいと、早々に達也の部屋に押し込まれた雅は久しぶりに訪れるこの部屋に少しばかり緊張していた。

 

達也の部屋は本人の気質もあってか洗練されていると言えば聞こえはいいが、基本的に殺風景だ。

達也自身華美や無駄にごちゃごちゃとした空間は苦手であり、必要最低限のインテリアは揃っているものの、どこかのモデルルームのような生活感のない部屋になっていた。今では多少は深雪の手によって観葉植物などの小物も飾られてはいるが、基本的にシンプルにまとまっている。

二人の戸籍上の両親が別のマンションで生活しているため、部屋も余裕があり、元々割と裕福な家が立ち並ぶ区画とあって一部屋当たりの面積も都心にしては大きい。

 

そして最近になって達也の部屋には二人掛けのソファが置かれるようになった。元々作業用デスク用の椅子と来訪者用のスツールは用意されていたが、深雪がベッド以外にも休めるような場所があるといいですからという理由で買ったものだった。

それなら一人用の物でいいはずなのだが、二人掛けなのは今日のこの日の状況のように達也の隣に誰かが座ることを想定してのことだろう。

 

「なんだか一週間が長かったように感じるわね」

「それくらいたてば話も落ち着くだろう」

 

部屋に押し込まれると同じくして水波が準備していたお茶を飲んで夕食を待っていた。

 

「私は兄と深雪の年齢差が色々言われるかと心配しいたのだけれど、今のところあまりそんな声は聞かないのよね」

「学生の5歳差は大きいだろうが、成人すればそれほど目立つこともないだろう」

 

魔法師の家系は一般的な平均より比較的裕福であり、一世帯当たりの子どもの数は同程度の収入のある家庭より多い傾向にある。

更に結婚年齢も20台前半が平均的であり、30歳を超えて結婚していないのは何かしら身体上の問題があるか、職務上の関係で結婚をしないということが多い。

年の差というものも、5歳程度なら物珍しいこともないだろう。

 

「達也はまだ複雑?」

「整理ができたと言いたいところだが、まだもう少しかかりそうだ」

 

単に深雪が嫁ぐという寂しさだけではない。

 

達也は無意識のうちに深雪に向けられる敵意を把握することができる。

それは『精霊の眼』を持って情報を意図的に取捨選択しているから可能なことであり、魔法のリソースがそれに取られていることも確かだった。

沖縄のあの日の一件より前から、達也は深雪に迫る脅威を二十四時間常時「視」ている。

熟睡中だとしても無意識領域下でそれは機能しており、例え深い眠りにあろうと深雪に危機が迫っているなら達也は覚醒できる。可能性の話ではなく、そうできるよう魔法のリソースを割いている。

 

今は確かにそれで良いかもしれない。

けれど、深雪が九重に嫁ぐとなると自分より優れた千里眼がその身を守ることになる。全く手の届かないとは思わないが、以前より物理的な距離は当然遠くなる。

悠にしても自分がいつまでも深雪に対して『眼』を向けていることを良くは思わないことも分かっている。何らかの方法で達也から深雪を「視」えなくしてしまう方法も、もしかしたら持ち得ているのかもしれない。

それでも今の達也は深雪から『眼』を離すことはできそうになかった。

 

「これほど感情が厄介だと思ったことは無いよ」

 

本来ならば深雪に割いている超知覚的なものの一部を雅にも割り当てるべきだと考えている。

以前なら深雪だけで半分近くの容量を取られていたが、魔法力が若干だが向上している今ならば少なくとも以前よりは余裕がある。

それでも深雪を守るための『眼』の比重を下げることは今の達也には難しかった。

技術的な意味ではない。

深雪を守るための魔法的なリソースを下げた結果、深雪の危険が増すという可能性を達也は感情的に許すことができなかった。

 

「達也の一番は深雪でしょう」

 

雅は単に寂しさと受け取ったようで、達也は曖昧に微笑むことでひとまずこの問題を保留にすることにした。

 

 

「そういえば、部活連の予算の方は問題なかったか」

「そうね」

 

放課後、ほのかが予算を雅に確認してもらったことは知っている。

達也も深雪も内容のチェックはしているのでそれ自体には大きな問題はないはずだ。

ただほのかが雅にしたのはおそらく予算の話だけではなく、こうして深雪が気をまわして達也と雅を二人きりにした理由も達也には分かっている。

 

「ほのかに達也のこと諦めないって宣言されちゃった」

 

雅は静かに達也の肩に寄りかかった。

俯いているため達也からは表情は伺い知ることはできないが、躊躇いがちに小さく達也の袖を指で捕まえている。

 

「私も人の事言えた立場じゃないけど……」

 

やだなぁ、と続けられた独り言のようなつぶやきは、掠れてしまうほど小さな声だった。

雅にどこか不安が付きまとうのは決められた関係が長く続いたことによるものだけではなく、達也の心は随分前から雅に対する想いを気付きながら、なにかと理由を付けては自覚しないように目を背けてきた不甲斐なさから生じるものである。

言葉を尽くすことも、おっ広げに態度で示すことも苦手とする達也の数少ない言葉を雅は一途に信じてくれている。

不安にさせていることに申し訳なさも感じつつも、その嫉妬心をわずかばかり嬉しいと達也は思ってしまう。

 

「雅」

 

どこか縋るように達也の服に掛けていた指をほどき、そのままその左手を取る。

捕まえた指先はいつもと比べてやや冷たい。

 

「雅だけだ。これまでも、この先も」

 

達也は誓うようにその薬指の付け根に唇を落とした。

 





達也にとって深雪は『絶対』であり、雅は『唯一』なのだと思います。


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師族会議編5

6月31日。まだ6月。OK、OK。セーフセーフ。

1か月ぶりの更新なのに雅ちゃん出てきません。
25巻読みましたが、光宣君どうしよう(;・∀・)
この先の展開で原作とずれて救済する人もいるけど、展開を決めかねています。


感想、評価、誤字脱字報告ありがとうございます。全て読ませていただいてますが、お返事中々できなくて申し訳ありません。励みになっていますので、これからもどうぞよろしくお願いします。


その日、夕食の準備の時間帯に、掛かってきた連絡は深雪にとって意外な人物からのメッセージだった。

 

『ハーイ、ミユキ』

「まあ、リーナ!お久し振りね」

 

昨年の3学期に第一高校の交換留学生という形で来日していたリーナからのメッセージだった。

日本での時刻は18時だが、まだUSNAでは深夜2時という時間帯だ。

時差を考えてくれたということなら分からない時間でもないが、態々こうしていきなり電話を掛けてくることに深雪は若干の警戒を覚えていた。

リーナはただの高校生ではない。

達也と同じく軍属であり、USNAの最強の魔法師部隊であるSTARSの総隊長にして、戦略級魔法師アンジー・シリウスである。

画面越しではあるが、約一年ぶりとなる顔合わせではある。

急ぎの用事か、はたまた深雪と達也の立場が公表されたことからか、深雪は驚いた体をとりつつ好意的に応対した。

 

『それより、遅くなったけれど雅のお兄さんと婚約したそうね。おめでとう』

 

深雪が予想したとおり、リーナの元にも深雪と雅の兄、雅と達也の婚約のことは耳に入っていた。

まさか二人が四葉の人間で、しかも達也がその有力な後継者だということが彼女の驚きを加速させた。

勿論、達也の魔法戦闘能力は恐ろしいほどあったが、総合的な能力を見るとリーナ自身に比肩するほど優秀な深雪が後継者だと言われた方がまだ納得した。

 

「ありがとう」

 

ディスプレイ越しの深雪はリーナが知るより、ずっと綺麗に美しく笑った。

溢れんばかりの幸福がその笑み一つで分かるように、恋を知ったばかりの乙女のように清らかに微笑んでいた。

深雪があまりに美しく、そして綺麗に微笑むものだからリーナは肩の緊張がほぐれたような、なにか拍子抜けしたような気分になった。

もう去年のことかと思うほど充実した3か月ほどの短い留学期間ではあったが、その間に深雪の浮いた話は一切聞かなかった。

むしろ恋愛話と言えば、雅と達也に関する惚気話の方が圧倒的に多かったように記憶している。

 

自分の恋愛に興味がない振りをしながら、実は婚約者とも会っていたのだというのだから、案外、深雪も隅に置けないなあ、なんて友人ともライバルとも言えるような彼女の慶事を人並みに喜んだ。同じく報告を聞いたシルビィからは隊長は如何ですか、なんて流れ弾を浴びせられ未だ彼氏の影すら見えない自分の現実を突きつけられたことは、この際忘れることにする。

 

だが、そんな自分の甘い考えは、報告をしてきた上官の一言で不穏なものへと変わった。

曰く、随分と古典的かつ有効な封じ手であると。

 

結婚とは古今東西、権力者にとって無視できない事柄である。

嫁の実家の後ろ盾で成り上がった男もいれば、政敵に娘を嫁がせて夫を謀らせたり、傀儡にしたり、牽制したり、政治の裏舞台には女の姿があったといっても過言ではない。

日本の魔法師の中でも有数の実力を持つ『夜の女王』と呼ばれる四葉真夜をはじめとした四葉家(アンタッチャブル)と、悠久とも言えるような期間、神に捧げるためだけに魔法を研鑽したと称される神道系魔法師の大家の九重家。

それが互いに当主に近い娘を嫁がせる。

単なる本人たちの恋愛結婚で話が済むはずがない。

 

『深雪に負けず劣らずの美形というか、すごくお似合いね』

 

だから、深雪のこれほどまで幸せ溢れる様子に面食らってしまったのが、リーナとしては正直なところだった。

雅の兄であり、深雪の婚約者になった悠について写真で見ただけだが、これほどまで美しい男性がいるものなのかと感心せずにはいられないほど顔立ちの整った男性だった。

濡れた様に艶めく黒髪に、涼し気な目元にすらりとした細めの眉。

日本の伝統的な神官の衣装に身を包み、優美に口元に笑みを浮かべている写真は雅の生家である神社の公式サイトから情報部が探し出したものだったが、調査資料とは言えしばらくその写真は部隊でも話題になったほどだ。

加工か合成ではないかと疑われるくらい均整の取れた顔立ちは、アジア系に対してあまりいい感情を持たないと有名な者ですら、その容貌にケチを付けられないほどであった。

悪魔と取引したか、前世で徳を(うずたか)く積んだのか、いずれにせよこの世の者とは思えないほどの美貌を持つ深雪の隣に立って見劣りしない男性だと言えた。

 

「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいわ」

 

望まない結婚を強いられているのではないかとリーナが心配しているとは深雪は露とも思わず、自分の婚約話にやはりまだ照れくささを感じていた。

 

「リーナはもしかして、そのために態々電話をしてくれたのかしら?」

『あ、いや、ゴメン。それもあるけど、それだけじゃなくて……』

 

本題は何かと暗に問うと、リーナは歯切れが悪そうに謝罪した。

 

「大切なお話?お兄様もお呼びしたほうがいいかしら」

『そうね。タツヤもお願いするわ。もしかして雅もいる?』

 

婚約者である雅が平日の夜に訪れることはなんら不思議ではないが、居るとなるとリーナとしては余計な勘ぐりをしてしまう。

無論、婚約者であるならばそのまま泊まることがあるかもしれないが、同じベッドで寝ているのかとか、外では淡白な付き合いにみえて家の中だと激しいのだろうかと無駄な妄想を頭の隅へと追いやった。

 

「今日はいらっしゃらないわ。部活の方が忙しいみたい。どうしても、ということなら連絡を取ってみるけれど」

『そこまでしなくても大丈夫よ』

 

今日は、ということなので、やはり雅が訪れている日もあるということなのだろう。

リーナが一人気まずく思っているなどとは考えもせず、深雪は通話をサスペンド状態にして達也を呼びに行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リーナからもたらされた情報は、達也や深雪にとっても無視できない内容だった。

崑崙方院の生き残りが、日本でテロを計画しているという事らしい。

罠である可能性も考慮すべきなのだろうが、今のところリーナやUSNAがあえてテロ計画について情報提供する理由が分からない。

しかもテロとなれば、達也たちに知らせない方がテロそのものは成功する確率が高い。

演技でなければ、ディスプレイ越しのリーナは純粋に心配して連絡してきたように見えた。

仮に上層部がリーナを使って達也たちに情報工作を仕掛けている可能性も否定できないが、いずれにせよ裏が取れなければ動きようがない。

 

「叔母様にはお知らせするべきでしょうか」

 

深雪は心配そうに達也を見上げた。

日本でテロを計画しているとはいえ、標的は四葉である可能性が高いというだけで襲撃の日時や潜伏先までリーナは教えてくれたわけではない。それを掴んでいたかどうかさえあの少ない会話の中では分からなかった。

しかも師族会議を控えている今、四葉家で動かせる人間は多くない。

師族会議は主に次の十師族を二十八の家から選ぶ互選だが、表立っての選挙活動はない。

 

しかし、他家への根回しや粗探しは事欠かない。

四葉では今まで集めた情報を吟味し、会議を有利に進める方策の大詰めに来ているところだろう。

 

「そうだな。既に叔母上も掴んでいることかもしれないが、最低限確認は必要だろう」

 

四葉家はパラサイト事件の折りに、リーナの上司に当たる人物と交渉をして日本への手出しを止めさせていた。単に一回限りの介入である可能性もあるが、USNAの高官とのパイプは持っておきたいはずだ。

そうなれば、今回のテロ計画のことも既に耳にしている可能性は高い。

 

達也としての気がかりは、テロの首謀者の目的が単に四葉への復讐だけなら簡単な話だが、無差別に周りを巻き込む可能性があることだ。

どんな魔法を駆使するのか、支援者はいるのか、今のところ分かっているのは名前と性別と、崑崙方院に所属していたという事だけだ。

 

 

 

深雪と達也は普段着から真夜の前に出ても支障のない比較的フォーマルな服装に着替え、リビングから四葉家へと専用回線で連絡を取り付けた。

あちらも夕食の時間帯であろうが、思ったより早く真夜とコンタクトが取れた。

 

『達也さん、深雪さん。こんばんは』

「こんばんは、叔母様」

「夜分、失礼いたします」

『畏まるような時間じゃないわ』

 

画面の向こう側で真夜はにっこりと品よく微笑んだ。

 

『急ぎの報告という事だったけれど、一体何があったのかしら』

「既にご存知の事かもしれませんが、アンジェリーナ・クドウ・シールズから崑崙方院の生き残りが日本に入国し、テロを計画していると情報提供を受けました。四葉への怨恨の線もありますが、師族会議も近いですから、それを狙ったテロの可能性も考えられます」

『その可能性は理解しています。あまり人は割けませんでしたが、手筈は整えています』

 

達也からの報告にあまりにも真夜が落ち着いていることに、深雪も達也も少しばかり違和感を覚えた。

真夜の口ぶりからして既に人を動かしてあるようだが、昨日今日知ったというようには思えなかった。

達也はもう一つ、真夜の情報提供先に考え付いた。

 

「顔合わせのときですか」

『察しが良くて助かります』

 

よくできました、と褒めるように真夜は笑みを深めた。

両家顔合わせの名目で集まった日に、四葉当主と九重当主の非公式の会談が行われていたとしてもおかしな話ではない。

むしろ顔合わせの方が建前だった可能性もある。

 

『魔法協会からは、まだ正式に開催場所について知らされていません。協会にはテロ計画があることを匂わせているせいか、会場選びは難航しているようです』

 

師族会議は毎回、同じ場所で行われるわけではない。

参加する二十八家の当主ですら、大まかな地域だけ事前に告げられて、当日に案内される運びになっている。

国際会議場であったり、料亭であったり、ホテルの会議室を用いたりするが、共通点と言えばそれなりに格式の高いところが選ばれていると言うことくらいだろう。

 

「大々的に警備をすれば、会場の位置が把握されることを懸念しているのでしょう」

 

当日は魔法協会の職員と魔法師を配置できる警備会社との合同で会場運営が行われるが、ここに公安や軍などを控えさせれば物々しい警備に会場側の反発を招く可能性もあり、大掛かりな警備となると敵に位置を喧伝することになる。

 

『心配には及びません』

 

真夜は達也の心配が杞憂だと告げた。

 

『二十八家ともあろう家々の当主が不意を突かれたくらいで死ぬようなら、名折れも良いところです。問題は、自衛の手段を持たない一般人が巻き込まれることでしょうね』

 

真夜は自分達とは無関係の人間が傷つくという博愛的な意味合いでそう口にしたわけではない。

まして十師族当主となれば諸外国からみれば日本の戦力の一角と見なされているため、公の場では常に暗殺の危険が付きまとっている。

 

「人間主義団体の活動は今は下火になってきていますが、再燃するとお考えなのですか」

『魔法師の排斥活動はなにも日本だけに留まりません。仮に魔法師を標的としたテロで一般人が死傷するようなことになった場合、人間主義の活動の気運は高まる事でしょう』

「テロそのもので魔法師が致命傷を負うことより、それによって魔法師の立場そのものが悪くなることを懸念されているのですね」

 

魔法師側にいくら犠牲が出たとしても、それは本人の無能さを責められ、一般人が巻き込まれればマスコミ各社が騒ぎ立てることは必至だ。

それが四葉に故郷を奪われた魔法師が復讐に日本の魔法師を標的にしたテロを起こしたとなれば、四葉にも社会的なダメージがある。

今更取り繕うような悪名でもないが、達也としては深雪や雅が批判の目に晒される事に強い嫌悪感を抱くだろう。

 

『会場についてはいくつかニセ情報も流しています。相手がそれに騙されるような小物ならよいのですが、一応あの時の四葉の精鋭から逃げ延びただけの手腕はあるのでしょうから警戒はさせています』

 

真夜の口ぶりから、首謀者の人となりを彼女もまだ掴み切れていないのだろう。

四葉の情報網からすり抜け続けるとなると相手の情報戦の巧みさ、身の隠し方は周公瑾と同レベル以上と考えていいだろう。

対策がなされていると分かっただけで、達也にとってこの会話は有益だった。

 

「分かりました。こちらでも注意しておきます」

 

生き残りがどの程度、日本に協力者を潜伏させているか分からない以上、横浜のように多発的にテロを起こす可能性も否定できない。

師族会議の混乱に乗じて、大亜連合や新ソビエト連合の工作員のつけ入る隙にもなりかねない。

風間にも情報を回すべきか、達也は既に思案していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

師族会議は、二月四日、二月五日の二日間の日程で行われる。師族会議は日本魔法界のサミットのようなものであり、十師族をリーダーと仰がない古式魔法師の界隈ですら影響は無視できない。

 

この会議の参加者は十名。

一条剛毅、

二木麻衣

三矢 元

四葉真夜

五輪勇海

六塚温子

七草弘一

八代雷蔵

九島真言

十文字克人

 

会議の冒頭、十文字家の当主である和樹が、自身が病によって魔法力を喪失したことを理由に、代表代理としていた克人を正式に当主に据えることにしたと本人から報告があった。

魔法力の喪失という病には、十師族の中にも動揺が走ったが、十文字家特有のものであることと、他家の事情に深く関与しすぎるのは良くないとして話は会議内に留められた。

この会議から克人が十文字家の代表として参加することになる。

 

家に冠する数字が一から十まで揃っているが、これは規則ではなく偶々である。十師族体制ができてからはこのように数字の重複がないのは、むしろ珍しい方だ。

各家の当主は日本を代表する魔法師であるとともに政財界も無視できない規模の企業を傘下に収めていたり、会社の実質的なオーナーとなっている。

 

会議の進行は、九島真言が務めており、これも定例となっている各地方の監視状況の報告から行われた。

一条家は北陸・山陰地方、二木家は阪神・中国地方、五輪家は四国地方、六塚家は東北地方、八代家は沖縄を除く九州地方、九島家は京都、奈良、滋賀、紀伊地方、七草家と十文字家で関東地方を監視しており、四葉家が他家の割り当てがない岐阜、長野、東海地方を監視している。

三矢家は監視地域の割り当てはなく、唯一今も稼働し、国防軍に技術供与をしている第三研究所の運用を担当している。

北海道と沖縄がないのは、北は新ソビエト連合、南は大亜連合と面と向かって対峙しており、その分国防軍の勢力が強いためであり、軋轢を避けるために割り当てられていない。

 

一条家、六塚家の割り当てには特に目立った国外勢力の動きはなく、二木家と八代家は長年続く煩わしい相手の牽制、監視を継続している状況であり、ここ数年で大きな変化は見られない。

関東、東海地方は人間主義の活動が目につくことと、人間主義団体の構成員と思われる人物の不審な動きがあるということで監視を強化するということで、定例報告は終わった。

 

「九島殿、少しお時間を頂いてもよろしいだろうか」

「七草殿、どうぞ」

 

定例の報告が終わると、七草弘一が発言を求めたことにより会議の雰囲気が先ほどより張りつめたものに変わる。

 

「では、失礼して、四葉殿。この度は姪子殿、甥子殿の両名が揃って婚約となりましたこと、お慶び申し上げます」

 

七草弘一が丁寧に社交的な笑みを浮かべ、真夜に祝辞と共に小さく頭を下げた。瞳は右目の義眼を分かりにくくするための色付きの眼鏡で読みにくいが、この二人が敵対的な、というより弘一が真夜に突っかかるような態度は昔からの事なので、六塚温子や八代雷蔵は口にしなくともまたかと呆れが隠すことなく浮かんでいる。

 

「ありがとうございます。ですが、月に叢雲(むらくも)、花に風と言いましょうか。私どもも困惑しているのです」

 

『月に叢雲、花に風』とは、本来邪魔なもののたとえ話だが、この場合、今更『月』が誰で、『花』が誰なのか説明をする必要はないだろう。

 

「それはこちらも、というものですよ。突然の発表に皆、驚いているところなのです」

「この会議で報告するべき事案でしょうか?私事ですので、お時間を取らせるようなことではないかと存じます」

 

心外だと言わんばかりに真夜は素知らぬ顔で問い返した。

 

「どちらかならばまだしも、兄妹揃って九重とはずいぶんと思い切ったことをされましたね」

「『婚姻とは両人の合意にのみ基づいて成立するものである』ということをお忘れということはありませんよね」

 

婚姻の規定を読み解けば、そこにはいかなる人種、宗教、政治も介入できないとされているが、現実問題そういうわけにはいかない。

 

四葉と九重は、互いに対してこれまでにないカードをその手の内に収めることになる。

七草弘一が危惧していることは、まさに十師族のバランスが崩れ、四葉の一強状態になりかねないことだ。弘一の一方的な難癖とも言えなくはない状況だが、この路線ならば他の家々も追従してくる可能性は十二分にある。

 

「十文字殿は、達也と雅さんのことはご存知よね」

 

弘一がなにかと四葉家、ひいては真夜を意識しているのは理解していながら、真夜は試しに今回初めて代表代理ではなく十文字家当主としてこの場に座る克人に話を振った。

 

「学年は違いましたが、親交はありました。自分の知る限り、仲睦まじく慎ましい交際に見えました」

 

克人としてはここで自分が話題に加わるとは思っていなかったが、真夜を除くと唯一この中で当人たちを直接知るのは克人なので、第三者の目としては確かに有効だろう。

彼が七草真由美や渡辺摩利から聞いていた話では、見せつけないだけでかなりお熱いらしい。克人自身、色恋に聡いとはいえないが、二人の間には確かに男女を越えた信頼関係があるように見えた。

 

克人の回答に真夜は浮かべていた笑みを深くした。

彼女の思惑に乗せられた形だが、言葉は選んだつもりであり、第一嘘をつくような場面ではない。十師族のバランスを取るという弘一の思惑も分からなくはないが、既に合意がなされている両家の婚約を覆すだけの材料を持っている家があるのなら話は変わってくるだろうが、倫理的にも法律的にも問題がない二人を単なる大人の都合で引き裂く道理がないことも克人は分かっている。

 

 

 

「申し訳ない。口を挟ませていただいてもよろしいか」

 

だが、そこに一条剛毅が割って入った。

 

「四葉殿、まだ当家は貴家からの回答は頂いていないのだが。先ほどの七草殿の発言とも関係があることだ。この場で回答いただけないだろうか」

「貴家の将輝殿と当家の深雪との婚約の申し込みについてですか」

 

真夜は不服を隠さず、冷ややかな声で他の者にも分かるように説明を加えた。

 

「非礼はお詫びする。しかし当家としては冗談半分や嫌がらせで申し上げているのではない。息子は真剣に深雪殿と結ばれることを願っている」

「真面目に?婚約が決まった娘を寄越せと言うことのどこが真面目にと言うのでしょうか?」

「もし、結婚をお許しいただけるのならば将輝は四葉家に差し上げるつもりだ」

 

この発言に、円卓がざわついた。

【クリムゾン・プリンス】と二つ名を持つ一条将輝は既に実戦経験済みの魔法師だ。

僅か十三歳にして佐渡に侵攻してきた敵を屠り、横浜事変でも活躍したことはここにいる者ならば知っている。

文句のつけようのない優秀な魔法師、しかも一条家としては次期当主として見据えていた息子を手放してまでも成立させたいとなれば、利益の天秤は四葉に大きく傾く。

しかも片方で達也と雅の婚約が継続されるならば、四葉の抱える力はより強大なものとなる。

四葉にとってはこれほど好条件な申し出はなく、真摯に相手を想っていると言う将輝の気持ちも伝わり、一条家の姿勢も本気のものだと伺わせる。

 

「そうですか。しかし、やはりお申し出を受けることはできません」

 

真夜は一分の迷いもなく、冷ややかな口調で断りを入れた。

 

「一条殿が親として子の思いを叶えたいとお考えなのは私にも分かります。ですが、私にも姪の気持ちを尊重したいという思いがあります。姪の深雪は九重悠殿を好いております。そして深雪を嫁に、と悠殿から直接申し入れがありました。想い合い、結婚を望む二人を割く道理がありますか」

「四葉家の達也殿と九重家の雅殿は、幼少の(みぎり)からその縁が結ばれていたと聞き及んでいます。本人の意思が定まらない内から関係を強要されていたのでは?」

「親同士が婚約の話を進めることは、皆様におかれましても珍しいことではないと存じます。最終的にその関係は両人に委ねられます」

 

一条剛毅を援護する形で、七草弘一が達也と雅の関係を問うが、真夜の発言は弘一にも痛いところだった。実際、五輪家長男と七草家長女の真由美との婚約話が出ていたが、この会議の直前で破談になっている。

真夜は既に、七草家が達也と真由美の婚約を目論んでいることは耳にしている。

確かに真由美は一般的に言えば優秀な魔法師ではある。

嫁入り相手として紹介されるなら一考に値する人物だ。

ただし、比較対象が雅であるのならば話にもならない。

 

「ですから、二木殿もあまり深雪の心を傷つけるようなことは控えていただきたいものです」

 

真夜の発言に、視線が二木麻衣に集まる。

 

「当家から九重家への申し出は、四葉殿から二人の存在が明かされる前のことだったと記憶しています。また、四葉殿におかれては事実、反対が多いことも耳にされているでしょう」

 

麻衣は人当たりのよさそうな柔和な表情を浮かべて答えた。

そして四葉との関係を持ちたい家もあれば、当然、古式魔法の大家であり、表の世界にも有数の歴史を持つ九重との縁を持ちたい家も存在する。

 

「私も親として子の気持ちを応援したいことはよくわかります。ですがいくら当人が望んでいても、結婚とは往々にして儘ならぬものと申しますよ。深雪殿のお住まいはずっと東京の方だと耳にしておりますし、知る者の少ない土地での生活は心細い事でしょう」

 

麻衣は、年長者らしい落ち着いた口ぶりで心配そうに真夜に尋ねた。

深雪と四葉家の関係が公になってから婚約を持ち掛けた一条家とは違い、二木家は九重家の悠に対して婚約の発表以前に申し出ている。

当然その申し出は断られてはいるが、チャンスがないわけではない。

 

四葉家と二木家。

どちらかの娘が九重家に入るのならば、二木家の方が反対は少ないだろう。

悪名の差であり、監視する土地柄であり、古式魔法師をはじめ地盤にしても二木家の方が優位だ。

 

「住まう土地への愛着というものは理解できますわ。ですが大なり小なり、住まう環境が変われば順応しなければならないことはありますもの。親の目贔屓もありますけれど、深雪にはそれ相応のことを教えてきたつもりです」

 

真夜も口調こそ丁寧で品もあるのだが、この場にいる十師族当主として言葉の裏を読み取る能力に長けた者たちにとっては、とても穏やかとは言えない舌戦が繰り広げられていることが分かる。

九島真言に次ぐ年長者である二木麻衣は、普段はストッパー役を担うことが多いが、今回ばかりは譲れない線のようで、空気をヒリつかせている。

 

「深雪殿と悠殿は少し年齢も離れていらっしゃるでしょう。それに実際に交際してみなければ男女の仲というものは分からないことではないですか」

「確かにそう思います。私も良縁と思って七草家のご長女と私どもの長男との婚約を申し出ましたが、性格的に合わなかったようで結局うまくいきませんでした」

 

二木麻衣の発言に続くように五輪勇海が、自身の家の事情を持ち出した。

 

「一条家は将輝殿を四葉家に婿に出しても良いと仰ってますし、お二人の結婚は日本魔法界の益々の発展をもたらすでしょう。四葉殿にとっても悪い話ではないと思いますが」

 

五輪勇海の支持表明は、七草弘一と一条剛毅、更に二木麻衣にとっても追い風となる。

一条家の申し出を受けて九重悠と深雪の婚約を取り消しても良いのではないかという雰囲気が漂い始めたが、真夜は迷うことなく断ち切った。

 

「五輪殿。当家は達也や深雪の結婚によって利益を得ようとは考えていません。それは九重家との縁をお持ちの九島殿も御理解のことでしょう」

 

真夜の発言によって五輪勇海は、自分の発言が目先の利益に結婚を利用していると告げられ、目を俯かせる。

誘導の仕方としても損得勘定で議論を進めようとしていたことにも気づかされた。

しかも議論に参加はしていないが、九島家は既に九重家から一度嫁を貰っている。それを利益目的の結婚と言ってしまったことに他ならない。

 

「時間は取ったが、婚約等の私事について師族会議で決定しうる問題ではないだろう」

 

要は当家同士で話し合って、これ以上火種を拡大させるなと言外に示されたことで、会議は一度休憩を挟むこととなった。

 

 

 

 

 

そして休憩の終了後、四葉真夜から特大のスキャンダルが投下された。

 




十師族会議副音声



舞衣
実際の発言「私も親として子の気持ちを応援したいことはよくわかります。ですがいくら当人が望んでいても、結婚とは往々にして儘ならぬものと申しますよ。深雪殿のお住まいはずっと東京の方だと耳にしておりますし、知る者の少ない土地での生活は心細い事でしょう」

副音声『何ふざけたこと言ってんだワレ( #゚Д゚)親族二人も九重とか、アホなことしよって!これ以上、勢力増やしてどうする!パっと出の田舎者が、地盤もないくせに京都引っ掻き回して何様や』




真夜
実際の発言「住まう土地への愛着というものは理解できますわ。ですが大なり小なり、住まう環境が変われば順応しなければならないことはありますもの。親の目贔屓もありますけれど、深雪にはそれ相応のことを教えてきたつもりですわ」

副音声『余所者嫌いは結構。深雪に敵う魔法力、美貌の揃った女子がいるとでも?自分の姪?ないわ( ・´-・`)』




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師族会議編6

あんなに更新遅くなったのに感想くれる人がいる(ノД`)・゜・。
今回はちょこっといつもより短めですが、早めに更新できるよう頑張りました。
感想・評価くださる皆さま、励みになります。ありがとうございます。





2月5日 月曜日

 

達也、深雪、雅、水波の四人は同じキャビネットで登校していた。

 

「そういえば、二人とも師族会議の経過は聞いている?」

「いや、まだだ」

 

まだ達也たちでさえ知らない師族会議の内容を雅がなぜ既に知っているのか、という疑問は今更のことだ。

会議は非公開であり、録音や撮影も禁止。会議の内容と次の四年間の十師族については魔法協会から正式に報告が行われる。達也たちも真夜からはまだなにも報告は受けていない。

 

キャビネット内は第三者に聞かれることのない閉鎖空間であり、密談には向いている環境である。達也の眼で見ても、こちらを監視している機械や術は見当たらないため、雅に話の続きを促した。

 

「私も大筋でしか話は聞いていないから、細かなところはまた真夜様に伺ってもらうことになると思うけれど、大きな動きは二つあったそうよ。一つ目は、真夜様が周公瑾と七草家の共謀関係を暴露したということ。横浜事変後の魔法師排斥運動にも加担していたとして、七草家は十師族として相応しくないと糾弾する意見が多数を占めたのだけれど、老師が九島家も周公瑾の手を借りたことを告白して、十師族の席から退いた形で責任を取って、七草家の席を残したわ」

「会議は当主の九島真言が参加していたのではないのか?」

「会議自体は当主が参加していたけれど、老師も会場にはいたそうよ。七草家の窮地と十師族体制の維持のために身を切った格好を取ったとみているわ」

「確かに七草家が十師族から外れるとなると、関東が手薄になる以上の影響があるな」

 

日本において、最も力を持つ魔法師の集団とは、国防軍の魔法師部隊を意味するのではない。

現状、四葉家と七草家が日本の魔法界の双璧に君臨していると言っても過言ではない。

家としての力は所属する魔法師の数や能力、また傘下の企業の財力、政財界とのパイプ、情報網など多角的に見る必要があるが、傘下、協力関係にある魔法師の数で言えば七草家は十師族の中でも抜き出ている。十師族体制を頂点とした日本の魔法界の秩序のためにも七草家が抜ける穴は大きく、替えになる家は存在しない。

 

「お姉様、九島家の抜けたところは今日の会議で決められるのですか?」

「いえ、真夜様の推薦で七宝家が選ばれたそうよ。これが大きな動き二つ目ね。一日限りの補充かもしれないし、選挙になるかは今日の会議次第ね」

 

補充されたのが七宝家と聞いて達也も深雪も複雑そうな表情だ。

七宝君は十師族というより七草家に対して思い入れがあるようで、十師族という地位に固執しているようだった。

 

「テロの方はどうだ?」

「そちらも一日目に動きはなかったそうよ。仕掛けてくるなら二十八家が揃っている二日目の今日でしょうね」

 

崑崙方院の生き残りが師族会議を狙ってテロを計画している、と事前情報を掴んだ四葉家では秘密裏にテロリストの潜伏先を捜索していた。

テロの首謀者である顧傑(グ・ジー)は元々四葉が崑崙方院を襲撃する前に権利を剥奪されて国外退去させられた人物なので、生き残りと言うと語弊があるが、祖国を奪われたという点では生き残りと呼んでも差し支えないだろう。

名前と容貌、身体的な特徴、さらに沼津から伊豆の方面に海上を移動した可能性が高いことまで分かってはいるものの、今日にいたるまで発見はできていない。

伊達に30年以上亡命生活を続けてきただけの手腕はあり、公安や軍を巻き込まないにしても魔法協会にも四葉家から情報提供が行われているため、テロ対策は取られているはずだが、どの程度人員が割かれているのかまで把握はできていない。

 

「他家に情報は?」

「昨日、真夜様が不審な貨物船をUSNA大使館所有のクルーザーが監視していて、監視対象になっているのは人間主義の団体ではないかと伝えたそうだけれど、七草家と十文字家が昨日の今日でどこまで調査しているか分からないわ」

 

会議の最中であるため、指示だけは出していても本格的な調査にまでには至らないだろう。

 

「魔法協会の警備に決行を諦めてくれればいいけれど」

 

 

 

 

 

 

私の希望観測が外れたのは、その日の授業が始まってすぐのことだった。

師族会議が行われていた箱根の料亭が襲撃されたと、被災通知メールが入ったため、達也、深雪、水波ちゃんは授業を中断して、現地に向かうことになったらしい。

会議に当主である父親が出席している香澄ちゃんと泉美ちゃん、それに七宝君も一緒だったそうだ。

 

昨日、今日と師族会議が行われていることは魔法師全体に知られていることであり、被災通知メールの受信に一般の生徒たちにも動揺が広がっていた。

ここ数日は現地の天候は安定しており、地震速報もなかったことから天災という可能性は低い。

会議の出席者に直接接点がなくても、魔法師が標的もしくは大きく巻き込まれたテロ等の特殊災害の被災と考えるのは自然だった。

 

昼頃になるとニュース番組でも速報で取り上げられており、どうやら会議に参加していた魔法師には死傷者は出ていないが、警備をしていた民間人や魔法協会の職員が数名巻き込まれて重軽傷を負ったらしい。幸いにして今のところ、実行犯以外の死者の報告は上がっていない。

 

被災メールとは被災した当事者の被災当初の「無事」「危険」「死亡」の状況を知らせるものであり、継続発信に設定がされていなければその後の状況は分からない。

達也たちが駆け付けたのはそういう理由もあっての事であり、無事を確認してから六人は午後の授業前には戻ってきていた。

 

今日くらい早退しても咎められないと思うが、当たり前の日常生活を送ることもテロに対する姿勢としては必要なことだ、と七宝君が真面目な表情で高らかに宣言していた。

 

 

 

 

 

 

 

2月6日 夜。

 

放課後の部活を終え、司波家で夕食をごちそうになった後、私と達也は地下の実験場にいた。地下二階分もある広々としたこの空間に来ることは久しぶりのことだった。

 

「師族会議の決定で、首謀者の無力化が決まった」

 

今日の昼、テロの実行犯からマスコミ向けに犯行声明が出された。今回のテロは魔法という悪魔の力を使う魔法師をこの地から一掃する聖戦であり、魔法師を名乗るミュータントから人類を解放するという過激な内容の人間主義の主張だった。

マスコミもテロは悪としながらも、魔法師は無傷で一般人に重軽傷者が出ているのは魔法師が救助を怠ったからだという論調が多数を占めていた。

十師族は、今回の首謀者の捜索について十文字家当主になった十文字克人さんが全体の統括を取り、実際のところは七草家の長男が現場を取り仕切るらしい。

達也もテロリストの捜査に加わるらしく、しばらく授業が終わり次第、魔法大学近くで七草家、十文字家と情報交換をするそうだ。

 

「首謀者は大漢の亡霊だったわよね?確か横浜事変で大亜連合の工作員を手引きし、九島のパラサイドール開発に道士を送り込んだ周公瑾の背後にいた黒幕だとか」

「ああ。潜伏先は調査中だ。それで今朝、師匠のところに鬼門遁甲の破り方を聞きに行ったんだ」

「教えてもらえたの?」

 

達也は八雲(伯父)の教えを受けてはいるが、門人ではないため、術を教わることはない。

古式の多くは未だ限られた門人や血縁だけに教えられる秘術の類であり、忍びとしての八雲からしてみれば部外者である達也はその資格を持たない。

体術修行の一環で達也を招いているだけであり、仮に私の婚約者という立場だとしてもそれは俗世との縁だと切り捨てられるだろう。

 

「術そのものについて教えてもらったわけではないが、元となったと思われる術については掛けられたな」

 

達也は苦笑い気味に今朝の出来事を語った。

鬼門遁甲の源流と言える術となれば、方位、方角どころか上下の区別もつかなくなるような術だっただろう。

八雲(伯父)のことだから、会話のついでくらいにいきなり術を掛けたに違いない。仕掛ける方も仕掛ける方だが、初見の術をどう破ったのかも気になるとこだ。

 

「感覚はつかめた。師匠は武術の中の秘儀秘術の多くは事象そのものを書き換えるのではなく、『意気』によって『波』と『流れ』を制し、断ち切り壊すものだ、と言っていたな。『意気』は想子、『波』は想子波、『流れ』は想子経路と考えて良いだろう」

 

ここまで言えば、達也が何をしたいか私も分かってきた。

 

「私、あまり幻術の類は得意じゃないって知っているわよね」

「知っている。雅にも秘匿しないといけないこともあるだろう。掛けられる範囲でかまわない」

「その前に少し術そのものについて話してもいいかしら」

 

古式の魔法も現代魔法も事象を改変するという点は相違ない。

 

「達也は『意気』『波』『流れ』を読むことは長けているし、『意気』の操作に関しては想子徹甲弾で随分と掴んでいるわよね」

 

対パラサイト用の術式として達也が編み出した想子徹甲弾は、情報体の次元に直接攻撃を仕掛ける手段だ。

達也には精霊の眼もあるからか、古式の基本の『意気』ついては十年修行を積んだ術師と遜色ないほど感じ取れているとは思う。

 

「手を貸して」

 

右手の掌を達也に向けて立てて差し出すと、達也は同じように掌を差し出して重ねた。

 

「想子はこの世界を構成する全てに存在するけれど、それぞれに波長が異なる。想子は古式の流派によってはオーラや呼吸とも言うわね」

 

この辺りに関しては達也も知っているだろうが、確認の意味も含めて説明する。

 

「そして想子に特定の波長は合っても定型はない」

 

特に魔法師の想子は個人で特定の波長があり、それをもとに追跡をする技術がUSNAでは既に実践投入されていると聞いている。

しかし、普通の魔法師が感覚で個人の波長を難なく読み取るのは、千里眼や美月のように偶々特別な目をもつ者だけである。

 

「分かる?」

「一瞬、少し離れてまたもとに戻った」

 

掌を動かさないまま。

だけれど、『意気』だけを遠ざけてみた。

どの程度、達也の『意気』に対する感覚が鋭いのか知る意味合いもあったのだが、私の予想した以上にわずかな変化を感じ取っていた。

 

「正解。まず、この流れを知ることが古式魔法の入り口ね」

 

本来ならば座禅や呼吸、勤行などを通して幼少期から時間を掛けて身に着けていく感覚だ。

精霊の眼という情報の次元を視認できる達也だから、古式の術の基礎を修めていなくても感覚的に想子の流れには鋭敏なのだろう。

 

「想子は血液や呼吸と同じく、常に動いてはいるけれど、心拍や呼吸のタイミングがある。これが『波』」

 

先ほどと同じく掌は触れ合ったまま、動かしていない。

それなのに、反発するような、どこか棘のあるように感じるよう意図して想子の波をぶつける。波の立つタイミングで、同じく波をぶつければ、相手が息を吸うタイミングで口と鼻を塞ぐようなものだ。

計器でも観測できるかどうかわからない微妙な変化だが、達也はやや不快そうに一瞬だけ眉を寄せた様に見えた。

 

「気分が悪くなる前に離してね」

「いや、大丈夫だ」

 

達也は平気そうにしているが、魔法師としては気分のいいものとは言えない感覚だ。今回は短時間なので支障はないが、長時間続けた場合、自分の波長が崩れていると錯覚し、術がうまく使えなくなる場合もある。

 

「自分の流れと相手の流れの違いを理解し、流れと波をどう利用するか『術』に記載されているわ」

 

説明をしながらのため、ゆっくりと術を練り上げる。

詠唱や歩法など補助術式なしのため、頭の中の刻印と術による結果を明確にイメージする。

素早く手首を返し、練り上げた術と共に達也の手首を掴み地面に向かって引くが、達也はその術を破ると僅かに体勢を崩しただけで、腕力で私の動きを止めてしまった。

ただ両手を使って私の右手を掴んでいるので、一瞬とはいえ隙ができてしまっただろう。

 

「やはり体術にも応用ができるのか」

 

達也は焦りや驚きというより、興味深いと言ったような口ぶりだった。

私としては一度叔父に手ほどきを受けていたとしても、私自身兄や両親ほど幻術に長けてはいないものの、初見で易々と破られたことに驚く。

両手を使って達也が押さえにかかったのは、実際に掛けられた以上の力が働いたという術によって錯覚したからだ。

 

「相手の想子そのものは変えようがないけれど、流れと波を使うという感覚は大丈夫そうね」

「ああ」

 

鬼門遁甲は陣を使った方位を狂わせる術式であるため、先ほどの幻術とは勝手が違うが、流れと波を制すると言う古式の術の基本はどの術式も変わらない。

 

「もう少し違うパターンでもやってみようか」

「頼む」

 

最近は幻術の訓練もあまりできていなかったから良い機会だと、その日は遅くまで鍛錬に明け暮れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2月10日 日曜日

 

「1か月ぶりかな」

「お久しぶりです、悠お兄様」

 

深雪がそう挨拶したあと、あっ、と小さく声を上げた深雪はこれまた小さな声で恥ずかしそうに『悠さま』と言い直した。

流石に婚約者という間柄、今までのように兄妹のような呼び方は宜しくないと思ったのか、最近深雪は悠の呼び方を改めていた。とはいっても、中々言い慣れないようでまだ昔のように悠お兄様と呼んでしまうようだ。

 

「それで、悠さん。ご用件は何でしょうか」

 

悠は来月東京で行われる九重神楽の打ち合わせのために上京することは事前に知ってはいたが、来て早々、妹との小恥ずかしいやり取りを見せられると達也としては複雑であり、挨拶もそこそこに本題を切り出した。

 

今回の騒動を受けてこちらにも顔を出したと言う体だが、達也の経験則として悠が来る時と言えば大抵大きな情報提供か、大きな事件が起きる時だ。今回はおそらく師族会議を狙ったテロについてだと推測していた。

 

「達也は、昨日は朝から出かけていたんだろう。そう焦らなくても、あまり遅くならない内にお(いとま)するよ」

 

どうやら悠は達也が昨日未明、鎌倉にある顧傑(グ・ジー)が潜伏しているとみられた場所を襲撃していたことを知っていたようだ。

残念ながら顧傑(グ・ジー)は既に逃走しており、隠れ家ではジェネレーターが達也たちを迎え撃った。

雅はおろか、風間にもまだ報告していない四葉内部の情報だが、千里眼を目の前に情報の隠匿は無意味だと判断した達也は、ただの様子見で悠が来ているわけではないと手持ちの情報を公開した。

 

「相手は僵尸術(きょうしじゅつ)を使っていました」

「横浜の一件でも使われていた術だね。趣味の悪い人形遣いは大陸の作法だとこの頃思えてきたよ。しかも今回の敵は随分と手癖が悪いようだ」

 

悠は淡々とした口調ながらも、どこか語気には静かに業火を滾らせた怒りと、それとは反対の寒々とした印象を受ける。

達也が対峙した強化魔法師は、世界大戦を間近に控えた国際情勢が緊迫していた時期に行われたUSNAとの共同研究の被検体であり、厳重に管理されている軍の忌むべき負の遺産である。敵はそれを盗み出したのか、はたまた脱走したところを利用されたのかわからないが、表には出てこないはずのものを使っていることまで悠は知っていた。

 

普段は柔和な笑みを浮かべている彼がこうも無表情に近い状態であると、整いすぎた造形と闇を溶かしたような黒い瞳も相俟って、同席していた深雪は小さく身震いするほどだった。

 

「今回は風間さんのところは動かないのかい?」

「十師族に肩入れしているとみられるような行動は自粛しているようです。今回は公安と神奈川県警の方が指揮を執っています」

「間接的には動きがあるようだから、手柄は警察と公安に譲って借りを作るつもりかな」

「特尉として任務は命じられていません」

 

今回のテロは犯行声明に基づけば、十師族を標的としていた。被害を受けた十師族が率先して捜査に協力し、事件を解決してみせることで世論の鎮静化を図る狙いもある。

風間が指揮する国防軍の独立魔装大隊は情報収集や分析に関して協力している部分はあっても、表立ってテロリストの捕縛に参加することは予定されていない。

 

「横浜の一件では猟犬が随分と上手に狩りをしてくれたようだから、今回もその伝手だと思うよ」

 

横浜で動いていた警察となると達也にはエリカの長兄が思い浮かぶが、藤林が事前に警察の方へ情報を流していたと聞いている。情報交換の材料くらいにはなるだろうと達也は胸の隅に留めた。

 

「今回、達也の所にはUSNAからの留学生がテロの情報提供をしてくれたんだろう」

「ええ。非公式に、ですが」

「どんな大国も世論は恐ろしいようだ」

 

今回のテロで使われたのはUSNAで廃棄予定の携行ミサイルだった。

携行ミサイルを抱えていたのは、顧傑(グ・ジー)が雇ったとみられる民間人であり、なにかしら洗脳を受けていたと考えられている。そのミサイルも兵器ブローカーや軍の廃棄担当を洗脳して手に入れた物と諜報を担う黒羽家は考えており、達也もその意見に反論はなかった。

 

しかし、どうやら悠の話によると、事態は思っていたより複雑なようだ。携行ミサイルは廃棄予定のものを軍関係者とコネクションのある大統領補佐官を含むグループが便宜を図り、秘密裏に譲渡された物らしい。

日本で師族会議を狙ったテロを起こさせ、民間人が犠牲になることで、USNAの人間主義の団体の攻撃の矛先を日本の魔法師に向ける目的のため、顧傑(グ・ジー)を利用しているという。

 

「亡霊は十師族でも四葉でも、日本の魔法師でも結局彼にとってはやり場のない恨みをぶつける先が欲しい。言論の自由を謳うUSNAは人間主義者の団体によって国家が分断されるのを恐れた。奇しくも両者の利害関係が一致してしまったというわけだね」

「そのようなことのために、あのような事件を起こしたのですか」

 

深雪は怒りからか、魔法力のコントロールが乱れ、部屋の温度が下がりそうな勢いだった。

 

「テロ実行犯も、騙された善良な市民だ。洗脳されていたとなれば、彼らに罪はなくても反魔法主義団体の活動に火に油を注ぐだけで、公表はされないだろう」

 

悠の言葉に、深雪は手を強く握りしめた。途端に深雪を中心に冷気が広がり、テーブルの上の紅茶には薄い氷が張っている。

達也はそれを術式解体で情報の改変を阻止すると、机の上の霜や紅茶の氷は解けていた。

 

「お兄様、すみません」

「気にするな。それにお前が心を痛めることはない」

 

達也には、心優しい深雪とは違って見ず知らずの民間人が犠牲になったところで痛むような心はない。

残念だとは思うが、哀悼を示すことはできても、それ以上の感傷も感情も湧かない。USNAのやり口は国家としての政略だと理解できても、標的に自分たちが含まれるのであれば憤りを覚える。

 

悠にしても、犠牲者を悼む心はあっても、怒りの焦点は国を荒らされたことに対するものだろう。そういう意味で、悠もどことなく人でありながら、人でなしと言えるかもしれない。

 

この日は優秀なメイドとして控えていた水波は既に新しい紅茶を用意しており、冷え切ったものとすぐに取り換えた。

 

 

「さて、この情報はUSNAではどこまで伝わっていると思う?」

 

悠は紅茶を傾けながら、達也に問いかけた。

 

「叔母上の話であれば、沼津港にいた不審な貨物船をUSNA所属のクルーザーが監視していたという報告があったそうです。大使館は少なくともテロリストの存在を把握し、軍からテロリストにミサイルを譲渡したという事実の隠蔽のため、あちらの魔法師部隊が顧傑(グ・ジー)を追っているといる可能性が高いということですか」

 

ここでいう隠蔽とはUSNAが顧傑(グ・ジー)の逃走を幇助し、秘密裏にUSNAへ出国させる、もしくは暗殺という手段を用いて口を封じるということだ。

政治家の方は保身のため、テロリストに加担したことに口を割ることは無いだろう。顧傑(グ・ジー)さえ手にしてしまえば、国際的に非難されかねないスキャンダルは闇に葬られる。

仮にそんな陰謀説を唱えようにも証拠らしい証拠と証人がいなければ、出鱈目な政権批判と言われて終わるだけだ。

 

 

「そういうことだね。顧傑(グ・ジー)に対してはUSNAの邪魔が入るとみていいだろう。国内で暗殺すると問題が大きいから、公海上ないし日本領空圏外だろうね」

 

パラサイトの一件でUSNAの魔法師に対する日本の監視は厳しくなっており、行動は制限されている。逆に任務として公海上の船舶で待機し、逃げてきたところを海の藻屑にしてしまえば、捜索は難航し、USNA政府とテロリストの繋がりをたどるのは困難だ。

 

「昨年のように、スターズを投入しているということですか」

 

深雪はまさか情報提供してくれたリーナが極秘来日しているのかと心配だった。彼女は十三使徒に数えられるほど魔法力は強大であるが、捜査、追跡、潜入といった任務には向いていないタイプだった。

 

「いや、リーナを国外に出すにはリスクが大きすぎる。監視が厳しくなっている今、バックアップの人数も暗殺の実行者も少数精鋭だろう」

 

深雪の質問に答えたのは達也だった。

リーナが使う仮装行列は確かに暗殺や潜入には向いた魔法技能だが、本人の性格が長期間誰かを欺くことに向いていない。国外での暗殺任務を成功させるだけの実力のある魔法師が選ばれていることは確実だろう。

仮に妨害があった場合、戦闘は避けられないが、国内であれば相手もそれなりの理由を用意してくるか、互いに活動を明かせないため、見て見ぬふりをすることになりかねない。

 

「どこまで公表するのか、達也が決めていい」

 

この情報の公開先として挙げるとするならば、達也に顧傑(グ・ジー)の無力化を命令した真夜、四葉家の諜報役で顧傑(グ・ジー)の捜索の主力である黒羽家、十師族として今回の捜査に協力体制にある十文字家と七草家、任務として命令はないが独立魔装大隊のあたりだろう。

 

達也は悠を見据えた。

悠は深雪に向けていた視線を達也に戻す。

この中でどこまで情報を与えるのか、逆にどこに対して情報を絞るのか、その手腕を試されていると感じた。

果たして今後も四葉家という括りの中で、達也が与えられた情報に対してどのように動くのか見ているのだろう。

 

「分かりました」

「期待しているよ」

 

こんな時でも優雅に微笑んでみせる悠は、文字通り魔性のようだった。

 

 

 





次回 クリプリ来る


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師族会議編7


26巻買いました。これから読みます
帯で発表された『司波達也暗殺計画』が10月に発売だそうですが、先生の公式サイトで連載されているの知らなかった(ノД`)・゜・。







 

2月11日 月曜日

 

朝から校内はなにやら浮足立った様子だった。

バレンタインというイベントは迫っているが、当日でもない今日、早朝から騒がれるような何かがあったのだろうか。

 

「おはよう、雅。ねえ、さっき三高のプリンス見かけたんだけど、なんか知ってる?」

 

私が席に着くと、エイミィがニコニコというより好奇心があふれた笑みを浮かべながら近づいてきた。

 

「おはよう。三校のプリンスって一条君?」

「そうそう。教頭先生に連れられて校長室に入ったのを見たんだよねー」

 

どうやらこの浮足立った様子は三高のプリンスこと、一条家次期当主が来ているという噂が飛び交っているのだろう。

 

「さあ。私は何も聞いていないけれど、一時的な転校かしら」

「この時期に?」

「箱根の件で一条家も協力しているんじゃないかしら」

 

七草家と十文字家、四葉家はテロ実行犯の捜索を開始している状況で、一条家が何もしないとは言い難い。

当主が情報収集やその他の差配をする関係上、現場に出向くのは当主以外の親族、尚且つ男性が望ましいとなれば、次期当主として定められている一条将輝以外にはいないだろう。

 

ただ、捜査は少なくともひと月近くは掛かると目算されているので、その間学校を休むとなると単位が足りなくなる。

捜査のため休学していたら単位が足りなくて進級できないと言うのはいくら十師族として仕事をしていても本人も望むところではないため、止むを得なく一時的な転校ということは考えられる。

 

「どこのクラスに入るか分からないけれど、なにかしら説明があるんじゃないかしら」

 

魔法科高校生では、退学より転校の方が珍しい。

まず編入試験の難易度が入学試験以上に高く、一高、二高、三高以外から難易度を下げてその他の魔法科高校に転校することはあっても、それ以外は聞いたことがない。

ただ前例がないだけで、制度上できないわけではない。

筆記の程は知らないが、実技は間違いなく優秀であることは九校戦での戦いぶりを見ていたら分かる。

 

気になるのはどこのクラスに配置されるかという事だが、一科生に欠員が出ると、二科生の中から成績順に一科への転属が認められる。

彼の実力を考えて一科生と実習をするとして、席が空いているとなると、使えるクラスは限られてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝のホームルームの時間となり、教室にはB組の指導教員ではなく、八百坂(やおさか)教頭と朝からの噂の一条君がやってきた。

教頭の説明によると、一条君は家庭の都合でこれから三学期末までの約一か月間、一高で勉強することになるらしい。一科で席が空いているのはB組とD組だったので、どちらかだと思ってはいたが、B組で過ごすことになるようだ。

 

魔法大学と魔法科高校のネットワークを利用して三高のカリキュラムを履修するため席を借りるだけなので、転校ではなく、所属は三高のままなので、赤が基調の三高の男子制服のままだ。実習や実技は単位にならないが、参加はするらしい。

家の都合だなんて言葉を曖昧にしているが、テロ関係の調査だという事は伝わったようで、クラスからは無言ではあるが、隣と顔を見合わせたり、興味深そうにしたり、逆に顔を顰めたりと、静かにざわめきが広がった。

 

「第三高校の一条将輝です。この度は第一高校の皆さまのご厚情により一緒に学ばせていただくことになりました。一か月という短い間ですが、よろしくお願いします」

 

一条君が言い終わると同時に、小さく頭を下げた。

クラスからは戸惑いと共に拍手が送られた。

見回してみると、男子からは値踏みするような、女子からは概ね好意的な印象を持たれているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「意外」

「何が?」

「てっきり深雪に案内頼んだり、食事にでも誘いに来るかと思ったのに」

 

その日のお昼はいつものメンバーで食堂に来ていた。

噂の一条君は、私たちとは少し離れた席で2年生の男子生徒数人とテーブルを囲んでいる。

 

「クラスは違うけれど、それより先にA組の森崎君がお昼に誘ったみたい」

「どっちが先にしても、初日から深雪のお尻を追っかけるなんてプリンスのイメージ崩れるわね」

 

エリカの正直すぎる感想に大半が苦笑いだ。ただ、深雪は不服というより好意を向けられること自体が理解できないと言わんばかりの表情だ。

深雪の気持ちをどこまで一条君が察しているのかはともかく、いくら深雪に気があるとしても、クラスも違う状況で誘うような度胸はないのか、初日で大人しくしているのか。

クラスは隣とは言え、理由を付けて会いに行く用事もないのか、まずはクラスメイトと仲良くすることに努めているのか、今のところ、深雪に挨拶もできていないらしい。

私としては、このまま距離をとったまま事件解決まで深雪と接触は持たないでもらいたい。

 

「それにしても、一条君が一高に転校とは予想していなかったな。転校してきた理由に説明はあったのかい」

「家の事情」

 

吉田君からの質問に雫が端的に答えた。

 

「あと転校ではなく、端末を借りてオンラインで三高の理論科目を受講するそうよ」

「家の事情って、一条家の?」

 

私からの補足に、吉田君は少し声を潜めて達也に問いかけた。

 

「今の時期だとテロ絡みなんだろうけど、達也は何か聞いている?」

「魔法協会を通じた声明は知っているだろう」

「ああ。テロの首謀者を炙り出すっていう、あれ?」

「一条はその任務で東京に来ている。ついでに言うと、七草先輩、十文字先輩と俺も捜索に加わっている」

 

テロ実行犯の捜索は本来、警察の仕事だ。

いくら強大な力を持とうとも民間人である十師族が、捜索にあたることは越権行為であるため、あくまで十師族は協力体制を取りつつ独自に動いている。

しかも報復目的ではなく、昨今加熱する人間主義をはじめとした反魔法師運動に対する世論対策の意味合いも含まれている。

なので達也は家からの仕事ではあるが、特に隠すことも話題を逸らすこともしなかった。

 

「へえ、そうなんだ。………ねえ、達也。僕も手伝おうか」

「幹比古には反魔法師団体の方に注意してほしいんだが」

「反魔法師団体?」

「当校の生徒が盗撮や暴言の被害にあっていると俺に教えてくれたのは幹比古だぞ」

 

1月の中頃、風紀委員会から生徒会を通じ、全校生徒に報告と注意喚起があった。

魔法師は人間の本来許されない力を行使している、魔法は戦争利用するために開発されている、魔法科高校生はたとえ一般生徒でも戦闘訓練、軍事訓練を行い思想教育されている、魔法師の自衛権のために武器(CADのことだと思われる)を携帯し、市民の安全を脅かしている等々、魔法師はまるで人間ではない別の種族だと言うような過激な思想を含んだ人間主義の主張は横浜事変の一件以降、発言力を強めている。

世界的な緊張が高まる中で、日本のみならず、魔法師は危険な存在だと声高々に叫び、各地でデモや集会が行われている。

魔法師はいくら国防には欠かせない存在になっているとはいえ、ごく普通の日常生活を送っている人々にとっては魔法とは縁遠いものであり、よく分からないがとても危険なものといった程度の認識しかない。

 

そもそも魔法師は絶対数が少なく、人口千人当たり一人、実際のところ成人後も魔法師として働ける程度の魔法技能を持つ者たちは一万に一人程度のごく少数だ。

往々にしてマイノリティというのは、異物として社会から認識され、無意識無知の民衆にとっては批判のはけ口になりやすいものだ。

例え、それが未成年であったとしても魔法が使えるというだけで、緊迫している社会情勢の中では言われのない暴言や大勢で取り囲むといった嫌がらせを受ける対象になってしまうことを、安易に仕方ないとは言いたくはなかった。

 

「テロ事件が起こる前からあの状態だったんだ。世論が魔法師に対して批判的になっている今、魔法師に対してより過激な暴力に訴える可能性は無視できない」

 

吉田君は急いで端末を取り出すと手持ちのデータを確認し始めた。

 

「まだ暴行を受けたと言う報告はない。けど、校外で嫌がらせを受けた件数は増えている……」

 

風紀委員会には部活連や生徒個人、活動時間内に風紀委員が確認した被害が報告されている。恐らくそのデータを見ているのだろう。

 

「ごめん、達也。僕は本当に呆けていたようだ。校内の問題ばかりに目が向いていた」

 

吉田君は危機感を明々と顔に浮かべていた。

箱根のテロの一件と社会的な魔法師に批判的な風潮のせいで、校内もどこかピリピリとした不安定な状況であり、ちょっとした口論やそこから取っ組み合いになるケースが例年と比べれば多くなっている。仲裁には風紀委員が呼ばれることが多いため、吉田君はそちらに目が向いてしまったのだろう。

 

「後でデータを送ってもらえるか。生徒会のデータと合わせて報告をしておく」

「分かった。達也が任務に集中できるよう頑張るよ」

「頼りにしているわよ、風紀委員長!」

 

気合を入れて頷く吉田君に、エリカが吉田君の背中を強めに叩いた。

 

 

 

「そういえば、九重さん。部活の方は大丈夫かい?」

 

吉田君はもう一つ、思い出したように心配の滲む声で私に問いかけた。

 

「念のための延長願いだったから準備自体はできているし、後輩がプレゼンの練習をする時間が減ったくらいね」

 

図書・古典部の1年生はこの時期になると研究発表をすることになっている。先輩の研究グループに参加している人もいれば、自分でテーマや対象を設定して研究を行っている人もいる。

今年は新入部員3名が魔法研究を主に入部していて、文芸部門の2人も協力している。

発表前とあって念のため部活時間の延長申請をしていたが、先ほどの話のように校外での迷惑行為への対策と安全のために、部活動の延長許可は取り下げられた。

 

「図書・古典部の研究発表ってもうそんな時期か」

「明後日よ。都合が良ければ、来てくれると嬉しいわ」

 

プレゼンの資料はほぼ出来上がっており、部活の時間は装置の最終調整を行い、原稿読みについては自宅に帰ってグループ通話で練習しているらしい。

 

「ちなみに雅も出るの?」

「協力はしている、と言うに留めるわね」

 

あくまで研究の主担当は1年生のため、プレゼンの推敲やアドバイスはしていても、研究そのものについては口出しをしていない。

 

「当日のお楽しみということですね」

 

深雪は私がなにか発表で魔法を使うと予想したのか、期待に目を輝かせた。達也はテロ捜査の関係もあって難しいだろうが、深雪は決まりのようだ。

 

「けど、雅は大丈夫?」

「なにが?」

 

エリカが殊の外、真面目な顔で問いかけた。何に対して大丈夫なのかが分からないが、心配している風に見えて口元がわずかに上がっているのが気にかかる。

 

「去年の発表みたく、この時期にあんまりカッコいいことされるとチョコレートの数が凄いことになりそうだなって」

 

皆の視線が私に集まった。

 

「まさか、ね?」

 

私の同意を求める声に首を縦に振ってくれる友人は残念ながらいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2月12日

 

B組の二時間目は実習だった。今日の課題は『魔法の終了条件の定義』だ。

 

永続する魔法は存在せず、どんな魔法でさえ必ず有効時間に限りがある。

しかし、魔法の終了条件を定義しない魔法は、何時その効力が切れるか分からないままその対象に残り続ける。

例えば、ランプを赤く点灯させる魔法を使った場合、終了条件を定義していなければ、魔法力の続く限りランプは赤色に点灯したままになる。

また、赤く点灯したランプを青色に変更する場合、魔法がかかったランプの上に青色に点灯すると言う魔法を上書きするため、前の魔法を上回る魔法力を必要とする。

 

これを防ぐために魔法の終了条件を定義するのだが、この方法は主に二つある。

一つは魔法の発動時間の指定。もう一つは、魔法の改変が定義された内容まで進行したことをもって魔法の終了とみなす方法だ。実践ではこちらの方が多く使われている。

魔法の終了条件の定義は魔法師の技量の測る上で重要な要素の一つと見なされているため、簡単そうに見えて比重の大きいテストである。

 

「流石」

「ありがとう」

 

今日の授業は作用時間を変数として定義する実習であり、白いプラスチック球を赤→青→緑に1秒ごとに色を変えるという魔法を30秒間に10セット行い、終了時点の秒数の誤差がプラスマイナス1秒以内が合格ラインになっている。今日はまだ初回のテストのため、実習室は比較的気楽な雰囲気だ。

秒数の読み上げの補助や時計のストップウオッチを使いながら魔法を使っても今日は構わないが、本番はそれらを使いながら魔法を使うことはできない。

私は雫とペアになって練習をしているが、読み上げ補助なしでも誤差なく1回目で合格基準を満たしてしまった。

 

「終了条件って1秒刻みでカウント取っているんだよね」

「そうね」

 

1秒ごとの変化のずれは積算されることは無く、最終的に30秒に帳尻が合えば良いという内容だが、ランプを赤、青、緑に3秒で変化させるより、赤1秒、青1秒、緑1秒と1回ずつ定義して魔法を発動させた方が合わせやすい。

 

「カウントのコツってあるの?」

 

雫は1回目のテストで読み上げの補助を付けたが1秒ズレてしまった。

広域に及ぶ魔法や、規模の大きい術式は得意のようだが、細かい制御は苦手と言っていたので、今回のテスト内容を聞いた時、顔が若干嫌そうな感じに見受けられた。

 

「あまり褒められたやり方ではないけど、リズムで取るという方法もあるわね」

「リズム?」

「1分間を60拍で取るか、120拍の倍速で取ってみる方法ね」

 

私は携帯端末からメトロノームのアプリを起動させ、120bpmに設定する。他の組の邪魔にならないように音量に気を付けつつ、カッカッという昔ながらのメトロノームの振り子の響く端末を雫に渡す。

 

「1秒の感覚を掴めるようになったら、60拍に下げて、それからメトロノームを外してみたらどうかしら」

 

雫もピアノをやっていると聞いたことがあるので、1秒という時間よりリズムで合わせる方がやりやすいかもしれない。合わなければ地道に時計を見たり、読み上げをしたり、1秒という終了条件の定義の練習を繰り返すだけだ。

 

「やってみる」

 

雫は私の端末を左手に持ち、実験用の端末の前に向かった。

読み上げの補助は必要ないため、私は少し離れた位置で結果を見ることにした。

思った通りリズム感は良いようで、先ほどとは違って1秒の刻み方に誤差が少ない。120bpmにしたため裏拍子がある分、リズムとして取りやすいのだろう。

 

「揃った」

 

30秒のテスト時間が終了し、雫が結果を確認すると表情は乏しいが、声に感動が滲んでいる。1秒ごとの誤差も30秒後の誤差もズレはかなり少ない。

 

「あくまで1秒の感覚をつかむものだから、何回か練習したら、次は終了前10秒か5秒で読み上げをしてテストしてみる?」

「分かった」

 

その後何回かテストしたが、授業時間の半分を過ぎる頃になると雫はすでにメトロノームなしで終了前の読み上げだけになっていた。

 

 

 

 

「順調?」

 

隣の端末を使っていたエイミィが声を掛けてきた。

彼女も早々に基準は満たしたようで、今はペアの女子に端末を譲っている。

 

「一条君が意外と苦戦しているみたいだよ」

「一条君が?」

 

離れた端の端末を使っている一条君を見ると、表情は芳しくない。

合格基準を満たしているかまではここからは分からないが、まだ納得のいく結果が出ていないのだろう。

 

「三高は戦闘メインのカリキュラムだから、慣れないだけかもしれないわよ」

 

基本的にはどこの学校も魔法科大学の入試を受けられるだけの基準を3年間で身につけられるよう授業内容は設定されているだろうが、三高はどちらかと言うと魔法戦闘を想定した実習が多いと聞く。実践を想定した魔法というのは、魔法の改変が定義された内容まで進行したことをもって魔法の終了とみなす方法が主流であるため、そもそも変数として秒数を指定することはあまりないのかもしれない。

 

しかも一条家が得意とする魔法は人体に直接作用する魔法であり、干渉力の高さが鍵になる。十師族として相応の魔法力はあるようだから、多少の得意不得意はあったとしても試験までには感覚を掴めるだろう。

そもそも一条君自体、この実習は単位にはならないので、出なくても支障はないから、例え合格基準に満たなくても進級できないことは無い。

 

「一条君ならもっとソツなくするかと思って」

「確かに」

 

エイミィの意見に雫も同意した。

私も一条君が課題に手こずっている様子に少なからず意外感は覚えたが、口には出さなかった。

 

一条家が深雪に対して婚約の申し入れをしている状況で、一条君と接点を持ったとしても、冷たく当たったとしてもあれこれと不必要に騒ぎ立てられても困る。

テロの首謀者の捜索が目的で来ている以上、個人的な事情は蚊帳の外に置いて他のクラスメイトと同等に接するつもりだ。

それに聞かれてもいないのに私がアドバイスをするなんて、一条君としても癪だろう。

 

「雫、端末が開いたようだから練習してみる?」

「分かった」

 

結局、雫は授業時間内に読み上げなしで1秒以内の誤差という基準をクリアできた。

遠目で見ると、一条君も最終的には良い結果が出たようで、肩を撫でおろしていたのが見えた。

 

 

 

 

 

 

 

その日のお昼休みは、いつものメンバーに加えて一条君も一緒にテーブルを囲んでいた。

誘ったのはわたしではない。

昼休みに入るとすぐ、深雪を連れたほのかが一条さんも一緒にどうかと食堂に誘ったのだ。

 

単にせっかくだから顔見知りになりたいのか、それとも深雪と一条君をくっつけようとしているのか分からないが、どうしても裏を考えてしまう。

仮にほのかが一条君と深雪の婚約を支持し、兄と深雪との婚約が破棄された場合、達也と私の婚約にも影響が出る。

既に結ばれた婚約を四葉家が破棄したとなると、達也と私の関係も見直される。

そうなれば、四葉家が次に相手として選ぶならば同じ十師族の七草家か、後ろ盾はあるが家としての(しがらみ)の少ないほのかが有力だろう。

ほのかがそこまで計画しているとは思いたくはないが、どうしても嫌な方向に頭は働いていた。

 

料理を受け取ると、深雪の両端の席に私と達也が付き、達也の正面には一条君、深雪の正面にはエリカが付いた。

自然な流れで行けば、一条君の正面は深雪になるような席順だったのだが、前を歩いていた吉田君がそれを察したのか、お茶を取りに行くと言って順番がズレたので、このような席順になっている。

一条君としては隣か正面に付きたかっただろうが、結果的には私が許容できる位置になった。

 

「一条君、捜査はどんな感じ?」

 

明け透けとしたエリカの言葉に、一条君は汁椀を持ちながら言葉を詰まらせた。

十師族がテロ首謀者の捜査に協力しチームを組んでいることはここの席にいる者なら知っていることだが、実際のところは十師族に捜査という権限はないため、法律的にグレーな行為である。無論、逮捕権もなければ警察や公安と言った職業についていないので名目上、自衛以上の魔法の行使はすることはできない。

しかし、実際のところは捜査に協力していたところ、テロリストからの攻撃を受け、止む無く迎撃したという建前は使える。

 

エリカは軽々しく聞いたが、とっさに顔に出す一条君も一条君だ。

 

「エリカ、一条は東京に来たばかりだぞ。いくら飛びぬけて優秀な魔法師だとしても一日で目に見える成果は上がらない」

 

意外なことに達也が助け舟を出した。

確か、昨日のところで十文字先輩や七草先輩と顔合わせと情報交換をしたと聞いているが、そこまでは話さなかったようだ。

 

「そうよ、エリカ。そんな催促するような事ではないわ。一条さん、いきなり申し訳ありません」

「いや、謝っていただかなくても」

 

激しく一条君は戸惑いを見せていた。

三高の上杉さんから女子に人気があるとは聞いていたが、意外と根は真面目なのかもしれない。

 

「それにしても、一条さん。羨ましいです」

「はい?!あの、何がでしょうか」

 

深雪の純粋無垢な無邪気な笑みに、一条君は狼狽えた。

 

「お兄様が“飛びぬけて優秀”だなんて。お兄様、意外と辛口なのですよ」

 

笑いながら深雪は責めるような、やや嫉妬まじりの眼差しを一条君に向ける。

ここで私が深雪と同調するような言葉を口にして逸らすべきかと悩んでいる一瞬の間に、ほのかが口を挟んだ。

 

「達也さん、やっぱり一条さんのことを認めていらっしゃるんですね。良いですね。男同士のライバルって感じで」

「ライバルと言っても、魔法力は一条の方がずっと上だけどな」

 

これだけ積極的に話しかけられれば達也も話をほのかに向けざるを得ない。

 

「今やっている実習は達也さんの得意分野じゃないですか」

「今の課題はスピードや強度よりも正確性を求められるものだからね」

 

達也は謙遜せず、控えめにほのかの発言を肯定した。確かに変数の定義や終了条件の定義などは達也の得意分野だ。

 

「達也さん。最初から1秒刻みだったんですよ」

 

少し席の離れた美月が、達也が謙遜していないことから得意げに口を挟んだ。

 

「私も大体時間どおりに収めることができるんですけど、どうしても途中で長くなったり、短くなったりするんですよね。なにかコツとかありませんか」

 

思ったとおり、ほのかは一条君をダシに達也の関心が引きたいようだった。一条君を深雪に押し付けている間に、自分が達也と話せればと思ったのだろう。

一条君は達也もほのかも課題を難なくクリアしていることにショックだったのか、深雪から慰められている。

 

正直、愉快な光景ではないが、ほのかと達也の会話に割り込むほどの話題もない。一条君と深雪の会話に注目しつつ、やや作業的に食事を口に入れていく。

 

「そういえば一条君、B組ではどんな感じ?」

「実習で雅の結果聞いて落ち込んでたくらいかな」

 

雫が一条君の傷を抉るように答えた。

案の定、ほぼ初対面に近い雫の無遠慮な言葉にいや、とかその、とか言葉に困っていた。

 

「あと割と顔に出やすいと思った」

「あ、私もそれ思った」

 

雫の言葉にエリカも非難するように一条君を見た。

 

「一条君、アタシと雅の御膳見て意外と食べるんだなって思ったでしょ」

「いや、そんなことは無い。しっかり食べることは必要なことだと思うぞ」

「それにしては目が泳いでいない?」

「図星」

 

二人からの容赦のない言葉に上手く取り繕う言葉は思い浮かばないのか、口ほどに雄弁にその顔が物語っていた。

 

「普通以上に食べないと体重落ちるのよ。雅もそうでしょ」

「そうね」

 

私やエリカの御膳と深雪や雫の御膳を比べると、量は確かに多い。

男子並みにとまではいかないが、女子にしては多いと思われても仕方のない量であることは確かだ。

 

「どんな体に悪い減量をしているんだ」

 

一条君は食べていても痩せるという言葉に眉を顰めた。

ダイエットのために過激な運動をしているとでも思われたのだろうか。

 

「単純に運動量が多いのよ。サンドイッチ1個で昼食済ませるなんてしたら、帰る前に倒れるわよ。私は食事制限ないからまだいいけど、雅なんて精進料理しか食べられないから大変よね」

「舞台が近い時だけよ。どうしても料理自体カロリー控えめだから、量で補うしかないのよね」

 

神楽の稽古前にはお握りなどの軽食を取り、夕食も比較的遅い時間になることもある。気力、体力ともに使うだけではなく、痩せすぎても衣装映えが悪くなるからメニューには気を遣う。

 

エリカも朝は自宅で剣術の稽古や走り込みをして、テニス部の活動をしたり、剣道部に顔を出したりしているので、同年代の女子と比較しても運動量は多いだろう。

 

「『“優雅”とはそれを維持するための筋力と自然と身に付くまでの反復で培われる。優雅とは余裕であり、余裕を作るのは筋力である。』って、ダンスの先生が言ってた」

 

雫の言うダンスとは社交ダンスかなにかのダンスだろう。

 

「優雅はともかく、お前は食い意地が張ってるだけだろ」

「あら、白鳥は水面の下で忙しいのよ!」

 

エリカは容赦なく机の下で西城君の足を蹴った。

いつものやり取りに、少しだけ私の心は軽くなった気がした。

 

 





師族会議編、思ったより長引いています。
多分、次回真夏に、激アマバレンタイン話を入れます。尺が足りれば・・・




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師族会議編8

書いている途中にこれは確実に1万字超えると思ったら、1万5000字オーバー・・・
流石に切りの良いところで分けました。
二話投稿になります。こちら師族会議編8からご覧ください


二月十三日

 

図書・古典部の発表は体育館で行われることとなった。

例年この時期になると、図書・古典部の発表は1年生が入学時から取り組んできたテーマについて発表することになっており、大学の古式魔法を専門とする教授や同じ一高の魔法理論系の部活が見学に来ている。

基本的に見学は自由であり、自由登校の3年生の姿も見られる。

 

「深雪先輩、こちらをどうぞ」

 

見学は特に制限がないため、発表する1年生の友人や念のために風紀委員も控えている。

また、来賓がある程度見込めることから生徒会の役員が顔を覗かせることもあるが、必ずしも見学しなければいけないものではない。

 

「ありがとう、泉美ちゃん」

 

泉美が勧めたのは、見学席の一番後方の列であり、深雪にしてみれば二人の体格では前に大柄な生徒が座れば見えにくいのではないかとやや心配はしたものの、勧められた手前、断るような理由もなかったので、そのまま泉美の隣に座った。

 

泉美ではなくても、生徒会長である司波深雪が敬愛する姉が関わっていると分かっているのに見学に来ないはずがないと理解していた。

深雪が行くならば、護衛である水波も同行することが決まっているようなものであり、深雪に憧れを抱く七草泉美も見学に訪れていた。

特に忙しい時期でもないため、ほのかや雫の他、あまりこういった理論系の発表に見学に来ることがない里美スバルや桜小路紅葉といった姿もあり、七草香澄は風紀委員として警備名目で泉美の隣に座っていた。

 

一高の中でもバスケットコートが2面取れるほどの大きな体育館の一方には、なにやら体育館の床材とは異なる移動式の床材が設置されており、もう片方にはスクリーンと観覧用の椅子が設置されている。

特に大掛かりな機材は発表側にはなく、まだどのような発表が行われるのか会場を見ただけでは分からない。

 

「実は雅先輩は発表ではなく、実演の方で参加されると耳にしまして、僭越ながらこちらの方が良く見えるかと思いまして」

 

深雪は今回の図書・古典部の発表については表題くらいしか聞いてはいないが、発表者と同じ一年生とあって内容を聞いていたのか、泉美は後方に設置されたものが実験用の舞台であり、それを良く見るためには一番後方が無論適しているとしてその席をとっていた。

泉美の隣に座りたがる生徒は他にもいたのだが、生徒会として見学に来ており、香澄と一緒に後方から異常がないか確認することになっていると適当にそれらしいことを言えば、生徒たちは大人しく別の席を探していた。

 

 

 

定刻になると、まだ垢ぬけない1年生の女子生徒のやや上擦った声で発表が始まった。

 

「今回、図書・古典部では刻印魔法の重層化に取り組み、五層までの組み立てに成功しました」

 

刻印魔法とは、文字どおり魔法が作用する対象に起動式となる刻印を刻み、それに想子を流し込むことにより魔法が発動するというのが基本原理だ。

一般的なCAD機器を使用した場合に比べ、魔法力の燃費が悪く、汎用性に欠けると言われているが、単一的な魔法の武装デバイスや結界的な魔法にはよく用いられる手法ではある。

複数の効果を持たせるには、基本的に刻印を複数描くことになるが、燃費が悪いと言うだけあって、必要な魔法力も増える。

それが五層、つまり少なくとも五工程分となれば、かなりの大規模な魔法と言える。

よほど起動式となる刻印の省エネ化に成功したか、術者が優秀な魔法師でなければ、成功できないことは予想できる。

 

発表によると、図書・古典部らしく元となった術は魔導書と呼ばれるような文献が基になっているらしい。

五層にも及ぶ起動式は光学系魔法の逐次展開、色調変化、群体制御と盛り込まれた要素は多いが、一つ一つの術式を最小化することで必要な魔法力を軽減させたという。

魔法幾何学を専攻している生徒ならば、スクリーンに表示された刻印から起動式の要素となるものを読み取れただろうが、魔法幾何学は選択科目ではないため、式そのものについては、聞き流している生徒が大半だ。

 

「この術式は、文献内では妖精を呼ぶ儀式とも言われていました。それに(なぞら)え、その魔法を実演しようと思います。後ろをご覧ください」

 

聴衆が後ろを振り返ると同時に、会場全体の照明が落ちた後、後方の舞台の周囲だけは僅かに薄暗く照らされている。

目を凝らすとなにやら舞台中央に人影がある。

表情までは伺い知ることができないが、少なくとも二人。1mほどの距離を開けて、白い衣装と黒い衣装を着た人物が立っている。

 

会場にハープの柔らかく、どこか切なげな音色が響く。

音に合わせ、二人の人影は近づき、手を取り合う。

そして、一歩。同じ方向に踏み出したと同時に、彼女たちの歩いた後には3㎝ほどの萌黄色の光が浮かび上がり、消える。

 

会場から、ざわめきが広がったのは一瞬。

あとは誰もが息を呑んでその二人を見つめている。

光は二人の歩いた軌跡をなぞるように輝いては淡く消えていく。

 

目が慣れてきた生徒たちは、白い衣装がドレスだと気づきだしたころだ。

彼女がくるりくるりと、舞うように軽やかに移動するたびにスカートの裾がふわりと広がり、腰から腕に繋がるウイングは薄い妖精の羽のようにも見える。

薄暗くした会場のため、白い衣装が魔法で作られた光を反射し、淡く色づき、縫い込まれたガラスの装飾がまるで豪奢な宝石のように光る。

ウエディングドレスのような純白のAラインのドレスは、胸元が華やかかつ上品に刺繍されているのに対し、背中は腰まで大きく空き、白い色の肌がのぞいている。

サイドの髪は編み込まれ、くるりと後れ毛(おくれげ)ひとつなく後ろで一つに丸められている。

森の中でただ二人だけの世界で、ワルツを踊っているかのような、まるで森の中に妖精が現れたかのような可憐な舞に、人々はそれが魔法だという事も忘れて見入っていた。

 

曲が一度落ち着き、二人が中央の位置で立ち止まる。

これで終わりかと思われたその時、床一面ががこれまでにない黄金の輝きに満ち溢れる。

床から天井から、まるで湧き出ているかのように、ゆっくりとした黄金色の丸い光が二人に降り注ぐ。

 

少女はふわりと微笑む。

まるで世界を祝福するような笑みだった。

一層豪奢となった音楽に合わせるようにくるり、くるりとその場で舞う姿はまさに人ではない、神秘溢れる妖精に他ならなかった。

全ての光が床に落ち切るのに合わせて音楽もまた終わりを迎え、辺りは薄暗い空間へと戻っていった。

 

 

 

 

「っと、このように、5つの刻印の層を重ねることにより、このような幻想的な魔法を作り出していたと考えられます」

 

発表者の上擦った涙がにじむような声で、現実に戻されたのか、聴衆はゆっくりと前を向く。

 

刻印は一層目の魔法で緑色の光の球を地面から1㎝の距離に作り、二層目の逐次展開で光球を順次上昇させ、三層目で光球を刻印に沿った幾何学的な動きを付け、四層目で緑の光に赤の光を追加照射することで、光を黄色の色調に変化させ、五層目で光球を地上10mの位置に反射させることで、上からも下からも光があふれ出るような光景が広がる。

前半は三層までで止めることで、術者の動きに沿って地面から光があふれ出るような印象になり、四層、五層の魔法で金色の光の中で舞うという幻想的な魔法になるのだと言う。

単純な魔法をいくつも発動領域を分けてすることで、複雑な魔法に見せており、今後は他の魔法への応用の研究を進めていくということで締めくくられた。

 

 

会場の照明が通常のものに切り替えられる。

質疑応答が終わると、深雪はすぐさま後方の魔法が行われた舞台に静かに駆け寄った。

 

「お姉様、お疲れ様でした」

「ありがとう、深雪」

「え、雅先輩?!」

 

深雪が燕尾服姿の人物に真っ先に声を掛けたことで、泉美は驚きの声を上げて駆け寄り、香澄もそれに慌ててついて行った。

 

「あの、本当に雅先輩なのですか」

「ちょっと、イケメン過ぎない???」

 

香澄と泉美がしげしげと上から下まで目を丸くしながら首を傾げている。

 

「洋装もお似合いです」

 

深雪がうっとりとした表情で頬に手を当て、ため息を付いた。

すらりとした鼻立ちと、やや彫りの深い顔立ち。

黒い髪はオールバックに固められており、襟足は短く切りそろえられており、綺麗な首筋がのぞいている。

薄めの唇に凛々しい眉。白い手袋とまっすぐに伸びた背筋の美しさはどこか禁欲的で、少年から青年に変わろうかという年頃の見た目に、少し掠れた低い声が合わされば、どこか陰がありそうな薄幸の美少年にしか見えない。

身長も普段と比べて10㎝以上も高く、立ち振る舞いも男子のそれだった。

 

「エイミィ、綺麗だね」

「凄かったよ」

「ありがとう。魔法は全部雅がしてくれたから、私はただ踊っていただけだけどね」

 

雅の隣で淑やかに立っていたエイミィは、雫とほのかに声をかけられ照れくさそうにその表情を崩した。

白い華やかな衣装に負けない、目鼻立ちを強調する化粧は、普段の可愛らしい彼女とは打って変わって大人びた美しさを見せている。

 

「お疲れ様。エイミィ。とても綺麗だったよ。写真撮っておく?」

「むしろ撮らせて!!」

 

同じく見学に来ていた里美スバルと桜小路紅葉(さくらこうじ あかは)は、からかい半分、関心半分で来たつもりだったが、友人の思わぬ晴れ姿に心躍っていた。

桜小路など、どこから持ってきたのか、カメラ片手にエイミィに詰め寄っている。

 

「できれば九重さんも一緒に!!」

 

桜小路は声を掛けた瞬間に、しまったと思った。

雅の隣にはあの司波深雪がいるのだ。

写真一つと侮ることなかれ。

いつ吹雪が部屋の中にまでやってくるのかは予想できない。

たった数秒の沈黙が彼女にとっては酷く長い時間に思えた。

 

「いいよ」

 

雅がそう返事をすると、膝から力が抜けそうだった。

とりあえず、雅が同意しているなら、深雪が爆発することは無いはずだとちらりと盗み見たが、相変わらず深雪はニコニコとした上品かつ読めない表情をしていた。

 

雅がエイミィの腰を抱くと、周りの女子から黄色い悲鳴が上がった。

あまりにも自然なものだから、一瞬女子が二人だということを誰もが忘れるほどだった。

呆気に取られるのも、一瞬。

桜小路は数枚写真を撮ると、そこで火が着いたのか、先ほどのワルツの時のポーズを要求し、何パターンか写真を撮ると、満足げに頷いた。

ちなみに、彼女以外にも携帯端末を片手に写真を撮っている生徒は他にもいた。

 

「ありがとう。エイミィ、九重さん。あとでデータ送るわね」

 

桜小路は職人がいい仕事したと言わんばかりの表情だった。

 

 

 

 

ひとしきり撮影が落ち着いたので、雅は会場を見渡すと、目当ての人物が帰りかけていたので、声を掛けた。

 

「十三束君」

「えっと、あっ、九重さん……なんだよね?」

 

警備要員として来ていた十三束は足を止め、雅に声を掛けられて戸惑い気味に聞き返した。

雅はエイミィに手を差し出すと、彼女は首を傾げながらもその手をとって雅と一緒に歩き出した。

 

「そうだよ。申し訳ないけれど、今日の花のエスコートを任せたよ」

 

雅は宝物を渡すかのように恭しくエイミィの手を差し出した。

 

「僕が?!!」

「え、雅!!」

「暖房は入っているけど、体は冷やさない方が良いだろう。エイミィ、今日はありがとう。先に着替えておいで。十三束君は不埒な男子が寄り付かないように警護を」

 

これほどまでの衣装となると、人目を集めるのは確かだった。移動の間に声を掛けてくる生徒も出てくるだろう。

ヒールがあるため、エスコートがある方が安心なのは確かであるが、エイミィは雅がそれらしい理由を付けながら要はちょっとデートしてきたらと言われていることに気が付き、顔を赤く染めた。

 

「九重さんでもいいんじゃないの」

 

普段の溌溂とした明るさのエイミィとは違ったお淑やかでガラス細工のような美しい少女に、十三束は突然のエスコートを任されたことに狼狽えた。

決して、エスコートが嫌というわけではなく、本心で雅の方が似合っている気がして、なにより目の前にいる美少女に心が落ち着かなかった。

 

「部員だからね。まだ自由に動けないんだ。頼まれてくれないかな」

「……分かった」

 

十三束は会場をせかせかと動いている図書・古典部の生徒をみやると、ため息を付きたい気持ちを押し殺して、エイミィの手を取った。

 

 

 

「あの、九重先輩」

 

雅が話し終わるのを待って、後ろから図書・古典部の女子生徒が声を掛けた。

 

「なっちゃん、どうしたの?」

 

ひえっ、と図書・古典部の後輩が小さく悲鳴を上げた。

何度か雅のこの姿はリハーサルの前にも見ているはずだが、あまりにも美しい顔立ちに慣れることはできていなかったための悲鳴だ。

 

「あ、あの。片づける前にもう一度、魔法を見せていただくことは可能でしょうか」

「ああ。薄暗かったから、もう一度見たいっていうことかな?」

 

刻印魔法は踏んだ位置で魔法を発動していた。

中央には全ての刻印に想子を流すための起点となる刻印が描かれており、それによって魔法は場所ごとと全体で発動位置を分けていた。

実際に発動の瞬間を間近で見たいという生徒のためにも、刻印が描かれた床の撤去は最後に回しており、まだ片づけの時間には余裕があった。

 

「そうです。お願いできますか」

「構わないよ」

 

雅は二つ返事で了承すると、友人たちが集まるもとへと足を向けた。

今回の魔法は、刻印魔法を踏んだ位置を基点に発動するようにしてある。つまり、ワルツの形式はただの見栄えだ。雅一人が歩くだけで本来構わない。

 

「深雪お嬢様」

 

雅は優雅に一礼すると、膝を折り、手を差し伸べた。

 

「私と踊ってはいただけませんか」

「謹んでお受けいたします」

 

騎士が姫に願うような、まるで舞台の一幕でも見ているような光景に、思わず誰もがその場から目を離せなかった。

 

 

 

 




作中の曲のイメージは某童話が基になったスマホゲームの曲です。


ついでに裏話
エイミィの衣装はマリー先輩のお古です。
図書・古典部3年のマリー先輩の趣味は競技ダンス。親が講師で弟とペアを組んでいて、スタンダードの国内有力選手の一人。
ちなみに衣装は12歳の時のものだが、エイミィが小柄なため、普通に着ることができてしまった。

そして桜小路さんが撮った写真データは無論、深雪にも送付されています。

競技ダンスは、『ボールルームへようこそ』をぜひ見てください。漫画もアニメも最高。


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師族会議編9

二話投稿です
師族会議編8からお読みください。

そしてこの話を読むときは、空調を確認し、ブラックコーヒーや濃い目の緑茶をご用意ください。




「雅先輩、昨日はありがとうございました」

「なっちゃん達、どうしたの?」

 

翌朝、学校に登校し、授業の準備をしていると後輩が呼んでいると言うので、廊下に出てみれば、部活の後輩が半ベソになって待っていた。

 

「3年の先輩たちは雅先輩にちゃんとお祝い渡されて、おめでとうってちゃんと言ってたのに私たちなにもしてないって思って………」

「発表前で論文の仕上げと準備に忙しかったのもあるけど、司波先輩の事にびっくりしたのもあったりして、でも、結局雅先輩優しい、カッコいいし、論文ほぼ先輩がいないとできなかったです」

「だから、先輩、本当にありがとうございました。これ、よかったら司波先輩と食べてください」

 

そういって差し出したのは、高校生が手を出すにはちょっとお高めの洋菓子店の紙袋だった。今日は2月14日、バレンタインデーだ。

 

「要するに、昨日の発表のお礼と、今更おめでとうの一言も言っていなかった申し訳なさと司波先輩との婚約祝いと、消え物で食べて自分たちの不甲斐なさを忘れてくれたら嬉しいっていう魂胆の貢ぎ物」

 

由紀君が後ろの方でひとり、ため息を付くように呆れながら説明してくれた。

 

「ゆきりん、酷い。それバラさない約束!」

「事実だろ。てか、ゆきりん言うな」

 

なるほど。そういう事なら貰わないわけにはいかないだろう。

幸い、まだ舞台までもう少し日があるため、こういった物は食べることができる。

 

「ありがとう。またお返しは考えておくわね」

「いえ、お返しなんて」

「気持ちだけで嬉しいです。受け取ってくださってありがとうございました」

 

それだけ言うとなっちゃん達は急いで教室に戻っていってしまった。

 

「行っちゃった」

「そのまま貰ってください。あとお返しは鐘撞堂(かねつきどう)の揚げ餅が嬉しいです」

「分かったわ」

「それじゃあ」

 

彼も2年の教室に来るのは気まずかったのか、足早に教室に戻ってしまった

 

「おはよう。それ、後輩から?」

「おはよう、雫。昨日のお礼だって」

 

席に戻ると入れ違いで雫が登校してきていた。

 

「今年は何個かな?」

「数えるようなものじゃないでしょう」

「でもほら」

 

雫に促されて先ほど戻ってきた教室の入り口に視線を向けると、教室を覗き込んでいた1年生と思われる生徒と目が合った。

 

「あの子たちも雅のお客さんじゃない?」

「まさか」

 

昨日の見学者はそれほど多くはない。

しかも昨日の今日で感激したからといって、態々接点のない先輩にチョコレートを持ってくるのか疑問だった。

 

「九重さん、1年生が呼んでいるよ」

「ほら」

 

雫の思った通りだといわんばかりの表情が、なんだか居心地が悪いものだった。

 

 

 

 

 

 

昼休みともなると、学内はすっかり浮足立った雰囲気になっている。

朝から、女子同士や憧れの先輩、同級生にチョコレートが飛び交い、逆チョコなる男子から女子にチョコレートを渡す姿も見られる。

浮かないニュースが多かったばかりに、こういったところでガス抜きになっているのだろう。

 

琢磨はそんな光景をわき見しつつ、食堂に昼食を取りに来ていた。

ちなみに琢磨の元にも、今朝机の上に可愛らしいラッピングの小箱が置かれていった。匿名なのは残念だが、かなり朝から浮足立ってしまったのは事実だ。

 

込み合った食堂の一角では、なにやら同学年と思われる女子生徒が琢磨を見ながらソワソワとしている。

バレンタインともなれば、女子が手に持っている小さな紙袋の中身はおそらくチョコレートだろう。

こんなところで渡されるとは思わなかったが、少しずつ自分の活動が実を結んでいるのだろうとネクタイを直したり、髪が変になっていないかチェックする。

 

「クラスで渡すより、今だって」

「だよね、行こう!」

 

二人は琢磨の方に向かって決意をもって歩き出した。

相手からの文言とそれに対するスマートな受け取り方を頭の中でシミュレーションしていると、二人はなぜか琢磨を通り過ぎて行った。

何故だと思い振り返ると、二人は顔を赤く染めながら、一人の先輩の前に立っていた。

 

「九重先輩、コレ、受け取ってください!!」

「私もどうぞ受け取ってください!」

「発表素敵でした。また発表があれば見に行きます!」

「ありがとう」

「「きゃあああ」」

 

まるで一種のアイドルのイベントのようだった。

確かに九重先輩の顔は悪くない。

しかし、なぜ女子が女子にチョコレートを渡すという事をするのか。イベントの趣旨を考えれば、まったくもって非生産的ではないのか。

しかも部活の後輩でもなければ、接点がどこにあるかもわからないような後輩からチョコレートを貰っても、九重先輩は平然と嬉しそうな笑みを浮かべていた。手馴れているとしか言いようがない。

 

「七宝、どんまい」

 

それを見ていたのだろうか、十三束先輩に肩を叩かれた。

 

「十三束先輩、九重先輩はなにをしたのですか?」

 

なにかしら部活に所属している生徒たちの間で、一高の誰が一番チョコレートを貰うのかと言う賭けが行われていると聞いたことがある。

賭けと言っても、部活の当番とかジュース1本とか目くじらを立てるようなものではない、お遊びのようなものだ。

一番人気が九重先輩と聞いて、それはないと一蹴したが、誰かがもしかしてチョコレート票の操作でもしているのだろうか。

 

「今日の校内新聞見ればわかるよ」

 

十三束先輩は遠い目をしながら、歩いて行った。

あの人はこんな日でも、人気を掻っ攫っていくのかと琢磨は闘志を燃やしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「バレンタインだけど、一条君はチョコ何個貰った?」

 

一条将輝はこれがまだ食事を口に入れる前で良かったと思わざるを得なかった。

明け透けと聞かれたエリカの質問は、今日将輝があまり聞かれたくはない質問の一つだった。

朝からクラスメイト他、同級生にいくつかチョコレートと思われる小箱を押し付けられているところを、運悪く深雪にも見られてしまったのだ。

深雪とはクラスが違うため、せっかく会えたので挨拶の一つでもと思った瞬間の出来事だったので、ショックは大きかった。

 

「何個でもいいじゃないか」

 

ぞんざいな口調になってしまったが、エリカ相手には変に遠慮している方がずかずかとアレコレ質問されてしまうと、ここ数日の付き合いだが将輝は分かってきた。

しかも深雪の前で何個貰ったかなんて答えたくはなかった。

まだ将輝と深雪は恋人でもなんでもないが、女子からチョコレートを貰うことはまるで浮気がばれたかのような、どこか居心地の悪さを感じている。

 

「七個」

 

だが、将輝の思い空しく、雫が答えてしまった。

 

「ふーん。午前中だからまだそんなものか。午後までには私は二桁行くと思うな。あ、雅はいくつ?」

 

将輝に向けるよりも、からかいの笑みを深くしたエリカは身を乗り出すように雅に問いかけた。

 

「去年1年生で断トツ貰っていたでしょう。今年も二桁確実でしょう。昨日も随分と凄かったみたいだから、午後からまた増えるんじゃない?」

 

そして、将輝がこの話題を口にしたくなかったのにはもう一つ理由がある。

クラスメイト(仮)かつ、目下将輝が思いを寄せる深雪の義姉かつ九重悠(恋敵)の妹という複雑な思いのある九重雅が、誰よりもチョコレートを得ているという事実だ。

 

「今のところ紙袋1つ分。20個は越えたよね」

「雫、何で知っているのよ」

「数えていた」

 

やはり将輝が貰った数より多かった。

休み時間になると、ひっきりなしに彼女の所には来客があり、必ずチョコレートなどの包みを持ってきていた。

先ほども受け取ったのか、机の上には申し訳なさげにチョコレートと思われる小さな紙袋が置いてある。

チョコレート程度で張り合うつもりはないが、実習の時の優秀さといい、何かと彼女の方が優れていると思い知らされる。

 

「雅さん、モテますねえ」

 

美月のやや場違いな、だが間違ってはいない言葉が的確に将輝の胸を突いた。

そもそも将輝自身、テロリストの捕縛のために東京まで出てきているのに、既に色々と敗北を味わっている気分だった。ちなみ三高で過ごした去年でも将輝は数だけで言えば雅に負けていた。

 

一高は女子が男子にチョコレートを渡すより、女子同士で交換し合うのが主流なのだろうか。

だが、今のところそんな話は聞いた覚えはない。

普通に微笑ましく女子から男子に渡して、照れているという場面も遭遇した。

 

「原因は確実に昨日の発表よね」

 

エリカが仕方ないと言わんばかりにそう言うと、雫とほのかも首を縦に振った。

 

「発表?」

「図書・古典部の発表。写真見る?」

 

雫が携帯端末を操作し、まず達也に渡す。

それが、将輝の元にも回ってきた。

画面をみて、思わず手が滑らなかったのが幸いだった。

 

「これは……」

「雅と深雪」

「いや、司波さんは分かるが……」

 

将輝は隣のイケメン男子は誰だと言いかけて、口を噤む。

画面の二人は手を取り合い、周囲を金色の光がストロボのように彩っている。

しかも加工写真ではなく、魔法実験の一部らしい。

うっとりとした表情の深雪と愛しいものを見つめるような燕尾服の男子。

絵画の一枚のような光景だ。

 

「イケメンよね、雅」

「1年生が盛り上がるのも仕方ないですよね」

 

エリカと美月の言葉に当の本人は複雑そうな表情だ。イケメンと言われて喜ぶ女子もそういるまい。

改めて将輝は写真と雅を見比べる。

輪郭は確かに似ているかもしれない。顔は元から整っている方だとは思う。

だが、深雪との身長差や顔立ちはまるで一致しない。魔法で姿も変えているのかと思えるような変わりようだ。

 

「お姉様の人誑し」

 

拗ねた様に深雪は唇を尖らせて、隣の雅にもたれかかった。

仕方ないわねと言わんばかりに雅は深雪の頭を撫でている。

もしかして、司波さんが惚れているのはひょっとしてという考えが浮かんで司波の方に顔を向けた。

友人たちは見慣れた光景なのか何も言わない。

司波も何が言いたいんだと言わんばかりの表情だったので、不埒な考えは頭の隅に追いやった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後になると達也は昇降口に向かっていた。

稽古のある雅も途中までは同じルートで帰るため、待ち合わせをしていたが、途中で泉美と香澄に捕まり、チョコレート攻撃に合っているらしい。

顧傑(グ・ジー)の捜索は達也自身が走り回って情報を集めるのではなく、発見後処理に出向くのが役割のため、今日がバレンタインでなければ生徒会室に出向いていたところだ。

 

「あ、司波君いたいた」

「なんだ?」

 

エイミィとスバルの二人は、手に可愛らしい小箱と小袋を持っていた。

 

「義理チョコ兼雅との婚約おめでとう」

「僕からも義理チョコ兼婚約祝いだ。簡単なもので申し訳ない」

 

あっけらからんと二人は達也にそれを差し出した。

 

「あ、ああ」

 

達也は半ば押し付けられるように二つの包みを受け取った。

放課後とあって辺りは割と人通りは多いが、堂々と義理と言い、更に婚約祝いまでついているなら、下手に勘繰る者もいないだろう。

 

「いや、雅の後輩がお祝いしてなかった!!って涙ながらにチョコレート渡しに来ててさ、確かに私たちもお祝い何もしてないってなってさ」

 

エイミィは申し訳なさそうに頭をかいた。

 

「そんなことはない。お祝いの言葉を貰ったのはエイミィが最初だったから、随分と雅は喜んでいたぞ」

「へ?」

 

達也自身、別に祝いの言葉がどうこう気にするような繊細な精神は持ち合わせていない。

1月に達也と深雪が四葉の関係者であること、九重との縁談がまとまっていることを発表した際、仲の良い友人たちからも随分と遠巻きに見られていた。

ただ、エイミィやレオ、エリカと言った面々は発表後も表面上も変わらずに接してくれており、雅に対して、祝いの言葉を一番にかけてくれたのはエイミィだという。

表面上の挨拶染みた物なのか、本心からなのか、達也はその状況に居合わせたわけではないが、少なくとも彼女の様子を見る限り、祝福してくれているようだ。

 

「あー、そうなんだ」

 

照れくさそうにエイミィははにかんだ。

 

「それじゃあ、私たちはちょっと用事あるから」

 

二人とも普段用の鞄とは別に持った手提げ見る限り、まだ渡す相手がいるようだ。

 

「ああ、またな」

「じゃあね、司波君」

「雅との甘いエピソード期待しているよ」

 

去り際にそんな注文を付けられたが、主な被害者は雅だ。

雅も揶揄われても躱すすべは持っているだろうが、達也に惚気を期待されても困る。

 

 

 

「あの、達也さん!」

 

達也が時計を確認したその時、呼び止める声が響いた。

声のした方に目を向けると、ほのかが立っており、やや後ろに雫が立っていた。

ほのか一人ではないことに達也はやや安堵した。

ほのかには悪いが、今日は彼女と二人きりにはなりたくなかった。

 

「少しお時間いただいてもよろしいでしょうか」

 

ほのかの目には不退転の決意が滲んでいた。

 

「場所を変えるか?」

「ごめんなさい、待たせて」

 

達也がそう声を掛けた時、後ろから雅の声がした。

 

「いや。大丈夫だ」

 

タイミングが良かったと言うべきか、悪かったと言うべきか。

おそらく雅には達也が影になってほのかは見えなかったのだろう。

 

「ほのか、どうしたの?」

 

雅はいつもと変わらない優しい声でほのかに問いかけた。

 

「生徒会関係で何か用事があったかしら」

 

待たせたという言葉から分かるように、ほのかにもこれから二人で帰るという事が伝わっただろう。

雅はおそらくほのかが何をしようとしていたか分かっている。

それでいて逃げ道を作ったのだ。

放課後、人通りの多い昇降口で雅を前に達也にそれを渡す意味を理解しているのかと問うている。

 

ほのかの瞳が、揺れている。

さきほどまでの決意は霧散し、混乱と焦りが生まれている。

義理と名前を付けて渡すのならば、達也はそれも拒むほど薄情ではない。

ほのかが本心を口にしてそれを渡すのならば、達也は受け取ることができない。

 

「いえ、大丈夫です。また明日」

 

ほのかが選んだのは、三つ目の道だった。

泣きそうになりながら、持っていた鞄を胸に抱えている。

 

「ああ。また明日」

「またね」

 

いつも通りに別れの言葉を告げて二人は学校を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十文字克人、七草真由美に最近は一条将輝も加わった師族会議襲撃犯捜索のための情報交換会を終え、稽古を終えた雅を迎えに行き、再び達也は自宅の玄関をくぐった。

 

「おかえりなさい、お兄様、お姉様」

「深雪、どうしたんだ?」

 

深雪は玄関の上がり框に両膝、両手指をついて二人を出迎えたのだった。

どこか達也には通せんぼされている気がするのは気のせいではないはずだ。

 

「ところでお兄様。お荷物はございませんか?よろしければお運びいたしますが」

「見ての通り荷物はないが」

「そうですか。学校からのお帰りの際は随分と荷物が増えてご苦労されたと伺いましたので」

 

ここでようやく深雪がへそを曲げている理由を達也は理解した。

 

「七草先輩からは何も受け取っていない。あの人は悪戯好きだが、七草家の長女として自分の行動の意味は弁えている」

 

去年、苦み以外の味を探すことが難しい薬品のようなチョコレートと思われる物体を渡されたが、今日は何も受け取ってはいない。

去年と今年では達也に付随する立場が異なる。

単なる後輩に義理チョコを渡したところでとやかく言われようもないが、婚約者がいる四葉家次期当主候補に何か贈物をするということは勘繰られても仕方ない。

その点、自分の行動の意味を理解しているだけ七草真由美は同世代の中では大人だった。

 

「それに、何時まで雅を待たせるつもりだ」

 

達也は深雪に待たされて、この場で拗ねられても構わないが、稽古帰りで疲れている雅を立ちっぱなしにさせていることは気がかりだった。

多少きつめの口調で諭せば、深雪はすぐに立ち上がった。

 

「申し訳ありません、お姉様。お二人ともお食事はまだですよね。すぐに支度いたしますので、ダイニングでお待ちください」

 

まだ問いたいことは深雪にはあっただろうが、場所を変えることの方が先だった。

 

「可愛いわね」

 

困った子ねと言わんばかりのいつもの雅に見えるが、どこか笑顔に影が見える気がしていた。

達也はそれを問えないまま、雅に先を促した。

 

 

 

 

帰宅するや否や、雅は深雪を構い倒していた。

少し冷静になる時間を置いた方が良いと達也は考えてはいたが、この分だとあまり必要なさそうだと二人の様子を見て、少しだけホッとしていた。

 

「お兄様、お姉様。少しお待ちいただいてもよろしいですか」

 

達也が自分の食器を纏めていると、深雪から声が掛かった。

水波が素早くそれらの食器を片づけると、深雪は冷蔵庫からケーキドームをかぶせた大皿を持ってきた。

 

「お兄様とお姉様がどのようなチョコレートをいただいても、構いません。私からのバレンタインチョコレート、受け取っていただけますか」

ん。私からのバレンタインチョコレート、受け取っていただけますか」

 

フルーツやクリームで飾りのない、シンプルなビターチョコレートのホールケーキは、照明の明かりを滑らかに反射している。

とても素人が作ったとは思えない出来栄えだった。

 

「素敵ね」

「ありがとうございます」

 

溜息の出るような雅の賛辞に、深雪は頬を緩めた。

 

「実は俺も楽しみにしていた」

 

達也は笑顔でそう返すと、深雪の頬は薄っすら赤く色づき、益々唇を緩めた。

 

「コーヒーをお淹れいたします」

「ああ」

「私も手伝うわね」

 

深雪が嬉しそうにキッチンに向かうのに合わせ、雅も立ち上がった。

 

「お手伝いでしたら、私が」

「水波ちゃんはお皿とナイフを用意してもらえるかしら。お茶の方はお姉様にお願いしてもよろしいですか」

 

深雪がそう言うと、水波は何かを感じ取ったのか、畏まりましたと一礼してキッチンへと向かった。

深雪と雅は珈琲と紅茶のカップを用意しながら、茶葉と豆の準備をしていた。

水波はナイフと皿を持って、既にダイニングに戻っているので、キッチンには二人だけだ。

 

「ほのかがね、多分チョコレートを持ってきていたと思うのよ」

 

ぽつりと達也に聞こえるか聞こえないかそのくらいの声で雅は小さくそう零した。

 

「朝から少し落ち着かない様子でしたので、私もそう思います」

「だけどね。渡させなかったし、受け取らせなかったのよ」

 

『渡さないで』『受け取らないで』とも、雅は口にしていない。

それでもあの状況で、ほのかがチョコレートを渡すことは難しかっただろう。

実際、諦めてまた明日という別れの言葉を口にしただけだった。

自分の感情を込めたチョコレートを本命と言って渡すこともできず、義理と偽ることもできず。

 

「それでちょっと自己嫌悪」

 

ごめんね、と言いそうな雅に深雪は雅の両手を握りしめた。

深雪はほのかのチョコレートの行方を聞いていない。

ただ、生徒会室に顔を見せなかったことから良い結果ではないことは分かっていた。

 

「お姉様は悪くありません」

「けど、意地が悪いでしょう」

 

明確に言葉にしないまま、ほのかの行く手を封じた。

ほのかは諦めないと言い、雅が譲らないと言ったからには、こうやって衝突することはいずれあったはずだ。

 

「だから口直し。深雪が作ったケーキ、私も楽しみにしていたのよ」

 

話はこれで終わりと、雅は紅茶のポットにお湯を注ぐ。

チョコレートを引き立たせるような、あっさりとした香りが広がる。

白い湯気が立ち上っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深雪のケーキは今年も、見た目通り絶品だった。

雅からもチョコレートを深雪と水波に渡すと、満面の笑みで早々に深雪に雅と一緒に達也の部屋に追いやられてしまった。

二人掛けのソファに座れば、すぐさま水波がお茶を運んできて、早々に退室した。

こうも嬉々として送り出されるとなると、達也としては嬉しさもあるが、やや複雑だ。

明日も学校があるため、あまり遅くならない内に雅を自宅まで送らなければならない。

 

「そういえば、深雪にちゃんとチョコレート選べたのか聞いてなかったわ」

「選ぶ?」

「私のお兄様に。随分と悩んでいたみたいだけれど、決まったのかしら」

 

どうやら達也の知らないところで、深雪は雅に相談しながら悠用のチョコレートを選んでいたらしい。

去年は確か一緒に出掛けていたので、その時に買っていたはずだが、今年は会えなかったため、おそらく郵送しているだろう。

 

「私たちは手作りを貰ったから、あとから恨まれそう」

「そうだな」

 

毎年、送られるチョコレートの単位が箱単位とは聞いているが、有象無象の百よりたった一つが欲しいと思うのは達也も理解できる。

多少の憎まれ口は覚悟の上だった。

 

「それで、これは私から」

 

雅は1年生のころから使っているアンティークな色合いの鞄から綺麗に包装された小箱を差し出す。

 

「受け取ってもらえる?」

「ああ」

 

雅はどこかホッと肩を撫でおろしていた。

恐らくほのかの物を断らせたことで、どこか気がかりだったのだろう。

達也としては、正直、助かったと言うところが本音だった。

あの場で雅と婚約しているが構わないかと言っても、ほのかはおそらくソレを達也に渡しただろう。

それで雅が傷つくくらいならば、達也は容赦なく断るべきだった。

それを雅にやらせてしまったというのは、実に不甲斐ないことだと自覚していた。

達也は既に、選び、決定している。

 

「開けても構わないか」

「ええ、どうぞ」

 

紺色の上品な包み紙をとくと、黒いボックスの中には正方形の6つのプラリネと中央に一つ、赤いハートのチョコレートが収められている。

 

「市販品で申し訳ないけれど、好きなメーカーなの」

 

深雪の手作りの後なので、少し雅は気まずそうだ。

達也としては手作りだろうと、市販だろうと、そこまで気にするところではなかった。

雅のスケジュールをある程度知っているので、作れるような時間がほとんどないことも分かっていた。

 

一つつまんで口に放り込む。

直ぐに溶けてで中からとろけるようなオレンジの風味が広がる。

確かに雅が好きと言うだけあって、しつこくない甘さで口触りも良い。

もう一つつまみ、今度は雅の口元に持っていく。

 

「えっと、達也?」

「好きなんだろう」

「けど……」

「溶けるぞ」

 

チョコレートの表面は手に付かないようにはなっているが、体温で長い時間触れていたら相応に溶けてくる。

雅は少し思案した後、戸惑いぎみに小さく口を開けた。

小さな口に押し込むようにすれば、指先が柔らかな唇に触れる。

雅は驚いて少し後ずさるが、すぐに口の中に広がる味に頬を緩める。

達也が指先を見れば、やはり少しだけチョコレートは溶けていたようで、それを舐めとる。

 

「どうした?」

 

雅がこちらを凝視していた。

 

「あ、うん。何でもない。美味しいね」

 

頬に色味がさしている。

照れているというのは間違いないだろうが、何かしたかと思い返すと唇に触れた指先を思い出す。

こんな些細なことでさえ、恥ずかしがる様子は可愛らしいが、同時に少し嗜虐心も刺激される。

チョコレートをサイドテーブルに置き、蓋を閉める。

 

「残りはまた後でもらうよ」

「美味しかった?」

「ああ。残りが楽しみだ」

 

雅が嬉しそうに頬を緩めた。

 

「後は」

 

雅の顎に手を添え、親指で唇をなぞる。

 

「これが貰えれば、言う事はないかな」

 

 

途端に頬は淡く色づき、緊張からか自分の制服のスカートを掴んでいる。

 

「えっと……」

 

雅は視線を彷徨わせる。

その思いが揺らぐことはないだろうが、感情とは目に見えるものではない。

表情や仕草に現れるものであったとしても、伝わると過信してはいけないものである。

自身の感情を言葉にすることを達也はあまり得意としていない。

中でも雅に対する想いは、達也がその思いを自覚してからより一層言葉で表すことが難しい。

だから少なくとも、目に見えるもので示すことにしていた。

 

「雅」

 

名前を呼べば、雅は瞳を震わせ、静かにその目を閉じて、少しだけ上を向いた。自分からはまだ恥ずかしいようで、達也が欲しいと言ったそれを無防備に差し出している。

 

首の後ろに手を回し、もう片方のきつく握りしめていた手をほどき、絡ませるように繋ぎなおす。

一度だけ、優しく触れる。

 

雅が小さく目を開ける。

もう一度顔を近づければ、またきつく目を閉じた。

先ほどよりは少し長く、けれど触れるだけ。

再び雅が目を開こうとしたところで、もう一度。

今度は離れる時にワザと音を立てる。

そうすれば堪らず、雅は顔を羞恥で背ける。

何回も繰り返してきたはずなのに、これがまるで初めてのような仕草に、その先の顔を見たくなる。

 

「もう一度」

 

そういえば、雅は絡めた手を強く握りながら再び目を閉じて少しだけ上を向く。

再度、唇が重なる。

心臓に手を当てなくても、きっと心臓の鼓動は早い。

ゆっくりと握っていた手をほどき、項に回していた手を離す。

唇を離せば、少しだけ不安そうな瞳で雅が達也を見上げる。

これ以上は心臓が持たないとでも言いたいのだろう。

 

二、三度、長く零れ落ちる髪を整えるように指を通す。

まだ達也の顔が見られないほど羞恥から抜けきらない雅の両脇に手を入れ、掬い上げるようにして、そのまま膝の上に乗せる。

 

「えっ、ちょっと、達也」

 

雅は目を白黒させる。

 

「重いから」

「そんなことは無い」

 

達也の膝に座る、というより跨るような体勢のため雅がソファに膝立ちになっており、達也にかかる体重などほぼない。

 

「だって、こんなっ」

「雅」

 

どうにか降りようとする雅の腰に片手を回し、逃げられないように縫い留める。

 

「まだダメだ」

 

頬を撫で咎めるように言い聞かせれば、雅は言葉に詰まる。

そうして再び唇を合わせる。

ただ触れあうだけではない、口づけ。

小さく開いた唇に舌を入れ、舌を絡ませる。

逃げそうになる雅の腰を押さえつけ、口づけを繰り返す。

いつの間にか、雅は膝立ちでいられなくなったのか、体重を達也に預けるようにもたれかかり、縋るように達也の服を掴んでいる。

 

次第に吐息が熱を帯び、時折漏れる甘い声と湿った音が静かな部屋に響く。

感覚的にコレが気持ちの良いことであるとは雅も自覚はしているのだろうが、まだ羞恥心の方が上回っているのか、舌の動きは(つたな)い。

それでも必死に達也に応えようとしている姿は健気で、可愛らしい。

舌が触れ合うより、何度も食む様にしてやる方が好きなようで、わざと音を立ててそうしてやれば、くたりと体から力が抜けていく。

 

密着した体は柔らかく、少しだけ洗剤の甘い香りがする。

達也が少しだけ唇を離すと、止めないでと言わんばかりに、いじらしく唇が重なる。

何度目となる口づけを繰り返し、ゆっくりと頭をなで、髪を梳いてやると雅は体を離した。

濡れた唇はまだ続きを求めているように小さく開き、色づいた頬ととろりと熱を帯びた瞳は達也を写している。

 

「そんな可愛い顔をされると帰すのが惜しいな」

 

そもそもこんな顔では深雪や水波の前に出すわけにはいかない。

ぽすりと達也の胸に雅は顔を埋める。

耳まで赤く染まっている。

 

「帰りたくなくなるようなことをしたのは誰?」

 

滅多にない雅からの苦情を達也は甘んじて受け入れた。

 

 

 

 

 

 




書いたぜ。甘いやつ。作者も大満足だ(`・ω・´)

ほのかさんは、しょっぱくて水っぽいチョコレートを食べたんだろうね。


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師族会議編10

長らくお待たせしました。
前回の甘々な感じは、楽しんでいただけたようで何よりです。
そして前回で100話達成ありがとうございます。
甘々書いているこっちが恥ずかしいくらいですが、イチャイチャさせたい。甘くしたい。けれど、一転シリアス調です。そしてちょっと短め。

たぶん次で師族会議編は終わり、南海騒擾編に入ると思います。



二月十五日

 

魔法に携わる者たち全てが恐れていた事態がやはり、否、ついに勃発した。

場所は魔法科大学正門前。反魔法師団体によって組織されたデモ隊が、魔法科大学構内へ押し入ろうとして警察ともみ合いになった。

国防上の機密が大量に存在する魔法科大学は、元々関係者以外の立ち入りを厳しく禁止しており、警察がデモ隊の侵入を阻止したのは政府の方針でもあった。

 

だが、その機密を隠蔽と曲解したデモ隊によって、遂に暴力行使と言う手段が取られた。

石を投げつけたり、徒党を組んで体当たりしたり、体当たりしてワザと転べば被害者アピール。そうなれば、あとはお決まりのコースだ。

食堂の大型ディスプレイには、1時間ほど前に発生したその事件が映し出されていた。

 

「逮捕者24名か。多いのか、これは?」

 

デモ隊の組織的な公務執行妨害に対して、一条君が首都圏の対応の相場が分からなかったのか、そう問いかけた。

 

「反戦デモが盛んだったころに比べればずっと少ないが、最近では多い方だな」

「でも、達也さん。石を投げていた人はもっと多くいた様に見えましたけれど」

 

すかさずほのかが達也との会話に割り込む。

昨日の一件は彼女にも堪えたとは思ったのだが、意外と今日の所は昨日までと変わらないように見える。

上手に切り替えられたのかどうかは分からないが、ほのかがそのような姿勢でいるのならば私も気にしないことにした。

 

「現行犯逮捕でなくても、路上カメラがあるからね。焦らなくても後からいくらでも逮捕できるから」

 

達也の答えを待たずしてエリカが答えてくれた。

この場合、身内に警察関係者がいるエリカが答えたとしても不思議ではない。

 

「ん?ありゃ、オメエの兄貴じゃないか?」

 

熱心にニュースをみていた西城君が画面を見ながらエリカに確認を求めた。釣られるように私も画面に視線を向ける。

 

 

 

 

 

 

 

ふと、目の前が暗闇に染まる。

まるで画面が切り替わるような一瞬のことだ。

眩暈の類ではない。視界も暗いが暗いと認識できる空間がある。

私は先ほどまで食堂で座っていたはずだ。なのに今は立っている。

そして誰もいなければ、なにもない。ただ広大な闇だけが目の前にあった。

意識ははっきりしているのに、体は動かない。

 

先ほどまで温かい室内にいたはずなのに、ここはやけに指先を刺すように寒く、もの悲しい。

この場所を私は知っている。

知識としてと言うより、暗闇や高所あるいは生死といったより根源的な知覚だ。

 

『おや、お前が呼ばれずしてくるのは珍しい』

 

瞬き一つの間に眼前には白磁の貌、浮かぶ紅の唇が弧を描く。

自然と一歩下がり頭を下げ、ひざを折る。

私はこの方を知っている。

お目見えするのは二度目になるが、なぜこのような場でという感覚はすでにない。

私に授けられたもう一つの呼び名がそうさせる。

 

『ゆるりと語り合いたいところではあるが、()い子よ。そなたの知る剣が一つ折れるようだよ』

 

耳からではなく、頭に直接語り掛けられるような、艶のある声が響く。

大人のようで、少女のようで、無垢と純粋さとは別の少し楽しさが含まれたような、それでいて声一つで全身が大きなものを目の前にしたような圧倒されるものがある。

確かに自分はここにあるというのに自分と地面の境界、空気と自分との境界が分からなくなるような気がした。

指の先を力を込めて握りしめてもまるで感覚はなく、そうでありながら、血液が全身をめぐる音が聞こえるような静寂の中にいる。

私が私として認識している意識ですら、果たして正常なのかと疑問に思う。

 

私がここにいることすら本来有り得ない。

正式な手順も踏まず、なんの守りもない。

生身同然のまま、この場に至った。

だが、そうまでして呼ばれたからには訳があるはずだ。

剣が折れる。

単なる物が壊れるという事ではない。

おそらく誰か私の知る人の死の予兆を意味していた。

何故兄ではなく、私にと思うが口は動くことは無い。

 

『鏡が良かろう』

 

するりと白魚のごとき爪の先まで美しい手が私の頬を撫でる。

柔らかい手はまるで温度がないのに、慈しみに満ちている。

それは、(あたかも)も……。

 

 

 

 

 

「――魔法師絡みの案件だし、暴徒対策に駆り出されたんじゃない?」

「全体で何人くらい参加していたんだろう」

「警察も大手マスコミもデモ参加者の人数は発表しませんからね」

「テレビに映っていた範囲だと200人くらいだな」

「全体だと300から400人、500人を超えていた可能性もあるか」

 

エリカ、達也、美月、一条君。

どこかみんなの話す声がまだ遠くに感じる。

視界は明るく、目の前には食べかけのお昼ご飯の並んだトレーがある。

(こうべ)を垂れていたはずの私は、椅子に座っている。

錯覚だったと思えるような、白昼夢にしてはやけにリアルな、それでいて私の心ははっきりとあの情景を記憶している。

暖房の入った温かい室内にいるはずなのに、指先までまだ凍えるような冷たさを覚えている。

 

時間の感覚が麻痺したような、ほんの一瞬であり、まるで一日のように長さを感じた。

私は何時からここにいて、どのくらいみんなの話を聞いていなかったのかさえ分からない。

それほど長くない時間ではあるだろうが、時間の流れにはっきりとした自信が持てない。

 

「はあ!!なにが『言論の自由に対する侵害』よ。『集団行動の自由は集会の自由と同様に尊重されるべき』よ!不法侵入未遂と公務執行妨害だっての!!」

 

怒り心頭のエリカの声に、ようやく自分が食堂でニュースを見ていたことを思い出す。

テレビの画面は既に大学からの中継映像や暴動の映像とは切り替わっていて、どこかの大学の教授だとか弁護士だとかが持論を展開し、アナウンサーが魔法師に否定的な意見に同調している。

 

「……雅、大丈夫?」

「ああ、ごめんなさい。ちょっと考え事をしていて」

 

隣にいた雫が私に声をかけた。

 

「実家は大丈夫?」

「そうね。京都の魔法協会本部にも連日抗議団体の代表とかマスコミが詰めかけているそうよ。今のところ、他のところに飛び火するようなことは無いけれど、警備は増やしているそうだから、目立った被害は出ていないのは幸いかしら」

 

私一人で考えても、あの現象についての答えはでないだろうから、あとで兄か父に聞くしかないだろう。

雫の質問に考えを纏めるのは先送りにした。

最近の魔法師に対する排斥運動に関して実家にもコメントを求めに来たマスコミもいたらしいが、広報担当が断ったそうだ。

九重神宮は勤める者の多数が魔法師であることを隠しているわけではないので、事件や報道を受けて若干、観光客は減っているらしいのだが、怪しい動きをする人物は今の所ないそうだ。

 

「流石に九重神宮に手を出すような怖いもの知らずとは思いたくないけれど……」

「分からないわよ。黎明期や大戦前には、暴漢が本殿まで押し入ろうとしたそうだから」

 

吉田君が眉を顰めているが、あくまでそれは相手が一般的な常識が通じる場合だ。

魔法が属人的技術として公になったおよそ100年前や戦時前の情勢が不安定な頃には、スプレーを持った落書き犯や勤める者に向かって暴行を振るおうとした輩が出たそうなので、おそらく今回も情勢次第では、過激な犯人が出かねない。千里眼という力を持っている当主がいる以上、事件は未然に防げているが、心配なのは確かだ。

直接的に自分たちが害されたわけでもないのに、魔法師という存在だけで目の敵に思う人はどこにだっている。

じわり、じわりと人々の悪意と言うような見えないものが、私たちを取り巻いているということだけは嫌でも感じていた。

 

 

 

 

 

二月十六日

 

昨日起きた魔法科大学への不法侵入については、今日もまたニュースで取り上げられている。

テレビ上では魔法師に対して好意的な立場を取っている議員が冷静に反論して見せたものの、魔法の使用をより厳格化すべきと言う声は日に日に大きくなっていくばかりだ。

国策はどうあれ、反魔法師運動を煽る一部マスコミもあるが、報道の自由と言う名を盾に規制は厳しい。

 

「エリカ」

 

放課後、私は授業が終わると部活に向かおうとしていたエリカを呼び止めた。

 

「どうしたの」

「これ、持っていて」

 

私はエリカに厚手の和紙の封を差し出した。

表には墨で九重桜の家紋が描かれている。

エリカは首を傾げながら、封を受け取ると、中を確認した。

 

「御守り?木とか紙とかじゃなくて、板か何か入っている?」

 

渡したのは社務所で授与されている御守りより、一回り大きい白色の御守り袋だ。

普通であれば九重神宮という名称と家紋が縫い込まれているが、これは家紋と真っ赤な南天模様が織り込まれている。

 

「厄除けの御守りよ。エリカでもいいし、エリカが渡してあげたいと思った人でもいい。持っていてくれると嬉しいわ」

 

剣と聞いて、真っ先に思い浮かんだのがエリカだった。

剣と言うならば【太刀川】のような、あの方の剣である四楓院の名を持つ者であると思うべきなのだが、私にはそうは思えなかった。

兄や父に確認しても、呼ばれたのならば思うようにしてよいという事だったので、昨日一晩かけて準備したものだ。

 

「ありがとう。大切にするわ」

 

何かあるとはエリカも聞かなかった。

一見すると普通の御守りにしか見えないが、そうでないことはおそらく気が付いている。

気が付いていて何も聞かないでくれているところは有難い。

私も説明しようにも説明できない、したところで理解されないであろうことだ。

 

 

そうこう話している時に、上着のポケットに入れていた携帯端末が着信を告げるために震えた。

誰からだろうと取り出してみると、燈ちゃんからだった。

 

「私、部活行くわね」

「ええ。またね」

 

エリカに一言入れて、電話に出る。

 

『みやちゃん、今構わへんな』

「大丈夫よ」

 

電話越しだが、質問ではなく確認の言葉に切羽詰まっていることは電話越しに伝わってくる。

 

『二高の生徒が襲われた』

「えっ」

 

思わず声に出てしまい、廊下の少し先では部活に行こうとしていたエリカが足を止めている。

エリカは聞かない方が良いかと廊下の先を指さすが、私は首を横に振った。

 

『反魔法師団体とかいう馬鹿共が一年生の女子を取り囲んで、暴言浴びせたんやて。んで、一年と二年の男子が助けに行ったんやけど、向こうもコッチも怪我しとる。死にはしとらんが、マズイで』

「そうね」

 

この情勢下、たとえ正当防衛であったとしても魔法師が一般人に対して魔法を使っただけで問題になる。

 

『こっちの男子の方は一番重症で骨折多数と鼓膜破裂に内出血。あと脳震盪と鎖骨骨折が一人ずつや。なんか格闘技の経験者っぽいやつがおったらしい』

「相手は?」

『1年の女子のスパーク食らって不整脈が一人、あとは歯が欠けたとか大した怪我やあらへん。協会の方にも連絡は行っとる。自衛は認められるはずや』

 

おそらく二高の生徒も魔法を使うのはギリギリまで我慢はしたのだろう。

格闘家の拳も凶器になり得るのだから、相手にも相応の過失があると認められるだろう。

問題はこれを受けて更に反魔法師の声が強まることと、同時に魔法使用の規制が強化される事だろう。

最悪、自衛すら魔法を用いることを禁止されるという危険もある。

 

「そう。また状況が変わったら教えて頂戴」

『おん』

 

向こうもまだ落ち着かないだろうからと早めに話を切り上げた。

私のすぐ隣にはエリカが神妙な面持ちで立っていた。

 

「エリカ、悪いけれど部活は中止になりそうよ」

「何があったの?」

「二高の女子生徒が反魔法師団体に取り囲まれて、助けに入った二高の男子がずいぶんと酷い暴行を受けたから、その女子が魔法で応戦したそうよ」

「ついに、って感じね」

 

どうやらエリカも予想していたことのようで、苦虫を噛み潰したかのように隠しもせず舌打ちした。

 

「狙って女の子を取り囲むとか、最悪。正当防衛は成立するのよね」

「まだそのあたりは警察が調査しているみたい。これから生徒会室に向かうけど、残っている生徒はあまり荒立てないでおいて」

「OK。それとなく見ておくわ」

「ありがとう」

 

深雪たちの元にも情報は入っているだろう。

部活の中止も含め、検討しなければならないことが多い。

私はエリカと別れ、生徒会室に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

二月十七日 日曜日

 

昨日の放課後は雅の予想通り部活は中止になった。

女子生徒を中心に不安そうな顔が見られ、まだ日が沈む前だというのにまるで真夜中に出歩くような警戒心で帰宅を急いでいた。

 

エリカとしては特別警戒を強めるわけでもなく、普段通りに帰宅した。ただ昨日はそうでもなかったが、なぜか今日は朝からなんとなくもやもやとした気持ちを抱えていた。

二高生が被害にあった事件に対する怒りと憤りだという事は分かっているが、今のエリカではどうしようもない。

精々、被害にあわないよう気を付けるくらいなもので、しばらくは部活なども時間が短縮されることが見込まれる。

 

日課となっている朝のロードワークをいつもより長めに終え、家の門をくぐると思わず顔を顰めた。

休日なのに朝から嫌な奴と顔を合わせることになってしまった。

 

遊びに行くのではない、仕事用のトレンチコートを着込んだ長兄とばったり会ってしまったのだ。

カレンダー上では日曜日という休日だが、刑事の仕事には曜日は関係ないので、特別おかしなものではない。

先日の魔法科大学への不法侵入もあって、魔法師の刑事は反魔法師団体対策の現場や捜査に引っ張りだこなのは確実だろう。

無言でエリカはその横をすり抜けようとした。

 

「エリカ」

 

まさか、ではなく予想通り呼び止められてしまう。

 

「なに?」

 

エリカは不機嫌だと表情で示しながら問う。

エリカにとって、千葉家の長兄である寿和は、父より苦手な相手である。

稽古で散々叩きのめされた記憶と、巫山戯た口調でエリカの心の奥底を的確に貫いてくるのだから、癇に障る。関わってくれるなと頼んだことも一度や二度ではない。

 

「なあ、稲垣見てないか?」

「稲垣さん?」

 

いつもならば嫌味の一つや二つ飛んできて、エリカの態度を咎めるものだが、それもしない様子はどこか切羽詰まっているものを感じさせる。

 

「最近は見ていないわね。いつから?」

 

思ってもみない問いかけにエリカは真面目に返答してしまった。

 

「昨日からだ」

「昨日……」

 

いい大人が一日姿を見せないだけで、その心配様は如何なのだろうかとエリカは眉を顰める。

 

「あの野郎、連絡なしに仕事を休みやがった」

「稲垣さんは一人暮らしよね。起き上がれないくらい体調が悪いとか?」

「家にもいなかった」

「家まで行ったんだ」

 

呆れた口調に、寿和は締まりがわるいように一つ咳付いた。

 

「コレ、貸してあげる」

 

エリカはトレーニングウエアの上着ポケットに入れていた御守りの紐の部分を掴んで差し出し、寿和の掌に落とした。

雅に言われて昨日から肌身離さず持ち歩いていたもので、今朝走りに出た時も持って出ていたものだ。

 

「御守りってどういう風の吹きまわしだ?…って、九重かよ」

 

訝しいものを見るように寿和は手元の御守りとエリカを交互に見た。

失礼な態度だと思うが、逆にエリカも寿和から御守りの一つでも渡されようものなら鳥肌が立つことだろう。

普段の態度からも柄ではないことは分かっている。

 

「そうよ。雅からもらったたぶん特別製。言っておくけど稲垣さんのために貸すだけだから、無くさないでよ」

 

貸すことすら癪ではあるが、なんとなく、エリカの勘がそうさせた。

ただの人探し、それもたった一日無断欠勤というだけのことだ。

 

「分かった。預かっとく。稲垣を見つけたら連絡入れるよう言ってくれ。連中にも伝えておいてくれ」

 

何となく気恥ずかしいのか、寿和は足早に出て行った。

それをみて、エリカも妙なむず痒さを感じながら家の中へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

二月十八日 月曜日

 

三月末から四月にかけて春の演目が控えており、神楽の稽古は複数の演目が並行して行われている。

昨今の情勢から一般観覧を取り消すかと言う話も出ているが、反魔法師団体の圧力に屈したことになるという強硬的な姿勢の者もいれば、軍事利用以外の魔法の使用について喧伝する場であるため政治的な面からも要請が出ているようで、今のところは一般観覧もできるよう準備をしている。

観覧に招待した客の方から欠席を伝えられることも想定しているが、それは仕方のない事だろう。

 

今日は魔法を用いずに器楽と舞を合わせている。

相手役は【太刀川】の次郎さん。

九重神楽の舞手であり、1年生の3学期に大学の研究でも一緒だった相手だ。

今回の演目は東京と京都の両方で披露され、東京では次郎さん、京都では次兄が相手役になっている。演目上、舞手が詠唱することで魔法を補助する場面もあるため、難易度は高いものとなっている。

今のところは順調に曲の舞との合わせは進んでいる。

片足で音もなく地面をけり、音を立てずに着地したところで、突如ガラスが割れるような音に思わず舞を止める。

 

「雅ちゃん、どうした?」

 

楽師などの様子をみても私以外に音に反応した人もいない。

 

「すみません。何かが割れるような音がした気がして……」

「誰も魔法は使ってないから暴発ってことは無いだろうけど?」

 

私が曲の途中で足を止めたことに、次郎さんが心配そうに声を掛ける。

九重神楽は秘匿性が高いため、この稽古場は地下にある。

窓などはないが、鏡などガラスに似たものは設置されている。

しかし、なにも割れたような形跡もなければ、魔法が発動した気配もない。

 

「一度休憩がてら、少し調べてみましょう」

「すみません」

 

楽師の長がそう申し出てくれたおかげで一旦休憩となった。

調べてみた結果、特に何も異常はなかった。

だが、どこか胸騒ぎがして止まない。

 

 

そうしてそのまま21時を過ぎたころ、稽古は終了した。

 

「雅さん、今日は人を付けさせていただきます」

 

普段は稽古後に自動運転車で自宅まで送迎してもらっているが、今日は自家用車で送ると宮司から申し出があった。

 

「どうかなさったのですか」

「一高の女子生徒さんが反魔法師団体に取り囲まれたそうで、明日から土曜日まで休校が決まりました」

「そうなのですか」

「ええ。なんでも襲われたのは生徒会の方々だそうで、暴漢どもは雅さんのお相手さんが対処されたと聞いています。一高生には怪我人はいないそうですよ」

 

一瞬息が詰まった。

端末は稽古場には持ち込めないので、ここ数時間確認していない。

 

「怪我人はいないのですね」

「そのようです」

 

今日は生徒会で卒業生への贈答品を頼みに商店へ行くと言っていたので、おそらく深雪や水波ちゃんが狙われたのだろう。

それに達也が相手をしたのなら、深雪が怪我をしたことはないだろう。

深雪が危険にさらされたとなれば達也が黙ってはいない。

無事だとは聞きつつも、早く声が聞きたいと私の気持ちは焦れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気が付けば花畑の中にいた。

これは夢か?

夢にしてはやけにファンシーだなと思いつつ、花畑を抜けると石ころの道が続いている。

その道に沿って歩いていくと、花畑は終わり、石や岩の転がる河原に出た。

周りにはじーさん、ばーさんが多いが、まだ歩いたばかりの幼児や若いやつ、脂の乗ったおっさんなんかもいる。

ざくざくと石の河原を自然と歩いていけば、川の前でひとが並んでいる。

なんだか血を流したように赤く見えるのは、夕日だからだろうか。

川をじゃぶじゃぶ歩いて渡っているやつもいれば、船に乗って優雅に向こう岸に運ばれている奴もいる。

並んでいる奴らは普通の服だが、川を渡っていくやつはみんな白装束だ。

 

ああ、俺は死んだのかとそこでようやく気が付いた。

参ったな。

刑事である以上、危ない事件もいくつも担当してきたし、時にはテロリストとも戦った。

死ぬかもしれない仕事ではあったが、死ぬ気は更々なかった。

 

どうしたものか。

心残りがありすぎる。

辺りを見回してみるが、稲垣の姿はない。

結局あいつは死んだのか?生きているのか?優秀なくせに最期まで手間のかかる部下だった。

親父ともうちょっとは酒でも一緒に呑んでおけば良かったな。頑固なのは知っているが、エリカの母親のことといい、文句を言いたいことは山ほどあった。

早苗は泣くだろうな。エリカはどうだろう。

憎まれ口を叩いて位牌に灰でもぶつけられるかもしれない。

修次は、彼女とよろしくやっているようだから、そのままさっさと籍入れて跡継いでくれればいい。

優秀だから、あいつなら大丈夫だろう。

門人もあいつには世話になったやつが多し、慕うやつも多い。

それから―――。

結局、あの人には言えず仕舞いだったな。

仕事で数回会っただけの仲だ。

食事にはいったが、それも報告会のようなもので男女の色恋というものはない。

それに、まあでもあれだけの美人なら周りが放っておかないだろう。

俺のことは一度でも手を合わせてもらえれば十分だ。

 

そうこうしている内に順番がきて川の目の前にいた。

よぼよぼでシワシワのばーさんが船番をしている。

川辺に植えられた木にはスーツだったり、病院服だったり、産着だったり、様々な服がかけられている。

ここで身包み剥がされて、あっちへ行くのか。

 

なんだ、ばーさん?

お前、胸に何を入れている、って?

胸?

銃は吊るしていたが、死後の世界でその重みはない。

他に何かあるか?

てか、最後の時の姿で死後の世界もいるんだな。

スーツの胸ポケットと内ポケットを漁ると、なにやら内ポケットにスーツとは異なる布の手触りがあった。

引き出してみると白い御守り。

真ん中がナイフか何か刃物で切り裂かれている。

なんだっけ、これ?

 

「なんだい、あんた。まだあっちへ渡せないじゃないか。ほら、さっさと帰りな」

 

 

 






(・ω・)つ「あたかも~~~」を使って例文を作りなさい。

(・∀・)ノ「冷蔵庫に牛乳があたかもしれない」

( #゚д゚)=○)゚Д)グァグハッ


元ネタが分かる人は同世代かも


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師族会議編11

この師族会議編に入った時が1月。インフルで苦しんでいた時だったとは・・。時間の経過が恐ろしい。

皆様大変お待たせいたしました。感想、評価、ありがとうございます。
お返事できず、申し訳ない限りです。
ちょこちょこ返していけるように頑張ります。

今月は佐島先生の新刊が2冊もあって、筆が乗りました。
だがしかし、多機能フォームを起動して、編集頑張ったのに、保存できておらず、1000字近く消えてました。泣きたい。
相変わらず筆は遅いですが今年の内にさくっと3年生に入りたいなー(´・ω・)


深雪たちを襲撃した犯人は単なる暴徒ではなく、組織化された者たちの可能性が高いため、今後過激な行動に出かねないとして学校は土曜日まで休校、つまり実質的には日曜日まで休みとなった。

外出禁止とまではいかないが、自粛を求められている。

この時期に一週間近く休みが取れるのは有難いことだが、学校からの課題は当然出されている。

しかもテストが近いため、そちらの勉強も並行して行わなければならないので、休みとは言い難い。

 

とはいえ、長期休暇ではないのに六日も休みとなれば、神楽の合わせをするからと実家から声が掛かった。

合わせとは言ってはいるものの身近で暴力的な事件が起きており、なおかつ二高の学生ではあるが被害が出ているので、一旦実家に身を寄せろという事なのだろう。事実、母がわざわざ東京まで迎えに来ていた。

京都までの道中は特に問題もなく、実家の部屋に荷物を置くとすぐに呼ばれ、荷解きもそこそこに座敷に通される。

 

来客用ではない、どちらかといえば私的な使用の多い部屋では、両親が隣り合って座っていた。

兄たちの姿はない。

この時間であれば、お勤めに出ているから不思議なことではない。

問題は父が宮ではなく、わざわざ時間を割いているということだ。

大したことでなければ祖父母に伝言を頼むか、もしくはお勤めを終えた夜でも問題はないはずだ。

 

父と向かい合うようにして座ると、普段ならば神楽の進捗や学校での様子を挟み本題に入るのだが、挨拶もそこそこに表情を曇らせた父が口を開いた。

 

「今朝、お前に持たせた守りの力が働いた」

 

背中に冷水を浴びせられたようだった。

咄嗟に言葉が出てこないほど、私は困惑と焦燥に駆られた。

 

「エリカは、無事なのですか」

 

なんとか言葉にしたものの、指先から血の気が引き、喉がひりひりと焼け付くようだった。

あの御守りは九重の御守りの中でも特別なものだ。

自身の身に向けられた術式を防御する、または直接体にかけられた術を反転するものであり、九重の秘術の一つでもある。

 

日本神話ではかつて伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が死者の国にいる伊弉冉尊(いざなみのみこと)を迎えに行った際、黄泉平坂で決して振り返ってはいけないという言いつけを破ってしまった。怒り狂った伊弉冉尊(いざなぎのみこと)から逃れるために、伊弉冉尊(いざなみのみこと)は3つの桃を投げて悪鬼から逃れたとされる。それに擬えて、九重本家では生まれた子に3つの御守りが授けられる。

その守りの力が働いたという事は、持っていた者に危険が及んだことに他ならない。

 

「彼女は無事だ。アレを持っていたのは千葉の長男のようだ」

 

千葉家の長男というと、魔法師であり、刑事をしている人だったはずだ。

あまりエリカとは仲が良いとは聞かない、というよりエリカが反発している印象だったが、御守りと一目見てわかるものを渡すだなんて、なにか心変わりでもあったのだろうか。

 

「敵の手からは逃れたようだが、まだ彼岸に足を掛けている状態だ」

 

どうやら術は無事に機能したようだが、容体は安心できないようだ。

高度な術式だけあって想子の消費量は桁違いだ。

たとえ命が無事でも、魔法師として以前と同じように働くことは難しいかもしれない。

 

()の敵は昨日の襲撃の折に達也に捕捉されている。義兄上殿(あにうえどの)の協力もあるなら今晩にでも決着がつくだろう」

 

父が仰々しく義兄上殿(あにうえどの)というのは、母の兄である九重八雲のことだ。

普段ならば俗世に関わると本山が煩いと達也に積極的に協力することはないが、父の話によるとどうやら四葉のスポンサーから話がつけてあるらしい。

深雪たちの無事は昨日の内に直接電話を掛けて確認はしているが、達也が既に敵を捕捉していたことは初耳だった。

顧傑(グ・ジー)の捜索は難航していたようだが、実はあまり上陸地点から動いておらず、鎌倉の協力者の元に潜伏していたらしい。

鎌倉の潜伏地には、千葉刑事の部下が先に単身乗り込んでいて、千葉刑事が探しに行ったところで返り討ちに合い、命からがら逃げ出したようだ。

 

「情勢はあまりよくない」

「今晩にでも決着がつくのではないのですか」

 

父は溜息の混じった声で、眉間のしわを深くしている。

千里眼を持つ父にはこの先の大筋が見えているはずだが、まだ大きな事件が起きるのだろうか。

 

「USNAの星が秘密裏に来日している。顧傑はUSNAの高官の手が伸びていた者だ。関係を隠匿したいあちらとしては、死体を残すわけにはいかないだろう」

 

十師族が顧傑の捜索に協力しているのは、師族会議を襲撃したテロリストを日の目に晒すことで、魔法師が受ける批判を緩和させようとしているためだ。

だが、仮にUSNAの妨害により首謀者の死体がなければ、犯人死亡のままテロ事件は収束したことになる。

十師族の、ひいては魔法師の面目も潰され、しかも外交上の問題もあり、仮にUSNAの妨害が明らかだとしても公表するわけにはいかない。

結果、一般にはテロの脅威は残ったままと認識され、少なからず日本の魔法師にとっては逆風になるだろう。

 

「時間の経過である程度、魔法師に対する反発は収まるだろう。だが、好ましくない方に世論が傾いていることは確かだ。今年一年、達也はその問題と否応なしに付き合わなければならない」

 

第三次世界大戦以降、二十年世界群発戦争を受け、世界各国ではその後も大なり小なり軍事的衝突は起きている。

日本も未だ大亜連合とは停戦中であり、終戦も講和もしていない。横浜事変の講和も単発的な講和であり、国家間の完全な講和は実現していない。

仮に魔法に対する敵対感、排除感から世界情勢の悪化に繋がり、世界規模の戦争となれば、魔法の軍事的有用性が証明された今となっては、魔法師の実戦投入は今後進んでいくことが見込まれる。

軍属以外であっても最悪、協力と言う名の徴兵もあり得ない話ではない。

まして達也は非公式ではあるが日本の戦略級魔法師だ。軍事的緊張が高まるという事は、達也の身の置き方も変わってくる。

そしてそれは四楓院としてこの地を守護する名を持つ私も同じことだ。

 

「あれが、最後だったと分かっているな」

 

ここまで話をされれば、私は父に呼ばれた理由にも気付く。

 

「承知しています」

 

6歳の時に一度、沖縄で一度、そして今回。

私に次はない。

 

「お前をまだ彼の方の元へと遣わすつもりはないが、心得ておくように」

 

苦渋を押し殺すように、父はそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

二月二十四日 日曜日

 

翌日から学校が再開されるとあり、私と次兄は京都から東京へと戻っていた。

テロ事件は幕引きとはなったが、兄は念のために同行してくれている。

もっとも、それは単なる方便で本当の目的は深雪とデートでもするつもりなのだろう。

荷物は別に宅配で送っているため、手荷物はさほどなく、自宅に寄ることなくそのまま九重寺を訪ねた。

 

 

「やあ、二人とも。悠君は久しぶりだね」

「新年の挨拶以来ですね」

「君が忙しいことは重々承知だよ」

 

この屋敷では茶室以外にはあまりない畳の座敷に案内されると、門人たちが茶を淹れて静かに下がっていく。

ある程度、弟子が遠ざかったのを確認して、伯父は茶を口に含んだ。

 

「例の一件の顛末は君たちに改めて説明する必要はないだろうから、僕からは説明は省かせてもらうよ」

「構いません。ご尽力いただき、感謝いたします」

 

兄は礼を述べた。

父と兄の話によると、今回の一件では顧傑はUSNAのスターズのナンバーツーに殺され、海の藻屑となったそうだ。

船ごと叩き切ると言う随分と大胆な手口だが、あちらの言い分では海上で船舶の衝突が避けられなかったためとのことだ。

高位の魔法師が秘密裏に入国していたことは問題ではあるが、姿を直接確認したわけではないため、外交ルートから非を責めることも難しいようだ。

顧傑が逃亡の際に何人か手にかけて傀儡として利用したため、少なからず犠牲者は出ているが、事件性を鑑みてその死も大きくは公表されることもないだろう。

 

「それとお客さんだよ」

 

伯父の視線が次の間に向けられる。

襖で仕切られた隣の部屋に人がいることは分かっていたが、伯父が結界でも敷いていたのか気配は読み取りにくかった。

質素なつくりの襖が静かに開かれた。

 

「響子さんでしたか」

「あら、私がいることくらい分かっていたでしょう。悠君が京都から出てきているって聞いてね」

 

兄はしおらしく「どうでしょうか?」と曖昧に笑ってはいるが、私でも人がいることに気が付けたことに兄が分からないはずがない。

控えていたのが響子さんであることは、伯父の結界があったとしても見通していたはずだ。

今日の彼女はグレーのジャケットに黒いスカートとかなりフォーマルな装いだ。

連絡先は知っているが対面で相談すること、もしくは連絡することがあるのだろう。

軍服ではないので少なくとも仕事ではないし、そもそもここに軍服姿で立ち入ることは憚られる。

響子さんはそんな兄の態度も特に気に留めず、笑顔を浮かべながら空気だけは張りつめている。

重要な話であることは状況からみてとれる。

 

 

「では、ごゆっくり。雅君はこちらへ」

「分かりました。響子さん、あとでまた」

 

用事があるのは兄に対してなので、部外者は退散する。

私は伯父に続いて、部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

藤林響子は風間の伝手で九重八雲にコンタクトを取り、悠と接見していた。

彼個人の連絡先も知っており、祖父に頼めば九重本家と連絡を取る事も出来たであろうが、自分が会うには立場が悪い。

藤林家の娘として会うことも、藤林中尉としても会うことができない。

前者は悠には既に婚約者がいる立場であり、女性と二人きりで会わせるには相応の理由が必要だ。

後者は言うまでもない。俗世とは遠い神職である彼に軍人が会うとなれば、下手に耳聡い者に勘繰られても困る。

そういうわけで、藤林響子個人として会うためには、九重寺という場所以外に適した場所は考え付かなかった。

 

「悠君を前に探り合いは無用というより、虚栄よね」

「思考が透けているわけではないですよ」

 

久し振りに会ったと言うのに粗雑な物言いに挨拶もおざなりになってしまったのは、自身の焦りか緊張によるものだろう。

数年前は光(またた)くような美少年がたった数年で色気を纏った絶世の美丈夫となり、知った顔でありながらあまりに整いすぎた容貌と静謐な様に直視することも恐れ多いような気にさせる。

従弟の九島光宣も身内の眼から見ても絶世の美少年ではあることは確かだがが、悠と光宣では纏う雰囲気はまるで違う。

家としての歴史の長さを感じさせるのか、神職として勤めているからなのか。ただ対面しているだけなのに、なにか大きなものを相手にしているような言い知れぬ感覚がある。

特に室内に二人きりと言う状況は、指先から心臓、はたまた心の奥底まで見透かされているような気がしてならない。

誇大妄想だと理性が叱咤するが、口の渇きに嫌でも自覚させられる。

 

「彼に何が起きたのか知りたいの」

 

背筋を正し、宵闇のように黒い瞳を見据えた。

声は震えていなかったように思う。

彼が誰とは言わなかった。

それでも伝わると確信していた。

 

八雲(伯父)からどのような術が行使されたのか聞かれたのではないですか」

「死亡した稲垣刑事にかけられた術については聞いたわ。達也君もまだ不確定要素が多いとは言っていたけれど、恐ろしい術であることは確かだわ」

 

顧傑の作り出した傀儡の魔法師と対峙した達也の仮説では、生者を殺すことで死者には余剰となる生命エネルギーを糧に傀儡となった者は魔法を行使していたという。

先立って顧傑の潜伏先を突き止めた稲垣刑事はこの術式によって傀儡となり、一条家の長男の手によって完全な死体となりその最期を迎えた。

まるで物として魔法師の命を消費するような振舞いには憤りを感じるが、既に敵は海の中だ。

 

「でも千葉刑事は生き延びることができた。彼の病室には九重の紋の御守りがあったわ」

 

単なる偶然ではない。

九重が彼に何かをしたことは確かだ。

御守り自体は千葉寿和の妹であり、達也のクラスメイトであるエリカから渡された物であり、元をたどれば雅の私物だ。

九重が何らかの形で彼にそれが手に渡ることを見越して、雅に持たせていた、と考えることが自然だろう。

どんな目的があっての事なのか、彼を九重が必要としているのか、強力な傀儡の術から逃れる術があるのか、彼の瞬き一つ、指先の動き見逃さないように気を張り詰めていた。

障子戸に雲間を抜けた光が差し込む。

会話と会話の余白が、やけに長く感じる。

 

「響子さん、意地を張るのはもう十分ではないですか」

 

返ってきたのは予想もしない言葉だった。

一瞬息が止まるほど心をかき乱された。

 

「質問の答えにはなっていないけれど?」

 

ポーカーフェイスは得意ではあったが、随分ときつい口調になってしまい、声も少し上擦っている。

威厳も威勢もなにもあったものではない。

無意識に膝の上で重ねた指を強く握っていた。

その指先も温度はないような感覚だった。

 

「聞きたいのはそもそも彼に何が起きたかではないでしょう」

 

彼は質問の回答を誤魔化しているのではない。

この質問をすることは無意味だと拒絶しているのでもない。

悠はまるで慈しむように優雅に笑みを口元に浮かべていた。

 

「許しがほしいのですか、それとも誰かにその感情の名前を告げてほしいのですか」

 

春先を思わせる穏やかな声なのに、その言葉は鋭く心を抉りぬいた。

 

「忘れるわけではありません。彼が生きた日々の掛け替えのない記憶が貴女にはあって、彼のいない日々を貴女は歩む。その隣に別の誰かがいることは、後ろめたいことですか」

 

かつて、愛した人がいた。

今でも愛している人がいる。

それでもその思いを告げる相手は既にこの世にいない。

戦場となった沖縄の地で、彼はその人生を終えた。

婚約者の死が、藤林を魔法師として軍に身を置かせる理由の一つとなったことは確かだった。

 

自身の才能と軍の仕事の内容は適正があったと思う。

軍の仕事の中で千葉寿和は都合の良い警察とのパイプだった。

横浜事変の前から協力し、その折に何度か食事をした。

ただその後は私的な連絡もなく、浮ついた言葉のやり取りもない。

たった数度、縁があっただけ。

それでも彼が死の淵に立っていたと聞いた時には冷静ではいられなかった。

だからこうして悠にも問い詰めている。

問い詰めて、諭された。

何を分かったような口を、と乱暴に言ってしまいたいのに否定できなかった。

 

「彼はしばらく療養が必要なようですから、時間は十分ありますよ」

 

その感情の名前など、陳腐な言葉にしてしまいたくはないという自分がいる。

それでも胸を締め付けて止まないこの痛みは、偽ることができない確かなものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

兄が響子さんとの話し合いを終えて、九重寺から司波家へと向かう。

達也から事件の顛末を二、三確認すると兄は達也への労いを一言かけ、深雪をデートに連れ出していった。

昨晩約束していたそうで、深雪はAラインのワンピースにベージュのロングコートの装いで、少し化粧もしていた。可愛いと言うより、大人っぽいデザインで、上品にまとめられている。

兄との年齢差が気になるのか、少しでも大人っぽい格好をして兄に釣り合うようにと思っているところが可愛らしい。

達也はエスコートされる深雪をみて、少しだけ眉間に力が入っていた。

私は稽古続きで休息が必要なのと、課題で心配なところがあったので、達也と一緒に勉強会をしていた。

水波ちゃんは買い物をしてくると言って気を利かせてくれたのか、司波家には私と達也しかいない。

 

「達也は魔法大学に進学の予定なのよね」

「今のところはな」

 

勉強がひと段落したところで、達也が淹れてくれた珈琲を飲みながら休憩することになった。

私のは豆乳と蜂蜜を入れたソイラテだ。

甘さと温かさに体がじんわりと温かくなる。

 

「親父は今度こそ仕事に集中しろと言いそうだが、叔母上の許可も出ている」

「そっか。来年からはまた遠距離になるね」

 

私は魔法大学に進学せず、実家の九重神宮で神職としてお勤めの予定だ。

今も末席としてお勤めはしているが、神楽の中には正式な神職としてある程度修行を終えた者でなければ舞う事が許されていないものがあるため、数年は修行の身だろう。

父の見通しでは、達也が私を選ばなければ3年後の桜は見ることができないと言われているので、あるいはということもある。

 

達也と深雪には大学進学をせずに実家に戻ることは伝えてはいるが、それ以外のことは告げるつもりはない。

義務感や責任感、あるいは憐憫のようなもので、達也を縛り付けたくはなかった。

達也が私を大切にしてくれていることは理解している。

それでも、告げてしまえば彼は優しさから私の手を手放すことはしないだろう。

そんなものは欲しくない。

彼と歩むのに、そんな重石のような感情は必要ない。

これは私の意地であり、エゴだという事も分かっている。

分かっていてなお、私は彼が本当に私を選んでくれることを信じていたかった。

信じていたいのに、全てを打ち明けられない。

もどかしさと弱さを押し込むように、甘い液体を喉の奥に流し込む。

 

「深雪も進学?」

「迷っていたようだ」

「兄は高校卒業でも大学卒業でもどちらで構わないと言っていたわよ」

 

魔法師は学生結婚自体、それほど珍しくはない。

早くに次世代を求められる風潮から、産休、育休後の復学のための制度も整えられている。

しかし、それは一般的な魔法師の話である。

四葉家も九重家も一般的とは縁遠い家である。

 

深雪ならば華道や茶道、立ち振る舞いなどは問題ないだろうが、何事にも流派があり、親戚関係、季節行事、神事のことも合わせて覚えることは多岐にわたる。

私と達也の婚姻より、次期当主である兄と深雪の結婚の方が重要視されるのは当然の事なので、少なくとも結婚は私と達也より先のことになるだろう。

 

「達也は深雪と一緒の大学に行きたいでしょう」

「流石にそろそろ離れなければならないことは分かっているさ」

 

達也の苦笑いにやや陰りが見えた気がした。

 

「何か気になることがあるの?」

 

私としては何気ない質問だった。

 

「―――雅も事件の顛末は聞いているだろう」

 

達也の言葉に私は首を縦に振る。

 

「海上に逃げた顧傑をUSNAのベンジャミン・カノープスは分子ディバイダーで船ごと切断しようとしていた。俺は術式解体でそれを止めようとしたところで、師匠に制止された」

「死体は出てこなかったのよね」

 

恐らく沈没した船や顧傑、その他傀儡となった者の死体は捜索されているだろうが、発見できたという話は聞かない。

 

「なぜ止めたのか、師匠に問いかけた。結論から言えば、あの場面で術式解散を使う事で、深雪や雅を危険にさらす可能性を理解できていなかった」

「私たちに危険?」

 

今回の事件と私たちの身の安全に何か関りがあるのだろうか。

それは反魔法師的な風潮が強くなり、実際暴力事件が発生したため、身の安全は魔法師全体に言えることだ。

四葉と九重という名前があっても、見境のない敵というのはどこにでもいる。

 

「アンジー・シリウス、リーナと対峙したときの俺はまだ無名の魔法師だ。雅の婚約者といっても、それほど危険視はされていなかった。だが、今の俺は四葉家の次期当主候補の一人だ。師匠は俺が四葉の名前の重さが理解できていないと言った。その俺が分子ディバイダーを『分解』していれば、USNAの覇権を脅かす存在として米軍は俺を敵と認定しただろう」

 

元々リーナは大亜連合の軍港を地図上から消すほどの威力を持つ、日本の非公式の戦略級魔法師の暗殺とパラサイトの追跡のために来日していた。

その頃はまだ達也も深雪も四葉とは無関係であるように、情報操作がされていた。

しかし、四葉家との関係が明らかになった今、達也は以前のように自由に動くことが難しくなった。

何をするにしても四葉家次期当主候補として、色眼鏡で見られるだけではなく、ただでさえ情報が少なく、かつ強力な力を持つ四葉家とあって動向には少なからず注目が集まる。

あの場で顧傑を捕縛したとしても、米軍からの監視は強化され、戦略級魔法師ということが明るみになるかもしれない。

 

「そうなれば、深雪や雅にも危険が及ぶ。俺は師匠に指摘されるまで、その危険を予知できていなかった」

 

スターズのナンバーツーが乗船しているだなんて、誰も思わない、なんて気休めなことは言えない。

達也が相手にしなければいけないのは、目に見える敵だけではない。

 

「不甲斐ないな」

「達也は役目を全うしようとしただけでしょう」

「ああ。だが、目先の結果ばかり見てしまっていた」

 

少しずつ、身動きが取れないように絡め捕られている。

そんな気がした。

四葉家から自由になるため、彼はこれまで血反吐を吐き、心配になるほどの努力を重ねてきた。

全ては深雪のためというが、その深雪が九重に嫁ぎ彼の手から離れるとなれば、彼は四葉に義理を果たす理由はない。

それでも何かと理由を付けて、彼を自由にはさせないだろう。

 

「脅威は去った。事件だけみれば、これ以上の被害は防がれたわ」

 

こんな時、深雪ならばなんと言葉を掛けただろうか。

 

「お疲れ様。ありがとう」

 

ありきたりな言葉に、達也は少しだけ頬を緩めた。

 

 

 

 

 

 

 

 





上京してきた妹と吉祥寺君と東京観光をしていた一条君は、デート中の深雪ちゃんを見かけて、絶望しました。



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師族会議編12

サンタさんなんていなかったんだ(´;ω;`)ウッ…







三月九日 土曜日

 

梅の花は終わりを迎え、桃の花がつぼみを花開かせている。季節は春らしく移ろうが、まだ吹き抜ける風は冬の冷たさを纏っている。

 

三学期の途中だが、明日、一条君が金沢に戻るそうだ。

元々師族会議の襲撃者を捕縛するために例外的に一高で授業を受けていたので、それがひと段落すれば一高に終業式までいる理由はない。

 

送別会としていつもお昼ご飯を食べていたメンバーで、ボーリングとカラオケに行くことになった。さすがに魔法科高校の制服姿は特徴的で目立つので、一度帰宅して私服に着替えた後、再度集まることになった。

 

私は神楽の稽古が夜からあるので、申し訳ないがボーリングだけ参加する予定だ。ボーリングはレトロゲームと言われてはいるが、土曜日の午後とあって会場はそれなりに人が多い。

運よく隣同士のレーンが二か所取れたので、チーム分けをして今のところゲームの半分ほどが消化されたところだ。

 

「達也君、本当に二回目?」

 

エリカが達也の得点を見ながら、呆れ気味に呟いた。一般的な男子の平均スコアがどの程度なのかは分からないが、既に達也の点数は初心者の域から飛びぬけていて、高得点の連発に他所のレーンからも注目されるほどだ。

当然、魔法禁止のルールだが、精霊の眼を使わなくても、達也にしてみればボールを持った時に重さと重心は把握でき、軌道計算の暗算は苦にもならない。狙った通りに体を動かすことも息をするように造作もない。

結果、高確率で大量のピンをなぎ倒している。

 

達也と同じレーンの西城君もパワフルなボールで点数を重ねているが、達也のボールの正確性は隣のレーンから見ていても精密機械のようだ。

ただ一つ、不満があるとするならば今回は籤の神様に見放されて、私は達也と別であり、尚且つほのかが達也と同じレーンになっている。

ほのかはボーリング初体験だそうで、達也の点数に驚き盛大にほめながら、投げ方のコツだとかフォームを聞いて、積極的に話をしているように見える。

頬の緩み方も無意識に高くなっている声も、ほのかが達也をまだ好きだと感じさせる。ほのかは諦めないと宣言していたように、今後も積極的な態度を続けるのだろう。

 

あまりそちらの方を見ないようにしながら、私は深雪と一条君と同じレーンなので、せめて深雪の隣を固めている。

反対側には、エリカが一条君を押しのけるように嬉々として座ってくれた。

 

「二回目のはずよ。達也って趣味らしい趣味がなくって、私の兄とか祖父に相当遊びに連れ出されていたみたいなのよね」

 

私の知っているところ、知らないところで、社会勉強という名前で色々と遊びの手ほどきを受けていたようだ。曰く、遊びは人間関係を円滑にする一種の交渉術だと尤もらしい理由を付けては達也にルールだけではなく、実践の手ほどきをしていた。

 

「ダーツ、ビリヤード、将棋、チェス、囲碁、乗馬、剣舞、雅楽、寄席に各種演劇鑑賞は私も一緒だったから分かるけど、それ以外にもたぶん一度試したことのある娯楽は多いと思うわ」

 

お座席のような年齢的にあまりよろしくない遊び以外は、一通りしているはずだ。将棋など私も祖父に手ほどきを受けたことはあるが、達也にいたっては駒の数が今より多い大将棋なんてものまで知っている。

娯楽としてボードゲームのような知的遊戯や体を動かすものは得意だが、茶道や生け花など芸術的な要素が強いものは、基本となる要素を押さえてそつなくこなすが面白みがないと言う評価を受けているのが達也らしい。

 

「結局、趣味と実益を兼ねた魔法式のアレンジとソフト開発が趣味かしら」

「それ趣味?」

「気になったから作ってみたって言う時点で趣味の領域だと兄は評価していたわ」

 

1年生の時の九高戦で西城君が使っていた武装デバイスなど最たる例だろう。あれは仕事で依頼されたものでなければ、結果的に九高戦で使ったにせよ、必要性に駆られて作ったものではない。

つまり仕事ではない知的欲求から作成された趣味の産物だと兄たちは評価していた。

 

「司波さんは何かご趣味はありますか」

 

趣味という話題に会話の糸口を見つけたのか、一条君がはにかみながら深雪に質問した。

 

「そうですね。料理をするのは好きですよ」

「料理ですか。素敵ですね」

 

一条君が柔和に表情を緩ませた。顔立ちが整っていると、こういった表情も映えるが、つい眉間に力が入ってしまう。

ごく普通の世間話で、目くじらを立てるようなものではないが、この頃一条君も深雪と距離を詰めたい雰囲気が伺える。

 

途中、ボールを投げるため私とエリカは深雪の隣を空ける時があるが、一条君は隣に座ろうとする気配はない。ほのかのように直接的なアプローチではないが、結果はどうであれ、師族会議襲撃事件は終息し、捜査がなくなったことで時間的にも精神的にも余裕が出てきたのだろう。

 

「深雪、カッコが抜けているわよ」

 

エリカがにんまりと口角を釣り上げた。

これは吉田君と美月をからかう時の表情と同じだ。

 

「『お兄様とお姉さまに食べていただくための』料理をするのが好きでしょう」

「もう、エリカったら」

 

深雪は照れ臭そうに頬を緩めた。

 

「ごめん、ごめん。花嫁修業よね」

「エ、エリカっ!?」

 

分かっていると言わんばかりにさらに笑みを深くするエリカに、深雪は思わず上ずった声を上げる。

どうりで最近、司波家にお邪魔したときに和食の頻度が高いし、以前より味付けについて意見を求められている気がすると思った。

深雪は両手で赤くなった頬を抑えながら、困り顔で私にちらりと視線を向けた。

上目遣いで恥ずかし気に私を伺う顔に、つい私も頬が緩んでしまう。

 

「今度、いくつか母からレシピを聞いてくるわね」

 

せっかく頑張っているのだから、披露する機会は兄にも相談しなければならない。

深雪は是非、と表情をほころばせるが、横目で見た一条君はどんよりと肩を落としている。思わぬところで惚気に当てられて意気消沈しているようだ。

 

それにしても、エリカの一条君に対する毒気が強い気がする。

元々、男子に対しても遠慮のないエリカではあるが、理由は何となく察することができる。

今回の一件で、エリカのお兄さんは一命をとりとめたが、部下である稲垣刑事は殉職された。

単なる部下ではなく、千葉家の門下生でもあり、傀儡となった彼の最期は一条君が手を下した。

傀儡にされた時点で、蘇生は不可能であり、顧傑が直接の加害者であることは確かなのだが、エリカの中で消化しきれないものがあるのだろう。

エリカも内心、それはおそらく分かっていて、それでも納得はできないでいることも理解していて、大人しく振る舞うこともできなくて刺々しいように見えるのだろう。

 

「それにしてもお兄様、剣舞をなさったことがあるだなんて、初耳ですよ」

 

深雪は話題を変えることで、羞恥心から逃れようとした。

 

「達也君、今度うちの道場で見せてくれない?」

 

剣舞と聞いてエリカが興味深そうにしている。

九重神楽の稽古の一環として魔法を使わない剣舞を習うことがある。

達也も型のいくつかは教わっているが、急所を突くような殺人剣との違いに戸惑いを受けていたのが懐かしい。

 

「悪いが習ったのが随分と前でとてもじゃないが、見せられるような代物じゃない」

 

達也は困惑気味に首を振った。

 

「せっかくだから、また稽古受けてみる?」

「雅もよしてくれ」

 

私もエリカの言葉に便乗してみれば、もう勘弁してくれと言わんばかりに達也は肩をすくめて、ボールを取ってレーンに向かった。

淀みのない足取りで達也が投げたボールはピンの直前でカーブを描き、ピンを豪快になぎ倒した。ひとつ残らず倒れたことで、スコアを示す画面が派手なアニメーションを表示する。

 

「さすがです。お兄様!」

 

深雪は嬉しそうに拍手を送る。

同時に一条君が少し前に投げ終わったようだが、どうやら点数が思ったより低く達也の結果をみて悔しそうにしていた。

 

落ち込んだり悔しがってはいても、次をどうぞ、と紳士的に深雪に場所を譲った。

 

「一条君、力が入ってしまいましたか?」

「そのようです」

 

達也の点数を凝視しているが、半分過ぎた段階で逆転は難しいことは予想がつく。

 

「そういえば、春休みは実技の補講でお忙しいのよね?」

 

私が唐突に切り出したボーリングとは関係のない話題に、一条君は一瞬戸惑いを見せる。

 

「え、ええ。その予定です。課題ができれば拘束時間はそれほど多くはないと思います」

「そうですか。もし、ご都合がつけば九重神楽の舞台にご招待させていただけたらと思って」

「九重神楽ですか」

 

帰り際でもよかったのだが、改まって話すことで変に警戒されても困るので、話してしまうことにした。

九重神楽の観覧者は基本的に招待客であり、舞台の二か月間前には招待する者がほぼ決まっているが、昨今の魔法師に対する反対運動の煽りを受けて、残念なことに招待の辞退が出ていた。

非常に歯がゆいことではあるが、こればかりは九重だけで解決できるようなものではない。

 

「京都であれば三席、東京であれば二席用意できるわ。お住まいからは離れるし、お連れ様がいらっしゃればご予定もあるだろうから、内々の話にはなるのだけれど、いかがかしら」

 

今回の話は次兄からの提案だ。兄は一条君の顔自体は知っていても、直接見てみたいとあって父の了承を得て席を用意することになった。

 

「九重さんは東京と京都の両方の舞台に立たれるのですか」

 

一条君は視線を私ではなく、ボールを持ってレーンに立っている深雪を一瞬盗み見た。

 

「その予定です。京都は次兄が、東京は太刀川家の次男が務めます。深雪と達也は京都の九重神宮での観覧の予定ですよ」

 

あからさまな様子ではなかったが私の予想どおりだったようで、一条君は口元が一瞬ひきつった。もう少し隠す努力をしてほしい。エリカですら呆れ眼だ。

 

「ご予定の確認もあるでしょうから、お返事は今日でなくとも構いませんよ」

「わかりました」

 

話しているうちに深雪が投げ終えたようで、私は交代して席を立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三月十日 日曜日

 

短いようで、中々ハードな東京での滞在を終えた一条将輝は魔法協会関東支部に寄ってから、金沢の自宅へと戻ってきた。

東京で見送りをしてもらった深雪の姿を脳裏に浮かべながらの帰路は、思ったよりも遠くは感じなかった。

最寄り駅からはコミューターを使い、家の玄関をくぐれば自分の帰宅より、お土産は何かと催促する現金な妹と母に駅で購入した土産を渡し、母から父が書斎で待っていると言う。比較的長時間の移動で凝り固まった肩を動かしながら、書斎へ続く廊下に足を向ける。

 

純和風な造りの一条家ではあるが、ホームオートメーションは一般家庭の水準以上のものが備え付けられており、個人の邸宅としては広い部類に入る。

将輝の父である一条剛毅の仕事場となっている書斎は許可なく入れないようになっており、家の中でも強固に防御されている。一条家は大亜連合、新ソ連と事実上の国境である日本海側の北方の国防を担っているため、独自調査の資料に加え、軍や公安、海上警備隊などと交わした機密扱いの情報も多い。

 

今回のテロリストの一件も犯人死亡は世間にまだ知られてはいない。

大方の報告は電話やメールで終わらせていたが、剛毅から改めて事件の終息とその後のUSNAやスターズの動きについて告げられた。

報告したこと以外で何かあるかと求められたので、将輝はそういえば九重神楽の観覧に誘われたことを思い出し、父の都合が悪ければジョージを誘うつもりだと答えた。

九重の名前に、今まで特に普段と変わりなく聞いていた剛毅の表情がカッと変わった。

 

「馬鹿者!!」

 

窓まで響くような大声に将輝は肩を飛び跳ねさせる。

 

「九重の招待だぞ。戦時真っ只中でもないのに、断ったことが知られてみろ。古式魔法師の連中からは白い目で見られ、一条家(うち)の支持基盤すら減るぞ」

「そ、そんなに一大事なのか」

 

世間話の一つ、もしくは社交辞令での申し出だと思い、さほど重要でもないような誘い方であったので、将輝としては事の重大さがいまいち呑み込めてはいない。

 

「九重の名前の重さを教えていたつもりだったが、自覚が足りんようだ」

 

教育が足りなかったかと思いため息を吐き捨て、剛毅は米神を押さえた。

剛毅自身、腹芸の類など得意とも言えず、かといって腹の探り合いができなければ十師族当主としては不足だ。

対人戦闘を想定しすぎた今までの教育を顧みつつ、息子にはそのあたりの経験も積ませるべきかと思案しつつ、頭の中で予定を組み立てる。

 

「予定はなんとしても合わせる。今のところ、大亜連合も、新ソ連もまだ大きな動きはないのが幸いだな」

 

大亜連合は二年前に戦略級魔法とみられる攻撃によって大打撃を受け、十三使徒に数えられた戦略級魔法師を欠く状況だ。数と質はともかく大亜連合の人口規模は馬鹿にはできない。表には出ていない戦略級魔法師の存在は噂されているが、軍部も民衆も政治家も現時点では日本に対して徹底抗戦の構えは見せていない。

新ソ連については、何度か北海道沿岸で現地で漁業を行う住民と新ソ連の国境警備隊との間でもめ事は起きているが、軍部に関しては不気味なほど沈黙を保っている。戦略級魔法師の行動も今のところ、憶測と確率の低い予想の域を出ない。

大亜連合の軍港を一瞬で地図上から消した戦略級魔法の存在を探っているという情報は掴んでいるが、それは大なり小なりどこの国も行っていることだ。

 

どこの国も大きな戦争に向けた準備期間という見方が先般の師族会議での共通認識であり、その兆候を逃さないように警戒を続けると言う方針になっている。

だが、戦時ではないため、即座に出撃できるよう備えていなければならないわけではない。

 

「お前もスーツの確認はしておけ。あと必ず母さんにも見てもらえ」

「そんな子どもみたいに言わなくたって用意くらいできる」

 

たった十二歳にして血の飛び交う戦闘は経験したが、十師族としての意識のまだ低い思春期の息子に剛毅は再度ため息をつくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っていうことがあったんだ」

「それは剛毅さんも怒るよ」

 

三高に復帰した放課後、将輝は一高に通っている間に受けられなかった通常の実技課題をこなしていた。そこで相棒である吉祥寺に顛末を話すと、帰ってきたのは予想よりも辛辣な言葉だった。

 

「ジョージ、俺の認識が甘かったと思うか」

 

将輝が父に予定を告げた翌日、正式に九重から観覧の招待があった。

京都での舞台に父、母、将輝の三人で出席する旨の返事を返し、父が予定の調整に追われていると同時に、将輝は学校で実習の補講に取り組んでいた。

補講と言っても講師が一対一でつくわけではなく、平日の放課後や休日を使って実習課題を行うことになる。早めに終わらせなければ春休みの課題に加え、補講もあれば九重神楽の観覧に間に合わなくなる可能性があるからだ。

急ぎ片づけなければならないが、対人戦闘を想定した三高の実習は、一高での実習に比べると将輝も慣れたものであり、練習なしでも合格点を超えていた。

このペースならば問題なく春休みは迎えられそうだった。

 

「今回ばかりは僕も擁護はできないね」

 

吉祥寺はやや芝居がかったように肩をすくめる。

吉祥寺は特に長く欠席したわけではないので、通常の授業で既に課題は終えているが、将輝に話ついでに付き合っているところだった。

 

「いいかい、将輝。九重は国造りの時代から魔法師だったと言われる血筋だ。歴史の長さは国内有数。それだけ歴史と家格が揃っているとなると、コネクションの強さは尋常じゃない。たとえ魔法師でない家だとしても、縁を結びたいと思っている家は多いはずだよ」

 

それは将輝も知っている。

九重本家となれば、魔法師の中でも歴史が古いことでは有名だ。

吉祥寺の言うように、金沢にもいくつか血筋としての遠縁や、寺社とのつながりもある。

三代遡るだけでも、その名前に連なる家系は魔法師の中でも選りすぐりといっても差し支えない名門ぞろいだ。

それだけの影響力はあってしかるべきであり、それだけの力があるから相手も相応でなければ務まらないことは分かっている。

将輝も昨晩、父から九重雅は将輝の相手候補の一人だったと聞かされた時は耳を疑ったが、それだけ多くの家から関係を結びたいと思われているのが九重家だ。

 

「しかも一条家は九重と四葉の縁談に待ったをかけている状態だ。十師族のパワーバランスはあるにせよ正直、よく剛毅さんが許可したと思っている」

「親父はパワーバランスだとか十師族の立場だとか考えたかもしれないが、少なくとも俺は司波さんをそういった家系の要素で好きになったわけではない」

 

将輝はたとえ彼女が十師族ではないとしても、いずれはそういう関係になることを前提での交際を申し込むことまで想定し、十師族であると聞いたならばその実力にも納得した。秘匿されていたことですら彼女の神秘性を深める要素でしかなかった。

 

家柄について無視できないことだとしても、将輝はそんな権力が絡んだ人間模様など煩わしく、ただ純粋に彼女に対して真摯にありたいと思っている。

あの昼休みのひと時は、将輝にとっては目の上のたん瘤が二つあろうと、女神のごとき彼女と接する至福のひと時であったことには変わりなく、彼女に対する思いは強くなるばかりだった。

 

「将輝が恋愛に夢を見るのは結構だけれど、もう少しその辺りを考える必要があると思うよ」

「今日は随分と辛口だな」

 

全面的に擁護を求めたわけではないが、容赦のない吉祥寺の言い方に、将輝は珍しく思う。

 

「時に将に具申するのも参謀の役目だよ」

 

それを聞くかどうかは、将の器だと暗に言われている気がした。

 

「それに家系的な要素や家々の関係性を考えれば、恋敵を遠ざける方法も見えてくるんじゃないかな」

 

魔法師にとっては家系的な話は詮索しないことが暗黙の了解であり、将輝としてはあまり気は進まないが、恋敵は強力であることは確かだ。

先日、偶然にもデート風景を見かけてしまったが、一足早くそこだけ春が訪れたように幸せな雰囲気の彼女と恋敵には随分と心に突き刺さるものがあった。彼女の幸せそうな顔はそのまま写真に収めてしまいたいくらい可憐なものであったが、隣に立ってその視線を向けられているのが自分ではないことがこんなにも苦しいことだとは思わなかった。

 

家柄は間違いなく、九重家の方が上。

九高戦での映像もなく、直接魔法を使うところは見たことはないが、九重家次期当主が普通の魔法師というのは考えにくい。妹の九重雅の実力を知っているだけに、彼女に匹敵、もしくはそれ以上の魔法力を持っている可能性が高い。

身長、体格共に将輝の方が良いが、立ち姿は断然あちらが美しく洗練されていて、顔立ちに関してはそもそも比較の対象にならない。

彼女と並んで見劣りするどころか、引き立てあうような造形美にはさすが九重の光る君と言われることに文句をつけようもない。

恋愛に関する要素を一つ一つあげてみると、勝てる要素の方が少なく思えて落ち込みもするが、頼もしい参謀が活路を見出しているようで、将輝は静かに話の続きを待った。

 

「九重と四葉の関係が強くなることに危機感を覚えている者は少なからずいる。九重の次期当主には二木家当主の姪との縁談の噂も聞いたし、九重雅さんには芦屋家が随分とご執心だっていう話もある」

「それは親父からも聞いている。七草家も四葉と九重の婚姻には反対姿勢を見せていたそうだ。五輪も一条と四葉の婚姻を悪いことではないと肯定的だったらしい」

 

元々、師族会議での議題ではなかったが、七草家が四葉家にいつものように言いがかりをつけたところで、一条家として四葉家から婚約申し込みの返事がもらえていない旨の発言を皮切りに、論戦となったと聞いていた。

 

「つまり、十師族のうち、一条、二木、五輪、七草は反対。残りの家は静観していると言うわけか。九島はどっちだった?」

「九島は今回の会議で十師族から外れたが、婚姻絡みのことには私事であるとして一旦そこで会議に休憩を入れたそうだ」

「立場は未定か。九島は九重とも縁続きだから、立場は気になるね」

「たしか、九島家前当主の九島烈の奥方が九重の直系筋だったな」

 

今でこそ大亜連合の周公瑾と内通していたとして十師族の地位から退いたが、九島烈が二十代のころであれば軍部でも頭角を示し、隆盛真っただ中だったことは間違いないだろう。

現代魔法師と古式魔法師との闘争を終息させる目的もあったと聞き及んではいるが、きっかけはどうあれ縁続きになる利点は大きい。

 

「現当主の母の家系なら少なからず関係は続いているだろうけど、九重さんは昨年の九校戦にエントリーすらしていなかった。古式魔法師の界隈では、軍事的要素の強い種目に反対する姿勢を取っていたし、彼女の欠場もおそらくその理由だろう。もしかすると既に関係はあまりよくないかもしれない」

 

吉祥寺は冷静に各家の立場を口にしながら整理していく。

 

「そうなったとしても少なくとも、二木家とは共同歩調を取れるだろうし、芦屋も決して悪い話だとは思わないはずだ」

「芦屋が?」

 

芦屋とはおそらく、安倍と並ぶ陰陽道系の一派であり、二高の前生徒会長だった芦屋充のことだろう。

魔法師としての腕は古式系に偏ってはいるものの、現代魔法も難なく使いこなしていた。驚異的なまで魔法師の才能にあふれていると衝撃を受けるほどではないが、優等生タイプな魔法師だ。

生徒会として挨拶したことはあるが、人当たりは良さそうにしながら腹に一物抱えている雰囲気があり、将輝としてはあまり友人にはなれそうにない種類の人間だという印象を持っている。

 

「芦屋家は陰陽道系の最大派閥でもあるし、その伝手が使えれば古式魔法師界隈の協力はいくらか得やすい。おそらく、九重に四葉が嫁ぐことに内心腹に据えかねているのはなにも十師族だけではないと思う」

「しかし、司波と九重さんの関係に罅を入れるのはあまり気が進まないな」

 

司波達也と九重雅。少なくともこの二人の関係は悪くないように見えた。

人目を憚らず愛を睦みあうような様子はないが、信頼と親愛以上の関係があることは周囲の話を聞いていればわかる。

司波は実技が苦手と言っていたが、魔法戦闘能力は高く、魔法理論に対する知識も並外れている。筆記試験の点数だけでも2位以下を平均点で10点も突き放すほど記憶力も判断処理能力も優れており、九高戦で知識を技術へ昇華する才能もあることは分かっている。

四葉の次期当主候補有力と聞いて耳を疑ったが、同時に九重が嫁がせるだけの才覚を認められていると言うことだ。

政略的な意味合いも強いだろうが、本人たちが納得していて、少なからず思いを通じ合わせているなら無理に壊す必要はないと将輝は思っている。

 

「将輝、君が司波さんと婚約が成立すれば、彼らの婚約も破談になるよ。もしくは先にそちらを破棄させて、あとから司波さんと九重次期当主の婚約が白紙になるかな」

「どういうことだ?」

 

吉祥寺の声がわずかに低く、そしてただ淡々と冷静に断言した。

 

「九重の次期当主との婚約を破談にして、そのまま娘は寄越せなんていうほど、四葉家が厚顔無恥とは思わない」

 

十師族としてどれだけ四葉が強大な力を持っていたとしても、あくまでそれは魔法師の中での話だ。

家の格というものがあるのだとしたら、間違いなく九重は歴史の長さからもその成り立ちからも、国の上位に位置する。

一度結ばれた約束事を反故にすれば、いくら四葉といえど批難は避けられない。

 

「その覚悟がなければ、将輝は司波さんを手に入れることはできないよ。将輝はそれを理解して、司波さんにアプローチすることになるんだ」

 

彼女が強く慕っているあの二人の仲を引き裂く覚悟を持って、将輝は彼女の心を射止めなければならない。

それがどんなに残酷で、彼女の心を傷つけずにそれを行うことがどれほど難しいか、想像が及ばなかった。

将輝はもしかすると一生彼女に恨まれる覚悟で、彼女との婚姻を結ぶことになる。

それは果たして彼女を幸せにしたと言えるのだろうか。

彼女に対して胸を張れることだろうか。

 

「ジョージ、俺は……」

 

ただ、彼女を思うだけでは許されない。

新ソ連が佐渡へ進行してきたときに、十師族としての責務を理解し、覚悟はできた。

だが、将輝はこの日、これまでになく強烈に自分を取り巻く名前をすべて取り去ってしまいたいと思った。

 

 

 

 




神楽の話とか、雅ちゃんと達也のイチャイチャとか詰め込もうと思ったら、一条君のターンだよ。誰得。
書けば書くほど一条君のハードモードが浮かび上がりますね。

前回、久々に日間ランキングに乗っていました!!さすがお兄様です。
それも皆様の応援あってです。感想、評価ありがとうございます。いつでもお待ちしています。
お返事すると言いつつ、していないのが申し訳ない限りです。

今年もあと残りわずかですが、どうぞご自愛ください。


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春休み編
南海騒擾編


アレ、一月は(;・∀・)?って感じで、季節が過ぎていきます。
そして短いですが、2年生の春休み編ともいえるこの章はサクッとこれで終わりです。南海騒擾編。漢字が読めぬ……。先生のあとがきでみて、初めて読み方知りました。

そしてしれっと連載4年目になりました。感想にお返事できないままですが、これからもどうぞご愛顧ください。

今月は司波達也暗殺事件の2巻が出るので、楽しみです(*゚∀゚)予約ばっちりです。
ただし残念ながら、繁忙期始まりました。4月末まで更新遅くなります。



 

三月十五日 金曜日

 

卒業式は無事終わり、今年度の行事は残すところ終業式だけとなった。

その二十三日の終業式の後、その日の飛行機で達也と深雪は沖縄に飛び立ち、二十四日に彼岸の法要に出席することになっている。

大亜連合の沖縄侵攻事件から五年になることから、夏に大規模な慰霊祭が行われることになっているため、その打ち合わせで達也と深雪は四葉家として出席することになったのだ。

 

同時期に北山家が久米島沖に建設していた人工島の竣工パーティがあるのだが、二人はそちらにも誘われたらしい。

日程的に余裕があればという話だが、達也は慰霊式への出席以外にも軍から任務を言い渡されたようで、出席できるかどうかは未定とのことだ。ちなみに、五十里先輩や千代田先輩、中条先輩たち3年生は卒業旅行で沖縄に出かけるそうで、五十里家が島の防衛手段の一翼を担う魔法に技術協力していることから竣工パーティにも招待されているらしい。

私も雫から招待されたが、神楽の舞台が控えているので、残念ながら辞退した。今回の私は東京と京都の両方で神楽の公演があるため、春休みは存在しない。

雫も声はかけてみたものの私が忙しいことが分かっていたようなので、あまり気にしていないようだった。

 

「それで、デートについては聞いてもいいのかしら」

 

卒業式の日には、京都から次兄が東京にやってきており、昼間に東京の関係者と神楽の打ち合わせをしていた。

私たちは卒業式の片づけをしても普段より早い帰宅であり、兄も打合せが順調だったので、ホワイトデーのお返しに深雪とデートをしてきたらしい。

 

「いくらお姉さまでも恥ずかしいのですが」

「深雪のことですもの。話したいのでしょう」

 

深雪は唇を尖らせつつも頬が緩んでおり、満更ではないようだ。

 

「ミュージカルに連れて行っていただきました」

「今回の神楽は歌が入るからね。面白かった?」

 

九重神楽には、雅楽だけのものもあれば、詠唱を行うものもある。魔法を行使する楽師や演者の数が増えればそれだけ難易度が増加する。

それとは別に、神楽の舞台は演じる場でもある。表現の幅を広げるため、次兄はミュージカル、歌舞伎、オペラ、歌劇、狂言、バレエなど様々な舞台芸術に足を運んでいる。今は舞台鑑賞が趣味といってもいいだろう。

 

「はい。今まで古典の題材のものしか観たことがなかったので、とても新鮮で楽しかったです。それに夕飯もご馳走になってしまって、少し悠お兄様には申し訳ないです」

「デートらしいデートを挟まずに婚約ってなったから、少しでも恋人らしいことがしたいのではないかしら?」

 

兄も深雪も楽しんでいるなら私が口を挟むことはない。

 

「そのネックレスはバレンタインのお返し?」

「いえ。チョコレートのお返しには、紅茶と花束をいただきました。これは、その……誕生日には一緒にいられないからと、早めの誕生日プレゼントです」

 

深雪の胸元には、華奢な作りの銀のネックレスが光っている。

シンプルなデザインで鎖骨のラインがきれいに見えるし、普段から制服の下につけていても違和感のないデザインだ。

 

「よく似合っているわ」

「ありがとうございます。それで、お姉さまはお兄様からはなにを?」

 

深雪は兄との話題が恥ずかしかったのか、すぐに私と達也のことへと話を変えた。

 

「入浴剤とボディクリームよ。あと今度、深雪も一緒にいちごフェアに行きましょうって」

「まあ、本当ですか」

 

深雪は嬉しそうに両手を合わせて微笑んだ。

 

「お勉強を頑張っているご褒美と、私の潔斎明けにね」

「楽しみです」

 

今は精進潔斎の最中なので、基本的に菜食中心だ。乳製品も肉も魚も食べることができない。

潔斎は今まで何度もしているが、今まで食べられていたものが食べられないのはやはり物足りない。

運動量も多いため、きちんと食べていないと痩せてしまい舞台に立つ体力がなくなる。

たんぱく源は大豆、甘いものは和菓子や果実で補ってはいるが、無性にシュークリームだとかチョコレートのような糖分と脂質が欲しいと感じる時がある。

 

深雪の勉強は、寺社仏閣や九重神宮で祀っている神々についてのことだ。

正式なものは嫁いでからになるが、縁のないところから嫁ぐのだから少しでも知っておきたいと深雪が申し出たため、私が時間をみて話をしている。

九重は家系図をたどれば親戚の数は膨大であり、そちらの家のことまで知ろうと思えば時間はいくらあっても足りない。

まだ神話のさわりの部分だが、神々の名前は現代の漢字とは少し読み方が異なるものもあるので苦戦している。

達也が私の舞台が終わるのを待って、三人でホテルのスイーツバイキングに行くことを提案してくれた。

この時期はどこも苺をメインに取り扱っているので、今からどこに行くか楽しみだ。

 

「でも、この春は忙しくなりそうね」

 

深雪と達也は三月末まで沖縄、四月一日には新入生代表と入学式の打ち合わせ、三日には京都で九重神楽の観覧、七日には入学式だ。

私も深雪もスケジュールは埋まっている。

それにこの春は達也の周りが騒がしくなると兄は言っていた。

軍の絡みなのか、四葉家でのことか、それとも別のことかまでは教えてもらっていない。

嵐の前の束の間の幸せを、甘んじて受けつつも、為すべきことは刻々と迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三月二十五日 月曜日

 

前日の沖縄侵攻事件の慰霊祭は大きなトラブルもなく進み、今日は達也も深雪も予定は空いていた。

今回、達也が沖縄に訪れたのは、慰霊祭が主な目的だが、まだ仕事が残っている。

久米島沖合の人工島の破壊工作の阻止だ。

久米島は国防上、重要な位置にあり、単に北山家が出資したのは利益が見込めることもあってのことだが、政財界の縁が絡んだ国策の一環でもある。

既にオーストラリアの魔法師が沖縄に潜伏していると言う情報があり、昨日も日本側の捕獲部隊が撒かれたことは達也の耳に入っている。

しかし、まだ大亜連合の脱走兵の足取りは掴めていない。そちらの足取りは風間達が追っているので、達也の出番はまだ先だ。

 

達也、深雪、水波の三人は四葉家が用意した高級ホテルのスイートでゆったり朝食をとった後は、石垣島までクルーズと観光をすることになった。

当初の予定では飛行機を利用するはずだったが、四葉の名前に軍が護衛という名目の接待で高速船とついでに案内役を貸し出してくれた。

案内役の国防軍の兵士は達也が沖縄事変で顔なじみとなった者であり、用意した船の性能が良いため波はそれなりにあったが快適な船旅となった。

 

一通りの定番な観光名所を巡ると、日が傾き、沖縄本島へと戻る時間が近くなったが、一行を乗せた車は真珠専門の宝飾店の前で停まった。

予定には聞かされていなかった場所の訪問に深雪は内心首を傾げつつも、土産物らしい土産物店には立ち寄らなかったので、その関係だろうと口を挟むことはしなかった。

 

「司波達也ですが」

「お待ちしておりました」

 

三人が店内に入り、名前を告げると、見るからに上役が出てきて奥の席へと案内した。

店内には店員だけで貸し切りの状態だ。

慣れない空間に挙動不審にならないように努める水波と、困惑しつつも持ち前の上品なお嬢様の仮面を見事につけながら内心同じように戸惑う深雪に、達也は予告すべきだったかと思いつつも用意が整うのを待った。

 

「こちらでございます」

 

店員は机の上に、いくつかの桐箱を並べ、順に蓋を開けていった。

名刺ほどの大きさの桐箱はどれも中に柔らかい布が敷かれ、中に収められた球体の宝石は照明の光を浴びて繊細な光を反射していた。

 

「帯留めですか」

「ああ」

 

桐箱の中身はどれもデザインの異なる真珠の帯留めであった。

真珠の色も白だけではなく、黒真珠やピンク、クリーム色など取り揃えられているだけではなく、台座も真珠に合わせて漆塗りや金属など細かい部分まで意匠が凝らされている。

フォーマルなものから、少し遊び心のあるような動物が真珠を抱えたモチーフまで、真珠という共通点を除けば実に多様だ。

 

「どれもお姉さまによくお似合いだと思います」

 

どの真珠もエクボや照りは一目で高級品だとわかる。

姉へのお土産かと深雪が問うと、達也は首を振った。

 

「いや。これは深雪にと思っていたところだ」

「私にですか」

「ああ。九重家(あちら)では必要になることが多いだろうから、せっかくの機会だ。贈らせてくれ」

 

深雪自身、和装が好きであるため小物も勿論揃えてあるが、実はその中に達也からの贈り物はあまりない。

それも必要に応じて深雪が選んだものもあれば、四葉家の当主候補として揃えられたものもあるため、九重家には持っていくつもりはなかった。

 

「お兄様……」

 

悠との婚約を達也から直接的に祝福されたことはない。

言葉はなくても達也は深雪の婚約に理解を示していることは深雪もわかっていた。

兄から何より大切にされている嬉しさを感じつつも、兄が自分から手を放して姉との幸せを歩み始めるには、自分がまず兄から独り立ちしなければならないと分かっていた。

同時に、悠に対して心臓が高鳴ることを自覚してからは、深雪自身が幸福である道を選んだことに背中を押してほしかった気持ちがないわけではない。

幾億の言葉で飾るよりも、達也の言葉にできない葛藤と祝福がこの贈り物には込められていることを深雪は理解していた。

 

「ありがとうございます」

 

深雪の瞳はきらめく黒真珠よりも美しく、薄く水を湛えて星の揺蕩う夜の海のように輝いていた。

 

 

 

 

深雪がいくつか手に取ってみながら帯留めを選ぶと、達也は店員にラッピングを頼む。

あまり嵩張るものではないため、宅配ではなくそのまま持ち帰ることとなった。

 

「すみません。他の商品を見せていただいてもよろしいですか」

「もちろんでございます。試着もできますので、どうぞ申し付けください」

 

店側が用意したのは、それなりに値の張るものだったが、達也は迷うことなく購入を決めた。

四葉の御曹司が来店するということで店側もそれなりの準備はしていたが、選んだ商品を見れば上客というのは言わなくてもわかる。

 

「深雪。気になるものがあれば、教えてくれ」

「わかりました」

 

すぐさまもう一人店員がやってきて、お多福顔で深雪と水波を案内していった。

席で対応していた店員は帯留めを集め、再度奥に引っ込む。

 

「こちらがご注文の品でございます」

 

二人がショーケースを楽しく眺めているのを達也は感じていると、再度、店員が達也の前に桐の箱を差し出した。

厚さはそれほどなく、達也の手のひらよりやや大きい長方形。

中央より少し上には小さな貝の象形文字の焼き印が押され、ささくれ一つなく磨き上げられている。

 

達也は店員から箱を受け取り、蓋をあける。

中に入っていたのは真珠貝色の光沢を放つ桜の簪だった。

桜の花弁は薄く可憐に立体的に花開きながら、花芯にはエクボひとつない最高級の本真珠が使われており、真珠の周囲を金でできた五つの葯と花糸が支えている。

三つの純白の桜の裏には黒蝶真珠でできた葉が美しさを添え、金の枝が躍動的に伸びている。

それらのモチーフがのせられた扇形の土台は、幾重にも黒漆が重ねられ、黒真珠とは異なる艶やかな光沢を放っている。

 

達也は曇りができないように、店員から渡された柔らかい布で、簪を手に取る。

大まかなデザイン含め達也が事前にオーダーしていたものだが、簪の注文自体は随分と前に考えていたことだった。

 

五年前の沖縄の地は達也にとっても、雅にとっても一つの分岐点だった。

達也にとっては、深雪と雅を危険に晒し、母のガーディアンであった桜井穂波が命を落とす原因となった忌まわしい沖縄事変の地であり、公の場で初めて戦略級魔法(マテリアルバースト)を使った場所である。

雅にとっては、四楓院の名を背負うことになった始まりの場所である。

特別強い思い入れという感情を達也は抱くことはないが、贈り物の一つとして相応しいと感じたことは確かだ。

 

「ありがとうございます」

 

達也は箱に簪を戻して、蓋をする。

 

「ご満足いただけたようで、幸いです。こちらも郵送ではなくお持ち帰りされますか」

「はい、そのようにしてください」 

 

店員は多少心配そうに達也の反応をうかがっていたが、上機嫌で箱をくるみに行った。

心配するまでもなく、一目で文句のつけようのない出来であったため、達也はそのまま会計に移った。

あとは雅のお眼鏡にかなうかどうかだが、そちらの方が落ち着かない気分だ。

なにせこれは大きな決断を示すものになる。

達也自身、大きな緊張をするような可愛い性質を持ち合わせているわけではないが、どうも雅のことになると精神的にいつも通りにはいかない。ただ悪い気はしない。

煩わされているのではなく、これが心が躍るような感情というのか、強いてつたない感情に名前を付けるならばやはり緊張と期待というだろう。

おそらく雅からの返事は達也の予想どおりと思いたいが、こればかりは達也自身が思い通りにならなかったことを経験しているので、絶対とは言えない。

 

「お待たせいたしました」

 

店員が達也の注文した品物を袋に入れ持ってきたところで、深雪と水波も戻ってきた。

 

「深雪、なにか欲しいものはあったかい?」

「今回はお兄様にいただいたもので十分です。それよりそちらはお姉さまにですね」

 

深雪は机の上に置かれた白い紙袋を見て微笑んだ。

 

「正解。次は一緒に来られるといいな」

「そうですね。新婚旅行先として検討されてはいかがですか?」

 

深雪の春を思わせる柔らかな笑みに、達也も自然と頬が緩むのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三月二十六日

 

今年の桜もあともう少しで満開を迎え、穏やかな春の日差しと風に淡い色の花を揺らしていた。ここ数日の暖かさと天気が続けば、あと数日もすれば満開になるだろう。

腕の中にいる小さくて可愛らしい生き物は、光を浴びて揺れる桜色の枝を不思議そうに見つめている。

 

「ご機嫌だね」

 

次兄が手にプラスチックでできた真っ赤なガラガラと音の鳴るをおもちゃを持って近づいてきた。

 

「そのようです」

 

ガラガラを振って見せてやるが、外の方に興味があるのか、一瞥するとまたじっと外を向いている。

まだあまりはっきりと物の輪郭は見えてはいない時期だが、外の方から鳥の声がするので、そちらの方が気になるらしい。

 

2月末に生まれたこの姪は、すくすくと育ち、生まれたころより少しふっくらとしてきた。

しばらく写真でしか姿を知らなかったが、実際に一緒に生活してみると慣れなくて大変なこともあるがたまらなく可愛いらしい。

生まれてから1月ほどなので、人見知りもなく大人しく抱っこさせてもらえるが、いくら実家とはいえ顔を合わせる機会が少ないのですぐに忘れられそうだ。

今は義姉が夜に寝られない分、昼寝をして休んでいるところなので代わりに面倒を見ている。

軽く揺らしながらあやしていると、ピコッとした電子音が近くで鳴る。

 

「なぜ写真を?」

 

兄が携帯端末を私の方に向けて構えていたので、先ほどの音はおそらく端末の写真アプリの音だろう。

実家に戻って数日で私の端末のフォルダも既に姪の写真でいっぱいだが、確実に私も写っていた気がする。

 

「達也に送ってやろうかと。大丈夫、ちゃんと撮れているから」

「送らなくていいです。それより、深雪に連絡入れる方が先では?」

「残念、もう送ったよ。それに僕が抜かると思う?」

「思いません」

 

言うだけ野暮だったようだ。

 

「そんなに心配しなくても沖縄の問題は大したことないよ。大亜連合の脱走兵を摑まえる簡単なお仕事だ。ちょっと豪州からのお客さんもいるようだけど、君らの先輩もいて、大天狗の援護も手厚いなら失敗はまずない」

「そうですが、深雪もいるんですよ」

「それこそ杞憂だろう」

 

兄はいつも通りの穏やかな顔で肩をすくめた。

達也が深雪に脅威が迫ると分かっていて何もしないわけがない。護衛として水波ちゃんを連れてはいるが、深雪自身の魔法力も高いので、並大抵のことで彼女に傷をつけることはできない。それにこの兄が、深雪が傷つくとわかって沖縄に送り出すはずがない。

 

「今は目の前の神楽に集中する方が建設的だよ。そのうちそうも言っていられなくなる状況が来るんだけどね」

「荒れるのですよね」

「達也中心にね」

 

千里眼は全能でも万能でもない。過去、現在、さらに未来まで見通すと言われていても、その眼を持つ者によって過去の因果を探るのが得意な場合や天啓的に未来を透視する者を得意としている者など能力は画一的ではない。

兄は歴代の中でも現在の因果を掘り下げることによって行う未来視を比較的得意としているそうだが、確定的なことはあえて口にしない。

分からないのか、決まっていないのか、決まっているけれども口にはしないのか、家族と言えど何を思って口にしないのかはわからない。

私が不安になることも分かっていて、そうしているので理由あってのこととは理解しているが、気持ちの部分が追い付かない。

 

「雅と達也の関係が無理やり解かれるだなんてことはないからその点は安心していい。ただ、ちょっと身動きがとりにくくなる」

「いろいろ表沙汰になると言うことですか」

「そうだね。達也の場合は持っている名前が多いだろう」

 

私が知る中で、達也が持つ名前は三つ。

魔法科高校の生徒であり、四葉家次期当主候補の司波達也。

正体不明、フォア・リーブス・テクノロジー所属の謎の天才魔法工学技師、トーラス・シルバーの片割れ。

そして、朝鮮半島の軍港を消失させた日本の非公式戦略級魔法師、大黒竜也特尉。

一般的に知られている達也は一つ目だけ。

三つすべて知る者は限られるが、千里眼の異能には見通されていることであるし、四葉家と軍が高度に情報をブロックしていても情報セキュリティの穴をつく魔法が開発されていないとは言えない。

事実、【電子の魔女(エレクトロン・ソーリサス)】の二つ名を持つ響子さんのように、ハッキングに長けた魔法師は存在する。

 

「このことは四葉家には?」

「伝えていないよ。国ではなく、達也の問題だからね」

 

千里眼の異能はこの国の守護のために授けられるものだ。

目的外のものが見えることはあっても目を潰されることはないが、第一は国の守護だ。あとは日々の神事とお勤め。それ以外のことは、すべて雑事と言ってもよい。

兄がここまで話したのならば、私の口から達也に話しても問題ないとは思うが、忠告はあっても抽象的過ぎて何が起こるのかと調べることもできない。

 

「雅」

「はい」

「季節はあと二つだよ」

 

あと二つ。

もし、乗り越えることができなければ許された時間はそう多くない。

 






達也は沖縄の海でほのかが胸押し付けてセクシーアピールしててるときに、写真が届いてやんわりとほのかをどけつつ、写真はきっちり保存していると思うの。



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動乱の序章編
動乱の序章編1


新刊読めません。゚(゚´Д`゚)゚。
毎日気絶するように寝てます。去年はこんなに苦しかっただろうか…

本当は先月更新したい予定でしたが、今日になりました。お待たせしました。


4月1日

 

春休みだと言うのに達也、深雪、水波の三人は生徒会室に訪れていた。

あと数日で三年生になり、学校の最高学年となるわけだが達也は深雪ほど一層の責任感を静かに燃やすわけでもなく、せめて面倒ごとが起きないように祈るばかりだった。

生徒会室には泉美と香澄の二人と新一年生が待っていた。

香澄は生徒会役員ではなく風紀委員なのだが、都合で欠席した風紀委員長の代役であり、打ち合わせらしい打ち合わせはないので、簡単な確認のみとなる。

雅も登校しているのだが、部活連の新体制の打ち合わせと入学式の警備の関係でこの場にはいない。

 

「おはようございます。初めまして生徒会長の司波深雪です」

「おはようございます。はじめまして。三矢詩奈です」

 

にっこりと笑いかけた深雪に緊張気味に詩奈はお辞儀を返した。

今年度の新入生総代は十師族である三矢家本家の末娘の三矢詩奈だった。

実技、筆記とも歴代最高といったような華々しい結果ではないが、十師族らしく現代魔法の基準から言えば優秀な魔法師であることは試験結果が示していた。

身長は七草姉妹よりはやや高く、綿毛のようなふんわりとした焦げ茶色の髪が特徴的で、目を奪われるようなと言うよりどちらかと言えば親しみやすい砂糖菓子のような愛らしい美少女だ。

お辞儀に合わせて頭を起こすと、詩奈が装着していたヘッドホンが重力に従って引っ掛かり、上級生の前でヘッドホンをしたままだと気が付き慌てて外そうとした。

 

「いいんですよ。事情は理解していますから」

「すみません。入学式では目立たないものにします」

 

以前から付き合いのある香澄や泉美だけでなく、深雪も達也も、詩奈はなにも音楽を聴くためにヘッドホンをしていたわけではないことを知っている。

それは正確に言えば耳栓に近く、原因は彼女の体質にあった。

彼女は聴覚が鋭敏すぎるのだ。それも聴覚過敏というわけではなく、日常の些細な音や空気の振動ですら音として聞き取ってしまう。

彼女のこの症状は魔法力の発達とともに表面化してきたもので、魔法的な知覚力に起因するものと考えられている。

 

霊子放射光過敏症との違いは、対象となるのが物理的な音になるため、魔法感覚的な制御では抑制できない点にある。

魔法で強制的に聴力を弱体化させれば今度は魔法的な感覚まで鈍くなるため、結局、外部の音をほぼ完全に遮断し、かつ外部の音を耐えられる音量まで自動調整したスピーカーを使用することで日常生活と魔法師としての人生を両立させている。

髪に隠れて目立たないネックバンド式のイヤーマフも持っているが、スピーカーと外部の音声を拾うマイクを備えるとなるとある程度の重量が必要となり、長時間着用するのはヘッドホン型の方が楽であるため、日常ではヘッドホン型を使用している。

 

「入学式では目立たない物の方がいいだろう。だが、普段は学校ではそれで構わないと思う。教員を含め、当校ではそれを咎める者はいないはずだ。だから今も気にしなくていい」

「はい、ありがとうございます。司波先輩」

 

詩奈は達也が彼女に対して気を使ってくれたのだと思い、申し訳なさそうに丁寧にお辞儀をした。

達也としては打ち合わせを円滑に進めるためと、普段はという条件付きでヘッドホンの使用を許可していると言う厳しい言葉を深雪に言わせないためであったため、詩奈の解釈は外れてはいたが態々指摘することもないのでそのままにしておいた。

達也は初対面では表情が乏しいこともあって比較的相手に苦手意識を与えてしまうようで、特に四葉の名前が付いて回るようになってから顕著になったが、詩奈の警戒心は先ほどの一言もあってやや解けたようだ。

その後の入学式の打ち合わせや答辞の読み合わせは和やかに行われた。

 

 

 

 

打ち合わせは順調に進み、予定より一時間ほど早く終わった。

事前に泉美と香澄が詩奈に説明していたこともあるが、詩奈自身も答辞はよく読み込んでいた。

 

「詩奈ちゃん、お疲れ様でした。今日はもう良いですよ」

 

泉美が詩奈に声をかけた。

深雪たち在校生はまだ仕事が残っているが、詩奈は今日のところはお役御免だ。

 

「ほんとは詩奈とランチでもしようかと思っていたけど、残念」

 

まだランチには早い時間であるため、香澄は詩奈に笑いかけた。

 

「あの……。皆さんにお近づきの印としてこんなものを作ってきたんですけれど」

 

詩奈が気後れしながら足元に置いていたスポーツバックからピクニックに使うようなバスケットを取り出した。

見た目は可愛らしい籠編みのバスケットだが、中には保冷剤を入れて温度が変わらないようになっている。

詩奈は蓋を開けて中身を見せると、香澄からわあっといった歓声が聞こえた。

そこには一つ一つワックスペーパーに包まれたパンケーキサンドが並んでいた。食べやすいように二つ折りにされ、中には生クリームとフルーツが挟まれていて、大きさも片手に乗るくらいで、随所に心配りが伺える。

 

「詩奈ちゃんは本当にお菓子を作るのが上手ですね。深雪先輩、折角ですからご馳走になりませんか」

「よろしければ是非」

 

泉美のセリフを受けて詩奈がはにかんだ笑顔で深雪に申し出た。

深雪は視線だけを達也に向け、達也が目でうなずくのを確認した。

 

「ありがとう、三矢さん。では、お言葉に甘えて」

 

パンケーキを一つ手に取り、そのまま口に運んだ。

かぶりつくという動作だが、深雪がすればなんともお上品で、クリームが唇や歯につくことなかった。

 

「美味しいわ」

「よかったです。あの、司波先輩もいかがですか?甘いものがお嫌いでなければ……」

 

詩奈はさらに恐縮そうに達也にも勧めた。

 

「いただこう」

 

達也はチョコレートクリームを挟んだものを手に取り、二口で食べ終えた。詩奈には少なくとも無理をして食べているようには見えず、詩奈はホッと肩を落とした。

 

「じゃあ私も!」

 

達也に続いて香澄がバスケットに手を伸ばした。

大き目の一口で頬張ると、至福と言わんばかりに目を細めて味わっている。

続いて泉美が手を伸ばしたところで、生徒会室に備え付けられているインターホンが鳴ったので、泉美はそのまま立ち上がって応対した。

水波はまだお茶の準備をしている途中だったため、下級生の中では泉美がまだ手が空いている状態だった。

 

「雅先輩ですが、開けてもよろしいでしょうか」

「ええ、勿論よ」

 

泉美は深雪から許可を取ると、ロックを解除し、扉を開けた。

 

「雅先輩!」

「少し早いかと思ったけれど、大丈夫だったかしら」

「はい。ちょうど詩奈ちゃんとの打ち合わせは終わったところですから」

「そのようね」

 

雅はテーブルに視線を向けると、笑みをこぼした。

 

「深雪。部活連から選出した警備の配置予定だけど、変更は特にないわ。そちらは何か変更は?」

「今のところ問題ありません。風紀委員会にも同じものを送付されているのですよね」

「そうね。吉田君からも了承は得ているわ」

 

データは既に転送されているので、雅は進捗の確認のために顔を出しに来たに過ぎない。雅はその他にも入学式以降の部活動勧誘の取り決めなどを確認すると、詩奈と向きあった。

 

「はじめまして。部活連総代の九重雅です」

「三矢詩奈です。よろしくお願いします」

 

詩奈は椅子から立ち上がり、丁寧にお辞儀をした。

今度はヘッドホンが外れることなく、雅も事情を知っているのか達也が言ったように咎めるようなことはしなかった。

 

「あの、まだ数はありますので、九重先輩もよろしければいかかですか」

 

詩奈は雅の名前と顔は知っており、達也との関係も聞き及んでいたが、対面してみると何か妙な感覚に捕らわれた。

おそらく魔法的な感覚に起因するものだろうが、今の詩奈はヘッドホンをしているので、その感覚は外した時ほど鋭敏ではない。

だから、もう少しこの場にいてほしい気持ちが先走って、自分では信じられないほど積極的に自分が持参したお菓子を勧めていた。

仮にこの感覚がなくても場の雰囲気的に勧めただろうが、なぜか詩奈はそうせずにはいられなかった。

 

「ごめんなさい。お気持ちはうれしいけれど、今は都合で食べられないの」

 

雅は非常に申し訳なさそうに詩奈に謝罪した。

 

「あ!雅先輩、精進潔斎ってやつ?」

 

詩奈がショックを受ける前に、香澄が手を叩いた。

 

「そうよ。3日に舞台があるの」

「雅先輩はご実家の神事の関係で菜食中心ですものね。卵や乳製品もとなると大変ですね」

「今だけよ。もう少しすれば食べられるようになるから、みんなは遠慮せず楽しんでもらえたら嬉しいわ」

 

雅はできるだけ優しく詩奈に微笑みかけた。

香澄や泉美など顔見知りはいるが、上級生の間で恐縮している姿は小動物を彷彿とさせて雅はなんだか居たたまれない気持ちになった。

つい先日卒業した中条あずさがビビりな小型犬ならば詩奈は毛足の柔らかいウサギといった感じで、どちらも庇護欲を駆り立てられる。

 

「そうなんですか。そうとは知らず、失礼しました」

「こちらこそ。機会があればまた持ってきてくれると嬉しいわ」

「はい、是非その時は」

 

詩奈はぎこちないが何とか笑顔で返事をした。

 

「お姉様、せっかくいらしてくださったのですからお時間がよろしければ、一緒にお茶はいかがですか」

「そうね。この後は少し部室に顔を出すくらいだから、そうさせてもらうわね」

 

他の五人には既にお茶は配り終えているので、水波はすかさず達也の隣に雅のお茶と砂糖壺を置いた。

普段の雅はコーヒーも紅茶も緑茶も嗜むが、精進潔斎の時期には気分だけでも甘いものをと甘い香りのするフレーバーティを好んで飲んでいる。

今は深雪のガーディアンであるが、深雪が九重に嫁ぐため、おそらく将来若奥様として仕えることになるだろう雅の好みの把握に最近の水波は余念がない。

 

「ありがとう、水波ちゃん。これ、ストロベリー?」

「はい。いかがですか?」

「ミルクを入れても美味しそうね」

 

最近はこういった給仕仕事も生徒会室ではピクシーに取られてしまっているので、満足げな雅に水波は心の中でガッツポーズをとる。ピクシーから感じる視線は気にも留めない。

 

「水波ちゃんもご馳走になった?」

「いえ、私は」

「上級生が食べてくれないと詩奈さんが食べにくいでしょう?詩奈さんも自分がまだ食べていなければ、遠慮しないでね」

 

雅が少し強めの口調で勧めると申し訳なさそうに水波はバスケットに手を伸ばし、詩奈にお礼を述べた。

泉美も雅の手前、少し遠慮がちにバスケットからパンケーキサンドを選び、一口食べて詩奈に笑顔で美味しいと言った。

やはり手作りで持ってきたのは少し失敗だったかなと詩奈が脳内で反省会をしているが、口にしたパンケーキサンドの生クリームの甘さと果物の酸味、生地の出来栄えに内心満足しながら、まあ仕方ないかと切り替えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

在校生の打ち合わせもそれほど問題なく進み、学校で遅めのお昼を食べた後、雅、深雪、達也、水波は同じコミューターで帰宅の途にあった。

春休みの途中だが、七日の入学式までに進めておくべきことはまだあるため、生徒会を中心にしばらくは学校に通うことになる。

 

「三矢さん、良い子そうでよかったわね」

「そうですね。去年はどうなることかと心配でしたが、今年は生徒会入りも快く受け入れてくれることを願っています」

 

昨年の入学主席者である七宝琢磨は、自分の研鑽を積みたいからという理由に生徒会入りを断り、部活動を精力的に行い、部活動連合の一員として現在は活動している。

何度か雅に対して許しがたい暴言を吐いたこともあったので、生徒会に入れて深雪が愚かさをその身に刻むべきと思ったことも多々あったが、最近は目立つ活動もない。思春期らしい暴走だったと言えばそれまでだが、深雪の中で琢磨の評価はマイナスの方向に振り切れている。

対して、今年の詩奈のなんて愛らしく謙虚なことかと深雪は初対面の場で内心打ち震えていたほどだ。

兄に対してやや緊張が強いように見受けられたが、四葉の名前がある以上ある程度は覚悟していたことではあり、入学以降も良好な関係を築けるだろうと深雪は思っていた。

 

「そうね。七草姉妹とも仲がいいようだから、心配しなくてもよさそうね。それと三矢さんって、光波過敏症のように、想子音の過敏症というわけではないのよね」

 

雅は正面にいる深雪から隣にいた達也へ話を振った。

 

「想子音の聴覚過敏症?」

 

達也も聞き覚えのない言葉にそのまま尋ね返す。

 

「正式な病名というか症例名ではないかもしれないけれど、魔法発動の想子音や霊子音に対してだけ聴覚が鋭敏になっているというわけではないのよね」

「ああ。俺も詳しく本人から聞いたわけではないが、無意識に聴力を強化する魔法を使っているというのが彼女の医者の見立てのようだ」

「魔法で音自体を遮断すると魔法感覚も一緒に下がる。だから一度音を遮断して、聞きやすい音量に調節して魔法師としての才能との釣り合いを取っているそうね」

 

三矢詩奈の症状は比較的知られたことだった。

実生活であれほど目立つヘッドホンを付けていれば、好奇心から聞く人は少なくない。

三矢家も隠し立てするより、状況を理解してもらうことと解決策を模索しており、接点のない雅や深雪たちにも入学以前から七草姉妹伝手に情報が入っていた。

 

「想子音の過敏症については私も詳しくは知らないのだけれど、霊子放射光過敏症は、霊子に対する知覚的なコントロールの問題でしょう。それと一緒で、稀に想子が発する音を聞き取ってしまう人がいるそうなの」

「初めて聞くな」

 

そもそも想子は魔法師にとって知覚可能ではあるが、想子は波動のように感知されることが一般的であり、特定の色や音というものがあるという定説はない。

霊子放射光についても、一般的に魔法発動に伴う霊子について眩しいと感じるだけであり、オーラカットレンズの使用や訓練である程度はコントロール可能なものである。

美月が以前、幹比古が使役していた精霊に色を見出していたが、普段使用している魔法の色については聞いたことがない。達也や深雪が聞いたことがないだけであって実際は眩しさ以外の色も認識しているとすれば、それが単に個人に属する感覚なのか定説になるのかというところは現段階では判断できない。

それと同じように、詩奈の聴覚についてもまだ解明されていない点が多いことは確かだ。

 

「三矢さんの場合、聴覚強化の魔法を使っていないにも関わらず、微小な音も聞き取るような鋭敏な聴覚を持っている。でも魔法力の発達と伴に聴覚が鋭敏化された。想子も霊子も波動だったり、光波だったり、波形でしょう。その波形を音として彼女は認識している可能性はないかしら」

 

魔法師は想子波を感じることができるが、それは波動として認識している。魔法式や起動式にはその波動があるため、魔法師は常に波に晒されていても慣れているため船酔いしない船員のようなものだ。

詩奈はその波を一般的ではないが、聴覚のチャンネルでも受信しているのではないかと雅は問いかけた。

 

「魔法を用いない日常生活、人やモノが移動する際の空気の振動一つでも音として認識しているようだが、その点は?」

「魔法的な感覚に物理的な音が引っ張られてしまうんじゃないかしら。例えば達也は視力と情報の次元の見える範囲は違うけれど、認識に齟齬は出ていないでしょう。仮にその認識に齟齬があれば、魔法的な感覚に合わせようとして物理的な聴覚も鋭敏にならざるを得ないんじゃないかしら」

 

視覚を例にしてみれば、人間の物理的な視野は一般的には水平左右100°ずつ、上60°、下70°程度と言われている。達也も視野に限ればこの範囲から外れない。

しかし、達也の精霊の目は情報の次元を知覚する異能であるため、実際には全方向が見えていると言っても過言ではない。

物理的な視野と情報の次元の知覚の違いを無意識に判別ができていれば、後ろから投げられたボールを振り向いてキャッチすることはできる。

仮にこの状態に齟齬があれば、後ろからボールが飛んできていることは知覚しながら、物理的にはボールが見えないので、視野と視力の範囲内を隈なく捜索して結果目が疲れているというのが、今の詩奈の状態だと雅は仮説づけた。

 

「過去、九重神楽の楽師にそのような人がいたと言う話を耳にしたことがあるから、三矢さんもそうかと思ったけれど、一概には言えないわよね」

「お姉さま。症状をご存知ということは対処法もあるのですか」

「物理的な音と魔法的な聴覚の認識の違いを知ることかしら。あとは結界を用いた常時発動型の術で一定以上の想子音に対する感受性に上限を設けて、少しずつ制御したという話ね。伝聞の伝聞だからそれ以上の詳しいことは家に帰って調べないとわからないわね」

 

三矢家は今のところ四葉家や九重家と対立はしておらず、先の師族会議での十師族の間の婚姻に関する問題には静観の姿勢だ。

詩奈個人はともかく、いずれ交渉のカードとなり得そうな情報ではあるが、それには九重の協力も必要になる。

第一、初対面の詩奈に対して達也がそこまで世話を焼くつもりはない。

雅の仮説も今は達也の胸中にしまっておくことにした。

 

「それより舞台の方は大丈夫か」

「今のところは開催予定よ。キャンセルが出る可能性はあるけれど、取りやめるほどの影響は日本には出ていないからって」

 

今朝のトップニュースでは、南アメリカ大陸の旧ボリビアにおいて、ブラジル軍が独立派武装ゲリラに対して戦略級魔法を使用したという凶報が流れた。昼間のワイドショーでも取り上げられており、世界的な衝撃の大きいニュースであることは間違いなかった。

武装派ゲリラが支配している地域とはいえ、被害の範囲から言えば非戦闘員の犠牲も十二分にあり得る。

 

戦略級魔法を行使した魔法師個人やブラジル軍自体が人道の敵と非難されるだけなら、僥倖。

さらなる問題はブラジル軍の態度にあった。

大量破壊兵器も戦略級魔法師も威力は大きく、国防の観点から見ても必要不可欠な存在ではあるが、同時にそれ自体が戦争の抑止力となり得る。

安易に使用すれば、それだけ他国から同じように反撃される可能性が出てくる。そうすれば被害の拡大と政治と軍事の泥沼化は避けられない。

日本も灼熱のハロウィンに関する戦略級魔法の使用を公的には認めていないが、つまり認めないと言うことは表立って使う意思はないと示している。

 

だが、ブラジル軍は他の兵器と同様に戦略級魔法を使用していくと言わんばかりに、今回のゲリラに対する戦略級魔法の使用を認めたのだ。

軍事に携わる者にとって、戦略級魔法の使用に関する心理的障壁が下がってしまう可能性は大いにある。

つまり、魔法師が兵士として消費され、より一層魔法師に対する世間の風当たりが強くなることを意味していた。

当然それは反魔法師運動の高まりであり、全く軍事とは関わりのない九重神楽のような神事にすら影響を与えかねない。

 

「わかった。無理はするな」

 

達也は指の背で雅の頬を撫でた。

一見分かりにくいが、舞台前の詰めの稽古のせいか少しばかり線が細くなっていることを心配していた。

それに加えて今回のニュース。

気苦労も増えることは言葉にするまでもなく達也にも容易に感じ取れた。

 

「それと甘いもの、何がいい?」

 

雅は平然とほほえましくお茶会を見ていたが、詩奈が持ってきていたパンケーキに惹かれていたことは達也にはお見通しだった。

今は舞台前で食べたくても食べられないことは達也も承知している。

だが、甘味の類の一切が禁止というわけではない。

 

「いちご大福」

 

雅はそんなに顔に出ていたのかと少し恨めし気に達也にそう注文した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春の暖かさを受けて、満開を過ぎた桜は最も儚い時期を迎えていた。

朱塗りの門と白壁の通りを抜けて、風が吹くたびに雪のように舞う花を人々は見上げ、今年の桜の美しさを堪能していた。

 

晴天の下、九重神楽の会場に達也と深雪は訪れていた。

二人が会場に現れると小さな感嘆の声とともに、ささやき声と視線が集まる。

悠の婚約者として公表された深雪は、九高戦に出場していたので顔は知られてはいるだろうが、実際にその場にいる者にとっては現実離れした美貌に圧倒されている者も多く、驚嘆の混じったため息や息をのむような姿が見られる。

絹の光沢のある淡いピンク色の生地に白い桜の訪問着姿の深雪が桜の木々の下を歩いていると、まるでそこだけ絵巻物から登場した桜の精のようにも見える。朱色の帯紐には先日、達也が贈った真珠の帯留めが使われている。

後れ毛なく艶めく黒髪を結いあげて、唇に紅をさせば少女の可憐さと大人の色香が混じる何とも言えない美しさが調和していた。

 

深雪に注目が集まるのはいつものことだが、今回は達也に対して関心を示している者も一部伺える。

達也個人に対してというより、付随する四葉家の名前と雅の婚約者という立場だろう。個々の招待客の中には九重家の娘を欲しがった者もいるとみるのが妥当だ。

敵対すると言うより推し量るような視線が達也に向けられている。じろじろと観察するような素振りもなく一瞥して歓談に戻っているが、抜け目なくこちらの動向に目を光らせている。

 

会場には地元の名士と思われる政治家や企業の社長、観覧の誉れに預かり恐縮そうにあたりを見渡す氏子とみられる家族などフォーマルな装いという共通点を除けば様々な人物が招待されているため、人目もあってか無駄に騒ぎ立てることもしない。

敵意がなければ視線は煩わしいだけで済むのだが、その中で一つ興味とも関心とも取れない冷淡なものが混じっていた。そしてその視線の主は人当たりのよさそうな笑みを浮かべ、達也の前に立った。

 

「しばらくぶりですね、司波君」

「ええ。お久しぶりです。芦屋さん」

 

スーツ姿の達也に対し、充は普段から着慣れたであろう紺の色紋付袴姿であり、姿勢の良さと随所に現れる所作はいかにも上流階級の子息といった装いだ。

 

「四葉家次期当主殿に覚えていただいたようで光栄ですね」

「こちらこそ。ひとつ訂正させていただくなら、自分は候補の一人に過ぎませんが」

「ご謙遜を」

 

場所が場所なだけに表立って敵意を示すことはしていないが、表現こそ柔和ながら歯に衣着せぬとは言い難い皮肉が飛び交っている。

芦屋は未だに雅に対する婚約の申し込みを取り下げてはいない。

その上で神楽の観覧に招待されているのだから、九重にとって達也はまだ仮の婚約者でしかないと言わんばかりに充は達也に話しかけに来ているのだ。

 

九重が達也を軽んじていると表面的にみることもできるが、家としての付き合いを考えれば芦屋と九重の方が長い。達也としても今日この場に芦屋充がいることについて、九重が図ってのことなのか現段階では不明であるが、この場で波風を立てる必要はないと感じていた。

 

「そういえば、この4月から魔法大学に通うことになりまして、住まいを東京の方に移したのですよ」

「それはおめでとうございます」

「ありがとうございます。なじみのない土地ではあるが、見知った顔がいるのは安心できるというものです。彼女に声をかけさせていただくこともあるかと思いますが、構いませんよね」

 

構わないかと達也に伺ってはいるが、その実、わざわざデートの誘いに達也の許可を取る必要がないが構わないだろうと憮然と言ってのけたのだ。

ここで達也が遠慮してほしい旨を伝えれば、前時代的に彼女を束縛する狭量者という返答があるだろう。逆に同意しても、待っているのは薄情な浮気者という誹りだけである。

 

「ええ。その時は妹さんもご一緒にどうぞ」

 

達也は充の隣に静かに控えていた少女に視線を向けた。

深雪、達也、充の三人の視線を集めた少女は、物怖じすることなく丁寧に一礼した。

 

「深雪さんには以前ご挨拶させていただきましたね。初めまして、芦屋玲奈です。この度、第一高校に入学することが決まりましたので、どうぞよろしくお願いします」

「優秀な成績を修められたのは耳にしていますので、入学を楽しみに待っています」

「ありがとうございます」

 

深雪が社交的に微笑みを浮かべれば、玲奈もはにかむように微笑んだ。

水色に華やかな古典柄の振袖と赤の鮮やかなつまみ細工の簪は、春晴れの空ともよく合っていた。

 

「たしか以前は二高を受験すると言う話を伺っていたから、少し驚いたわ」

「先ほどお話ししたとおり兄が春から魔法大学に通いますので、兄も近くにいるならと許可をいただけました。今は雅お姉様と再び同じ学校に通えることを心待ちにしています」

「そう。お姉様(・・・)とは学年が違うけれど、同じ出身の方がいるのは心強いわよね」

 

万人受けしそうな可憐で愛らしい笑みを浮かべる玲奈に、深雪は絵画のように優美に微笑んだまま纏う空気は今にも気温自体が下がりかねないほど冷え冷えしている。

玲奈が単に雅と同じ学校に通うために親元を離れて東京でおそらく一人暮らしをするなら、行動力のある女子だと言う見方もできるが、先ほどの充の言葉も合わせるならば雅と充をくっつけるために芦屋家は総力を傾けているとも解釈できる。

しかも十師族のうち、今年は四葉、七草、七宝が在校しており、順当にいけば三矢家の末子である詩奈が入学することは予想できる。

芦屋家は古式の中では大家だが、影響力は政財界に対してであり、軍部に対して表向きは私的な縁者のみいる状況だ。地盤がある以上、交友の幅を十師族に広げるなら一高の入学は理に適っているともいえる。

 

 

「そういえば、少し北の海が騒がしいようだね。一条家はそれで欠席だとか」

 

自分のことは一度棚に上げて、表面上は穏やかな春の陽気のようだが北極の海のように水面下では巨大な氷を抱える二人の雰囲気を見かねて、充が話題を変えた。

 

5年前の大亜連合の沖縄侵攻事変の際には、佐渡にも新ソ連の工作員が占領を目的に攻め入ってきた。

当時から現在に至るまで新ソ連は関与を否定しているが、少なくない被害が双方に出ている。

3月末に起きたブラジル軍の戦略級魔法の使用に際し、国際情勢は緊張状態だ。USNAの北メキシコ州でも州軍が暴徒とともに連邦政府指揮下の魔法師の治安維持部隊を拘束し、ドイツではベルリン大学で魔法師排斥の学生と魔法師との共存派がデモ隊を結成し、校内で衝突していた。

規模の大小はあっても、反魔法師運動の情勢は厳しく、株価もここ数日のところ値下がりが続き、一部の詭弁屋の評論家たちは国民の不安を煽るような言葉を並び立てている。

 

「佐渡の経験があるようですから、警戒はしているのでしょう」

 

十師族ならば国防軍の動きくらい耳にしているだろうと達也に鎌をかけてきた部分もあるが、当たり障りのない範囲で達也は答えた。

佐渡は国防の観点で無視できない重要な拠点の一つだ。

新ソ連や大亜連合にとっては制圧すれば補給の拠点となり、侵攻の足掛かりとなる。新潟も首都まで鉄道で3時間を切る距離にある。

国防軍の基地は整備されているが、それも5年前の事件があってようやくのことであり、軍部の中ではあの苦い経験を二度としまいと力の入っている者もいると達也の耳には入っていた。

 

「お兄様、舞台の前に無粋ではありませんか。今日ばかりは現世のことは忘れて、ただ舞台を待つのみですよ」

「……今日ばかりは賛同しよう。ではまた、機会があれば」

 

二人とも人当たりがいい振舞いをしながら、実に食えないと達也はその忌々しさを悟らせることなく深雪を席へと促した。

 




原作では不審船がうろうろするのは4月6日の前日で4月5日の夜ごろだけど、早めても問題なさそうなので変更してます。
一条君の出番が書きたくなかったわけではない(;・∀・)
神楽の描写まで入れたかったけど、できなかったのが残念です。

ちなみに今回のサブタイトルは新旧妹対決です(; ・`д・´)





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動乱の序章編2


平成滑り込み投稿Σ(・ω・ノ)ノ!

皆様、お待たせいたしました。
働き方って何だろうと思いつつ、20連勤をこなしたのちの10連休です。

投稿していない間にも、感想、評価いただきありがとうございます。
お返事はできていませんが、すべて隅々まで読ませていただいています。
大変励みになっています。

令和の時代も鯛のお頭とこの作品をどうぞよろしくお願いします。


今年の桜の終わりが近づく4月6日、雅は九重寺に訪れていた。

それもいつもの客間ではなく、わざわざ茶室に案内されていた。

畳を切り取って備えられた炉には、年季の入った鉄の茶釜がかけられ、湯の沸く音が静かな茶室に響いている。

繁華街の喧騒からも離れた九重寺では、夜ともなれば深い静けさが広がっている。朝は威勢よく稽古をする門人たちも今は一人もいないかのように、ただ樹木が風にざわめく音だけが聞こえる。

 

「進級おめでとう」

「ありがとうございます」

 

雅は九重寺には何度も訪れているが、茶をもてなされるのはそれほど数が多いわけではない。ただの気まぐれで茶を出される時もあるが、今日はただの進級祝いというわけではないと雅は感じていた。

 

「お呼び出しの理由は北の海のことですか」

「おや、その様子だともう君の所にも連絡があったのかな?」

「いえ。緊迫しているとなればそこが最有力ですから」

 

北の海から、つまり新ソ連のものと思われる不審船がうろついている一件についてだ。

佐渡近海ということで大亜連合の可能性も考えられるが、3月末に沖縄で国防軍と大亜連合と共同で脱走兵の大捕り物をしたばかりで、関係性を悪化させるような事態を自ら招くことは考えにくい。

そうなれば、あとは地理上考えられるのは自ずと一つ。

 

「結論から言えば、一条家当主が負傷したそうだよ。負傷と言っても肉体的なものではなくて、魔法演算領域に過剰な負荷がかかったようだ」

「一条家当主が?国防軍は出ていなかったのですか?」

「見かけ上は軍用船でもなかったからね。国防軍も警戒という段階で待機していたようだけれど、一条家がまず接近することになったようだよ。前回の佐渡侵略では新ソ連に白を切られたのが、よほど堪えたようだね」

 

一条家は国防軍を補完する形で機能し、東北から西日本の日本海側の国防に当たっている。国防軍はどうしても戦略上、北海道や九州、沖縄に集中せざるを得ず、一条家は魔法師としての才能だけでなく、義勇兵を束ねるカリスマ性も兼ね備えていた。

その当主が負傷となれば、国防上の穴が開いたことになる。

 

「かなり強引な手段だったが、近づいて向こうから攻撃されれば反撃の言い訳がきくからね。それで一条家が先制的に装甲船を近づけた。だが強力な魔法による爆発が海上で発生し、部下を守るために一条家当主は障壁を張った。その結果、得意魔法ではないこともあって、魔法演算領域に深刻なダメージを負ったようだ。今のところ負傷は彼一人を小さい損害とみるか、大きな痛手とみるか」

「一条家の体制を考えると痛手でしょう。不審船は?」

「爆破の衝撃で木端微塵。海の藻屑で敵の手がかりはなし。攻撃から見て陽動だろうね」

 

味方の船ごととなると無人船だった可能性も高い。

しかし、新ソ連の領土からはかなり距離があるはずだ。

いくら魔法師にとっての射程距離は知覚上の距離でしかないとはいえ、相当高いレベルの魔法師が実戦投入されたに違いない。

 

「話によれば、海一面に魔法式が転写され、地雷が一斉に起爆したように海上に爆破の衝撃が広がったそうだよ」

「船一隻に対して過剰な攻撃ですね」

「しかも相当遠距離の使い手だ。君の家では、使徒の一角が動いたと考えているそうだよ」

「まさか、戦略級魔法ですか」

 

世界で公表されている戦略級魔法師は13人。神話にあやかり十三使徒と呼ばれ、内、一人は灼熱のハロウィンで消滅したとみられているため、実質公表されているのは現在は12人だ。

その中で魔法の効果および魔法式が完全に非公開であるのは、新ソ連の『トゥーマン・ボンバ』だけだ。

 

「ブラジル軍が戦略級魔法を使ったことで軍関係者の戦略級魔法に対する心理的な抵抗は少なくなっているとみるべきだ。新ソ連もそうだとしても、まだなにか裏がありそうだね」

「一条家に損害を与えて、国防軍の警戒を上げる以上のことですか」

「仮に戦略級魔法だったとして、一条家に対する攻撃はあくまでパフォーマンス。今後も新ソ連はこのような攻撃に打って出ると言うアピールかな」

「海上一面の攻撃となると場所の予測も魔法の防御も相当難しいものになりますね」

 

日本の地理上、海上の警戒は必至だ。

地上部隊を送り込むにも大規模で輸送可能な船舶での攻勢は歴史上繰り返されてきた。相手がこちらの射程外から海上に攻撃してくる可能性があるからと言って、領海の防衛をしないわけにはいかない。

だが、相手は一度で艦隊を壊滅させることのできる戦略級魔法師だ。数の大小で防げる問題ではない。

 

「しばらく風間君たちは忙しくなりそうだね」

「達也の出番もあるのですか」

「協力は要請するだろうね。なにせ相手は戦略級魔法だ。目には目を、歯には歯を、ってやつだね。こちらからの先制はないにしても、達也君の雲散霧消(ミストディスパージョン)なら発動規模次第では打消しも可能だろう」

 

十師族は軍に協力はするが、軍属というわけではない。

あくまで必要に応じて協力する立場であり、それは十師族制度の成り立ちに関わった老師、九島烈の考えに基づいている。

しかし、それはあくまで表向きの話であり、大なり小なり軍への影響力があることは確かだ。達也と四葉家との関係が明らかになったものの、達也の利益と相反しない限り、大黒竜也の名前は有効のようだ。

 

思案の合間には、叔父が茶を点てる茶筅の音だけが満ちている。

 

「ああ、むしろ相手の狙いはそこかもしれないね」

 

叔父は私の目の前に点てたばかりの茶を置いた。

その言葉を前に、私は器に手が出なかった。

 

「日本の非公開の戦略級魔法師を表舞台に引きずり出すということですか」

「僕の知る限り灼熱のハロウィン以降の使用は見られないからね。国防軍と四葉の隠蔽力は見事だ。USNAのように目星をつけている国はあっても不思議ではないが、確固たる証拠が欲しいところだね」

 

達也が戦略級魔法師、大黒竜也であることは、軍上層部で知り得るのは佐伯少将と一〇一旅団の一部のみだ。

だが、朝鮮半島の軍港を消滅させた未知の魔法の使い手が日本に帰属していることは状況から見て明らかだ。

その存在が誰かということは明確ではなくても、存在そのものはいくら日本側が公式見解で否定しても、鵜呑みにするほど各国の上層部は腑抜けていない。

 

「可能ならば暗殺もということですか」

 

雅は自分で声に出しながらも、その可能性を否定したかった。

戦略級魔法師の存在が分かれば、各国の取りうる手段は限られてくる。

日本への外交交渉のカードに使うか、もしくは存在しないと言われているならば本当に存在がなかったことにして闇の内に葬るか。

 

「戦略級魔法は持っている国からすれば切り札であり、戦争の抑止となるけれど、敵国から見れば脅威そのものだからね。たった一人で地図を塗り替える存在は本人の使用の意思に関わらず、存在そのものが脅威だろう。つくづく君の星巡りは苦難の道を歩むことを運命づけられているね」

 

望み得た力ではない。

そんな個人の思いなど、国という大義名分の前には塵芥に過ぎない。

いくら達也が強いからと言って、不滅でも不死でもない。

 

「用心することだ。君も、彼らもね」

「承知しました」

 

器を受け取り、作法に則って賞味する。

苦みがのどに貼り付くようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西暦2097年4月7日、日曜日

 

全国の魔法科高校では、一斉に入学式が行われる。

先週から国際ニュースでも魔法関連のニュースが悪い方向で取り上げられている事から、保身的に出席を取りやめた来賓もいたが、第一高校では恙なく式が執り行われた。

入学式は厳粛に行われ、祝いの場であるにも関わらず、浮ついた雰囲気はあまり見られない。

 

昨今情勢というより、舞台の下に控える生徒会のメンバー、特に生徒会長である深雪の存在があってのことだ。もっと正確に表現すれば、四葉家という名前と深雪の美貌に存在しないはずのプレッシャーを勝手に感じ取った一般の父兄と、その隣に並ぶ次期四葉家当主として有力視されている達也の伺い知ることができないほどの存在感に、普通とは呼び難い者たちが緊張を緩めずにいたせいだろう。

 

唯一、会場が和んだのは詩奈の答辞の時間であり、一生懸命といった言葉が似あう彼女の初々しさに心を落ち着かせていた。

 

 

 

入学式が終われば、あとはクラス分けとIDの交付があってから一年生は解散だ。

生徒会メンバーと風紀委員は会場の片づけ、部活連の方では校内の見回りを担当していた。

初日から問題を起こす生徒は早々にいないが、部活動の方で新歓を先走ったりしていないか、校内で迷子になっている新入生がいないか確認をしている。

 

加えて人の出入りの増える日であるため、不審な行動をとっている人がいないかという警備の側面もある。

校内に監視カメラはいくつか設けてあるのだが、カメラをごまかす方法はいくらでもあるため、人の目も必要になってくる。

幸いにも今年は特に問題はないようで、雅は部活連のほかの役員は先に戻らせて、講堂に報告に戻る。

 

片付けの終わった達也、ほのか、雫、幹比古と講堂から昇降口に向かう短い距離の途中で、雅が怪訝な顔を浮かべて足を止めた。

それからやや遅れるようにして幹比古も同じく怪訝な表情を浮かべる。

 

「雅、幹比古、どうした?」

 

達也が問いかけると、雅は呆れたような顔で肩を落とした。

 

「初日から悪さをする子がいるみたい」

「多分、『順風耳(じゅんぷうじ)』。遠くの離れた特定の場所の音を拾うための術だ」

 

幹比古と雅の言葉に雫とほのかが顔を見合わせた。

 

「盗み聞きの術?」

「いや、まあ、そうだけど……」

 

雫のボケなのかツッコミなのか判別しがたいセリフに、幹比古が脱力感を漂わせる。

 

「場所は第一小体育館の裏の方ね」

「かなり修業は積んでいるけれど、術の出力は低めだ。わざと抑えているのか、適正に恵まれていないのか……」

「練度は高いが適正に恵まれていないか……」

「心当たりがあるの?」

 

達也の口ぶりは心当たりがあるように思わせたが、雅の問いには答えなかった。

 

「今日はどこの部活も活動していないし、小体育館は見回りでは特に何もなかったと聞いているけれど、ひとまず行ってみましょうか」

「そうだな」

 

五人は揃って第一小体育館へと足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

誰かが近づいてきている。

第一高校に入学したばかりの新一年生、矢車侍郎(やぐるま さぶろう)はそう感じた。

今も生徒会室に向けて順風耳を使用していることで、魔法の無断使用を咎められる危険を冒している。

それ以上のリスクを負うことなく、相手に察知される危険を減らすため、侍郎は気配だけで近づいてきている相手を探った。

 

数は三人。

二人は女子で、気配を隠す素振りや特別な訓練を受けた足取りは感じられない。

もう一人は気配を意識的にコントロールしている。気配を隠す意図がなく、これは古式魔法師のような肉体的にも精神的にも鍛練と共に磨かれるような気配だ。意識しなくても自分の気配をコントロールできている。かなりの手練れだ。

女子の方はおそらく、一般の生徒でもう一人はおそらく教員だろうと侍郎は推測した。

 

古式魔法は想子レーダーや個人の感覚に引っ掛かりにくいと言われているが、万全ではないことをよく知っている。

上級生の見回りが一度去った後で侍郎はこの場に陣取ったため、三人がただの見回りではないことは理解している。

 

 

矢車侍郎は今年の新入生代表であり、十師族の直系でもある三矢詩奈の幼馴染である。

それより古くして矢車家は代々三矢家と雇用関係にあり、分かりやすく言えば侍郎は詩奈の護衛役を任されている。

より正しく表現するならば任されるはずだった。自身の力不足のせいからその護衛役は入学前に解消されたが、侍郎はあのぽやぽやした詩奈は自分がいなければどんな毒牙(四葉)に嵌っているかわからないと気が気でなかった。

 

だから今日もこうして入学式の二時間前から詩奈とともに登校し、生徒会長の司波深雪や役員の七草姉妹に連れていかれて詩奈に聞かされている話を知ろうとしていたところだった。

誤算だったのは、思った以上に生徒会室の守りが固く、これ以上「耳」を傾けていても話の内容は掴めそうになかった。

 

引き際は弁えている。

そのつもりだった。

壁沿いに三人が向かってきた方向とは反対に音もなく移動する。

小体育館を壁沿いに移動すれば、並木道に通じている。

そこを何食わぬ顔で歩いていれば、問題はないと迫ってくる後ろの三人との距離を測りつつ、足を進めていた。

 

「新入生だな。このあたりで不正に魔法が使用されたのを感知した。話が聞きたいので同行してほしい」

 

驚愕に声さえ漏れなかった。

司波達也。

生徒会役員、九校戦のスーパーエンジニア、恒星炉の実験の中心人物、そして四葉家次期当主候補の一人、その中でも一番当主に近いと言われる人物だ。

一番警戒していた者が視界に入るまで全く気配なく侍郎の目の前に現れた。

咄嗟に髪紐を解き、その長い髪で顔を隠すと古式魔法の高速移動術『韋駄天』を発動する。

 

「待て」

 

その声に逃走を止めるだけの怒気はない。

だが、侍郎の足は一歩目を踏み出した段階でもつれてしまった。

咄嗟の発動に術が失敗した。否。強制的に術が解除されたのだ。

 

『術式解体』

射程距離は短いと言う欠点と想子量が尋常ではないほど必要とはいえ、魔法式を直接破壊する対抗魔法。

それが全身に浴びせられたのだ。

かろうじて受け身は取れたものの、無様に転倒し、体は思うように動かない。

 

単に魔法を強制解除されただけならば、体がこれほど動かなくなることはない。武術の鍛錬の一環で身につけた想子による身体制御を常時行っていたのが裏目に出たため、肉体のコントロールまで失っていた。

 

捕まるわけにはいかないと、なんとか動けるようになった両腕で体を持ち上げてあたりを見回す。

適当なサイズの小石を探すが、舗装道路にも芝生にも使えそうなものはない。だが、木の根元におあつらえ向きな折れた枝があった。

都合のいいことに先が少し尖っている。

その枝に意識を集中させる。

大怪我を負わせるつもりはない。軽く刺して怯んだすきに逃走の時間を稼ぐ。

 

そんな思惑も、二度目の想子の奔流によって意識ごと刈り取られる。

あの状態で追い打ちをかけてくるのかと、苦い思いも意識の闇へと沈んでいった。

 

 

 

「……相変わらず容赦がないね」

 

念のため、小体育館を一周して幹比古たちは達也と雅に合流した。

足元には新一年生が気を失って転がっている。

 

「なかなか厄介な能力を持っていたからな」

「能力?」

 

幹比古は達也が魔法ではなく能力(・・)と表現したことにやや違和感があった。

 

「意識を失ってしまったのは予想外だが、想子への感受性が高いのだろう」

「たぶんそれなりに武術の鍛錬も積んでいたようだから、雫たちの接近には気付いていたようね」

 

達也も雅も問われた内容については答えなかった。

 

「いくら鍛えているといえ、想子の感受性が高いならまずいんじゃないかい?」

 

術式解体は物理的な攻撃力を持たない代わりに、想子の良導体である魔法師にとっては高密度の想子弾は耳の横でシンバルを目一杯鳴らされたような衝撃を感じる。

今のやり取りで魔法師にとって致命的な損傷を受けていないのか、幹比古が気にするのも当然のことだった。

 

「人聞きが悪いな。出力調整ぐらいはするぞ。まあ、今回は手加減抜きだったが」

「達也!?」

 

達也の予想外の言葉に、幹比古は焦った声を上げる。

 

「多少高めの授業料だったけれど、問題はないんでしょう」

 

雅は困った顔一つせず、達也に問う。

 

「ああ。今は気絶していると言うより眠っている状態だと思うんだが、念のために保健室に連れて行くか」

 

達也は侍郎の体を軽々と肩に担いだ。

侍郎の体格は達也よりも低いが、高校一年生とすれば平均的といえる。

達也ならば筋力だけで担ぎ上げることも可能だが、重力軽減魔法を併用しているため、肩にかかる重さはごくわずかだ。

基礎単一系の魔法であるため、達也ならばCADを使うこともない。

息をするように自然かつ高速発動した魔法にほのかは目を輝かせ、達也の後ろをついて歩いていた。

 

 

幹比古も達也だからと納得している部分と、そうでない部分があった。

 

「九重さん」

「なに?」

「達也、なにかあった?」

 

幹比古はごくごく小声で雅に問う。

達也なら聞こえているかもしれないが、その程度で壊れる関係性ではないことも幹比古は承知している。

ただ面と向かって本人に聞いたところで、否定されることが目に見えているため、雅に質問を投げかけているのだ。

 

「吉田君、彼が使っていた魔法は生徒会室の音を聞くための魔法よ」

「そうだね」

 

それは再度確認するまでもなく、この場に来る前から分かっていたことだ。

 

「今、生徒会室には誰がいるのかしら?」

「……ごめん、愚問だった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入学式の翌日、雅は司波家で夕食を取っていた。

 

ここ数日で情勢が緊迫したものになっているため、情報交換も兼ねてのことだった。

水波や深雪も交えてのことと雅は考えていたのだが、差し支えあることがあるかもしれないからと、達也と雅だけでの話し合いとなった。

雅にとっては久しぶりに達也と二人きりという状況に落ち着かない気持ちもあったが、浮ついた心を押し付けて、情報を整理していた。

 

「雅も一条家当主の負傷は聞いたのか」

「ええ。味方を守るために咄嗟に多重障壁を展開して、魔法演算領域にダメージを負ったと聞いているわ」

 

雅は達也の表情を注意深く伺う。

魔法演算領域に過剰負荷がかかったことで、達也は母のガーディアンであった桜井穂波を亡くしている。

達也にもよく心を割いてくれた人だけに、同様の事件に古傷が痛むのではないかと雅は心配していたが、そのような様子は微塵も見せなかった。

 

「地盤の一色家や一之倉家もサポートに入るだろうが、四葉家としては、夕歌さんを派遣する予定だ」

「大学院で魔法演算領域のオーバーヒートについて研究しているのよね」

「知っていたのか」

「古典部の関係で大学の教授とも接点があるから、夕歌さんは一高の卒業生というのもあって、優秀な学生の噂は耳に入ってくるわよ」

 

魔法演算領域のオーバーヒートは魔法師生命だけではなく、生死にかかわる懸案だ。

四葉深夜のガーディアンであった桜井穂波や大漢を滅亡に追い込んだ元当主・四葉元造をはじめ、許容量を超える魔法の行使によって命を落とした魔法師は四葉の中でも少なくない。

残念ながら現代科学において魔法演算領域自体がブラックボックスであるため、オーバーヒートも実在自体が議論の段階で留まっている場合も多い。

しかし、仮説であっても理論として存在するため、一条家当主の身に起きた症状についても四葉家には心当たりがあったのだ。

 

「表向きは四葉とは無関係の魔法研究者を紹介することに留めるそうだ」

「注意深く治療はされると思うけれど、失敗しても四葉には責任はないというスタンスなのね」

「あくまで善意の申し出だ。受け入れをするかどうかは、一条家次第だろう。それに治療は精神そのものに干渉するから、一条家当主との信頼も得なければならない」

 

津久葉家が得意とする『誓約(オース)』は、精神の機能に制限をかける術式であり、無意識領域にある魔法演算領域の回復も促進することができると推測するのは妥当なことだ。

ただし、魔法師にとって魔法とは結果のイメージが必要だと言われている。例え必要なプロセスをすべて満たしていても、精神的な揺らぎで魔法が失敗することはくあることだ。

精神に干渉するとなれば、相手が反発すればそれだけ不本意な結果になることは目に見えている。

そのあたりは夕歌の手腕に左右される。

深雪に比べて雅の反応が冷静なのは、単に夕歌との親交が少ないからか、深雪よりも非情な選択をいくつもしてきたためか、心配を口調に滲ませつつも納得はしている様子だった。

 

「それと戦略級魔法については何か聞いている?」

「佐渡は陽動とみているが、戦略級魔法が使用されていたのか」

 

その情報はまだ四葉家からは達也に伝えられていない情報だった。

3月末のブラジル軍の戦略級魔法の使用以降、魔法師を取り巻く世界情勢は厳しいものになっている。

世界各国で反魔法主義の運動が活発になり、一部暴徒と化した民衆が軍や警察と衝突している。

そんな折に新ソ連の戦略級魔法の使用。

 

「ええ。叔父(八雲)は達也を引きずり出すことが目的じゃないかって」

 

この場合、意味するのは日本の非公式の戦略級魔法師を再び戦場に立たせる状況を作るということだ。

新ソ連が佐渡を陽動に、北海道への侵攻の兆候が見られることを、昨晩達也は風間から聞かされており、風間率いる独立魔装大隊は今日この時間には北海道に到着しているはずだ。

達也にも出撃の命令が下った場合、マテリアル・バーストを含むサード・アイでの超遠隔魔法による支援攻撃を要請されている。

 

「推測の域を出ないから、まだ風間さんには伝えていないそうよ」

「わかった」

 

達也が出動するようになった場合、敵の思惑に乗ることになるが、新ソ連の戦略級魔法『トゥーマン・ボンバ』の情報を掴める可能性もある。

仮に達也が出動を拒否した場合、北海道への新ソ連の侵攻を許すことになりかねず、軍の上層部がその可能性をどこまで認識しているかわからないが、達也としては出動命令がある限り、それに従う他ない。

 

「雅?」

 

無言で重ねられた雅の手を達也は握りしめた。

四月に入り、冬の寒さも和らいだ室内だというのに、雅の指先は達也にはひどく冷たく感じられた。

言葉にするのを躊躇っているのか、雅の視線は所在なく揺れている。

達也は雅の気持ちが定まるのを静かに待っていた。

 

「新ソ連、だけじゃないでしょう」

横浜事件後すぐ、USNAは日本に向けて魔法師を秘密裏に送り込んでいた。

日本への渡航自体が極秘裏であったため、ごく少数に知られる表向きの理由は脱走兵の処理だったが、その任務の中に日本の非公式戦略級魔法師の殺害が含まれていたことは確かだ。

世界情勢が緊迫し、戦略級魔法の引き金が軽くなれば、危険の芽を再び摘みにくる可能性は十分あり得ることだった。

 

「俺を本当の意味で殺すことができるのは一人しかいない。雅は知っているだろう」

 

死なない自信ではなく、それは事実だ。

いかなる傷を負ったとしても、本当に達也を殺すことができるのはただ一人だけ。

そう口にされても、雅は心の底から安堵することはない。

達也が自身を顧みないからこそ、雅は達也以上にその身が戦火に投じられることを憂いていた。

圧倒的な力を持つが故の代償であり、義務であると言えばなんとも耳障りがいいが、それは魔法師の、人の犠牲に他ならない。

 

「雅」

 

俯いた雅を慰めるようにゆるりと優しい手つきで達也は雅の頬に触れる。

壊れ物を触るかのようで、指の先まで優しさでできたような大きな手で雅と自分の瞳を交差させる。

 

「触れてもいいか」

 

達也は自身が傷つくことを厭わない。

それで雅や深雪が悲しむことを知っていても、必要であればその身を投じる。

それは犠牲ではなく、守るために必要なこととして、幾度でもその地獄を踏みしめる。

 

重ねられた手をほどき、指を絡めて握りなおす。

互いの体温が交じり合うような皮膚一枚の壁に、その存在を確かめる。

頬を撫でていた手で輪郭を捕えれば、雅は瞳を伏して達也にその身をゆだねる。

真綿で包まれるような幸福にただお互いの無事だけを祈っていた。

 

 

 

 













※キスしてるだけです。それ以外のやましいことはないよ!


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動乱の序章編3

お姉ちゃん、常々口にはしてたけど、本当に弟の方が先に結婚決まったよ・・・
鯛の旬は春なのに、こっちにまだ春はこないね(´・ω・)

おめでとう。夫婦そろって一緒に幸せになれよ







四月九日

 

入学式から二日、まだ勝手がわからず右往左往している新入生は毎年見慣れた光景だ。

入学直後の新入生の一日目、二日目はガイダンスと履修登録、一科生はそれに加えて教師について回って上級生の行う実験や授業の見学が主である。二科生には指導教員がつかないため、各自で見学する授業を決めるようになる。

 

「人集まってきたね」

「そうね」

 

分厚い防弾ガラスで区切られた見学室には、多数の1年生が集まっていた。

二日間ともどこで見学をするかは生徒に委ねられているが、教員と回る生徒は団体で行動しているため、場所によっては混雑する場合もある。

 

「お目当ては雅かな?」

「私?」

「部活連会頭。古式魔法師の大家、九重直系の姫君。四葉家次期当主夫人。肩書だけみれば、興味を惹かれるのは間違いないだろう」

 

スバルが見学者にちらりと視線を向けるのに合わせて、雅も見学者を一瞥する。

見たところだが、一科、二科共に特に偏りなくいるようだった。

 

3年次にもクラス替えが行われ、深雪、ほのかはA組、雫、雅はB組と引き続き分かれていた。

クラスが変わらない生徒もいれば、変わる生徒もいるわけで、B組は昨年いたエイミィがC組になり、里見スバルがB組に移動していた。

今回はB組単独の演習ではあるが、他の学年や他のクラスでも演習が行われていることを考えると確かに集まっている人数が多く見えた。

 

「それよりスバル、四葉家次期当主夫人って何?」

「司波君の嫁だからじゃないのかい」

 

厳密にいえば、達也はまだ候補の一人であり、雅とも結婚していないため、その表現は間違っているのだが、雅はわざわざ訂正しなかった。

この手の肩書は本人がどう言ったところで既に歩き回っているのならば、訂正するだけ時間の無駄だということを理解していた。

本音を言えば訂正したい気持ちではあったが、からかわれるのが加速するだけということも加味したうえでのことだった。

雅は不本意だと言いたげな様子で顔をわずかに顰めるだけに留めたが、スバルはやれやれと肩をすくめた。

 

「そういえば、エリカが新入生に唾つけたって聞いたけど、本当かい?小体育館でデートしていたらしいじゃないか」

「見込みのある生徒を剣術部に案内しただけよ。剣術部部長からも勧誘ではないって釈明書が部活連と生徒会に持ってきていたから」

「へえ。見込みがあるとはいえ、エリカがそんなことするとは思いもよらなかったよ」

 

学年でも指折りの美少女であるエリカの顔は広く、尚且つ竹を割ったような性格から、男女問わず人気がある。

しかし人気者にもかかわらずこれといった男女の噂はなく、今回の一件は枯草に火をつける勢いで広まっていた。

 

「そう?エリカって面倒見がいいから」

 

千葉家の門弟にも慕われ、テニス部の後輩からも同輩からも頼られ、剣術部や剣道部とも顔なじみであるが、八方美人というわけではなく、姉御肌の側面が強い。

声をかけた男子は三矢家とのつながりがあるということで、それなりに腕が立つから剣術部に顔つなぎをしたと雅は考えていた。

 

「雅、交代」

「わかったわ」

 

先に実験の練習を終えた雫がモニターの前から順番待ちの列に戻ってきていた。

平坦な表情に見えて、若干くやしさの滲む声に、点数が思うように伸びなかったのかと雅は入れ替わるようにモニターの前に立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三矢詩奈は、クラス担当の教員とクラスメイトと共に3年B組の実習の見学に来ていた。

3年生ともなれば高度な実験をするのだと見学者用の説明モニターに目を通しつつ、来たのがやや遅かったせいか、見学用の窓の前には生徒が既に多数並んでいる。

詩奈はあまり身長が高くないため、直接実験の様子を視認することができない。モニターでも実習映像は見ることができるが、実際の的までの距離感はモニター越しより直接見た方が分かりやすい。

かといって図々しく人垣に割って入るのも躊躇われた。

 

「三矢さん」

「詰めたらこちらに入れますわ。どうぞ」

「え、あっ」

 

背伸びをしてどうにか見ようかとしていたところで、前にいた女子生徒たちが間を詰めてくれた。

小柄な女子生徒なら入れる隙間に詩奈は他のクラスメイトに遠慮する暇もなく、手を引かれてガラスの前に収まった。

 

「あの、ありがとうございます」

「いいえ。これから雅お姉様(・・・・)が実演されるのですから、モニター越しでは勿体ないですわ」

 

雅お姉様と随分親しい様子の呼び方に一瞬首をかしげたが、雅のファンかもしくは親戚かなにかだろうとあまり気には留めず詩奈はその姿を探した。

 

 

詩奈が見学に来ていたのは遠隔魔法実験室、通称「射撃場」だ。

縦500m、横100m、高さ20mの演習エリアは、全国に九つある魔法科高校の中でも広いものだ。

射撃場と呼ばれるように、素焼きのクレーを飛ばせたり、地面や天井、はたまた側面の壁からランダムに表示される的を狙ったり、障害物を設置して、その向こうの標的だけを射抜いたりと、遠距離での射撃訓練に主に用いられている。

かつて九高戦の種目として取り入れらえたスピードシューティングなどもこの射撃場が使用されたり、放課後には生徒の自主練習や部活動にも貸し出しがされていると兄たちから聞いていた。

 

魔法師にとって、物理的な距離は数値上の変数でしかないが、距離が離れれば離れるほど難しいと感じてしまえば魔法の成功確率は下がる。

逆に言えば、どれだけ離れていようと正確にその座標がつかめているならば魔法は成功する。

名だたる魔法師ならば人工衛星等を使用した観測によって、地球の反対側の土地に魔法を打ち込むことすら技術的には可能である。

尤もそんなことが現実的に可能なのは使徒と呼ばれるような指折りの魔法師だけではあるが、詩奈の身近な遠距離魔法の使い手と言えば七草真由美であり、彼女は遠距離魔法の名手として一高に数々のトロフィーをもたらしている。

 

そして今回3年生に課されたのは、射撃場にランダムに表示される的当てだ。

10㎝四方から50㎝四方まで10cm刻みの木製の的が用意され、距離と的のサイズによってポイントが割り振られている。

的は天井や壁に格納されていて、ブザーと同時に出現するが場所やサイズ、的の方向は毎回異なるため、その的ごとの位置を把握し適切な力で的を破壊する必要がある。

さらにお邪魔ギミックのような破壊禁止の青い的も一定数用意されているため、これを破壊してしまうとそのポイント分がマイナスとなる。

簡単に言えば、近くて大きい的ほど点数が低く、遠くて小さい的ほどポイントが高く、青い的に当たれば減点となるというわけだ。

 

視覚支援系魔法が得意ではない生徒のために、術者の手元のモニターには実験室と的が3Dと2D形式で表示されており、標的が赤、破壊禁止の的が青の点で表示されている。

制限時間3分で100個の的を狙い、残り時間は点数に加算される。

標的の位置は個人ごとに違っても、総ポイントは同じになるように計算されて的は出現するため、どんな位置にも対応できる魔法の応用力に加え、速さと正確性が求められる。

 

使用するCADは、汎用型と特化型が用意されており、あらかじめ起動式がセットされたものや、個人で自由に調整するCADも用意されている。

不可視の弾丸(インビジブルブリッド)』など標的に直接加重を掛ける魔法や、振動系魔法で的を共振させるもの、ドライブリザードのようにドライアイスを射出するもの、移動魔法で破壊した的の破片を他の的に当てて破壊するものなど多岐にわたる。

自分で調整すれば得意魔法を使用できる反面、CADのスペックはそれほど高くないため、課題をこなすだけならともかく、高得点を狙うとなれば何かしらの工夫が必要だ。

 

 

今回の演習では、実験室を横長に使うようで、一人当たりの割り当てエリアは、100m(奥行き)×250m(横幅)×20m(高さ)となっている。

演習用のエリア前に立った雅は長い黒髪を頭の低い位置で三つ編みのお団子にして纏め、透けるように薄い桜のモチーフの髪飾りで上品にまとめている。

特別緊張した様子には見えないが、まっすぐ伸びた背筋は凛々しく集中しているのが伺える。

 

開始を告げるランプが音とともに、青、黄、赤と点灯すると、一斉に的が出現する。

数秒、おそらく10秒にも満たない時間だ。

雅は動かなかった。

雅の隣で演習をしている男子は、的に空気弾を当てて一つずつ破壊しているが、雅は拳銃タイプの特化型のCADを構えたまま、モニターを見る素振りすらない。

皆が首を傾げた次の瞬間、雅のエリアで的のいくつかが砕けた。

 

そこからはもう一瞬のこと。

モニターの赤い的は、一度に10個は消えていく。

おそらく使用しているのは的の表面一点に加重をかけて破壊する『破城槌(はじょうつい)』で、変数として複数の位置を瞬時に処理しているのだと詩奈は理解した。

 

「すごい…」

 

思わずそんなことを呟いたのは詩奈だけではない。

複数に照準を定める技術は一桁の数ならば訓練次第で習得可能ではあるが、二桁の標的を個々に認識するとなれば単純に魔法力だけではなく、才能に左右される分野である。

遠距離にある標的を10個同時に識別し、連続して高速で魔法を使っていてもさらに全く息切れする様子がない。

しかも一度たりとも標的以外のダミーに当たる気配がない。

正方形の的は全て正面を向いているのではなく、術者から見て斜めに傾いていたり、薄い側面しか見えなかったり、ダミーの後ろに隠れていたり、直接視認できない物も含まれている。

それでも誤射一つなかった。

 

視覚支援の魔法を使っているのだろうが、それを並列処理して、尚且つ同時に10個の破壊。

魔法演算領域の処理能力の高さはそれだけでも優れているとわかる。

ガラスに張り付くように食い入ってどんな魔法なのか詩奈が観察しているうちに雅の演習は終わってしまい、タイムはまだ1分以上余っていた。

見学者の1年生だけではなく、3年生のクラスメイトも驚いているようだった。

 

「では、向かって右側の演習エリアで使われた魔法が分かる人はいますか」

 

詩奈とは別のクラスの引率の男性教師が1年生に問いかける。

 

「的が直接割れていたので、不可視の弾丸ですか?」

 

ガラスの一番前で演習を見ていた詩奈とは、おそらく別のクラスの男子生徒が率先して答えた。

 

「なるほど。不可視の弾丸は魔法をかける面ではなく、圧力そのものの情報を書き換える魔法であり、作用点を直接目視する必要があります。魔法式が小さい分、並列処理には向いていますが、今回の演習のように遮るものがあれば使用は難しいでしょう。着眼点は悪くありませんが、正解ではありません」

 

教師は他に分かる者はいるかと問われたが、しばし誰も答えない。

詩奈としては、使われていた魔法の一つに『破城槌』があることは分かったが、視覚支援系の魔法が分からなかった。

雅は古式魔法に長けていると聞いていたが、手にしていたのは特化型のCADのみだ。

ここからでは特殊な呪符や媒体は確認できなかった。

B S魔法、先天的な異能(Born Specialized)を有しているかとも考えたが、確証はない。

誰もが答えない中、詩奈を見学用のガラスの前まで引っ張ってきた女子生徒が控えめに手を挙げた。

 

「使われていた魔法は『破城槌』と精霊魔法による『視覚同調』です。破城槌は不可視の弾丸と異なり、圧力をかける面全体の情報を圧力がかかった状態に書き換える必要がありますが、変数として作用の範囲を的の最小サイズの10センチ四方に設定することで、処理の負担軽減を図っていたと考えます」

「その通りです。使用する魔法を限定すること、効果範囲や威力に関する変数を定数として魔法式に組み込むことで、複数に対する照準へリソースを割いているのでしょう。芦屋さん、精霊魔法による視覚支援も説明できますか」

「はい。精霊魔法による感覚同調は影響下に置いた精霊からイデアを経由したリンクを通じてリアルタイムに情報を取得する技術です。視覚・嗅覚・味覚・聴覚・触覚の五感の中で、視覚の感覚のみ同調させることでより鮮明な映像を脳裏に映すことができます」

「正解です。熟練の術者ならば同調を複数の精霊と行うことも可能です。開始から一射目までのタイムラグ、その間に精霊の喚気は行われていました。口元が動いていたのに気が付いた人はいますか」

 

大半の生徒が聞きなれない精霊魔法の説明に、興味深そうにうなずいている生徒や言葉の意味は理解できても想像がつかないと言ったように隣と話し合っていた。

古式魔法の大家とは聞いていたが、本当に息をするように魔法を使用しているようだった。

詠唱すらわずか数秒で行い、精霊魔法を使いながら複数の的の同時照準、マルチキャストの才能も高い。

流石はあの四葉家次期当主の婚約者。

並の魔法師ではないと理解していたつもりだったが、その片鱗すら詩奈には測りきれないものだった。

 

 

 

 

 

 

 

新入生は初めての高校生活に浮足立っているが、上級生もクラス替えもあってか、新しいグループで談笑したり、なじみのメンバーで食事に向かったり、環境の変化で同じく浮足立った雰囲気だった。

クラス替えがあると言っても一学年200人に満たないため、3年生ともなれば同級生であれば顔と名前のどちらかは一致するのが大半だ。

一科二科で教室の建物が異なることもまた同じではあるが、一科の中でも気負わずにエリカはB組の教室に入ってきた。

 

「雅、ご飯食べましょ」

「ええ。食堂?」

 

雅たちは3年生になっても変わらず、いつものメンバーで食事をとる機会が多い。

演習の関係で時間がずれたり、生徒会室の役員は生徒会で食べたり、部活で集まったり、ほかのグループに声を掛けられるのはままあるため、毎日というわけではないが、集まる頻度は高い。

特別約束はしていないが、集まれる人がいれば集まるといった緩やかな集まりだ。

 

「部活連の部屋って空いている?」

「大丈夫よ。美月や西城君も?」

「美月は美術部のみんなと一緒。レオは部活の後輩と食べるって。二人とも今日から新歓だから打ち合わせだって」

 

春の新入生部活動勧誘期間は、雅が入学したころにはお祭り騒ぎ、争乱騒ぎで取り締まりに忙しい時期ではあったが、今年はどこも委縮しない程度に大人しいだろうと見込まれている。

理由は言わずもがな、生徒会長のご威光である。

馬鹿をしてお兄様とお姉様の手を煩わせるようなことがあれば、季節は冬へと逆転することがわからない愚者はこの学校には存在しない。

活気あふれる新歓にはなっても、場所や時間をめぐっての争いや新入生の取り合いなど、例年に比べればトラブルは少ないと言うのが大半の生徒の見立てだ。

ちなみに生徒会や風紀委員、部活連は例年並みの警備体制であることは明記しておく。

 

 

閑話休題

 

部活連の執務室のカギは、部活連の会頭である雅と補佐を務めている十三束と五十嵐が管理している。

主に部活連執行部の会議で使われるほか、昼休みに開放して異なる部活動同士のランチ交流会も時々行われる。

生徒会とは異なり、機密情報はなく、審問会なども開かれるため、人の出入りは生徒会ほど厳しくない。

 

「助かったわ。面白半分に変な話が回っているみたいで、なんかこう生暖かい目で見られて居心地悪いのよね」

 

エリカは購買で買ってきただろうパンを机に並べ終えると、腕を天井に向けて大きく伸びをする。

 

「剣術部から釈明文が上がってきていたから、理由は知っているけどほどほどにね。エリカは顔見知りが多いし、西城君と夫婦漫才していてもそれ以外に浮いた話は聞かないから、余計にみんな興味を持っているみたいね」

「やだやだ。あんな野蛮な男なんてこっちから願い下げよ」

 

冗談でもやめてと言いたげに、エリカは手を振った。

 

「自分から話題にして言うのもなんだけど、雅って情報通の割には波風立てず騒ぎ立てず、深く聞かずいてくれるから助かるわ」

 

エリカは昨日の放課後、遭遇した1年生を剣術部に連れて行った。

矢車三郎という少年は、今年の新入生総代、三矢詩奈の護衛として教育を受けていた。

護衛とはいえ、主人の身を守るための暗器術は中々珍しいものではあったが、思った以上に魔法の才能が伸びず、護衛の任務は切られていたそうだ。

本人の習得している技術は矢車本人から聞いたが、護衛を外されたその経緯を知ったのはエリカが自宅に帰ってからのことだった。

どことなく自分の才能に見切りをつけて燻っているのは見て分かったが、要は使い方次第の才能であることは昨日の時点で分かった。

強くなりたいと指南を申し出てきた三郎に、剣道部と剣術部が使用している闘技場で稽古をつけたところだ。

あまり後輩にお節介を焼くタイプではないとエリカ自身自覚していたが、それを見た一部から面白おかしく騒ぎ立てられるのは不本意極まりない。

 

その為こうして態々食堂ではなく、人目のない部活連の執行部まで昼食をしに来たのである。

雅もその経緯が分かってか、矢車のことを下世話に聞いてくることはしないでいてくれることがエリカにとって有難かった。

 

「噂なんて悪意がないからと言って、こちらが不快に思わないわけではないってことがもっと身に染みてわかってくれると有難いわよね」

「まったくもって同感よ」

 

エリカは激しくうなずくと、力任せにパンの包装を開けた。

 

 

 

 

「そういえば、エリカのお兄さん、もうすぐ退院だそうね」

「おかげ様で順調よ」

 

昼食も中ごろに差し掛かったころ、雅はそう切り出した。

エリカの兄であり、千葉家の実質的な跡取りである千葉寿和は、雅にとって一、二回顔を合わせただけのあまり接点のない相手ではあるが、雅の守りの一つが使われたとあって、八雲(叔父)が気を掛けていた。

入院後は彼に使われた邪法の影響もあったため、八雲は祓った後も何度か見舞いがてら経過を観察しており、今回の退院の話も聞いていた。

 

「どうしたの」

「あー、うん。まあ、別にもうちょっと入院していてもムカつく奴と顔合わせなくても済むかなーって。それに、熱心にお見舞いに来てくれる人もいるみたいだし」

 

エリカは嬉しいのか、腹立たしいのか、あまり気乗りしないような表情だった。

 

「ひょっとして藤の花がつぼみを付けたのかしら」

「藤の花って―――まさか雅の差し金?」

「違うわよ。横浜の一件から顔見知りということは知っていたけれど、さすがに人様の恋愛事情に首を突っ込むほど私も物好きではないわよ」

 

エリカが驚いたように雅を問いただすが、雅にしても口にはしてみたものの思わぬ話だった。

 

「まあ、それは置いておいて、兎も角、一度、あのバカ兄が雅にもお礼を言いたいって。なんかあの御守りのお陰で助かったって言っていたみたいだけど、何か特別な魔法道具とかだった?」

「それは古式の秘術ということにして頂戴」

 

雅がエリカに危機的状況が迫っているかもしれないと思って渡した御守りは、九重の中の秘術も秘術。

生まれてから三つ渡される守りの一つであり、基本的に他人に渡すようなことはしない。

一生使うことがなければ僥倖。

既に三つすべてがその役目を果たした雅には次がない。

それでも雅は後悔していなかった。

そしてそのことを誰かに話すつもりはない。

一瞬、達也や深雪の姿が浮かぶが、すぐにその思いを打ち消す。

悲しい顔をさせてしまうのは分かっていた。

 

「実際その辺、本人も記憶が曖昧らしいわ。気づいたら鎌倉駅前の警察で倒れていたそうよ。傷から推測して胸ポケットに入れていた御守りに鏡が入っていて、それが致命傷を防いだんだろうって。ただちょっとね」

 

エリカは言葉を選ぶように沈黙した。

 

「無理に話さなくてもいいわよ」

「ううん。雅には聞いてほしい。あの時、稲垣さんに使われた死者を傀儡にする術があのバカ兄にも使われていたみたいで、それに反発するのに随分と負荷がかかったみたいなのよ。術自体は八雲さんに祓ってもらって問題ないみたいなんだけど、退院は決まっても、復職どころか魔法師としてもやっていけるかまだ分かんないって」

「そう」

 

雅は八雲から経過は聞いていたが、エリカが語るとその言葉は身に染みるようだった。

 

「正直、あのバカ兄のことは別にどうだっていいと思っていた。私にむやみに突っかかってきたり、稽古っていう名前の理不尽をぶつけられなければね」

 

エリカにとって、尊敬の対象の次兄とは違い、長兄の寿和は千葉家当主である父よりも顔を合わせたくない相手だった。

不真面目な態度はともかく腕は認めるし、当たりがつらい理由もエリカの出自も関わっていることとは理解しているが、的確に自分の心の奥底に秘めたものを貫いてくる。

それが一々エリカの癇に障る。

だが、少なくとも長兄は剣士としてのエリカを認めていた。

長年の確執はあった。

仕事柄、多少怪我はしても、皮肉を言うくらいで、あの兄に対して心配なんかしたことはなかった。

 

「でもさ、命が危ないって聞いて、やっぱりショックだった」

 

集中治療室に何日も入り、生死の境をさまよい、室内には存命を告げるモニターの音だけが響く空間。

薄氷の淵に裸足で立っているような恐怖に、時間だけがただ無情に過ぎていくあの空間が、今でも鮮明に思い出される。

 

「絶対犯人を許さないと思ったし、理由もなく病室の前を行ったり来たりしててさ、一応あのバカ兄も兄で家族なんだなって」

 

エリカにとって尊敬する次兄以外、いや尊敬する次兄ですら家族という感覚はあまりない。

唯一の家族はもうこの世にいない。

今の千葉の家では、弟子や師はいても、同じ敷地に暮らしていても、便宜上家族と呼べる間柄の人間としか思っていなかった。

家族というより、弟子や門人を含め、全て身内という広い括りにしか思っていなかった。

気兼ねなく本音で話し合えるような、無条件に安らぎを与えてくれるような、温もりのあるものではない。

味方はしてくれる。

あれこれに千葉の名前を多少使っても咎められないほど、認められてはいる。

学費や日常生活にかかわる費用は出してもらっている。

それでもエリカは家族と呼ぶのは対外的にだけだった。

 

「私は強くなりたい。どんな理不尽に巻き込まれても、どんな相手が立ちふさがっても、自分も周りも、何も失わずにいれる強さが必要だと思ったの」

 

身近な者が理不尽に命を奪われる。

それがどれほど憎らしく憤りを感じ、自分の力を嘆くことになるとは知りたくもなかった。

それと同時に今頃になって気が付く自分に大いに呆れ、何より苛立った。

 

 

「雅はどうして強くなれたの」

 

エリカは雅に問う。

 

「達也君の隣に立つって決めたことも、深雪のそばにいるっていうことも、普通の覚悟だけじゃできない。普通の努力だけじゃ足りない。言葉通り血の滲むような研鑽が必要でしょう。達也君の優先順位は揺らぐことはない。それでも雅は決めたんでしょう」

 

達也が生まれ育った家の名前は既に世間に知られている。

エリカは公表される以前から気が付いてしまったが、知ってからですら底の見えない実力に軽口をたたきながら、畏怖を感じている。

単純な魔法戦闘力だけではない。

圧倒的な力を持ちながら、単にそれが魔法だけで成り立っているわけではないことをエリカは知っている。

どれだけ鍛え上げられたものなのか、いったい何時の時期からどれだけの密度でどれほど厳しい訓練を課されてできた力なのか、知ることすらできない。

そんな力を持っているがゆえに理不尽に巻き込まれるのか、それとも疫病神に愛されているのか、いずれにせよエリカたちは巻き込まれる。

 

無論、高校からの付き合いのエリカですらそうなのだから雅はもっと多くのことを経験しているはずだ。

それに耐えられるだけの実力ではない。

その理不尽を制し、時には達也を支え、これからもそうである事をできるだけの力を持つためには、並大抵のことではない。

肉体的な強さだけではなく、その隣に立っていられることが許されるために、どれだけの時間とどれだけの決意をかけてきたのか、エリカには想像すらできない。

 

「エリカの言うとおりよ。達也は揺らがない」

 

雅の瞳は一瞬の迷いや不安の揺らぎも見せなかった。

 

達也の絶対は深雪だ。

それは今でも変わらない。

深雪だけが、彼の心を強く動かすことができる。

雅に割いてくれる心が一欠けらでもあること自体、今でも奇跡のようなことだと思う。

義務感からではなく、愛おしいもののように雅に触れる手にいつも胸が締め付けられるような幸福を感じる。

 

「でもね、私も全てを達也にあげられるわけじゃないから、一緒にいられるのかな」

 

達也が深雪という唯一の指針があるように、雅にも行動の指針となるべきものは存在する。

 

「達也君と深雪以外に?」

「私は末席だけれども、神職よ」

 

全てにおいて優先すべきは仕えている神々であり、日々の神事である。

神様に心穏やかにお過ごしいただくこと。

そして預けられた地を守ること。

そのための名前と力を授かっている。

名を授けられるに足りる鍛練を積んでいる。

 

「だから、今は心しかあげることができないの」

 

この身も、この名前も、全て彼の方のものである。

達也にあげられるのは、彼を思う心だけ。

移ろいやすく、不確かで、眼には見えない、それでも確かに存在する。

そんなものしか、雅は達也に渡せるものがない。

言葉や態度にいくら示したとしても、絶対ではない。

 

「お互いが揺るがない物があるからこそ、背中を預けて立っていられる」

「そんな風に言われるとなんかカッコいい感じがするわね」

「ううん。凄いことだと思う」

 

少し照れ臭そうに言う雅にエリカは首を振った。

無条件で達也の隣には立てない。

それでも無条件に与えられるものがある。

なんの打算もなく、なんの抵抗もなく、なんの特別なことはない。

それは他ならない、愛と呼べるものではないのだろうか。

 

 

 

 

 




6月に魔法科高校の新刊発売です。
楽しみですね(*゚∀゚)


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動乱の序章編4

新刊読みました。
水波ちゃん(´゚д゚`)

甘い話が書きたい。
そしてあまり話が進まない、思い浮かばない・・・




四月十日 水曜日

 

今年度の新入部員勧誘週間、通称:新歓は例年と負けず劣らずにぎやかなものであったが、幸いにして大きなもめ事は起こっていない。

毎年ちょっと熱が上がって校則違反になるような勧誘をしているのはごく一部で、今のところ滑り出しは順調だった。

 

昨年度は取り締まる側の風紀委員と部活連執行部でトラブルがあった関係で、今年は部活連執行部、生徒会、風紀委員会の三役で見回りのエリアと時間を区切っている。

流石に人がいるような場面になれば配置は流動的にはなるが、手柄争い、縄張り争いになるようなことは少ないと見込んでいる。

 

「第二小体育館は闘技場って呼ばれていて、剣術部や剣道部、古式魔法クラブやマーシャル・マジック・アーツ部が主に使用しているところね」

 

深雪から頼まれて詩奈ちゃんに部活紹介の傍ら、度を越えた勧誘がないか見回りを行っている。

今日の見回りは室内の運動部を中心に行い、合わせて各部活動の部長たちへの詩奈ちゃんの挨拶回りも兼ねている。

新入生総代というより、十師族ということで詩奈ちゃんのことは顔か名前くらいは知っている生徒も多いと思うが、夏には九高戦も控えているので顔つなぎをしておくとその後がスムーズだと考えたのだろう。

 

「たしか矢車君は剣術部に入部希望なのよね」

「その予定だと聞いています。……あの、雅先輩には入学早々お世話になったようで、大変申し訳ありません」

 

詩奈ちゃんは再度恐縮そうに頭を下げた。

入学して早々、詩奈ちゃんの幼馴染(兼ボディーガード)の矢車君は魔法の不適切な使用で達也に取り押さえられた。

一応詩奈ちゃんを心配してのこととして詩奈ちゃんがきちんと責任を持って矢車君を監督するということで、お咎めなしにはなっている。詩奈ちゃんが責任をかぶる必要はなかったのだろうが、護衛を外された矢車君の暴走に近い形だったのだろう。

 

「その話はもう大丈夫よ。矢車君はよほど詩奈ちゃんが大切みたいね」

「そんな。三郎君はただの幼馴染ですよ」

 

照れるわけでもなく、詩奈ちゃんは首を横に振った。同い年の男女で幼馴染、それもボディガードと女主人となればその手の噂話には辟易しているのだろう。

私も火のないところに煙を絶たせる趣味はない。

 

「矢車君は無事部活動が決まりそうだけれど、生徒会役員も部活動に所属することは可能よ」

 

委員会の掛け持ちはできないが、部活動と生徒会や委員会活動は掛け持ちが可能である。

生徒会の仕事がある今でも水波ちゃんは山岳部に時々顔を出しているし、香澄ちゃんも見回りと称して茶道部にお茶とお菓子を楽しんでいるらしい。ほのかも生徒会の仕事と調整しながら、SSボート・バイアスロン部の活動を行っている。

 

「生徒会の仕事もあるから慣れるまでは大変だと思うけれど、考えてみてね」

「わかりました」

 

社交辞令のつもりだったが、詩奈ちゃんは純粋に勧誘されていると思ったのか、素直に頷いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体育館入口で見学者用の履物に替えて、一礼して中に入ると、ちょうど入り口付近から全体を監督していた十三束君がいた。

 

「十三束君、今大丈夫?」

「大丈夫だよ」

 

組み手と組み手の間の解説時間だったので、問題なかったようだ。

 

「詩奈ちゃん。顔合わせの時にもいたと思うけれど、こちら部活連執行部副会頭でマーシャル・マジック・アーツ部の部長の十三束君。近接戦闘の名手よ」

「九重さんにそう言ってもらうとなんか照れるね。魔工科三年の十三束鋼です」

「初めまして、三矢詩奈です」

 

柔和な表情ののちに武道家らしいピリッとした一礼に、詩奈ちゃんは少し面食らいながらも、同じく自己紹介をした。

十三束君は物腰柔らかいけれど、部活や競技の場面になるとキリッと男前な雰囲気で可愛い顔立ちにそのギャップが良いってエイミィが以前惚気ていた。

マーシャル・マジック・アーツ部は男子部員しかいないが、女子生徒も見学に来ているのは、つまりはそういう目的の人もいるということなのだろう。

 

「この後は剣術部と剣道部だけれど、時間通りで問題なさそうね」

「そうだね。さすがにウチの部活が時間オーバーするのは格好がつかないからね」

 

模擬試合と新入生向けに近接戦闘の解説が主に行われており、この後会場を使う予定の剣術部と剣道部も体育館の隅の方で準備をしているところだった。

 

「引き続き剣道部と剣術部もよろしくね」

「ああ。今年は問題ないといいけど」

 

私が入学した当時は剣道部と剣術部の関係はあまりよろしいと言えたものではなかった。

剣術部は魔法を使わない剣道に魔法師のくせに半端者と揶揄し、剣道部は純粋に剣技を磨き、小手先ばかりの魔法に頼る剣術部とは違うと反発をしていた。

一部、そういう動きを助長していた先輩もいたが、今は退学の身だ。

去年までの在校生に剣道部、剣術部のカップルがいたお陰か両部活動の関係は、同じ時間帯に合同で新歓を行うくらいには良好になっている。

 

「そういうのをフラグって言うんでしょう。じゃあ、またミーティングで」

「三矢さんも見回りご苦労様」

「はい、頑張ります」

 

その場は十三束君に任せて、第二体育館を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

その後もスケジュールに沿って見回りと部活動の紹介を詩奈ちゃんにしていった。

文化系、理論系の部活動は比較的穏やかだが、運動部は魔法の使用の有無にかかわらずどこもにぎやかだ。

校内全体に精霊を飛ばせ、騒動がおきないか緩く監視しているため、お祭り騒ぎの混乱と問題は早めに駆け付けられたが、人の顔を見るなり顔を引きつらせるのはどうかと思う。

威を借るキツネになるつもりはないが、騒ぎが早く片付いたことは僥倖と思うべきだろう。

 

「今日新歓をしている部活動はほぼ紹介したと思うけれど、どこか見て回りたいところはある?」

 

新歓として許可されている時間はあと少しとなっている。予定の所は見回りを終わったので、このまま生徒会室に戻っても問題はないだろう。

 

「あの、よろしければ図書・古典部にもお邪魔していいですか」

「---そうね。せっかく興味を持ってもらえたなら、紹介させてもらうわね」

 

詩奈ちゃんは遠慮がちに私が部長を務める図書・古典部の見学を希望した。公平性の観点から見回りルートには含めなかったが、私もどこかで部に顔を出しておきたかったので提案は丁度よいものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図書・古典部の新歓は年によって開催場所が異なる。

部室は貴重な書物や研究結果を保管する目的もあるため、部外者は立ち入り禁止だ。

私が1年生の時は屋外でマリー先輩と祈子さんが大々的な古典魔法の再現実験を行い、去年は野外演習場近くで精霊魔法に関する簡単詠唱講座だった。

今年は室内の実験室を借りて歴代の研究の展示と研究を応用した参加型の実験を行っている。

 

「太刀川君」

「お疲れ様です。見回りは終わりですか」

「そうね。様子を見に来たのと、三矢さんが見学を希望してくれたから」

「お邪魔します」

 

詩奈ちゃんは控えめにはにかんだ。

 

「いくつか試しても問題ないかしら」

「はい。今は人が少ないのでどうぞ」

 

実験室といっても分厚い金属で囲まれた地下室というわけではなく、数人が囲める大き目の実験用テーブルと水道設備がいくつか設けられたものであり、魔法科高校独自の設備があるというわけではない。一般教養の化学につかわれるほか、一部簡易な魔法薬学の実験にも使われる。

 

「これが迷路ですか?」

 

机の上には一辺30cmの強化プラスチックの箱が置かれている。

 

「ええ。去年行った刻印魔法の応用で、ちょっとした想子コントロールの訓練にもなるものね。詩奈ちゃんもやってみる?」

 

外からは全く見えない黒い強化プラスチックの箱で覆われた中には、細い金属板をつなげた立体迷路が組まれている。

簡単なものだと一本道を移動魔法をかけた球を転がしていくだけなのだが、難しいものは複雑に道が入り組んでいたり、複数の魔法を使用しなければならなかったり、トラップが仕掛けられていたりと、バリエーションに富んでいる。

初心者向けには移動距離やルートのヒントが書かれたカンペがあるが、視覚系魔法の併用は禁止されていない。

 

箱内部にはセンサーが取り付けられていて、正しい道を通れば青、分岐は黄色、誤った道を通れば赤く光るよう外付けのランプでわかるようになっている。

球はできるだけ真球に近いものが用意されているが、木材や鉄、ガラス、はたまた陶器まで用意されていて自由に選択できる。

共通するのはどれも梵字が彫り込まれた小さいながらに法機であると言う点だ。

 

いくつか空いている場所を借りようとしたところで、調整用の工具を片手に、2年の村田君が朗らかな笑顔をして近づいてきた。

 

「おお!!九重先輩、良いところに」

「村田君、連絡はなかったから特に問題はなかったと思うけれど、大丈夫?」

「無論問題ありませんが、思ったより上級生の先輩方が見学に来ていて冷やかしなのか、興味本位かわからないですけど、途中人数が多くなって上級生は一人一回しかできないように調整しました」

 

既に新歓の終了時間が近いため見学者はまばらだが、それなりの人数が来ていたらしい。

今回は参加型の実験なので、口伝に2、3年生も遊び半分に来ていたようだ。

 

部活動や委員会活動は必須ではなく、学内の活動には所属していなくても外部の習い事やクラブ等に所属している生徒もいる。全くどこにも所属していない生徒は1割に満たない。

中学校まではごく一部の学校でしか魔法を使用した競技がないため、高校から魔法関連の部活動を始める生徒は少なくない。

部活や委員会の掛け持ちは許可されているが、上級生が見に来たということは、さぼりなのか、偵察なのかわからないが、全く人がいないよりある程度人数がいる方が1年生も入りやすいので、村田君の対処のような形でよいだろう。

 

「1年生を優先にしてもらえれば、上級生は特に気にしなくていいと思うわ」

「わかりました。それで、新作ができましたので、テストをお願いします」

 

村田君は私の前に他のものと同じサイズの30㎝四方の黒塗りの立方体を置いた。外側からは内部の構造は全く見えない。

 

「難易度ルナティックです。ちなみに作った僕もできません」

 

親指を立てる村田君に他の部員がつかみかかろうとしていた。

 

「まさか!!あれはボツにしたはずだろ!」

「なぜあれが!?」

「やめろ、村田!!」

「村田君、それは封印指定よ!!」

 

他の部員が騒いでいるが、凝り性の村田君とは言えそんな危ないものを作ったのだろうか。

迷路を覆う箱が強化プラスチックなのは、魔法が暴発したときに備えてだが、基本的に使う魔法は移動と停止のみであり、金属板に刻まれた魔法もそれほど大きな出力にならないよう記述されている。

箱と机の固定もしっかり行ったので、暴発して箱や金属板が飛んで怪我ををするリスクは低い。

それでも私に見せられないものと言われると、怖いもの見たさで気にはなるが、知ってしまったら対応せざるを得ないことも分かっている。

 

「申し訳ないけれど、それは後でね。詩奈ちゃんに部の紹介終わったら、また来るわ」

「いえ、私のことはお構いなく。せっかくですので、雅先輩のお手本を見せていただけたらと思います」

 

部員の手前気を使ってくれたのかもしれないが、さすがにいきなり触れたことのない古式魔法に挑戦するのは荷が重いだろう。

しかも今は部員が集結した手前、注目されながらというのも気恥ずかしさもあるかもしれない。

 

「・・・そうね。お手本になるかわからないけれど村田君、見せてもらっていいかしら」

「喜んで!!」

 

球には、移動魔法と停止の刻印魔法が刻まれているため、自分のCADは必要ない。

移動と停止以外の魔法が必要な場合は、迷路上の金属板に攻略に必要な刻印が刻まれていて、球を起点に想子を流し込めば魔法が発動するようになっている。

私ならばこんなもの必要ないとは言いつつも、村田君から何番目の分岐でどんな魔法が必要になるかというヒントのメモを渡された。

 

精霊も喚起させると視覚を同調させ、内部の構造を把握する。

難易度ルナティック(狂気)のとおり中は複雑に入り組んでいる。

精霊でルートを先見しつつ、球に想子を流すと移動魔法で球は入り口へと移動する。

 

「実験としては、離れた位置にある魔法刻印に対して想子を一定量流し続け術を継続して発動すること、球を起点にしてさらに別の刻印術式へ切り替えができるかというところが実験のコンセプトです。現代の魔法師にとってCADは基本身につけていることが前提ですが、古式魔法の術具はその限りではない記述が散見されます。九重先輩が今行っている難易度では球を起点にレール上の別の刻印魔法を起動させる並列処理も行いますが、ましてそれが視覚を制限された状態となると魔法構築のイメージがより難しくなることが予想され、想子のコントロールはより精密さを求められます。この実験の優れた点は、魔法の発動規模が小さく単純であるため、一般家庭においても特殊な実験室なしに魔法の練習ができる点にあります。CADの複雑な調整も必要なく、繰り返し使うことも可能です。魔法の行使は法律によって固く制限されていますが、個人の敷地や魔法科高校のような特定の敷地内ではその限りではありません。しかしながら魔法を教える私塾は全国的にみても決して多いとはいえず、これは家庭における魔法学習に一石を投じるものと僕たちは期待し「村田君、できたわよ」

 

村田君が詩奈ちゃんに実験の要旨を説明していたが、私のテストの方が先に終わってしまった。箱の下部に取り付けられた出口から出てきた球をみて、村田君は目を丸くしていた。

 

「なんですと!!」

「三つ目の分岐、間違った方に進むと、最後のレーンの手前に落ちるようになっているから、正攻法ではないけれどね」

「そんな抜け道があったとは!!」

「見せて、見せて」

 

後輩たちが黒い覆いを外している間に、詩奈ちゃんを別の箱の前に案内する。

 

「相変わらず、静かですね」

「そう?」

 

由紀君がぼそりとそうつぶやいた。

刻印魔法を発動させる想子は最小限にしたため、余剰想子によるノイズが少なかったと言う意味だろう。

 

「え?」

「―――あ、いや。なんでもない」

 

詩奈ちゃんは由紀君の発言に対して不思議そうに首を傾げた。

静かと言われても、ただ魔法を使っていただけでそう表現されるのは一般的ではなかったのだろう。

 

「詩奈ちゃんは、まず覆いのないものから試してみましょうか」

「あ、はい。わかりました」

 

あーでもない、こーでもない、それはだめだという後輩たちの討論をBGMにしばしの息抜きとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夕方、私は久しぶりに司波家で夕食をご馳走になっていた。

 

「今日はお姉様にお任せしてしまいましたが、詩奈ちゃんはどうでしたか?」

「謙虚で、控えめだけど、自分の意見はちゃんと持っているし、人の顔を覚えるのも苦手じゃないみたい。古典部にも見学に来てもらって魔法を使う様子を見たけれど、入試主席の結果に間違いなく優秀な子ね」

「お姉様がおっしゃるなら安心ですね」

 

深雪が私の評価に肩をなでおろした。

昨年はいろいろと新入生総代には困らされたものだから、優秀ではあるが、驕りも的外れな向上心もない、真面目な後輩はそれだけでポイントが高いようだ。

幼馴染はやや暴走気味だったものの、深雪にとっては気に留めるほどのことではない微細な問題だったのだろう。

 

「そういえば、明日からしばらく悠お兄様がこちらにいらっしゃるんですよね」

「ええ。宝物殿の特別展示を連休期間にすることになっているから、その最終打ち合わせで東京(こっち)のほうに何日か滞在するみたいね。時間があれば、その展示を観に来る?招待するわ」

 

都内の博物館からの長年の依頼をかなえる形で、この5月の大型連休期間に九重神宮に奉納された宝物の展示を行う予定だ。

昨今の魔法師に対する風当たりの強さは心配されるが、10年ぶりのお蔵出しとあって前売りの売れ行きは好調と聞いている。

ちなみに裏向きに四葉家が配下に置いている会社や雫の父が関わる北山グループにも協賛してもらっている。

 

「お兄様」

「そうだな。深雪は初めてだったよな」

 

達也は一度、10年前に京都で行われた展示を観ているが、深雪はまだ知らないだろう。

 

「解説はうちのお兄様にお願いするといいわ。喜んで一緒に見て回るだろうから」

 

次兄の道楽と言えば演劇鑑賞だが、漆器や茶器、絵画や刀剣などの美術品についてもそれなりの目は肥えている。

いずれは管理を任される立場だからと表向き、裏向き問わずに九重神宮が所有する宝物についての教育は私よりも熱心に行われていると聞いていた。

千里眼があるから審美眼を兼ね備えているというわけではなく、美術品としての鑑賞はある種センスの問われるものだ。加えて、その宝物が九重神宮に至った経緯や作者の来歴、他の作品への影響や学術的価値など器一つにとっても覚えることは山のようにある。

流石に家族だけで宝物すべてを管理できるわけもなく、奉納品専門の管理者が常駐しているものの、宝物の管理監督も当主の仕事とされている。

 

「お姉様はご一緒ではないのですか?」

「私がいてもいいの?」

「お兄様、お姉様と博物館デートはいかがですか」

 

深雪が達也に甘えるように問いかけた。

要するにダブルデートがしたいらしい。

 

「美術品の鑑賞には疎いが、それでもよければ」

「歴史に関して言えば、達也の方が詳しいわよ」

 

達也は瞬間記憶に近い能力があるため、一度見たものは忘れないし、それに関する情報を記憶から呼び起こすことが可能だ。

テストに出題されないような事柄でも、膨大なデータベースを紐図けて、その宝物の作者や奉納の経緯などは解説をみなくても推察は十分可能だろう。

ただ、茶碗に使われている土や釉薬の成分、窯元や作者や作られた年代などは分かっても、茶碗のこのやや崩した形が趣深いというような個人の感覚的な美しさの評価については未だに苦手のようだ。

評論家が実にいい形の器だと評しても、達也には左右の傾きは何度でどのぐらいの重さで、この色合いはどんな化学反応の結果かという情報でしかない。

 

「展示が始まるまでに、一度食事にも誘いたいって言っていたから、また予定を教えて頂戴」

「わかりました」

 

しばらくは神楽の舞台の予定はないため、私も兄も食事に制限はない。

私としては、接待続きの兄が深雪の手料理を食べたいと駄々をこねないか心配だ。

 

「それと、今週末の十師族の若手の懇談会は達也だけ出席するのよね」

「ああ」

 

十文字先輩が発起人として、30代以下の十師族の若手を集めた会議をするそうだ。将来的にはナンバーズまで参加者を拡大して魔法協会の青年部のようなものを目指しているらしい。

十文字先輩も昨今の魔法師に対する風当たりの強さに思うところがあるようだが、どうやら影の発起人は七草家の長男のようだ。

 

「出席はしないけど、深雪も会場に?」

「いや、深雪には自宅にいてもらうつもりだが、何かあるのか?」

「体調が悪くなければ、光宣君もその日にこっちへ来るそうよ。会議にはお兄さんが出席するみたいだけど、達也たちともまた会いたいって言っていたから、予定はどうかと思って」

 

光宣君が体調を崩しやすいのは体質的なものなので、根治的な治療は今のところない。

最近はあまり連絡がなかったが、今回の会議をきっかけにまた連絡がくるようになった。

心なしか以前と違ってあまり恋心をうかがわせる文言ではなくなっていて、少し安堵した部分はある。

 

「そうだな。予定は今のところないが、少し新ソ連の動きが気になるからな」

 

北の方では新ソ連の艦隊が動いていると言う情報があり、風間中佐率いる一〇一大隊は北海道に展開している。

達也もいつ呼び出しがかかるかわからない状況であり、できることならば何時でも動ける体制にしておいた方が良いのだろう。

 

「そうね。光宣君には難しいって伝えておくわね。私もその日はお茶会だから、お土産買って帰るわね」

 

お茶会と言っても、形式はそれほど堅苦しいものではない。

主催は兄で、名目としては柚彦君の入学祝だが、実際には四楓院に関わる者たちの密談だ。

情勢が魔法師にとって悪い方向に傾いている以上、私たちも傍観者ではいられない。老獪な者たちでは話の通りが悪いと言うことで、各家の若い者たちが腹を割って話す機会を作るという名目での集まりだ。

長兄は子どもがまだ小さいのと、神事のため欠席だ。

 

「お気遣いありがとうございます、お姉様」

「水波ちゃんも、お土産はなにがいい?」

「いえ、私めにそんなお気遣いは過分です。どうぞ、お構いなく」

 

恐れ多いと首を振る水波ちゃんに何だか申し訳なさの方が先に立つ。

 

「いつも美味しい料理でもてなしてくれるでしょう。お礼がしたかったのだけれど、迷惑だったかしら」

「迷惑などとは思いません。私のような使用人へのご気遣いは無用ですので、お心は達也様と深雪様へどうぞおかけください」

 

深々と頭を下げる水波ちゃんに思わず私ではダメだなあと、達也に視線で助けを求める。

 

「水波、あまり謙虚すぎるのもかえって失礼だ。雅は年下の女の子を構いたいだけだから、素直に受け取った方がいい」

「あら。まるで私が年下の女の子を誑かしているみたいね」

 

思わぬ達也の辛口に深雪に同意を求めたが深雪にも首を振られた。

 

「お姉様、残念ながらお兄様のおっしゃる通りかと。詩奈ちゃんも芦屋家のご息女も随分とお気にかけていらっしゃるでしょう」

「そうかしら?私の中で一番かわいい女の子は今も、これから先も深雪よ」

 

深雪の指通りの良い艶やかな黒髪をひと房、指で掬うと白い頬が桃色に染まった。

 

「そういうところが、人誑しなのです!!

水波ちゃん、お茶を淹れに行きましょう」

「え、はい。ご用意いたします」

 

深雪が珍しく一人ではなく、水波ちゃんを連れ立って食後のコーヒーを淹れにキッチンに立った。

現代ではコーヒーを淹れるといってもホームオートメーションでボタン一つでできる作業だが、深雪のこだわりは豆を挽くところからなので、少し時間がかかるだろう。

 

「可愛いわね」

 

私がそう言うと達也はやや渋い顔をしながら無言で首を縦に振った。

 




小さいころ、30cmくらいの丸型の透明なプラスチックの中に迷路が組んであって、外枠のプラスチックを傾けながら、中にある金属球で迷路を攻略するというのがありました。失敗すれば球が落下するおもちゃ誰か知ってますかね。不意に思い出したので、作品に入れ込んでみました。

長々と書きましたが、今回のまとめ
年下の女の子は可愛い(`・∀・)b



もしかしたら、資格取得のため、年単位で更新止まる可能性があります。
できる限りは続けていきたいですが、まだわかりません。
ストレスたまると書きたい衝動が増すので、時々息抜きに筆を進めるかもしれません。
本格的に活動が難しくなりそうだったらまたご報告します。


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動乱の序章編5


自粛疲れで、むしゃくしゃしてやった。
二人がイチャイチャしているところを見たかった( ˘ω˘ )





休載中もメッセージ、評価をくださった皆様ありがとうございました。
すべて目を通しています。
これから少しずつ更新が再開できたら良いと思っています。


4月13日(土)

 

雅の在籍する三年B組では、座学の授業が行われていた。

魔法科高校では、カリキュラムの都合上、土曜日も基本的に授業があり、3年生ともなればその速度と密度は一般高校と比較してもハイレベルなものが行われている。

国立魔法大学への入学者数が最も多い第一高校において、魔法の理論や実技の授業は国内でも屈指のものだが、基礎的な読解力や問題解決能力等を図るための一般教科の比重が低いと言うわけではない。

 

3年生ともなれば、入試に向けて学校や学科、進路の絞り込みが行われつつある。

流石にまだ受験直前のようにノイローゼやヒステリックに端末にかじりつく生徒は見られないが、真面目に端末に向かっている生徒が大半だ。

だが、真面目と言いつつ午後一番の授業。食後の睡眠欲に抗えないのは古今東西不変の生理学的な理屈であり、眠そうに目をこすったり、目薬で無理やり目を覚ましたりという生徒がいないわけではない。

 

特に魔法科高校では部活動も3年生まで熱心に活動しているため、勉強量と運動量は有り余る若い体力をもってしても辛い日がある。

クラスメイトの中でも群を抜いてハードスケジュールな雅も、例に漏れず午後の授業というのは苦痛に感じる時もあるが、それを他人には気取らせない。

 

今日も一見すると真面目に授業を受けているが、珍しく集中しきれていなかった。体調が悪いとか、他の生徒の例にもれず睡魔に襲われているわけではない。

理由は午前中に達也が学校から早退したことにある。

早退の理由までは雅の端末に連絡は入っていないが、情勢からして軍からの呼び出しとみて間違いなさそうだ。

一般にはまだ知られてはいないが宗谷海峡付近に新ソ連の艦隊が集結していることもあり、海上の国境の周辺では警戒が続いている。

 

今回は佐渡の一件から新ソ連の戦略魔法師の参加も噂されており、呼び出しともなれば達也もその力で支援をするのだろう。

小耳にした情報では、規模や装備からして本気で日本侵攻を目論んでいるとはいえないが、威嚇や偵察目的でも出兵している以上何らかの成果が求められる。

戦略級魔法は、抑止力的側面が強いが、このところの情勢上、その使用に対する軍部の抵抗感が減りつつある。

戦艦の一つや二つ、手土産に沈没させることもあるだろうし、国境侵犯ぎりぎりで日本側の出方を伺うというのも考えられる。

 

遠い世界のような話でも、他人事ではいられないのが雅や達也が置かれている立場だ。

四楓院が動いていない以上、今回の出撃だけでは大した被害は出ないはずだ。たとえその可能性が高いとしても、達也を手放しで送り出せるほど雅は大人ではない。

 

(せわ)しなく考えが巡る脳内をため息一つで静かにさせ、授業へ耳を傾ける。

座学の授業では、教員がクラスに出向いて授業をするのではなく、基本的に複数クラス合同のオンライン講義と解説、課題の提示が行われている。

端末上の課題を処理しつつも、どこか平穏なまま日常生活を送る自分を不思議に思う。

今すぐ席から立ちあがって教室から飛び出していきたくなるような衝動にかられつつ、仕方のないことと自分を納得させる言い訳を並べながら、目の前の画面に向かう。

 

 

そしてそれは予兆なく訪れる。

普段どおりのそうした授業の途中、突如として巨大な想子の波動を受け取った。

 

普通の魔法行使でも、魔法師は魔法行使に伴う想子波は感知するが、ここまで周りに影響が出ることはない。だが波の大きさに反して、魔法行使の事象改変には位置的な距離の遠さを感じる。

身に迫った危険を警告しているのではない。あまりに大きすぎる波動に、活性化までしないものの精霊も騒がしく反応を示している。

精錬された巨大な術式同士のぶつかり合い。

その観測に結び付けられる事実を並べれば、何があったか推測は容易だ。

 

「雅……」

 

雅の前に座っている雫が授業中にもかかわらず、振り返り小声で話しかけてきた。

彼女もまた何か感じたのだろう。

 

「心配ないわ」

 

何が心配ないのか、何があったか、今この場で語ることはできない。

おそらく雫以外にも何かしら反応を示した生徒や教師はいるだろうが、緊急警報も授業中止の連絡もない。端末の向こうの教師は、魔法師ではない普通の一般科目の教員のため普段と変わらない表情で授業を進めている。

 

追々なにか連絡があるにせよ、今は授業中であることは変わりない。

雫は変化の乏しい表情ながら、何も言えないことを理解しているのか、しばし沈黙の後、端末へ向き直った。

 

一つ、静かに息を深く吸う。

まだ、動くときではない。

まだ、動くべきではない。

 

雅にできることは、今はなにもない。

例えどれだけもどかしい事でも、どれだけ私が不安に駆られようとも、どれだけ心配しようとも、達也の無事を今すぐ確かめる術もなければ、今そうすべきではないことも分かる。

頭では理解しようとするが、心を落ち着けるのは容易ではない。

せめてできることは、静かに無事を祈るだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

達也がその日、自宅に帰ることができたのは、22時を過ぎてのことだった。

食事は済ませてきたため、深雪に帰宅直後から甲斐甲斐しくお茶の世話をされつつ、今日の出撃について説明を行った。

不確定要素も多く、達也の中でまだ全容もつかめていない中では語れることは多くはないが、深雪は無事に戻ってきたことに安堵の表情を滲ませていた。

 

明日の達也は、早朝はいつもどおり八雲との稽古があり、その後には十師族の若手が集まる会議への出席、さらに午後からは四葉家へ深雪も含め招集されており、説明後は珍しく深雪に引き止められることもなく早めに部屋に戻っていた。

制服の上着とネクタイだけ外し、部屋着に着替えもしないままベッドに寝転ぶのは行儀のよいことではないが、肉体的な疲労はともかく、精神的な疲労はある程度感じていた。

 

達也の頭を占めているのは、今日対峙した戦略級魔法のこと。

攻防は一度きり。

だが、攻撃が防げなかった場合の威力は察するに有り余る。

戦略級の名のとおり威力と規模は間違いなく艦隊を壊滅に追い込めるものであり、今回は初手から防ぐことができたが、二度、三度、連発が可能であれば、達也でも現状すべてを防ぎきれるとは断言できない。

 

『トゥマーン・ボンバ』は新ソ連が名称を公開している戦略級魔法であり、その起動式や魔法のプロセスについては公開されていない。

真夜にその魔法の解析の糸口をつかむよう依頼されているため、疲労によりあまり考えがまとまる状況ではないが、明日までに考えずにはいられない。

だが、思考を深めるべく、目を閉じて間もなく、控えめに部屋の扉がノックされ、意識が引き上げられる。

 

ベッドから立ち上がり、扉を開けると、そこには雅が立っていた。

 

「ごめん、休むところだった?」

 

皺の寄った寝具が目に入ったのか、雅は申し訳なさそうに眉を下げる。

 

「いや、大丈夫だ」

 

達也は雅が今日、司波家に来ていたことは知っていた。

心配する深雪に寄り添うためであり、ある程度深雪も落ち着いた後は、達也が帰宅した際もまだ地下で一人稽古をしていたと聞いている。

稽古中には基本的に声をかけないようにしているため、深雪が達也から話を聞いた後に連絡をしたのだろう。

 

「稽古はいいのか?」

「やっぱり集中できなくて、早めに切り上げたの。てっきり新ソ連(あちら)の対応に時間がとられて今日は帰れないかと思っていたから、会えて良かった」

 

汗を流したのか、結っていた髪は背中に流され、白のワンピースパジャマに着替えていた。

深雪がお揃いで贈ったので、司波家に泊まる際には二人仲良く同じ服装で戯れているところを目にすることがある。

春先であるため、同系色の薄手のニットガウンを羽織ってはいるが、普段から日に晒されることのない白い足がレースの裾から覗いている。

寝る前とあれば普段よりゆったりとした服装ではあるが、極端に短いこともない膝丈で、デコルテは見えるにしても胸元が大きく開いているわけでもなければ、透けるような生地でもない。

達也は一瞬、リビングの方が良いものか迷ったものの、そのまま雅を部屋の中へ招き入れた。

 

 

スツールを出すから待ってくれと言う前に、扉が閉まると同時に雅は達也の胸へと飛び込んだ。

あまり、雅らしくはない行動だが、達也からは雅の表情を窺い知ることはできない。

 

「―――二人には心配をかけたな」

 

達也が雅の背中に腕を回すと、同じように雅も達也の背中に手を回した。

大黒竜也として出動を命じられるのも、戦略級魔法と対峙するのも何も初めてのことではない。

 

達也を本当の意味で傷つけられるのは、たった一人しか存在しない。

雅も達也もそう理解している。

胸にどのような不安が渦巻いていようとも雅はそれを口にすることもなく、達也を送り出すだろう。

相手方が本気で攻勢をかけてきたわけではないのだが、今回の魔法規模の大きさでは、心配はないと堂々と言ってのけるには、冗談が過ぎる。

 

触れる体温に、回された背の感覚に、作戦が終了して以降、気を張り詰めていた覚えはないが、ようやく何かが緩む感覚がわかる。

夜よりも濃い艶やかで長い髪に指を通し、耳をなぞり、頬に触れる。

達也に促されて雅が顔を上に向けると、心配と安堵が入り混じりながらも、少しだけ頬を緩ませていた。

 

「おかえりなさい」

「ただいま」

 

ただの挨拶にすぎない言葉にどことなく、むず痒さを感じるのは、雅に対する感情を自覚しても、つい理由を考えてしまう。

義務感からでもなく、使命でも仕事でもない、深雪に対する庇護欲とも異なる感情は達也にはまだ持て余しがちである。手に余りつつも、実際言葉どおり困っているわけではないことも理解している。

しばしの触れ合いは、達也にとっては心地の良いものだ。

 

「明日は雅も早いのだろう」

 

日曜日は授業がないとはいえ、四楓院家の若手が集まって茶会をすると聞いている。

茶会の後には悠が上京している以上、九重神楽の稽古もあるだろう。

雅の日々のスケジュールをすべて達也も把握しているわけではないが、秒単位とはいわないものの予定も詰まっていれば、勉強や稽古など時間をかけて取り組まなければならないことも多い。

 

「今日のことはまた後日。休めるときは休んだほうがいい」

 

実際のところ、達也ならばまだ普段と比べれば時間がある方だ。

だが、たとえ達也と雅が正式な婚約者であり、半同棲のような体裁をとりつつも、あまり男子の部屋に夜も遅い時間にいるのは、よろしくないだろう。決してネグリジェ姿の雅と部屋で二人きりという状況に、何かしらの気まずさを感じているわけではない。

 

「もう少しだけ、だめかな」

 

余り褒められた行動ではないことは雅も分かっているだろうが、普段あまり自分から甘えるようなことを言わない雅の控えめなお願いに達也は首を縦に振ってしまった。

 

 

いつまでも立ったままというのも、間が悪いので、当初の予定どおりスツールを出そうかと達也は一度、雅を抱きしめる腕を解いた。

 

しかし、視界に入ってきた別の物に、悪戯心が沸き上がる。

少しだけ遅くに訪ねてきた雅に対して、忠告の意味もあった。

 

「おいで」

 

達也が選んだのは、自分のベッド。

そこに腰掛けると、雅に隣に座るように促す。

雅はその場で言葉に詰まり、固まってしまう。

 

だが、一緒にいたいと言い出したのは雅だ。

達也が手を差し出すと、小さく息をのみ、躊躇いがちにその手を取った。

エスコートするように重なった手を引き、少し離れて座ろうとする雅の腰を抱き寄せる。

 

状況に気を取られ、緊張した体勢を崩すのは簡単で、座ることはかなわず、ベッドに倒れこんだ雅の上に覆いかぶさる。

重ねた手をそのまま逃げないように左手で指を絡め、ベッドに縫い付ける。

右手は頬に宛がい、顔を逸らさせない。

例え体術が人並み以上に優れていても、達也と雅の体格差であれば、たとえ雅の左手が自由でも利き手ではない片手で瞬時に払いのけることはできない。

 

非難とも制止とも分からない声が聞こえる前に、言葉ごと達也はその唇を奪う。

しばらくは角度を変えながら、子どもじみた重ねるだけの口づけを繰り返す。

戸惑いながらも、雅は素直に達也の行為を受け入れ、行き場のなかった左手は達也のシャツの胸元に皺を作っている。

 

横暴とも言われかねない達也の行動は許されているのか、流されているのか。

都合よく解釈をしつつ、リップ音を立てて一度唇を離す。

 

「ぁ……」

 

名残惜しそうに小さく漏れた声と、すっかり色香を放つ瞳。

焦れるように逸らされた視線を合わせるように、顎を掬う。

雅から白旗は上がらない。

もう少し、と好奇心が疼く。

 

手は重ねたまま、逃げられないその桜色の唇をもう一度奪う。

唇を何度か食むようにして可愛がれば、同じように小さく唇を開け、達也の唇を啄むようにして応える。柔らかな唇を達也の思うままに楽しめば、徐々に荒くなった息に捻じ込むように舌を入れ、再度その唇をふさぐ。

舌を吸い上げ、唇を食み、口内を嬲れば、息をつく合間に上ずった可愛い声が漏れる。

 

薄目で表情を伺えば、羞恥に色づいた頬に仄暗い征服感と少しのばつの悪さを感じる。

少し過ぎた行動だったかと絡めていた指をほどけば、離れてほしくないと強請るように達也の背中に手が回される。

風呂上りの甘い香りと柔い肌、シーツの海に広がる黒い絹糸のような髪。

堪らず漏れる吐息と艶を増す甘い声に、清廉さに反する淫らな口付け。

無意識にせよ、意識的にせよ、どうやら溺れているのは達也だけではないようだ。 

どうぞと差し出されたからには、存分に達也が味わった後、許しを請うように額にも唇を落とす。

 

 

「雅」

 

耳元で囁くようにその名を呼べば、まだ夢の中のような、ぼんやりとして濡れた瞳と視線が交わる。

達也の背には、まだ雅が腕を回し、シャツを握りしめている。

それを無視して起き上がれないわけではないが、とろりと溶けるように(いとけな)く、隠しきれない色香を纏う様子に、このままゆるい拘束に縫い留められていたいという感情もある。

だが達也の思いと異なり、徐々に何をしていたのか、自分がどんな体勢にいるのか理解したのか、雅は手を緩め、口を覆う。

 

「あの、これは、その……」

 

満更でもないどころか、欲深くも雅から求めてしまったような態度を自覚したのか、視線は所在なさげに彷徨い、頬はさらに朱に染まる。

伺うようにちらりと達也を見上げるその目は、達也にどいて欲しいのか、それとも非難の言葉を考えているのか。

言葉がないことを良いことに、達也は少しだけまた雅との距離を詰める。

これ以上は、無理だと言わんばかりに唇を両手で隠す雅の片手をとり、掌に口付ける。

 

「そんなに欲しかったのか」

 

自分の仕掛けた行動を棚に上げ、雅を咎めるように小さく笑う。

音を立てて掌を吸い上げると、悲鳴にも似た小さな声が上がる。

 

「もう許して―――」

 

蚊の鳴くような小さな声に、降参だと雅は手で顔を覆う。

知識としてはこれ以上の行為を知っていたとしても、これで限界だと訴える初心な様子は、いつまでも見ていられそうだったが、達也もさすがに度が過ぎたかと自省する。

 

「すまない。少し()いたな」

 

悪ふざけや悪戯心だけでは説明がつかない。

直接的な戦闘ではなかったが、生死が掛かるとなると肉体的にそういう欲が高まることは生理学的に理解している。

もともと強い情動そのものは白紙化されていたが、達也も欲がないわけではない。

自制心も処理方法も心得ていたはずだが、雅を前に理性的ではなかったことは事実だ。

 

だが、その衝動を雅に押し付けることは間違いだった。

例え許された親しい間柄でも、合意がない行為はただの自己満足だ。

儘ならない厄介な感情に振り回されるのは戦闘への影響が気がかりだが、現段階ではこの衝動は雅に対してしか働かない。ならば、耐え、抑える術はいくらかあると結論付ける。

 

「やっぱり、今日なにか……」

 

あったのか、と問う前に雅は口を噤んだ。

まだ知るべきではないし、聞くべきではないと思ったのだろう。

明日にでもなれば、悠の口から事の顛末は知らされるはずだ。

そしてその魔法の危険性も達也の身に降りかかるであろうことも、その眼が見通すことを雅は知ることを許されている。知らされないことに対する不安も同時に噤んでいる。

 

達也は雅の上から体をずらし、その横へと体を倒した。

雅が一瞬体を固くするが、視線を合わせるように達也のほうに向かって体を横にする。

達也は雅に腕を伸ばす。

その手はなんの障害もなく、雅の背に収まる。

呼吸も鼓動も聞こえそうな距離まで近づき、雅を抱きしめる。

 

「少し、このまま」

 

雅にだけ聞こえるように囁けば、戸惑いなく雅も達也の背に手を回す。

触れるぬくもりの奥に感じる感情の名前を達也はもう知っている。

 

 

 

 







達也「(やわらかい………)」





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動乱の序章編6


ハッピーバースデー トゥ ミー !!


気づけば夏ですよ……
ようやく上下巻の下巻に入りました。
9月には原作が完結の予定だそうです。どうなるのでしょうか……。

茶席の話が出てきますが、知識がほぼありません。数回程度、親戚に倣った程度です(武家茶道)。お見苦しい点があればご指摘いただけたらと思います。


 

4月14日 日曜日

 

魔法協会関東支部で次世代の魔法師の若手が集まって会議をしている間、私たちも太刀川家の所有する敷地を借りて茶会を開いていた。

茶会のためだけに設けられた贅沢な邸宅は広い庭園と高い木々に囲まれ、場所さえ知らされなければここが都内だとは気が付かないだろう。

 

「これほど春風も穏やかなのに、障子をあけて若葉を楽しめないのは少し残念だね」

 

囲むという行為そのものが結界の効果を高めるため、春の心地よい天気なのに、大人数が集まる座敷は、きっちりと障子が閉められている。

茶の香りを味わうため、結界用の香は焚かれていないが、それだけ今日集まって行う話は機密性が高いということだ。

 

「今は八重桜が見ごろですので、お帰りの際には、お目にかけていただけたらと思います」

 

今回は、茶事ではなく、若手のみの簡易な茶会のため、天候と同じく茶室に流れる空気も穏やかだ。

次兄の呼び声で集まった会ではあるが、茶会の亭主は太刀川家の長男の太郎さんが勤めている。

席順は、正客に次兄、次客に私、続いて祈子さん、真さん、柚彦君、燈ちゃんが並び、末席に太刀川家の次郎さんが続く。

 

「ひとまず、進学おめでとう」

「ありがとうございます」

 

兄の問いかけに、柚彦君が静かに頭を下げる。

出雲にある六高を卒業した柚彦君は、この春から魔法科大学の大学生となったことで、居所を東京に移している。

 

「話を聞く限りでは、カリキュラムは高校より厳しいと聞くけれど、どうだい?」

「何とか」

 

柚彦君が首を縦に振る。

いつもどおり言葉は少ないが、付き合いの長い人ばかりなので彼が言いたいことは理解している。

 

「キツネがちょっかいかけてへん?」

 

やや心配そうに燈ちゃんが身を乗り出して聞いた。

キツネというと、おそらく芦谷家の長男のことだろう。彼も今年、魔法科大学に入学したと聞いている。

 

「専攻が違うからね。それに彼は華があるから」

「欲しい花は手に届かんけどな」

 

燈ちゃんは揶揄うように笑いかけた。

欲しい花といわれても、応じようもないので、私は分かりやすくため息をつく。

彼の妹であり、今年第一高校に入学した玲奈さんからも三人で一緒にお茶でもどうかと誘われたが、今のところ予定が合わず持ち越ししている。

燈ちゃんも分かってやっているので、スマンなと気軽に謝罪を入れる。

 

「ユズ君、あんまし人付き合い得意やないけど、ハル君に占ってもらわんで大丈夫?」

 

燈ちゃんの言葉に慌てて柚彦君は首を振る。

次兄の占いというより、預言めいた千里眼は未来を見通すことに長けている。

同じ千里眼でも父は現在の状況を広く深く探ることに特化しており、祖父は因果を辿ることに長けているという。

ちょっとした一言でもよくよく思い返せば、あれは見えていたのだろうと言わざるを得ないことが兄の言動には多い。

 

「そうだね。それほど悪い兆しは見えないね」

 

次兄の言葉に柚彦君はひとまず緊張で上がっていた肩を下した。

 

「ただ、仏の顔も三度までとはいうものの、一度目で三面六臂に当たるとどうなるのだろうね」

 

だがすぐに続けられた兄の言葉で顔を青くしていた。

 

「修羅場だろ」

「三つ指ついて、三拝九拝」

「三十六計逃げるに如かず」

 

上から順に、真さん、太郎さん、次郎さんの順に答えた。

 

「おやおや、君子三戒に触れるようなことでも起こるのかな」

 

祈子さんが楽しそうに笑みを深めると、比例するように柚彦君の顔から色が引いていく。

三面六臂とは、通常ならば一人で数人分の働きをすることや一人で多方面に活躍することを意味するが、三面六臂で想像されるのは阿修羅のことだ。

阿修羅と帝釈天(たいしゃくてん)との争いが行われたとされる場所が修羅場であり、君子三戒とは青年期の色欲、壮年期の闘争欲、老人期の物欲を戒めよという教えであり、それぞれ日常では使わないような単語を並べつつ痴情のもつれに気をつけよという解釈をしたようだ。

柚彦君が女性関係のトラブルを抱えるとは思わないが、魔法科大学は出産・育児による休学が珍しくない所だ。高校と比べれば人間関係も開放的になりやすいというし、皆の予想通り男女の修羅場を迎える可能性がないとは言えないだろう。

だが、それはそれで悪い兆しは見えないということと矛盾するとなると、解釈のほうが異なるのだろうか。

 

「さて、お祝い事と言えば燈ちゃんも、こちらへようこそ」

 

次兄はこれ以上、柚彦君の占いについて言葉を重ねるつもりはないようで、燈ちゃんに話を振った。

 

「余裕やで、と言いたいところやけど、なんかほんま半分くらい持ってかれた気がするな」

 

燈ちゃんもこの春、ここにいる皆と同じく名を授かった。

四楓院に連なる者が名を授かる場合、おおよそ成人までに授かることが多いが、資質があると当主が判断すれば、彼の方にお目見えするのに年齢の下限はない。

私は16の誕生日の頃だったが、次兄など10を超えたばかりの頃に名を授かったというから身内ながら恐ろしい。

 

「名は何を?」

「【(ひきり)】や」

「それは縁起の良い」

 

太郎さんは、鷹揚に頷いた。

(ひきり)とは、火鑽りや火切りともいい、火を(おこ)す事や火おこしのその道具などを指す。

神道や仏教では、火は神聖なものとされ、神事に用いられる火を熾すことや、熾す行為そのものが神事となっている。

火打石で切火(きりび)をするのも、清めの一種であり、民間でも花柳界などではその風習はまだ残っている。

その名を授かったからには戦いの火ぶたを先頭で切るような火付け役、文字通り切り込み隊長といったところだろう。

 

「名前分の働きはさせてもらうわ。それより、今日はお祝い事よりみんなハル君に聞きたいことがあるんとちゃう?」

 

燈ちゃんの言葉に、茶室の空気が冬のように張り詰める。

 

「―――そうだね。その話をしようか」

 

兄がゆるりと目を伏せた。

 

「大黒天が動いたんだろう」

 

祈子さんが私と兄の表情を伺いながら問う。

あくまで確認だが、この茶室にいる者には、既に何が起きたかということが大抵把握している。

あれほどの大きな魔法の行使となれば、いくら軍事的な情報を制限しようとも、勘のいい魔法師ならば1000kmの距離があろうが、何があったのか想像するのは難くない。

 

「あちらも星を観測したようだよ。ただ誰かという確信にはまだ至っていないだろう」

「時間の問題ですか」

 

魔法を使うこと、魔法を観察されること、というのは表裏一体だ。情報の次元から完全に魔法の使用の痕跡を消すことは難しい。

ましてや優秀な魔法師ともなれば、相手がどんな魔法を使うのか些細な波の揺らめきから予測したうえで対抗魔法を使用することもある。

術式や効果が明言されていない魔法でも、情報の次元に残る痕跡から使用者に当たりをつけることだって可能だ。

先般使用された魔法が大亜連合の基地を破壊した攻撃と同様の物と察するくらいの魔法師が、あの国にはいてもおかしくない。

 

「およその魔法そのものもそうだし、使い手に関しても当たりはつけてきているんじゃないかな。まあ、あちらも、中々不愉快な術を使用しているようだけどね」

「さすがに外の国まで見るのは難しいのでは」

「縁をたどれば、ある程度はね」

 

太郎さんの問いかけに、兄は陽気に片目を開いてみせた。

私たちの力は彼の方の加護と庇護のもとに与えられたものであり、名は(えにし)であり、(しゅ)である。

この力の及ぶ範囲はおよそ国土と同等の距離、大きさであるため、いくら千里眼でも国外のことを見通すことは難しいとされている。今回は領海の直前、さらに達也と接敵したことの縁を辿って行ったようだ。

 

「観測されたとなると、雅ちゃんの護衛はどないする?」

 

魔法から達也の身元まで到達されることが見込まれるなら、達也本人は元より私や深雪にも手が伸びてくると考えるのは妥当だ。あるいは学校の友人も含まれるかもしれない。

学内はまだ入りにくいだろうが、登下校もあれば稽古事の行き帰り、どうしても私一人で行動する時間は出てくる。

また、達也がそうであるようにあちらも長距離での魔法発動ができないとは限らない。

魔法師の距離とはすなわちイメージの距離である。そこにその魔法を発動させると強くイメージし、衛星などを用いた現実的な観測を用いれば、地球の裏側だって狙える。

誰かと一緒だから安全とは、断言できないのだ。

 

「今のところは現状維持。あちらも直接攻撃はまだ仕掛けてこないだろう。もう少しキナ臭くなったら、家から人をやるからそのつもりでいるように」

「分かりました」

 

余り警戒しすぎて早々に相手に尻尾を見せる機会を作るつもりはないという腹積もりだ。

ひとまずは何かが起こったところで、私だけで対処できるような規模のことしか起こらないとみるべきだろう。

 

 

「あ!忘れとった。お祝い事と言ったら、ハル君とミヤちゃんもやな」

 

暗い話を断ち切るように、燈ちゃんが話題を変えた。

まだ話の途中だったが、次兄はにこやかに笑っている。

 

「ありがとう、燈ちゃん」

 

兄に続けて私も礼を述べる。

 

「雅ちゃんはともかく、悠さんがまさかあの四葉のお嬢さんとは、寝耳に水よね」

「有力は築島か舞鶴か、大穴で二木のお嬢さんと芦屋の嬢ちゃんって予想はあったから、老人会は大慌てだったぞ」

「驚かせたのは謝るよ」

 

次郎さんと真さんは大げさに顔を見合わせて肩をすくめて見せた。

次兄の結婚については正式に発表されるまで様々な憶測が飛んでいた。遠縁の親戚筋から陰陽系の名家、はたまた研究所出身の家々など、地元遠方問わず、縁談は舞い込んできていた。

それが兄妹そろって四葉家と縁付くとなれば、衝撃も混乱も大きかったのだろう。

 

「未だに二木と芦屋はそれぞれ売り込んできてんやろ」

「丁重にお断りは差し上げたんだけれど、中々ご理解いただけないようでね。横浜でもあんまり面白くない話をしているみたいだから」

「横浜っていうと、十師族の若手会議やな」

 

今日の集まりは、確か趣旨としては十師族の直系の次世代の若手魔法師が集まって自由な意見交換会と聞いている。

集まりの趣旨は平和的に思えるが笑顔のまま目の奥はどろりと暗い。兄が静かに怒る様子に何か不穏な話でも出たのだろうか。

 

「雅ちゃん、深雪嬢は留守にしても大黒天は出ているんだろう」

 

祈子さんが面白そうに口の端を釣り上げている。

 

「ええ。達也だけ出席と聞いています。午前中だけの予定なので、そろそろ会場を後にしているのではないですか」

「そうだね。達也はいい意味で場の空気を気にしないでくれるから、助かるよ」

「その口ぶりだと、会議で達也が何かしたように聞こえますが」

 

達也は別に場の空気というものが読めないわけではない。

ただ一つのことを除き、達也は理性的かつ理論的に物事を説明する。

場面に応じた言葉の使い分けも理知的であれば、自分の発言が意図した結果に対する周りの反感も瞬時に導き出せるほど機転もある。

 

「本人の意思も確認せず面白くない意見が出たから、年上の面子ごと説き伏せて顰蹙(ひんしゅく)をかったくらいのことだから」

「深雪絡みですね」

 

案の定、達也にとって唯一無視できない範囲の事柄だったようだ。

達也は他人の評価を気にしない。他人から嫌われることを歯牙にもかけない。

それは、達也にとって他人とは深雪以外のその他であり、その者からの評価がどうなろうと深雪に対して害にならなければ響きもしない。

だから達也は自分の発言が相手に反感を抱かせると分かっていても、微細な表情を読み取り、発言の裏の糸まで読めていても、必要だと思えば真っ向から否を突き付ける。

 

「一応趣旨としては、昨今の魔法師排斥運動に対する意見交換が話の筋だけれど、裏向きには体のいい身代わり探しといったところかな」

「批判の矛先を魔法師全体から個人攻撃に的を絞らせるってことか」

「胸糞悪」

 

真さんと燈ちゃんが顔をしかめながら、吐き出した。

 

「その意味合いもあるだろうし、広告塔の押し付けかな。魔法師の世間に対する貢献の喧伝に使いたいようだけれど、無理な話だね」

 

この魔法師であるか否かということは、CADの携帯の有無を除けば一見しただけではわからない。

持っているのは実践に耐えられるレベルでいえば、およそ1万人に一人。

魔法師は正当な理由がない限り公共の場所での使用は法律で禁止されているものの、常にCADの所持していてもそれ自体に違法性はなく、使うまでは記録に残らない。

しかも魔法師は所得階層を比べるとそうでない者に比べて、高給取りであるとされている。

そんな中で、魔法は安全に運用されています。

魔法は日々こんなことに役立っています、平和のために社会のために魔法師は働いていますと話す美少女がいたとする。

それを文字どおり万人が納得し、万人に対して共感を得られるかというとそうではない。

視線や注目を集める広告効果は高くても必ず、妄執にとらわれた反発的な意見が出てくるはずだ。

それは1万人に一人という国内にいる多数ではなく、広告塔たる美少女へと非難も批判の目も殺意の目も向く。 

 

「今日の会議で何かしら提案されても、魔法協会に関しても十師族間においても、なんら決定権はないんですよね」

「その前提で進められても、多くは場の雰囲気を読むだろう」

 

要するに魔法師が意見を発するときの広告塔のような的な役割を深雪に押し付けたかったのだろう。

好意を向けられたからと言って、相手からも好意が返ってくるわけではない。強い求心力や発言力は、その力を持つがゆえに嫉妬となって反発心も大きくなりやすい。

それこそこちらがいくら理論建てて説明を重ねたところで、狂信的な妄信はそもそも聞く耳すら持たない。深雪がそんな危険な目にあうことを達也が許容するわけがない。

 

「自由意見と言いつつ十師族の当主もしくは、次期当主候補などが参加している以上、師族会議の代理論争の場だよ。当主が会議で出た意見を聞かないわけじゃないから、ここで何かしらの意見が合意されれば師族会議への影響がでるだろうね」

 

むしろ若者の意見を取り入れたとして、格好のアピールになるね。と次兄は付け加えた。

 

「それをぶち壊したんやな」

「さすが破壊神シヴァ」

「雅ちゃん、苦労しそうな旦那を持ったわね」

 

生暖かい視線とにまにまと口元が緩んでいる顔が私の方を向いている。

 

「まあ、悪者になってみせることでだまし討ちに近い主催の顔を立ててあげたから、空気を全く読んでないわけではないのが、達也の不器用なところだよね」

 

幼子が悪戯でもしたかのように仕方ない、仕方ないとでも言いたげに、兄は喉の奥で笑っている。

 

「反感を買ったままでは四葉家は、他の二十七家のことなど気にしないという意思表示にも取れませんか」

「というより実際そうだね」

 

太郎さんの言葉を次兄は間髪入れずに肯定する。

 

「おいおい。冗談じゃあない。その状況で悠君と雅ちゃんの婚約があるなら、古式魔法師と四葉が手を組んで十師族体制の転覆とか言われかねないってことかい」

 

祈子さんが軽口を聞きながらも、眼鏡の奥は真剣だ。  

 

「九島と疎遠に思われているのも厄介ですね」

「さすがにそれは邪推やと思うけど」

 

下火にはなっているが、伝統派が大亜連合の亡命術師と組んで、日本国内でテロ活動を起こし、魔法師にも一般人にも犠牲を出したことは記憶に新しい。

日本の魔法師は、名目上は十師族を頂点にした二十八の家々が取りまとめており、数字付きの家でなくても何らかの形で組織に組み込まれている。

四葉は元々頭一つ抜けているといわれる力があるが、そこに九重を中心とした神道系の古式魔法師が支援に回るとなると、現在の体制を崩しかねないと憂慮することも考えられなくはない。

 

「七草あたりは、四葉に対しての執着も強いからね。何らかのアプローチはあるだろう。ただ、四楓院の方針はいつも同じだ」

 

 

彼の方が御座しますその所まで。

私たちの導かれる先は決まっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4月15日(月)

世間では、魔法師の若手会議が開かれようとも早々日常が変わるわけでもなく、第一高校は放課後の時間を迎えていた。

部活終わりのレオはカフェで小腹を満たすためにサンドイッチを注文し、席を探していた。

それほど混んでいたわけではないが物思いにふけったような顔で席に座る一年生の矢車侍郎を見かけ、相席することとなった。

 

3年生のレオと1年生の侍郎の関係はというと、エリカにしごかれている同士だ。

兄弟弟子というわけではなく、千葉家門下生でもない二人は、あくまでエリカが私的に稽古をつけているに過ぎない。

昨日の千葉家の道場の訓練も苛烈だったが、今日も揉まれたのか怪我こそないものの侍郎には消耗が伺えた。

 

「ありがたいことです。俺みたいな未熟者のために、自分の稽古の時間もあるのに時間を割いていただいて」

「気にすることはないと思うぜ。あいつも好きでやってんだろうからさ」

「そのとおりだけれど、アンタに言われるとむかつく」

「おわっ!?」

 

噂話をしていたところに、本人から声を掛けられ、レオは思わず椅子から腰を浮かせる。

忍者のように気配を消し、足音を立てずに忍び寄ってきたのは性が悪いが、正面から見えていただろう侍郎もレオと同じ顔で驚いていた。

その後、美月と幹比古も合流し、下校前にしては馴染みの顔が揃っていた。

 

「ミキ、こんなところで風紀委員長様が油を売ってていいわけ?」

「下校前の一服くらいいいじゃないか」

 

さぼりのような行為を後ろめたいというより、それほど状況自体がひっ迫していないような軽い口調だった。

 

「おっ、余裕だね。春の修羅場たる新歓時期にだっていうのに」

「今年は例年に比べてトラブルも少ないからね。僕たちも楽をさせてもらっているよ」

「そうなんですか?」

 

美月は部室で部員が連れてきた新入生の入部希望者の受付をしているので、チラシ配りや勧誘を認められている場所での騒動を今年は目にしていない。

例年、新歓の時期に限り所定の場所以外での魔法使用もデモンストレーションとして認められているため、魔法を使ったトラブルもあり、各部活の熱の入った歓迎作戦は時に学生同士の衝突にもつながる。

魔法を使った私闘は当然禁止されているため、風紀委員会、生徒会、部活連執行部が違反者対策に定期的に校内を巡回している。

 

「それは深雪の御威光じゃない。たとえ四葉の名前がなくても新入生には入学式でただ者じゃないって分かっただろうから」

「それと達也が目を光らせているからじゃないか。二三年も達也が来るとどんなに羽目外してても、視線がそっちに向くんだよね」

 

エリカは人の悪い笑みを浮かべ、幹比古は思わず苦笑いを浮かべながら答えた。

確かに、達也は入学1年目に二科生でありながら風紀委員に選ばれたこともあり注目はされていたが、その並外れた頭脳と魔法工学技師としてのテクニック、加えて四葉という名前がついていまわるようになってからは、まだ親しい友人以外からの距離は遠い。何もしていなくても背筋が伸びたことがあるのは、なにも新歓に熱を入れる2,3年生だけではないはずだ。

さらに今年の生徒会長はその達也の妹であり、Aランク相当の魔法師が使用する魔法をまるで息をするように使用し、神様の気まぐれか悪魔の策謀としか思えない美貌を持った完全無欠の美少女である。そんな彼女が敬愛してやまない兄と義姉の手を煩わせるようなことになったら、どうなるか2、3年生は重々承知している。

 

「達也さん、別に怖い人じゃないと思うんですけど……」

 

美月が控えめにフォローを入れると、幹比古もそれに頷く。

 

「達也は別に威圧的な態度をとっているわけじゃないんだけど、なんて言いうか存在感が無視できないっていうのか、一目置かれている感じだよね」

「司波先輩ってどんな人なんですか」

 

食事も飲み物も手元にはなく、完全に席を離れるタイミングを逃した侍郎は、上級生たちの会話に入るつもりはなかったが、思わず口から言葉が出ていた。

侍郎は入学式の日に達也に伸されたことを恨んではいない。

詩奈にも釘を刺されたが、心配だからと言って学内の機密にも触れる生徒会室への盗聴行為は褒められたものでは当然なく、侍郎は自分の実力もわきまえていた。

きちんとした婚約者がいるので、達也に関してそういった方面での心配はしていないが、単純に詩奈の近くにいる男子生徒が気になっていた。

 

「優秀だよ。知識も魔法工学技師としての技術も大学レベルを超えていると思う」

「強いわ。学校でやる実技は規模も威力も大したことないけれど、実戦になれば強い。それにまだ底知れない力を隠している気がする」

「達也の強さは魔法だけじゃないな。俺も腕っぷしには自信があるが、達也とやり合うのは御免だ。立っていられる気がしないぜ」

「あの、本当に怖い人じゃありませんよ。紳士的で横暴なところもありませんし、理知的です」

 

幹比古、エリカ、レオの順に答えたが、あまりにも物騒な紹介に戸惑いながら美月がフォローを入れた。

 

「でも矢車君が聞きたいのは、そういったことじゃないですよね?何を聞きたいんですか?」

 

そう問われて困ったのは侍郎の方だった。

この質問が返ってくるとは思っていなかったのもあるが、なぜ自分がこの質問をしたのかすらよくわかっていなかった。

注目されているから、四葉の関係者だからと単純な興味とも片付けられない。それほど自分が社交的ではいことは分かっている。

 

 

「性格や気性が知りたいなら、何を優先すべきか迷わない人よ」

 

エリカは自分で思ったより起伏のない声になっていることに気づいた。

 

「自分の中で優先順位が決まっていて、泣き叫ぼうが、脅されようが、色仕掛けだろうが、何をされようが動かない。ある意味で誰より信頼できて、誰よりも薄情な男だわ」

 

レオと幹比古も思わずエリカの言葉にすっと熱が引いたようだった。

達也が多少自分に向けられる好意的な視線に対して鈍い面があることは理解しているが、幹比古もレオも達也を信用しているし、信頼している。

達也の腹の内でどう思っていようが、幹比古もレオもそれは変わらない。

打算的に寄り添う家の名前の威光ではなく、積み重ねた日々の中で友人と名乗れることを誇りに思っている。そう思ってはいても、エリカの言葉は身に染みるものがあった。

 

「達也君の優先順位は深雪。その次に雅。これは動かせない事実よ」

 

婚約者より妹が上なのかと、侍郎は一瞬口にしかけたが、自分もいざというとき詩奈と家族と二人に一人と問われればどちらを選ぶとは答えられない。

家族も護衛という立場を分かって詩奈を選ぶことになったとしても、即断できるわけではないし、おそらく一生後悔する。

その順位が決まっていて、友人たちも自分たちがその時になるなら迷わず切り捨てられることは理解している。

 

「なに、そんな怖い顔して。あそこは特殊。雅も達也君がそうあることを肯定して、婚約者なんて立場を17年もやっているんだから。それにああ見えて、達也君はちゃんと愛妻家よ」

「あいさいか」

 

静かな声から一転、カラカラと明るい声に侍郎はオウム返しにエリカと同じ単語を発したが、言葉の意味は理解できても、認識が追い付いていなかった。

さきほどまで淡々と友人より婚約者より妹が最優先と述べ、冷徹な像をイメージしていたので愛妻家という事実が結びつかなかった。

 

「意外?」

「悪い関係には見えませんが、政略的な割り切った関係とばかり」

 

達也と雅の二人を侍郎が見かけたことはそれほど多くない。

伝え聞いた話では、生まれて以来の婚約者であり、四葉家内での達也の立場を確固たるものにするために歴史のある古式魔法師の九重の直系から嫁入りさせることが決まったと聞いている。もしくは古くから用いられた人質のようなもので、次期当主の妹がそれぞれ双方に嫁ぐとなれば、互いの動きの把握も牽制もできる。

これで四葉はまた一つ十師族の中では抜き出た格好になり、国内の魔法師の勢力図も大きく書き換わる。

大人の恣意的な事情に無理やり振り回されているとも言えなくはないが、侍郎は恋愛の自由がないなんてと声高に叫ぶような子どもではない。

それに詩奈の護衛をしていた関係で、大人と関わる世界に早めに足を踏み入れた侍郎は恋愛結婚した男女の泥沼も耳にしていたため、事情があっても、納得して婚約してそれなりに良い関係ならば外野がとやかく言うことではないと理解している。

 

「所構わず砂糖振りまくバカップルって感じじゃないもんね。付き合い長すぎて、一周回って既に夫婦って感じかしら」

「はあ…」

 

エリカが楽しそうに語っているが、侍郎の口から出るのはどこか煮え切らない返事ばかりだ。

 

「私もそう思います。達也さんって雅さんの前だと柔らかいというか、雰囲気違いますよね」

 

女子二人のなんだかキラキラと光る色が舞うような会話に、男子二人にも顔を向けてみる。

もしかして侍郎が思う以上に、2年間友人として過ごしたなら華々しい恋愛エピソードを見聞きしているのだろうか。

確かに九重雅は侍郎の目からみても、美しい人だと思う。

ただ容姿が整っているだけなら五万といるだろうが、指先まで行き届いた所作とブレることのない姿勢、血の気の多い部活連をまとめる才能も有れば、魔法師としての技能も一級。

凛とした涼やかな雰囲気に、神々しい美貌に近寄りがたい生徒会長とくらべてもゆるく微笑んだ姿は人当たりが良さそうに見える。

神楽をしているからか、すらりとした手足ながら女性らしい曲線に、艶のある黒髪。

髪をあげている後ろ姿に、白い項に視線がいったことがあるのは何も侍郎だけではない。事実、同性である詩奈ですら羨ましそうに見ていたことを知っている。

 

「あー。なんつーか、深雪さんは背中に回して自分の後ろに置いて守っておきたい、雅さんは手の届く隣にいながらも腕の中にしまっておきたい、って感じか」

「ずいぶんとポエミーなこと。録音しておけばよかった」

「うるせえ」

 

エリカがニマニマと鼻で笑うが、レオも自覚があったのか乱暴な言葉で言い返すしかできない。

若干顔が赤くなっている気がするが、侍郎はそれを指摘しないだけの敬意はレオに持っていた。

 

「そうだな。僕はレオみたいにロマンチックな表現はできないけど、かなり難しい縁談が奇跡的にまとまっているのは確かだよ。珍しく、エリカの愛妻家っていう表現には同意するよ」

 

幹比古がレオの発言に本当に心惹かれているわけではなく、勿論冷やかしだ。

ただ、神道系に属する吉田家の人間としてはもう少し人より現実的な面を知っている。表では祝いの言葉を述べながらもその裏で反発意見も聞いているため、よく達也は雅をつなぎとめていると思っているし、あんなに溺愛している深雪さんの嫁入りを認めたなとなんだか友人ながら感慨深いを抱いている。

 

十師族がいくら日本の魔法師のシステムの頂点にあり、軍部や政財界とも深い繋がりがあったとしても、国の中で見ればまだまだ新興の家々だ。

達也は条件だけ見れば、雅より反発の少ない相手、それこそ七草家だとか、それこそ同級生の恋する彼女であっても良い。

深雪さんにしても一条家が婿を出しても良いというくらい、この九重と四葉の二組の結婚は国内の魔法師のパワーバランスを崩しかねない。

それでもこの春の穏やかな季節のように、達也と雅の関係は絆ともいえる何かがあるようで、薄く色づく桜から見上げた木漏れ日のように眩しいもののようだった。

 

 

「雅と言えば、侍郎。あんた気をつけなさいよ」

 

エリカは声のトーンを落とし、真剣な目つきで侍郎に忠告した。

突如として剣呑な雰囲気に侍郎はこの頃の稽古が思い出されて、無意識に鳥肌が立つ。エリカの剣呑とした視線に口の中が急速に乾いていくようだった。

 

「いい。この学校で今、一番の人誑しなイケメンは雅よ」

 

言い聞かせるようにしながらも、エリカの口端は吊りあがっていた。

 

「人誑しなイケメン」

 

再度、侍郎はオウム返しにエリカと同じ単語を口にする。

今度もまた言葉にしてみたものの、意味を処理するまでに時間を要した。

 

「そう。詩奈なんかペロっと食べられちゃうんだから」

 

人誑しとはどういった意味だろうか。

まさか、達也という婚約者がいながらあの清廉な顔をして他にも恋心を向けているとは考えにくい。

九重家は保守的な家柄であり、その直系ともなれば箱入りの姫君と変わりない。高校生で親元を離れる許可があっても、聡明な彼女が政治的に危うい橋を渡るとも思えない。

まさかたまたま耳にした義理の妹と禁断の白い百合を育てている噂というのが事実なのだろうか。

 

「おいおい、そりゃ雅さんの人気は分かるが、盛りすぎじゃないか」

「じゃあ2年続けて学年で一番チョコをもらっているのは誰?男装した姿に上級生下級生問わず女子生徒を沼に落とし込んだお姉様は?その上、締めるところはきっちり締めるけど、基本的に女子に甘々よ。さっき深雪と達也の威光と存在感が無視できないって言ってたけど、雅は砂漠のオアシスって言ったところね」

 

確かに、侍郎も司波兄妹のどちらかまたは雅と会話したり、なにか同じ空間にいなければならないならば、圧倒的に九重雅がまだよいといえる。

いや、でも詩奈はまだ知り合ったばかりで部活連と生徒会では接点もあまりない、いや司波兄妹がいるなら彼女も遊びに来る可能性も十二分にあるし、だがペロッと食べるとはどういう意味だと、侍郎は混乱の中にいた。

 

「そういえば、この前、ちょっと1年生が新歓でもみくちゃにされていた時見たんですけど」

 

内心慌てふためく侍郎など気にも留めずに思い出したように、美月が話を始めた。

 

「運動部かなにかの新歓に参加していたのか、動きやすいように1年生がネクタイを外していたんですね。でも新入生だと中々結びなれない子もいるみたいで、四苦八苦していたみたいで」

「大体読めたわ」

 

エリカが頬杖をついて、ニマニマと笑っている。

 

「雅さんが結びなおしてあげていたんですよね。終わった後、女の子の顔が赤かったのは、運動後だったということにしておきましょうか」

「早くも新入生に犠牲者が出てしまったようね」

「侍郎、用心するんだな」

 

レオから背中をバシバシと何度か叩かれても、侍郎はやはりしっくりとしなかった。

しかし、彼はすぐさまその言葉が新入生へのからかいではないことを理解させられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「詩奈、その髪どうしたんだ?」

「どうしたんだはヒドイよ侍郎君」

 

詩奈から連絡をもらった侍郎は先輩四人と別れ、待ち合わせをしていた校門近くで思わず足を止めた。

 

「あ、いや。ごめん。その……似合ってる」

 

ぷりぷりと頬を膨らませそうな勢いだった詩奈の顔に笑みが浮かぶ。

詩奈は癖毛だ。

ふわふわとした茶色の髪は、光に当たるとそこだけ暖かそうに艶めき、本人の顔立ちも相まって可愛らしさの一助となっている。

だが、詩奈本人は黒いストレートの髪に憧れがあるようで、雨の日など恨めしそうに鏡と格闘していた。

普段はふわふわでくるくるとした自然な髪のうねりをそのままにしていることが多く、時々兄姉や友人からもらったヘアアクセサリーで飾る程度で、あまりヘアアレンジに頓着がない。

くせが強すぎて本人も半ば諦めているところがあるが、そんな事情を知っているがために侍郎の声掛けはデリカシーのないものになってしまったのだ。

 

「ありがとう。今日は外の部活動の見回りだったんだけど、風が強いでしょう。九重先輩に結んでもらったの。手持ちの髪留めで、あっという間に整えてもらって、崩すのがもったいなくてそのままにしちゃった」

 

ゆるい癖の髪は、侍郎からみてもよくわからない複雑な編み方がされて、頭の低い位置でまとめられている。

動きやすさのためにまとめたのだろうが、控えめな三連のパールのヘアアクセサリーで飾られた詩奈は幼馴染であるはずの侍郎でさえときめく可愛さだった。

詩奈も浮き足だっているが、首周りの髪がないとこうも印象が違うのかと内心ドギマギしながらも、思い出されるのは先ほどのエリカの言葉だ。

 

「手遅れだったか…………」

「手遅れ?侍郎君、ねえどういうこと?」

 

頭を抱える侍郎に詩奈は当然首をかしげるのだった。

 




マリア様は見ていない。

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オリキャラが多かったので、登場人物など紹介
●九重家親戚筋

錦織 柚彦(にしこおり ゆずひこ)
魔法科大学1年生(六高出身)
あまり口数は多くない青年。
雅の義兄。雅の長兄と柚彦の姉の婚姻に伴う義兄妹。

香々地 燈(かかぢ あかり)
第二高校3年。雅の小学校から中学までの同級生。
小柄だが、格闘技に優れている。

行橋 祈子(ゆくはし きこ)
魔法科大学2年(第一高校OG)
雅が所属する図書・古典部の先々代部長。
図書の魔女と呼ばれ、古今東西書物に記載された古典魔法の解析を得意としている。

梅木 真(うめき まこと)
魔法科大学2年(九高出身)
雅と悠からみ続柄は従兄(父同士が兄弟)
背は平均的だが、がっちりとした体格

太刀川 太郎(たちかわ たろう)
名前だけ出てきていたが、今回初登場
春日神社の跡取り
195㎝の長身だが、意外と体つきは筋肉質。
おっとりとした口調で、流行には疎い。
雅の図書・古典部の後輩である太刀川 由紀(たちかわ よしのり)の義理の兄その1

太刀川 次郎(たちかわ じろう)
同じく名前だけ出てきていたが、今回初登場
名前のとおり太郎の弟
190㎝の長身で優男風な顔立ちだが、九重神楽の舞手であり超筋肉質。
身長はあっても、女を演じて違和感を抱かせない表現力の持ち主。
雅の図書・古典部の後輩である太刀川 由紀(たちかわ よしのり)の義理の兄その2


築島(つきしま)
九重家の親戚筋の一つ。
築島 小夜子という少女がいるが、真夜にそっくりな見た目をしている。雅いわく、血縁はないというが……

舞鶴家
九重家の親戚筋の一つ
かつて雅と舞姫の座を張り合って選ばれなかった舞鶴 円花(まどか)と次期舞姫候補の桃花(とうか)の姉妹のいる家。


●その他
芦屋 充(あしや みつる)
魔法科大学1年(二高出身)
陰陽系古式魔法師の名家である芦屋家次期当主。
長年雅に婚約を持ち掛けてきている達也の恋敵。

芦屋 玲奈(あしや れな)
第一高校1年
芦屋充の妹。
雅とは中学の先輩後輩。
雅の神楽のファンであり、雅を「お姉様」と呼んでいる。



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動乱の序章編7

お久しぶりです。
干上がりながらですが、なんとか水面で息してます。

引っ越しだとか、私的なことでバタバタしていました。
二次創作を読む体力はあっても、書く体力は落ちているなあという感じです。ぼちぼちリハビリしながら書いていきたいです。


気づけば来訪者編のアニメが終わり、魔法科高校の優等生が始まるようです。お兄様の人気はとどまることを知りませんね


いただいた、感想、脱字はすべて拝見しています。
続きが読みたいと待っていてくださった皆様、ありがとうございます。
あんまりイチャイチャさせられてません( ˘ω˘ )




 

火曜日

 

雅と達也はこの日も九重寺で組手の鍛錬を受けていた。

最近こそ達也が勝ち越すことが多くなったとはいえ、雅相手の組手ともなれば達也でも何度も余裕のない攻防が繰り返される。

 

単純な腕力や体力だけで言えば達也に軍配が上がるが、発動速度と瞬きをするほど自然で違和感のない古式魔法の幻惑が織り交ぜられれば、達也でも後手にならざるを得ないこともある。

4月の涼しい早朝とはいえ、二人とも終わるころにはトレーニングウエアが汗で重くなっていた。

 

「いやはや、熱心で結構」

「恐れ入ります」

 

雅が弟子として丁重に八雲に一礼するが、八雲も何も無条件に達也と雅の稽古を褒めているわけではない。二人とも実戦さながらの熱心さであれば、打撲の一つや二つ重いものが入っている。

平日ともあれば、達也も雅も学校があるため、この稽古はあくまで調整や日課的な役割を持っている。

それを態々熱心と表現するほど八雲は甘くなく、海千山千の老獪を相手にしてきた雅も殊勝に受け答えしている。

 

「さて、本格的にきな臭いことになりそうだ」

「どちらの方面か伺っても?」

 

達也と深雪は、四葉家の現当主の親族と世間に知られたとしても、あまり個人の立場が強いとは言えない。

名前こそ、十師族の次期当主候補とはついているものの、達也が事実上の次期当主と目されていることに危機感を抱いている分家の親族や使用人は多い。また深雪も研究所出身という、歴史が浅く控えめに表現しても得体の知れないあの四葉家から、国内でも有数の名家である九重家への次期当主へ嫁ぐということに難色を示す者もいる。

 

古式魔法師と新興の研究所出身の魔法師の家々との対立は、かつて結ばれた九重家と九島家の婚姻を期に下火にはなったが、それが再燃しかねないという噂も耳にしている。

基本的に達也は好戦的でも戦闘狂でもないが、深雪や雅にとって脅威であると判断すれば、そこに感情を挟む余地なく、敵対することに迷うことはない。

自ら敵を作りに行く趣味はないが、敵を作ることを厭わないとは評される。結論から言えば、達也は現状、八雲の言葉に心当たりが多すぎた。

 

「軍の情報部が動き出した」

「情報部が?」

 

情報部が陰謀を企むことが仕事のようなものであり、情報部が何かを企てていること自体に、疑問も戸惑いもない。

情報部と言えば、軍における諜報機関を意味するが、単に国内外の脅威の情報収集と排除にとどまらず、当然表立って公表できない非合法的な活動も行っている。

大黒竜也という戦略級魔法師としての位置づけはされているが、それが司波達也とイコールであることが勘づかれた、もしくは何かしらのリークがあった可能性もある。

八雲の情報網の広さに驚かされることはこれが初めてでもないが、八雲が具体的に警告を提示したことに達也は驚きを隠せなかった。

 

「今回は直接君たちを狙ったものではないけれど、その影響は後々厄介ごととなって降りかかってくるだろうね」

「何が起きるかは教えていただけないんですよね」

 

達也は八雲に問いかけてはみたものの、期待はしていなかった。

 

「君が動けば事態は余計に悪化する。君なら阻止できなくはないが、動かない方が賢明だね」

「分かりました。手出しはしません」

「じゃあ、教えてあげよう」

 

薄情な達也の返事に、八雲は人の悪そうな笑みを浮かべた。

 

「今後の対策を立てるためにも心構えは必要だろう。ああ、雅は先に身支度をしてきなさい。いくら情報部でもさすがに花に手を伸ばすことはしないよ」

「分かりました」

「では、達也君はこっちだよ」

 

八雲はそう言って、達也を本堂の奥へと連れて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんばんは、深雪ちゃん」

「こんばんは、悠お兄様、―――悠様」

 

深雪は自宅の部屋で悠とテレビ電話越しに向かい合っていた。

 

「事前にわかっていたとはいえ、無事な姿が見られてうれしいよ」

「悠様から先生にお言付けいただいたのではないのですか」

「さあ、どうだろう。あの人もなかなか眼は広いようだからね」

 

茶目っ気交じりに片目を閉じてみせる悠に深雪は上品に頬を緩ませつつも、内心はかなり舞い上がっていた。

深雪が通っている上流階級向けのスクールに暴漢を装ってその実、洗脳された魔法師が雪崩混んできたのは、非常事態ではあったが、八雲から事前に知らされていたことなので対処できた。

ここで言うところのスクールとは、元々和洋のテーブルマナーやダンス、生け花など淑女教育を行う男性禁制の総合スクールであるため、身分のしっかりとした令嬢ばかり通うところであり、誘拐などの対策も取られていた。

控室には女性の護衛の待機もできるようになっているため水波も控えており、何より騒ぎを知っていた兄が必ず助けてくれることが分かっていたため、襲撃という危機的な状況にさらされても深雪には恐怖を抱くことはなかった。

 

「久しぶりに深雪ちゃんと話せるのに、こんな話題でなんだか申し訳ないね」

「いえ、そんなことはないです。悠様が心配してくださったことは嬉しく思います」

「愛しい人が危険な目にあって、穏やかでいられるほど私は腐ってはいないよ」

 

モニター越しにでもわかってしまうくらい、深雪の頬は赤くなっていた。

通信が始まる30分も前から映りのいい角度はどうだろうか、服装やメイクは見栄えよく仕上がっているか、気が気ではなかったが、そんなことはもう吹き飛んでしまった。

 

嗚呼、なんて狡い。

惚れた方が負けだなんて今までの深雪では理解できなかった言葉が、心に広がる。

かつて雅が達也に対して抱いていたもどかしさと気恥ずかしさと、それと胸を締め付けるような幸福はこんなものだったのだろうかと早まる鼓動は収まる気配を見せない。

心の底から大切な、愛しいものを見るその視線だけで深雪の準備していた淑女の仮面はいとも簡単に解かれてしまう。

 

深雪が狼狽えるのをみて、モニター越しの悠はまた音に出さずに“かわいい”とだけ唇を動かす。

本当に狡い。

なんだか深雪ばかり掌の上で転がされているようで、いつか悠を赤面させるようなことがあるのだろうかと子どもじみた負けん気がのぞいてしまう。

しかもそんな深雪の心の機微などやはり手に取ったように分かっているのか、悠はそういえば、と話を変えた。

 

「あえて達也の逆鱗に触れるようなことをするとは、随分と情報部も大胆な行動に出たものだね」

「情報部の目的は何だったのでしょうか」

「そうだね。強いて言うなら単純に達也の脅威を図りたかったんじゃないかな」

「脅威ですか」

 

深雪の口から出た言葉は思ったよりも堅かった。

達也が四葉家の次期当主候補有力と目されている、もっと正確に世間の評判からは次期四葉家当主としてほぼ内定しているとみられている達也は、単に背負っている名前は一つだけではない。

魔法科高校3年生である司波達也以外にも、天才魔法工学技師トーラス・シルバー、非公開戦略級魔法師大黒竜也としての名も背負っている。

深雪にはどれも誇るべき自慢の兄ではあるが、それを快く思わない者が内外にいることは理解している。

ただ、理解はしていても共感を覚えるどころか、むしろ心中穏やかではいられない。

 

「情報部だからね。対処するのは国家の危機。そのための工作や表向きには違法な調査なんかもお手の物」

「あれだけお兄様の力を当てにしながら、自分たちに歯向かうのではないかと情報部が危険視しているということでしょうか」

「現状、達也の身柄は佐伯少将靡下の一〇一旅団だけど、それはあくまで四葉家と軍の考えが相違しない限りの限定的な協力関係だろう。いくら戦略級魔法が国家の命によって発せられる魔法であったとしても、達也に対しての拘束力はあってないようなものだからね」

 

達也は深雪に嘘はつかないが、あまり軍関係のことを事細かに説明することはない。

職務上の機密というより、達也が情報を取捨選択し、必要な事柄のみ伝えているという方が正しい。

おそらく深雪が強く望めばいかなる情報も開示してくれるだろう。

達也は少なからず旅団を好意的に思ってはいるが、政治の駒にされるようであれば、なんの未練もなくその立場を捨てることは厭わない。

 

「情報部もあくまで達也の心の内まで読めるわけじゃないからね。分からないから恐ろしい、というのは、得てして人間の根幹の感情だ。僕らは達也が必要なく、無意味にその引き金を引くことはないと十分理解しているけれど、その他大勢には個人所有の引き金が存在していること自体が恐怖心を抱かせる。だから調べて、様子を伺って、国のためという大義名分の名のもとに、達也が(はか)られている」

「なんて傲慢な」

 

深雪は思わず膝の上で手を握りしめた。

達也の力を求めながらも、その力が自分の方に向かないのかと穴倉の中からこそこそと伺っているという事実は、深雪の心を乱暴に搔き立てる。

 

「これがもし、達也の婚約者が七草のお嬢さんだとか三矢や二木のお嬢さんであれば、軍部としても多少安心はしたけれど、雅がいるからね。軍部は言うことを聞かせたくとも、雅に取りついて話ができるわけではないから、余計に頭を煮やしているんだろう」

「お姉様が危険にさらされることはないのですか」

「むしろ危ないのは達也だね。ハニートラップが効かないことは分かっても、瑕疵(かし)を達也につけて破談になれば、軍と協力的な家の娘を後釜に据えやすいなんてことくらいは考えてそうだね」

 

画面の向こうの悠は呆れたように頬杖をつきながら息をついた。

確かに家として長い歴史を持つ九重家直系の雅に対して嫌がらせのようなことを行えば、軍部お抱えの政治家や資金提供をしている資産家の方から槍玉にあげられるのが目に見えている。いくら四葉が触れてはいけない者と呼ばれていたとしても、学生の身分と軍にも籍のある達也に対してはまだ干渉しやすい。

 

「ああ、心配しなくても存外、深雪ちゃんが思うよりずっと、雅は達也に執着しているから、その程度の嫌がらせで達也から離れはしないね。執念ともいえるかな」

「お姉さまがお兄様のことを深く思っていらっしゃるのは存じておりますが、いささかお姉さまに対して失礼ではないですか」

「ごめん、ごめん。そう怒らないで」

 

達也も深雪も冗談はさておき互いのことを悪く言うことはないが、悠と雅は互いに軽口程度の皮肉は慣れたものだった。

深雪は口では咎めつつも、愛のある皮肉だと分かってはいるし、何より減らず口の叩き合い自体はそれで一種のコミュニケーションであることは友人たちからも学んでいる。

 

「隠すことは上手いつもりだろうけれど、同じ舞台に上がれば分かってしまうよ」

 

モニター越しの黒い瞳が深雪をとらえる。

深雪とは5つしか年齢の差はないはずなのに、どこか言葉や雰囲気がそれ以上の長さを感じさせる。

100年を超えてもなお生命力に満ち溢れた枝垂桜のような、悠久さを醸し出す声が耳介を振るわす。

 

「あれだけ酷な神楽に雅が打ち込めるのも、単に九重に生まれたからじゃない。無意識にせよ意識的にせよ、雅はいつだって達也の視線を君から奪いたくて、仕方がないんだ」 

 

達也の心から大切に思える者は深雪だけだった。

雅がそれで思い悩むことも、達也が無条件に与えられる愛を素直に受け止められないことも、深雪は見てきた。

達也の魔法力の一部は、深雪の安全のために常時作動している。

深雪が危険にさらされることがないように、現実的な視界とは別に意識下で魔法的な視界の一部を割いている状態だ。

それに対して深雪は監視されているという思いを抱いたことはない。

むしろ兄に守られているという安心感を覚える。

それと同時に一部どころかすべてを深雪ではなく、雅に対して向けてほしいとも思っている。

雅は達也が意識、無意識問わず深雪を第一に動いていることは知っているが、そこに嫉妬を表したことは一度も深雪は知らない。

 

「お兄様は愛されていますね」

 

あの神楽は美しいだけではない。

綺麗な感情だけではない思いを、仮面や化粧の下に隠して、弛まぬ努力と才能の数々が、神をも魅了するものに昇華しているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土曜日

 

達也と深雪、水波は真由美に招待された赤坂の料亭に来ていた。

明らかにこの店の客層とは似つかぬ三人ではあったが、店側も名店らしく笑顔のみ浮かべて三人を部屋まで案内した。

 

「お待たせしてしまいましたか」

「いや、時間どおりだ」

 

室内には、克人のみ座しており、仲介役の真由美の姿はまだなかった。

克人と向かい合うようにして達也が座ると、深雪はその隣に、水波は一人少し外れた畳に正座で足を下した。

 

 

つい先日行われた十師族の若手会に引き続きの対面ではあるが、今回は真由美を介してはいるものの立場上は十文字家の当主である克人が四葉家の代表として達也と深雪を招いたものとされる。

そもそも達也と深雪がいくら真由美のお膳立てとはいえ克人との会談に応じる義務もないが、断る特別な理由もなかった。

呼び出されている理由にも見当がついている。

 

四葉家が十師族体制、つまり現在の魔法師の枠組みから孤立しているのは元々だが、先の会談で達也の態度はいくら若手の集まりとはいえ今後も四葉家はその立ち位置を崩さないと示したと取られている。

大多数の魔法師の幸福や安全より、妹である深雪の安全が守られることが達也にとっては何よりも上位に位置することであり、自身と深雪に敵対するならば、たとえそれがどんなに場の空気をつぶそうが顔見知りであろうと容赦などしない。

 

奇しくも同時刻、第一高校の生徒会室では七草泉美が、達也について他の者に対して配慮する余裕があっても手を貸さないところや、相手が何を感じているのか洞察する力はあっても気を遣わない部分だとか、相手の感情を分析できても必要ないと判断すれば相手の感情をあっさりと無視する冷血漢と称していたが間違いではない。

例外は深雪と雅のみである。

 

深雪を現代魔法師の広告塔にして魔法師の活躍を印象付けたい七草と、批判と中傷の絶好の的となる立場に当主の姪を勝手に推薦されたことに憤る四葉との間で、克人は挟まれていた。

だが、克人としても何も好き好んで板挟みになっているわけではない。

 

日本の魔法師は十師族を頂点にまとまってはいるが、それを快く思わない者がいないわけでもない。

達也にしても一部の界隈では四葉家が九重家との婚姻を足掛かりにして、師族体制を転覆しようともくろんでいるという根も葉もない噂も耳にしている。

当然、四葉家も九重家も現行の体制を打ち崩すつもりはないが、古式魔法師の台頭に喜ばないものは少なくない。

今でこそ魔法師と言えばCADではあるが、現代の評価基準に沿わないが何かしらの魔法を使えるものは古式魔法師の家々を中心に存在している。

高々百年にも満たない新興の家々に国の代表という大きな顔をされるくらいなら、国内でも指折りの名家である九重家を担ごうとする輩はいないわけではない。 

そうした動きを警戒し、克人はこの場を設けていた。

 

「ごめんなさぁい!お待たせしちゃった?」

 

達也と克人が切り口を思案するひと時の間に、場違いな朗らかな声が響いた。

 

「いえ、我々も今来たところです」

 

真由美と渡辺摩利が障子を開け、姿を見せた。

その様子に克人は苦い顔をしたまま口を噤んでいた。

 

「やはり雅は難しかったか」

「仕方ないわよ。急なお願いだったんだから」

 

摩利が残念そうな顔をするが、真由美がすかさずフォローを入れる。

今回、達也だけではなく深雪や雅も真由美は招待していたが、単に後輩の顔が見たいからということではなく、二人がいれば多少は達也の対応が穏便になることを期待していた。

深雪も雅も他者を慮ることのできる人物であり、達也の唯一の弱点ともいえる。

 

深雪はまだ前回の会議の話題に上がった人物として呼ぶにしても、これが雅を招待するとなると、少し勝手が異なる。

いくら雅が達也の正式な婚約者とはいえ、現段階では九重家の直系の姫君である。

料亭の口が堅いとは言っても、先輩後輩の間柄とはいえ、十師族の問題に雅まで呼びつけた(・・・・・)のならば非難されるのは克人の方だ。

四葉当主の姪だけに飽き足らず、九重の姫まで俗世の衆目に晒すつもりとは、なんと傲慢なことと様々な方面からのお言葉が一つ二つでは済まないことを、十分予想していた。

九重家に国の現行の十師族会議に基づく魔法師体制を崩す意思がないことは、十文字家の情報網から知ってはいても、直接本人の意思を確かめたいということもあり、克人は招待自体には賛同していたが、今回この場に雅はいない。

雅のスケジュールは学校と神事、それに付随する稽古事で埋まっており、特に神事が絡むことならば雅の都合で予定を変えることは容易ではない。

 

「先輩方にお会いできないことを残念がっていましたよ」

「せっかくの機会だから、達也君の甲斐甲斐しさでも聞こうかと思っていたんだが、残念だな」

「あら、それは私も興味があるわ」

 

摩利の茶目っ気に真由美が便乗する形で笑みを深める。

二人が高校在学時代から、このようなやり取りは何度もあったので、今更達也は慌てるようなことはない。

本題から趣旨がそれていく前に、克人が咳払いを一つすれば、場の空気は整う。

 

「そのあたりの親交は時間があれば構わないが、本題に入らせてほしい」

 

摩利と真由美も居住まいを正す。

 

 

 

「ご歓談中に申し訳ありません」

 

克人が説得という名の交渉を始めようとした出鼻をくじくように、障子の向こうから声が掛かった。

 

「お連れ様とおっしゃる方がお見えになっていますが、いかがいたしましょうか」

 

応対に現れたのは、仲居ではなく若女将であった。

当初の予約の人数はそろっているため、その表情も困惑気味だ。

 

「先方のお名前は?」

「七草泉美、香澄様御両名でございます」

「え!?」

 

何してるのよと頭を抱える真由美の様子に、どうやら真由美も寝耳に水だったことが伺える。

 

「まあ、落ち着け真由美。二人とも今日の予定があることを知っていて来たのだから、よほど緊急のことじゃないか?」

「そうよね、ごめんなさい。少し中座させてもらうわ」

 

若女将が先導するのも待たずに、真由美は極力音を立てない早歩きで玄関へと向かっていった。

 

 

「あの事でしょうか?」

 

ちらりと深雪が達也を伺いみる。

 

「達也君、あの事とは?真由美の妹たちが押し掛けてきたことに何か心当たりがあるのか」

 

一高時代とかわらない気安い様子に克人は眉をひそめたが、達也は気にせず摩利に応えた。

 

「ええ。三矢家の末のお嬢さんが本日、一高から連れ去られた可能性がありまして、その件でしょうね」

「三矢の末っ子というと、詩奈か」

 

摩利は真由美を通じてなんとなく詩奈とは面識があった。

 

「連れ去られた、というのは本当か?」

 

達也は現状把握している範囲で、状況を説明した。

この料亭に到着する前に七草姉妹から深雪宛に連絡が届いていた。

荷物も生徒会室に置いたまま、ボディガードである侍郎にも告げず、学校を後にしたらしい。

ピクシーに校内の監視カメラのログを当たらせてみれば、軍人らしき人物と学校を後にしたことは分かっている。

無理強いされた様子もないため、達也は警察に任せた方が良いと回答していた。

 

「そこまで分かっているなら、なぜ動かない」

「本人の自由意志によるかもしれないからでしょう」

 

達也の声は実に素っ気ないものだった。

 

「何者かが連れ去ったとしても、本人の同意の上行われたことであれば、救出に踏み込んでもこちらが不法侵入に問われるだけです。一高生として表立ってできることはありません。それでもこの席を延期するとおっしゃるのであれば、否やはありません」

「見損なったよ!司波先輩」

 

障子が乱暴な音を立てて開いた。

 

「香澄ちゃん、待ちなさい」

「香澄ちゃんったら……。深雪先輩、司波先輩、誠に申し訳ありません!」

 

香澄を一歩止めるのが遅くなった真由美と、青い顔をして平謝りする泉美が続いて入ってきた。

 

「あの子が僕らに何も言わずに勝手にいなくなるはずないだろう。詩奈を見捨てる気!?」

「聞いていたのなら、話は早い。詩奈は未成年だ。たとえ詩奈の同意があっても、保護者からの依頼なら警察は保護できる」

「だから何さ!!」

 

暴走気味の香澄の服の袖を泉美が引いて制止する。

 

「香澄ちゃん、司波先輩は相手が違うと仰っているんですよ」

「相手?」

「自分ではなく、詩奈ちゃんのご家族と話をすべきだということです」

 

泉美はこれ以上、ヒートアップしないように香澄の右腕を抱え込んだ。

 

「貴重なアドバイスもいただきましたし、これでお暇いたします」

「そうね」

 

真由美も香澄の左腕を抱え込んで、部屋から退出させた。

 

「え、ちょっとお姉ちゃん。何するの!」

「達也君、深雪さん、こちらから招いておいて失礼なことは分かっているけれど、今日はお開きにさせて。埋め合わせはどこかでするから」

「ええ、良いですよ」

 

既に真面目な話をする雰囲気ではなくなっている。

こうして四葉家と十文字家の密談は何一つとして進まないまま、終了した。

 






ツイステ始めました。
推しはお耳がキュートなおじたんです。
CVの梅原さん、良い声っ(゚Д゚;)
そしてやっぱり力があるゆえの不遜が好き……

not監督生で、書きたい話があるのですが、短編じゃあ済まない気がするので、手が出せてません。


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動乱の序章編8


お久しぶりです。
ゴールデンウイークごろに投稿しようとおもっていたのですが、忙しく毎日パソコンを開く暇もありませんでした。

通勤時間が片道1時間になったのですが、やはり自宅に帰ってからの時間が圧倒的に減りましたね(;´・ω・)


今回は本編1本、外伝1本の更新予定です。



 

時刻は夜の8時。

雅は神楽の練習をしていた太刀川家の道場を後にしたところだった。

日曜日の明日も早朝から神楽の合わせがあるため、今日は早めに切り上げている。

 

キャビネットに乗り込み、端末を開くとそこには雅にしては中々な量の未読メッセージが溜まっていた。

どうやら放課後の時間から今までの間に何かあったらしく、古いものから目を通していく。

最初のメッセージは泉美から来ており、放課後、詩奈が生徒会室から何も言わずにいなくなったらしい。

一緒に登下校している護衛の侍郎にもなにも告げず、かばんも学校に残したまま帰宅するのはおかしい、誘拐されたのではないかということだった。

ピクシーに校内の監視カメラ映像を調べさせたところ、自分の足で学校を後にしたことは確かだが、外部からの訪問者も連れていたらしく、その後の足取りは今のところ分かっていない。

この後、達也と深雪に相談しに行くということだった。

 

エリカからも同様の連絡が来ていたが、こちらは侍郎を連れて千葉家で情報が集まるのを待っているらしい。

七草姉妹が相談しに行くと言っていたとおり、十文字家と四葉家との会談の場に二人が現れ、会談は中止になったそうだ。

 

続報がないところを見ると、詩奈はまだ行方不明のようだが、先行してエリカや七草姉妹が動いているものの、三矢家が何も関知していないところが気にかかる。

達也も三矢家が動いていない以上、警察に任せるべきという判断らしい。

そう考えているうちに、キャビネットは自宅最寄りの駅まで到着していた。

 

 

 

通勤通学ラッシュの時間からは少し外れているため、駅にいる人の数はそれほど多くはない。

普段からそれほど込み合う駅ではないのだが、朝夕を除けばさらに人は少ない。

 

普段ならば雅は駅からは歩いて帰るか、もしくは無人の配車サービスを利用している。

都市部では、有人タクシーはほぼ絶滅しており、自動車の運転手という職業自体は残っているものの、多くは富裕層向けの護衛を兼任しているか、もしくは僻地や自動運転の未整備区間での話だ。

改札を抜けて、配車サービスの方へ向かおうとしたところで見知った顔が液晶案内板の前にいた。

 

「やあ、こんばんは。雅君」

「こんばんは、伯父上」

 

作務衣姿ではなく、ごくごく一般的な春用の短い丈のコートにスラックス姿の九重八雲が立っていた。

坊主頭にやけに良い姿勢に悪目立ちもしそうな雰囲気だが、不思議と気を留める人はいない。

 

「何かお急ぎの御用ですか?」

 

雅も極力声は控えめにして問いかける。

 

「君に用事があるというより、君に対して用事のあるお客さんが来ると耳にはさんでね」

 

ここで言う客が単に来客やアポイントの仲介として来たというわけではないのは、剣呑な目を見ればわかる。

 

「なるほど、動き出したというわけですか」

「虎穴に入らずんば虎子を得ずとは言うものの、龍の逆鱗に触れに行くだなんて正気の沙汰とは思えないけれどね」

 

情報部が動いているという話は聞いていたが、どうやら詩奈だけでは達也が釣れなかったため、雅にも接触してくるようだ。

雅が利用しようとしていた配車サービスそのものは民間の事業者だが、犯罪防止目的から国の監督と監視を受けている。

高度な暗号化で守られているとはいえ、システム障害などと理由をつけて、別の目的地に移動させることができなくはないだろう。

今のところ、監視の目は感じないが、駅には多数の監視カメラが設置されているため、カメラ越しに見られているはずだ。

 

「幸いにも人員はそれほどこっちには割いていないようだから、ちょっとの目くらましで済みそうだ」

「分かりました」

「じゃあ、行こうか」

 

そうして、二人は駅から姿をくらませた。

 

 

 

 

 

「―――消えた、ですか」

『はい。申し訳ありません。駅に九重八雲が来ていたのは把握していますが、合流後の足取りが追えません』

 

遠山つかさは、軽井沢にある情報部所有の建物にて、部下からの連絡を受けていた。

つかさは本作戦の立案と実行を担っており、若くしてそれなりの地位にいるのは、本人の実力もそれなりながら十山家という数字付きの家柄も相まってのことだった。

今回の表向きには人質奪還作戦、要人救助訓練と銘打ってあるが、実態としては司波達也の危険性及び行動調査にある。

 

軍内部としては、非公式とはいえ朝鮮半島の軍港を一撃で吹き飛ばすような規格外の威力を持つ戦略級魔法師が四葉家の次期当主として目されていることを危険視する声もあり、国にとって有害かどうか判断せよというのが上層部の指令だ。

この建物は、国防軍の人質救助演習で使用する体で詩奈を連れてきており、外部の古めかしい洋館とは裏腹に中には最新の情報通信機器とCADを携行した魔法師が待機している。

ただし、救助演習と言いつつ、予定どおり司波達也が現れなかったら、別動隊が奪還作戦を行うように計画されている。

 

司波達也が本当に助けに来れば、それを演習として遂行し、明日の18時までに来なければ名目上の奪還チームが突入してくる手はずになってくる。

それと同時に、予備プランも並行してつかさは管理していた。

 

「監視カメラの映像は?」

『そちらも見直しをさせましたが、どの時間、どの角度から追ってもルートBを通過していたターゲットが煙のごとく消えているのです』

 

現代の監視カメラはほぼ死角のないように、公共交通機関や政府関連施設に配備されている。

路上に設置されたものも含めると、カメラに映らないということはかなり難しい。

さらに顔認証システムにより、特定の人物の監視や発見、追跡もできるため、主要な軍や警察などには比較的容易に映像を手にすることができる。

テロ対策がメインだが、このような非合法的な作戦で使われることもある。

死角らしい死角なく、更に人的な監視体制も敷いていたにもかかわらず、まるで煙が立ち消えるようにすり抜けていったという。

さらに想子レーダーにも引っかかってはいないとなると、魔法的痕跡を一切残さずにやってのけたということだ。

 

「さすがは九重八雲ということでしょうか」

『追いますか?』

「いいえ、作戦は終了です。全班、帰投してください」

『了解』

 

通信を切ると、つかさは椅子に背を預けた。

司波深雪には護衛として桜井水波がついていることは把握していたが、九重雅に護衛らしい護衛がいることは資料にも挙がっていなかった。

本人の魔法的な戦闘力や統合武術の実力者という点から護衛いらずということは分かるが、隠遁術にも長けていれば納得もする。

九重雅との接近はあくまで雅本人のガードの固さと司波達也の出方を確認するための予備の作戦ではあったが、それも無駄骨になった。

だが、作戦が作戦通りに成功する事自体が必須ではない。

当初の計画は予定どおり推移しているため、つかさに今はできることはない。

 

それが触れてはいけない玉だということに、当のつかさはこの時はまだ気が付いていなかった。

 

 

 

 

 

煙のように消えたと証されたが、実際に人体が煙になるわけではない。

八雲と雅は纏いの逃げ水を主とした古式の術式をいくつか組み合わせ、駅から追われることなく去ることに成功した。

カメラの死角らしい死角はないといっても、死角がないわけではない。

高速鉄道との乗り継ぎやもっと都心部の主要駅であれば、死角なくめぐらされているカメラも住宅街が主な地域の駅では、多少監視の目は緩い。

その隙間を縫って、レーダーに反応させないように術をつかうことなど雅にも八雲にも息をするほど簡単なことだ。

更に群衆にまで偽造した虚像を紛れ込ませるなど、念を入れてある。

監視の手を振り切るのはそれほどかからず、雅は念のため、自宅マンションではなく八雲と一緒に司波家へと帰宅していた。

 

「師匠、ありがとうございました」

「このくらいのこと、構わないさ。そちらの話し合いはどうやら中断されたようだね」 

 

達也も深雪もまだ自宅用のラフな格好ではなく、帰宅後間もないことが伺える。

今日の会談のことは八雲には伝えてはいなかったが、道中雅にでも話を聞いたのだろう。

 

「三矢の末のお嬢さんがいなくなった、ということで延期になりました」

「なるほど。学校の後輩が攫われて、達也君がどう動くのか見たかったというところかな」

 

八雲は口元に笑みを浮かべながらも、目元は柔和な様子を一切見せていない。

 

「詩奈ちゃんに危険はないのですよね」

「そのあたりは大丈夫だよ。三矢家が黙認しているところをみると、幼馴染君には知らされていなかったようだね」

 

深雪は心配そうに確認を取るが、八雲はいたって平然としている。

侍郎は自らボディガードを名乗っているが、正式な護衛は外された立場であり、詩奈を警護する義務はない。

そうは言っても行方知れずの幼馴染を放置できるほど侍郎は無神経ではない。

むしろ居場所が分かれば突撃しないとも限らないが、そのあたりはエリカが上手に手綱を握っているらしい。

 

相変らず、どこで情報をつかんでいるのかと達也は苦笑気味に思うが、藪の中を覗き込むような真似をするつもりはなかった。

 

「雅の方は?」

「そっちも同じ情報部だね。人はそれほど割かれていたわけではないから、オマケの作戦といったところかな。あまりちょっかいかけすぎると、火傷で済まないことは向こうも織り込み済みだろうね」

 

雅もこれまで達也絡みで標的になったととがないわけではない。

達也が四葉家の関係者と分かるとその頻度も増えてはいるが、あくまで監視程度であり、直接手出しをするものは多くない。

ただし、血は水よりも濃いという言葉のとおり、歴史の長さはそれだけ連なる家の多さに比例する。

政財界とのつながりもあり、国内で観れば四葉とは違った意味で手出しが容易ではない家である。

まして九重神宮は古くは宮中の鬼門の守りとして置かれた(やしろ)であり、九重神楽の舞手など信仰の対象にも等しい。

雅に手出しをしたら単に計画にどこからか水を差されるだけならまだしも、物理的に首が飛ぶことも冗談では済まない。

だからこそ、戦略級魔法師の伴侶に雅は相応しいという声も一定数あり、達也もその名の重さは知っているため不本意ながら深雪を任せても良いと思えるのである。

 

「それで達也君はどうするつもりだい?」

「そうですね。ちょうど本家から指示もありましたから、相応にけじめはつけようかと」

 

達也たちが帰宅した直後、ちょうど四葉家本家からヴィジホンが掛かり、真夜から連絡があった。

昨日、達也と深雪を襲撃されたのは、国防軍の情報部が国内に潜伏していた米国工作員を洗脳して起こした事件だと伝えられた。

そしてその工作員を救出するように依頼されたのだ。

いかなる事情があろうとも、深雪と雅を襲った情報部は達也にとって許し難い。

しかし、非合法活動中の米国工作員の確保は、情報部の職務であり、それを邪魔してまで達也は報復を考えてはいなかった。

 

「察するに房総半島の()の施設には、米国工作員の中でも有力者、それも四葉にコネクションを持てるだけの大物が捕まっていると」

 

達也は否定も肯定も口にはしなかったが、深雪のわずかな表情の変化で肯定したのも同然だった。

 

「けれど、君がその命令に素直に従うとは驚きだ」

「こちらの利益にならないわけではないので」

 

潜入していた米国工作員は、スターズを主力に組まれていると達也は考えていた。

昨年のパラサイト事件から真夜とスターズの間にコネクションができていて、救出の依頼があったとみるのが妥当だろう。

達也としての利は薄いが、スターズへ借りを作っておいて損はない。

情報部が仕事として国外工作員を収容することは真っ当だが、捕らえた魔法師を洗脳したとなると相手も表沙汰にはとてもできない。無論、その行方がどうなったのかということも同様だ。

 

「君も丸くなったのかね」

「さあ、どうでしょう」

 

深雪の守護者(ガーディアン)として、当主の命にも従順なふりをする必要は今の達也には以前ほどない。

だが、盤石と言えるほど四葉家の中での立場が固まったわけでもなければ、真夜との関係が無条件に良好というわけではない。

かつて達也の天秤には深雪だけが乗っていた。

その皿には、今は別の重さも加わっている。

そのことに後悔はない。今はただ、そう思えるだけだ。

 

 

 

 

 

日曜日、詩奈奪還作戦は、エリカ、レオ、侍郎と千葉家の門下生で編成されたチームと七草家双子を含めた七草家配下の部隊が突入し、無事保護することができた。

白々しい見届けの演習という説明にエリカは釈然としなかったが、目的どおり詩奈は解放されたため、門下生(エリカ親衛隊)と共に現場を引き上げた。

達也も時刻をやや遅くして、米軍の非合法工作員がとらえられている収容所から目的の人物を解放させた。

 

 

一週間後の昼時。

司波家に一本の国際電話がかかってきた。

 

『ハーイ、達也。深雪。元気だったかしら?』

「そちらも元気そうだな、リーナ」

「久しぶりね。でも、どうしたの?そちらは深夜ではなくて?」

 

たまたま達也も深雪も自宅にいたため、二人で電話に応対できたが、普段からリーナと連絡を取り合っているわけではない。

実際、リーナがUSNAへ帰国して以来、およそ1年以上期間を開けて初めての連絡になる。

学校では友人という体でふるまってはいたものの、リーナの立場上、気軽に連絡を取れる友人はいない。

いたとしても軍関係の部下であり、日常を戦略級魔法師として作戦と任務に身を投じている。

 

『ええ、もうすぐ23時よ。こんな時間じゃないと話もできなくて……。この電話も上官が特別にって本部に内緒で許可してくれたものだから』

 

この電話が特別なものであることは、達也も深雪もよく理解していた。

四葉家本家の関係者、それも達也は次期当主と目されているとなれば、リーナが連絡を取ることは容易ではない。

 

『そういえば、またちゃんとお祝いを言っていなかったわね。二人も婚約おめでとう』

「ありがとうリーナ」

 

深雪が柔く微笑む。

白皙の美貌がまるで芽吹きの春を待っていたかのようなその美貌は、千の言葉を語るより雄弁だった。

 

『達也と雅のことは知っていたけれど、深雪は雅のお兄さんと婚約でしょう。全然そんな素振りもなかったから驚いたわ』

「リーナも良い話があれば教えてちょうだいね」

 

一転、にっこりとした余所行きの深雪の笑みにリーナは小さく否定の意味で手を振る。

 

『嫌味のつもりはないのよ。ただ、兄妹どうしそれぞれの兄妹と婚約だなんて、アニメにもない事が現実におきて本当にびっくりしているのよ』

 

リーナは達也と雅の婚約は元々日本に来る前から情報として知っていたが、深雪には婚約者の影も形もなかった。

四葉家という身分を隠されていたこともあるが、学校にいたころから色恋のイの字も出さずに恋に恋するように敬愛する兄と姉を見ていた記憶はある。

 

「それに、達也としてはフクザツかしら」

「俺としては深雪が幸せならそれ以上言うことはないよ」

「お兄様―――」

 

画面の向こうでまるでその二人が恋人であるかのような熱いまなざしにリーナは思わず肩をすくめた。

 

『相変らずで安心したわ』

 

できれば自分が通話を切ってからやってくれと内心思いながらも、懐かしい様子に安堵も感じていた。

 

『雅も変わらず元気なのかしら?』

「ああ。お祝いのメッセージをもらったことは伝えておくよ」

『あら、てっきりもう一緒に住んでいるのだと思っていたのだけれど、違ったかしら』

 

雅がたびたび司波家に泊まっていることは、情報収集をしている部隊の報告から潜入前にも聞いていた。

学生とはいえ、家柄的に誘拐の危険も考えればいくら治安のよい日本とはいっても、一人暮らしは危険度が増す。

防犯の意味でも複数で行動することは理にかなっていることだとしても、年頃の男女が一つ屋根の下というのは良からぬ妄想をしてしまうのは仕方のないことだった。もしそんな状況下で何も手出ししていないなのだとしたら、朴念仁を通り越して枯れ木もいいところだ。

 

「リーナ、それこそそれはアニメの観すぎじゃないか」

『観すぎというほど観てないわよ!』

 

呆れたように言う達也に思わずリーナの声も裏返ってしまった。

確かに日本に初めて来たときも、アニメを参考にした衣装を着たし、普段の服装にも取り入れたりしたが、すぐに任務のため同居していた部下であり友人でもあるシルヴィア・マーキュリーにダメ出しされた苦い思い出がある。

潜入捜査に向いていないとは自分でも思ったが、情報収集から間違っていたことに何度もため息をつかれた覚えがある。

リーナは仕切り直しとばかりに、一つ深呼吸をして画面に向き直った

 

『お祝いもだけれども、今回、どうしても伝えたいことがあったから、連絡をさせてもらったの』

 

リーナは居住まいを正し、深く頭を下げた。

 

『達也、今回は本当にありがとうございました。おかげでワタシは大切な部下と大切な友人を失わずにすみました』

 

今回、達也が収容所から解放した捕虜の中には、そのシルヴィア・マーキュリーも含まれていた。

秘密活動中ともなればそのまま裏に処理されても何の言い訳もUSNA政府は弁解もできない。

いくらリーナが最強の魔法師といっても、太平洋を越えて居場所も分からない部下を独断で助けにも行けはしない。

最悪を想定していたリーナだったが、無事に彼女の部下と友人は祖国の土を踏むことができた。

そのために支払われた達也の労に、リーナはどうしても礼を言いたかったのだ。

 

「リーナ、頭を上げてくれ」

 

わざわざ危険を冒してまで礼を述べるためだけに連絡を取ってきた。

その義理堅い様子に深雪は心から嬉しく思い、達也はやはり軍にいるには心根が優しすぎると感じていた。

 

『本当は直接お礼を言いに行きたいのだけれど』

「リーナの立場じゃ難しいわね」

『そうよね』

 

軽い口調で深雪とリーナが笑い合う。

 

「また会える日を楽しみにしているわ」

「ええ。私もよじゃあね、達也、深雪。See you again」

「また、今度」

 

セレストブルーの瞳はモニターが消えるまでまっすぐに達也と深雪を見つめていた。

 

 







毎年思うのですが、猫の換毛期って抜け毛の量がすごいですよね
 ^・ω・^


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幕話



本日は2本投稿予定といいつつ、日付を跨いでしまいました。
本編は1話前です。

このの話は、まったく本編に関係ないですので、読み飛ばしてもらっても構いません。
一部、創作の刀剣と刀剣が乱舞するネタが出てきますが、ご存じない方でも読めるようにはなっています。

内容は、九重神楽の話と本編でどこに入れようか悩んだ末、書ききれなかった話の二部構成です。
特に前半は完全に趣味です。


<一般人による九重神楽レポ>

 

私の珍しい体験を残しておきたいと思う。

要約すると叔母の名字を継いだら、推しの実家の氏子になって、九重神楽を観てきた話だ。

 

当方、華の独身貴族。

平日は仕事、休日は推しの舞台とゲームに費やす日々。

母の妹、つまり叔母がとある珍しい苗字を継いでいる関係で、戸籍上、叔母の養女になった。

かなり歴史は古くて、男子が生まれにくいのか、婿養子や親族の養子縁組で継いできた名前らしい。

今時そこまでして残す必要があるかと言われたら、まあそうなんだけど、響きがカッコいいのと叔母とは年の離れた姉がいる感じで付き合ってたし、私には姉と兄がいて、三人目の末っ子だからっていうのもあって、割と前々から話は上がってた。

まあ、叔母が割と話の合う女子で同種だったのも大きい。

お互い布教に余念がないよね。

とりあえず、名前だけ変わって、結婚した?とか聞かれたけど、苗字継ぐために養子になったという話題ができたぐらいだった。

 

 

そして、本題。

私の最近の推しに、刀剣が乱舞する某ソーシャルゲームがある。

2010年代から2020年代の復刻らしいが、ドはまりして、ミュージカル、舞台、登場する刀剣の所蔵されている美術館巡りに生活が潤っていた。

推しがいる生活っていいね。

客のしょーもないミスも、いやみったらしい上司の小言も推しが待っていると思えば、給料がしゃべってると思って聞き流せた。

 

叔母は地域のお祭りとか行事にきちんと出席したり、役もやってて、小さいころからちょくちょくお祭りがあるたびに出かけていた。

今回はそれを死ぬほど感謝した。

そして心の底から伯母の養子になったことを誇りに思った。

 

私の最推しは、三条派の流れを組む刀剣で、国宝指定されている「蘇芳丸」

別名、瑠璃丸

いや、蘇芳って赤だけど、別名瑠璃丸ってどういうことと思った諸君、ここポイント。

蘇芳丸はもともと、名前の通り蘇芳色の拵えだったんだけど、戦場で人を切りすぎてさらにその色が刃にまで乗り移ったといわれるぐらいよく切れる刀だったらしい。

戦場で出番がなくなると、持ち主の手を切り再び刃を赤くするっていう妖刀扱いで様々な武将の手を渡ってきた刀だった。

それが江戸時代に入ってすぐに九重神宮に奉納された経緯があって、奉納の際に拵えを一新して瑠璃色の柄巻に黒の鞘、蘇芳の色は下げ緒だけになったらしい。

去年は蘇芳丸の国宝指定記念で特別展示されて、会いに行ってきたが、まごうことなき美しい刀だった。

とても数百年経っているとは思えないほど、鋭さと輝きに満ちていて、レプリカを持たせてもらったら、まあずっしりと重い。

これをさらに重い鎧を着て振り回していたとおもうと、なおさら感動する。

 

そんな蘇芳丸の実家ともいうべき九重神宮には、九重神楽というものがある。

神楽ってなんぞ?っていう人はうぃき先生に聞いてね。

九重神楽の特徴はなにより魔法が使われていること。

しかもCADとかいう機械なしでの魔法。

魔法使える人って腕輪の機械をちょちょっと操作すると魔法が使える程度の知識しかなかった私はこの時点で???

例えるなら、水深100mを潜ろうと思ったら普通の人は潜水艇、機械を使う魔法師はスキューバダイビングの装備、九重神楽の演者は素潜りという状態らしい。

 

わけわからん、という人、私もそうだった。

文章に書き起こしても、わからん。

そして何より分からなかったのが、私が九重神楽を観ることができたということだ。

 

雅楽ファンのみならず、九重神楽の観覧ってかなり貴重だということは舞台オタやってる私も知っていた。

一般にはチケットが出回らないすべて九重神宮からの招待制。

しかも1年に同じ舞台が行われることはまずないし、年間通して全国で10回あるかないかの超プレミアムチケット。

それが叔母の手元に来た。

新しいご縁があった(=私が養子になった)なら、おいでという意味合いのお手紙があったが、この段階で家族全員白目剥いてた。

 

父「これ、詐欺か。振込口座は(;゚Д゚)」

叔母「お義兄さん、本物です。あと招待なので無料です」

母「この子のお着物なんて成人式以来あったかしら。ドレスコードは書いてないけど、何がいいの(;´・ω・)」

叔母「こっちで着物を用意します」

姉「イケメン神主がいるところじゃん(*‘∀‘)」

叔母「撮影禁止です」

兄「お前(私)、今年事故にあうとか、病気にあうとかないよな(; ・`д・´)」

叔母「むしろ厄除けになります」

私「お空きれい(´▽`)」現実逃避

叔母「当日も晴れるといいですね」

 

叔母が終始冷静だったので、なんとか当日の服とか準備とかできたけど、人間びっくりすると思考止まるね。

なにより今回の神楽の演目が蘇芳丸だったんだよ。

そう、私の推し。

マイ フェイバリット 刀剣 蘇芳丸

 

ゲームのキャラから入ったけど、今回の神楽はまったくゲームとは関係ない演目。

せっかく招待してもらったとはいえ、神楽なんて理解できるかとか、いくら推してる刀剣が主体でも解釈違い起こすかもなんて心配していた私よ、気を強く持て。

お前は当日、しばらく席から立てなくなる。

そしてハンカチは厚手を持っていけ。

レースの可愛いやつなんぞ、ウエットティッシュにしかならねえ。

 

舞台の客席は本当に少なくて100席あるかないか。

野外の席だったけれど、見事な青空。

始まる前から空気に飲まれそうになってたんだけど、舞台が始まったらそんなことは忘れた。

 

まるで刀を打っているかのような、太鼓から始まり、澄み渡るような笛の音。

流れるような琴の音が重なっていくのに合わせて、舞台に一人の男の子があがった。

白い狩衣姿。青年には満たない少年と大人の狭間のようで、清廉なのにどこか色香もある。

ゲームのビジュアルは、無口で不愛想な赤髪の青年だったんだけど、黒髪を緩く一つに束ねた赤い瞳と赤い爪の少年も解釈一致過ぎてまずここで涙が出そうになった。

 

シャラシャラと鈴が鳴るごとに、刀を振るう様子は本当にきれいで、だけど、どんどん白い狩衣が赤く染まっていく。

全体が薄いピンク色から朱色、赤色と濃くなって少し黒みの入った蘇芳色に変わる。

真っ白無地だったのに、いつの間にか蘇芳色に花菱亀甲があしらわれた豪奢なものなっていた。

舞台で着替えたわけじゃないし、照明の色も変わってない。

 

敵を軽々と切り裂き、刀としての本分を全うすることに誇りを持っているようだった。

なんか本当に血まみれで痛々しく見えた。

本当は肌も汚れていなければ、着物も破けたわけでもないのに、ただ最初は無垢だった瞳が何も映していない瞳になっていて、ただ深く傷ついている。

この時点で涙腺はかなりやばかった。

 

赤黒く衣が染まったころ、音楽も太鼓だけが小さく鳴っていた。

蘇芳丸が衣を翻して背を向けた。

その先に瞬きの間にいなくなりそうな、この世に存在しているのか存在していないのか疑うほどの美女がいた。

確かにそこにいる圧は感じるのに、ただただ美しすぎて脳が処理しきれない。

舞台に立っている以上、人であるはずなのに人と同じ目と鼻と口があるのに人には見えないほど美しい顔立ちをしている。

しかもいつ舞台に上がったのか、全く分からなかった。

ほんの一瞬、ほぼ死角のないのない開けた舞台の上で、天上の美がそこにあった。

数々のイケメンと美女を舞台で見てきたけど、その存在からしてこれ以上ないほど美麗な人は存在しないだろうと思えた。

自分の語彙力がないことがこれほど恨めしいことはない。

演者というか、その主神役の人は若いけど、佇まいも雰囲気もまるで1000年前から姿を変えていないような時の長さを感じる不思議な人だった。

美しいというより、麗しく、神々しく、この人のためだけに緑は萌え、鳥はさえずり、花は綻ぶ。

ただ舞台を右から左へ移るだけで、ただ一言も発しないまま、自分と視線も合わないまま、気圧され、息をのむ。

その存在に気圧されるのに視線は逸らすことができない。

 

一息その女の人が息を吹きかけると、蘇芳色の衣は瑠璃色に生まれ変わった。

一度、刀が鞘に納められる。

鞘も赤いものから、黒い拵えに代わっている。

腰を低く落とし、横一文字に刀が抜かれる。

まるで祈るような刀の舞だった。

そうだよね。

赤って本当は厄除けと祝いの色だもんね。

妖刀といわれても、もとは守り刀って呼ばれてた時もあったんだよね

 

 

 

人か、神か

妖か幻か

化粧か、化生か

私は、何を見たのだろうか。

私は何かを観たのだろうか。

私は生涯、あの美しいものを忘れたくはないと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

とある週末の昼下がり

 

「わざわざ、出向いてもらってありがとう」

「退院が決まって良かったわ」

 

雅とエリカは、都内の警察病院に来ていた。

警察官として任務中にケガをした者や警察関係者の家族が病気になった場合に利用するほか、一般の診療も受け付けている。

総合病院としては規模の大きい方であり、入院施設や緊急外来など機能は多岐にわたる。

 

「まだまだリハビリよ。一回筋肉が落ちると取り戻すのは大変みたいで長くかかりそうよ」

 

エリカの兄、千葉寿和もここに入院していた。

今年の1月に起きた十師族会議の会場へのテロ事件を契機に、捜査に当たっていた彼と相棒であり千葉の門下生でもある稲垣は首謀者と接触し、千葉寿和は九死に一生を得たが、もう一人の命は踏みにじられた。

 

「ただ、前みたいに警察で魔法師としてやっていくのは難しいみたい」

「そう」

 

命があっても諸手に喜べるわけではなかった。

エリカは表情こそ暗くはないが、笑みを浮かべるような余裕もないのか、ただ前をみて歩いている。

 

「死んでもおかしくない術だったって、八雲さんは言っていた」

 

淡々とした声だった。

明るい廊下を進む足はどこか泥がまとわりついているような重さを感じていた。

 

「実際、何度か心臓が止まって蘇生してって本当に生死の境を彷徨ってた」

 

エリカが学校帰り何度か見舞いに来た時も、心拍が低下し、医師に病室を追い出されるようにして、ただ廊下に立っているだけしかできないこともあった。

普段は信じていない神様に祈った。

死んだらただじゃおかない!アタシが殺してから死ね!と掴みかかる勢いで叫んだこともあった。

次兄と一緒に永遠にも思える夜を明かしたこともあった。

昇りゆく朝日を見ながら、ああ息をしていると肩をなでおろしたことはもう数えてもいない。

 

「妙に明るく取り繕ってさ、アタシに対して、変な説教いれたり、門人と詰まんない猥談してたり、まあ普段どおりだって見せたいだろうけど、バレバレ」

 

以前のような底のない泥濘を何日も歩かされたような重い足取りではないけれど、気が進まないのは確かだ

それでも今日エリカは雅を連れてくると約束してしまったのだ。

たとえ憎たらしい長兄でもその約束を違えるつもりはなかった。

 

「剣を握れないわけじゃない。けど、千葉の剣術はできない」

 

体の一部を無理やり剝ぎ取られたような喪失。

向き合うべき己の形がなんであるかさえ、分からなくなるような空を掴むような孤独。

 

きっと剣術を奪われるというのはそんな感覚だ。

任務だから仕方ない。

警察官だから危険はつきもの。

そんな理不尽をエリカは許すことができなかった。

大なり小なり、エリカは達也に巻き込まれていたけれど、それは自分の手が届く範囲で自分が決めたことだった。

達也を責めるつもりもない。

 

強さが足りなかったのだ。

千葉の剣術は万能ではない。

なによりエリカは何もできない自分が腹立たしかった。

理不尽に巻き込まれても理不尽をはねのけるほどの強さがなかった。

そのことが何よりエリカの中で沸々と煮えていた。

後輩の侍郎を鍛えているのもそのためだった。

突然の理不尽に巻き込まれていても太刀打ちできる強さを持ってほしかった。

自分自身の鍛錬にも最近熱が入りすぎていることも、鬱陶しいレオの視線で理解していた。

 

 

「ごめんね。雅に聞かせることじゃなかった」

「いいえ。話してくれてありがとう」

 

雅がすべきは状況への謝罪ではない。

それはエリカも理解している。

独白にも似た胸の内を、少しでも吐き出せたのはきっと相手が雅だったからだ。

 

 

 

エリカの兄が入院していたのは、魔法的な損傷を負った患者が入院する病棟の個室だった。

魔法による損傷は肉体的だけでなく、精神面も大きく関わってくる。

一定基準を満たす魔法師以外にも魔法的な素因を持つ者は、ふとしたきっかけに魔法が使えなくなることがある。

まだ医療的にも発展途上な分野であり、専門の医師もまだ少ない。

 

エリカが一声かけてから、病室のドアを開ける。

以前は病室の前に千葉の門下生が自主的に警護を行っていたが、現段階では襲撃の脅威は少ないとして千葉家当主から過剰な見舞いはしないように言い含められている。

病室には千葉寿和ひとりだけがいた。

 

「おはよう、今日は態々出向いてもらって申し訳ない」

 

顔色は悪くないようだが、病衣姿でもわかるほど筋力が落ちているのが伺えた。

 

「それにこんな格好で済まない」

「いいえ。お構いなく」

 

エリカは、病室に入ったものの、ドアのすぐ手前に立っていた。

まるでいつでも出ていけるような、もしくは誰かが入ってきたときに即時対応できるような立ち位置だった

 

寿和はエリカに一度視線を送るが、エリカは応じるつもりもなく、小さく顎でしゃくった。

さっさと話せと言いたいのだろう。

寿和は跳ね返りの強さは今に始まったことではない者の、ほぼ初対面の雅の間に入ろうとしない様に内心ため息をついた。

ベッドに手をつき、立ち上がる。

寿和が相対している少女は、妹のエリカと同い年だ。

そう知ってはいても、立ち姿なのか雰囲気なのか、容貌に反して十は上に感じさせる。

できるだけ背筋を伸ばし、まっすぐに頭を下げた。

 

「この度は、有難うございました」

 

今日はこのために雅をエリカに呼んでもらっていた。

 

「使われた護符は、本来エリカに手渡されたものでした。図らずも私の手元に一時置いたものでしたが、幸運にも生きながらえることができました」

 

どのような術式が使われたのか、どのような仕組みが働いたのか、寿和には理解できなかった。

ただ、漠然と八雲の口ぶりからも自分が使うには分不相応の力が働いたことと、それで雅がいずれ不利益を被るかもしれないというのは理解できた。

単なるお守りの体裁をしていても、おそらく量産できるようなものではない。

 

「この恩は忘れません」

 

ほんの偶然だ。

エリカの気まぐれであのお守りを渡されていなければ、おそらく自分はすでに灰になっていた。

訳もわかないまま命を落とし、部下のように敵に傀儡として死体を使われていた。

 

「頭を上げてください」

 

静かな声が病室に響いた。

 

「感謝のお言葉、承りました」

 

雅はなにも語らなかった。

怒りも悲しみも同情もその顔には見られなかった。

あまりにも波のない表情に、寿和は勝手に自分が許されたいと思っていたことに気づき自嘲(じちょう)する。

 

「いずれ力が必要になれば、千葉一門何なりと」

「ちょっと、一門じゃなくて、まずアンタが先にどうにかしなさいよ」

 

ようやく出てきたいつものエリカの非難めいた声に、どうにか持ち直す。

 

「おいエリカ、今キマってたのに」

「はいはい。言われなくても、雅の頼みだったらいつでも手を貸すわ」

「心強いわ」

 

寿和がどんな言葉を述べたとしても、とっくに彼女の中でのケリはついているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

差しさわりがあってもいけないからと殊勝な物言いをしてみせて、エリカは雅を病室から連れ出した。

予定は終わったので今日はもう帰るだけだった。

消して帰り際に見た、尻もちをつくようにベッドに座り込む兄から目を背けたかったわけではない。

病院のエントランスまで差し掛かると、雅がふと足を止めた。

 

「エリカ」

「なあに」

「カフェラテが飲みたいわ」

「えっ?」

 

雅がカフェに寄らないかと提案することはあっても、自分の要望を直接的に表現した珍しい言い方に思わずエリカは聞き返した。

 

「精進期間が明けたから、チョコレートのたっぷりかかったドーナッツとかスコーンとかでもいいわね」

「なに、どうしたの?」

 

そんなに心惹かれるメニューでもあったかと、病院に併設されたカフェテリアの方に視線を向けた。

 

「………ああ」

「私が先にお話しした方がいいかと思って。多分、お兄さんにお誘いあるかと思うから」

 

そこにはエリカが何度か顔を見かけた女性がいた。

 

あっち(国防軍)に?」

 

エリカは眉を顰めながら問い返した。

二人の視線の先には、国防軍所属の魔法師、一〇一大隊所属の藤林響子がいた。

 

「魔法は使えなくても、魔法を使った作戦立案とか需要はあるって聞いたことがあるから。エリカはもしかして、これからのこと聞いている?」

「まさか。ただ、彼女がそのつもりで来ているなら、雅に任せるわ。アタシが話しかけたらケンカになるだろうから、テイクアウトにしてちょっと散歩してくる」

 

エリカは渋い顔をしながらも、了承した。

 

「飲み終わったら連絡してもらってもいいかしら」

「OK。そうしましょう」

 

エリカも飛び切り甘いものが欲しい気分だった。

 

 

 

 

「―――響子さん」

 

声をかけられて、はっとした表情で響子は顔を上げた。

 

「あら、雅ちゃん」

「ご無沙汰しています。ご一緒しても大丈夫ですか」

「久しぶりね。どうぞ」

 

待ち合わせの相手もいなかったので、響子は雅のために空いた椅子を引いた。

 

「今日は誰かのお見舞い?」

「ええ。響子さんもお見舞いですか?」

「そんなところ」

 

実際にはお見舞いにこれから行く予定にしていたが、踏ん切りがつかなくて漠然とコーヒーを飲んでいただけだ。

そのコーヒーも大した量は減っていない。

 

「迷っていらっしゃるようですね」

「雅ちゃんに千里眼は無かったと思うけれど、そんなに顔に出ていいたかしら」

「私が分かるくらいには」

 

実際、響子は雅が声をかけるまで存在に気が付かなかった。

士官としていくら病院とはいえ周囲に気を配っていたつもりだったが、どうやら全く集中もできていなかった。

 

「ちょっとある人に新しい仕事のお誘いをする予定なんだけれど、必要なことだって割り切りたいんだけど、割り切れなくてね」

 

見舞いは今日が初めてではない。

魔法を理解した後方人材というのは貴重だ。

リクルートに上司の許可も取っている。

優秀な人材であることは重々承知している。

警察官として日常の騒動からテロまで前線で活躍していた彼ならば、警察官としての経歴は軍での活動に生かされる。

職務だと言い聞かせても、出てくるのはため息ばかり。

唯一、この後に差し迫った予定もないことだけが幸いしている。

軍人失格となんども自分を罰する言葉を心の中で吐き続けた。

 

許しがほしいのか、それとも誰かにその感情の名前を告げてほしいのか、以前悠に問われたことがあった。

同情なのか、昔の思い出を重ねているのか、それとも恋だとか愛だとかになりかけた淡い感情なのか

全てであるようで、どれも違っているようで、単純な言葉にはしたくない。

その葛藤が、足をこの場に縛り付けていた。

 

「先ほど、エリカのお兄さんのお見舞いに行ってきたのですが」

 

なにげない会話をするように雅は響子のために言葉を選んでくれていた。

 

「道を提案することは悪いことではなさそうです。今はまだ、受け入れられなくても言葉は残ります」

 

励まされているのだと気づいた。

10歳近くも年下の子に背中を押されていた。

行くべきだと言われた気がした。

 

「そうね。ありがとう」

 

多分、上手な顔で笑えてはいなかった。

 






感想、誤字脱字のご指摘ありがとうございます。
全て読ませていただいてます。
読み返しては元気をもらってます。

甘い話も書きたいですが、甘くて苦しいのも書いていて楽しいです。


更新速度は速くはないですが、頑張っていきたいと思います。


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孤立編
孤立編1


投稿が遅くなりました。
本当は2回目GWぐらいにあげたかったのに、あれよあれよという間に夏が終わりそうです。

皆さまお待ちかね。甘くなりました(`・ω・´)

アニメの方は、魔法科高校の優等生が絶賛放送中です。
何度聞いても深雪ちゃんの声可愛いよね。


 

西暦2097年5月2日

 

ギニア湾岸、大亜連合の実質的な支配地域において戦略級魔法「霹靂塔(へきれきとう)」が使用され、多数の死傷者が出たというニュースが飛び込んできた。

世界群発戦争の最中、アフリカ大陸はその資源を求めて国家と国家、反政府、政府、更にそれを陰から支援する者たちが入り乱れ、国家という単位が消滅した。

最も戦闘が激化した時期は脱したものの、三十年経った今でも政情不安は続いており、武装地帯が少なくない。

該当地域はある程度まとまった領域を大亜連合が戦力を投入し、勢力下においていたが、最近ではフランス政府の支援を受けた武装勢力と度々衝突していた。

 

「だから、今回の戦略級魔法はフランスへの牽制の目的あるんじゃないかな」

 

生徒会や部活を終えた、達也たち3年生は放課後、喫茶アイネブリーゼに来ていた。

 

「達也はどう思う?」

 

アイネブリーゼは、第一高校に近く、マスターも魔法師であるためこの手の話題は憚られない。

幹比古からの問いかけに、達也は首を縦に振った

 

「加えて大亜連合の公認の使徒、劉雲徳(リュウユンドー)は公式の場に姿を見せなくなって1年以上経つ。軍関係者の間では彼の死亡が囁かれていたが、ついに隠せなくなったんだろう」

「その後釜があの劉麗蕾(リュウレイリー)だっていうのかい」

「戦略級魔法師の存在を公表するのは抑止力とするためだ。劉雲徳(リュウユンドー)が死んでも、代わりの戦略級魔法師がいるとアピールしたかったんだろう」

 

現在、世界に公式に発表されている国家公認の戦略級魔法師は13名。

実際には非公認・未確認を含め、世界には50人程度はそのレベルで魔法が使える者がいるとされている。

国家の切り札となる魔法師の存在を公表するのは、軍事的な抑止力となり、政治的な判断材料にもなる。

 

「でもそれって、周辺諸国への挑発にもなるよね」

 

ため息交じりにエリカは吐き出した。

 

「それは承知の上なんじゃないかな。抑止力って結局は威嚇の意味なんだから」

 

厳しい顔をしたままの幹比古がそう返答した。

 

「新しい十三使徒は14歳って、俺たちより年下とはなあ」

 

戦略級魔法の使用の第一報から一時間もしない間に、大亜連合から公式の記者発表が行われた。

内容は主に戦略級魔法の使用の正当性の主張だが、会見の場には喧伝のためか、戦略級魔法の使用者として公表された少女はまだ14歳ということにも衝撃が走った。

身長も体格も未発達な少女と呼んで差し支えなく、着ている軍服こそ体格に合わせてあるものの、どこか着せられている感じは拭えない。

国ごとに事情は異なるとは理解していてもやりきれなさに表情を曇らせる美月やほのかだったが、エリカは苛立つように口を開いた。

 

「大人の言いなりなのはかわいそうだとしても、国家公認なら待遇は悪くはないと思うよ」

 

魔法師はその登場から現在に至るまで、非人道的な環境に置かれていたことの方が少なくない。

今でこそ発言権を持つ十師族、師補十八家、更に百家と言われる家々も、辿れば研究所から生まれた家系が大多数を占めている。

それは日本に限った話ではなく、世界中でその悲劇は繰り返されている。

今の世代にそれほど恨みや忌避感はなくても、祖父母、曾祖父母世代であればその記憶も色濃く、表立って口にはしないものの成果を上げられず数字落ち(エクストラ)という数字を剥奪された家系もある。更に誘拐や表沙汰にされない魔法師の育成、諜報員ともなれば捕まった後の待遇は口にするのも憚られる。

 

「私は顔出しに驚いた」

 

エリカの発言が場を沈ませる前に、雫の一言で興味は別の方向に移っていった。

 

「そうね。個人情報を隠そうとする方が多いのに、年齢や名前、本人の映像まで公開するのは驚いたわ」

 

深雪が雫の話題に続いたのは、暗い話題を避けようとしたためでもあるが、言葉どおり意外感もあってのことだった。

 

「あの少女が本当に霹靂塔の使用者であればな」

 

続いた達也の前置きに、あっという顔を浮かべたのは雫や深雪だけではなかった。

当然、映像に出ていたのは影武者で使用者は別にいるという可能性は十分に考えられる。

 

「顔を出した目的は大亜連合の士気高揚の目的もあるかもしれない」

「なるほど。そうすると、劉雲徳(リュウユンドー)の戦死を発表した上であえて容姿も公開したのは、祖父の跡を継いだ健気な孫娘って印象を与えたかったんじゃないかな」

「本当に孫娘ならね」

 

達也と幹比古のやり取りに、殊更悪い笑みを浮かべエリカは吐き捨てた。

 

 

 

「話は変わるけどよ、―――死者八百人って本当なのかね?」

 

珍しく言い淀みながらレオは疑問を吐き出した。

 

「激戦区で民間人がほどんど住んでいなかったってのは分かるが、戦略級魔法にしては少なくないか」

 

戦略級魔法はその魔法一つで都市部を壊滅にさせ、軍事力を削り、万単位の被害者を生むことがあり得る魔法だ。

灼熱のハロウィンと呼ばれるようになった大亜連合の軍港壊滅はまだ記憶に新しく、軍事機密もあることから正式な死者数は公表されていないものの、沿岸地図を書き換える規模の破壊ともあれば被害は文字どおり桁違いだ。

レオの問いかけに視線は自然と達也に集まった。

 

「そうだな。シンクロライナー・フュージョンよりは少ないだろう。霹靂塔は直接殺傷の魔法ではなく、工場やインフラ破壊を目的とした魔法だからな」

「雷を発生させる魔法じゃないんですか?」

 

戦略級魔法には名称のみ公表されているもの、名称と効果が公表されているものが存在する。大亜連合国家公認の魔法師が使用する霹靂塔は、後者だった。

美月の質問に、達也はさらに解説を加えた。

 

「霹靂塔は目標エリア上空で電子雪崩を引き起こす魔法と、目標エリアの電気抵抗を断続的かつ不均一に引き下げる魔法の二種類から構成されている」

 

この説明だけでは何のことだと疑問が顔に浮かんでいる者が大半だった。

霹靂塔の特徴は単発の威力より手数を重視しているところにあり、一度の魔法でそれなりの威力の雷を広い範囲に降らせることを主としている。

ある程度の落雷対策をしていれば致命傷は防げるが、軽装歩兵にとっては悪夢のような魔法である。

更にこの魔法によってもたらされる別の効果の方が重要だった。

 

「それがインフラ破壊なんですか」

「断続的に発生する落雷は、その一帯の電磁界が連続して急変するという事だ。しかもその瞬間はそのエリアのすべての物体の電気抵抗がぎりぎり絶縁破壊を引き起こすレベルに引き下げられているとなれば、広い範囲で電子機器に深刻なダメージを発生させる魔法ということになるな」

「つまり霹靂塔の正体は魔法によるEMP兵器か」

 

レオがようやく合点がいったようだ。

 

「原理は違うけど、結果だけ見れば同じかな」

 

この中ではある程度理解が進んでいる幹比古はそう肯定した。

 

「直接的殺傷力が低いから死者が少ないっていう理屈は分かったような気がするぜ。でもよ、そうすると別の疑問が出てくるな」

「疑問って?」

「ずっと陣取り合戦をしていた紛争地域だ。高度技術のつまった都市開発なんてできないだろうけど、魔法が使われたところで機械破壊は地下の資源採掘設備くらいなもんだろ?

つまり大亜連合の方が損をするのに、その魔法を態々使用した目的は単にプロパガンダだけなのか?」

 

戦略級魔法は文字通り戦略級。その一撃に込められた威力も政治的・軍事的意味も大きい。

単なるデモンストレーションで気軽に使用できる魔法ではない。

更に自軍が損害を被るような場所では猶更だ。

 

「当該地域は最近、大亜連合が劣勢に陥っていたと伝えられている。フランスが提供した無人自動兵器によって、実質的に支配していた地域の約半分を武装組織集団に奪われてしまったらしい」

 

この説明だけでレオはピンときたらしい。

 

「無人自動兵器か。なるほどな」

「採掘施設にダメージを与えても、兵器の無力化を優先したんだね」

 

幹比古もレオと同じ理解に達していたが、達也は小さく首を振った。

 

「勢力圏内での魔法の使用は無人機対策だろう。だが、あの魔法は間違いなく殺傷能力を有する。平服の民間人、軽装の兵士であれば容易に命を奪う」

「発表された死者は報道より多いということでしょうか」

 

恐る恐る尋ねる深雪に達也は暗い表情のまま答えた。

 

「大抵の医療機器は電子機器だ。それが麻痺するとなれば、即死でなくても助からなかった者は多いだろう」

 

その光景が地獄絵図であることは口にするまでもなかった。

 

 

 

 

「雅さん、大丈夫でしょうか」

 

美月がぽつりとつぶやいた。

雅はこの集まりに参加していなかった。

5月の上旬は毎年、神事が控えており、神楽の稽古のために放課後すぐに学校を後にしていた。

 

九重神楽は魔法を使用した神楽だ。

いくら分野が異なるとはいっても、魔法や魔法師そのものに向けられる世間の視線は冷たさを増している。

少しインターネットで検索をしてみれば、罵詈雑言、中には脅迫めいた掲示板なども見受けられる一方、神格化した集団の過激な論調も蔓延っている。

 

「神楽そのものはごく少数にしか公開はしていないとはいえ、九重神宮の敷地は自由に出入りできるんだろう」

 

幹比古は達也に視線を向けた。

 

「九重家は京都の警察との仲は悪くはないからな。警備も強化しているそうだ」

 

九重神宮には歴史的な宝物や建造物が数多く存在する。

盗難目的の警備は元々厳重であるが、歴代宮司の家系は魔法が使えるという事も神楽に魔法が用いられていることも現在は秘匿化されていない。

世に対する恨み辛み妬み、良からぬことを企むものは、絵巻物より昔から存在するが、それに目こぼしをする眼はどこにもない。

 

「雅の警護には達也君が付いているって?」

「忍術使いも付いているぞ」

 

暗くなりそうな雰囲気を明るくしようとするエリカの茶化しに、達也はさらりと受け流した。

雅に個人的な警護が四六時中張り付いているわけではないが、雅自身の対人戦闘能力もあり、危機に対する察知能力も高い。

先日、念のためと四葉本家の命を受けた黒羽家の子飼いの者が稽古場に向かう雅を警護・監視していたが、目的地に到着する途中で煙に巻かれた挙句、撤収して帰宅した拠点アパートにケーキの差し入れまでされていたらしい。当然、雅にも達也にも護衛に関する事前連絡はなかった。

消えいりそうなほど恐縮したテレビ越しの文弥に、雅は気分を害するでもなく気を掛けてくれてありがとうと(のたま)うのだから、更に文弥は縮こまっていた。

 

「お姉様にはお兄様がいらっしゃいますから、大丈夫よ」

 

深雪は何よりの信頼と誇りをもって達也を見ていた。

達也の精霊の眼は雅を常に捉えているわけではない。

そのほとんどを深雪に割り振っているため、たとえ雅が今この瞬間銃弾に倒れようと、達也に感知する術はない。

いくら雅が個人的に強くあろうとも、どこにいても必ず守ることができる深雪とは違う。

そのリソースを今はまだ雅に割く決心はついていない。

そのことに一抹の不安も覚えないわけではないが、姪を見殺しにしない程度には八雲への信用もあれば、九重家という名前の重さも重々承知している。

いくら言葉どおり世界を滅ぼす魔法をもって生まれたとしても、達也にとって本当に守りたいものはそう広い範囲ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

詩奈ちゃんの誘拐も、情報の行き違いということで片付けられ、深雪と水波ちゃんに起きた襲撃事件も本人たちが特に気にせず日常を送っていることから、世界情勢はさておき、校内の雰囲気も落ち着いている。入学から約1か月がたち、新入生たちも新しい生活に徐々に馴染んできていた。

 

「お姉様、お誕生日おめでとうございます」

「ありがとう」

「私からのプレゼントです。喜んでいただけると嬉しいのですが」

 

5月の連休中の舞台を終えた私は、一日早いが司波家で誕生日祝いの場を開いてもらっていた。

 

「開けてもいいかしら」

「どうぞ」

 

丁寧にラッピングされた白い小ぶりな箱を開ける。

 

「素敵なイヤリングね」

 

シルバーの細い金属でできた桃の花に似たものと、コットンパールにゴールドのイヤリングが入っていた。

 

「少しカジュアルかと思いましたが、お兄様とのお出かけに使っていただけたらと思います」

「ありがとう。素敵ね」

 

自分の持ち合わせにはないデザインだが、深雪が私を思って選んでくれたことが嬉しい。

 

「僭越ながら、私からも」

「ありがとう、水波ちゃん」

 

水波からのプレゼントを開けると、ボディクリームとボディスクラブのセットだった。

どちらも桜の香になっている。

 

「手の届かない範囲はご用命ください」

「あら、水波ちゃん。手の届かない所ならお兄様がお手伝いなさるはずよ」

 

半ばうっとりとした表情で達也に視線を送る深雪。

 

「そうですね。差し出がましい申し出をいたしました」

「深雪」

 

はっとした表情で頭を下げる水波ちゃんに達也が呆れたように深雪を咎めるが、深雪は失礼しましたと優雅に微笑んでいる。

悪びれも反省もしていないのは一目瞭然だった。

どこまで本気なのか、冗談なのかわからないが、深雪が楽しそうなので、私も達也も強くは言わない。

 

「今日は深雪が腕を振るいましたので、お食事にしましょう」

 

鼻歌が聞こえてきそうなほど上機嫌でキッチンに向かう深雪に、私と達也は目を合わせて笑った。

 

 

 

 

 

 

深雪と水波の一般家庭で作ったとは思えない手料理に続き、食後にはフルーツたっぷりの手作りケーキが登場した。

元々達也のためなら凝り性だったが、料理もケーキもとてもおいしくて、最近台所から離れている雅としては少し危機感を覚えていた。

料理も一通りできなくはないが、深雪のようにお菓子作りも得意というわけではないし、特に悠との婚約が決まってから、料理にも磨きがかかっている。

深雪本人は楽しみながら作っているが、和食の頻度が上がったのは達也の気のせいではないはずだ。

 

食事の後は、後のお時間はお二人でどうぞと、深雪に促され、今はコーヒーを持って達也の部屋にいる。

 

「今回の舞台はどうだったんだ?」

「剣舞は久しぶりだったから、少し緊張したわ」

 

今回の舞台の観覧に達也と深雪は声が掛からなかったわけではない。

前々から世界情勢は不安定であり、特に戦略級魔法の使用が確認されて以降、顕著だった。

達也も深雪も九重家がそれを理由に達也と距離を取ろうとするとは思っていなかったが、今回は達也の方から事前に招待を辞退していた。

達也の嫌な予感が当たるときは相当深刻な時であり、現に数日前に大亜連合が霹靂塔を使用し、更に昨日は達也が1年次に九校戦の際に開発したアクティブ・エアー・マインによる大規模な攻撃が確認されている。

南米におけるシンクロライナー・フュージョンの使用を皮切りに、戦略級魔法の使用者側のハードルは下がる一方、世間の目はより厳しさを増していた。

 

「今、刀剣を擬人化したゲームが復刻して人気が出ているそうだから、収蔵されている博物館や神社に人が集まっているそうよ」

「そうなのか」

 

魔法師を取り巻く世界情勢は厳しさを増してはいるものの、まだ日常生活にまで目に見える影響は出ていない。

人気映画やアニメのロケ地には、その作品のファンが集まることは昔からよくあることだ。

幕末ファンや戦国の歴史好きが、史跡や所縁の土地を巡るときに九重神社の名前も出てくることはあるが、ゲームが火付け役となって京都市内の各神社にも観光客が増えていたり、コラボをしていたりといったような場所もあるそうだ。

 

「なぜかウチにゲームのファンレターや刀剣宛てのお手紙が届くこともあるのよね。それに今回の舞台の蘇芳丸は、当然ゲームとは似ても似つかないんだけど、一般公開してほしいって要望もきているみたい」

「一般公開したら手が付けられなくなりそうだな」

「そうね」

 

九重神楽の人気がどれほど高くなったとしても、基本となるのは神事と日々の安寧への祈りだ。

人の観覧はあくまでもその神事を垣間見ることを許されたに過ぎない。

 

「そちらにも迷惑は掛からなかったか」

「大丈夫よ」

 

達也が一昨年九校戦のスピードシューティングのために考案した『アクティブ・エアー・マイン(能動空中機雷)』は、魔法大学が編纂する魔法大全に新種の魔法として登録されている。

四葉家での地位もなく、家の中でも厄介者扱いだったころは新魔法の開発者として注目を浴びることは避けたく、当初使用者である雫を開発者として登録することを考えていた。

当然、雫はそんな申し出を受けるわけはなく、魔法ができてからずっと仮登録状態だった。

今年の一月には四葉家の次期当主候補として名が上がったため、それを機に大学側からも半ば泣き落としに近い申し出があったことで正式に達也の名前で登録されることとなった。

 

「何かあったらすぐに伝えてほしい」

「何も起こさせないから」

 

魔法が登録されるという事は、その起動式や発動プロセスも公開されるという事だ。

大亜連合のアフリカでの戦略級魔法の使用による死者は、公式発表では八百人程度となっているが、フリーのジャーナリストや欧米メディアの報道では三千を超えると推測されている。

その地域の武装集団だけではなく、普通に生活を営んでいたはずの民間人ももちろん含まれている。

 

そして武装ゲリラはその報復に打って出た。

戦略級魔法の使用から二日後、中央アジアの大亜連合基地を強襲し、多数の死傷者を出したのだ。

 

この奇襲に使われた魔法師もまた少女だった。

ギニア沿岸西海岸出身の少女が用いた魔法は、達也が開発したアクティブ・エアー・マインそのものだった。

アクティブ・エアー・マインは、粗密波を発生させる振動場により固体を脆弱化させて破砕する魔法だ。

この魔法の振動領域にとらわれたら最後、人間は全身の骨が破砕され血袋となって絶命する。

単に競技の話で収まる魔法であればよかったが、魔法そのものに威力制限はなく、そもそも魔法大全に納められた魔法の大多数は兵器転用が可能な魔法だ。

記者会見を開いた魔法大学は、開発者に責任はなく、使用した武装ゲリラが負うべきものだと主張した。

だが、達也の目から見てもその主張がまかり通るほど魔法を使用できない者が大多数を占める世の中は優しくない。

あまりにも非人道的な魔法の有様に、怒りと憤りの矛先が向かう先は遠い海の先の国より、身近なところだ。

 

「登録自体、際どいタイミングだったな」

 

達也は登録自体にあまり乗り気ではなかったが、ひとまず雫に迷惑が掛かることはなかったことだけは幸いだと感じていた。

諦めのこもった言葉に、雅は掛ける言葉がなく、唇をかみしめた。

達也は何より魔法師が兵器として利用されることを、戦争の道具の一つとしての役割を負うことからの解放を望んでいる。

開発そのものに兵器化への意図がなくても、魔法師の力量次第で魔法は暗器にもなれば、大量殺戮兵器にもなり得る。

 

「すまない。湿っぽくなったな」

 

自嘲気味に笑う達也に、雅は静かに首を横に振る。

 

「いいの。ちゃんと心配をさせて」

 

達也は昔から自分に向けられる悪意も嫌悪も、深雪に実害がないならば、と向けられた感情を理解はしていても反応はしないようになっていた。

強い衝動を奪われた達也にとって、いくつもの嘲罵を向けられようと、悲嘆にくれることもなければ、激しい怒りを覚えることもない。

そのように達也は調整されている。

達也の強い情動は深雪が関わるものだけだ。

その中にようやく雅が含まれたことは、達也にとってこの上ない僥倖だった。

達也がたとえどんな言葉を他人に向けられても心を痛めることはないとしても、その言葉を向けられたことを知っている雅や深雪に涙を耐えさせることに不甲斐なさと罪悪感はあった。

 

「ありがとう」

 

達也の申し訳なさに対して深雪や雅が求めているのは謝罪ではない。雅は小さく微笑んだ。

 

 

 

達也はすっかり雅の手の中で冷めてしまったコーヒーカップを取り、トレーの上に置いた。

せっかく深雪が淹れてくれたのだが、もう風味も落ちてしまっただろう。

雅の誕生祝と舞台を労うつもりが、思ったより暗くなってしまった空気を切り替える。

 

「渡したいものがあるんだ」

「なあに?」

 

あまりにも分かりやすかったのか達也の気持ちを汲んで、雅は殊更明るく聞き返した。

 

「俺からの誕生日プレゼントなんだが」

 

達也は机の引き出しから焼き印の入った桐の箱を取り出した。

 

「開けてみてほしい」

 

雅に手渡された縦長の桐箱はまだ真新しく、木の香りがする。

 

「綺麗―――」

 

 

箱の中には一本の簪が納められていた。

曇り一つない金で出来た枝と柔らかい光を反射する真珠でできた桜が輝いている。

薄い花弁の花は石とは思えないほど繊細にできており、花唇にも純白の真珠が添えられている。

おそらく、CADなどの機器類を除けば雅が達也から送られた物の中で一番高価なものだった。

 

「今年が一本目だ」

 

柔らかい笑みと少し気恥ずかしさが混ざった達也の表情に、雅は少しだけ戸惑う。

 

「三本揃ったときは、返事を聞かせてほしい」

 

簪が三本というのは、とある漢字の成り立ちを意味している。

国文学にも古典にも精通している雅は当然その意味が理解できた。

雅は簪に視線を落とし、もう一度達也を見る。

あれだけ舞台に立つために自分の浮かべた表情がどうであるのか、無意識に分かるまで経験を重ねてきたのに今、自分がどんな表情をしているのか分からなかった。

頭に浮かぶのは嬉しさと驚きと、そして少しの不安。

 

「結ってみてくれないか」

「ええ」

 

雅が今まで髪を留めていた簪を抜くと、黒い髪が背に流れる。

まるで涼やかな音が鳴るかのように美しくまっすぐと伸びている。

鏡もなしに腰まである長い髪が細い簪一本でまとまっていくのは、何度見ても飽きることはない。

 

「どう、かな?」

「ああ。よく似合っている」

 

雅は達也に見えやすいように半分体を後ろに向けた。

達也の思ったとおりよりずっと、黒い髪に白い真珠の花は映えていた。

後れ毛なくしっかりと結い上げられた髪と日の光を浴びない項は、言いようのない色香を放っていた。

 

 

達也は雅の手を取る。

 

「雅」

 

頬に手を添え、正面を向かせる。

視線が重なれば、あとはいつもどおり。

雅が目を閉じると、達也は雅を抱き寄せ、唇が重なる。

最初は重ねるだけ、やわく触れては離れてを繰り返す。

 

「達也………」

 

小さく開いた口に舌先を伸ばし、熱の上がった吐息を食む。

漏れる吐息も、柔い唇も、すがるように絡める華奢な手も、まるで初めてのように恥じらうその姿も、達也にとってはすべて知っているはずなのに、こうも掻き立てられるのはなぜなのか。

体温が上がるのも、鼓動が早く刻むのも、生物的な反応と理性的な部分では知っていても、達也の行動を欲の方に傾ける。

 

結ったばかりの髪をほどいて、流れるように美しい黒髪に指を通し、そっと導くようにその先を、と達也の脳内が考えてしまうのを隅に置く。

まだ、そこまでは許されていない。

いずれその日が来ることは知っていても、少しだけ歯がゆい。

 

何度も重ねた唇を一度離して、絡めていた指をほどき、その指先を手に取る。

指先から関節をなぞるように唇を落とす。

指の付け根、手の甲、手首の内側までなぞり、掌に音を立てて唇を落とす。

魅せるために細部まで整えられた爪と、稽古で固くなった手のひらも。

 

全て知っている。

全てが美しく見える。

達也は自分の頬が緩むのを感じながら、雅は声なく悲鳴を上げていた。

 

手首に音を立てて唇を落とし、雅の瞳をとらえる。

舞台上で蕩けるようで清廉な笑みを浮かべていても、頬を上気させ、息をのむほど美しい濡れた瞳を知るのは達也だけだ。

これからも、この先も。

達也にしか見せない表情(かお)だ。

 

「可愛いな」

 

胸の奥を締め付けるようで、足元が浮き上がりそうな、それでいて少し後ろ暗い厄介な感情の名前を知ってしまったら戻ることも手放すこともできはしなかった。

 





ツイステ、書きたいとこのセリフだけ書き出しました。
かなり趣味に走ったので、日の目を見るかは不明です。


切なくて苦しくて甘い話が好きな人は、ぜひ『今度は絶対に邪魔しませんっ!』の小説版を読んでくれ。ウェブ版もあります。


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孤立編2


4か月ぶりの投稿です。
できれば、年内にもう一回投稿したいなあと思っています。

あと、twstのプロットというか、書きたいとこだけで1万5千字超えてきたので、そろそろ投稿するよう書き上げていくか悩んでます。





 

大型連休が明け、そろそろ九校戦の時期が近づき、もうじき競技種目が魔法協会を通じて大会委員会から発表される頃だ。

競技種目もそうだが、CADのレギュレーションなど、生徒会の方でも準備が進められている。

去年が大幅な種目変更があったので、今年も油断はできない。

昨年の種目は軍事色が強いという批判もあったことで競技を一昨年に戻すのではないかという噂もあり、選手選びも慎重になる。

 

そんな少しずつ忙しさを見せる学内で、私は友人たちに囲まれていた。

 

「雅、誕生日おめでとう」

「おめでとうございます。雅さん」

「ありがとう」

 

誕生日が休日に重なってしまったので、月曜日に同級生や後輩たちからプレゼントを受け取ることになった。

「そ、れ、で、司波君とはどうなの?」

「ほら、キリキリ吐きなさい」

 

両側からエイミィとエリカに詰め寄られる。

「普通にご飯を一緒に食べて終わりよ」

「えー、それだけ?」

「相変らず、ご夫婦様だこと」

 

エイミィは不満そうに頬を膨らませ、エリカは呆れたように笑っている。

流石にプロポーズのようだった、なんて言った日には学校中に話が一瞬にして回るに違いない。

思い出すだけでまだ口もとが緩んでしまうような、浮足立つような気持ちだが、少しだけ不安な気持ちを拭えはしない。

 

達也に対する不安ではない。

漠然と将来に対する悩みというものでもない。

達也にも話はまだできない。

話さずに済めば良いとは思うが、おそらくそれは許されない。

雄弁に瞳に、態度に私に対する思いが滲むたびに、少しだけ胸を苦しくさせる。

 

「でも雅、益々綺麗になったよね。恋は女の子を綺麗にするっていうけど、私でもドキッとするぐらい綺麗だもん」

「確かに。愛のなせるワザよね」

「はいはい」

 

どうにかこうにか、私と達也のことを聞き出そうとする二人をほどほどに相手にしつつ、やはり何度聞かれてもこの手の話題は慣れない。

 

「美月?どうかした?」

 

会話に加わるでもなく、プレゼントを渡したきりぼんやりとした様子の美月にエリカが声をかけた。

ただ聞き役に徹していたという雰囲気でも、興味がないといったような雰囲気でもない。

 

「あ、いえ。なんだか雅さん、本当に綺麗なんですけど、こういった表現が正しいのか分からないのですが」

 

自分でもよくわかっていないといった風に、困り顔で美月は言葉を選んで話し出した。

 

「なんだか桜の舞い散る間に消えそうというか、木漏れ日の中で目を奪われた一瞬で光に霞そうなほど、オーラがすごくて」

 

美月の眼は少し特殊だ。

霊子放射光過敏症という、魔法師が魔法を使用する際に活性化する非物理的な霊子光に対し、過剰に反応してしまう症状がある。

オーラカットレンズと訓練で早々なことがないと見えにくいとか眩しいことはないという程度にコントロールできていると言っていたが、今の私は少し直視しにくいようだ。

 

「瞬きの間に幻だったんじゃないかって思えるほど綺麗ってこと?」

「なんだか、そんな感じです。雅さんって舞台前後は本当に眼鏡で抑えてないと精霊の集まりもオーラの密度もすごいんですけれども、年々それが増しているなあと思います」

 

少しだけ眩しそうに美月が目を細めた。

精霊を少しだけ散らしてやると、ほっとしたように美月は肩をなでおろした。

 

「舞台前後は美月にあまり近寄らない方がいいってことかしら」

「あ、いや、そんなことはないです。私がもっとコントロールできるようにならないといけないので」

「珍しい。雅が意地悪だなんて」

「え、あ、冗談だったんですか?」

 

エリカと私の顔を見ながら、美月が狼狽えている。

 

「浮世離れしているって表現は兄のものだったから、少し驚いただけよ」

「確かに雅のお兄さんはまた違った次元の美って感じよね。舞台上じゃなくてもこう光輝いているって感じがするのよね」

 

しみじみとエイミィが頷いた。

 

「深雪さんと並んだら、とてもお似合いでしょうね」

「それは深雪に直接言ってあげて。きっと珍しい表情が見られるだろうから」

「そちらもお熱いようで」

 

エリカは楽しそうに口元を緩めた。

深雪も近しい私より、いわゆる恋バナめいたものはエリカとかの方が話しやすいのかもしれない。

 

「それじゃあ、私はこれから部活連だから」

「九校戦の準備が始まるんだっけ?」

「ええ。近々今年の競技が発表になると思うから、その準備ね」

 

去年は舞台の都合があって大会参加は辞退したが、私も部活連の会頭として今年は参加の予定だ。

 

「去年はだいぶん競技変更があったから、今年は元に戻るのかな?」

「残念ながらまだ何の情報も入っていないのよね」

 

2年生の時の九校戦は、直前になって大幅な競技の変更があった。

競技というより軍事訓練といっても差しさわりないようなものだったので、一部の界隈からは反対の声も大きい。

昨今の魔法師を取り巻く情勢は厳しいが、現段階では規模の縮小などの話もなく、今年も大会は予定されている。

部活連でも新入生も入ってきたので、成績優秀者の得意魔法や競技経験などを調査している段階だ。

 

「それじゃあ、また」

「またね」

 

私は三人と別れて、部活連へと向かった。

 

 

 

 

窓の外の桜はすっかり散り、今は若葉の緑が眩しい。

 

「進んでいるのか…」

 

呟いた言葉は、誰もいない空間に溶けて消えた。

移ろいやすく、形のない心を見通すことができたら、こんなにも悩まないだろうか。

達也から答えを貰うことができた。その先も望んでくれていることも教えてくれた。

それでも、未来は決まったわけではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大亜連合に対してゲリラが使用したアクティブ・エアー・マインが非人道的な魔法として非難され、その開発者である達也も矛先を向けられて数日。

開発者そのものを非難するマスコミの活動は会見を行った日曜日とその次の月曜日で終わり、次に非難の矛先を向けられたのは九校戦だ。

 

昨年度の九校戦は、参加している高校生から見ても軍事色の強い競技となっていた。

スティープルチェース・クロスカントリーは、元々軍の鍛錬を競技用にアレンジしたものであり、罠の仕掛けられた山中を魔法を使って駆け回るという競技に大会前から危険性が示唆されていた。

一種目だけではなく、従来のスピードを競うバトルボードと比べて、ロアー・アンド・ガンナーは水上走行しながら的を狙う海軍の訓練項目に似ており、シールドダウンは近接戦闘訓練をアレンジしたものだ。

魔法科大学付属高校の軍事化と取り沙汰され、やり玉に挙げられた大会委員会は急遽、名目上大学側と情報管理体制と大会の在り方について検討するためとして、今年度の大会自体を中止とした。

 

あくまで九校戦中止にアクティブ・エアー・マインの開発が影響しているとはしていないものの、世間の論調に負けたという体はいなめない。

いきなりのマスコミの論調変化には作為的なものを感じさせるが、はっきりとした情報はまだ入ってきていない。

 

 

 

 

2097年5月12日(日)

 

一高内では直接達也へ九校戦中止への不満を訴える者はいなかったものの、内心はくすぶっている者も多く、第一高校以外の学校は完全なとばっちりだと校内では非難の声が飛び交っていた。

そんな逆風の中、ロサンゼルスの現地時間13時、日本では12日の朝のこと、『ディオーネー計画』という国際的なプロジェクトが情報公開された。

 

ディオーネー、ディオネとは、土星の衛星の名でもあるが、ギリシャ神話の女神でもある。

その計画は木星圏の資源を利用して、金星のテラフォーミングを進めようというなんとも夢物語な計画だった。

金星は地球に近い惑星と言われており、惑星の大きさや重力は似ているものの、分厚い二酸化炭素の大気と硫酸の雲、高温の地表からして、人が住むことができるレベルの環境改善は困難とされている。

通常技術では極めて困難な大気の環境変化を魔法で行おうとしているのが、この計画の趣旨だ。

 

これがあくまで無名の一般人からの発表であれば、誰にも見向きもされなかっただろう。

だが、この計画を発表したのはエドワード・クラークという技術者であり、USNA国家科学局お抱えの人材ともあれば、魔法師の界隈からの注目は集まる。

まだ当然根回しもされていない、アメリカが独自に発表した国際プロジェクトに必要な人材として、更に九人の名前が挙げられた。

その中に魔法工学の大手メーカーのローゼン・マギクラフトの社長やマクシミリアンデバイスの社長の名前、新ソビエト連邦国家公認戦略級魔法師、通称十三使徒の一角のイーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフとイギリスの戦略級魔法師、ウィリアム・マクロードの名前が挙げられていた。

ただ、机上の空論ともいえるそんな計画に日本のマスコミが食いついたのには理由があった。

 

「もうひとり、協力を要請したい人物がいます。彼は所属国では未成年のため、氏名の公表は控えますが、『トーラス・シルバー』という技術者で、日本の高校生です」

 

 

私がこのニュースを聞いていたのは、実家での朝のお勤めを終え、朝食後のことだった。

 

「甚だ迷惑なことだね」

「本当ですね」

 

ニュースのコメンテーターは荒唐無稽と断じたり、そんな世紀的なプロジェクトに関わることができる高校生は誇らしいと口先で言ってみたり、論調は今のところ情報が少なく表面的なものに過ぎない。

私の知る限り、事前の下話もなければ、計画の噂さえ流れてきていない。

情報統制が行われていたのか、はたまた計画が出来上がってからまだ日が浅いのか。

いずれにせよトーラス・シルバーが誰なのかというのを知っていての参加要請と見立ててよいだろう。

 

「ネーミングは洒落ていて随分先進的な計画だが、人柱は宇宙にも立てられると思っているのかな」

 

次兄は計画そのものを訝しい表情で眺めていた。

 

「ギリシャ神話のディオネは、ゼウスとの間にアフロディーテを生んだ妻の名だ。女神誕生の再現とはずいぶん神様気取りといったところかな。公開文章を落としておいたから、読んでみる?」

「拝見します」

 

兄からタブレットを受け取り、現地で公開された文章を読む。

ギリシャ語のゼウスは英語でジュピターであり木星、同じくアフロディーテは英語ではヴィーナスであり金星。

この神話が基に木星圏の資源を利用して、金星のテラフォーミングという話に繋がってくる。

 

プロジェクトは4つの段階で構成されている。

第一に地上から宇宙へ資材等を打ち上げるために加重系・加速系魔法を利用すること。

第二に小惑星帯からプロジェクトに必要な金属資源を魔法師の手で採掘すること。

第三に木星から水素を採取し、金星に運ぶ運搬手段として魔法を使うこと。

水素はニッケルを触媒にして、高温高圧下で水を生成する。

第四に衛星の表面から氷を切り出し、金星の大気圏に向けて射出し、金星の気温を下げること。

これが計画の概要だ。

 

「第一段階については、戦時中の事故を教訓に解決は見えていそうだ。第二段階も推進剤不用の魔法師が船外活動を行うことで、地表からの採掘は幾分スムーズだろう。まあ、採掘したところで純度の問題があるから鉱夫として相当人数と時間を割く必要はあるね。第三段階は第二段階で採掘したニッケルを触媒に高温高圧下で水素と二酸化炭素を反応させ、水とメタンを生成する。水があれば、藻類の光合成で酸素生成が進められるっていう事だね」

「第三段階で生成された水蒸気もメタンも二酸化炭素を上回る温室効果ガスであるため、ただ金星に送るだけでは温暖化を加速するだけなので、第四段階で衛星から氷を切り出し金星の大気に大量に含まれる濃硫酸と氷を反応させて気温を下げるという事ですか」

 

読めば読むほどにコストも規模もけた外れの計画だ。

そもそも金星と地球の距離は、周期にもよるが3950万〜2億5970万kmと言われている。

地球の外周をおよそ4万キロ、金星との位置を4000万キロとしても地球を千周して到達するかどうかの距離だ。

水素燃料を途中調達できるとはいえ、金星までの距離も地球への帰還も容易ではない。

一足飛びにその距離を移動はできないから、おそらく途中にいくつもの中継基地やプラントが建設されるだろう。

第三段階から第四段階への運搬と受取にも魔法師が常駐することになり、また運搬用の人工衛星も数基というわけにはいかない。

さらにプロジェクトに参加する魔法師は長期間、宇宙に滞在することになり、無重力下の骨密度や筋力の低下の影響を鑑みて帰還するにしても、すぐ宇宙へ飛び立つことになるだろう。

おそらくこれから生の大半を宇宙で過ごすことになる。

 

「近年は戦争の影響で宇宙開発が中断されて停滞している。そこに一石を投じる意味はあるし、人類的な視点で見れば金星の開発は有意義だろう。ただ、現状、そこに捧げる人生に意義は見出せそうにないね」

「人柱というのは、金星開発のために魔法師が長期間拘束されるという事ですか?」

 

それでは部品としての魔法師に変わりない。

達也の真に目標とする魔法師の自立とは程遠い。

 

「むしろ意味としては流刑に近いかな。都合の悪い魔法師を地球から追い出すだなんて、いかにも人間主義が喜びそうな主張にも聞こえるね」

「発案のエドワード・クラークはUSNAの魔法工学の技術者ですが?」

「人はいつでも自分の利益に忠実だよ」

 

魔法師というコミュニティにあったとしても、そこのなかでも当然利害の対立は生まれる。

ローゼン・マギクラフトとマクシミリアンデバイスは、ここ数年、フォア・リーブス・テクノロジーに業績で追い上げられている。

元々シルバーシリーズは安定した性能を維持していたが、近年では飛行術式の開発とそのデバイスの提供、完全思考型CADの量産と目覚ましい発表が続いている。

その立役者、フォア・リーブス・テクノロジー所属の匿名の天才技師、トーラス・シルバーというのが達也と牛山さんだ。

トーラス・シルバーの参加を協力するという事は、おそらくあちらの関係者にも達也がトーラス・シルバーの一人であることは割れている可能性が高い。

 

「達也がどんな風に答えを出すのか楽しみだね」

 

閉じられた兄の眼はここではない、どこかを見ていた。

 

 

 

 

 

 

週明け月曜日

 

「師匠、すみません。しばらく修行に来ることができなくなります」

 

達也は早朝の九重寺での稽古ののち、八雲にそう切り出した。

 

「構わないよ。君は僕の弟子というわけではないから、堅苦しく考える必要はないよ。いつ辞めてもいいし、手が空いたら何時でも相手をするよ」

「ありがとうございます。師匠」

 

弟子ではないと八雲に言われたものの、達也は自然と師匠と口にしていた。

 

「一応事情は聞いておこうか。先日のUSNAの宇宙開発が原因かい?」

「直接的な原因はそうです。しばらく伊豆の方に謹慎するのと、併せて調布の方に引っ越すことになります」

 

百山校長宛てにUSNA大使館を通じてNSA(国家科学局)から書状が届いたと聞かされた。

簡単に言えば達也がトーラス・シルバーであり、ディオーネー計画に参加できるよう取り計らってほしい、という内容だった。

無論、トーラス・シルバーであることを肯定したわけではないが、校長からは学科免除、試験免除で卒業資格を与えるとのことだった。

四葉家にそれを報告したところ、謹慎のポーズをとってほとぼりを冷ます方がよいという意見であり、達也もそれに従う予定だ。

伊豆の方は達也の母が静養で使用していた別荘があり、調布には四葉の拠点ビルが置かれている。

 

「引っ越しとなると深雪君たちが引っ越しして、状況が落ち着いたら君も調布に移るというわけだね」

「はい。遠くはなりますが、通えない距離ではないですので、また稽古をつけていただきたいのですが」

「構わないよ」

 

修行に来ることができないと言った時と同じように、八雲はうなずいた。

 

「それにしても、君にとって調布と伊豆はひとっ飛びの距離だろうけど、一瞬ではないだろう」

 

八雲は一瞬、雅に目を向けた。

 

「心配ではないと言えば嘘になりますが、深雪や雅に学校を休ませるわけにはいけませんから」

「深雪君のところは追加で護衛が手配されるだろうけれど、君と比肩する手練れは早々いないだろう。解決には時間がかかりそうだから、僕の方も目を光らせておくよ」

「よろしいのですか」

 

雅は八雲にとって、姪ではあるが、達也が弟子でない以上、深雪は知り合いの域を出ないはずだ。

その雅も親族とはいえ、八雲自身、俗世との関りを是としているわけではない。

 

「僕もまだ死にたくはないからね」

 

八雲は待っていましたと言わんばかりに唇を吊り上げた。

 

「どういう意味でしょうか」

「深雪君や雅に万が一のことがあったら、君は世界を滅ぼしてしまうだろう」

 

達也は何も言い返せず、口を噤んだ。

もし、また雅に万が一のことがあったら。

もし、深雪が命を落とすようなことがあったら。

果たして達也は正気でいられるか、自分から二人を奪った世界に対して何もしないでいられる自信がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

達也が校長から学科免除を申し渡されてから三日。

達也自身学校には通学していたものの教室には向かわず、一日中図書館にいた。

同級生たちもさすがにただ事ではないと気が付き始めているが、達也は沈黙を貫いている。

そして日本時間で木曜日の放課後の時間帯。

ディオーネー計画の参加者として、名前が挙げられていた新ソ連のイーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフが正式に計画への参加を表明した。

 

USNAと新ソ連はいまでこそ休戦状態だが、対立の溝は深い。

しかも十三使徒ともなれば国家の防衛にも関わる重要な魔法師だ。

それをUSNAの計画に参加させる可能性は低いとみなされていたが、世間の予想に反して計画に前向きな姿勢を見せている。

魔法の平和利用に積極的だというポーズとも取れるが、USNAの同盟国である日本の協力、具体的に言えばトーラス・シルバーが参加をしないというのは、外交的に見ても面倒なことになる。

 

「本当にベゾブラゾフ本人なのでしょうか」

 

深雪が帰宅後録画していたニュースを見終わって真っ先に口にした感想は、テレビに出ていた男性が本当に十三使徒であるベゾブラゾフ本人であるかどうかの疑問だった。

十三使徒はその戦略的な価値から暗殺や呪殺を避けるために名前は公開されていても、容姿が表に出てくることはあまりない。

先般の大亜連合のプロパガンダめいた戦略級魔法の使い手とされる少女は例外的な方だ。

特に新ソ連はいままで名前と術式の名称こそ公開していたものの、それ以外の情報はかなり秘匿されていた。

ここにきてディオーネー計画が持ち上がってからの顔出しとなると、素直に本人であるとは思えない。

 

「影武者の可能性はあるが、本人であるかどうかというのはそれほど重要ではない」

「どういうこうとでしょうか?」

 

深雪の疑問に達也は先ほどのニュースの冒頭から再生した。

 

「重要なのは新ソ連がUSNAの計画に協力姿勢を見せたことだ。大亜連合やインド・ペルシアも強国だが、世界政治の中心は米ソの対立だ」

 

このあたりの内容は中学でも勉強する範囲であり、深雪も水波も納得の表情だ。

 

「その新ソ連がディオーネー計画は国際社会における勢力争いの例外であるとした。この際、計画に関わる新ソ連の貢献度はさほど重要ではない。USNAの敵国である新ソ連が協力姿勢を見せたことで、USNAの友好国はディオーネー計画を無視できなくなった。……………もしかしたら、新ソ連とUSNAはこの件に関して口裏を合わせているのかもしれない」

「その二か国が手を組んだとして、目的は何なのでしょう」

 

小首をかしげて深雪が(たず)ねた。

 

「通常兵力では質量共に米ソが抜きんでている。大亜連合も軍備拡大を進めていたが、昨年の損害からは立ち直れていない」

 

他人事のように語ってはいるが、その大亜連合に壊滅的な損害を与えたのは達也本人だ。

 

「魔法は俗人的な力だが、通常兵力は政治力と経済力に支えられている国家の力だ。核兵器が事実上禁止されている以上、経済力はそのまま国家の力とみなされる」

 

日本も経済力で言えば、強国の一員だが、軍事に割ける割合は米ソに遠く及ばない。

 

「世界は魔法という要素によって辛うじて大国に呑まれることなく現在の形を維持している。小国が大国に対抗するには、魔法はなくてはならない要素だ。だからこそ、魔法の軍事利用を一概に否定できないのだが」

 

達也は一度言葉を区切った。

達也は魔法の非軍事的利用を目指している。魔法師が軍事システムのパーツとなっていることから役割を解放することを目標にしている。

魔法兵器に意義があると達也としては口にしにくい面があった。

 

「つまり、強い魔法師をプロジェクトに集め、他国の魔法戦力を削るのが米ソの狙いということでしょうか」

 

達也の葛藤を見越してか、深雪がそう結論付けた。

 

「そう考えれば辻褄があう」

 

ここにきて、達也は自分自身の計画の欠点を理解した。

魔法師を人間兵器から解放するという基本理念に変わりはない。

魔法師が兵器として消耗される、消費されることを肯定できるわけがない。

だが、魔法師という存在は一朝一夕に増えるものではない。

経済活動に従事する魔法師が増えることで、軍事分野に高レベルの魔法師が不足するなら、小国は大国に対抗できなくなってしまうのではないか。

大国が小国を呑みこみ、分割支配するようになれば、植民地時代の再来、泥沼の地域紛争が起こる未来しか想像できない。

 

抑止力の必要性。

自分の手の中にある大量破壊兵器の存在。

未来がどうあろうと、その存在を達也が背負う事。

その重みに対する覚悟を、達也はこの日再認識した。

 





追憶編、アニメ化するんですね。
ショタのお兄様………


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孤立編3


皆さま、お久しぶりです。
本年もよろしくお願いいたします。

しばらくまた忙しくなりそうですので、次は4月ごろの投稿かもしれません。お待たせしていますが、次回は甘くなる予定です。


感想・コメントいつもありがとうございます。
まだまだ読んでくださる方がいると嬉しいですね。
お返事できず、申し訳ないです。
質問には順次答えていきますので、しばじお待ちください。




 

日本魔法協会の会長は百家の数字付きから選ばれることが慣例となっている。

改選は毎年6月に選挙で行われ、7月から新体制となる。

給料は当然出るが、あまりうまみのあるポストでもないため、三年以上続けて会長を続けた人物はいない。

 

現在の会長は、十三束翡翠(とつかみ ひすい)

第一高校に所属している十三束鋼の母であり、昨年7月に就任して1年目だ。

彼女は今、どうせ持ち回りのようなものだからと軽い気持ちで会長職を引き受けた自分を呪っていた。

 

「この度は、ご多忙のところ面会の機会を頂戴し、ありがとうございます」

「十三束さんも、こちらに移られて1年が経つころかと思いますが、お変わりありませんか?」

「はい。こちらの生活には、随分と慣れました」

 

十三家は東京湾東岸地を拠点としているが、協会の会長は京都の本部に常駐しなければならない。

実家の事業の方は夫が切り盛りしており、単身赴任という形で翡翠は京都に住んでいる。

 

千葉家が警察関係者に強いコネクションを持つように、七草家が国防軍情報軍とつながりがあるように、魔法師の家は大なり小なり、支持団体や協力関係にある部署がある。

奈良・生駒地方拠点とする九島家や関西を監視している二木家も同様だ。

だが、京都というのは土着の、正確に言えば古式魔法師の勢力が強い地域だ。

滋賀の比叡山を祖とする流派や各神道系、陰陽系など、古い家々が脈々と血を継いでいる。

当然、衰退の一歩を辿るものもあるが、その存在は無視できない。

翡翠が訪れていたのは、その中でも神道系の最大派閥ともいうべき、九重家本家だった。

流石に当主に面会は叶わなかったが、当主婦人である九重桐子とアポイントが取れた。

 

「最近は日中随分と汗ばむようになりましたので、お体にはお気をつけください」

「ありがとうございます。そちらもどうぞご自愛ください」

 

気候の挨拶は無難なものだった。

確かに一般的には汗ばむ気候だが、汗は汗でも、翡翠の背中に流れているのは冷や汗だった。

『お忙しいならこちらから出向きましたのに』なんて遠慮じみた言葉に隠されて、面倒事はそっちで片付けろと言われなかっただけまだ望みがあると、自分自身を奮い立たせていた。

 

「それで、今日はお願いに参りました」

「お願いですか」

「はい」

 

口の中が急速に乾いていく。

胃の痛みは無視するしかない。

まだ威圧的な雰囲気は感じられない。

それでもこの場でこの話を持ち込むという事がどれだけのことかということは理解していた。

 

「―――ご息女の婚約者である司波達也氏のことです」

「まあ、達也の」

「実は先日、USNAの大使館から書状を受け取りました」

 

桐子は翡翠の話をじっと聞いていた。

百家の中でも社会人としてもそれなりに揉まれてきた翡翠でもその表情から感情はうかがえない。

無表情なのではなく、好意的なのか敵対的なのか、感情の波が読み取れなかった。

 

「そこにはトーラス・シルバーが第一高校の司波達也氏であると記載されていました」

「それで、なぜ私共のところへ?」

 

確かに、九重雅と司波達也は婚約関係にある。

だが、まだそれだけだ。

実際に婚姻関係にあるのと、単なる婚約者では話を通すのにも筋違いと言われてもおかしくはない。

 

日曜日にディオーネ計画が発表された時、魔法協会はそれほど危機感を抱いていなかった。

いくらUSNAでも、イギリスと新ソ連から魔法師、それも戦略級魔法の使い手を招くのは無理だと考えていた。

ところが日本の予想はことごとく裏切られ、半ば未だに敵対関係にある新ソ連が協力姿勢を見せたことで、日本側も対応を迫られていた。

魔法師が人類未来を切り開く平和利用というのは非難のつけようのない理想だ。

しかもそれが人類の未来に繁栄をもたらすともなれば、反魔法師団体に対する反論意見の大看板になる。

各国が協力を要請されている中、USNAの同盟国である日本が協力しないという事はあり得ない。

具体的に言えば、トーラス・シルバーを差し出さないということはできないに近い状態だ。

 

「ぜひ、彼がプロジェクトに参加するようお口添えをお願いしたく」

 

できるだけ柔らかい口調にしたかったのだが、半ば絞り出すような声になってしまった。

膝の上で重ねた手は震えないようにするのが精いっぱいだった。

間違いなく、人生最大の修羅場だった。

 

「十三束さん」

 

桐子の表情は相変わらず読めなかった。

 

「神々を数えるときには、柱という単位を用いるのがご存じですか」

「え、えっと、はい」

 

なんとなく、そういう話は聞いたことがあった気がした。

だが、話の流れが読めず、返答には疑問が混じる。

 

「宇宙に柱を立てたところで、果たして人である魔法師が立てる柱はなんと呼ぶのでしょうね?」

 

それは、拒絶と相違ない返答だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日曜日。達也は伊豆へ、深雪は調布の四葉本家ビルへ引っ越しをした。

雅の荷物も多少あったので、調布の四葉本家ビルの客間の一室をそのまま居室として使用できるように荷物が移されている。

余談だが、雅の部屋は深雪より達也の部屋に近い場所に置かれている。

寝室も同じにしようかという深雪と水波の提案に達也も雅も同じタイミングで首を横に振った。

流石にその気遣いは必要なかった。

 

達也が通学しなくなってからも、深雪と雅は普段どおり学校で授業を受け、生徒会や部活を行っていた。

続けて達也が休みを取っていることから、生徒たちも何かあったのだろうと薄々思ってはいるものの、面と向かって深雪や雅に問いかける者はいない。

あくまで卒なく何事もこなしているからか、クラスメイトにはいつもと同じに見えていたに違いない。

だが、実際のところ深雪の寂しさと不安を抱えていた。

仲の良いエリカたちには気づかれていたようで、心配もしていた。

 

 

そんな深雪のもとに、またも信じたくない情報が入ってきた。

日付は22日(水)の夜のこと。

調布のマンションに深雪と雅、水波に加え、亜夜子が来ていた。

水波は三人分のお茶を用意すると、部屋の外で待機している。

お呼びがかかるまでは彼女は家具と変わりない静かさだ。

 

「亜夜子ちゃん、今日はどんなご用事なのかしら?」

 

深雪と亜夜子は親戚関係にあるが、親しく遊ぶ間柄ではない。

どちらかと言えばライバルという関係に近い。

総合的な魔法力で言えば、当然深雪に軍配が上がるが、亜夜子の達也を慕う気持ちに複雑な思いを抱いていた。

亜夜子の得意とする疑似瞬間移動は、達也の協力があって完成したものだ。

そしてもう一つ、極散の魔法は隠密行動に特化しており、深雪でも同じ魔法を亜夜子と同レベルで使いこなすことはできない。

単に恩人として達也に好意的ならばそれでよいのだが、年齢も近いせいか、達也が絡むとなると意識しないわけにはいかない間柄だった。

 

「今夜の私はただのメッセンジャーですよ、深雪お姉様」

 

二人が微妙な緊張感をはらんだ笑みを浮かべる。

だが、それは長くは続かない。

普段なら達也や文弥のフォローが入るが、雅の手前もあってか、深雪が先に緊張を解いた。

 

「叔母様からのご伝言?」

「ええ、そうです」

「聞かせて頂戴」

「はい。近日中に国防軍が達也さんに対して拉致を試みる可能性が高まりました」

「そうですか」

 

亜夜子が拉致という強い言葉を使ったにもかかわらず、深雪の反応はあっさりとしていた。

同席している雅の表情にも驚きは見られない。

 

「私はお兄様ほど国防軍を信頼しているわけではありませんから」

「達也さんが国防軍に所属しているのは信頼しているからではないと思いますが」

「そうね。でも親しくされている方がいれば、多少なりとも情が移るものでしょう」

 

達也は強い情動をつかさどる領域に人工魔法演算領域を植え付けられているが、あくまで強い情動に関する部分であり、感情がすべて白紙化しているわけではない。

特に軍で同じ訓練を受け、生死を共にした仲であれば、結果として切り捨てるにしても無感情にできるほど達也は非情ではない。

亜夜子は深雪の口ぶりに意外さを覚えつつも気を取り直して、本題に戻った。

 

「日時の詳細がつかめれば、追って連絡いたします。ですが、私にできるのはそこまでです」

「亜夜子ちゃん、もう少し分かりやすく言ってもらえる?」

 

深雪は察しが悪いわけではない。

だからこそ、顔色こそあまり変えなかったものの、問いただす口調は強いものだった。

 

「つまり、本家も分家も情報以上の協力はできないという事です」

「それが叔母様の決定なのね?」

「はい」

 

亜夜子が肯定するやいなや、室内の室温が急激に下がった。

テーブルのお茶が氷結し、亜夜子の髪や服にも氷が付き始める。

 

「亜夜子ちゃん、本気で抵抗しないと凍ってしまうわよ」

 

深雪は今、CADを使っていない。

それでも感情の高ぶりによって事象への干渉が起きている。

 

「深雪」

「いいんです、雅様」

 

雅が深雪を諫めるが、亜夜子は深雪から視線を逸らさなかった。

亜夜子とて、この決定は不服だ。

だが、同時に四葉家が今、国防軍と敵対する時期ではない。

いくら次期当主としてほぼ内定している達也のためとはいえ、四葉家全体が国防軍から目を付けられ、追われるには帳尻が合わない。

亜夜子でもわかることだ。

聡明な深雪に理解できないはずがない。

 

「どうぞ、お気のすむまま」

 

血の気の引いた唇を震わせながら、気丈に亜夜子は答えた。

 

「そう…」

 

深雪がそうつぶやくと、室温が元に戻る。

 

「―――深雪さま、雅さま、何事ですか?」

 

扉を遠慮なく水波が叩いている。

 

「水波ちゃん、入ってきて」

「失礼します」

 

水波が許可を得て入室し、部屋の惨状に言葉を詰まらせた。

部屋中が結露していた。

部屋の外からでも魔法に類する事象干渉が起きていたことは感じていた。

深雪と雅の周り以外がぐっしょりと濡れ、亜夜子の服や髪も濡れ、顔は青ざめている。

一度室内の水分が部屋の急激な温度低下によって冷やされ、水蒸気が水滴になったことが伺える。

 

「亜夜子ちゃんをお風呂にお願い。ここは私が乾かしておくから」

「かしこまりました。亜夜子さま、こちらへどうぞ」

「ありがとう」

 

水波に促され、亜夜子は席を立った。

部屋から出る前に一度亜夜子は足を止めた。

 

「深雪お姉様」

「何かしら」

 

亜夜子は振り返らなかった。

 

「先ほどの、今のお姉様はご当主様そっくりです」

「そう」

 

深雪の声は罪悪感もなければ、特別な感情もない冷たいものだった。

 

 

 

 

亜夜子が部屋を出てすぐ、雅はCADを起動させ、部屋を乾かした。

 

「すみません、お姉様」

「いいのよ」

 

雅には深雪の怒りも四葉家の思惑も理解できる。

今頃は達也のところにも文弥が同じ情報を伝えているはずだ。

 

「私も手伝うわ」

「お姉様にご協力いただくわけにはいきません」

 

四葉家が国防軍と事を構えないよう、九重家がこの件に介入するのは問題がある。

 

「そうね。たまたま、深雪と私で伊豆に遊びに行ったら、予定外のお客様がいらっしゃったとしても、私は咎められないわ」

「ですが………」

 

雅の言い分は詭弁だ。

 

「お願いよ」

 

雅は今までも達也が苦しい状況に置かれると知っていながら、動くことができないときが多かった。

あれこれと情報は渡すことはできても、その場にいることができない。

足手まといにならない実力があっても、雅は無条件に達也を手助けすることできない。

それだけ九重家の名前は重い。

重いからこそ動くべき時に動けるように、足元をすくわれないように、慎重に潮流を見極めなければならない。

 

「お兄様が良いとおっしゃるなら、深雪は何も言いません」

 

狡い言い方だと思う。

本当であれば、雅を巻き込まないために断らないといけないことは十分理解している。

けれど何もできないもどかしさは深雪も痛いほどよくわかる。

世界は常に達也に対して優しくはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

土曜日の夜。

伊豆の別荘にいる達也のところに、間違うはずのない「情報」が近づいてきていることを知覚し、作業場を離れ、玄関外の駐車場まで迎えに出た。

後ろ側の窓ガラスがスモークになっている大型セダンが静かに停車する。

運転席から名目上達也付きとなっている四葉家使用人の花菱兵庫、助手席から水波が降りてきた。

二人はそれぞれ達也に一礼した後、後部座席のドアを開ける。

 

「お兄様!」

 

優雅さは損なわないまま、はやる気持ちを抑えきれない様子で、深雪が達也に駆け寄った。

 

「よく来たね」

 

駆け寄ってきた深雪を達也はそのまま抱きしめる。

 

「お会いしたかったです、お兄様」

 

深雪は名残惜しそうに達也の背中に回していた手をほどいた。

深雪に少し遅れるように雅も達也の前に立った。

 

「連絡なしにお邪魔してごめんなさい」

「いや、気にしなくていい」

 

流石にどこに目があるか分からない状況であるため、雅がその場で達也に抱き着くようなことはなかった。

深雪と一緒に来ていることは家の中からでも把握していたが、実際に雅もいることには素直に驚いた。

 

「久しぶりね、達也」

「ああ、久しぶり」

 

以前は半年近く会えないことも多々あったのだが、達也が思う以上に久しぶりという感覚はしっくりときていた。

 

 

 

 

深雪たちは一泊程度の荷物は持ってきていたが、それはすぐさまピクシーによって取り上げられ、四人はそのままリビングへと移動した。

兵庫には明日の夕方に迎えに来るように言いつけてある。

四人とも夕食はまだだったため、準備に取り掛からせようとしたところで、水波とピクシーにひと悶着あったのだが、達也がマスター権限で水波が準備できるようにさせた。

ピクシーには今もパラサイトが寄生しており、ロボットらしくという達也の命令には名目上従っているが、不満そうなのは気のせいではないはずだ。

 

夕食後は、バルコニーにテーブルと椅子を並べ、深雪、雅、達也の三人は外の風に当たっていた。

時刻は九時を過ぎているが、山間の爽やかな風が流れ、暑すぎず、寒すぎず、心地の良い季節だった。

ここは、達也と深雪の母である深夜が静養していた場所だ。

喧騒から遠く、自然に囲まれているため、体を休めるには適した環境だ。

母が使っていた場所という感傷は深雪も達也も特に抱いてはいない。

 

「ここは気持ちのよい場所ですね」

「ああ、そうだな。時期もいい時期だろう」

 

深雪の長い髪が風になびいている。

室内から照らされた光が白い肌を照らし、黒真珠の瞳が薄暗い中でも光を煌めかせている。

 

「なんだかこんなにゆっくりしたのは、久しぶりね」

 

雅の髪は丁寧に結いこまれていて、達也が送った銀の髪飾りが光っている。

白い首筋につい視線が向いてしまう。

深雪は達也が長めに不在のときや、達也の身の周りのことをできないとなると、気を紛らわすためか、元々の性分なのか、雅の手入れに熱が入る。

今日の手の込んだ髪も、深雪の力作だろう。

 

天上の美と閑雅なる美。

色彩こそ似ていても、目の前に広がる異なる美しさは、時間が許されるのならいつまででも見ていられた。

 

「どうしたの?」

「お兄様、そんなに見つめられると流石に恥ずかしいのですが」

 

くすくすと口元を押さえて恥ずかしそうに笑う二人に、達也はようやく二人を凝視していたことに気づく。

 

「すまない、つい見とれていた」

「そんな、お兄様…………」

 

深雪はついに顔を赤くして手で顔を隠してしまう。

雅も所在なさげに膝の上に置いた指を組み替えている。

どうやら会いたいと思っていたのは、達也の方だったようだ。

感情にブレーキがかからないというのは厄介だと改めて思う以上に、色鮮やかな歓喜を限定されない普通の人に少しの嫉妬も感じる。

 

「このとおり謝るから、顔を見せてくれないか?」

「……はい」

 

少し赤みは引いたものの、深雪は達也の方は見れなくて、困ったように雅に視線を投げかけていた。

 

 

 

「真面目な話をしてもいいだろうか」

 

達也の声色を感じ取ったのか、深雪も雅も居ずまいを正して、達也と視線を合わせた。

 

「二人が今日来てくれたのは、明日のことを知ったからか?」

「そうです。お兄様もご存じですか?明日訪ねてくるのが十文字先輩だけではないと」

「文弥から聞いている」

「そう、ですか」

 

木々が風に吹かれ、揺れる音が遠くで聞こえる。

 

「二人に危ない真似はさせたくない」

「分かっているわ」

「存じています。達也様と十文字先輩の戦いに手出しは致しません」

「十文字先輩の来訪は話し合いが目的だぞ」

「それだけでは済まないことは達也も理解しているでしょう?」

「そうだな」

 

十文字克人が達也を訪ねてくる名目は、USNAのディオーネ計画への参加要請だ。師族会議で達也がディオーネ計画への参加求められているトーラス・シルバーであることは魔法協会会長である十三束翡翠が招集した十師族会議で公にされている。

真夜がもちろん、その場で達也がトーラス・シルバーであることを肯定したわけではなく、参加についても当然断りを入れている。

他の家々もおおむね、真夜の意見に賛同する者であり、七草家と十文字家、二木家はそれぞれの思惑から参加すべきという立場だ。

 

年齢が近く、学校という接点があったことから十文字家当主となった克人

がメッセンジャー兼説得役として送り込まれてくる。

だが、穏便に事を済ませたいのではなく、意見が衝突した場合、なんらかの戦闘が行われるのは避けられない。

達也にとっても十文字克人はできることなら戦いたくはない強敵と認識している。

 

「お兄様、十文字先輩はあの秘術を使うでしょう」

「だが、あれは寿命を縮めるものだぞ」

 

十文字家に伝わる切り札を知ったのは最近のことだ。

衝突が避けられないと理解してから真夜から聞き出したその情報は、大きな借りとなっている。

 

「あれを使われては、お兄様でも今のままでは苦戦を免れません」

「叔母上から許可は取っているのか?」

「いいえ。私の独断です」

 

達也は深雪が言わんとしていることを正解に理解していた。

 

「よせ。これは私闘だ。叔母上を納得させる理由にはならない」

「叔母様に納得していただく必要はありません。私が望んで、私の責任でそうしたいのです」

「深雪、落ちつけ」

「お兄様」

 

諫める達也の言葉を深雪が制した。

 

「叔母様のご不興を買っても、お兄様に万が一のことがあってほしくはないのです」

 

嗚咽を呑みこむように深雪は嘆願した。

 

「お兄様、貴方の封印を取り除きます」

「深雪、お前は、なにを……」

 

達也は思わず椅子から腰を浮かせる。

 

「言葉どおりの意味です。お兄様にはもう他人に課せられた封印に煩わされないようにいたします」

「いや、不可能ではないが」

「術者に大きな負担がかかる。それも封印されている方ではなく、封印している方に、ですよね」

 

覚悟の瞳を揺るがせない深雪に、達也は椅子に腰を落ち着けた。

達也のマテリアル・バーストは、常時使えるわけではない。

四葉家の分家にあたる津久葉家当主、津久葉冬歌の精神干渉系魔法『誓約(オース)』によって封じられている。

これに伴い、達也は最大の武器を封じられているのと同時に魔法力そのものを半分制限されている。

誓約(オース)』は特定の能動的な意識決定を禁止する魔法であり、魔法力の制限は副次的な効果だ。

 

そしてこの魔法の特異点は、精神干渉効果の持続に術者以外の魔法力を使うことにある。つまり、『誓約』は術を掛けられる本人、または被術者とペアになる第三者の魔法力を使って維持されてる。一時的に制限解除が必要となる場合は、被術者の身近な第三者が魔法力を提供し、同時に制限解除の「鍵」が提供される。

達也の場合、「鍵」を持つのは深雪だ。

深雪が再び「鍵」を掛けなければ封印は解除されたままだが、『誓約』の解除は一時的なものと定義されている。

そのため、深雪から『誓約』への魔法力共有が止まらない限り、封印は徐々に力を増していき、放置することで達也を危険な状態へと移行してく。

 

「俺を万全の状態にしたいという気持ちは嬉しい。だが、一時的な解除で十分だ。『誓約』そのものの解呪のリスクを冒す必要はない」

 

達也にかけられた『誓約』は津久葉冬歌の魔法力だけでは抑えきれないものだった。

そのため、深雪の魔法制御力を使って達也の魔法演算領域を縛り上げるというアレンジが加えられている。

つまり達也にも深雪にも『誓約』が掛かっている状態と変わりない。

そして『誓約』の性質上、深雪から封印への魔力供給が途絶えれば深雪の深層意識に刻まれた「『誓約』へ魔法力を供給する」という定義に苦しめられることになる。

 

「いいえ、お兄様。私はもう耐えられないのです。私がお兄様の枷になっているという事実に、私のせいでお兄様が不自由に甘んじているという事実に」

 

深雪は言葉どおりもう耐えられなかった。

達也を次期当主候補として見据えているにも関わらず、いざとなれば簡単に見捨ててしまう四葉家に。

達也には深雪だけではない。

愛する雅を守るためにも、いつまでも深雪が足手まといに、重荷になるわけにはいかない。

確かに達也には力量もある。手段もある。

それでも一人の力には限界があることもよく理解している。

四葉家は伊達や酔狂でアンタッチャブルだなんて呼ばれているわけではない。

国家に抗う力があるのに、達也に援助をしない、一人で戦え、などあまりにも酷い仕打ちだと深雪は何時にもなく静かに怒りを抱いていた。

 

「伯母様がお兄様に自分のことは自分で守れと求めるならば、お兄様には常に自分の本当のお力を振るえるようになっていただきます」

 

深雪は椅子から立ち上がった。

達也の封印を解除するために。

 

「――分かった」

 

達也も立ち上がる。

 

「ならば俺も覚悟を決めよう。ついてきなさい」

 

そういって達也は深雪に背を向け、別荘の方へ足を向けた。

 

「は、はい」

 

てっきりそのまま達也が跪いて封印を解除すると思っていた深雪はなんだか、肩透かしをくらったような気になりながら達也の後に続いた。

 

 

 

 







新刊、まだ読めてません(´・ω・`)


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孤立編4


お久しぶりです。
生きています。
少し生活形態が変わりまして、4月はもう一回更新できるといいなあ。

一応、孤立編はこれで完結です。
ちょっとだけ甘くできたと思います。


深雪にかけられた『誓約』の魔法は、達也の術式解散(グラム・ディスパージョン)によって、解除された。『誓約』の魔法が魔法であり、魔法式が想子情報体で構成されている以上、術式解散には抗えない。

 

「疲れてない?」

「そうだな。流石に少し気疲れはあるか」

 

精神領域の深層に設置されていた『誓約』は、通常、達也の精霊の眼をもってしても、観測は容易ではない。

精神領域そのものは、「視」ることができない。

一度深雪が達也にかけられた『誓約』を解除し、発露した『誓約』を精霊の眼を凝らす事で捕らえ、魔法の照準を定めることができる。

過度な集中により達也にも精神的に負担がかかったことは確かだが、深雪に何も異常がないことの方が達也にとっては重要だった。

 

「明日のこともあるから、早めに休んだ方がいいんじゃないの?」

「そうだが、雅との時間も大切にしたいからな」

 

達也がゆっくりと腕を広げれば、雅は小さく恥ずかしそうにその腕の中に納まる。

聞こえてくる鼓動が心地よくて、いつまででもそうしていられる気がした。

達也にとっても、少し浮足立つような、それでいて何か染み渡るような心の持ちようは、言葉で表現するには少しむず痒い。

 

「私、少し贅沢になった気がする」

 

以前は会えない時間の方が長かった。

それが今では少しの期間、離れていただけなのに寂しさを感じる。

学校でもクラスも違えば、放課後も生徒会活動と部活連で別行動ではあったが、すぐ近くにいるという安心を達也も雅も感じていた。

 

「確かに、一週間以上もオアズケされたのは耐えたな」

 

頬に添えていた手を滑らせ、達也の親指が雅の唇をなぞる。

 

「ぁ……」

 

達也にしてみれば、贅沢者はむしろ自分の方だった。

深雪が訪ねてきた時の安心感と安堵は、それとおそらく会えない期間の寂しさという感情は確かに達也の中では腑に落ちた。

雅にも同様の感情は覚えている。

 

だが、こうして二人きりになって、近くに感じることで情欲を掻き立てられるのは雅だけだ。

自分がこれほどまで欲深かったのかと呆れる一方、悪くないと思える部分もある。

まだ遠慮がちに体を預けていた雅だが、達也が腰に回していた手を引き寄せると、少し頬を染め、目を閉じて達也を見上げる。

一度唇を合わせ、もう一度。

柔らかい唇を食むように何度も口づけを交わす。

合間にこぼれる雅の声は小さくとも達也の耳を刺激する。

キス一つで鼓動が早くなるほど、舞い上がっている自分に達也は呆れつつ、もっと乱れる様が見たいという欲求を押しとどめる。

 

達也が唇を離すと、雅は目をつぶったまま、達也の胸に顔をうずめる。

視線を下に向ければ、白い首筋が目に入る。

そこに音を立てて、唇を落とす。

ピクリと大げさなまでに雅の肩が跳ねる。

続けて何度か音を立てて唇を落とすと、くすぐったいのか、雅が小さく震える。

跡をつけたいが、それもまだ叶わない。

もうこれ以上は許してほしいと言わんばかりに雅が達也の胸を手で押すが、抵抗らしい抵抗になっていない。

 

頬に手を添え、顔を合わせる。

欲と色に濡れた瞳は、どんな言葉より雄弁に達也の心をざわつかせた。

 

「達也………んっ」

 

濡れた唇に再度重ねる。

非難はあとで聞くとして、今夜はまだこの温もりを手放すことができそうになかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日

 

伊豆の別荘を十文字克人、七草真由美、渡辺摩利の三人が訪れた。

主たる目的は達也をUSNAのディオーネ計画に参加するよう説得するためである。

魔法協会の会長である十三束翡翠から依頼を受けたのは克人のみだが、穏便に話が進むようにと真由美が付き添いを申し出て、摩利は半分巻き込まれたような恰好だった。

摩利は基本的に口出しをするつもりはないが、既に真由美は深雪の視線に愛想笑いもできないでソファーにただ座っているだけの状態だ。

歓迎されていないのは、言葉にするまでもない。

 

「お断りします」

 

挨拶もそこそこに本題を切り出した克人に、達也は間を開けず拒否の意を示した。

 

「何故だ」

 

重々しい克人の言葉に空気が緊張するが、真由美と摩利以外は狼狽えた様子はない。

 

「逆にお伺いします。十文字先輩はなぜ俺がディオーネ計画に参加すべきとお考えなのでしょうか」

「二年前、俺は司波、お前は十師族になるべきだと言った」

「ええ、憶えています」

「十師族は、九島老師がこの国の魔法師の助け合いシステムの一環として作られた」

 

魔法師の大半は大きな力を持ってはいない。暴力という点に限っても、武術を修めた一般人市民に敵わない魔法師が大半である。だが、魔法師ではない人々は、魔法師を自分たちとは別の種族と考える者もいる。

魔法師が別の種族であるという考えに克人は賛同する気は微塵もないが、魔法師がマイノリティであることも確かである。数が少ない以上、魔法師は魔法師同士で助け合わなければならない。その意味では十師族という体制は正しいシステムだというのが克人の認識だった。

 

「司波、お前は四葉家の次期当主だと報告されている」

「あくまで候補にすぎません」

 

達也は表向きには四葉家当主の甥であり、次期当主候補として既に名前が知られている。

ほぼ次期当主は達也であるというのが大半の魔法関係者の認識であり、九重雅との婚約がその信ぴょう性を裏付ける一因となっている。

 

「司波。お前は十師族になって、同じ魔法師に手を差し伸べるべきだ」

「お言葉ですが十文字家ご当主様。お兄様は四葉家当主の縁者ですが」

 

深雪が冷ややかに口を挿んだ。

 

「存じ上げている。しかし、十師族は役目であり、血統ではない。俺はそう考えている」

 

克人は視線を深雪から達也に戻した。

 

「強い魔法師は弱い魔法師の助けとなるべきだ。現在の世論において、魔法師は日に日に追い詰められている。魔法師がいるから戦争が起こるという謂れのない誹謗中傷も公然とある」

 

克人は一度言葉を切って、達也の反応を伺うが、表情から読み取れることはない。

 

「例の戦術級魔法について、俺はお前を責めるつもりはない。全くのお門違いだからな」

 

例の戦術級魔法とは、先日武装ゲリラが使用したアクティブ・エアー・マインのことだ。非人道的な魔法として間接的に今年の九校戦を中止に追いやった一件ではあるが、元々達也は魔法開発自体に罪悪感を覚えていたわけではないので、眉一つも動かさなかった。

克人は計算違いを感じつつも、言葉を続けた。

 

「だが今回の計画にお前が参加することで、魔法が戦争のためだけにあるのではないと大きく訴えることができる。新ソ連の計画参加で、日本は魔法の平和利用に出遅れているという好ましくないイメージができてしまっている。これ以上、国内の魔法師に対する誹謗中傷を看過することはできない」

「十文字様のご懸念は理解できますが、なぜお兄様なのでしょうか?魔法科大学にも世界的にも権威があり、優秀な方はたくさんいらっしゃいます」

 

国家的な問題を高校生一人に押し付ける謂れはない。

克人も正論は理解している。

 

「深雪さん、それはね。達也君がUSNAから計画への参加を呼びかけられているトーラス・シルバーだからよ」

 

これ以上、克人に負担を掛けない方がいいと真由美が言葉を挿んだ。

 

「なにっ!」

 

驚いた言葉を上げたのは、摩利一人だった。

 

「仮に、お兄様がトーラス・シルバーだとして、それが何だと仰るのでしょうか」

「えっ……」

 

予想外の言葉に真由美の口から間の抜けた声が漏れた。

 

「お兄様がトーラス・シルバーだとして、未成年の高校生であることには変わりありません」

 

深雪の言葉に真由美は閉口する。

 

「もっとも、四葉家は達也様がトーラス・シルバーだと認めるつもりはありませんが」

 

この一言は念押しだった。

これ以上踏み込むなら四葉家は七草家と十文字家と全面対決になろうとも構わないという事をほのめかしている。

無論、真夜の承認などない。

あくまで深雪の意思だ。

深雪は七草家と十文字家の両家を相手取ってでも守るべきは達也であると決意している。

真由美はあくまで私的にこの場に立ち会っており、七草家と四葉家の全面抗争の引き金を引く覚悟はない。

その差が表れていた。

 

「司波、あくまでプロジェクトへの参加は受け入れられぬと」

「受けられません。あのプロジェクトには裏がある」

「この国の魔法師を苦境に追い込んでも受け入れられない正当な理由があるんだな」

「そう解釈いただいて構いません」

 

克人と達也の視線がぶつかり合う。

 

「分かった。このような方法は不本意だが、司波。表に出ろ」

 

克人が立ち上がる。

 

「十文字克人、本気か」

 

冷気が漂う。

発生源は深雪ではない。

達也の殺気のような鋭い気配。

 

「状況はギリギリだ。お前に拒否は許されない」

 

まるで体全体にかかる重力を倍にしたような、克人からも重圧が放たれる。

 

「良いだろう」

 

先ほどまであった、先輩・後輩としての礼節はもはやない。

譲れないものがある以上、力による制圧になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

別荘の敷地内での戦闘は建物を壊しかねないとして、近くのゴルフ場跡地に場所を移した。

元は民間の施設だったが、大戦の折に国に収用され、その後民間への再譲渡が行われなかった土地が伊豆にはいくつかあり、その後は砲台等を撤去したうえで国有地として残っている。

木々もいくつかあるが、開けた遮蔽物のないフィールドとなっている。

 

真由美も摩利も今回は、克人の味方としてその場に立ち会っていた。

達也の後ろに離れるようにして、深雪と雅、水波も立ち会っている。

真由美も摩利もいくら達也が強かろうとも、魔法の汎用性や相性からして克人に分があると思っている。

達也が得意とする術式解体(グラム・デモリッション)は、圧縮された想子の塊を対象物に直接ぶつけて、想子情報体を吹き飛ばし、魔法を無力化するものだ。

対して、十文字家の代名詞ともいえるファランクスは絶え間なく防壁を幾重にも作り出す多重移動防壁魔法だ。

達也がいくらファランクスを解体しようとも、息つく間もなく克人は魔法を再構成できる。

 

「こんな場所でいいのか?」

 

克人の記憶では、達也はどちらかというと、足りない魔法技量を補うため、遮蔽物の多い地形をうまく利用して策を弄するタイプと思っていた。

身を隠す場所もない開けた場所を達也が選んできたのには、意外感を覚えはしたものの、若輩ゆえの驕りもあると克人には見て取れた。克人が態々場所の再確認をしたのは、相手にすらならないぞという挑発の意味も含んでいる。

 

「十文字殿は言い訳が欲しいのか?」

 

達也の挑発返しは定型的なものであったが、克人を逆撫でするには十分だった。

 

「良いだろう。初手は譲ってやる」

 

そして閃光が弾ける。

物理的な爆発ではなく、想子光の爆発が計18回。

それが戦いの合図だった。

宣言どおり、克人は初手を達也に譲った。

だが、達也の攻撃は一つたりとも克人には届いていない。

 

「領域干渉、情報強化、想子ウォールか」

「よく見破ったが、分かっただけでは倒せんぞ」

 

想子ウォールは、文字どおり想子を高密度で固めた壁を自分の周囲に築く魔法だ。

それを達也が分解したとしても、次に強力な領域干渉のドームが立ちはだかり、更にそれを分解しても、情報強化の盾が待ち構えている。

三種類の魔法が逐次展開されているため、達也の魔法で一つ分解したとしても次の盾がまだ残っている。同時展開されている魔法ではないため、定義することもできず、達也は一つ一つ分解するしかない。

仮にどちらかのスピードが劣っていれば、その均衡は破られただろうが、達也の分解に匹敵する速度で次々と展開される防御魔法に達也の相性の悪さを再認識していた。

 

状況を変えるべく、達也が攻撃をいったん中止すると、すぐさま達也に向かって二次元的な壁が高速で押し寄せる。

戦車すら一瞬でスクラップにする攻撃型ファランクス。

二十四層にもなる防壁魔法を達也は消し去った。

 

「ほう」

 

克人は素直に感嘆を漏らした。

克人の干渉力は、国内でも指折りだ。

その魔法を打ち破るには、それ相応の干渉力が必要になる。

対処はするだろとは思っていたが、真っ向から打ち破ってくる相手に克人は興奮を覚えていた。

 

克人が腰を落とす。

達也の精霊の眼は、克人の魔法演算領域が激しく想子光をまき散らしているのが見えた。魔法演算領域が過剰に活性している。

達也が身構えるとほぼ同時に対物障壁を球状に展開した克人が、自らを砲弾となって突っ込んできた。

達也は左手を前に突き出す。

術式解体。

克人を覆う対物障壁と移動魔法が消し飛ばされる。

だが、克人はすぐさま対物障壁と移動魔法を復活させる。

移動スピードがほぼ落ちないまま、達也は克人にショルダータックルを受け、大きく吹き飛ばされ、雑草の上を転がる。

対物障壁は分解できたが、移動魔法は分解が間に合わなかった。

達也はフラッシュキャストを使用した移動魔法で克人から大きく距離を取る。

克人からの追撃はなかった。

屈服させるのが目的と言わんばかりに、克人は唇を釣り上げた。

 

克人から再び余剰想子光が放たれる。

魔法演算領域のオーバーヒートに繋がる過剰活性化。

克人はこれを意図的に起こしている。

『オーバークロック』

十文字家の切り札にして、首都の最終防壁として組み込まれた呪いだ。

克人の父は、度重なるオーバークロックの使用で魔法師として活動できなくなった。

克人はその魔法をもって、達也を倒しに来ている。

 

その後も克人の攻勢が続く。

再びタックルを仕掛け、達也はそれを横に移動を魔法も併用して躱すが、克人を包んでいた防壁魔法が膨張し、達也を吹き飛ばす。

倒れた達也を魔法が込められた足で踏みつぶしにかかる。

達也は片膝をついてそれを回避するが、すぐさま克人から拳が飛んでくる。

当然、その拳にも対物障壁と領域干渉が纏われており、拳をブロックした達也の腕は不自然な方向に曲がった。

背後に跳んで威力を削ぐころには、達也の腕はいつもどおりに戻っていた。

だが、着地直後では踏ん張りが利かない。

その一瞬を克人は間合いを詰め、渾身のショルダータックルが達也に決まった。

達也の体は大きく飛ばされ、地面に伏した。

内臓が傷ついたせいか、地面には達也が吐き出した血が飛び散っている。

 

「達也君!!」

「おい、止めろ」

 

真由美の悲鳴と摩利の制止も聞かず、克人はうつ伏せに倒れたままの達也に攻撃型ファランクスを放った。

先ほどよりも分厚い、三十二層の障壁が達也に迫る。

 

「何っ……!」

 

だが、その壁は達也に当たる直前で消え失せた。

達也が抵抗できると思っていなかった克人から意外感のこもった声がもれる。

達也はゆっくりと両手をついて、立ち上がる。

口元に血の跡もなければ、雑草の上を転がった汚れもない。

 

「それがお前の『再生』か」

 

流石に克人も衝撃を隠せなかった。

余りにも高度な魔法だが、その発動速度が速すぎる。

即死でなければ復活する。

まさに神か悪魔の所業のようだ。

 

だが、克人はその程度で折れるつもりはない。

すぐさま気を取り直して防御型ファランクスを展開する。

 

対面する達也の目にはなんの感情も浮かんでいない。

達也は左手に拳銃タイプのCADを構え、克人の方に向けた。

右手には先ほどまで使用していたCADがある。

左手のCADの先端には黒色の金属製の杭のようなものが取り付けられている。

克人の予感が次の攻撃をためらわせる。

前ではなく、横に回避しようと動くより達也が引き金を引く方が早かった。

 

「ぐっ…………」

 

何が起きたのか、見えた者はいない。

ただ魔法が使われたことだけは分かった。

克人の左腕の肘から先が炭化し、その先が地面に転がっていた。

 

「十文字君!」

「十文字!?」

 

克人が地面に両膝をつく。

 

「何を、した…………」

 

答えが返ってくるはずがないと思いつつも、問わずにはいれなかった。

 

「バリオン・ランス」

 

克人の予想に反して、達也は魔法の名を告げた。

 

「ランスを中性子、陽子、電子に分解し、陽子に電子を吸収させて、中性子線を放つ対人魔法」

「中性子砲だと……。国際的に禁じられた放射能汚染兵器だ!」

 

克人は奥歯を噛み締めて達也を非難する。

 

「放射能汚染は起こらない。放射性残留物も残らない。攻撃したという事実を残して、攻撃に用いた中性子はすべて元に戻している」

「再生か……」

「そうだ」

 

達也は再び克人に銃口を向けた。

 

「十文字殿、降伏してもらおう。貴方のファランクスではバリオン・ランスを防げない。それは理解できたはずだ」

 

通常、魔法師は己の魔法を敵対する相手に公開することはない。

達也が態々そうしたのは、克人に降伏を促すためだった。

 

「十文字君!」

 

真由美がCADを操作する。

だが、起動式は出力途中で凍り付いた。

 

「深雪さんなの!?」

 

真由美は深雪を鋭く睨みつけた。

 

「対抗魔法『術式凍結(フリーズ・グラム)』です。七草先輩、CADは使えませんよ」

 

深雪は先ほどまでの悲鳴をかみ殺した表情から、穏やかさかすら感じさせる声色で静かにそう宣言した。

 

「だったら!」

 

CADは今や魔法師にとって必需品だが、魔法発動のために必須というわけではない。

達也のようなフラッシュキャストがなくとも、魔法力が高い魔法師は使い慣れた得意魔法ならば、CADなしでも魔法を使うことができる。発動までの時間がかかるのと、己の魔法演算領域に魔法式の構築を促す自己暗示のための呪文(・・)が必要となるだけだ。

 

「セット:エントロピー現象、密度操作、相転移、凝結、エネルギー形態変換、加速、昇華:エントリー!事象改変実行!魔法名『ドライミーティア』!」

 

これが現代魔法の呪文。

これだけの文字数を紡ぐ間、当然隙だらけの姿を晒すことになる。

だから実態としてCADは魔法師にとっての必需品となっている。

だが、それも深雪の強力な領域干渉によって阻まれる。

 

「手出し無用です。お兄様の邪魔はさせません」

 

深雪は強い意志を持って宣言した。

 

「十文字!どんな仕掛けがあろうと、所詮は中性子線だ。お前の中性子バリアなら防げるはずだ」

 

激励するように、摩利は叫んだ。

摩利の手元にはファイティングナイフがある。

だが仮に深雪を止めようと肉弾戦を挑んだとしても雅と水波がいる。

形勢は不利であることは明白だった。

 

「あいにくだが、中性子バリアではバリオン・ランスは防げない」

「ハッタリよ、十文字君!中性子バリアは完成した技術だわ。中性子線を完全に防ぐことができる」

「だからこそだ」

 

叫ぶような真由美の声を達也は熱のない声色で否定した。

真由美と摩利には達也の返答は謎でしかないが、克人には理解できた。

中性子線は貫通力が高い。

物質の特性はそのまま情報に反映されるから、中性子のエイドスには貫通力が高いという情報が刻まれる。

 

魔法は情報を介して世界に、事象に干渉する技術だ。

貫通力が高いと定義されていると同然の中性子を魔法で遮断するのは難しい。

だが、真由美の言うように魔法の黎明期の頃から放射線に関する研究は進められており、中性子バリアは完成した技術である。

だからこそ、魔法師は中性子線を遮断する際に中性子バリア以外の魔法を使わない。

既に完成された魔法があるのに他の術式を模索する魔法研究者はなく、何よりほかに遮断に成功した魔法がなかった。

それは十文字家の使用するファランクスも同様だった。

ファランクスに含まれる多種多様な魔法障壁の中で、中性子線を遮断するのは中性子バリアだけだ。

 

そして使用される魔法が分かっているならば達也に分解できない魔法はない。

バリオン・ランスには3つのプロセスが組み込まれている。

ランス・ヘッドを中性子線に変換して射出するプロセス、ランス・ヘッドを再構成するプロセス、そして中性子バリアを分解するプロセスだ。

例え領域干渉で防御しても領域干渉を無効化すると同時に、中性子バリアも分解される。

そして高速の中性子線はその間に標的に到着する。

 

「俺の負けだ」

 

克人は立ち上がり、降参の意を込めて残っている右手を挙げた。

 

 

 

達也は左手のCADをホルスターに納めると、克人の炭化した左腕に『再生』の魔法を使用した。

再生に伴う痛覚情報に一瞬だけ眉を顰めるが、気づいたのは深雪や雅だけだろう。

克人は何度が左手を開いたり閉じたりして感覚を確かめるが、以前の自分の手とそん色はない。

だが、強烈な痛覚はしばらく忘れようもない。体からは痛みが取り除かれても、痛みがあった記憶まできれいに消えているわけではない。

 

「司波、俺をどうするつもりだ」

「このまま何もせずに帰り、この話を蒸し返さないでもらいたい」

 

達也が提示した降伏の条件は、それだけだった。

 

「そうか。だが、もはや猶予がない所まで来ていることは確かだ。魔法協会はたとえ四葉家の不興を買ってでも、お前がトーラス・シルバーであると公表するだろう。そして世論はお前に計画への参加を強要する」

 

蒸し返すなと言った達也が言ったばかりだが、克人は再確認するようにそう言った。

仁義に固い克人が態々もう一度事態を説明しているのには理由があった。

 

「それでもなお計画への参加を拒むなら、この国にお前の居場所はなくなる。いくら四葉殿でもかばいきれない」

「たとえそうなったとしても、計画への参加はできない」

 

達也は迷いなく断った。

 

「何故なの!何故そんなに頑なに参加を拒むの!」

 

叫ぶように真由美が達也に問う。

 

「USNAは達也君を実験台にしようとか、無償で働かせようとかしているわけではないわ。達也君はある意味、日本の代表として、名誉をもってプロジェクトへ迎え入れられる。ディオーネ計画自体も、人類の未来に立ちふさがる国際的な問題への解決を図るものだわ。日本中から孤立してまで拒否する話じゃないわよ」

「魔法を平和利用する利益は魔法師自身が受けるべきものだ」

 

真由美の論も筋違いではない。

だが、達也は同じく迷いなく答えた。

 

「どういう意味だ……?」

 

達也の強い言葉に押し黙った真由美の代わりに摩利が問う。

 

「ディオーネ計画は、表と裏の意図がある。表の意図は金星のテラフォーミング。裏の意図は地球上から自分たちに不都合な魔法師を排除することだ」

「どういうことだ……」

「達也君、何を言っているの?」

 

真由美と摩利が困惑した表情で聞き返す。

 

「ディオーネ計画は実行段階において、金星衛星軌道、小惑星、木星上空、木星の衛星に多数の魔法師を配置しなければならない。現在の宇宙技術では、一度プロジェクトにつくと長期間拘束され、リハビリのために地上に戻ることはあっても、すぐにまた現場に戻される」

「いくらなんでもそれは……」

「計画に対してその要件を満たす魔法師は圧倒的に少ない。計画の実行に投入される魔法師は、人類の人柱にされる。魔法師が道具として利用される構図は、現状の兵器として使用されることと変わりない。そのようなことは認められない」

 

達也の言葉が三人を圧倒する。

達也の行動理念は昔から変わりない。

 

「でも!達也君が孤立する理由はないわ。達也君の推測が正しくても、居場所をなくすのは達也君なんだよ!」

 

真由美の言葉はもはや感情論だった。

達也を犠牲にしてはならない。

例え世界を欺くことになろうとも、ここは従うフリをした方がいいと真由美は訴えようとした。

 

「達也君は孤立なんかしないわよ」

 

ゴルフ場の端、手入れのされていない木々の山の中からよく見知った男女が下りてきた。

 

「俺たちがいるからな」

「達也さんを孤立させたりなんかさせません」

「僕たちは達也の友人です。それだけじゃありません。僕たちは達也に返しきれない恩がある。絶対に見捨てたりなんかしません」

 

エリカ、レオ、ほのか、幹比古がいた。

姿は見えないが、雫と美月も近くにいるだろう。

 

「おいおい、幹比古。そこはダチだから。それ以上の理由があるか?」

 

レオが幹比古の肩に腕を回す。

全員が笑顔を浮かべている。エリカは顔を背けてはいるが、笑顔は隠せていない。

達也は毒気の抜かれた顔で友人たちを見渡した。

 




5月にメイジアン・カンパニーの4巻が出るそうです。
まだ3巻を読んでる途中です_(:3 」∠)_


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エスケープ編
エスケープ編1



4月に更新したいなーと思いつつ、GWも終わり、この時期の更新となります。まだお待ちいただいている皆様がいると思うと、嬉しいです。

もうしばらくしたら、また年単位で更新が止まる可能性があります。
細々とでも続けていけたらなと思います。

甘い話が書きたいので、やる気が出るような切なくて甘い系の話を供給してほしい_(:3 」∠)_


 

2097年5月27日(月)

 

昨日の話し合いと戦闘の後、十文字先輩や七草先輩は達也のディオーネ計画への疑問に完全に納得したわけではないため、調べ直すといって帰っていった。

同じく、私や深雪は東京の自宅に戻った。伊豆から第一高校まではかなり距離があるため、翌日の学校のために残念ながら連泊はできなかった。

 

 

 

私は朝、一人で九重寺に鍛錬に出かけ、伯父である八雲相手に組手をしていた。

まだ伯父との力量差があるため、今日も転がされて終わった。

もう数年もしたらどうなることか、と笑ってはいるが、まだ私相手では余裕に見える。

達也はもう体術でいえば、伯父を上回っているだろうし、魔法を含めた戦闘でも勝負は拮抗するだろう。

私も魔法戦闘力を含め、弱くはないとは思うが、達也とどんどん差をつけられているようで追いていかれないように必死になっている。

 

「師匠、お勤めのところ失礼いたします」

 

弟子の一人が、組手の合間に声をかけてきた。

 

「なんだい?」

 

基本的に門弟は私や達也が組手をしている時に話しかけてくることはない。

特別禁じられているわけではないが、この時間は朝のお勤めがあるため、緊急時でなければ特別指示を仰ぐようなことはないはずだ。

 

「お二人にお耳に入れたいことがございます」

「室内の方がいいかな?」

「いえ。この場にて」

 

秘匿された情報ではないが、急ぎではあるようだ。

 

「先ほど、朝の情報番組にて『七賢人』のうち、第一賢人と自称する者から国内のメディア宛てにビデオメッセージが送られ、トーラス・シルバーが第一高校の司波達也であることを公表しました」

「それはそれは」

 

ディオーネ計画の発案者であるエドワード・クラークは、トーラス・シルバーの参加を呼び掛けていたが未成年の学生であるという事から氏名の公表はしなかった。

魔法協会や外交筋を通じて圧力は掛けてきており、国内外の世論もトーラス・シルバーのディオーネ計画への参加を後押ししている。

だが、一向にトーラス・シルバーからの反応がないことから、しびれを切らしたのか、事態をさらに引っ掻き回しにきたようだ。

 

「君は早く学校に向かうべきだね」

「分かりました」

 

これが報道の第一報なら、まだ学校にマスコミが集まってくることはないだろう。幸い、今日は長めに訓練をする予定だったので、学校に必要な一式持ってきている。

手早く準備を済ませて、学校へと向かった。

 

 

 

 

予想していたマスコミは、登校時間には間に合わなかったようで、生徒たちがマイクを向けられることはなかった。

しかし、二限目が始まるころには正面にも通用門にも記者やレポーターで人垣ができていた。

 

記者は達也に取材をさせろと学校側に求めていたが、学校側はそれを拒否。

重大な罪を犯したわけではなく、未成年のプライバシーを考えれば当然の反応だった。実際、達也は校長から登校免除や試験免除のうえ、魔法科高校の卒業資格も校長によって保証されているので、最近は登校していないのだが、マスコミにはそれは伏せられている。

 

学校側が取材を断っても、マスコミは昼休みの時間になった段階でも変わらず学校の出入り口を固めていた。

 

「まだいますよ」

「というか増えているみたいだよね」

 

泉澄ちゃんと香澄ちゃんが外の様子を見ながら、ため息をついた。

生徒会室には、達也を除く生徒会役員と風紀委員長の吉田君、それと部活連からは私と十三束君が来ていた。

 

「警察を呼ぶ?」

「それは先生方がお考えになることだわ。私たちの一存では決められないわ」

 

雫の提案に深雪が首を横に振った。

問題は下校時刻までこの人垣が消えない場合の対応だ。

魔法を使わずにあの人が気を突破するのは難しい。

強引な手を使ってくることを見越して、魔法の探知装置も持っている可能性がある。

マスコミは表現の自由や報道の自由という盾をもっていることから、正当防衛の名目で魔法を使うことはハードルがかなり高い。

こちらが未成年であったとしても魔法の使用が合法と判定されるのは難しそうだ。

 

「何か対策を考える必要があるわね」

 

昼休みは放課後までに何か案がないか考えるという事で解散となった。

 

 

 

 

 

「少しは減ったようね」

 

放課後になり、出入り口を取り囲んでいたマスコミは半分程度に減っていた。FLTから金曜日にトーラス・シルバーが会見を行う予定だと公表され、第一高校や関係機関に迷惑をかけるようなことがあれば会見から締め出すという事が通達されたらしい。

会見への締め出しに屈しなかった記者や会社からそのことを知らされていない者もいる可能性がある。

減ったとはいえ、人数自体は少なくない。

ペンの暴力はこの時代も強く、ジャーナリズムを聖域視する風潮はまだ残っている。

ただでさえ、魔法師を取り巻く社会情勢は好意的とは言えない中、魔法師も社会の一員として生きていくためには、ここで物事を荒立てるのは拙い。

 

「だけど強行突破っていうわけにはいかないよね」

「香澄ちゃん、物騒なことは言わないでください」

「そんなことわかってるよ」

 

校門へと続く一本道を遠くに見ながら、香澄ちゃんが口を尖らせた。

記者に見つからないように、今は前庭の並木道の木に姿を隠しながら様子を伺っている。

 

「FLTからの連絡を聞いていないだけならまだいいのだけれど、本当に記者かどうか怪しい人がいないとは限らないからね」

「本当ですか、雅先輩」

「野次馬ってこと?」

 

香澄ちゃんと泉澄ちゃんはもう一度、校門の外を垣間見た。

 

「野次馬ならまだかわいいわね」

 

本当に怖いのは、反魔法師を掲げる暴漢が潜んでいる場合だ。

 

「深雪、校長先生はどうだった?」

「残念だけれど、警察の介入を避けるおつもりのようね」

 

やはり学校としてマスコミ対策をするつもりはないようだ。

 

「それじゃあ、大人しくマスコミにつかまるしかないのでしょうか」

 

詩奈ちゃんが涙目になりそうな顔で深雪を見上げた。

 

「マスコミの人たちも手荒なことはしないと思うけれど」

 

深雪は自信なさそうに答えた。まともなマスコミなら無遠慮にマイクを向けてくることはあってもあれだけのカメラがある中で乱暴な手段には出ないはずだ。だが、あそこにいるのがマスコミだけとは限らない。殺気があるとまでは言わないが、悪意を持った気配がないわけではない。

 

「全クラブに活動中止は通達してあるから、いつでも帰れる状態で待機させているわ」

 

部活中止に多少の不満はでたものの、仕方ないかという反応が大多数だった。

 

「学校側からFLTで会見が行われることを伝えてもらって、それでも引かないようなら、説明に出ることも考えないといけないわね」

 

おそらく、私か深雪が説明に出ることになるだろう。

 

「会見があるっていうのを知らせるのは賛成。だけど、深雪や雅が出ていくのは拙いと思う」

 

雫は冷静に反対意見を唱えた。

 

「私もお姉様も嫌だけれど、でも何もしないわけにはいかないでしょう?特に私はお兄様の妹で、生徒会長なのだから」

 

深雪は事態が好転しないなら、自分が出るつもりでいるようだったが、私は深雪一人を矢面に立たせるつもりはない。

 

「深雪や雅の責任感は理解できる。でも今回はやめた方が良い」

 

雫の父である北山潮は大企業のオーナーであり、大物すぎて逆にマスコミが気を遣うレベルではあるが、それでもマスコミ対策については気を遣う事だろう。

全てではないにしろ、その姿を見てきた雫はマスコミの力を十分理解しているのか、譲らなかった。

 

「ひとまずFLTから会見があることを伝えてからでも、遅くはないと思う。先生たちも帰れなくて困るのは一緒だから、それくらいは説明してもらう」

 

雫の意見は筋が通っている。問題を先延ばしにしているだけかもしれないが、何もしないよりは良いだろう。

 

「分かったわ。もう一度、校長先生と話してみるわ」

 

深雪が雫の意見に賛成し、ひとまず校舎に戻ろうと全員でその場を立ち去ろうとしたとき、後ろ髪をひかれたような気がして、振り返った。

深雪もなにかを感じ取ったのか、足を止めて私と同じ方向を見た。

 

「まさか……?」

 

校門の向こうから、一台の電気自走車(エレカー)が近づいていた。

深雪が駆けだしそうになるのを制止し、歩いて私たちも校門まで近づく。

 

「何故……」

 

深雪は小さくつぶやいた。

エレカーから降りてきたのは、制服姿の達也だった。

 

 

 

 

 

 

「司波達也さん、ですね?」

 

報道陣も今日この場に達也がくることは予想外だったようで、動揺が広がっている。報道陣は達也の顔は知っているはずだが、半信半疑で質問した。

 

「そうですが、何か?」

 

達也は淡々と返事をした。

 

「……貴方がトーラス・シルバーというのは事実なんですか?」

 

記者は達也の反応に一瞬ひるんだものの、持ち前に図々しさで質問を重ねた。

 

「報道機関にはすでに連絡が言っているかと思いましたが、金曜日にFLTでトーラス・シルバーの記者会見が行われます。質問があるようでしたら、そちらでお尋ねください」

 

達也はイエスともノーとも答えなかった。

 

「通していただけますか」

 

威圧しているわけではないが、堂々として物怖じしない達也の態度に記者たちは思わず後退った。

 

「貴方がトーラス・シルバーということでいいんですね!」

「どちら様ですか?」

「はい?」

 

半ば興奮ぎみな赤ら顔で達也に食って掛かった記者は、一瞬戸惑いをみせたものの、自信満々に大手の新聞社の名前を名乗った。

 

「そうですか。フリーの方ではないなら、会社から連絡があったと思いますが、ご存じではないと」

「何をですか?」

 

年下である達也に歯牙にもかけられていないことに反発しているのか、喧嘩腰に聞き返す。

 

「第一高校の方からクレームが入った場合、記者会見の会場に該当の報道機関の方は、入場できなくなります。FLTはそうお報せしたはずです」

 

報道陣に動揺の波が広がる。やはりここにいるマスコミの半分は、その事実を知らなかったようだ。残りは、知っていて居座ったということになる。

 

 

 

「みんな、下がって」

「えっ」

 

私はみんなの一歩前に出て、CADを待機状態にする。

記者が次の言葉を発するより早く、銃声が響いた。

報道陣の中の女性リポーターが甲高い悲鳴を上げる。

達也に食って掛かっていた記者が尻餅をついて、道路に倒れこんだ。

達也の背後から発砲された弾丸は、銃弾は達也の手のひらに収まっていた。

握りしめた手を開くとから銃弾の弾が地面に落ちる。

 

マスコミは押し合い()し合い、もつれ込み、叫びながらその場から逃げ出す。

達也の姿が見えないため、精霊と視覚同調を行い、俯瞰で状況を確認する。

血走った目の暴漢は、逃げていく人には目もくれず、達也を睨みつけている

拳銃を達也の方に向け、続けざまに発砲する。

達也はそれを全てつかみ取る。

分解魔法を使用し、銃弾そのものではなく銃弾の運動量のベクトルを全方位に分解している。

ほぼ停止状態で掌に銃弾を掴んでいるだけなのだが、襲撃犯から見れば物理的にはあり得ない状態だ。

ほぼパニック状態でマスコミに混ざっていたテロリストは、達也に向けて弾切れになるまで、弾切れになった後も引き金を引き続ける。

 

「くそっ」

 

空になった拳銃を達也に向かって投げ捨てると、暴漢はポケットからナイフを取り出し、達也に向ける。

達也は間合いを詰めると、胴体めがけて突っ込んできたナイフを手を捻り上げて落とすと、その勢いを利用して男を地面に引き倒す。

ナイフを持っていた手を踏みつけて、警備員が出てくるのを待っている。

 

「今のは?」

「魔法は使ってなかったのか……」

 

遅れるようにして、報道陣にざわめきが広がる。

やはり報道陣の中には魔法を感知する装置を持ってきていた者もいたようだが、彼らの簡易な機械では銃弾を受け止める際の魔法は感知されなかったようだ。

報道陣が呆気にとられている間に、ようやくやってきた警備員と入れ替わるようにして達也が門を超えた。

 

「お兄様!」

「すまない。騒がせたな」

 

深雪がすぐさま達也に駆け寄る。

 

「いいえ。お兄様であれば、お怪我をなさることはないと信じておりました」

 

万に一つも達也が怪我をすることはないだろうが、はやり過激な反魔法師主義者が紛れ込んでいたようだ。単独犯というのが怪しいが、今のところ、こちらに対する敵意は感じられない。

 

「すまないが、このまま帰れるか?」

「分かりました」

 

長居してしまえば、冷静になったマスコミに再びマイクを向けられる可能性もある。

そうなれば、また下校するのに手間がかかってしまう。

 

「私は残るわね」

「お姉様」

 

深雪が心配そうな顔をしている。

 

「カメラはあるけれど、先生方に事態の説明は必要でしょうし、残っている生徒に帰宅のタイミングも知らせないといけないでしょう」

 

今日は元々、神楽の稽古が入っているので、帰りは別々の予定だった。

 

「分かった。また連絡する」

「ええ」

 

達也は少しだけ思案した後、深雪と水波ちゃんを連れてエレカーに乗り込み、学校を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

達也が去ってから、30分もしないうちに、マスコミは学校周辺から撤退した。やはり記者会見から締め出すという脅しは効いたようだ。それに普通の生活をしている者が、いくらジャーナリストとはいえ銃撃現場に長時間いるというの心理的にも苦しいだろう。

帰り道に待ち伏せされるという事もなく、私も尾行されるようなことはなかった。

 

「こんばんは、達也」

「こんばんは」

 

達也はあの後、深雪と水波ちゃんを調布の家に送った後、伊豆の別荘に帰ったらしい。

私は学校帰りの稽古の後、自宅用のマンションに帰り、今は達也と映像付きで通話をつなげている。

 

「あの後、学校は大丈夫だったか?」

「ええ。発砲事件で中継とか始めかねないと思ったけれど、大人しく引き下がったみたい」

 

流石にいくらマスコミとはいえ厚顔無恥ではなかったようだ。

 

「九重家にも迷惑をかけたな」

「あちらは取材慣れしているから大丈夫よ」

 

達也と私の婚約関係にあることは、少し調べればわかることだ。

FLTや一高から話が聞けないとなると、九重家に取材依頼をしてきたメディアもいたようだ。もちろん、取材は丁重に断っている。

 

「金曜日の記者会見は何を話す予定なの?」

「トーラス・シルバーの解散と恒星炉のプラント建設についてだな」

 

ここでいう恒星炉とは、以前から開発を進めていた常駐型重力制御魔法式熱核融合炉のことだ。

正式名称は、Extract both useful and harmful Substances from the Coastal Area of the Pacific using Electricity generated by Stellar-generator.

日本語訳は恒星炉による太平洋沿岸海地域の海中資源抽出及び海中有害物質除去。正式ではないが、略称はESCAPES計画(エスケイプスプラン)というらしいが、エスケープスに合わせて言葉を組み合わせた側面が強い。

日本語の名称も長いため、公式な名称はこれから考えるとのことだ。

 

「エスケープって、魔法師が兵器としての役割を脱却するっていう意味にもかけているのかしら」

「ああ。軍事力とエネルギーの関係は切っても切り離せないからな」

 

現在、魔法師の活躍の場は軍事面に偏っていると言っても、間違いではない。

むしろ九重家のような神楽として魔法を用いることの方が珍しい。

 

日本は各国に比べ、魔法師の割合が多いとはいえ、成人後も実用的なレベルで魔法を使うことができるのは、およそ1万人に一人。潜在的に魔法技能を持つ者、実用レベルではないが特定の魔法を使うことができる者に広げればもう少し割合は多いが、それでも絶対数は少ない。

その少ない人数が軍事面に割かれているのは、どこの国も変わらない。

 

だが、増え続ける人口を賄うためには、エネルギー問題も長年の課題だ。

魔法師の数を増やすことは容易ではないため、軍事力とエネルギー供給の間でリソースの奪い合いにはなる。

つまり、魔法師を軍事利用したくともできない状況にすることができる。

日本だけではなく、世界各国でその状況を作り出せる。

 

「現実的な分、賛同は得やすそうね」

「本当はもう少し後で公表するつもりだったんだが、レイモンド・クラークが暴露した以上、前倒しだが仕方ない。あとは、了承を得られるのを待つだけだな」

「スポンサーの方の?」

「そこまで知っているのか」

 

達也は少し困ったように笑った。

達也が言う了承とは、四葉家や分家の了承ではなく、四葉家の後ろ盾をしている東堂青波(とうどう あおば)のことだ。

表立った組織ではないが、政治や経済分野に広く影響力を持つ元老院、その中でも東堂青波は四大老と呼ばれる最も発言力の強い人物だ。

彼の了承が得られれば、記者会見でこの計画を披露することができるらしい。

 

「何度かお目にかかったことはあるわ」

 

九重家は元老院に所属しているわけではないが、構成している家とは長い付き合いがある。仲人を引き受けたり、九重神宮で婚姻を執り行ったり、遠縁では親類関係にある家もある。

 

「きっと了承が得られるわ」

「心強いな」

 

元老院は、道を外れた魔法師や異能を持つ者が表の秩序を乱さないために、力のある魔法師を支配下に置いている。元老院全体が魔法師を管理するのではなく、各家々が力のある魔法師やその家系を配下にしているといった構図になっている。

魔法協会はあくまで魔法師のための相互機関であり、中心として十師族を据えているに過ぎない表の組織だ。

 

東堂青波の人となりを詳しく知っているわけではないが、兄から聞いた話では色よい返事をもらえるとのことだ。兄のことを信頼していないわけではないが、すんなり全面的な了承という楽観視はしていない。

 

安寧はまだ遠い。

 





今回は7000字程度で、少しいつもより短いです。


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