英雄になるのを望むのは間違っているだろうか (シルヴィ)
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風との出会い
幸福な日々は続かない


 最初は、ちょっとした憧れだった。なれたらいいな、と空想するだけで、本を見て満足する程度の、誰もが持つちょっとした夢。

 「あなたなら、きっとなれるよ」

 「そうかなぁ? でも、本に出てくる英雄様がやってることってホントにあったことだと思えないんだよね」

 「どうして?」

 「だって、一人でできることなんてしれてるじゃん。みんなみんな頑張って、手を取り合わなきゃ生きてけないって、義姉さんも言ってたし」

 ふてくされたように言う、少年。

 肩口で整えた、艶やかな白に近い銀の髪と、クリクリとした同色の丸い瞳。相貌は男性、というよりも女性寄りだ。子供らしく赤みがかった頬が初々しい。簡素な麻の服が、別のものにさえ見える程だ。ふらふらと小さな足を揺らしていた。

 対して義姉さんと呼ばれた人は、どちらかというと平凡だった。垢抜けない、というべきか。磨けば光る物はありそうだが、野暮ったい服と、ざっくばらんに切られた髪が、彼女の本来の可愛らしさを損なっている。

 けれど二人の間にあるのは、何も阻むことない笑顔だった。

 椅子に座り、抱きしめられる少年と、抱きしめる少女は、言葉を交わす。

 「ふふ、確かにそうね。でも、この人達だって何も最初っからすごかったわけじゃないのよ?」

 「え~、うっそだぁ」

 「ほんとよ、ほんと。ほら、例えばこれ」

 取り出したのは、一冊の本。

 『アルゴノゥト』と呼ばれた英雄のお話。

 英雄になりたいと夢見るただの青年が、牛人に攫われたとある国のお姫様を救いに迷宮へと向かう物語。

 時に騙され、王に利用され。

 友人の知恵を借り、精霊から武器を授かって。

 なし崩しにお姫様を助け出してしまう、どうしようもなく滑稽で、しかし自らの意思を成し遂げた、英雄の名前。

 「私はね、英雄様になるのに条件なんて必要ないと思うんだぁ」

 ニコニコと、心底からそう思っているような顔で。

 「最後まで貫き通す、強い意思。それだけが、英雄様を英雄様たらしめる絶対の条件。少なくとも私はそう考えてるの」

 「意思、って……そんなのあったって、死んじゃったら意味無いじゃん」

 「かもしれないね。ほとんどの人は、きっとそうなっちゃう。だけど、もし意思を持たない力を持っただけの人間なら」

 ――それはきっと、『化物』って呼ばれちゃうんじゃないかな。

 悲しそうに、何かを耐えるように、義姉さんは言った。彼女はそれをすぐさま振り払うと、少年の頭を優しく撫でる。

 「だからきっと、あなたが英雄様になりたいと願うのなら、最後まで貫ける意思を持ってほしいな」

 それは、少女の願いだった。自分よりも小さな小さな庇護の対象に、間違えた英雄への道に進んで欲しくないから。

 うーん、とよくわかっていなさそうな少年に、仕方ないなぁと苦笑い。

 「ならなくていいや」

 すると唐突に、少年がそんなことを言った。

 「ならなくてもいい、って……英雄様に?」

 「うん! だって、義姉さんがいるもん。英雄様はカッコイイし憧れるけどさ。こんなに色んな厄介事があるんだから、なりたくない。英雄様になるより、義姉さんと一緒にいたい」

 英雄になれば、確かに富も名声も、何もかも手に入るかもしれない。

 だけど、その過程で降りかかる厄災は、自分だけに留まらないかもしれない。そんな事になってしまうのなら、英雄様なんてなりたくない。

 何より大事なのは、義姉さんなんだから。そう、少年は言っていた。

 「……一生の不覚。ドキッとするなんて、私は普通私は普通ショタじゃないショタじゃないショタじゃ……」

 「えっと、義姉さん?」

 何故か顔を真っ赤にしてぶつぶつと暗示している大切な人(ねえさん)に、少年はどこか引き気味に彼女を呼ぶ。

 気づかずまだ何かを言っているので、厄介事はゴメンだと膝から飛び降りてすたこらと逃げていく。

 流石に飛び降りた時の衝撃で我に帰ったのか、赤かった顔を更に赤くして椅子から立ち上がる。

 「こら、待ちなさい!」

 「やーだね。義姉さんの恥ずかしいところ、みんなに言いふらしてやる!」

 バカバカしくて、遠慮のないやり取り。ごくありふれた、幸せな光景。それがずっと続くと、信じてやまなかった。

 ――そんなこと、ありえるわけがないのに。

 その日、義姉さんはどこかに出かけて行った。どうしても大事な用件で、拒否することができないらしい。

 出かける前に見送ると、

 「いい子にして待っててね。そしたらプレゼント、持ってきてあげる。そろそろあなたの誕生日だからね」

 「ほんと!? やった、楽しみ!」

 「いい子にしてたら、だからね?」

 「はーい!」

 心底から嬉しそうに、堪えきれないとばかりにどたばたと走り回る少年の姿に、少女はくすくすと笑ってしまう。

 「行ってくるね」

 今日はできるだけ早く帰ってこよう。そう決めて、外へ出た。

 「今日はどーしよっかなー?」

 少女のいなくなった家の中は閑散としていて、物寂しい。

 ……この時間は、嫌いだ。

 どうしようもなく『独り』だと、思い知らされるようで。それに耐えられなくなって、家の外へと飛び出した。

 まだまだ朝早く、人の通りはまばらだ。

 ダイダロス通り。オラリオの東と南東のメインストリートに挟まれる区画にある、貧民層の広域住宅街。朝早くから活動する冒険者とは違い、こちらに住むのは一般的な人間だ。

 そもそもここ、奇人とまで言われたダイダロスという人物が設計した結果、度重なる区間整理によって複雑怪奇な様相を呈している。

 一度迷い込めば二度と出てこれないとまで言われるほどで、『街中にある迷宮(ダンジョン)』としてある意味有名だ。

 とはいえ住んで長い人間にとっては勝手知ったる庭だ。全てを網羅している人間はまずいないだろうが、自分の家近辺からメインストリートまでの道のりなら誰でもわかる。迷い込めば二度と云々は単なる噂話に尾ひれがついたものにすぎない。

 黒ずんだ煉瓦が陽の光を遮断し、微かに光る魔石灯が周囲を照らす。太陽があるのにどこか薄暗いここは、あまり長くいたいとは思えない。

 ドタドタとダイダロス通りを出て、メインストリートへ躍り出る。

 そこは既に、別世界。

 ダイダロス通りとは違い冒険者達の姿に溢れ、その冒険者に売り込もうと露店等が開かれ呼び声が響く。

 高すぎると値引きする者、昨日は頑張ったと酒を浴びるように飲んでいる者、これから行く迷宮の探索する階層を決める者達――本当に、色々な人がいる。

 どちらかというと目立つ少年だ。大人、最低でも青少年ばかりいる中で、五歳程度の子供がいるというのは異彩となる。

 しかし、何故だか誰も彼もが声をかけない。どうでもいいというものもいるが、どちらかというとかかわり合いになりたくない、といった人間が多い。

 その理由は簡単で、

 「おや、キミがここにいるのは珍しいね。保護者はいないのかな?」

 心外だ、とばかりに声が降ってくる。

 振り向くと、大人だらけの冒険者の中で一際小さな少年、の見た目をした大人の小人族(パルゥム)

 風に揺れる柔らかな黄金色の髪。澄んだ湖のような碧眼に宿る深い理性。オラリオの中で女性人気――特に『その手』の女性――1、2位を争う存在。

 【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナ。

 都市()()()()の中でもほぼ頂点に位置する【ロキ・ファミリア】の団長であり、L()v().5()の第一級冒険者。

 ちなみにこれで三十歳(アラサー)を超えている。小人族……恐ろしや。

 「うーん、義姉さんはもっと前に家を出て、どこかに行っちゃったよ? どうしても外せない用事なんだってさ」

 「なるほど、そういうことかい。それなら僕が君の護衛を努めよう。幸い、今日は丸一日暇だったんだ」

 「いいの!? なら前の『遠征』がどうなったのか教えてほしい!」

 目を輝かせる少年に、フィンは喜んでと頷いた。

 これが、荒くれ者の多い冒険者がこの少年に手出ししない理由だ。詳細を知らなくとも、『あの【ロキ・ファミリア】と懇意にしている』という事実が、不用意に手を出させるのをやめさせている。

 知らず知らずの内に己が憧れる英雄様、その一人に守れられているのを自覚せず、少年は誰もが認める『勇者』の背中を追っていった。

 「今回の遠征はね、何と! 僕達がまだ到達できていなかった階層にまで行けたんだ!」

 「おお~……! 確か前に到達した場所は47階層だよね? ってことは、とうとう50階層にまで行ったとか!?」

 「その通り。潜れば潜るほどに複雑さを増し迫る脅威。伴って減っていく食料と武器の耐久値を気にしながら、やっと50階層――一つの区切りになる安全階層(セーフティポイント)にまでたどり着いたんだ」

 そう誇らしげに、けれどどこか道化のように語らうフィン。それは眼前の少年のために、即興で行う喜劇だ。

 50階層到達――その影で、数名の団員が命を落としているのを、知らせたくないために。

 「そう、僕達は確かに50階層に到達した。けどその寸前、僕達は階層主――『迷宮の孤王(モンスターレックス)』に遭遇したんだ」

 49階層、階層主・バロール。彼の存在を打倒せんがために無茶をしたフィン達は――冒険者曰く『冒険をした』――数名の団員の犠牲の結果、それを討伐。未到達域にまで行けた代償が、それだった。

 幾人かの【ランクアップ】を果たしたとはいえ、『犠牲が出た』ことそれ自体が問題となり、フィンを中心にした第一級冒険者以下数名が51階層へ足を踏み入れ、遠征は終了した。

 そういった経緯を、血生臭いところだけを除き、華やかな部分だけを抜き取って伝える。純真な子供は時に笑い、時に喜び、時にハラハラとフィンの言葉に耳を傾けた。

 気がつけばスッカリ日も暮れている時間。遠征の始まりから50階層到達までというのは、数時間以上もかかるものだった。もし話していない部分も含めたら、一日どころではすまなかったかもしれない。

 「それじゃ、そろそろ帰ろうか。君のお姉さんに怒られたくはないからね……」

 「? うん、わかった。ありがとね、フィンッ」

 【ロキ・ファミリア】の団長を呼び捨てにする――それが如何に無謀なことか。しかし相手は子供であり、フィンは子供に礼節を求めるほど狭量ではない。

 ダイダロス通りへ面する場所へと送る。さすがのフィンも、遠征から帰ってきて数日でまた迷宮へと――しかもなんの利益も無い場所に潜るほど、酔狂ではなかった。

 完全に太陽が沈む、その前に家へと帰る。

 そうしたら、きっと。

 「ただいま、帰ったよ義姉さん!」

 バンと扉を開き、見つけたその姿。けれど彼女はニヤッと笑う。その顔にどこか嫌な予感を覚えたが、

 「ギリギリセーフってところね。お帰りなさい、ちょっと心配したわ」

 「ご、ごめんなさい……」

 すぐにイタズラっぽい笑みに変わり、その心を告げられる。こんな時間までフィンに話をねだっていたのは自分なのだから言い訳のしようもない。

 「で、どうしてこんな時間まで外にいたの?」

 「えっと……」

 一瞬、言い淀む。伝え方を間違えるとフィンに迷惑をかけかねない。

 「フィンに頼んで、遠征の話を聞かせてもらってた! とっても楽しかったよ!」

 ならば、と事実を言う。嘘偽りのない、心の奥底から思っていた事を。なのに、なぜだかピキリと固まってしまう。

 「そう……楽しかったのね」

 「うん。50階層にまで到達できたって、そこまでの道のりを本の中のお話みたいに語ってくれたんだぁ」

 今でも思い起こせる。あの、心躍るような英雄譚を。

 「これは……あの子にお仕置きが必要かなぁ。ふ、ふふふ――」

 だから、気付かなかった。

 義姉が、どこか妬んだように、そう呟いていたのを。

 しかしそれも一瞬。変わり身かと思うほどの速度で笑顔を浮かべると、言った。

 「それじゃ、ご飯にしましょうか。今日はご馳走よ?」

 「やったー!」

 義姉さん手ずからの料理は、とても美味しい。好き嫌いもあるけれど、それを考えてメニューを考えてくれるから、無理なく食べられる。

 むぐむぐと口一杯にほうばる。口は開けない。クッチャクッチャと音を立てて食べるのを、義姉さんは嫌っているから。

 子供の旺盛な食欲でもって料理を制したあと、席を立って食器を流しに置きに行ったとき。いつの間に後ろに移動したのか、義姉さんはその細い首筋に、鎖を通した。

 「……?」

 「動かないで。今つけるから……ここを、こうしてっと。はい、どうぞ」

 首の裏にかかる、ちょっとした重み。鎖の先を持ち上げると、そこについていたのは、大きな石だった。

 見れば見るほど吸い込まれそうな、深緑の色。少し角度を変えると、色が変わって見えるのも面白い。

 「約束のプレゼントだよ。とっても高価な物だから、大事にしてね?」

 「する! 絶対大事にするから!」

 髪を一度揺らして鎖を隠し、その後石を服の下に入れる。これなら、少し服の位置に気をつければ何かを隠しているとは思われないだろう。

 その様子を見て義姉がどこかほっとしているのが、ちょっと印象的だった。

 ――フィンに、友達に出会って、話をする。

 ――家に帰れば、大好きな義姉がいる。

 「それじゃ、今日はもう寝よっか?」

 「わかった。おっやすみ~」

 ――そんな毎日が続くんだって、信じてた。

 信じて――いたかったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガタガタと体が震える。

 「ふん、震えてやがる。まぁいいさ。お前は人質だ、大人しくしてりゃ少なくとも死にはしねぇよ。死には、だがな」

 目の前をチラつく、銀の光。それは自分の髪とよく似ていて、けれど決定的に違った。自分の髪が柔らかな物だとすれば、この銀は、攻撃的なそれだ。

 一瞬その銀が揺らぎ――ナイフが、眼球を撫でる。

 「ッ」

 悲鳴を噛み殺し、だが恐怖で目を閉じ身を竦ませる。この状況が、どうしようもないくらいに恐ろしい。

 「あ~あ、怯えちまって。こんなのが義弟だってんだから、あのクソ女も随分苦労してるんじゃねえのか?」

 単なる挑発。だから耐える。反発すれば殴られるか、蹴られるか。最悪ナイフでどこかを切られる可能性もある。もし逃げられるような状況になったとき、その怪我は絶対に不利になる。

 「一丁前にだんまりってか。まぁ、いいさ。どうせあの女もお前みたいなガキ放り投げてどっか男の上でケツでも振ってるさ。来なかったら殺すから、精々祈るこった――」

 「おい」

 「あ゛?」

 だけど、だから何も言わないというわけには、いかなかった。

 「息が臭い。ここまで臭いが飛んでくるとか、どういうわけだ。ちょっと、いや結構離れてくれるとありがたいんだけど」

 顔を逸らし、うわぁとドン引きの表情を浮かべる。子供とは思えないほどその演技は秀逸で、いっそ本当にそう思っているのかとさえ感じられた。

 そして、沸点の低い男が耐えられるはずもなく。

 「こンの、クソ餓鬼がぁ……!」

 息が臭いというのなら、存分に嗅がせてやろうと首を引っつかむ。更にナイフを振るいその玉のような頬に、一線の傷がつく。痛みが響く。ちょっとした傷なのに、泣き叫びたいくらいに恐怖を感じる。

 けれど目を逸らさない。キッと強気に睨みつける。

 「気に食わねぇ……」

 それが、相手の逆鱗に触れた。

 「あの女みてぇな目を、してんじゃねぇよゴミがぁ!!」

 その小さな体が、文字通りゴミのように吹っ飛んでいく。大きく、派手に。いっそありえないまでの距離に。

 ゴロゴロと地面を転がった故か、体中が埃と泥に塗れ、薄汚れる。その時になってやっと、自分が暗い、倉庫のような部屋にいるとわかった。

 普通に家を出て、ダイダロス通りからメインストリートへの移動中に襲われ意識を失い、ここまで運ばれた――それで正しいはず。

 「う……ッ……」

 『わざと』うめき声をあげる。痛がっていますよと、アピールする。

 そうすれば、

 「無駄な足掻きをするからだ。お前の仕事はバカみてぇに怯えてることなんだからなぁ?」

 この単細胞は、油断する。

 子供だからと侮った結果だ。義姉さんと、フィン。それにたまに会うリヴェリアやガレスからじゃれ合いという名の稽古を受けた事だってある。

 そのシゴキが、結果的にこの状況で役立っていた。

 『人生何があるかわからないんだから、覚えておいて損はないよ』――なんて言って、ニッコリ笑顔でいじめてきたフィンに、今は感謝する。

 ――自分一人でも、逃げ切ってみせるッ。

 そう決意して、あの男が隙を見せる瞬間を。

 ――この場所から出て、帰るんだ。あの日常(ばしょ)に!

 「とでも、思ってるんだろう? だからテメェはクソガキなんだ」

 「え――?」

 ボキン、という音がした。その発生源は、足元。いいや違う――()()()()()()()

 「あ……ガッ!? ~~~~~~!??」

 足に走る、激痛。

 歯を食いしばって耐えようとしても、痛みを逸らそうと足を動かしてしまい、その動作が痛みを呼ぶ。

 哄笑をあげる男の声さえ耳に入らない。ただ涙を流さないよう、理不尽に耐えるしかない。でもそんなちっぽけな決意を嘲笑うように、腹に追撃。

 吐いた。

 朝食べた物を、血の混じったものと一緒に。

 「ああ? きったねぇな。しかもクセえ。ッハ、お前の息のが臭くなっちまったなあ?」

 「テメェの腐りきった性根程……臭くは、ないね」

 「口答えする余裕があるか。んじゃあよ」

 グイッと髪が引っ張られる。自重に耐え切れず何本もの髪がブチブチとちぎられた。

 「死なねぇ程度に痛めつける。加減はするがよ。死ぬんじゃねえぞ?」

 ――そこから、拷問紛いの痛みが続いた。

 骨を折るなんて、普通のこと。関節を外して、またくっつけて。髪を数本ごとに引き抜かれたりもした。

 手足の爪を剥がされて。服を切り裂かれナイフで背中に血で象れらた【神聖文字(ヒエログリフ)】を刻み込まれる。痛みで暴れるために線は歪み、完成した時背中に刻み込まれたその紋章は、ぐちゃぐちゃだったが。

 自分の血に塗れて、どんどん命の炎が削れていく。

 「もう痛みに叫ぶ気力もないってか。暇潰しも終わりかね、お前に死んでもらっても困るしよ」

 地獄は終わったけど、意味はない。放っておいても自分は死ぬ。そのくらいの自覚はある。

 ――痛みも、どっかいっちゃった。

 あれだけ痛かったはずなのに。苦しくて苦しくて仕方なかったはずなのに。それが、全部消えてしまった。

 「……来たか」

 「?」

 もう体は動かないけれど、目だけは動かせる。ボヤけてしまう視線の先で、そこに立っていたのは姉と慕う、大切な人。

 「その子を、返して! その子は私が――!」

 何の装備もなく、着の身着のまま走ってきたのか、その手にはなにも無い。

 ――逃げて!

 そう言いたかった。自分の事はいいから。自分の身を優先して欲しかった。

 「組んでいたパーティの子供、か?」

 「え……」

 だけど。

 もし『自分の身を優先する以上の理由がある』のなら?

 この男の言葉が示すのは、つまり。

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 自分でさえ理解できないまま、ズキリと胸が痛んだ。

 「全く、こんなお荷物がいては出会いなど望めなかっただろうに。いや……お前のことを好く人間など、元からいないか?」

 お荷物。

 無理矢理背負わされた、余計なモノ。

 「……私、は」

 泣きそうな顔で、義姉さんが視線を逸らした。それは格好の隙。男は動き出そうとして、

 「黙れぇ!!」

 そう叫んだのは、もう動けないと思われていた子供。ぐちゃぐちゃの両手で地面を叩きつけて転がり肉薄、大口を開けて『噛み付いた』。

 「ッ、このガキ!」

 服の上から、しかも子供の乳歯で噛み付いたところで、意味はない。義姉さんがいるからか、余計な動きを見せない男に縋りつきながら、叫んだ。

 「うるさいうるさいうるさいッ! 認めない、義姉さんが好かれてないなんて! テメェに義姉さんの何がわかる!?」

 「少なくともお前が知らない、人殺しの一面なら知ってるよッ」

 その言葉は、きっと嘘じゃない。でもそんなこと、どうだっていい。

 「じゃあ俺は、テメェの知らない義姉さんの優しいところを知ってる! 演技だって構わない。それでも俺は信じてる!」

 小さな体で、ボロボロの心で、必死に相手を引っ張る。

 「義姉さんは俺の憧れだって、()()()()()()って信じてるんだ!!」

 誰かに優しくあれる、そんな英雄(ひと)に。

 強くなくっても、みんなが笑って助け合える、そんな英雄に。フィンが、リヴェリアが、ガレスが、みんなが言っていた、かつての義姉さんの姿に。

 話の中でしか知らない英雄の姿に、憧れた。

 「ハッ、ならどうしてお前の義姉とやらは動かない? 憧れてる相手が本物なら、今頃お前を助けてると思うんだがな」

 そう。義姉さんは動いていない。何かを恐るように、瞳を揺らしていただけだ。でも、それら全てがどうでもよかった。

 「もうお前の言葉は信じない」

 ただ無意味に声を発していたわけじゃない。バレないように服の裾をズラしていただけだ。

 「俺が信じるのは――義姉さんだけだ」

 そして、思いっきりふくらはぎに噛み付いた。

 多分、意味なんて無い。この男は『神の恩恵(ファルナ)』を受けているのだろう。しかもかなりの上位冒険者。この程度、嫌がらせ以外にはならない。

 殺そうと思えばあっさり殺せるのにそうしないのは、きっと義姉さんを意識してのこと。

 こいつは言っていた。自分は人質だと。死んでは困ると。

 (なら――その立場を最大限利用する!!)

 この男が割いている意識の、一割だけでも構わない。その一瞬の隙を、きっと義姉さんは狙ってくれる。根拠もなく、そう『信じた』。

 男が大きく足を揺らす。それだけで乳歯のいくつかが欠け、折れた。元々頬を殴られていたせいだろう。

 だからそれさえ利用する。欠けた歯も折れた歯も唇周辺に集めて思い切り押し付ける。チクチクとした小さな痛みを与えた代償に、唇が裂けた。

 「こんの、ガキィ――」

 ついにキレた男が、一際大きく足を揺らす。

 「人が大人しくてりゃ、余計なことをしてくれやがって」

 足がブレ、噛み付いた歯を持ってかれた。その上縋っていた足が消えたせいで地面にドシャリと倒れこむ。

 そんなところにいて、無事ではすまない。振り下ろされた足が背中に迫ってきて。

 「……あ、あ゛……?」

 それが落ちきる前に、手刀が男の心臓を貫いた。抜き手によって腕の半ばまで貫かれた男の口から血が零れ、義姉さんの腕に付着する。

 「……私は、義理とか同情でこの子を育てていたんじゃない」

 震える声で、泣きそうな眼で、言う。

 「この子が大切だから、一緒に過ごしていただけなのよ」

 「ハン、そうかい……お前みたいな殺人鬼が、一丁前にそういうか」

 ボッと、男の体に熱がこもる。

 「だったらよ――()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 ずっと――義姉が来る前からこの男は、ただ待っていた。機を。問答の中で、目の前の相手が一番嫌がる事を、するために。

 詠唱は、とっくのとうにしていた。それを相手に悟られないよう内に魔力を押し留め、荒れ狂う嵐を制御し続けて。

 更に付け加えれば、男はいきなりポーチを開き、小瓶をバラ撒いた。パリンという儚い音を立ててこぼれた中身は、油。

 「さぁ、て……お前は、どうする? お前は、耐えれても……そのガキは、どうなるのか、見物だぜ」

 「……ッ。離しなさい!」

 最後の力を振り絞り、義姉の手を掴んで離さない。義姉にはこの男が何をするつもりなのかわかってしまったが、火事場の馬鹿力か、離してくれない。

 この腕力はLv.4だ。全力の相手から手を振り放すのは至難のワザ。もう息の根を止めようと、虫の息の相手にもう一度手刀をお見舞いする。

 だが腐っても生死を争う戦いを経験しただけあって、掠ることはあっても、当たらせてくれない。しかも男は冷静になりきれない思考を読み取っているのか、時折腕から手を放して反撃してくるから攻撃だけに徹するのも難しい。ただでさえ胸を貫いている現状不安定な体勢も相まって、命中率が著しく下がっているのに。攻撃の機会そのものが少なくなるなんて。

 ――逃げ、られない!!

 恐らく【ステイタス】が違う。例えLvに差があろうと、【ランクアップ】する前に鍛え上げたものにはバラつきが出る。

 潜在値、と呼ばれるものがそれだ。そして目の前の男はその方向が『力』に向いているのに対して自分は『器用』と『敏捷』。何よりランク差を埋めるほどの――この男の執念。

 ――でも、私にだってッ。

 大切なものがある。意地でも守りたい、大切な。加速した脳が、彼女の処理能力をはね上げた。刻一刻と増していく魔力を見極める。

 覚悟は、できていた。この状況、必ず、どちらかは死ぬ。瀕死の子供が、Lv.4冒険者の決死の一撃に耐えられるはずはないのだから。

 「う、おおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉっぉぉぉぉおぉ!!?」

 男が、吠えた。

 詠唱しようとして血を吐き、言葉にならない掠れ声。だがそれがトリガーとなり、最後の防波堤が崩れ去った。

 ――魔力暴発(イグニス・ファトゥス)

 制御しきれなくなった魔力が持ち主の元から離れ、自爆攻撃ならぬ自決攻撃が、二人の元へ牙を剥く。

 心臓を貫かれた男は即死――力が抜けたと悟り即座に腕を引き抜く。

 そのまま倒れこむように、小さな小さな少年へ、覆いかぶさった。

 その間一秒にも満たない。『器用』と『敏捷』に割り振られた【ステイタス】が、行動に淀みを生まないですんだ。

 大爆発が、耳を貫く。

 同時、巻かれた油に引火し、その威力をはね上げた。

 オラリオを揺るがすかのような地震。それは、少年を探していた小人族が理解するほどの衝撃を生んでいた。

 「……あっちか。どうか無事でいてくれ!!」

 Lv.5冒険者の脚力を存分に活かし、大道芸と思われても構わないと、屋根の上を跳んで、その場所を目指す。

 小人族、フィンがその場所に到達するのに数分とかからなかった。

 「な、これは……」

 凄まじい、焼け跡。屋根は崩れ、赤熱によって焼かれた部分と、黒ずんだ煉瓦。それが、この場所で大きな爆発があったのだと嫌でも理解させられる。

 「そんな……これじゃ……」

 可能性に過ぎない。

 けれど、もしここに少年がいたならば。絶対に、助からない。

 一縷の望みに賭けて、中へと足を踏み入れる。背を向けられた小さな背中に、フィンは安堵を覚えた。

 「おい、大丈夫か!? 意識は明瞭か、ちゃんと自分を覚えているのか?」

 常になく慌てた口調でフィンは問う。そして顔を覗き込んで、気づいた。

 ポロポロと、焦点の合わない瞳で目の前を見つめる、少年に。

 ――目の前にあるのは、焼け切った女性の死体。

 少年を抱きしめるように回された両手が、そして前に比べて焼け跡が酷い背中が、必死になって少年を庇ったのだと理解させる。

 「義姉……さ……」

 理解できない、したくない現実を前に。

 少年は、意識を手放した。

 ――幸福が続くなんて……ありえない。

 それを身に沁みた、そんな出来事。

 ――英雄に、なる。

 この不条理を、覆せるくらいの、そんな英雄に。




えーっと、作者名に見覚えがある方はこんにちわ。そうではない方は初めまして。

まだもう一つの作品終わってないのについ書き始めてしまいました。それもこれも1巻を私に貸した友人が悪い!(責任転嫁)
つい全巻買ってハマって書き始めてしまったじゃないか。(自己責任)

もう一つの作品があくまで主流なんでこっちはダラダラ書いていきます。気分転換、って感じでしょうか。

できれば拙作のお付き合い、よろしくお願いします。


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『神の恩恵』

 目を覚ませば、台所で料理を振るう義姉さんの姿がある。そう――信じたかった。

 ボロボロになった体は、回復薬(ポーション)類によって既に治っている。けれどこの身体に受けた痛みは、夢でしたと済まされないほどに刻み込まれた。

 全て、現実で起こったことだ。

 空虚に満ちた、心。ずぶずぶと沈もうとするそれを掬い上げたのは、一人の声だった。

 「目が覚めたかい? よかった、あれから二日経っていてね。葬儀の準備は」

 扉を開け、上半身を壁にもたれさせたのを見たフィンが声をかける。椅子に座って様子を見つつ言葉をかけたが、それを途中でやめざるをえなかった。

 ツツ……と頬を伝う涙。逃避しかけていた心が、彼の『葬儀の準備』という言葉を受け、全てをただ理解した。

 義姉さんは――死んだのだ、と。

 「……すまない、配慮が足りなかった。君は彼女の最後の家族だから、彼女の【ファミリア】から『君に全て任せる』だそうだ。それだけ、伝えたかった」

 「……そう。ありがと、フィン」

 「僕は一度、外に出るよ。食事の用意もしてもらわないとだからね」

 席を立ち、部屋から出るフィン。静かに閉まるドアを眺め、

 「ぅ……ッツ、義姉……さ……どうじて――」

 ただ静謐な涙を、溢れさせた。

 これが死。二度と出会えない、それだけの事実。その事が心を抉り、掻き乱す。だけど、忘れたくない。

 義姉と交わした、最期の会話を。

 ――あの爆発が起きた直後の出来事だった。

 全身を抱きしめられたのを理解したが、痛みと極度の疲労によってまともに動くことさえできない。更に上から軽くのしかかられている。

 すぐにその重みは無くなり、意識を落とそうとする体を振り切って、体を起こす。

 そこで見たのは、痛みに顔を引きつらせて、それでも笑顔を浮かべんとする、義姉の姿。

 「だ、大丈夫? 死んで、ない、よね? 庇いきれた、よね?」

 「義姉、さん? 何言ってるの?」

 「ごめんなさい。ごめんなさい。私のせいで、巻き込んじゃって。だから、あなただけでも助けたかった」

 やめてほしい。

 それではまるで、遺言みたいじゃないか。

 「なんで、どうして。俺をかばったりしなきゃ、助かったのに!!」

 そう、義姉さんだけなら、助かったはず。あの男が絶命した瞬間、その敏捷を活かして背を向け駆け抜ければ、大怪我はしたとしても、致命傷にはならなかった。

 Lv.5冒険者なら、なおのこと。

 「だけどそれじゃ、あなたが死んでしまうもの」

 「……ッ!」

 少年が義姉を慕うように、義姉も少年が大切だった。だから自分を犠牲にした。これは、その結果だ。

 義姉は震える手を伸ばし、首元の鎖を引っ張った。

 そこから現れたのは、砕け散った石。

 「一度だけ、即死攻撃から身を守ってくれる『神秘』がこめられたお守り……役に立って、良かった」

 魔力暴発によって引き起こされるのは大爆発。だが、そこに付随される『効果』は『二つ』だ。

 一つは衝撃波。もう一つは、膨大な熱。

 どちらか一つしか、この石は防いでくれない。

 だから義姉さんは選んだ。衝撃波を余すことなく受け止め、どうしても伝わってしまう熱は、この石に託した。

 「おれにこれを、渡した、のは。でも、もし壊れてたらどうするの!?」

 ここにくるまで、何度も死んだと思うような一撃を受けた。その過程でこの石が壊れてしまっていたら、共倒れだ。無謀に過ぎる賭け。

 なのに、その顔の笑みが崩れることはない。

 「その時は、その時ね。何もしないままあなたが死ぬところなんて、見たくない。私のワガママなんだから」

 視界が歪む。目の奥が、熱い。

 「私はずっと間違えてきた。それを正してくれたのはあなた。英雄様に成り損ねた私は、あなたのおかげで『化物』にならずにすんだ」

 それだけでも、嬉しかった。だけどそれ以上に、幸せだった。

 「あなたと過ごした日々は、掛け替えのない宝物。心残りは、あなたの『将来(これから)』を見られないことくらいだけど……」

 「ま、待ってっ。やめて、そんなこと、言わないで……!」

 この先の言葉を、聞きたくない。

 けど、聞かなきゃいけない。

 相反する感情がせめぎ合う。堪えきれない涙がこぼれ落ちて、義姉さんは柔らかな手で、それを掬い取った。

 「私とは違う、誰かを助けられる『英雄様』になって。力なんて無くっていい。みんなを笑顔にさせる、太陽のような人になって」

 頬を撫でる手の震えが、どんどん大きくなっていく。爪が剥がれた両手で、痛みを押し殺して抱きしめた。

 「誰かを好きになって、幸せな人生を送って。その先で、(そら)でいつかあなたが来るのを、待ってるから」

 ふっと、力が抜ける。体温が無くなる。義姉の命が、失われていく。

 「あ……ま、まって……」

 もう一刻の猶予もない。なのに心は散り散りで、言いたいことさえ形にならない。言いたいことはいっぱいで、どうしようもないほど時間が足りない。

 「大好き、だよ……義姉さんッ」

 だから、その言葉だけ。全ての想いをこめた、一言を。

 「私も……愛してる。バイバイ、私の、大切な人」

 それが、自分の心を、満たしてくれた。場違いな程の嬉しさを、生んだ。

 そして、心から満足そうな笑顔で――彼女は、少年にとっての『英雄』は、死んだ。

 それからフィンがその場に訪れるまで、ほとんど意識はトんでいた。

 「――これで、全部。最初から最後まで、言い切ったよ」

 「そう、か。辛いことを言わせてすまない。だがこれで、相手が何なのかわかった。それだけでも十分な収穫になるよ」

 フィンは、事の顛末を聞いて、それで相手が何をしたかったのかを理解した。理解して、この少年を放ってはおけないと思ってしまった。

 今、この少年には庇護がない。彼女が死んでしまい、どこかの【ファミリア】に所属していない以上、この子は、無力だ。

 その事には頭が回っていないらしい。むしろ他の事に気を取られているようだ。

 「義姉さんを殺した相手がわかったって、言ったけど。アテは、あるの?」

 「ある事は、ある。でも、今の君には教えられないな」

 「どうしてだ? 教えたって損は無いよね?」

 「君の眼が、教えられない理由だ」

 必死に押し殺していたが、仮にも相手は【ロキ・ファミリア】の頭だ。彼の目に宿る憎悪の炎、否種が隠しきれていない。

 「今の状態で教えたら、死んでもいいと彼らに突っ込んでいきかねない。せめてあの人の葬儀に参加して、頭を冷やしてからでないと。そもそも君のお義姉さんは、それを望んでいるのかい?」

 そう言われると、弱い。

 冷たいとさえ言えるフィンの言葉の裏を理解できてしまうから、何の反論もできなかった。

 この、本当はとても優しい小人族の想いが、わかるから。

 「この食器は片付けよう。その後しばらくしたら、今後の件について話し合うから、なるだけ考えを纏めておいてくれ」

 「今後の……件」

 「そうだ。君がこれからどうしたいのか。また、どうするつもりなのか。僕としては、【ロキ・ファミリア(ここ)】にいてほしいところだけどね」

 「……」

 「まあ、一つの考えとして、受け止めてくれればいいよ。じゃあ、また後で」

 フィンが出ていくのを感じる。

 また、独りきりだ。

 窓から見える空は、変わらない。あそこに、義姉はいるのだろうか。

 「これから……か」

 あなたがいなくなった先は、果たしてどんな未来になるのだろう。それだけが、不安だった。

 部屋から出たフィンは、【ロキ・ファミリア】ホームを歩く。目指すのは、我らが主神のいる部屋だ。

 ――彼を独りにはしておけない。

 ただそのために、彼は自ら神に進言するつもりだった。もちろん打算はある。

 ――【殺人姫(さつじんき)】の、義弟。彼の才能は相当なものだ。今から育てていけば、将来的にはかなり強くなる。

 彼が姉と慕う女性は、Lv.5冒険者。二つ名は【殺人姫】。かつて共に冒険していたパーティメンバー全てを闇派閥(イヴィルス)に襲われ壊滅、復讐鬼に走った彼女の手によって、多数の闇派閥メンバーは殺された。証拠を提出された、関係者含めて。

 ――今回の一件も、そのせいだろう。闇派閥はこのオラリオの毒だ。いずれ壊滅させなければならないほどの。いや、それよりも。

 彼女は確かに恐れられた。敵からも、味方からも。

 だがそれ以上に、慕われていた。あくまで闇派閥にのみ敵対していた彼女は、相当数の人間を救ってもいたから。

 フィンが少年を気にかけたのも、かつて彼女に団員の命を救われたことがあったから故。お礼参りに訪ねた時に、ふと声をかけたのが、出会いだった。

 ――僕はただ、あの子に死んで欲しくないだけなんだ。

 あの純真な子を、助けたい。

 その想いを胸に、彼はロキの部屋の扉を叩いた。

 結果。

 「お~? 別に構わんで? 見ず知らずの子供達なら知らんけど、フィンの推薦付きなら大丈夫やろ」

 「あはは……僕の決意はなんだったんだろうね……」

 あまりにもあっさりとOKを出されて拍子抜けしてしまう。でも一応、これで大丈夫かなと思っていたところ、ロキが釘を刺してきた。

 「だけど、必要以上の厄介事はごめんや。多少のトラブルは子供達のいい刺激になるけど、【ファミリア】自体が無くなるような事態になるなら、いくらフィンの推薦でも断るわ」

 その子がどんなに優秀でもな、と言い切り、フィンの顔を見つめる。

 ――流石、僕達の神様だ。

 「いや、大丈夫なはずだよ。『あの二神』がいなくなった現状、このオラリオで僕達に比肩するだけの力を持った【ファミリア】はそう多くない。例え彼らだろうと、不用意に団員に手を出そうとはしないはずだ。すれば、手痛いしっぺ返しをするつもりだからね」

 「彼ら、ねぇ。やーっぱあの坊主、闇派閥と敵対していた【殺人姫】の?」

 「うん、あの人の義弟だ」

 「……まあ、それぐらいならいいやろ。ただし! 余計なお荷物を背負いかねない、そう言うんなら、それを覆すだけの実績を作りぃや」

 「と、なると?」

 「他【ファミリア】を、置き去りにせぇ。【ロキ・ファミリア】が、オラリオに、『ここに』あると知らしめるんや!」

 「それは僕だって望むところさ。だけど、程度が知りたい。さすがに『()()』に勝てと言われると、現状厳しいところがあるからね」

 フィンの言う、『アレ』。

 それは現在オラリオの中でも一際抜きん出た【ファミリア】だ。

 【フレイヤ・ファミリア】という名のそれは、【猛者(おうじゃ)】オッタルと呼ばれる武人を抱えた、一部では現最強派閥とも呼ばれるほどの【ファミリア】である。

 対して【ロキ・ファミリア】は探索系【ファミリア】においてかなり上位に位置するが、どうしても【フレイヤ・ファミリア】に劣ると見られてしまっているのが現状だ。

 「追い越せとは言わんよ。そこまで頭がお花畑やない。だけど、並ぶことくらいは、できるはずなんや」

 「まあ……そうだろうね」

 此度の『遠征』において、フィン達は階層主と戦った。【ステイタス】の更新も既に終え、幾人かは【ランクアップ】さえ果たしたほどだ。

 だが、フィンを始めとしてLv.6に上がったものは、いない。【ステイタス】的にはほぼ条件を満たしているし、十分【経験値(エクセリア)】も貯まってきている。

 恐らく、後少し。それで、フィン達古参のLv.5は軒並み【ランクアップ】を果たすだろう。

 「こんなところで終わるつもりはない。言われなくたってやってみせるよ」

 「そかそか。んなら、こっちから言うことはもうないわ。【ファミリア】に入れるために『神の恩恵(ファルナ)』刻んだるから、その子連れてき」

 いそいそと針を取り出し、いつでも準備オッケーや! と笑うロキに、

 「あ、実はまだ入るかどうか決まってないから、準備はいらないよ」

 「なん……やと……?」

 どこまでもしまらない神様だった。

 一方で、部屋に残った少年の方は、フィンに言われた『これから』を考えていた。

 義姉がいなくなり、お金のアテはない。いやそれ以前に、自分の年齢ではまともに生きていくことは難しいと、なんとなく理解していた。フィンが気にしていたのも、そこだろう。

 誰かの厄介にならなければ、自分は生きていけない。

 だが、一つだけ、重要なことがある。

 「【ファミリア】って、何?」

 そもそも五歳の自分にはまだ早いと、義姉からは教えられておらず。また、このオラリオにおいて【ファミリア】という知識は基本的なもので、誰からも教えられていなかった。

 フィンに言われた【ファミリア】に入るという提案も、よくわかっていない。

 仕方がないと、フィンが帰ってくるまで、少し物思いにふけ続けた。

 「――【ファミリア】の、知識?」

 「うん。誰も教えてくれなかったから、教えて欲しいんだ」

 「あ、ああ。そういうことなら、わかったよ」

 この質問に多少戸惑ったフィンだが、最後には了承してくれた。

 【ファミリア】とは即ち【神の眷属】である。その神の『神の恩恵』を授かり眷属となることでその派閥に入団したと認められる。

 【ロキ・ファミリア】と名付けられたのは神ロキの眷属ということで、他に有名所といえば鍛冶屋達のブランド【ヘファイストス・ファミリア】だったり、規模こそ多少劣るけど腕自体では同等の【ゴブニュ・ファミリア】や、回復薬などを販売する、医療系【ファミリア】の【ディアケンヒト・ファミリア】、他にもあるらしいが挙げるとキリがないのでそこまでだった。

 つまり、その神の性格というか趣味次第で、【ファミリア】の中身が変わる。

 そもそも何故神である彼らが眷属などを求めたのか、という点については、彼らが天から下界に降りたとき、彼らを全知全能たらしめるチカラ『神の力』を封じた――正確には子供達と同じ視点に立とうということで、万能の力を使わないと取り決めた――からにほかならない。

 つまり彼らは一般的な人間達となんら変わらぬ力しか持てない。かといって働くのも面倒くさいと――もちろん働くのが好きな神様もいるが――思った彼らは『恩恵』を授け、その代わりとして衣食住を基本、お金などを稼いできてもらう、ということとなった。

 【ファミリア】とはつまり、家族となること。そう考えてくれていいと、フィンは言った。

 「もちろんその【ファミリア】によっては家族どころか眷属皆敵みたいなところもある。だけど【ロキ・ファミリア】じゃそんなことはないから、安心してほしい」

 「そう、なんだ。あの、フィンには悪いんだけど。義姉さんが所属してた【ファミリア】って、どこなのかな」

 「ああ……もう、()()よ」

 「……。え?」

 「彼女が所属していたのは【ヘラ・ファミリア】だ。だから彼女の【ファミリア】からと言ったけど、正確には彼女と交友のあった同じ元【ファミリア】から、の方が正しいかな」

 かつて最盛期を誇った【ファミリア】の一つであり、4年前に【フレイヤ・ファミリア】と【ロキ・ファミリア】が追放した二神の片割れ。

 【殺人姫】はずっと改宗(コンバージョン)と呼ばれる、【ファミリア】の鞍替えを行わなかったがために彼女が生きていることはわかっていたが、それだけの神。

 「だから、悪いけど君が【ヘラ・ファミリア】に頼るというのも無理だ。もしも他の【ファミリア】と親交があって、そっちに入りたいというのなら止めはしないけど」

 「ううん。フィン達以外とは、あんまり。なんか、妙に怖がられてたっていうか」

 「ああ……そうかい」

 若干遠い目で、半笑いで答えるフィン。

 良くも悪くも彼女の影響力は絶大だったらしい。そんな事を、今更再確認した。

 その時、コンコン、と扉が叩かれた。

 「フィン、葬儀の準備ができたようだ。あの子が起きているのなら、連れてきて欲しい。もちろん無理をさせるつもりはない」

 「わかったよリヴェリア。それで、どうする? 見に、来るかい?」

 「行く」

 即答だった。

 お別れの言葉を言った。だけど、その姿を、顔を見おさめることを、したかった。忘れたくないから。忘れないために。

 二日ぶりに布団から這い出る。服は、誰かが変えてくれたらしく、見覚えのないものだった。靴を履き、フィン先導のもと外へ出た。

 「久しぶり、といったところか。体に異常はなさそうでなによりだ」

 そこにいたのは、一人のエルフ。恐らくオラリオ内で最強とまで目される魔道士。

 エルフの中でも特に美しい、神にさえ匹敵する美貌を持つ『エルフの王族(ハイエルフ)』だ。

 翡翠の髪はきらきらと輝き、長い髪が揺れるのは嫌だからか、それを一本に纏めている。その髪から飛び出るのは、木の葉のように尖る耳。

 何よりその緑玉石の瞳から滲み出る気品が、彼女をどこか別の世界の人のように魅せた。

 【九魔姫(ナイン・ヘル)』リヴェリア・リヨス・アールヴ。

 それが、彼女の名前だった。

 「不思議なくらい、怪我はないかな。回復薬でもこうはならないと思うんだけど」

 「それはだな。そこの過保護な団長殿が、お前の大怪我を見て万能薬(エリクサー)を使ったのだ。そこまでせずとも、回復薬で傷を治して、後はここにいる魔道士にでも頼めばよかったものを」

 「リ、リヴェリア!?」

 くすくすと、意地悪く、けれどからかうように言うリヴェリア。対するフィンは、秘密を暴露されたからか、その顔を真っ赤に染めている。

 「――だが、気持ちはわかる。万能薬をまるまる一つ使ってもお前の傷は治りきらなかった。ただの回復薬では焼け石に水だったろう。いやはや、団長殿の慧眼には頭が下がるよ」

 「リヴェリア、わかっていて僕をからかったね?」

 「滅多に無い機会だ。たまには、いいだろうフィン」

 「えっと、ありがとう? フィン」

 なんとなく誤魔化された感はあるが、別に構わないか、と思い直すフィン。義姉を失い傷心中の彼の気分転換に利用されるなら、いいだろうと。

 ちなみに万能薬は彼の財布の中(ポケットマネー)から出ているので、リヴェリアもあまり強く言わなかっただけなのだが。

 葬儀は、冒険者という職業にしては珍しく遺体ありで行われた。

 ダンジョン内で死ぬことが多い冒険者は、その遺体をモンスター達に食い荒らされ、残るのは装備していた武器防具の欠片だけ、ということも珍しくない。今回のようなケースは、あまり無いことだった。

 それ故か、参加している人も、多かった。

 本来ならば『第一墓地』と呼ばれる、別名『冒険者墓地』か、そこに入れられないのなら彼らのために都市外の北方、小高い丘の上に作られた『第二墓地』あるいは『第三墓地』を利用するのが当然なのだが、まだ子供の彼が、自らの足で来られるよう、例外的に【ロキ・ファミリア】のホームの一角に、墓を作った。

 というか、誰とは言わないが幹部三名がゴリ押しした。

 一人、また一人と手向けの花と、一言二言を告げ、去っていく。中には同年代の子もいたが話すこともなく、ただひたすらに、葬儀を見続けた。

 遺体は、綺麗だった。焼けたはずの肌は白く戻り、整えられた髪と薄化粧が、彼女本来の美しさを取り戻していた。

 「彼一人を残して逝ってしまうなんて、思ってもなかったよ。君はずっと、彼の傍から離れないと思っていたのに」

 フィンが、参列者の中でも一際目立つ花を置く。そして一度冥福すると、少年の頭を一度撫で、その場を離れる。

 「随分と、綺麗なものだ。【殺人姫】などと呼ばれていたのが嘘のようだよ。全く、回復薬の一つも持っていかないとは、この愚か者が……」

 そう言ったのは、リヴェリア。義弟が攫われたと知り、何も持たずにオラリオを駆け回った彼女の浅慮さを嘆く。そこにあるのは、深い悲しみだ。

 誰も彼もが悲しんでくれる。いいや、悲しむほどの関係性を持ったからこそ、ここに来てくれている。

 義姉は愛されていたのだと理解して、嬉しく思い、また悲しんだ。涙は葬儀の前に出し尽くしたはずなのに、また流れ出そうになるくらい。

 やがてポツリポツリと人の流れが途切れていく。彼らにも彼らの生活がある。いつまでも悲しんではいられない。

 最後まで残ったのは少年を除くと、フィン、リヴェリア、そしてもう一人。

 フィンと同じくその身長は小さい。だが体格は正反対と言えるほどに筋骨隆々であり、大の大人であろうとその迫力に呑まれるほどだ。

 普段は大口を開けて笑うほどの豪胆な性格はなりを潜め、今はただ、逝ってしまった戦士の一人の先を祈っている。

 【重傑(エルガルム)】ガレス・ランドロック。

 【ロキ・ファミリア】最古参の三人の、最後の一人だ。

 代表して、フィンが口を開く。

 「どうする? これ以上ここにいては日が暮れる。僕としては君がホームで生活し続けても問題ないとは思ってるんだけど」

 言外に【ロキ・ファミリア】に入らなくてもいいと言う友達。だけど、それに甘えることはできない。

 「……【ロキ・ファミリア】以外で、強いところは?」

 「単純な強さで言うなら【フレイヤ・ファミリア】が我らの上を行くだろうな。だが、あそこの女神は気まぐれすぎる。あの派閥に入るには、彼の女神に気に入られる必要があるからな」

 「だけどあそこには都市最強の冒険者がいるから、彼に師事したいのなら、止めはしないよ」

 リヴェリアとフィンが、言う。

 とても失礼な事を聞いているのに、彼らは気分を害することなく答えてくれる。本気で、自分の未来を案じてくれている。

 「未熟者(ぼうず)。お主は強くなりたいのか?」

 今までただ見ていたドワーフが、聞いてくる。その瞳は嘘を許さないとばかりに燃え、射抜いてくる。

 本心を、言えと。

 「なりたい。強く。今度こそ、足でまといにはなりたくない。義姉さんが俺を守ってくれたみたいに、俺は、誰かを助けたいッ!」

 その為になら、血反吐を吐いたって構わない。そんな勢いで、叫ぶ。

 果たしてその言葉が気に入ったいのか、ガレスは豪快な笑みを浮かべた。

 「ガッハッハッ! いい気迫だ。いいだろう、ならば儂ら三人の全てをお主に叩き込んでやろうではないか!」

 「おい、ずるいぞガレス。魔法を覚えていないこの子は私との時間が少なくなるんだぞ」

 「その分は知識を覚える時間に回したらいいんじゃないかな? 今朝知ったけど、覚えてることが圧倒的に少ないみたいだからね」

 「え……え? え??」

 「僕が中距離からの攻撃方法と回避、指揮の取り方を」

 「私は今から『並行詠唱』の仕方と、この都市で生きていくための知識を」

 「儂は前衛において必要なノウハウを全て叩き込んでやろう。恐らくそれが、お主に必要なものだろうからの」

 気づけば自分の『これから』が決まっていく。

 しかもそれは、オラリオ内最強の一角達からの指導。それはきっと、数多の冒険者達が望んでやまない事だ。

 前中遠、全ての距離における対応の仕方を学べる、ということ。それはきっと、いや絶対に役に立つ。

 「話は終わったんか? ほんならやろか。『神の恩恵』を授けたるわ。ロキの『恩恵』をな」

 いつからそこにいたのか、けらけらと笑うロキが立っている。

 ニヤニヤと、楽しそうに、可笑しそうに。だけど、何故だろう。油断するな、気を抜くなと本能が叫んでいる。

 黄昏と合わさるその鮮やかな朱色の髪を後ろで纏め小さく垂らしている。細目といえるそれは弓なりに曲がり、崩れた相好は彼女の明るさを示しているかのようだ。

 なのに、ダメだ。彼女を前にすると、どうしても体がビクついてしまう。

 「あのさ、フィン。なんかこの人、怖い」

 『ぶっ!!』

 フィン、リヴェリア、ガレス三人が不覚にもツボを突かれた。三者三様の笑い声が響く中、ロキはいっそう笑みを深めた。

 「なるほどなぁ。フィンが推薦するわけや。勘は悪うない。冒険者には必須のもんや。うん、気に入ったで」

 ガシ、と肩を掴まれ、顔を引き寄せられる。

 「あ、あの……?」

 「だーいじょうぶや、ちゃんと可愛がったる。【ファミリア】の一員として以上に、なぁ?」

 笑っているのに笑っていない。最初の対応を間違えたと、この時理解した。

 「とりあえず、名前を教えてな。フィンも教えてくれへんかったし?」

 「自己紹介は自分でするものだろう」

 フィンの突っ込みも何のその、ロキはグイッと体を寄せた。

 「ん、んん? で、なんて言うんや? ほらほら、言うてみ。ほら、ほらほらほ――」

 「やりすぎだ、ロキ」

 ボカン、とリヴェリアがロキの頭を叩く。ロキとしてもこれ以上の悪ふざけはさすがにマズいと思ったのか、やめにしたらしい。

 が、もう手遅れで、少年は自分を助けてくれた女神(リヴェリア)の後ろに隠れてしまう。

 「フィン、悪いんだけど【ロキ・ファミリア】に入るの、考えさせてもらってもいい?」

 「ロキ……子供相手にやりすぎだ」

 「大人げないの、ロキ」

 「な、なんやなんや、みんなしてそいつの味方して! みんなは誰の【ファミリア】なんや!」

 「私達が説いているのはあくまで人間性だ。それが欠けていると言っているにすぎない」

 四面楚歌、と言える状況。容赦ない攻勢に、ついにロキが屈した。

 「こ、子供脅して……すいませんでした」

 そして一つ咳払いし、

 「あらためて、や。うちはロキ。あんたの名前は?」

 「……シオン」

 「嘘やな」

 ジッと。

 先程までの遊びは嘘のように、少年――シオンを見つめる。

 「嘘じゃない。今から、シオンと名乗るから」

 「――どういう意味や?」

 「なるほど、花言葉か」

 理解しきれなかったロキと、一方でリヴェリアは理解した。森の民でもあるエルフは花言葉にも精通しているらしい。

 「確か『君の事を忘れない』、だったか。随分とまあロマンチックな名前じゃないか」

 「別に、そういうんじゃない。ただ」

 少しだけ、口ごもり、そして恥ずかしそうに、

 「義姉さんとの思い出を……大切にしたい、だけだ」

 「……!! おうおう、なんやこの子、めっちゃええ子やなぁ! 今時こんな子いないやろ普通に!」

 妙にテンションが上がっているロキがシオンの手を握り、一気に引っ張る。

 「いた、痛いよ! 痛いって!?」

 「いいからいいから。はよ『恩恵』刻んでうちの【ファミリア】に入れたるわ!」

 たーすーけーてー、という声を残し、二人は消えた。

 「……あれで、いいのか?」

 「いいんじゃないかな。あれくらい強引なのが」

 「今のようなバカらしい付き合いをすれば、あの坊主も少しはマシになるじゃろ」

 保護者三名、いたしかたなしと肩を竦め合う。

 そして神の寝床へ連れてかれたシオンはといえば。

 「なにこの汚い部屋」

 「うっわ、遠慮ないなこいつ」

 「いやだって、こんな酷いってないよ」

 あたり一面、それがなんなのか一見わからないようなガラクタばかり。中にはレア物があるのかもしれないが、そんなのわかるはずもなく。

 シオンにとって、この部屋はゴミ屋敷にしか見えなかった。

 「ま、否定できひんけどな。とりあえずそこのベッドに座って上半身裸になり」

 「ショタ、コン?」

 「なんでそうなるんや! 『恩恵』は背中に刻むしかないだけで、他意はない! っていうかどこで知ったその知識!?」

 妙に疑わしいと引き気味に見られている事に納得いかないまま針を取り出すロキ。さすがに冗談ではないと理解したのか、シオンも服を脱ぎ捨てた。

 「元々『恩恵』っちゅうんは、うちらの神血(イコル)を刻み込んで、その人の可能性を引き出すためのもんにすぎない。そこからどうなるかは子供達次第ってことや」

 「努力するか、しないか?」

 「そうゆうことになるなぁ。だから、あんたがどうなるかは、あんたがどれだけ頑張れるかによるよ。精々気張りや」

 淀みなく、ロキはシオンの背中に文字を刻み込む。

 「これからあんたはうちの眷属()や。辛いことがあったら、相談しにきてな。できることは限られとるけど、一人で溜め込むよりはマシやろ」

 その声音は、先程までのふざけたものは微塵も無く。

 「……ロキ、は。本当は」

 「あかんあかん、湿っぽいのは無し。頼りたい時は来ればいいし、一人でいたい時は部屋にこもる。子供はワガママ言えばいいんやで」

 これも、ロキの一面だと、わかった。

 アホらしく騒ぐのもロキの姿だけど、眷属を愛するロキの姿もある。どちらもロキであり、切り離して考えることはできない。

 「ありがとう、ございます」

 「あっはは、どういたしまして、やな」

 シオンは『神の恩恵』の儀式を受けた。

 それはロキの眷属となり、【ロキ・ファミリア】として生きていくことにほかならない。だけど今は、それも楽しそうだなと、そう思えた。




1話に比べて妙に苦労した2話と3話です。

多分設定をなるだけ原作準拠にした結果でしょうが。どの単語にかっこ無し、『』、【】を付けるかとか、フィン達の過去を出てる巻全部見直しまくってみたりとか。

ちなみに彼らの状況ですが、原作開始11年前ということで相応に弱くなっています。

ベル君で麻痺しかけてますが、本来Lvを上げるには年単位の時期を必要として、【ランクアップ】を果たす事に必要な【経験値(エクセリア)】が増えるので、これくらいかなと。

特にフィン達は【ロキ・ファミリア】創設時にかなり苦労したみたいですし。

なので現状トップを独走してるのは【フレイヤ・ファミリア】のみ、ということで。なんかおかしいところあったらご指摘を。

↓誰得か知りませんがフィン達の設定↓


フィン・ディムナ
現在Lv.5

原作同様頼りになる我らが団長。
が、この作品では幼い友人のために何かと心を砕き、心配性。

彼の過去についてはあまりわかっていないので、ちょくちょくシオン達と関わらせていければなと思っています。


リヴェリア・リヨス・アールヴ
同Lv.5

アイズのお母さんと揶揄されるような存在。
シオンが登場したことで更にその母性の発揮ぶりが加速。表にはあまり出さないが内心は過保護なお母さん予定。

彼女の扱いはどうしましょう。過保護が行き過ぎて口うるさいお母さん……?


ガレス・ランドロック
同Lv.5

実は一番扱いに困ってるのが彼だったり。原作でもあんまり登場シーンがないから口調とか把握しにくいですし。そもそも彼は過去に何をやっていたんでしょう?


次回は【ロキ・ファミリア】です。フィン達3人ともう3人出ます。幼い彼彼女らをどうかお楽しみに!


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【ロキ・ファミリア】

 【ロキ・ファミリア】に入ってからは、義姉さんと過ごしていた時とは180度切り替わる日々となった。

 まず、遅くまで寝ていることを許されない。遅くまで起きていることは自己責任とばかりに放置されるけれど、その逆だけは、ダメだった。

 後で知ったが、リヴェリアが特にシオンに対して厳しく接していただけらしい。他の子達はまだ優しい方だと知ってからは、若干遠い目をしてしまった。

 とかく、彼女の方針を一言で言うと、ひたすらに酷烈(スパルタ)だった。まず妥協を許さない、普段の優しさはどこへ消えた、というレベルでとにかく追い詰めてくる。

 「さあ、既に刻限は過ぎている。早く着替えて準備をするんだ。今日はオラリオの都市の構造を説明するぞ」

 朝、五時。

 この季節、太陽が出たかどうかというくらいだというのに、リヴェリアはシオンをたたき起こしに来た。

 しょぼしょぼとする目を擦り、回らない頭を覚醒させるために水を取りに行く。が、リヴェリアはそれを許さないと、肩を掴んできた。

 「人の脳が最大限活用できるのは、起きてから2時間後のようらしいからな。まずは軽く1時間程、体を動かそうではないか」

 「え、いや、えっと、朝食、は?」

 「運動を終えてからだ。その方が()()()()()

 この時、シオンからリヴェリアへの幻想(ユメ)は、木っ端微塵にぶっ壊れた。

 シオンが連れて行かれたのは、他に何も無い、ただっ広いだけの中庭だ。体を動かす、というか鍛錬をするためだけに作られたそこは相応に広く、また頑丈でもある。

 「それでは早速『並行詠唱』の練習でも始めようか。とはいえお前はまだ『魔法』を発現できていないだろうからな」

 『魔法』、それは誰もが憧れる一つの奇跡。

 本来魔法は特定種族の専売特許にしかすぎず、かつてエルフの一人がたった一つの魔法で100人をもなぎ払ったという逸話さえ存在するほど強力なものだった。

 だが神からの『恩恵』はその前提を覆し、どの種族であろうと最低一つ、一種類の魔法を発現できるようになり、最高でも三つまで覚えられるようになった。

 100人の人間を、たった一人で倒せる。圧倒的不利を覆す、強大な力。誰もが憧れるのも、納得と言えよう。

 とはいえデメリットも存在するが、今のシオンにそれを教える必要はないと、リヴェリアはそのあたり後回しにした。

 どこか暗くなっているシオンに、リヴェリアは慰めの言葉を送る。

 「安心しろ、『恩恵』を受けてすぐに魔法が発現する方が稀だ。いずれはお前も魔法を発現するだろうさ。いつになるかまでは、わからんがな」

 とはいえ、魔法を発現するというのは相当に困難であり、例え【ランクアップ】を果たした冒険者であろうと魔法を覚えていないという者は、実は多い。

 だが、今はそういった事を教える必要はないだろう。

 シオンも、リヴェリアの言を受けて少しホッとした様子を見せたので、この対応で間違っていないはずだ。

 「詠唱ができなければ魔力を『起こす』こともできないから、今はただ、意思をこめて言霊のように声として出せ。数多の攻撃を処理できるだけの視野の広さの獲得。それが『並行詠唱』の修行を行う真髄だ」

 元よりリヴェリアはシオンにこれを覚えて貰おうなどとは思っていない。ただ、言葉を発しながら体を動かすという難しさを知って欲しかった。

 それを身に沁みるまで叩き込めば、いつか彼は、パーティの指揮を取れるようになるかもしれないから。

 魔道士とはまた違う『大木の心』、揺らがない絶対の意思を、叩き込む。

 「詠唱については私の魔法の一文を教えよう。それを覚え、唱えればいい」

 「えっと、魔法ってとても大事なものだって、俺でも知ってるよ? 誰かに教えたりとか、そういうのを気にしたりは……」

 確かに、詠唱を知られるのは不利だ。

 例えば敵と戦闘するときにその詠唱の長さを知っていれば、どのタイミングで発動の邪魔をすればいいのかがわかってしまう。

 そして仮に発動できたとしても、タイミングがわかれば防ぐことも、また躱すことだって可能になるかもしれない。その『かもしれない』というのが曲者で、希望を持っている人間は驚く程足掻くものだ。

 だから信の置けない者に詠唱を教えるというのは、とても不利な事なのだが。

 「大丈夫だ。たかが一つ、詠唱文を知られた程度で敗北するほど、私は弱くない。【九魔姫】という二つ名は伊達ではないのだぞ?」

 何より、と。

 「お前は私の秘密を勝手に話すような人間ではないと、信じている」

 「――!」

 真っ直ぐに、明るい笑顔を向けられて。

 どうにも恥ずかしくなって、顔を真っ赤にして俯いてしまう。

 「はは、照れているのか? さ、時間も押してきている、そろそろ始めよう」

 「は、はい! えっと、よろしくお願いしますッ!」

 ガバッと頭を下げたのを合図として。

 シオンとリヴェリアは、距離を取った。

 「あ、頭が痛い……!」

 結局リヴェリアにボコボコにされたシオン。

 『武器を持ったところで反撃できまい』と言われたリヴェリアの言に従いとにかく回避に徹したが、どうにも詠唱しようと文を思い出す内に接敵され、その大きな杖の石部分で頭を叩かれてしまう。

 だけど、泣き言なんて言っていられない。強くなると誓ったのだから。そして自分を導いてくれてるのは都市最強達。疑って強くなれないくらいなら、とことんまで信じきって、愚直なまでに突き進む。

 一人図書室――大きさ的には図書館と形容するしかないが、あくまでホームに数多ある一室にすぎないからだ――へと向かう。

 リヴェリアから出された課題として、本から調べ物をするという事を出された。内容自体は何でもいいらしく、『自分で調べる癖を付ける』ことを覚えて欲しい、とのこと。

 「調べろって言っても、何を調べれば……」

 まあそこから課題になっているんだろうけど、と思いながら、図書室の扉を開けた。流石にこの時間だし、誰もいないとは思うが、どうしてかそっと開けてしまう。

 実のところ、シオンが【ロキ・ファミリア】で交流を持っているのは、フィン、リヴェリア、ガレスのみという、とても狭い範囲しかない。

 だから、それ以外の人と会うのは、少しだけ怖い。良くも悪くも小さな世界で生きてきたシオンにとって、知らない光景を見るのは楽しみであり、また怖くもあった。

 「お邪魔しま~す」

 そーっと、そーっと、中に入る。余りにも広すぎるそこには多くの棚があり、そこはまさしく

 (本の、森だ……!)

 本を読むのは、嫌いじゃない。いいや、違う。

 ――大好きだっ!

 目を輝かせ、もしかしたら、と色々な棚を見渡す。けれどあまりの量に本酔いしそうになり、ちょっと席に座って頭を冷やそうとした。

 「英雄様の本とか、見てみたいなぁ」

 「え?」

 その呟きを聞いたのか、本の山に埋もれていた少女が、顔をあげた。

 まず目に付いたのは、その健康的な小麦色の肌。ついで、妙に肌面積が多いのに気づく。一瞬踊り子かと思ったほど露出度が高く、上は胸周りを覆う薄布一枚、腰には長いパレオを巻いているだけで、他には最低限の物以外何も身につけていない。

 確か、アマゾネスと呼ばれる種族。女だけしか存在せず、露出の高い服を好み、子を残すために力強い男に身を委ねる――あるいは逆に『食べる』――女達。

 若干目のやり場に困って目を逸らしてしまう。だが当の彼女はシオンの様子に気づいていないのか、あるいは気づいていても気にしないのか、向日葵のような笑顔で腕を引っ張ってきた。

 「ねね、英雄のお話とかに興味があるの? 私色んな童話知ってるから、知りたいのなら教えてあげられるよ!」

 「それは、ありがたい、けど」

 「やった。ティオネはフィンに首ったけで、英雄の話ができる人なんて全然いなかったからさ。だから同じ趣味の人がいるのは嬉しいんだよね。って、あれ?」

 そこまで一気に告げて、彼女はシオンの顔をまじまじと見る。

 「君みたいな人、【ロキ・ファミリア(うち)】にいたっけ?」

 「昨日、フィンとロキがやってくれた、みたい」

 「あーそういうこと! ならいいかな。まず自己紹介、私はティオナ・ヒリュテ。ティオナでいいよー! そっちは?」

 「シオンが名前。こっちもシオンでいいよ」

 「りょーかい」

 ビシッと敬礼して楽しそうに笑うティオナ。その屈託の無さに毒気を抜かれ、彼女の露出の高さも、見知らぬ相手に対する警戒心も、全てどこかに流れてしまった。

 彼女の手に引かれ、隣の席に移動する。既にいくつか目星を付けていたらしく、彼女は本の山の中からいくつかを取り出した。

 「うーん、私が一番好きなのは『アルゴノゥト』の童話なんだけど、シオンは知ってる?」

 「数日前に読んだばっかりだから、内容は大体知ってるよ。細かい部分までは、ちょっと覚えてないけど」

 「それならその内もう一回読んでみて! それで、どこが良かったか話し合うの。きっと自分じゃわからない魅力を知れるはずだから」

 と、そこでティオナは押し黙り、

 「だめ、かな。みんなはまだ外で体を動かす方がマシだって言って、誰も私とこういうお話してくれないんだけど」

 シュンと落ち込んでいるティオナは、きっと誰とも話す相手がいなかったのだろう。趣味を持つのはいいことだが、趣味を理解している相手がいればもっと嬉しい。つまりそういうことだ。

 「俺でよければ、話し相手になりたいな。義姉さんとよく本を読んでたから、英雄様のお話も色々知ってるし」

 「ほんと!? 嘘じゃないよね? 楽しみにしちゃうよ!」

 「ほんとだから、楽しみにしてくれると嬉しいな」

 「いやったーー!!」

 「ティオナ、ちょっと落ち着い、て……」

 バンザイ、と両手をあげるティオナ。

 それを諌めようとしたシオンは、ふと、後ろを見て動きを止めた。両の目は見開かれ、ついで体が震えだす。

 「あ、あ……ティ、ティオナ……」

 「ん? どうしたのシオン、そんな怯えた声出し、て」

 シオンに腕を引かれ、疑問に思いながらも振り返ったその先には。

 「図書室では静かに。一番基本的な事で、それを守っているからお前も利用していいと言ったはずなんだが。お前は先程、どうしていた?」

 「あ、いやその、ちょっとはしゃいで、ました」

 「()()()()?」

 「とっても大きな声を出してしまいましたっ」

 その笑顔が、恐ろしい。ティオナの目の縁に輝く何かが見えたのは、気のせいだろうか。気のせいだと、思いたい。

 これから何が起こるのか、とガタガタ震える二人を前に、リヴェリアは溜め息を吐くと、

 「まあ、今回は見逃そう。共通の趣味を持った友人ができるのはいいことだ。喜びすぎて叫んでしまうのもわからなくはない」

 「で、でしょでしょ? やっぱりリヴェリアは話がわかるぅ!」

 「おだてるな。それに私とて、ただで見逃すわけにはいかん」

 「や、やっぱり何か、怒るの?」

 とばっちりかもしれないが、シオンは甘んじて怒りを受けるつもりだ。何故だかわからないが、下手に逃げる方が悪化すると心が叫んでいる。

 「とりあえず図書室を利用するときの注意事項を覚えきるまでここから出さん。それが、今回の罰だ」

 「わ、私記憶力には自信がっ」

 「さて注意事項が書かれた紙は、と」

 「あー待って待って! その紙それだけしかないから独り占めされると困るよ!」

 怒るリヴェリアには勝てないと既に心身に刻み込まれていたシオンは文句を言う暇すら惜しいとその紙を手に取る。

 それを見たティオナも言い訳を口にしている暇はないと慌ててシオンの真横に走り腕と腕を絡ませてきた。

 「ちょ、近すぎだよ!?」

 「これくらいじゃないと私が見えないのー!」

 ギャイギャイと騒ぐ二人は、先程のリヴェリアの忠告を綺麗サッパリ忘れている。それでもリヴェリアが再度雷を落とさなかったのは、少しだけ理由があった。

 ――これで二人共、もう少し外の世界に目を向けてくれれば良いのだが。

 義姉と、フィン達三人のみしか友好が無いシオン。

 同じく姉と、一部同年代、及びフィン達幹部としか接する機会があまりないティオナ。

 あまりに狭すぎる世界を、もう少し思い切って飛び出て欲しい。決意を実行するのに独りでは心細いが、信じられる誰かがいるのなら、できるはずだから。

 ――今は男女の機微など欠片も持ち合わせていないが、さて、どうなることやら。

 彼女の姉は既に想いを寄せる相手がいるのだ。まだまだ小さな子供だから、なんて理由で否定されることはない。

 これからの彼らがどうなっていくのか。まだまだ騒ぐ二人を見て、リヴェリアは【ロキ・ファミリア】の将来を楽しみにしていた。

 「――以上で注意事項の全てとなります!」

 「確かに全て覚えたようだ。では、シオンはもう行っていいぞ」

 「わかりました。昼食を終え次第フィンのところへ行かなければならないので、これで失礼させていただきます」

 何故、シオンの口調が敬語になっているのかは、押して図るべし。

 一つ言えば、やはりリヴェリアは容赦がなかった、とだけ。

 「ん、あれ? フィンのところって、今は――って、もう行っちゃった」

 顔を上げたティオナがシオンの姿を探した時には、既にその背は扉を開けて外に出ていた。

 「驚かないといいんだけどなあ」

 「人の心配をしている暇があると思っているのか?」

 「も、もう許してよリヴェリア~!」

 まだまだ覚えきれていないティオナの悲鳴が図書室に響き渡る。頭を抱えるティオナは、最後までリヴェリアが意地悪い笑みを浮かべているのに気付かなかった。

 「ハァ、ハァ、ハァ、時間がやばいって、フィンに怒られるっ」

 図書室利用についての注意事項を覚えていたら時間は押していて、急いで昼食をかき込んだ頃にはもう約束の時間ギリギリまで迫っていた。

 普段は優しいフィンでも時間には厳しい。【ファミリア】の顔であるフィンは交渉事をする機会が多く、その結果時間に対しての約束事は破っていけない相手となった。

 私事なら多めに見てくれる時もあるが、公的ならば、なおのこと。

 今の速度ならば迷わず、何かトラブルが起きなければ間に合うはず。いっそ清々しいほどのフラグ建築だったが、幸いそのフラグが成立しきる前に先程の中庭へと戻った。

 急いで扉を開けて外へ出る。真昼間故に頭上の天辺から降り注ぐ太陽の光が、シオンの目を焼いた。まだまだ涼しい気温にもかかわらず、肌からジットリと汗が出る。

 手をかざし、日光に慣れるまでしばし目を細める。

 それからフィンの姿を探し、

 「……」

 そして、絶句した。

 「団長団長団長! 今日これからお暇ですか? 時間がありましたらいいお時間ですし、食事にでも……!」

 「い、いやすまないティオネ。これから少し用事があって、もう昼食は取ってあるんだ。だからティオネ一人で食事をすませてくれれば」

 「いえいえ、それなら仕方がありませんよ。無理を言ってすいませんでした」

 素直に頭を下げるティオネという少女に、フィンはホッとした表情を浮かべる。彼女は下げた頭を上げて笑顔で去ろうと足をこちらに向ける。

 そこで、目が合った。

 よくよく見ればティオネはティオナとよく似た共通点がある。恐らく姉妹なのだろう。

 違うのはティオナが天真爛漫なのに対し、彼女は冷静沈着といったところか。髪型もショートとロングで異なるし、服装も厚い布で胸を覆っているし、足もちゃんと隠していた。アマゾネス故に露出は高いが、それでも彼女達基準で考えれば、随分と貞淑な格好だ。

 その原因は、十中八九フィンだろう。貞操を捧げる相手がいるという自己表現か。

 自分と同じくらいの年齢なのにな、と彼女を見つめていると、すれ違いざまに、

 「ッチ、私と団長の時間を邪魔しやがって」

 「……? ――!?」

 先程の恋する少女はどこにもいない。

 いたのは、恋路を邪魔するクソ野郎に対する怨嗟を吐く、蛇だった。

 何故か、助かったという言葉が脳裏に浮かんだ事に自分で驚きながら、足早にフィンの元へと駆ける。

 「フィン、あの子は、いったい」

 「ティオネ・ヒリュテ。それが彼女の名前だ。なんでか知らないけど、どうにも僕に好意を抱いているみたいでね」

 やはりあのわかりやすい態度ではそのあたり気づくようだ。

 「まあ、僕はここでも比較的有名だし、幼い子が年上に憧れるようなものだよ。その内他の誰かを好きになるさ」

 「そう、なのかなぁ」

 フィンはこう言っているが、シオンは全く納得できない。彼女のあの冷たい視線は、生半可な想いで出せるような、そんな易しいものではなかった。

 将来的にそのことはフィンも身を持って理解するだろうから、自分からは言わないが。

 「それじゃ、まず最初に君に伝えておきたいことがある。これはきっとシオンにとって辛い事だろうから、どうか耐えて欲しい」

 「何を言うのかわからないけど、うん。わかった、頑張る」

 その返答に頷くと、一度咳払いをし、

 「シオン。君は向こう一年、『迷宮(ダンジョン)に潜ることを禁ずる』」

 そんな予想外の言葉を、シオンへと降らす。

 「どうしっ」

 それに耐えられるほど、シオンは大人ではいられなかった。驚きのあまりつっかえながらも、叫ぶ。

 「どうして!? 強くなるには『迷宮(ダンジョン)』に行くのが普通なんじゃ」

 「落ち着いてくれ。もちろん理由はあるさ。だから、まずはそれを話させて欲しいんだ」

 「わか、った」

 不承不承で頷くシオンに、この反応が予想できていたのだろう、フィンはシオンの頭を撫でてきた。

 「誰かから聞いたかもしれないが、確かに『恩恵』を授かれば、その時点でダンジョンに潜む魔物を倒すことはできる。でもそれは倒せる『かもしれない』だけなんだ」

 例えモンスターを討伐できる力があったとしても、それを振るう心構えができなければ、その力を発揮する前に死んでしまう。

 それにダンジョンへ行くということは、自分との戦いでもある。

 「『今日はうまくいっている、だから階を一つ上げてみよう』――そんな風に調()()()()()()、帰ってこなかった冒険者を、僕は知っている」

 ダンジョンでは、どれだけ自分を律せるかの勝負だ。

 恐怖心に負けないか。もう今日は無理だと判断し、素直に引く冷静さがあるか。高揚感に負けて奥へ奥へと進まないようにできるか。

 パーティならまだ誰かが諌めてくれるかも知れない。しかし単独(ソロ)では、それもできない。全ては自分の心の在り方が決める。

 「『大木の心』……」

 「ん? リヴェリアから教わったのかい?」

 「うん。どんな状況でも、落ち着いていろって。フィンが言いたいのも、そういうこと?」

 「に、なるのかな。後はもう一つ理由があって」

 言葉を切り、シオンの体を、腕を、足を触る。

 「いきなり何するの!?」

 「まあ大体予想通りってところだよ。で、気づいたかな」

 「何を?」

 「君の体には、全然筋肉がついていないってことさ」

 あくまでダンジョンのモンスターを倒せる基準は、ある程度体ができあがっている男女のことを示している。まだ年端も行かぬ子供が行くような場所ではないからだ。

 もちろん倒せることは倒せるのだろうが、

 「剣を持って振るうことができると、君は自分で思えるかな」

 持てない、と断言できる。

 「シオンの身長と体重は同年齢から見ても比較的高い。それでも二〇kgには届かないだろう。片手剣(ブロードソード)でも大体一.二kgくらいだから、持ち上げることはできても振るうのは難しいだろうな」

 「それに、身長も足りない?」

 「ああ。自分の半分以上もある剣は、シオンにはまだ無理だろう」

 恐らく剣()振るうのではなく、剣()振るわれる。フィンはそう言った。

 「なら、しばらくは剣を振るえるような体になるまでダンジョンに行くのはダメってこと?」

 「そういうわけじゃないんだ。僕が言っているのはあくまで目安。そうだね、大体一年くらいあれば、シオンがダンジョンに行っても死なないと言えるようになると思う。それまで筋力トレーニングでもして、『恩恵』を少しでも伸ばしていこう」

 何も【ステイタス】はダンジョンでモンスターを倒すだけで上がるわけではない。単純な自己鍛錬なんかで【経験値】を貯めれば少しずつ上昇していく。

 もちろんダンジョン内でモンスターを討伐する方が遥かに効率はいいが、時間で安全を買うと考えれば安い買い物だ。

 つまりシオンが『大木の心』と『武器を振るえる体』の二つを手に入れれば、フィンとて文句は言わない。

 それを理解したシオンは、文句を言うのはやめた。

 ここではフィンが団長であり、自分は下っ端の下っ端にすぎない。むしろ団長が一人の団員のために時間を大きく割いていることが異常なのだから。

 元々納得できないことに対して反発していただけなので、納得できればそれでよかったのだ。

 「まずは土台作りを頑張ろう」

 「わかりました。これからよろしくお願いします、団長殿!」

 「ああ、僕の持てる技術を総動員して君を導いてみせようじゃないか」

 敬礼するシオンと、胸を張り偉ぶるフィン。

 「ぷっ」

 「くっ」

 『あははははっ!』

 やがてお互いに耐え切れなくなったのか、この茶番に対して笑ってしまった。数分して完全にリラックスした二人は、真剣な顔で向き合う。

 「始めようか」

 「ああ、頼むよ」

 とはいえ、現時点で教えられることなどほとんどあるわけもなく。腕立て伏せや腹筋で、どこをどうすれば効率良く、また無駄なく体を鍛えられるかを教える程度だ。

 それでもまだまだ子供の筋力などたかがしれていて、終わる頃には全身が痛み、プルプルと震えた。今はまだ多少マシだろうが、明日になれば全身筋肉痛は確実だろう。

 しかし、今日はまだ終わらない。シオンが指導を受けるのは『三人』なのだから。

 そう、後一人。

 ドワーフの戦士、ガレスが残っている。

 体がガタガタと揺れるけれど、それを無理矢理押さえ込み、壁に肩を寄りかからせて移動していく。幸い、というかこれを予期していたのか、ガレスに指導をしてもらう時まで、まだまだ時間はあった。

 そこで、道中一人の狼人(ウェアウルフ)と出会った。

 鋭い毛並みを纏った耳と尻尾をふらふらと機嫌悪そうに揺らし、その鋭利な眼光で目の前を睨みつけている。顔にはよくわからない刺青(ペイント)か何かを塗っていた。

 ズボンのポケットに手を突っ込み大股に進んでくる少年は、シオンに気づいたらしい。近寄ってきた。

 「おいテメェ、ナニモンだ。うちにテメェみたいな顔した奴はいなかった。勝手に入り込んできやがったのか?」

 「……。ティオナもそうだったけど、俺が入団したとか、そういうことを考えないのかな?」

 「親が【ファミリア】に所属してたんなら別だが、お前と似た外見の人間なんざ見たことねぇ。ってことは外部から入ったってことか? ハ、ありえねぇよ」

 ケッと吐き捨てる少年に、言いがかりを付けられたシオンは、ビキッと頭に血管が浮かび上がった。

 「初対面の人間捕まえて不審者扱いって、随分とここの人間はモラルが低いんだね?」

 「ア゛ァ?」

 「いや違うか。フィン達は人格者だから、単にお前の性格が破綻してるだけかな」

 「んだとテメェ!?」

 最早額がぶつかり合う程に接近し睨み合うシオンと少年。お互い、同時に思う。

 ――こいつとは反りが合わないッ!

 「やめんかこのガキ共が!」

 「ぐぅ!?」

 「がっ!?」

 ドガン、と途方もなく硬い何かが頭の上に降ってくる。それは容赦なく二人の頭を貫き痛みで悶えさせた。

 「ガ、ガレス、いきなり何を」

 「ふん、ベートとお主が今にも殴り合いそうだったからな。両成敗と拳を叩き込んだのじゃ」

 「クソッ、ツいてねぇ。これも全部テメェのせいだ!」

 「人に責任押し付けんな自己中野郎!」

 「やめろと言ったじゃろうがっ、このバカ共!!」

 再度落ちる、拳。

 元々限界に近かったシオンはそれでダウン。ベートは痛みでこぼれそうになる涙を無理矢理堪えながら唇の端を持ち上げた。

 「情けねぇ奴だ。あんだけ吠えておきながら気絶してやがる」

 「お主と一緒にするでない。既にこやつは朝からリヴェリアにしごかれ、フィン指導の元体を鍛えておった。その状態で殴られれば気絶の一つでもしよう。それとも、お主は耐えられるのか?」

 「……」

 説教されたベートの顔に、苦渋の色が滲む。そして何も言わず去ろうとしたが、一瞬足の動きを止めると、

 「フィンに伝えておけ。勘違いする奴もいるだろうから、さっさと全員にそいつを紹介しろと」

 「ふむ? ふむ、なるほどな。お主も素直でないのう」

 「うっせぇ! 俺はもう行かせてもらうぜ」

 足早に去っていくベート。だが、ガレスは気づいていた。

 「本当に、損な性格じゃ」

 彼の顔が、真っ赤に染まっていたことに。恐らくシオンに突っかかったのも、ガレス等にこの事を伝えるためだろう。

 あるいは、本当に不審者だと思ったのか。

 「さて、儂も儂の仕事をせんといかんの」

 少しでも体力を回復させるために気絶させた少年を担ぎ、ガレスも目的の場所へ向かって歩きだした。

 肩に担がれているシオンを見て驚いた者を無視してガレスは武器庫に入る。入ると同時にまだ気絶していたシオンを放り投げ、近くにあった武器を手に取る。

 「ぃ、っ~~! か、体、が……!?」

 ビキビキと悲鳴をあげる肉体に脂汗を垂れ流すシオン。その様子を見ていたガレスはシオンに近づくと、

 「さっさと起きんか、この未熟者がァ!」

 「は、ハイ!??」

 情け容赦なく怒号を浴びせ、シオンの顔の真横に剣を突き立てる。

 軽い、どころではない。ドガァ!! と轟音を立てて真横に刺さった剣に顔を青くし、今度は冷や汗が流れ出たシオンは即座に起き上がって敬礼してしまった。

 二種類の汗が混じった不快感に耐えながらシオンはガレスを見る。

 「ふん、すぐに起き上がったことは褒めてやろう。……ほれ、こいつを持つんじゃ」

 「え? って、うわ!?」

 ガレスはシオンを見ると鼻を鳴らし、横に置いてあった小さなナイフを放り投げる。慌てて受け取ったシオンはそれが鞘付きだと理解して、更に顔を青くした。

 もしこれが抜き身だとしたら……と。鞘に入っていたからいいものの、先の受け取り方では両手をぶった切られていた。

 「心身が極限まで疲労した状態では、体はまずまず、心は論外、か」

 ポツリと呟いたガレスは手に持っていた剣を鞘におさめて壁に置きなおすと、今度は奥にあった大きな盾と小さな盾を手に取って帰ってくる。

 「さて、儂の指導する内容を教えてやろう。儂はフィンやリヴェリアと違って、技術を教えるのは無理じゃ。所詮力に任せて武器を振るうだけの脳筋だしの」

 顎を撫で付け、豪快に笑うガレス。

 「まあそんなわけで、お主には『極限状況下』で活動できるようになってもらうぞ。もう動かせないと思えるほどの疲労と、意識を闇に引きずり落とそうとする精神。その二つにどれだけ抗えるようになるかじゃ」

 「……。……え?」

 少ししてガレスが言っている内容を理解したシオンは、

 「さあその短剣を握るんじゃ。そして打ち込んでこい。フラつく体を押さえ、ボロボロの心で敵の防御を撃ち抜け。何時何が起こるかわからない迷宮内で、その状態で安全圏にまで行けるようになれば、命を落とす可能性はグッと減るぞ」

 「……!!」

 この言葉で、覚悟を決めた。戸惑いを打ち消し、歯を噛み締めて慣れない短剣を無様に構え、ガレスを睨みつける。

 「ほう、意識が切り替わったの。儂の言葉の何がお主を刺激した?」

 「命を落とす可能性が、減る。それってつまり、誰かに迷惑をかけずらくなるって事だよね?」

 「ふむ? 完全にとは言わんが、そうなるかの」

 「なら、いい。自分一人で逃げ切れるようになれれば、少なくとも誰かの『足でまとい』にはならないですむんだから!」

 それは、シオンの持つ後悔。

 もしあの時、あの怪我でも動くことができれば。相手が魔力爆発をする前に、十分な距離を離れていたのなら。

 どうしても、終わってしまった『If』を考えてしまう。

 けれどあの時には戻れない。ならばどうするか。決まっている。

 ――過去に身にしみて覚えた経験を、繰り返さないッ。

 「よろしく、お願いします……ッ」

 荒い吐息を吸っては吐き出しながら、シオンは鈍っている両手と両足を、前へと向けて駆け出した。

 「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ――」

 ベッドに倒れこみ、もう動けないと過呼吸気味になるシオン。ガレスとの特訓を終えた瞬間意識は途切れ、気づけばここにいた。

 かなり眠っていたのはわかる。また眠ろうとする意識を無理矢理繋ぎ留め、ベッドの横にあるテーブルの上にあった夕御飯を、口にする。

 両手どころか顎にすら力が入らないのを動かし飲み込む。

 「ッ、う゛!?」

 そして、吐きかけた。

 極度に疲労した体は。胃は、固形物を受け付けてくれない。それでも食べなければ明日死んでしまうとなんとはなしに理解していたシオンは、吐き出さないよう悶えながら食べ続ける。

 「これで、強く……なれるなら――!」

 ……義姉さんには、強くなれなくてもいいと、そう言われた。

 だけどそれは『諦めてもいい』と同義ではない。自分は、なりたいのだ。どれだけ辛い道のりであろうと、誰かに圧し掛かる理不尽を壊し、助けられる人になると。

 義姉さんという『英雄』に憧れたのなら、自分もそんな『英雄』になってみせる。その決意を再確認したシオンは。

 その場で倒れ、泥のように眠りこけた。




やっとアイズとレフィーヤ以外の主要メンバーが出揃いました……。

フィン・リヴェリア・ガレス等の修行内容が半分、ティオナ、ティオネ、ベート等との接触が半分ってところでしょうか(正確な比重は全く違いますが)

修行の方針をこうしたのは彼らの性格的に? 文章のところどころに原作で描写されていた『アイズを鍛えた時の情報』を散りばめています。気づいていただけたのなら幸いです。

ちなみにフィンは『資本作り』、リヴェリアは『精神力の成熟』、ガレスは『土壇場での根性』を基本にして覚えさせています。

体を鍛え、心を成長させ、並行して諦めない不屈の魂の獲得。そんな感じです。

ちなみに初日だからこそここまで一気に詰め込んだだけで、シオンの想いが本気なのを理解した二日目からはもう少し易しめ。でないと普通に壊れます。

ティオナ、ティオネ、ベートの三人組は基本を原作通りに、中身は幼少期らしく感情制御が苦手になり態度に差が出ます。

↓また誰得ティオナ達の設定↓

ティオナ

幼少期の不安定さ故か、天真爛漫でありながらも一人でいることに不安を抱えている。抱きつきグセは『独りじゃない』ことを知るため(という設定)。

本を読むのが大好きだが誰も付き合ってくれず、初めて理解を示した主人公に友好的。ちなみにリヴェリアが苦手。母親よりも母親らしい彼女に頭が上がらない。


ティオネ。

団長好き好きLOVEはこの時からという事に。ただ感情制御が未熟な分彼女がフィンの近くにいるときにフィンに大事な用事でもないのに話を持ちかけると途端に不機嫌さを増していく。女性の場合特に注意。

フィンの前以外では言葉使いが凄まじく悪い。

彼女の言動はアマゾネスの母親のせい。特にフィンに対する態度(という設定)。


ベート

ツンデレ狼人。原作よりも皮肉っぷりが甘く、同年代の子供はわからずとも一定以上成熟した大人はその不器用な優しさに(生)暖かい眼を向ける。

良く誰かに皮肉を言ってはその後顔を赤くして去る姿が日に数度確認されている。子供の背伸びと思われて年長組からは頭を撫でられては怒鳴ったりも。


と、こんな感じです。

ちなみに今回の出番はシオンに対する友好度合いで年少組の出番に差が出ています。もちろんティオネとベートも出せるだけ出したいのでご安心を!


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大喧嘩

書き終わってから気づいた。

これ5歳児がやるような事じゃない。


 ティオネ・ヒリュテは団長(フィン)が好き、否愛している。これは自他共に認める周知の事実である。

 だがここ最近、彼女はめっきり愛しの殿方と過ごす時間が減っていた。理由は四ヶ月程前、唐突に現れた少年が原因だった。

 少し時間ができればその少年のところに赴きアドバイスをしてあげる。時には言葉で、時には手を取って。あの至近距離でいられる事など自分にはそうないのに。何より楽しそうに笑う団長は可愛――ではなくて。

 「あのクソ野郎のせいで、私と団長の時間が……ッ!」

 ガリガリと親指の噛む。歪んだその顔を見た団員達は皆『触らぬ神に祟りなし』とばかりに距離を取って震え上がる。

 リヴェリアとガレスもあのゴミクズに指導している聞いた。その事を羨む団員は多く、直訴していた時期もあったが、それも何時しかパッタリと止んでいた。情けないったらありゃしない。

 だから、ティオネは決めたのだ。

 シオンと名乗る奴に、一言物申してやるのだと。

 ギッと窓の外を睨み、今もなお体を動かす白い少年を見た。

 「995、996、997……」

 アレから四ヶ月が経った。

 毎日毎日フィン指導のもと筋力トレーニングを行い、リヴェリアから知識を叩き込まれ、ガレスにひたすらイジメ抜かれる。その甲斐あって、体には程よい筋肉がつき、無知だった頭には多くの知識と、それを活かす知恵が宿り、根性を持てた。

 もちろん、簡単には行かなかった。血反吐を撒き散らし、ストレスか何かのせいで単なる熱が悪化して風邪を引き、無茶のしすぎで体が壊れかけたこともあった。それを耐え抜いた結果が、今なのだ。

 フィン達に言わせれば『まだまだ甘い』そうだけど、つい先日ダンジョンに潜る日は近いと言われたので、彼らの予想を超えた結果になった。

 ――嬉しい。認められた。頑張ったかいがあった……!

 三人共『成長したな』と褒めてくれた。頭を撫でてくれた。たったそれだけでも、ボロボロになった体に活力が宿り、自分は強くなれたんだと、実感できた。

 「はい、お疲れ様。これタオルと、飲み物! 冷たすぎると体に悪いってリヴェリアに聞いたから、ちょっと温めだけどね」

 素振り1000回を終え、ティオナから布を受け取り汗を拭い、水を飲む。無理をしすぎても逆効果でしかないと教え込まれたため、やりすぎない。

 「ふう、疲れた」

 「よくやるよね、シオンも。毎日毎日さ」

 そのまま木陰に入り、大木の幹に背を預け、座り込む。地味に吹き込む風が涼しい。そこに話しかけてきたティオナに、答える。

 「強くなりたいんだ。誰かを守れるくらいに、強く」

 「ふ~ん……私にはよくわかんないなあ」

 「まぁ、仕方ないよ。おれだって、あんなことがなければこんな事思わなかっただろうし」

 「ん? あんなこと?」

 「いや、なんでもないよ。気にしないでくれ」

 誤魔化すように笑い、シオンは自身の髪に触れる。ティオナとしてもそこまで意識した言葉ではないのか、すぐに流れてくれた。

 「そろそろ髪、切らないとな」

 「確かになっがい。女の子みたいだよ?」

 「だよね……」

 四ヶ月もほったらかしにしていたせいか、首元までしかなかった髪は伸び、肩を超えるまでになっていた。自身の髪と戯れながら思う。特に邪魔というわけでもないが、縛るくらいはしないと危険かもしれないと。

 「なら――私がその髪、引き千切ってやるよ」

 「な!?」

 「お姉ちゃん!?」

 ドンッ、という衝撃が、真上を貫く。恐る恐る視線を上げると、そこに刺さっていたのは一本の湾短刀(ククリナイフ)

 声と同時に、ガレスが放つような殺気を感じて頭を下げたが、そうでなければこの湾短刀は自身の頭を貫いていた。その事実にゾクリと背筋を泡立てながら、二人は襲撃者を見る。

 「ティオネ・ヒリュテ……?」

 「ああ、名前は覚えていたのか。でも、どうでもいい。てめえはここで死ぬ。それが決まってるんだからな」

 極々自然に、そう告げるティオネ。もう一本の湾短刀を軽々と振り回し、その目をシオンに向けてきた。

 シオンはふと横目でティオナを見る。ティオネの殺気に当てられたのかガタガタと震え、怯えている。当のティオネはシオンしか目に入っていないのか、ティオナの存在に気づいていない。

 ――目的はおれか。

 ティオネにバレないようティオナの腕に触れる。ハッと我に返って近寄ろうとするティオナの腕を数度叩き、視線をホームの方へ向けた。

 それだけでシオンの意図を理解したのかイヤイヤと首を振るティオナ。今のティオネは飢餓寸前の獣だ。そんな相手の前にシオンを置いていけるわけがない。

 数秒のやり取りだが、ティオネに何の反応も返さないのはマズい。

 「意味が、わからない」

 「わかる必要はないっつってんだろ。死ねって言ってんのがわかんねぇのか、ああ!?」

 苛立ち紛れに地面を踏みしめ上半身を倒し、シオンを睨みつける。それでもシオンは、彼女に殺気を向け返すことはしなかった。

 まだ隣にはティオナがいる。時間稼ぎに徹するしかない。

 力強い目で彼女を見る。数瞬悩んだ彼女は、けれどこの場に自分がいても意味がないと思い直したのか、瞳を揺らしながら走り去った。

 その事に胸中安堵しつつ、ティオネを見直す。

 「悪いけど、お前と戦っている暇はないんだ。この後出された課題を纏めてリヴェリアに合格を貰って、フィンに新しいトレーニング内容を考えて貰わないと」

 『フィンに――』そこから先を聞いた瞬間、ブチッ、という音がティオネから聞こえた。彼女は一度大きく息を吸い、吐き出すと、シオンを見下すような目を向け、

 「厚顔無恥にも程があるな、てめえ」

 「は? いきなり何?」

 「いつもいつもいつも。団長、リヴェリア、ガレス、誰かに暇ができたらすぐに行って、三人の自由な時間を奪っていく。あの人達は最近やりたいことも満足にできてないんだ、てめえのせいでな!」

 「……あのさ、おれだって程度は弁えてるよ? ダメな時は他のことをして待ってるし、フィン達が何かしたいならって、数日休憩したりしてる。ちゃんと計画(スケジュール)は立ててるから、【ロキ・ファミリア】に迷惑をかけてないはずだし」

 「他のことをして待つ? 計画は立ててる? 迷惑はかけてない、はずだ? てめえは一体どんな教育を親から受けたんだ」

 シオンの言葉を切って捨て、ティオネは嘲る。けれど、シオンにはわからない。

 『親を知らない』シオンにとって、その言葉の意味は、理解できないものだった。

 「誰かのために自分の時間を使う、それが迷惑になってるんだって、私は言ってんだよ!」

 「え――」

 「その顔、本気で知らなかったのか? ハッ、本当にてめえの親が見てみたいよ。てめえみたいな奴だ、()()()()も相当クソなんだろ」

 ――ドクン、と心臓に音が鳴った。

 「今、なんて言った?」

 「あん? クソを育てた奴は、ゴミクズだって言ったんだよ!」

 なんとなく、理解した。

 「ああ……そう」

 シオンはただ、ティオネと戦いたくなかっただけだ。なるべく穏便に済ませて、お互いが傷つけ合わないようにしたかった。

 でも、無理だ。自分をバカにするのはいい。非難したって構わない。自分一人では、強くなれないとわかっているから、迷惑をかけなければ一人前すらなれないと、理解しているから。

 だけど、

 ――義姉さんを貶すのだけは……許せないッ!!

 ギンッ、とシオンの視線が鋭く尖る。常の温和な表情は消え、ただ自分の『敵』を見る目になっていた。

 今の自分をティオナに見せたくないな――なんて、考えながら。

 「黙れよ、嫉妬深いだけの女」

 

 

 

 

 

 逃げたティオナは、焦っていた。

 ティオネがキレた事は今までにも何度かあった。そしてその度に誰かを死ぬ寸前まで追いやらなければおさまらず、今回もその線だと思ったのだ。

 けど、何故だろう。今回のティオネは何時にも増して苛烈だった。本当に殺してしまいそうなくらいに。

 ――誰かに、助けをッ。

 誰でもいい。あの二人に介入できるだけの実力を持った誰か。

 そして、ティオナは見つけた。

 「お願い、今すぐ二人を止めて欲しいの!」

 「……ああ?」

 よりにもよって、狼人の少年を。

 

 

 

 

 

 キレたシオンは、先の言葉から続ける。

 「大層に建前並べまくってるけどさ、どうせ本音は『フィンと一緒にいられない、だからその原因が邪魔』ってだけなんだろ? 人の事言えた口?」

 「んだと!?」

 先程までの受身はどこかに消え、攻勢に食って変わるシオン。その内容の変化は劇的で、一発でティオネの本心を貫いた。

 「違うなら違うって言ったら? 言えないよね? 人に迷惑かけるなって言いつつフィンにいつも迷惑かけてるお嬢さん?」

 「私の想いは純粋だッ! 本気で団長を愛してるんだよ」

 その言葉に、シオンはへぇ――と笑い、

 「なら、教えてあげる」

 ティオネにとって、残酷な事実を告げた。

 「お前はフィンにとって、大勢いる子供の一人にすぎないんだよ」

 「……え?」

 「一言一句、そのままに言うよ。『まあ、僕はここでも比較的有名だし、幼い子が年上に憧れるようなものだよ。その内他の誰かを好きになるさ』だって。残念、だったねえ?」

 クスクスクス、と笑うシオンは、まるで誰かを貶める魔女。

 「う、嘘……嘘だ! 団長が、そんな……」

 「嘘だと思うんだ? 随分とおめでたい頭だね。なら確かめる? ティオネ・ヒリュテという少女は、フィン・ディムナに相手にされてないって、事実を」

 的確に、相手の心を剥き出しにし、言葉のナイフでズタズタに引き裂く。それはかつてリヴェリアに叩き込まれた相手に舐められないための技術。体で劣るシオンが、同業者相手に使うための技だ。もちろん相手は選べと、教え込まれている。

 そのはずが、シオンは『大切な義姉を貶された』という事実によって、リヴェリアの忠告を忘れ去っていた。

 ここまでやれば十分かと思い、口を閉ざすシオン。別にティオネという少女を壊したいわけではない。

 「……る」

 だが、シオンは侮っていた。

 「私の想いをズタズタにしたテメエだけは、許さねえッ。殺してやるよ、テメエの事を!」

 アマゾネスという好戦的な種族のことを。ティオネ・ヒリュテという少女を。何より、恋する乙女の想いというものを。

 「ッ――」

 片手剣と湾短刀が交差し火花を散らす。戦闘態勢を整えていなかったシオンは不安定なまま受け止めるハメになり、顔を苦渋に歪めながら距離を取る。

 「逃がすかぁ!!」

 ティオネはそれを許さない。木に突き刺さっていたもう一本の湾短刀を抜き払い、二本一対の湾短刀をシオンに向ける。

 斬る、払う、打ち上げる。技そのものは大したことではない。フィンの槍、リヴェリアの杖術、ガレスの猛攻。それらに比べれば拙いものだ。

 しかしあくまでそれは彼らと比較した場合であって。

 ――は、やいッ。

 二本の手から繰り出される連撃に劣勢を強いられるシオン。

 「どうしたどうしたどうしたァ!? さっきまでの威勢はどこに行った! 一丁前な口叩くなら反撃くらいしてみろ!」

 剣を斜めに構えて受け流しても、ティオネはその流れに逆らわず、むしろ勢いを倍加させてもう一本を叩き込む。その剣の横っ腹へ向けて掌底を叩き込み、勢いを逸らす。今度こそ無防備になったティオネの腹に蹴りを叩き込んだ。

 「チッ」

 痛みに顔をしかめながら、ティオネはパレオの下、ホルスターに隠していた小さな投げナイフを取り出し、投げる。

 「!?」

 蹴りを叩き込み、体が泳いでいるシオンに、それを避けるのは至難の技。だから十全な回避は諦め、支点にしていた足を崩し、倒れこむ。

 それでもこめかみを掠めていった。ドロリと流れ出る血がシオンの左目を埋め尽くす。ティオネはお腹の鈍痛を無視して足を前へ出す。

 「せやぁ!」

 単純な突き。それでも今の態勢のシオンは避けにくいはず。そう思っていたが、シオンは両手を顔の横の地面へ叩きつけると、それを支点に逆立ちし回転、コマのように回り、両足でもって再び蹴りをティオネへ。

 寸前で回避できたティオネだが、追撃は防がれた。立ち上がったシオンは瞼の上を流れる血を拭わずティオネへ右目を向ける。

 ――血を拭ってくれたら、また投げれたのに。

 「慌てねえんだな」

 「死角は広くなったけど、やることは変わらない。それだけのことだ」

 この時、確かにシオンはリヴェリアの理想を体現していた。何が起ころうとも動じない『大木の心』を得る。図らずもシオンはそれを獲得し始めていた。

 とはいえ急激に狭まった視野は行動に制限を与える。何より遠近感が狂っているのが痛い。先のような蹴りは著しく命中率が下がるだろう。

 一方でティオネもお腹に抱えている鈍痛を持て余していた。クリーンヒットしたそれはティオネの集中力を奪おうと牙を剥き続けている。

 だが、引かない。引くわけには行かない。

 シオンは、義姉を貶された事を。

 ティオネは、団長への想いを侮辱された事を。

 お互いが譲れない想いをバカにされたのに、自分から引き下がれるものか――!

 「ハッ、くだらねえ戦いしてんな、テメェら」

 そこに落ちるのは、戦を止める冷水。嘲りながらその姿を現したのは一人の狼人。

 「ベート……一体何の用だ」

 反りが合わないと、顔を見合わせては睨み合うシオンとベート。殴り合いにならないのは常に誰かが傍にいるからで、二人が自重しているからだ。

 「あ? もう一度言わねえとわかんねぇのかよ? くっだらない戦いしてるっつったんだよ」

 ビギン、という音がした。それはシオンとティオネの頭から響いたもので。

 「黙れ、一匹狼(ボッチ)野郎」

 「孤高(笑)ぶってるけど本当は孤独なだけだろうが」

 「その憎まれ口も単にカッコつけでしょ? 笑える」

 シオンとティオネの連撃。この瞬間だけは、二人の思いは重なっていた。

 「ティオネ、シオン、調子に乗るんじゃねえぞ……!」

 二人から罵倒され、ベートの額に青筋が入る。

 「ハン? いいぜ、こいよベート。ここには保護者(おとな)はいねえ。止める奴はいない。失神する(おちる)まで殺り(ころし)あおうじゃないか」

 「上等だクソ共がァ!?」

 ティオネによっていつもの自重をかなぐり捨てたシオンの挑発。それによって触発されたベートが爆発し、

 「殺す」

 「潰すッ!」

 「ぶっ殺してやらァ!」

 三者三様に叫び、三つ巴に突貫した。

 シオンのスタイルは片手剣と体術。ティオネは二本の湾短刀と投げナイフ。では、ベートはどうなのか。

 ベートはシオンとティオネ、両方を足して二で割ったようなものだ。短剣二本による双剣スタイルと、狼人特有の敏捷さと長い足を活かした蹴りを主武装とする。

 似通ったスタイルは、だからこそお互いの弱点を大いに理解させていた。

 「クソったれが!」

 唾を吐くシオンはベートの蹴りに合わせて蹴り返す。その間自由になったティオネは二人に接近すると湾短刀を振り抜く。

 ベートは即座に離脱したが、シオンは足を戻す前に肩から一気に振り抜かれる。上体を少しだけ逸らしたことで致命傷は避けたが、十分な裂傷だ。

 チャンス、と更に接近するティオネに、シオンは肩の痛みに耐えながらタックル。逆に湾短刀でカウンターしようとするティオネに、体に隠れて見えなかった剣を突く。

 微かに驚き目を開くティオネは、もう片方の湾短刀で防御、しかしそこでベートが双剣でもって湾短刀を受け止め跳ね上げる。そこにシオンの斬り払いがティオネの腹を割いた。

 ――浅い!

 シオンと同じく体を反らすことで大怪我を避けた。二人の体が攻撃と防御、それぞれの理由で硬直した瞬間、ベートがその牙を向く。

 「死ねやァ!!」

 双剣が太陽の光を反射して煌き、死の一閃を振るう。けれどそこで二人は息を合わせ、投げナイフをお見舞いした。

 瞠目するベートは体勢を変えて躱す。ティオネは元より、シオンも先の一撃はティオネが最初に自分に投げたナイフを回収しただけなので、どうにもできない。

 ――だから、投げた。

 自分の持つ、もう一本の片手剣を。

 「オラァ!!」

 「正気かよ!?」

 自棄になったかと叫ぶベートを無視し、片手剣が飛ぶ先を眺める。今のままなら寸分違わずベートに迫る。だが腐っても狼人、当たってたまるかと回避した。

 これでシオンは武器無し。そう思ったベートだが、横合いから褐色の拳が迫っているのについぞ気付かなかった。

 「潰れろ、ベート!」

 「ガッ!?」

 怒りに染まったティオネの拳が、ベートの顎に叩き込まれる。吹っ飛んだベートは、それでも意地でも双剣を手放さない。

 ティオネは吹っ飛んだベートに目もくれず、武器を失ったシオンに強襲する。シオンを殺せば後はベートをゆっくりやればいい。そう考えて。

 だが、それは甘いと言わざるをえない。

 「遅いよ」

 ティオネの湾短刀を弾き、もう片方はティオネの手首を掴んで止める。

 「は、放せ!!」

 「ヤだね」

 そのままグイッと引っ張り、頭を寄せる。それはまるでキスを迫っているかのようで――

 「や、やめろッ。私の全部は団長のもので、てめえに渡すものなんか」

 「誰が貰うか、反吐が出る」

 しかしシオンは、自身の額をティオネの額に叩き込んだ。お互いの石頭がぶつかり合い、激しい痛みを生む。

 「「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!??」」

 予想外の痛みに悶える二人。吹っ飛んだベート、額を庇うようにして距離を取る二人。最初のように三つ巴となる三人。

 「まだ、やれる――!」

 「てめえ等を、潰すまでは」

 「倒れるなんざ、死んでもゴメンだ……!」

 武器を失い、片目は使えず、肩を斬られたシオン。

 何度も腹だけを狙われ、額を打たれて目を回し、虎の子の投げナイフも無いティオネ。

 外見的には比較的軽傷な上武器もあるが、顎を殴られ脳震盪を引き起こしかけているベート。

 誰も彼もが息を荒げる中で、その眼光に浮かぶのはたった一つ。

 ――死んでも、負けてたまるかッ。

 もう一度。そう思い重心を前に倒す。

 一触即発。

 何かあればまた爆発する、そんな三人は、また加速し、接敵する寸前に、

 「もう、やめてよ――――――!」

 そんな言葉が、()()()()()

 「「「ハ――ッ!?」」」

 硬直する三人は、フッと差した影で、何が起こっているのか理解し、その場から離脱する。その直後、

 ――ドッガァァァ!!

 三人の誰でも出せない、そんな一撃が、地面を揺らした。

 「なんだ、これ……誰だ!?」

 「土煙、酷過ぎ……前が、見えない」

 「鼻も使えねぇぞ、おい!」

 三人は誰にも気づかれず強襲してきた人物を睨む。地面がひび割れ、その事実が凄まじい一撃だったと知らしめる。もし食らっていたらと思うと笑えない。

 見えたのは、巨大な剣だった。恐らく2mは超える大剣。ということはつまり、アレを持てるだけの人間が邪魔しに来たということ。

 そして三人に共通して想起されたのは、筋骨隆々のドワーフの男。

 ゾゾッ――と顔から血が引いていく。さすがの三人でも、ガレス相手に戦いを仕掛けるなど無謀にも程があると、身を持って知っていた。

 ガタガタと震えながら土煙が晴れるのを待つ。

 そこにいたのは、

 「もう、三人とも何やってるの! 殺し合いなんてしたらダメなんだからね!」

 快活な声で、非難するように言う、褐色の少女。当たり前か。止めさせるためにベートに頼んだはずなのに、気づけば三人共殺し合っていたのだから。

 「ティ」

 「オ」

 「ナ……?」

 あんぐりと大口を開けて驚く三人。身の丈が自分達となんら変わりない少女が放った、ありえない一撃。

 真っ先に気づいたのは、シオンだった。

 「そうか、上から……」

 開け放たれた窓。そこから大剣を持って落ちてきたのだ。どのくらいの速度で飛んできたのかはわからないが、少なくとも普通に剣を振るうよりはマシだ。

 何十キロという質量がその速度で突っ込んでくれば、威力は途方もないものとなる。

 その上あの大剣、なんらかの力がこめられているらしく、それが加わったのもあるだろう。

 「ティオナ、どうやってあの距離を飛んだんだ?」

 それでも気になるのは、ティオナの落下地点。シオン達が戦っていたのはティオナが飛び降りた窓辺からそこそこ離れている。

 あれだけの物を持って飛ぶには、どうしたってできないはず、と考えていたのだが。

 「え? そんなの()()()()()()、自分が飛んで、()()()()()()()()じゃん」

 「「「………………」」」

 その持論は何かが、いや絶対におかしい。

 まず大剣を投げる。ここまではいい。いやよくはないが、それでもティオナの身長と膂力でまっすぐ正確に飛ばすのは無理だろう。つまり、必然的に大剣はグルグルと回転していた可能性が高くなる。

 それを、動けない空中に自ら飛んでいき、掴んで、振り下ろす?

 なんと考えなしの豪胆な行動か。

 驚き呆れ硬直するシオン達に、ティオナはそんな事よりと大剣を握る。

 「これ以上やるなら、三人纏めて私が相手してやるんだから!」

 そう、勇ましく宣言して。

 けれどわかってしまう。威勢良く叫ぶティオナの体は小さく震え、言葉の端々に恐怖が滲んでいるのを。

 当たり前だ。ティオナはシオン、ティオネ、ベートとは違い、まともな戦闘訓練を受けていないのだ。大剣を持ち出したのだって、技術を持たないが故。

 それでも割って入ったのは、三人が大切で、殺し合ってなんて欲しくないから。

 複雑な顔で、ティオナを間に挟んだ三人は顔を見合わせる。

 真っ先に矛をおさめたのは、ティオナの友人であるシオンだった。

 「……やめた。ティオナには剣を向けたくない」

 背を向け、投げ飛ばした剣を取り鞘へしまう。そこにはもう敵意はなく、本当にこれで終わりだと言外に告げていた。

 「私も、やめとく。妹に手を出すほど落ちぶれてないし」

 次に言ったのは、ティオネ。興奮も収まったのか口調は戻り、というか猫を被り、熱い溜め息を吐き出す。

 「……興醒めだ」

 最後はベート。つまらねぇと吐き捨てると双剣を戻し、ふらつく頭を堪えながらホームへ戻ろうと足を向ける。ティオネもそれに倣って戻っていく。

 けれど、シオンだけは別だった。

 「シオン? どうしたの、どこか痛いの?」

 胸元を押さえているシオンに、ティオナは心配そうに言ってくる。だが、痛いわけではない。過去に受けた傷や、修行内容に比べれば遥かにマシだ。

 感じているのは、心。

 拭い去れない違和感がしこりとなって、シオンの心を蝕んでいる。

 ――もしこれを、放っておいたら……。

 そう考えてしまったシオンは、気づけば口にしていた。

 「なあ二人共。これで終わり、なんて、考えたくないよな?」

 「え?」

 「ああ゛?」

 「シオン!?」

 ティオネとベートが振り向いていくる。終わったと思っていたティオナはシオンを止めようと一歩出てきたが、彼女に一瞥だけし、大丈夫だと眼で告げる。それを理解したのか、渋々と引いてくれた。大剣を握る手に力は入っていたが。

 「俺はさ、終わったなんて思えないんだよ。ティオネに対するイラつきも、ベートに対する敵意も、全然おさまってない」

 ギロリ、と二人に目を向ける。それだけでわかった。

 ティオネは、団長への想いを貶されたことを。

 ベートは、自分の在り方を否定されたことを。

 納得なんて、これっぽっちもしちゃいない。ただティオナに手を出すのは筋違いだと思って、一時的に手を引いたに過ぎない。

 だけど、それではダメだとシオンは思った。このしこりは後々まで残る。今解消できなければ、将来的に大きな事になってしまう。そう予感したのだ。

 だったら、今この日この時に、全てを清算させる。

 「殺し合いは、さすがに行き過ぎた。だから提案だ。フィン監視の元、おれ達三人で、刃引きした剣を持って戦い合う。お互いが納得行くまで、存分に」

 「へえ……いいじゃない、私は乗った。ベートは?」

 「いいぜ、乗ってやる。だができんのか? フィンを説得できませんでした、とか言ったら興醒めとかいうレベルじゃねえぞ」

 「なんとかなるよ、そこらへんはね」

 ニッコリと笑うシオン。だがその目に笑みはなく、ただ思う。

 ――『早く目の前の人間をぶちのめしたい』、と。

 「どうして、こうなっちゃったの……」

 止めに入ったティオナは一人、止められなかった自分を責めた。なんとなく空を見上げる。

 「青いな……空は」

 彼女の事は、結局最後まで無視された。

 「……模擬戦?」

 そして、今。

 三人は、いやティオナも含めて四人は、書類仕事を行っているフィンへ直談判をしにきた。代表して話すのは、提案を持ちかけたシオン。

 「ああ。おれは強くなったと思う。でもやっぱり、物差しになる誰かがいたほうがもっと実感できると思うんだ」

 「だけど、君たちはまだ子供だ。剣を持って切り結ぶには経験が足りない。手加減なんてできっこないだろう?」

 その返しに、ティオネとベートから『おい、どうすんだ』的な視線を向けられる。

 「だから、刃引きした剣を使わせて欲しい。ガレスと打ち合っていた時にそういった物を使っていた時期があるから、無いとは言わせないよ」

 が、それも予想の範囲内。要するに『殺し合い』がダメなら『戦闘の真似事』であれば許されるだろうという考えからだ。

 フィンは一度悩むように言葉を切り、シオン達を見る。

 回復薬等を使って既に傷を治し、服についた血も替えの服で後は残っていない。体に付着した血は水で洗い流した。

 なのに、何故だろう。誤魔化せている気がしないのは。

 「ハァ……下手に目の届かないところでやられないだけマシか。いいだろう、君たちの提案を受け入れる。ただし、僕の目の届くところで戦ってもらうけどね」

 やはり誤魔化せていない。痛みで鈍る体の動きか、あるいは単なる直感か。フィン程の冒険者を騙せると思い上がってなどいないが、こうもあっさりと見抜かれるとは思わなかった。

 けれど、案は押し通せた。

 後は、単純。

 ――目の前の相手を、ぶちのめす!!

 ただそれだけを胸に秘め、三人は再び相見える。

 刃引きした片手剣、湾短刀、双剣を持ってそれぞれの立ち位置に移動する。そこは先程まで同様三つ巴。あくまで『先の続き』というスタンスを崩さない三人は真っ向から睨み合う。

 その様子を遠くから眺めつつ、フィンはハラハラと三人を見守るティオナに聞いた。

 「それで、あの三人はどうして喧嘩なんてしたんだい?」

 「え……な、なんでそれを!?」

 「体幹がおかしい。まるで大きな怪我を負ったかのように体の節々を庇ってたからね。気づかない方がおかしいよ」

 「え~と……」

 「まあ、大体はわかってる。本気で殺しあったんだろう? ティオネの気性も、想いも、僕はよくわかっている、つもりだったんだけどね」

 額を押さえて呻くフィン。まさかここまでとは思ってもみなかった。思い返せば初めてティオネと会った時のシオンの微妙な反応も、今ならなんとなくわかる。

 刃引きされているとはいえ、当たりどころか悪ければ普通に死んでしまう。それなのにあの三人の間に遠慮というものは存在しない。

 本気で、相手を殺そうとさえ思っている。

 シオンがティオネに攻撃を仕掛ければベートが追随し、ティオネがシオンの反撃すればその隙を逃さずベートが双剣を叩き込もうとする。だがシオンとティオネはそこで反転しベートを狙う。好機が一転危機に変わったベートは顔を歪めつつも受け止める。

 敵かと思えば味方に、味方と思えば敵に。彼らにしてみれば隙を狙ってるだけなのだろうが、そのどこか息の合った姿には苦笑が漏れる。

 「もう僕の事なんて眼中にない、か。ティオナ、少しお願いがあるんだ。頼まれてくれないか」

 「難しくないことならいいよ」

 「いや何、実はまだ書類仕事が終わっていなくてね。万能薬を三つ用意しておくから、彼らが戦い終わるのを代わりに見ていてくれないか」

 「え、でもそれは」

 「大丈夫だ。もう相手を殺すってところにまでは発展しないよ」

 そう言った矢先、シオン達の持つ武器にヒビが入る。

 「――あんな無茶苦茶な使い方をしていれば、武器が壊れるのは当然のことだ」

 そして、粉々に壊れた。

 「「「――!!」」」

 一瞬の硬直。これで終わりかな、と思ったティオナだが、しかし先程言ったフィンの言葉に矛盾していると気づく。

 「さて、本番はここからかな。後は頼んだよ、ティオナ」

 フラリと姿を消したフィンがそう言い残したすぐ後の出来事だった。

 「武器なんて」

 「いらないわよ!」

 「オラァ!!」

 粉々に壊れ柄だけとなった得物を手放し、拳を握って突貫する。そして驚くことに、三人共決して()()()()()()()()

 「え、嘘まさか」

 ティオナの予想通りの出来事が起こる。

 技術も駆け引きも知ったことかと、殴り殴られ蹴り合う。顔に腹に腕に足に打撲が出来上がっていくが、止まらない。

 ティオネの拳がシオンの鼻に当たる。嫌な音が響き渡るが、それを無視してシオンはベートの腕を掴んでティオネに投げる。

 ベートはその勢いを利用してティオネの横腹に蹴りを叩き込んだ。息をつめらせたティオネの隙を逃さまいとベートの体を叩きつけ、ティオネに接近する。

 だが倒れ込んだベートは空気を求める体をねじ伏せシオンの足を掴む。前のめりに倒れ込んだシオンは、けれど意地でティオネの腕を引っ張りこんで彼女も倒れ込ませる。

 自由に動く手足だけを動かして相手を殴り蹴る。更にボロボロになっていく三人は、やがて力が抜けた瞬間すぐに起き上がって距離を取る。

 荒い息を吐き出し、最早まともに立てない体に鞭を打つ。青く、あるいは紫にまでなった痣を各所に抱えながら、歯を食いしばる。

 そしてまた、相手に近づく。

 「「「ウアアアアァァァァァ――――――ッッ!!!」」」

 叫んだのは、最後の力を振り絞るため。

 握り締めた拳が交差し、三人の顔面をそれぞれぶん殴った。

 「グッ」

 「アッ」

 「ガッ」

 呻き声を上げ、意識が飛ぶ。それは、倒れこむ事を意味している。それでも重なり合うのはゴメンだと、最後の力で多少離れた場所に倒れこむ。

 もう、立てなかった。無理に無理を重ねた結果、三人全員が限界を超えた。空を見上げ、ただボーっとしていることしかできない。

 「よ、よかった、誰も死ななかった……」

 そんな、人知れず誰よりも心を揺らしていた少女が安心しているのを、シオン達は気づかない。そして試合は終わったとフィンに報告するため、ティオナはホームへと走り出していく。

 それからしばらくして、ティオネがシオンの方を見て言った。

 「ねぇ、シオン。どうして私が殺そうとしたときは何もしなかったのに、親をクソだゴミクズだって言った時に、あんなに怒ったの?」

 「いきなりなんだよ。意味がわからないんだけど」

 「いいから、答えて」

 頭を動かし、ティオネを見る。逆さの世界で、ティオネの顔はまっすぐだった。

 「……おれさ、親の顔なんて知らないんだ。物心着いた時から、両親は死んでるって、教わったから、多分そうなんだと思う」

 ティオネの呼吸が、止まる。傍で聞き耳を立てていたベートも、居心地悪そうに体を動かした。その様子に苦笑を漏らしつつ、

 「別にそこまで気にして欲しくないな。だけど、まあ、そんな身寄りの無いおれを引き取って育ててくれた人がいてね。同じパーティメンバーのよしみだって、言ってたけど」

 本当に、今よりもずっと小さい頃、一緒に来ると問われて、ついていった。小さな家の中、二人一緒に過ごした日々。

 「だけどね、『誰もいない』おれの傍にいて、頭を撫でて、抱きしめて、一緒に寝てくれる。それだけで幸せだった。不安なんてひとつもなくって、他には何もいらないくらいだったよ」

 「だった……って」

 「【ロキ・ファミリア(ここ)】にいる時点で、察してほしい」

 とはいえ、ここもここで幸せだ。比べるような物ではない。自然暗くなる空気。それを吹き飛ばすように、シオンはカラカラと笑った。

 「いいんだよ、別に。義姉さんが死んだ時のことは今でも思い出せるけど、だからこそ、思えたんだから」

 「シオンは、何を思えたのよ」

 「誰かを助けたい」

 それだけは、何よりも力強く言う。

 「義姉さんはおれを庇って死んだ。だけど、そんなの最高の終わりじゃない。おれは、誰かを助けて、自分も生き残る。最良の結末を目指せる、そんな『英雄』になりたいんだ」

 「あ……っそ」

 「あっそって、聞いたのはそっちだろうに」

 ティオネが居心地悪そうに体を揺らし、そして、

 「悪かった……わよ」

 「ん?」

 「だから、あんたの大切な人をバカにして悪かったって言ったのよ!」

 「~~~~~!??」

 いきなり体を近づけられ、耳元で叫ばれる。頭に響いた怒声に悶絶しつつ、だが彼女の言葉を理解して、呆然とした。

 「謝られるとは、思ってなかったよ」

 「私にだって大切な人はいるもの。気持ちは、わかるから」

 「なあ、ティオネ。なんでお前はフィンの事が好きになったんだ?」

 「そっちこそ、いきなりなによ」

 「いや、気になっただけ。それも違うか。お前の想いの大きさが、知りたかったから、かな」

 ティオネは何かを思い返すように口を噤む。シオンはなんとなくベートを見ると、彼はこちらに背を向けていた。話を聞く気がないのか、他の理由か。

 ティオネの話を聞いたら、ベートにも聞いてみよう、と思いながら、彼女を待つ。

 「私さ、アマゾネスじゃない? だからまあ、偏見持たれたりすることもあったのよ」

 別にティオネは自身がアマゾネスであることそれ自体を気にしたことはない。実際アマゾネスはそんな人間ばっかりだ。だがしかし、誰も彼もがそういうタイプであるわけでもないのだ。

 「ホームから外に出て、遊んでた時にね。悪ガキの大将みたいな私は、良くも悪くも目立ってたから、目を付けられたの。しかも柄の悪い大人。あの時は良くわかんなかったけど、さ。言われたんだ」

 ――アマゾネスなら、ヤっちまってもいいよなぁ?

 そう言われたティオネは、その意味がわからずとも、恐怖した。だが、大人相手に子供が叶う訳もなく、組み伏せられてしまった。

 周りの人は誰も助けられず、わずか四つのティオネは大人の悪意に呑まれかけたのだ。

 「そこに、団長が来てくれたの」

 ――僕の【ファミリア】に手を出すのなら、命は無いと思え。

 「本当に、カッコ良かったんだぁ……」

 ――種族である事を理由に自身を正当化するな! ティオネは僕の『家族』なんだ!

 誰よりも小柄で、だけど誰よりも『勇気』を持つ小人族の男性。今より幼かったティオネは憧れて、そしていつしか恋をした。

 恐怖を体験した少女は、しかしそれ以上の想いを、得たのだ。

 シオンは、押し黙るしかない。だが、黙っているのは男として、ダメだ。意地がある。

 「ごめん、ティオネ。あなたの心を引き裂くような真似をして」

 「今更ね。だけど、わかってもいたのよ。私が団長に相手されてないことくらい。何歳離れてると思ってるの?」

 「……20、くらい?」

 「それ以上。だからまあ、やっと決められた。私がまだ子供だから、相手にされないってだけ。もっと大きくなったら、私は団長に言うんだ」

 ――あなたに助けられたあの時から、ずっとずっと好きでした。

 そう言って、もし受け入れられたなら。きっとその瞬間、ティオネは気絶するくらい喜んでしまうかもしれない。

 けれど、失敗したのなら。考えたくもないが、そうなったら。

 「もし、そうなっちゃったらさ。慰めてくれない? きっと、一人じゃ立ち直れないから」

 返答なんて、期待していない。ただ、ちょっと疲れていただけだ。フィンに相手にされていないという事実は、少女の心を落ち込ませていた。

 「わかった。何時になるかはわからないけど、きっと。ティオネを支えるよ」

 だからシオンは、約束する。

 「……ありがと」

 そしてティオネは、フィン以外に見せない柔らかな笑顔を、浮かべていた。同時に頭を動かし視線を合わせる。

 それからすぐに、この場から立ち去ろうとしていたベートを掴んだ。

 「それでさベート、ずっと気になってたんだよ」

 「どうして私達の戦いを『くだらない』なんて切って捨てたの?」

 「ちょ、放せテメェ等! 俺が話すことなんてもうねぇだろうが!」

 嫌がるベートを、しかしニッコリ笑顔で放さない二人。言うまで逃がさないと言いたげなその笑顔に、一瞬苦渋で染まった顔をし、ついで溜め息を吐き出した。

 「クソったれが。……殺し合いなんて()()()()()真似をしてただろうが。それを笑ったんだよ」

 「「……はい?」」

 つまり、なんだ。

 ベートはシオン達が戦っていたことや、譲れない想いを嘲笑ったのではなく。

 容赦ない殺し合いをしていた、それ自体をしょうもねぇと言った、ということか?

 「死んだら終わりだろうが。やるんだったら精々殴り合いまでだ。同じ【ファミリア】ならなおさらな」

 「あー……なるほど、フィンがそういうわけだ」

 「私もよーっくわかったわ」

 そして二人、息を合わせて、

 「「ツンデレ」」

 「誰がツンデレだぁテメェ等!?」

 真っ赤に染まった顔で叫ぶベート。だがそれは必死に誤魔化しているようで。

 「……クッ」

 「フフッ」

 「「アハハハハハハハハハハッ!!」」

 「そのイラつく笑いを止めろ、ぶん殴るぞ!?」

 「いやだってさ、どんだけテンプレみたいなツンデレさんだよ!? 今時お前みたいな奴がいるとか想像できねぇって!」

 「今までアホみたいに目の敵にしてた私達の方が悪いみたいじゃない! 素直に言ってくれればいいのに!」

 お腹を抱えて笑う二人は、笑いすぎて体の節々がいてぇ、いてぇと泣いてしまう。ベートは歯噛みしながら、しかし同じく動かせない体を恨む。

 「あー! なんでみんな笑い合ってるの!? ズルいズルい、私も混ぜてよー!」

 そこに帰ってきた、何かを抱えているティオネが、走り寄ってくる。だがしかし、彼女は忘れていた。

 「――あ」

 砕けた剣の破片がちらばっている、という事実を。

 「え」

 「ちょ!?」

 「マジかよ!?」

 砕けた破片を踏み、バランスを崩すティオネ。そこから放り投げられる、何かの液体が入った瓶。放物線を描いたそれらが、降ってくる。

 避けられない三人は、まともにその一撃を食らった。

 「「「グフッ」」」

 しかも、よりにもよってお腹に。悶絶する三人は、痛みで涙目になりながら瓶の中身を理解し、飲み干す。

 みるみる内に回復されていく体。がしかし、先程の痛みは残っている。

 「ティ~オ~ナ~?」

 「ご、ごめんティオネ、ワザとじゃないから!? だから許して、ね!?」

 「ワザとで許せるかぁ~!!」

 「いーーやーーーーー!?」

 怒るティオネと、追いかけられるティオナ。

 「なんというか」

 「しょーもねぇな……」

 呆れ果てる男二人。顔を見合わせ、シオンは言う。

 「おれは謝るつもりはない。お前相手には、特にな」

 「ケッ、必要ねぇよ。テメェから謝られるなんて虫唾が走る」

 言葉だけを捉えれば、険悪そのものだ。

 しかし二人の顔は、笑っていた。

 「……これから頼むよ、ベート」

 「しょうがねぇ、付き合ってやる」

 それから、二ヶ月。

 「君たちはよく頑張った。僕達の訓練に弱音を吐かずついてきて、ここまでになった。僕達ももう文句は言わない。――君達の『迷宮攻略(ダンジョンアタック)』を許可する!」

 『応!!』

 シオン達の『迷宮攻略』が、始まった。




と、いうわけで前回とは正反対とか言えないレベルでティオネの出番がマシマシです。ベートも出していますがなんかティオネメイン回。

ベート出すためだけにティオナ出したようなもんですし。ていうかティオナがベート呼んだシーン無いとご都合主義だよなあとか思ってシーン追加しただけなんですが。

原作ティオネの仮面剥がれた時の口調をもっと知りたかったんですが、原作でも仮面剥がれた回数が私の覚えている限り2回だけなんで無理でした。なんか違和感あったらご指摘頂けると泣いて喜びます。

あと付け加えるとティオネの団長を好きになった云々は捏造です。アレ、原作ではないシーンなので、もしそこらへん詳しく出たら変更するかもしれません。

子供のティオネに手を出そうとした変態ロリコンクソ野郎はその後フィンによって制裁を加えられたのを記しておく。安心してくれ諸君。

ちなみにフィンの言葉は昔小人族故に侮られてたんじゃないかなぁってことと、原作でも【ファミリア】を家族であり、愛着を持ってる云々で決めました。

後ベート君を着々と調きょ……教育開始。ツンデレとしての立ち位置を確立していきたいところ。

次回は『初迷宮攻略』予定。ただ今回予想外にも15000文字超えちゃったので、いつもより間を開けて来週の8月3日にします。こちらの都合ですがすいません。

(ていうか5日事投稿の予定なのに前回の更新思いきり間違えちゃったんだよなぁ……)


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『初迷宮攻略』

 「あ~疲れたぁ。でもやっとここまで来れたね」

 そう言ったのは、ティオナだ。

 結局シオン、ベート、ティオナ、ティオネの四人は、パーティを組んでいた。あれからティオナも仲間外れは嫌だと懇願し、技術云々は置いてとにかく体だけを鍛えたのだ。

 その結果、元々大きな得物を得意としていたティオナは純前衛型(アタッカー)としてパーティに加わる。

 というより、このパーティには現状後衛どころかサポーターと呼ばれる者もいないので、前衛及び中衛しか存在しないのだが。

 「フィンが認めてくれたんだ。それにおれ達も【ロキ・ファミリア】の一員。泣いて帰るハメになりました、なんて事だけはごめんだけよ」

 「そこまで悲観する必要もないでしょ。ガレスの本気の殺気に比べたら、どれもこれもレベルが低いわ」

 「ガレスの本気の殺気とたかが1層のモンスターを比べるんじゃねぇよ。アホか」

 「ベートだってアホのクセにー」

 「ふざけてんのかこのバカゾネスが!?」

 「……とりあえず、緊張とは程遠いことだけはよくわかった」

 また伸びた髪に触れながらボヤく。それから大きく手を叩くと、

 「さて、暫定的にだがおれがリーダーを預かったんだ。最終的な決定権はおれに委ねること。それがわかったら、明日に備えて今日は早く寝ること。いいな!」

 「「「了解」」」

 先程までのおふざけは一転、真面目な顔で答える。シオンがリーダーとなる事に誰も異論を挟まなかった。この場で誰よりも知恵が回るのはシオンだから、とのことだ。

 その光景を見たフィンは思う。

 ――皆変わったな。半年前よりもずっといい表情(かお)をしている。

 誰とも関わらなかったティオナは皆と付き合うようになった。フィン以外に興味の無かったティオネはフィン以外の人とも話すようになった。一匹狼のベートは、少しだけとは言え協調性を覚えた。どれもシオンが来るまで考えられなかったことだ

 「それじゃ解散。明日、遅れるなよ?」

 「そんなのしないって。それじゃティオネ、今日は一緒に寝よ?」

 「あんたの寝相は悪いからパス……と言いたいとこだけど、特別よ」

 「いつでも寝れるようにするのは常識だろうが」

 それぞれ減らず口を叩いて自らの部屋へと帰っていく。遠慮ないなぁとシオンが苦笑すると、フィンへ向き直る。

 「詳しい説明は明日やるってことでいいんだよね?」

 「ああ。今教えても忘れてそうだからね。ティオナ辺りが」

 「……遠まわしにティオナをバカって言ってない、それ」

 「否定はできないね。君もできないだろう」

 フイッと顔を逸らすシオンは本当に素直だと思う。

 「シオンも早く寝るといい。他人の心配ばかりして自分の体調を崩したら本末転倒だよ」

 「わかった。お休みフィン」

 「お休みなさい、シオン」

 手を振り、フィンに背を向けて自室へ戻る。その場に残ったフィンはシオンの姿が完全に見えなくなると、柔らかな表情を消し、若干硬くなった顔となる。

 「急すぎる展開やな。シオン等が迷宮に行くのは後半年の予定じゃなかったか?」

 「の、はずだったんだけどね。あまりそうも言ってられなくなったんだ」

 背後を向くと、そこにいたのは我らが神、ロキ。いつそこに現れたのか、彼女は弓なりの目を更に細め、フィンを見ていた。

 「ロキも、わかっているだろう? 現状僕らには()()()()ことくらい」

 自身の背を見て、フィンは言う。

 その服の下に燦然と存在する『Lv.6』の文字。

 ――ここ半年、フィン達は数度の『遠征』へ出向いた。

 その最後の『遠征』において、フィン達一部の者のみで52階層へ到達。そして――()()()()()

 「まさか『52階層という地獄へ到達し、且つ生きて戻ってくる』――たったそれだけで【ランクアップ】するとは夢にも思わなかったけどね。アレを見た以上、僕達は年単位で51階層で燻る事になる」

 苦い顔でフィンは言う。それは誰よりも【ファミリア】の現状を理解している者の顔だ。そしてそれを、ロキがわかっていないはずもなく。

 「団員達全員に、比較的年の低い、若い連中を育てとったんは」

 「ああ、若い芽を育てるためだよ。もう僕達だけじゃこれ以上先へは進めない。せめて僕達が抜けたLv.5を埋める者がいないと、無理だ」

 「……そして、一番期待度が高いのが」

 「シオン達のパーティ、だね」

 言い方は悪いが、将来性の高い、才能ある者から優先的に有能な者をサポーターにつけている。もちろんフィンとて無駄死にを起こすつもりはないから、一定段階になるまで鍛錬は続ける。その中でも最も最年少で、その上最も鍛錬を早く終えたのが、シオン達だ。

 「まさか、あんな子供がなぁ」

 「僕だって驚いているさ。だけど、これもシオン達が願ったことだ」

 言い切るフィンの横顔には、大人として見守る覚悟があった。

 「僕達にできるのは、彼らが死なないよう、陰ながら守ることだけだよ」

 そして、彼らを殺してしまうかもしれない覚悟も、存在していた。

 「僕は僕の目的のために。彼らは彼らの目的のために。そのために、僕は彼らを死地へと送るんだ」

 「う~ん。フィンは固く考えすぎや。自分の命は自分のもん。それをどこかでおっことそうと、フィンには関係無い事やで?」

 「だが、行ってもいいと決めたのは僕で」

 「『迷宮(ダンジョン)では何が起こるかわからない』。誰が言ったか、確かに正しい忠告や。だから、もしシオン等が勝手に奥へと進んだなら、どうしようもないで」

 「……そんなことは、させないよ」

 たかが1層。されど1層。その差が、冒険者の命の明暗を分ける。だからこそ、冒険者には体だけではない、心の強さも必要となる。

 「僕が、シオン達を守るんだからね」

 「……ふう。これ以上は言っても無駄そうやな。帰ってきたら愚痴くらい聞いたるわ」

 「頼むよ。場合によっては、自慢話になるかもだけどね」

 「そうなるのを願いたいとこやなぁ」

 フィンは覚悟を決めた声音で言い切り、ロキは処置無しとため息を吐く。

 既にLv.6となったフィンの障害になるようなモンスターが1層に現れるとは言い難い。だが何が起こるのかわからないのがダンジョン。億が一の可能性に備え、フィンはシオン達にバレないようついていくつもりだった。

 「願わくば、明日は何事もなく終わりますように」

 それだけが、フィンの望みだった。

 

 

 

 

 

 朝、まだ五時にも満たない時間にシオンは目を覚ました。

 あまりにも早い時間に、ダンジョンに入れるから興奮してるのかな、と苦笑を一つこぼしつつ、シオンはベッドの横に置いてあった物を身に付ける。

 最低限の防具。どちらかというと速度特化のシオンは胸当てと肘や膝などの各所を守る物以外はいらないため、このような格好になる。後は超接近された時用のナイフを腰に差し、小さなバックパックを背負い、回復薬を詰め込む。

 そこでやっと顔を洗っていないと思い出し、防具を身につけたまま水で顔を洗う。スッキリした後に長くなったまま放置されている髪を一本に縛って流す。

 後は片手剣を帯剣すれば、自分の出発の準備は完了だ。後はただ、時間まで待てばいい――だけなのだが、さすがに手持ちぶさただ。

 暇だし外で少し剣でも振っていよう、そう思っていたのだが。

 「あいたっ」

 「ん? ティオナか?」

 「朝から酷いっ。まさか狙ったの!?」

 「何の話だ」

 扉を開いた瞬間微かな重みと、声。外を覗いてみればそこにいたのはアマゾネスの姉妹の片割れだった。

 額を押さえ呻いている彼女に声をかければ、批難される。ノックもせず扉の前にいればそうなるのも当然だろうに。

 「ていうかなんでこの部屋は内開きじゃなくて外開きなんだ? 不便でしょうがない」

 「間違えたんじゃない? それよりシオン、今日の迷宮に行く物はもう決まったかな」

 「ああ、決まっているぞ。今日は初日だし、あまり多くの物を持って行ってもむしろ邪魔だろうから最低限必須の物だけ決めた」

 そう言って剣と、小さなバックパックを見せると、ティオナはやっぱりかー、と言う。

 「ティオネが悩んでるんだよね。湾短刀は当然として、投げナイフを持っていくかどうか、持っていくにしても何本か、って。私からすると適当でいいと思うんだけど」

 「アハハ、それは考えなきゃダメだね。おれ達は4人だけなんだぞ? サポーターも無しに無駄な物を持っていけば命に関わる。そうだな、ティオネのところにいくか」

 「わかった、ティオネが着替えてないか見てくるね!」

 「是非そうしてくれ。朝から命を危険に晒したくない」

 乾いた笑いがシオンの口から漏れる。かつてティオネが着替えかけた姿を見かけた事があった。その時はまだ服を脱いでいなかったから何とか許してもらえたが、修羅のようなあの顔を思い出すと今でも背筋が凍る。

 安全を確保するのは、重要だった。

 シオンの様子を疑問に思いつつもティオナは駆けていく。その後をゆっくりと追い、やがてティオネの部屋に辿り着く。

 ノックをすると、ティオナとティオネがはーい! と声を返した。

 「邪魔するぞ。それで、ティオネはどうする予定なんだ?」

 「うーん、やっぱり最低でも4、5本は持っていきたいところなのよね。これ、そこまで耐久性が高くないし、逃げたモンスターが持っていくことも考えると、多めにしておくに越したことはないし」

 クルクルと手持ちの投げナイフを回すティオネ。ここ二ヶ月で彼女の投擲技術はかなり上がっていた。それに伴いナイフを扱う事にも手馴れ、中衛で活躍もできる。

 ナイフの本数に依存するので、あくまで一応レベルなのだが。

 悩むティオネにシオンは提案する。

 「なんなら数本おれのバックパックにでも放り込むか? まぁ、荷物がかさばったときは最悪捨てる可能性もあるけどさ」

 「いいの? なら比較的安い、小さめの使い捨てナイフを持ってくれない? これなら多分10本以上は持ってられるはずだから」

 そう言うと、ティオネはナイフを10本シオンに手渡す。

 「なんか形が不揃いだな」

 「仕方ないでしょ。それ量産品っていうか、見習いの鍛冶師が作った物だから。だから同じ値段でも鋭さと強度はマチマチよ」

 「それだと一切信用できないんだけど」

 主にここ一番という場面で。

 「大丈夫だって! ティオネ、ここ最近ナイフの目利きができるようになってるからさ」

 「嫌な目利きだ」

 「こんな物所詮慣れよ、慣れ」

 軽いアマゾネス姉妹に呆れつつ、バックパックにしまい込む。少しズシッとした重みが腰の辺りに追加された。

 「うーん、さすがに長時間持ち続けると腰にきそう」

 「お爺ちゃんじゃないんだから、そんなセリフ言わないでよ」

 「なら私が半分持とうか?」

 「ティオナが持つとどっかにいっちゃいそうだからダーメ」

 「えー、そんなことしないってば」

 ぶーたれるティオナを放置すると、ティオネはシオンに向き直る。

 「本当に危ないってときは捨てちゃっていいから。ナイフにかかったお金は勿体無いけど、シオンの命には変えられないしね」

 「……ティオネがデレた」

 「私がデレるのは団長だけだ!」

 「からかうのもいい加減にしろよ、ティオナ。それよりお前の荷物は?」

 怒れるティオネを宥めつつティオナに水を向ける。当の彼女はちょっと待ってと告げると、既に昨夜用意したらしい、荷物を持ってきた。

 ――大剣一本だけを、だが。

 「これが私の荷物かな!」

 「なんだろうな、ティオネ。この気持ち」

 「言わないで。私もちょっと、頭が痛いから……」

 最低限の防具さえない。いやまあそれはいい。良くはないが、ティオナはその猪突猛進さに反して回避力が高いので、むしろ邪魔になる可能性の高い防具は仕方ない。だが、回復薬さえ持たないとはどうしたことか。

 「なあティオナ、回復薬はどうしたんだ?」

 「え? だってあれ、持ってるといつの間にか割れてるんだもん」

 その言葉にシオンは天を、天井を仰いだ。ティオネも本格的に頭が痛くなってきたのか、頭を抱える始末。

 「ねえシオン。鉄製の筒とかってあったっけ」

 「あることはあるよ。けどさ、そんなもの抱えてダンジョンを歩き回れると思うか」

 「無理よねぇ……」

 結論、ティオナは大剣だけ持っていく。

 その事に落ち着いたところで、シオンはティオナに言う。

 「ティオナ、それ以外持たなくてもいい。代わりにあまり前に出すぎるなよ」

 「えーどうして? 私だって戦える」

 「いいから」

 不満そうなティオナの意見を封殺する。パーティのリーダーの指示には従って欲しい。それでもまだ何か言いたそうなので、

 「おれは、ティオナに死んで欲しくない。だからせめておれより前に出すぎるな。もしもの時はおれがお前を守るから」

 「えっ……あ、うん。わかった」

 「ティオナ?」

 顔が赤い。何か妙な事でも言っただろうか。

 「鈍感」

 「どういう意味だ?」

 「んーん。別になんでも?」

 いきなり反応のおかしくなった姉妹に疑問を覚えつつ。

 「フィンと同じ事を言っただけなんだけどなぁ……」

 ただ、根本的な部分で間違っているのに気づかないシオンだった。

 

 

 

 

 

 その後、シオンが去ったあとの一幕。

 「ねえねえティオネ、シオンのアレってどういう意味だと思う?」

 「シオンは性別の違いを意識してないでしょうね……素で言ってるわよ。団長の名前が聞こえたから、多分団長を参考にしてるんだと思う」

 フィンの名前には即座に反応するティオネが言うのなら信用できる。

 「ってことは、つまり」

 「団長は()()()()()()言うのに、シオンはそれを()()()()()()言うと勘違いしてるってこと」

 「結局、私の勘違いかぁ」

 ハァ、と溜め息を吐き出す妹を観察するティオネ。意外な態度に一瞬キョトンとしてしまったティオネは、少し経って理解した脳が反射的に尋ねていた。

 「勘違いって……何を勘違いしたの?」

 「え――あ!?」

 しまった、というように口元に手を当てるティオナ。その様子にキュピーン! と来たティオネは逃げられないようティオナの両肩を掴んで壁に押し当てた。

 「へー、ほー、ふ~ん? まさかティオナにも春が来ちゃったってことなのかな?」

 「ち、違うよ!? そういうんじゃないからね!!」

 「な~にが違うって言うのよ。さっきの反応、まるきり期待してたみたいだったわよ」

 「あ、あれは、その、え~と……」

 目をグルグルと回して言い逃れしようとするティオナだが、ティオネという恋する乙女は同じ類の人間ができたと既に決めつけている。

 逃げられない、と悟ったティオナはティオネの腕を外すと、ベッドに座って枕を抱えた。

 「ティオネってさ、私が本好きなの知ってるよね」

 「まぁ、ある程度はね。正直興味無いから、あんまり話を聞いてもなかったけど」

 「実物の英雄が身近にいるから、やっぱり皆そっちに憧れて外で遊んじゃうんだよね」

 たはは、と少し困ったように、悲しそうに笑うティオナ。それは昔、一人っきりでいた時の事を思い出したからだ。

 「でもやっぱり私は本が好きで、だけど一人は寂しくて……だからかな。初めて一緒に本を読んで笑い合えたシオンに、ちょっとだけ思ったんだ」

 ――この人なら、私の理解者になってくれるかもしれない。

 「そう思ったら、なんでかな。なんとなくだけど目で追うようになってたんだ」

 「なるほど……やっぱりあんたもアマゾネスってことね。安心したわ、私も」

 「え、あの、なんでやっぱりって?」

 「あれ、もしかして知らない? アマゾネスの女は精神的に早熟なのよ?」

 アマゾネスは女だけしか生まれない種族だ。もちろん物語の中では男性のアマゾネスが生まれたなんて話もあるが、それはあくまで架空の話。

 だからなのか、幼い頃から女として必要な教育を受け続けた結果か、あるいは彼女達の遺伝子に刻まれた何かが、優秀な雄を見つけると近づくように仕向けるのだ。もちろんそういった物を乗り越えて、ティオネのように特定の人物のみに好意を抱くといったのもありえる。

 とにかく言えるのは、より良き遺伝子を求める本能が、彼女達を早く『女』として目覚めさせるということだ。

 「なら、私のこれは……」

 「今はまだ、ってところね。あんた交友範囲狭いし、単なる錯覚かもしれない。でもね、その錯覚が恋心になるかもしれないのよ」

 「私が、シオンに、恋を? 確かに私はシオンが好きだけど、ティオネも好きだし、フィンもリヴェリアもガレスも、ベートも、好きだよ。何が違うの?」

 「もう、あんたってば嬉しいこと言ってくれるわね! でもね、全然違うのよ。単に『人を好きになる』っていうのと、『その人だけに恋をする』のは」

 その時のティオネは、ティオナが見たことが無いほど大人びていた。本当に、自分と同じ血を引く家族なのかと、思わず疑ってしまったほどに。

 しかしそれもすぐに消えさり、ニヤニヤとからかうような笑みを浮かべる。

 「ま、それもこれも全部あんたとシオン次第だけどねー。でも、私はティオナのこと、応援するわよ? シオンならあんたをあげてもいいかなって思えるし」

 「あ、あげるって!?」

 慌てふためくティオナについ吹き出すティオネ。それでからかわれたと悟ったのか、ティオナは口に空気を溜めて拗ねた。

 「もう、知らないっ!」

 「ああもう、可愛いわねぇ。からかって悪かったわ。精々シオンに悪い虫がつかないように頑張りなさい。多分、団長と同じたらしになる可能性が高いから」

 「あの三人を参考にしてれば、仕方ないのかな」

 フィンの『勇気』、リヴェリアの『大木の心』、ガレスの『不屈の魂』。

 それらを全力で得ようと文字通り死力を尽くすシオンを、ティオナはカッコいいと思っている。そしてそれを、他の女の子が思わないとは限らない。

 その事にチクリと胸が痛んだ。これをなんだろうと手を胸元に置く。その様子を見たティオネはなんとなくティオナの心情を察して窓の外を見る。そこにいたのは、シオン達のために既に準備を終え、待っているフィンの姿が。

 アマゾネスの姉妹は時間が来るまで、自分達の想い人の事を、考え続けた。

 

 

 

 

 

 部屋を退出して向かった先はベートのところ。だがシオンはあの狼人に対して大きな関心を向けていない。

 「よう、ベート。準備はできてるのか?」

 「たりめえだ。準備なんざ前日に済ませて体調(コンディション)を万全にするもんだろうが」

 相変わらずの憎まれ口。だが、それでいい。ティオナやティオネに向ける心配を、この相手にだけはしたくない。

 だって、相手もそう思っているのだから。

 シオンはベートの格好を見る。戦闘衣(バトル・クロス)を身に纏い、腰に交差するように存在する双剣。そして足に仕込まれた鉄。数本の回復薬。

 確かに、準備は終えていた。

 「やれやれ、このパーティ編成だとサポーターをやらなきゃいけないのはおれか」

 「俺は足が命だからな。余計なモン持ってたら走り回れねぇんだよ」

 「ハッ、言ってろ」

 お互いに睨み合い、だがすぐにニッと笑うと、

 「無様な姿は見せんなよ。信じてるぜ」

 「そっちこそ、泣いて逃げ帰るなんざゴメンだぜ」

 拳をぶつけ、お互いの激励を叩きつけた。

 そして、軽い飯を食べ、4人は外へ出る。

 「さて、それじゃ行こうか。君達の『初迷宮攻略(ファーストダンジョンアタック)』へ!」

 フィンが、そう宣言する。心が高揚するのを必死に抑え、4人はホームの外へと踏み出した。

 【ロキ・ファミリア】は迷宮都市(オラリオ)の北方に位置する場所にある。この場所から都市の中心に燦然と存在する『塔』を目指す。

 強くなる、一攫千金を得る、名誉を賜る、美女を嫁にする――そんな世界中のありとあらゆる欲望が集まる、世界の中心といっても過言ではない場所。

 北の目抜き通りへと入り、そこから一気に南下していく。遠くからでも巨大に見えたそれは、近づくたびにその威容をあらわにする。

 「あれが、おれ達が今から行く場所……」

 摩天楼施設『バベル』。迷宮都市にそびえ立つそれを、シオン達とて遠くから見たことは幾度となくあった。

 だが、あの中に入ったことは一度として無い。だからこれが、シオン達の初めてだ。

 「本当ならギルドに行くべきなんだろうけど、それは帰りにしようか」

 惚けているシオン達の姿にかつての自分の姿を幻視したフィンは優しい声で言うと、シオン達を牽引する。

 フィンの外見、シオン達の容姿と相まってまるで子供の遠足のようだが、誰もそれを咎めようとはしない。フィンという存在、またシオン達の惚けていても感じられる『覚悟』のような物を感じ取っていたからだ。

 もちろんそれをわからない者もいるが、周囲の誰もが関わろうとしないのと、また自分達のこれからを考えて、あるいは何か別の用事だろうと思ったりした結果、声をかけられる事はついぞなかった。

 そしてバベルにたどり着いたシオン達は、まず端っこに寄った。

 「これから君達もダンジョンに潜る事になる。基本的に僕達は戦闘技術と生き残る知識を教え込んだだけで、装備や道具の用意は全て君達に一任した。つまり、ここから先君達が命を落としたとしても、自己責任ということになる」

 『命を落とす』、その言葉にシオンの顔が張り詰めた。それを他の者に悟られまいと小さく深呼吸して気持ちを落ち着け、フィンの言葉に耳を傾け直す。

 「その上で約束してほしい。今日はまず『第1層』を攻略したと思ったら帰ってくるんだ」

 「その指示に何の意味があんだよ?」

 「こら、団長の指示でしょ。従うのが団員でしょうが」

 「でもこれ約束って言ってるから、指示じゃないと思うよ?」

 第1層しか行けない、そう聞いてざわつくベート、ティオネ、ティオナ。フィンはそれを咎めようとせず、むしろ積極的にそうさせていた。

 「それについては君達が帰ってきたらわかるはずだ。それじゃ、僕はここから離れさせてもらうよ。夕方頃に一度ここに戻ってくる。それとも僕もついていったほうがいいのかな?」

 「ハッ、人に面倒見られるほど弱くねぇよ。俺達でなんとかしてやるさ」

 「ベート、そういうのって無責任だと思うんだけど」

 「後先考えない発言って奴だね! 私はベートの意見に賛成だけど」

 「だそうだ。おれも、何とか成功させたいとは思ってるけど、それは自分達だけでやってみたいんだ。だから、フィンの保護はいらないかな」

 「そうかい。なら、君達の帰りを楽しみにしているよ」

 そう言った瞬間、フィンはシオン達の横を通り過ぎる。急いで振り向いたが、既にフィンの姿はなく、残された自分達だけしかいない。

 もうこの時点でダンジョン攻略は始まっている、そう感じた。

 「――落ち着けお前ら! ここに居ても邪魔になるだけだ、さっさと中に入るぞ」

 その言葉に渋々と落ち着きを見せる三人。

 ようやく入った白亜の塔『バベル』地下一階、そこはダンジョンへと続く階段の存在する場所。その広間の中心から中へ入る。最初の階段を降りて見えたのは、微かに暗い空間。高さはおよそ一〇M程、直径もそれと同じくらいの円筒形だ。円周に沿うようにしてある緩やかな階段は大きな螺旋を描いており、まるで奈落の底へ向かうようだ。

 先へ進んだ冒険者に倣うように銀色の階段を一歩ずつ下っていく。地上への入口から遠ざかっていくのに比して暗闇が増していく。

 「ふ、雰囲気出てるなあ……明かりとか持ってきたほうがよかったかも?」

 「ハッ、暗いのが怖いってんならおうちに返って母親(リヴェリア)にでも甘えてろよ」

 「ムカッ。一匹狼クンはやっぱり暗がりが好きなんだね。ボッチだから落ち着くのかな?」

 「誰がボッチだ! つかそれ誰に聞きやがった!? シオンか、ティオネか!?」

 「なーんで何も言ってないおれに飛び火するんだよ……」

 「だってベートだし?」

 「ああ納得」

 緊張とは無縁、とさえいえる談笑。しかし一段、また一段と降りていく毎に口数は減り、その顔に真剣な色が浮かぶ。

 そして。

 「行くぞ。おれ達の初めての『冒険』に」

 誰もが通る、冒険者達の『始まりの道』を見据えて。

 シオン達は、武器を手に取り歩き出した。

 限りなく横幅の広い一本の大通路。そこには今日はどこまで稼げるか、それで何するのかと話し合う者や、一人黙々と歩き続ける者と様々な人がいた。

 その中で一際目立つシオン達。『なんでこんなところに子供が』と言いたげな視線が向けられるが誰も気にしない。

 「おい、なんでこんなところにガキがいるんだよ?」

 けれど、自分達が気にしなくとも手を出そうとする奴はどんなところにでもいる。いきなり道を塞いできた男にベートの眉が跳ね上がる。

 「あ゛あ゛ん? 俺達がどこにいようがテメェ等にゃ関係ねぇだろうが。大体」

 「ベート、放っておけ。わざわざこっちが()()()()()()必要はないだろう」

 シオンの上から目線の対応に男達の雰囲気が変わる。それを感じ取ったのか、ベートは何かを言いたげにシオンを見た。

 ――テメェの方が挑発してんじゃねぇかよ。

 ――おかしいな。自分で気づいたほうが経験になると思ったのに。

 ダメだコイツ、とベートは溜め息を吐き出す。だがそれが触発となったのか、

 「こんの、クソガキがァ!?」

 話しかけてきた男が手を伸ばす。その瞬間、その頬へナイフが掠め、

 「そっちから先に手を出したんだし」

 「お命頂戴しても、いいってことなんだよね?」

 ティオナの大剣が、首筋へ添えられる。咄嗟に後ろへ下がろうとした男は、しかし後ろに冷たい物を覚えて視線だけを向けると、既にシオンが剣を置いていた。

 「ほら、だから子供にも負ける。ここは『ダンジョン』だ。他人にどうこう言う余裕なんてあるわけないだろう。行くぞベート、ティオナ、ティオネ。この冒険者紛いはいなかったことにしろ」

 「言われなくてもそうするつもりだ。参考にすらならなかったぜ」

 「こんな雑魚にナイフを使うなんて勿体無かったわね」

 「動きは遅いし反応鈍いし。冒険者やめたほうがいいんじゃないかなー?」

 無自覚に毒を吐きつつさっさと奥へと進んでいく。その四人に怨嗟の視線を向ける男は、怒りに震える声で呟いた。

 「あの、ガキ共……! 舐め腐りやがって、殺してやる。俺を侮ったことを心底から後悔させてやるよ!」

 「へえ。それは具体的にどうするつもりなのかな?」

 「決まってんだろ。この階層のモンスター共を戦ってるアイツ等に叩きつけ、て……?」

 ポン、と背中を叩かれ振り返る。

 そこにいたのは、

 「つまり、君は死にたいってことで、いいのかな」

 笑顔を浮かべる、死神だった。

 「ぎゃああああああああああああああああああああああ!??」

 「――!?」

 唐突に後方から聞こえた叫び声。それに驚いた四人は、あらためて思い直す。

 ――ここはもうダンジョンなんだ。いつ命を落としたって不思議じゃない。

 そして周囲に散らばっていく冒険者に倣い、シオン達も横道へと入っていった。

 『ガアァ!!』

 「ケッ、死ね雑魚が!」

 ベートの双剣がコボルトの首へ迫る。それを両手の爪で防いだコボルトだが、ベートは獣人故か獣の嗅覚で嗅ぎ取った防御の隙間へ足を突き込みコボルトの首をへし折る。

 あの後奥へ奥へ進んだシオン達は、既に数度の戦闘をこなしていた。

 『ギャウ!?』

 「はい、一匹撃破っと」

 コボルトの爪を真正面に見据えたティオネは、懐からナイフを取り出し、眼球目掛けて投げる。寸分違わず刺さったのを確認した瞬間、湾短刀が体を切り裂く。

 手馴れたようにコボルトを倒して、既に1時間か2時間か。

 『グルァ!?』

 「うわ、血が跳ねちゃった!?」

 ティオナの戦い方は豪快だ。

 近づいて、相手の防御事体をたたきつぶす。それで相手は挽肉となった。しかしその分飛び散る血を浴びることとなるティオナ。

 思い思いに戦ってもなんとかなるくらいには、シオン達は強かった。

 「うーん、おれが戦う暇がないんだけど」

 周囲を警戒しながらシオンはボヤく。その後ろから、コボルトが駆けてきた。気づかれていないとその顔を醜く歪め、その凶爪がシオンに迫る。

 『シャアッ!』

 「ハァ……」

 キン、という音がした。同時に真っ二つになるコボルト。その死体を眺めつつ、また警戒へ戻るシオン。

 それから数分、敵を全滅させたシオン達はコボルトの死体から魔石を抜き取る。あらかじめフィン達から動物の死体の解体という予習をさせられていたシオン達は、もう何かを解体する作業に心を削られることはなくなった。

 胸を抉り、そこから取り出された小さく輝く紫紺の欠片を手に取る。

 『魔石』と呼ばれる、冒険者達の収入源の一つ。これを様々な形に加工して色々な用法に利用するため、貴重な資源となっている。更にこれを迷宮都市から世界中へ輸出することで、この都市は莫大な利益をあげている。

 まあこれは魔石の中でも単なる欠片に過ぎず、値段も相応だ。

 皆が魔石を抜き取ると、コボルト達から色素が無くなり、その体が灰になる。魔石とはつまりモンスター達の心臓。それを抜き取られた末路が、これだった。

 「――だからモンスターの核になる魔石を壊せば速攻で殺せるから、危ない時にはそこを狙うのも手だ……って、話聴いてるのか?」

 「んなのどうでもいいだろうが。お、『ドロップアイテム』が出たぞ」

 「え、ホントに? 確かこういうのって落とす確率が低いって聞いてるんだけど」

 「とりあえずお金にはなるよね。シオン、ちゃんと持っておいて!」

 「ったくお前らは。ほら、よこせ」

 ベートから『コボルトの爪』を受け取りバックパックにしまう。

 『ドロップアイテム』はそのモンスターの中で異常発達した部位であり、魔石を失っても灰にならずその場に残る。これを利用して武器や防具を作ることもできるが、普通に換金してお金にすることも可能だ。少なくとも魔石の欠片よりは高いので、最初の内は売るのが普通になるだろう。

 「……ふん、またくっせぇ臭いだ。近くにゴブリンがいるぜ」

 「こういう時ベートの嗅覚はありがたいよな。無駄に走り回らずにすむし」

 「犬の嗅覚は鋭いものね」

 「誰が犬だテメェ!?」

 「ティオネ、無駄にからかうな」

 「はいはい、ごめんなさいね」

 「誠意が全く感じられねえぞ……!」

 「でもベートって狼っていうより犬っぽいよね。なんとなくだけど」

 「なんならテメェの喉笛噛みちぎってもいいんだぞティオナァ!!」

 キャーキャーと逃げ回るティオナを追い回すベート。

 「なんか緊張感が薄れてるよなぁ」

 「しかたないわよ。敵が弱すぎてまともな戦闘が少ないんだもの。どうしたって慣れが出てくるわ」

 「ま、フォローくらいはするけど、さ!」

 シュン、とティオネから預かったナイフの一本を投げる。

 『ギャア!?』

 「隠れるならもうちょっとうまくやったほうがいいよ」

 先に進むと、シオン達を襲おうと待ち構えていたコボルトが。その首に刺さったナイフを抜き取り、魔石を取ろうと片手剣を手にとった瞬間、

 『ギシャアアッ!!』

 更に奥に隠れていたゴブリンの集団が襲いかかる。中腰になり、屈んでいたシオンに避けられる術はない。

 そしてだからこそ、ゴブリン達は気づかない。

 ――はい、釣れた。

 シオンの顔に、隠せない『笑み』が広がっていたのを。

 「防御がガラ空きだぜぇ!?」

 「鴨がネギ背負ってやってきたわね」

 「シオンはやらせないよー!」

 既にベートによって警告されていた三人は即座に躍り出る。奇襲したはずが奇襲されたゴブリン達は驚愕で硬直し、その隙だけで全滅した。

 「おいシオン、囮やるんだったら事前に言えよ」

 「少なくともお前なら気づいてくれると思ったからな。言ったろ、信じてるって」

 そう、ベートが警告したのは『ゴブリン』であって、『コボルト』ではない。その違いに気づくとシオンは三人を信じていた。

 そんな曇りのない笑顔に、

 「ッ……。ケッ、物は言いようだな」

 顔を赤くして小さく吐き捨てるベート。それを見たティオナはニヤニヤとした顔でからかおうとしたが、シオンにやめてくれと素振りで示されてやめた。

 「ところでシオン、どうせだから2層に降りねえか?」

 「あ、それ私も賛成。1層降りた程度じゃ変わらないだろうけど、少なくともここよりは戦い応えもあるでしょ」

 「2層に……? 危険じゃないか?」

 「少なくとも死にゃしねぇだろ」

 ベートとティオネは乗り気のようらしく、さっさと行こうぜと言いたげな雰囲気を出している。どうしようかと悩むシオンだが、くいっと袖を引かれた。

 そちらを見ると、ティオナが目尻を下げて首を横に振っていた。それは、ティオナは否定的だという事を意味している。

 ――賛成2、反対1、か。

 けれど結局のところ、リーダーであるシオンが方針を決めるのだ。彼らの意見はあくまで参考程度に留めるだけにしかならない。

 どうしようかと悩むシオンは、ふと半年前に聞いた言葉を思い出す。

 ――調子に乗って、戻ってこなかった冒険者。

 今の自分達が、それに当てはまっていないと言えるだろうか。1層でうまくいったのだから2層でもうまくいく、そんな甘い考えを持っていないと言い切れるのか。

 それに何より、フィンとの約束がある。

 1層を攻略したと思ったら戻る。今のシオン達は1層はもういいと思っているのだから、この条件に当てはまるだろう。

 ハァ、と一つ息を吐き出し、覚悟を決めて言う。

 「今日はここまでだ。ダンジョンの外に戻るぞ」

 「わかった! 今日はもう終わりってことだね」

 真っ先に反応したのはティオナだ。ティオネはどこか納得いかなさそうにしていたが、

 「あ? ……まあ、わかった。だが理由くらいは説明してくれるよな」

 「――意外。ベートが一番反対すると思っていたのに」

 ベートも素直に頷いたので、ティオネも自分の感情を引っ込めた。

 「コイツがこう言うってことは、なんか意味があんだろ。嫌がらせとかそういうことには無縁な奴だしな」

 「なんだかんだ言って仲いいよねえ、シオンとベートって」

 「男同士にしかわかんない友情って奴でしょ」

 そんな風に各々思うところはあるものの、来た道を引き返す。道についてはベートの嗅覚を頼りにすればなんとかなるし、シオンも最低限覚えているので迷うことはなかった。

 「で、なんで戻るって言ったんだ?」

 「まあ、半年前にフィンに言われた言葉を思い出したのが一つ目。ここでなんとかなったんだから次もなんとかなる、なんて甘い考えはダンジョンでは通用しないだろうって」

 「あークソ、確かにさっきの俺はそんな感じだったか。なるほど、大胆さと無謀を履き違えるなってことかよ」

 「二つ目は、フィンとの約束。今日は1層を攻略したと思ったら戻るって約束なんだ。それを違えるわけにはいかないだろ?」

 「団長との、約束……私が忘れてるなんて! ああ、ごめんなさい団長!?」

 「ティオネが発狂した……」

 頭を抱えてごめんなさいと何度も呟く姉にドン引きするティオナ。なんとか納得できるだけの理由が示せたと思えたシオンだが、もうひとつだけ、ポツリと呟く。

 「それに、フィンが無駄な指示を出すとは思えないし……」

 その理由は、シオン達が外に出てわかった。

 ダンジョンの外に出たシオン達。そして、空を見て驚いた。

 「おいマジか。もう日が沈むぞ……!?」

 「私の体感だとまだ4時か、行っても5時くらいだと思ってたのに」

 「意外と時間が経ってたってことなのかな?」

 もう夜には星が並んでいる。昼前に潜ったはずだから、既にそれだけの時間が経っている計算になる。

 「ダンジョンの中では時間がわからない。だから常に行きと帰りの時間を計算して潜らなければならないんだよ」

 いつからそこにいたのか。

 「フィン……」

 顔に笑みを浮かべた団長が、そこにいた。彼はシオン達の傍に近寄ると、それぞれの頭に手を置き、一度ずつ撫でた。

 「今日はお疲れ様。よく頑張ったね」

 「あ……」

 それを聞いた瞬間、シオンの体から一気に力が抜けた。倒れるのを堪えていると、見れば三人も辛そうな顔をしていた。

 「なんで、こんな――さっきまでは、普通だったのに」

 「慣れない環境に身を置くのは、自分の予想以上に心身を疲労させる。特に命のやり取りをするならね。もし君達が2層にまで行ってたら、帰り道で倒れていただろう」

 その言葉にティオネとベートが体を震わせる。実際に行こうと言ったのは、二人だ。もしシオンが止めなければと冷や汗を掻いてしまう。

 けれど、シオンは逆に不信感を抱いた。

 「もしかしてフィン、後ろからついてきてた?」

 「いや、ありえねえだろそれは。俺の鼻にも反応が無かったんだぞ?」

 「フィンならできる。Lv.6とLv.1の冒険者の差はそれくらいあるはずなんだ」

 確信を持って言い切るシオン。その様子に誤魔化せないと悟ったのか、フィンはやれやれと肩を竦めた。

 「言い方が悪かったかな。確かに僕は君達の後ろを尾行していたよ」

 「ってことは、あの冒険者の悲鳴も」

 「僕だね。不穏な事を言っていたから、ちょっと反省してもらった」

 結局のところ、シオン達はフィンに守られていたにすぎない。その事を理解して少し落ち込んでいると、フィンはそのまま告げてきた。

 「さて、君達は約束を破りかけた。調子に乗って下層に降りようとして死にかけたんだ。その点については、反省しているね?」

 「……ああ」

 「してます、団長」

 項垂れたまま返すベートとティオネ。なんとなく、ダンジョンに行くのはしばらく禁止されそうだなと思っていると、フィンは思ったとおりの事を言ってきた。

 「その未熟な心のせいでシオンとティオナも巻き込まれかけた。とはいえパーティだ。連帯責任として君達4人はダンジョンに行くのを禁止――」

 「ッ、待てフィン! それはおかしいだろうが!」

 「そうです団長! 2層に行こうって言ったのは私とベートです。シオンとティオナは関係ありません! だから、2人にはどうか!」

 「ダンジョンでは常に命と隣り合わせだ。そんな甘っちょろい態度じゃ、遅かれ早かれいつか死ぬだろう。看過はできない」

 「それでも、だ」

 「ええ、それでも、です」

 「「お願いします、どうか2人はダンジョンに行ってもいいと言ってください!」」

 「ベート、ティオネ……」

 あのプライドの高いベートでさえ、敬語で、頭を下げている。今日で一番意外な場面を見せられて、シオンの心は決まった。

 横を見てティオナを見る。彼女はただ、笑って頷いてくれた。

 「私はシオンの、リーダーの指示に従うよ? 私の事は気にしないで」

 全幅の信頼。それを体全体で表現している彼女に勇気づけられる。

 「もういいよ、ティオネ、ベート。時間が経てばまた許可はもらえる。その時にまた4人でここに来れば」

 「それじゃダメなんだよ、シオン。俺はテメェの想いを知ってるんだからな!!」

 「あんたは『英雄』になりたいんでしょ!? だったら私達が足手まといになんてなれるわけないじゃない。いいえ違う。足手まといになんてなりたくないのよ!!」

 「え――え?」

 必死の形相で詰め寄る二人に、シオンは呆然とした顔をしてしまう。

 ――つまり、二人共、二ヶ月前のあの時の事を、覚えて?

 けれどだからこそ、シオンの心は頑なになる。

 「俺とティオナの二人でどうしろって言うんだ。持てる武器も回復薬も、魔石の欠片もドロップアイテムも限りがあるのに」

 「ケッ、お前らしくない言葉だ。少なくとも強くなるだけならモンスター共を殺してればいいだろうが」

 「今鍛錬を続けてるのだってもう限界なのよ。私達を待ってれば待ってるだけあんたの時間は過ぎてくの」

 あまりに杜撰すぎた言葉では、二人の心は動かない。本心ではない言葉では、あまりにも軽すぎるのだ。

 けれど、恥ずかしい。思っている事を口にするのは、こんなに羞恥を煽るものなのか。だが、しかし、言わなければ、わかってくれるわけもなくて。

 「だーもう、わかってくれよ! おれはな!」

 ついに耐え切れなくなって、シオンは叫んだ。

 「この4人で、ダンジョンに行きたいんだ!!」

 「「「――ッ!??」」」

 三人の驚愕の顔が見えた。

 そこで、ハッと我を取り戻す。思い返せば先程から叫んでばかりで、周囲に気を配っていなかった。ダンジョンから戻ってきた冒険者がニヤニヤと、あるいは生暖かい目でこちらを見ているのに気づいて羞恥で顔を赤くする。

 そして何故か口を挟まないフィンを見ると、妙に微笑ましそうな顔を――。

 待て。

 先程フィンは、何といった。そうだ、彼は確か、こう言ったはずだ。

 ――君達は約束を破り()()()

 『破りかけた』、であって、『破った』、ではない。つまりこれは、

 「……茶番?」

 ポツリと呟かれたその言葉に、フィンは笑みを引っ込めた。

 「あはは、気づかれたかな。でも怒っていたのは本当だ。もしも2層に行っていたら全員ダンジョンに潜るのを禁止していたのもね」

 「ってことは、つまりよ」

 「ああ、君達は明日からもダンジョンに潜って構わない」

 「え、嘘、じゃないですよね、団長。夢じゃないですよね!?」

 「夢じゃないよティオネ、現実だって!」

 茫然自失に陥ったティオネに抱きつきキャーキャーと喜ぶティオナ。ベートはハァー……、と大きな安堵の息を吐いてその場に座り込み、シオンも胸をなで下ろした。

 「でも、なんであんな事を?」

 「ああでも言わないと同じ事を繰り返しそうだからね。最適解なんて誰にもわからない。だからこそ、自分の決断が周りにいる誰かにまで及ぶのを知って欲しかったのもある。それでも許したのはね」

 フィンは本当に嬉しそうに、

 「君達がシオンの、リーダーの言葉に不満を持っていても、素直に従ったからだ。組織にはそういった部分がなければやっていけないからね。もしあそこでバラバラに割れていたら、僕は君達全員を『永遠に』ダンジョンに行かせることはなかっただろう」

 永遠に――フィンの言うことだ、比喩表現ではない。

 その事に背筋を凍らせているシオン達に、

 「だけど、今日はよくやってくれた。今日は僕の奢りで美味しいものを食べに行こう。換金も僕の方でやっておくから、今日と明日はよく休養するんだ」

 「やった、美味しいご飯!」

 「ま、一日の終わりに美味しいモン食べれりゃいいか」

 「それ絶対良い事で終わったからでしょ」

 「まーな。シオンの本心も聞けたことだし、よ」

 ベートの言葉にティオネと、喜んでいたティオナも、シオンの方に顔を向ける。

 「ッ、からかうなよベート。アレは、単に」

 「単に、なによ?」

 「――知るか! ほら行くぞ、そこに座ってたら邪魔にしかならないからな!」

 シオンの肌は、白い。だからこそ、目立った。

 夕日を浴びて、赤く染まった横顔が。

 「あーもう、待ってよシオン!」

 「おわ、いきなり抱きつくなよ倒れるだろ!?」

 「なんだかんだシオンもガキってか。背伸びしちゃってまあ」

 「それあんたにだけは言われたくないと思うんだけど」

 先を行くシオン達は、いつもより距離が近い。最早肩が触れ合うところにまで近づき、それが彼らの心の距離を表しているようだった。

 「一時はどうなるかと思ったけど、今日はうまくいってよかったよ」

 その光景を遠くから見ていたフィンは、置いていかれないよう、静かに彼らの後ろを歩いて行った。




なんか前回の更新からお気に入りとかが一気に増えて、高評価もちょっとずつ付けてもらえて大歓喜の作者です!

さて今回はやっとダンジョンできました。ただ私の考えているお話の内容だとダンジョン行く回数少ないんですよね。どこの原作だ……。

それとティオナ、ティオネ、ベートの三人の掛け合いが楽すぎて書きやすい。ワンパターンにならないよう気を付けないといけませんけど。

ティオナがなんかヒロイン枠入っちゃいました。この作品の設定だとそういうのもアリかなぁとかヒロインいた方が物語の幅広がるしなぁとか考えてたりとかしたらいつの間にか。

――とまあ、建前は置いておこう。

ティオナが可愛いからいつの間にか書いてたんじゃああああああああああああああああああ。
天真爛漫な彼女が顔を赤くする姿を想像していたら手が勝手に動いていたんだ。だから私は悪くない。

後最後の方、ティオネとベートの意外な姿。やっぱり友達ならこういった関係を目指したいものです。


そして後書きの最後に、また次回の更新予定お知らせです。

次回の更新は8/11の19時丁度です。8日間も空けるのはちゃんと理由があります。

実は今回、前回の15000文字を大幅に上回って17000文字になりました。前後編に分ければよかったのかもしれませんが、この話一つで完成したものなのでどうしても割りたくなかったんです。ていうか5話時点で小説一冊の約半分って、流石にダラダラ書きすぎたでしょうか……。

ネタがたくさんありすぎたのと予想外のシーン追加した結果なのですが、読者の方をまたお待たせすることになりそうです……申し訳ありません。

ですが、高評価を貰えているという事に胡座をかかず、もっとダンまちを楽しく書けるよう精進するので、更新されたのがわかったら時間のある時に少しでも覗いてもらえると嬉しいです。

次回タイトルは『風宿す者』です。

※誤字脱字文章の改善点など指摘して戴ける箇所があれば教えてください。泣いて喜びますので!


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風宿す者

 「これは、どうしたものかな」

 リヴェリアは手にある手紙を見やる。その中に書かれた内容は驚嘆すべきもので、だからこそ彼女の頭を悩ませる。

 偽物、とは露ほども疑っていない。リヴェリアだからこそ気づいた事実。それが彼女に憂いを宿させる。

 「下手な手を打てば【ファミリア】にも迷惑がかかる。この手紙の内容が単なる悪戯であるのを祈るしかあるまい」

 彼女は一つ溜め息を吐くと、手紙を懐にしまう。後でロキに客人が来ると伝え、明日の用意を済ませなければ、と思っていると、前方から褐色の少女が現れた。

 「あ、リヴェリアじゃん。こんなとこでどしたの?」

 「いや何、お前達の誰かに会いに来たんだ。ちょうどよかった、伝言を頼まれてくれないか?」

 「いいけど、あんまり長いと忘れちゃうかもよ?」

 「お前は、本当に……いや、いい。どうせ一言だけだ」

 あっけらかんとしたティオナの物言いに先のとはまた別種の頭痛を感じたが、それを気にしてもしょうがないと頭を一度振って本筋に戻す。

 「明日の鍛錬は無いとシオンに伝えてくれ。それだけでいい」

 「明日の鍛錬はナシ、ね。了解、これくらいなら私でも覚えてられそう!」

 むしろ覚えていてくれないと困るのだが――とリヴェリアが脱力していると、ティオナは笑顔を浮かべて背を向ける。

 「バイバイリヴェリア! また明日ね!」

 「……ああ、そうだな。また明日、ティオナ」

 仄かな笑みを乗せるリヴェリア。なんだかんだ言って、リヴェリアはいつもティオナの笑顔に心を暖められる。だから頑張ろうと思えるのだ。

 「今度、ティオナ達に差し入れでも持っていくか」

 ティオナとは反対の方を向き、ロキの場所を目指す。その横顔に、数分前までの憂いは欠片も残っていなかった。

 

 

 

 「今日は皆用事があるみたいだ、な!」

 キン、カキン、と鉄がぶつかり合う音が響く。頭を潰そうとしてくる大剣を斜めに逸らした剣で受け流し、左手を掌底の形にして突き込む。ティオナは地面に落ちた大剣を支点にして両手の力で自分の体を持ち上げ回避。

 曲芸のような動きで空を跳んだティオナに呆れつつ、剣をはね上げて追撃。それをグルグルと回転しながらティオナは大剣を振りかぶる。

 「うーん、まあそういう時もあるよ」

 回転という勢いが乗った大剣を受け止めるのは得策ではないと後ろに下がるシオン。それを追わずに自身の体勢を立て直す事にし、下段に構え直す。

 これが真剣勝負であれば追撃をしたが、これはあくまで練習のようなもの。そこまで熱くなる必要はない。お陰で今では大剣に振り回されることなく扱えるようになったティオナ。

 続き続き、ともう一度剣を振り上げたティオナは、

 「そういえばリヴェリアからは何も聞かれてないな。ティオナ、何か聞いてないか?」

 「――あ」

 その問いで昨夜の伝言を思い出し、ついで伝えてないと脳が理解した瞬間、リヴェリアの説教を受ける事になると混乱して。

 剣が、『手からすっぽ抜けた』。

 「ちょ――!?」

 目の前でグルグルと回転する大剣の迫力に、軽く気を抜いていたシオンの顔が強張る。必死に避けようと横に跳んだシオンは、小石を踏んでしまった。

 「いだっ!?」

 グギリ、という嫌な音が響く。顔が歪み、転んでしまったシオンは、反射的に近くにあった物に手を伸ばしてしまう。そしてそれは、シオンに近づいていた人物の『何か』を掴んでいた。

 「え、ちょっと待って!?」

 そんな悲鳴が聞こえたが、結局倒れ込んだシオンにはわからない。グルグルと回る視界の中で空を数秒見つめ、それからやっと上体を起こす。

 そこで、やっと気づいた。

 「ん? なんだこ、れ……。ッ!!?」

 それは、布だった。大きく広げればタオルか何かに見えるかも知れない程にでかい。だが、シオンは嫌な汗がダラダラと溢れて止まらなかった。

 黄色い、布。それから連想されるのは、たった一つしかなくて。

 「ティオナ、これってまさか」

 恐る恐るティオナを見る。

 「~~~~~~~~~~~~~~!!」

 そこにいたのは、顔を真っ赤に染めて目に涙を堪えたティオナの姿。羞恥に染まった表情を見てシオンは悟る。

 ――やばい、やらかした。

 妙に冷静な思考が脳裏を過ぎる。一応パレオの下にも服を着ているとは言え、その防御力は無いも同然と言えるほどに薄い。

 「シオン、ちょっとあっち向いて!」

 「わ、わかった」

 今更になってぼうっと見とれていたのに気づく。

 ――なんで、こんな。顔が熱くて仕方ないっ。

 顔を逸らし、両目を瞑る。パレオを持った手をティオナの方に向けた。それから警戒するように少しずつ地面を歩く音。それから手に重みが消えると、

 「もう、いいよ。目を開けて、シオン」

 ゆっくりと目を開けて、ティオナを見る。怪我をしたシオンに合わせるためか座った彼女は、未だに赤い顔をシオンに向けると、

 「元々私のせいなんだし、シオンは悪くないから、許してあげる。あ、でも勘違いしたらダメだよ! 次は無いからね!」

 「それはわかってるよ。おれも軽率すぎた、ごめん」

 「なら、いいけど」

 そして一度深呼吸して気持ちを落ち着けたティオナは、恥ずかしそうに笑った。

 「こんな事されたの、シオンが初めて。いつか責任取ってね?」

 その言葉と、笑顔に、少年の動きが止まった。

 「――。……それは、どういう意味で?」

 「もちろん、ダンジョンで私のことを庇ってって事だよ!」

 「あ、そう」

 今度はシオンが大きく息を吐き出す番だった。ガリガリと頭を掻いて、心の中で落ち着けと自分に言い聞かせる。

 ――まだ、早いよね。わかんないから。

 「ん、何か言ったか」

 「んーん、なんでもなーい!」

 ティオナが小さく呟かれた言葉は、シオンには届かない。けれど今はそれでいいと、ティオナは思う。

 いつか、もっと大きくなったら。その時にこの心の形がわかったのなら、言葉にして伝えればいい。

 ティオナ・ヒリュテは、バカみたいな笑顔で、それを伝えられる人間なのだから。

 「それでティオナ、さっきの『――あ』ってなんなんだ?」

 「ああ、うん。リヴェリアからの伝言で、今日の訓練は無い、だってさ」

 「あのさ、ティオナ。おれがお前とこうして剣を交えてから、少なくとも一時間くらいは経ってる気がするんだ」

 腕を組み、額に人差し指を当てて呆れを表現する。それはリヴェリアが本当に『どうしようもないな』と思った時の仕草であり、ティオナの体から汗が吹き出る。

 「――どう弁明するつもりだ」

 「それなら決まってるよ!」

 シオンの言葉にティオナは大きく返事をすると、

 「すいませんでした――!!!」

 その場で、土下座した。

 「「…………………………」」

 ヒュ~……と、風が吹いた。

 あれ、これってやばい? とティオナが不安に思っていると、シオンは本格的に痛くなってきた頭を抱え、だがしょーもないと割り切ってもいた。

 「――ティオナに頭方面(そっち)で期待するのはやめようかな……」

 「酷い!?」

 ガーン、とショックを受けているティオナ。けれど数秒して二人に浮かんだのは、笑顔だった。

 「つまり、今日は一日暇って事だな。ティオネの予定は?」

 「愛しの団長様との時間が無い時はまず暇だね。特に今日はまだ朝早いし」

 「決まりだ。ベートを引きずって来て迷宮に行くぞ!!」

 「了解シオン!」

 パン、と手を叩き合わせる。

 まずティオナがティオネを呼ぶことになった。ティオネは他三人とは違い交友範囲が広く、時間がかかっては他でやる事を見つけて来かねない。

 その間シオンは念の為に用意しておいた回復薬を飲み、足に振りかける。訓練に怪我は付き物だからと用意しておいた甲斐があったというものだ。何度か小さく捻り、痛みが無くなった事を確認してから立ち上がる。

 「さて、ベートを探しに――。……?」

 ふと吹いた風。それは何の変哲もないものであるはずだ。けれど、今日この時吹いた風は、なんだかいつもと違う気がした。

 ――いつもより、優しくて、温かい?

 自分の知らない何かに包まれているような、そんな風だ。

 「………………」

 ふらふらと、心ここにあらずと言ったように動き出すシオン。扉を開けてホームに入り、道を曲がり、階段を登って、また道を曲がっていく。途中会う人に視線すら向けず、何度もぶつかりそうになりながら、気づけばシオンは一つの扉の前に立っていた。

 「ここ……?」

 部屋の中に誰がいるのか、今どうしているのか。そんな考えなどスッポリと頭から抜け落ちて、ノックすらせず部屋の中に足を踏み入れる。

 「――そんな事を、なぜ私に頼む!」

 そんな怒号を、どこか遠くの出来事として聞きながら、シオンは見た。

 子供のように困った笑みを浮かべる一人の女性。ゆったりとした無地のワンピースを身に纏った彼女は入ってきたシオンに気づくと、不思議そうに頭を傾ける。

 その時さらさらと流れた髪は陽の光を浴びて輝く金色。同色の瞳は透明すぎて、素直すぎた。きめ細かい肌はシオンが見たこともないほど瑞々しくて、繊細な顔立ちはリヴェリアにも劣らないとさえ思ってしまった。

 凡庸な服装を纏った美女。服で己を着飾らないからこそ感じるその人自身の魅力に、子供のシオンは見蕩れていた。

 ――この人、から?

 「もしもの時のためだから、あなたに頼むの。ここならきっと、何処よりも信じられるから」

 耳朶を擽ぐる、綺麗な声。透き通って流れたそれは、リヴェリアに、次いでシオンに届く。普段のリヴェリアなら真っ先に気づいたであろう中に入ってきたシオンに気づかず、リヴェリアは叫んだ。

 「しかし『アリア』、君達二人がそんな事をする必要はないだろう! あの子だって、まだ君達の存在が必要だ。今無茶をする意味は」

 「意味ならあるわ。……私にあの子がいる意味だって、あるはずだから」

 悲しそうに笑う彼女に、胸が締め付けられる。気づけば彼女の傍に近づいていた。

 「だからとはいえ初めからそのような――? シオン、いつからそこに!?」

 そして、リヴェリアに気づかれた。何時になく慌てるリヴェリアを横目に、けれどシオンはアリアと呼ばれた女性だけを見ていた。

 「リヴェリア、ここに私がいるのを知ってるのは数人だけのはずだって聞いたけど……」

 「そのはずだ。シオン、何故この部屋を見つけられた?」

 「………………」

 その問いに答えず、シオンは壁に近づき、窓を開ける。

 それから、笑みを浮かべた。

 「やっぱり、あなただ」

 無意識の内に浮かんだ言葉は、今まで使ったことのない敬意を示す二人称。いつも『お前』と相手を呼ぶシオンが、どうしてか違和感無く口にした。

 外から入り込む風に、前よりずっと伸びた髪がなびく。

 「あなたが、この優しくて温かい風を運んだ人?」

 振り返って小さな笑みを浮かべたシオンを、二人は驚いた様子で見ていた。そんな二人にシオンは近づくと、

 「なんでかわかんないけど、今日は少しだけ、いつもと風が違う気がする。風みたいなあなただから、違うのかな?」

 確信と共に、そう告げた。

 驚き冷めやらぬ女性はゆるゆると唇を動かすと、シオンの頬に触れた。

 「この子はとっても純粋なのね、リヴェリア」

 「そう、なのか? いやそれより、早くシオンを外に出さなければ」

 頬に添えられる指の温もりは、フィンとも、リヴェリアとも、ガレスとも違う。その感覚をシオンは知らない。

 「いいえ、構わないわ。ねえ、あなたの名前は、どんな名前なの?」

 「シオン。花の、名前から貰った」

 目を閉じて、その手に頬を押し付ける。どうしてか泣きたくなるくらいに落ち着くそれを、今感じていたい。

 ――あな……ま……………私達の………いと………子供。

 ノイズが走る、顔も見えない女性の声。その人に寄り添う男の声が、遠くから聞こえた。

 「そう、いい名前だね」

 けれどそれはすぐに消えてしまい、目を開けて見えたのは、別の女性の顔。その事実に、どうしようもなく悲しくなる。

 「感受性が豊かで、とても優しい子。あなたなら、多分」

 女性は眉を下げて、ごめんなさい、と口にした。その声はとても小さな物で、一番傍にいたシオンにさえ届かない。

 言葉を呑み込んだ女性は、別のそれを口から出す。

 「あなたは、どんな人になりたいの?」

 「誰かを助けて、みんなを笑顔にできる、そんな『英雄』になりたい」

 それはきっと、子供の願いだ。よほど親しい人でなければ恥ずかしくて口にもできない、そんな望み。シオンは気づけば初対面の人に言っていた事に驚いて、羞恥で顔を赤くする。

 なのに、その人は嬉しそうに笑っていた。

 「私は、あなたの綺麗な願いを、応援する。だから、絶対に諦めないで」

 そして女性はシオンの頭を一度撫で、前髪を横に逸らすと、

 「これは、『祝福』。きっとあなたの役に立つ」

 その艶やかな唇を、シオンの額に押し当てた。

 「あ、つ……!?」

 瞬間、額に熱が灯る。

 だがそれは一瞬の出来事で、すぐに焼けるような痛みは消えてしまった。その差異にキョトンとしながら額に触れても、もう何も感じない。

 「アリア、まさか、今のは」

 「あれは『祝福』だから、そこまで大きな力にはなれないわ。それに私の『寵愛』はもうあの人にあげてしまっているから、『祝福』も、無いよりはいいってくらいだもの」

 「……それは、アリアの感覚でだろうに」

 仕方がない、とリヴェリアは諦めたように溜め息を吐き出す。話の内容についていけないシオンは、先程まで感じていた風と、いつもの風の違いにもう気づけなくなっていた。

 「シオン、そろそろ部屋の外に行ってくれないだろうか。ここにいてもできることはないぞ」

 「う、ん……そうする。お邪魔して、ごめんなさい」

 女性に頭を下げて、シオンは部屋を退出する。

 シオンの居なくなった部屋で、リヴェリアは覚悟を決めて問うた。

 「――決意を変えるつもりはないんだな?」

 「ええ。それが、私のしなければならないことだから」

 躊躇いもなく、アリアは言った。彼女の愛する者全てを置いていったとしても、彼女にはしなければならない事があるのだ。

 そして、それを聞かされたリヴェリアには、もう断れない。何より彼女は、リヴェリアが気にかける子供に『祝福』までくれた。その意味を理解できないほど、リヴェリアは愚鈍ではない。

 「シオンに、あの子を預けるつもりか」

 「私はいなくなってしまう。だから、きっと寂しがるあの子の心を癒せるくらい、真っ直ぐで、綺麗なシオンの心に願ったの。あれは、その代わり」

 瞳を閉じたアリアに映ったのは、可愛い我が子の笑顔。

 その様子を見たリヴェリアには、もう断る術がなかった。

 「そのような悲しい笑顔を浮かべるくらいなら、逃げてしまえばいいものを」

 それができないとわかっていながら、リヴェリアはそう独り言ちた。

 結局リヴェリアは、彼女と約束してしまう。

 いつかそうなった時に、リヴェリアはその約束を果たすと――。

 

 

 

 ベートの部屋を訪ねたシオンだが、当然と言えばいいのか、見つからない。

 「またどっかで自己鍛錬でもやってるのかな」

 ストイックなくらいに自分を追い詰めて強くなろうとするアイツの事だ。用事が無いのならそれくらいはする。そして、その場所も大体決まっている。

 その幾つかを覗いてみたが、見つからない。先約がいたため、別の場所に変えたようだ。となると、シオンが知っている場所は残り一つ。

 「なんてとこでやってるんだよ、本当にさ」

 「テメェに何か言われる筋合いはねえ。どこでやろうと俺の勝手だろうが」

 屋敷の天辺。斜めになった屋根の上で、ベートは素振りをしていた。基本的な構えから双剣を小さく、あるいは大きく、フェイントで蹴りを交えて。

 いつもなら簡単なそれも、斜めとなった場所では一歩間違えれば落ちる。それを耐え切るバランス感覚が重要だ。とにかく防御を捨てた速攻スタイルのベートにとって、どこであろうと最高速度を保てなければならない。

 そのための練習、というわけだ。

 一通り終えたベートがシオンを睨む。

 「いつまで見てんだ。用があるんだったらさっさと言え」

 「ダンジョンへのお誘いだよ。行く気がないならおれと、姉妹だけで行っちまうが」

 「ハッ、もちろん俺も行くぜ。置いてかれるなんてまっぴらだ。置いていくなら大歓迎だがな」

 「悪いがリーダーはおれだ。おれ抜きで行ってもいいが、死んでもしらないぞ」

 「……チッ、クソが。単なる比喩だっての」

 ほとんどシオンが指示するのを請け負っていたため、ベート達はどういう風に動けばいいのかがわからない。自分だけ好き勝手に動いて孤立する、なんて足手まとい以外の何者でもない。全員がほぼ前衛という性質上、視野が広く頭の回転も速いシオンはダンジョン攻略において必須だった。

 特にティオナ辺りが勝手に突貫して行きそうだ、なんて失礼な思考をベートが展開しているとは知らず、シオンはベートに笑いかける。

 「十分で支度しろ。それを過ぎたら置いてくぜ」

 「いらねーよ、十分もな。戦闘準備ならいつでも終わってる」

 そう言って小さなバックパックから回復薬を取り出し、重さに慣れるためかずっと足に仕込んでいる鉄を見せる。

 そしていつも振るう双剣。確かに準備は終わっていた。

 「なら、ティオネ待ちか。おれも準備は終わってるし」

 先の場所に大体の装備は置いてある。

 屋根からホームへ戻り、装備を取りに行って、外へ出る。門番になっていた団員達に挨拶しておくのも忘れない。

 「そういやシオン、換金はまだ俺達だけでしちゃダメなのかよ?」

 「ダメみたいだね。外見上仕方ないけど、侮られやすいからな。冒険者になったばかりの奴から見て、大金ジャラジャラさせた子供なんて鴨に見えるんだろう」

 「ケッ、これだから雑魚は。敵と自分の力の差程度は把握しろっての」

 吐き捨てるように言うベートに苦笑いを返す。そういう言い方をするから敵を作るのに、それでもやめない彼は本当に素直じゃない。

 「ま、そう言うなって。Lv.2以上から見れば、おれ達もまだまだなんだから」

 「わーってるっての。だが、俺は侮られるなんて死んでもゴメンだ。見下されるのなんざ本気で吐き気がする。さっさと強くなって、存分に見下してやる」

 「ホントお前は、会った時から変わんねえな」

 「テメェが言うな。わざわざ雑魚を守りたいだなんて甘いこと吐かしやがって。自己犠牲野郎ってか? ア?」

 ベートの真意を聞く前のシオンだったら、多分激昂していたかもしれない。けれど今のシオンは彼の言葉の裏がわかる。

 ――それで死んだら許さねえぞ。

 睨みつけるベートに笑いかけて、シオンは言う。

 「おれは自己犠牲なんてゴメンだね。最高の結末(ハッピーエンド)は、誰かが死んでちゃなりたたないだろ?」

 「……ハン、ならいい」

 それから他愛も無い雑談をしていると、ティオナとティオネが手を振って近づいてくる。そして4人は、久方ぶりのダンジョン攻略をしに、バベルの中へと姿を消した。

 そして今、彼らの姿は『12層』にある。

 「ティオナ、オークの相手を!」

 「りょーかい!」

 一際巨大な体躯で迫るオークに接近するティオナ。子供と大人以上の体格差に自身の有利を確信したオークの顔が歪む。

 その手に持った武器を上段から一気に振り下ろす。

 「オークの足にナイフ」

 「了解シオン」

 その瞬間、どこかから飛来したナイフがオークの足を貫いた。唐突な激痛に武器を落とし、膝をつくオーク。

 そしてその隙を、巨大な大剣が襲う。

 「その首貰い!」

 ザン、とオークの首が空を舞う。体格差を物ともしないティオナの力は、その断面図から察せられる。

 その間に遊撃手となったベートは周囲を駆けずり、小蝿のように煩く飛び回るインプの群れを蹴散らしていく。

 『ギイ、ギャ!!』

 「うっせえんだよクソが!」

 双剣で脳天から切り裂き、鉄を仕込んだ足で踏みつけ潰す。しかし数匹殺したと思ったら同じかそれ以上に増えていくインプはキリがない。

 「チッ、少しそっち抜けたぞシオン!」

 「全部をお前一人で押さえられるなんざ思っちゃいねえっての!」

 一番奥で指示を出しているシオンが司令塔だと気づいたのだろう。ベートも、途中すれ違うティオナとティオネさえ無視して迫ってくる。

 「一、二、三、か」

 しかしインプは群れをなす性質上連携してくる魔物だ。たかが三匹、されど三匹。ティオネから預かっているナイフを二本取り出し指の間に挟む。

 後は十分に引きつけ、引きつけ――

 「これでも食らっとけ!」

 腕を引き絞り、投げる。

 片手で投げられた二本のナイフは寸分違わず中心に命中。悲鳴をあげることさえ許されないまま二匹のインプは絶命した。

 後はもう消化試合だ。意地で突っ込んできた最後のインプを切り裂いて終わらせる。そして残身のままに回転し、

 「不意打ち上等だぁ!」

 『オオオオオッ!』

 体を丸めて突進してくる魔物、『ハード・アーマード』に剣をぶつける。

 ハード・アーマードは大体少年あるいは青年程の体躯を持つ鎧鼠(アルマジロ)だ。短い二本の足で歩行し、前足には鋭い爪がある。だが何より特徴的なのは、『鎧』の名の通り背中に背負った甲羅。下から頭の天辺まで覆うそれは頑丈であり、生半可な武器では貫けない。

 単純な防御力だけで言えば上層の中でも最硬レベル。力が強いと言われるドワーフの攻撃さえも跳ね返すその硬さは、白兵戦においてLv.1では勝てないとまで言われている。

 ――普通にやれば、だけどね。

 どんなモンスターにだって弱点は存在する。このモンスターの場合は、鱗に覆われていない腹や胸。しかし丸まって回転してくるという単純な攻撃はその弱点を隠してしまう。

 だからシオンは、普通なら狙わない、いや狙えない弱点を狙った。

 甲羅の継ぎ目。唯一硬い鎧の中でも比較的脆い――あくまで比較的であって、十分に硬いが――そこを狙う。

 ガキン!! と火花が散る。しかしそれも一瞬、鎧が剥がれ、剥き出しの背中から一気に剣を振る。が、残念な事に振り抜く事はできない。シオンがハード・アーマードの鎧を貫けたのはあくまで継ぎ目を狙ったからで、それがなければ無理だ。

 中途半端に刺さった剣を、モンスターの体を押さえつけて引き抜く。ふと視線を戦場に戻せば、ティオナとティオネの姉妹が三匹の『シルバーバック』と対峙していた。

 筋肉質な体を持ち、白い体毛で包まれたその体は野猿を想起させる。だが野猿と違うその獰猛さと身体能力は、ハード・アーマードと並ぶ上層の看板。

 力と敏捷に差がありすぎて、やり方次第では一方的に嬲れるオークと違い、総合的に高く纏まったそれは、()()、故に()()()()

 二対三では分が悪い。そう思って助太刀しに行こうとしたが、

 『ブゴオオオオオオオオオオオオオオオォォォッォォォォッッ!!』

 「タイミングの悪い……!」

 いきなり背後の壁が蠢き、オークがダンジョンから産み落とされる。

 ――これが、ダンジョンの恐ろしさ。

 下に行けば行くほど産み出されるモンスターの数は爆発的に増えていく。それに如何に対処していくかが、冒険者としての腕を問われる。

 「仕方ない、そっちは任せたぞ、ティオナ、ティオネ」

 チラと横目でインプを処理し続けているベートを見てから、シオンはオークへ突っ込んだ。

 「全くもう、簡単に言ってくれるわよね」

 クルクルと湾短刀(ククリナイフ)を回すティオネがシオンの独り言に返答する。シルバーバックという驚異を目にしても彼女から冷静さは奪えない。

 「それじゃ、頑張りましょうかティオナ」

 「うんうん、張り切ってシオンに褒めてもらうよー!」

 大剣を構え、ティオナは二体のシルバーバックに突貫する。当然、数で勝るシルバーバックは嫌らしい笑みで迎え撃った。

 『ギイィ……!』

 『ルァッ!』

 一体が先んじて前に出ると、ティオナの大剣に合わせるように腕をぶつける。オークに劣るとは言えその怪力で少し腕が痺れたティオナは顔をしかめると、打ち合うのはやめて受け流すことに徹した。

 その間にもう一匹はすぐ傍にあった枯れ木に近づくと、

 『ガァァア!』

 その腕力でもって、引き抜いた。

 単なる枯れ木でしかなかったそれは、モンスターの腕力によって自由自在に振り回される棍棒へと成り代わる。

 『迷宮の武器庫(ランドフォーム)』と呼ばれるそれは、見つけたのなら即座に破壊したい物だ。人が剣や槍等の武器を持てば強くなるように、モンスター達のためだけに用意された天然武器(ネイチャーウェポン)

 その棍棒を数度振り回したシルバーバックは凶悪な笑みを浮かべて、ティオナに向かって突進してきた。

 「あーもう、これ以上下がれないのにい!」

 後ろではティオネがもう一匹と相対している。これ以上は、引き下がれないのだ。

 「少しくらい耐えなさいな。こっちはもうちょっとで終わるから」

 『フゥー……フゥー……』

 一方でティオネの目の前に立つ――否、膝をつくシルバーバックは、死にかけだった。致命傷だけは必死に避けた結果、血塗れになったモンスターはそのギラつく瞳をティオネに向け続ける。荒い息を口から漏らし、それでも諦めない闘争本能。

 ティオネは湾短刀をクルクルと回し続ける。それを忌々しそうに見ていたシルバーバックは、唐突に()()()

 「……?」

 「ティオネ、危ない――!」

 その叫びは、誰のものだったか。

 気づけばティオナを迂回して迫ったもう一体のシルバーバックが、ティオネの頭に拳を振り抜いていた。

 「せっかく人が苦しませないようにしたのにさあ――」

 けれど、ティオネは慌てない。

 「人の温情無下にしてんじゃねえぞこのクソモンスター共がァ!!?」

 一本の湾短刀を目の前に放り投げ、そのまま後ろを見ずに二本目を投擲。更にホルスターに仕込んでおいたナイフを取り出し追加で投げる。

 それらが突き刺さったシルバーバックが痛みで悲鳴を上げようとしたが、

 「地獄で寝てこい!!」

 刺さったナイフを掴んで、『捻る』。体の中で肉が骨が内蔵が掻き混ぜられた魔物は息をつめらせ、更にティオネは容赦なく顔面に拳を叩き込む。

 自分の体を顧みない一撃は重く。シルバーバックの顔面を凹ませ絶命させた。

 「ええー……」

 ティオネの所業に引きつつもティオナは自身の仕事を果たす。結局のところ、棍棒の材料は枯れ木でしかない。大剣でスッパリと真っ二つにし、返す刀でシルバーバックを両断する。

 元々【ステイタス】では優っているのだ。一対一で負ける道理は無い。

 既にシオンもオークを殺している。警戒心は残しながら休憩していると、

 「テメェらサボってねえでインプ共殲滅すんのに協力しろやぁ!?」

 「「「あ、忘れてた」」」

 「インプの前にテメェら殺したいとか思った俺は悪くねえよなぁ……?」

 ブチ切れ寸前のベートを助けるために三人は突貫する。既にベートの足元には大量のインプの死骸が転がっている。踏みつけないように注意しつつかなりの速度で接敵していると、数体のインプが向かってきた。

 オーク、ハード・アーマード、シルバーバックといった驚異が存在しない以上、ただ数が多くてウザいだけのインプなぞ雑魚だ。

 湧いて湧いて湧いて――どこから来るのか、台所に出る黒の驚異のように次から次へと出現するインプを相手していたが、ふとシオンは気づいた。

 ――違う、こいつらはおれ達に集まってるんじゃない。

 試しに一体を見逃してみる。するとその一匹はシオンに目もくれず逃げ出した。その一匹はティオネのナイフによって刺突され、逃げ切る事は叶わなかったが。

 「なにやってんのよシオン! らしくないわね」

 叱咤してくるティオネに、シオンは深刻な顔で答えた。

 「いや、それよりも、逃げたほうがいいかもしれない」

 「どうして? 魔石とか回収して、運が良ければドロップアイテムもあるかもしれないのに」

 ティオナはその大剣で数匹のインプを纏めてバッサバッサと斬りながら言う。ベートも速度を落としながら視線を寄越していた。

 「いや、なーんかこんな感じの現象をフィンから聞いたことがあってな……」

 戦う事が生き甲斐とでも言うべき魔物が全力で逃げる。

 それはつまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ではないだろうか。

 そして、とびきり嫌な事に、シオンはこの階層にいる『それ』に、心当たりがあった。思いついた瞬間即座に指示を示す。

 「ッ、ここから全力で逃げるぞ! 魔石もドロップアイテムも捨てろッ、命が惜しいならさっさとこの階層から――」

 可能性を一笑に捨てず、実行に移したシオンはリーダーとしての素質があるかもしれない。

 『――――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!』

 だが、死神は、シオン達を逃さない。

 「嘘だろ、オイ……」

 珍しくこぼれた、ベートの呆けた声。

 12層全体に立ち込める霧を突き破り現れた、琥珀色の鱗。

 睨まれただけで身が竦む蛇の瞳、一度振るえばあらゆる物を薙ぎ倒す尻尾、あっさりと物を貫く鋭い爪と、それを噛み砕く無数の牙。

 体高は約一五〇C(セルチ)、体長は見上げるほどで――恐らく、四M(メドル)

 『上層の迷宮の孤王(モンスターレックス)』と呼ばれる化け物。

 『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!!』

 『インファント・ドラゴン』と呼ばれる怪物が、絶叫した。




……前回の感想でアイズ登場を期待していた方々、申し訳ありません。まだアイズは出せないんですううううううううううう。

ちなみにこうなった理由を下記に纏めます。読まなくても大差ありませんが一応。

アイズがどうやって【ロキ・ファミリア】に入団したのか原作にも描かれておりません。

ですが、アイズの回想では両親と自分が【ロキ・ファミリア】の面々と親しくしているような様子が書かれています。

問題点は現状アイズは無所属であり、しかし両親と自分は【ファミリア】と親しい。そしてダンまち世界の世界観。

だったら自分達が何かあった時のために、親が自分の子供を親しい【ファミリア】に頼んだとしても不思議じゃないのではと考えた結果、アリアさん登場。リヴェリアさんが一番相手に相応しいかなと対談相手に。

シオンを放り込んだのはご都合主義的な感じですがそこはお許しを。彼は風に『愛された』と思ってください。

タイトルコールの意味は原作既読者に気づいて欲しかったのですが、アイズは風を『纏う』のであって『宿す』のとは違います。『宿す』のは母親であるアリアです。個人的解釈なので、わからない方が多いとは思いますが。
それでもこのニュアンスの違い、察せた方がいると嬉しいですね。

まぁ実を言うと本当はアイズ出せたのですが、それだとダンジョン部分がどうしても削らなければならないんです。折角幼少期を書けるのにアイズを出すためだけにどんどん飛ばすのは本末転倒なのではないかと悩みに悩んだ結果です。

次回は目前に現れた『インファント・ドラゴン』との対決。窮地に陥ったパーティがどのような行動に出るか、お楽しみに!

あ、タイトルは今度こそ『風纏う者』です。16日19時ジャストに更新予定!


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風纏う者

……書きすぎた。


 「そういえば、シオン達はもう12層か。まだ九ヶ月しか経ってないのに、随分と強くなったと思うよ」

 フィンは過去に思いを馳せるかのような声音ですぐ傍にいた旧友二人に言った。それはかつての自分達の苦労を思い出させてきて、苦笑いが浮かんでしまう。

 「あの頃の私達はまだお互いを認められなくて、いがみ合ってばかりだったな。全く、シオン達とは大違いだ」

 「ガッハッハ。良くも悪くも儂等は大人じゃった。認めることも、認めさせることも難しかったからの。体面など考えず殴り合えるあやつ等が、少し羨ましいわい」

 【ロキ・ファミリア】において最年長の三人組は、相応以上の苦労を背負っていた。フィンは自身の目的のためだけに、リヴェリアはあまりに狭すぎる(セカイ)から抜け出したくて、ガレスはまだ見ぬ闘争を。

 打算と目的によって集まった三人は、罵り否定し溜め息を吐かない日など無く、苦労が重なる日々の連続。

 「だけど、それを乗り越えたからこそ僕達は固い絆を結べたと思っている」

 「否定はせんよ。まあ、そうなれたのはロキと、命を失いかけたからというのがなんとも情けないところだが」

 あまりに仲が悪すぎた三人に強引に己の内心を吐露させ誓いを結ばせたロキ。それでも蟠りを残していた三人は、目の前に迫った脅威によってやっと一つになれた。

 「ふん、今でもあの時の事は思い出せるわい。恥ずかしくもあるがな」

 ボロボロになって、やっと脅威を退けた時に、三人は口にするのも恥ずかしい言葉を口にした。けれどそれさえ、今は良き思い出だ。

 「しかし、だからこそ思ってしまうんじゃな」

 「ああ。僕達はかつて、一つでも間違えれば死んでしまうような状況に陥った。だからこそ、同じ苦労を味わって欲しくないんだ」

 「だが私達にはどうもできん。あの子達に私達と同じ苦労を味わうことがないよう、祈るしかあるまい」

 ――無事に帰ってきてくれれば、私達は何も望まないのだから。

 

 

 

 ぴちゃん、と水滴が跳ねる音がした。それが自分の顎から落ちた汗だと気づくのに数秒かかり、それでやっと自分が焦っているのだと理解する。

 ――どう、すればいい。どうやればここから生き延びれる!?

 他の冒険者の姿は、無い。たった4人。自分達だけで、この怪物から生き延びなければならないのだ。魔法という切り札もなく、【ステイタス】だけを頼りにして。個体によってはLv.2にも届くというモンスターと戦うなんて、経験したことがない。

 今この時ほど、シオンは自分の背中を頼れないと思ったことはなかった。

 ――ギリッ!!

 「全員戦闘準備! 呆けてたら死ぬぞッ、生き延びたければ動け!」

 剣を持ちインファント・ドラゴンから見て右斜めに移動する。それは三人から離れる事も意味していた。

 「シオン、一人で突出してんじゃねえぞ!」

 「うっさい! むしろコイツ相手に固まってる方が危険なんだよ! 一発で全滅するのが目に見えてるんだからなッ」

 そう、恐らくこの怪物は全能力値が自分達の誰よりも上だ。尻尾の薙ぎ払い、爪のひと振り、牙のひと噛みで死ぬだろう。

 ならば的を分散させておくのが戦力的にちょうどいい。それを理解した三人は苦渋に歪んだ顔のまま動き出す。

 それでもなお、インファント・ドラゴンはその瞳孔をシオンに向けたままだ。

 ――コイツの狙いはおれか……!?

 なら自分が囮になって、と思ったが、そんな思考は甘すぎるのだと、直後に知る。

 「――え」

 ゴスン! と背中に巨大な物がぶち当たる。それに押し出されて地面に倒れたシオンは、背中に当たったのがダンジョンの壁に使われる石なのだとわかった。

 ――どうして、こんなのが。

 「シオン避けろ!」

 混乱する頭の中に聞こえたベートの声。ほぼ条件反射で転がった瞬間、シオンがいた場所に尻尾が叩きつけられた。

 ――そうか、尻尾で壁を叩いて壁を砕いたのか!

 多分小さい体が幸いになった。大人よりも小さい体故にモンスターは目測を誤って頭上を通り過ぎた尻尾が別の目標にぶつかっただけなのだ。

 ゾクリと背筋が泡立つ。こんな幸運何度も続かない。いずれ相手も慣れて、こちらの体を捉えられる。

 「シオンを、よくも!」

 インファント・ドラゴンが更なる行動に出る前にティオナが大剣を振りかぶって攻勢に出る。このまま逃げ惑うよりは勝ち目がある、そう思っての行動だ。

 大半の魔物はひと振りで屠った一撃。ハード・アーマードは流石に無理だったが、それでもシオンから目を逸らす程度の事はできるはず。

 「せいや!」

 ……けれど、現実は無情だ。

 ガキン!! という音が剣身から響き、弾かれる。琥珀色の鱗には傷一つ浮かぶ事無く、ダメージなど当然ありえない。

 「嘘、でしょ」

 「ティオナ、避けなさい!」

 ダメージはなくとも衝撃は通る。小さな一撃と言えどもうざいと感じるのは生き物として当然であり、だからこそ狙われる。

 大雑把に上げられた手がティオナ向かって振り下ろされる。当たれば即死、しかしありえない現実にショックを受けていたティオナは回避行動に移れない。

 ――あれ、私、死んじゃ……?

 呆然と目の前に迫る爪を見ていたティオナは、自分が死ぬと幻視した。

 「死にてえのかテメエはぁ!?」

 「ベート……!?」

 だからこそ、遊撃手のベートが動く。ティオナの脇腹に爪を突き立てるようにしてでも無理矢理引っ張り攻撃範囲から逃げる。

 『死』という恐ろしさから解放されたティオナは知らず震えた。それを見たベートは慰めの言葉をかける――など、ありえない。

 「シオンが言ってただろが、呆然としてんじゃねえ! 敵を前にんな足手まといになるならさっさとどっかに行ってくれた方がまだマシだ!」

 「……ごめん、なさい」

 「――クソッ、謝るくらいなら最初からあんな真似するんじゃねえよ」

 俯いているティオナに周囲の状況を把握する事はできない。だからベートの様子もわからない。彼は何かに対して苛立たしいとばかりに吐き捨てると、

 「シオン、やっぱテメェがどうにかしろ!」

 「お前の不悉末おれに押し付けるか普通!? っていうかお前はまず言い方変えろよッ、それで大体解決するから!」

 ベートが駆け出しシオンの横を通る。その刹那、

 「俺が励ますなんて、ガラじゃねえんだよ」

 シオンにだけしか聞こえない、小さな声でそう言ってきた。そのまま回復薬をシオンの背中に叩きつけると、インファント・ドラゴンに向けて行ってしまった。

 『ガアアアアアアアアアアアアアアアァァァァッッッ!??』

 その時聞こえたのは、叫び声。それも悲鳴に近いものだった。

 「なんだ、誰が何を……!?」

 シオンからは影に隠れて見えない人物。彼女はインファント・ドラゴンを見上げると、

 「――チッ、やっぱりダメみたいね」

 期待できない結果に対し、そう吐き捨てた。ナイフを投げた姿勢で残身を取りながら、インファント・ドラゴンを見上げる。その巨体の指と爪の間には、彼女が投げたナイフが刺さっていた。

 ――鱗とかは固くても、指と爪の間なら柔らかいのは人間と同じ、か。

 ただし、当てるのは非常に難しい上、あの巨体相手ではナイフなど人間でいう小さな針と似たようなものだ。痛みはあるが、致命傷には程遠い。

 『ッ、ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!?』

 「あーもう、ホントうるっさい。今キレたら死んじゃうからキレる事もできないし、ストレス溜まるんですけど」

 そう嘯くティオネだが、額から溢れる汗は拭えていない。恐怖で震える体を押し殺し、強がっていないと今にも泣いてしまいそうだ。

 ――団長がいてくれたら、なんてもう言えないんだから、私は。

 頼るだけの自分はもういない。彼を守れるだけの力が欲しいのだ、自分は。そのためには、この程度の恐怖心、捨ててみせる!

 「来なさいよデカブツ。ぐっちゃぐちゃに潰してあげる」

 湾短刀を構えて挑発する。インファント・ドラゴンの視線が完全にティオネに固定されたのを見て、彼女は思う。

 ――ティオナは任せたわよ、シオン。

 妹のために、彼女は自ら死地へと身を投げた。

 

 

 

 「クソッ、どうする。ティオナでも貫けねえ鱗を俺がやれるわけもない。下手に刺激して暴れられたら本末転倒、か。本格的にやることねえぞ!」

 チクショウが、と唾を吐くも、何もできない自分に歯噛みする。ティオネが見出した指と爪の間という弱点も、近づかなければならないという観点から自殺行動と断定。

 身軽な遊撃手は今、ただ周囲を飛び回る蝿以下と化していた。

 ――今は、何もできねえ。危なくなったら助けに飛び込むくらいしか。

 その程度しかできない自分に苛立つが、

 ――抑えろ。この怒りを。情けなさを。いずれチャンスは来る、絶対に。シオンが作る!

 そして、決める。

 ――それまで俺は影になれ。喉元を食い千切る狼になるために。

 瞬間、ベートの気配が消えた。

 

 

 

 「シオン、ごめんなさい。やっぱり私は、足手まとい、なんだよね」

 シオンはただ、驚くことしかできなかった。

 シオンにとってのティオナはいつも笑っていて、元気を、勇気を分けてくれる女の子で。こんな風に弱気なところを見せるなど、一度も無かった。

 だから、戸惑ってしまう。どんな言葉をかければいいのか。時間は無い。ティオネが必死になって稼いでくれている時間は長くないのだ。

 「ティオナは、何に謝ってるんだ?」

 結局こぼれるのは、そんなありきたりな言葉。だけど、わからないのなら聞くしかない。遠回りをしてでも、自分の想いを伝えてもらわなければ、相手を理解するなどできないのだから。

 「ベートが言ってたみたいに、敵の前で呆けて、死にかけちゃったし。でも、私一人だけ逃げるなんて嫌。だけど足手まといになるのは、もっと嫌だ」

 その言葉にふぅ、と溜め息を返す。ビクリと震えたティオナに悪い反応をしたなと多少の罪悪感を抱きながら言う。

 「アレはベートの言い方が悪いな。ベートのアレは『無駄死にするなら無様でもいいから生き延びろ』とか、そんな感じだぞ。ティオナだってわかってるだろ?」

 「うん……わかるよ。だって、なんだかんだ私を気にかけてくれたのは、ベートだし。だから私もベートに頼むことが多いんだよ? 助けてくれるって、知ってるから」

 そう、ティオナがシオンとティオネが殺し合った時、真っ先に頼ったのはベートだった。しかし嫌っている相手に普通、頼みごとをするだろうか。特に一匹狼で気性が荒いと思われているベートにだ。

 その理由は、ティオナがベートに助けられたことがあったから。

 本が好きで、外で遊ぶよりも中で静かにする方が好きだったティオナはそれをからかわれたことがあった。

 そんな時に、

 『他人がどうこうしてるのを見下すくらいならまず自分を見ろ。くだらねえなあオイ』

 そう、蔑みの言葉で諌めた。言い方は悪いが、男が女をからかうのがみっともないのだということを、彼は理解していたのかもしれない。

 しかしそこはベート。

 『テメエも黙ってないでなんか言い返せ。好きなもんを譲る程度なら捨てちまえ。どいつもこいつも、本当に……』

 そんな言葉を叩きつけて、彼は去っていった。

 台風のような出来事に呆気に取られたティオナだが、その日から何かと理由をつけてベートをからかったのをいつでも思い出せる。

 ティオナが言うなら、ベートは、

 「素直になれないお兄ちゃんみたいな人、かな」

 「……変わんないなあ、アイツ」

 「あはは。だよね? だからベートにああ言われるのって、わかってても結構()()んだ」

 その笑顔に、いつもの活気さは欠片もない。兄と慕う相手に、心から思われた言葉を言われたことにショックを受けているのかもしれない。

 だけどティオナはううんと首を横に振ると、

 「――なんて、言い訳だよ。私は、『役立てない』ことが、辛いだけだから」

 「役立つ、って……何のことだ?」

 「臆病になっちゃったんだ、私。独りだった時は全然気にしなかった……ううん、気付かなかっただけ。私、()()()()()()()()()()。誰にも見られなくなるのが、怖いの」

 母親からも、同年代からの子供達からも言われ続けた、かつての言葉。

 ――お前は本当にアマゾネスなのかい?

 ――フィン達みたいになりたいよな! ハァ? そうでもない? ありえねーだろ!

 ――いいよ、放っておこう? その方が楽しいんだろうし。

 誰も認めてくれなかった。リヴェリアとベート以外、見向きもしてくれなかった。男の子達は外で遊ぶのを選び、女の子達は人形遊びに夢中だった。

 本を読むのは古臭い――アホみたいに単純な、そんな雰囲気だけで、ティオナは排斥された。

 誰にも見られず、理解されず、ただ独り。そこに現れたのがシオンだった。

 『英雄様の本とか、見てみたいなぁ』

 あの時の衝撃を、忘れることなんてできないだろう。

 ――初めて、私と話し合ってくれるかもしれない。()()()()に、なってくれるかもしれない!

 それからは、ただ行動した。シオンにバレないよう無理にテンションを上げて、話を作って、約束をして。

 だけど相手に一方的にしてもらうのは悪いから、自分も相手に尽くした。頼られ頼る関係。それに心地いいと感じて、ずっと続くと信じて、そして――恐れた。

 殺し合ったはずの(ティオネ)と、(ベート)の二人と笑い合う、友達(シオン)

 取り残されたような気がした。無理矢理割って入って気持ちを誤魔化して、無かったことにしたけれど。

 だけど今、死ぬ恐怖を味わって、敵わない相手を前にして、気づいた。

 ――役に立てれば一緒にいれる。傍にいても、嫌だとは言われない。

 そんな風に無意識に考えていた自分が、いたことを。

 

 

 

 ティオナの告白は、正直ショックだった。

 そう思われていた事が。

 そう思わせていた事が。

 何より、友達のはずの自分が気付かなかった事が、ショックだった。

 だけどシオンはその全てを呑み込んで、ティオナに笑いかけた。

 「ティオナ、おれさ、前に言ったよな」

 「え、と……何を?」

 その笑顔に、嫌な予感を感じた。

 「『何かあったら、おれがお前を守るから』」

 笑みは薄くなり、ティオナの頭を撫でる。呆然としたままのティオナは、何の反応を返すこともない。

 「逃げたっていい。だけどおれは決めた。守るって」

 「わ、私はそんなの望んでない! それより、なんでいきなりそんなこと言うの? 私、シオン達に依存しかけてたんだよ? 軽蔑、しないの!?」

 悲痛だった。聞いていて痛々しい程に、大きな叫び声。必死に避けているティオネにも届いたかもしれない。

 ただ、シオンにとってはどうでもよかった。

 「大きな理由なんてないよ。大切な(まもりたい)人だから。それだけで、命を懸けるのには十分すぎる」

 だから、そこで待っていて。

 とても小さな声を投げかけて、シオンは真正面から怪物に向けて駆け出した。

 「隙だらけになってるぞクソがっ、ティオネばっか狙ってるからだ!」

 振るわれた剣がインファント・ドラゴンに迫る。それを見た敵は心なし見下すような笑みを浮かべていた。

 しかしそれは、油断だった。

 『ギャウッ!?』

 鮮血。ほんの少しだけ、しかし確かに飛び散ったそれは、確かにインファント・ドラゴンのものだった。

 「確かにお前の鱗は硬いよ。でもさ、『継ぎ目』は絶対にあるんだ!」

 ハード・アーマードと原理は同じだ。幾重もある鱗、その中にある確かな弱点を狙って剣を振るう。ティオナの力任せとは違う、確かな技術。

 痛みで硬直している間にもう一閃。だが、新たな痛みが起爆する要因になったのか、インファント・ドラゴンが叫ぶと、

 『グルウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!』

 その場でただ、一回転した。

 予備動作が見えたそれは回避することも容易い。しかし距離を取らなければいけないというのが辛い。時折機敏な動きを見せるコイツ相手に迂闊に近づくのは危険なのだ。

 偶然か、あるいは必然か。シオンが退避した先にはティオネがいた。

 「シオン、コイツ、殺せると思う?」

 「殺せる」

 断言する。傷を付けることは可能なのだ。血を流し、痛みを感じさせる手段があるのなら、それはいつか相手を絶命させることだってできるという証左。

 もちろん、自分達が先に死ぬ可能性の方が遥かに高いが。

 「だったらやってやるわ。私はサポートに回る。あんたが決めなさい」

 「わかっているさ」

 背中をティオネに任せる。言っては悪いが、これが初めてのことだ。もしまかり間違えばシオンは死ぬ。

 ――信じろ、ティオネを。だから、今はただ!

 不安も恐怖も全て押し殺して、シオンは引きつった笑みを浮かべる。

 「どっちが先に死ぬか、やってやろうじゃねえか!」

 インファント・ドラゴンの爪を掻い潜る。迷宮の地面を叩き割る程の一撃は重い。すぐ傍を通って行くたびに押し出された風を全身に叩きつけられる。

 だが、ただで浴びてやるのも癪だ。これみよがしに腕に剣を叩きつける。当然、鱗の継ぎ目を狙ってだ。

 所詮小さな傷、痛みはあるが無視できる程度のもの。しかし小虫が自分の周囲を飛び周り、それが叩きとせないときに感じる苛立ちと同様、インファント・ドラゴンも次第に頭へと血を上らせていた。

 『グルウ、ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!』

 「――ッ!?」

 グッ、とインファント・ドラゴンの後ろ足に力がこもる。その動作に見覚えがあったシオンは驚愕で息を殺した、その瞬間。

 その巨体が、持ち上がる。

 「待て、こいつまさか――全員離れろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 インファント・ドラゴンとは逆に顔から血を引かせたシオンが叫ぶ。その声音に真っ先に反応したティオネは遠くまで逃げる。

 それに安堵したシオンは、更に叫んだ。

 「コイツが行動を起こしたら、全員逃げろ! いいな、リーダー命令だ!」

 限界ギリギリまで持ち上がったインファント・ドラゴンの前足。何百キロという重さを持った生物がそれを思い切り踏み下ろしたら、どうなるか。

 その答えは、すぐにやってきた。

 ――ズ、ズウゥゥゥゥン……!

 局所的な地震。遠くにいたティオネはその影響をほとんど受けず、ティオナの元へまで駆けて彼女の身を起こす。

 「逃げるわよ!」

 「だ、ダメ! そんなのダメだよティオネ!」

 「なんで!? シオンの指示ならこのまま逃げれば」

 言うことを聞かない妹に、いっそ殴ってでも言うことを聞かせようとしたが、

 「()()()()()()()()()()()なんて、できない!」

 その言葉を理解するのに、数秒の時間を要した。

 「……え?」

 そうだ、何も考えずに行動したから、忘れていた。

 ティオネは遠くにいたから地震の影響をほとんど受けなかった。

 では、シオンは? 一番近くにいて、地震を受けたシオンは、どうなった?

 振り返ったティオネが見たのは、

 「イ――イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァッッ!??」

 血と共に吹き飛ぶ、シオンの姿だった。

 

 

 

 ――ここで、死ぬのかな。

 地震を直下で受けたシオンは、まともに立つ事さえできなかった。これが日常の中でならすぐにしゃがんで対処できたかもしれない。

 けれどここはダンジョンで、命を懸ける場所で、そんな余裕はなかった。足を取られて倒れたシオンが顔を上げたとき、そこにあったのは巨大な爪。

 それでもリヴェリアに教えられた『大木の心』が、シオンから冷静さを奪わせない。

 ――結局、見方によっちゃ自己犠牲になってるし。ベートに悪いことしたな。

 ガレスに叩き込まれた『不屈の魂』が、諦め悪くシオンの体を動かしてバックパックに残っていたナイフを投げさせる。その中の一本だけは手の中に残しておいた。

 いくつかは弾かれたが、一本か二本だけ、インファント・ドラゴンの指と爪の間に刺さる。だが痛みを堪えたインファント・ドラゴンの攻撃は止まらず、シオンの体を引き裂いた。

 「――――――――――ッ!??」

 悲鳴をあげる事さえ許されない。代わりに悲鳴をあげたのは、ティオネだった。

 ――早く、逃げろ。おれが狙われてる間に、早く!

 ドゴォ! と背中がダンジョンの壁にぶつかった。ビチャリと弾けた血が髪にかかり、顔を濡らしていく。生き延びれたのは砕けたナイフが少しだけ爪を逸らしてくれたからだと理解する。

 その命も、もって一分ないくらいだろうけれど。

 ティオネが近づこうとして、けれど足踏みしているのが見えた。泣きそうに歪んだ顔が、シオンの心を苛める。

 ――泣くなよ。リーダーが囮になるのは、普通だろ。だから、逃げてくれ。誰かが死ぬんだったら被害は最小限に。そういうものだろう!?

 そう叫ぼうとして、口から漏れたのは血だった。咳こんだ体が痛みを発してくる。それは生きている証だが、その事実は、インファント・ドラゴンにとって屈辱でしかない。シオンを睨みつけた怪物は、次の瞬間一転してニヤリと笑みを浮かべた。

 スゥ、と息を吸い込む。それに呼応して、周囲の温度が少しだけ上がった気がした。血が流れ出て薄れる視界の中で、インファント・ドラゴンの喉奥に小さな光が見えた。

 ――まさ、か。

 炎。

 ブレス。

 そして――爆発。

 フラッシュバックするのは、炎の中に包まれた、義姉の姿。

 「ハァ、ハァ、ハァ……!」

 視界が揺れる。顔が恐怖に歪む。トラウマを刺激されたシオンの瞳には、死んでしまった義姉の姿だけが映っていた。

 その反応はインファント・ドラゴンの嗜虐心を十分に満たしたらしい。既に放てるそれを、状況(シチュエーション)を万全にしてから、放った。

 『ガアッ!!』

 火が、迫ってくる。動くことができない体では、もう何もできない。

 スゥ、と視界が陰った。それが火が迫ったせいだろうと思ったシオンの体が更に強張る。

 「私を守ってくれるって、言ってくれたよね」

 その声が聞こえたのは、すぐ目の前だった。ハッとあげた瞳が捉えたのは、

 「だから、私がシオンを守ってあげる」

 笑顔を浮かべる、ティオナだった。

 ――嫌、だ。

 彼女の意図は明白だ。ただ、守りたい。それだけのために、命を投げ出した。

 ――誰かがもう目の前で死ぬのは、嫌なんだッ!!

 ティオナの体に覆い被さって、抱きしめる。意味なんてない。無駄な行動だ。自分の体を簡単に食い破って、この炎はティオナの体を蝕むだろう。

 それでも何もしないのだけは、絶対に嫌だった。

 ――ごめんなさい。誰も助けられない、『英雄』にさえなれない、弱虫で。

 その思いと共に、シオンの視界が、完全に炎に覆われた。

 

 

 

 「う、嘘……なんで、私、何も、できな……っ!?」

 見ているだけしか、できなかった。

 シオンがインファント・ドラゴンのブレスで焼かれようとしている時も、助けたいと思っていたのに、動かすことさえできなかった。

 ティオナが覚悟を決めて駆け出した時も、見ているだけしか、できなかったっ!

 「友達も、妹も、私は見捨てたのっ!? このっ、このっ、動いてよ、私の足でしょ!?」

 涙でぐしゃぐしゃになった顔で、ティオネは己の足を叩く。だけど、何度拳をぶつけても、拳と足が痛むだけで、全く動いてくれない。

 「あ、ああ……」

 ティオネの声が、絶望で歪む。

 そのまま喉を掻き毟ってしまいそうな彼女。自身に、世界に、そして何より自分の大切な人を奪ったインファント・ドラゴンに、怒りが湧いてくる。

 そのまま無謀な特攻をし、命を散らす事さえ厭わないという気持ちさえ湧き上がる。

 「あ……?」

 その所業を止めたのは、優しく温かな風だった。

 全てを包み、許すかのような風。それが今ティオネを慰めるように吹き、彼女を絶望の淵から引き上げた。

 ハッと顔を上げ、シオンのいた方を見る。今もなお燃え盛っているそこを眺めて悦に浸っているインファント・ドラゴンの首を引き千切りたい衝動に駆られながら、ティオネは見た。

 風が、一際大きく跳ね上がる。

 そこにいたのは、ティオナを守るように抱きしめているシオンの姿。完全には防ぎきれなかったのか少しだけ火傷を負っていて、しかしなお、生きている。

 「シオン、ティオナ……!」

 喜びで潤んだ瞳が、新たな事象を捉えた。

 二人を包むようにして動く風が、一人の人間を形作る。

 美しい、という言葉さえ陳腐だと思える半透明な女性だった。

 鮮やかな金髪を優雅に揺らし、微笑ましいものを見るように緩やかな笑みでシオンの頭を撫でている。ともすればリヴェリアやロキにも劣らぬ美貌を持つ彼女は、シオンの額を一度だけ撫で上げる。

 それを終えて満足そうにすると、女性はティオネを見つめる。

 その事にドギマギしている内に女性は人差し指を立て、口元へ寄せる。その仕草はまるで『内緒だよ』と告げているようで、彼女が一瞬無垢な子供に思えてしまった。

 そして、全てをやり終えた女性は完全に姿を消す。あまりに常識外な光景にティオネは完全に動きを止めた。

 だからティオネは気づかない。

 インファント・ドラゴンが、怯えたように女性を見ていたのを。

 

 

 

 何秒経っても、全身が焼ける感覚がしない。いつになったら終わるのだろう、そう考えているのに何も感じなくて、ついに目を開けてしまった。

 「炎が……消えてる? 生きて、るのか?」

 何が起こったのか、全然わからない。呆然としたティオネが駆けてきて、慌てた様子で言った。

 「シオン、さっきの何!? 一体どうやったのよ!」

 「いや、それはこっちが聞きたい。何が起こったんだ?」

 「それは――」

 何かを言おうとしたティオネは、ふと何かを思い出したように口を閉ざす。その様子に疑問を覚えたが、聞く暇はなかった。

 『グウウウウウウ……ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!』

 自身の渾身の一撃を食らっても殺しきれなかった。

 その事実に苛立ったインファント・ドラゴンが地団駄を踏み、シオンを睨む。

 「話してる暇はない、か。私が時間稼いであげるから、その間にその子と話しなさい! でもあんまり時間ないわよ!」

 叫んだティオネは返事も聞かずに走り出す。

 ティオネは忘れてはいない。シオン達が炎に包まれた時の無力感を。全てに絶望したような虚脱感を。

 今回はあの風がなんとかしてくれた。

 でも、次は? 次似たようなことが起きたときは、どうなる?

 もう何もできないのは嫌。

 それに何よりも、

 「私は、キレてんだよこのクソモンスターがああああああああああああああああ!!?」

 二人の命を奪おうとしたクソを、ぶち殺したいッ!!

 ティオネの中で、感じたことのない『力』が荒れ狂う。それに従って、ティオネは湾短刀をインファント・ドラゴンへ振り抜いた。

 

 

 

 ティオネが命を賭して時間を稼いでくれている。なのに、シオンの体は動いてくれない。インファント・ドラゴンの一撃は、シオンの体から動くという機能を奪い取っていた。

 「ハン、情けねえ。自分で回復くらいはしてみせろっての」

 今までどこに隠れていたのか、ベートが後方から姿を現す。そして自分の回復薬をシオンの体に適当にまくと、二本目をシオンに飲ませた。

 体の傷が、不完全とは言え癒える。流れ出た血は当然戻らないが、それでも動くことはできる。

 「おい、シオン。テメエはもう戦えないとかほざかねえよな?」

 「当たり前だ。逃げるなんて選択肢はない。それにさベート、思うんだよ」

 ふと、思った事を言ってみる。

 「【ステイタス】的には十分。なら――アイツをぶっ殺せば【ランクアップ】するとは、思わないか?」

 あのインファント・ドラゴンは恐らく同個体の中でもかなり強い方だ。そんな相手を倒せば得られる【経験値】は多いだろう。

 シオンの言葉を聞いたベートは意外そうに眉を上げると、

 「……ハッ、いいじゃねえか、最高だ。【ロキ・ファミリア】の看板、『巨人殺し(ジャイアントキリング)』をやってやろうじゃねえか!!」

 獰猛な笑みを浮かべて、そう返してきた。

 一歩前に出ると、彼はシオンに拳を向けてくる。

 「おいシオン、一つだけ言っておくぜ」

 「なんだ、ベート」

 「俺はテメエが諦めても諦めることはねえ」

 「そんな事か。だったらそれはありえない。だって、おれはお前が諦めても諦めることはしないんだからな」

 「言ったな? だったら精々気張ってみせろ」

 「あいよ」

 コツン、と拳をぶつけあう。

 ベートは何も言わない。なら、シオンも何も言うつもりはない。

 例えベートの拳が『血に濡れていた』としても、そのとき感じた想いはベートだけのもので、求められてもいないのに勝手に斟酌するのは間違っている。

 「先行くぜ」

 一言告げ、彼は走る。

 ……湾短刀でインファント・ドラゴンの爪と切り結んでいるティオネが見えたのは、何かの気のせいと思いたいところだ。 

 シオンは一度目を瞑り、それから振り返った。

 助かってから一度も言葉を発さず、俯いているティオナ。彼女はシオンの言葉を恐れるように震えていた。

 「なあ、ティオナ」

 「……!」

 ぶんぶん、と頭を振って拒否する彼女に、シオンは手を差し伸べた。フィンから貰った『勇気』を胸に秘め、彼女に願う。

 「助けてくれ」

 「え……?」

 「おれだけじゃ、ティオナを守るなんて無理だった。思い上がってたよ。痛感した。だからさ」

 恥ずかしさはある。だけどそれよりも、シオンは勝ちたかった。

 勝って、『全員で』生き残りたかった。

 「ティオナの力を、貸してくれ」

 「あ……」

 スッとティオナの胸の痛みが和らいだ。

 ――やっと、わかった。

 ティオナは確かに恐れていた。見捨てられることを。誰にも見られなくなるのを。しかし、それは人間誰しもが持つ感情だ。

 ただ、気付かなかっただけ。ティオナが本当に恐れていたのは、もっと別の感情。

 ――私は、シオンに失望されて、嫌われたくなかっただけなんだ。

 確かに、全然違った。

 ティオネの言うとおり、『人を好きになる』のと、『その人だけに恋をする』のは、比べ物にならないくらい違う。

 ――シオンの役に立ちたい。

 ――シオンを支えたい。

 ――シオンの、隣にいたい。

 ――シオンに、好きになって欲しい……!

 少し見方を変えただけ。

 たったそれだけで、ティオナの世界は変わってしまった。

 「うん、うん……! 私の力、いつでも借りて!」

 彼女の笑顔に、もう暗さはない。いつも彼女が浮かべる、シオンの大好きな笑顔がそこにある。だから、守るのだ。そして守ってもらう。

 「あ、でも私、武器がない。さっきの場所に落としたままだから、取りに行かないと」

 「それなら問題ないよ」

 はい、とティオナの大剣を渡す。

 『ベートが』持ってきた大剣はティオナにちょうど見えない角度に置いてあった。あの捻くれっぷりはいっそ突き抜けすぎてて笑いが出てしまう。

 アイツが来るのが遅れたのは、これを持ってきたせいだ。感謝の一言くらいは貰ってしかるべきだろうに、本当に素直じゃない。

 「後でベートにお礼言っておきなよ。わざわざ持ってきてくれたんだから」

 「ベートが……そうだよね。私だって、やれるってところを見せてあげないと!」

 ――戦うんだったら、無様な姿は見せんじゃねえぞ。

 そんな声が、聞こえたような気がした。

 「行こうか、ティオナ」

 「どこにだってついていくよ! シオンと一緒ならね」

 やっと、戻る。

 シオン、ティオナ、ティオネ、ベートという、ひと組のパーティに。

 最初背中に感じた心細さは、どこかに消えて無くなっていた。

 

 

 

 シオンはひたすら前に出る。結局のところこの中で一番インファント・ドラゴンにダメージを与えられるのはシオンだ。ティオネは何故かインファント・ドラゴンの爪と湾短刀で殴りあえているが、武器の性質上、そろそろ折れる。無理はさせられない。

 ――どんどん頼もしくなっていくよ、うちのパーティは!

 「せいや!」

 掛け声を一つ、ティオネの手助けになるようインファント・ドラゴンの腕に剣を叩き込む。小さな傷でも塵が積もれば山となる。何時間かかってもいいから倒しきる。

 ――頑張って。

 そんな、どこか遠くから聞こえた声を背にして決意を固める。

 『グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!??』

 「は――?」

 そう思っていたシオンに、大量の血の雨が降ってきた。

 咄嗟にその場から退避したシオンだが、訳のわからない事態に頭が混乱する。そんなシオンを落ち着かせるように、一陣の風が髪を撫でた。そして風がシオンを包み、剣身に纏われる。

 理由はわからない。だけど、戦える、そう根拠もなく思った。

 「シオン、そいつの注意を引きつけろ! 隙を見てやってやる!」

 どこからかベートの声が聞こえてくる。

 根拠の無さでは自分とどっこいどっこいの言葉だ、それでもシオンの顔に薄い笑みが広がる。

 ――お前ならやってくれるよな、ベート!!

 「ティオナ、おれが適当にコイツの体に斬りつける! お前はおれが斬った場所に大剣を突っ込んで抉れ!」

 「わかった!」

 中々エグいことをしろと言っているのに躊躇なく頷いてくれる。シオンは指示を出すために回避していた動きをやめてインファント・ドラゴンの腹に風の剣で切り込んだ。

 『ガアアァアァ!?』

 悲鳴をあげながら反撃してくるが、痛みで鈍った攻撃など怖がる必要さえない。シオンはインファント・ドラゴンの前足の間から一気に後ろまで駆け抜ける。

 ――速すぎる!?

 風を纏ったシオンの動きは先程の比ではない。自分でも驚くほどに速すぎて、景色を置いていくようだ。

 シオンを追いかけようと回転しようとしたインファント・ドラゴンの腹に、今度はティオナの大剣が突き刺さった。

 そのままグリュ! と捻ってお腹を掻き回す。

 『グギュアアアッ!? ガアアアアッ!! ゴアアアアアアアッ!?』

 ドシンドシンと足を暴れさせるが、その度に大剣が大きく動き、深く、容赦なくグチャグチャと腹を抉る。

 「うわ、容赦な……」

 怒りで染まったティオネを冷静にさせるその所業だが、ティオナの頭にあるのは一つだけ。

 ――シオンの、役に立つ!

 初恋で舞い上がった心が、ティオナから常識(まとも)な思考を奪い取った。

 後ろに回ったシオンはインファント・ドラゴンの後ろ足に狙いを付ける。片方の足は空中に上がった瞬間を狙い突き。痛みでまた暴れるが、それを無視してもう片方の足を適当に斬りつける。

 これで、インファント・ドラゴンは先程の地震を起こす事はまずできなくなった。あの技はインファント・ドラゴンの全体重が後ろ足にかかるため、ここまで傷つければ自重に耐え切れなくなるはず。

 『グウウ……ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!』

 小虫程度の存在に腹を嬲られ、足を傷つけられたインファント・ドラゴンが、自身を巻き込むのを承知で真下に向けてブレスを放つ。

 「それ、実は待ってたのよねえ」

 ニッコリと悪魔の笑みを浮かべて、ティオネはインファント・ドラゴンの『口の中』にナイフを放り込んだ。鱗に覆われた外ならいざ知らず、そうでない喉に突きこまれたナイフに傷つけられたインファント・ドラゴンの口内で、ブレスが爆発する。その間にティオナは大剣を力任せに引っこ抜いて退避する。

 火に大きな耐性を持つインファント・ドラゴンをそれで屠ることはできない。完全に殺すと瞳孔が開ききり怒りに染まった視線が三人に向けられる。

 ――この時をずっと待ってたんだよ、俺はなぁ!!

 声なき絶叫が響き渡り、『迷宮の武器庫』である枯れ木の上からベートが奇襲する。ベートの敏捷値はパーティ随一だ。インファント・ドラゴンでさえ気づく間もなく、彼はその頭へと着地する。

 けれどこのまま突っ立っていては振り落とされる。だからベートは突き刺した。

 その、真っ赤に染まった眼球に。

 『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!?』

 「いくらテメエでも眼球まではどうしようもねえだろうがクソトカゲ!!」

 鱗に覆われていない、剥き出しの目玉。そこに双剣の片割れを刺して視覚を奪う。

 「クソッ、刀身が足りねえ。脳までは無理か……」

 このためだけに、ベートは耐え続けた。ティオネが、シオンが狙われているのに、拳を握り締めて何もせず傍観するのを選んだのだ。

 炎に飲み込まれたシオンとティオナを見たときでさえ、血が噴出するまで爪を突き立てて理性を保ち続けることを。

 待ち続けた甲斐はあった。最初にティオナを助けたとき以外は影も形も見えなかったベートのことを驚異ではないと判断したコイツは油断した。この三人だけが敵だと、警戒を外してしまったのだ。

 「わざわざ俺に『耐える』なんて面倒くせえ事をさせてくれたんだ……テメエも苦しまなきゃフェアじゃねえよなあ!?」

 『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!?』

 「チッ、暴れんじゃねえ!」

 グリグリと捻ってやれば頭を振り回してベートを落とそうとする。更に剣を突き立てて耐えるベートは、必死だからこそ気付かなかった。

 「ベート、そこから下りろ! ぶつかるぞ!」

 「あ――ガッ!?」

 何の事だ、と聞こうとしたときにはもう遅い。頭を振り回していたインファント・ドラゴンはベートの気づかぬ内に壁へ移動し、そこへ頭を叩きつけた。頭の上に乗っていたベートはインファント・ドラゴンの頭と壁の間に叩きつけられ、全身を殴打する。

 「ハッ、そっちがその気ならよお……」

 だが、ベートは死なないし、まして気絶するなどあってはならない。

 『諦めない』と、シオンに言った。意識はある。体だって動く。その上もう一本、自由に動かせる剣があるのだ。

 ニイィ、とベートは意地で笑みを浮かべた。獣を食らう、凶悪な物を。

 インファント・ドラゴンが何かを感じたのか、もう一度ベートを壁に叩きつけようとしたが、

 「遅いんだよ」

 二本目が、無事だった目に叩きつけられた。

 『グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!』

 一つ目とは比ではない程に暴れ狂うインファント・ドラゴン。壁に叩きつけられ、最後の力で刃を突き刺したベートはその勢いのまま放り落とされる。

 ――クソッ、落ちたら痛そうだ。

 妙に冷静な思考でそんな事を思う。死なないならそれでいいかと考えていたベート。

 「たく、世話が焼けるわね!」

 そんな彼を救ったのは、ティオネだった。降ってきた彼を受け止める。それでも勢いは殺せず数度転がるハメになったが、痛みは大分軽減された。

 ティオネに感謝する間もなく、ベートは叫ぶ。

 「やれぇ! シオン、ティオナァ!」

 叫びを受けたシオンは構える。横にいるティオナに笑いかけて、

 「最後だ。首を、落とす」

 「わかった。私はシオンに合わせるよ」

 たったそれだけの言葉を最後に二人は動く。

 風の恩恵を受けたシオンが加速し後ろに回る。そして普通に斬りつけた後ろ足をザン! と切断し、インファント・ドラゴンを倒れさせる。

 『アア、ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?』

 悲痛な叫びだった。

 それでもシオンは動きを止めない。イヤイヤと首を振るインファント・ドラゴンの背中に飛び乗り、その瞬間、ティオナが接近する。

 足音でティオナの位置を察したのか、インファント・ドラゴンが最後の悪あがきで爪を振るう。その軌跡を見ていながら、ティオナは避けようともしない。

 「任せたよ、お姉ちゃん(ティオネ)!」

 「まったく、世話の焼ける妹ね!」

 その爪目掛けて、ティオネは自身の主武装である湾短刀を投げる。投げナイフとは違い大きさのあるそれが指と爪の間に刺さり、ついに爪を剥ぎ取った。

 『~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!??』

 あまりの痛みに悲鳴をあげることさえ許されないインファント・ドラゴンに、ティオナは全身の力を込めて腹に大剣を突き刺した。

 「シオン、今だよ!」

 インファント・ドラゴンが痛みで硬直し、首が止まる。

 「これで、終わりだああああああああああああああああっ!!」

 風の剣が、振り下ろされる。刀身が足りない部分を補うように纏われた風が伸び、ティオナの大剣にも負けぬ物となる。

 『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!??』

 最初に感じた硬い手応えは、もうない。竜の首を両断し、噴射した血を全身に叩きつけられた。地面に着地して残身を取る。

 ドサリと真横にインファント・ドラゴンの頭が落ちてくる。数秒息を吸うように口が上下していたが、やがてそれさえなくなった。

 「勝……った、のか?」

 呆然と呟く。

 数秒、あるいは数分。シオンが感じたのは勝利した歓喜よりも、生き残れたという安堵。剣を手放しその場に座り込む。

 「全員で、生き残れた……生き残ってやった……!」

 ハァァ……と息を吐いたその瞬間、

 「やった、私やったよシオン! あのインファント・ドラゴン相手に勝ったんだよ、たった4人だけで!」

 「うおわ!?」

 武器を投げ満面の笑顔で飛びついてくるティオナに押し倒される。頬擦りしてくる彼女を振り払う訳にもいかず困惑したが、やがて浮かんだのは笑顔だった。

 「ありがと。ティオナのお陰で勝てたよ」

 「あ、なーにそれ。私達は必要なかったってこと?」

 「そんなこと言ってないだろティオネ。お前には一番助けられましたーだ」

 茶化すように言葉をかけて、生き延びれたことを笑い合う。

 しかしそこに水を差すように、回復薬で傷を癒したベートが言った。

 「おい、笑い合ってるとこ悪いがさっさとここから離れるぞ。インファント・ドラゴンが死んだのを察したのかモンスター共が来てやがる」

 「うげっ、マジか……。ほらティオナ、離れろ! モンスターの魔石を回収してさっさとここから逃げるぞ!」

 「はーい、もう、全然落ち着けないんだから」

 「落ち着くのはダンジョンから出てから! ほら行くわよ!」

 ボロボロの体を引きずり無数のモンスターから魔石を回収する。あまりの魔石とドロップアイテムの量に顔を引きつらせながらシオンとベートのバックパックに詰め込み、それでも入らない物は仕方がないからティオナとティオネが持てる分だけ持っていく。

 大量にありすぎたインプの魔石なんかは捨て置いた。持てないのだから仕方がない。

 帰り道、周囲を警戒しながらベートの鼻を使ってモンスターと遭遇しないようにしていると、シオンが言った。

 「それにしても『インファント・ドラゴンの爪』か……どうする。普通に売るか? それとも加工して武器にするか?」

 悩みどころはそれだ。ティオネが湾短刀で剥ぎ取った爪がその場に残り、魔石を取っても消えなかった。恐らくあのインファント・ドラゴンは特に足に魔力が溜まっていたのだろう。だからこそ自分の巨体を支え切るような事ができたのだ。

 そんな爪ならば、高性能な武器になるに違いない。とはいえ売ればかなりの値段になるのも間違いはなく、悩みどころだ。

 「私は武器にしたい」

 「俺も武器だな」

 「ていうかそれ以外に選択肢は無いわね」

 今回文字通り死にかけるほど痛感した。武器が通じない、という恐ろしさを。ならば、かなりの額がかかろうと、自分達の命のためにこのドロップアイテムを使うべきだ。

 「それだと今度は何に使うか、なんだよな」

 正直こういった事は喧嘩の種になるから辛いところだ。誰だって自分の武器を更新したい。いっそフィン辺りに相談しようか、そう思っていると、

 「ティオナじゃねえのか? やっぱ一番火力が出る大剣なんだからよ」

 「ベートもやんなきゃダメなんじゃない? 今回双剣だとほとんど何もできてなかったみたいだしさ」

 「私はまだいいかな。今使ってるより多少マシな湾短刀と投げナイフがあれば戦えるし。二人に使って余ったらシオンの予備武器(スペア)でも作ったらどう?」

 「まあ、シオンが決めろ。俺達は文句言わねえよ」

 当たり前のように、三人は相談していた。それも、自分のためではなく、現状のパーティの戦力を鑑みた上でだ。

 「えっと、お前達はそれでいいのか?」

 「いいも何も、決めるのはテメェだろ。お前が最後倒したんだからな。俺達はおまけだ」

 見つめられて、シオンは悩んだ。けれどそれも一瞬のことで、

 「わかった。ティオナとベートの武器を作ろう。材料の残り次第でおれの予備武器か、ティオネのナイフでも作ろうか」

 「できればシオンの予備武器じゃなくて、主武器を作りたいところだけどね」

 「シオンにゃあの変な風があるんだから十分だろ」

 「って言われても、あの風、おれ自身よくわかってないんだけど」

 「……まあ、そうよね。わかんない力をアテにするのは危険よ。自分達だけで何とかしないと」

 ティオネは何かを気にするようにそう言ったのを、三人は気づいていた。しかし本当に大事なことなら言ってくれると信じてもいた。だから問いかけるようなことはしなかった。

 ダンジョンから戻り、疲れた体を引きずってホームへの道を戻る。途中飲み物を人数分買って、渇きに渇いた喉を潤していく。

 そして飲み終えた彼らは、

 「あ゛ー、なんか生き返る……やばい、頭から冷たい水被りたいんだけど」

 「行儀悪いよシオン。同意するけど」

 「クソッ、飲み足りねえ。さっさと帰るぞ」

 「ああ、団長に会いたい団長に会いたい団長に――」

 なんか色々と追い詰められていた。

 どこか殺気立っている集団に街の人達が引いているのに気づかないまま門を潜ってホームへと帰還する。

 そして彼らを待っていたのか、扉を開けてすぐそこにリヴェリアが立っていた。

 「お帰り。今日はどんな事があったんだ?」

 「「「「死にかけた」」」」

 「そうか、なるほど……何?」

 リヴェリアの声が聞けて、完全に気が抜けた。

 「すまん、先落ちる……」

 「ちょ、シオン!?」

 「寝かせとけ。そいつが一番動いてたんだからな。俺はロキんとこに行って【ステイタス】の更新してくるぜ」

 「私は団長の顔が見れればもう満足……」

 皆が皆、疲れていた。それでも思い思いに足を動かし去っていく。その様子に、話を聞けるのは後だなと判断したリヴェリアが、倒れたシオンを見る。

 「やれやれ、随分と無茶をしたものだ。一体何と戦ったんだ?」

 回答は期待していなかった。シオンの体にある軽度の火傷から、中層にでも潜ったのだろうかとリヴェリアは思ったのだ。

 だから、予想外だった。

 「えっと、インファント・ドラゴンと戦って、殺してきました……」

 「……は?」

 まさか『上層の迷宮の孤王』を撃破したなどと言われるなど。この火傷は、その時の怪我だ。

 「なるほど、そういうことか。全く、苦労をしてほしくないと願えばこうなるか。因果な物だ」

 シオンの頭を撫で、なるべく揺らさないようその小さな頭を膝に乗せる。

 「ティオナ、回復ができる魔法を持つ者を連れてきてくれ。彼の傷を治そう」

 「わかった。すぐに戻ってくるね!」

 その背中を見ながら、リヴェリアの耳に驚声が響いてきた。

 『Lv.2キタァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 シオン達が迷宮に行き始めてから、早九ヶ月。恐らく世界中でもトップクラスの速度。しかもわずか六歳になったばかりの少年少女が、だ。

 「これは、荒れるか?」

 色んな意味でシオン達の将来は波乱万丈だ。それを間近で見ることになるリヴェリアは、どれくらい振り回されるだろう。

 「どれだけ上り詰められるか、見させてくれ。お前達の可能性を」

 それでも若い芽を育てるのは楽しいと、そう思うリヴェリアだった。

 

 

 

 シオン達がインファント・ドラゴンを討伐し、全員が【ランクアップ】をしたと巷で噂になってから三ヶ月という期間が過ぎた。

 フィン達のアドバイスで中層に行くならば『サラマンダー・ウール』を用意しろと言われたシオン達は、未だに中層へ辿りつけていない。

 理由はティオナとベートの武器の更新だ。アレを『発展スキル』持ちの鍛冶屋に頼んだところ、かなりの値段を持って行かれた。借金を覚悟した程である。その代わりに残った材料でシオンの予備武器である短剣を作ってもらえたので、納得はしているが。

 しかし更新する物は他にもある。ティオネの湾短刀と投げナイフに、全員の防具。更にはこれから必要だろうと道具類も充実させていく必要がある。

 そのためにリヴェリアから二つの治療と製薬を作っているところを紹介してもらった。【ディアンケヒト・ファミリア】と【ミアハ・ファミリア】の二つだ。できればもしものために虎の子の道具が欲しかったため、今は手が届かなくとも顔見知りにはなっておきたかった。

 「サラマンダー・ウールが4人分で数十万ヴァリス……無茶をしない範囲でダンジョンに潜らなきゃいけないから、まだ時間がかかるな」

 ハァ、と溜め息を吐き出す。幸いといっていいのか、シオンの武器はガレスがもう使わない剣を放り投げられたため何とかなった。もちろん中層で使える程度の武器ではあるが。

 「日常品にもお金が消えるし、目標金額まで後一ヶ月はかかるかな……」

 シオン達は『冒険者』だ。ただ養ってもらう子供ではない。生活費やらなんやらは自分で稼げとフィン達から言われている。それができるだけの力はあるだろう、と。

 実際シオン達も未だに彼らの時間を取らせて鍛えてもらっているのにこれ以上甘えられない。そのため予想以上に稼ぐのが難航していた。

 ふと露店を眺めて見る。そこにあるのは様々な装飾品(アクセサリー)

 「お、嬢ちゃん見ていくか? 安くしとくぜ」

 「……おれ、男なんですけど」

 「マジか!? はー、綺麗な嬢ちゃんだと思ったんだが、悪いな」

 「ま、いいけどね」

 勘違いされる理由はわかっているので、シオンも強く言わない。

 「代わりに安くしてくれると嬉しいな」

 「げっ、藪蛇だったか……ま、仕方ねえ。サービスしとくぜ」

 ニッコリと告げれば引きつった笑みを返される。それを見てから商品を眺めた。

 指輪(リング)首飾り(ペンダント)、髪留め、腕輪(ブレスレット)御守(アミュレット)、他にも色々ある。ベートは余計な物はいらねえと言って拒否しそうだから、ティオナとティオネの分だけでいいだろう。

 指輪辺りだとティオネが怒りそうだから却下。首飾りと腕輪は、どうなのだろう。あの二人にそれは目立つだろうか。

 決めた。御守と、髪留めにしよう。御守はかつてシオンを救ってくれた神秘の込められた石になぞらえて。これをティオネに渡せば、変な勘違いもしないだろう。髪留めは、髪に頓着しないティオナが主だ。あの子はもうちょっと身嗜みに気をつけた方がいいと思う。

 「はい、これ代金」

 「あいよ、ありがとな坊主。ああそうだ、こいつはおまけだ」

 店主がカラフルな色彩のゴムを渡してくる。

 「その髪留め、そろそろ限界だろ? 買ってくれた礼だ、使ってくれ」

 「ありがと、大切にするね」

 今使っていた髪留めを解き、代わりに貰った物を使う。確かに感触が違う。ニッコリ笑ってもう一度礼を告げて、そこから立ち去る。

 「うーん、さすがに女の子っぽい物過ぎたか……嬢ちゃんにしか見えねえ」

 まあ、いいかと店主は店番へと戻っていった。

 露店から離れたシオンは紙袋に包まれたそれを胸に抱いてホームを目指す。

 「喜んでくれるといいな……」

 それで身に付けてくれたのなら、もっと嬉しい。センスに自信はないから不安もあるが、贈り物をしたいのだから、素直にこの気持ちに従おう。

 そしてやっと北のメインストリートに戻れた時に、ドンッと誰かにぶつかった。

 「あ、ごめん。ちょっとよそみしてたかな」

 ぶつかったのは、自分と同じかちょっと下くらいの女の子。綺麗な金色の髪はどこかくすんでいるようで、もったいない。

 すぐに離れるだろう、そう思っていたシオンだが、どこか様子がおかしい。グイッとシオンの服を掴んで放してくれない。

 「お母、さん……お父さん……! どこに、行っちゃったの……!?」

 顔をあげた少女の焦点は、合っていない。見えていない。よくよく見れば少女の体はやせ細っていて、何日も食べていないのが窺えた。

 紙袋を脇に挟んで、そっと少女を抱きしめる。予想以上に、細かった。

 「お母さんと、同じ……? お母さん、おかー、さん……私を、おいて、いかないで」

 何かを必死に求めるように、彼女はシオンに手を伸ばす。それの姿に、かつて『親がどこにいるのか』と聞いた自分の姿が重なった。

 呆然としたシオンを前に、ついに限界を超えたのか、少女の手から力が失われる。

 それを前にしても、シオンは動くことができなかった。

 内から込み上げてくる何かに、耐えることしかできなかった。

 ――風は、大切な少女を少年へ運んできた。

 風の祝福を受け、新たな力を手にした少年。

 風と共にある、それを纏う少女。

 二つの風は混じり合い、やがて一つの軌跡となる――。




初めての強敵! ということで書いていたら筆が乗ってしまいまして。
21000文字超えちゃいました。いつもの倍です。アホです私。書き終えてから気づいたせいで分割もできないですし。

まぁそれはそれとして、今回はどうだったでしょうか。

インファント・ドラゴンという強敵を相手に一つに纏まったパーティの姿を思い描いてくれたのなら幸いです。シオンが決定打になったのは事実ですが、そこに至るまでに三人が協力したからこそ行けたのだと書きたかったんです。

長くなった一番の理由? ティオナの想いを明確にするためです。子供故に曖昧な感情と勘違いを正して恋する乙女にしたかった。

――要するに自分のためだ(開き直り

暗いところを入れたのは落として上げる戦法。子供は無邪気だからこそ残酷なところもできると知ってるのでそこも取り入れて。

ティオナ好きの方にはちょっと申し訳ないこともしたかな。でも彼女をもっと魅力的に描くためにも必要な事だったと!

ティオナばっかり言ってるとアレなので。実はティオネもスキルを獲得したとわかった方がいらっしゃると嬉しいです。

ただ原作とはちょっとだけ違うスキル。名前考えついていないんですけど、効果は

・仲間が傷つくと効果発生。
・『力』と攻撃力に高補正。
・怒りの丈により効果上昇。

スキル『噴化招乱(バーサーク)』の変化版です。自分を起点ではなく仲間を起点とするスキル。こういうのもアリですかね、ちょっと悩み中です。

まぁ名称はその内。

ベートについては今も昔も変わらない、と。ただちょっとだけデレる時が多くなってきました。うまく変わってる様子が書けてるでしょうか。


最後に、アイズらしき少女がやっと出せました。ただ彼女の幼少期の口調が全くわからないのが問題です。流石に最初からあの独特な話し方な訳ありませんし。

次回は、すいません、2話分書いたので10日後の26日で、時間変えて21時投稿です。

タイトルは『風の娘』、それではノシ


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風の娘

 気づけば随分と時間が経っていたと思う。

 薄汚れた少女は限界を迎えたのか気絶していて、シオンの体に寄りかかったままだ。そんな二人を遠巻きに見つめる視線に気づき、シオンはもう一度腕の中の少女を見つめ、溜め息を吐く。

 ――仕方ない、か。

 紙袋を口に咥え、何度か苦労しつつ少女を背負う。ヘンテコな格好ではあるがこの際少しの恥じを気にしていられない。元々ホームに近い場所だ、この格好もあまり見られる事はないだろう。人一人を背負う事になんだかズッシリとした重みを感じながら道を歩く。好奇の視線に晒されながらホームが見えたときには、なんだか異様に疲れてしまった。

 「おう、お疲れシオン。……その子は、誰だ?」

 「お疲れ様。……拾った?」

 「おいおい、拾ったってなんだ。まあそんな小さな子が何かできるとは思わないが、拾ったというのなら責任は負えよ」

 「わかってる。ちゃんと見てるよ」

 そんな言葉を交わしながら門を開けてもらい、中へ入る。苦労してドアノブを回し、そこから更に階段を上がって自室を目指す。その間にも数人すれ違い、変な目を向けられた。

 「なんか、無駄に疲れたんだけど……」

 何故休日にこんな疲れなきゃならないんだろう、と素朴な疑問に覚えながら、少女をベッドに眠らせる。

 しかしこのまま土埃にしたままでいるのは気が引ける。流石に服を脱がせる事はしなくとも、顔や腕を水で濡らした布で拭くだけでも随分違うはずだ。そう思ってそれを用意し、彼女を起こさないようそっと汚れを拭う。

 「ん……」

 その反応に、何も悪いことはしていないのにドキリとする。それでも続けていると、少女は相当な美貌を持っていると気づく。

 「……あ、れ?」

 けれどシオンが気になったのは、そんな事ではない。

 シオンは、この顔を、知っている。いいや、これとよく似た顔を見たことがある。

 ――どこで、見たんだっけ……。

 そう何度も見た顔ではない。かと言ってすれ違った程度でもない。たった一度だけ。それも、かなり印象に残るくらいの人。

 ――そうか、多分、この子は。

 『アリア』と名乗った女性の、娘なのだ。

 しかし不思議なのは、彼女が必死に親を呼んだことだ。あれではまるで、と嫌な想像を働かせていると、必要なところはもう拭き終わったのに気づく。とりあえず汚れたこれを置いてこよう、そう思って離れようとすると、

 ――くいっ。

 「……?」

 とても小さな、か弱い力で引き止められる。ちょっと力をこめればすぐにでも外せそうなそれをなしているのは、未だ意識の戻らない少女。

 「行か……ない、で……お母、さん」

 「――――――――――」

 無意識でこぼれたそれに絶句する。このまま少女の手を力づくで放すことはできる。しかしそれは何かが違う、そう思ったシオンは汚れた布を畳んで床に置くと、傍に置いてあった椅子を引っ張ってベッドの横に置く。

 「どこにも行かないよ。だから今は、安心して眠っていて」

 「……っ、……すぅ……」

 椅子に座り、少女の手を服から放して、代わりにギュッと手を握る。できるだけ穏やかな声を作って言うと、少女の吐息が安らかなものになった。

 ――二人に贈り物を渡すのは、後になりそうかな。

 一度も会ったことのない女の子にここまで親身になるのはなんでだろう、と考える。だけど、答えは簡単だった。

 見捨てられなかったから。それだけだ。

 そうして彼女の姿を見守り続けて、何分が経っただろう。

 「シオン、何やら妙な報告があったから来てみたが……む、その子は」

 数度ノックして入ってきたリヴェリアが、少女を見る。その顔には疑問よりも、まるで知人を見たかのような色が広がっていた。

 「この子のこと、知ってるの?」

 「……友人の娘だ。何度か会ったこともある。シオンとは顔を合わせた事は無かったはずだ」

 確かに知らない。何となく想像だけはついたが正解とは限らないし、下手な推測は余計な誤解を生むだけなので言うつもりもなかった。

 その辺りの事情は置いて、シオンはリヴェリアに願った。

 「あのさ、この子体を洗ってないみたいだから、リヴェリアに頼んでもいい? 男のおれがやるのは、マズいだろうし」

 「それもそうか。よしわかった、私がやっておこう。その間シオンは」

 「外に出ていてくれ、でしょ? わかってるから大丈夫。終わったら呼んでくれたら――」

 椅子から立ち上がって外に出ようとした瞬間、また何かに引っ張られた。その先を見ると、自分の手を力強く握る少女の手が。

 「嬉し、かったんだけどなぁ……」

 とても、とっても振りほどき辛い。妙な罪悪感が伸し掛ってくる。しかし体を拭くには男の自分は邪魔だ。

 どうしたらいいか、そう悩んでいるとリヴェリアが近づいてきた。

 「先に謝っておこう。すまないなシオン」

 「それはどうい――ガッ!?」

 ガツン! と後頭部を強打される。迷宮都市最強の魔道士であり、近接戦闘はあまりやらないリヴェリアではあるが、別に近距離で戦えないわけではない。相応に鍛えてある【ステイタス】を振るえば人一人気絶させるなど容易いことだった。

 シオンの後頭部を叩いた握り拳を下げる。その手で倒れこむシオンの体を支え、椅子に座り直させてベッドの上に上半身を置く。

 「目を瞑らせて後ろを向かせるのも考えたが、それでは不十分だと思ったのでな。悪いがしばらく寝ていてくれ」

 シオンが聞いたら理不尽すぎると口に出していただろうが、本人は気絶しているため何の口答えもできない。

 一度外に出て清潔な布と水、それから【ファミリア】の子供達が使っている服をいくつか拝借して――サイズが合わない可能性があるからだ――きて、部屋に戻る。

 さてと腕まくりをし、少女の服を脱がす。

 「随分と食べていないらしいな……これは、砂糖水でも用意してくるべきか」

 そう言いつつ軽く少女の体を拭っていく。シオンと手が繋がったままなので多少やりにくくはあったが、手を離させると何かを求めるように忙しくなく体を動かすので仕方がない。全てを終えてもう一度新しい服に着直させた時も苦労した。

 ――さて、この後はどうするか。

 先程部屋を出たとき、シオンが女の子を部屋に連れ込んでいたと話している者達が数人いた。変な噂になる前に沈めるべきと判断したリヴェリアは、ふと少女の乱れた髪を最後に整えてから、部屋を出る。

 「……本当に、ままならないものだ、アリア」

 大まかな事情を知っていたリヴェリアは、どこかへ行ってしまった友に向けてそう言った。

 

 

 

 「お父さん、お母さん、どこ?」

 先が見えない、真っ暗な道。

 そこを小さな声で、震えを隠した気丈な姿で歩いていく。自分がどこにいるのかさえわからないまま、求める姿を探して、痛む足で歩き続けた。

 『アリア、ここにいなさい』

 「お父さん!? どこなの、待ってよ、私を置いていかないで!」

 声のした方へ向けて走る。必死に、泣きそうな顔で、どれだけ追っても影すら見えない父親を探し続ける。

 『ごめんなさい、アリア。あなたを一人にしてしまって』

 「なんでそんなこと言うの、お母さん! ずっと私のところにいて! また、私にお話を聞かせてよ!」

 こぼれ落ちる雫を自覚しながら、手を伸ばす。

 霞すら掴んでくれないその手の儚さに、捉えようのない怒りを覚えた。それがどうしようもない理不尽に対するものだと気づかず、疲労が体に伸し掛って来た。

 『待ってて。私は絶対、あなたのところに戻るから』

 「それじゃ、イヤなの……だから」

 『私』が、迎えに行く。

 帰ってこれないあなたの道標になるために、私があなたの元まで辿り着く。たどり着いて、あなたの手を引っ張りに行くから。

 そうして探し続けて、やっと『風』を見つけた。

 お母さんと同じ風。きっと、お母さんなはずなの。絶対に手放さない。ずっと一緒にいる。だから私を、独りにしないで……――。

 「――あ、れ。私、どうして……それに、ここ、どこ?」

 目覚めて目に入ったのは、自分の家の部屋とは違う、見知らぬ天井。混乱した頭で、けれど手の中に母親のような温もりを感じた。

 「お母さ、ん……じゃ、ない」

 母とよく似た、けれど絶対にお母さんじゃない人が、眠っていた。手を握り締めて、安らかな顔を向けてきている。

 ――看病してくれてた間に、寝ちゃったのかな。

 真相は違うが、少なくとも彼女はそう思った。それを申し訳なく思いつつ、心のどこかで落胆している自分に気づいていた。

 ――そう、だよね。お母さんがあんなところにいるわけないよね。

 内心で溜め息をして、上半身を起こす。周囲を見渡して、剣が置いてあったのを見て反射的に体を震わせる。けれどそのすぐ傍にあった防具やバックパックから、もしかしてこの人は冒険者なのかと思い直す。

 どうしようと思いながら、とりあえずこのずっと繋がったままの手を放そうと腕を引く。

 「……あれ?」

 グイッ、グイッ。

 「……抜けない?」

 どれだけ手を動かしても離れない。相手は寝ているのだから力が入っているはずはなく、つまり原因は少女の側になる。

 「うっ、く、ぅ……!」

 手を横に引いたり、逆に押し出してみたり。

 どれだけ動かしても離れない。むしろ自分の手に力がこめられるとわかってしまう。つまり、無意識の内に離れがたいと思ってしまっているということ。

 ――どうしよう。迷惑かけたくないのに。

 しかし、もう遅い。

 シオンが眠っているのは自分から寝付いたから、ではない。リヴェリアによって強制的に意識を落とされただけだ。その状態で体を動かされれば、

 「う、ん……? あれ、おれ、いつの間に寝たんだっけ……」

 当然、起きる。

 頭を殴られたせいで血が回りきっていないのか、半ばまで閉じた目が少女を捉える。それから数秒、ボーッと少女を見ていたが、

 「起きて、る……起きてる……? 目が覚めたの!?」

 ガバッと身を乗り出して少女に迫る。その勢いに身を竦めた少女を見て冷静さを取り戻したシオンは一言謝って椅子に座りなおす。

 「えっとさ、お互いよくわかってないけど、まず自己紹介からしない? まずおれからね。おれはシオン、呼び捨てでいいよ」

 一応、思うところはある。何故まだ手が繋がったままなのか、とか。そもそも一人きりであんなところにいたのはどうしてなのか、とか。

 けれどその思いを全て押し殺して、シオンはそう言った。

 「私は、アイズ・ヴァレンシュタイン。あの、ちょっと聞きたいんだけど、最近お母さんと会ったりしてない?」

 「お母さん……アリア、って人?」

 「知ってるの!? 教えて、その人は今どこに? 何時会ったの?」

 「お、落ち着いて! ちゃんと教えるから」

 先とは逆にアイズと名乗った少女が身を乗り出す。その勢いに、ベッドから落ちてしまいそうだったので肩を押さえた。

 「悪いんだけど、アリア、さんと会ったのは三ヶ月くらい前だよ。だから、今彼女がどこにいるのか、おれにもわからない」

 「そ、っか。そうだよね。ごめんなさい、変な事聞いて」

 俯き落ち込んでいる少女。それを前に何もできない自分をシオンは呪う。こんな時に何を言えばいいのかなんて知らない。わからない。

 ――でも、何も言わないのは違うよね。

 わからないのなら、聞けばいい。手探りで構わない。失敗を恐れることが、何よりも愚かなのだと教わったのだから。

 「あのさ、どうしてお母さんを探してるんだ? そんなに慌てることでもないだろう。大人なんだし」

 「もう、一週間以上も家に帰ってこないのに?」

 シオンは、この時点で失敗したと悟った。

 「お母さんは『待ってて』って言ったきり、ずっと帰ってこないの。お父さんも、大事な剣を持ってどこかに行っちゃった。もし何かあったら【ファミリア】に行けって、そう言って」

 震える声で、アイズは言う。ギュッとシーツを握り締めて、こぼれそうな涙を堪えて、小さな女の子は耐え続ける。

 「……なんで、おれをお母さんと勘違いしたんだ?」

 「シオンから、感じたの。お母さんと、おんなじ風みたいな……私が、だいずぎな、風……!」

 ポロポロと、シーツに水滴が落ちた。手のひらで何度も顔を拭って、それでも足りなくてシーツに顔を押し付ける。

 シオンはただ困惑するしかない。シオンにとって、泣いている女の子は未知数だった。泣いている女の子を見るのが、これが()()()だったから。

 「あ……え、っと。だ、大丈夫だって!」

 「!?」

 それでも、シオンは必死に声を絞り出した。急に大きな声を出したせいで驚き顔をあげた彼女の顔を見る。

 赤くなった眼と、涙が流れた後の残る頬、悲しみで想うがままに泣いている人間の顔。

 ――泣いた顔なんて、見たく、ない。

 汚いとは、思わない。

 ――アイズの笑顔が、見たいんだっ!

 「きっと生きてる。戻れない状況になってるだけで、絶対に生きてるから!」

 「っ、勝手なこと言わないでよ! 必死に探したんだよ? ずっと、ずっと――迷宮都市(オラリオ)を走ったのにっ、どこにもいないの! お母さんが!」

 根拠のない言葉では意味がない。

 ――考えろ、考えなきゃ! 説得力があって、相手が納得できる説明を、根拠を!

 感情のまま叫んでは、相手も意固地になるだけだ。実を作れ、それを相手に見せろ。希望を見せるための果実を生み出せ。

 「じゃあ、なんでアイズは迷宮都市でおれを見つけた? しかもお母さんと勘違いしてだ! 年齢も身長も、それどころか性別も違う! そんな相手を、どうして母と勘違いしたんだ?」

 「それ、は」

 少しだけ、悩んでくれた。それでいい。後は、そこから突き崩す。

 「三か月前、おれはアイズのお母さんと出会った。その時にあの人から不思議な風を感じて、そう聞いた。その時に彼女から『祝福』っていう、よくわからないものをもらったんだ」

 「だから、何? その『祝福』がお母さんが生きてる理由になるの?」

 「考えてみて。その人から授かった『祝福』は、その人が死んだ後にも続くの? 『神の恩恵』でさえ、神が天に送還されたら無くなっちゃうのに?」

 ハッとアイズが顔をあげる。

 正確にはその神が送還されると『神の恩恵』は機能を停止するだけだが、一時的とはいえ『無くなる』のは間違いない。

 そしてシオンは未だにアイズが母の風と勘違いする程の『祝福』を身にまとっている。それが示すのは、

 「お母さんは、まだ生きてる……?」

 「わからない。でも、可能性はある」

 嘘は言えない。しかし、死んでしまったと言い切る事はできない。アイズの母が、一体何を思って、どこに行ったのかもわからない状況で、こんな事を言うのはダメかもしれない。少女を騙している罪悪感さえ持ったほどだ。

 「生きてる……お母さんは、生きてるんだ……!」

 それでもシオンは、その罪を被ろう。

 泣きそうな顔で、それでも小さな笑みを浮かべている少女のために。男とは、きっとそういう生き物なのだから。

 「おれも、手伝うよ」

 「え?」

 「できることは限られてるけど、アイズのお母さんを一緒に探す。だからさ、アイズも頑張ってみようよ」

 驚くことにまだ繋がったままの手を解く。無意識かそれに寂しそうな手を浮かべていた彼女に向けて、手を差し伸べた。

 「探しに行こう、アイズのお母さんを。だから、立って、前に向かって歩き出そう」

 呆然と見上げてきた少女は、一度俯き、顔を上げると、

 「お願い、シオンの力を、私に貸して!」

 力強く、シオンの手を取った。

 「これは、決まったか?」

 「いいんじゃないかな。僕は気にしないよ」

 「ふん、いつの間にか『男』になりおって。カッコいいではないか」

 その光景を、少しだけ扉を開けて見ていた三人がいた。

 Lv.6の【ステイタス】を存分に発揮し、無駄に気配を隠して覗いていたのだ。本当に無駄でしかない。

 リヴェリアは真剣に、フィンはやれやれと、ガレスはニヤニヤ笑っていた。

 その間にも二人は楽しげに会話している。

 「ところで、アイズの両親が言ってた【ファミリア】ってどこなんだ?」

 「シオンは知ってるだろうけど、【ロキ・ファミリア】ってところ。ずっと前から二人と一緒に遊びに来たことがあるんだ」

 「それ本当なのか? ってことはおれがいない間に来てたってことなのかな」

 「どういうこと? その言い方だと、シオンはもしかして」

 「一応【ロキ・ファミリア】に居候させてもらってるんだ。ダンジョンにも行ってるんだよ」

 「本当!? 凄い偶然だね。それに、私と同じくらいでもうダンジョンに行ってるんだ……凄いなあ」

 「仲間に助けてもらってるだけだよ。おれ一人じゃ無理だった――」

 屈託なく笑う少女に、少年は嬉しそうに話しかける。それはきっと、とても尊いものだ。しかし三人は知っている。

 二人の後ろにあるものは、それを奪う、重いものがあるのだと。

 「私達で、背負うことはできるだろうか?」

 「無理じゃ。支えることはできても、背負うことはできん。儂等にできることは、重い荷物を少しでも軽くすることだけじゃろうて」

 「逆に言えば、それくらいはできるわけだ。何もできずに歯噛みするよりは、大分マシとは思わないかい」

 その言葉に、リヴェリアは頷いた。

 「道理だな。アリア、私達はあの娘に幸せを感じさせることはできるだろうか……」

 リヴェリアは、決してあげるとは言わない。それは自分の勝手な思い込みにすぎないからだ。上から目線で渡したものは自己満足で留まる。

 その人自身がそう感じなければ、真に報いる事はできない。

 そして数分後、ぐぅう……とお腹を鳴らしたアイズに苦笑し、真っ赤になって叫んでいる彼女を背にシオンが部屋から出ていったのを影から見送り、リヴェリアは部屋に入る。

 「久しぶりだな、アイズ。積もる話はあるだろうが、一つ聞きたい」

 タイミング良く現れたリヴェリアに驚いていたアイズだったが、リヴェリアの視線に佇まいを変えて受け止める。

 その姿から、やはりアイズは親から良い教育を受けていたとわかる。

 ――我々がいなくとも、アリアがいればよかったんだ。

 そんな思いを押し殺し、問いかけた。

 「現状一人になったお前に行くアテはないだろう。どこに厄介になるつもりだ?」

 「それは、その」

 こう聞けば、心優しい少女のことだ。言葉を濁すとはわかっていた。迷惑をかけられないと、我が儘を言えないことは。

 「もしよければ、私が君の保護者になるが、どうする。お前の人生だ、自分で決めて欲しい」

 だからこそ、リヴェリアから言う。

 それはかつて友と約束したこと。

 『もし私があの子の傍から消えてしまったら、あなたが傍にいてほしいの』

 無理だったら断ってもいい、そんな態度を取られて、リヴェリアが断れるわけもない。友人の娘を放り捨てることなど、できるはずがなかった。

 「私は、でも」

 思い悩む少女に、ふむ、とリヴェリアは考え、

 「ここにいれば、いつでもシオンに会えるが――」

 「あ、う……うう~~~~~」

 遂に頭を抱えた少女にニッコリ笑って、

 「ここから出るのであれば、シオンに会える機会は減るだろうな」

 「……お願い、します……」

 少女の心を、へし折った。涙目となる少女にどこか満足気味に頷いたリヴェリアは、彼女の手を掴むと、

 「それでは行くとしようか」

 「ど、どこに? 待って、今シオンがご飯持ってきてくれてるから、せめて出て行くって言わないと」

 「問題ない、そのくらい私がどうにかしよう」

 「どうにかならないと思うんだけど――!?」

 リヴェリアに引きずられ、アイズは無理矢理部屋の外へ連れ出された。

 「お待たせアイズ、好きな物とかわからなかったから適当に持ってきたけど――あれ?」

 そして、遅れて戻ってきた少年は、

 「き、消えた?」

 一人ポツンと、部屋の前で呆然と立っていた。

 

 

 

 ――どうしよう。

 無理矢理連れて出されたアイズだが、今はちゃんと自分の足で歩いている。年に数度程度とはいえリヴェリア達と会って話しているし、お母さんが信じている相手な事も相まって、見知らぬ相手に呼び起こされる警戒心は存在しない。

 それでも必死に自分を励ましてくれた男の子をほったらかしにして来たのはいけないと幼心に思っていた。わざわざ食事を持ってきてくれてるだろうに、勝手にいなくなってしまっては迷惑がかかると。

 「ねえリヴェリア、やっぱり一度部屋に戻ってシオンに言わないとダメだよ」

 「いいんだ。お前は気にしなくてもいい。後からちゃんと理由を伝えれば、シオンは納得するからな」

 ……これだ。妙にシオンに対して理解を示している態度を取るリヴェリアは、アイズの意見を聞いてくれない。

 どちらに対してムカムカとした思いを感じているのか、自分でもわからないままアイズは一つの部屋に連れてこられる。

 数度ノックし、リヴェリアは部屋に入った。

 「新しい入団希望者だ。『神の恩恵』を与えてやってくれ、ロキ」

 「ん? ほうほう、珍しく推薦者か。それも今度はリヴェリアが。なんや、だったら次はガレスが連れて来るんかいな」

 「私は遊びに来たのではない。速くしてくれ」

 「りょーかいりょーかい。そんな怒らんでもいいやんか」

 ぶーたれながらロキは針を取り出す。一体何のことかと聞いていたアイズは、相手が神であるのだと本能で悟り、そしてこれから受ける事を理解した。

 「私、『神の恩恵』を授かるの?」

 「そうだ。迷宮都市に母親はいなかったのだろう? ならば、もうこの都市で探索されていない場所はほぼ一つしかない」

 「……ダンジョン」

 小さく呟かれた言葉に、一体どれだけの感情がこめられていたのか、アイズではないリヴェリアにはわからない。

 それでもわかるのは、アイズは強くならなければならない、ということだけだ。

 「必ずしもそこにいるとは限らない。だが、強くなって損はない。迷宮都市の外であろうと、力が無ければ行けない場所は多いのだからな」

 「まあ、せやな。でも別に強制しとるわけやない。受ける受けないは自分で決め。うちら神はあくまで『与える』だけや。掴むかどうかは、子供達の自由」

 アイズは、悩んだ。強くなるには時間がいる。それは幼い自分でもわかる。しかしその回り道が結果的に速くお母さんを見つけられるかもしれない。

 悩んで、そして、

 ――探しに行こう、アイズのお母さんを。

 少年の声を、思い出した。

 ――だから、立って、前に向かって歩き出そう。

 希望に縋って迷宮都市を探そうとは、一言も言わなかった。きっと、わかっていたのだ。シオンは最初から、両親がいるとしたら、ダンジョンにいると理解してた。

 先にダンジョンに潜っている先達。だから手伝うと、そう言ってくれた。自分の時間を削る行為だとわかっていて。

 「お願い、します。私に『神の恩恵』を授けてください!」

 がばっと頭を下げて頼み込む。それを口元を緩めながら見たリヴェリアはロキに言う。

 「人の【ステイタス】を覗き見るのはマナー違反だ。私は外へ出させてもらおう」

 「はいな。それじゃ、服脱いでな。『恩恵』を刻めるのは背中だけなんよ」

 「わ、わかりました」

 そう言ってロキに近づきながら服を脱ごうとすると、

 「ん? ……そういえばこの子、随分と」

 「わ、私が何か?」

 糸目を更に細めたロキがアイズの顔をマジマジと見る。

 「自分、名前は?」

 「アイズ・ヴァレンシュタイン……ですけど」

 「ふむ、なるほど。――アイズたん確保おおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」

 「え、ええええええええええええええええええええええええええええ!?」

 手を引かれた次は全身を引っ張られたアイズ。そのままロキはアイズを抱えるとそのスベスベの頬に頬擦りをしかける。

 「おうおう、なんやこの感触サイコー! このぷにぷに感、クセになるわぁ!」

 「や、やめ、放して……! い、いやああああああああああああああああああああああ!??」

 そして散々体をこねくり回されたアイズは思った。

 ――私、ちょっと早まったかも……お父さん、お母さん、ごめんなさい。アイズは汚されちゃいました……。

 そんな現実逃避の後。

 アイズの背に、滑稽な笑みを浮かべる道化のエンブレムが刻まれた。

 

 

 

 「結局、アイズはいなくなった、か」

 アイズという少女を背負い、言葉を交わしてから数日が経った。その間一度としてアイズと出会ったことはなく、どこかに行ってしまったらしい。

 その事に寂しさを感じつつ、それでもあの子が笑っていてくれればいいと、そう思う。泣いてる顔を見るのは、嫌いだ。

 ()()()()()()()()()()を思い返すから、だろうか。

 ――切り替えよう。手伝うと約束したんだ。その時にいつでも手伝いに行けるよう、もっと強くなるんだ。

 今日はリヴェリアから新しい課題を出される日だ。日毎に増していく内容に辟易としつつ、それが役立っているため何とも言えないシオン。

 ――特にダンジョンで出てくるモンスターの情報をレポートに纏めてこいっていう課題が一番役に立ってるし、本当リヴェリアは無駄なことをしないよなぁ。

 そして、シオンは新しい課題を出される事となる。

 「今日からこの娘の指導をしろ。お前なりに考えて、強くするんだ」

 「迷惑をかけるかもしれないけど、よろしく、お願いします!」

 それは、一人の女の子を強くすること。

 「いなくなったんじゃ、なかったのか……?」

 「皆が『驚かせたいからシオンには姿を見せるな』って言ってきたから」

 なんだそれ、と思いながら、泣きたいくらい嬉しく思う自分がいるのに気づいた。

 「お前はいいのか? おれ、誰かを指導したことなんてないぞ」

 「いいの。だって、シオンは『手伝う』って言ってくれたから。私はシオンを信じる」

 「それは、責任重大だな」

 笑ってくれる少女に、シオンは強張った笑顔で返す。

 「――これからよろしく、アイズ」

 「うん。頼らせてね、シオン!」

 風のように澄んだ笑顔は、ちょっとだけ眩しすぎた。




まず感謝と謝辞を。

なんと、拙作が日間ランキングで1位になれました! それもこれも応援して下さる皆様方のお陰です、本当頭が上がりません。
その上お気に入り登録1000件突破です! 最初は描きたい事を書いて、それを少しでも読んでくれる方がいればいいな、と思っていました。
評価に一喜一憂し、感想に歓喜しながら返信させていただいておりますが、やはり嬉しいものですね。

前回ラストの次回タイトルは『お日様の笑顔』でしたが、途中でよく考えたらこっちの方がいいかなとタイトル変えてしまいました。こちらのアイズはまだ子供っぽいのでアリかなと思ったんですが、あっちの方だとやっぱりティオナの方が似合うと思い直しましたので。結構悩んじゃいました。

今回やっとアイズ加入です。です、が……誰だこの子(真顔
自分で書いといてどうしてこうなった感。でもあの話し方できるわけがないし――と色々悟った結果普通の女の子の話し方にしておいて、後々変えていこうかなと。いっそこの線もありだろうか……。

後はアイズとの関係性が二つの方向に行く可能性の提示。色々な小説を読んできただろう読者様なら大体わかってくれる、はず!(投げ槍

次回も引き続きアイズとの関わり――と考えていましたが、急遽変更。
なんか感想見てたら急にティオナ書きたくなったので書いちゃいました! 色々考えてたプロットに無かった部分だぜイェイ!
何だよこの感想欄から見えるティオナ一押しの応援声援(ラブコール)は。私の手が勝手に動いてしまったじゃないか。いいぞもっとやれ。感想で要望あれば書いちゃうかもね!?

さあ喜べティオナファンの諸君。次は可憐なティオナを文章から想像できるぞ!


……プレッシャー自分にかけていくスタイル……。


次回は学生の至福の夏休みの最後、8月31日21時投稿です。

タイトルは『ティオナは乙女』です。恋する女の子は、やっぱり魅力的ですよね?


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ティオナは乙女

初めに言います。
全部ティオナは前回からの展開的に無理だったと。


 リヴェリアから課題を出された次の日、シオンはダンジョンに潜っていた。リヴェリアが言うにはすぐに指導の内容が思いつかないだろうから、三日で考えてこい、とのこと。それには納得できたので、ダンジョンに潜って考え中、というわけだ。

 「それに俺を巻き込んでんじゃねえよ……一人で来い」

 「いいだろう、別に。どうせお前だって暇なクセに」

 そしてシオンの隣には、悪態をつく狼人がいた。ティオナとティオネの姉妹は見つけられなかったので素直に諦めたため、今シオンとベートの二人だけだ。

 二人がいるのは7階層。本当ならもっと深い階層でも問題はないが、普段4人で行っている状態で同じところまで行けば危険だからと自重している。強くなりたいとは思うが、死んでしまっては意味がないのだ。

 そんな二人のすぐ傍の壁が蠢き出す。

 「モンスターだ、やるぞ」

 「言われるまでもねえ」

 ドン! という音と共に壁から鋭利な爪が生える。その場所を起点にビキビキと亀裂が走り、そしてモンスターがその姿を現す。

 身の丈は一六〇Cと、全体的に見ればそこまでデカくはない。二椀二足のシルエットは迷宮で見た限り最も人間に近い形をしているが、その名の通り全身が黒一色に染まっている。しかしその体には毛や皮膚は存在せず、まさしく異形そのものだ。

 違うのは顔にあたる部分にのみ存在する、真円の手鏡のようなパーツ。

 『影』、としか形容できないその存在は、『ウォーシャドウ』と言った。

 「ホント、昔は苦労させられたよ」

 「喋ってる暇あんなら手ぇ動かせ!」

 「はいはい、わかってるって」

 壁から現れたウォーシャドウを切っ掛けに、どんどん前から後ろから、新たに壁からとモンスターが増えていく。

 「おれは前、お前は後ろをやれ」

 「わぁったよ」

 けれど、二人の顔に恐れはない。

 そして二人は動き出す。

 ウォーシャドウは新米の冒険者では勝てないモンスターの筆頭だ。

 その理由は、異様に長い両腕。そこから先についた鋭い切っ先を宿す『(ナイフ)』をもってして獲物(ぼうけんしゃ)を刈り取る。更にその速度。ゴブリンやコボルトに戦い慣れた冒険者にとって、ウォーシャドウの移動速度に虚を突かれる事が多い。

 圧倒的な間合い(リーチ)、それを活かす速度に翻弄され、何もできないままに殺されるのだ。

 ――とはいえそれは、一般的な冒険者の話。

 「ふっ!」

 気合一閃、ウォーシャドウの腕を切り落として、返す刀でもう片方の手首を切り裂く。武器を失い途方に暮れたウォーシャドウの腕を掴むと、

 「それ、人工物の武器だ! いい鈍器だろ!?」

 ここより下にある枯れ木の棍棒のように、力任せに振り回した。当たり前のように自分の身の丈より大きな物を振り回し、容赦なくモンスターを殲滅する。

 「……性格変わってきてねえか、アイツ」

 そう呟きながら、バカゾネス(ティオナとティオネ)に染まってきてると思いつつ双剣を振るう。シオンのような動きはしない。一撃で魔石(じゃくてん)を貫き殺す。今は二人だけなのだ、魔石を集めていては重さで動けなくなってしまう。

 一撃離脱、戦いの流れを変える遊撃手。それがベートの役目。

 「俺の【経験値】になりやがれ、雑魚共がぁ!!」

 そのために、強くなる。

 それがベートの誓いだった。

 ――インファント・ドラゴンの時のクソみてぇな思いは、二度とゴメンだ。

 だからこそ努力する。

 「さぁ、行くぜぇ!?」

 【ランクアップ】した恩恵を全力で利用し、ベートは駆け出す。

 モンスターが全滅したのは、程なくだった。

 ダンジョンからの帰り道、ドロップアイテムのみ回収したためそこそこの重みを肩に感じながら歩いていく。

 「結局何すればいいのか考えつかなかった……」

 「そもそもダンジョンでするような事じゃねえだろ。アホか」

 「体動かせば少しはマシになるかと思ったんだよ。頭ほぐすために来ただけだ」

 「意味分かんねえ。ったく」

 小さく溜め息を吐いて、しかしベートはニヤリと笑みを浮かべた。

 「だがまあ、テメェにはちょうどいいのかもな。死に急ぎ野郎をつなぎ止めるんならお守りはいいお荷物になるだろ」

 「おい待てなんだ死に急ぎ野郎ってのは。勝手に決め付けるな」

 「ハッ、インファント・ドラゴンで死にかけたのはどこのどいつだ。自分の命投げ捨てるような真似されたって迷惑なんだよ」

 「それは……」

 実のところ、あの時シオンが取った行動を、誰も口にしてはいなかった。

 リーダーとしてパーティメンバーの命を助けるのは当然のことだとシオンは思っていたし、もしかしたらそれで救われたかもしれないと考えている姉妹も、気まずさから何も言えず。

 しかしベートだけは、憎まれ役を買って出るのを厭わない。

 「迷惑なんだよ。勝手に助けられて、勝手に死なれるのは。んなことするなら見捨てられる方がまだマシだ。……テメェのせいで押し付けられた罪悪感を背負い続けるなんて、ゴメンだぜ」

 「……。それでもきっと、同じことが起きたら、おれはまた同じことをする。だって、三人には死んで欲しくないんだ。もちろん、おれだって死ぬつもりはないぞ? もしもの時に、どうしようもなかったらそうするだけだ」

 「チッ、そうかよ。なら精々そんな状況に陥らないよう指示出しやがれ」

 シオンはそうおどけて言う。

 そうそう意識改革はできないか、とベートは思った。どうにもシオンはベート達よりも一つ下に自分を置く。恐らくベートの知らない過去が原因だろう。

 「……テメェの思った通りに指導すりゃいいだろう」

 「え?」

 「テメェが覚えてることは何だ? 『シオン』って人間が、他人に自信を持って『これだ』と言い切れるような物は何だ? それを教えてやりゃいいんだよ」

 なんで俺がこんな事を……と愚痴を吐くベートの横顔を眺める。

 「そっか……そうだよ、簡単な事だった。ありがとなベート! やっぱり頼りになるぅ」

 「煽てるな。もうちょっと冷静になれば自分で気づけただろうが」

 「それとこれとは話が別ってね。おれが感謝したいってだけさ」

 悩みが無くなり吹っ切れた笑顔でベートを見ても、鼻を鳴らして顔を逸らされた。なんだかんだで助けてくれるベートは本当に損をしている。素直になればいいのにとも思ったが、素直になったベートはそれはそれで気持ち悪い。

 憎まれ口を叩くからこそベートなのだと、この悪友の在り方を再認識した一日だった。

 

 

 

 一方その頃、フィンはロキに相談を受けていた。

 「どうする、どないすればいいんや……! 一気に上がるなんて聞いてないで!? 『神会(デナトゥス)』に手回しするのもキッツイわ……! ああ、アイズたんという癒しが欲しい……」

 呆れた事に前回アイズをこねくり回したせいか味を占めたらしい。この三ヶ月というもの、4人の子供達に『比較的マシな』二つ名を付けるために頭を捻っていたのたが、どうにもいい案が出なくてストレスマッハになったせいか。

 これで子供大好きなロキは、アイズが怯える程に抱きしめ尽くしたのだ。冷静に戻ってからは落ち込んで反省していたので、今は大丈夫――と、思いたい。

 呆れたフィンが頬を引きつらせながら言った。

 「僕の時はなんとかなったけどね。あの時は無茶を聞いてくれてありがとう」

 実はフィンの『勇者』という大仰な称号、この主神とかつて交わした約定により『それっぽい』二つ名を付けてもらったのだ。

 つまりある程度の口の上手さとそれに賛同してくれるだけの神物をある程度用意すれば、ノリと勢いで構成されているバカ神は勝手にオーケーを出してくれる。他にも手っ取り早い方法として神会に参加する神に金を渡して買収、いわゆる賄賂で二つ名を買うこと。

 ただしこれには結構な、というか法外な金を要求されるので、辛いところがある。できなくはないのだけれど。

 が、それはあくまで一人なら、という話。いくらなんでも4人の二つ名を神々を買収して無理矢理賛同させる、あるいはロキが口車に乗せる、というには無理がある。つまりロキが庇えるのは最低で1人のみ。良くて2人だ。

 「でもまぁ、シオン達はあんまり気にしないと思うよ? 【ランクアップ】したときも、二つ名とかどうでもいいって言ってたし」

 「そこだけが救いや。そもそも子供等には早すぎてわかってないみたいやし、大丈夫だとは思うんやけどなぁ」

 頭を抱えるロキに苦笑いを返す。

 ここ最近――というか、前回の神会から向こう、間近に迫った期限に悩み続けているロキ。本当に酷い物になると一体何を示しているのかさえわからない物になるため、その子を持った【ファミリア】の主神はせめて無難な二つ名を付けようと躍起になる。

 「うう、なんで神会は三ヶ月毎なんや。もっと間を開けてもバチは当たらんやろ!?」

 「そもそも神に罰を与えられる存在はいるのかな」

 もっともなツッコミだが、ロキには関係ない。

 「ほんま、どないすればええんや……」

 ついに頭を抱えてしまったロキに、フィンは表情を変えると姿勢を正す。数週間前ならまだ茶化してもいられたが、本気で悩んでいる彼女を追い詰めるような真似はできない。

 「……ロキ、これはあくまで僕の要望だが」

 だからフィンは、己の心情を吐露した。

 「できればシオンには、――という二つ名を与えたい」

 その言葉に、ロキの動きが止まった。そしてフィンの顔をまじまじと見つめる。けれどフィンの顔に変化はなく、本気なのだとロキは理解した。

 「……普通なら、まず無理や。そもそもそれは」

 「そうだね、誰にも渡したくはない名だ」

 「――本気なんやな? それを誰かに継がせる事の意味も、全部理解して?」

 「ああ、よくわかっている。だがシオンならば――そう思わせてくれるんだ。近い将来、僕は本格的に『もう一つの使命』を遂行しなければならなくなる。それを成す為にも、必要なんだ」

 聴き終えたロキはしばらく吟味するように目を閉じる。

 恐らく、参加する神々はほぼ確実に賛同する。面白そうだ、という単純な、アホらしい理由で。だから名付ける事自体は簡単だ。

 問題は、その先だった。

 「だけどな、フィン。()()を外部に宣伝する意味、ようわかっとるんか?」

 「それも込みだ。考えられる可能性は、あの二人と話し合っている。その上で頼んでるんだ」

 「っ、シオンの同意は? 勝手に面倒に巻き込まれるあの子の想いはどないするんや」

 苦渋に歪んだロキの顔を見て、フィンは言う。

 「――絶対にシオンは受け入れる。『英雄になる』と心に刻み込んでいるあの子は、例え名前だけでも名乗れるのなら、全ての危険(リスク)に目を瞑るよ」

 その目は、ロキを見ていない。

 メリットとデメリット。それを天秤にかけ【ファミリア】の先を考える、団長としての姿。彼が見据えるのは、遥かな未来だ。その為になら利用しよう、使ってみせよう。

 シオンという人間の、純粋な想いさえ。

 「――僕達の間に交わした『約束』を、忘れないで欲しい」

 それでも渋るロキに、ついに虎の子の言葉さえ持ち出す。悩みに悩んだロキは、ついに諦める様に溜め息を吐き出し、

 「……わかったわ。シオンの二つ名はそれに、決まりや」

 納得のいっていない表情と声で、そう言った。

 たった一人の小さな子供に押し付けられる重圧に、重苦しい溜め息を吐きながら。

 

 

 

 フィンとロキが不穏な会話をしている事など露知らず、ダンジョンから戻ったシオンは自室に戻っていた。

 ベッドに座り、テーブルの上に置いてあった物を睨みつける。

 「……渡すタイミング、完全に無くした」

 二人に贈ろうと用意した装飾品。帰りにアイズとぶつかり、そして失神した彼女をホームに連れてくることになったため、機会を逸していた。

 「どうしよっかなぁ。このまま持ってても仕方がないし。かと言ってどうやって渡せばいいんだろう」

 あの時はテンションが上がっていて思いつかなかったが、冷静になると恥ずかしい。ゴロゴロとベッドの上を転がり悩むこと数分。

 「……普通に渡せば、いいかな」

 結局無難な選択に落ち着いた。

 部屋の外に出てホームを歩き回る。今は午後を少し回ったくらいの微妙な時間だ。ティオナとティオネの二人が外に行っている可能性もあるので、そうなったら夜に渡せばいいだろう。

 無駄に歩き回るのも嫌なので、一度門にまで移動する。

 「あのさ、ちょっと聞きたいんだけど、ティオナとティオネ、どこに行ったか知らない?」

 「アマゾネスの姉妹の事か? それなら足りなくなった投げナイフを補充しに行くと言っていたが……妹の方は暇だから付き添いらしい。別れているかもしれんぞ」

 「そっか、ありがと! おれは二人を追っていったって事で。陽が沈む前には戻るよ!」

 「おう、気をつけて行ってきな」

 情報をくれた門番に言伝のような物を言い、迷宮都市を走る。北のメインストリートに出て、そこから一気に走り抜ける。

 「多分、二人がいるならあそこかな、と!」

 ついでに鍛錬だ、と言わんばかりに全速力を出し、行き交う人々の間を行く。まだ小さいシオンはあまり目立つ事はない。こちらが気をつければ驚かれることなく走れた。

 シオンが目指すのは都市の象徴にして中央。

 白亜の塔『バベル』、多分そこに姉妹がいる。

 走り続けて数分、バベルの存在する中央地区(セントラルパーク)に辿り着く。全力で走り続けたためか周囲の人から注目を集めていたため端っこへ移動。

 この中央地区はバベルをぐるっと囲むような円形になっている。各所に緑木や噴水が存在しており、公園という表現もできる。だがここに来たら、決してそんな言い方はできないだろう。

 その理由はここにいる彼ら冒険者の存在。剣や槍などを携えた彼らは途切れる事なくバベルを目指して歩いていく。目も眩むような数が存在するというのに、この中央地区が飽和する様子は微塵も無かった。

 彼らに倣いシオンもバベルを目指し歩き出す。大人、あるいは青年程度の人が多い中でシオン程度の背丈は珍しかったが、どうやら小人族とでも思われていたのか、そこまで視線は集まらなかった。

 バベルの入口は少々特殊で、東西南北から来る冒険者に配慮して台形の門が一階部分にぐるりと張り巡らされている。これなら大勢の人間が同時に行き交う事が可能だ。門を潜ると白と薄い青を基調にした大広間が目に入る。ここがバベルの玄関のようなところだ。

 本来ならここから地下へ行きダンジョンへ潜るが、今日の目的はそこじゃない。バベルの塔はその高さの通り多くの広間があり、各階層は様々な用途に利用されている。そのため主要な施設は二階から。三階には一応存在する換金所があったが、フィンの指令によって未だ一度として利用したことはない。そろそろ許可を貰いたいところだ。

 実はバベルの塔に存在する階段は多くない。三階から上に行くには、ある装置を利用する。広間の中心へ行き、いくつかある円形の台座へ行く。硝子とはまた別種の透明な壁が取り付けられていて、グラスのようだ。

 中にある装置に触り、階層を指定。する寸前で、少し悩む。

 ――二人がいるのは、八階かな。でも見るだけなら四階にいる可能性も……。

 驚くべき事に、四階から八階まである店全て【ヘファイストス・ファミリア】の出している物なのだ。そして四階はまず自分達では手が出せない武具。逆に八階にあるのは、【ヘファイストス・ファミリア】の見習い鍛冶師達が作ったもので、自分達でも買える物が置いてある。

 ――八階に行くか。運が良ければ何かいい物が見つかるかもだし。

 七階にある物は少々お高い。Lv.2になったばかりの自分には早かった。階を選び、押す。少しの時間の後、台座が地面から離れて、上へと昇り始めた。

 これもダンジョンから持ち帰った魔石の恩恵の一つ。どういう原理なのかは不明だが、石から生じる魔力を浮力に転換しているらしい。もちろん魔石の持つ魔力にも限度があるので、定期的に入れ替える必要性はあるが。

 しばし待機。この奇妙な浮遊感に違和感を覚えつつ、自分で登るよりは大分マシだと割り切るしかない。この塔の最上階までまともに登るとなると、何時間かかることやら。

 遂に八階に辿り着く。やはりというべきか、人は多い。武具は自分の命を預ける相棒のような物なのだから、厳選は大事だ。さもありなん。

 開いている店の中を適当に見て歩く。姉妹を探すのが主だが、ちゃんと商品を見ていくのだって忘れない。

 三ヶ月前――【ランクアップ】を果たした直後は、多くの鍛冶師と会った。良くも悪くも子供というのが響いて有名になりすぎたせいか、顔合わせだけでも、と言われたのだ。

 シオンは世間を知らない。一分でも速く強くなりたいと願い、それにフィン達が応えた結果、知識担当のリヴェリアからは最低限の常識と知識以外、ほぼ全てダンジョンの事を中心にして叩き込まれた。その反動か、『その周辺』にまつわる事は何もわかっていなかった。

 Lv.2になった冒険者はLv.1とは違う。本当の意味で『一歩』を踏み出せた彼らはいつか大成してくれるかもしれない。そんな彼らの武具を作れれば自ずと有名になれる。

 言ってしまえば広告塔。しかし鍛冶師にとっては重要なことだ。

 例え相手が子供でも関係はない。いいや、むしろ子供だからこそ『自分と』という人間は多かった。わずか六歳という人間が【ランクアップ】した事実は、それだけ迷宮都市に響いていたのだ。その恩恵に預かりたかったのだろう。

 しかし、シオンは誰一人として直接契約をしなかった。

 直接契約とは通常の物より強固な物で、冒険者が素材を直接鍛冶師に持っていき、持ってこられた鍛冶師はそれを使って冒険者の武具を作り、格安で渡す。

 ギブアンドテイク。お互いの助け合い。

 けれど何よりも――鍛冶師が特定の誰かのために作った武具は、他にない威力を発揮する。

 それを知っていて契約しなかったのは、理由があった。

 ――見つけた。

 槍を主に扱っている店。その中でも一際目立つ場所に置かれた、一本の槍。

 他の何色も存在しない真紅の槍。ただ一色のみのそれはまるで血を求めているかのようだ。

 値段は――十二七〇〇〇ヴァリス。

 やはり高い。この階に置いてある物の中でも抜きん出て。それだけの目玉商品でもあるというわけだが、結構前に見かけたのにも関わらず置かれたままなのは、やはりこの値段に尻込みしてしまうからだろう。

 当たり前か。下手をするとこの槍、この階にある全身鎧(フルプレートアーマー)よりも値段が高いのだ。武器だけに金を使うわけには行かない以上、どうしたって無難な選択になるのは仕方がない。シオンとて主武装が剣であるため、これには手が出せない。

 なのに、妙に心惹かれるのは何故だろう。

 理由はわからない。ベートに聞かれた事もあったが、何となく思ったのだ。

 ――『執念』みたいなのを、感じたから。

 それだけ。鼻で笑われて終わったが、本当にそう感じたのだから仕方がない。銘を『紅椿』としたそれに刻み込まれた【Hφαιστοs】というロゴ。

 ――椿・コルブランド。

 自分自身の名を武器に付けるほどの自信作に、シオンは引き込まれた。そしてシオンは、決めてしまったのだ。

 この鍛冶師(ヒト)に、自分と直接契約してほしい、と。

 シオンには目的がある。誰かが聞けば笑ってしまうような、そんな幼稚だろう夢。だから自分と関わる人は、どんなに小さくてもいい、何か目指すものを持っていて欲しい。

 ベートのように、強くなること。

 ティオネのように、団長の為に行動すること。

 ティオナは――よくわからない。一度聞いてみたら、真っ赤になって俯かれてしまい、もう一度聞きなおす事はできなかった。でも、目的はあるとだけ、答えてくれた。

 それでいい。何か目指すものがあれば頑張れる。それを身を持って知った。

 けれど、ふと思ったのだ。

 もっと狂おしい程の想いを――執念を持った人が、近くにいて欲しいと。

 そうすれば自分ももっと先まで行ける。方向性は違えど切磋琢磨し合える。それができるのはきっと、この人だと、そう思ったから、求めた。

 ――欲しい。

 それに何より。

 ――この人の手で作られた武器が、欲しいっ!

 これ程の獲物を、振るってみたい。

 全ての理屈を吹き飛ばしたその先に残ったのは、そんな単純な感情だった。

 けれど、面会を求めてきた鍛冶師の中に、この人は来なかった。

 だからシオンは、未だに直接契約を結べていない。

 いつまでそうやって武器を見つめ続けていただろうか。

 「――シオン?」

 「ん……ティオネか」

 気づけば、真横でジッと自分の顔を見つめるティオネがそこにいた。ティオネは数秒シオンの顔を見ていたが、視線を移してシオンが見ていたものを自分も見る。

 「やっぱりこの人か。そんなに気に入ったの? この人が作った武器」

 「ああ……なんというか、『使ってみたい』って思わせられるんだ、どうしてもな」

 「ふーん」

 そんな気のない返事に脱力させられながらも、当初の目的を思い出したシオンは腰に吊るしてあった物入れから一つの袋を取り出す。

 その様子を見ていたティオネは、シオンが何か買い物でもするのだろうか、と思いつつ見ていると、

 「はい、プレゼント」

 「――え?」

 目の前に置かれた袋に、驚かされた。

 一度シオンの顔を見つめたが、浮かべられた笑顔は真っ直ぐ自分に向けられている。それでやっと意味を理解したティオネは目を白黒とさせながら受け取り、少し躊躇ってから、袋を開けた。

 取り出してでてきたのは、ちょっと大きな紫の石が付けられた御守。それをちょっとお洒落なヒモで纏っただけの、装飾品としては随分と簡素な物だった。

 「……どうして、こんな物を私に?」

 「似合うと思ったから、じゃダメかな?」

 質問に質問を返されて、ちょっと困ってしまうティオネ。実は内心バクバクだったシオンに、何故か悪戯っ子の笑みを浮かべたティオネが御守を突き返してきた。

 余計なお世話だったか、と顔には出さず意気消沈していると、ティオネはくるりと背を向け、

 「シオンが付けてくれたら、団長から以外の装飾品でも付けてあげる」

 そう、楽しそうに言ってきた。

 「……なんでもフィンが中心か」

 「当然。他の人から贈られた物をつけて勘違いされたらたまんないもの。それを我慢するんだから、ちょっとくらい我が儘聞いてくれても構わないでしょ?」

 「わかったよ。仰せのままに、お嬢様」

 苦笑をこぼしながらそう返すと、ティオネから楽しそうな笑い声。興が乗ってきたせいか、手渡されたそれをティオネの首の後ろでリボン結びをするとき、いつもより距離を近づけてしまった。ティオネはそれを察しつつ、集中するためかと思い、何も言わなかった。

 ――遠くでそれを、ガーンとショックを受けていた少女が目撃していたと気づかずに。

 (何、何なのあの状況!? なんかティオネ嬉しそうだしっ、シオンもなんか楽しそう? どうなってるのー!??)

 双子の妹、ティオナはその光景を見て咄嗟に隠れ、壁越しにシオンとティオネを見ていた。

 「よし、うまくできたかな。どんな感じなんだ?」

 「うーん、鏡が無いからうまく自分じゃわかんないわね」

 (すっごい似合ってるよティオネ! ていうか褐色の肌に紫ってなんか妖しい感じがしてくるんだけど、それが何かちょうどいいって感じで……)

 気づけば両手がワナワナと震えだし、認めがたい現実を前に目眩までしてきた。ティオネがシオンの方に振り向いて、どんな感じなのかと聞いている。

 「ティオネによく似合ってる。なんていうのかな、綺麗って思うよ」

 「そ、そう? そう言われると、悪い気はしないかな……」

 そんな風にちょっと頬を赤らめて照れるティオネは、一年前の粗野な感じは全くしない、綺麗な女の子という感じで、

 「ず」

 ティオナは思わず、駆け出していた。

 「ずーーーーーーーーるーーーーーーーーーいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!」

 初めて感じた『嫉妬』というには可愛らしい感情の爆発のままにティオネに突撃して、彼女の肩を揺らす。

 「ティオネだけズルい! 私だってシオンから何か貰いたいのに、ティオネだけ!」

 「ちょ、ま、落ち着きなさいよあんた、揺らさないでって!?」

 ぐらぐらと揺らされたティオネはたまらない。とはいえティオナの行動の理由を、同じ恋する乙女として察したティオネは大きく言い出せなかった。

 どこか涙目になっているティオナには、なおさらだ。

 「はい、ティオナ」

 そしてティオナが突撃して来た事に驚いていたシオンは、すぐに冷静さを取り戻し、自分に背を向け叫ぶ彼女の髪を整え髪留めを付けていた。

 「え、あれ?」

 混乱冷めやらぬまま、シオンに髪を撫でられているという事だけ理解したティオナの動きがピタリと彫像のように止まる。

 これ幸い、とティオナの顎に手を回して上を向かせ、髪留めを付けたティオナを見、

 「うん、やっぱりティオナにはこれが似合うね。可愛い」

 逆さの世界で、そんな嬉しそうな笑顔を向けられたティオナは、

 「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッッ!??」

 ボフンッ! と顔から真っ赤になり、顎に添えられた手を振り切って俯いてしまう。そしてそのまま逃げ出そうとしたが、逃げられない。

 目の前にはティオネがいて、軽くではあるがシオンから抱きしめられているような体勢。何よりこの反応を姉に見られていた現実に、ティオナの意識は遠のきかけていた。

 けれど、ティオネ(あくま)は彼女を更に追い詰める。

 「あ、そうだ。ティオナもシオンに渡す物があったんだった。ね? ティオナ」

 「そうなのか? ならホームに戻ったらおれの部屋に来てくれれば」

 「違う違う、もう物は持ってるから。ほらティオナ!」

 ティオネはティオナの肩を掴んでくるりとシオンの方を向かせる。未だ羞恥心に苛まれていたティオナは瞳を潤ませながら俯くが、それを許さずとティオネが背中を押し出してきた。

 「あ、えっと、その……う……」

 オロオロと周囲を目まぐるしく見ながら、ついに逃げ場は無いと察した――諦めた、ともいう――ティオナは、

 「はいこれ! シオンにプレゼント!?」

 両手に持っていた、かなり大きな袋を手渡してきた。

 それを受け取ってみると、結構重い。金属の類のようだ。視線で開けても? と尋ねると、コクコクと頷き返された。

 開けてみると、出てきたのはティオナの瞳と同じ色のプロテクター。細長いそれはシオンの腕よりも大きかったが、篭手に付けるだけなら取り回しに問題はない。

 「どうして、これを?」

 疑問なのは、何故わざわざこれを贈ってきたのか、ということだ。

 「えっとね、シオンってさ、今片手にしか篭手つけてないでしょ?」

 そう、ダンジョンに潜っていた最初期は両手にちゃんと篭手を付けていたシオン。だが途中剣を振り回すのに不便だからと、剣を持つ方の篭手は外してしまった。

 それ以来シオンはそれでやってきていたのだが、ティオナはずっと気にしていた。

 「シオンって防御するとき、いっつも剣を盾に使うんだもん。剣ごと折られちゃうんじゃって、ヒヤヒヤしてたんだよ」

 剣は斬るための物であって、決して何かを受け取めるようにはできていない。ティオナの扱う大剣のように大きければ別だが、そうでないシオンの剣はどうしても不安だった。

 「だからプロテクターを? これを篭手につければ盾代わりになるし」

 「それもあるんだけど、そのプロテクター、短剣が一本くらいならしまえるんだって。インファント・ドラゴンの素材から作ったアレがあるから、便利かなぁって」

 よく皆からおバカだと言われるティオナだが、別に本当に頭が悪いわけではない。単にその場のノリと勢いと感情に従った結果、後先考えないで行動してるだけだ。ちゃんと考えられるだけの頭は存在する。

 えへへ、と恥ずかしそうに笑うティオナは、これ以上何かを言うつもりは無さそうだった。

 ――言わないつもり、なのかしら。

 ティオナがあのプロテクターを選んだ、()()()()()を。

 気づけ、気づきなさいシオン、と念を送る。そのまましまったら許さない、と。

 当のシオンは短剣をしまえると聞いてプロテクターを弄り回していた。そして本当に短剣がしまえると確認し、確かにこの大きさなら、と思ったところで、ふと気づいた。

 ――何か、彫ってある?

 隅っこに小さく、文字が刻まれていた。その名を見た瞬間、シオンの名前が見開かれる。

 「――つば、き? これ、まさか」

 彫られた名前は、苗字の無いただの椿。

 しかしシオンには、それだけでわかった。椿なんていう珍しい名前を持つ人間はこの都市にはそういない。そしてそれを持つ鍛冶師は、シオンの知る限り椿・コルブランドのみ。

 「ティオナ、これって」

 「あ、あはは、気づいちゃった? なんかね、それ、元々は防具についてたんだけど、買った冒険者はいらないからって、プロテクターだけお店に返しちゃったんだって」

 「でも、高かったんじゃないか。この人が作る物って、どれも出来がいいから」

 「う……」

 それを聞かれると弱い。思わず口ごもると、ティオネが容赦なく口をはさんできた。

 「ま、確かに高かったわね。それ単品だけなのに、性能だけ見ればかなり良いからって結構ボッたくられたわ」

 呆れたようにティオネが言う。実のところ、ティオネがティオナに付き合ったのではない。むしろその逆で、プロテクターを見つけたティオナがシオンに贈ろうと勇んだはいいものの、値段が届かず断念し、意気消沈しながら帰って来たのを見つけたティオネが金を渡しただけだ。

 いつも助けてもらっているから、せめて私もそれに関わりたい。そんな想いは告げないで。

 「ま、でも気にしないで。装備強化は必要な事よ。あんただって防御面の強化が必要だったんだから、ちょうどいいって感じに受け取りなさい」

 「わかった。でもさ、これ見つけるのに一体どれだけ苦労したんだ? なんか、釣り合ってないような気がするんだけど」

 しかし聡いシオンは、次の点まで見つけてしまう。二人に贈った物は何となく目に入った露店で購入したもので、そこまで高くもない。

 どこか落ち込んでいるように見えるシオンに、慌てながらティオナは言った。

 「たまたま見つけだけだよ!? だからシオンは気にしないで! そ、それに」

 と、一瞬口ごもったティオナは、意を決したように、

 「シオンの喜ぶ顔が見たかったって、だけだから、その……笑ってくれると、嬉しいな」

 恥ずかしそうに頬を染めて、照れ笑いでそう言ってきた。

 「そうそう、贈り物に大事なのは気持ちよ、気持ち。私達だってシオンがくれた物で喜んでるんだから、これでいいの。わかった?」

 ティオナの肩に両手を乗せながら、後ろから覗き込んできてニヤリと笑うティオネに、苦笑いを返す。

 「そう、だな。うん、そうだ。変に言うのも不満があるみたいだし、素直になるよ」

 そしてひと呼吸置いて、

 「ありがとう、ティオナ、ティオネ。嬉しいよ。この人の作った武具を使えるなんて思ってなかったから、本当に嬉しい」

 ただ純粋な笑顔を、彼女達に返した。

 「よかったわね、ティオナ」

 「うん、うん! ありがとうティオネ。ティオネのお陰だよ!」

 「私のことはいいの。ほら、シオンと一緒に帰りなさい、と!」

 感極まっているティオナにそう言うと、彼女は赤くなった顔で礼を言う。そんな妹の肩を押してシオンに突き飛ばし、二人だけで帰るように言うと慌てるのだから面白い。

 その後更に変な注目を集めている――ある程度年取った独り身の男性と女性が血涙流しているのに驚き――と知ってリンゴのように赤くなった顔を見たシオンに心配されているのには、ちょっと心配になったが。

 「それにしても」

 シオンはもしかして、狙ったのだろうか。

 ティオナは気づいていないが、よく本を読んでいるあの子の事だ、自室に戻って鏡を見るか、あるいは髪留めを見た瞬間、思い出すだろう。

 あの髪留めのモチーフにされた花――『ひまわり』の花言葉を。

 ひまわりは様々な花言葉を持つが、この場合はこの三つだろうか。

 愛慕、あなただけを見つめる、情熱――どれもこれも、お熱い言葉だことで。

 「……ま、シオンのことだしありえないか。ホント、どーんかん」

 そんな溜め息を吐き出しつつ、ティオネは少し寄り道してからホームへ戻った。

 ちなみに。

 「何やってんのよあんたは」

 気になってティオナの部屋へ寄ってみると、何故か布団に包まって芋虫になっていた。布団を剥ぎ取り嫌がる彼女を引きずり出すと、

 「うう……私、恥ずかしすぎてシオンの前に顔見せられないよぉ……!?」

 嬉しさと恥ずかしさが綯交ぜになったティオナ(おとめ)を部屋から引っ張り出すのに、ティオネは相当の苦労をしたらしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 更にちなみに。

 「なあティオネ、おれ、もしかしてティオナに嫌われた……?」

 「あんたもなの!??」

 妙に暗い顔をしたシオンを見かねて声をかけた結果、ティオネは貧乏くじを引いたと悟る。

 溢れた想いを押し込めて話を聞いたところ、帰る道中店を流し目で見ていたティオナは唐突に立ち止まると、いきなり何も言わずダッシュで逃げたらしい。

 「追ったら『ついてこないで!』って叫ばれたし……何かしたかなぁ……」

 ガックシと項垂れテーブルに額を押し付け落ち込むシオンに、ティオネは言いたかった。

 ――もうあんたら付き合ったらどうなの?

 とはいえそれは余計なお世話と言う他なく、溜め息を何とか殺して、

 「大丈夫よ、あの子はちょっと深読みしただけだから」

 そう、慰めるように言う。

 なおシオンが元に戻ったのは、ティオナを自室から引きずり出した数時間後だったらしい




はっはっは……こんなんでいいのかと頭抱えている作者です。色々狙いすぎた感がしてあざとくなったかもしれない。

ていうか前回からの引きが足を引っ張って2/5近くがシリアス、5/1が姉妹探しで、ティオナメインとは言い難いという。
さり気にティオネ巻き込んじゃってるし、どーしよーもなーい。

あとアクセサリーの下りはこの後の展開で割とあっさり目に書く予定を急遽変更したから仕方がないと言っておこうか。だが、しかしその前に。

そもそも私はっ!
――恋愛描写が苦手なんじゃあああああああああああああああ!!(今更)

ラブコメ苦手! コメディはもっと苦手! ドシリアスな展開しか書けないダメダメな人なんですよ!!

くっ、魅力的なヒロイン書きたいのにどうしようのないこの表現力の乏しさが今は凄まじく恨めしい。
いっそしばらくラブコメ封じてしまおうか!?(錯乱)

と、一通り嘆いたところで。
誤字脱字報告ありがとうございます。展開の見直しで何度か読み直してるんですが、それでも抜けがあるので大変ありがたいです。
それと前回の感想で『シオンのステイタスはどんな感じなのか?』と問われたので此方にもお書きしますが、その内容は今回含めず恐らく三話後です。

どうして恐らくかって?

答えは単純、できていないからです。
次回更新の9/5の21時投稿予定『彼らの二つ名』でおもっきし大苦戦。シオンとティオナは決まってるのにベートとティオネが思いつかない。
いや何となくは決まってるんですけど明確な名前にならないという……。

な、なんとか間に合わせますけどストックができない……ホントにどしよ……。


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『神会』

タイトルが違うのは理由があります。
前書きはあんまり書きたくないので、後書きで詳細をば。


 さて、とシオンは早朝の太陽を全身に浴びながら伸びをする。運動前の柔軟は大事だ。ある程度までは適当に、しかし大事なところはしっかりと。

 この時間、比較的早起きの部類に入る【ロキ・ファミリア】の面々もまだ起きていない。例外はシオンと、彼を鍛えるために起きていたフィン達。

 その例外に、今日、一人が追加される。

 「それじゃ、始めようか――アイズ」

 軽く笑いながら告げると、何故か彼女は不服そうに頬を膨らませていた。

 「……シオン、正気? 頭大丈夫?」

 「なんでいきなりズタボロに言われなきゃなんないのかな、おれ」

 ジットリとした目で見つめられながらボヤくと、シオンはアイズの格好を見る。動きやすさを追求した、シャツとズボンの簡素な姿。それでも彼女の可憐さは損なっていないのだから、この辺り母親の血を継いでいるとよくわかる。

 戦いなんて知らない人生なら――なんて横道に逸れた思考を戻して、彼女の『手元』を見る。

 「そうだな、片手剣をいきなり手渡されたのがそんなに不満か?」

 「そっちじゃなくて。あーもう、どうして私が鉄製なのに、シオンの持ってるのは()()()()()なのって疑問なの!」

 そう、シオンが持っているのは何の変哲のない木でできた剣。対してアイズが握っているのは普段シオンが使っている武器だ。

 これじゃ危ない、そう思って伝えてるのに、

 「大丈夫大丈夫。それで特に問題ないから」

 全然意図を理解してくれなくて、アイズはムッとしてしまう。

 そんなアイズの変化を見て取り、シオンは甘いなぁ、と思ってしまった。

 ――疑問に思うのはいいけど、『その先』に思考が及んでないんだよな。

 ふ、と息を吐いて、シオンは言う。

 「ほら、剣を振ってきて。そっちからやんないと始まるものも始まらないよ」

 「……どうなっても知らないからね、私!」

 気合は十分。

 たった十日程度とはいえそれなりに鍛えられたのだろう、体が剣に振られていない、多少様になった剣閃が迫ってくる。

 それを見て浮かんだのは、緊張でも無ければ困惑でも無い。

 ――素直だなぁ、アイズは。

 しょうがないと言う目の、苦笑いだった。

 まるでどこか遠くから見下ろしてくるかのような目にアイズはゾッとしながら、それでも後ろに下がらず前へ出る。

 「てやぁ!」

 両手で振るわれた剣はシオンの肩に吸い込まれ、

 「――え」

 気づけば次の瞬間、アイズの首元に木の剣が添えられていた。

 「うーん、やっぱフィン達の指導じゃこんなもんか。まあ、剣はフィンとリヴェリアの門外漢だし、ガレスは教えるより叩き込むって感じだからなぁ」

 固まるアイズを放ってシオンは剣を下ろし構えも解く。

 「い、今何したの?」

 「何って、振られた剣の軌道に木剣を添えてズラしてから、逸らした勢い利用して首に置いただけだけど」

 「だけ、って」

 アイズが剣を振るったのは横斬り。単純だが上下か後ろに避ける場所は無いのに、どうやってやったのか。

 そもそも不思議なのは、アイズの手に何かがぶつかった感触がしなかった、ということ。

 「剣の刃の部分に当てないように、こう、木剣を斜めに添えて上方向に若干軌道をズラして、できた隙間に体を屈めて通した――んだけど、意味わかんないかな」

 わかる。

 わかりはするが、針に糸を通すような作業を軽々としないでほしい。頭が混乱する。そもそもシオンは何を教えたいのか、それさえまだ教わっていない。

 色々な想いを込めてシオンを睨むと、当の彼は視線を上に向けて、

 「教えるのはいいんだけど、その前に一つだけ。アイズ、おれに向けて全力の縦斬りをしろ。反動とかそこらへん考えない、文字通り全力で」

 言われた指示に、理解できないと言いたげに見てくる。

 当然といえば当然だ。縦斬りを全力でやれば、今のアイズでは踏ん張りが利かず地面を強打して痛い目を見るハメになる。

 それでも数十秒程目を合わせたままでいると、諦めたようにアイズは頷き、上段に構えた。

 そして一度息をふっと吐き出し、

 「――ハッ!」

 後先考えず、ただ真っ直ぐに振り下ろした。

 同時に、シオンのいた地面が抉れる。木剣の切っ先を地面に向け、アイズの剣に添うようにそっと剣を置く。

 チッと小さく火花が散って。

 地面に当たる前に、剣が止まった。

 「ほら、これが上段からの縦斬りの仕方。覚えられたか? 覚えられたら体に染み付くまで反復練習な」

 「ま、待って! もしかしてシオンが教えたいのって」

 「単純明快『剣の振り方』だよ。それだけは、おれが一番うまく教えられるからね。フィンにもリヴェリアにも、もちろんガレスにもできないこと」

 アイズが己が武器として選んだのは、剣だ。

 しかし大きな問題が一つある。

 それは、剣術を教えられる人がいないこと。正確に言うといるにはいるが、彼あるいは彼女は別の人に教えているため、アイズのための時間が作れないのだ。

 アイズに教えている教師三人は、シオンが言った通り教えられない。

 フィンは小人族故、その小さな体躯を補うための間合いの確保、つまり槍しか使わない、というより使いにくい。後は指揮するための視野の広さ、圧倒的な勘の良さなどを特技としている。

 リヴェリアはエルフであり、この種族は全体的な傾向として近接戦闘が苦手だ。彼女はその弱点を補うほど杖術が巧みで、今でも【ステイタス】をLv.2時点に抑えたリヴェリアに負けてしまうほどだが、あくまで杖が得意なのであって、剣は専門外。

 ガレスはドワーフで、あの見た目通り近接戦闘が最も得意ではあるが、彼は技術的な物よりもその圧倒的な【力】で持って敵を粉砕することを好む。彼が持つ技術は、自分の得物を『相手に当てる』ための技術であり、それ以外は結構適当だ。

 つまり剣術という分野に限って言えば、アイズに教えられる人間の中で一番秀でているのがシオンになる。

 ただし、ここでまた一つ問題になる。

 シオンは基本的に彼らから説明を受けたことがない。その時々でやることを一方的に告げられたらそれをとにかく繰り返すだけであり。

 要するに、『人に教える方法がわからない』状態にあった。

 「疑問に思うくらいなら剣を振れ! 間違ってたら木剣で動きを調整するから、どこがどう間違っていたのかを自分で理解しろ!」

 貫くような視線を感じて、アイズは悟った。

 ――アレ、もしかしてシオンって結構容赦ないタイプなのかな?

 その後、剣ダコができてそれが潰れて、回復薬で強制的に治され、それらをアイズが気絶する寸前まで繰り返されるのだった。

 なお、終わったのは三時を過ぎた頃だったという。

 

 

 

 アイズがシオンの特訓を受けている頃。

 ロキは沈んだ表情で、北のメインストリートを歩いていた。

 「やばい、ごっつ気分悪い。行きとうないで、マジで。なんで『神会(デナトゥス)』なんて存在するんやいっそ潰れてしまえ……!」

 そんな恐ろしい怨嗟の言葉を吐き出しながら、背中を丸めるその姿には哀愁が漂っている。

 ――結局どうにもならんかった。

 6歳の子供4人が同時に【ランプアップ】を果たすという情報は、ギルドに報告した時点でバレた。というか叫ばれた。

 その結果、それを聞いていた他の【ファミリア】所属の冒険者から主神に伝わり、その主神と接点のある神に話が行き、気づけばかなりの人数がその子供達に注目していたのだ。

 ――6歳でLv.2とかありえるのか?

 ――もし本当なら欲しいぞ、うちに!

 ――【ロキ・ファミリア】んとこの子供だと!? 手が出せねぇじゃないか!

 ――クソッ、妬ましい。

 ――きっと何か怪しげな薬でも使ったんだろ。

 ――もしかしたらスキルのおかげかもしれんぞ。

 外に出歩くだけで、そんな噂話が聞こえてくる。

 フィンの時とは状況が違いすぎて、手回ししても無駄だと、わかってしまった。これだけの注目を浴びてしまえば、はりきったアホ神連中がけったいな二つ名を付けるに決まっている。武力で方を付けようにも、相手取る【ファミリア】が多くなれば当然規模は増え、必然こちらにかかる負担は相応のものとなるため難しい。

 それだけ今回の【ランクアップ】が神々に与えた影響は大きかった。

 そうやってどんどん深みにハマり、ロキの気分も沈んでいっていたのだ。

 「ハァ~……」

 元々神会はこの都市に住む神が暇潰しの一環として始まったものだった。

 そこそこの規模を持ち安定した収入を得た【ファミリア】の神は堕落しがちになり、必然余った時間はぶっちゃけ暇になる。それを埋めようとした結果同郷のよしみで集まった神々は定期的に集まるようになった。これが神会の雛形だ。

 数人程度の歓談はやがて一人二人と増えていき、気づけば数十人と集まるようになった。そうなるとただの雑談で話は終わらず、自分のところの子供達を自慢するようになっていき。様々な情報をぶつけあうそこにギルドまでもが入り込み、一種の『催し(あそびば)』となった。

 このような曖昧な会合、有って無いような物だが一応諮問機関として認められている。その影響力は冒険者達にも及んでいる。

 先にも述べた冒険者の称号(ふたつな)、それもその一つだった。

 嫌だ嫌だと思っていても、その時はやってくる。

 摩天楼(バベル)の三十階、そこが神会の会場だ。

 なんとわざわざ一つの階層を丸ごと改造して設けられた大広間は、かつてあった仕切りを全て取り払い、太く長大な柱が並んで遥か先の天井を支えていた。その広い空間は柱を除けば巨大な大広間に反して中央にポツンと円卓が存在するだけだ。奥の壁には硝子が張り巡らされており、そこから広大な大空が見える。

 神会のためだけに作り上げられた会場。空中に浮かんでいると錯覚するような神殿。

 そこで神々は、己等の興を満足させようと、今日この時も肴を楽しむ。

 円卓にある席の一つを引いて座る。それまでの間に集まった神から面白そうな、嫌らしい笑みを向けられていた。

 「あ゛――……しんどいわ」

 そんな濁声を出しながら、ロキは机に突っ伏す。それで全身に突き刺さる視線が止むようなことは無く、むしろグサグサと突き刺さってきた。

 「どうしたの? って聞くのも野暮でしょうね。ご愁傷様かしら」

 「ん、おー……ファイたんか。久しぶりやな、そっちは前回来てなかったし、半年ぶりってとこか?」

 ロキの隣に腰掛け、横目で彼女を見つめていたのはこの都市でも特に有名な神。

 この都市にいる武具を作成する鍛冶師達の集団、その中で最も有名な【ヘファイストス・ファミリア】の主神、それが彼女だ。

 目を引き寄せられる紅髪背に流し、軽装を好む彼女の姿は男装に近い。しかし、例え遠くから見ても彼女を男だと勘違いする者はいないだろう。

 その、デデンとある標準以上の胸の存在のおかげで。

 ――べ、別に羨ましいなんて思っとらんわッ!

 誰に問わず心中で言い訳するロキの視線を察したのか、ヘファイストスの目元が緩み、視線は優しげな物へと変わっていく。

 その視線に思うところがありつつも何とか堪えていたが、

 『……おい見ろ、まだ諦めきれてねぇみたいだぜ』

 『……夢を見たいんだろう。いいじゃないか、夢を見るだけならタダだ』

 ただでさえ苛立っていたロキは、一瞬でキレた。

 「そこの二人ィ、今すぐ【ファミリア】潰したろうか、ア゛ァン゛ッ!?」

 「「すいませんでした!!」」

 即座に土下座を敢行した二神を笑うものはいなかった。

 後に彼らは語る。あそこでああしなければ、本当に潰されていた、と。

 ロキから発せられる殺気に冷や汗を掻きつつ、平然とした表情で各々席についていく。普段は二十人から三十人程度しか集まらないそこに、今は倍近い四七人もの神がいた。

 神会に参加できるのは、己の眷属に一人でもLv.2がいる神のみ。つまりここに参加している神の数だけ、実力を認められた【ファミリア】がいるということになる。

 出席している神は多く、そのいずれもが美男美女。とはいえ奇抜な格好をしている者も多く、己の美貌を独自のファッションが打ち消すどころかマイナスにしている者さえいた。

 「はいはーい、皆注目! そろそろお待ちかね、数える事すら億劫なくらいやってきた『神会』を開催するぞ! 今回の司会進行は風の旅人ことヘルメスがやらせてもらおうか」

 時間となり、円卓の中心に現れたのは中背の神。最早彼のトレンドマークと化している旅人の服と羽根付き帽子を身に纏っている。とはいえ流石に帽子は邪魔だと感じたのか、帽子を外すと机の上に置いた。

 橙黄色の髪を整え、優男然とした笑みを浮かべている彼が、今回の会議の中心役だ。

 「おうおう、いきなりいてぇ自己紹介だなヘルメス」

 「ハッハッハ、これくらいのテンションが良さそうだと思ってね」

 飛んできた茶々に余裕の笑みで返す。調子がノってきたのか、周囲の男神がヒューヒューと一部が妙に上手い口笛ではやし立てていた。

 「あいつ、オラリオに戻ってきてたんやな」

 ふーん、とどうでもよさげにロキは言う。

 ヘルメスは神々の中でも奔放の代名詞として知られている。

 その理由は単純であり、彼は己の眷属である【ファミリア】のホームをオラリオに置いてはいるものの、当の本人は世界中を旅しているせいだ。ちなみにロキはヘルメスが一箇所に半年以上留まっているという話を聞いたことがない。それだけ旅をするのが好きなのだ。

 そんな主神の適当さは当然【ファミリア】に迷惑をかけている。当たり前だ、ヘルメスが都市に戻ってくるのは年に数回、満足に【ステイタス】更新もできないのだから。

 つまり、彼のところは『実質ほったらかし状態』だ。

 そんなヘルメスが戻ってきた、更に司会を自ら買って出てる理由は、あいにくと一つしか心当たりがない。

 「ま、下手な(ヤツ)がやるよりはマシか」

 「というより、誰がやるか揉めた結果、彼に任されたような気もするけどね」

 どっちでもいい。ヘルメスがやるのであれば、他のことは些細なものだ。

 ヘルメスはその気風からか、このオラリオでも珍しいほぼ完全な中立だ。流石に付き合いのあるところや様々なしがらみから完全に脱する事はできないせいなのだが、それを除けばどこにも肩入れしない、深入りしない。

 だから今回も、きっと彼は中立を保つだろう。

 【ロキ・ファミリア】という派閥と敵対しないために彼が打てる手は、淡々と会議を進めていく以外にはありえないのだから。

 「……ロキ、もうちょっと大人しくできないかしら。気のせいかヘルメスの顔が汗で濡れてるんだけど」

 「あはは、気のせいやろファイたん。目の錯覚や」

 隣を見やれば頭に手を当てているヘファイストス。ロキは笑わずに笑顔を作っている。ロキの周囲の神がどこか縮こまっているのを見ながら、ヘルメスは司会役に徹した。

 「それじゃまずは面白可笑しいネタでも――と、思っていたんだけどね」

 ヘルメスの言葉に何故か全方位から『空気読めやヘルメス』的な視線を浴びせられて、心中涙しながら道化を演じる。道化師はロキじゃないのか、なんて素朴な疑問は即座に投げ捨てると、

 「皆がうずうずして待っていられない、命名式から始めようじゃあないか!」

 『『『『『『『『『『『『『『『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!』』』』』』』』』』』』』』』

 そんな野太い声にロキと、ヘファイストスが顔をしかめる。他の女神達もあまりいい顔をしていなかった。

 『さっすがヘルメス、話がわかるぅ!』

 『いやー三か月前からこの時を待ってたんだよ、もう待てねぇって』

 『さぁて、今日はどんな痛……いや、カッコイイ二つ名を付けようかね?』

 最後の神の言葉に、数人の神の顔色が悪くなる。

 それを見てニタァ、とその美貌を悪人面に変える神共のあの顔に思い切り拳を叩き込みたいと思ったのは、ロキだけではないはずだ。

 神と下界の者の感性は、ほぼ変わらない。個々人でうまいまずい綺麗醜いと差はあるが、それだってその人の個性にすぎず、超越存在(デウスデア)といえど人知を超えた超感覚を有している、なんて話は聞いたことがない。

 が、しかし。

 どこのボタンをどう掛け間違えたのか、決定的に違う点があった。

 命名に対する考え方と、受け取り方。それが全くと言っていいほど違ったのである。

 神々が『ありえねぇそれ!』と悶絶するような名前でさえ、子供達は『カッコイイ!』と瞳を輝かせて受け取る。

 この際どちらの感覚がおかしいのかなんてどうでもいい。

 重要なのは、二つ名を決めて喜んでいられるのは、この会議に関係のない傍観者(めいめいしゃ)達だけであるということのみ。

 あまりの怒りでプルプル震えるロキを、まるで今にも爆発しそうな爆弾に思えてきたヘファイストスが、座る席を間違えたかしら、と思っていたかどうかは定かではない。

 各自が手元に有る資料を開き、最初の犠牲者――ではなく名誉ある称号を得られる人物に目を通す。

 「最初の犠牲――う゛うん。トップバッターは、セクメトのとこの、ティリアって娘だな」

 「おいヘルメステメェ、私の子を犠牲者って言いかけたな!?」

 怒り心頭の女神を周りの神が何とか押さえ――というか拘束し、ティリアとやらの話に移る。

 「ふむ、可憐だ」

 「ああ、まるでベッドの上で本を読んでいる病弱なお嬢様だ」

 そう評した神の通り、ティリア嬢は美しい少女だった。参考にするための似顔絵にある仄かな笑みもそれを後押ししている。

 ただ、その後に書かれていた人物評価が酷すぎた。

 「なんやのこれ、ストーカーて。っていうか、ヤンデレやないかコイツ……」

 見た目と裏腹に彼女は恋に恋する乙女であり、絶賛想いを寄せる相手の名前身長体重年齢住所はもちろん、その日の行動その日の食事、果てには笑顔を浮かべた回数まで覚えているというのだから唖然とする。

 この書類を纏めた者は、最後に『愛しの彼との時間を奪った』と言われ、生気の無い目で見つめられた……らしい。ご愁傷様である。

 「ティリア……流石に、これは」

 「うん、言わないでくれ。私だってどうしてこうなったのかわからないんだから!!」

 ちなみにロキは、類は友を呼ぶんやなぁ、なんて他人事に思っていたが。その辺りの詳しい事情は長くなるので割愛する。

 「どうするよ、おい。『コレ』にまともな二つ名なんて、いらなくねえか」

 「……愛と這い寄る……【忍び寄る愛(バックラブ)】とか?」

 「この娘の話はあんまりしたくないから、もうそれでいいと思う……」

 生活を見守ら(ストーカーさ)れるという恐怖に男神が顔を青ざめながら話を打ち切る。トップバッターからこんな調子でいいのか、と思いつつ、死罪を待つ罪人のような気持ちでロキはその時を待ち続けた。

 神会は基本的に冒険者に与えられる二つ名を考える場所だが、主な用途は結局のところ『神の暇潰し』である。とにかく『痛い名前』を考えそれを渡し、悶絶する神と誇らしげな子供の落差に指差しながら笑い転げるのだ。

 その中で特に酷いのが新参の神とその子である。上位の【ファミリア】を率いる神達が、神会において先達であるのを利用し、新神を嬲るのである。ロキは嫌な相手には容赦しないが、それ以外はまとも、と意外と中立な方である。というか、いびりは大体男神がやっていた。

 男って、ホントバカ。

 「んじゃコイツは【堕天炎空(ブレイズウィング)】で」

 「イヤだああああああああぁぁぁぁぁ!??」

 泣き叫ぶ神を笑いながら、次々と犠牲者が増えていく。最早ヘルメスは機械のように【ランクアップ】した冒険者の名を告げるだけだ。

 それは一重に、自分の運命が捻じ曲がるかもしれないからだった。

 遂にほとんどの命名が終わる。残っているのは、()()()4()()()()

 射殺すようにヘルメスを睨むロキの、【ロキ・ファミリア】の子供達。

 即ち、今日の会議の大本命。

 「ベート、ヒリュテ姉妹、そして――シオン。この4人の二つ名を決める」

 いよっしゃあああああああああああ、と湧き上がる神々の絶叫に、中心にいたヘルメスの顔が一瞬歪む。そこをすぐにいつもの笑顔に戻したのは流石の一言か。

 今もなお騒ぎ立てる神達に、どうどうと手をあげ諌める。このまま続けてもいいのだが、

 「ロキ、一つ確認しておくが、この場で決まった二つ名に異論は唱えない。それについて同意してくれるか?」

 それでも一応、ヘルメスはロキに『お伺い』を立てておく。

 ロキはこの場にいる神の中で、最も手を出してはいけないと言われている【ファミリア】の一つを率いている。そんな彼女の不況を買えば、様々な点で不都合が出るのは避けられない。

 ――というより、オレが余計な波風を立てたくないだけなんだが。

 なんて本音は隠しつつ、いつもの笑みをロキに向ける。

 驚いたことに、問われたロキは、机に肘を乗せ、泰然自若としていた。拳に乗せた頭をゆっくりと動かし、この場にいる神の顔を一つ一つ確認する。

 「……まぁ、異論無いわ。うちだって似たような事はしとる。最初の頃は痛い名前だって付けられた事もあったから、今更や」

 「そうか、それは」

 「でもな」

 安堵に破顔しかけたヘルメスに、重ねてロキは言う。

 「あの子等は、ほんに頑張ってるんや。4人が喜ぶ二つ名なら、うちは恥辱も我慢する。だけど逆に泣くような事があったら」

 一泊の間を置き、再度全ての神の顔を見回す。今度はその視線の意味に気づいた神の顔が真っ青になっていくのを理解したロキは、笑みを浮かべた。

 かつて『暇潰し』と称して神々を殺し合わせた道化師が、嘲笑う。

 「名付けた神とその【ファミリア】が一つ――いや、複数オラリオから消える事になるかもしれんから……そこは、堪忍な♪」

 ニッコリと笑うロキの笑みに、ヘファイストスはゾッとした。それと同時、彼女は己の考えが()()()()()()()()()()と悟る。

 かつて神々を騙し殺し合わせた程の悪神は確かに丸くなった。しかしその残忍性は彼女が確かに持ち合わせていたものであり。

 『残虐さの方向性が変わったから丸くなったように見える』、それが正しい認識だ。

 妙に冷静だったのはこれか、とヘルメスは思う。

 金銭で解決するのは参加する神の数から無理。

 口車に乗せるのは、ノリと勢いを加味しても一人程度。

 見目の麗しさから施される神の気紛れに頼るには、あまりにも運任せすぎ。

 最も頼りとなる武力は、己の【ファミリア】の被害を想定して取り止めるしかない。

 それをわかっていたからこそロキは悩みに悩み、その苦悩を笑い転げながら見ていた神は、この瞬間ロキが()()()()()()と理解した。

 即ち、ロキはまともな二つ名をシオン達に送るのを『諦めた』。

 代わりに武力で脅す内容を参加する神々全員から単一に絞ることで、『下手な名前付けたらどうなるかわかってんやろなぁ?』と、無難な名前で落ち着けると決心した。

 それ故の変化。

 本気になった道化の女神を止められる者は、いない――。

 「そこまで行くと、ちょっと横暴ではないかしら」

 そう思われていたそこに、遅れて現れた『女神』がロキを諌めた。

 神会に来るのに遅れた結果三時を過ぎた頃に到着し、それでも呑気に意見を言えるのは、否、そもそも参加できるような神は、ロキの記憶の中にもそうはいない。

 「フレイヤ……!?」

 その中の一人であり、長年の好敵手(ライバル)であり、ロキが羨む(モノ)をお持ちしていたりと、まぁ上げればキリが無いが。

 今ここで上げるとしたら、この名が正しいか。

 探索系最強の【ファミリア】の主神、フレイヤと。

 「どうやってここに……なんて聞くのは、野暮ってもんやな」

 「ええ、そうね。ちょっと『入らせてもらっても?』って聞いたら、素直に通してくれたわ」

 ――これだからコイツは。

 フレイヤは数多い女神の中でも郡を抜いて美しい。

 当たり前だ、彼女が司る物の一つは『美』、この世の女の美しさ全てを集めたような物。いいやそれさえ生温い。美という概念自体が彼女の元へ集っていくかのようなその魅力に抗える子供達はまずいないと言っていい。

 白皙の肌も、細長い手足も、柔い臀部とくびれた腰も、直視するだけで頭のどこかがプッツンしそうなくらいの真ん丸な胸も。

 何よりその背筋が凍えるような美貌に。

 全てが彼女のために誂えたものであり、彼女の微笑みに、仕草に、そして声に魅入られ落ちるものは男女問わない。

 だからきっと、遅れてきたとしても誰も文句は言わない。いや、言えない。

 何故なら、

 「おお、フレイヤじゃないか。来ないからどうしたと思ってたぞ」

 「あの美貌が見れるなんて、今日は幸福な一日だ……!」

 「「「「「「「「「「ハァ……」」」」」」」」」」

 これ、である。

 男神――中には女神までもが――彼女の登場に喜んでいる。ロキ1人が帰れと言ったところで効果なぞあるはずがない。

 ロキが作り上げた緊迫の空気を容赦なくぶち壊してくれた。何のつもりだと睨みつければ、何故かフレイヤは笑みを浮かべて移動すると、わざわざ空いていたロキの隣に座る。

 「ちょっと、気になることがあって。それが聞きたいから参加しようと思っていたのだけど、少し面白いものが見えて、つい目が奪われてしまったの」

 ふぅ、と溜め息を吐けば男共の気持ち悪い感嘆の息が聞こえてくる。元々虫の居所が悪かったロキが尋ねる。

 「余計な事言ってないで、さっさと吐けや、おら」

 「……ねえ、あなたいつにも増して苛烈過ぎな――ああもう、わかったから。本題に入るから落ち着いて」

 あのフレイヤさえ慌てさせる今のロキにどよめく神々。

 ちょっと引き気味のフレイヤはわざとらしく咳を一つ、そして言う。

 「単刀直入に聞くわ。どんな魔法(てじな)を使ったら、たった6歳の子供を【ランクアップ】させられるのかを、ね。しかも、わずか九ヶ月という()()()()()()で。その前の記録は一年。約三ヶ月という大幅な記録更新を果たした子供達の事を知りたいと思うのは、不思議じゃないわ」

 瞬間、ロキは神会にいる者全ての視線が集まったのを感じた。

 「……結局のところ、知りたかったのはそれかいな」

 「当然でしょう? 【ランクアップ】がそう簡単にできないのは、ここにいる誰もが知っていること。私は代表して尋ねただけで、遅かれ早かれ誰かが聞いていたわ。もしかしたらあなたにではなく、あなたの大事な子供達に、ね」

 その言葉にイラッと来たのは悪くない、とロキは思う。この駄神共をシオン達の前に晒すなどありえない、検討する価値すら無いと思っているのだから。

 とはいえ、だ。

 「どんな魔法を、と言われてもなぁ。うちは何もしとらんよ。うちがしたのはただ手を差し伸べて、道を示しただけ。愚直に突っ走ったのはあの子等や」

 そう、本当にそれだけ。ロキが直接シオンに関わったのは【ステイタス】更新が主であり、それ以外では雑談以外に接していない。下手すると団員よりも接していない可能性さえあった。

 しかしそれで納得できる者がいるかと聞かれれば、当然ノーだ。むしろ納得してくれた方が気持ち悪いレベルで神の好奇心は巨大だ。

 狼人のベートとアマゾネスの姉妹は『まだ』わかる。

 一番の問題は、シオンが……あの子がヒューマンである、という点だ。ヒューマンは全種族内で最も身体能力、知識、技術が劣っている種族。取り柄といえばその数だけで、それだってシオンには現状関係がない。

 なのに現実として誰が見てもシオンが中心なのは一目でわかる。気難しい狼人の少年も、種族的に力を重視する傾向になるアマゾネスの姉妹も、素直にただのヒューマンの少年の指示に従っているのだから。

 そもそも【ランクアップ】を果たすには自分が戦い、モンスターに打ち勝たなければ【経験値】を手に入れられないのだから、当たり前か。

 不思議が更なる不思議を生み、疑問が新たな疑問を呼ぶ。

 そうして好奇心という火種が爆発的に高まっていくのだ。これを解消するには、きちんと種明かししなければ無理だろう。

 正直話すのには若干抵抗が有る。当たり前だ。子供達が歩んできた道を、ペラペラ吹聴して回るつもりなど無いのだから。それでもこの状況を何とかするには、一つしか選択肢が無かった。

 「話すのはこの際構わへん。……でも、最初にはっきり言わせてもらうで。『子供だから』って理由で口出しするのだけは、やめてほしいんや」

 そして、ロキは話し始める。

 紙面でしか確認することしかできなかった、シオン達の歩みを。

 

 

 

 実際んとこ、シオン達が【ランクアップ】を果たしたのは『神の恩恵』を授かってから一年と三ヶ月になる。ダンジョンに潜る前の約六ヶ月、つまり半年間は準備期間として、とにかくひたすら鍛えられてた。

 ん? 誰にって?

 うちんところの団長始めLv.6のあの3人やな。贅沢やと思うかもしれんけど、それだけあの子に期待してたんよ。

 そう、最初に鍛えてたのはシオンだけ。他の3人は後から参加しただけ。

 ティオネはシオンが気に食わないから本気で殺しに行って、ベートはその性根から勘違いをさせて殺し合いに巻き込まれて。ティオナは、まぁ、ようわからん。フィン達は何となく察してるみたいやけど、教えてくれへんかった。うちはたまにあの子等の話聞くだけやから、何とも言えん。

 とにかく、その事があってからもっと過激になったわ。回復薬はほぼ必須、というか飲まなきゃ死んでたな、アレは。

 わかるか? シオン達は毎日『生きるか死ぬか』を生きてきた。血涙流して、吐血して、体中いじめ抜いて、たった半年で子供ながらに強うなった。

 普通、無理や。子供は当然、大人でも諦める。

 なのに、あの子等は誰も『やめたい』なんて言わなかった。一度もな。多分、意地になってた部分もあると思う。

 特にシオンとベートは同い年で、男同士やからな。『コイツより先に諦めるなんて――』って、目が言ってたで。

 それでやっとダンジョンに行けるようになってからは、本当にあっという間やった。

 最初の頃は息つく間もなくダンジョンに行って。

 無傷で帰ってきた時もあった。

 逆に全身ボロボロになって、お互いの肩を貸し合いながら帰ってきた時もあった。そのまま部屋に戻って、疲れた体にムチ打ってどこが悪かったのか、次はどうすればいいのかっちゅう反省会。そのまま気絶して雑魚寝してた時もあったなぁ。

 まるで……まるで、フィン達みたいやった。

 うちが下界に降りてできた、名も知られてなかった頃の3人。初めての【ファミリア】。罵り合って、なのにいつの間にか手を取り合って、意見をぶつけながら、強うなって。

 その頃のあの子等と、今のあの子等はよう似てる。

 でもそれだけや。フィン達がした『冒険』と、シオン達がしてる『冒険』は違う。

 

 

 

 「だから……だから、邪魔するな。うちは見たい、シオン達のしてる『冒険』の果てを。終わりを。物語の終幕を。邪魔立てするなら」

 その先を言わずとも、ロキの目が語っていた。

 ――邪魔立てするなら、殺す、と。

 「なるほど、確かに聞いても参考にならなさそう」

 ――だからフレイヤは率先して、手を叩いた。パチパチと、褒めるように。あまりにも場違いな音に衆目を集めているのを知りながら、フレイヤは敢えてそうした。

 「凄いわね、その子達。本心からそう思うわ。あなたが躍起になるのも当然ね。もしもそんな子供がいたら、陰ながら手を貸したくなっても当然。私でもそうするもの。皆もそう思わない?」

 それを皮切りに、小さな声で神が言葉を交わし、そして同意を生んだ。それはそのまま、シオン達に対しての好印象へと()()()()()

 ――コイツ、一体何を……?

 ロキの話を聞いて、この場にいた神は好奇心から子供達を刺激していたのに気づいて罪悪感を抱いていた。もしかしたらこのまま大人になり、かつていた英雄と同じ『神話』として語られるかも知れない存在を自分達の手で消しかけたのだから、仕方ないか。

 そんなところにフレイヤのあの言葉。

 ここにいる神の大半はこの女神に対して大なり小なり差はあれ好意を抱いている。だからフレイヤは己に向けられた好意を利用し、その好意をシオン達に向けたのだ。そしてそれに、彼らは気づいていない。あくまでフレイヤに同意したと『思い込んでいる』。

 「……礼は、言わんぞ」

 ロキは気づいている。フレイヤが来る前の自分の態度の意味を。

 もしあの時フレイヤが現れず二つ名を決めていれば、まともな名前は手に入ったかもしれない。代わりにあの横暴さはここにいる神達に疑念という種を植え付け、自分の【ファミリア】との交渉を受け付けてくれなくなる可能性があった。

 ロキのせいでかかる負担はそのまま子供達に流れていく。ヘファイストスやディアンケヒトのところは長年の付き合いから察してくれるだろうが、そうでない神は、きっとロキから離れる。

 その離れた神の中に、有名になるかもしれない【ファミリア】があれば。

 その【ファミリア】と敵対関係になってしまえば。

 今は良くても、未来を考えれば……ロキのやった事は、悪手以外の何物でもなかった。

 しかし今回の件はフレイヤが勝手にやった事であり、ロキには関係がない。礼を言う理由がなければ、言えばむしろ余計な疑惑を生んでしまう。

 だが、貸しは出来た。

 そう思ってしまった時点で、ロキは負けている。

 「あら、何のことかしら。私はただ褒めて、それを皆に聞いただけだもの。何もしてないわ」

 この大人な対応に、ロキは不貞腐れる事しかできなかった。

 ヘファイストスはフレイヤの対応に少し眉根を寄せていたが、現時点でできる対応は無いとして封殺した。

 女神3人が押し黙る中会議が進み。その中で一度だけロキが発言し。

 『『『『『『『『『『決まったぞォ――――!!!』』』』』』』』』』

 シオン達の二つ名が、決められた。




ぇー、前書きで書いた通り詳細書きたいのですが。

すいませんでしたあああああああああああああああああああああああ!!!

シオン達の二つ名に悩んでうだうだ書き連ねつつ10話完成させたら、なんと合計26000文字超えとかいう、インファント・ドラゴン戦の時以上の文字数になったんです。日常系でここまで書き綴るとは思ってもなかった。

このまま載せるかどうか悩みに悩んで挙句、結局分割することにしました。分けると丁度13000文字ずつになったのも後押ししましたが……。

後もう一つ謝罪。今まで書いていた文章で設定と神の名前誤字ってるところがあったので修正しました。本編には関係ありませんが、一応記載。

【ステータス】→【ステイタス】
ディアケンヒト→ディアンケヒト

今気づいて良かったと本気で思います。10話全部誤字修正しましたので、これから間違えないよう気をつけます。


とりあえず今回の解説をば。

・シオンは教えるのが苦手?
別にシオンは完璧超人ではありません。教えたことがないのに上手な教え方がわかるはずもなく、自分にされた指導内容をそのままトレースする感じになりました。

・ロキの頑張り。
今回珍しくロキさんの魅せ場。実は分けた理由の一つに、ロキさんの魅せ場を残すにはここまでがちょうど良かったから。
彼女が登場するのはギャグか超シリアスのどちらかな気がする……。

とはいえこちらのロキさんは原作の面影残しつつ中々真面目。ただ振り切れると原作のおっさん部分がご登場しますけど。

他にも色々ありますが、この後の展開がつまらなくなるのでここまでで。

さてここからが本題です!

前回私は『彼らの二つ名』を投稿すると後書きにて書きました。しかし今回は書きすぎて分割、その結果シオン達の二つ名も当然次回に持ち越しです。
楽しみに待っていてくれるであろう(そう、思いたい……うん、多分楽しみに待ってくれてると思う)読者をガッカリさせたくありません。

なので!

次回の更新『彼らの二つ名』は、明日の21時更新にします!
ウンウン悩んで考えたシオン達(特にベートとティオネ)の二つ名も、明日発表と相成ります。

……ストック? んなもん知るかぁ! 書けばいいんだよそんなの!(ヤケクソ)


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彼らの二つ名

 四時も過ぎた頃になって、シオン達4人はロキに呼び出された。

 理由は知っている。今日が神会開催日と、シオン達はあらかじめ聞かされていたからだ。つまりこの用件は、十中八九二つ名の話だ。

 ワクワクしているティオナを横目に、シオン達もどんな称号()が与えられるのか、内心ソワソワしていた。

 あまり変な名前は困る。でもカッコイイ方が嬉しい。いやでも呼びかけられて恥ずかしいものはちょっと……いやいやでもでも、と実は結構皆期待してたりする。これでもシオンは男の子なのだ。

 一応コンコンコン、とノックを三回してから言う。

 「呼ばれてきたシオンだけど。3人もいる。入っても?」

 中からええでー、とどこか疲れた様子の声に顔を見合わせる。神会とはそんなにも疲れるものなのだろうか。議題で何か白熱するような物でもあったのだろうか。

 と、自分達の事を完全に忘れ去っているせいか、頭を捻りながら中に入る。

 「おー、ようきたな……そこ適当に座ってくれや」

 ベッドに横になってひらひらと手を振るロキ。かなりラフになっている彼女は服がズレてヘソが見えていた。

 とはいえシオン達はまだ6歳、何かあったのだろうかと心配はしても、それ以上の感情を抱くことはなかった。

 シオン達全員が座ったのを確認すると、ロキは上半身を起こし、姿勢を正す。そして気怠げな雰囲気を一瞬で打ち消すと、真剣な表情でシオンを見渡す。

 そして、ニンマリと笑った。

 「よかったなぁ皆! いい二つ名(なまえ)、貰ってきたで!」

 おおっ、と沸き立つシオン達を見て、ロキは内心、頑張って良かった……と心中男泣きでガッツポーズしていたのだが、顔には素振りすら見せない。

 「でもま、ティオネとベートはシオンに感謝しとき。2人の二つ名はシオンのお陰で決まったようなもんやから」

 「おれの……?」

 「2人、ギルドの質問にまともに答えなかったやろ。そのせいで資料がスッカスカで、最後に答えたシオンが埋めるハメになったんや。変な二つ名になってたら自業自得になってたかもしれないんやで」

 「「……っ」」

 一瞬息を呑み、それからゆるゆると緩慢な動作でシオンを見つめる。けれど恥ずかしさが先行したのかぷいっと顔を横に向けた。

 しょうがないなぁと微笑ましげな笑みを浮かべると、ロキは、

 「それじゃ最初はベート。心して聞き」

 「ああ」

 言葉少なに言っているが、組んでいる腕が小さく揺れている。期待が隠しきれていない証拠だ。本当に、子供である。

 「【頂見上げる孤狼(スカイウォルフ)】、それがベートの二つ名や」

 「【頂見上げる孤狼】……な。意味は、あんのか?」

 「あるでー? でもま、ティオネも言ってからな」

 そして手を後ろに回しているティオネを見る。彼女の体に隠れて見えていない――とティオネは思っているかもしれないが、腕の動きから手をフラフラさせているのが丸わかりだ。

 「ティオネは【小人の乙女(リトル・レディ)】、やな」

 「【小人の乙女】……なんか、可愛らしい感じね」

 「さっきも言ったやろ? この二つ名はほぼシオンの言ってたことを参考にしてるってな」

 そう言うとロキは横に置いてあった紙を二枚取り出し、一枚をベートに、一枚をティオネに渡した。

 不思議そうに見上げてくる2人に、堪えきれずくくっ、と笑ってしまう。

 「それな、調査書の一部――()()()()()()()()抜いたもんや」

 「!??」

 黙っていたシオンの肩が跳ね上がり、数度視線が3人の間を往復する。そしてやっと意味を理解すると、

 「ま、待てベート、ティオネ! その紙よこせ!」

 慌てたように2人に向かって突撃してくる。

 当たり前だ。あの紙に書かれているのは『シオンの本音』である。決して口外しないのを理由に質問に答え、司会進行役の資料にのみ記されている物。ロキが持っているのは神会が終わったあとにヘルメスを脅――話し合って譲り受けたからだ。

 しかしそんな事シオンにとってはどうでもいい。

 重要なのは――中身を見られない事なのだからッ!!

 「ティオナ、シオンに抱きついて!」

 「え、あ、うん!」

 「ティオナ……裏切るのか!?」

 それを封じるのは、なんとティオナ。思わぬ伏兵に悲痛な叫びをあげるシオンに心を痛めるティオナだが。

 ――ごめんなさい……私はティオネに逆らえないの……っ。

 先日借りたお金を、ティオナはまだ返済しきれていない。それをチャラにしてやるから言うことを聞きなさい、いや聞けと目で脅されたティオナは、指示に従うしかなかった。

 「やめ、やめてくれ……やめろおおおおおおおおおおおおおおおおお!??」

 例え、想い人の叫びを聞いても、放すわけにはいかなかった。

 調書に書かれていた内容を抜擢すると、このように書かれていた。

 ベートの場合、

 『双剣で戦うのが主なスタイル。一撃離脱が基本で、役割は遊撃手――って、違う? 聞きたいのは普段の日常的な事? ハァ、まぁそれならいくらでも言えるけど。

 ベートは素直じゃない。汚く罵ってくるのは普通だし、相手を見下すのは日常茶飯事。敵を作るには本当に事欠かないよ。

 でもそれは、相手を想ってのことだ。

 何もしようとしない、あるいはその場で燻り続ける人間のケツを蹴り上げて、無理矢理奮起させてやる。自覚させて、前を向かせようとしてるんだ。その為になら嫌われる事だって受け入れるんだよ、アイツは。

 だからベートは努力する。相手を罵って見下すのなら、それに足るだけの根拠を示すために。そう言えるだけの事をしてる。おれも努力してるけど、アイツは誰にもわからない場所で人知れず双剣を振るってる事が多いから、どれだけ差があるのか。

 きっと、ベートは強くなる。今はまだ遥かに遠い頂きを見つめているだけだけど、どれだけ時間がかかったとしても、そこに牙を、爪を突き立てて、無理矢理にでも上り詰める。

 とても頼りになる――皆を守ってくれる、気高い狼さ』

 ()()()()()ベートがグシャリと紙を握りつぶしたのを、シオンが絶望的な顔で見ている。まるで目の前で大切な人を殺されたかのような表情だ。

 「それじゃ、次は私」

 ティオネも、容赦してくれなかった。

 そして皆に聞こえるように、その綺麗な声で読み始める。

 『さっきと同じ感じに話せばいいのかな。それなら色々あるよ。まぁ、殺し合いをした相手だからこそよくわかるっていうのも、変な感じだけど……。

 ティオネは結構面倒見がいい。そのお陰なのかは知らないけど、おれの次に戦況を俯瞰して見てくれてるから、気づかない部分を教えてくれるのも彼女だ。

 元々はオラリオの北区で悪ガキの大将をしてたらしいから、多分その影響かな。あるいはフィンがいたからか。

 ん、ああ、ティオネはフィンに恋してるんだよ。色々惚気話も聞いた。そのために努力してるのも知ってる。できれば報われて欲しいと思ってるけど、結局のところ当人同士の話だからおれにはどうしようもないね。

 いつも周りを叱咤激励して、足りない物を補ってくれて。パーティのお姉さんって感じになるのかな。本当に、助けられてる。

 彼女がいなかったら、きっと【ランクアップ】は無理だった、そう言い切れるからね』

 読み上げたティオネも、ベートと同じく紙を握り締めていた。顔が真っ赤になっているのは気のせいではあるまい。

 「……いっそ、殺せ……っ!」

 ティオナから解放されたシオンは、しかしガックリと四つん這いになって項垂れる。それはまるで斬首を待つ囚人のようで、

 「二人の二つ名は、まんまそこから引用や。詳しい意味は自分で考えるか、シオンから聞き」

 しかしロキは容赦なく無視した。

 「ほな次行くで。ティオナやな」

 「え、え……?」

 ――マジもんの鬼である。

 シオンを放り捨ててロキはティオナに向き直る。ティオネとベートも赤くなった顔を見られないよう顔を背けているため、一向に口を開かない。

 困惑するティオナに、ロキは何故か先程よりもニヤニヤ成分をあげている笑顔で彼女のことを見つめていた。

 ――なんか、嫌な予感が。

 その予感は、的中した。

 「ティオナの二つ名は――【初恋(ラヴ)】や」

 「へ……? は、【初恋】ッ!?」

 「いえす。ラヴュや、ラ・ヴュ。ちなみにこれ名付けた神は『ふに濁点じゃなくてうに濁点な、間違えんなよ!』とか妙に力説してたで」

 「う、あ……え――」

 チラチラとティオナの視線が横を向く。その先にいるのは彼女の想い人であるヒューマンの少年がいる。

 バレた……バラされた、ロキのばかぁ!? とティオナが内心泣き叫んでいると、やっと心の整理がついたらしいシオンがティオナを見て、気まずそうに目を逸らしながら。

 

 

 

 「えっと、ティオナって好きな人、いたんだな……」

 ――部屋の空気が、凍った。

 全員の口がえっ、という形に固定されているのに気づかず、シオンは言う。

 「そういうのおれにはよくわかんないんだけどさ、それならあんまりベタベタおれに触れるのはマズいと思うんだ。勘違いされたらティオナも困る、だ、ろ……」

 視線は定まらず、ところどころ妙に声音が跳ねていて不自然丸出しだが、それに気づかないティオナは少しずつ移動してシオンに近づき、

 「し」

 「し?」

 「シオンの、バカあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!」

 「ぐふぁ!?」

 ティオナの全力の張り手が、シオンの頬を打ち抜いた。

 これが普通の子供なら、何ともなかっただろう。だがティオネの『力』は、パーティ内で最も高い。シオンの『耐久』をぶち抜いてダメージを与えるなど、造作も無かった。

 洒落にならないダメージにシオンが倒れ、その口から血がこぼれる。けれど涙目になったティオナはわかってくれないシオンをキッと睨んで、部屋の外へ飛び出した。

 「自業自得だ、ダァホ」

 溜め息を吐いて、ベートはシオンの頭を軽く蹴って部屋を出る。

 「ま、流石に全力はやりすぎだと思うけどね。これ、飲んどきなさい」

 呆れを宿しながらも持っていた回復薬をシオンの横に置き、ティオネも部屋を出た。

 「……シオーン、大丈夫かー?」

 自分がけしかけたことなので一応問いかけるが、この程度の傷はシオンも慣れている。ただ脳を揺らされたので、プルプルと手をあげただけだった。

 何とか落ち着いて回復薬を飲めたのは、数分後のことだった。

 どこか物憂げに薬を飲んで、手元で空になった瓶を弄ぶ。

 「ハァ……ティオナの一番近くにいたのに気づかないなんて、なんかショックだったな」

 瞬間、ロキは真顔になり、それからどうしようもない子を見る目でシオンを見て、

 「ホント、()()、やな……」

 そう苦笑しながら言った。

 どこか呆けた様子のシオンを横目にロキは姿勢を正してから告げる。

 「最後、シオンの二つ名や」

 だが、シオンの反応は薄い。スッと視線をロキに移しただけだ。

 「あんたの二つ名は――」

 それを聞いたシオンは何も言わず、数十秒思考した様子を見せてから、部屋を出る。それを見送ると、ロキは誰もいなくなった部屋で思い切り体を倒した。

 「ああ、もう! 一難去ったらまた一難かいな。ホント苦労するで……。まるで、フィン達みたいや」

 一番いなくてはならないのがシオンで、しかしシオンが一番の爆弾を抱えている。

 それを何とかするのはロキじゃない。

 「頼んだで、皆」

 何とかするのは、3人……いや、もしかしたら、4人かもしれない。

 

 

 

 誰もいない屋根の上で、ボーッとシオンは日が暮れる寸前の、赤い太陽を見ていた。

 理由は特にない。1人になりたいと思って、気づいたらここにいただけだ。風に当たっていたかったのかもしれない。よくわからなかった。

 「シオン、風邪引いちゃうよ」

 そこに、気まずそうにしながらティオナが来た。眉を寄せて、先ほどの件が尾を引いているのか近づこうとしない。

 シオンは振り向いた顔を戻し、また視線を太陽に戻す。おずおずと歩き出し、シオンの隣まで来るとティオナは腰を下ろした。

 ――ど、どうしよう……。

 先ほど頬に思い切り紅葉を付けてしまった手前、どうにも話しかけづらい。黄昏てるシオンを放っておけなくて来てしまったが、浅慮だったかもと後悔する。

 それでもティオナは諦めず話題を探し、最適なのを見つけた。

 「ところで、シオンの二つ名ってどうなったの? 聞けてなかったから、教えて欲しいな」

 「【英雄(ブレイバー)】」

 「そっか、【英雄】なんだ。って……え?」

 あまりにも呆気無く言われて流しそうになったが。

 「その名前って、フィンのものじゃ? それをロキが許したの?」

 当然ではあるが、他人とほぼ同じ二つ名はまず存在しない。というか、存在しては二つ名の意味がない。その名の持ち主がずっと前に死んでいた場合や、あるいは()()()()()()()()()()という例外を除けば、同じ時代に似た二つ名は、無い。

 「だから、フィンが許可したんだろうね。ロキの顔を見て、大体察した。本当、この二つ名は()()()()よなぁ」

 憂いのこもった息を吐き出し、シオンは儚く笑う。

 それはいつもシオンが浮かべる、皆を励ますためのそれとは違う。

 色々な物に疲れた、生きる事に疲れた者の笑みだ。

 「重すぎるって、でもシオンは『英雄になる』のが目標なんでしょ? それが叶ったんだから、喜んでもいいんじゃ」

 「おれは別に英雄って呼ばれる程の事はしてないよ。分不相応すぎる」

 そんなことない、そう言いたかった。でも届かない。いや違う、シオンはもっと別の部分にも思い悩んでいるから、こんなに疲れているのだ。

 考える。普段回さない頭を回して。

 【英雄】になるのに分不相応、これはわかる。ティオナ達にとってシオンは英雄のように頼りになる存在だが、シオンはそう思っていない。

 重すぎる――これが恐らく鍵。

 何が重いのか、と考えてみて、関係があるのはフィンが許可したということ。

 【勇者】はフィンの称号だ。そして、ブレイバーという呼び方は、英雄に付けるにはちょっと違和感がある。

 フィンが勇者という名を求めたのは目的があるからだと聞いている。そしてそれは、小人族のために、ということも。

 ――勇者とブレイバーを切り離して考える……?

 勇者という称号は小人族のために不可欠。だからシオンに付けることはできない。そもそもシオンは英雄になりたいのであって、勇者になりたいわけではないのだから。

 しかし、呼び方は別だ。ブレイバーという名をシオンに渡す、そこに意味が有る。ただ、ここから先がわからなかった。

 「……そんなに気になるのか?」

 「!?」

 ビクリとティオナの肩が跳ねる。おずおずと視線をシオンに向けると、無機質な瞳がティオナを捉えていた。

 ゆっくりと頷き、シオンはそれを見て、そう、と答えた。

 「ブレイバーは、役職だよ。今フィンが【ロキ・ファミリア】で行っている事の象徴。それをいつか、おれに譲り渡すっていう意思表示……なんだと思う。多分ね」

 「フィンの、役職? それって、まさか!」

 フィンが【ロキ・ファミリア】においての立ち位置は、誰もが知っている。そしてそれを受け渡すのが、どんな意味なのかも、わかった。

 「で、でも、私達まだ6歳だよ? いくらなんでも性急すぎると思う」

 「別に不思議じゃない。フィンはもう三十を超えてる。【ランクアップ】の恩恵で老化が遅くなってるからわかりづらいけど、十年後ならおれは十六で、フィンは四十。二十年後なら二十六と、五十になる」

 逆に考えるんだ、とシオンは言う。

 「今から後継者を育てないと、間に合わないかもしれない。一から学んだフィンと違って、次代の団長は育ちすぎた【ファミリア】を背負うようになる。それで右往左往していたら今までの努力が瓦解する。もしかしたらフィンは、最初からこれを狙っていたのかもしれないね」

 だから、重すぎる。

 まだ背負うに足る力を持っていないのに持たされた【英雄】という名前と、いずれは【ファミリア】の団長を任されるという重圧。

 けれど、ティオナは少しだけ引っかかった。

 ――シオンは、何か隠してる……?

 まるで本当に大事なことだけを押し隠しているかのような、そんな違和感。放っておいたらダメだという焦燥感がティオナの胸を焦がす。

 ふと、言葉が漏れた。

 「……待って。二つ名として、団長を譲るのを表明した? シオンにそれを気づけたんだったら他にもわかった人はいるんじゃ……!」

 「よく、気づいたな」

 それが聞こえたのか、シオンは言いながら顔を逸らした。

 基本的にシオンは嘘を言わない。言いたくないことははっきり言いたくないと言うし、情報がはっきりしていない時はそう前置きするか、後にちゃんと付け加える。

 そんなシオンが否定しないとは、つまり、その可能性に、気づいている。

 【ロキ・ファミリア】を快く思っていない相手に、『自分が殺される』可能性を。

 「なんで、そんな。フィンだってわかってるでしょ、そんなことくらい!」

 「だろうね。気づいてないはずないよ。フィンなんだし」

 とはいえ、実際に狙われる可能性は低い。

 下手にシオンに手を出して、その【ファミリア】の所在がはっきりした場合、待っているのは迷宮都市二大派閥の片割れが全力で殲滅しに来るという報復だ。それだけの価値がシオンにあるかどうか。そこが判断基準だ。

 ちなみにシオンは、自分を喧伝する裏で、本当の後継者を育てている可能性も考えていたが、絶対にティオナが怒るとわかりきっていたので言わないでおいた。

 『シオンを囮にするなんて許せない!』、と烈火のごとくフィンに抗議しに行く姿が目に浮かぶ。

 「望んだ、名前ではあるけど……まだ欲しくは、なかったな。贅沢なんだろうけどね」

 そして一泊置いて、シオンは言った。

 「たまにだけど、ふと思うんだ。いっそ全部投げ出して、どこかに行っちゃえば、楽になれるんじゃないかって」

 ティオナの体が固まった。

 驚きに見開かれた目と口をシオンに向け、困惑し、そして最後に、理解した。

 ――シオン、弱気になってる?

 巷の誰もがシオンを凄いと思っている。ダンジョンで指揮を取り自らも戦う、小さな者達のリーダーだと。

 確かにそれは正しい。けれど噂に尾ひれは付き物で、中にはシオンを天才だ、完璧だと言うような者さえ言うほどだった。

 でも、シオンだって疲れる時はある。だから心が落ち込んで、弱気になったとしても、不思議でも何でもないのだ。

 落ち込んでる姿を見たのは、これが初めてだけれど。

 きっとこれも一時的な物だ。明日になればいつものシオンに戻ってくれる。

 でも――私は……

 カタ、という音がする。ティオナが立ち上がった音だ。そろそろ戻るのかな、とシオンは思う。後十分か二十分で日も暮れる。そうなればシオンより軽装のティオナは寒くなってもおかしくはない。

 赤くなった夕日を見るのに目が疲れてまぶたを下ろす、その瞬間だった。

 「シオンってさ、頭いいけどバカだよね」

 「誰が、バカだ。それよりこの格好……!?」

 ――抱きしめられてる。

 何となく感覚で、ティオナが膝立ちになっているとわかった。そのままティオナは顎をシオンの額にぶつける。

 顎で額を、後頭部を胸で、即頭部を両腕が通ってシオンの胸元を抱きしめているせいで、逃げられない。そもそも『力』で劣っているシオンは、こういった体勢になるとまず勝てないのだ。

 それでも、形振り構わなければ逃げ出せた。両腕は自由に動くのだ、ティオナを無理矢理振り解けば何とかなる。

 行動には、移さなかったけれど。

 「シオンが逃げないように、だよ。もしシオンが暴れたら、私、屋根の上から落ちちゃうかもしれないねー?」

 コロコロと笑うティオナを、唯一動く視界で見上げる。

 一体何が、したいんだ、と困惑するシオンに、ティオナはいきなり頭を撫でてきた。

 「シオンはちょっと考えすぎ。だからこんな風にうだうだ悩むんだよ?」

 「考えなきゃ後で困るのは自分なんだが。いつものティオナがいい例だ」

 うっ、と言葉を詰めるティオナ。頭の地力で負けているので、口論になれば同年代でシオンに勝てる人間はほとんどいない。

 「それはそれ! これはこれ! もう、何でこういう時のシオンは頭固いのかな……いい? 一つだけ、シオンに聞くよ?」

 「まぁ、いいけど」

 「それじゃ。――シオンは、二つ名を貰えて嬉しいの? 嬉しくないの?」

 ティオナがやったのは、単純な事だった。

 感情に訴える、ただそれだけである。

 頭で――理屈で考えるのはもう散々やりきった。ならば後は、それだけだ。嬉しくなければロキとフィンに抗議しに行くだけ。幸い二つ名は【ランクアップ】の度に再度決め直せるらしいので、それを利用すればいい。

 嬉しいのなら、後は言うまい。

 「……嬉しい、よ。嬉しいに、決まってる」

 数分して、シオンはそう答えた。

 「ずっと、なりたかった」

 「うん」

 「義姉さんが死んでから、誰かを守れる、助けられる英雄に、なりたかった」

 「うん」

 「今は、名ばかりの英雄だけど……いつか、きっと。フィンが、ロキが、この二つ名がおれに相応しいと思えるような英雄に……なってみせるっ」

 「……うん」

 「でも……」

 やっぱり、シオンは優しいと思う。

 優しいから、こんなに苦しんでる。

 「私達は、気にしないよ?」

 でもその優しさは、ティオナにとって余計なお世話だった。

 「()()()()()()()()()()のを恐れてるなら、そんなの気にしないで」

 「なんでわかっ、っ」

 目を見張らせるシオンの口に指を当てて、動きを制する。

 理屈で言うのなら、自分の命を軽視しがちなシオンがここまで気にするのはちょっとおかしい。先の理由の更に付け加える内容に、誰かの目が届きにくいダンジョンで襲撃されたらパーティメンバーである3人の命も危ないから、である。

 けれど、もし感情論で言うのなら。

 「わかるよ。シオンは私の大切な、初めての――」

 一瞬ティオナは口篭ると、

 「友達、だからね」

 照れ臭そうに、笑いながらそう言った。

 ギュッとティオナの両手に力が入り、シオンの服に皺ができる。同時に胸元を押されたシオンの後頭部がティオナの胸元に押し付けられるようになり。

 トクントクンと、ティオナの心臓の音が聞こえてきた。

 ――……なんか、落ち着く。

 スッと目を閉じて耳を澄ませる。よくわからない感覚だけれど、理由もなく、体から力が抜けていった。

 シオンの肩から力が抜けたのがわかったのだろう。少しだけ体にかかる重さが増したティオナが今の体勢に恥ずかしさを覚えて、笑みを苦笑に変えて茶化した。

 「まぁ、私が図書館から出れたのはシオンのお陰だし。もしかしたらシオンは私の白馬の王子様なのかもね?」

 お姫様って柄じゃないけど、と言うと、少し身動ぎしたシオンが右手をティオナの手に重ねて強く握った。

 まるで、何かを反論するかのように。

 「ティオナはもうちょっと身嗜みに気を付ければ、お姫様になると思うけどね。素材はいいんだからお洒落してみなよ」

 「っ!」

 ティオナは一気に顔が熱くなるのを感じた。声を出さなかったのは奇跡だろう。

 今、シオンに顔を見られてなくてよかったと思う。

 きっと耳まで赤くなってると思うから。

 ――ていうかシオン、自分が褒めてるって自覚、無いよね……。

 ちょっと姿勢をズラしてぽふっとシオンの髪に顔をうずめる。どうしてそうしたのかなんてティオナにもわからない。

 シオンはちょっと擽ったそうに身をよじると、先ほど茶化された意趣返しのように、

 「でも本当の王子様とお姫様なら、この場面は愛の告白になるんじゃないかな?」

 「へっ!?」

 そんな、ティオナの心臓を跳ねさせる言葉を言ってきた。

 きっとシオンは冗談で言っている。そんなのはわかっている。だけど、それでも。

 ――少し期待しちゃうのは、どうしてなのかな。

 滅多にない機会(チャンス)である。全然察してくれないシオンに一体どれだけやきもきしたか。

 今言えば、きっとシオンは誤解せず、言葉の意味を察してくれる。

 なのに、ティオナの唇は震えたまま動かない。何かを堪えるように固く引き締まっているだけだった。

 「……それはちょっと、本の影響受けすぎじゃないかな」

 結局言えたのは、それだけだった。

 シオンもそうだよな、と笑って返す。やはり冗談だったらしい。どこかホッとしたような、寂しいような、複雑な気分になる。

 せめてもう一度だけ、力強く抱きしめてから、シオンを離す。

 「……元気出た?」

 「ああ、出たよ。悩んでるのがバカらしくなってるくらいには、ね」

 そっか、と言って、ティオナは立ち上がる。実は結構痛かった膝の鈍痛を堪えてシオンに背を向けると、

 「私、そろそろ部屋に戻るね。体、冷えちゃうし」

 「おれはもうしばらくしてからかな。あと少しだけ、夕日を見てたい。あ、そうだ。リヴェリアに一つ聞きたい事があるって、伝言お願いできるかな」

 「うん、わかった。……ちょっと早いけど、お休みシオン」

 「お休み、ティオナ」

 足音でティオナがいなくなったのを感じる。

 「なんか、変な感じ。でも」

 さっきまでは何の感慨も抱かなかった太陽に、口元を緩める。

 「本当に、ありがとう」

 その笑顔は、ティオナの好きなシオンの笑顔だった。

 

 

 

 2人が会話していた、その合間の出来事。

 「――行かなくていいの? 折角ここまで来たのに」

 「けっ、落ち込んだ男を慰めるのは女の役目だ。俺はお呼びじゃねぇ」

 「……あんたも大概素直じゃないわね。()()()()()()()()じゃない」

 「……何のことだか、わかんねぇな」

 「全く、パーティメンバーを理解するためだとか言って。本当は……」

 そんな会話が影で交わされていたかどうかは、定かではない。

 

 

 

 部屋に戻って湾短刀と投げナイフを手入れしていたティオネは、ノックも無しに部屋に入ってきたティオナを訝しんだ。

 とはいえそれもよくある事なので、何かを言うつもりはない。ただ、もう少し部屋の中にいる人間の都合は考えて欲しいが。こっちが着替えていたらどうするつもりだったのか。

 何故か何も言わないティオナにどうしたのかと視線を向けてみるも、彼女は黙したまま部屋に置いてある椅子を引いて座ると、いきなり頭を抱え出して、

 「ああああああもおおおおおおおおお! 私のバカ、バカ、バカあああああああああ!!」

 ゴン! ゴン! ゴン――!

 唐突な奇声と共に、頭を机に叩きつけ始めた。

 あまりにもあんまりな展開にポカンと口を開けて呆ける事しかできなかったティオネだが、ピシピシという妙に嫌な音が出て我に帰ると、ティオナを雁字搦めに縛りにかかる。

 「落ち着きなさい! ていうか落ち着け! 机壊れちゃうじゃないの!」

 「なんで言えなかったの、私いいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」

 ……何とかティオナを落ち着けて、事情を聞いたティオネ。

 その第一声は、

 「――バッカじゃないの?」

 「うっ!」

 「あのシオンが、自分からそう言ってくれたのよ? またとない好機(チャンス)じゃないの。それを自分から手放してどうするのよ……」

 「うぐっ!」

 まるで鋭い刃が胸元に突き刺さったかのようにそこを押さえるティオナ。だがティオネとしては呆れて物も言えないので、仕方ないだろう。チラとティオナを見る。

 クッションを抱き枕にしてゆらゆら揺れているティオナに、しかし後悔の色がなかった。

 「だって、ズルいと思ったんだもん」

 「何が?」

 「落ち込んでるところに付け込むみたいで、なんか、イヤだったの。私が見たいのは、いつものシオンで、あんな悲しそうにしてるシオンじゃないんだもん」

 もしかしたら、受け入れてくれたかもしれない。

 でもそれは、本当にシオンが受け入れてくれたのかと、いつかきっと疑問に思うタイミングでもあった。

 いつか後悔するなら、今後悔する。

 だからティオナは、

 「今はいいの。いつか、きっと。その時まで、告白(すき)はお預け」

 そう言って、素直に笑えるのだ。

 必ず『好き』と言える、その日まで。

 「本当に、バカね。恋は戦争なのに」

 それは、フィンを好きになったティオネだからこそ言えること。

 オラリオでも女性人気の高いフィンは、ティオネの知らない内に女性に言い寄られている事が多い。それにヤキモチを妬かされた事など暇がない。

 ティオナが何も言わずにいる間、誰かがシオンをかっ攫っていく可能性だってあるのに。

 そう言い切れる妹を、誇らしく思えるのはどうしてだろう。

 「……頑張りなさい。いっそシオンの方から告白させるくらいにね」

 「うん、頑張るよ! ……それはちょっと、ハードル高いけど」

 姉妹はお互いの想い人と結ばれるため、ただ努力する。

 いつか訪れる、未来のために――。

 

 

 

 ――そんな事があってから、一ヶ月が過ぎた。

 オラリオに広がった二つ名は各所に激震を与え――特にシオンの二つ名に関しては、様々な噂が噂を呼んだ――ており、下手に外を出歩くとどこかの神に余計なちょっかいをかけられる有様となっていた。

 それでも金稼ぎのためにダンジョンに潜る必要はあるので、ぐったりとしながらシオン達はバベルとホームを行き来するハメになったのだが、ロキが方々に手を回してくれたので、今は何とかなっている。

 そしてシオンは今、相変わらずアイズの手解きをしていた。

 一ヶ月前は無理矢理型の矯正だけをしていたが、アイズの剣の腕前はメキメキと上達してきており、皆の目を驚かせた。

 Lv.2のシオンでも中々ヒヤリとする剣筋だが、それでもまだまだ荒い。

 そう、思っていたのだが。

 「ハッ!」

 「おっと!?」

 一瞬素早く手を振り、加速する剣閃。

 咄嗟に首を捻って避けたが、頬にパックリと傷ができた。特に問題無いレベルだと判断したが、初めてシオンがアイズから受けた傷だった。

 「や、やった! 初めてシオンに、攻撃当たった!」

 「アホ、無茶しすぎだ」

 と喜ぶアイズに、シオンは溜め息を吐いてゴツンと彼女の頭を叩いた。呻きながら頭を押さえる彼女の右手を無理矢理引っ張る。

 「っ……」

 「無理矢理手首捻っただろ。あんなやり方してたら癖になって簡単に骨が折れるようになるぞ。もっと考えて振れ」

 「でも、工夫はしたよ? シオンの言った通りに」

 それを言われると、弱い。

 再度溜め息を吐き出しながら回復薬を自分の頬とアイズの手首に塗りつける。この程度ならわざわざ飲む必要性は無いだろう。

 痛みに顔をしかめていたが、それでもアイズは聞いてきた。

 「ねぇシオン、私、そろそろダンジョンに行けるかな」

 「またそれか。何度も言ってるだろう? 今行っても死ぬだけだ。ダンジョンはそれくらい危険なんだよ」

 当たり前のようにそう言って、シオンは剣を握り直す。今握っているのは鍛錬用に買い直した物であり、刃は潰してある代わりに耐久度が高くなっている。

 そんな剣でシオンの頬を切り裂いたのだから、相当だ。これならもうちょっとすればダンジョンに行けるようになるだろう。

 内心でそうワクワクしながら構える。しかしアイズは一向に構えないまま俯いていた。

 その姿は、まるで我慢に我慢を重ねたかのような。

 「……? アイズ?」

 「……に、なったら」

 ギリリッ! と歯を噛み締めるような音がした。

 「いつになったら! 私はダンジョンに行けるの!?」

 一ヶ月だ。

 もう一ヶ月も経った。それなのにまだ一度もダンジョンに行けていない。フィン達は『シオンが許可したらいいよ』としか答えず、そのシオンは『まだダメだ』としか言わない。

 「私は今すぐお母さんを探しに行きたいのに、シオンは『まだ』って言うばかりで、何もしてくれない! 手伝うって言ってくれたクセに、私の邪魔ばっかり!?」

 声が裏返るほどの大きさで、アイズは叫ぶ。

 私はいつまでここで燻っていなければならないのか、と。

 「……落ち着けアイズ。焦ったっていいことは無いんだ。地盤を固めないと、あっさり崩れて死ぬぞ」

 なのに、シオンはそれをわかってくれない。

 いつも上から目線で、『死ぬぞ』と繰り返すだけ。そんなのわからないのに。そうと決まっているわけじゃないのに。

 どれだけ声を荒らげても、冷静に返されるだけだった。

 「――嘘つき」

 「え……」

 「シオンの、嘘つき! もういいよっ、私は一人でダンジョンに行くから! シオンの手伝いなんて初めからいらなかった!」

 無駄な時間ばかりが、過ぎていた。

 シオンのせいで。

 目の前にいる奴のせいでっ!

 怒りのままに背を向け走り去る。扉を押し開け、刃の潰れた剣ではなくちゃんとした剣を武器庫から『拝借』して、玄関から外へ。途中誰かとすれ違ったけど、目的までは察せないだろう。

 門番の人にはお使いと嘘を言って、外に出してもらう。

 チラリと後ろを見る。

 そこにシオンは、いなかった。




――ラブコメを封じてしまおうかと言ったな。アレは嘘だ。

とまぁ本当は前回書くつもりだった戯言は置いといて。

割とあっさり目に書かれた原作の二つ名発表を、こちらは敢えてガッツリ書いてみました。特にシオンが叫ぶシーンは珍しいので入れたかったのですよ。
シオンの本音に恥じらう2人はどうだったでしょう? ニヤニヤできたのならいいのですが。

ティオナとシオンは……あの時点では相変わらず、と。

まぁここまで長くなったのは大体ティオナがいたから()
彼女とシオンのシーン書いていたらここまでになっちゃったのです。

感想にあった部分抜粋。
『そして、六話目の
>ティオナ・ヒリュテは、バカみたいな笑顔で、それを伝えられる人間なのだから。
前々からどうしてもこれがフラグにしか思えない件。
想いを伝えようとしたティオナが羞恥で顔を真っ赤にして結局伝えられずに自室に逃げ帰って自己嫌悪に陥る様が目に浮かびました(悶絶中)』

これあったので、ちょっと細かい部分変更して書いてみました。
書いて欲しい! って感じでは無かったのですが、個人的に気に入ったのでこんな感じにしようかな、と。要望応えられたでしょうか?

言えたチャンスがあったのに言えず、後悔。しかししっかりした理由を姉に告げて微かな未練を吹っ飛ばす。ダイジェストにするとそんな感じですね。

やっぱラブコメ書くとティオナばっかりになりますね。まぁだからこそ、前回のロキの魅せ場ティオナに食われないよう分割したんですが。

・二つ名について。
本編通りベートから。
頂見上げる孤狼(スカイウォルフ)
今はまだ果てすら見えない強さの頂点を見上げている狼。つまりベートそのものを表した二つ名です。
孤がついているのはシオンが表現した『気高い狼』から。
決して孤高(笑)とか孤独(ボッチ)じゃないですからねっ!
蛇足で付け加えると、インファント・ドラゴン戦の奇襲時に空を跳んだ(スカイウォークした)事からスカイウォルフを引っ張ってきました。
まぁこちらは語感からです。これに気づいた人いたら正直怖い。

次にティオネ。
小人の乙女(リトル・レディ)
原作の姉妹の二つ名は恐ろしげな印象があります。
なのでコチラでは完全に可愛い二つ名にしたかったんですよ。可愛らしい二つ名にできてたらいいんですけどね。
【小人の乙女】をもっと詳しく言うと、小人(フィン)に恋する乙女(ティオネ)、です。ただ長いので短縮した結果ああなりました。
ティオネの頑張り、報われて欲しいです。

ティオナ。
初恋(ラヴ)
割とあっさり決まった二つ名。
前回で書きませんけど【愛】にしようか、【恋】でいいんじゃないか、なんて検討されていましたが、彼らがティオナをよく知らず、年齢的に初恋だろって事で、この名前に決まりました。
……ある意味直球過ぎてティオナが恥ずかしい目に。
本命(シオン)には気づかれてないけどね!

最後にシオン。
英雄(ブレイバー)
本編でほぼ書いたのでここでは何も言いません。
一応『ティオナは乙女』でフィンとロキが会話していたのはこの為です。結構簡単な伏線でしたかね。
感想でも
『【ロキ・ファミリア】は主神の方針から女性は美女美少女だらけですから、このままシオンが成長していったらとんでもないことにならないですかね?
新入りやらを見下すベート、ティオナやリヴェリアと口論、そして一人その新人のフォローに走るシオン。おお、新たなフラグが。
男女関わらずフォローしそうですし、将来的にメッチャ人気出そうな気がします』
おっ、と思ったものです。
実際フィンはシオンの才能と人格から『シオンなら』と思ったので、感想でもこんな指摘があったのは嬉しかったですね。

本編ではテンポ悪くなるので入れられなかった二つ名の詳しい解説。これからの本編ではまず関係しないので、裏設定的な感じです。
読まなくても影響無いのですが、気になる方のために一応。

長々と書いてしまいましたが、ほのぼのと終わった4人と違い、シオンとアイズは険悪な雰囲気で終わりました。

次回の更新は、ちょっと悩んでいます。間を開けるか、いつもどおり更新するか。恐らく次回の文章量でまた変わります。
なので次回の更新日は謎です。時間は21時ですが。
タイトルも今回は発表無し。

あんまり間は開けないので、楽しみに待っていてくれると嬉しいです。


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素直になれない想い

……タイトル入れ忘れてた。


 迷宮都市(オラリオ)の中心に燦爛と存在する摩天楼(バベル)、その最上階。

 恐らく世界でもっとも太陽に近いそこは、しかしその事実と相反して薄暗い。この部屋唯一の光源である魔石が照らす輝きだけが、この部屋の明かりだった。

 パラ、パラ、と乾いた紙をめくる音だけが部屋に響く。

 本をめくるのは、この世あらざる美女。

 口元に薄い笑みを貼り付かせ、文字を追っているはずなのにその目に映っているのは全く別の光景だ。

 「フレイヤ様」

 そこに、重苦しくも優しい声がかけられる。

 フレイヤと呼ばれた神はその美貌を上げ、己を呼んだ者を見る。

 声に違わぬ男が立っていた。二Mを超える巨躯と、服の下に隠された筋肉の鎧。その体の分厚さはよく知っている。その四肢があらゆるものを打ち砕くことも。

 錆色の短髪を失礼にならない程度に無造作に整えている。そこから生えた猪の耳が、彼の男が獰猛で知られる猪人(ボアズ)だと証明していた。

 髪と同じ錆色の瞳をどこか嬉しそうに細め、武人は小さなカップに入った紅茶をフレイヤの横にあるテーブルの上へ置く。

 「何か、嬉しいことでもあるのですか?」

 唐突に問われた言葉は、確信に満ちていた。彼がこの一月何も聞かなかったのは、フレイヤの気分を害さないためだろう。しかし己が主神が一体何を楽しんでいるのか、気にならないと言えば嘘になる。

 もし仮にフレイヤが危険な事に興味を示していても、止める事はできないし、しない。

 だが危険を呼び込む種を『掃除』する程度の事は、してもいいはず。

 そんな思いから聞いてみたのだが、フレイヤはそんな彼の心情を理解していたらしい。ふふっと上品に、楽しそうに笑っていた。

 「そんなに心配しなくても、今回は危険なんて無いわよ。久しぶりに、ちょっと()()()()()()をいくつか見つけただけだもの」

 「それは……新しく迎え入れると?」

 「その可能性は低そうね。少し厄介な相手の子だから」

 フレイヤ達神々は下界に降りたとき、神々を全知全能たらしめる『神の力(アルカナム)』を封じ込めた。しかしそれはあくまで超常的な力を一時失うというだけにすぎず、彼らが元々培っていた物。

 ロキであれば悪辣な知恵と、その狡猾な口車。

 仮に武の神であれば、力に頼らぬ武術。

 美の神であるフレイヤは他の神を置き去りにする美貌。

 そういった、彼らが生じた時から備わっていた、いわば先天的な能力は『神の力』を封じてもそのまま残っている。

 そしてフレイヤには、その美貌の他に下界の者の最も深奥に潜む、魂。もっと言えば、その人物の本質(いろ)を見抜く『洞察眼』を持ち合わせていた。

 天界にいた頃は死後空へ向かった英雄の魂を逸早く識別し、己の懐へ回収するのに使っていたこの瞳。

 ロキからチートとまで称されたこの力を使って、その子供の、当人さえ気づかぬ才能――輝きを見抜き、その中でも特に優れた魂を【ファミリア】に加える。

 そうして彼女は、オラリオの中で探索系最上位【ファミリア】として名を馳せるまでに至った。

 彼女が微笑めば、例え他の【ファミリア】に所属していようと、彼女の元へ鞍替えする。

 拒む者はいなかったし、拒める者もいなかった。

 今日もまた、彼女はバベルの頂上からオラリオ(そと)を見下ろし、魂の選別を行う。

 そして丁度一ヶ月前に、とても、とても面白い(いろ)を見つけた。

 普通なら気付かなかった。普段なら気付けなかった。

 その子供は、とても小さく綺麗な黄金の輝きを放っていた者の近くにいた。逆に言えば、その黄金の魂を持った人物がいなければ、気が付けない魂の持ち主。

 とても白い魂だった。天使のような、と形容しても文句のない魂。恐らくかなり純粋で、優しい子供。更にその子供は、後からいくつかの色を付け足したかのように淡い色を秘めていた。

 だが、言ってしまえばそれだけ。あまりに白すぎてフレイヤさえ見落とした程だが、何とはなしにその子供を見つめていると。

 白い魂が、()()()()魂に変色した。

 驚いた。とてもとても驚いた。

 確かに生きていればその経験から本質が、魂に宿る色は形を変える。しかしそれは本来とてもゆっくりな物であり、しかも元来の色から大きく外れる事は難しい。

 それが、一瞬で正反対の色へと変わった。魂が、堕ちたかのように。

 けれど瞬きをする間に、その子供の魂はまた真っ白になっていた。

 黄金に照らされる、白い魂に。

 そうしてふとした瞬間に眺めていれば、本当に、時折魂の色が変わっているのに気づく。フレイヤが見れるのはあくまで魂の色のみ。この距離では一般の人間とそう変わらぬ視力しか持たない彼女は、どんな事が原因で魂が反転するのか、未だにわかっていない。

 ただ仮に、彼の魂に定義をつけるのなら。

 白が、全てを包む天使なら。

 黒は、全てを破壊する悪魔だろうか。

 「……ふふっ」

 久しぶりに、退屈しないで済みそうだ、と彼女は笑う。

 今日も今日とてその特異な魂の持ち主を見つめていると、近くにいたはずの黄金の魂が、フレイヤのいるここ――バベルへ向かっているのに気づく。

 何かトラブルでも起こったのだろうか、と少し考えたが、思考を放棄。

 ついで、『面白いこと』を考えついた声音で、フレイヤは言う。

 「ねぇ、オッタル。少し頼み事をしてもいいかしら」

 「何なりと」

 背後で畏まった口調で軽く頭を下げる武人に、女神は笑う。

 「どこでもいいの。ダンジョンのどこかで、適当に待ち伏せていて? それでもし、この資料の少年があなたのところに来たら」

 ――その子の力、測ってあげて。

 投げ渡された資料の一番上に描かれた似顔絵をチラと一瞥する。

 「……程度を見誤れば、殺してしまうかもしれませんが」

 「それならそこまでの子供だった、ということね。どこまでやるかは任せるから、【猛者(おうじゃ)】の力を存分に、見せてあげてちょうだい」

 Lv.6冒険者【猛者】オッタル。

 その名を知らぬ者は、オラリオにおいてまずいない。

 何故なら彼の名は、オラリオ『最強の冒険者』の名なのだから。

 そして、そんな彼の標的になったのは。

 「御意に」

 白銀の瞳でオッタルを見る、少女のような少年だった。

 

 

 

 

 

 陽が頂点に上り下界を照らす時間。

 ホームを飛び出し、北のメインストリートをひた走る少女がいた。

 陽差しを浴びてキラキラと輝く黄金の髪をなびかせる姿は、一つの絵のように美しい。しかしそれに反して少女の顔は険しく、何かを警戒しているようでもあった。

 ――追いかけて、来ない?

 シオンが本気を出せば、今頃捕まえられてもおかしくはない。それだけシオンとアイズには隔絶した差があった。

 剣の技術では足元に届いたとしても、それ以外で負けている、絶対的な壁が。

 ふと、内心で落胆している事実に気づく。

 それはシオンが追いかけてくると、無意識で期待していたからか? こうしてホームから飛び出してダンジョンに行こうとすれば、本心を話してくれると、そう思ったからか?

 ――関係ない。シオンはもう、関係ないっ!

 嘘つきで、アイズの邪魔ばかりしてくるシオンなど、知ったことか。私は1人でも強くなってみせる、そう思い直して、オラリオの象徴、バベルを目指す。

 そうして頭上を見上げていたから、気づかないのは必然だった。

 「いたっ!」

 ドン、と思い切り人にぶつかる。ぶつかった衝撃から考えて、相手は普通に歩いていた。どう見ても前を見ずに全力疾走していたアイズが悪い。

 しかし、多少とはいえ【ステイタス】の影響を受けているアイズを受け止めているという事は、相手も冒険者か。

 「む、大丈夫か? ここは一通りが多い、前を見ずに歩くのは危険だぞ」

 「ご、ごめんなさい……」

 ポンポンと頭の上に乗せられた手は固く、しかしどこか柔らかさがあった。

 おずおずと見上げると、快活な笑みを浮かべた美しい少女がいた。どちらかというと可愛いよりも『格好いい』と表現すべき少女で、極東の服である『袴』を身に纏っている。

 肌色が褐色だからアマゾネスかと思ったが、そうでもなさそうだ。身の丈一七〇に届くかどうかという高身長の彼女はそれに相応しく手足もスラリと長い。

 けれど何よりアイズの目をひいたのは、左目を覆う漆黒の眼帯。

 どうしてそんなものをつけているのだろう、そう思っていたが、彼女はアイズの視線を気にすることなく少し離れた。

 「わかればいいのだ。手前と同じくもう帰るために逆に向かう者もいる。走るのは構わないが、前を見るべきだ。私のように優しく注意する冒険者は少ないぞ?」

 「はい。その、忠告ありがとうございます」

 「うむ」

 一つ頷いた彼女は横にズレる。

 大きなタイムロスをしたアイズは、頭を一度下げるとまた駆け出す。

 「無茶をすれば折れるのは人も武器も変わらない。覚えておけ」

 「――?」

 パッと振り向いた時には、既に姿は消えていた。

 ほんの一瞬の交差。

 アイズはその忠告を忘れ、前を見て走り出す。

 やっとたどり着いたバベルからダンジョンへ降りるとき、周囲の冒険者から妙な顔で妙な視線を向けられた。

 その原因がシオン達なのは、大体想像できる。自分もシオン達と同じ子供なのだから。しかし奇妙な事に彼らは手を出そうとはしない。それならそれで好都合、と拳を握り直して階段を下りる。地上から地下へ繋がる最初の通路を見上げ、ほんの少しの感慨もそこそこに歩き出す。ここから先は余計な体力の消耗をしたくない。

 バックパックもない、防具もない、回復薬すら持っていない。せめて体力くらいは、まともにしておきたかった。

 最初の通路は最も人が行き交う場所だ。とはいえいつまでも流れに乗っている訳にもいかない。十分程歩いて、脇道に逸れていった。

 ダンジョンには結構な光源がある。これなら暗くて敵が見えない、なんて事は無さそうだ。アイズは視線を何度も動かし、服で手の汗を拭って、そこで気づいた。

 ――緊張、してる?

 思えば、今、アイズの傍には誰もいない。自分を守れるのは自分だけ。そんな状況、今まで一度もなかった。知らず体が震えだす。

 心細いと、思ってしまった。

 ――大丈夫っ! 私はやれる。戦える! そうしなきゃ。

 シオンに認めてもらえない、そう考えて、愕然とした。

 関係無いと、そう思っていたのに。ふとした拍子にシオンの影が脳裏にチラつく。それは、本当はシオンがどう思っているのか知りたいからで。

 ――私はきっと……。

 「……っ、そんな事考えてる場合じゃない」

 ぶんぶんと頭を振って、目の前に集中する。

 モンスターだ。とにかく剣を振って敵を倒せば、その間だけでもシオンの事を忘れられるはず。そう思って視界を回すと、見えた。

 ――コボルト、かな。

 二匹のコボルトが、キョロキョロと辺りを見渡していた。咄嗟に通路の端に飛びつき、姿勢を低くして気取られないようにする。

 ――お願い、気づかないで。

 そのまま数秒か、数十秒か。

 ほんの一瞬、コボルトの視線が完全にアイズのいる方から外れた。

 ――今っ!

 トンッ、と軽く、だが確かな重みで地面を叩く。放たれた矢のように疾走するアイズは、気合の声さえあげずに一体のコボルトを両断した。

 『グ、ギャ……!?』

 断末魔の悲鳴は、そんな呆気ない物。けれど相方が事切れたのを察知したコボルトは、その鋭い爪をアイズに向ける。

 けれどその速度は、アイズにとって欠伸が出るほど遅かった。

 フィンよりも、ガレスよりも。

 何よりシオンの剣速に比べれば、呆れるくらい遅いし軽すぎる――!

 冷静に爪の間合いから外れ、手首を軽く曲げて相手の腕を切り落とす。痛みに怯んだ隙を逃さず一歩踏み込み、コボルトの喉に剣を突き込んだ。

 『……っ!』

 今度は断末魔さえ許されないまま、痛みにもがいたコボルトは、あっさりと死んだ。

 ドシャリ、と力の抜けた体が横に倒れる。アイズはフラフラと剣を抜いて、後ろに下がった。

 初めて、生きて、動いている物を殺した。肉を貫いた感触が気持ち悪い。生気の抜けたコボルトの目が不気味だ。

 カタカタと震える手を押さえ、それでもアイズは無理矢理感情を切り替え、思う。

 ――ほら、私だって戦える。シオンに心配される必要なんて、やっぱり無かったんだっ!

 今はまだ二体だけを相手にした。もう何度か数の多い状態で戦って、2層へ向かおう。そう決めてアイズは倒れたコボルトに見向きもせず歩き出す。魔石を回収しても持てないのだから仕方が無かった。

 2層へ下り、そして3層へ。どんどん下へと向かっていくアイズは、気付かなかった。

 かつてフィンがシオンに向かっていった、ある言葉。

 『調子に乗って、帰ってこなかった冒険者』

 それに自分が当て嵌っている事に、彼女は気づけない。

 もし、このまま誰も助けに来なければ。

 彼女は『帰ってこれなかった』冒険者の、1人になるだろう――。

 

 

 

 

 

 ――少し時間は遡る。

 今日一日暇、という事で時間を持て余していたティオナは、姉であるティオネを連れて体を動かしてみるつもりだった。ここ一ヶ月、シオンがとある女の子――ティオナ達は誰一人名前を聞いていない――に付きっきりだそうで、ダンジョンに行く頻度が減っているから、体が鈍らないようにするためだ。

 まぁ、当のティオネは愚痴を言っていたが、どの道今日フィンはどこかの【ファミリア】と交渉があるようで、ホームにいないから別にいいだろう。

 とはいえホームにある修練場はそう多くない。他の誰かが使っていたら諦めるのが普通だ。けれど今日シオンがその子の相手をすると聞いていたティオナは、どうせだからその子の自己紹介も済ませつつシオンと一緒に体を動かす事に決めていた。

 なので今は、シオン達がどこにいるのかを探しにホームを歩いていた。

 「うーん、中々見つからないなぁ」

 「ま、後一ヶ所だけだし、そこにいるでしょ。いなかったら普通にやるからね」

 言外に、外まで一緒に探すつもりはないと言うティオネに苦笑しつつ、ティオナが周囲に意識を向けたその瞬間。

 前から、金の風が吹いてきた。

 「――……?」

 誰だろう、と思った。

 少なくともティオナの記憶では、あそこまで鮮やかな金の髪を持った人物はいない。正確には話をした事がない。

 だが、妙に嫌な予感がした。

 ――あの子、もしかして……でも何があったんだろう……?

 怒っているような、悲しんでいるような。自分自身感情の行き場がわからないでいたような、そんな表情。ほんの一瞬の交錯ではそれしかわからなかった。

 けれど、絶対に何かトラブルが起こっている。

 それだけは、確実だった。

 「ティオネ、ちょっとお願いがあるんだけど」

 「ん?」

 「ちょっとシオンの部屋に行って、装備を持ってきて。最低限でいいから」

 ティオネの目を見据えて言う。意味がわからないと眉根を寄せていたティオネは、一度ティオナの目を見返して、

 「……鍵はどうするのよ」

 「壊してでも入って。弁償は私がするから」

 ふう、と溜め息を吐く。ティオナが本気なのを理解したティオネは、無言で背を向けた。呆れられたかと思ったティオナは俯くが、

 「シオンに怒られたら、あんたも一緒に怒られなさい」

 「ッ……うん、わかった!」

 苦笑を浮かべる横顔に笑みを返して、ティオナは走り出す。

 ――急がないと。

 何かが、狂ってしまう。

 そんな気がした。

 衝動に突き動かされるままティオナは廊下を走る。数人から走るなと注意されたが、ティオナにとってはそれどころじゃない。

 杞憂ならいい。単なる笑い話だ。

 でも、そうじゃなかったら。

 もし何かが起きていたら。

 そう思うと、ティオナはいても立ってもいられなくなる。

 ――シオン……。

 ああ見えて、弱いところがあるのだと知った。

 全然強くない姿を、見せてくれた。それはきっと、信じられてるからだと思う。泣いてはいなかったけれど、アレで結構強情なのだから、シオンは。

 だから、誰かが支えていないと、いつか破綻して壊れてしまう。

 あるいは――誰かが欠ければ、それだけで。

 『取り繕っている仮面が削ぎ落とされる』、そんな気がする。

 閉ざされた扉を開けて、中に入る。

 キョロキョロと辺りを見渡し、シオンを見つける。ティオナが入ったことにも気づかず、シオンは壁に背を預け、虚空を見つめていた。

 ピクリとも動かず腕を組んだままのシオンに近づく。ある程度近づいて、気づいた。

 ――シオン、何も見てない?

 深く考え込んでいるせいで、いつもならすぐに気づくはずの距離まで行っても反応しない。遂に目の前にまで行き、眼前でヒラヒラと手を振っても反応がなかった。

 「……シオン?」

 か細い声で、言う。

 ともすればこのまま消えて行きそうな雰囲気を漂わせるシオンに声をかけるのが怖くて、でも聞かなければどうしようもならなくて。

 そんな中途半端な想いが、ティオナの声を小さくした。

 小さくシオンの肩が跳ねる。それから目に光が戻り、横目でティオナを確認する。そんなシオンに何と声をかければいいのかわからず、まずはジャブ。

 「えっと、さっき女の子が走っていったけど、シオンは知ってる?」

 ピクリと指先が動く。だが緩々とまた腕を組み直し、天井を見上げた。

 「……さあ? ダンジョンにでも行ったんじゃないか」

 「え、ダンジョン!? 待って、あの子が来たのって、私の勘違いじゃなかったら一ヶ月くらい前だったよね? そんな、死んじゃうよっ、今すぐ助けに行かないと!」

 ティオナは知っている。ダンジョンはそんな優しい場所じゃない事を。シオンだってわかっているはずなのに、どうして動こうとしないのか。

 そんな風に思っていたからか、シオンはここにいない誰かを嘲るように笑った。

 「勝手にさせればいいだろ」

 「な……」

 「ダンジョンにいきたいと言ったのはアイズだ。それを止める権利なんて、そもそも無かったんだよ。自己責任だろ」

 「そんなっ、どうしてそう言うの? シオンはあの子の事放っておいていいの?」

 何かがおかしい、そう思った。

 「別に。アイズが心配ならリヴェリアにでも言えばいい。あの人なら何か手を打ってくれるだろうから」

 いつものシオンなら、ここまで意固地にならない。

 そもそもティオナが説得する前に自分で動いている。こんな事をする必要さえ無い。なのに今のシオンは動こうとさえしない。

 「……あの子がいなくなっても、いいの?」

 「っ」

 遂にティオナは、シオンが一番気にすることを持ち出した。

 シオンはとてもあの子の事を気にしていた。一度も話題に出たことはないし、そもそも名前を聞いたのだって今が初めてだ。

 だけどそれでも、シオンがアイズという少女のことを考えていたのは、知っている。

 「自業自得だ。……おれは、何度も今行けば死ぬって言った。それをわかろうとしないなら、一度くらい痛い目を見ないとダメだろう」

 ――やっと聞けた。

 シオンはきっと、本当に何度も言ったのだろう。一日に何度も、同じことを。だけどそれは、あくまで『シオンからの視点』にすぎない。

 ティオナには、わかった。

 全く異なるが似たような事を思った経験があるからこそ、わかる。

 「……死んじゃうよ?」

 だからティオナは、まずシオンを『爆発』させることにした。

 「たった1人で、初めてダンジョンに行って。生きて帰って来れると、本当に思う?」

 「知らないって、何度も言ってるだろっ、しつっこいな!」

 ティオナを見ず、ずっと上を向いていたシオンが、振り向いた。

 「何度も言った! 何度も……危険だって、言い続けた!」

 顔は、怒りに彩られていて。

 「おれ達は子供なんだよ! 『神の恩恵(ファルナ)』があったって、体は軽い! 歩幅は小さくて、腕の長さも短いから全然攻撃が届かない! 大人に比べてどれだけのハンデがあると思う!」

 なのに、どうしてかとても悲しそうで。

 「だから、慎重にならないといけないんだ。誰よりも臆病になって、状況を見極めて、無茶をする回数を少なくして。そこまでやったって、インファント・ドラゴン(あのとき)みたいな理不尽が降って掛かってくるんだ! どうして一ヶ月でダンジョンに行っていいなんて言える!?」

 息も荒く言うシオンに、ティオナはどうしてか優しい目を向けていた。

 全てを聞き終えて、彼女は言った。

 「それを、あの子に伝えたの?」

 シオンの動きが、止まる。

 「何度も死ぬって言ったみたいだけど……それ以外の事は、言ってあげたの?」

 瞳が揺れて、視線が何度も行ったり来たりを繰り返す。

 「私だったら、どうしてそんな事を言うのかって思うよ。教えてほしいって思う。そう思っているのをわかってほしいって」

 ティオナはいつも、シオンに振り回されていた。

 冗談で言われた言葉に反応して、その意味を問いたくて。でも聞けないから、どうしてそう言ったのか、言ってほしい。

 それをわかってほしいと、何度思ったか。

 「シオンはあの子のこと、わかってあげようとした? どうしてそんなに焦るのかって、一度でも聞いてあげた?」

 ティオナが問い詰めるたびに、シオンの顔に自分を責める色が浮かび上がる。

 そしてティオナの気迫に押され、胸元を握り締め、無意識に一歩下がっていた。けれど、ティオナは逃がさない。

 この、こんな時に限って意固地になる、どうしようもない『男の子』の横顔に、思い切り手のひらを叩きつけてやるのだ。

 そうでもしないと……きっとシオンは、後悔するから。

 「言ってないなら、言いに行かなきゃ。今ならきっと、間に合うよ」

 「でも、おれは……邪魔、だって。いらないって、言われたんだ。だったら、もう、何かをする必要なんて」

 ――ギリッ。

 「うじうじするな!」

 視線を逸らしていたシオンの服を持ち上げて、無理矢理目線を合わせる。『力』ならシオンよりも優っているのだ、逃がさない。

 「シオンは男でしょ!? だったら悩んでないで行動しなさい! 誰かが死ぬのを、ただ見てるだけなんてもうイヤなんでしょう?」

 ドクン、と心臓が跳ねた。

 「やれ! 今やんなきゃ――アイズを助けなきゃいけないの。死んだら、どれだけ泣いても叫んでも戻ってこないんだから!」

 襟を手放し、シオンの体を押して扉へ向かわせる。困惑するシオンに、まだ躊躇しているのかと思ったティオナは、容赦なくその背を叩いた。

 ドンと押されてよろめくシオンに、ティオナは叫ぶ。

 「行ってこい! それで、仲直りしてくるの! それまでホームに戻ってくるの禁止!」

 ……今までシオンはこうしてティオナに叱咤された事は、一度も無かった。

 戯れ合うように喧嘩した事はあった。慰め合う事もあった。けれどこうして、背中を叩かれて叱咤激励されたのは、初めてだった。

 背中が熱い。叩かれた痛みだけじゃない、他の熱さも一緒に叩き込まれたようだ。

 ――悩んでたって意味無い、か。

 「ティオナ」

 「何!」

 「ありがとう」

 吹っ切れたシオンは部屋を出る。その寸前、横合いから差し出された物があった。

 「ティオネ?」

 「ダンジョン、行くんでしょ? 最低限だけど持ってきたわ。ティオナに感謝なさい、あの子のお陰だから」

 ティオネが持っていたのは、いつもの剣と、短剣二本。それから左手用の篭手に、プロテクター、そのプロテクターにもう一本の短剣が装着されている。本当に、最低限の装備だった。

 「ティオナには、敵わないなぁ」

 そうポツリと呟いて、シオンは自身の【ステイタス】を全開にして走り出す。

 その背を見送ったティオネは、部屋の中で妙にスッキリした表情のティオナの元へ行く。そして聞いた。

 「いいの? シオンを行かせて」

 「何が?」

 「もしその子が危ない状況になってて、そこをシオンが助けたら、その……ライバルが増える、とか。そう考えないの?」

 自分勝手だとは思うが、そういう打算はしなかったのか。

 そう問いたティオネに、ティオナは困ったように眉尻を下げた。

 「まぁ、考えはしたよ。でも正直、どうでもいいかなって」

 それからティオナは、逆に聞き返す。

 「もし、仮の話なんだけどさ。ティオネは、フィンが悲しい顔をしてたらどうする?」

 「その原因を全力で何とかする」

 「それとおんなじ」

 即答された答えに苦笑を漏らし、ティオナは思う。

 シオンに泣いてほしくない、笑っていてほしい――と。

 「どうでもいいの。私がシオンを好きなのと、他の子がシオンを好きなのは、関係ない」

 だって、

 「シオンが私を好きになってくれれば、そんなの関係ないもん」

 「……!」

 「もしシオンが他の子を好きになったとして。それでもいい」

 何故ならば、

 「迷宮都市(ここ)は、ハーレム合法だし」

 そう、最終的にお互いがお互いに好きになれればそれでいい。

 「つ、強いのね、ティオナは……」

 「そう、なのかな? そもそも私、シオンを独占できる気しないし」

 フィンを見てればわかる。

 力があって、性格が良くて、そして何より顔が良ければ。

 とにかく『モテる』という事実。

 そして良いのか悪いのか、シオンはその全てに当て嵌る。将来どんな女泣かせになるのか、わかったもんじゃない。

 だけど、それら全てを一度横に投げ捨てて思うのは。

 「シオンが幸せなら、私はそれでいいんだよ」

 その時浮かべた微苦笑に、ティオネは思った。

 ――なぁにが『初恋』よ。もう『愛』でしょ、これ。

 見当違いな二つ名もいいところだ。フィンに近寄る女に当り散らす自分の方が小さく見えてしまう。

 いつの間にか成長している妹に、姉はちょっと複雑だった。

 

 

 

 

 

 ホームを飛び出して、シオンは走る。

 後先なんて考えない。歯を食いしばって、必死の形相で走り続けるだけ。ものの数分で北のメインストリートに出て、人波に気をつけながら右に左に揺れて全速力を維持。

 ――これなら、すぐにバベルまで……っ!?

 一瞬思考に意識を落とした、その瞬間。

 ゾクリとシオンの体が泡立ち、反射的に左腕を頭のよこに掲げる。

 ガァン!! と硬いもの同士が衝突する音が響く。あまりの衝撃に腕が痺れ、無茶苦茶な体勢で受けたせいで膝をついてしまう。それでも倒れ込むのだけは必死で堪えて、二撃目に備えて周囲の警戒に入る。

 何らかのトラブルが起こったと察した人々がシオンから離れる。当然だ、冒険者同士の戦いに巻き込まれるなんてたまったものではない。下手な怪我をする前に逃げるのは、普通の事。

 「ふむ、すまんの。何やら探し物――いや、探し人か? もしかしたら、いい情報を渡せるかもしれんぞ」

 ガクッ、と気の抜けるような声と快活な笑い声に、シオンの体が脱力する。そして、シオンに投げたらしい鞘と思しき物を拾うと、剥き出しの刀身を納めた。

 「……急いでるんだ。どいてくれ」

 ――勝てない、最初の一撃でそう悟った。

 恐らくLv.3以上。今のシオンではどう足掻いても地力で負ける。最悪多少の怪我を覚悟で走り抜けるしかないが……それも、あまり意味はなさそうだ。

 無意識に警戒を強めるシオンに、慌てたのは女のほうだ。

 「ああ待て待て、待つのだ! 本当に手前は戦うつもりは無い!」

 「だったら」

 「性急な奴だの。……探しているのは、金髪の女子か?」

 シオンは自制するのに、多大な精神力を必要とした。

 どこにいるのか、どうして知っているのか――聞きたいことは山程あったが、その焦りを突かれては本末転倒。

 今はただ、情報を引き出す。

 そんなシオンの反応の何が面白かったのか、女はまたカラカラと笑い出す。

 「面白い小僧だ。金髪の女子はダンジョンへ向かったぞ。それ以降は知らん。それだけ伝えたかったのだ」

 その情報が合っているのか、間違っているのかの裏付けは取れない。

 「……ありがとう」

 けれど、今はこの女の言葉しか、アテがないのも事実だった。礼もそこそこに、女の横を通り過ぎてバベルを目指す。

 「いやいや、手前も、随分懐かしい物を見せてもらったのでな。その礼だ。まさか、()()()()()()()()()()()()を見る事になるとは……」

 その一節に、シオンは足が止まりかけた。

 ――まさか、この人が。

 けれど無理矢理頭を振って、その先の思考を追い落とす。

 ――今は、アイズの事だけを!

 そんなシオンに、『椿・コルブランド』は小さな笑みを浮かべ、

 「本当に、面白いの。ふむ、機会があれば主神様に頼んでみるか――」

 その意味を問う者もなく。

 女は、雑踏に紛れて姿を消した。

 人を追い越し、バベルにたどり着いたシオンは、歩いて階段を下りる事すら厭い、そのまま『飛び降りた』。

 衆目を集めているのを理解しながらシオンは何度か足で壁を叩いて速度を調整し、全ての階段を無視(ショートカット)してダンジョンの入口へ。

 話しかけれらる時間すら惜しいと、そこへ入る。まばらな人影を邪魔だと理不尽な文句を垂れつつ駆け続け、思った。

 ――アイズは、何層目にいるんだ?

 たった1層でも、その広さはかなりの物。一々見て回るだけでもかなりの時間がかかる上に、何よりあっちも移動している。

 1人でダンジョンにいる目的の人間を探すなど、無謀もいいところだった。

 ――どう、すれば? どうやってアイズを見つける!?

 今更気づいた事実に冷や汗が流れ出たシオンを、風が撫でた。

 とても、とても久しぶりに感じる物。これを感じたのは、かつて一度のみ。インファント・ドラゴンという脅威を前にしたきりだった。

 だが、今シオンは何ともない。ならば、可能性は一つ。

 ――アイズに、何か、あった?

 顔を上げ、通路の奥を睨む。風は下を示している。アイズは1層にいないのだ。その事実に、体が震えた。

 ――最短ルートで行けばいい。そうすれば、間に合うはず。

 頭の中に刻み込んである地図(マップ)を叩き起して、ダンジョンを走る。

 途中、どうしてもモンスターを引っ掛けてしまう。シオンの【ステイタス】なら大半は無視できるが、相手がシオンを見失う前に他の冒険者にぶつかる時はあるだろう。

 「くそっ!」

 そして、実際にそうなってしまった。数匹のコボルトと戦う冒険者を見て苦渋に顔を歪めながらシオンは思う。

 ――立ち止まっている暇なんて……!

 仕方ない、とシオンは冒険者の横を走り抜ける。その後ろから新たなコボルトが現れた瞬間、冒険者は『擦り付けられた』と怒りと絶望に叫んだ。

 そして、合計十を超えるコボルトに襲いかかられた、その寸前。

 「一閃」

 全てのコボルトを、通りざまの一撃で斬り殺す。恐怖で尻餅をついていた冒険者は礼を言おうとするも、擦り付けたのがシオンだとわかったのだろう、文句を言おうとして、

 「その死体全部あげる。囮にして悪かった、時間が無いんだ」

 魔石と、もしかしたらあるかもしれないドロップアイテムを貰えると言った瞬間、笑顔になっていた。現金すぎる、と思うが、巻き込んだのは自分だ。

 冷静になって怒られる前にさっさと逃げるに限る。

 モンスターを引っ張っ(トレインし)て、その途中冒険者と鉢合わせしたら彼ら彼女らを囮に、全て刈り取って死体は渡す。大半は何かを思いつつも何とか下がってくれたが、数人は文句を言ってきたのでそいつらには死体の魔石を壊しておいた。流石に最初から相手取っていたのは残しておいたが。

 2層、3層、4層。いつもの数倍の速度で進んでいるはずなのに、一向にアイズの姿が見えない。風はまだ下にいると告げるだけだ。

 ――アイズとおれがホームを出た時間にあんまり差がないのに、どうして……!?

 何かが、おかしい。

 まるで誰かが『お膳立て』したかのように、一向にアイズとの距離が縮まらない。それに焦燥感を覚えながら踏み入れた、5層。

 ――まだ、下にいる!?

 ありえない。5層と6層では、一気に難易度が跳ね上がるのだ。そんなこと、冒険者になってすぐに教わること。

 だが、アイズは厳密には()()()()()()()

 ロキから『恩恵』を受けただけの一般人、それがアイズの括りだ。ダンジョンの難易度の上がり方を知らなくても無理はない。

 我知らずシオンの体が震える。

 ――危ない。

 思い出すのは本当に最初の頃の記憶。

 ――アイズが、危ない!

 二十体に迫るウォーシャドウに囲まれて、ボロボロになりながらも突破して生きて帰った、苦い記憶が蘇る。

 恐怖すら感じながら、後先考えずに全力で6層を目指す。バクバクと鳴る心臓の鼓動を感じながらモンスターを無視していく。

 ――また、冒険者。こんな時に!

 最早一分一秒も無駄にはできないのに。奥歯を噛み締めてまた囮にする、そう決めてその横を通り過ぎようとした。

 そして――死んだ、そう錯覚した。

 ――え……?

 強烈なまでの『死』のイメージにシオンの意識が飛びかける。それを無理矢理引き摺り戻して現実に意識を向け、その発生源に目を向ける。

 ――この男が?

 鎧などいらぬと服以外何も身につけず、あるのは巨大な剣一本。それを、いつの間に握っていたのかシオン目掛けて振るっていた。

 死んだ、と錯覚したのはこの剣から迸る圧力のせい。

 こんな事を考えていられるのは、走馬灯を見ているせいだ。

 ――避けられないっ。

 速度を出すために前傾姿勢になりすぎて、後ろに下がれない。前や横に跳んでもそのまま切り捨てられるだろう。

 一瞬の間。

 たったそれだけの時間で、シオンは『今』を選択した。

 ――武器を……盾にっ!

 スローモーションになった世界で、相手の剣を防ぐために、手首だけで剣を眼前に置く。なのに全く安心できないのは、どうしてなのだろう。

 相手の剣が、シオンの剣にぶつかる。

 衝撃は、しない。

 ――剣、が、斬られ……!?

 バターのように、刀身が斬られている。このままでいれば、剣は真っ二つ、その勢いのままシオンさえ両断するだろう。

 プロテクターで防御するのも間に合わない。防御したとしても意味が無い。腕ごと持ってかれるのがオチだ。

 なら――!

 「ふっ!」

 シオンの腕が、複雑に動き出す。

 それに引っ張られるように剣が蠢き、相手の一撃、そこで生まれる衝撃を余すことなく『受け止める』。

 「ぁ、がっ!?」

 衝撃が伝わり、軽いシオンの体を吹き飛ばす。壁に叩きつけられたシオンは、粉々に粉砕された剣を見た。

 ――ガレスの、剣……壊れちゃった……。

 最早修復さえ無理だ。できて精々、破片を鉄に戻して作り直すくらい。狙ってやった事とは言えども、申し訳なかった。

 ――とにかく、立ち上がらないと。

 このまま隙を晒していれば、殺される。腕を支えに立ち上がろうとして、()()()()

 「……?」

 動かない。

 どれだけ力をこめても、体が動いてくれない。

 ――あ、れ?

 一拍遅れて、体が現実を認識し始める。

 「ィ、ア……ッ……!??」

 衝撃が、腕だけに留まっていなかった。

 腕を伝い、全身に広がってシオンの体を苛んでいる。あらゆる内蔵が悲鳴をあげ、感じたことのない苦痛を前にシオンができたのは、悲鳴を堪える事だけ。

 少しずつ、足音が迫ってくる。

 自分を殺す、死の足跡。

 それを前にして思ったのは、一人の少女の名前。

 ――アイ、ズ……助けに――。




ご都合主義をなるだけ無くそうとすると長くなるジレンマ。

最強(オッタル)』をシオンにぶつけようとしたかったがために前々回フレイヤさんご登場。
ちなみにシオンとアイズの鍛錬が終わったのは三時くらい、フレイヤさんが神会に来たのは三時過ぎと書いたので、この展開気づいた人いるかな?

読んだ方はわかるでしょうけど、アイズを6層に行かせるためにせっせとモンスターを退治して回るオッタルさんの姿を想像して笑ってしまったのは内緒。

そしてご都合主義で椿とぶつかるアイズ。おい、最初の悩みはどうした(棒)
ま、まぁ椿さんの仕事場って北東にあるとか原作にあった(気がする)ので、別に不自然じゃないよねと自己弁護。


感想にて今回のシオンの行動を予想して書いてくれた方がいましたが、答えは
『ショックを受けて動けなかった』
です。

前回シオンの弱気な姿を書いたのは布石。シオンだって人間! 色々頑張って教えていた相手にああ言われたら呆然とするんだという事を書きたかった。

ティオナの叱咤激励もね。彼女は支えて寄り添うだけではなく、背中を押して前に進ませてあげられるヒロインなんですよ!。
(ヒロインっていうか女房じゃねとか思った人、言うな)

↓ここから先は長いので飛ばしても構いません↓

それで、見た人はわかると思いますがタグ追加しました。本当は一区切りつくまでは追加する気なかったんですが、一応。

で、これまた感想にあった
『あ、ヒロインはティオナ固定になったのね』
という物に対する返答なのですが、そうとは決まってません。

そもそもここまで書いといてぶっちゃけると。

最初、『ティオナはヒロインじゃなかった』んです。
もっと言うと、ヒロイン別でした。その人だけでした。

プロットすら練っていない、私が書くならどういう方針にしようかなーって時の初期構想段階ではそんな感じでして。

ただ書いている内になんでか、ほんっとーになんでかティオナがヒロインになっていたんです。
ただそれでも最初はヒロインどうしよって悩んで、あんな曖昧な状態にしてました。インファント・ドラゴン戦で完全に恋心持っちゃいましたけど。

長くなりましたが結論を言うと。
『その時の私の気分次第』

そもそも私が最初タグ2つだけだったのは一つの持論がありまして。
タグってある程度どんな作品なのかって目処を教えてくれるじゃないですか。でもそれ逆に言うとネタバレになりかねないんですよね。
後小説書いてる内に最初考えていた内容と乖離し出すとか。結果的にタグが嘘になってしまうとか。

だから私がタグを追加する条件は決まっています。

・現在投稿されている話までのタグ。
これが絶対の指針です。

だからまだ出ていないヒロインはタグに入れません。投稿どころか話すらできていないので。
まぁ今回の後書きでヒロインは最低1人追加確定なのがわかってしまいましたが。

とはいえダンまちの魅力的な女の子はまだまだいます。誰をどういう風に表現するのかは謎なので、ヒロイン誰かなーって想像しててくださいな。



さてダラダラと後書き書いてしまいましたが、次回でやっと(多分恐らくメイビー)一つの区切りがつきます!

シオンの【ステイタス】公開もその話のすぐ後を予定しているので、待っていてくださいな。
(問題点。ちょっと描きたい話があるからそれ勘定に入れるとまたズレ込む。いっそお気に入り1000件突破とか理由つけて2話投稿……ゲフンゲフン)

次回の更新もなんとも言えません。前回は狂ったテンションに促されるまま投稿したのでちょっと余裕がない。
まぁ、あんまり間は開けない、とだけ……。

あ、そんな状況で2話投稿とか無理だろとか言わないで! だって書きたいんだもん!
だって――

『1話丸々シオンとティオナの甘酸っぱい青春ラブコメ書きたいんだもの!』

……つーわけでノシ


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手を取り合って

 薄暗く照らされた道。

 いつの間にかどれだけ降りてきたのだろう。気づけばとても深いところにまで来ていたと、何となく理解した。

 「――……ァ、ハァ、ハァ……!」

 息が荒い。心臓の鼓動がどんどん速くなって、全身に疲労が溜まっていく。けれど、足を止めれば待つのは『死』だ

 やっと曲がり角が見えた。一気にカーブして、すぐに壁に張り付く。

 ――1、2の、3!

 タイミングを合わせて壁から飛び出し、来た道を戻る。

 「セヤァ!」

 目の前にいた影そのものを一息に斬り捨てる。ここで手間取ってはいけない。最低限動けない状況にまで持って行けなければ、負けだ。

 振り切った刃が胸に食い込み、真っ二つに裂かれる。上下に裂けた影は、その勢いを保持したままどこかに転がっていく。

 それを見つめる事無く、残る二体に目を向ける。

 「……!」

 歯を食いしばって、攻め込む。地力で負けているのに相手が来るのを待っていては、押しつぶされてしまうだけだ。

 ――せめて、一対一なら……。

 その状況なら、まず負けない。

 こんな影程度、フィンやガレスに比べたら。シオンを相手にしていた時に比べたら。

 ――弱すぎるの!

 フィンやガレスは、ただ『強い』としか言えない。だがシオンは、同じ武器を使ってくれていたからよくわかる。その気になればシオンは、一息で自分を殺せるくらいに腕はあると。

 手加減してくれていた事なんて、すぐにわかった。

 どうして『ダンジョンに行くな』なんて言っていたのかも、本当は、わかっていたのに。お母さんに会いたくて、シオンに酷いことを言った。

 「ごめんなさい……」

 そう呟いて、アイズは剣を握る手に再度力を込めなおす。

 伸ばされた鋭利な爪を軽く頭を下げて躱す。回り込んできたもう一体が後ろから迫るのを感じたが、気にせず目の前にいる影の横を通り過ぎて攻撃そのものを通らなくする。良いのか悪いのか、身長の小ささ故にこういう小回りはしやすい。

 だが、横合いから伸びた脚が、アイズの体を掠めた。服を引っ掛けられて体勢を崩してしまう。お返しに伸ばされた脚に思い切り剣を突き刺す。

 こういった状況での対応の仕方は無理矢理覚えさせられた。嫌がっても転がされたのが、今となってはやってよかった、そう思えてしまうのだから苦笑いしかでない。

 アイズと影が倒れる。その隙に最後の一体が、仲間を踏み潰してでも殺しに来る。立ち上がる暇は無い。ゴロゴロと地面を転がって壁まで行き、上体だけを跳ね起こして剣を構える。

 後ろは、壁。この状況なら目の前の一体は回り込みができない。

 横一閃に振るわれた攻撃を受け取め、逸らす。まともに受ければ剣の耐久力が完全に許容限界を超えてしまう。酷使しすぎたのだ。

 ガン! ガァン!! と火花が散る。

 情け容赦のない連撃に、しかしアイズは対応する。

 ――どうして、なのかな。

 先ほどの状況も、今の状況も。

 ――全部、シオンが教えてくれてた。

 アイズが対応できるのは、シオンが指導していた内容だからだ。剣の型だけを教えたら、後はもう実戦と変わらない内容で攻めに来る。

 だからきっと、ここまで戦えた。

 いつしか呼吸は落ち着いて、目の前の敵をどうやれば殺せるのかという思考に切り替わる。自分で気づかぬ間に、アイズの瞳は鋭くなっていた。

 そしてその瞬間、敵の動きが鈍る。

 ――そこ。

 ほとんど反射で、アイズはその喉に剣を突き刺していた。喉を貫かれて身悶える影に、アイズは楽にしてやると剣を横に引いた。

 ドサッと首が落ち、体が倒れる。その様子を見ながら、ふと二体目はどうなったのだろうと目を向ける。

 二体目の影は、死んでいた。

 踏み潰されたのが体の中心だったせいで、そのまま絶命したのだ。

 「……ふぅ」

 そっと息を吐いて、上を向く。とにかくここから戻らなければならない。これ以上この場所に留まり続ければ、本当に死んでしまう。

 そう、思った時だった。

 ――ビキッ。

 「う、そ」

 ()()()()()聞こえた音に、アイズの顔が引きつる。立ち上がって壁から離れ、剣を構える。しかしダンジョンは、アイズを更なる絶望へと追いやる。

 ――ビキッ、ビキキ。

 すぐ近くの壁が、何度も異音を奏でていく。

 一つ、二つ、三つ、四つ――。

 どんどん、どんどん、増えていく。

 「に、逃げなきゃ……!」

 形振り構っていられないと、アイズは駆け出す。三体ならどうにかなっても、まだまだ増えていく異音を聞いてしまえば戦う意思すら無くなる。

 けれど、アイズは忘れている。

 ここはダンジョンで、ダンジョンであるのなら、もう既に産み落とされたモンスターがいたとしても不思議じゃない。

 「なんで、こんな時に!?」

 前から歩み寄る、新たな影。

 アイズの道を塞ぐようにのろのろとした動きで迫るモンスターを、これ程憎んだことはかつてあっただろうか。

 そして、何かが地面に降り立つ音が届く。

 ――無理、だよ。

 この時、本当の意味でアイズは理解した。

 ――私、死んじゃうの?

 ここまではまだ『何とかなる』と考えられていたのに、心がポッキリと折れてしまった。シオンに言われた『死ぬ』という言葉が、リフレインされる。

 ジリジリと下がって、壁に背をつけた。構えた剣が弱々しく揺れる。

 「ぁ……ぅ……」

 ――助けて。

 気持ちが下を向き、弱気になる。それでもシオン達から叩き込まれた『想い』がアイズを動かし剣を構えさせる。

 けれど、このままならアイズは死ぬだろう。

 真正面から戦っては気づかない、()()()()()()()()()()()()()()()を理解した瞬間、その命を散らす事になる。

 産み落とされたモンスターを、見る。

 アイズは、願った。

 

 

 

 ――助けて、シオンッ!!

 

 

 

 「――ッ!!」

 ほとんど無意識に転がっていた。

 背後から何かとてつもなく巨大な物体が落ちてきたかのような轟音。それを気にする暇もなく前回りで受身を取って立ち上がり、ガクッと膝が崩れる。

 ――ガリッ。

 「……ッ!?」

 口内を、噛んだ。血の味が広がり、代わりに痛みが意識を現実に引き戻す。笑っていた膝に活を込めて、目の前の敵を睨む。

 ダンジョンに大きなクレーターを作ったその男を、やっとまともに見る。

 やっとできた間で、シオンは頭を回す。

 先ほど吹き飛ばされた時の『力』は恐らくLv.4といったところ。他はまだわからない。

 ――だけど、アイツは思い切り手加減してた。Lv.4じゃない。

 『敵の力量の把握のため』とか言われてフィンにとことんいじめられたせいか、こういった目利きは得意になった気がする、なんて考えながら。

 Lv.4じゃないなら一体何なのか、という、誰でもわかる答えを思う。

 ――Lv.5、いや6? だけど、そんな人早々いないはずだ。

 なのに、何故だろう。

 一年以上も前に、聞いた覚えがあるのは。

 『――単純な強さなら【フレイヤ・ファミリア】が――』

 『――あそこには都市最強の冒険者いる――』

 リヴェリアと、フィンの言葉。

 オラリオにいれば、嫌でも耳にする、その名前。

 「……そうか」

 やっと、わかった。目の前にいる男の名が。

 「お前は、【猛者】オッタルかッ!!」

 ――第一級冒険者(フィン達と同じ奴)が、何でここに!?

 驚愕を覚えながらも、睨みつける事はやめない。そんなシオンに、オッタルは何故か笑みを返してきた。

 「今ここで引き返すのなら、逃がしてやろう」

 「……。は?」

 その言葉に、シオンの思考は完全に停止した。

 最強の人物が言った言葉の意味が、理解できなかったのだ。

 ――単なるストレス解消とか、何となくとか、そういう理由じゃない?

 たまたま居合わせて、たまたま剣を振るったんじゃない。

 そうでなければ、一度として会話したことのないオッタルが狙ってくる理由が思いつかない。知らず逆鱗に触れた可能性はあるが、そもそも一年の間そうホームから出たことのないシオンが、恨みを買う可能性は少ないのだ。

 ――コイツの目的は、おれ、なのか?

 そこまで思い至って戦慄するシオンに、オッタルはもう一度言う。

 「この先に行かず、オラリオに戻るのなら、追わん。だが、もし進むと言うのであれば」

 無言で剣をシオンに向ける。

 ――待つのは、死だ。

 そう言われた気がした。

 粉々に壊れてしまった剣を見る。こんな剣では、もう相手の攻撃に耐えられない。そもそも一度保ってくれただけで奇跡だったのだ。

 今更気づいたが、剣を握る腕に力が入らない。

 当たり前か。腕から伝った衝撃だけで体中ズタボロなのだ。衝撃の通り道である腕が動かないのはむしろ必然。

 「……ふぅ」

 状況は最悪。

 武器はなく、体は満足に動かせず、敵は最強。

 こんなので一体どうしろと言うのか、よりにもよってこんな時に。そう思って、つい笑ってしまった。

 戻れないのだ、シオンは。

 6層から先は本当に危険になる。今から戻って、フィン達に話しをしてまたダンジョンに来るまでアイズが生き残っている姿が想像できない。

 だからシオンは行かなきゃいけない。

 自分で蒔いた種は、自分で回収しろ。

 「アイズを、助ける」

 口にしてしまえば、思いのほかあっさりと覚悟が決まった。

 「あのさ」

 熱い。

 「おれはどうしても、そこを通らなきゃいけないんだ」

 いつか感じた熱が、額を灼く。

 「だから」

 風が生じ、破片となった鉄を集めだす。

 「そこを、どけ」

 風に後押しされて、シオンは剣をオッタルに向ける。風に包まれただけのツギハギだらけの剣は不格好で、ボロボロの体には相応しい武器だ。

 全身から迸る風がシオンを包み、オッタルに敵意を向ける。

 「……そうか」

 どうしてか、オッタルは笑っていた。

 ――合格だ。

 「……?」

 その声になっていない声が耳に届いて、訝しむ。自分は一体何に合格したのか。もしかすると最初に浮かべた笑みのときも、同じ言葉を言っていたのかもしれない。

 けれどその真意を考える時間は残されていない。身を焦がす熱がアイズの危機を知らせてくるようで、悠長にしていられないと思ってしまう。

 「……ッ!!」

 だから、足を前に出す。

 たったそれだけでギシギシと悲鳴を上げる骨と筋肉に不安を感じつつ、それでもオッタルを前に隙を見せられないと意地で耐える。

 小細工はしない。というより、しても意味が無い。どうせ受け止められるのだから、どこまで通じるのかという意図で剣を横に振るう。

 「……ふ」

 薄い笑みを維持したままオッタルは合わせるように剣を返してくる。『力』は依然Lv.4のままだった。

 剣が合わさる、その寸前シオンの体を支えていた風が吹き荒れオッタルの剣を減速させ、逆にシオンの腕は押して加速させる。

 ガギャリリリィ! と歪な音と火花が鳴り散る。

 「重、いな……!」

 歯を噛み締めすぎて形相が凄まじい状態になってるのを自覚しながら、シオンはただ耐える事しかできない。

 けれど、ボロボロの腕はシオンの命令を聞き入れず、ガクンと力が抜ける。拮抗していた力が崩れる前に剣を斜めにして逸らす。

 オッタルは即座に腕に力を入れて剣を止め、返す刀で下からシオンを襲う。咄嗟にバック転で回避し、着地した瞬間足に突きを入れるが、大剣で防御される。

 パキッ、と何かが割れた音がしたのに気づきつつ、それを無視してオッタルにまた剣を振るう。

 けれど、その剣が届くことはなかった。

 ドスン! とシオンの腹にオッタルの蹴りが叩き込まれる。

 「……ッ……!!」

 悲鳴を堪えながら吹き飛ばされ、風のおかげで無様ながら着地。痛みを訴える腹を押さえ、オッタルを見る。

 ――大き、すぎる。

 少し離れたからこそ気づいた。彼はインファント・ドラゴンよりも確かに小さいが、そういうことではない。

 ――巨人を相手にしてるみたいだ。

 オッタルから生じる圧倒的な闘気のような物が、彼を大きく見せている。それに呑まれないようにするだけで、シオンは全力で耐えなければならなかった。

 ふと剣を見下ろす。

 ――やっぱり、欠けるよな。

 あの時感じた異音、それは剣という体裁を保っていた破片の一部が粉々に割れた音だ。そこからシオンの剣はどんどん小さくなっていくことがわかる。

 ――まともに打ち合う事さえできない、か。

 オッタルは、動かない。

 この時点でシオンはオッタルの目的がわかっていた。

 彼の目的は、どうしてか知らないがシオンを測ること。知らずシオンは『知恵』を見せ、オッタルの問いで『勇気』を示し。

 そして今、『力』をぶつけに行っている。

 だからオッタルは殺しに来ない。だが事故で死ねば仕方ないと言うだけだろう。つまり、彼が満足するに足る力量を出さねば、いつまで経ってもアイズのところへは行けない。

 その事実を認識した途端、シオンの心が重くなる。

 ――おれ、は。

 シオンの【ステイタス】も、持っている『スキル』も、今は役に立たないだろう。どうすればいいと悩み、いつしか俯きかけていた顔に、

 「わぷっ!?」

 風が、思い切り叩きつけられた。

 「……」

 キョトン、とするシオンに、風がシオンの背中を押してくる。困惑するシオンに、意思を持っているかのように風を使って励ましてくる。

 よくは、わからない。

 でもなんでか、口元に笑みが浮かんでいた。

 本当なら『戦い』という様体さえ整わなかったのを、この風は支えてくれた。

 風の剣で、武器を授けた。

 風の衣で、盾と鎧を纏わせた。

 ――これでおれが諦めたら、怒られるよな!

 オッタルの重圧を跳ね除けて、シオンは笑う。絶望的な状況、その中でなお笑っていれば、本当に絶望して諦めないで済むと、そう教えられたから。

 だから、笑え。

 そして、行け!

 風の出力が上がる。シオンの体を気にしないその風圧によって更に体が痛むが、それを気にする余裕はない。

 ざっくばらんに纏まっていた風を収束させ、一つに束ねる。細く、鋭く。細剣(レイピア)のように、ただ突きだけに特化した武器に。

 ――オッタルには、勝てない。

 ――だから、あの武器を壊す!!

 「セィ、ヤアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァッッ!!」

 オッタルは、片手で迎え撃つ。

 彼がシオンを相対するときに決めていた制限、それは使うのは片手片足のみ、その場から動かず動くとしても歩くのみ。

 だから彼は、本当の意味で全力を出さない。

 それでもシオンが勝てるかと言われれば――『ありえない』だった。

 一太刀。

 上段から振るわれた最速の一閃が風の剣と衣を切り裂く。シオンに刀身がほとんど届かなかったのは、奇跡と言っていい。それでも掠めた切っ先がシオンの肩から血を噴出させた。

 ――ここで、止まれるかっ!

 剣が無くなったのなら、拳そのものに風を纏わせればいい。攻撃に使う風は鋭く、そんな事をすれば腕がズタズタになるとわかっていても、引けなかった。

 だけど、シオンは一度としてオッタルに触れられない。

 逆手に持たれた大剣の柄頭がシオンの頭部を強打する。一瞬意識が飛んだシオンは、気づけば吹っ飛ばされているのに気づいた。

 そのまま壁に衝突し――そして今度こそ、耐えられなかった。

 ――骨、が……!?

 蹴りを入れられた時に、骨が折れていたらしい。幸い内蔵に突き刺さる事はなかったが、代わりに肉を貫き抉っていた。

 動けない。

 ……対抗する手段が、無い。

 …………もう、何も、できない。

 シオンの視界に影が差す。緩慢とした動作で見上げると、シオンを見下ろすオッタルがいた。

 見上げる者と、見下ろす者。

 わかりやすい勝者と敗者。

 ――死ぬ、のかな。

 ふと、心に落ちたその言葉に、涙が出そうになった。

 せめてアイズを助けたかった。無駄に命を落として、その上彼女まで助けられないなんて、後悔してもしきれない。

 死にかけた心にもう一度だけ喝を入れて、壁にもたれかかりながらも立ち上がろうとする。

 足掻くシオンに、オッタルは剣を振り上げる。避ける事は、できないだろう。もう一度攻撃されれば体は真っ二つになる。

 苦痛に歪む顔が別の意味で歪んだ時。

 オッタルは振り上げた剣を、背中に帯刀した。

 「……行け」

 「……え?」

 口元に浮かべられた笑みを、呆然と見る。同時に走った激痛にすぐに顔がしかめられたが、オッタルはもう背を向けていた。

 「止める理由はなくなった。行け。……あの少女を、助けに行くのだろう?」

 その言葉を飲み込むのに、シオンは数秒の時間を必要とした。

 文句があった。

 理不尽だと叫びたかった。

 その全てを『無駄な体力の消耗だ』と割り切るのに、更に時間をかけた。

 風に体を支えられて、シオンは走る。

 それを感知しながら、オッタルはなお笑っていた。

 「……『最強()』を前にして、あの気概か」

 彼からしてみればほとんどの冒険者は『たかが』という枕詞がついてしまう。故に、彼からしてみれば『たかが』Lv.2でしかないシオンが見せた想いは新鮮だった。

 何故なら、ほとんどの人間は彼を知った瞬間戦おうとさえ思わなくなるからだ。

 気づけばオッタルは、シオンに届かないとわかっていながら口にしていた。

 「悔しければいつか俺の前に来い。この身に刃を届かせるまでになって」

 

 

 

 

 

 「……ソッ」

 フラフラの体をほとんど執念だけで動かしていた。

 風の手助けもあって一撃でモンスターを切り捨てているため負担も少ない。このまま行ければアイズのところまで十分保てる。

 それを冷静なままの理性で計算しながら。

 シオンは自分の視界がボヤけているのもまた、理解していた。

 「クソッ、クソッ、クッソォ……!」

 負けた。

 何もできないまま遊ばれて、そして負けた。見逃されて、生き延びた。

 無様だった。

 足掻く姿はどれほど醜かったか。

 ……悔し、かった。

 理性では助かったと判断できても、感情は耐え切れず爆発する。

 「クッソオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォ――――ッッ!!」

 叫んだ。

 あまりの悔しさに耐え切れなくて、本当に久しぶりに叫んでいた。

 勝てないなんてわかっていた。負けるのが必然なんて決まりきっていた。誰がどう見てもそう言うだろうとわかっていた。

 ――でも、諦めたくなんてなかったっ! 負けたく……無かった!

 最初から諦めて、負けるからと迂回して。

 いつまでそれができる?

 失敗しない人生で、一体何が得られる?

 だから、今は。

 今はただ、負けた悔しさを呑み込んで。無様に生き延びて。醜く足掻いて、その上で、いつか。いつかあの男に、会いに行く。

 「そのスカしたツラ、ぶん殴ってやるッッ!!」

 叫び、そして、思考を切り替える。

 オッタルの事に頭を使うな。アイズの事だけ考えろ。

 6層に辿りつき、風の示すルートに従い道を行く。

 疑いはしない。

 かつてアイズは、あのオラリオにおいてピンポイントでシオンを見つけた。風が、シオンに彼女を運んできた。

 なら、その逆だってありえる。

 シオンをアイズの元へ連れて行ってくれると、信じる。

 そして、遂に。

 「――見つけたっ!?」

 いた。

 自分と同じくボロボロで、傷だらけになりながら剣を振るう、アイズの姿。必死の形相でモンスターの猛攻を凌いでいる。それだってもう限界だろう。証拠にアイズは一切反撃ができず、防御だけで精一杯だった。

 「伏せろ、アイズ!」

 「誰!?」

 叫びつつも本当に頭を下げるのだから、素直だと思う。

 シオンは剣を握り、彼女の死角から迫っていたウォーシャドウの爪を防ぐ。

 パリィィィ――ン、と完全に剣が砕け散る。オッタルの攻撃によって限界を超えかけていた剣が完全に散った。

 ギリギリ鍔の先に残っていた刀身、それを利用してウォーシャドウの喉元へ投げる。うまく当たれば喉を裂かれるし、最悪牽制程度にはなってくれるだろう。

 顔をあげたアイズが、シオンを見る。驚きに見開かれた目が、彼女の心情を表していた。

 「さっさと立て。じゃないと死ぬぞ」

 「は、はい!?」

 聞いたことのないシオンの鋭い声に反射的に返したアイズが立つ。

 そこでやっと、アイズは気づいた。自分以上に血塗れで、ボロボロで、立つのもやっとという風体のシオンに。

 アイズはシオンの強さを知っている。それなのにどうしてここまで、と思ってから、一つしかないと考え直す。

 ――アイズのためでしかない。

 邪魔者と、嘘つきと言い放ったアイズを助けるためだけに、シオンはこんなになってまで助けに来た。

 感謝と、申し訳なさと、喜びと、悲しみと、理不尽な怒りと、ごちゃまぜになった感情が、アイズの動きを封じる。

 モンスターはいきなり現れたシオンを警戒してか、動きを止めている。

 「シ、シオン、なんで来たの!?」

 出てきた言葉は、そんなだった。

 「私は、自分の意思でダンジョンに潜ったのに、どうしてついてくるの? 私の邪魔でもしたかったの!?」

 もっと別に言いたい言葉があったのに、アイズはシオンを責めていた。剣が壊れてしまってまで助けに来てくれた相手に言う言葉ではないとわかっていても、アイズは素直になれない。

 素直になるには、シオンに言った『嘘つき』が、アイズの心に刺さりすぎていた。

 シオンは答えず、腰に帯刀していた短剣二本を取り出し、構える。

 「口を動かす前に手を動かせ。死にたくないんだったらな」

 言ってから、シオンは自己嫌悪した。

 意固地になっている相手に言うような言葉じゃない。だけど『生きてて良かった』と言うには、アイズの言った『邪魔者』がシオンの心を縛りすぎていた。

 だけど、アイズは聞いてきたのだから、せめて、これだけは。

 「……死んで欲しくないから……助けに来ただけだ」

 聞こえたかどうかすら確認せず、シオンはモンスターの掃討に行く。

 ――アイズの記憶では、シオンは剣しか使っていなかったはずだ。

 なのに今のシオンは、剣程ではないにしろ短剣を器用に振るっている。短い刀身で敵の攻撃を受け止め反撃している。時折アイズが攻撃しやすいように敢えて敵の動きを逸らしているから、やりやすかった。

 もしシオンの動きをティオナ達が見たら、こう言っていただろう。

 ベートみたいだ、と。

 体はボロボロではあるが、元々【ステイタス】だけで言えばこの階層は皆雑魚だ。シオンの気力が続く限り、負けはありえない。

 その事実を認識して、アイズは気を抜いてしまった。

 「ッ、アイズ!!?」

 その瞬間、いくつかの出来事が一瞬で起こった。

 まず、シオンがアイズのところに戻って抱きしめてきた。

 次に、真っ黒な影が視界の端に入ってきて。

 最後に、視界が真っ赤に染まっていた。

 「……え?」

 「ぃ、ってぇなクソったれがぁ!」

 肩甲骨辺りに刺さった爪を強引に引き抜くと、シオンはいつの間に接近していたウォーシャドウを斬り捨てる。しかし受けた傷は大きく、右手が全く動かせなくなった。

 「おい、おれの代わりにトドメを刺せ!」

 まだ数体残っているモンスターを片手で捌き、アイズは呆然としたままシオンの腕となってモンスターを屠る。

 驚くべきことに、シオンは使えない腕すら体の捻りを利用して無理矢理動かしている。痛みは当然あるはずなのに、顔をしかめるだけで妥協すらしない。

 ――全然、違う。私と、全然。

 そんな事を、思ってしまった。

 何とか全滅させたのを確認すると、シオンはアイズの腕を引っ張って走り出す。

 「い、痛い、痛いよシオン! 自分で走れるから放して!」

 「うっさいバカ! ダンジョンで気を抜くとかありえないんだよ! そんな事もわからないからダンジョンには行かせられなかったんだ!」

 反論しようとして、できなかった。

 事実、アイズは油断したせいでシオンを傷つけた。結局助けられて、シオンの言う通り、あのままだったら死んでいた。

 落ち込むアイズに、シオンは滔々と告げる。

 「……ウォーシャドウは、全身が影で構成されていて、あの爪と素早さで襲いかかってくる。だけどアレの恐ろしさは、そんなところにあるんじゃない」

 「……?」

 「『戦いの影』……名は体を表す。アレの真価は、()()にある」

 伝え聞く華々しい戦果と栄光の裏にある影。奇襲と暗殺という汚れ仕事。ウォーシャドウはそこから名付けられた。

 顔の丸いパーツと爪を除けば影という漆黒に染められたあのモンスターは、迷宮のそこかしこに点在する影の中でうまく丸まっていれば視認する事は難しい。特に先ほどのような、モンスターと冒険者の乱戦状態ではなおさらだ。

 そして初心者の段階にある冒険者は乱戦から生き残れた時に、ほぼ必ず一息吐く。

 それは、どうしようもない油断だ。

 そこをウォーシャドウは奇襲する。わかっていても避けられない致死の一撃によって命を落とした冒険者は、多い。

 まさしくダンジョンに潜む暗殺者。今のシオンならバレバレな隠密だが、アイズはそうじゃなかった。

 「知識も覚悟も足りてない。力だけで生き残れるほど、ダンジョンは甘くないんだ」

 「そ、れは……わかった、けど」

 今日この時、アイズは身を持って知った。

 どうしてフィン達が『シオンの許可が出たら』と口を揃えて言っていたのかを。

 それは、シオンが最もアイズの身近な存在だったからだ。

 才覚があり、その上でアイズよりも小さい頃にダンジョンへ潜り、その身を危機に晒し続けた人間だからこその、あの言葉。

 後ろから迫ってきたはずのモンスターを振り返らず逆手の短剣で斬り伏す。今までのアイズとの鍛錬はお遊びかと思えるほどその一撃は鋭かった。

 いつもの穏やかな瞳とは違う刃物のような眼を頼もしく思ってしまう自分に自己嫌悪した。あんな言葉を言っておきながら、舌の根が乾かぬ内にもう頼っている。最低もいいところだった。

 シオンはここまでの道中を覚えているのか、迷いがない。どんどん来た道を戻っていく度に恐怖心がアイズを蝕んでいく。

 周囲の警戒に注意を払っていたシオンはその様子に気づかず、そのままバベルの外へ出る。かなり傾き始めた太陽から、相応の時間ダンジョンに潜っていたのだとわかった。

 「それじゃ帰るぞ。その後で――アイズ!?」

 『帰る』、その単語にピクリと反応したアイズが走り出す。シオンをほったらかして、全力で、どこかへ向けて。

 「アイ――ッ、こんな時に!!」

 ズグン、と腹部が激痛を訴える。痛みを堪えた隙にアイズの姿はもう消えていて、追いかける事ができなかった。

 どうすれば――そう、思った時だった。

 また、風が小さくシオンを撫でる。落ち着かせるように。示すように。

 ふぅ、と一度息を吐き出して。

 それから、どこかへ消えたアイズを探しに行った。

 

 

 

 

 

 どうして――どうして、私は――逃げてるの――?

 そう自問自答していたけれど、本当はわかっていた。目を逸らすことさえできないほど、それはアイズの中心に巣食っていた。

 怖かったのだ。

 散々シオンに迷惑をかけた。あんな傷まで負わせる事になった。嫌われた、疎まれて当然だと思ってしまうほどに。

 そして、そこでやっと気づいた。

 自分は、アイズ・ヴァレンシュタインという人間は、シオンに甘えきっていたのだと。甘えるのが最早当たり前となっていて、だから気付かなかったのだ。

 それを失うのが、恐ろしくてたまらない。

 お母さんが自分の前から消えた時と同じ心の中にある大事な物がポッカリと無くなって、例えようのない消失感に、泣き叫びたくなってしまうほどに。

 アイズが我を取り戻した時には、とても高いところにいた。

 オラリオの一番端っこ。迷宮都市(オラリオ)を囲む市壁だ。その外縁部からは都市の大部分を見渡せるために、アイズは場違いにも目を奪われた。

 今の自分には全く似合わぬ、その美しさに。

 何となく、オラリオの外を見る。こことは違う大自然が遠くに広がっているのが見えて、アイズはふと呟いた。

 「……ここから出たら、外には何があるんだろう」

 「――少なくともアイズ一人では行かせられないな」

 その言葉と共に、全力で抱きしめられた。

 なっ!? と驚きと羞恥で顔を赤くするアイズに、しかしシオンは体を苛む痛みで息を荒げないようにするだけで限界だった。

 プルプルとか弱く揺れる腕には全く力が入っていない。一瞬力を入れるだけが限度で、これではもう一度逃げられればもう追いかけられない。

 「なんで、ここがわかって」

 「最初に会った時、あの大勢の中からおれだけを見ただろう。それと同じだ」

 つまり、理由はわからない、と。

 ただ何となく、あっちに行けばいいというよくわからない予感に背中を押されて、そしてシオンに出会った時の事を思い出す。

 たった一ヶ月前。

 それなのに、初めて会ったのはもう何年も前に思えてしまう。それこそ物心ついたときから一緒にいたと錯覚するくらいに。

 少しだけ俯くアイズを見て、シオンは体を離す。さすがに血塗れの服と体で抱きつくのは無遠慮すぎる。

 振り向いたアイズはシオンと目を合わせようとしない。どうにも気まずくなって、シオンも話しかけづらい。

 だが、こういう状況で気を遣うのはいつだって男だと相場が決まっている。

 「アイズは、さ。どうしてダンジョンに行きたいって言ってたんだ?」

 「……え?」

 てっきり怒られると思っていたアイズはパッと顔をあげる。バツの悪そうな顔で、それでもシオンは頭を下げた。

 「悪かった」

 「あ、頭あげてよ! そんな、シオンが謝る必要なんて」

 「それでも、おれは知らなきゃいけなかった。手伝うのなら、おれはアイズの気持ちもわからなきゃいけなかったんだ。……自分本位にやってたせいで、こんな事になったんだから」

 薄く笑う。けれどそれは後悔から滲んだ自嘲によるものだ。

 違う、そうじゃないと言いたかった。

 だけどアイズの感情は、その理屈を撥ね退け、別の行動を起こさせた。

 「――!」

 ドン、とシオンの体にぶつかる。たったそれだけでもよろけて崩れ落ちそうになる体に喝を入れて堪えるのにかなりの労力を必要としたが、ふとアイズの体が震えているのに気づいた。

 「寂しい、の……」

 その一言に、アイズの想いがこめられていた。

 「夜寝る時に、ベッドが広すぎて、寒くなるの」

 いつも母は自分を抱きしめながら眠っていた。アイズも母を抱きしめるのが大好きだった。それが無くなってから、いつもいつも寒くて仕方が無かったのだ。

 「夢でお母さんが傷ついてるのが見えて、悲しくなるの」

 いつからか見るようになった悪夢は、アイズの恐怖心を煽った。

 「お母さん、会いたいよぉ……!」

 シオンはただ、聞いていた。けれどそれは、彼女の本心を吐き出させたかったからではないと、彼女の言葉に気づかされる。

 「シオンもわかるでしょ? 今すぐ会いに行きたいって気持ち」

 ドクンと、心臓が跳ねた。

 「どうしようもなく不安になって、お父さんとお母さんのところに行きたいって気持ちが」

 ――あ、れ?

 アイズの言葉は、どうしてかシオンの心に突き刺さり、

 ――……わからない。

 そんな答えが出て、シオンは反射的にアイズに叫んでいた。

 「わっかんないよ、そんなの!?」

 目を丸くして体を離すアイズに、シオンは心の奥底から噴出した想いを言い放つ。今までずっとずっと封じ込めていた、真意を。

 「知らない、覚えてない! おれはいつも『待たされた』人間だった。『置いてかれた』人間だったんだ!」

 ――なんで、こんな。

 「言ってたのに! 『いい子にして待ってて』って! なのに、父さんも母さんも帰ってこなかった、そのまま死んだ!」

 ――両親の事なんて、顔さえ覚えてないのに。

 「義姉さんだってそうだった! 『ずっと一緒に、傍にいるから』って言ってくれたくせに! おれだけ置いて死んじゃった! ……どうして」

 ――どうして皆、おれだけ置いてどこかに行っちゃうの!?

 その想いが、そのまま怒りに向いていく。

 「アイズのお母さんは、生きてるかもしれないのに! おれとは違って『死んだ』って言い切れる訳じゃないのに! 可能性に縋る事さえできないおれは、もう、両親の、義姉さんの愛を思い出す事さえ難しいんだ!」

 言外にズルいと責めているのを、言い終えてから気づいた。怯えたアイズの目を見て、シオンは胸を押さえた。

 ――おれ、は……。

 「自分の事だって、わかっちゃいなかったのか……」

 ずっと、ずっと気付かなかった。

 自分の心は、寂しいと叫び続けていたことに。アイズが言わなければ、目を逸らし続けていたままどこかで破綻していた。

 ふらふらと揺れて、市壁に寄りかかって座り込む。膝を立ててそこに額を押し付け、湧き上がってきた『寂しさ』を享受する。目の淵から涙がこぼれた。

 「……おれには、もう『家族』はいないんだ」

 その事実は、風に流れてアイズの耳へと滑り込む。硬直したアイズはシオンの悲しみに満ち満ちた声を理解し、そして、自分がどれだけシオンの心を押しつぶしていたのかを悟る。

 母親の声すら思い出せないと言うシオンに、『母に会いたい』と言い続けた私は、どれだけシオンを傷つけたのだろう。

 ――(おれ)は、シオン(アイズ)の事なんて全然(これっぽっちも)知らなかった。

 お互いがお互いを刺激し続け、爆発した。その結果は必然であって、偶然ではない。だけどシオンは、その間違いを、間違えたままでいさせたくない。

 『教えて欲しいなら、わかってあげなきゃいけない』

 全ては無理でも。

 少しくらいなら、想いは伝えられるから。

 シオンは市壁を支えに立ち上がり、頬を伝う涙をぬぐって、同じく涙を流していたアイズの頬を撫でる。

 「……?」

 シオンの動作を不思議そうに見ていたアイズに、震える声で言う。

 「おれは、アイズの事をほとんど知らない」

 当然だ。たかだか一ヶ月で相手の事を知れたなんて傲慢にすぎる。十年二十年一緒にいたって知らない事はあるのだから。

 「私も、シオンの事を全然知らない」

 その事実を、まず認める。

 「アイズの事を知りたい。溜め込まないで、我が儘を言ってほしい」

 「シオンの事が知りたいの。自分一人で考えないで、私にも伝えてほしい。じゃないと、不安になるから」

 思い返せば、この一ヶ月何のために言葉があるんだと言えるくらい話した回数は少ない。その会話自体も一言二言重ねただけで終了だ。

 シオンはアイズを撫でていた手を下ろし、彼女の前に差し出す。

 「もう一回。……やり直そう」

 「次は、間違えないでね?」

 浮かべた笑みは、とても複雑な色が宿っていた。

 それを全て押し殺して、シオンは言う。

 「()()()()()()()()、アイズ」

 改めてやり直す、そのための言葉。意図を理解したアイズは手を差し出し、握る。握手をした事はあっただろうか、と思いながら。

 2人はやっと、本当の意味でお互いの手を取り合えた。

 そしてシオンはアイズの手を引っ張って歩き出す。

 「帰ろう、アイズ。寂しいなら今日は一緒に寝るか?」

 「うん、いいよ」

 「まぁそれは流石に――え、いいの?」

 冗談で言った言葉にガチトーンで返されて逆に慌てる事となるシオンに、

 「私も、久しぶりに誰かと一緒にいたいから」

 「そ、そうか。うん、おれが言ったことだし、わかった」

 何でか背筋を凍らせてるシオンに、アイズは花開いた笑みで小さく呟いた。

 「よろしくね。……お兄ちゃん」

 最後の言葉は、自分に対しての戒めでもあった。

 無意識に甘えていた理由を明確にするための、一種の儀式。

 「アイズが呼びたいなら……別に、それでもいいぞ?」

 「え、へ!? ま、まさか聞こえたの!?」

 「Lv.2を舐めるな、とだけ」

 「それ返答になってないから! ね、ねぇ本当に聞こえちゃった!? それはちょっと恥ずかしいから――!??」

 涙目になっているアイズに、シオンは困ったように頭を掻いて、誤魔化すようにアイズの手を強く握って歩く。

 それは、お互いの孤独を埋めるための傷の舐め合いかもしれない。風によってもたらされた歪な出会いかもしれない。

 それでも今は、この心地よさに浸っていたかった。

 (いもうと)のような()の温もりを、感じていたかった。




今回はアイズが『ここまでやれる』っていうのと、シオンの強制負け戦闘をするためと、2人の関係を再認識するためのものです。

痛い目見ないと自覚しないって事ですね。痛い目見すぎですけど。

後半のシオンとアイズの言い合いがちょっと納得できてないので変更する可能性あります。その時は一応お知らせしますね。

んで、次回で一区切りつきそうと言いつつつかなかった件。長すぎてまた分割なりました。学習していませんね私。
予定していた展開にしようとしたら文字数跳ね上がったせいです。でも書きたかったんだから仕方ない、うん。

次回こそは章終わりだから。きっと終わらせますから!
……閑話も、頑張って書きます。


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アウフタクト・クインテット

 市壁から降りたシオンとアイズは、まず位置の把握をする事になった。デタラメに走り回ったアイズはもちろん、痛みに耐えながら走ったシオンも道を覚えていない。

 しかしオラリオはバベルを中心に八本のメインストリートからなる都市。最悪あの目立つバベルまで行けばホームには戻れる。

 何とか小道から大通りまで出て、ホッと一息吐く。

 「北西のメインストリートか、運がよかった」

 「ここならそう遠くないし、三十分くらい歩けば戻れるかな」

 ホームがある北のメインストリートまでは比較的近い。大通りを歩き出し、そこでシオンは自分が衆目を集めているのに気づいた。

 全身ズタボロで、返り血も酷いシオンは自然人目を集める。外見が子供なのも相まってか、あまり気持ちのいい視線ではなかった。

 自分はともかくアイズまでその目を向けられるのは気分的に良くない。そう判断して、シオンは急遽進路を変更した。

 「ど、どこ行くの? そっちはホームじゃないけど」

 「寄るところができた。【ディアンケヒト・ファミリア】のところに行く」

 どうしてか鈍い動きで歩き出すシオンを慌てて追っていく。

 シオンの言う【ディアンケヒト・ファミリア】にはすぐについた。純白の石材一色で作られたその建物には彼の【ファミリア】を示す光玉と薬草のエンブレムが飾ってあった。

 幾人かにジロジロと見られながら、シオンは一人の少女の元へ行った。

 「はい、はい。そうですか、わかりました。それでは案内の者をつけますので、少々お時間頂きますね。……あれ、シオン? 久しぶりですね、随分と傷だらけですが」

 よそ行きの笑顔を浮かべていた少女がシオンを見る。その顔に驚きはあるものの、怪我に何かを言う様子はなかった。

 アイズは、着飾れば人形のように可愛らしいと言える少女を見上げる。

 年の頃は十七くらいだろうか。桃色の髪を左即頭部辺りにリボンで小さく括っている。勝ち気な瞳は空色で、けれどどこか優しさを滲ませていた。服装は白を基調とした、医療師を想起させる制服だ。

 「久しぶり。こんな格好で訪ねて悪いな」

 「構いません。元気な姿が見れるだけでも十分なのですから」

 嫌な顔一つせずにシオンの頭を撫でる。同時に、シオンの肩から力が抜けた。今まで纏っていた緊張の糸がプツンと切れて、そのまま意識を闇に落とした。

 「シ、シオン? 大丈夫なの!?」

 慌てて駆け寄ろうとしたアイズに、少女はしー、とジェスチャーを送る。

 「単に肉体的、精神的な疲労が限界を超えただけです。適切な治療を施せば、命を落とすことはありませんよ。私はプレシス・ウェザーベール。一応、シオンとは友人関係にあります。友を見捨てる程非情ではないので、落ち着いて私についてきてください」

 「ア、アイズ・ヴァレンシュタインです。シオンのこと、お願いします」

 アイズが言うと、プレシスと名乗った彼女は立ち上がり、近くにいた同僚に用事ができたと告げる。その理由は隣にいたからすぐにわかってくれたのだろう、笑顔で頷いてくれた。

 そのやり取りだけで、彼女がよっぽど信頼されているのだとわかる。そうでなくてはいきなり抜けたせいでできる穴に文句を言わないはずがない。

 「では、行きましょう。私事ですので診療所は貸せませんが、私の部屋にも一通り医療道具はあるので」

 「わ、わかりました」

 初対面の相手、とあってアイズはどうにも気後れする。プレシスの後ろに引っ付き人の視線から逃れる事に全力を注いでいたら、いつの間にか止まっていた彼女にぶつかりかけていた。

 扉を開けて部屋に入るプレシス。妙な臭いがすると思ったら、異様な量の紙と薬と、それらの材料が棚と机に置かれていた。

 「一応、整理してはいるんですけどね。使う量が多くなると、雑多に見えるでしょう?」

 「いえ、そんな事は。もっと酷い部屋を見たことがありますから」

 そこがロキの部屋であるのは言うまでもない。

 プレシスはアイズの返答を冗談と受け取ったのか、苦笑しながら自らのベッドの上にシオンを寝かせ、端っこにあった救急箱を持ってくる。

 「とりあえず消毒と、止血と、包帯と……」

 必要な物を取り出し、ベッドの横にある小さなテーブルの上に置く。それからシオンの持っていた装備を外してから上半身を裸にし、そして小さく眉をひそめた。

 「……これは」

 「なにか、あるんですか?」

 「少なくとも、このまま応急処置をしても無駄なのはわかりました」

 プレシスの視線はシオンの肩甲骨辺りに向けられていた。小さく、湧き水のようにこぼれ落ちてくる血と、その周囲の『異様に盛り上がった』筋肉を。

 ――無理矢理、止血したのですか。

 傷の痕から察するに、鋭い刃物でかなり深く切り裂かれたのだろう。放っておけば死ぬと判断して肩に力をこめて筋肉を凝固させて止めたのだ。

 理屈ではわかるが、こんな子供がそうできるだけの筋力など持っているはずがない。証拠に周辺の肉が歪んでいる。

 ――これでは傷痕が残ってしまいますね。

 そしてそれを、後ろの少女は気にするだろう。だからプレシスは明言を避けたのだ。シオンにとって少女の存在がどれだけ大事なのかは一目でわかったから。

 一度立ち上がり、適当な材料を持って簡単にできる回復薬を作る。プレシスの腕ならばすぐにできるそれをシオンに飲ませ、多少マシになった背中に包帯を巻く。

 「私にできるのはこれくらいです。なの、ですが」

 小さく言い淀み、言おうかどうか悩む。

 「お願いします。教えてください」

 「……そうですか、わかりました」

 プレシスは、気づいたことをアイズに教える。

 注意して触診したから気づいたが、外よりも中が酷い。相当にだ。体の各所の骨に罅が入り、特に酷いのは右腕。原型を留めているのが奇跡というレベルで骨が砕けている。右腕を中心に大きな衝撃を与えられたのか。

 内蔵の損傷もかなりのもの。特に腹部周辺の臓器。この部位は骨が折れているので、何か強烈な一撃を貰った可能性が高い。骨が内蔵に刺さっていないだけマシだ。

 そこまで言われ、アイズは愕然とした。ダンジョンから出て走り回され、アイズに抱きつかれたりと、シオンにかかった負担は想像に難くない。

 それでも耐え切ってほとんど苦痛を顔に出さなかったのは何故か。

 決まっている。

 ――アイズ・ヴァレンシュタインという少女に、不安を与えないためだ。

 プレシスは黙っていたが、他にも筋肉が断裂しかかっていたりと、色々とあった。しかしアイズに告げた言葉は、

 「――数ヶ月は安静にしていないと、死にます」

 「そ、んな」

 硬直するアイズに、プレシスの泰然とした視線が向けられる。少女と少年の傷の差を見れば、どうしてこうなったのかを大体は予想できる。

 プレシスは彼女を責めるつもりはない。彼女を助けると決めたのはシオンだ。外野がどうこういうのは筋違いにすぎる。

 「例え高等回復薬(ハイ・ポーション)でも、シオンの傷を完全に癒す事は難しいでしょう。ある程度品質の保証された、万能薬(エリクサー)なら話は別ですが」

 「その万能薬は」

 「最高品質で五〇万ヴァリス。最低品質でも十数万はしますよ」

 提示された額に、アイズは何も言えない。

 五〇万ヴァリスなんて大金、アイズは持っていない。初心者の冒険者の稼ぎ数ヶ月……いや、何年分だろうか。

 縋るようにプレシスを見るが、彼女は首を振った。

 「申し訳ありませんが、私にも通すべき仁義はあります。友といえど、タダで私達が作り上げた商品を渡すのは、【ファミリア】に対する裏切りです」

 そして、

 「ツケをするにも、シオンがすぐに金を返せるアテが無ければできません。金の貸し借りは、友情を壊しますから」

 シオンが起きていれば、その辺りを聞けたのに。

 そう思いながら、プレシスは『これ以上の手伝いはできない』と告げる。元よりこの程度の災難を振り払えなければ冒険者は務まらない。彼女は心を痛めながら、鬼になるしかなかった。

 それでも、自分を責める少女に言った。

 「シオンの手を、握ってあげてください」

 「でも、私がそれをする資格なんて、無いよ。私のせいでシオンが」

 「そんなのはどうでもいいのです」

 ピシャリと言い放ち、肩が跳ねるアイズに笑いかける。

 「傷ついたとき、傍に人がいる。それだけで、人は心安らげるのですよ」

 彼女の後ろに回り、トンと背中を押す。戸惑う少女は幾度か逡巡し、シオンの手を握った。それを見たプレシスはドアに手をかけ、

 「私は子供達の服を取りに行きます。お下がりになりますが、その服でいるよりはいいでしょうから」

 「あ、ありがとうございます。迷惑をかけて」

 そして部屋を出る瞬間、プレシアはこう言った。

 「まあ、何とかなるでしょう。シオンは妙なところで運がいいですから」

 パタンと閉じられたドアに不思議そうな目を向けたあと、アイズはシオンに目を落とす。スゥスゥと一定の感覚で胸を上下させるシオンに異常はない。

 「ごめ……」

 口からこぼれた言葉を押し込めて、別の言葉を吐き出す。

 「ありがとう、シオン。……お兄ちゃんのおかげで、私、生き残れたよ」

 きっと謝っても、シオンは受け入れてくれない。

 だから彼に告げるのは、感謝であるべきだ。無事な方の手である左手を握る。常とは違う感触に涙ぐみながら、祈った。

 強くなりたいと願って、強くあろうとするこの人の歩みを止めないで、と。

 数ヶ月という期間はあまりに長い。勘は鈍るし、何もできないという状況はゆっくりと人の心を腐らせる猛毒だ。その状況にシオンが耐えられる保証はない。

 ふとシオンの顔を見る。若干残っている涙の後を指で拭って、そして気づいた。

 ――隈、できてる?

 薄くではあるがシオンの目の下に黒い物が浮かんでいる。十分な睡眠が取れていない証だ。どうしてなのか、と思いかけて、気づく。

 ――ダンジョンに行って、フィン達から指導を受けて、私に鍛錬をして、休日も用事があるから出かけて……どこで、寝てるの?

 この人が自己鍛錬をしていないはずがないので、それを考えると一日の睡眠時間は大幅に削られてもおかしくはない。

 アイズが来るまでは回っていたスケジュールに狂いが生じたせいだ。この隈は、その結果。

 ポタ、ポタとシーツにシミができる。

 「頑張りすぎだよ、お兄ちゃん。疲れたって言ってくれれば、私だって……」

 涙を流しながら、シオンの手の甲を額に押し当てる。強くは当てない。

 ただ、バカな自分の泣き顔を見せたくなかった。例えシオンに意識がなかったとしても。新たな罪悪感を覚えたアイズが、妙な意識を抱く寸前。

 「やっほーシスっち! なーんか表にいないから来ちゃったぜ。今日も調合談義に勤しも――ってあれ、いない。そして代わりに子供発見!」

 ……テンションが振り切れた少女が、部屋に入ってきた。

 「……誰?」

 唐突に現れ嵐のようにトークを撒き散らす少女に、アイズは固まってしまう。

 楽しそうに笑っている少女は、ちゃんとお洒落すれば綺麗なのだろう。

 だがボサボサの黒い長髪。黒のブラウスに青のスカートを着て、その上に白衣を纏っている。コバルトブルーの瞳には好奇心を宿していた。

 それだけならちょっと変な美少女と言えただろうが、その白衣には何かをぶちまけたかのように一部変色していて、奇妙な臭いがアイズの鼻を刺激する。

 残念な美少女。それがアイズの第一印象だった。

 「んー、シスっちの部屋にいるって事は訳アリ?」

 首を傾げながらアイズに近づいてきた彼女は、横になっていた人物を見て驚いたように目を瞬かせた。

 「これまた随分と重症ね、シオン。一体何があったらこうなるのさ」

 「知り合いなの?」

 彼女の言う『シスっち』なる人物は、十中八九プレシスだ。その彼女の知り合いなら、シオンと面識があってもおかしくはない。

 が、聞かれた少女はどう答えようか迷っているようだった。

 「私達の関係は複雑だねぇ。友達だけど、依頼人と請負人で、売り手で買い手で、そんで」

 一瞬の間。

 「()()()()()()()、かな」

 「なんですかそれえええええええええええええええええええええ!??」

 アイズの絶叫。当然の反応に、少女は困ったように頬を掻いた。

 「ま、まぁシオンも了承してるわけだから、ね? うん。何ともないって、別に命の危険があるわけでもない、し?」

 「し? って何ですか、し? って! 命の危険があったの!?」

 目を逸らす彼女に不信感を募らせる。シオンに近づかせるのは危険だという当然の判断を下そうとしたアイズに慌てる少女。

 「ストップ、ストーップ! 私怪しくないから! ちゃーんと神会で二つ名貰えるくらいの腕のある薬師だから!」

 それでも胡散臭いとジト目を向けるアイズ。

 「【奇薬】のユリエラ・アスフィーテ! 聞いたことない!?」

 「無い」

 「即答!? これでも有名なんだけどな!」

 正直、うるさい。シオンの怪我に触る。いっそ追い出そうか、とまで考えると、

 「――とりあえず、その子の怪我、治そうか」

 今までのおふざけがどこかに消えたかのように真剣な表情で、ユリエラが言った。音を立てない静かな動作でシオンに近づき、その体を見下ろす。

 冷徹な視線に見られていないのに竦められたアイズは、それでも問いかけた。

 「それ、ほんとにできるの?」

 「うんうん、とーぜん。なんせ、私だからね。……うーんと、確か入れてあったは、ず!」

 白衣に隠れて見えなかったポシェットをガサゴソと漁る。キン、キン、と金属がぶつかる音がして、数秒後、ユリエラはちょっと大きな瓶を取り出した。

 ここで話は変わるが、アイズは自分の視力はかなりいいという自負がある。

 その眼が、捉えていた。

 『回復薬(しおんのとらうま)』と書かれた、そのラベルを。

 「んじゃ、これをシオンに飲ませ」

 「てたまるかああああああああああああああああああああああ!?」

 口調なんてかなぐり捨ててアイズはユリエラからその瓶をぶん取る。そのまま瓶を両手で抱えると必死に抱きしめて距離を取る。流石にシオンの近くで暴れることはしないだろう、という打算からだ。

 やっぱり全然信用できない!

 「ありゃ、取られちった」

 そう言っているのに、彼女の口調からは深刻さが感じられない。

 それをアイズが疑問に思う前に、彼女はニヤッと笑うと、

 「ほいっと」

 「シオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!??」

 懐に隠し持っていた()()()を、シオンに飲ませた。

 そして、シオンの体が震える。

 カッと目を見開くと体を抱えて喉を押さえる。時折口から漏れる吐息から、シオンが吐き気を堪えているのだとわかった。

 「はい吐いちゃダメだよー。吐いたら効果切れちゃうから」

 ……鬼畜だ。

 シオンの顎を笑顔で押さえるユリエラの姿にプルプルと怯えながら、アイズはシオンを助けられなかったと涙目になる。目から血の涙を流すシオンを見ていられなくて、アイズは思い切り目を閉じて顔を逸らした。

 「ほら、もう大丈夫。気分どう? 意識ハッキリしてる?」

 「……何とか」

 そんな声と共に、聞き慣れた声が届いてきた。ハッと我を取り戻したシオンに近寄り、声をかける。

 「シオン、大丈夫? 記憶無くなったりしてない? 正常だよね!?」

 見たところシオンに異常はない。青白かった顔は赤みが戻っている。怪我は治っているし、ちゃんと効果はあったようだ。しかし肝心の中身が無事でなくては意味が無い。

 「いや待て、なんで起き抜け直後にそこまで言われるんだ」

 「ああ、それはね、これ、飲ませたから」

 若干引き気味のシオンに、ユリエラは瓶を見せた。

 「………………は、い?」

 反応は劇的だった。

 赤みの戻った顔が一瞬で真っ青になり、ベッドから転げ落ちるとアイズの後ろに戻ってガタガタと震えだす。

 あまりの反応に呆気にとられたアイズだが、ユリエラは苦笑するだけだ。

 「大丈夫だって。ちゃんと改良してマシになってるから。……二度と使いたくないって、言われたけど」

 「当たり前だ! 『全身から血を吹き出す』とか、そんなの良薬は苦いってレベルじゃないだろうが! アレに比べたらユリが今まで作った怪しい薬のがまだマシだ」

 「それ最初だけ! しょうがないじゃん試薬だったんだから! っていうか怪しいってちょっと酷くない?」

 「正当な評価だ。危うく死にかけた経験、忘れてないからな、おれは」

 噛み付かんばかりにユリエラ――ユリを責めるシオン。感情剥き出しのシオンという珍しい姿に目を白黒させてしまう。

 「たはは、参ったなぁ。実はアレから新しい薬がいくつか――」

 「これにてゴメン!」

 アイズの背から飛び出しベッドを飛び越えユリの横を駆け抜ける。

 「逃がさないよ!」

 足を出して邪魔をするユリだが、シオンは慌てず小さくジャンプして避ける。けれど巧みに体を動かし、ユリは空中に浮かんでいる体を捉え、蹴り飛ばす。

 「チッ」

 全力ではないけれど、軽いシオンの体は吹き飛んだ。だがただでは転ばない。吹き飛ばされた位置は扉の前。あとはドアノブを回して逃げれば――

 「アイズ、戻りましたよ。ユリはここを訪ね、キャッ!?」

 ちょうど部屋に戻ってきたプレシスに、ぶつかった。服を抱えていた彼女は受身を取れず、背中から倒れこみ強打する。反射的に飛んできた何かを抱きしめて庇った。

 「い、たた……あれ、シオン? ってことは」

 視線を部屋に向け、目的の少女を見つけた、その瞬間。

 「ユ~リ~? あなたは一体何をしてるんですか……?」

 「待って待って! 私のせい? 飛び出したのシオンじゃん!」

 「あなた以外にいるとでも? 毎度毎度あなたが起こすトラブルの尻拭いをする私の身にもなってください。まったく……大丈夫ですか、シオン」

 「う、うん、何とか……」

 まだ本調子ではないのか、フラついているシオンを支える。血が足りていないのだろう。それも仕方がない。

 ついユリにジト目を向けてしまう。プレシスの目に冷や汗を流しかけたユリだが、

 「くっ、ふ、ふふ……」

 どこからともなく聞こえてきた笑い声に、3人は視線を向ける。

 アイズが、笑っていた。堪えきれない、と言いたげに口元を押さえ体を曲げている。

 「……今回は、アイズの笑みで手を打ちましょう。助かりましたね、ユリ」

 「ほんとだねー……うん、助かった」

 溜め息を吐いて妥協してくれたプレシスに乾いた笑みを浮かべるユリ。そんなやり取りを見たシオンは言う。

 「少しは懲りたらどうなんだ? 全然成長してないんだが」

 「そこまで言わなくても」

 「今更でしょう。この人に成長なんて期待するだけ無駄です」

 「いいかなーなんて……泣いちゃうぞ私! いいんだね、本気だぞ!」

 「「うわっ、うっざ……」」

 それを見て、アイズは本格的に笑いだした。瞬時にアイコンタクト。

 ――道化を演じさせてごめん。

 ――ユリの場合は素のような気もしますが……。

 ――いーじゃんいーじゃん。やっと笑顔見せてくれたんだからさ。

 気丈に振舞っていても、悲しそうにしていたアイズが浮かべた満面の笑顔。

 その事に安堵しつつ、そうと察せられないよう、3人はまだまだ道化を演じ続けた。

 

 

 

 

 

 上機嫌にナイフで魚を切り分け、フォークで口に含む。

 フレイヤの気分が良いのは食べている料理が美味しいというのもあったが、シオンが期待以上だった喜びが主だ。

 頼んだ仕事をこなした従者に労いの意味をこめ、バベルの中に出店しているレストランで食事をしていた。

 『最も空に近いレストラン』という事、そして何よりその味によって値段は相応。味に好みをつけなければ五〇ヴァリス程度で腹を満たせるが、ここの料理は最低でも一〇万手前、最高だと一〇〇万を超えるお値段となる。差額で大体察せられるだろう。庶民にはまず手が出せない。

 とはいえ、ここでプロポーズをする者は相当数いるため、この店は繁盛し続けるだろうが。

 最も眺めのいい席、そして最高級の料理。【フレイヤ・ファミリア】だからこそできるコネで確保したものを眺めながら、オッタルに問う。

 「それで、『期待以上だった』っていう言葉の詳しい内容を聞きたいのだけれど。説明してくれるかしら」

 「わかりました」

 相変わらず大きな図体で料理を運んでいた手を止める。そしてどこかに思い馳せるように楽しそうな、何かを待っているかのような笑みを見せる。

 少しだけ、驚いた。

 オッタルがこんな笑みを最後に見せたのは、どれくらい昔だろうか。

 「突出した才能はありません。強いて言えば、全ての才がかなりのレベルで纏まっている。得手不得手が無い、といったところでしょうか」

 「それは……でも、ここぞと言った場面で苦労しそうね」

 「そうなるでしょう。しかし、彼には知恵があった。諦めない勇気があった。流石、【ロキ・ファミリア】の3人が手ずから育てるだけの事はある」

 今は弱くとも、いつか。

 そう言いたげな評価に、フレイヤは嬉しそうにする。

 「どうかなさいましたか?」

 「いえ、久しぶりに楽しそうな顔をしてるから、つい、ね。子供みたいに嬉しそうに、でも大人としての顔もある」

 「……『育てる』のも、また一興かと思っただけです」

 年甲斐もなくはしゃいでいると思ったのか、顔には出さずとも耳がピクピクと動いている。大の男がそんな動作をすると、何故だか可愛らしく思ってしまった。

 「悪いけれど、しばらく彼には干渉できないわ」

 「わかっています。一度接せられただけで上出来でしょう。これ以上の干渉は、誰かに悟られます」

 「その辺り鋭いものね、ロキは……。ごめんなさい、折角の楽しみを奪ってしまって」

 いっそ【フレイヤ・ファミリア】に誘うのも、という考えも浮かんだが、それはそれで一騒動起きそうなのでやめておいた。

 【フレイヤ・ファミリア】と【ロキ・ファミリア】には実質そこまで大きな戦力差は無い。下手に手を出して火傷をするつもりはさらさらなかった。

 つまり、フレイヤとオッタルが彼にもう一度会えるのは最低でも数ヶ月後。

 なのにオッタルは、楽しそうな笑みを崩す事はなかった。

 「待ち続けるのも、存外楽しいのだと気づいたのです。あの子供が、いずれ私のところへ辿り着くと期待していましょう」

 その時こそ、本当の決着を。

 武人としての血を騒がせるオッタルの姿は、フレイヤの琴線に触れた。

 「ふふ、久しぶりに愉しもうかしら、ね――?」

 その妖艶さを見た者は、誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 夕暮れに染まる道を、アイズと2人で歩く。

 アレからてんやわんやの大騒ぎをしてしまい、プレシスの同僚から『うるさい』とたたき出されてしまった。まぁ、あそこには怪我人の治療をするところでもあるので、むしろ黙認していてくれた方だろう。

 「服、返しに行ったほうがいいのかな?」

 「あげると言われたから、返すのも、何だかな。それよりはお礼の品でも持っていったほうが現実的だ」

 「あ、やっぱり? でもお礼かぁ」

 うーん、と悩むシオンとアイズの服は、普段と違う物だった。

 シオンとアイズは基本、明るい服を好む。白、赤、黄、アクセントとしてなら他の色もあるが、基本色はそういった色だ。

 だが今回はその反対で、シオンは単色の灰色のシャツと青のズボン。アイズは黒のシャツに藍色のスカートだった。肌触りから結構な安物だとわかる。一度着るだけなので、特に文句は言わないが。

 「薬の材料の買い出しとか、単純に行くなら食べ物とかがセオリーかな」

 「うーん、あんまり凝ってても重くなっちゃうし、そんな感じだよね」

 そこで話は途切れ、ふと気になった事を問う。

 「そういえばあの2人って、結構有名なの?」

 「ん、ああ、かなりな。2人ともLv.4の冒険者でもあるから」

 格上だった。

 シオンの動きに当たり前のようについていったから相当な物だとはわかっていたが、まさかそこまでとは思ってもいなかった。

 「あの2人は正反対な薬師で有名だ。プレシスは過去を、ユリは未来を目指してる。後は【ディアンケヒト・ファミリア】と【ミアハ・ファミリア】に所属してるって意味で。あそこは妙に仲悪いからなぁ」

 正確には、ディアンケヒト神が一方的に敵視してるだけだが。

 「未来は、新しい薬を作ってるってわかるけど、過去は?」

 「紛失した薬品を再現すること。失った文献の一部から研究したりしてね。【彼方への追跡者(ソウル・チェイサー)】プレシス。それが彼女の二つ名だ」

 ちなみに本人はあまりこの二つ名を気に入っていない。

 『私が追い求めているものは過去の薬品であって魂ではありません!』

 との事だ。

 別にそういう意味ではないと思ったけれど、まぁ、詮無い事か。

 「それじゃ、ユリは?」

 「あー、うーん……一つ聞くけど、ユリは【奇薬】って名乗ったか?」

 「そうだけど、違うの?」

 嘘を言われたと思ったのか、ムッとした顔をするアイズに、シオンはどこか乾いた笑みでこう言った。

 「【奇妙な薬品(ゲテモノ)】のユリエラ。まぁ、名乗りたくないわな」

 引き攣った顔のシオンに釣られてアイズの笑顔も変な感じになってしまう。なぜそうなったのか気になって恐る恐る聞くと、

 「おれが飲まされた薬で察してくれ」

 ――大体わかった。わかってしまった。わかりたくなかったけれど。

 「でも、なんでシオンはLv.4の薬師と友達になれたの?」

 「偶然であり、必然でもあった。それだけ」

 シオンとユリは、打算からその道を結び始めた関係だ。

 元々ユリはオラリオにおいて五指に入るレベルの薬師であり、高々Lv.2の冒険者にすぎないシオンでは彼女の作る回復薬を使う機会など、ありはしなかった。

 本当に、偶然に過ぎない。

 『求む、薬の実験台! 報酬は私の作る薬で出しますっ!』

 そんな胡散臭い内容を見れたのは。

 最初は実験台になるつもりなどさらさらなかった。しかし広告を出しているのが【ミアハ・ファミリア】の【奇妙な薬品】のユリエラと聞いて、思ってしまったのだ。

 ――ダンジョンで使う回復薬を作ってもらえれば……。

 それはきっと、役に立つ、と。

 後で知ったことだが、ユリの作る回復薬は最高品質の物ばかりで、欲しいとねだる者は後を立たないらしい。ただユリ自身は【ファミリア】に対する献上金と、薬に使う材料費を稼ぐ以外ではまともな薬を作ろうとしないため、妙なプレミアがついているようらしい。

 あんな態度ではあるが、腕が確かなのは事実、というわけだ。

 あの時は話を通すためにミアハと呼ばれていた神に話かけ――その時、何故か周囲の団員含む全員から『命を粗末にするんじゃない!』と言われたが――ておき、交渉。

 シオンの条件は『即死する薬品は使わないこと、万が一が起きたら【ロキ・ファミリア】に相応の金銭を支払うこと』に。

 ユリは『Lv.2になってから実際に薬を飲んでもらう』ということで契約。

 実際の細かい内容になると話すのが面倒なので割愛。

 とかく、シオンが実際にユリの薬を飲みだしたのは、四ヶ月前が初になる。その間の経験についてはまぁ、かなり酷い物だった。

 痛みと毒物に対する耐性は無駄についたような気がするレベルで。

 あの薬(しおんのとらうま)も、一週間くらい前に飲まされた物である。全身から血を噴出した上に視界がグルグル回って平衡感覚を弄りまわされ、最後に色々吐き出した。

 あの時は本気で死を覚悟した。血が噴出したのは体の中にある悪質な成分を外に出すためだったようで、効果が切れた後はむしろ体の調子が良くなったけれど。

 とはいえ死にかけたのは本当で、代わりにかなり効果の高い、恐らく最高品質以上……秘薬レベルの回復薬と高等回復薬、今は使わないが精神力回復薬(マジック・ポーション)、更に虎の子として、二個、万能薬までくれた。

 どうやら噂が広がりすぎて誰も実験台になってくれないから、とのこと。報酬がいいに越したことはないので何も言わなかったが、

 「薬の凄絶な味と終わらない痛みに耐えればいいだけなんだから……うん、一時の苦痛で命を買えるんだと思えば安いものだよ。……そう思わなきゃやってられない」

 瞳から光が消えてしまうのは、避けられなかった。

 話を変えるために、アイズは努めて明るい声でシオンに言った。

 「で、でも、どうしてユリ、さんは、そんなに変な薬を作ってるの? 聞いた限りじゃ、まともに作れば色々手に入るのに」

 「それは……」

 『ごめんなさい……助けられなくて、ごめん、ミリ……』

 「……色々、あるんだよ」

 納得してないアイズに、シオンは笑う。

 「おれとアイズが強くなりたいと思ってるのに理由があるみたいに、ユリも、今ある薬じゃ足りないと考えた理由があるんだよ」

 シオンも、アイズも、ユリも。

 皆何かしら失って、それでも前に進もうとしてる。その訳を暴き立てる必要はないし、したところで意味はない。

 結局のところ、強くなるのも弱くなるのも、自分次第なのだから。

 仄かに笑うシオンは、なんでか小さく見えた。

 このままではシオンがどこかに行ったまま戻ってこなさそうな気がしたので、思い切ってえい、とシオンの腕に抱きついた。アイズの重みに引っ張られてよろけるシオンは、戸惑うようにアイズを見た。

 「ちょっと、疲れちゃった。腕貸して?」

 「お、おう。おれの腕ならいくらでも貸すけど」

 オッケーを貰ったので、結構体重を傾ける。

 アイズの顔は嬉しそうに笑っていて、でも恥ずかしいのか、あるいは夕暮れのせいか、耳まで真っ赤に染まっていた。

 銀と金、二種類の色合いが重なり、綺麗な輝きを生む。全く似ていないのに、誰の目から見ても兄妹と錯覚するほどに。

 「……帰るか。アイズ、今度は逃げるなよ」

 「ふっふーん。そう言うんだったら、私を逃がさないように抱きしめさせてね」

 ギュッと更に両手に力をこめて抱きしめる。位置が悪かったのか、シオンは小さく身動ぎして姿勢を変える。

 優しい風によって髪が絡み合うほど密着し、互いの温度を確かめながら、2人はホームへと足を向けた。

 

 

 

 

 

 「うーん、遅いなぁ……何かトラブルでもあったのかな」

 窓から身を乗り出し、外を見ていたティオナはそう独りごちる。その視線の先はホームの正門前に向けられていて、誰かを待っているのが伺える。

 その様子を見ていたティオネは読んでいた本から顔を上げ、

 「何時間そこに張り付いてるつもり? そろそろ離れたらどうなのよ」

 「フィンが帰ってくるのを待つのは?」

 「退屈じゃないわね」

 と、ほぼ反射的に答えてから、しまったと思う。ここ最近、ティオナは強かになっているような気がしてならない。同じ誰かに恋する乙女である以上、共感する部分が多いのは仕方ないが。それにしたって簡単にあしらわれすぎだ。

 「そろそろ日も暮れるし、日没前には戻るでしょ」

 「そう、だよね。でもちょっと不安なんだ。万が一って考えると、ね」

 楽観的に言うティオネだが、ティオナとしては一抹の不安が拭えない。

 ――……大丈夫……だよね。

 そう思ってしまうのは、いくらなんでも時間がかかりすぎているからだ。シオンがホームを出たのは正午過ぎ。そこからダンジョンに行って、仮に5層まで行ったとしても、シオンの実力ならどんなにゆっくりでも往復で四時間もいらないはず。最速で行けば一時間だろうか。

 アイズとの和解に時間を取られたとしても、そろそろ帰ってこなければおかしい頃だ。ティオナが不安を覚えるのもおかしくない。

 どうしてもそわそわしだすティオナ。いっそフィンに報告しようか、とティオネが考えていたそのとき、

 「――あ、帰ってきたっ。アイズもいる!」

 「やっとか。ほんと時間かかったわね」

 門と門番に隠れてほとんど見えないが、陽光に照らされる眩い白銀はシオンの髪色だ。見間違えるなどありえない。

 膝立ちから直立に変えて上半身を窓の外へ。手を振ろうと片手をあげた瞬間、目に見えた光景にティオナがピシリと石像のように固まった。

 「……? どうしたのよ?」

 一体何を見て固まったのだろう、そう思って窓の外を見る。

 そこでは、とても嬉しそうな笑顔で少年の腕に抱きつく少女と、その少女に仕方ないなぁと苦笑を返す少年の姿。

 「あれま、随分と仲良くなったわね。一体何をどうしたんだか」

 とはいえティオネとしては、アイズよりもシオンの方が優先順位は上だ。シオンが笑っているのならばいいことだ、と割り切れる。

 だがしかし、そうと割り切れない少女もいるわけで。

 固まっていたティオナは小さく震えだすと、

 「う」

 「う?」

 「羨ましいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっっっ!!!」

 唇を噛み締めて、そう言い放った。

 「……。……はい?」

 思わず目を瞬かせたティオネは、なんのこっちゃと思いながら聞く。地団駄を踏むティオナからは、日中見せたあの大人っぽさが微塵も感じられなかった。

 「他の子がシオンを好きでも、関係ないんじゃ無かったの?」

 「それはそれっ、これはこれ! 羨ましい物は羨ましいんだよ!」

 「――私の感動を返せ」

 真顔で言い放ったティオネだが、その言葉は届いていなかったらしい。

 「私もシオンに抱きつきたい!」

 言って、窓の外へ身を投げ出す。この場所からなら飛び降りても問題ないだろう。ティオナは地面に降り立つと一直線にシオンの元へ移動し、アイズとは反対の腕に抱きついた。

 『ちょ、ティオナどこから来た!?』

 『だ、誰!? シオンは今私と一緒にいるんだから離れてよ!』

 『いいじゃん別にっ、私だってシオンと一緒にいたいんだもの!』

 『いや一緒にいたいならいくらでもいるから――い、痛っ!? 全力で腕掴むなあああああああああああああああああああ!??』

 「うわ、痛そう……」

 ふと口から吐息が漏れる。同時に全身から力が抜けた。何だかんだ心配していたのはティオネだって同じだ。ただティオナの手前、それを表に出さなかっただけで。

 「ったく、なんかうるせぇと思ったら。まーたテメェ等かよ」

 「私を巻き込まないでくれる? うるさいのは大体ティオナなんだから」

 嫌味を言いながら入ってきたベートに一言物申す。ベートはティオネの横に立つと、ぎゃいぎゃい騒ぐ3人を見下ろした。

 「よくわかんねぇが、なんかうまくいったのか?」

 「まぁ、いったんじゃない? ああそうそう、多分だけどあの金髪の子、うちのパーティに入るかもしれないわよ。そこんとこどう思う?」

 「わざわざ俺に聞くか。いいんじゃねぇの。俺は反対しないぜ」

 その意見に、思わずベートを見る。

 「意外。あんたの事だし『雑魚なんざ余計な荷物だ』とか言いそうなのに」

 「ハッ、一応シオンから金髪女の話は聞いていたからな。【ステイタス】だけで見りゃ確かによええけど、荷物にゃならんだろ」

 それに、とベートはどこか苦々しく顔を歪める。

 「シオンを縛る鎖は多い方がいい。あのバカ、俺の方が努力してると勘違いしてやがるが、アイツの方がおかしいんだよ」

 「でしょうね。パーティあるいはコンビでダンジョン、フィン達の指導、自己鍛錬。ここ最近はあの女の子の指導もしてるみたいだし……普通なら精神が参るわよ」

 休日は設けているが、それだってフィン達に言われたから作っただけで、そうでなければ毎日ダンジョンに行っていてもおかしくはなかった。

 それだって、どこまで役に立っているのか。

 「しかもソロでダンジョン行く時もあるぜ。自重しちゃいるが、いつ心と体が擦り切れてもおかしくねぇんだ。自覚無いのがなおさらタチ悪い」

 だから、鎖が必要だ。

 シオンを非日常ではなく、日常に居続けさせるための強い鎖が。ティオナだけでは足りない。ティオネとベートでは鎖になれない。それ故に新たな鎖を求めた。

 そのためなら、多少の足手まといは容認する。

 『シオンに死んでほしくない』、それは全員の共通する想いだからだ。

 「四重奏(カルテット)から五重奏(クインテット)へ、か」

 「……未だ弱き五重奏(アウフタクト・クインテット)、ってか?」

 ふいに思いついた単語を口にする。そこにベートまでもが追従してきたのには驚いたが、何故だかしっくり来た。

 今までは4人で奏でられた音が、5人になる。

 それは一体どんな音になるだろう。今までになかった音が混ざって、どこまで響かせられるのだろう。

 ベートの言う通り、今はまだ、小さく、か弱い音でしかない。

 それでも、いつか。

 オラリオどころか世界中に届くような五重奏を、響かせてみたい。

 『もっと、強く』

 5人の胸に刻まれている想いは、きっと留まることはないだろう――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ふと、アイズは目を覚ました。

 ん、んん、と背筋を伸ばす。久しぶりにゆっくり眠れた気がする。あの後シオンと一緒に寝ると言ってからまた一騒動あったが、何とかティオナという少女を説得してくれたシオンと共に夜を過ごせた。

 久しぶりに誰かと体温を交わらせながら寝る事に深い安堵を覚え、ここ一ヶ月毎日見ていた悪夢を見る事はなかった。残念なのは、もうシオンが隣にいないことか。微睡みながら、お母さんにしていたみたいに抱きついてみたかったのだけれど。

 また次の機会に、と考えて、ぶんぶんと頭を振る。

 甘えてばかりではいられない。それで痛い目を見たのだ。多少なりとも自重すべき。

 頭ではそうわかっているのに、心は後一回、もう一回だけ、という甘さがひょっこり顔を出すのは止められなかった。今度はピシャリと頬を叩く。

 「……痛い」

 当然の感覚にちょっと落ち着いた。いつまでもシオンの部屋にいるのも悪いかな、そう思って部屋を後にする。

 部屋を出て一度大きく深呼吸をする。覚悟を決めるためだ。

 昨日、シオンと一緒に寝ながら考えた事がある。

 シオンを知りたい。でもそれは、シオンの主観から見た話以外、つまり、第三者から見たシオンの姿を知りたかった。

 アイズの目から見ればシオンは強く、優しく、格好良い。でもそれはシオンがアイズよりも上位に位置する人間だからであり、同じ位、あるいはシオンよりも上位の人間から見たらどうなるのかはわからないのだ。

 そして何となくだが、フィン達は教えてくれない気がする。彼らは最低限導いてくれるが、答えに辿り着くのは完全にアイズ達自身の力に任せていた。今回のこれも、それに該当する可能性が高かった。

 だから、アイズは色々といる候補の中で、シオンをよく知っている人間、最も単純に考えてパーティを組んでいる相手を選んだ。

 そうして今、アイズは一つの扉の前に立っていた。

 ここまで来てなんだが、今はまだ六時前後。人が起きる常識的な時間を考えると早すぎる。まだ相手は寝ているかもしれない、そう思うと気後れしてしまう。

 どうしよう、と悩む。せめて後一、二時間後ならノックしても問題はなかったのだが。とはいえ時間を開けたら部屋の主がいなくなってしまうかもしれない。そう考えると……と、アイズは自分が思考の袋小路にはまりかけていたのに気づく。

 完全なドツボに入る前に、ええい、ままよとほぼヤケになって、腕をあげた。

 けれど、その腕が扉をノックする事はなかった。

 中にいた人物が、内から扉を開けたからだ。

 そして――。




一応、今回で一区切りって感じです。
前回で区切らなかったのはダンジョンという非日常から日常へ回帰するシーンを入れたかったのと、次章への伏線的な感じ。

アイズがシオンを『兄』と呼ぶ条件は
・アイズとシオンの2人きり。
・シオンが気絶してる状態。
です。実質1人の時にしか呼ばないって事じゃ(ゲフンゲフン)

ちなみに今回出たユリエラとプレシスの2人はオリキャラ。私がやってるネットゲームに出てくる操作キャラを性格と名前改変したので完全なオリキャラとは言えないかな……。

オッタルさんとフレイヤさんはしばらく傍観。まぁベル君の時とは状況違いますから仕方ないですよね。

感想で
『頼れるシオンに依存してベッタリのアイズ、そしてヤキモチを焼くティオナ………とてもいいと思います』
ってのを結構前に貰ったんでまた組み替えて使ってみた。
わかりやすい嫉妬シーンでしたが、どうですかね?

で、四重奏五重奏についてですが、ダンまちイラストレーターの方が書いてる漫画作品から流用。折角なので(笑)

あと、前回二話投稿して閑話を入れようかなって話しましたが。
すいません、家族から風邪移されて体中ガッタガタです。この後書きも結構無理して書いていたり。

一応頑張れば書けそうなのですが、無理しても意味ないかなと。なので、閑話については今日治してできれば明日か明後日投稿するつもりです。

まぁそんな訳で、次章はちょっと遅れそう。申し訳ない。

あと活動報告書きました。『原作書きますか?』とか色々聞かれたので、かなり大雑把にですがこれからどうするかっていう個人的な考え載せています。
ただし、どこでどういうイベント内容するかは直接的には触れません。ネタバレ、ダメ、絶対。原作読んでれば予想は出来るでしょうけどね。
ちなみに必読ではないので、暇潰し程度に考えてください。

では次回ノシ


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閑話 ティオナの決心

時系列的には前話ラストの数日後の話になります。


 抱きしめた枕に顔を埋めて、私は一人ゴロゴロとベッドの上を転がっていた。

 かと思えばうつ伏せになって、パタパタと足を振ってしまう。とにかく落ち着きがなく、何かしていないとソワソワしてしまうのだ。

 「ううぅ~~……」

 つい、唸ってしまう。

 誰かに見られたら注意されるとはわかっていたけど、この部屋にいるのは私一人だけだから、大丈夫。そう自己弁護してしまうくらい、今の私は精神的に追い詰められていた。

 その原因は、一つだけ。

 シオンのせいだ。彼が『()()()()()』を言ってから、私は落ち着けなくなって、ソワソワして、皆から呆れられてしまうのだ。

 だから私のせいじゃない。

 「……なわけ、ないんだけどね」

 言い訳がましいなんてわかってる。だけどだけど、まさか()()シオンが、あんな言葉を言うだなんて思ってもみなかったのだ。

 思い出すのは、二日前のシオンのセリフ。

 『ティオナ、今度デートに行かないか?』

 「あんな事言われたら落ち着けるわけないよ~~~!??」

 また枕に顔を押し付けてしまう。

 わかっている。

 わかっているのだ、シオンは冗談で言っていることくらい。

 多分だけど、アイズを助けに行けと叱咤激励したことへのお礼なのだろう。それを誰かの入れ知恵で、2人(の男女)で行くならデートだよねって感じに変な事を吹き込まれたに違いない。

 でも、私はシオンが好きなのだ。

 狂おしいくらいに、想っているのだ。

 理解していても期待するのは止められないし、止めるつもりもない。だからきっと、言い方は違えど『今度の休み、この前の礼に2人で遊びに行こう』とでも言われたら、私は今と同じ状態になっていたと思う。

 「惚れた側の負け、かぁ」

 よくある恋愛小説物で書かれている言葉を、何度も何度も身に沁みて思い知った。だけど、今ほど知ったことはない、と、思う。

 正直シオンは鈍感すぎて、思った回数が人より『ちょっと』多い。だから、きっと、私は色々負けているのだ。それさえ楽しんでいる節があるのは、否定しないけれど。

 ふ、と小さく息を吐き出す。

 そして意識を、明日の休みへと切り替えた。

 基本的にシオンは凄く忙しい。私が週に三日休んでいるとしたら、シオンは一日休むくらい。私はたまにフィン達に聞きに行くくらいだけど、シオンは今でもフィン達から指導を受けている。

 それはきっと、責任の違い。

 シオンは自分を含めた4人の命を背負っている。だからシオンは、命を落とす確率を少しでも減らすために手を打っている。努力して、色んなことに手を伸ばして。その事にちょっと落ち込んでしまう私がいるけど、すぐ感情剥き出しにする私は、むしろ足手まといだ。

 だから、明日の休みでは、シオンが休みながら楽しめるような日にしたい。出かけるのは確定らしいから、比較的疲れるような事はせずにいられるような……流石に夢物語か。

 と、そこでふと思う。

 「服装、どうしよう?」

 私が持っているのはアマゾネス用の服ばかりだし、最近は新しい、いわゆる流行物なんて買ってもいない。お金の入用があったからだ。

 でも、折角シオンと2人っきりで出かけられるのに、何度も着た着古しで行くのは、やっぱり恥ずかしい。

 そこで立ち上がりかけて、だけど、と思ってしまう。

 「気合入れすぎて引かれたり……とか、無い、よね」

 あっちは普通に出かけるくらいにしか思ってないのに、ガッチガチの服装で行ったら迷惑じゃないだろうか。

 シュンと萎みかけた気持ちは、けれど、完全に消えることはなかった。

 『ティオナはもうちょっと身嗜みに気を付ければ、お姫様になると思うけどね。素材はいいんだからお洒落してみなよ』

 あの、言葉。

 「――~~……!!」

 今でも思い出すと顔が真っ赤になっていると自覚できる。

 それくらい恥ずかしくて。

 それ以上に……嬉しくって。

 「落ち着け、落ち着くの私!」

 何度も深呼吸。やっと顔をあげるとベッドから出て所持金を見る。幸い、と言っていいのか、向こう一ヶ月ほとんど使わずお金を貯めていたからか、資金には余裕があった。

 私達は4人パーティでダンジョンに潜っているから、資金の分散は面倒だ。そのためシオンの提案で、十の内四割を私達で分散し、六割をパーティ共同資産に。私達で分散したお金は各自の生活費に充て、パーティ共同資産からは【ファミリア】への税金を納めたり、装備購入の費用を捻出している。

 要するに、個々人のお金と4人共用のお金、というわけだ。アイズという子がパーティに入ったらこの割合も変わるだろう。

 ちなみに私達の一日の稼ぎは大体一〇万ヴァリスを超えるので、個人の稼ぎは、月十五、六万くらい。フィンからは『子供の稼ぎじゃないね』と呆れられていた。

 まぁそういうわけで、この十万で服を選びに行こう。比較的大きな鞄の中にお金を入れてカムフラージュし、私は部屋の外へ出た。

 【ロキ・ファミリア】の存在する場所は都市のほぼ最北端。そこから南下した場所に存在する北のメインストリートは、商店街として繁盛している。

 その中でも、ここは特に服飾関係で有名だった。

 種族間に横たわる衣装の壁は歴然と存在している。ヒューマンの子供の身長でありながら成人する小人族や、そこまでではなくとも低身長でガッシリとした体つきのドワーフ等の体格という単純な問題。風土、文化の違いによってほんの些細な装飾が受容できない、なんて事さえあった。

 アマゾネスの私にも、当然服装の好みはある。普通の人ならお断りするような、露出の激しい服装だ。だから彼らの言うことも理解できる。

 更なる問題は、ただでさえここは世界中の人が集まるオラリオ。こういった些細な違いはありえないくらいの溝となることだ。

 まぁその問題点を解決したのが商人達なのだけれど。

 海千山千の商人達が協定を作り、各種族毎の専門店を設立。信頼と実績を瞬く間に生み出し、そこに商業系の【ファミリア】が市場に進出したことで拍車をかけた。

 ある意味でこの北のメインストリートが、世界の流行を担っているとも言える。

 ちなみに大通りよりも路地裏のお店の方が品揃えは良く、お店も一杯ある。そのためオラリオの外から来た人以外の常連はそっちへ行くのが普通だ。

 通り慣れた道を行き、目当ての場所へ行く。少ししてたどり着いたそこは、紫を基調とした看板がまず目に入る。無造作に開け放たれた扉の外からでも見えるとっても際どい衣装。

 ここは私と、ティオネと、その他色んなアマゾネスが利用する服飾店。

 店内に入ると、店員が手を振って挨拶してくれる。とはいえその後何かするでもない。服選びはご自由に、というわけだ。

 私としてもその方がありがたい。横からアレコレ口を出すのは好きだけど、出されるのは好きじゃないからだ。

 普通の人から見れば過激になるだろう衣装を手に取る。子供の私では着れない服も多いけど、それはそれで工夫しようと思えるからいいスパイスなのだろうか。

 ちなみにアマゾネスの衣装は踊り子の服装に似たようなもの、と考えると一番わかりやすいだろうか。その中でも特に露出の激しい――忌憚なく言えば『誘っている』感じが、私達の着る一般的な服になる。

 実際私がいつも着ている物は胸に当てる横巻に、下着のような何かにパレオを巻いているだけというもの。ティオネは足にもつけてるけど、私達の観点からするとアレは比較的露出が少ない部類になる。

 まぁ私の場合ダンジョンに行くから、見た目より機能を――この服で機能性云々なんて聞いちゃダメだよ?――優先してるところもあるんだけど。

 なんて考えながら、デートに行くなら出歩くんだし、あんまり過度な装飾がついてたら邪魔だよね、とか、あの店員のお姉さんみたいな体型ならシオンを悩殺できるのかなーとか、そんな取り留めのないことを思う。

 「まぁ、あの鈍感(シオン)を悩殺できるわけないか」

 自分が考えたことに苦笑をこぼしながら、あ、なんかこれスリット大きい、と思って服を手に取ったとき、ふと視線を感じて顔をあげる。

 「……悩殺、するの?」

 「ふにゃあああああああああああああああああああ!??」

 口元に手を当てて、ムフフと笑うティオネが、立っていた。

 ――聞かれた? よりにもよってそこを!?

 困惑する私に、ティオネは私が持つ物を見て、どこか優しげな目で言う。

 「あんたにそれは早いわ。自滅するだけだから、やめなさい」

 「余計なお世話だよ!? ていうかなんでティオネがここに……」

 「服選びに、付き合わされて、ね」

 答えたのは、フィンだった。ティオネの後ろにいたのに気づかないほど視野狭窄に陥っていたらしい。

 どこか疲れているフィンにお疲れ様と思いつつ、

 「デート?」

 「ですよね団長♪」

 「いや、僕は【ファミリア】での交渉の帰り……いや、なんでもない。デートだよ、うん」

 ティオネの満面の笑みが鬼の怒気に変わりかけたのを見て訂正するフィン。尻に敷かれている感じが凄い。

 でもねティオネ。今はいいけど、そんなんじゃいつか逃げられるよ……。

 「そういえばティオネも最近服買ってなかったっけ?」

 「毎日ダンジョンダンジョンだし、そうじゃなくても色々忙しいからね。団長も、シオンに付き合ってるんですよね?」

 「そうだね。最近はゲームなんかで『こういう状況ではどう対応するか』って事をしてるよ。シオンの指揮能力と危機対応能力を養うためにね」

 ダンジョンで死なないだけの体と技術を手に入れてきたシオンは、今度は頭の方を鍛えだしているようだ。それ以外にも簡単な書類の処理の仕方だとか……少なくとも、フィンはシオンの言っていた通り、彼を次期団長にでもしたいのだろうか。

 「団長、そろそろ」

 「ああ、わかった。行こうか」

 「ええ! あ、でもその前に」

 ティオネは私の耳元に口を寄せると、

 「アマゾネスじゃなくて、ヒューマンのお店に行きなさい」

 「え……?」

 「良くも悪くもアマゾネスは偏見で見られるわ。でもヒューマンの服を着てれば、褐色肌のヒューマンの子供に見られる。余計なトラブルを避けたいなら、考えなさい」

 ポン、と私の肩を叩くと、ティオネは小さく笑みを浮かべて店の奥に行ってしまった。呆然とティオネを見送ると、私は手元の服を見る。

 過激な服装だ。アマゾネスとしては正しくとも、シオンと出かけるという意味では、正しくないだろう服。

 だけど、私にヒューマンの服が似合うのだろうか。アマゾネスが着る物ばかり選んで買っていたせいで、ヒューマンの服のセンスなんて欠片も無い。こんな時、誰かが一緒にいてくれれば心強いんだけどな。

 『素材はいいんだから』

 素材、つまり私の外見。

 本当に、シオンはそう思ってくれてるの?

 『お洒落してみなよ』

 あの時のシオンの声と表情を、脳裏に浮かべる。

 トクン、と心臓が跳ねた。

 ――……ティオネのバカ。シオンのバカ。

 私は持っていた服を置くと、一つの決心をしながら店を出る。

 私はヒューマン専門の店の場所なんて知らない。だから一度大通りに戻る。種類の豊富さは路地裏だけど、いくつもの店をはしごする前提なら、大通りでも十分事足りる。ショーウィンドウに飾られているマネキンに着させられている服を見て、子供の服も置いてある店を探す。

 一日かけたって構わない。

 シオンに、可愛いって言ってもらう。

 そう、決めたのだから。

 

 

 

 

 

 一方その頃、ティオナを悩ませている張本人はといえば。

 「うーん……どうすればいいと思う?」

 「俺が知るかっての。相談相手間違えすぎだ」

 『お礼、どうすればいいと思う?』と言いながらベートのところへ押しかけていた。嫌そうな顔をしつつもなんだかんだ対応してくれるのだから、やっぱりいい奴だと思う。

 2人並んでホームを歩きながら、シオンは明日のお出かけに思いを馳せる。

 ティオナに声をかけたはいいものの、何故か彼女は真っ赤になって大慌てになったのをよく覚えている。嫌だったのかなと思ったけれど、俯きながら答えてくれたとき、確かに口元に笑みが浮かんでいたからそれはない、はず。

 「ったく、面倒くせえ奴等だ……」

 シオンが悩んでいるのを横目で見ながら、そろそろか、とベートは道を左に曲がる。そこにいた目当ての人物に声をかけ、後を任せる。

 ベートがいなくなったのに気づかないままシオンは歩き続け、

 「わぷっ」

 目の前にいた相手に、ぶつかった。

 「歩くのなら前くらい見て歩け。危ないだろう」

 そう言うと、その人はシオンの頭に手を置き、数度撫でた。口調は厳しくとも声音は柔らかく優しいリヴェリアには、どうにも頭が上がらない。

 「悩みはなんだ? 私でよければ、相談に乗るが」

 「あ、うん。お願い」

 シオンが明日の事について相談すると、リヴェリアは顎に手を当てて少し考える。シオンとティオナの事を考えれば、変な事を言っても意味が無い。

 好かれている自覚どころか、誰かを好いた経験すらないシオンに発破をかけたところで、暖簾に腕押しだ。

 つまり、シオンにとっては普通な場所で、ティオナにとっては重要な場所。

 難しいかもしれないが、事シオンに対しては、簡単だった。

 「お前がいつも行っているところにでも、連れて行けばいいのではないか」

 「そんな事でお礼になるの?」

 「なる。少なくとも、ティオナならば」

 断言しよう。ティオナは絶対に喜ぶと。

 驚く事に、アレだけ仲のいい彼らであるが、休日になると付き合いはかなり悪くなる。だからこの4人は休日に各自が何をしているのかを知らない。

 そこを利用する。シオンが普段何をしているのか知れば、恋する乙女であるティオナは『好きな人を知れた』と喜ぶだろう。

 とはいえそれがわかるのはリヴェリアだからだ。眉間に皺を寄せるシオンのおデコに人差し指を押し付けて、ぐりぐりと回す。

 「そんな考え込むな。あの子はいつものシオンといられれば、それで満足する。余計な考えは大きなお世話だ」

 「……うん、わかった。ありがとリヴェリア」

 素直に頷くシオンに破顔する。

 こういうとき、この子はとても素直だ。そこが可愛らしく見えるのは、親の――いや、身内の贔屓目だろうか。

 うまくいけばいいのだが、そんな風に見守っていると気づかず、シオンは背を向けてどこかへ行ってしまった。

 

 

 

 

 

 次の日、まだ朝早い時間。

 私はデートに持っていく荷物の最終確認をしていた。

 「えっと、手を拭くためのハンカチと、ティッシュ。汗用のタオル。後今日は暑いから水筒に水を入れて、それからお金に……」

 一応新しく購入した小さなバッグに細々とした物を入れていく。中身はティオネからアドバイスを受けた物が多数。

 清純さを出しても今更な気がするけど、だからってガサツなところは見せたくない。複雑な乙女心という奴、らしい。

 まぁそれには同意するので、素直に入れていく。

 とはいえどうしよう。早く起きすぎて約束の十時までまだまだ時間が余っている。時間まで後二時間以上もある。下手に部屋にいると二度寝してしまいそうだから、約束の場所近くで食べ物を買って朝食代わりにしよう。

 そう決めると荷物の確認を終えたバッグを机の上に置いて、昨日買ったばかりの服を手に取る。センスに自信が無かったから、単品勝負。誤魔化しが効かないから、似合わなければ多分、とっても酷いことになる。

 ――似合うって……可愛いって、言ってくれるかな。

 不安は、ある。

 でもそれ以上に、期待している。

 私は服を着替えて、ふと目に入った物を手の上に乗せた。

 それは、もうずっと前にシオンが私に送ってくれた物。壊すのが怖くて、最初にシオンがつけてくれたあの時以来、一度もつけていなかった。

 小さな手鏡を持って、ひまわりの髪飾りをつける。位置を確認して、うん、と頷く。

 「これでよし!」

 後はただ、時間を待つだけ!

 気合を入れて、私は外へ飛び出した。

 シオンとの待ち合わせ場所は、オラリオの中心バベル、その手前にある中央広場だ。ここからならオラリオの東西南北どこのメインストリートにでも行ける。

 今の時点で茹だるような朝日を頭上に感じつつ、何かいい物無いかなぁと周囲を見渡す。八時という時間帯だけあってまだまだ店は盛況。まぁ、北は服飾関係が多いから、食事関連のお店は少ないんだけど。

 結局めぼしい物は見つからないまま中央広場に着いてしまう。ちょっと別の場所にでも行こうかな、と思っていたら、日光を反射する見慣れた髪色が目に届いた。

 「え、シオン?」

 噴水に程近い場所の木の陰に背を預けて、彼はそこに立っていた。タオルで軽く汗を拭い、虚空を眺めている。

 あの容姿だから若干の注目は浴びているけれど、ダンジョンに潜るために中央広場で待ち合わせる人は多い。だから必要以上に注目を集めることはない。

 でもだからって、二時間も前から待つ必要は流石に無いよね……?

 まぁ、私も人のことは言えないんだけど。

 とはいえシオンを見つけてしまった以上、あまり待たせるのもしのびない。ってことで、ちょっと駆け足で彼の元へ走る。

 「……ん?」

 後もう少しってところシオンがこちらを見る。

 【ステイタス】というか、【ランクアップ】すると単純に強くなる他に、五感が鋭くなったりといった副次効果がある。シオンの場合ダンジョン内では常に警戒しているから、その辺りも相まってるんだと思う。

 私だから気づいてくれた……なんて、ありえないか。

 そしてシオンは私を視界に入れると、

 「ティオ、ナ……か?」

 ポカン、と目と口を丸くしていた。

 な、何かおかしかったかな。思わず自分の体を見下ろしたけど、うん、特に問題ないはず。

 淡い桃色のワンピースに、あんまりふわふわしてると落ち着かないから腰にベルト。手首に巻いてる金色のブレスレット。靴は、白色のミュール。

 最後に髪にシオンがくれたひまわりの髪飾りをつけた。これが今の私。

 全体的に私の肌色である褐色とは違う明るい色。今の私にできる精一杯。これがダメなら、私だけじゃヒューマンの服は選べない。

 シオンは驚いた表情を維持したまま全身を見回す。そして私の頭についている髪飾りを見て、嬉しそうに笑った。

 「似合ってる。可愛すぎてちょっと驚いた」

 「――~~……!?」

 やったっ! という叫びを呑み込むのに、かなりの労力が必要だった。

 嬉しい。

 思い切った甲斐があった!

 内心で喝采をあげる私に、シオンは言う。

 「あと、髪飾り、つけてくれたんだな。一度もつけてるところ見たことないから、気に入らなかったのかと思ってた」

 「ち、ちがっ! 大事な物だから壊さないよう大切にし――……っ!」

 ちょっと安堵した様子のシオンを見て慌てて答えたら、自滅した。

 多分真っ赤になってるだろう顔を隠すために俯く。でもこのままではいられないから、一度大きく咳払いして、叫ぶ。

 笑顔は、作れてる……と、思う。

 「おはよ、シオン!」

 「……ああ、おはよう。来るの、早いな」

 いきなりそう言われて呆気に取られていたシオンだけど、口元を緩ませて返してくれた。

 「それシオンが言う? 私よりも先に来てたじゃん」

 ぷくっと頬を膨らませて言うと、シオンは暇してたから、と返してきた。うーん、嘘ではないけど本当でもないみたい。まぁ、別にいっか。

 「この暑さで待たせるのも悪いしな……」

 「え? 何か言った?」

 「いいや、なんでも」

 「な、に、か、い、っ、た!」

 絶対何か言った。思わずジト目になってシオンに詰め寄ってしまう。けれどシオンは教えないと悪戯っ子みたいな笑みを浮かべて走っていってしまう。

 「あ、待ってよ!」

 全力で走ってるわけじゃない。

 だから私は、慣れない靴にちょっと戸惑いながらも追いかけれた。

 結局シオンは何を言ったのか教えてくれないまま、中央広場から少し離れた場所にまで来てしまった。

 見覚えはあんまりないけど、多分、東のメインストリート。

 「そういえば、ティオナは今日行きたいところあるか?」

 「私は特に。ていうかレディをエスコートしてくれないのかな、シオンは」

 そう茶目っ気たっぷりに言うと、シオンは苦笑いをした。

 「それじゃ、普段おれが休日に行ってる場所回ってもいいか?」

 「え、嘘ほんと? いいの!?」

 「あ、ああ……むしろこっちのセリフのはずなんだけど……」

 シオンは何か言っているけど、私の耳には届かなかった。

 私達は休日一緒にいる機会が少ない。普段一緒にいる分他の人と接するためっていう理由からなんだけど、少しくらいは遊びたかったのが本音だ。

 でもシオンは気づけばいなくなっていて、休日何をしているのか、私は全然知らない。

 こんな時でもないと、彼は何も教えてくれないのだ。

 そんなシオンが、教えてくれる。

 シオンの知らないところを、見れるんだ。

 と考えていると、誰かが誰かを呼んでいる声。

 「そのまま落としてくれ! 拾うから!」

 と思ったら、真横にいたシオンが上を向いて叫んでいる。一体何だろうと不思議がっていたら、シオンは腕を伸ばしてパシンと何かを受け止めた。

 「すまない、ありがとう!」

 「いいっていいって! おめぇにゃ世話になったからな、お安いもんだ!」

 カラカラと二階から笑みを飛ばすおじさんに、シオンは手を振り返す。

 「彼女さんと仲良く半分にな! じゃあな!」

 「「え」」

 ……なんか、特大の爆弾を残してくれたような気がする。

 思わず顔を見合わせてしまったけれど、シオンはおじさんの冗談だと受け取ったのか、何とも言えぬ顔で渡された袋を開ける。

 ――……むぅ、少しは意識してほしかった。

 中身は特大のジャガ丸くん。美味しそうな香りが私の鼻を擽った。

 ――ぐ、ぐぐぅう~……。

 そんなまぬけな音が、聞こえてきた。

 「……お腹の、音?」

 「うえ、あっ!?」

 そういえば朝ご飯食べてなかった――!??

 あまりの羞恥に何も言えない。チラチラとシオンを見ると、対処に困ったのか、シオンは頭を掻くと、思い切り大きく口を開けてジャガ丸くんに食いついた。

 そして口の端に食べカスを付着させながらジャガ丸くんを飲み込むと、袋にしまって残りを私の前に置いた。

 「残り、全部あげる。おれはもうお腹一杯だ」

 「でもおじさんは半分って」

 舌で食べカスを舐め取りながら、シオンは私にジャガ丸くんを押し付ける。

 「いいのいいの。おれはちゃんと朝食を摂ったから、半分はいらない」

 いくら大口で食べたからって、それは子供の口でだ。ジャガ丸くんはまだ八割以上も残ってる。どう考えたって言い訳だ。

 呆然としたまま受け取ると、シオンはそのまま歩いてしまう。

 その時、気づいた。

 シオンの頬に、まだ食べカスが残っている。舌で取りきれなかった物だ。バッグに手をかけてハンカチを取り出してシオンの横に移動する。

 そしてそれを取ろうとして、ふと、悪戯心が湧いてしまった。

 ――ペロッ。

 「うぇ!?」

 頬を舐められた感触にゾクリと体を震わせると、シオンは飛び退いて距離を取った。

 「い、いきなり何するんだ!?」

 「え、頬についてたから取ってあげようと思って」

 「手を使えばいいじゃないか。わざわざ舌で舐めとる必要は」

 「両手、塞がってるし」

 そう言って両手で袋を持つと、シオンは私の真意がわかったのだろう。ジト目で私を見た。でも気にしない。

 いつもタジタジにされてるお返しだよ!

 思わず笑みを浮かべたまま、和やかな気分でジャガ丸くんを食べる。

 「あ、美味しい……」

 素材がいいのと、配合がよく考えられてる。

 柔らかくて、でもちゃんと噛める。バターの甘さと塩のしょっぱさが、舌の上で転がって私の腹に訴えかける。大きさが大きさだから、これだけでも小腹を埋められそうだ。

 自然の恵みと、人の手による加工。それが素晴らしくマッチしている。

 気づけば全部食べ尽くしていた。もっと食べたかったな、とほぼ反射的に考えながら、今出したティッシュと、先ほど取り出したハンカチを水で濡らして、口と手を綺麗にする。

 その間は待っていてくれたので、慌てないですんだ。

 私の支度が終わったのを見ると、シオンは歩き出す。私の歩幅に合わせてくれてるので、急いで追いかける必要はない。

 「ところで、さっきの人、誰なの?」

 「恋愛相談された」

 ……え、と思ってしまったのは悪くないはず。

 この鈍感の塊みたいな人に、恋愛相談? ちょっと選出ミスな気がしてならない。あ、でも観察眼は人一倍だから、アドバイスには適してるのかも?

 「その縁あって、色々お裾分けを貰ったりしてね。そこまで大したことはしてないんだけどな」

 「……結局、結ばれたの?」

 「さあ? でも最後は笑ってたから、叶ったにしろ破れたにしろ、後悔する恋ではなかったんだと思うよ」

 後悔する、恋。

 シオンにその気はないんだろう。でもその言葉は、今の私には鋭く突き刺さるものだった。

 私は将来、どうなるんだろう。

 後悔、してしまうのだろうか。

 それとも、してよかったと思えるのだろうか。

 叶えたい恋。でも叶わない想い。

 ……今が楽しいと、胸を張って言える。だけどいつか、今この瞬間で時を切り取ってほしいと願う時がくるのだろうか。

 わからない。でも、今は。

 私は、シオンと一緒にいて、幸せだと思える。

 今はそれだけで十分だった。

 思い馳せて無言になった私を気遣ってか、シオンは何も言わずに先を進む。数分すると、シオンは数度道を曲がってとある場所へと入り込む。

 「ここ、もしかして」

 「『ダイダロス通り』だよ」

 私も名前だけは聞いたことのある場所。

 人を惑わすという一点だけならダンジョンよりもダンジョンしてる場所。

 オラリオに存在する、迷宮街(ダンジョン)だ。

 でも、どうしてシオンはこんなところに?

 「……一年以上前まで、おれはここに住んでいたんだ」

 そう言うシオンは懐かしそうで。

 私が一度も見たことのない、表情だった。

 チクリとした痛みを覚えながら、私は、なんでシオンがここにいたのかな、と思った。ここはオラリオの貧民層が住む場所のはず。

 そんな場所に住んでいたなんて、知らなかった。

 「行こうか。逸れないように、ちゃんとついてきて」

 迷いのない足取りで、シオンは先へ行く。

 その背に、どうしようのない不安を覚えた。このままどこかへ行ってしまいそうな、そんな理由のない不安。

 気づけば私は、シオンの手を握っていた。

 ……? と私を見る無垢な瞳に、私は慌てて言う。

 「え、っと、こうしてたら逸れないよね? 迷惑なら、手を放す、けど」

 シュンとしてしまった私に、シオンは苦笑しながら手を引っ張ってくれた。

 上に、下に。右に、左に。かと思ったら螺旋を登ってグルリと一回転。一見わからないような細い小道を通ったりもした。

 私1人だったら絶対に迷ってた。シオンの案内があっても、どこをどう通ってきたのか、さっぱりわからない。

 シオンがダンジョンの道を覚えてたとき、『昔ノウハウを覚えた』と言ってたのを思い出す。アレはこういう事だったのか。

 確かに『ダイダロス通り』に比べれば、ダンジョンは随分と簡単な道だ。

 ……むしろ街にこんな迷宮を作ったダイダロスって人が変人すぎたんだろうけど。

 流石に九時頃だからか、人の通りは微妙だ。早起きする人はもっと早くに仕事に行くだろうし、そうでなければ家でダラダラしているか。今日、暑いしね。

 そうしていると、ちょっと開けた場所に出た。

 ――教会? こんなところに?

 木造で、かなり大きい。正面の広場にある噴水は壊れているのか、水が出ていない。教会自体は周囲の建物にめり込むように立っていて、普通なら気づかないだろう。

 私が驚きながら教会を見ている間にシオンは動いていて、教会の扉に手をかけると、そのまま中へ入ってしまう。

 「え、ちょ、不法侵入!?」

 「大丈夫大丈夫。おーい、シルー! 遊びに来たぞー!」

 恐らく誰かの人名を叫ぶ。ちょっと人見知りなところがある私はシオンの背中に隠れて、教会を見た。

 外からはわからなかったけど、意外にも奥行があるここは、幅十Mもある。左右にあるいくつもの扉と、一番奥に鎮座する祭壇。雑草生え放題の床と、高い天井。昔は使われていただろう横長の木の椅子は、積み木のように重なっていた。

 私が教会の中を見渡していると、ガチャ、と扉の一つが開かれる。

 「……シオン?」

 ピョコ、と顔だけ出したのは、少女だった。

 薄鈍色の髪を揺らし、彼女はシオンを見る。その瞳がシオンの姿を捉えると、大きく破顔した。

 「久しぶり! 最近あんまり来てくれなかったから、心配してたんだよ?」

 「いやまぁ、少し忙しくて。別に忘れてたわけじゃないから」

 ぷんぷんと腰に手を当てて怒る少女と、どこかバツの悪そうにしているシオンは、とても仲が良さそうで。

 「シオン、この子は?」

 それに言いようのない感覚を覚えた私は、つい、横槍を入れていた。

 「ん、ああ、ずっと前に友達になった」

 「シル・フローヴァだよ。シオンとは、三年くらい前に知り合ったかな」

 「私はティオナ・ヒリュテ。シオンとは……色々?」

 何でも、シルには親がいないらしい。1人ボーッとしていたところに、暇していたシオンが声をかけたのが出会いだそうだ。この教会に入り浸るようになったのは、ダイダロス通りを駆け回っていた時に偶然見かけた場所。

 どうやらこの教会は、個人が経営してる孤児院らしい。そのため慎ましやかな暮らしを迫られているが、それでも毎日楽しく日々を過ごしている。そこにいた子と仲良くなって、毎日とは行かずとも遊んでいたようだ。

 「今でも何週間かに一度は遊びに来てるんだ。頻度は比べ物にならないくらい減ったけど、それでも折角出来た繋がりだから」

 「私としては、無茶しないでほしいんだけどね。シオンってば、少しでも目を離してるとすぐ何かしらやってるんだもの」

 「あ、それわかる! いっつも危ないことしてるから心配なんだよね」

 うぐっ、と口ごもるシオンだけど、自覚が有るなら少しは自重してほしい。シルと目が合ったけど、多分彼女も同意見だろう。

 「……あ、来た」

 ふと、シルがどこかを見て呟く。次いで何重にも折り重なった足音が届いてきた。

 「シオン来たの!?」

 「ねーねー遊ぼ! 今日もシオン鬼ね!」

 「ん……眠い……くぅ」

 「え、ちょ、うわっ!? 待て待て自分の足で歩けるから!」

 一気呵成にシオンに襲い掛かり、その腕を引っ張っていく。その勢いに押され、シオンが連れて行かれるのをただ呆然と見ているしかなかった。

 「いいの? あれ」

 「いつものことだし、大丈夫じゃないかな。そ、れ、よ、り」

 口元に手を当ててニンマリと笑みを浮かべる。

 ……アレ、なんかつい最近こんな感じの笑顔を見たような。

 シルは私の耳に口を近づけると、手で音が広がらないようにして、

 「――シオンのこと、好きなの?」

 「んな、ななななななななあああああああ!?」

 「図星みたいだね。なんとなく、そうだとは思っていたけど」

 なんでバレたの? 私とシルって初対面だよね。私そんなにわかりやすい!?

 シオンに聞かれてないかとあちらを見るけど、シオンは大勢の子を追い掛け回していて、私の方を気にかけている様子はない。

 「なんで、そんな」

 「んー、シオンとの距離感? 後は単純に、ティオナの態度がシオンを好きな子に少し似ていたから、かな」

 シルの言葉に、私の肩が揺れてしまう。

 シオンを好きな、子。いるとは考えていたけど、実際に昔のシオンを知っていた人から聞くと、思う所がある。

 「シルは、どうなの? シオンのこと、好きだったりする?」

 「まさかそう返されるとは。私は特に。親友だ! って言えるけど、異性としては好きってわけじゃないかな」

 何とも微妙な反応だった。

 だけど、そんなものなのかもしれない。一番身近な異性だから好きになる、なんて単純な話で片付けられるほど、『好き』という感情はわかりやすくない。

 思わず胸に手を置いた私に、シルは言う。

 「私は違ったけど、シオンを好きな人は多いよ。単なる憧れだとか、妥協だとか、そんな恋とはちょっと違うのもあるけど……そうじゃない人も、いる」

 どうして、彼女はそういうのだろう。

 「彼を誰かに渡したくないなら、あんまり悠長にしてる暇はないよ?」

 それが私に対するアドバイスだと気づくまでに、かなりの時間を要した。

 「ハァ、疲れた。いくら【ステイタス】で身体能力が上がってるからって、限度はあるっつーのにさ」

 何だか私の知るシオンとは違う口調で愚痴を漏らす。あの孤児院は、【ロキ・ファミリア】とはまた違う意味で大切な場所なのだろう。

 「でも、楽しかったんでしょ?」

 「……ま、そうなんだけどね。あそこは、変な色眼鏡を向けられないから、落ち着くんだ」

 【英雄】という二つ名を得てから、シオンは神や多くの冒険者から、色んな感情を向けられた。それは確かに好感情ではなかっただろう。

 ああいった場所だからこそ、無意識にシオンを追い詰める束縛から解放されるのかな。私達とはまた違う意味で『日常』にいさせてくれるのかもしれない。

 シオンはいつも、頑張りすぎる人だから。

 ダイダロス通りから東のメインストリートに戻る。昼食は、悪いとは思ったけど孤児院でご馳走になった。いつもホームで食べている物とはまた違う温かさがあって、ちょっとほんわかしちゃったり。

 東のメインストリートに戻ったのはいいけど、次に行くのはどこだろう。シオンは明確な行き先があるみたいだけど……。

 しばらくついていくと、いきなり止まった。そして何か、あるいは誰かを探すように辺りを見渡し出す。私もそれに倣うと、あるのはクレープ店と、女の人が1人、ベンチに座ってるだけ。

 そしてシオンは、何とその女の人のところへ歩き出した。

 ちょっと待って。シオンってば女の人との面識ありすぎじゃないかな!?

 愕然とする私を置いて、シオンは女性のところへ行ってしまう。そして楽しそうにお喋りしているではないか。

 ……彼の交友関係がどうなってるのか、少し知りたくなってきた私がいる。

 同時に、ムッとしている私がいるのも気づいていた。横顔しか見えないけど、あの人、かなりの美人さんだ。しかもシオンを見る眼にどこか哀愁を感じられる。

 何となくだけど、好きになりたい、でもシオンの年齢のせいで好きになっちゃいけない、好きになったらおかしい……そう考えてる気がする。

 確かにシオンの年齢は七歳で、彼女が十八くらいだとしても、年の差十一。まぁそれ以前に小さな子供を本気で愛してしまうっていう事に罪悪感を覚えているのかも。

 そうして1人考察していると、シオンは近くにあったクレープ店に並び始める。意外な事に繁盛しているらしく、そこそこ人がいるのにどうしたのだろう。

 と思っていたら、ベンチに座っていた女性が私を手招きしだした。クレープはシオンを離れさせるためのもので、私と話したかったのかな。

 少し考え、素直に近づく。見たところ、演技でなければ彼女は素人。Lv.2の私が負ける事はまずないだろうし、最悪を想定しても問題なし。

 ……なんで私、戦闘行為前提に考えてるんだろう。

 無意識で『恋敵』って考えてたせいかな。いやいや、いくらなんでも力尽くはないでしょ、力尽くは。アマゾネスとしては正しいのかもしれないけど。

 なんて思ってる事は表に出さないようにしつつ、女性に近づく。

 ――やっぱり、綺麗な人だ。

 腰までありそうな空色の髪と、澄んだ水のような瞳。優しそうな垂れ目で、穏やかに私を見下ろしてる。ゆったりしてる服を着てるから気づきにくいけど、よくよく見れば出てるところは出て引っ込むところは引っ込んでる。

 包容力溢れた大人の女性。

 か、勝てる気がしない……。本当、どこでこんな人と知り合ったのシオンってば!?

 大丈夫、大丈夫よティオナ。私だってこの人くらいになれば、きっとボンッ、キュッ、ボンッになれるはずだし!

 ――なれません。

 何今の電波ぁ!? ちょ、待って不吉なんだけど!

 ……な、なれるよね? お母さんとか、他のアマゾネスの人だってスタイルいいんだし、まさか私だけとか……。

 ――やめよう。考えだすと終わらない気がするし。

 空いていた部分に腰を下ろす。隣り合う私と女性の間に横たわる雰囲気は、私の気のせいじゃなければ険悪だった。

 どこか戸惑う女性だったけど、困ったように言った。

 「えっと、そこまで警戒しなくてもいいんだよ? 私、あなたに何かするつもりはないから」

 「……シオンのこと、好きなんでしょ」

 「えぇ!?」

 ボフッと顔を赤くする女性。

 何だろう、この容姿なら男の人なんて選べる立場なはずなのに、どこか初心な気がする。

 訝しむ私に気づかず、女性は話を逸らすように口を開く。

 「そ、そんなんじゃないってば。私……あ、名乗ってなかったね」

 ルミル・クレッチェ。そう名乗られたので、私も自分の名前を返す。

 それからルミルは続けて、

 「シオンには、一年くらい前に助けられただけだし……」

 なら、そんな顔をするのはやめてほしい。

 そんな、とても尊くて、何より大切な宝物を見るかのような、綺麗な顔をするのは。

 「実を言うと私、一年前はこの辺りで有名なくらい太ってたんだ」

 「うっそぉ!?」

 反射的にルミルを上から下まで見てしまったけど、どこも太ってない。

 強いて言えばその胸部装甲――……私、疲れてるのかな。思考が色々変な方向に行きやすくなっちゃってる。

 とにかく冷静に。

 「そ、それがどうやったらそこまでなるの?」

 「結局のところ、自分の努力ではあったんだけど、シオンがいたから頑張れたの」

 体質なのかなんなのか、ルミルは太りやすかったらしい。最初はそれでもなんとかなると思っていたみたいだけど、それが取り返しのつかないところまで来て後悔したようだ。

 自分1人で出歩くのも辛くなって、外に出ても男性女性問わず嘲笑を向けてくる。そんな環境では痩せようとする気概も奪われて、ずっと家に閉じこもる日々。

 「それが変わったのは、シオンと出会って少ししてからかな」

 どうしても外に出なければいけない用事ができたルミルは、久しぶりに家から出た。ローブを纏って俯きながら歩いても、体格から誰かわかってしまうせいで、笑われる。その現実に涙をこぼした彼女に声をかけたのが、シオンだった。

 『嫌なら、変えればいいだけじゃないか』

 「何も知らないくせに! って、思ったなぁ」

 「あはは、シオンらしいね。シオンってああ見えてスパルタだから」

 実際彼女は反発して、その時はそれだけで終わったらしい。

 それでもシオンの言葉はルミルの心の内に何かを落としていった。それが何なのかわからず苛々としたまま外に出て、そしてまた、シオンと会った。

 その時に文句を言おうとしたルミルだが、シオンはボロボロで、何があったのかと怒りの感情すら吹っ飛んだらしい。だけど当のシオンはその傷をあまり気にしてないようで、混乱させられたのは今でも覚えているとのこと。

 『強くなるために頑張ってるだけだよ。この傷は、痛みに慣れるために敢えて治してないだけ』

 「ガツンと頭を殴られたような気がしたの。シオンは、私よりも前から頑張ってるのに。ただ反発して蹲ってるだけの私のほうがわかってなかった」

 「うーん、シオンのアレは筋金入りだし……むしろもうちょっと抑えてくれないと、私達がついていけないくらいなんだけどな」

 「だけど、そんな彼だから私は救われた。一月に出会えるのは二回か三回程度。それでも、その瞬間だけは、痩せるための努力が報われた気がするの」

 シオンは、少しずつ痩せるルミルに気づいていたらしい。家族でさえ期待していなかった中で、ただ1人、シオンだけは『頑張れルミル!』と、応援してくれた。

 そして実際に、ここまで来れた。

 豚と、醜女と言われた彼女は、一転して美女に『生まれ変わった』のだ。

 「ただ、ね」

 なのに彼女は、とても苦しそうに笑っている。

 「皆、気持ち悪いの」

 「気持ち、悪い?」

 「うん。痩せた私を見て、褒めちぎる。太っていた時はあんなに酷い言葉を言ってきたのに、どうしてそんな笑顔で私を見れるの? 気持ち悪くて、仕方が無かった」

 人間不信。

 そんな言葉が、ふと脳裏に浮かんできた。

 「シオンだけだったの。太っていても、痩せていても、変わらず『ルミル』を見続けてくれるのは、シオンだけ。あの子だけが……態度を変えないでいてくれる」

 シオンの話をする時だけ、ルミルは優しく笑っている。

 思えばルミルが痩せようと思ったのだって、シオンが起点だ。だからこそ、ルミルは他の人の態度が目に余るのかもしれない。

 そしてその反動で、シオンに対する想いが膨らんでいく。

 何だろう、シオンが誰かを助けるのを誇らしく思うのに、それとは反対にモヤモヤした嫌な想いが湧いてくるのは。

 私って、こんな嫌な子だったっけ。

 「もし」

 「……?」

 「もしも、シオンか私が、後五年早ければ」

 ――そしたら私は、シオンを好きになっても良かったのかな。

 小さく呟かれた言葉は、私だけに届いていた。

 悲痛な声音だった。同じ人を想っているからこそわかる、胸を貫くような痛みだった。かける言葉が、見つけられないくらいに。

 俯く彼女に声をかけたい。でも、何を言えば?

 私だって、シオンを好きなのに。

 いざ恋敵を前にしたら、私はこんなにも弱くなるの――?

 「――五年早ければ、なんだって?」

 「ひゃぁ!?」

 いきなり真横からかけられた声に、素っ頓狂な悲鳴をあげてしまう。

 思わず赤面しながら振り向くと、三つのクレープを持ったシオンが不思議そうに立っていた。けれどそのまま立っていても仕方ないと思ったのか、クレープを私とルミルに渡す。

 「んで、一体何話してたんだ? 最後の言葉は聞こえなかったんだが」

 パクリ、とクレープを食べながらシオンは言う。

 ルミルの言葉がほとんど届いていなかったのに、2人ホッとしながら、でもどうやって誤魔化そうかと横目で見合う。

 「えっと……シオンって、年の差恋愛どう思うかな!?」

 「へ?」

 ズコッ、とルミルさんが転げ落ちかけたのがわかった。ていうか私もなんでこんな話を……全然誤魔化せてる気がしない。

 「それって他人の話? それともおれの主観的な意味?」

 「どうせだから、両方? 意見は多いほうがいいし」

 どうやら気づいていないらしい。

 そうだよね、鈍感なシオンが気づいてくれるわけないよね……。

 ホッとしつつも残念に思う私がいるのは、複雑なオトメゴコロという物です。

 シオンはクレープを咀嚼しながら、腕を組んで顎に手を当てる。そしてゴクリと飲み込むと、口を開いた。

 「……面倒くさい設定が無いって前提で話させてもらうな。まず、年の差ってだけで否定するつもりはないよ」

 思えば、初めてな気がする。

 シオンの口から、彼が思う恋愛観を聞けるのは。

 「そもそも恋愛は当人同士の問題だから、他人がどうこう言うのはなんか違うと思ってるし。実るも枯らすも当人次第ってわけ」

 「でも、その面倒くさい問題があったら?」

 「その面倒くさい内容によるけど、その問題を解決する方法を探るか、全部を捨てて愛だけを手にするか、あるいは諦めるか」

 シオンの言っていることは、とても単純だ。

 とても単純で、わかりやすく表現すると『子供の考え』だ。

 大人になれば誰もが捨ててしまう……しがらみのない、考え。

 本を読めばわかる。

 現実はそんなに単純じゃないって。子供の私にだってわかる事なんだから。

 「……」

 ルミルは、何かを耐えるように顔をしかめている。

 シオンの言った三通りで彼女が選べるのは、一つ目か三つ目。現実的に考えるのなら後者で、でもそれは、彼女の大切な想いを捨てる事を示している。

 そしてシオンは、それに気づかないだろう。

 気づかぬまま、一つの想いを殺すのだ。

 「んで、おれの主観なんだけど」

 だけど、それを私が口出しする事はできない。

 本当に、複雑だ。人の気持ちは。

 「なんか、自分の考えを言うのは恥ずかしいな……特に、誰かを好きになるっていう類は」

 ちょっとだけ顔を赤くするシオン。珍しい、シオンがこういう表情を浮かべる事なんて滅多に無いのに。

 自覚はあったのだろう、コホン、と咳払いして、シオンは言う。

 「()()()()()()()()()()()()――だから、年の差なんてどうでもいいね」

 「うぇ?」

 あまりにも男らしい言い切り方に、思わず変な声が漏れる。

 「それって、どういう事なの? もっと詳しい内容が知りたいんだけど……」

 逸早く持ち直したルミルが問う。

 「言葉通りの意味なんだけど……。んーと、そう、だな」

 何故か、シオンはいつもの穏やかな目ではなく、ダンジョンにいる時みたいな鋭い目つきで空を見上げる。

 「抱きしめていたい。傍にいてほしい。笑い合いたい。毎日を隣にいて、肩を寄せ合って生きていたい」

 純粋な想いだった。

 それこそ、恋する乙女みたいな。

 「そこに、余計な情報はいらない。年の差だとか、相手が子供を産めないとか、そういった部分を気にしたくない」

 好きになったから、その人を抱きしめ続ける。

 「――まあ、おれは誰かを好きになった事はないから、参考程度にしてくれ。それに、おれが好きになった相手が誰かを想っている可能性だってあるから、実際に手放さない云々は気にしないでほしいかな」

 『誰かを好きになった事はない』、か。

 私はまだ、シオンに異性とすら認識されてないのかな。

 わからない。わかんないけど、今は、そういう事を言うべきじゃない。

 「……もし、可能性があるなら?」

 「んー、振り向かせるための努力はするだろうね。でも好きになった人が幸せになってほしいから、相手の人が良い人なら、胸の痛みを堪えるかな」

 だけど、どうしようもないクズだとしたら。

 「絶対に、行かせない。諦めさせる。例えそれが」

 ――鎖で縛り付けるような行為だとしても。

 不幸にさせないためなら、嫌われたって構わない。

 ゾクリ、と背筋に怖気が走った。

 シオンの眼が、どうしようもなく本気だったから。今は何もなくとも、シオンはその時そういう状況になったら、絶対にそうする。

 これが、シオンの恋愛観。

 どこか壊れた、彼の価値観。

 ――もう、愛してる人を失いたくないから。

 どこか泣き笑いしてるようなシオンに、胸が痛む。

 「ゴミ、捨ててくるよ。ちょうだい」

 「あ、うん。ありがと」

 手渡すと、シオンは背を向けて歩いていく。

 その背中を追いかけて抱きしめたいと思ってしまうのは、惚れた弱みだろうか。

 「あの……」

 ルミルの方を振り向く。彼女はシオンの話を聞き終えてから、黙って考え続けていた。だけどその顔には、話を聞く前の悲しさはほとんど残っていなかった。

 「……うん、決めた」

 何かを決意したのか、ルミルは晴れやかな笑みを浮かべている。

 「私、シオンを想い続ける。諦めて後悔するのなら、諦めないで後悔したい」

 「んな……」

 「それに、シオンは今七歳なんだから、数年待つ程度、問題ないし。うん、いい考え!」

 ……もしかして私、余計な事しちゃった?

 こんな綺麗な人が、ライバルになっちゃうの?

 「だから、それまではティオナに譲る。でも」

 彼女はイタズラっぽい笑顔に変えて、

 「あんまり悠長にしてると、奪っちゃうよ?」

 「……!!」

 それはダメだ。

 ハーレムについては、まぁ、百歩譲っても仕方ないと諦めよう。

 だけど、一番だけは。

 彼の一番だけは、絶対に渡せない!

 キッと睨みつけると、ルミルは私の頭を一撫でして行ってしまう。

 「ぜ、絶対に奪わせたりなんてしないんだから!」

 思わず叫んだけど、彼女は楽しそうに手を振り返してくるだけ。

 な、なによあの態度! 大人の余裕!?

 「悪いティオナ、待たせ」

 「シオン、私、絶対諦めないし誰にも渡さないから!」

 「お、おう……? そうか、頑張、れ?」

 絶対、ぜーったいに。

 私がシオンの一番になるんだから!




恋愛描写苦手なりに頑張った。超頑張ったよ私!

……でも実際に見直すと恋愛描写と言えるシーン少ないような……あれぇ?
しかし日が暮れるまでデート続けると文字数がヤバい。現時点で2万行きそうだからこれ以上はちょっと厳しいんですよね……。

普段シオン視点だから、どうしても表現しにくいティオナの心情書きたくてティオナ視点にしたけど、そうするとこう、ティオナが慌てふためく姿を想像してニヤニヤするくらいしかできない。

あと原作では恐らく一度もしていないティオナのお洒落なんですけど……すいません、正直適当であります!

私個人、服装なんて相手を不愉快にさせない、最低限常識ある程度でいいよね的な思考なんでどうにも辛い。イベント考えるより服選ぶほうが悩むとか、それはそれでおかしいですよね……?

今回シルさん登場。彼女もシオンも『ダイダロス通り』で生活してるので、ほぼ同年代なら出会っていてもうんまぁ、不思議じゃないよねってことで。
ぶっちゃけると【ロキ・ファミリア】に来る以前のシオンの事を知ってる人とティオナを話させたかっただけなんだけど。

ついでに一般人のオリキャラのルミルさん。
彼女は『シオンに助けられた人達』の一人。彼女のスタイルの良さはティオナのあのセリフと作者からの言葉を入れたかっただけ。悩んだけど面白そうだから突っ込んでみたり。
思わせぶりな最後で退場しましたが、今後出てくるかというと予定にない。ティオナに発破かけたかっただけなんだ、ごめんなさいルミルさん……。

ちなみにこのオリキャラを『神会』で名前だけ出したティリア嬢にする考えもあったけど、ヤンデレ出すとカオスになるので諦めた。
ん? 彼女の好きな人は別だろって?
やだなぁティリア嬢の好きな人の名前出してないんだよ? つまりその相手の『愛しの彼』がシオンでも問題ない。
スプラッターまで待ったなしだけど。

ヤンデレといえば、実はシオンにも素養があったり。義姉さんの死はそれだけシオンの精神に影響を及ぼしているのさ!
……あっれーどんだけ地雷設置してるんだろ。

まぁそれはそれとして、今回の流れはティオナがシオンの一番になるために決心するためのお話。
複雑な恋愛模様が描けていればいいんですけど。むしろできていなきゃ今回のお話投稿した意味が無いんだけど!

本編の日常非日常とはまた違う風にしたかった。

次回投稿は、まぁ、頑張ります……。


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未来へと示す者達
役割という物


 「人の部屋の前でウロチョロしないでくれる? 気になって仕方ないんだけど」

 「ご、ごめんなさい」

 扉が開かれると、不機嫌そうな顔をしたティオネが立っていた。既に服も着替え終わり、一日の始まりまでは準備万全のようだ。

 とはいえアイズにとってそこは気にするべきところではない。彼女はティオネの顔を見に来た訳ではないのだ。

 「あの、いきなりだとは思うんだけど、シオンのこと、知っている事を教えてくれませんか!」

 「は? シオン……? ああ、そういう。まぁ私のところに来たのは、妥当なのかな」

 アイズのお願いに怪訝な顔をしていたが、納得の表情に変わるティオネ。

 【ロキ・ファミリア】でシオンの事をよく知っている人間は限られる。フィン達は恐らく教えないということを察し、その上でアイズの取った行動からティオナは同類か何かと思い――昨日のあのやり取りで共感するところでもあったんだろう――ベートは多分だが、あの気性から判断されたんじゃないか。

 残ったのはティオネだ。確かに彼女は『化けの皮』が剥がれていなければ、皆を纏めるお姉さんのような感じなので、訪ねてきたのは間違ってはいない。

 「ちょっと、待ってなさい」

 ティオネはそう言うと部屋の中に戻る。自然と閉められていくドアを、緊張感から覚えてしまった不安を押し殺すために手で止める。とはいえ人に部屋を見られるのは不愉快に思うと考え、視線は別方向に向けていたが。

 「んーと、まぁこれだけでいいか。ダメだったらまた取りに来ればいいし」

 ガサゴソと漁っていたティオネは手に何かを持って戻ってくる。

 「別に扉支えてなくてもよかったのよ?」

 「あ、これは、ちょっと、なんていうか」

 扉を支えていた事を不思議がられたが、扉が閉まったら二度と出てきてくれないんじゃないか、なんて不安に思ったのを言える訳が無い。しかし誤魔化す経験など無いせいで、どうしても声が上擦り眼が斜めを向くのがわかる。

 ティオネはそんなアイズをどうしたのかと思ったが、やがて思い当たる節を見つけたのか、ニヤニヤとした笑みを浮かべる。

 うぐっ、と息を詰まらせるアイズは一体何を言われるのかと身構えるが、

 「じゃ、行きましょうか。少し歩くから、ちゃんとついてきてね」

 ティオネは何を言うでもなく、背を向けて歩き出した。

 何も言われなかった事に安堵しながら拍子抜けするが、助かったのも事実。アイズはホッと息を吐き出しながら素直にティオネについていった。

 少し歩く、と言ったとおり、しばらく歩かされた。ホームの1階、その隅っこ。恐らく誰も来ないんじゃないかって場所にある扉に鍵を差し込み、開ける。

 部屋に入ってまず思ったのが、武器庫かな、ということ。

 家具はほとんどない。部屋の真ん中にテーブル一つに椅子が四つ。端の方に棚はあるが、それ以外だと剣やらナイフやら防具やらが無造作に置かれている。

 「うちのパーティの共同部屋よ。団長とロキが使わない部屋を融通してくれたの。ここで4人集まったりして話し合うのが目的ね」

 置いてある椅子のどれかに座っといてと言われたので、座る。

 その間にティオネは棚から何かを探しているのか、適当に漁り始める。そうしながら、アイズに向けて言った。

 「悪いんだけど、私がシオンについて言える事はあまり無いの。私は普段団長とティオナと過ごしている事が多いし、そうでないならオラリオの友達と出かけてるから」

 「そう、なの? 同じパーティなのに?」

 「同じパーティだからこそ、っていうのもあるわ。内輪だけに目を向けてると、世界に対して目を向けづらくなる。だから、シオンはパーティ全体を。私はパーティ以外をって分担してる、のかしらね。その辺り相談したこと無いからわかんないかな」

 思わず苦笑。最近相手が何を考えているのか大雑把にわかってしまうため、半ばこれでいいだろうと考えている自分がいるのを自覚する。

 流石に甘えすぎだ。そろそろ本腰入れて話し合わないと、すれ違う可能性が高い。

 「とにかく、私はシオンについて詳しく知らない。代わりに教えられるのは」

 脇に紙を挟み、手に箱を持って戻ってくる。それをテーブルの上に置くと、紙をアイズの目の前に差し出された。

 「【ステイタス】の差異……?」

 「そう。日常面は教えられないけど、非日常なら、私も教えられる」

 しかし差し出された紙には何も書き込まれていない。

 精々が、下の方に横並びで力、耐久、器用、敏捷、それに左端の上からS、A、B、C、D、それと上中下の文字がついているのみ。これではまるで、

 「グラフか何か?」

 「おお、大正解。ちなみに書き込まれてないのはわざとね。人に見られると弱点晒すことになるから」

 【ステイタス】とは、冒険者にとって生命線だ。

 『力』が高いのなら、それを振るえない状況にすればいい。

 『耐久』が高いのなら、それが通用しない、例えば溺死などを使えばいい。

 『器用』が高いのなら、数で押せばゴリ押しできる。

 『敏捷』が高いのなら、狭い部屋にでも入れば動き回れなくなる。

 もちろんスキルや魔法の存在もあるため一概に言い切れないが、自分にとって有利で相手にとって不利な状況に持って行きやすくなるのは、それだけで大きなアドバンテージだ。

 だからできるだけそれを秘匿しなければならない。そう判断したため、彼ら4人もこういった紙に自分達の情報を残さない方法を取っている。

 「それが、この石」

 「うわぁ、綺麗だね」

 「わざわざ店で買ってきたものだから当然よ」

 キラキラと輝く白、黄、赤、青の石を取り出す。

 白はシオン、黄はティオナ、赤がティオネ、青はベート、と言ったように区別している。

 「例えば私の『力』が、そうね。Bの873だとしましょう。その場合はここに置くの」

 力と書かれた場所の上、そのBの上に置く。

 「あんまり細かくやると一々書くのが面倒でしょ? だから0から29までが下、30から69までが中、70から99までが上って感じに分けてるの」

 元々【ステイタス】の評価はSを頂点に、AからIまでの十段階で区別される。そのためこういった物で複数人を同時に見比べるのは結構面倒くさいのだ。

 そんななので、多少大雑把になるのは許してもらいたいところ。

 「でもそれだと細かい判断ができないと思うんだけど」

 「その時はその時ね。あくまでシオンが判断するための資料的な物だし、これ」

 口を動かしながら、ティオネは十六ある石を動かしていく。魔力については、まだ魔法を覚えている人がいないのか、空欄のままだ。

 「【ランクアップ】してからのも含めるとちょっと面倒だから、これはあくまでLv.1の最終値になるわね」

 置き終わるとティオネは一歩下がり、アイズが見やすいようにする。

 『力』はティオナが一番高く、ティオネ、シオン、ベートと続く。

 『耐久』も一番はティオナ、次にシオン、ティオネ、ベート。

 『器用』はティオネ、シオン、ベート、ティオナ。

 『敏捷』はベート、シオン、ティオナ、ティオネだ。

 とはいえ、これを見たところでアイズにはどういう事なのか判別しようがない。言い方は悪いがだから何、と言ったところだ。

 アイズが困っている事をわかっているのだろう、ティオネはちょっと笑っていた。

 「【ステイタス】はそれを上げるのに適した行動を取らなければ伸びない。そのグラフは、私達の役割をわかりやすく教えてくれてるんだけどね」

 『力』を伸ばすためには腕を振るう必要があるのに、走って伸びたらおかしいだろう。つまりはそういうことだ。

 だがそんなことアイズにもわかっている。

 アイズがわからないのは、単純に知識と経験不足のせいだ。

 何だかティオネがイジワルに思えてきて、アイズはむうう……と頬を膨らませてしまう。そんな反応にティオネは優しい笑顔を浮かべてしまった。

 「しょうがないわね。ちゃんと説明してあげるから、そんな顔するんじゃないの」

 「別に。拗ねてないし」

 「はいはい、私はわかってるから」

 なんとなく彼女の頭を撫でると、不貞腐れていた彼女はむごむごと口を動かし、そして弛緩してうにゃ~と猫のような声を出す。

 ――やだ、可愛い。

 ティオネだって女の子。可愛いものにはそれなりの興味だってある。

 とはいえ今は相談を受けているのだ。ふざけていられる状況ではない。変な方向に行きかけた思考を急いで戻し、手を離す。

 「私達はそれぞれ役割を決めて、そこから逸脱した行動は取らないようにしてるの。それを決めてなかった時に、酷い目にあったからね」

 「何か、あったの?」

 6層に降りるまでは、力押しでも何とかなった。

 フィン達からの指導で徐々に伸びていった【ステイタス】と人数という利点。そこだけを見た結果、全員ボロボロになって生き延びるところまで追い詰められた。

 「ウォーシャドウだけで軽く二十……乱戦状態になって、死にかけたわ。あの時シオンが指示をくれたらどうなっていたか」

 「二十!? そんなのまともに相手なんてできないはずなのに、どうやって」

 「ま、その話は後にしましょう。戻すわよ」

 そこから4人はそれぞれ役割という物を決めた。

 「ティオナは火力役(アタッカー)。いの一番に前に出て、敵を蹴散らす。あの子は『とにかく倒す!』って考えだから、それが一番性に合ってたのよ」

 そのため『力』と『耐久』が高い。最も敵に攻撃し、最も敵からの攻撃を受ける彼女はそれだけ伸びていく。

 逆に彼女はシオン達と違って一番最後にフィン達からの指導を始めたため、技術的な点で劣っている。小器用さについては諦めるしかない。

 「ベートは遊撃手(サポート)。とにかく動き回って邪魔なモンスターをその都度倒す。狼だからか、駆け回すのは得意みたいだし?」

 「それ、絶対違うと思う」

 本人が聞けば激怒するような事を言うティオネ。先程からパーティメンバーの評価が酷いと呆れるアイズだが、ちゃんと説明はしてくれるので静かに聞く。

 ベートは一撃離脱を信条としているのと、短剣二本による双剣のため、『力』と『耐久』はかなり低い。逆に常に動き回るのと、モンスターの弱点を狙い続けるために『敏捷』と『器用』は高くなっている。

 「私は火力兼支援役(カノンアンドサポート)。ほとんど後ろにいてナイフを使ってサポートするんだけど、ティオナだけで敵を倒しきれない時とかは前に出て戦うの」

 本当はティオネも前に出たいのだが、視野の広さ、という点においてシオンの次に位置する彼女は、どうしても後ろにいたほうがパーティの安全を確保できる。

 そのため普段は投げナイフを使って支援。『器用』の値が高いのはそのせいだ。

 たまに前に出て戦うため『力』と『耐久』もそこそこだが、逆にそれ以外ではほとんど動かないせいで『敏捷』はパーティで一番低い。

 「ちゃんと役割を決めて、自分の得意な事だけをする。そうすれば安定するってわかったのが6層時点で助かったっていうのが本音。じゃなきゃとっくに私達は死んでるでしょうね」

 「それだけダンジョンは危ないの?」

 「というより、やっぱり子供っていうのが大きなハンデなのよ。大人と比べて手足は短いし体重軽いから踏ん張れないし、何より無茶するとすぐ()()()んだもの」

 ひらひらと手を振るティオネに絶句する。

 『壊れる』というのはつまり、手足がイカれる、ということだろう。そして言い切れるということは、本当になった事が、少なくとも数回はある、ということになる。

 「そんなのはどうでもいいか。それより肝心のシオン、だけれど……そうね。ここまでを踏まえて、自分で少し考えなさい」

 「え!?」

 「ヒントは沢山上げたわよ? 答えを貰うだけじゃなくて、少しくらい自分で考えないとダメになっちゃうからね」

 クスクス笑うティオネの顔を見れば、アイズが答えを出さなければずっと教えてくれないのだとわかってしまう。

 しかしアイズが知っている事はそう多くない。

 シオンはこのパーティの指揮をしていること。

 剣だけでなく、双剣も多少扱えること。

 それからこのグラフ――……グラフ……?

 「……あれ?」

 何となく気になって見直すと、シオンはこのグラフで一番を取っている物がない。というより、全ての値がAの上を記録してはいても、Sを超えていない。

 もっと言い換えれば、特化している物がない。全てがほぼ平均を記録している。

 だが、そんな事がありえるのだろうか。

 ソロでやる、と考えたが、ソロはその性質上軽い怪我をしただけでも一気に不利となるため、どうしても『耐久』は伸びにくい。

 あるとすれば、それこそパーティでの役割全部こなすくらいしか思いつかないが、それだって限度はある。

 「全部やる……でもシオンは指揮役なんだし……」

 ついに頭を抱えるが、どうしても矛盾してしまう気がする。

 「うん、大体正解」

 「……何が?」

 「全部やるが、よ」

 なのに、ティオネはパチパチと手を叩いてアイズを褒めている。目をパチクリさせるアイズをよそに、言う。

 「シオンの役割は調整役(バランサー)。一番難しくて、誰より辛い役どころ。足りない部分の穴埋め。前に出て戦う時もあれば、私と一緒にティオナとベートを支援する。ベートと駆けずり回ってモンスターを倒すことも」

 それでも一番は後ろで指揮することだけど、とティオネは言った。

 だから、シオンは知っているのだ。

 「誰よりも色んな役割をこなして、誰よりも頑張る。だからシオンは知ってるのよ。『ダンジョンではあっさり死ぬのが普通なんだ』って」

 シオンは、いつも『死ぬ』という言葉を使う。

 それは皆の危機意識を煽って、無茶をさせないためだ。『もっと行ける』という意識を殺し、調子に乗らせないために。

 考え込むアイズに、ティオネは紙を差し出す。

 

 シオン

 Lv.1

 力:A887 耐久:A883 器用:A896 敏捷:A892 魔力:I0

 

 「これがシオンのLv.1最終【ステイタス】よ。ああ、ちゃんと本人には確認取ってるから、これを見せても問題ないから」

 「…………………………」

 ティオネが何か言っているが、アイズの耳には届かない。

 ――……何、これ?

 この()()()()()()()()()()()【ステイタス】に、アイズは声も出ない。何をどうやったらこんな風になるのかと、驚くしかなかった。

 当たり前ではあるが、【ステイタス】の伸びはどうしても得手不得手があるため差が出る。それは誰であろうと例外はない。

 例えば、フィン。彼の種族は小人族で、この種族はどうしても身体的な部分で他の種族に劣ってしまう。それ故『敏捷』と『魔力』は伸びやすいが、逆に『力』と『耐久』についてはかなり伸びにくい。

 例えば、リヴェリア。エルフは『魔力』の適正において他の追随を許さぬが、その分身体能力は低く、『力』『耐久』『敏捷』はとにかく伸びない。彼女の場合杖術でその辺りをカバーしているが、それだって限度はあった。

 例えば、ガレス。ドワーフである彼は『力』と『耐久』に目を見張る物があるが、筋肉質な体型のせいで『敏捷』は伸びず、また、種族的傾向による性格的な部分もあって『器用』も低い。『魔力』については、彼が魔法を覚えているかどうかわからないので割愛。

 このように、Lv.6として有名な第一級冒険者にでさえ有利不利はある。なのにシオンは、そんなの知ったことかと全ての【ステイタス】で高い記録を叩きだしている。

 ティオネは驚愕で声も出ないアイズに何とも言い難い複雑な顔を向ける。その後椅子から立ち上がると、アイズを置いて扉の前に移動する。

 「私が教えられるのはここまでね。これ以上はちょっと厳しいかな」

 「あ、その……ありがとう! 教えてくれて!」

 慌てて我に帰るアイズに、ティオネは背を向けたまま、

 「もしもっと知りたいんだったら、ベートを訪ねなさい。アイツが一番詳しいだろうから。今だったら多分、一番上で剣でも振るってると思うから、早い内にね」

 一方的に言い残すと、彼女はドアノブを回して部屋を出て行ってしまう。

 「ベートが、知ってる……」

 顔合わせしかした事のない、気難しそうな狼人の少年。少し気後れするが、それでも知りたいのなら、行くしかない。

 「……喧嘩、ならないといいんだけど……」

 目下の心配事は、それだった。

 ホームの1階から最上階まで階段を登るのに、それなりに足を痛めたアイズ。この時点でかなり疲れ果てたが、根性で屋根の上へ。

 ――ホントにいた。

 ティオネが言っていたとおり、双剣を振るうベートがいた。

 サマーソルトで蹴り上げ、回転しながら双剣を一閃。そのまま片方を逆手に持ち替えて真後ろに剣を突き刺す。突き刺した剣をグルリと捻じ曲げ体を反転、もう一本を喉に押し当て引く。

 それからバックステップで距離を取り、足に力をこめ、

 「――用があるなら声をかけろ、そうじゃないなら気が散る、どっかに行きやがれ」

 『アイズのいる方へ』駆け出した。思わず身構えるが、ベートは睨みつけてくるだけで特に何もしてこない。

 「……ん? テメェは、そうか。シオンの事でも聞きに来たのか?」

 「なんで」

 「わかるかって? 話したこともねえ、まともに考えてあまり接したくない俺んところに来る理由はそれしかないだろうが」

 一応、自分が好かれていない自覚はあるらしい。というより、敢えてそう振舞っているからこそわかるだけだが。

 ベートはフンと鼻を鳴らすと、双剣をしまう。

 「んで、もう一度聞くが何の用だ? ちゃんと、テメェの口から言いな」

 真っ直ぐにアイズの目を見据えるベートの目は、綺麗だった。誰に対しても媚びないとわかるからかもしれない。あるいは、口に反して心は真っ直ぐだからか。

 何となく、見た目と違って優しいのかな、と思う。こうしてアイズが何か言うまで待ってくれているのだって、優しいからではないか。

 「――シオンのこと、教えてほしい。ベートが知ってること全部」

 「……ハッ。まあ、いいぜ」

 鼻で笑うかのような態度を取ると、ベートは壁に背を預ける。

 「言っておくが、俺の知ってる事がテメェの知りたい事だとは限らねえ。それでもいいなら教えてやるよ」

 なんせ、問題文すら提示されてないのだから、答えを述べることはできない。

 できるとすれば、羅列するだけ。そんな意味をこめて聞いたのだが、

 「お願い」

 真っ直ぐに見返してくる目の強さに負けてしまう。

 「ったく、面倒な事を押し付けてくれやがって、ティオネ……」

 と大体の事を察しながら口の中だけで呟き、

 「まず知っておきな。アイツは――シオンは、もう『壊れてる』ってことを」

 「……っ」

 単純な事実を、あっさりと言い放つ。

 アイズは一瞬身を固くするが、驚いた様子はない。知っていたのだろう。ただ、それをベートから言われて再認識しただけで。

 「シオンは強くなることにしか興味がない。その過程で腕が吹き飛ぼうが死にかけようが、痛がりはしてもトラウマにまではならないだろうな」

 「……その途中で、死んでも?」

 「というより、下手すると死んでもいいなんて無意識で考えてるかもな。アイツの中にある優先順位だと、自分の命は相当下らしいからな」

 普通、そうはならないはずなのに。

 【ロキ・ファミリア】に来る前からそうだったシオンは、きっと、最初から破綻していた。狂っていた。表面上そうは見えないからなおさらタチが悪く、ベートでさえ、気づいたのは一緒にパーティを組んでからずっと後のことだった。

 「何があったのかなんて知らねえし、興味もねえ。だがアイツは俺らのリーダーなんだ。死なれたら困る」

 それが照れ隠しなのは、アイズにもわかった。

 「だからテメェも協力しろ」

 「え?」

 唐突にかけられた声に顔をあげると、ベートはアイズをジッと見ていた。

 「アイツにとって、テメェは随分と大切らしい。だからテメェは、シオンの枷になれ。我が儘言って困らせて、シオンがダンジョンに行き過ぎないよう努力しろ」

 「そ、それはちょっと、厳しいような」

 「うっせぇ黙れ。情報の対価だ、ちゃんとやってもらわなきゃ困るんだよ」

 と、ベートは気持ちを落ち着かせるように息を吐き出す。

 どこか疲れたその様子に、アイズはずっと悩んでいたのだろうか、と思う。ベートはガリガリと頭を掻くと、

 「――とりあえず、シオンは『賢いバカ』だってのも教えといてやる」

 「……何それ」

 「ダンジョンでは賢いが、それ以外はバカって事だよ。テメェはシオンが『鋭い眼』をしてたところ、見たことはあるか?」

 「一度だけ、ダンジョンで」

 あの時の眼は今でも思い出せる。

 一瞬『喰われる』とさえ思った程に、恐ろしかったのだから。

 「それが『賢い』ときだ。鋭い眼んときはとにかく警戒心が強いし、頭の回転も早い。こっちの体調もすぐに看破してくるから誤魔化しも無理だ」

 「……それで?」

 「逆に眼がほんわかしてるときは『バカ』だな。とにかく鈍い。人の気持ちなんかは特に察してくれないせいで、俺が余計な仲介するときもあったくらいだからなぁ……!」

 拳を握り締める彼は、何を思い出したのか笑いながら怒っていた。

 アイズはというと、言われてみればそんな感じだったなぁ、と思っていた。確かにダンジョン中では色々反応が早いのに、一ヶ月間指導してくれた時はほとんど自分本位だった。

 「よく、見てるんだね」

 「あ?」

 「シオンのこと。詳しいみたいだし」

 「ああ、まあ、な。良くも悪くも距離は近かった。アイツの良いところも悪いところも、全部見えるくらいに」

 そういうことじゃないのだけれど、ベートは小さく笑っていた。

 「他にも詳しく知りたいなら、聞きに来い。俺は一度戻る」

 「何か用事?」

 「これからガレスんとこにな。……それで、できればでいいんだが」

 一度躊躇したが、それでもベートは言った。

 「シオンのことを、守ってほしい。アイツは少しでも目を離すと死にかけるからな。……あんなんでも、友人なんだ。死んでほしくはねえ」

 「言われるまでもないよ」

 強気に言い返すと、ベートは口元に笑みを浮かべた。

 「そうかい。ありがとよ」

 ベートがいなくなり、アイズは目的も無くホームを歩き回る。ダンジョンでのシオンと、日常にいるときのシオンの違い。スイッチの切り替えが激しすぎるのだろうか。

 多分、単に緊張の糸の張り詰め具合が違うだけのような気もする。

 ふと窓を見下ろすと、シオンがフィンと武器を重ねているのが見えた。

 どれだけ攻撃しても届かず、逆に撃ち落とされて反撃される。

 ――あのやり方って。

 シオンとアイズのようだった。ただアイズと違うのは、フィンが容赦なく反撃してくるため、シオンの体にどんどん傷が増えていく事だった。

 槍が頬を、腕を、脇腹を、足を、掠めていく。その度に血が噴出するが、シオンは気にも留めずフィンに突っ込んでいく。

 攻撃の度にシオンもフィンもパターンを組み替えていく。シオンはフィンの防御を突破するために、フィンはシオンの攻撃から身を守るために。

 「――あ」

 槍の石突きによって思い切り吹き飛ばされるシオン。それでも空中で体勢を立て直して着地しながら、追いかけてきたフィンの槍の穂先を逸らす。けれどバランスを崩してしまい、シオンはフィンの蹴りを腹に打ち込まれた。

 嘔吐くシオンは、嘔吐感を押し殺してフィンの槍を掴んで揺らす。けれど両腕に力を込めていたフィンの槍を揺らすことはできず、それでもその間に下半身に力をこめて、完全に体勢を立て直せた。

 それでも結局フィンにぶちのめされたのは、言うまでもないだろう。

 アイズは階段を降りて、シオンのところまで行く。既にフィンはどこかへいなくなっていて、いるのはシオンのみ。

 そのシオンはというと、包帯をグルグルと巻いていた。回復薬は使わなかったのだろうか。

 「ん、アイズか。何か用でも?」

 「あ、うん。聞きたいことがあって。でもその前に、回復薬、飲まないの?」

 「おれはパーティで指揮する立ち位置だからね。痛みで判断鈍らせないように、軽い傷で痛みに慣れておかないとって思って。おかげで死にかけても普通に戦える程度にはなったし」

 おどけていうが、アイズとしては笑い話にはならない。

 つい昨日、死にかけていたシオンを見たのだから、なおさらだ。

 「……そんな気にするな。あの傷は本当に色々あったせいだから。アイズがいなくても、いつかは負っただろうよ」

 「でもやっぱり、気にしないのは無理だよ」

 「あーもう面倒くさい。だったら何か言え。言える事なら答える」

 ションボリするアイズを見たくなくて、敢えてそう言う。アイズはチラチラとシオンを見ていたが、やがて決意したのか、声を張り上げて言った。

 「そ、それじゃ、シオンの【ステイタス】が知りたい!」

 「……そんなんでいいのか」

 覚悟を決めていったのに、シオンはかなりあっさり目だった。

 アイズがこれを聞いたのには訳がある。シオンを守りたいと思っていても、シオンの苦手分野が全くわからなければ意味が無い。

 シオンに比べればまだまだ弱い自分。それだけ差があるのなら、シオンが苦手な一分野を極めるしかない。そうしなければ追いつけないのだから。

 シオンはガリガリと地面に自らの【ステイタス】を記す。

 「ほら、これがLv.2の【ステイタス】だけど」

 

 シオン

 Lv.2

 力:F326 耐久:F341 器用:F337 敏捷:F334 魔力:I0

 《魔法》

 【 】

 《スキル》

 【指揮高揚(コマンドオーダー)

 ・命令した相手の【ステイタス】に補正。

 ・補正の上昇率及び持続時間は命令内容によって変動。

 ・自分自身には効果が無い。

 

 「基本的におれの【ステイタス】は指揮の都合上比較的増えやすいのと増えにくい物が結構あるんだけど……昨日のアレで耐久が増えたみたいだ」

 シオンの【ステイタス】で増えやすいのは、上から『器用』、『敏捷』、『力』、『耐久』となる。それでも『耐久』が高いのは、こうしてフィン達からいつもボッコボコにされているためだ。

 ダンジョン内では怪我はあまりしない方、らしい。

 ――何というか……つくづくシオンって指揮役なんだね。

 自分自身に影響の無いスキル。代わりに命令を与えた人間の【ステイタス】に影響を与えるという、ある意味脅威的なスキルだ。

 例え小補正であろうと、補正のかかる人数が十人二十人と増えれば、それは十分恐ろしい事となる。

 とはいえ、一つ問題点はあった。

 ――決定打になるスキルじゃ、ない。

 このスキルは恒常的な意味では便利だが、瞬間的な火力という点では劣るかもしれない。しかしこれは予想にすぎない。

 「シオン、このスキルって……?」

 「メリットデメリットがはっきりしてるスキル」

 なんでも命令の『数』によって補正が変わるらしい。

 例えば仮に、

 『アイズ、ウォーシャドウに全力の縦斬り!』

 と命じたとする。

 この場合は、誰が、誰に、どんな風に、どのような攻撃をするのか、という事になる。

 一つ命令が増える毎に小、中、高、超と補正が増えていくため、この命令をこなすとき、アイズはかなり強くなる。

 ただしこれには大きな問題があり、

 「これが通用するのって、モンスターくらいなんだよな……」

 「人間相手とかだと、『こう攻撃するから避けてね!』って言ってるような物だよね……」

 わざわざどんな攻撃をするのか教えるなど、バカの所業でしかない。しかもこの命令だとその行動を終えた瞬間補正が切れるため、後の事は完全にアイズ任せになる。

 逆に『アイズ、ウォーシャドウの相手を!』とかの抽象的な表現であれば、高補正且つその相手を倒しきるまで補正がかかる。

 このように、シオンの『指揮高揚』はその場その場で状況を判断して命令を下さなければならないため、かなり使いどころの難しいスキルになる。

 わかりやすく言えば『頭を使う』スキル、という事だ。

 シオンには得手不得手が無い代わりに、ここぞという時頼りになる物がない。現状では誰かに頼らなくては、自分より遥かに強大な敵には勝てない。

 ――なら、私がなればいい。

 シオンの『最強の剣』に。

 どんな敵をも切り裂く、絶対の剣に。

 ただ一つ、気になる事があった。

 シオンが最後、さり気なく付け足したもの。

 

 悪運:I

 

 【ランクアップ】した事で得られる『発展アビリティ』だろうそれは、アイズは一度として聞いたことがない。

 ただその事実が、妙に胸に突き刺さった。




昨日更新予定が、病み上がりだからか体力無いし頭痛はするしでどうにも集中できず今日更新に。申し訳ない。

さてやっとこさシオン中心に大雑把ながら【ステイタス】を公表できました。当初から『アイズの三人称視点で公開する』と決めていたせいで、遅すぎだとは思いますけどね。

前回ティオナマシマシだった分『お姉さんティオネ』と『ツンデレベート』の出番を増やしてみました。
ただティオネはともかくベートの出番は……どうしても彼の性質上出し続けるのが結構厳しいと気づいた(そもそも考えていたセリフと展開ど忘れしたのが一番の敗因。頭痛で色々吹っ飛んだ)

シオンの【ステイタス】は冒険者の中では異端な方。まぁベル君見てると感覚麻痺するけど普通アレありえないんですよねぇ……。
ってわけでシオンはどれ一つとしてSにはなりません。決定です。

ちなみにシオンが原作開始までに覚える『スキル』及び『魔法』は決まっています。仮に問題があるとすれば『詠唱』を全く考えついていない点ですが……気にしたら負けだ。

あと悪運についてはロキの影響……なのかなぁ?
効果は考えてますけど正直書き手としては合っても無くてもほぼ変わらないのが『発展スキル』と思ってます。
ぶっちゃけこの設定一部以外いらな(ゲフンゲフン)

次回はちょっとダンジョンダンジョンするかな? こーご期待!


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アイズの『冒険』

 滴り落ちる汗を拭う。手で取れる量などたかが知れているが、少なくともこの汗がダラダラと流れ落ちていく状況よりはマシだ。

 目に汗が入らない程度までそうすると、シオンは近くに置いてあるタオルを水筒に入れた水でバシャバシャと濡らす。それで思い切り額に押し付けると、とても気持ちよかった。

 「はー……冷たい」

 「シオンだけズルい! 私にもそれちょうだい!」

 「はいはい、少し待ってろ。全く、ここ数日アイズの遠慮が無くなりすぎだ」

 シオンは苦笑を浮かべると、アイズの分の濡れタオルを作る。まぁ手間暇もそんなにかからないので、可愛らしいお願いではあるのだが、何だか吹っ切れたみたいにシオンに色々と言うアイズは新鮮だった。

 あ”―……とダミ声で先ほどのシオンのように濡れタオルを顔に押し当てる。今日は一段と暑いこともあって、体中汗だくだ。顔だけ拭っても気持ち悪さは残る。それに体から汗を拭き取らなければ風邪を引いてしまうので、さっさと部屋に戻って着替える必要があった。

 「ああそうだ、アイズ、着替えたら一度おれの部屋に来てくれ」

 「ん、わかった。できるだけ早く行くね」

 軽く言い、それぞれの部屋へ戻る。

 今日の分の鍛錬は終わった。反省もしたいところだが、それは後だ。早く着替えなければ冗談抜きで風邪を引く。それは望むところではない。

 基本的にシオンとアイズの部屋の配置は近い。恐らくリヴェリアが提言し、フィンが考えた結果だろう。服については見栄えが悪くならない程度なら、後はどうでもいいと考えるタイプのアイズは着替えに時間も取られない。

 部屋に戻るまでの時間を含めても二十分かからずシオンの部屋にまで行けた。一応、三回ノックしておく。マナーは大事だ。

 どうぞ、と言う言葉をアイズに扉を開ける。

 部屋に入ると、本当に殺風景な部屋が目に入る。家具を置かないせいだが、シオンはここを『自分の部屋』じゃなくて『単なる寝床』程度にしか思ってないのではなかろうか。

 呆れていると、シオンがどこか居心地悪そうに立っている。それを不思議に思っていると、チラチラと彼の背に輝く何かが見えた。

 「シオン、それって……?」

 「あーうん、その、なんだ。女の子に贈るような物じゃないけど……プレゼント」

 スッと横に動いた事でアイズの目に入ったのは、鎧だった。太陽の光を浴びて銀色に煌くそれは目に眩しい。鎧の腰に当たる部分には剣が帯刀されており、恐らくそれも、アイズに渡すプレゼントの一部なのだろう。

 思わず近寄って触ってしまうが、ハッと我に帰ってシオンを見る。

 「シオンこれ、高かったんじゃないの? 少なくとも剣は安物には見えないんだけど」

 いつも鍛錬で触っている物だからか、剣に対してだけは少しだけ目利きがある。そんなアイズが一目見てわかる程度には、この剣は高級品だった。

 「確か合計で三十万ちょっとだったかな」

 「ふーん、さんじゅうまん……って三十万!? ちょっと待って、これ私に上げるって、本当にいいの!?」

 「むしろ女物の鎧を男が付けるってどんな罰ゲームだ」

 いや、シオンなら行けると思う、なんて思考が寄り道しかけたが慌てて戻し、目の前にある武具を穴が開くほど見つめる。

 三十万、三十万だ。洒落になっていない値段である。正直ダンジョンにまともに潜ってすらいない人間には過ぎた代物でしかない。

 ちなみに初心者が使う武器と防具は大体一万前後。

 それを考えれば、シオンがアイズに渡す物は過剰装備と言っても過言ではない。

 「ていうかそのお金はどこから出てきたの」

 「おれ、食事はある程度で満足するし、趣味とか鍛錬くらいしか無いから、実はお金は貯まる一方で……貯蓄の半分も使ってないくらいなんだけど」

 つまり、最低でもシオンは七十万近いお金を持っている計算になる。シオンは本当に普段から買い食いしないし、趣味は無い。精々が前にヒリュテ姉妹にプレゼントを渡したくらいだが、それだってそう高価な物ではない。

 そもそも休日の過ごし方が人助けくらいな時点で察してほしい。シオンには『強くなる』以外に向ける欲がほとんど無いのだ。

 そんな事情は露知らず、子供が持てる金額ではないと驚くアイズにシオンは言う。

 「とりあえず、一度着てみてほしい。鍛冶屋にある程度調節できるように頼んではいるけど、やっぱ実際に試さないとわからないし」

 「あ、うん。でも私の採寸ってやったっけ?」

 「背丈がティオナと同じくらいだから、それをある程度参考にした」

 ピタリ、とアイズの動きが止まり、胡乱気にシオンを見た。なんでいきなりジト目を向けられたのかわからず気圧される。

 「つまりこれを選んだとき、ティオナと一緒にいたってこと……?」

 「そうなるね。二人で『デート』しに行った時に付き合ってもらったんだ」

 「へー……『デート』、かぁ……」

 ゾクリとシオンの背が凍りつく。アイズの冷静な声音が妙に恐ろしい。しかもアイズは何事も無かったかのように淡々と鎧を付けていくので、何をやらかしたのかさえわからない。

 恐々としているシオンを他所に、アイズは鎧を着る。やはりシオンの見たとおりほとんど問題無いみたいだ。この辺りは鍛冶師達の腕前だろう。同じくらいの背丈とはいえ体格の問題はあるのだから。

 どうにも手甲の位置が悪いらしく、何度も調整しているが、手馴れていないためかどうにも要領を得ていない。仕方がないと近づいてシオンが調節してやる。右手が終わったので左手もだ。後は膝当てなんかも。

 靴は大丈夫のようだ。胸当ても問題なし。スカート状のアーマーなので、これも大丈夫。

 結論から言えば手足の一部に微調整が必要なくらいで、それ以外はティオナの体格が参考になっていた。彼女に頼んだのは正解だったらしい。

 ふとアイズが大人しいのを不思議に思って見てみると、彼女は少し顔を赤くしながらシオンを見上げていた。

 眼が合うと、サッと視線を下ろす。一体何がしたいのか疑問に感じたが、深くは気にせず剣を腰に佩かせて剣士アイズの完成だ。

 一頻り満足して頷いているシオンにアイズは溜め息を吐き出すと、

 「……鈍感」

 と、シオンに聞こえないよう呟いた。

 そして自分が着ている鎧を見て、ほんわかと口元を緩ませる。無骨な物であるはずの鎧だが、当て布はアイズに似合う色を選んでいるし、少しだけ付けてある装飾がそのイメージを打ち消してくれている。腰部分をスカートの形にしたのも、アイズが女の子だからだろう。

 後は手や足を動かしやすいように、その箇所は関節部位の可動領域がかなり幅広い。弱点も多くなるという事だが、メリットの方が多かった。

 大人とは違い子供であるから材料費は多少安いだろうが、使われている材料以上に、この細かな細工が鎧の値段をはね上げているのだろう。すぐ成長してしまう子供であるというのも入れれば大損だ。

 まぁ、それを見越してある程度調節可能にしたのかもしれないが、シオンの過保護っぷりがわかるプレゼントだった。

 嬉しいと、素直に思う。

 もうアイズに親はいない。生きていたとしても、ずっと先まで会えないだろう。

 だからシオンの心配は擽ったくて、でもどこか、心地いい。いつの間にか着替えていたシオンの手甲を付けていない手に抱きついた。

 「……ちょっと、痛い」

 「思っても言わないのがマナーだと思いますっ」

 鎧の角が当たって身動ぎするシオンを封殺する。それでも少しだけ角度を変えてくれたのだから優しい方だろう。

 まぁ、それはそれとして。

 「……なんで、着替えたんだっけ?」

 サプライズ的に渡されたはいいものの、それだけならもう脱いでいいはずだ。それなのにシオン自身も着替えている。

 不思議そうに小首を傾げるアイズに、シオンはまぁまぁ、と背中を押す。腕を抱きしめられているので、正確には腰だが。

 廊下を歩いていると、当たり前だが人とすれ違う。金と銀を纏う2人は相応に目立ち、格好と相まって何だか温かい目で見られているような気がする。若干気恥ずかしはあったが、こうして兄のような人の体温を感じている方が嬉しいので、赤くなった顔を俯かせる程度に留める。

 自然体重がシオンにかかるのだが、彼は何も言わなかった。

 期せずして目隠しのような状態になったので、アイズを引っ張っていく。ガチャガチャという音は鎧からだろう。

 「そういえば聞き忘れてたんだけどさ。その鎧、重たいとかそういう問題はないか?」

 「うーん、今は特に。ただ着て歩くだけなら、普段より疲れそうってくらいかな。ただ剣を振り回してってなると、慣れないまでは厳しいかも」

 「なら、多少余裕を持って回ったほうがいいか」

 「……?」

 何のことかと思って顔を上げたら、シオンはホームの玄関扉を開けていた。飛び込んできた光に手を翳すと、声が聞こえてくる。

 「ったく、準備長すぎだろ。そんな悠長な行動してたら置いてくぜ」

 「とか言いつつ何だかんだ待ってあげるんでしょ?」

 「本当に素直じゃないよねーベートってさ。そんなだからツンデレベートって言われ」

 「それ以上言ったらその口が二度と動けないようにするぞ……?」

 今にも噛み付かんばかりに犬歯を剥くベート。このまま放っておいたら本当にやりそうなので、アイズの腕を放して3人を諌める。

 「はいはい、そのやり取り一旦やめ。減らず口もからかいも、時と場合を弁えろ」

 「弁えたらやってもいいんだ……」

 「言っても止めないなら言う状況くらいはちゃんとしたいからな。今日からアイズもパーティメンバーなんだし、邪魔だったら容赦無く言え」

 「うん、わかった。……え」

 相変わらずここまでがいつもの事なのだが、今日初めて『パーティを組む』アイズには戸惑う部分も多いだろう。

 そう思って言ったのだが、アイズは何故か固まってしまう。

 その様子を見て真っ先に気づいたのは、ベートだった。

 「おい待てシオン。まさかテメェ、何の説明もせずにここに連れて来たのか……?」

 「はは、まさか」

 「……そう、だよな。いくらテメェでもそれは」

 軽く笑みを浮かべるシオンに、疑った事を恥じるように呟いたが、

 「一言も教えてませんけど、それが何か」

 「テメェの脳みそにネジでも突っ込んどきゃ少しは回転早くなるか!? それとも油かどっちがいいんだアァン!?」

 「お、落ち着いてよベート、シオンのコレはいつもの事じゃない」

 「そうね、一々気にしてても仕方ないわ」

 しょうもない程おバカな時のシオンは信用できない。吠えるベートの肩を押さえるが、姉妹としても叫びたいのが本音だった。

 頼りになるリーダーのはずなのに……と3人がガックシと項垂れていると、アイズは先ほどのシオンの言葉と、全員の格好を見て大体悟った。

 とりあえずいつまでも玄関先にいるのは邪魔だろうと思ったので、出発。

 その途中、先ほど気づいた事をシオンに聞く。

 「もしかして、今から私達でダンジョン行くの?」

 「そういうこと。あの時にアイズもダンジョンで多少戦えるってわかったからね。ああでも、おれ達と一緒に行く事が大前提だからな。1人では行くなよ!」

 アイズが爆発するくらいに我慢していたのを、シオンは知った。

 だから3人と相談し、彼女にある程度――それこそ中層でも十二分に使えるような――強い装備を与え、更にもしもの為に全員が集まっていれば問題無いだろうと判断したのだ。

 アイズがシオンを思って行動し始めているように、シオンもアイズの事を考えている。今回の件もその一つ。

 「まぁ、フォローくらいはしてやるが、足手纏いになるなら次からは連れて行かねぇ」

 「アイズは私と同じ前衛だから、頑張ろうね!」

 「少なくとも壁になってくれれば、後はこっちで何とかするわ」

 「だ、大丈夫っ。逃げてもいいならだけど、ウォーシャドウ三体は倒せるから!」

 かけられた声はアイズの緊張を解すための雑談だろう。

 「ほぉ……」

 「へぇ……」

 「ふぅん……?」

 けれど、3人は驚嘆しつつもアイズの言葉が真実かどうかを確かめるように見つめ出す。動揺しつつも本当の事なんだからと胸を張ると、ベートがニヤリと笑った。

 「少しは期待できそうだ。頑張れよ」

 「っ、はい!」

 ひらひらと手を振って足早になるベートの背を見ながらティオナは言う。

 「珍しい、あんな素直に褒めるなんて」

 「惚れた……は、無いか。思うとこでもあったのかしらね」

 ――ベートの扱いって、どうなってるんだろ……。

 散々な言われようについシオンを見ると、苦笑を返された。これがいつもの事だとすると、彼の性格上怒りそうな物だが。

 気の置けない仲、という事だろうか。

 少し、羨ましくある。

 アイズにはここまで言い合える友達はいない。強いて言えばシオンだが、この人はどちらかというと兄に近く、友とは言い切れない。

 ――なれるかな、私も。

 こんな風に、じゃれ合えるように。

 

 

 

 

 

 正直言って、5層辺りまでは作業でしかない。

 Lv.2になってから跳ね上がった五感で元からわかりやすかった奇襲が完全に把握できる。それ以前にベートの特に鋭い嗅覚が事前に敵の位置をある程度教えてくれるため、笑うしかない。

 とはいえシオンの頭に叩き込まれた1層から12層までのマップを参照して最短ルートを通っていくため、少し時間を無駄にするだけだ。後はパーティの動きをアイズに把握させるために、適当に戦うだけ。

 ウォーシャドウに関しては一対一なら完封できる。念のため遠距離攻撃持ちのフロッグ・シューターや『新米殺し』と名高いキラーアントなんかも相手をさせたが、少し戸惑う程度で大した怪我も無く倒しきった。

 単純な剣の腕ではシオンよりも優っている。その片鱗が垣間見えるのだ。現状は始めた年月差でシオンが勝っているが、近い内に追い越されるだろう。

 ティオナが若干シオンを心配しているが、シオンとしてはそこに固執しても意味がないと割り切ってるので、結構どうでもよかったりする。元々器用貧乏タイプなのはフィンに言われてわかっていた。

 重要なのはそこからどうするかだ。思考停止している暇なんてない。指揮をしているのだって、それが性に合っているのもあるが、このパーティではこの役割に徹するのが一番機能するとわかっているから。

 まぁ、体術を始め短剣やら投げナイフやらの腕も磨いているし、器用貧乏なりに工夫はしているので、本気の戦闘で負けることは当分先、と思いたい。

 この辺りの教育はリヴェリアとガレスのお陰だろう。正直無い物強請りをしているのなら今ある手札をとことん見つめ直す方が合理的、とこの年齢で判断できる程度には扱かれた。

 見たところ他の4人はそこまでやられてないらしい。

 ――フィン、英才教育にしても程度があるんじゃないかな……。

 暗に後継者指名してくれるのは嬉しいが、あの地獄の日々は思い出すだけで目から光が消えていくくらいには、トラウマになっている。

 「……オン、シオン! ちょっと、何か目が死んでるけど大丈夫?」

 「問題ないよ。指示だってちゃんとしてるだろ?」

 「意識がどっかにトンでるのに指示だけはちゃんとできるっていうのもどうかと思うんだけど」

 そこは知ったことじゃない。

 気づけば12層に到達していた。無意識って怖い。

 そもそも8層を超えた辺りから記憶が無い、と言ったらキレられそうなので、黙っておく。正直は美徳にならないのだ。

 遠方に見えたインプを投げナイフで打ち落とす。実力的に見れば雑魚とはいえ、ダンジョン内でボーッとするなど自殺行為だ。

 意識を切り替える。

 と同時に、全員が背筋を伸ばしたのは気のせいか。

 それを気にする間もなく、ダンジョンからモンスターが湧き出す。先ほどインプを落とした方向からも敵が来る。

 「乱戦準備。ベートはうざったいインプを最優先。余裕があったらオークを。ティオナとティオネはハード・アーマードを斬れ。アイズはオーク」

 矢継ぎ早に指示を出したら、自分はシルバーバックに突っ込む。運良く数は三体と、そう多くない。一体は通り過ぎる時に胴を一閃。もう一体はシオンを無視してアイズに向かおうとしたため、即座に通せんぼし腰にあった短剣を心臓に突き刺す。

 その間に一回転した視界で状況を判断。ベートは気にしないでいい。ティオナはともかくティオネは湾短刀という武器のせいか、若干手間取っているようだが、大勢に影響はない。

 肝心のアイズは、意外と普通にやれていた。オークは『力』が高く、一撃の威力は相当高い。がしかし、一時期シオンが刃引きしていない剣で急所を狙う、という行動をした結果。

 威力が高かろうが低かろうが、当たり所が悪ければ死ぬのは一緒だから怯えても無駄、という刷り込み――ではなく、恐怖の克服ができた。

 オークの攻撃自体は遅いため、アイズの表情を見る限りむしろ余裕そうだ。

 ――あ、股下に剣が……。理解してやって、ないみたいだな、アレは。

 何故か武器を手放し膝をつくオークを不思議そうに見やり、そのまま剣で脳を突き刺す。結構容赦無かった。

 『グルゥァ!』

 「おっと」

 残った最後のシルバーバックがシオンを襲う。焦らず剣で攻撃を逸らす。

 見たところ後一、ニ分で敵は全滅できる。それならちょうどいい。

 「少し、遊んでもらうぜ」

 『グ、ガァゥ!』

 言い方が悪かったのか、シルバーバックの顔が歪み、吠え声を返される。

 突進してきたシルバーバックは、しかしいきなり目の前で止まり、その反発を利用してグルンと縦に回転する。両腕の爪による切り裂きと、両足の踵による踏み潰し。まるで車輪のような高速回転だが、焦らず横にズレればいいだけのこと。

 ただ若干方向を修正されたので、プロテクターで受け止める。

 ギャリギャリギャリッ! という異音に顔をしかめ、次いで腕にかかる衝撃に足を踏ん張る。けれど、どうしてかその衝撃をどうとも思わなかった。

 オッタルから食らった、あの攻撃。

 アレと比べると――そもそも比べるレベルでさえ無いが――どうにも弱い。ただ、この一撃でよろめいたのは事実。

 『ガッ!』

 シルバーバックは足を地につけると、体を捻って拳を放つ。それに対し、片足だけ曲げて、即座にジャンプ。側転しながら、その腕を躱す。一歩間違えれば頭を殴られていただろうが、タイミングは測っていたので問題なし。

 その気になれば側転状態から反撃できたが、しない。目的は『遊ぶ』事であって、コイツを『殺す』事ではないのだ。

 さて次はどうしようか、と剣をクルクルと回す。

 それを余裕の表れと思ってのか、シルバーバックの苛立ちがどんどんと増していく。

 「おいシオン、いつまで遊んでんだ。さっさとそいつ殺しやがれ」

 と、魔石と、あればドロップアイテムの回収が終わったのか、ベートが声をかけてくる。その顔にはどうして殺せるのに殺さないのかと疑問が浮かんでいる。

 バックステップで距離を取りつつ、視界を回転させて誰がどこにいるのか把握する。本当に全員終わったようで、残るは自分だけのようだ。

 「……なら、いいか」

 そうポツリと呟いて、近づき腕を伸ばしてくる敵を見据え。

 その攻撃を受け流し、そこからシルバーバックに近づき、トン、と軽く押す。攻撃が持続したままのそれが、()()()()()()()向かっていった。

 「――え?」

 目の前に迫った拳が、アイズの視界を埋め尽くした。

 

 

 

 

 

 ほぼ反射的にアイズは体を投げて回避する。

 頭の上を撫でる風を感じながら、尻餅をついた瞬間後転して起き上がる。その時にはもう既にシルバーバックも体勢を整えていたが、何か、あるいは誰かを探しているかのように周辺を見渡している。

 けれど、お目当ての物が見えなかったからか、シルバーバックは怒りを宿した目をアイズに向けてきた。

 ――え、待ってもしかして。

 とばっちりを食らった、という事になる……?

 そろそろと視線をシオンに向けると、ニッコリと笑顔を返してきた。

 ――頑張れアイズ。

 ――無理無理無理だよぉ!?

 圧倒的に【ステイタス】で負けている。思わずシルバーバックの顔を見上げると、その威容に圧倒された。

 「ア、アハハ……」

 知らず引きつった笑みが浮かんでくる。

 「ごめんなさいちょっと時間を――」

 『ギュルガァ!』

 「くれないよねイヤァァァッァァァアアアア!??」

 背を向けて走るアイズに、容赦無くその丸太のような腕を振るう。

 それを必死に避けているアイズを見ながら、シオンは3人のところに戻った。と同時に、ティオナが言う。

 「えっと、助けなくていいの? あの子の【ステイタス】じゃ厳しいんじゃ」

 「まぁ、確かにアイズの【ステイタス】は魔力以外を除いて平均100を超えた辺りだっけ? いやでもウォーシャドウとかと戦ってたんだし、少しは伸びてるか……?」

 それはそれとして、と言って顔をあげ、何か変な顔をしているティオナに言う。

 「むしろどうして助けると思ったんだ。おれがけしかけたのに」

 「だよねー」

 あっさりと返されてしまっては、ティオナとしても何一つ言えない。ティオネもこのやり取りを見て説得する気力を失ったようで、肩を竦めるだけだった。

 ベートは元から放っておくと決めているようで、壁に背を預けていたが。

 シオンが助けないのなら3人の内誰かが助ければいい、と思うかもしれない。

 だが、信じていたのだ。

 こうする事に、きっと意味はあるのだ、と。

 スパルタすぎる、と思いながらもアイズとシルバーバックを見ているだけなのは、その想い故だった。

 アイズとシルバーバックでは『敏捷』に差がありすぎて、ただ逃げるだけでは簡単に追い詰められる。右に左に小刻みに動いて、わざと相手に空振りを誘発させる。その隙に距離を取って逃げるを繰り返す、くらいしかできる対応が無い。

 けれどその動きにも慣れ始めたのか、シルバーバックは時折フェイントを混ぜるようになった。そうなるともう、アイズはただただ翻弄されるだけ。

 無理して避けた瞬間、アイズの足が曲がり、地面に片膝をついてしまう。

 「しまっ――」

 『ガッ!』

 顔を上げると、正面に爪。逃げられない。先ほどのように体を投げ出す暇さえ無い。

 ――せめて、真正面からは。

 爪に合わせるように手甲を掲げる。火花が散ったかと錯覚するような音が目の前で響く。肩に力をこめて一瞬耐え、その後すぐに腰から下を動かし、横に飛ぶ。

 シルバーバックの爪を受けて生じた衝撃と、飛んだ勢いで傷を避けた。しかし受身は取れなかったせいで地面を何度か転がるハメに。

 痛みを堪えて立ち上がると、全身土埃に塗れていた。怪我してないかと見渡し、ふと気づく。

 「……ッ!」

 元々追い立てられ続ける理不尽に、怒りはあった

 「……ない」

 だが、何よりも。

 「絶対、絶対に」

 手甲に付けられた、鋭い爪で引っかかれたような痕。

 「絶対に――許してやらないんだからぁ!」

 シオンから貰った、初めての贈り物(プレゼント)

 それを傷つけた相手を許すだなんて、絶対にできない。

 ――【ステイタス】の差? 体格の差? 何それ、()()()()で退く理由になる?

 スッとアイズの眼が細まり、視界の中心にシルバーバックを収める。ヒュンと剣を一度振って体調を確認。

 特に怪我をしていないとわかった。多少疲れはあるが、戦闘に支障は出ないだろう。

 この瞬間、彼女の中にあった覚悟が燃え広がる。

 ――私は今日、初めて『冒険』する。

 自分より格上の相手に、アイズは一歩、踏み出した。

 シルバーバックからすれば遅い歩み。だが今まで逃げ惑う一辺倒だっただけの獲物がいきなり反撃してきたのは、微かな動揺となった。獣の本能で距離を測るため数歩下がり、それから一気に駆け出した。

 伸ばされてきた腕。それに対しアイズはその場で急激に停止し、一歩分横にズレる。自身の真横を通る腕を冷静に見つめ、そして恐らく肘になるだろう部分に剣を突き刺し即座に切り裂く。

 痛みに呻くシルバーバックを冷徹に見つめ、未だ近くにいる敵の足を攻撃。流石に上手くはいかなかったが、小さな傷がつけられただけでも儲け物。

 アイズは剣を構え直し、シルバーバックと相対する。

 恐怖はない。シオンを相手にとことん追い詰められて――それこそ本気で泣く寸前まで――きたせいか、たかだか図体がデカくて多少自分より強い相手でも、ああ、そう、としか思わなくなったのだ。

 「……おいシオン、一つバカな事聞くがよ」

 「なんだ。悪いが生返事になるかもしれんぞ」

 「アイズとテメェ、兄妹、とかいうオチはねぇよな?」

 その質問に、思わずベートの顔を見る。正気か、と言いたげなシオンの顔に、ベートはふんと鼻を鳴らし返してきた。

 しかし意外な事に、横合いから飛んできた声が同意してきた。

 「そうね、ありえそう」

 「ハァ!? ティオネまで?」

 「いや、うん。私もそう思うよ」

 「ティオナもか。髪も目も顔の形まで違うのに兄妹とか無いからな? 父親が同じとか、そういうオチも無いからな?」

 言ってから、ありえない話ではない、と思ってしまったのは忘れておこう。両親の顔すら覚えていないシオンにとって、そもそも兄弟姉妹がいるかすら定かではないのだし。

 けれど、今回は少し事情が違った。

 代表して、ベートが言う。

 「アイズのあの『眼』なんだが……テメェとそっくりすぎだ」

 「え? ……いや、ちょっと待って。もしかしておれの眼って、あんなに鋭いの!?」

 ――気づいてなかったのか……。

 思わず3人の心が重なったが、実際似ていたのだ。シオンに聞いてしまう程に。

 敵を冷徹に見据え、下手するとゴミを見るかのような瞳。それに見つめられると背筋を伸ばしてしまいそうな、言い換えれば『凄まじく目つきが悪い』状態。

 ダンジョンにいる時の、いわゆる本気シオンと、目の前にいるアイズが重なる。

 アイズが再び動き出す。応じる様にシルバーバックも動いた。けれどその動きは鈍く、片腕を庇うようにしているし、何より走り方が変だ。

 「……ああ、脹脛(ふくらはぎ)か」

 どうやら先ほど斬られたのはそこのようで、足に力を入れるのが難しくなっているらしい。速度で勝っていたはずのシルバーバックが、一つの、いや二つの武器を取り上げられた形になる。

 もちろんアイズはそのわかりやすい弱点を狙わないはずはない。剣をゆらゆらと動かし、少しでも隙があれば狙い撃つ姿勢を崩さない。

 自然消極的な動きになるシルバーバックに、アイズは小さな傷を積み重ねていく。

 一つ、二つ、三つ。決して大振りな一撃は入れない。あくまで小振りで、ジワジワと追い詰めていくだけだ。

 ――忘れちゃダメ。

 煮えくり返るような怒りの中で、冷静な理性が呟く。

 ――私よりシルバーバックの方が、強い。一気に終わらせようなんて考えないで。

 あるいは『魔石』という、人間でいう心臓や脳に位置する部分を壊せれば別かもしれない。だがここで知識不足が足を引っ張って、アイズはこのモンスターの魔石のある場所を知らなかった。

 だからこそ、小さな傷を入れ続けるのみ。

 ――私がシルバーバックに勝ってるのは、剣技だけ。だから、ひたすら速く!

 鋭い一撃を、叩き込み続ける。

 五分か、十分か。あるいはもっと。

 アイズの目の前に、血だらけになった状態で膝をつくシルバーバック。荒い息をあげて、それでもその眼に宿る殺意は薄れようとしない。

 小さく歩むアイズに、シルバーバックは叫んだ。

 『グ、ギュガアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァアアアッッ!!』

 後先考えない、最後の一撃。

 アイズは敢えてそれを避けず、『その一撃』ごと相手を切り裂いた。例え全てを賭した一撃であろうと、傷つきすぎたシルバーバックの拳は、弱かった。

 「ハァ、ハァ、ハァ、フゥ……スー……ハー……」

 遅れてやってきた息の乱れを、何度か深呼吸して整える。

 それからシオンを見て、どうだった、と視線で問うと、満面の笑みを返された。どうやら合格を得られたらしい。

 警戒心を残したまま弛緩する。しかし、すぐにドンッと何かに抱きつかれた。

 「え、な、何!?」

 「凄い、すごーい! まさかシルバーバックに勝っちゃうなんて! 私だったら無理だったろうし、本当尊敬するよ」

 「テメェはまず力任せの戦い方をやめれば少しはマシになるだろうよ。……まぁ、よくやったんじゃねぇのか」

 「無理じゃない? むしろ考える方が弱体化しそう。おめでと、まさか本当にシルバーバックを倒すだなんて思ってなかったわ」

 「あ、えっと、その……ありが、とう」

 手放しに褒められて戸惑うアイズ。気恥ずかしくて顔が赤くなっているような気がする。4人の様子に苦笑をこぼしていたシオンもアイズに言う。

 「何ていうか、アイズを諌めていた意味があったのかって思うよ。強くなったな」

 違う、と言いたかった。

 アイズが勝てたのは、シオンからひたすら教えられたのと、この鎧と剣のおかげだ。鎧が無ければ腕を持ってかれただろうし、この武器が無ければ相手の『耐久』を上回る一撃なんて到底与えられなかった。

 何より1人だったのなら、きっと諦めていた。シオン達が見ていたから、諦めず、同時に安心感を覚えながら戦えたのだ。

 けれどそう言う間もなくいつの間にか4人は準備を整えていた。ダンジョン内で一箇所で話し続けるのは愚策だ、と言って。置いてかれないよう、アイズも必死についていくしかない。

 そうして歩いている最中、ふとシオンが言った。

 「よし、それじゃ今から『中層』行くか」

 「「「「…………………………」」」」

 空気が、凍った気がした。

 「おいシオン、今『中層』に行くって聞こえたんだが」

 「ああ、間違ってないぞ? そもそもさっきアイズをシルバーバックと戦わせたのは、その前哨戦みたいなもんだし」

 「詳しく説明してもらいたいところなんだが?」

 「後でな。少なくとも『中層』行ってからの方が話が早い」

 ベートの言葉を一蹴して、シオンはアイズに向き直って聞く。

 「アイズ、行けるか? 本当に厳しいのなら今日は終わりにするが」

 確かに、シルバーバックを相手取ったのは辛かった。

 でもそれ以上に、あやふやだった自分の道が明確にできたのは嬉しかった。アイズは『力』を使った剣ではなく、手数によって敵を倒す『速さ』の剣士なのだと。

 「ううん、大丈夫。私、頑張るよ。……お兄ちゃん」

 興奮で赤くなった頬で上目遣いをするアイズは、目眩がするほど可憐だったが。

 「「「……お兄、ちゃん?」」」

 ――最後の一言は、余計だった。

 ベートはまだいい。純粋に疑問に思っているだけだから。

 ただ、姉妹はダメだ。

 面白いものを見た、と言いたげなニヤニヤとして笑みを浮かべるティオネと、何故か戦慄し焦燥の顔をしているティオナを放っておいたら、余計なトラブルの種になる。

 「アイズぅ……」

 「……ごめんなさい」

 先ほどとは別の意味で顔を赤くするアイズを見ては、怒れもしない。そもそも好きに呼んでいいと言ったのは自分なのだから、身から出た錆である。

 『中層』に行く前に、まずはこの状況をなんとかするのが先のようだ。




今回はちょっと甘えんぼなアイズを描いてみた! 原作の無表情さとは正反対にコロコロ感情変えさせたいから色々やるのだ!

ティオナとアイズの可愛らしい嫉妬する姿も……いやまぁこれはどうしよ。現時点では書こうとしても頭の中ですら案が無いから没にするかも。

さて毎回恒例解説を

・アイズの武具
先日の閑話の時に作成を依頼した。ちなみにあの後シオンとティオナは北東→北→北西と回って商店街を覗いてきちんとデートしていた、という裏設定。
武具の選択はあくまでシオンが行ったため、『シオンが感じたアイズのイメージ』を元にして作られている。

・シオンの貯蓄
アイズが七〇万ヴァリスと予想したが、実は一〇〇万を超える貯蓄があったり。コンビやらソロで潜ってたら自然と貯まる模様。
顔良し性格良し年齢に反して強く、趣味が無いため散財はしない。加えてあの恋愛観、重すぎるというのは一途とも取れるため浮気もしない可能性大。
――アレ、何か超優良物件?
自分で書いておいて何だけど完璧超人? 隠れた地雷除けば。

・アイズの『冒険』
キレるとシオンと同じ眼が鋭くなるのは仕様である。
アイズの剣は原作の【ステイタス】で大体予想できる。『力』と『耐久』が低いけれど『敏捷』と『器用』が高いから、ティオナみたいな一発重視ではなく手数重視と判断。
シオンが無理矢理格上と戦わせたのにはちゃんと理由があるけど、前述した通り理由は次のお話にて。

次回も引き続きダンジョンダンジョン予定。
初『中層』ですけど、そこまで複雑にはしないかな。擦り付けられるとか。
後文字数次第ですけど原作組から新たに1人登場。誰かわかるかな? お楽しみに!


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『中層攻略』

 「『中層』に行く前に、一度隊列を組み替える」

 どこか疲れた様子でシオンが言う。何とか姉妹を宥めることはできたが、かかった時間と労力は押して図るべし。

 「前方にティオナとベート。中央におれ。後衛にティオネとアイズ。……おれが常に指示を出すから、これはあくまで初期配置になるけど」

 言い終えると、ティオナが首を傾げた。

 「私はわかるけど、ベートが前方って珍しいね。いつもは中央なのに」

 「アホかテメェ。中層から何が出んのか忘れたのか?」

 「あ、そっか。うん、今のは私がバカだった。何でもない」

 アイズにはよくわからないやり取り。しかし当人同士は納得したらしいので口を挟めず、そのままシオンが続けた。

 「おれの説明はいらないな。後衛のティオネとアイズだけど、はっきり言うと奇襲対策だ。最初の内は後ろの警戒をする必要はないが、ある程度進めばそうする必要がある」

 「付け加えると、比較的安全な後方なら【ステイタス】に若干不安のあるアイズが危険に晒されないから、でしょ?」

 「いやまぁそうなんだが、はっきり言わないでくれるとありがたいんだが」

 「どうしてよ? 事実なんだからはっきり言えばいいじゃないの」

 顔を赤くして目を逸らすシオンは気づかない。

 ティオネが底意地の悪い笑みを浮かべてシオンと、次いで本音を聞いて嬉しそうに両手でグーを作るアイズを見ているのを。

 「うぐぐぐぐぐ……!」

 「……大丈夫なのかよこのパーティ」

 それから歯軋りするティオナと、一番遠くから呆れ果てているベートもいたが。

 話しながら13層へ続く下り坂を降りていく。視界の先には今までの軽く整備されてきた道とは違う、全てが固い岩盤で形成された少し幅が増えた通路が広がっている。ところどころに灰色の岩石も転がっており、戦闘の際には注意しないと転びそうだ。

 湿った空気も何かを想起させてくるようだが、生憎と知識になく、わからない。

 「なんか、山の中にある洞窟って感じがする」

 ポツリとティオナが呟く。全面的に同意するが、実際はダンジョンの中にあるのだから、ここの仕組みは謎だらけだ。

 「13層から先は最初の死線(ファーストライン)って事で有名ね。光源が足りないから、奇襲には注意しないと」

 後衛として気合を入れ直すティオネを見て、アイズも『なぁなぁ』ではダメだと、先ほどのシルバーバック戦を思い出して警戒心を叩き起こす。

 「一番面倒くせぇのは縦穴だな。落ちたら階層飛ばしだ。戻るのも一苦労だぞ。シオン、こっから先のマップは覚えてんのか?」

 「知識だけあってもって感じだ。頭の中で立体的な組み立てができたとして、自信を持ってこっちだとは言えないな」

 付け加えれば、必死になって覚えたマップが間違っている可能性もある。やはり実際に体験しないとわからない事は多い。

 ベートもその辺りは理解してくれてるのか、仕方ないと割り切っていた。

 「……私、今回でダンジョンに潜るの二回目になるけど、『上層』とは全然違うんだね」

 暗に、どうして中層に来たのかとシオンに聞いているアイズ。全員の視線が集まる中、シオンはどうしてか荷物を下ろすと満面の笑みを浮かべた。

 「じゃーん! これ、なんでしょーか!」

 シオンが広げたのは、光沢の強い、派手な赤い生地。風になびいて揺れる程に薄い作りで、傍目で見ても重さが感じられない。

 名称『サラマンダー・ウール』と呼ばれる『精霊の護符』の一つ。精霊の魔力の編みこまれている特殊な効果がついたローブで、『サラマンダー』の名の通り、炎属性に対し高い耐性を誇る布。それが五着。

 付け加えると、恐らくローブの下に着る用だろう、踊り子風の服が二着、インナー三枚にパンツが二枚、スカート一枚。

 どんどんと取り出された物の内容に、アイズ以外の3人の顔が引き攣る。

 「待て、シオン。これ用意するのにいくらかかった……?」

 「うわ凄いよティオネ。裁縫技術かなり高いみたい」

 「どれ一つとして手抜き無し……どうやって揃えたのこれ。『精霊の護符』って確かすっごく高いんでしょう!?」

 3人の様子を見てアイズも大雑把ながら状況を把握したのか、恐る恐るシオンを見る。質問しようとしたアイズは、しかしいつの間にか手甲やら胸当てやらを外して着替え始めていたシオンの体を見て、アイズは硬直した。

 「え……あうぅ……」

 年齢に反して少ないとは言え筋肉のついた体。親の遺伝か、薄い明かりでも真っ直ぐ目に入る白い肌は、女と見紛う程だ。細い手足もあって、本当に戦う人には見えない。

 「……ん、どうしたアイズ?」

 着替え終え、真っ赤な上下の服を整えながらアイズに言う。ポヤーっとしていたアイズはハッと我を取り戻すと、ギャイギャイ賑わってる姉妹と戦慄しているベートを横目に、小さな声でシオンに聞いた。

 「この、えっと、『サラマンダー・ウール』? 大体どれぐらいしたの?」

 「フィンから渡されたクーポンと、十三着同時購入で割り引いて貰って六九万ヴァリス。本当はもうちょっと値切れそうな気もしたけど、次回利用がしにくくなるから諦めた」

 「ろくじゅ……」

 提示された金額に、アイズが固まる。ついでに騒いでいた3人も固まった。どこからそんなお金を引っ張ってきたのかと考えて、そういえば、と思い出す。

 ――シオンって、貯金が七十万以上あったはずだから……。

 買えなくは、ない。全財産を吹っ飛ばす覚悟があれば。

 「ああ、パーティ資産には手を付けてないから大丈夫だよ。おれのポケットマネーだ。気にしないで着てくれ」

 ――気にするわ!

 と、珍しくアイズまでもが同意して4人心中で叫んだが、シオンはもうそれ以上言う気は無いらしい。『サラマンダー・ウール』を手渡してくる。

 ここはまだダンジョン。口論していればそれだけ隙を晒し続ける。それはわかっている、のではあるが。

 「……これ、どこで着替えればいいのよ?」

 ティオネの純粋な疑問に、今度はシオンの時が止まった。

 サプライズにかまけて純粋な問題をド忘れしていたアホがいるようだ。シオンとベートは男だからまだ気にしないだろうが、ティオナ、ティオネ、アイズの3人は女だ。こんなどこに人の目があるかもわからない場所で脱ぐような酔狂な感性は、生憎持ち合わせていない。

 どうすんのよこれ、と渡された踊り子風の服を胡乱気に揺らしていると、

 「……や、やらかした――!」

 シオンがガックリと項垂れていた。どうも完全に何も考えていなかったらしい。何となく、アイズは『通常時のシオンはアホだ』と言われている理由の一端を悟った。

 「シ、シオンからの贈り物だし……私は――!」

 「やめなさいティオナ」

 目がグルグル回りだしているティオナを一括してから、ティオネは手元の服を数秒見つめ、ふぅと溜め息を吐いた。

 「見苦しいけど、服の上から着れば何とかなるかしら」

 どうせローブを被るのだ。多少の違和感は黙認するしかないだろう。そう諦め、彼女は今着ている服の上に『サラマンダー・ウール』を纏う。元々薄着なのもあって、そこまで着心地が悪くなかったのは上々。

 「どうせシオンの事だし、ローブだけだと不安だったんでしょ? 炎は気体だからローブで防ぎきれるかわからないから」

 「……全部お見通しか」

 少しでも火傷を防ぐために、ローブ内部にもう一つ保証が欲しかった。それが自分達の命を守るためだとわかっているから、ティオネも大きく出れない。

 わざわざ服が違うのだって、アマゾネスという種族を考えてだろう。できるだけ服の面積を大きくするために、許容できるギリギリを選んだのだ。

 がしかし、置いてけぼりの人間が1人。

 「ねぇ、一つ聞いていい? そもそもなんでこれ買ったの?」

 「これが必要なモンスターが出てくるからだよ」

 「話を聞くだけでも厄介そうな相手が、ね」

 そう、つまり。

 ()()()()()()()()()()()()ような攻撃を使うモンスターが、13層から存在する、という事だ。

 「13層から出現する『ヘルハウンド』……別名『放火魔(バスカヴィル)』としても知られている。上層とは違う高い身体能力も厄介だけど、何より注意すべきは口から発射される炎の息吹だろうな」

 アイズの着てる鎧なら蒸発されて終わるくらい高熱の炎だし、と言うシオンの横顔は、冗談とか洒落とかが一切含まれていなかった。

 つまり、そんな言葉が吐き出せるような生易しい相手ではない、ということ。『サラマンダー・ウール』が無ければ全滅も覚悟しなければならないような、そんなモンスター。

 アイズは急いで鎧を脱ぎ、服の上から『サラマンダー・ウール』を着る。この場で最も危ないのはアイズというのは、自分が一番よくわかっている。

 「ベートを前衛にしたのは、ヘルハウンドがいるからだ」

 「わぁってるっての。アイツが出たら他のモンスターより先に殺せって事だろ?」

 「ああ。ベートの動きがパーティが全滅するしないの境目だ。……できるか」

 「舐めんな。狼だぞ、俺は。たかがヘルハウンド(犬っころ)、噛み千切れねぇでどうする」

 不敵な笑みを浮かべるベートに、緊張なんて言葉は縁遠い。後はシオンが信じきれるかどうかでしかない。

 ――こいつなら、やってくれるだろ。

 全員がそれぞれ、ローブも含めて『サラマンダー・ウール』を纏ったのを見て、シオンは言う。

 「中層は上層と違う。あっちは武器を投げつける程度しかしなかったが、ここから先は明確な遠距離攻撃を使ってくる。今までみたいな戦い方は通用しない。――おれだけじゃない、自分でも考えて行動してくれ! ……アイズには、悪いけどな」

 「ううん、大丈夫。無理はしない。できる範囲で、できる事をやるよ」

 そう、シオンにできるのは信じること。

 「それじゃ――『中層攻略』、行くぞ!」

 「「「「おう!!」」」」

 

 

 

 

 

 「シオン、前から敵が来たよ! 多分一角兎(ニードルラビット)……の、強化モンスター!」

 「数は!」

 「多分十五匹だ! もう少し距離が詰まったら先駆けするぜ!」

 多い、と思いながら前方を見つめる。

 単純計算1人頭三匹になる。いきなりこの数とは、ちょっと運が無かったかもしれない。ただ腕試しにはちょうどいい。

 ティオナの言葉が正しければ、敵は恐らく『アルミラージ』だ。

 兎のような外見を持ったモンスターだ。通常の兎と違うのは、その額に生えた一本の角。体格は大体自分達よりちょっと大きいくらい。

 そこまでは一角兎と変わりないだろうが、彼らが一角兎と明確に違う点は、後ろ足で立つ、つまり二足歩行していることだ。

 実際彼らの姿を見ると、概ねシオンの知っている内容通りだ。

 「……可愛い」

 「見た目と違って中身は可愛くないけどね」

 その愛くるしい姿をポーッと眺めるアイズの頭を叩いて再起動。ティオネとしても可愛いのは同意したいが、だからといって見惚れるのは危ないのだ。

 そう、アルミラージは見た目と裏腹にかなり好戦的なモンスターで、現にこちらを視認すると手近にあった大岩を砕き、即席の石斧(トマホーク)を取り出した。

 天然武器にも限りはある。全員が装備できた訳じゃないが、半数が武器を持っているだけでも十分脅威だ。

 アルミラージは中層でも比較的弱い部類に入る。敏捷についてはシルバーバックすら上回っているくらいだが、逆に言えばそれだけだ。

 厄介なのは、ただ一点。

 「相手は『集団戦』に強い――連携の練度が勝負の決め所だ! 行くぞ!」

 どちらの『集団』が優れているのか。

 人間の雄叫びと、魔物の鳴き声。

 それをぶつけ合いながら、彼らも己の体を削り始める。

 「まず一匹貰うぜ!」

 グッと体を沈め、ベートの体が掻き消える。Lv.2になり、それからずっと走り回っていたベートの『敏捷』はもう500代を超えている。アルミラージの動きを上回る速力に戸惑う彼らの内、前の方に居た武器を持つ一匹の心臓を貫く。

 『キュウ!?』

 『キィ、キュ! キッ!』

 驚きに声をあげながら、しかし仲間意識が強いのか、彼らの目に怒りが宿る。数匹がベートに向かって殺到するが、彼は冷静にアルミラージを見つめる。

 離脱はできない。アルミラージを屠った代わりに、全速力の一撃は相応の硬直をもたらした。その場に縫い付けられたかのように動かないベートは自身に迫る斧を見つめ、

 「……ハッ」

 薄く笑い、軽々と避ける。一発、二発、敢えてベートはアルミラージに近づいて仲間殺しを誘発させようとしていた。決して止まらないベートを捕まえられず戸惑うアルミラージ。

 ベートの役目はあくまで遊撃手。必ずしも倒す必要は無い。

 要は、その場で敵を引き付けられればそれで十分なのだから。

 「私も行っくよー!」

 眼前を埋め尽くす敵を前に怯まず大剣を構え、足を踏み出すティオナ。振りかぶれられる石斧を敢えて避けず大剣で受け止め、そのまま全てを斬り捨てる。

 「うん、問題なし。私の『力』なら武器ごと斬れる!」

 一撃で決着を付けられ、援護にすら回れなかったアルミラージはそれでも前と左右からティオナに向かって殺到する。右から無造作とも言える石斧の振り下ろし。ティオナはそれを後ろに下がって回避し、同時に左側からの拳をいなす。

 それでも躱しきれるのは二匹まで。最後の一匹は哄笑を浮かべてティオナへと凶爪を振るう。

 「……ま、させないけどね」

 ――トスン。

 それは、とても小さな音だった。

 『キュイイイィィ!?』

 ティオナの後方から飛来した、一本のナイフ。それは容赦無くアルミラージの眼に突き刺さり、その視界の一部を奪った。両手の指と指の間に挟んだ計八本のナイフを弄びながら、ティオネは次なる獲物を狙う。

 『キィ!』

 後方支援をするティオネを危険と判断したのだろう。眼を抉られたアルミラージが吠え、次いで残ったアルミラージがティオネに向けて走り出す。

 「アイズ、ティオネと一緒にアルミラージを倒してくれ!」

 その壁となるようにシオンが彼らの前に立ち塞がる。視界の端でティオナが視界を塞がれたアルミラージを倒しているのが見えた。

 「おれも、負けてられないよな……!」

 ベートには劣るが、シオンの速度だってアルミラージを上回る。軽く地面を蹴って移動し始めた時には、もうアルミラージの前にいた。

 『キュキュキュ!』

 しかし何度も同じことをしすぎたらしい。アルミラージは冷静にシオンの剣を見て回避すると、反撃してきた。

 「――甘いんだよ」

 キン、という音とともに、アルミラージの腕が吹き飛ぶ。そこに走った激痛を知覚し膝をついた瞬間、その首が吹っ飛び血が吹き出てきた。率直に言ってグロい。

 それでも怯まず二匹のアルミラージがシオンの前後に移動する。後の二匹は行ってしまったが、追いかけるにはこの二匹が邪魔だった。

 「まぁ、いいか。出会い頭の一匹削りは成功してるんだし」

 『相手の方が数が多い時には、必ず最初の接敵で一匹削る』――杜撰な考えだ。しかし数の暴力に対処できる方法の一つでもある。

 実際今ベート、ティオナ、シオンとの接触で三匹、途中ティオナがもう一匹削ったため、生き残っているのは十一匹。それもベート三、ティオナ、シオン、ティオネとアイズがニずつ受け持っているのが現状だ。

 ――残ったニ匹がこっちで言うベートの役割か。

 警戒は向けておく。だがこのまま順当に行けば、特に問題はないだろう。

 なにせ、ここにいるのはアイズを除いた全員が『Lv.2』という存在。今までは『サラマンダー・ウール』という物が用意できず来れなかったが。

 戦力的な意味で考えれば、シオン達は()()()()なのだから――。

 「緊張してる?」

 「ううん、大丈夫。行けるよ」

 そう言葉を交わして、アイズはティオネの前に出る。その体に過度な緊張はない。あくまで自然体、リラックスした状態だ。心配する必要は無いだろう。

 まだアイズには出会い頭の一殺しはできない。ティオネのフォローは必須だ。

 ――あ、隙発見。

 ベートの相手をしているアルミラージの一体が意固地になっているのか、ベートだけしか目に映ってない。

 ――はい、援護しとくわよ。

 声は出さない。静かに、ナイフを『置きに』行く。アルミラージの絶叫を耳にしながら、もうすぐ傍まで来た敵を注視する。

 アイズが剣を構え、アルミラージが石斧を持つ手に力を入れて。

 ――その石斧を、『ぶん投げた』。

 「え!?」

 ほとんど反射的に剣で受け止めて、アイズは失策をしたと理解した。

 もう一匹のアルミラージが全速力を維持してアイズに突っ込んでくる。手に武器はないが、その額にある角は十分鋭い獲物だ。このままでは石斧を防いだ衝撃が抜けないまま、腹に風穴が開く一撃を貰う事になる。

 「まったくもう、中層からのモンスターは面倒くさいわね」

 そう言って、いつの間にかアイズの前に立っていたティオネが湾短刀を構え、防御する。交差した湾短刀で受け止められた角を一気に真上に押し上げ、その勢いに乗ってアルミラージの体が宙に浮いた。

 「ほら、アイズ」

 「ありがと!」

 ティオネが横にズレると、アイズがガラ空きの胴体に突きを入れる。先ほどのベートの攻撃で魔石のある位置は大体わかっている。後はそこを突けばいいだけだ。

 自分達の受け持ちは後一匹。

 「新手、来るわよ」

 そこに、今まで戦闘に入るようで入らず周囲を走り回っていたアルミラージがアイズとティオネへ駆けてくる。やはりティオネの投げナイフはそれだけ警戒されているのだろう。彼らの目にはどこか必死さがあった。

 武器持ち二匹が走って来るのは中々迫力がある。剣を持ち直しているアイズに、ティオネは提案する。

 「私が二匹相手するわ。アイズは武器持ちのどっちかを相手して」

 「……。わかった」

 言いたい事はあったが、沈黙する。【ステイタス】と戦闘経験において、アイズがティオネに勝っている部分は何一つ無い。反論するだけ無駄だし、そんな時間も無かった。

 アイズは駆け出し、アルミラージを迎え撃つ。一匹は立ち止まってくれたが、もう一匹はそのまま横をすり抜けていった。

 ――脅威だと思われてない、か。

 この場にいる誰より弱い、そう判断されている。モンスターにそんな『知性』とも呼ぶべき物があるのか甚だ疑問ではあるが、そういう行動を取っているのだから考える意味は薄い。

 今はただ、目の前にいるアルミラージを倒すべき。

 「行くよ」

 『キィァ!』

 アルミラージが体当たりをしかけてくる。相手の方が素早いため、回避するのも困難だ。アイズはその場でしゃがんでスライディングし、アルミラージの『股下』を通る。蹴られないかと冷や冷やしたが、幸いそうはならなかった。

 グッと前に出した足で地面を掴み反転。彼の武器、機動力を奪うために足狙い。だがアルミラージもバカではない。己の一番の武器を理解しているからこそ、そこを守ろうとする意識はどこよりも強かった。

 アイズと同じく反転したアルミラージは石斧を地面に叩きつける。

 「……!?」

 その不可解な行動に瞠目したアイズは、アルミラージの真意を理解した。

 ――石が、邪魔……!

 粉々に割れた石と砂がアイズの目の前に広がる。このまま行けば石が体に当たり、砂が目に入るだろう。急停止するしかないアイズに、アルミラージは石斧を叩きつけた場所――即ち大岩のあった場所から新たに天然武器を確保する。

 どちらも怪我はなく、手放した武器もない。

 アイズとアルミラージの一騎討ちは、まだ終わりそうになかった。

 ティオネは二匹のアルミラージを前に、両手の湾短刀を向けながら言う。

 「さて、お守をする必要は無くなったし……そろそろ『全力』を出しても、いいかしらね」

 アルミラージの『ティオネが危険』という判断は、間違っていない。だが同時に、どうしようもなく間違っていた。

 ()()なのではない。()()と呼ぶべきだ。

 何故ならそれは、『シオンがティオネを前に出そうとしない理由』の一つだから。

 前後になった状態で来るアルミラージ。武器を持った方が後ろにいるという事は、前にいるのは陽動で、後ろの武器を投げたりしながら追撃できるのが本命か。

 「――小細工ご苦労様」

 ティオネはそんな彼らを笑い、手にした二本の湾短刀をあっさりと――投げた。

 『……キュ!?』

 投げられたのは、後ろにいたアルミラージ。一本目の湾短刀を回避するために減速、更に二本目を躱すために失速。それに戸惑う前方のアルミラージに近づいて角に触って。

 「いいわね、これ。私に()()()()()?」

 ボキン、という音がした。

 『キュイィイイィィィィッッ!?? キィィァアァアアアァァァ!?』

 余りの激痛に意識が飛ぶ寸前のような悲鳴を上げ、身悶えるアルミラージ。そんな姿を見てティオネが抱いた感想は。

 「あら、ここにちょうどいい台座が」

 手に持っていた折れた角を、アルミラージの額に突き刺す。グリグリと頭を掻き回し、ビクビクと震えるアルミラージを眺めながら、ティオネはただ笑っていた。

 「……もう死んじゃったの? 根性無いわねぇ」

 角から手を放し、ティオネは手を見る。ささくれだった角を持っていた影響か、その手は血塗れになっていた。

 しかしティオネはそれを一顧だにせず、残った武器持ちに目を向ける。

 『キュ!?』

 その瞬間、アルミラージが肉食動物に補足された草食動物のように震えだし、

 『キュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!』

 ……全速力で、その場から逃げ出した。

 「はい?」

 その予想外の行動に、ティオネの思考が止まり。

 「……に、逃げるなああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 慌てて自分の(えもの)を、追い駆け始めた。

 剣を両手で持ち、アルミラージの体を両断する。二対一程度ならどうとでもなった。一匹をいなしながらもう一匹を追い詰めるなど造作もない。相手が焦ってくれたのもあったが、ジワジワと嬲り殺しになったのはちょっと気分が悪かった。

 シオンには相手をいたぶる趣味など無いのだから。

 一応ベートとティオナを見るが、相手をしているアルミラージに少しずつ手傷を負わせているようで、特に手助けはいらなそうだ。それなら自分の方を先に終わらせよう。

 「それじゃ、次……ん?」

 『キュ、キュ、キィィィィィ!??』

 喉の奥から絞り出したかのような悲鳴が後方から聞こえてくる。どうにも気になって敵と自分の位置を調節した後、そっと後ろを見ると。

 泡を食ったように全力で走る、アルミラージの姿が。

 ――え、怯えてる?

 思わず驚愕するシオンだが、それでも体は動き出す。今走っているアルミラージは前傾体勢を取っていてシオンの姿など見えていない。だが、走る方向は自分の方、つまりこのまま行けばシオンの立っている場所に突っ込んでくる。

 それを先に察知したのはシオンを相手取っていたアルミラージ。石斧を振り回し、シオンの動きを阻害する。

 ――乗ってやるよ。

 シオンは、避けない。剣で相手の攻撃をいなし続ける。そしてそこに敵味方関係無く突っ込んできたアルミラージの角がシオンの腹に迫ってきて。

 ――ギャリギャリギャリリリッッ!!

 いつの間に取り出したのか、逆手に持たれた短剣が角とぶつかり、火花を散らす。その音と衝撃にアルミラージは我を取り戻し、このまま走れば自身の速度によって頭に短剣が突き刺さると理解すると、急いで減速を始める。

 ……それが、死神の鎌に刈り取られる行動だと、知らずに。

 「ばいば~い」

 似合わぬ口調で、笑顔のティオネがアルミラージの首を斬り飛ばす。それを確認せず、シオンの前に立っていたもう一匹を切り捨てた。

 「ありがとね、受け止めてくれて。あのまま逃げられてたら面倒だったわ」

 「……一体何をやったんだか。まぁいい、二人のフォロー行くぞ」

 「了解」

 気には、なった。

 なったが、世の中には知らなくていい事がある。

 ティオネの戦闘の仕方を知っていながら、しかし知らないフリをし続けるシオンは、目の前の戦闘に意識を向けることで、一旦全てを忘れることにした。

 シオン、ティオナ、ティオネ、そしてベート。

 この四人の連携を前に、元から『詰み』が見えかけていたアルミラージは、そう間を置かずに全滅した。

 そして残った一匹である、アイズの前に立つアルミラージ。

 仲間の全滅を知り、それでも一糸報わんと決死の覚悟でアイズを睨む。

 そんなアルミラージを、アイズは静かに見ていた。

 ――全身ズタボロになった、その兎を。

 確かにアルミラージは強かった。その素早さに翻弄されかけもした。だが、それでも、アルミラージはシオンの速度よりも劣っている。ならば、その程度の速度しか出せぬアルミラージを捉えられぬはずはない。

 シルバーバックを倒した経験は、確かな血肉となってアイズを支えていた。

 走る、駆ける。それぞれの動作で一人と一匹は交差した。

 ――キンッ、チッ。

 血を斬って、帯刀。アルミラージからの返り血を浴びる事無く倒しきれた事実に、アイズは両手を握って歯応えを感じた。

 「そっちも終わったか」

 「あ、シオン。うん、なんとかね。私だけでも倒せたよ」

 褒めて褒めてと言うアイズを素直に褒める。微かに安堵の息を吐いたのは、うまくいった事を喜ぶ証か。

 「まぁ、シルバーバックに勝てたんだから大丈夫だとは思ってたが」

 「え……?」

 アルミラージの魔石を回収しながら、シオンはそう言った。

 そう言えば中層に行ったほうが早いからと説明を後回しにしたのを思い出す。魔石を回収しながらこちらに聞き耳を立てる3人にも届くような声音でシオンは説明した。

 「実を言うとアルミラージを始めとして、【ステイタス】面だけで判断するならシルバーバックを全面的に上回るモンスターがすぐに出てくるわけじゃないんだ」

 あくまでここは13層『でしかない』のだ。12層からの続きであるこの階層は、確かにモンスター達に知恵がつき、攻撃方法も多彩となる。その上量だって違う。だが、それに対処できれば後は何も変わらない。

 「少なくともシルバーバックを倒せれば、中層から出てくるモンスターを相手にして戦える。サポーターっていう()()()()()()じゃなくて、1()()()()()として数えられる」

 そもそも13層はLv.2が1人と、できるサポーターともう1人の合計3人がいればある程度渡り合える程度でしかない。

 よっぽどのトラブルにでも見舞われなければ、Lv.2が4人のパーティならアイズがいても十分に守りながら戦える。

 だから、あんな無理をする必要はない。それは誰もが感じる疑問だ。

 「で、でも、そんな無茶しなくても、少しずつ戦っていけば」

 「それにアイズは耐えられるのか?」

 「――!」

 「チマチマと他の冒険者みたいに少しずつ強くなっていくのに、耐えられるのか。たった一ヶ月戦闘訓練をするだけで爆発した、お前が」

 言われれば、反論できない。

 当たり前だが【ステイタス】は戦わなければまず伸びない。アイズが戦い、その身で勝ち取れなければ意味がないのだ。

 だからシオンは、敢えて強敵と戦わせた。本来なら身の丈に余るモンスターを相手に、本人の才覚だけで上回らせる事で、強制的な【ステイタス】の底上げ(パワーレベリング)を図ったのだ。

 「……でもそれ、下手すれば死ぬわよ? その時はどうするつもりだったのよ」

 魔石を回収し終えたティオネが胡散臭そうにシオンを見るが、シオンはシオンでその問いを鼻で笑い返した。

 「おいティオネ、勘違いするなよ。誰がアイズに剣を教えたと思う? 誰があのシルバーバックの相手をしたと思う? ――戦力差くらい計算したさ。その上で『アイズが勝つ』と判断しただけにすぎない」

 そう、シオンは一月もの間アイズと手合わせし続けた。

 そしてアイズと戦わせる前に、シオンはシルバーバックの動きを軽く見た。

 彼我の戦闘能力を鑑みて、その上で行けると判断したにすぎないのだ。後はアイズの精神力次第だった。怯えていれば勝てないのは自明の理。その時は素直に介入するつもりだった。

 それに、とシオンは言うと、

 「仮に勝ったとしても、その後もちゃんと考えていた。余裕で勝てたのなら問題はない。普通に倒せてもな。ただ、ギリギリだったら今日は中層に来ないつもりだった。無謀な特攻をする程、バカなつもりはない。一番大事なのは、アイズの命だからな」

 そして見事、アイズは期待に応えてくれた、というわけだ。

 実際アイズは単独でアルミラージを倒せている。本来ならLv.1の中でも上位の能力値が無ければ倒せない相手をだ。これならこのまま戦い続ければ、上昇量は期待できるだろう。

 「理解できたか? できたのなら魔石を入れて次に行くぞ」

 「待って。次もアレだけの量が来たら辛いわよ。もう少し考えないと」

 「その必要はない。アレだけのアルミラージがここにいたのは理由がある。……多分、おれ達が来る前に逃げたパーティがいる。入れ違いだったんだろう」

 普通、十五なんて数のモンスターが一ヶ所に密集するのはありえない。ならば、それを引き連れた誰かがいるはず。

 そしてそんな事をするのは、冒険者しかいない。

 「だから、これから当たるとしても精々片手で数えられるくらいだと思う。慎重になるのは大事だけど、そこまで身構える必要もないよ」

 「そう、でも私は警戒を続けるからね」

 そう言うと、シオンは小さく笑って了解と返した。

 シオンがベートとティオナのところに向かうと、ティオネはアイズに向き直る。

 「……大体わかった?」

 「え?」

 「だから、シオンの考えが、よ。わざわざこうして目の前で口論してあげたんだから、覚えておかないと損よ? ()()()()()()()シオンも説明してくれたんだから」

 「私の、ため」

 「当然でしょ。あなたはまだまだ経験が足りない。だったらせめて、知識だけでも増やさないとダメでしょう。ちゃんと覚えておきなさい」

 ポンポンとアイズの頭を叩くと、ティオネはアイズの手を引いてシオン達を追いかける。合流した5人は、その後幾度かの戦闘を経て、地上へ戻った。

 幸いと言っていいのか、あるいは不幸だったのか、ヘルハウンドとは出くわさなかった。

 それでも今日のところは、大成功で終わったと見ていいだろう。顔にそれぞれの笑みを浮かべながら、5人はホームへと戻っていった。

 

 

 

 

 

 そしてシオンは、リーダーとしての責務の一つ、得た物をフィンに提出する作業を行っていたのだが、

 「――もう出さなくていい?」

 「ああ。正確には、これから自分で換金しに行くんだ」

 それは、今まで禁止されていた事を解禁するという事を示す。何故今になって、と疑念の視線を送ると、フィンは頭が痛いという顔をしていた。

 「そもそも、できれば最初からギルドに行かせたかったんだ。でもシオンは外見が外見だから、荒っぽい冒険者に金を奪われやすい。だから僕が代わりにやってたに過ぎないんだよ」

 「まぁ、そこはわかってるけど」

 「でもシオンもLv.2として名が知れ渡ってる。ギルドの近くで問題を起こすとしたら、それを知らない新米くらいさ。それ以外は手を出せないはずだよ」

 「何故なら【ロキ・ファミリア】の後ろ盾が強いから、か」

 「そういうことだね」

 シオンは、フィン達だけではない、【ロキ・ファミリア】という看板に守られている。そこさえ利用しろと彼らは言うが、何とも言えない感覚を呼び起こされる。

 「フィンの時間を必要以上に奪う事がなくなったのは嬉しいけど、ギルドで換金する理由は? 別に商人相手に直接取引してもいいだろうに」

 「いくつか理由はある」

 まず、魔石やドロップアイテムの買取。ギルドでの買取価格は最低限度の物だが、逆に言えば相場を下回る事はない。そこで『最低限』を覚えておけば、実際に商人達に売りつける時にボッタくられずに済む、というわけだ。

 それから冒険者依頼(クエスト)。とはいえこれは今のシオン達に余り関係が無いので放っておく。

 しかし上記の二つでは、わざわざギルドに行く意味は薄い。

 だからフィンが示唆するのは、最も重要な情報である『ダンジョンの情報』だ。

 当然ではあるが、ギルドはダンジョンに最も密接にかかわるところだ。それが仕事なのだから言うまでもないが。

 けれどここで重要なのは、『ギルドにはどの冒険者も赴く』点にある。現在は全く出向かないフィンとて、たまに行く用事はある。

 ピンからキリまでの冒険者がギルドへ赴く。その理由は様々だ。そんな中、ふとした拍子に噂話から真実味を帯びた情報が転がっている事もある。

 実はもう一個理由はあったが、そこは話さないでおく。どうせすぐにわかることだ。

 「つまり、ダンジョンの『不穏な話』を……情報を集めろってことか?」

 「そういうことだよ。そういった類の情報は実際に体験した【ファミリア】に、次いでギルドに集まるのが一般的だ。特に『上層』と『中層』は、潜る人間の数が段違いだからね」

 「…………………………」

 誰かの命を預かるのなら、内側だけに目を留めてはいられない。それを知ってはいた。それでも実際にやるのは、少し勇気が必要だった。

 「わかった。行ってくる」

 だが、シオンはそう言う。

 自身が背負うのは、仲間の命。多少の面倒と、臆病風くらい吹き飛ばさんで何とする。

 そう思って、来ては見たものの……。

 ――どうすれば、いいんだっけ?

 まず初めに覚えるべき手順を全てかっ飛ばした結果、行き交う人々を見ている事しかできないシオンがそこにいた。

 列に並んで受付嬢に頼む、ただそれだけの事に、かなりの難易度を感じてしまう。魔石とドロップアイテムを持ったバックパックの紐を握り締め、誤魔化すように冒険者依頼の貼られた掲示板を眺めているしかない。

 そこに理由はなかった。

 「……あの、何かお困りでしょうか?」

 「はい?」

 まず目に入ったのは、どこかほっそり尖った長い耳。けれど身内にエルフのいるシオンにとってそれは見慣れたものだが、どうしてか気になった。

 けれどその一点を見続けるのは失礼だと思い直し、彼女の全体像を見直す。光沢に溢れたセミロングのブラウンの髪。美しいその容姿は、しかしエルフのような際立った完璧さのない、どこか親しみを感じさせる角の取れた容貌。

 ――ハーフエルフ?

 細い体に、見たところギルドの制服であるギルドのスーツとパンツを着慣れていない感じで纏っていた。

 恐らく自分よりも二つか、三つ上。

 そんな判断を下していると、シオンの言葉を疑問に捉えたのか、彼女は一度頭を下げてきた。

 「申し遅れました、私はエイナ・チュールと申します」

 「丁寧に、どうも。シオンだ」

 別に名前を気にした訳ではないのだが、名乗られたからには返すのが礼儀だ。そんなシオンの反応に少し安心したのか、ホッと息を吐き出すと、彼女は笑みを浮かべて言った。

 「ようこそ、ギルドへ。冒険者依頼の発注依頼でしょうか?」

 その言葉の内容は、よくわからなかったけれど。




――や  ら  か  し  た。

8巻何となく読み返してたらエイナさんがギルドの受付嬢始めたのが『五年前』である。どうやら色々考えていた間にどっかで頭の中でごっちゃになったみたいです……。
言い訳用意しておくと原作エイナさんは19歳。受付嬢を11歳開始→下積み期間もあるでしょって考えて仮で10歳からギルドにいたっていう感じ、だった、のに……。
原作通りに考えるのなら14歳。つまりシオン達が11歳の時にににににに。三年の差はちょっと大きすぎる。
いやでもそろそろギルドに絡ませて且つ原作キャラで受付嬢してるので出せるの彼女だけしかいないしオリキャラ出すとエイナさんの出番時困るしアアアアアアァァァァァッァ!??

……よし決めた。
うちではこの設定を通す。

将来的にギルドの受付嬢で働くと決定済み→そのためバイトとしてギルドの仕事を手伝い、学区で勉強しながらノウハウを覚えている真っ最中。そこでシオンと出会った。

――理論武装終了。バイトなんだからいてもおかしくないよね!

だって受付嬢をしたのが『五年前』であってそれ以前に何してたかなんてどこにも書いてなかった『はず』だからね。問題無いね!
後は知らん(丸投げ)
うちはうちのやり方を通すだけだあああああああああああああああああああ!!

とまあアホな私のアホな独白は置いといて。

解説じゃ解説!

・『サラマンダー・ウール』の調達
前回鎧を購入したとき一緒に注文していた。これのお陰で所持金が七割方吹っ飛んだ模様。逆に考えるとまだ貯蓄が残っている、恐ろしい。
ちなみにシオンは天然である。ここで新たな属性を付け加えるのだァッッ!!!

・前回のアイズへの無茶振り
最初わざわざシルバーバックと『遊んで』からアイズに手渡した理由がアレ。ちゃんとシオンは考えているのです。
あくまでシオンの目的の一つは『アイズを速く強くさせる』なのですから。できるできないは判断しているんですよ。

後はいつも通り。5人になって色々複雑化する感情模様。からかいからかわれ嫉妬し嫉妬され気苦労をかけあう。それでも最後は笑顔、です!
――ティオネの悪魔っぷりは忘れてください。

後感想でリューさん期待されてた方いますが申し訳ない、彼女の出番はもう決まってしまっているんだ。
物語上結構絡んでくる予定なので、それまでお楽しみに。
(ミスをフォローするためのおためごかしじゃないよ? ホントダヨ?)

次回は、どうしよう……。書き終えて知った事実にショック受けてる。閑話にする予定だった話を繰り上げて、できたらもう1人原作キャラでも出すかな……。
特にいてもおかしくないし。うん、問題無い、はず(疑心暗鬼)


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『冒険者』とは

 エイナ、と名乗った少女の言葉に、シオンはしばらくの間思考停止していた。見た目だけで言うならそう大差無い人間から言われた言葉はシオンの目的と違いすぎたせいだ。

 ――……いや、待てよ。冒険者依頼? なんでそれに限定した?

 ふと気づいた事実に、シオンは自分の見た目と、今いる立ち位置に目を向ける。

 シオンの年齢は七、八。身長は同世代よりも高いが、それだって多少誤魔化せるだけ。正直に言って外から見たシオンは単なる子供でしかない。

 そして、今居る場所。冒険者依頼の貼られた掲示板の前にいるということ。つまり、彼女の目からシオンを見た場合。

 子供が誰か、あるいは自分の意思で冒険者に依頼を出しに来た、と。

 そう判断するのが妥当である。彼女が来たのはシオンを怖がらせないためか、あるいは単に手が空いてるだけなのかまではわからない。

 がしかし、シオンは一つ、聞きたい事があった。

 「お前はここで、正式に働いてるのか?」

 お前呼びしたからか、彼女はピクリと顔を動かす。それでも必死に貼り付けたような笑みを浮かべてきたのは、相応に『働いている』自覚があるからか。

 「将来的には、ですね。今は違いますが、学区を卒業したら受付嬢で働くよて――」

 「受付嬢で?」

 「あ、はい。いえ今は見習いみたいな扱いで、ノウハウを学んでいる真っ最中なのですが」

 「見習い」

 ――そうか、それは益々好都合。

 実のところ、シオンはフィンが言わなかった言葉の裏を読んでいる。がしかし、シオンはこの特殊な状況のせいで身動きが取れない部分があったのだ、が。

 「――専属受付嬢、確保」

 「え、え? 専属? いえちょっと、っていきなり走――まぁ――!?」

 反論されるのが面倒なので、彼女の膝裏と背中を持って駆け出す。周囲の視線を感じるが、実害は無いので無視。

 比較的人の少ない場所を選び、床を蹴り、カウンターを更に蹴ってそこにいた女性を飛び越えていく。意識が逸れていたのか、驚いた様子は見せなかった。……気づいていながら見逃していた可能性はあるが。

 しかし彼女が気付かなかっただけで、他の人は気づいている。時間は無い。何故か腕の中で真っ赤になって固まっているエイナに疑問を覚え、しかし暴れられないのならいいか、と思い直して周囲に視線を巡らせる。

 そして、1人の男性を見つけた。

 単なる直感。だがシオンの勘では、この場で一番偉いのはあの人物のはず。最後にまた足を加速させて近づき、彼が気づいたのを確認してから、

 「お願いがある。――エイナを、おれにくれ」

 「へぁ!?」

 「……君は一体、何を言ってるんだ?」

 何故だか石像のようにほぼ全員が動きを止めたのを、シオンは不思議そうに見ていた。唯一何かを言えたのは、エイナと、その男性だけだったという。

 結局凍った空間が動き出したあと、シオンはつまみ出され――る事は無く、男性に連れられどこかの部屋へと移動した。椅子が足りなかったから途中一個拝借して。

 男性はシオンの真正面に座り、シオンとエイナは隣り合って座る。ちなみにこの時点で誤解は何とか解いて――シオンにその自覚はないが――あった。若干赤い顔をされて距離を取られたのに傷つきながらも顔には出さないようにする。

 「さて、君の言葉は大体理解した。つまり見習いであるエイナを、冒険者である君の専属受付嬢にしたい、と」

 「ああ、そうだ」

 男性の――責任者、としか言ってくれなかった――言葉にシオンは頷く。突き詰めればシオンが彼女に求めているのはそれだけだ。

 男女の情やらを求めているわけでは、決してない。キャーキャーと一部の受付嬢が黄色い声をあげていたが、それは全く関係ない。

 「その真意は?」

 「……正直に言えば、ちょうどいいから、だ」

 「ちょうどいい……?」

 それに反応したのはエイナだった。事は彼女に関係するのだから、この場にいるのは当然なのだが、先程までカチコチと固まっていたから何かを言うのはもう少し先だと思っていた。

 それならそれでちょうどいい、と割り切って、シオンは言う。

 「おれは、Lv.2だ。だけど、冒険者としてギルドを利用するのは今日が初めてになる」

 エイナはこの発言に息を呑み、責任者でさえも一瞬眉をひそめた。しかしシオンのような、色々な意味で目立つ人間がいれば気付かないはずがなく、何より彼はシオンの姿を、間接的にとはいえ知っていた。

 「正直今から受付嬢に仕事を依頼しても、面倒なだけだと思うんだよ」

 仕事とは、ある一定のルールがあるからこそ機能する。彼らからすれば、シオンのようなもうある程度、というか【ランクアップ】してからギルドを利用する人間など、初めてだと言ってもいいだろう。

 いきなりポッと現れた、どこに区分すればいいのかわからない冒険者。しかも冒険者自身、ギルドの利用方法がわかっていないのだから、対処の仕方の取っかかりさえ見つからない。

 「だから、見習いで、誰にも対応していないエイナなら、イレギュラーにも対応できるんじゃないか、と考えた」

 「……ふむ。確かに、一理ある。基本的にうちも、冒険者と変わらないからな」

 仕事とは一朝一夕で身につく物ではない。ある程度を覚えるためには、相応の期間が必ず使われなければならない。

 そして、例えばLv.1、新米の冒険者を相手するのは、仕事に就いてノウハウを覚えたばかりの新米受付嬢が相手する。もちろん新米受付嬢とてちゃんとした教育は受けさせるが、それはその教育内容を極めて限定するからだ。

 例えば、覚えるのは『上層』の、1層から5層までのモンスター、とか。

 冒険者が強くなり【ランクアップ】するのは年単位。彼らが『中層』に進出する頃には彼らを担当していた受付嬢の知識も増え、中層以降のモンスターの知識も覚えられる。

 向きとしては違うが、冒険者も受付嬢も『成長』していく、というわけだ。そうして彼らが更なる【ランクアップ】を果たし、いつかギルドから足を遠のき始めたら、今度は別の仕事をしたり、他の受付嬢を手伝ったりする。

 まぁ『受付嬢』という仕事の役割上柄、彼女達がそこに居続けるのは、長く二十年程度になってしまうのだが。

 だがしかし、そこにシオンのような、初心者ではなく、しかし熟練者とも言い切れない中途半端な人間は、少し持て余す。

 新米の受付嬢では荷が重い。多少慣れてきた受付嬢は、自分の冒険者を相手するので大体手一杯になる。何せ仕事は多岐に渡る。担当する者が1人増えただけで、かなり厳しくなるのだ。

 手慣れてきた受付嬢はもっとダメだ。手馴れている、という事は一定の年齢に達しているという事であり、シオンが青年になる頃には彼女達はギルドの受付嬢では無くなっている。

 基本、冒険者は人格的にどこかが『ズレ』ている人間は多い。見知らぬ相手より見知った相手、できれば長く付き合いのある方がギルドとしては好ましかった。

 「そもそも、どうしてそこまでエイナに拘るんだい? 君の目的さえ言ってくれれば、別の人を教える事もできるんだが」

 「……実を言うと、今モンスターの基本行動と弱点を覚えるのって、おれしかやってないんだ」

 「ふむ、それはまた極端な。君のパーティの人数次第だろうが、後1人か2人は覚えるべきだろう。だがそれで回っているのなら、問題は無いのでは?」

 「おれにかかる負担が大きいのを無視すれば、ね」

 この人は知らないだろうが、シオンはダンジョン、フィン達からの指導、アイズの指導、自己鍛錬で凄まじく時間を圧迫している。そこにモンスターの知識を覚えるのを追加すると、洒落にならない。

 一時期シオンの目に隈ができたのは、そのせいだ。まぁ、誰にも言わずに本の虫になっているのが悪いのだが。

 「うちにある本からダンジョンに出現するモンスターを覚えているんだけど、『名前の付けられ方』っていうアホみたいな情報とかが大量にあるんだよ」

 意味わかる? と視線で問うと、何故か凄まじい同情の視線を向けられた。

 「まさか、『あの』本か……現段階で確認されたモンスターの全てを収録したという」

 文字通り全て、である。そこから本当に必要な情報を抜き取り続けたシオンの労力は察してあまりある。

 そして躍起になる理由もわかった。確かにアレから抜き取るのは苦労する。なんせ、上層のモンスターが先に描かれている、なんて事はなく、編纂者の基準で記されているため、目的の階層に出現するモンスターがどれだけいるのか確認することさえ面倒くさい。

 それさえ除けば、凄まじくわかりやすい便利な代物なのだが……。

 まぁ、シオンの要件はわかった。

 つまり、彼の目的は『アドバイザー』だ。

 冒険者側から任意でギルドに申請し、迷宮探索の支援を担当する者達。だが、それは別に受付嬢でなくともできる仕事だ。

 それをシオンが知らなければ、この行動にも納得がいく。全部1人でこなせないと知っているからこそ、知識方面で自分をサポートしてくれる人間を求めた。

 そっちに割く時間を減らせれば、その分を休息何かに回せるのだから。

 シオンにアドバイザーを紹介すれば、それだけでこの交渉は終わる。しかし、と悩み、黙って聞いていたエイナに問いかける。

 「……と、この少年は言っているが。どうする、エイナ。君もまだ学区で学ぶ身だ。今やっているバイトの内容も覚えきれていないのなら、断ったほうがいい」

 「わ、私は……」

 戸惑うエイナ。十歳の、『普通』の少女が決断するには早すぎる問い。そも『働く』という意識が芽生えてきたのさえここ最近の出来事なのだ、仕方がない。

 それでも、彼女は毅然としながら言った。

 「手伝いたい、と思います。私は受付嬢をするのに必要な心構えがわかってません。ですから、彼という冒険者を助け、理解したい」

 「そう、か。……わかった、それならば私は何も言うまい。それで、シオン。代わりといってはなんだが、君に一つ、条件を出そう。エイナもこれに関わることだ」

 「できることなら、請け負う」

 「拝聴します」

 2人が真剣な顔をしたのを確認し、言った。

 「エイナ・チュールを連れて、ダンジョンへと潜ってきなさい」

 あまりに予想外な、その言葉を。

 「「……はい?」」

 

 

 

 

 

 反論は許さぬと押し切られ、頷かされた。シオンの都合上明日になり、エイナは首を傾げながらも業務に戻っていった。

 そして、シオンはというと。

 「それで、目的はなんだ?」

 「人聞きの悪いことを。君も言ったことだ、エイナに受付嬢に必要な経験を積ませると」

 「それとこれが関係することなのかよ」

 シオンはまだ、良くも悪くもダンジョンが中心にある。

 だからどうしても、それ以外には疎くなる。つまり、まだまだ世情に詳しくない。ギルドの事情を知らないのもそのせいだ。

 「ギルドで働く以上――いや、違うな。彼女が受付嬢として働くのなら、絶対に避けては通れない物がある」

 「……?」

 「冒険者の死、だ」

 一瞬、小さくシオンの息が止まる。その言葉はシオンにも無関係ではない。明日は我が身、なのだから。

 「見たのならわかるだろうが、受付嬢は見目麗しい娘が多い。そして普通の男なら、お近づきになりたいと思っても不思議ではないのだよ。だがそうして近しい仲になれても、冒険者が死ねばあっさり断ち切れてしまう」

 「……親しくなりすぎれば、そこで後悔する」

 義姉が死んで、その後感じたあの喪失感は、絶対に忘れられない。

 ――ああ、そうか。つまりおれは。

 「エイナはまだ、十歳だ。君と親しくなり、その後死ねば。……心に傷を負って、やめてしまうかもしれない。私は何人も見てきたよ、そういう女性を。彼女は私にとっても娘みたいな存在だ、傷つくところはなるだけ見たくない」

 ――下手すると、自分と同じ感情を相手に与える可能性を押し付けたのか。

 若干の後悔に拳を握ると、彼は苦笑しながら言った。

 「だから、死なないでくれ」

 「え……?」

 「エイナのために、君は絶対に死ぬな。そして明日は、彼女に教えてやって欲しい。生半可な覚悟で人の『死』を間近で見続ける事はできないと」

 「それじゃお前の目的は」

 「ダンジョンの危険性を肌で理解して、君への支援を適当にさせないようにする。後悔するのは彼女だが、せめてその形だけは変えさせたい、という親心だ。最低限の保険だよ」

 彼の言葉には、シオンが死ぬという想定も済ませているという意味があった。けれど、シオンはそれを気にも留めない。

 「……要するに死ななければいいんだろ? だったら答えは簡単だ」

 ――死ななければいい。強くなり続けていけばいい。

 「……期待、させてもらうよ」

 「ああ、してくれ。十二分にな」

 クスクス笑うシオンは一見ふざけているが、その眼はしかと相手を見つめている。そこに込められた意思を感じ、息を吐いて言った。

 「冒険者依頼の復唱だ。明日はエイナ・チュールと共にダンジョンへ潜ること。どこまで行くのかについては問わない、君で判断してくれ。ただし、エイナが傷つくことは許さない」

 「了解した。命を懸けてでも彼女を無事に帰すよ」

 不敵に笑って、シオンはギルドから背を向けた。

 

 

 

 

 

 翌日、シオンとエイナはギルドの前で顔を合わせた。

 待ち合わせ場所はバベルすぐの中央広場でも良かったのだが、それだと慣れないエイナが人ごみで戸惑うと思ったので、こちらにしておいた。その分時間を早めたので、問題無い。

 「ふむ、責任者とやらに言ったとおり、軽装にしてくれたか」

 「あ、はい。でも本当にこれでよろしいんでしょうか?」

 シオンもエイナも、今日はかなりの軽装だった。

 シオンは急所を守るために胸当てと、念の為に左腕にプロテクター付きの手甲。腰に二本の短剣をやり、レッグホルスターに高等回復薬。後は背中にいつもの剣。

 エイナはシオンと同じく胸当て、それから胴回りを守るためのプレートと転んだ時用に膝当て。まず扱えないが、護身用の短剣を一本。基本的に急所を狙われても何とかなるような装備になっている。足を守っているのは、もしもの時モンスターから逃げるためだ。腕なら最悪、痛みを我慢すれば何とかなる。

 軽装なのは体力の問題。彼女に重い鎧を長時間付けられる体力なんて無いだろう。

 「死ななきゃどうとでもできる。……それと、ダンジョンは一秒を争う状況になる事が多い。呼び捨てにさせてもらうのと、汚い言葉が出るかもしれないが、許してくれ。代わりにならないだろうがそっちもそうしてくれ」

 真面目に言うと、エイナはどうしてか戸惑った様子を見せる。真剣になりすぎた、のだろうかと思っていると、彼女の中で何かが解決したのか、頷き返した。

 「わかった、ならそうさせてもらうね。私は足手纏いにしかならないから、シオンの指示に従うよ」

 「……ああ。それじゃ、行こうか」

 そして、1層。

 コボルトとゴブリンの混成状態で襲いかかられた、のだが。

 「ふっ!」

 Lv.2のシオンがいる時点で、まず攻撃する事さえ許されない。短剣二本で通り抜けざまに切り捨てればそれで終わりだ。離れている間にどこかからエイナを襲われてはたまらないため、即座に戻るまでが一巡だ。

 「血、凄い、ね……」

 モンスターの返り血を見て、震えた声を出すエイナ。今ではもう手馴れたシオンは何も感じなくなったが、彼女はそうではない。倒れたモンスターにさえどこか痛ましく目を伏せている。

 甘い、と言い切ってしまえば、そうなのだろう。ここはダンジョンで、命のやり取りをするところだ。余計な事を考えている暇はない。

 でも同時に、彼女は冒険者ですらないのだ。この甘さも、彼女の美点の一つなのかもしれない。

 「魔石の回収をする。その間はできるだけ周囲を警戒してくれ」

 「う、うん。頑張るね」

 モンスターから魔石を抜き取る作業は、見慣れていないと結構グロい。気絶されても困るのでそう言ったが、彼女の警戒の仕方は素人感丸出しで、しかもそこまで役立ってなかった。

 「あ……」

 「どうしたんだ、新手か?」

 「ううん、そうじゃない、んだけど……」

 一旦手を止め、エイナの見ている方向に体を向ける。念のため剣に手をかけたが、遠目に見えた光景に、手を離した。

 距離があるため、会話は聞こえない。しかし大柄な冒険者が、小柄な、恐らく少女の頭を殴っているのはわかった。

 エイナが息を呑んだのがわかる。そしてもう一度少女が殴られているのを見て駆け出そうとしたのを、シオンが腕を掴んで止めた。

 「シオン!? どうして止めるの! やめさせないと……」

 「ダメだ。それに、やめさせても意味がない。やるだけ無駄だよ」

 「っ、そんな言い方」

 激昂して振り返ったエイナが見たのは、

 「自己責任だ。あの男がやってる隙だらけの行動も、女の子がその男の手伝いをするのも。全部自分で選んだ行動でしかない。それに、他所のパーティに絡んでもいい事はない。……だから、やめろ」

 驚く程感情のこもらない、シオンの眼だった。

 納得などしていないのだろう。実際エイナを掴んでいない方の手は震えているし、感情がこもっていないのは無理矢理心中で抑え込んでいるせいだ。

 「今のおれの最優先事項はエイナを守ることで、それを脅かすような行動はできない。わかってくれ」

 「……ごめんなさい。頭に、血が上ってた」

 何年もダンジョンに潜っているのは、シオンだ。何回これと似たような光景を見てきたのか、想像できない。

 その度にこんな、モヤモヤとした想いを抱えていたのだろうか。

 「『冒険者』って、大変なんだね」

 「アレを同業者だなんて思いたくないけど、そうだな。大変だよ。モンスターよりも、同じ人間を警戒しないといけない時が多いから」

 クソばっかだ、と唾を吐き捨てる、常のシオンらしからぬ発言と行動。エイナが眼をパチクリさせているのを見てバツの悪そうにすると、誤魔化すように歩き出す。

 置いてかれないよに自身も歩き出しながら、

 「……冒険者って――」

 ――一体、何なんだろう?

 そう考えてしまうのを、やめられなかった。

 結局7層まで来てしまった。先ほどの一件が尾を引いて、どうにも気まずい。考えても仕方がないとはわかっているが、ああいう光景は見たくないものだ。

 シオンはもう、こういった感情を飲み込むのに慣れていた、はずなのだけれど。エイナが見せたあの行動は、シオンのあの少女を見捨てるという判断に後ろめたさを覚えさせていた。

 こみ上げてくる無力感のような何かを、キラーアントを斬って誤魔化す。遠くにパープルモスがいるので、アレも倒さなければならない。速効性は無いが、毒の鱗粉は後々悪影響を与えてくるのだから。

 「次は耐異常でも取るか……」

 なんて、まだまだ先の次の【ランクアップ】に思いを馳せ、パープルモスを斬る。特段考える必要はない。エイナがいても、力任せの行動だけでどうにでもできる。

 「……ん?」

 ふと、先ほど殺したキラーアントを見る。

 ――なんだ? 何か違和感が……。っ、マズい!

 咄嗟にエイナがいる方を見る。とにかくここから離れないといけない。

 「えっ」

 それなのに。

 自分の後ろにいたはずの彼女。

 それが、今はどこにもいなかった。

 「ど、どうしよう……」

 シオンと、はぐれた。

 ほんの一瞬目を離した時に、彼の後ろ姿を見失った。更にその場所が運悪く三叉路だったのが、この状況に陥った原因だ。

 ある程度進んで、道を間違えたのに気づいたのから、今は戻っている最中。一回でもモンスターと遭遇すれば、エイナは死ぬ。

 「だ、大丈夫。きっとシオンも私を探してくれてるはず」

 そう思わなければ、歩く気力を失う。

 シオンを恨む、という事はしない。先ほどの一件を気にしてボーッとしていたのは自分だ。

 ガタガタと死の恐怖で震えそうになる体を、短剣を握り締めて押さえ込む。なのに、現実は残酷だ。

 「キラー……アント」

 ウォーシャドウと同じ『新米殺し』と呼ばれるモンスター。

 頑強な硬殻に覆われた、鎧のような体。半端な攻撃は弾く防御力。エイナの持つ短剣など、何の役にも立たない。

 ギチギチという異音がキラーアントの腕から響く。湾曲した鉤爪が、ダンジョンの光を反射して不気味に光る。

 『ギ、ギギイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!』

 「イ、イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァッッ!??」

 逃げる。

 戦おう、なんて思わない。思った瞬間殺される。

 だが、逃げられるはずがない。エイナは所詮一般人。キラーアントが接近し、そこからもう一歩踏み込んで腕を振るえば、当たる。

 「くっ!」

 反射的に伸ばした腕が、衝撃で跳ね除けられた。キラーアントの鉤爪に当たった短剣が、どこかに吹き飛んでいく。

 短剣の当たった腕、それとは反対の腕が持ち上げられた。

 エイナの瞳に輝く爪が映り、体を貫こうとして。

 ――パシュッ。

 『何か』が、飛んできた。

 それが何なのかを確認する暇もなく、更なる乱入者。その影は一撃でキラーアントを屠ると、焦燥を隠そうともせずエイナの体を眺めた。

 「怪我は……無い、か」

 「シオ、ン?」

 一頻り見て怪我がないのを確認すると、手を伸ばしてエイナを起き上がらせる。それから周囲を見渡しつつ言った。

 「悪かった。エイナが来てると思って確認を忘れた。いや、言い訳だな。とにかく、今日はここまでにして戻ろう。これ以上は意味がない」

 「そこまで急がなくてもいいんじゃないかな。少し落ち着いてからでも」

 「ダメだ。キラーアントがフェロモンを出してる。コイツ、興奮してただろ? 仲間がやられて憤ってるんだ。すぐ離れないとキラーアントが殺到するぞ」

 キラーアントはピンチになると、仲間内でしかわからないようなフェロモンを発し、近くにいる仲間を呼び寄せる。シオンがそれに気づいたのは偶然でしかないが、とにかくすぐ近くにいるはずのエイナが危険だと判断して、全速力で探し出したのだ。

 動きを止めたエイナの腕を引っ張って、この場を離れる。

 「ねえ、シオン。さっきキラーアントの攻撃を弾いてくれたのって、シオンが?」

 「……? 何の話だ?」

 訝しむシオンに、心当たりはない。つまり、誰かがエイナを助けてくれた。

 ――あの時、見えた服。

 視界の端で捉えた、あの服装は。

 「……1層で見た、あの女の子?」

 確証は、無いけれど。

 きっとあの子だと、そう確信できた。

 シオンとエイナは逃げ出すようにして7層から脱出する。若干速度は落としたが、それでもまだ駆け足は維持していた。

 妙に焦りすぎている、と自己分析する。それは多分、エイナを死なせかけた事が原因だろう、ともわかっていた。

 ――クソッ、ダンジョンで余計な事に気を取られてたら死ぬなんて、わかってただろう!

 無意識に自惚れていた。よくわからないが、先ほどのエイナが言っていた通りなら、誰かが助けてくれなければ彼女は死んでいた。

 ――自分の命ならまだしも、守るべき人を危険に晒すだなんて。

 モンスターが接近しているのを感覚で察して、足を止める。同時に止まったエイナの息が荒れているのを目にして、また視野狭窄に陥っているのがわかった。

 誰かを守りながらダンジョンに潜る、というのがこれほどやりにくいだなんて知らなかった。あの4人は、常に目を配る必要は無かったから。

 ――言い訳か。とにかく、今はエイナを守る事だけを考えよう。

 後は戻るだけだが、先ほどのような事が起こらないなんて言えない。誰か連れてきて、エイナに張り付かせていればよかったかもしれない。

 「エイナ、少し休むか」

 「え? ううん、まだ大丈夫。ただ、走るのはちょっと無理かな」

 苦笑を返された。確かにまだ疲れていそうだが、移動するくらいなら平気そうだ。後はシオンが気にかけて調節すればいい。

 それだけを決めて――シオンは全力で、敵の殲滅を開始した。

 

 

 

 

 

 ダンジョンから外に出て、飛び込んだ光に目を細める。

 結局何のためにダンジョンに潜ったのか、わからない。アレでよかったのか、もっと違う事をすればよかったんじゃないかと思うが、もう一度行く気力は残っていなかった。

 「……どうせだから、適当に店でも覗いていくか? 一緒に」

 「うーん、確かに中途半端な時間だし。わかった、行こう!」

 気分転換に、という訳じゃないが、誘ってみると色好い返事。あまり慣れない場所へ行くのは疲れるので、北西のメインストリートへ。

 ギルドへ行って装備の返却。冷やかしに近いレベルで店をザッと覗き、時間を潰す。物を買うのが目的ではなく、エイナを楽しませるのが目的だ。

 彼女が死にかけた、その事実は変わらない。

 今は現実感が無いのか特に気にした様子は無いが、ふとした拍子に思い出せば、恐怖で怯えてもおかしくはなかった。

 そうして長くいた店から外に出ると、もう陽がくれて夕闇が辺りを包んでいた。

 「もうこんな時間か……。エイナ、どうする? ここで終わりにするか、あるいはご飯でも食べに行くか。金は持ってきてるから、奢るけど」

 「本当? それなら、行ってみたいところがあるの」

 ダメ元で提案したのだが、何故かエイナは顔を輝かせた。腕を掴まれて引っ張られる。今日一日見て知った彼女らしからぬ思い切りの良さだ。

 「ここ!」

 「って、酒場?」

 連れてこられたのは、どこか薄汚い酒場。飲み食いするだけならどこでも変わりないだろうが、こういった場所に来るとは思わなかった。

 どうしてと視線で問うと、

 「だって、こういう時じゃないと無理なんだもの。皆『行くな!』って言うから、ちょっと気になってたんだ」

 「ああ……」

 要は、好奇心か。ダメだダメだと言われると行きたくなる心理、というのもあるだろう。

 シオンにはよくわからない事だ。大人が『危ない』と言うからには理由がある。下手に藪をつつく気にはどうしてもなれない。

 ダンジョンであんな事があった後だ。どう諌めようかと考えていると、

 「1人じゃダメだけど、今はシオンが守ってくれるんでしょ? だったら、いいかなって」

 「――――」

 心底から浮かべられた笑みに、シオンは言いかけた言葉を飲み込まされた。

 どうしてそう言えるのか、と思った。だけど、そんな物はこの笑みの前では無粋にすぎる。呆れた顔を浮かべることで、せめてもの反撃にした。

 「……わかったよ、何とかする」

 「頼りにしてるね」

 そうと決めればさっさと行動。先のやり取りで人目を集めかけているので、エイナの前に出て酒場の戸を開けた。

 入った瞬間はそうでもなかったが、やはりこの見た目のせいか、注目を集め始める。エイナを連れていればなおさらだ。

 一部は興味無しと一瞥しただけですぐに視線を外し、一部は下世話な笑みを浮かべ、一部はシオンを見て関わるのはゴメンだと肩を竦めた。

 「へぇ、中はこうなってるんだ」

 ひょいとシオンの肩から顔だけ出したエイナが周囲を見渡す。正直、外同様、いやそれ以上に中は汚い。食べ物は落ちてるし、よくよく見ると酒やら唾やらがこぼれたり吐き出されたりしているのか、妙に変色してるところもあった。

 場末の酒場、なんて印象。

 幸いシオンの事を知っている人間は多いのか、トラブルが起こる可能性は少なそ――

 「ハッ、テメェみたいなクソガキに払う金でもあると思ってんのか?」

 「キャァ!?」

 「……せめて思うくらいは許してくれないかな」

 恐らく女の子が殴り飛ばされた音。そちらに視線を送ると、どこか見覚えのある女の子。それは1層で見かけたあの子のはずだ。

 お腹を押さえて蹲る少女。痩せぎすの体に大人の冒険者の一撃は辛いはずだ。さて、どうしようかと考えていると、

 「――っ!」

 「おい、エイナ!?」

 一瞬遅れてその姿を視認したエイナが、シオンの後ろから飛び出す。手を伸ばして静止させようとしたが、エイナの表情を見て、下ろすしか無かった。

 「大丈夫? 意識はしっかりしてる?」

 少女の体を起こし、薄く開いた眼の前に数度手をかざす。呻き声をあげながら、それでも首肯してくれた事にホッとし、目の前にいた冒険者の男を睨みつける。

 「何をしてるんですか、あなたは。こんな小さな子を殴るなんて……!」

 「あ? んだよ、関係無いだろうが」

 いきなりの乱入者に驚いた男だったが、それが女で、しかもまだ子供だとわかると、嘲笑の笑みを浮かべてエイナを見下す。

 その顔にイラッと来たエイナだが、ここで怒っても意味はないと必死に冷静を保つ。

 「確かに関係無いかもしれませんが、ギルドで働く者として、見過ごせません。……見たところ彼女はサポーター。報酬の配分で揉めるとしても、殴るのは筋違いのはずです」

 「んなもん知るかよ。役立たずに払う金なんざねぇ。そうだな、それじゃ拳で殴ってやるのが報酬にしてやる。精々ありがたく思えよ?」

 「…………………………は!?」

 あまりにもあんまりな言い分に呆れて物も言えない。しかしあちらはそれで納得したのか、更に言い募ってくる。

 「それによ、俺達が殺した奴から稼いだ金の一部をサポーターに渡すってもんだが、つまり俺達とそいつが納得してれば問題ねぇだろ?」

 「おお、そういう考えがあったか」

 「いいぞいいぞ、そら、もっといいもん見せろよ!」

 なんだこれは。

 これが、冒険者なのか。シオンと同じ、冒険者……。

 誰も彼もが目の前の男を賞賛し、止めようとさえしない。こんな小さな子を殴る事を許容し、むしろはやし立てる。

 呆然とするエイナに、小さな手が触れ、か弱い力で握られる。

 「……逃げて、ください」

 「な、何言ってるの?」

 「リリが、悪いのです。相手に騙された、リリが。あなたが巻き込まれる謂れはありません。逃げて」

 骨と皮ばかりで、まともに食事にさえありつけてないとわかる、そんな体で。

 今にも消えそうな、儚い笑みを必死に浮かべて、エイナに心配かけまいとする少女、リリ。そうする間にも、男は2人に一歩近づいてきた。

 「おい、そろそろそこどけ。ガキにゃ興味はねぇが……ストレス発散の良い道具にはなるだろうからな。それとも殴られるのを望むタイプか?」

 ゲラゲラと嫌な笑い声。ドロリとした悪意。

 「私は、大丈夫です。こんなの……いつもの、事ですから」

 泣きそうな笑顔なのに、それに気づきさえしないリリ。

 何もかもが、間違っているのに、誰もがそれを見ようとさえ、いやわかろうとさえしない。

 「……ううん、逃げないよ」

 「何を、言って」

 「だって、リリが助けてくれたんでしょ? キラーアントの攻撃から、矢を放って」

 その言葉に、腕の中の少女が小さく息を呑む。その唇が「気づいて……」と形作るのを見た。エイナはそれに口元を綻ばせ、それに、と続けた。

 「私は大丈夫」

 「……?」

 そう、絶対に、大丈夫。

 「私を守ってくれる、騎士様(ナイト)がいるんだから」

 その言葉と、同時だった。

 

 「――おい」

 

 普段は高い音を、極限まで低くしたような声。

 いつの間にかテーブルの上に座っていたシオンが、男の喉元に剣を添えていた。だがその視線は全く見当違いの方を向いていて、下手すると喉を斬ってしまいそうだ。

 反射的に仰け反りそうになった男だが、動けば斬られると思ったのか、動きを止める。

 「テメェ、いつからそこに……!?」

 「ついさっき。それより、面白い言葉を聞いたんだけどさ」

 ――誰が、ストレス発散の道具だって?

 ゾクリとエイナの背筋が泡立った。殺意、ではない。しかしそれとよく似た冷たい意思のこめられた言葉は、彼女の心の奥底を撫でた。

 それを感じたのはエイナだけではないらしく、男は何度も口をパクつかせ、それでも言った。

 「テメェ、は、その女の……」

 「今日一日、ボディーガード、いや騎士様をやらせてもらっててな。命を懸けてでも守ると言った手前、傷つけさせる訳にはいかないんだよ」

 と、態度自体は至極どうでもよさそうなのに、剣を持つ手は先程からピクリともしない。と思った瞬間、剣を動かし、その腹で首筋を舐めた。

 先ほどとはまた別の意味でゾクゾクしている男に、シオンは言う。

 「見たとこLv.1か。おれとしても無駄な殺し合いをするつもりはない。見逃してやるから、さっさとこの店から出て行きな」

 男から目線を外し、テーブルから降りてエイナの元へ移動する。一見隙だらけに見えたが、奇襲をかければ即座に反撃すると、その背中が物語っていた。

 「テメェ、なにもんだ」

 その問いの意図は一瞬でわかった。

 「【ロキ・ファミリア】所属【英雄(ブレイバー)】シオン」

 わかっていて、敢えて乗った。

 肩越しに振り返り、見下すような嘲笑を浮かべる。それでも相手は何も言えない。シオンの所属を聞いた瞬間、その気力が失われたのだ。

 ――なるだけフィンには迷惑かけたくないんだけどな。

 しかし自分の二つ名には、まだそれだけのネームバリューがない。虎の威を借る狐に甘んじるしかなかった。

 「……クソッ、行くぞテメェ、等? ……か、金はどこ行った? 俺の金は!?」

 騒ぎ立てる男を背に、シオンはリリとやらの手に袋を乗せる。チャリ、と金属が擦れる音が、不気味に響いた。

 そして、響いたのなら気づかないはずがない。

 「テ、テメェ!? それは俺の金だぞっ、さっさと返しやがれ!」

 「んー? おかしいな、これでいいはずなんだけど」

 「っ、っざけんな! 関係無い奴が口出しを」

 「『俺達とそいつが納得してれば問題ねぇ』、だったっけ?」

 一語一句違わず言う。リリは理解できないとシオンを見上げ、当のシオンは不敵な笑みを浮かべているだけ。

 「つまり――テメェが納得すれば、リリがこの金を貰っても文句は無いわけだ」

 「……っ」

 「おっと、文句は言うなよ? お前が言い出した事だ、当然リリにも適用される。そっちが一方的に得するなんて、おかしな話だよねぇ?」

 振り返り、クスクスと口元に手を当てて嘲笑う。そして一度リリの手から袋を借りて持ち上げ、見せびらかすように揺らした。

 「納得できないなら、これを対価にして、見逃す。そういう条件でもいいんだぜ? ――まあ、その場合おれはこう言うべきなのかね? よかったね、ってさ」

 「何が」

 「このお金が、お前達の()()()()……随分安くて、よかったよなぁ?」

 稼いだ金額はわからないが、重さからザッと五万だかそこら。頭割りすると、1人頭一万とちょっと、だろうか。

 シオンの言葉を理解したのか、顔面真っ赤にする男達。だが反撃できない。二つ名持ちはイコールでLv.2以上。例え相手が子供でも、勝てる見込みはなかった。

 「クソ、が……!」

 そう悪態を吐く程度が、相手の限度だ。

 肩を怒らせ出て行く男達を油断なく見据える。シオンはまだしもエイナとリリが狙われれば、シオンでも厳しい。

 まぁ、相手の眼にはシオンしか映っていなかったから、大丈夫だろうが。

 グルリと酒場を見ると、全員から目を逸らされる。……()()、やりすぎたみたいだった。

 バツの悪そうに2人に向き直って、

 「……とりあえず、何か頼もうか?」

 先程から人を殺しかねない眼光で睨んでくるマスターにも聞こえるような声量で、そう言った。

 テーブルではなくカウンターに3人並んで座り、注文。騒ぎを起こしたので、その慰謝料も含めて多少高めに金を渡した。

 その甲斐あってか、出てきた料理はまともだった。野卑な料理ではあったが。

 何というか、生焼けだったり逆に焼きすぎていたり、色々ごった煮状態なのだ。そこを我慢すれば一応美味しくはあるのだが、何か、物足りない。

 それはエイナやリリも同じようで、何とも言えない微妙な顔をしていた。

 「……うちの料理は酒前提のもんだ。我慢しろ」

 コト、と飲み物を入れたカップを置かれる。それを飲むと多少マシな味になったので、普通に食べれた。感謝の言葉を述べておく。

 騒動によってできた嫌な雰囲気が、酒の勢いもあってまた盛り上がっていく。

 「何故、リリを助けたのですか?」

 なのに、この近くだけは、その声が妙に遠く聞こえた。喧騒が届かない中で、リリは、硬い声を出す。

 「リリを助けても、何も得られません。意味などないんですよ」

 何もかも諦めている声音に、感情論を問うても意味はないだろう。エイナがどう答えるか、そう思っていたら、

 「キラーアントから、助けてくれた。そのお礼、って事じゃ、ダメなのかな」

 「アレは……っ。単なる気紛れです。射った矢がたまたま当たっただけの偶然なのですよ」

 たまたま射った矢があんなピンポイントで当たるはずなどないのだが。苦しい言い訳とわかっていても、言うしかない。

 「それでも、そのおかげで私は助かった。だから、私がリリを助けてくれたのも、気紛れにすぎないんだよ」

 「……変な人」

 穏やかな声を向けてくるエイナに、リリは居心地悪そうにしている。と思ったら、なるだけ関わるまいと料理をパクパク食べていたシオンを標的にした。

 「なら、どうして【英雄】様はリリを? 食事を奢る必要は無いはずです」

 「さっきも言ったがおれはエイナの護衛でね。その護衛対象を守ってくれたリリに、矢の代金をと思ってな」

 感情ではなく理屈で解く。そのせいでリリも感情で訴えられない。しかもその内容が正論なせいで、理屈で反論も封じられた。

 ――いいえ、まだです。

 「なら、先ほどの杜撰な助け方は何なのですか。アレでは彼等がいつ私を襲撃してくるのかわかりません」

 確かに、一時的とはいえ彼等の憎悪はシオンに集まっただろう。

 だがそれは本当に刹那的な物であり、冷静さを取り戻したら、シオンではなく、『その周囲』に手を出すかもしれないのだ。

 睨みつけてくるリリに、シオンは溜め息を返した。

 「そもそもあの状況、どうにもできなかったんだよ」

 「……? Lv.2のあなたが、ですか?」

 この際Lvはあまり関係がない。

 「あそこでエイナが前に出た時点で、闇討ちして気絶させる事はできなくなった」

 エイナがリリを庇い彼等に認識された瞬間、不意を突いて気絶させられなくなった。理由は単純で、エイナが前に出た、イコールエイナが何かしたという認識に繋がるからだ。下手に気絶させれば彼等の悪意はエイナに牙を剥いただろう。

 「わ、私のせい……?」

 「どうとも言えない。ここにいる他の奴に聞けば誰がやったかなんてわかる。だったらいっそおれの姿を全面的に見せて脅しつけるのが一番単純で手っ取り早かった」

 「……あなた様に手を出せないと、散々言っていたじゃないですか。周囲に手を出されるとは考えなかったのですか」

 「おれの知人は、大抵おれよりも強い。少し関わっただけの人を巻き込むのなら、相手はかなりの愚か者というだけだ。エイナはギルドで働いている。ギルドの職員に手を出せば、所属【ファミリア】が睨まれるから、彼女には手が出せない」

 「……っ、ならリリは! リリはそういった後ろ盾がありません! まさか、勝手に手出ししておいて後は知りませんとでも言うつもりですか!?」

 台を叩き怒りに肩を震わせシオンを睨む。だが当のシオンは涼しい顔で、手の中にあったカップを回し、氷を鳴らした。

 「だから、おれに憎悪を集めたんだ」

 「意味が、わかりません」

 「言い方は悪いが、お前はエイナに()()()()()いただけだ。接点なんて何もない。お前を人質に取っても、報復にはならない。するだけ無駄だ」

 それでも、と言いかけて。

 後は可能性の問題に過ぎないのだと、気づいた。

 彼等が自分に襲撃してくる、かもしれない。

 彼等は自分に襲撃してこない、かもしれない。

 全てはその時の状況次第。その中でシオンは、一瞬の出会いにすぎないリリを守るべくその時打てる手段全てを考え行使した。

 そもそも、リリがもっと強ければ、こんな状況にはならなかった。助けてくれた相手に礼を言うのならまだしも、これ以上の責め苦は八つ当たりにしかならない。

 思い返せばシオンもエイナも、リリという少女に対して同情を向けてこない。あの哀れみの視線に苛立っていたリリにとって、この対応は新鮮すぎた。

 エイナの場合は命の恩人に対して感謝しているから、他の感情を抱く隙間が無いだけで、シオンの場合はもしフィンがいなければ自分も似たような物だっただろうな、と感慨を抱いているだけだが。

 ふと、リリの口から言葉が溢れた。

 「どうして冒険者様は、あんなに横暴なのでしょうか」

 ピタリと2人の動きが止まる。

 エイナは困ったように眉をハの字に変え、シオンはどう答えようかと迷った。それから数秒してシオンが言う。

 「精神の安定を維持するため、かね」

 「……どういう意味で?」

 「冒険者なんて言えば聞こえはいいが、要するにやってるのは命のやり取り、つまり単なる殺し合いだ。目に見えないだけで、ストレスは溜まるよ」

 その上殺し合いで興奮した感情は色々な方向に発露されていく。

 例えばそれは暴力だったり。

 例えばそれは料理や酒だったり。

 例えばそれは――性欲であったり。

 何かに感情をぶつけなければ、人はきっと、壊れてしまう。

 「誰かを見下すなんて誰でもやってる。形が違うだけで。正直おれにはよくわかんないけどな。時間の無駄だ」

 大人よりも子供の方が健全、というのもおかしな話だが、事実そうなのだから仕方ない。リリはこれからの事を考え、俯いた。

 今回は無事だったが、また次も殴られるのか。

 今持っているなけなしの金も、誰かに奪われてしまうのか。

 エイナが視線でどうにかならないかと言っていたが、シオンにはどうしようもない。とはいえ一つくらいなら、アドバイスできた。

 「リリ、これからもサポーターで生計を立てるつもりなら、()()()()

 「選、ぶ?」

 「そうだ。冒険者から誘われるのを待つんじゃなくて、自分から相手を選べ。人を見て、そいつが自分に役立つかどうか考えろ。横暴そうなら切れ、だけどもし自分を『パーティの一員』だと思ってくれる相手がいたら、その時は」

 ――相手が折れるくらいにしがみつけ。

 「後は、エイナにでも頼んだらどうだ。まだ正式じゃないが、ギルドで働いてる。同じ職場の同僚からこの冒険者はどうだとか聞けるはずだ」

 「わ、私に丸投げするの? いやまぁ、表面的な事なら聞けるだろうけど」

 シオンの言葉は、軽い。

 どうしたってシオンのアドバイスは、何も知らない第三者からの発言だ。参考にはなるかもしれないが、その程度。

 そうと割り切って話しているから、リリが受け取るかどうかは、わからない。

 「……お食事、ありがとうございました。リリはこれで、失礼しますね」

 「ああ、それじゃあな。もう二度と会わないかもしれないが」

 「シオン、その言い方は無いでしょ! バイバイリリ、もし用があればギルドに来てね」

 リリはペコリと頭を下げて、走って行ってしまう。

 それを見送ってから、ハタと気づいた。

 「……私、名乗ってないや」

 「おい」

 一気に脱力して頭をカウンターに叩きつけかけたのは、シュールとしか言えない光景だっただろう。

 「んー、今日はいい経験ができたかな。死にかけたのは予想外だったけど」

 「うぐっ。悪かったよ、ちゃんと守れなくて。……その礼って訳じゃないけど、ほら」

 エイナの手を取って、そこに袋に包まれた物を置く。

 不思議そうに見ていたエイナがリボンを取って袋から何かを取り出した。

 「……ブローチ?」

 恐らく加工された、青く透き通った羽をあしらった装飾品と、藍色の大きな石がはめられたブローチ。

 「『ブルー・パピリオ』からドロップする羽を使ったブローチ、らしい。運が良ければ7層で見れたんだけど、無理だったからせめて、ね」

 モンスターだが綺麗な蝶、という話は聞いたことはあるが。

 「……綺麗な羽、だね」

 ここまで鮮やかだと、見てみたくなってしまう。

 だけど、それは叶わない。エイナは今日、痛感した。自分は足手纏いだと。少なくとも、もう一度ダンジョンに行こうなどとは思わないくらいに、刻み込まれた。

 「ありがとう、シオン」

 それでもこのささやかな贈り物は、嬉しかった。

 

 

 

 

 

 ハーフエルフの少女は、今日も学区に通い、そしてギルドで仕事する。

 ダンジョンでは様々な冒険者が、毎日命を賭けている。命をチップに、富と名声を得ようとダンジョンへ潜るのだ。

 だけど、エイナはそれが嫌だった。

 確かにその二つは大事かもしれない。だけどそれ以上に、生きて欲しい。

 『冒険者は、冒険(ムチャ)をしてはいけない』

 その信条を胸に、彼女は今日も紙に目を通す。

 

 

 

 

 

 小人族の少女は、薄暗い路地から空を見上げる。

 自分はサポーターで、冒険者とすら呼ばれない。そしてこれからも、そう呼ばれる日が来る事は無いだろう。

 冒険者とは、何か。

 彼らは一体、何を成す人なのか。

 【英雄】という少年と、ギルドで働く少女の言葉が、脳裏を過ぎる。

 「……関係ありません。リリは、生きるために頑張るだけなのです」

 フードを被り、彼女は暗い道を進んでいく。

 

 

 

 

 

 冒険者の少年は、自室の窓から外を見ていた。

 力持たぬ少女と、力があっても戦えない少女を思う。

 【英雄】などと呼ばれていても、まだ自分には彼女達を満足に守るだけの力さえない。やはりまだ分不相応なのだと、痛感させられる。

 「それでも、いつか」

 まだ弱い、一介の冒険者に過ぎないけれど。

 絶対に、この名に相応しい英雄に、なってみせる。




UA10万突破しました! 読んで下さる方、感想で応援下さる方、本当にありがとうございます。感謝の念に耐えません!!

さて今回はそもそもの原点、『冒険者』という存在に疑問を呈してみた……んですが、うまく纏まってる自信は無いっ!
わざわざエイナを登場させた理由がこれだというに。

そもそも前半部分色々捏ねくり回してるけど、一言で言うと『エイナを専属受付嬢にしたかった』で終わるという情けなさ。余計な部分ががが。

戦闘部分はシオンとモンスターの力量差の関係上あっさりめ。ガッツリ書くと現時点で17000文字超えそうなのに色々ヤバくなる。

・リリの登場。
『冒険者』について何かを問うのなら彼女は必要かな、と。生計を立てるために小さな頃からサポーターやってたはずだから彼女の登場は問題無い、はず。
ただ彼女が再登場する可能性がかなり低い。接点がまず見当たらない。出てくるとしたらかなり先の原作入ってからかな……。
ちなみにこの頃のリリは荒んでいてもそこまで捻くれていませんでした、という設定。

・シオンの挑発
記述できなかったのでこちらで。彼らしからぬほど、やりすぎなくらい挑発してましたが、実はエイナとリリに対する憎悪(ヘイト)を自分だけに集めるためでした。
報復対象を自分だけに固定、ただその後ろには【ロキ・ファミリア】がいるからどうなるかわからないよ、と。結構腹黒い。守るためなら仕方がないけど。
解説追伸
感想でご指摘あったので
――いえ、まだです
から
~八つ当たりにしかならない
までの1000文字を加筆しました。

・それぞれの信条
『冒険者』とは何かと問うたら、当然答えを出さなければいけません。
ギルドで働くだけの一般人、冒険者とすら呼ばれないサポーター、そして冒険者。立場の違う3人がそれぞれの答えを出しましたが、納得頂けたでしょうか。
3人の個性を考えた結果があんななのですが、エイナは原作から引っ張っただけだ……。

次回は予定無し。恐らく日常を入れるかも、と。
大雑把な道筋はあるんですけど、色々横道に入っちゃいます(今回の話とか)ね。どうかこれからもお付き合いの程、よろしく願います。


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裏で展開する準備

 エイナと共に冒険し、リリという少女と出会ってから、早三ヶ月という期間が過ぎた。

 到達階層は15層。本当ならもっと深いところまで潜っても問題はないが、命を賭け皿に『乗せすぎる』のは嫌いだ。安全を選ぶ分潜っている時間は他の冒険者と違いかなりあるので、今のままで十分なはずだ。

 とはいえ、せめてある程度の区切りになる18層にまで行きたいところなのだが。子供の体故に大きな無茶ができないのは、やはり辛い。

 そういえば、アイズの【ステイタス】が平均して大体400を越えたのだ。恐らく後三、四ヶ月程で【ランクアップ】するだろう。

 もしもそうなれば、シオン達4人の記録(レコード)、九ヶ月を大幅に更新する事になる。【ロキ・ファミリア】だからってこんな子供がどんどん世界記録を更新したら、色々苦情が来そうだ。

 まぁそれはそれとして、アイズが【ランクアップ】する寸前くらいに18層に行くのも悪くないだろう。それまでは、普通に頑張るべきだ。

 参考までにシオンの【ステイタス】は早いものだと700の大台に乗り始めている。ただここ最近の伸びはイマイチで、やはり15層程度のモンスターでは得られる【経験値】も微妙なのか。

 元々Lvが上がっていくにつれ伸びはどんどん悪くなると聞いたので、こんな物なのかもしれないけれど。

 「いえ、普通それだけの速さで【ステイタス】が伸びる事自体が異例なのですが」

 呆れと共に溜め息をするプレシス。

 今、シオンは回復薬の補充で【ディアンケヒト・ファミリア】のところへ来ていた。結構な頻度で来るためか、今では仲の良いプレシスが取引相手として矢面に立ってくれる程に。

 「って言われても、他の人を知らないから参考にする物さえ無いし」

 「自分の【ファミリア】の団員から聞いたらどうなんですか……」

 確かにフィン達を参考にすればわかりやすいかもしれない。

 フィンは今三十を超えている。オラリオに来たのが十五と仮定すると、Lv.6になるまで、大体十五年以上。割ると【ランクアップ】まで平均して二年と少し。

 「言われてみるとかなり早いね。気にした事が無かったからわかんなかった」

 「相変わらずな事で。それはそうと話は変わりますが、【ロキ・ファミリア】が『宴』を開くと噂が広まってるんです。何か知りませんか?」

 『宴』とは、文字通り『神の宴』だ。

 大雑把に言えば騒ぎたい神が宴を開き、それに参加したい神がそこに行く。料理に舌鼓を打ち、雑談に笑い、余興に酔う。ただそれだけの物。

 いつ誰が開くのかなんて決まっていない、自由奔放に開催されるお祭り(イベント)だ。

 シオンは両腕を組むと、首を振った。

 「あのさ、プレシス」

 「何でしょう」

 「おれ、立場上は単なる()()()なんだよね。知るわけ無いだろ」

 「え?」

 「ん?」

 「……いえ、何でもありません」

 無意識にシオンがかなり上の立場にいると思い込んでいたプレシスだが、確かにシオンはまだ八歳にも満たぬ子供だ。

 ……個人的には同い年の人と話している印象なのだが、そこは言わぬが花か。

 「フィン達から直接指導を受けてる点を除けば後は普通だよ。他と一緒。聞くのならフィンかリヴェリアに直接聞いてくれ。平団員にはわからん」

 一瞬、単なる平団員が【英雄】という名を与えられるのかと思ってしまったが。

 「……図太いだけなのか、単なる大馬鹿か。とりあえず、いつも通り回復薬十五本、高等回復薬が五本になります。値段は」

 気にしない事にして、いつもの対応に戻っておいた。

 「いつも通り、だろ。はいお代」

 「……確認しました。どうぞ、お受け取り下さい。またのご利用、お待ちしております」

 手渡された物がきちんと内容通りか確かめて、手に持つ。信用はしているが、誰にだってミスはある。ある程度の線引きは、暗黙の了解だった。

 「また来るよ。またね、プレシス」

 「はい。ユリによろしく言っておいてください」

 その言葉を背に【ディアンケヒト・ファミリア】を後にする。最近の行動パターンは似たような事の繰り返しなせいか、シオンが行く場所を大体悟られていた。

 基本的にシオンは回復薬を二十本、高等回復薬を十本確保してダンジョンに赴く。つまり残りの薬を取りに行くのだが、そんな場所は一つしかない。

 「ヤッホー、シオーン!」

 頭上から降ってきた声に顔をあげる。窓から身を乗り出すようにして手を振る少女は、シオンと契約しているユリエラだった。

 「いい年した女の子がそういう態度を取るのはどうかと思うんだが!」

 「えー? 別にいいじゃん、私がしたいからしてるんだし。それより速く昇ってきて!」

 言うだけ言ってさっさと引っ込むユリ。ハァと溜め息をしながら【ミアハ・ファミリア】に入ると、

 「すまないな、シオン。あの娘は今も昔も変わらないのがいい所なのだが……」

 「ミアハか」

 苦笑しながら近づいてきたのは、ここの主神であるミアハ。

 やはり神だからか、その顔立ちは端正だ。その貴公子然とした立ち振る舞い、甘いマスクに魅了された女性は数多い。ただかなりの鈍感で、同じくらい涙した女性もいるが。

 「特に気にしてないよ。もう慣れたというか、慣らされたというか」

 「ハハ、そうか。私としてはありがたいよ、シオンのようにああも気にせず接してくれる者は少ないからな」

 「そりゃどうも。薬品のあのエグさはどうにかして欲しいと思ってるけどね」

 やれやれと肩を竦めれば、我慢してくれと頭を撫でられる。

 神相手にこの態度、と思われるかもしれないが、相手の方から、敬語はいらない、態度もいつも通りで構わない、言われたので、気にせず生意気な姿勢を貫いている。

 『シーオーンー! はーやーくー!』

 「……我が儘お嬢様がお呼びみたいだから、そろそろ行くよ」

 「そうしてあげてくれ。では、また」

 横に移動してくれたので、中に入ってユリの元へ足を進める。途中ミアハの子が挨拶をしてくれたのでこちらも返しつつ、他と違い、何か汚れた扉の前へ立つ。

 「ユリ、入るぞ。……っ、くさっ!?」

 開けた瞬間鼻に直撃した刺激臭に鼻を摘み、香りを遮断する。しかし次いで襲いかかったのは眼の痛み。勝手に溢れてきた涙を拭いながら、これ以上この臭いを外に出してはならないと、決死の想いで中に入って扉を閉めた。

 「何なんだよこれ! おいユリ、聞いてるのか!」

 「聞いてるって。今調合中なんだからちょっと黙ってて」

 「調……合……?」

 ユリの手元にある、禍々しい色をしたビーカーを見る。沸騰しているのかボコボコという音が聞こえてきた。

 嫌な予感に、シオンの手が震えだす。

 「もしかして、それ……おれが飲むとか、言わないよな?」

 「あはは、何言ってるのシオン。――シオン以外の誰が飲むのさ、こんな劇薬」

 「だよなー……」

 ――あれ、なんか臭い以外の理由で涙が……。

 その後、シオンはユリから押し付けられたビーカーの中身を飲んでからの記憶が無い。

 「――ッハ」

 ベッドから起き上がり、自分の両手を見たシオンは第一声。

 「生き、てた?」

 「自業自得だってわかってるけど、その発言はちょっと心にクる物があるよ」

 部屋の換気を済ませたのか、少しいい匂いを纏わせるユリ。格好も、着替えたのかいつもとは違いまともだった。

 しかしシオンは外見に騙されない。ジト目で彼女を睨みつける。

 「だったら自分で試せ。そんで気絶しやがれ」

 「シオン、言葉遣いが」

 「荒くもなるわ! 毎度毎度気絶してればな!」

 唯一マシなところは、気絶から目が覚めた後に後遺症が無いところか。筆舌にし難い味と、全身を襲う激痛に耐えればいいだけだ。

 最近その痛みにも慣れてきたのを知ったときは頭を抱えたが。

 「ま、まぁまぁ。代わりに回復薬五本と、高等回復薬五本に万能薬一本のおまけだよ。何かアイディアくれれば万能薬もう一本おまけするけど」

 何だかんだこうして付き合いを続けているのは、ユリのサービスがいいからなのだろう。普通シオン程度の冒険者が万能約を持ち歩くなど、贅沢に過ぎる。

 「それじゃ、回復薬の使い方で、ちょっとした提案なんだけど――」

 安全を確保するためなら、その辺りは割り切って、シオンはダンジョンで役立つアイテムの制作を頼んだ。

 「ふむ、ふむふむ。確かにそれは一理あるね。でもこれだと通常の回復薬じゃそこまで効果が無いかな? とりあえずいくつか試してみるよ。ありがとねシオン」

 「いいのか? これは新薬には何の役にも立たないが」

 「いーっていーって。もしうまくいけばお金にはなるからね。薬の材料を買うための資金になればめっけものだよ」

 ニヤリと笑って、ユリはコーヒーを淹れる。シオンも貰ったが、凄まじく苦い。表面上はそんな風には見せず、素面のままなのだから、随分感情を隠すのが上手くなったと思う。

 二杯目は遠慮しておいた。お腹に水が溜まっている感じがして気持ち悪かったのだ。

 「それでさシオン。多分、プレシスからも聞いたと思うんだけど、ロキ様が開くかもしれないんでしょ? 【ファミリア】内で噂になってない?」

 「知らん。でも、少しおかしいな」

 ホームではそんな話を一切聞かないのに、実質部外者であるユリやプレシスが知っているのはどうしてなのか。

 「ああ、私達が知ってるのはミアハ様に聞いたからだよ。前回っていうか、一ヶ月前の神会でそんな事をロキ様が言ったみたいだよ? 今はまだ予定みたいだけど」

 「それだけだろ? 確かに【ロキ・ファミリア】が宴を開くのなら注目を集めるだろうが、そこまで気にする必要性は無いと思うんだけど」

 「んー、それが()()()()宴なら、私も気にしないんだけどね」

 一部分を強調して言うユリは、何かを気にかけているらしい。

 だが、シオンにはさっぱりわからない。そもそも宴がどういう物なのかを知らないのだ。単なる宴会のような物、という認識しかないシオンにとって、彼女達が何を思っているのか、想像さえできない。

 「いつもの宴は、神様同士がその宴で集まるだけなんだよ。でも今回の宴は、ちょっと違うみたいなんだよね」

 何でも、ロキは神会でこう言ったらしい。

 『詳細は追って連絡するけど、その内宴開くで。その時に見込ある奴連れてきや』

 ――本来神だけしか来ない宴で、神以外の者を連れてこさせる……?

 「詳細は追ってって事は、次回の神会で発表するのかね」

 「そこまでは私にもわかんないかなー。でもシオンに教えてないって事は、まだまだ先の話なのかな」

 「ロキのやる事には意味がある、とおれは思ってる。誰にも伝えてないのなら、相応の理由があるはずだ。そこがわからないから悩みどころなんだが」

 どちらにしろ、シオンには関係のない話だ。将来的には宴開催時に準備に携わるだろうが、それくらいだろう。

 「コーヒーありがと。また新しいのができたら呼んでくれ」

 ユリに礼を言うと、シオンは立ち上がって荷物を纏める。その姿を何とはなしに見つめていたユリは、ふと呟いた。

 「……シオンが関係ない、なんてありえないと思うんだけどなぁ」

 不吉な言葉は、やめてほしい。

 不安になるから。

 

 

 

 

 

 カァン、カァン、と金属がぶつかり合う音が部屋の中で反響する。

 鉄床(アンビル)の上で精錬金属(インゴット)をひたすらに叩く。余りの熱気に体中から汗を吹き出しているのに、それを一切気にせず彼女は形を変えていく目の前の金属だけを見続ける。

 もう何度こうして鎚を振るい、武器を作り続けたのか、彼女にさえわからない。

 「……失敗、のようだ」

 ただ、彼女自身が定めた指標が、今叩いている物は駄作になると言っていた。固執せず素直に諦めて熱した鉄を鋏で持ち、水の中へ突っ込んだ。

 瞬時に沸騰された水が蒸気し煙となって上へ進んでいく。それに見向きもせず、彼女は水筒に入れた水を頭から被った。

 「……温い」

 当然、高温となっていた部屋の中にあった水筒に冷たさなど無い。むしろ熱気にあてられて暖かくなっているような気がした。

 それでもダラダラと吹き出る汗を流せたのはいい事か。風邪をひかないよう、清潔な布を手に取って体を拭く。濡れたサラシと服を脱いで着替えて一息吐いた。

 「椿、今、大丈夫? 見たところ今日はもう鉄を叩かなさそうに見えるけど」

 「おお、主神様か。今日はこれ以上精錬金属が無いのでな、叩きたくとも叩けんのだ」

 椿と呼ばれた少女は、眼帯をした美女、ヘファイストスが来たのに気づき、工房ではない普通の部屋へ移動する。

 そこで座布団を用意してヘファイストスを座らせ、自分も座ろうとした、のだが。

 「ところで主神様よ。そこにくっついている神はどなたなのだ」

 「一応、私の神友のヘスティアよ。本当に一応、ね」

 「む、一応とはなんだいヘファイストス。ボクと友でいるのは不満なのか」

 プクッと膨れっ面になる少女のような者は、なるほど外見にそぐわぬ、確かに神と呼ばれるだけの美しさと隠しきれない威圧感を持っていた。

 ただ、その外見と仕草が内面から生じる物とのギャップを作っている。

 椿の黒髪以上に艶やかな漆黒は長く、彼女の耳を覆い、頭の天辺、その左右で青い布で結えられた髪がツインテールとなり、腰まで流れている。

 ちなみに椿個人の感覚として、ツインテールは幼さが助長されるからやめた方がいいと思う。

 ただ童顔と低い身長に相反して胸は大きい。椿やヘファイストスよりも。同性でも一瞬目が行ってしまうくらい、大きい。

 「そういう訳じゃないけど、自分の子ぐらい作ったら、とは思うわね」

 「いいじゃないか、急いでするような物でもないんだからさ。それより、椿君だったかい? ヘファイストスからよく聞いてるんだっ、将来有望な鍛冶師だって」

 ヘスティアという神が、好奇心を全面に押し出したキラキラ輝く円な瞳を向けてくる。それをむず痒く感じて佇まいを直してしまう。

 その居心地の悪さのままに、ヘファイストスへ言う。

 「主神様よ、このヘスティア、という友がついてきたのはどういう用件なのだ?」

 「特に理由は無いの。ただ『鍛冶師の仕事場が見てみたい!』ってせがまれて、なし崩し的に」

 「別に鎚を振るってる姿が見たいんじゃないんだ。ただどんな道具が置いてあるのかを見て想像するだけでいい。話し合いの邪魔はしないし、決して道具に触れないと誓う。だから、どうか見るくらいは許してくれ!」

 両手を合わせて頭を下げられて懇願されると、彼女の外見が外見なせいでどうにも罪悪感が刺激される。

 「……見るだけなら、構わぬが」

 「ありがとう椿君! それじゃヘファイストス、帰る時になったら声をかけておくれよ!」

 椿の両手を握って満面の笑みを浮かべると、ヘスティアはぴょんぴょん跳ねながら工房の方へと走っていく。

 頭痛を堪えるように片手で額を押さえるヘファイストスに、椿はつい言ってしまった。

 「何というか、台風のような親友のようで」

 ただ、その言葉は意外な程ヘファイストスの胸を貫いた。

 頭を抱え、ここではないどこかを見ている目をして、呆然と呟く。

 「昔はあんなんじゃ無かったはずなのに……もっと良い子だったのに」

 「主神様よ、まるで娘が反抗期を迎えて戸惑う母親のようだぞ!?」

 項垂れてしまったヘファイストスを回復させるのに、それから十分もかかってしまった。

 思わぬ愚痴に付き合わされて疲弊した椿だが、乱れた服を整えてお茶を再度用意している間にすまし顔に戻った。

 一方、ヘファイストスは先ほどの醜態を恥じているのか、赤い顔を誤魔化すように咳を一つしてから口を開く。

 「それで、今回来た理由なんだけどね。ロキが宴を開くみたいなのよ」

 「なんと、珍しい。しかしそれだけであれば手前の元へ来る意味がないのでは」

 「まぁ焦らないで。本題はここからでね。ロキの口振りから察するに、どうも自分の団員を1人連れて来いって感じなのよ」

 ここまで言われれば、椿にだってわかる。

 「その役目を、手前が? 別に手前でなくとも、現団長にでも頼めばいいのでは」

 「それも考えたんだけどね。でもやっぱり、椿がいいと思って。それに」

 一瞬、ヘファイストスは工房に視線を移し、

 「――最近、上手く行ってないんでしょ?」

 何でもないように、そう告げた。

 何も悪いことをしてないはずなのに、椿の心臓が跳ねる。俯く椿に、地雷を踏んだと理解したヘファイストスが慌て始めた。

 「だ、だからね? ちょっとした気分転換になるかなと思って提案したの。あの子も椿なら構わないって」

 その言葉は、椿に届いていない。

 思い出すのは先ほど失敗した武器、になる前の鉄。ここ最近、成功しても何とも言えない微妙なレベルの物しか作れていなかった。そういう意味で、椿はスランプに陥っていた。

 熱が、足りてないのだろうか。

 わからない。

 「……主神様よ。開くのは【ロキ・ファミリア】で間違いないのだな?」

 「え? ええ、そうよ。確かにロキが言っていたけれど」

 気分転換、とヘファイストスは言った。

 ならば、

 「もしその時が来たら、改めて来て欲しい。主神様にこういうのは、失礼だと思うが」

 「構わないわ。こちらから頼んでいるのは事実なのだし」

 それに乗っかってみるのも、一興だろう。

 椿の脳裏を過ぎるのは、かつて見た金の少女と、銀の少年。どちらも強く真っ直ぐな意思を持っていたが――特に少年の眼が、強く彼女の記憶に焼きついていた。

 後で知った【英雄】の名を与えられた少年。【ロキ・ファミリア】で今、【勇者】達とはまた別の意味で名を馳せる人物。

 彼ともう一度話せれば、この状況を打破できるのだろうか。

 

 

 

 

 

 何となく暗幕やカーテンを取り外し、太陽の光を取り込んでいる部屋の中。

 バベルの塔の最上階で、フレイヤはベッドに寝そべりながら紅茶片手に本を読んでいた。パラパラと紙を捲る指先一つ取っても魅力に溢れる仕草。

 格好自体はだらしないと眉をひそめるだろう者さえ虜にしてしまいそうだ。けれどフレイヤ自身にはそういった意識は無く、単にだらけているだけだった。

 やがて読み終わったのか、本を閉じて傍にあった小さなテーブルの上に投げ捨てる。それを確認したオッタルが、暗幕を設置し直した。手馴れたもので、すぐに終わる。

 くぁ、と欠伸をするフレイヤに、オッタルが聞いた。

 「一度お眠りになられますか? なされるのでしたら、退出しますが」

 「いえ、その必要は無いわ」

 単に文字の見すぎで眼が疲れただけだ。それに真昼間に寝たら、夜寝れなくなる。美の女神たるフレイヤにはあまり関係無いが、夜更しは美容の大敵なのだ。

 要するに気分の問題なのだが、フレイヤは何となく健康的な生活を心がけていた。

 起き上がって椅子に座り、紅茶が空になったところへすかさず新たに注ぎ入れる。フレイヤの纏う雰囲気でいるいらないを察せるようになったのはいつからか、なんて思いながら、オッタルは執事の真似事を続けた。

 「こちら、お茶請けのお菓子になります」

 「あら、ありがと。ちょうど小腹が空いてたのよ。……あ、美味しい」

 美味しそうに菓子を摘むフレイヤに、内心ホッと息を吐き出すオッタル。フレイヤにバレないよう、女性の部下に美味い菓子が販売しているところの情報を調査させたのだが、この笑顔を見れるのなら何の苦労もない。

 後で情報をくれた部下を労わなければ、と思いつつ、彼女の仕草を見守る。

 フレイヤが食べ終わったのを見終えると、手を拭くためのハンカチを渡し、皿を下げる。全ての作業を終えてフレイヤのところへ戻ると、彼女は何か楽しい事でもあったのか、笑っていた。

 「ねぇ、オッタル」

 「何でしょう」

 「ロキが面白い事をやるみたいなの。宴で誰かを連れて行くっていう趣旨みたいなのだけれど、一緒に来る?」

 オッタルがどう言うのか、わかっているのに敢えてフレイヤは聞く。

 「……いえ、誠に申し訳ありませんが、お断りさせていただきます」

 果たして、オッタルは予想通りの言葉を返してきた。

 主神の『命令』であるならば、オッタルは否と答える事は無かっただろう。しかし『提案』であるのなら、彼は断る。

 その程度がわかるくらいには、一緒にいるのだ。

 「もし私が【ロキ・ファミリア】のホームへ行けば、ほぼ確実にあの少年と顔を見合わせます。それは本意ではない。私にとっても、あの者にとっても」

 心底残念そうに、ただその硬い意思だけは変えられないとばかりに眼を輝かせて、オッタルは首を振る。

 フレイヤには全くわからない、男の意地、だろうか。

 「もしまた顔を合わせるのなら、その時こそ決着を。……私が勝手にそう思っているだけかもしれませんが」

 笑うオッタルは、フレイヤにとって見慣れた物だ。

 「あなたは生粋の武人だものね。でもオッタルが断るとなると、誰も連れて行けないのよね」

 「アテは無いのですか?」

 「というより、誰を連れて行っても角が立つのよ」

 オッタルは、『都市最強の冒険者』だ。

 ロキが出すどんな条件でも、その称号だけでねじ伏せられる。誰も文句は言えない。真正面から戦えば、勝つのはオッタルだ。流石にフィン、リヴェリア、ガレスの3人が同時に来たら、無理かもしれないが。

 ただこれは、面倒な事に【フレイヤ・ファミリア】内部でも通用する。オッタルではない誰かを伴うというのは、No.2はその人であると示すような物だ。

 オッタルが一番なのは、誰の目から見ても明らかで、仕方ないと思える。ただせめて二番手はと思う人間が多いのは、どうしようもない。だから【フレイヤ・ファミリア】では一番のオッタル以下幹部は全員同列の状態になっていた。

 フレイヤが一声かければどうとでもなるだろうが、だからといって余計な火種を作ろうとは思わない。自分の選んだ可愛い子達が争うのなら、なおさらだ。

 「仕方ない、か。当日は私だけで行くしかないわね」

 「参加はできませんが……せめて、送り迎えだけは」

 「お願いね、オッタル」

 主従は笑い、数ヶ月後の光景を思い浮かべた。

 

 

 

 

 

 「とりあえず宣伝はしといたで。ただ、うちはどうなっても知らんぞ?」

 「ああ、それでいい。今はとにかく『噂』をバラ撒くのが優先だ。そういう意味では、神会は都合が良かったね」

 書類に目を通し、処理する合間に答える。

 この部屋にいるのは、椅子に背を預けるロキ、溜まっていた書類を処理するフィン、その手伝いのリヴェリア、そしてガレスの4人。

 「でもなー、フィン。うち、宴の内容()()()()()()()。二ヶ月後どうすりゃええん?」

 「その頃には教えるさ。今は神達が噂に好奇心をそそられるのを待つ時。餌が食いついた、その時一斉に引っ張り上げるためにも」

 「うわ、こいつ神を畜生扱いしたわ。真っ黒いなぁ」

 ロキのお望み通り、真っ黒い笑顔を返すと顔を逸らされた。実は好奇心を最もそそられているのがロキなのは、この4人の間では周知の事実。

 つまり、遠まわしに教えろと言った結果がこの返答だった。

 「しかしフィン、あの内容では失敗しても……いや、失敗するのが当然だ。あまりにもかかる負担が大きすぎるのではないか?」

 「失敗前提なのは承知の上だよ。リカバリーする方法もちゃんと考えてある」

 「私が言っているのはそういう事ではっ」

 「わかってる」

 リヴェリアが何を気にし、何に憤っているのか、それくらい理解できないフィンではない。ただそれでも、成功した時のリターンの大きさを考えれば、やった方がいい。

 「でもねリヴェリア。これから僕達は過去の人間になっていく。次代の為に打てる手は、全てとは言わないが打ったほうがいい。苦労するのは僕達じゃない、彼等なんだ」

 「っ……! わかったっ、私はもう何も言わん」

 顔中に『心配だ』という言葉を貼り付かせて、しかしフィンの説得に納得してしまったせいで引き下がるしかなくなったリヴェリア。

 「ところで、ガレスはどう思っとるん? そこんとこうち気になるわ」

 暗くなりかけた雰囲気を気にも留めず、ロキは黙々と苦手な書類を片付けていたガレスに笑いかける。

 その意図を瞬時に察したガレスも、ニヤリと笑い返した。

 「ふん、こんな真っ黒いドロドロしたやり取りなんぞ性分じゃないわい。酒でも飲んで騒いでる方がよっぽど楽しいわ」

 「……ガレスが関わらないから僕とリヴェリアに皺寄せが来ているんだけどね」

 「同感だ。少しはガレスも考えてもらいたいな」

 「おっと、藪蛇であったか。しかし儂は言ったはずだぞ? お主達のやり方に従おう、その代わり余計な口出しはせぬ、とな。約束は守らなければな? ガッハッハッ!」

 その通りなので一切反論できない。

 ガレスの茶化しによって、何とか後に引きずる事は無さそうだった。

 「すまない、2人共」

 ただ、その真意は思い切り見抜かれているようだったが。少し気恥ずかしいのは、安い駄賃だと思う事にしよう。

 

 

 

 

 

 ――そして、次の神会が開かれ、そこでロキから招待状が配られた。

 本来行きたい神が行くだけの宴でこういった正式な書面は用意される物じゃない。その物珍しさもあって、神達は渡された書面に書かれた最初の一文を、強く意識させられた。

 『二ヶ月後に開かれる宴に参加する条件として、最も可能性ある人物を連れて来ること』

 可能性、つまり、才溢れる人物。

 もっと言えば、その神が一番目にかける子を連れてこい、そういう文面。

 神達の疑問の視線を一身に浴びながら、彼女は不敵に腕を組み、

 「参加したい神がいるなら、うちに話通してな?」

 そんな事を、(うそぶ)いた。

 

 

 

 

 

 そんな裏事情など知らないまま、シオン達は変わらぬ日々を過ごし、一月が過ぎた。

 着実に実力を伸ばし、アイズの【ランクアップ】がリーチにまで届いた頃。シオンは一つの決心を固めていた。

 ――これ以上16層に留まり続けても、意味がない。

 目的は17層? いいや違う。

 13層へ続く道を前に、シオンは4人の顔を見渡し、叫んだ。

 「今日で18層へ到達する! 目標じゃない、決定事項だっ、いいな!」

 いきなりの事に戸惑うか、そう思っていたら、

 「今更か、慎重すぎんだよ、シオン」

 ベートは犬歯を剥き出しにして笑い、

 「私としては、遅すぎるくらいね」

 ティオネは呆れたように息を吐き、

 「異論無し。シオンのこと、信じてるからね」

 ティオナは静かな表情を見せ、

 「……頑張る」

 アイズは真っ直ぐに、シオンの眼を覗いていた。

 反対意見、無し。なら何を気にする必要も無い。

 「――行くぞ!」

 「「「「応っ!」」」」

 目指すは18層。

 そして――アイズの【ランクアップ】。




今回は山も谷もない、単なる日常です。謀略なんてない。……ホントだよ?

プレシスとユリの長年の付き合いから『分かり合ってる』感じのライバル感。
ヘスティアとヘファイストスの、甘えて、甘やかしてしまう、手のかかる娘を持った母親的な複雑な関係と、愚痴を聞かされる苦労人椿。
最早執事の真似事さえできるくらいの年月を共にした主従、フレイヤとオッタル。
結成当初メンバーだからこそ、腹を割って言い合える【ロキ・ファミリア】中心の4人の気安いやりとり。

シオンと、一番最後以外主要メンバー出しませんでしたが、どうだったでしょう。前回に引き続きプロットにすら入れてなかった話Part2なので、ちょっとだけ不安だったり。

それはさておき、次回もダンジョンダンジョンして行きますよー!
次話は文字通り『目標階層、18層』です。
強くなったシオン達の勇姿、待っててくださいね!


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目標階層、18層

 16層、道中。

 『ガルァ!』

 横合いから襲いかかってきた虎型のモンスター、ライガーファングの喉に短剣を突き刺して絶命させ、そのまま喉奥に刺さったままの腕を振り回し、目の前にいたアルミラージの石斧を防ぐ。

 グチャッ、という肉が潰れる嫌な音と感触に嫌悪しながら、腕を引き抜き、空いていた手で剣を振るいアルミラージの心臓を貫く。

 だが、一息する暇など与えられるはずがない。

 「シオン、追加でライガーファングがニ、アルミラージが数体、ミノタウロス一!」

 「あぁもう次から次へと!!」

 遠くで既にミノタウロス二体を相手に舞っていたベートからの報告に髪を乱雑に撫でる。それでもシオンに嘆く暇はない。

 「ベートは三体目を抱え込まないようにしろ! 無理だったら言え、何とかする!」

 「わぁったよ!」

 すげない返事は返されたが、何となくシオンは、例えそうなってもベートは助けを求めないだろうな、と思った。

 あのプライドの塊が、情けない姿をシオンに見せたいはずがないのだから。

 どうしてわかるか、なんて決まってる。

 もしシオンが同じ状況になったとしても、同じ事を思うからだ。

 返り血を拭う間も無くシオンはザッと周囲を見渡す。

 今まさにミノタウロスを真っ二つにし、その勢いのままそれの影に隠れていたライガーファングの頭を切り落とすティオナ。

 大剣を振り下ろした彼女の明確な隙、そこを付け狙い、もう一匹のライガーファングが背中から奇襲する。

 だがそれは、ティオナが隠し持っていた、シオンと似たような形状の短剣を脳を穿たれる事で失敗する。そのまま何事もなかったかのように片手で大剣を振り回し、一度シオンの方を見た。

 ――新しく来たモンスター、いくつか受け持つね。

 ――悪い、頼んだ。

 ――ヘヘン、私にお任せあれ、ってね!

 アイコンタクトで意思疎通し、完了し終えると、ティオナは動き出す。

 「やる気十分、どんどんこーい!」

 気合一閃、壁を曲がって姿を現したアルミラージの体を上下に切り裂いた。

 ティオネは、構えていた投げナイフを持つ手を下ろし、湾短刀に獲物を切り替える。

 ――ライガーファングの奇襲、気づいてたのね。

 随分成長したな、と思う。今までのティオナなら気づかなかっただろう。直情径行だった彼女はどんどん頼もしくなっている。

 「……妹に、負けてられないわね」

 何よりもまず、ティオナには負けたくない。

 理由? そんなの単純だ。

 ――姉として、不甲斐ないところを見せてたまるもんですか!

 家族だからこそ、姉だからこそ、シオン達とはまた違った矜持がある。似て非なる、彼女だけのプライド。

 頭を揺らし、頬にへばりついていた髪を後ろに流す。そんな一見隙だらけの動作を行ったのにもかかわらず、周囲のライガーファングはティオナに襲いかかろうとしない。

 普通なら、襲う。例え中層からモンスターの知能が上がっても、所詮はモンスター。狙えるところは即座に食いついてくる。

 『グ、ルル……』

 それでも来ないのは、ライガーファングに一つの共通点があるせいだった。

 ――体に刺さった、いくつもの投げナイフ。

 それが彼等の思考に影響を与えている。ティオネに注目を集めるためにやった事だが、まさかこんな状況になるとは思ってもみなかった。

 ティオネが一歩前に出ると、ライガーファングが警戒するように一歩下がる。

 その姿に、ティオネはフンと鼻を鳴らした。

 「なっさけない……。それでも虎としての誇りは無いの?」

 『ガゥァ!!』

 反論があるのなら、私の喉元を食いちぎってみせなさいよ、そう挑発すると、逸った一体がティオネに向かって牙を剥く。

 「うん、やっぱり単純で助かるわね」

 そう呟き、ティオネは湾短刀を横一文字にし、ライガーファングの口に押し当て、そのまま切り裂いた。

 「時間が勿体無いし、さっさと来てくれると助かるんだけど、ライガーファング」

 けれどライガーファングは更なる警戒心を呼び起こされたようで、構えを続けるだけで飛びかかろうとはしない。

 仕方ないか、とは思う。この戦闘はかなり長引いているが、その中でティオネが倒したライガーファングの数は二桁を軽く越えた。それを見ていたのなら当然の反応。

 だが、ライガーファングは間違えた。

 ティオネがなぜ彼を『複数形』ではなく、『単数形』で呼んだのかという事を、気にしなければならなかったのに。

 『ガ……』

 けれどそれを知る前に、ライガーファングはこの世を去った。

 「終わったよ、ティオネ」

 先程までティオネを取り囲んでいたライガーファング、その全てをさり気なく撃破したアイズが笑いかける。

 「ナイスフォロー、助かったわアイズ」

 「私が手出ししなくても、何とかできたと思うんだけどね」

 「速く終わるならそれに越したことないわよ。だって」

 後方を睨み、湾短刀をしまって投げナイフを構える。

 「団体さんが、来客したみたいだから、ね!」

 三体のヘルハウンドを伴って現れたモンスターの集団。幸いミノタウロスは混ざっていない。そういう意味ではまだマシか。

 ナイフを投げて先頭集団の足を止める。だが後方の集団は止まれず、先頭にいたモンスターを踏み潰してしまう。

 モンスターとはいえ仲間意識はあるのか、動きの止まったモンスターの集団。

 その愚かな行動を見逃すほど、アイズは優しくない。

 もう『自分(シオン)を越えた』と苦笑しながら告げられた剣技を惜しみなく披露し、最小限の労力で最大の結果を出す。

 自らが出せる最速の突き。頭を、心臓を、あるいは足を狙って動けなくしたりと、必要以上に横に動かずまっすぐに突き進み、モンスターを無力化する。

 当然、邪魔は入る。むしろ敵のど真ん中に突っ込んでくるアイズは格好の的だ。

 ――それでも、彼等はアイズを殺せない。

 彼女の背中を守るティオネが、それを許さないからだ。

 アイズを攻撃しようとするモンスターを把握し、どれから攻撃が届くのかを計算し、ナイフを投げて牽制し続ける。まるで手品のようにナイフを取り出していく様は、奇術師(マジシャン)のよう。

 だが、ティオネのように後方から支援するモンスターは、相手にもいる。

 地に伏せ、衝撃に耐えるように四肢に力を溜め込む二体のヘルハウンド。チリチリと口内から漏れ出る火気が白煙を伴って見え隠れした。

 「……普通なら、焦るんでしょうね」

 何故かティオネは笑って、

 「頼んだわよ、2人共」

 ヘルハウンドに奇襲をかける、シオンとベートを見た。

 ベートは頭を引っつかみ、持ち上げ腹を切り裂く。即座にそれをモンスターが多くいる場所に放り投げ、炎がヘルハウンドから噴出されるのを確認。

 シオンはヘルハウンドの喉を掴むと、容赦無く四肢を切断。頭と胴体だけになったヘルハウンドが悲鳴に大口を開け――そこから炎が射出された。

 片方は爆弾扱い。

 片方は火炎放射器。

 モンスターすら武器として利用する2人は、本当に合理的だった。

 一気に数を減らすモンスター。火だるまになり絶叫を上げながらのたうち回る姿にほんの一雫の憐情を覚えなくもなかったが、すぐに忘れた。

 ティオネは視線を移し、ティオナの姿を探す。だが当の妹はその『力』を存分に振るってモンスターを吹っ飛ばしていた。

 ホッと一息吐いた瞬間、ふと、思い出した。

 ――二体? 待って、ヘルハウンドは……!

 「シオン! もう一体ヘルハウンドが――!」

 けれど、その忠告は遅すぎる。

 数十M離れた位置。炎上し倒れたモンスターの死体が折り重なるそこが、ボコリと動いた。

 「まだ、生きて――!?」

 ティオナの驚愕の声が聞こえる。

 ヘルハウンドが放つ炎の射程距離は、凄まじく長い。少なくともこの程度の距離、何の問題も無い程度には。

 火が燃え移ったのか、今まさに燃え尽きんとばかりに焦げているヘルハウンド。だが、しかし、炎の中で揺らぐ瞳は、確かに誰かを射抜いていた。

 『――オオォォォォォオオオンッッ!!』

 生涯で最後の雄叫び。

 カッ! と、閃光が眼を焼き、そして放たれた炎が、まだモンスターと戦っていたアイズの背中を狙い撃つ。

 「え――避けられな――」

 単なる偶然か、あるいはヘルハウンドが決死の想いで放った一撃を汲み取ったのか。

 アイズと戦っていたモンスターが複雑に動き出し、アイズを逃すまいと扇状に広がる。逃げ道は一つ、炎が迫る後方のみ。

 『サラマンダー・ウール』はもちろん付けている。しかしアレだけの熱量――死の間際に全力で出された、命と引き換えの最後の炎。受けてタダで済むとは思えない。

 肩越しに振り返った時、アイズの瞳に映ったのは、どこか黄色く見えた、渦描く螺旋。

 それが目の前に迫って――、

 「後ろ振り向いてる暇があるか!」

 ――割って入ったシオンが、自身の『サラマンダー・ウール』を広げて防いだ。

 「あっつ……!」

 一部が防御を貫いてシオンの体を焼き焦がす。背中越しにアイズにもその温度が伝わり、まるでサウナの中にいるのではと錯覚させた。

 それでも、アイズは振り向かない。

 『ヴォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!』

 「っ、させない!」

 歯を食いしばって、目の前で石斧を振り下ろすミノタウロスの攻撃を弾く。

 ――少しだけ、ちょっと耐えれば、すぐに終わる!

 ミノタウロスの足元から牙を出して襲いかかるライガーファングを、片手を後ろに回してシオンの腰から抜き去った短剣で受け止める。

 「重すぎ……!」

 片手でライガーファング、片手でミノタウロスの振り下ろされた石斧を受け止めるには、アイズの『力』と小さな体躯は荷が重すぎる。

 「援護行くわよ!」

 それ以上はさせないと、ティオネがナイフを投げる。ティオネから渡されたティオナとベートも慣れないながらに投げた。

 体にナイフが刺さり、絶叫するモンスター。その間に呼気を落ち着け、その時ふと、アイズは肉が焼け焦げた臭いを感じた。

 慌てて振り向くと、両手をダラリと垂れ流し、顔から脂汗を流すシオンの姿。幸い体に着た保険程度の『サラマンダー・ウール』のお陰で無事なところは多いが、逆にその保護が無かった両腕なんかが――多分、顔を庇ったせいでそこは特に――酷かった。

 「シ、シオン、大丈夫!? じゃない、高等回復薬、飲める?」

 「む、無理、かな……両腕が焼けすぎて、動かすと、モゲそう……」

 本心では絶叫したいはずなのに、耐え続けている姿は痛々しい。すぐにでも回復させてあげたかったが、まだ戦闘は続いている。

 アイズは一度、三六十度全てを見渡した。本当に慌てている状況でも、安全確認は重要な事だと口を酸っぱくして教わったから。

 「大丈夫、かな」

 もうほとんど戦況は落ち着いている。大勢は決した、3人に任せても大丈夫なはず。だからシオンを回復させて、新たにモンスターが増えても対処できるようにしておくのがいいと思う、とまで考えて、渡されていた高等回復薬を取り出した。

 シオンを座らせて、飛び道具が当たらないようにする。それから高等回復薬を開けて、シオンの口に持っていった。

 「慌てないで、ゆっくり飲んで」

 「わ――いや、あ、ありがと」

 悪い、と言いかけたが、こう返すといつも不機嫌になるので、咄嗟に言い換える。その程度の機微は覚えていた。……覚えないと困るのは自分だから、学んだだけだが。

 必死なアイズはシオンの微妙な反応に気づかず、焦った様子で瓶を傾けた。

 他人に何かを飲ませる、というのは存外やりにくい。相手がどのペースで物を飲むのか把握していなければ、咽せさせてしまうからだ。

 それでもできるだけ慎重にやったおかげで、シオンは普通に飲み込めた。両腕に火傷が治っていく痛みが走ったけれど、耐え切れない物じゃない。

 けれど、最後に。

 2人を影で覆うように、何かがヌッと姿を現した。

 見やると、無数の牙が。ダラダラと零れ落ちる唾液に、アイズは全身の産毛を波立たせる。シオンは逆に表情が掻き消えた。

 『ダンジョン・ワーム』と呼ばれる、顔のない、ミミズのようなモンスター。ぶよぶよと醜悪な体を律動させ、しかし大部分を地中に埋めたまま、2人に迫る。

 シオンとアイズは、刹那、顔を見合わせ。

 「止める」

 「倒すね」

 端的に方針を決め、行動する。

 ほぼ完治した両腕を使って短剣をその大口開いた部分に投げて、動きを止め。

 鋭い剣に光を反射させながら、体液で汚すのもイヤだと一度の斬撃で斬り殺す。

 ドサッと倒れるダンジョン・ワームを見て、新手が来ないかと警戒するも、新たにモンスターが来る予兆は感じられない。

 ――このモンスターを最後に、5人は一つの難関を乗り越えたのだった。

 

 

 

 

 

 疲労で重い体に鞭打って、できるだけ素早く魔石とドロップアイテムを回収する。流石に燃え尽きたモンスターを解体するのは無理があったので、魔石の位置がわかるモンスターはそこを破壊して灰に戻し、運良く出てきたドロップアイテムだけ持っていった。

 散発的に襲いかかるモンスターは、主にベートとティオナが相手する。シオンも前に出ようかと思ったのだが、火傷した両腕に痺れが残っているので、諦めて警戒に徹した。

 そして今、シオン達は出入り口が一ヶ所しかない小部屋で休息を取っていた。

 「ベート、周囲にモンスターの臭いは?」

 「ねぇな。来たら教える、それまでは休めるだろ」

 狭い小部屋、故に5人もの人数が座るだけでも手足がぶつかりかねないが、年単位――アイズの場合はまだ半年程度だが――も一緒に居れば、その程度気にならなくなる。シオンは背負っていたバックパックを真ん中に置いた。

 「……やっぱ金かけといて正解だったかね」

 このパーティにはサポーターがいない。戦闘中荷物を背負う者が誰もいないため、戦闘の余波が届かない場所に置いておくのが普通になっていた。しかし一度バックパックをヘルハウンドに燃やされてしまい、その日の稼ぎの大半をパーにされた嫌な思い出がある。

 その結果、このバックパックにはなんと、贅沢にも『サラマンダー・ウール』が使われていた。だがそのお陰で、アレだけの戦闘をしても全く問題無い。

 ふぅと肩の力を抜き――狭い小部屋と言えど、壁面からモンスターが産まれるので最低限度の警戒心は残しているけど――バックパックを広げておく。

 そこから各々が手を伸ばし、中に入っていた物を持っていく。

 それは食べ物だった。

 ダンジョンでは長時間戦闘を行う。半日ぶっ通しもザラだ。その為こうして栄養補給のために軽い物を持ってくるのは当然の知識だった。

 わかりやすく言えば、三時のおやつ、のような物だろうか。シオン達の外見が外見なので、場所さえまともならピクニックと見えるだろうに。

 アイズはジャガ丸くん(薄塩のみ)を取り出す。汗を掻いたのなら塩分の補給は必須という考えから、塩にしていた。

 ティオネはクッキー。戦況を把握しながら投げナイフでフォローするのは頭を使うため、甘い物が欲しくなるのだ。

 ベートは肉を挟んだサンドイッチ。コレは本人の好みによるところが大きい。狼だから、というのは関係あるのか無いのか。

 「……ねぇシオン、腕、ちゃんと動かせる?」

 「ああ、もう平気だ。微妙に残っていた火傷も回復薬で治したし、次からはちゃんと戦えるよ」

 「そう……」

 一方、隣り合って座るシオンとティオナは、先ほどの怪我を気にしていた。

 身を乗り出してくるティオナに、感触を確かめるために動かしてみせる。違和感として残っていた痺れももう感じない。シオンの言葉に嘘はない。

 ティオナはシオンの右腕を持ち、そっと触れる。そのまま火傷が残っていないか確かめるように撫でていった。

 沈痛な面持ちのティオナに、どうしてかシオンは後ろめたく思ってしまう。あの時あの状況でシオンがアイズを庇ったのは間違っていないのに、理屈で説明できない部分がシオンを責めているかのような。

 それでも声をかけようとして、

 「ティ、ティオナ……?」

 「え? あ!?」

 しかし、そっと撫でられるのに背筋がゾクゾクしてきたせいか、戸惑い気味な声になった。

 その反応に正気を取り戻したティオナは、瞬きする間も無く両手を肩の上に上げる。その視線が自分の手に向き、赤い顔で奇妙な笑顔を浮かべると、その手を背中に隠した。

 「ご、ごめんなさい! 心配で、つい」

 「いやそれはいいんだけど」

 どちらも顔を赤くして、気まずそうに顔を逸らす。

 「むうぅ……」

 そんな光景を間近で見ていたアイズが、ジャガ丸くんをガツガツと自棄食いしながら、不服そうな呻き声を出した。

 ティオナは誤魔化すようにチョコレートを取り出してシオンの口元へ運ぶ。

 「むうぅぅ……」

 途中でそれが「はい、あーん」の仕草だと気づいて更に赤面、しかし途中でやめたらそれこそドツボにハマるからと、必死に羞恥を押し隠して続行。

 「むぐぐぐぐ……!」

 ガツガツガツガツガツガツガツガツガツガツガツガツガツガツガツガツバックン!

 手元のジャガ丸くんが一瞬で無くなるくらいの自棄食いをするアイズ。どう見ても平静でないのがすぐに理解できた。

 わかっている。

 わかっているのだ、ティオナが単にシオンを心配しているだけなのだという事は。

 それでも、自分のせいで怪我をしたのだと理解していても、この胸のモヤモヤはアイズの感情を乱れさせる。

 「ううぅぅぅぅぅ……!」

 だからアイズは、その場で必死に苛立ちを抑えるしかできなかった。

 一方、入口近くのティオネとベートは、

 「んー、凄い修羅場感。ねぇねぇ、アレどうなると思う?」

 「……俺が知るかよ。野次馬は趣味じゃねぇんだ」

 ニヤニヤとした笑みを浮かべるティオネに、ベートは呆れを込めた溜め息を返す。しかし『底意地の悪い』と言わなかったその意味を理解してか、ティオネはちょっと申し訳なさそうにした。

 「ごめんなさい。こうでもしてないと、休みきれないのよ」

 「わかってるっての」

 忘れてはならない、こうして日常の一幕のようなやり取りをしていても、ここはダンジョンで、常に死が隣にある場所だと言うことを。

 こうして休んでいても、無意識に警戒を周囲に向けているせいで強張る体が、疲れを抜けさせてくれないことを。

 「俺以外は、わかんねぇんだからよ」

 「こういう時は、狼ってズルいと思うわ」

 鼻が利くベートは、まだいい。

 だが他4人の種族はそういった特殊な感覚を持ち合わせていない。ヒューマンは当然、アマゾネスもその特殊性を除けば実質ヒューマンのようなもの。

 ベートから『モンスターはいない』と言われたとしても、無意識の警戒心は抜け落ちない。生物としての本能のようなものか。

 ただそれでも、シオン、ティオナ、アイズの3人は、それを打ち消している。恐らく警戒が先立つ前に、お互いを拠り所にして安心感を得ているのだろう。

 つまり、唯一この休憩で休みきれてないのは、ティオネだけ。彼女にとっての『拠り所』たる存在は今、この場にいないから。

 だからこうして巫山戯ていないと、彼女は休むに休めなかった。

 「ほらほら、3人とも変に動かないで。ここ狭いのよ? 私とベートがはみ出ちゃうじゃない」

 「ぁ、えっと、うん」

 見られていたとやっと気づいたのか、ティオナは自分の世界から帰還する。一方シオンは言葉にし難い微妙な気分になっていて、思わず視線を逸らす。アイズは素知らぬ顔で誤魔化した。

 ニヤニヤとした笑顔の裏に、このやり取りでティオネが途方もない安心感を覚えているのを知っているのは、多分ベートくらいだろう。

 「ま、これが俺達なんだろうな」

 『いつも』が続いている、続けていられる大切さ。

 それはきっと、何物にだって変えられないはずだ。

 

 

 

 

 

 短い休憩を終え、探索を始めるシオン達。

 散発的に来るモンスターは、ほとんど障害にならない。問題なのは五体規模のモンスターが断続的に、どんどんと増えていく事だ。それさえなければ負けるなどありえない。

 そうして17層を目指している道中、シオンはふと、横にある穴を見つけて足を止めた。

 「……アレ、もしかして」

 今いる位置と、この穴直下の通路。脳内のマップが正しければ、これは恐らく。

 「どうしたの、シオン。もしかしてショートカット?」

 「多分、できる。かもしれない」

 「え、ホントに?」

 冗談交じりに言ったら本気で返されたティオネが素直に驚く。もしうまくいけば、かなりの楽ができるかもしれない。

 そう思う中で、真っ先に気づいたのはベートだ。

 「問題点があんのか」

 「ああ。脳内マップが合ってるのかっていうのが大前提。それから真下にモンスターがいたらいきなり戦闘だ、かなり危ない」

 「リスクがたけぇな……。だが、さっさと行けるのは魅力的だと」

 「そうなる。コレ背負ってるのも結構疲れてきたしな」

 はち切れんばかりに物が詰め込まれたバックパック。ある程度皆で分散して持っているとはいえども、何時間もそれを背負っていればかかる疲労度は洒落にならない。

 「反対意見は?」

 「私は無し! いつもシオンを信じてるから」

 「同じく、無いわ。そのくらいの信用はあるわよ」

 「私も。信じ続けるって、決めたから」

 3人は、例え間違っても構わないと思いながらそう言って。

 「テメェに任せる。そう言っただろ」

 ベートは、ただ、笑みを向けた。

 ――信頼、されてるなぁ。

 重たくは、あるけれど。

 「よし――降りるぞ!」

 「「「「応っ!」」」」

 それが心地よいと感じるのだから、人間とは不思議な物だ。

 念のため即時対応ができるベートが先に飛び降りた。本当はシオンが行きたかったのだが、ベートが譲らなかったのだ。

 ベートは周辺を見渡し、臭いで敵がいないと判断すると、サインを使う。それを確認し、ティオナ、アイズ、シオン、ティオネの順に穴へ飛び降りる。

 見たところ16層と17層では特筆して違うところがない。出てくるモンスターも、ほぼ変わらないだろう。奥を見据えて、シオンは言う。

 「こっちだ。予想が正しければ、十分もしないで18層にまで行けると思う」

 結果から言えば、シオンの予想は、正しかった。

 ただ――それがよかったのかと問われれば、答えられない。

 何故ならば、シオン達の目の前に、ダンジョンではありえない程に整った壁面があったからだ。凹凸一つ、どころか継ぎ目すら存在しないそれは、人の手で作れる物とは思えない。

 「えぇ……ここで……?」

 18層への道を守る門番。それを産み落とすためだけに存在する物。誰が名付けたか、『嘆きの大壁』などと呼ばれている。

 インファント・ドラゴン等とは違う、本当の『迷宮の孤王』を産み出す場所が、ここだった。

 そしてそんな場所だからか、広間も今までの物とは全く違う。

 形状に一貫性なく滅茶苦茶だった広間は、綺麗な直方体になっている。見た限りでは大円形の入口から広間の奥まで二〇〇M、幅は一〇〇M、高さ二〇Mと言ったところ。

 今までとは違う、圧倒的な広さ。戦うための小さな戦場。

 だがそれだけなら、シオンは先程口にした言葉を言う必要など無かっただろう。

 しかし、目の前にいる数えるのも面倒な冒険者達がいれば、話は別だ。

 どう見ても討伐隊。『迷宮の孤王』を相手にしに来たとしか思えない。

 まだ『産まれ落ちる』前の状態になっているからか、彼等はこの周辺にいるモンスターの討伐、いわゆる前哨戦をやっていた。

 「この階層の『迷宮の孤王』は二週間で再出現するからって、まさか今日この瞬間……どんだけ運が無いんだ、おい」

 「言ってる場合かよ。どうすんだ、行くのか、帰るのか」

 ベートは冷静だった。

 冷静に、自分達が『足手纏い』になると理解していた。

 シオン達は大人数での『迷宮の孤王』討伐、レイド戦とも呼ぶべき物を経験した事がない。動きがわからない上に、子供の身の丈でしかない存在を上手く使える人間はそういないのだから、いっそ帰るというのは当然の選択肢。

 その辺りはシオンもわかっている。だが、ここで戻るのはモチベーション的にしたくない。ならばどうする。

 できるとすれば精々、周辺のモンスターの掃討くらいか。ゴライアスの攻撃は受けるとひとたまりもないので、通路に陣取ってどこからか来るモンスターの相手でもしておこう、と思って、それを責任者に伝えに行こうとすると、

 「何だ救援か……ぁ? チッ、ガキかよ。邪魔だ、さっさと帰ってママにでも泣き縋ってろ!」

 「あ゛……?」

 誰か知らないが、シオンの地雷の一つを、踏み抜いた。

 親がいないシオンにとって――その挑発は、あまりにも効果がありすぎるのに。

 握り締めた拳が真っ白になり、表情から情動が抜け落ちる。それから冷静に、背中から剣を引き抜いた。

 あ、やばい――と、誰が思ったか、戦慄されているとも知らず、シオンはただ思う。

 『迷宮の孤王』?

 大人数での戦闘経験が無い?

 そんなの全部――()()()()()()

 「なぁ、ベート。ちょっと提案があるんだけどさ」

 「……何だ」

 どことなく警戒しているように見えるベートに、

 「久方ぶりの『巨人殺し(ジャイアント・キリング)』……やってみようとか、思わない?」

 それはもう、邪気の欠片もない純真な笑顔を向けながら、そう言った。

 なのに何故だろう、ベート以外はドン引きしてるように思える。気のせいか。気のせいだろう。

 「……ハッ、いいぜ。面白そうだ。そもそもアイツ等と群れるとかここから逃げるなんざ、性に合わねぇ。乗ってやるよ。テメェ等はどうする?」

 否とは、言わない。

 先程も言ったが、信じているのだから。

 「なら、18層到達目標の前に、もう一つ追加だ」

 ピシリ、とシオンの背後にそびえ立つ壁に、罅が入った。

 『グゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』

 拳が壁を突き破る。圧倒的な巨体が風を巻き起こし、シオンの髪を揺らす。そんな中で、大胆不敵に笑って宣言した。

 「17層『迷宮の孤王』ゴライアス討伐――行くぞ!」




なんか最近会話→戦闘か戦闘→会話って感じのパターンで固定されてる。本当は今回でゴライアス終了までやりたかったのに。

まあでも仕方ないね。最近アイズやらサブキャラ達との絡みやらでさ、大切な物が欠けているのに気づいたんだから。
そう。

――ティオナが不足しているんだっ!!

って訳で急遽追加したシーンがアレ。特に後悔はしていない。


戦闘シーンについて
半年前に中層に行った時は、あくまで役割を決めたら『各個撃破』って感じでしたが、ここはそんなに甘くないと理解して連携を密にしました。フォローに回れるよう、皆注意してる、みたいな。
ただ書いててベートとティオナはあっさり目になっちゃうのが問題。役割上ガッツリ書けないんだよなぁ……。

アイズの性格
初期の頃より大分落ち着かせつつ、でもまだまだ子供っぽさが残る感じに。正直原作アイズとの共通点を見せつつ、けれど決定的に違うのを表現するのは難しいですね。
なんか気になるところあったら指摘下さるととても嬉しいです。

さて次回はゴライアスの討伐になります。
最近タイトルに悩み中。間接的な表現でうまい言葉が見つけられない。


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【経験値】泥棒?

 17層階層主『迷宮の孤王(モンスターレックス)』ゴライアス。

 かのモンスターを一言で言い表すのならば、巨人と表現する他無いだろう。

 筋骨隆々の成人男性を数倍にしたような、巨大な体躯。『人型』である事の恐ろしさは、同じ人型である自分達が最も知っている事だ。

 脂をぶちまけたような黒髪はまだしも、屍人のような灰褐色の皮膚は見る者に嫌悪を感じさせるのが普通なのだろうが――、アレは、そんなレベルじゃない。

 生物としての段階が、違いすぎる。

 個体としての実力差が、開きすぎている。

 『上層』の「迷宮の孤王』だったインファント・ドラゴンでさえ霞む存在力。

 もしあの肉体から放たれる拳や蹴りがシオン達に当たれば、一瞬で肉塊のできあがりだ。そも質量からして違うのだから、当然かもしれない。

 シオン達の発育は同年齢に比べてかなりよく、一四〇Cに近い。それでも、五倍以上あるゴライアスは、見上げなければその顔を視認すらできなかった。

 『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォッッ!!』

 そんな怪物が、吠える。

 巨人を討伐せんと包囲網を作り上げていた冒険者に、その拳を振り下ろす。爆音と、衝撃。まだ数十M先の事なのに、耳元で叫ばれたかのように響いてきた。

 「何やってんだ前衛壁役(ウォール)共! もっと肩ぁ並べて密集しろや!」

 「後ろで指示してるだけの奴がいきがってんじゃねぇ! 吠えるならお前が盾になれ! 肉の盾だクソが!!」

 と、言いつつも指示には従う。元々彼等自身そう思っていたのだろう。肩が触れるまで接近すると、腕の筋肉に血管が浮かび上がるまで力をこめ、腰を落とし、盾を構える。

 『ゴオオオオオオオオオオオオオァアアアアアアアアアアアアッッ!!』

 そして、もう一撃が、降ってきた。

 ビリビリと空気が揺れ、それに押されるように前衛壁役が地面を抉り、後退を余儀なくされる。それでも、拳を振り下ろした反動で身動きができないゴライアスに、前衛攻役(アタッカー)たる冒険者が果敢に斬りかかって行く。

 その間に後方の魔道士達が詠唱し、強大な一撃を撃ち込むための準備に入っている。そんな彼等を襲う雑兵(モンスター)から守るために、後方支援役(サポート)の冒険者達がそれを狩り取っていた。

 現状、戦況は五分五分だ。このまま行けば、回復薬の備蓄次第だろうがゴライアスを押し切って勝てる。逆に何かトラブルがあったり事前準備――回復薬の量なんか――が足りなければ、負けるだろう。

 そうやって戦場を俯瞰して見ているシオンを、4人はただ待っていた。

 「……うん、行ける」

 ポツリと呟き、何となく視線を感じてそちらを向くと、ベートがいた。

 「疑問が有るなら答えるけど」

 「どうやって勝つ?」

 「……………………」

 あまりに単刀直入すぎて、一瞬言葉を失わされた。

 しかしベートの言葉を理解すると、その顔に笑みが広がっていく。

 「『戦う』じゃなくて、『勝つ』か」

 「ハッ、負けるために戦うなんざごめんだ。テメェだって、こんなところで負けるの前提の作戦なんてしねぇだろうが」

 「信用されてるなぁ。ま、そうだね。――短期決戦。一撃離脱だ、それしかない」

 ケラケラ笑って……即座に真顔に戻る。

 『自分より強い相手』と戦って学んだことだ。ダラダラ戦闘を長引かせれば、それだけ勝機は遠のいていく。全てを乗せた一撃を叩き込んで、それで勝てなければまず負けると。

 フィン達のような指導形式じゃない、生死がかかった戦闘で、覚えたことだ。これは、アイズ以外の3人はわかるだろう。

 地力で負けている相手に、勝とうとする厳しさが。

 「インファント・ドラゴンの時みたいな戦い方は無理だ。幸いちょうどよく使える『肉盾』がいるんだし、ゴライアスが背を向けるのを待とうか」

 ク、ククク……と、暗黒オーラを纏わせるシオンに、ティオナはちょっとドン引きだ。

 「何だろうティオネ。なんか、シオンが、真っ黒い……」

 「諦めなさい、アレもシオンの一面よ」

 「……私は何となく共感できるから、何も言えない」

 シオンとはまた少し違う意味で『親のいない』アイズにとって、あの挑発はムッとしてしまう程度の効果はあった。

 その後のシオンのキレっぷりで、冷静になってしまったが。

 表現しがたい微妙な表情でシオンを見ていると、思い出したかのようにアイズの方へ振り返り、

 「ああそうだ。アイズ、ゴライアスが()()()()()来たら、全力で突きを放て」

 「え?」

 刹那、アイズの背中に熱が灯る。

 シオンのスキル『指揮高揚』だ。五重にかかった命令が、アイズの【ステイタス】を底上げするのを感じた。

 つまり――この命令は、行動可能な類のもの?

 「シオン、使ったほうがいい?」

 「ん、いや、この程度で使うような事でも無いだろ。いらない」

 反射的に聞いた言葉を切り捨てながら、シオンはバックパックをティオネに投げ渡す。その意味を理解したティオネは、湾短刀をしまい、代わりにそれを背負う。

 その後アイコンタクトでベートを見、そしてゴライアスに視線を移す。アイズの位置からではその視線の先がわからなかったが、ベートにはわかったらしい。

 小さく笑って、頷き返した。

 「ティオネ、ベートはシオンが何言ってるのか、わかったの?」

 「ん、わかったよ。シオンも結構、大胆だよねぇ」

 苦笑してはいるが、ティオネに反対意見は存在しない。

 背負っていた大剣を手に持ち、肩慣らしで数度振る。それに満足すると、ティオナはシオンの合図を待つ。

 一歩、シオンが前に出て、襲いかかってきたモンスターを袈裟懸けにして殺す。シオン達がいるのはほぼ端っこの方で、冒険者達もモンスター達も、乱戦状態故かほとんど気にしていない。それは大きな隙だった。

 悲鳴と怒号が響きあう戦場の縮図みたいな中、冷静でいられるのは、きっと、シオンというリーダーがいるからだろう。

 信ずる者がある人間は、強いのだ。

 モンスターと、人とに隠れているゴライアスが、背を向けた。

 「――行くぞ!!」

 小さく叫び、最高速度で駆け出す。追い縋るように一瞬遅れてベート、ティオナと続く。その場に残ったのはティオネとアイズの2人。

 「追わなくて、いいのかな」

 「むしろ行ったらダメなのよ。……アイズ、これから少し私は無防備になるから、守ってね?」

 そしてティオネは、()()()()()()()

 「【束縛の鎖よ――】」

 ティオネから感じる魔力、それは奇跡を行使するための力だった。

 「魔法――!?」

 アイズの驚愕など露知らず、シオン達はモンスターを無視して、ただ一直線にゴライアスを目指していく。

 途中攻撃されそうになったが、無視。シオンよりも速度の出るベートは、後続のティオナのためにさり気なくフェイントを織り交ぜておいた。そのかいあって、ティオナは重い大剣を持っていても関係なくついてこれている。

 「もっと気張れや前衛攻役! モンスターが増えてきてんじゃねぇか!?」

 「だったらゴライアスの攻撃やめっか!? そしたらあんなの全滅させてきてやらぁ!!」

 恐らく急造の臨時パーティ集団が集まったからなのだろうが、連携が杜撰すぎる。お互いがお互いの足を引っ張るなんてザラだ。

 前衛攻役を突っ切って魔道士の1人に襲い掛かり、それを撃退するため唱えていた魔法を仕方なく放つ者もチラホラ見える。

 ――何というか、おれ達が混ざっても違和感無かったんじゃないかな。

 と思ったが、意味のない思考だ。すぐに断ち切る。

 そして、シオン達は魔道士達の集団に飛び込む。

 「な、なんだモンスター……じゃない、同業者(にんげん)だ! やめろ撃つな!?」

 ほぼ反射的に迎撃行動に移ろうとしていた魔道士が、必死に魔力を制御して別の方向へと魔法を解放する。ただし、代償として折角完成させた魔法が目標(ゴライアス)ではなく、そこらのモンスターへと向かっていった。

 「っ……いくらなんでも声をかけないのは危険だろう!? それに、君達みたいな子供はまだアレを相手にすべきじゃ――聞いてるのか!!」

 恐らく、あの魔道士は善良な人なのだろう。魔法だってタダで撃てる物じゃない。相応のリスクを抱えている。それを一つ無駄にしたのに、怒鳴らず、危ないからと理性で説き伏せられる人間なんて、そうはいない。

 それでも――シオン達は、行く。

 あの魔道士の声が聞こえたのか、一部の冒険者がこちらを振り向き、その顔が驚愕に彩られていく。

 なんでガキが――アイツ等は何を――おい、止まれ!――仕方ねぇ、前衛壁役どけ!――様々な声を聞きながら、

 「行っくよー!」

 ティオナは足を止め、その反動を足から腰、上半身、腕へ伝わせ。

 逆手に持った大剣を――投げた。

 それに色めきだったのは周囲の冒険者達。大暴投を恐れて一気に仰け反る。

 空間が、出来上がった。

 ティオナの莫大な『力』によって放たれたそれは、ベートを追い越し、シオンに迫る。シオンはそこに空いた空間で、知らずティオナと似たようなポーズを取ると。

 飛んできた大剣を掴み、半回転。

 そして半回転し終えた一瞬、勢いを殺す。次いで腕にグッと何かが引っかかるのを感じ、大きく笑った。

 「行っけえええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇっ、ベートオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォッッ!!」

 減速させた剣を、加速させて――上に、振り上げる。

 大剣の『腹に乗った』ベートは、飛ばされる瞬間踏み込んで更なる勢いを乗せる。シオンの腕に一気に負担がかかったが、文句は言わないだろう。

 まるで射出機(カタパルト)から放たれたかのような速度で、ベートは宙を飛んでいった。

 その時、シオンの声と何かが飛んでくる気配を感じたゴライアスが振り返る。

 そこにいたのは、自身の顔目掛けて飛んでくる羽虫。その小さな反撃にせめてもの礼をと拳を振りかぶったゴライアスに、

 「――【リスト・イオルム】!!」

 ティオネの魔法が、放たれた。

 その魔法はゴライアスに当たると、鎖となって全身を縛り上げる。拳を振り上げた姿勢の、完全な無防備状態。

 束縛魔法――成功確率はティオネの『魔力』の値に依存するが、成功すれば対象を強制停止(リストレイト)させる凶悪な効果を持つ。

 固まるゴライアス。

 「ハッ――いい鴨だぜ」

 それを前にしたベート、否【頂き見上げる孤狼(スカイウォルフ)】は、犬歯を剥き出しにした獰猛な笑みを浮かべた。

 さあ――食らいつけっ!

 踏み込めない空中。それでも両手に握られた双剣を後ろに回し、できるだけ反動を込めて、ベートは突き放った。

 ゴライアスの中で、恐らく最も脆い部位、即ち『眼球』に。

 『グゴオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォアァァァァァァァァァァッッ!?』

 敵を屠らんとする気概を持った雄叫びではない、痛みに耐えられずに叫んだ悲鳴。

 両目を抉られたゴライアスは全力で暴れだし、ティオネの束縛を破壊する。このまま暴れられれば、冒険者側に壊滅的な被害が出るだろう。

 ただ――ゴライアスの行動は、遅すぎた。

 「ティオナ、ゴライアスの両足を斬る! 外から内に、クロスするように!」

 「了解!」

 こうなる前、ベートが飛んだ後を確認する事なくシオンとティオナは打ち合わせる。

 『指揮高揚』がティオナにかかり、その【ステイタス】に大幅な補正。この時この状況だけではあるものの、シオンとは比べ物にならない力を手に入れた彼女と並んでゴライアスに接近する。

 「上ばかり見てると、足元を掬われるよ」

 絶叫が響き渡った瞬間、シオンは左に、ティオナは右へ移動する。

 そして――ゴライアスの脛を、容赦無く切り裂いた。

 ――硬いなぁ、クソ!

 感じた違和感に顔を歪ませる。元々力の値が高く、そこにスキルで補正されたティオナなら、力任せでも問題はない。

 だが逆に、そんな底上げの無いシオンは技術でもって切り裂くしかない。それは大きな負担だったが、それでも、やる意味はある。

 『――――――――――――――――――――ッ!??』

 両目を潰され光を失ったゴライアスは、何が起こったのか理解できない。

 その混乱に乗じるように、後ろに回った2人。着地と同時に足を捻り、そのまま斜め後方――シオンは右足、ティオナは左足、ちょうど十字架を描く(クロスする)ように、内股側の脛を切り裂く。

 例えゴライアスの足が太くとも、シオンの一Mを超える剣、ティオナのニMを超える大剣、合計三Mもの長さで外と内から斬られれば、無事では済まない。

 結果、どうなるか。

 両足を切断されたゴライアスは、無様に『落下』するだけだ。

 「た、退避、退避いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!?」

 唖然と見守っていた冒険者達は、足を切断され、それでもまだ数Mある巨体が宙を舞う姿を確認すると、巻き込まれてはたまらないと逃げ惑う。

 直後、音がした。

 ――ドッガアアアアアアアアアァァァァァァァァ――ンッ!

 その光景を見ていたシオンは、ゴライアスが地面に落下したぞと笑って、

 「4人共、後はそいつ等に任せて18層行くぞ! ほら、速く!!」

 手を振り、道を示す。

 慌てて駆け出すアイズ、魔法を撃って疲れたティオネ、両腕が血塗れになったのを気にするベート、そしてティオナとシオンの後を追う。

 そんな、一瞬で戦況を狂わせた子供5人を呆然と見送ってから、まだ終わってないと気づいた冒険者が叫んだ。

 「待て、まだゴライアスは死んでない――構えろ!」

 

 

 

 

 

 17層へと向かう通路。

 そこで5人は必死になって走りながら、それでも堪えきれない笑いを口元に滲ませていた。

 「く、ははは! 見たかベート、アイツ等のあのまぬけ面!」

 「趣味わりぃぞシオン。……全面的に同意するけどよぉ!」

 品が無いが、走りながら笑っているせいで痛む脇腹を押さえながら身を捩る。それでも耐えきれなかったため、もうダメと止まってしまった。

 珍しく笑みを隠そうとしないベートが、シオンの肩に腕を回してふざける。

 「まさかあんなにハマるとは思ってなかったよ。シオンの指示通り、だね!」

 「私としては『指揮高揚』が欲しかったわ。私の魔力値は低いんだから、成功確率なんて無いも同然なんだもの」

 「あ、忘れてたすまん」

 「……殴っていい?」

 「落ち着けティオネ、このバカを殴っても無駄だ」

 真顔でのたまうシオンの顔面を殴ろうと構えるティオネの肩を、ベートはバカにつける薬はないと諭した。

 ひっでぇと笑っているが、気にした様子も見せないシオンに、ティオネは渡されていたバックパックを投げ返して抗議。投げんなよと言い返すと、ぷいっと顔を背けられて困惑。

 そんなシオンに、だったらちゃんと覚えてなきゃダメだよ、とティオナが言う。

 「……凄い、な」

 会話に加わらず、蚊帳の外にいたアイズは思う。

 シオン達が突貫してからゴライアスの両足を切断するまで、恐らく一分とかかってない。綿密な打ち合わせもなく、少しのやり取りでお互いが何をするか理解しあった彼等は、それが互いの信頼の強さを示している。

 それからの動きも圧巻だった。

 ベートを打ち上げるための勢い確保のために、ティオナが大剣を投げる。

 それを受け取ったシオンが、その運動エネルギーを半回転して受け流しつつ、一瞬減速させてベートを剣の腹に乗せる。

 ベートはそのタイミングを見誤らず、自身に迫る大剣に怯えず乗っていった。

 それを重みだけで確認したシオンは、受け流していたエネルギーを再び乗せて、ベートを打ち上げる。

 それを察知したゴライアスが振り返って反撃する、それまでの時間を正確に測り、ティオネの魔法を炸裂させ、強制停止に追い込んだ。

 そしてベートがゴライアスの両目を抉る――その一巡の流れを見ず、『2人ならやってくれる』と信じてティオナと2人で両足の切断に移行。

 出せる力を全て出し切って、実際に切断してのけた。

 言葉にすれば、たったそれだけ。

 誰かが間違えたら、それだけで破綻する危険な作戦。それでも信じ切って成し遂げたのは、偏に彼等の絆の深さ。

 ――遠すぎる。

 個の強さではない、群の強さ。どちらも得られていないアイズでは、まだあんな動きは絶対できない。

 息をするように、当たり前に動きを合わせる。

 そんな事は――できない。

 ()()()()

 「にしても、惜しいっちゃ惜しかったな。トドメを刺せれば、ゴライアスから結構な量の【経験値】が奪えたんだが」

 「ん? それなら多分、奪えたと思うぞ」

 「は? いや待て、俺達の内誰がんな事……を」

 何かに思い当たったのか、ベートの視線が、アイズを貫く。釣られるようにして、シオン達の視線も集まった。

 その強さに思わず仰け反ったが、手に持った血を滴らせる剣を揚げて、

 「()()()()()()()()、完了しまし……た?」

 コテンと首を傾げながら、そう言った。

 「な」

 一瞬の間。

 「なんだとおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!??」

 「っ!?」

 ベートの咆哮に、アイズの肩が跳ね上がり、背筋が伸びる。ただその時にはベートの視線はシオンの方を向いていた。

 「アイズが自主的にやったとはどうにも考えられねぇ。テメェの指示以外ねぇだろ。つーか今の今まで忘れてたが、あの時『指揮高揚』かけてたのは!」

 「よくわかってる。それによく覚えてらっしゃるようで」

 ニヤリと笑うシオンに、当然だと鼻を鳴らすベート。そんな風にお互いをおちょくるバカな男2人を放って、女性陣2人はあー、と納得の声を出した。

 「なんで目を狙ったのかなーって思ってたけど、布石だったんだ」

 「まぁ詳しい理由はわかんないけどね。そこんとこどうなの?」

 「受け身を取らせないため」

 問われたため、あっさり答える。

 今度はアイズ以外の3人が納得の声を出した。

 「ど、どういうこと?」

 「ふむ。ここは実際に学ばせた方が早いか。アイズ、ちょっと来て」

 ティオネはアイズを呼び、背を向けさせて肩を手で押さえる。それから足を前の方にやって、一気に引いた。

 「――!?」

 悲鳴を出しかけたアイズだが、肩を押さえられていたので、地面に激突することはなかった。

 それでも恐怖を感じたのは事実。抗議の声を出そうとしたが、ティオネの真剣な眼に言葉を呑み込んだ。

 「どう? アイズ、今の手の位置は?」

 「手の位置? それは当然、地面に――あ」

 そう、アイズはほぼ反射的に受け身を取ろうとしていた。何度も投げ飛ばされた結果、体に染みついた動きを再現しようとして。

 いいや、例え一般人でも手をつく。『転べば痛い』という、至極当前の事実を回避しようとするために。

 それはゴライアスだって変わらない。完全な転倒を防ごうと、手を突き出す行動を取る。

 「でもね、痛みはそういった当たり前の事さえできなくさせちゃう」

 痛みは脳を、動きを鈍らせる。

 「しかもゴライアスは両目を潰された後に両足を切断された。どちらが上でどちらが下なのかさえわからず、叩き落される。まぁ、恐怖かなんかで混乱してもおかしくねぇ」

 人も、ゴライアスも、外部からの情報の大部分は目に頼っている。そこを潰されて宙に放り出されれば、脳が正常な判断を下さなくてもおかしくはない。

 最後にシオンが、全てを明かした。

 「例えおれの『指揮高揚』で【ステイタス】にかなりの補正を付け加えても、元がLv.1で、しかも力の値が低いアイズには焼け石に水だ」

 シオンの感じた通り、ゴライアスの皮膚は、硬い。

 「だけどそこに自分の自重を加えた落下速度に、その正反対の位置から勢いを乗せた剣で思い切り突けば、ギリギリ貫けるかもしれない。そのための条件として、勢いを和らげる受け身行動はさせられなかった、ってわけだ」

 剣が耐え切れずに壊れる、と考えなくもなかったが、武器が健在である以上、大丈夫だったのだろう。

 しかしシオンが『多分』と言ったのには理由があって。

 「――そもそもアイズはどこを狙ったんだ? どこに転ぶかわかんなくて、どこを狙えと言えなかったんだが」

 結局のところ、切断してどこに倒れるかは謎だ。そういった不確定要素を恐れて、補正が制限されるような事を言わなかったのだが。

 例えば『心臓を突け』と指示を出したら、頭何かを狙った瞬間補正が切れる。こういった部分をうまく把握しないと『指揮高揚』は効果を発揮し得ないのだ。

 今回は運良く重心を前に倒していたため、結果的にアイズ達のいる方へと倒れこんだが。

 「えっと、『喉』だよ。心臓は胸板が厚すぎたし、頭も脳に届かないかなって。でも喉ならうまくやれば出血多量でいけるかなって」

 「……あ、うん、そうか」

 「シオンが『一撃で殺せる場所の一つ』って教えてくれたから、できたんだ」

 ……背中にザクザクと視線が突き刺さったが、気のせいだと思うことにした。

 この雰囲気なので言えなかったが、シオンは別に失敗しても構わないと考えていた。それはそれでいい経験の一つになるだろう、と。

 だから、『できたよ、褒めて』的な感じにキラキラとした眼を向けられると、何だか変な罪悪感がふつふつと……。

 シオンに倣ってティオネも言わなかったが、実はアイズ、シオンの『ゴライアス討伐』という言葉を成し遂げるために、必死で位置を調節していたのだ。だから褒め言葉の一つでもあげなさいよという意味を込めて背中を叩くと、

 「……ふぅ。よくやった、アイズ。本当に強くなったよ」

 「……ッ! うん、私、頑張ったよ!」

 まぁ、この純真な笑顔が見られるのなら、褒めるのも悪くはない。なんて、内心上から目線で照れ隠ししておいた。

 どうにも気恥ずかしさが先行するシオンをフォローするように、ベートが言った。

 「つー事はよ、俺達思いっきり【経験値】泥棒してんな」

 確かに、そうかもしれない。

 魔石とドロップアイテムは譲ったが、実際に討伐したと言えるのはこの5人だ。モンスター討伐の貢献度に応じて【経験値】が分配されるのだとしたら、彼等の【ステイタス】はほとんど増加しないだろう。

 「……まぁ、いいんじゃないか。命を失うよりはマシだろ」

 「テメェは時々考えなしになるよな。そのクセ改善しろや」

 「まーまー。何とかなるから、大丈夫だよ!」

 「ティオナ、あんたのその楽観ぶりもどうかと思うわ」

 「そこがティオナの、いいところだと思う」

 その場のノリとテンションでやったのは否定できない。恨まれているかもしれないが、そこはもう知らんぷりして誤魔化す事にした。

 何より――もしかしたら、これのおかげでアイズが【ランクアップ】しているかもしれない。

 糠喜びをさせたくないので言わないが、シオンだけでも期待していていいだろう。

 ゴホン、と咳払いを一つ。

 誤魔化しなのは否定しないが、シオンは真剣な顔をして、言った。

 「今回は無茶したが、これが毎回通用するとは思っちゃいない。おれ達の他にゴライアスを引き付ける冒険者達がいたこと、周りのモンスターがそう多くなかったこと。偶然がいくつも重なった結果でしかない。次はちゃんと情報を集めておいて、もうこんな無茶はしないようにするから、4人もそれに従ってくれ」

 ゴライアスは本来二週間の間隔を空けて出現する。だからシオンも前回出現した日を確認してから来たのだが、どうもいつもより速く産まれたらしい。

 そこはシオンの判断ミスだ。だからこそ、次は間違えないようにする。

 それがリーダーとしての務めだから。

 「無茶をしないテメェの姿がまず考えられねぇんだが……まぁ、わかったよ」

 本来シオンに噛み付く役目――いわゆる諌め役――のベートが真っ先に了承したので、アイズ達も頷き返した。

 反省点を見つけ、それを改善するための手段も考えた。

 するべき事は、ただ一つ。

 17層から18層へ続く傾斜路を完全に降りて、

 「さぁ、着いたぞ――18層に!」

 目的地点へと、到達した。




今回はあっさり目。ガッツリ書くと蹂躙される未来しか見えなかった。

ティオネの魔法
公式でも出てる魔法なのですが、肝心の詠唱がわからない。来春出る6巻でわかる可能性はあるけどそれまで待てないので。ちなみに冒頭部分は勝手に考えた。わかったら完全に修正するかも。
ていうかこの束縛魔法、フィンに纏わりつく女性に嫉妬して、独占欲発揮した結果フィンを逃さない的な意味で発現したのかと邪推してしまう……。

『指揮高揚』の有無
最初にかけたりかけなかったりはちゃんと理由があります。

ティオナの投擲は繊細な制御が必要。一瞬でもタイミングが狂えばシオンが受け止められませんし、そもそも『力』をはね上げたら掴めずに引き摺られます。
両足切断する時は単純な腕力依存なのでかけましたが。

ベートも同様。飛び上がる時に飛び上がりすぎてゴライアスの遥か上空に行かないようにするためかけませんでした。眼球を抉るだけならかけなくても問題ありませんし。

ティオネの場合は完全に素。そもそも彼女の魔法、基本ダンジョンだといりません。『対象』と書いてあるのを見るに単体専用。雑魚戦では魔法を使うよりも投げナイフ使ってる方が速いですし。並行詠唱する価値があるかどうか。
そこまで重要じゃない魔法なので、成功確率が『魔力』依存なのを忘れていても不思議じゃないかな、と。

逆にアイズはただ落ちてきたゴライアスを迎え撃てばいいだけ。

要するにシオンの『指揮高揚』は技術で攻撃するなら不要、単純な力で攻撃するなら必要って事です。
かけるかかけないか、そこまで考える必要があるからこそ『頭を使う』スキルってわけでした。

アイズの疎外感。
原作見る限り、彼女が突っ込んでいくのを周りがフォローする事が多いです。なのでこっちでは逆にしてみたらこうなってしまった。
まぁその後の決意見る限り大丈夫でしょう、うん。

次回は18層到達。ここに来るまで何話使ってるんだ……。

それにしても最近文化祭やら大学進学のための理由書とかが色々重なって忙しい。まだストックあるから大丈夫ですが、遅れる可能性あります。

なるだけ頑張りますが、あらかじめ言っておきますね。


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『迷宮の楽園』

 傾斜をくぐり抜けた瞬間、5人の頭上から光が降り注いできた。

 「え、ダンジョンで光……!?」

 ダンジョンの各所にあった、小さな光源ではない。まるで地上にある太陽のように、燦々とした大きな明かりだ。

 ティオナが頭上を見上げているのを不思議そうに見ていたら、他の3人も同じ状況だった。

 もしかして、18層の話を聞いていないのだろうか。

 「18層は他の階層と違うって話は聞いてなかったのか?」

 「聞いてたけど! けど……ここまでなんて、予想してなかった」

 頭上から視線を剥がし、目の前に広がる森の入口を見る。

 ダンジョンには枯れ木なんかはあったが、青々と茂った木々は全く目にしなかった。そもそもダンジョンは洞窟のような通路ばかりで、森なんて物とは程遠い様相なのだ。

 こんな、穏やかな光と清浄な空気に包まれた空間があるだなんて、思ってもなかった。

 「ここはダンジョンにいくつかある、モンスターが出現しない安全階層(セーフティポイント)だ。12層から13層のように、冒険者達の一つの区切りとして扱っている場所でもある」

 「モンスターが出現しない、か。それにしちゃ臭いが随分残ってるが」

 「そりゃ道は地続きなんだから当然だろ。17層と19層から流れてくるモンスターがいるから、完全に安全とは言い難い。まぁ、押し付けられたり逃げた先にまたモンスターの団体が、なんて事は無いだけマシかな」

 「確かに、目に入る範囲じゃモンスターはいないわね」

 今までの常識をぶち壊すような光景に感慨を抱いていると、アイズが一歩先んじた。それを目で追っていたら、金の髪が光を反射したのに眼を細める。

 光に慣れてアイズを見直すと、シオンは息を呑んだ。

 森と草木、綺麗な空気を纏う彼女は、どこか幻想的で。

 「――シオン、行こう」

 穏やかに笑う彼女につい見蕩れてしまったのは、仕方ないと言い訳させてもらいたい。

 アイズの後ろについて森の中へ入る。幾人の冒険者が通ったのか、かろうじて道と言えるような物が形成されている。

 しかしところどころに木の根っこが盛り上がっているところもあって、気をつけなければ足を引っ掛けてしまうかもしれない。そしてここには、その気を引く物がたくさんあって、何度も転びそうになる。

 驚くべき事に、森の中には蒼く輝く水晶が存在したのだ。小さな石から、シオンの背の倍以上もある巨大な物まで。

 点在する水晶が頭上の光を乱反射させ、森全体が藍色に淡く光らせていた。

 幻想の森。

 地上には存在しない、夢幻の風景。

 この時シオンは、18層のもう一つの名を思い出していた。

 けれど、それを断ち切るように声が響く。

 「あ、川だ!」

 何かが流れるような音に真っ先に反応したティオナが走っていく。これが18層でなければ怒鳴っていたところだ。森の中なので逸れる危険性はあるが。

 その辺りはティオナもわかっているのだろう、途中で振り返り、速く来てと大きく手を振った。シオン達は顔を見合わせ、肩を竦めながら走り出す。

 「急がなくても川は逃げないだろうに」

 「私は何となくわかるけどね」

 「私も、わかる」

 単純な話だ。

 『好きな人の前では綺麗でいたい』――それだけの事である。

 ダンジョンにいる以上、どうしても土埃に塗れる。モンスターの返り血を浴びれば、更に酷い状況にもなってしまう。

 ティオナは自分でそうと決めたから今まで我慢してきたが、それを洗い流せるのなら、洗い流して綺麗な体を見せれるのなら、それに越したことはない。

 そうでなくたって女の子なのだ、小汚い姿でいるのを望むはずがなかった。

 「さっぱりわからん」

 「俺もわからん」

 逆に男2人にはわからない感覚だ。多少汚れていようと気にしないせいで、そこまで水を被りたいとは思っていない。

 精々、さっぱりしたい気持ちはわからなくもない、くらいだ。

 「「「ハァ……」」」

 そんなデリカシーの無い男に、3人は呆れの溜め息をプレゼントした。

 苔を生やした立派な大樹を乗り越えた先に、その川はあった。

 オラリオでは見られない、澄んだ――澄みすぎている川。このまま飲み水としてしまっても問題はなさそうな透明度。

 頭上から降り注ぐ光が水面で反射され、キラキラと光輝いている。

 川の流れはそこまで速くない。試しに手を突っ込んでみると、

 「冷たっ!」

 そう思わず言ってしまうくらいに冷えていた。しかし水浴びにはちょうどいい温度でもある。ダンジョンで激闘を繰り広げ、火照った体を冷ますにはいいかもしれない。

 そう説明する間に、シオンは水に触れた手を一瞥する。

 ――変化無し。毒性は無さそうかな。

 一応、本当に念のため程度であったが、シオンが先に触れたのはそれが理由だ。ユリの劇薬で体が慣れているため、毒関係には結構鋭い。そこを利用した。

 「川の中には変な虫とか魚もいなかったし、入っても問題は無いと思う」

 「やった! あ、でも順番はどうする?」

 「おれとベートは後でいい。……いいよな」

 「構わねぇよ。その方がゆっくりできるからな」

 女共にせっつかれるよりはマシだと言い捨て、その場に座る。少なくとも話が終わるまではそうするらしい。

 シオンも真似して座る。ここに来るまで結構な体力を消耗した。回復できるのなら、しておいた方がいい。

 3人が座ったのを確認すると、シオンは言う。

 「ただ、モンスターには注意して欲しい。ある程度離れた場所からおれとベートで手分けして索敵はするが、限界はあるから。交代で入るか、武器はすぐ傍に置いといてくれ」

 「私とティオネは近くに武器があれば大丈夫かな」

 「元々防具なんてつけてないもの。裸で戦うくらい、訳ないわ」

 そんな明け透けに言われても困るのだが。

 何とも言えない表情をしてしまったのを誤魔化すようにアイズを見る。彼女もシオンと似た顔をしていた。

 「アイズはどうだ?」

 「私は、微妙かな。裸で戦うなんて考えたこともないし」

 当然である。

 むしろこうもあっさり割り切れるアマゾネス姉妹の方がおかしい。ベートなんて処置無しとばかりに狼の耳をペタンと伏せていた。

 話に加わる気が全くないベートを戦力外と判断して意識を外す。

 「で、どうするんだ? おれは何も言えんぞ」

 「それじゃ3人で一緒に入ろ。戦うのは私とティオネだけでいいだろうし。流石に何体も来られると厳しいけどね」

 「シオンの話だと来ても一体か二体でしょ。問題ないわ。って事だけど、どうする? アイズが嫌なら先に私達で入って、後に回すけど」

 「……大丈夫、だと思う。そこまで悩む事でもないし」

 「それじゃ決まりだ。ベートは向こう側を頼む!」

 「わかった。んじゃぁな」

 それだけ返すとベートは跳躍し、川の向こう側へ行く。そのまま森の中へと歩みを進め、やがて消えてしまった。

 「川で水を流す音が聞こえるか聞こえないかくらいにいるから、何かあったら大きな声で呼んでくれ。すぐ駆けつける」

 「それはなるだけしたくないわね。団長以外に裸を見られるだなんてゴメンよ。それが例えシオンでもね」

 「命には変えられないだろ」

 軽口を返してシオンも彼女達から背を向ける。先程通った大樹辺りで足を止め、その木に背を預けて脱力した。

 「できればトラブル無しで帰りたいもんだ」

 確実に、自分達にはわからないくらいの速さで疲労が溜まっている。この状態が長く続けば、倒れてしまうかもしれない。それは勘弁願いたい。

 ズルズルと座り込みながら、シオンは索敵に入った。

 

 

 

 

 

 「うっひゃー、冷たい!」

 なんて叫びながら、ティオナはバシャバシャと水を跳ねのけて遊ぶ。ちなみにまだ服は着たままだ。いきなり入るのもどうかと思い、まずは足から慣らしておこう、ということで、岩に腰かけて足を水に浸していた。

 「ちょっとやめてよ! こっちに水が飛んでくるじゃない」

 「えへへ、ごめんごめん」

 テンションが上がるのはわかる。これだけ綺麗な水、目にしたことが無いのだから。ティオネだって内心ではこの水には感嘆の息がこぼれているほどだ。

 それでも最低限のマナーはある。風呂場でこんな事をしないように、川場でだって他の人に迷惑にならないよう気をつけるのは当然だ。

 水に濡れた服を見て、ティオネはゲンナリとした顔をしていた。ティオナの服の方がもっと酷いけれど、何の慰めにもなりはしない。

 「……離れてて正解だったかも」

 ティオナの性格を把握していたアイズだけは、唯一水に濡れなかった。

 その後服を脱ぎ――いつの間に用意していたのか、シオンが広げた布の上に服を置いておき――川に入る。

 「あ、足とは比べ物にならない冷たさ……」

 「泳ぐならあっち行ってよね。後離れすぎないこと」

 一応近くに武器は置いてあるが、水の中にまでは携帯できない。錆びの要因になる。なので今の3人は本当に無防備だ。

 それはティオナもわかっているので、泳ぐつもりはない。大人しくティオネの横で体育座りになる。時折水を肩にかけて、冷たい水の気持ちよさに没頭する。

 しばしの静寂。

 だが、それに耐えられないのは、当然ティオナだ。ふと横目で姉であるティオネの体に目を向けてみる。

 そして、気づいた。

 「なんかティオネ、ちょっと身体つきが女の子っぽくなってる気が」

 「はぁ? 年考えなさいよ、年を。いやでも、早熟なら別かな」

 何となく手足を曲げたり伸ばしたりを繰り返す。次いで自身の体を見下ろすと、確かに少しだけ幼児体型からは脱却していた。

 しかし身近な女性から聞いた、胸が膨らみ始める時の痛みや、生理なんかはまだ来ていない。準備段階、といったところか。

 「でもま、成長できるのならそれに越したことはないかな」

 「いいなぁ。私なんてまだまだ全然だよ。シオンも私を女の子として見てくれてるか……」

 「あんたのがいいでしょ。同い年で幼馴染。それがどんだけアドバンテージ持ってるのか、わかんないわけ?」

 わかるけどぉ、と不貞腐れるティオナ。流石に相手が悪すぎると判断するのは、恋する乙女のティオナもそうらしい。

 「せめて、異性としては見て欲しいのにな……」

 「ったく、もう。私なんて団長から子供扱いよ。女として見られる以前の問題だわ」

 「実際子供なんだけどね。でもフィンってそんなに鈍かったっけ?」

 「黙りなさい。団長はシオンとは違うわよ。……私がどれだけ想っても、団長は『子供だから』って言って取り合ってくれないだけよ」

 「そっちの方が悪いような」

 「単に免罪符にされてるだけね。本当は、迷惑なのよ。私みたいな、ふた回りも年の離れた子供から好きですなんて言われても。だから私は、団長が女に近づかれるのを、見ているだけしかできない」

 「……」

 「ものすっごく悔しいっ。だから私は、もっと早く大人になりたい。……あんたには、私みたいなようにはなってほしくない。女として見られてないなんて当然よ。男なんて、バカばっかりなんだから」

 だから今は、我慢する。

 そして時が来たら、相手に『花開いた』と思わせればいいのだと、ティオネは言う。意中の相手を最後に吸い寄せられれば、それでいいのだと。

 だけどそう言うティオネは、本心を押し隠すのに必死に見えた。

 もしかしたら。

 ティオネの魔法『リスト・イオルム』は……束縛魔法は、フィンを遠くに行かせたくない、傍にいてほしい……そんな想いが形になったからなのかもしれない。

 「ティオナ。あんたは恵まれてる。だけどそれに胡座をかかず、どんどん押しなさい。それがきっと、あの鈍感(バカ)を引き止める方法よ」

 「うん……ありがとう、ティオネ」

 泣き笑いみたいな表情で言う姉の姿に、妹はそう返すしかなかった。

 「ハァ……」

 アイズは姉妹から少し離れたところで体を洗っていた。体を晒した相手は父や母くらいなものなので、赤の他人とこうして裸の付き合いをするのは、正直気恥ずかしい。

 同い年の、同じ女の子相手とは言え、そうあけっぴろげにはできないのだ。

 今より強くなって、それこそ『遠征』にでも行くようになれば、こうして体を洗う機会はあるだろうから、慣れるしかない。

 そう思っても、恥ずかしさが誤魔化せる訳もなく。

 仕方なく1人寂しく水を体にかけ――

 「うひゃぁっ!?」

 「うわー、すっごいお肌ツルツル。玉のような肌って感じ。いいなぁ」

 背中にゾクゾクとした例えようのない感覚に全身鳥肌が立つ。

 咄嗟に距離を取って向き直りつつ戦闘態勢に移行、構え、睨みつける。すると、ティオナが目を丸くしながら両手を上げていた。

 「い、いきなり何するの!?」

 「あーいや、綺麗な肌だなと思って、つい。私こんな肌色でしょ? 肌触りとか結構気になるんだよね」

 「……それなら一言欲しい。いきなりは戸惑うから、困る」

 「ごめんごめん、次から気をつけるね」

 全く信用できなかったが、睨みつけるのも疲れる。アイズはティオナの方を振り向いた。それから思ったことをそのまま言った。

 「ティオナの肌も綺麗だと思う」

 「えー? そうかなぁ。私褐色だから、アイズみたいな真っ白い肌に憧れるんだけど。妖精みたいな感じで」

 「自分に無いものに憧れるのが人だって、フィンとリヴェリアと、あとシオンが言ってた。ティオナもそうだよ」

 実際ティオナの褐色肌を流れる水滴が、どことない色香を漂わせている。まだ子供の体だからそこまでではないが、いずれ成長した時には、だ。

 「色香で誘惑するのはなぁ。アイズみたいな儚さが羨ましい」

 しかし彼女は納得しない。

 隣の芝生は何とやら、である。

 「別にいいじゃない、色香があって。何も無いよりいいわ。そうよ、将来この色香で団長を誘惑して既成事実を……!」

 「ティオネー、それはちょっとどうかと思うんだけどー」

 「そもそもフィンって、誘惑に負けるのかな……」

 「団長が色ボケ女共の誘惑に屈する訳無いでしょうが――!」

 「ティオネ、それ墓穴掘ってるから」

 支離滅裂すぎる姉に、どれだけストレス溜まってるんだろう……と、普段の態度から想像できない姿に、ちょっと申し訳なく思ってしまった。

 そんな2人の姿を見て、アイズはクスリと笑ってしまう。

 ふと、アイズは気づく。

 ――アレ、私……。

 自然体でいられる自分に、少し驚いた。

 気恥ずかしさも、もうほとんど感じない。姉妹の明け透け無い態度に、どうやら色々な感情を吹っ飛ばされたらしかった。

 「いいじゃない、どうせティオナもシオン相手に誘惑するんでしょ? だったらどうこう言われる筋合いは無いわ」

 「やめて!? そんな事をしないと振り向かせられないって、私、体だけの女って意味になるんだよ!?」

 「ふ、ふふ……そんな悠長な事を吐けるのは今だけよ。将来的に後悔する姿が見えるわ……!」

 「イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァッッ!??」

 「……シオン達に聞かれてないといいなぁ」

 流石に、明け透けすぎるけれど。

 こんな雰囲気は、嫌いではなかった。

 服を着て――替えの服は一応入っていた。何故かは知らない――頭を振る。ダンジョンでは味わったことのないさっぱりした気分を存分に味わって、シオンを呼ぼうと口を開き、

 「――終わったか」

 その瞬間、返り血に塗れたシオンが木陰から出てきた。

 「ちょ、シオンまさか見てた……!?」

 「いや、単に水が跳ねる音が聞こえなくなったからな。時間を多めに見積もってからここに戻ってきただけだ」

 3人の着替える時間は大雑把に把握している。後は水を拭く分を考えておけば、丁度良いタイミングで戻ってくるのは不可能ではない――そういう理屈だった。

 ドンピシャすぎて疑いの目を向けかけたが、少なくとも『今の』シオンはアホな方のシオンではない。

 何よりシオンは、いっそ清々しいくらい異性の体に興味を向けないのだから、変に邪推するだけ無駄だった。

 「……否定しないといけない気がするから言うが、別に興味が無い訳じゃないぞ」

 「あら、そうなの? 女の子の体に興味津々?」

 「そこまで言ってないわ!」

 ティオネのからかいに怒鳴り返してから、息を整える。

 実際のところ、シオンは彼女達から軽く目を逸らしていた。普段とは違う、まだ水を纏った輝く髪と肌に、妙な感覚を覚えたのだ。

 動きすぎたのか、顔を紅潮させているティオナはどこか艶かしく。

 降り注ぐ光を反射させる髪と、それを際立たせるアイズの美貌は神々しく。

 そんな普段とは違う姿に、何故か圧倒された。

 それを誤魔化すように、シオンは言う。

 「とにかくっ、今度はおれ達が水を使わせてもらう。ただ時折モンスターは来るみたいだ。交戦しないように注意しててくれ」

 「シオン、いいの?」

 「別にいいよ。アイズだってまた汚れるのは嫌だろ? モンスターが来たと教えてくれれば、後はこっちで処理するよ」

 シオンとて羞恥心はあるが、女性程ではない。誰も見ていないなら、裸で一、二分戦うくらい気にしない。

 そんなシオンに呆れるしかないが、実際ありがたくはあったので、3人は素直に頷きを返すしかなかった。

 その後川に入る前に血を洗い流す作業に入る。ベッタリとくっついた血は乾く寸前で、剥がすにも一苦労。特に無駄に長い髪についたものは、面倒くさかった。下手に力を入れると髪の毛が引き剥がされるのだ。

 「そろそろ髪切りたいんだけどなぁ……」

 シオンの外見はほぼ母親譲り。髪質もツンツンとしたものではなく、フンワリと柔らかい。髪質に限って言えば、アイズにも負けないかもしれない。

 「無理なんじゃねぇの? 女共が許さないだろうさ」

 「ベ、ベート? いつの間に!?」

 「おい待てその格好やめろ。お前全体的に女っぽいんだから違和感ねぇぞ……」

 反射的に体の一部を隠すと、妙にドン引きした声を投げられた。シオンも自分のしている事に気づいたのか、すぐにやめた。

 「ハァ、一応おれにだって見られたくないって気持ちはあるんだよ」

 「そりゃ悪かった」

 ベートはもう既に水の中に入っていた。シオン程に血を浴びていないし、洗うべき髪の長さも普通の男子相応。そこまで時間はいらないのだ。

 それはそれとして。

 「やっぱダメかね?」

 「リヴェリアを筆頭に、どいつもこいつも反対するだろ。前にロキが大暴れしたの、忘れたか」

 「覚えてるけどさ、それで苦労するのはおれなんですけどねぇ」

 一度、あまりにも邪魔になってバッサリ髪を切った事がある。

 その時の皆の阿鼻叫喚――特にロキなぞは『しばらくシオンの【ステイタス】更新はしてやらんからな!』とまで言い放ち、実際にさせてくれなかった。

 強くなるには神を頼るしかない。ある意味シオンに最も有効なその脅しのせいで、アレ以降シオンは一度も髪を切っていなかった。

 「諦めろ、男は女に勝てないと、フィンもガレスも言ってただろうが」

 「妙に実感こもってるのは何でだ」

 「気にするな」

 とりあえず完全に血と汚れを落とせたので、川の中に入る。足の指先から感じる冷たさに身震いするが、ひと思いに飛び込んだ。

 シオンとベートは岩に背を預け、お互いを真正面に迎えるようにしている。3人の索敵を抜けてきたモンスターを逸早く発見するために、死角をできるだけ無くすようにした結果だ。

 「ふぅ……うん、風呂とはまた違う。ヒンヤリしてて気持ちいいな」

 普段は纏めている髪が川の流れに揺らされていく。見様によっては幽霊のようだが、明るいのもあってまだ普通だった。

 と、ベートの目がシオンの肩に吸い寄せられる。

 「シオン、その古傷なんだが」

 「ああこれ? アイズを助けた時にな。ま、この程度なら安い買い物だよ。庇わなければアイズの頭は今頃グチャグチャだ」

 「治す、とかはできねぇのか?」

 「無理みたいだよ」

 ユリ曰く『傷が変に接合されちゃってるから無理。治したいならもう一回抉りなおさないとできない』そうだ。

 「そこまで気にしてないし、別にいいけどね。所詮男の肩だ」

 「……そうかよ。その内庇いすぎて死ぬんじゃねぇのか」

 「いやいや、おれだって死にたくは無いよ。まだやりたい事あるし」

 どの口が言う、と吐き捨てかけたが、投げたところで意味はないだろう。何度も口を酸っぱくしたところで一顧だにしなかったのだから。

 そう考えて、ベートはふと口にした。

 「話は変わるんだがよ。シオンは好きな女とかいんのか?」

 「へ? お、女? 好きな?」

 「ああ。人間としてじゃねぇ、自分の女にしたいって意味でだ」

 「いきなりそう言われても。ていうか、特に考えた事も無いから、わからん」

 「チッ、つまんねぇの」

 「いやいやおれもお前も八歳なってないから! 初恋まだでも普通だろ!?」

 何でか酷評されているのに反論しても、ベートは舌打ちを返すのみ。

 ――シオンに好きな女がいりゃあ、無理矢理でもくっつけたんだが。

 ティオナには悪いが、彼女とシオンが結ばれる前にシオンの方がぽっくり逝きそうなのだから仕方がない。

 シオンが『生きたい』と思う理由を作らなければ、本当に死んでしまう。

 ここ二年で、シオンの優先順位は他人より自分、自分よりも身近な大切な人間となっているのが嫌というほどわかった。だから恋人を作ったところで、ある程度の効果しかないだろうが。

 「ったく、さっさとくっつけばいいものを」

 「何の話だ?」

 「こっちの話だ」

 本当に――このバカを何とかしてくれるお嬢さんが現れてくれないものか。

 

 

 

 

 

 結局あの後紛れ込んだモンスターが一体来ただけで済んだ。2人の入水時間が女性陣と比べて速かったのもあるだろうが。

 ちなみに髪を布で拭く動作に、4人全員から目を向けられたのはどうしてだろうか。シオンはちょっと不思議だった。その後皆微妙な顔をしていたが。

 それはともかく、折角綺麗になったので、できるだけモンスターとは避けたい。そう全員が思ったので、ベートの鼻を頼りにモンスターを避け、森を進む。

 幾分歩いたのか。

 5人は半円状になった木の形から、ここが出口なのだと悟る。そして、森を抜け――白い輝きに目を焼かれ、やっと開けるようになって飛び込んできた世界に、目を奪われた。

 一度も見たことのないような、大自然。

 ありえない程広大な――それこそオラリオという都市がすっぽりおさまるんじゃないかというくらいに緑溢れる大草原。

 そこを走るモンスターと、ところどころにある水晶の姿はほぼ影にしか見えない。どれだけ広いのかわかるというものだ。

 右側はまだ木々が連なっている。入口を見たときに何となく感じたが、この森の広さはかなりの物なのだろう。仮に全部踏破するとしたらどれだけの時間がかかることか。

 左側には、湖面が見えた。実物の『湖』など一度も見たことはないシオンだが、ここまで色鮮やかな紺碧など、地上にはまず無い事くらい想像できる。

 その湖の中心にある巨大な岩石、いや『島』に一瞬気を取られたが、すぐに逸らす。

 真正面には、巨大な大樹。大草原の真ん中に悠然と存在するその樹の洞は、ここからでもはっきり見えるくらいに大きい。

 視線は、下から上へ。

 大樹の威容全てを見ようと上へ上へ目を向ければ、飛び込んでくるのは『空』だった。

 地面にも存在する水晶、それが天井をビッシリと埋め尽くすように所狭しとあり、中心核は太陽の光を放つ眩い白、それを守る周囲の水晶は空を幻視させる蒼色。

 「……昔、とある富豪が大金を積んでまで冒険者に依頼して、ここに来た事がある、なんて話を聞いたけど」

 そこから先は、言葉にならなかった。

 先程シオンが思い出しかけた、とある単語。

 「『迷宮の楽園(アンダーリゾート)』」

 そう呼ばれるに足るだけの理由が、そこにはあった。

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、いつまでも惚けてはいられないと手を叩いて全員を正気に戻す。

 「それで、どうする? 18層を見て回るか、もう地上に戻るか」

 「え~? 折角来たのにもう戻るなんてつまんないって。どうせだから泊まらない?」

 「あら、いいわねそれ。珍しくいいこと言うじゃない」

 乗り気すぎる姉妹。何も言わないがアイズとベートも反対意見は無い――どころか、雰囲気から察するに賛成している。

 「いや待て待て。どうやって泊まるんだよ。食事はともかく、テントどころか体にかける布すらないんだぞ」

 「時間はあるんだから、サラマンダー・ウールを洗えばいいと思うよ?」

 「あ、確かに。後は皆で一塊になれば、温かいんじゃないかな」

 「アイズ、ティオナ……いいのかよ。あんまり離れてると危ないから、かなり近くなきゃいけないんだぞ」

 「別にいいんじゃない? あんたらが今更私達を押し倒す姿とか、想像できないし」

 「だ、そうだが。どうするんだ、俺が反対しても負けてるぜ」

 「ベートォ……」

 軽く言い放つ4人に、一番考えなきゃいけないシオンは溜め息を吐くしかない。多分、強く言えば全員従ってくれるだろう。だけどそこまでする必要がないのも事実なわけで。

 要するに、シオンが貧乏クジを引けばいいだけだ。

 「わかった、わかったよ、もう。ただし、ちゃんと手伝ってもらうからな」

 「了解!」

 返事だけは威勢のいいティオナに軽く頭痛を感じながら、シオンは指示を出す。

 「まずは食料の確保だな。これは森の中で取れる果物とかである程度代用できる。これはベートがやってくれ。微妙な物はこっちで判断するから、一度持ってきて」

 「わかった」

 と言って、ベートはさっさと言ってしまう。拙速すぎだ。

 「アイズとティオナは洗濯。面倒くさいからって力任せに洗うなよ、布が傷むし、最悪二つに裂けるから」

 「うん、頑張る」

 「な、何とかするね……」

 アイズはともかく、ティオナはせっかちだからちょっと心配だ。まぁ、最悪の状態になったら修繕に出すしかないから、もう割り切ろう。

 「ティオネはおれと一緒に食料の買い出しだ。多分、長期保存した肉くらいは買える、はず」

 「はず? どうして多分なのよ。物々交換で普通に買えるでしょ」

 「……行けばわかるよ」

 あの街の特殊性は、フィンから直接聞いたシオンくらいしかわからないだろう。

 「本当、何事も無ければ、いいんだけどなぁ」

 「……?」

 『世界で最も美しいならず者達の街(ローグ・タウン)』なんて呼ばれるところに行くのは、どうしてもテンションが下がるシオンだった。




本当は街にまで行きたかったけど、1万文字行ったしここはここで区切りになるかなと思ってやめておきました。

それと期待されてた川で体を流すシーンですけど――よくよく考えたら全員まだ8歳にもなってないんですよ。
つまりですね。
詳しく書くと、私お縄についちゃいます。
だから諸君も詳しく書いたのを! とか言わないでね?
言ったら君達は、なんだっけ。ロ、ロリ、ロリコ――……まぁふざけるのはここまでにしておいて。

女性陣の会話内容について
姉妹の会話ですけど、書き忘れていたティオネの魔法発現について、せめてもの悪あがき程度に書きました。後はティオナの背中の後押しのため。
で、アイズとティオナとティオネの会話は、若干人見知りになっているアイズと姉妹の距離感を縮めるためです。こういったコミュニケーションが日々の信頼へと繋がっていくのだ……!

シオンの心境
やっぱり綺麗な子を見ると戸惑うのは男の子として当然だよね。

男子陣の会話内容について
こっちもこっちで気安い会話をしています。『気が置けない仲』って感じに仲の良いシーンにしたかったんですけど、こんなんどうでしょう。
普段はいじられるベートがシオンをいじってる姿も新鮮です。

泊まりたいと言った意味
要するにテンション上がって、一秒でも長くこの景色を見ていたい、ってだけ。突発的な事のためフィン達も把握してなかったり。
帰ったらお母さんの雷降ってきそう。

で、前回書き忘れたので今回書きます。あらすじ変えました。最後の部分だけ。
原作の最後参考に、

ベル達の【眷属の物語(ファミリア・ミィス)
アイズの【剣姫の神聖譚(ソード・オラトリア)
シオンの【英雄への物語(ブレイブ・ストーリー)

ってワケです。
あらすじ考えるのが苦手な作者なんで、特に深い意味はありません。そのまんまです。本当あらすじ考える力が欲しい……。

さて次回はシオンとティオネが街へ行ったりベートが食材集めたりティオナとアイズが服や布を綺麗にしたりする話かな。組み合わせとしては珍しい。
ちなみにまだ一切書いてません。
高校の文化祭と大学入試準備が昨日まで続いてて、時間が無かった……。
最近出たばっかりのGERをやる時間もありませんし! 時間が足りないと叫びたい。
ま、まぁそんな裏話はさておき、お楽しみに!


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泊まるための準備

 「森の出口とはまた違う光景ってのも、綺麗な物ね」

 「角度が違うからだろ。上から見下ろすのと、下から見上げるのは全然違う」

 とはいえ、そう景色だけを見ている訳にもいかない。大草原にはモンスターがいるし、相手が視認してきたら当然戦闘になる。矢面に立つのはシオンなので、ティオネはいいだろうが、汚れる方はたまったものじゃない。

 今まさにモンスターを倒し、返り血を浴びかけたシオンはそう思った。

 倒れたモンスターから投げナイフを回収し、ティオネに渡す。彼女はそれについた血を布で丁寧に拭くと、レッグホルスターに収納した。

 いつもより比較的小さなバックパックを背負い直しながら、彼女は言う。

 「モンスターがいるのに目を瞑れば、団長と良いデートができそう。いつか私と団長のふたりっきりで……」

 「いいんじゃないか。まぁフィンを誘うまでが大変そうだけど」

 フィンはティオネと2人だけになるような状況を避けている。理由はわからないし、フィンも言わないのでその心中を知るのは、3人くらいな物だろう。

 「それならそれで、あんたに協力してもらうだけよ。拒否は許さないからね」

 「別にいいけど、おれの力で何とかなるのかね。恋愛なんて知らないし」

 「だったらシオンも恋すればいいじゃない。そしたらきっとわかるわよ」

 ティオナの想いとか、そういったものが。

 「……興味無いな。恋愛してる時間的余裕も無い。そんなのしてるくらいなら、体を鍛えてる方がいいよ」

 「それはいくらなんでもストイックすぎ。もうちょっと精神的な余裕作りなさい」

 「十分余裕はあるよ。だから大丈夫」

 にべもない、とはこの事か。本人は本気で恋愛事に興味を向けていない。ティオネのように、人の恋愛事情なら別だろうが、シオン自身はする気がなかった。

 一応、先程の川での流水の時、ティオナとアイズに反応はしていたみたいだが……。

 ――アレはどっちかというと、性欲になるのかしらね。

 シオンも男だ。その上そろそろ男女を意識する年齢になる。だから、女の子の意外な姿にドキッとするのは何も不思議じゃない。

 チラとシオンを見やる。

 ――堅物……ううん、違う。もっと根本的な問題かな。

 多分シオンが『女』を意識したのは、あの2人だからだ。自分にとって本当にどうでもいい相手なら、彼はそんな反応を示さなかったはず。

 ティオネには、その意味がわからない。

 わかるのは、一つだけ。

 ――シオンのこの問題を何とかしない限り、あんたが報われる事はないわよ、ティオナ。

 恋するだけでも、愛するだけでもまだ足りない。寄り添うだけでもダメだ。それこそ引っぱたいて嫌われる覚悟を持たなければいけない程のレベル。

 本当に、妹が選んだのは茨の道だったらしかった。

 「シオン」

 「何だ?」

 「ティオナを泣かせたら、ぶん殴るだけじゃすませないから」

 「お、おう……?」

 今彼女が言えるのは、これだけだった。

 そんなやり取りを経て、2人は湖畔にたどり着いた。

 大木をかけ渡して作られた橋を渡り、湖畔に浮かぶ島へと足を踏み入れる。高く巨大な島の頂上付近を目指して歩きつつ、高所から18階層を見渡した。

 「何というか、大きな箱庭みたいな場所だよな、ここ」

 「そうね。非現実的な光景が目の前にあるからこそ、なおさらそう感じるわ」

 「それが『誰にとっての』物なのかは、わかんないけどね」

 「人間にとっての物じゃない事を祈るしかないわよ、そんなの」

 思ったことを口々に言い合い、2人は頂上付近に作られた『街』へと足を踏み入れる。

 木の柱と旗で作られたアーチ形の門には共通語(コイネー)で『ようこそ同業者、リヴィラの街へ!』なんて書かれていたが、フィンから実情を聞かされていたシオンとしては、どうにも乾いた笑みしか出てこない。

 この街は高さ二〇〇Mもある断崖の上にある。水晶と山肌の地形を利用して作られているため、明かりは無く、急な斜面には丸太で作られた階段が至るところにあった。

 住居、というよりは天幕や木の小屋、出店風の商店が多く立ち並び、岩に空いた天然の洞窟やら何やらを利用した宿屋が散見している。

 街、というよりは集落を思わせる乱雑さだが、青や白に輝く水晶、三六〇度どこを見渡しても見える18階層の景色が、その乱雑ささえ一つの味に仕上げていた。

 「へぇ、ダンジョンの中にある街っていうからどんな物なのかって思ってたけど……意外とまともなのね」

 「中身はまともとは言い難いが。開いてる店はどこもかしこも冒険者経営だ」

 「ふーん。あ、シオン、この門に書かれてる、三百二十九って何なの?」

 「ぶっ壊れて再建し直した回数。つまり、過去に三百二十八回ぶっ壊れてるな、この街」

 「はぁ!? 普通、街ってそんな簡単に作れる物じゃないわよね? どうやってるのよ」

 「店を見ればわかるだろ。どれもこれも作り直すのが簡単で、壊れても問題無い低費用(ローコスト)の物ばかりだ。要するに『壊されようが問題無い』をコンセプトに作られてるんだよ」

 「……ある意味冒険者らしいっちゃらしいわね」

 「その潔さは尊敬に値するよ、真似するつもりはないが」

 数字から目を離し、街へと踏み入れた瞬間だった。

 「――うん、いつだって願った事は叶わない物なんだね」

 「……?」

 

 

 

 

 

 トン、トン、と何かが跳び続ける音が、木の上から響く。

 それは狼だった。飛び乗っても問題のない枝を選び、だが一切の淀みなく移動する。微かな匂いでモンスターの接近を感知すると、影に隠れてやりすごした。

 「ったく、面倒くせぇ」

 別にやり合っても問題はないのだが、戦闘音や血の匂いに他のモンスターが引っ張られてしまえば泥沼になる可能性が高い。少なくともベート1人でそれをやろうと思うほど、彼は自惚れていなかった。

 そもそもベートは双剣以外の武装を置いてきている。鎧なんて付けてないし、普段靴底に仕込んでいる鉄も外してきた。そんな状態で自ら戦いを挑むつもりが無いのも大きな理由だ。

 「できれば、何事もなく終わらせたいもんだな」

 言いながらまたいくつかの木を飛び越え、そして彼の鼻が、良い匂いを嗅ぎとった。

 罠の可能性はあった。ダンジョンというのはとかく何が起こるかわからない。自分の中にある常識を粉々にしていくのがここでの当然。

 人を食べるために蜜を香らせるモンスター、如何にもいそうである。

 しかしそんな想像に怯えてもいられない。ベートは慎重に移動し、その要因へと近づいた。

 「……ほぉ。匂いの源はこれか?」

 目の前にある赤い漿果。触ると瑞々しいそれと、すぐ横にあった強烈な甘い香りを広がらせていた果実を取る。琥珀色の蜜を纏わせた、ふんわりした綿花のような柔らかさに、これが本当に食べられるのかと疑問に感じた。

 だが、まぁ、疑わしい物もなるべく取って来いとの仰せだ。判断するのはシオンだからと、ベートは名前すら知らぬそれをポイポイと持ってきた小さな鞄(ポーチ)に放り込んでいく。

 気づけばそれに入らぬ程の量を手にしていたベートは、少し取りすぎたか、と後悔した。そもそもダンジョン内部にある果実ができるサイクルがわからないので、どうとも言えないが。

 ――他人様の事なんて考えてる余裕はない、か。

 シオンの言う通り、今回の泊まりは本当に突発的な出来事だ。食料なんて物はもうほとんど残っていないし、寝具だって持っていない。そもそもこういった状況のノウハウなんて誰も習っていないので、必然的に全て手探りになる。

 つまり、物は多くて損はない、という事だ。

 そう自分を正当化しつつ、ベートはついでにまだ見ていない果実を探し始める。とはいえこの辺りにある物は大抵漁っていたので、単なる暇潰しのような物にすぎなかったのだが、

 「ん? こりゃなんだ?」

 ふと地面に目を落とすと、まるで水晶のような青い輝きを纏う、涙滴型の飴菓子があった。一見すると宝石のように見えるが、微かな匂いがそれを否定している。

 少し悩んだが、ベートはそれも鞄の中に入れた。何となく希少な気がしたので、他とは別のところにだ。

 念のためぐるりと周囲を見渡したが、落ちていたのは三つ程度。合計で四つ、これでは人数分揃わない。

 「……仕方ねぇ、もう一個探したら戻るか」

 無駄骨になる可能性はあったが、希少な物なら皆で食べたい――そう思ったかどうかは、ベートだけが知る事だ。

 

 

 

 

 

 「うーん、これは洗った後が困るなぁ」

 「干す場所が無い、よね」

 順調なシオン達とベートがいる一方で、ティオナとアイズの方は難航していた。理由はとても単純で、洗った布を乾かす場所が存在しないのだ。

 川辺に置けば砂利がくっついてしまうので、それはできない。

 「木の枝を利用するってできないかな?」

 「虫とか付いたら食い破られるかもしれないし……」

 「じゃあ、厚い布の上に敷いて干す?」

 「それもできそうだけど」

 アイズは近くにあった大きな岩に近づいて、それに触れる。日光を浴び続けたからか、熱を帯びたそれは中々いいかもしれない。

 「この上に薄い布を敷いて、干すのがいいかも。熱が伝われば速く干せるだろうし、薄布があれば小さな砂は避けられるから」

 問題点としては、岩の角に引っ掛って破れる事だが、それは注意していれば大丈夫だろう。

 「それじゃ私は汚れちゃった物を出しておくから、アイズは岩の上に布を敷いてきて。あ、できれば角が少ないのにお願い」

 「うん、わかった」

 シオンが背負っていた巨大なバックパックから、まず比較的綺麗な布を取り出してアイズに渡しておき、次に大量の汚れた布を取り出すティオナ。

 汗に土に埃に血にと、様々な要因で汚くなったそれは、結構な悪臭を放っていた。今更ながらこれの処理をシオンに任せていたのを後悔する。

 「……少しは家事、覚えたほうがいいかも」

 全部シオン任せなのは、ちょっと乙女のプライドが崩れ落ちるから。

 なんて思いつつ、ティオナは川辺にそれを置いて、一枚手に取った。それを川に浸し、

 「……あれ、これどうやって洗えばいいんだろう……?」

 石鹸だとかそういった類の物なんて、あるわけがない。となれば、彼女達にできるのは、一つだけだ。

 ゴシゴシゴシ、と手洗いで布と布を擦り合わせていく。うまくやらないと、固まりかけた血なんかは特に取れない。あまり力を入れ過ぎれば破れてしまうし、考え物だ。

 「ティオナ、これ破れてるけど、どうするの?」

 「んー、一応洗っておいて、後はシオンに任せよ。とりあえず言われた事をこなさないと」

 やはり、モンスターの攻撃を受けて少し破れたりしていた服もある。それ以上破れないように注意しながら洗うのは中々骨だったが、段々興が乗ってくると、楽しくなってきた。

 単純作業でもこなせば夢中になる。

 だがそれは、他に意識を向けるものがあれば即座に中断される程度の集中力しかなかった。

 横を見て、真剣な眼差しで洗濯しているアイズを見た。その横顔は同じ女の子であるティオナから見ても、とても綺麗で、憧れてしまう。

 ――シオンは……。

 彼女の事を、どう思っているのだろう。

 少なくとも、悪いように思っていないはずだ。悪いように思っているのなら、両腕が火傷してまで庇わないはずだから。

 ――彼は、アイズの事が、好き、なのかな。

 そう考えると、チクリと胸が痛んだ。

 一歩通行の片思いは、シオンにちょっとすら届いていない。ティオナが見ていた限り、シオンは自分が誰かと付き合おうとか、そんな事を考えていた様子は無かった。だけど、シオンだって人間で、無感動な無機物じゃない。

 いつか――自分の知らないところで、知らない『誰か』に恋するかも、そう考えると居ても立ってもいられなくなって、頑張って、でも意味を成さなくて。

 そうでなくとも、横にいる『妖精さん』にシオンが恋してしまったら……。

 ――あーあ……また堂々巡りしてる。

 諦めるなんて選択肢、最初から存在していないのに。

 こうして意味のない思考が頭の中に居座り続けるのは、これが『恋している』からなのか。

 そう例えば、今目の前にあるシオンが着ていた服を一度広げて、汗とかが滲んで強烈な臭いを発しているのを見、て――。

 「……? ――!?」

 ボフンッ、とティオナの顔が真っ赤に染まる。

 ――待って待ってちょっと待ってっ! 今私何考えたの? 流石にこれは変態だよ!?

 正直言って、ティオナはシオンの匂いが嫌いじゃない。

 でもだからって――本人じゃなくてその人が着ていた服に手を出すのは、ちょっとレベルが高すぎて自分で自分にドン引きした。

 慌ててそれを川の中に突っ込んで、ゴシゴシ洗い出す。

 「……ねぇ、ティオナ」

 「ひゃいっ!??」

 か細い声で呼ばれ、ティオナの声が裏返る。

 バクバクと跳ねる心臓を抑え、なるだけ冷静に問い返した。

 「な、な何? 聞きたいこととかあるの!?」

 ティオナに腹芸ができるわけがない。

 どこか引いているアイズは、指でティオナの目前にある物を示し、

 「そ、そうじゃなくて。その、力入れすぎだと、思ったんだけど……」

 「……あ」

 ……シオンの服は、ボロボロの布切れに成り果てていた。その惨状にティオナはガックリと肩を落として頭を垂れた。

 ――何やってんだろ、私。

 空回りしすぎだ。バカすぎるにも程がある。

 「ふ、ふふっ」

 そんなティオナを見て、アイズは口元に手を当てて笑ってしまう。少し堪えようとしたが、端から漏れ出る笑い声は耳に届いてくる。

 「わ、笑わないでよ! もう、恥ずかしいんだから」

 「ごめんなさい。でも、ティオナの顔が面白くって」

 コロコロと色が変わるティオナは本当に見ていて飽きない。

 素直、なんだと思う。限界まで溜め込んで爆発したアイズと違い、表に出している。天真爛漫な人なのだ。

 だから、見ていて楽しい。

 「もう……あんまりからかわないでよね」

 遂には赤い顔でむくれる彼女は、わかりやすく恥ずかしがりながら怒っている。邪気がないから裏を疑う必要がない。

 言い方は悪いが、友達として理想的なのは、彼女みたいな人なのかもしれない。

 若干人見知りのアイズとしては、ぐいぐい来てくれるティオナは、ちょっと苦手であるのと同時に、こんな自分をきちんと見て話してくれる、貴重な相手でもあった。

 が、そんなアレコレは次の一言で吹き飛んだ。

 「アイズって、シオンの事どう思ってるの?」

 「んなっ、っ!?」

 驚きすぎて咽せたアイズは、視線が微かに鋭くなるのを感じながらティオナを見た。

 もう一度言うが、ティオナに腹芸ができるわけがない。

 何とも無い様子を演じている――ように振舞っているせいで、逆に違和感になっている。顔はもう赤くなっているところが無いくらい紅潮してるし、目はキョロキョロと動いて忙しない。更に口元が引きつっていて、もう見ているこちらが恥ずかしくなってきた。

 先程感じた唐突な質問に対する感情が一度平坦になり、冷静になったアイズが答える。

 「そう、だなぁ。うん、やっぱり私にとってシオンは『兄』になるのかな」

 「兄って、血縁がある、わけじゃないよね?」

 「私もシオンも、両親が違うから。異母兄妹って訳でもないからね。完全に、他人だよ」

 だが、それでもアイズはシオンを『兄』として慕っている。

 落ち込んでいた時に、必死になって励ましてくれたこと。

 自分の睡眠時間すら削って、自分の力になろうとしたこと。

 八つ当たりした相手すら、命をかけて助けてくれたこと。

 尊敬しない、理由がない。だからアイズは、シオンに懐いている。たったそれだけの、言葉にすればほんの少しの理由だ。

 他にあるとすれば、兄がいたらこんな人なのかな、と思った事くらいか。

 「シオンがシオンでいる限り、私は彼を兄だと思い続ける。流石に自堕落になったら、兄だと思えないかもしれないけどね」

 働かずに自室で、それこそそこらの神のようなニートになってしまったら、ふん縛ってでも外に出すくらいはするだろうけど、それはそれとして。

 「シオンは、私が大好きな、お兄ちゃん」

 「……そっか」

 藪蛇だったかもしれない、とティオナは思った。

 アイズは確かに、シオンを兄だと慕っている。それに間違いはない。だがそれは、とても恐ろしい事でもあった。

 憧れは、ふとした切っ掛けで恋心になる。

 かつて自分で経験したからこそ、そう言い切れる。ティオナだって、最初は単なる憧れにすぎなかったのだから。

 何よりも、

 ――その顔は、反則だよ。

 キラキラとした目で、頬を紅潮させながら浮かべる微笑は。

 アイズに切なさを感じさせるくらいに、敗北感を与えてきた。

 

 

 

 

 

 「――何なのよこの街!? 何でっ、ただの干し肉がこんな値段してんのよ!?」

 「落ち着けって。怒鳴っても仕方ないだろう」

 「怒鳴らずにいられると思う? ただの食材が万を越えるって、どんなぼったくり!?」

 もちろん万を越えるような物はレアな肉だったりするが、他の食材だって洒落にならない値段になっている。

 「ていうかここにお金なんて持ってきてないんだけど!」

 「そこらへんのシステムはちゃんとあるよ。自分の名前と所属【ファミリア】のエンブレムを記入した証文を作ってな。ガメついが、逆に言えば金銭のやり取りは厳密なんだよ」

 「その努力を別のところに向けなさいよ……」

 呆れ果てているティオネは、処置無しとばかりに頭を振った。そんな彼女に、店を開く人相の悪い冒険者が嘲笑うかのように薄い笑みを浮かべる。

 その態度にティオネの額からピキピキと嫌な音が聞こえたが、ここで騒ぎを起こせば大問題になるとわかる程度の理性はあった。

 ザッとリヴィラの街を探索し終えた2人は、一度広場で休憩。持ってきた水を飲み、それからティオネが聞いた。

 「シオン、換金所があるみたいだけど、そこで金を手に入れてから食材を買うの?」

 「いや、そうするつもりはない」

 「じゃあなんでこんなに魔石を持ってきたのよ。意味ないじゃない」

 ここまで魔石の入ったバックパックを背負ってきたのはティオネだ。無駄な労力をさせられたのかとシオンを睨めば、

 「そうじゃない。まぁ、もう少しだけ付き合ってくれ」

 「……わかったわよ」

 それでも話を逸らされたティオネは、我慢した。

 シオンだから、信じるのだ。これが出会ったばかりの人間であったのなら、顔面をぶん殴るだけじゃすかなかったかもしれない。

 そうしてついて行った場所は、つい先程通ったところだ。

 「よお、買い物させてくれ」

 「ん? ……随分ちいせぇな。まぁいい、金か? それとも物か?」

 「物で。買う物は干し肉……そうだな、普通に豚で、六〇〇g分」

 「あいよ。で、そっちが出す物は?」

 言われ、ティオネに向き直る。彼女は唐突に始まったやりとりに目を白黒させていたが、何かあると思い、身構えた。

 「ティオネ、ちょっとバックパックを貸してくれ」

 「え、ええ。はい」

 「ありがと」

 素直に渡すと、シオンは店番の冒険者へ体を向けながら、いくつかの魔石を取り出した。それをカウンターに一つ、二つ、三つ、四つ……と、どんどん並べていく。

 それがある程度の量に達すると、シオンは相手の目を見た。

 「リヴィラの街の最高買取額と、この店の肉の料金だったら、これで十分なはずだ」

 「あぁ? 全然足りねぇよ。少なくともこの倍は――」

 「ここから東に十五分の店」

 「……何の話だ?」

 吹っかけようとした冒険者を、シオンは冷たい瞳で射抜いた。

 「ここより多少高いが、リヴィラの街で売られている干し肉の平均価格よりも、安いところがあった。他にも時間がかかっていいならこの店の次に安い場所も知ってる。――別にいいんだ、ここで買えないなら別のところに行くだけだし」

 そう、シオンが一度リヴィラの街を見回ったのは、開いている店の値段を知るためだ。

 もちろん、いかなシオンとて全てを覚えるなんてできるはずがない。だが必要な物だけを頭の中に纏めるだけなら、できる。その程度の技術は、リヴェリアから教わった。

 過程はさておき結果として、シオンはこの街の最安価格をあっさり把握していた。

 だからこその冷笑。

 『物を知らない子供』扱いした事の、反撃だった。

 「それで、これでいいの? 悪いの? さっさと決めてくれないか、こっちだって暇じゃないんだから」

 「……チッ、食えねぇガキだ。女みたいな形して、詐欺かよ」

 「外見は関係ないなぁ。フィンやリヴェリアから叩き込まれた結果だし」

 「【勇者】に【九魔姫】の教育の賜物って訳か、マジであの噂は本当なのかもな、【英雄】?」

 ニヤついた笑みを向かれたので、シオンもすっとぼけた表情で答えた。

 「さぁね。おれは平団員だから、その辺りは知らされてない。知りたいんだったらフィンに直接聞けば?」

 「生憎と、そんな無謀さは持ち合わせてなくてね。ほらよ、干し肉だ」

 渡された物を、一度開封し、中身を見て、更に重さまで確認してから、

 「……確かに。ありがたく受け取るよ」

 詐欺られていないかと疑う根性。

 ある意味器が小さい行動ではあるが、だからこそ、生き残れたのだろう。見た目やらを気にする人間が、ダンジョンで生き残れるわけがないのだから。

 「今回は負けだ、負け。また来い、楽しみにしてるぜ。今度こそぼったくってやる」

 「値段が安かったらまた来るよ! じゃなかったら来ないけどな」

 減らず口に挑発を返すと、凄まれた。

 それにけらけら笑いながらティオネのところへ行くと、彼女は呆れていた。それはもう、盛大に呆れていた。

 「……なるほど、こういう交渉か。脱帽したわよ」

 「外見で子供扱いされるってわかってたからな。それに、この街での物価の把握は、違う国へ行った時にも使える技術だぞ?」

 「それを使うのは商人くらいでしょうが!」

 シオンは、オラリオとリヴィラの街での買値、売値を同じ視点で見ていない。

 確かに食材やら魔石やらはオラリオで買ったり売ったりした方が安いし高い。だが逆に、リヴィラの街単体で見れば、今のやり取りが普通になるのだ。

 だから勿体無いと思わず安値だとわかれば買いに走るし、そうでないなら逃げる。売れる物で、しかしもう持ちきれないならさっさと売る。

 高い? 安い? どうでもいい、手に入るなら譲ってくれ、そうでないのなら交渉をさっさと終えて別のところに行かせろ。

 そんな態度が出ているからか、相手も応じてくれたのだろう。

 「オラリオの常識なんて気にしたところで、ここで意味があるわけじゃない。余計な思考は削ぎ落としたほうが楽だよ」

 「いや、誰も彼もがあんたみたいになれるわけないから……」

 そんな態度で必要な野菜やら砥石なんかを交換し、必要な物をさっさと回収。一応かなりぼったくられてはいるのだが、実は初めて来た人間はもっとぼったくられるのが普通である。

 それに比べれば、シオンは実に交渉上手だった。

 「……頭が痛いわ、この街の存在自体が、全部……」

 「あ、あはは……そこまで言うのか。そんなに嫌なのか?」

 「あの性根が気に食わないのもそうだけど、視線が一番うざったいのよ。私まだ子供よ? なのにあの粘りつくような目……何度抉りたいと思ったか」

 ここはガメつい冒険者が多い。要するに、ダメ人間が多いとも言える。幼いティオネに妙な目を向ける人間は、相当数いたらしい。

 何故か一部はシオンにも向けられていたが、多分、容姿のせいだろう。

 妙な悪寒は――気のせいだと、思いたい。

 「そもそもなんで私を誘ったのよ。ベートはともかく、珍しい組み合わせだし」

 ティオネとしては、シオンとアイズ、ベート、そして姉妹で組むのだと考えていた。それがこの状態なのだから、疑問に思っても仕方がない。

 ちなみにシオンの回答は、

 「アイズとティオナの仲がよくなる事を祈ったのが一つ」

 「……確かに、私やベートと違って、あの2人はどこか遠慮がちだったけど。それで? 他の理由は?」

 「冒険者の乱闘が起きて、それに巻き込まれても大丈夫なようにティオネを選んだ」

 「……は?」

 一瞬、ティオネは何を言われたのか、一言も理解できなかった。

 だがジワジワと脳裏にその言葉が染み込んでくると、シオンに対して懐疑的な想いが浮かんでくる。

 懐疑的で留まっている理由は……最早言う必要など無いだろう。

 「別に巻き込まれていいってわけじゃないぞ? 勘違いするなよ」

 「わかってるから大丈夫よ。で、詳しい説明」

 早口で述べると、シオンは少し悩んだ素振りを見せ、

 「ティオネは――()()()()事に、抵抗が無いだろう? さっきだって、剣を抜こうか悩んでたみたいだし」

 「――――――――――――」

 見抜かれていた。

 あまりにもうざったくて、本当に剣を振るってやろうかと考えていたのを。

 ティオネは、誰かを斬る事に抵抗感なぞ持ち合わせていない。

 やられなければ、やられる。

 フィンに助けられなければ、名前も知らない男に手を出されていただろう彼女は、それを身を持って知っていたから。

 「乱闘が起きれば、人を斬る事になる。それを躊躇せずに実行できるのは、ティオネしか知らなかった。それだけだよ」

 「……あっそ。にしても、その言葉を聞く限り、シオンは忌避してないのね」

 「まぁ、今更だし? 気にしたところでどうしようもないよ」

 「……?」

 そのセリフが妙に気になったが、ティオネは聞き返せなかった。

 何故なら、

 「ああ、ごめんティオネ。ちょっと寄らなきゃ行けない場所があったから、先に帰っててくれないか」

 「え? え、ええ、それは構わない、けど」

 どうしてなのかと聞いてみると、

 「忘れてた事があってね。それが終わったらそっち戻るから、気にしないでくれ」

 笑うシオンに、不自然さは見当たらない。

 多少の疑問を感じつつ、ティオネは戻る事にした。戻る、と言ったのなら、シオンは戻ってくるだろうし。

 そう考えている彼女の背を見送り、シオンはふぅと溜め息を吐いた。

 「ティオネが気づいてる様子は無い、か。つまり、狙いはおれだけなのか……?」

 もしティオネにも視線が向けられていたのなら、彼女はきっと気づいていたはず。

 「……さて」

 シオンは一度、リヴィラの街を見上げた。先程と変わらない、ただの街。

 なのにシオンの目には、どうしてか真っ黒な悪意が見え隠れしていた。

 「さっさと終わらせて、皆のところに戻りたいところだな」




うーん、色々追われていた物から開放されてゲームとか小説読んでたら、普通にこっち書くのを忘れてしまっていた。反省。

慌てていたせいで解説やら何やらが書けませんでしたが、この回は繋ぎですし諦めます。

どうしてもここがわからない、とかあったら感想下さい。お答えしますので……。


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初対人戦闘

 リヴィラの街は、一見しただけでその全てを把握できるようなところではない。表面だけを見るのであれば、この街はガメついだけの場所でしかないからだ。

 しかし、そこに潜む物は、並大抵の物ではない。

 オラリオと同じ――とは行かないまでも、それに準ずるだけの力が集まっている。この階層まで来れる冒険者というのは、それだけの暴力を持っているのだ。そして、冒険者というのは粗野な人物が多く、厄介なトラブルを起こす事が多い。

 つまりはこれも、その厄介なトラブルの一つにすぎない、という事だ。

 洞窟に作られた小さな酒場。水晶の太陽による光が届かないそこは、松明に灯された小さな篝火だけが、彼らの視界の寄る辺だ。場所によっては手元さえまともに判別できず、持ってこられた食事さえ地面に落とす時さえあるほど。

 一応、清掃はしているのだろう。酒場自体の臭いはそれほどでもなかったが、冒険者達の放つ雰囲気が、人を近寄らせようとしなかった。

 酒を飲み、飲まれて暴れようとさえする冒険者もいたが、彼らは酒場のマスターによってあっさりと放り出される。その代金として、有り金、あるいは持っている魔石とドロップアイテムを全てかっぱらって。

 誰も文句など言わない。自業自得と割り切り、各々は自らが注文した物を食べ、飲んでいた。

 その内の1人に、外から入ってきた全身をローブで隠した男が近づいた。恐らく後から合流する予定だった、パーティメンバーだろう。

 そして男が近づき、椅子を持って隣に座ると、小さく何事かを囁き、

 「――おれなら、ここにいるけど?」

 「な……っ!?」

 真後ろから飛んできた声に、全身を硬直させつつ振り返った。

 そこにいたのは、にっこりと笑う白銀の少年。およそ筋肉などついていないくらいに細い体躯でありながら、その戦闘能力は大人に勝るとも劣らない。

 無意識に滲み出る怒りが殺気と思われたのか、男は身構え、戦闘態勢に移行する。

 「どうして、ここが……」

 「いやだってさ、視線向けてきてるのが丸わかりだったし。一回外に出れば誰かに報告でもするかなと思ってみたらドンピシャってわけ」

 どうにも素人臭いし、むしろ誘ってるのかと思ってた、とまで言えば、隠されて見えない男の顔が引きつった気がした。

 そんなに不思議だろうか、と思う。

 一時期、フィンに五感を鋭くするための一環で目隠し状態で戦わされた経験からか、少しこういう事が得意になっただけなのだが。

 違和感に気付いたらしい周囲の冒険者の目が突き刺さってくるのを感じながら、シオンは目の前の2人に問いかける。

 「それで、おれに何か用? 少なくとも、穏便にはすまないだろうと考えてるんだが」

 目を合わせている2人の内、リーダーだろう男は肩を竦めた。小さくすまない、と言いながらローブの男を下がらせると、シオンに目を向ける。

 「……どうやってバレないで入ってこれたんだ?」

 「ん、時間稼ぎ? それとも考え纏めたいのかな。ま、別にいいけど」

 別段苦労はしなかった。

 ローブの男が入ったと同時に、目立つ髪を隠すために途中で拾った黒い布で頭を覆い、そのまま入口から入って横にズレ、暗がりを通ってここに来ただけだ。

 元々ここは酔っ払いが多い。入口に向けられた目の数の少なさもあって、バレずにすんだ。

 全てを答えたあと、シオンは再度言う。

 「そろそろ答えてくれないかな。何の用事があって、おれを見ていた。仲間には視線を向けていなかったみたいだが」

 場合によっては――そんな意志を込めると、彼は降参を示すように両手をあげた。

 「悪い悪い。あんたの言う通り、俺達はあんたのお仲間には興味がない。あくまでも目標はあんた――【英雄】様だけだよ」

 「へぇ。言っちゃ悪いがあんたの顔なんて見たこと無いんだけどな。どっかで恨みを買うような出来事、あったっけ?」

 「俺にはねぇな。ただ、この顔にはどっかで見覚え、あるんじゃないか?」

 突然男は髪を掻き回し、その内いくつかを持ってツンツンした状態にする。いきなりの奇行に眉を寄せていたシオンだったが、出来上がった顔を見て、驚愕した。

 「おい、お前まさか」

 「一目でわかるなんて思ってなかったな。意外と記憶に残ってたのかね?」

 男の顔は、凡庸だ。正直覚える意味など無いし、会話したとてすぐに忘れるだろう。

 ただ、シオンはすぐにその男の顔に見覚えがあると気付いた。そして同時に、この男がどうしてシオンを狙ったのかを、漠然と理解した。

 つい歯噛みしてしまう。出来れば話し合いで解決したかったが、事こうなれば、そんな甘っちょろい対応は期待できない。

 その男は――、

 「ずっと前、あんたに言葉だけでやられた奴の兄貴だよ」

 そう。

 かつてリリと、エイナを庇い、その結果散々に挑発した男と、よく似ていた。

 驚きに目を見開くシオンを見て、どこか満足そうに笑っている男が、名乗ってきた。

 「シギル・ウォーだ。バカな弟が世話になったな」

 「……自己紹介、どうも。シオンだ」

 一周回って冷静になったシオンが答えると、シギルはまたも笑い出す。それについていけずに困惑していると、シギルが酒を差し出してきた。

 「飲むか?」

 「いらん」

 「そりゃ残念、うめぇのに」

 差し出された酒をそのまま自分で飲み干すと、シギルは立ち上がり――それに釣られるように、多くの冒険者が立ち上がった。

 「マスター、代金だ。んでもってシオン。悪いが付き合ってもらうぜ、そのためだけに、こんだけ連れてきたんだからよ」

 この酒場は、小さい。

 それでも二十三十は余裕で入れるくらいの大きさはあるし、その内大半が、この男の味方となると、シオンの不利は否めなかった。

 「……場所は?」

 「おあつらえ向きに、近場に大草原があるだろ。そこでいいだろ」

 それでもシオンは、逃げるつもりなどない。

 そもそも一度逃げたところで、意味がないからだ。これから18層に来るたびに逃げて追われてを繰り返すなど時間の無駄だし、もうダンジョンに来ない、なんてアホな選択肢は選べない。

 だから、一度ここで全てを決める。

 その先に何があるのかは、まだわからないが。

 酒場から出て、リヴィラの街を移動する。流石に数十人が一気に固まって移動すると邪魔にしかならないからと、数人を五個で分けて移動させた。

 シオンはその中ほど。逃げられないように、という判断らしい。

 「別に逃げるつもりなんて無いんだけどな」

 「用心って奴だ。保険ってのはかけておくもんだろ?」

 鷹のような鋭い目がシオンに向けられる。先ほどまでの振る舞いはそこになく、ダンジョンで生きる冒険者としての姿があった。

 「本当、なんで弟はあんななのに兄は立派なんだか」

 「そう褒められたもんじゃねぇよ。それに、あいつがああなったのは俺のせいでもある」

 「お前の? それはあれか、兄と比較されたからか」

 「ま、その通りだ。だがまぁ、それ以外にもあいつが好きだった女を俺が――っと、これは野暮だったな。とにかく、色々あって俺はあいつの頼みに弱くてな」

 「…………………………」

 「あんたにゃ恨みはねぇが、約束したんだ。安心しろ、殺しはしない。俺もあいつも【ロキ・ファミリア】に喧嘩を売るつもりはないからよ」

 何も言わなかった。

 他人のゴタゴタに興味なんて無かったし、話を聞いて、少しだけ安心した。

 ――少なくとも、皆は巻き込まないで済む。

 そんな思いを胸に沈め、別のことを聞いた。

 「そういえば、なんでこんな人数が集まったんだ? 弟の頼みとはいえ、あんた個人にそこまでの人望があったのか?」

 「あーいや、な。これを言ったら悪いのかもしれないが」

 どこか罰の悪そうに、シギルが言った。

 「単に、嫉妬だとよ」

 「…………………………なんだ、そりゃ」

 「その年でそこまで強くなるあんたを妬ましい、あの【ロキ・ファミリア】に、美女美少女達のいる【ファミリア】で過ごせるのが羨ましい、他にも色々とあってだな」

 「正直言っていいか」

 シオンは一泊溜めて、

 「心底くっだらないんだけど!!」

 ……その叫びで睨まれたのは、理不尽だと思いたい。

 ジト目になって下からシギルを睨みつけると、心の底からの笑い声が返された。うっぜぇ、と吐き捨てると、頭を叩かれた。

 「確かにくだらない理由だ。だがそれでも、あんたを倒す、そのためだけに集まったのは事実なんだよ。これからも頑張るんなら、こういった悪感情に晒される機会は多くなる。今のうちに慣れておくのを勧めるぜ?」

 「……の」

 撫でる、というより叩きつけるかのように手を置くシギルは、気付かない。

 「知ってるよ、そんなの」

 かつて浴びた『闇』を思い出して、シオンは小さく、唸った。

 下らない話をしていると、もう草原が広がっていた。しかし彼らはそこから更に別方向へ移動していき、大体の冒険者が通る道から外れた場所へ移動する。

 「モンスターが来たら、どうするんだ?」

 「こっちで対応するさ。何人かはそのために連れてきたんだからよ」

 「あっそ」

 シオンは軽く手足を捻る。その体についている防具はほとんどない。一応、篭手と、それに付けられたプロテクラー、それから膝当てくらいはあるが、それだけだ。

 急所を守るような物は一切無い。

 なのにシオンの体に緊張感は見て取れず、背中にある剣の位置を調節する余裕さえあった。

 そんな少年の所作に違和感を感じ取ったシギルだが、しばし考え、首を振り、考えても意味のない事だと、余計な思考を打ち切った。

 「一応、殺し合いじゃない。だからできるだけ配慮はするが、死んだら、まぁ、すまんな」

 「別にいいよ。こっちだって殺すかもしれないんだし、お互い様だ」

 ――やっぱ、おかしいよな。

 シオンが、『人間同士』の戦いに何とも思っていない事に、シギルは不安を感じた。モンスター戦と対人戦では何もかもが違う。

 なのに、シオンはそれをどうとも思っていないかのように、

 「あ、そうそう言い忘れてたけど」

 「何だ?」

 薄く、彼は笑って。

 「おれが得意なのはモンスター戦()()()()()()()だ」

 驚くシギルを見ながら、彼らへ向けて疾走した。

 

 

 

 

 

 「お帰り! こっちは洗濯終わったよ。あれ、ティオネだけ? シオンは?」

 「忘れ物したから、ちょっと遅れるだって。だから私だけ先に帰ってきちゃった」

 そうなんだ、とちょっと不思議そうにしている妹を見ながら、ティオネは2人の距離感を見て何となく察した。

 ――シオンの目論見通り、仲良くなってる、のかな。

 微妙な距離感だ。本当に、判別に困るくらい。

 ティオネの思いつく理由としては、一つだけ。ただそれが当たっているとしたら、彼女は口出しするつもりはなかった。

 「ねぇねぇ、何か買えた? 今夜何作るの!?」

 「そこまで豪勢にはできないわよ。一応、鉄板とかは交換できたけど、鍋はないから普通に焼くくらいしかできなさそう」

 調味料なんて便利な物は無いので、素材の味付けは無理。素材そのものの味を楽しむのが限度になるだろう。

 そんなティオネのニュアンスを感じ取ったのか、ティオナはちょっと残念そうだった。

 「ティオネ」

 「何かしら」

 「えっと、ジャガ丸くんは……作れる?」

 「ジャガイモが蒸かせないから無理。そもそも塩さえないんだから、できたところでただの蒸かした芋になるわよ」

 「うう……」

 ガックリ項垂れるアイズ。よっぽど好きなのだろうが、無い物は無いのだから仕方ない。

 なのに、妙に罪悪感を刺激されるのはどうしてだろう。ティオネが居心地悪そうに身を揺すっていたら、ティオナが、

 「まぁまぁ、帰ったら一緒に食べに行こうよ! 美味しいところ見つけにさ!」

 「……いいの? 楽しみ」

 肩を組んで笑い合う2人は、本当に楽しそうだ。意外と相性がいいのかもしれない。ティオネは内心、素直にシオンの作戦を称賛した。

 持ってきた物を個別に分けて、バックパックに収納する。余った魔石なんかも一ヶ所に纏めておいた。

 アイズとティオナは畳んだ服を、その人ごとに纏め、ティオネの手が離れた時を見計らって戻していく。夜使う事になるだろう、大きな布だけはそのまま残していたが。

 そうしていると、一足遅れてベートが戻ってきた。

 「なんだ、俺が一番遅かったか?」

 「ううん、まだシオンが来てないよ。だからベートは二番目」

 「そうかよ、なら持ってきたこれはまだ分けられなさそうだ」

 小さな鞄に手を回し、ゆっくり地面に置く。

 そこから香る匂いに誘われて、3人の少女が近寄っていく。それから思い切ってティオナが明けると、一気に匂いが増した。

 「うわぁ、美味しそう……!」

 大小様々、彩り鮮やかな果物が顔を覗かせる。まさに選り取り見取りなその光景に、ティオナは思わず手に取って食べていた。

 「す、すっごい甘い! それに美味しい! こんなの食べたこと無いよ!?」

 「って、何食ってんだこのバカゾネス! 毒入ってたらどうするつもりだ!」

 「そんなの気合いと根性で何とかすればいいんだよ!」

 「テメェの脳ミソ腐ってんじゃねぇのか……!」

 そんなやり取りに、思わず手を伸ばしていたアイズが手を引っ込める。ティオネも毒と聞いては手が出せないのか、仕方なくティオナの様子を観察し、それから彼女と同じ物を手に取った。

 「ほら、アイズ。多分だけど、これなら平気よ。よかったわね、率先して毒見してくれて」

 「い、いいのかな……?」

 「よくないからね!?」

 「自業自得だ!!」

 普段諌め役のシオンがいないからか、騒ぎが留まる気配が無い。

 息も絶え絶えに胸を上下させるベートは、そこでやっと未だにシオンが戻る気配が無いことに気付いたのか、言った。

 「おい、流石に遅すぎねぇか? いくらなんでももう戻ってきたっておかしくないだろ」

 「そうね。ちょっとトラブルに巻き込まれたとしても、これは」

 「うーん、シオンが何も言わずにいるのは考えられないんだけどな。ティオネ、伝言とか預かってない?」

 ティオナに問われ、ティオネはうーん、と悩み、それから思い出した。

 シオンが言っていた、不可解な言葉を。

 「『忘れてた事があってね。それが終わったらそっち戻るから、気にしないでくれ』って。でも結局その『忘れてた事』を話してはくれなかっ――」

 「今すぐ準備しろ! リヴィラの街に行くぞっ」

 「ベ、ベート?」

 ティオネの言葉を遮り、唐突に叫んだベートは既に行動を始めている。追従するようにアイズとティオナも武器を背負い、ティオネは混乱しながらバックパックを背負った。

 それを確認すると、彼は振り向きもせずに駆け出す。

 「待ちなさいよベート、説明しなさい!」

 「説明はする! だが足は動かせっ、時間が無いんだよ!」

 意味がわからない。

 そう叫びたかったが、ベートの焦りは本物で、足を止める様子が全く無い。苛立ちに頭を掻きむしりながら、それでもティオネは彼について行った。

 ティオナとアイズは一度目を合わせるも、置いてかれるのも嫌だと走り出す。

 この場で最速はベートだ。全力で走れば全員を置いていく事になると理解していた彼は、微調整して速度を抑える。

 最高速度とは行かずとも、それに近い速度で走っているため、アイズは口を開く余裕さえない。だから代わりに、ティオナが聞いた。

 「ねぇ、シオンが何やってるのかベートはわかるの?」

 「全くわかんねぇな!」

 「ハァ!? わかってるから走ってるんじゃないの!?」

 あまりにもあんまりな返答に、ティオネがベートの正気を疑うような目を向ける。

 「うっせぇ、俺がアイツの事を何でもかんでも知ってると思ったら大間違いだ。だがまぁ、最低限わかる事はあるんだ」

 「何よそれ」

 「アイツは基本的に曖昧な言葉を多用しないんだよ。それが危険なんだ」

 「……?」

 ティオネの頭の上に疑問符が浮かぶ。

 それを無視してベートは続けた。

 「本当にわからない時は別だが――シオンは、すぐに戻れるときは『すぐに戻る』って言うし、逆なら『遅くなるから気にしないでくれ』とでも言うだろうさ。そのどっちでも無いって事は、つまり」

 「……どっちとも取れない?」

 「逆だ。どっちにも転がるから曖昧になったんだよ」

 あっさり決着が付けば、すぐ戻れるだろう。それなら心配はいらないし、そもそももう戻ってきてたっておかしくない。

 つまり後者。

 戻れないくらいの厄介事に巻き込まれている真っ最中、ということ。

 「ったく、嘘を吐けない性分だから、誰かに誤魔化すときは曖昧な表現ばかりしかしない。ロキみてぇな野郎だ」

 「……ああ、そのせい」

 ティオネは、シオンの嘘を見抜けなかった。

 当たり前だ、本人は嘘など言っていないのだから。ただ本当のことを隠しただけで。だからベートは危険などと言うのだろう。

 ――シオンはその気になれば、4人全員を騙してのけるのだから。

 話を聞いていたティオナは、それを理解して恐怖した。

 「死なないでよ、シオン……っ!」

 ただそれだけを願って、4人は森を抜け、草原をひた走る。

 その途中、ティオネは気になったことをベートに聞いた。

 「そういえばベート。どうしてシオンの考えがわかるの?」

 「だから、わからねぇっつってんだろ……。強いて言うなら、諌め役だからだ」

 ベートはずっと、シオンの意見を否定してきた。

 それでいいのか。もっといい案は無いのか。それを行えばこんなリスクがあるのに。だからこんな風にはできないのか。

 そうやって、時にシオンとは正反対の事をぶつけてきたから、何となくシオンの考えを把握できるようになってきた、それだけの話。

 「アイツがバカな事をしたら止める。それが俺の役目だ」

 「ふーん? ま、そういう事なら信じるわよ」

 ティオナは、シオンを縛る鎖だ。

 だからベートは。

 シオンを正気に戻す、拳を振るおう。

 「それぐらいしなきゃ――アイツは絶対、間違える」

 そう断言した瞬間、ベートの横を金の風が吹いた。

 「こ、こっち!」

 汗を流し、息も荒げながら、アイズは3人を先導するように全力で走り出す。その足取りに迷いはなく、何かを確信しているようだった。

 理由は、わからない。

 わからないが、シオンとアイズには奇妙な繋がりがある。

 ならば――今は、信じてみるしかない。

 

 

 

 

 

 シオンが一気に懐へ潜り込むと、相手は嫌そうな顔で距離を取ろうとする。そんな相手の股座に足を突っ込んで動けなくすると、容赦なく短剣を腹に突き刺し捻った。

 声にならない悲鳴をあげながら倒れる相手を目にせず、背後から振るわれた剣を、頭上に掲げた短剣を斜めにして逸らし、受け流す。

 腕にかかる負担を無視して飛び上がり、肘を相手の顔にブチ込む。相手の歯か、あるいは顎が砕けたような感触がしたけれど、どうでもいい。

 宙に浮かんだシオンを、好奇と見たのか槍が突きこまれ、その合間を狙って矢を放つ。だがそれがシオンに届く頃には、もうそこからシオンは消えている。

 後ろ足で顎をぶち抜いた相手を足場にして、そこから離脱したのだ。そして狙ったのは、当然目の前にいる槍を振り抜き、隙を晒す青年。

 笑みを浮かべると、どうしてか彼は体を強ばらせた。

 理由はわからないが、まぁいいかと割り切って腕を切り落とす。その事に激昂した、青年の仲間だろう人物が数人駆け寄ってきたが、その内の1人にぴったり張り付くと、同士打ちを避けてか攻めあぐね出す。

 ――本当、やりやすい。

 杜撰な連携。それでもある程度形になっているのは、モンスター相手に磨いたが故。だからそこをしっちゃかめっちゃかに掻き回せば、それだけでどうしようもできなくなる。

 人間の強みである連携ができなくなるだけで、こんなにも無力になるのだ。

 とはいえ個人でシオンより強い者――つまりLv.3の者もいる。

 だが、それでもシオンを倒しきれない。技術的に劣っているのだ。

 だから――

 「はい、終わり」

 受け止めていた短剣から一気に力を抜いて手放すと、勢いに乗って倒れ始める。だが本当に倒れる前に体に剣を突き刺せば、一瞬体をはね上げて倒れてしまった。

 チラと周囲を見渡して、人の間に隠れて狙っていた狩人に、先程倒れた冒険者から奪った剣を投げると、慌てて逃げ出す。

 攻撃が途切れて、シオンの周囲に空白ができる。

 その様子を、シギルは苦々しく見つめていた。

 「どうなってやがる? なんであんなに強いんだ――!?」

 その疑問に答えてくれる当人は、敵だ。

 だから、その答えなぞ、帰ってくるはずがない。それでも言わずにいられなかったのは、それだけシオンが異質だったからだ。

 けれど、忘れてはならない。

 ――フィン達と比べるべくもない、か。

 シオンはダンジョンに潜ってから、そして潜ってからもずっと、フィン達3人の英雄を前にして自らを鍛え続けた人間であると。

 シオンは、ある程度戦闘スタイルを確立してからずっと、フィンと武器を交わし続けた。

 モンスターなんて所詮力の塊だ。ある程度力量が上回れば、後は何とでもなる。中層になってから多少知性を見せるようになっても、それは変わらない。

 だが、フィンは。あの【勇者】は、とんでもない知性と戦闘経験を有している。そんな相手と、勝てないまでも『死なない』程度にやり合うためには、必然的にシオンが対人戦に慣れていく事しか手段が無かった。

 躊躇も甘さも全部余計なモノであると全身に叩き込まれて、育ったのだ。

 今更人間を切り裂く事に、躊躇いなんて持ち合わせていない。

 悪意だって――『あの時』に知った。

 シオンが止まる理由なんて、一つとして無いのだ。

 ――三十分、か。

 冷や汗か、純粋な汗か。荒い息を吐き出す彼等を前に、シオンは息を乱すどころか、汗一つ流していない顔を向ける。

 「……化物か」

 誰かがそう言うのが聞こえた。とはいえそれも仕方ない。シオンは既に三十分もの間、飛んで跳ねて腕を振るっている。疲労が見えてもおかしくないのに、その予兆が一切無い。

 飛び出してきた2人の冒険者が、前後からシオンに迫る。息を合わせ、タイミング良く剣を振るいシオンの逃げる隙間を無くしてきた。

 それにナイフをその場に放り投げて口で受け止め、フリーになった手で相手の武器の先端を掴むと、一気に横へ投げる。逸らされた剣がもう一本にぶち当たり、止まる。強制的に鍔迫り合いになった2人の動きが固まり、その反対に顔が歪んだ。

 それから2人がどうなったか、なんて、言うまでも無いだろう。

 倒れる2人から距離を取り、回復薬をかけさせるために離脱させてあげた。恐らく彼等は回復薬を飲んだあと、またシオンに向かってくるだろう。

 シオンが敵に大怪我を負わせ、それを回復薬なんかで癒し、また戻り、戦う。

 彼此三十分、そんな事の繰り返しだ。流石に飽きてくるが、相手には隠し玉が残っている可能性があった。油断はできない。

 どうするか、とシオンは考える。

 実のところ、シオンが疲れている様子が見えないのは、『タネも仕掛けもある』からだ。只人でしかないのだから当然だが。

 相手にわからないよう、奥歯を少し動かす。

 ――あと、みっつ。

 奥歯に仕込んだ、小さな小さな三個の丸薬。それがシオンの仕掛けたタネ。

 ユリに頼んで作ってもらった、()()()()()()()()()()丸薬だ。

 本来瓶に入っているそれを、即座に服用できないかと相談した結果生まれた物であり、その検証としてこうして仕込んでいるのだが、まさかこんな形で使うことになるとは思わなかった。

 「――ん?」

 魔力の流れを感知してそちらを向くと、1人の魔道士が魔法を詠唱している。それを守るように数人が武器を構えていた。

 通常の手段では勝てないからか。シオンとしても邪魔をするつもりはサラサラない。無理に止めに行けば、怪我をするのは自分の方だ。

 かといって、食らってやる理由もない。

 丸薬状態と言ったところで、所詮球体の内部に万能薬を注入してあるだけの代物だ。本来の効果には遠く及ばず、精々が小さな傷と多少の疲労回復効果しか持たないそれに、大怪我を治す事などできないのだから。

 ――まぁ、ハッタリには使えるから便利だけど。

 三十分に一つ、つまり後九十分。戦闘開始からの三十分と、今さっき飲み込んで回復した体力で三十分。単純計算百五十分――つまり二時間半はぶっ続けの全力戦闘ができるのだから、かなりの物だろう。

 なんて考えながら、あっさり魔法を回避する。真横で轟音を立て、煙を吹き出すので手をかざして膝立ちでいると、遠くから「やったか!?」なんて声が聞こえて苦笑い。

 「――残念、当たってないよ」

 煙の中から出て行くと、驚愕の顔が見えた。

 ――別に不思議な事じゃないんだけど。

 多少空間ができたところで、それで遠慮なく撃てる理由にはならない。子供故に小柄なシオンを狙い撃つのは生半可な制御ではできないし、この狭い空間で攻撃範囲を固定するなど不可能だ。どう足掻いたって周囲に被害が出るかもしれない以上、手加減は必須。

 そこに漬け込めば、回避なんて簡単にできる。

 シオンは短剣を構えた。

 前を見据え、周囲に警戒をし、後二時間以上続くだろう戦闘に耐えるため、集中しなおす。そうしてやるか、と小さく息を吐いて。

 「――?」

 誰かが近づいてくる――それを理解した。

 反射的にそちらを振り向く。それに釣られてか、数人もそっちを見た。

 「え、な……どうしてここに……!?」

 シオンもよく知る、4人の姿。

 先頭に見えた金色に、シオンの顔が苦渋に歪んだ。

 ――アイズ……そうか、風か!

 シオンは、アイズの位置が大雑把にわかる。

 その反対で、アイズはシオンの位置がわかる。

 説明はできない、単なる事実。だがその事実は、シオンを焦らせた。

 ――マズい……マズいマズいマズいぞ!?

 シオンと敵対していた彼等は、心中では恐れを抱き始めていた。そこに、彼等を追い詰めるような行動をすれば、爆発するかもしれないのに。

 何よりマズいのは。

 「シオンから――離れてッッ!!」

 大剣を背負ったティオネが、普段とは違う、ありえない加速で接近してくる。そしてその進路に立って武器を構えていた男に、

 「邪魔しないでよ!?」

 その大剣を、振り下ろした。

 そして、真っ赤な花が、咲き誇る。致命傷――そう判断するに十分な血液が巻き散らかされ、目の前にいたティオナに降りかかった。

 「え――?」

 そして、彼女は正気に戻る。

 ()()()()()()()現実を、認識した。

 ――ティオナは……人を、斬った事が、無い!!

 そんな人間が取る行動は。そこまで考える前に、シオンは走った。手を伸ばして。

 狼狽し、硬直するティオナ。

 「うああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!??」

 そんな彼女に、仲間が殺され錯乱した女の剣が吸い込まれて。

 止める暇なんて無かった。見ている事しかできなかった。

 アイズも、ベートも、ティオネも――シオンでさえ。

 「あ、あれ……? これ、私、の……血――?」

 呆然と、自らの胸を押さえるティオナが、血を噴き出しながら、倒れるのを――。

 「ティオナアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァッッッ!!?」




と、いうわけで構築してきたフラグ回収。ついでに新しくフラグ建築。

最後については何も言いません。というか言えません。次回を待って!

では解説。

冒険者との戦闘理由
流石に嫉妬とかだけでは弱いかなぁって事で、エイナとリリの時に作った憎悪によるしっぺ返しをフラグにして回収。
ちなみに兄とかは完全蛇足。ご都合主義が嫌なら同【ファミリア】所属と思えば。

ベートさんの理解度
シオンと接しすぎて一部ティオナ以上にシオンの思考を予想できるようになった件。でもまぁベートがいないとシオンってもう死んじゃってるから仕方ないよね。

シオンの対人戦闘の得意さ
ぶっちゃけフィン+リヴェリア+ガレスを相手にしてれば、むしろ得意にならないと死んじゃうレベル。
ちなみに本編には特に関係ないから書かなかったけど、本当のところ闇派閥対策でシオンに対人戦闘技術を叩き込んだのがフィンの真意。
原作8年以上前のこの時点だと、実は闇派閥が壊滅してないから、冒険者通しの殺し合いが洒落にならないレベルで存在している――という事です。

丸薬について
実は18層潜る前にユリエラとの会話を入れたのはこれを作成させるため。わざわざ回復薬取り出すなんて無駄な動作してられるか! という思考の元依頼した。
尚結果は、微妙だったという。まぁ本編見ればわかるよね!

ティオナが倒れる
前回シオンが作った『人を斬る』云々のフラグが原因。なんて茶化すけど、本当はここらで一旦――ゲフンゲフン。

次回は倒れたティオナ直後のお話。
タイトルはシンプルに『決壊』にしましょうか。お楽しみに!


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決壊

 考えるよりも前に、シオンは駆けていた。

 声にならない絶叫が全員の動きを止める。特に怒りから正気に戻った女は、自分がやった事に対し、震えていた。

 それを全部無視して、シオンは今まさに倒れ伏す少女の元へ向かう。速度を上げすぎてついていかない足を前に押し出して、彼女のところへ。

 ティオナに斬られた男の事さえ気にも留めず。

 今この瞬間だけ、シオンはベートよりも速かった。

 「ティオナッ!」

 目を閉じ、真っ青な顔をしているティオナに呼びかける。

 反応がない。

 ――もしかしたら、もう死んでいるんじゃ……。

 その考えた瞬間目の前が真っ暗になりそうになったシオンは、しかし呆けている暇はないと、自分を叱咤した。

 浅く呼吸しているからか、上下している体に少し安堵しつつ、彼女の体を抱き起す。

 そして、

 「……ベチャ?」

 手のひらに感じたヌメりに、ゾッとした。

 恐る恐る手をかざすと、白い肌が染まるほどの血が付着している。ボタボタと零れるそれに、シオンはティオナの体を見た。

 「あ……ああああああああああああああっっ!??」

 肩から脇腹にかけた、真一文字の傷。

 そこから溢れ出す血の量は、致死にまで達するだろう。すぐ傍にあった大剣は一部が欠け、それでシオンは察した。

 湧き上がる激情を何とか押し殺して、シオンは懐を弄った。

 ――無い。

 無い。回復薬の類が、何一つ。

 リヴィラの街に行くときに、シオンはそれを一つとして持っていかなかった。正確には、全部ティオネに預けていたのだ。

 だから、シオンが彼女を癒す術はない。

 「ベート! 万能薬を持ってこっちに来い!!」

 だけど、ティオネはここにいる。

 バックパックを持って、すぐ傍に。だが彼女がここに来るまでティオナが保たない。シオンはティオナの傷口を、汚いとわかっていても両手で押さえ込むしかなかった。

 呼ばれたベートはシオンの意図を理解すると、即座にティオネの背負うバックパックに飛びついた。踏ん張るティオネに悪いと思いつつ、ベートは中に入ってるものを放り出しながら、回復薬のある場所を漁る。

 やっと見つけると、中から万能薬を一本取り出し、念のために高等回復薬も数本取って、シオンのところへ走る。

 鬼のような形相で傷口を押さえているシオンの姿が、深刻さを表している。飲ませる時間さえ惜しいと、ベートは万能薬を後先考えずほとんど全部傷口にぶちまけた。

 「……っ……ァ――!?」

 急速に治っていく体に違和感が生じたのか、ティオナが呻き、体を揺らす。それをシオンが押さえ込むのを見ると、ベートは高等回復薬を無理矢理服用させた。

 むせて大半が吐き出されるが、それでも確かに飲んだ。大量の血液が失われたせいで、顔は未だに真っ青だが、安静にしていればもう大丈夫だろう。

 ホッと一息吐いた、その瞬間だった。

 「ベート」

 ただ、名前を呼ばれただけ。

 なのにどうしてか、ベートは背筋に氷を突っ込まれたかのように動きを止めた。視線をシオンの方に移すと、彼は、完全に表情を抜け落としながらティオナを見下ろしている。

 ベートは安堵した。

 だが、シオンはその真逆。

 「ティオナを、任せるよ」

 立ち上がり、膝当てを外すシオン。そのまま剣を地面に落とし、短剣二本も放り捨てる。武器と防具を捨てたシオンに残ってるのは、篭手とプロテクターのみ。

 そんな状態で、シオンは静観していたシギル達に向き直る。

 「……っ!」

 全員が、一歩、後ずさる。

 「……ごめん、無理。抑えられない」

 正直、先の戦闘は殺し合いというよりも、決闘に近かった。

 もし本当に殺すつもりであれば、とっくに死人が出ていなければおかしい。

 例えばシオンであれば、短剣で心臓を射抜く事など容易だった。逆に相手は、仲間を巻き込む事を厭わなければ、魔法でもってシオンを圧殺できた。

 いいや、そもシギル達は2、3人にすぎないとはいえLv.3も連れてきている。食い下がる事はできるだろうが、いずれ力尽きて殺されるだろう。

 シオンもシギル達も互いが互いを殺す意思を持ち合わせていなかったからこそ、どちらも致命傷へ至らないような戦闘が続いていたのだ。

 その均衡が、崩れた。

 ティオナが斬ったこと。

 そして――ティオナが斬られたこと。

 シオンは一瞬で把握してしまった。

 もし、ティオナが大剣で防御していなかったら。

 もしあの女が、もう一歩でも踏み込んでいたら。

 ティオナは死んでいた。傷を癒す時間もなく、体を真っ二つにされて。

 そんな事実を認識していながら、自分を抑えていられるほどシオンは大人ではなかったし、また抑えるつもりも元から無かった。

 シオンの抱いた感情。

 『敵』を殺すという、殺意。

 それがベートを凍らせ、全員を後ずさらせた物の正体。激情を通り越した、形無き冷たい刃。それを振るうと、決めてしまった。

 シオンはプロテクターに触れ、そこから一本の短剣を取り出した。

 今日この日に至るまで、実戦では一度も使ったことのない武器。

 「『薄刃陽炎(ウスハカゲロウ)』」

 傍目から見れば、それは何の変哲もない一本の短剣だった。違いがあるとすれば、その刀身が黄色だった事くらいだろう。

 それをシオンは逆手に持つと、プロテクターにギャリギャリと擦り付けた。火花を散らかすようなその行為に疑問を持っていると。

 ボッ、と火が灯った。その火が炎となり、刀身を覆い尽くしていく。

 「魔剣……?」

 そんな便利な物ではない。魔剣のように、意思を持って振るえば威力は低くとも無詠唱で放てる魔法なんかじゃないのだ、これは。

 この短剣は『インファント・ドラゴンの爪』から作られた武器の一つ。

 ただ、ティオネやベートの武器とは違い、この短剣にはちょっとした能力がついていた。それがこの、発火能力。

 遠くに放つなんてできないし、短剣がちょっとした小さな剣になる程度でしかない、そんな弱々しい力だ。こんな短剣だけで戦おうなんて、正気を疑われてもおかしくない。

 なのにシオンは、篭手を外してしまう。

 これで完全に、シオンは紅蓮剣以外何も装備していない事になる。急所に食らえば即死、手足を狙われても不利になる、そんな状態だ。

 ――さて、ここで一つ疑問を提示しよう。

 ティオナやベートは未だにインファント・ドラゴンの爪から作られた武器を使い続けている。それだけの性能を持った武器なのだ。だが、シオンは今の今まで、ダンジョン内部で一度もこの短剣を使った事がない。

 単純に言えば、この剣、『使えない』のだ。モンスターは生命力が強く、高々体を燃やされたくらいであっさり死んでくれるような存在じゃない。特に炎に耐性のあるヘルハウンドなんかを燃やした時には、その燃えた体で突っ込んでくる。不用意にモンスターを燃やすと、その体で抱き着かれて自分も燃やされる、なんてバカらしい事態に陥るのだ。

 だが、逆に。

 もし『人』相手に使ったとしたら――どうなるだろう。

 人はモンスター程生命力が強くなく、また、痛みに敏感な生き物だ。体を燃やされれば転げ回って反撃しようなんて思考、まずできない。

 つまりこの剣は。

 ()()()()()()――ただ、それだけのことだ。

 そんな武器を抜く、その真意を今更言う必要はない。

 だが、それでもシオンは負ける。回復薬で体を癒し、魔法を放てる人間が数人待機している。戦力差を考えれば、いや考えるまでもなく、殺されるのは目に見えていた。

 特異なスキルも、魔法もない。

 ――無駄死にするだけだろうな。

 それを誰よりも認識している。

 だからシオンは、『自分にない力』を持っている存在に、願った。

 「『――風よ』」

 その一言が、シオンの体に突風を叩き付けた。巻き起こる風に髪が乱れ、荒れる。運が悪ければ紅蓮剣の火に引火して燃えたかもしれない。

 だがそんな事は起きず、シオンは自身に包む風を、刀身にも纏わせた。

 小さな灯火。今にも消えそうだったそれは、風を浴び、急激に膨れ上がる。チャチな剣にすぎなかったそれが、立派な剣となり、そして大剣へと変貌する。

 どよめく彼等は、ここに来てやっと理解した。

 ――油断すれば、殺される。

 赤熱する剣に原始的な恐怖を刺激され、即座に戦闘態勢に移行する。何とか話し合いで済ませたかったシギルは、もう無理だと思考を投げた。

 ――ありゃもう正気じゃねぇ。

 理性の大部分を放り捨てて、ただ『殺したいから殺す』修羅に成り果てている。厳密に言えば少し違うが、シギル達には何の慰めにもならない。

 「おい、もう手加減なんてしてられねぇぞ! 加減すりゃこっちが()られる、アイツを殺す気で行きやがれ!」

 だからこそ、全員、覚悟を決めた。

 殺される覚悟でもって、殺す気で行く。いつもモンスター相手にしている事が人間相手に変わっただけだと、無理矢理割り切って彼等は進む。

 どうしてこうなったんだ、なんて、心中で呟きながら。

 

 

 

 

 

 今まさに殺しあわんとする雰囲気に呑まれて硬直するアイズの背を、ティオネが優しく触れる。彼女はようやっとベートが巻き散らかした物を回収し終わったが故に、どうしてこんな状況に陥っているのかさっぱりわからない。

 わかったのは、アイズが恐れている事だけ。

 だから、そんな彼女の恐怖心が少しでも薄れるのを願って、彼女の体を抱きしめた。少ししてティオネから離れたアイズは、ベートのところへ向かう。

 「ベート、これ、どういう事なの?」

 開口一番、ティオネが問うた。誰よりも状況を理解していない彼女は、この場で最も理解している人間に単刀直入聞くことにしたのだ。

 ベートは吐き捨てるように口を開く。

 「簡単だよ、シオンがキレた。それもゴライアスんときなんて比べ物にならないくらいの……文字通り怒りで前が見えなくなる状態になるまで」

 「……あの、シオンが?」

 ポツリと、アイズが呟く。

 アイズの中のシオンは、怒る事はあれど、それは誰かのためであるのが多かったし、自分のためであっても後の事を考えられる程度の理性はきちんと残していた。

 あんな姿、一度も見たことなんてない。

 それはベートも、ティオネも。昏睡しているティオナだってそうだろう。

 「だから、やべぇんだよ」

 普段怒らないような人間が、理性が吹っ飛ぶレベルでキレたらどうなるか。多分、シオンは絶対に止まらない。

 「ティオナを斬る原因になった奴等を、全員殺さなきゃ止まれないんだ、アイツは」

 「止めるための方法は、あるの?」

 「言葉は論外だ、そもそもアイツの頭に入らない。殴ったって止まるわけがねぇ。大怪我しようが気絶しないで動き回るような奴だぞ、意識を落とすのも無理だ」

 理性が無い故に理性を必要とする対話は届かず、殴って正気に戻るような怒りならそもそもこうはならない。オッタルと戦った時の大怪我でも走り回れるような精神力を持つシオンが、殺さないよう手加減した攻撃で失神するわけもなく。

 少なくとも正攻法でシオンを止めることはできない。

 「そんなのどうしろってのよ……」

 シオンは、リーダーなのだ。そんな相手を自分達で止める方法が思いつかない事に、ティオネは苛立った。

 わからない。

 確かにティオネだって怒り狂っている。大事な妹が斬られて冷静でいられるような、デキのいい頭は持ち合わせていないのだ。

 それでも彼女にとっての一番は『フィン・ディムナ』という存在で、だから彼女は【ロキ・ファミリア】に不利になるような行動ができない。だから怒りに全てを任せられない。

 理解ができない。

 二年もの付き合いがある相手を止める方法がわからない、そんな自分に苛立つ。リーダーに甘えっぱなしだったのだと再認識されて、更に苛立ちが増す。

 ――私はこんなに、盲目な人間だったの?

 「……私、が。止める」

 「やめろ」

 愕然としているティオネを見かねてか、あるいはあんなシオンを見ていられなくなったのか。剣を持って戦おうとしてアイズを、ベートが一蹴した。

 「行ってどうなる。敵味方の区別くらいはするだろうが、単純な戦闘能力じゃお前よりシオンのが強い。アイツの邪魔する事しかできねぇぞ」

 「……っ、だったら! ここで見ているだけしかできないの?」

 「少なくとも、今はな」

 歯噛みしているのはアイズだけじゃない。誰よりそう感じているのは、ベートだ。犬歯が唇を噛みちぎっているのを見てしまったアイズは、胸中を占める憤りを抑えるしかできなかった。

 シオンが本気の殺し合いをしようとしている姿を、視界におさめながら。

 

 

 

 

 

 理性の大部分を投げ捨てたシオンは、体にかかる負担を無視して行動を開始する。

 Lv.3と錯覚する程の速度で接近。そんなシオンの突貫を防ぎ、後衛の魔道士を守ろうと前衛壁役の冒険者が、盾を構えた。

 全身板金鎧(フルプレートアーマー)と、巨大な大盾(タワーシールド)という堅固な防御。代わりに移動速度を犠牲にしているが、普通に倒そうとすれば、苦戦は免れないだろう。

 ――今のシオンには、関係ないが。

 炎を纏う剣で自身を火傷しないよう、炎剣を腰より下に、加えて剣の切っ先を後ろに下げた、脇構えで気にせず突っ込む。

 「な!?」

 小さな少年が、鎧のせいで更に大きく見える自分に突っ込んできたのに驚いたのか。兜のせいでくぐもった声がシオンの耳に届いたが、関係ない。

 そもそもゴライアスより小さな相手に怯むようなシオンではなかった。大慌てで盾を構え直し、どんな攻撃も防いでみせるという気概を見せた相手に、下から上へ、炎剣を振り上げる。

 当然、シオンの炎は半ばから盾に阻まれて、刀身が真っ二つになった。

 その瞬間、シオンから風が吹き荒れた。

 同時、炎が爆発する。

 「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!??」

 絶叫。

 ありえない、そんな意思の込められた叫び声をあげながら、鎧をつけた男が倒れた。しかし微かにその体は揺れていて、殺しきれていない。

 鼻につく臭いに顔をしかめ、トドメを刺そうと炎剣を振り上げる。だがその寸前、困惑しながら2人の冒険者が剣をかざして来た。1人は倒れた男を連れて後ろに下がり、もう1人がそのフォローに回る。

 無駄に追いかければこちらがやられると判断し、シオンは素直に下がった。

 「な、何が起きた……?」

 シオン以外は誰も理解していない。

 炎は、気体だ。炎『剣』と言っているものの、その実それっぽい形をしているだけの虚刀でしかない。シオンが風を使って制御しなければ、剣にすらならないだろう。

 その見た目に騙され、防御した男は、半ばで折れた炎の先――切っ先部分を風を使って威力をはね上げた炎で全身を覆われた。

 そして、如何に堅固な鎧とて、継ぎ目や関節部位は存在する。そこから侵入した炎が男の体を侵したのだ。

 まともな方法では『防御不可』という剣。

 『薄刃』すら無い剣。実体を持たない『陽炎』。そんな意味を込めて付けられた、『薄刃陽炎』こそが、シオンの切り札の一つ。

 もしこれを防ぎたいのなら、それこそ炎の侵入する余地のない壁でも持ってくるしかない。

 まぁ、そんな事を教えてあげるつもりはサラサラないが。

 揺れ動く炎に惑わされている相手に突撃。ほとんど反射で剣を盾にしたが、すぐに無駄だと気づいたのだろう、歪ながら回避しようとする。

 それすら無駄ではあったが。

 「え……?」

 回避したはずの炎が膨れ上がり、その体を燃やさんと襲いかかった。それを恐れ、捨て身覚悟で後ろへ体を投げる。完全な死に体を晒す男の足に蹴りを叩き込む。

 ボキボキボキッ! と骨が折れ砕ける音がした。声にならない声を出す相手。そのとき、シオンの左右と後方から同時に3人が襲いかかる。

 蹴りを叩き込んだせいで泳ぐ体では、完全な回避はできない。だから、シオンはまず剣を後ろ手で持ち、一気に炎を噴出。作られた炎の壁が邪魔となり、後方の敵は動きを止められる。その炎を羽のように広げ、左右から来た相手に叩き込む。

 外しはしたが、攻撃は防いだ。一歩間違えればシオンの体が燃える所業だが、どうでもいい。元々の戦力差がありすぎるのだから、多少のリスクには目を瞑る。

 そろそろ鎧の男が回復薬で回復されている頃か。相手の持っている回復薬には限りがあるだろうけど、それを全部消費させる前にこちらが死ぬ。

 だからここまでが、前哨戦。

 ――温度を、上げる。

 燃え上がる火に、更に風をブチ込む。どの程度与えれば、炎が減衰し、あるいは増大するのかはもう大体わかった。後はひたすらに、燃やし尽くすだけ。

 薄刃陽炎が揺らぎ出す。その刀身から先の景色は陽炎に包まれ、距離感を失わせる。下手に近づけば燃やされる、そのせいで30人という数の暴力が活かせない。

 それ故にシオンは、自ら相手のど真ん中に突撃するしかなかった。

 「クソッ、テメェ等、投げられるもん投げて牽制しろ!」

 近づけば燃やされるのなら、燃やされないよう距離を取るしかない。しかし投げられる物の量なんてたかが知れていた。回復薬はまだしも、投げナイフなんかの投擲物は効率が悪い。本当に、持っている者が数本携帯している程度だ。

 それでも牽制程度にはなる。鉄を溶かすなんて事はできないのか、シオンは足を止めて回避に徹するしかなかった。そこを、剣技に自信のある者が狙った。

 反撃に炎をぶつければ、その炎を『斬り捨てて』来る。正確無比な一撃でもって炎の波を突破してきたそいつは、大振りではない、小振りな連撃でシオンの急所を狙う。

 薄刃陽炎は、元々短剣だ。防御には使えない。その上防具を全部捨てて速度に特化したシオンが一度でも急所を穿たれれば、そのまま殺される。

 風の力を使おうにも、こうも接敵され、間断無く責め立てられると制御ができない。制御できなければ炎を噴出する事は不可能。

 「今のうちだ! 魔法の準備をしやがれ!」

 そして、この絶好の機会を見逃すほど、シギルに余裕はない。魔法を使えるメンバーの中でも最高火力を持つ者に指示を出す。

 「【食らう顎。果てない空洞、終わりなき闇の中で餓えし者】」

 魔力が、起こされる。

 その事実を目で捉えるも、目前の剣士は最早火傷すら意に介さんと、全てを賭してシオンに食らいつく。

 「【叫び、泣き、手を伸ばせ。求めし希望が絶望の一助となれ】」

 ――無理だ。

 この詠唱は、止められない。この剣士を倒したところで、また別の誰かが盾になるだけだ。絶対にこの魔法は、発動してしまう。

 ――諦める。

 魔法を止めるのを、諦める。そう決め、剣士だけに視線を固定させる。

 「【手の中に収まるは血濡れの希望。地獄の淵を見せし絶望。汝は全てを否定する獣となれ。終わりを告げる獣の声を上げよ】!」

 タイミングを見ろ。

 相手の攻撃が自分に届く瞬間を見計らえ。

 そして、

 「う、ああああああああぁぁぁぁぁぁっ!?」

 そこに炎を『置いて』いけ。

 例え炎を撒き散らす事はできずとも、既に剣となっている炎を切り離すくらいはできる。自ら炎の中に腕を突っ込んだ剣士に、風を操り蛇となった炎で締め付ける。剣を取り落とした彼は、それに拘泥せず素直に後ろに下がった。

 だが、それでよかった。

 「【ブルート・クライ】!!」

 全霊の魔力を込めた魔法が発動される。

 黒い塊が形を成す。猫、犬、狼、虎、猪、豚、そして竜――乱雑なまでに形を変え、それらがシオンへと大口を開けて飛来する。形は違えどその全てが手を伸ばし、血涙を流し、絶叫するかのように喘いでいた。

 「――炎よ!」

 それをシオンが、受け止める。炎が今まで以上に噴出し、壁となる。黒き獣と猛々しい炎の壁がぶつかり合う。壁を壊さんと獣が手を伸ばし、そして真っ二つに割った。

 涎のような何かを垂れ流しながら、獣がシオンを喰らわんとする。

 これで、押し切れる――そう思ったのは誰だったか。

 ドンッッ! と獣の真上から空気の塊が飛来する。それは獣の頭、その頂点へ突き刺さり、たたきつぶす。ただでさえ炎を突き破るのに疲弊していた獣に受けきるだけの力はなく、弱々しく震えながら消え去った。

 「嘘……だろ?」

 魔法を相手に、魔法を使わず防ぐ。そんな事ができるのは、一体どれだけいるのか。少なくとも彼等は知らない。Lv.2でこんな事をする人間なんて、常識外だ。

 一歩も動いていない――実際は衝撃に押されて数歩下がっているのだが――シオンが、彼等全員を視界に入れる。

 そして、()()()()()

 「あ――あああああああああああああああああ! 俺の腕、腕あああああああああああああああああああああああ!?」

 数十Mあった距離など物ともせず、1人の腕を切り飛ばす。急いで回復薬を振りかけたが――治らない。

 「どうしてだ! ちゃんと効果はあるはずなのに……!」

 「無駄だよ」

 少しずつ歩み寄りながら、小さく呟いた声。それがなぜか耳元で囁かれたかのように感じ、ゾッとした。

 そんな彼等に、シオンは絶望を教えるように言う。

 「回復薬は、あくまで治癒力をかなり高めてくれるだけ。だからこそ失った手足を元に戻す、なんて事はできない。()()()()()()()()()()ってわけだ」

 そして、シオンが彼に負わせたのは火傷。

 今までの軽微な物じゃない――『細胞の死滅』をさせる段階の大火傷だ。そして、死滅した細胞に治癒力なんて物は無い。

 死んだ物は戻らない、そういう事だ。

 「腕の断面図付近の細胞が全部死んじゃったから、その腕、もうくっつかないんじゃない? まあ万能薬でも使えば別かもしれないけど」

 「ふ、ふざけるな! あんな高価な物、ホイホイ買えるわけないだろ!?」

 「関係ないね。そうなったら冒険者、やめたら?」

 言葉は軽いのに、その無表情さが恐ろしい。

 ――本気だ。

 シオンは本当に、そうするつもりでいる。この場にいる全員を再帰不能、どころか息の根を止めようとさえしてくるだろう。

 「ふっ」

 その現実が、

 「ふざけるなっ、ここまで頑張ったんだぞ! 今更こんなところで死ねるか!!」

 彼等に『撤退』という行動を起こさせる。恐怖が、畏怖が伝染し、1人、また1人と背を向ける者が増えていった。

 「クソッ、バカかテメェ等! 逃げられると本気で思ってんのかよ……!」

 思わず悪態を吐いたが、現実は変わらない。逃げていったところで、本当に助かるだなんて思えないのに。

 ――バカみたい。

 本当に助かりたいなら、一気に全員で襲いかかるべきだったのだ。先ほどの剣士のように、炎による火傷を気にせず全員で来られたら、シオンはそのまま圧殺された。

 陽炎によって作り出された幻の剣と盾に騙された彼等は、唯一の勝機を見逃したことに気づかない。

 シオンが剣を真上に掲げる。

 そんな彼の後ろから、風が流れた。それはシオンを超え、その先、シギルがいるよりも更に先へと進んでいく。

 炎が揺らぐ。

 色が変わり、その証左として炎剣の周囲の空間が歪み出す。

 追い風をラッキー程度にしか思わない彼等を放り、シギルは風のない空間へ行こうと走り出す。そんな彼を絶望へ叩き落とすように、風の範囲が増していった。

 範囲、恐らく数百M

 複雑に絡み合う風の舞台。その飾りを完成させるのは――彼等だ。

 腕を引く。

 薄刃陽炎が、その真価を発揮せんと、今まで以上の炎を生み出し、

 「『踊り狂う炎劇場(ブレイジング・ダンス)――』!」

 炎の塊となった人形が哀れにも踊る、狂宴。

 さあ踊れ、叫べ。

 それがティオナに傷を与えた罰なのだから――!

 「それ以上はやめろ、シオン」

 そんな光景を幻視しかけたシオンの腕を、誰かが掴んだ。

 ミシッと鳴る腕に、どこにそんな力があるのかと思いながら、シオンはそいつを見た。

 「……ベート」

 パーティメンバーで、悪友で、好敵手で。――唯一無二の、親友。

 そんな彼が、覚悟を決めたかのような形相で、シオンを見ていた。

 

 

 

 

 

 シオンが風を広範囲に広げだした瞬間から、ベートは決めていた。

 ――アイツを止めるんだ、絶対に。

 一時的に理性を失わせているだけで、冷静さを取り戻せば、気づくはずだ。『やりすぎた』と。そうして心に残るのは後悔だ。

 ベートは、誰かを殺す事に否と言うつもりはない。こんな稼業だ、他人の命を磨り潰すようなことを気づかずやっていてもおかしくはないのだから、今更騒いだところで、だ。

 しかし、殺すのなら後悔したくない。

 だから止める。

 だから――止めた。

 「……何の用?」

 心底不思議そうに言うシオン。それがブラフであるのは、ベートがよくわかっている。

 一瞬でも気を抜けば腕を引っこ抜かれる――そんな状況でこの対応、脱力しかねない。だがベートはシオンを睨む目を止めない。

 「それ以上はやりすぎだ。ティオナは殺されてない。その状況で相手を殺せば、いくつかの【ファミリア】と不和を起こすぞ」

 「……()()()?」

 話はできる。だがそれが通じるとは限らない、その典型例。

 ギリギリと悲鳴をあげる手。『力』はシオンの方が上なのだ、押さえていられる時間はそうなかった。

 ――どうすりゃいい。

 どうすれば、シオンは止まる――!

 「……!」

 一瞬、ベートの脳裏に()()()()が過ぎった。

 しかしそれをやるには勇気がいる。ベートには似合わぬ、どころかやれば後から絶対笑われるような行動だ。

 だが、だがそれでも……!

 ――やらなきゃ、コイツは止まらねぇ。

 未だ無表情のシオン。そんな顔を、見ていたくない、そう思ってしまった。

 ――仕方ねぇ、こうなりゃヤケだ。後なんざ知るかクソったれが!!

 柄じゃない、こんな役目はそれこそティオナ(ヒロイン)の役だろうに。

 そう思いながら、ベートはやった。

 そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……え?」

 頭を抱えらえれ、ベートの胸元に顔を押し付けられる。あまりに予想外な出来事にシオンの動きが止まり出す。

 「っ、離、せ……!」

 それでもすぐに抜け出そうともがくが――その動きは、あまりにトロい。

 ――シオンは、抱きしめられるのに弱い。

 ベートは知らないが、シオンは物心つく前から親を亡くし、ついてからは義姉を亡くし、ことごとく愛を与えてくれる人を喪ってきた。

 だから、飢えていた。

 人からの抱擁――そこから感じる温かさに、飢えている。

 いつか【英雄】というすぎた名に重圧を感じていた時、ティオナに抱きしめられてどうしようもなく安堵したように。

 トクン、トクンと鳴る心臓の音が、シオンの脳を揺さぶる。氷の思考が溶けていき、温かな、人としての思考が戻ってきた。

 それを示すように、激しく吹き荒れていた炎が揺らめき、小さな灯火となっていく。気づけばシオンは、呆然とベートを見上げていた。

 「あ、れ……ベート……?」

 その声に、先程までの冷たさはもう無い。

 それがわかって、ベートは小さく笑った。

 「余計な手間かけさせんじゃねぇよ、この大バカ野郎が」




本当はティオナに抱きしめさせたかったけど、仕方ないよね、気絶しちゃってるし! ティオネは彼女の都合上論外、アイズは抱きしめるって発想が出ないので無理。
だから彼に出張ってもらうしか無かったんだ……!

って訳で毎度恒例の解説解説!

ガチギレシオン
このお話を作るにあたって最初期からあったシーン。怒る事はあっても、それが敵意や殺意に繋がりにくいシオンがキレるとこうなるってところ。
まぁこんな状態になると、作者でさえ手を焼くんでこんなシーンなるだけ書きたくないってのが本音なんですけど……。

薄刃陽炎
実はこの時のためだけにシオンがインファント・ドラゴンの爪から作られた武器を一度も使っていなかったんです。
プロテクターにこの短剣入れるような描写あるのに誰も反応してくれなかったのが、少しだけ悲しかったり、なんか寂しかったり……なんてしてないんだからねっ!

風と炎の共演
アイズの母由来の風と、インファント・ドラゴンの炎の組み合わせ。どっちか単体だけだったらシオンは今回の戦闘、何もできずに負けてます。
インファント・ドラゴンの戦闘は本当、今回の話のためだけに作られたと言っても過言じゃなかったり。
あの時ティオナの恋心の自覚とか、最初は書くつもりなかったんで仕方がない。

3人の戦慄
ちょっとシオンに頼りすぎな感じが出てきたので一旦リセット。これが理由でもうちょっと自分で考えられるようになるかな、と。

炎の動き
物理なんて知らないんで、理に適ってない動きをしてたらすいません。そういうものだと割り切ってください。

【ブルート・クライ】
さり気なく詠唱から全部書いたのこれが初。まさかモブさんの魔法が初出とは私自身思ってなかった。
ソード・オラトリア5巻にティオネの魔法詠唱があればよかったのに……。
詠唱文の意味が聞きたいなら感想で答えます。
自分から厨二思考で考えた物説明するほど私は勇者になれないんだ……っ!

シオンの弱点
抱きしめられるのに弱い、と書きましたが、当然シオンの身近な人だけです。他人に抱きしめられたら即座に突っぱねます。
逆に言えば、身近な人に抱きしめられると途端に弱くなりますが。

選択肢
→『抱きしめる』
 『抱きしめない』

→『抱きしめる』
上記の√行きます。これがシオンを止める唯一の方法。それ以外だとガン無視して敵全員廃すら残さず焼き尽くして終わり。

→『抱きしめない』
闇堕ち√第一歩。これが原因で心に暗い雫を宿し始めたシオンは、やがてティオナ達と決別しソロでダンジョンへ挑み、闇派閥と殺し合い――。
この√行くと最終的にティオナ達と敵対、凄絶な殺し合い演じる事になるので注意。まぁ特に関係ありませんが。だってこの√行かないし。



と、こんな感じで今回は終わり。私がこのドシリアス続けたくないんで最後にネタ的なのを突っ込んじゃいましたよ。
次回は事後処理。
タイトルは――『眼醒めし者』とかかな? 特に決まってなかったり。


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眼醒めし者

 何が起こったのかよくわかっていないシオンは、ただ呆然とベートを見上げていた。だがベートはシオンの表情を見て、自分が今どんな行動を取っているのか思い出したのか、

 「っ……離れろ、気色わりぃ」

 「気色悪いって……」

 いや、確かに男同士だし、ベートの性格上抱きしめるなんて柄じゃないからっていうのはわかっている。

 わかっては、いるのだが。

 「まぁ、うん、ごめん……余計な事させて」

 そんな想いを全部心中で押し殺して謝ると、ベートはちょっとだけ表情を変えた。けれどそれを言葉にすることなく背を向けて、さっさと行ってしまった。

 怒らせちゃったかなぁ、とシオンは思う。

 自然俯きがちになるシオンは、ふと視界の端に光の反射が見えた。

 「おっと?」

 ほとんど反射的に受け取ると、それはシオンのよく知る高等回復薬。飛んできた方を見ると、ベートが背中越しに何かを投げるような動作をしていた。不思議に思いながら彼を見たら、ベートは一つ舌打ちする。

 「()()()()()()()()()()()()()()()()。火傷してんだろうが」

 「気づいて、たのか」

 「当たり前だ。俺を誰だと思ってやがる」

 実のところ、シオンの腕はかなりの大火傷を負っている。

 それも当然の事だった。あんな大火炎を噴出させておいて、何のデメリットもないなんてありえない。

 シオンは、自身の手に目を落とす。

 そこは焼けただれていて、元の白い肌なんて欠片も残っちゃいなかった。一応、薄刃陽炎は発火能力という性質を有しているので、柄は全部耐熱性の金属で作られている。だがあんな炎を出す事を想定していないために、超高温となった柄を握るシオンの手は焼けてしまった。

 加えて炎を振るう時に飛び散った火の粉が腕を這いずり回ったせいで、シオンの腕には真っ黒な焦げ跡が斑についている。傍から見ていても痛々しい。シオンは複雑そうな顔で、その腕に高等回復薬を塗した。

 それで事足りたのか、腕は元の白い肌に戻ってくれる。だが幻痛は消えることなく腕に残り、シオンの脳に激痛を叩き込む。

 それが代償だというのなら、安い物だろう。

 暴走した罰、とは考えない。

 『やりすぎた』とは考えても、『殺そうとした』それ自体を、シオンは後悔していないからだ。これもきっと、シオンが壊れていると言われる所以の一つ。

 どう考えても、そんな行動が【英雄】に相応しくないとわかるだろうに。

 そんなシオンを、ベートはジッと見つめていた。

 ――自覚無し、か。

 自分の優先順位が低い。だから自分の心さえ後回しにする。だから気づかない。だから、本当はどうしようもないくらい後悔しているのを、自覚できない。

 もし彼等を殺していたら、心では泣き叫ぶくらい自分を責めていただろうに。

 「シオン、何時まで呆けてやがる。さっさと行くぞ」

 ベートにできるとしたら、自覚しない心を、少しでも和らげるくらいだ。シオンがついてきているかさえ確認せず、ベートはさっさと歩き出す。

 アイズ達のところへ戻り、シオンがおずおずと聞いた。

 「ティオナは、大丈夫……なのか?」

 「ま、なんとかね。流石に血は戻らないけど、肌色は大分良くなったし、安静にしてれば死ぬ事は無いでしょ。万能薬様々ね」

 ティオネの態度は、いつもと変わらない。

 知らずそれに安心し、ふにゃりと相好を崩すシオン。それを他所に、ティオネは一瞬ベートに視線を向ける。

 ――アレ見たくらいで態度変えるわけ無いでしょうが。

 シオンの後ろで怖いくらいに鋭い視線を向けてくるベートに呆れてしまう。大体、この程度織り込み済みで付き合っているのだ。今更過ぎる。

 フィン達との戦闘で、ズタボロになって――それこそ、腕を切り落とされるなんて当たり前なレベル――いた時に、冷静にフィンに反撃しに行った姿を覚えている。やり返すように、彼の腕を切り落とした時の光景も。

 力を抑えているとは言え、上位の存在、且つ人間を相手に、何の躊躇もなく行動したシオンに衝撃を覚えていたのが、今は懐かしい。

 が、それはティオネの話。

 アイズはどう思っているのか、と目を向けてみると、

 「シオン、怪我、大丈夫? 見えない怪我があったら大変だし、これ飲んでね」

 「あ、ありがとう」

 自然な笑顔で、シオンに残った回復薬を渡していた。そこに含みはなく、本当にシオンの安否を気遣っている。

 しかし当のシオンはどこか居心地が悪そうだった。

 「えっと、さ。アイズは、さっきのおれが怖いとか……そう思わなかったの?」

 「……? どうしてそんな事聞くの?」

 聞いてみたら逆に聞き返された。言葉に窮すると、アイズは首を傾げながら言う。

 「私は、両親を探すのが目的。その途中で人と戦うかもしれない。だから……シオンが人を殺そうとしても、責める資格なんてない」

 ――だって、私もいつかは人を殺すから。

 アイズは自覚していた。

 これが冒険者という存在なのだと。

 『何かを殺して何かを得る』、究極的には略奪者という存在でしかないのだと。

 故にアイズはシオンを責められない。自分の大切な存在が奪われようとしたから、奪われないように相手を殺すのは、仕方がないのだと割り切っている。

 「何というか、半年前のアイズとは全然違うわね。本当に本人?」

 「私だって現実を見てるだけ。あの時は……ありもしない幻想に縋ってたから……」

 ダンジョンへ行くという事も、冒険者として生きるという意味も知らなかった、何も知らずにいれた頃の自分は、相当恥ずかしい過去だ。

 良くも悪くも大人になってきた。

 だから、

 「シオンが『やりすぎた』って思ってるなら、私はシオンを責めたりなんてしないよ。私だけじゃない、皆そう」

 アイズは笑って受け入れよう。

 シオンの壊れた部分を。

 やってしまった行いを。

 「あなたはそう思われるだけの頑張りを、見せてくれたんだから」

 「……!」

 そう信じるだけの背中を見せてくれたから、アイズは彼を、支えたい。

 驚きに目を見開くシオンの背中を、ティオネが叩いた。

 「まったく、言いたいこと全部取られちゃったじゃないの。私だって同じ。あんたが信じられないなら、とっくにどっか行ってるわ。そもそも妹のために怒ったんだってわかってるんだし。シオンが動かなかったら、私がやってたわよ」

 それがフォローであるのは、鈍いシオンでもわかる。

 気にしすぎなのだろうか、と思う。例えシオンが止まらずに彼等を殺し尽くしても、皆はこうして傍にいてくれるのだろう。

 その事が嬉しいと同時に、失いたくない、と思ってしまう。

 ――義姉さんのように、また――。

 「話し合ってる暇はねぇ。さっさとここを移動するぞ」

 と、そこでベートがシオンの頭を叩いてきた。とはいえ体はティオネを向いていて、それで大体察したティオネがアイズに頼んだ。

 「アイズ、ちょっと荷物整理手伝ってくれる? 戻さないといけないから」

 「わかった。でもどこに何があったか覚えてないし、纏めるだけにしておくね」

 さっさと、無造作と言える仕草でバックパックに詰め込んでいく2人。そんな2人から視線をどうにか外すと、シオンは無理矢理視界に入れないようにしていたティオナを見た。

 「……ティオナ……」

 地面に膝をつき、彼女の頬に手を伸ばす。

 何時もの向日葵みたいな笑顔はない。どころか、体温さえ低い。ティオナの体温は普通の人よりも高いから、尚更痛感させられる。

 ぶるりと体が震えた。

 必死に目を逸らしていた恐怖が戻ってくる。

 大切な何かを失う事の意味を、シオンは誰よりも理解している。だから、恐れた。ティオナがいなくなってしまう事を。あの笑顔を見れなくなることを。

 もしかしたらシオンが怒り狂ったのは、それを振り払うためなのかもしれない。

 「あ、そうだ。シオン、ティオナを運んでちょうだい」

 「え? ……お、おれ!? なんでだ!」

 「私、バックパック。アイズ、性別とレベル差」

 それを言われてしまうと弱い。ティオネはもうかなり重い荷物を持っている。アイズは女性という事と、まだLv.1だから、自身と同じくらいの体重を持った人間を運ぶのは辛い。

 「ベ、ベートは……?」

 「……ハッ。この手で持てるかっつーの」

 ならばもう1人の男手は、と彼を見ると、ベートは焼けた手を見せてきた。それはどこからどう見ても、シオンを止める時にできた火傷だ。

 シオンの腕は、火傷していた。

 ならばそれと同じくらい近くにあったベートの手は、焼けていてもむしろ当然。

 「高等回復薬はアレで無くなっちまったしな。回復薬で誤魔化すが、まぁ、最悪痕が残るだろうよ」

 ベートは火傷した手をひらひら振るって軽傷をアピールする。その真意など、シオンは言われなくてもわかっている。

 建前を言うのなら、シオンの怪我の方が酷いから。

 本音を言うのなら、自分よりシオンの怪我を治したかったから。

 ――本当、借りを作りっぱなしだ。

 いつか、返さないといけないんだろうな、と思いながら、シオンはティオナを背負おうと背を向けて、

 「あ、待ちなさいシオン。傷は治ってるけど万が一があるし、背負うのはやめてね」

 「え? いやでも……」

 「や、め、な、さ、い。――いいわね?」

 有無を言わさず押し切られる。

 確かに、ティオナが受けた傷は肩から脇腹にかけてだ。万能薬を使ったのだからまずないが、もし傷口が開けば、もう治せない。

 「わかった。ありがとティオネ」

 そう言い、シオンはティオナの体を抱き起こし、次いで膝に手を通す。その瞬間、幻痛が脳を焼いたが、気合でねじ伏せる。

 常なら何とも思わないような重みに辛さを感じ、けれどその重さにティオナが生きている事を実感させられて、複雑な気分になりながら立ち上がる。

 「……いいなぁ」

 小さくアイズが呟く。

 どこからどう見ても、女の子の憧れ、『お姫様抱っこ』である。あんな大怪我をしてしまったのは同情するが、しかし、だ。

 羨ましいものは羨ましいのであるっ。

 余談だが、可能性をチラつかせて無理矢理やらせた姉のティオネも、自分もフィンにして欲しいなぁ、なんて羨ましがってたかどうかは――定かではない。

 閑話休題(それはともかく)

 移動体勢を整えたシオン達が、モンスターが来ない内に森へ戻ろうとした時だった。

 「あの、さ」

 どこか申し訳なさそうに、シオンが言った。

 「行きたいところあるんだけど……ついてきれくれないか?」

 

 

 

 

 

 シオンが行きたい場所は、そう遠くないところだった。だがそこは、今のシオンからすれば行きたくない場所になるはずのところ。

 否、とは言えない。

 少なくともこの行動は、シオンにとって良い事だから。

 シオンは一度、抱っこしているティオナをアイズとベートに任せる。手を怪我しているベートでも、アイズと2人でなら問題なく支えられるはず。

 最悪もう一度横たわらせればいいのだから、安心して任せよう。

 それから木々の乱立し始める森へ入り、そこで、彼等を見た。

 「――クショウ、薬足りてねぇ! 怪我してねぇ奴は服破いて包帯の代わりにしろ! なるだけ清潔な奴だっ、それも足りなければ血が出ないように手足なら圧迫させておけ!」

 今日少しだけとは言え聞き続けた、シギルの声。

 そう、ここは逃げた彼等が来た場所だ。

 シオンは一度逡巡する。けれどすぐに顔を上げ、その場所へ足を踏み入れる。

 最初に気づいたのは、シオンに剣を振るった彼だった。

 「なっ……!? まさか、ここまで追ってきたのか!?」

 絶望に近い叫びに、シオンは自分がそこまで思われるような人間になっていたのか、と自覚させられる。

 そんなシオンの内心など露知らず、彼等は痛む体を押して逃げようと立ち上がった。

 それに慌てたのはシオンだ。今のシオンに、彼等をどうこうしようなんてつもりはない。ここに来たのだって別件だ。

 「テメェラァ! 逃げるんだったらちゃんと相手の目を見てから逃げやがれ!」

 そこに一喝が振り落とされる。ビクッと震えた彼等は、一斉にシオンを見た。

 逆に驚かされたのはシオンだ。30人近い人数から目を向けられて、その視線に少し圧倒されてしまう。

 けれど、それで気づいたのだろう。今のシオンは、暴走なんてしてないのだと。

 それでも先程の姿が脳裏に過ぎるのか、警戒心は残っているが、それはもう仕方ないと割り切るしかなかった。

 「……そんで? わざわざ何の用だ。見てわかる通り、こっちは忙しい。顔見せだけならさっさと消えてくれるとありがたいんだが」

 その言葉は容赦がない。彼の仲間を殺そうとしたのだから、この対応ももっともだ。シオンが怒ったように、彼だって怒っている。

 それでもシオンは、最低限、やると言ったことを決めてから帰るつもりだった。

 この中でも一番重症の人間。全身を燃やされた者と、通常の回復薬ではもう二度と治せない腕を抱えて泣き崩れる彼、か。

 2人のいるところへ赴き、その横に座る。泣き崩れていた彼は、シオンに気づくと恨みのこもった目をして睨んだ。

 痛みで動けず、声も出ないのだろう。それ以上は何もしてこない彼の焼けた手と腕を手に取ってくっつけ、そんなシオンを止めようとしたシギルが動いたのを横目に。

 シオンは、万能薬を振りかけた。

 何の原理か、みるみる内に治って――いや再生されていく腕。物の数秒で完治した腕を呆然と見ていた彼は、数度動かし、何の問題もないとわかると、泣き叫んで、そして幻痛に呻き、それでもまだ喜んでいた。

 その姿に圧倒されながらも、シオンは残った万能薬を、全身火傷した彼に飲ませる。こちらもすぐに治り、自分の体をただ見下ろしていた。

 「おいシオン、その手に持ってるもんは、まさか」

 「お察しの通り、万能薬だよ。基本的にうちのパーティは二本用意してあってね。これは、最後の一本だけど……」

 そしてシオンは、持ってきた普通の回復薬を数本、シギルに渡す。

 「悪いんだけど、高等回復薬はうちも使い切ってて無いんだ。帰りの分を考えると、回復薬でも渡せる量はこれだけ。全員を治せる量は無いけど、すぐに治療しないとマズい人は、これで足りると思う」

 そこでやっと、シギルはシオンがここに来た目的を悟った。警戒心はまだ残っているが、それでも苦笑を浮かべられる程度の余裕が出てくる。

 だが、周りはそうじゃない。これが何かの策だと、益々警戒しだす者もいた。

 これが策だというのなら、アホみたいな値段の万能薬を使う理由なんて無いだろうに。

 「ちょっと、離れようぜ。ここじゃ作業の邪魔になる」

 「わかった」

 離れると言っても、本当に少し離れただけだった。彼等の視界に入る距離で、多分、話し声も聞けるんじゃないだろうか。

 「正直、悪かったな。利用するような真似して」

 「利用、ね。『人を斬る経験を積ませる』ためにか?」

 「……気づいてたのか?」

 驚くような顔をするシギルに、心外だと言いたげな表情を返すシオン。

 「あの時の言葉、嘘じゃないんだろうけど対人戦闘が下手すぎる人間があまりにも多かった。できるのは精々数人……Lv.3と、それに近い奴くらいかな」

 「はぁ、大正解だ。悪いとは思ったんだが、少しくらいは人の血を浴びるって事を覚えてほしかったんだよ。まさかあんたがあそこまで戦えるなんて知らなかったから、騙されたぜ」

 わからなくもない。シオンの容姿はどう見ても戦いが得意には見えない。そんな人間が容赦なく人を斬っていく様は、どんな風に見えたんだろう。

 「――『自分よりも小さい奴が成功してるのが気に食わない』とかいうアホな理由の嫉妬で突貫しようとした奴とかがいてな。オラリオで騒動起こせば大問題。放っておけばダンジョンで騒動起こしてこれも問題。仕方ないからそういう奴等集めて教えたかったんだよ」

 そう、教えたかったのだ、彼は。自分の後任になる、若者達に。

 「たかが七歳前後で【ランクアップ】して、こんな階層に来る奴が、生半可な想いで生きてる訳が無いって事を。……俺が七つの頃にゃ親元でバカやってたんだぜ? 比べる対象が間違いすぎなんだよ」

 「おれは、ただ強くなって、もう失わないようにしたかっただけさ。言い訳になるが、だからティオナが斬られた時は、その、我を失ってな」

 「こっちだってうちの奴等が数人やられるのは覚悟してたさ。だから俺を含め、何人かLv.3を連れてきたんだからな」

 その言葉で、シギルは決して数の暴力を過信していたわけではないと知る。だが疑問なのは、ならば何故、彼は【ロキ・ファミリア】を襲ったのだろう。

 「そうだな、『現実を見せる』ためさ」

 「……現実、を?」

 「ああ。俺達とお前達の才能の差。それを見せたかった。そこで挫折して諦めるなら、そいつはそこまで。逆に奮起してのし上がろうってんなら背中押すだけだ……ってな。少なくともただ増長してるよりは死ににくくなんだろ」

 それは、そうかもしれない。

 だが、彼は肝心の事を話していない。何故、シオンを襲ったのか、その理由を。ロキが自分の眷属に向ける情愛は深い物だと、知っているだろうに。

 「少なくともあんたなら、話を拗らせないでくれると思ったからだ」

 「は? なんだそれは」

 「『俺の先導に騙されてあんたを襲った』……そう言えば、俺の首一つで済む」

 誰かの息が詰まる気配がした。

 「正気か。その言葉だと、お前は」

 「まー死ぬだろうな。でも、いいんだよ。【ファミリア】に必要な事は遺書に書いてあるし、もう俺はいらん。たった1人の家族も、俺に向けるのは憎悪だけ。少し……疲れちった」

 何となく、本当に漠然と、シオンは理解した。

 こいつ――自滅するためにおれを巻き込んだのだ、と。

 「死にたいんだったらどっかモンスターでやられろよ。その方が手っ取り早いだろ」

 「ははっ、わかってるだろ。んな勇気が無いから俺ぁあんたを襲ったんだ。圧倒的な存在から殺されりゃ諦めもつく」

 こいつは、シギルは、余程人間らしい。

 生きるのに疲れ、だが死ぬのが怖い。だから、こいつはこんなアホな事をやらかした。

 「……こんな事なら情けなんてかけるんじゃなかったか?」

 「確かに、あそこで灰になっても俺は文句言わなかっただろうなー」

 笑うシギルだが、そこには疲労が募っていた。

 多分、最初に出てきた『弟の好きな女性を俺が』という言葉。

 アレはもしかして、結果的に奪ったのではなく……結果的に、殺してしまったんじゃないだろうか。

 もしも付き合い、結婚し、子を産んでいるのなら、こんな自棄なんて起こさないはず。あるいは妻子を失ったからかもしれないが、どちらにしろあまり変わらない。

 だからシオンは、彼にかける言葉が無かった。自分の数倍生きている人間。多分、大切な人を喪ってきた男。

 シオンとは違うが、シオンと同じ、喪ってきた者――。

 なりたくない、と思った。

 大切な人がいなくなって、こんな風になんて、なりたくないと。

 「話が、長引いたな」

 「そういやそうだな。そっちにも都合あんだろ。手打ちにしてくれるってんなら、今すぐ俺の首を持ってってもいいぜ?」

 「いらんわ」

 笑えない冗句をピシャリと跳ね除けると、シオンはジッとシギルを見た。

 殺すのは簡単だ。今も持っている薄刃陽炎で切り落とせば終わる。だが本当に、それでいいのだろうか。

 死を求めてる人間を殺して――だから、何になるのか。

 少し考えて、シオンは言った。

 「……できれば痛み分けで終わらせたい。そっちは経験が得られて、痛みを受けた。こっちは主にお金かな。使った費用は多分一〇〇万ヴァリス超えてるし」

 その言葉に、全員の顔が引きつった。

 確かに、万能薬を二本も使えばそれだけのバカみたいな金になるかもしれない。懐が痛むという意味で、シオンは彼等よりよっぽど苦痛を与えられている。

 「殺しは……しないのか?」

 「黙れ。御託を並べるなら今すぐ金をよこせ。そしたら考えてやる」

 無理だ。そんな大金、あっさり用意できるわけがない。

 実質的に殺すつもりはない、と言い切ったシオンに、シギルは言い返す術を持たなかった。

 「……あんたがそう言うんだったら、俺に否なんて言葉は吐けない。手打ちにしてくれるんだったら、ありがたく受け入れさせてもらう」

 これ以上やり合ったところで得られる物はほぼない。弟の頼みは果たせなかったが、言うことは聞いたのだから義理は果たした。それでいい。

 【ファミリア】のメンバーをこれ以上傷つける訳にはいかない。撤退一択だ。自分の望みは聞き届けられなかったが、それを望むのは傲慢だ。

 まぁ、人の口に戸は立てられない。この話は、仲間内でそれとなく広がるんだろう。教訓か何かとして。

 「……できれば、あんたとは敵対したくねぇな」

 「そう? まあ、無駄な戦闘はしたくないってのは同感だけど」

 もうやる事はやった。ここに残る意味はない。

 それに、シオンがいたら気を抜けない人は多いだろう。さっさと去るべきだ。

 「聞いたかてめぇら! あいつは義理を果たした。こっから先不用意にあいつを挑発するような真似するんじゃねぇぞ!」

 こうした事は無駄じゃない。そう信じながら。

 

 

 

 

 

 「で、用事は終わったのか?」

 「ああ。単なる自己満足だから、これで逆恨みされても文句を言うつもりはない。なるようになるだろうさ」

 待ってくれていたベートに言う。アイズからティオナを受け取ってまたお姫様抱っこをしなおしてから、シオンは口を開いた。

 「やんないよりはマシ、その程度だよ。金はまぁ、自腹だけどな」

 「ま、いーんじゃない? どうせあの万能薬はシオンが手に入れた物なんだし、使い道なんてあんたが勝手に決めればいいのよ」

 「……普通のパーティなら恨み言の一つも言われそうなんだが」

 「知るか。他所は他所ってのは常識だろ。少なくともうちじゃこれが普通なんだよ」

 ゴン、とベートの頭突きを後頭部に食らう。軽めとはいえ結構痛い。ティオナを抱き抱えているため痛みを逸らすために撫でる事もできない。

 「お前達がそういうんだったら、別におれもどうこう言わないけど」

 と言いながら、実は少し気にするのがシオンだったりする。

 虎の子の万能薬が無くなってしまったので、もしまた万が一が起きたりすれば、今度は治せないんだよな、とかなんとか、色々考えているのだろう。

 「そういえばシオン、ティオナが斬られた時、我を忘れるくらい怒ってたじゃない」

 「……? ああ、そうだな」

 そんな雰囲気を察したティオネは、

 「もしかして、ティオナの事が大好きだから――とか、そんな理由?」

 「「――!!」」

 特大の爆弾を、叩き落としてきた。

 アイズとベートがそれぞれの意味で硬直する中、シオンは、

 「うん、大好きだけど?」

 ――えええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!??

 内心絶叫するアイズなぞ知らないとばかりに、シオンは平静なままだ。思わず圧倒されながらティオネが聞く。

 「そ、そう……即答されるとは、思わなかったわ」

 「即答なんて当然だろ。おれはティオナの事も、勿論皆大好きだからね」

 ――……?

 一瞬意味がわからなかったが、それを知らずにシオンは続ける。

 「アイズも、ベートも、ティオネも。フィン達だって大好きだ。もし仮に斬られていたのがティオナじゃなくても、きっとおれは、ああなってたと思うよ?」

 「……あ、そう……」

 拍子抜けした。

 ――『好き』って、恋愛じゃない純粋な好意の方なのね……。

 なんだ、と溜め息を吐いたティオネは、今度は一気に咳き込まされる。

 「まぁ、ティオナの向日葵みたいに輝く笑顔が見れないと思ったときは、足元が崩れるくらい怖くなったけどな」

 「……っ、ゲホッ、ゲホッ!?」

 ティオネが吹き出したのに驚き、シオン達の足が思わず止まる。もう先の雰囲気なんて欠片も残っちゃいない。

 とりあえず、わかった事、というか再確認させられた。

 シオンは天然。且つ無意識で人を驚かす。

 それから――どうしようもないくらい、たらしという事か。

 それと、もう一つ追記しておく。

 シオンにお姫様抱っこされているティオナの頬が真っ赤になっていたのは、どうしてなのだろうかと。

 

 

 

 

 

 拠点にしよう、と決めていた場所に戻った彼等が、まずした事は単純だ。

 「――シオン、体洗ってきなさい」

 「え?」

 「『え?』じゃないわよ。あんたの体すっごい臭うの。焦げた肉とか、血とかが色々合わさってかなり臭い。だから、川で洗い流してこい!」

 と言われて、すごすごと川に来たシオン。

 あんな形相のティオネに言われれば逆らう気など起きやしない。素直に従っておくのが吉というものだろう。

 ――そんな臭いのする奴にティオナを運ばせるって、なんでだ?

 とか思ったのは、内緒である。

 一方ティオネはというと。

 「で、わざわざお姫様抱っこさせてあげた感想は?」

 まだ横になっている妹を見下ろしながら、煽るような事を言っていた。しかしティオナは動こうとしない。

 あくまで寝たふりを続行するティオナに、ティオネは少し悩んでから、

 「『大好き』、『向日葵みたいな笑顔』、あと昔言われた――」

 「うにゃあああああああああああああああああああああああっっ!??」

 「あ、起きた」

 慌てて飛び上がってティオネに口を塞ごうとするティオナ。若干涙目になっているのはご愛嬌、だろうか。

 しかし病み上がりに近い体で激しい動きをしたためか、すぐにフラついてしまう。咄嗟に支えてくれたティオネだが、原因は彼女のためなので、感謝する気は起きなかった。

 「鬼、悪魔、大魔王」

 「あんたねぇ、それが恩人に言うセリフ?」

 「それについては感謝してるけど、それはそれ、これはこれ!」

 そう、妹は姉の玩具じゃない。

 言うことを聞く義理なんて無い――

 「あ、そう。ならもうシオンを唆すような言葉は言わないわ。それでいいのよね?」

 「すいませんでした調子こきましただからお願いします手伝ってくださいお姉様」

 「わかればよろしい」

 訂正。

 妹は、姉に勝てなかった。

 情けない自分に涙しながら、ティオナは素直に言った。

 「嬉しいけど、複雑。男女一緒くたに大好きって事は、私のこと、まだ女の子として見てくれてないんだろうし」

 一見すれば、それは弱音に見えるだろう。

 「そうなるのかしらね。でも、喜んでるんでしょ?」

 「……あったりまえ! 少なくともシオンは大好きだって思ってくれてるんだもん。後はその想いを、『女の子として』大好きにすればいいだけなんだから!」

 だが侮ってはならない。

 恋する乙女は、強いのだから!

 そして川についたシオンは、服を脱ぎ、まずは水洗い。着替えは持ってきているが、臭いは取らないとまた自分に戻ってくる。

 洗い終えたら適当に干しておき、やっと自分が川に入る。誰もいないので深いところに移動すると、シオンは深く潜った。

 そこで胎児のように丸まって、ぷかぷか浮いてみる。

 今だけは、何も考えずにいたかった。

 一分、二分、と時間が過ぎる。まだ息は続くが、若干の息苦しさを感じた時だった。

 『良かったネ。仲のいい友達がいてサ』

 ――誰だ!?

 聞きなれない声。楽しげな笑い声だが、しかしそれで油断はできない。一度潜り、地面に足をつけると一気に飛び上がる。

 浅いところに行ってから再度ジャンプ。着替えのところに戻り、最低限下着と、後は薄刃陽炎を構えて周囲を警戒する。

 『そんなに慌てなくてもいいのにナ。私はシオンに危害なんて加えたりしないヨ?』

 「……っ、だったら姿くらい見せたらどうだ? 声だけするなんて、不審者としか思えないぜ」

 名前を知られている。

 その事に焦るシオンだが、声の主はあっさり言った。

 『それもそっカ。なら、見せてあげル』

 「え? ――うわっ」

 突然の突風。

 反射的に両腕で顔を庇い、風から身を守る。吹き飛ばされないようにするだけで精一杯だが、その風はすぐに消えた。

 そしてシオンは、見る。

 「初めまして、だネ? 私は風の精霊。あなたに風を使わせてあげてる存在だヨ?」

 風を纏った、小さな小さな存在を。

 恐らくこの世界の神秘の中でも、最上位に位置する彼女は、困ったように言った。

 「とりあえず――服、着たラ? ちょっと、目のやり場に困る、かナ」

 「……あ」

 最後まで締まらない邂逅だったけれど。




今回はいつもより短め。1万文字届いてない。
最後に出てきた彼女の説明は次回。ちゃんと設定考えてるんで、批判とかはできたら次回読んでからお願いします?

まぁそれはそれとして。
お気に入り2000件突破、総合評価3000PT突破です! これも皆さんのお陰、感謝!
これ記念でなんかやろうかと考えたんですけど、最近また時間無いんで御免なさい……。
か、代わりと言ってはなんですけど、後のほうにおまけがあるんで許して。

それと、前回書いてから思ったことを一つ。

→感想が一気に増えた件。

――本当皆ベート大好きやな!(作者歓喜)
何なの、皆ツンデレご所望なの。男のツンデレ大好き系なのか!?
まぁ私も好きだけど!
でも原作ベートってツンが大きすぎるし隙が無さすぎだから皆に嫌われてるからこっちは盛大にデレを出そうと思ってできたのがこちらのベートで子供の内からちょうきょ、教育すればきっと彼は一人前のツンデレ狼になってくれ――(殴
ちょっとヒートアップしたけど問題ないよね、うん。

とりあえず解説解説ぅ!
ベートのデレ
初っ端からこれ。
抱きしめたのを恥ずかしがってます。そしてそれを隠すために突き放してます。でもシオンがちょっと落ち込んでるのを見てさり気なく励ましてます。
――やっぱツンデレいいよな、皆!

皆の態度
理由は様々ですが、あの程度で態度変えるような柔い絆じゃないんです。そう思われるだけの時間を一緒に過ごしてるんです!

シギル達のところへ行った理由
読者の方から感想貰ったので、もっと詳しく描写しました。弟への義理を果たしつつ、【ファミリア】メンバー成長のためにシオンを利用したってのが本音。
本当はシオンとやり合ったら、彼に慰謝料を渡す準備とかしてたり。まぁ全部ご破産になっちゃいましたけど。
今回は『痛み分け』で終了ってこと。
これ以上は終わらない恨みの連鎖になるので、お互い思うところはあれど投げ捨てました。
追記11/24
読者様の指摘から何故わざわざ【ロキ・ファミリア】を襲った理由が欠けていたので、そこ付け加えました。

シオンの大好き
まぁ好感度でいえば両親と義姉が最上位、そっからティオナ、アイズ、ベートとティオネにフィン達、と続いていくんですけど……。
その辺りの機微はまだ彼女達にはわからない様子。

ティオナはめげない
この程度で落ち込むような、そんな恋する乙女(ティオナ)じゃないんです!

風の精霊について
実はとっくの前から伏線張ってるんです。彼女が出てきた理由は、まぁ次回に持ち越し。

で、こっから先は先程述べた記念代わりのおまけ的な要素。
ぶっちゃけ本編に関係ない上無駄に長いので、読みたくない人は飛ばしてください。あるいはそのまま閉じちゃってください。
OK?

じゃ、なんか感想で言われたせいかこの5日で勝手に考えてしまったプロットをば。
即ち、シオンBAD END√のあらすじ的な物を書いていこうじゃないか!

……と思ったら、なんかそこそこの分量でできちまったんでもう更新しちまおう。
ただ個人的には大雑把すぎて微妙。ネタバレしないように色々省いてるから仕方ないね。ちゃんとしたものはまた後日。

更新は今日の11時くらいにしとくんで、暇あったら見てください。



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BAD END√1

 選択肢

  『抱きしめる』

 →『抱きしめない』

 

 おれは、ベートの発言を無視して薄刃陽炎を振るった。

 「ま――!」

 彼の言葉は脳に届かない。何かに葛藤していたせいで力の緩んだ一瞬を狙ったので、もうベートにこの一撃を止める事はできないだろう。

 風の通り道に、炎が乗る。

 まるで魔神の手のように広がった炎は、シギル達を燃やした。

 灰すら残さず、30人という人が、一瞬でこの世から消え去ったのだ。

 そこでやっと、おれは正気に戻った。そして自分のやった事を自覚する。

 どう考えてもやりすぎだ。ここまでする必要なんて、無かったのに。知らず薄刃陽炎を持つ手に力を入れ、脳に走った激痛から取り落としてしまう。

 それを代わりに拾ったベートが、頭を小突いて言った。

 「……やりすぎだ、このバカ」

 それだけだった。

 責める言葉を、一言も言わない。ただ苦笑しているだけ。そのまま手を引かれてアイズ達のところへ戻ると、彼女達も、おれを責めようとはしなかった。

 後に目を覚まして聞いたティオナさえ、

 「私のために怒ったんでしょ? なら、私は何も言えないよ。……怒ってくれてありがと」

 フィンも、リヴェリアも、ガレスも、小言は言いつつ、割り切ったように話しかけるだけ。皆が皆、優しかった。

 だけど、どうしてかおれは、『何かを間違えた』と、心にポッカリとした穴が空いたまま、日々を過ごす事になる。

 ……あの時の風も、もう、感じない。

 どこかに行ってしまった――というのが、多分、正解だろう。

 その後もパーティを続けていたけれど、違和感は日にしに増して行き、遂にソロでダンジョンへ潜る日が多くなる。

 何度かティオナから誘われたけれど、全部、断って。

 気づけば数ヶ月が経ち、結局ティオナ達は、新しく入団した数人の内の1人をパーティに入れたようだ。

 二本の刀を腰に差した、褐色肌のヒューマンの少女。歳は多分、一つか二つ上。仲は良さそうだった。勝手ながら安心する。

 それでいい。自分勝手な人間なんて忘れてしかるべきだ。

 おれは、これから1人でダンジョンに行き続けるのだから。

 そんなある日のこと。

 普通ならわからない程度に不審な行動をしている人が気になったおれは、その男を追って路地裏に足を踏み入れる。

 多くは語らない。

 ただ言えるのは、その男は闇派閥に所属していて、少女を救うために、その男を殺した。それだけだ。

 何となく、思った。

 これだ、と。これがおれの足りない物だと。

 あの日から噛み合わなかった歯車が、カチリとハマった気がした。

 ……それが間違いだなんて気づこうともせずに、正しいと信じて。

 それからまた月日が流れる。

 おれは時折闇派閥に所属していると思しき人間を見つけては、秘密裏に殺していた。たまに単なる人攫いも見つけたけれど、それはそれと殺しておいた。

 少なくとも、他人の身で金を稼ぐ人間にロクな奴はいないのだし。

 気づけば小規模の【ファミリア】が無くなっていたけれど、どうでもいい事か。

 人を殺したのを誰にも話さないで、おれは今日、エイナと出会った。

 彼女は未だにおれと話そうとする者の1人。どこか痛ましそうにしながら、それでも心配してくれる、お人好し。

 「シオン、ちょっとだけいい? 最近27層で変な事が起きてるみたいだから、できれば行かないでね」

 エイナと会話していた時に教えられたこと。

 だがそれは、おれを『あの事件』に誘う原因となった。

 27層に行くこと数日。何度も地上と地下を行き来し続け、そして起こった。

 闇派閥の暴走――後に『27階層の悪夢』と呼ばれる事件。

 人とモンスターが入り乱れ殺し合う。果てには迷宮の孤王さえ出現し混迷を極めたそこで、おれは生き残った。

 ……冒険者も闇派閥も関係なく殺して。

 その事実は、おれ以外の生き残りからオラリオに伝わる。

 誰が言ったか、こんな二つ名が生まれた。

 【堕ちた英雄(ダウンフォール・ブレイバー)】――と。

 おれ自身は特に気にしなかったけれど、【ロキ・ファミリア】は別だ。こんな悪名を背負った人間を抱えていれば、いつかきっと。

 そう判断したフィンが、おれを切り捨てる事にしたらしい。

 ロキから、そう言われた。

 ――最後の【ステイタス】更新と同時に、シオンの『神の恩恵』を封印する。

 事実上、冒険者でさえなくなる。

 無力な人間に逆戻り。けれどおれに拒否権はない。ロキしか『恩恵』を反映させられない以上、いつかは封印される。受け入れるしかなかった。

 そしておれは【ロキ・ファミリア】を脱退――いや、()()された。

 ふと視線を感じた。懐かしい視線。ここ二年、ずっと感じなかった物。

 ティオナとアイズが、こちらを見ていた。彼女達だけじゃない、ベートとティオネ、それからフィンやリヴェリア、ガレスまで。

 ああ、そうか。

 おれは、頼るべきだったのか――。

 もう遅い。だからおれは、一度だけ【ロキ・ファミリア】のホームに礼をし、そして二度と振り返る事はなかった。

 これからどうしよう、と思う。

 少なくともオラリオにはいられないだろう。いっそ外に行くのもいいかもしれない。そう考えていたおれの前に、1人の女性が現れた。

 「見捨てられた、か。のうお主。妾の物になるつもりはないか? 妾も1人でな、行くべき場所が無いのだ」

 女神。

 銀の髪を靡かせた美女が、おれに手を向けてきた。

 逡巡する。この手を取っていいのかと。そもそもこの封印はロキ以外に解けないはず。それをどうやって。

 「案ずるでない。その程度の封印、妾にかかれば一瞬よ。それに――妾は、主を見捨てぬぞ?」

 その言葉に、心臓を射抜かれた気がした。

 悩んだ姿勢を見せたのは、見かけだけ。気づけばおれは、彼女の――女神の手を、取っていた。

 「さあ行こうぞ。妾はお主の傍にいる。誰が敵となろうとも、妾だけはお主の味方だ」

 女神の手によって『神の恩恵』を再度宿したおれは、ダンジョンに行かなかった。

 狙いは闇派閥。

 正確にはその残党と、彼等に協力していた者の排除。

 さぁ、神罰だ。

 愚者の手による一方的な、傲慢な裁き。

 いつかきっと、人の身に過ぎた事をするおれに罰は下るだろう。だがそれまでは、おれはオラリオの闇を飲み込み続ける。

 闇派閥と繋がっていた商人の家。護衛も、彼の家族も全員皆殺しにし、外に出た時のこと。おれはいきなり襲いかかってきた暗殺者と戦った。

 率直に言って強い。だが何より驚いたのは、掠った刃から強い痺れを感じたこと。

 卑怯な手段を問わない事に、むしろ感心した。とはいえおれの耐異常はDを超えている。どんな毒でもまず効かない、が、効いたフリをして膝をつき、そこを突いた暗殺者を逆に封じ込めた。

 硬直させる体を拘束するなんて、簡単だった。

 「……あなたは、誰なのですか」

 死を覚悟した暗殺者の声は、意外にも女性の物だった。

 「……執行者だよ。闇派閥に関わった物を殺す、ただそれだけの愚か者さ」

 そんな出会いだったけれど、おれと彼女は、良き仲間になった。

 その邂逅から一年か、二年か。

 血塗れになった全身を女神に抱きしめられながら、今日も眠って起きて、殺しに行く。

 そうして出かけた先に、死にかけていた仲間を見つけた。倒れ伏す彼女に、最後の一個だった万能薬を無理矢理飲ませる。

 「……何故、これを。もうその一つしか残ってないはずだ。それを、どうして」

 「どうせ次で最後だ。もう貴女は足を洗ってもいい頃だろう? ……おれの知り合いにシルって女の子がいる。彼女を頼れば、きっと助けてくれるはずだ」

 まだ、間に合う。

 目の前の少女は、まだ光のある世界に戻れる。復讐心に囚われながら、それでも仲間を想い続けた彼女があの場所に戻れないなんてこと、絶対に無い。

 傷が治った彼女に背を向ける。

 その時、肩を掴まれ壁に押し付けられたおれは、殺されるのかと身を固くした。けれどそれは深読みしすぎただけで、彼女はただ、おれに唇を押し付けてきただけだった。

 数秒のキス。

 それを終えると、彼女は震える声で囁いた。

 「……好き、です。私は、シオンの事が」

 嬉しい、と思う。

 だって、

 「……ああ、おれもだ。おれは、貴女の事が、好きだ」

 おれも、彼女を好きになっていたから。

 理由なんてないけれど、確かにおれは、彼女が好き()()()

 いつも仏頂面の彼女が、この時初めて満面の笑みを見せてくれたせいで、もっと好きになってしまったくらいに。

 いつかまた――そう言いながら行った彼女に聞こえないよう、おれは言った。

 「……ああ。いつか、貴女が死んだ時に、また会おう」

 もう二度と会えない愛しい女性。

 涙が流れたのは、仕方ない――だって、また無くしてしまうんだから……。

 手元にあるのは、闇派閥の関係者が記された紙。

 これで最後だなんて嘘だ。彼女をあの場所に返すために、バレない範囲で誤魔化し続けて、それがやっと実を結んだ。

 「……おれには闇がお似合いだ」

 紙を燃やす。もう内容は覚えたから。

 そしておれは、また闇に体を浸していく。

 ――アレから何年経っただろう。今のおれは、多分十六歳くらい。ギルドから懸賞金を懸けられたせいで、もうまともに表を出られやしない。

 髪を切る、その色を変える、人相を変える、いっそ性別も変える――何でもやって誤魔化したけれど、もうそろそろ限界。

 終わりの足音は、すぐ近くまで来ていた。

 「……やっと、見つけた」

 彼女はおれを睨みつける。

 「やれやれ、やっぱり一番乗りは貴女だったか」

 飄々とした態度で、おれは笑う。

 「これ以上、シオン、あなたの暴走を看過できない! 私が止めるっ、今ここで!」

 巨大な獲物を構えた彼女が、おれの死神。

 

 「私が好きな人がこれ以上壊れていくなんて、見たくない!」

 「おれが壊れようと、そんなの勝手だろう。邪魔をするのなら――例え、貴女でも!」

 

 間違えた【英雄】は、正道を踏み外し、【堕ちた英雄】となる。

 

 「どうして、私を騙したっ。あなたと一緒なら、私は死んでも良かったのに……!?」

 

 誰とも交わらず、たった1人の孤独な闇に落ちていく。

 

 「……ああ、いいぞ。それでこそ妾の見初めた者。お主が死のうとも、妾も後を追ってその魂を抱きしめよう。愛しい男。我が夫……共にいようぞ。終わりなき闇の中で、永遠に」

 

 女神に唆された者は、闇の中で生きる。

 

 「……皆、さよなら」

 

 そんな彼を、女神は抱きしめるのだ――永劫の果ての果てで。

 

 BAD END√

 『女神に見初められし者』

 

 いつか書くよ、きっと……うん。




ガチで5日程度でこのプロットと設定考えちゃった件。
なんであの女神がいるのかとか説明できちゃうんだよ。そんくらい考えてしまった!

まぁ書く暇無いから書かないけどさ……まだ。

ところでこの√のヒロインが誰か、なんて、言う必要ありませんよね?


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風の正体

 とりあえず、という事で服を着直して、あらためて彼女を見つめる。

 彼女は本当に小さい。お人形という表現が適切か。多分十五Cから二十Cくらい。ただ、そんな身長だけれど、彼女の年齢はおれと同じか少し下くらいだった。

 目に付くのは、アイズと同じ鮮やかな金髪。陽光を反射するそれは、彼女の纏う風に揺れ、つい目で追ってしまうくらい眩い。その瞳はすぐ傍に流れる川よりも澄み渡った青。じっと見つめられたら心の奥底まで見透かされてしまいそうだ。

 少しだけ紅潮した頬と、緩く弧を描く口元が彼女の可憐さを助長させる。

 服装は、少し露出過多だ。肩やお腹が丸見え、なのだけれど、彼女の方は特に恥ずかしいと思っている様子は無かった。

 まぁ、風が彼女の姿を半ば隠しているので、肌色成分は控えめだから、いい、のかもしれないけども。

 「うんうん、これでやっとまともに話せるネ」

 と、どこか満足気に頷く彼女が、シオンに近づいてくる。そのままシオンの鼻先に触れ、撫でてきた。

 「えっと、何、してるんだ?」

 「ん? 慰めてあげてるんだヨ」

 彼女が何を言っているのか、シオンには最初、よくわからなかった。

 しかし外見に不釣合いな程の慈愛を宿した瞳には、彼女が本心からこの行動を取っているのだと理解させられる。

 だからシオンは、一度理解する事を放り投げて、川辺に移動し、素足を川に浸した。冷たい水に身震いしながら、彼女が撫でるに身を任せた。

 そしてふと思ったことを、口にした。

 「その喋り方、なんか胡散臭いからやめない?」

 ピクリ、と彼女の肩が跳ねる。

 「えー? 折角励まそうと道化(ピエロ)になってあげたのにー!」

 つまんないつまんない、と先程までの姿をかなぐり捨てて手足をジタバタさせる彼女に、少しでも神秘さを感じた自分を殴りたくなってきた。

 「不自然さが目立つし、そもそも容姿に合ってないんだけど」

 「そ、そうなの……?」

 ガーン、とショックを受ける彼女は、どうしてかティオナによく似ていた。コロコロと変わる表情の快活さが、彼女を想起させるのだろうか。

 ふと思った。

 ――思い描いてた精霊らしくないな、と。

 しばらくドンヨリした雰囲気を漂わせていた彼女だが、本題から逸れていると思ったのか、シオンをキッと睨みつける。

 「と、とにかく、シオンは私に感謝するべきなんだよ!」

 「感謝はしてるけど。あの風のお陰で命を救われた事が二度もあったんだし。ありがとう」

 「あ、うん、どういたしまして……」

 何となくわかった。

 彼女、押しに弱いらしい。それも純粋な感情を向けられると、恥ずかしがって顔を動かしまくっている。

 だけど、このままでは本題に入れない。彼女しかその内容を知らないのだから、純粋な感謝以外のこと、からかいなんかはしないでおこう。

 「それで、どうして今、おれの前に姿を見せてきたんだ?」

 なのでシオンの方から本題に入る。

 内容はわからないが、疑問点の提示くらいはシオンにだって可能だ。これを足がかりにしてくれれば、彼女は自分の言いたい事を伝えてくれるだろう。

 「そ、そーだった。もう、シオンが変な事言うから! ……コホン、まず、私がシオンの前に姿を見せれたのは、私が成長できたからだよ」

 「成長……?」

 シオンが上から下まで彼女の姿を眺めると、何故か引かれた上に手足で体を隠された。それでもシオンの視線に邪気が無いのはわかっているのか、すぐに元の体勢に戻ったが。

 「それを説明するには、まず私がどうしてシオンの傍にいたのかっていうのから始めないといけないかな。……一番最初の出会いは、私がまだ自我の無い頃の事なんだけど」

 「それって」

 『アリア』という女性が、シオンの額に口付けた時の事を思い出す。

 あの時シオンは、強烈なまでの『熱』を感じた。もしアレが、彼女をシオンの体に宿すための行為なのだとすれば……。

 「――『祝福』っていうのは、リヴェリアを騙すための嘘?」

 「それは早計過ぎるかな。実際にシオンにも『祝福』は渡してたよ。ただそれが、私をあなたに託すついでだったってだけだよ」

 段々、訳がわからなくなってきた。

 アリアが渡した祝福とは、一体何なのか。そもそも彼女は何を願って、シオンにこの精霊を託してきたのか。

 普通に考えて、悪用するとは考えなかったのかと思ってしまう。

 それとも信じたのか。

 こんな、我を忘れて人を殺そうとした人間を。

 そう自問していたせいか、シオンは、彼女が心配そうに見つめているのに終ぞ気づかなかった。

 「なら、そもそもあの人がおれに渡した祝福ってのは何なんだ……」

 「教えて欲しい?」

 精霊が、シオンの瞳を覗き込んでくる。その表情は悪戯気味だったが、シオンにはどうしてか、それが何かを隠すためだとわかってしまう。

 だが、しかし。知りたいと思ったのは、事実だ。

 「……教えてくれ。じゃないとおれは、アリア……さんを、アイズの母親を、疑ってしまうかもしれないから」

 「……シオンは優しいね、ホントにさ。よし、ならば教えてしんぜよう!」

 最初は呟くように、最後は大声で。

 その勢いのまま、彼女は言った。

 「アリアが渡したのは、()()()()。シオンにもわかりやすくいえば――自分の『魔力』を、シオンの体に受け入れさせた」

 「……?」

 また訳のわからない単語。

 シオンが首を傾げているのをむしろ当然だと思っているのか、彼女は説明を続ける。

 「私達精霊が本来自然と共にある存在だっていうのは、シオンも知ってるよね? そこにはきちんとした理由……摂理があるの」

 それは、知っている。

 義姉や、ティオナと同じく物語――英雄譚の好きなシオンは、当然、そこに出てくる精霊の事も知っていて、それ故精霊という存在が自然の多くある場所に好んで住む、という事くらいは。

 「生まれたばかりの子供に『自分』って認識が無いみたいに、私達精霊も自我を持たない。その上私達が『生じた』ばかりの頃は、本当に何もできないの」

 精霊なんて物は名ばかりだと、彼女は言う。

 もちろん時を経れば力は増すし、それに伴ってそう呼ばれるだけの存在になる。とても俗物的な言い方になるが、彼女達は『才能』と『潜在能力』が飛び抜けて高いだけ。

 だから――生まれた瞬間を狙われれば、彼女達は狩られる。

 「……待て」

 ここまでの話を聞いて、シオンは一つの仮説を脳内で組み立てた。組み立てることができてしまった。

 まず、アリアの件は後回しにしよう。

 重要なのは三点。

 精霊は、最初は人と同じくとてもか弱い存在だということ。

 もう一つは、自然を好む……恐らく『誰の手も届きにくい』ような場所に住むということ。

 そして、最後。

 この二つが前提に来るのなら。

 ――どうして彼女は、『シオンという人間』の内部に潜んでいられるのか?

 つまり二つ目の項目は、さして重要じゃない、という事になる。あくまで強くなるまでの過程としてそこにいるだけ。そこにいれば、生き残れる可能性が高いだけ。

 か弱いが勝手に強くなっていく。その間は隠れ潜む。自然、人、精霊。これらに共通する物の中で、精霊に必要な物。

 そんなの――さっき、彼女自身が言っていたではないか。

 「『魔力』……」

 そう、それだ。それこそが精霊に必要な物で、だからこそ、時間を置かなければ自らが強くなれない理由。

 魔力は自然に湧き出る物だが、無尽蔵に集めるのは不可能。特に多くの精霊が集まれば、それだけの時をかけなければならない。

 逆に言えば、自然でなくとも魔力の生じる存在――人であっても、それは変わらない。

 「それって、ほとんど『寄生』に近いんじゃないのか……」

 呻くように言うシオン。だがほとんど間違っていない。実際弱い状態の精霊を身に宿していたところで恩恵等無い上に、下手にそれがバレればシオンの体を解体しようとする愚か者まで現れるかもしれない。

 そんなリスクを知らず与えられていたことに頭を抱えかけたが、しかし同時に、この力が無ければ死んでいたのも事実。

 結局のところ、シオンに彼女やアリアを責める事などできはしない、という結論に落ち着いてしまった。

 が、それは言葉にしなければ伝わらないわけで。

 「そんなのと一緒にしないでっ! 『寄生』っていうのは宿主に一方的に取り付いて、害だけ与えて自分が得する存在だけど、私は違う!」

 彼女は、怒る。

 だがそれは、憤りと、そして悲しみが大部分だった。

 「私は君を『ヤドリギ』にしてるけど、でも、ちゃんと力を貸してる。奪うだけの『寄生』なんかじゃない、一緒に生きるために『共存』してるんだからっ」

 切実な声に、シオンは、言い方を間違えたのだと知った。

 「……だから、そんな酷い事を、言わないで……」

 手の中で泣いてしまった彼女に、シオンはただ、自分の疎さを殴りたかった。だけどそれは後にする。

 「……ごめん。そもそも今より幼くて弱いおれに、風の精霊を宿して無事でいられるような魔力なんて、無かったのに」

 「そうだよっ。だからアリアは、シオンが死なないように自分の魔力を君に渡したんだから」

 少しだけ落ち着いてきたのか、ぐずりながらも彼女は言う。

 ――そう考えれば、辻褄は合う。

 どうして今になって彼女が目覚めたのか。

 そんな物、今『自分』という物を得たからでしかない。

 その結果に至るまで、アリアと、そして自分の魔力を微量ながら受け取っていたのだ。

 「それが答え。……最初にシオンが死にかけた時に発動したのはアリアの魔力を使った風の力だけど、でも、二回目からは私の力だったんだよ。覚えてる? 微睡みの中で、恐れを抱いた君を励ましたのを」

 ――諦めないで。

 ――ほら、頑張ってっ!

 そんな意思をこめて、彼女は風をシオンにぶつけた。

 「そもそも、シオンの願いを聞き届けて形にしたのは私だよ? 君の想いを成すために、君が描いた事を作る手助けをしたんだからね」

 バラバラになった鉄の欠片を、ツギハギだらけの剣にしたこと。

 薄刃陽炎を噴出させるために、風の出力を少しずつ調整できるようにしたこと。

 『魔法』ではなく、精霊そのものの力を借りたからこそ、魔法なんてお呼びじゃないくらいの力を発揮できたのだ。

 それを理解して、シオンの中で罪悪感が募っていく。

 「本当に、ごめん。助けてくれた相手に『寄生』だなんて。むしろおれと、おれの大切な人の命を救ってくれた恩人なのに」

 「……いいんだよ。シオンがいなきゃ、私だってこうしてここにいられない。私は私のために、君が生きるための力を貸した。そして願った想いを実現させるために手助けした」

 先程思ったことを全て撤回する。

 まさしく彼女は精霊だった。優しく、力を貸す相手には、献身的に尽くしてくれる存在だ。

 そして、だからこそ――彼女は、容赦しなかった。

 「でもそれは、君が『誰かの為に』力を使った時にだけ、対価を求めない契約」

 「は? け、契約? そんなの、いつ」

 「『誰かを助けて、みんなを笑顔にできる、そんな『英雄』になりたい』――」

 「んな――っ」

 その、言葉は。

 シオンがアリアに伝えた、今でも思い出すと頭を抱えるくらい小っ恥ずかしい願いで。

 だがその羞恥心は、一瞬で冷やされた。

 「――さっきのシオンは、アリアに言った言葉通りの行動をしてたと、心から思える?」

 「――それはっ」

 心臓を、掴まれたような気がした。

 答えは一つ。

 全然思わない、だ。

 シオンが望んだ姿は、あんな我を忘れて暴走して、死と破滅と涙しか残さないような、そんな物じゃない。

 「私が力を貸したいと思ったのは、あの時の君であって、あんなのじゃない。……あくまで君が君の力で成したのなら、文句は言えなかったけど」

 人は、変わる。

 それでも彼女は、それがシオンの力によって成し遂げたのであれば、内心どうあれ、シオンの傍に居続けただろう。

 だが先程のアレは違う。

 完全に彼女の力を前提に行動し、事を成そうとした。

 「アレは完全な契約違反。そして、違反したのなら、君は罰を受けなきゃいけない」

 契約通りにシオンが行動し、願い、彼女を頼ったのなら、アリアの『祝福』が、風を扱うだけの魔力を肩代わりしてくれた。

 ならば、それに違反した行動でもって力を行使したのなら、どうなるか。

 「内容の一部は私に託されてるから、ある程度の裁量はある。……どんな風に、してほしい?」

 敢えて、彼女は問うた。

 軽い物にしてほしいと涙ながらに訴えるか、自責に耐え切れず重い物にしてほしいと頼むか。どちらも選んで欲しくないな、なんて勝手な事を考えながら、彼女はシオンを見た。

 シオンは、どうしてか――笑っていた。

 一瞬気でも狂ったのかと思ったが、違う。

 「……『離れる』とは、言わないんだね」

 「え?」

 「普通、30人って人を殺そうとして、後悔はしてても、特に後を引きずってないような人間なんかと、まだ一緒にいてくれるの?」

 ティオナ達は、信じてくれるだけの年月を過ごした。

 だがその過程において、彼等の間にあったのは、お互いの命を懸けるというレベルの濃密なやり取り。日常生活で育まれる友情とは、密度が違う。

 例え絶体絶命の状態に陥っても――あの時のインファント・ドラゴンとの戦いのように、誰かを死なせないために自分の全てを懸けられる。

 そう言い切れるのだ。

 けれど、この精霊はどうなのだろう。

 シオンの事を夢で見た、という彼女だが、実際の顔合わせは今日が初めて。そんな相手があんな行動をしていたのに、恐怖は感じなかったのだろうか。

 「お前はおれに力を貸してくれているけど、それはただの契約……アリアからの頼みっていうだけで、強制されているものじゃない。その気になれば、簡単におれとの縁なんて切れるんじゃないのか?」

 「…………………………」

 「その沈黙が、答えなんだよね」

 シオンは知っている。

 一度失った信用や信頼は、そう簡単には戻ってこないことを。いっそ自分の事を何も知らない初対面の相手の方が容易だとわかってしまうくらいに、難しいのだということを。

 「それでもお前は、まだ、おれを信じてくれるの?」

 「……正直言うと、迷ってる」

 彼女は、その端整な顔を少し歪めながら、答えた。

 「君は間違えなかった。だけど、もし同じ事が起きて止まる保証はないし、その時は今よりもっと強くなってるはず。被害が、想定できないの」

 本当に、彼を信じ続けていいのか。

 精霊であり、力を貸す側である彼女は、無責任な行動ができない。それで同胞を、同胞の住む自然を破壊されたら、傷つくのはシオンだけでは済まないからだ。

 「それじゃあ、さ」

 「……?」

 「お前との『契約』の内容を、もっと厳しくすればいいんじゃないかな」

 「厳しく、する?」

 「そう。例えばだけど、『同意無しに風を引き出せない』……とか。それならおれが暴走しても力は渡せないだろ?」

 確かにそれなら、安心ではある。

 だがそれだと、もし彼女の機嫌が悪かった時には力を借りられない事を意味する。シオンはそれでいいと思っているのか。

 そう聞くと、シオンはむしろ不思議そうにしていた。

 「元々この風はおれの力じゃないんだ。貸してくれるだけありがたいくらいだし、無いなら無いで別の方法を模索するよ」

 シオンは一つに事象に固執しない。

 だから、借りられないのならスッパリ諦めるだけだ。あればいいとは思うけど、それに頼りきりになれば堕落するから。

 「わかった。私はシオンを信じるよ。その言葉、嘘にしないでね?」

 「ああ。だからお前も、おれに甘えを見せないでくれ」

 そうして2人は手を握る。

 大きな手と小さな手が交わった。

 ――ここに新たな【契約(コントラクト)】を結ぶ。人の子よ、どうか我の信を裏切りたもうな――。

 そんな、厳かな声がどこかから聞こえた気がした。

 シオンと彼女の手が離れ、そして彼女は言った。

 「契約は更新したけど、それ以前の罰は残ったままだから、これも行うよ」

 「うん。拒否するつもりはないから、やっちゃって」

 そう答えると思った、そう言って苦笑し、彼女は告げる。

 「汝契約破りし者よ。我は契約を紡ぎし風の精霊として、その誓いに背いた罰を与えよう」

 彼女がシオンの額に触れた瞬間、シオンの中から何かが抜き取られていった。最初はちょっとした違和感だったそれは、果てにはシオンの心臓が荒れ狂う程の物となる。

 「う……づっ……!」

 「風の精霊としての裁定を告げる。汝の魔力、規定に届かなければ体力で補い、我が身に進呈せよ」

 ……気づけばシオンは、横に倒れていた。

 霞む視界の中で、彼女はシオンの頬を撫でるのを見る。

 「……今回はシオンが魔力も体力も全然消費してなかったらこの程度で済んだけど……もしどっちも足りないまま契約を破れば、今度奪われるのは君の寿命になる。これだけは、覚えていて」

 彼女は一度風を起こし、シオンの髪を顔から払う。

 ――それでも、おれは。

 本当に必要になったら、例えそれが契約破りになろうとも――死に体の状態でも、使おうとすると思う。

 彼女もわかっているのか、必要以上の言葉を重ねず、シオンの髪を束ね終える。

 それを確認すると、少しずつ、彼女の体は半透明になって消えていった。

 「まっ……最後、お前の、名前くらいは……!」

 『名前……かぁ』

 もうエコーのかかった声は、どこか寂しそうな物に聞こえてしまった。その意味を問いかける間も無く、彼女は消えてしまう。

 最後に、こんな言葉を残して。

 ――私に名前をちょうだい?

 名無しの精霊。

 つまり彼女は、アリアに名を貰っていなかった事になる。だからこそ、シオンにその役目を頼んだのだ。

 今はまだ、思いつかないけれど。

 「次、会う時には……必ずっ」

 それだけを約束して、シオンの意識は、闇に落ちた。

 

 

 

 

 

 一方で、もう寝る準備を整えていたティオナ達は、シオンが帰ってこない事に、少し危機感を覚えつつあった。

 ベートは胡座をかいた膝が揺れているし、腕を組んだティオネは人差し指をトントン跳ねさせている。アイズの視線は落ち着きなく動き、ティオナはもう、耐え切れなかった。

 「~~~~! 私、シオンを探してくるねっ!」

 「あ、ちょっとティオナ! ……ったくもう、勝手に」

 とはいえそろそろ探しに行こうかと考えていた時なので、見逃してあげた。ティオネは未だ座ったままの2人に目を向ける。

 「で、あんた達はどうすんの?」

 「シオンはそこらの子供じゃねぇ。勝手に帰ってくんだろ」

 「……体洗ってるところに出くわしたら、気まずいし」

 「あっそ」

 何とも極端な答えに呆れつつ、ティオネも待つ事にした。

 どうせティオナが何とかするでしょう、とか思いつつ。

 そしてシオンを探していたティオナは、最も近くにある川にまでもう移動していた。どちらかというと『敏捷』は低い方である彼女からは考えられない速度だ。

 それ程までに心配なのだろう。

 息を荒げながらも川にたどり着き、

 「っ、シオン!」

 そこで、倒れ伏すシオンを見つけて、心臓が止まるかと思った。顔を真っ青にしながらシオンの元へ駆け寄り、胸が正常に上下している事から、生きているのだとわかってホッとする。

 「もう、こんなに心配させてっ」

 と怒りつつ、モンスターに襲われてなくてよかったと思う。

 シオンもティオナもほぼ武装を持っていないので、モンスターが近くにいない今の内に移動するべきだと、感慨にふける間も惜しんでシオンを背負い、ティオネ達のところへ戻る。

 最初、シオンを背負って戻った時にはかなり驚かれたが、同時にどうしてシオンが戻ってこなかったのかを理解して、溜息を吐いてしまうティオネ達。

 結局シオンは、ティオナ達が寝るまで起きる事はなかった。

 「……で、おれとティオネで警戒をしろ、と?」

 「私はあんたが起きるまでの繋ぎの予定だったんだけどね。ちょうどいいから、少しくらい話しましょ?」

 そして、夜。

 空と表現できる水晶。その中心から輝きが消え、黒く染まった天井を見上げながら、シオンとティオネは背中合わせになってお互いの体温を確かめていた。

 他の3人は、布を適当にかけ合わせ、武器を傍に置いた状態で木に寄りかかりながら眠りについている。多分、一言声をかければ飛び起きれる状態だ。

 そんな事態にはならないでほしいんだけど、と思いつつ、ティオネの言葉を待った。

 「……何でもないように振る舞ってるけど、私だって、思うところはあるのよ?」

 一体何の話だ、と言いかけて、それが暴走していた時の事だと気付いた。ほんのちょっとだけ、微かに震える彼女に、シオンはかける言葉を見つけられない。

 「……ごめん」

 ありきたりな言葉。物語でよく使われる言葉だが、こんな時に使うと、訳もなく責められているような気がしてくる。

 「別に責めてはないの。話は変わるけど、シオンは私にとっての一番は団長で、それは絶対に変わらないってこと、知ってるでしょ」

 「ああ、よく知ってる。見てればわかるよ、それが嘘偽り無い……どころか、自分よりもフィン優先! ってのがすぐわかるくらいだし」

 ――……なんで他人の恋愛事情はわかって自分の事はわからないのか。

 場違いにも言いかけたが、ティオネは意志の力でそれをねじ伏せ、それから少し考え、行動に移した。

 「……でもね、シオン」

 ティオネの背に一瞬力が溜まり、シオンから体を離す。温かな体温が離れていく事にどうしてか寂しさを感じたが、すぐにそれは帰ってきた。

 「あんただって、私にとって大切な人なのよ」

 「え……」

 ふわりと、ティオネの両腕がシオンの首へと回される。一体何をしているのかと振り返りかけたが、両腕でガッチリと固定されていて動かせない。その体勢で、ティオネは頬をシオンのそれに押し付けてきた。

 「死んだら泣くわ。いなくなってなんてほしくない。一緒にバカやって、笑って、そんな日々を失いたくなんてない。だから、死んでほしくない」

 耳元で囁くように言われた言葉は、ともすれば泣きそうなくらいに濡れていた。ティオネの手が拳を作り、シオンの胸元に皺を作る。

 震える拳に手を当てて、シオンはそっと目を閉じた。

 それからどれくらいこうしていただろう。気付けばティオネは両腕を離していた。

 「私がこうしたって事は内緒にしてね? いくら仲間だからって、男にこんな事したなんて団長に知られたくないし」

 「そりゃまあ、好んで広めようとは思わないけどさ」

 ティオネにとっても恥ずかしい事だが、シオンにとっても恥ずかしいのだ。

 正直、色々あって混乱させられた頭が落ち着いてしまうくらい、嬉しかった、だなんて言えるわけがない。

 「あ、そうだ。明日起きたらこのネタでアイツをからかってやろうかしら。いつもはあんだけ言ってるクセにシオンを抱きしめるとか、男好きなの? って」

 湿っぽくなった雰囲気を変えるため、だというのはすぐにわかったが、だからといってその表現はシオンにとっても嬉しくない。

 「それは、やめてほしいな。ベートにそのつもりはないだろうし、おれのせいであんな行動を取ったんだから、からかうならせめておれだけにしてくれ」

 「わかってるわよ、それくらい。八割方冗談よ」

 できれば全部冗談にしてほしかった。

 シオンもベートも男好きではない。

 「言っておくけど、おれもベートも、普通に女の子が好きなんだからな……?」

 「だったらもうちょっと女に気があるようにしなさいよ。あんたら、揃いも揃ってストイックすぎ」

 「……努力するよ」

 現状興味がない、とは口が裂けても言えなかった。

 まぁ、ティオネもシオンが言わなかった部分を察したのだろう、小さく息を吐くと、寝ている3人に近づき、布を少し奪って潜り込む。

 「私も寝るわ。後は任せたから」

 「ああ、そうしてくれ。ありがと、ティオネ」

 「ま、お姉ちゃんだし? これくらいなんてことないわ」

 ひらひらと手だけを出して表現する彼女に、シオンは届くか届かないかくらいの声音で言った。

 「おやすみ、おねーちゃん」

 言ってから、違和感が凄い事に気付く。

 良くも悪くもシオンにとっての『姉』は、義姉さん1人だけなのだろう。多分、冗談でもティオネを姉と呼ぶのは今回が最後になりそうだ。

 「……寝はしないけど、混ざるくらいはいいよね?」

 ティオネが寝入ってから少し、心細くなってきたシオンは、寝ないから寝ないからと言い訳しつつ、4人のところへ入り込む。

 流石にギュウギュウ詰めなせいで狭いし暑苦しい。いい迷惑だろう。それでも、こうして5人一緒にいたかった。

 

 

 

 

 

 翌朝――とは少し違うが、水晶に光が戻って目覚めると、外に出る。流石に安全圏ではあってもダンジョン内部にいる事は変わらないため、疲労はあまり取れていなかったが、ズルズルと潜っている訳にもいかない。

 ベートが取ってきた果物を食べて、栄養を補給してから17層へ向かった。

 昨日の疲れの影響で、最初の方は苦労したが、12層に潜ってからは楽になる。一気に最短ルートを通って地上へ出た。

 「……時差は、よくわかんないな」

 まだ明朝が出たばかりの時間。人もまばらで、活動的になるにはまだまだな頃。

 シオン達の年齢でこうもゾロゾロと移動していたら人目につくが、仕方がないと割り切ってホームへ歩く。

 「くそっ、インファント・ドラゴンと殺し合った時くらいに疲れたぞ」

 「いやぁ、まだマシなんじゃないかな。喋る余裕だってあるんだし」

 「疲れたって事だけは同じだけどね!」

 イヤになる、という共通点だけを抱えながら、彼等は門を潜り抜け、玄関扉のドアノブに手をかける。

 ……そう、忘れていたのだ、彼等は。

 『()()()()()』は、ここからなのだという事をっ。

 「ただいまー……ぁ?」

 「……シオン、どうした、の……」

 最初に入ったシオンと、その肩から除き見たアイズの顔が強張り、固まった。そして、一斉にガタガタと震えだす。

 一体何が起こった!? と戦慄する3人は、内から伸びてきた白い腕が扉を押し開けたのを目撃した。

 「さ~て……? ちょっと確認したいんだが、今何時か、お前達は把握してるのかな……?」

 「「「「「ひぃ!?」」」」」

 修羅だ。

 阿修羅がいた。

 普段温厚で理知的なはずのリヴェリアの頭に角が生え、鬼の形相でシオン達を見下ろしている。その手に握られた杖からミシリと嫌な音が響いた。

 リヴェリアの持つ杖は第一線で使える、数千、あるいは億を越える値段をしている。そんな杖にそれだけの負荷をかけるだなんて、尋常な怪力じゃない。

 黙って泊まった結果がこれだ――正直過去の自分を殴り飛ばしたい。

 「覚悟は、いいな?」

 もうこれは魔法の一発くらいはぶっぱなされると思ったほうがいいかもしれない。そんな風に考えたシオン達の視界が黒く染まり、そして首に腕を回された。

 「……心配させるなっ、この愚か者……!」

 5人全員を抱きしめる事なんてできない。それでも精一杯に腕を伸ばし、全員の体を少しでも感じようとしているリヴェリア。

 一番前にいたせいで胸の中に抱きしめられながらも必死に顔をあげる。

 リヴェリアの顔には、隈ができていた。

 「もしかして、一晩中、ここで?」

 「当たり前だ。何かトラブルがあって帰れないんじゃないかと思って、飛び出したいのを我慢していたんだぞ。全く、本当に……本、当に……!」

 肩を震わせるリヴェリアに、ごめんなさいという気持ちを抱きつつ、でも、だからこそ、体から力が抜けた。

 やっと、帰って来れた――と。

 「……お説教は、体を休ませてからだ。今は疲れを取って来い」

 体を離したリヴェリアが、そう言う。

 実際シオン達の体は、回復薬で癒したとは言えボロボロもいいところ。彼女の配慮に感謝し、素直に自室へ戻る。

 その途中、

 「そうだ、アイズ。ロキのところに行って【ステイタス】の更新してきなよ」

 と伝えておいたので、今頃更新の真っ最中――

 『キタキタキッタ――――! アイズたんLv.2! 【ランクアップ】したでイヤッホオオオオオオオォォォォ――イ!』

 「……前より酷くなってないか?」

 響いてきた声に顔を顰める。

 まぁ、内容が内容なので当然か。

 所要期間、七ヶ月。

 シオン達の出した世界記録の九ヶ月を大幅に更新している。わからなくもなかった。

 それを喜ぶべきで、アイズに伝えに行くのが正しいのだろう。だがシオンは、そうするだけの気力が残っていない。

 暴走してしまったこと。

 シギルの語った失敗と、その果てである魂の抜けたような姿。

 そして――風の精霊が宿っていたという、事実。

 いくら精神的に大人びていても、強靭そうに見えていても、中身はまだまだ子供なのだ。表には決して出さなかったが、もう疲れ果てていた。

 ――少し、疲れた、な……。

 ちょっと休んで、また頑張ろう。

 そう思いながら、シオンは息を整えた。




インファント・ドラゴンの時同様ラストはリヴェリアの出迎えとロキの奇声で終わるのは最早テンプレなのだろうか。
まぁリヴェリアの怒りとロキの奇行はランクアップしちゃってるけど。
でも『お母さん』っぷりも増してるんだよな。でもこれはこれでいいとか思ったり。

で、なんか感想で『胡散臭い』とか言われていた彼女ですが、実はシオンを励ますために敢えてあんな風に振舞っていただけなんです。
彼女が実際に話をしたのはシオンが初めてなので、どう励ませばいいのかわかんなくて、結果空回りしたことになります。

彼女の性格についてですが、基本的に『周囲の人間を観察して』得た物を元にして形作られているので、シオンとティオナが基礎になります。

要するにティオナの『天真爛漫』というか、コロコロ変わる表情を見たから彼女もそれに影響されていて。
シオンを近くで見ていたから、やる時にはやる子になりました。
普段は皆のムードメーカー、ピンチの時は皆を引き連れるリーダー。

……あれ、ぶっちゃけこれ2人の子供みたいなもんじゃゲフンゲフン。

とか思ってません。考えてません。
彼女についての詳しい解説は後でになります。
ただ、彼女を話すに辺り原作オラトリアの盛大なネタバレをしてしまうんで、それが嫌な人は飛ばしてください。また後でこの事は記述しますので。

それから、ちょっと謝罪です。
本編最後の方に「あれ、こんなシーンあったか?」って感じの文章あるんですけど、これ前回思いっきり書き忘れてた部分があったからです。
感想全部返信してから思い出しました、本当にすいません。
今回の終わりに納得できてない方が指摘してくれなければ話の再確認せず気づかないままだったので、本当感謝です。
もう終わったから言いますが、今回のイベントで重要なのは、
・シオンの暴走によって、彼の危険性を自身とティオナ達4人、それから読者様方に見せつけること。
・シギルという大人が失敗し、大切な人も家族も失った姿を見せること。シオンにありえるかもしれない可能性を指摘し、内心焦らせます。
・風の精霊の登場。
この3点です。これがしたかったからイベントを起こしたかった。
ただ、BAD END√を見る通り、シオンは不用意に人を殺すと『違和感メーター』的な物が溜まっていって、あんな感じにぶっ壊れます。
だから、しばらくの間シオンは人を殺しません。ていうか殺せません。
単純に『殺しに来たから殺した』って理由なら、モンスターを殺すのと同様特に問題無いんですけどとか呟いてみたり。

話は変わりますが、感想について。
BAD END√を希望する方が多かったですが、まだ書けません。
理由はどうしても本編より先に未来へ進んでしまうため、本編のネタバレをなるべく避けるのが無理だからです。多分無意識に書きます。
ぶっちゃけますと皆さんから『書いて書いて』みたいに言われたせいで、

『27階層の悪夢』の始まりから過程、その終わりまでと、

BAD END√の中でも、

『誰もが救われない本当のBAD END』
『ほんの少しの救済があるNormal END』

とかこれまた5日で考えてるくらいなんで、気長に待っていてください。

それで、次の感想なんですけど。

『闇シオンの番外編来たから、次はベート女体化の番外編かな?
楽しみだなぁ|ω・`)チラッ』

……正直色んな意味で笑いが出てきました。
先に言っておきますと困惑の笑みではありません。

話変わるんですけど、原作ベートって細身ながら筋肉質の高身長のイケメンですよね?

――ボサボサの髪を肩口まで伸ばし、サラサラな髪質に変更。程良く引き締まった体躯、上半身を魅せる大きな胸、刺青によって怖さを与えつつも、絶妙なバランスで保たれ雰囲気を崩さない、狼の耳と尻尾を生やした美女が――。

ここまで一瞬でした。
ええそうです。こんな想像をした自分に色んな意味で笑いが止まりませんでしたよ。

付け加えると、

 朝早く、俺はホームの廊下を歩いている。理由は単純で、今日は調整しないか、とベートに誘われたためだ。
 確かに最近武器を新調したばかりだし、細かな部分に慣れるためにも、と了承したのが昨日の事だった。
 流石に時間が時間なので、人を起こさないよう慎重に歩く。
 だからだろうか、俺は誰にも――それこそベートにも気づかれないまま、彼の部屋のドアノブを回していた。
 「っ、シオンか!? 待て、まだ扉を開けるな!」
 「え? って言われても」
 既に回していて、腕に力を入れてしまっている。後はただ押されるだけだ。
 ――って、あれ? 今、ベートの声が妙に……。
 疑問に思ったのは一瞬、俺は目の前に飛び込んできた光景に、動きを止めた。いいや違う、止めさせられた。
 「だ、れ……?」
 ここは確かにベートの部屋のはずだ。
 なのに、ここにいるのは狼人の美女だけ。
 多分俺と同じくらいの身長。かなりラフな格好をしていたせいか、短パンから伸びる引き締まった両足の白さが眩しい。上半身もシャツ一枚だけのせいで、大きく盛られた胸が丸わかりだった。
 その動きに気づかれたのか、彼女はベッドの上にあった布で体を隠してしまう。だが、隠れていない部分はあった。
 サラサラと肩口で揺れる髪に目を奪われ、その後すぐ、鋭い目と、恥ずかしさからか紅潮している顔を見つめ直した。
 そうしたというのに、何故か彼女は体を抱きしめると、
 「み、見るな!」
 犬歯を剥き出しにして叫ぶ彼女が、どうしても子犬にしか見えない。体を真っ赤に染め上げながら、必死に吠える美女(こいぬ)だ。
 その可憐さに、シオンは一瞬、ドキッと胸を高鳴らせた。
 だが、しかし。
 今までの動作を思い出して、シオンは再び固まった。
 「まさか……ベー、ト?」

――はい終了。
ベートの女体化想像した刹那の内にこのシーン想像して、その後文字にしていた。
ちなみに2人の年齢は十五歳を想定しています。
私個人はBLだとか百合だとかには一切興味がないんですけど、何でか『男が女体化してヒロインなるのは嫌いじゃない、むしろいい』とかいうアホみたいな思考が存在しているんですよね。
やばい、冗談で言われたベート(女体化のみ)√を考えてしまいそうな自分が怖い。

続きは感想にて『総合評価5000PT超えたらやる』とか言ったんでその時に。
流石に5000PTは超えないでしょうけどね(笑)

これ以上続けると(色んな意味で)ヤバいんで、そろそろ解説移ります。

今回はいつもと違って後半部分からの説明です。

ティオネの動き
彼女がシオンのヒロインになる事は絶対無いです。ティオネは団長を好き、その状態こそが一番『らしい』と思っているので。
しかし、シオンを始め大切な人に対する愛情はあります。普段はティオナやアイズにしか『姉』というところを見せませんが、ふとした時にシオンにもそうした振る舞いをしたりするんです。
ちなみに私の中だと、
妹弟に手を焼かされながらしっかり面倒を見る長男ベート。
そんな兄をからかいつつ、妹弟を支える長女ティオネ。
2人を頼りにしつつ、真ん中故に気苦労の多い次男シオン。
一番年の近いシオンが大好きな次女ティオナ。
4人から愛され続ける末っ子アイズ。
って感じです。年齢は上から順番になります。実際の年齢は知りませんけど。

久しぶりのリヴェリア
説教シーンも考えたんですけど、長くなりますし、折角の登場なんだからと思っていたらああなった。後悔はしていない。
リヴェリアはお母さん、はっきりわかんだね。
ロキの奇行はいつも通りなんで、特に何も言いません。

アイズの【ランクアップ】
まぁゴライアス討伐の時に触れていたので大体察してくれたでしょう。
所要期間は本編で述べた通り。
原作アイズが一年かかったのを考えるに、五ヶ月という期間の短縮。バケモンか。
二つ名についてはもう考えてます。少なくとも原作通り【剣姫】ではない、とだけ。

さて、次が本編の7割方持っていった精霊についての解説(登場人物2人だけでこの文字数ってのも久しぶりだなと感慨に耽けつつ)になります。
先にも述べましたがネタバレ含まれますので、

『オラトリア読んだから別にいいよ』って方か、
『ネタバレなんて気にしない』って方だけ読んでください。

くどいと思われるでしょうが、ネタバレすんなと怒られそうなんで先回り。これで感想書いてきたら知りません、私はちゃんと書きました、と言い返せる!

OK?

では解説
 そもそもどうして精霊をこんな設定にしたのかというと、原作で散発的に置かれていた情報を纏めた結果です。
 原作4巻の初代グロッゾの話において、精霊がモンスターに襲われていた、という話があります。もしそれが成熟した精霊なら、返り討ちにしていてもおかしくないのに。
 つまり精霊は、その特異性を除けば人とあんまり変わらないんじゃないか、という事。
 生まれる条件なんかは違うでしょうけど、最初は弱く、襲われれば消えてしまうような儚い存在。だから、それを恐れて自然の中で生きる。
 で、作中における『魔力』が精霊が強くなるための絶対条件なのは、オラトリア4巻が理由になります。
 これは風の精霊が『寄生』という言葉を嫌がり『共存』という言葉を使った理由です。
 オラトリアでは1巻の頃から『女性のようなモンスター』が出現します。彼女等は本来宝玉のような物に封じられていますが、モンスターに『寄生』する事で一気に強大な力を持つようになります。
 そして、配下となるモンスターを生み出し、他のモンスターから魔石を奪い魔力を蓄え、配下が貯めた魔力のこもった魔石を献上させるのです。
 それによって自らの力を更に向上させるのです。
 その正体は『堕ちた精霊』。
 そう、彼女達も闇側とはいえ精霊。ならば、本来の精霊達も同じく魔力によって強くなるのではないか、と推測できます。
 更にモンスターにとはいえ他者の中に存在できる、というのも何となくわかります。
 風の精霊はシオンの中に宿り、堕ちた精霊は宿主を食い殺して体を奪う。
 これが『寄生』という言葉を嫌がった理由なのですが、アリアが彼女に堕ちた精霊の事を伝えたかどうかは、定かではありません。
 正直彼女を登場させる事は悩みました。原作の設定次第では、この作品における致命的な欠陥が生まれますから。
 しかし、風の精霊は初期の構想からいたこと、またここまで書いてきて張ってきた伏線のこと、更には『ハーフエルフさん』みたいにもうミスっちゃってるんだから今更なんじゃないか? って事でご登場になりました。
 原作次第ですがその時はその時、オリジナルで通します。
 っていうか現状キャラクターや設定除けば、話はほぼオリジナルなんで色々吹っ切れました。

 わざわざインファント・ドラゴン戦ではアリアの魔力によって一瞬見えた女性で祝福の事を強調し。
 オッタル戦では登場せず、風に意思をこめて応援する事でミスリードさせて。
 んで今回シオンが契約を破ったことでやっとこさ登場! なんですからね。

 ちなみに名前は色々考えているのにまだ決まってません。考えておかないと。

今回は色々ハッちゃけちゃったせいで、あとがきなのに文字数4000文字……もうちょっと自重した方がいいのだろうか。
なんて思いつつ、どうせ自重しないんだろうな、と考えながら次回のこと。

次回からダンジョンには行きません。日常回を一回挟んだらまたイベント。18層行く前に作っておいた伏線回収ですね。
タイトルは思い浮かんでないので未定です、お楽しみに。


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拒む者・求める者

 18層から戻った、その次の日。

 「シオン、この後時間があるのなら僕の部屋に来てくれないか?」

 朝食を食べ終えたシオンに、フィンはそう言った。

 この後の事を考え、しばし黙考するシオン。先の件もあってかなり消費された回復薬なんかを補充しなければいけないし、丸薬の使用感を忘れない内にユリのところにも行っておきたい。

 「それは長引く用事なのか?」

 「いや、そうでもない。長くなったとしても三十分……いや二十分くらいだ。ダメなら夜か、明日に回すつもりだが」

 「その程度の時間なら問題無いよ。さっさと終わらせたいし、今すぐ行っても?」

 この返答にフィンは笑顔で頷き、案内するように背を向けた。

 そうして彼の斜め後ろからついていくと、ふいに感慨のような物を覚える。ここに来た時はずっと大きく見えたフィンが、今では同じくらいの大きさだ。

 ――気づけばこんなに時間が過ぎてたのか。

 あっという間の時の流れに、思うところはある。

 そんなシオンの雰囲気の変化に気づいたのだろう。フィンはちょっと眉を寄せると、

 「シオン、今の君は……幸せかい?」

 「ああ。勿論」

 それを切っ掛けにして、2人は取り留めのない会話をし始める。中身がダンジョンでの戦闘だったり、他【ファミリア】に関する交渉話だったりするのはもういつものこと。たまに通りすがる人がギョッとした顔をするのも、当たり前のことだった。

 ……こういう何気無い会話の中でシオンの知らない内に教育するのは、最早周知の事実である。

 「そんな訳で、今でも【ゼウス・ファミリア】や【ヘラ・ファミリア】の影響力っていうのはバカにできないんだ」

 「そりゃ天辺がいなくなった隙にうちやあっちが出てきたところで、素直に従ってくれるとは思わないだろうよ。そもそも二神を追い出したのはロキと、神フレイヤだ。言い方は悪いが、王がいなくなった玉座に座る盗人みたいなもんだろ」

 「確かにそうだね。だけど、もう彼等がいなくなってから二年近くになる。いつまでもいなくなった存在に縋られるのは、迷惑なんだ」

 笑っているフィンだが、言っている内容とその目つきは洒落になっていない。こんなフィンを見たら、ファンの女性は幻滅するかカッコいいと騒ぐか。

 「……ま、数の暴力は面倒だしな。いくらうちでも、Lv.4やLv.5がある程度いるところに結託されたら被害は甚大だろうし」

 負ける、とは言わない。

 ロキの元には【勇者(フィン)】に【重傑(ガレス)】、そして【九魔姫(リヴェリア)】がいる。この3人を中心にして、どんな障害も打ち壊すだろう。

 その事に思うところは、ある。

 羨ましい、と。

 自分も早く、彼等のように強くなりたいと、そう思う。

 誰も失わないように、誰にも負けないように――。

 「だからこそ、求心力が必要だ。それも、『僕達以外の誰か』に」

 そんなシオンの心情を全て見抜いておきながら、フィンは気づいていないかのように振る舞っている。

 ――僕の役目は、見せること。

 フィンは、今のシオンにとって強すぎる。

 支えるには、隣に立つには、余りにも差がありすぎて、できない。だから彼は、決してシオンの弱いところには触れない。

 ――シオンを受け止めるのは、彼等だ。

 「さ、入ってくれ。詳しい内容は、そこでしよう」

 彼にできるのは、シオンを遠くから見守る事だけだから。

 部屋に入ると、用意したのはまず来客用の椅子。そこにシオンを座らせ、フィンは自分の椅子の上へと座った。

 「とはいえ、触り部分についてはもう君に話してるんだけどね」

 「は? まさか、さっきの【ファミリア】間の不和と求心力って、これから話す事に関係しているのか?」

 「その通りだ。付け加えると、噂程度には聞いてるだろうが、『宴』にも関係している」

 瞬間、シオンの顔が少しだけ歪む。それは本当に微かだったが、フィンには即座に見抜ける程の大きな変化だ。

 シオンの脳裏に浮かぶのは、誰彼構わず宴の内容をうるさく聞いてくる人達。プレシスやユリのようにすぐに引いてくれる人は稀で、特に神なんかはとにかくうざい。

 平団員なんだから知るわけ無いだろ……! と苛々が爆発しかけているシオンに、フィンはちょっと圧倒された。

 「と、とにかく、だ」

 コホン、と一つ咳払いして、シオンの意識をこちらへ引き戻す。

 「シオンには、その宴でちょっと頑張ってもらう必要がある、んだけど……どうか、聞いてほしいんだ」

 実質的な拒否権など、あるはずがない。

 シオンは傍から見れば優遇されているように見えるが――フィン達からの指導を受けれる、という意味では正しいが――本当は、違う。というか、指導の中身が死ぬ一歩、いや半歩手前に行くくらいに厳しいので、シオンはそれを実感できないでいた。

 とかく、シオンはそれ以外の面では他の団員達と権限は変わらない。フィンは当然、リヴェリアやガレスといった幹部にも頭は上がらないのだ。

 つまりこれは、上司からの命令。拒否すれば今までの恩に仇を売る結果となる。

 「わかった、聞くよ」

 しかし、フィン達に対してタメ口で話せるということが、他とはちょっと違う目で見られる原因となっているのに気づくのは、多分ずっと先の事だろう。

 そして、話を聞き終えてから一分。

 シオンの顔は、これ以上無いくらい引きつっていた。

 「しょ――正気かそれ!? いくらなんでも、それは俺達に放り投げすぎじゃ……失敗したらどうするんだよ?」

 「リヴェリアからも言われたが、全部織り込み済みさ」

 ある意味母代わりの人と同じ事を言っていると指摘されたシオンだが、頭の中に浮かぶのは無理無理無理無理無理という言葉だけ。

 「確かに成功すればこれ以上無いってくらいの求心力になるだろうけど、でもだからって」

 「シオン」

 「っ……」

 絶対に受けたくない、そう言いたげに喚くシオンに、フィンは彼の名前を呼ぶ。たったそれだけでシオンの動きは止まり、ノロノロとフィンを見上げた。

 その顔は真剣で、その瞳はただシオンを射抜いている。

 「内容については僕達で考えているし、何も必ず勝てとは言わない。ただ、見せてほしい。君達の持つ輝きを」

 ……本音を言えば、まだ、うんとは頷きたくない。

 だが、それでも。いつまでもフィンに甘えられないのも、事実。世間一般からすれば、シオンはまだ八歳。だが彼等からすれば、もう八歳、なのだ。

 「わかった」

 「やってくれるのかい?」

 「ああ。【ロキ・ファミリア】はフィン達だけじゃない――それを、オラリオに示してやる」

 それは、宣言。

 この、世界の中心と言っても過言ではない場所に、自分達の名を刻みこむ。

 これは、そういう宣言だ。

 あの時家族を喪って、泣いていた少年の姿を知っているからこそ、フィンは笑った。

 「期待しているよ、未来の【英雄】」

 

 

 

 

 

 フィンと別れ、通路を歩いていた時だ。

 「あ、シオン」

 「ん? ……アイズか、おれに用でも?」

 少し離れた場所にいるアイズが、シオンを見つけて名前を呼んだ。

 「ううん、たまたま見つけたから声をかけただけ。これからどこか行くの?」

 話すには適切な距離でないと判断したのか、アイズがトテトテと近寄ってくる。そうして腕が触れ合う距離にまで来ると、その綺麗な目でシオンを見上げた。

 汚れのない澄んだ瞳に訳もなく圧倒されながら、シオンは答える。

 「切れかけた回復薬の補充にな。次ダンジョンに行くときには、もうちょっと考えて持っていかないといけないし、色々考えてるんだ」

 「具体的にはどんな? 私的には、18層以下に行くならもうちょっと食べ物を持っていかないとダメかなって思ってるんだけど」

 「それも一つの懸案だ。でも一番重要なのは……やっぱりサポーター、かな」

 ああ、とアイズが納得したように頷いた。

 冒険に必要な物や、ドロップしたアイテムを持ってくれる補佐役、それがサポーター。しかしシオンのパーティにはそれが存在せず、仕方なしにシオンとティオネが持ち歩いているのが現状。全員がとにかく『強くなる』を目的としているため、2人だってできれば持ち歩きたくないというのが本当のところだった。

 「でも今更サポーターを誘うってのも無理だと思う。それに、ロキは不用意に他のところの人と組むなって言いそうだし」

 「それがなぁ。その内ロキが連れてきた新人団員でも誘うってのも一考、か?」

 そうやって悩みながらホームを出て、シオンとアイズがまず向かったのは、【ディアンケヒト・ファミリア】だった。

 ミアハのところで回復薬を買う時もあるが、基本的な効能はプレシスが作る物の方が優れている事もあって、滅多にそちらには行かない。それについてはミアハも了承していて、むしろ笑って許容していた。懐の深い神様である。

 逆にディアンケヒトは性格が悪い。医療の腕はいいし、商業をしているので契約は絶対に守るのだが、素の性格は、お世辞にも良いとはいえない。

 女性人気はどちらがいいか、なんてのは、言うべきじゃないのだろう。

 同じ医療系の【ファミリア】という事もあって2人の仲は――主にディアンケヒトが目の敵にする事もあって――悪い、のだが。

 ――あれ、もしかしてそれも原因とかいうオチ……?

 モテる男とモテない男。その差は……これ以上考えるとマズそうなのでやめておく。

 「いらっしゃいませ。今日はどの様な……あ、シオンさん」

 出迎えたのは、プレシスではない少女。

 「久しぶり、アミッド。今日はお前が店番してるのか?」

 「ええ、そうです。本当は自分でもお薬を作りたいんですけど、まだ子供だからダメだーって言われちゃって。だから、シオンさんが本当に羨ましい」

 苦笑している彼女と談笑していると、シオンの袖が小さく引かれる。そちらに視線を向けてみると、不思議そうに彼女を見ているアイズがいた。

 「そういえば、自己紹介をしてませんでしたね」

 その動きで、彼女もアイズと初対面だという事に気づいたのだろう。小さく頭を下げて、自らの名を名乗った。

 「私はアミッド・テアサナーレと申します。【ディアンケヒト・ファミリア】では治療師……という扱いですが、現実は店番になります」

 スッと静かにお辞儀をする彼女の外見を一言で言い表すなら、人形、だろうか。

 シオンは当然、アイズよりも小柄。

 だが彼女の目を何より引いたのは、その頭から流れる()()()髪。

 それはアイズが誰より尊敬してる、兄のような人と同じ髪色だった。流石に顔立ちはかなり違うのだが、その共通点が、2人をより兄妹『らしい』ように見せた。

 アミッドは大きな双眸を細めると、

 「それで、そちらの綺麗なお嬢様は、シオンさんとどのような御関係で?」

 「ああ、彼女はアイズ。おれの友達で、仲間で、弟子で……妹?」

 「アイズ・ヴァレンシュタイン、です。えっと、よろしくね、アミッド」

 おずおずとシオンの後ろから頭を下げてくる彼女が人見知りなのは、初対面になるアミッドでもすぐにわかった。

 気になった事や聞きたい事は多いが、それでも彼女は笑顔を浮かべる。

 「はい、こちらこそよろしくお願いします。新たな世界記録保持者(ワールドレコーダー)さん」

 「……何で、知って」

 「お得意様だし、多分ロキかフィン辺りが昨日ギルドに報告にでも行ったんじゃないか?」

 例え昨日の話だとしても、この短い年月で最速記録を新たに塗り替えれば、注目を集めるのは当然の事だ。

 大手の医療系【ファミリア】である彼等が知らない可能性は、まずないだろう。

 「そうですね。それに、元々アイズ()()()は皆から注目されていましたし」

 「アイズ、ちゃん?」

 「お嫌でしたか? ではアイズさんと」

 「い、嫌じゃないよ! 初めてそう呼ばれたから、驚いただけ」

 シオンの後ろから飛び出してくるアイズの顔は、どこか嬉しそうに見えた。

 思えばアイズは、同年代且つ同性の友達がほとんどいない気がする。ティオナとは某かの対抗意識が働いてるみたいだし、ティオネは姉のようなもの。

 単純な意味での友達は、もしかしたら1人もいないのではないだろうか。

 そうして2人のやり取りを、シオンも笑みを浮かべながら見ていると、

 「アミッド、話ばかりではなくちゃんと薬の販売もしないと。いくら顔見知りだからって限度はあるんですから」

 「ようプレシス。久しぶりだな」

 「って、話し相手はシオン? なら、別に構いませんか」

 「おい」

 アミッドに注意を促したプレシス。しかし相手がシオン達だとわかるとあっさり手のひらを返して奥に引っ込んでいった。

 「申し訳ありませんが、しばらく待っていてください。ユリに頼まれていた物を、配達してほしいんです」

 「あ、なら私も手伝う」

 勝手知ったるというように、アイズがプレシスの後ろへついていく。

 「いいのか? あれ」

 「流石に1人でしたらダメですけど、プレシスさんも一緒ですので。変なところには行かないでしょう」

 それを誰も止めないので、念の為にアミッドに聞くと、そう返された。

 やはりというべきか、プレシスはかなりの信頼を置かれているらしい。そうでなければ他【ファミリア】の人間をついていかせるなんてできないはずだ。

 そんな相手と友好を得られているのは、一つの財産であるという言葉が脳裏に浮かぶ。しかしそれを過信しすぎれば身を滅ぼすという事も、フィンから教わった。

 いつもより少し多めの注文になってしまったため、包装に手間取っているアミッドを見る。シオンは彼女が優秀な人間だと知っていた。そして、ふとした拍子にそんな事を考える自分に、ちょっと思うところがある。

 ――できればアイズには。

 そんな事を考えないでいられる友達がいれば、いいんだけど。

 一通りの作業が終わったアミッドに、シオンは声をかける。

 「なぁ、アミッド。できたら……アイズと、話してあげてくれないか?」

 「はい?」

 シオンは彼女に、アイズと友達になってしてほしいとも、仲良くしてほしいとも言わない。2人共優しく思いやりのある人だと知っているが、友達になれるとは限らない。

 だから、せめて。

 話す事を厭わない関係には、なってほしい。

 「……私が感じた限り、あの子はとても素直で、見ていて眩しく思えます。そのような方と話せるのは、私としても良い経験になります」

 迂遠な表現。

 だがそれは、肯定の返事でもあった。

 「アイズちゃんと友達になれるかはまだわかりませんが、シオンさんに言われずとも、話してみたいと思ってますよ」

 「そう、か。余計なお世話だったかな」

 ふぅと溜息を吐くシオンに、クスクスと笑ってしまうアミッド。心配症なんですねとからかうように告げれば、うるさいと少し赤くなった顔を隠すように返された。

 その様子は遠くからも見えて、アイズは何となくプレシスの後ろに隠れてしまう。

 「アイズ?」

 「……見たく、ない」

 シオンが誰と仲良くしていようと、アイズに干渉する理由は無い。しかし、アミッドだけは……彼女だけは、どうしてか嫌だった。

 シオンとアミッドを並べて真正面から見た限りでは、よく似た他人、程度になる。だが横や後ろから見れば、仲の良さそうな兄妹――シオンの場合は姉にも見えるが、それは決して言ってはならない――にしか見えない。

 アイズは、シオンを兄とも慕っているが、誰から見ても兄妹には見えない。だから、アミッドが羨ましい。

 「……大丈夫ですよ」

 ポンポンと、プレシスはアイズの頭を小さく撫でる。それは杞憂なのだと教えるために。

 「私は多少、読唇術の心得があります。それで読み取った限りでは、シオンはあなたの心配をしているだけのようです」

 「私、の?」

 「ええ。だから、あなたが羨ましがる必要はありません。ですが、私はこれからアイズに酷い事を言います」

 この事で、自分がアイズに嫌われるかもしれない。そうとわかっていながら、彼女は酷な事を告げると決めた。

 膝を折り曲げ、幼き少女と目を合わせる。

 「あなたとシオンは、決して兄と妹にはなれません」

 「――――――――――!!」

 ビクッと、アイズの体が揺れる。それだけではない、その澄んだ瞳までもが、今にも壊れそうなくらいに震えていた。

 「兄妹に近しい姿にはなれるでしょう。ですが、どれだけ望んだとしても、あなたが本当に臨んだ形には……『兄妹という家族』には、なれません」

 人の価値観はそれぞれ違う。そんな事は無い、と言ってくれる人もいるだろう。

 だが、ダメなのだ。例えアイズが受け入れたとしても、その相手。即ちシオンが、アイズを受け入れてくれない。

 極限にまで家族を求めているシオンは、だからこそ家族を求めない。

 何人もの患者――精神に傷を負ってきた彼等を診てきたプレシスだからこそ見抜けたこと。それを誰にも伝えるつもりはないが、せめてアイズには、伝えておきたかった。

 だってこの子も、家族を求めているのだから。

 両親を喪い、その後誰かに拾われ、また喪ったシオンは、求めていながら拒絶する。

 だが、ただ両親がいなくなっただけのアイズは、シオンと違いただ求め続ける。

 その違いは、やがて2人を分かつかもしれない。拒む者と望む者。余計なお節介だとわかっていても、その事実を指摘したかった。

 「わ、私、は……っ」

 俯き、泣きそうになっているアイズの肩を掴む。反射的に逃れようとした事に、怖がられているというのを認識させられて、プレシスは困ったように笑うしかなかった。

 それを見てか、アイズの動きが止まる。あるいは、この言葉でか。

 「だから、アイズは『違う形』を望みなさい」

 「違う、形……?」

 「今はまだ、兄を求めていたっていい。でもあなた達は、男で、女。いつかきっと、その想いが別の物になる。……その時に、認めてあげてね。自分の想いを」

 シオンを取り巻く事情が複雑怪奇なのは、見ていてわかる。きっとシオンを本気で好いている者もいるだろう。

 その中でプレシスは、彼女を――アイズ・ヴァレンシュタインを、応援しよう。

 「困ったことがあったら来てください。こんな酷い事を言う私を、信じてくれるのなら」

 例え嫌われていたとしても、この小さな女の子の力になりたいから。

 

 

 

 

 

 「ん、アイズ、戻ってきてたのか。言ってくれれば切り上げたんだけど」

 「大丈夫、私もプレシスと話してたから」

 そう言うアイズは若干目元を隠している。それを不思議に思っていたら、何となく彼女の目が赤くなっているのに気づいた。

 ――泣いていた、のか?

 そこまで酷くはないが、よくよく見ればわかるくらいにはなっている。まさかプレシスに何かされた、と考えて、まずありえないという結論に落ち着く。

 グルグルと悩むシオンの気など知らず、アイズは何かを隠すように笑って、

 「行こう、シオン。用事も無いのにずっといたら迷惑だよ」

 「あ、ああ。それじゃ、次はユリのところに行こうか」

 結局聞くに聞けず、シオンは素直に従うしかなかった。

 「――やぁやぁいらっしゃいシオン! ん、そっちはアイズって子だったかな。いやぁ、久しぶりだねー」

 「お、お久しぶりです」

 特に会話らしい会話も無いまま【ミアハ・ファミリア】のホームに着き、ユリのいる部屋にまで行った結果がこれだった。

 グイグイと押してくるタイプのユリに圧倒され、慣れぬアイズが後退る。だが、ユリのお陰で変な空気がぶち壊れたので、それに感謝しつつシオンは言う。

 「今日もアイディアの提供と、報酬を貰いに来たよ」

 「ついでに実験も受けてくれると嬉しいんだけどねー。あれからまた幾つかできたから」

 「……わかった」

 物凄い嫌そうな顔で了承するシオンに驚きながら、アイズは2人の後について部屋に入った。

 意外にもユリの部屋は綺麗に整頓されている。その事に今日一番驚愕させられ、それを察したユリは苦笑いしながらお茶を出した。

 「そんなに意外? 私が部屋を整頓してるの」

 「その性格とズボラな服装を見直して発言するのをオススメしようか」

 ユリの性格は良く言えば快活、悪く言えば杜撰。しかも服装は適当で薬品の臭いがどことなく漂ってくる物。これで実は家事全般が得意だと言われても、正直信じ難い。

 「ちゃんと整理しておかないとどこに何があるのかわかんなくて困るのは自分だから、ちゃんとやってるだけなのにー」

 「……想像できない」

 アイズにまで言われてガックリと項垂れるユリ。しかしすぐに頭を振ると、シオンに笑いかけながら言った。

 「と、とりあえず! シオンの言ってたアイディアって何なのかな?」

 逃げたな……と思いつつも、これ以上ユリをからかうと話が進まなくなるので、素直に話題逸らしに従う。

 「まぁ、アイディアって言ってもホントに単なる思いつきなんだけど……」

 「いいっていいって。シオンの提案であの丸薬とかできたんだしさ。あ、そうだ。結局あの丸薬ってどうだった?」

 「そうか、報告し忘れてたな。じゃ、そっちを先にしよう。その間、アイズは」

 「私は横で聞いてる」

 「ならお菓子出すから、静かにしててねー」

 そうして2人は、アイズの事など忘れたとばかりに話に没頭する。

 丸薬の効果はとユリが聞けば、

 「まず口内に小さな物を仕込むのは違和感がありすぎる。おれはもう慣れたけど、人によってはかなりのストレスになるから、行軍中ずっとは無理だ。軽傷をすぐに癒したり、強敵との戦いなら隙がほとんど無いまま継戦時間を伸ばせるから便利なんだけど……」

 「値段がネックなんだよねー。どうしても小さな丸薬だと入れられる量も少量になるから、最高品質の万能薬じゃないとほとんど効果が出ない。手間暇かかって作るから、どんなに安くなったとしても万単位……おいそれと手は出せない、か」

 「うちでも多分、早々買おうとは思わないだろうね。フィン辺りは念のために十個くらいは買っていきそうだけど」

 たかが十個のためにわざわざ時間をかける必要性はない。他の物を作って売ったほうが楽だし簡単だ。

 「手を使わず、隙も晒さない薬なんていう便利な物は無い、のかな。やっぱり」

 「いや……一応、改善案はある」

 「へ? あるの?」

 つまらなそうに天井を見ていたユリが起き上がり、シオンを見つめる。シオンは、案と言えるのかもわからないけど、と前置きしてから、

 「丸薬自体を薬に変えればいい」

 「……? あ、あー! そういう事か!」

 一瞬理解できなかったが、流石というか、すぐに理解したらしい。

 シオンが言いたいのはこうだ。

 現状のやり方では丸薬を作り、その中に空洞を作って万能薬を注入する。しかしこれでは効果がほとんど無い。ならばいっそ、万能薬を使って丸薬にしよう、という物だ。それ自体を何らかの方法で固形化し丸薬にできれば、かなり便利になるはず。

 「でも溶けると思うんだけど」

 とアイズが思った事を口に出せば、

 「「周りをコーティングすれば問題無い!」」

 と息ピッタリに返される。

 その後ユリが出されたアイディアに、更に自分なりのアレンジを書き加えてメモ。目をキラキラさせている彼女は本当に楽しそうだ。

 一通りメモして満足したのか、次の案に胸を踊らせながらシオンに問う。

 「それで、元々考えていたアイディアは?」

 「ん、ああ……こっちは本当に突拍子も無いんだけどさ」

 シオンは少し逡巡する。この案は、普通に考えてバカバカしいと一蹴される類の物だ。しかしユリは真面目な顔をして、言った。

 「シオン、今更私が誰かをバカにできると思う?」

 狂人、と呼ばれる人間は、むしろユリだ。

 その才能を愚かな物に向けていると人は言い、最初は蔑む事しかされなかった。心が折れかけた回数は覚えていない。

 それでも彼女は折れず、むしろ他を圧倒する程の功績を作った。

 ユリの【奇妙な薬品(ゲテモノ)】という二つ名は、それを皮肉った物なのである。要するにバカにしていた人間の嫉妬やら何やらが神に伝えられ、面白半分で付けられた物だ。

 「何にしろ、全部聞いてからじゃないと判断もできないよ?」

 「……それも、そうか」

 ふぅ、と息を吐き出す。

 そして顔をあげて、こう言った。

 

 「ユリ、()()()()()()()()()()()()()()()事って――可能か?」

 

 「……え?」

 何を言われるのかと覚悟していたユリも、聞いていたアイズも。

 どちらも動きを止め、理解できない言葉を言い放ったシオンの顔を見つめる。だがシオンはそれから目を逸らす事無く続けた。

 「精神力回復薬は、文字通り人の精神力を回復させる。そして回復した精神力で魔力を生成し、魔法として放つ」

 「――そう、か。そういうこと!」

 ガタッと机を揺らしながらテーブルに両手をついて立ち上がるユリ。その両目はシオンの顔から一瞬たりとも離れない。

 「精神力回復薬から精神力を回復させて魔力を生成するのも、元からあった精神力から魔力を生み出すのも、原理的にはそう変わらない。工程に一つ付け加えるものがあるだけで……!」

 そう。そうなのだ。

 精神力回復薬から精神力を回復、そして魔力の生成。

 満タンの精神力から魔力の生成。

 この二つは、通る道が一つ多いかどうかの違いしかない。つまり、精神力回復薬によって精神力が回復するのと、人の精神から魔力を生成するプロセスがわかれば。

 精神力回復薬によって魔力を生み出す事ができる――!

 だが、その意味を理解できてない少女がここにはいる訳で。

 「……そんなに凄いの?」

 「凄い、なんてもんじゃないよ! もしかしたらこれ、技術的な革命になるかもしれないくらいの大発見なんだから……っ!」

 頭の上にハテナを浮かべるアイズに、ユリは説明した。

 「いい? 今世界で使われてるのは魔石。魔石から取り出した魔力を使って、私達は日々を生きている。だけどこれは、オラリオでしか取れない。オラリオに遠い国であればあるほど、輸出によってかかる費用は跳ね上がっていくのに」

 もし魔石が無ければ、今のシオン達の生活レベルは段違いと言っていいほどに下がるだろう。だからこそ人々は魔石とそれによる恩恵を手放せない。

 「でも、精神力回復薬から魔力が生み出せるようになれば。ある程度の材料と、一定以上の技術力があれば、魔石に頼らず魔力を作り出せる……!」

 言ってしまえば魔力とは電気。

 だが今の自分達は、その電気を生み出す手段を一つだけしか持たない。もし何らかの理由で魔石が取れなくなれば、一瞬で原始的生活に逆戻り。

 しかし、もう一つの手段が生まれれば?

 それはどれだけ便利な事だろう。

 「やっぱりシオンは凄いよ! どうやったらこんな小さな頭から、私達の常識を破壊するような考えが生まれるのかな!?」

 「ちょ、おいユリ抱きつくな――胸を押し付けるな! 見えないから!」

 喜びのあまりシオンを抱きしめるが、シオンは離れようとして藻掻く。けれどユリはLv.4の冒険者でもある。逃げられる訳が無かった。

 そんな2人を見て、やっぱりシオンは凄いんだ、と誇らしく思う。

 誰より尊敬する人が、このオラリオの有名人に認められる。それはきっと、誰もができるような事じゃないのだから。

 2人の終わらない会話を聞きながら、アイズは知らず笑みを浮かべていた。

 そうして話が終わり、ニコニコと、それはもう満面の笑みを浮かべるユリは、別れ際に、

 「はいこれ。万能薬二十本! もちろん全部私の手作りで最高品質ね」

 「……は?」

 基本的な万能薬の最高品質は、【ディアンケヒト・ファミリア】の物で五〇万程。ユリの作る物の場合は大体それの五割増し。

 つまり、これだけで一五〇〇万という恐ろしい値段になるのだが。

 「いーのいーの! これから私はアレのために試行錯誤して多分誰とも会わなくなるし。使わないままは勿体無いからね。それでも納得できないならアイディア料! 正当な対価だよ」

 と言って、ユリは笑って許してしまう。成功するとは限らない物なのに、随分とまぁ太っ腹な物である。

 「それに、こうして良いところ見てせおけば、シオンはまた私のところに来てくれるでしょ?」

 なんて打算的な思考を見せて、シオンの心情を軽くする言葉までくれて。

 「ありがたく、使わせてもらうよ」

 やっぱり大人にはまだ勝てないな、と思わせられる。

 「それとアイズに一言。……プレシスと同じで、私も味方してあげる。何かあったら私のところに来てね~」

 「!??」

 そう思っている間にユリがアイズに何かを言ったらしい。ボフンと赤くなっているアイズは、一体何を囁かれたのか。

 よくはわからないが、悪く無いことなら、別にいいかな。

 帰り道。何時の間にか日が暮れる寸前の赤い夕日を背にして、2人は帰路につく。何だかんだアイズについてきてもらったのは正解だった。何せ荷物が多い。この量を1人で運ぶのは、冒険者の力があっても厳しいものがあった。

 ふと、思い出した事をアイズに言った。

 「ああ、そうだ。もしかしたら使うかもしれない」

 「そう、なの?」

 「本気――いや、全力で行くのなら。その時は頼んだよ、アイズ」

 シオンは冗談のように、

 「おれの背中を、守ってくれ」

 笑いながら言われたその言葉に、アイズは電流が体を走り抜けた気がした。

 ――背中を、守る。私が、シオンを。

 シオンの周りには多くの人がいる。隣を駆けるライバル。隣を歩く少女。相談役になってくれる姉のような人。常に見守ってくれる大人。

 そんな中で、アイズができる事はそう無い。

 だけど、でも。

 シオンの背中を守れるなら。

 いつも突っ走り続けて、いつか壊れてしまいそうな人を救えるのだろうか。

 「……任せて。私がきっと、シオンを守るから」

 今はまだ、彼を兄としか思えない。

 それでもこの、守りたいという気持ちは本心だった。

 そんな事があってからの一ヶ月は、ダンジョンに行く機会が吹っ飛ぶ程の忙しさ。

 『神の宴』を開くのは神だが、それの準備は団員の仕事。しかも【ロキ・ファミリア】としての意地か何かか、規模がありえないくらいの物になった。

 要するに、ゾンビが散発的に登場するくらいの多忙さになったのだ。

 「……いくらなんでもやりすぎ」

 とか呟いたのは、誰だったか。

 だが団員達の苦労――ちなみに大部分は男性。女性に良いところ見せようとしたバカが多かったためだ――と引き換えに、デキは胸を張れるほど。

 そうして開かれた『神の宴』、【ロキ・ファミリア】のホームに足を踏み入れた神は、ただ一言のみ、

 「すっげぇ……」

 と言う他無かったという。

 それを、遥かな高みから見下ろしながら、ロキは笑った。

 「掴みは上々。後はうちらの魅せ方次第――ってな」

 彼女の後ろにいたフィンも笑う。

 「そうだね。ここまでやったんだ、彼等には虜になって貰わないと、困るよ」

 さぁ――楽しい『宴』の開幕だ。




基本的にはシオンとアイズの関係を見直すための話かな。感想でアイズが不遇とか言われてましたけど、彼女の魅せ場はそろそろなのでお楽しみに!

後精神回復薬を魔力に生成し直すっていうのは私独自の解釈なんで、原作にはこの設定一切ありません。わかりにくい部分あったら教えてくれると嬉しいです。直せるので。

それにしても日常回ではあんまり解説とか無いのが少し寂しい。でも書かないとイベント起きた時の深みが無いし伏線貼れないし、だから仕方がないと諦め。

あ、でもアミッドさん出せたのはちょっと嬉しい。本編でもほとんど出番の無い彼女ですけど、出せるのなら出したいのが書き手の心情という奴です。

解説代わりに今回は雑談的な物を。

えー、まずは最初の言葉なんですが。

皆さんのベートきゅん愛が凄過ぎてドン引きです……。
いやだって今まで細々とPT伸ばしていたのに、前回のアレから一気に500以上も増えてるんですもの。どれだけ好きなんですか。
それ以外の方もきちんと評価してくれてると願いたい……信じていいよね!?

どっちにしろどうせ書くのはもっと先だろとか余裕ぶっこいてた私がバカみたいじゃないか!

それでこれは感想でも返信させていただいたんですが。

皆さんのあまりの熱意に(怖くなって)追い立てられた結果。





――()()()()()()()()()()(テヘ✩)

あ、やめて石投げないですいませんでも気づいたら書いちゃってたんです。
前回の後書きのアレにちょっと付け加えたのをベースに二時間くらいで一気に書き上げました。

内容は普通(!?)に恋愛(ラブ)話……になるのかな。書き手側だとこれが何のジャンルなのかたまにわかんなくなる不思議。
少なくとも恋愛活劇(ラブコメ)じゃない、のだろうか。本当にわからない。

一応友人に読んで感想聞かせてーって無理矢理読ませたところ。
「何か全体的に甘ったるい」
「下手するとティオナよりヒロインしてる」
とか言われたんで、恋愛話になってるとは思うんだ。

でもまぁ読者様方ご存知の通り、恋愛描写苦手な私が書いた拙い物ですので、過度な期待だけは厳禁でお願いしますマジで!

にしても、完成させたせいか投稿したいって思いが強すぎて困りもの。これも書き手のかかる病なのか。
まぁ約束は約束なので、それまでは悠々自適に待ちましょう。

さて次回はやっとこさ『神の宴』になります。
タイトルは案の定未定。お楽しみに!


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美の女神の力

 「ここでいいわ、オッタル。迎えの時間は」

 「終わるまで、お待ちしております」

 「……そう。別に無理している必要もないわよ?」

 と言ってから、フレイヤは絶対に終わるまでここにいるのだろう、と確信していた。この従者は一度言った事は必ず違えないほど頑固なのだ。

 ふぅ、と小さく息を吐き出して、フレイヤは上空を見た。

 「今回は随分と力を入れてるのねぇ」

 塔という性質を最大に利用して飾られたそれは、一言で言えば、派手だった。しかもアレ、どう考えても窓の外に出て付けていると察せられる部分もある。本当に、一部は『子供』がやったと思しき場所も。

 それだけ大事だという証左か。どちらにしろ、フレイヤはただ見るだけだ。

 ――どれだけ、強くなってるのかしら。

 フレイヤはあの少年が強いのかどうかを全く知らない。オッタルの話から『期待が持てる』程度の認識はあるが、それだけ。

 「楽しみね、本当に」

 クスクスと笑う女神に、その周囲にいた者が男女問わず見惚れる。それを当然のように、気にもとめずホームへと足を踏み入れた、その瞬間だった。

 人垣が割れ、そこから1人の美女が現れる。

 「おやおや、誰かと思えばフレイヤぁ。まさか『敵対』してる神の宴に来るだなんて、随分と酔狂じゃないか」

 それは、フレイヤと同じ物を司る女神。

 「あら、私は別にロキと敵対なんてしてないわよ? 明言したつもりもないし……ねぇ、イシュタル」

 イシュタル、という名の美女。

 アマゾネスよりも更に布の無い薄着。褐色の肌を惜しげもなく晒し、男女問わず集まる視線に、むしろ見せつけるように体を揺らす。金銀をふんだんに使ったアクセサリーを随所にこらす、その姿はまさに女王。

 煙管の煙が紫にも見える黒髪を撫でた。

 その姿にフレイヤが妖艶な微笑みを返すと、イシュタルもまた同種の笑みを浮かべる。

 けれど、フレイヤと違いイシュタルのそれには幾分かの嘲笑が含まれていた。それをわかっていながら、けれどフレイヤは意識の片隅にも留め置かない。

 言い方は悪いが、寄ってきた虫を追い払っている。その程度の認識だった。

 「つまり、私の勘違いか。そりゃ悪かったねぇ。でもそれなら、どうして誰も連れてこなかったんだい? もしかして『可能性ある人物』は自分のところにはだぁれもいない……そんな無様な話とか?」

 「連れてこようとは思ったのだけれど、ちょっと人が多すぎてね? 選ぶだけでも大事になりそうだったから、いっそ連れてこなかったの。それに、オッタルだけでも『可能性ある人物』になるでしょうから、いいかなって」

 イシュタルが毒を吐こうとも、フレイヤには何一つ効果がない。それをわかっているのかいないのか、更に言い募ろうとした彼女にフレイヤが笑いかける。

 「それに、見たところあなたも連れてきてないみたいだし……お互い様、じゃないかしら」

 「っ……」

 その反論に、イシュタルは何も言えない。

 そう、彼女は誰も共に連れていない。正確にはいるのだが、目の前にいる女神が宴に来るかもしれない、そう思って遠くに待たせているせいだ。

 そんな彼女の真意を、フレイヤは見抜いていた。

 見抜いていたが、見逃してあげた。

 一触即発。誰もが遠巻きに2人の女神を見ていた時だ。

 「――宴に来た神、ですね? 参加証となる招待状の確認をしたいのですが」

 白銀を纏った少年が、2人の注目を奪い去る。

 ペコリと一度頭を下げ、片手を差し出す。それが招待状を求めているのだと察したフレイヤが、少年に招待状を渡した。一拍遅れてイシュタルも、どこかに持っていたそれを渡す。

 器用に両手でそれぞれの招待状から中身を取り出し、少年は文字に目を落とす。それから一分と経たずに読み終え、これまた器用に二つ同時に中身を元に戻した。

 「確認、終わりました。神フレイヤ、神イシュタル。つきましては、開催までに割り当てられた部屋で休憩を願いたいのですが……」

 それぞれに招待状を返し、2人の顔色を伺うように、申し訳なさそうに言う。

 少年に案内できるのはどちらか1人。つまり、少し待たせてしまう事となる。どうすればいいだろうと、そう考えていたとき。

 「シオン、案内は僕もやるよ。これで待たせる必要は無いだろう?」

 フィン・ディムナ。唐突に現れた【勇者】に、周囲が沸き立つ。シオンはフィンの顔を見て大体の事情を察したが、だからといってここを立ち去れる訳もない。

 と、シオンは横目でイシュタルという名の神を見た。

 まるでフィンを貪るかのような視線。この神は案内役を絶対フィンにするな、と確信できるくらいの目だ。

 ならフレイヤは、と思った瞬間。

 「――案内を頼めるかしら、小さな【英雄】さん?」

 「え、あ、わかりました。神フレイヤ」

 「フレイヤ、で構わないわ。それと、別に敬語でなくてもいいのよ?」

 クスクスと楽しそうに笑って、シオンの肩に手を置き、頭を撫でてくる。その余りの気安さに硬直して驚くシオン。

 フィンも少なからず驚いていたが、一番はイシュタルだ。

 「……そんなチンチクリンの青臭い子供の、どこがいいんだ?」

 怪訝に思いながら、シオンと呼ばれた少年を見下ろす。今はもうフレイヤから離れているが、見たところ特別な物なんて持ってないように見える。【勇者】等とは比べ物にならない程の雑魚にしか感じられない。

 感じられない、が。

 「…………………………ふぅん」

 フレイヤが御執心、それならば話は別だ。

 歪んだ口元を隠しながら、イシュタルはシオンに近づき、両手で頭をガッチリと固定した。そして逃げられない少年に――

 「――ん!?」

 

 

 

 

 

 ()()()()()

 

 

 

 

 

 と思ったのだが、咄嗟に顔を下に背けられたせいで、場所がズレたらしい。それでもイシュタルは『美の女神』だ、『魅了』は効いているだろう。

 フレイヤが注目していた子供を自分が奪う。それに悔しがる姿を想像するだけで、高笑いしてしまいそうだ。

 さてこの子供はどんな顔で自分を見るのだろう――そう思って見下ろし、イシュタルは、かつてない程に驚いた。

 「……っ!!」

 気持ち悪い――そう言いたげな表情で、自分から距離を取る少年。まるで親の仇か何かを見るような目で睨みつけてくる。

 ――何故、どうして効いてない。私は美の女神だぞ!?

 今までにない経験に、女神は身動きできない。

 「シオン」

 「……っ。申し訳、ありません。神イシュタル。しかし、お戯れも程々にお願いします」

 フィンに名を呼ばれ、自分が今どんな顔をしているのかに思い至ったシオンが、冗談で済ませるためにそう言って頭を下げてくる。

 イシュタルは混乱した頭で、何とか笑みを作った。

 「こ、こっちも悪かったね。ちょっとしたサービスのつもりだったんだけど」

 顔が引きつってないか、そう心配するイシュタルは、気づかない。

 本当に、心底から面白い物を見たように笑う、フレイヤを。

 結局あの後すぐに案内は開始され、2人は己に割り当てられた部屋へと移動する。淡々と案内しようとするシオンに、フレイヤはわざと話を振った。

 「そういえば、随分前に私のオッタルと戦ったそうね。ごめんなさいね、あの子、手加減なんてほとんどできないから」

 「……いえ、いい経験でした。まだ足元すら見えもしない『頂点』――その事実を理解させられた事で、調子に乗るなんてできなくなりましたから」

 「諦める、なんてしないのね。大抵の子はオッタルと剣を合わせただけで『自分では絶対に届かない』って投げてしまうのに」

 フレイヤの言葉に、シオンは少しムッとしたようだ。

 「他人なんて知りません。私は『今の』頂点を知った。だから、少なくともそれを越えれば自分が新たな頂点になれると理解できた。――重要なのはそれだけだ」

 「…………………………」

 「私達に与えられた『神の恩恵』は、決して平等じゃない。それでも……いっそ死んだ方が楽だとさえ思えるような事を、こなし続ければ。何年かかったっていい、届いてみせる」

 真っ直ぐな目だった。

 こんな目を見たのは、かつての。

 『まだまだ弱かった頃のオッタル』だろうか。愚直に、諦めず、手で這いずる事になろうとも進み続ける強い意思。

 強く輝く白い魂と、それに塗られた緑の色。色によって人の『本質』を見るフレイヤは、やはりこの少年は、未来溢れる子供なのだと、再度理解させられた。

 シオンの言葉に、とても、とても楽しそうに笑っていると、フレイヤは割り当てられた部屋へとたどり着いた。

 扉を開けて、彼女に中へ入るよう示す。

 部屋の中はある程度の家具が置かれている程度。休憩するくらいならできる、くらいの部屋だ。フレイヤが部屋に入ったのを見ると、シオンは部屋の中と外の境界線で上半身を折り曲げ、

 「この部屋になります。足りない物や、何か飲みたい物があれば、誰かお呼び下さい。できる範囲でご要望にお応えします」

 「ありがとう。今は仕事だから仕方ないけれど……次は、ちゃんと敬語を外してね?」

 「……畏まりました」

 頭を上げて、フレイヤの顔を見つめるシオン。そんな彼に、フレイヤは滅多にしない、『本心からの笑顔』を見せた。

 それにシオンは少し嬉しそうな顔をすると、小さく頭を下げて、今度こそ部屋を去る。

 フレイヤの『魅了』さえ、少年には通じないのだと知ったのは、彼女自身だけだった。

 自分以外誰もいない部屋の中で、フレイヤは椅子を窓の傍へ寄せ、外を見た。しばらくはこうして外を見ながら暇潰しでもするしかないだろう。

 そう考えていたフレイヤだが、しかしそれはすぐに撤回される事となる。

 「……ノックくらいはしたらどう? ロキ」

 「別にええやん。知らん仲でもないんやし」

 それはそうだが、しかし明け透けに話し合う仲でもない。だがロキは何が楽しいのか、ケラケラと笑って取り合わない。

 ロキは残ったもう一つの椅子をフレイヤの前に持っていくと、そこに座ってフレイヤと同じく外を見た。

 続々と入ってくる神とそのお供に、ロキの眷属である子等が忙しそうに案内している。今回参加した者達は、それだけの数がいるのだろう。

 「……『私達』を案内するのなら、もうちょっと速めに対処しておきなさい」

 フレイヤが最初に言った言葉は、それだった。

 彼女はフィンがあそこに来た理由を察している。そしてそれが、自分達のせいだとも。

 フレイヤとイシュタルは美の女神だ。そんな自分達に下手な団員を寄越せば、即座に魅了されて奪われるかもしれない、と危惧したロキの苦肉の策だろう。シオンがあそこで介入したのは、予定されていなかったはずだ。

 「わかっとる。それよりも、シオンがイシュタルにキスされたって話や」

 「ああ、やっぱりそれが気になったのね。安心なさい、彼に魅了は効いてない。イシュタルは最後まで気付かなかったみたいだけどね。そもそもああもあっさり私達に話しかけて、目を向けられても何も反応しない時点で効かないってわかるでしょうに」

 美の女神の魅了。それは普通の人間では決して抗えない麻薬のような物。気づけばその存在を崇拝している程に強烈な麻薬だ。

 フィン達だって、それに完全な対抗はできない。オッタルならば可能かもしれないが、彼はそもそもフレイヤという絶対の女神を信奉しているので、あまり参考にならない。

 「……なんで、シオンは大丈夫なんや?」

 「あら。効かないのなら別に困る事も無いでしょうに。奪われる心配がないのだから」

 「ほざけ。シオンはまだLv.2や。精神だって、大人顔負けくらいに成熟しとるけど、その分隙だって多い。……普通じゃないんや。どう考えたっておかしい」

 ロキは、かつては悪神とまで呼ばれた神だ。時には知恵を持って騙し、狡猾に、謀略でもって神々を陥れ、時に自ら戦う道化師(トリックスター)

 だがしかし、彼女は()()()()()()()()

 『魅了』という力がどんな風に起こり、その結果どうなるのかを知っていても、詳しい事はほとんどわからないのが本当のところ。

 だから、何故シオンにはそれが効かないのかを教えてほしいとお願いするために、フレイヤのところへ来たのだが。

 それをするためには、ロキは些か喧嘩腰だった。

 その対面にいるフレイヤはというと、ロキの態度を気にしてはいなかった。それにイシュタルに比べれば、その真意が『己の子のため』という大変微笑ましい物なので、顔に笑みが広がりそうなのをむしろ抑えていたくらいだ。

 少しだけ考える。

 ――別に知られたところで、あまり意味はないし……。

 魅了の弱点。それは対策を立てたくとも立てられない類の物だ。だから、別にロキ以外の誰かに知られたとしても、何もできない。

 我ながら理不尽だ、と他人事のように思いながら、フレイヤは言う。

 「教えてあげましょうか? 『魅了』が効かない条件を」

 「…………………………。……頼むわ」

 たっぷり悩んでそう返すロキ。どう見ても頼む態度ではないが、フレイヤはからかうように笑ってみせると、ロキは視線を逸らした。

 「基本的に魅了が相手の心を奪うっていうのは、知ってるわよね?」

 「それくらいはな。だから、精神に隙が無い人間には魅了が効きにくいって事は、大体わかっとるで」

 それでも完全には防げない。心から惚れ込む事は無いだろうが、その相手を好意的に思ってしまうのは避けられないのだ。

 ただそこにいるだけで愛される。

 まさしく理不尽。彼女が一声かけるだけで、男女問わず何人、いや何千何万という人間が一斉に集まることだろう。

 「でもね、そんな私の魅了でも、効かない人は『二通り』あるのよ」

 「二つも、あるんか?」

 「ええ。一つ目は、あまり大きな声では言えないけれど……脳死した人や、精神が壊れて廃人になった人。所謂『植物人間』と呼ばれる人達に効かないの」

 脳死した人も、精神が壊れた人も、体は生きているが心は死んでいる。

 言い換えれば『意識が外に向いていない』パターンの人達だ。魅了は相手の心を奪うが、そもそもフレイヤが声をかけようと、触れようと、笑おうと、心がそれに気づかないのなら、魅了なんてできるはずがない。

 「だから、自分だけで完結して一切人の話を聞かないような人も、もしかしたら魅了が効かないかもしれないわ」

 「そんな子いるんかなぁ。いそうなのが恐ろしいところやけど。でも、シオンは植物人間やないで? それはどういう意味や」

 「シオンは後者になるかしら。今から言う二つ目」

 イシュタルが気付かなかったのは、恐らくこの二つ目を知らなかったかだろう。実際フレイヤだって気づいたのは偶然で、その件が無ければ今もわからなかったに違いない。

 「一つ目と理由は似ているけれど……『意識が他に向いていない』状態。それが、魅了の効かない二つ目の条件」

 前者は『外』であり、後者は『他』である。

 言葉というのは不思議なもので、たった一言違うだけでその意味は大幅に形を変える。今回も、それだった。

 「例えば、その人だけを心底愛してる人。例えば、その道を極めようとしている人」

 それこそスキルとして発現するようなレベルで『他の事に目が行かない』状態になれば、恐らく魅了は跳ね除けられる。他の事に意識を向ける余裕が無いからだ。余計な感情を抱けば、それを達成するためにかかる時間が伸びるのだから。

 わかりやすく言えば、()()()()()()目的や目標、想いがあれば、美の女神の魅了を一切受け付けなくなる、という事だ。

 あの少年も、そのレベルに至る想いを抱えているのだろう。だから、効かない。

 「ここから先は、あなたの方がよく知ってるはずよ。……少なくとも、今のまま放っておけば近い内にあの子はそれしか目に入らなくなるわ」

 フレイヤにわかるのは、シオンが強くなる事を最優先目標にしていること。

 そう、シオンの目的は身近な人を理不尽から守ること。そのための手段として、まず強くなろうとしている。だが、もし目的と手段が逆転すれば。

 「あの子が堕ちるか堕ちないかは、あなた達次第になるでしょうね。他人事だけれど応援させてもらうわ。頑張りなさい、ロキ」

 「言われんでもそうするわ。絶対に、間違えさせたりなんてさせん。シオンはうちの子。一度でも眷属にしたなら、殴ってでも正気に戻したる」

 それは、彼女の決意。

 愛する子を守る、神としての宣言。

 「ふふ。ええ、そうしてあげなさい」

 そんなロキの姿勢が好ましいからこそ、フレイヤは彼女を嫌いになれなかった。

 

 

 

 

 

 フレイヤとロキが話す一方で、別の神々も談笑し合っていた。

 ここは神達が話し合うために作られた部屋だ。他の部屋よりも格段に広く、普段は団員達の鍛錬場所として使われているところを改造したもの。

 休憩よりも雑談を望む神は多いだろう――そう判断したロキは間違っていなかったらしい。かなりの数の神とその共が、歓談していた。

 ちなみにフレイヤやイシュタルを始めとして、美の女神はここにはいない。魅了は本人の意思次第でその段階を上下できるが、だからといって不用意に己の子を魅了されては誰だって困る。女神達とて知らず魅了してその神から恨まれてはかなわない。

 それに、誰彼構わず魅了すると、後々困るのは自分だ。本当に気に入った子だけを魅了するのが効率的だと理解しているからこそ、必要ないときは出しゃばらない――そんな暗黙の了解が、彼女達の間にはあった。

 美の女神の姿をお目にかかれない事に若干名残念そうにしていたが、概ね平和に時は過ぎる。そんな中、ヘファイストスは椿を連れて歩いていた。傍らにはヘスティアもいるが、彼女は出されている料理に夢中で他の事には見向きもしていない。

 「椿、私はしばらく他の人達と話でもしようかと思っているのだけれど。あなたはどうする? なんなら他のところに行っていてもいいわよ」

 「む、気遣いは無用だ、主神様。私が話したい相手は、今のところ1人しかいない」

 そしてその1人は姿が見えないから、どこかに行く必要は無かった。ヘファイストスは苦笑しながらその意に頷き、2人を連れ立って歩く。

 数分歩くと、見覚えのある人影が見えた。

 「おお、ヘファイストス。君もこの宴に来ていたのか。そちらのお嬢さんは」

 「私の眷属の椿。椿、この神はミアハ。ディアンケヒトに並ぶ医療系【ファミリア】の主神よ」

 「あの有名な……お初にお目にかかる、椿・コルブランドと申す。このような外見だがハーフドワーフなのだ」

 小さく頭を下げる椿。ミアハは軽やかに笑うと、身振りでやめてくれと示し、ついでその手を差し出した。

 「私はミアハ。共であるユリエラは今、プレシスとシオンに会いに行くと言ってどこかに行ってしまったから、今は1人でな。しばらく一緒になっても?」

 握手を終えてそう問うと、ヘファイストスはいいんじゃないかしらと肩を竦めた。

 「私達も暇なのよ。無理に話をしなくても、子供達はうちの武具を買っていってくれるから、特に困ってないし」

 「ははは、それは羨ましい。こちらはディアンケヒトがいちゃもんをつけてくる事が多くてな、その対処に追われる日々だ。子供達には迷惑をかける」

 「全く……ディアンケヒトも、もう少し大人になればいいのに」

 「いや、構わんさ。ライバル扱いされていると思えば張り合いもでてくるというものだ」

 嫌味のない笑顔で、そんなセリフを言うミアハ。本心から言っているが故に性質が悪く、これにやられた女子は数知れず。

 「ふぅむ、これはまた、随分と『人の良い』神みたいだの、主神様よ」

 「お人好しに過ぎるけれどね。多分、自分が貧乏になってもお裾分けをやめないタイプよ」

 が、椿とヘファイストスには通じない。むしろ付き合う事になったらきっと苦労するだろうからやめた方がいいなと、割と酷い事を考えていた。

 そんなヒソヒソ話がされているなど知らず、ミアハは人好きする笑顔を浮かべたまま首を傾げている。

 すると、遠くからミアハを呼ぶ声がした。

 「む、すまないが呼ばれたようだ。彼女を1人にもできんし、私はそろそろ失礼させてもらうとしよう」

 「あらそう? なら、また後でね、ミアハ」

 「うむ、また後ほど」

 最後まで笑顔を絶やさずに去っていくミアハ。アレこそモテる男の要素の一つ、になるのだろうか。お互いの目を合わせ、苦笑する。

 さてまた寂しく2人だけになったからと、置かれている料理と酒に舌鼓を打ちつつ、開催時間までの暇を潰す。幾神が話しかけてこようとしたが、それがヘファイストスだとわかると、そそくさと去ってしまった。

 「意気地が無い神が多いようだ。先程から誰も話しかけてこん」

 「ま、下手な事を言って出禁を食らったら困るのはあちらだもの。自分の子から恨まれたくないのなら、最初から関わらないのがお互いにとっても楽だわ」

 ドライな言葉を吐きながら、しかしヘファイストスはつまらなそうにしていた。カリカリと右目に付けられた眼帯を掻く。

 本心では納得していない証拠だ。素直じゃない主神に、椿は苦笑をこぼした。

 「ならば、私と一つ話でもどうだ? もう少しで始まるが、それまでは暇だからね」

 「ディオニュソス? ……と、その子は?」

 「ああ、この子は私自慢の眷属の1人さ。フィルヴィスと言うんだ、良い名だろう?」

 「は、初めまして! ディオニュソス様の眷属の、フィルヴィスですっ!」

 ペコリと緊張からか大きく上半身を曲げるエルフの少女。

 エルフ故に美麗な顔立ちは最早言うまでもなく、微かに見える瞳は緋色の如く赤い。服は白を基調とした短いケープ。わざわざ長い襟まで用いて徹底的に露出する部分を省いているのは、潔癖症の気があるエルフの性か。

 その主神であるディオニュソスもまた、彼女に劣らぬ美貌の持ち主。女性も羨む柔らかな金髪を揺らし、中背ながらスラリと伸びた手足が彼の良さを際立たせる。

 ふざけ半分で貴族の真似事をしている似非とは違い、彼だけは本物の上流階級の貴族のように品が良い。しかしそのせいか、彼には油断がない、あるいは食えないといった印象も感じられた。

 何も知らなければお似合いのカップルにも見える彼等に、ヘファイストスは笑みを浮かべる。

 「そうね。ちょうど暇だったから、お誘いを受けるわ。私はヘファイストス。よろしくね、綺麗な妖精さん」

 「私は椿・コルブランドだ。これでも鍛冶師なのだが……むぅ、エルフという事は後衛か。杖は専門外だから、何のアドバイスもできそうにない」

 と、ディオニュソスよりも注目を浴びたせいか、フィルヴィスという少女は慌てて己の主神の背中に隠れてしまう。

 「はは、可愛い子だろう? どうにも恥ずかしがり屋なんだ、許してやってくれ」

 「これくらいで目くじら立てるほど狭量ではないわよ」

 しかし神であるヘファイストスが彼女に目を向けていると、緊張でまともに話してくれなさそうだった。仕方なく彼女は全て椿に丸投げする事にした。

 ヘファイストスの注意が自分から逸れたのを感じたのか、フィルヴィスはホッと息を吐くと、おずおずと椿に目を向けた。

 「あの、私は確かにエルフですけど、でも短剣も使います」

 「……なるほど、魔法剣士か。だがなフィルヴィスよ。まず、その明らかに慣れていませんとわかる敬語はやめてよいぞ? 不自然にすぎる」

 ガァン、とショックを受けるフィルヴィス。精一杯の気遣いが一瞬で無下にされたのだからしょうがないが、椿には無意味だった。

 「短剣か、手前も多少は作った覚えがある。良ければ私の作品を一度見てくれるとありがたいところだ」

 「そうです……いや、そうか。ならば見てみよう。お前の腕を知りたいからな」

 椿のあっけらかんとした態度に押されていたフィルヴィスだが、慣れてしまえば肩の力が一気に抜けてしまった。

 それが狙いなのだとしたら恐ろしいな、と思ったが、椿は笑っているだけ。

 むしろ変な邪推をする方が無粋だろう。

 「それにしてもディオニュソス、どうして彼女を連れてきたの? 他にも候補はいたんじゃ?」

 「確かにな。まともに考えれば、私のような取り柄のない【ファミリア】が連れて来るべきなのは団長なのだろうが……本人の強い『切望』があってな」

 横目でフィルヴィスを見る彼の瞳は、とても優しい。

 つられるようにヘファイストスも彼女を見ると、

 「それでな、王族(ハイエルフ)であるリヴェリア様を一目、あわよくば一言でもお話をお伺いしたいと思って、ディオニュソス様と団長に懇願したのだ」

 「リヴェリア・リヨス・アールヴ……【九魔姫】と名高い魔道士殿だな」

 「ああ、私の尊敬する方だ。私は前衛の魔道士だが、それと遜色ない、いや上回る動きをしながら詠唱する後衛魔道士のリヴェリア様は、私の憧れなんだ」

 キラキラとした瞳でリヴェリアへの憧憬を口にする彼女は、輝いていた。本当に、心底から憧れているのだろう。

 だからこそ今回の宴は千載一遇のチャンスだというわけだ。

 「……な? 可愛い子だろう」

 「同意させてもらうわ」

 なんていう保護者の言葉など知らず、フィルヴィスは憧れへの想いを伝え続ける。だがそれは、唐突に響いたノイズと、その後の声によって中断された。

 『あーあー、テステス。うん、大丈夫みたいやな。……これから『宴』を開催するから、全員外へ出てきい。以上や!』

 神相手に余計な戯言など不要。それがわかっているからか、ロキの言葉は簡潔だった。ヘファイストスとデュオニュソスは顔を見合わせて苦笑し、自らの共を連れて外へと足を向けた。

 そうして参加した神とその共が全員外へ集まる。それを一段高いところから見下ろし、声を拡散するためのマイクを持ってロキが言った。

 『まずは、参加ありがとう、やな。今までにないやり方やし、数が少ないのも覚悟してたんやけどなぁ。と、余計な戯言はここまでにして、本題入ろか』

 そこで区切って、ロキは再度全員を見渡す。流石神が選んだだけあって、どの子達も一筋縄ではいかなさそうだ。中にはそうでないのもいそうだが――それは、指摘すべきではない。

 重要なのは、たった一つ。

 『うちはこの宴に参加するとき、最も可能性ある人物を連れてくる、そう言ったな?』

 ほぼ全員が頷き返してくる。

 そんな彼等に――ロキは、哂った。

 『ま、連れてくる子はあんたらの自由や。けどな、うちは一言も()()()()()()()()()()()、なんて言ってないで?』

 その言葉に、全員から疑問の視線を向けられる。だが謀略を得意とするロキに、そのような視線は慣れた物。むしろ手玉に取るように、自身の動作さえ利用する。

 『可能性ってのは、無限や。今は才能が無い子でも、いつかは大物になるかもしれん。……つまりうちが言いたかったのはな? ――自分の【ファミリア】で、この子は将来きっと世界中に名を響かせると、胸を張って言える奴を連れてこいって事やこのアホ共!!』

 才能? ああ、確かにそれは大事だ。それがあるなしだけで、きっと人生を楽しく生きられるかどうかが変わるだろう。

 だがそんな物、一体何になる?

 どれだけ才能があろうと、それを腐らせる者はいくらでもいる。ならば、どれだけ才能が無くったっていい、いつかきっとこの子は、そう言える者を、ロキは求めていた。

 『将来なんてわからん。可能性なんてクソだと思う奴も中にはおるやろ。……そう言う奴を鼻で哂ったるわ。自分の子の可能性信じんで、何が神や』

 例えば、ユリエラ・アスフィーテ。彼女は昔、薬物に対し際立った才がありながら、それを腐らせていると嘲られた。

 しかしその彼女を一途に信じ、好きなようにやれと励ました神がいた。だからこそ、ユリエラという少女は今、オラリオの優れた薬師として世界に名を轟かせている。

 『神と子が信じ合ってる【ファミリア】は、強い。そんな者とこそ、うちは仲良くしたいと思うとる。物、情報、人付き合い……何でもや。でも、こんな上から目線で言っとるうちを気に食わない奴もおるやろ』

 それも想定済み。というかこのセリフ――一部はフィンが考えていた物だ。つまり、ここからが本番。

 『だから、うちが今一番可能性を感じ取る子達を紹介する。言うても、大体察しとる奴もおるやろうけどな。――さ、来てな、ベート、ティオネ、ティオナ、アイズ……そして、シオン!』

 トン、という音が『上から』届いた。

 地上から十数Mという場所から躊躇なく飛び降り、ロキのいるすぐ傍に着地。驚く事に、5人全員が完全武装していた。

 今これからダンジョンに行ったとしても問題はない、と言える程だ。

 Lv.2という物に恥じぬパフォーマンスに、からかうような野次が飛んでくる。それを無視してシオン達はロキの周りに集まった。

 『これがうちの信じとる子。将来、フィン達に代わって【ファミリア】を率いてくれる、そう確信しとる子達。でも、な。うち、思うんよ』

 シオンの肩に手を置き、ロキは一拍置いて、言った。

 『うちらは一体、どんな【ファミリア】や?』

 それは、今更過ぎる問いかけだった。

 【ロキ・ファミリア】がどんな物か。それは探索系【ファミリア】だ。ダンジョンへ潜り、そこで手に入れた戦利品を持ち帰る事で日々の糧を得ている【ファミリア】。

 『だから、決めてたんや。宴を開いたのはうちら。なら、可能性っていうのがどんななのかを教える義務がある』

 そして、それを教える方法など一つしかない。

 『シオン達の戦わせる姿を、見てもらうこと』

 そう――()()()()()()()()【ファミリア】なのだ。説得力を持たせたいのなら、戦う姿を見せるのが一番手っ取り早い。

 そうとなれば、その相手は一体誰なのか。

 それもまた、決まっていた。

 『この子達は未来の象徴――だからこそ、相手は()()()()()であるべきや』

 何時の間にか、シオンと背中合わせに1人の小人族がいた。

 まさか、と呟いたのは、誰だったのだろう。

 『【ロキ・ファミリア】現団長、【勇者】フィン・ディムナ――さぁ、見せてみ! 絶対に勝てない相手を前にして、どう戦うのか。自分達の可能性を!』

 それを合図として、シオンとフィンが跳ねるように己の獲物をお互いの喉元に突き付ける。その視線に入るのは、お互いの姿のみ。

 「勝てない? 知らないね――殺しに行くだけだ」

 「いい気概だ。ならば――僕を、殺して見せろ!」

 これは殺し合いではない、きちんと定められたルールは存在する。しかしそれを感じさせない程の殺気をお互いに滲ませながら、【勇者】と【英雄】が、武器を交差させた。

 「全員情けなんてかけるなよ。じゃないと――一瞬で終わる!」




っつーわけで宴開催。ただしほのぼのするとは言っていないっっ!!
どっちかというと開催前のが宴っぽかった気がする。

それはそれとして感想の要望で

『また原作のファミリアがいくつか出てきてくれると嬉しいですね』

と言われたので、お応えして追加しました。予定だとフレイヤとイシュタルだけだったんですけどね、それだと寂しいのでヘファイストス、ミアハ、デュオニュソスと原作外伝問わず出させていただきました。
……ヘスティアは食べ物に夢中だったんです、ハイ。

ちなみにイシュタルのセリフは全く安定してません。というか原作読み返してもトレースしにくすぎて辛い。アイズよりも面どゲフンゲフン。

まぁ、一応解説。

シオンの振る舞い。
驚くべき事に今回初めてシオンが敬語を使ってますが、これは単にリヴェリアから作法を叩きこまれただけです。時間が無いので仕方ありませんが、下級貴族程度の嗜みは身につけてます。普段使わないのは周囲の人が許してるからってだけ。

嫌悪の表情の意味。
イシュタルの魅了に嫌悪感を覚えたのは、彼女の『魅了』が自分の中に入ってくる事で、自分の想いを捻じ曲げられそうになったから。別に彼女自身を嫌ってる訳じゃありません。

魅了の無効化。
魅了の効く効かないについては原作の表現から勝手に判断しました。これも確証ついてないんで、この作品独自だと思ってください。

神同士の談笑。
原作における絡みの無い神同士を絡ませてみましたが、どうだったでしょう。眷属同士の話もやりましたが、これでよかったかどうか。長い時を生きる神なので、顔見知りじゃない方がむしろ珍しいと思ったので、旧知の仲だとは思うんですが。


で、最後のロキの演説っていうか挑発、どうだったでしょう?
招待状を配った時の言葉を、神達の解釈で無理矢理読者の思考を『才能ある人物じゃなければならない』って感じに固定したんですが。
この宴が将来のシオン達の顔繋ぎの場であり、人脈を広げるため、というのは正解なのですが、実際は凄さを見せるため。
シオン達は良くも悪くも子供なので、可能性があると言われてもそうだなと流されてしまいます。Lv.2になったという実績があっても、思春期すら迎えていない子供というのはそれだけ足を引っ張るんです。
だからこそ、比較対象にもならないフィンを引っ張り出して相手にさせ、その絶対に勝てないイベントボスにどう奮戦するのかを見せつけて、強制的に納得させる。それが目的になります。
だから話し合いだとか、演武だとか、そんな生っちょろい事しません。

ていうか――ドSの私が許しません。

やるのはガチの殺し合い。ルールのある決闘? 手加減してたら死にます、シオン達が。血が流れるのは当然、骨も普通に折る予定。手足ぶった切るとこまで行くかどうかは悩み中。多分しない。

次回はフィンとの戦闘……になる前に、多少ルールの説明とかかな。
解説はロキ、リヴェリア、ガレス。メインは戦闘なので、この3人の話はあんまり出ない予定ですけど。
タイトルは――『可能性という物』でいいかな、無難に。


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『負けたくない』

 フィンとシオンの戦い、それに騒めく広場。お互いの目しか入らない2人と違い、他の神とその共は、いきなりの急展開に混迷を極めていた。

 そんな中で、1人の神が手をあげて人ごみから歩み出てくる。

 「ロキ、一つ質問をしてもいいかな?」

 それは旅をする神、ヘルメス。

 常に浮かべる軽快な笑みをこの時でさえ崩さず、彼は楽しそうに笑っている。優男然としていながら、どうしてもその印象はヘラヘラとした物に思えてしまう。

 今回は敢えてそう振る舞うように意識しながら、彼は言った。

 「俺としてもこんな面し――コホン。折角ロキが用意してくれたイベントに水を差すのはいかがな物かと思ったんだが、どうしても、気になる事があってね」

 『ふむ。ま、ええやろ。なんや?』

 「彼等が戦うのはいいんだが……一体、どこでやるんだい?」

 その質問に、ほとんどの者がハッとさせられる。

 そう、冒険者同士の戦いは数M程度の距離でできるような物ではない。現状では、この場にいたら即座に巻き込まれてしまうだろう。

 『それもちゃーんと考えてあるで。忘れてへん? うちらが考えたイベントやで。対策くらい考えとるわ。だからわざわざ皆を外に出したわけやし』

 そう言って、ロキは大きく手を広げ、全員下がるように言った。言いたいことはあれど素直に従ってくれ、広場の中心にポッカリと大きな円形の穴が空いた。

 『――これで、戦えるスペース、できたやろ?』

 パチンとウインクを一つし、笑うロキ。ちょうど下がったところのすぐ横にはテーブルが置いてあり、その上にはジュース、酒、食べ物が並べられていた。

 「なるほど、だから中心には何も置いてなかったのか」

 納得したようにこぼすヘルメスに、周囲の神達も納得できたらしい。特に不平不満も無いまま、次へと進められそうだった。

 ――なーんか嫌な奴に貸ししたかもしれん。

 そしてロキは、ヘルメスの意図が読めていた。

 桜、という奴だ。敢えてわかりやすく、扇動するように動く者達の俗称。彼がそれになる事で、イベントを滞りなく進めるようになったのだ。

 如何に神であろうと、賢い者、賢くない者、察しの良い者、悪い者はいる。一々質問に答えなくてよかったのは、正直助かった。

 だからロキは、ヘルメスがシオンに近づくのを止められない。彼の目が、これで貸しはいらないと語っていたから。

 ヘルメスが接近しているのにシオンは気づかない。結局気づいたのは、彼の手がシオンの肩に乗せられてからだった。

 「楽しみにしているよ。君の持つ『可能性』という物をね」

 「え……?」

 見覚えのない男。

 それが神だというのはすぐに気づいたが、彼が一体何を期待しているのか、即座に見抜けない。呆然としている間に、彼は去ってしまう。

 「さて……彼は英雄の器なのか、どうなのか」

 その呟きは、彼にしか聞こえない。

 

 

 

 

 

 多少おかしな事はあったが、概ね問題無く始められる。

 『さーて、それじゃ開始! ……と言いたいところなんやけど、その前にいくつかルールの説明や、説明』

 と思ったら、初端からつんのめるような事を言ってケラケラ笑うロキ。相変わらず人を食ったような態度だが、もう諦められていた。

 『普通にやったらフィンがすぐに勝ってまうからなぁ。フィンには制限っちゅーか、ハンデつけんと』

 それには誰もが押し黙るしかない。

 事前のルール確認は大事だ。でなくてはこれは純然な決闘でもなんでもない、ただ一方的なゲームにしかならない。

 『まず共通のルールから言わせてもらうな。全員持ってる武器は主武器(メインウェポン)のみ不壊属性(デュランダル)のつけられた特殊武装(スペリオルズ)。製作者は同じで、能力もそう大差無いようにしてもろうとる』

 今回の戦い、武具に関してはほぼ公平にしてある。加えて武器が壊れては興醒めもいいところなので、その点も考慮して不壊属性付の武装を用意したのだ。

 『次にシオン達の説明や。基本的にシオン達には制限が無い。あるのはたった一つ、回復薬は1人につき高等回復薬が一本のみ。万能薬と普通の回復薬は、持つことさえ禁止させてもろうた』

 事前に確認はしてある。だからロキもそれ以上言葉を重ねず、次に進んだ。

 『最後にフィン側の制限。まず、槍以外の武器を使うのは禁止。使えるのは槍と、己の拳くらいや。……シオン達から武器奪ったりしたら、手が付けられんしな』

 その発言に苦い物を浮かべたのは、シオンだ。反対にフィンは困ったような笑みをしている。たったそれだけで、ロキの言葉が真実なのだとわかってしまう。

 『それから道具も禁止。回復薬の一本さえもな。シオン達から奪うのも禁止させてもらうで。ちゅーかシオン達の回復薬を直接狙うのもダメや。許可するのは、シオン達が回復しようとするのを邪魔する事だけ。ここで取り落としたら補充せんから、気をつけてなー?』

 付け加えると、直接狙わなければいいので、相手を転ばせたりすれば瓶を割る、なんて事も不可能じゃない。早々に使うのもダメ、かといって温存しすぎれば壊れる可能性が高くなっていく。

 シオン達の判断力が試されるようなモノだった。

 『で、最後の制限が一番、重要になるんやけど……』

 と、ロキはここで一度言葉を区切り、フィンを見る。彼は構わないとばかりに肩を竦める事で返答とした。

 『フィンの【ステイタス】を、Lv.4相当にまで制限。正確には、そこまでしか力を出したらあかん。ただ、この判断は曖昧になるから、助っ人2人、頼んだで』

 『ガッハッハ。良かろう、儂に任せるがいい!』

 『……頼まれたからには、ちゃんとやろう。ハイエルフとしての誇りと、我が名に誓って不正な判決(ジャッジ)は下さん』

 【重傑】と【九魔姫】の登場。

 変わらず豪快なガレスと、あくまで冷静な――ように見える――リヴェリアに、会場が沸いた。

 「本物……本物のリヴェリア様だ! あぁ、無理を言って来て良かった、本当に……!」

 特に一部の反応は、凄かった。

 「彼女、()()()じゃないでしょうね?」

 「安心してくれ、それはない」

 余りにもキラキラした瞳をしすぎて、心配になった神もいたが。

 『基本的に2人には解説に回ってもらうでー。ただまぁ、変な解説はしたくないし、言いすぎて相手が有利になるような真似もしたくないから、多少やけどな。で、見たとこどうなると思う? 2人の見解聞かせて貰いたいとこや』

 『……普通に考えるのなら、小さくとも構わないからフィンに傷をつけていくべきだ。回復薬を持てないフィンに回復手段はない。細かな傷で疲労させていけば、勝てるかもしれないな。ガレスはどう思う』

 リヴェリアは複雑な想いを抱えたまま答える。彼女は最後までこれを行う事に反対していた。それでも与えられた役割をこなそうとする生真面目さに、ガレスはつい苦笑がこぼれるのを抑えなければならなかった。

 『ふぅむ、何とも言えんわ。確かに迷宮の孤王のように戦う方法も、通じないわけでは無いからの。だが、相手はフィン。そのような余裕があるかどうか。初手の戦法で、シオン達が勝つかどうか、大体わかるかの』

 『ほぉほぉ。なら、その初手がどうなるのかが見極めどころっちゅー事かいな』

 さて、とロキが手を叩く。もう言うべき事はない。

 『やっとこさ準備も、説明も終わった。フィン、シオン達。皆準備はいいな?』

 一度、槍の具合を確かめるように振るい、構えたフィンが言う。

 「構わない。いつでもやれるよ」

 アイズとベートが前、ティオナとティオネが後ろ、真ん中にシオンが立ち、それぞれの得物をフィンに対して向けた。

 「ティオネ、渡した精神回復薬は持ってるよな?」

 「ええ。団長相手に意味があるのかは、わからないけど」

 「いいよ別に。精神の疲弊を癒すのには役立つし――」

 ティオネの魔法は、邪魔できればそれでいい程度の物だから。

 シオンが五本、ティオネも五本の高等精神回復薬。これが勝負の分け目になる――なんて状況にはなりたくない。

 だってこれを使うとはつまり、そこまで追い詰められるという事を意味を示しているのだから。

 「……ああ。こっちも大丈夫だ」

 言葉少なに答えるシオン。

 余裕なんて、誰も持っていない。勝つどうこう以前に、一瞬で負けないようにするだけでも大変なのだ。緊張で倒れないのが不思議なくらいだった。

 『それじゃ――始めぇ!』

 

 

 

 

 

 真っ先に動いたのは、アイズとベート、そしてティオナだった。

 「ベートはフィンの攪乱っ、無理に()りに行かないでいい! ティオナはとにかくやられないように注意してくれ!」

 そんな言葉を背に投げられた。

 しかし誰も声を返さず、目の前の存在だけを注視する。ほんの一瞬の隙さえ作らないように、彼等は必死だった。

 それを迎え撃つフィンは、静かに槍を構えたまま動かない。最初は相手に花を持たせよう――そう思っていたかどうかは定かじゃない。

 だが現にフィンは動かず、真っ先にたどり着いてきベートの双剣に合わせるように槍の棒部分をぶつける。

 軽く、そっと触れさせる程度で構わない。Lv.4のフィンの力は、身軽なベートを吹き飛ばす程の物を持つ。実際ベートも、吹き飛ばされはしないが大きく体勢を崩された。そんな彼に見向きもせず、フィンは次いで来たアイズの動きを片目だけで把握する。

 わかりやすい、フェイントも何も無い突き。だがその後ろから迫るティオナの姿に、下手に避ければ第二陣でやられるとわかった。

 だからフィンは、まず槍を剣に交差させるようにして、その腹を叩いた。横に揺れる剣に対し、槍をグルリと回転させ、地面に縫い付けるように剣の上へと叩き落とす。顔を歪ませながら、アイズが剣を完全に動けさせられなくなる前にと腕を引いたが、流された体ではまともに腕さえ動かせない。

 それがわかっていたから、フィンは一歩踏み込んでアイズの懐に接近する。小柄なフィンはそれだけでアイズの体に隠れてしまう。

 「っ……!」

 アイズを盾にされたティオナが、大剣を止める。これがベートやシオンなら、アイズの体の横から剣を突き刺せたのだろうが、ティオナにはできない。

 必然的にティオナの動きが止まったのを感覚的に察知したフィンの手が拳を作る。自分に襲いかかるだろう衝撃にアイズが歯を噛み締めた、その瞬間。

 「もうちょっとこっちの事も考えなさい!」

 位置取りを考えて移動していたティオネが、フォローのためにナイフを投げる。主武装を禁じられたのはフィンだけで、シオン達はその限りじゃない。不壊属性が無いから壊されればそれまでだが、惜しむ事無く投げていく。

 アイズの体の影にいられなくなったフィンがそこから飛び出てきた。止まっていたティオナが再び動き出し、その剣がフィンを狙う。技術も何も無いその太刀筋。普段のフィンなら格好の餌なのだが、それをカバーするように動く狼が背後から迫っていた。更にアイズまでもが続いてくる。

 三方向から迫ってきた致死の刃。

 「……ふっ」

 フィンは冷静に全てを見極めた。まず動きの速いベートの双剣を避ける。それを察知したベートが追ってきたが、その顎に槍の石突きがぶち当たる。ベートの体が浮き、そしてそのまま倒れた。

 ベートの顎を打ち抜いた反動で、槍の先が跳ね上がる。その勢いに乗ったまま槍を斜めにして、ティオナの大剣を滑らせた。その剣の先にはアイズがいる。衝突しないようにお互いの動きが止まる。

 今回はティオネのフォローも期待できない。まずは目の前にいるティオネから、と思った瞬間、フィンの親指が警告するように嫌な予感を告げてきた。

 ――殺す。

 ゾクッとフィンの背中に氷が突き刺さった。ほとんど反射的に一歩横に動いた直後、()()の致死の刃が虚空を撫でる。

 それをやったのは、シオンだった。その瞳は驚愕に見開かれ、どうしてわかったのかと表現していた。その手に握られているのは、小さな二本の短剣。

 最初に持っていた剣はフェイク。真意はこれを隠すための物。

 「クソッ」

 つい口をついて出た悪態。だがシオンは失敗に拘泥せず、全員フィンから距離を取るように走り出した。

 「すまん、失敗した。付け焼刃の暗殺術じゃ、フィンには効かなかったよ」

 「ハッ、元から失敗前提だろうが。アレで終わったらむしろ拍子抜けだぜ」

 「そうそう。まだチャンスはあるんだから、次何とかしよ?」

 仲間の励まし。本来なら、それに安堵を覚えるべきなのだろう。

 だが、シオンは……そしてアイズは、次のチャンスなどあるのか、と考えていた。

 最初と同じように動かないフィン。彼は己の頬に手をやり、ベットリと付着した血に目をやった。

 後、一歩。いや一秒遅ければ、彼は。

 フィンは、シオンに暗殺術など教えていない。それはつまり、彼に告げた提案に、シオンは真剣に取り組み、勝てるための策を作ろうと必死に頭を捻った証拠だ。

 ――すまない、シオン。僕は君を、まだ見くびっていたらしい。

 フィンは、シオン達を試す立場。それを意識しすぎて、忘れていた。

 彼は、動かない。

 だがその意味合いは、最初とは全く違う。

 その意味は、すぐにでもわかる事となる。

 

 

 

 

 

 『……リヴェリア、あんたが言うた戦法とは全然違うんやけど? ていうか、シオンが容赦なく殺しに言ってるように見えるのはなんでや』

 『ふむ。私はあらかじめ言ったはずだが? ()()()()()()()()()、と。それに、あの対応は間違ってないさ』

 ロキとリヴェリアの解説。ロキが疑問を呈し、リヴェリアが解く。冒険者ではない、言ってしまえば観戦者の1人であるロキの疑問は、ある意味この場にいる全員の共通の疑問でもあった。

 『フィンは儂等の中でも特に技術に秀でたタイプじゃ。むしろ一撃で倒さねば、ジリ貧になって負けるぞ。そもそも格上相手に、十分なアイテムも無しに長期戦など無謀としか言えん』

 『その通りだ。そして、殺しに行ってるようにしか見えないという問いは、愚問だとしか言えない』

 『シオンに手加減なぞしてる余裕はない。()()()()()()()()()()()()。……だが、それでもあの一撃は外すべきではなかった』

 『どういう……意味や?』

 ガレスの言葉は、聞いた者全員の心に重く伸し掛ってくる。それだけの冷徹さえを含んだ声だ。

 ロキの声に、ガレスは鼻で笑って言う。

 『来るぞ。【勇者】の本気が』

 

 

 

 

 

 気づけば、シオンの体が吹き飛んでいた。

 『な――っ!?』

 全員の息が止まる。しかし空を浮かぶシオンには困惑している暇など無く、自分を狙う一条の槍を見つめていた。

 表情が全く動いていないように見えるシオンだが、内心ではただ一言。

 ――ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ――っ!!

 フィンが、本気で来た。その恐ろしさを体に叩き込まれているシオンの瞳が、知らず揺れ動く。

 それでも動かなければやられてしまう。

 無理に体を動かそうとせず、一度流れに身を任せる。そうしてまともに動く場所と動かない場所を把握して、一気に捻ってある程度動ける体勢へ移行させた。

 その間にもフィンは距離を詰め――るどころか、もう目と鼻の先にいた。間断無く突き出されてくる槍の雨を、必死の形相で捌いていく。

 無傷で、とは考えない。手足を掠っていく程度に留め、とにかく後の行動に支障を来たすような攻撃だけを剣を使って逸らすのだ。

 槍が機動力を削ごうと足を狙う。足を地面から放し、膝を曲げて避ける。片足立ちとなったシオンを転ばせようと、突き出した槍をそのまま横に振るう。

 地面に剣を突き刺して、腕力だけで体を浮かす。逆さまになった世界で、フィンは石突きをシオンの顔面にぶつけようとしているのが見えた。懐に手を伸ばし、先に使った短剣の内一本を目の前にかざす。

 武器としての強度は言うまでもない。一瞬で壊されたが、武器を破壊された反動でシオンの体が後ろに動く。剣を引き抜き、一回転しながら地面に着地。だがそれで何とかなったと思うのは早計だ。

 またもフィンが距離を詰める。逃がすつもりは毛頭ない。何故なら、

 『シオンが倒されれば、フィンの勝ちだからだ』

 『見たところ、対人戦を得意としておるのはシオンだけのようじゃ。可能性があるとすればアイズくらいかの』

 そう、まともにフィンと戦えるのはシオンだけ。あくまでモンスターを戦うのを想定して鍛えただけのベート、ティオネ、ティオナでは、フィンと打ちあえない。

 唯一シオンから薫陶を受けたアイズだけが、無意識に対人戦の動きができる。

 だが、アイズが教えを受けているシオンに未だ勝てないように、シオンが教えを受けているフィンには勝てない。1人だけでは、勝てないのだ。

 その差を如何に埋めれるか。それが4人の役目。

 『だが、特にティオナは辛いだろうな。ベートもだろうが』

 それから相性の問題、というのもあった。

 シオンやアイズと違い、ベートは速度と手数に特化している。だがそれはフィンも同じであり、言うなれば完全な上位互換。戦況をひっくり返すような特別な魔法を覚えていない彼は、攪乱以上の役目をこなせないだろう。

 ティオナの場合はもっと酷い。彼女は剣術を始めとして技術の大半を使わないで来た。その身の【ステイタス】に頼った戦い方をしているパワー特化型の彼女は、技術に優れたフィンにとって隙だらけ。

 ティオネのサポートでもなければ、戦う以前の問題だ。

 実質4人で戦っているような物なのだが、それを纏めていたのがシオン。

 『その上指揮を取っているのもシオンだ。言葉を発したのは最初だけだが……事前の作戦も、それを成功させるための動きも、彼がそうするように動かしたからできただけにすぎない。これは推測だが、手か体の動きで指示を出しているのだろう』

 全てはシオンを主軸とした戦い。

 その軸をとっぱらってしまえば、後はもう消耗戦以下。蹂躙されて終わるだろう。それがわかっているから、フィンはこの機を逃さない。

 ――押し負ける。

 集中力が擦り切れていく中でふとこぼれたのは、それだった。

 フィンの槍が、シオンの腕を深々と切り裂く。それを切っ掛けとして、シオンの集中力がプツンと切れた。

 「シオンは、絶対やらせないっ!!」

 だが、フィンが一秒に救われたように。

 シオンもまた、その一秒に救われた。シオンが吹き飛んだその瞬間から動き出していたティオナが、やっと追いついたのだ。

 防御を捨てた完全な攻撃の構え。大上段からの振り下ろし。いかなフィンとて後ろに目があるわけではない。シオンへの攻撃を中断し――中断する前にシオンの体を吹き飛ばしていくのを忘れない――て、ティオナへと向き直る。

 ガラ空きの胴体。そこ目掛けて槍を突き出すが、

 「あぁもう! 仕方ないわねホントあんたは!」

 叫びながらフォローに回るティオネが、それをさせじと邪魔をしてくる。ほんの一瞬の助けだった。恐らくすぐにティオナは跳ね除けられるだろう。

 それでも、シオンは確かに助けられたのだ。

 腕を思い切り抉られたから、仕方なく懐に手を伸ばして回復薬を飲む。削られた体力と傷を回復させたが、流石に集中力はそう易々と戻ってこない。

 「シオン、行けるか」

 それでもなお、まだやれるだろうと目で聞いてくる奴がいた。

 そう、忘れてはいけない。

 ティオナにティオネがいるように、

 「やるしかないだろ。……おれがお前に合わせる。だから、お前もおれに合わせろ」

 「ハッ、言うなぁ。だったらそう思わせてみろや!」

 シオンにはベートがいるのだという事を。

 そんな会話をしている間に、ティオナが大上段から剣を振り下ろす。まともに受け止めれば危ないと判断したフィンは、大剣の当たるスレスレの位置で避けた。地面に亀裂を走らせた一撃だが、当たらなければ意味はない。

 けれどこれは、次への布石。大剣を振り下ろした勢いを利用し、片手を柄から離し、半身となってタックルをかます。

 ほぼ捨て身となる一撃。それでもほとんど接近していたお陰で、フィンの体にぶち当てる事ができた。

 巧みな姿勢制御で倒れさせる事はできなかったが、それでいい。時間を少しでも稼げればそれでいいのだ。

 反撃として突き出された槍を見て、痛みに耐えるために歯を食いしばる。腹に当たれば恐らく脱落。そう思ったティオナは、アイズに救われた。

 ほとんど抱きつくようにして、攻撃を躱したのだ。

 それと入れ替わるようにして、2人が駆け出す。シオンが先、ベートが後。フィンの攻撃を受け止められるのがシオンだけだから、こうなるのは自然だった。

 その2人の更に後ろで、ティオナのフォローをさり気なく行っていたアイズが剣を構えて待機。

 ――下手に入るほうが、邪魔になる。

 シオンとベートは、悪友で、好敵手で、だが一番の親友。共に肩を並べて生きてきたからこそ、2人の連携(きずな)は強い。

 そう判断して。

 シオンが剣を愚直に振るう。それがフィンの槍に当たるが、鍔迫り合いに持ち込まず、反対に回転。その回転に合わせるようにベートが割り込み、シオンの攻撃によって若干硬直しているフィンの足元を付け狙う。

 短剣という性質上、リーチの短さが災いしてかなり接近する必要がある。それがわかっているからフィンも慌てず、一歩足をズラして回避。

 それを予期していたのか、回転していたシオンが回転の速度を上乗せした回転斬りをお見舞いする。その間にベートは地面を蹴って後ろに下がり、フィンの足で蹴られないように逃げていた。

 未だ片足が浮いたままのフィンはシオンの攻撃によって体が流れた。しかし、シオンはこれ以上の追撃ができない。

 だから、

 「背中借りるぞ!」

 「勝手に使っとけ!」

 下がったはずのベートが更に地面を蹴り付けシオンの背中に着地。そのまま逆さになりながら、短剣でフィンの頭を切る。

 しかしフィンは素直に喰らってくれない。槍から片手を離して双剣の一本を殴り、もう片方は首を捻って無理矢理躱す。

 また躱された。だがそんなものは予定調和。ベートは着地してすぐに反転、背中からフィンを狙う。それをフィンは、無様な体勢のまま横に飛ぶ。その途上、石突きで地面を突いて体を捻り、受身を取って足から着地。

 先程のシオンと似たような光景。ならばこの先も、似たような物となるのは必然。

 着地したフィンが顔を上げると、2人は肩を並べるようにして走り、剣を振るっている姿が見えた。長いシオンの髪が鬱陶しそうに広がる。

 ベートは小さく、シオンは大きく剣を振るう。絡みつくよなベートの双剣と、薙ぐようなシオンの剣。

 最初に来たのはベート。片方を首、もう片方を腹に向けてくる。腹を狙ったきた方は、剣を握られた手を包み込むようにして受け止め、首を狙ったものは少し屈んで、()で噛み締めた。

 シオンの方は素直にフィンの腕を狙ったものらしい。こちらは普通に残った槍でもって受け止めればそれで終わりだ。

 Lv.2の膂力では、Lv.4であるフィンとのこんな歪な鍔迫り合いでさえ勝てない。現状維持しかできない事にシオンとベートが歯噛みした、その瞬間。

 2()()()()()()()()、剣が突き出される。

 「――!?」

 ほとんど密着している2人の体の隙間。そこから突き出された剣の形状に、フィンは見覚えがあった。

 ――アイズか!?

 だが、アイズの姿など見えなかった――そう思ったが、ふと気づく。

 先程シオンが髪を広げるようにして走ったのは、わざとなのではないかと。シオンの白銀の髪は、相応に目立つ。もしそれに隠れるようにして動けば、気づけないのでは。

 今更だが、こんな土壇場でそれをやろうなんて、普通は考えない。

 その上わずか数Cという隙間を、2人の体を傷つけずに通す技術と、それら全てをこなす度胸に驚嘆しながら、フィンは迫る刀身を眺める。

 もしも、とフィンは思う。

 ――もしこれが誰もいない、身内だけの勝負だったなら。

 素直に勝ちを譲り、頑張った、成長したと褒めて良かった。だが現実は違う。大勢の者が見ている前だ。

 ――無様に負ける事は許されない。例えハンデがあったとしても!

 フィン・ディムナは小人族の【勇者】、希望の象徴。どれだけの絶望があったとしても、負けを認める事なぞできない。

 だから、

 ――悪いけど、勝ちは貰う!

 今まで一度も使わなかった『足』によって、攻撃を逸らす。跳ね上がったフィンの膝がアイズの剣の腹を打ち抜いていく。その勢いによって横に吹き飛んだ剣の腹が、ベートの脇腹に食い込み、彼を吹き飛ばしていった。

 3人の目がありえないと叫んでいるのを理解していたが、フィンは情けなどかけない。自由となった腕でシオンの腕を掴んで引っ張り、思い切り投げ飛ばす。

 それと同時にアイズの体に槍を振るう。反射的に剣で防御されたが、ある程度距離を作れれば問題無い。

 シオンを投げ飛ばした方へと体を向ける。

 最初に吹き飛ばした時は、槍での物だった。だが今回は腕を使った。その差は歴然としてわかりやすい物。

 ――姿勢が、直せない!

 比較的簡単に直せた最初と違い、完全に崩された体勢を立て直すのは容易じゃない。そして空中にいるシオンは、回避も防御もまずできない状態にあった。

 フィンが、更に距離を取ろうと、また詰めようと一歩、二歩と地を蹴る。

 そして槍を持ち上げ――投槍の構えに入る。

 それだけでフィンの意図がわかる。フィンは完全に、シオンを殺す気で槍を投げるつもりなのだと。

 両手で持った槍なら、フィンは細かな動きで加減ができる。しかし投槍は、一度放たれれば後はそのまま突っ切っていくだけ。下手にシオンが動いたほうが危険がある程だ。

 しかも距離を詰める必要がないから、誰も横に入る暇がない。

 ティオナも、ティオネも間に合わない。彼女達は消耗していた投げナイフの回収に走っていたから。

 ベートとアイズも動けない。いや、唯一アイズだけは動こうとしていたが、圧倒的に時間が足りなかった。

 ――負けたくない。まだ戦えるんだっ、おれは!

 それがわかっていたから、シオンは諦めたくないとフィンの槍を凝視する。けれど、すぐに悟ってしまった。それがどれだけ無駄な作業なのかと。

 ――微調整ってレベルじゃない。

 腕と手だけじゃない。恐らくフィンは、指先の動きだけでも槍の投げる先を調整できるのだと、わかってしまう。

 槍が放たれれば、避ける暇などありはしない。

 だが放たれる前から回避しようとしても、指先の動きで修正される。

 回避は――できない。

 フィンが、槍を放とうと振り被り一気に腕を伸ばす。

 「まずは――1人目だ」

 そして、風が吹いた。




構想練ってた段階から大体察してたけど、案の定一話に収まらない。そう簡単には終わらせたくないっていう私の想いをどうか理解してください。
だってここの話書くために頑張ったんだもの。ここ書いたら燃え尽きるかもしれないってくらい頑張ったんだからね!

後感想で言われたんで急遽ヘルメスさんのご登場。一応裏話としてアスフィは連れてきてますけど、姿は見えてません。
なんかそれっぽい感じに消えて行きましたけど……特に予定はありません。とりあえず出しておけば後々使えるだろ――ゲフンゲフン。

とりあえず解説解説。

決闘のルール
まずはこれを決めないと話になりません。無理ゲーどころかクソゲーです。
全体的には
・長期戦の阻止
・フィンの大幅な弱体と制限
・両者の持つ武具を同じにする事で、個人の力量以外の差を持ち込まない。
これがわかってれば特に混乱しないと思います。
ちなみに作中の文章だと結構な時間経ってるように思えますけど、実際には五分十分程度しか経ってない件。

ロキ・リヴェリア・ガレスの解説
便利そうだからやってみた。
本音? そろそろガレス出さないとなんか可哀想にしか思えな――いや、なんでもない。

後は大体作中で書いてるような気がする。
個人的に気になる部分があったら言ってください。ちゃんとお答えします。次回へのネタバレとかはできませんけどね。

次回のタイトルは『未来への可能性』。
多分次回で戦闘は終わると思います。……終わらせないと長引きますし。


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五人の全力

 ようやっと体勢を整えたアイズの視界に飛び込んできたのは、今にもシオンがフィンの投槍によって貫かれんとする光景。

 ――間に合わない。

 それがすぐにわかった。今のままじゃ届かない、と。このままシオンの体に風穴が開くのを無様に見続けることしかできない。

 ――そんなの、認められない。

 『今のままの』アイズでは、ダメだ。それでも彼女は約束した。

 『おれの背中を、守ってくれ』

 そう言われた時の笑顔を、壊したくない。

 アイズにとって、シオンの背中を守るというのは、彼の隙を埋めるということ。それはつまり、シオンの背中(すき)を守るということ。

 だから、祈ろう。

 シオンを守るための奇跡に。

 それを生み出すために、彼女は言う。

 己の願いを叶えるための、『特別な言葉(えいしょう)』を。

 「【目覚めよ(テンペスト)】」

 集中力を高めるため、最初の一文は、静かに。

 「――【エアリアル】ッッ!!!」

 そして二言目は、高らかに。

 風が、それと視認できる程の大気となってアイズの体を包み込む。光を反射する金髪を波打たせながら、その風を纏ったアイズが突進する。

 その速度はフィンにも迫る。初速から一気に最大速度にまで加速し、フィンが槍を投げる前に、彼のすぐ傍へと足をつけた。

 そこでフィンも異変に気づく。

 風が、吹いていると。

 「な――アイズッ!?」

 眼球の動きだけで後方を確認したフィンが、既に剣を放っているアイズの姿を視認して驚愕に目を見開く。

 ――風……魔法か!? だが、そんな情報は一度も聞いたことが……!

 しかし、考察している暇などありはしない。すぐにいくつかの選択肢を作り出す。

 反撃、無理。

 こんな、投槍を放つ寸前の体勢で反撃なんてできるわけがない。

 防御、無理。

 同様の理由で防御も無理。せめて小さな盾か短剣でもあれば、片腕で防御できたのだろうが、ルール上持てないのだから諦める。

 回避しか、ない。

 「う、おおぉぉぉぉぉ!」

 今まで一度も叫ばなかったフィンが、叫んだ。それだけ余裕がない証だが、見ている方からすれば驚愕物だった。

 【勇者】という生ける英雄が、追い詰められているのだから。

 まず投擲の体勢を止める。槍を放とうとした腕を強制的に引き止め、前に出していた足の指先で地面を掴み、体を回転させる。できればもう一方の足で反撃したかったが、流石に無理があった。

 「ハアアアアアアアアアァァァァァァァッ!」

 アイズが、一振りの剣となった。

 守るために。

 憧れで、大好きな人を、助けるために。

 狙うのは心臓。シオンから教わった、外れてもどこかには当たってくれる場所。白刃の剣がフィンの体に迫り、後は貫くだけとなった。

 「まだまだ甘い!」

 フィンとてタダで食らってはやらない。余裕は無い、だが当たる寸前に、体を思い切り捻る程度の事はできる。

 心臓に触れる瞬間、フィンは体を回した勢いのまま更に回転。けれどそれは、誰から見ても悪足掻きにしか見えず、

 「う、ぐうぅぅっ!」

 アイズの剣が、フィンの脇腹へと突き刺さった。

 体を走る苦痛に顔を歪ませ、それでもフィンの体は動き、蹴りでアイズの胴体を穿ち、吹き飛ばす。同時に刀身が血にまみれながら体から抜け出る。栓となっていたそれが無くなった事でフィンの体からドロドロと血が流れていった。

 その状態で、フィンは脇腹の筋肉に力を入れる。強制的に肉を盛り上がらせ、体から血が逃げるのを食い止めるために。

 かつてシオンがやったのと同じような事を、やってのけた。

 「く……」

 蹴り飛ばされながら、押しきれなかったという事実にアイズの顔が苦悶に歪む。それでも体勢を整えながら、アイズは剣を構え直した。

 「ゴライアス戦でも使わなかった私の切り札(おくのて)……フィン相手になら不足無いよね!」

 アイズの体から魔力が迸り、それに呼応するように風が吹き荒れる。

 それを見ながら、受身を取っていたシオンは安堵の息を吐き出す。首の皮一枚とはいえ生き残った。そして、守ってくれたアイズへと小さな笑みを向けて、

 「ありがとう、アイズ」

 それが届いたかどうかはわからない。

 けれど、それを気にせずシオンはその手に握り締めた剣をフィンへと指し示す。

 「チッ、脇腹やられたら回復するしかねぇだろうが」

 ズキズキと痛む部分に手をやり顔をしかめながら、ベートは一本だけしかない高等回復薬を全部飲む。

 速度が命の彼にとって、この痛みは影響が大きすぎた。疲労を軽減させてくれる便利な道具をもう使うのは、後々後を引くかもしれない。だが、フィン相手に傷を抱え鈍い動きでどうにかなると楽観できるほど、ベートは愚かになれなかった。

 「俺も……馬鹿力、出すしかねぇよな」

 後先考えない全力の全力。それをせねば、きっと自分はアイズに追いつけない。ガス欠になればもう何もできないとわかっていたが、それを覚悟して、ベートは両足に力をこめ続けた。

 一方で解説係であるリヴェリアは、

 『き、聞いてない……私は聞いてないぞっ、あの子が魔法を使えるなど!?』

 ロキの服、胸元部分を締め上げて前後に揺らすリヴェリア。それ程までに彼女が動揺する姿など随分久しぶりで、懐かしく思いながらも、

 『そりゃうちも言ってないし? 知ってるのはうちと、アイズたんと、シオンくらいなもんやろうなー』

 なんて、煽るように言ってしまう。

 その態度が悪かったのだろう、リヴェリアの額から何かがプツンと切れ、そのまま怒鳴ろうとした瞬間だった。

 『落ち着けい、リヴェリア。団長であるフィンでさえ知らなかった……ならば、儂等にも伝えんのは当然じゃろうて。そもそも他人の【ステイタス】を探るのは御法度、その上主神であるロキが本人の許可無くホイホイ教える理由などありゃせんよ』

 『それは……そうだが』

 珍しいガレスの説法。それに頭を冷やされ、説き伏せられたリヴェリアの勢いが一気に弱まっていく。

 ふぅ、とガレスは息を吐いた。

 『シオンが知っとるのなら、恐らくあやつの方針じゃろう。アイズも言っておった切り札とやらを温存するためにな。知っている人間が増えれば増えるだけ、秘密というのは漏れ出ていくのだから、あの2人の方が正しい。口を挟むのは筋違いじゃよ』

 『だが、私は魔道士なんだ。あの子が魔法を覚えたのなら、きちんとした知識と経験を持たせてやりたいと思う事の何がいけない。魔法は便利なだけじゃない、一歩間違えれば自滅する様な物なのだぞ』

 『その点なら問題無いで? シオンがアイズの魔力値を伸ばすために、指導してる時に付きっ切りでやってたみたいやし。ま、大丈夫やろ』

 『それでも私は……』

 リヴェリアの想いもわからないでもない。

 本人は恥ずかしいのか何なのか否定しているが、まるで本当の母親が我が子を想うように愛情を注いでいる。だからきっと、自分にある物を渡せるだけ渡したいと願うのは当然なのだ。

 それに彼女は都市最強の魔道士。魔法に対する理解度は他の追随を許さず、それ故魔法の恐ろしさを誰より知っているからこその心配。

 そんな複雑な想いが絡み合って、先程ロキに激情をぶつけたのだろう。全て理解しているから、ロキは穏やかに笑っていた。

 ただし、一つ突っ込みたい事があった。

 『ところでこれ、マイクのスイッチ入ったままなんやけど』

 『……な、に?』

 理解できない言葉に、らしくもなくリヴェリアの体が硬直する。それから油の切れたロボットのように周囲を見渡した。

 「お母さんだな」

 「ああ、子供を心配するお母さんだ」

 「可愛いぞお母さん」

 ここぞとばかりにニヤニヤしながらからかう神達。完全にからかわれているとわかっていたが、リヴェリアの体は羞恥でどんどん熱くなっていく。

 『わ、忘れてくれ……お願いだ、頼むから先程の事は……!』

 『『『『『グハッ!?』』』』』

 がっくりと崩折れ、顔を真っ赤にしながら上目遣いでの懇願。ハイエルフ故の美貌と、普段理知的な彼女の弱った姿には、圧倒的な威力があった。

 「……あれでは【九魔姫】の名が廃るぞ。フィルヴィスはどう思――」

 「可愛い……可愛い、リヴェリア様」

 「――は?」

 椿は、横に居るのがさっきまで話していた少女だと信じたくなかった。頬を紅潮させ、ハァハァと息を荒げているフィルヴィスが、理解できない。

 「何を言っているのだ、フィルヴィスよ」

 「理解できないのか!? いつもは理知的なリヴェリア様の、斯様なお姿……。可憐すぎるだろう!!?」

 つまり、彼女はいわゆる『ギャップ』に萌え(やられ)たのだ。

 ドン引きしている椿に反して、周囲の幾人あるいは幾神が同意している。完全な置いてけぼりだった。

 「……来ようと決めたのは、早計だったのだろうか……」

 

 

 

 

 

 「全く、外野は好き勝手に言ってくれるよ……」

 脇腹の痛みを堪えながら、フィンは苦痛の滲んだ笑みを浮かべる。フィンの怪我など誰も気にしていない事に思うところはあるが、それ以上にリヴェリアに対する言葉に苛立ちを感じるところがあった。

 ――彼女だって、弱気になる時があるのに。

 それを知らずに勝手を押し付けてくる――押し付けすぎる者を怒鳴りたいところだが、今はそういう思考を割いている暇はない。

 何故なら、彼の眼前に風と獣が迫ってきているからだ。

 最低限、刀身と足に風を纏わせているアイズ。恐らく余計な魔力を使用しない事で、魔法を継続的に使えるようにするためだ。ベートは完全に無茶をしている。少しでもタイミングが狂えば転んでしまうような、そんな速度を出していた。

 Lv.4は流石に無い。だがLv.3相当の敏捷。

 ――速い……!

 純粋な速度で言えば、まだフィンの方が優っている。しかし二人を相手にして戦うとなれば、厳しいものがあった。

 アイズが剣を横薙ぎに振るう。剣速自体も上がっているのか、受け止めようにも即座の判断が必要になっていた。更には受け止めた瞬間、フィンの体に突風が吹き付けられる。それに押され、フィンの体が一瞬浮いた。

 合わせるようにベートが接近。フィンの心臓を狙って突きこまれた短剣、それを見て足を振り上げ、伸ばされたベートの腕に足裏をつけて、ジャンプ。そこを狙うように、どこからか投げナイフが飛んできた。

 下手な避け方はできない。アイズの風があれば、ほんの少し向きを変えられる。それがわかっていたから、フィンは持っている槍を目の前で回転させてナイフを弾いた。

 ナイフを弾いていると、ふっと頭上に影が刺した。

 「せぃ、やあああああああああああ!」

 大剣を振りかぶったティオナの姿。

 一体どうやって跳んだのか、なんてアホな疑問を浮かべている暇はない。現実として今そこにいる以上、重要なのはどうやって回避するべきなのか。

 だが、一つも思い浮かばない。

 フィンは空中でできる事がそう多くない。ここでできたのも、単純に受け止める事だけだった。

 「ハアアァァ!」

 ティオナの大剣と、フィンの槍が切り結ばれる。

 上から振り下ろされた大剣を空中で受け止めた結果、フィンの体は吹き飛び地面へ向かって叩き落とされる。その場所へ移動していたアイズが、己の剣を頭上へ掲げ、フィンが来るのを待っていた。

 首だけ動かしてアイズがいるのを確認したフィンが、槍を後ろへ突き出す。当然それを避けたアイズだが、その間にフィンは槍の石突きを地面へつけ、それを起点として体を回転させると、地面へ降り立った。

 まだ体勢は整えられていない、そんなバランスの悪い状況で、フィンはアイズへ向けて槍を薙いだ。

 いくら風の補助を受けていようと、アイズはLv.2に上がったばかり。しかも彼女は力の値が低いのもあって、剣で受ければ当然体が吹っ飛ばされる。

 追撃は、しかけられない。シオンがアイズを受け止めたのを見たのもあるが、それ以上に背後から強襲をしかけるベートがいたからだ。

 ふぅ、と一度息を吐いて呼吸を整え、背後を見ずにベートの手を掴み取る。そのまま下半身を捻って蹴りをベートの脇腹に叩き込む。ほぼ反射で腕を差し込んだみたいだが、代わりにその腕を持って行かれたらしい、痛みに呻いた。

 片腕を使えないならもう防御も難しいだろう、このまま押し切ろうとフィンが槍を持つ手に力をこめると、ベートが凄まじい眼光で睨みつけてきた。

 勝手に終わりと思ってんじゃねぇ、そう叫んでいる瞳を証明するように、ベートが手首の動きだけで短剣を投げてきた。それはフィンの腕に突き刺さり、その光景を見た後、ベートは顔面を殴られ、視界全てを失った。

 「ベート!」

 思い切り宙を飛ぶ彼に叫ぶシオン。抱き留めているアイズは未だに腕の痺れが取れていないようで、小さく震えていた。

 そんな状況で、ベートを殴り飛ばしたフィンがこちらを見る。

 「悪いアイズ、ちょっと余裕が無くなった!」

 その言葉と同時にアイズを抱きしめていた腕を解放し、駆け出す。どう考えてもフィンの狙いはアイズ。

 それがわかっていたから、

 「ティオネから精神回復薬を受け取ってこい!」

 もう限界に近いアイズに、そう指示を出した。

 『魔法を使えるのはティオネだけ』――それを周囲に思い込ませるために、速度特化のアイズとベートには重荷となるそれを持たせなかったのが裏目に出た。

 「ティオナ、おれと一緒に足止めに回れ!」

 とにかく今は時間稼ぎ。フィンに聞かれたって構わない、どちらにしろ、アイズがやられれば勝率はグッと下がるのだから。

 無言で頷くティオナが、シオンの前に出る。そして構えた大剣を盾のように広げ、自身とシオンの姿を覆い隠す。

 二人の姿が見えないとわかっていても、フィンは駆ける。時間稼ぎをと言った以上、留まっていてはおめおめと回復されるのを見過ごす事になるからだ。

 それが罠かもという思考は当然ある。だが、『その上で』潰せばいい。

 フィンの槍と、ティオナの大剣が衝突する。

 「う、ぐうぅぅ……!」

 剣の柄と腹に手を置いていたティオナが、その衝撃に歯を噛み締める。両腕にかかる負荷は相当な物で、知らず地面に突き刺していた大剣が、徐々に後退していた。

 このままではすぐに押し切られる、それがわかっていたから、シオンはティオナの横から飛び出し双剣を構えてフィンに迫る。

 フィンはシオンの姿を視界におさめると、まず両腕から力を抜いた。すると全身全霊をかけて受け止めていたティオナの体が前へ倒れ、崩れた体をフィンに晒す。その小さな体の胸元に右足で蹴りを入れると、カハッと空気が吐き出される音がした。

 その後を確認せず、フィンは更に体を捻る。右足を地面に、その代わりに上がった左足がシオンの体を捉えた。足にかかる負担から、相当な威力だったと推察できる。しばらく二人共動けないだろう。

 一瞬でやられた二人の姿に、近寄っている暇はないと判断したティオネが精神回復薬をアイズへと投げる。それを受け取ろうと腕を前に出したアイズは、既に目前まで迫っていたフィンを見て諦め、風を吹き出しつつ迎撃に移る。

 ガシャン、という儚く割れた音が遠くで聞こえた。

 それを合図として、フィンとアイズの武器が交わる。フィンは片腕があまり使えないからか若干動きがぎこちないため、意外にも二人は接戦していた。

 「ッ、ガハッ。……いったいなぁ、もう」

 ほとんど空元気に近い様子でそうとぼけるティオナ。ズキズキと痛むのは、はたして骨か肉か内蔵なのか。ほとんどわからないが、ティオナは取り出した高等回復薬を飲み込む。

 「――ッ!??」

 喉を通った高等回復薬が食道を伝っていく途中、途方もない痛みに吐きそうになった。それを必死に耐えて、涙目になりながら体を回復させる。治った後も数秒幻痛に体を震わせていたが、それ以上のタイムロスはできないと、動くなと叫ぶ脳を意思の力で捩じ伏せて立ち上がった。

 そんなティオナの視界に飛び込んできたのは、力なく空を吹き飛ぶ、アイズの姿だった。

 たった十数秒。それだけの時間で押し負けたという事実に、ティオナの瞳が大きく揺らいでしまう。

 「呆けてる暇なんてないわよ、ティオナ!」

 アイズのフォローとして湾短刀を手に、今日初めて接近戦をしていたティオネが、不甲斐ない妹に叫ぶ。フィンは既に残心から戻っている、余計な動揺をしている暇なんて、ありはしない。

 「確かに、そんな暇はないな」

 いっつぅ……と口の中だけで呟きながら、シオンが姉妹に近づく。その懐からは粉々になった短剣がこぼれ落ちていた。

 『念のため』程度に、人体の急所である心臓付近に短剣を仕込んでおいたのが功を奏したのか、何とか骨折とかはせずに済んだのだ。……その代わりに、凄まじい鈍痛が響いていたが。

 「本当はこんな分の悪い賭けをしたくなかったんだけど……そんな余裕も無くなった。悪いが二人共、フィンを二人がかりで相手にして時間を稼いでくれ」

 『指揮高揚』を発動させつつ二人に命じる。命令内容が書き変わったからか、若干の熱を放っていた『神の恩恵』が、更なる熱を宿していく。

 「で、ベート。さっさと起きてアイズと一緒に下がってくれないか? 正直巻き込むと気分が悪くなるんだが」

 「……っる、せぇ。こっちも脳震盪で、気持ちわりぃんだよ」

 そう、小さな声でシオンを罵倒しながら、それでも必死に体を起こすと、意識が完全に無いのか体を投げ出したアイズの体に手を回し、肩を貸しながら下がっていく。

 「体力が回復したら、戻ってこい」

 その背に、シオンは言った。

 戻ってくるのを信じて待っている、と。

 「……ハッ。期待すんなよ」

 そんな捨て台詞ではあったが――きっと彼は、戻ってきてくれる。

 その背が見えなくなると、シオンは静かにフィンへと視線を流した。

 「作戦は組み立てられたのかい?」

 腕から流れる血を、服を引き裂いて作った布で縛り付けたフィンが聞く。

 「なんで、待っててくれたんだ?」

 「短剣を抜いていたのと……ここでシオン達を狙うと、ブーイングが凄そうだったからかな」

 フィンが周囲に視線を巡らせると、ここがクライマックスだとわかっているのか、期待のこもった目が数多く見つかる。

 「期待、してるんだよ。君達がここから何を、どうするのか」

 状況は絶望的。五人でも押しきれなかったフィンに、分の悪い賭けだとしても勝てる算段があるというシオン。

 実際シオンは、すぐに負けるという皆の予想を覆し、食らいついてきた。もちろんそれは全員の協力あってのものだが、それをなした中心人物は誰だと問われれば、一人しかいない。

 「僕だってそうだ。まるでビックリ箱を見ているみたいで、不謹慎だがワクワクしているくらいだからね」

 「ああ、そうかい。なら――その期待に、応えるしか無いだろうがクソったれ!」

 吐き捨てるように言いながら、シオンは集中する。大きく息を吸って、吐き出して。口内に唾を溜めて噛まないように気をつける。

 そして、

 「【この身は愚かしく矮小なれど、それでも我が身を捧げ乞い願おう】」

 詠唱を――開始した。

 「シオンも魔法を!?」

 アイズに続いて、シオンまで。次から次へと予想外の事態が巻き起こされる。全く予期していなかった事に、フィンは一節が完成されるまで呆けてしまった。

 「『ロキ、お前は一体どれだけ隠し事をすれば気が済むんだ……?』」

 「『アッハッハ……うちを責めるのはお門違いって、さっき結論出したよな?』」

 怒りに打ち震えるリヴェリアに、ロキはおどけて――内心恐怖に身を震わせていたが――そう答える。

 幸いリヴェリアも先の結論を覚えていたのか、それ以上言葉を重ねることは無かったが、代わりに別の事を聞いた。

 「『それで、シオンの使う魔法は一体何なんだ?』」

 「『悪いけどそれは言えへんわ。シオンがやってるアレが策の一つである以上、下手にうちが答えるとフィンがわかってまうかもしれん。それはゲームの公正さを欠く事になるからな』」

 「『つまり、黙って見てろ、という事じゃな』」

 「【弱く、脆く、ただ潰されるだけの者。強く、輝き、皆の上に立つ者】」

 「それ以上は、させられないっ!」

 少しずつ――本当に少しずつ、シオンの体から感じられる魔力が増えていた。しかもこの感覚だと、恐らくリヴェリアにも劣らぬ大魔法を唱えている。だからこそシオンも、アイズとベートを巻き込まないように後ろへ下げたのだろう。

 このまま放っておけばかなりマズい、そう判断したフィンが足を前へ出すと、それを封じるようにティオナが前へ出る。

 ――その手に、()()()()()()を持って。

 「何としてでも」

 拙い動きで、慣れていないと一目でわかる振り方で、フィンに短剣を振るうティオナ。

 一撃の重さを捨てて、手数を増やすために、彼女はそれを選んだ。

 「シオンのために、時間を!」

 逆手と順手、それぞれの持ち方でフィンを狙う。まず順手の剣を、順当に上段から振り落とす。同時に逆手の剣を下段から振り上げ、上下から切り結ぶ。

 横に避けようとしたフィンだが、真横を二本の投げナイフが通っていく。

 「すみません団長。もう回収しようなんて考えは捨てます!」

 残りは両手で数えられる程度しかない。だからこそ、ここぞという場面のために取っておいた投げナイフ。それを全て使うと決めて、ティオネはティオナをフォローする。

 「【強き賢者に憧れし愚者。果てを見れぬその小さき身で、愚者は願う】」

 シオンの詠唱は進んでいく。それに合わせるように、ティオネまでもが魔法を発動させるために詠唱を開始した。

 「【束縛の鎖よ】!」

 前衛一人に対し、中衛と後衛が魔法を唱えようとするなど正気ではない。だが、ここで一つの奇跡が起きた。

 ティオネが、()()()()()()()()()()()()

 「『並行詠唱』……ここでか!?」

 かつてない程の集中力。

 無茶をしがちなリーダーのため、ティオネはできなかったはずのそれをなす。並行詠唱とは、右手と左手で違う作業をするようなもの。それでも『攻撃』と『詠唱』までなら、やる。やってみせる。

 それ以上は絶対にできない。ここに『防御』と『回避』を増やされたら、今のティオネではパンクしてしまう。

 だからティオネは、

 ――ティオナ、前はあんたに全部任せる!

 ただ一途に、妹を信じた。

 姉の想いを一心に受けた妹は、捨て身に近い状態を維持しながらフィンに接近する。

 「槍は、近ければ!」

 当たらない、と言いたいが、熟練の槍使いであるフィンにそんな幻想は通じない。だがしかし、大きく振りかぶる事は封じられる。

 それでいい。

 「っ……!」

 細かく振られた槍が体の各所に当たるけれど、全部無視すればいい。

 「舐めないでよ、フィン・ディムナ!」

 叫ぶ。

 「私は前衛攻役(アタッカー)だけど――前衛壁役(タンク)だってできるんだッ!」

 ティオナは、いつだって前で戦い続けた。その体に受けた傷は数知れず、応じて伸びていった耐久値は、純粋な壁役にも劣らない。

 「私が背負ってる物を、狙わせたりなんてしない!」

 故に彼女は、絶対に折れない。

 「【守りたい、と。分不相応な願いを、届かぬそれを我が身に抱こう】」

 だって後ろに立っているのは、大好きな姉と、恋する人がいるのだから。

 「ここに、来て……!」

 拙い技術をフォローするティオネあっての行動。だが、何度槍で打たれようと、突かれようとも勢いを落とさずに近付いてくるせいで、下がっても意味が無い。

 何より下がりすぎればシオンのところに行くまで時間がかかる。

 ――ベートとアイズがいたから、気づくのが遅れたけど。

 ティオナだって、このパーティを形作る一人なのだ。

 「【微かな火種に薪を焼べて、幾度風に吹かれようとも守り続け】」

 それでも遂にフィンの石突きでの一撃が、ティオナの足へと当たり、彼女の動きがピタリと止まる。その一瞬を逃さず、フィンは槍を巧みに動かすと、小さな動きでティオナの脇に槍を通し、彼女の体を思い切り崩した。

 トドメの一撃を放つ時間は、無い。

 「【リスト・イオルム】!」

 だがタイミング悪く――シオン達にとっては良く――ティオネの魔法が完成される。

 「【届かぬ現実に泣いた日々。無駄だと笑われ足掻き続けた全てを、今ここに】」

 放たれた魔法は鎖となり、フィンを追い詰めようと、追跡してくる。一本目を当たる寸前で横に避け、二本目を槍で破壊する。

 三本目はフィンの動きを制限しようと大きく迂回していき、四本目はひたすら真っ直ぐに近づいてきた。

 真っ直ぐ近づいてきたものは上体を倒して回避。迂回してきたものは全速を出せば当たらないからと無視。

 だが、そこで。

 「まだまだ甘いです、団長」

 フィンの四肢が、何故か拘束された。

 「これは……!?」

 目を落とすと、他の三本より遥かに小さく弱々しい、細い鎖。その鎖は大きく迂回した三本目が『分裂』した物だった。

 「私の魔法は、こんな事だってできるんですよ!」

 これで、ティオナとティオネの持ち札(カード)は全て切ってしまった。

 だけど間に合った。

 「【愚者の想いを束ね、我が身と共に全てを放とう】」

 詠唱七節。

 圧倒的とも言える詠唱文の長さは、それを証明するようにシオンの体から莫大な魔力を放出させていた。

 「ク……ッ!」

 そして、シオンがフィンに向かって走り出す。

 驚きはしたが、この程度の束縛ならばすぐにでも壊せる。実際数秒とかからずに四肢全ての拘束を破壊した。

 だが、その数秒でシオンはフィンのすぐ目の前にいた。

 ――ここなら、外さない。

 前に突き出された手が、フィンの瞳を捉えて離さない。

 「【――――――――――】」

 そして。

 シオンが、最後の一文を唱えようと、口を開いた。




すいません終わると思ってたんですけど全然終わる感じがしませんでした。結局上中下の三話構成になりそう……。
キリがいいからここで終わらせましたけど、戦いはまだまだ続きます。

ぁ、それから総合評価4000PT超えました! 応援ありがとうございます!
……単にベート人気に助けられただけだろってのが大きすぎて純粋に喜べない複雑な気持ちを今抱えていまゲフンゲフン。

とりあえず解説解説!

アイズの風について
『いつから覚えていたのか』と問われると『最初から』です。原作でいつ覚えたのかは知りませんが、拙作ではシオンの中にいる風の精霊に共鳴したからって設定。
ちなみに今回の話でアイズが『ゴライアス戦でも使わなかった』云々のセリフですが、実はあの時にアイズがシオンに向かって『使う?』って聞いてます。加えて「拒む者・求める者」においてもシオンがアイズに『使うかもしれない』的な事を言っていましたが、全部このためです。
アイズが魔法を使える伏線貼りたい、でも直接的すぎるとバレる、と考えてこんなわかりにくい感じになってしまい申し訳ない。この辺りは私の実力不足ですね。

リヴェリアの痴態
やりたかったからやった。彼女はその被害者。
フィルヴィスも被害者だけどね! 原作読んでる方からするとキャラ崩壊も甚だしい気がしてならない。後悔はしてないが。
ちなみに彼女の心情をわかりやすく表すと、
『憧れのアイドルを見に行ったら偶然その子がドジをしてる姿を発見。普段クールな印象を売りにしてる彼女の羞恥に染まった顔のあまりの可憐さにギャップ萌えしてしまった』
です。
長い上にくどい。でもこうとしか言えない。

シオンの詠唱文の内容
ぶっちゃけるとシオン自身を表してます。おかしいなーってところがあったらどうか教えてくださいお願いします。
厨二センスにはこれっぽっちも自身がない。
現在進行形で黒歴史作ってるような物なんですけども。

他は本編でも触れてるし、下手に言い過ぎるとネタバレしそうなんで今回の解説はここまでで。





次回こそ終わらせるから……うん。


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未来への可能性

 避けられない、とフィンは即座に悟った。現状自分の持っている手札では、この魔法を封じる術もない。だからフィンは、槍を防御の構えにすることしかできなかった。

 フィンの目が、痛みに耐える覚悟を決める。

 もしかしたら無駄かもしれない。

 もしかしたらこの攻撃で、フィンという人間が消えるかもしれない。

 それをも想定していながら、彼の中に諦めるという選択肢は存在していなかった。

 ――必ず、耐える。

 そして、

 ――耐えて、彼等に打ち勝つ!

 ギッとフィンが歯を噛み締めた、その瞬間。

 長らく待たせたと言わんばかりに、シオンが言った。

 

 

 

 

 

 「【そんな魔法、あるわけないだろ(なーんちゃって)】」

 

 

 

 

 

 ンベ、と。

 思い切り舌を出して、引っかかった事を笑うように、そんな動作をシオンはする。それに戸惑ったのは、覚悟を決めていたフィンだ。

 この時この瞬間、完全に彼の動きが止まる。

 しかし剣での追撃は絶対にしない。したらフィンの体は危険を感じて勝手に迎撃行動に移ってしまう。

 シオンの手が閃き、伸ばしていた腕とは反対のそれが懐の中に伸ばされる。そこから取り出されたのは、五本の高等精神回復薬。

 ――一体何故そんなものを?

 誰が浮かべた疑問、真っ先にその問いに気付いたのはフィンだった。

 ――シオンから発していた魔力は、これが原因か……!?

 恐ろしい程の魔力の渦。その中心点がアレから感じられた。シオンから感じたように錯覚してしまったのは、懐にあったせいで誤認したからだ。

 何がどうなっているのかと誰も彼もが唖然としている中で、唯一『全てを知っていた』ロキが小さく呟く。

 『ホント、見事にぜーんいん騙されよったな』

 それが皆の耳に届くかどうかという段階に至り、シオンの手が動き出す。

 即ち、上から下へ。

 高等精神回復薬を、地面へと叩き付ける。

 起こったのは爆発だ。それも、この都市にいる者としては比較的常識的な現象であり、中には実際に体験した者、見た者さえいるほど容易に起こること。

 魔力爆発(イグニス・ファトゥス)

 純然たる破壊の暴力の渦中へと、フィン、そしてシオンが消えていった。

 『な、何が……起こったというんだ?』

 瞬く間の出来事だったせいか、リヴェリアさえ理解が及ばぬ現象に声が震える。ガレスは端から理解することを放棄しているようで、静かに瞑目し、説明してくれる誰かの声を待っていた。

 そう、誰か。

 全員の視線は自ずとロキに集まっていく。

 『うちもよくは知らんで』

 この問答からは逃げられない。そう悟ったロキは、素直に白状した。

 『うちがわかっとるのは――()()()()()()()()()()()()()()って事実だけや』

 アイズが魔法を覚えていたのなら、シオンだって。

 そう安直に考えていたなら大間違いだ。彼は未だに一個のスキルを覚えているのみ。しかも自分には影響を与えないそれだけで、ここまで来たのだ。

 『だが、ロキは確か』

 『うちは策の一つとは言ったけど、魔法が使えるとは言ってない。皆が勝手にそう思い込んだだけや』

 とはいえ、シオンがそう思うように誘導していたのも事実。

 知っていたのは恐らくシオンだけ。あるいはアイズも知っていた可能性はあるが、彼に聞かない限りは謎のままだ。

 『シオンに、才能は無い』

 あくまであの五人の中でという括りではあるが。

 『どれもこなせるけど、どれも無難にしかこなせない。それが嫌で、中途半端な自分を受け入れた上で、全部押し上げた』

 シオンの才能は戦闘よりも指揮、頭を使う方に向けられている。他は二流止まり。それをシオンは、フィン達からの指導を受けて、意志の力であったはずの壁をぶち壊して先を目指した。

 『鋼よりも固い、やり遂げようとする意志。それがシオンの持つ一番の武器』

 だからこそ。

 『これで終わりやない。まだ、先がある……!』

 ロキがそう言う一方で、爆発直後、プレシスはある事実に気づき、親友である彼女、ユリの横顔を見ていた。

 ユリも、ロキと同じくそれが当然であるかのように泰然としている。それが尚更、プレシスに確信を与えていた。

 「あの精神回復薬を彼に渡したのは、ユリ、あなたですね?」

 「うん、そだよー。これが始まる前に渡しておいたんだ。いやー、まさかこんな使い方をするなんて私でも予想外予想外」

 一見楽しそうに笑っているユリだが、その眼は全く笑っていない。冷静に、今回起きた出来事に『気づいた』者がいないかと周囲を見渡していた。

 「ユリ」

 「ゴメン、それ以上は言わないで」

 プレイスは、気づいている。

 ユリが精神回復薬から魔力を取り出す方法を見つけたのを。そして、それを誰かに知られるのを恐れているのを。

 「……では一つだけ」

 「ん?」

 「アレは簡単に作れる物、なのですか?」

 シオンがやったアレは、厳密的には人が魔法を使おうとして制御を誤ったのと何一つ変わりがない。二人が恐れているのは、アレが『簡単に起こせてしまう』事だった。

 例えばの話をしよう。

 一見それは便利な道具で、誰にでも知られていて、だからこそ警戒されない。だが一定の手順を踏めばそれが盛大な威力を発揮する爆弾になるとすれば。

 とても恐ろしい事になる。商品として運ばれた大量の道具が全て爆薬の可能性があり、もしそれを街中で使われれば途方もない被害を生むだろう。

 「簡単には、作れない、かな」

 だから、その言葉に安堵を覚えた。精神回復薬は魔導士にとって必須の道具。それに警戒を必要とするなど考えたくもないだろう。

 でも、とユリは言わずにおいた言葉を内心思った。

 ――生産ラインさえ整えれば……。

 その想像を頭から振り払い、虚勢を張っていつも通りに対応する。

 「本当は一度でも見せたくなかったんだけどさ。でも、シオンから『どうしても今回だけは』って頼まれちゃって……甘いよねぇ」

 便利な発明品だと思っていた。生活を豊かにできると思っていた。でも蓋を開ければそれは戦争の火種になりそうな代物で。

 「ホント、開発者って辛いよ」

 せめて細工されている事を感知できる道具が作れるまではお蔵入り。だからこの現象は、今回ポッキリになるだろう。

 「見せて、シオン。君がしようとしていた事を」

 ユリが開発した等とは露知らず、フィンは爆発による火傷と、衝撃による鈍痛によって意識が飛びそうになりのを耐えなければならなかった。

 ――油断、した、か?

 少し安易に考えすぎていたかもしれない。何時だってシオンは突飛も無い事をやらかしてフィン達を驚かせていたのを、忘れていたのかもしれない。

 「ぐっ……」

 幸い精神回復薬を入れていた瓶は、砕けて飛び散る前に爆発に耐え切れなくなって消滅したらしい。だから、破片が体に突き刺さることはなかった。

 だが、もしもアレをフィンの体に直接叩き付けられていれば。

 フィンは、生きていなかっただろう。

 本当に殺したらマズいとシオンが理解していたから、ある程度距離と投げる時間に間隔を置いてくれた。それが無ければどうなっていたか。

 ――だけど、勝つのならそうしなければいけなかったんだ。

 かなりボロボロのフィンであるが、体を動かすのに支障はない。まだまだ十分戦っていられる。

 ――それとも、それがわかった上で僕に勝つのか?

 「……ふぅ」

 ごちゃごちゃ考えていては、勝てるものも勝てなくなる。そう判断して、フィンは一度思考を止めた。土煙が体に纏わりつき、息をする度に気分が悪くなっても、意識を高めていき続ける。

 そして、来た。

 煙を突き破るのではなく、あくまで纏い、景色に紛れるように接近する白銀を。

 「チッ!」

 「ハァ!」

 バレていた。

 それがわかったからか、反射的に舌打ちするシオンにフィンは槍を薙ぐ。フィンに気づかれないよう体を低くしていたシオンは、振り落とされるそれを剣を横に倒して防ぐ。轟音と共に両腕に襲い掛かる衝撃に歯を噛み締めて耐えた。

 「舌打ちは、ベートから移ったのかい?」

 「多分な!」

 ギャリギャリと目の前で火花が散り続ける。もしこれが不壊属性付の武器でなければ、ポッキリ逝ってしまってもおかしくはなかった。だが、安堵はできない。上から押しこむフィンと、下から押さえるシオンではかかる負担は段違い。加えて力の値に大きく劣るシオンがこの体勢を維持し続ければ、いずれは。

 「これからどうする? 僕の期待を裏切らないでくれ」

 まだ終わりじゃないはずだ。

 そう言外に告げるフィンに、シオンは顔をしかめて返答した。ティオネとティオナは疲労からまだ動けない。ベートとアイズは一度離れた。

 普通に考えれば、詰んでいる。

 だがフィンは、普通に考えなかった。

 ――何故シオンは逃げない?

 シオンは結構合理的だ。必要とあればその判断を捨てて感情論を選んだりもするが、この状況で逃げない理由は無いはず。

 ――逃げない、ではなく、逃げる必要がない?

 誰かの助けでも期待しているのか。だがこの土煙で、正確に二人の位置を把握して攻撃できる方法を持つ者などいたか。

 ――いや、待て。

 逆に考えてみよう。

 ――シオンが、逃げないんじゃない。

 ならばその答えは。

 ――僕が、逃げないようにしているんじゃないか?

 ゾクリ、とフィンの背筋が粟立った。

 そう考えれば辻褄が合う。そこから一気に、今までのシオンの行動、その全てに対する答えが出てきた。

 「そうか、君は……!」

 言いながら、フィンは空を見る。

 そして、降ってきた。

 彼を切り裂く、風の刃がっ!

 

 

 

 

 

 少しだけ時間は遡る。

 それはシオンが見せかけの詠唱を唱える前の幕間の出来事。

 「……さっさと起きたらどうだ」

 戦闘の渦中から離れ、それを見ている神と人からも離れた二人がいたのは、ホームの中だった。

 そんなところでベートが話しかけた相手は、もちろん一人しかいない。

 今の今まで気絶したかのようにピクリとも動かなかった少女の体が揺れる。

 「……誰も、見てない?」

 「ああ。それに、誰も気づいちゃいねぇ。シオンの作戦は今のところ順調だ」

 囁くような声に返すと、アイズはベートから離れ、己の足で地面を歩き始めた。その歩みにおかしなところはなく、しっかりとした足取り。

 「ったく、どうやってフィンにバレない寝たフリができたんだ?」

 「シオンに勝つために、覚えただけ」

 話す間にも二人は階段を駆け上がり、そして屋根の上へと辿り着く。何時になく吹き荒れた風に目を細め、眼下を見下ろした。

 「……うまくいってる、みたい」

 「当たり前だ。アイツは絶対にやると言ってのけた。なら、やり遂げるだろうよ」

 愚問だと切り捨てるベートに、アイズは笑みをこぼした。

 そう、アイズだって信じていた。自分達の信じるリーダーは、絶対に勝とうとするためにやってくれるって。

 「次は、私の番」

 「わりぃな。俺はまだ、頭が痛いんだ」

 「大丈夫。これで、終わらせるから」

 先程からアイズの言葉は少ない。ベートにはそれが、魔力と集中力を高めるためだと気づいていた。だから余計な思考に及ばないよう、自分も言葉を選んでいた。

 ガリッと、アイズが口の中に含んでいた丸薬を飲み込む。

 それはもうずっと前にシオンが提案した、改良型の丸薬。中身は当然、高等精神回復薬だった。更には高等回復薬まで飲み込み体を癒した。

 アイズの体にあった疲労が消え去り、心は平静になっていく。

 静かに、静かに、ただ静かに。

 大きな波を起こさないようにして、フィンに、そしてその他の誰にもバレないよう、彼女は魔力を集め続ける。

 そして、時は来た。

 「【目覚めよ(テンペスト)】」

 爆発に飲まれ、土煙に飲まれた二人の姿。

 だが、アイズには見える。

 「【エアリアル】」

 シオンが今、どこにいるのか。何をしているのかが、わかる。

 彼が、アイズの助けを求めている事も。

 風が彼女の体を一度撫で付け、それから刀身へと集っていく。その圧力は、やがて見ているベートが屋根の上にしがみつく必要があるほどのものへとなっていた。

 準備が万全になったあと、アイズはふと、ロキの言葉を思い出す。

 『名前を叫べば、技の威力は上がるんや!』

 胡散臭い、とは思った。

 だけどシオンは、

 『魔力が自分の想いによって威力が上下するのなら、技名を言って想いの行先を明確にするのは無駄じゃないと思うよ』

 そう、言っていたから。

 「リル」

 だからアイズは、それを信じながら飛び降りる。

 「ラファーガッ!!」

 己が身を、風の刃に変えて。

 

 

 

 

 

 風が土煙を吹き飛ばし、隠されていた二人の姿をあらわにする。だが、その片割れであるフィンは焦っていた。逃げなければならない、と。

 しかしシオンは絶対に逃がさないと、無理矢理鍔迫り合いを続行する。それをやめて後ろに下がろうとも考えたが、背後から来る視線に、その考えを中断された。

 ――ティオネ、君は……っ。

 多分、下がればその瞬間一本か二本だけ回収した投げナイフが飛んでくる。目の前に逃がさないと言わんばかりの眼光で睨み付けてくるシオンがいる以上、ナイフに対処しながらシオンから逃げるのは、無理だ。

 だからフィンは、待った。

 大気を切り裂き、舞った木の葉を微塵にしながら落ちてくる、風の刃を。

 一。

 まず、息を整えて。

 二。

 次いで腕がすぐにでも動くようにしておく。

 三。

 「まだ、終わらせないっ!」

 グッとフィンが片腕だけ力を抜く。力の均衡が崩れ、シオンの体が一気に右側へと流れていく。これで鍔迫り合いは解除した。だが、フィンの動きは止まらない。シオンが右側へと流れていった時にフィンを押した力を逃さずその場で回転。

 そして、目前に迫った風を受け止めた。

 「ッ……重い、な……!」

 視界の端でシオンが風に煽られ吹き飛ばされるのが見える。ティオネも、風のせいでナイフが届かないとわかったのだろう、悔しそうにしていた。

 ――危ない、賭けだった。

 そのままでいれば風に斬られて負ける。だから、ギリギリでシオンを吹き飛ばして、迫る風の影響を利用してティオネのナイフからも逃げた。

 後は、

 「これに、持ちこたえれば……!」

 先程フィンがシオンにやった事と同じ事を返された。因果応報かな、と内心冗談めかしながらも彼の顔に余裕は無い。

 重い。

 ただそれに尽きる。

 アイズは本当に、全てを背負ってこの一撃を放っている。これが通じなければ負けると、心のどこかで理解しているのだ。

 だから全力。

 後先なんて考えない。故にこの一撃は、フィンにとって余裕など見せる暇がない威力を伴っていた。

 フィンが堪えるその一方で、攻撃しているアイズも全く余裕が無かった。

 ――かた、すぎる……!

 貫けない。

 限界を超える勢いで貫こうとしているのに、フィンはその槍で耐え続けている。これではいずれ魔力の尽きたアイズが押し負けてしまうだろう。

 「簡単には使わないって決めたばかりなのに……意志薄弱で、ごめん」

 それがシオンにもわかった。

 だからこそ彼は、弱い自分に苛立ちながら、頼んだ。

 「力を貸してくれないか。――アリアナ」

 『全くもう、仕方ないなぁ。バレても私は知らないからね?』

 今ここには、大勢の神がいる。その中の誰かが、シオンの中に精霊という存在が同居していると気づくかもしれない。

 「構わない。このまま見ているだけしかできないよりも、ずっとマシだ」

 『はいはい。代償は、できる限り魔力だけで済むようにしてね』

 彼が彼女と交わした契約は、自分のために、ではない。そこから反する行動をすれば代償を持ってかれるのは当然の義務。

 「それでも力を貸してくれるんだから、本当、甘いよな」

 『……今のシオンは、嫌いじゃないからね』

 そうしてシオンは、誰にも気づかれずに風を纏いだす。

 「う、ぐぅ……もうちょっと、なのに……!」

 苦渋に歪んだ顔を気にする暇もなく、アイズはただ、その身に纏う風全てを剣へと捧げている。なのに届かない。

 フィン・ディムナは、強すぎる。

 アイズ一人では、ダメなのだ。

 「力が……足り、ない……っ!!」

 それに答える者は、いないと思っていたのに。

 「だったら」

 だけど、今この場にアイズの言葉を見逃さない者が、たった一人だけいた。

 「足りなければ――」

 シオンが、駆け出す。中心である二人を大きく迂回し、アイズの後方から一気にジャンプし接近する。台風のような暴風を生み出しているアイズに近づく事など本来ならできないはずなのに、何故か風は弱まり、受け入れるようにシオンが近づくのを許した。

 あらかじめわかっていたかのようにシオンの体が動く。

 「足せば、いい!」

 即ち、飛び蹴り。

 その蹴りがアイズの剣の柄頭に打ち込まれる。瞬間、蹴りの勢いとシオンの風が刀身へと乗り移り、フィンの腕にかかる負担が倍増していった。

 「……ッ!?」

 ガクンッと一気にフィンの腕が押され始める。それでもフィンは耐えれた、はずだったのに。

 何かが破裂するような音が、フィンの腕から聞こえた。

 それは血流に耐え切れなくなった血管から生じた音。ベートがつけた、傷痕だ。ここに来て牙を研いでいた狼が、襲いかかってきたのだ。

 両腕で支えきっていたはずの槍が、真上へと跳ね上がっていく。

 ――あ……。

 剣が迫る。

 終を告げる金と銀が。

 誰もが目を見張る中、剣がフィンを串かんとし、決着が着いた。

 

 

 

 

 

 ――甘いよ。

 

 

 

 

 

 ()()()()()()

 「【魔槍よ、血を捧げし我が額を穿て】」

 それは超短文詠唱。

 パニックに陥るような状況で、彼は冷静に己のできる事を、やってのけた。呪文が形を成し魔力を生み、それがフィンの左手から槍へ、その穂先がフィンの額に触れた瞬間、魔力光が一気に彼の体の中へと取り込まれる。

 「【ヘル・フィガネス】」

 フィンの瞳が、血に染まった。

 「あああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 涎を撒き散らす事さえ厭わないような大声と共に、フィンは槍を、まるで鉄棒のように扱って体を空中へと飛び上がらせた。

 え、と声を漏らしたのは誰だっただろう。

 まさか、固定されていない槍を鉄棒の如く利用し回避するなど、誰が予想できただろう。

 シオンとアイズの視界から、フィンが消えた。

 「ッ……、アイズッ!」

 「キャッ!?」

 その後すぐにシオンはアイズの体を横へ突き飛ばす。風の加護によって勢いは弱まり怪我という怪我は無かったが、視界が一気に回転して酔いかけた。揺れる頭を押さえながら彼女が見たのは、

 「……ァ、ッ……!!?」

 ゴキゴキゴキゴキッ! という異音を脇腹から響かせ、槍によって吹き飛ばされるシオンの姿だった。

 フィンが行ったのは簡単だ。槍が手元に引き寄せられる前に自分の体を引き上げた。どう考えてもおかしいが、実際やったのだからそれをおかしいと言っても意味はない。

 それから彼は体を引き上げた勢いのままに回転し、狂戦士が如く本能のままに槍を振るってシオンの脇腹に棒部分を強打させたのだ。

 フィンの【ステイタス】はLv.4相当に抑えている。

 だが彼が使った凶猛の魔槍(ヘル・フィガネス)は、戦闘意欲、好戦欲を強制的に引き出し、術者の能力を大幅に引き上げるもの。

 例え一時理性を失うのが代償なのだとしても、それを支払うだけの価値を持ったその魔法はフィンの力の値を伸ばしに伸ばした。もしあのまま『本当に』槍がシオンにぶち当たっていたら、シオンの体は上と下が泣き分かれていただろう。

 しかし現実として、シオンは生きている。

 吹き飛ばされてはいたが、確かに上半身と下半身が繋がっていた。

 ――剣を挟むのが、遅れていたら……ッ。

 腕を折り曲げて剣を差し込み、更に足裏で剣先を押さえて受け止めたから、衝撃が分散してくれた。代わりに腕にかかった負荷と、それでもなお通ってきた衝撃が脇腹を襲ってきたが……命を支払うよりは、マシだった。

 とはいえこのまま吹き飛べば観客である神達のところへ突っ込むハメになる。

 「全くもう、プレシス手伝って!」

 「一応私達は客のはずなんですけどね……」

 それを救ったのは、二人の少女。

 ユリが前に出て両手を重ね、その後ろで支えるようにプレシスが肩と背に手を置く。吹き飛ばされながらそれを察したシオンが、片足をユリの重ねられた手に向けた。

 シオンの足がユリの手に沈むと、二人の少女、特にユリは衝撃に対する痛みで顔をしかめ、プレシスはそんな彼女が吹き飛ばないようにと支え続けた。やがてシオンの体が足をその場に残して前に傾き出すと、ユリは思い切り重ねた両手を上に跳ね上げる。

 フィンによって吹き飛ばされ、ユリによって上空へと跳んだシオンは体を回転させてアイズ達を見る。そこには呆然としているアイズと、その彼女にトドメを刺さんと、未だ両目を赤く光らせたフィンの姿。

 「させ、るかあああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 間に合わない。

 そうわかっていても、シオンは手に持つ剣を、フィンに向かって投げずにはいられなかった。

 アイズが呆然としていたのは、単にシオンが吹き飛んだからではない。それもあるかもしれないが、一番の原因は魔力不足。

 精神疲弊(マインドダウン)

 突如襲いかかってきた酩酊感によって、アイズは自分の体が自分の物でなくなる感覚を覚えていた。だから彼女は、フィンが理性を失った中でも感じていた脅威、それを排除しようと槍を振りかぶっていたのに気づくのが遅れたのだ。

 「クソッ、今日は貧乏クジばっか引かせやがって」

 それ故に、その危機に間に合うのはパーティ一の足を持つベート。ティオナに双剣を渡したせいで武器の無い彼は、代わりにとばかりにクソ重たい大剣を持っていた。その大剣を一度限りの防御に使うために、フィンの槍の先へと置いてくる。

 それによって槍の行き先が変わったのを確認すると、ベートはまだ痛みを訴える頭を気力で捩じ伏せながら、アイズを引っ張ってそこから立ち去る。それを追いかけようとしたフィンは、上空から飛来した剣に気づいて動きを止めさせられた。

 凄まじい勢いの乗ったその剣を容易く弾き、そこでやっと、フィンの両目から紅が消え去った。

 「ふぅ」

 クルクルと弾かれた剣が飛んでいき、まるで必然のようにシオンの手元へ戻る。シオンが剣を構えると、最初の焼き直しのように、五人と一人は対峙した。

 最初と違うとすれば――各人の傷つき具合、くらいだろうか。

 更に言えば、勝率という点も。

 理性を取り戻し、いつもの碧眼に戻ったフィンは、どうしてか穏やかに尋ねてくる。

 「シオン、まだ策はあるのかい?」

 普通、それを聞かれて答える人間などいはしない。だがシオンは瞑目し、俯き、震えそうな声でもって答えた。

 「もう、一つもありはしない」

 シオンは、嘘を言わない。

 だからこれは、真実だった。それを証明するように、他の四人の顔も強張っている。ここから先は本当に策も何も無い、完全な即興(アドリブ)だ。

 絶望的、としか言えない。

 なのにシオン達の顔には、誰一人として諦めの色が無かった。

 「もうこれ以上無駄に考える必要はない。無責任だけどおれから言えるのは、たった一つだけ。――最後まで、諦めるな。フィンに勝つぞ」

 それに応えるように、強張っていた顔が緩み、取って代わって戦意が宿り始める。シオンの言葉を、完全に信じていた。

 フィンの顔が、笑みを形作る。

 「君は、彼等の信頼を重いと感じるか?」

 「重いさ。当然だろ、四人の命と期待を背負うんだ。重くない訳ない」

 「投げ出そうとは?」

 「しないよ。確かにおれはリーダーで、指示を出してる。それは事実だ。間違えたら、そのせいで誰かが死んだらと考えると、怖くなる。それも事実」

 だけどシオンは、それで自棄になった事は一度もない。

 「――でも、間違えたらきっと誰かが教えてくれる」

 ベートなら、頭を殴ってくるか。

 ティオネなら、呆れながらも優しく教えてくれるだろう。

 ティオナとアイズは、困ったように指摘してくれるかな。

 「おれだけが背負ってるんじゃない。皆同じだ。皆間違える。だけど、一緒に肩を並べて歩いているから……おれ達は、本当の意味で間違えたりしない」

 「……そうか」

 フィンにとって、その答えは満足できるものだったらしい。

 「それなら、僕は君達に期待できるよ。ずっとね」

 未来の事は、誰にもわからない。

 その上で、フィンは期待し(しんじ)続けると、言ってくれた。それに薄い笑みを浮かべたシオン達が得物を握る手に力を入れる。

 ボロボロの体に活を入れて、また、立ち向かうために。

 『やはり、諦める、という事をしないのだな』

 『当然じゃ。儂等はそのようなヘタレに育てた覚えはない。逆境の中で、それに立ち向かう強さを与えたのだから』

 『わかっているさ。だが、五人共まだ子供だ。……せめて、もう少しくらい。私の手の中にいてほしかったという感傷に浸っているだけだ』

 まず、アイズがやられた。

 元々精神疲弊寸前の影響もあって動きに精彩を欠いていた彼女に、例え短時間の戦闘でも耐えられはしない。それでも自分ではない誰かのためにと、前に踏み出して剣を振るう事だけは忘れなかった。

 次にやられたのはベート。

 アイズと似たように脳震盪の影響が残る彼は、全力で動き回れない。ただでさえフィンに劣っている速度でこの状態は最悪すぎた。そんな中でもう一度脳を揺らされ、視界が明滅した。だが彼は吐き気を堪えながらフィンの槍に体を伸し掛らせて邪魔をする。

 そんなフィンに突進したティオナも、すぐに負けた。元々フォローが無ければフィンと渡り合えない彼女は、大剣に武器を戻したのもあって手数に翻弄され、まともな戦いさえできない。

 「こ、のぉ!」

 せめてもの反撃と思ったひと振りも、掠りさえしなかった事実に、ティオナは悔やみながらも意識を落とされる。

 そして、ティオネ。

 彼女は本来ならまだ戦えた。湾短刀を巧みに使い、冷静に戦闘を運んでいけば、多少渡り合えただろう。

 だが、そこまでだとティオネ自身わかっていた。

 だから彼女は、フィンの目の前に行った瞬間体を反転させ、フィンを見ずに――見なくとも団長の動きなどわかるから――湾短刀で槍を受け止めつつ、最後の一本、高等回復薬をシオンに放り投げた。

 「一番辛いことを任せて、ごめんなさい」

 彼女が落ちる寸前、そんな事を言っていた気がする。けれどシオンは、それを把握する前に投げ渡されたそれを飲み込んで、痛みを訴える体を癒した。

 それから、二十分。

 「ハァ、ハァ、ハァ……ッ、ま、だァ!」

 再度癒したはずの体をズタボロにされたシオンが、槍を避ける。足がもつれて倒れたところを狙われた槍を、無様に地面を転がって躱した。

 勝ち目はない。

 誰の目から見てもわかる状況で、それでもまだ、決着がつかない。

 流石にフィンもこれは予想できなかった。いつもの一対一なら、とうに終わっている状況だというのに。

 「……いつまで、続けるつもりだい?」

 「勝てるまで、だッ!」

 土と埃に汚れ、汗をダラダラと流しながらシオンが叫ぶように答える。だがしゃがれた声が口から漏れるだけで、もう限界など超えていると示していた。

 剣を地面に突き刺して支えにしなければまともに立てもしないのに、

 「絶対に、負けなんて認めてやらない」

 シオンは決して諦めない。

 そう、ティオネはそれがわかっていた。

 わかっていて、彼に高等回復薬を渡したのだ。

 「……これに負けたところで、と思う奴だっているだろう」

 どうして認めないのか、そう問われた気がしたから、シオンは言う。掠れた声は、不思議と皆の耳に届いた。

 「だけどさ、フィン。おれ達は冒険者なんだ、負けたら次なんてない」

 「…………………………」

 「もし、フィンみたいな相手に出くわして、こんな状況になって。それで、諦めるなんてできるとでも?」

 しないだろう、シオンは。諦めて死ぬのは自分だけじゃないから。

 「だからおれは諦めない。決闘(れんしゅう)で死ぬ気になれない奴が――殺し合い(ほんばん)で死ぬ気になんてなれるわけないだろうがァ!?」

 奇しくもロキが言っていた言葉の本当の意味を、全員が理解『させられた』。

 「おれが十分でも二十分でも時間を稼げば、助けられるかもしれない。誰かが来てくれるかもしれない。他人任せだろうがなんだろうが、守って、助けられれば、おれは自分のプライドなんて捨ててやる」

 だからシオンは、

 「たった一人になったとしても! おれは、大切な人達の命を自分から投げ出したりなんてしてたまるか!」

 決して、諦められない。

 『鋼よりも固い、やり遂げようとする意志。それがシオンの持つ一番の武器』

 己の主神にさえ認められるコト。

 「ならば、君の心が諦めるのを待つのはやめよう」

 フィンも、それを理解させられた。

 ――故に、()()()()()()

 今までよりも更に一段階上の速度に、シオンは反応できない。

 「奥の手は隠す物――その通りだ、シオン」

 フィンの貫手がシオンの鳩尾を穿つ。言いようのない激痛にシオンの動きが止まり、それで叫ぶ前にシオンの体の限界を更に越える一撃を放った。

 傍から見ればやりすぎ、オーバーキル。

 だが、『そこまでしなければ』シオンを落とせなかったのが真実。

 倒れるシオンの体を抱きしめたフィンは、ふと呟いた。

 「もしもシオンがLv.3だったなら、負けていたのは僕かもしれないな」

 気絶しているのに、シオンは武器を手放さない。

 いいや、シオンだけではない。五人全員が、己の武器を握り締め、意識がないのに諦めない意志を見せていた。

 勝ったのは、皆の予想通りフィン。

 だが、果たして――負けた側であるシオン達に、何も思わなかったと言えるのか。

 「確かにまだ種にすぎない。だが、いずれ芽吹けば……ハハ、ロキはいい眷属を持っているらしいな」

 「不謹慎だと思いますが」

 「いいじゃないか。これでも褒めてるんだ。次代の英雄達、その卵にね」

 ヘルメスは笑い、ローブを被った誰かの頭に手を置いた。声からして少女の物とわかる彼女は、嫌そうにその手を払った。

 「やれやれ、嫌われたか。とにかく今日はいい物が見れた。そろそろ帰ろうか」

 それとはまた別の場所で、また別のやり取りがあった。

 「主神様よ、手前は決めたぞ」

 「何かしら」

 「あの者等と契約したい」

 その言葉に驚いてヘファイストスは椿を見つめる。その目には熱い想いが宿り、その視線の先にあるのは、白銀の少年。

 恋慕の情――では、ない。

 それを遥かに越える、狂気の類。

 だがどうしてだろうか、ヘファイストスにはそれが、同類を見つけて歓喜しているような目に見えてしまった。

 戦いは終わった。

 見ていた者に、様々な感情を去来させて――。

 

 

 

 

 

 この一月後に行われた『神会』では、新たにLv.2となった者の二つ名が決められた。

 その時最後に名を挙げられたアイズ・ヴァレンシュタインという少女は、あの戦闘におけるイメージから、こう呼ばれる事となる。

 【風姫】アイズ、と。

 だがそれは、まだ先の話である。




先週末から昨日までソウルワーカーに傾倒しすぎてこの話落としそうになった私です。かなりギリギリだった。でも楽しかったから後悔はしていない!
ぁ、ちなみにキャラはこの物語見てわかる通り、ちっちゃい子が一生懸命頑張って強くなるのが好きなんでギタリストやってました。

正式サービス楽しみだなー。

それはそれとして、宴終わらせたかったのに戦闘が終わっただけになった。ていうか一万文字を余裕で超えて宴終わらせる余地さえなかった。
その代わり中々満足できる仕上がりになったかな。上中下の三話構成……インファント・ドラゴン戦並に長くなった気がする。いやアレ以上か。

ま、解説移りましょうか。
シオンの魔法が実は嘘
宴始まる前にユリに頼んだのはコレのため。アイズという前例、更に魔力があるというハッタリで誤魔化した。
でも実は前回の文章でシオンが魔法を使えないってそれとなく匂わせてるんです。
前回シオンはベートに指示して下がるように言いました。その理由を大魔法だから巻き込みかねないと書きましたが、ならば何故シオンは魔法が完成するとフィンに近づいたのか。ここらへんが矛盾してたりします。
気づいた方がいたら凄いですね。
作中でも出ましたが、今回のコレは例外なんで、次は無い、かも。

精霊の名前
ごちゃごちゃ考えすぎたので頭がパンクしました。結果、感想で頂いた名前をお借りし、彼女の名前が決定しました。
本当ありがとうございます。

今回の戦闘はシオンとアイズが特に目立ってましたね。ティオナはともかく、ベートとティオネは縁の下の力持ちって感じでした。
うーん、五人の関係性を表しているような戦闘になった気が。

アイズの二つ名
もうずっと前からこれにする、と決めていました。
原作の【剣姫】アイズ
拙作の【風姫】アイズ
この二人は決定的に違うんだとわかりやすく示したかったのが理由です。彼女は斬り裂くだけの剣じゃない、時に敵を払い、時に誰かを包む風なんだ、と。
批判は聞くけどコレは絶対変えません!

それにしてもここが一番書きたかっただけあって、書き終えると結構虚脱感。物語はまだまだ続きますが、新年が始まる前にここまで来れたのも皆さんの応援とかがあったおかげでしょうか。

次回は宴の終わり。
……問題点。多分5000文字くらいは行けるけどそれ以上が思いつかなゲフンゲフン。


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戦いのあと

 「――負けた!」

 シオンが目覚めた時に放った第一声は、それだった。

 治療を請け負ってくれたのは、オラリオで一、二を争う医師だと言えるユリエラとプレシスの二人。彼女等の協力もあって、シオン、アイズ、ティオナ、ティオネ、ベートの五人全員が既に目を覚ましている。

 目覚めた後は『準備があるから』と、ティオナはティオネとベートを、アイズはユリとプレシスに(無理矢理)連れて行かれたので、今どこにいるのかは知らない。

 ちなみに一番重傷だったはずのシオンだが、目覚めたのは五人の中で最も速かった。これは打撲なんかが多くあったのと、骨折を始めとした回復薬で癒しにくい、または癒せない傷が無かったのが大きいだろう。

 とはいえ一番に目覚めた大部分は、『とある薬(しおんのとらうま)』のお蔭である。

 ……久方ぶりに口にさせられた『あの薬』を飲んだのを、シオンは忘れていたりするが。

 気絶してから一時間程しか経っていないという事で、宴に参加させられている。

 本来ならシオンは主催者側であり、足りなくなった料理や飲み物、質問等があれば受け付けるのが仕事だけれど、『彼等は既に仕事をこなしたから』と、例外的に暇を与えられていた。

 そんなシオンの目の前にいるのはフィン。シオンのぶすっとした表情と、睨み付けるような視線に苦笑を返すしかない。

 「あ、あはは……僕だって負けたくなかったんだ。仕方ないだろう?」

 「でもこっちだってあった手札全部出し切ったんだぞ。また作り直さないといけないハメになったのに」

 わかってはいる。フィンだって全力を、死力を尽くした。だからこそ自分達は負けた。

 わかってはいるのだが、割り切れない部分があるのは仕方ない。これはシオンが子供だから、ではない。誰だって抱える感情――悔しい、という想いがあるからだ。

 「もしシオンがLv.3なら、負けたのは僕だっただろうね。実は結構ギリギリだったんだよ」

 それが慰めだとわかっているが、敢えてフィンは言った。事実だからだ。

 あの時のフィンは、脇腹を貫かれ、腕をぶっ刺されと、出血を止めるように応急処置はしていたものの重傷だった。小人族故小柄な彼は、体内にある血液も当然少ない。後数分、いや数十秒耐えられていたら、貧血で倒れたのはフィンの方だ。

 その事を理解していたからこそ、フィンも最後、奥の手を出さざるを得なかったのだが。

 「ちぇ。……次は絶対勝ってやる。勝てる目途が立ってから、だけど」

 「楽しみにしているよ。また僕を驚かせてくれ」

 今回の出来事は本当に突発的だった。突発的だったせいで、まだまだ未完成、未成熟な部分を残したまま戦う事になった。そんな状況でも自棄にならず、投げ捨てず、あの結果を叩き出した五人の絆を、フィンは内心賞賛している。

 後数年。それで彼等はフィン・ディムナを超えるだろう。そんな奇妙な確信があった。

 「ああ、そうだ。驚くついでに思い出したんだが、あの詠唱は誰が考えたんだ? 『とんでもない大魔法が来る!』って錯覚させられるくらい迫真に迫ってたけど」

 「アレかぁ……う~ん、一応五人でってなってる、けど」

 フィンの疑問に、何故か微妙な表情を浮かべるシオン。疑問符を浮かべ続けていると、やがて観念したのか、シオンはポツポツと語り始めた。

 

 

 

 

 

 アレは確か、十日程前のこと。

 ユリから『精神回復薬から魔力を抽出する目途が立った』という報告を聞いた。

 既に考案、完成していた暗殺術と、密かに鍛え上げていたアイズの魔法、その発展を終えかけていた頃の事だ。

 すぐに詳細をユリから聞きに行き、そして実際に検証してダメだと、使ってはならないと彼女に言われたのを土下座も辞さない勢いで頼んで一度だけという条件で了承を貰った。一応言い訳も考えてある。

 『彼女が過去に作った試作品を拝借して使った』

 嘘ではない。表現を変えただけだ。

 下界の子供の嘘を見抜ける神達であっても『嘘ではない誤魔化し』なら通用する。後はシオンの演技力次第。

 それを信じてくれた彼女には勝手に頭が下がる思いだ。

 精神回復薬――いや、魔力生成薬の試作品一号を譲り受けたシオンはホームへ取って返し、皆に最後の作戦を説明した、結果。

 問題点が浮かび上がった。

 即ち『シオンが言う詠唱の内容をどうするか?』というものだ。

 魔法とは詠唱を必要とする。そしてフィンを警戒させ、怯ませる程の魔法となれば、それこそリヴェリアの扱う大魔法並の長さを持った超長文詠唱になるだろう。

 そうして五人で頭を悩ませる事となったのだが、

 「シオン、あんたは口出ししないで」

 「そうだな、テメェは他の事をやってろ」

 とティオネ、ベートの二人から言われ。

 「ちょっと休んでて。ね?」

 「うん。シオンは少し休憩してないと」

 更にティオナ、アイズからも乞われる始末。

 そんなにセンス無いのかなぁと内心落ち込んでいたシオンだが、事実はその時のシオンの表情だった。

 顔色が、悪すぎたのだ。

 死人一歩手前かと言われても不思議ではない青白い肌、そして眼の下に隈が盛大に出来た顔。元々白い肌なせいで気づくのが遅れたが、シオンはかなり限界だった。知らずフラフラと揺れている体がそれに拍車をかけている。

 それを悟ったからこそ、せめてこれくらいはと、無茶をしがちな、いやしすぎるおバカなリーダーを休ませようと、全員が一致団結した結果だ。

 全員から言われてもまだ渋るシオンに四人が顔を見合わせ、代表してベートが腹に拳を叩き込んで気絶させたので、ここからは後から聞いた話になる。

 「それで? まずはどういうコンセプトでとっかかるんだよ?」

 正直気絶させたはいいものの、ここにいる全員、魔法とはほぼ縁がない。唯一ティオネと、この時点ではまだ隠していたがアイズが使えるくらい。ただしその詠唱内容は両者共にとても短いものであり、とても長文詠唱とは呼べない。

 「本を借りてくる、とかは?」

 「やめた方がいいわね。下手にヒントを残すと団長に悟られるかもしれない。折角ここまで来たんだもの、不用意な事をして無駄にしたくないわ」

 ティオナのまともな意見もあったが、ティオネの冷静な反論に潰される。

 一瞬ベートは適当でいいんじゃないかとも思ったが、

 「いい? 魔法っていうのは、そう単純な物じゃない。己の願いを、叶えたい想いを形にしてくれる、形無い奇跡。矛盾してるけど、そういう物なの」

 この世界での魔法とは、一部の種族しか覚えられない、とても希少な物だった。

 それをどんな種族であろうとも使えるようになれたのは神から与えられる『神の恩恵』を授かったからで、しかし例えそれがあったとしても魔法を覚えられない人間は多い。

 だからこそ、生半可な想いで魔法は発現しないとわかる。

 何故なら魔法とは、奇跡だから。

 奇跡を起こすには、『必要だから』なんていう程度じゃ無理。心底から、それこそ自身の想い全てを引きずり出すような勢いで無ければ覚えられるはずがない。

 「だから、もし魔法の詠唱を考えるのなら……」

 そこで言葉を切り、チラとシオンに視線を移す。

 やはり心身疲れ果てていたのだろう、すやすやと眠るシオンはとても安らかで、ティオネはつい口元が緩むのを抑えられなかった。

 しかしすぐに引き締め直し、

 「シオンにとって『絶対に譲れない』強い想いを、形にするべきなの」

 それこそ誰が聞いても『これなら大魔法になるのも頷ける』ような。

 そんな、シオンの願いを詠唱に変えて、フィンに、引いてはオラリオにいる神達を全て騙すような代物へとしなければならない。

 大それた事をする、と人は言うだろう。

 だが、ティオネにはわかっていた。

 「だから――これは、私達に与えられた試練でもある」

 これを成すためには、自分達を追い詰めるハメになると。

 何故なら、シオンの願いを元にするという事はつまり、シオンという人間をよく知っていなければできない事だからだ。

 詳しくは知らないが、フィンはシオンがもっと小さな頃からの友人だったらしい。少なくとも彼がここ【ロキ・ファミリア】へ来る前から見知った関係であり、ここに来てからも大人として見守り続けた人間だ。

 友であり、大人として子供であるシオンを見続けた存在。

 そんな彼を騙すのは、自分達が考える以上にハードルが高い。

 「もし、よ。もし私達がフィンを騙しきれない詠唱を、作ってしまえば」

 この作戦自体に問題はない。だが詠唱を聞いたフィンが疑問を持って疑えば、すぐにでもバレてしまうようなハリボテでもある。

 「それが示すのは……私達は、シオンを理解しきれてないってコトになるわ」

 この言葉を聞いた三人の顔が強張る。

 ようやっと理解したのだ。ティオネが一体何を危惧し、何を恐れているのか。各々の心臓がドクンと脈打ち、不安で加速させられた。

 「私達がシオンを理解できてないってわかったら」

 「私達は、彼を支えきれていないって、意味になる、の?」

 嫌な想像に、ティオナとアイズの体が小さく震える。今まで強くあろうとする彼を支えるためにしてきた行動が全くの見当違いかもしれないという想像は、予想以上に辛いものがあった。

 今回のこれは、全員が試されているのだ。

 自分達がシオンの無茶を止める鎖になりきれているのかどうか。

 自分達がシオンを傷つける者から守れる剣であり盾と言えるのかどうか。

 何よりも大切な――良き理解者、仲間、友であると、胸を張れるのかどうか。

 深刻な表情でティオネは頷き、それまで考えていたベートがふと、何故わざわざ重圧(プレッシャー)をかけるような事を言ったのかに気づいて言う。

 「……知ってる事の出し惜しみはするなって、言いてぇのか?」

 「ええ。私はね、団長が好きよ。愛してる。でもね、だからシオンを愛してないってわけじゃないの。そうね、この感情を表現するなら……」

 そこでティオネは言葉を切り、何故かティオナを一度見てから、

 「()()()()()かもしれないんですもの。家族愛を抱くのは当然ね」

 「んな……!」

 ニマニマとした笑みを浮かべる姉に、ようやっと妹はその意図を理解したらしい。からかわれていると理解しているのに、抑えきれない羞恥心に頬を紅潮させてしまうのを止められない。

 「ティ、ティオネ……!」

 「いいじゃない、可能性はあるんだし。ま、そういうわけだから?」

 妹の抗議を暖簾に腕押し、サラリと躱した彼女はそれまでの冗談めいた雰囲気から一転。

 「――シオンを支えて、守る。そのためにどんな些細な事でもいい。教えてちょうだい」

 ただひたすらに真面目な表情を彼等に向けて、頭を下げた。

 当然、否と答える人間は誰もいなかった。ベートに拳で腹を殴られたとはいえ、今こうして心底安心しきったように眠る少年の事を支えたいのは、皆同じだったからだ。

 信頼されていなければ――シオンは殴られ気絶したところで、すぐに目覚める人間だから。

 それがわかっているが故に、四人の心は一つだった。

 後は簡単だ、すぐにでも詠唱を考えるのに取り掛かればいい。

 「まずは最初……掴みね。うん、まぁこれはすぐに思いつくわ。今のシオンを当てはめればそれでいいんだし」

 シオンは未だに弱い。更に自分の状況も省みないくらいに愚かだ。だけど、そんな彼が最初から一貫して思っているのは、例え自分で死んだとしても、守ろうとするのだけはやめないこと。己が身と引き換えにしてでも、大切な人の命を優先すること。

 【この身は愚かしく矮小なれど、それでも我が身を捧げ乞い願おう】

 最初の一文は、これだろう。

 「なら次は、こうなるだろうよ」

 彼は本来一般人に過ぎなかった。義姉はオラリオにその名を響かせる程の有名人だったみたいだが、そんなのは彼個人には関係ない。

 だけどそれでも、憧れていた。光輝く【英雄】達に。

 【弱く、脆く、ただ潰されるだけの者。強く、輝き、皆の上に立つ者】

 「うん、そう続くなら、こうだと思うな!」

 しかしとある一件によって全てを奪われたシオンは【ロキ・ファミリア】に来る事となった。だからシオンは願った。そしてそれを叶えるため、【英雄】に憧れていただけの少年は、その身が単なる凡人でいるのを許さなかった。

 【強き賢者に憧れし愚者。果てを見れぬその小さき身で、愚者は願う】

 「そう来るなら……次の二文は、こうなるかな」

 失った少年は、唯一残った大切な想いだけをその見に抱いた。

 守りたい、と。

 今度こそ失いたくないから、力を持たぬその小さき体に一つの感情を宿したのだ。例えそれが、あの頃の彼では絶対に叶えられない願いだとわかっていても。

 【守りたい、と。分不相応な願いを、届かぬそれを我が身に抱こう】

 最初の頃はガムシャラだった、と後になって聞いた。ほんの少し、唯一残ったからこそやっと気づいた程度のその想いを、日々の中で育み続けた。

 しかし全てが順風満帆とは行かない。フィン達という生ける伝説に手ずから指導を受けていたシオンは、厚かましいと、恥を知らないのかと詰られ続けた。嘲笑われた。

 それでも決して、たった一つだけの想いを捨てはしなかった。

 【微かな火種に薪を焼べて、幾度風に吹かれようとも守り続け】

 「……私は知ってる。シオンが本当は、泣きたかった事を」

 いきなり【英雄】という二つ名を与えられた彼は戸惑った。自分自身が英雄だなんて大層な名前で呼ばれるような存在じゃないと、知っていたから。

 だってこの名を貰ったシオンは賞賛と同時に――かつてない嘲笑を浴びせられていたのを、ティオナは知っている。本人は必死になって隠していたけれど、【ファミリア】の皆が気づいていた。気づいていたのに、何も、できなかった。

 だけどもし、今回の催しがうまくいけば。

 【届かぬ現実に泣いた日々。無駄だと笑われ足掻き続けた全てを、今ここに】

 「……きっと、全てが報われる。そう、信じたいな」

 シオンが抱き続けた想いと願いは、絶対に叶うんだと。

 【愚者の想いを束ね、我が身と共に全てを放とう】

 その後目覚めたシオンに全てを見せ、驚きの表情にどうだという顔をすると、彼は一度自分の頭を掻き毟り、

 「なら、最後の一文はこれだな?」

 と誤魔化すように、付け加えた。

 【そんな魔法、あるわけないだろ(なーんちゃって)

 ――そうやって、彼を表した詠唱ができあがったのだ。

 全てを話し終えると、フィンは静かになるほど、と頷いた。シオンではない、シオン以外から見たからこそできた詠唱。

 フィンの目線から逃れたくなって、シオンはつい顔を逸らす。シオンの隠さない本音は、妙に恥ずかしい、だ。

 自分の知らない自分を理解されて、見られているのがこんなにも羞恥心を刺激するだなんて知らなかった。

 「本当に、良い仲間に恵まれているよ、シオンは」

 「それは……否定、しないけど。いや違う。おれには勿体無いくらいにいい仲間、だよ」

 素直に認める。彼等はシオンにとってかけがえのない友なのだということを。恥ずかしいからだとかそんな理由で否定するなど、そちらの方がむしろ恥ずかしいのだと、認めよう。

 そう考えていたら、何故かフィンがシオンの頭を叩いてきた。

 「何?」

 「いや、少し思う所があってね。先の話を聞いて、シオンがここに来たばかりの頃を思い出していたんだよ」

 全部を失ったばかりのシオンは、今にも消えてなくなりそうだった。

 「……やめてくれよ、あの時のことは」

 それに比べれば、今のシオンはずっと活力に満ちている。そんなシオンにしたのは、きっとあの四人のお陰だろう。

 「もう、必要以上に心配する意味はないかもしれないな」

 「え?」

 さっきからフィンがしている行動が理解できないシオンは戸惑うばかり。妙に優しいフィンが一体何を考えているのかと変に思っていると、

 「例え立場が変わっても――僕は、君と友誼を結んだ時の事を、一日足りとも忘れた事はない」

 「…………………………!」

 「団長と団員。師匠と弟子。でもその前に僕達は友人だ。だから君が死んで、目の前からいなくなってしまうのを恐れていたんだけど、今のシオンは、ちょっとずつだけどあの頃よりも強くなっている」

 だから、信じるべきだと。

 「君はもう、一人じゃない」

 ポンとシオンの肩を叩くと、フィンは背を向けてしまう。

 「一応、主賓扱いの二人がずっと一緒にいるのはマズいだろう? 挨拶周りもあるし、僕はそろそろ行くよ」

 そのまま去ってしまったフィンに、何も言えなかったシオンは空を見上げて呆然としてしまう。それから幾分経つと、シオンは己の顔を力なく覆った。

 「なんていうか、全然勝てる気がしないなぁ……」

 何とか落ち着きを取り戻したシオンだが、彼に話しかけようとする人間は一人もいなかった。神でさえもだ。皆遠巻きに見てくるだけで、居心地の悪くなったシオンは手慰みのように手近な料理を小皿に盛って、空腹を埋めにかかる。

 実のところ、シオンは誰も話しかけてこない理由がわかっていた。

 現状シオンを見てくる人間は大別して二種類。

 尊敬の視線か。

 畏怖の視線か。

 どちらにしろまともな物ではない。中にはこの状況をからかっているのか、ニヤニヤした笑みも向けられていたが、正直気分は良くない類のものであるのは変わりなく。

 「ハァ……」

 と、先程の戦闘時とは打って変わって煤けた姿を晒していた。

 ……やりすぎた、と個人的に反省はしている。最後、フィンにたった一人で食らいついていた二十分の果てに自分が叫んだあの言葉。

 『アレ』に感化された者と、逆に『何故あんな子供が』と異常者扱いされる原因になった。忘れてはならない、シオンは未だに八歳前後の子供なのだという事を。

 比率にすると前者四、後者五、どちらでもないのが一、というところか。

 「暇そうね。時間、貰っても?」

 そして、どちらにも所属してない神が一人、シオンに話しかけてきた。

 彼女の姿を、シオンは知っている。何しろ自分が案内した相手だ。たかが数時間で忘れる程シオンはボケていないし、また忘れられるような外見を彼女はしていない。

 「神フレイヤ……」

 「クスッ。さっきみたいな格好良い姿はどこにいったのかしら。それとも、一人は寂しい?」

 小さくこぼれた笑みから『しょうがない子ね』と言われているような気がして、シオンはちょっと複雑な気分になる。

 「ごめんなさいね。気分、悪くしちゃった?」

 「いえ、別に。ただ良く知らない神様からからかわれるのは、何とも言えない気分でして」

 何とか冷静にそう返し、一度小さく頭を下げる。彼女は礼を尽くさなければマズい相手。不用意な行動はできない。

 そんなシオンの考えなど露知らず、目論見が外れたフレイヤは思わずあら、と呟いてしまう。慌てて否定したり、隠したりすれば子供ね、とからかえたのだが。こうも冷静だと、下手にからかえばフレイヤの方が火傷させられそうだ。

 それに今こうしてシオンと話しているだけでかなりの注目を浴びている。特に、誰かと話をしながら横目で睨みつてくるロキの眼光はあまりに鋭い。長居はできなさそうだ。

 はて、何を言おうかと悩んでいたフレイヤに、ふと天啓が降ってきた。

 ああ、これを言いましょう、と。

 思い至ればすぐに実行。彼女は両足を折り畳むと、その美貌をシオンの正面に持ってくる。同じ美の女神のイシュタルには『何か』のせいで嫌悪感が先立ったが、フレイヤはそういったちょっかいをかけなかったので、素直にその美しさに気圧された。

 そんな、普通の子供――いや、フレイヤ相手にこの程度の反応なら、やはりおかしいのかもしれないが――みたいな反応に、つい手が伸びてその綺麗な髪を撫でてしまう。

 「あ、あの……?」

 「流石、あの子が認めるだけあるわね」

 「――――――――――ッ!??」

 ――食いついた。

 戸惑いから一転し、戦闘時のような鋭い眼光でフレイヤを見るシオン。頭を撫でられているという事も、相手が美の女神であるという事実も忘れ、彼は先の言葉を思い返していた。

 「その、あの子っていうのは」

 「秘密よ。だって、プライバシーがあるもの」

 ――そんな相手、一人しかいないくせに。

 そう言いたげな視線に、フレイヤはからかいが成功したとわかる。趣味が悪いと人は言うかもしれないが、こう純粋すぎると、悪戯したくなってしまうのだから仕方ない。

 周囲のザワめきも、料理から香る匂いも、何もかも感じない。フレイヤの五感は全てシオンに向けられていた。しかしシオンが何も言わずにいると、

 ――潮時ね。

 そう判断した彼女が立ち上がる。

 やっと現実に戻ってきたシオンがフレイヤの姿を探すと、彼女の背はもう随分と遠くにあった。このままでは、行ってしまう。そうなればシオンは、かなりの期間、彼女と話す機会など与えられないだろう。

 だからシオンは、更なる注目を浴びるとわかっていて、叫んだ。

 「あ、あの、頼む……みたいことがあり、ます! 神フレイヤが『あの子』と言った人に、伝えたい言葉が、あるんです」

 考えが纏まっていない。口調だって滅茶苦茶だ。それを恥じ入る前に、そんな事よりと心を奮い立たせたシオンに、ゆっくりとフレイヤは振り返った。

 「いつか……」

 ――何を言えばいい。何を、何を……?

 焦りが舌をもつらせる。動いてもないのに心臓が跳ねる。すぐそこにいるはずの女神が、歪んで見えた。

 そんな少年に、女神は小さく笑みを返す。それは、慈愛のこもった――言うなれば、『母の愛』に富んだ笑み。

 シオンは母親が浮かべる笑顔など知らないけれど、どうしてか安心を覚えてしまう。

 だから、彼女の目を見て、はっきり言えた。

 「『いつか、【最強(おまえ)】の前に立てるような【英雄(おとこ)】になってやる!』――そう、伝えて下さい」

 大言壮語も甚だしい。わかっていても、シオンはきっと、そう言った。元々シオンは誰かに言われて諦めるような男じゃない。

 だったらいっそ、どこまでも突っ走る。

 フレイヤは浮かべていた笑みを益々深めると、確かに頷いた。

 「ええ、必ず。一言一句間違えずに伝えると、約束しましょう」

 期待しているわ、と。

 音に乗せず彼に伝えると、それを受け取ったシオンは走っていってしまう。けれど、彼の中にある色がかつてない程に輝くのを、フレイヤは確かに見ていた。

 「あの『白』を自分の色に染めていくのも、楽しそうね」

 現実的には不可能だ。シオンに『魅了』は効かず、力尽くで奪おうにも相手はロキ。だからこれはきっと、できもしない空想を思い描いている時の心境に近い。

 でも、何故だろう。そう思えば思うほどに、欲しくなってしまうのは。

 フレイヤは、美の女神。だがもっと単純に言えば彼女は『女』であり。

 女性であるが故に持ち合わせている()()()()、それが刺激されてしまったのだ。とはいえ、それはちょっと火が付きかけているだけの段階。

 だが、いつか。

 その火種寸前の物を燃え上がらせるような誰かが現れたら――。




折角クリスマスなのに内容は全くクリスマス的な感じじゃない。
ぁ、でも一人の方に関してはプレゼント的な意味で合ってるかもしれません。

今回のお話は
『この詠唱文を考えているときのシオンの様子が知りたいです。他人の前で読むことが確定している自作の呪文を考えるとか、私なら悶死確実ですが……神々から与えられる二つ名を喜ぶような奴らばかりということは、意外とそういうのも楽しんでやれるのでしょうか』
って感想戴いたので一日二日で考えてできあがった物ですし。
まぁその分構想荒いかもしれませんがそこら辺はお許し下さい。

さて解説と。
新たに出てきた魔法の設定
魔法が発現する時の条件とか原作でも出てきてません。これも私オリジナルです。原作読んでて私が感じた事をそのままティオネと地の文に載せています。
ですので、この作品独自の設定と思ってくださいな。

シオンが行った詠唱を考えたのは四人
ぶっちゃけシオン自身を表すのにシオンがいるのは『邪魔』なんですよね。どう考えても変な方向に行く未来しか見えないんで気絶という名の退場になりました。

にしても、自分の考えた詠唱の詳しい解説って案外恥ずかしくない。今回は頑張りきれたからでしょうかね。
内容が納得できていればいいのですが。

蛇足ですが、物語をスムーズにするため実際の状況は大分省いてます。シオンに見せた時はもっと違う文章で、意味はそのままに表現を魔法の詠唱っぽくしたのはシオンだったりとか。私の想像だと言い争いとかもしてましたし。

それからティオネが言っていた『私達に与えられた試練』って言葉、実はそのまんま私に当て嵌っていたりします。
前々回において『詠唱文はシオンをモチーフにした』と言いましたが、これで読者が言われて見れば確かに、と思えなければこの作品は失敗したと言えます。
つまり彼等の場合は『シオンに対する理解力』を試されていて、私の場合は『物語を創るにあたる想像力と表現力』が試されているんですねー。
幸いお褒めの言葉が多くいただけたので、心折れる結果にはなりませんでしたが。良い読者に恵まれましたね。

フレイヤの登場
彼女、勝手に出てきてくれやがりました。まぁ出ちゃった物はしょうがないからと、元々この宴を開いた目的である【ロキ・ファミリア】への求心力向上の一助になっていただきました。

シオン達とフィンが戦ったのもあってシオンの注目度も上がってましたし。

(シオン)のグレードアップの手伝いですね。

何故かオッタルへの宣戦布告もしちゃいましたけど……この部分に関してはキャラが勝手に動いた結果です。

そのせいかフレイヤがシオンの『純粋さ』に当てられてちょっとヤバい。
主に原作で『ものっそい純粋な子』が。
アレ、自分で自分の物語へのハードル上げちゃってるような……?
……気のせいだと思いましょうか。

さて、次回のお話の内容にちょっと触れます。
まず言ってしまいますが、次回のお話も今回と同じく、大部分が感想を見て思いついた内容となります。
(ていうか次回の内容を今日更新したかったとか言えない)

タイトルは『Change Up Girl's!』

今まで合計で百何十万という文字書いてきましたが、タイトルに英語を使うのは確かこれが初めてだった気がします。
本当は今回のお話と次回のお話で一話にしたかったんですけどね。長かったんで分割しちゃいました。
このタイトルで何となく次回の内容はわかるかもしれませんが、そういった想像をするのもお話を読む楽しみの一つ。

なので私もこの言葉を!

メリークリスマス、次回もお楽しみに!!


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『Change up Girl's!!』

 その場から逃げ去るも同然に消えたシオンは、気づけば宴の中心近くにいた。アホな事を言ったと思考が堂々巡りしていたせいだ。

 「あ、いたいた。全く、どこ行ってたのよあんた。探すの苦労したわ」

 「ティオネか。探してたって、おれに用でも?」

 「私じゃないけどね、一応」

 そんなシオンに、ティオネが疲れ果てたと言わんばかりの溜め息をしつつ声をかけてくる。彼女の不可解な対応に若干訝しんだシオンは、ふとティオネの動作に違和感を覚えた。

 「……何を隠してるんだ?」

 「え? いきなり何よ?」

 「いや、気のせいならいいんだけどさ。なんか、おれの視線を遮る、いや逸らす? そんな風に見えたから」

 思った事を口にすると、ティオネは何故かシオンの顔を数度見て、先程とはまた別の、感嘆の息を吐いた。

 「う~ん、ポーカーフェイスには少し自信あったんだけど。ま、それならいいわ。ちょっとここで待っててくれる?」

 「それはいいけど。どうせ暇だしな」

 「オッケー。どっか行ってたら承知しないわよ?」

 人差し指をシオンに突き付けると、ティオネはさっさと走ってどこかに行ってしまう。一体何がやりたいんだと思いながら待つ事数分。女のちょっとは長いなぁと、当たり前の事実になんだか溜め息を吐きたくなりながら、それでも待つ。

 今の気分はデートをすっぽかされた彼氏、が適当だろうか。

 待って待って待ち続けて、ようやっとシオンを呼ぶティオネの声が聞こえてきた。約束は守るシオンでもそろそろ飲み物くらいは、と思っていた時なので、ちょうど良かったのだろうか。

 「待たせてごめんなさい。あの子が嫌だ見せたくないってダダをこねちゃって……」

 両手を合わせて謝るティオネ。遅れたのは彼女のせいではなく、用事があったはずの誰かのせいらしい。何でこんなに待たされたんだろうと考えていたら、ベートに背中を押されながら、件の人物が現れた。

 「や、やっぱりちょっと待って! まだ心の準備ができてないのに……」

 「そう言って何分経った。いくらアイツでもそろそろ呆れちまう頃だぞ」

 今にも逃げ出そうとしているのにベートに無理矢理連れてこられる。けれど、本当はその気になれば逃げられるはずだと、シオンはすぐに気づいた。

 なのに逃げないのは、それが本心じゃないから。

 会いに、見せに行きたいのが、本音だから。

 その人はシオンの前に来ると、ベートの代わりに横から伸びてきたティオネの両腕が肩を押さえつけられて逃げれなくされる。

 彼女はシオンの前に立つと、遂に観念したのかその場に留まる。しかし落ち着く事はできなさそうで、所在無さげに両手の指を絡め、視線はふらふらと動き、体の揺れは収まらない。

 「え、えっと……これ、どう、かな? 私は全然似合わないと思うんだけど、ティオネが『絶対着なきゃダメ!』って言うから、その、着てみたんだけど」

 それでも意を決して、勇気を出した。

 その目はシオンを見きれていないし、真っ赤になった顔は気恥ずかしさを隠せていない。震える体は恐怖故か。

 そのような少女を前に、シオンはただ呆然とさせられていた。

 目の前にいる女の子の名を知っているはずなのに、知らない子だと思わせられる。勘違いなんてあるわけないのに。

 何故か、確信が持てないのだ。

 今の彼女は、顔の両脇で纏めていた髪を解いている。だからか、肩を越える辺りで整えられた黒髪は、普段の彼女にない『女性らしさ』を感じさせた。しかも、どうやら彼女は薄化粧をしているらしく、常の幼さが咲きかけの蕾のような、大輪の花を予期させるような――そんな可能性溢れる容貌をしている。

 ドレスは、敢えての黒。肩付近やスカートにレースの付いたワンピース型のドレスだ。レース越しに見える両肩、微かに覗く両足が艶かしい。両腕には金のブレスレットと、雰囲気を損なわない程度にアクセサリーで装飾を作り、華やかさを忘れていない。

 ただ、一点。

 今の彼女に似合わぬ、頭部に付けられた、向日葵の髪留め。

 それはもうずっと前に、彼女に送ったプレゼントで。

 その事に気づいてしまうと、何故か体の奥底が熱くなってきた。

 しばし見蕩れていると、彼女の震えはどんどん大きくなっていく。それを見かねたティオネがさりげなく、本当に一瞬だけ、シオンの脇腹に拳を叩き込んだ。その痛みによって現実に戻ってきたシオンは、

 「あ、ああいや、その、な。に、似合ってるよ! うん!」

 テンパりすぎて、言い訳がましい上に嘘くさい褒め言葉を言ってしまった。そのせいだろう、本心なのに、少女の顔が一気に暗くなる。

 「そ、そんな風に慌てないんでいいんだよ? 自分でも全然似合ってないって、最初からわかってた事だし。変にフォローされる方が、むしろ辛いから……」

 「おれは!」

 いつもの彼女は、明るい子だ。励まし支えてくれる、パーティのムードメーカー。

 だから、こんな暗い顔なんて見たくなくて、シオンは言葉を重ねた。

 「おれは、嘘を言わない。似合ってるって言ったらそれは紛う事なきおれの本心だ。変なフォローなんかじゃない」

 「でも、なら何ですぐに言ってくれないの?」

 「それはその……き、綺麗、だったから、だ」

 「え?」

 「み、見蕩れてたって事だよっ。それにその、髪留め……おれが贈った奴だろ? それ付けてる方がその服装にアンバランスだ。なのに、な」

 一瞬間を空けて、それでも、

 「その髪留めを選んでくれてた事が、嬉しくて……ありがとう、ティオナ!」

 「……っ!!」

 最後はぶっきらぼうになってしまったけれど、言い切った。フレイヤに感じたのとは全然違う、もっと別の気恥ずかしさに限界を迎え、それ以上何も言えず黙ってしまう。

 そして言われた側であるティオナは、この服装を着て褒められた事よりも、『気づいてくれた』のに嬉しくなった。ダメだ、似合わない、そう姉やリヴェリアに言われて、それでも付けると押し通したシオンがくれたプレゼント。

 ――嬉しい……嬉しいっ!

 自然と口元が緩んでしまうのを抑えられない。そんな妹に、結局ティオナが正しかったか、と安堵の息を吐き出す。でも、まだだ。ティオナの用事はもう一個ある。

 「ほら、まだあるでしょ。お願いしないと」

 「え、あ、そうだったね」

 ティオナの認識から完全に忘れ去られていたみたい、とティオネは察したが、恋する乙女には良くある事だと割り切り、もう一度彼女の背中を押す。

 シオンの前に立ち直したティオネが、おずおずと彼を仰ぎ見る。当然のように向けられた上目遣いに知らずシオンが一歩後退るのに気づかないまま、ティオナは、

 「あの、あのね? できたらこの後、私と」

 そこまで言って、ティオナは私、私と……と同じ言葉を繰り返す機械になってしまう。余りの変貌に驚いたシオンが今度は歩み寄ると、ティオナはいきなり顔を上げて、

 「む、無理! 頭の中がグルグル回転してて……言えないよおおぉぉぉぉっ!!」

 「あ、こらティオナ、待ちさない! ああもう、ここまでやったのに……! ベート、あんたも追うの手伝いなさいっ!」

 「面倒くせぇ仕事増やすんじゃねぇよ!?」

 脱兎の如く逃げてしまった三人に、残されたシオンは伸ばされた手を所在無さげに下ろすしかできなかった。

 「やーやーシオン! 今暇みたいだね? ちょっとこっち来てくれないかな!?」

 あんぐりと小さく口を開けていたら、今度はユリがシオンに抱きついてくる。しかも聞いてきたのに拒否権は無いらしく、シオンの体をグイグイ引っ張っていった。

 「ユリお前、タイミング見てただろ」

 「いやー、あの子が頑張ってたのを邪魔するのも悪いし? 馬に蹴られたくないから、仕方なくこうして待っていた訳さ!」

 「……?」

 「おっと、余計な事言ったかな。ま、いーじゃん。一人でいるよりは、皆でワイワイ騒いでる方が楽しいよ?」

 最後のトーンは、ガチだった。そのせいか硬直したシオンをここぞとばかりに拉致……いや連れて行くと、そこには呆れ顔のプレシスが。

 「ユリ、連れてくるのと無理矢理拉致するのは全く意味が違うのですが」

 「同意してれば問題ないって」

 「……その同意が取れてない気が……」

 もう何も言えないとばかりに頭を抱えているプレシスをユリに抱えられながら見ていると、ふいに彼女の後ろに誰かがいるのが見えた。

 見覚えのある金に煌く髪。それをジーッと凝視していると、バレたのがわかったのか、そっとプレシスの横から出てくる。

 その少女もまた、ティオナと同じく普段のイメージからはかけ離れた姿をしていた。

 「いつもと違う感じにしてみたんだけど……シオン、どうかな?」

 頭の横についたシュシュに違和感があるように触れるアイズ。

 いつもはストレートに流した髪を、即頭部に纏めてサイドテールにしている。しかし髪というのは中々に重い。それを右側に持っていったせいか、アイズの体が若干傾いていた。何故か彼女も化粧をしているようで、ティオナは『綺麗』だったのに対しアイズは『可愛い』感じだ。

 髪型ともあいまって、活発的な可愛い女の子、という印象を受けるが、違和感は少ない。もしかしたら、母がいなくなる前のアイズはこっちだったのかもしれない。

 ドレスは白。膝上までのスカートのようで、リボンを結んだパンプスを履いた足を惜しげもなく晒している。ドレスでありながら動きやすく見えるためか、今のアイズの印象を更に強く、深くしていた。

 先程のティオナもそうだが、何故女の子とはこうも印象を変えられるのだろう。男の身であるシオンからすれば、これはまさしく『変身』としか思えない。

 とはいえ先程の失態もある。

 落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせておく。

 「普段のアイズはどっちかっていうと『綺麗』って印象だけど、今は『可愛い』だな。高嶺の華って感じじゃないけど、でも親しみが持てる」

 「……褒められてるのはわかるけど、意味がわからない」

 「親しみやすいってのは大事だよ。話しかけやすい、一緒にいたいと思わせられるような雰囲気が今のアイズにはあるからね」

 シオンの一言に、アイズの肩がピクリと跳ねる。それは一瞬に過ぎず、シオンも気づけない程度の変化だった。

 「おれ達で一番わかりやすい例だとティオナだね。話しかけやすいだろ?」

 「うん、まぁ」

 しかし流石というべきか、シオンはここでそう言ってきた。傍で聞いていたユリがつい、他の女の子の名前出しちゃダメだよ~とボヤいてしまう。

 どこか不機嫌そうになっているアイズに気づかないシオン。どことなく不穏な空気に入りかけていたその時、マイクのスイッチがプツッと入る音がした。

 『さぁて、宴もたけなわになって来た頃や。皆も仲のいい奴、初めて会う人と話して盛り上がって来てるやろ? だからな、ここらで一つ!』

 ロキが声を張り上げる。シオンには何となく、ロキが腕を振り上げている姿が想像できて、つい笑ってしまった。

 『同好を深めるって意味でも、ダンスと行こうやないか! まぁこれで深まるのは男女の情かもしれへんけどな~』

 ケラケラ笑いながら提案するロキ。それに嫌な予感――自分には関係無さそうだが――を感じていたら、

 『あ、ちなみにフィンにダンスの申し込みしてもオッケーやで。今日は無礼講や!』

 「うわ……」

 瞬間、ギラリ、と周囲にいた女性陣の目が光る。そんな目をする大多数は普通の人間で、神は面白がっているだけだったが、幾神はちょっと本気の目をしていた。

 フィンはオラリオでも一、二を争う程の人気を持つ男性冒険者、という話はシオンもよく聞いていたのだが――これはちょっと、羨ましいを通り越して恐ろしい。

 しかもロキは『男女の情が深まる』なんて煽り文句を言っていた。もしここに本気でフィンに恋慕の情を抱いている者がいたらと考えると、ティオネは大変そうだという感想に至る。

 とはいえシオンにダンスを申し込む奇特な人間などいないだろうと思っていたので、このイベントでは自分は蚊帳の外になるだろう。邪魔にならないよう隅っこにでもいるか、と考えた時だ。

 「あ、あの、シオン……」

 「ん? どうしたアイズ」

 おずおずと、シオンの様子を伺うようにアイズが声をかけてくる。所在無さげに揺れる手は髪に触れ、クルクルと弄ばれていた。

 どこか落ち着きなく見えるアイズに首を傾げていると、意を決したのか、

 「シオンは、誰かと踊る予定は、ある?」

 そんな事を聞いてきた。普通なら、ここまで言われればわかるだろう。

 「……? いや、特に無いが。それがどうかしたのか?」

 が、生憎シオンは普通じゃない。横で不安そうにしているプレシスと、逆にニヤニヤ笑っているユリがガクンと脱力してしまうくらい、察しが悪いシオンだった。

 ある意味純真な瞳を向けられたアイズが少し怯む。言え、言わなきゃダメ、と叫ぶ心とは裏腹に体は金縛りにあったように動かない。

 ――今の私は積極的な女の子。だから行ける。言える、はず。

 いつもの自分なら絶対に言わないような言葉を、今の姿ならば言える。そう無理矢理な鼓舞をすると、アイズはシオンに手を差し出した。

 「誰とも踊る予定がないなら、私でそれを埋めてみる?」

 半ば挑発とも取れる言葉だ。本当は普通に誘いたかったのに、断られるのが怖くて、断られても冗談だと言えるような保険が欲しくて、そうなってしまった。

 言われた方のシオンはアイズなら絶対に言わない言葉に固まってしまっている。しかし脳がその発言を認識しだすと、意識しない内にその手を取っていた。

 「誘うのはいいけど、踊れるのか? 転けて笑われるのだけは勘弁してくれよ」

 「なら、逆にこう言わせて。――シオンは、私についてこれる?」

 今の自分は『変身』している。だからきっと、できない事もできるはず。プレシスとユリがアイズにかけた『おまじない』のお陰か、アイズは不敵に笑えていた。

 ダンスのパートナーが決まった。シオンとアイズはお互いの手を握り合うと、肩を並べて中庭の中心へと移動していく。

 周囲では続々と踊る相手を決める中で、ユリとプレシスは誘われてもにべもなく断っていた。

 「ユリ、あなたは踊らないんですか?」

 「生憎御眼鏡に適う相手がいなくってさー。シオンが同年代ならむしろこっちから誘ってたんだろうけどね」

 いいなぁ、とユリがアイズを見て呟く。

 ユリとて別に好きな相手がいなかった訳じゃない。ただ、縁が無かった。恋敗れたが故に、結ばれなかったのだ。

 「ま、だからこその余計なお節介なんだろうけど。プレシスはどうしてあの子の手伝いをしようと思ったの?」

 「あのまま放っておけば、二人共不幸になっていたでしょうから。友達として、それは避けたかったんですよ。後はまぁ、誰かが恋をしているのを見るのが、好きですから」

 「ふ~ん」

 プレシスの表情が切ない色を浮かべたのを察したユリだが、その真意まではわからない。

 「あ、始まるみたいだよ! アイズはちゃんと踊れるかな~」

 だからユリは、親友とも呼べる彼女がこれ以上悲しい思いをし続けないように、わざと明るく振舞っていた。

 

 

 

 

 

 ダンスが始まると、各々が思い思いに踊りだす。ただ左右に揺れるだけの男女もいれば、本格的なものを踊って見る者を魅了するペアもいた。

 そんな中でシオンとアイズは、

 「……っ!」

 「まだ、まだだよ……!」

 ある意味本格的で、しかし型破りな踊りをしていた。

 シオンが右足をアイズの横へ踏み込ませると、アイズは逆に滑り込むようにシオンの体へと身を寄せる。ぶつからないようシオンが半身になれば、今度はアイズがシオンの手を引っ張ってクルリと回転させた。

 そこからアイズがシオンの腰から手を離すと、次の動きを察したシオンも同じくアイズの腰から手を離す。そして繋いだままの手を真上にピンと伸ばし、背中合わせになりながらもう一回転。向かい合わせに戻ったら即座にダンスの基本的な体勢に移る。

 オーバーな表現方法。誰かにぶつかりかねないが、しかし服が掠れる事さえ一度もない。

 アイズが足を引く。当然ついていくしかないシオンは、そのまま上半身を後ろへ倒したアイズの背中を支えるように手を置いた。柔軟な体をしているからこそできる事だ。体を支えるために自身も上半身を折り曲げていたシオンを見ると、アイズは小さく笑う。

 「ガレス。一つ聞きたいんだが、あの二人は踊れたか……?」

 「む? いや、フィンが教えたのでなければ踊れないはずだが」

 金と銀の演舞。それはとても目立っていて、何気なく目を向けるだけで勝手に視界の中へと入ってくるほどだ。

 当然、今回は見るに徹していた二人の目にもその光景は飛び込んでくる。だが、それは二人にとって驚くべき事でしかない。

 ダンスとは、一朝一夕覚えられる物ではないのだ。にもかかわらず、まるでそれが当然のように舞っている二人の姿には驚かされる。

 「……? ふむ、なるほどな。わかったぞ、何故あの二人が踊れるのかが」

 「なんだと。私には何もわからないのだが」

 「理詰めで考えようとするのが間違っているからの。全く、面白い考え方じゃよ」

 ガレスが愉快愉快と笑っている間に、アイズが動き出す。

 まるで押し込められたバネが戻るかのように体を起こすと、驚くシオンの頬に軽く唇を触れさせる。内心ではかなり恥ずかしかったが、それを押し隠すように、笑みを深める。

 まさしく今の姿に似合う快活で、人を翻弄してくる女の子。記憶にない程『弄ばれている』感がしてならないシオンだが、焦りだけはしなかった。

 「いくらなんでもお転婆すぎ」

 「無礼講って、ロキも言ってた」

 余裕そうに見えても内心では、というのがシオンにはわかる。だからシオンは薄い笑みを広げると、グイとアイズを腕の中へと引き寄せる。

 「だったらもっと、派手にやろうぜ?」

 それこそキスでもできるな距離でニヤリと笑えば、アイズはちょっと顔を赤くして距離を取ろうとした。可愛いなぁとか思っていると、視界の端にフィンとティオネの姿が見えた。

 どうやらフィンのお相手はティオネが奪い取ったらしい。いや、フィンが選んだ、の方が正しいだろうか。

 予測となるが、恐らくフィン争奪戦はかなり過激になったのだろう。フィンの顔に浮かんでいる微かな疲労感がそう思わせる。

 そしてさてお相手は、となった時にティオネが選ばれたのは偶然じゃなく必然だ。何故なら誰を選んでも角が立つから。ならば身内であり且つ小人族と同じくらいの身長を持つ者、つまり()()を相手にすれば不満は少なくなる。

 ――言える訳無い、か。あんなに幸せそうなのに。

 まだティオネはフィンから女性扱いされてない。情愛深い彼女には報われて欲しいが、シオンの考えが正しければ、彼女は……。

 「シオン? どうしたの?」

 「え? ああいや、ちょっと考え事」

 意識が思考の海に没頭しかけたところで、アイズに声をかけられ引き上げられる。ダンス途中でパートナーを放っておくなと内心自分を叱咤しつつ、それを表に出さないよう、彼女に笑いかけると小声で一つ提案した。

 「それ、ちょっと派手すぎると思う。それに二人の仲を邪魔するなんて」

 「いいのいいの。フィンとティオネならわかってくれるから」

 最悪ティオネに怒られるのは自分だけにすればいいし、という言葉は呑み込んだ。怒られるのが目に見えているからだ。

 アイズは踊りを継続しながら乗るか反るかを悩んでいたが、結局はシオンの提案を受け入れてくれた。

 「……しょうがない」

 苦笑を一つこぼすと、それを合図として二人はフィンとティオネの元へ近づく。それに真っ先に気づいたのがフィン。しかし流石にぶつからないだろと、そうたかを括っていたら。

 「――え?」

 「――は?」

 何の手品か、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 シオンの相手はティオネに、アイズの相手はフィンに。一瞬の交差の内に入れ替わったせいで認識の遅れた二人の顔が、驚きに目を見開いた。

 「フィン、ちょっと私に合わせて」

 「ティオネ、少し遠くに離れるぞ」

 それぞれが相手にお願いをする。驚いていた二人だが、何となく事情を察し、フィンは同情、ティオネは呆れの色を相手に向けた。

 「普段の私なら怒ってたわよ。邪魔するなって」

 と不満を口にしつつ、なんだかんだで付き合ってくれるティオネである。フィンとアイズから少しずつ距離を取るようにして動いていくと、やがて不思議とあの二人の周囲に人がいなくなっていった。

 ほんの少し、数M程度。だがそれで十分。

 「【目覚めよ(テンペスト)】」

 フィンの腕が、真上へと伸びていく。その手を掴んだままのアイズは地面を蹴り、飛び上がった瞬間、

 「【エアリアル】!」

 先の決闘で使われた風が、アイズの体を包み込む。

 その後アイズは未だ上へと伸ばされたままのフィンの手のひらへと降りる。フィンの『力』が高いからこそできる芸当。ほぼ片足立ちだが、その状態を維持するためのバランス感覚は持ち前の才覚と風の補助で何とかした。

 フィンとアイズの身長は子供のそれ。だがしかし、フィンが真っ直ぐ手を伸ばし、そこにアイズが立てば、今ここにいる全ての者よりも高くなる。

 つまり――今アイズは、全ての存在から、注目を集めていた。

 「【エアリアル】」

 もう一度、アイズは己を鼓舞するために魔法の言葉を唱える。そして彼女は、どこからか飛んできた剣を受け取ると、その場で()()()()()

 少しでも感覚がズレれば足を踏み外して転び、みっともない姿を晒すだろう。それを覚悟していながら、しかし少女は誰もが見惚れる動きで舞い続ける。

 金の髪、白い肌と、それに合わせた白い服が、夕闇に照らされる。風が揺光を反射させ、一人の少女を、女神かと錯覚させるだけの神秘さを生み出す。

 片足で立っているなどとは思えない動作。時には片足でジャンプし空中で数回回転するなどという技さえ見せた。

 一分か、二分かあるいはもっとか。

 ほんの少しだけの舞踏は終わりを告げる。女神を宿した少女は、舞台となっていたフィンの手のひらからフワリと飛び上がると、どこかへと舞い降りていく。風を纏い、緩やかに飛び降りていった先に立つ少年が、役目を終えた少女の体を横にして抱き留める。

 少女はそれに感極まったかのように少年を抱きしめた。

 まるで演劇。その一幕を切り取ったかのような光景に、割れんばかりの拍手が響いた。

 お姫様抱っこをしている銀の少年と、されている金の少女。まだまだ子供だが、共に美男美女になるとわかるとてもお似合いの二人にからかいの口笛で持て囃された。

 オラリオの冒険者だからこそできること――そう考えて、シオンはこれを提案した。『恩恵』によって増強された身体能力と、アイズの『魔法』による劇。単なる劇団員にはできない圧倒的な利点があったからできたことだ。

 一歩間違えれば演出(パフォーマンス)ではなく曲芸(サーカス)扱いされかねなかったが――うまくいったと、シオンがアイズに笑いかける。

 「一つ貸し。ちゃんと返してね」

 そう言って笑うアイズも、シオンに負けず劣らず楽しそうだった。

 

 

 

 

 

 ――そんな光景を、遠くから見ていた少女がいた。

 輪となっている人の海から更に離れた場所。彼等がいる場所よりも一段高いところにいたが故に見えてしまった、二人の姿。

 「……誘えなかったなぁ」

 誰とも踊らず、どころか誘えないまま時間を向けた彼女は手持ち無沙汰になっていた。本当は同じ【ファミリア】の子から誘われていたが、断った。彼等が顔を赤くしていた理由を何となく察していたというのもあるが、何よりも。

 「シオンと一緒に、踊りたかったのに」

 誰より好きな少年と、手を取り合ってダンスをしたかった。その為に似合わないだろうと思いつつもドレスを着て、化粧を施したのだ。

 いつもと違う大人っぽさを出す――そう言われて。でも結局、中身は変わらなかった。ティオナという少女は、演技ができる人間ではなかったからだ。

 だからこうして――一人惨めに、舞台にすら上がれないまま蹲っている。

 「何、やってんだろ。私」

 頑張ったのに。皆も手伝ってくれたのに。無駄にしてしまった。フィンに頼んで何とか姉と踊れるように仕向ける事ができたのだけが、救いだろうか。

 「……別のところ、行こうかな」

 見ているだけは、辛すぎる。蚊帳の外に立ち続けるのは、孤独さだけを感じさせられるから。思い立った少女は、喧騒から離れたところへ行ってしまう。

 そこは、何も無い場所だった。かつては色々と置いてあったが、たった一人の墓を作るためだけに全てを撤去させられた。

 名しか知らぬ、シオンの義姉の遺体が納められた墓。

 ――リヴィア・エルステイン。

 会った事さえ無いその女性の墓の前に立つと、そこにスカートが汚れないように気をつけながら膝をついた。

 言葉は出ない。何故ここに来たのか、自分でもわからないから。

 「……シオンは元気にしています」

 やがて口をついて出たのは、そんな言葉。

 「本人はいつもいつも無茶してばかりだけど、それは誰かの為で……だから、リヴィアさんもきっと心配してると思います。私も、同じですから」

 ――体はここにある。けれど魂はここにはない。

 そうロキから聞いた事がある。だからこれは、ただの自己満足。

 届いていないとわかっていても、言わずにはいられないから。

 「でも、そんな彼だから、皆惹かれるんだと思います。惹かれて、集まって、ついていく。そしてついてきた人を、シオンは守る」

 でも、という続きの言葉が、口から漏れてしまう。

 「シオンを守ってくれる人は、どれだけいるんでしょうか」

 自分と、姉と、ベートと、アイズ。そしてフィン、リヴェリア、ガレス、ロキ。この八人は絶対味方だと言い切れる。

 だけど、それ以外の人は?

 「心配で心配で、仕方がないんです。いつの間にかどこかに消えてなくなりそうで、私達の前からどこかに行っちゃいそうで。引き止めるだけでも全力を出さないとダメで」

 壊れてしまいそうなくらいに頑張りそうな人なのに、守ってくれる人が多いとは思えない。むしろ敵対してる人の方が多い。

 「リヴィアさんが、死んじゃったから。リヴィアさんが原因で、なのに一番の支えがあなたである事実が、悔しいです」

 ティオナ・ヒリュテという少女は、シオンの心の中心にはいない。近しいところにはいられるかもしれないが、決して中心には立ててないのだ。

 「でも、それで構いません」

 悔しさはある。けれど。

 「だって私は、シオンを――」

 「――やっと見つけた。何話してるんだよ、ティオナ」

 「……へ?」

 決定的な一言。

 それを告げようとした瞬間届いた声に、ティオナの脳が、次いで体が停止する。理解したくないと叫ぶ心をねじ伏せて、ギリギリで放たれてないから大丈夫と無理矢理体を振り向かせた。

 シオンが、そこにいた。

 アイズと踊っていたはずなのに、何故か、そこに。

 「シ、シオン? アイズと踊ってたんじゃないの?」

 「一区切りついたから、そこで終わった。ティオネに引っ張られてったっていうのもあるんだけどね」

 で、

 「義姉さんと何話してたんだ? 変な事言ってたら流石に怒るぞ……?」

 「へ、変な事は言ってない!? 大丈夫大丈夫、ちょっと私の思ってる事を一方的に言っただけだから」

 「ふぅ、ん……? まぁ、いいけどさ」

 妙に焦っているティオナの反応に訝しんだシオンだが、本筋から外れていると思ったのか、真面目な顔をする。

 その顔にドギマギしていると、シオンの顔が痙攣しだし、そして吹いた。

 「ぷ、くく……何だ、結局いつものティオナか」

 「結局って何!? いつもの私でいるのが悪いのかな!?」

 「いやいや、悪くないって。単に、思い直されただけだから」

 知らない子だとさえ思わされた、変身だったが。

 ティオナはティオナ。姿が多少変わったくらいで、何かが劇的に変わるはずがない。そう思い直された。

 だからシオンは、気負わずこう言えた。

 「それで、踊らないのか?」

 「え?」

 「いや、さっきおれを誘おうとしてくれただろ。ティオネの言ってたお願いって、その事なんじゃないのか」

 あの後ユリに連れ去られ、そのままアイズに誘われたから忘れていたが、あのタイミングでのお願いなど、心当たりは一つしかない。

 だがティオナは、少し寂しそうな顔をすると、俯いてしまう。

 「い、いいよ……私、踊れないし。シオンに迷惑かけちゃうから」

 本当は踊りたいけれど、ティオナは本当に、踊れない。アイズとあんなに上手に踊れていたシオンからすれば、きっと呆れてしまうくらいに。

 先のあの光景が、少女が踏み出すのを恐れさせていた。

 だがシオンは、そんな彼女の想像を砕いてしまう。

 「うーん、別におれだって踊れる訳じゃないんだけどな」

 「え……? 嘘――じゃ、ないよね」

 「ま、嘘ではないな。だっておれが踊れるのはアイズと……後は、フィンだけだし」

 へ、と妙な声がティオナの口から漏れる。けれどシオンは真顔で、変な冗談か何かではないのだと言っていた。

 「ど、どういう意味?」

 「おれとアイズがやってたのは()()だよ」

 「戦闘!? ダンスしてたんだよね?」

 「見た目的にはね。でもおれとアイズが考えていたのは戦闘だよ」

 だからこそあんな見た目激しく動いていたのだ。あらかじめ両手がどこに置かれるかを決めた状態にし、そこからどうやって相手を『組み落とす』かを争っていた。途中途中ふざけてもしたが、それはそれとして。

 「うまく相手を騙して、自分のやりたい事を押し通す。型も何も無いから、お互いの思考が噛み合わないと一瞬で転ぶぞ?」

 「……えぇ……あ、だからフィンとも踊れるのか」

 一対一での戦闘経験。それがこの二人とだけ段違いに積んであるからこそできること。そのせいでシオンがある意味まともに踊れるのは、この二人だけだ。

 ガレスが見抜けたのは、理詰めではなく何となくの直感故。

 まともに考えれば、アレが戦闘なんてわかるはずがないだろう。あの幻想的な光景が、そんな原始的な戦闘行為によって成り立っていた等と。

 「ま、そういう事だからさ。おれに迷惑とか、考える必要ないぞ」

 笑いかけるシオンだが、やっぱりティオナの反応は薄い。地面に膝をついた体勢のまま、立ち上がろうともしなかった。

 普通に誘うだけでは、ダメだ。

 頭の中からこういう時の作法は無いかと引っ張り出すが、参考にできる物があまり無い。

 しばし悩み、ふぅ、と息を吐き出す。ティオナの肩がビクリと揺れたのを目にしながら彼女に近づいていくと、その目前で膝をつき、手を差し出した。

 「美しいお嬢さん。私と一曲、踊って頂けませんか?」

 「……? シオ、ン?」

 一体何をしているのか、と目を瞬かせるが、シオンは手を差し出したまま動かない。その目はこの手を取るか取らないのか、と聞いていた。

 取れば、シオンはきっと踊ってくれる。

 取らなければ、どこかへ行ってしまうだろう。

 何となく、わかった。

 ティオナは少しだけ考える。自分とシオンが踊った場合と、シオンがどこかへ去ってしまった場合とで。

 どちらがいいのか。

 シオンが去っていくそれは、嫌だった。

 ならば答えなんて、元から一つだけしか存在しない。

 それに、問われて気づいた。ティオナは、アイズに劣等感と悔しさを感じていたのだと。それを見たくなくて、それを誤魔化すために、ここに来たのだということを、今気づいた。

 だけど、それだけを感じた訳でもない。

 きっと――羨ましかった。

 だから自分とも、踊って欲しい。

 答えはとても単純で、ならば言う言葉も、とても単純。

 「――はい。喜んで」

 笑顔で手を取り、受け入れよう。

 

 

 

 

 

 ティオナは踊り方がわからない。

 その言葉通り、彼女は組み方さえ知らなかった。とはいえシオンもよく知っている訳じゃない。そこまで本格的でないのだからと『それっぽい』形にできればそれでいい。

 形ができると、今度は左右に動き出す。しかし、

 「……っ」

 「ご、ごめんなさい」

 ティオナの足が、シオンの足を踏んづけてしまう。時間が足りないせいで大剣を扱う技術、いわゆる型に沿った動きを覚えられてない彼女は、技術の応用なんてできなかった。

 しばらく痛みに呻いていたシオンだが、何とか落ち着いてから言った。

 「リズムに乗った方がやりやすいかな」

 「それ、どうするの?」

 「そうだな……。それじゃ、(アン)(ドゥ)(トロワ)で」

 「わ、わかった」

 自信無さげに頷きながら、ティオナはもう一度、シオンにその身を寄せる。

 「行くぞ。――一、二、三」

 「ア、一、二、三」

 最初はとてもぎこちない動きだった。

 とにかくシオンの足を踏まないように気をつけて、そのせいで定まらない体のバランスをシオンにフォローしてもらって。みっともなく、自分でさえ誰かに見られたら恥ずかしいと思うような出来の悪さ。

 だけど、それでも。

 「一、二、三。一、二、三」

 「一、二、三。一、二、三」

 楽しかった。

 誰にも見られていない、誰もいない、たった二人だけの舞台だけど。

 「シオン」

 「一、二……なんだ?」

 「楽しいね」

 いつの間にか不安は消え、内から湧き出るように、自然と笑みが零れていた。

 「そうだな」

 ティオナ・ヒリュテは幸せだと、自信を持って言える。

 だってこんなにも、嬉しいんだから――。

 そうして二人は、小さく踊り続ける。

 今宵の宴が、終わるまで。




今回もいただいた感想からお話を考えました。構想一日なんでやっぱり粗いかもしれませんが許してくださいだって予定になかったんだものこのお話。

ちなみにいただいた感想
『何故かこの話を読んで、『自分には似合わないと思いつつもティオネやリヴェリアに強引に着せられたドレスを身に纏い頬を染めモジモジしながら自信なさげにシオンに感想を伺い「可愛いよ」の言葉を聞いた途端顔がにやけるのを止められなくなったティオナ』の図を閃いた私です。彼らは今回はホスト側なので、そんなことはないのですが。宴、という単語が引っ掛かったのでしょうか』
こんな感じだったんですけど、ご要望、応えられたでしょうか? ちょっと不安です。色々改造しまくったんで。

まぁそれはそれとして、こんな感じに宴は終わりです。メインがシオン、ティオナ、アイズになってしまったのは仕方がないよね。

解説入りマース
変身する少女達(Change up Girl's)!!』
今回は主題通り、二人の少女に大変身してもらいました。ただ私の表現力が足りてないかと絶賛不安に駆られている私です。
普段は可愛いティオナを美しく、綺麗なアイズを可憐にさせてみましたが、本当、女の子はいきなり変身してくるから恐ろしいよねって伝えたかった。シオン君も作中たじたじでしたね。
それに伴いアイズを内心はともかく活発的な感じにしてみた。ティオナは当初『落ち着きある大人っぽい女の子』にしようかと思ったんですけど、彼女の性格的に演技は無理かなと感じて諦めました。

ダンスについて
門外漢もいいところなんで、だったらいっそと型破りにしてみた。特にフィンの手の上でアイズがソロで踊るなんて現実じゃ絶対無理ですからね。
よっぽど看過できない致命的なミスがあったら修正しますが、無ければこのまま押し通そうかな、なんて。

ティオナとアイズの対比
実は今回のお話、外見だけでなく話の中身も対比にさせてます。気づいたでしょうか?
シオンとアイズペアの時は皆が見てる真っ只中、更にとても派手に踊っています。逆にシオンとティオナペアの時は誰も見てない場所、静かに踊りました。
皆さんは、どちらが羨ましいと思ったでしょう? 私的には後者です。

で、何故こうなったのかにはちょっと理由がありまして……。
この『Change up Girl's!!』、元々クリスマスに投稿する予定だったんで、それに因んでちょっと工夫してたんです。
羨ましいと思った云々もそれに起因してます。
あくまで例えばなんですが、
前者のアイズは己の恋を周囲に喧伝したいタイプ
後者のティオネは恋人と静かに恋を育みたいタイプ
こんな感じを想定して書きました。
どっちが良いとは言いませんが、共感しやすければいいかな。


――ま、この考えもクリスマス投稿できなくて無駄になりましたけどね!!


なんて自虐は置いといて、次回タイトルをば。
『変幻する魔法』
想定してた文字数超えるとタイトル変わるかもしれませんけど、一応。

さて最後に。
投稿してから約半年近く。早いものですが今年も残りわずか。今年の最後、そして来年へ向けて皆さん頑張りましょう。
次回もお楽しみに!


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変幻する魔法

 宴も終わり、皆が満足した顔をして帰っていく頃。

 大成功に終わったと言い切っても構わない今宵のイベントに満足していたのは、ここに来た彼彼女等だけではない。【ロキ・ファミリア】全員にも共通していた。

 やりきったという感慨を抱きながら、少しの寂しさを覚えつつも後片付けの作業に入る。ゴミ拾いはもちろん、残ってしまった料理の処理、出されたテーブルや椅子の足を拭いてから元あった位置に戻しと大忙しだ。

 特にシオン達とフィンがやりあったところは血だったり、魔力爆発が原因で焼け焦げていたりと面倒くさい後始末が満載。

 給仕をしていたのもあって、流石に疲労の色を隠しきれていない団員達の中に、シオン達の姿は何故か無かった。

 そして、彼等がどこにいるのかというと。

 「フィン、おれ達も片付けの手伝いに行かなくてもいいのか?」

 「それについては問題ないよ。前日に告げて納得してもらっていた。シオン達が今日やるのは開催前の案内と、あの決闘だけだって」

 フィンの作業室――団長室にいた。

 宴が終わってすぐについてきてくれと言われてここまで来たが、五人の頭の中にはどうしてという疑問が溢れてやまない。訝しげな顔を向けられているフィンは一度苦笑しながら、その手を作業机の中に入れ、一冊の本を取り出した。

 それを持つと、シオン達の前にまで来て差し出してくる。

 白い。そして分厚い

 それがその本を見た第一印象。敢えて白く塗装されたらしいその本は、表紙に幾何学模様が描かれているのみ。恐らく見る者が見れば規則性を教えてくれるのだろうが、少なくともシオンには、それが何を意味しているのかわからなかった。

 題名(タイトル)は、無い。

 しかしシオンには、まるであの模様自体が題名を示しているかのような、そんな気がした。

 だが何より気になったのは、その本の外観をシオンが知っていること。とはいえあくまで知識でしかない。

 けれど震える声で、問うように言った。

 「まさかこれ……『魔道書(グリモア)』……?」

 え? という疑問が、誰かから漏れる。

 仕方がないのかもしれない。普通に生きているだけなら魔道書なんて物は知らなくても当然のことだし、知っていても手が出せない代物なのだから。

 「これが本物なら、使()()()()()()()()()()()()()()はずだけど」

 シオンの掠れるような言葉。けれどその内容は誰もが驚愕すべき内容。息を呑んだ音が後ろから数度聞こえながら、シオンは探るようにフィンの目を見る。

 「本物だよ。僕が手ずから購入してきた。足元は見られたけどね」

 フィンはあっさりと答える。渋面しきった顔はそれまでの苦労を表しているようで、だからこそシオンも、信じるしかなかった。

 「で、でもどうしてこれをおれ達に?」

 「報酬だよ。今回の宴が成功に終わったのは、君達のおかげと言っていい。なのに報酬の一つも無いなんて、他の者にも示しがつかないだろう? 無償(タダ)で渡せば文句は出るが、あそこまでの死闘を見せた上で渡すなら、誰も口出しはできないし、させない」

 元々フィンの狙いは複数あった。

 ゼウスやヘラを追い出した事でできた悪意を少しでも解消するため『敵対するよりも迎合した方が利が得られる』と思わせること。そのためにシオン達の『未来への可能性』を見せつけて、近い将来【ロキ・ファミリア】はもっと繁栄するのだと理解させる。

 それに伴いシオンに向けられていた悪意の緩和もさせておく。注目されるのだから、限度はあるだろうが。

 そして巻き込むのなら相応の報酬を。現在のシオン達の戦力を鑑みて、足りない部分――即ち圧倒的な後衛不足を補う物の用意。

 魔剣ではダメだ。アレは無詠唱でそれなりの威力の魔法を放てるが、回数制限というどうしようもない欠点がある以上、アテにはならない。

 故に魔道書。これを使って魔法を覚えれば、半永久的に後衛としての役割ができる。

 「――ただし、誰に使うのかまでは口出ししない。君達の戦い方を一番よく知っているのは君達だけだ。魔道書はその一冊だけ、よく考えてくれ」

 「考える必要はありませんよ、団長」

 両手を組みながら言ったフィンに、即答したのはティオネだった。

 全員の視線がティオネに集まる中、彼女はむしろ当然と言わんばかりに胸を張り、自信満々に応えた。

 「覚えるのは、シオンです」

 「え? お、おれ!?」

 自信満々のティオネと反対に慌てたのはシオンの方。いきなりの指名に持っていた魔道書を落としかける程の慌て様だ。

 そんなシオンに、ティオネは呆れたように溜め息をする。

 「ハァ……逆に聞くけど、あんた以外に覚える人はいるの? ちなみに私はもう魔法を覚えてるしいらないわ」

 「あ、なら私もいらないかな。大剣振ってるだけで精一杯だし、魔法の詠唱なんてしてる余裕は無さそうだから」

 「私も、必要ない。【エアリアル】があるから。二つの魔法を同時に使うのは、できないから」

 女性陣は一気に拒否。しかし内容は意外とまともであり、確かにと思わせられる。シオンは残り一人であるベートを見たが、

 「あ? 常識的に考えろ。普段やってる役割で、一番魔法を詠唱してる余裕があるのは、誰だ」

 と諭すように言われては、反論できない。

 戸惑うようにシオンは手に持った魔道書を見る。想像だにしていなかった、自分が魔法を覚えるという現実に思考が追いついてこない。

 そんな彼等を、フィンは優しく見つめていた。魔道書という、一冊で何千万、あるいは億を越える物を見ても、執着せずに『現状の最善』を選び取る。

 それは生半可な信頼でできる事じゃない。もしこれをそこらのパーティに渡せば、絶対に不和の元となるだろう。そうならない時点で、彼等の絆はとても強いのだと、わかる。

 「さ、皆はもう自分の部屋へ帰るんだ。疲れただろう? ゆっくり休んで英気を養ってくれ」

 耳にすっと入り込むような優しい声でフィンが言う。実際今にも倒れてしまいそうなくらい疲弊していたシオン達は、はいと答えて部屋から出ていった。

 それから数分。ノックに返事をすると、リヴェリアが入ってきた。

 「予想通り、あの魔道書はシオンが受け取ったらしいな」

 「あのパーティの現状ではそれが最善手だ。まぁ、本当にそうなるかはわからなかったよ。魔法っていうのは使えるだけでも憧れの対象になるからね」

 「全く、人が悪い。彼等の信頼の強さを計ろうとするなど……」

 それで、とリヴェリアはフィンに聞く。

 「シオンは、どんな魔法を覚えると思う?」

 「さあね。それは僕にもわからない。私的な考えだと、防御関連の魔法なんじゃないか、とは思ってるけど」

 シオンの目的は『大切な人を守る』こと。だからこの考えも強ち外れてはいないはず。

 「けど結局はシオン次第だ。今度はどんな爆弾を持ってくる事やら」

 「爆弾を持ってくること前提か?」

 「今までのシオンのやり方を振り返ってごらん」

 「……否定できんな」

 楽しみでは、ある。

 だがそれ以上に、どんな対応をすれば悩む二人だった。

 

 

 

 

 

 魔道書。

 それは先にも述べた通り、強制的に魔法を発現させる本だ。

 これを作るためには『発展アビリティ』を二つ、覚えなければならない。それも『魔導』と『神秘』という、とても希少なアビリティだ。リヴェリアでさえ『魔導』しか覚えていない、といえばその希少さがわかるだろうか。しかも『発展アビリティ』は【ランクアップ】時に一つずつしか選べない性質上、最低でもLv.3でなければいけないという事実。

 加えてこの二つを極めなければ魔道書を書けないため、この本の希少性は言わずもがな。探すだけでも相当な苦労があっただろう。

 ちなみにこれ、希少なだけあって一度使えば効果は消失する。使い終わればただのガラクタになってしまうので、下手な鑑定眼だと贋物を掴まされる可能性さえあった。

 「魔法……か」

 魔法を覚えられる数には限りがある。

 最低一つ、最高三つ。

 それが一人の人間に覚えられる魔法の数。エルフなんかの例外はあれども、先天的に覚えられない種族、『恩恵』に頼っている者は絶対にその縛りを破れない。

 その理由はスロットだ。このスロットに空きがある分だけしか魔法を覚えられない。シオンにある空きの魔法スロットは二つなので、シオンに覚えられる魔法の数は二つだけになる。

 例外として、かなり高位の魔道書を読めば確率でスロットが増えるという話を聞く。もちろん確率なので絶対ではないし、三つのスロットがある者が使えば意味がない欠点もあるが。

 シオンは小さく息を飲み込み、更に魔法に対する復習を行う。

 魔法には先天系と後天系の二つに分けられる。先天系は言わずもがな、エルフの種族なんかがそうだ。対象の資質と種族の根底を引っ張り出すもののようで、属性には偏りが多いらしいが、規模が大きく強力な魔法が多い。加えて元々知っていた修行や儀式によって、若い者でも魔法を覚えている事がザラだ。

 故にこそ、彼等はその種族名以外にも魔法種族(マジックユーザー)なんて呼ばれていたらしい。

 しかしこれにも例外はいる。やはりリヴェリアだ。

 【九魔姫】と呼ばれる彼女はシオンの知る限り属性に偏りはない。ただし対象の資質、つまりリヴェリアの持つ誇りと、王族(ハイエルフ)としての在り方故か。流石にこれからは逃れられなかったらしい。

 『我が名はアールヴ』

 その一文に、彼女の誓いが見て取れるようだった。

 そして後天系。これは完全に『神の恩恵』に頼ったものであり、そのせいか魔法に対する規則性は存在しない。唯一の導は己の【経験値】のみ。

 そう――『神の恩恵』によって覚えた魔法とは即ち、その者が心の底から渇望する事を日の下に晒す行為に他ならない。

 嘘は吐けない。

 己の望みだけを、願わなければいけない。

 故にこそ。

 「おれの、願いは――」

 そう呟きながら、シオンは魔道書の最初のページを捲る。

 そして――()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 真っ暗だった。

 いいや違う。単におれが目を閉じていただけだ。だから暗く見える。しかし目を開こうにも、まるで何かで引っ付けられたかのように動かない。

 周囲に何があるのかと気配を探っても、反応がない。音もしない。匂いも無い。

 そもそも、何かが触れる感触はあるのだろうか――?

 確か自室のベッドの上で横になっていたはずだ。そこで魔法に対する復習をして、嘘は言わないと決意してから魔道書を捲ったはず。

 そうだ、魔道書――アレを見てからこうなったのなら、原因は魔道書にある。

 ならばこれは、既に試されている、という事なのか。

 もしそうなら、おれがすべき行動は。

 そう思った瞬間、いきなり閉じさせられていた眼が開く。

 ――え?

 白い、空間だった。

 上も下も右も左も、全てが白い。それから自分の体を見下ろして、気づく。

 ――おれの、体も……?

 声を出そうとしても、声が出ない。自分の体は確かにある。そう認識できる。なのに、真っ白に染まった己の体は輪郭だけを残し、全容の把握を許さない。

 白。白。白白白白白白白白白白シロシロシロシロシロシロしろしろしろしろ――。

 どこを見渡しても。

 全部、その一色だけしか存在しない。

 走った。他の色を求めて。自分以外の何かを求めて。だけど、どれだけ走っても、どれだけ目をこらしても、何も、無い。

 この体の影響か、疲れは存在しない。だけど、それが余計に自分が想像もできない異形になったのではと不安にさせる。

 やがて走り続ける事に無駄を感じたおれは、ついに止まった。笑いそうになる。これは一体何の冗談なのかと。

 それでも、心臓の無い胸に手と思しき物を当てて心を落ち着ける。肺が無いから深呼吸などしても無意味だとわかっていても、数度呼吸の真似事をして、振り返り。

 そして、そこに鏡があった。

 さっきまでは何も無かったはず。どれだけ走っても何も無かったはずの風景に、ポツンと、その鏡だけが置いてあった。

 それに言い知れぬ物を感じる。近づきたくないと思っているのに、ふらふらと引き寄せられるように足が動く。

 手を伸ばせば触れる、そんな距離に来たとき、鏡におれの体が映った。全体像ではない、斜めに区切ったかのように一部は消えている。

 二度、三度と鏡に映った自分が消えては映される。その度に消えていた部分が補強され、そして遂には完全像となった。

 鏡に映った自分自身――けれど決定的に違うところがあった。

 おれの体は、白いのに。

 目の前の体は、黒かった。

 目を閉じていた黒い自分が目を開ける。それはおれがしていない動作。硬直して動かないおれを気にせず、鏡に映った【おれ】が、鏡の中から這い出てきた。

 追いやられるように一歩、下がる。その空いたスペースを埋めるように【おれ】が足を踏み入れると、その黒い眼をおれに向けた。

 まるで見定められているかのような眼。白いおれとは正反対の黒い【おれ】が数度上から下を見やると、口を開いた。

 『なるほど。今回はお前か』

 その声は、おれのもの。けれどどこかが決定的に違う。多分、自分の声を録音して自分で聞いてみた時、違和感を覚えるのに似ている。

 『ま、こっちの仕事は変わらない。だから、まずは定型文から言わせてもらうぜ』

 ニヤニヤと、嘲るような笑みを浮かべてくる。自分の顔で、声でそうされると、言いようのない苛立ちが湧き上がる。それを必死に抑えながら、続きを待った。

 おれが何の反応もよこさなかったのが不満なのか、つまらなそうにしながら【おれ】が言う。

 『お前にとって、魔法ってのは何だ?』

 ……。

 『言えないのか?』

 言えるさ。

 おれにとって、魔法は――()()()()()だ。

 『へえ? 憎いんだ?』

 ああ、憎い。心の底から。

 義姉さんを奪った魔法が。魔力爆発が、ずっと憎かった。憎んで憎んで憎み続けた。魔法があったからじゃない、魔力爆発を起きたのもあの男がそうしたせい。そう頭でわかっていても、感情は憎み続けてやまなかった。

 『じゃあ、なんでそんな憎悪の対象(モノ)を覚えようなんて思ったんだ?』

 必要だから。

 憎み続けていたって意味がない。純然として存在するんだから、覚えて、学んで、対処していくしかない。じゃないと大切な人を守る事なんてできない。

 だから、覚える。

 あった方が便利だから。実用性があれば使う、なければ使わない。

 おれにとっての魔法なんて、そんなものだ。

 奇跡なんかじゃない、一つの手段。

 『実用性が欲しい、ね。ならどんな実用性が欲しいんだ?』

 力。

 どんな敵も、どんな障害も打ち倒すだけの圧倒的な力。弱いのなら意味がない。圧倒的な理不尽を下せるだけの圧倒的な力が欲しい。

 『他には?』

 速さ。

 どんなに圧倒的な力があっても、そこに間に合わなきゃ意味がない。だから、どんな理不尽が起きてもそこに間に合う速さが欲しい。

 どんな状況でも、どんな理不尽が来ても、どうとでもできる――そんな魔法が、欲しい。

 『我が儘な奴。お前がさっき言った事と矛盾してるぜ』

 知ってる。でもこれが本心だ。

 速さを求めれば短文詠唱。強さを求めれば長文詠唱。両立なんてありえない二律背反。でも、それが何だ?

 おれが本心から求めてる事だ。

 それに――言うだけなら、タダだろう?

 『ハッ、確かにその通りだ』

 ああ。

 『それが、お前なんだな?』

 そうだ。醜く足掻いて、もがいて、守ろうとする。失いたくないから。本当は恐怖心に駆られ続けているのを必死に隠して強気を見せてる。

 弱くて愚かで見栄っ張り――それが、おれ。

 『そうか。そうかい。ならそんなお前さんに相応しい魔法――くれてやるよ』

 最後まで、嘲るような顔のまま。

 けれどどこか親しみをこめた声を最後に、おれの意識は途切れた。

 

 

 

 

 

 目が覚める。

 布団もかけずに眠っていたようで、うつ伏せの体を起こした瞬間、寒さに震えた。窓から差し込む陽の光が、今が朝なのだと教えてくれる。

 視線を下ろすと、そこにあったのはいつの間にか読み終えられた魔道書。ベッドの上で座り込んだままそれを手に取って表紙を撫でる。それから小さく笑みをこぼすと、その本をベッドの横にある小さなテーブルの上に置いた。

 それから起き上がって服を着替え、外に出る。

 行き先は一つ。

 ロキのところだ。

 朝陽は出てるがまだ早い時間のようで、廊下にいる人はいない。実際シオンも欠伸が止まらず、何度も目を擦るハメになった。若干ダルい体が昨日の疲労を訴えているようで、少し気を抜くと今この場で眠ってしまいそうだ。

 それを堪えて、やっとロキの私室に辿り着く。一応数度ノックをすると、意外にも元気なロキの声が帰ってきた。

 「邪魔するよ」

 部屋に入ると、中は意外と整理されていた。散々汚い汚い言われていたせいだろうか。まぁ整理されているのなら歩くのにも苦労しないからいいのだが。

 「おう、構わんで。……にしても眠そうやな。まだ寝てても良かったんやで?」

 「もう一回寝ると昼まで寝てそうだから、いい。それより」

 「【ステイタス】の更新、やろ? わかってるから慌てんでええ。ほら、こっちき」

 手を振ってくるロキに従い近づく。ベッドの上で何か作業をしていた彼女は一旦それを止めて顔をあげると、シオンに上の服を脱ぐように言った。

 【ステイタス】の更新の都合上、それは仕方がない。素直に上を脱ぐと、シオンはいきなりロキに抱っこされ、体に指を這わせられた。

 「……傷、多くなってきたなぁ。最初はもっと綺麗やったのに」

 背中にゾクゾクとした変な感覚が這いずり回るのに耐え切れず、シオンが言う。

 「知らないよ、そんなの。戦ってるんだから、これくらい普通だろ」

 「せや、な。でもだからって、自分から傷を増やしていい理由にはならないんやで? それを忘れんでな」

 ロキは諭すように言うと、シオンの頭を撫でてくる。愛情たっぷりのそれにシオンは罰の悪そうな顔をするしかない。

 「さ、それじゃ【ステイタス】の更新をしよか! フィンから魔道書もらたんやろ? どんな魔法を覚えてるのか、楽しみやなぁ」

 しんみりとした空気を飛ばすように明るくロキが言うと、シオンは頷き、彼女から少しだけ距離を取った。

 それを横目にロキはベッドの上にある器具一式の中から針を取り出すと、それを己の人差し指に押し当てる。プックリと赤い血が浮かび上がってきたのを見ると、彼女はその赤い血をシオンの首の根元に当てた。

 ロキがやっているのは、【ステイタス】に取り付けられた錠の解除。【ステイタス】とはその者の戦闘能力を示す指標。これに鍵を付けて隠しておかなければ、例えば気絶した時に背中を見られれば己の全てを知られたと言っても過言ではなくなる。

 「この作業、毎回やるのは面倒くさいんやけどなー。ま、やっておかないと子供達が苦労するから仕方ないって諦めとるけど」

 「万が一の警戒は必要だからな」

 もちろん【神聖文字】を読める者は限られる。錠の解除の仕方を知る者もだ。けれど、両方を学んだ人間だって存在する。そんな者は稀だが。

 だからこそ最低限の準備は必須。面倒だ等と言いつつも決してその作業を怠らないのは、ロキがそれは必要な事だと理解しているから。

 錠の解除に必要な作業を全て終えたロキは、最後にシオンの背中の真ん中から縦に一線引く。すると真っ白なシオンの肌に、朱色の碑文のような文字群が浮かび上がった。

 これこそがシオンの【ステイタス】を記す【神聖文字】。

 すかさずロキは神血を一滴垂らす。それがシオンの背中に落ちると、水面に水を落としたかのように波紋が生じる。背中に刻まれた刻印(ステイタス)が薄れていくのを確認した後、ロキが新たな文字を上書きしていった。

 眷属に蓄積された【経験値】は一人の例外無く神の手によって抽出される。それを元にして【神聖文字】は形作られ、意味を成し、成長の礎となる。

 その全てが手作業。当然団員数が多くなれば捌く数は大量となり、そのため多くの団員を抱えるところではある程度の優先順位、あるいは日割りで決められているらしい。

 ロキの場合は――結構適当だ。気分屋でもあるし。

 そんな事を考えている間にロキはシオンの【ステイタス】に再度錠をかけ、それから羽根ペンを取ると羊皮紙に更新された【ステイタス】を記していく。

 背中に刻まれた文字を読むのは鏡を使っても困難。そもそも【神聖文字】を解読するのはかなり難しい。一応リヴェリアから学んでいるシオンだが、読み取れるのはまだまだ少しだけである。

 だから、こうやって下界で一般的に使用されている共通語(コイネー)に神が訳すのだ。

 全てを訳し終えたロキが早速と手元を覗き込む。実は更新ばかりに気を取られていて、魔法を覚えたのは知っていても中身は把握していなかったりするのだ。

 「……へ?」

 そして、素っ頓狂な声が漏れた。

 どこか呆然としているロキを不思議に思い、シオンは横から羊皮紙を見る。

 

 シオン

 Lv.2

 力:A806→A811 耐久:B791→A801 器用:A813→822 敏捷A809→817 魔力:I0

 悪運:I

 《魔法》

 【イリュージョンブリッツ】

 ・変化魔法

 『詠唱開始文』

 【変化せよ(ブリッツ)

 《スキル》

 【指揮高揚(コマンドオーター)

 ・命令した相手の【ステイタス】に補正。

 ・補正の上昇率及び持続時間は命令内容によって変動。

 ・自分自身には効果が無い。

 

 「な、なんだこれ……?」

 魔法を覚えた。それはいい。

 だが説明の意味がわからなかった。あまりにも中身が薄すぎる。そもそも詠唱文とかそういうのではなく『詠唱開始文』とは一体……?

 シオンが不可解に思っていると、ロキがいきなり額にデコピンしてきた。

 「った。いきなり何するんだよ」

 「ここでダラダラ考えてても仕方ないやろ? どーしても気になるんやったらダンジョンにでも行ってくればええやん。わかんなくてもうちがリヴェリア辺りに確認しとくから」

 キョトンとしていると、ロキが身振りで行けと示す。

 一体何が何やらと思いながらも、ロキはこれ以上話を聞いてくれなさそうだと判断し、素直に身を引いて部屋を出た。

 「イリュージョン……か」

 そんな呟きを、聞きながら。

 

 

 

 

 

 とりあえずダンジョンの1層に来たシオンだが、さてどうするか、と悩む。ちゃんと武装はしてきたので1層程度のモンスターなら目を瞑っていても勝てると言い切れるが、ここに来たのはあくまで魔法を使う――いや、扱い方を覚えるため。

 とりあえずうんうん唸っていたが、全然わからない。ので、

 「【変化せよ(ブリッツ)】」

 何となく唱えてみた。すると自身の中にある魔力が起きたような、そんな感覚が宿る。つまり魔法発動の準備段階にはなっているのだ。

 ここからどうする――そう思ってふと頭の中に浮かんだ光景。

 アイズが風を纏い、戦う姿。

 「……【サンダー】」

 ポツリ、と。

 小さく呟いたそれが、引き金(トリガー)となった。

 体にまとわりつく黄色の稲妻。バチバチと鳴り響くそれが全身から聞こえてくる。見下ろしてみれば、体が発光していた。

 「……付与魔法?」

 己の体に、武器に属性を付ける魔法。

 試しにと前に跳んでみれば、ありえない距離を移動していた。というか、

 ――()()()()!?

 雷速、とまでは言わない。けれど、まるでLv.3かあるいはLv.4と思しき速度に、目が追いついてくれない。

 しかも知らない内にゴブリンを轢いていたらしい。雷に触れたゴブリンが焼け焦げ、そのまま魔石が壊されたのだろう、灰になって消えていた。

 ふと、昨夜魔道書に告げた想いが脳裏を過ぎる。

 『速さ。

 どんなに圧倒的な力があっても、そこに間に合わなきゃ意味がない。だから、どんな理不尽が起きてもそこに間に合う速さが欲しい』

 それが、これなのだろうか?

 だがアイツはこう言っていた。

 『おれに相応しい魔法をくれてやる』と。

 ならばこの付与魔法は、この【イリュージョンブリッツ】の一端に過ぎないはず。バクバクと鳴り続ける心臓を手で押さえて、おれはこの魔法を維持したまま、気づけば12層に到達していた。

 予感があった。

 ここに来れば、もしかしたら『アイツ』に会えるのではと。

 運命を感じた。

 最初に感じた本当の死の恐怖。仲間を殺されるかもという、喪失感。それを拭うのなら、今、この時だと。

 『ゴ、ガアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァッ!!』

 琥珀色の鱗。

 蛇の瞳。

 巨大な尻尾。

 鋭い爪。

 無数の牙。

 それらを特徴とする、上層の主。

 かつて死にかけた大敵。

 「久しぶり、『インファント・ドラゴン』」

 それを相手に、シオンはたった一人で挑みにかかる。

 先に動いたのはインファント・ドラゴン。様子見とばかりにブレスを数発、連続で放ってきた。だがそんなもの、雷を纏うシオンには追いつけない。

 むしろブレスによってシオンの姿を見失ったインファント・ドラゴンの頭上から、一気に飛び降り角を切り落とす。

 『ギャアアアアアアアアアアアアアアッ!??』

 痛みに悲鳴を上げ、やっためたらに爪を振り回す。

 どうしてだろう。

 あの時にはそれがどうしようもなく理不尽に思えたのに。

 今のコイツの爪は、どうしようもなく脆く感じてしまうのは。

 「【解放する(リリース)】」

 雷の付与魔法を解除。

 代わりに純然たる魔力となったそれがシオンの武器へと集っていく。魔力が可視化できるのではないかと錯覚する程に集まったその瞬間。

 「【不壊にして必中。数多の巨人を屠りし血濡れの槌】」

 再びその剣に稲妻が影となり現れる。

 「【其は粉砕するもの。その名は】」

 それは形を変え、槌と言われているのに投擲に適した槍となった。

 「――【ミョルニール】!!」

 バチンッ! と火花を散らしたその投擲槍は、寸分違わずインファント・ドラゴンを貫き、ただ一撃で殲滅する。

 かつての理不尽を圧倒的な力でねじ伏せる。

 『力。

 どんな敵も、どんな障害も打ち倒すだけの圧倒的な力。弱いのなら意味がない。圧倒的な理不尽を下せるだけの圧倒的な力が欲しい』

 この魔法は、シオンの想像した通りの形を実現する。詠唱の形を変え、魔力の必要量を変え、結果を変えてしまう。

 『どんな状況でも、どんな理不尽が来ても、どうとでもできる――そんな魔法が、欲しい』

 全てはシオンの願い通り。

 故にこそこの魔法は『変幻する稲妻(イリュージョンブリッツ)』となる。

 「だけど、欠点も多い、か」

 忘れてはならない。

 この魔法は虚飾に塗れているのだという事を。

 『弱くて愚かで見栄っ張り』――そんな自分が生み出した魔法なのだから。

 常に自分は見られ続けているのを忘れてはならない。

 才の足りない自分が、ハリボテの【英雄】となれるか。

 あるいは種も仕掛けも見透かされた、哀れな【道化(ピエロ)】となるか。

 全ては自分次第。

 「いいね。確かに――おれにぴったりの魔法だよ」




さて、遅いですが新年あけましておめでとうございます。最近麻雀にハマりだした私です。

と、いうわけでシオンの魔法はこんな感じになりました。

かなーり前に支援系とか予想してくれた方もいましたが、すいませんこれなんです(思えばあの感想貰った時が懐かしいなぁ……)

シオンの魔法【変幻する稲妻】は雷属性に関してのみ制限はほぼ無しでシオンの想像通りに発動します。
ただ作中でシオンが言っていた通り、それ以外はかなりの制限と欠点が存在する。
チートのように見えてチートじゃない、それがシオン。ほぼ意志力だけで何とかしているような感じにしたいんです!!
……現時点でチートとか言わないで。私もそれは感じてるから。

解説ー。
魔道書による魔法発現。
原作とは大幅に変えました。書き手によって内容変わるんだったら発現する時の方法も違うんじゃないかっていう勝手な想像。
特に後悔はしてない。だって原作とほとんど同じとかつまんないし。

シオンにとっての魔法
ぶっちゃけシオンからすると魔法も一つの戦法に過ぎません。フィンとの戦闘時に魔力爆発を組み込んだのもそんな意識があったから。
魔法なんて神聖な物じゃない。一歩皮を剥けば中身は誰かを、何かを殺す道具。そんな認識が義姉を殺された時にできちゃったのが原因。
その時の光景が今でも頭の奥にこびりついて離れない。
だから恐怖に駆られてる。恐れてる。
普段はそんな様子見せませんけどね。その辺が虚飾塗れ。

ちなみにこの魔法、発現させたはいいけど……。
正直自分を追い込んでる感じが凄い。これ新しいの考えるたびにどんどん詠唱文考えないといけないとかどんな苦行?
……あ、あんまり考えないようにしようかな……。

次回はどうしましょうかね。
色々考えてるんですけど何とも言えない。
まぁ多分『彼女』がそろそろ出張ってきます。
――かも?


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魔法の欠点

 魔法の効果を確認し終えると、シオンは早々にダンジョンから退散した。求めていた魔法の効果は確認できた。ここでテンションが上がったから精神疲弊するまで魔法を使うだなんて死ににいくようなものだ。

 気絶したところをモンスターに襲われるか、持っている装備を狙った人の追い剥ぎに合うか。どちらにしろ誰かに助けられるなんてこと、早々あるわけがないのだから。

 途中遭遇したモンスターはほぼ一撃で終わらせる。たまに避けようとしたせいで二撃必要とする時もあったが、大差無い。

 やっとダンジョンから外に出たとき、シオンの腹がググゥ~……という音を立てた。そういえば朝食を食べていなかったのを思い出したので、少しだけ懐に入れていたお金を確認。ちょっとくらいなら買い食いできるとわかったので、適当に購入していく。

 ホームに戻る頃には全て食べ終え、小腹も埋まった。門番に話しかけて開けてもらい、そのままロキのところへ直行。

 「――――――――――」

 微かにリヴェリアの声。相談すると言った通り、ロキは彼女のところに来ていたらしい。ノックをして入ってもいいか確認すると、すぐに構わないと帰ってきた。

 「お邪魔します。……って、なんだ。まだ寝巻きじゃん」

 「仕方ないだろう。寝ていたところを叩き起されたのだからな。それに、見ているのがお前ならば問題無いさ。子供に見られて怒るほど私は狭量ではないぞ?」

 肩を竦めて笑うリヴェリアに呆れを返す。確かにそうなのだが、だからといって見せていいわけでもあるまいに。

 「んー、なんやったらうちら外に出よか? 着替える時間くらい待つで」

 「いや、いい。それよりシオン。お前の魔法は何か普通ではないそうだが、ダンジョンに行って何かわかった事があったか?」

 「一応。言うより見せたほうがいいか……【変化(ブリッツ)】、【サンダー】」

 詠唱からの即時発動。一瞬で体から湧き上がった魔力が即座にシオンの手元に集まり、雷状の短剣を作り出す。

 訝しげな視線が集まったのを完全に無視して魔法を解除し、もう一度。

 「【変化】、【サンダー】」

 雷の短剣が解かれ、それが次にはシオンの体に纏われている。武器生成からの付与魔法。

 「簡単な物なら同じ言葉でも特に問題ないのか……」

 が、シオンからすれば今のは単なる確認作業。ポカンと大口を開けている二人をほっぽり出して確かめ終えると、どうだったと言いたげに小首を傾げた。

 やがて細く長く息を吐きながら、リヴェリアは己の手に顎を当てる。

 「私の使う物とは根本から違うようだな……なるほど、『変化魔法』か。だが、魔法とはそう便利な代物ではない。相応の欠点があるはずだ。その辺りはもう把握済みか?」

 「ああ。結構不便な感じだ。調子に乗ると自滅しそうなくらいに」

 「まぁ、それがわかっているのなら大丈夫だろう。内容までは聞かん。だが、どうしてもわからなくて私の意見が聞きたい時は遠慮せず来てくれ」

 軽く微笑むと、リヴェリアはシオンの頭を撫でる。流れに沿うように髪を梳かれ、妙な気持ちよさとよくわからない温かさを感じて、気恥ずかしくなってしまう。

 それでもしばらくは大人しく従っていたのだが、ふとロキから生暖かい視線を向けられているのを察してしまうと、もう我慢できなくなった。

 「いつまで撫でてるんだ? そろそろ離してくれるよありがたいんだけど」

 「む、私はまだ撫で足りないのだが……これが俗に言う反抗期という奴か? 何やらこう、寂しいという気持ちが出てきてしまうな……」

 シオンの言に実際落ち込み気味なリヴェリア。しかし素直に手を引いたので、後ろ髪を引かれながらもそそくさと退室する。

 その姿に、リヴェリアは更に肩を落としてしまった。

 「いつまでも小さな子供ではいてくれないか。もっと甘えて欲しいのだが」

 「無理やろなぁ。特にシオンは弱い自分を許さない。それに引っ張られるように――違うか。置いていかれない様にあの子等も強なる。まるで子供であるという事実を許したくないみたいや」

 「……まだ、あの子の傷は癒えないか?」

 「二度も家族を喪ったんや。一度目は無意識で覚えとる。本人はほとんど気づいてないみたいやけど、確かにあった親の愛情が無くなった事だけは、忘れてない。二度目はもっと深刻。目の前で親代わりになってくれた姉が焼け死ねば、なぁ」

 「三度目は無い、か。あの子の心の柔らかい部分を包んでくれる者は、未だ来ず、だな」

 フィンも、ガレスも、ロキも、そしてリヴェリアも。

 親代わりにはなれない。後見者、保護者紛いにはなれても、それ以上は踏み込めなかった。だからこそシオンの心の傷は、目では見えなくとも確かにそこにある。

 「だからこそシオンは――あの魔法を覚えたんやろうし、な」

 「やはりロキもそう思うのか?」

 「せやね。あの『変化魔法』、雷属性ならほぼ制限無しに発動できる、そう言えば聞こえはええんやけど、逆に言えばそれは」

 そこでロキは一度言葉を止め、眉間に皺を寄せると、

 「()()()()()()()()()()()

 そう、重苦しい声で言った。その声音はリヴェリアにも伝わり、彼女はその美貌を歪ませてしまう。

 「遠、近、中、どの距離でも対応できる。単独で行動しても問題はない魔法。シオンが最初に覚えたスキルとは正反対だな……」

 「シオンの意識が、切り替わってきてる証拠や。皆で何かをしようとするんやない、一人だけで誰かを守ろうとしだしとる」

 二人は知らない。

 18層へと行った時に、ティオナが死にかけた事を。その時シオンが暴走し、一歩間違えれば虐殺しかねなかった事を。

 だから、わからない。

 それをきっかけとして、シオンの無意識が誰かを連れて行くのを、恐れ始めているのを。

 「ロキ。これからどうするつもりなんだ?」

 「何もできんわ。シオンでさえ気づいてないままやろうとしてる事を教えたところで、心には響かん。むしろ下手なちょっかいを出せば、それこそ……」

 ロキは言葉を止めながら頭を振る。そして懐から、一つの手紙を取り出した。その手紙は、宴が終わってすぐに届いた物。

 「だから、うちにできるのはちょっとした支援。シオン達が死なないように、人と人との縁を繋いでいくだけや」

 「……?」

 よくは、わからなかった。

 けれどリヴェリアは問わない。信じているからだ。

 このロキという女神は、いつも悪戯ばかりして、周りを困らせているが。

 誰より己の眷属を――自分の子とさえ思っている程に、愛してくれているから。

 

 

 

 

 

 部屋に戻ったシオンは、倒れこむようにベッドに体を投げ出した。

 「魔力の使いすぎ……精神疲弊(マインドダウン)、かな」

 良くアイズもシオンと魔法アリの戦いで無茶をしては気絶しかけていたのをよく覚えているので原因はわかっている。

 だが、シオンはダンジョンとここに帰ってきてからの合計で四度しか魔法を使っていない。いくら1層目から12層目まで降りたとしても、かかった時間はそう無い。そもそもあの速度で移動すれば、道順を覚えていればすぐに行けるのだから。

 つまり、原因は『イリュージョンブリッツ』そのものにある。

 この魔法の欠点。

 実はこの魔法――()()()()()()()()()なのだ。

 より正確に言えば、常時『最大魔力消費』で維持されている。弱い魔法を使えば魔力の消費は相応に抑えられるのがセオリーだが、シオンの魔法はそれができない。だから、シオンの場合下手に弱すぎる魔法を考えて撃つと、無駄に効率が悪いモノができあがる。

 多分これは、シオンが『アイツ』に言った事が原因だ。

 自分は強気を見せてるだけ。身も蓋もなく表現すれば、騙している。そして、シオンは誰より知っていた。

 そう、誰かを騙すためには、手を抜けないという事を。

 手を抜けばそれだけ綻びが生まれる。それに気づかれてしまえば後は一瞬。だから、絶対に手を抜いてはいけない。

 その性質がこの魔法にも現れている。随分嫌な性質を引き継いだものだ。

 「使い勝手、悪すぎだろ、これ……」

 強い事は、強い。

 だがシオンは、先の事実からもっと嫌な現実が予測できてしまった。この魔法の、ある意味最も最悪な欠点。そしてそれは、シオンのトラウマを抉る部分でもある。

 この魔法は常に最大魔力消費を維持。それだけなら問題ないのだが――これは、()()()()()()()()()()

 例えばリヴェリアが『並行詠唱』時に超長文詠唱を唱える時、常に魔力を張り巡らせている訳じゃない。炎を燃え上がらせるために、最初は火種の状態で保たせている。完成するにつれて魔力の解放具合を上げていっているからこそ、そんな事ができるのだ。

 それができないシオンは、いわば爆発寸前の爆弾を抱えた状態で詠唱(いどう)し、魔法(ばくだん)完成させ(なげ)なければならない。

 それに失敗すればどうなるか。

 簡潔に言おう。

 魔力爆発が起きる。

 そう、シオンの魔法は、他の誰より()()()()()()()()()()()

 リヴェリアのように、あるいはフィンとの戦闘時のように。

 七節の文を言いながらそれに並行して攻撃、防御、回避をしろと言われても、できない可能性が高いのだ。

 短文詠唱で済ませようとすれば、無駄な魔力消費をする割に威力が低く効率が悪い。

 長文詠唱でそれをカバーしようとすれば、魔力爆発の危険性が高まっていく。

 一面だけ見れば万能にしか思えないシオンの魔法。だが内実はかなり扱いにくい、器用貧乏なものだ。それがバレれば、危ない。

 ――救いがあるとすれば、それが明記されてないところか……。

 もし何かあって背中の【ステイタス】が見られたとしても、そこはわからないはず。なら、大丈夫だろう。

 使いこなせるかどうかは本当に自分次第。この魔法を自分で望んだのだ、泣き言なんぞ言わず使い方を学ぶだけだ。

 当面の目標はひたすら魔法を使うこと。戦闘時じゃなくても、魔力を消費すれば魔力の値は伸びていく。現状ほぼ0なのだから、上がり幅は大きいはず。

 今の自分の【ステイタス】では、何かきっかけがあればLv.3に上がってしまう。その前にDくらい、できればCを目指すべきだろう。

 「だけど……」

 やっと、手に入れられた。

 強者に対抗するための、一発逆転の手段。きっと、自分の頑張り次第ではリヴェリアの使う大魔法並の威力が出せるはず。

 なら――そこまで頑張るだけだ。

 今まで、そうしてきたように。

 

 

 

 

 

 結局あの日はそれ以上何もできなかった。初めて感じた魔力消費後特有の疲労感によって動く気力が奪われたのだ。ご飯に呼ばれて連れて行かれた以外は部屋を出なかったほどだから、おおよそ察せられるだろう。

 そして、次の日。

 まだ若干精神的な疲れが取れないながらも、ロキに呼ばれてシオンは彼女を訪ねに行った。そして彼女を視界におさめると、ロキはどこかイヤらしく笑いながら近づいてくる。何となく気圧されて一歩後ろに下がるも、その動作を逃さずロキはシオンの肩を掴み、顔を近づけた。

 懐から一通の手紙を取り出し、シオンの前にひらひらと揺らす。

 「んっふふ~。実は超凄い良い話があるんやけど……」

 「別にいい」

 「え~? 気にならん? 気にならん? 勿体無いなぁぜっっったい、後悔するで?」

 「……本題に入らないなら、帰りたいんだけど」

 顔を背け、ぶっきらぼうに答えると、ロキはニヤニヤ笑いを更に深めて、

 「この手紙の主――椿、いうんやって」

 「――ッ!?」

 「本当に、気にならん? そんなら仕方ないなぁ、あの子には悪いけど、お断りの手紙をしたためてく」

 ニヤニヤニヤニヤニヤニヤ。

 そんな擬音が付きそうな程の笑みに、シオンの頭からプツン、という音が聞こえ、その体がロキの視界から掻き消えた瞬間、

 「ほい」

 「ぐぺっ!?」

 足がロキの足に絡みつくと引き倒し、崩れた彼女の背後に回ると腕を引っ張って後ろでロック。そのまま地面に押し倒すと、

 「ほれ、ほれほれ。もっと引っ張っちゃうぞー」

 「いだ、いだだだだだあだだあだああだあぁ!? ちょ、洒落になってへんから! うちの腕が引っこ抜けるうううううううううううううう!??」

 「大丈夫だって。そんな下手な事はしないし――仮に『引っこ抜けて』も、万能薬はそこそこ余りがあるから、ね?」

 「ね? じゃないいいいいい!? すまんっ、ホントすまんかった! うちが悪かったから許してシオオオオオン!??」

 「えい」

 「ぐほぉ!?」

 グギッ! という音とともに、ロキの背骨から嫌な音がした。それから解放されたロキだが、すぐには起き上がれずに腰に手を当てて呻いていた。

 「い、たたたたた……ほんま容赦無いなシオン」

 ぷるぷる震えて痛みに涙目になる。そんなロキにシオンは冷ややかな目を向けるだけだった。ちなみにシオン、これで結構余裕がなかったりする。精神疲弊の影響があって、ロキの悪ふざけに付き合う精神的余裕が皆無なのだ。

 「で、その椿って人からの手紙はなんなんだ? おれに関係でも?」

 「し、心配の一つすらなし……これが頑張ったうちへの対応なんか……!?」

 「ロキ、もう一コース追加しとく?」

 「すいませんでしたもうやめてくださいお願いします何でもしますからじゃないと死んでしまいますはい」

 本気の殺意を込めた笑顔をチラつかせると、ロキが土下座をしてきた。

 一体どうしたのだろう。もう一度腰骨をボキッと折った後にいらない事ばかり言う口をひっつけるだけだというのに。

 「おれ、結構疲れてるんだ……さっさと用件、話してくれる?」

 「はいわかりました。これです、椿・コルブランドっちゅー子からの手紙です」

 不可解に思いながら、両手で差し出された手紙を受け取る。それを開くと、見慣れぬ達筆――初めて見たが、恐らくは墨で書かれている――が目に入った。

 内容は色々あったが、あまり関係無いので省く。

 しかし、最後にあった一文。

 『――もしよろしければ、ロキ殿の眷属、シオン殿達と専属契約を結ばせていただきたい――』

 それが、ロキの先程の態度の意味を示していた。

 「え、嘘、これ本当……?」

 そしてシオンは、ひたすら戸惑わされていた。

 ロキに詳しい説明を求めると、何でもこの手紙は昨日届いていたらしい。恐らく宴が終わってすぐに書かれたモノのようだ。伝えるのが今日になったのは、事の真偽を確かめるため。相手方にもきちんと確認を取り、本当の事だとわかったからこそ今、シオンに教えられた。

 「椿・コルブランド……か。彼女も、宴に……」

 「本当の事か確認を取るときに、元々彼女の目的はシオンとアイズだったみたいやね。やけど、あの戦いを見て五人全員の武具を作りたくなったみたいや」

 シオンが見惚れた武器を作る、彼女と専属契約できる。

 単純な『腕』で見るだけなら、椿の作る武具よりもっと強く、上手い物は見つかる。だが、シオンが椿の武器に惚れ込んだのは、それ以外の部分。

 勝手な想像だが、彼女の武器に対する心意気――それに、惚れた。

 そんな彼女に認められる問現実感の無さに、足元がふわふわする。驚きに目を見開いて硬直するシオンに、ロキは優しい笑顔を浮かべてポンポンと頭を叩いた。

 「一応、先方とアポは取って今日は大丈夫って確認済みや。だから、もうちょっと時間経ったら皆で行くとええ」

 「え……あ、そ、そうか。……あー、そのーえっと……」

 「?」

 「あ、ありがと……ロキ」

 「――。どういたしまして、や」

 その後、ロキから椿のいる工房までの道のりが書かれた案内図を受け取り、別れる。朝食を先に済ませておいて、大人数は迷惑だろうと考えたのでアイズを誘いにホームを彷徨う。

 「アレは――アイズと、ベートか」

 鍛錬の場の一つに二人の姿を発見。両者共に刃引きした剣を構えている。お互いの技術力を高めるための模擬戦をしているのだろう。

 「おーい、アイズ、それにベート。一端それやめて、こっち来てくれ」

 緊迫した空気を気にせず割って入ると、二人共毒気が抜かれたかのようにキョトンとし、状況を理解すると苦笑しながら剣をしまった。

 「んだよ、シオン。そんな緊急の用事か?」

 「いや、そうでもない。でも誘いはかけておいた方がいいと思ってな。――アイズ、椿って人から手紙が来て今から行くんだけど、ついてくるか?」

 「――!」

 「……?」

 椿、という名前に対する反応は正反対だった。

 理解したベートは驚愕。

 理解できないアイズは疑問。

 それぞれの反応を見せたが、シオンの問いに対する答えは一致していた。

 「うん、私も行く」

 「シオン、俺も行かせろ」

 「ああ、わかった。って、ベートも? 何しに行くんだ?」

 「いいだろ。アイズがいなくなるなら俺は暇になるんだからよ」

 確かにそれはわかる。のだが、それ以外にも理由があるような気がした。

 けれど聞けない。ぶっきらぼうながらも目の奥に真剣な色を宿した彼に、無粋な問いかけができなかった。

 

 

 

 

 

 そうしてシオン、アイズ、ベートという珍しい組み合わせで椿の元へ訪ねる事になった。三人なら別に大人数でもないし、とシオンが思った結果でもある。

 椿の工房のところにつくと、まず代表してシオンがノック。数度叩いて彼女の名を呼ぶと、すぐにガチャリという音がして扉が開いた。

 「む、やはりか。ようこそ、手前の工房へ。知っているとは思うが、手前が椿・コルブランド。一度会った事があるのだが……そちらの少女は、覚えているかな?」

 「え――……あ、もしかして、あの時ぶつかった……?」

 「うむ。どうやら無事助かったようだな。よかったよかった」

 と言いながら、彼女は扉を大きく開き、中へとシオン達を案内する。アイズが覚えていてくれたのが嬉しかったのだろう、笑顔を浮かべながら。

 「汚いところだが、まぁ気にせずどこにでも座ってくれ。ところで、そちらの狼人の少年は? 初顔合わせだと思うのだが」

 「俺はベート・ローガ。役割的には斥候職ってのが、一番伝わりやすいか?」

 「なるほど、周囲の警戒と遊撃か。通りで」

 「あん? 何がだ?」

 「いや何。手前もフィンとの戦いを見ていてな? ベートの動きは速く手数が多い。どう見ても前に出て敵を薙払うでも後ろで支えるようにも見えない。なればこその判断だ。それに、肉の付き方でも大方の予想はできるものだぞ」

 へぇ、とベートの片眉が上がる。腕のある鍛冶師というのは間違っていないらしい。そう素直に感心していると、椿がさて、と声をあげて手を叩いた。

 「ここまでわざわざ来てくれた、という事は、手前との契約を考えてくれていると思ってもいいのかな?」

 「ああ。今おれ達は誰とも契約を結んでいない。皆どうしてか『シオンが選んだ人を信じる』と言って誰とも結ばないんだよ。別に気にしないでいいのに」

 個人個人で専属契約を結んでいる相手が違うなんておかしな話じゃない。例え同じパーティなのだとしてもだ。そもそも作る武具に得意不得意がある人間が大多数なのだから、当然の話でもあるのだが。

 「ふむ、そうか。幸い手前は何でも作れるから問題は無さそうだが……。アイズ、ベート。二人共気になるのならそこらに置いてある物を見ても構わぬぞ」

 先程から会話に加わらず、散乱している武器の類に目を寄せていた二人に声をかける。特にアイズなどはこの部屋に入ってからずっと武器に注目していて、椿達になど目もくれない。

 なのでそう提案すると、アイズは少し恥ずかしながらも立ち上がり、武器――主に剣の類――を手に取り触っている。その顔はどことなく明るく、だが何より真剣だった。

 それに続くようにベートも短剣を一つずつ真剣に見比べる。

 「武器は自分の命を預けるもの。手前の物とは言え、いやだからこそ、ああも真剣に見られて確かめられると恥ずかしいものだな」

 「やっぱりそういう感情はあるのか?」

 「この辺りにあるのは失敗作も混ざっているのでな。そういう物を見られるのは恥ずかしい。自信作なら胸を張れるのだが……」

 物の作り手と矜持にも関わるものだと言われれば納得するしかない。シオンとて、この分不相応な二つ名を、胸を張って名乗れるかと聞かれれば疑問が残る。

 方向性は違うが、そんなものなのだろう。

 そう思っていたら、いきなり後方の扉が開き、誰かが突入してきた。その誰かは走った体勢のままシオンの傍にまで来ると、いきなり抱きしめてきた。

 「……!?」

 「やあやあ! 今日も遊びに来させてもらったよ椿君! ってアレ、なんか硬い――ていうか小さい? あれ……?」

 驚き硬直するシオン。相手に邪気が無いから反応できず、素直に抱きしめられてしまった。だがその誰か、恐らく女性は不思議そうに目を閉じたまま、シオンの体をペタペタ触りだす。

 「……ヘスティア殿、手前はこちらだ」

 「ああ、そういう事かい。そもそも抱きしめたのが別の人なら納得だよ。……え?」

 聞き慣れた声にパッとそちらを振り向くと、苦笑している椿の姿。それに顔を明るくしたヘスティアと呼ばれた人物は、これまた明るい声で声をかける。

 が、すぐに自分の状況を思い出す。

 椿は目の前。

 なら、今抱きとめているのは誰なのだろう?

 恐る恐る視線を下ろすと、突き刺さりそうなくらいに圧力を持ったジト目をした少年の姿。

 「……間違いはあるから別に怒らないけどさ。そろそろ、降ろしてもらってもいいかな……?」

 「あ、ああごめん! 椿君のところに人がいる事なんて滅多に無いから、つい」

 「さり気なく手前を孤独(ボッチ)扱いしないでもらいたいのだが」

 二人から冷たい目線を向けられたじたじになるヘスティア。この状況が落ち着くまで、数分の時間を要したのは言うまでもない。

 「なるほど、つまり二人は仕事でここに?」

 「だからこそ今日は用事があるからダメだと伝えておいたのだが……通ってなかったのか?」

 「うん。最近ヘファイストスも『そんなに椿のところにいるのがいいならあっちに住んじゃえばいいと思うわよ』って。あんまり話もできてないんだ……」

 いやそれ、拗ねてるだけなんじゃ、とは言わない。ヘファイストスの甘さは人伝てに聞いて知っているが、ちょっと度が過ぎてるのではないだろうか。

 と感じたシオンを他所に、落ち込んでいるヘスティアを慰めるべく椿が言った。

 「主神様には手前から伝えておこう。数日はダメかもしれないが、必ず話ができる時間は作らせよう」

 「本当かい? それはありがとう」

 若干明るくなったヘスティア。やはり神友とあまり話ができないという状況は堪える物があったらしい。

 「それにしても、まさか君がシオン君と契約を結ぼうなんてね」

 「ヘスティア殿は反対なのか?」

 「いいや、ボクは大賛成だよ。もしボクが眷属を作るなら、彼みたいな純粋で真っ直ぐな子にしたいと思わせられたくらい、シオン君を気に入ってるくらいだからね」

 「え、と。あ、ありがと?」

 「ふふ、戸惑ってる戸惑ってる。可愛いなぁ」

 いきなり話を振られたシオンが困惑しながら礼を言うと、ヘスティアはほんわかしながらシオンの頭を撫でてくる。

 なんか小動物とか弟みたいな扱いだな……と感じた。

 「なら、神ヘスティアも眷属を作ればいいんじゃ?」

 「いやぁ、ボクは今の生活に満足してるからね。神友のヘファイストスの厄介になってる方が楽なのさ。働かずに美味しい物を食べて友達と会話できる、今の生活がね」

 ――あ、これダメ神まっしぐらな気がする。

 なんて、初対面でシオンが悟った事など露知らず、

 「それじゃ、ボクはそろそろ別のところに行かせてもらうよ。できればあっちの二人にも会いたかったけど、下手にあのペッタン貧乳女の子に話しかけてガンつけられたくないからね」

 「へ?」

 「また今度、暇な時に呼んでくれたら嬉しいな!」

 ペッタン貧乳女……? という新たな疑問を残して、ヘスティアは去っていった。そんな嵐のように来て去っていった彼女を見送り、椿が呟いた。

 「……どうすればいいと思う? 巷で噂の()()()神を矯正するには」

 「いっそ放り出してみれば? ただそれだとどっかで野垂れ死にそうだし、住むところと働くとこの紹介くらいはした方がいいと思うけど」

 「――……ダメ元で提案してみるのも一考か」

 ――このままでは完全に堕落する。

 そんな意見が一致するくらいには、ヘスティアはダメ神だったらしい。

 幸いそんな彼女を見たのはシオンと椿だけで、途中でどこかに行ってしまったアイズとベートは知らずに済んだ。

 「……苦労してるようで」

 「手前には関係無かったはずなのだがな……」

 項垂れる彼女の顔には、苦労人特有の物が浮かんでいた。

 「とりあえず、契約の話に移る?」

 「良いのか? まだ詳しい話をしていないが」

 「専属契約がどういう物かはLv.2になった時に散々聞いたからもう覚えてる。ここに来たのは契約を結ぶためだ」

 最初からシオンは契約を結ぶつもりしかない。途中乱入があって言うのは遅れたが、多少遠回りしただけだ。

 だから、これでいい。

 そう思いながら手を差し出すと、椿はそれに目を落とすだけで動かない。やがて動き出すと、彼女は近くにあった刀を手に持った。

 その動作を不思議に思いながら見ていると、

 「人の話を聞かずに契約する、などと言うべきではないな」

 「……!?」

 神速の抜刀で刀を抜き放ち、シオンの首筋に抜き身の刀を突きつけた。




一応報告です。総合評価4500PT超えました。後400PTであの話を投稿する事になります。
……嬉しいんですけど……なんでだろう、最近増えていく総合評価のPTが死へのカウントダウン的な何かにしか思えない。

い、今更ベート女体化話投稿しないとか……できませんよね、ハイ。

さて、今回はシオンの魔法の欠点と椿さんとご対面。ただ前者はともかく後者はヘスティア出したかったんでちょっと薄っぺらくなっちゃったかな。
そもそも家族がひいた風邪が私に感染ったのか、現在風邪気味。ちょっとぼうっとした頭で何とか投稿しようと書いた物なので、もしかしたら手を加えるかもしれません。

風邪の影響もあるんで今回は解説無し。感想で質問があったらお答えします。

次回は引き続き椿さんとのお話。
どうして椿がシオンに刀を向けたのか、不思議に思いながら続きを待っていてください。


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同類

 ヘスティアがいた時の雰囲気は、もう感じられない。

 椿の顔からは表情という名の色が消え失せ、その目にあるのは冷たいモノだけ。手にした刀はかなりの力が込められていて、今すぐにでも真横へ触れられそうだ。

 「……何の真似だ?」

 「いや何、人の話を聞かない坊やにお説教」

 「…………………………」

 「――と、いうのは冗談だ。少し、試させてもらっただけにすぎぬよ」

 目だけで笑い、シオンを見下ろす。当のシオンは不愉快そうに目を細めながら、首元に添えられた刀を眺めた。

 「試すのが終わったなら、もうこれ、下ろしてくれないかな?」

 「いやいや、まだ終わってはいないのだから下ろすことはできん」

 それに、と椿は少しだけ面白そうにすると、

 「当たり前のように受け止めておきながらそう言われると、少し落ち込むぞ?」

 笑みを苦笑に変えて、そう言った。

 実のところ、刀は確かにシオンの首に添えられてはいるが、当たってはいない。その理由は、シオンが咄嗟に刀と自分の首の間に挟んだ短剣の存在。

 とはいえ椿はLv.3。その上武器は刀。本来なら衝撃によって壊れても不思議ではないが、

 「見たところ不壊属性……たかだかLv.2程度の冒険者が持てる代物ではないのだが」

 「フィンと戦ってた時にベートが使ってたのは見ただろ。一本護身用に拝借させてもらってるってだけさ」

 ダンジョンアタックでは使っていない。あくまで護身用。ベートの双剣は小さいから、服の下にでも隠しておけば案外バレない。

 持ち出してもいい、という許可が出たのは、良くも悪くもシオンが有名だからだ。18層で結構な規模の襲撃を受けたが、小規模――それこそ数人程度――が遊びか何かでちょっかいを出してきた事は何度もある。

 それを撃退するために、借りたのだ。

 ちょうど、今みたいに。

 「まぁ、そんな事はどうでもいい。これ以上この刀を下ろさず、おれの命を狙い続けるって言うんなら」

 元々シオンは彼女と契約をしに来るだけのつもりだった。

 だが当の本人である椿は契約をしようとせず、どころか己の命を奪おうとするかのような所作を続けるばかり。

 なら、シオンにだって考えがある。

 「――体のどこかが動かなくなるのも、覚悟しておけ」

 殺しはしない。というか、できない。

 彼女が宴に来たというなら、少なくとも椿・コルブランドはヘファイストスに近しい、あるいはお気に入りの可能性が高い。そんな人間を殺せば【ロキ・ファミリア】は今後ヘファイストス達が作った武具を買い取れなくなる事さえありうる。所謂出禁だ。

 だが、襲われたから仕方なく撃退した、というならまだ何とかなる。椿が何か言っても、ヘファイストスは内心ではどうあれ出禁まではできないはず。

 何故なら、深層領域の素材を手に入れられるのは、ほぼうちと【フレイヤ・ファミリア】だけだからだ。商業系に分類する【ファミリア】を運営するヘファイストスが、利益不利益の計算ができないわけがない。

 シオン自身は嫌われるかもしれないが――命には、代えられない。

 そう、冷ややかな覚悟を決めて椿を睨みつけると、椿はどうしてか俯いた。前髪によって目元が隠れているが、見える口元は、笑っていた。

 良くはわからない。が、いつでも動き出せるように短剣を持つ手に力を入れ直し、次いで体の重心を正した、その瞬間だった。

 椿が刀を引くと、そのままもう片方の手に持っていた鞘に入れ直したのだ。

 ――一体何がしたいんだ……?

 だが、それで硬直するほどシオンは対人戦闘の経験が浅くない。フィンとの戦闘では拳でぶちのめされた事だってある。油断も隙も、この程度の奇手では生まれない。

 刀を鞘へ戻した椿がシオンに近づいてくる。ジリジリと下がりながら、椿が短剣の射程範囲に入ったので即座に剣を振るう。

 それは確かに届いた。だが椿は、当然のように『手のひら』で受け止めて握り締め、決して手放そうとしない。流石にこれにはシオンも驚愕させられた。

 ――腕を大事にする鍛冶師が、手を犠牲に――!?

 心はそう思っていたが、体は動く。短剣を手放して椿から離れようとするが、その前に、彼女は動き出した。

 その長い手足が閃き、距離を取ろうとしたシオンを追いに来る。まるで蛇のような動作に知らず気圧されながら、シオンは地についた足を動かし横に移動。

 しかし、それをして避けるにはこの部屋はあまりに狭く、また最初の距離が近すぎた。加えて椿の『敏捷』値はシオンよりも高く、あっさりと捕まった。

 ガッシリと首を握られ、そのまま壁に背中を叩きつけられる。防音付きの部屋なのか、鈍い音に反して衝撃が体を貫いた。反射的に咳き込もうとするも、首を握られているせいでそれさえ許されない。感じたことのない苦しみに体と精神が痛みを訴え出すが、全てねじ伏せて両手を椿の腕に伸ばす。

 Lv.2程度の腕力でも、全力を出せばLv.3の椿の腕をへし折れる可能性はある――そんな推測からだ。

 しかし椿はシオンがその動作を完遂する前に一気に体を寄せる。更に首を握る腕の角度を変えると、腕がシオンの腹に密着するようにさせた。これでは腕を掴めない。握り締められなければへし折る事などできないのに。

 アイズとベートの救援は期待できない。二人はこの事に気づいていないだろう。よしんば気づいていたとしても、ここに来るまで時間がかかる。

 そして、その時間があれば――椿は自分を、殺せるだろう。

 死を認識した瞬間、シオンの背筋を冷たい汗が這い出す。まさか専属契約をしたい、という話が嘘だったのでは、という思考が浮かんできたが、全て後の祭り。

 それでもシオンの思考は回るのを止めないが、空回りするだけだった。

 手持ちにある武器はあの短剣しかなかった。この体勢で繰り出す徒手空拳は威力など出ない。それでは椿の防御力を越えられない。

 無理、それがシオンの頭が叩き出した結論。同時に、死を目前にしたという現実がシオンへ牙を剥いてくる。

 思えば明確な死を実感するのはこれが初めてかもしれない。死ぬかも、と思った回数は数知れないが、それでもなんとかなってきた。

 だけど、今みたいな――どう足掻いても死ぬ、という状況はこれが初。

 ――だけど。

 屈する事だけは、絶対にしたくない。

 そう思ったシオンは、自分に出来うる限りの鋭い眼光でもって椿を睨みつける。足掻きにもなっていないが、心が死の恐怖に負けるのだけは、どうしても嫌だった。

 さぁ、殺すなら殺してみろ、と思っていたが、椿の手に力が入ると、勇ましい心と同時に、怯える心がふとした拍子に浮かんできた。

 死の恐怖に、ではない。ふいに脳裏に浮かんできた顔のせいだ。

 いつも悪戯ばかりで鬱陶しくて、でも時折見せる愛情に満ちた顔と優しさを持つロキ。

 自分のその時の限界を把握してくれて、優しくも厳しく的確に指導してくれる友人、フィン。

 誰より自分を律して、蓄えた知識と経験を惜しみなく与えてくれる先生、リヴェリア。

 脳天気に見えながらも、その逞しい体で大切な仲間を守ろうとする根性を与えてくれたガレス。

 忙しいだろうに、ちょっとした時間に来てくれて、笑いかけてきて。義姉を喪った直後は自棄に近かった修行に身が入ったのも、彼等の献身があってこそ。

 彼等がいたから、出会えた。

 誰より大事な仲間に。

 自分の知る限り一番の負けず嫌いで、同時に自分も誰より負けたくない相手、ベート。

 出会った当初からは想像もつかない落ち着きと、頼もしさを見せる姉みたいな存在、ティオネ。

 まるで妹のように接し、彼女も兄として慕ってくれる、初めての弟子とも言えるアイズ。

 そして。

 一番辛かった時に気づけば傍に居てくれて、当たり前のように友人として接してくれた。何時だって明るさを見失わず、間違えかけた時には叱ってくれた彼女、ティオナ。

 死ねば、彼等と会えなくなる。話すことも、笑い合うことも、当然できなくなる。

 何もかもが――できなくなる。

 それがシオンに怯えを与えた。

 だからこそ――生きる活力を与えた。

 ――死ねない。

 死ぬ勇気という名の逃げじゃない。怯えながら生きるという覚悟。

 ――こんなところで、死ねるわけがないっ!

 空回りしていた頭が正常に回りだす。直後に気づいた。ここの対処法に。

 シオンは椿の腕を掴もうとしていた手を、彼女の服へ伸ばす。着物と呼ばれている服の襟元へ手をかけると、シオンの意図に感づいた椿が一気に力を込めてくる。

 「――ッ――!?」

 喉の筋肉へ力を入れて無理矢理耐えながら、シオンは襟元を掴んだ腕を、思い切り引っ張った。それによって元々近かった距離が更に近づく。

 すると、どうなるか。

 

 

 

 

 

 ――シオンの頭と、椿の頭が、凄まじい音を立てた衝突した。

 

 

 

 

 

 お互いの石頭が激突した衝撃に、一瞬意識に空白ができる。両者ともに手から力が抜け、シオンはその場に、椿は後ろへと倒れこむ。

 「ッ……げほっ、げほっ」

 塞き止められていた空気を確保しながら、意識をハッキリさせて近場にあった武器を手に取りすぐ立ち上がる。遠ざかった死だが、すぐ傍で手ぐすね引いて待っているのに変わりない。

 椿へと向ける目と手をそのままに、思い切り息を吸い込んでアイズとベートを呼ぼうと口を開いて、

 「――ま、待て待て! もう手は出さんから、叫ぶのはやめてくれ!」

 「……。……へ?」

 本当に、心底から慌てた様子の椿に、毒気を抜かれた気分になった。

 しかしすぐにハッとした。もしこれが椿の策なら、見事にハメられた事になる。ヤバい、アホかおれはと自分を叱咤しながら再度口を開け――

 「だから! もう! 手は出さん!」

 ようとしたら、椿にタックルされた。その時ちょうど良い具合にシオンの舌が歯に挟まれ、ブツンというとっても嫌な音が。

 「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!??」

 椿に殺されるという事は無くなった。

 が、別の意味で死にそうになってしまったシオンだった。

 その後椿から差し出された高等精神回復薬によって何とか舌を治したシオンだったが、口を開けた瞬間滝のようにドバーッと流れ出てきた血を思い出すと背筋が凍る。舌を噛みちぎって死ぬのは痛みによる筋肉の収縮と、ちぎられた舌が喉で突っかかるから、というのは知っているが。

 傷口を見た椿のあの顔――本当に、思い出したくもない。

 割と冗談にならない事態と傷によって内心の評価がダダ下がりの椿を見ると、彼女も彼女でやり過ぎたと感じたのか、ちょっと狼狽えていた。

 「す、すまぬ。少しだけ試そうと思っていただけなのだが……」

 「いやまぁ、多少の痛みには慣れてるけど、流石に舌を噛みちぎりかける経験なんてないから、内容によっては普通に許せないよ?」

 洒落抜きで死を覚悟した程だ。出来ればもう二度とやりたくない。

 「う、うむ。手前としてもやりすぎたのは自覚している。だが、折角専属契約を結びたいと思える程の相手を見つけたのだ。知りたい事を確かめたくなっても仕方無かろう」

 「知りたいこと? おれの、何を?」

 「心構え」

 これで腑抜けた答えだったらランク差等お構いなしに突っ込んでいただろうが、彼女の顔と声音から真剣な話だと察し、佇まいを直す。

 椿の方もシオンが真剣になってくれたとわかったのか、どこか身を乗り出しながら話し出す。

 「ダンジョンでは死などどこにでも転がっているであろう? 故に、簡単に死を受け入れる相手に己の造った武器を預けたくなどなかった。……例えどんなに武器が優れていても使い手の心が死んでいては意味がないのだからな」

 図星のせいか、ズキン、とシオンの心が痛んだ。まさしく先のシオンがそれだったからだ。初めて実感した死に知らず混乱していたのかもしれない。シオンはあの時の『死への恐怖』と『死にたくない』という怯えは、一度も感じた事がなかった。

 「だから、殺すつもりでやって、最後まで諦めず足掻けば合格。そうでなければ不合格として、契約は白紙に戻すつもりだった、という事だ。多分に個人的な事が含まれているが、それについては謝罪しよう。本当に、すまなかった」

 大きく頭を下げてくる椿。

 「これで足りなければ、土下座もしよう。何でも極東では最大級の謝辞だそうで、同時に最も屈辱的な行為だと言う」

 「い、いや、それは別にいらない」

 本気の声音に若干押されながら言うシオン。正直土下座なんてされても戸惑うだけで良いことなんて一つも無いので、本気の謝罪があればそれでよかった。

 「いいや、手前の気が済まぬ。それに、アレは確かに試験的な意味合いもあったが、何より個人的な感情が多かった。……暴走、してしまったのだ」

 「暴、走?」

 「うむ、暴走だ。やっと――初めて見つけられた、同類。かつてぶつかった時には気付けなかった部分を、あの宴で、見つけられた」

 その時の椿の表情に、シオンはあらゆる意味でゾクリと震えさせられた。それを誤魔化すためにシオンは彼女の言葉に重ねる。

 「そもそも、どうして椿はおれを選んだんだ?」

 シオンからすれば、そこが不思議だった。

 ヘファイストスが直々に目を向けるほどの腕前を持った鍛冶師。ならば、他の者からも相応の注目を浴びているのが普通のはず。

 仮にフィンとの戦闘を見ていたのが理由でも、単純な戦闘能力や財政力がシオンよりも上な人間などいくらでもいるだろう。だからわからない、彼女が自分と契約しようとした、その理由が。

 「選んだ理由、か。これこそが一番個人的なものなのだがな」

 椿は抽象的な表現しか言わない。そのせいでイマイチ察せられないシオンが疑問によって眉根を寄せていると、椿が身を寄せてきた。

 殺意は無い。敵意すらも持っていない。だから反応は遅れたが、先程の事が脳裏を過ぎり、一歩遅れて身を仰け反らせる。しかしその程度では回避できるはずもなく、椿の手がシオンの頬を撫で上げた。

 何がしたいのかわからず困惑するシオンに、椿はもう一度頬を撫でると、親指をシオンの目の下に置き、その眼球を指し示した。

 「その、眼だ」

 「……眼?」

 「うむ。フィンとの戦闘。そして先程試した時にも見せた、その眼差し――手前はそれに、惚れさせられたのだよ」

 恍惚とした表情で、椿が言う。

 熱に浮かされたかのようにシオンの頬を這いずる手を止めない。まるで、ずっと探していた者と巡り会えた事実に浮かれているかのようだ。

 「やっと、やっと見つけた『同類』なのだ。己の武具を融通したい、死なせたくない、そう思っても仕方なかろう……?」

 囁くような声音に、圧倒される。

 彼女は心底からそう思っている。下手に動けば彼女の親指が眼球に突き刺さりそうなせいで動くに動けないシオンが、答えた。

 「同類? おれとお前の、どこが?」

 「……。く、ふふ……そうか、自分では気づいていないのか」

 一瞬呆気にとられた椿だが、この年では仕方がないかと思い直し、少しだけ笑うと、

 「他の何を差し置いてでも叶えたい目的(ねがい)がある」

 そう言ってきた。

 その言葉がシオンの頭に染み渡ると、ほぼ無意識の内にシオンの顔が強張る。それは自身の意識から外れた部分を見抜かれたせいだ。

 「怖がる必要などない。手前も同じだ。主神様――ヘファイストスという、下界に降りたことで万能の力を封じ、人の身でありながら神の領域へと至った鍛冶師。憧れにして目標の存在」

 手前は主神様を超えたいのだ、と椿が言う。

 「神という悠久な存在と違い、手前の時は有限。だから決めた。富も名声も、女としての幸せも何もかもいらぬ。余人が使うだろう暇な時すら全て鍛冶に捧げよう。そしていずれは主神様すら超える鍛冶師になろう、と」

 人は椿を狂っていると言うだろう。

 だが、それがなんだと言うのだ。椿には叶えたい願いがあった。それを叶えるためには、常人ではいられなかった。だから捨てた。それだけの事に過ぎない。

 「シオンもそうであろう。手前とは方向(ベクトル)が違うが――己の身すら省みぬ程の願いがあるはずだ」

 けれど、椿とて人の身。

 常人であるのは捨てたが、だからと言って人を止めた訳ではない。ふとした拍子に、本当にこれで良かったのだろうか、と思い悩む時がある。

 忘れてはならない。

 椿・コルブランドは、まだ十代の少女に過ぎないのだという事を。

 だから欲した。

 全てを投げ出す勢いで一つの事に情熱を注ぎ続ける己に負けぬだけの想いを抱いた誰かを。そしてその人に、できれば己の武器を扱ってくれないだろうかと。

 その相手が、シオンだった。

 「な、にを……言って」

 「教えているだけだ。シオンと椿、この二人は同類である。常人ではない――狂人なのだと」

 「……っ」

 否定、できなかった。

 何故ならシオンは、その言葉を幾度となく投げられたから。

 ――狂っている。

 ――アレは化け物だ。

 ――本当に子どもなのか。

 血だまりに沈むような厳しすぎる指導でも気にせず受け続ければありえない物を見るような目で見られ。

 指導によってか精神年齢が上がりだすと、今度は異形を見るような目を向けられた。

 趣味など無い。持とうともしなかった。自分の持っている暇な時間全てを鍛錬にあて、あるいはダンジョンへと足を向ける。

 一年に何日ダンジョンへ潜るか、と問われれば。

 大体二〇〇から三〇〇。

 一年の半分以上をダンジョンへ行っている計算になる。Lv.2へさっさと上がったのだって当然の事だ。

 でもそれを、おかしいのだと否定され続ける。

 よりにもよって、同じ【ファミリア】の者ばかりに。

 もしこれが、椿にも当てはまるとするならば……。

 「手前は鍛冶師で、仲間(パーティ)には入れない。だが、シオンの相棒(パートナー)にはなれると思うのだ。シオンのパーティメンバーとは違うやり方で、お互いを支え合うことは……できないだろうか?」

 どこか縋るように、椿は言う。

 『やっと見つけた』

 先程言ったあの言葉は、本当の本当に、彼女が望んでいた想いが溢れでたものなのではないだろうか。

 シオンには、仲間がいた。

 隣を走るライバルが、斜め前を行く人が、横から支えてくれる友達が、背中を守ってくれる妹のような子が。

 だから頑張ってこれた。周囲の悪意に挫けず、ただ前を進み続けられた。

 だけど、もしそれが無かったら。

 今の彼女のように――心折れていたのではないだろうか。

 「…………………………」

 言いたい事は色々とあった。

 結局のところ椿の想いは自己中心的に過ぎる。勝手に同類を見つけたと舞い上がり、その相手と契約を結びたいと呼びつけたにも関わらず、死なせたくないからと殺しにかかってきた。

 何もかもがメチャクチャだ。

 なのにどうしてか、シオンの口は『断る』という一言を発さない。

 わかっている。

 自分が断るつもりなど、欠片も無い事を。

 こう言ってしまっては何だが、シオンは死にかける経験など、それこそもう数えられないくらいにある。今回のこれもその一つと割り切れそうなくらいだ、という事実に気づいて、内心乾いた笑いが浮かんできたほど。

 そんな風に自分の心を再確認していたら、いつの間にか椿が落ち込んでいた。

 「……り――手前とは…………無理……」

 言葉はほとんど捉えられなかったが、黙っている時間が長すぎて断られたと思い込んでしまったらしい。

 シオンは一つ溜め息をこぼす。それにビクリと肩を揺らす椿は、どうしてかさっき感じた威圧感も何も感じられない。どころか、身を縮めすぎて一瞬年下かと錯覚した程だ。

 そんなに怯えるならあんな事するなよ、と呆れた風に頭を振りながら、シオンはそっと、己の手を差し出した。

 その手を見てきょとんとした顔をする椿に、わからないのかともう一度溜め息。

 「()はあんな真似しないでくれよ」

 「つ、ぎ……次?」

 差し出された手の意味を、椿はようやっと理解する。

 椿が試す前に、シオンは一度、手を差し出した。

 契約しよう、と。

 だからこれは、その時の焼き直し。流石のシオンも三度目までは付き合えない。というか、下手すると死んでいたので付き合いたくない。

 呆然としている椿に、さっさと手を握ってくれないかと上下に動かすが、反応が見られない。

 ふむ、と少し考え、その手を戻すと、

 「あ――!」

 咄嗟に体を前に出した椿が、両手でシオンの手を包むように握りこんでくる。

 「……これで、契約完了?」

 「ほ、本当に良いのか? 手前も、先にやったアレは流石にやりすぎだったと、白紙に戻されて当然だと諦めていたのに」

 「なら交換条件。おれ達のパーティ、そろそろ19層に行く予定なんだ。そこで十分に通用する武器を作ってくれ。それで許す」

 「うむ……うむ! 任せてくれ、手前の腕によりをかけた逸品を作ろうぞ!」

 「いや、あんまり強すぎると地力が上がんないからそこそこでいいんだけど……」

 聞いてない。

 本気で喜んでいる椿は、勢い込んで「今ならいい作品が作れそうだ!」などと叫んでいる。

 ……ちょっと怖い。

 引いているシオンに気づかず、満面の笑みを浮かべながら椿は道具を用意し始める。だが何かに気づいたのか、ふと振り向くとシオンに言った。

 「そうだ、シオンに一つ、アドバイスをしておこう」

 「ん、アドバイス? 何のだ?」

 流石に疲れたので、椅子に座ろうと辺りを見渡しているシオン。ちょうとあった手頃な物を傍に引き寄せながら問い返すと、

 「――今の勢いでダンジョンに行くのは、やめておけ」

 予想以上に冷たい声が、帰ってきた。

 ハッとそちらを振り向くと、椿は今までに見た事のない――多分、憐憫か何か――表情を『どこか』に向けていた。

 「もしシオンという人間を武器に例えるなら、そうだな。魔剣、あるいは妖刀の類だ」

 「どういう、意味だ……それ」

 「文字通りの意味に過ぎぬよ。話は変わるが、そなたの傍にいるアイズは、鞘を得たようだ。本当に必要な時にのみその鋭い刃を向けられるようになった」

 己の手入れができる人間は、必ず長持ちする。

 そう言い放つ椿の意図が理解できず、眉を寄せる。だから、続きを待った。幸い椿もすぐに続きを話してくれた。

 「だがシオン。そなたは例え鞘に納まっていようと関係無い。『常に強くあれ』という、ある種の強迫観念染みた『呪い』を振りまいている」

 それはもちろんシオン自身にもある。

 だが恐ろしいのは、シオンの『周囲』にいる人間。

 「Lv.2へと上がったのは、そなた一人ではなかった。他にも三人、同時に上がった。だがその噂話を聞くに、その三人もシオンと同時期にダンジョンへと潜ったのだろう?」

 普通はおかしい。【ランクアップ】が同パーティ全員同時なんて、そうそうありえない。

 これが二人同時に、とかならまだわからなくもないが、四人というのはいくらなんでもおかしすぎる。

 だからこそ、足並み揃えた結果だという結論に至った。

 そして実際に接したからこそわかる。

 足並みを揃えたんじゃない。揃え()()()()()のだと。

 「シオンという人間は強くなるのが速すぎる。なればこそ、それに『置いて行かれたくない』と強く願う人間程影響されて自ずと強くなる。ならねばならない」

 進み続けて止まらないシオンを繋ぎ止め、生かすためには、常に傍にいなければダメだ。だがそれをするためには、シオンと同じくらいの速さで強くなる必要がある。

 終わらない。シオンの目的が何か、椿は知らないが――その内容如何によっては、これは永遠に終わらないサイクルを生み出すだろう。

 故にこそ、椿は『呪い』と評した。

 だが永遠などありえない。いずれどこかで破綻する。

 実際今だって、シオンとそれ以外のメンバーで【ステイタス】が徐々に引き離されつつある。それが現実だった。

 「――だが余りにも強さが乖離されれば、そなたは一人で行くようになるだろう。それを何とかしようとしたその『誰か』は無茶をする。その結果、どうなるかまでは……言う必要はないか」

 忠告だ、と椿は言う。

 「己の魔性に惑わされるな。手前とてギリギリで耐えているのだ、シオンも耐えてみせよ」

 鍛冶師として神の領域を踏み込み、憧れを超えるために全てを捨てようとする椿。

 もう喪いたくないから。たったそれだけの理由で全てを捨てて強くなろうとするシオン。

 よく似ている。だからわかる。だから理解できる。

 「……忠告、どうも。これからはペースを考えるよ」

 「うむ、そうしてくれ」

 先の言葉が、本心からの忠告なのも――。

 

 

 

 

 

 「それじゃしばらくしたら今使ってる武具を持ってくるよ」

 「頼むぞ。武装を強くしすぎない、というシオンの要望を叶えるためには、今使っているモノを見るのが一番手っ取り早いのだ」

 先程の一幕など無かったかのように振る舞うシオンと椿。打ち付けたところが微かな痛みを訴えていたが、それを悟らせないようにしていたからか、アイズとベートも、特に違和感が無さそうにしていた。

 椿から一つ、武器を渡されたのも理由だろう。使用感を教えてほしいと渡された、試作した短剣と剣に目を落としている。

 「また来る。鍛冶、頑張ってくれ」

 「シオンも、ダンジョン攻略でトチを踏むでないぞ?」

 コン、とお互いの拳をぶつけ合う。不敵な笑みを数秒交わすと、シオンは背を向けてホームへと足を向けた。それに倣い、アイズとベートもついていく。

 三人の背が完全に見えなくなると、椿は工房に戻り、着替え始める。動きにくい着物から、いつもの軽装へと。

 「久しぶりに……いい武器が作れそうだ」

 今のように穏やかな気持ちを抱けたのはいつだったろう。

 少女の小さな両肩に降り注いでいた目に見えない重りが少しだけどこかに消えた。それはきっと自分が一人じゃないと思えたから。

 だから、

 「――出てきたらどうだ? ベート・ローガよ」

 去って行ったはずの彼がいつの間にかここにいても、怒らずにいられる。

 「子供とはいえ異性の住む家に無断で侵入するのはいかがなものか。シオンはこれを知っておるのか?」

 「……いいや、知らねぇ。俺が勝手にやった事だ、すまなかった」

 苦虫を噛み潰したかのようにベートが答える。

 悪い事をしている意識は持ち合わせているらしい。

 それを承知の上で、ここに来たようだ。ノックくらいすれば良い物を、と椿は当然の思考を脳裏で考えた。

 しかしそれを言えば話が進まず泥沼になりそうだ。

 「それで、そこまでして手前の元へ来るとは、一体どんな用があるのだ?」

 「頼みが、ある」

 本当に、渋々という体で言うベートに椿は首を傾げる。

 椿はベートという少年が凄まじくプライドの高い人間なのだという事を見抜いていた。その程度の事がわかるくらいには、彼女は人を見ている。

 不思議だった。そんな人間が、どうして自分に頭を下げてくるのだろうか、と。

 「俺に――武器を、作ってくれねぇか?」

 「む、ぅ……? 武器を作るも何も、試作品ならば渡したし、これから作るであろう物もきちんと渡すぞ? わざわざ頼む必要はない」

 「それだとダメなんだよ」

 ベートの意図がわからない。思わず唸る椿に、ベートが思いきり頭を下げてきた。

 「俺が火力を出せるような、そんな武器を。……作ってほしいんだ」

 「火力? その戦い方で?」

 「ああ。俺の長所は足の速さと手数の多さ。だけどそんなの、フィン相手には攪乱すらできない程度の物でしかなかった」

 心底から悔しそうに、ベートは言う。

 「最低限、相手に俺を警戒させられるだけの火力が出せなきゃダメなんだ。少しでも俺に意識が向けられていれば、メインで戦う連中の助けになれる」

 「なるほど。そういう」

 納得の声と共に、椿はベートの体をジロジロ眺める。無遠慮な視線だが、椿に疚しい思いは一切無い。ただ彼の体付きを見て、使えそうな武器を考えていただけだ。

 「……今すぐに思いつくのは無理そうだ」

 「やっぱ、そうだよな」

 「だが、時間をかければ作れるかもしれぬ。何かアイディアを考えたらいつでも手前のところへ持ってきてくれ」

 「ッ、それは本当か?」

 「もちろん謝礼は頂くぞ? 慈善事業で鍛冶師などやっていられぬからな」

 それについては当然の事だと思っている。そもそもベートは、

 「元から借金覚悟でここに来たんだ。億を超えようが、必ず払う」

 自分の無理無茶も、それを通すために必要なのも、全て承知の上で、ここに来たのだから。

 シオンと椿の裏でこうして隠れて彼女に会ったのも、必要だと感じたからだ。

 ――奥の手を用意するのはテメェだけじゃないんだぜ、シオン。

 今の自分で満足してはいけない。

 もっと先を見据えて動かなければ、シオンのライバルとは言えないのだ。

 

 

 

 

 

 そうしてそれぞれがそれぞれの思惑で動く中、一月が過ぎた。

 開かれた『神会』において決められたアイズの二つ名【風姫】。彼女はそれを聞いた時にとても恥ずかしそうに、けど少し嬉しそうに、笑った。

 それとほぼ同時にシオンが【ランクアップ】を果たす。所要期間は一年と少しと、平均と比べてもかなり速い結果となった。

 流石にこれを見せられれば、『Lv.2になるまでの期間は偽りじゃないか』という噂は沈静化していき、更に『宴』で見せた奮戦の様子が人伝に伝わると、シオンに対する悪感情は若干の目減りを見せ、代わりに好奇の目が寄せられるようになる。

 けれど、シオンの過ごす日常は変わらず、違うといえばただ一点。

 休日を増やして、ダンジョンに行くペースを減らした、という事だろうか。椿の忠告はどうやらシオンの心境に変化を与えたようだ。

 なんだかんだ似た者同士のシオンと椿の相性は意外にも良く、時折工房に足を向けては共にダンジョンへ行く事もあるという。――甘酸っぱいモノではなく、単なる試し斬りの付き合いだが。

 『シオンに置いて行かれた』と言って頑張り、シオン以外の三人も続々と【ランクアップ】をしてくるのに苦笑して。

 気づけば、一年が経過していた――。




8歳時点でのお話はここで区切ります!

ここまでで書きたいお話は全部書いちゃいましたし。エイナ、リリとの邂逅。アイズを仲間に加え18層到達からの暴走。

そして最大の目玉だったフィンとの戦闘。

今回の椿との専属契約、といったところ。予想外に文字数行っちゃいました。

解説。
椿さんの行動について。
まず彼女の年齢を思い返してください。
十代の少女が、己の意思で決心したとはいえ狂人扱いされる上に異物の視線を向けられれば心がすり減ります。
彼女、鍛冶以外は常人の思考の持ち主ですし。
そのせいで、シオンという常識のある狂人を見つけて舞い上がり、『ちょっと』テンション上がった結果暴走。なんか戦闘紛いにまで行きましたが。
冷静に戻った後は普通に反省できる良い娘です。
シオンがなんだかんだ言って許したのもそこら辺がわかったからでしょうかね。

椿のシオン評価について
確か随分と前に『原作椿さんがアイズを剣に例えていたみたいに、シオンを剣に例えた場合どうなるのか』的な事を言われてたな……って訳で採用しました。
結果としては魔剣・妖刀。それでいいのかシオン君。

ぇー、それでなんですが。
どうして4500PT超えましたーって言った前回から今回で。

――4800PT超えかけてるんですかね(遠い目)

この増え方が皆さんの期待度を表してるみたいで超怖い。
特に感想でさり気なく見かける、
『女ベートまだかなぁ(チラッ)
 彼女の出番期待してますね(チラチラ)
 女体化楽しみでです(ニッコリ)』
……怖い。
なんで皆さん私程度の作品にこんな期待を!? これで中身が酷いと言われたら私の心がポッキリ折れるとか考えると胃ががががが。
あの時冗談で言った私の顔をぶん殴ってしまいたい。

これ以上考えると錯乱して発狂しそうなんで次回についてです。そもそも今回PTについて言ったのも万が一があるかもしれないからなので。

5000PTを超えた場合と超えなかった場合について、です。

超えた場合→ベート女体化話投稿。
超えなかった場合→本編投稿。

ちなみに本編と言いつつ中身閑話です。ご了承を。
一応ベート女体化の話のタイトルをば。

『If√ 想いの行き先』

これがタイトルなんで、これ見たら察してください。
念のため前書きでいくつか注意点とかは書いておきますので苦手な方は避けて下さい。ここまで言ったのに見て文句言われても私は知らない(保険大事)

ではまた次回ノシ


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閑話2 キスツス

 それは、おれがフィンからの提案、『宴で自分と戦ってほしい』というものを受け入れた時から半月後の出来事だった。

 自分なりに付け焼刃程度の暗殺技術――単に奇襲への慣れ程度だが――を体に叩き込み、五人で話し合って己の足りなさそうな部分を教えあい、コッソリとアイズの魔法を、ロキも巻き込んでどうするかと相談。

 時折ユリのところにも顔を出して、魔力抽出ができたかどうかも聞きに行った。ダンジョンに潜るのも自分達の戦闘方式を確立するための最終確認程度に行くだけなので、半月前に比べて大分頻度が少なくなった。

 ただ、おれにかかる負担は半月前よりも増えたが。自分達の準備に加え、平団員故に容赦無く宴への準備も手伝わされるからだ。フィンから手伝わなくていい、と各員に伝えられたのに、荷物を渡され持って行けと言われる。

 そうされる理由に気づいてはいるが。

 要するに嫉妬だ。フィンの意図も知らずに勝手に『コイツは優遇されている』と妬んで無理矢理仕事を押し付ける。流石に無駄な仕事を押し付けたりはしなかったが。仮にも最強派閥、無様な真似はしたくないという矜持だろうか。

 正直、どうでもいい。今は唯々諾々と従っておくのが吉だ。

 当日はどう足掻いてもフィンとの戦闘で傷つくだろう。重症を負うかもしれない。だから、なるだけ準備を手伝っておいて当日の片付けをしないでいい口実を作っておく。何か言われても、ただでさえフィンからあんな提案をされていたのだと知ったところに無理矢理手伝わされたと反論されれば口を噤むしかないだろうし。

 それでも何か言うのなら、まぁ、その時は誰かの手を借りよう。本当に、妬みとかそういう感情を持った相手は面倒くさい。

 自分なりに今の状況を纏めると、頭が痛くなってきた。まだギリギリ許容できるが、また何かあったらキレるかもしれない。それは避けたいところだ。

 だから今日一日は休みを貰ってきたのだけれど。

 キョロキョロと周囲を見渡して何か面白い事が無いかと探ってみる。昼時前という時間帯だからか、微かに漂う良い匂いに鼻がひくつきそうになる。久しぶりに何か買ってみるのもいいかもしれない。

 唐揚げ、魚の塩焼き、イカ焼き、飴細工に甘栗、焼き鳥、クレープ、じゃが丸、ステーキ、焼きそば、ソースせんべい、たこ焼き、たい焼き、ラーメン、パフェ、ポテト、ケバブ、餃子、団子、コロッケ、焼きとうもろこし、フランクフルト、おにぎり。

 屋台だったり店に売られていたりといった差はあるが、多種多様な食べ物に目が移ろうのは止められない。金なら有り余っているのだから買い食い程度問題はないのだが、身体的な問題であまり多くは食べられない。

 結局焼きそばとおにぎりを購入。デザートで何か買おうかとは思ったが、お腹が満腹になる可能性があったので断念。食い終わった後で考えよう。

 味的には、言っちゃ悪いが【ロキ・ファミリア】メンバーが作るほうが美味しい。だがこの熱気にあてられて、味とは違った物が心を満たしていく気がした。

 途中でジュースを一本買う。喉を潤すのと、臭いが残っていたら多少誤魔化すために。

 腹も満たしたので、本日の用件である店へと足を向ける。そこに行かなきゃわざわざホームの外へ出た意味がない。

 それから数分。

 着いたのは、小さな店だった。

 ひっそりと佇むように存在しているその店は、看板を入口の横に置いてあるだけで、派手な宣伝は一切していない。そのため、人の気配は感じられなかった。

 外観が汚れている訳じゃない。むしろ純白で染められたその壁は十分に清潔さを表していたが、この店はそう人が来る類のものじゃないせいだ。

 必要な人が、必要な時に来てくれればそれでいい――。

 そう示しているように感じられる。

 人目にはつきにくいが、この雰囲気がおれは好きだった。

 ドアを開けて中に入る。取り付けられた鈴がチリンと鳴り、来客を知らせる。音を立てないようにそっとドアを閉めると、おれの目からは外が見えなくなった。

 ふと、店の横にあった物の姿を思い出す。

 そこに立てかけられた看板には、達筆な共通語で、小さく『花屋』と書かれていた。

 

 

 

 

 

 店のドアを閉めてまず感じたのは、圧倒的なまでの『香り』だ。

 花屋と明記していた通り、ここにはあらゆる種類の花がある。もちろん季節柄置いていない種類は存在するが、十二分な数が揃えられていた。

 ある程度の距離を保ちながら植木鉢に植えられた花は瑞々しく輝き、その光具合から、ついさっき水をあげたばかりなのだとわかる。カラフルに彩られた花が、おれの目に優しい光景を与えてくれた。

 ここに来たのは、久方ぶりに義姉さんのお墓参りをするためだ。手向けの花はずっと前、葬式で送ったけれど、一つだけという決まりはない。何となく良さそうな花を選んでは、お墓にそっと置いていた。

 前回義姉さんのお墓を見に行ったのはいつだろう。ホーム内にあるから、行かなきゃいけない場所次第では眼の端に入る事はあるけど、そんなのはお墓参りの内に入らない。多分数か月くらい前だと思う。

 二年前に比べて随分頻度は減った。あの頃は本当に余裕が無くて、義姉さんの死を完全には受け入れられなかった。周囲を見ている暇があるならとにかく自分を苛め抜いて。

 今更だけど、ティオナがいなかったら、今の状況が悪化していたかもしれない。どっかで死んでいたかもな。

 いいや、違う。そもそもフィンと出会わなければ、友となれていなければ、誰にも知られないまま、おれはひっそりと野垂れ死んでいた。あの時、義姉さんが死んだ直後に自棄になっていたおれに手を差し伸べてくれなければ、きっと――。

 でも、そのフィンとの出会いという縁だって、義姉さんが結んだもの。今も昔も、そしてこれからも、義姉さんがやってきた行いがそれとなくおれを助けてくれる。本当に、何時まで経っても甘えっぱなしだ。

 もう、孝行だってできないという現実にほろ苦いものを感じながら、今日はどんな花にしようかと思っていると、ふいにおかしな事に気づいた。

 誰も、来ない。

 少なくともこの店は常に店主がいるはずだ。なんでも『花を育てるのが趣味』だそうで、店を経営しているというより、公然と趣味を行っているだけ、だそうだ。花を売っているのは単に花の良さを知ってほしいから、とのこと。

 花に使う物を取りに行ったのだとしても、それならCLOSEを記した板をドアに置いてあるはずなのだが。

 一体何かあったのだろうか、と目を閉じて少し耳に意識を傾ける。【ランクアップ】の恩恵によって増した五感を余す事無く利用した。

 数秒後、おれの耳に店主らしき声が届く。だがその声音はどうにも困惑の色が濃く、戸惑いながら対応しているらしい。

 珍しい、と思った。あの人は大の花好きで、探している花を大雑把な外観や特徴を聞けばすぐに理解して探してくるし、その人の好みに合わせて花を組み合わせて花束を作るなどお茶の子さいさいなのに。

 クレーマーでも来たのだろうか。もしそうなら、世話になっているのだから助けに入るべきだろう。

 ……流石にLv.4や5だったら厳しいどころか嬲られるだけで終わるだろうけど。

 それでも逃がすくらいの時間は稼げるはず。迷惑をかけるだろうが、最悪フィン達の名を借りれば死なずには済むと思う。侮蔑の目は避けられないだろうが。

 死にたくないのだから仕方がない。

 内心で色々考え、複雑な胸中になりながらも店の奥へと足を向ける。横幅は数人程度しか通れない店だが、奥行は結構ある。一階全てを花屋にしているようで、だからこその広さだろう。

 できるだけ急ぎ、けれど決して花を踏み倒さないようにしつつ――踏み倒せば後で怒られるのが目に見えるからだ――その場へ行く。

 やがて見えた光景。

 「……え?」

 それはちょっと、予想外のものだった。

 何と、店長が困惑しているのは、小さな子供が相手だったのだ。シオンの記憶にある限り、例え子供相手でも特に問題なくやれていたと思うのだけれど。

 よくはわからなかったが、店長が困っているのは本当のようだったので、敢えて音を立てて近寄る。すると流石に人の気配に気づいたのか、店長が視線を寄越した。

 店長がおれの姿を確認すると、ぱぁっと顔が明るくなる。

 いや、うん、その顔はちょっとズルいと思う。普段のクールビューティはどこに行ったんだ。頼られているのは嬉しいんだが。

 巷で密かに有名な美人店長から視線を外し、おれよりも年齢の低い子に目を移す。

 端的に言うと、白かった。多分、アイズよりも真っ白。ただそれは健康的な色ではなく、病的な白と形容すべきだろう。アイズも外を出歩かなければ、こんな感じになるかもしれない。

 小さな人形とも思える程整った顔立ちをしているのだが、病的な白い肌が、見る者に不安を与えてくる。そのせいか、服を一瞬病衣か何かかと思ってしまったほどだ。

 何となく見ていられなくて、店長へ視線を戻す。

 「何があったんだ店長。らしくなく変な対応してるけど」

 「いやーそれがねぇ。この子、どんな花がいいのか聞いても答えてくれなくて……」

 本当に困惑している様子で、少女を見下ろす店長。見下ろされた少女は俯き、スカートの端をギュッと握るだけで、何も言わない。

 その様子から、答えないのではなく答えられないのではないかと察する。もしや、喉とか何かに異常でもあるのだろうか。

 まぁ、何にせよ解決策なら簡単に見つけられるからどちらでもいいのだが。店長だって落ち着けばすぐにでも思いつく程度の事だ。

 「店長、メモ帳とか持ってない?」

 「あるけど、そんなの何に使うんだい?」

 「いや、単に紙に言葉を書いてもらおうかなって。話せなくても手は動かせるんだし」

 「……その手があったか!」

 数秒の硬直の後、再起動を果たした店長が速攻で二階へ上がっていく。一分とせずに戻ってきた店長は、荒い息をしながら少女にメモ帳とペンを差し出した。

 「い、一応、新品だよ……花の名前がわかれば名前を、知らなくても、特徴とかわかれば書いてくれれば、目星をつけて持ってくるから……」

 ゼェハァと息を荒げながら少女に近づく姿はさながら変質者そのものだったが、彼女の名誉のために口を噤んでおく。

 おれが内心そう思っているなんて知らない少女は素直にメモ帳とペンを受け取ると、ペコリと頭を下げて感謝の意を示す。店長は構わないと言いたげに微笑んだ。

 「それで、どんな花が欲しいんだ? 安心してくれ、僕が丹精込めて作った花達だ。どれを選んでも損はさせないと、胸を張って言えるくらいだからね」

 少女は少し悩んで、メモ帳に目を落とし、サラサラと言葉を綴っていく。

 「ぁ、悪いんだけど店長。書いてる間にこっちの買い物を済ませても?」

 「ああ、そういえば。構わないよ、どうせすぐに終わるんだろう? 僕が何か言う前にさっさと決めちゃうんだから、紹介し甲斐が無いよね、シオンってさ」

 「あはは……今日は松葉牡丹でお願い」

 苦笑いしながら告げると、やっぱりと拗ねたように顔を背ける。それでも花屋としての矜持か、彼女は素直に松葉牡丹の花を持ってきてくれた。

 「今日も同じ用事?」

 「そうだな。だからいつも通りに頼む」

 「うん、となると桃とか紫よりは黄色がいいかな。それにしても、松葉牡丹を選ぶとはね。シオンはこの子の花言葉を知っているのかい?」

 どこかからかうように、店長が言う。だが生憎と松葉牡丹の花言葉は知らない。印象深い物は覚えているが、ちょっと見た程度の花の言葉は覚えていなかった。

 「ふふ、この子の花言葉はね、色々あるんだけど無邪気と可憐が有名かな。感覚でこれを選んだんなら、シオンの中ではその人がそういう印象で見てたって事になるのかもね」

 「いやいや、花を選んだだけでそうなるとは決まってないだろう」

 「……君がそう言うなら、そういう事にしておこう」

 何故かニヤニヤした顔を止めない店長に脱力する。なんで花を買いに来ただけなのに、妙な疲れが出てくるんだろうか。

 ――気遣われてるのは、わかるんだけど。

 その方向性がどこか明後日に吹っ飛んでいる気がしてならない。いい人なのはわかるのだが、こういう点が取っつき難いところだ。

 気にしたら負けだろうと気を入れ直している間に少女は書き終えた言葉を店長に見せる。メモ帳を受け取った店長は数度頷くと、踵を返して何かを取りに行った。

 戻ってきた彼女が持っていたのは、椿だった。それに対し疑問を覚えてしまったせいか、つい口を挟んでしまう。

 「あれ、椿の開化時期を考えると、今は無いはずじゃ」

 「品種を選んで気温をある程度自分で何とかできるようになれば、案外できるもんだよ。まぁ季節外れの花だから、外に出すとすぐ枯れちゃうんだけどね。だから普段は置いてあっても売らずにいるんだけど……」

 店長は少女に視線を向ける。椿の開化時期を知らなかったのか、どこか申し訳なさそうに、けれど絶対に欲しいという目を、彼女はしていた。

 「ま、理由が理由だしね。小さなお嬢さんへの大サービスって奴さ」

 「……?」

 よくはわからなかったが、おれが干渉していい話でもないだろう。この店を出ればさっさと別れる間柄なのだし。

 とりあえずおれと少女は店長から提示された金額をそれぞれ支払い、花を受け取る。見事に飾られた花は店長の想いが込められているのが見て取れた。

 思わず見惚れていると、店長が嬉しさを誤魔化すように頬を掻く。

 「二人共、他に入り用は?」

 「ああ、それならこれ受け取って」

 「ん、この金は? お礼参りとかなら返金させてもらうけど」

 「そうじゃないから安心だな。メモ帳とペンの代金だよ、払ってないだろ? あの女の子、声が出せないんならまだ必要だろうし、どうせなら買わせて貰いたいな」

 そう言いながら笑うと、店長が小さく、

 「これが……気遣いのできる男か……!」

 「へ?」

 「ああいや何でもないよ? ただ僕の知ってる男共とは比べ物にならないと思っただけで」

 やっぱり意味がわからない。

 頭を斜めにしていると、店長は自分の中にある葛藤を処理できたのか、何とか笑みを浮かべながら言った。

 「メモ帳とペン一つくらいなら特に問題ないよ。余りならまだあるし、持っていきな」

 「ありがとう、店長」

 「いやいや、いつも贔屓にしてもらってるんだし、この程度ならお安い御用さ」

 気にするなと満面の笑みを浮かべる店長。それならよかったと言い、もう用事は無くなったので店の外へ出ようと足を向ける。そして歩き出そうとしたとき、クン、と服の裾を引っ張られる感覚がした。

 「……? おれに何か用でも?」

 「…………………………」

 おれを止めたのは、少女だった。何か言いたげな顔をしていて、でも動こうとしない。しばらく待っても意味がなかった。仕方ないので体の向きを少女の方へ戻し、体を前に倒して目線を合わせてみる。

 「ちゃんと待つから、言いたい事があるなら伝えてくれ。な?」

 例えどもっていようと、意味が伝わりにくくても。

 誰かに何かを伝えようとする意思があるのなら、ちゃんと待つ。

 そう思いながら笑いかけると、少女は緊張で強張った顔を緩めていき、裾を掴んだ手を落とすとメモ帳に何かを書き出す。

 やがておずおずと見せられたのは、五文字の単語。

 『ありがとう』

 おれとしては、お節介でやった程度の認識だった。感謝されるつもりはなく、普段世話になっている人が困っているから助けるくらいのつもりで。

 だけど、あまり意思表示をするのが得意そうでないのが、こうしてわざわざ引き留めてまでお礼の言葉を伝えてくれたのは。

 「……どういたしまして」

 やっぱり、嬉しかった。

 喜びに浸っていると、店長がいきなりおれの頭を掴んでくる。そしてグイッと引っ張って脇の下を潜らせ鵜腕を回し首を絞めてきた。

 「ちょ、店長いきなり何すんだ!?」

 「いやいやいや、ちょこーっと私もお節介をしようかなと思ってさ。シオン、この子って見るからに危ない感じがするよね?」

 「するけど、それがどうした」

 思わず怒鳴りつけると、店長が声を潜めて言ってくる。なのでこちらも同じ対応をしたが、わざわざ首を絞める必要はあるのかと、声を大にして言いたい。

 後胸が当たってるんだけど。着痩せする事実を今初めて知ったよ、だから今すぐ放してくれ嫌な予感がしてたまらない。誰か――褐色肌の女の子に追い回される姿が脳裏を過ぎって止まってくれないんだけど。

 が、そんな事わかってくれるはずもなく、

 「だからさ、シオンが彼女のエスコート兼ボディガードになってほしいんだ」

 「はぁ!?」

 「シッ、声が大きい。どうせ今日は休みなんだ、いいだろう? 何なら後で私がちゃんとお礼はするからさ」

 何故初対面の子にここまで、という思いが湧いてくる。シオンは当然、店長もあの女の子とは今日初めて会うはずなんだけど。親切すぎれば単なる余計なお世話なんだぞ!?

 という思いは届かず――おれは今、ストリートを通ってホームを目指していた。

 「……で、結局こうなるのな」

 傍らに、先程の少女を連れて。

 ……本当は、断るつもりだった。

 こう言っては何だが、金には困ってない。むしろ結構余り気味だ。何となく確認してみたら、パーティ共用資産よりおれ個人の資金の方が多くて頬を引き攣らせたくらいなんだし。

 だから店長の言うお礼は、別に貰わなくても問題はない。ほぼメリットが無いのに引き受けるなんて意味がないからと、そう言おうとして。

 でも結局、彼女の真剣な瞳に根負けした。

 あの眼は――まるで。

 まぁ、過ぎた事を言っても仕方がない。頭を振って余計な思考を殺ぎ落とし、キョロキョロと辺りを見渡しおのぼりさん全開少女の手を引いて誘導。前から歩いてきた人とぶつからないようにしておく。

 「余計なお世話かもしれないが、店長から頼まれたから今日一日付き合う事になった。嫌ならハッキリ言ってくれていい――」

 『だいじょうぶ。うれしい』

 言葉の途中でヒョイとあげられたメモ帳には、そんな言葉が綴られていた。何故か妙に信頼されている気がするのは、果たしておれの勘違いか。

 「なら、おれの言う事をいくつか聞いてくれ」

 コクン、と少女が頷いたのを見てから言う。

 「まずおれから離れないこと。流石に目で見えないところに行かれたら普通に逸れるからな。できれば手を握ってくれれば」

 言葉の途中で手を握られた。

 「……それから行く場所はメインストリートを中心にした、人の多い場所だけだ。厄介なトラブルに巻き込まれるかもしれないが、人が多ければあまり大きな騒ぎにはできないからな」

 『わかった』

 あらかじめ書き込んでおいたのか、了承の意を示してくる。

 これ変な条件出してもあっさり頷きそうな……とか思ったけれど、そんな自分の思考をねじ伏せておく。

 「で、最後に」

 「……?」

 「お前の名前、なんて言うんだ? 自己紹介してないだろ、お互いに」

 「……!」

 そういえば、と少女が大きく目を見張る。全然気にしてなかったな、と内心溜め息をしながらも名を言う。

 「おれはシオン。巷じゃ【英雄(ブレイバー)】なんて呼ばれてるけど、そこまで強くないから、ボディガードって言っても過信しないでくれよ」

 『わたしは、アオイ・アルビドゥス。気にしてないから、だいじょぶ』

 冗談めかしたシオンの自己紹介に、茶化すことなくアオイが答える。ジッとおれを見つめる瞳はただただ真っ直ぐで、どうしようもなく気圧される。

 それにしてもアオイ、ね。葵……花の名前が元なのだろうか。そう思っている間も彼女はただおれを見つめていて、ちょっと引いてしまう。どうしてこんな澄んだ目をしているのだろうかと思いながらも、おれはアオイの目的地を聞いてみた。

 「そういえば、アオイの行きたいところってどこなんだ?」

 『おはか』

 「そうか、おはか……お墓? じゃあ、さっき買ってた椿はもしかして……」

 『お母さんの好きなお花。だから、これにしたの』

 お母さん、か。

 おれには母の顔を覚えていないから何も言えないけど、でもやっぱり、アオイの顔を見れば、その人がとても大切だったのだとわかる。

 『シオンは? わたしといっしょにお花を買ってたけど』

 「え、ああ、おれもその……義姉さんのお墓参りに、な」

 目的は同じ。それに奇妙なシンパシーを感じなくもないが、どちらかというとこの重苦しい雰囲気をどうにかしてほしい。

 「コホッ。あー、今ちょうど昼時だし、何か食べるか? 金なら有り余ってるから奢るけど」

 『うれしいけど、でも、いい。いらない』

 花屋に行く前に何か食べてきたのだろうか。どちらにしろ、いらないと言う相手に無理矢理渡しても迷惑だろうから、素直に引いておこう。

 「寄るところとかは?」

 『お花屋さんと、おはかに行くことしか考えてなかった』

 「なら無駄に連れ回す理由は無いか」

 とりあえず彼女の言う母の墓があるところに行けばいいだろう。

 だがその前に、一箇所だけ言っておきたいところがある。

 「悪いんだけど……先にこっちの予定から済ませてもいいか?」

 義姉さんへの墓参りに、それをしたかった。

 幸いコクリと頷いてくれたので、ホームへと踵を返す。門番にアオイの事を聞かれたが、頼まれてボディガード中と言うと素直に通してくれた。そのまま幾人かと通り過ぎ――たまにかなり嫌そうな顔を向けられたが無視――て、そこについた。

 ポツンと、たった一つだけある墓。アオイと繋いでいた手を放して、その前に行って座る。たまに掃除をしているから綺麗なその墓の前に、松葉牡丹を添える。

 目を閉じて掌を合わせる。

 最近、こうしていても何かを思う事は無くなった。初めの内は何を言いたいのかもわからないまま涙してばかりだったのに。

 割り切れた、訳じゃない。無様な姿を、義姉さんの前で見せ続けるのがあまりにもみっともないと気づいただけだ。だからただ静謐な祈りを捧げ続ける。

 おれにとってはいつものこと。

 けれど、アオイにとってはそうじゃなかったらしい。彼女はおれの肩に触ってきて、その感触に片目だけ開けて視線を向けると、戸惑うような顔を見せた。

 『どうして、そんなことしてるの?』

 「そんなこと。まぁ、確かにこんなこと、なんだろうな」

 『みんな知ってる。そこにあるのは人だった物だけで、わたしたちの大切な人はいないって。なのにどうして、シオンはいのれるの?』

 そう、誰もがその事を知っている。

 何故なら、神がいるからだ。そしてその神達が、かねて人が持っていた疑問の一つである『人は死んだらどこへ行くのか』に答えを出した。

 その結果として、死後人の魂がどうなるのかがわかってしまった。

 同時に、今まで人が行ってきたお墓参りや鎮魂などの祭りは、ただただ無意味な行為、死んだ者には関係のない行いなのだとわかってしまったのだ。

 「そもそもさ、死んだ人がここにいようといまいと、意味なんて無いんだよ。だって、おれ達は相手の言葉を聞く手段が無いんだから」

 「…………………………」

 「だから結局のところ、祈りを捧げるのも、お墓参りに行くのも、ただの自己満足。それ以上にも以下にもなれない」

 『だったら、することに意味はあるの?』

 「自己満足だって言ったろ? 自分を慰めるためにすることだ。意味なんて、自分で見つけ出すしかない」

 おれは割り切れなかった。

 だからここに来てするのは、確認だ。義姉さんに貰ったものを、過ごした日々を、そして――死んでしまったあの日のことを。

 『守りたいものを守れる英雄になりたい』――その想いはまだ『ここ』にあるのかを、確認するための行い。

 「アオイはどうしてお母さんのお墓参りに行こうと思ったんだ? それを思い出せば、わかるんじゃないかな。自分がどうして、そんなことをしようと思ったのか」

 『わたし、は』

 その言葉の先は、グチャグチャになっていて読めなかった。何かが書いてあったのだけは、わかったけれど。

 しばらく黙っていたアオイは、手に持つ椿の花束から一本を引き抜くと、おれが添えた松葉牡丹の隅にそっと置いた。そして花束はおれに渡し、空いた両手の掌を合わせ、目を閉じた。

 一体彼女がおれの言葉の何に思うところがあったのかはわからない。

 ただ、一つだけ思うことはあった。

 義姉さんに想いを向けてくれてありがとう、と。

 できれば善い感情であるのを願いながら、おれはそう思った。

 自分の感情を整理するためにも話したい事はあったけれど、アオイの前で話すような内容でもないので諦め、彼女の母の墓へ行こうと立ち上がる。その気配を察したのか、アオイも立ち上がり、小さく礼をすると近寄ってきた。

 『もう、いいの?』

 「いいんだ。あんまり長く居すぎても、義姉さんが怒るだろうからな。『いつまでメソメソしてるの情けない、それでも男の子なの!』ってさ」

 声と口調を真似すると、彼女に『それっぽい』と返された。

 いやあの、アオイは義姉さんと会ったことは無い、よな? なのにそれっぽいって、え、もしかしておれの話し方……。

 なんだか精神衛生上問題が出てくる気がしたので、考えるのをやめた。

 アオイと手を繋ぎ直し、通った道を戻っていく。行きだけで道順を覚えたのか、おれより少し前を行く彼女に迷いはない。記憶力がいいようだ。

 表に出さず感心していると、

 「あれ、シオン? ……その手を繋いでるのは……」

 「ティオネ?」

 どこか戸惑ったような、アマゾネス姉妹の姉の姿が見えた。その目の先は繋がれた手に向かっているように見える。

 『ヤバイ所を目撃した!』と言いたげなその目に言いようのない居心地の悪さを感じていると、止まったおれを不思議に思ったのか、アオイが振り向いてきた。それによってティオネもアオイの顔を見れるようになり、

 「アオイ? でもなんでここに……」

 「知り合いなのか?」

 「え? ええ、まぁ、そう、なるわね」

 どこか煮え切らない態度のままティオネはアオイを見る。だがアオイがフルフルと首を横に振ると、ティオネはどこか納得したように、だが複雑な色を加えた表情を浮かべた。

 「――そっか。なら私から言う事は何も無さそうね」

 「……?」

 「悪いけど、ちょっと用事ができたからこれで失礼するわ。またね、シオン」

 「あ、ああ。また、明日」

 結局何がしたかったのかもわからないまま、ティオネはどこかに去ってしまう。

 「…………………………」

 ただ、ギュッとおれの手を握ってきたアオイの行動だけが、気にかかっていた。

 「……行こうか」

 太陽がかなり傾き、後一時間と少しすれば夕暮れになる頃。

 やっとおれとアオイは、彼女の母の遺体が鎮められているという墓地にたどり着いた。余計なちょっかいが無ければもう少し速かったんだけどな。

 「ゴホッ、ゴホッ」

 墓地に足を踏み入れようとしたとき、アオイが咳き込んだ。その体は小さく震え、心なしか繋いだ手も冷たく感じられる。

 「ほれ」

 仕方ないので、かなり大きなタオルを取り出し肩にかける。正直不格好だけど、ストールの代わりくらいにはなってくれるだろう。嫌なら寒さを我慢してくれ。

 この季節、夜に近づけば肌寒くなるのだから、せめてまともな外套を持って来ればよかったかなと少し後悔。

 『ありがとう』

 内心ちょっと自己嫌悪してると、アオイはそれを慰めるように薄い笑みを浮かべ、繋いでない方の手でタオルを引っ張り体を覆う。

 「悪いんだけど、ここから先はアオイが案内してくれ。墓地のどこにお墓があるのか、おれは知らないんだ」

 そうお願いすると、アオイが小さく手を引っ張ってきながら先を行く。何だかんだ墓地に来るのは初めてなので、失礼にならない程度に周囲のお墓を見る。

 お墓が作れる家庭は裕福なのだろう。だからきっと、ここにあるお墓以外の場所――それこそそこらの地面の下に遺体があるかもしれない。それを思うと、少し悲しかった。

 どうして悲しいのかわからないままついていくと、離れた場所にポツンと、一つのお墓が存在していた。他の物よりもずっと小さいそれに刻まれた名前は、

 ――アルタイア・アルビドゥス。

 それが、アオイの母の名なのだろう。おれが名を見ている間にアオイは持っていた椿の花を添えていた。

 失敗したな。彼女もお墓参りをすると言っていたのだから、松葉牡丹を一輪でも持ってくるべきだった。何だかんだ、義姉さんのお墓参りは思うところがあったらしい。全然吹っ切れていない証拠だ。

 ガリガリと頭を掻いていると、目の前にぬっとメモ帳が突きつけられた。

 『わたしがお母さんのおはかに来たのは、わすれたくないからだと思う』

 「忘れたくない?」

 『うん。わたしのお母さんはちゃんといた。わたしにくれた言葉とか、愛だとか、そういった大切なおもいをくれた人は、確かにいたんだって』

 それにと、彼女は続ける。

 『もしわたしがお母さんなら、できればわすれてほしくないから、ちゃんとおぼえてたいの』

 「……そう、だな。忘れてほしい人なんて、きっといない。誰か一人でもいい、自分をずっと覚えてくれる人がいたら――たったそれだけでも、幸せだと思える」

 誰からも覚えられず、生きていた事さえ知られずに死ぬのは、辛いだろう。そうじゃない人だっているだろうけど、でもシオンは、もし自分が死ぬなら覚えていてほしいと思うのだ。

 確かに生きていたんだと、そう言ってくれる人がいれば。

 だけどどうしてか、アオイは悲しい顔を浮かべていた。

 なんでと思っていたら、

 『きせきとか、ぐうぜんとか、前はしんじてた。でもお母さんがしんでからは、きっとそういうのはないんだって思うようになったの』

 「……え?」

 『お母さんはしかたないって笑ってた。そのときのかおを、わたしは』

 ……忘れたい、と。

 母を忘れたくないけれど、忘れたいというアオイ。

 それは多分、もっと幼い頃に願ったんだろう。

 『お母さんをつれていかないで』――と。

 でも叶わなかった。死んでしまった。だから彼女は奇跡や偶然なんて無いと思い、今も悲しそうに笑うのだろう。

 ……おれだって、忘れたい。

 義姉さんが死んだあの時あの瞬間の表情を、忘れてしまいたい。

 「奇跡や偶然なんていうのは、人間が勝手につけた概念でしかない」

 「……?」

 でも今は、彼女に言うべき言葉は別にある。

 「例えば強敵と出会ったとして。現状じゃどう足掻いても勝てない奴が、強敵に勝った。人はそれを『奇跡』とか『偶然』とか言うだろう。でも違う、真実は『本人が気付かなかっただけで、元から勝てる余地があった』――それだけだ。人には見えない真実、それを言葉にしたのが奇跡とか偶然なんだと思う」

 『よく、わかんない』

 「ま、そうだろうね」

 からかうように笑みを浮かべると、アオイは不貞腐れたように頬を膨らませる。それにクスクス笑っちゃうと、ついにそっぽを向いてしまった。

 そんな姿を穏やかな気持ちで見ながら、おれは両手を合わせ、小さな膨らみを作る。その動作を不思議に思ったのか、横目で見てきたのを確認して、手を開いた。

 手の中に水を溜めるような形。

 けれどその中にあったのは水ではなく、小さな小さな、人形のような、生き物。

 「はじめまして、風の精霊だよ!」

 「…………………………?」

 ポカン、と。

 確かに動き、人形ではなく生命なのだと訴えるその姿に、アオイの体が固まる。そんな彼女に、おれは言った。

 「今日()()()()出会った少年が、()()お墓参りに付き合ってくれて、()()()()風の精霊を宿していた」

 さて、

 「――()()()()()? ()()()()()()?」

 どこかイタズラっぽい笑みを浮かべてそう問うと、彼女は目の前の現実を受け入れだしたのか、おずおずと、

 『運命、かな』

 照れ臭そうに、笑った。

 流石に風の精霊は物珍しかったのか、アオイはまじまじと彼女を見つめる。見られている精霊も居心地が悪そうに顔をあちこちに動かしていたが、やがて諦めたのか、ガックリと肩を落とした。そんな所作におれとアオイ、二人で笑っていると、

 『そういえば、せーれーさんの名前は?』

 「え?」

 ピシッ、と今度はおれの固まる。

 なまえ、ナマエ、名前――。

 いや待って、まだ、決まってない。

 フィンとの提案があってからこっち、とにかくそれの対処にばかり頭が行ってどうしてもこの子の名前を考える暇がなかった。

 けれどそんな事情を知らないアオイと、そして何故か精霊までもが期待した目でおれを見ている気がする。

 「えっと、あー……」

 「『あー?』」

 違うそうじゃない!

 あ、ア、アリア? これだとアイズの母親の名前そのまんま! これに何かを加えて――いやでも何を加えれば――。

 グルグルとあっちこっちに行く思考。纏まらないままどうすれば、と内心頭を抱えていると、ふいに身近な少女の名前が思い浮かんだ。

 ごめん。勝手に名前借りる、ティオナ。

 「アリアナ。それが風の精霊の名前」

 「へ?」

 『アリアナ……』

 焦った。

 久しぶりに本気で焦った。でも何とかなったから良かった、そう思うようにしよう。そうしないとやってられないし。

 「アリアナ……アリアナ、かぁ。うん、そう、私はアリアナって言うんだよ!」

 そんなおれの心など露知らず、名付けられた彼女は嬉しそうに自分の名前を誇示した。

 ……悪かったな、と思う。名付けると約束したのに、なんだかんだ先延ばしにしてしまい、今になってしまった。

 だけど、楽しそうにアオイと話すアリアナには、無粋な謝罪なんていらないだろう。かけるとしても、帰ってからかな。

 できればもう少しだけ、せっかく出会えた彼女達の話しを待っていたかったけれど、そうしてはいられない事情ができた。

 「そろそろ帰るぞ。流石に日が沈む前に帰らないとマズいだろ」

 多分、後数十分くらい。おれはともかくアオイは帰らないと体調を崩す。アリアナに手を向けて戻ってもらい、そのままアオイの手を取る。

 そうして帰ろうと背を向けたら、その手をクン、と引かれた。花屋の時のようだ、と思いながら振り返ると、アオイはおれの手を両手で抱きしめていた。

 どうして手を引かれたのか、それはわからない。

 ただ、『待つよ』と示すために、彼女の傍へ少しだけ近寄った。

 『また、会ってくれる?』

 何となく空に浮かんでいる雲を見ている間に綴られたのは、そんな言葉。思わずキョトンとしていると、どこか焦ったようにアオイは続ける。

 『シオンのぼうけんを、ものがたりを、わたしに話してくれる? だって、シオンは【英雄】なんでしょ? ダンジョンに、行く、んだよね』

 だから、

 『わたしに、そこであったことを話すために――会いに、きてくれる?』

 揺れる瞳。

 一大決心したのだとわかる懇願に、おれは小さく笑ってしまった。縮こまる彼女の、サラサラとした髪に触れて、撫でる。

 「もちろん。会いに行くよ、絶対に。約束だ」

 できるだけ優しい声と笑顔で言うと、彼女は涙を流して、でも笑顔で、

 「ありが、とう!」

 今日初めて、声を出してくれた。

 彼女は喋らない。

 なのに、思わず声を出すほど喜んでくれて――それが何より、嬉しかった。

 本格的に時間がヤバくなってきたので、彼女の負担にならないよう、急ぎ足で帰る。それでも文句一つなくついてきてくれたアオイのお陰で、完全に日が暮れる前に、彼女が暮らすという孤児院にまでたどり着いた。

 ホッと一息ついておれも帰ろうとすると、アオイは大きく手を振って、その手の中にあるメモ帳を見せながら、

 『またね! シオン!』

 叫ぶ動作をして、笑った。

 「……ああ! また!」

 ただ別れるのは芸がない。

 そう思ったおれは、

 『アリアナ、頼む』

 『しょーがないなぁ。……特別だよ?』

 久しぶりに、彼女に頼んだ。

 『来て、風』

 それは精霊の奇跡。

 『さあ、舞い上がれ!』

 アリアナの力で集まった風を、背中へと纏めて、できるだけ『翼』の形状へ近づけていく。だがそれだけで空を飛べるほど、星の重力は甘くない。

 だから、更に力を増やし、足元から掬い上げるように体を浮かす。

 背中の翼でバランス維持。フラつこうとする体を無理矢理整えていると、空へ浮かび――、

 「必ず、アオイに会いに行く!」

 不格好な姿でないか。

 彼女に夢を見せられるような状態でいるか。

 それを不安に思いながら彼女を見ると、アオイは呆然とした顔を浮かべていたのを、興奮したものに変えて、ただひたすら手を振り返してきた。

 その姿にホッと安堵し、アオイから背を向け、屋根を超えて、おれは彼女の前から姿を消す。

 そしてすぐに、地面に降りた。

 『……落ちるかと思った』

 『そりゃあんな無茶なやり方したらそうなるよ。むしろ数十秒だけとはいえ、よく飛べたね?』

 『男の意地って奴だ。それに……悲しんでる顔より、笑ってる顔の方がいいだろ?』

 本心からそう思いつつ言うと、アリアナは呆れの溜め息をしつつ、

 『相変わらずのお人好し。……だから、力を貸したくなるんだけどね』

 優しく包み込むような声音で、そう言った。

 それに浮ついた気持ちになるも、誤魔化すように頬を掻く。次いで頭を振り、ホームへ帰ろうと足を向け、

 『……ありがとね、シオン。シオンがくれたアリアナって名前、好きだよ』

 そんな照れ臭い言葉が、羞恥と共に心中から響いてくる。

 『……どういたしまして』

 だからおれも、恥ずかしく思いながら、言葉を返した。

 帰ってからしばらくして、ティオネがおれを訪ねてきた。

 「珍しいな、こんな時間に来るなんて」

 「まぁ、気になることもあったし。その……アオイは、笑顔だった?」

 「普通に楽しそうだったけど? また会ってほしいって言われたから、近い内に……ああ、明日休みくれないか。二日連続で悪いけど」

 「どうして?」

 「いや、アオイの母親にお花を添えるのを忘れてさ。何となく心残りなんだ。それだけやったら戻ってくるから……ダメか?」

 正直、ふざけるなと言われてもおかしくない。フィンとの戦いまでもう後半月、残された時間は少ないのに、それを潰すと言っているのだから。

 だが予想に反してティオネは、わかったと言ってくれた。

 「三人には私から言っておくわ。どうせすぐ戻ってくるんでしょ? だったら、いいわよ」

 「あ、ありがと、ティオネ!」

 「感謝される程の事でもないわ。むしろ私が感謝したいくらいなんだし」

 「ティオネが、か? そりゃまたどうして」

 「アオイに笑顔をくれたこと。あの子、お母さんが死んでからずっと暗い顔してたから。私も他の子との付き合いがあったから、毎回見に行けるわけじゃないし」

 そういえば、ティオネはダンジョンに潜る前はガキ大将的な存在だった。だから、今でも一緒に遊んだりするんだろう。アオイと出会ったのも、その時なのだろうか。

 「ありがとね、シオン。それじゃ、また明日」

 「ああ、また明日」

 何はともあれ、ティオナを味方にできたのは大きい。このパーティ、ティオネは結構の発言権を有しているから、彼女が味方につけば大体何とかなる。

 とはいえあまり時間をかけられないから、今日はもう寝よう。

 「……本当にありがとう。でもごめんなさい、シオン。伝えられる、勇気がなくて」

 そう言って涙するティオネに、おれは最後まで気付かなかった。

 そして次の日、まさかの団員に捕まって仕事を押し付けられたせいで、昨日と同じくらいの時間帯になってしまった。かなり急いだので荒れ気味の呼吸を整え、芸が無いとは思いつつ選んだ松葉牡丹が散ってないかと確認。

 大丈夫だったので、昨日通った道を行ってお墓のところへ。けれど不思議な事に、昨日はいなかったそこに、老婆がいた。

 「あの……?」

 「あら、こんな時間にくるなんて。危ないからもうお帰りなさい」

 思わず声をかけてみると、優しいながらも顕然とした言葉を出される。それに逆らい難い何かを感じたが、おれが持つ花を見ると、ちょっとだけ表情を和らげた。

 「もしかして、()()()のお友達? それなら悪いことをしたわ。是非、添えてあげて」

 ――あの子?

 確かにアルタイアという女性は、この人から見ればそう呼べる年齢差なのだろう。だが、この人から感じたニュアンスは、もっと小さな子に向けるもののような……。

 何か、途方もないくらいの嫌な予感に、お墓を見る。

 「ッ!?」

 息が、止まった。思わず持っていた花を落としてしまう。

 だけど、それを気にする暇もなく、おれはそこに刻まれた文字を、何度も何度も読んで、確認して、でも信じられずにまた読み直して。

 ――アオイ・アルビドゥス。

 なのに、その文字は一向に消えてくれなかった。

 「なん、で……確かに、昨日は……笑ってたのに」

 「まさか、あなた。あの子が――アオイが死んだのを、知らなかったの?」

 コクリと頷く。

 横から息を呑んだ音が聞こえたけれど、それはおれの心に響かなかった。

 思えば、昨日は不自然なところが多かった。頑なに話さない彼女。それはもしかすれば、話さないのではなく話せなかったのではないか。

 他のところに寄ろうとしなかったのは、自分の体がもう限界だとわかっていたから、無理ができないと知っていたからではないか。

 おれが魂など無い義姉さんのお墓に祈っていた理由を聞いたのも、自分の母の死をどう思っているのかを言ったのも、自分が死ぬからなのではないか。

 そして、

 『また、会ってくれる?』

 彼女がおれにそう言った、その理由は。

 ――わたしのことを、わすれないでください。

 死を目前にした少女の、小さな願いなんじゃないか。

 真実はわからない。おれは落としてしまった松葉牡丹を拾い、乱れてしまった花束を直す。その動作を見ていた老婆は、

 「……お別れを、するのかい?」

 どこか沈痛さを堪えるように、聞いてきた。

 でも、違う。

 「いいえ」

 彼女が願ったのは、全然別のことだ。

 『シオンのぼうけんを、ものがたりを、わたしに話してくれる? だって、シオンは【英雄】なんでしょ? ダンジョンに、行く、んだよね。わたしに、そこであったことを話すために――会いに、きてくれる?』

 それに対して、おれはどう言ったか。

 『もちろん。会いに行くよ、絶対に。約束だ』

 あの時の言葉に嘘はない。だから彼女も、信じてくれた。話せない体で、たった五文字の言葉を言う、普通なら簡単な、でも彼女にとっては何より大変な行為を……してくれた。

 だから、おれはこれからも約束を果たそうと思う。

 「また会いに来ます。一日にも満たない、たった数時間だけの出会いだったけど」

 ずっと忘れない。

 アルタイアという、会ったこともない、でもきっと『親であり続けた』女性の名を。

 アオイという――大切な『友達』の名前を。

 おれはきっと、忘れない。




この物語はシオンの成長を描いているので、こんなお話も描きたかった。
本当は数ヶ月に貰った感想が元ネタ。原型留めてませんけど、感謝です。

『キスツス・アルビドゥス』
『ゴジアオイ』

花の名前です。今回のヒロインの名前の意味、わかった方、いらしたでしょうか。

次回は普通に本編入りますが、文字数がかなり行ったので、次回投稿はちょっと遅れるかもしれません。テストありますし。テストありますし。

とりあえず予告。
初っ端からぶっ飛んだ内容にする予定。
『聖女の再来?』
タイトルで展開わかったらどうしようとか思いつつ、次回もお楽しみに。


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迫りゆく闇
聖女の再来?


※今回はTS、女体化の表現があります。嫌な場合は飛ばしてください。付け加えれば次話もこれの続きです。
それでも読む場合は今回と次で一話のようなものなので、あらかじめご了承下さい。

次回の後半くらいに理由付けがあるので、そこだけ読めばなんでそうしたのかくらいはわかると思います。それから三話目に入ればあんまり混乱せずに済むかと。


 「シオン、ちょっと女になってくれへん?」

 「何言ってんだロキ。とうとう頭がイカれたか」

 ちょっとどころではないくらいの罵倒が、思わずシオンの口から漏れ出た。ロキの表情があまりにも真に迫っていて、冗談とは思えなかったせいだ。

 「何がしたいのかはよくわかんないけど、女装だろうがなんだろうが、女の格好なんてする意味が理解できないから、ごめんだ」

 「むぅ、そこまで言うなら、仕方ないか」

 なんて出来事が、昨夜のこと。

 そしてそのまま眠り、早朝になって。

 

 ――目が覚めたら、女になっていた。

 

 自分でもよく意味がわからなかったが、体が女のそれになっていたのだから、そうと認識するしかない。髪質や肌の艶なんかは元々良かったからそう大した変化はないけれど、体付きが妙に柔らかくなっていたりしている。

 何よりも――

 「これ、どっからどう見ても胸、だよな……」

 男の時には無かった確かな膨らみ。試しに触ってみれば、柔らかい。そもそも男として当然ある物が消えているのだから、もう現実逃避なんてできない。

 朝起きたら女の子になっていました。

 それが全てである。

 ふぅ、とシオンは大きな息を吐き出す。一体どんな手品を使えば男の体を女の体に変えられるのかわからないが、何かしらの理由はあるはず。

 魔法ならば、魔力が切れれば。

 薬ならば、もう一度飲めば戻るはずだ。

 鏡の前から離れて部屋の箪笥を開け、服を取り出す。持っている服の中でも比較的『女の子が着ていても不思議ではない』感じの物を選び、並べる。

 それを前にしながら、シオンは今やるべき事を見据えた。

 今、女となったシオンがやるべき事は一つだけ。

 ――おれが女になっていると、誰にもバレないようにすること。

 ただでさえ普段の外見が女寄りなせいで、噂程度とはいえ『シオンは本当は女の子』説が流れているのだ。そこに悪意が紛れているから尚更タチが悪い。

 そこに火種を投下すれば、例え男に戻れても不和を招く可能性が高い。シオン自身は有象無象の発言だと割り切れても、何となくティオナとアイズがぶちギレそうな予感がしたので、とにかくこれは必須事項。

 だから、そう。

 本当はやりたくなんてないし、自分自身気持ち悪いとしか思えないが。

 

 

 ――シオン(おれ)は今から、()()()()

 

 

 着替え終えたシオンは鏡を前に身嗜みを整える。服の皺は当然、髪の乱れを直す。正直面倒だとしか思えないが、化粧をしないで済むだけまだマシ、なのだろう。

 とりあえず及第点、といったところで、シオンは最後にコンタクトレンズの入ったケースを取り出す。

 シオンの見た目はかなり特殊だ。白銀の髪と瞳を同時に宿す人間は、オラリオにおいてもかなり稀になる。例え見た目女でも、その特徴から誰なのか看破される可能性が高い。

 幸いどちらか片方なら、という人間はそれなりにいるので、カラーコンタクトレンズで瞳の色を変えれば、ある程度は誤魔化せるだろう。

 ――青色、でいいか。

 変な入れ方にならないよう気をつけつつ、両目にレンズをはめる。目の色が確かに青色になっているのを確認して、一度頷く。

 「こんな感じ……っん、こんな感じ、かな」

 念には念を。

 声質を変えて、低いものから高いものにした。常に意識しなければいけないが、シオンの特徴からある程度離れた少女になるためには諦めなければいけない事もある、と割り切った。

 まだ皆が起きるまで多少の時間はあるが、だからといって余裕があるわけじゃない。お金だけを持って、シオンは()()近づいた。

 「……あぁ、そうだ」

 この姿の時の名前を決めておいたほうがいいだろう。

 しばらく考えて、適当でいいか、と思ったシオンは、

 「イリン。これでいいだろ」

 決め終えると、窓から身を乗り出し、飛び降りた。

 軽装ではあるが、人一人の重さで落ちれば相応の速度となる。ゴゥゴゥという音が耳元で鳴り響いてくる。頭から落ちないように体勢を考えつつ、迫る地面をしかと見据えた。

 そして、地面まで残り数M、という段階になって、イリンは横の壁を蹴った。その勢いで回転した体を制御して墜落。勢いは殺せたが、

 「折角整えたのに、全部無駄に……」

 風や諸々の理由で、髪も服もボサボサだ。若干落ち込みつつ、割り切って見れる程度に整えたら塀を飛び越えて外に出る。

 飛び終えたらまず周囲を見渡し、人がいないかどうかを見る。Lv.3の五感を最大限に利用して気配を探るも、何も感じないので一息吐き、まず北のメインストリートを目指す。

 ――服を調達しないと……。

 今のイリンの服は女が着ていても不自然ではないというだけで、男物であるのには変わりない。だからちゃんとした女物の服を調達し、着替えなければいけないのだ。

 走りはしないが、コツコツコツコツ、とかなり速く移動していく。変な人間には会わないようにルートも考えているので、メインストリートには物の数分でついた。

 そこから迷わず、イリンは『ドレス専門店』に入る。そこは大人から子供まで、幅広い物を扱っているのを、イリンは知っていた。

 開店直後、しかも来たのが子供一人というのもあって、店員だろう女性が驚いたようにイリンを見る。イリンはその視線を振り切り、子供用のドレスがある場所へ。

 既にどんな服にするかは決めている。

 条件は膝下くらいまでのスカート。場合によっては戦えるように足が動かしやすいもの。それから両肩が剥き出しで、小さな胸の膨らみが見えるようなドレス。

 『シオンは男』というのはオラリオでは当たり前のように認識されている。『本当は女』なんていうのは酒の肴に言われる程度のこと。

 だから、イリンという少女に成りきったシオンは徹底的に男の要素を取り除く。男には胸の膨らみなんてない。パッドでも入れれば話は別だが、胸が見やすい服ならそういった誤魔化しはしにくくなる。

 「あの、お嬢様。親御さんはどちらに?」

 「いませんよ。今日は私一人で来ましたから」

 「えっと、それではお手持ちについては」

 「ここのドレス、子供用なら行っても数十万くらいでしょう? 持ち合わせはあるから、あなたが気にする必要は無いわ」

 言いつつ、まだ訝しそうにする店員にお金を見せつけると、慌ててすいませんでしたと言いながら頭を下げてきた。

 それを無視してイリンは己の選んだ純白のドレスを持ち、店員に頼んで試着する。初めて着るドレスに悪戦苦闘させられたが、何とかきちんと着こなし終える。

 両肩どころか腕、背中も丸出し。露出過多な気もするが、イリンの仲間であるティオナ、ティオネは当然、アイズも結構肌を露出させているので、まぁいいだろう。

 とはいえこれだけでは淋しいので、首元にネックレスを、耳にはイヤリングを購入。ブレスレットや指輪も勧められたが、それについては拒否した。

 代わりに帽子を頼んだ。なるべく鍔の広い物を選んでもらう。店員には日差しを遮るためにと言ったが、本当は顔を隠すためだ。

 口元は見えるだろうが、全体像が見えなければシオンを幻視する可能性は更に低くなる。体付きから女だという先入観を植え付けてから顔を見せれば、誤魔化される人間は、きっと多い。

 後は日傘。淡い桃色にレースのついた日傘にして、後ろ姿を隠す。

 合計金額は軽く十万を超えたが一括払い。

 ――なんでこんな出費を……。

 相変わらずイリンに趣味らしい趣味はないが、だからといって散財を好んでいる訳でもない。ある意味貯蓄が趣味になりかけているお陰で、そろそろ手持ちのお金は一〇〇〇万を超えそうだ。もっと貯めたら一級品の武具でも買いたいところ。

 なので、今回の出費はちょっと痛い。目標が遠のいてしまう。

 外には出さないように憂鬱になりながらもお釣りを受け取り、外へ出ようとしたイリンだが、ふと思い止まって店員の女性へ向き直る。

 「ありがとう」

 「何のことでしょう?」

 「持ち合わせについて聞いた後、子供なのにお金を持ってるからって、馬鹿にしないできちんと相手にしてくれたでしょう。それが嬉しかったの」

 まだ人はおらず、店員も彼女一人。高値で売りつけたり、あるいは金自体を奪ってもバレなかったかもしれない。

 けれど彼女は、客の意向を聞き、一歩引きながらもアドバイスは欠かさなかった。

 その事が、憂鬱の中でも嬉しい出来事だった。

 「……私の役目は、お客様に似合う服を選ぶ事です。そのために、この店を開いたのですから」

 「え? それじゃもしかして、あなたは」

 「またのご利用、お待ちしております。お嬢様」

 質問には応えず、彼女は頭を下げる。イリンは小さく口元を綻ばせると、

 「ええ、必ず」

 着るのは自分じゃないだろうが。

 誰かを誘って、また来る、そう決めた。

 イリンが店を出た時には、もう人の姿は疎らながらも存在していた。行き交う人々から時折視線を向けられながらも、それに悪意を感じなかったので、少なくとも変な格好ではないのだと認識できる。

 慣れないスカートに歩くのを苦戦させられつつ、ちょっとでも慣れるために歩き方を工夫して学んでいく。物の十分くらいでスカートでの自然な歩き方をマスターし、辺りを見渡す余裕がでてきたので、何とはなしに眺めながら、喫茶店に入る。

 朝食になるような物を適当に頼み、ガラス越しに外を見る。半透明ながらも見える自分自身の姿に溜め息が出そうになった。

 イリンことシオンの身長は、九歳ながらも発育の良い十二歳の男の子と同程度にはある。そしてそんな身長のまま女の体になったという事は、つまり。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そして、この世界では結婚年齢は早年であり、それが示すのは、イリンである現在。

 「……嫌なことを考えるのは、やめておきましょう」

 変な想像は振り切って、ここで働いている少女が持ってきたサンドイッチに手を伸ばす。ちょっとだけピリッとした辛味に旨味を感じながら、どことなく小さくなった口に頬張る。

 胃の構造も変わったのか、いつもより少量にしたのに満腹感を覚えた。いつもの量を注文していたら危なかったかもしれない。

 食後に水を頼んで飲んでいたら、ふいに外の光景が変わっているのに気づいた。ちょっとだけ人の波が多くなっていたのだ。

 どうしたのだろう、と少し背伸びをしたら、一瞬だけ泣いている子の姿が見えた。

 「…………………………」

 どうしよう、と悩む間もなく、イリンの体は動いていた。

 「これ勘定! お釣りはいらないから!」

 「え、お客様!? こ、これお釣りとかっていう金額じゃ……」

 投げ捨てるようにお金を店員の少女に渡し、イリンは店の外へ。後ろから戸惑ったような声が聞こえたけれど、足りないよりはいいだろう。

 「あの、すいません。ちょっと、どいて、ください!」

 邪魔な野次馬を無理矢理退かして、中心へ。

 人の多いところに割り込んだので、数度肘やらなんやらを入れかけられたが、全て受け止めていきながら、やっと泣いていた子のところに行けた。

 「ったく、泣いてばかりで許されるとでも思ってるのか? 盗みは盗みだ、ちゃんとしたところで罰は受けてもらうぜ。お前からは何度も被害にあったって、俺達の間じゃ有名だしな」

 何となく、その言葉でイリンはあの男の子が何をしたのか悟った。周囲の人達も、割って入ったイリンを見つつ、自業自得だなんだと呟いている。

 ――違う。

 確かに自業自得なのは事実だろう。

 だが、あの子が泣きながら言っているごめんという言葉は、あの店主にでも、ましてや自分にでもない。もっと別の誰かの為だ。

 そもそも、あの店主の言う通り何度も盗みをしているのなら、なんであの男の子はあんなにも痩せ細っているのか。

 決まっている。その誰かの為に盗み、それを渡してしまっているからだ。

 ――見捨てるか、否か。

 正直イリンと彼の間に関係は、無い。見捨てたところで、ああ、そんな子がいたな、で終わる程度の希薄さだ。

 だけど、イリン、いいやシオンとしてのお節介さが、立ち去るのを許さない。乱れた髪を撫で付けて乱雑に整えると、イリンは人垣から離れ、二人の間に入った。

 「大丈夫? 膝を怪我しているわ、水で洗い流さないとダメよ」

 そのまま店主を無視するように、男の子の傍へ寄り、頭を撫でて落ち着かせてみる。いきなり現れた年上の少女に驚いたのか、涙が引っ込んだ少年が見上げてくる。

 「あ、あんた、誰……?」

 「ただのお節介焼き」

 端的に答えると、イリンは立ち上がり、店主を見る。その視線に気圧されたのか、店主が一歩後ずさるも、周りの視線に気づいて踏み止まった。

 「なんだ、嬢ちゃん。これは俺とその坊主の話だ。関係ないなら下がってな。それとも、嬢ちゃんはこの坊主の家族か何かかい?」

 「いいえ。初対面よ。この騒ぎがなければ会いもしなかった程度の関係ね」

 そう言えば、店主は理解できないと顔を手で覆い、大袈裟に肩を竦めた。その顔には、物分りの悪い子供に言い聞かせるような色がある。

 「それなら、知らなくても無理はねぇか。いいか嬢ちゃん。その坊主は、今まで散々ここらで物を盗みまくった奴だ。子供だろうがなんだろうが、やり過ぎだ。ちゃんと罰を受けてもらわなきゃこっちの気が済まねぇ」

 「……それは、何をしても取り返しのつかない物ですか?」

 「いや、そうでもない。だが被害総額は結構なもんでな、この坊主にゃ返せないだろうよ。それに、仮に返せたとしても、盗まれた側の心証は最悪だ。その店の子供に殴る蹴るでいじめられるのは目に見えてるぜ」

 なるほど、この店主、いかつい外見だが面倒見はいいらしい。なんだかんだで『この場での解決策』を教えつつ、だが『その後の解決策』が無いのだと答えてくれる。

 少し、悩む。

 この場での解決策なら、どうとでもなる。金ならあるのだ、凌ぐくらいはできる。だが、その後の状況はこの少年がやってきた事の返済だ。そこまでは干渉できない。

 ここで助けられたとしても、この野次馬から向けられている少年への視線が、全てを物語っているというのに。

 もしイリンに、できるとしたら――、

 「わかりました」

 「んぁ?」

 「私がこの子の代わりに、金額の返済を行います。何十――いえ、何百万ヴァリスがあれば、返済できますか?」

 「い、いや、そこまではいかねぇよ。精々数万くらいだろ。それより、嬢ちゃん、あんたそんな金額返せるのか?」

 「返せますよ。その程度には稼いでいますので」

 店主に手を出してもらい、そこに今日持ってきた金銭の大半を置く。驚きつつも店主は被害にあった物を計算しているのか、

 「……これは余計だな」

 余剰分を返してきた。

 「あの、これはあなたに渡したもので」

 「盗まれた物はツケって事にしといてやるよ。嬢ちゃんの心意気に応じてな。だが、それをするのは俺だけだ。他の奴までは、保証できねぇ」

 店主はフン、と鼻を鳴らすと、一度少年に視線を向けて、また戻してくる。

 「いえ、十分です。……話は、聞いてた?」

 どうするのか、という意味を問う視線に小さく笑みを浮かべながら、イリンは唐突な展開についていけなかった少年の傍へまた近寄る。

 「な、なんだよ。あんた、何がしたいんだ。おれは何にも持ってないぞ」

 「別に何かを貰いたくてした訳じゃないわ。それと、助かった訳でもない。まず前提条件を間違えないことね」

 そう、間違えてはいけない。

 ある意味借金が返済されたこの状況。けれど、その過程で起きた少年へ向かう悪感情は返済されていない。

 「私はこれから先、あなたと関わる事はない。だから、もしまたあなたが盗みを働き、それで捕まったら、もうどうにもできない」

 もしこの少年が同じことをすれば、イリンと店主の顔は潰れるだろうが。やっと捕まえた盗人を解放するように頼み、それに応じたのだから。

 「だったら、どうしろってのさ。雇ってくれるとこなんてない。金がないなら、また盗むしかないだろ」

 「その思い込みから、どうにかするべきね。でも、まずするべき事は決まっているわ」

 否定的な意見ばかり口にしすぎだ、この少年は。

 苦笑いをしつつ、イリンは体の向きを変える。即ち、人波の方へ。そして膝をつき、帽子を取って横に置くと、背筋をピンと伸ばす。そのまま、ドレスが汚れるのも厭わず、上体を思い切り倒して、土下座した。

 「申し訳ありませんでした!」

 全員に聞こえるように、ハッキリとした声量で叫ぶ。

 少女が見事な土下座をし謝罪するというのはインパクトがあったのか、悪意ある視線が一気に困惑へと変わる。

 それは当然、少年もだった。

 「な――何してんだよあんた!」

 「何って、謝罪だけど。悪いことをしたなら謝るのは当然。あなたが真っ先にするのは、心底からの反省であるべきよ」

 「そんなのしたって」

 「無駄だと思う? でもね、そう思ってるからいつまで経っても改善しないの」

 土下座をしたまま、横目で訳がわからないと言いたげな少年の目をじっと見つめる。やがて根負けして目を逸らす少年に、シオンは告げた。

 「あなたは、逃げた」

 「……ッ、そんなこと」

 「盗むっていう、とても簡単な事に逃げた。頑張って金を稼ぐという手段を放棄して、楽な道に進んで、そしてこうなった。だったら、人一倍苦労するのはある種当然の事なのよ」

 土下座したまま説教はちょっとどうかと思ったので、体勢を正座に戻しながら、ただひたすらに少年だけを見つめる。

 けれど、今度は少年は目を逸らさず、逆に睨みつけてきた。

 「ガキにできる事なんて、知れてるだろ。体は小さくて、重いものは持てなくて、そもそも雇ってももらえないのに」

 「そうやって決めつけたのね。それとも、雇ってもらおうとしてそう言われたの?」

 「……ッ、それ、は」

 「やってないのなら、反論すべきではないわ」

 そもそも、

 「()()()()()()()()()()のなら、楽な事をせず苦労を背負うなんて当然の事なのよ」

 そう呆れながら言うと、少年が今日一番の驚愕を見せてきた。

 「な、なんで、その事を」

 「あなたの体を見てればわかるわよ。妹? 弟? それはわからないけど、家族か誰かのために頑張ってたのだけはわかる。だからこそ助けようと思ったんだから」

 もし自分の為だけにやってたのなら、イリンは助けようとは思わなかっただろうし。図星を突かれて俯いている少年を置いて、イリンはまた土下座に戻る。

 「どなたか、お願いします。この子を雇っては貰えませんか! 確かにこの子は盗みを働いてしまいました。ですが、大人の目を掻い潜れるだけの観察眼、盗んだのを悟られない器用さ、追いかけられても逃げ切れるだけの足の速さを持っています。悪い事に使っていたこれらも、良い事に使えばきっと役立てるはずです!」

 イリンのやっている事は滅茶苦茶だ。お節介だとかそういうレベルを超えている。払わなくていい金を払い、下げなくてもいい頭を下げ、願わなくても良い事を願う。

 「どうして、おれにここまでしてくれるんだ。他人だろ!?」

 「他人であっても、どんな事をしてでも誰かの為に動ける人を、私は尊敬する。そして、尊敬する人を助けるのは、不思議な事?」

 「おれがまた盗むかもしれないのに? バカだろあんた」

 「バカかもしれない。でもね、それが私だから。どうしようもない愚か者に差し伸べる手は無いけど、でも『誰かのため』っていう優しい子になら、更生できる余地を作りたいんだ」

 イリンだって人間だ。絶対に無理、無駄だとわかるような悪人に、無為な時間を使ってあげるほど優しくも親身にもなれない。初対面なら尚更だ。

 でも、その逆なら、とことん優しく、親身になろう。

 「言ったでしょ? お節介だって。あなたはただ、甘えてればいいんだよ」

 そう優しく微笑めば、少年が息を呑んだ。

 それから何かを考え込むようにし、

 「あー、もう! そんなにされて変われない訳ないだろ!」

 唐突に叫ぶと、頭を何度も掻いて、キッとイリンを睨むと肩を掴んで無理矢理体を起こさせる。それに戸惑うイリンの代わりに、少年は自ら土下座した。

 「今まで本当にすいませんでしたっ! 盗んだ人に全員謝罪しに行きます、二度と盗みなんてしません。真面目に生きていきます、だからどうか、チャンスを下さい! きちんと働いて、金を稼いで、妹に食べさせてやるために!」

 それは少年の叫びだった。

 何が彼の琴線に触れたのか、心底からの叫びは、彼の心を確かに伝わせた。けれど、それが伝わらない人間もいた。

 「あ、あなたが言う必要は無いんだよ? これは私が勝手にやってる事なんだから、あなたまで土下座する必要なんて」

 「悪いことをしたらまず謝る。あんたが言った事だろ。それに、本人じゃなくてあんたが謝っても意味無いって思ったんだ」

 何よりも、

 「働かなきゃ……いつか、飢え死にだ。おれも、あいつも」

 だからこそ今、イリンがくれたチャンスを手放さない。

 「おれが変われるならここだけだ。あんたが言う通り、人一倍苦労するかもしれないけど、でも真っ当に生きれるのなら、頑張ってやるさ」

 「ほぉ、よく言った坊主」

 「え?」

 ガシッと、少年の頭に大きな手が乗せられる。そのまま頭を掴まれ、体を空中に浮かせられる。自重で首が引っこ抜けるかと思った少年が暴れだした。

 「イ、イッテェェェ!? は、放せ! 首が、抜ける!?」

 「は、この程度で根を上げるなら頑張るなんて口先だけって事になるぜ」

 「ッ……」

 嘲るように店主が言う。それを聞いた少年は歯を噛み締め、店主を睨むような目付きで、しかし文句を言わずに耐えた。

 「そうだ、それでいい。……嬢ちゃんのお節介と、坊主の心意気に免じて、雇ってやるよ。ただし馬車馬みたいに働いてもらうから、覚悟しな」

 「……働け、るなら……それで、いいっ」

 「ふん、威勢だけは本当にいい。行くぞ、()()()

 「……ああ! でも、その前、に!」

 人称が変わったのに気づいた少年が大きな声で返事をする。そしてそのままどこかに行きそうな感じがしたのに、器用に手から逃れて地面に立つと、未だ座っているイリンの前に来て、しっかりと頭を下げた。

 「あんたが……いや、あなたがくれたチャンス、無駄にはしません」

 「そう言ってくれるだけでも、私が余計なお節介をした意味もあったかな」

 クスリと笑って言えば、どこか顔を赤くした少年の姿があった。よくわからず小首を傾げると、意を決したのか、少年が聞いてきた。

 「えっと、最後に、名前だけでも教えてくれない……ませんか? 何も知らずに別れるのは、嫌ですし」

 「私の名前? イリンだよ。それと、無理に言葉を直さなくてもいいんだよ。私とあなたはあんまり年の差、無さそうだし」

 口元に手を当ててイリンが言うと、理解できなさそうな顔をした少年が、小さく尋ねる。どこからどう見ても十四、五歳のイリンが、精々八歳前後の少年の年に近いと言ったのだから、仕方ないのかもしれない。

 「……イリンって、何歳なんだ?」

 「今年で九歳かな」

 瞬間、空気が凍った。

 その場にいた全員の視線が、イリンの体を上から下まで眺める。流石にジロジロ眺められるのに慣れていないので、ちょっと気圧された。

 「――ハァ!?」

 「……嘘だろおい」

 一番速く再起動した少年と店主が、驚愕と呆然の声をそれぞれ出す。その反応で何となく収拾がつかなくなる雰囲気を察したイリンは立ち上がると背を向け、

 「またね。今度は立派になった姿を見せてくれると嬉しいな」

 一度だけ手を振り、さっさと行ってしまう。

 「あ――ありがとう、イリン! おれ頑張るからさ! 頑張って、立派になったら、その時は」

 そこから先は言わなかった。いいや、言えなかった。まだ盗人のガキという肩書きが付いて回るような人間が、言えるはずがない。

 「もう一度出会って、名乗りあおう」

 結局、自分の名前さえ伝えられなかった少年が、小さく呟く。もう届かないところにまで行ってしまったイリンには決して届かない言葉。

 だが、イリンはLv.3で、且つ本人同様お節介な精霊がいた。

 『届けたよ、その願い』

 「次会うときは、イリンじゃないんだけどなぁ」

 一つ苦笑を零して振り返り、少年へ向けて大きく手を振る。言葉は言わない。けれど、そこに希望を見出した少年はグッと拳を握り締め、泣くのを堪えながら店主に向き直った。

 「ご指導ご鞭撻、お願いします!」

 たった一人の少年の運命を変えただけ。罰を与えられ、妹共々死に逝くはずだった命を、救っただけのお話。

 でも確かに、そこには優しさがあった。

 イリンと名乗った少女は、その後もオラリオの各地に赴いては、小さな少年少女を初めとして、様々な救いの手を差し伸べたという。

 「……ちょっと、報告してみようかしら」

 ――そして。

 その始まりの光景を見ていた『とある【ファミリア】の少女』が、己の神へと内容を伝えに行った結果として。

 「なぁなぁフィン、今オラリオで『聖女の再来』なんて言われとる女の子がいるみたいなんやけど、一緒に勧誘に行かへん!?」

 「いきなりなんだ、ロキ。……いつもの事だから何も言わないけど。わかったよ、護衛として僕も一緒に行こう」

 「さっすが! だからうち、フィンの事大好きなんやで!」

 一番知られたくない相手が、イリンという少女を勧誘しに動き出す。

 「それにしても【聖女】か。それを聞くと、あの人を思い出すよ」

 かつてオラリオでその二つ名を与えられた女性。

 「――【聖女】イリスティア・レクス・ハイリガー。確か彼女は」

 ()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 更にその裏で、また面倒な事も起こっていた。

 「んー、聖女様、かぁ」

 ロキの叫びに何だろうと気になって追いかけていた褐色肌の少女が、好奇心を刺激されてしまったのだ。

 「私も探しに行こっと」

 ……こうして、ある意味シオンが一番知られたくない人物筆頭の少女が、イリンを探しに動き出す。




というわけで、初っ端からぶっ飛んだ感じにしてみました。
シオンが何故か女性化して、そのままオラリオを駆けずり回ってるというお話。バレないためにホームを抜け出したのに、人助けのために騒ぎに飛び込むイリンさん、マジ無鉄砲。

ちなみに聖女云々はほぼ適当。そもそも私の中で『聖女のような人物像』があやふやだったのが原因。なのでシオンが普段やってる行動をなぞらえてみました。

次回は今回の続きです。ロキ、フィン、そしてもう一人がイリン探して動きます。
タイトルは未定。


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マジカルメイクアップ

前回の続きです。一応後半にそうした理由があるので、TS関連が苦手、でも理由だけ知りたいって人は3分の1辺りまでスクロールして飛ばしてください。


 イリンは途中途中で人助けをしつつも、一つの目的地を目指していた。

 それは冒険者ギルド。流石にイリンの姿では知り合いはいないという設定になるから、伝手は一切使えないが、それでも多少の調べ物はできるはず。

 そう、調べ物。それが目的だった。

 少なくともイリンはシオンであった時に変な薬は飲まなかった。それでもこのような体になったというなら、遠距離から影響を与えられる魔法くらいしか候補が出てこない。

 言っては悪いがこの女体化、不完全だ。表面上は女の体になってしまっているが、中身は恐らく男とそう変わらない。実際本気で拳を作って殴ろうとすると、シオンであった時とそう変わらない威力になった。

 つまり、これが仮に魔法であるとすれば『本人のイメージを投影する』類の魔法である可能性は高い。

 だから冒険者ギルドでそれと似たような魔法があれば、この推測はほぼ確信に変わる。というかなってくれなきゃ困る。

 「流石にいつまでもこの体は、嫌だもの」

 イリンが平静でいられるのは単に今までの経験からだ。下手に取り乱したって状況は改善なんてしてくれない。冷静に平静に動き、場を見極め、最善手を導き出す。

 しかしそれは、まだ『何とかなる』という確信があるからこそだ。もし何の手も無いとわかってしまえば、さしものシオンでも、耐えられるかどうか。

 嫌な想像をブンブンと頭を振って追い出し、冒険者ギルドへ辿り着く。日傘を閉じて、他の人の邪魔にはならないよう、端っこを通る。場に似合わぬ格好をしているが、冒険者依頼の発注を頼みに来たと思われたのか、ある程度の視線以上は何も感じられなかった。

 何とか中には入れたイリンだが、そこで固まる。受付嬢の前には大量の冒険者が並んでいて、すぐにはとても用事を告げられそうにない。

 仕方なしにそこから一度離れ、別の場所で仕事をしている人の元へ。幸いこの時間帯ならば、『彼女』がいるはずだ。

 歩くこと数分、ようやっとその見覚えある背中を見つけて安堵しながら声をかけた。

 「あの、すいません」

 「はい、何でしょう。ご用件がありました、ら――」

 振り返った彼女――エイナが、イリンの顔を見て固まる。それからすぐに再起動すると、イリンの体を上から下まで眺めた。

 「……? 何か?」

 「あ、いえ、申し訳ありません。貴方が私の友人にとてもよく似ていたもので、つい」

 ギクリとイリンの心臓が跳ねた。持ち前の精神で顔には決して出さず、どころか笑顔すら見せて応じる。

 「そうなの。あなたがそこまで驚くほどなのですから、よほど似ているのでしょうね。一度お会いしたいものです」

 まぁ、本人だからありえないのだけれど。

 「……そう、だよね。そもそも彼は男なんだし……。すいません、用事があるのに私用に突き合わせてしまって。それで、私に何の御用でしょうか」

 「ああ、実はここにある魔法に関した記述か何か、置いてあるのか知りたいの」

 「魔法に関した記述、ですか? それでしたら本屋等に置いてあると思われますが」

 不思議そうに聞いてくるエイナに、伝え忘れていたなと、イリンはより正確な情報を伝える。

 「私が知りたいのは、攻撃、防御、支援なんかの分類別された魔法。詠唱とかそういうのはわかんなくてもいいから、ある程度把握された効果が知りたいな、って」

 「……申し訳ありませんが、そういった物は厳重に秘匿されていまして、何の信用も、紹介状も持たない御方には見せられません」

 そうだろうとは思っていた。そこにある記述の中には、今を生きる冒険者の使う魔法の効果が記されている可能性がある。ギルドの一職員である彼女が、何の後ろ盾も無い、一般人の少女に見せる訳が無かった。

 それでも、諦める訳にはいかないのだ。

 「とても古い資料でも構わないの。それこそ百年、二百年――五百年、いっそ千年前のだって、文句は言わないわ」

 知らなければ、対策が取れない。

 イリンの予想では、これが魔法による効果なら、魔力による持続が切れた瞬間、元の姿に戻れる可能性は高い。

 だが、イリンが危惧しているのはそこではなかった。確かに戻る事も重要だが、何よりも恐ろしい事実が、イリンを待っているかもしれないからだ。

 そんな想いが気迫となって滲んでいたのだろう。イリナがたじろいだように一歩下がり、困ったように眼鏡の位置を正した。

 「確かに、古い資料の中には一般解放されているのも置いてありますが……そのような物を、一体何に使うのですか?」

 ギルドの規則に反しない範囲でなら、エイナとて鬼ではない、教えられる事は教えるし、手伝える事なら手伝おう。

 だが、こうまで鬼気迫る表情をしている人間を、理由も知らずに手伝うことは、エイナにはできそうになかった。

 だから聞いたのだ。

 「……。……もしかしたら、ちょっと危ない目に合うかもしれない人がいる。だけど、その危ない事は、私が少し頑張れば回避できるかもしれない。その理由じゃ、ダメ?」

 その危ない目に会う誰かまでは、予測できない。

 だが放置し続ければ、いつか後悔する可能性が高かった。恐らくこれは『彼女』も感づいているだろうけど、上から言われるのと、被害にあったイリンが言うのとでは、説得力が万倍に違うはずだ。

 故にイリンは、対策を考えて、伝える必要があった。

 笑い話で済めばそれでいい。でもそうならなかった時のために。そうやってシオンは命の危険を回避してきた。

 それはイリンであっても変わらない。

 何故ならシオンはイリンで、イリンはシオンだからだ。体が男だとか女だとか、そういった物が些細な事に成り下がるほど、シオン(イリン)にとって仲間が、友が大切だ。

 「……わかりました。こちらへついてきてください。ご案内致します」

 「っ、ありがとう、()()()!」

 ……あれ? とエイナは不自然な点を見つけた。

 ――私、彼女に名前を言ったかしら……?

 結局、どこかで名を聞いたのだろう、という思考に落ち着いた。当然だろう、この少女が友人であるシオンだなどと欠片も思っていないのだから。

 背を向け案内するエイナの背を申し訳なさそうに見るイリンの視線に、彼女は最後まで気づく事は無かった。

 

 

 

 

 

 それから二時間程の間、イリンはただひたすら本を読み込んでいた。その速度は普段活字を見慣れているエイナも驚かされるほどで、つい、

 「ど、どうやってそんな速さで……?」

 なんて聞いてしまった。

 明らかに職務を超えている発言だと気づいて慌てて口を噤んだが、幸いイリンことシオンは彼女を友人だと思っているので、特段気にしなかった。

 「あくまでこの資料は私が知りたいことを読んでいるだけだもの。いらない情報は流し読み程度で留めておけば、これくらいは誰にでもできるはずよ」

 若干おざなりな対応になったが、エイナは気にしなかったので、更に読み進める。

 ……本当は、調べたい範囲はもう調べ終えていた。今やっているのは、単に念のため程度の作業と、エイナの目を逸らすための行為でしかない。

 結論から言えば、そういった類の魔法は存在する。

 とはいえそれでもいくつか制限はあるような記述は見受けられたが、しかし、そんな物は使い方次第だ。

 「これは、なるべく速く動く必要がありそうね……」

 ふぅ、と一息吐いてイリンは手元の本を机の上に置く。それからエイナに感謝の言葉と共に、もうこれ以上は必要無いと告げた。

 「もう調べ物は大丈夫なのですか?」

 「ええ。わざわざ手伝ってもらってごめんなさいね。仕事の途中、だったのでしょう?」

 「仕事自体は余裕ができるようにこなしているので、問題はありません。むしろここまで熱心に資料を読み込む人は珍しいので、ちょっと新鮮で、嬉しかったです」

 「嬉、しい?」

 「はい。実はここの整理は私も行っているのですが、大体は無意味になってしまいまして」

 そういえば、エイナが資料を持ってくるとき、その動きにはほとんど淀みが無かった。その理由も常に自分が片付けていたのなら納得できる。

 こうして話している間にも、彼女はイリンが読み終わったと判断した資料をもう元の場所に戻していて、最初に来たときと変わらぬ状況を作り上げていた。

 「こうして誰かの役に立てるのなら、綺麗にしていた甲斐がありました」

 優しく微笑むエイナの表情は、いつもシオンが見ている者と変わらない。この少女の根底にある想いはきっと、とても優しいのだろう。それがわかる。

 「エイナ、これ、受け取ってくれない?」

 思わず手助けしてしまいたくなるが、イリンとなっている今、それはできない。しかし、できる事はちょっとだけある。

 エイナの手を取り、その中にチャリンという音が鳴る物を置いた。その感触と音で渡された物が何なのか察した彼女は困惑させられる。

 「あの、これを受け取ることはできません。私は職務をこなしているだけで、こういった物を受け取るためにやった訳では」

 「これは私があなたに個人的な感謝で渡す物。そう大した金額ではありませんし……帰りに何か甘い物を食べてくれるのにでも使ってくれれば嬉しいです」

 賄賂だとかそういうつもりは一切ない。純粋な感謝で渡すだけだ。本当なら自分でお菓子を買って渡すべきなのだろうが、そんな余裕はなかった。

 それでもしばらく戸惑っていたエイナだが、渡したお金の量もそう大した額ではないのが良かったのだろう。素直に受け取ってくれた。

 「わかりました。あなたの好意、受け取らせていただきますね」

 苦笑しながら、しかしその気遣いを嬉しそうにしているエイナに、イリンも小さく笑みを浮かべてみせた。

 まだ仕事がありますので――そう告げてエイナが立ち去ったあと、用事が無くなったイリンもギルドを後にした。けれどその横顔は鋭く尖っていて、シオンがダンジョンに潜っている時とそう変わらない顔となっている。

 ――これで、確信できた。

 これは魔法の類だ。細かい効果までは違うだろうが、確かに一つの魔法。イリンは己の腕に視線を落とし、見つめる。

 確かに自分の腕。だが、何故だか今は己の腕に『何か』が纏われているような錯覚がある。篭手をはめているかのような感覚だが、それとはちょっと違う感じだ。

 意識を集中し、己の五感を最大限にする。

 ――やっぱり、何かがおかしい。

 表面上自分の体が女になっていると言ったが、どうやらその表現は違ったらしい。

 何せ今のシオン(イリン)は『男の体』と『女の体』、両方の感覚を覚えているからだ。その奇妙な状態に眉を寄せつつ、これ以上はわからないと諦めた。

 ――鍍金か何かで覆われてるような感じなのは、わかるんだけど。

 普通に女になっているのとは少し違う。

 でもそれ以上は、この魔法を使う本人にでも問いただすしかないだろう。そう思って溜め息を一つすると、歩き出す。

 けれど、その足はすぐに止まる事となった。

 道を塞ぐように立つ男女。その二人の姿に、イリンは表情が固まるのを防ぐのに全身の力を集めなければいけなくなった。

 「な、やっぱりここにいたやろ?」

 「流石知恵を持つ神なだけはあるよ。本当に見つけるとは」

 そう会話している二人の視線は、しっかりと自分に向けられている。

 何とか平静を装い小首を傾げ、不思議そうな演技をしていると、男――フィンが、イリンに近づいてくる。その顔は何度か横に立つ女――ロキに向けられているが、ロキは一向に動かずにいるのを見て、意を決したように話しかけてきた。

 「すまない。今、時間は空いているかい?」

 断ることもできずフィンとロキの後ろをついて、イリンは飲み物が飲めて落ち着ける場所へと連れてこられた。カフェで各々飲み物を頼み、人目につきにくい席へ座る。

 コーヒーを頼んだフィンが一口含んだ後に、代表して口を開く。

 「悪いね、うちの神様は容姿の良い子を眷属にしたがるんだ。君の事も噂で聞いて追っかけていてね。僕は護衛と思ってくれていいよ」

 「はぁ……容姿が良い、ですか」

 「そう、その通り。流石に自覚はしているだろう?」

 「してはいますが、私は人を外見で判断するつもりはありません。どんなに見目麗しく見えたとしても、傲慢で、誰かを見下すのが当たり前な人とは関わろうとは思いませんよ」

 心底から思っている事を伝えると、フィンは感心しように頷き、次いでまたロキを見直した。しかしここでもロキが動かないのを見て、眉間に皺が寄る。

 付き合いの長いフィンは、ロキが行動しないのに不信感を募らせていたのだ。普通なら気に入れば一目散に抱きつきに行って確保してもおかしくはないのに、だ。

 だがロキが喋らないのなら代わりを務めるしかないフィンは、不信感を内心に押し留め、何事も無かったかのように振舞う。

 「そういう考えを持つ人が多ければ、いいんだけどね」

 小人族の容姿は総じて他種族の子供並、故に侮られる事の多いフィンだからこそ、その言葉には重みがあった。

 しかし動揺した様子を見せないイリンに苦笑し、

 「変な事を言ってしまったね。僕はフィンだ、こっちはロキ」

 「私はイリンと申します。それで、あなた方の用事とは、一体?」

 「【ファミリア】への勧誘が主。それがダメでも個人的な質問がいくつかってところかな」

 言い終えると、イリンは眉間に力を入れ、困ったような笑みをする。そうして片手をテーブルより上に出すと、横に振った。

 「その提案ですが、お断りさせていただきます。私は他の【ファミリア】へ所属するつもりはありませんので。ですが、個人的な質問なら、内容によりますがお受けします」

 「無理強いするつもりはないから、そう言われたら諦めるさ。それより、わざわざ受けてくれてありがとう」

 いいえと頭を振り、さて何を聞こうか、とフィンが思った瞬間、フィンの気配探知範囲内に見覚えのある者を感じた。

 思わずジト目になりながらフィンはそちらの方へ視線を向ける。

 「そこで何してるんだ? ティオナ」

 「……あ、あはは。やっぱりフィンにはわかっちゃうか」

 ひょこ、と顔を出してきたティオナに、話を聞かれていたのかと溜め息をする。ロキのあの騒々しさならさもありなん。

 が、そう思う程度で済んでいるフィンと違い、イリンことシオンは内心汗ダラッダラだった。

 ――知られたらマズい知られたらマズい知られたらマズいッッ!!!

 とにかく同じ事ばかりが内心でリピートされる。もし知られて嫌悪に塗れた目を向けられたら、心がポッキリ折れそうな気がした。

 ――バレなければ、いい。

 今の自分は外見上女で、そう見えるような言動をしている。

 それを貫き通せば――バレないはず!

 「同じ【ファミリア】の方ですか? それでしたら、是非同席してください」

 ニッコリと、含むところなど無いとばかりに満面の笑顔で勧める。フィンはちょっと申し訳なさそうにしていたが、逆にティオナは顔を輝かせて席に座った。

 「同席するのは構わないけど、僕達の会話の邪魔はしないでくれよ?」

 「わかってるから大丈夫!」

 テンション高めのティオナにやれやれと肩を竦めると、その間にティオナはジッとイリンを見つめて、

 「……シオン?」

 「――ッ!??」

 イリンは、体が動きそうになるのを押し留めるだけで失神しそうになった。恋する乙女の底力なのか、ティオナは一瞬で少女に見えるシオンを看破してきたのだ。

 しかし当のティオナは小難しそうに唸り、

 「……違う、ような気も……でもこの感じ、確かにシオンなはずなんだけど……」

 どうにも己の勘を信じきれず、迷っていた。それをどちらかはわからないが、後押しするようにフィンが言った。

 「僕も聞きたいんだ。イリン、だったね。君は余りにも僕の知り合いと友人に似過ぎている。もしかして血縁関係でもあるのかい?」

 「少なくとも私に兄弟姉妹はいませんよ。親も、兄弟姉妹がいるとは聞いたことがないので、従兄弟とかもいないと思います」

 「だ、そうだよティオナ」

 「うーん、それならシオンじゃないか。ごめんねイリン、勘違いしちゃった」

 「いえ、間違いは誰にもあるから、大丈夫」

 余裕そうに答えると、何故かティオナはショックを受けて固まり、次いでどこかに目を向けて更に落ち込んでいた。

 「えっと、あの?」

 「ううん、気にしないで。持ってる人はわからない気持ちだから」

 「は、はぁ……? なら、気にしませんが」

 ぶつぶつと小声で「女は胸で決まらないし。ティオネも大きくなってきてるけど、私には全然関係無いんだから」と聞こえてきたが、何となく地雷を踏みそうな気配がしたので努めてスルーしておいた。

 なお、弊害として「神であるうちなんて、そもそも……」とか言っていた神もいた。よくわからない連帯感が、そこにある。

 「……私は何も言いませんよ」

 「それが正しいと、僕は思うね」

 フィンとお互い顔を見合わせて、苦笑し合う。どんよりオーラを漂わせる二人は置いて、フィンは問答を続けた。

 「ここには何をしに来たんだ? たった一日で有名になるような人なんだし、外から来たと思ってるんだけど」

 「知りたいことを調べるために。それを知って、やる事が終わったら、私は消えますよ」

 「手伝える事があるなら手伝うよ。これでも僕は有名でね、融通は効く」

 「調べ物はもう終わってますし、やるべき事も目処がついています。大丈夫ですよ。しかし、何故初対面の相手にそこまで親切を?」

 イリンが言えたセリフではないが、思ったことを聞いてみると、フィンは答えに悩むような素振りを見せながら、ポツリと答えた。

 「僕の友人に似ているのが一つ。それと、ここで器の大きなところを見せれば、将来の布石になるかな、と思ったからかな」

 「……正直ですね」

 「君も嘘はついてないだろう? だから僕も本音を言わせてもらっているだけだよ」

 そうですか、とイリンは呟き、

 「申し訳ありませんが、私はそろそろ行かせてもらいます」

 「勘定は僕が済ませておくよ。ありがとう、わざわざ時間をくれて」

 「私も暇を潰せたので、お互い様です。それでは、ごちそうさまでした」

 席を立ち、背を向けるイリンに、フィンは小さく声をかけた。

 「また今夜、()()()

 確信を持って放たれた声音に、聞こえたシオンと、そしてティオナの肩が震える。最後に気が抜けるなんてまだまだかな、と内心で次回への課題を書き留めると、

 「演技は良かったし受け答えも良かった。そこは及第点かな」

 「……何の事かよくわからないけれど、そうですね。もしあなたの友人のエルフに出会ったら、ありがとう、と伝えてください」

 そう締めくくって、イリンと三人は別れる事になった。

 イリンが去った後、どんよりとしたオーラをどこかにやったティオナが、恐る恐ると言いたげにフィンに聞く。

 「あの、フィン? イリンって人がシオンっていうのは」

 「半信半疑だったけど、本当だったみたいだね。何がどうなってあんな姿になっているのか」

 「いやでも、瞳の色は」

 「リヴェリアが、シオンのLv.3到達と、誕生日の祝いに渡していたよ」

 シオンの髪と瞳はとても目立つ。だから人に頼み、途方もない額を渡して、目の色を変えるレンズを作成した。

 この世界でも瞳の色を変える技術というのは珍しい。だから、瞳の色を変えれば、疑問には思ってもシオンだと気づく可能性は低くなるだろう、そう思って。

 「でも、どうして気づいたんや?」

 敢えて聞いてきたロキに、フィンは睨みつける一歩手前の目線になってしまう。

 ――全て知っているんだろう。

 その瞳は、そう物語っていた。

 「そもそも、ロキが彼女を見つけて飛びかからなかった時点で不自然過ぎた。まるで『勧誘する必要も意味もない』って感じだったからね」

 「ありゃ、やっぱ誤魔化せんかったか」

 「それにシオンは他のところ所属するつもりはないと言ったけど、言い回しがおかしい。どこにも入らないと答えるべきだったんだ。つまり、彼女は既に誰かの眷属になっている」

 まぁ、それだけなら疑問には思っても、不自然ではなかった。オラリオ以外にも神というものは存在しているのだから、特段不思議ではない。

 「でも、シオンは僕の血縁関係があるのかという質問に、迂遠な回答をした。無い、と言えばそれですむのに、わざわざ親まで含めた兄弟関係まで説明したんだからね」

 だが、この質問に、シオンは中身の無い回答しかしなかった。その時点で疑問は疑惑に変わり、そうすると細かいところが気にかかってくる。

 Lv.6であるフィンは、当然Lv.3のシオンよりも五感が遥かに鋭い。

 だから、シオンが誤魔化せたと思っていた行動のいくつかは、フィンにとってわかりやすいサインになっていたのだ。

 「恐らくシオンが知りたかったのは『どうしてあんな姿になっていたのか』ということ。目処が立ったのは、その方法と解除の仕方なんじゃないかな。多分だけど」

 そこまで言って、フィンは勘定を済ませて店の外へ出る。ロキもティオナも、感心したようにフィンを見つめていたが、フィンはもう睨みつけると言いたげな目でロキを見ていた。

 ロキは元々、天界では神々を陥れ殺し合わせるように仕向けるような悪神。

 そんな彼女を一言で言い表すのなら、

 ――狡猾。

 フィンは察していた。

 この状況は、ロキがやったことなのを。

 思わず眉間に力がこもるのを、人差し指で解す。ふぅ、と息を吐いて精神状態を平常に戻すと、ふいにティオナが震えているのに気づいた。

 「あの人が、シオン……あのスタイル抜群な人……あのシオンが……女……!?」

 ガタガタと体を震わせるティオナは、恐ろしいものを見た、というように虚ろな瞳をしている。そこでやっと、フィンはティオナがシオンを好いているのを思い出した。

 好いた人が性別逆転していればショックだよな、と何も考えずベラベラとわかった事を述べていたのに後悔していると、

 「ねぇフィン! シオンって、お料理とかできたっけ!?」

 「は? いや、多分できないだろうけど……基本に忠実なシオンだから、レシピと材料と調理器具を渡せば、普通くらいなら作れるんじゃないかな」

 「そうだよね。……よし、決めた」

 両手にグッと握り拳を作ったティオナは、叫んだ。

 「私、今日からお料理の仕方覚える!」

 「何を言ってるんだいきなり!?」

 「だって私、気づいたんだもん! 今のまま甘えてたら、私は女の魅力が全然無いまま育つ事になるって! だからせめて、胃袋を掴んでおかないと……」

 何か、決定的な思い違いをしていると、フィンは気づいた。

 「えっと、シオンが女になっているのを見てショックを受けたんじゃ……?」

 「フィン、何言ってるの? 確かにそれには驚いたけど、理由があるみたいだし、それだけの事で嫌う意味がわからないよ。私がショックだったのは、女になったシオンはアレだけ魅力的だったこと。あのシオンに比べて今の私は――……って」

 杞憂、だったらしい。

 ティオナは一見子供に見えて、その愛情はとても深い。それを忘れていたフィンが一本取られた計算だった。

 フィンが改めてティオナの想いに圧倒されていると、いきなりロキが叫びだした。

 「うちの美少女発見センサーがビンッビンに叫んどる! こっちや!」

 「え、はぁ!? 今度はどこに行くんだ?」

 「ロキ? フィン!?」

 キラキラと満面の笑みを浮かべながら突撃するロキに引っ張られるフィン。そんな二人に置いてかれまいと、ティオナも走り出した。

 全速力で走ること数分、掴んでいたフィンの手を離すと、ロキはボロ布で全身、それこそ顔まで覆い隠す人間にいきなり抱きつく。

 それに驚いたのは、当然抱きつかれた側の方だ。

 「んな、誰だい!? あたいに何かするってなら、ぶった斬って」

 「なぁなぁなぁ! どこかの【ファミリア】に所属してるん? してないやろ? してないんやったらうちに来てくれへん!?」

 「や――る……?」

 ロキのあんまりな剣幕に、怒りの感情は形を潜め、戸惑いを顕にする、声からして少女が距離を取る。

 「……あんたは?」

 腰を落とし、ボロ布から微かに覗く柄頭に反応したフィンが、さり気なくロキを守れる位置に移動する。

 それだけで実力差を看破した少女が一歩下がるのを見ているのに、ロキはただただ笑って、

 「うちはロキ! 【ロキ・ファミリア】の主神をやらせてもらってるで」

 その後紆余曲折あって、少女は半ば強制、半ば納得して、彼女の眷属となった。

 「えっと、これ、良かったのかな?」

 「ロキの勧誘は大概強引だ。まぁ後悔してる人は、あんまりいないから、いいんじゃないかな」

 なんて会話があったとかないとか。

 

 

 

 

 

 ロキ達が新たな団員確保騒動を起こしている一方で、イリンはまた人助けをこなしていた。気がつけば日が沈むかもしれない時刻までそうしていて驚いたくらいだ。

 しかし、この体にかけられた魔法が解ける気配はない。いつまで待っていればいいだろう、と溜め息をしたとき、

 「随分面白い状況になっているのね」

 背後からかけられた、その声。

 気品さえ感じさせる声色に振り返ると、そこには女神フレイヤがいた。その視線はイリンの顔というよりも胸の中央――の、更に先を見透かしているようだ。

 「あ、あの、それはどういう……?」

 「見て知っているから、演技しなくてもいいのよ」

 彼女は、わかっている。

 それを悟り、イリンもつけたくない仮面を外し、シオンに戻った。

 「なんでわかったのかなんて、些細な事です。わざわざ来たのは、どうして?」

 「あら。面白い出来事に引き寄せられるのはどこの神様も同じこと。そんな質問はするだけ無駄だわ」

 煙に巻くようなセリフに若干思うところはあったが、続きがありそうなので、己の感情の動きを制して待った。

 「敢えて言うなら、あなたに変な物が見えたのよ。もう消えかかっているけど。だからちょっと気になったから来てみれば、この状況……ってわけ」

 もう見れたから帰るわ、そう一方的に告げてフレイヤはシオンの横を通っていく。

 「次に会うときは、どんなものを見せてくれるのかしら」

 シオンが振り返ったその時には、もう彼女の姿は消えていた。

 「……ハァ」

 重苦しい溜め息を一つすると、シオンも帰路についた。わざわざ『消えかかっている』なんてヒントを残してくれたのだ、無駄にしてはいけない。

 シオンは誰の目にも止まらない場所に移ると、手持ちの鞄に入れていた最初の服を取り出し、着替える。外で着替えるのに思うところはあったが、気配探知を十全に利用して、人が来る前にささっと着替えて終わりだ。

 それから一時間が経つと、まるでモザイクがかかったかのようにシオンの体がブレると、その一瞬後には元の体に戻って――いや、見えるようになっていた。

 『体の構造を変えるのではなく、周囲の風景を変える』、そんな魔法、だろうか。

 「……帰るか」

 面倒な目に合った一日は終わり、やっとホームに帰れる事に、安堵だけがあった。

 

 

 

 

 

 夜になり、もう寝るだけという時間帯。

 シオンはベッドの上で横になったフリをしていた。シオンの予想通りなら、今日も来る可能性が高いと踏んだから。

 十分、二十分、あるいは一時間。横になっているだけというのはとても暇だったが、ひたすら耐え続けていると、シオンは魔力が起こされるのを確かに感じた。

 ――今!

 物音一つ立てずにベッドから降り、部屋の扉を開ける。感じた魔力の発生源は、シオンのいる部屋の隣。流石に扉の開閉音は消せなかったので、気づかれたのだろう。犯人は慌てて移動しようとしていた。

 だが、遅い。もう既に外にいるシオンと、中にいる相手では、シオンの方が速い。窓から出れれば別だろうが、あらかじめ窓を開けていないのなら、逃げられない。

 シオンは隣の部屋をこじ開けるようにして入る。夜目に慣れていないせいで人影くらいしかわからないが、場所がわかればそれでよかった。

 全力で近づき、逃げようとする人影の首付近の服を掴み、持ち上げた。

 ――いや待て、首?

 ふいに、疑問が脳裏を過ぎる。シオンの身長は同年代に限定すればかなり高いが、だからといって相手の首を掴めるなどおかしい。ましてや持ち上げるなどと。

 思わず近くに相手の顔を寄せると、その全容が知れた。

 四、五歳くらいの少女。それが、恐怖に引きつった顔をして、シオンの前で震えていた。思わずシオンの顔が引き攣り、腕が震える。

 シオンはありとあらゆる言葉を思いついては消し、そして最後に残った言葉を放った。

 「……魔法の効果と、誰の指示か言ってくれれば、許す」

 「……ふぇ?」

 ぱちくりと目を瞬かせる少女を床に下ろすと、シオンは腰に手を当てて仕方ないと笑う。

 「おれより年が上とかなら殴るくらいはしてただろうけど、年下で、それも女の子をぶん殴るのはちょっと、な」

 それからしばらく、シオンも少女もただ黙っていた。シオンは待っていたから、少女は何と言えば良いのかわからなかったから。

 しかし、状況が変わらない、そう理解した少女が、おずおずと言った。

 「わ、わたしの魔法は【マジカルメイクアップ】って言うの。効果は、わたしの想像(イメージ)した事を相手に付与? できる。たしか魔力の量でかけられる時間が変わった、はず」

 「やっぱ、それか……」

 ほぼ予想通り。しかもデメリットはあまり無い。精々が、五感にまで干渉してくるので、自分の性別を変えると違和感が凄まじい事か。

 「指示したのは……いや、やっぱいいや。何となくわかるし」

 「は、はい。あの、えっと……ごめんなさい! 言われた事とはいえ、男の人を女の子の姿にしちゃうなんて」

 「思うところはあったけど、もういいよ。過ぎた事だし」

 シオンも少女も、ただ()()()()()だけだ。気づくのが遅すぎた自分が悪い、そう思って無理矢理納得しておく。

 それよりも、とシオンは少女と目線を合わせた。

 「もうその魔法は使わないほうがいい。使うとしても、自分一人だと確信できる時だけだ。効果も誰にも教えちゃいけない」

 「どうし、て?」

 「危険だからだ」

 この魔法の存在に気づいたとき、シオンは凄まじく危機感を煽られた。

 だってこの魔法は、想像した姿や物を投影できる。身長差や性差等で違和感は出るが、逆に言えばそれらをクリアすれば、とても使い勝手が良い。

 例えば、自分に仲の良い友達がいるとしよう。

 この魔法を使えば、その仲の良い友人のように見える他人が自分に近づける。そしてその他人に自分が何かされれば、当人はどう思うか。

 そうやって他人の関係を容赦なくぶち壊せるのが、この魔法だ。

 だが、恐ろしいのはそれだけじゃない。

 この魔法で、例えばフィンになりすました者がここに来るとしよう。団長である彼は基本的にどこにいても良いから、いろんな場所を見て回れる。加えて団長室にある資料なんかを漁って重要書類を盗むことだってできるだろう。

 つまり、これを悪用すれば潜入活動(スパイ)が容易に行えるという、恐ろしい魔法になる。

 「これはおれのためだけじゃない。お前が危険な目に合わないためでもある。人に連れ去られて痛い事をされながら、ただ魔法を唱える人形になんて、なりたくないだろ」

 脅し、ではない。

 『奴等』なら、やるだろう。それだけの狂気を抱えた集団だ。シオンだって……色々なものを奪われてきた。

 両肩に手を添えて、わかってくれという意思をこめて覗き込むと、彼女はどうしてか口を半開きにしていた。

 「本当に、言った」

 「え?」

 「『シオンならきっと、怒る前に魔法の内容と、わたしの心配をする』って、言われてたから」

 「……あの、アイツは……」

 結局、今に至るまで踊らされ続けているのに忸怩たる思いになりながら、それでも乗るしかない事に苛立つ。

 「その人にも言われたなら、絶対不用意には使わないでくれ。お願いだ」

 「うん。シオンの許可を貰ってから使うことにするね」

 「へ? いやそこまでする必要は」

 「それじゃわたし、もう行くから! 使わないのは約束! バイバイ!」

 え、いやあの、と予想していない自体に珍しく慌てているシオンを知らないまま、少女は扉を閉めて行ってしまった。

 伸ばされた手は虚しく空を抱き、シオンは項垂れる。けれど次の瞬間には立ち上がり、部屋の中に置いてあったクローゼットに手をかけた。

 そして、開ける。

 「それで? 何か言いたい事があるなら聞くよ?」

 「あ、あはは……堪忍してや」

 中にいたのは、今回の騒動の元凶。

 シオン達の主神である、ロキが入っていた。

 ロキはクローゼットで膝を抱えて横になっていたが、体勢的に辛かったのだろう。シオンが開けるとそそくさと出てきた。

 「なんで、気づいたん?」

 「薬を使われたのなら気づく。残ったのは魔法っていう線。だけど、ホームに他派閥が来たなんて話は知らない。だったら同じ【ファミリア】の誰かが使ったんだろう。そして、ロキは団員全ての【ステイタス】を知ってる。バカでもわかるわ、そんなこと」

 まぁその犯人があんな小さな子だったのは予想外だけれど。

 「それより、質問に答えてくれ。どうして、あんな事をしたんだ」

 「……確かめたいことがあったから、じゃあかん?」

 答えにはなっていない。

 だがシオンは、ジッと彼女の瞳を見つめた。その奥に邪な色が無いか、と。だがどれだけ見つめても、彼女の目から感じられるのは、心配の色だけ。

 「……今回だけ」

 「それって?」

 「次からはちゃんと言ってくれ。じゃないと付き合いきれない。手のひらの上で踊らされているのは、好きじゃないんだ」

 シオンは、信じた。

 ロキが何も考えず、ただ悪戯するためだけにこんな事をしたのではない、と。そう思えるくらいには、彼女との関係を持っていた。

 我知らず、ロキは胸をなで下ろしていた。その動作で、ロキは自分がシオンに嫌われているのを恐れていたのだと知ってしまう。

 けれど、表にはそれを見せず、

 「ならこの話はこれで終わりやな。あ、せや。シオン、明日会わせたい子がおるから、時間作っといて」

 「はいはい。それじゃ、お休み」

 「お休みや」

 呆れたように部屋を出るシオンに、軽く手を振って笑うロキ。だがシオンの姿が完全に見えなくなると、顔をしかめて外を見た。

 「やっぱり、誰かが……」

 シオンには言えなかった、『そうした』理由。

 それは、ずっと前から疑問に思っていた考えを確信に変えるためだ。そのために、わざわざシオンを女の外見へと変貌された。あんな、小さな子を使ってまで。

 それでもシオンがロキの考えた通りに動くとは限らなかったが、あのシオンが人助けをしない姿が思い浮かばなかったので、賭けた甲斐はあった。

 まぁあんな大々的に子供を助けるとは思わなかったが、そのお陰で『ロキの依頼した人間』以外の人が更に噂を広げてくれた。

 曰く、『困っている人を助ける、かつての聖女様のような女の子がいる』、と。

 そもそもたった一日で爆発的に噂が広まるなどありえない。桜を用意でもしなければ。必要無かったかもしれないが、確かに広まった噂を集め、そして吟味し、わかった。

 シオンとイリンの違いが。

 よくよく思い返してほしいが、シオンとイリンは性別が違うだけで、やっている事はほとんど同じと言っていい。なのに、どうしてかシオンの方には常に悪い噂が付き纏っているのか、本当に不思議だった。

 時にはその『悪い噂』のいくつかを揉み消したのに、だ。シオン自身知らないような、悍ましい噂を。

 消えない噂、ならばそれを流している者が必ず存在している。そして、ロキはその相手に少なからず心当たりがあった。

 闇派閥(イヴィルス)

 かつてシオンの両親の命を奪った者達の総称。一度聞いたときには単に運が悪かったのだと思っただけだが、シオンにまでその手を伸ばしているのなら、話は別だ。

 シオンの両親、【聖女(セイント)】と呼ばれた母と、【将軍(コマンダー)】と慕われた父。その二人に恨みを持ち、憎悪の刃を振るった相手が今、その子である【英雄(ブレイバー)】にまで手を伸ばしている。

 「個人ではなく、血縁まで恨むほどの憎しみ、か。一体何があればそうなるんや」

 どうしてか今は直接手を下していない。

 苦しませて、苦しませて苦しませて苦しませて――その果てに殺すのか。仲間を殺して、絶望に歪むシオンの顔を見たいのか。

 「そんなの、許さん」

 ロキにとって彼らは大事な【眷属()】だ。誰の許しを持ってその命を奪おうとしている。

 ――いっそ『根元』を毟り取るか……。

 そんな物騒な思考が思い浮かぶほどに両手を握り締めると、ふいに力を抜いた。そんな事はできないからだ。

 たった一つの【ファミリア】だけで壊滅状態になど、とても追い込めない。そもそもシオンは闇派閥が流した噂のせいで、同じ団員であるはずの者からも嫌われている有様だ。

 優遇しすぎれば、ロキの手でシオンを破滅させかねない。

 「もっと……もっと、強うなってや」

 ロキが手ずから守ろうとしても、誰も文句を言えないくらいに、強く。

 

 

 

 

 

 次の日、シオンはティオナから妙に強い視線を受けているのに困惑しながらも、フィンに案内されて客室へと入った。

 そこには、くすんだ色をした少女がいた。

 シオンよりも身長は高い。女の子にしては相当な物だろう。ざっくばらんに切られたショートの黒髪に、灰色に染まった花の髪飾りをつけている。

 そしてこれまた灰色のズボン。更に男物らしい着物まで灰色だ。一瞬見ただけなら男と勘違いしてもおかしくはない格好。だが微かながらに起伏に富んだ体が、目の前の人は確かに女性であると告げていた。

 しかし黒髪と褐色に近い肌は、まるでアマゾネスのようだ。シオンの直感では、アマゾネスではなくヒューマンのようだが。

 その彼女はつまらなそうに部屋を見回しては、手に持っている刀に触れては放すを繰り返す。そうしてからシオン達の損残に気づき、言った。

 「やっと来たのかい? 待たせすぎだよ」

 男勝りな口調だが、その目はシオンの体を上から下まで眺めている。それを終えると、フッと面白そうに笑った。

 「フィン、って言ったよね? これがあたいのリーダーになる人間か?」

 「そうだよ。その通りだ」

 「……おい、フィン。彼女の言葉が確かなら、まさか」

 頭の回転も悪くないね、と勝気に笑う少女。

 「見た目は女っぽいけど、体付きと動きを見ればわかるさ。あんた、相当鍛えてる人間だろ? そんな相手の下になら、ま、ついてもいいさ」

 何となく、シオンは悟った。

 会ったことがない少女。つまり彼女は、昨日、ロキに誘われ眷属となったのだろう、と。そしてフィンがわざわざパーティに入れようとするほど、強いのだろうとも。

 だから、敢えてシオンは自ら手を差し出した。

 「よろしく。おれはシオン、一応パーティリーダーだけど、気に食わない意見があったらどんどん言ってくれ。一理あるなら受け入れて修正するから」

 「ハッ、いいね。無能な頭だったらたたきつぶしてるとこだけど、使えるなら使ってやる。あたいはカザミ・鈴。刀使いの女さ!」




まずは謝辞を。唐突なTS展開に気分を害された方がいるようで、申し訳ありませんでした。

ただ弁解させてもらいますと、私は初期構想段階からこのシーンを考えていました。その内容が『ロキに無理矢理女装させられた』かどうかの違いくらいです。
なので、TSベート云々が無くてもこんな風にはなっていました、とだけ。
結局こうなったのは、作中で年単位、こちらで月単位先の展開で使えるから、というのが主な理由ですが、まぁ苦手な方には本当にすいませんでした。

後『唐突過ぎて置いてけぼりになる』と言われたので、シオンが朝起きる前にロキと会話してるシーン付け加えました。アレ入れるとロキがなんかしたってわかりやすいから、抜いちゃったんですよね、最初。

とりあえず今回は説明回的な感じ。
今回の目的は四つありまして。
・ティオナの世間一般が思い浮かべる『女の子らしい技術』の会得を決意させる。
・マジカルメイクアップという、特異な魔法の存在を知り、助けを得られるようにする。
・闇派閥の存在がシオンを狙っているのだという話を語る。
・オリキャラを登場させる。
こんな感じです。

あまりに唐突すぎて結構批判喰らいましたが、覚悟の上です。
やりすぎると物語がガッタガタになるんで、流石にもうやりませんが。

次回からは今まで通り、仲間と共に戦い、危険な目に合い、強敵を打ち倒すっていう感じに戻しますので、どうかこれからもお付き合い願います。

新たな仲間を得て、6人となったシオン達の冒険を待っていてください!





ところで素朴な疑問なんですが。
想像(イメージ)を押し付けられて女になったと自身も周囲も錯覚させられていた』状態って、TSっていうか女体化って言えるんですかね。
それ次第で『TS』か『ある意味TS』か、タグ無しかが変わるんですが。
わかる方いたら詳しい解説願います。


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常人から見た視点

 カザミ・鈴。そう名乗った少女は、良く言えば大らか、悪く言えば大雑把な人間だった。使えればそれでいいという思考の持ち主なのだろう、ある意味合理的だ。

 フィンは案内を済ませたからと言って消えてしまい、部屋には鈴とシオンだけが残された。客室なのでお茶や菓子は置いてあるが、鈴がそれらに手を出す様子はない。とはいえただ見合っているだけなのも芸がないと思ったシオンが言う。

 「もうロキから『神の恩恵』は授かったのか?」

 「『恩恵』……あぁ、アレの事かい。ちゃんと貰ったよ、よくはわからないけど『スキル』は発現してるとか何とか」

 何気なく言う鈴だが、最初から『スキル』や『魔法』を覚えている人間は少ない。それこそ長年武器を扱っているとか、特殊な経験を持っているとか、先天的に魔法の才能があるエルフなどの一部種族だけだ。

 鈴は刀使いだと名乗っていたから、恐らく『スキル』もそれ関連のものになるだろう。使い方次第では大きな武器になる。

 まぁ、それはそれとして。

 「鈴の戦い方はどんな感じだ? 今おれのパーティは前衛と遊撃と後衛に分かれていて、鈴の戦い方でどこにするかが変わるんだが」

 「基本的には前衛ってとこだね。ただ足には自信があるから、遊撃もできると思うよ」

 「って事は【ステイタス】が低い内は遊撃に回ってもらうか。足止めしてくれればいいし、最悪こっちに擦り付けてくれ」

 事も無げに言うが、自分が戦闘しているところに新しいモンスターを連れてこられたら、普通はたまったものじゃない。

 鈴もそれくらいは想定しているのだろう、訝しげに聞いた。

 「あんた、死ぬ気かい?」

 「戦況全部俯瞰して見てれば特に問題ないだろ?」

 「……ああ、そういう事か。あたいがまだあんたの事を見縊ってたって事かい……」

 つい呻いてしまった鈴の態度に首を傾げるシオンだが、気にしても仕方がないと、さっさと意識を切り替えて立ち上がる。

 「覚えた『スキル』とかは、必要になったら話してくれ」

 「あんたに教えなくてもいいんだ?」

 「知らなくても、使わなくてもどうにかできる状況に持っていくのがおれの、リーダーの仕事だからな。問題はないさ」

 言いながら、シオンは鈴にも立ってもらう。

 「どこに行くつもり?」

 「顔合わせ。新しいパーティメンバーが増えたってな。そっちも顔を覚えてくれよ、これから命を任せ合う関係になるんだから」

 もう既にシオンは背を向けている。だから、シオンに鈴の表情は見えない。それがわかっているから、鈴はどこか複雑そうな顔をシオンに向けていた。

 ――コイツは、信用できるか否か。

 頭を振って、鈴はその思考を打ち消す。

 ――少なくとも今まで関わってきた奴等よりはマシってとこかねぇ。

 今は、それでいい。そう判断した鈴は、素直にシオンの背中をついていった。

 廊下を二人並んで歩いていると、鈴は何が珍しいのか、ホーム内をキョロキョロと忙しなく見回していた。

 「何してるんだ、さっきから」

 「いやぁ、ここまで立派な家ってのは、あんまり見覚えが無くてね。あたいも【ロキ・ファミリア】の一員になったんだからここで寝泊りできるっていうのはわかるんだけど」

 妙に現実感が無い、と。

 それはわからなくもない。シオンとて、家族二人っきりの生活から、見知らぬ他人同然の人間が多くいるところで日々を過ごすのは、違和感が凄かった。

 「その内嫌でも慣れる。おれの場合は、そんな些細な事を気にしてられる状況じゃ無かったからすぐにどうでもよくなったし」

 「ふぅん。そう思えるような日々、か。ちょっと楽しみだね」

 ニンマリ笑う彼女は刀の位置を調整しだす。歩いている最中ズレてしまったらしい。刀、というだけあってかなり大きい。彼女の場合は身長が身長なので、大太刀のようにも見えた。

 「そういや鈴って歳はいくつなんだ?」

 「いきなり女に年齢を聞くって……いや、別にいいんだけどね。今年で十二さ。そっちは?」

 「九歳だな。後数ヶ月くらいで十歳になると思うけど」

 「へぇ、そりゃ本当かい? 身長は私よりちょっと低いくらいだから、同じくらいかと思ってたんだがね」

 ジロジロと鈴がシオンの姿を確認する。どう見てもそこらにいる子供とは顔付きから何まで違いすぎる。多分、腑抜けている大人よりも、ずっと。

 それが九歳。予想よりも違いすぎて、呆れるより先に笑ってしまう。

 「そっちだって似たようなもんだろ。十二歳とは思えないくらい落ち着いてるが」

 「あたいの場合は、まぁ、色々あったのさ。一人旅ってのは、トラブルも多かったしね」

 「経験の多さ、か。精神的に大人にならなきゃやってられないってのは、どこも変わらないみたいだな」

 お互い似た者同士。

 肩を竦め合い、ふと思案顔になった鈴が二本ある刀の内一本を腰から鞘ごと引き抜くと、シオンに手渡してきた。

 視線で意味を問うと、

 「いや、その刀は皆が言っているダンジョンとやらに通用するのかと思ってね」

 

 「……通じるってどころの話じゃないんだけど」

 鈴の腰に差してあるときは気付かなかったが、こうして手に持てば、わかってしまう。

 ――この刀……第二、いや()()()()()()()――? 鞘だけだから、まだ何とも言えないけど。

 少なくとも、そんじょそこらの刀とは訳が違う。シオンは柄を逆手で持ち、鐔をもう片方の手の親指で押した。ほんの少しだけ押し出された刀が鞘からその刀身を現す。

 シオンには刀の良し悪しはわからない。だが、武器の良し悪しはわかる。椿のところで、性能を試したいからと無理矢理連れ去られる事数十回を経験したら、何となく見ればわかるようになってきたのだ。

 光を反射する程に研ぎ澄まされた剣。そして如何なる技術か、刀に星型の波紋がついている。それもかなり特徴的な。どこかで見たような気はしたが、わからないのでシオンは思考を止め、刀身を鞘に戻した。

 外から見てもわかる、単純(シンプル)故に余計な装飾(ごまかし)が無いからこそわかる、武器としての凄さ。

 「なるほどね。とりあえず、当てられれば十二分に攻撃を通せるよ。多分、おれの知らないずっと深い階層の敵でも」

 「当てられれば、ね。ま、その言葉だけ聞ければ十分さ。後はあたいの腕次第だからね」

 鈴に刀を返すと、彼女は己の武器を見下ろし、ちょっとだけ表情を変えた。けれどそれはすぐに消えてしまったので、シオンには読み取れない。

 代わりに彼女は悪戯っぽい、ニヤリとした笑みを浮かべると、

 「そんじゃ、次はこっちだ」

 もう片方の刀――鐔と鞘を、柄頭から伸びた紐で雁字搦めに縛っているそれを渡してきた。何故そうなっているのか、まるで封印しているみたいだと思いつつも、素直に受け取るシオン。

 「どうやって見りゃいいんだよ、これ」

 と愚痴をこぼしながら、シオンは先程と同じく柄を逆手で握る。そうして紐を解こうとしたのだが、その必要は無かった。

 紐が独りでに動き出す。生きているかのように蠢き、やがて封印が解かれた。

 ――何なんだ、この刀は。

 チラリと横目で鈴を見ると、彼女も驚いているようで、感心するようにこちらを見ている。答えてくれそうに、無かった。

 内心で溜め息を吐きながら、シオンは諦めて刀身を抜く。

 ――ゾクリ。

 背筋を舐められるかのような錯覚。恐ろしい何かに見つめられているかのような、理解できない感覚にシオンは刀身を確かめる暇もなく鞘へ戻し、紐で縛りなおす。その勢いに押されるがまま鈴に刀を押し付けた。

 「なんだよ、この刀……妖刀?」

 「まぁ、認めぬ者は最悪殺しちまうから、ある意味妖刀かね?」

 「おい今何て言った」

 「あはは、まぁ大丈夫大丈夫。どうにもシオンは気に入られたっぽいから」

 全然大丈夫な気はしないが、持ち主がそう言うなら、そうなのだろう。気にし続けてもわからないのなら、頭の片隅にでも置いておくだけでいい。

 「ったく、寿命が縮むかと思ったぞ……と、やっと到着だ。今日はここに全員いるはずだ」

 「あんたのお仲間か。もしかして全員同い年?」

 「多少の差はあるが、そうだ」

 全員が九歳。しかも、恐らくは自分より遥かに強い。その事実に、鈴は頬を汗が伝っていくのを感じた。

 ――あたいはどこまで食らいついていけるのか、ね。

 個人的なプライドとして、負け犬に甘んじているのは嫌な鈴だった。

 扉を開け放ち、ひたすら広い部屋に入る。そこにいたのは僅か四人の子供のみ。だがそこで行われている戦いは、子供だとか四人だとか、そういうのは関係が無かった。

 鈴の視力では動いているのがギリギリわかる程度。幼少から鍛えていた鈴でさえこれだ、普通なら捉えるのすら無理だろうが、しかし、その事実は中々に()()ものだった。

 ――自分がまだまだだっていうのは、知ってたけど。

 「オラリオじゃ【ステイタス】を上げて【ランクアップ】させればこれくらいはできるようになる」

 こっそり打ちのめされていた鈴。その内心を、シオンは見抜く。それは、かつてオッタルに叩きのめされた経験故か。

 「刀使いとしての技術を極めたいなら、強い奴がゴロゴロいるここは、最適だぜ?」

 「……なるほど。そりゃ良いところみたいだね、楽しみにさせてもらうよ」

 打ちのめされている暇などありはしない。

 だがその事実は、鈴にとって、多少の余裕を与えてくれた。

 「まぁあたいは強くなるのが一番の目的じゃないから、そこまで気にしてないよ」

 「ん、そうなのか。それじゃなんでここに?」

 それは、と答えようとしたところで、鈴はいつの間にか目の前に少女がいるのに気づいた。その少女はジッと自分を見つめていて、思わず一歩後退る。

 「……シオン、この人誰?」

 「いや誰って、指差すな。失礼だろ」

 「別にいいさ。あたいは細かい決まりとか年功序列だとかそういった事はどうでもいいと思ってるし。あたいはカザミ・鈴ってんだ」

 「鈴は今日からおれ達のパーティに参加する。よろしくしてくれ、ティオナ」

 「りょーかい!」

 やはりというべきか、こういう状況で物怖じしないのはティオナらしい。逆にアイズは一歩遠くからこちらを見ているだけで、近寄ろうとしない。仕方なくシオンが手招きすると、ほっと安堵の息を吐いてこちらに来た。

 

 

 

 

 

 そして、それから更に遠くにいる二人は、観察するように鈴を見ている。

 「見ない顔、ってことはつい最近加入した人間。多分Lv.1ね」

 「持ってる得物は刀。前衛か、遊撃。Lv.1なら遊撃が主ってとこか」

 「あの武器が見かけ倒しじゃなければいいんだけど」

 「どっちかっつーと本人の腕だろ。あんな重そうな刀二本、まともに扱えんのかよ」

 当たり前のように分析している二人。自分の命を預ける仲間が増えた嬉しさより、むしろ相手の命を守らなければいけないのが憂鬱だった。

 そもそも、とティオネが言う。

 「このパーティ、前衛多すぎない? まともな後衛が一人もいないじゃないの。私とシオンが兼任できるくらいで」

 そう、このパーティはあまりに偏りすぎだ。全員が全員近接戦闘が主であり、投げナイフを扱うティオネは威力が低い。唯一魔法による遠距離攻撃ができるシオンだけが、まともな攻撃方法を確保していた。

 「いいや、むしろこれでいいんだ」

 「は? ベート、あんた正気? これ以上前衛増やしてどうするってのよ」

 「確かに、『普通』ならな」

 だが、このパーティは普通じゃなかった。どいつもこいつも近接戦闘に関する才能が並外れて高いせいで、ちまちま後ろから攻撃する必要はあまり無い。そもそも大群が来ない限りは魔法の詠唱を行う前に敵が全滅するくらいなのだから、相当だ。

 が、ティオネは『万が一』を危惧しているのを理解していたベートは続ける。

 「ティオネ、お前もシオンの【ステイタス】と俺達の【ステイタス】にどれくらいの差があるかくらい、わかってんだろ?」

 「……まぁね」

 シオンと三人の【ステイタス】は、『魔力』を除いた四つの項目を合計し平均した場合、一つの項目につきおよそ二百近い差がある。

 Lv.3ともなれば数値を一つ上げるだけでも相当な時間を要するので、日数で換算すると――大体数ヶ月くらいの差ができている計算だ。

 「シオンの【ステイタス】が今までみたいな上昇幅なら、恐らくアイツは後数ヶ月くらいで【ランクアップ】するはずだ。俺達の場合は――まぁ、それの更に数ヶ月先だろうよ」

 置いていかれている。シオンはダンジョンに行く頻度を減らしたのにも関わらず。それが示しているのは、もしシオンが椿の助言に従っていなければ、恐らくは、もう。

 そんなのはティオネも知っている。ティオネが言いたいのは、もっと別のことだ。

 「……それとあの鈴って子が参加するのに、繋がりがあるの?」

 「まぁ黙って聞いとけ。いいか、シオンは調整役をこなしている。それは、そうしなきゃパーティが崩壊しちまうからだ。だが、鈴が『使える』ようになれば話は別になる」

 「なるほど、そういうこと」

 ここまで言われれば、ティオネにだってわかる。

 「つまり、鈴はシオンの代わりってことね?」

 「まぁ必ずしも後衛だけをしていればいいって訳じゃないだろうが、そうだ」

 シオンのやっている前衛、遊撃、後衛の内、鈴が前衛と遊撃を行えるようになれば、シオンは後衛をしているだけで済む。

 とはいえ『調整』という役割の通り、シオンが前に出てくる事もあるだろう。それについては仕方ない、全滅するよりはマシだ。

 重要なのは、シオンが今より前に出ないでいい、という点だ。

 そしてそれは、シオンはともかくベート達にはプラスに働く。

 「モンスターと戦って【経験値】を得るには、奴等をぶちのめす必要がある。だが、シオンが後衛を行っている間アイツが増える【ステイタス】は精々敏捷と器用と魔力くらいになるだろう」

 「しかも私達が頑張って殲滅すれば、魔法さえ使う暇を無くせる」

 先頭での貢献度的な物をあまり与えないようにすれば、シオンの【ステイタス】上昇量は、今よりもグッと下がる。ベート達がシオンに追いつく余地ができるのだ。

 「シオンを、一人にはさせられない」

 「ったりめーだ。壊れるアイツなんて……見たくない」

 珍しく素直に、心情を吐露するベート。本来なら驚くべきなのだろうが、ティオネ自身そう思っているので、今だけはからかおうとしなかった。

 とはいえ、この考えは取らぬ狸の皮算用、理屈としての話でしかないが。

 「この話はあくまであの女ができるなら、ってのが前提だがな」

 「そうね。見極めないと……私達にとって鈴という存在が、プラスになるか、あるいはマイナスになるかを」

 できれば、プラスになってほしい。

 だがマイナスになるのなら、その時は。

 ある意味物騒な思考を共有している二人は顔を見合わせ、拳をぶつけ合わせた。

 

 

 

 

 

 とりあえず自己紹介と、各々の戦い方を四人で話していたらふとシオンが言った。

 「そういえば鈴。お前、防具はどうするんだ?」

 「防具? 無いよそんなの。邪魔だし、動きの阻害になるから付けるつもりもないけど」

 確かに速度特化の人間にとって、防具なんて邪魔にしかならないだろう。それはシオンにも良くわかる。

 良くわかる、が、それとこれとは話が別だ。

 鈴のあっけらかんとした答えに、シオンは一段低い声音で言った。

 「金は渡す。だから買ってこい」

 「は? いやだから、必要ないって」

 「ちょっと待ってろ。取ってくる物があるから」

 言うだけ言うと、シオンはさっさと行ってしまう。その背中に手を伸ばした鈴は空振りしてしまい、体が泳ぐ。反射的に足を前に出して倒れるのを押さえると、シオンを追いかけようとしたのだが、それを止める人間がいた。

 「やめといた方がいいよー。こうなったらシオンは譲らないし」

 ティオナだ。しょうがないなぁと言いたげな顔をしているが、それは鈴ではなく、シオンへと向けたものだ。

 「だけど、あたいにゃ防具は本当に邪魔なんだよ。あんな思っ苦しくてガッチャガッチャ鳴る代物なんて」

 「鈴にとってはそうかもしれないけど、その考えは、甘すぎる」

 ピシャリと冷たく言い放ったのはアイズ。その眼はとても冷ややかで、ガリガリと頭を掻いていた鈴はもちろん、関係ないはずのティオナまで固まっていた。

 「ア、アイズ?」

 「ダンジョンじゃいつ死んでもおかしくない。『邪魔だから』なんて()()()()()()理由でつけないなんて、死にに行くようなもの」

 「どうでもいいって……あたいは今までの経験でこう言ってるだけなんだけどねぇ」

 「防具がいらないなんて言える、そんな経験、必要無い」

 どこまでも冷たいアイズだが、その真意は別にある。

 「あなたは弱い。この中で、誰よりも。だから、一番危険があるのはあなた。勘違いしないで。パーティに入ったからって、あなたが強くなるわけじゃない。あなたが傷つけば――それだけ私達に負担がかかるって事を」

 特に、シオンにかかる負担が。

 まだ会って間もないが、シオンはとにかく身内や仲間、友達を傷つけられるのを恐れている。もし死んでしまえば、それはいつか死んだ義姉の記憶を強制的に思い起こさせるだろう。

 もう言う事はないと背を向けてどこかに行こうとしたアイズは、ふと足を止めると、

 「一つだけアドバイス。()()()()()()()()()()()()()――覚えておいて」

 それ以降一度も振り返る事なくアイズは去っていく。その背中を見つめる鈴の顔は沈んでいて、明るさは無い。

 「どうにも……信用されてないみたいだね」

 「そりゃそうだよ、初対面なんだし。私だって信じきれてないよ?」

 「そう……なのかい?」

 会った時からころころと明るい笑顔を見せているティオナ。その笑顔には裏がなく、だからこそその言葉は、傷ついた。

 だがそれも、すぐに思い違いだと気づく。

 「鈴は、会った相手に自分の命を預けられる?」

 「――――――――――」

 ティオナの真っ直ぐな瞳。それに見つめられてなお、鈴は何も言えなかった。それが答え。それは鈴の経験から来るもの。

 けれどそれは、相手にも当てはまること。

 「私は鈴の強さを知らない。知らないから、知っていくしかない。でも、そこに行き着くまで、私達は私達の命を預けられない。――信じきれないから」

 「……なるほどね。逆に私はあんた達の強さを少しでも見た。命を預けるのはむしろ、あたいの方ってわけかい」

 だからこそアイズは冷たかったのだ。

 ――自分一人で何でもできるなんて考えは、捨てて。

 「全く、本当にあんたら全員九歳なのか? 全然信じられないよ」

 「ふふ、残念でした。紛うことなき九歳です」

 茶化すように言えば、それを察したティオナが乗ってくれる。これ以上鈴に言葉を重ねるのは無意味だとわかっているからだろう。

 鈴はただ、肩を竦めるしかない。

 ――甘い考えは、捨てるべきだろうね。

 外にいるモンスターと、オラリオのダンジョンに潜むモンスターは全く別の生き物。そう考えておいたほうがいい、鈴はそう判断した。

 「そろそろシオンも戻ってくるかな。だから、私も一つだけアドバイスしておくね」

 「ん、なんだい」

 「ダンジョンでは常に命懸け。準備はいつも最大限に。じゃ、またね! 鈴と一緒にダンジョンに潜れるのを楽しみにしてるから」

 ひらひら手を振って去っていくティオナに、鈴も小さく手を振り返す。完全にその背中が見えなくなると、鈴は壁に背中を預けて天井を仰ぎ見た。

 ――なんていうか、全員覚悟が違うよ。

 先程見た男女が自分を観察しているのに気づいていた。あの二人がティオナやアイズよりもバカだとは到底思えない。

 なるほど今ならロキが言っていた意味もわかる。

 このパーティ……異常すぎる。鈴の記憶にはないくらい、鮮烈な個性を各々が持っていた。そしてそんな個性を持った者達を纏めあげている人間が。

 「シオン、というわけか」

 凄すぎて溜め息しか出ない鈴。そんな彼女を慰めるように、『室内で』風が吹いた。




鈴も結構経験積んでるんですが、相手が悪すぎるってことで。

作中にほぼほぼ説明入れちゃったんで今回は解説無し。疑問点あれば感想で聞いてください。
今回は文字数かなり少ないですが、許してください前回頑張ったので。
次回はもうちょっとほのぼのした話にします。

タイトルは『新しい仲間の歓迎会』とかかな。若干変えるかもしれませんが。

あ、それとベティ√のお話は別枠にしておきました。ついでに二話目も投稿しましたが、ベティさんの出番はほぼほぼ無いのであしからず。

ではまた次回。


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新たな仲間を祝して

 気付けば部屋に残っているのは鈴のみになっていた。遠くから自分を観察していたベートとティオネはどこかへ行ってしまったようで、手持ち無沙汰となった鈴は静かに瞑目している。時折刀の柄に触れているのは、刀を振るうかどうか悩んでいるからだ。

 しかし勝手に振る舞うには、ここで過ごした日々が足りなすぎる。だから鈴は、ただシオンが戻るのを待つことしかできない。

 やがて閉じていた扉が開く。瞼を開き、そちらへ目を向ければ、やっと戻ってきたシオンの姿が見えた。その手には少し大きい鞄がある。

 シオンは一度グルリと部屋を見渡し、鈴がどこにいるかを確認すると近付いてきた。後数M、という距離で止まると、その手にあった鞄を投げ渡してくる。

 「っと。……危ない真似するね。取り損なったらどうするつもり?」

 「相手が受け止められる速度で投げれば取り損なうのはまずありえない。それだけ」

 「もうあたいの腕を見極めてるってのか」

 『観察』は得意だから、と特に自慢する様子も見せないまま、シオンが呟く。それに呆れつつも鈴は手渡された、ズッシリ重たい鞄をしげしげと眺める。もっと近くでと思い引き寄せると、チャリン、と何かが擦れる音がした。

 「もしかして、これの中身は」

 「お金だよ。鈴、大した金は持ってないだろ?」

 「まぁ……かなり節約して、一月生きていけるくらいだね」

 鈴は一人旅をしていたために、金を稼げる場所は限られていた。加えてまだ子供の身故に真っ当なところではまず雇ってくれず、仕方なく外のモンスターを討伐していたくらいだ。

 「だけど、それがこの金を渡す理由にはならないだろ? この金の使い道、まさか」

 「ああ。鈴の防具の代金だ。十万ヴァリス入ってる、それで良い物を買ってこい」

 「じゅ――」

 ――十万ヴァリス!?

 鈴は叫びかけたが、何とか口を閉じる。事も無げに言っているシオンだが、そんな大金をポンと投げ出せるのは頭がおかしい。

 この世界では食事を選り好みしなければ一食数十ヴァリス。宿代を考えれば一日で三、四〇〇ヴァリスと考えれば、大体八ヶ月から九ヶ月は何もせずに済む。もちろんそれはかなり赤貧の生活を強いられるが、普通に過ごしたとしても数ヶ月くらいは大丈夫。

 ゴクリ、と鈴の喉が鳴った。

 「……いいのかい? 私がこの金を使わずに奪い取るとか、そう思わないのか?」

 「それならそれで別にいいよ。防具の代金とは言ったが、お前に渡した物だ、どう使おうとケチをつけるつもりはない。ただ」

 「ただ?」

 オウム返しで聞き返すと、シオンの瞳が鋭く細まり、鈴は反射的に身構える。

 だが、その対応は遅すぎる。

 鈴がそれを悟った時には、彼女の喉元にトン、とシオンの指先が置かれていた。

 ――見えなかった!?

 思わず硬直する鈴に、シオンは笑って告げる。

 「それで死んでも、おれは責任なんて取れないぜ」

 「…………………………」

 冷や汗がドッと鈴の背中を伝う。シオンがその気になれば、今、鈴は死んでいた。そうできるだけの力の差がある。

 そして、そんなシオンでも死ぬ可能性があるダンジョン。だからこそ、皆が皆甘えた考えを持とうとしない。

 シオンは鈴の喉から手を離し、言う。

 「鈴の刀――そう言えば、それの銘ってなんだっけ?」

 「……一本目に渡したのが『コテツ』で、二本目が『オロチアギト』だよ」

 「そう。そのコテツとオロチアギトが第一線で通じる武器でも――使い手を殺すくらい、訳無いんだよ」

 喉を、心臓を一突き、それで人間は軽く、あっさり死ぬ。あっさり殺せる。このオラリオでは、鈴を殺せる人間もモンスターも大量なのだ、本当に、甘く見てはいけない。

 「オラリオで【ランクアップ】を果たした人間は冒険者の総数の約半分。でも、逆に言えばその半数が鈴を殺そうと思えば殺せる訳だ。徒党を組めば、もっと増える」

 これは脅しでも何でもない、ただの事実。現実にあるかもしれない可能性だ。

 「自分の腕に絶対の自信があるならそれでいい。だけど、ただ自分の命を安く売るようなバカと一緒に、ダンジョンには行きたくないね」

 この言葉は嘘でも冗談でもありはしない。鈴が傷つけば傷つくだけ、彼女が死なないようシオンは配慮しなきゃいけない。

 皆の命を預かるリーダーだからこそ、誰よりも皆の安全を守る。その為なら、憎まれ役だって買って出よう。

 考え込む鈴に、シオンは思いついたことを伝える。

 「鈴って、名前からして東洋の人間だよな?」

 「え、ああ、そうだけど。それがどうかしたのかい?」

 「いや、防具が嫌なら鎖帷子――だっけ。そういうのでも仕込んでおけばって。ここは世界中の人が集まるから、探せば何でもあるもんだよ」

 言い終えると、シオンは今一度笑って、

 「どんな選択をするかは鈴の自由。まぁ、できれば期待させてくれよ?」

 そんな事を、鈴に言う。

 言うだけ言って去ってしまったシオンに、鈴は思う。

 ――あそこまで言われて何もしなきゃ、私はただの阿呆だよねぇ。

 

 

 

 

 

 「いいのかよ、あんなに金渡して」

 シオンが部屋を出てすぐ、壁に背を預けていたベートが声をかける。シオンは扉を閉めつつベートの顔を見るが、その顔からは何も見て取れない。ただ一つ、『答えろ』と言っている事だけはわかった。

 溜め息をし、仕方なくシオンが答える。

 「別に。最近出費が激しいけど、おれとしては問題ない。そもそもここで過ごすためには生活費と【ファミリア】への献上金がいるんだから、そのための貯金にしたっていいさ。パーティ参加への手前金……いや、何でもない」

 「ハッ、いつも通りのお人好しってか。まぁ足手纏いが増えるにしても、使()()()()使()()()()()()()()は必要って事だろ?」

 「お見通しか。わかってるなら鈴には何も言うなよ、答え合わせは後だ」

 「言われるまでもねぇよ。にしても、随分腹黒くなったもんだ。俺も、お前も」

 「生き残るために必要なものだった。純粋なまま強くなるなんて夢物語だよ。それができるとしたら、そいつはよっぽど甘い現実を生きているんだろうな」

 シオンにはできそうもない生き方だ。

 だって、シオンの物語の始まりは義姉が死んだところだから。開始地点が歪んでいる人間に、純粋さを持ったまま生きろなんて、強制できるわけがない。

 「……仮にそんな奴がいたとしても、俺とお前には関係無い事だろう? 仮定の話なんて無駄な事はやめようぜ」

 「それもそうか。目下のところは鈴の加入で今のパーティをどうするかだしな」

 「俺が何かして掻き回すのもアレだから、高みの見物をさせてもらおうか。要望があれば、ま、手伝ってもいいがな」

 「その時は頼むよ」

 お互いに肩を竦め、別々の道を歩こうとする、その寸前にベートは聞いた。

 「シオン、お前は――どこまで強くなりたいんだ?」

 シオンの抱える目的。それを達成するために、どこまで強くなればいいのかなんて、シオンにわかるわけがない。

 だから、

 「どこまでも――だ」

 終わりの見えない道を、進み続けるだけ。

 答えを知ったベートは一つ、舌打ちをした。

 「バカ野郎が。全部抱えようとしやがって」

 今回の鈴の件だって、シオンは誰かに投げようとはしないだろう。自分で面倒を見て、どうするかを決めるつもりだ。

 何時だってそうだった。ベート達が頑張り続けてやっと他人の意見を聞けるようにしても、最終的に自分で全てを決めるその性根だけは変わらない。

 全ての責任を自分で負おうとする、そこだけは。

 「何時になったら、お前は……俺達にも背負わせてくれるんだよ」

 

 

 

 

 

 ベートがそう言っている事など想像すらしていないシオンが向かったのは、図書館と思える程の蔵書を誇る図書室だ。気になることがあれば調べるために来ているのだが、それでも随分と久しぶりに思える。

 中へ入り、ジャンル別にされた本の棚を見て回ろうとしたとき、

 「あれ、シオン? 珍しいね、ここに来るなんて」

 先客として来ていたティオナが、シオンに気づいた。

 「ティオナか。まぁ、ちょっと探し物があってね。それだけ取りに来たんだ」

 「へぇ、そうなんだ。なら何を探してるのか教えてよ、私、ここにある本なら大抵の場所を知ってるよ」

 流石ティオナ、元本の虫とでも言うべきなのか、あっさりと言ってのける。シオンも中々の読み手だとは思うが、ティオナには及ばない。

 ちなみに何故かシオンとティオナは図書室で顔を合わせる機会は少なかったりする。なのでティオナが珍しいと言ったのは間違っていたりするのだが。

 その点を言うほど、シオンも無粋ではなかった。

 「そうか、それなら何冊か持ってきて貰いたいんだけど……()()()()で」

 「ふーん、料理……料理の本!?」

 手元にある本に視線を落としていたからか、理解が遅れていたらしいティオナが即座に振り向き目を真ん丸に開けながらシオンに詰め寄った。

 「ど、どうして? そんな本を読んで何がしたいの!?」

 「え、あ、は?」

 かつてない剣幕で顔を前に突き出してくるティオナに押され、一歩、二歩とシオンが壁に追いやられていく。

 が、当のティオナは内心かなり焦っていた。

 ――シオンが料理を覚えたら、私が頑張る意味が……っ!?

 とはいえシオンにそれが伝わるはずもなく。

 どこか引いたように両手でストップをかけながら言った。

 「えっと、鈴がパーティに加入した、だろ?」

 「そうだね、それで!?」

 「だから今日くらいは、歓迎パーティ的な物をしようかな、と。で、パーティって言ったらやっぱり料理は欠かせないし……」

 「それなら外でやるとか、料理ができる人に頼むとか!」

 シオンの両手を引っつかみ上下にぶんぶん振り回しながらティオナは更にシオンに詰め寄った。なんでこんなに反対されるんだろう、そう思いながら、シオンは続ける。

 「外でやると余計なちょっかいされそうだし、人に頼むのは、その」

 かなりはっきり言ってしまえば、シオンは一部の人から蜥蜴の如く嫌われているので、頼むという行為ができないのだ。

 女性同士の『友達』付き合いは恐ろしい――シオンはそれを知っていた。

 どちらも選択肢として思い浮かべる事さえできない状況。だから最後の手段として、自分で作るくらいしかシオンに手はなかった。

 そう一部を除いて説明すると、ティオナは顔を伏せ、やがて、自分が読んでいた本を持ってくるとシオンに差し出した。

 それに視線を落とすと、

 「――なら――も、やる」

 「ん、何?」

 ティオナが何かを呟いているのに生返事しながら、シオンはタイトルを読んだ。だから、キッと顔を上げたティオナに気付かない。

 「それなら私も、料理やるから!」

 「……へ?」

 ティオナが、料理を、やる。

 想像さえできない姿に、ついシオンの視線がティオナの頭の天辺からつま先まで上下する。その視線の動きで何となく察したティオナは、

 「私が料理をしようとしたらダメ……なの?」

 シオンの内心を理解しすぎて、地味にダメージを受けていた。それに対して焦ってしまうのはシオンだ。

 「いやそういう訳じゃないよ? うん、大丈夫。一緒に鈴の歓迎パーティの準備、しようか」

 ……言えない、言える訳が無い。

 ――大剣振り回すのとは違うんだよ、なんて……。

 尚、ティオナが読んでいた本のタイトルは。

 『料理入門編 ――モンスター(バカ)でもわかる簡単レシピ――』

 ……これでいいのか、ティオナ。

 色んな意味で不安になるシオンだった。

 

 

 

 

 

 結果から言えば、ティオナはシオンに無理矢理ついてきたことを後悔していた。

 いや、ついてきた事は間違ってはいないと思っている。だが、そこで見た光景に心が折れかけた事実を悔やんだだけだ。

 「皆でつつき易い鍋にするとして材料は……まぁ普遍的な物でいいか」

 とあっさり高難易度な料理を選び、しかもそれを失敗することなく作っている。そもそも材料の切り方からして素人じゃない。

 例にすれば、ティオナが切り分けた物は不揃いで形もバラバラなのに対し、シオンは流石にその道のプロには及ばないが、それなりに慣れたものを感じさせるくらいに綺麗だ。それだけでもかなりクるのに、

 「シオンって、どうしてそんなに上手に切れるの?」

 「ん? ああ、簡単な理由だよ。勝手はちょっと違うけど、おれはいつも短剣使ってるだろ? その時の()り方を応用してるだけだ」

 「……短剣と包丁って、全然違うと思うんだけど」

 「そこはほら、慣れ?」

 おどけて肩を竦めるシオンが、

 「ティオナはもうちょっと力加減を考えたほうがいいな。大剣使ってるんじゃないんだから、力任せに切ったら材料が潰れるだけだよ」

 なんて、苦笑しながらアドバイスをしたのが、一番心に効いた。

 ――私って、暴力的な女だと思われてる……?

 今更過ぎる疑問に、ティオナは今までの自分を思い返すしかなかった。出た結論は、最早言うまでもないだろう。

 ――だ、大丈夫! シオンはそれくらいで人を遠ざけたりしない。力があっても、うん。

 引いたりしない、が。

 ――女の子として、それってどうなの……?

 発育が悪く、家事の腕は全く育っていない。加えて暴力的。性格――についてはどうとも言えないが、先にあげた三つの理由で既に最悪だった。

 なんて考えていたのが悪かったらしい。

 「った!」

 ザックリと、包丁が人差し指を切っていた。かなり深くやったようで、血が止まらない。しかし痛みには慣れているティオナだ、慌てる事なく回復薬を探したところで、

 「何やってるんだ、ティオナ……」

 「っ!?」

 「あーはいはい、動くと溢れるからストップ。ほらステイ!」

 犬じゃないんだから、と抗議したかったが、そうしたらシオンが飲ませている回復薬が溢れてしまう。大人しく従うしかなかった。

 全部飲み干して傷が消えたのを確認すると、シオンが呆れた様子を見せた。

 「本当にさ、何で料理がしたいとか言い出したんだよ? 一応刃物扱ってるんだから、ちゃんと集中しないとダメじゃないか」

 「うぐ……だってぇ」

 不貞腐れたように視線を逸らす。しかしそれを許さないとシオンが正面に回り込んでくるので更に逃げ、回られ、逃げ、そしてシオンが諦めた。

 「今回は指で、すぐに治る怪我だったからよかったものの。痕が残るような怪我はなるべくしない方がいいぜ。ティオナも女の子なんだしさ」

 苦笑するシオンに、ティオナはつい頬を赤くしてしまう。チラとシオンを見やるが、その時には既に料理に戻っていて、何も言えない。

 ティオナは別に傷跡が残ったとしてもあまり気にしない。

 「シオンは、古傷がある女の子を、どう思う?」

 「別にどうも。同情が欲しいならしてあげるし、対等に扱って欲しいならそうする。とりあえず古傷どうこうでその人を決めつけようとは思わないな」

 シオンならそう言うと、わかっているからだ。

 「これだからシオンの隣は安心するんだよね」

 「――何か言ったか?」

 「ううん、何も!」

 例え姿が変わっても、シオンなら、きっと。

 変わらず接し続けてくれると、素直に信じられる。

 それから鍋の追加素材を切ったり、鍋だけではどうかと思ったので、他にも数品作ったシオン。ティオナも手伝いはしたが、それは補佐の領域を出なかった。

 「シオンって、今日が料理作るの初めてだよね?」

 「料理と言えない程度を除けば、そうなるな」

 「それでこのクオリティって、女の子としてちょっと妬けるよ」

 「あはは……そう言われてもな。基本に忠実、レシピ通りに作れば、多少不格好でも美味しい物は作れるよ。もし不味くなったなら余計な一手間を入れたか、分量を間違えたかだな」

 シオンは今回、特別な事は何もしていない。ただ本に書いてあった通りの材料を用意し、切り分けて、順番通り鍋に放り込んだだけだ。

 「ここでひと工夫したいなら、何度も料理を作って、素材の味を学んでいく事だけ。剣術だって何だって、反復練習は基本だろ? 何事も基礎固めは大事ってことさ」

 唇に人差し指を当て、片目を閉じて言うシオン。その所作は、どちらかというと女性がする仕草だと思ったが、言えなかった。

 代わりにティオナは、別の事を聞いた。

 「それよりシオン、鈴のこと、試してるよね」

 「……なーんで皆悟ってるんだろうなぁ」

 「もう四年近いし、自分の命を預けるくらいにシオンの事を信じてれば何となく、ね。どう? 期待に応えてくれそう?」

 んー、とシオンは悩むように頭上を見上げ、すぐに下ろす。見つけた灰汁をサッと取り除いて流しに捨てた。

 「七割くらい? おれの言葉だけなら反発されたかもしれないけど……アイズとティオナ、アドバイスしただろ」

 「え、えへへ……ダメだった?」

 「それは別にいいんだけどな」

 もう灰汁は無さそうだと判断したのか、シオンは鍋に蓋をし、エプロンを取ると椅子に座ってテーブルに肘を付き、手の上に頬を乗せた。

 若干傾いた視界でティオナを見る。

 「ティオナはどうする? 鈴がもし応えなかったら」

 「私はどうもしないよ。でも、そうだね。一度くらい『死にかける』経験をしてもらいたいとは思うかなぁ」

 「……意外と容赦ないな」

 「鈴の命だけで済むなら私は何も言わないけど、そんな訳無いでしょ? だったらこっちに被害が来る前に、痛い目見てもらわないと困るから」

 言ってはなんだが、ティオナの最優先はシオンで、姉であるティオネやアイズ、ベートはそれよりも優先順位が低い。今日仲間になったばかりの鈴は言わずもがなだ。

 シオンは自分自身の優先度が低いから、ティオナくらいはシオンを最優先に考えないと、どこかで死んでしまうが故に、こうなった。

 「……薄情だと、思う?」

 「いや、おれもそう考えてるし、お互い様だ。……五歳の時は、もっと単純だったのにな」

 「ダンジョンに行って、強くなる。強くなって、大切な人を守る。それだけで良かったからね」

 「今が悪いって訳じゃないけど、気楽にいられる時間は過ぎたから。少しだけ、感傷に浸りたい時はあるよ」

 シオンも、ティオナも、既にLv.3になっている。もう九歳の子供だからと侮れないくらいの強さを持っていると、誰からも思われている。

 上半身を倒し、両腕を組むとそこに顔を下ろすシオン。

 「本当の意味でおれ達が『子供』でいられた時間は……短かったな……」

 「……それでも私は、後悔なんてしてないよ」

 だって、

 「そうじゃなきゃ、私達は一緒に日々を過ごせなかったから」

 穏やかな笑みを浮かべ、優しい声で囁くように言うと、シオンは同意するように破顔した。

 「その通り、だな」

 それを最後に、シオンとティオナの間に会話は無くなる。何となく手持ち無沙汰になったティオナは近くにあった料理本を手に取ると、今日作った物を反復するように中身を見直す。そうして気付けば十分程経っていて、

 「あれ、シオン……?」

 突っ伏しているシオンが、スゥスゥと、規則正しい呼吸をして眠っているのがわかった。しげしげと眺めてもシオンが目覚める様子はなく、よっぽど疲れていたのだろうと思わせる。

 ティオナはしばし悩み、そして厨房から出る。急いで戻ってきたティオナの腕には厚みのある毛布があった。それをそっとシオンの肩に乗せておく。多少むずがったシオンだけど、やっぱり起きなかった。

 ティオナは自分の手を見下ろす。特に汚れはない。

 意味もなく周りを見渡す。当然誰もいない。

 何度か深呼吸。それからそっと、シオンの頭に手を乗せて、髪を梳いた。

 「ん……」

 普段のシオンなら、もう飛び起きているだろう。それでも起きないのはとても疲れていて、それから自惚れで無ければ、自分だから寝ていてくれるのだろうとも思う。

 ある程度シオンの髪を整え終えると、ティオナはよし、と握り拳を作った。

 ――後は、私が。

 失敗は絶対にしちゃいけない。それは本来かなりのプレッシャーになるだろう。ティオナは料理経験が皆無なのだから。

 でも、どうしてだろう。

 今のティオナは、何をしても失敗する未来が見えなかった。

 

 

 

 

 

 「っ……ん、あれ……?」

 何か、ゴトンと倒れるような音にシオンの意識が戻る。頭を振り、何があったのかと周りを見渡すと、ティオナが体を投げ出して寝ているのが見えた。

 いや、あれはどちらかというと失神している。何か、精神的に疲れるような作業をして、それが全部終わった後かのような。

 「……?」

 未だに回転が戻らない頭。しかしその目が鍋を捉えると一気に見開かれ、体にかかっていた毛布を払い除けて立ち上がる。急いで近づき鍋の蓋を取り、中身を確かめると、問題なく美味しそうな匂いを醸し出していた。

 台所にはシオンの知らない物もいくつか置いてあり、自分が寝ていた状況でこうなっている事実が示すのは、とても簡単な事。

 「わざわざやってくれたのか……毛布まで……」

 残った全ての作業を、ティオナがやってくれた、それだけだ。わざわざ毛布まで持ってきてくれたという事に、感謝するしかない。

 シオンは落としてしまった毛布を取り、一度叩いて埃が落ちたのを確認すると、ティオナの肩にかけた。

 「ありがと、ティオナ」

 シオンが彼女に言える言葉は、それくらいなものだった。

 ティオナを起こさないよう、一度だけ頭を撫で、そっと部屋を出る。どこにいるとも知れぬベートとティオネを、呼びに行くために。

 

 

 

 

 

 日が沈む頃、シオンはホームの外で鈴を待っていた。もうベートとティオネはあの厨房で待ってくれている。

 暇潰しに周囲の気配を探って探知限界を超えようとしていると、鈴の持つ刀が放つ、わかりやすい気配を捉えた。そちらに目を向けると、ちょうど鈴もシオンに気付いたようで、小走りに近づいてくる。

 シオンの目が動き、鈴が付けている防具を追う。手首から肘までと、足首から膝までを覆うタイプの防具。

 胴体には――何もつけていない。

 「わざわざ、待っていたのかい?」

 「待つといっても十分程度だよ。で、結局どうしたんだ?」

 どんな風にお金を使ったとしても構わないと言い切ったのだから、こうして聞くのはお門違いなのだろう。

 ただ、シオンには何となく予感があった。

 鈴は多分、買っていると。

 「……鎖帷子を、買ったよ」

 「そう、か」

 「流石にサイズの問題があって、今は調整してもらってるんだけどね。明日には取りに行けると思う」

 思わず口元が緩んでしまう。

 「それ、お金は足りたのか?」

 「足りなかったよ。両手足のこれも買ったし。だからまぁ、自前の分も使ったんだ」

 これで本当にスッカラカンさ、と特に気にした様子も見せない鈴は続けて言う。

 「――あたいは、自分の腕に自信がある。当然さ、物心ついた頃から刀を振ってるんだ。自信が無きゃ一人旅にだって出たりしない」

 「ああ、そうだろうな」

 「でもね、だからって自分の命を安く売ってあげるつもりもない。腕に自信があって、その上で自分の命を守る。……そういう事なんだろ?」

 射抜くような視線。それにシオンは、両手を一度、二度と合わせて拍手した。

 「大正解。自信は持ってくれなきゃ困る。でも命をあっさり捨てられるのはもっと困る。両方あってこそ、自分の命を預ける第一歩が踏み出せる。良かったよ、期待して」

 「ふん、あんたのためじゃない。自分のためさ。あたいはまだ死にたくなんてないんだからね」

 「それでいいよ。少なくとも今は、ね。さ、ここで喋ってるのも無意味だろう。中に入って体を休めようか」

 それに否は無かった鈴はシオンの後をついてホームに入る。中に入ればすぐにお別れになるだろうと思っていた鈴だが、意外にもシオンが一言『ついてこい』と言ったので、何だろうと思いつつ素直に従った。

 通った事のない道なので若干不安に思ったが、どちらにしろシオンには勝てない、逃げられないのであっさり吹っ切れた鈴は、楽しむ事にした。

 これから何があるのだろうか、と。

 そして、その楽しみは間違っていなかった。

 ある場所で扉を開けて中に入ったシオンに続いた瞬間、

 「カザミ・鈴のパーティ参加を祝して!」

 「わざわざシオンとティオナが歓迎会を開いたみたいよ?」

 「精々泣いて喜ぶこった。ったく、何でこんな事を……」

 「私の時には、何も無かったのになぁ」

 純粋に祝っているのはティオナだけだったが、全員ここで待ち、準備をしていたという事に変わりはない。

 「シオン、これは……」

 「歓迎会って奴だよ。おれも初めてやるからよくわかんないけど、さ」

 肩越しに振り返り、照れた笑いを鈴に見せる。

 「新しい仲間なんだから、お互い親睦を深めたいと思ったんだ」

 「……!」

 旅していて、ちょっとの間だけしか誰かと行動を共にした事がない鈴は、ただただ驚く事だけしかできない。

 けれど、思った。

 ――この者達なら、もしかしたら……。

 己が真に信ずるに値する仲間になれるかもしれない、と。

 「主役はここ、上座だよ!」

 ティオナに手を引かれて、呆然としたまま鈴が椅子に座るのを確認すると、咳払いを一つしながらシオンが代表して言った。

 「新しく仲間が増えた。その結果としておれ達の戦い方は変化するだろう。おれはその変化を悪い物にしたくない。そして悪い物にしないためには、お互いが信じ合わなければいけないと思っている。……そのための一歩として、まずは一緒に飲んで、騒ごう! いずれ行くダンジョンで戦い抜くために!」

 『応!』

 シオンの言葉は、全員で生き抜くためのもの。

 それを嘘にしないために――鈴を含めた全員が、同意した。

 「ま、今はダンジョンとかそんなの気にせず、楽しもうぜ!」

 ダンジョンに行けば、ふざけたことを言っていられないのだから――と。




歓迎会の中身も書こうとしたけど文字数的な意味で書けなかった。各々の想像におまかせしちゃいます。

最近変な時間に寝て起きてを繰り返してるせいで眠気が取れません。後書き書く気力が湧かないので疑問あれば感想で。

次回は多分ダンジョン行くかも。予定は未定。


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上層のダンジョンで

 トン、と靴のつま先を地面につけて、位置を整えた。意外とこういった細かな調整は大事で、バカにしていると痛い目を見る。胸当てや篭手は体の動きの邪魔にならないよう調整してあるから問題ない。

 防具が問題ないと判断したら、最後は武器。椿に打ってもらった剣――銘を『桜老』というそれを一度振って感触を確かめ、鞘に戻す。

 持っていく荷物は毎日きちんと確認しているのでそのまま背負う。行く階層が深くなっていく度に重さを増していくバックパックが、歩んできた道のりの長さを想起させた。

 扉の前まで行ったら振り返り、部屋を見渡す。

 「……行くか」

 鈴の歓迎会を行ってから、二日後の朝。

 シオン達は、再びダンジョン攻略を行おうとしていた。

 

 

 

 

 

 玄関に集合、となっていたシオン達だが、最後に来たのはシオンだったらしい。他の皆は準備を終えていえ、シオンの足音に気づくと、

 「おせぇぞ、シオン」

 「おれの準備はお前よりも面倒なんだよ。それともやる? 薬保存食砥石その他諸々の用意と整理整頓作業」

 開口一番減らず口を叩いてきたベートに反論しておく。まぁこんなのはお互いのコンディションを知るためのじゃれ合いみたいなものなので、これに慣れきっているアイズ、ティオナ、ティオネはやれやれと肩を竦めるだけ。

 鈴は興味深そうにしていたが、結局お互いに本気で言っている訳ではないと判断したのだろう、目線を逸らした。

 そんな鈴に、シオンは手に持っていたポーチを放り投げる。目線を逸らしかけていた鈴は慌てて受け取り、何とか落とさないよう抱きしめた。

 「な、何するんだい。落としかけたじゃないか」

 「受け取れたんだしいいじゃん。それと、そのポーチはちゃんと持っておけよ」

 「……中身は?」

 「回復薬と高等回復薬がいくつかと、干し肉と水が多少。腰に巻きつけるタイプだから、両手は空くしフラフラ揺れないだけマシだと考えてくれ」

 説明したが、鈴はイマイチよくわかっていない。ダンジョンに行ったことが無いのなら仕方のないことなので、もう少し詳しく説明しておく。

 「ダンジョンの基本的な構造は迷路と同じだ。潜れば潜るほどに広く、そして罠やモンスターの種類も豊富に、そして凶悪になる。絶対にはぐれない、なんて保証はできないんだ」

 「ああ……なるほどね。つまりこれは、シオンとはぐれちまった時に最低限自分で何とかするための物資と」

 納得したとばかりに頷く鈴。確かに、一人になってしまった時に体力とエネルギーの補給ができるのとできないのでは大きな差がある。

 保険は大事、ということだ。おんぶに抱っこされているだけでは強くなれないし、次からはこういった細かい部分は自分で覚えて用意するべきだろう。

 「初めてやる事にそこまで求めちゃいないよ」

 「っ。何の事やら?」

 「……ま、最初は生き残る事を重視してくれりゃそれでいい。死ぬなよ、死ななきゃ少なくとも強くなる未来が閉じる事はないんだから」

 ポン、と鈴の肩を叩く。若干の強張りは鎖帷子のせいか、あるいは単なる緊張故か。シオンは鈴の顔を見れば彼女の体調を読み取れる、なんて事はできないので――そうできるだけの時間を過ごしていないのだから当然だが――実はシオンも結構手探りだったりしている。

 そうと悟らせないだけのポーカーフェイズを身につけたのだが、何となくティオナは、シオンの内心を悟っているような気がした。

 優しい笑みを向けてくるティオナに擽ったい物を感じ、それを誤魔化すように一つ咳払い。それで全員の注目を集めたシオンは言う。

 「今日はとりあえずの慣らし、の予定だけど――鈴の様子を見て行けそうなら22層とかにも降りようと思う。ただし、ダメなら速攻帰るからそのつもりで」

 シオン達だけなら22層まで幾度も赴いた経験がある。だが鈴という、言っては悪いが足手纏いのいる状況ではどう転がるかわからない。なので、あくまで予定程度に留めて皆の緊張感を煽るのに使おうと思う。

 「さ、出発しようか。今日の方針も、死ぬな、ただそれだけだ」

 両手を合わせて告げれば、皆頼もしい顔付きで頷いてくれた。

 まだ太陽の光も人影も疎らな道を歩く。六人、というのは案外道幅を取るので助かっている事は助かるのだが、会話が無いので奇妙な緊張感があった。

 それは一重に鈴の纏う空気のせいだ。戦闘前の集中でもしているのか、戦闘意欲が高まっているせいで感じる闘気か何かがシオン達を刺激してくる。別に自分達を害するようなものがある訳でもないのに。

 ピリピリとした空気が充満する。そこでいきなりベートに肘で脇腹を小突かれた。視線を向けて抗議すると、逆に何とかしろと目で伝えられた。

 ――何とかしろって、おい。あ、投げやがったこいつ。

 ふいっと目を逸らされたので、反論もできないまま歯噛みする。だが実際このまま放っておくとダンジョンに行く前に精神的に疲弊しそうなので、

 「おい鈴、集中するのは良いけど無駄に気配バラ撒き過ぎだ。こっちも影響されて臨戦態勢になりかねないから、せめて抑えてくれよ」

 「ん……ああ、悪いね。外のモンスターとは戦ったことがあるんだけど、ダンジョンの中にいるモンスターは初めてだから、ちょっと緊張するんだ」

 人伝てで聞いたり本で見た程度に過ぎないが、オラリオの外にもモンスターは存在する。ただし外のモンスターは独自の進化を遂げたり、祖先となるモノから生まれ分岐した結果、かなり弱体化している、らしい。

 「外のモンスターもダンジョンの中にいるモンスターも、そう変わんないよ。少なくとも1層とか2層程度なら問題ないはずだ」

 外のモンスターは、強くとも5層程度のモンスターと同じくらいのはず。

 ダンジョン1層のゴブリンやコボルト程度なら『神の恩恵』を授かれば勝てる。外にいるモンスターはそれらと同じくらいの強さ、と考えれば、『恩恵』無しにそれらに打ち勝ってきた鈴はまず負けない。

 「それは知ってるんだけど、最初の頃はやっぱり死にかけた事もあってね。だから、せめて最初くらいは油断も何も持たないように気を張ってたんだ」

 「わからなくもないな。だが、少なくとも最初の内はおれ達にも余裕がある。肩肘張らないでも何とかするし、できる。もっと気を抜いてもいいんだぞ?」

 言い終えると、鈴がシオンの顔を眺め出す。その眼に一瞬過ぎった感情、それに見覚えがあったような気がしたけれど、すぐに消えた。

 鈴は小さく息を吐き出すと、張り詰めた雰囲気を溶かす。

 「……その通り、だな。わかった、もうちょっと気楽に行かせてもらうよ。あたいが失敗したらフォロー、頼むよ?」

 「おう、任せとけ」

 とはいえ、軽く言葉で心境が変わるはずもなく、鈴は未だ高揚したまま。それでもさっきよりは大分マシなので、これ以上はいいかと諦め素直に引いた。

 トラブルとも言えないトラブルのあと、やっと着いた第1層。

 いつもの通りに階段を下り、ダンジョンへ入ろうと足を動かす。しかし目前に広がる横穴を潜る寸前、鈴の体が固まる。その意味を何となく察したシオンが彼女の背中をポンと叩けば、鈴はぎこちなく笑い返した。

 最初の内はモンスターと遭遇する事はまずない。基本的に1層から2層までの道のりまでは人の波が多いからだ。敢えて遠回りすればその限りじゃないが、そうする意味も理由も無い場合は2層からが本番になる。

 「むぅ、意外と人が多いのだな」

 「オラリオで有名なのはって聞いたらまず思い浮かぶのはダンジョンってくらいだからな。朝昼夜のどの時間に来ても、人の行き来は途絶えないと思うぞ?」

 人の多い、少ないはあるだろうが、ゼロにはまずならない。なるとしたら、よっぽどの異変がダンジョン内部かオラリオで起きた場合のみだろう。

 「言われてみれば、1層だけは絶対どこかに人がいるよねー」

 「1層にいるモンスターは弱いし、下から来るのもそんなに強くないから、戦闘経験を積むのに適してるのが大きいと思う」

 「逆に言えば、戦闘慣れしてる奴には物足りないんだけど」

 「ふむ、そうなのか。では一気に4層か5層にまで行ってしまうのは」

 「調子に乗るな」

 「……ま、そうしても問題ないとは思うがな」

 それぞれ気楽な姿勢で話し合うが、決して気を抜いてはいない。特にシオンは気配探知、ベートはモンスターが放つ独特の臭いを察知するのに意識を割いている。

 そして、

 「シオン」

 「わかってる、数は……一体だけのところがいるな。そこでいいか」

 「ルート的には?」

 「問題ないよ、すぐ戻れる位置だ」

 ちょうど、鈴の力量を知るのに良さそうな気配を探る。ゴブリンかコボルトかまでは判断しにくいが、大丈夫だろう。

 女性陣を呼び、鈴を前の方に移動させる。その時ちょうど曲がり角からゴブリンが見えると同時にあちらもこっちを視認したようで、奇声を上げながら突っ込んできた。

 「アレを倒せばいいのかい?」

 「ああ。一体だけなら余裕だろ?」

 「余裕というか、なんというか……」

 むしろ拍子抜けした、と言いたげな鈴の顔にシオンが訝しんだ瞬間、

 「弱すぎではないか、これは」

 チン、という音が、鈴の手元から響いてきた。それが響き渡ると同時に、ゴブリンの体が灰になって消えた。

 「え、鈴、何やったの……?」

 困惑した声を出すティオナだが、それは他の皆の心境を表していたらしい。目がジロジロと、遠慮なく鈴とモンスターがいた場所を往復させている。

 「居合術、か?」

 「主はそれだねぇ。多少抜刀術も習っちゃいるけど、我流の部分が多すぎるからさ」

 唯一見抜けたのは、鈴とモンスターを視界内にいれ続けていたシオンだけだ。とはいえシオンも半ば気を抜いていたので、見えたのは線が通った部分のみ。

 刀を鞘にしまった音と、モンスターが灰になって崩れた結果から推測しただけ。

 とりあえず先に進もう、とダンジョン内部で留まり続けないようにシオンが先導しつつ、真ん中の方へ移動した二人が話し合う。

 「で、アレって居合でいいんだよな?」

 「まぁね。その通りさ。本当の達人には遠く及ばないけど、これでも物心着いたときから刀に触ってるんだ。腕には覚えがあるってこと、これで証明できたかい?」

 「……予想以上、とだけ言わせてもらおう。まぁ、ただ居合を見ただけで判断するつもりも無いけどな」

 「それでいいよ。しっかしダンジョンの中にいるモンスターはかなーり手強いって聞いたんだけどそうでもないし。あのゴブリンだけなら外のが強い気がするよ」

 思わず背伸びをして緊張で固まっていた筋肉を解す鈴。

 「言っただろ、最初の内はそんなに強くないって。それから一つ忠告しておくと、ダンジョンで恐ろしいのは『迷宮の孤王』と『数の暴力』だからな」

 「数の暴力はわかるけど、迷宮の――何だって?」

 「『迷宮の孤王』。単純に言えば『質』を極限まで高めたモンスターさ。レイド……何十人という強い冒険者が集まってやっと倒せるほどの怪物。その階層に一体ずつしか存在しえない、孤独な王様だ」

 「……シオン達が何十人いて、やっと倒せる相手?」

 「そう考えてもらうのが一番手っ取り早い」

 シオン達の強さ。それは数日前に鈴が見た通りだろう。そんな冒険者が数十人いて、やっと倒せるような相手。

 思わず昔本で見たような怪物の姿を描いてしまう。

 「もしかして、ここにも?」

 「いや、あいつ等が出てくるのはもっと先だ。でも万が一がある。もし万が一遭遇したら、ひたすら逃げろ。今の鈴じゃ勝てない」

 言い切るシオンに、鈴の喉が鳴る。それを誤魔化すように鈴は続けて聞いた。

 「……数の、暴力は?」

 「ダンジョンでは常にそこらの壁からモンスターが『産まれて』くる。今話している間にも横の壁が盛り上がってモンスターが出てくる可能性があるんだ。外とは違って、な」

 外のモンスターは、周辺にいるのを倒せばそれ以上出てくる事はない。だがここのモンスターはダンジョンそのものが母体である。倒しても倒しても、また産まれる。

 「場合によっちゃ、周辺にいたのが集まって何十と囲われたその上に周辺の壁が盛り上がって倍に増える、なんて状況もあった」

 「よく生きてるね、あんたら」

 「倒さなきゃ生き残れなかったんだ。やるしかないだろ?」

 当時は生きた心地がしなかったが、そういうものだ。シオンは鈴に視線を向けると、

 「――潜れば潜るだけそんな危険性は高まる。最初の内は相手が弱いから気を抜いても何か言うつもりはないが……中層や下層に行ってもそれなら、いつか死ぬぜ」

 本気の殺意を込めながら脅すように言うと、鈴は体を仰け反らせながら、それでも顔だけは笑みを作る。

 「大丈夫だって、そんな腑抜けた事はもうとっくの昔に経験済みさ。二度はしない、死にたくなんてないからね」

 「……あっそ」

 そんな会話を挟みつつ、シオン達と鈴はどんどん下に降りていく。

 鈴はタイプ的にはスピード特化型。ベートと同じだが、彼とは違い鈴は手数ではなく一撃を重視する刀なので、意外にもある程度モンスターを殲滅できていた。

 武器の強さ、というのもあるだろう。

 シオンは家宝か何かを持ってきたんじゃないか――というより、武器のレア度から考えればそれ以外にまずありえない――と考えているが、とにかくあの刀、切れ味が良すぎる。

 少なくともそこらの刀じゃ、上層で一番の硬さを誇るハード・アーマードの甲羅をあっさり真っ二つにできるはずがないのだから。

 もちろんだが鈴の腕前も十二分に凄い。【ステイタス】上では格上の相手に、一歩も引かないどころかむしろ押している。旅に出てからの戦闘経験はかなりあると聞いていたが、その話には少しの誇張も無さそうだ。

 ウォーシャドウの爪の切り裂きを、逆に爪を抉りとってやった鈴が刀を振り払うその姿は、異様なまでに様になっていた。

 余りにも問題なく戦えてしまっているせいか、シオン達は特に苦戦する事なく、鈴が加入する前かあるいはそれ以上の速度でダンジョンを潜っていく。かなりのハイペースで進んでいるはずなのだが、鈴に疲れた様子が無かったためだ。

 またウォーシャドウを斬って捨てた鈴に近づき、聞く。

 「鈴、体力は大丈夫なのか?」

 「まだまだ行けるさ。山ん中の獣道を走るのに比べたら、こんな平坦な道、一日二日歩き通しでも疲れやしないよ」

 ……なんだかんだ、シオンは侮っていたのかもしれない。

 外にいる人間は、オラリオにいる人間よりも軟弱だと。結局のところ外に存在するモンスターなどダンジョン内部にいるそれより遠く及ばないほど弱体化している。そんなのを討伐したところでたかがしれている、そう思っていたのではないか。

 ――単純な強さじゃおれの方が上でも、負けている部分はあるんだ。

 最近、順調にいっているから知らず知らず思い上がっていた可能性がある。シオンは一度パンと頬を叩き、気を引き締め直した。

 そしてよし、と顔を上げ直したシオンは、

 「後ろだ鈴っ!」

 「へ?」

 今まさにその拳を振り下ろそうとしているシルバーバックの姿を見た。咄嗟に振り返った鈴が影に呑まれ、けれど反射的に挟み込んだ刀によって命を繋ぐ。

 「……っ、気付かなかったよ」

 単純な速さ。全員の視界外から一気に加速し飛び込んできたシルバーバックが接近したのに気付かなかったのは、気が抜けていたとしか言えない。

 ベートはまだ戦闘中で、しかも近くに別のモンスターがいたのも要因だろう。助けに入ろうとしたシオンだが、通路の奥から団体さんが並んでいた。

 「任せた、鈴」

 「あいよ。ま、速いくらいなら何とでもできるから、心配なさんな」

 そう軽く言い放つと、鈴はバックステップでシルバーバックから距離を取る。それでもなお後ろに下がるのをやめない鈴。

 途中視界の端っこにティオナやアイズの顔が見えたが、話しかける余裕はない。敢えてハード・アーマードやオーク、キーラアントなんかのすぐ傍を通って障害物とし、シルバーバックが一直線に進めないよう誘導していく。

 『グルルルル……』

 中々思うように進めないシルバーバックが苛立つような声をあげる。それに鈴は、顔に出さないようにしながら内心で笑った。

 やがてモンスターの群れを通り抜け、直線ができあがる。その事に歓喜したのはシルバーバックの方だ。これでやっと思う存分に走れる、と。

 己の獲物を今度こそ逃がさないよう、シルバーバックが地面を踏みしめる。その足が踏みしめられたのを見て取った鈴は刀を抜き放ち、斜めに構え峰部分を押さえた。その構えを取った時にはもうシルバーバックを鈴へと飛びかかっていた。

 鈴はシルバーバックが振りかぶっている拳の先をひたすら注視する。その視認するのも難しい速度で迫り、拳が当たる体に当たる寸前、刀をそっと拳と体の間に置いた。

 ――斬れる。

 たった一言思い、鈴は確信していた。

 鈴の刀は、第一線で使えるほどの切れ味を持った刀。そもそも刀は『折れず、曲がらず、良く切れる』という性質を持っている。

 もちろん振るわなければ何かを切るのは不可能。が、それは、()()()()()()()()()()()()()()そのまま切れる可能性も示唆している。

 だから――角度さえ合わせておけば、後は自滅してくれる。

 『ガアアアアアァ!?』

 思い切り突っ込んでたシルバーバックに止まる術はなかった。伸ばされた腕の半ば以上にまで切り裂かれた腕が、その結果を証明している。

 「チッ」

 しかし絶命するには至らない。鈴は刀が抜けなくなる前にシルバーバックの横を通って、刀を引き抜く。ズルリ、という異音が腕から響いたが、鈴には関係のない事だ。

 そのままもう一度距離を取りたかったが、それを選ぶにはシルバーバックの身体能力が高すぎて無理だった。鈴は顔をしかめると、刀を鞘に入れ直して走り出そうとした、が。

 「――はい、お疲れ」

 その前にもう敵を全滅させたらしいシオンが、シルバーバックの首を切り落としていた。

 「遅いじゃないか。死ぬかと思ったよ」

 「とか言いつつ結構追い詰めてたような気がするんだけどね。というか一つ気になったんだが、どうしてあそこで刀を引き抜いた後、シルバーバックを斬らなかった? 多分、それで勝てたと思うんだけど……」

 そこまで言いかけて、シオンがふと気づいた。

 「その前に、治療が先みたいだな」

 シルバーバックの攻撃を受け止めようとした時にできた腕の怪我。若干捻った程度のようだが、ちゃんと治しておくべきだろう。

 「この程度、少し放っておけば治るよ?」

 「ダンジョンでは常に万全になっておくべきだ。いいからいいから、使っとけ」

 それでもごねた鈴の口に無理矢理回復薬を突っ込んで回復させたあと、シオン達は魔石を回収してバックパックの中に放り込む。

 そして移動し、ついに12層へ、というところへ来た時に、

 「鈴、後で詳しい事情を教えろ。お前、抜刀術をまともに扱えるのかどうか、とかな」

 「…………………………!」

 固まってしまった鈴の背中を押して、シオン達は中層から18層へ向かった。

 流石に中層から先のモンスター相手は厳しかったようで、鈴はとにかく怪我をしないようにするだけでも神経を使った。他の四人と決めてシオンがずっとフォローに回っていたが、それでも矢面に立ち続ける鈴の疲労は、上層とは比べ物にならない。

 「なんか……一気に、強くなりすぎじゃないかい?」

 「そもそも初期の【ステイタス】で、倒せないまでも中層を相手にできるってのが既に凄いんだけどな」

 「うちの爺やの方がもっと強いよ? 本気出したら――まぁ、見た事無いんだけど――シオンよりも強いんじゃないか、ってくらいに」

 「何だその怪物。でも納得だ。鈴は『勝ち残る術』よりも『生き残る術』の方が得意な訳か」

 まぁ、それはそれとして。

 「そのお爺さんから居合術を学んだって事かな? 抜刀術を教えられないまま」

 「……何が言いたいんだい?」

 「いやぁ、ここまでずっと戦いを見てたんだけどさ。鈴って、刀を抜き身のままにしてる時間がとても短いな、と思ってね」

 言うなれば抜刀状態よりも帯刀状態でいる時間の方が長い。その帯刀も居合のためにしているだけに過ぎず、鞘に入れたまま攻撃をする、という訳でもなかった。

 「居合術は理路整然とした、時を重ねた『流派の重み』を感じる。でも鈴の抜刀術は、ほとんど滅茶苦茶だ、適当に振ってるようにしか見えない。……違うかな?」

 コテンと頭を傾けて言えば、鈴は手元、刀の柄を見、顔を上げ、それから唸りながら髪を掻き毟りだした。その凶行に固まっていると、

 「あーもう、七面倒臭い腹の探り合いは嫌いなんだよ! ああそうさ、私は爺やと父から居合術を教わったけど、それだけだ。抜刀術はちょこっとしか齧ってない。だから私の主な攻撃方法は帯刀からの抜刀、神速の一太刀しかないんだよ!」

 弱点を晒すみたいだから言いたくなかったんだ、と不貞腐れる鈴。

 「爺やも速く抜刀術を教えて欲しいって頼んでも全然教えてくれないし、でも外には行きたかったから見て盗んで……ちょこっと練習したら家を出たんだ」

 「――おい待て。それ、まさか家出じゃ……」

 「二年間追いつかれなかったんだ。大丈夫だって」

 ――二年間……『追いつかれなかった』って? まさか、鈴……。

 今のセリフ、どう考えても『追いかけてくる人がいる』という前提から話している。さっきから話に出ている『爺や』とやらが可能性が一番高い。

 しかし、そもそもとして『爺や』という存在がいること。刀を持って振るい、刀術を学べる環境にいたこと。

 何より、何だかんだ鈴の所作には一定の品と呼ぶべきものが垣間見えること。

 ――もしかして鈴は、そこそこ良い家の出、だったりするのか……?

 もしかしたら道場か何かに通っていたとか、そういう可能性もある。あくまでシオンの妄想に過ぎない可能性の方が高い。

 できれば、知りたい。知らないから対策できませんでした、は一番話にならない事だ。

 実際シオンは、義姉が闇派閥の人間を殺して回っていた過去を知らないまま人質となり、最後はあんな結果を引き起こした。

 知らない、では済まされないのだ、現実は。

 シオンが思わず考え込んでいたら、鈴がまたあの奇妙な目を向けていたのに気づく。その目はダンジョンに潜る前に浮かべていたアレと同じ。

 その目の奥にあるのは――不信感。

 そう、不信感だ。

 シオンが身に覚えがあるのも頷ける。何故ならその瞳は、シオンが【ロキ・ファミリア】の団員達から向けられているものだからだ。

 「……ま、これ以上は聞くつもりはないよ。いつか教えてくれればいいさ」

 鈴と出会ったのは数日前。その程度の時間でズカズカと内心に踏み込ませてくれるはずがない。そう考え直したシオンは素直に引いた。

 「聞かない、のかい? 何か気付いたみたいだけど」

 「気付いたよ? でも無理に聞いても意味がないし。すぐに聞かなきゃいけないほど切羽詰まった状態ならいざ知らず、そうでもなさそうだからさ。ま、せめて一年くらいで教えてくれると、個人的には嬉しいかな」

 言い終えるとシオンは、気不味い雰囲気を吹き飛ばすように敢えて快活に笑うと、右手の人差し指を立てた。

 「それより一つ提案があるんだけどさ」

 「提案? ……どんな?」

 先の件が尾を引いてるのか、若干距離を取る鈴。その事実に、無意識に探りすぎたのを後悔しつつもシオンは言う。

 「抜刀術、教えようか?」

 「は? ……え、できる、の? え?」

 シオンの武器である剣と己の武器である刀を交互に見やる。しかしどれだけ見てもお互いの武器の姿が変わるはずもなく、残ったのは戸惑いのみ。

 そんな鈴に、シオンは笑うと、

 「大丈夫だって、ちょっと刀は扱ったことあるし、それに……」

 鈴にとって、とんでもない事を言ってきた。

 「()()()()()()()()()()?」

 ……全然違う、と叫ばなかった自分を褒めてやりたい鈴だった。




中層まで書こうかと思いましたけど、どうせだからと区切りました。久しぶりのダンジョンなので勘を取り戻すため的な感じに割とあっさりめです。

次回こそは中層。それとシオンのとんでもセリフの意味も次回。

……いや、似てるからって流石に刀は使えませんからね? 次回から鈴の刀借りて敵をバッサバッサ薙ぎ倒す、なんて超展開はありません。


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刀術とは

 「うーん、やっぱり上手に切れない……」

 むぐぐ、と目の前にある自らが切った食材を見下ろすティオナ。初めて切った時よりもかなり注意してやったのだが、やはり長年培った力任せに切る、というやり方は変えられない。大きさも形もバラバラな食材を前に、ティオナは溜め息をした。

 当然ではあるが、大きさが違えば火の通る時間は変わる。それを利用して新しい物を作り上げていくプロの料理人もいるが、ど素人のティオナにそんな事できるはずもなく。

 「うぅ、気をつけて煮込まないと……」

 項垂れながら、鍋に投入していく野菜や肉に焦げ目が出ないよう、注意するしかなかった。そんなティオナに、横でサラダを付け合わせていたティオネが笑う。

 「斬る技術なんて無くてもついていけるって後回しにしてたあんたが悪いんでしょ。これに懲りたら、もうちょっと考えてから行動することね」

 「だってぇ。――って、ティオネそれ」

 苦言を呈されたのに唇を突き出してぶぅたれていると、ティオネが盛り付けているサラダが目に飛び込んでくる。思わずそれを注視していたら、気づいてしまう。

 「ティオネ――もしかして、料理できる人……!?」

 切り方、盛り付け方、更には手製と思われるドレッシング。しかもティオナが鍋を睨みつけている間に他にも色々用意していたようで、ほぼほぼやる事は終えていた。

 「あんた、私を何だと思っていたのよ」

 「ティオネが料理してる姿なんて見た事無いし。何時の間に覚えたの?」

 「……普段厨房で料理してる子に、頼んだのよ。料理ができないよりはできた方がいいし」

 そこで一度切り、少し恥ずかしそうに視線を逸らすと、

 「それに、食べてほしかったから。団長に、私が手ずから作ったものを。あんただって似たようなもんでしょ?」

 それを言われると弱かった。

 思わず唸りながら口を噤むティオナに笑いかけながら、ティオネが鍋を覗き込む。お玉を借りて何度か掻き混ぜると、火加減を調節してしまった。

 「ま、後は私がやっておくわ。あんたはまだまだ初心者なんだし、ここは私に甘えなさい」

 確かに下手をやって失敗してしまっては目も当てられない。情けないと感じつつも、ティオナは素直に後を任せた。

 

 

 

 

 

 今、六人がいるのは18層の森の中だ。そこで一度休憩を取ったのだが、どうせだからと昼飯の準備をしていたのがティオナとティオネ。

 ベートとアイズは念の為程度に新たな食べ物の回収をしていた。リヴィラの街には既に行っていて、魔石とドロップアイテムは交換済み。だが買い物はしなかった。あそこの物価は高すぎる。

 「もうちょっと安けりゃこんな事しなくてもすむんだがな」

 「乞食以上に金にがめついから、もう諦めた方がいいと思う」

 両腕一杯に物を抱えながら移動している二人。周囲の索敵はしているが、既にLv.3となっている二人なら、例え奇襲されてもモンスター程度に負けはしない。だからこうして呑気に話ができていた。

 ベートは持っていた物の中で比較的甘くないのを選び、口の中に放り込んで噛み砕く。

 「ところでアイズ。お前はシオンから話は?」

 「聞いてない。もう戻るのか、ここから先に進むのか。ベートは?」

 「俺も聞いてねぇよ。だがまぁ、予想はつく。鈴が想像以上に戦えていたから、行くだろうよ。アイツの性格上」

 女みたいな生優しい面をしているが、中身は鬼以上にスパルタだ。悪魔とさえ呼ばれた笑顔に泣きを見た人間は少なくない。

 まぁそれだけ期待しているという事でもあるのだが、わかる人間は、あんまりいない。

 「シオンのアレについていける人って、よっぽどだからね」

 そのよっぽどの一人であるアイズが苦笑する。アイズの場合は目的が目的なので、死ぬかもしれない修行にも耐えられたのはわかるが、ベートから見ても中々異常だった。

 ――シオンもアイズも『死にかけてからが本番』思考だから、なぁ。

 基準がおかしい。だから強いのかもしれないが。

 「で、そんなお前から見て鈴はどう思う?」

 「強いとは思う。『恩恵』を授かったばかりの人としては、だけど。でも私達に比べたらまだまだだから、無茶はさせられない」

 鈴は年上ではあるが、だからといってその辺りを考慮して遠慮するつもりはサラサラ無い。正直言ってしまえば、アイズは鈴が死んでしまっても、悲しみはするがそれ以上思うところはない。その程度の関係しか無いからだ。

 だが、

 「むしろ鈴が死ぬ可能性は高い。そして鈴が死ねば、多分シオンは」

 「……イカれる、だろうな。表面上はそう見せないから尚更面倒くせぇ。立ち直ってるのかどうかも判断しにくいからな」

 二人が全く否定できない程に、シオンはその方面では脆すぎる。自分が傷つく事や、普段弱さを見せないから弱点がほぼ無いと勘違いされがちだが、シオンもアレで普通の人間だ。

 「しっかたねぇな、クソ。おい、アイズ。お前はもうティオナと二人で前に出ても問題ないだろうな」

 「問題無いよ。それがどうしたの?」

 「単純な話だ。今日から俺はなるだけ鈴の動きに注視する。元々遊撃だからな、バレない範囲で鈴のサポートに入ってあの女が死なねぇようにするだけだ」

 甚だ不本意ではあるが、最も簡単なのはそれだ。アイズもベートの言葉の意味を理解し、小さく頷いた。

 「他の人は無理だからね。ベート以外は、シオンくらいかな、サポートできるのは」

 「アイツは全体を見る必要があるから鈴だけを見ている事はできない。俺が適任だ」

 こうしてベートがアイズに前もって言っているのには訳がある。

 ベートは元々遊撃役として、前線で戦うティオナとアイズをサポートしていた。彼女達に横や後ろから攻撃しようとするモンスターを相手取り、撹乱するのが役目だ。

 だが、鈴のサポートを重視しようとすれば、その役目が疎かになる。だから、その辺りを注意しろと言うためにアイズに告げたのだ。ティオナは別に何も言わなくてもいいだろう。

 何故なら、何だかんだ言いつつティオネが妹を守るからだ。

 「色々地雷が埋まってそうな女だが、ま、アイツのためだ。仲間でいる内は守るさ」

 もう一つ果実を取り出し、かぶりつきながら、ベートはそうボヤいた。

 

 

 

 

 

 そして、シオンと鈴。

 二人は水筒に水を入れ直すため、川に来ていた。ダンジョン内部にあると言っても、18層の水流はとても綺麗であり、下手な水場よりも信用できる程透き通っている。なるべく上流にある水のところまで歩いて――下流だと、上流で誰かが血を洗い流した後の水が来る可能性がある――から水筒を入れる。

 鈴も手伝ってはいるが、その視線はチラチラとシオンと手元を行ったり来たりで、作業に集中しきれていない。シオンはその視線に気付いていたが、やる事は先に済ませておかないと後で慌てる事になると知っていたから、静かに水筒を傾けていた。

 全ての水筒に水を入れ直すと、今度は投げナイフを取り出す。これはティオネが普段使っている物で、シオンの短剣ではない。

 「む、何をするのだ?」

 「砥ぐ。投げナイフだってタダじゃないんだし、使えるところまで使うためには、こうやって研磨しないといけないからな」

 いくら消耗品だからって投げ捨てていい物は一つもない。そもそも物資をまともに調達できないダンジョンでは、地上から持ってきた物を大事に使っていくべきなのだ。だから、折れたナイフ以外はこうして回収して、暇があればシオンやティオネが研磨している。

 ちなみにパーティ内で武器を研げないのはティオナとアイズだけだ。ベートはできるのだが、面倒臭がって自分の分しかやってくれない。覚えてくれてるだけマシだけれど。

 「ま、本職には遠く及ばないけどさ。メインの武器とかは普通に職人に頼んでるし」

 「ふむ……なら、その辺はあたいがやろうか?」

 「へ?」

 砥石と布を用意していたシオンが思わず鈴を見る。水筒に付着していた水を拭い、バックパックの中に放り込んでいた鈴が振り返った。

 「刀って切れ味が大事だろ? いくら『不壊属性』でも、壊れないだけで切れ味は落ちる。だから自分で研ぎ直せるようにって、爺やに叩き込まれたんだ」

 なるほど、とシオンは頷いた。

 通常の武器よりも遥かに切れ味が戦闘に直結する刀は、確かに研ぐという作業が重要になる。下手な研ぎ方は武器の寿命を縮めるだけなので、覚えろといった爺やは正しいのだろう。

 試しに、とシオンは背負っていた剣を渡す。

 「へぇ、良い剣だね」

 「わかるのか?」

 「あたいは爺やから鍛冶の手解きも受けていたからね。刀程じゃないけど、武器の目利きはそれなりにできるつもりだよ」

 椿の、自分達の専属鍛冶師を褒められてちょっと嬉しそうなシオン。彼女も彼女で試行錯誤してメキメキとその力量を伸ばしている。

 ヘファイストス曰く『あのスランプが嘘みたい』だそうで、その姿を見ていないシオンは何も言えなかった。

 結構時間がかかった研磨だが、作業用具を戻して鈴に剣を渡されると、新品同然になって戻ってきていた。

 「……凄いな」

 「研磨には慣れてるからね。ま、二年も刀を研いでればこんなもんさ」

 事も無げに言うが、ダンジョンで武器の切れ味を自分で戻せる人間は珍しい。特に中層辺りではまだまだ必要ないからと、そういった事を覚えない人間の方が多いくらいだ。

 シオンは、どちらかといえば前者になるが、ナイフ程度ならともかく本格的な物は覚えられていないので、鈴のこの技術はありがたいかもしれない。

 今はともかく、将来的にはもっと硬い相手と戦う事になったときに。

 「できれば、でいいんだけどさ。これからはおれ達の武器の研磨をお願いしてもいいか?」

 「構わないけど、そう簡単に自分の武器を預けてもいいのかい? もしかしたら――あたいがそれを奪って、逃げるかもしれないよ?」

 意味深に、横目でシオンを見つめる鈴。からかっているようで、本気のようにも見えて、だがどちらでもない微笑み。

 ふむ、とシオンは首を傾げ、

 「その時はその時だな。おれの人を見る目が無かっただけだ。だが――タダで死んでやるつもりはない。道連れくらいには、なってもらおうか」

 挑発するように笑みを浮かべれば、鈴は参ったとばかりに手をあげた。

 「悪かったよ。だからそんな、殺意混じりの笑みを見せるのはやめておくれ。ちょっと洒落になってないからさ」

 「ありゃ」

 どうやらその場面を想像したら殺意が湧いてしまったらしい。シオン一人なら魔法を使えば恐らく逃げられるので後で鈴を見つければいいが、アイズ達はそうじゃない。武器無しではあの四人は死んでしまうだろう。

 想像するだけでもドクンと心臓が脈打つのだ、そんな未来、目の当たりにしたくはない。

 強張っているシオンの顔を見て、悪ふざけが過ぎたと鈴は後悔した。

 「……会ったばっかりの人間にそう言うのはリスクが高いってわかってもらえたかい?」

 「……ああ、そうだな。これからは気を付けるよ」

 とはいえこの空気を出し続けるのは嫌だった。なので冗談混じりに言えば、それを察したシオンが乗ってくれる。

 その後、研磨について了承し、それから一度伸びをしたシオンが手を差し出すと、鈴の刀を貸してくれ、と言ってきた。

 それが中層に来る前の言葉を示唆しているとわかった鈴は、腰からコテツを抜き取るとシオンに手渡す。

 「それで、どうするつもりだい?」

 「んー、まずはこうか、な!」

 問われたシオンは、まず真っ先に木に近寄ると、蹴りを叩きつけて()()()()()

 いやいやおかしいだろうとは思いつつも、これが【ステイタス】を上げ続けた結果か、と理解させられる。

 凄まじい音と共にへし折れた木が、斜めに倒れ、轟音を立てる。木についた葉が舞い上がり、パラパラと落ちていくのを鈴は静かに見守った。

 一体何がしたいのかと眉を寄せつつも、まだ終わりじゃないんだろうと考えた鈴は、静かに続きを待った。

 そして、一分、二分と時間が過ぎると、モンスターが現れる。

 『バグベアー』だ。名の通り全身毛むくじゃらの熊型モンスター。軽く二Mを超えそうな大きさであり、見上げなければ顔を見るのも覚束無い。

 しかしそれは立ち上がっている時の話で、四足歩行で突進してくるバグベアーはシオンに狙いを定めると一直線に向かってきた。

 ――音を立てて目印にしたのか。

 18層は確かにモンスターが産まれない安全地帯ではあるが、17層及び19層からモンスターが上り下りしてくる事もある。絶対数は少ないが、それでも確かにいるモンスターを引き寄せるためにシオンは木を蹴倒したのだろう。

 あるいは、鈴に対する無言の警告か。

 それはともかく、シオンは近付いて来るバグベアーに対して、腰を落とし、ドッシリと構える。回避する素振りは見せない。

 ただ待ち続け、接敵するその瞬間飛び出し、真横を通り抜けながら鞘で前足を強打した。一瞬の隙を突かれ、更に四足の内の一本を叩かれたバグベアーはたまらず倒れる。だがモンスターの闘争本能故かすぐに立ち上がると、威嚇するように唸った。

 けれど、そんな行為は無駄だ。

 バグベアーは威嚇する前にまず、シオンを探すべきだった。

 「こっちだよ」

 既に懐に潜り込んでいたシオンは、そう言いながら淀みなく、鞘の先をバグベアーの顎に打ち付ける。頭を、その先の脳を揺らされたバグベアーの体が崩れた。

 その間にシオンは刀を腰辺りにやると、鈴を真似て刀を抜き放つ。

 「桜一閃」

 鈴程ではなかったが、【ステイタス】によるゴリ押しで最速の居合を行った。

 寸分違わずバグベアーの右足を切り落とし、抜刀――剣を抜き放ったままのシオンは、刀を下段に構えながら走り寄り、真上に切り上げ、完全に崩れ落ちようとしていたバグベアーの首を、刈り取った。

 この間わずか十秒にも満たない。遠くに立って俯瞰して見られたからこそ鈴もついていけたが、あまりにもあっさりと終わってしまった。

 付いた血糊を刀を振り払って吹き飛ばすと、鞘にしまう。

 それを終えると、シオンは鈴のところに戻ってきて、刀を返した。

 「いやー、久しぶりに使ったけど案外扱えるもんだな」

 「……久しぶりって――あんた化物かい」

 どう見ても手馴れていた。いや、確かにどこか手間取っている場面もあったし、流れるように刀を振るえていたとはお世辞にも言えない。

 だがそれでも、確かにシオンの刀術は優れていた。

 「ダンジョンで剣とか刀使う人の振り方を覚えて後でコッソリ練習してただけさ。ちょっとだけだけどね。さっきの桜一閃も、本物さんに比べたら劣悪だったからねー」

 多分、本当の使い手なら一撃でバグベアーを殺していた。わざわざ足を狙ってから首を落とす必要なんて無かったはずだ。

 剣を主として扱うシオンでは、この程度が限界だ。元から刀は自分には扱いきれないと剣を選んだのだから、それで正しいのだけれども。

 「とりあえず、今ので何か掴めた?」

 「まぁ、一応は、ね」

 シオンから刀を返して貰いながら、鈴は言葉を濁しつつ頷く。シオンはある程度わかりやすく戦ってくれたが、流石に十秒程度では本当に一応くらいしかわからなかった。

 「あたいとシオンじゃ武器以外にも、決定的に違うところが一つだけある。――()()()()()

 シオンは剣を背負い、鈴は腰に刀を差している。

 些細な差、と思うかもしれないが、これがかなりの違いを生んでいた。

 例えば、数K程度の重さの荷物を背負うのと、腰に巻いて動くのでは感じる重さは段違いに違うだろう。それと同じで、シオンと鈴では、鈴の方が制限を受けている状態にあった。

 だが鈴は、背中に刀を持つ事ができない。オロチアギトはともかくとして、居合を主とする鈴は必ず刀を腰に差していなければダメだからだ。そうでなくては居合ができない。

 「爺やは私に『制限』をかけたかったんだろうね。戦って勝つ術よりも、逃げて避けて、生き残る術を覚えてほしかった」

 今なら何となくわかる。

 抜刀術は攻撃特化。

 刀を抜き放ち、常に刀身を晒しながら攻撃し続けられるが、腰に鞘を差しているため動きは鈍くなり、隙も大きくなる。

 居合術は攻撃と回避。

 鞘に手を置いたりといった工夫ができるため、普通の状態よりも移動がしやすく、相手の隙を見つけた瞬間反撃が可能な攻防一体型。ただし居合という性質上、一撃目と二撃目の間に大きな隙を作ってしまう弱点もある。

 帯刀術は防御特化。

 一撃の威力は低いが、鞘に刀を入れたままという状態のため、鞘部分を持てる。あたかも棒のように振るえるため、棒術を覚えればそれなりの威力を与えられる。更に鞘を盾にできるため、敵の攻撃を受け止めて反撃も可能だ。

 「だけど、刀はともかく鞘で敵を殴るって……鞘が壊れたりしないの?」

 「鞘が刀より脆い訳無いだろ。何でも斬れる刀をしまうとしたら、鞘はその刀に切れられないようある程度頑丈にしなきゃいけないんだから」

 そして、鈴の使うコテツとオロチアギトは第一線でも使える刀。当然、その切れ味に負けないだけの頑丈な鞘が使われている。だから、鈴が心配するような事は起きない。

 「理想としては、刀だけじゃなくて鞘にも不壊属性がついてる事だけどな」

 もし付与されていれば、強固な盾としても使える。もちろん実際に盾とするなら相応の技術を必要とするだろうが。

 

 「多分だが、その爺やは居合を覚えてから帯刀、抜刀って感じに技を覚えさせて行きたかったんだろう」

 「でも覚えきる前に、あたいが家を飛び出した、と。何とも言えない感じだねぇ」

 「堪え性が無いというか何というか。時間は無駄にできないし、我流かあるいは誰かに師事するかして覚えていくしかないだろうな」

 居合だけしか使えない、なんて隙だらけ過ぎる。せめて多少は抜刀後の技術とかを覚えてくれないと前線を任せにくい。

 そうつらつらと言ってみれば、鈴は顎に手を当てて虚空を睨み、うんと頷くとシオンに近づいてきた。

 「……?」

 不思議そうに首を傾げるシオン。そんなシオンに面白可笑しそうに笑うと、鈴が首に腕を回して顔を寄せてきた。

 「()()()()()()()()!」

 「……は?」

 首を絞められ無理矢理体を寄せるシオンが、訳がわからないとしかめっ面をした。そんなシオンに悪戯っ子な笑みをまた浮かべると、

 「いやぁ、リーダーは刀が使えるみたいだし? あたいに是非刀術を教授してもらえたら、とっても助かるんだけど、なんてね」

 「待て。待て待て、ちょっと待ってくれ。無理だ、そんな余裕はない」

 「た、す、か、る、ん、だ、け、ど、ね?」

 「無理だと言ってるだろ!? 刀の扱いは鈴より負けてるんだからな?」

 断る度に鈴がグイグイと腕に力を入れ、その度に首が締まっていく。実はこの時シオンの頬に微かな柔らかい物が当たっていたりするのだが――意外と腕がうまく首にハマりすぎて痛みに呻くシオンは気付けなかった。

 必死に首絞めから逃れようと暴れるシオン。しかし体勢的に不利なシオンは、仕方なしと【ステイタス】に任せて逃げようとした、結果。

 「あ」

 「あ?」

 ツル、と足元を滑らせて――川に落下した。

 そう、忘れてはいけなかったのだ。二人は川辺にいた事を。水飛沫を上げて川に落ちた二人は水に濡れて顔に張り付いた髪を拭う。

 「――言い残すことは?」

 「反省も後悔もするつもりはないよ。ていうか……お化け?」

 怒りも顕にしながら、震える肩を何とか押さえてそう問いかけたシオン。そんな彼に帰ってきた答えは、キリッとした顔でふざけた事をのたまう鈴だった。

 更に火に油を注ぐように、シオンの状態を指摘してくる。

 確かに今のシオンは、膝下までくる髪に水が滴り、更に落ちた時に髪が広がりバラけた結果、ボサボサだ。

 「……濡女?」

 「お、れ、は――男だっての!」

 思わず呟くと、頭からブツッという音と共にキレたシオンが鈴を追いかけ出す。鈴は急いで立ち上がりながら、その途中でシオンに水を吹っかけ目をくらませた。

 「ぶっ、この、何しやがんだ、よ!」

 「ははは、良いではないか、良いではないか! たまにはこうして馬鹿やるのも、悪くないと思うよ!」

 アハハハと笑いながら逃げる鈴。だが浅瀬程度で動きが鈍るシオンではない。むしろ刀を持つ鈴の方が遅く、あっさり捕まると足を払われ倒れた。また水飛沫が上がるが、笑いながら懲りずにシオンの手を掴むとまた引き摺り倒す。

 また張り付いてきた髪を拭い、上半身だけ起こしたシオンはけらけら笑う鈴を睨んだ。

 「何でこんな悪ふざけするんだよおい」

 「いやぁ、あたいは元からこんな性格だよ? かたっ苦しいのは嫌いでねぇ」

 本当に、全く反省していない鈴に、シオンがハァと溜め息を吐き出す。

 「バカらしくなったんだろ、緊張するのが」

 「お? ま、その通りだよ」

 今までの鈴は、どこか堅苦しかった。戦闘時は普通に戦っていたが、普通に話すときとかだけは一歩下がっている場面が多かった。

 だからこうして遠慮なく来てくれるのは、お互いを知るという意味では嬉しいの、だが。

 「……地を出すのはいいが、後先考えてくれ。この服どうしろってんだ」

 「乾かすまで待てばいいんじゃないかな?」

 「男らしい意見どーも。普通に風邪ひく未来が見えるわ」

 とりあえず髪を絞って水を取ると、髪を縛ってポニーテールに変える。シオンの髪は長すぎるから、川に浸している時間が長ければ長いほど、後が面倒になるのだ。

 「……心配して損した気がする」

 シオンが先程出した、木を倒した時の轟音はモンスターだけでなく、シオンと鈴を心配したティオナもこさせていた。だが実際に見た光景は、水場ではしゃぐ二人。

 そんな風に遊んでいる――ように見えた――二人の姿に、ティオナが脱力しつつ、ちょっとだけ嫉妬していた。

 「いいなぁ、ズルいなぁ鈴。ああやってシオンに抱きつけて」

 鈴はまだ、シオンが好きとかそういう感情を抱いていない。それはわかる。だがああやって抱きつけるのはズルい。ティオナだって腕とかならいざ知らず、真正面から抱きつくのはちょっと厳しいものがあるというのに。

 「むぐぐ……私も勇気、出してみるべき……?」

 出したところでどうしたと言われてスルーされる未来しか見えないけれど。

 「それで、あたいに刀を教えてくれるの? それともくれないのかー?」

 「いやだから無理だって。おれも色々予定があるし、そんな暇はほとんど無いから」

 少なくとも、蚊帳の外にいるのだけは嫌だった。

 ――ちなみに。

 ティオナのいる反対方向では、音に気付き、ベートに持っていた物を押し付けながら駆けつけたアイズがいた。

 木の陰に気配を消して隠れながら、シオンと鈴の様子を見ていた。

 「ダ、ダメ。それだけは絶対にダメ。シオンに直接教えてもらえるのは私だけなんだから。そうだよ、断ってシオン」

 とやきもきしながら見ていたアイズ。

 最近はクールに見えてきたアイズであるが、なんて事はない。単にシオンに必要以上に心配をかけないよう、必死に感情が動くのを押し留めていだだけの話である。

 「ああもう、ズルい、ズルいズルい……! 私は最近シオンにあんな風にできないのに」

 ただし、そのせいで最近お兄ちゃん(シオン)甘えられ(頼れ)なくなってしまったアイズ。普段からティオナがシオンに抱きついていたのをちょっと羨ましく思っていたのだが。

 入ってきたばかりの鈴までもがああなのは、羨ましいを通り越してズルい、とアイズに可愛らしい嫉妬心を起こさせていた。

 「わ、私だって……甘えたいのにぃぃぃ……!」

 ……そんな一幕がありながら、結局ティオナとアイズは出て行く勇気など無く。

 「……なんだ、この空気??」

 「さぁ……?」

 川から出たあと、やっとこさ服を乾かして戻ったシオンと鈴は、妙に重苦しい空気に困惑させられる事となった。




まず前回更新できなかった事を謝罪します。申し訳ありませんでした。

その日は何故か頭がボーッとするなぁと思って熱を計ったら38度近くになってまして、仕方ないから寝込んでいました。更新できなかったのはそのためです。
私はチマチマ書くときと、できた時間でガーッと一気に書くときの2パターンなんですが、今回は後者だったので完成してなかったので予約投稿もできませんでした。
本当申し訳ない。

今回はほのぼの+刀術についての説明回です。
前回投稿後に『居合と抜刀は同じ物』的な解説を受けましたが、作者権限で『別世界にこっちの世界の常識を当てはめるなんてナンセンスだ!』というご都合主義(という名のゴリ押し)を発動しました。
なのでこの作品において刀術は
抜刀術→刀を抜いた後の技術
居合術→刀を抜きながら敵を斬る技術
帯刀術→刀を鞘に入れたまま敵を殴る技術
の三つに分かれます。ご了承を。
一番参考にしやすいのはマモレナカッタ・・・で有名なアスベルさん。彼の戦い方を見れば私の言いたいことが何となくわかる、はず!

次回はダンジョン中層を更に下って行きます。
お楽しみに!


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『怪物進呈』

 「そういえばずっと気になってたんだけど、あの街……街? まぁいいや、あそこって何でダンジョン内部にあるんだい?」

 19層へと向かう道すがら、暇つぶしだろう、鈴がシオンに問いかける。シオンが鈴の指差す方向を見やれば、今日も変わらずそこにあるリヴィラの街に溜め息が出た。

 「有志の冒険者が作ってる――と言えば聞こえはいいけど、休憩所を作って物資を持ってきたら高値で売り捌いて、おれ達が持ちきれない量の魔石とドロップアイテムは安値で買い叩くクッソみたいなところだよ」

 「……それ、恨まれないの?」

 「恨まれてるかもしんないけど、リヴィラの街を襲う理由にまではならないな。なんだかんだ必要とされてる街だし」

 という訳で、何故か鈴にリヴィラの街の存在理由を説明する事になったシオン。興味深そうに聞いてくれているから話すのはいいのだが、

 「一応ここ、ダンジョンなんだがなぁ」

 「私に言われても知らないわよ、もう。それに二人共最低限の警戒はしてるんだし、話くらい別にいいんじゃないの?」

 「それに、出てくるモンスターは私とアイズで大抵倒し切っちゃうからねー」

 「この辺りのモンスターは、弱いから」

 「そりゃそうだが」

 ……言えなかった。

 モンスター相手にストレス発散しているように見えるティオナとアイズの方が怖くて、ティオネに話しかけたことを。

 ――言える訳がなかった。

 シオンの話が終わり、鈴も一先ずの納得を見せ、また18層の景色に感嘆の息を吐きながら周囲を見渡そうとしている頃に、やっと六人は大樹の洞へと辿り着く。

 ここが19層へと繋がる道だ。

 「下にモンスターはいなさそうだ。坂道で戦闘になる事はまずないと思う」

 「18層のモンスターも近場にはいねぇ。挟み撃ちの心配はしなくてもいいぜ」

 まずシオンとベートによる周辺の警戒。真っ暗闇の先を見通すシオンと、鼻を動かし臭いを探るベートの探知能力は、この数年で磨かれかなりのものとなっている。

 たかだか中層程度のモンスターで欺けるような代物ではない。

 立ち上がったシオンを見て、次の階層へ行くかと思った鈴だが、彼がまだ動かないのを見て顔に疑問の色を浮かべた。

 「鈴もいるし、19層に行く前に一つだけ。――18層を挟んでいるからなのか、ここから先のモンスターは17層までの敵と比べて、一段階強くなってる。同じ『中層』だと思って舐めてかかると痛い目を見る」

 気を付けろとだけ忠告すると、シオンは一足先に降りていく。

 鈴は何とも言えない表情で他の四人の顔を見渡したが、

 「シオンは心配性なんだよ」

 「ある意味お父さんお母さん的な?」

 「一々気にしてたら仕方ないし」

 「置いてかれないように、行かないと」

 シオンのああいった部分に慣れているのか、さっさと行ってしまう。

 「……何というか、新鮮な気分だよ」

 『誰かに心配される』なんて事は何時以来だろうか。それも日常の事ではなく、こうやって命をかけている状況で、なんて。

 ふぅ、と息を吐き出しつつ、鈴は待っているだろうシオンの元へと駆け出した。

 19層から20層までの道中、ティオネがふとシオンに問いかけた。それにシオンが答えると、納得したように頷いてくれる。

 「そういえばシオン、今日はどこまで行くつもり?」

 「ん、あぁ、多分21か22辺りまでだ。23層までは行かない、あそこの探索は全然終わっていないからな」

 「鈴もいるし、それがちょうどいいのかな」

 今のシオン達は前からティオナ、アイズ、ベート、鈴、シオン、ティオネという順番だ。その為こうして話し合えるのは前後の者とのみ。ダンジョン内部で大声を発すれば、それは遠方からモンスターを引き寄せる事となるため、用があれば近づくようにしている。

 「シオンは24層までのマップは?」

 「25層までなら覚えているよ。だから行きと帰りに迷って食料が尽きました、なんて展開は無いから安心しろ。そっちは?」

 「私とベートは22層までなら、ギリギリ何とか。でも横道とかは覚えられてない。あくまで下に繋がる階段への最短ルートくらいね」

 「ならやっぱり22層くらいが良いだろう。おれが指示を出しにくい状況もありえるし――」

 と、そこでシオンの言葉が止まる。

 ベートがティオネに何事かを囁きかけ、それを聞いたティオネが大剣を構えたからだ。瞬時に意識を切り替え各々が武器に手をかけたのは、もう今までの経験だとしか言い様がない。

 「さて、最初のお相手は」

 が、そこでシオンの軽い言葉が止まる。

 誰が言ったか、

 ――え?

 大量のモンスターが、前方から迫ってきていた。

 「シオン、これは!?」

 ありえない数のモンスターが、その顔を異形に染めて駆けてくるのに、若干気圧された鈴が慌てて振り向いてくる。

 「チッ、押し付けられたか――! 『怪物進呈(パス・パレード)』だ、答えている暇は無い!」

 『怪物進呈』とは、文字通りモンスターを他者に押し付ける行為。

 どうしてもその状況を対処しきれなくなったパーティが逃げ続け、その先にいたパーティに引き連れていたモンスターを()()()()()行為だ。

 当然巻き込まれる方はたまったものではないが、生き延びるという観点から見ればこれ以上ない方法だとも言える。――胸糞の悪さを押し込められれば。

 あるいはもう一つの理由からこの『怪物進呈』は行われたりしているが、

 「熊獣(バグベアー)蜥蜴人(リザードマン)大甲虫(マッドビートル)虎獣(ライガーファング)狙撃蜻蛉(ガン・リベルラ)、それに炎鳥(ファイアーバード)まで……!? 希少種(レアモンスター)まで混ざるとか、どこから逃げ続けてたんだよ!??」

 巨大な熊型モンスターであるバグベアー。

 ダンジョンにある『迷宮の武器庫(ランドフォーム)』から取り出したのか、その両手に天然武器(ネイチャーウェポン)を構えたリザードマン。花そのものが円盾(ラウンドシールド)になり、花弁を引き抜けば幅広の短剣となる、剣と盾が一体化している花。

 更に蜥蜴人という俗称からもわかる通り、彼等は人と同じく二本の足で立つ。リザードマンは大抵一七〇Cという、屈強な成人男性と同じ体格をしている。特に花の盾と花弁の短剣、今までと違い攻守の切り替えを行う彼等は手強い相手だ。

 二足歩行をするが、体躯としては虫そのものなマッドビートル。

 虎型のモンスターであるライガーファングは17層で出てくるモンスターだが、19層でも出現はする。19層以降の敵に比べれば弱いが、その速さは十分驚異になるだろう。

 だが最も恐ろしいのは、夥しい数のガン・リベルラと、少数しかいないファイアーバード。この二つのモンスターは、()()()()()のだ。

 今までにも遠距離攻撃を使う相手はいた。ヘルハウンドがそれだ。だがヘルハウンドも足に地を着けており、それ故前方のモンスターが邪魔で炎を放てない状況もあった。

 しかし飛んでいるガン・リベルラとファイアーバードは、上空からシオン達を狙い撃てる。今までのような甘っちょろい対応では、空と地上の波状攻撃に押し潰されるだろう。

 たら――とシオンの額から汗が流れ落ちる。目に見える範囲だけでも五十は軽く超えているモンスターの群れ。

 シオンが取った行動は単純だった。

 「全員、逃げるぞっ!!」

 『了解!』

 逃げの一手。もうそれしかない。

 流石のシオンも、逃げられるのに逃げないなんてアホな事はしない。二十や三十くらいならまだ対処のしようもあるが、目に見えるだけで五十、その更に奥にいるのも含めれば三桁の大台に行くかもしれない、そんな大群を相手にするような自殺行為はできなかった。

 だが、すぐにシオンは気づく。

 「鈴!」

 「……流石に、キッツイよ!」

 鈴が、少しずつ遅れている。

 当然と言えば当然だ。シオンが脳内のマップを思い出しつつ移動しているからまだ何とかついていけるが、彼女はまだLv.1であり、冒険者になりたての人間だ。置いていかれないだけ、彼女は自分を鍛えていると言えるだろう。

 だが、それも後少し。全力疾走している鈴の体力はすぐにでも尽きるだろう。

 ――仕方ない。

 「悪いけど、素直に従ってくれよ!?」

 「む!?」

 一瞬止まったシオンが、全力疾走している鈴の膝裏に足を引っ掛ける。それにより背中から地面に落ちかけた鈴の背中と膝裏に手を回すと、体勢を整えまた駆け出した。

 それに何か言いかけたティオナとアイズだが、ドンッ、という音と共に横を通っていった金属の弾を見て口をつぐんだ。

 シオンのお姫様抱っこ――今だけは黙認するしかない、と。

 「今のは――!?」

 しかし後ろの様子に気づかない鈴は、今の音に首を回して後ろのモンスターを見る。先程見たモンスター全てが追っかけてきている訳ではないが、それでもある程度は追ってきていた。

 「ガン・リベルラだよ。あいつ等は体内で金属の弾を生成してそれを撃ちだしてくる。だからあいつ等の名前は弾丸の蜻蛉(ガン・リベルラ)なんだ!」

 その弾丸も、Lv.3となったシオン達なら対処できる。しかし鈴では難しいだろう。彼女は【ステイタス】による五感の上昇がされていないのだから。

 叫びつつ、シオンは鈴に一つの指示を出す。

 役割としては単純で、次に進む道を左か右か、あるいは真っ直ぐかを指し示してもらうこと。今のシオン達はシオンが先頭なのは言うに及ばず、その後ろにピッタリくっつくようにベート達が続いている。

 だから、もしシオンがいきなり曲がれば勢いを止めきれずに突き進んでしまい、一瞬のロスが生まれる。それを無くすための処置だ。

 鈴は頷き返した。正直この状態では何もできず、足手纏いでしかない。それくらいの役割ならむしろくれた方がありがたかった。

 ちなみに鈴はお姫様抱っこに思うところはあんまり無い。生き残るための手段、とあっさり割り切っていた。結構冷静(ドライ)である。

 「あーもう、面倒くさいな、っと!」

 そして最後尾、鈴を羨ましいと思いつつもひたすらガン・リベルラの弾丸を防ぐティオナ。彼女の武器は大剣。それも重さと引き換えに頑丈に、という意見を採用し椿が作った特別性だ。故に剣の腹で受け止めようと問題はない。

 さり気なくシオン達に向かう弾丸を優先的に排除しつつ、ティオナは皆を追っていく。

 「悪いわねティオナ、あんたにばかり負担かけて」

 「そんなのいいよ別に。普段は私がティオネに迷惑かけてるんだからさ」

 湾短刀という武器故にあまり大きな範囲をカバーできないティオネ。逃げながらでは精々自分に飛んできた分しか処理できないのだ。ベートなどは言うまでもない。

 だが、ついにティオナでは処理できない物が飛んできた。

 ――炎だ。

 「ッ、ファイアーバードが来たよ! 気をつけて!」

 二Mという大きさに恥じぬ羽ばたきの音を出しながら、炎の鳥がティオナ目掛けて突っ込んできている。一体何の逆鱗に触れたのか、血走った瞳がティオナを捉えて離さない。

 しかもその巨大な嘴から漏れ出る火の粉が、既に火炎放射の準備に入っているのを告げていた。その紅の体から放たれる炎の出力はヘルハウンドのそれを優に超えているのを、ティオナ達は経験で知っている。

 念の為程度に鈴はまだサラマンダー・ウールをつけていた。だから、最悪鈴だけは軽度の火傷で済むだろうが。

 どうすれば――そう悩むティオナとティオネは、忘れていた存在を思い出す。

 「【目覚めよ(テンペスト)】」

 風の魔法を使いこなす、少女の事を。

 「【エアリアル】!」

 クルリと振り向き、何時の間にか抜いていた剣に風を纏わせているアイズ。足を止めて腰を落とし力を貯めていた彼女は、

 「ラファーガ・トラスト」

 神速の突きで、その炎を迎え撃った。

 風は炎と相性が悪い。複雑な話は置いて、炎は空気によって形作られているからだ。だからこそファイアーバードは確信していた。――無駄だ、と。

 しかし現実は違った。

 ファイアーバードが放つ拡散する炎の波と、一点のみに凝縮し突かれた風の矢。

 本来なら飲み込まれるだけなはずの風は、炎の壁を崩し、ファイアーバードの嘴から尻尾までを貫通したのだ。

 『――!??』

 喉を貫かれ、悲鳴すらあげられぬまま地に落ちるファイアーバード。だが魔石自体は無事だったのか、その身が灰に戻る事はなく。

 地面に叩きつけられ、弱々しいながらも動こうとしたファイアーバード。

 「あ、もしかしてこれって」

 その光景に、何かを察したティオナが呟いた瞬間。

 グチャッと。

 何かが潰され、次いで悲鳴が聞こえてきた。恐る恐る振り返れば、大量のモンスターに踏み潰されながら絶命したファイアーバードと、その()()()()を踏みつけたモンスターが、手足に火傷を負ったせいで悲鳴をあげている。

 「「うわぁ……」」

 まさしく地獄絵図。火傷ではなく引火したモンスターまでいるのか、ファイアーバードでないのに燃えている体を別のモンスターに擦り付け、また炎が燃え移り。

 気付けば後続の大半は燃え死んでいた。無事なのは飛んでいるガン・リベルラくらいなものである。あまりに容赦無いアイズに思わず生暖かい視線を向けてしまう。

 「……アイズ……」

 「わ、私が悪いの?」

 いや、確かに助かった事は助かった。何故なら、

 「【変化せよ(ブリッツ)】」

 何時の間にか鈴を降ろし、少し遠くにいたシオンが詠唱に入っている姿が見えたからだ。

 「【迸る稲妻、喰らい、糧とし、駆ける雷】」

 シオンが詠唱すると決めたのは、きっとアイズが他のモンスターを全滅させたからだろう。空に浮かぶ遠距離特化のモンスターは得てして耐久に乏しい。

 「【獲物を噛み、踏み台としながら走り続ける物】」

 そしてシオンには、威力は低いがガン・リベルラを一網打尽にできる魔法があった。

 「【終わりは非ず。それに終わりがあるとすれば――全てを喰らいし時だけだ】」

 三節の詠唱。

 アイズ達と入れ替わるように前へ駆け出す。慌てて射撃体勢に入り、弾丸を発射するガン・リベルラだが、シオンには当たらない、当てられない。

 ある程度にまで近づくとシオンは跳躍し、壁に足をつけると更に跳躍。一体のガン・リベルラの傍に手を置くと、

 「【チェインライトニング】!」

 連鎖の起点となる一体に稲妻を走らせた。

 ガン・リベルラが雷に呑み込まれ、魔石ごと燃え尽きる。だが雷は消える事なく、まるで獣のようにすぐ傍にいたガン・リベルラを呑み込んだ。更にそれすら燃やし尽くすと、またすぐ近くにいたガン・リベルラに飛びつき――そこでやっとこの魔法の効果に気付いた他のガン・リベルラが距離を取ろうとするが、遅い。

 分裂した稲妻が、逃げようとしたガン・リベルラを捉えた。

 一体たりとも逃す事を許さない。暗いダンジョン内部に光を放ち、線でもって図を象っていたチェインライトニングは全てのガン・リベルラを喰らい尽くし、そして消えた。

 【連鎖の稲妻(チェインライトニング)】。

 その名通りの役目を持った、シオンの魔法だ。

 二十以上もいたガン・リベルラが全て消えたのを確認すると、シオンが戻ってくる。

 「……最初からアレをすればよかったのではないか?」

 「あの魔法、効果が効果だから威力が低いんだわ。だからガン・リベルラとかみたいな耐久力の低いモンスターじゃないと殲滅はできない」

 しかも三節の状態では『喰い尽くす』まで移動してくれない。一節ならばある程度攻撃したら移動してくれるのだが――逆に威力が低くなりすぎる。

 本当に、シオンの『変幻する稲妻(イリュージョンブリッツ)』は色々と不便だった。シオンが詠唱内容を変えればそれに伴って効果も変わるので、要検証、としか言えないが。

 「それに、一つの物に頼り切ると戦い方が一辺倒になるから、あまりアテにはしないでくれ」

 実際今回逃げる時にシオンは『指揮高揚(コマンドオーダー)』を使わなかった。流石に使ってもいいだろうとは思ったのだが、案外余裕そうだったのでやめておいたのだ。

 色々考えているシオンに鈴は何も言えない。

 あくまで鈴はダンジョン初心者。数年もダンジョンで戦い続けるシオン達に比べるところさえほぼ存在しない。

 が、何となく鈴が何を考えているのか察知したらしいシオンが言う。

 「あぁ、そこまで気にする必要はないよ。疑問は疑問のまま放置せずに聞いてくれた方が、頭の回転が鈍くならないし」

 「という事は、これからどんどん聞いていっても?」

 「気にせず聞いてくれた方が遠慮が無くていいね」

 むしろ何も考えない人形や機械になられる方が困る。頭の命令を聞かないのもそれはそれで問題だが、頭がいなくなったらもう何もできない方がもっと困るのだ。

 「それじゃ、20層に行こうか」

 実は逃げながら20層へのルートを辿っていたシオン。流石に19層から20層への道のりは相当長いので、例え最短ルートを通ったとしても数時間はかかる計算だ。

 そこから20層までの道のりは、特筆して苦労しなかった。そもそも最初の『怪物進呈』がおかしかっただけであり、通常状態であればどうとも無いのだから。

 落ち着きが出てくれば周囲を見る余裕も出てくる。特に19層に初めて来た鈴は、周囲の光景に目を奪われていた。

 18層とはまた違う美しさを見せるのが19層。あの大樹の下だからなのか、壁なんかは木と似たような材質だ。小さな洞がそこかしこに存在し、モンスターであれば身を潜められそうな空洞があった。天井も横幅も今までとは段違いに広く、それが『乱戦』を前提とした設計になっているのを示しているような気がする。

 ただ辺りには植物が群生していて、一体どんな物なのかと鈴に疑問を抱かせた。つい近寄ろうと足を向けたら、

 「不用意に触らないでくれよ」

 「え?」

 「中には毒草もある。鈴はまだ『耐異常』を持ってないんだから、触るならせめて誰かに確認したらにしてくれ」

 赤と青が合わさり紫にも見える斑模様をした、如何物『毒です』と表現している茸。微かな光源に金色の綿毛を放出させ、綺麗な光景を作り出す多年草。前者のように一見毒に見えるような物が実は毒じゃなく、毒のようには見えない後者が実は毒、なんていうのはよくある話。だからシオンは鈴に警告したのだ。

 「触らなくてもいいなら、だけど――こっちかな」

 鈴がちょっと不満そうにしていたのでシオンはルートを変更し、違う道に入る。どっちからでも20層に行けるので問題はない。

 「うわぁ……す、凄いなこれは! 18層に行った時も驚いたが、これはそれと同じくらいに耽美なものだ……!」

 シオンが鈴を案内したのは、ずっと昔、シオン達が見つけた花畑だ。

 18層のように安全地帯でも何でもない19層にある、銀色の花畑。それはこの広間全ての床を埋め尽くしていて、ここがダンジョンだと忘れてしまうような光景だった。

 地上にはない花。調べて安全な物だと知っているシオンは一度、休憩を取ると伝える。各々がシオンが背負っていたバックパックから少食と水筒を取ってエネルギー補給をするなか、シオンは紙と鉛筆を取り出していた。

 壁を背にしながら花に注視し、書き込んでいく姿。それはまるで、ではなく絵を描いている姿そのものだった。

 「何をしているのだ?」

 「絵を描いてるんだよ。あんまり慣れてないから練習中だけどな」

 そう言って描いていた花を見せるが、確かにあまり上手くない。下手とは言わないが、精々がどんな物かわかるくらいのものだ。

 そう正直に伝えてみれば、

 「絵の練習をしたのはこれを見てからだし、まだ一、二ヶ月だからな」

 なんて苦笑された。

 これで子供に人気のあるシオンは、時々ではあるがダンジョンで経験した事を物語のように語って聞かせていたりする。その時に見た物を伝えるには絵が一番良い、そう判断して絵の練習を始めたようだ。

 「才能は無いから感動は与えられないと思う。でも臨場感くらいは出せるかなって」

 それに学び、覚える事は無駄じゃない。絵心があるのと無いのでは、ある方が断然いい。そう言ってシオンは、ヘタクソと言われようとも諦めるつもりは無いと言った。

 たまに出てくるモンスターは大半がベートが処理した。リザードマン一体くらいなら鈴でもどうにかできたので、【経験値】確保のためにも参戦する。

 「なんつー切れ味」

 「多少の【ステイタス】を無視できるのはコテツのお陰であろうな」

 武器に依存しているのは把握している。相手が円盾を構えても、その上から体を真っ二つできるのだから。

 「まぁ『武器持ち』じゃなきゃ厳しいけどね。それこそ体当たりとかされたら身体能力の差で斬る前に殺されるだろうし」

 「あ? 有り無しでなんか変わるのかよ?」

 「そりゃ変わるさ。武器を持つリザードマンはある程度動きが決まってるからね。話聞いてなかったのかい? あたいは道場で刀術を学んだ人間なんだよ」

 要するに、道場と二年の旅路で培った『対人戦闘』の経験のおかげだ。道場で爺やに鍛えられていた時は門下生と模擬戦をした事が幾度もあり、刀以外にも剣や槍を相手にした事もある。

 わかりやすく言えば、もし彼等が武器が無ければ剣で打ち合ったり、盾で刀を受け止めたりできないため、回避のみに注視するはずだ。そうなっては地力の差によって押し負けるのがオチ。

 鈴がリザードマンに勝てるのは、『武器を持つ事に因る慢心』を突いている、という部分が大きいのだ。

 武器があれば勝てる。何故なら自分の方が【ステイタス】が上なのだから。

 そんな風に思っている相手に負けるほど、鈴の経験は少なくない。

 だから例え、力任せの『怪物の剣術』であろうと。

 「あたいからしちゃ見慣れた物、って訳さ」

 そもそもリザードマン、【ステイタス】的に見ればそこまで強くなかったりする。彼等は数と先程の天然武器を使った剣術が特筆すべき部分で、それ以外は平均的だ。そういった事もあって鈴でもどうにかなる。

 しかしやはりと言うべきか、シオン達は強すぎる。19層程度の敵では相手にもならない。

 それは当たり前であり、シオン達は鈴を除いて全員がLv.3だ。これは本来なら『中層』を超えて『下層』にまで行ったとしても問題はない段階だ。

 それでもシオン達が最高到達段階が23層なのは、それだけ慎重な証でもある。

 懸念はアイズだったが――アイズはこの頃精神的に安定していて、シオン達の方針にも素直に従ってくれていた。常人よりも遥かに速く強くなれているからというのもあるだろう。

 とにかくとして、鈴がせめてLv.2になるまでは、シオンは『下層』に行くつもりはない。この事はダンジョンが終わってから全員に告げるつもりだった。

 休憩が終わると、さっさと片付けて残りの道を消化していく。

 そして20層、に行く道の一歩手前。そこで足を止めていたシオン達は、20層での注意点を鈴に教えていた。




今回はちょっと短め。
原作でも20層に行くまで数時間かかったそうなので仕方ないですね。次回こそは21か22に行く予定です。

にしても最近他の原作及びオリキャラが出せていない。ちょっと前にエイナさんが出せたけどそれだけだし、今は鈴メインだからダンジョンに行く関係上出しにくいし。

リューさん出したいけど彼女の出番はもう決まっちゃってるし……!

色々頭の中でアイディアを捏ねくり回しつつ、また次回。

ぁ、次回タイトル忘れてた。
『落ちゆく光』
変更する可能性もありますけど、お楽しみに。


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落ちゆく光

 順調に道を進み、階層を下っていくシオン達。途中、鈴が慣れないモンスター相手に苦戦し、それをカバーするために多少苦戦したものの、疲労回復の為に回復薬を使ったくらいで、特に問題はなかった。

 ちょこちょこと敵が出にくい場所や、出ても問題のないような所を選んで休憩を取っていたので精神的な疲労もほぼ無い。突発的な危険(アクシデント)も起こらなかったので、荷物を投げ捨てる、なんて状況にも陥らなかった。

 とはいえ階層を降りれば降りるほどに、少しずつその広さを増していくのがダンジョンの恐ろしい部分。地理がわかっていても、初めて訪れれば一度の階層に数時間どころか一日をかける事だってザラだ。

 幾度かの休憩。シオンの体感ではそろそろ夜になるかどうかくらいの時間になっても、彼等がいるのは未だに22層に辿り着く手前くらいだった。

 朝早くから出てこれだ。恐らく今日はダンジョン内で一泊する事になるだろう。一応寝泊りできる場所の目安はあるので、大丈夫だとは思うが。

 しかし火は使えない。光源は視覚に頼るモンスターを引き寄せ、火が燃える音に聴覚の鋭敏なモンスターが近寄ってくる。保存食のような質素な食事になるが、鈴は耐えられるか。

 そう思っていると、返り血と額を流れる汗を拭いていた鈴が振り返り、

 「そもそも気になっていたのだが、このダンジョンの広さはどれくらいなのだ?」

 シオンが考え込んでいる間に誰かと話していたようで、そんな疑問をぶつけてきた。どうして自分に、と思って四人を見ると、わからないから、と表情で答えられた。

 「おれの知る限りでは、でいいなら答えさせてもらうよ。上層は街程度。中層は平均して、大都市一個分になる」

 「それは……広い、な」

 大都市一個分、で伝わらなければ、オラリオと同じかそれ以上の大きさだと考えればいい。大体それで合っているのだし。

 シオンはそんな大都市一個分の地図を、大雑把ではあるものの24層くらいまでは覚えていた。エイナに手伝ってもらったお陰だ、彼女には感謝の念が絶えない。

 ――いずれ礼でもしておかないと。

 「ふむ、それ程広いのであれば、ここまで時間がかかるのも納得か」

 という鈴に、シオンの知る限りという注釈が付けられたのは何故かと説明しておく。

 「ただ地図が完成しているのは上層までで、中層は18層に至るまで。それ以降は虫食いのように探索されていない地域が多いから、実際の大きさは誰も知らない」

 そう、人々が知るダンジョンはまだまだ知らない部分が多すぎるのだ。そもそも新たな階層に行くのであれば下りの階段さえ見つけられれば良いわけで、その反対側に行くのはよっぽどの物好きだけである。

 だから、もしかしたらシオンの知らないモンスターがいるかもしれない。

 「これから寝るための場所に移動するけど、本格的に休めるからって気を緩める事だけはしないでくれよ」

 そう言って念を押しておく。

 ここまでの休憩時間は五分や十分、長くとも二十分程度で、散発的な物ばかり。まともな休憩は少なく、手馴れているシオン達はともかく鈴は微妙な線。シオンの見ていた限りは大丈夫のようにも思えるが――全滅を避けるためだ。嫌われ役くらい、喜んで引き受けよう。

 そうして移動していくシオン達だったが、やはり出てくるモンスターの数が二桁を超える事はそう無い。楽といえば楽なのでいいが、他の冒険者とも出会わないし、誰かが引っ張ってるんじゃないかと邪推してしまう。

 19層で押し付けられたからだろうか。

 とはいえ現時点では何もないし、必要以上に肩肘を張っても疲れるだけなので、六人が横になっても大丈夫な程度の大きさがある樹の洞へと入っていく。

 殿を勤めていたティオネが最後にシオンと共に中へ滑り込むと言った。

 「あ、やっぱりここなのね」

 「人数的に選択肢は多くないからな。他のパーティに使われていなくてよかったよ」

 六人という大所帯が横になっても問題ないような場所は限られる。そういった数少ない、比較的安全地帯で休めるかどうかもダンジョンで生き残れるかどうかの境目になる。

 ふぅ、と息を吐きながらシオンは背負っていたバックパックを下ろす。移動中はベートとアイズを除いた全員が荷物を背負っているのだが、やはり一番大きな物はシオンが背負っているので、肩や背中に負担がかかって辛い。

 「……ごめんね、いつもシオンにばかり。負担をかけて」

 シオンの息が聞こえたのだろう、申し訳無さそうなアイズが言う。そう言われてもシオンとしては生き残る確率を増やすために自分から指示を出した事なので、謝られても意味がない。

 困ったように眉を寄せていると、傍にいたベートが肩を竦めた。

 「謝る必要はねぇだろ。そいつが言い出した事なんだからな」

 「でもやっぱり、何時間もあんな重たい物をシオン達にだけ持たせて、私達だけ何も持たないのは」

 「俺もお前も足の速さで撹乱するタイプだ。んな足引っ張る物持って歩き回る方がよっぽどコイツ等を危険に晒す事になるって気づけ。バカじゃねーだろ、お前はよ」

 ハッとしたような顔をするアイズに訝しげな表情を浮かべるベート。それから胡乱気にシオンの横顔を見つめると、

 「……おい、シオン。テメェまさかアイズに何の説明もしてないのか?」

 「ア、アハハ……」

 「誤魔化すなこっち見ろそれとも一発殴りゃいいか?」

 「いや、いつも『足を殺すな』って言っておいたし、アイズなら気付けるかなって」

 実際は全く気付いていなかったのだが――それでアイズを責める訳にはいかない。最近は冷静さを得てきたアイズだが、その中身は前と同じく感情豊かなまま。笑い、怒り、泣く子供のまま。ティオナの次に顔をよく動かす娘なのだ。

 だから彼女は、シオンに似たのか仲間想いに育っている。何故自分とベートは何も持たされていないのか、シオン達の負担になっていないのか、それで自分達だけ生き残ったら――なんて考えてしまって、シオンの意図を見抜けなかった。

 今気付けて良かった、とベートは思う。

 ベートは以前、シオンが無茶をしない為の鎖になれとアイズに言ったが、あまりに心配性になってアイズ自身が死んでしまっては意味がない。本末転倒にも程がある。

 シオンの方はアイズに対して若干の甘えが出てきた。『アイズになら伝わるだろう』と、言葉で伝える努力を怠っている。

 まぁ、ベートがわざわざ口に出す必要はなかったが。

 「……ごめん、アイズ。次からはきちんと説明するよ。でも、できればアイズからも聞いてきてほしいな。おれ達を気にしすぎたりしないでさ」

 何故なら、シオンが自ずと理解したからだ。自分の悪かった点を。そして、アイズの性格からどう考えたのかを見抜いた。

 この辺りシオンは抜け目ないと、本当にそう思う。間違えた点を即座に把握し、同じミスを繰り返さないよう自分に言い聞かせ、それでも万が一繰り返した場合、同じ状況にならないようアイズにもお願いしている。

 「うん、わかった」

 だからこそ、ベートやティオネはシオンがリーダーで居続けるのに異存無い訳だが。

 「後ベートもありがとう。何か礼でもいるか? つっても今は食べ物しか持ってないけど」

 「いらん。食える時に食わねぇとエネルギー補給できねぇんだから、自分の分は自分で食べろ。お前が倒れたら困るのは俺達なんだからな」

 「あ、そう? なら今度何か付き合うわ」

 「――ふん」

 鼻で笑ってやると、シオンは気にせず自分が下ろしたバックパックの中身を漁り始める。ついでとばかりにアイズの分も用意し手渡す。ベートはその光景を見つつ、既に取り出していた塩をまぶした握り飯を食べ始めた。

 「……アレで良いのか? ベートの対応は随分と杜撰に思えるが」

 「あの二人はアレでいいのよ。一々気にしてられないし、放っておきなさい」

 「そうそう。男の子ってあんなんで通じ合えるから不思議だよねー」

 どうせ聞こえているだろうからと、普通の音量で話し始める鈴、ティオナ、ティオネ。その話題は鈴が始めたシオンとベートの会話はあんなのでいいのかというもの。

 確かにあの二人の会話は、主にベートが原因で険悪な物に見られる事が多い。

 「それにベートのあの話し方はもう病気みたいなものだし、うちじゃもうあの口調じゃなきゃベートじゃない、なんて言われてるくらいだから」

 「シオンがいなかったら普通に口が悪くて敬遠されてたと思うけど。その辺り多少の悪口じゃめげないシオンに感謝してたりするんだよね、ベートはさ」

 そもそも誤解とは接する経験が少ないからこそ生じやすい。長く付き合えばその人間の良さは何となくでも伝わってくるものだ。だから、最初こそ怖がられていたベートも、シオンとの会話を遠巻きに見ていた子の一人がベートの言葉の真意を理解して言ったシオンの言葉から、自分達が勝手に怖がっていただけなんじゃないか、と気付いた。

 そのお陰なのか、数こそ少ない物のベートに話しかける同年代の子供は多くなった。

 「一匹狼気取ってるけど、別に心が無いわけじゃないって事よ」

 「つまり、何だかんだ寂しがり屋……と? 可愛いところもあるのだな」

 「お前等人の事勝手に決めつけてんじゃねぇ。殺すぞ」

 ギロリ、と。

 鈴の一言が癪に触り、怒りのゲージがMAXになったのか、ベートの声音が一段低くなる。何だかんだLv.1の鈴は思い切り睨みつけられ、咄嗟にティオネの後ろに隠れてしまった。

 「はいはい、こっちが悪かったからそれは抑えなさいベート。あんたの本気に鈴が耐えられるわけないでしょ。それとも弱い者いじめが好きなの?」

 「……チッ。ならせめて俺が聞こえないところで言え。陰口ならどうせ俺には聞こえないんだからどうでもいいが、聞こえりゃ癇に障るんだよ」

 ティオネに言われて殺気を押し留めたベート。だが、それは彼の『雑魚に構っていられない』という心境からに過ぎない。

 言っては悪いが、ベートにとって鈴は仲間であると同時に、まだ完全には信じられない弱者だ。わざわざ踏みつけて行ったところで自分が強くなるための糧になるとは言い難い。

 だからこそ、今回は許した。次同じ事を言えば、どうなるかはわからないが。

 「流石に今のは鈴が悪いと思うよ?」

 「む、す、すまない。つい、な」

 ベートの沸点が低すぎるというのもあるが、ティオネも鈴もちょっと言いすぎだ。特にベートは過去に数神から『ぼっち(笑)』とかその他諸々を言われたせいか、その辺りでからかおうとすると色々ヤバい。

 鈴は知らなかったので仕方ないが。

 「ティオネも、説明するにしても棘がありすぎ」

 「う、ご、ごめんなさい……」

 ティオネとしてはいつも通りなのだろうが、からかうにしても方向性が悪かった。

 「ねぇ、シオン」

 「何だアイズ」

 「最近ティオナって、妙な貫禄出てきたよね……」

 二人に正座させて叱りつける彼女は、妙にサマになっているのだった。

 「……何だこの茶番は」

 尚、今のは最初から最後まで全てを見ていたベートの感想である。割と本気で呟いていた。

 何とか落ち着いた頃には、全員どこか疲れたような顔をしていた。もそもそと乾パンを口に放り込み、水で押し流す。女性陣には18層で取ってきた甘い果物を渡し、男性二人は肉を貰った。

 シオンはバックパックの中身を覗き込み、残りの食料から、無茶をすれば何日くらいは大丈夫だろうかと逆算。

 ――モンスターの襲撃にもよるけど……この量だと、二日も無理だな。

 明日は22層に行き、できれば23層に足を踏み入れたら即座に戻ってくる予定だ。念の為18層で一日を過ごすとして、木の実の回収をすれば問題ない、という結論に至る。

 最悪あのボッタくりの街で物を買えばいいのだし。

 ある意味食料と同じくらい大事な回復薬が入った瓶が割れていないかも確認する。戦闘時は相応に動くため、荷物を背負った状態では中身が揺れて瓶同士がぶつかり、割れる可能性があった。一つ一つ確かめて大丈夫だとわかったら、また入れ直す。

 ちなみに六個だけ持ってきた万能薬は、割れないように特殊な素材で梱包してある。だからこれが割れる事はまずありえない。割るとしたら、シオンがモンスターに狙われた時だろう。

 鈴に武器の研ぎを頼み、その間に薄い布を引っ張り出す。小さくなるよう折り畳んであってそれを広げると、二枚をティオナ達に、一枚を自分達のところへ置く。敷布なんて物は無い。ゴツゴツとした地面にあった小さな石は除去してあるが、横になれば痛かった。

 しかし誰一人として文句は言わない。体にかける布があるだけマシだからだ。鈴が武器を研ぎ終わるのを確認すると、各々が武器を取り出しやすい位置に調節し、横になる。

 言葉は交わさない。どうしても眠れない状況を除き、不必要に会話して睡眠時間を削るような愚行はしない。

 ダンジョンで眠り、起きるのは、快眠とは程遠い。遠くから聞こえるモンスターの遠吠え、眠るという無防備な状態になる事への命の危機感、仲間がいるとはいえ暗闇に身を落とす恐怖――理由は多々あるが、深く眠れる訳が無い。できたらそれは大物かただのバカだ。

 それでも一人、また一人と浅い眠りについていく。

 その中でシオンは一人――起きていた。

 傍から見ればシオンも同じく眠っているように見えるだろうが、シオンは目を瞑りながらも、ひたすら起き続ける。

 一時間か、二時間か。どれくらいはわからないが、おもむろに立ち上がると、剣を持って洞の外へ出た。

 「――ま、いるよなぁ……」

 ふぅ、と吐き出した息は、モンスターの大群が放つ足音に紛れて消えてしまう。

 「リザードマンとガン・リベルラが合計四十くらい。問題なさそうだ」

 どちらも群れて行動するモンスター。一体一体の質を量で補うタイプのモンスターなので、今のシオンなら普通に倒せるレベル。

 「【変化せよ】」

 とはいえ、それは戦闘が長引かない、という訳じゃない。戦闘音を聞かれるのは、シオンとしても困るのだ。彼女達が起きてしまうから。

 ――火力が足りない。

 「【裂き誇る雷、鳴り響く音と共に切り捨てん】」

 ――ならば足せばいい。

 「【付与(エンチャント):雷鳴剣】」

 容赦はしない。

 開幕速攻で右足を前に出して、雷が付与され光輝く剣を横に振る。それと共に伸びた刀身が、リザードマンの大半を切って捨てた。

 無事だったのは武器を持たないが為に地面へ身を投げたのと、バックステップで咄嗟に後ろへ下がったリザードマンのみ。盾を構えた奴は、それごと切り捨てられた。

 シオンの持つ剣は、椿が鍛え上げた物。

 未だに第一線で使えるとは言い難いレベルではあるが、しかしLv.3の冒険者が使う武器と考えれば最上位クラスにあたる。

 たかだか中層程度にある天然武器の盾で受け止められるなんて――そんな甘っちょろい考えが通用する訳が無い。

 返す刀でシオンは地面へ身を投げたリザードマンを叩き斬る。これで残るはリザードマン数匹と面倒なガン・リベルラのみ。最も当たる可能性が高いガン・リベルラの群れに剣を向けるも、反射的に避けたものは多く、考えた以上に被害は少ない。

 何より痛いのは、今ので敵にバラけられた事だ。これでは一匹一匹殲滅するしかない。

 ――なんて面倒な事、する訳無いだろう。

 シオンは残ったリザードマンの所へ移動する。避けようとしたリザードマンだが、生憎と遅すぎて話にならない。シオンは跳躍するとリザードマンの頭を引っ掴み、そのままガン・リベルラの一匹へと放り投げた。

 元々リザードマンごとシオンを殺そうと思ったのだろう、そちら側にいたガン・リベルラの発射した弾丸が、シオンの投げたリザードマンに当たる。手や足を使って庇おうとしたリザードマンだったが、それはむしろ苦痛を長引かせるだけだった。

 苦痛の悲鳴をあげながら耐えたが、一発がたまたま人間でいう心臓にあたる魔石を穿つ。それによって灰になろうとしたリザードマンだが――完全に灰となって消える前に、一匹のガン・リベルラにぶち当たった。

 シオンの『力』によって投げられたリザードマンは、それこそ砲弾のようなもの。リザードマンに当たったガン・リベルラは壁まで押され、圧殺された。

 「次」

 あまりにあんまりな死に方に、一瞬止まってしまうリザードマンとガン・リベルラ。けれど、シオンは容赦しないと既に言っている。

 ――死刑宣告は済ませた。後は殺すだけ。

 未だに動かない近くにいたリザードマンの腕を握ると、また投げる。殺されると逃げようとしたリザードマンの足を掴み、心無しか恐怖に歪んだように見える顔を気にせずまた投げる。

 投げる。

 投げる投げる投げる。

 リザードマンという名の砲弾を投げる合間に剣を振るってガン・リベルラを真っ二つにしていけば、気付けば砲弾も的も、全て無くなっていた。

 援軍が無いのもきちんと探ると、シオンは雷鳴剣を解く。

 「……疲れた」

 戦闘時間は一分とかかっていないが、できるだけ音を出さないようにと考えていたので思った以上に気を遣った。

 シオンは腰のポーチから高等精神回復薬を取り出す。一分程度とは言え、常に最大魔力消費を強いられるシオンにとって魔力の消費量は相当な物になる。だから精神回復薬は手放せない。

 感覚的に結構消費させられたと思いながら瓶の中身を飲み込む。

 数十秒程気配を探索し直し、何も無いとわかると、やっとシオンは洞へ戻った。

 シオンが洞に戻り息を潜めて誰かが起きていないか確認する。パッと見程度ではあるが、恐らく問題はない、だろう。

 実際にはわからない。シオンには演技をするスキルはあっても、演技を見破るスキルは学んでいないからだ。まぁ起きていたら起きていただ、と割り切って中へ戻り、ベートと半分で分け合っていた布の中へ滑り込む。

 そしてまた眠るフリをした瞬間、

 「テメェはもう寝ろ」

 寝ていたと思われたベートにそう囁かれて、心臓がドクンと跳ね上がった。薄目を開けてそちらを見れば、ベートの狼特有の瞳がシオンを貫いている。

 「……起きてたんだな。とっくに寝てたと思ったんだけど」

 「不寝番の役目を決めないまま寝れば何となく察せられるんだよ。それと誤魔化すな。テメェ、ハナっから寝るつもり無かったな?」

 ベートが問えば、シオンは困ったように笑うだけ。しかし決して離されない瞳に根負けしたかのように肩を竦めると、口を開いた。

 「今日は鈴がいたからな。あんまり無茶はさせたくないし、あっちが動くような事態にはさせたくなかったんだ。俺達の方が入口に近いのもそれが理由」

 流石に今日だけの予定だが、ベートとしては納得できるモノでは無かったらしい。

 「もう一度言うぜ。シオン、お前はもう寝ろ」

 「いや、だが……不寝番は誰が?」

 「決まってんだろ。俺はもう十分寝たしな。さっきの戦闘音で起きただけだし、ちょうどいいから変わってやる。それに」

 「……それに?」

 「お前が寝不足で指示ミスって死んだ、なんて情けねぇにも程があんだろ」

 こうまで言われれば、ベートは本気だとわかってしまう。最後に言った言葉は照れ隠しなのだろう。

 「……ありがと。頼んだわ」

 「ああ。任せとけ」

 少し、肩の荷が下りたような気がする。

 何だかんだ疲れていたシオンは、吸い込まれるように自然と意識を暗闇へ落とす。ベートはシオンが完全に寝たのを確認すると、風邪をひかない程度に布から体を出した。

 それからベートは、シオンが起きるまで代わりに不寝番を務め続けた。

 

 

 

 

 

 ――ベートも、そしてシオンも気付かなかったが。

 「…………………………」

 実はもう一人、起きていたりするのだが……結局彼女は一言も話さなかったので、蛇足だろう。

 

 

 

 

 

 恐らく朝という時間帯になると、自然に全員が起き上がる。体内時計が完全に整っている証だ。頭をハッキリさせ、満腹にならない程度に飯を詰め込むと洞を出た。

 そして22層の階段へと足を向ける。

 元々22層目前というところにまで来ていたので、簡単にたどり着いた。シオン達は22層に来るとすぐに周囲を見渡し、警戒する。

 そんな折に、鈴がシオンへと問う。

 「そういえば気になっていたのだが」

 「何だ?」

 「シオンは何故、22層にまできたのだ? あたいっていう足手纏いを連れていきなりダンジョンに泊まるなんて正気じゃないと思うんだけど」

 ああ、とシオンは思う。そういえば目的を言ってなかったな、と。

 「今日ここに来たのは、とあるモンスターを見て欲しくってね」

 「モンスター……そんなにも手強いのか?」

 「ああ。上層にいる『新米殺し』の名前を継いだ『上級殺し(ハイ・キラービー)』って二つ名? で有名だよ」

 「その名前からすると、もしや蜂?」

 「そうそう。よくわかるね」

 「あんな感じの?」

 ピシッと鈴が指差した方向は天井。そこにいたのは、逆様になって天井に張り付いて羽休めをしている、黒くて、とても、とても大きな大きな――蜂。

 それこそ重鎧かと思うような硬そうで黒い攻殻。昆虫故に鋭角な体型(フォルム)だが、そこから感じる印象に優しさはなく、禍々しい。

 そして蜂であるが故に当然存在する、恐らく人間でいうところの口にあたる大顎、巨大な大鋏があった。

 だがこの蜂が有する物で最も存在感を放っているのは、その体の先端にある毒針だ。成人ヒューマンの平均的な大きさであるこの蜂は、当然、毒針もありえない大きさになる。

 正直に言おう。どんなに頑丈な鎧を着込んでも当たれば死ぬ。掠っても死ぬ。『耐異常』が無ければ毒でも死ぬ。

 まさに死のオンパレード。生き残りたいなら攻撃を避けて一撃を叩き込むしかないのだ、が。

 このモンスターが恐れられる最大の理由は、とても単純。

 ブ、ブブブッ、と羽休めをしていた蜂が羽を震わす。だが、それは一つだけじゃない。二つ三つと数は増え、とんでもない不協和音が生まれていく。

 鈴が見つけた蜂の名は『デッドリー・ホーネット』という。

 自然界の存在する通常の蜂や、ダンジョン内にいるリザードマン、ガン・リベルラと同じく――()()()()()()()()()()()()

 「……あんな――感じだな」

 思わぬ不意打ちに、シオンの声が引きつった物になる。

 ジャキン、という音が、羽ばたきの音に紛れて聞こえてくる。それはどう見ても、『弾丸』を装填した物にしか思えない。

 「で、シオン。どうするんだよおい」

 確認した限りでは数はあまり多くない。多分だが、なにかから逃げてきたのかもしれない。ただ問題は、

 『キュルァア!』

 羽ばたきの音によって引き寄せられる、魔物の群れ。

 「逃げてもデッドリー・ホーネットが目印になって引き連れるだけだ! おれが全力でデッドリー・ホーネットを倒すから、全員は他の魔物を足止めっ、頼んだぞ!」

 『了解!』

 「鈴はとにかく生き残ることを最優先っ、守ってる余裕なんて無いからな!」

 「承知した!」

 出し惜しみは無し。19層では使わなかった『指揮高揚』を使って全員の【ステイタス】を底上げしておく。

 「【変化せよ】!」

 後はもう、形振り構っていられない。

 遠くから接敵されるのは予想していたが、まさか羽休めされていた上に気配を絶っていたのは予想していなかった。シオンの落ち度だ。

 「【サンダー】!」

 雷速となってシオンは駆ける。

 今のシオンは獣。そう思って敢えて剣を抜かず、ほぼ天井付近にいる一体を壁を走って追い縋り貫手を作って首を抉る。

 ――まず一体。

 魔石を貫いた訳じゃないので、空中に留まる体を蹴って近くにいたもう一体へ。反動で地面へ落ちた死体には目もくれず、体当たりで腹へぶつかる。

 威力はないが、相当な帯電状態のシオンがぶつかれば感電する。トドメはベート達に任せてシオンはまた別の個体へ行こうとしたが、そこで全てのデッドリー・ホーネットの毒針がシオンへ向けられた。

 ――いいぜ。こいよ。

 挑発するように顔を歪める。その顔を崩そうと発射された毒針。それを視認し、死体から飛んだシオンは、()()()()()()体勢を変えて、デッドリー・ホーネットの群れの中心へ飛び込んだ。

 「【解放(リリース)】」

 とんでもない避け方に固まる彼等に、シオンは言う。

 「【雷電無双(タケミカヅチ)】!」

 威力は当然、無い。

 だが全方位に向けられた雷はデッドリー・ホーネットを襲い、攻殻の隙間から侵入し、その巨体を感電させて動きを止める。生きたまま落下したデッドリー・ホーネットは、運が良いものは生き残り、運が悪いものは頭から潰れて死んだ。

 「ハァッ、ッ、ァ――……」

 焦った。本当に焦った。

 もう少し数が多ければ、絶対に無理だった。速くモンスターを食い止めているベート達に参戦したいが、デッドリー・ホーネットにトドメを刺す必要があるし、消費した魔力を回復しなければならない。

 シオンは高等精神回復薬を取り出して飲み込む。それから瓶を片付けるのも惜しいとばかりに投げ捨てると、アイズ達の方を見た。

 いくらシオンがいないとはいえ、そもそもの地力で勝っている。油断さえしなければ、特に問題はない。

 これならデッドリー・ホーネットを倒してから行っても大丈夫だろう、そう思って視線を外しかけた瞬間だった。

 ゴウ、という音と共に、()()()()()()()()に炎が噴出した。

 「ア、アイズ――!?」

 

 

 

 

 

 アイズは油断などしていなかった。

 何時も通り冷静に、何時も通りに敵を倒す。上空にデッドリー・ホーネットというとんでもない敵はいるが、シオンは『やる』と言った。なら最低限の警戒を向ける以上の事はしないし、する必要もない。

 そして事実、シオンは全てを倒して――ほんの刹那、アイズは安堵した。

 それはどうしようもない隙になる。

 アイズが『下方から』熱を感じた時には、余裕を持って回避する術が無かったのだ。ほとんど反射的に足を前に向けてそこから逃れた瞬間、背中に熱を感じた。

 それが、恐らく23層から自分を狙った炎なのだと気づく間もなく、アイズはふと、ある事に気付かされる。

 ――私は、前にいた敵と斬り合っていた。

 そして今、アイズは前方に移動している。アイズは剣を前に出していて、結果的に、それがアイズの命を救った。

 ――あ、れ?

 だが、それは『命を』救っただけだった。

 衝撃にアイズの体が浮かび、今度は後ろへと体が流される。着地しようとして足を必死に伸ばしたものの、地面を押した感触は、無かった。

 ――もしかして、私は……。

 傾く体、モンスターの顔から体、足と見える範囲がどんどん落ちていき、最後には壁しか見えなくなる。

 ――落ちて、る?

 そう理解した瞬間、アイズの体は強張り、しかし、彼女には何もできなかった。

 だからこそ、もし彼女を助けるのであれば、第三者以外にありえない。

 ガシッと、彼女の体が完全に落ちきる前にその手が掴まれる。しかし落ちかけた勢いに急制動をかけられたアイズの腕には負担がかかり、ビキンと嫌な音が聞こえた。

 「い、っぁ……!?」

 「う、ぐ……」

 呻き声を上げながら何とか顔を上げれば、そこにいたのはシオン。

 けれど、その顔はほとんど見えない。光源が無いせいだ。そこでアイズは、自分がもう穴の半ば近くまで落ちていたのだと知る。

 「あ、ありがと、シオ……」

 礼を言いかけたアイズの口は、そこで止まった。

 ポタ、ポタタッという音と、何かがベッタリと顔に付着したからだ。それが口の中へ入り、とんでもない鉄臭さに顔をしかめ、同時に、それを察した。

 「シオン、もしかして血が……!?」

 アイズは最初に気付くべきだった。

 穴の半ば、捕まるところ、でっぱりがほとんど無い場所で、どうやってシオンが己とアイズの体を支えていたのか。

 答えは、体のほぼ全てで、だ。

 足の指先を、甲を、脛を、膝を、腿、腰を、上半身を、腕を、肘を、掌を。ありとあらゆる部分を引っ掛けて支えていた。

 だが多少デコボコした壁にそんな事をすれば、どんどん擦れる。その擦れは服を破り、皮膚を抉って血を流していく。アイズの顔にかかったのは、そんな血の一部。

 だが、暗闇に目が慣れれば、見えてしまう。

 ダラダラと流れ落ちる、シオンの血が。

 「シオン、ダメ。そんな事をしたら……!?」

 「うるっさい。ちょっと、黙ってろっ!」

 ――アイズが穴へ落ちていくのを見た瞬間、彼女を助けるために、シオンは荷物を全て投げ捨てて身を投げた。自分も巻き添えになるなんて考えもしなかった。

 壁に体を密着させて、彼女の手を受け取った瞬間は、とんでもない痛みがあった。それでも、耐える。

 「アイズだけが落ちるなんて、ダメだ……!」

 アイズは、気付いていない。シオンだけが気付いている。

 葛藤するシオンに気付かぬまま、アイズはどうやってシオンだけでも助けようかと悩んでいた。無理矢理振り解こうとしてもシオンごと落ちてしまう。それはダメだ、許容できない。

 思い悩む彼女の顔を見て、シオンは自身の葛藤を投げ捨てた。

 「アイズ、お願いがある」

 「シオ、ン?」

 「魔法を、使ってくれないか? それで、風の力で下から、上に」

 話すだけでも辛いのか、苦痛に歪むシオンの顔。だがそこまででもアイズには理解できた。風の力で自分の体を押し出して軽くするのだ。

 「【風よ(テンペスト)】」

 アイズの行動は速い。

 「【エアリアル】!」

 数秒と経たずに風を己の体に纏わせ軽くする。この間にシオンだけでも助けよう、そう思ったアイズだが――一歩、遅い。

 呼ばれて見上げたアイズ。

 「必ず助ける、アイズだけでも」

 「え?」

 そこで見たのは、今まで見たこともないくらい優しい笑顔を浮かべた、シオン。その顔が、最後に見た母の顔と重なる。

 「ダメ、そんなの――!?」

 暴れかけたアイズだが、その前に、グイッと体が持ち上げられる。だがありえない。今の状態で持ち上げるには、必ず何かの代償がいる。

 自身の横を、何かが通った。

 それがシオンの体だと、すぐに気づいた。

 アイズの体を持ち上げる、その代償に、シオンは己の体を落としたのだ。

 「ちょっと痛いけど、我慢して」

 耳に届くそんな言葉。

 「【変化せよ】」

 シオンの魔力が膨れ上がる。下を見たアイズは、シオンの瞳に射抜かれ動きを止められる。どこか満足そうに笑いながら手を突き出した格好のシオンの手には、渦巻く魔力。

 「【インパクト】!」

 そして、放出される。雷はほぼ無く、アイズを守る下方の風にぶつかり、衝撃が襲う。その衝撃のままアイズの体は浮かび上がる――そう、()()()()()()

 反射的に目を閉じたアイズは、意思の力で目をこじ開ける。

 「シオン……?」

 だが、そこにシオンの姿はない。

 アイズを一瞬持ち上げるために、シオンはその体を落とした。

 なら――アイズを穴から叩きだすには、どれだけの代償を必要とした?

 その答えは、もう、豆粒のように小さくなっていく、シオンの姿が示していて。

 「イ、イヤアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァ!??」




申し訳ありません、素で更新日時間違えました。本当は昨日でしたね、投稿。気付いたの今日の0時でしたので諦めて今日に変えました。

ほのぼのの後には超シリアス。まぁ、今までの話し見てくれてた読者様方にはもうおわかりだと思いますが。
落ちたのは『アイズにとっての光』って事でシオンです。

次回はこの状況からスタート!
取り残されたベート達、そして自分を助けるために代わりに落ちたシオンを見たアイズはどうなるか。

タイトルは未定。それと次回か次々回か、個人的な事情で休む可能性があります。申し訳ない。
ではまた次回。


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少年達の信頼

 少女特有の甲高い声音は、モンスターの悲鳴入り混じるダンジョンでも、よく響いた。そう、何か大切な物を失い、絶望を色濃く宿した、少女の悲鳴が。

 その意味は全員が即座に理解した。させられた。

 ――シオンが落ちた。

 あの炎によってアイズが落とされたのは知っていた。なのに今アイズはそこにいて、助けられるような人間は一人しかいない状況で。

 わからない、なんて現実逃避が通じるはずがない。

 ベートはモンスターの相手をしつつ周囲に視線を走らせる。

 『シオンが落ちた』という状況で、それを知ればアイズの次にヤバい相手。

 「ティオナ!」

 「……ッ」

 表面上はいつも通りに大剣を振るっているように見えるが、ベートにはわかる。どう見ても無理をしていると。

 「私は大丈夫! だけど……っ。ちょっと周りを見てる余裕は、無い!」

 内心は不安で心配でどうしようもないはずなのに、気丈に振る舞う。ベートとしては、そんな今にも泣きそうなくらい細められた目を見せられたら信じきれないのだが。

 「安心しなさい、あの子の危ないところは私が支えるから」

 片手で湾短刀(ククリナイフ)を、もう片方の手で投げナイフを構えながらティオネが言った。このメンバーの中では比較的ショックを受けていないらしいティオネは鈴へと目を移らせる。

 「あっちの世話もしてあげる。……何分稼げばいいのかしら?」

 ベートの『意図』を何となく察しているらしいティオネが、普段は絶対にしないウィンクをしてくる。その冗談めかした動作は、すぐにでも押しつぶされそうな雰囲気の中で、ある種の清涼剤でもあった。

 「一分だ! 一分だけでいい!」

 「あら、そう? ならその一分、全力で稼いであげる。鈴、あなたは私の後ろにいなさい! 前はティオナだけでいいから!」

 「了解した!」

 『不壊属性』を利用し、刀を盾に使うという暴挙をしていた鈴が下がってくる。当然それに追い縋るモンスターを、入れ替わったティオネが湾短刀で切り裂いた。

 血を噴き出して倒れるモンスターには見向きもせず湾短刀を振るい、血を拭う。

 ベートからは見えない方の目が、歪に見開かれた。

 「――殺す」

 ()()()()()()()()ティオネが、口の中で小さく呟く。

 そして『時間稼ぎという名目の殲滅』を、開始する。

 一方でアイズは、シオンから助けられてから一歩も動いていなかった。受け身すら取らずに地面に叩きつけられ、しかし痛みに顔をしかめる事もなく身を起こし、現実を再認識して、絶望のままに瞳を揺らがし続ける。

 ――シオンが。

 視界が揺れるのは、無意識で体がガタガタと震えているせい。

 ――私の、代わりに。

 それでも感じ取った気配に顔を上げると、リザードマンがちょうど剣を振り上げている姿が。

 ――落ちた……。

 だが、アイズは動かない。いや動けない。凍りついた心が、体を縫い止めてしまっている。むしろその剣を断罪の剣だと思ったのか、アイズは己の首を差し出すように頭を下げた。

 「――っざけんじゃねぇ」

 それを、アイズを助けるために走り出していたベートは見ていた。その顔は今までに見たことが無いくらい怒りに満ち満ちていて、額には血管が浮き出ていた。

 「自分から命を投げ出すなんて甘えた真似してんじゃねぇぞぉ!?」

 怒声なのか悲鳴なのか区別もつかない声をあげながら、ベートはリザードマンの首を落とす。血が服に付着したが、ベートは気にせずアイズの襟首を引っ掴むと、思い切り引っ張った。

 無理矢理引っ張られ、結果的に首を絞められたアイズは息苦しさに顔を歪めたが、ベートの顔を見て文句さえ言えない。

 「一度しか言わねぇから、その耳よ~くかっぽじって聞けよ……」

 胸中では色々言いたい事があったベートだが、その全てを飲み込み、今最も重要な事を告げた。

 「シオンは、生きてる」

 「え?」

 本来であれば、何を言ってもアイズに意味は無かっただろう。だが、この言葉だけは、何よりアイズに効果があった。

 光を失いかけていた瞳に火が灯る。死んでいた体に活力が漲る。先程までの死に体はどこかへ消え去っていた。

 しかし疑問は残る。

 ――その根拠は? と

 「俺達の背中に宿る『恩恵』に意識を集中させろ。シオンのかけた『指揮高揚』は、まだ効果が残っているはずだ」

 勿体ぶらず、ベートは簡潔に告げる。

 「もしシオンが死んでいたら、このスキルは消えているんだからな」

 「……!」

 『スキル』と『魔法』には共通するところはほぼ無いが、実は一つだけ、同じところがある。それは意識しなければ発動できない、ということ。

 当たり前だと思われるかもしれないが、実はこれが重要だったりする。

 特に、シオンやアイズのような『持続型』においては。

 シオンの指揮高揚は単発の命令については、それをこなせば効果が消える。だがあまりにも意味が広い命令では、特定条件でなければ効果が消えない。

 わかりやすく言うと、シオンがさっき鈴にかけた『生き残れ』という命令は、その特定条件を満たさない限り、消えないのだ。

 一つ目は、指揮官であるシオンが命令を取り消すこと。当然だ、命令を出せるのなら取り消すのは容易。

 二つ目は、シオンが眠る、あるいは気絶する。要するにシオンの意識が途切れると、スキルの発動も切れて指揮高揚の持続効果は意味を成さなくなる。

 それは言い換えれば、シオンが死んでいない、という意味でもある。

 死んでしまえばその背中にある『恩恵』はただの『文章』になるだけ。スキルも魔法も、そこに存在しただけに成り下がるから。

 瀕死に近い状況かもしれないが、とにかくシオンは生きている。

 「だがな、ここでちんたらしてればシオンを助ける方法はどんどん無くなる」

 シオンが落ちた先にモンスターがいないとも限らない。あのバカの事だ、何とか凌げていているだろうが、それにも限度はある。

 「……ベート。私は、何をすればいいの?」

 そこに思い至ったのかどうかはわからないが、アイズはベートに問うた。

 「クソモンスター共を、全滅させろ」

 とてもわかりやすい答え。

 「わかった」

 それに対し、アイズも一言だけを返した。

 発動させっぱなしの魔法を体に纏わせる。立ち上がり、剣を握り直し、構えた。その瞳はかつてない程に鋭く、剣先は揺らがず、身体を支える風は淀みない。

 「……邪魔、消えて」

 鬼神となった少女が、全てを置き去りにしてモンスターを斬り殺す。

 彼女を止められる者は、モンスターにも、人にもいなかった。

 無茶としか言い様がない戦い方ではあるものの、結果的に数分と経たずアイズは敵を全滅させてしまった。しかし無茶がたたり、肩で息をしている状態だ。

 それでもアイズは、さっき言われた『シオンを助ける方法』を聞くためにベートのところへと足を向ける。そのベートはと言うと、大人の拳くらいに大きな石ころを手に取っていた。そしてポーチから取り出した布を引き裂くと、石ころに縛り付ける。

 一体何をしているのかと思ったが、ベートの目が真剣すぎて聞けなかった。仕方なく待っていると、ベートはいきなりその布に火をつける。

 ボワッと燃え広がるその石ころを掴む手は相当熱いはずなのだが、ベートの表情に変化はない。ベートは火が燃え尽きないのを確認すると、シオンが落ちていった穴に放り込む。そしてすぐにしゃがみこむと、落ちていく軌跡を見つめ続けた。

 その間にティオナと鈴は魔石とドロップアイテムの回収を頼んである。アレでティオナはまだ精神的に動揺している。何か作業をさせておいた方がいい。

 ティオネはシオンが放り投げたバックパックを持ってきた。

 「……チッ、やっぱりか」

 『石ころがどこで止まったか』を見終えたベートが舌打ちする。それに対し、荷物を持ってきたせいで見られなかったティオネが首を傾げた。

 「何がやっぱりなの?」

 「この穴の先は23層じゃない。25層だ」

 「――は?」

 「……え?」

 ティオネはありえない事を聞いたと不可思議に、アイズはピシリ、と固まってしまった。しかしベートの視線の先は、数十M下を見続けるのみ。嘘は無かった。

 「え、それじゃまさか……シオンは地図を覚えてない場所に落ちたっていうの!?」

 「そうなる。アイツが覚えてるのは24層から25層に続く階段までだ。25層自体の地図は、頭の中に存在しない」

 それを聞いて、アイズの意識は遠のきそうになった。体がフラつき、その場に崩れ落ちる。咄嗟にティオネが支えたが、その顔は青褪めていた。

 「だから、俺達は今すぐ18層に戻る必要があるんだ」

 「戻るって、ベート」

 「話はティオナが戻ってからだ。二度も話す理由は無い」

 ティオネからバックパックを受け取ると、ベートは中身を確認する。大体の物は無事だったが、どうしても割れ物である回復薬の類はほとんど全滅していた。無事なのは数本程度。

 ――シオン、投げるにしても程度を考えろよ。

 どれだけ焦っていたんだと内心呆れながら、唯一割れないようにしていたために無事だった万能薬六本を取り出す。ついでに砥石や食料も。

 「今あんたがやってるのと、シオンを助けるのは繋がってるの?」

 その作業はどう見ても今する必要はない。モンスターの襲撃を考えれば、さっさと逃げて然るべきなのだ。

 「必要かもしれないし、そうじゃないかもしれない。……待ってろ」

 ただし待つのは三分だけだ、そう言ってベートは腰を下ろした、その瞬間だった。

 穴の底から全てを貫くような、稲妻の閃光が駆け抜ける。その魔法はどう見てもシオンが使っている『変幻する稲妻』だった。

 「……やっぱ生きてんじゃねぇか」

 何とも無いように振る舞っていても、本当は心配していた。即座に返答が来なかった時は、自分の考えが間違ってるんじゃないかとも思ったくらいだ。

 誰にも見られないよう安堵の息を吐き出すと、ベートは自分が付けていたポーチの中に、先程取り出した少量の回復薬、それと万能薬を四つ。砥石と食料を詰め込むと、穴の中に落とした。

 きっと、シオンなら無事に受け取るだろう。

 「これでいい。シオンを助ける前提条件の一つはクリアしたからな」

 如何にシオンであろうとも、流石に何の荷物もなく25層で戦い抜くのは不可能。それはシオンもベートもよくわかっている。

 だからベートは、シオンならある程度の時間そこから動かないと察していた。察していたから石ころを落とし、落ちた階層の確認と、シオンがいるなら必ず返事を寄越す作業を同時にこなしていたのだ。

 「後は18層に戻るだけだ。ティオナ達の方も終わったみたいだしな」

 ちょうど作業を終えたティオナと鈴が魔石とドロップアイテムを抱えて戻ってきた。それをバックパックに入れてもらい、ティオネに背負ってもらう。

 それを見て立ち上がったベートは歩き出そうとしたが、すぐに止まった。

 「……アイズ、言いたい事があるなら今ここで言え」

 何度も25層へ落ちる穴を見るアイズに、これじゃまともに戦えないだろうとわかったベートが聞いた。

 アイズは何度か躊躇したが、それでも意を決して言う。

 「ベート。私も25層に行きたい。シオンのところに……行きたい」

 「ダメだ」

 それが叶わないのは最初からわかっていたのだろう、泣きそうな顔で、だが諦めたように俯いてしまう。

 言い方ってもんがあるでしょと、その肩に手を置いたティオネが睨みつけてきたが、気にせず続けた。

 「お前じゃシオンの足手纏いになる。なんでかわかるか?」

 「あ、足手、纏い?」

 「ああ。ちなみにお前だけじゃない、俺達全員、シオンの足手纏いだ」

 余りにはっきりと断言され、言葉を失うアイズ。数秒待っても答える様子が無かったので、諦めた様に息を吐くと、言った。

 「あいつと俺達じゃ方向性が違うんだよ。唯一シオンに付いていける可能性があったのは、鈴くらいだろうな」

 「は? あたいが、かい? いや無理だろう」

 咄嗟に否定したが、ベートはあくまで可能性と言っただけに気付く。そしてよくよく考えてみれば、そんな話をつい最近聞いたような気がした。

 「いや、待ってくれ。確か、アレは……『勝ち残る』力と『生き残る』力、だったような」

 「ちゃんと覚えてたのか、そうだ、俺達は前者で、シオンと鈴は後者。……これ以上の時間は使えない、道中で説明するぞ。納得できなくてもついてこい!」

 本当は一分一秒でも惜しい。だがアイズがあの調子では途中で絶対に躓くからと仕方なく話し相手になったが、もう無理だ。

 少なくともある程度の理解はしてくれたのだし、後はもう、道中で説明していくしかない。

 「……死ぬなよシオン。死んだらぜってぇに許さないからな……ッ!」

 

 

 

 

 

 ちょっとだけ時は遡り、落ちるシオンは、死にかけていた。

 いくらLv.3とはいえ、高所からかなりの速度で落ちれば普通に死ぬ。体が保たない。だからシオンは、体の向きを変えると仕方なしにもう一発魔法を使った。

 アイズに撃ったのと同じインパクトの魔法。その衝撃はシオンの小さな体に途轍もない負担をかけたが、大部分を減速できた。

 しかし、25層まで落ちるというのはシオンの思っていた以上に距離があったらしい。何とか受け身は取れたが完全にはできなかったし、何かが割れる嫌な音も腰から聞こえた。

 「……い、た……ッ」

 体がガタガタと震える。それは寒さでも何でもなく、痛みのせいだ。シオンが己の体を見下ろしてみると、血だらけだった。下半身についた小さな石を手で払い、その途中ふと気付く。

 アイズの手を取った時に彼女と自分を支えた方の手。その手の爪が割れ、指先に刺さっている。これを放っておく事はできない。シオンは意を決して、割れた爪を引き抜いた。痛みに悲鳴をあげそうになったが耐え抜いた。

 若干貧血なのか、揺れる視界に耐えずに背中を壁に預け、崩れ落ちる。それからポーチの中身を確認したが、やはりというべきか、割れている。

 比較的無事なものでも、罅が入ってそこから地味に漏れ出ている。すぐに使うべきだろう。残っていたのを全部飲んだが、それでも体力も魔力も全快には程遠かった。良かったことがあるとすれば、血が止まった事くらいか。

 目下やらなきゃいけない事が終われば、考える余裕も出てくる。そして、考えるのがリーダーとしての仕事だったシオンは、ベートの手助けの可能性をまず信じた。

 ――ベートはいつもおれの意見を否定して、それが間違っていないかを確認していたから……気付いてくれるかな。

 反対意見を言えるのは、シオンの思考を理解できるからだ。だから彼に期待して、シオンは一先ずここに留まると決めた。

 次に考えるのは、なんで25層まで落ちるような穴があるのかということ。

 本来ダンジョンに点在する落とし穴は罠のようなものだ。偶然上と下の落とし穴が重なって2層連続落ちる時はあるが、3層を貫いているのはありえない。

 ――あの炎は、どう考えても魔法だった。

 しかし、そこに『人の手が加わった』という前提があれば話は別。思えば19層の最初にあったあの『怪物進呈』も、そいつ等が原因かもしれない。

 そう、『等』だ。これは単独犯じゃない。シオン達の監視をする者、25層までの穴を作る者、そしてタイミングを見計らって23層から22層に魔法を放つ者。

 どうして狙われたのかはわからない。『ロキ・ファミリア』だから、アイズが最短記録を持っているからか、もっと別の理由か。

 ただ何となく、ではあるが、これをした集団の名前は、当然のように理解していた。

 「『闇派閥(イヴィルス)』……!」

 どうして今になってと思うが、考えたところで意味はない。

 思うのは、アイズじゃなくて自分で良かったということ。アイズが落ちれば、彼女が助かる可能性は無い。シオンとアイズの二人でも同じ。

 シオン一人だからこそ、生き抜く可能性が出てくるのだ。

 何故なら、

 「そりゃま、来るよな」

 視界の先に見える、モンスターの集団。恐らく『怪物進呈』だ。19層と同じ。

 アレは本来パーティが助かるために行われる事だが、それだけじゃない。恨みを持った相手にモンスターを擦り付けて、そのモンスターに殺させれば、モンスターを引き連れる事以外にはほぼリスク無しに相手の命を奪える。

 アイズを殺すつもりなら、そうするのは当然。彼女はLv.3、ただ落ちた程度で死ぬとは相手も考えていなかっただろうから。

 シオンの思考が冷えていく。アイズを殺そうとした相手に対して。けれど、その感情は表に出さないようにした。隙になってしまう。

 だが、溜め込むつもりはなかった。

 「八つ当たり、させてもらおうか」

 魔法はこれ以上使えない。

 けれど、一本の剣があればそれで十分。

 だってシオンは、パーティ最強なのだから。

 とはいえシオンもすぐに倒しきれるとは思わなかった。モンスターを使って殺すつもりであれば間断無く引き連れてくるだろうと思っていたし、ダンジョンから産み出される事も想定しておかなければならない。

 ベートの手助けを待つにも限度があるから、ある程度経てば逃げよう――そう考えていたのに、そのどちらも起きなかった。

 「……何が、したいんだ?」

 相手の思考が理解できない。どうしてもアイズが殺したかったとかにしても、ここでシオンを殺さない理由にはならないからだ。

 しばらく警戒していたが、やはり何も起きない。相手の不可解さには納得できないが、無意味な警戒は体力を消耗するだけだ。そう割り切って、シオンは壁に寄ってまた背を預けた。

 爪が割れた方の手を何度かぶらぶらさせる。とにかく違和感が凄い。その違和感を誤魔化すように手を揺らした。

 『アリアナ、話せるか』

 『……話せるよ。表には出ない方がいいよね』

 しかし心の内では、風の精霊である彼女と会話している。今のシオンとアリアナは、胸中だけで思考のやり取りをする方法を身に付けていたのだが、それが役に立った。

 『シオンが聞きたいのって、ここから22層に戻れるかどうか、でしょ?』

 今までシオンをずっと見てきたアリアナは、さっさと本題に入ると聞きたいことの核心を突いてきた。

 『ああ。おれの魔法とアリアナの力を合わせればと思ってな』

 『結論から言えば、できるよ』

 アリアナが言うには、シオンの魔法と上手く噛み合うように力を使えばできる、らしい。ただそれをするには、大きな前提条件があった。

 彼女の同意については、問題ないらしいが、もう一つ。

 『――忘れてないよね。私の力を使うための誓いを』

 『忘れてないさ。……忘れられない』

 そう、シオンは風の精霊の力を『他者のために』使うと決めていた。その場合に限り、何の代償も求めない、と。

 だが今回のこれは完全に自分のため。

 もしシオンの望み通りの結果を求めるのであれば、多くの魔力を持っていかれるだろう。それはきっと、あの現象を引き起こす。

 話の続きをするために意識を集中させようとしたシオンは、ふと頭上から何かが落ちてくるのを感じた。

 見上げると、それは炎を纏った石ころ。多分、落としたのはベートだ。シオンが落ちていった階層の確認と、『いるなら返事をしろ』という意味を含めたもの。

 あまり、話していられる時間は無さそうだ。

 『持ってかれる魔力の量は?』

 『残っているの全部と、多分、少しだけ寿命もいるかも』

 それを聞いて、シオンはガリガリと後頭部を掻いた。

 ――それだと『精神疲弊(マインドダウン)』にしても酷い事になりそうだ。

 『精神疲弊』、それは魔道士において何よりも避けなければいけない現象。魔力を全て使い果たした魔道士は気絶するという、当たり前だが、しかし何より怖いこと。

 軽度であれば数時間の気絶ですみ、後遺症もほぼ無い。だが重度の精神疲弊は数日間目覚めないのも普通で、起きた後もかなりの倦怠感に付き纏われる。

 仮にここから戻れたとしても、シオンは戦えない。鈴以上の足手纏い。

 シオン達のパーティは6人。鈴をカバーするために1人いるから、まともに戦えるのは実質4人だけ。だがシオンが気絶すれば、シオンを背負う者が出るため戦えるのは2人のみ。

 無理だ。19層以降のダンジョンは、そんな状態で生き残れるような甘い場所じゃない。

 ……そう、ここでシオンの悪癖が出てしまう。

 自分の命と仲間の命を天秤にかけた場合、どちらに傾くのか。今更言うまでもない、後者だ。自分よりも大切な人の命を優先してしまう、変えられないシオンの性。

 結論は出た。

 『……いいの?』

 その言葉の意味を、シオンはよく理解していた。

 「【変化せよ】」

 『ああ、これでいい』

 『一度でも使えば、もう戻れないんだよ』

 『知ってる。悪いな、付き合わせて』

 シオンとアリアナは一心同体。まぁシオンが死んでもアリアナは死なないが、それでも困る事になるだろう。

 そういう意味で言ったのではなかったが、アリアナはシオンを止められない。

 『……今更だよ、そんなの』

 『ありがと』

 だから、彼女にできるのは背中を押すことだけ。それに少しだけ表情を緩めたシオンは、上を見上げて手を差し出した。

 「【貫くは一条の閃光。想い届かせる雷鳴の光】」

 行く先は、何だかんだ助けてくれる、あの生意気な狼の元へ。

 「【サンダーボルト】」

 収束する雷が、一つの線となってベートの元へと駆けていく。

 ……これで、シオンは自力で戻れなくなった。

 精神回復関連の回復薬はシオンしか持っていない。バックパックにもあったような気がしないでもないが、まぁ、無理だろう。

 アイズを助けるときに放り投げたが、何かが連続で割れるような音が聞こえていたから。

 とりあえず落ちてきたポーチを掴むと、今まで付けていた物は取り外して投げ捨て、代わりに腰に巻きつける。

 シオンは一度上を見上げる。

 ――ベートは、助けるために動いてくれてるのかな。

 できれば自分を助けるよりも、多分放心してるアイズを守ってほしいのだが、落ちたシオンにはもう関与できない。

 今は、自分が生き残る事を考えなければいけないから。

 『アリアナ、話し相手、なってくれる?』

 『うん。私ならいつでもいいよ』

 シオンの本心。

 それを感じ取ってしまうアリアナは、だからこそ、普段通りに振る舞う。

 『それじゃ行こうか』

 そうする事こそが、シオンを生きながらえさせる術だから――。




という訳で今回は女性陣よりも男性陣――というかベートメイン回。一応ティオネも指揮できたりするんですが、どっちかというとベートのが得意です。
シオンの反面教師的な役割に立っていたせい。結構前に同じ文章突っ込んでましたが、アレがここの伏線だと予想できた方はいたのでしょうか。

シオンを助ける前提条件は今回、次回はベートがシオンを助けるための方法説明と、シオンが25層でどんな行動をしているかについてになる、かも。

とりあえず次回をお楽しみに!


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力の方向性

 先頭を行くベートの短剣が、全長二Mを越す猪『バトルボア』の眉間に突き刺さる。元々ベートに体当たりしようとしていたバトルボアは、その勢いによって自ら当たりに行く結果となった。しかしベートはその結果等気にも留めず、魔石も回収せずに走り続ける。

 それは21層からずっと続く光景だった。時折交戦するも、大半を無視し、どうしても邪魔な奴だけ倒していく。勿論魔石やドロップアイテムを拾う暇なんて無いが、今は多少の金銭よりシオンの命が優先だ。

 「後ろからモンスターは来てるか!?」

 「来てるわよ! 途中ではぐれても、それ以上に増えてるんだから!」

 やっぱりか、と思いながら一度舌打ちする。今彼等がいるのは19層手前。流石にこれ以上引き付け続けるのはマズい。自分達が『怪物進呈』で誰かを殺すのは後味が悪すぎる。

 「仕方ねぇ、一度ここで奴等を全滅させ――」

 「必要ない。【目覚めよ】――【エアリアル】!」

 ベートの意図を察したアイズが、一秒でも止まるのが惜しいとばかりに()()取り出す。え、と誰が言ったか。全員の視線が鈴のところへ集うも、彼女は疲れを滲ませた顔を横に振るだけだった。

 ――ああ、盗られたのか。

 そう察するのは簡単だった。

 まぁ悪くない選択だ。アイズは刀を使えないが、それでも単に『振るう』だけなら問題はないだろう。第一線でも通じる刀、その切れ味に彼女の風を付加すれば、どうなるか。

 それこそ紙を切るかのように、敵を真っ二つにしていくだけだ。

 明らかなオーバーキル。こんな光景をフィンが見れば説教は免れない。武器に頼れば弱くなるという言葉を認識させてくれるような光景だ。

 「ハー……ハァー……」

 だが、それをする為にはアイズの体力をかなり消耗させた。22層から19層付近まで戻ってくるのにかかった時間は八時間強。その間休んだのは一度も無く走り通しだ。男で元々走るのが仕事のようなベートはともかく、他はかなり厳しい。

 「アイズ……無茶しすぎだよ」

 唯一まだまだ行けると判断できるのはティオナのみ。戻ってきたアイズに取り出した万能薬を渡したが、反対意見は出なかった。

 それだけアイズの顔は張り詰められていて、追い詰められているのだ。

 「無茶は承知の上。だけど、今無茶をしなきゃ、私は絶対後悔する。だから、無茶させて……お願いだからっ」

 万能薬を飲み終えて、体力が戻ったはずなのに、暗すぎる顔がそう思えさせない。ティオナとしても同じ状況になったら同じような想いを抱くだろうというのは容易に想像できたので、大きな事は言えず、慰めすらかけられなかった。

 「どうすんのよベート。もしこれで本当にシオンが死んでたら……」

 「言いすぎたのは自覚してる。それと、そういうのはわかっていても言うな」

 かつてベートは再三にわたってアイズに『シオンの鎖になれ』と言い続けた。その影響もあったのかもしれないと思うと、胸に苦いものが込み上がってきた。

 後シオンが死ぬ、という言葉は縁起が悪すぎる。アイツはいつ死んでもおかしくないような人間だから、その姿が簡単に思い浮かぶから。

 「鈴、背中の『指揮高揚』はまだ持続しているな!?」

 「ああ、まだまだあっついよ。シオンはまだ死んでない」

 曲がりなりにも鈴が彼等のスピードについてこれるのは、それがあるからだ。持続がほぼ無制限の『指揮高揚』があるからこそ、全員が力を振り絞れる。

 何より――アイズの心の支えになっていた。

 「ならいい。後は19層だけだ! 最後の力振り絞って走れよ!?」

 思い思いの返事をしながら、また駆け出す。

 ベートを先頭に、ティオナ、鈴、ティオネ、最後尾はアイズと続いていく。だから、その言葉を聞けた者はいない。

 「18層に着けば、シオンを助けに行ける……行けるんだから……!」

 

 

 

 

 

 アイズがその話を聞いたのは、21層へ戻ってすぐ。まだモンスターと一戦もしていない時の事だった。

 「ねぇベート。なんで18層に戻るの? フィン達を頼るなら地上に行くはずだし」

 敢えて尋ねたのはティオナ。アイズの心境が誰よりわかる彼女だからこそ、限界が近いのだと理解できた。

 「そっちもきちんとやるよ。だがそっちは時間がかかりすぎるだろ。地上に戻るのに一日近くかかるとして、戻ってくるのは――フィンだけなら半日か? ……無理だろうな」

 行ったことすらない25層で、シオンが一日半も生き残れるとは思えない。三桁以上のモンスターをたった一人で薙ぎ払うには、シオンの力量が不足し過ぎていた。

 「そもそも大方の予想なら姉貴もできてんだろうが」

 「え、それ本当?」

 「……まぁ、本当に大雑把程度には。そうね、教えるのもいいけど、空気を変えるためにもクイズ形式で。もちろんヒントはあげるわ」

 何だかんだシオンとベートを支えてきたティオネは、二人程ではないまでも、作戦の補佐くらいはできる。

 それ故にわかってしまう、今の『空気の悪さ』。それを解消しようとおどけながら言うも、余り意味はなさそうだ。アイズの纏う雰囲気が、全てを悪い方向へ持って行ってしまう。

 「ヒント。ベートの言う『18層』には何がある? それが全ての答えよ」

 しかしそのままにしておく理由はない。胡乱気にティオネを見つめるアイズの視線を全て無視して、鈴とティオナにヒントを与えた。

 「……『リヴィラの街』。冒険者のための街か」

 答えたのは、意外にも鈴だった。19層へ行く寸前に見たあの街の景色を強く残していた鈴だからこそ即座に答えられたのだろう。

 そして、答えがわかったのならアイズとティオナも『その先』が見えてくる。

 「あの街は17層以前の冒険者が多い。だけど、19層に潜る人達もいる」

 「それじゃベートは、その人達に頼ろうと?」

 「ああ。ちょうど遠征に来るような強い冒険者がいるとは限らないが、だからといってリヴィラの街に寄らない理由はない。もしあそこに誰かいて、力を貸してくれれば、その分の時間が短縮できるんだからな」

 勿論、罠の警戒はしなければいけない。誰も彼もが善人だなんて、甘っちょろい想像はしていない。とはいえその辺はティオネに任せる予定だ。

 「今持ってるこのバックパックだって、その前報酬予定だしな。雀の涙かもしれないが」

 自腹を切ったっていい。今まで貯めた財産を手放す覚悟もある。

 そうあっさり決意できる程度には、シオンに対して友情を抱いているベート。

 「細かい疑問は置いておけ。助けたいのなら――他の全てを捨てる覚悟を持ち続けろ」

 

 

 

 

 

 ――そして、やっと18層に着いた。

 ベートが当初立てた予想よりも大幅に短縮された時間で、だ。代わりに全員の体力はほぼ限界に近く、今にも崩折れてしまいそう。

 ――これ以上は、限界だ……。

 自身も息を荒らげながらそう判断する。

 「おい、そこの大樹の影に隠れろ! そこで三十分……いや十五分だけ休憩だ!」

 「そんな時間……いら、ない。私はまだ、動ける」

 その提案に真っ先に反対したのはアイズだった。当然か、『シオンを助ける』、そのためだけに一番動き続けていたのだから。

 ベートとしてもその案を受け入れたいところだが、無理だ。

 「その状態で、後十二時間も動けんのか?」

 現実的な問題として、体がついてきてくれない。もしも冒険者の集団がいて、その人達全員が即座に動けるならいい。だがそれが無理なら、一人だけ借りるという状態になれば。

 体力のないアイズ達の方が、今度は動けなくなる。

 「シオンも、フィンも、リヴェリアも言っていた事だ。『最悪を考え続けろ』ってな。事が上手く運ぶなんて甘ったれんな。わかったらさっさと体を休めろ、この時間が無駄だ」

 「ッ……!!」

 ベートの言葉に無理矢理自分を納得させるアイズ。だが納得できない部分が唇を噛み締めさせていて、そこから血が出てきた。

 痛み以外の感情故に涙さえ流しながら、言う事に従って座り、息を整える。

 誰よりも心に激情を宿しているはずのアイズが従ったからか、思うところはあるものの、各々座り始める。

 その中で一人、少し遠くに座ったベートは思う。

 ――俺一人嫌われ者になる程度でシオンが助けられるなら、安いもんだ。

 元々独りだったベートだ。今更嫌われたところで、思うところなんて無い。

 ――また独りになるだけだ。そう……それだけなんだ。

 無意識の内に腕を掴んでいるのに気付かぬベートはそう独りごちる。

 「……ッ」

 その所作が全てを示しているのに。そこから目を逸らして、強がる狼。

 「ったく、何離れたとこに座ってんのよ」

 「あ? ティオネ?」

 そんなベートの腋に手を入れ、立たせようとしたのはティオネだった。何故かその目には呆れの色が色濃く宿っていて、その目が見れるのに、どうしてか酷く安心する。

 「そんなに離れてちゃモンスターの襲撃があった時に反応しづらいでしょ」

 「そう考えるより、女だらけの中に交じるのが嫌だったんだよ」

 「ハァ、妙なところで妙な事を。……普段のあんたなら気にもしないくせに」

 いいから来なさい、と無理矢理引っ張られ、渋々といった体でベートは皆のところに戻る。ハ、と息を漏らすと、アホらしいとばかりに頭を無造作に掻き毟り、その場に座った。

 樹の幹に背中を預けて体を脱力させるベートの横にティオネも座ろうとした瞬間、

 ――ありがとよ。

 「え?」

 何かが聞こえた気がしたのだが――その時にはもう、ベートは目を瞑っていた。

 ――会話がない。

 全員が座り込んでから、まだ五分と経っていない。なのに妙に重苦しい雰囲気のせいで、居心地が悪くて仕方がない。それは誰もがわかっていたのだが、だからといって何を言えばいいのか、わからなかった。

 その発信源など最早言うまでもない。しかしこのままではドツボにハマって精神的な疲労が回復しなくなってしまうと感じた鈴が問いかけた。

 「そういえばベートよ、シオンを追いかけようとしたアイズに足手纏いになると答え、方向性が違うと言ったのは何故なのだ?」

 「あん? まぁ、今は休む時間だから別に話してもいい、か」

 鈴の意図を察し、憎まれ口を叩きながらもベートは時間までの暇潰し程度に語りだす。それはその事を疑問に思っていたアイズの注意を惹き付けるには十分な話題だった。

 「そうだな。変な説明するよりも、例え話でも交えてみるか」

 「例え話って、何よ」

 「黙って聞け。――一つ質問だが、もしシオンとアイズが同条件――持ってる武器、『恩恵』、戦闘経験全てがほぼ同じくらい。相手するのは自分よりある程度強いモンスター。シオンとアイズ、勝つならどっちが先だ?」

 いきなりな質問であった。ベートの意図が読みきれず眉を寄せながらも、しかしその内容は吟味している。

 鈴だけは二人の力量差を把握しきれていないので、申し訳ないがしばらくは聞くだけになってしまう。鈴は気にするなと手を振ってくれたが。

 それはさておき、今のシオンとアイズそのままなら、先に勝つのはシオンだろう。

 だが、それが同条件となれば話は別になってしまう。

 「アイズ、でしょうね」

 「アイズだね」

 「……私かな」

 才能、というモノ。決して越えられない領分。

 シオンは世間一般的に見れば天才。だがその本質は圧倒的な努力によるもので、精々秀才と呼ぶのが本当のところだ。

 反対にアイズは紛れもない本物の天才。剣という分野に関して、彼女はこの場にいる誰よりも輝くモノを秘めている。

 だから、紛い物の一流にしかなれないシオンと、本物の一流であるアイズでは、同条件で戦えばどう足掻いたとてしてもシオンは勝てない。

 「その点については俺も同感だ。なら、ここに一つ条件を追加しよう。そのある程度強いモンスターと一対一を連戦し続けた場合、最終的に多く倒せるのはどっちだ?」

 全員わかりきっている事だったが、更に付け加えられた条件。

 ――最終的な討伐数?

 頭の中で疑問符を浮かべながら、悩む。この問いの答えはあるのかと思ってしまったくらいだ。

 「……アイズ、じゃないかなぁ」

 特に悩みもせずに言ったのはティオナだった。

 恐らくアイズの方が先に倒せるのなら、アイズの方が討伐数が多いだろう、くらいにしか考えなかったに違いない。バカではないのだが、どうしようもなく頭を回転させようとしないのだ、ティオナという少女は。

 「なら私はシオンにしようかしら。鈴は?」

 「む? では私は……シオンにしておこう」

 逆に姉と話を向けられた鈴はシオンに一票。この質問は難しく考えず、自身の直感を信じようという事なのだろう。

 アイズの答えは、まぁ聞くまでもなかった。

 さてベートはどちらを選ぶのか、と全員の視線が集まると、どうしてかベートはアイズだけを見て、

 「言う前にアイズ、一つ問題を出すから、自分なりに答えを出せ」

 「え?」

 訝しげなアイズに何も言わず、ベートは問題を出した。

 ダンジョンの20層、一日ソロでずっと戦い続ける。ただし食料は一食分のみで、それを配分を考えて食べて生き残らなければならない。

 「お前はどんなタイミングで食べる?」

 「意味はよく、わからないけど……多分最初は食べずに、半ば辺りか、最後くらいに手を付けると思う」

 「その答えじゃ、やっぱシオンの方が最終的な討伐数は上になるだろうな」

 「……意味が、わからない」

 「わからないわけ無いだろ。20層にソロなんて、ほとんど戦い通しになるに決まってんだろう。半ばって事はつまり十二時間まで飲まず食わず、保つ訳ねぇ」

 指摘された事に思わず押し黙るアイズ。つい反射的に言った答えは、言われてみれば確かにその通りだった。

 「そんな思考じゃ喉が渇いたから水を飲むのと同レベルだ。そんな甘い場所じゃないのはお前もよくわかってんだろ」

 だからベートは問題に『配分を考えろ』と言ったのだ。それがこの問題で最重要な部分だったのにアイズは見落とした。

 この時点で、もう答えは決まっていた。

 「最終的な討伐数はシオンの方が上になる」

 「え? でもアイズはシオンよりも倒す速度が上なんでしょ?」

 「それで勝てるのは時間制限が比較的短い時と、討伐目標数が決まってる場合だけだ。俺は『最終的な討伐数が多いのはどちらだ』としか言ってないんだよ」

 つまり、二人が体力切れで倒れるまでに倒されたモンスターの数を競う、ということ。時間制限も討伐数も、一切言及していない。

 「仮にアイズの方がどんどん倒していったとしても、ペース配分を考えずに戦い続ければさっさと倒れるのは目に見えてる。逆にシオンはその辺りを考慮するだろうから、倒す速度は遅くても最後は上回るだろうさ」

 「さっき私にした質問は、そのため?」

 「ああ。アイズは短期決戦における『勝つための力』は俺達の中でも随一だろう。だがシオンは長期戦で『生き残り続ける力』に秀でている。それは誰より俺達が知ってるはずなんだぜ」

 そう、知っていなきゃいけない。

 今までベート達はモンスターと何度となく戦ってきたが、その中で完全に疲弊しきって気絶した経験はあまりない。歩くのも億劫、という時は多々あれど、倒れたまま動けない、という状況まで陥った事がほとんど無いのだ。

 「シオンはいつも俺達が疲れ切らないように、きちんと指示を出していたんだ。自分も戦いながらな」

 それは偏にシオンが全員の体力を把握し、疲れ始めれば若干後ろに、代わりに自分が前に出て少しでも休ませる、なんて工夫をし続けたから。

 もしシオンが先の質問に答えるとしたら、最初にある程度食料を食べるというだろう。まずエネルギー補給をしなきゃいけないし、一食分とはいえ荷物は荷物。ある程度軽くしなきゃ走り回るだけでも一苦労。残りは適宜食べて体力切れを起こさないようにするはずだ。

 「だからダメだったんだ。お前が行けば、最初は楽でも後々面倒な事になる。あの時のお前は自責の念が強すぎた、シオンがどんな指示を出しても前に出ようとしたはずだしな」

 「それは……」

 否定できない。もしあの時シオンのところに行けば、何が何でも守ろうとしたはずだから。それこそ、シオンの言葉なんて聞かずに。

 そうなればペース配分を考えないアイズに振り回され、二人共早々にダウンしていた。だからベートは足手纏いと切って捨てたのだ。

 「俺達はシオンに頼りきっていたんだよ。自分の体力把握すら投げていた。こんな事態にでもならなきゃわからないんだから、情けねぇ」

 その言葉は鈴を除いた三人の胸に突き刺さる。何とも言えない苦々しさに顔がゆがむのを感じたが、それに思い馳せる間もなくベートは立ち上がった。

 「――そろそろ時間だ。体力も十分回復したし、行くぞ」

 精神的な部分での疲労は取れていない。だがこれ以上休むのを良しともできない。ジレンマではあるが、妥協すべき点だった。

 全員が立ち上がるのを確認してからベートは言う。

 「ティオナ、ティオネ、それとアイズが18層で案内人を見つけろ」

 「ベートはどうすんのよ」

 「鈴を連れてホームに戻る。それからフィンに土下座してでも頼むつもりだ」

 「……私は足手纏いだからな」

 25層へ付いていくのは勿論、18層に戻るのも論外だ。ならば多少速度が落ちてもベートと共に戻る方が一番安全。

 鈴に拒否する選択肢は無い。

 「だが良いのか? 『指揮高揚』がかかっているのは私だけだが」

 「構わねぇよ。色々考えた結果だ、お前の心配はいらん」

 「またそういう言い方して。まぁいいけど、ベート、お金に糸目は付けないのよね?」

 「俺達に払える額までならな。借金までするのはダメだ、その時は……拒否して、他を探せ」

 一瞬諦めろと言いかけたが、アイズに聞かせたらマズいと咄嗟に内容を変える。

 ベートの言葉を聞いたティオネはもちろんアイズも気付かなかったのは幸いだった。三人はそのまま背を向け歩き出そうとしたが、その背にああそうだ、と言って、

 「ティオネ、案内人は25層全域の地図を覚えてる奴じゃなくていい。25層から26層への正規ルートを覚えている奴で十分だ」

 そんなアドバイスをした。

 意図が読めないティオネは不思議そうな顔をすると、

 「どういう意味よ?」

 「文字通りの意味だ。シオンなら自力で24層に戻ろうとするだろうからな、それ以上の説明は時間の無駄になる」

 「……私に伝えたのは?」

 「お前が一番落ち着いているからだ」

 アイズは当然、ティオナだって本心ではかなり焦っているはずだ。そう見えないのは、アイズの方が取り乱しているからというだけにすぎない。

 自分よりも慌てている人がいると、冷静になれる――という奴だ。

 「俺が指示を出せなくなる都合上、纏められるのはお前だけだからな。……頼む、ティオネ」

 「ま、いいわ。必ずシオンを助けるためだもの。多少の苦労なんて」

 そこまで言いかけて、呼ばれたティオネはそちらに返事をして行ってしまう。それでいい。今はとにかく、シオンを助ける事に集中するべきだ。

 「行くぞ鈴。ちょっと走るが、ついてきてくれ」

 「否とは言わないよ。ただ、置いてけぼりにはしないでほしいね」

 

 

 

 

 

 『――シオン、不用意に動くほうが危険なんじゃ?』

 ベートから荷物を受け取ってから早数十分。

 何かを確認しながら歩くシオンに、ふと思った事を告げるアリアナ。彼女は実体化せずシオンの内へと潜り込んだままだが、外の様子を認識する程度はできる。

 それはシオンの五感を間借りしているようなもので、シオンが知る以上の事はわからない。だが二人分の頭脳を有するというのは、意外と役立つ物だ。

 『あの場所で動かずにジッと息を潜めていれば、少なくとも彼等はすぐに追いかけれんだし』

 例えば今のように、自分の行動に意見を物申してくれるから。

 『確かにそうだけど、逆に言えば一度見つかったら戦い通しだ。一度逃げれば戻ってくるのに時間がかかるし、殲滅するなら休む暇はほとんど無くなる。留まっている方が危険だよ』

 『だけどアテも無くダンジョンを彷徨うなんて、それこそ自殺行為なんじゃないかな。目印も無いんだから』

 『確かに目印は無いけど、アテはあるから大丈夫』

 『え?』

 驚くアリアナに、なんて説明したら良いのかと悩む。二人共気配探知を欠かさないで話しているから、注意力が散漫しているし、長い説明では理解できないかもしれないのだ。

 『おれが落ちたのってさ、22層に降りてすぐだよな』

 『うん、そこから25層まで真っ逆さまだね』

 『逆に言えば、そこが目印になるんだよ』

 『……???』

 やっぱ複雑になるよなぁ、と溜め息を吐き出すシオン。

 シオンが言いたいのは、22層、23層、24層、そして25層にあった穴は全て同一の軸に存在する、という事。

 そしてここで重要なのは、その軸を辿れば地図を覚えている24層の大まかな位置を探れるという訳だ。

 『……やっぱり意味がわかんない。24層の位置なんてわかっても意味ないよね?』

 『いや、ある。24層の穴の位置がわかれば、『25層へ続く階段の位置』がわかるんだ』

 『……え、あ? いやでも、それ、もしかして?』

 もうとても簡単に、超噛み砕いて言うと25層の現在位置と24層から25層へ降りる階段がある場所の大雑把な把握。

 それさえわかれば、現在位置から24層への階段を目指せる訳だ。

 『問題点は、25層が広すぎる事だ。その分道の分岐も多くなるし、行き止まりも……場所がわかっても、相当時間がかかるだろうな』

 完全なアテの無い状態よりは良いのだろうけれど、それでも状況は絶望的だった。

 ――シオンの予想は当たり、既に体感で十時間が経っていた。

 なのに、一向に目的地に着く様子は見えない。

 『シオン、前からバグベアーが来るよ! このままじゃ後ろのデッドリー・ホーネットと挟み撃ちにされちゃう!?』

 どころか、何度も相対するモンスターが行く手を阻み、シオンの体力を奪う。

 『大丈夫だ! バグベアーならむしろ……ッ』

 後方のデッドリー・ホーネットを引き連れたシオンは、鼻息荒く突進してこようとするバグベアーへ瞬時に近づくと、その足を斬りつける。痛みに注意が逸れ、突進ができなくなったバグベアーの影に隠れた瞬間、デッドリー・ホーネットの毒針が一斉に発射された。

 ドスドスドスッ! と何本もの針がバグベアーに突き刺さる。二Mという巨体はギリギリシオンの盾となり、しかし半ば貫通した針の先がシオンの頬を裂いていた。

 『……耐異常が無かったらこれで終わりだったかもな』

 『言ってる場合!? 逃げないとマズいよ!』

 絶命したバグベアーが倒れる寸前、目の前にあった横道へ入る。

 消えたシオンに一瞬戸惑ったデッドリー・ホーネットだが、すぐにシオンがどこへ行ったのかを悟ったのだろう、独特の羽ばたき音を出しながらその道へ進んだ。

 その頃にはもうシオンは先へ進んでいる。幸い十字路だったのでそこを左に曲がれば、今度は鱗を持った蜥蜴の群れ。更に後ろの十字路からはガン・リベルラの羽の音がデッドリー・ホーネットの羽ばたきに紛れて届いてきた。

 『逃げ道が無い、突っ切るッ』

 『いつになったら休めるんだろうね……!』

 戦ってる暇はないと割り切って跳躍し、リザードマンの頭を足場にして更に跳ぶ。足元からゴキンと何かが折れた感触がしたけれど、全て無視。

 仲間を殺された事に怒り狂うリザードマン達だったが、次の瞬間その顔が凍る。

 シオンを追ってきた、彼等と同じく怒る大蜂が容赦なくその毒針を発射してきたからだ。その大半はシオンに届く間もなくリザードマンという盾を撃ち抜いていく。

 『……シオンって、結構酷いよね?』

 『おれが生き残るためだ、仕方がないな』

 情けもない行動に若干引いているアリアナに、しかし欠片も気にしていないシオンは答える。その手がいきなり動くとポーチから万能薬を取り出し、ある程度飲むとまたしまう。

 ――これで、まだまだ動ける。

 何かを食べている暇はないから応急処置。勿体無いが、割り切るしかない。

 『残りは万能薬が三本に、非常食が数個……水はほとんど残ってないし、絶望的だな』

 『笑ってられるような状況じゃないってわかってるよね。――シオン、そこを左に!』

 『わかってる!』

 何回も道を曲がり、敵の目を逸らしていく。完全に敵を撒いたと判断するまでその足は決して止まらず、判断してからも油断なく後方を睨みつけていた。

 数分程してようやく張り詰めていた糸を緩め、息を吐き出す。

 『……行き止まりの道を引いたら死んでたかもな』

 『やめてよね、縁起でもない』

 今回は何とかなったが、ダンジョンは迷路なのだから、当然行き止まりもある。あの大群を引き連れながら行き止まりにつけば、どうなるかなんて考えるまでもない。

 というか、実際少数から逃げていた時は行き止まりについた時もあった。

 『アリアナ、魔法を使っても大丈夫な回数は?』

 『それは精神疲弊を起こすまで、だよね。それなら四――ううん、三回、かな』

 『こういう時は普通の魔法が羨ましいと本気で思うよ』

 軽口を叩きながら、壁から背を離して歩き出す。そして前方を見ると、遠くから何かが近づいて来るのが見えた。

 『……? アレは――人?』

 『え? じゃ、じゃあ、もしかして助かるかも!?』

 アリアナが一瞬喜びの声を出すが、シオンはどうにも嫌な予感が拭えない。確かにアレは人影なのだが、それにしては近づいてくるのが速すぎる。

 まるで――なにかから逃げているような……?

 『ねぇシオン、呼ばないと! 一緒に行動して欲しいって!』

 『……アリアナ、少し黙っていて欲しい』

 嫌な予感がどんどん大きくなる。冷や汗が流れ落ちるのを感じていると、その人影は三人程になった。

 その三人は何に怯えているのか、しきりに後ろを振り向いてはこちらへ走ってくる。

 そして遂にはシオンに気付かぬまま、先頭の男がシオンにぶつかってくる。敢えて踏ん張らなかったシオンがそのまま倒れこむと、

 「あ!? なんだこのガキ、邪魔しやがって……」

 「言ってる場合か! このまま逃げるのが先だろ!?」

 「そうよ! どうせならコイツに押し付けちゃえば……」

 シオンの存在に苛立ちながらも、さっさと行ってしまう。

 『な、何なのあの感じ悪い人達! いくら冒険者だからって最低限の礼儀くらい――って、シオン? どうしたの?』

 『いや……』

 怒っているアリアナは気付いていないらしいが、先頭の男、シオンにぶつかってきた時に何かを落としていった。

 思わず手に取ると、それは真紅の宝石。まるで血のような紅を覗き込んでいたら、ふいに既視感を覚えた。

 まるで、どこかで見た事があるかのような。

 そんなシオンを置いて、後ろへ走っていった彼等の声が微かに届いていきた。興奮し、喜悦に歪んだ声。だがそれも、すぐに困惑、更に悲鳴へと変わった。

 当たり前だ、シオンはモンスターの大群から逃げていたのだから。そんなところへ自分達で突っ込めば死ぬなんてわかりきっているのに、周囲の探索を怠った彼らはあっさり死んだ。

 『……自業自得』

 なんでか冷たいアリアナにちょっとだけ疑問を抱くもすぐに捨て去る。この宝石をどこで見たのか、思い出してしまったからだ。

 「……まず、い」

 ドッと体から汗が流れ落ちていく。

 全てを理解したシオンがよろめきながら立ち上がり、前を見る。と同時に、女性の奇声が遠くから響いてきた。

 逃げようにも逃げられない。まだ後ろにはあのモンスターの群れがある。

 シオンの顔が引きつった笑みへと歪んでいき、そして遂に、、『そのモンスター』が姿を現した。

 まず見えたのは人間と同じ五指。だがその鋭い爪は、人の物ではありえない。次に、女性とわかる程度の顔形と体。

 だが、最後に見えたのは巨大な蛇の胴体と尾。全身を青白い鱗に覆われたそれは、明らかなモンスター。

 「『ヴィーヴル』……」

 一見すると半人半蛇(ラミア)にも見えるが、実際は違う。

 アレは、竜種に連なるモンスター。当然その戦闘能力は高い、高すぎる。少なくとも単独で挑むような相手ではない。

 だが、それだけなら逃げればいいだけの話。なのにここまでシオンを焦らせているのは、今手元にある宝石の存在。

 シオンが敢えて見なかった、ヴィーヴルの額を見る。

 そこに本来あるべきモノ――『()()()()』は、無かった。

 『キシェアアアアアアアアアァァァァァァ――ッ!!?』

 あのモンスターにとって何より大切な『額の宝石』、それを奪われるとあのモンスターは途端に凶暴化し、文字通り地の果てまでこれを取り戻そうと追いかけてくる。

 仮に返したとしても意味はない。それ程までに必死になって追いかけてくるほど大切な物を盗んだ下手人を、普通は許すか。

 ――許すはずがない。

 「……マジで?」

 シオンの現実逃避は、再びヴィーヴルがあげた奇声に掻き消えた。




今回はシオンを助けるために行う具体的な行動の説明と行動に移すまで。
シオンの方は絶賛大ピンチ中。

途中のシオンがどうやって24層に戻ろうとしているか云々は地図があった方がわかりやすいんですけど諦めましたすいません。
わかんなかったら『そういうモノ』と割り切ってください。説明下手でごめんなさい。

次回はどうなるか、お楽しみに。


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消え去る熱

 ベートと別れた後、三人、というか二人は脇目も振らずリヴィラの街を目指した。途中モンスターと遭遇するも、まるでそんな物存在しないかのように蹴散らしていく。おかげで楽ができたティオネだが、前しか見えていない二人は余りに危なすぎた。

 リヴィラの街に続く坂道、そこでティオネは二人を抜かすと、その両方を押さえた。

 「ティオネ?」

 「アイズ、ティオナ、二人共落ち着きなさい。そんな殺気立って行けば不必要な警戒と注目を浴びるハメになるわ。私達は今、余計なトラブルに付き合ってる暇なんてない。わかるでしょ?」

 「それは、わかるけど。ならどうするつもりなの?」

 聞いてきたティオネは身を乗り出していたので、これ以上近づかないように身振りで示し、無言で通り抜けようとしたアイズは片手と片足で動けないように身を封じた。

 「離して、ティオネ……!」

 「はいストップ。行くのはまず酒場。そこで遠征に来てる団体がいないか聞いて、いればそこまで行く、いなければ強そうなパーティを片っ端から当たる。闇雲に走るよりはマシ」

 だから、

 「まずはその熱くなりすぎた頭を冷やすことっ!」

 「っ~~~!??」

 ガツン! とアイズの額に頭をぶつける。自身にも相応の痛みは帰ってきたが、それ以上にアイズは目の前に火花が散り、次いで凄まじい痛みにうずくまった。

 思わずティオネを睨みつけると、ティオネはふん、と息を吐く。

 「私達に余計な事をしている時間はないの。それともあんな殺気立った状態で行って余計な警戒と注目を集めたいのかしら。私の指示に従いなさい、いいわね」

 「……わかった」

 反論は許さない、そう言いたげな目で睨み返すティオネに、アイズは反論する術がなかった。実際さっきのままリヴィラの街に着けば、アイズは片っ端から聞いて回ったに違いない。それこそ余計な手間というものなのに。

 「私も、うん、従う。でもあんまり時間がかかるようなら」

 「その時はあんた達の好きにして。私なりに最善手を打って動きたいけど、必ずしも上手くいくわけじゃない。もしもの時は期待してるわ」

 それなら、とティオナも頷いた。

 リヴィラの街に入ると、ティオネは早速洞窟の中にある近くの酒場へ入った。時間的にはまだ昼なのだが、当然のようにいる冒険者達は無視。集まる視線を気にもせず、ティオネは二人を連れて店のマスターの元へ。

 「何か飲み物を。酒以外なら何でもいいわ。それを三つ。代金は魔石とドロップアイテムが幾つかでどう?」

 「おう、それでいいが。相場よりも払いすぎだ、情報でも欲しいのか?」

 「話が早くて助かるわ。今この街、あるいは18層に遠征に来ている【ファミリア】、いなければ強いパーティを知らないかしら」

 マスターは適当に選んだジュースをティオネ達の前へ置く。ここに来るまで水筒に入れた水を飲んではいたが、それでもこういった物の方が美味しい。

 二人には落ち着いて飲ませ、自分はさっさと飲み干すと、彼の話を聞いた。

 「俺の知る限りって前提だが、少なくとも遠征するなんて話は聞いた事がない。地上(うえ)に行って集めた情報だから正しいはずだ。んで強いパーティについて、なんだが」

 「が?」

 「その判断が俺にはつかない。俺だけじゃねぇ、この街の大多数がそうだろうさ。二つ名は知っていても容姿と名前がわからなきゃ察せないんだからよ」

 それもそうか、と納得する。

 シオンやティオネ達の場合は二つ名が二つ名、子供という特徴と広まりすぎた外見で誰もが理解していたが、全員がそうというわけじゃない。

 例えばフード付きのローブ、外套なんかを使われたら、誰かなんてもうわからないだろう。

 「そもそも強いパーティが必ずここに寄ってくるワケじゃない。用事を済ませたらさっさと行っちまうところもある。本当に用事があるなら運に任せて歩くしかないぜ、【小人の乙女(リトル・レディ)】?」

 「……からかわないでちょうだい」

 情報ありがと、そう言って席を立つ。ティオナも立ち、アイズは慌てて残りを飲むと、それに続いた。

 からかおうとしてきた酔っぱらいも、いたにはいたが――彼女の視線に真っ青になると、そのまま視線を逸らしていた。

 ――殺気込めすぎよ、アイズ。

 大の大人が顔面蒼白になる程の恐怖を与えるほど切羽詰っているアイズを窘めたかったが、それはできそうにない。

 余計なちょっかいを出そうとした自分を恨め、そう考えてティオネは彼等を気にせずその場を去った。

 その後リヴィラの街を駆けずり回った三人だが、めぼしい反応は得られない。

 わからない、知らない、ついていけない――概ねこの様な回答しか返されなかったのだ。

 わからない、は強いパーティの所在を知っていない人達。

 知らない、は25層以降まで行けるものの、道順を知らない人。

 ついていけない、は25層以降まで行った事があり、また道も知っているが、ティオネ達の実力を知らないが故に信用できない、だから行かない――そう答えた者。

 その回答に憤慨したアイズだが、ティオネにはわからなくもなかった。そもそも建前を言ってくれただけ彼は良心的だった。

 そう、このオラリオには闇派閥という目の上のたんこぶがある。彼はその存在をよく知っているからこそ、罠を警戒し、断ったのだ。本心はそんなところだろう。

 パーティ全員でなら、とも言ってくれたけれど、時間的余裕がない以上、彼等の都合に合わせるのは厳しい。

 もしこの街を駆け回った後でも見つからなければと言えば、彼はすまなそうに承ってくれた。

 ……見つからない。

 どれだけ街を走っても、人に聞いても、全員断るだけ。何故か途中から全員が本心からすまなそうにしていたのはどうしてだろう、とティオネが後ろを見れば、

 「ごめん、シオン……ごめんなさい……私のせい、で……っ」

 目尻に涙を浮かべ、ただひたすら『ごめん』と繰り返し呟き続けるアイズの姿。何もしていないのに凄まじく罪悪感を刺激される。まともな感性を持つ人間なら、尚更。

 アイズもわかっているのだ、もう希望なんて残っていない事に。

 これだけ走り回っても頷いてくれる人はいない。ならティオナとアイズがそれぞれ聞いて回ったところで結果は見えている。

 先程の男性に頼んでも、18層に来たばかりだという彼等は出発まで数時間以上を要する。これではフィンに救援をしに行ったベートの方が速く戻ってくるだろう。

 ――何か、何か無いの?

 いっそ地図が書けるような、都合の良い人がいればいいのに。そう思わずにはいられなかった。たった三人でも、道がわかれば突貫してもいい。

 そんな無謀な考えが脳裏を過ぎる程、一番冷静なはずのティオネが焦っていた時だ。

 「何やってんだよ、お前ら」

 気軽そうに話しかけてきた男。

 記憶にない姿に思わず眉根を寄せるが、相手は自分達を覚えているらしい。覚えていないとバッサリ切り捨てるのもどうかと思ったティオネが記憶を漁ろうとしたその前に、ティオナが言った。

 「もしかして、あの時シオンを襲った……?」

 「いや、確かにそうだが。自業自得とはいえその覚え方は無いと思うぜ……」

 そういえば、とティオネも思い出す。随分前にそんな事があった、と。しかし何故そんな相手が自分達のところへ来たのかという疑問がある。

 「シギル、さん。どうして私達に話しかけた、んです?」

 「シギルでいいし、取ってつけたような敬語もいらん」

 「あらそう? ならよろしく」

 「……。話しかけた理由だが、お前らが妙な事をしてるって聞いてな。何で25層の道を覚えている奴なんて探してんだ?」

 「それは」

 一瞬、言っていいのかと悩む。シギルとは一度敵対した相手だ。シオンはもう気にしていないみたいだが、相手もそうとは限らない。

 しかし今回は相手が上手だった。

 「当ててやろうか。あいつが危険な状況にある、そうだろ?」

 「ッ、なんでそれを」

 「そこの嬢ちゃん二人の顔見りゃわかるさ。お前も冷静さを保とうと必死だが、俺でもわかるくらい焦ってるしな」

 「……!」

 思わず顔に手を当て、意気消沈してしまう。悔しさに歯を噛み締めてシギルを睨み返すと、彼は何もしないと言いたげに手をあげた。

 「悪い悪い、別にいじわるしたい訳じゃないんだ。手助けしたいんだよ」

 「手助けって、何をするつもりなの」

 「少なくとも30層まで行ける人間を知ってる。今ここにもいる。そいつの紹介さ」

 「――! ッ、それ本当!?」

 その言葉がシギルの口から放たれた瞬間、飛び出したのはアイズだった。シギルの腕を万力で締め上げるかのように両手で引っ掴むとそのまま揺らし、言う。

 「教えて、今すぐ! ううん連れて行って! じゃないとシオンが、もう時間が無いのに」

 「落ち、落ち着いてアイズ! シギルが叫んでるから! 悲鳴になりかけてるから!?」

 「でもティオナだって心配でしょ?」

 「心配だけど、でもシギルに八つ当たりしたって無駄なんだから……」

 暴れるアイズと、押さえるティオナ。その二人から距離を取りながら掴まれた腕を擦り、シギルはティオネに聞いた。

 「そんなに切羽詰ってんのか?」

 「これ以上ないってくらいにはね」

 「そうか。なら茶々入れてる場合じゃねーか。おい嬢ちゃん二人! 今すぐ連れて行くから暴れるのはよせっ、心証悪くすりゃ断られるかもしんねぇぞ!?」

 ピタリ、と動きを止めるアイズとティオナ。ある意味わかりやすい対応にティオネが溜め息を吐いて、ふと聞いた。

 「なんで私達を手伝ってくれるの?」

 「ああ、まぁ……貸しを返すだけだ。シオンにゃ色々されたのさ、あの後に、な」

 よくはわからなかったが、彼から悪意は感じられない。

 だから素直に後ろをついていき、そうして連れてこられたのは人の目につきにくい、一つの酒場だった。

 「何ここ……こんなところあったの?」

 「表からは外れすぎて、普通に稼ぎたい奴らはこないのさ。ここに店を作るのは物好きで、ここに来る奴は静かにしたい人間だな」

 それは後暗い事があるのでは、そう思ったが、シギルは行ってしまう。二人と顔を見合わせたティオネは、どうせもうアテが無いからと自棄っぱちで店へ入る。

 「でさでさ、その子達ったら――ってあれ、シギル? こんなとこに来るなんて珍しいね、何かあったの?」

 「いや、一つお願い事があってな。本当なら俺の手でやるのが筋なんだが、どうにも力不足なんだわ。だから恥を忍んでここにきた」

 「ふーん? そのお願い事は後ろにいる三人の子達に関係している、と。わかった!」

 カウンターで何かを飲んでいた少女の片割れが立ち上がる。

 後頭部で二つに髪を纏め――いわゆるツインテール――、笑顔を絶やさず、しかしどこか一本芯の通った少女。髪になぞらえるかのように腰に二本の剣を交差するように付けた彼女は、身軽そうにティオネに言った。

 「初めまして、私は正義と秩序を司る【アストレア・ファミリア】所属のサニア・リベリィ。気軽にサニアって呼んでくれていいよ?」

 

 

 

 

 

 巨体が踊る。

 『シオン、とにかく避けないと!』

 『わかってる!』

 流石は蛇の下半身を持つだけはあると言うべきか。ヴィーヴルは地面を滑るようにシオンへと近づいてきた。その速度はかなりの物で、ほんの少しの距離が一瞬で縮められる。

 それでもシオンの視力は横薙ぎに振るわれる爪を捉えていた。姿勢を屈め、横っ飛びしながら回避し、反撃の一閃を腕にみまう。

 が、返ってきたのは鈍く、重い感触。切り裂いた、というよりも、鈍器で壁を叩きつけたような感覚だ。

 『キエアアァァァァ!』

 けれど、一定の痛みは与えられたらしい。腕を押さえるヴィーヴルの指の隙間から、欠けた鱗がポロポロとこぼれ落ちていた。

 その間にシオンは剣を見下ろす。こちらは欠けた様子は無い、だがそれは表面上に過ぎず、中身はダメだろう。

 『どうして、確かに斬ったはずなのに!?』

 『鱗で威力の大部分が持ってかれた。あっちだけが欠けたのは、偶然だろうな』

 ――硬すぎる。

 それこそシオンがかつてハード・アーマードにやったように、鱗と鱗の継ぎ目を狙うのが一番効果的だろう。

 だが問題は、相手がそれをさせてくれないくらいの速さで動き回ってることで。

 最早完全に怒り狂ったヴィーヴルは、シオンに反撃を許さないと巧みに攻撃をしかけてくる。

 本来なら攻撃した後は隙ができるはずなのに、ヴィーヴルは爪を振り切った瞬間蛇の下半身を動かして上体を後ろに下げてしまうのだ。

 『攻撃しながら下がれるってズルくないか……!?』

 攻撃を終えたヴィーヴルに接敵しても、その時にはもうそこに敵がいない。いや、そもそもシオンの攻撃はポーズに過ぎない。

 実際は何度か反撃できた。でも、できなかったのだ。

 ――本気で攻撃したら、この剣は……。

 後何回かやれば、この剣は折れる。初撃で折れなかったのはそこらの鍛冶師が作った大量生産品ではなく、椿が手掛けた一点物だからだ。

 『ティオナがいれば』

 鈍器としても使える、頑丈さがウリの大剣があれば、鱗の上から敵にダメージを与えられる。頑丈さ第一なので、折れる心配も無い。

 『アイズがいれば』

 風を纏い、一点に絞った貫通力があれば、鱗なんて物ともしない突きを放つだろう。リル・ラファーガにはそれだけの威力がある。

 『シオン、でも今は』

 『わかってる。無い物強請りをしても意味がないなんて事は』

 考え事をしていたせいか、ヴィーヴルの爪が脇腹を掠める。シオンは思考を一度止め、何度か後ろへ飛び跳ねた。

 『……パーティメンバーがいないと、こんなに辛いなんてな』

 『私が、攻撃できたら』

 『仕方ないよ。にしても、さてどうしたもんか。魔法はあんまり使えないし……』

 目を血走らせながら迫るヴィーヴル。今のシオンでは、勝つ手段が見えない。だからシオンは素直に諦めて、背を向けた。

 当然、逃がさないとヴィーヴルが加速する。単純な速さで言えばヴィーヴルの方が速いけれど、シオンには技術がある。逃げる技術、聞こえは悪いが結構重要な技術だ。

 『逃げてどこに行くの?』

 『……勝つ手段が無ければ持ってくるしかないよな』

 『へ?』

 何度か角を曲がると、シオンは突っ込んだ。

 ……()()()()()()()()()

 『きゃ、キャアアアアアアアアアァァァァァァァッ!??』

 思わず、と言った様子で叫ぶアリアナ。しかしシオンに反応している余裕は無い。彼等はシオンを見つけると、その顔――のような部分――を醜悪に歪めると、それぞれの攻撃をしかけてきたからだ。

 それを避けるだけでも精一杯。特に上空を飛ぶデッドリー・ホーネットの毒針は喰らえば即死、とまでは行かなくても瀕死だ。当たりどころが悪ければ手足も無くなる。

 無謀だったか、と汗が頬を伝う。けれど今更逃げられないと、覚悟を決めて更に奥へ奥へと突っ込んでいく。

 それと同時に、ヴィーヴルがモンスターの群れに飛び込んだ。

 『アアアアアアアアアァァァァァァァァァッ!!』

 途中いたモンスターに目もくれず、その先にいるシオンただ一人を見つめ続けている。それはシオンにもわかったらしい、背中に冷たいものが走った。

 『どうせ視線をくれるなら、殺気じゃなくて好意にしてもらいたいかな』

 『冗談言ってる場合じゃないよね!? って針! 毒針がぁ!?』

 ついつい現実逃避をするシオンを無理矢理現実へ戻すと、毒針を避けさせた。その毒針の内一本はシオンの後ろを追っていたヴィーヴルに当たるも、貫通力が足りず弾かれる。

 流石竜の鱗、なんて言葉を吐く暇もない。防御手段は無くなる物の、重さに振り回されない事を選択し、剣をしまう。

 一切の反撃を放棄したシオンは目前のバグベアーを踏みつけると、デッドリー・ホーネットの頭の上に着地。暴れて振り解こうとするデッドリー・ホーネットの上を踊るように移動し、落とされないように踏ん張った。

 そんな彼等に、周囲のモンスターは容赦しない。同族のはずのデッドリー・ホーネットへ向けて毒針を放った。

 それを見ていたシオンはあっさり飛び降りると、その一瞬後にその場に残り続けたデッドリー・ホーネットの悲鳴が届く。

 そのまま飛び降りたシオンは、自分を追っていたモノ。即ちヴィーヴルの背中へ着地する。こちらも当然暴れ、どころかその両爪をシオンに振るおうとするが、ここで人間のような上半身が仇になった。

 どうしても、背中の一部分に手が届かない。いや、届く事は届くが、シオンは腕の稼働範囲を見極めて逃げてしまうので、結果的に攻撃できない状況を作り上げた。

 『さて、ここで一つ問題だ、アリアナ』

 『嫌な予感がするけど……何?』

 『デッドリー・ホーネットは同族を助けるよりもおれを殺す事を優先した。では、同族どころか暴れまわるヴィーヴルにする対応は?』

 『そりゃ――排除以外無いだろうね――!?』

 アリアナが答えた瞬間、周囲のモンスターがヴィーヴルに群がる。その一撃一撃はヴィーヴルの鱗に阻まれ、逆に邪魔だとばかりに適当に薙いだ尻尾や爪が命を奪う。

 しかし、ここにいるのはシオンが25層を駆けずり回った結果連れてきたモンスター。その数は半端じゃない。

 『迷宮の孤王』を討伐せんとばかりに集った冒険者達のように、ヴィーヴルを倒すために――本来はその上にいるシオンを殺そうとしていたのだが――モンスターが湧いてくる。

 『い、今掠った! よくわかんないけど何かが掠ったよ!?』

 まぁ、シオンもその攻撃の余波に晒される訳だが。というか空中にいるデッドリー・ホーネットはシオンだけをピンポイントで狙ってくるので、かなり辛い。

 幸い背中を狙われるヴィーヴルもデッドリー・ホーネットを優先して排除してくれるが、それにも限度はあった。

 シオンが落ちればモンスターはシオンを狙うためにヴィーヴルへの攻撃をやめるだろう。そして攻撃がやみ、解放されたヴィーヴルも、こんな事をしたシオンを殺しに来る。

 落ちれば――死ぬ。

 落ちなくても、モンスターを全滅させたらヴィーヴルにまた狙われる。だから、シオンは必死になって思った。

 ――おれが殺せるくらいに、疲弊してくれ、と。

 どれくらいシオンは踊り、ヴィーヴルは必死に戦っただろう。灰と死体が山となった通路で、シオンもヴィーヴルも荒い息を吐いていた。

 シオンは既に降りていた。いや、降ろされていた。その視界に入るのは、ヴィーヴルの背中に生えた巨大な『翼』だ。

 ――両翼付きのモンスター……。

 翼のあるモンスターは強い。

 『ハーピィ』、『セイレーン』、何より最強種の『ドラゴン』などなど。とかく、彼等は差はあれどもただ、強い。

 だから、長引く前に倒しきらなければ。

 空からシオンを見下ろすヴィーヴルの至る所から血が滴り落ちる。如何に強靭な鱗があろうと、あの数のモンスター相手では限界があったらしい。

 『シオン、これ、勝てる……?』

 『勝つしか、無いんだ』

 シオンは一本の短剣を取り出す。それを壁に高速で擦りつけて火花を散らすと、その刀身が炎に包まれた。

 『あの技は無理だよ? 魔力が足りないんだから……』

 『わかってる。だから、やるのは別の事だ』

 不可解な行動にヴィーヴルが翼を広げ、空から飛び降りてくる。時間はない。

 「【変化せよ】」

 片足を前に、短剣を持つ手は後ろに引く。投剣の姿勢だ。

 「【穿ち貫け】」

 凄まじく短い詠唱。だが、その程度しか言える時間が無かった。

 「【サンダーボルト】!!」

 シオンの稲妻が短剣に込められる。

 その瞬間――シオンは投げた。

 炎が雷を纏って走りゆく。まるで雷速のように空を飛ぶその短剣、ヴィーヴルの顔を狙い、駆けていった。

 だがヴィーヴルはそれに反応する。両腕を交差するように構えて防御したのだ。

 けれど、その小さな小さな短剣はヴィーヴルの予想の上を行った。たかが小さな剣は、鱗を溶かし、腕を貫く。

 ――片腕、だけを。

 両腕を貫くには速度が足りなかった。ヴィーヴルは痛みによって頭に血が上ったのか、無事な手で短剣を引き抜くと、グシャリと潰してしまった。

 ――今までありがと、薄刃陽炎。

 三年もの間愛用し続けた武器を壊され、できた喪失感。それを全て飲み干して、シオンは滔々と言った。

 「【魔を狩る刃。人を守りし破邪の剣】」

 シオンがいるのは、天上付近。そこまで壁を蹴って移動していたのだ、薄羽陽炎を囮にして、この一瞬を作るために。

 「【諦観を払い。絶望を退け。涙を拭い。立ち上がり、歩いた者が授かりしその加護を】」

 ヴィーヴルはシオンに気付いていない。あの数のモンスターを屠るのに疲労しすぎたせいか、集中力が散漫になっていたのだ。

 「【応えよ。我が祈り、我が願いに】」

 滞空しながら落下していくシオン。時間はない、一刻も早くこの詠唱を完成させる。

 「【心に勇気を。意思に知恵を。体に力を】」

 すぅ、と息を吸って、吐き出した。

 「【全てを備えた者の、一撃を授けよ】!」

 そして、ここでヴィーヴルも気付いた。でも遅い。もうシオンは、ヴィーヴルの目前だ。剣を突き出し、シオンは最後の言葉を叫んだ。

 「【デルタフォース】!」

 

 

 

 

 

 「ハァ、ハァ、ハァ……ッ!」

 魔力を使いすぎ、意識が朦朧とする。それでも唇を噛んで血を流し、痛みで強制的に意識を目覚めさせた。

 倒れたヴィーヴルに目を向ける。紅色の宝石があった額を貫いた一撃は、あのモンスターを殺し切るには十分だったらしい。完全に、死んでいた。

 虚ろな瞳をしたヴィーヴルに近づき、シオンはポーチから宝石を取り出した。

 『シオン、それどうするの……?』

 売れば一攫千金どころか億万長者も夢ではない宝石。

 だが、シオンは金に興味がない。だから、本当は返しても良かった。いや、実際腰を屈めて置く寸前までいったのだ。

 それは、シオンがふと思い出した、この宝石に纏わる話。

 「……『幸運の宝石』」

 『何それ?』

 何の根拠もない、ただの伝承。本来ならシオンは人の噂からできたこんな話を信じるつもりなんて無いが、けれど。

 今のシオンは、帰りたい場所があった。

 だから、縋った。何の根拠もない、その伝承に。

 「ごめん、これは返せない。お前が何より大切にしてるとわかっていても――根拠なんてないってわかっていても、この宝石の『幸運』を、信じたい」

 シオンは、死ぬだろう。

 魔力はほぼ限界。いつ精神疲弊を起こしてもおかしくない。体力は万能薬があるから回復できるけれど、精神が、保ってくれない。

 それこそありえない『奇跡』でも起こらなければ、死んで、終わりだ。

 「これは売らない。いつか返しに来る。……それはお前じゃないってわかってるけど、絶対」

 それでも、なお。

 「……生きて、帰りたいんだ」

 心が、弱りかけていた。

 消耗した魔力がシオンを弱気にさせている。モンスター相手に、しかも死んでいるのにこんな事を言ったのは、きっと、共感してしまったから。

 『死んでも取り戻したい()』――義姉が、いたから。

 だから、自分はきっと最低最悪なのだろうとも容易に想像できて、自己満足の独白をしていた。

 『シオン……』

 「…………………………」

 重たい体を引きずって、ヴィーヴルの前から姿を消す。

 ――その数分後。ヴィーヴルの体も灰になって消えていた――。

 あまりに敵を引き付け過ぎたのか、周辺のモンスターは一体たりとも存在しない。それが幸運の宝石を持っていた結果なのかどうかはわからない。

 けれど、結果として、シオンの願いは叶わない。

 「――え」

 眼下に広がる、()()()()階段。

 道は合っていたはずなのに。24層への階段はこの付近で合っているはずだ。それが示すのは、つまり。

 シオンはノロノロと、横の壁に目を向ける。

 ――上への道は、この、先?

 今まで通ってきた道。脳裏でできたその地図は、この壁の向こうへ行く方法が、ひたすら戻り続けるしかないのを示していた。

 ここまで来るのに半日近く。戻って、更に進むのに、何時間かかる――?

 「ハ、ハハ……」

 ――無理。

 その二文字が、シオンの頭を埋め尽くす。アリアナが何か言っているけれど、もうどうしようもない事を、シオンが誰よりわかっていた。

 「あっ――」

 体が傾く。限界ギリギリの境界線を立っていたシオンの心が、ついに振り切れた。せめて目につかない影に、と思いながら、シオンは倒れた。

 音が無くなる。

 それからしばらくすると、ペタペタと何かが近づいてくる足音がした。けれど、シオンの体は反応しない。

 まるで死んだかのような姿に、ヴィーヴルとはまた違う鱗を持ったモンスター、リザードマンは首を傾げると、シオンの持つ剣を奪い取る。

 そして――その剣を、シオンの首筋に差し込んだ。

 

 

 

 

 

 草原を、鈴という荷物を背負ったベートが踏破し、森へ入る。速度の遅い鈴が疲れないようにするため、根っこが多いせいで転びやすく、足場の不安定なここでは歩くつもりだ。

 死角も多いのでいつもより警戒心を出しながら歩き、17層まで後半ばというところで、鈴は立ち止まった。

 「何してんだよ、止まってる暇なんてねぇんだぞ」

 「……背中の熱が、引いた」

 「あ……ぁ?」

 背中の熱。

 それはシオンの『指揮高揚』がかけられていた証で、それが引いたとは、つまり。

 「……シオンの意識が――途切れた?」




別に【アストレア・ファミリア】じゃなくてもいいんだけど、なんでもいいなら【アストレア・ファミリア】でもいいよねって事で。
あらかじめ言いますがリューさんは出ません。彼女の出番はまだです。
期待してる人には悪いんですが、結構先なんですごめんなさい!

それはそれとして、最近戦闘描写が薄い。今までが今までだっただけな気もしますが。
まぁ一番最初のインファント・ドラゴン戦と前のフィン戦が考えに考え抜いた結果なんで仕方ないんですが、何とも言い難いこの感覚。

次回タイトルも特に考えていませんが。

お楽しみに!


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三者の救出

 シオンの意識が途切れた、その事実を認識したベートの目が細まる。その眼光にたじろいだ鈴は一瞬、怒鳴られるのかと身構えたが、予想に反してベートは背を向け歩き出した。

 「アイツの意識が途切れたなら、本当に余裕が無くなってきたって事だろ。時間がない、さっさと行くぜ」

 「な……」

 絶句する鈴を置いてベートは行ってしまう。まだ弱い鈴は、ここで置いてかれては迷い、疲弊したところを襲われてはひとたまりもない。慌てて追いかけた。

 一見冷静のように見えるベートだが、少し観察すればそうではないのがすぐにわかる。時折飛び出てきたモンスターを、力任せに切り捨てているのを見てしまえば。

 体力の回復しきっていない鈴は、段々と息を荒げていく。元々22層から18層に戻るまでが強行軍過ぎたのだ、たかだか十五分程度の休息でどうにかなるはずがない。しかし、ベートはそれに気づけるだけの余裕が無かった。

 体力と精神の疲弊から視野が狭まっていた鈴は、遂に木の根に足を取られ、転んでしまう。咄嗟に受身をしたので大きな怪我はない。彼女が転んだ音によって我に返ったベートは、鈴の事を全く考えていなかったのを思い出し、振り向いた。

 既に上半身を起こしていた鈴だが、受身をした両手は地面に擦れて怪我をしていた。普段鍛錬で受ける怪我に比べれば大した事ではないが、鈍い痛みを感じるのは嫌なものだ。つい顔をしかめてしまう鈴に近づくベート。

 「……その、悪かった。お前の事を考えていなかった。近くに川がある、そこで土を落としたら回復薬で傷を癒そう」

 罰が悪そうに謝れば鈴は意外そうな顔を見せる。それに若干気を悪くしながら、しかしいつもの行いが行いなので何も言えない。

 もう知らん、と鈴の腕を引っ張っていき、川に手を突っ込ませる。反射的に冷たいと叫ぶ鈴を放ってポーチから回復薬を取り出すと、洗った手にぶちまけた。

 「少しだけ休む。それからさっさと行くぞ」

 本当は今すぐにでも地上へ戻りたい。だが鈴の体力を考えると無理だ。ベートは苛立ちを堪えるために一度頭を川の中に突っ込ませて冷やすと、乱雑に髪を拭いた。

 そんなベートを眺めていた鈴は、ふと呟く。

 「もう、諦めたらどうなんだい?」

 「――あん?」

 それが地雷を踏み抜くとわかっていても、鈴は言ってしまう。

 「シオンは死んだ。ベートにだってわかってる事なんだろう?」

 ピシリ、とベートが固まった。それは図星を突かれたが故のもの。

 そう、本当はベートだってわかっている。見た事もない25層に、ソロで落ちて、意識を失った人間がどうなるか、なんて。

 わかっていてベートは行動していた。フィンに助けを要請しようと。

 「無駄なんだよ。今から地上に行って戻ってくるのに丸一日かかるとしたら、もう絶望的だ。諦めて――ッ!?」

 敢えて現実を突きつけようとしていた鈴の言葉が止まる。

 その原因は、速攻で鈴に接近したベートが鈴の胸ぐらを掴み、持ち上げたからだ。その勢いのままベートは鈴を木に叩きつけると、

 「んなこたぁ、誰より俺がわかってんだよ!?」

 怒鳴り声――否、これは悲鳴だった。

 「今更お前に言われる必要もないっ。シオンが生きてる可能性が万に一つも無いのを、俺が気づいてないとでも思ってたのか!」

 「な、なら……何だって、そんなに」

 「悪いか!?」

 ベートは震えていた。

 一見すれば追い詰められているのは鈴なのに、ベートの方が追い詰められている。それは、今まで抑えていた、蓋をしていた感情が噴出したからだ。

 「自分の家族が、仲間が――たった一人の親友が死にかけている状況で、よく知りもしない誰かから『あの人は死にました、諦めましょう』なんて言われて」

 それは悲しみだった。

 「納得できるか、クソったれがぁ!?」

 それは、一匹狼を気取っていた少年の本心だった。

 確かにベートには他にも仲間がいる。友人がいる。けれど、誰より気の置けない男友達で、ライバルなのは、シオンだけだった。

 唸り威嚇する狼の、危険だとわかる相手に臆せず近づいて傍にいる。そんな人間がどれだけ稀有なのか。

 「認めねぇ……俺はシオンの死体をこの目で見るまでは、アイツが死んだなんて言われても信じねぇぞ!!」

 「ぐっ、現実を、見るんだよ! あたいの背中にあった熱は引いて、それが意味する事なんて一つしかないんだ! シオンは死んだ、それだけって事なのさ!」

 胸ぐらを掴まれたせいで呼吸がしにくい鈴だが、それでも止まらない。――諦めろ、と言外に告げてくるのを。

 その言葉を理解した瞬間、ベートの奥歯がギリギリと噛み締められる。

 「簡単に仲間の命を諦められるほど、浅い関係じゃないんだ……っ」

 そして、遂に言ってしまった。

 「()()()()()()()()()()!」

 「な」

 鈴の表情が凍る。

 それは理解できない、というものではなく、どうして知っているのかという意味を含んでいる顔だった。その顔を見てやっちまったと思うも、放った言葉は取り消せない。ベートは若干目線を逸らしながら続けて言った。

 「世間一般的に、綺麗、あるいは可愛い女がいる。しかも、どう見ても旅慣れていないとわかれば甘い顔して近づく野郎なんざいくらでもいるだろうさ」

 付け加えれば、鈴の持つ刀は『オラリオのダンジョンで』通じる、一級品の武器。まさに鴨がネギを背負って歩いているようなものだ。

 狙われない理由が、無い。

 「先に言っておくが、気付いたのは俺じゃない、シオンだ」

 「ど、どうして……あたいはそんな素振り、一度も……」

 「アイツに生半可な演技は通用しねぇ。お前の目の奥にある『仲間』ってもんへの不信感を最初から見抜いてたんだよ」

 鈴の息が止まる。その目に込められたどうして言わなかったという問いに、ベートは吐き捨てるように言い放つ。

 「『刀をおれに渡した時、それをどうするのか、試してる眼をしてた』」

 ――きっと過去に騙された事があるんだと思う。だから、鈴を待っていてほしい。

 「『いつか心の傷が癒えた時。彼女が本当に信じてくれたその時に、お互いの背中を預けられるようになるはずだから』」

 「……っ」

 それは鈴が知らない出来事。当然だ、シオンは話すつもりなど無かった。ただベート達にはそれを伝えておいて、何も知らないフリして彼女が心を開いてくれるのを待つつもりだったから。

 「自分を信じてくれない奴を死ぬ気で守って、来るかもわからない『いつか』を待っていようなんて甘っちょろい言葉を吐ける人間がどれだけいると思う? ――早々いねぇ。それでもお前は見捨てるなんて言えるのかよ!?」

 身勝手だ、とわかっている。

 鈴にとって、シオンは会って数日の顔見知り程度の他人だ。見捨てる事に躊躇はあっても、そこまで後悔しないだろう。ベートもそうだからだ。

 だから、付け加えておく。

 「見捨てると決めても、俺は文句を言うつもりはない。だが、そう決めたならせめて邪魔しないでくれ。安心しろ、地上までちゃんと連れて行く」

 木に叩きつけていた鈴を下ろす。ケホケホと咳き込む鈴に罰が悪そうな顔をするも、それをすぐに消し去るとベートは鈴を無理矢理おぶった。

 「な、何するってのさ……?」

 「お前が来るのを待つのは面倒だ。このまま背負ってフィンのところにまで戻る」

 体力はかなり消耗するだろうが、マラソンを意識してペース配分を考えれば行けなくはない。脅威なのは上層に戻るまでで、そこまで頑張ればいいだけなのだから。

 「速度は考えるが、振り落とされるな。行くぞ」

 鈴は答えない。ベートも答えを待つつもりはなかった。

 ベートにとってはそれなりの、鈴にとってはかなりの速さで駆けていく。大半のモンスターは置き去りにできたが、速度に秀でたシルバーバックとヘルハウンドの一部は振り抜けず、ところどころで苦労したが、それだけ。

 後日、『女を背負った狼がいる』――そんな変な話がしばらく噂として出回ったが、ベートにとってはどうでもよかった。

 シオンを助けられるのなら、それでよかった。

 地上へ戻り、息も絶え絶えになって、それでも足を止めずにホームへ一直線。鈴が途中降りようかと聞くも、ベートは無視して駆け込んだ。

 体は薄汚れ、息も荒い。その上帰ってきたのは背負っている鈴とベートのみ。何かあったと察するのは容易で、門番も簡単に通してくれた。

 フィンのいるであろう部屋を見て回り、驚かれたり何があったかと聞かれても全部見なかった、聞こえなかった風に無視。

 そうして遂にフィンを見つける。彼がいたのは食堂で、丁度食事をしていたところらしい。

 「フィン!」

 「ん? ベートか。それに鈴まで。帰ってきたのならまず体を洗うべきだよ。そんな格好で食堂に来るなんて他の人の迷惑に」

 「説教なら後でいくらでも聞く!」

 フィンにとってはいつも通り『シオン達が帰ってきた』程度の認識なんだろう。

 それは本来なら間違った認識じゃなかった。あんな出来事が無ければ単にベートが怒られて、シオンに呆れられるだけで終わるはずだった。

 でも――そのシオンはいない。

 「シオンが22層から25層に落ちた……っ」

 「――詳しく話を教えてくれ」

 血を吐き捨てるように言った言葉。それを聞いたフィンの目が細まる。相変わらず察しの速い相手で助かった。

 フィンが立ち上がり、移動する中でベートに話を聞く。

 時間が勿体無い焦りからか、半ば飛び飛びになる説明にところどころ突っ込んで、的確に状況を把握していくフィン。全てを聞き終えると、フィンは手で目を覆った。

 「やってくれたな……闇派閥(イヴィルス)っ!」

 「フィン?」

 「いや、なんでもない。すぐに行こう」

 何かを察したらしいフィンだが、教えてはくれないらしい。防具を着る手間も惜しいとばかりに槍だけを持ったフィンはベートを振り向くと、

 「ベートはここで待っているんだ。鈴も」

 「鈴はともかく俺は行ける!」

 「その体力でどうやって? どれだけ酷い強行軍をしていたのか、僕がわからないとでも思っているのか?」

 「万能薬がもう一本ある。それを飲めば体力くらいっ」

 フィンの顔が歪んだが、ベートに引く様子が無いとわかると、大きな溜め息をした。そして諦めたように首を横に振る。

 「少なくとも18層までは気絶しないでくれ」

 「ああ、根性でついていくさ」

 噛み付くように答えると、ベートは鈴の方に振り向く。鈴はかなり複雑そうにしていたが、自分は足手纏いだとわかっているのだろう、頭を振りながら一歩後ろに下がった。

 「遅れるなよ」

 「わかってる」

 多少加減している程度のフィンに全速で追い縋るベート。一瞬で視界から消え失せた二人を見送ると、鈴は空を見上げながら、呟いた。

 「仲間……か」

 思い出すのは最初に出会った男。旅の仕方を教えてくれた、優しいと思った相手。しばらく一緒にいて、兄のように慕ったけれど、最後は裏切られた。

 それ以降、一度も仲間などと呼べる相手を作らなかったが。

 もう一度だけ、信じてみるべきなのだろうか――。

 「ふむ、ようわからんけど、したい事があるなら手伝うで?」

 「ロキ殿、いつの間に」

 ボーッとしていた内に近づいていたのか、ニマニマ笑っているロキと、呆れたように額に手を当てるリヴェリア。

 「やりたいようにやり。それが間違っていたらうちが何とかする。子供はただ我武者羅に走ってればええんよ」

 「それで迷惑を被るのは私達なのだがな」

 無理矢理連れてこられたらしいリヴェリアは嘆息すると、

 「今から追いかけても彼等を手伝う事はできない。だが結果だけは見れるだろう。どうする、決めるのは鈴、お前だ」

 鈴は悩む、一瞬だけ。

 「あたい、は――」

 答えはもう、決まっていた。

 

 

 

 

 

 「ふんふん、事情は大体わかったよ」

 軽く言いながら、サニアは手元のスパゲティをズルズルと食べる。話半分で聞いているようにも見えるが、一応ちゃんと聞いているらしい。

 最初ふざけているのかと冷えた視線を送っていたアイズも、曖昧な部分を的確に突いてくるサニアを頼れそうだと判断し、大人しくしていた。

 「それで、サニアはこの頼みを受けてくれるの?」

 説明やら何やらを一手に引き受け対応していたティオネが言う。

 一番の問題はそこだ。事情を話してもわかったと言ってくれたところはほとんど無い。それこそここが最後の希望。これを断られたら、フィンを呼びに行ったベートを待つしかないだろう。

 ティオネ、ティオナ、アイズの視線を集めるサニア。

 「んー、答える前にさ、一つ。その落ちた子って『銀髪銀目』の、『女の子みたいな男の子』で合ってるんだよね?」

 「え? え、ええ、そうね。本人は嫌そうな顔をするでしょうけど、それで合ってるわ」

 「なら受けるよ。その子にはちょっと借りがあるし」

 ――借り?

 そう思ったティオネだが、サニアは答えるつもりがないらしい。勘定を済ませると、アイズの後ろに回って手刀で意識を落とした。

 「ちょ、何を」

 「この子、限界超えてたよ。君達もそうだけど、少し休むべき。助けに行くのはいいけど、その相手が増えるのは歓迎しないからね」

 先程までの快活さが消え去り、鋭い瞳で二人を睥睨する。その重さに、ティオネとティオナの肩が一気に重くなる。

 いや、その重みは全く別のところから来ていた。

 疲労、という名の重み。アイズ程ではないが、アイズを気にかけていたティオナも、二人を諌めるために意識を割き、その中で聞き続けていたティオネだって。

 全員気絶していてもおかしくない程疲れきっている。

 いや、実際二人は気絶するように眠った。

 時間をかけたくない三人には悪いが、せめて一時間はきちんとした休息を取らないと話にもならない。

 流石のサニアもソロで19層以降には行きたくないし、必要な代償だと割り切ってもらうしかないだろう。

 店の主人に頼んで出してもらった三つの長椅子に布を被せ、三人を寝かせる。その後毛布を持ってきて体にかけると、相棒が待っていた隣の席に座った。

 顔を見られないよう目深にローブを被り、一言も発さなかった彼女が喋る。

 「……本当に、いいのですか?」

 「ん、何が?」

 「あまり疑いたくはありませんが、彼等こそが『奴等』の仲間である可能性も考えられます。下手な同情は自身の命を危険に晒すだけなのですよ」

 「私だって同情だけで付いていこうと決めたわけじゃない」

 多めにチップを払ったサービスなのか、水を出してくれたマスターに礼を言い、喉を潤す。カランコロンと鳴る氷がどこか面白く、コップを傾けて揺れる水面を眺めた。

 「あの子達は気づいてないみたいだけど、普通、3層もぶち抜くような穴は存在しない。なら意図的にそれを作った相手が居る。わかるでしょ」

 「だからこそ、です。彼等を狙った罠であれば、手助けをするあなたまで危険な目に合いかねない。行くのなら、せめて私も」

 尚も言い募ろうとした彼女の口元に指をやって押し留める。何か言いたそうな雰囲気はあるが、素直に引いてくれたことに笑みを浮かべて、サニアは言った。

 「二人で来たら、この事を報告する人がいなくなるでしょ。だからダメ」

 【アストレア・ファミリア】は正義と秩序を守り、そのために悪を討つ者達が集う。そんな彼等が最も相手取る事が多い相手は、いつも決まっている。

 「『闇派閥が動くかもしれない』――この情報だけは、持って帰らないとダメなんだ」

 今までは小規模な小競り合い。だが今回は格が違いすぎる。

 【ロキ・ファミリア】で、ある意味『勇者』と同じくらい有名になり始めた『英雄』を殺すような罠。それが、もしかしたら闇派閥が『行動する』ための狼煙なのだとしたら。

 「こんな事はあんまり言いたくないけど、もし私が帰ってこなかったら、闇派閥は本格的に動き出したと思って」

 「そんな縁起の悪いことを」

 「あはは、だって私、自分で言うのもなんだけど結構有名だし? ……例え殺されるとしても、最後まで足掻くつもり」

 その言葉を最後に、二人は静かに押し黙る。片方は心配で、片方は覚悟で。

 ――私はいい。でも、利用する形になるこの子達だけは。

 サニアを諭せなかった事実に落ち込みながら、彼女は静かに時が過ぎるのを待った。

 一時間が経ち、それでも三人が起きなかったのでゆっくりと揺すって起こす。かなり眠たそうにしながらそれでも起き上がった三人だが、ふと我に返ったアイズが言う。

 「な、なんで私達を眠らせたの!?」

 何故ここに来たのか――目的を思い出した彼女達は慌てたように立ち上がると、眠らせた張本人であるサニアを睨みつける。が、彼女にはどこ吹く風、効果はなかった。

 「半分死んでるみたいに疲れきった人を連れてって倒れられたらこっちが迷惑。せめて行って戻れるくらいの体力はないと。そうでしょ?」

 うぐっと言葉に詰まる。何も言い返せなかった。

 それでもいち早く再起動したティオネが両手を叩くと、

 「過ぎた事にぎゃあぎゃあ騒いでも意味ないわ。アイズ、ティオナ。これ以上時間を無駄にしたくないのなら、速く支度をするべきよ。――当然、サニアは行けるのよね?」

 もし準備していなかったら、そう言いたげな眼光にちょっと驚くサニア。自分は彼女達くらいの時はどうしてたか、なんて詮無い事をつい考えてしまいながらも、

 「もっちろん。いつでもついていけるからね」

 内心を悟らせない笑顔を浮かべて答えた。

 

 

 

 

 

 暗い。

 どこを見ても真っ暗闇。魔道書を読んだ時とは正反対な真っ黒の世界。

 一瞬死んだかと思ったけれど、思考できるし五感もある。だからこれは、単に光源が無いだけだと気付いた。

 何があったのかはわからない。だが、少なくとも生きてはいる。だから息を殺し、起きたのを悟られないように努めて振舞う。

 その一方で意識を集中させて、周囲に何かがいないか探る。けれど、人も、モンスターの気配も何もない。仕方ないので薄目を開けて夜目に慣れさせていく。

 しばらくして、ちょっとだけだが周りの景色が見えるようになってきた。どうやら完全な真っ暗闇ではなく、どこかに微かな光源があるようだ。とはいえ、普通なら見えない。シオンがLv.3だからだろう、少しでも見えるのは。

 目だけを動かし、けれどやっぱり遠くは見えない。

 ――罠かもしれないけど。

 動かなければどうしようもない。動いた瞬間死ぬかもしれないが、どの道行動を起こす必要はあるだろう。

 思い切って上半身を起こす。

 何も起こらない。

 何かが動いた気配もない。

 あまりに不気味で、そこでやっと、自分が冷静になりきれてないのだと気付いた。

 ――武器がない。ポーチも軽すぎる。

 剣はもちろん、服の下に隠しておいた短剣や、ポーチの中に入れていた食料も無い。ただ感覚的に瓶が一つだけ残っているような気がした。

 意味がわからず混乱に陥りかけたとき、ふと後ろを振り向いた。

 ――一角兎(アルミラージ)

 モンスター。敵。反射的に数歩後退し、身構えた。

 こんなに接近されるまで気付かなかった自分を叱咤し、問題無いとは言え、自分の命を奪えるモンスターが目の前にいる事実に本能が警鐘を鳴らす。

 ――素手で倒すしかない。

 武器が無いけれど、Lv.3の腕力はそれだけで大きな暴力になる。ただのアルミラージなら拳で殺しきれる。

 だが油断はしない。腰を落とし、一気に接近して片を付けようとした時に、アルミラージと目が合った。

 ――あ、れ?

 理性が本能を押し留める。

 倒せと叫ぶ本能を、何かがおかしいと理性が窘める。

 理解できない、わからない事ばかりだけれど、今は理性を信じた。構えを解くと、何故かジッとこちらを見つめ続けるアルミラージに一歩近付く。

 ピクリと揺れたアルミラージ。それでもまだ動かないとわかり、もう一歩。

 それでも動かない。刺激しないよう、一歩一歩に間隔を開けていく。遂に手を伸ばせばその体に触れる位置まで来ると、シオンは膝をついた。

 片手を伸ばす。アルミラージの頬に触れる寸前までやり、止める。

 ――何が、したいんだろう。

 モンスターを撫でようとする、などと。

 誰かに言えば正気かとバカにされるような行動だ。それでも何故か、これでいいと思う自分がいるのに驚く。

 その体勢のまま固まっていると、顔を見ていたアルミラージが、伸ばした手のひらに自分から頬を擦りつける。毛に覆われた頬はふわふわで、ふさふさで、温かい。

 敵であるはずのモンスターが、ただの動物のように懐いてくる。その事実に、今までの『モンスターは全て敵』という常識がガンガンと叩かれ、罅が入るのを感じた。

 ――そもそも、モンスターって、何――?

 ダンジョンから産まれる存在。

 人を見つければ襲いかかってくる脅威。

 時には同じモンスターであっても殺し合う化物。

 ――でも、それって。

 ふいに、思う。

 ――人間と、何が違うんだ……?

 人は、人から産まれる。

 けれど、動物を殺し、食らう。

 同族である人間を襲い、犯し、奪う。

 ――人間(モンスター)モンスター(異形)が決定的に違うのは……。

 その答えに辿り付きかけた瞬間だった。

 「あつっ!?」

 ゴゥ、と勢いよく周囲に火が灯る。それは即座に炎となり、自分達を中心にして取り囲むように炎の壁が出来上がった。

 パチパチと爆ぜた炎の粉が皮膚に触れ、軽度の火傷となる。ここではダメだと判断すると、本当の意味での中心に移動する。ある程度炎の壁から離れたとき、ふと目線を降ろした。

 まるでアルミラージを庇うかのように両腕で抱きしめ、この体で守っている。

 ――アリアナに何か意見を……まだ、寝てるか。

 シオンとアリアナは五感を共有している。だがそれはシオンが優位であり、例えばシオンが眠るとアリアナも強制的に眠らされる。しかし、シオンが起きてもアリアナの方は起きない。彼女が自分から起きない限りは。

 そもそもアリアナの持つ知識はシオンの持つ知識よりも遥かに少ない。産まれてから――シオンが彼女を認識してから――の年数で言えば、彼女はまだ一歳なのだし、仕方ないが。

 つまり、この炎で囲まれた状況。

 ――決めるのか? おれが、一人で?

 敵であるはずのモンスターを守るか、否か。

 『シオン』という人間が、どう動くのか。

 それを見定める瞳に、彼はまだ、気づけない。




ベート&鈴、三人娘、シオンでそれぞれ動いてますが、そのせいかサブタイがどんどん厳しくなっていきます。
三者はフィン、サニア、それともう一人……。

鈴が若干憎まれ役やってますけど、別に嫌いな訳じゃありません。単にタイミングが悪かっただけです。
後鈴が仲間に襲われた云々は作中で説明した通り。
基本的に登場人物に対して現実的でシビアな対応するんで、察してください。
その内彼女も信頼できる仲間になります、きっと。うん。

名前を出さなかったサニアの相棒。原作読んだ方はもうわかってるな? 読んでなくてもわかるべきだ。
ヒント
【アストレア・ファミリア】所属。
『快活な』冒険者の相棒。
ローブで顔を隠す女性。
大丈夫、名前を出してなければ彼女は単なるモブの可能性があるからね!
――ただの詭弁とか言わないで。
(……出したかったんだもの)

シオンがモンスターを倒さなかった理由はちゃんとあります。
が、そこらへん含めて全部次回。

それと今日から大学始まりました。
そこで重要なのが、コマ見てる限りかなり頑張らないとダメそうで、頑張ると結構な時間を持ってかれます。
なので、若干更新頻度下げます。
流石に月一とかはありませんが、週一、最悪十日に一度、とかになりそうです。なるだけ頑張りますが、その辺りご容赦願います。

大学生活に慣れて何とかなりそうな目処ができたら戻す予定ですが、あんまり期待しないでください。

これからもきちんと書き続けますので、どうかお付き合いを!


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昔の借り

 ゴゥゴゥと音を立てる炎。その熱がシオンのところまで来ると、上がり始めた体温が熱を逃がそうと汗を流し始める。

 暑くて熱くて仕方がない。このままだと熱気で思考能力さえ奪われる、そうわかっていながらシオンは動けなかった。

 その原因は腕の中の兎、いやモンスター。

 近付いても、触れても、抱きしめても身動きせず、むしろその体を押し付けてくる。まるで普通の兎のように思えて、殺す、という選択肢が出てこないのだ。

 けれど、

 「~~~~~~~~~ッ!!」

 モンスターは敵だ、という『常識』がシオンの手を震わせる。

 油断させて、その額にある角で胸を貫くつもりなのだと、本能が叫ぶ。でも、そうするならとっくにやっていると理性が落ち着かせた。

 そもそも今はアルミラージの不可解な行動より、目の前の炎だ。どう考えてもこれは自然に起きたものじゃない。

 つまり、誰かが行ったこと。

 四方八方、全てを塞がれているせいで先が見えない。だから誰がやったのかもわからないが、どう考えてもこちらを生かすという考えには至らない。

 ――ジワジワと焼き殺すつもりか?

 蒸し焼きなんてごめんだ、と思う。

 効果があるのかどうかもわからないが座る。そうしてからもう一度周囲を見渡し、しかし炎だけが目に届く。熱波によって乾燥しかけた眼球を、瞼を閉じる事で潤す。

 目が良すぎるのも考えものだ。暗闇に慣れた目がいきなりの明かりに驚いているせいで、小さな違和感さえ見つけられない。

 それでもわかった点はいくつか。

 まず、この炎の熱量は相当なもの。

 次に、炎の壁は一定の密度を保っているから、火傷覚悟で突っ切れない。

 仮に何らかの方法で突破できたとしても、火を消そうとしている間に外にいるだろう誰かに殺されるのがオチ。

 ――どうしろってんだよ、この状況!?

 普段は泣き言を言わないシオンが、言いかけた瞬間だった。

 アルミラージが、シオンの胸に体重をかけてきた。それに体を固まらせて硬直し、遂に攻撃されるのかと思ったが、アルミラージは動こうとしない。

 不思議に思ってアルミラージの顔を見ると、薄目になっている。その上息が荒い。この状態に既視感があったシオンは、咄嗟に耳を触る。

 「あっづ!?」

 その耳は、凄まじい熱さを伴っていた。

 普通の兎と同じなのであれば、アルミラージは熱に弱い。当たり前だ、兎は全身を体毛で包まれているのだから。

 ――兎が暑いと思ってるかどうかは耳を触ればわかると本に書いてあったから、これはもう無理だというサインだ。

 シオンの限界とアルミラージの限界は同じじゃない。このまま放っておけば、遠からずアルミラージは高まった体温によって死ぬだろう。

 対処法はわからない。

 ただ、この熱波から逃れる場所を探せば多少はマシになると考えた。

 シオンは片手に拳を作ると、振り上げて、振り下ろした。一撃目は拳が地面に激突したときの轟音と、ピシリと何かがひび割れた儚い音。

 硬い、そう思いながら二撃目。ひび割れた地面を更に割って、欠片となった石を拾っては遠くに投げる。

 投げたら、殴る。

 殴ったら、投げる。

 それを何度か繰り返して、小さな穴を作った。ちょうど、兎が一匹程入る程度の小さな穴。シオンは穴の壁面に触れると、そこまで温かくなって無いのを確認。

 腕の中でぐったりしているアルミラージをその穴の中に入れて様子を見る。

 五分か、十分か。

 気付けば服を脱いでいたシオンは、上半身裸になっていた。汗が流れすぎて服があまりアテにならないと考えたのと、着込んでいる方が暑かったからだ。

 段々朦朧としてきた思考。気を抜けばふらりと倒れそうになる体を根性で耐える。耐えて意味があるのか、という弱気な言葉は、殴り捨てた。

 それから少しして、多少マシになったのか、アルミラージが頭だけを出してきた。けれどその顔を見るに、本当に少し回復しただけだ。

 この炎がいつまで続くかわからない。シオンもそろそろ限界だ。アルミラージも、シオンの後を追って死ぬのだろうか。

 死にたくないな、と思う。

 けれど、生き残れるかと問われれば、無理だと返す。汗を流しすぎれば水分が枯渇してそのまま死ぬからだ。

 ――水分が、枯渇?

 ふいに、ピンと来た。

 シオンはポーチに触れると、ガサゴソと漁る。そこから取り出したのは、一つの瓶。何故か残されたそれは、極小量の万能薬。一口飲めばそれで終わる程度。

 それを持ったまま、まともに動かなくなってきた体を引きずってアルミラージのいる穴のところまで移動する。

 暑そうにしながら、それでもシオンの顔を見上げるアルミラージの前に片手を差し出す。不思議そうに顔を傾けるアルミラージに答えず、シオンは瓶を傾けて手のひらに作った皿に万能薬を垂らした。

 「飲め」

 喉が乾燥したのか、掠れた声が漏れる。

 だが、届いたはずだ。なのにアルミラージは小さく首を振って、拒否を示す。

 「さっさと飲め。溢れる」

 それでも拒否。そして片手を伸ばすと、シオンを指差す。それはまるで『シオンが飲め』と言っているようで、小さく笑ってしまった。

 「これ飲んだって、焼け石に水だ。死ぬまでの時間が延びるだけで、もっと苦しみを味わう事になる」

 だからお前が飲め、そう言って手のひらをアルミラージの顔の下にやる。幾度か逡巡していたアルミラージだが、シオンに飲む気が無いと悟ると、渋々舌を出して舐め始めた。

 微かに感じる舌の感触に、訳のわからない感傷を覚える。

 そして、気付く。どうして自分がアルミラージを殺そうと思わなかったのか。

 ――そっか。こいつは、おれに敵意も、殺意も持ってなかったのか。

 シオンは、好意に鈍い。

 ただその代わりに、悪意に対してかなりの鋭さを持っていた。あらゆるところでトラブルを起こしまくったのが理由だろうか。

 あるいは、義姉が死んだ原因である、あの男のせいか。

 シオンは敵意か殺意を抱く人間に剣を向けるのを厭わない。実際――殺した事だって、ある。けれどそのどちらもない相手を殺すのは嫌だ。

 人でも、獣でも――モンスターであっても。

 単純な理屈だった。

 シオンはただ、殺意や敵意を向けられなければ、生き物を殺す自分を肯定できない臆病者。それを違えれば、自分はきっと狂い始める。

 極限状況、故にこそ悟った自身の本性に、内心で笑ってしまった。

 そうして自嘲している間にアルミラージは万能薬を飲み干していた。体調を万全にする万能薬を飲めば、熱さもどうにかなるだろう。

 その間に、もう一工夫。

 シオンはアルミラージを抱き上げると、一度穴の外へ出す。

 暴れるかと思ったが、不思議と暴れず、どころか運びやすいように体を密着させてきた。今のシオンは相当汗臭いと思うのだが、気にならないのだろうか。

 そんなくだらない思考をしなければ意識をつなぎ止められない。唇を噛み締めると、シオンは小さな穴に再度拳を叩き込む。

 地面が割れる。破片を投げる。ある程度の深さになったら壁面を殴る。また破片を投げる。縦の穴に横穴を作り上げたシオンは、そこにアルミラージを入れた。

 「これなら、多分……お前は生き残れると思う」

 本格的にダメになってきた喉を押して話す。

 「兎は、体質的に汗を流せない。だから、この熱気をどうにかできれば、水分が枯渇して死ぬことは無い、と、思う」

 獣医ではないシオンには、聞き齧った知識で何とかするしかない。

 そう、シオンは初めから自分が生き残る選択肢を入れていなかった。だって、先程自覚した自身の欠点が、シオンだけが助かるという選択肢を潰してしまうから。

 だから、残った選択肢は二つ。

 どちらも死ぬか、アルミラージだけを生き残らせるか。

 シオンは後者を選んだ、それだけの事だ。

 横穴から顔だけを出すアルミラージに、シオンは手を振って引っ込ませようとする。けれど、その前にふと思い立ち、投げ捨てていた服を持ってくる。

 ほとんど這うようにして服を取り、戻ると、シオンは親指を噛んだ。痛みと共に吹き出た血を服に押し付けて、文字にする。

 あまり長い文章は書けない。だから、単純なものを。

 『無茶せず、無理せず、生き続けて、幸せを掴め。シオン』

 自分が言うべき言葉ではないが、これでいいと思ったシオンは文字を乾かす。乾ききったら服を引き裂き、文字の書いた部分が汚れないよう、引き裂いた物で包み込む。

 それを手を伸ばして縦穴の底に置くと、言う。

 「これを、おれの仲間に、渡してくれないか? できればで、いい」

 未だに顔を出すアルミラージに、お願いする。

 「おれと同じくらいの背丈の狼の少年と、金色の髪をした女の子と、褐色肌の三人娘。それがいるパーティに、渡して」

 あくまで自分の命を最優先に。

 身勝手ながらもそう願うと、手を伸ばしたまま、シオンの体が力尽きるように脱力する。消えかけた意識が、ふと呟いた。

 「本当は……おれだけが助かる方法は、あったんだ」

 それはもしかしたら、じっとシオンを見つめるアルミラージの疑問に答えるためだったのかもしれない。

 ――どうして自分を助けたのか、という、疑問に。

 「お前の体をバラバラに引き裂いて、血を全身に浴びれば、炎の壁を突っ切れた。炎に焼き尽くされずに、生き残れた」

 絶対に助かるとは言えない。でも、助かる可能性が高い選択肢。

 ただこれを選ぶには、『アルミラージを殺す』という事が前提条件。そしてシオンは、敵意も殺意も持たないこの兎を殺せなかった。

 「死にたく、ないなぁ……」

 ふと、頬を伝う涙。それがシオンを更に追い詰めるとわかっていても、勝手に流れてしまう。そうして、シオンの意識が途切れた。

 ポタポタと降り落ちる涙がアルミラージの顔に当たる。横穴から這い出たアルミラージは、ダラリと揺れるシオンの指に顔を近付けると、舌を伸ばして舐めた。

 動かない指を、ずっと。

 

 

 

 

 

 「――で、あんたはこれで満足かよ?」

 「フン。所詮ハアノ人間ノ気紛レ。ソレダケノ事ヨ」

 「信じられないっつーから、オレっちだって嫌々やってやったのにまーだ言うか」

 「当然。……ダガ、約定ハ約定ダ。貴様ガスル事ニ干渉シナイト誓オウ。シカシ」

 「しかし? んだよ?」

 「アノ人間ト接触シタ責任ハ、貴様ガ取レ。他ノ者ヲ巻キ込ムナ」

 「わかってるさ。関わる関わらないはオレっち達の自由。その結果命を落とすとしたら、オレっち一人で終わらせる」

 「……愚カ者メ」

 「こんなとこに留まり続けるよりも、外に出るための努力がしたい。そのためなら、あんたが言う愚か者で十分さ」

 

 

 

 

 

 サニアの剣閃がリザードマンの体を斬り捨てる。魔石ごと両断され灰となるリザードマンに目もくれず、サニアは走った。

 小さく頭と目を動かして戦況を把握。そして比較的近く、更にちょうど良くバグベアーの拳を大剣で受け止めていたティオナの元へ。接敵する寸前に小さく地面を蹴り、縦に回転。同時に視界も回るが慣れたもので、サニアはバグベアーの頭を輪切りにした。

 ――アイズは問題なし、ティオネもきちんと距離を取ってる。

 ティオナも前衛壁役として申し分ない。子供だから仕方ないとか、そういう理屈はダンジョンで通じないので、正直ホッとした。やはりLv.3になったという事実は伊達じゃない。

 常に目を向ける必要は無い、と判断すると、サニアはティオナと協力して襲いかかってくるモンスターを処理し続けた。

 基本的に魔石は回収しない、高く売れそうなドロップアイテムだけ回収――魔石を取り出すのに時間をかけたくない――している。そういう方針だから、サニア達は情け容赦なくモンスター共の急所である魔石を狙っている。

 例外的にその急所を狙いにくいモンスターだけは首を狩っているが、亡骸はそのまま無視していた。

 「ほっと」

 気の抜けそうな掛け声。しかしその一撃は正確で、ガン・リベルラ数匹を十字に切り裂く。縦横無尽に駆け巡る彼女の足が止まるのは、相手を全滅させた時のみ。

 ――まるでベートみたい。

 ただベートと違うのは、サニアが敏捷以外に力もきちんと伸ばしているところか。短剣二刀使いではなく双剣使い。遊撃どころじゃない勢いで敵の命を刈り取る姿は死神のよう。

 サニアの姿が消える。元々の動体視力が良いはずの三人でも、初動が見えない。速度どうこうではなく、技術的な問題だ。

 移動する時、本来なら風圧で揺れるはずの髪がほとんど揺れない。その事実が、サニアの歩法の凄まじさ、その一端を覗かせる。移動速度でどうしても劣るアイズ達は、サニアと比べて殲滅速度がイマイチだった。

 一度モンスターの波が引くと、息を吐いて脱力する。緊張は途切れさせない。脱力から全速を出すための緩急のつけ方は覚えているが、緊張が途切れていてはそれができないからだ。

 振り向いたサニアは、特に違和感なく歩いてくる三人を見て頷く。痛みを庇っている様子は無さそうなので、休息はいらないだろう。

 「それじゃ、次の穴を飛び降りようか」

 コクリと頷き返す三人。

 そして、四人は眼前に広がっていた下層への穴へと、躊躇なく飛び降りた。

 下層から上層へ行くのと違い、上層から下層へ行くのは比較的簡単だ。今四人がしているようにダンジョンの各地に点在する穴を飛び降りればいい。が、それはただ『行く』だけの場合。前提として『安全』に行くのであれば、今いる階層と、その一つ下の地図をある程度覚えている必要があった。

 「あの、飛び降りてから言うのもなんだけど、本当に大丈夫なの? 迷ってないわよね」

 「大丈夫だって。その為に移動速度を落として道を確認してるんだからさ」

 今、四人はちょっと早足程度の速度しか出していない。現在位置がわかるのがサニアただ一人しかいないので、頼れるのは彼女の記憶のみ。正規ルートを使わないのがこれ程までに不安を覚えるのかと思うティオネだが、そう考えているのは彼女だけらしい。

 アイズとティオナは前しか見えていなかった。

 ふぅ、と小さく息を吐くティオネ。正直なところ、ティオネはサニアを信用できていない。【アストレア・ファミリア】の名は知っているが、罠を警戒しない理由はどこにもないからだ。

 だから、聞いた。

 「どうしてサニアは私達を助けようとしてくれたの?」

 ティオネは覚えている。この依頼を受ける寸前、サニアが奇妙な事を聞いたのを。借りがあるのに、まるで一度も会ったことがないと言いたげなあの言葉。

 できるだけ不信感を出さないよう、不思議そうな声音を出すのに苦心したが、その甲斐があったのか、サニアはあっさり答えてくれた。

 「なんて言えばいいのかな。単純にお詫び、とでも答えればいいのか」

 「お詫び……?」

 「そ。何年か前にさ、うちの子達が君達のリーダーにちょっかい出した事があるの。それを許してくれたから、借りがあるって訳」

 明言しなかったが、あの頃のシオンは良い噂と悪い噂が錯綜していた。そのせいで、『火のない所に煙は立たない』と逸ってしまった団員数名がシオンのところへ押しかけた事がある。

 詳しい問答は聞かせてくれなかったが、結果から言えばシオンと戦闘を開始してしまい、人数差から殺してしまう寸前までやってしまったのだ。……こちらも半分近くが大怪我をさせられてしまったのだが。

 騒ぎに気付いた団長が行かなければ、怒り狂った彼等はシオンを殺し、その後【アストレア・ファミリア】は【ロキ・ファミリア】の報復で地上から消滅していただろう。そうでなくともその悪い噂は真っ赤な嘘で、完全にこちらが悪い状況。

 何をされても文句は言えない――正義と秩序を掲げているのに。やったのは何の罪もない冒険者を半殺し。最低だった。

 トドメがオラリオの住民達からの非難。シオンはその時までに相当数の人助けをしていたからなのか、住民達からかなり信頼されている。

 もしあの時、シオンがフィン・ディムナと住民達を収めてくれなければ。いくら【アストレア・ファミリア】と言えども、その後の活動は酷くやりづらくなっただろう。

 逸った団員は当然解雇(クビ)。彼にお詫びの金はもちろん、その他にも走り回る必要があった。

 ――この一件がシオンと、目の上のたん瘤である【アストレア・ファミリア】を一気に消すための策だと気付いたのは、半年以上経ってからだった。

 オラリオのどこにでもいる闇派閥。そんな悪に対抗するための【アストレア・ファミリア】。だから自分達が狙われるのはわかる。

 ――でも、どうしてそこにあの子を巻き込んだんだろう?

 それが、サニアと相棒、団長の疑問だった。邪魔な自分達の排除はともかく、関係ないはずの子供を利用した訳。でも今なら、わかる。

 ――闇派閥は、彼を狙っている。それも執拗に。

 理由はわからないが、そもそも狂人の集団である闇派閥にそんな事を問うことが無意味だ。サニアは三人の顔を見る。

 「そろそろ次の穴、降りるわよ」

 あまり時間はかけられないし、と言ってサニアはまた穴へと落ちていく。

 今は必要以上に闇派閥を考えない。今のサニアに求められている役割は案内人。まずはその役目を果たすべきだから。

 およそ三時間から四時間。ありえないペースで四人は25層にたどり着いた。しかも24層から25層への道は正規ルート――つまり、階段で降りていた。

 「もしかして、19層からずっとあそこでグルグル回ってたのって」

 「24層から25層へ繋がる階段のところに行くためだよ」

 その回答に舌を巻くティオネ。流石Lv.4というべきか。熟練冒険者(ベテラン)の名は伊達じゃない。

 「そんなのどうでもいいから、速く25層の案内をして!?」

 アイズがサニアの服を引っ張る。その顔には今まで堪えていた分が溢れるような焦燥感が満ち満ちていた。

 それも、仕方がないのだろう。シオンが落ちてから既に十数時間。本心ではアイズだってわかっているはずだ。

 シオンは、もう――。

 それでも諦めきれないのはティオネにだってわかる。認めたくないし認められない。だからこそサニアに頼み込んでまでここに来たのだから。

 「はい、一旦落ち着く! 助けたいのはわかるけど冷静さは大事。その人を助けられても、君が大怪我してたら悲しまれるんだからさ」

 「大怪我なんてどうでもいいよ……シオンが死ぬのに比べたら」

 こりゃ重症だ、とサニアは天井を仰ぐ。何を言ってもこの子には意味がない、そう判断すると彼女の頭に手を置いて、撫でた。

 不思議そうに見上げてくるアイズに言う。

 「仕方ない。お姉さんがフォローしたげる。それなら大怪我しないで済むだろうからね」

 「あ、ありがと……」

 「そっちの二人もね」

 「十分間に合ってるわ。ティオナのフォローは私がするし。……目の届かない部分だけ、お願いするけど」

 「アハハ……私はそもそも目の前しか見ないから。皆に任せるね」

 ある意味自然体の二人。内心どうあれ、冷静さは忘れていない。アイズに注意していれば問題はなさそうだ。

 遂に踏み入れた25層。雰囲気が変わったように見えるのは気のせいか。単にアイズ達の心が影響しているのか。

 わかるのは、モンスターがアイズに蹂躙される、ただそれだけだ。

 「アアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァッッ!!」

 今まで抑えに抑えた感情を爆発させるように惜しみなく魔法を発動させる。体力的には限界でも魔力的には余裕がある。後先考えない彼女は、今だけサニアよりも活躍していた。

 それもサニアが敢えてモンスターを引き付けているところを襲撃しているからなのだが、アイズにとってはモンスターを全滅させて先に進めればそれでいい。

 ――さて、どう行くべきなのかな。

 アイズが敵を倒している間に少しだけ思考をこの先へ向ける。

 ――シオンがこの階層に行くのは、彼女達の言葉が間違っていなければ確実。

 だが25層の広さは相当なものだ。全てを回ろうとすれば一日二日では足りないだろう。運良く見つけられるかどうか。

 そもそも彼が死んでいたら。わかる程度の死体があればともかく、ただの肉塊になっていたらもうどうしようもない。

 ちなみにシオンが自力で24層へ上がった線はあまり考えていなかった。ダンジョンはそんな甘っちょろい場所じゃないから。

 冷たい話ではあるが、サニアはシオンの死体があればめっけもの。その程度の思考でここまで来ていた。

 貸し借りを返す。闇派閥がいるのかどうかを探る。もしかしたら今回の一件で【ロキ・ファミリア】の力を借りれるかもしれない、そんな大人の思考で。

 だから――本当に驚いた。

 十字路の奥から飛んできた一匹のデッドリー・ホーネット。それを十字路の横から飛んできた人影が膝蹴りを叩き込んで胴体を引き裂く。

 「ふぅ……後少し、と」

 その人影は、こちらに気付いているのかいないのか。首を鳴らし、小さく呟いている。

 「ぇ……あ……!」

 白銀の髪を揺らす小さな子供。それを見たアイズは、言葉にならない声を出し、ふらふらと近づいていった。それで、サニアは悟る。

 ――もしかして、あの子が?

 「しお……シオン!」

 「ん、誰だ?」

 振り向いた横顔は、いつもアイズが見上げるそのもので。

 「――アイズ?」




4/1から今日まで大学休みなし。体バッキバキで気力がヤバいです。新学期が始まった、あるいは新入社員で会社に行き始めた人も辛いでしょうね。

さて、今回はシオンを見つけたところまで。
シオンが炎の中で倒れた後の話と、再開シーンは次回。若干クオリティが下がっている気がするのは気のせいではない。
気力体力が削られすぎてやばいのですよー!

時間が無いからゲームも小説読むのも書くのもまともにできないし、速く落ち着きたいものです。


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一つの終わりと一つの縁

 自身の名を呼ばれたその瞬間、アイズは全てを忘れて駆け寄ろうとした。その顔を、声を、またこうして見れた事に溢れ出る感情を堪えるだなんてできなかったから。

 だから、アイズは今にも襲いかからん表情で彼女を睨んだ。

 「どうして、邪魔するの?」

 アイズの体を押さえ、険しい表情でシオンを見つめるティオネを。けれど何も答えない彼女に歯噛みするしかないアイズは、ティオネを無視して体に力を入れた。

 だが、その一瞬の隙を逃さずティオネはティオナの目を見ると、妹は何となく察したかのように頷き、代わりにアイズを拘束してくれる。

 ――余計な心配だと思うよ?

 そんな、呆れたような顔を返されたが。

 しかし何もわかっていないアイズは、ティオナでさえ自分の邪魔をするのにショックを受けたような顔をする。このまま動かずにいれば魔法を使って大暴れされそうなので、その前にティオネは一歩、足を前に出した。

 そんな一幕を黙って見ていたシオンは、ティオナと同じくティオネの思考を読みきれていたらしい。小さく苦笑すると剣をしまった。

 「シオン」

 「なんだ、ティオネ」

 呟くように呼ぶと、シオンも同じ声量で自身の名を呼び返す。その仕草と独特の癖は、確かにティオネをして『シオン』のものだとわかる。

 わかる、が。

 「あんたは――本当に、シオン?」

 キッとシオンを睨みつけるティオネは、今目の前に立つシオンを()()()()()

 「な……ティオネ、何言ってるの?」

 苦笑するシオンに代わって答えたのはアイズだった。理解できない、そう言いたげな彼女の顔を一瞥するとすぐシオンの方を向きなおし、答える。

 「私自身の推測と、サニアからの意見を聞いて纏めた結果、今回の一件には何か人為的な物があるとわかったわ」

 小さく息を呑む気配が、二つ分聞こえる。アイズは当然、あまり知識を得ようとせず、考えるという事を丸投げしていたティオナもわかっていなかったようだ。

 「だから、25層に落ちたシオンはモンスターか、あるいはそいつらに殺された可能性が高いと踏んでいたの。――そう、考えていた」

 しかし現実は違う。シオンは今、こうして生きている。24層に行くための階段付近にいるおまけ付きで。

 「それなのに、あんたは今こうして、私達の前にいる。広大な25層を、たった一人で踏破してきて」

 そんな『偶然』を信じ切れるほど、ティオネはお人好しじゃない。

 「もう一度聞くわ。――あんたは、()()()()()()シオン?」

 闇派閥の誰かがシオンに変装したのか。

 あるいは本当にシオンなのか。

 それがわからない限り、ティオネはこれ以上シオンを近づけられない。暫定的にもリーダーを預かっている以上、『最悪』は想定して然るべきだから。

 シオンはしばらく考えていたが、ふと思い立ったように背負っていた剣をアイズ達の方へ軽く滑らせる。それは傷つけるためではなく、武器を無くすための行いだった。

 そして両手をあげて抵抗の意思は無いと示しつつ、ティオネに近寄ってくる。まさかの対応に出遅れたティオネは、しかし、

 ――シオンは、短剣を持っていなかった?

 ふと脳裏に過ぎった思考に、ゾクリと背筋が凍った。もうシオンは目の前にいる。もし短剣を素早く取り出されたら、回避できる暇が無い――!

 加速した時間の中で、ティオネの瞳はシオンの行動を捉える。片手が下げられ、何かを持つように力が緩められる。もう片方の手はティオネの肩に下ろされ、そのまま彼女を押さえつけるように力が込められた。

 逃げられ、ない。

 そう悟ったティオネの体が強ばった瞬間、

 「――――――――――」

 「……え?」

 シオンの口から放たれた言葉に、ティオネの思考は完全に凍りついた。バッと身を離してシオンを見れば、イタズラに成功した子供のような無邪気な笑顔を浮かべている。

 そして、そんな笑顔に毒気を抜かれてしまう。そうやって余裕ができるとさっき言われた言葉に意識を向ける余裕がでてきて、

 「……? ――!? ~~~~~~~~~~~~~~~!!」

 その内容に、ひたすら悶絶した。

 「な、なんであんたがそれ知ってるのよっ!?」

 奇声をあげて悶絶していたティオネにドン引きしたように身を引いている四人に気づかぬままシオンに詰め寄る。

 詰め寄られた当のシオンはまだ笑っていて、

 「いやぁ、ティオネ以外誰も知らないはずの事を知ってれば、証拠になるかなって」

 クスクス笑うシオンに、ティオネは顔を真っ赤にして襟首を掴んで揺する。そのまま脅すように低い声を出した。

 「言うな。誰にも言うな。言ったら」

 「言っちゃったら?」

 「――切り落とす」

 何を!? と思わず固まるシオンの胸に、ティオネは一度、額を押し付けた。

 「お、おい?」

 「……何でもないわ」

 何でもないにしては声が掠れているし、鼻声のような気がする。けれどティオネは顔を俯けたままシオンに背を向けると、ティオナに言ってアイズを解放させてやる。

 アイズは困ったように眉を寄せてティオネを見るから、彼女の頭に手を置いて言った。

 「安心なさい、どうやらアレは本物みたいだから」

 「う、ん。……ごめんね、ティオネ」

 なぜ謝られたのだろう、と首を傾げながらアイズを見送ると、ティオナが近寄ってくる。

 「あんたは行かなくていいの?」

 「あー、私としてもシオンに抱きついて、良かったって言いたいのは山々なんだけど」

 珍しく歯切れ悪い妹の態度に疑問を覚えていると、やがて意を決したように向き直り、

 「泣いてる姉が、心配だから。アイズに遠慮したげる」

 「え?」

 泣いている――そう言われて目元に手をやると、小さな水の粒が付着していた。ああ、アイズが誤ってきたのはそのせいか、と妙に冷静な気分のまま理解する。

 自覚すると、ティオネの胸中に浮かんだのは多大な安堵と、喜びと、そして小さな怒りが綯交ぜになったもの。

 それが溢れたのは、押さえつけていた想いが解消されたからだ。

 ポタポタと頬を伝って落ちていくのを何度も拭って、ティオネは泣く。

 言いたい事は色々あった。けれど、シオンを見た瞬間、本当に彼女が言いたかったのは、疑いの言葉ではなく。

 ――生きてて、よかった。

 たったそれだけの、簡単なものだったのに。

 ティオネはその立場故にそうできなくて、喜びを誤魔化して疑うしかなかった。そうまでしたのは自分の、ではなく後方にいた者達の安全のため。

 それがわかったから、アイズは謝ったのだ。全てを押し付けた事に対して。

 「い、いいのよ、私は別に。それに、私よりもあんたが泣くべきでしょ? だってティオナは」

 「うん、でもいいんだ。私もシオンが落ちた時は心配してたし、生きてるってわかれば安心できたけど」

 信じてた、とティオナは言い切る。

 「シオンは絶対に生きてるって信じてたから、大丈夫」

 だから、

 「私の代わりに、ティオネが泣いて」

 「……わ、私は別に、シオンが好きな訳じゃないのよ。ティオナが泣かないのに、私が泣くなんて意味がわからないわ」

 「あれ、そんな事言っちゃうの? ティオネだって知ってるのに」

 小さく笑うティオナは、本当に気負った様子が無い。

 「――恋する乙女は強いんだって」

 だから大丈夫なのだ。強がりでもなんでもなく、泣かなくたって平気。

 「でもティオネは、シオンと仲の良い友達で、パーティの仲間って関係だから。『生きていて』とは思えても、『生きている』って信じきれなかったんじゃないかな」

 その些細な違いが、ティオナとティオネの差異。

 「だから、ティオネは泣いても不思議じゃないんだよ?」

 意味がわからない。わからない、が――。

 敬愛する団長、フィンがシオンと同じ状況になったら、ティオネも生きていると信じぬけるような気がしたから、その妙な理屈に納得してしまった。

 納得してしまえば後は速い。本格的に泣く前に、ティオネは言う。

 「……泣いてる姿は、見られたくないわ」

 「私の後ろに隠れてたらいいんじゃないかな」

 それに素直に甘えて、ティオネはただ、シオンが生きていた喜びで涙した。

 

 

 

 

 

 「……気まずい」

 ちなみに、遠くから彼等を見ていたサニアは、接近してきたモンスターをひたすら狩っていたりする。

 「いつ近寄ればいいのかなぁ」

 どうにも近くにいける雰囲気じゃないので、彼女はそうボヤいていた。

 

 

 

 

 

 「シオン、だよね」

 「おう。アイズもよく知ってるシオンだが」

 言外に、紫苑の花や他のシオンではないと冗談を口にしていたが、アイズにはそれを気にするだけの余裕がなかった。

 落ちていくシオンに絶望して、誰からも止められて追いかけられない自分の弱さに歯噛みして、焦燥感を抱えながら助けを得て――こうしてシオンの姿を目の前にしても止められて。

 グチャグチャに掻き混ぜられた感情に名前を付けるには、余りにも意味不明にすぎる。だけど今抱えている感情は、とてもわかりやすい。

 アイズは脱兎の如く駆け出して、シオンの体に抱きついた。驚きながらもアイズを受け止めるシオンの体は汚れていたが、そんな些細な事を気にしていられない。

 「……っ」

 シオンだ、とわかる。シオンの内側にある『何か』の力が感じ取れる、だけではない。そこにいるだけでも、アイズにはシオンだとわかるのだ。

 だけど、見るのと触れるのでは大違い。確かにそこに存在している確信を得たアイズは、抑えていた感情を解き、

 「う……ぁ……良か、った」

 ただ静かに、涙を流す。

 大声で泣き叫ぶには、抱えていた感情が多すぎて。震える唇から漏れる声は、意味のなさない音の羅列。けれど、それがアイズの想いを如実に表していて、シオンは困ったように眉を寄せながらアイズの頭を撫でた。

 頭を撫でられると、アイズの体が小さく跳ね上がる。しかしすぐに揺れはおさまり、ただ静かに撫でられ続けた。

 一体どれほど涙し、頭を撫でられたか。泣きすぎてちょっとだけ意識が朦朧としていたアイズはその声に目を覚ます。

 「そろそろ、私も疲れてきたんだけどなー」

 困ったように、けれど微かな疲れを滲ませているその声の主は、

 「……誰だ?」

 「あ、初めまして。君がシオン、でいいんだよね。私はサニア・リベリィ。【アストレア・ファミリア】って言えば、わかりやすいかな」

 「大体わかった。ティオネ達に力を貸してくれてありがとう」

 「あはは、どういたしまして。こっちとしては借りを返すのと、色々思うところがあったからってだけなんだけどね」

 続けてサニアは、本当はもうちょっと時間をあげたかったんだけど、モンスターが近づいて来るから、と前置きして、

 「そろそろ移動しないと、私でも処理できない量になるから、さ。感動の再会は終わりにしてもらえる?」

 「ご、ごめんなさい……」

 思い切り時間を取らせたアイズとしては赤面ものだ。シオンから距離を取って、恥ずかしさに顔を下げてしまう。

 そんなアイズを見て一瞬からかいたそうな顔をしたサニアだが、状況が状況なのですぐにその感情を引っ込める。そして仕草でシオンの剣を返すように伝えると、

 「それは気にしてないからいいよ。ところで、シオンはまだ戦える? 戦えないなら移動のペースは考えるけど」

 その言葉に三人がシオンの体を見つめる。よくよく見ればシオンの体はかなり汚れている。だけじゃなく、かなり傷ついていた。

 服は返り血と、異様に乾ききって乾燥している部分が混在している。顔や体も、まるで水分が抜けきっているかのようにカラカラだ。細かな傷もあって、そこから血が流れてもいる。骨折や手足の切断なんかの重傷を負っていないだけマシだが。

 「問題ないよ。さっきまでこれで戦ってたんだし」

 念のため回復薬を飲んで体力を回復。それでも心配そうにする三人を他所に、シオンはサニアの横に立つと、

 「それじゃ、おれとサニアで前方の敵を処理。三人は後方と左右の警戒、敵が近づいてきたらあしらってくれ」

 『指揮高揚』を使って【ステイタス】を補助(ブースト)

 初めて感じる背中の熱に戸惑ったような目を向けるサニアを置いて、シオンは駆けた。

 流石というべきなのか、シオンとサニアのコンビは目を見張る働きをした。『指揮高揚』の効果もあって、上へと行けば行くほど敵を処理する速度が上がっていく。

 「すっごい便利だね、これ」

 思わずこの『スキル』の詳細を知りたくなったサニアだが、そういうのを聞くのは御法度なので聞くに聞けない。

 もしシオンが【ロキ・ファミリア】に加入したばかりならスカウトどころか無理矢理引き抜いたかもしれないほど強力なスキルだと思うのに。

 モヤモヤとした物を抱えたまま18層に戻る中で、サニアはそういえば、とシオンに聞いた。

 「君を見つけた時に『後少し』とか言ってたように思えるんだけど、アレって何?」

 「え? ああ……そういえば言ってなかったな」

 どうにも慌てっぱなしで言う余裕が無かったのだから仕方ないが。

 「25層でおれが生きてたのは、助けられたからなんだ。それがなかったら、多分死んでたと思うよ」

 「助け……? どんな人?」

 「……かなりの強面? リドって言うんだけど――知らないか」

 「知らないなぁ。そんな名前の人いたっけ」

 なら偽名かもしれないな、とあっさり言うシオンに、ティオナとティオネは疑問を覚えた。けれどそれが形になる前にシオンは続けて、

 「少なくとも嘘を教えられた訳じゃないし、それでいいよ。次にいつ会うかもわからない相手だしな」

 そう言われてしまえば、誰も何も言えなかった。

 サニアなんかは、

 ――闇派閥の人? でもシオンを助ける理由がないし……。

 と考えていたが。

 そう、誰もその疑問を口にしなかった。気づいてすらいなかった。

 シオンはリド、という名前しか告げていない事実。つまり、そのリド某は、ソロでダンジョンに潜っていた可能性が高い、という事に――。

 

 

 

 

 

 25層から18層へ、ありえない速度で戻る。

 Lv.4のサニアと、それに迫るシオンが敵を処理。二人には劣る物の足の速いアイズ、ティオナ、ティオネが追随しきった結果だ。

 途中でアイズの魔力が切れない程度に風の魔法による追い風を使ったのも理由だろう。18層へ戻った瞬間、体がクタクタになっていたが、それでも戻ってこれた。

 「時間にしてみれば一日程度なのに、何十日も経った気がする……」

 18層の大樹を見上げながらそうボヤくシオンに、三人は凄く同意したかった。

 サニアはといえば、まだ体力が余っていたので19層から18層まで自分達を追いかけてくるモンスターの処理をしている。このまま追いかけられると迷惑だからだ。

 そして、モンスターの処理を終えたサニアと、『二人』が彼等を視認したのは同時だった。その二人を、少し遅れてシオンも見つける。

 けれど、二人を見つけても動く気力の無かったシオンと違い、二人は余力があったらしい。片方は最後の気力を振り絞るように走ってきた。

 「シオン、アレって」

 「予想通りだと思うぞ?」

 シオンの近くで座っていたアイズがシオンに問えば、すぐに返される。その顔に浮かんでいるのは何だったのか、アイズにはわからない。

 「――よう。どうやら生きてたみたいだな」

 「何とかな。気絶しそうなのを堪えてる状態だけど」

 「ハッ、死んでないだけマシだろうが。それともどっかで野垂れ死ぬのをお望みか?」

 ただ、シオンとベートはお互いが何を思っていたのか、わかっていたらしい。

 見上げるシオンと見下ろすベートの間には少しの距離がある。横を見たアイズはフィンを見つけたが、フィンはシオンの顔を見て安心すると、すぐにサニアのところへ移動してしまう。

 「いやぁ、まだ死ぬのはゴメンだね。やりたい事は色々とあるし」

 「……そんなら、あんな無茶な真似は自重する事だ」

 何時も通りの掛け合い。

 だが、そんな掛け合いができる事自体が奇跡のような物だと、わかっていた。ベートはシオンの前で片膝を付くと、シオンの胸――心臓のある部分に、拳をぶつけた。

 微かな痛みに片目を閉じて耐え、ベートを見る。しかしベートはその前髪で自身の目元を隠していて、顔を見るのを許さない。

 「…………………………が」

 「え?」

 「なんでもねーよ、バーカ。ったく、無駄に疲れる事させやがって」

 あっさり離れていくベートに、アイズは何がしたかったんだろうと首を傾げてシオンを見る。そのシオンは苦笑を浮かべていた。

 ――心配かけさせんな、クソが。

 本当に素直じゃない、そう思いながらシオンは離れたところで天上を見上げるベートに、ありがと、と口だけで答える。

 聞こえていないその言葉に応えるように、ベートの尻尾がふらりと揺れた。

 

 

 

 

 

 「……生きていた、らしいな」

 そんな光景を、気づかれないように見ていたリヴェリアが言う。

 フィンの後ろを追っていた二人。本来なら追いつけないはずなのだが、ベートが疲弊しきっていた事と、フィンが二人の存在に気付いて速度を抑え気味にしていたから、こうしてここにいるのを許されていた。

 リヴェリアの顔にあったのは安堵。しかし魔道士たるもの『大木の心』持つべきだという自論があるリヴェリアの顔は、傍から見れば全く動いていない。わかるのは近しい者くらいだろう。

 当然鈴にはわからないが、そんな事を気にしている余裕は無かった。

 ――本当に、生きていた。

 生きていると皆が言い、助けるために行動して、そして、シオンは帰ってきた。もし何もしなければ、シオンは生き残れなかったかもしれない。

 実際に状況がわからないから想像するしかない鈴は、羨ましいと素直に思った。

 ――互いが互いを信じ合う。言葉にすれば簡単なそれも、現実にすれば難しい。

 それを容易にしてしまう彼等の関係が、羨ましい。

 人を、仲間を作るのを恐れていた鈴には、縁の無い関係だったから。

 「あの者達を――信じても、いいのだろうか」

 「私には何も言えない。お前の事はフィンから多少、聞いているが……過去の出来事を吹っ切るのは難しい」

 実際、シオンは、そう言いかけて思い留まる。代わりに言ったのは別の事だ。

 「それでも、信じてみたいと思い至った時点で鈴、お前は変わろうとしている。その想いを変えずにいれば、近い未来、心底から信じられるようになるさ」

 「そう……ありたいものだな」

 本当に――そう思う。

 

 

 

 

 

 「やはり、これは人為的な物なのか?」

 「そっちもそう思ってるなら、ほぼ確定だと思うよ。闇派閥がどうしてあの子を狙ったのかは知らないけどね。そっちは知ってるの?」

 「…………………………」

 「……言いたくないなら聞かないでおくね」

 「すまない、ありがとう」

 「ううん、正直私は関係ない事だから。それで、もし闇派閥が本格的に動き出したら、そっちはどうするつもりなのか聞いても?」

 「こちらとしては奴等を倒すのに依存無い。ただ、【ロキ・ファミリアは】僕の私物じゃない。あくまでロキが作り上げたものだ、自由にはできない」

 「……そう。残念」

 「ただし」

 「……?」

 「僕の――『勇者』としての力はいつでも貸そう。今回の出来事は僕も頭にきているからね」

 「それだけで、十分です。あなたの勇気に感謝と、仲間を傷つけられた怒りを察します」

 

 

 

 

 

 ある程度休憩してから地上へ戻る間、シオンは色々言われまくった。そりゃもう散々に言われまくった。

 体力よりも精神的な疲労に肩を落としてホームに帰り、ロキの突進をどうにかやり過ごして体の汚れを洗い流すと、ご飯を食べるのも面倒だとかっ食らって自室に戻り。

 ほぼ死に体で戻ったシオンは、誰にも言わなかった紅色の宝石を取り出した。ヴィーヴルにとって何より大事なその紅色の宝石の輝きに目を細めると、シオンは机の引き出しに入れた。

 「鍵、作らないと」

 それからこの宝石を保管する箱も。

 しかし今は、それをするだけの気力がない。倒れるようにベッドに横になる。そして、眠る寸前にシオンは思い返した。

 リドに出会ったその瞬間を――。

 乾ききった声で呻きながら、シオンは目を覚ました。

 「う、うん……?」

 思い通りに動かない体と、奇妙な視界に疑問を覚える。目の前にあったのは、乾燥させた枝のように荒れ果てた腕。

 誰の――そう思いかけて、これが自分の腕だと気付く。ゾッと背筋を泡立たせ、すぐに立ち上がろうとするも、棒のような手足は動いてくれない。

 そんなシオンの口に何かが突っ込まれる。気配を感じなかったせいで混乱しかけたが、口の中に入ってきたそれがよく知る液体だとわかったら、少しだけ落ち着いた。

 流石は万能薬と言うべきか、酷く荒れていた体がマシになる。完治、というにはまだまだ思うところがあるも、さっきの状態に比べればいい。

 そう言えばこれを飲ませてくれた相手にお礼を、と思い顔を上げると、

 「……。…………………………?」

 ありえない物を見たシオンの目が丸くなり、ゴシゴシと両目を擦る。それからもう一度見直してみるが、やっぱり見えるものは変わらない。

 「――蜥蜴(リザード)(マン)?」

 片手に鉄製の剣を、もう片方の手には万能薬を入れていただろう瓶を。その瓶の存在が、シオンに万能薬を飲ませたのはコイツだと示している。

 「ぁーんー……色々気になるし正直困惑しきりなんだけどさ」

 ガリガリと頭を掻いて、全部を吹っ切るために一度天井を見上げて、リザードマンに視線を戻すと、

 「助けてくれてありがとう」

 手を差し伸べてみる。起き上がらせてくれ、という意味も含めていたが、リザードマンにわかるかな、わかるわけないか、そう思っていたら。

 「おう、どういたしましてって奴だな。ほれ」

 「……え」

 当然のように。

 シオンの意思を汲み、その鋭い爪で手を傷つけないように、なんて気遣いをしながらシオンの手を掴んで引っ張った。

 起き上がるもたたらを踏んでしまうシオンの体を押さえてくれるリザードマンに、シオンは戸惑った目を向けて、

 「……話せんの?」

 「おう、一通りな。あ、でも変な言葉……あー、スラング? とかはわかんねえから」

 ――そもそもモンスターが話せるなんて状況を想定していないんだが。

 ワケワカラン、と顔を強ばらせるシオンにリザードマン、いや彼? は服を放り投げてきた。

 「上半身裸のままってのも寒いだろ。サイズが合わないかもしれんが、それで我慢してくれ」

 「あ、いや、あ、ありがと……」

 服を着てる間に彼は他にも色々持ってきてくれた。

 ポーチ、その中身の物資、剣など。元々シオンが持っていた物に加えて、多少の食料まで持ってきた。

 「腹ごなしって奴だ。腹が減ってる状態で自己紹介とか、気分が乗らないんだよ」

 「それも、そうだな。いただき、ます」

 どうにも慣れない。シオンはこれまで多くのリザードマンを倒してきた。リザードマンにも個体差があるから、恐らく顔にも違いがあるのだろうが。

 見分けのつかないシオンからすると、『殺した相手と同じ顔をした人間が喋っている』という奇怪な状況になっているのだ。

 どうしても口数が減って食事に逃げてしまうシオンに、彼は目を細めると言った。

 「……食うのを、ためわらないんだな」

 「ん?」

 「いや、オレっちの外見は怪物(モンスター)だろ? そんな得体の知れない物が出したもんを、あっさり食べたのに驚いてな」

 「……おれを殺したいなら、もうとっくに殺してるだろ?」

 「油断させたいだけかもしんねえぞ」

 「相手が悪意を持ってるかどうかは見ればわかるよ。ま、頭ん中弄られてたらわからんが、それならもう手遅れだし」

 もう訳わかんないから色々諦めた、と言ってシオンは続きを食べる。とにかく腹が減って仕方がない。食わなきゃ死にそうだ。

 「そういや自己紹介だっけ?」

 「おう、元々はそれが目的だったな。オレっちはリド。種族はもうわかってるだろうが、あっちと違って理性があるし、きちんと話せる。別モンだと思ってくれ」

 「了解。おれはシオン。他に言うべきことは無さそうだから、これだけで」

 短い自己紹介が終わると、リドと名乗ったリザードマンは顎――のと思しき部分――に手を当てて面白そうに笑う? と、

 「シオン、か。なら『シオっち』だな」

 「は?」

 「ま、気楽に行こうぜシオっち!」

 「お、おう……?」

 全くもって理解ができない。が、助けられているのは事実なので、一度肩の力を抜いた。リドはその事に気付いてまた笑うと、シオンに気づかれないよう『彼女』を呼んだ。

 ぴょん、と跳んできたそれは一角兎。それはリドを一度だけ見ると、胡坐をかくシオンの上に飛び乗った。そのまま丸くなって占拠してしまう。

 「お、アルルがそこまで懐くなんて珍しいな」

 「アルル――って、まさかメス!?」

 ユラユラ揺れる長い耳がシオンの体にピスピス突き刺さる。それに対して大笑いすると、シオンは不服そうな色を浮かべ――そこで、一度固まった。

 「なぁ、リド」

 それは、声音にも表れている。

 「ん、なんだシオっち」

 気付いていないはずがない。リドは多分――シオンよりも『強い』のだから。

 だけど、シオンはどうしても聞かなければいけない事があった。それを聞かない事にはどうしようもない。

 「どうして、おれを助けたんだ?」

 そう、その理由を聞かない事には。

 「言葉を話せるモンスターはいない――それがおれ達の常識で、実際おれもそう思っていた。だから、リドみたいな奴は多分、滅多にいないんだと、思う」

 「……それで?」

 「種族的には同じはずのリザードマンと行動を共にしてるわけでもない。だけど、さっき言ってた『別モン』がそのままその通りなら……もしかして」

 基本的にモンスター同士が争う事はまずありえない。時折あるが、それでも余程の事情がなければそうはならない。

 だが――リドが他のモンスターと根本的に『別モン』なら。

 「リドは、人間からも、モンスターからも、疎まれてる、のか?」

 人間からすれば、リドはそこらのモンスターと『同じ』であり。

 モンスターからすれば、自分達とズレているリドは『別モン』なのだ。

 そうやって排斥され続けた者は、周囲に不信感を募らせる。誰も信じられなくなれば、誰かを助けようなんて気力は出てこなくなる。

 リドはシオンの言葉を飲み込み、ああ、と頷いた。

 「確かにオレっちは誰からも疎まれた。人間に近づけば襲われ、同じ見た目なはずのリザードマンからも剣を向けられて――独りぼっちだった」

 「なら、どうしておれを」

 「ま、オレっちが本当の意味で独りじゃなかったってのが一つ目だ」

 リドの視線はアルルという一角兎に向けられている。その目にあるのは仲間、あるいは家族に向ける親愛の情だ。

 「オレっちと同じ『理性のあるモンスター』がいてくれた。だからオレっちは、心が折れずにいれたのさ」

 「守るべきものがあるから?」

 「おう、そこは人間も怪物も変わらないんだぜ」

 そして二つ目、と人差し指と中指を立て、

 「オレっちはさ、外に行きたいんだ」

 「外? つまり、地上?」

 「おう、呼び方はなんでもいいんだ。こんな薄暗い、ジメジメした場所じゃない――青く光り輝く空を、こことは違う安らぐ暗闇を与えてくれる空を、見に行きたい」

 だが、リドの見た目は『これ』だ。外に行こうとした瞬間、数の暴力によって瞬く間に殺されてしまうだろう。

 「だから人間の中で協力してくれる奴が必要だった。だけどな、そんな簡単にオレっち達が信用できる、相手がオレっち達を信用してくれる奇特な奴はいない。これでも探し始めて数年経ってるんだぜ?」

 「それは……」

 何とも言えない。もしかしたら自分が赤子の時からその協力者を探しているという相手の想いの深さには。

 「ん? でもそれとおれを助けた理由は同じじゃないよな?」

 「いや、同じだぜ? 言っただろ、協力者を探してるって」

 「……まさか」

 「おう、そのまさかって事だ」

 リドはピシッとシオンを指差し、

 「――あんたが、オレっち達の協力者第一号になってくれるかもしれない相手ってわけだ」

 驚くような言葉を、放り投げてきた。

 「おれが? 協力者に? どこを見てそう判断したんだよ?」

 「実を言うとな。オレっちはヴィーヴルに謝ってるお前さんを見てたんだよ」

 「ッ!?」

 「いやぁ、あの時は驚いたぜ。まさかモンスター相手に心底から謝るような変人がいるなんて思ってなかったからさ」

 見られていた。

 その事に気恥ずかしさを感じて赤くなってしまう。思わず視線を逸らすと、リドは大きな声で笑った。

 「ハッハッハ、そう照れるな! ま、そんな訳でオレっちは倒れたお前さんに一縷の望みを賭けてここに連れてきたのよ」

 「……それで、協力者になれるかどうかを試すために、アルルを使ってまであんな真似をしでかしたと?」

 「おう、わかっちまうか。そうだぜ」

 「なるほど、そりゃ()()()()()だな」

 ニヤニヤと笑っていたリドの顔が驚きに変わる。その表情の変化はわかりやすく、シオンにも簡単にわかった。

 リドはその表情のまま問うた。

 「なんで、オレっちとアルル以外にも仲間がいるってわかった?」

 「あの炎。アレ、お前が出した訳じゃないだろ。なら他に『炎を出せる』仲間がいるはずだ。お前の様子からすると、結構な人数になりそうだけど……」

 違う? と聞けば、カマかけられた、とリドは顔を手で覆った。その顔の下に隠された目は鋭くなっている。

 ――殺しちまう、か?

 人間の協力者は欲しい。だが仲間、家族の命の方が、彼には大事だった。

 「それで、結局リドはどうして欲しいんだ? 流石に無理な事は請け負えないんだが」

 「……ん?」

 「いや、だから協力して欲しいんだろ? その内容は? って」

 「協力……してくれんのか」

 「最低限、命を助けてくれた恩を返すくらいはするつもりだよ」

 思わずシオンを二度見すると、アルルが呆れたようにリドを見上げていた。

 ――やっぱ、こういう『心の機微』ってのは女のが優れてるのかね。

 やはりというべきか、シオンを完全に信じるのは難しい。だが、家族の事は信じている。

 「そう、だな。正直今してほしい事は無いんだ。将来的には色々してもらうかもしれないが」

 「……おれが途中で死ぬ可能性、考えてくれよ?」

 呆れたように言うシオンに、リドはちょっとだけ、本心から笑った。

 「……で、ここを曲がれば24層に行けるはずだぜ」

 「よし、わかった。わざわざ教えてくれてありがとう」

 「あんたに死なれるのはこっちも困るからな。当然って奴だ」

 腹ごなしを終え、リドに道を教えてもらったシオンは装備を整え、立ち上がる。最後にアルルを一度撫でて背を向けた。

 そんなシオンの背中にリドは声を投げる。

 「次の機会があったら、今度はオレっちの仲間を紹介するぜ」

 「それ、おれがソロで来る事前提だよな? 何年先の話なんだかわかって」

 また呆れたように言いながら振り返ると、思いのほか真剣な瞳はシオンを見ている。押し黙るシオンに、リドは敢えて言った。

 「オレっちは、まだシオっちを信じきれてない」

 「……だ、ろうね」

 「だから、信じさせてくれ」

 リドは真っ直ぐにシオンを見つめ、

 「信じてよかったと――思わせてくれ」

 彼にとって人間を信じるのは、自分の命を懸けるのと同じくらい重い。その重さにシオンは息を呑み、そして笑った。

 「おう、いつか絶対思わせてやる」

 ――今思い返しても、夢のように思える出来事。

 「夢、じゃないんだよな……」

 きっとまた、リド達と出会う事になるだろう。

 その時までに、もっと強く。

 強くなって、今回の恩を返せるように――そう思いながら、シオンは眠った。

 

 

 

 

 

 今回の出来事で大きく変わった点がいくつかある。

 あの大穴を作った事への警戒から『鈴が【ランクアップ】するまでは19層までしか行かない』という事と、もう一つ。

 「あの、もうちょっと離れてくれないと、動きにくいんだけど……」

 「ダメ」

 「だから、少しだけでいいんだ。な?」

 「イヤ」

 「……ハァ」

 アイズがシオンの背中からくっついて離れなくなってしまったことだ。




と、いう訳で今回の一件はここで終了!
色々と面倒なお題を出して次に進むつもりですが……ヤヴァイ。中身が完成してない。実は第一話の構想すら悩んでるとか言えない。

次はいつも通り閑話に走る予定。
今回ティオナの出番少なかったなーと思うんですが、実は前から書きたかったお話があるのでそっち優先する予定です。

何とも言えませんが、次回もお楽しみに!


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閑話 彼の一番でいたい

 私はずっと、あなたの事が大好きです。

 『――大丈夫。もう敵は倒した。よく、頑張ったね』

 どうしようもないくらい弱い私が悪意に飲み込まれかけた時に、誰より速く駆けつけてきてくれた事を、今でも忘れていません。

 『僕の目的はね、一族の復興だ。自分達の信仰していた女神がいないとわかって、衰退してしまったけれど……』

 何度もせがんで、あなたの願いを知りました。

 『確かに女神は存在しない。だが、それで信仰心を無くすのは間違っている。とはいえ、弱者の言葉なんて誰も聞いてくれないからね。だから少し考えを変えた。――僕は、いっその事一族の旗印。希望の象徴になってしまおうと思ったんだ』

 女神という存在に信仰する代わりに、世界に名を馳せる自分を見て、誇りに思って欲しい。

 確かに自分達は弱いが、決して強くなれない訳じゃないんだ、と。そう言って、あの人は女神に言ったのだ。

 『だから、見守っていてくれ。女神よ』

 存在しない『何か』を信じて見守っていてほしいと言い切れる心の強さ。そんな自分の考えを押し付けない理性。

 そして、常人なら諦めるような事をやってのけた決意と覚悟。

 あの時に、私は自覚した。ううん、気付いていなかった想いを理解しただけ。

 私は、この人を好きになってしまったのだと。他の人なんて目に入らないくらい、大好きになったんです。

 だから、本当はわかっていた。

 「大丈夫か? 怪我があるのなら手当しよう、傷が悪化したら不味いからね」

 「い、いえ、大丈夫です。それより、助けてくれてありがとうございます」

 「同族を助けるのに理由はいらない。だから、その謝罪もいらないよ。次からは厄介な相手に絡まれないようにね」

 笑いかけるあの人を、潤んだ瞳で見上げる小人族(パルゥム)の少女。そんな少女の態度に気付いているのかいないのか、手を差し伸べて立ち上げる。

 「今回は助けられたけど、次は助けられるかわからない。その時は、どうか勇気を持って欲しいんだ」

 「勇気、ですか?」

 「ああ。悪意に立ち向かうか、それとも逃げるか。『行動』を起こすには勇気がいる。戦うのも逃げるのも、弱い頃は選びにくい。僕らは、小人族だしね」

 「……ええ。体も小さくて、力も無い。いつも影では馬鹿にされてます」

 「よく知っている。でも、いやだからこそ、勇気を持って。僕らは弱いが、戦えない訳でも逃げられない訳でもない。動くための小さな勇気を、忘れないで」

 嘲られるのを許容し俯き耐えないで、顔を上げて言う。

 ――小さいから何もできないなんて、誰が決めたんだ! と。

 その言葉を聞いて、弱気な彼女の顔が少しだけ変わる。弱気な表情に、ちょっとだけ自信が宿り始めたのだ。

 「できるかどうかは、わかりません。ディムナ様のように、私の心は強くありませんから」

 「そう、か」

 「だけど諦めない。ディムナ様の言う『小さな勇気』を、忘れずにいます」

 そう言った少女に慈愛の宿った顔で見つめ、嬉しそうに笑っている。

 ……私は、それを物陰から見つめていた。いつもならあの人の元へ走っていくのに、今はそんな気分になれない。

 胸が、痛くて痛くて仕方がない。

 わかっているのに。

 わかっていたのに。

 私はアマゾネスで、あの人は小人族。種族が違う。年だって凄い離れている。私はまだまだ弱くて、力の差もある。

 でも、諦めたくなんてない。

 結ばれたい。

 頑張り続けるあの子のように、私も頑張り続けて振り向いてほしい。

 愛しています、だからあなたに愛してほしい。

 だけど――それは、多分……。

 

 

 

 

 

 結局声もかけられず、逃げるようにホームへ帰ってきた私は、とぼとぼと自室へ戻るために足を動かす。両手にある薬は決して落とさないように注意している事が、落ち込んでしまう心を支えてくれた。

 「ティオネ、重いのか? 手伝うよ、半分貸して」

 「あら、シオン。そうね、ならお願い」

 そんな時に現れたシオンが、いつもと変わらぬ優しい顔で私の荷物を持ってくれる。私もLv.3だから、こんな荷物は軽い物なんだけれど、女の子に対する対応としては十分。

 「そういえばアイズはどうしたの? 最近いつも引っ付いてるのに」

 「ああ……いや、ちょっと鍛錬の相手をしてな」

 「まさか、失神させたの?」

 「人聞きの悪いことを。単に頑張りすぎて疲弊しただけだ」

 それでなんでシオンは普通にしているのか。アイズの相手を務めたなら、相応に疲れているはずなのに。色々思うところはあったけど、聞くなと言いたげなシオンを見て聞くのは諦めた。

 さて、と歩き出してから数分後。

 「それで、何か落ち込む出来事でもあったのか」

 シオンは、私の顔も見ずに言った。その言葉は問いかけであったが、同時に断言しきっていた。思わず立ち止まる私に倣うように、シオンも足を止める。

 こちらを見たシオンの顔を見られず、視線を逸らしてしまった。

 「何も、無いわ」

 「……勘違いだったか。変な事を言ってごめん」

 シオンはそう言って引き下がる。私が触れられたくない、そう思ったから、疑問を抱いても聞かないでいてくれたんだろう。

 何も話せない私の代わりに、シオンは色々な事を話しかけてくれる。気まずいだろうに、それを感じさせないくらい明るい声音。

 それで、少しだけ気が紛れた。

 私の部屋にたどり着くと、シオンは入ってもいいかと聞いてくる。シオンなら冗談でも変な事はしないとわかっていたから気にせず部屋に入れて、そのまま荷物を置いてもらう。

 それだけしたらさっさと部屋を出ようとしたシオンが、一度振り返ってくる。少しだけ悩んでいたシオンは、それでも言った。

 「悩み事があるならいつでも言ってくれ。全力で何とかするから、頼って欲しいんだ」

 「……なんで、そこまでするわけ?」

 「仲間だから、じゃ理由にはならないかな」

 当たり前のように、真剣な眼をして私を見るシオン。そこに冗談は見当たらない。いや、言った言葉を嘘にしない人間なのを、私はよく知っている。

 ……本当なら、誰にも言わないつもりだった。

 それでも言ってしまったのは、誰かに言いたかったのと、アドバイスが欲しかったから、なのかもしれない。

 椅子に座って、私は今日見た事を言ってしまう。もちろん客観的な事実のみで、自分の感情を交える事だけは、しなかった。

 それを言うのは、シオン相手でも、嫌だったから。

 聞き終えてしばらく悩んでいたシオンは、

 「都合のいい理想(ユメ)と、現実的で厳しい話。どっちから聞きたい?」

 「え?」

 極々自然に、そう言ってきた。

 私では『恋を諦める』くらいしか思いつかなかったのに。思わず喉を鳴らして、私は前者を選んだ。

 「簡単に言うと、ティオネがフィンの使命を忘れさせてしまうくらいに惚れさせてしまうこと」

 「な、何よそれ」

 「フィンを自分に惚れさせて、『君だけがいればそれでいい』的な状態にする事だよ」

 あの理性の塊のようなフィン・ディムナを惚れさせる。それだけでも難しいのに、使命感を抱き続ける相手をそこまで言わせるなんて。

 それでは余りに都合がいい。……だからシオンは、都合のいい理想と言ったのだろうけど。

 「無理でしょ、それ」

 「物事に絶対はないよ。不可能ではない。限りなく不可能に近いとしてもね」

 誰かが聞けば誤魔化しているようにしか思えないだろうけど、これを本心で言っているのだからどうしようもない。

 「それで、厳しい方は?」

 「いっそ本妻になるのを諦めること」

 苦虫を噛み潰したかのように、苦渋溢れる顔で言うシオン。シオンだって本当は言いたくないのだろう、だから私も冷静に先を促せた。

 「フィンの役目は『小人族の希望の象徴である続ける』って事だ。そして、フィンは実際にその理想をやってのけた」

 では、その先は? とシオンは言った。

 フィンは既に三十代半ば。『恩恵』の効果もあって見た目は少年にしか見えないが、本来なら自分達程度の子供がいてもおかしくないのだ。

 その理由をシオンは知らない。

 知らないが、わかる部分はあると言う。

 「フィンはきっと、自分の子供にもそれを望んでいる。だからこそフィンの連れ合いは自分と同じ小人族しかありえない」

 一代限りの『勇者』では、あっさりと小人族の希望は消え失せる。だからこそ次代へ、更にその先の子孫も『勇者』でいてほしいと考える可能性が高いのだと。

 「フィンにとって何より優先すべきはその使命だ。フィンは、恋や愛を求めない。これは想像だけど、妻にする相手にはフィンなりの基準があるんだろうけど、絶対的な前提がある」

 「……それは?」

 「純粋な小人族であること。人間ではハーフになるし、ハーフの小人族でもダメなんじゃないかと思う。あくまで純潔の小人族。そうじゃなければ希望の象徴にはなりえない……んじゃないかなって」

 シオンは最後だけ、困ったように言う。

 そういえば、シオンも詳しい話はわからないんだった。あまりにもわかりやすくて現実味のある話だから思わず呑み込まれかけたけど。

 ……でも、大部分は合っている気がする。

 だからこそ、シオンの言葉の意味がわかった。

 『本妻にはなれない』――その意味を。

 私はアマゾネスだ。そして、アマゾネスは相手の男性がどの種族であっても、産まれてくる子は例外無くアマゾネスになる。

 女だけしかいない私達が生き残ってきて特異な性質。

 そしてそれは――次代の勇者を求めるフィン・ディムナにとって、意味のない性質なのだ。

 「じゃあ、私は……団長とは、結ばれないって事なの?」

 「そうとは言っていない。おれはあくまで本妻を諦めろ、と言っただけだから」

 「側室とかなら、可能性はある?」

 「あるいは妾とかなら可能性はある。ただ、その場合でも幾つか気をつけるべき点がある」

 そう言ってシオンは問題点をあげだす。

 まず、私という側室を本妻が歓迎する理由はない。ほぼ確実に疎まれる。そうなれば私は耐えるしかない。

 ただの側室でしかない私と、次代の勇者を産める本妻。団長にとってどちらが大事なのかは……その時にしかわからないんだろう。

 ならば妾は、というとこれも微妙だ。何故ならそれは、誰から見ても私は『お遊び』の相手でしかないと認識されるから。当人達の感情は別にしても、世間の目とはそれだけ辛い。

 どちらにしても、私の恋が成就するには茨の道しか存在しない――シオンは、そう言い切った。

 何というか、シオンは損をする性分かもしれない。私から恨まれるだろうに、私が考えもしなかった嫌な部分に目を向けさせたのだから。

 「話はわかったわ。要するに私が頑張るしかないって事でしょ」

 「……?」

 「仮に側室になれて本妻に邪魔に思われたとしても。私がその本妻とやらと和解すればいい。妾になってしまったのなら、私と団長がどれだけ愛し合っているのか、その世間とやらに知らしめてやればいい。……ほら、シオンの言う『問題』なんてあっさり無くなるわよ」

 自信満々に告げてやれば、シオンは驚いたような顔をする。

 ふん、私はあんたを恨んでやったりなんかしないわよ。そんなあっさりとてのひらを返すくらい浅ましい女だとでも思われてるんだとしたら、心外なんだから。

 もちろん私が今言った解決方法は、何年もかかるとわかっている。でもね、『物事に絶対は無いんだ』と言い切ったあんたは、この言葉を否定できないでしょう。

 「何というか、強いんだな、ティオネは」

 「今更気付いたの? 遅すぎ。そんなあっさり色々割り切れるくらいなら、私は何年も団長を好きでいないんだから」

 シオンのくれた言葉は将来起こる可能性を示唆している。未来の事は少しわかった。後は、私がどれだけ頑張れるか、それだけだろう。

 だけど。

 そんな決意をしている私を、シオンが申し訳なさそうに見つめていた事に。

 私は最後まで気付けなかった。

 

 

 

 

 

 その次の日。

 ティオナが私に妙な目を向けていたのを不思議に思いながら、私は朝食を取りに行く。その時向かいから来た人達が、やっぱり変な顔をしてきたので不快な気分になった。

 ……何なのよ。どいつもこいつも『ありえない物を見た』とでも言いたげにして。

 だけど、そんな事を気にしてなんていられない。

 私はこれから頑張ると決めたのだ。些細な事を気にしてイラついていたら、その決意が鈍ってしまう。

 よし、と気合を入れ直し、私はそれまでの事を忘れる。思い返すだけ無駄だ。

 そして止めていた足を動かそうと、一歩前に踏み出した瞬間。

 思い切り、片腕を掴まれた。

 「――!?」

 反射的に相手を叩きのめそうと動いた体が、完璧に押さえ込まれる。そのまま不審者は私を空き部屋に連れ込んでしまう。

 私が急いで悲鳴をあげる前に、そいつは慌てたように目の前に移動した。

 「ちょ、ちょっと待ってティオネ! おれ! おれだから!」

 「……は? シオン?」

 焦りまくったその顔を見て、私の心に宿った恐怖が一気に冷め、次いで怒りに染まった。本気で殴りだそうとする腕を押さえつけてシオンに、一応、聞く。

 「弁明の機会をあげる。納得できなかったら……」

 「あー、いや、そのぅ」

 妙に視線が泳いでいるシオンに、ますます私の目は疑惑に染まっていく。そしてシオンは、気になる事を言った。

 「見てられなかったから、かな」

 「はい?」

 それだけ言うとシオンは背を向け、深皿に水を入れると指を一本突っ込み、魔法を使った。即座に終わった魔法だが、冷えていたはずの水が熱湯になっている。

 そこに取り出したハンカチを入れて濡らすと、絞ってから私のところに戻ってきた。

 「目が腫れてる。……泣いてたんだろ」

 「何言ってるのかわからないんだけど。私、泣いてないわ」

 「自覚なしってのが一番悪いんだぜ。ほれ、目にこれでも被せておけ」

 「わぷっ」

 目に押し付けられたハンカチ。十分に温められていたそれは、私の目を覆った。その時ふと思った事を口にする。

 「どうやってあの水を沸騰させたの」

 「よくわからないんだが、電気は物に熱を宿すみたい? なんだ。だからきちんと魔力を制御すれば、水に電気を宿さないで熱する事だけできる……?」

 何故か疑問符だらけの解答。まぁシオンもよくわかってないのかもしれない。その後しばらく会話は無くなり、沈黙してしまう。

 そうしていると思い出すのはさっきのシオンの言葉。

 『目が腫れてる。……泣いてたんだろ』

 アレがもし事実なんだとしたら、いや事実なんだ。シオンは嘘を言わない。だから、私はきっと泣いていた。

 朝、ティオナを始め皆が変な顔をしていたのは、『私が泣いていた』という事に気づいたからなのだとわかれば納得がいく。

 もしかしたら、私は寝ている間に泣いてたのだろうか。そうなら私に自覚が無いのも納得できてしまう。

 そして私は、いつしか眠ってしまった。

 耳に残ったのは【マジカルメイクアップ】という言葉――。

 

 

 

 

 

 ふと目が覚めたとき、私はベッドの上で眠らされていた。どうみても自室じゃないし、眠る前に立っていたから確実にそうだろう。運んだのはシオンだろうか。

 「ハンカチも無くなってる、し……?」

 呟いた言葉に私は固まる。

 ――何、これ。

 どう聞いても、()()

 私の――声の高さが、変わっていた。

 自分の口から漏れる、自分の声じゃない声。それは途方もない違和感を呼び、私に恐怖を植え付ける。それに耐えられず、私は飛ぶように立ち上がると部屋を出た。

 少なくとも、シオンがいた時の私は正常だった。

 ――シオンを、探さないと!

 そうして慌てていたから、私はもっとわかりやすい事実に気付けていなかった。

 窓にはめ込まれたガラス、それが映していた『白金』の髪を靡かせる見覚えのない少女の姿があった事を。

 外に誰がいるのかも確認しなかったため、誰かとぶつかりかけた。言葉少なに謝ると、私はシオンの姿を探してホームを走り回る。ところどころで人を見つけるが、それは私の探し人である彼じゃない。

 というか、私を見る人の目がおかしい。さっきの私以上にだ。

 意味がわからない。

 だけど愚痴を吐いている暇もなく、私はただ駆けていく。走り出してから、多分三十分くらい。ようやっと見つけたシオンの服を引っ張ると、無理矢理振り向かせた。

 「シオンッ、これどういう事なの? なんで私の声が変わってるのよ!」

 「……は?」

 不可解な事象に苛立つ感情に身を任せて叫べば、シオンは顔を変える。それは『誰だこいつ』と言いたげだった。

 なんで、答えてくれないのよ。それどころか赤の他人を見るような目をして。

 「小人族(パルゥム)がおれに何の用だ?」

 「――――――――――」

 今度は私が絶句してしまう番だった。

 私が、小人族? そんな訳無いじゃない、だって私はアマゾネスなのよ。だけど、私は本当は気付いていた、でも目を逸らしていた事実に目を向ける。

 窓ガラス。そこに映っていたのは、私とは似ても似つかぬ少女の姿。

 白金の髪は膝よりも下に届き、空色の瞳は垂れていて優しく見える。体つきも随分違った。ダンジョンで冒険してできた筋肉が無くなっていた。

 顔の個々のパーツの配置が私とは違っていて、この私が『ティオネ・ヒリュテ』だと一目で見抜ける相手はいないだろう。

 それは、シオンだって当てはまるはず。

 私はふらふらと揺れながらシオンから離れる。そのまま背を向けて、理解したくない現実から逃げようとしたとき、シオンが私の肩を掴んで止めた。

 「よくわかんないけど混乱してるんだろ? だったら一人にならない方がいい。そうだな、ついてきてくれ」

 「……わかった」

 ……初対面の相手にもシオンが優しいというのは、知っていた。

 だけど、今はその優しさが心に染みる。だから、拒否は、できなかった。そう、そのせいで私はこの後の展開を予測できなかったのだ。

 小人族である私を相手にするのであれば、最も適任なのは同族。

 そして、この【ロキ・ファミリア】でシオンが誰より付き合いのある小人族。それが誰なのかなんて、少し考えればわかるはずなのに。

 「フィン、後は任せた」

 「流石にそれだけじゃ意味がわからないから、もう少し詳しい説明が欲しいかな」

 「見覚えのない小人族がいた。混乱してるっぽいから放っておけなくて、でも人間であるおれが対処するのも不味いんじゃないかと思ったからフィンに任せたい」

 「なるほど。まぁ、僕も今日は暇だから、別にいいよ」

 そんな会話を、私は固まったまま聞いていた。

 ――え? 団長? この姿の私を、世話してくれる?

 降ってわいたご褒美に、私の心ははしゃぎ出すのと同時に、慌ててもいた。二人っきりなんて絶対に疑われる。何せ見知らぬ相手がホームにいたのだ。警戒しない理由がない。

 顔には出さないようにしていたから大丈夫だと思う。そう自己暗示をかけていた私に、団長が声をかけた。

 「まずは自己紹介からかな。僕はフィン・ディムナ。君の名前は?」

 私の体が、固まった。

 名前なんて、一つだけしかない。でもそれは言えない。言っても信じてもらえるかわからない。そう考えて怯えた私は、

 「ティ、リア。です」

 逃げた。

 本当の事を告げず、全くの別人の名前を出す。だけど勇気が出なかった。偽名を言っても改善しないとわかっていたのに。

 「ティリアか。いい名前だね。それじゃ、行こうか」

 「え……?」

 「何か混乱する出来事があったんだろう。だったら外の空気でも吸って落ち着くべきだ」

 立ち上がった団長が私の手を握る。こんな状態なのに、それでもドキンと跳ね上がる心臓が、私の本音を表していた。

 「任せたよ、フィン」

 「ああ。シオンも頑張ってくれ」

 短い応答。

 その言葉の意味を、今の私は知らない。

 ホームの外へと連れ出されながら、私はどうしようと思い悩む。こうして団長に連れてかれてる訳だけど、本質的に私は小人族じゃない。きっとどこかでボロが出る。

 それでも団長の好意で朝食を貰い、お腹を満足させていると、少し肩の力が抜けた。

 「――緊張は解れたかな?」

 「え……わかってたのですか? その、申し訳ありません」

 「混乱してる状況で見知らぬ相手がいれば、そうなるのも無理はないさ」

 実際はそれ以外の理由なのだけれど、その勘違いに乗って頷いてしまう。団長はそんな私を優しい顔で見やると、大通りから逸れて横道へと入った。

 そこからどんどん曲がりくねっていく道を進んでいき、どれくらい経っただろう。

 やがて見えてきたのは、市壁。通ってきた道から考えて西南西の壁だ。

 「なんで、ここまで?」

 「あそこが、目的地だからさ」

 団長の目的は街の端っことも言えるところに建っているのは『小人の隠れ家亭』という酒場。この店の名前から何となく察せられるが、恐らく小人族専用の店。

 看板にも共通語で『小人族以外入店お断り!』と書かれているので、私の想像はきっと合っているはずだ。

 団長に促されて入ってみたこの店の第一印象は、小さい、それに尽きる。

 元々店の外観からして小さかったのだが、店の中もそれに応じて小さくなっている。それはきっと看板にあった通り『小人族のための酒場』だからだ。

 だからなのか、ここにいるのは全員小人族。働く側も、お客も、誰一人例外なく。思わず目を丸くして団長を見れば、私の驚きを見てか、くすくす笑った。

 「いや、すまない。サプライズが成功したのが楽しくてね。趣味が悪いと言われればそれまでなんだが」

 「……悪趣味じゃなく、相手を喜ばせるためなら、いいと思いますよ」

 私が否定せずにそう言うと、団長はありがとうと言ってまた笑う。そこでふと入口で立ち止まっていたら迷惑になるかな、と思って店内に視線を戻せば、異様に注目を浴びていて、一歩後ろに下がってしまう。

 ところどころから聞こえる言葉に耳を傾ければ、ほぼ全て『あのフィン・ディムナが女連れで店に来た!?』というような物だった。

 そういえば、今の私は外見上小人族だ。気付いた瞬間、思ってしまう。

 ――今の私なら、もしかしたら……。

 そこまで考えて、私は思考を打ち切った。そんな事を考えても意味はない。何より団長を騙して得た物に意味があるのか。

 今はいい。でも、いつかの将来できっとバレる。その時の団長の顔を想像するだけでも、気分が落ち込んだ。

 そこでまた意識を周りに戻すと、一部の人――主に女性――が私を見ているのに気付く。その視線の先は私の顔、というより体。

 思い出してみれば、私の服装は普段より露出が少ない――気分を入れ替えるために新品の服にしていたのだ――とはいえ、小人族から見れば露出過多。嫌悪感を抱いてもおかしくない。

 まぁ、今更恥ずかしいとは思わないけど、団長にどう思われているのかだけは、気になった。

 「座ろうか」

 しかし団長は、嫌悪感など微塵も感じさせない笑顔を見せるだけたった。

 恐る恐る来た店員に案内されて、席に座る。でも私はさっき色々と食べてしまったから、あんまりお腹は空いていない。それがわかっている団長は、料理は自分の分だけ注文すると、私にはジュースとデザートを頼んでくれた。

 「さて、これからどうしたものか。そもそもどうして君はうちのホームにいたのかな」

 「それが、私にもよく……気づいたらああなっていて」

 「ふむ。となると、ティリアは誰かに連れられた可能性が高いな。それなら話は速い。親元のところへ連れて行こう」

 親のところ――そんなのいない。

 アマゾネスの母はいるが、ここ何年ずっと会った事がない。もしかしたら死んでいるかもしれないと思ってしまう程に。

 ティオネでそうなのだ、架空の存在であるティリアにも親がいるはずない。

 「ご、ごめんなさい。私には、親が」

 騙している、という実感がある。誰より敬愛する団長を騙す罪悪感で俯くと、団長は殊更明るく言った。

 「なら、適当に街を見てまわろう。そしたら解決策が見えるかもしれないからね」

 その提案は渡りに船だった。何度も小さく頷くと、その間に料理が置かれていた。団長がそれに口をつけているのを見ながら、私もデザートを口にした。

 食べ終えて代金を払うと、私達はさっさと店を出た。本当ならもっと談笑するのが正しい使い方なのかもしれないが、話す事が無い私達はそうできない。

 出るときも異様に注目されているのに気付いていたが、振り返らずに大通りへ戻ろうとする。

 ――これから、どうしよう。

 団長に言われてやっと理解した。今の私には、誰も頼る相手がいない。

 何せ『ティリア』には過去が無い。誰一人として『ティリア』を知らないのだ。それが、私の心を冷え込ませる。孤独感を感じさせてしまう。

 ただ生き残るだけなら簡単だ。ダンジョンに行けばいい。姿は変わっても【ステイタス】に刻まれたものは変わらないらしく、ソロでも中層までは問題なく戦える。

 だけど――それはもう、シオン達と笑い合えないという事で。

 当然、団長とも……。

 胸が痛む。心臓が締め付けられる。思わず胸元を握り締めた。こんな、泣きそうな顔を見られたくなくて顔を逸らすと、その先で一瞬、小さな子供が追いかけられているのが見えた。

 その後ろを追っているのは大の大人だ。ただ、その動きにはかなりの余裕がある。私の予想だと多分、Lv.2。わざと追いつかないように走っているのは、あの子をいたぶるためだ。

 胸糞悪い。反射的に足が動こうとして――私を縫い止める手の感覚を思い出す。

 ――追いかけて、どうするの?

 『ティリア』が『恩恵』を受けていると知られれば、それは厄介事を生む。一番は親がいないと思っている団長を騙していたと悟られること。それは嫌だ。

 なら、見捨てるしかない。どれだけ気分が悪くても、目を逸らして、見なかった事にして日常を歩めばいい。一番賢い選択だ。

 それでも目を逸らせずにいると、泣きながら走るあの子の口元が動いたのがわかった。

 ――おかあ、さん。

 「――ッ!!」

 助けて――そう言っているのかわかった瞬間、私はもう自分を騙せない。

 「ごめんなさい!」

 「ティリア!?」

 一言謝ると、駆け出す。団長を置いて走り出した私は、すぐに横道へ入って二人を追う。けれどどうやら曲がった先は行き止まりのようで、すぐに目視できた。

 一方的に男が何かを話していて、あの子の顔が恐怖に歪んでいるのを楽しんでいるのがわかる。イラつく感情が私の四肢に力を入れた。

 「こんの、悪趣味男!」

 飛び上がり、膝を曲げる。その膝の先を男の頭にぶち当てようとしたが、流石にLv.2になれた程度の才能のおかげか、避けられた。まぁ無様に転がるハメになっていたので良しとしよう。

 私は勢いそのままにその子の前に着地すると、肩越しに振り返って笑顔を見せた。

 「――もう、大丈夫よ。お姉さんに任せなさい!」

 「あ……」

 さて、安堵してくれたみたいだし、これ以上振り向いている暇はない。守りながら戦う可能性が高いのだし、隙を見せる暇は無い方がいい。

 男は血走った目で私に脅しの言葉をかけてくる。ただ奇声に近いその罵声、意味が通じないのよね。そもそも、

 「自分よりも弱い相手に怯える必要なんて無いわよ」

 「あ……?」

 「あら、通じてない? あんたは、私より弱い。わざわざ二度も言わせないで。お猿さんでも一度言えばわかってくれるんじゃないかしら」

 そう挑発してみれば、額に血管を浮かび上がらせた男が突貫してくる。相応に体術を修めているのか、中々ハマっているみたいだけど。

 「遅すぎ」

 シオンの方が、もっと上手い。

 無手でも戦えるように、私達と戦っていたシオン。フィンとの戦いのために暗殺術を覚えたせいかもっと面倒になったシオンを相手にしてたの。

 もう片方の手に針を持ってるみたいだけど、

 「透けて見えるわ」

 敢えて懐に飛び込んで、向けられた拳を握って破壊する。悲鳴をあげかけたその口を、掴みっぱなしの拳を引っ張って上体を倒させると、膝を真上にはね上げて相手の顎に打ち付ける。何か嫌な音がしたし、最悪歯が欠けたか抜けたかしたかもしれない。

 それでもまだ意識があるっぽいから、はね上げていた膝を伸ばして、男の鳩尾に蹴りを叩き込んで終了。

 名乗る必要もない、しようとも思わない雑魚だったわ。

 んー、と背筋を伸ばす。なんかスッキリした、そう思いながら振り返ると、あの子がポカーンと口を開けて呆然としていた。

 「ほら、もう大丈夫。言ったでしょ? お姉さんに任せなさいって」

 そう言うと、やっと現実を認識できたのか、瞳に涙を浮かべて私に抱きついてきた。反射的に抱きしめ返して、そこで気付く。

 ――女の子だったの。

 じっくり見てる暇が無かったからわからなかったけど。そりゃ怖いはずだわ。

 「ティリア、これは一体……」

 「ッ!」

 遅れて到着した団長の声に、私の肩が跳ね上がる。首を回して顔だけ振り返ると、団長は男を見下ろして、訝しげに私を見つめていた。

 どうしよう――そう思って、私は腹を括って事実を言う事にした。

 「この子が、追いかけられていたんです。それを見たら放っておけなくて、助けに」

 「そうか、二人共無事で良かったよ。できれば僕に言ってからにしてほしかったけどね」

 ごめんなさい、と私が謝れば、私に抱きしめられていた女の子がムッとした顔で団長を睨みつけていた。今にも何か言いそうだったので頭を撫でれば、やっぱりムッとしてから、それでも私の意を汲んで黙ってくれる。

 「これから、どうしましょうか」

 「まずはこの男の処遇かな。これについては僕が対処しよう。それが終わったら、次はその子を親のところへ連れて行かないと」

 その指示に従い、まずは男を兵に連れ行ってもらう。その時団長が何か言っていて、兵は頷き敬礼した。

 それを終えると、女の子の親探し。オラリオは広く、親を探すのには苦労したけど、

 「――エリンッ!」

 「おかーさん!」

 陽が傾く前に見つけられたし、お互い泣きながら抱きしめ合う様子を見れば、苦労をした甲斐があったと思える。

 頭を下げてお礼をしたいと申し出るのを断り、名残惜しそうなエリンにまた会えると告げて、見守ってくれていた団長のところに戻る。

 「いいのかい? もしかしたら家に泊めてくれたり、上手くやれば働き口を探してくれたかもしれないのに」

 「いいんです。私は私がしたい事をしただけなんですから」

 団長は私がそう言った事に、ちょっと嬉しそうにしてた気がする。

 なら代わりにと、【ロキ・ファミリア】に泊めてくれると団長は言った。元々自分の家に泊められるというのは変な気分だけど、素直にその申し出を受けた。

 「ティリア、もう今朝の混乱は落ち着いたのか?」

 「ええ。余計なお節介をしてくれた人のお陰で」

 本当に、大きなお世話だったわよ。

 でもそれがあったから、私は気づけたんだろう。全くもう、恋愛事には疎いクセに、なんで他人の事になると誰より速く察せられるんだか。

 そう呆れながら、星が見えだした空を見て、思う。

 ――側室や妾なんて、嫌だ。やっぱり私は。

 

 

 ――団長の一番でいたい。

 

 

 どれだけ気丈に振舞っていても、私の無意識はそんなのイヤだと叫んでいた。その事を側室や妾の話を終えた瞬間にシオンは気付いてて、申し訳なさそうにしていた。

 でも私はそれに気付かず、だから眠っている間に泣いていたのだ。

 諦めようと思った。一番は無理でも、二番でいいんだと。そうするしか、結ばれる事は絶対にないんだと。

 抑圧して、耐えて、それが無難な選択だと思い込もうとして、できない。

 自覚している。私は人一倍、独占欲が強い。だから、仮に団長に他の女ができてしまったのだとしても、『一番』は譲れない。

 なら――そう、とても簡単だ。

 そもそもシオンは言っていたではないか。

 『フィンが使命をどうでもよく思えるくらい、惚れさせてしまえばいい』

 それをしてしまえばいい。どれだけ茨の道であろうと、『不可能ではない』んだから。そう思えてしまえば、気持ちは楽になった。

 夢物語だと思いたければ笑え。

 私はその嘲笑を力に変える。そしていつか、結ばれる。

 恋する乙女は、強いのよ!

 

 

 

 

 

 とはいえまず元の姿に戻らなければ始まらないのだが、次の日には元に戻っていた。どうしてかティリアは『やる事がある』と言ってどこかに行ったという話になっている。

 「――それで、弁明は?」

 「何もないよ。殴りたければいくらでも殴れ」

 あんたならそう言うと思ってたわよ。

 そもそも、私が小人族になっていた原因がこいつ以外にいるとは考えられない。私がティリアになっているのに気付いていたから、シオンは簡単に団長のところへ連れて行こうとしたのだ。

 感謝はしている。シオンがいなければ、私はきっとこの恋を諦めていただろうから。一番じゃなければ耐えられない私が、一番を目指さないなんてありえないんだし。

 だから、

 「ていっ」

 「アダッ!」

 デコピン一発で勘弁してあげるわ。

 「ありがと、シオン」

 小さな声。それこそ聞こえたかどうかもわからない声量で、感謝する。答えは求めてない。だから私は、照れを誤魔化すように外に出た。

 ああもう、顔が熱い。

 こんな風になるのはやっぱりシオンが原因よ。私だけが照れてるのに、シオンはきっと苦笑しているだけに違いない。

 同じ目に、合わせてやる。

 「ねえシオン」

 「どうしたティオネ」

 私が部屋を出て行かない事を不思議に思っているシオンに、私は言ってやる。

 「もし団長がいなかったら――私はあなたを好きになっていたかもね」

 「……? ――は!?」

 思いっきり目を丸くして、ちょっとだけ赤くなっていた。それを見て目を細めれば、からかわれたとわかったのか抗議しようとしてきたのを、部屋を出て逃げる。

 それから急いで走れば、部屋を出たシオンが私を追いかけてきた。

 ――ま、そっちにはいないんだけどね。

 もうちょっと周りを見なさい。物陰とか。

 私はシオンがいなくなったのを確認すると、立ち上がって反対側に行く。すると、丁度向こうから団長が歩いてきた。

 何時も通りに挨拶をして横を通った瞬間、

 「やっぱり、そっちの方が『らしい』よ、ティオネ」

 「え……」

 偶然か、と思いながら振り返ったけど、団長はおはようと手をあげて、そのまま一度も私を見ずに行ってしまう。

 団長に、バレていた?

 かもしれない。その可能性が高いと思う。

 あーもう、やっぱりデコピンじゃ足りなかった。恥ずかしいったらありゃしない。

 でも、ですよ団長。

 姿が変わった私に気づいてくれたこと。

 とっても、嬉しかったです。




今回は割かし現実的な話。原作でのフィンの目的からしたら、ティオネって実はかなり辛い立場にいるよなとか思ってたので。

ちなみにティオネを見た人達が驚いていたのは『普段泣かないティオネが泣いていた』のがわかったから。
ティオネが泣いた原因は『シオンに言われた一番になれない』という事実のせい。
そのせいで抑圧された想いだけど、追われいた女の子を助けるかどうかで悩んで、でも助けあ事で抑圧されていた感情を解放。一番でいたいと自覚し、決意する。
後は諸々の原因がシオンであると、全部終わってから推測して突貫。見た通りです。

女の子の感情変化なんて私にはさっぱりわからないので、どこかしら違和感があったら教えてくれると嬉しいなーなんて。
男の恋愛感情の変化もわかんないのに、それが異性とかハードル高すぎぃ。

次回は普通に本編戻ります。
タイトル? 考えてない。そもそも序盤からどうしようか悩んでるくらいですしね!
割と本気でどうしよう……。

最後にUAアクセス40万突破ありがとうございます。
お気に入りも3000件超えそうだし、何かやろうかな。無理の無い範囲で。


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脈動する悪意

※閑話に関する前書きです。

前回ティオネの閑話を投稿しましたが、前半を土曜日、後半を日曜日に投稿しました。しかし元々1話に纏める予定の物でしたので、この2つを統合しております。
もしも前半しか読んでいない、という方は、最初から読み直すあるいはページを半ばより上あたりまでスクロールしてください。

よろしくお願いします。

※この後書きは数日後に削除します。


 「――また、失敗したようだな」

 ダンジョン『下層』のどこか。

 光源のほとんどないその場所に響く足音が、人間の来訪を示していた。黒いローブで全身を覆いつくすその人間の特徴は、背が高くガッシリとした体つきであることと、声の低さから男性であるという事くらいしか見て取れない。

 仮面の奥にある目を厳しく細めながら、男は岩に座るもう一人の人間を見やる。

 「いやぁ、これでも頑張ったんですけどね? また、ですよ。後ちょっと、も~少しってところで全員助かっちゃうんですよねぇ」

 苔生した岩に座るその男は、道化のようにケタケタ笑う。その瞳はローブの男を捉えているようで捉えていない。

 もう何日着替えていないのか、ボロボロの服から見える肌は酷く汚い。臭いも相当で、近づきたいとは思わないのだが、こいつには話しておかなければならない事があった。

 「少し、ペースが速くなりすぎている。我等の事を気取られてはいかんのだ。狙うのは構わんが自重しろ」

 「ええ、ええ。わかっていますとも。だからこそここ最近は大人しくしているんじゃありませんか」

 「……ならばいい」

 本当に、わかっているのかいないのか。

 しかしこの男の能力は使える物であり、またこの男自身、ふざけているように見えてちゃんと物事は考えている。

 そうでなければ今頃――この場に骸を晒していただけだ。

 「それより、そんなにも執心するならば何故自ら動かない? 殺すだけなら簡単だろう」

 「そうですよ? ええとても簡単です。だからこそ――それじゃ、つまらないんです」

 「つまらない……?」

 「だって、あっさり首を跳ねたら楽じゃないですか!」

 バッと男が立ち上がる。その時立ち込めた臭いに仮面の下の顔を歪ませ、一歩下がった。それに気付かず彼は続ける。

 「私が見たいのはアイツの苦しむ顔! 全てを失い、悲しみ、怒り、憎み、その果てで絶望し自ら殺してくれと嘆願する様を見て――全てを、暴露する!」

 私が全てを奪った、それを知った時の顔が、どんな色に染まるか……。

 「それを見たいからこそ、あっさり殺すなんてつまらない事なんてしたくないんですよ」

 「……だから、そいつ自身ではなく周囲を狙っているのか」

 そう聞いた瞬間、男は先程までの狂気はなりを潜め、上手くいかない事に拗ねる子供のような雰囲気を纏った。

 「ま、さっきも言った通り失敗続きですけどね。意味がわかりません。どれだけ周到に準備しても、誰一人死んでくれないんですから」

 「確か、そいつがいるのは【ロキ・ファミリア】だったか。『悪神』と呼ばれたロキの眷属だけあって、『悪運』に恵まれているのかも……いや、つまらない冗句だったか」

 「納得できなくもないんですけどねー、それ」

 気に食わないが、危機的状況に陥らない『幸運』ではなく、危機的状況に陥ってから何だかんだで助かる『悪運』なのだろう。

 「ま、そんな『スキル』聞いた事ありませんけど」

 「同感だ。――話を戻そう。我等はこれより『あの実験』を行うつもりだ。上手くいけば地上の連中に大打撃を与えられるだろうさ」

 「それ、私達も同じなんじゃないですか?」

 「使うのは死んでも問題ない連中だ。加入したばかり、且つ使えないゴミはいてもいなくても変わらんのだからな」

 「相変わらず手酷いお方だ。それで、ご要件はそれだけで?」

 その言葉を合図にして背を向ける。

 「……余計な事は、するなよ」

 「へーへい。私だってまだ死にたくありませんからね、大丈夫ですって」

 男は、ローブを纏う者がいなくなり、足音が完全に無くなって、更に数十分以上その方向を見つめ続けた。

 それでも待つ。

 待って待って、本当に誰もいなくなった、その瞬間。

 「いやいやいや、やーるに決まってんでしょう?」

 上司であるはずのその男に、嘲笑の声をあげた。口角を上げ、誰にも――己以外の何者にも届かない、笑い声を。

 「()()()()の時は失敗した。あっさり殺すなんて、本当に馬鹿をしたぜ。だから」

 ――親の責任は、子が負うものだ。

 「お前は、簡単に死なないでくれよ? ()()()()()()

 いいや、今は違う名を名乗っていたか……。

 「――()()()

 

 

 

 

 

 「――クシュッ」

 ゾワリ、とシオンの背筋に怖気が走るのと同時に、くしゃみが出てきた。体調は悪くなく、むしろ万全なはずなのに、と疑問に思っていると、フィンが聞いてきた。

 「シオン、大丈夫か? どこか悪いのなら、話は後にするが」

 「いや、平気だ。それで、続きを頼む」

 今、シオンがいるのはフィンの執務室。あるいは団長室とも言うべき場所だ。

 ちなみに、シオンはここに入るのはともかく、居座って用件を聞く回数は意外と少なかったりする。この部屋で聞く用件はイコール【ファミリア】全体に関わる話だからだ。

 平団員のシオンには聞かせられない話は多い――の、だが。

 今回はその例外の一つらしい。

 シオンは佇まいを直すと、フィンに向き直った。

 「今回の用件は、シオン達に『学区』のボランティアをして欲しい、という事だ」

 「『学区』、ね」

 一応、シオンも名前だけは聞いたことがある。富裕層が自身の子供を鍛えるために入れたり、ダンジョンで名を馳せる事を夢見たオラリオの外の者が来たり。理由は様々だが、一貫しているのはその『学区』は入学者を鍛えるために存在していることだ。

 シオンも最初はそこに入学させられそうだったのだが、フィン達に師事する以上のメリットが無かったので断った。

 「だけど、その学区でおれは何を? ボランティアって言われても」

 何かを教えたりできるとは思えない、というのがシオンの考えだ。これはシオンの『教え方』が原因である。

 一対一、教える相手に注目して何が良くて何が悪いのかを言う、そんな感じのせいか、多数の人間に教える授業形式はシオンに合わない。

 だからこそ困惑していたのだが、

 「端的に言うと、彼等の鼻っ面をへし折って欲しい」

 「……ごめん、意味がわからない」

 「それもそうか。ならわかりやすく説明しよう。学区では面白い流れがあってね。入学した年、つまり一年次においては大丈夫なんだ。色々な事が手探りで、緊張しているからね。三年の場合は卒業、つまり本格的なダンジョン探索が始まるから、これも心配いらない」

 「つまり、二年生が面倒だ、と?」

 「そうなる。一年が過ぎて、緊張が途切れた上に『慣れ』が出てくると、どうしても弛んでしまう者が出てくるんだ。そういった者に『現実』を教え込むのが、このボランティアの意味だ」

 フィンが言うには、そのクラスで最も進んだ階層の二つ程下まで引率するらしい。何故なら、慣れが出てくるというのは余裕ができる、あるいは調子に乗って油断する、そのどちらかとほぼ同義だかららしい。

 勝手に突っ走られて死なれるよりは、あらかじめ誰かが引率して調子に乗って伸びた鼻をへし折る方が保護者的にマシだそうだ。

 「まぁ、へし折れた心をケアするハメになるが。諸々の事情を差し引いても、やっておいた方が最終的にはプラスになるんだよ」

 「理由はわかったけど、それでおれが参加する意味は? へし折るなら、外見的におれは不利だと思うんだが」

 「その辺りは、大丈夫だと思うけどね。僕としては」

 シオンが不思議そうに小首を傾げると、フィンは小さく笑い、

 「それに、このボランティアは他にもいくつか意味があるんだ」

 「というと?」

 「あの学区は、入学した者の多くが将来的に多数の【ファミリア】に入団する。その時僕達がやった行いの意味を理解すれば貸しが作れるのさ」

 「青田買いか何かかと思ってたけど、それ以外にも理由があったのか」

 「それも間違いじゃないけどね。言い方は悪いが塵も積もれば――一人くらいは、将来有名になるんじゃないかな」

 【ロキ・ファミリア】には未だ敵が多い。こういった小細工も重要なようだ。

 納得がいったところで、シオンは承った。元々断る理由がないし、できない。シオンがフィン達に作った多くの借りは、まだまだ返せていないのだから、そう思ったところでふと気付いた。

 ――ああ、貸しを作るって、こういうことか。

 なるほど断りにくい、そう思いながらシオンは部屋を出た。

 扉がパタンと閉まる音を聞き終えると、黙って書類の処理をしていたリヴェリアが顔をあげる。

 「それで、シオンはどこに?」

 「シオンは特進クラス――最も優秀な者達が集められたクラスを担当させるつもりだ。リヴェリアもついていってくれ」

 「私は構わないが、いいのか? あのクラスは例年手を焼かせられる事で有名だが」

 「だからこそ、だよ。シオンには今の内に多数の人間を相手取る事を覚えて欲しい。対処の仕方もね。リヴェリアはフォローを頼んだよ」

 「……了解した」

 そんな会話があった事など露知らず、部屋を出たシオンはヌッと視界に入ってきた金の海にギョッとしながら数歩下がった。

 「ア、アイズ……驚かせるな。頼むから普通にしてくれよ」

 「ごめんなさい。それで、フィンは何て?」

 誤ってはいるが、アイズに反省の色は無い。一応扉の横に立って待っていてくれただけ、前より随分とマシになったのだが。

 「ああ、なんか学区のボランティアを頼みたいって」

 「私も行く」

 「え、それはフィンに聞かないと」

 「私も行く」

 「あくまでフィンからの要請だし、おれの一存じゃ」

 「私も行く」

 「あの……アイズさん?」

 「私も行く」

 「……後で、フィンに言っておくよ」

 「よろしくね」

 最近、アイズが怖いと感じてきたシオンだった。

 

 

 

 

 

 その場所はカーン、カーン、という一定の音が響いている。それだけなら、そんな音がするなとしか思わないだろう。しかし歩き続ける事数分、その音が幾重にも重なるようになると、途端に不協和音の大合唱となった。

 「……うるせぇ」

 ペタン、と狼の耳を伏せる。それでもベートの耳は、その打音を届かせてしまう。とはいえ最初の頃よりはマシだし、この炎が燃えた後特有の臭いも大分慣れた。ベートはふん、と小さく鼻を鳴らすと、一つの鍛冶屋に入った。

 手馴れたように歩いて部屋の戸を開ける。

 「む、女子の家にノックもせず入るとは。マナーがなっておらんぞ、マナーが」

 「お前相手にノックなんざしても意味ねぇだろ、この男女」

 「はははっ、それもそうだ! ではこの事をティオネ辺りにでも」

 「最近報復が陰湿すぎんだろ椿!?」

 知られたら絶対に怒り狂いそうな相手を持ち出されて、ベートは仰け反った。ティオネは団長に操を捧げるのを心情としているので、裸体を異性に晒すのを忌避している。

 友達? 仲間? それより大切な事がある、だそうだ。

 容赦なく殴ってきたティオネの形相を思い出し、ベートはチッと舌打ちすると、椿に謝って対面に座った。

 胡座をかき、テーブルに肘を乗せてニヤニヤとしている椿を睨む。

 「そんで、呼ばれて来たができたのかよ」

 「試作品ではあるがな。とりあえず、と言える物はできたぞ」

 先程までの悪ふざけはどこへやら。

 職人特有の真剣な顔に変わると、椿は立ち上がり、どこからか箱を持ってきた。ドスン、という音がその箱の重さを示している。

 椿は箱の蓋を開けた。そして出したのは肩から肘の半ばまでを覆う籠手と、脛当てと一体となった靴の二組。

 「……これが?」

 「うむ、試作品第一号だ。言われた通りの仕上がりにしているつもりだが、誤った寸法にしている可能性もある。気をつけてくれ」

 「まぁ、いいさ。あっさりと完成できるなんざ思っちゃいねぇしな」

 それで代金は? と聞いてみれば、結構な値段を提示された。しかし、その値段を見たベートの眉は別の意味であがる。

 「安い、んだな」

 「これでも十分ぼったくってると思うのだが」

 「俺としちゃこの倍くらいは言われると考えていたんだが。安いほうがいいから、今のままでいいけどな」

 「何、一見相手ではないのだ。人を選ぶ権利は鍛冶師にもある、この値段は椿・コルブランドがベート・ローガを信用していると思ってくれればいい」

 「……そうかい。ありがとよ」

 感謝の言葉は横を向き、且つ小さいもの。それでも椿は聞き逃さず、嬉しそうに笑うと、その笑のまま手を差し出した。

 「では、商品の代わりに代金だ! その金で新しい物を作るのでな」

 「思いっきり台無しだ」

 愚痴を言いつつ素直に金を差し出す。

 籠手と靴を箱にしまい直し、ベートは毎度有りー! と笑って手を振っているのだろう椿を想像してため息を吐いた。

 「とりあえず、使えるかどうかの確認だな。誰か誘ってダンジョンにでも行くか……」

 半年前の出来事を、二度と起こさないためにも。

 ――俺は、強くならなきゃいけねぇんだ。

 

 

 

 

 

 コトコトコトコト、と煮詰められている鍋を、ティオナを眉間に皺を寄せながら間近で睨みつけている。

 中身はただの野菜スープ。野菜を切って、適宜鍋に入れて適切な調味料を入れれば完成する、簡単な料理だ。しかしティオナは、それこそダンジョンで戦闘しているんじゃないかと言わんばかりの眼力で鍋を見ていた。

 「あ、あの、ティオナ? そんなに鍋を睨んでも、味は変わらないよ?」

 そう言ったのは、黒猫の猫人(キャットピープル)であるアキだ。

 いつもはユラユラと自由に揺らしている尻尾の先が、彼女の困惑を表すように地面へと垂れている。しかしティオナは一言返事をくれるのみで、目を離す様子はない。アキはヒューマンであり友人のナルヴィに目を向けるも、

 「自由にさせてあげたらいいんじゃない? 私達みたいに仕事じゃなくて、料理の練習をするためなんだからさ」

 それに、私達も最初はああだったでしょ? と言われてしまえば、アキとしても言い返せない。何よりティオナは二人と違い、既にLv.3となっている。

 如何に年下だとしても、未だLv.2である二人にとって、ティオナの歩んできた道のりを思うと躊躇してしまうのだ。

 そんなアキに、ナルヴィが近づくと、

 「そ、れ、に」

 何やら面白おかしい話を聞いて、それを誰かに言いたくて仕方がないという顔をすると、

 「あの料理――【英雄】さんのために作ってあげてるんだって」

 「え? 確か【英雄】って、男の人なはずじゃ」

 「もう、察しが悪いなアキは。女が男に手料理を振舞ってあげるんだよ? しかもティオナの二つ名は【初恋】って神様にも認められるものなんだから! 自由にさせて然るべき」

 「ナ、ナルヴィ声! 声大きすぎ――」

 ティオナより年上とはいえ、未だ幼い少女。特に恋話大好きな年頃の少女だ。熱中してしまうのも無理はない。

 ヒートアップしかけた友人を止めようとしたアキだが、その前に、ガシリと肩を掴まれた。

 「料理を教えてくれるのは、嬉しいけど……ね? ちょっと、声が大きすぎかなぁ」

 ギギギ、と声がした方に顔を向ける。

 そこにいたのは、顔を真っ赤にしていたティオナ。それが羞恥と、何より怒りによるものなのはすぐにわかった。

 ナルヴィは言い訳をしているが、アキは諦観と共に全てを受け入れた。思ったのは、一つだけ。

 ――ああ、なんで私がこんな目に。

 「イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァッ!??」

 その後、しばらくアキに謝るナルヴィの姿が見受けられたようだが、その理由を知るのは三人のみである。

 

 

 

 

 

 「ふん! そらそら、どうした! 最初よりも腰が引けておるぞ、もっと前に出てこい!」

 そう怒鳴りつけてくるガレスに、無茶を言うなと叫び返したかった。けれど肺は酸欠の体に空気を取り込む事に精一杯で、声を返すだけの余裕をくれない。

 「来ないのか? では、こちらから行くとするかの!」

 何より、そんな余裕ができるほど、相手は待ってくれなかった。

 ガレスが肩にかついでいた大槌を握り直すと、片手で振りかぶる。それは間合いの外であるはずなのに、鈴は急いで、倒れこむようにその場から離れた。

 そのすぐ後、大槌が振るわれる。目視できない速度で振るわれた大槌の後を追うように風が吹き荒れた。

 ――この、化け物めっ!

 それが鈴の感想だ。何故力任せに振るわれた大槌から風が発生する。切り裂くというほどの鋭さは無いが、力任せ故のそれは、まるで台風に巻き込まれた紙切れのように鈴の体を吹き飛ばそうとするのを知っている。何故なら、既に食らっているからだ。

 ――守っていてばかりでは……。

 「ッァ!」

 動きが鈍い体をそれでも動かし、できるだけ『刀』という武器が最大限の威力を発揮する流れを作る。

 普通なら、それで終わる。

 しかしガレスは、普通じゃない。オラリオの生ける英雄の一人であり。

 ――鈴にとっては、生涯最大の壁だった。

 「効かぬわ!」

 重苦しいはずの大槌を巧みに動かし盾とする。キン、という音は鳴るものの、その大槌には傷一つつかない事実に鈴は歯噛みする。

 そして、その動作がガレスにとっては大きな隙だった。

 「歯噛みする暇があるのなら、『次』を考えるべきだったの」

 トン、とガレスの空いた大きな手が、鈴の小さな体に触れた。たったそれだけ。しかしそれだけで、鈴の体は吹っ飛び、壁にぶつかるまで止まらなかった。

 ズルズルと崩れ落ちながら、痛む胸を押さえ、咳き込みながら立ち上がろうとする鈴に、ガレスは一つ頷いた。

 「うむ、気概は合格。一度休憩じゃ、これ以上は意味がないからな」

 「りょ、了解……です」

 そして、今日もまた鈴に黒星がついた。

 しばらくして鈴の痛みが引き、汗をタオルで拭いた後、毎度恒例ガレスの教えを聞く。ガレスは胡坐、鈴は正座でだ。

 「ある程度刀を抜いた状態で戦えるようにはなったが、あれじゃな。妙に型にハマりすぎている気がするぞ」

 「父の弟子達の動きを真似したのですが、駄目だったのでしょうか」

 鈴にとって、ガレスは己の父や爺やに並ぶ程の存在だ。それ故自然と敬語を使ってしまう。

 ちなみにフィンやリヴェリアも自分等比べ物にならないくらい強いのを知っているが、敬語は使っていない。鈴にとって、フィンやリヴェリアよりもガレスのような戦い方が好ましかった、その差だ。

 「駄目とは言わんが、わかりやすすぎるな。儂やフィンにとって、相手がこれからどうしようとするのかを体の動きで何となく察せられる。フェイクも無しでは通用せんのじゃ」

 「フェイントは、まだ取り入れられる程の余裕が」

 「わかっておる。その辺は要練習、じゃ。シオンも言っておっただろう」

 シオン、と聞いて鈴の握る手に力がこもる。知らず知らず刀を持ち上げ、胸元で留める。

 元々シオンに帯刀状態から居合斬りしかできない自分の戦い方を改めろ、そう言われて始めた事だが、未だ鈴は彼等を信じきれていなかった。

 手にこもった力は、そのまま鈴のやりきれない想いを表していた。

 「シオンは……」

 「む?」

 「どうして、ああも他人を信じられるのですか?」

 そこで、我を取り戻す。無意識の内に聞いてしまい、後悔しかけた鈴だが、言ってしまった言葉は取り消せない。

 「何と、言えばいいのか。あまり詳しくは言えないが、それでもよいか?」

 「はい。構いません」

 これはシオンに聞けばわかる事だが、と前置きし、ガレスは言った。

 「シオンは二度、家族を失っておる」

 「――――――――――」

 鈴は、言葉を失った。

 確かにシオンの――否。このパーティで親兄弟の話を聞いた事はほとんどない。偶然だろうと思っていたが、その理由があったとまでは思ってもいなかった。

 「一度目はシオンも幼すぎて覚えていないらしい。ただ『愛されていた』という自覚を持っているだけだ。二度目は――義理の姉を、殺された」

 「殺され、た?」

 「うむ。親の事を覚えていないシオンにとって、唯一の家族だった」

 何も言えない。鈴は己を狙われた経験があれど、故郷に戻れば親も、弟妹もいる。だからこそ他人を信じずとも、信ずる拠り所は残っていた。

 しかしシオンは、家族を奪われ、その理由が殺人。他人、だ。

 無条件に信じられるだろう家族はいない。他者の悪意にも晒された。

 ――それでどうして、他人を信じられるのだろう。

 「友人のフィンがシオンを一人にしなかった。それも大きかったのじゃろうが……ふふ」

 「……?」

 「いや何、当時のシオンを思い出しただけじゃよ。ほとんど他人を信じようとせず、フィン、リヴェリア、そして儂のみと戦いに明け暮れた当時をな」

 「そんなに、酷かったのですか?」

 「血を流さない日はなかったくらいにな。……しかし、シオンは変わった」

 どうやって、と叫びそうになった鈴を手で抑え、ガレスは続けた。

 「ティオネやベートがシオンと全力でぶつかったから。何よりティオナのお陰じゃな」

 ティオナがシオンの友人となり、ティオネとベートがシオンの隣に並び立つ戦友とも呼ぶべき仲間となった。

 それを切っ掛けとして、シオンは変わり始めた。張り詰めた糸が、少しだけ弛み、余裕ができるようになったのだ。

 「人は、一人で変わるなぞできん。仮に出来たとしても、それは凄絶な経験を経なくては無理だろう」

 それは、鈴にも覚えがあった。

 昔は無条件で誰かを信じられた。それが変わったのは、裏切られたからだ。信じたとしても、それをあっさり手放す者がいると、知ってしまったから。

 「鈴、お主が心無い誰かのせいで信じられなくなったのなら、誰かを信じられるようにしてくれるのもまた、誰かなのだよ」

 「……そう、だといいのですが」

 「うむうむ。今はまだだとしても、いずれはな。とりあえずのところでは、そうだな」

 ふと、ガレスは微かな匂いが近づいてくるのを感じた。そちらに目を向ければ、鍋と皿を持って近づいてくるティオナの姿。

 「ねえねえ! ちょっと料理作ってみたんだけど、味見してくれないかな!?」

 ちょうどいい、とガレスの顔に笑みが浮かび上がる。

 「ティオナの料理はうまい、そう信じるところから、始めてみんかの?」

 「そう、ですね。そうしましょう」

 芳醇な香りを漂わせる皿を受け取りながら、鈴は小さく頷いた。

 

 

 

 

 

 「ふ~ん、なるほどね。ダンジョンに異変あり、と」

 「はい。まだ未確定情報ですが、モンスターの動向がおかしいそうです」

 ティオネとエイナは、ギルドに各所ある個室のような小さな部屋で話していた。というより、エイナからダンジョンの事を――各階層の地図にモンスターの出現範囲と傾向、特徴等――教わっていた時に、ふとした話題としてでてきたのだ。

 「でも、モンスターなんかの動向がおかしくても普通じゃない? そもそも理性なんて無いんだから」

 「確かにモンスターには理性はありませんが、本能はあります。例えば『強い敵には恐怖を感じる』といった基本的な物などが。そう言った場合、その階層にはモンスターに『恐怖』を与えるだけの強者がいる、という事を示しています」

 「なるほど、つまり『迷宮の孤王』の出現を教えてくれるのね」

 「はい。そして今回の場合ですが……申し訳ありません、よくわからないんです」

 ちょっと申し訳なさそうなエイナに、ティオネは鉛筆を横において姿勢を変え、改めて彼女に問い直した。

 「よくわからないって、どうして?」

 「それが……何でも一部のモンスターが、殺し合っている、と」

 「は? それって同族同士?」

 「いえ、違う種族、らしいとの報告です」

 「別にその程度なら、珍しいとは言え不自然じゃないでしょ。私も何度か見たし」

 ちなみにティオネ達を視認した途端、それまで殺し合っていた相手と協力して襲いかかってきたのだが。

 「確かにそうなのですが……何でも、『()()()()()()()()()()()()()()()()()()』、と」

 「……何よ、それ」

 モンスターの魔石とは、つまるところ心臓だ。壊されれば死ぬ。まぁ、所詮モンスターだと割り切れるが。

 しかしそれを人間に置き換えてみよう。自分が殺した相手の心臓を食らう。想像しただけでも吐き気がする。

 モンスターは、それをしていた。

 「殺したモンスターの魔石を食うなんて行動、してる奴なんて見た事ない。……ッ! だから動向がおかしいのね?」

 「はい。それも報告では一体二体ではないそうです。魔石を食らったから何がどう変わる、というのはまだわかりませんが、留意しておいた方がよろしいと思いまして」

 「そう……情報ありがとう。でもいいの? 未確定って事は、不用意に話していい内容じゃないと思うんだけど」

 「構いませんよ。ティオネさんは、シオンの仲間ですよね? 私は個人的な友人を心配して、今の情報を伝えるためにティオネさんに話しただけですので」

 何というか、ちょっと黒い。が、それくらいの方がティオネとしても付き合いやすい。

 「……一つ借りができたわね。何を返せばいいのかしら」

 「ギルドの職員が冒険者の無事を祈るのは当然の事ですよ。……ですが、そうですね。『ギルドの職員』ではなく、『エイナ・チュール』としては、シオン達が生きて帰り続ける事を望んでおりますとだけ」

 「なるほど。それなら安心なさい、私達は死んでなんかやらないから」

 ニヤリと笑い、そこで話は終わった。

 「さ、生きて帰るためにも、もっと情報を教えてちょうだい」

 「ええ、構いませんよ。ビシバシと教えちゃいます」

 何だかんだ気が合うのか、二人はお互いをからかいながら勉強会をし続けた。




金曜日は寝腐ってて土曜日は連休だからと掃除に駆り出されておりました。そのため日曜日投稿です。
今回はそれぞれのシーンを細かく分けて描写しています。そのため視点が結構飛び飛びになっておりますね。
しかしシオン主体と違い、それぞれの関係が描けるのでこういうのも楽しい。……新しい関係性を作る=私の頭がパンクしそうになるって事なんですけどね!

それとレフィーヤ出すかどうか悩んでます。実はこの頃ってレフィーヤまだオラリオに来てない可能性大なんですよね。
原作だと『アイズ達と同年代』且つ『学区卒業時にLv.2となって【ロキ・ファミリア】の門徒を叩いた』とか描写されていますが。
個人的予想だと11歳くらいにオラリオ来たんじゃないかと思ってます。他にも散りばめられた情報から推察するに。
そして現時点でのシオン達は『10歳前後』です。
一年ズラすか否か。まぁズラしたところでレフィーヤを出す頻度はそう高くないんでどうしようもないんですけど。

とりあえず次回、お楽しみに。


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もう一つの悪感情

 サラサラ、と紙に何かを記す音。

 「ふん、ふんふふ~ん」

 一体何が楽しいのか、ロキは鼻歌をしながらその背中を見ては、内容を写していく。それはとても手馴れた物で、淀みない。

 わずか二分で全て書き写すと、ロキはいいで、と伝えて鈴の肩を叩いた。それに返事をしつつ、鈴は服を着なおす。

 「それで、今回はどうなったのだ?」

 二人が行っていたのは【ステイタス】の更新。ここしばらくはダンジョンと修行に忙しく、中々時間が取れなかったので、結構期待していたりする。

 その反応にからかえると判断したのか、ロキはニヤニヤ笑って答えない。

 「どーしようかなぁ。素直に教えるのもアレやし……裸踊りでも」

 「――そっくび、跳ねてもかまわぬのだが」

 「嘘嘘ちょっとオチャメなジョークやって!」

 裸踊り、そう言った瞬間喉元に添えられていた刀。しかも目がガチだった。嘘というのが少しでも遅れていたら、本当に振り抜かれていたかもしれない。

 刀が下ろされた後、思わず喉に手をやったロキは悪くないが、そもそも自業自得だ。同情の余地はない。

 「次はない。それで、どうなんだい?」

 「声のトーンが、怖すぎや。ま、後少しってとこや」

 今度はもったいぶらずに紙を渡してくるロキ。そこにはこう書かれていた。

 

 カザミ・鈴

 Lv.1

 力:B725→B751 耐久:G297→F306 器用:A889→S924 敏捷:A854→A882 魔力:I0

 《魔法》

 【 】

 《スキル》

 【反撃一閃(カウンターブレンデ)

 ・相手の攻撃を受け流した時のみ発動

 ・『力】に補正

 【回避閃光(アボイダンスライトニング)

 ・攻撃回避時効果発動

 ・『敏捷』に補正

 【魔力閃・解放(ディスチャージ・ブレイク)

 ・帯刀時、魔力を収束

 ・収束量により威力変動

 

 これが鈴の【ステイタス】だ。攻撃をほぼ喰らわないせいで耐久は紙。反面『刀』という、かなりの技術を要する武器を使っているため器用さはかなりの物。敏捷は回避に徹したらこうなり、力は相応に、だ。

 「今の【ステイタス】的に、何かきっかけがあれば【ランクアップ】やで」

 「やっとか……もう半年も経つってのに。いい加減上がって欲しいもんだよ」

 「むしろ半年でこうなるのが異常なんやけど」

 かつてのアイズ以上の成長速度。

 理屈はわかる。鈴は中層で、特定条件であればまともに戦える人間だ。シオン達のように上層や中層の浅いところで戦っていたわけじゃない。だから【ステイタス】も上がりやすかった。

 だが、何よりの理由は、彼女の努力。

 この半年、毎日毎日ダンジョンに行くか修行するか。折を見て休ませていたが、初期のシオン以上のダンジョン中毒(ホリック)状態だ。

 「後は、きっかけ……それさえあれば、やっとあたいも完全な足手纏い状態から」

 しかし、ロキ達はそれに文句を言えない。

 そもそも彼女がこうまで努力するのは、シオン達のためだ。彼女はよくわかっていた。シオン達が19層より先に行こうとしないのは、鈴がいるからだと。

 22層でシオンが落ちたとき、鈴がいなければ、もっと楽だったはずだ。誰が何と言おうと、鈴はそう思っている。思っているから、足手纏いは嫌だった。

 そのせいで死にかけた時もあったが、全員でフォローしているので何とかなっている。後は【ランクアップ】さえすれば、少しは落ち着いてくれるはず。

 「今日はもう遅いし、今からダンジョンに行こうなんて考えちゃダメやで」

 「そこまで無謀じゃあないよ、あたいは。死にたくないしね」

 今までの行動を振り返ってから言って欲しい。

 なんて言えるわけもなく、ロキは一瞬形容しがたい表情を浮かべ、すぐに消した。その後作ったのは、いつも通りの笑顔だ。

 「そう言われても不安やし? ぉ、そこにちょうどいい大きさのベッドが! できれば抱き枕が欲しいとこ」

 「あたいは抱き枕じゃなくて人間だから。それじゃ、更新感謝するよ」

 「こんのいけずぅ!」

 口ではそう言いながらも、ロキの顔は残念そうに見えない。元々冗談だったのだ、本気では無かった。了承されたらそれはそれ、であったが。

 「ほんま、シオン達は前途多難やな。だからこそ見守りがいがあるんやけど」

 思わずボヤいたのは、しょうがないだろう。

 

 

 

 

 

 「さて、どうしたもんかねぇ」

 鈴は自身の【ステイタス】が書かれた紙を見下ろす。

 ――スキルが、増えてる。

 鈴が覚えるスキルは刀に関連した物ばかり。それに違わずこのスキルも刀を前提とした物に見える。

 ――使いやすいのがいいんだけど。

 鈴のスキルはクセが強い。例えば『反撃一閃』なんかは上手く攻撃を受け流し、且つこちらは反撃できる体勢が整わなければ発動しない。発動しても、効果時間はかなり短い。

 その代わりなのかなんなのか、補正はかなりのものらしいが。多分、耐久値の高いミノタウロスでも真っ二つにできるんじゃないだろうか。

 ちなみに『回避閃光』も使いにくい。何せミリ単位で避ける必要がある。補正は高いが、どちらも条件が厳しい。狙ってやろうとは思わないし、やる必要はない。

 だから今あげた二つのスキルは無いも同然。今回のスキルには期待したい、のだが。

 「どう考えても、面倒なスキルにしか見えないねぇ」

 『帯刀時』と『魔力を収束』という文面。推測するに、居合抜きの威力を底上げするスキルなのだろうが、収束するために時間がかかると考えた方が良い。

 時間と魔力を必要とするスキル。――どう考えても扱いにくスキルだ。

 「どうしてこう、あたいのスキルはこんなのばっかりなんだい」

 『刀使いだから』とかティオナには言われそうだ。

 思わず溜め息を吐き出し、

 「どうした、そんな辛気臭い顔してよ」

 それを、ベートに見咎められた。どこかからの帰りらしいベートは、その両腕に大きな箱を持っていた。少し気にはなった物の、聞くほどの好奇心は無い。

 「新しくスキルを覚えたんだけど、まーた使いづらそうなのでね」

 「……Lv.1で三つもスキルを覚えるのは珍しいんだぜ。ったく、贅沢な発言だこって」

 「覚えられても使えなけりゃ、そんなの無いのと同じだよ」

 思わず肩を竦めると、ベートは確かになと苦笑した。それからん、と呟くと、鈴を見直し、それから告げた。

 「新しくスキルを覚えた、んだよな」

 「そうだけど。二度言わなくてもいいだろ?」

 「実は俺も新しい装備を作ったんだわ。試しにダンジョンに行く予定なんだが、どうせならそっちのも試しておくか?」

 ふむ、悪くない提案だ、と鈴は思う。魔力を使うと書かれている以上、最悪の状態である『精神疲弊(マインドダウン)』を想定した方がいい。

 ベートが手伝ってくれるのであれば、願ったり叶ったりだ。

 「それじゃ、こっちからもお願いしても?」

 「内容による」

 「そろそろ【ランクアップ】できるみたいなんだ。だから、18層まで行きたいんだよ」

 そういえば、ベートはちょっと驚いたらしい、目を開いた。その後素直に凄いなと賞賛してくれたのは、珍しい姿だった。

 「19層に行くつもりは無さそうだし、いいぜ。そっちの手伝いもしてやるよ」

 「よっし! 目指すは明日でLv.2って奴だね!」

 「おいやめろ。それトラブルを起こす言葉にしか思えねぇんだが」

 その時は笑って否定した鈴。冗談として言ったベート。まさか――本当にトラブルが起きるとは夢にも思っていなかった二人である。

 

 

 

 

 

 授業の終わりを告げる鐘の音が鳴る。それは今日最後の授業の終了の証だ。そのためか、生徒は疲れを宿しながらも笑顔だった。

 友達と話す者、本当に疲れきっていたのか机に体を突っ伏す者。先程の授業の内容の復習している者、一度教室の外へと出て行く者と行動は様々だ。

 そんな中で、彼女は一人、目を輝かせていた。

 「本当に――本当に明日、リヴェリア様が……!?」

 それは例年ある恒例行事。今までに何度もダンジョンへと潜っていた彼等が、ボランティアとして手伝いに来た先輩冒険者の手を借りて、行ったことのない階層へ行くというもの。

 勿論危険は相応なので、手伝いに来る先輩方は信用があり、尚且つ強者。最低でもLv.3が二人なのだから、お金をかけて学校に入った甲斐がある。

 先輩の戦う姿を見てどう思うかは生徒次第。得難い経験とするか、あるいは単なる一行事で終わりとするか。

 そして、この生徒――レフィーヤ・ウィリディスは、無駄にするつもりなど無かった。

 何せ噂では、このクラス。つまり特待生、優等生の集まるここには()()【九魔姫】と呼ばれるリヴェリア・リヨス・アールヴが来てくれるという。

 魔道士にとっては憧れの存在。教えを受けられるのであれば、土下座をしてでも頼み込むべき相手だ。当然、期待は上がりに上がる。

 しかし現時点ではあくまで噂。

 この後の担任の先生からの話次第だ。そこで、噂の成否が問われる。

 ちなみに期待しているのはレフィーヤだけではない。だから、教室の雰囲気はいつもとちょっとだけ違った。

 そして時間となり、先生が教室に入ってくる。一目見て全員そわそわしているのを悟り、その理由を察して苦笑した。

 「さて、今日の連絡事項はいくつかあるんだが――勿体ぶらずに教えるのと、最後に教えるの。どちらがいい?」

 『先でお願いします!!』

 全員の息が合っているのにもう一度苦笑。ここまで目をキラキラさせている姿を見ると、頑張った甲斐があるというものだ。

 子供好きな先生は片手をあげて生徒を抑える。全員静かになったのを確認すると、

 「喜んでくれ。噂通り――明日はリヴェリア様が来てくださるぞ!」

 流れる噂。それを肯定する言葉を投げかけた。

 同時、爆発する歓声。普段であれば怒るしかない状況だが、今この時に限っては黙認した。先生の方も、まさか了承されるとは思ってなかったのだから。

 一通りして騒ぎがおさまり――興奮が、ではなく、単に今の状況を思い出しただけだが――全員が着席する。

 そこで、先生はもう一つ伝えた。

 「ただし、来るのはリヴェリア様だけではない。何でももう二人程、来るようだ」

 「え? 別にリヴェリア様だけでもいいんだけど」

 「思っていても口にはするな。特に本人方には絶対にだ。それで、来る人達だが……同じ【ファミリア】所属の【英雄】殿と、【風姫】殿の二人らしい」

 その言葉に、再度教室がザワついた。

 【風姫】については少しだけだが知っている。輝く金の髪をなびかせ、風を操る華麗な乙女。あの宴を見に行った者達から聞いた話だ。

 だが、【英雄】については良くも悪くも知っている。

 曰く、優しすぎる人。

 曰く、最低最悪な人格破綻者。

 曰く、誰よりも上を目指す人。

 曰く、そのために仲間を使い捨てる人。

 ありえないくらい彼に関しては噂が錯綜しすぎている。そのせいで、実際の姿を知る者以外はその実態を知らない。

 期待の中に出た微かな不安。

 『悪い噂が流れるのなら、根拠があるはず』という思考により、折角の喜びに横槍を入れられた気分だった。

 「次の連絡事項だが、明日はダンジョンに行く。自分の装備があれば持ってくるように――」

 続きを言う先生だが、もう彼女にはその言葉が届いていない。

 「【英雄】、シオン……」

 レフィーヤにとって、シオンはリヴェリアにくっついてきた金魚のフン。その程度の認識。

 「余計なことを……ッ!」

 有り体に言えば邪魔者。

 未だ姿すら知らぬその人間に、レフィーヤは憤怒の念を送った。

 

 

 

 

 

 ゾクリ、とまたしても背筋に悪寒が走る。

 「……本当に何なんだ、これは」

 本日二度目――本格的に風邪でも引いたかと思う。けれど自分で把握できる部分でおかしなところはない。病気の兆候にしては局所過ぎるし。

 まぁいいか、とあっさり割り切る。風邪を引いたらそれはそれ、病気になるのはいつも突然なんだからと。

 「大丈夫ですか、シオン」

 そんなシオンを見つめ、心配そうに目尻を下げたのはアミッドだ。今日も一日受付をこなしていた彼女は、最後の客であるシオンに回復薬を差し出した。

 「よくわからないんだが、背中にこう、氷を突っ込まれた感じ? そんなよくわかんない悪寒がしてな」

 「背中に氷……そんな病気、ありましたっけ」

 治癒に関わる者として一通りの勉強をしているアミッド。その彼女をして、そんな病気、聞いた事が無かった。

 後で調べ直そうかな、と悩んでいると、プレシスが現れた。

 「それは多分、嫌な予感だと思いますよ」

 「嫌な予感?」

 「ええ。恐らく、ですが。シオンに因縁を持つ相手、または近々接する人の中に悪意を持っている人がいるか」

 どちらにしても最悪だ。

 思わずゲンナリするシオンに、プレシスは小さく笑うと、

 「それを何とかするにも、一人じゃ難しいですよね」

 「そう、だな」

 「ですので、ちゃんと誰かに頼んでみましょう。例えば、アイズとか」

 さりげなくアイズを押していく。協力すると決めてから、こうやってちょこちょことアイズに協力を頼むよう仕向けているのだが、一向に恋心を抱く様子は見えない。

 むしろ頼まれた側のアイズが張り切って終わりだけだ。

 長い時間を過ごせばいつかは恋という想いに昇華する。そう思っていたのだが、元から長い時間一緒にいたから、あまり効果がない。

 加えて恐怖の体験を一緒にするのも、ダンジョンに一緒に行っているから無意味。……ある意味詰んでいる。

 「明日は一日アイズと一緒にいる予定だけど?」

 「あ、そうですか。なら『ずっと』一緒にいるのがよろしいかと」

 敢えて一部分を強調しておく。シオンは不可解そうにしながらも、うんと一つ頷いた。そんな彼に薬を一つ渡しておく。

 「……これは?」

 「最近作ってみた物です。一時的に【ステイタス】を上昇させる――と言えば聞こえは言いんですが、まだ試作品ですから。五つの物のうち、どれか一つしか上がらないんです」

 それだけでも随分凄いと思うのだが、

 「これでもダメなのか?」

 「ダメですよ。どれに補正がかかるのか完全にランダム、効果時間も短く、連続で飲むと体に負担がかかる――商品にするにはまだまだ改良がいります」

 「おれに渡した理由は」

 「シオンでしたら、問題ないかと。……ユリのアレに耐えてるシオンですし」

 「それが本音か!?」

 しかしありがたいのも事実。たった一本だけなので奥の手にもならない奥の手だが――無いよりはマシ。

 実験体も手馴れたもの。ユリの毒物というなの薬品を飲みまくって『耐異常』も上がりに上がっている。死にはしないだろう。

 礼を言って頭を下げ、薬を受け取りつつそこから去る。

 その背中に笑顔でありがとうございましたと告げ、完全に見えなくなると、

 「……良かったんですか?」

 「何が、良かったのかな」

 アミッドだけになったからか、普段の口調が崩れている。心を許されている事にちょっと嬉しさを感じながらも、アミッドは言った。

 「あの薬は試作品等ではなく、二本しかない完成品の一つでは――」

 彼女の言葉を、指を当てて止める。

 そこから先は蛇足だ。例えバレていても、黙っているのが女の度量。それを笑顔で伝える。それでわかってくれたのか、アミッドは小さく頷いた。

 「彼が来てから、私とユリは、また競い合えるようになった。だから、彼に死なれてしまっては困る――そういう事にしておいてください」

 流石にディアンケヒトには怒られるだろうが、知ったことではない。

 その薬の性質上、誰かに実験体になってもらわなければならないユリの研究は進みにくい。自他共に認めるライバルがそんななので、プレシスの研究にも身が入っていなかった。

 当たり前だ、ライバルが進んでいるからこそ競争心が湧くというのに、そのライバルが止まっていればそんなもの消えてしまう。

 それをまた進ませてくれたのがシオン。

 アイズを応援する気持ちは本当。プレシスは彼に恋をしていないのだから。だけど、生きていて欲しい――そう思うのも、本当だった。

 大切な友人、なのだから。

 「全【ステイタス】に超補正――副作用はわかりませんが、それでもあなたは使うのでしょう」

 ――無駄にだけは、しないでくださいね、シオン。

 

 

 

 

 

 プレシスのところへ向かったその足で、シオンはユリのところへ行く。

 「やっほ、いらっしゃいシオン」

 もう日も暮れている時間だ。表は開いておらず、裏から入るのもどうかと悩んでいた時に、何とユリは窓を開くとそのまま入って来いと指示してきた。

 「……盗人の気分を味わえたよ」

 そう言いつつ窓から部屋に侵入。荷物を置いて椅子に座る。

 「どっちかって言うと間男なんじゃないかな? なーんちゃって」

 「ユリ、彼氏いるの?」

 「それはわかっていても言わないお約束なんだぜ……」

 グサリと矢尻がユリの胸の中心を抉る。年齢イコール彼氏無しなユリには効果絶大だった。口から吐血――わざわざ赤い薬品を飲んで――しているユリに、シオンは冷めた目を向けた。

 「見た目は良いんだから適当に引っ掛ければ? それで年齢イコールは消えるだろ」

 「そんなのヤだよ!? こんなだけど私だって女なんだし、夢みたいじゃんか! そんな体だけが目当てですーな男は願い下げだからね!?」

 冗談に冗談を返せばガチトーンで叫び返された。結構ヤバ目なところを突っ込んでしまったようである。

 この世界では、早めな結婚が推奨されている。どれだけ魔法や回復薬があろうと、死ぬときは死ぬからだ。ちなみにこの『早め』はオラリオから遠ければ遠いほど早くなる。

 ユリはまだ大丈夫だが――後数年すれば、所謂行き遅れになるだろう。一度くらいは彼氏を作らないと、後々面倒になる。

 「それで、今日の薬は?」

 そう思いはしたものの、なんでかユリは将来独身で終わりそうな気がしたので、言うのはやめておいた。反応が面倒だし。

 「そ、そうだね! うん、そっちの話をしようか!」

 そうとは知らず、話題が逸れたからか自ら乗ってくるユリ。どちらも幸せになれないから、これでいいのだろう。

 ユリは咳払いをすると、シオンの前に座って真っ直ぐに目を見つめる。先程までのふざけた様子は一切ない。

 「その前に、シオンは『耐異常』が上がった、んだよね?」

 「ああ。気付いたらFになってた……おかしいだろ、おい」

 『発展アビリティ』、【ランクアップ】時に一つだけ覚えられるそれにも、【ステイタス】と同じく十段階の評価がある。

 Sが最高、そこからA、Bと降りて行き、Iが最低。そこは変わらない。

 変わるのは、上がりやすさ。【ステイタス】にある五つの値と違い、『発展アビリティ』は凄まじくあがりにくい。とんでもない時間をかけて、ようやっと一つ上がる、というものだ。

 そしてシオンは、その一つである『耐異常』をわずか一年程度でFにまであげた。これを見た時のロキやフィンは顔を引きつらせ、そしてひっそり涙した。

 どれだけ毒を飲まされたのだろう――と。

 要するにユリの薬を飲まされ続けた結果、『耐異常』に経験値が貯まりまくってどんどん評価が上がっていったという事だ。

 泣いていいと思う。

 当のユリはといえば、

 「そっか、また上がったんだね! ならもうちょっと効果の強い薬を使っちゃってもいいかな」

 シオンがまた便利な実験体になってくれた――その程度の認識である。

 「ア、アハ、アハハハハハハ……」

 乾いた笑みを浮かべるシオン。

 だが、何故だろう――そこまで苦に思えないのは。色んな意味で毒されまくっている。その事実に、シオンはまた変な笑みが浮かぶのだった。

 

 

 

 

 

 次の日。

 「シオン、大丈夫? 顔が青白いけど……生きてる、よね?」

 「生きてる生きてる。だーいじょうぶだって。軽い地獄を見てきただけだから」

 「シオン? 戻ってきてシオ――ン!?」

 アハ、アハハハハアハと狂ったように笑うシオンをがっくんがっくんと揺らして正気に戻す。それを見ながら、リヴェリアは額に手を当てた。

 「ユリエラ・アスフィーテ……なんという娘だ」




レフィーヤの怒りは、わかりやすく言うと原作ベルと同じものだと思ってください。

アイズ→リヴェリア
ベル→シオン

って感じ。上が尊敬対象、下が怒り・嫉妬を向ける対象。
何もしてないのにいきなり怒りや嫉妬を向けられるシオンまじカワイソス(鬼)。

ちなみにこの話は長い閑話と思ってください。そのためあんまり話数使わずに次の章に行くんじゃないかな。

次回はシオン・アイズ・リヴェリアは学校へ。ベート・鈴はダンジョンへ。

ティオナとティオネは料理の練習とかの花嫁修行でもしてるって事で(どうするか思いつかなかっただなんて言えない)。
あいでぃあぷりぃず(丸投げ)。

それとあの原作突入話は消すの惜しいという人がいたのと、また何かしらの記念で一話ずつ投稿しようかなと思ったので、一番最初に別枠で置いときます。

それじゃ、次回もお楽しみに。


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認められぬ者

 どう見ても体調が悪いと一目でわかるくらい青白かったシオンだが、驚くべき事に歩いている間に回復していた。

 本人曰く、慣れ、とのこと。

 その回答にアイズは頬を引き攣らせ、リヴェリアは溢れそうになる涙を堪えた。一体どれだけ毒物――いや、副作用の酷い薬を飲まされ続けたのだろう。

 というより、シオンの体に影響は無いのか。それが心配になるリヴェリアだった。

 色々と心配されているなど思っていないシオンは、リヴェリアの先導についていきつつ、周囲の建物を眺める。

 この辺りは全体的に大きな建物が多い。学校に通う以上、外から来る者は寮生活をするのが普通らしい。つまり、あの大きな建物は全て寮生が住んでいるところということだ。

 当たり前だが男女別だ。軍隊であれば男女という性別差を意識されるのは邪魔でしかないが、ここはあくまで冒険者育成校。その辺りの分別は存在する。

 あまり見たことのない建物にアイズと二人で眺めていると、リヴェリアに肩を叩かれた。前を見やると、一人の男性が門の前に立っている。誰かの出迎えだろう――まぁ、リヴェリアの出迎えしかないが。

 そのまま近づくと、あちらも向こうに気付いたらしい。

 リヴェリアを見てパッと顔を明るくしたかと思えば、シオン達を見て困惑する。きちんと伝えてあるから、シオン達が来るのはわかっていたはずなのだが。

 それでもあちらが無理を言っているのはわかっていたのだろう、何とか表情を繕って笑いかけてきた。

 「ようこそお出で下さいました、リヴェリア様。そこのお二方は」

 「ああ。こっちがシオン、こちらがアイズだ。外見はただの子供だが――侮っていると痛い目を見るぞ?」

 リヴェリアの微笑に顔を赤くしつつも訝しげに二人を見下ろす男性教師。それも仕方ない。二人は外見上華奢な()()()にしか見えないのだから。

 「……一応言っておくけど、おれは男だからな」

 「え!?」

 ……。

 「申し訳ありません、勘違いしていました」

 ピシッと表情の固まるシオンに早々謝る。ロキやリヴェリアに言われて髪を長くしている――ちなみにアイズより長い――せいで、ますます男性と思われにくくなってきた。だから、最近は半ば諦めかけだが。

 いや、うん、やはり諦めるしかない。

 ――幼い内はよく見間違えられるみたいだし。大丈夫、成人すれば違うはずだから。

 そう言い聞かせるシオンだった。

 ちょっとした問題はあったものの、シオン達は校舎の中へと案内される。廊下を歩いている途中リヴェリアを見ようと目を向けていた生徒が何人もいた。その度に男性が注意するも、一向に減る様子が無い。

 「リヴェリア様が来ると知って、どうにも興奮しているようでして……後で厳重に言い聞かせておきます」

 「構わない。見られるのには慣れている」

 良くも悪くも、だが。

 過去はハイエルフとしての美貌に尊敬と嫉妬。現在は【九魔姫】としての尊敬と嫉妬。いつも変わらず好意と悪意を向けられ続けているリヴェリアにとって、純粋な好意であれば、不愉快に思うはずもなかった。

 一方シオンとアイズも見られていた。二人共タイプは違えど、何も知らなければお人形のようという枕詞が頭に付く程度に綺麗だ。そのせいらしい。

 そうして歩き続けるが、途中でふと気付く。

 ――もしかして、わざと遠回りしているのか?

 リヴェリアに目を向ければ彼女は片目を瞑ると、静かに口元へ指を当てた。最初から彼女も気付いていたらしい。気付いていて黙認したのは、あちら側の事を考えてか。

 口では謝りつつ遠回りした教師。気付いていて黙っているリヴェリア。これが大人、という事なのだろうか。シオンなら聞いていたはずなので、何とも言えない表情になってしまう。

 そんな事をしていると、他の教室よりも設備が整った部屋が見えた。そして、その豪華さ故にここが今日自分達が接する人のいる場所だとわかる。

 特待生。

 他の生徒よりも優秀であり、努力している者達。才ある者。上手くやれるかどうかわからない。内心不安に思っていると、服の裾をクイッと引っ張られた。

 目だけでそちらを見れば、シオンの影に隠れようとしているアイズがいる。そういえば、アイズは結構人見知りするはず。

 何故ついてきたのか、というのは野暮だが、ついてきたのは果たして正解だったのだろうか。

 結局何も言えないまま、教室の扉に辿り着く。教師は先に入って説明していますと言って先に入ってしまった。

 微かな声が漏れてくる中、リヴェリアが言う。

 「シオン、言い忘れていたが今回の主役はお前だ」

 「……え?」

 「私は脇役に徹する。どういう事を教え、経験させるかはお前が決めろ」

 「…………………………へ?」

 言い終えた瞬間、教師が自分達を呼ぶ声がする。それと同時にリヴェリアはさっさと言ってしまい、取り残されかけたシオンとアイズは慌ててついていく。

 が、内心では、

 ――せめて昨日の内に教えて欲しかったんだけどなリヴェリア!?

 見知らぬ相手に教える経験など皆無なシオンは、無表情に反してパニックになっていた。

 

 

 

 

 

 「リヴェリア・リヨス・アールヴだ。皆期待しているところ悪いが、今回私が直接教える事はほとんど無いと思ってくれ」

 全員の視線を一心に集めていたリヴェリアが、開口一番そう言い放つ。全員――教師含めて全員の表情が凍る。

 それはそうだ、オラリオでも有数の有名人から教えを請えると思っていたのに、その期待を初端から裏切られたのだから。

 「あ、あの……それでは、今日は誰にお教えいただくんですか?」

 恐る恐る手をあげたのは、山吹色の髪をした少女。長い髪を後頭部でポニーテールにした少女はリヴェリアと同じエルフ。

 同族だからこそ、あるいは同じ魔道士だからこそ、この中でも際立って尊敬の念を抱いているのを感じる。

 「教えるのは、そこの白銀の髪をした()だ。……念の為にもう一度言うが、()だ」

 え、と全員が口を開けて見た先は、少女――のように見える少年。同い年の少女の何人かがガックリと項垂れていたのは気のせいか。

 そして当の本人は、全員の視線など意に介さぬとばかりに口を開いた。

 「名前はシオン。苗字は無いから、シオンと呼び捨てで構わない。リヴェリアに言われた通り男で、今日一日指導担当をする、らしい」

 リヴェリア、そう言った瞬間誰かの目が小さく細められた。わかるのは、一人二人じゃない、というくらい。

 シオンが言い終えると、その背中からアイズが顔を覗かせる。その顔を見て、息を呑んだ音がいくつも届いた。

 「えっと、アイズ・ヴァレンシュタイン、です。二人に無理を言ってついてきただけで、教えるのは無理だから、そこだけよろしくお願いします」

 実は、シオンから目を離すのが怖いからついてきました、なんて言えるわけがない。その為何がしたいのかわからずじまいな自己紹介になった。

 何より、自己紹介が終わったらさっさとシオンの背中に隠れてしまったのがマズい。本人としては頑張ったのだろうが――少年達からの視線が痛い。主に嫉妬的な意味で。

 十歳ともなれば性別の違いが出てくる頃だ。同時に結婚を意識し始める年齢でもある。この中の何人かは貴族の可能性が高く、そうなれば許嫁がいたっておかしくないのだし。

 まぁ要するに。

 綺麗で可愛い女の子が、女みたいな男を心底頼っているのが気に食わない――。

 ただそれだけの話である。

 だが、ここで一つ問題があった。

 シオンの悪評と悪感情だ。流された悪い噂と、今リヴェリアに期待を裏切られて、その原因がコイツであるという悪感情。それがアイズとの関係を見て、振り切れた。

 女子は余計な事をと、男子はそれに加えて嫉妬とで。

 「――なんでお前みたいなのから教わらないといけないんだよ?」

 それが、言葉として現れる。大小、声の大きさに差はあるものの、ほぼ全員の答えは一致していた。

 「リヴェリア様の教えが受けられると思って楽しみにしてたのに」

 「女の子連れた奴から教わるとか、意味わかんねぇ」

 子供だからこそ、容赦が無い。リヴェリアが思わず瞠目するほど、言葉を重ねてくる。

 ――ここまで、酷かったのか?

 ロキとフィンから聞いていたが、シオンの悪い噂はそこまでなのか。確かに彼等の期待を裏切ってしまったが、それでも大丈夫だと考えていたのは甘かったのか。

 後悔しかけたリヴェリアが前言を撤回しようとしたとき、

 「気に食わないなら、帰りたいのは帰ってもいいよ」

 全く堪えていないシオンが、あっさり言い放った。

 「どうにも勘違いしてるみたいだからあらかじめ言っておくと。――こっちは教えに来たんじゃない、そっちが()()()()()()んだ」

 つまり、

 「こっちが上で、こっちが下。それくらい理解しておけよ、馬鹿共」

 そういうことだ。

 だが、まさかここで煽るとは思わなかった。見守っていたはずの男性がオロオロしている。何か言おうか迷っているらしい。

 リヴェリアは彼に、黙っておくようにと目で伝えた。

 「文句があるか?」

 「あ――あるに決まってるだろ?」

 「どこに?」

 「そ、そりゃ……お前みたいな奴に教わるなんて、ありえないし」

 「少なくともおれはLv.3だ。例年通りなら平均してLv.3の人間が来るらしいから、おれが教えたって不思議じゃない。個人的な我が儘を振りかざすなら、下の下だな」

 感情で言う相手に正論を叩き込む。それは字面だけで見れば正しいが、現実から見れば間違っている。

 それは、火に油を注ぎ込む行為でしかないからだ。

 「お前みたいな奴に言われる必要なんかねぇ! あんな噂流されている奴を、信じられるわけないだろ!」

 「――あっそ」

 立ち上がった少年に、シオンはつまらない物を見たと言いたげな目を向けると、その『敏捷』を最大限に発揮して近づいた。

 一瞬、だ。

 それこそ瞬きしている間に、シオンが目の前にいて、両目の下に指を添えていた。下がろうとしたが、できない。

 そうする事を許されない。

 「こっちはさ、教えるんだったら全力で頑張るつもりだったんだよ。でもそっちがそんな態度を取るんなら」

 ――叩き潰して終わりにするよ?

 殺気を込めて言えば、彼の顔が強張る。

 思い出したのだ、自分達は『所詮』Lv.1なのだという事を。ここにいる全員が一斉にかかったとしても、負ける相手なのだと。

 「……すまな、かった。俺が、悪かった、です」

 その言葉に、シオンは殺気を抑えて指を離す。そして椅子の上に崩れ落ちる少年。流石にやりすぎたかと、シオンがバツが悪そうな顔をした。

 「こっちも、悪かったな。ちょっとやりすぎた。でも覚えておいてくれ。中には容赦無く武器を振るってくる相手もいるってこと」

 シオンはどちらかというと優しい方だ。脅すし時には暴力を振るうが、必要以上にやるつもりはない。だが同じLv.3の冒険者に、叩きのめしてから脅し、色々な物を奪う奴もいる。

 そんなシオンに、少年は顔をあげて聞いた。

 「俺を脅したのは、なんでだ?」

 特に意味のある言葉ではなかった。そもそも意味など考えていなかった。

 「お前が一番強かったから、かな?」

 「何?」

 「剣士とか魔道士とかそういった区別抜きに、一対一ならお前が一番強い。だからクラスでリーダーみたいなのをやってるんじゃないのか?」

 理由はない、そんな答えが返されると思っていたのに、実際に帰ってきたのはまともな答え。思わずシオンの顔を見つめてしまう。

 恐怖は未だ宿っているものの、一周回って悪感情がリセットされている顔を向けてくる。

 「なんで、わかったんだ?」

 「見てればわかるだろ?」

 普通はわからない。当のシオンはリヴェリアに言っている。

 「学校じゃ教わらないの? 強いのと弱いのの見分け方」

 「お前は血反吐を吐くまで体に叩き込んだからわかるだけだ。学校はそこまで厳しくない」

 「……え、血反吐を吐き出してからが本番じゃないのか!?」

 初めて知った、と驚くシオン。アイズもさり気なく驚いている。何せアイズも血反吐を撒き散らすような訓練ばかりしてきた。

 学院とはまさかそこまで甘っちょろい場所だったとは。

 そう思うものの、だからといって今更優しい訓練なんてできるわけがない。やり方なんてサッパリわからないのだから。

 「んー、なら仕方ない。おれなりの方式に従ってもらうってことで。反論は受け付けないからよろしく」

 少し悩んだが、シオンはあっさり切り捨てた。そしてそう言ってのける。

 先程の『血反吐を吐く』と『反論は受け付けない』という言葉。それに猛烈な嫌な予感を感じた生徒は、さっきまでの自分を殴りたくなった。

 「とりあえず、18層に行こうか? 大丈夫、死ななければどうとでもなるからさ」

 ニッコリ笑ってそう告げたシオンに、彼等は内心で絶叫させられた。

 しかしシオンは一切取り合わない。満面の笑みを浮かべ続けるのみだ。そこで、やっと彼等は気づいた。

 ――怒ってる。

 シオンは人形でも機械でもない。人間だ。いきなり参加させられて最初にかけられた言葉が罵倒であれば、気に障って当然。

 「武器と防具は持ってきているのか? あるならさっさと用意しろ」

 「そ、それは……」

 チラと教師に視線を移す。

 学院では武器や防具の携行は許されていない。それは素人が好き勝手に武器を振り回さないようにするためだ。初心者の頃が一番怪我をしやすいのだから。

 そのため、武器防具は学院に預けておくのが一般的になる。渡されるのは訓練やダンジョンへ行く時のみ。教師に視線を移したのは、その許可を得るためだ。

 教師はリヴェリアに懇願するような目を向けたが、リヴェリアは取り合わず、肩を竦めるのに留めた。教える役目はシオンに放り投げた、自分はその補佐をするだけ。

 「私に何かを求められても、何かをするつもりはないよ」

 「そ、そんな……」

 ガックリと項垂れて、移動し始める教師。18層へ行くなんて事をするだなんて思ってもいなかったのだ。

 ここにいるのは全員Lv.1の生徒のみ。才能が花開くとしても、まだ先のこと。だから、いくらリヴェリアの力があっても、何十といる生徒を全員守るのは不可能だと思っている。

 ――シオン達を戦力に数えていない時点で、この教師は二人を侮っているのだが。

 見た目で判断してしまえば、それも無理はないだろう。

 移動した後、各々更衣室へ移り着替え始める。出てきた時の格好から、誰がどんな役目を担っているのかがわかってしまう。

 当然だが、魔道士は少ない。エルフの少女はある種当然として、他には片手で数えられる程度の人数だ。これでも多い方なのかもしれないが。

 ほぼ全員が集合すると、その中から一人、おずおずと進み出てきた。

 「あ、あの……」

 「何だ」

 「今日は、本当に18層にまで?」

 その顔には『嘘ですよね?』と言いたげな色が宿っている。視線を動かせば、声には出さないまでも同じことを思っていそうな者が多くいた。

 「おれは、物心ついてから嘘を言った事が無いのが自慢なんだ」

 それを真っ向からへし折るセリフ。彼女はシオンの横に立つアイズを見たが、彼女はシオンに従うように一歩、近づいた。それで察したのだろう、ガックリと絶望したように項垂れる少女は、失礼しましたと言って下がる。

 ちなみにだが、シオンは無理そうだったら行ける者だけで18層に行くつもりだ。途中で脱落しそうならリヴェリアに頼んで地上に連れて行ってもらう。

 そう考えているのだが、言わなければわかるはずもない。

 シオンは手を叩いて全員の視線を集めると言った。

 「それじゃ今から出発する。――前に、携行食と回復薬程度は持っていく。持っている者は持ってきて、無い者は大至急買ってこい。費用くらいは出してやる。後払いになるが」

 指示に従い、各々散っていく生徒達。その顔にはやる気どころか悲壮感しかない。どう見ても後悔だけが宿った顔だ。

 「リヴェリア様、お願いです。どうにかしてくれないでしょうか?」

 見かねた教師が頭を下げるも、リヴェリアは受け入れるつもりなどない。

 「先程も言っただろう。私は見ているだけだ。シオンからの指示が無ければ動くつもりはない」

 どうしてこうなったと頭を抱える教師を尻目に、リヴェリアはシオンの横顔を眺める。そこにはいつも通り――いや、まだ少しだけ怒っているようだが――の態度。

 これからどうするのか、見物だった。恐怖支配は士気が上がりにくく、何より敵対心を募らせるだけ。絶対的な力量差故にどうしようもないだろうが、これはあくまでボランティア。死なせてしまえば自分達だけでなく、【ファミリア】にまで迷惑が行くだろう。

 アイズはひたすら傍観している。彼女だけは――かつてシオンの『訓練』を受けた事がある彼女だけは、その意味を理解していたからだ。

 どうしても敵を作りやすいシオンが手っ取り早く自分を認めさせる、その方法を。

 ただそれが危険を伴うことも予想していたので、アイズは持ってきた剣を鞘から取り出し、刀身を見つめる。

 光を反射する剣に刃こぼれは見当たらない。18層までで出現する敵程度であれば、折れる可能性は無いと思っていいだろう。

 「シオン」

 「どうしたアイズ」

 「いつか()()()()しなくてもいい日が来るといいね」

 力技過ぎるやり方は、どうしても心にしこりを残す。だからアイズはこのやり方を好まない。だが、話し合いで説得できるような状況でもなかった。それだけあそこにはシオンへの悪感情があったから。

 それ故願うのだ。

 いつか誰からも認められて。悪い噂があってもすぐに否定されるような。そんな、シオンが憧れる『英雄』になって欲しいと。

 「……そう、だな」

 何とも言い難い表情をするシオン。それは一体どういう思いからきたものだろう。アイズにはわからない。

 「そうなると、いいな」

 ただ、自分の手を撫でるシオンの手には優しさだけがあった。




前回更新できず申し訳ない。小テストと課題が重なってしまいました。7月入ったらテストとかもあるから休む週が増えるかもしれません。
ある程度点取らないと単位落とすから、趣味は後回しになるのです……。

それはそれとして。
シオン達見てると価値観狂いますが、普通の子供ってもっと感情的ですよね。
だからリヴェリアという憧れから授業を受けられると思って期待していたところに、悪い噂をよく聞くシオンが現れたら――そう思ってください。
普段だったらもうちょっと理性的です。うん。

まぁわかりやすく言うと『初期のアイズ』を今の彼等だと考えればいいのかも。
シオンだって出来れば悪役(ヒール)なんてゴメンですから……。

次回はベートと鈴の行動を書くと思います。

ぁ、そうそう。それと原作の方の6話も何となく書いてます。私が想定しているライン超えたら適当に投稿すると思いますが、ネタバレ前提で読んでください。
現状はそうでもありませんが。

……ボソッ(やっぱり元の文章ある方が乖離させやすいです


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意外な一面

 シオン達が学院へと向かう前。まだ朝日が昇り始めたかどうかという時間帯。

 その頃にはもうベートは起きて、活動していた。若干の眠気を感じさせる頭を冷えた水で覚醒させ、服を脱いで寝ている時に出た汗を布で拭う。

 適当に終わらせると、次は昨夜の内に用意しておいたインナーを着る。体の動きを阻害しないように作られた特注品を違和感無く着こなし、念の為に体を動かす。ほんの少しだが、手足の動きが鈍い。

 ――身長、伸びてきたか。

 体の成長に伴い、このインナーも買い換える必要が出てきたようだ。こういった些細な違和感をほったらかしておくと、後々後悔することをベートは知っていた。今日のダンジョンから戻ってきたら、いつものところで注文しておくべきだろう。

 一通り動かすと、胸当て等の急所を守る鎧を身に纏う。ベートは前衛壁役(ウォール)じゃないので、付ける鎧は最低限。そうしないと速度が遅くなり、一番の長所である足が殺されてしまう。

 だから普段であればそこで着るのは終わりなのだが、今日は例外。ベートは箱にしまっておいた篭手と靴を取り出した。

 肩と肘のちょうど中間まである中途半端な長さの篭手と、膝まである靴。できるだけ軽量化してあるものの、両方付ければ十分重い。ベートは少し眉を寄せたが、必要な事だと割り切ってその二つを付ける。

 久しぶりに篭手と靴をつけたが、案外覚えているものらしい。容易に終わった。

 一度、二度と飛び跳ねて重さを測る。

 最高速度は――問題ない。自分の限界の走力は出せる。ただ、重さが増した分持続力は減っただろう。

 代わりに増えた部分はあるから、安い代償だが。

 双剣を腰に差して、回復薬や携行食料等の道具を入れたリュックを背負い部屋を出る。早ければ椿も準備を終えている頃だろう。

 待ち合わせの時間はまだまだ先だが――不必要に待たせる必要はない。さっさと門前にまで行くべきだろう。

 まだ誰もいない時間。廊下を歩いても響くのはベート一人分の足音のみ。そうして最後まで誰とも会わない、そう考えていたのだが。

 そうは問屋が卸さず、ベートはズリズリと『何か』を引きずるティオネを見つけた。

 「――ッ」

 思わず頬が引きつる。それは、ティオネが引きずっている物が者だったからだ。ボロ雑巾のようになっているアレは、どう見ても自分達とそう大差ない年齢の人間である。

 「……何やってんだお前は」

 「あら、ベート。その格好、これからダンジョン? 精が出るわね」

 どうにも気になって問いかけたが、ティオネは答えてくれなかった。答えてくれるとも思っていなかったが、視線は彼女の手の先に行ってしまう。

 その視線に気付いたのだろう、ティオネはひょいと持ち上げた。同時、首がしまったのかグェッと蛙が潰れた声が漏れ出る。

 「ああ、これ? 確か、ラウル、とか言ったかしら。アキやナルヴィの同期、みたいだけど。鍛えて欲しいって言ってきたから、ちょっとあしらってあげたのよ」

 どう見ても『あしらう』という表現では足りない気がするのだが。ニッコリ笑っているティオネを見る限り、どうにも逆鱗に触れたらしい。

 ラウルとかいう少年が、瞳を潤ませ助けを求めるように無言の懇願をしてくる。だが、ベートはそっと視線を逸らした。

 触らぬ神に祟りなし。

 これからダンジョンへ行くというのに、余計な面倒事を招くのはゴメンだった。

 「それじゃ、私はもう行くわね。これからまた続きをしないといけないし」

 見捨てられたと察したラウルがショックを受けたように硬直する。それが何かの合図となったのか、ティオネは手を下ろし、そのままどこかへ行ってしまう。

 ラウルとかいう少年、散々に虐められそうな気がする。まぁティオネとて鬼ではない。鍛えて欲しいというのが本当であれば、経緯はどうあれ結果的には強くなるだろう。

 ベートは小さく溜め息を吐き出すと、玄関へと足を向け、

 「――あ、そうだ。一つ伝えておかないと」

 「うぉ!? 驚かせんじゃねぇ!」

 ひょっこりと顔を戻してきたティオネに驚いて一歩下がってしまう。完全に気が抜けていた、失態である。

 からかわれる、そう考え身構えていたベートに、

 「ダンジョンでちょっとおかしな事があるそうよ。十分に気をつけて行きなさい」

 予想外にも、真剣な顔をティオネは向けてくる。からかいなど一切ない。彼女は本気でベートを心配していた。

 「そうかい。……忠告ありがとよ」

 だからベートも、驚かされた事への怒りを消して、真面目に礼を言った。ティオネはそれに小さく口元を綻ばせると、

 「ま、仲間だしね。死なれちゃ寝覚めが悪いもの。じゃ、今度こそ」

 そう言って、再度振り返ることなく、完全に去っていく。ベートはその背中が見えなくなるまでそこにいたが、いなくなると、頭を振って頬を両手で叩いた。

 「――いつものダンジョンじゃないって事は、忘れないように気を付けねぇとな」

 たかが18層までの道のり。そんな安易な考えは捨てて、十分に警戒していこう、そう決めたベートだった。

 

 

 

 

 

 ――パチリ、と目が覚めた。

 鈴は長旅の経験から、起きようと決めた時間帯に目覚める事ができるようになった。起きたばかりとは思えぬテキパキとした動作で、寝巻きがわりにしていた浴衣を脱ぐ。

 そして用意するよう頼んでいたお湯があるのを確認するとタオルを浸し、絞る。それを使って体を拭くと、インナーを纏い、その上に鎖帷子を付ける。驚くことに、鈴の『鎧』と言うべきものはそれ一つだけ。胸当ても何も用意しない。

 鈴曰く『刀を振るうのに支障が出る』とのこと。彼女の会得している『スキル』はどれもこれもクセが強すぎるので、これらをまともに使うのなら、鎧なんて使っていられない。本音を言えば鎖帷子すらいらないのだが。

 それを言った瞬間、シオンの体から怒気が発せられたので断念した。アレは無理だ。勝てる未来が見えない。

 今でも思い出すたびゾクッと背筋が凍るそれを、慌てて頭を振ることで追い出す。鎖帷子を付けたら、その上に着物を着た。この着物もやはり特注品で、動きにくそうに見えるが実際はかなり動きやすかったりする。

 形的には道着、あるいは巫女服に近い。故郷で着ていたようなガッチガチの着物は、ダンジョンに行かない休日用だ。

 ちなみに鈴が和装を用意できる理由は簡単だ。

 ここはオラリオ、世界の中心と言っても過言ではない都市。世界のあらゆる文化が集まっているこの街には、当然鈴の住んでいた国の文化もある。和装はその一つだ。

 服の準備を終えると、鈴は腰にポーチを付ける。ベートが大体の荷物を持つと言ったので、このポーチの中には彼と離れ離れになった時のための保険として万能薬が一つと、携行食料を少量入れておいた。

 今着ている服とは合わないが、仕方ないと諦める。

 いつでも出られる準備は整えた。ベートとの待ち合わせまで、まだ多少の時間がある。

 鈴はテーブルの上に置いてあった二本の刀の内、一本だけを持ち上げてベッドに腰掛けた。柄に片手を添えるものの、しばらく鞘をジット見つめる鈴。それでも何かしらの覚悟を決めたのか、一つ深呼吸をすると、そっと鞘から刀を抜いた。

 ――いつも通りだ。

 『不壊属性』がある以上、目に見える変化はそう起こらない。それでも、鈴は『オロチアギト』に変化が起きていないことを、想像以上に安心している自分がいることに気付く。

 この刀の存在によって、何度危機に晒されたか。当時この刀の価値を知らなかった自分のせいでもあるのだが。愚痴くらいは言わせて欲しい。

 しかし物言わぬ刀に話しかける姿は、控えめに言っても変人だ。愚痴を言うのは諦めた代わりに鈴は溜め息をし、刀を鞘へと戻した。

 ――その一瞬前。

 鈴の瞳が、()()()()()()()()のを、部屋の鏡は映していた。

 けれどそれに気づく者はいない。鈴自身でさえ、それに気付いていなかったのだから。

 鞘へ戻した刀を持っていくかどうか悩む。しかし、最終的には持って行かない事にした。使うつもりが無いのに持って行っても荷物にしかならないからだ。

 いつも通り『コテツ』だけを脇に差して立ち上がり、もう温くなりかけているお湯を片手に部屋を出る。

 このお湯は頼んでおいたもの。そして、その頼まれた人物は今何かをしているはずだ。できればお礼を言っておきたい。そう考えた鈴は厨房へと足を向けた。

 正直言って、寒い。夏だろうと冬だろうと、まだ朝日が出てきたばかりの時間は寒いのが困りものだ。しかし厨房へ近づくと、その寒さが和らいでいく。火元に近づいているからだろう。

 微かに明かりの漏れる厨房をソッと覗く。そこにいたのは一人の少女。最近ほんのちょっとだけ髪を伸ばしだした彼女は、何度も近くにある紙を見ては、一心不乱に料理をしている。

 その手つきは危なっかしいにも程がある。何でも力任せに戦ってきた彼女は、繊細な技術とは無縁なところにあった。そのツケが今になって回ってきたのだ、戸惑いもする。

 だが、決して弱音は吐かない。手元が狂って手を傷つけても、回復薬で癒やして治す。血が付いて使えなくなった材料は自分で食べておく。そうやって、練習していくのだ。

 「ッ・・・・・・またやっちゃった」

 不揃いで、グチャグチャで、完成させても決して綺麗にはできない。人に出す事を考えられないデキの悪さ。

 それでも続ける理由を、鈴は知っている。

 「――全く、よくもまぁこんな時間から精が出る」

 本当なら邪魔をしたくなかったのだが、ふいにそんな言葉が口から漏れた。朝から晩まで頑張り続ける姿を見続けたせいか、どうしてもそう思ってしまうのだ。

 最初は本当に、酷かった。

 料理とさえ呼べなかった。

 それが、どうだ。今では良い匂いを漂わせるものとなり始めている。例え見た目は酷くとも、おいしそうな匂い。

 皮肉のようなその言葉は、しかし抑えきれない感嘆を滲ませていた。

 「その声、鈴?」

 料理をしていたティオナが顔をあげる。火を弱め、声のした方、入り口の扉に目を向ける。Lv.3となった彼女の聴覚は、鈴の声がした場所を見抜いていた。

 鈴は素直に姿を晒す。扉を開けて中に入り、何となく厨房を見渡す。基本的には整理整頓されているのだが、ティオナの周辺だけは、切った野菜の皮や破片が飛び散っていて汚かった。

 顔を戻し、ティオナを見る。余程集中していたのか顔が赤い。チラチラと鍋の中身を気にしているのは、自信が無いからか、恥ずかしいからか、あるいは煮込む時間のためか。

 どれにしろ、あまり時間をかけるのはよくないと判断。

 「これ、わざわざすまないね。ありがとう」

 「届けに来てくれたんだ? 後で取りに行こうかなと思ってたんだけど」

 「ティオナは使用人じゃないんだ、これくらいはするよ。にしても、朝っぱらからよくやるね。それ、シオンにかい?」

 「ううん、自分用。誰かに出すには、味も見た目もまだまだだから」

 少し恥ずかしそうな彼女の本音は、こんなのまだ見せられない、だろう。半年以上も前になってしまうが、あの時出された料理は中々の物。

 シオンが作ったらしいアレを超えなければ、納得できない。それが、恋する乙女のプライドだから。

 「食べられるなら別にいいけど。……太るよ?」

 「うっ。だ、大丈夫。ちゃんと運動はしてるし。ダンジョンに行ってるから、むしろ痩せてる方だから!」

 痩せてる――そう言われて一瞬胸に目が行ってしまったのを、責める事はできない。だが、見られた当人は、別だ。

 「鈴? どこ見てるの?」

 「ッ!?」

 焦りによって慌ただしく動いていた顔が、無表情に切り替わる。両手は己の胸元に添えられ、目線は鈴の胸に。

 どうしようもない現実――即ち膨らみの存在(あるかないか)を、親の仇のように見つめるティオナ。

 「……削ぎ…………ティオネも……」

 「ひっ!??」

 物騒すぎる単語に、鈴の全身に鳥肌が立つ。

 「あ、あーあー! そ、そういえばもう待ち合わせの時間だね!? あたいはもう行くよ!」

 本能に従い、言い訳と共にその場を離脱する。それほどまでにティオナが恐ろしかった。あの光のない澱んだ瞳――察する。

 ――ティオナの()()だけは、弄ってはならない!!

 心ではなく、魂に誓って。

 「……どうしたんだろ、鈴」

 一方、いきなり走り去ってしまった鈴にティオナは首を傾げる。

 ティオナの名誉のために弁解しておくと、削ぐ云々は別の物を指していただけだ。何とは言わないが。

 しかし鈴はこの時の経験から、人の身体的特徴をからかってはいけない、という常識を学べた。それがどんな役に立つのかは、まだわからない。

 「ハァッ、ハァ――ハー……」

 バクバクと鳴る心臓を抑える。あまりの恐怖に今更足が震えだす。目で見ただけでこれだ。直接口に出していたら、どうなっていたことか。

 「何やってんだお前」

 「ひゃ!?」

 未だ恐怖に怯えていたところでかけられたその声に、思わず変な声が出てしまう。慌てて振り向いてみれば、待ち合わせ相手であるベートが目を見開いた状態で固まっていた。

 「ひゃって……」

 「気にするな」

 「いや、だが」

 「気にしたら、斬り落とす」

 「そうだな、俺は何も見ていない。よし、ダンジョンに行くためにもその刀を下ろすんだ」

 ベートが瞬きした瞬間、神速の居合抜きで放たれた刀が目の前に現れる。目を閉じていても他の五感でそれを察したが……羞恥で限界を突破するとは何なのか。

 ――まぁ、余程恥ずかしかったんだろうが。

 これが天敵であるバカゾネス姉妹であればからかっていたところ。だが、鈴はからかわないしからかわれもしない。

 要するに、意外と冗談が通じにくい。こういった切羽詰まった状況だと特に。

 しばらく鈴は息を荒げていたが、ベートの言も一理あると感じたのだろう。ゆっくりと、刀を下ろし、鞘にしまう。しかしその眼力は、細くなったまま。

 動かない鈴を見て、ベートは少しだけ頬を揺らす。

 ――コイツ、後ろからついてくるつもりか。

 これは、やばい。下手なことを言えば、本当に首が飛びそうだ。それぐらいの殺気を、今の鈴は纏っている。

 そして、ふいに思う。

 ――どうしてこう、うちの女共はまともなのがいねぇんだよ!?

 アイズは比較的マシ――あくまで『比較的』だが――だけれども。

 他三人は、まぁ、察してくれとしか言えない。

 「ハァ……」

 小さく溜め息を吐いたベートの姿は、【ロキ・ファミリア】では割とよく見る光景でもあった。何故なら、男性陣は大概そうなるから。

 何時の世も、男は女に苦労させられる生き物である。

 最終的に二人で腹ごなしをして機嫌を直してもらったが、ダンジョンに行く前から異様に疲れたベート。

 「よぅベート、肩を落としてどうした? 珍しいな」

 「よりによってテメェかダズ。今の俺は機嫌悪いんだよ、どっか行ってろ」

 狼人のダグラス・リェリア。流石狼人、というべきか、ベートと同じく目つきは鋭い。その上高身長でガタイもいいから、結構な威圧感がある。並みの子供なら怯えているだろう。

 実際鈴も、一瞬だけだが驚きで硬直していた。

 ダグラス――ダズはそんな鈴を横目で見ながらベートの耳に口を寄せると、

 「お前の()()か?」

 「よし、どうやら死にたいらしいな。その喧嘩、買わせてもらうぜ」

 「おいおいちょっとした冗談だろ!?」

 ちなみにこのダズ、見た目に反してベートより弱い。比べる相手が間違っているのだが。

 小声でやり取りしたかと思えば背筋を仰け反らせるダズに鈴は苦笑してお茶を濁す。それ程ダズの慌てようは滑稽だった。が、しがないLv.2であるダズではLv.3のベートに勝てないと、本人が身に染みるほど知っている。それ故慌てながら冗談だと引きつった笑みを浮かべ、

 「全く、昔より丸くなったと思ったんだがな」

 「相手の機嫌くらい見て冗談を言え」

 「それは確かに……どうにも御仁は敢えて空気を読まないみたいだが」

 正論を言われて――それも年下二人に――更に顔が歪む。降参を示すように両手をあげて、ダズは話を変えた。

 「悪かった。……侘び代わりに一つ。その格好からしてダンジョンに行くんだろ? それなら一つ情報だ」

 「ダンジョンがおかしいってのならもう聞いたが」

 「それなら話は早い。俺が言いたいのは、それをもうちょい踏み込んだ奴だ」

 「踏み込んだ、とは?」

 今初めて聞いた異変に鈴は興味を示す。ダンジョンでは一つのミスが命取り。そのミスが出る可能性を減らせる情報は大事だ。

 身を乗り出す鈴に、ダズは声を潜めると、

 「何でも、一部のモンスターが強いらしい」

 「あ? どういう意味だ」

 「まぁ待て、ちゃんと教える。……普通、ゴブリンが二体か三体いても、戦闘力にそう差はないよな?」

 当然だ、例えばある程度戦闘をこなしたゴブリンは経験から強くなっているが、基本的な能力はほぼ同じ。でなければ、ダンジョンで命を賭けるのは危険すぎる。

 と、そこでダズの言葉の意味を悟った。

 「おいダズ、まさか、お前が言いたいのは」

 「ああその通りだ。モンスターの中に、同じ個体でも異様に強い『変種』が紛れ込んでる。たかがゴブリンと侮って返り討ちになった奴もいるみたいだぜ」

 それが本当であればかなり厄介だ。

 「強さの違いは?」

 「ランクが違うって程じゃないが、数層分強くなってるらしい」

 「そう、か。おい鈴、どうする。俺はともかくお前は大丈夫か?」

 いくつかの個体が強い程度なら問題はない。そのくらいベートは強くなった。だが、鈴は違う。彼女はまだLv.1だし、ダンジョンに慣れきっている訳でもない。

 「手に負えないと判断したら、ベートに投げればいいか?」

 「……おい。いや、それでいいけどよ」

 何の疑問もなく『囮にします』発言に脱力する。ダズなんて腹を抱えてゲラゲラ笑っている。ちょっとウザい。

 「ちょっと逝っとくか?」

 「え、遠慮させてもらうぜ。色んな意味で」

 ベートの不穏な発言に何かを感じたのだろうか。

 引いているダズは、変な笑みを浮かべながら手をあげて去っていく。その背にふぅと息を吐きつつ鈴に目を向ければ、

 「……んだよ?」

 「いや……」

 眉を寄せている鈴がいた。彼女はしばらく悩んでいたかと思うと、

 「ベート」

 「だから何だよ」

 「――友達、いたのだな」

 「余計なお世話だ!?」

 しょうもない事を言ってくれた。額に青筋を浮かべるベートに肩を竦めると、彼は唸りながら目を細めて睨みつけてくる。

 それを受け流しつつ歩き出す。

 腹ごなしはしたのだし、後はダンジョンに行けばいいだけだ。これ以上何か言って爆発させてはいけないだろう。

 クスクスと楽しそうに笑う鈴。それにベートは、しょうがねぇなと言いたげな苦笑を返すと、文句を言わずにその後ろをついていった。

 時間が経ったからか、人影がまばらに増えてきた。その幾人かにベートはぶっきらぼうな挨拶をすると、相手は笑顔で返してくる。その光景に、鈴は珍しい物を見たとでも言いたげな顔を向けてくる。

 「意外と、人気があるんだね?」

 「知るかよ。気付いたらこうなっただけだ」

 ベートから挨拶するのもそうだが、相手がそんな対応でも不快そうな顔を見せないのにも驚かされた。

 仲間六人でいる間は見えてこなかったものが、二人きりだと色々見えてくる。新鮮な感覚に、しかし鈴は面白そうだった。

 そう思っている間に、ベートは親の手伝いをする子供が転びかけていたのを抱きとめたり、考え事をして物にぶつかりかけた相手に注意したりしていた。

 ベートは面倒見が良いと知っていたのを、改めて再認識する。というより、意外な人気の理由はこれのせいなのでは。

 「ったく、どいつもこいつもちゃんと前を見て歩けよ。危ないったらありゃしねぇ」

 「…………………………」

 どこかで聞いたツンデレという言葉を思い出す。言えば問答無用でぶん殴られそうなので何も言わなかったが……。

 何とも言えない微妙な顔をする鈴と、それに気づかぬベートの二人は、そんな雰囲気のままダンジョンへと足を踏み入れた。




先週は大学の新歓が2個重なったので投稿できませんでした。二次会三次会で朝までフィーバーしたら書く気力なんて残ってなかったよ!

それはともかく。
ツンツン言いながらも助けるベートはツンデレ。異論は認めるけど私はこの意見を貫く。

ちなみにベートがこうなったのは大体シオンのせい。手のかかる子がいるとお兄ちゃんは苦労するんだね。

鈴の瞳の変化とか、力任せに生きてきたせいで加減しながら包丁を使えず苦労するティオナとか、(過去編で)初登場なラウルの出オチと容赦ないティオネとか。
色々出したけど、ここらへんの意味はその内。

もしかしたら先週分という意味で明日も投稿するかもしれない。でも期待しないでね。


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触れる悪意

 野を駆ける狼のように背を伏せ疾駆するベートの短剣が閃く。寸分の狂いもなく、吸い込まれるようにウォーシャドウの心臓を抉り抜いた。

 情け容赦ないその一突きで魔石が砕け散る。魔石を失い灰となったウォーシャドウには目もくれず、ベートは太腿辺りから取り出した細長い物を投げた。

 一つ、二つ、三つ。全て別の方向へと向かったそれは、遠くで構えていたフロッグ・シューターの舌を貫き、悶絶させる。

 ――そこに、神速の居合が振るわれる。

 痛みで意識を保てなくなったフロッグ・シューターの体を、三匹纏めて真横に切断。更に抜刀した勢いのまま、前傾姿勢で影に隠れていたウォーシャドウの両手を切り飛ばし、最後に縦に一閃。パカリと、ウォーシャドウの体が二つに分かれ、影の中に消えていく。

 これで見える範囲のモンスターはいない。そう判断し、一応フロッグ・シューターの魔石を回収しようと、鈴が足を向けた時だ。

 「――鈴、上にいるぞ!」

 「何?」

 その言葉に、反射で刀を上へ。視線を向ける前に、ガチリと硬い物がぶつかる音と、それに比例するような重みが手にかかる。

 ――キラーアント!?

 驚く鈴は、至近距離で刀を食むモンスターの醜悪な顔に表情を歪ませる。気持ち悪い、ただそうとしか形容できない。

 真っ赤なその体を見ているのは目に悪い。鈴は刀に付着した唾液に嫌悪感を抱きつつ、キラーアントの腹を蹴り飛ばした。吹っ飛んだキラーアントはそのまま地面に倒れるかと思いきや、空中で体勢を整え、()()張り付いた。

 「な!?」

 そのまま天井へと移動していく。ありえない移動方法に硬直する鈴を尻目に、キラーアントは天井を這い、背中を向けて逃げ出した。

 勝てない、そう判断したのだろう。あの奇襲で倒せる可能性があったのは鈴だけ。それに失敗したら素直に逃げる。モンスターらしからぬ理性的な判断だ。

 逃げ切れるとは限らないが。

 「逃がすかよ」

 同時、キラーアントの体が止まる。体の中心に途方もない違和感。それは、痛みだ。ベートの投げた物が体を貫いた。それだけのこと。

 『ギィィィィイイイ!?』

 耐え切れずに悲鳴を上げる。四本の足が天井という床から離れ、落下。その途中で、ベートは四本追加で投げる。着地しようと足を広げていたキラーアントの四本足にそれぞれ命中。受身を取れずに地面へ叩きつけられたキラーアントは、如何に頑丈な甲殻を纏っていても無意味だった。

 衝撃が鎧を貫き、中身へと与えた。

 『ギ……ギィ……』

 比較的軽症な足と二本の腕を使って、まだ逃げようとする。その生存本能は驚嘆すべき事ではあるが、それで見逃すかどうかは別の話。

 ふっとキラーアントの頭上に影が差す。そこにいたのは、鈴。

 ベートの動きとキラーアントの異変で察していた鈴が、キラーアントの至近距離に移動していたのだ。

 スッと、刀の切っ先が、キラーアントの頭に差し込まれる。本来であれば頑丈な甲殻が守っているそこも、鈴の刀の前では紙切れと同じ。

 刀を引き抜き、絶命したキラーアントを眺める。それも一瞬で、すぐに頭を振るとその体を切り裂き魔石を回収する。

 「……大きさが、おかしい」

 鈴の知る限り、キラーアントの魔石はそこまで大きくない。だが、この魔石は中層に出てくるモンスターと同じように感じる。加えて色合いも、違う。

 「どうなっているのだ、一体」

 疑問には思うも、鈴には予想すらできない。こういった事は全てシオンに丸投げしてきたツケだろう。鈴は魔石と、それからキラーアントに投げられた物を回収すると、ベートのところへ戻る。

 ベートもベートでフロッグ・シューターの体から魔石を回収していた。

 「ベート」

 「お、あんがとよ」

 ベートに返されたその細長い物。注視しなければ見ることも難しいそれは、針だった。元々はデッドリー・ホーネットという巨大な鉢から射出された毒針なのだが、それを毒抜きし、使えるようにした物だ。

 前衛に特化したティオナや鈴はともかく、遊撃であるベートが遠距離攻撃を持たないのはどうなのか。かといってティオネのようにナイフを投げるのも厳しい。ナイフの重さが機動力を削ぐからだ。

 その結果生まれたのがこの針という武器。

 ――投擲系武器・針羅。

 中層程度なら十分に通用する針だ。意外と重宝している。

 ベートは太腿に巻いた剣帯ならぬ針帯に針を入れると、鈴の持つ魔石に目を向けた。

 「それ、キラーアントから出た奴か?」

 「そうなのだが、こんな魔石だったか、キラーアントから出るのは」

 そんなはずはない。……はず、なのだが。

 「これが、ダズの言っていた『強い個体』って事なのかもしれねぇな」

 「体内に宿す魔石の異常、か。外見の変化は無いせいで、全然気づけないってのに」

 正直なところ、そこが一番厄介だ。人にはモンスターの外見の違いがわからない。だから、いつも通りに戦おうとすれば思わぬ落とし穴にハマってしまう。

 「もしこんなのが溢れかえったら、しばらくダンジョンに入れねぇぞ」

 安全第一がシオン達の行動指針だ。18層に行くまでのモンスターでも、数層分力が上がればそれだけで厳しい。特に乱戦時が危ない。

 「……どうする? 戻るか?」

 「基本的は通常個体だけなんだろう? 異常個体が出ると警戒すればいいんだから、気にせず行こうじゃないか」

 念のため提案してみたが、鈴は笑って続行を望む。お気楽に見えるが、その瞳の奥に見えた焦燥感が、ベートに断るという選択肢を与えない。

 ――速く、【ランクアップ】したいのか。

 アイズと比べても早いくらい順調に【ステイタス】を伸ばしているというのに。しかし、気持ちはわかる。

 「しゃーねぇ。最悪ずっと走り続けることも覚悟しろよ?」

 「山の中を何時間も走った事があるからね。楽勝さ!」

 ハァ、とベートは息を吐き出しつつ下層へ向けて歩き出す。

 ――最悪俺が囮になってでも鈴を逃がす。

 少なくとも、そのくらいの覚悟は持つ。鈴の意見を採用し、続行すると決めたのだから、暫定リーダーとして必要なものだ。

 それは、重い。

 今更ながらに鈴という命を背負っているのを実感する。シオンはいつもこれを五人分背負っているのかと考えると、悪いなと思ってしまう。

 とりあえず。

 今は鈴を守る事だけに意識を傾けよう。

 「行くぞ」

 その後も出てきたモンスターを倒し続けたが、厳しい場面も多かった。壁や天井を這うキラーアント、怪音波の効果と範囲が増大したバットパット、全ての【ステイタス】が増大したシルバーバック。ハード・アーマードなんかは甲羅の継ぎ目すら硬くなっていたのには驚いた。

 大抵のモンスターはベートだけでどうにでもなるが、ハード・アーマードは短剣の切れ味の都合上、鈴に任せるハメになった。

 彼女の持つ刀はそれだけの斬れ味を持つ。ベートでも突破できなかった甲羅を、継ぎ目なんて気にせず真っ二つにしたのがその証拠だ。

 武器頼り、と言ってしまえばそれまでだが、それを使いこなし、当てたのは紛れもない鈴の持つ技術故。周りが何を言おうとベートは気にしない。

 そうして12層を超え、13層へ。11層に入ってから、まさかインファント・ドラゴンも強化されているんじゃと邪推したものの、そういう事はなかった。

 あるいは希少種だからか。数が少ない個体だから、偶然見なかっただけかもしれない。

 「鈴、ローブは着たか?」

 「ああ、大丈夫だよ。ベートは着ないのかい?」

 「俺は必要ないからな。ヘルハウンドの炎が来る前に切れば問題ない」

 本当のところは持ってこなかっただけだ。異変があるとは知らなかったし、ティオネの忠告を聞いてもここまでとは思っていなかった。

 ただ、どうしただろうか。

 ベートにはこの状況に、悪意を感じていた。

 ――モンスターの中に強いのが紛れ込むタイミングが、どうもな。

 作為を感じる。具体的にどこがと問われると答えられない。単なる勘だから。しかし、数年ダンジョンに潜ってきたベートの勘は、本人が思うより鋭い。

 警戒を強めるベートを他所に、そこから先は強化個体が出なくなった。そこに疑問を覚えたものの、出ないなら出ないで楽なので、深く気にしない事にした。

 実際のところ、彼等のところに強化個体が来なくなった理由は単純だった。

 二人が中層へ行ったのとほぼ同時に、ダンジョンへ来た集団がいるからだ。

 そしてそれは、彼等のよく知る者がいた――。

 

 

 

 

 

 「さて、全員準備はいいよな。ダメなら言ってくれ、ちゃんと待つから」

 シオンが笑ってそう言うも、アイズとリヴェリアを除いた全員が渋面を維持し続けたままだ。しかしシオンは反対意見が無かったという部分だけを抜き取り、

 「誰も言わないから、行こうか。とりあえず5層くらいまでは思い思いに戦ってくれ」

 身振りで先に行くよう示した。納得できていないと態度で示しても、シオンは気付いていないかのように振る舞う。それが一層不満を呼び起こしているとわかっていても、敢えてそうした。

 1層を歩く途中、方々から視線を感じた。それも仕方ない、十前後の子供が何十人と集まっているのだから。そんな視線も、リヴェリアに気付くと同時に納得し、消えていったが。

 最初の内は全くモンスターに出くわさない。これはいつも通りだ。本番は2層から。

 そして、2層でコボルトを見つける。その一体に、不満をぶつけるように一人が剣を振るい、その体を引き裂いた。

 ふぅと息を吐いたと同時、後ろから声が届いた。

 「剣を振るタイミングが速い。アレじゃ威力が十分に乗らない。何より周りに注意が向いていないぞ、横から奇襲されていたらどうするつもりだ」

 「うぐっ……いいだろ、どうせ2層なんだし」

 「そうか。中層に行ってからもそんな甘ったれた思考で生き残れるといいな」

 盛大な皮肉にイラッと来たのか、歯を食いしばってシオンを睨みつけてくるが、無視。

 「そこ、盾の構え方が下手だ。真正面から受け止めずに受け流せ。今は良くてもゴライアス辺りじゃ吹き飛ばされるぞ。前衛壁役(ウォール)になるつもりなら、盾を扱う技術を学べ」

 前に出てゴブリンの攻撃を受け止めていた盾を持った少年を注意しつつ、

 「常に壁役が前にいるとは限らないんだ、後ろでへっぴり腰のままチクチクやるな。一人でもモンスターを倒せるようにならなきゃ戦えないぞ」

 その後ろで、恐る恐る槍を突いていた少女に言う。

 「チッ……わかった。こうすればいいんだろ」

 「シ、シオンさん、怖い……」

 舌打ちしつつも従う少年に、へっぴり腰の原因であるシオンを怖がっている少女。それも無視してシオンは続けた。

 「短剣使い、狙うなら目と心臓、最悪体の真ん中を狙え。攻撃を食らうのを恐れて手足ばかり狙っている方がむしろ危険だ」

 「それができりゃ苦労しないっての!」

 「懐に飛び込む勇気を覚えるのが先決かもな」

 ベートと同じ短剣使いに、

 「剣士、もっと周りを見ろ。後ろの弓使いがいつ矢を射っていいのか悩んでいるぞ。一人で先行しすぎるな」

 まるでティオナのような特攻をかます剣士。

 「弓使い、声を出せ。前衛は必ず周囲を見れる訳じゃないんだ。全体を見渡せるお前が言ってあげないでどうする」

 ティオネと違い、引っ込み思案なのか中々声をかけられない弓使い。

 恐らく授業の一環でパーティを組んでいる者達がローテーションで前に出て戦っているらしいのだが、未熟な部分が目立つ。戦い慣れはしているし、確かに光るモノもあるが、シオンからするとまだまだだった。

 個々人の技術が不足している。連携もチグハグだ。気配りが足りない、声かけも足りない、足りない足りない足りない――……足りなすぎる。

 「それから」

 「おいシオン」

 それでも少しはマシになるようアドバイスしていると、声をかけられた。声をかけてきたのは、このクラスで一番強い奴。

 「何だ」

 「……名乗っておくか。クウェリアだ」

 シオンの口調に一瞬不快そうな顔をするも、それをすぐに押し隠して名乗るクウェリア。一応覚えておくが、それより本題に入ってくれと手振りで示す。

 その間も指摘は続ける。

 「さっきから言っているのは……」

 「改善点だけど。それ以外の何に見える?」

 「いや、見えない。だけど、どうしてそんなに言えるんだ? 基本的な事もそうだけど、技術的な部分も」

 シオンが言っているのは連携部分が目立つ。しかし、時折『どうやってその武器を扱うか』等も指摘している。そして、それが適当でないのは言われた当人達の顔を見ればわかる。

 「そりゃ多少学んだからだけど」

 「学んだって」

 「自分が使えるのは何なのか。それを知るために、全力で考え続けた。フィンやガレス相手に武器が使いこなせません、なんて泣き言は通用しないからな。死にたくなければ覚えるしかないだろう」

 流石にダンジョンでは使えない鎖鎌や大鎌といった特殊な武器までは把握していない。遠距離武器である弓も門外漢だ。

 逆を言えば、それ以外の武器はある程度アドバイスできる。

 「結局は片手剣に落ち着いたけどな。――と」

 横の通路から来たフロッグ・シューターを投げナイフで打ち落とす。ここはまだ4層だから、フロッグ・シューターが来るのは珍しい。

 「アドバイスが欲しければ言うぞ、クウェリア」

 アイズにナイフを回収してもらい、受け取って礼を言いながらクウェリアに顔を向ける。当のクウェリアは、愕然としていたが。

 不思議そうにするシオン。だが、クウェリアはそんなシオンを笑えなかった。

 ――違い、すぎる。

 努力の桁が。今に至るまでで流した血の量が。クウェリアがシオンに優っているとは思えない。事実、クウェリアはもう少しでLv.2になれるといったところ。シオンはLv.4になりかけているというのに、だ。

 リヴェリア・リヨス・アールヴという存在から指導を受けられると思っていたところを否定されたからこそシオンに反発してしまったが。

 確かに、彼に教わるのは、価値が有るのに気づいてしまった。

 クラスメイトに視線を向ければ、パーティ単位ではあるものの、真剣に言葉を交わしている様子が見えた。悪いところを指摘され、そこを起点にお互い言えなかった改善点を出し合っている。元来上昇志向の強い人間が集まったクラスだ、納得できれば従うことに否は無い。

 「シオン、私もいくつか教えられるところを教えてきたよ」

 「ありがとう。どんな対応だった?」

 「ちょっと辛そうだったけど、直そうって必死だった」

 「ならいい。頭ごなしに否定されなくなってきた――少しは認められてきたか」

 それがシオンの狙いだ。

 実力を疑われて不信感を持たれているのなら、示せばいい。今日一日従い、教えを請うだけの価値があるのだと、彼らを納得させる。無論失敗する可能性もあった――最初の対応を思い返せばその方がありえた――が、最悪が最悪になるだけだ。変わらない。

 空気を、流れを変える。そのために多少のリスクを負うことくらい、厭わない。

 けれど、それでも。

 やはり全員が納得するかといえば――そうじゃない。

 クラスのほぼ全員が、嫌々従ってくれたとしても。それすら拒む者は、必ずいる。

 少女、レフィーヤ・ウィリディスもそうだった。

 「あの、リヴェリア様! 今から魔法を撃つつもりなのですが、見ていただけませんか?」

 「む、ああ、構わないが」

 「ありがとうございます! まだ未熟な身、至らぬところがあればアドバイスを願います」

 シオンに、ではなくリヴェリアにお願いする。補佐しかしない、と言ったリヴェリアに頼んだのは、『シオンに従う気はない』というわかりやすい反発だった。

 簡素な杖を構える。生来からあるエルフの身に宿る魔力を燃やし、歌う。

 「【解き放つ一条の光、聖木の弓幹(ゆがら)。汝、弓の名手なり】」

 狙うは遠くから走り寄るゴブリン。まだ二十Mもの距離がある。

 「【狙撃せよ、妖精の射手。穿て、必中の矢】」

 それだけあれば、十分だった。 

 「【アルクス・レイ】!」

 レフィーヤの構える杖から、光が放たれる。

 完全な詠唱と十二分の魔力によって撃たれた閃光は、避けようとしたゴブリンを追うように曲がると、その頭を消し飛ばした。

 それを確認すると、レフィーヤは自信満々の表情で振り返ると、

 「どうでしょうか!?」

 リヴェリアだけを見つめて、聞いてきた。

 しばらく顎に手を添えていたリヴェリアだが、ふとシオンを見つめる。それに少し嫌な予感がしたが、時既に遅く。

 「シオン、お前はどう思った?」

 「ここでおれに投げるか」

 ドッと疲れを表すようにシオンの頭を下がる。何故なら、リヴェリアの言葉に超反応したレフィーヤが、シオンを鬼の形相で睨んでいるから。周囲の級友もドン引きである。

 「威力はかなり高い。ただ、他が無駄だな」

 それでもアドバイス――にしては辛辣な言葉を投げかけているが――するのは、シオンだからなのか。

 「さっきのは魔力の込めすぎ、どう見てもオーバーキルだ。本当に殺すだけなら相手の体を貫通できる程度にして、心臓を狙ったほうが効率いいし。誘導性能あるんだろ、そのくらいはできるはずなんだが」

 「う、うるさいですね!」

 小言に対して犬歯を剥き出しにして吠える子犬。に見えるレフィーヤ。シオンを無視してリヴェリアを見つめるも、

 「私から付け加えるとすれば、もう少し冷静に、くらいだろうな」

 魔道士であれば『大木の心』を得よ、が口癖のようなリヴェリアから見れば、精神修行がまだまだ未熟。他はシオンが大体指摘してくれたのだし。

 ガーンとショックを受けるレフィーヤは、何故か涙目になってシオンを睨むと、

 「シオン! そこまで言うなら参考として魔法を見せてください! 覚えてるなら!」

 「別にいいが」

 「え、本当に覚えてたんですか……?」

 無茶振りをして困らせようと思っていたのにあっさり頷かれてしまった。更なるショックで呆然とする彼女を尻目に、アイズに頼んで三体のゴブリンを連れてきてもらいながら、片手を前に。

 「【変化せよ】」

 ここまではいつもと変わらない。シオンの体内から感じられる大きな魔力に、レフィーヤが眉を潜めるのを見ると。

 レフィーヤを叩き落とすための言葉を口にした。

 「【()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()】」

 「え?」

 その詠唱は。

 レフィーヤ・ウィリディスの魔法だった。

 「【()()()()()()()()()穿()()()()()()】」

 よくよく見れば違うとわかる。何故なら、シオンの手に宿るのは光ではなく、稲妻だ。だが、その程度の違いなど関係ない。

 自分の魔法を、嫌悪感すら覚える相手に使われている。

 それ自体がショックだった。

 そして、詠唱が完了すると同時に三体のゴブリンの前に躍り出る。その横をアイズが通る。アイズの代わりに一番前に出てきたシオンを標的としたゴブリンが接近してくるところを誘導。

 弓なりながらに並んだゴブリンへ魔法を放つ。

 「――【アルクス・レイ】」

 バチンッと雷鳴と共に閃光が向かう。一体目のゴブリンの体を貫き、そこで少しだけ曲がる。途中いた二体目のゴブリンの首を吹き飛ばし、最後に三体目のゴブリンの頭を消し飛ばした。

 ――誘導性能を活かした使い方。

 本来単体魔法である『アルクス・レイ』をうまく使えば複数体を倒せる魔法となる。勿論貫通性能を高めるために多くの魔力を消費するが、いちいち詠唱するよりはマシだろう。

 この結果だけで、わかってしまう。

 レフィーヤ・ウィリディスよりも、シオンの方が自身の魔法を使いこなせている、と。

 「やはり手馴れてきているな」

 「無駄に色んな魔法に手を伸ばせばな。慣れだよ慣れ。それに、やっぱりレフィーヤが使った方が威力あるし」

 「そこは私も思った。後衛魔道士に特化すれば、恐らくは……」

 「リヴェリアがそこまで言うほどか」

 ――そんな会話がされているなど露知らず、己の世界にのめり込んだ少女は気付かない。

 自身の魔法は一体何だったのか。こんな物を憧れの存在に見せたのか。二人からの高評価に反して少女は己に低評価を下してしまう。

 

 

 

 

 

 「面白いことになってるなぁ」

 ――それを遠くから見つめる男がいた。

 ヘラヘラと酷薄な笑みを浮かべ、瞳に血を走らせながら見つめるその先にいるのは、白銀の髪を持った少年。

 「だ~れを殺せば、お前は苦しむ?」

 男の周囲に居るモンスター。

 バリバリと、硬い物を食む音がずっと、ずっと続いている。それを撫でながら、男はシオンが苦しむ姿を想像し、ヨダレすら流していた。




火力ではありませんが、ベートに遠距離攻撃武装を実装。デッドリー・ホーネットの毒は抜いてますが、十分に強い針。
研磨とかはやっぱり椿担当。



冒険者には実力で従わせる。脳筋思考だけど間違ってない現実。原作でもベル君がよく理不尽な暴力に襲われてるけど、相手の方が強いせいであっさり終わってるしね! 普通だったら命とか建物狙われて(壊されて)何も無いとかありえないのに。
それとこのシオンは未来と違ってフォローはあんまりしません。辛辣です。情け容赦無いので相手がうまく汲み取ってくれないとあっさり関係壊れます。
もうちょっと優しい言葉でアドバイスしようぜシオンさん。

後ベートの勘は正しかったり。
次回は――あんまり考えてない。ていうかこの話が結構難しかった。何度も腕が止まっちゃいましたし。
だから内容は未定。そういうことで。


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迫り来る『強化個体』

 どうなっているんだ、とベートは思った。

 中層に入って以降、順調すぎるほど順調に進んでいる。上層で出てきた強化個体はほぼ出てこない――たまに出てくるのは意図した物では無いだろう――ため、むしろ上層よりも楽だ。

 しかし絶対に出てこない、という訳でも無いので、警戒を途切れさせられないのは精神的に苦痛だった。いつもしている警戒とはまた別種のもの、言うなればわかりやすい脅威であるモンスターではなく、悪意ある罠を考えているのに近い。

 目に見えた物では無く、人の悪意という見えない物。だからこそ、ベートにかかる負担は着実に増えていった。

 「――チッ」

 それを誤魔化すように舌打ちをこぼす。幸い鈴には聞こえていなかったようで、無用な心配をかけなかったのは良かった。

 その鈴はアルミラージの角を折り、返す刀で体を切断。真後ろから奇襲をかけてきたもう一体を跳躍し、宙返りする途上で刀を振るい、脳天から股座を二つに割る。空中にいるせいで動けない鈴を狙って、三体のアルミラージが踏ん張り、腰を落としたのが見えた。

 刀一本しか持たない鈴では、無傷でやりすごすのは難しい。

 「鈴!」

 だから、ベートは呼びかけつつ自身の短剣を一本投げ渡し、もう一方の手で針羅を投げて、一体の首を貫く。殺しきれていないが、直に死ぬだろう。

 短剣を投げられた鈴は器用に受け取ると、脇差を扱うかのように構える。幸い死角にいたアルミラージはベートが行動不能にしてくれたので、残るは二体。

 鈴は最初に飛びかかってきたアルミラージに短剣の切っ先を向ける。自分から貫かれたアルミラージを気にせず、受け止めた勢いを利用して、刀を振るった。

 その刀が当たらない、訳が無い。

 これがガレスならば容易に避け、または受け止めただろう。だが所詮は群れなければ戦えない兎程度。必死に避けようとしたその小さな体を斬ることなど容易かった。

 けれど、モンスターはまだ全滅しきっていない。アルミラージの群れを引きっていた狼――即ちヘルハウンドが、まだ生きている。

 だが鈴は何もしない。横目でヘルハウンドが口に火種を燻らせているのを見ても、ただ悠然と着地するだけで、回避行動に移らなかった。

 そして口から火炎放射が撃たれる、その寸前。その口内へと吸い込まれるように、細長い針が喉を穿った。それでも生きているのは流石モンスターと言うべきか。

 「――終わったな」

 小さく言葉を紡ぐ鈴。痛みに喚いていたヘルハウンドがピタリと止まり、その後爆散した。喉の奥で燻っていた火種が、体内で爆発した結果だ。

 アレでは魔石さえ残っていまい。刀をしまい、短剣を返そうと後方へ向き直った瞬間、

 「もうちょっと警戒しろ、鈴」

 その横を通り抜けたベートが、()()()出現したダンジョン・ワームを切り裂いた。

 「う、うむ。そうだな、気を付けよう。……どうやって気づいたんだ?」

 「音しかねぇだろ。壁ん中ガリガリ削ってる音がすりゃ普通にわかる」

 そう言ってベートは頭の上にある狼の耳をピクピクと揺らす。狼をベースにした獣人だからか、聴覚がいいのか。あるいは単純に【ステイタス】の恩恵か。

 「……言っておくが、シオンもできるからな? アイツがここに来たのはLv.2からだったが」

 要するに獣人もヒューマンも関係ない、という事らしい。

 視覚だけに頼らず五感をもっと扱いこなす。そうすれば、ベートに助けられずとも自分で対処できるようになるだろう。

 「あたいももっと頑張らないと、みたいだね」

 「お前が頑張ってLv.3になる頃にゃ、俺達はもっと先に行ってるだろうよ」

 ベートが減らず口を叩きつつ魔石と針を回収。ドロップアイテムは無かった。

 「ヘルハウンドのせいで針が吹っ飛んじまったし、あの方法はあんま使えねぇな。鈴、お前も俺に甘えすぎんなよ」

 「わかってるって。甘えすぎたら私は何時まで経っても【ランクアップ】できないんだから」

 帰ったらまた椿に頼んで追加分の針を作ってもらう必要がある。

 ――コイツの命に代えられるもんじゃねーから、いいんだけどよ。

 多少の金銭と鈴の命。天秤にかける必要性さえ感じない。それを鈴にも、他の誰にも伝えるつもりは無いが。

 「……鈴、また団体で来たぞ。今度はライガーファングも混ざってやがるな」

 「ならあたいは雑魚処理で」

 「俺が速攻でライガーファングを潰してくる」

 戦闘、戦闘また戦闘。

 中層以降のダンジョンで休む暇はほとんどない。鈴の顔を一度見て、体力的に問題ないと判断すると、ベートは鈴の前へ出て駆け出した。

 「っくぜオラァ!」

 

 

 

 

 

 18層の森林の中。

 「ベート、焚き火に使う枝はこんなもんかい?」

 「……あー、そうだな。後もうちょっと追加してくれ」

 若干攻撃を受けたせいで服に血を濡らしながら、二人は飯の準備をしていた。本来であれば無傷だったのだが、紛れ込んでいた強化個体がライガーファングだったせいで、苦労させられた。もしあそこで逃げて『怪物進呈』になったら死んでいたかもしれない。

 「ベート、傷はもう?」

 「問題ねぇよ。お前もいつまでも気にしてんな」

 そう言っても鈴の表情は明るくならない。それもそうだ、ベートの背中の傷――何か鋭い爪で切り裂かれた痕は、彼女を庇ってできた傷なのだから。

 ライガーファング――その強化個体でできた傷跡だ。

 高等回復薬によって傷自体は塞がれているが、それでも流した血の量を知っている。ベートが今も無茶をしていると、わかっているのだ。

 実際、枝の量を聞いたとき、ベートの反応は遅かった。血が足りていない証拠だ。だからできるだけ鈴が色々な準備をしているけれど、ダンジョンでの野営経験が少ないせいで、ベートに聞いてばかり。

 自身を不甲斐なく思っていると、ベートが息を吐き出して鈴に向き直った。

 「一つだけ言っておく。お前は悪くねぇ」

 「……だが」

 「そもそも俺は強化個体が紛れていると知った上でここに来た。お前がまだLv.1なのを承知の上でだ」

 つまり、鈴が反応できないモンスターが出てくるのは予想済みだったという事である。それでも来たのは単純な理由。

 「俺は何があってもお前を守る気でここまで連れてきたんだ」

 「――!?」

 「強くなりたいんだろう。足手纏いはイヤなんだろう。だったら今は甘えてろ。甘えて甘えて甘えて――そんでいつか、誰かの手助けでもすればいい」

 ベートはフィン達の優しさに甘えた。弱い自分達を指導するのは何のメリットにもならないというのに、それを承知で甘えた。

 だから今度は、自分が誰かにそうする番。

 「それに、多少の怪我でどうにかなるほど俺は弱くねぇ。気にされる方がうぜぇんだよ。わかったらその辛気臭い顔をやめやがれ」

 正直そっちの方が気が失せる、そう言うと鈴は無理矢理笑顔を作った。

 「そう、だね。なら、ベートの言うとおり気にするのはやめさせてもらうよ!」

 まだぎこちない部分は残っているが、それでいいだろう。最初はそんなものだから。

 「あ、そうだ。あたいは汗流させてもらうけど、覗くんじゃないよ~?」

 「誰が覗くか!」

 冗談交じりのからかいに突っ込み返せばふざけた笑いが帰ってくる。そして、鈴が背を向けて距離ができた頃、

 「――ありがとね、ベート」

 そんな呟きが、風に乗ってベートの耳に届いた。

 「……チッ」

 それに聞こえないフリをして――ちょっと顔が熱いのも無視――ベートは立ち上がり、荷物と枝をいくつか持つと、鈴とはまた違う川へ歩いて行った。

 血のついた服を洗い、体も水で流して戻る。未だに鈴は戻っていない。女の風呂――実際は風呂じゃないが、細かいことはどうでもいい――は長い。

 ベートは気長に待とうと、ついでに取ってきた果実を起き、枝を重ねて火を熾す。鍋なんかは嵩張るので持ってきていないが、肉を炙るくらいはできる。

 どれほど効果があるのか知らないが、適当に洗って殺菌した枝に肉をぶっ刺して炙っていく。焼き加減については練習したので失敗はない。

 「……無駄に良い匂いがこっちまで漂ってきたんだけど」

 少し長くなってきた髪を乱雑に拭いながら鈴が帰ってきた。何だかんだ言いつつ、その視線の先が向かうのは、今炙っている肉だ。ちょうど良さそうな肉を取って鈴の方へ向けると、嬉々とした表情で近寄り、そのまま食べた。

 「おい、自分で持って食べろよ」

 「別にいいじゃないか、狭量な男だね」

 文句を言いつつ肉を受け取り豪快に食べ始める。肉オンリーな事に文句を言ったり、太るかもなんて心配は一切していない。

 ダンジョンにいれば体を動かし続けるので、勝手に体重は減っていく。だから肉を忌避したり、体重を気にして少量で済ませる女冒険者はまずいない。そうしたせいで、本当に大事な場面で動けない、なんてあまりに阿呆らしすぎるからだ。

 まぁ鈴の場合、それを除いても気にしなさそうだが。

 お互い武装したままなため、気楽な食事とはいかない。それでも、微かに残っていた陰鬱な雰囲気は無くなった。

 肉を噛みちぎりつつ、ベートは言う。

 「どうする鈴。新しいスキルはいつ試すんだ?」

 「食べ終わって少ししたらってところか。食べてすぐは、ちょっと、ね」

 確かに、デメリットが大きいスキルや魔法を使えば、下手したら吐く。それは、普通の人間の感性として遠慮したかった。

 「あたいはともかく、ベートは?」

 「……似たようなもんだな。頼んだはいいが、結構技術がいるんだわ、()()

 言って両腕に付けられた篭手を見せる。鈴からすると何の小細工(ギミック)も無いように見えるのだが。アレには何があるのだろうか。

 ネタバレ程つまらない物は無いので聞かないが、少しだけ、楽しみだった。

 和気藹々とした雰囲気。いつも通りで、変わった事など無い光景。

 

 

 

 「さぁ、お行きなさい『血塗れ(ブラッディア)』」

 『ブルオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォッッ!!』

 

 

 

 それを引き裂く吠え声が、18層の森で響き渡った。

 

 

 

 

 

 一方で、シオン達はと言うと。

 「教えなさい」

 「……」

 「無視ししないで教えて! どーしてシオンが私の魔法を使えたの!? どーしてどーしてどうしてなんですかぁー!!」

 シオンの腕の裾を引っ張って叫ぶレフィーヤの姿が、それはもう目立ちまくっていた。

 「レフィーヤ……」

 特に、普段レフィーヤとパーティを組んでいる一人のクウェリアはドン引きしていた。いつもはリヴェリアに憧れて冷静さを心がける彼女が、必死になっている。

 いいや、彼女も人だ。そういう時もあるのはわかる。わかるのだが、

 「ほら、全員気が散ってるぞ。もっと集中しなきゃモンスターにやられる」

 シオンに一切相手にされていないのが、シュール過ぎた。

 「レフィーヤ、シオンの迷惑だし、そろそろ抑えないと」

 「でも気になるでしょ? 『アルクス・レイ』は私だけの魔法なのに」

 レフィーヤの学友でありパーティメンバーである少女、フェイメリル――メリルが、ちょっと怯えながら声をかけるも、効果がない。

 助けを乞うようにシオンに視線が向けられる。こうなるとテコでも動かないのだろう。そろそろ中層へ行くというのに、この状態では危険すぎるし、仕方がないと息を吐いた。

 視界の端で、剣を構えて首を斜めにするアイズを手で制しつつ、

 「――『変幻する稲妻』」

 「はい?」

 「おれの魔法。変幻の名の通り、雷という属性のみ詠唱次第でその効果を変えられる」

 ここだけ聞けばかなり便利で強く思える。

 実際はデメリット部分が目立ちすぎて自由自在に使うのは不可能に近いが。魔力消費がもうちょっとマシになればと思わずにはいられないくらいに。

 「だから、私の魔法も……?」

 「要するに誘導性能が付いた単体魔法ってだけだろ? 属性があるようには見えなかったし、単純なものなら真似できる」

 これがリヴェリアの使う大魔法クラスになると真似できない。火はともかく、風や水になると効果が違いすぎるからだ。

 「魔法の……模倣。そんな事が……?」

 しかし、似たような効果はあれど同じ物は存在しない魔法において、『別の魔法で真似をする』という考え自体が無い。

 もしかしたら――そう思ったレフィーヤの背中を誰かが押す。

 「何時まで立ち止まってるつもりだ。置いてかれてるぞ」

 「あ、あぁ! 折角良い考えが思い浮かびそうだったのに!?」

 ある意味愉快な二人は更に置いてかれてしまい、必死になって追いかけるハメになったらしい。

 「無駄に疲れた」

 「はは、シオンらしくないな。いつもの強引さはどうしたんだ?」

 「……さぁね」

 ガックリと肩を落とすシオンに、リヴェリアは気楽に言ってくれた。思わずジト目を向けるも効果は無い。

 何とも言えない想いを息と共に出しつつ周囲を見る。シオンのアドバイスを意識しているせいか四苦八苦しているが、中層のモンスターでも問題なく戦えている。

 そもそも【ステイタス】がほぼ拮抗しているのだ。一対一なら普通に勝てる。団体で来てもシオンやアイズ、リヴェリアが相手するし、仮に相手をせずとも彼等だけで倒しきれる。数十人という冒険者が協力して戦うのは、それだけ強力なのだ。

 そう思って見守っているシオンと違い、アイズはかなり動いていた。違和感を感じ取っていた、と言ってもいい。

 ――何かがおかしい。どうとは言えないけど……。

 全員の死角から来るモンスターを対処して『万が一』を排していたからこそ気づけたと言ってもいい。

 しかしわかったのはその程度であり、どこがどうとは言えない。シオンに相談しようにも、暇ができたと思ったら皆の死角からモンスターが来るせいで動けなかった。

 そして、少しずつ、しかし確かにアイズの疲労が溜まっていく。

 「……アイズ!?」

 アイズの次に違和感に気付いたのはやはりというべきか、シオンだった。先程からアイズが戻ってきていない事を不思議に思ってそちらを見ると、息が乱れ始めている姿があった。

 ありえない。普通に戦っていれば、中層程度で息切れするわけがないのに。

 ――何か理由が――ッ!?

 気付いたときには、もう()()()()

 この階層にはいないはずのゴブリン。それとコボルト。ありえない二体の出現だが、所詮は上層の最初に出てくる雑魚。そう判断していつものように倒そうとして。

 ()()()()()()()()()()()()

 「ッ、全員下がれ、おれが相手する!」

 全員の頭上を飛び越え、抜剣する。追い打ちをかけようとしたゴブリンに剣を振るうと、相手が持っていた剣で受け止めてきた。

 「――!?」

 技術は、当然無い。

 ただ受け止められた事実に、目を見開いた。それでも固まらず、剣を滑らせて相手の体を揺らして隙を作り、その首を跳ねる。崩れ落ちるゴブリンの影から現れたのはコボルト。その手に握られた短剣の切っ先はシオンの心臓に向けられている。

 だが、遅い。

 シオンは短剣を指と指の間で受け止めると、多分、息を呑んだコボルトの顎を膝蹴りで打ち上げて、貫手で小さな心臓(ませき)を抉った。

 後ろで悲鳴が聞こえたが、無視。そんな余裕は無い。何故なら、

 「下にいるってのはわかってんだよ!」

 シオンの足を飲み込もうとしたダンジョン・ワームの口に、剣を突き刺した。痛みで体を揺らすも絶命はせず、シオンに伸し掛ってくる。

 それだけなら、問題はなかった。

 問題は、その後。

 どこかから()()()()()()()アルミラージが、シオンの真横にその鋭利な角を向けていたことだ。片手を剣から放し、角を受け止める。

 ――受け止めきれない……ッ!

 ただでさえダンジョン・ワームに押されていたところで別方向からの後押しだ。拮抗は一瞬で打ち破られ、剣を手放したシオンは壁に背中を強打した。

 「……ッ!」

 息が、吐き出される。痛みで体が硬直する。ニヤリと笑ったアルミラージ。でも、ただでは終わってやれない。その自慢の角を、思い切り握り締める。驚愕に目を見開いたアルミラージを、地面に落ちる勢いで体を回転させて地面に叩きつけ、角をへし折り首をねじ切る。

 噴出した血が体を汚す、が気にしてはいられない。

 「【変化せよ】」

 シオンの目が捉えた。捉えてしまった大量の影。

 「【サンダー】!」

 それはきっと、他とは比べ物にならないくらい強いモンスターなのだろう。

 「どうなっているんだ、これは」

 シオンが前を守っていたその時、リヴェリアも後方を守っていた。シルバーバックとライガーファングの群れ。通常よりも素早いそれに、リヴェリアは苦戦させられる。

 倒すのが、ではない。後ろへ行かせないようにするという部分で、だ。いくらリヴェリアが強かろうと、後ろにいる生徒達はそうじゃない。この二体が相手では一瞬で殺されてしまう。

 だからリヴェリアは動けない。フィンと違って一瞬前に出て敵を倒し、また一瞬でここに戻る事ができないから。

 相手も死にたくないからか、時折気が逸ったのか突っ込んでくるモンスター以外はその場で留まったままだ。

 ――バカみたいに突っ込んできてくれれば、楽だったのだがな……。

 いつも傍らにある杖を一回転させる。魔道士に特化した【ステイタス】だが、実は前衛もできるくらいに卓越した杖術を習得しているリヴェリア。倒すだけなら一撃でいいというのに。

 「どうしたものか」

 動くに動けないリヴェリアは、必然二人に全てを任せるしかなかった。

 しかし、その一人であるアイズは、

 「ハァ――スゥ――ハァア――」

 何度も息を吐いては吸って、体勢を整えていた。

 ――今なら、わかる。

 アイズがずっと動き続ける事になったのは、そうなるようにモンスターが動いていたから。だからシオンに何も言えず、こうしてここで体力を回復させることしかできない。

 「アイズ、さん」

 「レフィーヤ……どうしたの?」

 頬を流れる汗を手で拭いつつ答える。予想だけれど、この後どうすればいいのか、という事が聞きたいのだろう。気付けば皆がアイズを見ていた。

 「私達は」

 「一度しか言わないから、よく聞いて」

 レフィーヤの言葉を手で制し、アイズは声が小さくならないよう、また乱れないよう、体に活を入れて全員を見回した。

 「よくわからないけど、私達は普通より強いモンスターに襲われてる。今は前と後ろからだけしか敵が来ないけど、それもいつまでかはわからない」

 ダンジョン・ワームという存在。それがこの場で厄介な事になる。リヴェリアもシオンも、そこまで余裕がない。敵を倒す、または邪魔しているところに奇襲されれば、一体くらいは抜けてきてしまうだろう。

 今こうして話している瞬間足場から現れてくる可能性さえあるのだから。

 「だからきっと移動する事になる。18層まで。その時ついてこれるように、皆体力を消耗しない事だけを考えて。敵は――私とシオンが、何とかするから」

 そして、ハッキリと言う。

 「全員、自分が生き残る事を考えて!」

 不安を吹き飛ばすように。

 皆に勇気を宿すために、満面の笑みを、その顔に浮かべてみせた。




というわけで、ベート&鈴と、シオン達の方に強化個体が襲い掛かります。

そういえば明記してませんが、シオン達がいるのは14層くらいです。18層へ行くにも上層に戻るのも面倒な位置。だからこそ強化個体が来たんですけど。

ついでに
>魔法の……模倣。そんな事が……?
レフィーヤの二つ名の代名詞である『エルフ・リング』フラグをさり気なく生成。まぁこの小説だとこれが発現した決定的なシーン書かないんですけどね!(ダメじゃないか)

次回は普通に戦闘になります。展開は――まぁ、お楽しみに?






それと✩9評価が100になっていたので、原作6話投稿します。決めたラインの一つ超えたので。ただし10時投稿予定。
理由? ネタバレ嫌な人用。
再三言いますが、ネタバレ嫌な人は開かないでね! 文句言われても受け付けませんよ!


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逃げ行く途中で

 ふっと息を吐くと同時に剣を放ち、相手の首を切り落とす。どれだけ個体として強くなっていたとしても、首を落とせば生きていられないのは同じこと。それを言えばもう一つの弱点である魔石を狙っても同じだが、こちらはモンスターの種族ごとに場所が違う。常に意識して狙うには、現実的じゃなかった。

 「次の曲がり角は右に! 三叉路だから」

 「私が左側のモンスターを相手! わかってる!」

 シオン達はモンスターの襲撃があった場所から大分離れた場所にいる。何せ階層が違う。彼等がいるのは、16層。2層も下っていた。

 ドンッ、という音が遠くから聞こえる。それはすぐに、シオンの『上から』届いてきた。顔を上げてそちらを見れば、天井に張り付いている一角兎(アルミラージ)

 ありえない、というしかない。確かにアルミラージというモンスターは素早い方だが、それでも11層のシルバーバックと比べれば低い。そもそも脚力的に考えて、あの小さな体でどうやって天井まで飛び上がって――、

 「アイツか!?」

 いや、見えた。モンスターの群れ、その一番奥で混紡を持った、一際大きいミノタウロス。そのミノタウロスは、誰もいないにも関わらず何かを振り切ったような残心となっている。

 アルミラージを弾丸に見立てた射出。モンスターらしからぬ知恵に、シオンの頬が引きつった。見たところアルミラージはまだいる。アレをまた射出されたら。

 ――面倒とかいう問題じゃないぞ!?

 この間の状況把握に三秒。そして、天井に張り付いたアルミラージは既に足を曲げている。体の向きから考えて、狙いはシオンの後方。

 たかがアルミラージと思うなかれ。ミノタウロスの腕力で振り抜かれた棍棒から跳んで、天井に着地しても無傷だったあのモンスターが通常個体なはずがない。最低でもLv.2。引っ掻き回されてしまえば身動きが取れなくなる。

 「前衛壁役(ウォール)、構えて! 力に自信がある人は後ろで押さえる!」

 「は、はい!」

 けれど、その心配はするだけ無駄だ。アイズの指揮と同時に、盾を持った者と、それを後ろで支える者が前に出る。それを終えるとほぼ同時にアルミラージの突進が迫る。

 上方からの落下速度が加わったその突進は、今まで見てきたどのそれよりも鋭い。受け止められても一瞬だけだろう。

 「う、ぐっ……!」

 けれど、その一瞬があれば、アイズが前に出る時間を稼げる。

 「受け流して!」

 その言葉が届くと同時、盾を構えた子が腕を曲げた。アルミラージの角がギャリギャリと火花を散らしているのが見える。

 恐らく前に突き進むことだけを考えていたアルミラージの脳に剣が刺さる。アルミラージの角の先に合わせるように放ったアイズの突きが角を貫いた結果だ。

 そのままアイズは前に出る。シオンを追い越し、モンスターの群れを突き抜けて、一番奥で泰然としていたミノタウロスの魔石を寸分違わず破砕した。

 遠方からの狙撃を封じる。それは正しい判断だが、突出した杭は打たれるもの。当然のようにアイズを取り囲むモンスター達。

 それを見ても、アイズの顔からは余裕が薄れない。何故なら、

 「【スペクタクル・ライト】」

 アイズの後方に極大の閃光が生まれたからだ。その強烈な明かりは薄暗いダンジョンをあまねく照らし、モンスターの視覚を殺す。

 目を押さえ、うろたえる異形の群れ。その大きすぎる隙を見逃してあげるほど、アイズは優しくない。

 「【目覚めよ(テンペスト)】」

 魔力を熾す。

 「【エアリアル】!」

 そしてそれを、開放する。

 風を纏った彼女のひと振りが、周りを囲っていたモンスターを纏めて切り裂く。元々間合い(リーチ)の大きい剣。それを更に一回り以上伸ばす彼女の風は、この状況において有利に働いた。

 風の刃を使って道を切り拓く。

 「今なら行けるよシオン!」

 「無茶しすぎだ! 視覚に頼らないモンスターだっているんだぞ!」

 「それでも私のほうが強いから、大丈夫」

 そういうものではないのだが、事実上手くいったのだから文句を言いにくい。シオンは舌打ちしたそうに顔を歪めつつも、

 「おれの後についてこい! リヴェリア、そっちは!?」

 「問題ない、私の心配は無用だ」

 ただそこにいる――それだけで凄まじい牽制を生み出すリヴェリアに突っ込んでくるモンスターは少ない。そして突っ込んできたモンスターは一体たりとも生き残らない。それが全てだ。

 確かに彼女の心配は必要ないだろう。リヴェリアに意識を割くなら他のことを意識しろ、そう言う彼女に頷いて、シオンは前を向いて駆け出した。

 走って、走って、走る。

 襲撃が来ない間に、とにかく距離を稼ぐ。これをどれだけ繰り返しただろうか。多分、軽く二桁は行っている。シオン、アイズ、リヴェリアはともかく、他は汗を吹き出し、息を荒げている者が多い。

 体力的に限界が来ている――そう判断して、一度足を止める。その動きに従うように足を止めた彼等の顔は、一様にその場にしゃがみこまないよう、懸命に耐えているものだ。

 「全員、持ってきた回復薬を飲め。飲み終えたら移動する、速くしてくれ」

 「え、でもまだ怪我してないけど」

 「体力を回復させるにはそれしかない。無茶をしすぎて大怪我するより、ここで一本飲んでおいた方が後々楽だ」

 一応、シオンやアイズも高等回復薬や万能薬は持ってきている。しかしそれは全員分あるわけじゃない。

 だったら今ここで気力と体力を回復させて、大怪我しないように気をつけるべき。そう伝えると皆内心そうしたかったのか、素早く取り出すと飲み始める。

 その光景を何とはなしに眺めていると、回復薬を飲んでいない少女がいた。彼女は確か、普段クウェリアやレフィーヤと同じパーティに所属しているという少女のはず。

 不思議に思って近づいてみると、彼女は泣きそうな顔でポーチを見ていた。訝しげにそれを見てみれば、納得する。

 ――ポーチが壊れたのか。

 恐らく逃げている途中で何らかの衝撃が走ったのだろう。そのせいでポーチは当然、その中身もダメになった、と。

 どうすればいいのかわかっていない彼女に、シオンはポーチから回復薬を取り出すと、そのまま押し付けた。

 「自己申告は大事だぞ」

 「え……? あ、受け取れないよ、これ!」

 「ここで建前とかプライド優先して、受け取らずに死なれる方が面倒くさいんだ。いいから、黙って、受け取っておけ。……いいな?」

 それでも納得していない彼女に、シオンは小さく笑って、

 「その薬分くらい働いてくれればそれでいいよ」

 「……わかった」

 とりあえず頷いてくれたので、シオンは背を向けて歩き出そうとした。が、異様なまでに視線を感じてたじろいだ。

 「な、何だ?」

 「いや……別に?」

 クウェリアに問いかけてみても、苦笑されて誤魔化された。よくわからなかったが、この後の行動に影響するわけじゃないし、気にしないことにする。

 「それじゃ、全員飲み終えたし続きを」

 と言ったところで、遠くからモンスターの吠え声。シオンはため息をしながらアイズを見る。彼女は一つ頷くと、前に出た。

 「――一気に突破する。遅れるなよ!」

 シオンは『イリュージョンブリッツ』で、アイズは『エアリアル』をそれぞれ使って付与魔法を発動させると、即座にモンスターの殲滅に移行する。

 二人は道中いるモンスターを倒しつつ進んでいく。それなのについていくのにも精一杯なのはどうなっているのか。

 ちなみにリヴェリアは未だ後方で杖を振るっていた。リヴェリアが殿を務めていなければ、さっきみたいに悠長にしている暇は無かったはずだ。

 最初の内はレフィーヤ達もチラチラ後方を見ていたのだが、リヴェリアは魔法無しでも、全力のシオンやアイズより強い。それを証明するように、阿修羅の如き働きを見せつけた結果、今では全員が全幅の信頼を寄せていた。

 だから、シオンとアイズは前に出ていられる。今回来たモンスターは強化個体ではなく、通常個体の群れ。尚更遠慮する必要はない。

 そう考えていたから――気づくのが、遅れた。

 

 

 

 

 

 シオンへの対抗心を抱いているレフィーヤ。彼女は今、シオンに複雑な感情を抱いていた。それは簡単に言い表せるものではない。

 尊敬するリヴェリアの折角の授業を奪った怒り、彼女に認められている嫉妬。最初に出会った時の理不尽に対する恐怖、しかしそれらをどこかで納得してしまっている自分への憤り。およそプラスな感情など無いそれ。

 けれど、今のレフィーヤはそこに、言うだけのことはある、と。シオンを認めつつあった。

 戦闘を見ていればわかる。状況判断が正確で、指示も巧みだ。それにアイズは従いつつ、端的な指示を理解して、木偶になりかけていた自分達にも行動を起こさせる。

 魔法だってそうだ。よくよく見れば『イリュージョンブリッツ』は使いにくい。感じられる魔力は常に全力。撃てる回数は少ないはず。それを要所要所で使う判断力と決断力は、ただ放つ事だけしかできないレフィーヤには真似できないこと。

 そこまで見て、知ってもまだ『認めつつある』という段階なのは、第一印象の悪さのせい。とても単純に言うと、ちっぽなプライドのせい。子供なりに持っているそれが足を引っ張っている。

 それでもいつかは自分なりに噛み砕いて納得できるだろう。

 ――その時間が、与えられれば。

 肩に衝撃が走った。それは唐突で、何の前触れも無く。

 「え……?」

 レフィーヤの疑問の声が漏れる。

 ――どうして私、浮いて……?

 違う、倒れている途中だ。誰かに思い切り肩を押された、そのせいで。けれどおかしい。レフィーヤ達はお互いが邪魔にならないよう、一歩以上の距離を開けていたはず。その証拠に、自分を押そうとするために手を伸ばしていた者はいない。

 疑問が頭を埋め尽くす。けれど、まぁ、別にいいかとも思う。どうせ転ぶだけだ。少し痛むだけで済むのだし、と達観していたのか不味かった。

 受身を取ろうと地面に手を向ける。そしてそれが地面に接し――()()()()()()

 「――……!??」

 地面に触れた感触が、無い。そのまま手から手首、腕が地面の下へと消えていく。ここまで来ればバカでもわかる。

 あるはずの物を無かった事にし、無かったはずの事をある物へと見せる、それは。

 ――幻術!?

 本来そこにあった穴を地面に見せかけていた。そしてレフィーヤはそこに落ちつつある。どう考えても罠。落ちた先に何が待っているのかを察したレフィーヤの顔が青褪める。

 「い、嫌ああああぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 その叫びと共に、レフィーヤは穴の底へと落ちていった。

 落ちると言ってもたかが数M前後。本能的に受身を取ったため怪我らしい怪我はない。だが、どちらにしろ意味はない。

 強烈な殺意のこもった視線を感じ、レフィーヤは恐る恐る顔を振り向かせる。

 ――ミノ、タウロス。それにヘルハウンドまで。

 どちらもLv.1の魔道士が勝てるような相手ではない。ミノタウロスの手には棍棒があり、ヘルハウンドはもう火炎をいつでも放てる状態。

 「【解き放つ、一条の光】」

 それでもレフィーヤは、その言葉を口ずさんでいた。

 自分を守ってくれる前衛はいない。後一秒先には肉塊になってしまう。それがわかっている。わかっているのに、レフィーヤは詠唱をしていた。

 「【聖木の弓幹。汝、弓の名手なり】……!?」

 『ブルオォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』

 ミノタウロスの咆哮。その声の大きさに、レフィーヤの肩が跳ねる。魔法を詠唱して平常心を保ち、恐怖を忘れようとしていた些細な抵抗。それが、無駄になった。

 ――死、ぬ。

 ただ恐怖する。ガタガタと震え、感情が滅茶苦茶になりすぎて涙が零れおちた。ミノタウロスが歩き出す。恐怖に怯えるレフィーヤ相手に、わざわざ走る意味が無いと思ったのか。

 ――死に、たくない。

 「【と、解き放つ】」

 失敗(ファンブル)した詠唱を再度開始しようとする。

 けれど、口が回らない。魔力がうまく熾せない。だから失敗し続ける。そうする間にも、自分の命を奪う死神が近づいているのに。

 焦って焦って、空回り。

 「あ、あは。あはは……」

 そして、ついに。レフィーヤは、諦めた。空虚な乾いた笑みが浮かぶ。どうして笑みが浮かんだのかはわからない。

 ただ、思う。

 ――死にたく、ない。

 助けはこない。シオン達がどこにいるのかわかっているレフィーヤは、助けが間に合わないというのを察していた。

 無駄な望みだと知っている。

 これは、ただの願望。叶うと思っていない願い。

 だから――。

 「レフィーヤ、横に跳んで!」

 「ッ!」

 本当に誰かが来るなんて、思ってもいなかった。

 反射的に跳んだ結果、ギリギリでミノタウロスの攻撃を避けれたレフィーヤは、呆然と隣に立つ彼女を見上げた。

 「イー、シャ?」

 「何、レフィーヤ。ちょっと余裕が無いから、話してる暇ないよ」

 そう言ってちっぽけな剣を構えるイーシャ。彼女の顔からは冷や汗が絶え間なく流れている。きっと聞こえていたはずなのに、ミノタウロスの咆哮が。それでも助けに来てくれた。

 「どう、して」

 「同じパーティの仲間でしょ、私達。それに、時間稼ぎだけなら何とかなるかもだし」

 イーシャはクウェリアに頼んでシオンを呼びに行かせたらしい。だから、今彼女がすべき事はミノタウロスとヘルハウンドを倒す事ではなく、如何に時間を稼いで生き残るかということ。

 「シオンから渡された薬分くらいは、ね。働いてみせるよ!」

 言ってイーシャは前に出る。

 「レフィーヤ、魔法をお願い!」

 イーシャが相手できるのはミノタウロスだけだ。ヘルハウンドはどうしようもない。火炎を喉奥で燻らせているヘルハウンドがいつ攻撃してきてもおかしくない。

 遠距離攻撃には遠距離攻撃。

 ヘルハウンドの火炎放射は、レフィーヤの『アルクス・レイ』で何とかしてもらう。そう考えていたイーシャは、レフィーヤの感情を理解しきれなかった。

 「【解き、放……? あ、れ?」

 魔法を唱えようとして、唱えられない彼女の心境を。

 「あ、わ、私……?」

 視界が揺れる。死ぬという事実から解放されても、未だ死が目の前にあるのは変わらない。そのせいでレフィーヤの体はまだ震え続けている。

 何より自分を信じられなかったのは。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――そう思った、自分自身だった。

 「よ、っと!」

 ミノタウロスの攻撃は大振りだ。それこそ上層にいるオークと似通っているくらい。ただ、オークよりも引き締まった体から放たれる一撃は、ただ速い。できるだけ密着して棍棒を振りにくくしても、今度は足で蹴られかける。

 イーシャの攻撃は通じない。こんな短剣をこの体に通すなど、想像もできないから無駄な行動はしなかった。

 一秒先には死んでいるかもしれない、その事実がとても恐ろしい。それでも恐怖に囚われないでいられるのは、レフィーヤを死なせないためと、ただ信じてみようと思ったから。

 ――さっさと来てよ、シオン!

 そうして回避していると、ふいに気付いた。レフィーヤの声が聞こえないことを。

 「レフィーヤ……?」

 詠唱が、されていない。もしかしたら何かあったんじゃ、と思って一瞬だけ目を向けると、俯いて杖に縋り付いている姿が見えた。

 「レフィーヤ――ッ!?」

 動揺する。してしまう。それが、イーシャの体に取り返しのできないミスを生じさせた。

 「ッ――ァ!!」

 ミノタウロスの蹴りが、腹に刺さる。もし短剣を盾にしなければ、真っ二つだっただろうくらいに勢いよく。パキン、と短剣が壊れた。

 「ッ、ァ、ガ……!?」

 「イーシャ!」

 吹き飛ばされたイーシャがお腹を押さえて、苦痛に悶える。そのイーシャに近づいて身を起こさせたが、たったそれだけでも激しい痛みに震えていた。

 それなのに、イーシャは痛みに耐えて、掠れた声で、こう言った。

 「レフィー……逃げ……」

 「え……」

 ゴウッという音がした。灼熱を表す音が。

 そう、レフィーヤは彼女を起こす前に背負って避けるべきだった。今までイーシャがミノタウロスの前に立って射線上にいないようにしていたのに、今はそれがない。

 そして、的が構っている。ならばするべきは一つ。

 『グルァ!』

 放たれた炎が、二人を飲み込もうとする。避ける暇はない。今度こそ、死ぬ。しかも、二人揃って。

 ――レフィーヤ・ウィリディスの、せいで。

 「――ッ!」

 無意味だとわかっても、反射的にイーシャの体におぶさっていた。次の瞬間、炎に炙られて想像を絶する痛みが――来ない。

 どれだけ待っても、来ない。

 「……? ッ!?」

 訝しんだレフィーヤは顔を上げ、そして息を呑んだ。腕を前に出し、二人を庇うように立つ背中を見て。その腕が、焼け焦げているのを見て。

 ダランと焼けた腕が垂れ下がる。いくら雷を纏っていても、熱は防げなかった。凄まじい痛みがあるはずなのに、シオンは奥歯を噛み締めるだけで全てをねじ伏せ、次を準備しているヘルハウンドの喉にナイフを投擲。接近してきたミノタウロスは、剣を握り直して二人に切り裂く。

 それからすぐにポーチから万能薬を取り出すと腕に振りかけ、残った物をイーシャに飲ませる。喉を通ってお腹に溜まる液体が直接痛みに繋がるのだろう。何度も吐き出しかけて、それでも無理矢理飲み込ませた。

 あまりの痛みに気絶してしまったイーシャ。しかし、そのおかげか穏やかに胸を上下させる姿にホッと息を吐く。

 そこに、シオンは言った。

 「――信じられなかったのか?」

 「なにを、いきなり」

 ジッとレフィーヤを見つめる視線。

 そこに込められたのは、侮蔑だった。

 「助けに来た彼女を信じられなかったのか、と。そう聞いているんだが」

 シオンが気づけたのは単純だ。レフィーヤが杖を手放していたから。彼女のスタイルから考えて杖を手放す理由はない。詠唱をしている途中なら尚更だ。魔力爆発をする可能性を考えれば、途中でやめる事はありえない。

 つまり――この少女は、最初から詠唱していない。

 「――魔道士なら、仲間の事を信じたらどうだ?」

 自分を助けに来てくれた人間さえ信じられない。

 それならいっそ、自分の命を預ける魔道士なんてやめちまえ。言外にそう告げたシオンの瞳にあるのは、変わらない蔑みだけだ。

 恐怖はあっただろう。助けられて安堵しただろう。理解するし、できる。

 だが――それに甘えた結果がこれでは、そんな同情、意味がない。少なくともレフィーヤが魔法を唱えていたら、イーシャは怪我しなかっただろうという事を、何より自身が理解していたから。

 レフィーヤにはその言葉と、視線。全てがその心に突き刺さっていた。




最近友人が言ってたシャドウバース始めたらひたすらやり続けてしまいギリギリ投稿。ちなみに先週は補講と携帯の契約不備で確認のため土日が潰れました。すいません。

今回は普通にシオン達が18層に逃げる途中のお話。その過程でレフィーヤに魔道士としての課題を一つ落としていきます。
まぁ、原作見た方にはわかる『アレ』です。個人的にはもうちょっと何とかなったかもなーと思ったり。

次回も続いてシオン側。
『幻術を使われた事実』についての説明とかですかねー。

それと21日から大学でテスト始まります。来週は投稿できると思いますが、再来週についてはあまり期待しないでください。
勉強しないで単位落としたらパソコン禁止になると思うので……。冗談抜きで。


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頼り、信じること

 目の前で俯いているレフィーヤに、言い過ぎたかと若干の後悔が心に浮かぶ。しかし、ダンジョンでは何時だって死と隣り合わせだ。絶望的な状況に陥ってなお戦える、そういう者でなければ冒険者は名乗れない。

 自分一人だけなら、まだいい。最終的な被害は自分一人に留まる。けれど、レフィーヤは魔道士だ。後衛タイプの彼女は絶対に前衛となる人と一緒に来る。前衛が壁となり、後衛の彼女が多大な一撃を見舞う、そのために。

 それなのに、その後衛が仕事をしないのであれば、前衛にかかる負担は凄まじい。……今の、イーシャのようになってしまう。

 互いが不幸になるのが目に見えているのなら。例え恨まれても、相手の心をへし折るような言葉をかけてでも止めておきたい。

 自己満足と言われればそれまでだろう。それまであった夢、目標を奪うのだ、非難されたって仕方が無い。それでもシオンは――誰かが死ぬのを、見たくなかった。

 シオンは一度強く目を閉ざす。一瞬だけ過ぎ去った感情をリセットし、息を吐いて目を開ける。その後状況確認のために視線を上げた。

 ――今は見える、か。

 シオンが通った時には確かに無かったはずの穴。それが今では、見落としたのかと思えないくらいの大きさを伴う空洞を見せていた。

 ――あの子の『マジカルメイクアップ』とよく似てるけど、違う。

 彼女の魔法は確かにある物だけにしかかけられず、無かった物をあるようには見せられない。言ってしまえば変身魔法のようなもの。

 逆にこれは無かったはずの物をあるように見せかけているが、その実態は何も変わっていない。視覚的に騙してくるだけだ。

 ――確か……幻、だっけ。こういうの。

 けれど、シオンの知っているそれとはあまりにも規模が違う。それが示すのは、この幻は魔法によるもの。

 『人を騙す』という一点だけが突き抜けきった魔法。

 「レフィーヤ」

 「……何、ですか」

 どことなく生気の無い声。視線を彼女に戻すと、余程堪えたのか、瞳に力がなかった。ジクジクと胸に鈍い痛みが走る。

 「どうして、穴に落ちたんだ?」

 それを無視して、問う。

 誰かに聞く余裕も無かったから、前後の状況がわからない。間違えて落ちたにしてはどこかに引っ掛かった様子も無い。

 「誰かに、押されました。……皆とは離れていたから、多分、幻術で隠れていた人に」

 やはりそうなるか。

 しかし、何故彼女を突き落としたのか。最終的な目的がレフィーヤの死だとしても、こんな迂遠なことをせずとも自分の手でやれば。

 ――いや、それだとダメだったのか。

 ナイフにしろ何にしろ、人を間近で傷つければ返り血を浴びる。そして、その臭いは強烈だ。シオンは当然、アイズやリヴェリアも気付く。そうなれば逃げられない。

 少なくともシオンは、もしそうなれば相手が完全に逃げ切るまで追い続けるつもりだったし。

 だからこんな回り道を行った。レフィーヤが狙われたのは、言っては何だが偶然だろう。近接で戦えない魔道士なら、前衛のミノタウロスと後衛のヘルハウンドで殺しきれる。そう思っていたのかもしれない。

 だが、本格的な狙いは何だ。こんな事をしでかす奴の本命。

 生徒達の命を奪うことで【ロキ・ファミリア】の評価を下げること? 守るべき生徒さえ守れなかったと、シオン達は『使えない』とでも言うつもりか。

 それだけ……では、ない気がした。何か、もっとこう、粘りつくような悪意。そんなものを感じた。

 そこでシオンは思考を一旦止める。わからない事はわからないのだ。

 それよりも、と今の状況を考える。

 ――幻術使いがいるとなると、厄介過ぎるな。

 今回のように下手に離れすぎれば、生徒達を危険に晒してしまう。アイズとリヴェリアは待機させるしかない。

 自由に動けるのはシオンだけになるが、そこは諦めよう。彼女達全員を生きて返すためなら、自分にかかる負担程度、笑ってこなしてみせる。

 「シオン、そちらは大丈夫か!」

 「大丈夫だリヴェリア! そっちは!?」

 「こちらも問題はない! どうする、降りたほうがいいか?」

 一瞬、悩んだ。

 相手が本当に生徒の誰かを殺すためだけにやったのなら、降りてもいい。だが誰かを殺し、シオン達がその確認のために降りてくる、ここまでがシナリオであったなら。

 ここで降りていくのは、自分から罠にかかっていくのと同義だ。

 「……どちらにしろ関係はない、か」

 ここから戻るのはシオンでも無理だ。となれば、分断された状況でいる方が危険すぎる。つまりシオンは、ここまでやられた時点で相手の手のひらの上で踊っている道化にすぎない

 「頼む、降りてきてくれ!」

 それと同時に、自分と同じくらいの背丈の少年――クウェリアが降りてくる。焦燥に塗れたその顔色から、何となくその心情を察した。

 「ッ……イーシャ!?」

 「気絶はしてるけどちゃんと息もしている。落ち着け」

 と言われてはい、そうですねと頷けるはずもない。焦りに焦った彼は、膝をついてイーシャの上体を起こし、胸が上下しているのを見て、やっと息を吐いた。

 ――こいつ、もしかして……。

 聞くのは無粋か。そう思ったシオンは、口を噤んで次々に降りてくる生徒を見守ることにした。その全員が、クウェリアとイーシャの体勢を見て、漏れ無くニヤニヤとした笑みを浮かべたのを見て確信する。

 最後にアイズ、リヴェリアと降りてきたとき、

 「よし、全員来たか。それじゃ先に進む、その前に気絶したイーシャを誰が運ぶかだけ」

 「俺が運ぶ」

 ――はい、食いついた。

 「わかった、頼んだぞ」

 「え、あ、おう」

 あっさり了承したシオン。その決定に異を唱える者はいない。クウェリアの肩を叩いたシオンの顔には、生徒達と変わらぬニヤついた笑みがあった。

 それに思うところはあっただろう。だがここで反論しては、シオンが余計な事を言う、そう察して、クウェリアは何も言えなかった。

 クウェリアがイーシャを背負うときにアイズに手伝ってもらうように頼み、先を見通す。その時にはもう、シオンの横顔には浮ついた笑みなどなく、命を賭ける人間特有の張り詰めたものだけがあった。

 「……シオン」

 「何? リヴェリア」

 「この状況になったのはお前のせいではない。あまり思いつめるな」

 見透かされていた。驚きにリヴェリアの目を見ると、多大な呆れと、微かな怒りが見える。

 「特進クラスは例年18層へ赴く――それが普通だったからな。シオンがそれに倣ったのも、伝統を崩さないためだろう。私とて予想外だったのだ、お前だけが命を張る必要はない」

 「……だが……少なくとも一人、死にかけた。結果生きているとしても、そんなものいつまでも続く幸運じゃない。誰かが命を賭け金にしなきゃならないんだ」

 相変わらず、頑固な部分はとことん頑固なシオンに、リヴェリアは内心ため息を吐きつつ、苦笑した。

 リヴェリアは手を伸ばし、シオンの髪を撫でる。自分以上に長いその髪は、きちんと手入れされているのかとてもサラサラで、撫でていて気持ちいい。

 シオンもシオンで撫でられるのは嫌いじゃないのか、大人しくされるがままだ。

 「少しは私に頼ってくれ。迷惑をかける? 構わないさ、お前一人程度の迷惑、喜んで何とかしよう。むしろ頼られない方が寂しい」

 せめて、まだ幼い内くらいはもっと頼ってほしい。それがリヴェリアの、ひいてはフィンやガレスを含めた三人の総意だ。

 だからもう少し頼る――否、いっそ甘えるくらいがちょうどいい。

 「今の私はお前より下の扱いだ。部下をうまく扱ってくれ」

 「…………………………」

 シオンは何も言わず、リヴェリアの手から離れ、身を翻す。さり気なくその様子を見ていた全員がサッと視線を逸らしていたが、今のシオンは気付かなかった。

 そして少し距離を取ったところで、少しだけ振り向くと、

 「…………………………努力、する」

 リヴェリアがギリギリ聞こえる程度の声量で、そう答えた。

 明確な答えではない。それでも、努力すると言ったシオンは、本当に努力してくれるだろう。今はそれだけでも、十分だ。

 そして全員の準備ができた。

 「今いるのは17層。すぐそこに18層がある。全員、あともう少しだけ――頑張ってくれ!」

 後、本当にもう少し。

 油断しないように気を引き締めつつ、シオン達は駆け出した。未だ震える少女を、気に留める間もないままに。

 

 

 

 

 

 ベートと鈴が真っ先に捉えたのは、何かをへし折り吹き飛ばす轟音だった。その音の発生源がどんどん近づいてくるのを察すると、その場を飛び退いてすぐに構える。

 装備を解除していなかったのは幸いだ。何故なら、

 『ブゥルルルルル……』

 たった数十秒程度で、目の前にそいつが現れたからだ。

 「これ……まさか、オーク、かい?」

 ベートは答えられなかった。

 目の前にいるそいつは、外見だけを見るなら醜豚(オーク)そのもの。ただ、その体躯。ベート達の四倍か五倍はあるそいつは、通常のオークからあまりに逸脱しすぎている。更にその皮膚は、通常の茶色ではなくドス黒い赤色。

 その手にある大剣は、錆びている。どれだけの血を吸えばそうなるのだろうか。

 軽く力を入れるだけでも凄まじい筋肉がその体の下にあるのが見えて、ベートは引きつった笑みを浮かべてしまう。特に血走った眼を向けられた鈴は、一瞬だけだが体をビクッと震わせた。

 睨み合うこと、数秒。

 『――ォオオオオオオオオオオオオッ!!』

 性に合わなかったのか、オークが突進してくる。

 ――速ッ!?

 横に飛び退き、それと同時に短剣を引き抜き掠らせるように『置いて』くる。ベートが力を入れずとも、自分が出した速度で自ら切られに行くだろう、そう、考えていた。

 「ァ、ッ!?」

 確かに、短剣は刺さった。だが、オークの体は『筋肉の鎧』とでも言うべきもの。

 ――短剣が、オークの体の途中で止まった。

 ありえねぇ、そう思うと同時に腕と足に力を入れる。更に歯を噛み締め、腰を落としてとにかく耐える。そこまでしてやっと短剣がオークの脇腹を通り抜けた。

 人間ではありえない『耐久』の値に――ガレスとかいう例外は除く――ベートは頭を抱えたくなった。あのオークはベートにとって天敵だ。ベートの利点は速度と双剣による手数の多さ。だがその反面、『耐久』が異常に高い相手は不得意だ。

 何せあのオーク――脇腹にあったはずの出血が、もう()()()()()()

 筋肉の密度がありすぎて、傷が無理矢理接合されているのだ。それは、かつての『宴』においてフィンと戦った時のシオンのようなやり方。

 今付けた傷は、ベートにとってかなり深いもの。それをああもあっさり直されては、細かな傷など付けても意味がない。

 ――火力が、足りねぇ。

 このオークを相手取るなら、シオンの魔法やティオナの大剣など、一撃必殺の如き力がいる。

 それでもベートは、勝てない、などという言葉は死んでも言うつもりはない。そんな弱気な心はずっと昔、『インファント・ドラゴン』と戦った時に置いてきた。

 一方で鈴は、固まっていた。

 当然だ、今の鈴はまだLv.1の身にすぎない。どう考えてもあのオークを相手取るには経験が足りていなかった。

 ――見えなくは、無かったけど。

 見たところあのオークは『力』と『耐久』が秀でているが、その分『器用』と『敏捷』は壊滅的だ。通常のオークを考えれば、分からなくもないが……。

 「……あのオークを、倒すには」

 ベートでは倒せない。あの篭手にあるギミックとやらでも、倒しきれるとは言い切れない。もし可能性が、あるとすれば――。

 「ベート、時間、稼げるかい?」

 「……少しくらいはな。ただ、あまり期待するなよ」

 「期待はしないでおくけど、信じさせてはもらうから」

 その言葉に、チッと舌打ちが返される。それが照れ隠しなのは簡単にわかったので、鈴は少し和みつつバックステップで距離を取る。

 十分な距離が取れたところで、腰を落とし、帯刀したままの刀の柄に手を伸ばす。

 「『収束』」

 その言葉を発するのと同時、鞘から灰色のオーラ――魔力の燐光が溢れ出した。一秒、二秒と時間が経ち、それと同時に鈴の体から魔力が抜けていく。

 そして五秒くらい経った、その瞬間、

 『グゥアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』

 「な――おい待て、鈴、避けろ!」

 「何!?」

 一切の前触れ無くオークはベートから背を向け、鈴に突進する。流石のベートも、何の予備動作も無しにそうされては意表を突かれた。

 そして、その刹那の時間でオークは鈴のところまで接近している。オークは声にならない声をあげながらその大剣を、棒きれのように振り下ろした。

 「くっ……!」

 前回り受身でオークの両足の間を通って避けたが、柄から手を放したせいで魔力が途切れた。鞘に集まりつつあった魔力がプツンと消える。それと同時に、鈴の体に少量とはいえ疲労が襲いかかってくる。

 ――これが、デメリットか……!

 成功しようが失敗しようが、疲労が鈴の体に溜まっていく。恐らく、まだ一段階すらも収束できていないだろうに。

 そう思いつつも体は動いていく。オークから離れるために。

 しかしそのオークはというと、何かを探すように辺りを見渡すだけで、鈴を追いかけない。不思議に思っていると、

 「……まさか、魔力に反応してんのか?」

 ありえない、そう思うも否定できなかった。

 あのオークは完全に死角となっていた鈴に前触れもなく襲いかかってきた。だが、前提が違うと考えれば。魔力を収束したせいと考えれば、前触れはちゃんとあったのだ。

 「あたいが『収束』する度に襲いかかってくるんじゃ、どうしようもないよ」

 「だろう、な」

 遂に探していた物を諦めたのか、オークはベート達の方へと振り向いた。その眼に見えたのは若干の苛立ち。八つ当たりでもしたいのだろうか。

 ふぅ、とベートは息を吐き出す。

 「効くかどうかはわからんが、試すしかない、か」

 「……ベート?」

 「期待はしないけど、信じてるんだろ。だったらそのくらいは応えさせてもらうさ。……鈴、次はオークに気にせず魔力を収束し続けな」

 何故、と聞き返す前にベートは駆けた。その速度はあのオークを遥かに超えていて、鈴の目では捉えることさえできない。

 それを見てハッとする。慌てて腰を落として柄に手を触れさせ、再度魔力を収束させた。また灰色の燐光が溢れ、魔力が流れていくのを感じる。

 『ォオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアッ!』

 それに呼応するように、オークの眼が鈴を捉えた。確定だ、このオークは魔力に反応している。オークの間近まで接近したのに、ベートを無視して行こうとするのだから。

 「連れねぇ奴だ、少しは俺の相手をしなっての」

 言いつつ、ベートは拳を作った右手をオークの腹に置く。

 そう、『殴る』のではなくただ『置いた』だけ。何の意味もないその動作――だが、ベートは篭手にしかけられたスイッチを押した事で、その全ては意味を成す。

 ドコンッ!! という爆発音が、ベートの()()()聞こえてきた。

 それは紛れもない爆発。火薬に引火し、爆発の勢いに押されてベートの拳が急速に加速。その拳の勢いは、オークの腹にめり込んだ。

 『ッ……ォ……!』

 オークの巨体が、一瞬浮いた。

 ベートは拳の勢いを止めずに半回転すると、オークに背を向ける。そこで勢いを止め、右腕の肘をオークの脛辺りに接着。

 そしてまた、爆発。

 脛に思い切り走った衝撃に、オークが思わずといったように膝をつく。そこを逃さず飛び上がって拳を顔面に当てる。爆発音と共に、またオークが吹っ飛んだ。

 それを見ていた鈴は、魔力を収束しつつもポカーンとしていた。どう見てもおかしい。ベートの持つ『力』では、逆立ちしたってオークを吹き飛ばせないのだから。

 と、そこでリィ――ン、という鈴の音が辺りに響き渡る。それを合図に、燐光でしかなかった灰色の魔力が少しずつ鞘自体に纏うようになった。

 ――一段階で、十秒。

 キリがいいところを考えれば三十秒か、一分か。

 ――頑張って、ベート。

 鈴はただ、そう祈ることしかできない。

 ベートの持つ篭手に付けられたギミックは、手にしかけられたスイッチを押すと肘部分に付けられた排出口から、火薬の詰められた薬莢を吐き出すもの。

 だから見た目不格好になるにも関わらず、肩と肘の半ばまで篭手があるのだ。爆発によって自分自身が火傷しないために。

 その一瞬の、しかし絶大な威力を秘めた爆発は、先にやったように拳の威力をあげたり、あるいは爆発自体を相手にぶち当てるように使う。

 椿が言うには『元々剣につけて銃剣(ガンソード)みたいにするつもりだった』そうだが、ベートの願いとあって改造したようだ。

 だからこれは、銃剣改め銃拳(ガンナックル)

 利点は多く、ベートの弱点である『火力不足』を埋めてくれる。

 ただし、問題はあるが。

 ――腕が、やべぇな。

 オークを吹き飛ばした時点で、ベートの右腕が悲鳴をあげていた。骨に罅とまでは言わないが、後もう一発か二発やれば、本当に罅が入りそうだ。

 そう、問題はこれだ。

 そもそも爆発による加速はあくまで肘から先にのみ作用する。それ以外の部分――特に腕を繋げている肩にかかる負担はヤバい。うまくやらなければ、一撃で肩から腕がちぎれてしまうだろうとわかるくらいに。

 反動を受け止める腕も腕で厳しいが、それはまぁ、我慢すればいいだけだ。

 倒れたオークの指がピクリと動き、顔を押さえながら上体を起こす。それは大きすぎる隙だ、狙わない道理はない。

 ベートの腕が閃く。そして投げられた短剣は――容赦なく、指の隙間から見えた、オークの眼を抉り抜いた。

 『――ッ!??』

 オークの声なき絶叫が響き渡る。それを見つつ、ベートは思う。

 ――何か、ここ一番で相手の目を貫くのがクセになってねぇか、これ。

 思い返すと一番最初の危機であったインファント・ドラゴンを始め、ゴライアスの眼も抉っていたし、確かそれ以外にも――と、逸れかけた思考を戻す。

 「ハッ、そんな熱い眼を向けんじゃねぇよ。気持ちわりぃ」

 元々血走っていた瞳が更に真っ赤に充血する。その目には最早ベートしか映っていない。

 ――そうだ、それでいい。

 鈴の存在を忘れてくれれば、そこまで後ろを気にしなくて済むのだから。

 それに、ほら、もうそろそろだ。また聞こえた。リィ――ン、という音が。

 二度目の収束音と共に、鞘に纏うようになってきた灰色が刀の柄にまで及ぶようになった。光も増し、もうすぐにでも放てるだろう段階まで来ている。

 ベートはひたすら避けるのに徹している。途中途中、おちょくるようにもう一本の短剣を投げるような動作を織り交ぜ、その度にオークは立ち止まって片手を無事な目に翳す。そちらも潰されてはどうにもならないと、本能でわかっているからだろう。

 そして、最後の十秒はあっという間に過ぎた。

 リィ――ン! と一際大きな音がする。同時に淡い光が眩い輝きを放つようになり、あやふやだった魔力が鞘の内へと入り込み――刀の刀身へ宿る。

 一見すれば、いつもの状態へ戻っただけ。だがその中にある刀の切れ味は、過去のどれと比べる事さえできないほどになっただろうという予感がする。

 そして、鈴は駆ける。

 それを見たベートは、今までの小馬鹿にしたような表情を真剣な物に変えると、一気に接近してオークの腹を、爆発を伴いながら殴った。

 再度同じ場所を殴られたオークの動きが、止まる。それはとても大きな隙で――速度に劣る鈴が唯一ぶち当てられる、絶好の機会となった。

 「『魔力閃(ディスチャージ)――開放(ブレイク)』!」

 凄まじい切れ味を伴った刀が、鈴得意の居合抜きと共にオークへと襲いかかる。

 血飛沫が、空を舞う。




いやぁ、昼寝したら数時間経っててちょっと焦りました。慌ててサブPCで書いた分をメインPCに送って残った分を書き上げたので、若干荒いかもしれません。

今回は『誰かを頼る』ことをテーマにしてます。シオンもベートも――というか、あの二人は誰かに弱みを見せたり頼るという事がほぼありませんからね。
少しくらいは甘えろよ、という事で、シオンはリヴェリアに、ベートは頼るしかない状況作ってやってみました。

それとこのお話の時系列がこんがらがりそうなので一応。

ベート・鈴起床、ダンジョンへ。
中層到達時点でシオン・アイズ・リヴェリアが学校に着く。準備をして上層へ。
シオン達が上層から中層へついた時に、ベート達は16層か17層くらい。
そこからシオン達は『強化種』の登場により、ほとんど駆ける状態に。
ベート達が18層で休憩している時にシオン達、16層。
赤色のオークがベート達を襲うと同時にシオン達は17層を駆けている。

こんな感じです。中層行く速度が違いすぎないか、という点は、ベート達は上層で襲いかかってきた『強化種』を警戒して、中層では移動を遅くした結果。逆にシオン達は走り続けた上に穴を降りているので、相対的にかなりの速度となっています。

次回更新は再来週になります。
お楽しみに~。


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【ペンタグラム】

 17層にまで辿り付き、恐らく安全である18層は目前。

 だが、それで安心できるほど、シオンは温い思考を持っていなかった。シオンと行動を共にするアイズと、リヴェリアも。幸い18層に来るのが初めてな生徒達も、緊張感を保っている。少なくとも油断して即死、という事は無いだろう。

 とはいえ、このまま相手の行動を座して待つ、というのも性に合わない。

 ――アリアナ。

 『なーに、シオン?』

 だから、頼む。

 ――風を使って索敵できないか?

 普段滅多に頼らない、彼女の力を。

 『うん、できるよ。今回は誰かの為だから、対価はいらない。……じゃ、やるね』

 人には見えない、未だ生じたばかりの精霊。それでも彼女の宿す力は、魔法という分野においてならシオンよりも遥かに上だ。

 『【風よ、流れよ】』

 そっと手をかざし、そこから魔力が溢れ出す。その魔力によって空気が移動し出す。そよ風程度のそれに疑問を感じたのは、やはりアイズとリヴェリア。

 アイズはかつて見た光景を思い出して眉を潜めたが、それでもシオンが必要だと判断したのだから、と沈黙を保ち。

 リヴェリアは、懐かしい感覚――郷愁のようなものを覚え、少しだけ戸惑った。

 生徒達は風が出てきた事に対して疑問を抱けていない。というより、気にするだけの体力があまり残っていなかったのだろう。数人いる魔道士は、シオンから感じる魔力で、シオンが何かしたのだろうと、詳しくは考えなかった。

 ただ、レフィーヤだけが、シオンを見ていた。

 ――詠唱、してなかったような……。

 それに魔力の放出の仕方も違和感がある。そう思いはしたが。

 ――私にわかるわけ、ない、よね。

 シオンの言葉に心をへし折られかけていたレフィーヤは、すぐにその思考を捨て去った。

 数々の視線を感じながらも、アリアナの報告を待つ。索敵範囲はそう広くないから、恐らくすぐにでも終わるだろう。

 『――大広間と通路の一本道。その途中に大きな穴が一つだけあったよ。穴の上はわかんなかったけど、広間にはモンスターがたくさんいた』

 ――やっぱり、か。

 大広間にモンスターがいるのは想定済みだ。シオン達がここまでこれたのは、あくまで道が狭かった事と、十字路を選ばずに来た事が理由だ。

 前と後ろ、それに右か左、どちらか片方。その三方向のみしかシオン達には防げない。強化種が一体も混じっていない、という条件付きであれば生徒達でも相手取れるが、その可能性に賭けるのはあまりのも博打に過ぎる。

 だからこそ、大広間という三六十度全てからモンスターに襲いかかられれば全滅は必須。それを相手方もわかっていたのだろう。

 そして途中にある大穴――これは自然にできたのか、あるいはかつての炎で穴を作ったのかは知らないが、どう考えても奇襲用。大広間に続く道で籠城しようとすれば、容赦無く穴から降りてくるに違いない。あるいは援軍かもしれないが。

 『それと……ここの後ろにも、モンスターがたくさんいたよ』

 そこまで聞いて、シオンは目を閉じて顔を天井に向けた。

 ――最悪過ぎる。

 前方後方更に上空から敵が来る。押し寄せる大群という数の暴力、更に強化種が混じっているのは確実だから質も良い。

 全滅する――そう考えてしまった。シオン達だけは生き残れるだろうが、他の生徒は着いてこれても一人か二人。これでは全滅としか表現しようがない。

 いくつか案を考え、破棄し、そして、決めた。

 リヴェリアの元へ移動し、ちょぃちょぃと指を動かして指示。そして前をアイズに任せて自分達は後ろに動くと、聞こえないように声量を下げて言った。

 「大広間、そこまでの道に穴、それから後方にモンスターの大群」

 「っ……精度は?」

 「わからない。ただ、数十は確実。それ以上かもしれないけど」

 下手すれば三桁――言外にそう告げたシオンに、リヴェリアは苦虫を噛み潰したかのようなものを浮かべる。彼女もわかってしまったのだ、全滅しかねない、と。

 「それを私に告げたという事は、案が無いのか?」

 「ある。でもそっちにかかる負担は大きいかな。特に彼等には」

 ピッと人差し指を立てると、

 「まず、おれ一人で大広間に先行する。理由は、わかるよね?」

 その言葉に頷きを返す。

 シオンはその性質上、一人で戦うことに向いている。『変幻する稲妻(イリュージョンブリッツ)』は、臨機応変という言葉そのままであるが、だからこそ他者がいると制限がかかるから。

 何よりシオンは一対多を得意とする。例え強化種が混じっていようとも、大広間のモンスターを全滅させるのは容易い。

 「残りは穴と、後方。後方はリヴェリアかな。『レア・ラーヴァテイン』とか『ウィン・フィンブルヴェトル』でも詠唱しておけば殲滅できるだろうし」

 問題点は詠唱中のリヴェリアは満足に動けない。更に常に後方を警戒しなければならないので、彼女が攻勢に回るのは事実上不可能だろう。

 まぁ、そうする前に出来ることはあるが。

 「先に『ヴェール・ブレス』を使っておいてくれ」

 「わかっているさ。……それで、肝心な部分は?」

 「穴から落ちてくるのは、アイズを軸にして、生徒達にも頑張ってもらう」

 やはりそれしかないか、と口の中で呟くリヴェリア。何となく察していたことだ、手数が足りないのだから仕方ないとも思っている。

 だからこそシオンは『ヴェール・ブレス』を使っておいてと頼んだのだから。

 「少なくとも大広間のモンスターを倒しきっておけば、後は走って逃げてもいい。誰一人死なないように立ち回れれば、いいんだ」

 「……そう、か。わかった、シオンがそれでいいのなら、そうしよう」

 含みを秘めた言い方に、シオンはちょっとだけ困ったように苦笑した。気付かれていないとは思っていなかったが、それでも受け入れてくれた事に感謝する。

 ――この作戦で一番負担がかかるのは誰でもない、シオンだ。

 相手にとって重要なのは『18層に行けない』こと。であれば、その寸前にある大広間に強化種の中でも更に飛び抜けた物を配置するのは当然だ。

 まぁ、それがわかっているからこそシオンはそうするのだが。

 「それじゃ、頼むよ」

 「ああ、わかった」

 早速とばかりに詠唱を開始する。『ヴェール・ブレス』の詠唱は他の魔法に比べればそこまで長くない、あっさりと完成すると、

 「【ヴェール・ブレス】」

 全員に補助防御魔法をかけた。

 その緑光の衣に包まれた者達は最初訝しみ、次いで驚愕した。小さな擦り傷や切り傷が回復していっているのだ。それだけではない、これは物理及び魔力、両方の属性に対して抵抗力を上昇させるものでもある。

 本当ならずっとかけ続けたい物であったのだが、この人数に延々とかけ続けるにはリヴェリアの負担が大きすぎる。今でさえ、大量の魔力を消費させてしまったのだから。

 当のリヴェリアは平然と魔力回復薬を飲んでいるが――シオンにはわかる。精神的疲弊を、その精神性だけで支えていることを。

 本当なら息も絶え絶えなところを、不安を感じさせないために我慢しているリヴェリアに感謝しつつ、それに報いるために前に出る。幸い彼等はリヴェリアを見ていたから、すぐに視線を誘導できた。

 「18層前の大広間、その道に続く途中の穴、そしておれ達の後ろ。それぞれにモンスターが潜んでいる」

 全員の顔に緊迫が宿る。それでも怯えて動けない者はいない、元より覚悟していたのだろう。レフィーヤが少しだけ不安だったが、彼女もせめて足手纏いだけは、と両頬を叩いた。

 ――これ以上、私のせいで誰かが傷つくのは見たくないから、今だけ全部忘れよう。

 イーシャが倒れた事を無駄にはしない。そうするためには落ち込んではいられない。元来の性格によって、レフィーヤは強くシオンを見つめた。

 それをさり気なく見て安堵していたのを押し隠し、

 「言わなくてもわかるだろうが、このまま大広間に行けば、全滅する。かといってこのままここにいてもジリ貧だ。だから」

 「シオンが先に行って殲滅する。途中で来るモンスターは後ろをリヴェリア、穴からくるのは私と、私に協力して何とかして……かな?」

 呆れたように続きを持っていったのは、アイズだった。シオンは目を丸くして驚いていたが、それを見たアイズの呆れは更に強くなった。

 「わかるよ、いつも一緒にいて、いつも見てたから」

 シオンの性格と、この状況。それに言い回し。たったそれだけで、アイズは簡単にシオンの思考を言い当ててみせた。

 それが何だか可笑しく、でも嬉しくなって、シオンは笑った。邪気のないその笑顔は、この場に似つかわしくないものであったが、誰もが見惚れるくらい綺麗だった。

 「信じるよ、アイズ」

 「任せて、シオン」

 だから、ハッと気づいた時には反論している暇がなくなっていた。シオンは既に前へと移動していたので、どうしようもない。

 「死ぬなよ、死ななければ後は全部おれ達に投げ渡せるからな」

 その言葉だけを残して、シオンは視認できない速度で駆け出した。

 残された者達で、アイズは何かを堪えるように腕を握り締めると、すぐに息を吐いて脱力する。

 「それで、俺達はどうすればいいんだ」

 「クウェリアは、そのままでいい。イーシャに攻撃が向かないように意識してて。それと、誰か二人を守れる壁役の人を、三人くらい」

 意識のないイーシャと、彼女を背負うために両腕が塞がれたクウェリアは、自分達にとって大きな弱点。相手がモンスターだから、という理由で何の対策もしないのは馬鹿すぎる。

 「位置はなるべく後方寄りの中心部分に。多分、後ろの敵はリヴェリアを引き止めるために動かないと思うから、そっちの方が安全」

 ついでに魔道士もその辺りに移動させておく。逆に前の方に配置するのは体力がある前衛と残った壁役だ。

 そうやって配置換えをしている時に、それらは降ってきた。

 「アルミラージ、ウォーシャドウ、ミノタウロス。それにヘルハウンド。ハード・アーマードもいる……」

 確認しつつ、配置を変えている途中で来られて浮き足立っている彼等を静める。念の為先に『エアリアル』を唱えていたのが幸いした、これで前に出ても集中力が途切れない。

 それにしても、と思う。相手は本格的に殺しに来ている。

 何せ小型(アルミラージ)中型(ウォーシャドウ)大型(ミノタウロス)遠距離砲台(ヘルハウンド)、更には壁役(ハード・アーマード)と大盤振る舞いだ。今までのような雑多な組み合わせではない。

 これは、下手をすると突破されて誰かを殺されてしまうかもしれない。そう考えた自分を叱咤しつつも冷や汗を拭ってしまった事実は隠せない。

 「――【前方に流れるは万物の源、星の恵み】」

 そこに届いたのは、朗々とした声をあげる少女の声。敵が来たと即座に察した彼女は、何も考えずにただ『アイズの助けをする』ことだけ考えていた。

 「【右方にありしは万象を灰燼と為す終焉、彼の怒り】」

 これを使えば満足に動けなくなる、けれど、これが最後であれば。後は任せた、と信じられる仲間がいるから。

 「【左方に示すは生命の根、全てを包む母なる癒し】」

 魔力を流す彼女に、強化種であるモンスターが一際強い反応を見せる。その反応を見て、アイズは倒すべき敵を即座に見抜いた。

 エアリアルを纏った刀身の射程は、長い。『斬る』という意味では精々一M前後、だが吹き飛ばして牽制をするのであれば、便利だ。

 「【後方にありしはこの世の元素、世界を覆う大いなる一】」

 その風さえ乗り越えてきた物が強化種。それを切り捨てていけばいい。大丈夫、この風を纏っている間は、彼女に斬れぬモノなどありはしない。

 「【頂点に座するは転輪する魂。生まれ、巡り、死する物】」

 ふ、と息を吐き出し、

 「【ここに五つの頂点を刻む】」

 告げた言葉と同時に、アイズの前に五つの点が生まれた。

 ある物は青く、ある物は赤く、ある物は緑に、ある物は黄、そして恐らく頂点は、眩い光。

 「【それは聖なる五芒星、空に浮かびし星の象徴(シンボル)】」

 それぞれを線で繋ぎ、浮かび上がるのは星だった。悪寒を感じたアイズは即座にその五芒星から離れる。仕草で全員を下がらせるのを忘れない。

 「【我はここに、その星を奉ろう】」

 そして、彼女は唱えた。

 「【ペンタグラム――ファイブクリエイト】」

 青色の象徴が、浮かぶ。その象徴が中心へと移動すると同時、そこに踏み込んでいたモンスターの全てが、芯から凍りついた。

 少女がトン、と杖の先で地面を叩く。すると、凍っていたそれらは粉々になった。魔石すら壊れたのだろう、灰も残っていない。氷が消えると、ギリギリの位置で、しかし腕や足先などは凍っていたのか、免れていた物が痛みに絶叫している姿があった。

 だが、そこは所詮魔物。魔法が終わったと思うや、すぐに駆け出してきた。

 ――それこそが、その短絡的な思考こそが、彼女にとって思うツボだったのに。

 「まだ、終わりじゃないよ?」

 赤色の象徴が、中心に動く。そして一瞬歪み――爆発した。五芒の形をした大炎上。全てを焼き尽くす焔だ。

 けれど、それでも、この魔法は()()()()()

 炎に紛れて、緑の象徴がそろそろとモンスター達の後ろに動き出す。そして全てのモンスターを追い越すと、地面に潜り、隆起した。

 それに気付いても、もう遅い。

 「これで袋小路、逃げ場はない――アイズさん、今です!」

 四つ目、黄色がアイズの前に現れる。それにアイズは何かを感じ取り、剣を構えた。そして、その黄色を、風を纏った剣で思い切り突き刺した。

 アイズの風。それを起爆剤として、黄色の象徴は暴風を出現させた。その暴風はアイズの必殺技である『リル・ラファーガ』と同じかそれ以上の風を生み出し、前方へ射出される。

 炎の中に風という燃料をブチ込む――そうしたら、どうなるか。

 かつてシオンがアリアナの力と薄刃陽炎と同じ結果を、引き起こす。逃げようとしても真後ろには土の壁、どれだけ叫んでも、目の前にある『死の壁』からは逃れられない。

 一体、また一体と灰燼となる。その壁は、奥の土壁を消失させるまで止まらなかった。

 「……凄い」

 ポツリと、アイズの口から賞賛の言葉が零れおちた。Lvという部分で絶対的な差があるから仕方ないが、それでもリヴェリアのようだ、と思ってしまったほどに。

 振り返ってその魔法を放った人物を見ようとしたが、その少女はドサリと倒れ伏した。精神疲弊(マインドダウン)で気絶している。

 「星奈!」

 咄嗟に抱き起こすも反応がない。アイズは誰かに彼女を背負ってもらい、守るように指示。それだけの功績をしたのだから、これ以上働かせるのは酷だ。

 黒髪、という事と名前の響きから、鈴の同郷だろうか。そう考えたが、通路から響いてきた声にアイズは剣を構え直す。

 『グル、ゥ……』

 「……ヘルハウンド」

 弱々しいが、それでもまだ生きている。強化種である事と、ヘルハウンド自体が炎に耐性を持っている事、更にミノタウロス辺りを肉壁にして少しでも炎から逃れた事で生き残れたのだ。

 たかが一体。だがアイズは決して油断せず、屠ろうと足を踏み出しかけたところで、グチャリ、と何かが潰れた音がした。

 「……え?」

 その声は、誰が漏らしたのか。

 『――ルオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアッッ!!』

 穴から降ってきた()()()モンスターの群れ。

 数は、少ない。それでも弛緩しかけた空気にこれは奇襲すぎる。

 「全員戦闘準備し直して! 数は少ないから、さっきみたいにできれば大丈夫!」

 危なかった、とアイズの背筋に冷たいものが走る。もしもさっきの戦闘でアイズの体力が限界まで削られていたら。星奈という少女の魔法が無ければ、やっとの思いで全滅させたところで油断して、死んでいた。

 けれど、そうはならなかった。

 「――シオン、足手纏いなんかじゃなかったよ」

 確かにアイズ達の方が強い。

 けれど――彼等だって一端の『冒険者』なのだと、今なら言い切れる。

 「後輩が頑張った。だから、今度は私の番……!」

 星奈達のために、アイズが報いようと動き出す。

 

 

 

 

 

 時は戻り、シオン。彼はほぼ全速を出して走り、一分と経たずに大広間に到達していた。

 「……? 本当にモンスターがいるのか?」

 そこで感じたのは、強烈な違和感。シオンにはどうしても、この先に『大量の生物』が潜んでいる感覚が感じられない。

 ただ――奇妙な圧迫感だけは、シオンの体に伸し掛って来たが。

 『……ごめん、シオン。大量のモンスターは()()()()()いた』

 じゃあ今は、そう聞こうとして、すぐに答えられた。

 『今は――()()()()()

 シオンの呼吸が止まる。その言葉は端的に全てを表現していた。そしてシオンの頭は、これまでの推移から目前にあるモンスターの正体を、どことなく理解してしまう。

 「数の暴力より、最高の一かよ」

 一歩、二歩。進むごとに大広間の入口が大きくなる。それと共に、シオンの目には一つのシルエットが入ってきた。

 大きさは――座っているからわからないが、三Mから四M。予想より小さい。けれど、だからといって油断していい道理は無い。警戒しつつ更に近づくと、その巨体がバリバリと何かを貪っているのが見えた。

 食っているとはまさしくそうだ。骨は残っていないが、アリアナが確かにモンスターの群れがいたと感知していた――であれば、全てあのモンスターの胃の中か。

 「一人で、倒せるかね」

 『一人じゃなくて二人、って言いたいけど……』

 アリアナが余計な真似をすれば、この状況を作り出した者に気取られるかもしれない。

 シオンは未だに一つしか魔法を覚えていないが、それが真実かどうかを知るのはロキと、自分のみ。ブラフまで使ってフィンを追い詰めた『宴』での一戦のお陰で、風の索敵を使っても大丈夫だったが、流石に『変幻する稲妻』と合わせて使用すればおかしいと思われる。

 魔法は、二つ以上同時に唱えられないのだから。

 ほぼ、自力。シオンは空笑いだとわかっていても無理に笑みを浮かべ、自分を鼓舞した。

 「――やる。やれる。だから……相手してもらうぜ、()()()()()

 前情報であれば本来まだ現れないはずの、『迷宮の孤王』ゴライアス。それがどうして目の前にいて、しかも本来より数Mも小さいのか。

 疑問は尽きない、だが――強化されているそいつに、余計な思考は邪魔だ。

 狙うは短期決戦。

 「【変化せよ(ブリッツ)】」

 ドン、とシオンの体から魔力が溢れ出す。それに反応したゴライアスは、振り向くとシオンを発見し、凄絶な笑みを見せた。

 その目に浮かぶのは、新たな食べ物を見つけた捕食者のもの。

 油断、しきっている。

 「――【ライトニング】」

 ならば、そこを突くだけだ。

 シオンの両足に稲妻が宿る。それは本来の『付与魔法』とは違うものだ。本来であれば全身と武器に纏わせるが――これは、足のみ。

 『特化型付与魔法』、シオンがそう名付けたもの。本来の『サンダー』に比べて攻撃力は上昇しないし、雷による耐久の増加も無い。

 これの効果は、『ライトニング』の名の通り。

 『敏捷』を凄まじく強化する――それだけだ。それだけしかない。でも、シオンにはそれだけで十分だった。

 トン、と小さな足音が響く。その一瞬後には、シオンの姿はゴライアスの顔の前にあった。

 「まずは――その目」

 剣の先が、ゴライアスの目を抉り取る。ベートの十八番であり、彼がいるなら任せるところなのだが、今はいない。

 「時間が無いんだ」

 数の暴力の方が、むしろ最悪だった。シオンがどれだけ一対他が得意でも、数十もいれば倒すのに時間がかかる。

 けれど、たったの一体だけなら。

 本来のゴライアスに比べて急造であり、それを補うために魔石を食わせていたとしても。

 「お前は、おれより弱い」

 だから、一撃喰らえば死ぬとわかっていても、速度を、手数を求める。

 「――さっさと死んでもらうぞ。待たせているんだ、彼等を」

 言葉を紡ぎつつ、ゴライアスの背後に回って背中を斬りつける。だが、やはり硬い。ティオナレベルの怪力があれば良かったのが、無い物強請りをしても仕方ない。

 その勢いのまま飛び降り、人体で言う向こう脛に刀身を叩きつける。斬るのではなく、衝撃を通して痛みを想起させるのだ。モンスターの構造は人のそれと遥かに違うから、効果がない事も視野に入れていたが、

 『ガアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァッ!?』

 一定の効果があったのか、そこを抑えて蹲ってしまう。

 「――弱すぎる」

 致命的な隙だ。痛みで動けないなど下の下、シオン達は骨折しても動けるよう、フィン達に慣らされたというのに。

 前へと回り込み、ゴライアスの足先、正確には小指と爪の『間』を狙って短剣を投擲。それは寸分違わず突き刺さり、同時、ブチ、と何かが千切れる音がした。

 爪それ自体はともかく、爪の生え際には神経が密集している。そこを無理矢理剥がされれば、まぁ大の大人でも立っていられない。

 目、爪。硬い皮に覆われた体を殺しきるために、痛みで動けなくさせる。

 「次はどこをやろうか。脆いところ、斬りやすいところ、痛みが大きなところ――人体構造と同じだと、簡単に終わるんだけど」

 端的に言って、シオンがやっているのは拷問と変わらない。それでも情けはかけない。恨むのなら自分を無理矢理起こした人間を恨め。

 ――だから……その眼を向けないようにさせてもらう。

 鏡を見ているようで嫌な気分になる眼を冷たい眼差しで抉る。これで視界は封じた。後は耳を削ぎ落として、視覚と聴覚を奪えばほぼ戦闘力を封じれるだろう。

 戦闘、否拷問は、ゴライアスの反抗心が完全に叩き折られるまで続いた。実質的な時間は僅か数分程度だろうが、本当にシオンは容赦無かった。

 ――嫌な予感がする。

 根拠はない。生徒達に対するものか、あるいは他の何かかはわからないが、とにかく時間をかければ後悔するという勘が動いている。

 「これで、終わり」

 それに従い、シオンは壁を蹴って天井に移動する。元より必要だから拷問紛いの事をしただけであって、遊び気分は欠片も無い。

 「本当は、使いたくなかったけど」

 この技で最後をしめくくるのは、アイズを侮辱しているようで嫌だった。それでも、速攻でゴライアスを殺しきるなら、この技が一番。

 「リ・エクレール」

 アイズの『リル・ラファーガ』、その雷版。【ライトニング】という雷速移動によって、本家に勝るとも劣らないその突きはゴライアスの心臓――魔石を貫き、灰にさせて終わる。

 敵を完全に消滅させると、小さく息を吐き出す。そしてアイズ達のところへ戻ろうとして、ふいに音が聞こえた、ような気がした。

 気のせい、だと思う。音という程のものではなかった。

 ただ、何というか、振動、のような何かだと思う。シオンはそれを感じていた。

 「下で、何かが暴れている……?」

 ただの勘。しかしその勘が、先程のものと同義だとしたら。

 理性は戻るべきだと言っている。少なくともまだ戦っているアイズと生徒達を助けに行くのが正解だと。

 本能はそれを否定する。早く行けと絶叫している。

 シオンは一度目を閉じ、

 「アイズ達は、きっと大丈夫」

 即断即決。

 そうできるくらいにアイズとリヴェリアを信じていた。生徒達だって、ここまで着いてこれたのだ。イーシャのような者だっている。信じたっていいはずだ。

 だから、

 「おれは、18層に行く」

 そう決意を込めた言葉を吐き出して、シオンは急降下を飛び降りた。




言い訳します!
テスト終わったのが29日、土曜日はテスト勉強から開放されて遊び放けていて、少ししか書いておらず。
31日は大学の夏祭り準備があったのを忘れていて急遽仕上げようとしたのですが、まさかの難産で合計5時間以上かかってしまいました。
はいすいません! 言い訳でした!

……コホン、今回は新技というか新魔法出たのでちょっと解説

使用者・星奈
魔法名【五芒星(ペンタグラム)五つの創造(ファイブクリエイト)
ちなみにこれは日本の五行思想ではなく、魔術的な物なので水金地火木ではありません。水火地大気に霊を加えたペンタグラムになります。
魔法式
【流れるは万物の源、星の恵み。右方にありしは万象を灰燼と為す終焉、彼の怒り。左方に示すは生命の根、全てを包む母なる癒し。後方にありしはこの世の元素、世界を覆う大いなる一。頂点に座するは転輪する魂。生まれ、巡り、死する物。ここに五つの頂点を刻む。それは聖なる五芒星、空に浮かびし星の象徴(シンボル)。我はここに、その星を奉ろう】
作中では8節の超長文詠唱。威力は作中通り。
効果は1~5までそれぞれ発動可能、効果を組み合わせて、とかもできるんですが。
一つを発動させるのに大量の魔力を要するため、完全に『扱いこなす』のであればリヴェリアレベルの魔力量が必須になります。
他にも裏設定があるんですが、実は何となく出しただけなのでこれから先出るかは未定。多分でない。よくあること。

そしてシオンの方は圧倒的ですけど、これは相手が悪い。後ろに『大切な人達』がいて追い詰められていた時のシオンの馬鹿力と容赦の無さを見抜けず油断するとか殺してくださいと言っているようなもの。
ちなみにまともに戦ったらシオンが苦戦します。だからこそあんな事したんですが。

ここまでで既に超長ったらしいんですが、もう一つ報告。
ベルの登場する原作本編なのですが、一旦削除させていただきます。私個人は1巻どころか2巻3巻書いても大丈夫なくらい妄想してるんですが、過去のシーンとかを想起させるようなところで若干書く幅を狭めそうなので。
勝手に投稿して勝手に削除は自己中心的ですが、申し訳ない。

代わりに50万UA突破しそうなので、短編書きます! 一応純恋愛風――の、予定!

時期は10歳現在から15年後の25歳となります。

カップリングはシオン×○○○○○

後者に当てはまるのが誰か、考えてくださいな。
ヒント・感想のどっか。見なくてもいいけどお楽しみに!
尚投稿日は明日か明後日。夜中書けばいいかな……。


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閑話 その心を向けて欲しい

一応前回の後書きにも書きましたが、こちらにも注意書きを。

・本編の15年後(シオンが25歳)の短編。
・本編に無い設定の登場。
・あくまでIfストーリー。

要するにBAD END√みたいに考えてくれって事です。こっちでの設定本編に持ち込まれても困りますし、その逆も然り。

それでも良いって方はどうぞ、楽しんでいってくださると幸いです!


 細かな数字と文字が入り乱れた紙に目を落とす。些細な報告書に過ぎないが、かといって適当に済ませてもいられないのが辛いところだ。

 全文通して誤字及び脱字が無いか再度確認し、お金の移動に違和感が無いかも見る。どれだけ有名な派閥でも腐敗は存在する。見逃しては調子に乗られるので、目を皿のようにして確かめた。

 全て大丈夫だと判断して、ようやっと判を押す。それを確認済みの箱に入れた。そして横に置いてある未確認の紙を入れた箱を見て、大きく溜め息。

 「毎日毎日、よくもまぁ……」

 かつてフィン達がやっていた作業らしいが、面倒という、ただそれだけの感想しか出てこない自分に呆れる。

 この作業をするようになったのは十年程前。その時は単なる手伝い程度で、本格的に任せられるようになったのは二十歳くらいから。六年前くらい、か。

 「十五年くらい前は気楽だったんだけどな」

 あの時はあの時で苦労ばかりではあった。それでもこうして、日々紙の束に追われないだけマシに思えるのはどうしてか。

 文句は言えない。それだけの恩を自分はこの【ファミリア】から貰った。その恩を返す一つとして次代を育て、見守るのは当然のこと。いつかは今のこの苦労も笑い話になるだろう。若気の至りである数々の英雄譚(くろれきし)も、今ではすっかり笑い話だ。

 また一つ書類を片付ける。そこで一度伸びをすると、欠伸してしまった。

 今いる場所はホームの中庭。そこに生えた木の一本、その下で作業をしていたのだが、ポカポカと暖かい気温、木陰故に感じる清涼さ。時折流れる風が髪をなびかせ、微かな眠気を極端に刺激して止まない。

 その誘惑を振り切れない。計算上、一時間以上寝ても問題無いと判断してしまっては尚更だ。

 「少し……寝て、再開……」

 敢えてその欲求に逆らうことなく、瞳を閉じる。瞼の裏に浮かんだ激動の日々に、口元が緩やかな弧を描いた。

 そして――最後に一人の女性が振り返る姿が見えたところで、意識は落ちた。

 

 

 

 

 

 コツ、コツ、コツ、と一定のリズムを保った靴音が響く。一瞬の乱れも無いその動きは、足音の主が相当に鍛えていると伺える。

 その足音が、止まった。ふと見下ろした中庭に面する窓から、一人の青年が見えたためだ。力が抜け切った様子に、思わず笑ってしまう。そして無意識に触れた手首――そこに嵌められたブレスレット。それを愛おしむように、撫でていた。

 どれ、一つ叱ってやろうと思いながら階段を下り、扉を開けて中庭へ。気配を隠すことも誤魔化す事もせずにすぐ傍まで近づいても、眠りから覚める様子は無い。そこでちょっとした悪戯心が湧いてしまい、隣に座ってみる。

 すると、その衝撃故か体が揺れ、頭が肩に乗っかった。ある程度とはいえ成人男性の重みは、女性の身である彼女にとってそこそこの重みとなる。

 その重みを、悪くない、そう思っている時点で彼女の心境が伺える。起こさないよう、その手に握られたままの紙をスッと引き抜き、判子が押されているのを見て、確認済みの箱へ。叱ってやろうと思ってきたのに、そうしていない自分は甘いのだろうか。

 「だが、悪くはない、な。こういうのも」

 呟いた言葉は、決して誰にも聞かせてはならない。溢れてしまった想いが口からついて出てしまっただけ。幸い近くに人はいない、だから問題も無い、はず。

 けれど、そう思う彼女は気付けていない。

 その顔に浮かぶ笑みは、とても穏やかで、幸せそうで。それは誰より愛しいと想う人と一緒にいる女性の、魅力溢れる表情だった。

 それを見てしまえば、この女性が青年にどんな想いを抱いているのか――察せない者はいないだろう。

 ――もうちょっと。もう少しだけ望んでも、罰は当たらないだろう。

 さも偶然を装い、青年の頭が前に動くようにする。重力という法則に従い、青年の体が横に倒れていく。そこまでされれば流石に起きる、しかし倒れきる寸前、女性は修練された技術で勢いを相殺すると、優しく己の膝の上に小さな頭を乗せた。

 起きて――いない。

 成功した、と小さくガッツポーズ。普段の彼女であれば、そのイメージを崩してしまうだろうくらいに想像できぬ姿。

 その体勢から、数秒。喜びを抑え、それでも隠しきれぬ喜色を湛えながら、彼女の手は青年の髪を梳いていた。

 そうされる青年の顔は、彼女の目が曇っていなければ、とても穏やかで、安心しきっていた。

 

 

 

 

 

 ちなみに。

 彼女は()()()()()()()()と思っていたが、それは()()()()()()()と同義ではない。

 「――やっぱ気づいてねぇな、ありゃ」

 ホームの最上階から二人の姿を見下ろす青年。その顔にあるのは呆れがほとんどを占めていた。内心では、二人供らしくないなと思っていた。

 「何やってんのよベート。……って、あの二人は」

 そんな彼の様子に、偶然通りがかった女性が声をかける。少女然としていたのは昔の話、今ではすっかり女性らしさを身につけていた。魅力溢れる、そう言い切ってもいいくらいに、とベートは思っているが、決して口には出さない。

 「見りゃわかんだろ」

 「わかるけど……」

 野次馬同然な状況を見られた事に少し気まずさを感じ、ぶっきらぼうに答える。それが不満だったのか、ティオネは何か言いたげだった。しかしその感情を振り払うように肩を竦めると、

 「正直、あんたはアレを見てどう思ったの?」

 話の中心である、あの光景へと目を向けた。ベートとしても思うところはあったのか、すぐに答えてくれる。

 「どこをどう考えたとしても、決定的だろ」

 「――。そう、よねぇ」

 「あの距離までシオンに近付いても起きない。そんだけ受け入れられてる証拠だ」

 シオンは気絶でもしない限り、誰かが近付けばすぐに起きる。例外はアイズやティオナを始めとしたパーティメンバーくらいだが、それだって理由がなければ無理だ。

 唯一の例外。

 何時シオンに近付いても、心の底から身を任せられる――そんな存在は、一人だけだ。

 リヴェリア・リヨス・アールヴ。

 シオンが今よりずっと幼い頃から、母として、友人として――シオンにとっての『姉』はあの人だけなので、それだけはなれなかったが――成長を見守り続けてくれた彼女だけが、シオンが心安らげる居場所。

 リヴェリアもそんな自分である事を良しとしている。……良しと、していたのだろう。

 「リヴェリアのあの表情、私にはよくわかるわ」

 「…………………………」

 「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それは、かつてティオネがフィンに抱いていた感情そのもの。だからこそ、ティオネはどうしようもなくリヴェリアに対して共感を覚えてしまう。

 そんな事は無いのだと伝えたい。諦めずに伝え続ければ。いや、まず伝えなければ、始める事さえできないのだと。

 思わずリヴェリアのところへ行きかけたティオネを、ベートは止める。

 「やめとけ。余計なお節介にしかなんねぇよ」

 「どうして、そう言い切れるのかしら」

 「シオンはこの【ファミリア】で一番の頑固者。リヴェリアはこの【ファミリア】で一番の自制心の塊だ。下手に何かすれば、悪化するだけだ」

 他にも色々理由はあるが、最も大きな理由はそこにある。恐らく、シオンがその想いを伝える事は無いだろう。それを察している可能性が高いリヴェリアも、自分から言う事は無い。自制心がありすぎるが故に――魔導師だからこそ培った『大木の心』が原因で――決して、枷を外す事ができないからだ。

 シオンが動かなければ、リヴェリアは動けない。

 「だから、やめておけ。俺達にできるのは、見守る事だけだ。歯痒いけどな」

 

 

 

 

 

 シオンが起きるのを察したリヴェリアは、名残惜しむ感情をねじ伏せながら、膝の上に乗せていた頭を地面へ移動させ、立ち上がる。

 その後すぐ、シオンは目を瞬かせると上体を起こし、意識を覚醒させる。それでも少しだけぼうっとしていたのは、どうしてだろうか。

 「……リヴェリアか」

 「書類仕事が全部終わった訳ではないだろう。サボっていて大丈夫なのか?」

 本当は、処理してある量と内容からわかっていたが、敢えて聞いた。先程の事はリヴェリアの胸に仕舞っておくために。

 アレは一時の幸せ。誰かに知られていたとしても、シオンにだけ知られなければいい。リヴェリアはそう思いつつ、素知らぬ体を装って言った。

 「手伝いが必要であれば、手伝うが」

 「それは……いや、頼っても、いい?」

 ちょっとだけ逡巡を見せたが、最終的には頷いた。本人は無意識だろうが、目尻を下げての上目遣いは、中々に威力があると、リヴェリアは目を逸らした。

 「……リヴェリア?」

 「っ、いや何でもない。どんどん頼ってくれて構わない、シオンの頼みであれば、私としてもその信に応えたいからな」

 言いつつシオンの隣に座る。先程のように密着ではなく、半歩分の距離を取って。

 「…………………………」

 その事がどうしようもなく悲しいと思ってしまった事を、リヴェリアはすぐに消し去り、何事も無く書類を処理してシオンと別れた。

 どうせ後で自分が確認するからと言って箱を持って立ち去ったが、違和感は無かっただろうか。何時もの自分でいられただろうか。そう考えていると、

 「リヴェリア」

 「フィン、か。私に何か用でも?」

 「ちょっと誘いに、ね」

 向かいから現れたフィンに呼びかけられた。彼に問いかけてみれば、返ってきた言葉はその掲げられた物とほぼ同時だった。

 「酒か。フィンにしては珍しいな、昼間から飲酒など」

 「たまにはいいかなと思ってね。ガレスは誘ってないんだけど、どうする?」

 ふむ、と顎に手を当てて考える。普段のリヴェリアであれば、まず断っていた。相手がどうこうではなく、何の理由もなく昼間から飲酒を好んでいないだけだが。

 しかし、今は。酒を飲んで、この想いを紛らわしたいと、考えてしまった。

 「わかった、たまには付き合うのも悪くない」

 それに驚いたのは、誘った側のフィンだった。リヴェリアは少し訝しんだが、すぐに普段の自分を思い出して納得した。

 ――フィンが驚いていたのはそれだけではないのだが、リヴェリアは気付かなかった。

 二人並んで移動し、適当な空き部屋を借りて蓋を開ける。コルクを抜くのに道具などいらない、適切な力と角度で引っ張れば軽く抜けるのだから。

 グラスを受け取ったリヴェリアはそれを傾けて酒を入れてもらう。ある程度注ぐと、今度は逆にリヴェリアがフィンの持つグラスへ酒を傾けた。

 正直言うと、二人共ザルだ。この程度では酔うに酔えないだろう。『耐異常』を上げすぎて酔う事すらできないシオンよりはマシだが。

 と、考えていたリヴェリアの予想に反し、

 「……この酒、かなりの度数だな」

 「元々ドワーフ用の酒みたいだからね。そのせいかな?」

 「なるほど、納得だ」

 一般のドワーフならそれだけでほろ酔いになるような度数であっても、この二人には通じない。ただそれも、一杯や二杯程度の話。フィンの話術と動作によって、リヴェリアは気付かぬ内に三杯四杯とグラスを傾けてしまう。

 その事実に、やっぱり、とフィンは眉を寄せた。

 ――リヴェリアも、そろそろ限界みたいだね。

 恋という感情を理性で抑えるのは難しい。ハイエルフである事に誇りがあっても、それに固執していないリヴェリアにとってシオンと結ばれるのに障害はない。周囲のエルフに何か言われたとしても、その相手は凡庸ではない、稀代の傑物。文句は封殺できる。

 だからこそ、彼女は辛いのだ。自分達は結ばれる事に何の問題もないのに、未だに結ばれていない事が。

 ちょっとでも考えてしまえば、それは現実的な問題になる。理想(ユメ)と現実。その差が、本人の気付かぬストレスとなっていた。だからフィンの誘いを受けたのだ。

 考えている内に、リヴェリアの酒を飲むペースが落ちてきた。どれだけ気分が落ち込んでいようと、ほろ酔いと泥酔を見極める程度の自制心は残っている。だから、チャンスは今だけだ。

 「リヴェリアは」

 「うん?」

 「シオンの事を……どう思っているんだ?」

 ピシリ、と空気が凍った。次いで怒気に移り変わる。一度瞳を閉じたリヴェリアの頬からは赤みが消え、その眼には冷たい物が宿る。

 「用件は最初からそれか。頼んだのは……ティオネだな」

 「誤魔化す、のは無理みたいだ。そうだよ、断りきれなくて、ね」

 「全く、何歳になってもあの子は。余計なお世話だ」

 フィンが肯定すると、リヴェリアはあっさり怒気を収め、視線を落とす。それから苦笑を浮かべて、グラスに注がれた酒に映る自分の顔を眺めた。

 「……心配されるほど、私はダメになってしまったか?」

 「そう言う訳じゃない。でも、ところどころリヴェリアとは思えない行動を取ってるみたいだ」

 あくまで他人事な言い方から、それは誰かから聞いた話なのだとわかる。ティオネか、ベートかあるいはそれ以外の団員か。

 「シオンは、気付いていると思うか?」

 「気付いていたならもっと別の対応になってるさ。アレはとにかく鈍い。そうであるように自分自身を追い込んでる。無意識で気づいていたとしても、意識は気づかないように、ね」

 「やはり、か」

 リヴェリアも何となく察していた事実をフィンにも指摘されて、肩を落とす。何とも言えない雰囲気に、フィンも思わず口籠ると、

 「儂を抜かして酒飲みとはどういう事じゃああああぁぁぁぁぁッ!!」

 ドゴン、という轟音と共に扉が開かれ――吹っ飛んだともいう――ると、そこから現れたのは筋骨隆々のドワーフ。

 「フィン、ドワーフでも滅多に飲めない希少な酒を手に入れたそうじゃな。何故儂も誘わん、お主薄情過ぎないか!?」

 余りにもあんまりな事を言うドワーフ、ガレスに、落ち込みかけていたリヴェリアでさえ呆気に取られてしまう。フィンとリヴェリアが沈黙していると、冷静になったガレスは二人を交互に見直して、やっと気付いた。

 「……珍しいな、リヴェリアが付き合うなど。なるほど、儂は余計な事をしたようじゃ」

 ガリガリと後頭部を掻き毟りつつ、残っていた最後の一脚に座る。フィンが飲んでいたグラスを勝手に奪うとそこに酒を注ぎ、一気に飲み干した。

 「――カァ、良い味じゃな!」

 「ガレス、君は酒を飲みに来ただけか? ならそれごと持って行っていいから、出て行ってくれると……」

 「まぁ、待て。単に喉を潤したかっただけよ。本題はこれからこれから」

 酒瓶を置き、体の向きを直してリヴェリアに正対する。先程までのおちゃらけた雰囲気は形を潜めていて、嘘は許さないと宣言していた。

 「リヴェリアよ」

 「……何だ?」

 「四の五の言うつもりはない。もし、シオンがお主を好きだと言ってきたら、どう答える?」

 「――それは」

 直球過ぎる言葉に、思わず目線を逸らしてしまう。あまりに情けない、あまりにらしくない。そんなリヴェリアにフォローを入れようとしたフィンを手で制し、ガレスは続けた。

 「受け入れるか、否か。それだけ答えてくれればいい。それさえわかれば、儂もフィンも、これ以上の余計なちょっかいは出さんと誓おう」

 違えれば酒を禁じよう、とまで言ってのけたガレス。大の酒好きの彼がそこまで言うのなら、あの質問は本気も本気、なのだろう。

 だから、リヴェリアは答えた。

 「もしシオンが、私でいい、と言ってくれたなら……そうだな。涙を流して抱き付いてしまうくらいには、喜ぶだろうさ」

 普段のリヴェリアからすれば絶対にありえない事だ。それは言外にそんな事は起こりえない、と告げていた。

 それを、ガレスは鼻を鳴らして一笑した。

 「シオンが何時までも殻に籠っているはずが無かろうに。ま、期待して待つがいい」

 そう言ってガレスはフィンの肩に手を置いた。フィンはその肩に込められた力に苦笑し、二人は部屋の外へ出る。

 残されたリヴェリアは一人、泣きそうな顔で、

 「期待など……散々しつくしたさ」

 泣きそうな声で――小さく、言った。

 

 

 

 

 

 書類仕事を終え、完全に手持無沙汰になったシオンは一人街に出ていた。服、装備、食糧に回復薬等の備蓄は最近補充したばかり。挨拶回りもしなくていい。

 「久しぶりに歩き回るだけってのも良いか」

 目的の無い散歩も、たまにはいい。そう思って適当に歩き回っていたら、中央、ダンジョンに繋がる塔前の広場で、ばったりと知り合いに出会った。

 「ベル、か? 帰ってきたのか」

 「そっちは仕事、じゃないみたいだね。珍しい」

 ダンジョンから帰ってきたばかりなのか、ところどころ薄汚れているベル。二十を超えても容姿は変わらず、兎みたいな印象は薄れていない。

 まぁ、それはシオンにも当てはまる。というより『神の恩恵』の効果によって全盛期が長い二人は老化がほぼ進行しないため、十六歳の頃から外見的変化は無い。

 「ああ、完全に暇だ。アテもなく彷徨っていたところだが、そっちは? 一人か?」

 「うん、そうだよ。たまにはソロで潜るのもいいかなって。でもあんまり深いところに行くとヘスティアに怒られるから、中層までだけどね」

 ふーん、と相槌を打つ。随分過保護なんだな、と言えば、心配されてると思えば嬉しいよと返された。

 「そうだ、今日の稼ぎで何か食べに行かない? 奢るから」

 「……なるほど、言われてみれば良い時間だ。丁度お腹も空いたし、お言葉に甘えて」

 ベルと並んで歩き出す。妙に視線を浴びるのは、仕方ないのだろう。滅多に行動を共にしない二人が一緒にいるのだから。

 「お店に入るのは」

 「やめた方がいいだろうな。迷惑にしかならん」

 「だよね……」

 どこに行っても視線を感じてしまうので、仕方なくそこらの屋台で適当に買い漁り、食事の確保を済ませる。後はそれらが零れないようにすると、

 「んじゃ、()()()

 「いつでも」

 軽い動作で、しかしその結果はありえないもの。二人にとってのちょっと跳んでみたは、数Mを超えて屋根の上にその体を着地させる。それを数度繰り返して視線を撒いて、裏路地に飛び込んで何度も曲がる。

 そうして全ての人間を振り切ると、シオンとベルは適当な段差に座って腰を落ち着けた。

 「何か零れてないか?」

 「ギリギリセーフ、問題ないよ」

 肉の串焼きを受け取って噛み千切り、飲み込む。ベルはスライスした肉をパンで挟んだ物を、大口開けて放り込んだ。

 ホームでは二人共団員が用意してくれる料理を食べるので、こういったジャンクフードは久しぶりだった。こう、雑多な味付けがたまらない。

 「……シオン、一つ聞いてもいい?」

 「内容次第。流石に内部情報は流せないからな」

 なんて冗談を口にしつつ、はてなんだろう、と思う。ベルからの質問も随分前にあったきりなので、今日は珍しいことが多いなとも思った。

 それは、油断だった。

 「シオンは、リヴェリアさんに告白しないの?」

 「――――――――――な、にを」

 油断していたから、誰でもわかるくらいの動揺を見せてしまった。

 致命的な失敗。誰にも――多分ベートとかはわかっているだろうけど――バレないように注意していたのに、何故、ベルが。少なくともベルの前でリヴェリアと行動していた事は無いはず。

 いいやそれよりも、質問の意味がシオンにはわからない。

 大きく深呼吸して、言った。

 「質問の意味が、わからない」

 「そのままの意味だよ。あなたが好きです、付き合ってくださいって意味の」

 相変わらずベルに気負いはない。むしろ、どうしてシオンがこんな反応をしているのかと、困惑すらしていた。

 絶句しているシオンの反応。

 「……ん、あれ?」

 どこかで見たことが――いや、覚えがあるような反応。一秒、二秒、と考え、十を数える頃に、ああと思った。

 「もしかして、遠慮してる?」

 「……ッ!?」

 「図星、なんだね」

 ああ、覚えがあるはずだ、と鈍い自分に呆れてしまう。思えばベル・クラネルも、シオンという人間も、好いた相手がほとんど同じ共通点を持っている。

 だからきっと、シオンがベルの言う『遠慮してる』という真意も、ほぼ同じなはず。

 「……僕はリヴェリアさんの事を、あんまり知らない」

 良くも悪くもベルはリヴェリアに対し人伝から聞いた話しか知らない。

 「でもね、これだけは言えるよ」

 それでも、その人がシオンを好いていたなら、一つだけわかる事がある。かつて自分も言われた言葉。ベルが偉そうに言える事ではないが、敢えて口にする。

 「シオンのそれは、ただの自分勝手だ」

 「自分、勝手って。何を、根拠に」

 「君はそれで満足だろう。でも、少しは考えた事がある?」

 顔を歪ませて、聞きたくないと言いたげなシオンを、ベルは見たことがない。だけど、少しだけ安心した。聞きたくない、という事は、それを自分でもわかっているのだ。

 ――目を背けて、内に籠っているのは、決して相手の為だけではないのだと。

 「待たされ続ける相手の方が、辛いんだって」

 遂に、シオンは反応すら見せなくなった。けれど、纏う雰囲気は逃げているものではなく、ただただ考えている人特有のそれ。

 しばらくして、シオンは目を閉じたまま言った。

 「俺は、さ」

 何かを堪えながら、それでも続ける。

 「愛するのが怖いし、愛されるのも怖いんだ」

 どうして、とは問わない。ずっと昔聞いた事があるから。今では英雄とまで呼ばれるシオンは、幼い頃にたった一人の家族を失った、と。

 それが理由で、英雄になると立ち上がったんだ、と。

 「ベルは知ってるだろうけど、幼い頃の俺は義姉さんだけが全てだった。小さな子供にとって親が全てみたいなのと、同じようなものかな」

 「……うん。僕にも、わかるよ」

 「そうか、そういえばお前も爺さんを……」

 いや、と首を振って、逸れかけた話を戻す。そっちの話は、またいつかすればいい。

 「義姉さんは、目の前で、俺を庇って死んだ。その後気絶して、目が覚めて、アレが夢でも何でもないとわかって。ただ、胸の真ん中に空洞ができた気がした」

 だからこそ、シオンは恐れた。

 「人が生きている以上、どうあがいても繋がりはいつかどこかでできる。でも、その繋がりをまた失えば――弱い俺は、耐えられない」

 シオンは愛するのが恐ろしい。愛した誰かの手を二度と繋げないことが、震えて動けなくなるくらいの恐怖を生む。

 シオンは愛されるのが怖い。かつて何の理由も無く愛してくれた人は、愛してくれたが故に自分を守って死んでしまったから。

 「それに、な。相手はヒューマンじゃなくて、エルフ。それも更に長寿のハイエルフだ。どうしようもない『寿命の差』は、俺よりもいつかのリヴェリアを苦しめるだろう」

 シオンは知っている。愛する事の恐怖の側面、その一つ。異性ではなく、家族として愛した人の死でも、あそこまで抜け殻にさせられた。

 「なら、今のままでいいと思ったんだ」

 でも、とシオンは続けた。

 「それが俺の独りよがりだって、ベルは言いたいんだろう?」

 「……そうだよ。僕も、シオンと同じことばかり考えてた。だけど、やっぱり間違っているのは僕だったんだよ。自分一人で勝手に納得してたって、意味がないのに」

 結局それに気づけたのは、気づかせてくれた人がいたからだけど。

 「シオンも、まずは言ってみたら?」

 「……。ああ。まずは言ってみる。ダメだったら――許してくれるまで、頑張るさ」

 「だったらきっと大丈夫だよ」

 シオンの『頑張る』は『できるまでやる』のと同じこと。であれば、それはいつか実現してしまう事なのだ。

 何よりも、

 「よし、善は急げって奴だな。ベル!」

 「何?」

 「ありがとう!」

 そんな屈託のない笑顔を見て、できない姿だなんて想像もできない。どこか吹っ切れた様子を見せるシオンは、そのまま一気に跳躍して消えてしまった。

 一人残って食事を続けていたベルは、口の中が空っぽになったタイミングで呟く。

 「……本当に、良かったんですか?」

 「…………………………」

 物陰に隠れていた、()()()()()()は、俯きながらも答えた。

 「良いんだよ、これで」

 その声音は、少しだけ泣きそうではあったけれど、

 「シオンは今までずっと頑張ってきたんだもん。幸せになれないなんて、私が嫌」

 でもきっと、満足そうでもあった。その顔には、穏やかな笑みを湛えつつ、彼女はいつもの快活な声で言った。

 「それに何より、私は始めから一番でなくてもいいって思ってたからね。シオンはリヴェリアが好き、でも私だけが嫌い、なんて許してあげないんだから!」

 「そう、ですか」

 その言葉は、自分の友人に言われた言葉を思い返させるものだった。その友人である彼女は、その宣言通り今も諦めていない。

 そして、段々と絆されている自分がいるのを知っていたベルは、

 「でしたら、諦めなければ想いは叶いますよ」

 シオンの苦労を思い浮かべ、苦笑した。

 

 

 

 

 

 リヴェリアは、団員の一人から受け取った伝言に首を傾げながら廊下を歩いていた。

 ――『初めて会った場所で待ってる』とは、一体……。

 誰が言ったのかも伏せてくれと言われてしまい、どこに行けばいいのかわからない。……その、はずなのに。

 ――やめろ。期待、してはならない。

 鈍い痛みに胸を押さえる。そんな都合の良い事などありえない。きっと人違いか、悪戯か。

 『もし、シオンがお主を好きだと言ってきたら』

 こんな時に、ガレスの言葉を思い出すのは、どうしてなんだろう。

 『どう答える?』

 「……私、は」

 頭痛を起こす程に脳が回転する。否定して否定して否定して、それでも浮かんでくるのは『ひょっとしたら』という期待。

 きっといない、いるはずがない――そう思いながら、辿り着いた扉を開ける。

 そこは、怪我人を寝かせるための部屋。そして、彼と初めて会った場所でもある。脆くて、今にも崩れそうなくらい泣いていた子供がいた場所だ。

 その部屋に、リヴェリアが思い描いていた人がいた。

 「……時間的に考えると、真っ先にここに来てくれたのか」

 聞こえてきた言葉にドキリとする。けれど、それよりも、シオンの言葉に悔恨の色が強く出ていたのに驚いて。

 「シオン、どうした? こんなところにわざわざ呼び出して」

 だけど、何事も無いかのように、何も知らないように振る舞う。シオンはそれに強く瞼を閉じてから、リヴェリアと二歩分の間を開けたところで止まった。

 「あなたが好きです」

 「――ッ!?」

 たった八文字の言葉。それを聞いても、リヴェリアの脳は『ありえない』と否定した。視界がブレている――それはつまり、瞳が揺れている。

 それはシオンにもわかった。信じられていない、というのも。

 「リヴェリア・リヨス・アールヴという人が、好きなんです」

 だから、言葉を重ねる。信じてくれないなら、信じてくれるまで言い続ける。シオンの我儘で待たせてしまった、だから今度は自分が待たされ続けても仕方ないとさえ思っているから。

 「……っ、何の、冗談だ。全く笑えないぞ」

 「冗談じゃ無い。俺は本気だ」

 口調を戻し、本気を示すようにはっきりとした口調と、鋭い目で彼女を見る。それを見た賢しいリヴェリアは、理解して、一歩下がった。

 「……どうして、何故、今更?」

 「俺は、怖かった」

 想いを伝えるのは怖い。断られるのは嫌だ。

 ――理由を伝えるのは、それよりも恐ろしかった。

 それでも言おうとしたのは、隠し続けるのを厭う故に。

 「自分が愛した人を残して、死ぬことを。愛した人が()()()()()()()()()()苦しむ姿を、考えるのが」

 「どういう、意味だ」

 「初めて愛した人は、忘れられないから」

 初恋、というのは厄介だ。初めて恋して、好きになって、愛してしまったら。いつかどこかで別の誰かを好きになっても、その時感じた物を影として覚えている。

 「それこそ記憶喪失にでもならない限り、その人の影を追ってしまう。……家族としてだけど、義姉さんを愛してた俺が、今でもそうしてるみたいに」

 でも、とシオンは続けて、

 「それでも、リヴェリア。……私と一緒にいてくれないか?」

 あなたの心を、私に下さい、と。

 「リヴェリアよりも先に死んでしまう私に、あなたの(こころ)を。私に向けてほしい」

 身勝手だ、と思ってしまった。ずっとずっと拒んでいたくせに、なんでこんなにあっさりと言ってくるんだと。

 そう恨み節を吐こうとして、でも、そうする前に体が動いていた。

 どん、とぶつかるみたいに自分の体をシオンに押し付けて、両肩を掴んで、その胸に顔を埋もれさせて。

 「……七年、待ち続けたんだぞ」

 「……うん」

 「ハイエルフの私でも、この七年だけは、どんな時より苦痛だった」

 「……ごめん」

 「だから」

 リヴェリアは、泣いていた。

 ()()()()、泣いていた。

 「それ以上に、私を愛し続けてくれ」

 その思いを伝えるように、グッと体を伸ばして。

 シオンの唇に、その小さな唇を重ねて――すぐに、離した。そうして微かに涙の残る顔で笑いかけると、シオンは強く、抱きしめた。

 「ああ。愛し続けるって、誓う」

 その言葉にリヴェリアは体の力を抜いて、そっと寄り添った。

 ――その言葉を、信じます。

 二人にしか届かない呟きを、風に乗せて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……シオン」

 「わかってる。もうそろそろ、時間だって」

 アレから、数十年が経ってしまった。ヒューマンの平均寿命を大幅に超えて生きているシオンであっても、もう限界は近い。

 事実、空の上では生命を司っていた神が言っていた。

 ――近い内、あなたの体は朽ちるでしょう。

 むしろ、想定を超えて生き続けていられたのは、多分、いやきっと。

 本当に色々あった。諦めきれなかったティオナはずっとぶつかってきて、その陰に隠れるようにアイズまでもが付いてきて。困惑しながらリヴェリアに言えば、私は構わない、私をずっと愛してくれるならなと男前なセリフが返ってきた。

 その後子供も生まれて、親としての接し方に困って、仕事もあって寂しい思いもさせた。それでも誰かに支えられて、生き続けた。

 大丈夫、と胸を張って言える。自分や彼等彼女等の子供はもう立派な大人になった。後を任せてしまっても、良いんだ。

 先の二人は、もう逝った。シオンが看取った。二人共満足そうだったから、それが何より嬉しかった。

 残るのは、リヴェリアだけ。それだけが、心残りではあるけれど。

 「リヴェリア、俺のことは忘れてくれ――とは、言わないよ」

 あなたの心をください、と言ったのは自分だ。だから、絶対に忘れてくれだなんて言わない。伝えるのは、これだけ。

 「お前が俺を覚えている限り、愛してくれ」

 それは、傲慢なのだろう。けれど、そう言われたリヴェリアは、むしろ満足そうだった。聞けばそう言った瞬間叩くつもりだったとのこと。

 「今更、というものだ。……愛し続けるさ、ずっとな」

 「はは、そうか。嬉しいねぇ、こんな爺さんに、美女が言ってくれる言葉としては最上級だ」

 「爺さんと呼べる外見ではないがな」

 シオンの外見は、多少歳を取ったものだ。それでも精々三十の後半程度。ちゃんとした装いをすればまだ二十代でも通じるほど。

 『恩恵』による副次効果と、充実した人生だったからこそ、だろう。

 しかし、シオンの体からは少しずつ力が抜けていく。

 わかってしまう。今日が『その日』なのだと。あの宣告を告げられてから、最期まで共にいようと決めたから。

 「シオン、私は幸せだよ」

 「……俺も、幸せだ」

 お互いにお互いの手を握り合う。シオンの手はとても冷たくて、逆にリヴェリアの手はとても温かかった。

 「じゃあね、リヴェリア」

 またいつか、という言葉は――聞けなかった。

 聞けないままに、シオンは逝った。完全に力の抜けきった手はリヴェリアの手の間からスルリと抜けていく。

 ああ――と、リヴェリアは口元を手で押さえた。

 「また、とは……言って、くれないのか」

 あの日、結ばれて以来泣いた事は無かったけれど。

 今日くらいは――泣いたとしても、きっと許してくれる。

 

 

 

 

 

 「やめとけって、その森は危険だ。そっちを通るよりも迂回した方が安全だぜ?」

 そしてまた、数百年が経った。

 数年程オラリオに留まり続けていたリヴェリアだが、ふと思い立って旅に出た。それこそ世界全てを見て回ったと言い切れる程に。

 けれど、移り変わる光景に、不変は無い。かつて見た場所でも、ずっと違う色を見せてくれる。だから彼女は旅を続けていた。

 「問題はない。私を害せるほどの脅威があるとは思えないからな」

 「は? ……ハァ、全く。んじゃせめてもの情報だ、危険の理由は、よくわからん人影がいるからだとさ」

 「そうか。情報、感謝する」

 やれやれと肩を竦める優しき偉丈夫に礼と、多少の金銭を渡して村を出る。無理にその森を通る必要はなかったが、迂回しては時間がかかってしまう。

 それに、腕には多少以上の自信があった。

 一時間か、二時間か。恐らくその間くらいの時が過ぎた時に、強い視線を感じた。敢えてそれに気づいていないフリをしつつ更に待つと、

 「……ッ!」

 小さな掠れ声と共に、上空から奇襲をしかけてきた。

 リヴェリアは余裕を持って後ろに下がると、地面に着地した人――全身に外套を纏っているせいで外見はわからないが――は、即座に追いかけてきた。

 地を這うように進んできたそれは、地面に落ちる石ころを拾うと即座に投げる。体を傾けてそれを避けると、隙と見たのか短剣を構えなおして更に走ってきた。

 「……甘いな」

 多少体が傾いている、その程度で隙と判断するなど。

 リヴェリアは持っていた杖を突きだす。当然回避されたが。片手で持っていた杖を思い切り横に振り上げる。下から斜め上に掬い上げられた杖の先が、人影の腹に突き刺さる。しかし、浅い。飛び退いて威力が低かったらしい。

 ――いや、それともう一つ。

 「風、魔法か?」

 突発的に吹いた風がリヴェリアの杖を押し退け、逆に影が飛び退くのを加速させた。今までリヴェリアが相対してきた者は、大抵一合で叩きのめせたのだが。

 「お前、名は?」

 ふと気になった。外で出会った者にしては随分強い、それが理由で。

 「……人に聞くなら、まず先に言うべきじゃないか」

 声は、比較的高い。それでも声の主は男性だとわかる。まぁ、微かに見える体付きから何となく察してはいたけれど。

 少し考え、そして答えた。

 「リヴェリアだ。リヴェリア・リヨス・アールヴ」

 「リヴェリア・リヨス・アールヴ……」

 何かを確認するように言い直すと、人影は少し機嫌良さそうに言う。

 「その響きは、良い。良い名だ」

 いきなり褒められて困惑すると、人影はそのまま跳躍して木の枝に飛び乗る。予想はしていたが逃げるらしい。

 「個人的に気に入った、お前はこのまま通す。だけど居残るのはやめてくれ、また狙わないといけなくなる」

 ――気に入ってくれたのは嬉しいが、せめて、名くらいは聞きたかった。

 そう残念に思っていると、

 「……俺には親がいなくてな。自分で付けたものしかない」

 それでも良い、と考えながら目で見れば、どうしてか伝わった。人影はどうせだからと外套を外して、その顔まで見せてくる。

 ――その、顔は。

 「()()()、だ。ふと思いついた名前だ、忘れてくれていい。じゃあな、リヴェリア」

 もう何百年も前に逝ってしまった、愛する人と、同じもの。

 ボサボサになって、まともに切っていない汚い藍色の髪と、埃に塗れた、女性のような顔。微かに見えた長い耳。違う点は多々あるけれど、それでも、その顔を、覚えていた。

 もう振り返らず、さっさと去ってしまったその人影に、リヴェリアは強い熱を胸が抱いたのを感じてしまう。

 ――お前か、そうじゃないのかはどうでもいい。

 そう、どちらでもよかった。

 ――もう一度、お前に会いたい。

 数百年ぶりに出会った気になる相手――だから絶対に、逃がさない。




ぇーまずは謝辞を。昨日投稿したかったんですけど、18時に家帰ってきて風呂入って飯食べて気付いたら気絶してました。朝まで11時間程。
仕方ないから夏祭り2日目にPCで書いてます。多分今日も帰ったら気絶してる(かも)。

さて、今回は シオン×リヴェリア でした。
『女性登場人物達も魅力的で素晴らしいです。リヴェリアに特に魅力を感じます、仕事の出来る自立した大人の女性である彼女ですが、是非とも主人公との恋愛などで女の幸せを掴んでほしいです。新鮮さ、という意味でも、恋愛要素などで人間関係でも新しい段階を描いていって頂きたい』
という感想を頂いたので、ふと思いついた内容を短編にしました。
リヴェリアとシオンの年齢的に厳しかったんです。やっぱり本編の年齢だとどう見ても彼女を淑女()にしてしまうのでこういう形に。

……そもそもダンまちのエルフって数百年単位で生きるのかな。そういう設定見たこと無いからわからんのです。
もし寿命がヒューマンと同じでも問題ないな。この短編だけのオリジナル設定ってできるんだからね、うん!

あんまり細かい事言いすぎるとアレなんですが、ここいらで。次は普通に本編に戻ります。
では次回をお楽しみにノシノシ。





……なんか『こんな展開あれば』とさりげなく言えば叶うかも(ボソッ


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その靴の名は

 「……おかしい」

 斬っても斬っても敵が出てくる事、ではない。もうその点については諦めている。相手はよっぽど自分達を殺したいらしい。執念深かさがにじみ出ているようだ。

 「どうして、シオンは戻ってこないの?」

 おかしいのは、そこだけ。

 あの大広間の範囲はわかっている。そこにいるであろうモンスターの数も、大体程度ならばアイズにも予想できる。だから、シオンが討伐にかかる時間もわかる。

 その予想した時間を大幅に過ぎても、シオンが帰ってこない。だから戻ってこないシオンに疑問を抱き、同時に不安を覚えてしまう。

 逃げた、とは思わない。あの頑固さの塊が、仲間を見捨てて逃げる可能性さえ、アイズの心中には浮かばない。

 考えるのは、死んでしまったのでは、という最悪の可能性。シオンは神様でも何でもない、ただの人間。そういう事は、ありうる。

 「……ッ!!」

 そして、考えてしまうと止まらなかった。

 最近は表に出していないが、それでもアイズにとってシオンは『仲間』というより『家族』という側面の方が強い。頼りになる兄――そういう風に思っていた。

 そんな人がいなくなれば、それこそ母がいなくなった時と同じかそれ以上のショックを受けるのは避けられない。二度もあんな思いを味わうのだけは、ごめんだった。

 その動揺が、剣筋を鈍らせる。

 ほんの少しだけ剣の振り下ろしにブレが出て、相手の急所である魔石を外してしまった。致命傷ではあったが、一瞬だけ、相手に反撃する隙を与えてしまう。

 しまった、と思っても遅くない。せめてもと、その拳に腕を振りかざして耐えようとしたが、

 「【アルクス・レイ】!」

 一条の光が、アイズの横を通ってモンスターの魔石を貫いた。目線だけを動かすと、荒い息を吐いたレフィーヤが杖をかざしている。

 「大丈夫ですか、アイズさん! 体力が無いなら、一旦戻って下さい!」

 シオンにかなり辛いことを言われていたはずなのに――それでも、戦っている。

 「……今は、忘れよう」

 奇しくもレフィーヤと同じことを考えながら、アイズは冷静に戻り、剣を振った。一方でレフィーヤはホッと一息しつつ、また詠唱に戻る。

 今のはたまたまタイミングが良かっただけだ。次はない。それに他の魔道士は魔力切れ寸前。これ以上の無茶をすれば精神疲弊で気絶してしまう。レフィーヤとて例外ではなく、生徒の中でも抜きん出た魔力量は限界に近かった。

 「アイズさんが倒れたら、全滅しちゃいますよね……」

 シオンがいない今、彼女だけが自分達の希望なのだ。死んでしまえば、全員の心が折れると、直感でわかっていた。

 だけどどうしよう、と思う。敵はまだまだ湧いてくる。終わりが見えないデスレース、心より先に体が折れてしまいそうだった。

 その答えは、レフィーヤではなくリヴェリアが有していた。

 剣戟と魔法の爆音が響く中、その優れた五感によって全てを把握していたリヴェリアは、もう賭けに出るしかない、と考えていた。

 成功すれば全員無事、失敗すれば何人か死んでしまう、という策。普通に全滅できれば良いだろうと思っていたから言わなかった次善策。

 「アイズ、ヘルハウンドだけを優先的に攻撃する事はできるか!」

 「え!? ……一応、できると思う」

 「ならばそうしてくれ。倒し終わったら私に合図を頼む。それと同時にアイズは下がれ」

 敵の攻撃を避けつつ、アイズは、

 「でも、そうしてどうなるの!?」

 「私の出した合図で、全員死ぬ気で走ってもらう!」

 当然の疑問に答えられたそれに、アイズは何となくリヴェリアのしようとしている事を察した。ヘルハウンドだけを倒せ、という内容も、それならば納得がいく。

 「わかった、何とかしてみる……っ」

 ヘルハウンドは後方から嫌がらせのように火炎放射を繰り返していた。その前にいるモンスターに当たって同士打ちをしている時もあったが、それ以上に行動を制限されるのが辛い。かと言って前に出過ぎれば、アイズという壁がいなくなり生徒達は蹂躙されてしまう。

 ――だから、ここから動かなくても良い攻撃をする。

 「風よ、貫いて!」

 アイズの必殺技『リル・ラファーガ』とはまた違う、突き技。全身にではなく、剣を覆うようにグルグルと風が回転する。

 「『レイ・ストライク』!」

 その風が、解放された。圧倒的な暴風は、ヘルハウンドと、それの前にいたモンスターの体表を抉り飛ばし、血肉を撒き散らかしながら絶命させた。

 けれど、まだ一体を倒しただけ。残り数体を倒さなければ、リヴェリアには頼れない。

 「次……!」

 

 

 

 

 

 そして、アイズに心配されていたシオンは、轟音の響いている森の中を疾走していた。その目は険しくなりながら前方を睨みつけている。

 ――18層に、こんな音を出せるモンスターはいなかったはず。

 人の力で行われている、という線もあるが、18層でやる馬鹿はいない、と思う。この階層は数多の冒険者が様々な理由で来るため、こんな迷惑行為をすれば吊るし上げされるのは確実。恨みを買う程の行為に躊躇いのない愚か者か、考え無しの無能くらいだろう、やるのは。

 段々近づいてくる音の大きさに、シオンは小さく、だが鋭く呼吸すると、『ライトニング』が途切れないようにしながら再疾走。

 そして、見たのは。

 鈴の一閃によって、オークと思しきモンスターの()()切り捨てた光景だった。

 

 

 

 

 

 腕を切り落とした鈴は、その結果に固まってしまった。

 ――躱、された!

 ガクン、と全身から力が抜ける。そう理解すると同時に、体に圧し掛かる極度の疲労。これは、と思う間もなく膝を付き、地面に倒れた。

 ――このスキルの反動、って奴かい。

 圧倒的格上にも通じる絶大な威力。その代償は、動けない、という一度たりとも外すことを許さないもの。

 オークの視線が鈴を射抜く。自身の腕を奪った獲物――鈴に血走った目を向けたその意味が、わからないはずはない。

 外した時点で鈴の負けだった。

 外した時点で――鈴の死は、確定された。

 ベートは間に合わない。それより速くオークは駆け出し、残った拳を振り下ろしていた。

 ――ああ――情けないったらありゃしない。

 アレだけ何とかすると息巻いていたのにこの結果。無様、と口だけを動かして、自身を潰すその拳を見つめ続けて。

 そのすぐ後に、視界が真っ暗に染まった。

 「……?」

 けれど、痛みはない。どころか、むしろ温かい。もぞもぞと顔を動かして、無理矢理視界に光を取り戻す。

 「ギリギリセーフ……ッ、一秒でも遅れてたら完全に終わりだったぞ今の……!」

 何故かここにいるはずのない、自分達のリーダーがそこにいた。

 「シ、オン……?」

 「話せるのか。なら大丈夫だな。落ちないように抱きつく――のも無理だろうから、暴れないでいてくれ、よ!」

 必殺の一撃に余計な茶々を入れられ怒ったオーク紛いがシオンに突進してくる。けれどそんな意味の無い突進、簡単に避けられた。

 「シオン、まだだ!」

 横に避けたシオンにベートが叫ぶ。それに疑問を覚えたが、横を見ると、オークが直角に曲がるように再度突っ込んでくるのが見えた。

 「慣性無視かよ!?」

 開かれた手がシオンの視界を埋め尽くす。それでも――まだ、届かない。シオンにかけられた付与魔法は、速度上昇完全特化。摩擦で地面を焦がしながら、シオンはもう一度避けた。そのままオークを見つつ、バックステップでベートのところへ。

 「何なんだアレ?」

 「そりゃ俺が聞きてぇ。いきなり襲ってきたんだからよ」

 「ま、そんな簡単にわかれば苦労しないか」

 チラとベートを見て負傷を見抜く。一番大きな負担は腕、それから足。観察されているベートはシオンの全身にある切り傷や擦り傷の細かな傷と、隠しきれていない疲弊を悟った。

 どうやらお互い面倒なトラブルに巻き込まれていたらしい。

 「ったく、そんな状況でよくここに来れたもんだ」

 「何か言ったか」

 「いーや、何も? って、おいおい……」

 「うわぁ……」

 二度もシオンに躱されたオークは、頭に血を昇らせつつ、荒い息を吐いて冷静になろうとしていた。それから切り落とされた肩口から血がどんどん溢れているのを理解し――傷口を、その握力で()()()

 確かに血は止まった。だが、あまりにも痛そうである。火で焼くよりも痛いのではなかろうか。あまりの光景に、シオンとベートが絶句させられた。

 そして、そんな二人等お構いなしにオークは突貫してくる。馬鹿の一つ覚えのようだが、その巨躯からは考えられぬ速度と筋力を考えれば、十分に驚異だ。恐らく、一回でもクリーンヒットすれば致命傷になる。

 そう察したシオンはベートから離れるように動く。当然、オークはシオンの――正確には、彼が抱える鈴を追ってきた。疲れきった体にムチ打ってシオンは動く。

 ――速度は大体同じ――でも鈴を抱えている分不利――腕は使えないから軸をブレさせるような動きは不可能――逃げ続けるのは、不可能。

 避ける傍ら、断続的に思考する。出た結論は当然と言うべきもの。最終的に追い詰められ、二人共潰されるだろう。

 それが鈴にもわかる。だから震える腕でシオンの肩に手をかけて、耳に顔を近づけた。

 「あたいを、見捨てろ……!」

 「は?」

 「今のあたいは、足手纏い、だろ? このまま二人共おっちぬくらいなら……」

 死ぬのが怖くない、とは言わない。それでも、二人纏めてオサラバするくらいなら、と思えるくらいに、鈴は彼を仲間だと、そう想えていた。

 仲間などいらないと――思っていたのに。

 あっさり自分を信じたベート。

 仲間の危機に駆けつけてくるシオン。

 そんな二人が死ぬのは嫌だという考えは、今までの思考が何だったのかと言いたくなるくらいあっさり出てきた。

 だから、見捨てろ、と言った。後悔はしないから、とまで言って、体から力が抜ける。もう一歩も動けない体に無理矢理動くようにしたせいで、指一本にさえ力が入らない。完全な脱力をした体はシオンにとってとんでもない重りだろう。

 流石にこんな荷物を背負ってまで避けようとは思わないはず。

 「……ッ!」

 しかし、鈴にとって予想外だったのは、その荷物を歯を食いしばってまで背負おうとする人間がいるという事だった。

 「嫌だ。そんなのゴメンだ、絶対に嫌だ!」

 シオンらしからぬ――子供の駄々のような言葉。嫌だと何度も叫びながら、再び鈴を抱え直して避ける体勢に入る。

 どうして、と問う前に、シオンは言った。

 「目の前で仲間が――家族が――死ぬのを見るなんて、もう二度とゴメンだ!」

 それが全て。

 シオンがかつて抱いた虚無感を、もう一度味わいたくない。だからこそ、シオンは鈴を見捨てたくない。一見合理的なシオンの一番の弱点は――誰かを切り捨てられる強さ(よわさ)を持たないこと。

 「例えおれが死ぬ事になっても、鈴を見捨てて生き延びる道は選べない」

 全員死ぬか、全員生きるか。

 シオンの中にある選択肢はそれだけと、もう一つ。

 シオンを犠牲にして、他の全員を生きさせるか。

 この三つしかない。鈴はもう一度シオンを説得しようとしたが、意思に反して体は動こうとしてくれない。降ろせと暴れることもできない。

 限界に近いシオンは、無茶を通す。例えそれが、傍から見れば愚かと切り捨てられる行為であったとしても。

 「あ……」

 そして、終わりは呆気なく訪れた。小石に足を取られる、なんて普段であれば絶対にありえない失態。一瞬だけ、シオンの体が空中に泳いだ。

 そのあからさまな隙を、オークは哄笑するように口を開けて、切り落とされた腕を()()()()()()()()

 最初に使っていたダンジョンから得た棍棒ではない。それよりも遥かに丈夫で、圧倒的な威力を有する自身の腕を武器にする。

 持ちやすい手首の部分を握り、未だ避けられないシオンに、腕の部分を振り下ろした。

 「俺を――無視してんじゃねぇぞテメェ!」

 そこを、ベートが奇襲する。シオン達に意識を割き過ぎて忘れられていたベート。シオン達の隙はそのままオークの隙にも当てはまる。いつもであれば防御できた事でも、この一幕だけはどうにもできなかった。

 ベートの体が、オークの眼前に入る。そこまで来てやっとベートの存在を思い出したが、もう遅い。

 「もう一つは無理だが――その鼻、へし折らせてもらうぜ!」

 体を捻り、オークの鼻に向けて蹴りをかます。無論、空中なんて踏ん張れない場所で、オークの頑丈な鼻を折るなんてできない。

 だが、忘れてはならない。

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ベートの踵から、爆発音が響く。それによって加速された足先がオークの鼻に触れて――ゴキ、とわかりやすく何かが折れる音が足に伝わった。

 『――ォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオ!??』

 顔を押さえてオークが後退する。その口からくぐもった叫び声が聞こえたが、無視。いつの間にか尻餅をついていたシオンの元にいたベートは、

 「シオン、あいつ倒せる策はあるか?」

 「情けない話、無いな」

 聞くもそうあっさりと言い返された。わからなくもない、シオンの攻撃は大部分がコイツに通じないのに、今は鈴を背負っているし、体力も限界。流石に厳しすぎる。

 「体力はなくても、魔力はあるか?」

 「あ? ……まぁ、後一回か二回くらいってところか」

 ちなみにそれは無理をすれば二回撃てるのであって、二回撃てば気絶する。シオンの声のトーンからそれを察したベートは、

 「一回撃てりゃ十分だろ。だったら威力の高い魔法を準備してくれ。後は全部俺がやる」

 そう言ってのけた。ベートに何かしらの策がある、という事だろう。だが、いくつかの問題が立ちはだかっていた。

 「アイツの足止め、どうするんだ? 多分ベートを無視してこっちに来ると思うが」

 「あー……ま、全力で止めてやるよ。どっちにしろこのままじゃ全滅だぜ?」

 「それも、そうか」

 シオンが新たな魔法を使うには今かけている『ライトニング』を解かなければいけない。そしてそれを解けば、速度に劣るシオンはもう逃げられない。一度でも接近を許せば、鈴諸共死んでしまうだろう。

 だが――そこでシオンは口元を緩めた。

 ――言った事は、通さなきゃな。

 この、状況。レフィーヤに言った言葉にそのまま当てはまる。魔道士(シオン)が、前衛(ベート)を信じなければ生き残れない、という状況だ。

 だからシオンは、短く答えた。

 「信じるぜ」

 「ああ、任された」

 短い答酬を終えると、ベートは一歩前に出る。オークは満足に呼吸できないのか、口と肩を大きく動かして息をしていた。

 「さて、と。付き合ってもらうぜ豚野郎」

 ベートが前に出るのとほぼ同時、シオンの体から魔力が熾る。

 「【変化せよ(ブリッツ)】」

 その瞬間、唯一見える片目を血走らせてベートを見ていたオークの視線がシオンに映る。どれだけ感情が怒り狂っていても、やはり本能に忠実だ。モンスターらしいといえばらしいが。

 「【響き散れ、それは既存の枠組みとは外れし物】」

 シオンに夢中になっているオークが動き出す前に、もう一度目線を戻すため、ベートは足に付けられたギミックを再度起動させる。

 また踵から響く爆発音。元から速いベートの足が更なる加速によって、シオンでさえ捉えるのが難しい速度を生み出す。

 その速度を維持したまま接近し、オークの腹、鳩尾辺りに拳を叩き込んだ。叩き込む寸前、腕のギミックを作動させて威力を上昇させるのを忘れない。

 二度の爆発、二度の加速。それによって足と腕にかかる負担が、ギシギシと体の芯を、骨を壊そうとしてくる。鈍い痛みに眉を顰めるが、無視。

 「【凝固せず、揺蕩うものでもなく、また常に我らの傍には存在し得ぬもの】」

 腹を全力で殴られたせいで胃に負担がかかったのか、口の端から唾液ではない何かを零しているオーク。正直汚い。

 だが、一番重要なベートに視線を向けさせる、という目的は達した。シオンを食い殺す前に、まずベートを殺したほうが早いと判断したらしい。

 いきなり腕だけを振るい、棍棒と化した自身の腕を叩きつけようとする。膝をつき、上体を下げた事で何とか避けたが、オークは腕の力で無理矢理もう一度振るってきた。

 「チッ」

 避けようにも避けられない。ベートは不安定な姿勢で腕の火薬を爆発させて、その反動で体を動かす。ブチィ、と何かが千切れる音が聞こえてきたが、無視。

 「【粒達よ踊れ、それこそが第四を起こすための糧となる】」

 何とか踏ん張って体勢を立て直す。その間にオークも体勢を戻していたらしい、油断なくベートを睨んでいた。

 そして、一人と一体が同時に動く。

 「――ォァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 『――ゥォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

 オークが振り下ろした棍棒を、加速させた拳で受け止める。拳から嫌な音がしたが、無視してもう一度爆発。受け止めた棍棒が、真上に跳ね上がった。

 その瞬間、オークの体も蹈鞴を踏んだ。

 ――今しかねぇ!

 足元を爆発させ、地面を小さく陥没させながらベートはオークに近づいた。

 「【第四たるそれは決して強くはない。小さく弱く、だからこそ、集まる】」

 速度はある、が決してそれをベートが制御できる訳ではない。今回は失敗し、脇に逸れていってしまう。だからそのまま、腕のところを爆発させて向きを直しつつオークの脇腹に拳を突き刺す。脇腹を思い切りやられ、オークが声にならぬ声をあげた。

 オークの巨体が一瞬、浮く。空に浮いたオークは、腕を引いて肘を纏わりつく虫であるベートに向けた。それをまた避けるも、耳元で鳴る音はかなりのもの。獣人であるベートはその音に思い切り顔を顰め、同時に動きが鈍くなる。

 「【集え、纏まれ。結合し、驕りし者の命を穿て】!」

 そこを、棍棒を離して握りつぶそうとしたオークの手が迫った。ベートは顰めた顔を更に渋面にするも、躊躇う事無く踵のギミックを作動し、オークとシオンの間、直線上になるよう移動した。

 そこでちょうど、シオンの詠唱が終わる。否、終わったとわかったからこそベートはここに移動したのだ。

 「ベート!」

 「ここでいい、俺を気にせずそのまま撃てぇ!」

 シオンは訳が分からないと言いたげな顔をしたが、ベートを信じる、と決めたのだ。これが彼の策の一つと信じ、詠唱の最後を叫んだ。

 「【ダストプラズマ・クラスター】!!」

 そう唱えた瞬間は、何も起こらなかった。しかし一秒、二秒と経つ毎に、シオンの手の先に少しずつ稲光が見えた。

 少しずつ、少しずつ、少しずつ――その稲光が、大きくなる。やがてその光を放つ物体は球体となった。周囲にある物がその球体に触れた瞬間、消滅する。

 圧倒的な殲滅力を有するその球体がある程度の大きさになると、シオンはそのまま発射した。

 動きは、遅い。

 当たり前だ、シオンは詠唱速度と実際の威力に重視しすぎて、それ以外を切り捨てたのだ。当たれば殺せる――だが、当たらない。そんな、使えない技。

 けれど、シオンは何となく、()()()()()、と考えたのだ。

 ベートが求めていた物は、威力が高い魔法なのだ、と。

 「ハ――いいね、最高だぜシオン!」

 その予想に違わず、ベートは満面の笑みを浮かべた。それはともすれば猟奇的とも取れるくらいの笑みだが、シオンにはわかる。

 アレは、最高に喜んでいる時の笑顔だと。

 「これでどうにもならなかったらぶん殴るぞ!」

 どうにもならなければ死ぬだけだ。それがわかっていながら、シオンも笑った。

 「そんじゃ、どうにかしてみせるさ!」

 接近してくるオーク。シオンの魔法は見えているが、あの遅さならいつでも回避できる、とでも思っているのだろうか。

 その考え――()()()()

 ベートはオークから逃げるようにバックステップ。下がって下がって――シオンの放った魔法に触ってしまいそうなくらいまで、下がる。

 そこでオークの動きが止まった。あわや自殺する、というところまで下がったのだ、モンスターであっても困惑してしまうのだろう。

 そこが、狙いなのだとも知らずに。

 ベートの履いた靴は、ただの靴ではない。火薬を爆発させて加速したり蹴りの威力を上昇させるなど、本来の用途にもう一つ上乗せしただけ。

 その靴の、本来の用途。その靴の呼び名は、

 「起きろ(行くぜ)――フロスヴィルト!」

 ベートが片足を『ダストプラズマ・クラスター』に触れさせる。それは本来なら足を分解させるだけの行為だ――そう、本来なら。

 フロスヴィルト、そう呼ばれたこの特殊なミスリルブーツには、ある特性がある。それこそが、ベートの本当の切り札。火薬に頼らない、魔法を使った切り札だ。

 これを使うにはシオンかアイズ等の魔法を使える人間がいるため、さっきまでは腐っていたが、今は違う。

 その特性は単純明快。

 『魔法効果を吸収し、特性攻撃に変換する』というもの。

 炎ならば相手を燃やしながら蹴れるようになり。

 風ならば相手を切り裂きながら蹴れるようになる。

 では、この『ダストプラズマ・クラスター』はどうか。

 とてもわかりやすく、とても酷い物だ。

 完全に魔法を吸収したフロスヴィルトを降ろす。けれど、その足で地面に触れた瞬間、その地面は消滅した。

 『触れた場所を消滅させる』――それが、今のベートの足だ。

 速度は遅い、だが威力はある。そんな欠点を、ベートであれば埋められる。

 魔法を纏わない方の足を曲げる。そこでやっと、オークは不味い状況にあると気づいたらしい、だが遅い、遅すぎる。

 ベートの足が、地面から離れる。そのまま加速装置を作動させ、更に加速。

 後先考えない加速は、オークの目にも止まらない。だが、オークは本能に従い転がっていた腕を蹴り飛ばし、その反動で脇に逸れる。そして、ベートはそこを通ってしまった。

 避けられた――避けた――シオンとオークがそう思う。

 けれど、両者には違いがある。

 シオンは信じていた。

 オークは油断していた。

 まだ続きがある、と信じていたシオンと、もう終わりだ、と思っていたオーク。

 そして、ベートが応えたのは――シオンの、信頼だ。

 「まだまだァ!!」

 急加速を、まだ火薬を使っていない、魔法を宿したフロスヴィルトで方向転換させる。ベートの体にかかる圧力に、体がバラバラになるような錯覚を覚えながら、

 「油断するのは相手が死んでからって覚えときな、三流!」

 全てを消し去るその一撃を、相手の腹に叩き込んだ。




と、言う訳でフロスヴィルトお披露目。
椿に作ってもらったのは両手と『両足』なのを忘れてなかったよね。……書いてあったよね!?(ォィ
冗談はさておき、先週更新できず申し訳ありません。夏休みが夏休みしてなかった。休みが一日だけとかどうなってるんすかねぇ。むしろ大学ある時より忙しかったんだけど。

とりあえず今回はここまで。
魔法についての説明は面倒くさ――しなくてもいいよね、気になるのでしたら感想で聞いてくれれば答えますよ、うん。


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『次』へと繋げし結果

 「ぐっ!!」

 蹴りを叩き込んだベートが着地する。しかし、両足に走った激痛に顔を引きつらせ、無様に膝をついてしまった。両手で受身を取ろうとしても、そちらはそちらでまた痛みが凄まじい。

 ――加減を考えねぇと、手足が吹っ飛びかねない、か。

 このパーティメンバーの中で、『耐久』が断トツに低いのはベートと鈴。だから、銃拳の反動に耐えられない。

 まあ倒せたならそれでいいか――と油断して、息を吐いた、その時だった。

 「ベート、腕を出せ!」

 「あ? ――ガァッ!?」

 シオンの叫び声に反応できたのは、ほとんど偶然だった。長年の付き合いで、その切迫した声音を察し、体だけが反射的に動けたのだ。

 だから、助かった。

 「何、が……!」

 両腕の感覚が途切れ途切れになっている。防御はできたが、多分両腕共にイった。かろうじて動く目だけを動かしたベートは、絶句した。

 『――――――――――――――――――――ッッ!!!』

 声無き咆哮。

 それをあげたのは、当然、オークの強化種。

 ――嘘だろ――ッ!?

 全員の心の声が一致した。今のオークは、胴体に砲弾をぶち当てたかのような空洞ができあがっている。

 それでもこのオークは、動いていた。

 そう、シオン達は忘れていたのだ。

 通常のオーク種は『敏捷』に『器用さ』、『魔力』の値がかなり低い。図体がでかすぎて細かな動作が苦手、でかすぎるから動きが鈍い。

 反面、その巨体から放たれる『筋力』は飛び抜けている。

 そして、もう一つ。

 オーク種は、()()()()|『()()()()()()()()()

 だからこそ目の前のオークは、口から、空洞のできた胴体から大量の血が流れ出る。恐らく後一分もせぬ内に、このオークは死ぬだろう。

 でも、その一分があれば、誰かは殺せる。

 誰か一人は、殺しきれる。

 オークの充血した瞳が捉えたのは――鈴とシオン、だった。

 『――――――――――ッ!』

 口から血を吐き出しながら、オークが迫る。動けぬ鈴に、回避する術は無い。どうしようもないと諦めかけた体を動かしたのは、シオンだった。

 精神疲弊と、体力が切れかけた体。それを無理矢理動かして、鈴を斜め後ろに放り投げた。けれどそれは、シオンにとって最後の抵抗のようなもの。鈴を投げると同時、シオンの体が崩れ落ちかける。

 それを堪えて、シオンは剣を顔の前に置いた。それは本当に置いただけ。けれど、たったそれだけの事がシオンを救った。

 剣にオークの拳が当たる。何の力も無いその剣は当然、後ろに吹っ飛ぶ。そして、その吹っ飛んだ剣はシオンの顔面を強打し、その小さな体を弾き飛ばした。それ故本願であるオークの拳はシオンを掠めるだけで済んだ。

 「ぐっ……ァ……!」

 剣の腹が鼻を強打し、嫌な音がした。折れてはいない、でも鼻血くらいは出ているかもしれなかった。無様に転がるシオンを無視して、オークは鈴を見つめていた。

 ――違う。

 そっちじゃない、とシオンは心で叫んだ。でもオークはそんな叫びなど気にせず、そのまま鈴の方へ進んで行こうとする。

 ――また。

 鈴は、死ぬだろう。

 ――目の前で、仲間が――家族が、死ぬ?

 オークの命と引き換えにして。それで、自分達は助かるだろう。

 ――ああ、それは。

 でも、

 ――なんて、胸糞の悪い未来だろう――!

 そんな事を、許せる訳が無い。

 「おい、このクソオーク!」

 動かせない体を無理矢理動かす。軋む体を無視して立ち上がり、剣を構えた。笑みを顔に貼り付けて、余裕を演出して。

 「その汚ねぇ鼻っ面に、剣先ぶっ刺してやらァ!」

 敢えて、挑発する言葉を投げかける。言葉が通じずとも、意思は通じた。オークの目が鈴から外れシオンを中心に入れる。

 『―――――――――――――――ッ!!』

 そしてオークは、突貫してきた。その突進は最期だからこそ、速かった。例え万全の状態でも避けられたとは言い難い。

 指一本、動かせられない。

 ここで死ぬんだろうな、と思うと、奇妙な笑みが浮かんできた。その笑みのまま、ベートに顔を向けて、

 「後は、任せた」

 「シオ――まてッ!!」

 その二つの要因で全てを察したベート。死ぬ気だ、とわかって叫んでも、もう間に合わない。鈴もベートも、そしてシオンも。

 三人揃って限界なのだ。

 オークの拳がシオンに迫る。その拳を前に、シオンは穏やかな表情で瞳を閉じ。

 ――諦めるのはまだ早いよ、シオン。

 ティリアの声。それと同時、シオンの髪が風に揺れた。

 「『リル……ラファーガ』!」

 ブチィ、と何かがちぎれた音がした。疑問を抱いてそっと目を開けると、

 「シオンは絶対、やらせない!」

 腕を風を纏った突きで吹き飛ばし、

 「だから、あなたはここで、死んで!」

 返す刀で、オークの胴体を、分かった。

 目を見開くシオンに、荒い息を吐きながら彼女、アイズは振り返った。

 「シオン、大丈夫!? 生きてるよね? 生きてるよね!?」

 涙目でシオンを見つめるアイズを見て、やっと現実感が追いついた。どうしてアイズがここにいるのかという疑問、全員生き残れた歓喜。何より、死なずに済んだ安堵。全てが綯交ぜになり、緊張の糸が切れてしまったシオンは……そのまま気絶した。

 「シオン? ――え、きゃ!?」

 咄嗟に抱き抱えたアイズは、慌ててシオンの呼吸と心音を確かめる。とてもか細いけれど、それでも確かに感じるそれらに、ほっと安心した。

 「良かった……間に合って。本当に」

 そのアイズの言葉は、鈴とベートにも聞こえた。それによって、二人の意識も途切れてしまう。今モンスターに襲われてしまえばひとたまりもない。

 「皆が来るまで、私が守らないと……」

 さっきまで戦闘音響き続けていた。それがやめば、モンスターはまた戻ってくるだろう。疲れているのはアイズも同じ、きっと大変な戦いになる。

 それでも今は、皆が生き残れている事実に、口元を緩めた。

 

 

 

 

 

 そもそもアイズがここまで来れたのは、リヴェリアのお陰であった。全てのヘルハウンドを討伐したアイズはリヴェリアに叫ぶと同時、すぐに皆のところへと下がると、

 「【レア・ラーヴァテイン】!」

 全てを滅ぼす暴虐の炎が、一切を灰燼と帰した。

 「っ、皆、走って!」

 これが、リヴェリアの言っていた『合図』だろう。そう判断したアイズは、呆けている彼等を叱咤し走り出させた。

 それと同時、慌てるように穴からモンスターが降りてくる。それを降りてくる前からリヴェリアと協力して屠っていくが、数は多い。殿を努めつつ後退し、ひたすら逃げた。

 ――シオンが全滅させてくれてたら、私達の勝ち。

 逆にまだ戦っている最中であれば、最悪の状況に陥るだろう。転びそうになりながら、全員最後の力を振り絞って走り続けて。

 大広間に出て見えたのは、誰もいない、ガランとした空間。

 「な……あ、あの野郎、逃げたのか!?」

 つい、零れおちたような言葉。しかし、そうでなければシオンが戻ってこない理由はない。一方のアイズはシオンが逃げるとは露ほども考えていなかったので、ただただ疑問を覚えていた。

 だから、険悪な雰囲気が広がりかけていたのを見過ごした。逃げたのか、という言葉をきっかけにして、シオンに対し疑惑を抱いた人間が増えていく。

 元々彼等は理不尽にシオンにここまで連れてこられた立場にある。それを一時払拭できたとしても、しこりが完全に消える訳ではない。

 それが再び再燃しかけた、その寸前、

 「ふざけないでください!」

 耐え切れない、と言いたげに、レフィーヤが叫んだ。

 「シオンは、彼は私にああ言っておいて、逃げた!? そんなはずない! そんな人に説教されたくない! だから――だから!」

 あの言葉がウソだった、なんて思いたくない。

 だから、逆説的に何かがあるんだ、とレフィーヤは思った。思わなければ、シオンに何を思うのかわからなかったから。

 「ならば、お前達は先に行くといい」

 そこに、リヴェリアはあっさりと言った。後ろから迫り来るモンスターと睨み合い、杖を構えて対峙している。

 「ここまで来れば私一人でも問題ないさ。18層に強化種が大量にいるとも考えられん、先に行って真実を確かめればいいさ」

 そう言われても、と言いたげな困惑が集中する。リヴェリアは一つ息を零し、

 「舐めるなよ」

 今までモンスターだけに向けていた気迫、その一部を彼等に向けた。

 「たかがこの程度でどうにかなるほど、私は安くない」

 あまりの存在感。見たことはないが『迷宮の孤王』にも勝っているのではないか、そう思わせられるほどだ。

 「行こう」

 リヴェリアに感謝しつつ、アイズは真っ先に足を向けた。このままここにいても、自分達では足手纏いだ。そんな本音を隠しつつ、

 「シオンが本当に逃げたのかどうか、確認しに行こう」

 建前を言って、全員を18層に連れて行った。

 後はほぼトントン拍子に進んだ。18層に行き、何度も響く爆発音に何かあると察し、皆に謝り木上を跳んでその場へ急行。今まさに殺されかけていたシオンを見つけ、急いで救出した。

 そしてその場でリヴェリア達が来るのを待って――そして、全員でリヴィラの街へ行き、宿を取って死んだように眠った。

 これが、今回起きた危機の全て。

 一体ダンジョンに何が起きたのか、あるいは何者かの手引きか。ほとんどわからないまま、終わってしまった。

 

 

 

 

 

 天井の明かりが消え、実質的な夜となった18層に、その二人はいた。

 「……申し訳ありません、失敗してしまいました」

 「いやいや、構わないさ。こっちも失敗した、あの雑草共を一人も間引けなかったしな」

 全身を黒い外套で覆っているため外見はわからない。わかるのは二人共高身長であることと、声から男女であることくらい。

 その片割れ、男が言う。

 「それに実験してみてわかった。今までの奴全部失敗した理由がわかったぜ」

 「はぁ……理由、ですか?」

 女は男が今まであの少年にやってきた工作、その全てを知っている。

 人を使い噂を流し、悪評を蔓延させた。巧みな言葉で彼にやられた者をだまくらかし、弱みのあるという兄に頼んで殺しに行かせたりもした。ダンジョンに連続で続く穴を作って、叩き落としたりもした。

 そして、今回。本命のあのオークをパーティメンバーに向かわせ、足止めするために雑多な強化種を彼等に襲わせた。

 その全てに、理由がある、と?

 「ああ、あるぜ。そもそも俺がここまでやって何もうまくいかない、なんて――そんなもん物語の主人公によくある『御都合主義』くらいなもんだろ」

 「……? それが理由、ですか?」

 「荒唐無稽だろ? でもよ、考えてみろ。オークの強化種に負けかけていた仲間に()()()()追いつけて、自分がやられかけた時にも()()()()仲間が最後の一撃をやってくれて、なんて――そんなもん、御都合主義でしか考えられないだろ?」

 まずありえない。どうしたってどこかで不都合が出てくる、それが現実というものだ。それなのにシオンが関わった時だけ、全てが良い方向で終わっている。

 どれだけ最悪な状況であったとしても、傷つきはしても死にはしない。

 ふと、前に上司である者と交わした冗句が思い浮かぶ。

 ――『悪神』の眷属だけあって、『悪運』に恵まれている……。

 あの時はつまらない冗談だと流してしまったが、冗談ではなかったのかもしれない。今更ながらに笑えてくる。

 「それでは、どうするのでしょうか」

 「単純だ。どれだけ御都合主義があったとしても、そりゃあいつの周りだけ。だったらあいつの知り合いで、且つ御都合主義の範囲に適応されない人間を殺し尽くす」

 そうして、シオンの心をへし折っていく。

 「どんな御都合が発揮されたとしても、あいつの心が死んでたら意味ねぇだろ。だから、ま、しばらくはそのための仕込みだな」

 「畏まりました。お手伝いいたします」

 今手を出したとしても、意味はない。そもそもリヴェリアがいる時点でどうにかするのは自殺行為だ。

 「また半年か、一年か。ま、気長に頑張るとしますかね」

 束の間の平穏を――と言って、二人の影は去っていった。

 

 

 

 

 

 朝――あくまで18層の朝だが――になって、目が覚めた。天井を見て、そこが洞窟内、恐らく宿だとわかった。

 宿は高い。地上の高級宿と比べても良いくらい高い。それを借りてくれたのは、十中八九リヴェリアだろう。

 後でお礼をしなければ、と考えていたら、部屋の扉が開いた。そこから現れたのは鈴。二人分の握り飯は、きっと鈴とシオン用なのだろう。

 「あ……起きた、んだね」

 「ああ。どれくらい寝ていた?」

 「ここじゃ、時間の流れがわからないからあたいにもさっぱり。多分五時間だかそこらなんじゃないかな」

 結構寝ていたが、精神疲弊寸前だったのを考えれば仕方がないか。よくよく見れば鈴も寝起きなのだろう、髪がざっくばらんになっていた。

 鈴はテーブルの上に握り飯を置き、それをシオンが寝ていたベッド近くに移動させた。それから椅子を持ってきて、自分も座る。

 「…………………………」

 「…………………………」

 沈黙。

 お互いに何も話そうとしない。時折鈴はシオンに視線を向けるが、腹が減りすぎたシオンは敢えて無視して握り飯を口の中に突っ込んでいた。

 程良い塩の味は疲れきった体に染み渡り、美味しい。

 元々数は多くない上に、かなりの速さで口に入れたためすぐに無くなってしまった。それは鈴も同じようで、何か言いたげに皿を見つめていた。

 それでもすぐに首を振ると、ジッとシオンを見つめ、言った。

 「どうしてあそこで、あたいを庇ったんだ?」

 「ん?」

 「最後のところさ。放り投げて、拳を受け止めたこと。その後立ち上がって、オークの目線を自分に引き付けたこと。……どうして自分から、死にに行くような事を?」

 嘘を許さない、と目に力を入れて睨みつけてくる。少し考え、塩のついた指を舐めてから、シオンは答えた。

 「見たくないからさ」

 「見たくないって、意味わからないよ」

 「誰かが死ぬのを見たくない。そんなワガママって奴」

 その言葉と共に目を閉じる。脳裏に浮かぶのは、焼け焦げた義姉の姿。そんな姿になっても自分を守ってくれた人の最期。

 鈴も、ガレスからその話は聞いていた。だから、わかる。その心情を推し量るくらいの事は、できるのだ。

 「それでも、あたいは。あんたが死んでまで生き残らされたいなんて、思えない」

 鈴は少しだけ目を逸らして、

 「やっと、仲間だと心から思える人達と出会えたのに。……そんな終わり方は、嫌なんだ」

 「……!!」

 仲間が信用できないと言っていた彼女は、そう言った。それだけでも十分に嬉しい。嬉しいからこそ、自分がやった事はやはり独りよがりのワガママなんだとわかってしまう。

 「鈴、おれはさ。このパーティのリーダーなんだ。リーダーは。組織の長は。時に自分の命を賭ける時がある。今回の事はそれで」

 「いい、なんて割り切れるわけないだろう!? ……わかってるさ、あたいがあの時決めきれていればこんな問答も無かった。あたいが弱いのが悪いって、自分でもよくわかってる。だから!」

 キッと顔を上げてテーブルに両手を叩きつけて、鈴は立ち上がり、シオンに人差し指を突きつけた。

 「あんたがそうしなくてもいいように、強くなる!」

 そう言って強気に笑う。それはさっきまでの暗い雰囲気を吹き飛ばすような、良い笑顔だった。そしてあっさり背を向けて、部屋を出て行ってしまう。

 一人部屋に残されたシオンはベッドの上で横になると、

 「強いなぁ、鈴は……」

 そう言って、自嘲するように笑みを浮かべた。

 その後しばらくベッドで横になっていたが、溜め息をして起き上がる。外に出て、空から降り落ちる明かりに目を細める。

 「シオン……さん」

 「――……レフィーヤ」

 外に出て偶然出会ったのは、自分に悪感情を抱いている少女だった。

 しばらくその場でお互い見つめ合っていたが、やがて意味が無いと思ったのだろう、レフィーヤは背を向けると、

 「話が、あります。ついてきてくれませんか?」

 返事も聞かずに行ってしまう。まるでついてきてもこなくても、どちらでも構わないと言っているようだった。

 どうしようか悩んだが、する事は何も無い。どんな言葉を叩かれてもいいように覚悟しながら、シオンはその華奢な背中をついていった。

 レフィーヤが行った先は町外れの、18層を見渡せる場所。この場所に来る者はほとんどおらず、また周囲に何も無いので、誰かが来ればすぐにわかる。

 そんな場所で、レフィーヤはシオンを睨みつける寸前のような表情で見つめていた。何か言いたげな顔をするも、すぐに頭を抱えてぶんぶん首を振り、また――と百面相を披露している。普通の人間ならドン引きな仕草なのだが、エルフであるレフィーヤにはそれさえ愛嬌として映る。……可愛いというのは得である。

 「シオン、さん!」

 「あ、ああ。……何だ?」

 「聞きました。アイズさんと、ベートさんから。全部!」

 そう言えば、レフィーヤは自分を呼び捨てにしていたはず、とここで気付く。レフィーヤに心境の変化でもあったのだろうか。

 レフィーヤは恥ずかしさを隠しきれず、その長い耳の先まで真っ赤にしながらシオンを指差し叫んだ。

 「私は、魔道士として――冒険者として、何もかもあなたに劣っています! でも、だけど! アレだけ言われて引き下がれるほど、私は腐ってません!」

 だから、と。

 「いつか絶対、あなたを見返してみせます! その時吠え面かかないように、私の先達(あこれが)として走り続けてください!」

 言うだけ言って、レフィーヤは脱兎の如く走り去ってしまった。真っ赤になった顔を隠すように俯いて、シオンの横を通っていって。

 止めようと思えば、止められた。だけど、止めようとは思えなかった。

 「走り続ける、か。できるのかね」

 「できなきゃ終わりだ。あの女に言ったみたいに、冒険者をやめろ、そんだけだろうが」

 唐突に聞こえてきた声は、辛辣なものだった。その辛辣さに苦笑しつつ、聞き慣れた声の主の方を振り返る。

 「……ベートか。レフィーヤに何言ったんだ?」

 「別に。お前は俺を信じて詠唱して、魔法を放ったっつっただけだ」

 それこそが一番重要な部分だったのだが。なるほど、レフィーヤの心境の変化はそこか。確かに口先だけの説教と、実体験を経て聞くのでは重みが違う。

 その重みの差を考えて――彼女は、あの覚悟を決めたのだろう。

 「それよりさっさと帰るぞ。お前のために果実を取ってきたアイズが『シオンが見当たらない、どこに行ったの』って泣いてるんだが」

 「泣くって、流石にそれはないだろ」

 最近めっきり泣かなくなったアイズを想像してシオンは苦笑した。ベートも苦笑を浮かべるかと思いきや、真顔でボソリと呟いた。

 「……そうだったら、よかったんだがな」

 「ん、何か言ったか?」

 「いいや、何も。ほら、戻るぞ」

 脳内で涙を浮かべていたアイズを思い返して、苦労しやがれと、若干怒りの籠った声でベートは言った。

 「……俺だって、心配してたんだからよ。多少は思い知れ」

 結局ベートが何を言っているのかわからなかったシオン。眠って回復したとは言え、その体に伸し掛かる疲労は消えていない。五感も鈍っていたので、聞こえなかったのだ。

 戻ったシオンは、ベートが嘘を言っていなかったと知る。若干泣きかけていたアイズに抱きつかれて怪我をしていないかと体を触られ、その光景を生徒達やレフィーヤに見られ、生暖かい目を向けられた。

 リヴェリアだけは、全てを知っていると言いたげな優しい眼差しをしていたが。実際口だけを動かして『お前の意思を尊重しよう』と言っていたし。

 その後、戻る時にまた一悶着あったのだが――それは蛇足だろう。

 

 

 

 

 

 「勝手なことをするな、と――そう言っておいただろうが!」

 「がっ!」

 頬を殴られた男が吹き飛び、背後にあった本棚を巻き込んで床に落ちる。吹き飛ばした方の男は床に落ちた男を何度か蹴り、頭に靴底を押し付けて言った。

 「貴様のせいで『強化種』の事がギルド側に知られてしまった。しかもどう見ても自然現象ではなく人為的な物だとわかるように! 貴様の力は確かに有用だ――だが、絶対必要な物でも無いということを忘れるなよ」

 言外に、殺しても構わないと告げる男は部下数人に向けて命令した。

 「おい、コイツを地下にぶちこんでおけ。……数ヶ月程入れて頭を冷やせば出してやろう」

 ハッ、と短い返答と共に連れて行かれるのを見送りつつ、顎を指で触れつつ悩む。

 ――どうする、計画を踏み倒すのは難しい。時期を見て情報を流し、実行に移すしかない、か?

 「下手な情報を流せば逆にこちらがやられかねないな。全く、本当に余計なことを……」

 一方で連れて行かれた男は、素直に地下へ連行されていた。数人に囲まれていようと、Lvの差は大きい。その気になればいつでも逃げられるが――『闇派閥の幹部』という地位は、まだ惜しい。少なくとも利用しきってから捨てるべきだ。

 それは相手も同じことを思っている。お互いどこまで出し抜けるか――そこが大事だ。そう考えている内に地下牢へ入れられた。鎖は付けられる。その気になれば力ずくで引っこ抜けるが、だからこそ『大人しくしていたか』どうかの判断基準になる。

 引っこ抜かずに生活していれば出してやる――という事だろう。笑って素直に受け入れ、牢屋に座り込んだ。

 「んじゃ、お疲れさん」

 男達は無言で帰っていく。ここでストレス解消的に殴りかかってきてもどうにでもできるが、無い方が楽だ。

 しばらく待って待って、待ち続けて。やがて、一人の人物が現れた。

 「……ここに来い、とはそういう事でしたか」

 その人物は呆れながらも牢屋の鍵を開け、中に入る。そのまま流れるように男の手首から鎖を解放すると――()()()()()()()()()

 「おう、んじゃ後は頼むぜ。数ヶ月程度で許してやるだとよ」

 「……わかりました。もし殴られかかったら?」

 「俺が素直に受けるタマだと? 殺さない程度に嬲ってやりな」

 そう言って、詠唱を開始する。それはとても手馴れた物で、すぐに終わる。終わると、変化は劇的だった。

 男の姿は女の姿に変わり――逆に女の姿は男の姿に変わる。

 「言う必要は無いが、こりゃあくまで幻術だ。触られんなよ?」

 「触られれば感触でわかるから――わかっています。気を付けますよ」

 鍵を受け取り、鼻歌をしながら牢屋の鍵を閉め直し、外に出る。やる事はたくさんある、大前提としてバレてはいけない制約はあるが、どうにでもなるだろう。

 「さて。どうやればシオンの心をヘシ折れるか。まずはそっから考えますかね」




今回の騒動は全部『次』を見据えるためのものです。噂を流しても、人を動かし殺すように仕向けても、罠を張っても全部すり抜けるので、更なる無理ゲー吹っかけてみてどういう原理なのかを探ってました。
そしてシオンの『悪運』が発動して、見事誰も殺せなかった。

だから、それを踏まえて次の準備をする――そんなところですね。

次回は閑話予定。全く出せなかったヒリュテ姉妹側かなぁ。


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閑話 少年の奮起

 まだ昼下がりといった時間帯、【ロキ・ファミリア】の中庭で一人の少年と一人の女性が武器を交わせていた。

 少年はまだ二桁になったばかりと見える。まだまだ幼さが強い顔を、今ばかりは歯を食いしばらせて木剣を振るう。

 相対する女性は二十代半ばほど。かの少年とは正反対に、余裕たっぷりの笑みを浮かべながら槍を巧みに動かし、全ての攻撃を防ぐ。

 どれだけ木剣を振るっても決して届かない。躱され、防がれ、受け流され――しかし、反撃はしない。してもいいが、そうすればあっさり決着がついてしまうと女性はわかっていた。それが尚の事悔しい少年は、汗を垂らしながらも更に剣を振るう腕に力を入れ、

 「ッ、ハッ! ――って、あれ」

 「……ムキになりすぎ。ここで終わり」

 「あだぁ!?」

 剣を振り下ろすも、女性の姿は既にそこにはなく。

 辺りをキョロキョロ見渡し大きな隙を晒したところに、槍の棒部分が頭に直撃。あまりの激痛で地面に転がり頭を抱えてしまう。ちなみに女性は少年の目に止まらない速度で後ろに回っただけである。特に不思議な事はしていない。

 「これはあくまで訓練。大怪我しそうになったら止めるって言った」

 「それは、そうだけどさ……でもやっぱ、一回くらいは攻撃当てたいじゃんか」

 「無理。どうあっても今のラウルじゃ私には届かない」

 女性にそうきっぱり断言されて、ラウルは呻いた。確かにそれはわかる。ラウルはこの都市に来て一年と少し。未だにLv.2でしかない――それでもその成長スピードは中々のものなのだが――身の上で、Lv.4の彼女に一撃当てようなんて遠い夢でしかない。

 ――と、思っているのであろうラウルに、女性はため息を吐いた。

 そういう事ではない、と。

 「ラウルは強くなる。きっと、将来的には私よりも」

 「そう、か?」

 「保証する」

 「師匠がそう言うなら、信じるけどさ」

 半信半疑なラウルに、こっくりと目に見えるよう頷く。元々口数少ない彼女がそう言うなら、きっとそうなのだろうとラウルも信じる事にした。わかりやすく口元に笑みを浮かべ出すラウルに、彼女は、ただし、と付け加えた。

 「今のラウルじゃ、やっぱり無理」

 「え? さっき言った事と違うじゃねーか。どういう事だよ」

 「私が言っても意味がない。自分で気付いて改善しなきゃ、多分、腐る」

 正直に言おう、さっぱりである。頭にハテナマークをいくつも浮かべて首を傾げるラウルに、師匠たる彼女は、気付くためのきっかけとして言った。

 「彼等――シオン達と戦えば、わかると思う。多分だけど」

 「……あいつ等か」

 『シオン』という名を出した瞬間、ラウルの表情が曇る。自分達と同年代ながら、その実力は目の前にいる師匠とそう変わらないだろう存在。同じ【ファミリア】に所属するも、姿を見るくらいで話しかけたことはない――仲間という意識には、正直、欠けていた。

 「でも、あいつ等が俺より強いのって、数年速くダンジョンに行ってたからだろ? それで何がわかるって……」

 「ラウルはわかってない」

 ラウルの顔に浮かぶ微妙な『嫉妬心』に気付くも、女性は敢えて黙殺し、反論も封殺した。

 「ラウルは、五、六歳の時にダンジョンに行って、モンスターと殺し合える?」

 少なくとも私は無理、と女性が言えば、ラウルはできると言えなかった。

 「彼等は最初から強かったんじゃない。ただ――……」

 そこから先は言えなかった。そこは、ラウルに気付いて欲しかったから。だから一度首を振り、女性は続けて言う。

 「今のラウルに足りない物を、彼等は持ってるはず。いっそのこと、決闘でもしてもらえばわかると思う」

 「え? 決闘!?」

 「言葉で聞くより、武器を交えた方が分かることもある。ラウルは経験、無い?」

 「あるわけないだろ!?」

 あまりにも当然と言いたげな女性にラウルは目を剥いた。基本常識人で、口数は少ないが嘘を言わず的確にアドバイスしてくれる彼女は、時折ヘンテコな事を言ってのけた。

 ラウルは頭を抱えつつ、それでも、本当に自分に『足りない物』があると言うのなら。

 「……わかった、頼んでくる」

 彼女の教えに従い、頷いた。

 

 

 

 

 

 ホームの内部を歩くラウル。【ロキ・ファミリア】が拠点とするホームは大きく、廊下や部屋の数は多い。と言うより多すぎる。探しているのは五人、しかしそれでも手間取ってしまった。探していた時間は一時間を過ぎるかどうか、というところで、やっと見つける。

 褐色肌で長髪の彼女の名は、確か、

 「ティオネ・ヒリュテ……で、合ってるよな?」

 「ん? そうだけど、何か?」

 振り返った人物が探していた者達の一人であったことに安堵しつつ、ラウルは用件を告げた。

 「お願いがある。俺と、決闘してほしい」

 「…………………………」

 聞いた瞬間、ティオネは額に手を当てて目を瞑りながら天井を見上げた。その所作はわかりやすいくらいに『呆れ』を示している。

 そしてすぐに顔をラウルの方へ戻し、

 「まず名前を言いなさいよ。人として当然の事をしなさい」

 「あ、お、おう……悪かったよ。ラウル・ノールドだ」

 「ラウル、ね。確か最近Lv.2になったばかりの冒険者。生まれた時からじゃなく、外部から入団してきたヒューマン、で合ってるわよね?」

 「何で知って……!?」

 少なくともラウルはその辺りの事情を説明した覚えはない。それこそ師匠にも、だ。自然険しくなる視線を受けて、ティオネは肩を竦めた。

 「別に。不思議な事でもないわよ。私は将来の目標を達成するために頑張っていて、その過程であんたの名前を知っただけだし」

 ただし顔は知らなかったけれど、と悪びれもなく言って、ティオネは続ける。

 「で、決闘だっけ? いつ、誰とかの指定はあるの?」

 「特に、無いけど」

 「そ。なら明日、陽が出る前の時間帯で、私とやりましょ。起きれなかったら知らないけど」

 「あ、ああ……って、お前と?」

 「あら、不満? それとも何、シオン辺りとやりたかった?」

 そういう訳ではない。単に自分より背の低い少女とやり合うのに躊躇があっただけだ。

 それを見抜いたのかどうかはわからない。けれど、ティオネは目を鋭くして、ラウルにこう言った。

 「大丈夫よ。少なくとも――あんた()()に負けるほど、弱くないわ」

 安い挑発。しかしラウルは簡単に引っかかり、ティオネに負けぬくらいに目を鋭くして睨みつけてきた。

 「それじゃ、明日待ってるわ。逃げたら腹が捩れるくらいに笑ってあげる――」

 

 

 

 

 

 ――そして、早朝。

 ティオネに言われた時間帯よりも速く起きたラウルは、寝起きもそこそこに顔を洗い、服を着替えて部屋を出た。

 場所はあの後告げられた中庭だ。陽も出ていない時間帯だから近所迷惑になるかもしれないが、ティオネは問題ないと切って捨てた。思い出すたびに言いようの無い怒りが湧いてくる。あの少女にとってラウルという人間は、その程度でしかないと伝わって来るからだ。

 それでも一度深呼吸して、気持ちを落ち着かせ、中庭に出る。頭に血が上って剣筋が鈍り、そこを師匠に叩き伏せられた経験は一度や二度ではない――戦いで冷静さを失う事の弱さを何度も教えられたが故に、ラウルは今、冷静さを保っていた。

 まだティオネはいないか、と思って周囲を見渡すと、いた。

 陽が出ていないため、まだまだ肌寒い時間帯。にも関わらず、ティオネは湾短刀(ククリナイフ)を両手に持って振るい、汗が顎から滴り落ちる程の鍛錬を続けていた。

 十分二十分ではない。恐らく一時間以上、そこにいたと、足元の軌跡からわかる。

 「あら、もう少し遅いかと思ってたのに……意外ね。時間前に来るなんて、感心感心」

 本心からそう言っているらしいティオネは、横に置いてあった布切れと水筒を手に取ると、汗を拭って水を飲んだ。

 「どうして、こんな時間から? この後決闘なのに」

 「だからこそ、よ。戦う前に武器を振るうことを体に叩き込んでおく――あんたは私より弱いけれど、侮る理由にはならないわ」

 故に全力でお相手する。そう言って獰猛に笑うティオネに、ラウルは自分が思い違いをしていたのを悟った。

 ティオネがラウルを舐めていたのではない。

 ラウルがティオネを侮っていたのだ、と。

 「どうする? あんたも体を温める? それなら少し待つけど」

 「いや、いい。そうする時間が勿体無いし。こんな時間にしたの、理由があるんだろ?」

 「……正解。見抜かれちゃってたか、まぁいいわ。なら――やりましょうか」

 鍛錬用の鋼でできた湾短刀を置き、横にあった木製の湾短刀を両手に持ち、構える。ラウルも手に持っておいた木剣を正眼に構えた。

 合図は無い。審判がいないのだから当然で、だから、ティオネは先手を譲った。

 ラウルが走り出す。それを悠然と待ち構えて、ティオネは一手目を受け止めた。斜めからの振り下ろしを、交差させた湾短刀で受け止める。単純な強度では剣に劣るも、二本を重ね、受け止め方にも工夫した湾短刀から跳ね返る重みはほぼない。

 ラウルにもそれがわかった。剣から来る手応えで、衝撃がほとんど通っていないと悟る。即座に剣を離し、剣先を真っ直ぐティオネに向けて、突き。

 これは流石に防御しにくい。腹――鳩尾を狙っての突きをギリギリで回避。咄嗟に腕を揺らすもティオネの脇腹を掠める結果に終わる。腕が伸びきり泳いだ体、わかりやすい隙だ。右手に持った湾短刀に力を入れ、お返しとばかりに脇腹を狙う。

 それを、ラウルは自ら転んで躱す。だが完全に死に体となった彼を、ティオネは思い切り蹴ろうと足を後ろに曲げる。それを見たラウルは、体が土で汚れるのを厭わず更に数度回転して逃げていった。これで立ち上がる暇は、と思った瞬間だった。

 「甘すぎ」

 冷たく凍えるような声で、ティオネは断ずる。その言葉通り、ラウルの胸に強烈な痛みが走り、立ち上がろうとした体が再び崩れ落ちる。

 もう一度起き上がろうとしたところに、首の左右に感触。それでラウルは、あっさり自分が負けたのを理解した。

 降参を示すように剣から手を放し両手を上げると、首にあった感触が消える。顔を上げると、ティオネは冷徹な瞳を向けていた。それでもラウルは、聞いた。

 「どうやって、俺が立ち上がろうとするのを止められたんだ」

 「簡単よ、そこにあるものを使っただけ」

 顎で示した先にあった物。

 「い、石ぃ!?」

 それは、赤子の拳程度の石だった。その石がラウルの胸にぶち当てられ、その痛みで立ち上がれなかったのだ。

 どうやって、と聞こうとして、気付く。

 「あの蹴りの狙いって……」

 「それを蹴りたかっただけよ。ま、あんたが逃げられなかったら直接蹴ってたけど」

 「ひ、卑怯クセぇ……!」

 思わず、と言うようにラウルの口から言葉が漏れる。別に本心ではなく、単なる愚痴のようなものだった。

 「は? 何言ってんのよ」

 それに対する返答は、更なる追い打ちであったが。

 「これは決闘だけど、戦いに卑怯もクソもありゃしないわ。結局のところ勝てば全て――武器に毒が塗られていて負けたとしても、それを想定していなかった奴が悪い。それと同じ」

 それは対モンスター戦でも、対人戦でも変わらない。何かと戦うというのは、自分の持つ何かを賭けるということ。自分の命か、あるいは掛け替えの無い大切なものか。

 むしろティオネのやった石を蹴る程度、まだまだ普通な方だ。

 「あんたのその素直さは美徳なのかもしれない。でもね、戦いには弄れた思考も必要よ。そうじゃなきゃ、生き残れない」

 生き残れない――そう言った時のティオネの瞳に過ぎった感情は何だったのか。一瞬に過ぎぬそれを見抜くにはラウルは幼すぎ、またティオネも教えるつもりはなかった。

 「……まだ、時間はあるけど。どうするの?」

 「……もう一度、頼む」

 最終的に『決闘』が『鍛錬』に切り替わるまで、そう時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

 鍛錬の終わりはラウルの気絶で終わった。体力が切れてしまったのだ。ティオネはラウルを見下ろし、どうしようかと悩む。

 そして、よし、と手をポンと叩き、

 「首根っこ掴んで運べばいいでしょ」

 本当に首根っこ引っつかんで運びだした。

 グェ、と何か変な音が聞こえたが、完全に無視してティオネは歩き出した。ズルズルと何かが擦れて引き摺られる音は無視。

 ラウルの頬に何かが流れた跡ができるも――それに気付いた者は、いない。

 「……何やってんだお前は」

 しばらく歩いていると、ティオネは聞き慣れた声に動きを止めた。振り返ると、武装したベートの姿が見える。見慣れぬ手甲と靴に疑問を抱くも、

 「あら、ベート。その格好、これからダンジョン? 精が出るわね」

 敢えて何も聞かずにそう言った。これは意思表示だ、こっちは詳しい事を聞かないから、そっちもあまり詳しい事は聞くな、と。

 それでもその視線の先はわかったので、面倒な荷物を持ち上げて答える。またグェッという声は聞こえたが、まぁ、どうでもいいだろう。

 「ああ、これ? 確か、ラウル、とか言ったかしら。アキやナルヴィの同期、みたいだけど。鍛えて欲しいって言ってきたから、ちょっとあしらってあげたのよ」

 笑ってそう言うと、ベートはそっと目を逸らした。何か変な事でもしただろうか、と思うも、ティオネにはあまり時間がない。

 「それじゃ、私はもう行くわね。これからまた続きをしないといけないし」

 ラウルを持つ手を下ろし、背を向けて歩き出す。と、そこでふいに思い出した事があったので、ラウルを放り、戻る。

 「――あ、そうだ。一つ伝えておかないと」

 「うぉ!? 驚かせんじゃねぇ!」

 びくりと肩を震わせるベート。普段ならからかうだろうが、今回は別だ。努めて真剣な顔をするように意識しつつ、

 「ダンジョンでちょっとおかしな事があるそうよ。十分に気をつけて行きなさい」

 「そうかい。……忠告ありがとよ」

 ベートはしばらく眉を寄せていたが、最後には感謝の言葉を返した。弄れているが変に素直なベートに口元を綻ばせて、

 「ま、仲間だしね。死なれちゃ寝覚めが悪いもの。じゃ、今度こそ」

 そう言って、ティオネは背を向けてラウルのところにまで行き、また引きずり出した。……ラウルが色んな意味で泣いていたなんて知らない。見ていない。だから、どうでもいい。

 哀れなラウルであった。

 

 

 

 

 

 ティオネがラウルを引きずって行った先は厨房だった。そーっと扉を開け――前に思い切り開けて埃が舞うと散々に叱られたからだ――中に入る。

 そこには想像通り、彼女の妹であるティオナがいた。真剣な眼差しで料理の手伝いをしているティオナと、そんな彼女を微笑ましそうに見ている女性陣。若いわねぇ、青春ねぇと呟いている人もいたが、ティオナには届いていなかった。

 そこで、アキがティオネに気付いて近寄ってきた。

 「あれ、ティオネ? また摘み食い? ダメだよ、そんな事してたら――って、ラウル。いたんだね」

 「ひ、酷い……皆冷たすぎる……」

 アキは単に視界の都合上見えなかっただけで、わざと気づいてないフリをしていた訳ではなかったのだが……ラウルはそう思ったらしい。

 どういうこと? と視線で問えば、

 バカな男の変な勘違いじゃない? とこれまた冷たい対応。

 それで大体察した。アキは変な笑みを浮かべると、

 「ラウルと一緒なら摘み食いは無いか。どんな用事?」

 「ちょっと妹にね。おーい、ティオナー」

 「……ティオネ? 何?」

 「こいつ預かってくれない? 私、これから団長のところに行かなきゃいけないのよ」

 それで大体を理解したティオナは自分の担当していた料理を他の人に任せる。ついでに既にできあがっていたものを容器に詰めると、出口に移動した。

 「うん、これで大丈夫。頑張ってねティオネ」

 「悪いわね。後で埋め合わせするわ、こいつの事任せたから」

 「別に気にしないでもいいのに……」

 お互いに迷惑をかけあう仲だ、今更である。そう言いたげな表情をしたが、親しき仲にも礼儀ありと言って、ティオネは去っていった。

 「で、アキ。この人の名前は? ラウ、までは聞こえたんだけど」

 「ラウル、よ。悪いわね、この馬鹿の相手させて」

 「あ、あはは……」

 普段どんな対応をされているんだろう、と思ったが、自分達もベートにそんな対応をしているのを思い出して、ティオナは乾いた笑いをするしかなかった。

 何とか立てるようになったラウルを伴って、ホームにある鍛錬室へと行く。ふらふら状態のラウルを気にかけつつもたどり着くと、まずラウルを座らせ、濡れた布を渡し手を拭わせる。その後容器に詰めた食べ物――と言ってもサンドイッチ程度だが――を差し出した。

 「軽い物だけど、お腹空いたよね? どうぞ」

 できるだけの笑顔を浮かべて手のひらで遠慮せずと示すと、ラウルは何故か両目を潤ませ、ティオナを拝みだした。

 「め、女神様……!?」

 「えぇ? 女神って何!?」

 女神様女神様と壊れた機械のように拝み倒すラウル。それをしばらく困惑していたティオナは、一つ溜め息をして、額にデコピンをお見舞いした。その痛みによって我を取り戻したラウルは、自分のやっていた事を思い出して、今度は悶絶したそうな。

 「……やっと落ち着いた?」

 「はい、すいませんでした」

 頭を下げて謝罪し、やっと食べ始める二人。目が覚めてから鍛錬尽くしで何も腹に入れていないラウルは、ティオナが一つ食べる間に二つ三つと手を伸ばしていた。気付けば大半がラウルの腹に収まり、ティオナは二つ食べた程度になってしまった。

 「あ、わ、悪い……」

 「そんな謝らないでもいいのに。それにあんな美味しそうに食べてくれるなら、作り手冥利に尽きるからね」

 「え、これ、えっと」

 そこで、ラウルは彼女の名前を聞いてないことを思い出した。どこかで聞いた覚えはあるが、どうしても思い出せない。

 結局先に察したティオナが自己紹介した。

 「ティオナ・ヒリュテだよ」

 「ティオナが作った、のか?」

 「うん。最近料理を学び始めてて、見様見真似で。それで、どうだった?」

 ニコニコと笑顔で聞くティオナに、ラウルはサッと目を逸らしつつ、ぼそぼそと答えた。

 「う、美味かったよ」

 「ホント!? 良かったぁ、少しずつ上手になってるんだね」

 今度こそ満面の笑みを浮かべるティオナの横顔をボーッと見つめる。すぐに我を取り戻すと、ぶんぶん首を振って何かを振り払う仕草をした。

 「……何やってるの?」

 「い、いいいいや!? 何も!?」

 その奇行に気付いたティオナが問いかけると、やはり挙動不審な動作で返される。しばらく訝しげに見つめ続けていたが、やがて仕方ないなぁと言いたげな苦笑で許してあげた。

 「――――――――――」

 それに何か胸打たれたような気がしたが――ラウルには、わからなかった。

 

 

 

 

 

 「それで、師匠に言われてティオネと戦ったんだけど……」

 「ボコボコにされて引きずられてた、と」

 「ぐっ!?」

 どうしてティオネと一緒にいたのか――その説明をし終えた彼女の第一声がそれだった。男としてあまりにも情けなさすぎて呻くラウル。

 そんな彼を気にせず、ティオナは顎に手をやり、んーと悩んでいたが、ふと気付いてラウルに問いかけた。

 「ラウルってさ、つい最近Lv.2になったんだよね?」

 「あ、ああ、そうだけど、それがどうかしたのか?」

 「もしかして――『満足』、しちゃったの?」

 「え……?」

 ラウルにとって、それは想像もしていなかった言葉だった。ティオナはただ真っ直ぐに自分を見つめていて、答えを待っている。

 それでも混乱していて答えられないラウルを見かねたのか、ティオナは言った。

 「オラリオでも半数近い人はLv.1のまま燻ってる。その中で、たった一年と数ヶ月でLv.2になれたラウルは才能があると思う。だけど、そんな自分に『これでいい』と思わなかった?」

 そんな事はない、と言い切れなかった。確かにそう思った自分がいることを、ラウルは知っていたからだ。

 ラウルが今一緒に行動しているパーティで最も強いのは、ラウルだ。メンバーのアキやナルヴィよりも、ラウルの方が強い。だから、満足していないとも言い切れなかった。

 「私達のパーティで一番強いのはシオン。多分、そろそろLv.4に上がると思う」

 「は……? いや、ありえないだろ。だって、そんな速度で上がった人は今までいなかったんだし」

 あるいはラウルが知らないだけかもしれないが。しかし、ティオナはラウルの言葉を否定した。

 「シオンはね。()()()()()

 ――好いた男に言う言葉ではない。

 だが、れっきとした事実ではあった。

 「シオンは、一週間に五日か六日、ダンジョンに行ってる」

 「嘘だろ、おい」

 休みが一日か、二日。ありえない。どんな人間でも、そんなペースでダンジョンに潜れば疲労が溜まって死ぬ。

 「どうして、そうすると思う?」

 そこで、ティオナは聞いてきた。シオンの話をしたのには理由があるはず。しかし、常識人であるラウルにそこまでする思考が理解できない。

 結局、わからないと首を振った。

 「シオンはね、『満足』してないの。ううん、できないのかな」

 ティオナにはわからないシオンの『目的』、そのせいだろう。

 そしてそれが、ラウルに欠けているモノでもあった。

 「強くなりたい――だから、今の自分に満足できない」

 「――!!」

 それは、ラウルとは正反対のものだった。

 強くなった、だから満足だ、と思う者と。

 まだ弱い、だから満足できない、と思う者。

 どちらが強くなれるかなんて、自明の理。だから師匠は、言ったのだ。何度も。

 ――『今のラウル』では、と。

 「シオンだけじゃないよ? シオンをライバル視してるベートも、結構な頻度でダンジョンに行ってるし」

 彼の場合は鍛錬が趣味である、というのも大きいが。

 「アイズもシオンとはまた別の目的がある」

 本人の才能というのもあるが、だからこそ、彼女は姉妹の実力を超えた。

 「ティオネは団長の隣に立つために、今も頑張ってる」

 強くなるのは必要だから。秘書的な存在になるために、今も勉強している。

 「私も……色々やってるし」

 多分、ラウルには明確に『自分より強い』相手と戦った経験が無いのだと思う。より正確に言うと、『自分と同年代で』という枕詞が付くか。

 そういう意味でラウルは恵まれていなかった。

 けれど、

 「ラウルは、本当にそのままでいいの?」

 今は、違う。

 「ずっと満足したままでいれば。今いる仲間にも、置いてかれちゃうよ」

 じっと、ラウルの目を見据えて言う。ラウルはしばらく沈黙していた。しかし、ティオナの目からは逸らさない。

 「……目的があれば、満足できない」

 やがて、ラウルはポツリと呟いた。

 その通りだ、ティオナは思う。皆が皆、目的があるからそこに向かって突き進む。ラウルはその目的を持っていなかった、だから満足してしまった。

 だから、

 「……そうだな、満足、できないな」

 ティオネに負けた。あっさり、手も足も出せずに。それは情けない。あまりに情けない。せめて一回くらいは攻撃を浴びせたい。

 今ならわかる。師匠が言っていた足りない物と、それを持っていた者達の『強さ』が。

 彼等は最初から強かった訳じゃない。

 ただ強くなりたいと願い、強くあろうとし、強くなっただけだ。

 「うん、それでこそ『冒険者』、だよ!」

 だが、何より――と、ティオナを見上げて。

 この笑顔を浮かべる少女を、驚かせて感心させてみたい、と思った。

 その感情をどう言うのか――少年は未だ、知らない。

 

 

 

 

 

 それからしばらくしてティオネが戻ってきて、またラウルを連れて行った。だが、もうラウルの目にあるのは腑抜けた物ではない。それを察したティオネは流石ティオナと思いつつ、ちょっとした手解きをして終わった。

 「これで私の役目は終わり」

 「ありがとう、ございました……」

 「……()()()。あんた、良い師匠を持ったわね」

 「そ、っすね」

 ティオネはそこで初めて名を呼んだのだが、ラウルは気付かなかった。息も絶え絶えに変な敬語で返答してくる。

 きっと、この言葉の真意にも気付いていないのだろう。ティオネがわざわざ己の時間を割いてまで彼の相手をしたのは、彼女に頭を下げて頼まれたからだという事に。

 まぁ、自分達も同じだ。フィン達に色々な事をしてもらっていたけれど、気付いたのはずっとずっと後のこと。

 ラウルもいずれ、気付くだろう。その時に、彼等に感謝すればそれでいい。

 「ティオネー、シオン達が帰ってきたよー!」

 「あら、そうなの? お出迎えが必要かしら」

 倒れているラウルに視線を向ければ、気にせずと言いたげに顔を横に振られた。だから、ティオネは彼を放って玄関に向かう。

 そこで見たのは、全員土や埃に塗れた姿。その上結構な疲労をしているようで、驚かされる。

 「……よう、二人共」

 「何やってんのよ、あんたら」

 「……死にかけた?」

 「ハァ!?」

 たかが18層に行く程度で死にかけた、という言葉に、ティオネはらしくなく声をあげた。しかしシオンは説明する気力も無いようで、飯……と小さく呟いて歩いていく。アイズ、ベート、鈴もかなり疲れているようで、げっそりしながらシオン達についていった。

 比較的なリヴェリアでさえ疲れているのに再度驚愕するも、

 「しばらく休ませてやってくれ。私も、少し疲れた……」

 平静を保っているが、その実疲れていたリヴェリアが姉妹の頭を一回ずつ撫でて、彼等の後を追っていった。

 後から聞いた話によると、その一件によってシオンはLv.4にリーチをかけ、鈴はLv.2へと上がったらしい。

 ――鈴がLv.2になるためにかけた期間は、八ヶ月。

 九ヶ月というアイズの記録を大幅に塗り替えた。しかし、ティオネの目には、どうにもロキは喜んでいないように見えた――。

 

 

 

 

 

 ――そして、ティオネの見識は正しかった。

 ロキは、喜んでなど一切いない。どころか、憂慮していた。

 「……やっぱり、その真っ赤なオークの魔石はおかしかった、と?」

 「大きさと純度的に、恐らくLv.4になったかどうかというところだろう。なっていたか、なっていないかは知らないがな」

 「通常のオーク種がそないな力を持ってる訳がない。共食いにしても、その途中で冒険者を襲わない理由はない……」

 そう、おかしいのだ。

 強い個体が現れれば、それは異常としてギルドに知らされる。それが一切ない、という事は誰かが隠蔽していたか、あるいは――誰かがその個体を()()()()()()()、だ。

 そして、今回の一件。偶然で片付けるにはあまりにも『人の手』が介在しすぎている。どう考えてもベートと鈴を殺すために手を加えたとしか思えないのだ。つまり、後者。

 今まで間接的にシオン達に手をかけていた者達が、直接的な手段に訴え出している。それがロキを憂鬱にさせていた。

 そも冒険者が強くなるには『壁』が、いわゆる『障害』が必要だ。そして、その壁を超えていけば強くなり、【ランクアップ】を果たす。

 では、逆に考えよう。

 驚異的な速度で強くなるシオン達は、一体どれだけの壁を乗り越え続けてきたのだ?

 偶然もあろう、だがその者達の手によって、シオン達は強制的に強くなっている。今はいい、まだ何とかなっている。

 しかし――あまりにも大きすぎる壁を用意されれば、踏み潰されてしまうかもしれない。

 リヴェリアが退出した自室で、ロキはふと立ち上がり、窓の外を見た。

 「シオン自身が恨みを買うには、あまりにも展開が速すぎる……」

 きっと、最初はシオンのせいではなかったのだろう。今は亡きシオンの両親か、あるいは彼が慕った義姉に対する怨み。けれどもう、彼等はいない。

 だからこその、八つ当たり。

 「ああ、イラつくなぁ」

 しかし、それをされる方はたまったものではない。それを見ている者達も、心配させられる。

 「うちの『眷属(こども)』に手を出す意味、ほんまにわかっとるん?」

 だから、とロキは、呟いた。

 「舐めるなよ、クソガキが」

 その眼は、とても冷たく。

 「悪神(ロキ)の名の意味を知りたくないなら、大人しくせえ」

 あまりにも力を入れすぎた窓が、割れる。

 「できないなら――例え、禁則事項(ルール)を破ってでも」

 地獄に落とすことすら生温いセカイを、見せてやる。




姉妹というかラウルがメインだった気がしないでもない。
そして気付いたらラウルが――いや、なんでもありません。明言してません。茨の道なんて事もありません、うん。

それと評価200ありがとうございます。高評価も低評価もあり一喜一憂する物ではありますが、それだけの方に評価してもらえて大変嬉しいです。
次は300目指して頑張りますね。

とりあえず閑話は終了、ネタがあったら次も閑話かもしれませんが多分無いかと。

次回は時間飛ばして本編かも?

どちらにせよお楽しみに~。


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闘争の郡狼

 ――オラリオのダンジョン18層、時刻は夜。

 パチパチと火花の散るその場所に、狼人の少年が一人待機していた。

 背を木に付け、燃え揺れる炎をその瞳に宿しながら、ハァ、とベートは溜め息を一つ吐き出す。適当に集めた木の枝を薪とし、燃える炎の中へ適当に放り込んでいく。

 正直こういうのはシオンや鈴の役割だと思う。ボーッとしながら薪をつぎ足すのは、どうしても性に合わない。それでもこの炎は料理や、眠る前に体を温めるのに必要な物だ。適当にやってまた炎を付け直す方が面倒なので、黙々と行っていた。

 しばらくその作業に従事していると、ベートの耳にピシッと小石を蹴飛ばした音が届いてくる。それが届くのと同時、ベートは懐から短剣を取り出し、ダラリと持った。それは傍から見れば先程と何も変わらぬ姿勢で、よくよく見なければ警戒しているとはわからない。

 ――移動速度から考えて相手は徒歩。小石を消し飛ばしたなら大きさはそこそこだな。

 ふぅ、と息を吐いて体から力を抜き、弛緩させる。しかしすぐにでも動けるよう、地面を踏みしめる両足には力を入れ直した。

 それから一分、二分と経過する。足音は少しずつ近づいてきて、

 「警戒お疲れ様。モンスターじゃないから安心していいわよ」

 「……そうかい。そりゃよかった」

 聞き慣れた声、揶揄う色を含んだそれに肩を落としつつ、ベートは短剣をしまう。その後視線を声のした方に移し、帰ってきたティオネに言った。

 「それで? そっちはどうだったんだ?」

 「いつも通りの買い叩き。地上(うえ)で売る値段の三分の一くらいかしら、足元見られすぎてて嫌になるわ、ホント」

 ベートの言葉に本心から言ったのか、顔を歪ませつつティオネはベートの正面に座った。肩に背負っていた小さな荷物を置き、すぐに両手を炎へ翳す。

 「ふぅ、ちょうど良い暖かさね。今日は妙に冷えるし、ありがたいわ」

 「一人でダンジョン潜る時に備えて覚えろって言われたせいだがな。性格に合わなくてもやってりゃ嫌でも慣れる」

 それはそれとして、

 「結局収穫はどうだったんだ?」

 「物との交換でトントンってところよ。何とか負けさせて必要な量は手に入れたけど、ここに来るまでに手に入れた魔石とかドロップアイテムは――」

 そこで言葉を区切り、肩を竦めた。シオンの予想通り、というかこれを予想して最低限の物を回収したとも言える。

 行きで手に入れたアイテムは19層以降邪魔にしかならないし、ここで金か物資と交換するのがセオリーだ。だから全部無くなっても問題ないのだが、必要としていた量ぴったりというのは驚きである。

 「まぁ私も値切りには慣れてきたし。ていうか最近のシオンってその辺りも入れて狩りを考えているような……」

 「フィンから『少数のパーティならメンバーの事くらい把握しろ』って言われてんのを聞いちゃいたが」

 「シオンがリーダーになったのって何となくの部分が大きいけど、今考えると結構英断だったのかもね」

 「……シオンに負担行ってんの忘れんなよ?」

 「忘れてないわよ。だからこうして色々引き受けてるんじゃないの」

 軽く言い合いつつ、二人はテキパキと作業を進める。砥石や投げナイフなんかは別枠で入れて後でシオンに渡すとして、今は肉と野菜を取り出しておく。

 「スープの煮出しとかで肉と野菜は少し取っておくんだよな?」

 「そうね。半分はいらないみたいだけど、ある程度はお願いされたわ」

 18層で取れる食材で味を出す事も可能だが、やはり深みを出すには地上で取れる肉や野菜は必要になる、らしい。

 「下手にやって生焼け作んなよ」

 「うるさい。私だって少しは練習してるんだから、昔みたいな失敗はしないわよ」

 残りはベート達が焼いておいて欲しい、と頼まれている。そんな訳なので、貴重な食材を無駄にしないよう気をつけつつ、清潔にした真っ直ぐな枝に切り分けた肉と野菜をぶっ刺し、火で炙っていく。

 「匂いに釣られた奴が来たら?」

 「俺が行けばいいだろ。この状況ならお前よりも動ける」

 「耳と鼻はあんたが一番優れてるからね。わかったわ、その時は任せる」

 ああ、と小さく返事をしたが、すぐにその必要はないな、と判断した。

 「アイズが戻ってきた」

 「速かったわね。ここからだと水汲みにも時間がかかるはずなのに」

 「行きは修行って事で全力疾走したからね。川近くで多少休みはしたが、それでも大分速かったと思うよ」

 ひょい、とベートが背を預けていた木の裏から顔を出してくる鈴。それに一瞬だが肩をはね上げたベートを見て、鈴はイタズラ成功と言いたげに笑った。

 「テメェも行ってたのかよ……」

 「私一人だとちょっと手が足りなかったから」

 「あたいも手伝いを申し出たって訳さ。驚かして悪かったね、気付いてると思ってたんだよ」

 どう見てもワザとにしか思えないが、ベートは文句を言わずに飲み込んだ。あまりにもからかわれすぎて、この頃はもう諦めが先行しているせいか、文句さえ出てこなくなってきたのだ。嫌な方向に適応したものである。

 ちなみにその反応の薄さにつまらなく感じているのはヒリュテ姉妹であり、その愚痴を聞いたシオンは内心ベートに合掌した。理不尽過ぎると。

 「シオンとティオナは? 会った?」

 「ううん、会ってないよ。多分別方向に行ったんだと思う」

 答えつつ鍋を取り出し、持ってきたばかりの水を入れる。とりあえず準備くらいはしておいたティオナの行う作業の手間を省くためだ。余計な事であれば水を捨てて、また新しく取りに行けばいいのだし。

 「それじゃ、先にある程度食べちゃいましょうか。もうお腹ペコペコだし、シオンからも許可は取ってあるから」

 「お前、この状況を想定してたな?」

 「いいじゃない、どうせあんたも空腹でしょ」

 否定はできない。そのためベートは無言で目を逸らし、その間にティオネは焼けた肉をパクリと食べた。

 「うん、調味料はないけど十分美味しい。ほら、アイズ達も食べていいわよ」

 食器どころか取り皿も何も無い――正確にはスープの分の皿しかない――ので、枝から直接食べる以外に方法は無い。

 まぁ食べられる物があるだけマシ、というもの。昔、食糧を集めることができず、水で空腹を誤魔化したことがあった。ひもじい思いをしつつホームへ帰ったという苦い思い出だ。今では笑い話だが、当時は空腹で死にかけるという笑えない状況。

 ……やはり食べ物は大切だ。身に染みてそう思う。

 「真正面から戦って死ぬのならまだ良い方よ。空腹で戦えなくて負けました、なんて、そんな阿呆な負け方したら……」

 ティオネの言葉に、全員が何とも言えない表情で目を逸らした。

 「おーい、戻ったぞー。……って、何この空気?」

 その時戻ったシオンは、お通夜みたいなその雰囲気に、目を丸くさせられたという。

 何とか誤魔化して――シオンはわかってて乗っかったのだろうが――空腹を満腹にすると、すぐに眠気が襲いかかってくる。

 18層に来るのはもう手馴れた物だが、少し油断すればあっさり死ぬことに変わりはない。神経を張り詰めれば疲れ、疲れれば眠くなる。

 「それじゃ、少し眠って英気を養って、19層に行こうか」

 シオンもそれはわかっている。苦笑しながらそう提案し、全員が同意すると、毛布を取り出して各々眠りについた。

 

 

 

 

 

 数時間後、18層に水晶が輝くと同時に全員目を覚ました。まだ寝足りないという体を気力で捩じ伏せ、水を使って顔を洗い、昨日取ってきた果実をもそもそと噛じる。朝食代わりのそれはすぐに無くなったが、それで十分。

 全員が防具を着直すと、灰になって燃え尽きる寸前のそれに水をかけて鎮火。土を被せて後処理を終え、歩き出した。

 「シオン、今日はどこまで行く予定なんだ?」

 「できれば30層――と言いたいけど、29層くらいが目安かな。本来ならもう二パーティで行くところだから、無茶はできるだけしたくないし」

 「そういえば団長から、信頼できるパーティを見つけて小規模の団体で行くべきだって注意されちゃったのよね」

 「でも、知らない人を入れるのは不安、かな」

 「だけど死ぬよりはマシだと思うよ? アイズだって死にたくはないよね?」

 「そういう問題じゃないんだよ、ティオナ。アイズは、トラブルが起きるのが不安だって言いたいのさ。あたいも同じだけどね」

 今の六人が纏まるのでさえかなりの時間を要した。ある程度妥協すれば良いのだろうが、未だに平均年齢が十歳前後のパーティと組もうとするのは奇特な相手ぐらいだろう。あるいは外見から判断した愚か者か。

 「命を預け合うのにおれ達の外見は足を引っ張りやすいからなぁ。信頼を得るって点でさ」

 「いくらLvが上がってもってか? ……そんな理由で待つなんざごめんだぜ?」

 それについてはシオンも全面的に同意である。しかし、ダンジョンを進めば進むほど手数が足りなくなるのは事実であり、だからこそ悩ませられる。

 一応、二十四層辺りまでは余裕で来られるくらいの戦力にはなっているが。これからどんどん辛くなっていくのは事実。

 「現状は保留、か」

 「最悪身内で固めればいいんじゃない? 外よりはマシだと思うわよ」

 シオンの呟きにティオネが提案すると、すぐにティオナも追随した。

 「ティオネの案に賛成、かな」

 他の三人は黙っているが、ティオネの案が現実的だと判断しているらしい。しかし、シオンとしては肩を竦めるしかない。

 ――身内に頼りすぎてる気がするんだよなぁ、おれも含めて。

 なまじ強い者が三人もいて、その人達に師事できている影響か、全員【ロキ・ファミリア】以外のところに目を向けない状況になっている。

 ――違うか。家族のような関係だから、甘えているのかもしれない。

 シオンは最初の方で『やらかした』のでそうでもないが。そういえばティオナ等は料理の件で世話になったりと、色々頼っていた気がする。その辺りが大きいのだろうか。

 ――全部身内で終わらせると、後々困るし……どうしようかね、これ。

 人知れず悩むシオンだが、現状は棚上げするしか無かった。

 そんな一幕を挟み数日――既に28層。

 特筆して記すことは何も無かった。これが半年前であれば苦労したのかもしれないが、鈴がLv.2となったことで必要以上にフォローしなくてもよくなったのが大きい。鈴以外はLv.3なので、パーティの総合力はかなりのものだ。

 その上切っ掛けさえあればシオンとベートはいつLv.4となってもおかしくないくらいの【ステイタス】にもなっている。

 とはいえそこまで無理してLv.4を目指すつもりはない。【ステイタス】の伸び代はまだ残っているのだから、勿体無いというのがシオンの考えだ。ベートはわからないが、恐らくシオンとそう変わらない考えのはず。

 そこでシオンは思考を終わらせた。ある特徴的な鳴き声――というか吠え声――が耳に届いたからだ。それはシオン以外の全員にも届いたようで、一様に同じ顔をする。

 ――うわ、面倒くさいのが来た、という表情に。

 「ベート?」

 「……諦めろ、あいつらだ」

 「めんどくさっ」

 つい口を吐いて出た言葉だが、全員同じ思いである。何せこれからくる奴等はそれだけ相手したくないのだ。

 それでも戦わなければならない。あの吠え声がしたという事は、ここにいるという事がバレて捕捉されたのと同義。

 「全員戦闘準備」

 幸い、と言っていいのか、ここは三叉路だった。前方左右の通路に注意していれば――後方はティオネに任せている――いいのだから。

 全員が武器を構えた数秒後、右の通路から一体の狼が現れた。ただし狼と言っても四足歩行ではなく猫背ながら二足歩行、しかもその手には武器がある。

 それが一体、二体、三体四体五体六体――どんどん増える。まだ増える。最終的に二十から三十程にまで膨れ上がった。

 ――こいつぁどうなんだ?

 ――まだマシな方。

 ――……こいつら狼じゃなくてゴキブリなんじゃねぇのか……。

 一瞬のアイコンタクト。しかし告げられた事実に、一応は同じ『狼』であるベートは嫌そうに尻尾を揺らした。

 「――先手必勝ってな」

 が、気分とは無関係にベートの刃が真っ先に飛びかかってきた一体の首を切り落とした。

 それを合図に、郡狼が迫り来る。全員ではなく、ある程度の数が()()()()()()、だ。

 ――ホンットに、面倒くせぇ。

 この狼の正式名称は『ウォーウルフ』という。別に複雑な理由で付けられたものではない。単純明快にこいつらの習性を考慮して付けられた名前だ。

 まずウォーウルフは最低二桁からなる群れで行動する。その群れの総数はまちまちで、どうやって増えていくのかは冒険者にも未だわかっていない。ただギルドで把握している限りでは、最大で三桁を超える事すらあったという。

 とにかく、それによる数の暴力が基本となるのだが、ウォーウルフはある程度のチームワークを発揮してくる。それぞれの個体はLv.2からLv.3程度だが、このチームワークによってウォーウルフはLv.4相当の扱いを受けていた。

 通常のモンスターは量より質なのだが、このウォーウルフは質より量。

 まぁ、ここまではいい。多少面倒だがそれだけだ。毛嫌いされるほどでもない。

 問題は――こいつら、()()()()()()()()()

 そのフロアの近辺にいるウォーウルフを呼ぶ。最悪声に惹かれた別種のモンスターも呼ぶ。とにかく呼ぶ。しかも好き勝手呼んだ挙句呼んだモンスターに殺される事もある。全くもって意味がわからない。

 冒険者とモンスターが入り乱れた乱戦を生み出す迷惑者――そこからついたのが『闘争の狼(ウォーウルフ)』なのである。

 だからこそ冒険者はできるだけこのモンスターとは相対しないようにし、もし相対すれば嫌々ながらも援軍を呼ばれないよう気をつけつつ戦う。

 「――全員ウォーウルフの習性わかってるな!? 半分以下になったら吠えようとする奴を殺しにいけ! 何を置いても殺せ! 首を落とせッ!!」

 一度でも援軍を呼ばれればわかる恐怖。それ故にシオン達は全員一致で考えた。

 ――吠えた奴から、首を置いていってもらう。

 その殺気に最も臆病且つ敏感なウォーウルフが体を震わせた。まだ半分を下回っていないが、何か感じるものがあったのだろう、援軍を呼ぶ独特の声を出そうとし、

 「――テメェから死ぬか?」

 背後から聞こえた声と共に、声を出せぬまま意識を閉ざした。

 その脚力を利用しての超接近。最近益々速度に磨きがかかってきたせいか、もはや遊撃というよりも暗殺に近くなっている。

 そこに思うところがないでもない。だが、些事だ。ベートは気配を消しつつ、一番奥の方にいるウォーウルフに狙いを定めた。

 「よいっしょっとぉ!」

 上段からの大振りな一撃が、構えた盾ごとウォーウルフを叩き潰した。肉の塊をハンバーグにするように。ほいっと一声出して大剣を持ち上げると、妙な音と共に大量の血が垂れた。

 それを気にせず下段に剣を構えると、前から飛びかかってきたウォーウルフの腹に向けて横薙ぎを叩き込む。またもグシャッと嫌な音がするも、もう慣れた。『力』の値が伸びすぎたのと、大剣の性質上大抵の敵は挽肉にしかなってくれないのだ。

 しかし、やはりというべきかティオナの大剣の技術はそこまでではない。相変わらずの力任せ故に、一撃の威力はあっても隙は大きい。

 現に、この隙を突いて後ろから奇襲をしかけるウォーウルフに反応できていない。

 「――任せた、鈴」

 「あいよ、任された」

 それをカバーするのはティオネ――ではなく鈴。後方から投げナイフで援護するには限度があるからと、代わりにフォローするようになった鈴の手が瞬く。

 一閃。

 長年染み込んだ技術によって、鞘にしまわれた刀が神速で打ち抜かれる。油断すればシオンでも捉えきるのが難しいそれは、たかがウォーウルフ程度に見切れるはずがない。

 隙を突いた、と思っていただろうものは、その油断を突かれた。

 「ま、あたいは一人じゃどうにもできないんだけど」

 刀をしまい、ティオナの邪魔にならない位置で待機。ウォーウルフの単体の戦闘力は、最低でも鈴以上。だから、無理はしない。あくまでフォローに徹する。

 それでいいのだ。シオン達は能力以上の結果を求めていない。だからこそ、鈴は緊張せずに戦える。

 ここまでが右側の通路で戦っているメンバーだ。

 左側の通路で戦っているのはシオンとアイズの二人。

 ティオネは後方から少数で来る別種のモンスターを相手しているのでまた別となる。基本的に投げナイフによる援護が目立つ彼女だが、本気になった近接戦闘能力はかなり高い。単純な力押しならシオンやベート以上――流石に大剣を操るティオナには負ける――なのだから、心配する必要もない。

 だから、今は自分の事に目を向ける。

 アイズはまだ魔法を使っていない。最初から魔法を使っては、危機感を覚えたウォーウルフが援軍を呼ぼうとするかもしれないからだ。戦闘音を出しているせいで、近くにいるモンスターを呼び寄せてしまうかもしれないのに、これ以上増えてはやってられない。

 こちらは二人しかいないのだし、無理に全力を出してガス欠になるより良い。

 まぁ、問題はない。

 シオンとアイズはオールラウンダー、魔法等を使わなければ特筆するべき点はあまりない。ベートのような速度も、ティオナのような怪力も、鈴のような技術もない。

 無い無い付くしではあるが――だからこそ安定する。基礎スペックを高めた結果、爆発力は無いが継戦能力には優れているのだ。

 指揮高揚(コマンドオーダー)は既に使っている。一番最初の指示、アレで。こちらの数が少なくとも、奴等の首を落とす一瞬だけはブーストがかかるので、万が一もないだろう。

 そう――余計な横槍さえ、無かったら。

 『――――――――――ッ!!』

 遠くから通路を震わす叫び声が聞こえた。その叫び声はウォーウルフのそれとは違う。シオンの記憶が正しければ、これはブラッドサウルスと呼ばれるモンスターのものだ。

 「アイズ!」

 「ッ、わかってる!」

 シオンの声に応じ即座に戻ってくるアイズ。ウォーウルフだけなら前に出てもいいが、数が増えればその『万が一』がありえる。ブラッドサウルス一体程度なら、シオンが魔法を併用してすぐに倒せばいいのだから、一旦戻るのが正しい。

 もし二体以上なら――アイズと協力すべきだろう。無茶はしない。

 「……はい?」

 そう考えていたシオンは、それを視認して、戦闘時に出すには似つかわしくない声をあげた。それから何度か瞬きし――その間もウォーウルフの相手をしつつ――驚愕した。

 「うっそだろっ!??」

 ――ウォーウルフがブラッドサウルスに騎乗している、だと!?

 手綱は無い。ブラッドサウルスも嫌々乗せているようにしか見えない。だが、確かにそのウォーウルフはライダーとなっていた。

 ブラッドサウルスは高さ五Mの紅の肌を持った肉食の恐竜。だから、モンスターでさえも餌とするのだが……何故かあのウォーウルフは、その恐竜を従えていた。

 意味がわからない。だが状況は待ってくれず、そのウォーウルフライダー――便宜上ライダーと呼称する――は、ブラッドサウルスから飛び降りると剣を掲げた。その剣は迷宮の武器庫から手に入れた物ではなく、恐らく死んだ冒険者の遺品であっただろう剣だった。

 ここまで来る冒険者の持っていた剣だ、切れ味は勿論、耐久力も相応だろう。何よりあのライダーはそこらのウォーウルフとは異なる威圧感を発している。

 ――強敵だ。何よりあのライダーに他のウォーウルフが従っているのが痛い。

 頭が優れていれば駒も動ける。顔を歪ませ、シオンが相手をしようとした瞬間、ブラッドサウルスが突っ込んできた。

 自身の五倍近い相手からの突進は流石に受けれない。咄嗟に避けると、すぐにライダーが指示を出し、残りのウォーウルフ全てがシオンに襲いかかった。

 「シオン!」

 すぐに助けに行こうとしたアイズだが、足を止めて剣を構え直す。その直後、ライダーの剣と鍔迫り合いになった。

 「……ッ……重、い!?」

 やはりこの個体は他のウォーウルフとは違いすぎる。戦闘力も判断力も。何もかも。シオンとアイズの戦闘力を察知し、与し易い相手を片付けようとしているのだ。

 ――確かに、私はシオンより弱いけど……ッ!

 「舐めないで! 【目覚めよ(テンペスト)】!」

 本気を出せば、ライダーにも勝てる、そう判断した――()()()()()()()()()()

 剣を振りかぶっていたはずのライダーが、剣を下ろし、肩からタックルをしてくる。それは剣で斬られるよりも軽い威力であったが、タイミングが、まずかった。

 ――あ……魔力、が――。

 詠唱が、途切れる。魔法名を言う前にタックルをされ、ほんの一瞬だが、意識が乱れた。その結果起きたのは、小規模の魔力爆発。超短文詠唱であったのが幸いし、爆発もそう大きなものではなかったが、しかし、この戦闘において致命的だった。

 意識が混迷する。

 一撃目は、偶然耐えられた。

 二撃目は、倒れる事で避けられた。

 三撃目は、持っていた剣を投げて相手を回避させた。

 四撃目――無理だ、もう、避けられない――ッ!

 死を、覚悟する。

 歪む視界に、剣が見えて。

 「アイズ――ッ!」

 「ぐぇ!?」

 首根っこを引っ掴まれて、放り投げられた。服を引っ張られたせいで首が締まり、何度か咳き込んでしまう。けれど助かったことに変わりはない。

 「し、シオン、ありが――」

 慌てて礼を言いながら立ち上がろうとして、気付いた。

 ――何、この、赤い、の?

 アイズの足から上半身を斜めに横切るように、転々とした血があった。だがおかしい。この血の付き方は、普通じゃありえない。

 嫌な、予感がした。

 バッとシオンのいる方を見て、けれど気のせいだと判断した。

 シオンは五体満足だ。怪我をしたならそうとわかるはず。

 予感が外れたと安堵し、だから、気付かなかった。

 本当に五体満足なら――どうして()()()()()()()()()()()()

 その意味を、考えられなかった。

 アイズを安全圏に移動させてシオンが行ったのは、雷を伴った掌底だ。それをライダーの腹にぶち当てた。当然のように持っている剣で防がれたが。

 その上勢いのままに後ろへ飛んだので、衝撃もほとんど流されただろう。距離を取らせるのが目的だったとは言え、ちょっと笑うしかない。

 このまま戦闘になったら厳しいか、そう思うも、ライダーはブラッドサウルスのいる方を見た。そこにはウォーウルフ全てを()()()ブラッドサウルス一頭が残っているのみ、狼の姿は影も形もない。

 ライダーがシオンを見てくる。

 「……ああ、ウォーウルフならブラッドサウルスに攻撃を誘発させたら勝手に殺し合って勝手に食われてたよ?」

 元々同士でもなんでもないのだ。本来餌に過ぎない相手に攻撃されれば、ライダーに従わせられていただけにすぎないブラッドサウルスは、当然、怒る。味方だと思っていた相手が自分達を食い始めれば、それに抵抗しようとする。その結果がアレだ。

 しばらくブラッドサウルスを眺めていたライダーは、通路の先、ベート達の方の戦闘音が途切れたのに気付いたのだろう。短く声をあげると、ブラッドサウルスを呼び寄せ、その背に飛び乗るとそのまま去っていく。

 それを油断なく眺め、その姿が影すら見えなくなると判断した瞬間、シオンは腕を抑えた。それでもボタボタと流れ落ちる大量の血液。

 ――命があるだけ儲けもん、だよな?

 シオンの腕は、肘から先が無くなっていた。その先があるのは、アイズの倒れている場所の更に後方。斬られた腕がグルグルと回転しながら飛んでいったのだ。アイズの体に斜めに付着した血液はこれのせい。

 腹の中から急激に何かがせり上がってくる気持ちの悪い感覚。どう見ても血が足りない。それでも耐えようとして、フッと意識が飛んだ。

 ――あ……これ、ヤバ……。

 不幸中の幸い、なのか。

 本来感じるはずの激痛を感じなかったことだけが、マシと言える事だった。




うーん、二話更新したいなぁとか考えていたけど甘い考えでした。FGOの7章は木曜日に終わらせたんですけど、休みの一日使い潰した皺寄せががががが。

とりあえず今章の起の部分を書きましたが、何となく後の話との矛盾がありそうな予感。今日はこのまま見直しとかしてちょくちょく修正します。

次回は普通に最新話戻ります。彼女の説明もきちんとやりますよー。


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日常に潜む詛

 「本当、ほんっとーにシオンはいっつも無茶ばかりするんです!」

 「まぁ、そうでしょうね。むしろ無茶をしない彼の姿を想像できないほどですし」

 ダンダン、とテーブルの台を叩くアイズに反論せず、むしろ同意を示すように頷きながら、プレシスは手元の作業を進めていく。自身の作業に集中しながらそれと並行して話すことなど、彼女にとっては容易いこと。

 それを知っているから、アイズも彼女に愚痴を言い続けることができた。

 「昨日のダンジョンだって、腕切断されるなんて大怪我しちゃってたし……」

 「そうですか、腕を切断――え?」

 「その前のダンジョンだと、大丈夫って言ってたのに猛毒状態になってて危ない状況になったこともあったし」

 うんうん頷いていたプレシスは、途中から跳ね上がってきたその内容に固まった。確か彼等が潜っている階層において、彼の腕を切断できるような腕を持つモンスターも、『耐異常』を貫通できるモンスターもいなかったはず。

 「それは、一体どういうことですか?」

 「え? よくわからないけど、最近『怪物進呈』を押し付けられる事が多くて、その分の負担がシオンに行ってるから」

 必然、シオンが負う怪我は多くなる。

 何となくシオンはその原因を察しているようだが沈黙を保っているせいでアイズには何一つわからない。

 ただ、彼はアイズに対して何も言ってくれない事が多い。その理由がわからなくて、どうしようもなく不安で、何より――怖い。

 シオンの考えがわからない。少し前まではそんな事無かったのに。戦闘時はともかく、平時はもう、彼の考えが、少しもわからなかった。

 一度作業をしている手を止めて、アイズのいる方へ視線を移す。声の具合から彼女が今何をどう思って感じているのかはわかっている。しかしやはり、姿を見たほうがわかる情報は多い。

 その得た情報で、プレシスは意識して優しい、穏やかな声を出した。

 「そう心配する必要はありません。不安に思う必要もありません」

 「それは、どういう」

 「シオンがあなたに何も言わないのは、単純です。()()()()()()、というものですよ」

 確か、シオン達は十歳を超えて、後少しで十一という年齢になるはず。言葉通りの『子供』という区分を乗り越え、『男』と『女』を意識し始める年代だ。

 その頃にやっと男の子は女の子に対し自分がどう見られているかを意識し始める。そのせいで見当違いな事をしてしまうことが多々あるが――それはさておき。

 「元々シオンには意地がありました。それは私達から見れば『子供の』意地で――今のアイズから見たシオンは『男の』意地なんですよ」

 「……わからない」

 「でしょうね。私とて偉そうに言える程経験はありませんし」

 これがシオンと同じ男性ならもっとわかりやすく言えるのだろうが、あいにくここにいるのは二人共女だ。

 ただ、今まで共に組んだパーティメンバーから察するに言えるのは、

 「男がバカな意地を見せる時は二つ。女の前で良い格好を見せたい時か――」

 もう一つ、

 「大切な女の子に心配をかけたくない、という――私達からすれば見当外れな時だけでしょう」

 男の意地等女の視点から見ればいつもバレバレで、だからこそ一層心配させられるのだという事をわかっていない。事実、アイズもそうさせられている。

 同じ心配させられるでも、ちゃんと話してくれた方が良いという事に気付いてくれない。そこにやきもきさせられる。

 まぁ、気付いてくれないからこそ――男の意地、なのだろうが。

 「大、切……って」

 そんな事を考えている内に、アイズは何かを思い出したのか、俯いていた。しかしプレシスの視界には、耳まで真っ赤になっている姿がよく見えた。

 「ふふ、耳まで真っ赤です。シオンの事ですから何とも言えませんし、あくまで私の想像に過ぎませんけどね」

 「か、からかわないっ!」

 赤い顔のまま威嚇してくるが、可愛いものだ。子猫の威嚇のように見えてしまう。その優しい視線に気付いて益々顔を赤くするアイズは、プレシスからすればまだまだ子供だった。

 けれど、思う。昔のアイズはここまで露骨に反応しなかった。

 ――意識するのは男の子だけじゃないのですよ、アイズ。

 少しだけ遅かったが。

 アイズにも『女の子』としての意識が芽生え始めていることに、どこか寂寥を感じてしまうのはどうしてなのか。

 そこは、考えないようにした。主に自分の年齢的に。

 まだ、自分に子供はいないのだし――。

 

 

 

 

 

 プレシスのところから逃げ――部屋を出たアイズは、ふらふらと街を歩いていた。アテはなく、ただ歩いているだけ。ただ、時折手に持った袋の存在を確かめるようにギュッと強く握りながら歩いていた。

 ――シオンへの餞別です。帰ったら無理矢理にでも飲ませてください。

 逃げようとしたのを察し、すかさず薬入りの袋を手渡してきたプレシスには色々と勝てる気がしない。戦闘経験ではそろそろ勝ってきたかもしれないが、人生経験では遠く及ばないと思い知らされる。

 「ハァ……」

 「どうした嬢ちゃん、溜め息なんてして」

 「おじさん」

 重苦しい溜め息を吐き出すと、それを見とがめた人物がいた。それはアイズ、というよりもシオンと親しい人。確かシオンが恋のキューピッドとなり――人選ミスにも程があると思ったが、彼は他人の恋は得意らしい――見事相手を射止めた、という話を聞いたことがある。

 名前は知らない。ただ、自分も相手もお互いシオンを知っているので、近況報告をし合う程度の薄い関係だ。

 中年男性と幼女の密会、と言うと警備兵を呼ぶ沙汰だが、生憎とアイズの方が強い。どちらかというと衛生兵を呼ぶ沙汰になる。この男性は妻となった女性を愛しているし、その女性と会ったこともあるアイズはそれを知っていた。女性自身も夫の交友関係を阻む気はなく、そのためそんな自体になることはありえないが。

 「つっても、嬢ちゃんが溜め息をする理由なんてのはシオンのことしか思い浮かばんが」

 「やっぱり、わかる?」

 「嬢ちゃんの心を乱す相手がそれしか思い浮かばないってのが一番の理由だけどな」

 そもそもこの人は【ロキ・ファミリア】のメンバーはシオンと、アイズと、ベートしか知らないのだという事を思い出す。

 そして、アイズは基本的にシオンにベッタリで――否定、できなかった。

 「詳しい事は聞かんが、何か気になる事があるなら答えはするぜ」

 気を遣ったのか、そう言ってくれるおじさん。大丈夫、と答えようとしたが、ふと、プレシスが言っていた事を思い出す。

 ――女にはわからない、男の意地。

 そう、彼女達は女性。けれど、目の前にいるのは男性。それを聞くには打って付けの相手ではなかろうか。

 やがて、アイズはおずおずと尋ねた。

 「あの。自分の大切な女性(ひと)のためなら……おじさんは、自分の腕を切り捨てられる?」

 「は?」

 余りにも予想外な質問だったのか、呆気にとられた顔を見せる。やはり質問するにしても変すぎたか、と後悔していると、何かを察したのか、半笑いを浮かべた。

 「そうか、シオンが腕を切り落とすような事があったのか」

 「何で、そんなにあっさり」

 「質問が変すぎる。普通『命を賭けられる』じゃないか? 聞くにしても」

 良くも悪くもアイズは素直だから、その辺も関係しているが。

 それにしても、と今度は呆れをあらわにする。

 「腕を切り落とされるような自体があって、それを選ぶ事を決められるって。アイツ本当に十歳なのか……?」

 正直に言えば、自分なら怖いし嫌だと思う。それが普通の反応で、そうじゃないシオンは異常と言える。ただ、前提条件があるならば。

 目の前の少女を守るためであれば、腕を賭けられる大馬鹿者(おとこ)は大勢いるのではなかろうか。

 男は所詮美女や美少女に弱い生き物なのだし――。

 話が逸れた。

 「大切な女のために自分の腕を切り捨てられるか、か。まぁ、はっきり言っちまうと、痛いのは嫌だな。俺は戦った経験なんてないし、喧嘩もガキの頃にしたくらいだ」

 「そう、なんだ」

 参考になりそうにない、と言いたげな顔に苦笑が溢れる。額面通りに言葉を受け取りすぎだ、悪い奴に騙されそうでおっかない。

 そこはシオンが守るだろうから良いとして。

 今は彼女の質問に答えよう。

 「だけどな、それでアイツが助かるならくれてやるさ」

 「え?」

 「流石に命まではくれてやれない。命をやったらアイツが一人になっちまうからな」

 そこはシオンに説教された。何故だかわからないが、シオンは命を投げ捨てるという行為をとにかく嫌う。足掻いてでも生き残れ、と言われたのだ。

 残された人間は絶対にその時の事を後悔するから、と。

 「だから腕一本くらいなら、痛くても、怖くても、耐えてみせるさ」

 「……それは、男の意地?」

 「おう、意地だ。バカな男のな。女から見れば理解できなくても、同じ男には理解できる、頑固さだ」

 そういうもの、らしい。やっぱりアイズには理解できない。というより、理解したくない、という方が正しいだろうか。アイズは戦う人間だから、自分の身くらい自分で守れる。

 「それでも守りたいと思うのが、男ってもんなのさ」

 あっけらかんと、おじさんは笑う。不満そうにするアイズを見るに、理解はまだまだ遠そうだった。

 

 

 

 

 

 「……とまぁ、こんなところだ」

 「うーん、やっぱりお互いピーキーな性能してるねぇ」

 ゼェハァと荒い息を吐いてぶっ倒れている鈴と、鈴程ではないものの胸を上下させ、痛みを堪えるように腕や足を捻るベート。二人は半年前に使ったあの武器とスキルをそれぞれ使い、練習していたのだが、極端過ぎるそれは練習するにも体を酷使する。

 鈴の『魔力閃・開放』は完全に溜めてから発動すると一時間近く失神するし、ベートの火薬を仕込んだ手甲や靴は、下手な動きをすると四肢がもげる。ダンジョン内で使わないと周囲に被害が出るというのに、そのダンジョン内でやると自分達が危ないという悪循環。

 「はいはい、これでも飲んで体を休めなさい。全く、何で私が付き合わされなきゃいけないのよもう。私は団長の手伝いっていう崇高な仕事が――」

 「ティオネ、そのフィンから休暇を言い渡されたんだから、口を閉じて手伝ってねー」

 だから他の者に手伝いを頼むのは、ある種当然だった。しかし交友関係が狭い二人、頼める相手なんて、同じパーティメンバーくらいしか思い浮かばなかった。それ故に、ベートにとって天敵である姉妹にわざわざお願いして付いてもらってきたわけだ。

 その光景を見ていたフィンからの後押しもあり、ティオネは渋々、そんな彼女を無理矢理引っ張って快く引き受けたのがティオナ。最近姉妹の力関係が逆転してきたのは気のせいではない。ティオナに変な貫禄が出始めているせいか、無駄に圧倒されるのだ。

 ちなみにティオナは昼食の用意をしている。ティオネはその手伝い。

 「無駄に口を開くと唾とか飛んじゃうかもしれないから、黙々と切ること。二人は休んでいていいけど、食べ終わったら洗い物くらいしてね」

 『りょ、了解……』

 その貫禄に押され、鈴とベートは同時に頷いた。それからしばらくしてできたのは簡易なスープと握り飯、それからサンドイッチ。肉を焼いたものと野菜が少々。ダンジョン内部では豪勢な食事には期待できない。むしろこれで豪勢な方である。

 四人は黙々と食べ進める。彼等がいるのは18層。モンスターが壁から産まれない階層といえども、モンスターが出現しないわけじゃない。

 人は食事時と睡眠時に警戒心が薄れる。だからこそ会話せず、薄れそうになる警戒心を引き締めて周囲を警戒するのだ。

 「そういえば、ずっと不思議だったんだけど」

 ふと、真っ先に食べ終えたティオナが言う。味見としてちょこちょこ口に入れていた彼女は、あらかじめ量を少なめにしていた。だからこそ食べ終わったのだろう。

 そんな彼女は続けて、

 「鈴って、どうしてまだ()()()()()()んだろうね?」

 そう、不思議そうにいった。

 ――カザミ・鈴という少女はまだ二つ名を貰っていない。

 それは【ロキ・ファミリア】において周知の事実となっている。ロキがきちんと『恩恵』を与えているのでLv.2になったのは知っているのだが。

 だからこそ、よりいっそう不思議に思ってしまうのだ。

 鈴自身は理由を知っているそうで、特に残念がっていないのが、それを助長させた。

 「――情報が無いから、だそうだ」

 「へ?」

 「あたいが刀を振るって戦う事以外に目立った情報がない。そのせいで、二つ名決めに意見が飛び交いすぎて纏まらず、どうしようもなかった――と、ロキは言っていた」

 実際はオモシロオカシイ二つ名を付けようとしたが、ロキに睨まれてできず。かといって無難な物にしようとすれば、やはり特徴的なモノにはならず。

 結論として、もう少し情報を集めてから決めよう、となったわけである。鈴自身二つ名にはあまり興味が無かったので、これ幸い、とのこと。

 「そんな事も、あるんだねぇ……」

 「纏め役がいれば決まっていたとも言ってたけど。ま、あたいは二つ名が欲しいなんて思っちゃいないし、いつでも構わないよ」

 まぁ、本音を言えば。

 「どっかの誰かさんみたいに『初恋(ラヴ)』が二つ名ってのも、恥ずかしすぎるし……」

 「う゛っ!?」

 グサリ、と『どっかの誰かさん』に槍が突き刺さる音がした。ぐふぁ、と口から血を吐いて――いるように見える――倒れ伏した。

 「あーあ、折角忘れてたのに……直球過ぎて本人も使いたくない二つ名だからね」

 ティオネ自身もちょっとアレな感じだが、ティオナ程直球ではない。その分だけまだマシではあった。ティオネの場合それでからかってきた相手はその拳で粉砕してきたので、からかう相手は既にいなかったりする。

 「……感性の違いかねぇ……」

 ちなみに、ベートはそこそこ自分の二つ名を気に入ってたりする。言ったら姉妹に何か言われそうなので、口の中だけで留めておいたが。

 しかし、やはり、どうにも違和感が強い。その違和感に気付いていながら、誰も、決して口にはしない。

 シオンがいないと、調子が狂う、と。

 

 

 

 

 

 そのシオンは、といえば。

 「……ッ」

 「ほら、我慢して! 傷自体はもう治ってるんだし、その痛みは錯覚だよ!」

 切られた腕を手で覆い、ありえないはずの痛みに耐えていた。幻痛だ。切り落とされた後に万能薬でくっつけ直してもシオンを襲うその痛みは、洒落になっていない。常に何かに切られているような、あるいは炎で焼かれているような、そんな激痛だ。

 だからこそベート達はシオンを誘いたくても誘えず――アイズには知られたくなかったから、彼女はそもそも知らない。

 ダンジョン中は耐えた。家に帰っても耐えられた。そして、一人になって――顔中に脂汗を浮かべて、叫んだ。

 それに気付いたベートが真夜中だというのを承知の上でユリエラの部屋を強襲し、無理矢理連れてきて、今に至る。

 しかし彼女にできることはそう多くない。肉体的な不備は何も無いのだ、できる事は精々睡眠薬を飲ませて一時でも痛みから遠ざけるのみ。それだって何度も服用させればシオンの高すぎる『耐異常』によって無効化される。

 こういった類の事はユリエラの専門分野ではない。寝ずの番をしているが、果たしてどれだけの効果があるのか。

 もう一度薬を飲ませて落ち着かせたが――もう、ほとんど効果は無い。後数十分程持続させるのが限界か。それが終われば、もう効果は出ないだろう。

 「おかしいって、絶対に! 幻痛にしたって痛みが強すぎる……! それに、なんか切られた部分に妙な物を感じるし」

 それが具体的になんなのか、と問われると答えに窮する。単なる個人の勘でしかなく、だからこそアテも何も無い。

 ただ、彼女の勘は、こう叫んでいる。

 ――放っておくと、手遅れになっちゃうよ!

 だからこそ、尚の事焦らされる。ユリエラは、プレシスと並んでオラリオで最も腕の立つ薬師として名を馳せている。その彼女がわからない事は、ほぼイコールで他の誰もが知らない可能性が高いということ。

 「あぁ、もう……こんな時のために知識を付けて、経験積んだっていうのに……役立たないんじゃ意味がないよ」

 はしたなくも親指の爪を噛み締める。それからすぐにやめて唾液を拭い、溜め息を吐き出してすぐ傍にあった椅子に座る。

 それから、目を閉じる。もう眠い、眠すぎる。だから、少しだけ目を瞑って――トントン、というノックの音に気付き、目を覚ました。

 窓の外を見れば、薄暗い。結局数時間程寝ていたらしい。シオンを見やれば、睡眠薬関係なく寝ているようで、少しホッとした。

 「はーい、ちょっと待ってねー」

 それからすぐに扉を開けて、対応する。相手の顔を見ようと思ったら、いない。すぐに視線を下に向ければ、見慣れた金髪。

 「……アイズ?」

 「……ユリ?」

 お互いに予期せぬ相手が出てきたことに、一瞬硬直する。アイズは何故シオンの部屋にユリがと思い、ユリはアイズにシオンの状況を知られてはマズい、という焦りから。

 「どうして、ユリが?」

 「うーん……シオンには黙ってって言われてたんだけど、ま、仕方ないか」

 流石にユリがなんの理由も無くここにいるというのは不自然すぎる。そもそもシオンはつい先日怪我をしたばかり、そこに薬師がいるとなれば、すぐに気付くだろう。だから、隠すだけ無駄な事だ。

 「シオンって腕切られたでしょ? そこをくっつけ直しても、『切られた』っていう感覚は意外に残るものなんだ」

 そのせいでシオンは今、常時『切られ続けている』感覚を味わっている。それを何とかするためにユリはここにいる――と、嘘ではない説明をした。

 「そう、なんだ……」

 聞き終えたアイズは、ユリの言葉に顔を落とした。影に隠れて見えないその顔は、ユリには想像できない。そもそもシオンが怪我した状況を知らないのだから、当然だが。

 「あの、これ。プレシスさんから、シオンに飲ませろって、私に」

 「ん? シスっちから? ほーい、了解了解。シオンは今寝てるから、起きたらきちんと飲ませておくねー」

 プレシスから、と聞いて一瞬目を鋭くさせる。しかしそれも一転、すぐに笑顔を浮かべて受け取ると、

 「シオンに伝言とかある? 無いなら私は看病の続きに戻るけど」

 「……自分で伝えようと思うから、大丈夫」

 顔を上げたアイズの顔に、影はなかった。シオンに伝える言葉は自分の口から、という覚悟を持っている。

 ユリはそれ以上聞かなかったし、アイズも言うつもりはなかった。ただ肩を竦めると、苦笑を浮かべてユリは扉を閉じた。

 それからすぐに椅子に座り、近くにあったテーブルの上に袋を乗せ、すぐに開ける。出てきたものは一本の瓶。ただ、かなり毒々しい色をしていた。傍から見ればただの毒薬、薬だとわかっているユリでも飲もうとは思わない。

 と、そこで気付いた。この袋は二重――否、三重底だ。ユリが気づけたのは単純で、この瓶の底に張り付いていたシールの『色』だ。

 「『手紙を入れてあります』、ね……」

 アイズはそれを知らない。ということは、知られてはマズい情報でも書いてあるのだろうか。わからないが、ユリは手紙を取り出し、開ける。

 小さな紙には、視認できるギリギリの大きさで、こう書いてあった。

 『シオンの腕が切られた、との事でしたので、アイズに薬を渡しておきました。

 ユリの担当する人は大体が病人だと思いますので、今回のようなケースは苦手だと判断したためです。余計なお節介だとは思いますが、素直に受け取ってください。

 この薬の効果は単純で、痛み止めです。ただし、かなり強力な、という枕詞が付きますが。

 人が痛みを感じるのは、五感の中でも触覚による作用です。ですから、私はその触覚自体を無くす事で痛みを抑制するという薬を作りました。

 この薬を使えば、恐らく今シオンを襲っているだろう幻痛は無くなります。

 問題は、シオンの持つ高い『耐異常』。これを突破するために、いつも作っている物よりかなり高い効果にしてしまいました。副作用は無いと思いますが……。

 他にもあります。一時的に触覚を無くす、というのは、想像以上に辛いものです。幽体離脱を味わっている、というのが表現として適切でしょうか。触れているのに触れていない。その差異は凄まじい違和感となり、日常生活ですらおぼつなくなる。

 ――使うかどうかは、あなたに一任します。

 一番大事な部分を人任せにするのはどうかと思いますが、あなたを信頼してのことです。

 彼を、頼みます』

 そこで手紙は終わっていた。読み終えたプレシスは瓶を手に取り、悩む。悩んでいると、シオンが微かなうめき声を上げた。

 近づいてみると、シオンの顔や首周りが赤くなっている。触れてみると、熱い。痛みによる発熱だろうか、とにかく彼の体は異常を検知している。いくら精神的に痛みに強くとも、程度はあるだろう。

 放っておけば、危うい。

 「……っ。恨むなら、私を恨んでね」

 そう判断して、ユリは、その薬を投入すると決めた――。




言い訳はしません。
今回はサークルとか大学が忙しかったとかじゃあありません。
単にFGOでクロを手に入れるために二日かけて最終再臨させて、その後ふと見つけたSAOのメモデフでユウキを手に入れるために一日十時間以上のリセマラを三日続けていたら更新できなかっただけです(最終的に友人巻き込んで友人が出したユウキ垢を奪――貰いました。軽く四十時間かけて出た大当たりがキリト三人、友人五時間でユウキ――いや、何も言うまい)。
感謝してるんですけどこの虚無感。

更新自体は忘れてはいません、ただ『あとちょっと、もう少しだけ』の欲求に従っていたら更新しなかっただけです。
――尚悪いとか言わないで、自覚してる。

とりあえず今回は導入部分。
序盤だから穏やかに済ませると思った? 割といつも通りなので読者様もそろそろ『あ、普通だな』とか思ってると想像中。

次回は未定。ノシ


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伝わらない意地

 ――目が覚めた、と自覚したのは、少ししてからだった。

 瞼を開き、天井を見る。それはいつもなら、至極当たり前のように『眠りから覚めた』とわかる動作。

 それなのに、今日だけは、ああ、まだ夢の中なのか、と誤認した。

 誤認してしまうほど――体に異常が、起きていた。

 「シオン、起きたの?」

 「ユリ? ……えっ!?」

 ふと自分の視界にユリの顔が入ってくる。顔色は悪く、珍しく化粧をしていた。疲労が濃い顔に無理矢理笑みを貼り付けて、意識の有無を確認してくる。

 それに対し、無意識に彼女の名を呼び、そしてそこで、やっと自覚した。

 ――夢じゃない、現実だ。だけ、ど……。

 昨日アレだけ感じていた腕への激痛は綺麗サッパリ消えていた。それだけであれば、ああ、治ったのかと思う事だろう。でも、そうじゃなかった。

 消えたのは――体全ての感覚。

 シオンという人間は今、確かに言葉を発した。けれどその過程において、口が開き、閉じる、また舌を動かすという動作の中で、何も感じられなかった。

 思えば服や、掛け布団の感触も、何も無い。

 視覚と、聴覚と、嗅覚。後は恐らく味覚が残っているだけで、触覚が完全に、機能していなかった。

 何がどうなって、と一瞬パニックになりかけるも、

 「落ち着いて、シオン。今説明するから」

 ス、とユリは自分の目の上に手を置いた。やはり、何も感じない。それでも『触れられている』という事がわかると、記憶の中にある彼女の手の感触が想起され、少しだけ、落ち着いた。

 何度か深呼吸を行う。ただ、限度がわからない。どれだけの息を吸っていて、どれだけの息を吐き出しているのか――それらがわからないとこれだけ困るのだと、わかってしまった。

 正直に言おう。

 この体では、まともに生活さえできない、と。

 「今のシオンは、一時的に触覚を消されている状態なんだ。……もう自覚してると思うけど」

 実はこの時、ユリはシオンの腹に手を置いていた。無意識の呼吸は問題ない。体に染み付いた自律的ではない行動は、違和感無く遂行される。

 ただ、完全に自律的な行動――先にやった深呼吸など――本人が強く意識してやった行動は、不都合が出る。

 だからこそ、ユリはシオンが深呼吸『しすぎない』ように、お腹を押して無理矢理息を吐かせたのだが――果たして、気づいているかどうか。

 「……すぐに、気付いたよ」

 「だよ、ね。五感に鋭い冒険者程、この薬は影響が出やすい。それは予想してたから、うん、外れてて欲しかったけどね」

 五感が鋭く、またそれに頼っていた者程、不都合な部分が顕著に表れる。それは今までに相手してきた患者の話からもわかっていた。

 シオンも例外ではない。年齢に反して様々なことができる彼であっても、人間なのだ。

 「ところで、おれの腕は? そもそもどうしてこの薬を使ったんだ。」

 「何時間経っても痛みが無くならないから、緊急措置で使ったの。腕の方は、よくわからない。情けないけどさ」

 何時間、とユリは言ったが、シオンは察した。それ以上の時間をかけても全く治る気配が無かったのだろう、と。

 けれど、彼女は黙して語らず、あくまでシオンの予想でしかない。そのためシオンにはかける言葉を見つけることはできない。

 「それとね、シオン。今気付いたことなんだけど」

 「どうした」

 「シオンの話し方が、少しだけおかしくなってる」

 「……?」

 それがどうかしたのだろうか。そう思って首を傾げていると、ユリも何とも言えない表情を浮かべていた。

 「あのさ、シオンの声ってよく通るよね」

 その辺は自分に言われても、という感じだ。少なくとも指示を出すとき相手に聞こえないのは論外だから、意識して聞こえやすいような声を出しているが。

 そう伝えると、

 「ぁー、ってことはそれが理由だね。普段意識して声を通らせてるから、その部分を無くすと違和感が出る、と」

 わかりやすく言うと『腹から声出せ』ができていない状況にある、ということだ。普段付き合いのない相手であれば気付かないだろうが、パーティメンバーである彼等は誤魔化せない。

 「こういう時シオンが嘘を吐ける人間だったら喉の調子が悪いから、とか言って誤魔化せるんだろうけどねー」

 嘘を言わないのは良い事だが、シオンの場合融通が効かない。それが美徳だと言われてしまえば否定できないのだが、こういった状況だとやり辛いことこの上なかった。

 「……ただの我侭だから、曲げてもいいが」

 「無理矢理曲げたら後悔しか残らないってわかってるから遠慮しとく。代わりに自分で何とかしてもらうけど」

 「……すまない」

 困るのはシオンなのに謝られるのは困るんだけど、と苦笑すると、ユリはふと思った。

 ――そういえば、シオンの怪我はどこで負ったんだろ?

 怪我をした後のことは知っていても、実際に怪我をした時の状況は知らない。

 「ねえシオン。腕を切り落とされたのって、どういう状況だったの?」

 「……普通の状況、だった。はずだ」

 鈴がLv.2となり、再び19層へと潜れるようになった。あの頃より全員強くなり、またあの罠が仕掛けられていても大丈夫だと、自負できるくらいになったからだ。

 その自信に従い、20層、21層と進み、シオンが完全にマップを覚えていた30層――その二つ上の28層にまで、日数をかけて進んでいった。

 そうして28層の敵にも慣れて、29層以降に進んでも大丈夫だ、と判断したくらいだろうか。28層周辺でもかなり厄介なモンスターの集団と対峙した。

 それ自体は別にいい。多少驚かされたが、地力で勝るシオン達ならば難なく倒せる相手だから。

 ただその過程で、不思議な事があった。

 「不思議なこと?」

 「ああ。ブラッドサウルスを騎馬にした、ウォーウルフライダー……そいつは冒険者の剣を持っていて、異様に強かった。おれが腕を切り落とされたのも、そいつのせいだからな」

 ブラッドサウルスに騎乗していた理由はわからない。単純に力で従えていた可能性が一番大きいだろうし。

 モンスターが冒険者の剣を持っていた。これもおかしい。とはいえ、ダンジョンで死なない冒険者はいない。死んだ冒険者の持っていた武器を手に入れたモンスターとているだろう。

 異様な強さ。これは長年戦い続けたからか、あるいはあのオークのような『強化個体』なのかもしれない。

 わかるのは、あのライダーの手によってアイズが殺されかけた事だ。それでも本来なら腕を切り落とされずとも済んだ。ちゃんと考えれば、無傷で済んだのだ。

 それなのに、シオンの体は、反射的に動いていた。

 何の理由もない、ただの直感が、叫んでいたから。

 ――アレを食らったらマズい!

 そうして無理に庇った結果、シオンは腕を切り落とされた。

 「で、今こうして実際にやばかったと証明されている、というわけだな」

 「……どう見ても、ただの武器じゃないよね、それ」

 「今思い返すとおれもそう思う。ただ、魔剣でもそんな効果を持った物はなかったはずだから、何もわからないんだけど」

 お互いに溜め息を吐き、それから数秒後、ユリは立ち上がった。もうここでやる事はないから、帰るのだ。

 荷物も何も無いから、手ぶらでいいのだし。

 「しばらくは経過観察になると思う。その腕の異常は調べておくけど、あんまり期待しないでおいてね。それと薬の効果が切れた時には、シスっちのところに行くこと」

 今ユリから言えるのはその程度だった。正直薬師としては不甲斐ないにも程があるセリフ。けれど彼女は全知の神ではない。これが、限界だった。

 内心で感じる苛立ちを押し殺し、シオンには笑顔を向けて部屋を出る。

 「……プレシスと相談しないと、ね」

 まず間違いなくディアンケヒトに挑発されるだろうが――そんなもの、どうでもよかった。友人が苦しんでいる、それを助けるためなら、自分の感情程度呑みこもう。

 「もう、手遅れになるのは絶対にごめんなんだから……!」

 

 

 

 

 

 一方で、残されたシオンは、未だベッドで横になっていた。

 何とはなしに片手を上げて、ふらふらと揺らす。やはりというべきか、当たり前というべきか。そうしたという感覚はない。

 ――手を動かす感覚さえ、存在しない。

 「お手軽な幽体離脱を味わえる、ってか? 笑えない冗談だ……な」

 ユリとプレシス曰く『触覚が無いだけで脳から各神経への伝達はそのまま』らしいので、きちんと頭で体を動かす様を浮かべれば動かせる。

 ただ、かなりの遅延となるが。今の状態でいつも通りの戦闘など絶対にできない。

 「まるで絵か鏡越しに世界を見ている気分だ」

 触覚が無い――何かに触れているという感覚が無いから、現実感が遠のいていく。

 ああ、これと似たような状況を覚えている。義姉が死んだ時の感覚と同じ――心が死にかけていたあの時と、同じ。

 あの時は心で、今は体が死んでいる、とでも言おうか。その経験が無ければ、あるいは既にパニックに陥ってユリの話さえまともに聞けなかったかもしれない。

 まぁ、その辺りの事は全部置いておこう。気にしても仕方がないし、シオンとしては気にするつもりもない。

 問題は、

 「薬が切れた時に痛みが無くなっているかどうか、か」

 いつまでもこの状態でいなくてはならないのか、それだけだ。

 ユリとプレシスが調べてくれるとは言っていた。彼女達の腕と知識は信頼している。それでも、彼女達は絶対の存在ではない。あの二人でさえどうしようもなくなった時――自分は、冒険者で居続けられるだろうか。

 「冒険者を辞めるのは……嫌、だなぁ」

 どうしようもなく、不安になる。

 けれど、それを押し隠す。こんな姿を晒せない。晒したくない。それは奇しくも、アイズが知識として知ったばかりの『男の意地』で耐える、少年そのものだった。

 

 

 

 

 

 ふとティオナが窓の外を見ると、知っている背中が見えた。シオンの友人で、ユリエラ・アスフィーテという薬師。実を言うと、そんなに話したことは無いため、ティオナは彼女のことをよく知らなかったりする。

 ただ、今回はひとつだけ気になることがあった。

 「なんであんなに、体に力が入ってるんだろ……?」

 不自然なまでに緊張している――否、気負っている。まるでそこまでの大事があったかのような感じ。強烈に嫌な予感がする。

 「シオンに何かあった、とか……無い、よね」

 薬師である彼女がああなるとすれば、患者を癒せなかったとか、そういう類の理由くらいしか思い浮かばない。そして今回の患者はシオン。

 実は腕を切り落とされた時に使用された剣に猛毒が、とかだろうか。しかし『耐異常』がおかしいくらい高いシオンがそうなるのは考えにくい。

 ――私に考え事なんてできないんだし、シオンに会えばいっか。

 作り置きしておいたご飯だってある。温め直せばすぐにでも食べられるし、昨日一日寝込んでいたシオンのために、胃に優しいものを選んでおいたから、きっと大丈夫。

 味にだって自信はあるのだ。料理の才能はからっきしだったけれど、地道に覚えていって、今では大丈夫というお墨付きを貰っていた。きっと、喜んでもらえる。

 とにかく決めたら後は行動するのみ。廊下を歩き、料理を保存しておいた場所へと移動する。調理室へたどり着くと、まず冷蔵庫を開けて中身を確認。ティオナが作り置きしておいた鍋は、どうやら誰も触れていないようだ。置いたところから移動していないためすぐに見つけられた。

 中身は大層な物じゃない。お粥と野菜スープを作っておいただけだ。それをすぐに火にかけ温め直すと、蓋のあるお皿に移してシオンの部屋へ。

 ……道中、大人達――特に女性陣――からは微笑ましい物を見るような目を向けられて、妙に気恥ずかしくなってしまうティオナ。ちなみに彼女達は一度、あまりにからかいすぎてティオナが暴走してからは、適宜見極めてからかうという傍迷惑な対応をされている、のだが。

 まぁ、仕方ないというか何というか、彼女はそのあたり、気付いていない。

 やっぱりこの『初恋』とかいう二つ名が悪いんだよね、と色々諦めているだけでもあるが。

 内心の溜め息を飲み込み、そのまま移動。また井戸端会議で噂されるのかなぁとか色々思うもやっぱり何も言うことなく、ティオナはシオンの部屋の前で止まった。

 「シオン、いるー? 入っても大丈夫?」

 両手が塞がっているのでノックができず、仕方なく声をあげる。しばらくして、中から大丈夫だと返された。

 ――あれ? どことなく、声が……。

 声のトーンか、あるいは通りか、あるいは声質そのものがおかしい。病人なのだからちょっと変になっていてもおかしくはないが、ユリエラのあの様子を見た後だと、少し、気になった。

 それでも部屋に入らないという選択肢は無く、お皿を乗せたお盆を落とさないように気をつけつつ扉を開けた。

 中に入るとシオンは起き上がろうとしていたところだった。そんな彼を横目にティオナは部屋にあったテーブルを動かし、ベッドの横へ。そこにお皿を置いた。

 「昨日はご飯を食べる余裕が無かったみたいだし、お腹空いてるでしょ? 胃に負担をかけない物を作っておいたから、これ食べて」

 そう言うと、シオンは一瞬だけ肩を動かし、腹に手を当てた。よくわからない動作だったので首を傾げていると、

 「そう、だな。ありがたくいただくよ」

 何事も無かったかのように笑みを浮かべて、皿を受け取った。温め直したばかりなので蓋を開けると湯気が出てくる。匂いを嗅ぐだけなら、美味しそうだが、果たして。

 何度か息をかけて冷まし、口の中に入れる。病人食ではあるが、シオン自身は別に何かの病気にかかっているわけではない。濃い目の粥は、普通に、美味しかった。

 「……うん、美味い。数ヶ月前と比べても随分腕を上げたなぁ」

 シオンは本を片手に作りながらであれば、基本失敗しない。そのため可もなく不可もなく、妥当なレベルに落ち着くので、もうティオナには負けるだろう。

 「練習、したからね。代わりにシオンとは差をつけられちゃったけど」

 シオンはダンジョン、ティオナは料理に。それぞれ別々の事に時間をかけていたので、その方面ではお互い差ができてしまった。

 「それでもついてこれる程度には鍛えてるんだろ? なら問題ないさ」

 そもそもシオンとベート、アイズが狂人とさえ言えるレベルで『経験値(エクセリア)』を得るのに偏執しているだけであって、むしろティオナやティオネこそが常識的なのだ。

 強くなりたいと思っているからといっても、四六時中ダンジョンへ潜るなど、死にたがりにしか見えないのだし。

 話もそこそこに、粥を口の中へ放り込み、味噌汁を啜る。

 「あ、その味噌汁は鈴から教わってね、皆も驚くくらい美味しいのが――」

 「お粥は治癒師からかな。やっぱり病人を相手にする人だから、色々詳しい人もいて――」

 「そういえば、鈴とベートなんだけど、二人共必殺技みたいなのが形になりつつあるんだ――」

 もっぱら話をするのはティオナだ。シオンは相槌を打つばかりだが、ティオナは満面の笑顔で嬉しそうに見える。

 それは一見、怪我をしたシオンと、それを心配しながらも仕方ないなと看病するティオナ、いつも通りの光景で――。

 だから、彼女は気づけない。シオンは決して、大丈夫なんかじゃないのに。

 ――シオンは、普段通りを意識した。

 必死に普段の自分はどう動いていたかを脳内で再現し、彼女に違和感を与えないようにする。そうしていればどうしても口数は減る。相槌ばかりなのは単に、シオンが話をする余裕が無かっただけだ。

 食べるのでさえ苦労させられた。まず、自分が何をどんな風に握っていて、どれくらいの量を掬ったのかがわからない。触覚がない、というのは重さが感じられない、という事である。知らずして大量にスプーンの上へ載せて口へ放り込めば、この熱さ的に舌が大やけどするのは確実。

 実際に口の中へ入れても、味はするのに形を感じられない。噛んでいるのに噛んでいない――凄まじい矛盾に違和感を覚えてしまう。適当に飲み込めば喉を詰まらせてしまうし、そうなってしまってもシオンはそれに気づけない。

 ――触覚を失うとは、そういうことなのだろう。

 いつも当たり前のように行っていた行動一つ一つを、繊細にやらなければいけない。それは酷く神経を磨り減らす作業で、なるほど発狂しかけるのも頷ける。

 ――一歩間違えれば、死ぬのだから。

 話を聞く余裕など無いのが普通で、それでもシオンは、彼女の前で何事も無い、異常なんてありませんよというふうに振舞う。

 理由はなかった。ただそうしたかった。

 そう――心配をかけさせて、彼女の笑顔を曇らせるのが、嫌だった。

 それはティオナだけじゃない、アイズもだ。ティオネだって気にするだろうし、いつもは素っ気ないベートだって、眉を寄せて不機嫌そうに尻尾を揺らすだろう。鈴は、ちょっとわからないが。

 「ティオナ、ご飯ありがとう。御馳走様でした」

 「お粗末さまでした。お皿はそこに置いといてね」

 それを表には出さない。絶対に、絶対に、彼女に悟られてはいけないのだ。けれど、これ以上一緒にいれば違和感を悟られてしまう。

 多分、今も少し気付かれかけている。このままいるより、無理を通しても外へ出かけた方が違和感は少ない、はず。

 「ごめんティオナ。ちょっと外に行ってみたいから、後は任せてもいい?」

 「うん、いいよ。行ってらっしゃい、シオン」

 とはいえ着替えていないので、着替えるのが先だが。そのためティオナは先に退出し、シオンはクローゼットの中から適当に漁って服を取り出す。

 服を着替えるのも一苦労させられながら、何とか着替え終えるとすぐに部屋を出る。一応財布は持っていったが武器は持たない。扱えるとも思えないし。

 そうして部屋を出て、廊下を歩いていったシオンは気付いていなかった。

 「シオン……やっぱり……?」

 影から隠れていたティオナの存在に。

 彼女の瞳は揺れている。シオンの体がふらつき――まるで歩き方を忘れたかのような姿を映すその瞳からは、ただ『何故話してくれないのか』という感情だけが、残っていた。




なんか週2になりかけている。
言い訳するなら4つ。
1つは履修登録のために受ける講義が増えたこと。
2つは大学の文化祭でサークルの活動を本気でやらないとやばいこと。
3つは――単にゲームやってただけですすいませんでしたぁ!!

そのくせ内容は短い。短い。
ちなみに4つはプロットの追加。今までも原作が追加されるたびにちょこちょこ修正したり色々やってたんですが(そのせいで何か変になってるところもありますけど)今回は結構付け加えました。
実際前の話と今回の話は構成当初全く書く予定のなかった話。
まぁ矛盾無く書けるかどうかは神のみぞ知る。

次回は来週――にしたいなぁ。
まぁ、お楽しみに?


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気付かぬ助け

 部屋を出たシオンは、ひたすら人のいないであろう方向へ歩いていった。未だに『歩く』という動作が安定していないと判断したからだ。

 視界がブレる、コツコツと歩く時に発する音にズレが生じる、触覚が使えない故に他の感覚で情報を集め、他者にバレないよう、ひたすらに努力した。

 ただこうしていると、周囲の気配を探るのが疎かになってしまうのが問題だった。実際間違えて何人かとすれ違っていたのだが――普段あまり接しない人達だったので、なんとか気付かれずに済んだようだ。挨拶を返すのが遅れたので、珍しいとは思われたようだが。

 ――どこに行こうか。

 外に出る、とは言ったが、行き先など無い。だからこうしてフラフラしている訳なのだが、そうすると彼等と出会う可能性は高まる訳で――やはりというべきか、出会ってしまった。

 「よう、シオン。昨日はダウンしてたみたいだが、今日は大丈夫そうだな?」

 「ベートか。まぁ、ある程度は」

 曲がり角を曲がった時にバッタリ、である。しかも、よりにもよってベートだ。彼は最初の言葉だけはこう言ってくれたが、シオンの体を上から足元まで見下ろすと、言った。

 「……まだ不調みたいだな」

 『ある程度は』と言ったシオンの言葉通り、という意味を含んでそうな声音だ。どうして気づいたのかと聞いてみると、

 「あ? そんな重心ブレまくりのお前が不調じゃないなら何時不調になるんだよ」

 「重心、って」

 「毎度毎度決闘してりゃお前がワザと重心崩して誘ってんのか、本当に崩れてんのかわかるようになるに決まってんだろ。じゃないと負けるんだからよ」

 要するに彼は、ちょっとした違和感を嗅ぎ取っただけらしい。確かに今のシオンはまともに立つだけでも一苦労の状態なのだが、まさかそんなところから察せられるとは。

 「……いやぁ、やっぱりお前を誤魔化すのは無理か」

 「ったりめぇだ。――俺だけじゃねぇけどよ」

 「何か言ったか?」

 「いんや、別に。そんなこたぁどうでもいい。それより、その体で動き回ってて支障はねぇのかよ」

 ベートの呟きが気にかかるが、何となく絶対に言わないんだろうな、と思ったので諦めてしまった。言ってくれないのなら理由があるか、あるいは些細な事なのだろうし。

 そう考えて、今の質問に答えた。

 「戦うのは流石に無理だけど、歩き回るくらいなら問題ないよ。この状態でダンジョンに行くつもりも無いし……死にたくないからな」

 「なら、まぁいいが。変なとこには行くなよ? オラリオ(ここ)は、絶対に安全じゃねーんだから」

 「……知ってるよ。だから、大丈夫」

 危ないところに近づいてはならない――その事を、シオンは苦い記憶と共によく知っていた。

 シオンの表情に苦いものが過ぎったからだろう、ベートは一瞬『やっちまった』というように顔を顰めたが、すぐに戻して、

 「なんかあったら言え。戦えないお前の代わりに、俺が戦ってやる」

 一度肩を叩くと、そのまま通り過ぎていった。その対応に少しだけ安心できて、シオンは最後に笑顔でありがとうと言えた。

 

 

 

 

 

 気付かれているのに気付いていない、そんなシオンに、ベートはいつ自分の口から文句が飛び出てくるかひやひやしていた。

 正直言えば、その辺が影響してあの場所から去ったことは否定できない。

 「――そんだけじゃねぇだろうに、ったくよ」

 どうして言わない、と何度言いかけた事か。自制できたのは正直偶然のように思える。

 「重心が崩れて、あんなにふらついてる癖に大丈夫な訳ないだろうが」

 ベートの知る限り、シオン以上に自制心に溢れた人間はいない。多少の怪我であればそうと気付かせない程の鉄面皮――だから、わかる。気付いてしまう。

 シオンが体調の悪化を表に出す時は、()()()()()()()()()()()()()()()()状態である時のみである、という事に。

 「昨日はユリエラが看病してたんだろ? それでもまだアレっつー事は、あの時の怪我には解析不可能な毒かなんかでも込められたのか……?」

 アイツの『耐異常』を考えれば、あの階層で毒にかかるとは思えないのだが、ダンジョンでは何が起こるかわからないと言われるのが既に常識となっている。

 だから、シオンの高い『耐異常』を貫くモンスターがいても不思議ではない、のだが。

 「ユリエラが治せないとか、ありえるのか」

 既存のモンスターが所有する毒であればまずありえない、はず。ベートは治癒系の魔法を覚えた魔道士でなければ、調合スキルを持った薬師でもないため確信はできないが。

 前提として、彼女にも治せない、というのであれば、どうしたものか。

 「いや、待てよ? 亀の甲より年の功……」

 ふと思い付き、ベートはあまり近付きたくないあの神様の顔を思い浮かべ――ハァ、と溜め息を吐き出しながらあの部屋へ向けて歩き出す。

 陰鬱そうな顔になりながらもその部屋の前まで行き、何度か逡巡し、部屋の扉を開け――

 「――ん? ぉ? ベート? ベートやん? いやぁ珍しいなぁ、あんたがうちのところに来るだなんて。なんや、『恩恵』の更新は昨日やったばかりやし、お? もしかして雑談しに来てくれたとか――」

 「黙れ。うぜぇ」

 「――無いですよねー」

 真顔で、且つガチトーンで返されたロキはガックリと項垂れた。相変わらずの塩対応、正直お互い慣れた感はあるが、どうにもやってしまう。

 とりあえず、と仕切り直してロキは散らばっている部屋の物を乱雑に片付け、持ってきた椅子にベートを座らせ、自分はベッドで横になる。失礼すぎる対応だが、数年来の付き合いがある眷属に対して、ロキは取り繕うことをするつもりはなかった。

 「それで、実際何の用や。ベートがくるっちゅー事は余程のコトでも起こったんだと考えとるんやけど」

 「……おい、ロキ。お前、(うえ)だと謀略を得意としていた神様なんだよな?」

 「いきなりやな。ま、合っとるで。いがみ合ってる神様同士を焚きつけて、怒らせて殺し合わせたり、騙して上手く利用したり。その頃の影響で今でもうちを嫌っとる、あるいは畏れとる奴もいるくらいにはな」

 今でこそロキは――再三言うが、あの頃のロキを知っているヘファイストスが本心から驚くくらいには――丸くなっているが、天でのロキはまさしく『悪』の体現者。

 まぁあの頃の自分がやった事は特に後悔していないので、何とも言えないところはあるが。

 「それを聞くっちゅう事は、()()()()に用が?」

 「正確には、謀略を得意とするくらいに回る知恵に、だ」

 ほぅ、とロキは起き上がり、体勢を整えてベートを見つめる。普段、シオン達はロキやフィン達を決して頼らない。上位者に力を借りすぎれば甘えを生むとわかっているからだ。

 それを破ってまで頼るのであれば、相応の理由があるのだろう。

 と、いうようなごちゃごちゃした理由はさておき。

 可愛い我が子が必死に頼ってきているのだ――断る親などいるわけがないだろう。ロキが手を貸すのは、それだけで十分な理由になる。

 「いいで? 何でも聞いてきな。うちの知恵、存分に見せたるわ」

 

 

 

 

 

 一方でシオンはホームの外を出て歩き回っていた。

 体調が治ってない以上、外へ出るのは危険でしかないとわかっているが、シオンという人間はボーッとしている自分を許せないタイプ。無為な時間を過ごすのを厭う人間だ。街中の散策程度でもダンジョンに役立つものが見つかるかもしれない、そう思って出てきた。

 とはいえ、そう簡単に見つかるわけもない。いっそのこと椿のところにでも行ったほうが――それこそベートが作った篭手や靴のギミックみたいなものを相談できるという意味で――余程有用だろう。

 しかし椿も、アレでLv.4の冒険者。その上シオン達の専属鍛冶師、不調くらい一瞬で見抜いてくるのは想像に難くない。

 「アレ、おれって意外と交友範囲狭い……?」

 というより、冒険者以外に話す相手が少ないだけだろう。何の理由もなしに突撃するのは遠慮がある相手ならば、多いのだが。

 「それって顔見知り程度の相手ってだけなんだけど」

 ハァ、と気付いてしまった事実に溜め息。その後頭を掻きつつ、シオンはふらふらと適当に歩き回る。

 いっそアオイの墓参りか、シルのところにでも食事に行ってしまおうかと考え、足を向け直したところで、視線を感じた。

 触覚で、ではない。もっと深いところを見られているような――そんな、感覚。相手に気付かれないように、と思いながら顔を動かしたが、すぐに気付かれた。

 原因は、『彼女』の周囲を警戒するように守り、侍っている四兄弟。彼等の顔は一度も見たことは無いが、守られている女性の顔は知っている。そこから自ずと正体も知れた。

 「あら、久しぶりね。前に会ったのは随分と前だけれど……見違えるように、強くなった」

 「神フレイヤ……それに、ガリバー兄弟」

 かつてロキが開催した『宴』以来出会って以降、顔を見たことも無い美の女神。そんな彼女がどうしてここにいるのか、と思うも、それを聞くのは許されそうにない。

 周囲にいるガリバー兄弟のせいだ。親しげに話しかけるフレイヤとは逆。あるいはフレイヤが親しげにしているからこそなのか、とにかく警戒心を向けてくる。一人は武器に手をかけていて、シオンにその気は無いのに一触即発の雰囲気を出していた。

 そのせいか、シオンの驚いた顔は真顔になりだし、目付きは鋭く、体勢は戦闘時のものへと移行してしまう。職業病、だろう。

 ――ガリバー兄弟。Lvは全員4、おれよりも一つ上。ただし四兄弟故か、あるいは小人族だからなのか、連携はオラリオでも最高峰。フィン曰く『シオン達に勝るとも劣らない』らしい。個にして群の体現者達。

 単純な強さで言えばLv.5あるいはLv.6にも届きうる、と冷静な思考が告げる。

 ――勝てない。

 戦いにすらならない。せめてシオン自身がLv.4あるいはLv.5になっていれば、無理矢理隙を作って勝ちの目を作れるかもしれないけれど。

 ――どちらにせよこの体じゃ格下にも勝てない、か。

 それでもただで負けるのはプライドが許さない。その空気を察したのだろう、彼等も全員が武器を手に取り、

 「はい、そこまで」

 お互いに飛び出しかけた、その寸前のことだった。

 フレイヤは呆れながらもパン、と両手を叩いて、五人を正気に戻す。それと同時にシオンは戦闘時に纏う空気を綺麗サッパリ消し飛ばし、きょとんとしてしまう。そのギャップに驚いた四兄弟もお互いの顔を見合わせると、引いてしまった。

 鋭い目つきが収まり、子供特有の丸っこい顔と目は、シオンの外見と相まって愛らしいとさえ言える。ただやはり、さっきの表情を見たあとだと不気味としか思えず、

 「あなたって、本当、凄いわね」

 色んな意味で、とは言えなかった。

 「はぁ……?」

 シオンもシオンで、生返事しかできなかったが。

 「それから、あなた達四人はもうちょっと自重しなさい。確かに子供の内はやんちゃでいるべきだと思うけれど、それにも限度があるのだから」

 何より彼等に課された命令は『何があってもフレイヤの身柄を守ること』であって、それ以外のことに意識を傾けるべきではない。この事を命令を出したオッタルが知れば、折檻は免れないだろう。

 それに思い至ったのか、彼等の顔が一斉に青くなる。普段は温厚で優しく、気遣いのできる彼であるが――ことフレイヤに対する事柄だけは、その二つ名に恥じぬ激情を顕にする。それを一度でも見れば、そうなってしまうのは当然だろう。

 「さて、シオン。迷惑をかけたわね。お詫びに一つ、教えてあげる」

 というより、元からこれを伝えるためにわざわざホームから出て、シオンのところに来ただけなのだが、こうした方が不自然ではないだろうと考えて、敢えてそう言った。

 ちなみに四兄弟は不自然なまでに緊張している。理由はわかるが、とりあえず自業自得としか言えない。ご愁傷様である。

 「何を、教えて下さるのですか?」

 四兄弟の手前、敬語で話しておく。これ以上余計なトラブルを生むのはごめんだというスタンスだ。フレイヤも察したのだろう、苦笑しつつも答えた。

 「あなた、厄介な物を背負ってるわよ」

 ――たった、それだけ。

 ただ、これ以上ないくらいの適切な助言ではあった。シオンは気付けなかったようだが、フレイヤにそれ以上の助言をするつもりはない。ただ小さく笑うと、そのまま去ってしまった。

 「……厄介な物、か」

 彼女の姿が完全に消えたあと、シオンはぽつりと呟いた。

 はっきりいって訳がわからない。ただ、フレイヤがわざわざそう忠告してきた、という事実を忘れてはならない。

 この言葉はきちんと覚えておこう、そう思いながら、シオンも背を向け、アオイのところへ行くために花屋へと歩き出した。

 

 

 

 

 

 「――フレイヤ様、何故貴女がこのようなことを?」

 シオンの気配が完全に辿れなくなった頃に、長男が代表してフレイヤに問うた。フレイヤ自身は最初、外に出かけたくなったから、と言っていたが、それにしては何の躊躇もなく彼のいるところを目指していた気がする。

 己の神たるフレイヤに問いかけるなど不敬の極みもいいところだが、自分達と同じかそれ以下の年齢の者を気にかけていると知ると、どうしても、気になってしまうのだ。

 フレイヤは沈黙したまま、コツコツと靴音を響かせて歩いている。やはり聞くという行為自体が不敬であったのか。

 「私はね、自分の気に入ったものはできるだけ手に入れておきたい主義なの」

 その為なら己ができる範囲で何でもしてきた。そう、それこそその美貌を使って無理矢理引き抜いてまで。もちろん、そうとバレないようにしたし、限度は設けたが。

 己の【ファミリア】と同等以上の相手に所属する者、などが一例か。

 その限度に従い、シオンの引き抜きはしなかった――イシュタルの魅了を跳ね返した時点で半ば諦めていたけれども――のだ、が。

 「それができなければ、目に付いた者がどうなるか、行き着く先が見たい、と思うのよ」

 結局のところフレイヤもそこらの神と何ら変わらない。

 楽しいことがしたい。面白いものが見たい。この退屈を、そうと感じさせないくらいの愉悦を教えてくれ――! と。

 「だからこそ」

 逆に、それを阻む者がいるとすれば、

 「それを取り上げようとするのだけは、許せないの。例えそれが、どんな相手であっても」

 彼女達は、その対象を全力で消滅させるように動くだろう。

 「だけど、あんまり過度な干渉はしないわ。あのアドバイスで生き残れば良し、生き残れなければその内死ぬ程度だった、という事なのだから」

 オッタル的には生き残って欲しいだろうが。あの約束は、何だかんだオッタルにも影響を与えていたから。

 神様が使うのはおかしいのだろうが。

 「全ては神のみぞ知る、ということよ」




今週は熱出しました。そのため過去に書いた話の中で一番短い。とかく短い。
……先週? ネトゲ(FGOではない)で久々に本気出したら忘れてました。友人達から『久しぶりにキチってる』とか言われながらもガチってました。

気にしたら負けですヨ!

後いきなりプロットにない部分を一からぶっ込んだせいで未だに過程と終わりが定まっていない。
だから次回も短いかも。……ダメだコイツとか思いながらも付き合ってくれると大変嬉しいと思う作者であります。


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呪いと呪詛

 ベートによってもたらされた『シオンの不調』、その原因と思われる事と、そもそも不調であると思った理由をロキは聞いた。

 聞いた、のだが。

 「――うん、さっぱりわからんわ」

 「……やっぱテメェに頼んだのが間違いだったか。チッ、使えねぇ。俺ぁ行くぜ」

 「ベートはもうちょっと言葉の裏を探る癖をつけようなぁ!?」

 わからない、と言い切った瞬間、ベートはゴミ虫でも見るかのような目でそう吐き捨てた。元々の容姿と相まって物凄く()になっているし、その手の嗜好の持ち主であれば大層喜ぶだろうが、生憎ロキにはそんな趣味を持ち合わせていない。

 背を向けようとするベートの肩に慌てて手を置いて固定すると、必死で弁論する。

 「わからん、そう言い切ったのは情報が足りなさ過ぎて確定できんからや。その事はシオンを診察したあの子も言ってたで?」

 「んだよ、なら最初からそう言えっての」

 「うっさいわ、交渉とかこういった時はシオンに甘えまくってるっちゅーに。一人前になってからそういう口きき」

 ビキッ、とベートの額に青筋が入る。しかし、ベート自身無意識に気付いていたこと、図星で怒るのは相当情けないと知っていたことによって、深呼吸で無理矢理己を落ち着かせる。挑発に乗って迷惑をかけた事数回、シオン達に説教されたこと数十回。ちゃんと、糧にしていた。

 俺はまだ子供、戦闘だけできればそれでいい――と、これはこれで十分アレな思考を浮かべつつベートは聞いた。

 「情報が足りないっつったな。それでも現時点でわかることはあるだろ? せめてそれくらい聞かせてくれよ」

 「聞いてどうするんや?」

 「どうせそっちは精度の高いモンから調べるんだろ? それなら俺は精度の低い、信頼性の無い物から調べる。組織的に優先度の低い方はどうしても蔑ろになりがちだからな」

 ――なるほど、とロキは納得した。

 同時に、なんだかんだシオンをよく見ている、とも思った。相手の言葉の『裏を読む』という事については経験が足りていないからできずとも、相手の些細な言動と己の持つ知識から、真実を嗅ぎ分ける嗅覚はあるらしい。

 その辺はシオンの十八番、なのだが。ベートも覚えてしまったらしい。

 知らずして苦笑を浮かべるロキにベートは思い切り睨みつけてくる。子供扱いされた、とでも思ったのだろうか。それとも話を逸らされた、とか。

 ――安心し、その覚悟をのらりくらりと誤魔化すほど、うちは過保護やない。

 パン、と柏手を打って、お互いの気持ちをリセットさせる。音が鳴り止んだ時、二人の表情は真顔――真剣な物となっていた。

 「んじゃ、まずは精度の高いもんから言おうか」

 「……ああ、頼む」

 礼儀として頭を下げたベートを横目に、ロキは情報を纏めておいた紙束を横から取り出す。その最初のページから言った。

 「まず最も可能性の高いもんは、毒物やな。正直シオン程高い『耐異常』を貫くモンスターはダンジョンでもそれなりに深いところくらいやろうけど、ま、ありえない話でもない」

 注意書きとして、この可能性が当てはまっていたら、オラリオでも最高峰の薬師が診断できない特異な毒物の可能性アリ、その場合現状では手に負えない代物である、ということとなる。

 「次に、シオンの腕を斬ったモンスターの持つ剣。これに人工的な毒物が塗られていた、とかの可能性やな」

 「人工の、毒物……?」

 「せや。ベートも知っての通り、『調合』スキルは何も薬とかを作るだけに使えるもんやない。当然毒物を作るのにだって使える。……正規の【ファミリア】に所属しているもんで、そんな物を作る眷属はいないだろうけど、な」

 だが、それは逆に言えば。

 闇派閥に所属している者であれば、作ることも、またそれを使うことを躊躇う事も、無い。付け加えればシオンは異様なまでに彼等から忌み嫌われている。

 可能性は、高い。

 「チッ、毎度毎度奴等は余計なことばっかしやがるってか? ……ゴキブリみてぇに後から後から湧いてくる害虫共が」

 「ベート、言い方言い方」

 まだ確定もしていないのにこの罵倒具合。余程腹に据えかねていたらしい。気持ちは良くわかるが落ち着け、と手振りで示して落ち着かせる。

 このまま頭に血を昇らせ(ヒートアップし)ていても意味はないのだし。

 「他には単純に幻痛か。『腕を切り落とされた』という感覚が抜け落ちず、縫合、治癒しても時折その時の激痛に襲われる症状。肉体的に異常はなく、あくまで精神的な異常のため、対処法はそう多くない。プレシス曰く一種のトラウマなのではないだろうか、という考えもあるが、そちらの知識は私に不足しているため判断できない。ただこの場合どうにかできるのはシオン自身のみで、私達薬師にできるのは痛み止め等の鎮痛剤を処方するのみである、やって」

 ただ、この可能性は低い、らしい。ただの痛みに呻いているにしてはシオンの反応はありえないくらいに酷すぎる。

 そもそも彼は痛みに強い人間だ。よっぽどの事が無ければ痛みを外に出しはしない。それを押し隠せていない、というベートの言が正しければ、やはりこの線はないだろう。

 「まぁ、現状で判断できるのはこのくらいやな」

 「あくまで精度の高いもんで、だろ? 他には?」

 「魔法、とかか。それでもここまで持続性のある魔法は聞いたことが無いしなぁ」

 自己にかける魔法と、後はかつての騒動における『アレ』等の例外は聞いたことがある。だが、他者に害を成す、という事に限れば、覚えはない。

 「あるとすれば――アレか」

 「……?」

 極めて七面倒臭い下準備の果てにやっと効果が出せる物。魔法ほどの即効性は無く、だからこそ誰も知らず、だからこそ――その存在は、復讐の役に立つ、という。

 真っ当な人間であれば絶対に手を出さないモノ。

 「呪い、ってやつやな」

 

 

 

 

 

 呪い、というモノには二つの種別がある。

 『呪詛(カース)』と『呪い』、である。同じ意味を持つが、この世界では前者と後者では分けて使われるのが一般的だ。

 ――そもそも後者を知る者はほぼいないため、一般的、というのは前者のみに当てはまるが。

 まず呪詛であるが、こちらは魔法と似たような物だ。詠唱を引き金として発動するモノ。ただしその効果は通常の魔法とは違い、混乱や金縛り、強制的な痛覚を与える等の、間接的且つ直接的な影響の低い類の代物だ。

 これを食らっても死ぬわけではない。

 これを食らっても魔法程に辛いわけではない。

 ただし――この魔法を喰らえば。凄まじく戦況に影響が出る。

 例えば最前線で魔法使いを守る盾役が金縛りに合えば。その者は何もできないままモンスターに殺されて戦線が崩壊する、なんて事になりかねない。

 更に『呪詛』という嫌な言葉通り、魔法とは違い効果が薄い反面防ぐ手立てが限られている。防御も治癒も専用の道具が無ければならない。しかも『耐異常』では防げないため、どれだけその値が高くとも――仮にSまであったとしても――意味がない。

 なるほど影に徹する者であればこれほど使い勝手の良い物ではない。だが、因果応報というものがある。誰かを呪えば自身もまた呪われる。

 この術の行使中、術者はその効果に応じた罰則(ペナルティ)が与えられる。軽いものであれば良いが、もし重いものであれば――言うまでもない。

 この部分によって、闇派閥に属する物でもそうおいそれとは使えない。

 呪詛の存在を知る者は少なく、行使する者はもっと少なく、それ故対策するための道具は数があまり無い上に高い。正しく悪循環。

 「……これなんじゃねぇの?」

 「さっき言ったやろ? 『罰則が与えられる』って」

 そう、他人に痛みを与え続ける――それもシオンが耐えられないほどの――という呪詛。もし本当にやるのであれば、例えば『本人も同等の痛みを受ける』といった罰則が与えられるか、それに準ずる代物を受け続けなければならない。

 常人なら、気が狂うだろう、とロキは思う。それこそ専門の――それこそ拷問なんかの耐性を付ける訓練とか――を受けていなければ。

 「うちにはシオンの受けている痛みなんてわからんけど、体の内側を常に掻き混ぜられ続ければ誰だって狂うやろ?」

 「……ああ、確かにな」

 「って訳だから、真っ先に疑ったこの線は低いんよ。あるいは、術者が元から狂っていればありえるかもやけど」

 そこまで行くとたらればの話になる。あくまで一つの線として割り切るしかない。もしこれだったらその時はその時だ。

 「んじゃ、お前が最初に言ってた呪いってのは、なんだ?」

 「うーん、こっちの説明は、どう言えばいいんやろな。……ああ、ちょうどいい前例とかがあったか」

 先に述べた通り、呪詛と呪いは別物だ。

 分かりやすい例を上げるとしたら、過去の――神々が地上に降りる前の魔法と、降りた後の魔法などだ。かつての魔法はエルフ達を始めとした先天的な魔法行使者(マジックユーザー)のみに許された物であり、それ以外の種族には使うことができなかった。

 だが、神々が人々に与えた『神の恩恵』によって、どの種族であっても、魔法が発言する可能性が与えられた。

 勿論エルフのように無限にとは行かず、三つまでの制限はあるが、それはまた別の話なので置いておこう。

 この例は、呪詛と呪いにもそのまま当てはまる。

 呪詛は、『恩恵』によって発動する物。

 ならば、呪いはどうなるのか。先の例に例えれば、恩恵に頼らないもの、となる。

 「恩恵に……頼らない」

 「本人の知識と努力と――何より限りない復讐心。それらが無ければ発動すらできず、途中中断すれば呪いの効果は本人に跳ね返ってくる。そのせいで廃れきってしまった技術・系統やな」

 本当にそれが正しいのかの確認で数年。下準備に数年。行使にまた数年。大抵の人間は正しいのかという確認で挫折し、それを通り抜けても必要な道具を揃える下準備で諦める。下準備を終えても『失敗したら』という恐怖心で、止めてしまう。

 それらを全て飲み込んだ者、真性の復讐者のみが使う、『呪い』。

 「当たり前やけど恩恵が無いから本人の技術のみが頼り。その代わり効果は呪詛よりも絶大で、何より()()()()()()()()()()()()()

 ちなみに、この『廃れた技術』であるはずの呪いを何故ロキが知っているのかは――言うまでもないだろう。

 「ただ今に至るまでこの呪いの正しい知識を記した書物なんてあるのか、あったとしてその内容を信じて使おうなんて思う酔狂な人間はいるのか、そう考えると、な」

 「ありえなくはないが、ありえる可能性は限りなく低い、と」

 確認するように聞けば、ロキは肩を竦めて応じた。

 ――その通りだ、と。

 だから基本的には前者三つを探るつもりだ、と。そう告げて、ロキは締めくくった。彼女の持つ知識ではこれ以外の可能性が出てこない。

 「悪いな、あんま力になれんで」

 「いや……」

 少し力無く笑うロキに、ベートは少し躊躇い、それを飲み干すのにまた躊躇い。

 「……十分、力になってくれた。その、ありがとな」

 そして、言った。

 ベートは呪詛やら呪いなんてもの、知りもしなかった。それでも教えてくれた事に対し、何も言わないのはありえない。

 だからこそ、礼を言った。慣れない言葉だから、随分とぶっきらぼうだったが。

 これはからかわれるか、と内心で身構えていたが。

 「そっか。うん、それならええわ。……頑張ってな、ベート」

 帰ってきたのは彼女が滅多に浮かべない、胡散臭いものでもオヤジくさいものでもない、ロキが『女神』であると心底から確信させる、綺麗な笑みだった。

 思いもしない光景に、ベートの全てが止まる。

 ――こいつ『ロキ』か? 偽物じゃねぇの?

 と思ったかどうかは定かではない。




1ヶ月の音沙汰無し、本当に申し訳ありませんでした。

各授業で出された課題が積み重なって大量になり、そこにサークルから出されていた文化祭で出す課題が乗っかっててんやわんやになってました。

まぁ課題はどうとでもなったんですけど、サークルで私がやってたのはプログラミングでして。コードを書いて、デバックして、バグが無いかの確認して、あったら修正して、また確認して、バグが無ければまた記述して(以下ループ)で死んでました。

一日5~8時間やってました。知識が無いから先輩曰く『頭の悪い』方法でゴリ押ししたので眼と頭が……痛い……。
終わった翌日一日中死んでました。体も酷使してましたし。

と、こんな感じで色々ありましたがそれも終わりましたので元の投稿ペースに戻したい、のですけど。
やっぱり一ヶ月は放置しすぎてて、どこまで書いててどういった展開にしようかという細かい部分を綺麗サッパリ忘れてました。そのため今回はリハビリ程度の5000文字。情けない……情けない……。

――過ぎた事は忘れましょう。忘れたいんです私が(現実逃避)。

ここまでが小説書けなかった事情(という言い訳)です。

次から自分の趣味的な言葉の羅列。興味ない人スクロールスルー推奨。

Fate/EXTELLA買いました。ネロも玉藻もアルテラも可愛い&綺麗過ぎてやばい。特にアルテラがFGOで欲しい衝動ががががががが。

ストーリーはアルテラまで終了させました。全ステージ全難易度(イージー・ノーマル・ハード)のEXもやったので、レベルもそこそこ上がりましたね。

まだまだやり込み要素もありますし、アドホックモードとやらもあるのでその内友人と一緒にやりたいところ。

問題点。P制じゃないためどの難易度でもとかく時間がかかる。全部のEXランク達成は楽じゃないんだぜ……。

ではまた来週ノシ


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狼のやり方

 バタン、と閉じられた扉を見やる。礼を述べた後、時間が惜しいとばかりに出て行った少年の行動を予測し、数十秒。

 「話があると言われてきたけど、何か用でも?」

 「ん、予想通りや。ばっちしのタイミングやで」

 「……?」

 出て行った少年の代わりに、外見上彼と同じかそれ以下に見える少年、否青年が入ってくる。その青年、フィンに、ロキは折り畳まれた紙を持ち出すと、彼に向けた。

 やはり意味がわからず眉根を寄せたまま、しかし何だかんだ彼女を信頼しているフィンは素直に受け取った。

 見ても? という意味を込めたジェスチャーをするが、ロキはどちらでもと返す。

 「これの中身は?」

 「ちょっとした情報、やね。それを後でティオナの部屋にでも置いてってや。それで多分、上手くいくから」

 「……お得意の謀略って事かい? 久しぶりだよ、そういう事する姿を見るのは」

 「まぁ、今はしなくても皆が頑張ってくれるしな。でも、またしなきゃいけなくなったかもしれんし。錆び付いた勘を戻すためにってことで」

 ふぅ、とため息を吐きつつ、フィンは了承の意を示す。それから小首を傾げ、

 「他にも要件があるんだろう?」

 「勿論。その手紙を置いた後、フィンにはいくつかやってもらう事がある」

 ベートが推測した通り『精度の高い情報』の精査に入った。

 

 

 

 

 

 ――俺がやるべき事は一つしかないだろうな。

 一方部屋を出た少年、ベートは早足となって自室を目指していた。その姿になんだなんだ、と少し注目されつつも全てを振り払いつつ、思う。

 ――シオンの体にある物が毒にしろ呪いにしろ呪詛にしろ、切っ掛けになった可能性が高い物がある。

 彼の腕を切り落とした、あの剣。思えばシオンは初めからあの剣を警戒し、警戒していたから攻撃を受けかけたアイズを庇ったのだろうか。

 ……そう、なのだろう。シオンは彼女達が傷つくよりも、自分が傷つく方を選ぶ人間だ。ベートとしては怪我を負う原因となるのは大概自分の責任なのだから、そこまでする理由は無いと思うのだが。シオンにとっては、関係無いのだろう。

 難儀な性格だ。自分達を見捨てないからこそ信頼して指示に従えるが、同時に危機に陥った時の対応は、やはり詰めが甘い。リーダーとしては、良いとこ半分くらいしか点数を上げられない。

 それでも『それもアリ』と思えてしまうのは、シオンの魅力か。アイズやティオナはそんなシオンを支えたいと思っているし、ティオネは冷酷な部分は自分が背負おうと考えている。鈴はまだ決めかねていたはずだ。

 ベート自身はどう考えているのだろう。どう思っているのだろう。

 他のメンバーの事はすぐにわかった。だが自分のこととなると、とんとわからない。ティオネ辺りにでも相談すればすぐ答えが返ってくるだろうが、それはあまりに癪でできていない。

 「そこまで深く考えたことも無いけど、な」

 双剣を腰に差し、椿に頼んで改良してしまった篭手と靴を装着し。高等回復薬や万能薬を入れた袋を持って、準備を整える。

 他の者には、声をかけなかった。

 理由はわからない。正直、ただの勘である。その勘が、一人の方が都合が良い、と判断していたのだ。それに従った結果だった。

 だからベートは、一人で向かう。

 シオンが怪我を負った場所――即ち、29層へと。

 ちなみに、だが。

 もしティオネに聞けば、こんな返答をされるだろう。

 『――起こった問題を、影から解決する。裏方に徹するでしょうよ』

 支えるのでもない、できない部分をやるのでもない。

 シオンが動けない時に、代わりに動く。それがベートのする事だ――。

 

 

 

 

 

 陽が中天を昇る時間帯。燦々と照りつける太陽に、篭手や靴に熱が篭る、熱くて熱くて仕方がない。水でもかけたら面白いことになるだろう。触っても同じだ。実際には笑えないが。

 それは周りの者達も同じようで、皆互いが触れないように気を付けている。熱の篭る鎧に触れればあっさり火傷するからだ。そのためダンジョンを目指す者は日陰を通って少しでも直射日光を防ぎつつ早足となり、戻ってきたものは既にどこかで鎧を脱いだのか。大きな袋を重たそうに運んでいる。

 ベートもそれに倣い、早足となって進んでいた。彼は篭手と靴、それから双剣だけが鉄なので比較的マシであったが。それでも暑いし、熱い。

 頭の上にある両耳もゲンナリと萎れていた。

 ようやっとダンジョンのある塔までたどり着くと、休む間も無く階段を降りる。一番下まで降りたところで、袋から水筒を取り出し、口に含んだ。

 それから息を整えつつ、考える。

 ――時間は、あまりかけられねぇ。敵はとにかく振り切って、穴も使って最速で18層に行くのが目標だな。

 ベートの脚力をもってすれば、運にもよるが18層など数時間で辿り着く。だから、その運を引き寄せる。

 ――久しぶりに、本気で行くぜ!

 足を攣らないように、何度か足の調子を確かめて。

 ドンッ! と、地面に小さな罅を作りながら、ベートは駆けた。その様はまさしく狼。上体を引き下げ、四つん這い寸前になりながらも、決して倒れない。

 速度に特化し、攻撃力も防御力も捨てたベートの速力は、Lv.4と比べても速い。何せ【ランクアップ】する前に敏捷だけは必ずSまで届くのだ、遅いわけがなかった。

 ゴブリンやらコボルトは視認すら叶わず。下手すると行き掛けの駄賃として首を掻っ切られさえして終わってしまう。

 当たり前だ。上層のモンスターとは、そのほとんどが人間達の言うLv.1に分類される。時折いる動体視力に優れた個体も、眼だけが気付いても体がついて来ない、という状態になり、ベートを害する事はできなかった。

 中層になっても似たような物で、アルミラージはその小ささから行き掛けの駄賃は貰えなかったが、気付かれないまま素通りする。

 もし中層でベートを攻撃できる者がいるとすれば、それは視覚ではなく聴覚や触覚など、眼以外の感覚に頼るモンスターくらいだろう。

 そして、中層ではその感覚に頼り、且つベートを攻撃するための遠隔攻撃を持つモンスターが一種類だけいた。

 ――ヘルハウンド、か。やっぱこいつだけは振り切れねぇか……。

 四足歩行の犬――犬、というには凶悪過ぎるが――は、既に相対する前から口内に炎を溜めていたようで、もういつでも発射できる段階にいた。

 けれど、それだけだ。

 見たところヘルハウンドはこの一体だけ。その一体が放つ炎の規模など知れている。

 口から放たれた炎。ずっとずっと昔なら『恐ろしい』と素直に思った炎。しかし今では、

 「ハァッ!」

 迫る炎を剣で『切り裂く』。椿特性の双剣は、ベートの思った通りの性能を発揮してくれた。そのままもう片方の剣でもってヘルハウンドの首を落とし、結局一歩も立ち止まる事のないまま彼はその場を後にする。

 それからも何度かヘルハウンドとは会ったが、先ほどの個体が特別鋭かっただけなのか、出会い頭に火炎放射、というのをされる事は無かった。されなければ話は簡単で、ゴブリンやコボルトと扱いは同じ。後ろから攻撃されないよう、しっかりと首を落としてさっさと消える。

 そんな事を繰り返していたら、気付けば18層に着いてしまった。体感時間ではおよそ五時間かそこら。

 ――記録大幅更新じゃねぇか。いつもより多少手間取ったはずなんだが。

 少し戸惑いつつも、水筒を取り出し中身を全部飲み干した。中身が空になったのを確かめると、川の音のする方へ足を向ける。ここまで強行突破だったので、小休憩を挟まなければ、いざ28層に行ってから倒れてしまう。

 「……そういや、もう28層にはいねぇ可能性もあったな」

 今更気付いたが、もう遅い。手がかりがあれば御の字、無いなら素直に諦める。そう決めて、ベートは19層以降の行動を考え始めた。

 

 

 

 

 

 アテもなく、ただ漫然と街を歩いていた。

 こんな風に目的も意味もなく外を歩くのはいつ以来だろうか。ホームの外へ出るときには必ず何がしかの用事を持っていて、それ以外では外へ出ず、ホームで鍛錬でもしていた記憶しかない。今思っても――いや、今でも、だろうか――子供らしくない子供だ。

 気付いても、それでいい、と思ってしまう。

 子供だから、何もできない。子供だから、ただ守られているだけ。それでいい、と大抵の人は言うだろう。甘えて、我が儘言って、守られるのが子供だ、と。

 ――無理だ。許容できない。もうおれは、そんな子供ではいられない。

 幸いにしてこの世界には、例え子供でも大の大人以上に戦える機能『神の恩恵』があった。だからこそここまでこれた、けれど。

 ――もし、このまま戦えない状態が、当たり前になってしまったら。

 そう思っただけで、シオンの腹の底に『何か』が溜まっていく。それは吐き気で、怖気で、それ以上の、言葉にはできないモノ。

 「無邪気な子供(じぶん)はあの時死んだ。捨てた。だから――」

 名を変えたのは、義姉を忘れないため、だけではない。

 あの名は、何も知らずに愛されるだけの日々を感受していた自分の象徴。甘えの結晶。この名は『守る』というためならどんな事にも耐える。戦い続ける。そういう意味をそれぞれに込めて、決別の意を示して、名を変えた。

 「だから、まだ、戦うための力を失いたくない」

 『守るための力』はシオンにとっての存在理由。

 ああ、思えば当然なのだろう。戦えない状態とは、それすなわちシオンという者が存在する理由の消失でもある。アイデンティティが崩壊すれば、その人間は自己を保っていられないのだから。

 そういう意味では幸いだった。確かに今、シオンの体は全身を抉る痛みを受けている。けれど、逆に言えば()()()()()()()()()

 四肢は動く。脳は回る。痛みで精神は常に抉られるが、何、それも耐えればいい。痛みを受け続けるという状況が日常になるまで。

 それは一種の狂気だった。そう考えて、何より実行できてしまうだろうシオンは、表に出てこないだけで、狂人でしかなかった。

 どちらにしろ許容するだろう。自身が狂人であろうと、シオンは受け入れる。今更なのだし。

 ――とりあえず、どうするか。最悪な場合の方針は決まったけど。目下何をするかがさっぱりなのがな。

 触覚を消したまま過ごすのも少しは慣れた。眼と耳を最大限に使って周囲の情報を把握すれば普段通りの行動をするのに支障は無い。物に触れる、という場合はまた別だが、それも多少のラグができるくらいだろう。

 「……良くないもの、か」

 ふと思い出すのは、先程出会った女神様の言葉だ。シオンの勘だが、彼女は煙に巻くことはあれ嘘は言わない、と思う。つまり、今のシオンには本当に『良くないもの』があるのだろう。それが病気か毒かあるいは他のなにかかはわからないが。

 「うーん、こういう場合は医師に見せる……いや、ユリに見てもらっても意味無かったし。それならいっそオカルト的に占い師、とか?」

 「占い師? 何か占いたいことでもあるの?」

 「うぉ!?」

 いきなり肩を叩かれて驚くシオン。バッと距離を取って叩いてきた人物の顔を見つめ、それからドッと肩を落とした。

 「なんだ、サニアか。驚いて損した」

 「うわーひどーい。女の子にその言い方はポイント低いよ?」

 「別に異性に好かれたいとは思っていない」

 本心から言った言葉に、サニアと呼ばれた少女は肩を竦めた。どうやら彼女はオフのようで、その腰にはいつぞや見た双剣を持っていない。普段はツインテールにしている髪型も、今日はストレートに流していた。

 「ああ、これ? あの髪型はダンジョンで邪魔にならないように纏めてるだけで、普段はこんな感じだよ」

 シオンの視線で気付いたのか、サニアは笑いながら髪を梳く。それ以降、どうにも会話が続かない。別に無理して会話するつもりはシオンには無かったのだが、彼女の方はそうでもないらしく、手を叩くと言った。

 「それより! 占い師を探してるの?」

 「そこまででもない。ちょっと詰まってる事があってな、状況の打開に縋ってみるのも悪くないんじゃないかって馬鹿な思考になっただけだ」

 「あー、やっぱり占いは信用できないタイプ?」

 「根拠があればいいんだけどな。実際に目にしなきゃ信じないタイプって感じだ」

 占いに一喜一憂する人達を否定するつもりはないが、シオンは自分の力でなんとかしてきた人間である。理由のない『ふわふわしたもの』を信じる事ができない。

 そういった事に鋭い『異能』でもあるのなら、話は別なのだろうが。

 「ふむ、それなら良い相手がいるよ? 本人はそこまで乗り気じゃないんだけど、私が頼み込めば受け入れてくれるはず」

 「……そこまで凄いのか?」

 「もっちろん! だって相手は神様だし」

 「は?」

 聞き間違いか、と一瞬思ってしまった。神が占いをする……いや、占いを専門にする神様だっているのかもしれないのだから、否定はできない。

 ただ、そんな神がいるのならもうちょっと有名になるような気が、と脳裏でオラリオにいる神の名を列挙していると、答えが告げられた。

 「だから、神様。私達の(おや)、『アストレア』様だよ」

 

 

 

 

 

 【アストレア・ファミリア】、その名を知らぬ人物はオラリオにおいてもそうはいないだろうと言われる程に有名な【ファミリア】だ。

 正義と秩序を信奉しており、団員達は誇りと共に正義の剣と翼を象ったエンブレムを必ずどこかに持っている。今目の前にいるサニアも、腰にそれを付けていた。

 基本的にはダンジョン探索を行う、シオン達【ロキ・ファミリア】と同じく探索系ファミリアではあるが、他にも行っている事があった。

 それはオラリオにおける憲兵のような役割だ。自警団や憲兵なんかは他にもいるが、彼女達程頼れる存在はいない。

 何せLv.5をも団員とする【ファミリア】である。よっぽどの相手――それこそフィン達などの例外を除けば、鎮圧できない騒動はまず無い。

 実績と、アストレアの持つ信念を誇りとした彼女達は強く、その姿に憧れを抱く者は多い。ティオナやアイズも、表面上はそう見せないが内心『ああいう女性になりたい』と尊敬の念を抱いているのにシオンは気付いていた。

 ちなみにシオンは――過去誤解から生じた戦闘によって、結構複雑である。謝罪もされたし受け入れもしたが、やはりアレは堪えた。

 それはそれとして。

 そんな【アスレトア・ファミリア】であるが、シオンはその集団を率いるアストレアという存在について何一つ知らない。

 女性であること、そういう信念を持つこと以外は、本当に知らないのだ。

 実際外見を聞いてみたこともあったが、大概の人間は会った事すらないらしい。ロキは知っていそうだがまともに答えてくれなさそうなので選択肢から除外した。

 そんな訳なので、サニアに手を引かれて――その時の引かれた方が、どう見ても障害者に対するものだったので、恐らく体の異常に気づかれているのだろう――連れられてきた彼女達のホームを見るのも、実は初めてだったりする。

 「確か【アストレア・ファミリア】って、ほとんど女性しかいないって話じゃ……」

 「ていうか女性だけだね。別に男の人を入団拒否してるワケじゃないんだけど、下心満載だったり、女だけの集団だからか気後れされちゃったりして。でも気にしないでいいよ、今回は私が連れてきたから皆笑顔で対応してくれるだろうから」

 まぁ確かに、男性だけ、女性だけの集団に異性を放り込んで良い目を見れる、なんて事はそう無いだろう。納得である。

 シオンも若干遠慮していた。こちらは全く別の理由だが、サニアはそう受け取ったらしい。フォローを入れてきたが、そうじゃないと言いたかった。

 当然声なき叫びは聞き入れてもらえず、手をぐいぐい引かれて中に入れられる。

 中に入ってまず思ったこと。

 ――すっごい匂う。『女』って感じしかしない。

 かなり失礼ではあったが、実際そんな感じだった。いわゆる生活臭なのだが、かなりの人数の女性が集まっているせいか、女性本人、または香水などの匂いが入り混じっているせいで、妙に『甘い』感じがする。

 やはり触覚が消えて嗅覚が過敏になっているのが原因か。あまり長くいると胸焼けしそうで、今すぐにでも出て行きたい。

 だがそうは問屋が卸さず、サニアはシオンを連れてどんどん中へ進んでいく。進む距離と比例してシオンに対して注目が集まり、視線がブスブスと体中に突き刺さる。触覚は無いはずなのだがとにかくそう感じる。

 数人は気まずそうに逸らしていたが。顔見知りであったから助けを求めたかったのだが、あちらは無理そうだ。シオンは遂に諦めて、死んだ魚の目をしながら素直についていった。

 「何をしているのですか、サニア」

 「ぉ、リオンじゃん。いやーシオンが占い師を探してるからちょっとお節介!」

 「占い師……? ああ、そういう。アストレア様なら自室で休んでいます。着替えている可能性もあるのでノックは忘れないよう」

 「情報ありがと。良かったねシオン、入れ違いにならなくて」

 「……そうだな」

 いっそ入れ違いになってくれれば引き返せたのに。とは言えなかった。善意からくる行動には妙に弱いシオンである。

 いっそティリアに助けを求めたかったが、エルフであるらしいリオンに気付かれてしまう可能性があるのでそれもできない。神はいないのか。いやいるか。救いの神がいないだけで。

 サニアに引きずられ、リオンの横を通り過ぎた瞬間、いたわるようにそっと肩に手を置かれた。

 「……頑張ってください」

 それは同情の念を多分に含んでいて、ああ、リオンはいつもこんな風に巻き込まれているのだろうかと思ってしまった。やるせない。

 それからサニアに色々と聞いてもいない、聞いても仕方ない情報――主に【アストレア・ファミリア】の活動状況やホームにおける生活模様――を右から左に聞き流し、うんうん相槌を打ってやっとそこに着いた。

 「アストレア様、今大丈夫でしょうか? サニアです、一つお願いがあって来たのですが」

 『……ん、ちょっと待ってね。今薄着だから、何か羽織る物を……』

 ノックをしてからの反応は遅く、恐らく半分眠っていたのだろうとわかる。リオンの言っていた通りだ。

 声から聞いた印象だと、かなり優しそうだ。それから丁寧。穏やかそうな声音は、聴く者の緊張を解いてくれる。

 『良いわよ、入っても』

 「わかりました。それじゃ先に入るから、シオンは後からね」

 「ああ、わかった」

 失礼します、と頭を下げつつ入るサニア。彼女達が歓談する様を外で待っていたシオンは、しばらくしてサニアに呼ばれて中へ入る。

 アストレアの顔を見る前に頭を下げ、まずこう言った。

 「お初にお目にかかります、女神アストレア。【ロキ・ファミリア】の団員であるシオンという者ですが、此度は私の我が儘を受け入れていただき」

 「ふふ、そういうのは構わないわ。あなたはまだ子供のようだし、もっと素直に甘えてくれてもいいのよ」

 「……そういう訳には。礼儀、というのは大事ですし」

 例え人の身まで力を落としているとは言え、『神』である。不興を買って益は無い。初対面ならなおのこと悪感情を抱かれたくなかった。

 そう考えていたが、アストレアなりに理由はある。

 「私は『正義と秩序』を重んじています。無論、正義にも色々な形があるのは知っている。けれど、まず思うことが一つだけあるの」

 それは、とても簡単なこと。

 「子供は子供らしく。私は幼い子に礼儀を求めない。甘えて、我が儘を言って、守られる。度を過ぎれば叱り、してもいいこととしてはいけないことを学ばせる」

 それはとても当たり前のこと。

 「健やかに育って、健やかに生きる。そうすれば、その子はきっと私が教えた『正しきこと』を守ってくれる。そうすれば、私の願う『秩序』は自ずとやってくる」

 当たり前だから、忘れられがちなこと。

 「初めからの悪人はいない。その環境が悪いだけ。だから、私はオラリオという『環境』だけでも正したい。……だから、構いません。私から見たあなたはまだ子供。何度も言いますが、礼儀は求めません。あなたのありのままに過ごしても良いのです」

 シオンにはわかる。彼女は全て本心から言っている。正直、驚いた。神は色々とおかしな個性を持っている者が多いが、これはあらゆる意味で突き抜けている。

 この女性はいわゆる聖人・聖女の類だ。悪があるのを知っていて、それを許容している。何故なら悪人が悪いのではなく、悪人が生まれたその『状況』こそが悪いと考えているから。

 例えば盗人がいたとして。その盗人が生まれたのは、日々を生きる糧を得られないから。その糧を得る仕事が無いから。そう考えるタイプだ。

 色々と思うことはあった。だがサニアの表情を見るに、アストレアをかなり信奉している。言ったところで嫌われるだけか。

 そう考えて――先の思考を、全て心に封じた。

 「それなら、その言葉に甘えさせてもらうかな」

 ここでやっと、シオンは顔をあげる。

 初めに見えたのは、眩い黄金だった。窓から差し込む光を浴びて輝く黄金。その金色の髪は、シオンの知る限り最も美しいと思っていたアイズに優っている。穏やかな眼差しを向ける瞳は海のように雄大な蒼。

 微かに覗く手や足にはおよそ筋肉など付いておらず、ああ、この人は戦ったことがないんだなとすぐにわかった。

 その女性、アストレアは穏やかな表情のままシオンを見つめ――そして、凍りついた。

 ()()()()()()()()()()、そう言いたげな表情で――。




今更投稿。ちょっと今章見返してたんですが、久しぶりに見直すといきなり入りに入ってるせいか起承転結の起が抜けている……。

そう思ったので来週は起の部分投稿します。今回はそちら投稿しようか迷って、でもいきなりはちょっとなぁと思っていたら遅れてしまった許してください何でも(ry

それはそれとして今回登場した女神アストレアですが、原作では名前しか出ていないので、外見・口調・性格その他一切が謎。そのためこの二次創作独自の設定であることをご了承ください。

では次回ノシノシ


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星の神託

 アストレアという女神が、正義と秩序を司る存在であるというのは周知の事実である。だが、それだけしか無い、と言い切るのはまた別の話だ。

 神とは、複数の属性が混合した存在。アテナなどは知恵の神であり、戦の神であり、また闇や死をも包括した女神。それと同じく、アストレアも別の属性を有している。

 そして、アストレアの有する属性は、誰もが知っているモノ。

 即ち、星。そして天秤である。

 彼女は宙に座する乙女そのものであり、また、その乙女が手にする天秤も象徴の一つに数えられる。

 彼女の本来の名は星乙女――星の如く輝く者(アストライアー)

 地上に降りた彼女は過去に有したそれらの能力を持っていない。だが、どこかの女神のように、彼女自身である星と、秤という物だけは別だ。

 彼女は、星が視える。その者の有する運命という星が。

 成功する者には眩い輝きが。不幸な道を行く者は澱みが。彼女には見えてしまう。そして彼女の持つ天秤は、善と悪を知るためのもの。

 だから彼女の【ファミリア】には悪人はいない。悪人が来た瞬間わかってしまうからこそ、ここに彼等はいられない――いられないだけで、対処していない訳ではないが。

 とにかくとして、彼女はこの能力でもってシオンの星を視た。

 凄まじく輝く、大成功を果たす者特有の光と――それを打ち消さんとする、酷い闇が。その両極端さにも驚いたが、それ以上に恐ろしかったのは、とても単純。

 ――何故、()()()()()()()なのに平気な顔をしているの?

 シオンの、今にも消えんとする、星。それを持った者は、すぐに死んでしまう。特にシオンのような明滅をした人間は、体にかなりの負担を抱えているはずなのに、だ。

 アストレアが顔を凍らせたのは、このあまりにもおかしな星を初めて視たからこそ。人は必ず成功と破滅の運命を持つが、ここまで歪なのは、シオン以外見たことがない。更に死の運命まで持っているとは、どこまで恨まれているのか……。

 ――言った方が、良いのでしょうか。

 彼女は眷属達に『占いが得意』と言ってはいるが、その詳細は誰も知らない。誰だって知りたくはないだろう、自分が大成するのか、しないのか、なんて。それを、例えアストレア自身からでも言われたくは、ないだろう。

 ――道を選ぶべきは彼等自身。私は、少しその選択肢を増やせるようにするだけです。

 ……アストレアは、言わない事を選んだ。

 「何となくですが、あなたがここに来た理由はわかりました」

 詳細を知らないが故に、ただ知った一つの事実を教えることにのみ留めた。

 「このままでは、あなたは死ぬでしょう。遠からぬ未来、あなたは何らかの要因によって、その未来を閉ざしてしまう。これは、確定事項です」

 「……アストレア様、流石にそれは」

 いくらなんでも言い過ぎです、そう述べようとしたとき、腕を引かれた。腕を引いたのは、死を告げられたはずのシオン。

 シオンにはわかったからだ。それは事実であると。今もなお体を蝕む何かは、薬で誤魔化してもきっと意味はないのだろうと。

 だからこそ、その忠告、否神託を、シオンは慎んで受けることにした。だから、己を案じたサニアに首を振って大丈夫だと伝える。

 サニアは一瞬何か言いたげな表情になったが、すぐに、受け入れてくれた。シオンの頭を一度だけ撫でると、後ろに下がって目を閉じる。

 代わりにシオンは一歩前に出た。

 「死の原因は、私にはわかりません。ただ、既にあなたの死は()()()()()()。――いえ、この表現は正確ではないでしょう。確定しかけている。それを変えられるかどうかは、私にもわかりません」

 「要因を断たなければ、このまま死ぬ?」

 「はい。そこだけは断言できます」

 「具体的には、いつ死ぬのかわかる?」

 「わかりません。いつ消えたとしてもおかしくはない、とだけ。恐らくあなたの――シオンという人間の精神力が耐え続ける限りは、大丈夫だとは思いますが」

 アストレアは、その結果を知るだけだ。原因も、そうなった過程もわかりはしない。それ故にその言葉は予測であり、推測であり、根拠は彼女の視た星のみ。ただそれも、彼女がその事を誰にも告げないため、実質根拠は存在しない。

 「わかった。……教えてくれてありがとう、アストレアさん」

 それを、シオンは信じた。アストレアの眼から、それを真実だと断定した。だから、シオンは珍しくも敬称で彼女の名を呼んだ。

 この人は、尊敬するに値する神物である、と。

 「どうするのですか? あなたは」

 その反応に、アストレアは気になった。過干渉をするつもりはないのに、己の死を告げられても穏やかな雰囲気を保ったままの少年の選択が、知りたくなったのだ。

 好奇心と、心配。どちらも見抜いていたが、シオンは答えた。

 「原因は何となくわかっているから、ちょっと行ってみようかな、と」

 「……その、体で?」

 シオンは少し驚いて、目を見開いた。彼女は戦う者ではない。だからこそ、体の不調を見抜いたその眼力に驚いた。しかも疑問ではなく、確信している。

 誤魔化せない、だろう。

 「どれだけ不調でも、行かなきゃ死ぬんだ。座して死ぬか、無茶して死ぬか。どちらかだ」

 「そう、ですか。他の人に任せる、というのは」

 「別にそうしてもいいんだけど、ね。このまま誰かに任せていても、意味がない気がする。ここでおれが動かないと、もっと嫌な事になるって」

 それは、シオンの直感だった。けれど、絶対に外れないだろうと思える天啓だった。覚悟のできた人間特有の眼に、アストレアはかける言葉を見つけられず。

 「……サニア」

 「はい」

 「彼の手伝い、お願いできる?」

 「……はい!」

 自身には何もできないとわかっているからこそ、できる者に託した。訝しむシオンに、アストレアは今までの真剣な表情から、最初に見せた包みこむような笑顔を見せる。

 「言ったでしょう? 子供は子供らしく。甘えて、我が儘を言ってもいい、と。だから、これは私からのお節介です」

 その言葉に、初めてシオンは照れたように目を逸らした。アストレアは内心微笑ましく思いながら立ち上がると、シオンの頭を撫でた。

 しばらくそれを甘んじて受けていたシオンであったが、いきなり一歩下がると、背を向けて去ってしまう。そのまま扉を開けて出て行った。

 サニアはそれに慌てて礼をすると、シオンを追いかけていく。扉を隔てた先からサニアの言葉が聞こえたが、シオンはきっと謝らないだろう。

 「……彼の闇が、少しだけわかってしまいました」

 子供らしくあれ、我が儘であれ、と言ったのは、愚かだったかもしれない。最初からそうできる環境にいたのなら、彼のような人間にはならないのだから。

 椅子に座り直しながら、思い返す。

 ――彼が去る瞬間、見えた星は。

 光が消え、闇が増した。憎悪の噴出、のせいだろうか。それでもアストレアの天秤は彼を悪人と判断しないのだから、不思議だった。

 「根っからの善人。彼のような人ばかりなら、私は」

 どこかの世界、神の消えた世界で最後まで人に善性を説き、そして裏切られた女神は、どこか疲れたように、顔を伏せた。

 

 

 

 

 

 「全くもう、アストレア様に失礼だよ! せめて最後に一言言うのが筋なんじゃないかな」

 何とか追いついたサニアが説教をする。とはいえそれは人として当然の範囲の話であり、それ以上の文句を言うつもりはない。

 「……ああ、そう、だったな」

 無い、のだが、シオンの返答は心ここにあらずというもの。その反応に思わず顔を覗き込んで、息を飲んだ。

 ――シオンの眼は、死んでいた。

 サニアの知る限りどんな時でも光を絶やさなかったその眼が今は澱み、腐りかけている。だが反してその口元は歪に笑い、まるで、そう、まるで。

 憎悪に狂った人間が、やっと復讐するべき相手を見つけたかのような……。

 「子供という立場は、捨てたから」

 けれど、それは一秒後には消えていた。自己暗示のように言われたそれは、自身の本心を覆い隠すもののように見えた。

 シオンが顔を上げると、そこにあるのはいつもの姿。サニアのよく知る彼の姿だ。

 けれど、どうしてだろう。サニアには、シオンのそれが強がりにしか思えない。

 あの感情に気付いていないわけじゃない。目を逸らしているのでもない。気付いていて。直視していて。それでも『間違っているから』と耐え続けている。

 「シオン、君は……」

 「ん、なんだ。何か聞きたいことが? これからダンジョンなんだし、聞きたいことがあるなら先に言ってくれ」

 聞けなかった。その憎悪の根源は何なのか、なんて。必死に耐えている感情に穴を開けてしまうかもしれないのに、言えるわけがなかった。

 代わりに聞いたのは、これからのこと。

 「シオンは本調子じゃないんだよね? つまりまともに戦えないってこと?」

 「多分中層、というか18層辺りまでなら行けると思う。ただそこから先はわからない。反応が鈍くなるから怪我とかミスも多くなるだろうし」

 「それなら回復役はいるかな。同時にシオンを庇える人、なんて一人しかいないか。シオン、どうせホーム戻るんでしょう? 集合はバベルの塔内部。私も用意してから行くよ」

 「わかった。それじゃ、また後で」

 笑みを作って、シオンは立ち去った。その背を痛ましそうに見つめるが、すぐにその感情をリセットして、背後にいた彼女に聞いた。

 「リオン、どう?」

 「事情はわかりませんが、回復と護衛、どちらもこなせる者を求めているのはわかりました。今日は予定もありませんし、行きましょう」

 「うん、リオンのその察しの良さが私は大好きだよ!」

 「や、やめてください」

 思わず抱き着くと、リオンは動揺しながらサニアを押し退けた。相変わらず素っ気無い――素直じゃないとも言うが――対応に、サニアは少し膨れつつ、

 「シオンの準備が終わる前に私達も準備しようか」

 「私はもう終わっていますが」

 「なら私の準備手伝って! いいでしょ?」

 「……わかりました、仕方ないですね」

 渋々という体を装ってリオンは頷いた。本当にエルフは気難しい人が多いなぁ、と内心では苦笑しつつ、サニアは彼女の手を引いて走り出した。

 

 

 

 

 

 ふぅ、とシオンは息を吐き出した。それだけの動作で自身の体調を把握し、そしてかなり劣悪な状況だと理解する。

 ――肉体的には何も感じないけど、精神的にはきつい、か。

 常に集中し、常に警戒し、それでも尚自身の不調を把握されてしまう。正直、疲れた。このまま倒れ伏して休んでしまいたいという気持ちもある。

 ――シオンという人間の精神力が耐え続ける限り――。

 それでも、その選択肢は選べない。選べばきっと、シオンはもう耐えられないから。アストレアという女神の言葉通りなら、それを選んだ瞬間死ぬのだから。

 ――痛くないのに心が折れかけるっていう状況は、味わった事がないな。新鮮だ。

 そう揶揄して己を誤魔化すくらいしかできないことに自嘲してしまう。

 そんな考えをしていても、シオンの足はホームの自室へと向かっていた。その途中、ふと見知った顔を見つけた。

 「ラウル」

 「え? ……げっ」

 シオンがラウルの名を呼ぶと、ラウルは即座に距離を取った。その事に少しショックを受けるも表には出さずにシオンは言う。

 「少し聞きたいんだが、おれ以外の奴が今何をしているか知ってるか?」

 「あ、そっち……。えっと、ベートとティオナは見てない。鈴はまだガレスにしごかれているはずで、ティオネは団長のところ。アイズは、プレシス? って人の所に話を聞きに行ってる、とかなんとか」

 なるほど、とシオンは頷く。そして、それなら大丈夫だろうと判断した。シオンはラウルに向き直ると、

 「情報ありがと。それじゃおれはもう行くから」

 「あれ、今日はやらない感じ?」

 「……やりたいって言うならやるけど?」

 「いいいいいいえ、いいです遠慮します! 遠慮させてくださいっす!」

 思わず三下口調が飛び出るくらいに動揺しながら、慌ててラウルは言った。もうあんな経験はコリゴリだ、と。

 ――死ぬ、冗談抜きで死ぬっす! 絶対シオンはドSだってわかるっす、アレは!

 「……何か、ちょっとイラっと来たんだが」

 「気のせいでは!? それじゃまた!」

 ひぃぃぃ、と恐れ慄きながらラウルは走っていった。それはもう全力で。そこまでシオンに修行を付けられたくないのだろうか。

 アイズはきちんとついてきてくれたんだけどなぁ、と不思議に思いつつ、シオンは自室へと戻った。

 ――ちなみに。

 数年後、アイズから『シオンの修行はいっそ死にたくなるくらいイヤラシイよね』と言われてショックを受けるのは、また別の話である。

 

 

 

 

 

 準備を終えたシオンがバベルの塔にたどり着くと、そこには既にリオンとサニアが話しながら待っていた。

 どうやら待たせてしまったらしい、と小走りにそこまで行く。

 「ごめん、待たせたか」

 「別にいいよ? こっちはシオンを待たせないように急いだだけだし」

 「ええ、そのために私も手伝いましたので。そのことを気にする必要はありません」

 それなら、とシオンは意識を切り替えて二人を見つめた。リオンの武器は恐らく短剣、サニアは双剣だろう。二人が魔法を使えるのかどうかわからない現状、どういう隊列を組むべきか。

 「基本的には私が前かな。シオンは中間、リオンが後ろね。シオンの体調がいつも通りなら話は別なんだけど、そうでもないんでしょ? ていうか、今どんな感じなの?」

 「そう、だな。敵を見て、動いて、攻撃するのに数秒の遅れが出る状態っていうのが一番わかりやすいか」

 「なるほど、わかりました。それで18層なら、と言ったのですね」

 基本的にモンスターの強さはダンジョンの層によってわかりやすく決まっている。1層から11層まで、12層から17層まで。

 そして19層から……と、あるところを境に一気に強くなる。シオンの現状で問題なく戦えるのは17層までなのだろう。

 「それならやっぱりこの隊列かなぁ。代わりに回復薬をたくさん使っちゃうかもだけど、そこは許してね?」

 そこに異論は無い。そもそも前衛が一番モンスター達の懐に行くのだ。体力はもちろん、集中力が試されるし、怪我もする。体力と怪我を癒すそれを使うのを惜しんで彼女が倒れてしまっては意味がない。

 「シオンはできれば程度に戦って。確か魔法が使えたから、それだけで援護に徹するのも一つの手かな。リオンは後方注意。後は私が回復できない状況になったらお願いね」

 「ええ、それで良いかと。ただし、提案したあなたが真っ先にやられないで下さい。冗談にもなりませんので」

 「あっはは、大丈夫だって。私の強さは知ってるクセに」

 「今回の場合は護衛任務のようなものでしょう。いつも通りに考えては失敗します」

 とは言うも、そこまで苦労はしないだろう、と思っている。シオンは自身の不調の内容をきちんと把握しているようだし、あまり出しゃばらないでいてくれるはず。

 一応もしもの場合を想定しつつシオンを見れば、シオンは大丈夫だと言いたげに頷いた。

 三人共問題はない。無言で、しかし同時にダンジョンへ向けて歩き出した。




FGO最高でした(更新しなかった事実から目を逸らしつつ)。

さて今回出てきたアストレア。彼女の持つ『人の星(運命)を見抜く眼』は、どこぞの美を司る女神と似て非なる能力です。

成功するか否かはわかっても、それがどのような形として成るのかはわからない。また天秤を用いて善悪のみを判断し、【ファミリア】を作ったなどなど(この天秤には他にも用途がありますが、恐らく出てこない(かも)ので割愛します)。

しかし、彼女は原作でも名前についてしか言及されておりません。そのため原作の設定は謎であり、ここにいるアストレアは今作オリジナルの独自設定となっております。ご了承ください。

後シオンの反応ですが……まぁ家族奪われて憎まないとかおかしいよねって話。その復讐心を表に出さないためにシオンは甘えていられる子供の立場を捨てた、と。
大人という立場にいれば、自分の感情を優先するのは難しくなる。そんな感じでしょうかね。

最近結構空いたりしてますが、チマチマ更新は続けるので気が向いたら読みに来てくださいな。

ではまた次回ノシノシ


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想定外の事態

 真横を通っていくモンスターの臭いに、ベートは息を潜めながらやり過ごした。一秒、二秒と身動ぎ一つせず、やがて足音さえ聞こえなくなると、ぷはぁと大きく息を吐き出して、吸う。

 18層で休憩を終え、19層以降になってからは、とにかくモンスターをやりすごし続けることに注視した。別に一人でやり合っても問題はないが、ベートの目的はここから28層にある。無駄な体力は使えなかった。

 特に睡眠する場合は奇襲を警戒する者などいない。疲れすぎて深く眠ってしまい、敵の接近に近づかず永眠してしまいました、なんて本当に笑えない。

 まぁ、これはこれで集中力を使うのだが。それでも大量の敵と戦うよりは大分マシだ。必要に迫られれば否は無いが、無いならこのままでいいだろう。

 視覚ではなく、気配や臭いに敏感なモンスターの名前と姿を脳裏に浮かべて、そいつらにだけは気を付けねぇと、と思いながら、ベートは歩き出す。

 時には苔生した岩に身を伏せ、時には壁を蹴って天井付近まで行き、ナイフを突き刺してぶら下がり、時には子供がギリギリ入れる程度の割れた隙間に潜り込み、時には――……そうやって、どれほど経っただろう。

 脳裏に浮かべたダンジョンマップ通りなら、既に26層は過ぎた、はず。何度か穴の中へ飛び込んでショートカットしたので、マップを間違えているかもしれない。そうなったら怖い。この広大なダンジョンで迷子になったら、出られる可能性はゼロに等しいのだから。

 仕方がないと、モンスターや人目に付きにくい物陰へ隠れる。それから今まで通った道と、覚えたダンジョンマップを精査する。中々に難儀する作業だが、生き残るためだ、仕方ない。

 そして思う。シオンはいつもこんな面倒なことをやっているのか、と。いいや、シオンだけではないだろう。フィンや、他のパーティの誰かもやっているのだ。

 ――素直にすげぇ、と思うしかねぇな。俺はできればやりたくないからな。

 認めるのは癪だが、ベートはティオナと同じく脳筋だ。考えたりダラダラ話すよりは、ひたすら突っ込んで双剣振るう方が遥かに楽だ。パーティで行動中はそんな身勝手は全員の破滅を招くからしないだけで、ベートは直情的で感情的だった。

 「……問題は、無さそうだな」

 結構な時間をかけた結果、問題なしと判断する。帰る時の道筋も問題はない。行き止まりのルートは覚えているし、モンスターの群れをやり過ごすためにいくつかの道も覚えている。全部行けませんでした、というわけでも無い限り、無事に戻れるだろう。

 ――正直に言ってしまえば、28層に行っても無駄に終わる可能性は高い。

 目的を果たしたのにその場で留まる理由が無いからだ。自分ならそうする。というか、普通に考えて留まる人間は馬鹿だろう。

 それでも行こうとしているのは――単純な理由だ。

 ――アイツが死ぬなんて、ゼッテーごめんだ。

 シオンだけではない。例え倒れたのがアイズでも、ティオナでも、ティオネでも、鈴でも――同じ【ファミリア】にいる誰であったとしても、きっと何かしていた。

 普段関わりの薄い相手であっても、同じ相手を(おや)とする眷属(こども)なのだ。【ファミリア(家族)】を見捨てられるほど、ベートは情を捨ててなかった。

 「……ハッ、小っ恥ずかしい事考えてんじゃねぇよ」

 ティオナかティオネに知られでもしたら、確実にからかわれる事請け合いだ。頭を振ってさっきまでの思考を打ち消し、後数十分のところにあるらしい階段へ向かう。

 ――手がかりくらいは、あると良いんだが。

 そんな希望的観測を思わなければならない事に、不甲斐なさを感じるベートだった。

 

 

 

 

 

 アルミラージが一足飛びに前から飛びかかってくる。その後ろから回り込むように動いているアルミラージを認識しつつ、シオンは自分から前に出た。そして剣を横に振るい、アルミラージの頭を切り裂こうとする。

 目論見は上手くいった。だが、シオンの顔には渋面が浮かんでいる。何故ならアルミラージの死体、その頭は角ごと真っ二つになっていたからだ。

 ――狙いが、定まってない。

 いつもなら角を避けて頭だけ狙えたはずだ。それを失敗するとは、やはり触覚が消えるのはかなり痛い。

 そう思いつつ、シオンは顔の向きを忙しなく動かしながらバックステップ。残りのアルミラージの位置を把握する。

 ぴょんぴょんと飛び跳ねるアルミラージの足音から大体の位置はわかる。だが、シオンにとって恐ろしいのはその距離から攻撃される事だ。

 アルミラージの武器は数による連携、角による一撃、それと、その跳躍力。遠くにいたと思っていたところに奇襲されるのが、一番怖い。

 ――今のシオンには、その奇襲を察知できないのだから。

 触覚によって察知していた風の流れ。それが消えたせいで、シオンには無音無味無臭の相手は視覚以外で――そもそも無味無臭はまず意味がないけれど――知覚できなくなった。

 だから、跳躍、からの空中滞空による突撃、は音がしないため、わからない。わからなければ避けられないため、そのまま喰らうだろう。

 ――そういう意味じゃ、一番の天敵はウォーシャドウかな。

 シオンの知る限り彼等の上位互換にあたるモンスターはまだ出てこないので、問題ないが。既にLv.3へ至っていながらアルミラージを相手に苦戦するという歪さに歯噛みしながら、シオンは何とか敵を全滅させる。

 ――それを、サニアとリオンはいつでも介入できるようにしつつ見ていた。

 「やっぱり、かなりやりにくそうだね。そっちはどう思う?」

 「腕は、良いのでしょう。……本来ならば」

 本来ならば。そう付けなくてはならないほど、今のシオンの動きは悪い。いや、年齢を考えれば年相応の技術になった、と言えるかもしれないが。

 28層へ行くというのなら、やはり足手纏いと言う他ない。それなりにカバーすれば何とかなると考えていたが、それは些か甘すぎた。これではそれなり以上のフォローが必要だ。

 一戦に必要な体力。シオンの様子を見る限り、かなり持ってかれているに違いない。……触覚が消えているせいで本人はわからないかもしれないが、二人にはよくわかった。これならいっそシオンを18層に置いて二人だけで行くほうが楽だろう。

 しかしシオンしか敵の姿を知らないので、そんな選択肢は取れない。苦労を覚悟するしかない。

 シオンが小走りに戻ってきた瞬間、サニアが肩を押さえ、リオンは回復薬を口に突っ込む。いきなりの奇襲にシオンは反射的に体を硬直させ、噎せかけながら飲ませられるという状況に陥った。それでも何とか飲みきったが、少し間違えれば吐いていただろう。

 「な、何しやがる……」

 抗議する声にも元気がない。

 「あのまま進んでたらシオンが先に倒れてただろうから、体力回復のために?」

 「無理に飲ませなければ、シオンは断っていたでしょうし」

 「まぁシオンの状態は大体わかったから、もうあんな事はやんないよ」

 ……そう言われてしまえば、シオンには何も反論できない。シオン自身、自分がどこまでやれるのか把握しておきたかったのだから。そのためにかなりの体力を使ったのもわかっていた。

 だから無理矢理飲ませていい、という訳ではないと思うのだが。こういう時、女は男よりも強いという事をシオンは知っている。涙を呑んで黙るしかなかった。

 そして実際に三人で行動してみたが、思ったほど苦労はせず肩透かしされた。シオンは無理に前に出ず、短剣を投げて牽制に留意し、その牽制のお陰でサニアは自由に暴れまわる。リオンは後ろを警戒しつつ、近づいてきたモンスターを切り捨てた。

 それでわかった。シオンにとって一番危険なのは接近戦による精密な戦い。遠くから大雑把に援護するだけなら、特に問題ないのだ。いや、普段から猪突猛進なティオナを援護しているだけあって、その援護は的確だった。

 「サニア、ヘルハウンド、右から炎!」

 加えて指示も正確。遠くから俯瞰して戦況を見ているシオンは、前に出ているせいで視野の狭いサニアにとってありがたい言葉を幾度も投げてくれる。

 この言葉でより深く敵陣地へ潜り込み、モンスターを盾に炎をやり過ごせたのだから。

 ――凄い、今までよりもずっと安定してる。

 一人の兵というより、一人の将。リオンは思わずシオンを二度見し、ほぅ、と感嘆させられた。足手纏いと思っていたさっきまでの自分を殴ってやりたいくらいに。

 扱いが違うのだ、シオンは前に出すのではなく、後ろで指揮に従事させる。それこそが、今のシオンを十全に使える方法。

 「……シオン、欲しいね」

 「……確かに。欲しいですね」

 体調が万全でなく、未だ身長の低い子供。それでこれだ。将来的にはもっと上手い指示を出せると想定すれば、正直、欲しい。

 『戦える』人間は多くても、『戦わせられる』人間は多くない。フィン・ディムナはそこをわかっていて、そういう風にシオンを育てているのなら。

 「……? 何だ、何か付いてるのか?」

 ――シオンはいずれ、フィンを超える指揮者になるだろう。

 『勇者(ブレイバー)』の後継、『英雄(ブレイバー)』の二つ名を持つ少年。大半の人間はそこに否定的な感情を抱いているようだが、サニアとリオンは、そう思わなかった。

 とはいえ、少しだけわからなくもない。

 ――『子供の立場は、捨てたから』

 あの時のあの表情。アレを何とかしなければ、いずれシオンは。

 しかしそこに関して首を突っ込むつもりはない。何故なら、それは彼等のやるべきこと。手を貸してくれと望まれれば貸す程度だろう。

 「シオン、そろそろ18層に着きますが、まだ大丈夫でしょうか」

 「多分、大丈夫。見たところ怪我も無いし。体力は……わからないけど」

 「それじゃ、少し休んだほうがいいね。きちんと食料は持ってきたし、水はあそこの川を利用すればいいから、歩き回らなくても平気だよ」

 持ってきたのはパンと、それに挟む肉と野菜。それに一口で食べれる果実だけ。それを三人分なら二食分が限界の量持ってきた。普通ならここまでは減らさないが、今回は特別だ。

 Lvが上がれば上がるほど、上層と中層で一戦闘にかかる時間は減る。だからこそできる、荷物を減らした強行軍。行って戻ってくるだけだからできることだ。

 「さて、18層の様子は、と……ぉ、やった。今ちょうど光が出てる」

 「あの様子なら数時間は明かりがつくはずです。三十分を休憩できる場所を探すのに使い、三十分を食事に。それから一刻ほど休憩にしましょう」

 「わかった。モンスターに警戒しつつ、奇襲されないように行こうか」

 と言ったものの、モンスターと遭遇することはなかった。しかしそれも当然といえば当然で、この階層では壁からモンスターは出現しない。その理由は未だわかっていない――神ならばわかるかもしれないが――が、この状況を甘受できるのならわからなくても問題はなかった。

 「よし、準備できた。シオン、多少辛くてもいい?」

 「食感も今はわかんないし、不味くなければ何でもいいや」

 そういえば、とサニアはシオンの状況を再認識する。何に触れていて、何を口にして、どんな温度か、湿度か、そもそも正常に呼吸できているのか、怪我や病気にかかっているのか――シオンには一切合切わからないのだ、と。

 痛みなんて無い方がいい、と人はよく口にする。しかし実際に触覚が無くなれば、人は容易く己を見失う。今のシオンを見れば、自分がもしそうなれば正気でいられないだろうな、と。そうわかってしまった。

 「味は保証するよ? ダンジョン内にしてはって枕詞がついちゃうけど」

 そう苦笑しつつ、サニアは気付いた事の全てを胸に閉まった。気遣われてもシオンは困るだけだろう。何食わぬ顔をして気軽に接する方がまだ嬉しいはず。

 自分の直感を信じて、鼻歌をしながらサニアはいつも通りにお手軽パンを作った。それを三人分作り置きすると、川まで水を汲みに行ったリオンを待つ。

 シオンはサニアが座った反対方向にいる。お互いの背中、死角を埋める形だ。

 そのまま待とうかと思ったが、それは時間の無駄になる。何を聞こうか数秒悩み、ふと聞き忘れていた事に気づく。

 「そういえば、今回の目的って何だっけ?」

 「え? ……ああ、そういえば何も言ってなかったか」

 よくよく思い返せば、シオンはサニアとリオンに何も言わないままここに来てもらっていた。手伝ってもらっているのにこれではあまりに不義理過ぎる。

 「でも、リオンはいないまま話しても二度手間じゃ?」

 「あ、大丈夫大丈夫。リオンは私が納得してれば何となく察してくれるから」

 それはそれでどうなんだと思わなくもないが、シオンにも心当たりがある。主に自分のパーティメンバーに。彼等は自分がわかっていれば『シオンが理解してるなら大丈夫だろう』と思っている節があったから。

 「まぁ、それならいいが。――今回の目的はとあるウォーウルフの個体を見つけることだ」

 「その言い方からすると、特殊な個体? 長くダンジョンに生きて強くなった、とか」

 「多分だけど。少なくともウォーウルフが単独でアイズとやり合って、間に入ったおれの腕を落としたくらいだから。下手すると『強化個た――!?」

 そこで、シオンの声が途切れた。

 シオン自身に問題があった訳ではない。ただ、サニアが突進してきて、押し倒されただけだ。背中を強打し、肺を圧迫されれば言葉が途切れるのは当たり前。

 しかしシオンは文句を言う前に、まず押し倒された理由を探した。痛みで――痛みは無いが、体が反射的に動いた――閉じた目をこじ開ける。

 理由は、それだけでわかった。

 顔に落ちてくる赤色の雫だけで、想像できてしまったから。

 「――サニア!?」

 モンスターの影は無い。

 つまり――同じ、人間からの襲撃。考えすらしていなかった状況。

 咄嗟にサニアの体を抱えて物陰に隠れたが、シオンの顔は強ばったまま動かない。動けない。

 ――サニアは……息はしてるけど、意識がない。気絶してる。

 サニアの肩に短剣が刺さった時のショックのせいだろうか。何にせよ、シオンはこの状況で、誰の助けもなく、逃げ延びなければならない。

 ――やばい。やばいやばいやばい! 対モンスター戦ならまだしも、対人戦はできない!

 シオンの額から冷や汗が流れる。

 リオンはまだ帰ってこない。シオンは川の位置とリオンの足を計算したが、まだ数分あると見ていいだろう。

 剣を握り締めるも、シオンの脳裏に、自分が勝てる光景は浮かばなかった。




大学のテスト直前状況のため割と厳しめ。頭の中にストーリーあっても書き出すのが辛いのですよなー。

今回っていうか今章は幕間的な感じなのであんまり山も谷もありません。次章かな。

ではまた次回ノシノシ


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狼と、狼

 コツ、と降り立った時に感じたのは、言い様の無い悪寒。それは何の根拠もなく感じたもので、説明しろと言われても難しい。

 強いて言えば、勘。今までの冒険から得た経験から導き出された、経験則による、直感だ。

 ――ここに、元凶がいる?

 シオンの腕を切り落としたというウォーウルフ。そいつが未だここに留まっているのだろうか。ならばさっさと逃げていない理由は何故なのだろう。

 ロキから聞いた呪詛の行使には何かしらの『代償』がいる、らしい。ならば『動けない』のがその代償だろうか。いや、ならば腕を切った直後に逃げられた事の説明がつかない。

 それとも呪い? いいや、あれは完全に発動すれば代償がいらないという話だ。知識と技術と必要な物を得るのがそうと言えばそうだが……全くもってわからなかった。

 「こういう時の頭脳担当はシオンかティオネばっかに任せてたからな……」

 ベート達が集めた断片的な情報を纏めるのはいつもあの二人だ。だから、こういった予想や推測からなる推理がベートはあまり得意じゃない。

 自分はただ戦い続ける駒であればいいと思っていたからだ。指示に従い、完璧に実行できる完璧な駒であればいい、と。

 「……よし、とりあえずこの階層を探して原因を見つけたらぶっ殺せばいいだろ」

 結局、悩みぬいた末の結論は、そんなもんだった。

 それから走り回り続けた。モンスターを、戦闘行為を極力避けて、フロア中を駆け抜ける。

 しかしダンジョンは階層が進めば進むほど、その範囲を広げていく。その範囲はオラリオと同じかそれ以上の広さを持っているので――障害物(モンスター)の存在を考えれば、適当に走って何とかなるような物ではない。

 だから、考える。

 とりあえずなんて言葉は口先だけ。常に周囲を見渡して、微かな違和感も逃さないように。五感全てを総動員し、ベートは情報を集めに集めた。

 ――……? なんだ?

 そして――一つの違和感を、見つけた。

 ――モンスター共の動きが、おかしくねぇか?

 フラフラ動いて、モンスター同士で殺し合って、冒険者を見つければそっちを殺しに行く。生態なんて謎に等しく、けれどわかるのは、モンスターは()()()()()こと。

 基本本能で動くモンスターは、決して()()()()()()ような動きをしない。自分よりも相手の方が強かったとしても、絶対に殺すとばかりに突っ込んでくる。

 例外があるとすれば、殺せる可能性が一欠片も無い絶対的強者を感じたとき。

 つまるところ、本能が『こいつからは逃げろ!』と叫んだ時だけは、逃げるのだ。

 今目の前にいるモンスターの動きは、それと酷似している。ある一定距離まで行くと、ピタリと足を止め、数度震えてから道を戻る。モンスターに感情があれば、不思議そうにしながら。

 それは一体二体だけではない。観察しただけでも片手の指はある。時折そのまま直進していたモンスターもいたが……。

 ――この先、か?

 ベートの考えた事は全てただの勘だ。偶然という事も考えられる。だがあまり時間をかけすぎれば戻りの食料が尽きる。急ぎ足で来たが、大量に持ってきた訳ではない。空腹のせいで死にましたなんてまぬけな最後は絶対にごめんだった。

 ――なんっつったか、こういうの。……ああ、あれだ。

 『虎穴に入らずんば虎子を得ず』だったか。狼が虎の子を狙うとはおかしな話だが――行くしかないだろう、ここは。

 そう思いながら、モンスター達が決して足を踏み入れなかった場所へと歩き出す。

 十分か、二十分か。あまり長く歩いていないはずなのに、それだけ経った気がするのは何故なのだろう。

 気が立っている――緊張している、という自覚はある。しかし、それにしてはおかしい。先程から脳が『引き返せ』と命じているのは、一体――。

 ……ポタ――。

 その音で、足が止まる。見下ろせば、そこにあったのは小さな染み。慌てて顎を腕で拭えば、腕にはビッショリと汗がついていた。

 ――恐れている、のか? 俺が?

 よくよく見れば、腕が震えている。武者震い、ではない。純然たる恐怖を感じているのだ。同時に気付く。

 血臭。それも凄まじいまでの。一体や二体ではない、それこそ数十、あるいは百を超える数の死体から放たれる悪臭だ。

 「ッ、ぐ……せぇ!?」

 本物の狼程ではないが、狼人であるベート。聴覚と嗅覚はかなり鋭い。その分感じる臭いが吐き気を催させた。

 ――なんだ!? この先に一体何がある!?

 それでも吐く事はしない。その行為自体が大きな隙になるし、体力を消耗する。臭いに慣れるために敢えて何度も深呼吸を繰り返し――その度に吐き気を感じながら――体を上下させた。

 何とか吐き気を感じない程度まで慣れると、ベートはより臭いの濃くなる場所を目指した。濃くなる臭いに目眩を覚えながら、ベートはそこに足を踏み入れた。

 「……んだ、こりゃ……」

 通路全てにモンスターの死骸が散らばっている。五体満足で急所を貫かれたモンスター、爆発四散したかのようなモンスター、頭だけが潰れたモンスター、色々だ。

 ポタリ、ポタリ、と天井や壁に叩きつけられた死骸から血と臓腑が垂れ落ちた。それが、このモンスター達が死んで間もないという事を教えてくれる。

 そう、どのモンスターも死んではいる。けれど死体は残っている。そのせいで撒き散らされた臓腑と血液が、この悪臭の正体だ。

 本来モンスターがこうして死体を残すのはありえない。何故なら、冒険者は必ずモンスターの心臓である魔石を抜き取るからだ。そして魔石を抜き取られたモンスターは灰となり、死体を残さす消滅する。

 しかし、逆を言えばそれを抜き取らなかったモンスターの死骸は残り続ける。それこそ人が土に還るまでそこに死体として在り続けるように。

 ――これをやったのは冒険者じゃない、のか?

 どんな冒険者でも、モンスターから必ず魔石を抜き取る。それが冒険者稼業における大事な収入源の一つであり、ドロップアイテムを手に入れるために必須な作業だからだ。

 それをしない存在など、ベートの知る限り一人、いや一体のみ。

 ゴクリ、と唾を飲み込んだ。

 シオンが腕を切られてから数日。奴がここに居続けてこの惨状を生んだのなら、果たして自分は勝てるのだろうか。

 ベート自身これができない、とは言わない。しかしそれには入念な準備と運がいる。

 ――どうする? どうすればいい? このまま行って、俺は勝てるのか?

 一度戻り、フィン達に助力を頼む。それが一番確実だ。無理をして命を落とせば、折角得た光明を闇の中へ捨てることとなる。

 ――……そうだ、それが一番だ。そうして、戻って、あいつらを連れて来れば……。

 ザッ、と足を後ろに向ける。戻るために。一刻も早く戻ってフィン達に頼るために。そうすればきっと、きっと何とかなる。

 そして――その間に、シオンは死んでしまうのだ。

 「――……ッッ!!」

 これが、本当に呪いを行うための一環であれば。

 時間をかければかけるだけ、シオンにかかるそれは増大していく。

 知っている。そのせいで今アイツがどれだけ苦しんでいるのか。

 知っている。いつも苦しいのを隠す人間が、それを隠せないのがどういった事なのかを。

 知っている。……親しい人間がいなくなる絶望が、どれほど辛いことなのかを。

 絶望に涙し、後悔に叫び、己を恨み、殺した相手を憎み――そうでありながら立ち上がった人間を、己の親友(ライバル)を、見捨てるのか。

 勝てないと思わされた相手から、無様に逃げて。

 「……逃げるのかよ、俺が? この、俺が?」

 ギリッと拳が握り締められる。血が滲み出る寸前まで力を込めて、その拳で、己の顔をぶん殴った。加減などせず、頬が紫色になるような力で。

 「ッ……ア、クソったれがァ……!」

 本当にシオンが死ぬなんて決まっていない。

 けれど絶対にそうなると、何かが告げるのだ。

 ならば逃げる事など許されない。自分自身が許さない。尻尾を巻いて逃げるなんて死んでもゴメンだ。どんな相手だろうと牙を突き立て、己が勝つ。

 敢えて頬を治さず、痛みを感じたままにベートは振り返り、その道を突き進んだ。

 靴が死骸を踏む。血に浸される。天井から降ってきた血が髪を濡らす。体を血に染めていく。

 気色悪い。気分が悪い。吐き気がする。何より――逃げ腰だった自分に、反吐が出る。たかがモンスターの死骸が大量にある程度で負けを確信し、それを言い訳して逃げようとした自分を、殺したいほどに。

 「関係、ねぇ。例え相手がどれだけ強かろうと――」

 足が、止まった。

 遥か先に、見える。アイズを襲ったというウォーウルフの姿。最初からわかっていたのだろう、奴はベートの姿を睨みつけていた。

 逃げれば良し、来るなら殺すと、その目が告げている。

 それにベートはペッと血の混じった唾を吐き出して、これを返答とした。

 「――俺が、勝つ。テメェをぶっ殺してなッ!」

 

 

 

 

 

 速攻をかけたのはベートの方だった。逆にウォーウルフは動こうとしない。剣の切っ先を地面に突き立てたまま。

 それに舐められている、と普段のベートなら感じただろう。

 けれど、今は違う。

 ――それだけの差がある、と考えろ。

 そんな隙だらけの構えをしていても勝てるのだ、相手は。だからベートも、馬鹿の一つ覚えみたいな直進はしない。それでは切り捨てられて終わるから。

 ただし、直進はしないと言っていない。

 「まず挨拶代わりだ!」

 ドゴンッ、と地面が揺れる。そこで初めてウォーウルフの目が微かに開いた。それはベートが奴の予想を上回った証。

 ――やっぱだ。アイツはこの仕掛けを知らねぇ!

 手甲と靴に仕掛けられた火薬。それによる加速と拳の威力向上。これで一気に接近し、相手が剣を地面から抜き出すより前に――双剣を振るう!

 一回目の斬撃は避けられた。けれど、ベートの攻撃は手数によるもの。間断なく二撃、三撃と続けて、ウォーウルフの体に細かな傷を作る。

 だが四撃目は届かない。ここで体勢を立て直したウォーウルフが牽制に剣を振ったからだ。そのせいでベートは距離を取らざるをえなくなった。

 仕切り直しだ。

 ――もっと深く切り込めばよかったか。

 初手は、精々痛み分けだ。ウォーウルフは隙を突かれ傷を負い、ベートは手札を切ったにも関わらず深手を与えられていない。

 ――次は無い、そう考えれば俺の方が不利、か。

 クル、クル、と双剣を順手逆手に持ち帰る。あからさまな隙だ。それでも相手は来ない、誘いには乗らない、と見た。

 やはり、このウォーウルフには理性がある。ただのモンスターならば最初の時点で突っ込んでくるだろうし、傷を負ったならば激昂する。

 ――厄介だなぁ、オイ。

 そもそも人間よりもモンスターの方が身体能力は上だ。それが理性を持ち、剣術を使ってくるとしたら……苦戦は免れない、だろう。

 そしてもう一つ分かった事がある。このモンスター、自分から仕掛ける事はまずない。こうして睨み合いを続けているのに一切焦れた様子が無いからだ。

 つまり、時間をかければかけるほど有利になるのは相手の方。だがこの状況で時間をかけて有利になるなど考えにくい。先のギミックを見せたのは『まだ何かある』と思わせて焦りを誘発させるためだったというのに、それが見えないのもあるが。

 とにかく言えるのは『この戦闘以外』で有利になるのは相手、という可能性。

 ――……やっぱ、シオンの事か?

 そこに思い至って、チッと舌打ちした。

 ――焦るな、焦るなよベート・ローガ。ただでさえ実力で負けてるんだ、冷静さまで無くしたら勝ちの目が完全に無くなる。

 ふぅ、と息を吐いて脱力する。そうやって敢えて隙を晒して見せたが、やはり来ない。それならそれで良い、別のことに使うだけだ。

 ――精神状態良好、体調は万全。先の爆発による影響はほぼ無し。全力戦闘可能。継戦時間は――数十分と予想。

 ただし、これは怪我を想定すると夢物語。仮定として頭の片隅に置き、目線を目の前の強敵へと合わせる。

 ――勝機、アリ。

 こいつは強い。けれど、剣を交えてわかった。勝ちの目は絶対に無い、わけじゃあない。やり方次第では、勝てる。

 「――ッ!」

 駆ける。

 力強く地面を蹴った反動か、床が砕けた。関係はない。出し惜しんで負ける方がマヌケだと、そう思ったからこそ全力で行く。

 ウォーウルフが剣を構えた。あくまで不動。来たからには相手をする――そんな意思を、何となく感じた。

 ――洒落くせぇ!

 残り五歩で双剣の射程距離に入る、というところで、ベートの靴から火薬が迸った。耳をつんざく轟音と同時に、体がグイッと前に引っ張られる。空中を舞い、崩れそうになる体勢を整えて急接近。

 その加速に対し、今度は驚くことなくウォーウルフは対処した。一歩、二歩と慌てることなく後退り、剣を振るうに相応しい距離を取る。そしてベートが近づいた瞬間、右下から左上へと剣を一閃する。

 ――爆発が一度だけなんて決め付けるなよ!

 そう内心で叫び、ベートはもう一度靴から火薬を爆発させた。空中にいたベートはその勢いに体を引っ張られ、地面へと急降下する。うまく着地し、地面を這うように駆けた。

 ――足が武器の俺が空中に飛んだ、その意味を考え忘れたな。

 ウォーウルフは剣を上げている。振り下ろすにも勢いを止める動作が必要だ。その前に、自分が相手に接近できるだろう。

 そう刹那の思考で考えた一瞬だった。ベートの眼前に、毛むくじゃらの何か――ウォーウルフの膝が飛び込んできた。

 手は使えないから、足を使う。そうモンスターが判断した事に普通なら驚くだろうが、あらかじめ知っているなら対処は容易い。

 何故なら、そんな手段は毎度毎度シオンやティオネが使ってくるのだから!

 ――まずは一本、

 「――奪わせてもらう!」

 体を捻り、回転しながら膝蹴りを避けた。その回転の勢いと、腕に更に捻りを加えて、相手の真っ直ぐに伸びた脚を斬り付ける。本当なら切断させたかったが、咄嗟に足を曲げられて、刃から逃れられた。

 深く斬り込む事はできたので、この戦闘中は歩くのにも苦労するだろうが――そう思った矢先、ベートは勘に従って双剣の片方を放り投げ、手で『何か』を掴んだ。

 「ッ!??」

 それは正解の手段だったが、同時に最悪の方法でもあった。

 ベートが掴んだもの、それはウォーウルフが投げた剣だ。もし掴み損ねていれば脳天に突き刺さったであろうから、手で掴んだのは決して間違いじゃない。

 だが、剣はその切れ味によって篭手を切り裂き、ベートの手を深く抉った。幸い指は取れていないが、無理に使えば後々影響が出るだろう。経験からそう悟った。

 ――自分の脚を囮に体勢の崩れた俺の頭を狙いやがったのか。

 火薬を爆発させるには一瞬だが溜めがいる。無理に爆発させれば筋を痛めるし、最悪手足がちぎれ飛ぶ。だからその回避方法は選べない。

 ――このウォーウルフ、厄介過ぎる。()()()()()()だから、よくわかるぜ。

 シオンという人間はよく『一芸を極められないから色々手を出している凡人』と自分を評価しているが、それは違う。

 確かに一芸特化の人間は強いのだろう。一つを極めるからこそできる強い個性は、使いこなせばその分野に対して最高の力を発揮する。

 逆に浅く広く手を伸ばす人間は、深い経験と技術を得られない。精々、その時にいない誰かの代わりができる程度だろう。

 だが。

 もし、その浅く広くを、深く広くできれば。

 その人間は、『万能の天才』と称されるだろう。

 シオンはそう呼ばれるための道を登っている最中で――このウォーウルフは、そんなシオンの先達になるのだろう。

 相手を見極め、自分を見極め、考え、できる手を打ち、剣技でもって対応する。

 ――そんな奴と戦う時は大抵相場が決まっている。俺の矛が相手の壁を食い破るか、防ぎ切られるか。

 自分の手札は、まだ、ある。けれど一度でも見せれば対策されると思え。事実、あの爆発をたった三度で見極められたのだから。

 落とした双剣を拾い、片方を鞘に収める。自分は腕、相手は脚。どうとも言えないが、またも引き分けだろうか。

 ――いや、剣を無くした分相手の方が……そんな甘いわけねぇか。

 完全に死に体だった自分に追い打ちが無いと思えば、相手は遠くにあったらしい新たな剣を拾いに行っていたようだ。用心深いというか何というか。誰かが来るという予想くらいはしていたようだ。

 ――種族は厳密に言うとちげぇし、そもそも人とモンスターだが……。

 ベートという狼と。

 ウォーウルフという狼。

 どちらが相手の喉元を食い千切り、相手を組み伏せるか――。

 ――ここからが、本番だッ!!




約一ヶ月ぶりの投稿です。小説読んでゲームしてたら気付けばこうなってました。誠に申し訳ございません。

……そろそろ待っていてくれる読者様もいなくなってそう(自業自得)。

今回はやっとこさ元凶?のウォーウルフと、それを打倒しようとするベートの構図まで行けました。

まぁ次回はシオンの方に戻ります。ベートはその次。
ではノシノシ


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母の残影

 物陰に隠れて、数十秒経っただろうか。動きはない。自分も、相手も。それでも一応の警戒心を残しつつ、シオンはサニアの顔――正確には口――を自分の肩に寄せた。そして彼女の肩に突き刺さった短剣の柄を握り締め、一気に抜き取った。

 「――ッ!??」

 彼女の意識は無い。だがその肉体に走った激痛によって、反射的に叫び声を上げかけた。それを自身の肩で抑え込むも、代わりに彼女の口が全力で噛み千切ろうとしてくる。

 シオンは彼女の体から力が抜けるまでその体勢を維持した。それから片手で彼女の体を支え、抜き取った短剣を口に咥えてから、ポーチに入れた万能薬を取り出す。

 片手で何とか万能薬の蓋を外すと、血を流す彼女の肩にそれを半分振りかける。驚く速さで無くなっていく傷を確認し、それから少ししてサニアの体からふっと力が抜けた。

 シオンはサニアの体を自分から離すと、肩にあるであろう傷に少量の薬を塗り込み、残りを全て彼女に飲ませた。そこまでしてやっと彼女の呼吸が安定する。

 自分の代わりにサニアを木に寄りかからせると、シオンは短剣を見た。彼女の血に塗れたそれを何度か見て、血が付着していない部分を軽く()()()

 別に猟奇的な意味でも、気が狂った訳でもない。単に確認したいことがあっただけだ。

 ――視界が歪む。音がズレる。臭いが変化する。

 五感に異常が起きたということは、予想は当たりだった。これで確信できた。この短剣がサニアに当たった可能性の一つに、たまたま遠くから流れ弾が来た、というのがあったのだが。

 それはない。ありえない。

 だって本当にそうなら、この短剣に()()()()()()()()()()()()()()

 シオンがこの程度で済んでいるのは、『耐異常』アビリティがCになっているからだ。もしこのアビリティが無ければ、舐めた時点で動けなくなっている。

 多分サニアもこのアビリティはあるのだろうが、シオン程ではないのだろう。……まぁ、そもそも『発展アビリティ』は一つランクを上げるのに途方も無い時間を要する。シオンがおかしいだけだ、あるいはユリエラの作る試験薬が狂っているだけか。

 ふぅ、と一つ息を吐き出す。サニアはしばらく動けない。この毒の種類が何なのかは予想できないが、シオンのアビリティを突破できる以上、生半可な物ではないだろう。

 一応先に飲んだ万能薬のお陰でもう無効化されたが。

 ――『下層』か『深層』レベルのモンスターが持つ毒、か?

 流石にそこまで行くと情報が無い。

 仮にそうとして、これ以上この毒をサニアが喰らえば不味い。基本的にシオンは万能薬を共に潜る人数分しか持ってこないので、残り二本。つまり、サニアとリオンがもう一回ずつこの毒を受けただけで無くなってしまう。

 そうなったら詰みだ。回復魔法――それも状態異常系列を何とかできる魔法使いがいない今、全滅する未来しか見えない。

 逃げる。これしかないだろう。だが、シオンがサニアを背負って逃げる事はできない。腕力と体力はどうとでもなるが、身長差は如何ともしがたい。無理に背負えば格好の的だ。

 だから、シオンは木の影から飛び出した。

 「【変化せよ(ブリッツ)】」

 それと同時に詠唱する。

 「【迸れ、紫電の稲妻。それは全てを貫くもの】」

 シオンはまだ完璧な平行詠唱ができない。だから、単純で簡単なものにする。

 「【ライトニングスピア】!」

 紫雷の槍を、天井の水晶目掛けて放つ。これでいい。それでいい。どこにいるのかもわからない敵に撃つような魔力は無いのだから。

 この槍を届けるのは、リオンだ。異常事態が起きた、すぐ戻ってきてくれ――そんな思いを込めて、届ける。

 槍が空を駆けるのを見届けぬまま、シオンは更に言う。

 「【変化せよ(ブリッツ)】」

 間髪入れず叫んだ。

 「【ライトニング】!」

 バチンッ、とシオンの足元から雷が走り出す。その一瞬後、シオンの詠唱を阻止するために放たれた短剣が心臓めがけて飛んできたが――遅い。

 トン、と軽く地面を叩いた時には、シオンはもうそこにいない。アイズの【テンペスト】では総合力で劣るが、ただ一点のみに特化させれば、この魔法でも勝る。

 今は速さを求めた。だから、今のシオンなら全力を出したベートと同等の速さを持つ。――問題は、今の体調でこの速度を制御できるかどうかだが……気にするのを止める。

 どうやってか相手は前後左右更には上からも短剣を投げてくる。上から来る、と察した瞬間上を見ても、影も形も無いのに、だ。

 サニアの方へ向かう短剣だけを受け止め、逸らしておき、自分の方へ来るものは極力回避して時間を稼ぐ。

 ――数分だ。数分だけでいい。リオンの全力はわからないが、その数分を稼げば、彼女はきっと戻ってきてくれる――!?

 咄嗟に体を倒す。そんなシオンの体を撫でるように、一筋の線が浮かび上がった。その線から、赤い血が零れおちて行く。

 短剣は来ていなかった。けれど、確かに腕には切られた痕がある。

 ――スキル、魔法、アビリティ、技術……どれかで不可視にしているのか!?

 さっき避けられたのは、完全に偶然だろう。避けた後でわかったが、風切り音に体が反応してくれたお陰だ。……フィンの槍も、そんな感じで避けていたから、訓練の賜物とも言えるが。

 けれど、やはり、偶然なのは事実だ。

 『風切り音』がしたから避けられます、なんて言えるほどシオンは極まっていないし、そもそも触覚が消えている状態でできるはずがない。

 少しずつ、徐々に、微かに、傷跡ができていく。その度に、毒が体に蓄積される。シオンの『耐異常』アビリティが年齢の割にどれだけ高くとも、それだけだ。それ以上の毒を喰らえば、分解出来ない物が体の内側を蝕んでいくしかない。

 そして、シオンはそれに気付かない。仮に気付いても、どうしようもない。サニアを置いて逃げられないのだから、このまま座して待つしかない。

 けれど現実は非情だった。サニアの方へ向かった短剣を弾いた瞬間、ドスン、という音が聞こえてきた。目線だけを下ろせば、シオンの体に穴が空いていた。

 ――二つ、連続か……!

 シオンは風切り音を頼りに不可視の短剣を避けていた。逆に言えば、それだけしか感知する術が無いとも言える。目視できる短剣の後に不可視の短剣が続いてくれば、当然、シオンが知覚する前に剣は刺さる。

 ……サニアを狙ってシオンに避けさせない、という念の入れようだ。幸い骨や内臓を避けてくれているが、このまま大きく動けば、その限りではないだろう。

 だが、シオンはそれを問題ない、と判断した。まだ万能薬は残っているのだから、死なない程度に動けるとも言える、と。

 ――その考えが甘いと知ったのは、すぐのことだった。

 「……あ、え……?」

 シオンの手から、奪った短剣が落ちる。すぐさま拾おうとして、片足から力が抜ける。口に力を入れようとして、思い切り目が閉じられた。

 その間にも、短剣が飛んでくる。シオンはそれと何となく察知して、横っ飛びしようとして、思い切り真上に飛び上がっていた。

 ――体が、うまく、動かない!?

 この毒が何なのか、今の今まで全くわからなかった。けれど今ならわかる。これは、神経に異常を来す猛毒だ。今は体が動かない程度で済んでいるが、いずれ五感も侵すだろう。

 そうなったら本当に終わりだ。いや、もうこの時点で詰みか。空中にいるシオンは動けない。多少は何とかできるが、もうこの考えをしている間に一本、二本と短剣がシオンの体を貫いていく。

 死ぬ、という考えが頭を過ぎった。あながち間違いでも無いだろう。シオンの持つ技術とスキルと魔法に、この状況を打開できる方法が無いのだから。

 それでも即死だけは免れようと、言うことを聞かない体を動かした。それは無様な悪足掻きに過ぎず、ほんの数秒、時間を伸ばせる程度だった。

 けれど、その数秒が全てを左右した。

 「――すいません、遅れてしまいました」

 感覚のない体に、けれどふわりと、暖かいものが身を包んだ。それが誰かに抱きしめられたからだと気付くのに、結構な時間がかかった。

 「謝罪は、いいから……今は、逃げる。全力、で! サニアも、担いで!」

 自身を抱いて守ってくれるリオンに、『指揮高揚(コマンドオーダー)』を発動させる。無茶を言っているのはわかっていたが、今は彼女を頼るしかなかった。

 腕に、体に、足に短剣が突き刺さっている上に、神経系に異常が起きて体どころか口もまともに動かせないシオンは、これだけしかできない。

 それに不甲斐なさを感じているシオン。けれど、リオンは感謝していた。口には決して出さなかったが――シオンが否定すると考えていたし、事実それは正しい――サニアを守るため、体の不調を押してくれたのだから。

 リオンは、エルフだ。エルフは極度の潔癖症で、他種族と触れるのを種族の本能として拒否してしまう。

 その本能を捩じ伏せて、リオンはシオンを胸に抱える。この間にも短剣が飛んでくるが、全て無意味だ。エルフの長い耳は、伊達や飾りじゃない。シオンよりも遥かに優れた聴覚が、不可視の短剣すらも正確に見極めてくれる。

 シオンを抱え終えると――投げ飛ばしそうになる体を理性で抑えつつ――すぐにサニアの元へと向かう。彼女の体を、米俵を持つようにすると、全力で走りだした。

普通なら足を止めてしまいそうになる場面でも、リオンは全力で走り続ける。森を走るのは大の得意だから。どちらかというと、体が勝手にシオンを放り投げないか注意する方が苦労したくらいだ。

 短剣は背後から飛んでくる。その場に留まっていた時は全方向から来たのに、今は後方だけ。つまり、相手は一人だけなのだろう。それもかなりの速度特化型。リオンと同タイプ。

 ――シオンの『指揮高揚』の効果を受けた私と同じ速度、ですか。厄介ですね……。

 恐らく自分達よりも上のレベルだ。Lv.3のシオンが耐えられたのは、相手が一度も姿を現さないよう注意していたためだろう。

 そうでなければ、リオンが来る前に、二人共――そう考えて、リオンは思考を打ち消した。相手の考えがどうあれシオンとサニアは生き残った。それが結果だ。

 飛んでくる短剣に当たらないよう、二人にも当てないよう後方に意識を向けつつ、森の中を駆け抜ける。淀みなく、一瞬であっても止まらないように。相手はそれに戸惑っているように見受けられるが、エルフを舐めているのだろうか。

 いや、リオンはフードを被って顔を隠しているから、気付いていないだけか。ならその利点を有用に使うだけだ。

 戸惑っているだろう相手を攪乱するように、リオンは自由に森を駆ける。この感覚は、森を出て以来。この状況で不謹慎だが、とても楽しかった。

 顔も知らぬ相手はリオンに追いつけない。短剣を投げてもリオンの影さえ踏めず、動きを予想して投げても見当違いな方へ飛んでいく。

 18層の森は、迷わなければそう深くない。だから、リオンはあっさりと森を抜けた。人二人を抱えているというハンデを物ともせずに。

 森を抜けたが、リオンはまだ走り続ける。少なくとも森の中から短剣を投げても届かない位置までは。

 十分程走ってやっと足を止める。念のため周囲を見渡してモンスターがいるかどうかの確認をして、森から見て影になるような場所へ。これで直接短剣を投げるのは難しくなったはず。そう判断すると、リオンはシオンとサニアを下ろして横にした。

 「……酷い、傷」

 全身に裂傷の走ったシオンの体。血が滲み、遠くから見れば失血死した死体に見えかねないほど汚れている。

 「荷物……は、大半置いてきてしまってますね」

 シオンが常に持っているポーチと剣、サニアの双剣以外はあの場所に置いてきてしまった。まぁ入っているのは魔石とドロップアイテム、乾燥させた干し肉と果物、回復薬、それからタオル等の布程度で、大した被害は無いが……。

 ――仕方ありません、汚れは我慢してもらいましょう。

 そう判断して、シオンのポーチから高等回復薬を取り出そうと手を伸ばした瞬間、

 「――あの、何かお困りでしょうか?」

 「……ッ!?」

 そんな、涼やかな声がすぐ傍から聞こえてきた。息を呑んで振り向き、短剣を取って構える。

 ――いつの間に!?

 気付かなかった。少なくとも先程モンスターの姿を確認した時にはいなかったはずだ。どうやってこんなに近くまで来たのか、疑問に思いつつ警戒心を剥き出しにして言う。

 「……それ以上近づかないでください。見ての通り仲間が傷ついてまして、見知らぬ相手と話す暇は無いのです」

 その言葉に、相手は一歩下がった。それでも遠くには行かない。不快感を見せつつ――フードを被っているので雰囲気だけだが――相手を見る。

 相手も自分と同じでローブを纏っているせいで顔が見えない。しかし微かに覗く体と足、杖を持つ手と声から、恐らく女性と判断した。だが、それで警戒心を無くす理由にはならない。例え彼女が善意から来てくれた回復魔道士(ヒーラー)だとしても、だ。

 「もっと遠くへお願いします。そこでは針一本でも投げれば私を殺せる距離なので」

 「……申し訳ありません。ですが、どうしても気になるのです。あなたが庇う、()()()()()()

 彼女の言葉に、リオンの眉が寄る。

 ――シオンを、男性と見抜いた?

 今のシオンは血塗れだ。リオンが盾になっているから顔も、どころか体もまともに見えない。見えて彼の長い髪くらいだろう。そして、シオンの髪は女性も羨む美しさだ。

 本人曰く母譲り、だそうだが……それを見て、何故男の子と断じれた? 今ここにいるのは彼本来の仲間ではない、リオンとサニアなのに?

 「顔を、見せてください。少なくともそれくらいしていただかなくては、信用することもできませんので」

 「あ、そうですよね。ごめんなさい、忘れていました」

 パサリ、とフードを取る。そこから見えた顔に、リオンは目を見開いて驚いた。

 白銀の髪。それもかなり長いようで、恐らく腰か膝まではある。瞳は海のように澄んだ青色で、垣間見える顔は、エルフにも勝るほど美しい。

 けれど、リオンが驚いたのはそこではなかった。

 「……シオ、ン?」

 そう呟いてしまうほど、彼女は彼に似ていた。

 ()()()()()

 逆なのだ。彼女が彼に似ているのではない。彼が、彼女に似ているのだ。そこで、ハッと気付いた。かつて存在した【ファミリア】において、その名を轟かせた回復魔道士(ヒーラー)を。

 「まさか……【聖女】イリス……?」

 【英雄】シオンは、【将軍】と呼ばれた男性と、【聖女】と呼ばれた女性の間に生まれた子供である、という噂は、誰しも一度聞いたことがある。

 そう……シオンが生まれてすぐに死んだ、という事実と共に。

 だからありえない。ありえない、はずなのだが。目の前の女性が、イリスであるという考えを否定しきれない。

 何故なら、イリスの顔を見た人間はほとんどいないからだ。常にローブで全身を覆い隠した彼女の顔を知るのは、夫である【将軍】と、彼女の神であるヘラ。後は彼女達の事実上の弟子であったとされる【殺人姫】くらいだろうか。

 「ええ、そうですよ」

 そして、その疑念を【聖女】は肯定した。そのまま彼女は続ける。

 「もしかしたら、あなたの後ろにいるのは、私達の子……シリスなのではありませんか?」

 「シリス? シオンではなく?」

 「その名はその子が自分自身で付けた物でしょう。私とあの人が付けたのは、シリス……シリスティアなのです」

 ……その話は、知らない。ここにいるのがフィンやロキであれば知っていたかもしれないが、リオンとサニアは所詮部外者、同じ【ファミリア】でない以上、それが真実か嘘かがわからない。

 けれど、彼女はそこに対して嘘を言っている様子はなかった。

 まだ一摘みの疑念を抱きつつも、リオンは彼女を信用しようとして……ガッと、腕を掴まれた。

 「シオン? まだ動いては……治療もしていないのに!」

 掴んだのは、シオンだった。目の焦点がほとんど合わず、息も荒い。体もまともに動かせないようで、腕じゃなく足が変な動きをしていた。

 それでも、シオンの顔は真っ直ぐに見つめられている。

 母と――己の母の名を言った、女性の顔を。ただジッと。

 女性は動かない。ただ今にも抱きしめたいと言うように、慈愛溢れた眼差しをしていた。それでもシオンは、言った。

 「貴女は、おれの母か?」

 「はい。私はあなたの母。あなたは私の子。私とあの人の愛しい子。シリスティア」

 愛情溢れる声だった。愛する子を想う母の声だった。全てを忘れさせてくれるような――そんな女性の声だった。

 ……けれど。

 「『ティア』の、意味は?」

 「え?」

 「おれの名前の後に付けられる、『ティア』の、意味は?」

 リオンも、サニアも。……イリスでさえも。

 その質問の意図が読めなかった。

 そして。読めなかった時点で、シオンは確信した。

 「リオン、今すぐこいつを殺せ! 無理なら気絶でもいい、とにかくこいつをおれ達に近づけさせるな!」

 「なっ!? ……いえ、わかりました!」

 理解できない。全くもって意味がわからない。

 わからなかった、が、全てを横に置いてリオンは指示に従った。短剣を取り出し、それを瞬時にイリスの顔面目掛けて投げつける。

 「きゃぁ!? シリス、どうしてこんなことを? 私はあなたに会いに、あなたとまた一緒に暮らすために……!」

 「うるさい黙れ。母を騙る偽物野郎」

 杖で短剣を受け止め、距離を取る。その顔は悲痛に彩られ、見る者の心に罪悪感をもたらす。事実リオンはそうだった。だが、シオンは逆に怒りを露わにして叫んだ。

 「お前が『ティア』の意味を――おれじゃなく、『私達』と訂正しなかった時点で! お前は偽物だと確信したッ。そして、母の顔を知る人間は、片手で数えられる程度しかいない!!」

 先程のリオンの考えをもう一度反復する。

 イリスは既に死んだ。

 そんな彼女の顔を知る者は、【将軍】、ヘラ、【殺人姫】、そして【殺人姫】に育てられた、シオンのみ。

 ここから考えられる答えはとても単純で……とても、胸糞の悪いものだった。

 「お前だ。……お前が、父を。……母を! おれの両親を殺した奴だッ、違うか!?」

 その言葉に、リオンは振り向きそうになるのを全力で押さえなければならなかった。

 シオンの声には、怒りがあった。悲しみがあった。……憎しみがあった。疑念はなく、ただただ確信だけがあった。

 それはつまり、シオンが本当の意味で親の死を受け入れた瞬間だった。

 今までは、自分を騙せた。両親は死んだと皆が言っても、その瞬間を見た人間は誰もいない。そして、シオンは『モンスターの中にも味方はいる』という事実を知っている。

 だから、もしかしたら、という考えを捨てられなかった。捨てるには、シオンはあまりに父と母の愛情を知らなすぎた。

 だって。……もしこの考えを捨てたら。自分は一生、アイズの母から受けたあの感情をくれる人がいないという、事実しか残らない。

 孤児。血の繋がった家族は、誰もいない。それが、事実になってしまうから。

 「どうなんだ!?」

 だから、否定してくれと願う。たまたまだ、と。ただおれの命を狙うのに都合が良かったから、と。そう言ってくれと、願った。

 「なぁんだ」

 願って――叶えられなかった。

 「お前の事は誰より知っていると思ってたんだが……まだあのクソアマには負けるか。死んでも面倒な奴だ」

 それが、【殺人姫】を、シオンを育てた人を言っているのだとすぐにわかった。そして、その口ぶりが、ある思考を生んだ。

 「……おい。待て。義姉さんを知ってるって、まさか。お前……まさ、か」

 「あァ? んだよ、まーだ気付いてなかったのか、能天気だな」

 母の顔で。母の声で。歪に笑い、嘲笑の籠った言葉を吐き出す。

 「大正解だ」

 シオンの願いを、粉々にするために。

 「お前の親を、お前の義姉を。殺したのはオレだよ。直接、間接の差はあるけどな」

 「――ッ」

 肯定した。……肯定、されてしまった。

 その時シオンが何を思ったのかなんて、自分でもわからない。ただわかったのは、自分の体が勝手に動き出して、こいつを殺そうとしただけだった。

 「おっと、そいつは勘弁だ」

 「ぐ、ぁ……!?」

 正直に言って、シオンの動きはトロすぎる。既に【ライトニング】は途切れ、触覚が無く、神経が狂っているせいでまともに動かない。

 そんな相手、慣れていない杖でも簡単に吹き飛ばせる。その気になれば杖の先で風穴空く事も不可能ではないが、それをするにはリオンという女が邪魔だった。

 ――隙を見せたら首を落とす。

 そう目が告げていた。

 だがシオンはそんなの知るかとばかりに体を動かす。

 「……っ。もうやめてください、シオン! ここで戦っても私達に勝ち目は無い。あなたが前に出ればサニアにも危険が及びます。堪えて……堪えてください、シオン!」

 どういうわけか、相手は徐々に距離を取っていた。その相手を追ってシオンも言ってしまえばいよいよどうしようもなくなる。

 だから、リオンはシオンの体を押さえつけた。止まって、と。理不尽な事を言っている自覚があっても、リオンはサニアに、シオンにも死んで欲しくなかったから。そう言うしかなかった。

 それでもシオンは止まらない。ただ相手の顔を見て、殺してやると目で叫んだ。

 「あァ、そうだ。最後に一つ、良い事教えてやるよ」

 それが決して良い事ではないと、リオンにはわかった。ただ、シオンに対して酷な事を言おうとしていることだけは、わかった。

 「お前達が来る前に、狼が来たんだよ」

 その言葉に、シオンの動きが止まる。

 「おお、かみ……?」

 「ああ。なんっつったか……ああ、そうだ。思い出した」

 ニヤニヤと、見下す笑みを浮かべて。

 「ベートなんちゃらだったな」

 「――ッ、お前! お前はぁ!!」

 「ハハハッ、まぁそんな顔すんな。あの犬っころ、お前さんのために一人で28層に向かってったんだぜ? いやぁ、お涙ちょうだいだわ。腹抱えるしかねーだろ?」

 自身の体を押さえるリオンを剥がそうと再度暴れるシオン。相手の意図がわかったからだ。こんなところにいる時間なんて無い。

 無い、のに……!

 「時間稼ぎか……そのためだけに、お前は!」

 「両親が死んだ。義姉も殺した。さて、ここで大の親友を失ったお前は、どうなるかねぇ? 楽しみだ、その時のお前の顔を想像するだけでゾクゾクする!」

 今から追っても間に合わない。

 サニアはまだ目を覚まさず、シオンは身体に染み付いた毒をまず抜かなければならない。例え毒を抜いたとしても、28層まで出てくるモンスターを相手するには、リオンと二人ではあまりにも不安だ。

 わかる、わかってしまう。

 シオンは、ベートを追えない。追える状況にないのだと。

 相手は笑っていた。シオンとベートの状態を理解して、哂っていた。

 「……ころ、してやる」

 憎悪に染まった目を、『敵』に向ける。

 「ベートが、もし、死んだなら!」

 歯を剥き出しにして、ただ殺すべき相手を見た。

 「おれの、全部を差し出してでも――お前を探し出して、首を落とす! 絶対にだッ!」

 その言葉を聞いても、相手は笑うだけだった。楽しみだねぇ、と煽るように言って、背を向けて去っていくのを、見るしかなかった。

 リオンはただ、抱きしめるしかなかった。シオンの言葉を聞いて、安堵した自分に嫌悪した。全員の命が無事だった事実に、安心なんてできなかった。

 ……そんな自分が、嫌いになりそうだったくらいに。

 しばらくして、シオンの体が震えているのに気づく。ボロボロと涙を流して、父と母と義姉の名前を呟く彼から、いつもの姿を想像できない。

 その小さな体を、強く抱きしめる。

 ヒューマンである彼に触れるのに、もう嫌悪感はわかなかったけれど。

 何の慰めの言葉をかけられない自分が……とても、ちっぽけに思えた。




サボり癖ができたようです。中身思いついてもPCのワードを開く事さえしないダメ人間と化している……!

今回は黒幕さんと顔合わせ。シオンを殺さない理由は見ての通り『苦しんで苦しんで絶望の果てに殺したい』から。狂ってますね。

次回はベート戻ります。


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醜悪な闇

 仕切り直した最初にベートが行ったのは、双剣の回収だった。どちらか片方でも回収しなければ武器が無い。このウォーウルフ相手に素手は、流石に遠慮したかった。

 一応、牽制程度の短剣は投げておいたが、投げなくても結果は変わらなかったかもしれない。相手はその場から動かず、ベートが剣をそれぞれ回収するまで待ってくれたのだから。

 ――こいつの思考が理解できねぇ。

 時間稼ぎ。それはわかった。だが、それにしたって自分をさっさと殺せば、そんな真似をする必要など無いのだ。援軍が来る、という様子でもない。

 わからない。わからないから、不安になってくる。

 「……チッ」

 一つ舌打ちし、脳裏を過ぎったそれを捨てた。回収した双剣の内片方を鞘にしまう。久しぶりの片手剣。この戦い方は、本当に最初の頃、それこそシオンとティオネ、二人と喧嘩したすぐ後くらいだろうか。

 扱い方を忘れていなければいいのだが。そう思いつつ、ベートは剣を構えた。剣を握っていない方の手は自然体で何もしない。というか、下手に力を入れると更に血が噴出して、貧血になってしまう。

 相手も回復までは許してくれないだろう。このままやるしかない。

 ――行くぜ。

 トン、と軽く地面を蹴る。今度は最初から全力では戦わない。一応、両肘と両足にある火薬はまだ残っているが、それももう織り込み済みで対応される。

 それでも警戒心は植え付けられる。まずは、ジャブ。ストレートは入れない。

 ウォーウルフの目の前で一瞬止まる。それは相手の剣のギリギリ外。……相手は来ない。怪我をした足を押して動くほどでもない、ということか。

 ならば、とベートは間合いに入る。まだ動かない、そこをすかさず、腕を伸ばしきらない、勢いもない突きを叩き込む。

 それを、怪我をしていない足の先を軽く動かし、体勢を変えるだけで避けた。だがベートの突きは軽い物、剣の真ん中辺りが相手の体の横を通り過ぎた瞬間、ピタリと止まる。それから一気に真横へ振り抜いた。

 ガキンッ、という音と共に剣が受け止められる。十字のように交差した剣によって、軽々とベートの剣は止まった。

 受け止められたのなら、とベートは思い切り剣を引く。それを剣を握る柄を握り締め、ウォーウルフは耐えた。

 ギャリギャリギャリ、と歪な音と火花を散らし、お互いの耳と目を責め立てる。それでも相手の全てを見据え、次の展開へ移行した。

 エンジンを暖めるように、お互いの本当の力量を確かめるように剣を振る。本来の戦い方である双剣には及ばないが、それでもやはり、ベートの剣はそれなりの技術があった。

 しかしベートの剣は全て受け止められる。元々手数を用いて戦うベートは、一撃一撃が軽い。剣速を速める物の、片手では限度がある。尽く無効化された。

 一方ウォーウルフの方は受け止めながら反撃するも、全て回避されてしまう。ベートは無理に攻め込もうとせず、不利と見るや体勢を立て直すため間合いの外へ出てしまうのだ。片足を怪我している以上、無理矢理追い立てればウォーウルフの方が危うくなる。

 お互いがお互いに決定打を入れられない。受け入れない。だから、戦闘にも大きな推移が起きることはない。双方相手にとって最も嫌な展開を脳裏に描いているため、それをさせないように注意しているからだ。

 ――このまま戦っても、勝ち目は薄い。

 ただでさえ激しく動いているのだ。体力は消耗し、酸素を運ぶ血液と、それを送る心臓は激しく脈打つ。その結果、出血している手からダラダラと血が零れおちていく。相手もベートとそう変わらない。

 ただ、ここで一つ大きな差があった。

 ――体格差である。

 未だ子供であるベートと、平均的な成人男性よりも大きな体格を持つウォーウルフ。先に失血死するのは目に見えている。

 血が無くなれば思考に淀みが出る。淀みが出れば、戦闘に支障が出る。そうなれば、その一瞬の隙を突かれて負けてしまう。

 ――そうなる前に、勝負に出るしかない。

 ベートはそう考え、一旦大きく距離を取った。相手に背を向けず、対峙したままバックステップで一歩、二歩と下がる。感覚で壁が近くなったと悟るや否や、全力でジャンプ。壁に足を付けてもう一度跳ぶ。それから一気に天井付近に行くと、逆様になって()()した。

 そのまま、天井を走る。長時間は無理だが、短時間であれば問題はない。そのまま相手の真上にまで移動し、そのまま飛び降りた。

 当然相手も動いていたが、織り込み済みだ。ほぼ真上からかなりの速度で落ちていくベートを、回避できないとわかったのか、ウォーウルフは構える。

 ――迎撃、いや受け止めるつもりか。

 恐らくベートの四肢に取り付けられたギミック。それを警戒したのだろう。まぁ、その考えは間違っていない。これがあれば、ベートは空中でも動けるし、その気になれば二段ジャンプさえ可能である。反動が酷いし、体勢を保つなんてできるわけもないが。

 まず、ベートは足裏の火薬を爆発させた。それによって一気に加速し、お互いの距離が勢いよく縮まった。それでも、ウォーウルフに焦りはない。多少速度が変わった。ならばそれを入れて対応すればいいのだ、と。

 ――それくらいできるのは、俺だって知ってるよ。

 シオンにだって、できるのだから。

 ドン! という音が響く。それはベートがもう一度火薬を爆発させた音だ。ただし、それは加速のためではない――()()()()()だ。

 より正確には、()()()()()()()()()()()()()()()ために減速した、のだが。

 ――だから、対策だってあるに決まってんだろうが!

 ウォーウルフは受け止めるつもりだった。だから、ベートが剣を振るタイミングに必ず合わせてくる。そこに、眼前で肘に仕込んだ火薬を破裂させればどうなるか。

 ただでさえベートの一挙一足を見逃さぬよう注視していたのだ。そこを襲う視界の暴力。

 ――一瞬だ。一瞬でいい。相手の動きを止められれば――!

 ベートは内心で吠えながら、もう片方の足の火薬を起動した。それによって再加速したベートは剣を振り被る。そうしながら念のため、血みどろに染まったもう片方の手で、小さな短剣を取り出しておく。

 ――持ってくれよ、俺の体。

 急加速、急停止、急加速を繰り返したベートの片手と両足、体全体に負荷が伸し掛かる。それを歯を噛み締めて耐え、頭に剣を突き刺そうとし、

 「ガッ……!?」

 煙の中から、腕が生えてきた。

 その腕がベートの肩を押さえ、動きを止める。更に間髪入れず、剣が飛び出てくる。そのままでは心臓一直線のそれを、体を動かして避けようとし、肩に突き刺さった。その痛みのせいで、血みどろの手に握っていた短剣が地面に落ちる。

 「ガアアアアァァァァァァァッ!??」

 堪らず悲鳴を上げるベート。それからすぐに煙が晴れ、そこから見えたのは両の瞳から血涙を流すウォーウルフの姿。

 ――こいつ、目をやられながら……!?

 耐えた。耐えやがった。普通なら目を閉じる場面で、痛みに耐えながら、タイミングを見極めて反撃してきた。

 だが、まだベートは死んでいない。

 肩に剣が突き刺さり、剣を持つ手に力が入りにくい。

 ――()()()()()()

 「舐めんじゃねぇぞ、俺をォ!!」

 剣を持つ手が跳ね上がる。その剣は狙い違わず己の肩を掴む腕に突き刺さる。だがウォーウルフも刺さりきった瞬間腕に力を込めて、抜けないようにした。

 しかし逆に握っていた手からは力が抜け、ベートの体を支えるのは、逆の肩に刺さった剣のみになった。当然自重には耐え切れず、ブチブチという音と共に肉が千切れ、ベートの体は地面に落ちた。

 「――――――ッ!!?」

 新たな痛みに体が悲鳴を上げようとする。だが叫ぼうとする体を押さえ、すぐに起き上がろうとして顔を上げた時に見えたのは、黒。

 「――ごっ!?」

 ガン、と顔に走る激痛。それによって、蹴られたのだと理解した。脳を揺らされ、一瞬ベートの意識がトんだ。

 そのままウォーウルフはベートの頭を足裏で押さえつける。そのまま全体重を込めて、ベートの頭を潰そうとして、しかしできなかった。そこまで柔らかい頭ではないらしい。

 仕方なしに剣で心臓を抉ろうとする。自分の心臓が抉られる――そうなるのを、意識を取り戻したベートは理解した。

 理解したから、すぐに行動した。完全な回避はできない。どこかしら怪我をする。そして、それがこの後の戦闘において致命的な怪我になる、というのもわかっていた。

 だからこそ、

 ――悪いが。

 ベートは、確信した。

 ――()()()()()

 この後の戦闘などありえない。ここで、終わらせる!

 その思いと共に、ベートは両腕の火薬を爆発させた。それによってベートを踏んでいた足が、一気に持ち上げられる。

 ベート自身の力だけなら押さえられただろうが、爆発の勢いがプラスされれば不可能だ。それがわかっていたから、ベートはボロボロの体を立ち上がらせる。

 ウォーウルフの体は泳いでいた。しかし、それでも確かにその剣はベートの体を貫いた。

 「どぉでもいいんだよ、そんなのは!」

 痛みで、言葉がおかしくなる。視界が霞む。

 ――その全てを、切り捨てる。

 ベートは足を振り上げた。というか、両腕に力が入らないせいで、もう足しか動かす事ができないのだ。

 それがただの悪足掻きに見えたのなら、そう思った奴の目は節穴だ。

 振り上げた足は、ベートが絶好の体調の時と変わらない。凄まじい速度で蹴り上げられたそれはしかし、避けられた。

 ――と思ってるのか? あめぇよ!

 ズバン! とウォーウルフの身体に裂傷ができる。それは深く、深く、深く――一目で致命傷だと、わかってしまう。

 ベートの切り札。フロスヴィルトの効果によって、ウォーウルフの身体に避け得ない死を刻み込んだ。

 どうしてか、倒れゆくウォーウルフの目に浮かぶ『何故?』という感情が、ベートには手に取るようにわかった。

 「椿特製のフロスヴィルト。効果は単純、魔法の効果を吸収し、その特性を上乗せした攻撃に変換する」

 教えるのは、それだけだ。それ以上は教えない。教えないまま――ベートは血だらけの手にもう一仕事だと、鞘から剣を抜き放ち、ウォーウルフの首を、落とした。

 「もう一度言うぜ」

 その体が完全に崩れ落ちるのを横目に、

 「俺の、勝ちだ……!」

 ベートはそう、言い切った。

 そこから一気に緊張が抜けたベートは崩れ落ちながら、ぼやく。

 「ッ、ア……ったく、こんな強いとか聞いてないっての!」

 体はボロボロ。これ以上ない辛勝だ。それでも勝ちは勝ちである。苦戦を強いられたが、勝てずに負けて殺されるよりはマシだと割り切ろう。

 ベートはそんな体を引きずって、ウォーウルフの死体のすぐ傍に落ちていた短剣を拾った。だがその短剣は拾って手に持った瞬間罅が入り、呆気無く壊れた。

 「……この大きさじゃ、一度が限度、か」

 この短剣は、一見するとただの武器にしか見えない。だがその実態は、魔剣である。魔法の力を込められた、特殊な製法によって作られた武器。

 そもそもベートは魔法を覚えていない。そんな人間にフロスヴィルトなんていう、魔法を扱うこと前提の武器を与えるのなら、相応の対策を講じていない訳が無いのだ。

 つまり、フロスヴィルトは魔剣を対価としてその真価を発揮する、相当な()()()()

 「このちっせーので確か一〇〇万だったか? ぼったくりすぎんだろ」

 ハァ、と溜め息を吐いて、また買い直すのかと思い憂鬱になる。今回の冒険は完全な赤字だ、フロスヴィルトも魔剣の製作もベートの個人的な資産から出ているため、しばらくは赤貧生活を強いられる事になるだろう。

 それでも後悔はない。これでシオンの腕の異変が止まるなら、安い出費だろう。そう思って気を取り直し、ウォーウルフの死体を見る。

 ――そういや、魔石を取ってなかったか。

 このウォーウルフはまず間違いなく強化種だ。それなら魔石にも期待できるかもしれない。と、そこまで考えて、奇妙な違和感がベートを襲った。

 ――何だ、この感じ。

 よくわからない。ただこの感覚は、捨て置いてはならない物だと、勘が囁く。そこでベートはジロジロとウォーウルフの死体を見て、触れて――気づいた。

 ――……皮膚に触れている、感覚?

 おかしい。ありえない。だってウォーウルフは()()()()()()()()()()()モンスターなのだ。それが直接皮膚に触っているなんておかしいにも程がある。

 そこで、さっきの違和感を理解した。

 ――首を切った時の感覚。アレのせいか!

 首に毛があるか否かで、切る感覚は大分違う。つまりこいつは、ウォーウルフじゃない。それに擬態させたもの。

 「……そんなもの、一つだけしかねぇだろうが」

 気付きたくないから、こんな遠回りしているだけで。答えはとっくにわかっている。

 種族はわからない。だが、つまり、こいつは――人間だ。なんらかの手段によって、外見だけを偽装させている、人間なのだ。

 「ッ……クソったれが……!」

 そこに思い至った時、ベートは吐き気に襲われた。人間を切った――その事実が、ベートの身体に嫌な汗を浮かび上がらせる。

 ――人を殺した経験が、無いって訳じゃない。

 シオンも、アイズも、ティオネも、ティオナも。鈴だって。必ず一度は人を斬って、人を殺した事がある。

 けれど、そこには覚悟があった。人を殺すという覚悟を持ち、その意味を理解して、相手を殺めたのだ。

 だが、だからこそ、これは不意打ちだった。『殺した相手が実は人間でした』という事実が、怪我による思考力の低下が、ベートの心を苛んだ。

 その一瞬が、この一幕における最大の隙を生む。

 気付いた時には全て遅い。ベートが正気に戻り、顔を上げた瞬間には、『口』が見えた。

 ――コイツは――。

 その口の形と、微かに見えた、皮膚の色は。

 ――ブラッド、サウルス……!?

 想定しておくべきだったのだ。そもそもあのウォーウルフは、こいつに乗って現れたのに。それを忘れて、回復を怠り、動揺したベートには躱す術などあるわけもなく。

 その口に、呑まれた。

 

 

 

 

 

 「……? 生きて、んのか?」

 自分の体が噛み潰された、という事もなく、未だに意識があった。というか臭い。凄まじい口臭が鼻をねじ曲げようとしてくる。付け加えると唾液のせいで凄絶に気持ち悪い。

 それに色んな意味で吐き気を感じると、ふと光が見えたのに気付いた。それが一瞬途切れたかと思うと、ブチブチブチ、と肉を引きちぎる音が届く。

 「ふぅ、ギリギリ間に合った!」

 「……ティオナ?」

 辛うじて繋がっていたブラッドサウルスの首を手で完全に切断すると、ティオナは全身血に塗れながら笑った。……少し怖い。

 なんでここに、という意味を込めながら睨むと、ティオナはあっけらかんと答えた。

 「ロキからの置き手紙を見たんだ。それで武器を持って飛び出して追ってきたんだよ」

 「置き、手紙。そういうことか」

 つまりベートとした考察を記した紙を、唯一手が空いていたティオナの部屋に置いたのだろう。それを見たティオナのことだ、『シオンのためになるなら』と、それこそ武器だけ持って出てきたに違いない。

 まぁ、そんな彼女に助けられたのは事実だ。感謝しよう。

 何とも締まらない終わりに微妙な表情を浮かべつつ、ふと辺りを見回した。……そこに、ウォーウルフの死体は存在しない。綺麗さっぱり消えていた。

 「……なぁ、ティオナ」

 「ん、何?」

 「……いや、やっぱ何でもねぇ」

 「???」

 ベートの言いたいことがわからず、首を傾げるティオナ。結局ベートはその言葉を己の中に飲み込み、傷を回復薬で癒した後、地上を目指した。

 それから一日か二日かけて、二人は18層へ着いた。回復薬はほぼ切れかけ、四肢に仕込んだ火薬は品切れ、その上武器も摩耗して壊れかけ、と本気でやばい状態である。

 しかしこれでやっと休める、と一息吐きながら足を踏み入れると、ベートの体に決して小さくない衝撃が走った。

 「ッ、てぇな……おい誰だ、前くらい見てある――」

 「ベート、ベートだよな! 実はもう死んでます、なんて事無いよな!」

 「……シオン?」

 思い切り文句を言ってやろうとして、その相手が見慣れた相手と気付く。同時に、そいつがとんでもなく焦っているのも。

 何せベート・ローガを本物か偽物か判別できていない。というか、今にも泣きそうなのは一体どうしてなのか。さっぱりわからない。

 まぁ、と、とりあえず言った。

 「生きてるに決まってんだろ。……ティオナがいなかったら死んでたが」

 その言葉にシオンの動きが止まる。

 「そう、か。……そうか」

 それから力が抜けたのか、ズルズルと座り込んだ。そしてコテンと横になり、寝息を立てた。つまり、寝やがった。

 「一体コイツは何がしたいってんだ?」

 「あなたが帰ってくるまで一睡もしていなかっただけですよ。ベート・ローガ」

 答えはないだろうと思っていた疑問に、意外にも答えが返ってきた。声のした方を見ると、フードを被った女と、その横で寝ているもう一人の女。

 「……お前は……そうか、久しぶりだな」

 「ええ、お久しぶりです。それと、生きていてくれて感謝します」

 「その言い方はつまり、俺は本来死んで、いや殺されてたって感じだな」

 「あながち間違いではありません。そちらも気付いていたのですね」

 気付いたのは偶然だが。ティオナは倒れたシオンの介護に夢中でこちらの話にほとんど意識を向けていない。

 「そっちは何があったんだ? シオンが取り乱すなんて、相当なはずだが」

 「……私から言うべきではないでしょう。私は所詮、部外者です。これは、シオンか、あるいはあなた達自身の手によって解決させるべきことだと思います」

 つまり何も言う気はない、と。味方よりの中立、という考えでいいだろうか。

 「まぁ、いいさ。そもそも他所の【ファミリア】なんだしな、そう不自然でもねぇ」

 「……申し訳ありません」

 その言葉に、ひらひらと手を振って返答にした。そしてベートは樹に寄りかかると、そっと目を閉じる。色々あって疲れたのだ。しばらく寝ていたい。

 一先ずの解決。今はそれでいいだろう。

 

 

 

 

 

 29層、その通路の一つに、その女――実際は男――はいた。

 「ありえねぇ、ありえねぇだろテメェ」

 その女の近くに有るのは、男の死体が一つのみ。そして、その女は男の死体に愚痴を零しているらしく、ガリガリと頭を掻きながら言った。

 「ベート・ローガとテメェの戦闘力を考えれば、どう考えても負けはなかった。どうやったって殺せたはずなんだよ。例え『呪詛』の反動で【ステイタス】が低下していたとしても、だ」

 この言葉に意味はない。ただ遣る瀬無い想いを吐き出すための行為でしかない。それでも、やらずにはいられなかった。

 「……テメェ、()()()()()?」

 ああ、そうだ。よくよく思い返せば、それで問題はない。この女がこの男に望んだ対価は一つのみ。

 ――シオンに呪詛を込めた剣を叩きつけて、それを解くな。最低でも一日はな。その邪魔をした奴は殺せ。何であってもだ。

 そしてその望みは、ベート・ローガがあそこにたどり着いた時点で果たされている。何故ならあの時点で一日経っているからだ。しかし『最低でも』という保険と、『邪魔をした奴は殺せ』という条件によって、ベート・ローガは殺されるはずだった。

 ――この男が、本当に殺す気であったのなら。

 ああ、契約を逆手に取られた。こいつのかけた『呪詛』の反動は【ステイタス】に記されたレベルの減少。付与する効果は『切った場所へ、与えた痛みを発動中は永続的に与える』もの。

 ――つまり、こいつは自分の意思で弱体化し続け、殺されることを選んだ。

 弱体化した状態で出せる戦闘能力で全力を出し――()()()()殺されると確信していた。

 「……手駒が一つ減った、か」

 厄介なことにこの契約は絶対だ。これでこの女と、その周辺の人間、更に指示した人間は、この男の妹に手出しはできない。更に難病とどの医者も匙を投げたそれを癒すために人手を使う必要ができた。

 高潔な男だった。それ故に強かった。それ故に利用できた。……だからこそ、ここで思わぬ反撃を貰った。

 ああ、最悪だ。これでシオンにちょっかいをかけられなくなった。失敗した――。

 「――なぁんて、そんな甘っちょろい思考で動くわけないだろう?」

 手駒が一つ減った。それはそれで利用価値がある。

 女は立ち上がり、男の死体に近寄った。それから軽く袖を捲ると、その手を死体の心臓へ差し込んだ。ビチャビチャと血が跳ねたが、無視。何かを探すように手を動かし、目当ての物を見つけると一気に引き抜いた。

 「んー……及第点、か。後はあっちの出来次第、と」

 それは、黒かった。

 それは、心臓だった。

 それは――何かと呼応するように、動いていた。

 「ま、しばらくはこっちも動かない。少しくらいは楽しめばいいさ。その方が、より深く絶望してくれるだろうからな」

 もう男の死体になど目もくれず、背を向けて去ろうとし、ふと言い忘れていた事を思い出した。そして嘲るように笑い、

 「そういえばお前の妹の病気なんだけどよ。()()()()()

 この女だけは知っている。この男の妹は初めから病気などにかかっていない、と。ただ放っておけば死ぬという部分だけが本当だった、と。

 「ああ、治すってのは嘘じゃねぇ」

 その部分も本当である。ただし、

 「あの女の病気。あれ、俺が『呪い』かけてただけなんだわ」

 それが真実。

 「お、そうだ。お前の妹にお前が死んだ理由でも色々吹き込んだら面白そうだな。俺自身は手を出さないが、言葉を交わすのは制限されてないし?」

 闇は蠢く。

 「……ま、その結果殺されたらそれはそれだな。むしろ感謝してくれよ? 兄妹が仲良く同じところで過ごせるようにしてやるんだし、な」

 醜悪に笑いながら、何かを成すために――。




とりあえずここで一区切り。ぶっちゃけ長い幕間です。色々楔撃ってるだけ。

実はベートの【ステイタス】更新でも入れようかと思ったんですが、そこまで行くと長くなりすぎるので切っちゃいました。

まぁ一区切りなので毎度恒例閑話入れます(多分)。そこに入るかと。

というわけで次回をお楽しみにノシノシ


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【ランクアップ】

 禍根と不安を残しつつも何とか一件落着、さぁ帰ろう、とはならなかった。当然と言えば当然である、シオンは精神的に、ベートとサニアは肉体的に消耗していた。これで無理して地上に行けば愚かなミスをしかねない。

 仕方無しに街の宿屋で大部屋を取った。ここで一悶着あり、

 「役に立てなかったのですから、私が」

 「そもそも二人を連れてきたのはおれなんだから、おれが払うのが筋だろう」

 何故かおれが、いいや私が、と言い合う二人を横目に、溜め息をしながらベートが払う、なんて事があった。

 未だ目を覚まさぬサニアをベッドに横にさせ、シオンとベートはベッドを背にして座る。比較的体力の余っているティオナは大剣を片手に警戒しつつ、リオンは食べ物を買いに行った。ちなみにこれについては折半となった。

 「……この女は大丈夫なのか?」

 「一応、命の危険は無いよ。神経と五感を狂わせる毒だから、後遺症が残る可能性はあるけど」

 解毒が可能な回復魔道士はおらず、解毒薬も持ち合わせていないため、一時は危うかったが。シオンは軽症だから何の問題もないが、サニアは重度。

 あのまま放っておけば呼吸や心臓の鼓動が行えず、死んでいただろう。何とか万能薬を使って体力を補い、心臓の動きがおかしくなったら胸骨圧迫をしたが、後はサニア次第だった。

 彼女の『耐異常』がもう少し低ければダメだったろう。

 「そうか。お前も毒にかかっているみたいだが」

 「まぁ、視界が変になってて気持ち悪いとは思うくらいだ。リオンにも確認してもらったけど、特に問題ないだってさ」

 「本当に大丈夫? 私も確かめていい?」

 扉の方を気にしつつ、ティオナが近づいてきた。それもそうか、とベートは納得する。想い人が万が一死ぬと考えれば、不安にもなるだろう。

 ベート自身若干思うところがあったので、シオンにティオナに確かめてもらえと言うと、いいよと返された。

 「それじゃ動かないでね。わかりにくいから」

 「ああ」

 それを合図に、ティオナは膝を折って上体をシオンの体に近付かせた。そこから、ティオナはシオンの体に両腕を回して、抱きしめる。手で確かめるのかと思ったら、耳を心臓の近くに押し付けていたのだ。

 ベートの眉がピクリと動く。だが、声はかけない。意外ではあったが、別に二人がくっつこうと否定するつもりもない。不仲よりはマシだろうし、と割り切っていた。

 どちらかというとシオンが反応しない方が気になった。いくら神経がおかしくなっても、『触られた』という感覚はあるはず。

 ――まさか、気付いていないのか?

 気になってベートはシオンの頬に触れ、そこそこの力で抓った。反応無し。次に喉元に手を置いて呼吸しにくくする。呼吸しづらくなっても反応、無し。これ以上はシオンが窒息死すると手を離すと、そのまま正常な呼吸に戻った。

 ――やっぱりか。こいつ……触覚が消えてやがる。

 ティオナが訝しげに見てくるが、手振りで黙れと伝え、それから、確認できたならシオンから離れろと言った。

 「……うん、私の感覚だと問題無かったよ」

 「それなら良かった。このまま毒が無くなるまで安静にしてればいいか」

 そう言い切った瞬間、ベートはシオンの服を掴むと、無理矢理振り向かせる。どこか焦点の合わない二つの瞳を睨みつけて、不思議そうな顔をする憎たらしい奴に言った。

 「お前のそれは、毒の影響か?」

 「何の、話」

 「トボけてんのか本気で気付いてねぇのかはしらんが。お前のその触覚異常のことだっ。さっきから触っても全然反応無かっただろうが!」

 そこまで言うと、シオンはしまったと言いたげに顔を強ばらせた。その表情から、一切知らせる気が無かったとわかる。

 ――いや、そもそも。

 この状態、まさかホームにいた時からずっと続いているんじゃ、とまで思い至って、ベートはシオンを見た。

 そこには、珍しく目を逸らすシオンがいた。

 「テメェ正気か!? 普段口酸っぱくしてダンジョンで無茶するなって言う奴が一番無茶して説得力あると思ってんのか。アァ!!」

 シオンは、何も言わない。自覚くらいは、しているのだろう。というかしてもらっていなくては困る。ティオナはよくわかっていないらしいが、シオンが悪いことは理解していた。だから、悲しそうな顔でシオンを見つめている。

 ベートはシオンを見る。言い訳一つすらしないシオンを見下ろし――しかし殴りもせずに手を離した。

 「……殴らないの、か?」

 「殴らねぇよ。もし一人だけでダンジョンに行ってたなら遠慮はしなかったがな。……つーかよくよく考えたら殴っても痛み無いだろうが」

 リオンとサニアを頼ってはいたのだ。パーティメンバーの誰にも告げなかったのは業腹ではあったが、舌打ちと共に苛立ちを呑み込む。

 「ただし次はねぇ。歯が折れるくらい本気でぶん殴る」

 「それは、ちょっと嫌だなぁ」

 生え変わっていないところなら問題ないが、生え変わった歯が抜けるのは嫌だ。ズリズリとベートから距離を取ると、鼻を鳴らされた。

 と、そこでノックの音がしたのでティオナが出ると、入ってきたのはリオン。彼女は部屋に入るなりシオンとベートを見て何かを察し、

 「……何が、ありました?」

 「あ、あはは……気にしない方が、いいと思います……」

 フードに隠れて見えなかったけれど、多分目を丸くしてるんだろうな、と想像できてしまった。

 

 

 

 

 

 一日の休息を挟み、シオンは何とか毒が抜け、サニアは目を覚ましたが自力で立つのは難しいという状態まで持ち直したが。

 流石に連日泊まるのは難しい、という事で仕方無しにそのまま地上を目指すことになった。

 「もうちょっと寄りかかってもいいぞ、サニア」

 「うーん、それはちょっと申し訳ないというか……」

 「おれは気にしないが」

 「うん、まぁ、君って鈍感だよね……」

 不思議そうなシオンに溜め息を堪えつつ、サニアはある少女を見る。もうこれ以上無いってくらい不満そうに両頬を膨らませているティオナに、苦笑をこぼす。

 初対面であるサニアでも気付いているのに、素で気付いていないとは。

 ちなみにサニアとリオンはシオンに対して恋愛感情を抱いていない。悪くないとは思うが、弟に向ける心配の情のような物の方が大きい。

 後年齢。流石に二桁を超えたばかりの少年に恋愛感情を向けられるほど吹っ切れない。これが数年後であれば、気持ちが変わるかもしれないけれど。

 ふぅと息を吐き出し、前方を見る。結局何もできなかったから、と率先して前に出て敵を殺すリオンは、後ろに一切の攻撃を通さない。後方は比較的体力の余っているベートが控え、サニアとシオンの横にはティオナが護衛として立っている。

 まぁ、もう安全なのだろう。少なくともここから全滅する未来はそうそうありえない。

 ――それにしても、まさかあんなのがいるなんてね。

 リオンから聞いた、二人の男女の悲劇。その真実。シオンの両親が謎の死を遂げたとオラリオ中でも話題になり、彼等の主神たるヘラなどは『もし下手人がいれば上に行っても安寧など与えん』と怒り狂った、あの事件。

 まさかアレで終わりなどではなく、むしろ始まりに過ぎなかったとは。サニアは横目で自分を支えてくれている少年を見る。

 ――まだ、こんなに幼いのに。

 一度ならず二度までも家族を喪った。そんな彼を哀れに思う。

 同情なのだろう。憐憫なのだろう。それでもいい、と思う。その境遇に何とも思わないほど自分は冷たくないのだから。

 ただ、思う。

 もし本当に必要になった時は、彼の力になってあげたい――と。

 

 

 

 

 

 ――あんまり力になってあげられなくてごめんね。

 そうサニアが告げて、リオンも小さく頭を下げながら、二人とは別れた。

 シオンとしては、そんな事はない、と言いたかった。この体調でダンジョンに潜れば、仮に18層まで行けてもあの男に殺されていただろう。あの二人がいなければ、シオンは今、この場所に立っていられなかった。

 だから、言えなかった感謝の言葉は、いつか別の形で返そうと思う。

 目下のところ問題なのは、

 「…………………………」

 「…………………………」

 「…………………………」

 この空気の悪さ、だろうか。シオンも、ベートも、いつもは陽気に話しかけるティオナでさえ、沈黙を保っている。

 自業自得なのだろう。ベートが指摘した通り、あの状態でダンジョンへ行くなどただの自殺志願者でしかない。そんな相手に無茶をするな、命を大事にしろと言われ続けたのだから、むしろ怒らない方がおかしい。

 「……えっと、その、シオンは大丈夫?」

 「何とかってところかな。視覚が正常になったから、歩くくらいならね」

 とはいえ先程からフラフラと体が揺れているのは理解していた。何か石ころでも踏めば転んでしまいそうだ。

 それはティオナも見抜いたらしい。強がるシオンの横に無理矢理寄り添うと、そっと腕を取って支えた。

 「怪我は、できるだけしない方がいいんだよ?」

 どうせホームに帰るだけなのだから気にしない、そう思ったが。横目で見下ろしたティオナが、どうしてか楽しそうに見えて、シオンは見ないふりをしてしまった。

 二人が今どうなっているのかを何となく察して、ベートは内心溜め息を吐いた。

 ベートはもう怒っていない。シオンが勝手にまだ怒っていると勘違いしただけだ。ただ空気が悪かったのは、単純な理由。

 ――もうひと波乱、ありそうなんだよな。

 その考えにずっと足を引っ張られ、無意識に警戒し続けていたからだ。それも二人のやりとりに毒気を抜かれてしまったが。

 悪いことなんて無い方がいい。例えどれだけ時間がかかっても、地道に、少しずつ強くなっていって、レベルを上げる方がいいのだ。無茶は長続きしないのだから。

 「ホーム、見えてきたぜ」

 たった数日程度見ていなかっただけなのに、やっとか、と思わずにはいられなかった。それだけ今回は厳しかったのだ。

 いつも通り門番をやってくれている大人に挨拶を返し、中へ入る。玄関を潜っても、待ち構えている相手はいない。ロキ辺りがいそうな気がしたのだが、忙しいのだろうか。

 「俺はロキのとこに行ってくる。お前らはどうすんだ?」

 「おれは、部屋で横になってるよ。プレシスの薬は後一日か二日で切れるはずだから、それまでは安静にしてるさ」

 「それだったら私が看病してあげる! あんまり他の人に言いふらしたくないだろうし、流動食でも作っておけば簡単に食べられるでしょ?」

 「そうか。んじゃ、また後でな」

 ベートとしては二人の言葉はありがたかった。原因と思われるあの狼は倒したが、それでシオンの異常が正されるとは限らない。もしダメだったらまたダンジョンへ行く必要もある。まだまだやる事は多いのだ。

 だからこそ、事情を知っている二人にフラフラとあちこちへ移動されるのは面倒だ。大人しくしてくれればそれが一番良い。

 そう思いながら、ベートはロキがいるであろう部屋へと歩を進めた。

 ロキの部屋にノックもせず入ってまず驚いたのは、膨大な紙の山だ。それに埋もれるようにして眠っているロキの目下には、深い隈ができていた。

 試しに一枚手近の紙を取って内容を見れば、それは一目でシオンの容態を調べるための手掛かりを探していたとわかる。

 容態を調べる方法、ではない。その調べるための方法の手掛かり、だ。正直手に取ったこれだけではさっぱりわからなかった。そんな物を何百、何千枚と目を通していたのだろう、その苦労は想像に難くない。

 いつもなら憎まれ口を叩くところなのに、口元が変に動くだけで言葉が出てこない。これだけ疲れ切っている相手を無理矢理起こす、という事もできない。これが単に夜更かししていたせいとかなら遠慮はしなかったのだが。

 今も指先に握られ、決して離そうとしない紙の束を見れば、そんな気など湧くはずもなく。ベートは溜め息を一つ落としてロキの指から紙を離し、机の上に置くと彼女を抱き抱えてベッドの上にまで運んだ。

 神様が病気にかかった、なんて話は終ぞ聞いたことはないが、何も無くては寒いだろうと布を腹付近に被せておく。

 「……いつもこれなら、何の文句も出てこねぇんだがな……」

 己の眷属()一人にここまで想ってくれる神様(おや)を、悪く思えるはずがない。まぁ彼女は悪神(ロキ)なのでこれが仮初の姿なのかもしれないが、それでもいい、と思わせてくれる。

 仮初と言えば普段の頭が足りないおバカっぷりこそが演技なのだろうけれど。少なくとも泰然とした超越者のロキなど想像もできない。

 彼女が彼女だから、自分達は呆れても、頭を抱えても、不安など欠片もなく慕えるのだ。決して口には出せないが。

 さて、とベートは椅子から立ち上がり、部屋を出る。目を覚ました時にお茶くらいはあった方が喉に優しいだろう、そう考えて、彼は厨房を目指した。

 それから数時間。予想以上に目を覚まさないロキのせいで何度か往復させられ、しかし起こすという行為には移さず耐え続けた。

 「……ん、あれ? なんでベッドで横になっとるんや……?」

 日も暮れて月が見えるような頃合いになって、やっとロキが目を覚ました。彼女は不思議そうに自分が横になっていたものに目をやり、

 「――体調管理くらいきちんとやっとけ、ダァホが」

 「うぉ!?」

 ジト目で己を見下ろすベートの存在に気付いて、飛び上がりつつ距離を取った。それと同時にかけられていた布がベッドの上に落ち、それでやっと理解する。

 「……まさか、運んでくれたん?」

 「……チッ」

 返答は舌打ち。けれど否定はされなかった。そこでやっと室内が仄かに照らされ、窓の外が暗くなっている事に気付いた。ロキの最後の記憶では、確かまだ外は明るかったはずなのだが。どう見積もっても数時間は経っている。

 「あっちゃー、やらかしたわ。ちょっと無茶したみたいやね」

 「ちょっとどころじゃねぇだろ。ったく、どいつもこいつも無茶ばっかか。少しは自重を覚えたらどうだ」

 言っている本人にブーメランなのだが、敢えて事実は隠す。不都合な事は見て見ぬふりだ。とはいえそんな内心など知らないロキは、誤魔化すように苦笑した。

 「ところで、ベートがここにいるっちゅうことは? もしかして進展とかあったん?」

 「七三ってとこか。シオンの腕を切り落とした相手は殺してきた。だが、それで元に戻るのかと聞かれれば確証は無い。経過観察ってとこだな」

 「……せやね。これで異常が治ればそれでよし」

 ――本当に治っていれば、だが。

 お互いに思うところは同じだったが、言葉にはしなかった。あのウォーウルフは絶対に何某かの指示を受けて動いていた。であれば、その指示を出した黒幕はきっと更なる布石を打っていることだろう。

 布石を打っていないバカならそれはそれでいい。そんなバカはその内自滅するだろうから。

 「まぁ、可能性って段階で止まってるんならうちはまだ調べるのを続けるわ」

 「そうしてくれ。だが、また今日みたいな事をすんじゃねぇぞ。お前には他にも仕事があるんだからな」

 特に【経験値】を『神の恩恵』に反映させる作業は、主神たる彼女にしかできない。その作業が滞れば、結果として【ファミリア】の成長を妨げてしまう。

 シオンの事は、大事だ。だがそれでも、一番大事なのは【ロキ・ファミリア】そのもの。その程度の認識は持っていた。

 「んー、それを言われると何も反論できんなぁ。……よっしゃ、そんならベートの『恩恵』でも弄っとくかな!」

 「早速かよ。まぁいい、今回は強敵を倒したからな。結構上がってくれるだろうよ」

 「それは楽しみやね。確か前回の【ステイタス】から考えたら、【ランクアップ】も無くは無いと思うで」

 そこまで高望みはしない。ベートとしてはシオンに置いて行かれない程度の【ステイタス】と成長速度があればそれでいいのだ。

 そう、思っていたのだが。

 「ふむふむ、ほぅほぅ。……へぇ」

 上半身裸になって背を向け、背中を弄るロキの態度が妙にイラつく。特に軽快な声音の中に真剣な色があるせいで、妙に鼻につくのだ。

 「ベート、まず言っとくで」

 「あァ?」

 「……【ランクアップ】おめでとう!」

 その言葉に、思わずベートの耳と尻尾がピンと伸びて、固まった。ありえなくはないと考えていたが、本当に上がるなんて想像もしていなかったからだ。

 その動きにロキが触りたそうに指をわきわきさせていたが、流石に自重した。それから手近にあった白紙の紙に、『神の恩恵』の内容を記していく。

 「ちなみにこれがLv.3の最終的な【ステイタス】になるで」

 

 ベート・ローガ

 Lv.3

 力:B752→B763 耐久:C694→B712 器用:A861→883 敏捷:S952→989 魔力:I0

 狩人:H 耐異常:I

 《魔法》

 【 】

 《スキル》

 【駆け抜ける孤狼(スカイウォルフ)

 ・走行速度強化

 ・拳、脚による打撃時、威力強化

 

 【双狼追駆(ソルマーニ)

 ・走行時、『力』と『敏捷』のアビリティ強化

 ・『特定の人物』と走行時、更にアビリティ強化

 

 受け取った紙を、しみじみと眺める。基本的に【ランクアップ】には、とても大きな試練が必要だ。その試練が、あのウォーウルフとの戦闘だったのだろう。

 確かにあれでベートは自分が一回り大きくなったと思っている。その結果がこれなら、素直に受け止めるべきだろう。

 相変わらず魔法の発現は無いが、個人的にはどうでもいい。あれば便利だが、無くてもアイズやシオンが使ってくれる。それで十分だ。

 「今回の『発展アビリティ』はなんだ?」

 「二つだから何とも言えん。『拳打』と『魔防』やな」

 ぴくり、とベートの眉が動く。

 字面から想定するに、拳や脚による打撃と、魔法に対する防御力の上昇だろう。この二つしか無いという事は、どちらかを後回しにするとして、さて、どうするか。

 正直に言って、魔防は無理に選ぶ必要性は無い。このスキルは、どちらかといえば対人戦において使えるものだ。

 モンスターにもそれ以外にも使える拳打は汎用性が高く、また拳や脚で戦う事も多いベートにとっては便利な物だろう。

 ――悩む必要性は無い、か。

 「今回は拳打で頼む」

 「了解」

 軽く頷き、ロキはもう一度その指をベートの背中へ踊らせる。それから数十秒、ロキが指を離してすぐ様紙へと続きを書いた。

 

 ベート・ローガ

 Lv.4

 力:I0 耐久:I0 器用:I0 敏捷:I0 魔力:I0

 狩人:H 耐異常:I 拳打:I

 

 それに目を通し、問題なく【ランクアップ】が終わったのだと理解する。ロキに言われても実感は薄かったが、こうして文字としてみると、ちょっとした感慨があった。

 ――だが、まだだ。この程度で満足なんてできるわけがねぇ。

 ベートはこれで名実ともに一流冒険者へと手をかけている。だが、それだけだ。少なくともあのオッタルはLv.7になっているという。

 であれば、最低でもそれを越える。その程度の目標が無くてどうする。

 一度目を閉じ、開ける。

 「……ありがとよ、ロキ。あぁ、それと俺はシオンのとこに向かうわ」

 「ん、そか。忙しいやっちゃな」

 「お前が言うな。んじゃ、また頼むぜ」

 ロキは敢えて何も言わなかった。このレベルではありえない大幅な【ステイタス】の上昇。それを鑑みるに、相当な無茶をしてきたのは確実だ。

 だからこそ、黙認してくれる彼女に、ベートは内心感謝する。

 そしてロキの部屋を出たベートは、すぐさまシオンの部屋へと向かった。しばらく安静にするとは言っていたが、どうにも信用できない。己の目で確かめなければ安心できないのだ。

 思わず足早になっているせいか、途中すれ違う者全員が驚きながらも道を譲る。それに軽く挨拶だけして、そんな事を繰り返していたら早々にシオンの部屋に着いてしまった。

 今回はきちんとノックをする。それに返事をしたのはティオナだった。

 「入るぜ。シオンの容態はどうなってる?」

 「流動食だけどきちんと呑み込めるし、体温と脈拍もいつも通り、かな? 少なくとも私が見た限りは大丈夫かな」

 入って早々聞いてみれば、ティオナがここ数時間の様子を教えてくれる。彼女はシオンの部屋を軽く掃除していたようで、エプロンと三角頭巾を身に纏っていた。

 「あ、そこシーツとか枕干してるから、触らないでね」

 「わかってるよ」

 ティオナが指差したところには、確かに寝具が干してあった。よくよく見れば血の痕が残っていて、それが数日前、ユリエラが看病してもどうにもならなかった事を教えてくれる。

 「こりゃ買い替え、か?」

 「今は代わりが無いから仕方ないけど、そうしないとダメだろうね」

 別に使えないことはないが、だからといって血の付着したものを使っていて気分が良い事など無いだろう。そんな雑談をしつつ、ベートは物静かなシオンに近寄った。

 「……寝てんのか?」

 「うん、一時間くらい前に。触覚は無いから体力もわからないみたいだけど、それでも『疲れている』って事は体が認識してる? とかなんとか」

 当然といえば当然か。今のシオンは重石を全身に纏わりつかせながら動いているようなもの。その状態で、ダンジョンで動き回り、その上まともな休息ができずにいればこうなるだろう。

 ティオナが使っていた椅子を彼女に断わってから座らせてもらい、シオンの額に触れる。それから手首に触れて脈拍の確認。

 ベート達はお互いがお互いに正常な体温と脈拍を把握している。それはダンジョンで怪我や病気あるいは毒にかかった時のためにだ。

 だから、今のシオンに異常が無いことはすぐにわかった。

 掃除を終えたティオナが新たに椅子を持ってきて、ベートの反対側に置いて座る。それから予め持ってきていた林檎を、包丁で丁寧に剥いていく。

 その手並みは過去の彼女から想像ができないくらい手馴れていて、ああ、頑張ったんだな、と思わずにはいられない。

 「……茶化さないんだね?」

 「……何で茶化さなきゃなんねぇんだよ」

 「いや、いつものベートならそうするんじゃないかなぁって」

 その言葉に、思わず鼻を鳴らしてしまった。とはいえ反論するつもりもない。ベートとヒリュテ姉妹はいつも互いに茶化し合い、バカにし合っている関係なのだから。今そうしても、然程不自然ではないだろう。

 とはいえ、それは一つの前提を忘れている。

 「努力した結果をバカにするつもりはねぇよ。過去のお前から考えりゃ似合わねぇとは思うが、そんくらいだ」

 「……それ、バカにしてるのと変わんない気がするんだけど」

 「だったらさっさとそれが似合う女になれ。ていうかな、バカの一つ覚えみてーにデケェ大剣振り回す女が料理できるとか思わないだろうがよ」

 「むぅ」

 そこを突かれるとティオナは何も言えない。そうした理由は、技術を覚えている暇が無かっただけなのだが、傍から見れば同じことだ。

 話しながらもティオナの腕は止まらない。多少削りすぎたところはあったが、十分及第点と言えるだろう。林檎を適当に四つに切り分け、それから一本人参を取り出した。皮をつけたまま横に置くと、そのまま小さく切り分ける。

 「それ、何に使うんだ?」

 「何って、ジュースだけど。林檎はともかく人参は皮のまま食べた方が栄養あるんだよ。知らない?」

 知るわけがない。ティオナは切り分けたそれらを林檎は二つ、人参は全てと纏めて、清潔な布に纏めた。そのまま放っておく。

 「絞らないのか? 何のために切ったんだよ」

 「今絞ると時間が経って味が変わっちゃうから、シオンが起きてから絞るの。今切ったのはシオンを待たせないためだよ」

 そう言うと、残った二切れを食べやすい大きさにカットしていく。その内一つを自分が、もう一つはベートに渡す。

 「……いいのか?」

 「別に全部シオンに食べさせなきゃいけないわけでもないし」

 そもそもティオナがジュースを用意しようと思ったのは、触覚が無いシオンのためだ。触覚が無くとも味覚があるシオン、それなら甘いジュースを飲んでもらおう、というわけだ。

 流動食は食べやすいし栄養も高いが、同時に味気ない。それならこういった物を飲んだほうが、精神的に楽だろう。

 一応これでも色々考えているのだ、とティオナは笑う。ベートはそれに肩を竦めて、正直侮っていたと謝った。

 「……っ……」

 小さな唸り声。それは聞き逃しそうな程だったが、二人の耳にはよく響いた。慌ててティオナは林檎と人参の入った布を、汁を零さないようにコップの中へと落とし、絞り切った後はすぐにゴミとして捨てた。

 その後手を水布巾で拭いて、様子を見る。シオンは何度か体を揺らし、ゆっくりと目を開けた。それから目線だけを何度か動かし、

 「……この時間だと、こんばんは、かな」

 「別におはようでもいいと思うけどね」

 そんな、どうでもいい事を口にした。思わず苦笑しつつ、ティオナは上体を起こしたシオンの背中を支えた。そして絞ったばかりのジュースを手に取る。

 「えっと、絞ったんだけど、飲む? できたてなんだけど」

 実は思い付きで作ったジュースなので、拒否されたらどうしようと思ってしまう。寝起きは水分補給が必要とはいえ、水で済ませても問題ないのだし。

 「……うん、それじゃ、ありがたく」

 戦々恐々していると、シオンは少し驚いた後、小さく笑った。シオンは表情一つ作るのにも苦労すると言っていたので、この自然な笑顔は、きっと本心から来るものだろう。

 それにホッと安堵しつつ、それを噯にも出さないでティオナはジュースの入ったコップをシオンの口元に添え、ゆっくりと傾けた。

 傾けすぎればきっと零してしまう。だから慎重に慎重に、気を付けて半分ほど飲ませた。全部飲ませたら多すぎるかもしれないし、これくらいでいいだろう。

 「美味しい。久しぶりに、純粋に美味しいって思えた」

 やはり触覚が無いと、色々な事に違和感を覚えるのだろう。余計なお節介に終わらなくて良かったと思いながら、ティオナはどういたしましてと笑った。

 「シオン、触覚は戻ったのか?」

 そこで、ずっと黙っていたベートが声をかける。シオンも彼の存在には気付いていたが、敢えて空気になっていてくれたとわかっている。だから、驚くことなく答えた。

 「いいや、まだだ。この薬の持続は長いから、まだ時間が必要だろうな」

 「そう、か。それなら効果が切れたらおれか、ロキに言ってくれ」

 「ベートはともかく、ロキに?」

 「ああ。あいつは今も資料を漁ってるだろうからな」

 その資料が何のためか、は聞かずともわかった。シオンは軽く俯くと、小さく頷く。そんなシオンの肩をティオナが支えた。

 「そこまで深く気にすんな。ロキはやりたいからやっているだけだ」

 「わかってはいるけど、ね。……後でありがとうって、直接言いに行かないとな」

 「うん、それがいいよ。それだけでもロキは喜んでくれるだろうし」

 神妙な空気が出来上がる。気にしないほうがいいとわかっていても、やはり思うところがあるのは事実なのだろう。

 それを吹き飛ばすように、ベートは軽く言った。

 「そういや、俺の【レベル】が上がったぜ。今はLv.4だ」

 軽く言うには、重要すぎる内容だったが。

 思わず二人揃ってベートを見つめる。その眼光にたじろぎながら、ベートは笑う。嘘ではない、事実だ、と告げるように。

 「……てことは、ベートがまさかのパーティ内初Lv.4!? シオンじゃなくて!?」

 「おい、まず言う事がそれかテメェ」

 まぁそこはベートも一度思ってしまったが。Lv.2は同時だとしても、Lv.3に誰より早く到達したのはシオンなのだ。ならばLv.4も、と考えてもそうおかしくはない。

 「おめでとう、ベート」

 一言物申したティオナと違い、シオンは素直にそう祝福した。ただ、その顔は、素直に、とそう表現するには引っかかる部分があった。

 嫉妬、ではない。シオンは自分より強い相手がいるのは身に染みてわかっている。悔しさ、とも違う。ライバル(ベート)が強くなるのを喜べないほど、シオンは小さくない。

 これは……憂い、だろうか。

 だが、何を憂いているのだろう。

 シオンは、一体何が気にかかっているのだろう。

 その事が、ベートの心にしこりを残す。折角レベルが上がったが、素直に喜べない。それが、少しだけ残念だった。




昨日投稿する予定がちょっと横になったら寝ていてできなかった。という訳で一日ズレて今日投稿です。

閑話書くとか言って書けなかったやーつ。ネタが無かった。この時期に書く閑話って何が良いんだろうとか思ったら思い浮かばなかったんや。

いっそ賛否両論あるであろうもうひとつのダンまちの方投稿しようかなとか思ったくらいですしおすし。

次回は未定。案の定ネタがない(話の流れは考えてるんですが)。

……お楽しみに? ノシノシ


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致命的なズレ

 ――懐かしい、夢を見た。

 『ねぇ、お義姉ちゃん。おとうさんとおかあさんって、何?』

 それはまだシオンが物心ついた頃の事で、この質問に、義姉はとても困ったように、悲しそうにしていた。

 どんなヘンテコな問いかけにも、一生懸命考えて、唸りながらも答えてくれたあの人が、唯一言葉に詰まったもの。

 『そうね……あなたを何より愛してくれていた人達、かしら』

 『えー? それってお義姉ちゃんよりもー?』

 当時は親の愛なんて物があるとは知らなかった。

 義姉さんから与えられる愛情だけが全てで、それ以外の物が存在するなんて、想像する事さえできなかったから。それだけで十分だったからだ。

 母のように、姉のように、友達のように。年齢的に妹と恋人は無理だったけど――仮にやれたとしても困るだけだが――それでシオンは、幸せだった。

 『そうよ。……最期のその時まで、あなたを案じていた。あなたの幸せを。あなたの輝かしい未来を願っていた。その姿を見れないことを……悲しんでいたの』

 『……?』

 今ならこの言葉の意味がわかる。

 『今は、わからないか』

 だけど、それを理解するのは、

 『だけど、いつかきっとわかるから。だから安心して。あなたは、誰より親に愛されている子なんだから』

 あなたが死んでしまった時だなんて――思ってもいなかったよ、義姉さん。

 

 

 

 

 

 「……今更、なんでこんな夢を」

 そんな呟きと一緒に、目が覚めた。同時に、目から零れ落ちた涙を乱雑に手で拭う。久しく思い返さなかった大切な家族との記憶。

 それはとても大事な物で、だからこそ、思い返すのを禁じていた。

 ――わかって、るのに。

 シオンは未だに忘れられない。輝かしい日々を、それを失った灼熱の地獄を。……そこから這い上がった、血と泥に塗れた道を。

 傍から見れば、シオンは順調に一流の冒険者への途上を歩んでいるように見えるだろう。時折嫉妬の陰口が余人から発されるのを知っている。

 けれど、それは。

 シオンからすれば、ただの逃避に過ぎない。

 目標がある。それを支える決意がある。それだけの覚悟を持っている。でも、だけど、根本的な部分で致命的に間違っていると、シオンは、無意識に気付いている。

 でも、気付いてしまえばきっと自身が破綻してしまうという事もわかっているから――シオンはこの思考を、打ち消した。

 何も知らない。何も気づいていない。だから、自分はまだ大丈夫。

 「……外に、出るか」

 シオンの異常はパーティメンバー全員に伝えられている。だから、シオンはほぼ完治しても様子見を強要されていた。とはいえベッドで横になっていろという訳ではなく、ダンジョン攻略や無茶な運動を止められている程度だ。

 外に出るくらいなら、特に問題もなかった。

 ベッドを出て、着替える。あまり着飾る気が起きず、いつもより遥かに簡素な装いとなった。一瞬髪を縛る事も考えたが、やめた。そんな気が起きなかったから。

 護身用に短剣をベルトに差し込んでおく。それから小さなポーチを腰に巻き、そこに針に糸、回復薬等、それから財布を入れて、部屋を出た。

 ホームを出て、オラリオを見渡す。正直言ってしまうと、どこに行くかなんてアテは無い。ほとんど気紛れで出てきただけなのだ。

 仕方なしにアテも無く歩き始める。

 ――他のメンバーは今頃25層辺りだろうか。

 上の空で思い浮かべるのは、ティオナ達のこと。シオンがいないから無茶はしない、と言っていたのであまり心配はしていないが、それでも不安ではある。

 「……あの男は行動しないと思うが」

 突発的に何かやってくる可能性はあった。しかし考えすぎて身動きが取れないなんて、それこそ本末転倒だ。

 シオンは溜め息を一つ吐き出して、それからふと思い浮かべた。

 ――昔の友人に会いに行くのも、悪くないかな。

 恐らくこの時間から働いているであろう彼女の顔を思い浮かべ、シオンは足をそちらへ向けた。

 『豊饒の女主人』、という酒場がある。西のメインストリート沿いに建つ建物の中でも、一際大きいとすぐにわかる物だ。何年前からあるのかはさっぱりだが、少なくとも十年単位の昔から存在しているとわかる。

 シオン自身、何度か立ち寄ったが数える程でしかない。味は美味しいし、従業員と、何より酒場の名前通り女主人の強さによって安全でもある。

 それでも立ち寄らなかったのは、偏に後ろめたさがあったからだ。

 別に悪いことをしたわけじゃない。ただ、彼女と顔を合わせるのが、辛かった。

 「……シオン?」

 「……久しぶり、シル」

 友人――少なくともシオンはそう思っている――との、数か月か一年以上ぶりの再会は、どこかぎこちない笑顔で始まった。

 

 

 

 

 

 いらっしゃいませ、そう従業員らしい接客態度と笑顔で店の中へ案内されたシオンは、まず客の少なさにそんなもんかと思ってしまった。

 そもそもここは酒場である。一日の終わりに酒を呑んで、色々とはっちゃける場所。朝と昼であれば多少の人は見かけるが、今はその中間の微妙な時間帯。人がいる方が珍しい。

 一人用のカウンター席について、シオンは酒でも頼もうかと血迷った。子供の体には悪いが、生憎とシオンには『耐異常』スキルがある。酒にも有効かは知らないが、まぁあれば大丈夫だろうという思考があった。

 普段ならば絶対にしない思考回路。適当にビールやらエールを頼もうとして、

 「――生憎だけどガキに出す酒なんて無いよ。もっとでかくなってから出直し的な」

 「~~~~~~~~~~ッ!??」

 ドゴンッ、と凄まじい腕力で脳天に拳を叩き込まれた。その勢いは凄まじく、踏ん張る事もできずに額を板の上にぶち当てて、更に悶絶させられる。

 うわぁ、というシルの声が微かに届いた。それほど容赦が無かったのだろう。

 「……ッ、別におれなら頼んでも問題ないはずだが」

 痛みを堪え、そう反論する。

 「あんたが頼んだ姿を見て他の奴に注文されたら困るのさ。欲しいなら大人に代わって貰うんだね」

 要するに、『飲むのは勝手だが他のガキにせがまれたら迷惑だ。大人に注文して貰えば勝手にしてくれ』という事だが、シオンは一人。実質断られたようなものだった。

 苦虫を噛み潰したかのような顔をするシオン。しかし、これ以上の反論はできない。

 何故なら、言った相手がこの店の女主人、ミア・グランドその人だからだ。ドワーフでありながらシオンの倍以上あるのではないかという身長、数倍はある恰幅。

 その見た目に負けない肝っ玉っぷりであり――直接聞いたことはないが、シオンよりも、遥かに強い。戦えば一瞬で負ける姿が想像できた。

 「母さん、それでもいきなり殴るのはちょっと……」

 「ふん、こんなしみったれた顔したガキにゃこんぐらいがちょうどいいのさ」

 シルとミアの間に血縁は無い。無いが、この酒場で働く従業員から、ほぼ全員に母さんと呼ばれているミア。それだけ信じ、頼られているのだろう。

 「……ふん、子供はこれでも飲むのがお似合いさ」

 とん、とコップが置かれる。中身はオレンジを絞ったジュースだった。目線で伺えば、これだけは奢りにしてくれるらしい。

 素直に礼を言って、飲む。前にティオナが作ってくれたりんごジュースも美味しかったが、やはり年季が違う。素材選びからして違うのだろう。何かが、ティオナのそれとは違った。

 黙々とジュースを飲むシオンを一瞥し、ミアは言った。

 「シル、昼まで暇をやる。友人との会話くらい、したいだろう?」

 「いいの? 母さん。私の昼休憩はまだ先のはずだけど」

 「この人の無さだ、私ともう一人で足りるよ。ただし、客が来たら切り上げだ、当然だけどね」

 そう言ってそっぽを向く。シルはその対応に少し擽ったそうな表情を浮かべると、前掛けと外してシオンの隣の席に座った。

 それからミアに頼み、賄いとしていくつか軽い物を作ってもらう。ミアは無言で了承すると、どう見てもシル一人では食べきれない量を渡してきた。それに感謝しつつ、貰ったいくつかをシオンの方へ移動させる。

 「いいのか?」

 「こんな量、私一人じゃ食べきれないって」

 軽い確認の後、シオンはシルから受け取ったサンドイッチを食べる。朝から何も口に入れていなかったせいか、妙に美味しく感じた。

 会話は、無い。二人会話の共とっかかりが見つけられなかったのだ。相手が嫌いな訳じゃない。ただ、今の二人は立場があまりに変わりすぎた。

 片や【ロキ・ファミリア】に所属し、頭角を現し始めた者。

 片や貧困街出身で、無名のアルバイトに過ぎない者。

 数年という乖離はあまりに長すぎた。これが最初の頃であれば、まだ幼い子供特有の距離感と遠慮の無さで何とかなったが、分別がつく今の年齢では、少し厳しい。

 顔を合わせても、その相手を認識するだけで挨拶すらしない。そんな関係となってしまった今、雑談一つするのにも、苦労してしまう。

 それでも今の状況を打破したいと思い、先に動いたのは、シルだった。

 「そういえば、シオンって今Lv.3なんだよね? どんな感じなの?」

 その問いかけに、シオンは少し口籠った。自身が一般的なLv.3とは違いすぎるというのを、本人は良く自覚していた。

 だから、個人の間隔だけど、と前置きして、

 「身体能力が大分上がったな。それに五感が鋭くなった。特に視覚・聴覚・味覚が、意識的に抑えないと少し面倒だな」

 遠くの物が見える・聞こえる。口に含んだ物の味が濃すぎる。【ランクアップ】の恩恵はありがたいと同時に、少し不便でもあった。

 「へぇ。やっぱり不便?」

 「ダンジョン攻略では、便利だな。日常生活では不便だ。数KM先を見たり、毒を含んだ物を味覚で察する必要なんて無いし」

 うわぁ、と思わず声が漏れた。たまに店でダンジョン内部での事を誇張して自慢する人達がいるのだが、シオンの話を聞くと強ち間違っていないような気がしてくる。

 「そっちはどうなんだ? 働いてもう数年だろ?」

 「お仕事には慣れたけど、どうしてか厨房には立たせてもらえないんだよね。だから、やってるのは専ら注文取りと、お掃除と、買い出しくらい。本当にたま~に、ヘルプで野菜とか果物を切るって感じ?」

 何故か味付けの段階になると一切関わらせてくれない、と言う言葉を聞いて、シオンは何となく察した。料理下手か、と。

 「客に絡まれたりとかは?」

 「お酒で酔っぱらった人くらいかな。それにあんまり迷惑な人は母さんが叩き出しちゃうから」

 そう言って笑うシルは楽しそうで、幸せそうだ。

 職場環境は良好らしい。良いことだ、貧困層の人間は大概悪辣な仕事を押し付けられ、それを低賃金でこなす事になる。

 それを思えば、シオンもシルも、幸運だったのだろう。手を差し伸べてくれる相手がいて、そこから道を開けたのだから。

 そう、幸運、だったのだ。シルは。

 シオンは――少し、違う。

 愛された、という意味でなら幸運だろう。しかし、その後の成長でできた環境は、幸運に恵まれた物では決してない。

 そもそも当時は疑問にすら思わなかったが、ただの貧民層に住む子供が、【ロキ・ファミリア】の団長たるフィンと友人になるなどありえない。

 けれど、例外的にそうなるよう手を回せる人物がいた。

 そう、【殺人姫】たる、彼の義姉。彼女が、フィンに頼めば、不可能な話ではなかった。

 義姉は『闇派閥』に所属する人間を片っ端から殺しまわっていた過去があるという。だからあの人には名声と悪名が混ざり合っていた。普通ならそんな人間と会おうとは思わない。

 しかしフィンは、噂等に振り回される人間ではない。実際に会って、そして、彼女の大切な家族を頼むと言われ――受け入れた。

 偶然でも幸運でも何でもない。ただただ義弟を心底から想っていた義姉が、己がいなくなっても大丈夫なように保険をいくつも用意していただけなのだ。

 だからこそシオンは今、ここにいる。シオンという存在は、本当に、与えられてばかりなのだという事実を実感する。

 「おれは……守られてばっかりで、何も返せなかった」

 生まれついてから、五年経たず。それで一体何を返すのかと聞かれれば、何もできないとしか答えられない。

 それでも何かを返したかった。与えられた愛情に、報いたかった。結局シオンは何もできないまま、自分を守って死んでしまったあの人に、あなたに想われて生きた時間は幸せだったと伝えたかったのに。

 「死んでしまったから、もう、言葉すら届けられないんだ」

 ……それを聞いていたシルは、大体の部分を察した。

 シオンが奇妙なまでに生家――実はまだ維持され、残っている――に帰らないこと。それに伴ってかシル達と顔を見せようとしなかったこと。

 そう、シオンは未だにあの件を吹っ切れていない。思い出す度に心が痛み、精神が沈み、感情が泣く。

 だから彼は――来なかったのだ。来れば、義姉の顔がチラつくから。

 彼女でなければ、きっと察せられなかっただろう。

 ティオナ達ではわからない過去を知る、彼女でなければ。

 それほどまでに、あの女性は強烈だった。シル自身、あの人には今でも感謝している。だからシオンには悪いが、一足先にこの恩を返させてもらおう。

 「母さん、厨房、使ってもいい?」

 「――」

 ミアは一瞬、驚いた。シルはよく料理がしたいとボヤくが、直接厨房を借り受けたいと言った事は一度もない。

 彼女自身、自分の料理の腕前は然程でもないとわかっているからだ。

 だからこの言い分に驚かされた。だがミアはその驚きを表層化させず、シルの方を面倒臭そうに振り向いた。

 その顔に、シルは真剣な眼差しを返す。ここで引けば、ミアは決して厨房に踏み入らせないだろうと予感していたから。

 やがて、ミアは息を吐き出しながら、こう言った。

 「……ハァ。掃除と洗い物。使った食材は自腹で買い直し。あと、客が来たら退いて貰う。それでいいなら、構いやしないよ」

 「それくらい当然だよ。ありがとう、母さん!」

 真剣に言えば、応えてくれる。そんな母に心底から感謝を示しつつ、自然笑顔になったシルはシオンに言う。

 「しばらく待ってて。今から良い物、作ってあげるから!」

 力強い言葉だった。沈んでいたシオンが、顔を上げて呆然とするくらい。

 そんな珍しいシオンの姿に気付かぬまま、シルは厨房へと駆け足で入っていく。丸くなった目をパチクリと瞬かせ、シオンはいいの? とミアに目で問うた。

 「中途半端な感情で言ったならぶん殴ったけどね」

 察しの悪いシオンに、ミアは仕方なく答えた。

 「――『友達の力になってあげたい』、そんな色が見えたら、仕方ないさ」

 答えを聞いたシオンは、絶句した。

 【ロキ・ファミリア】へ入団してから滅多に会わなくなった。それも個人的な事情で、本当ならもっと来れたのに。

 そんな相手に、何故。

 ミアの言葉が嘘だとは思わない。だからこそ、尚のこと疑問が浮き出てくる。

 「こんな薄情な奴に、どうして」

 鈍い。というか察しがあまりに悪すぎる。ミアは詳しい事情を知らないが、何となく聞いて予想はしていた。

 つまりトラウマなのだろう。親しい者が死んで、怖くなったのだろう。

 好意を失う、ということが。

 だから鈍くなったし、察せなくなった。

 それを伝えるのは簡単だ。口に出すだけなら、数秒で終わる。だが、ミアは敢えて何も言わず、黙った。

 「その答えは、あんた自身で出すか、あの子から直接聞くんだね」

 そうするのが筋だと、思ったから。

 それに対し、シオンは無言になる。無言になって、考え続けて――結局答えなど、出なかった。

 沈黙したまま、残されたサンドイッチを口に放り込む。味わうという様子が微塵も無く、作り甲斐の欠片も無い姿ではあったが。

 やがてシルが持ってきたご飯――少量の米と、小さな肉の塊と、ほとんど何も入っていないスープを見て、変わった。

 「……おい、シル。これ、まさか」

 驚愕。その一言で全てが伝わるシオンの顔に、シルは苦笑しつつ頷いた。

 「レシピ。実は教えてもらってたんだ」

 こんな質素というか、貧しい料理にレシピも何も無い、そう思った者は浅慮に過ぎると断定してやろう。

 シオンは震える指先で、箸を掴んで、肉を口へ持っていく。

 噛みついて、思った。

 ――全然美味しくない、と。

 「……ッ……ああ、とっても……不味い、な」

 「うん、そうだね」

 シオンの言葉は、率直で、飾り気も何も無かった。けれどシルはそれに怒りもせず、どこか寂しそうに同意した。

 ――不味い。

 それは、だって当然だ。このレシピは、シオンの嫌いな物を、何とか食えるレベルにするために考えられた物なのだから。

 シオンは――超がつくほど、野菜が嫌いだった。

 子供らしいといえばらしいのだろう。だがシオンは一部の野菜ではなく、ほぼ全ての素材を口にできなかった。

 それでも食べなきゃ成長できないからと、義姉は考えた。

 野菜その物を食べさせるのは厳しい。だから、他の物と一緒に何とかしよう、と。

 素材は限られていた。貧民街に住んでいたあの時は、使っていたお金も相応にしていたため、選択肢は無いに等しい。

 それでも必死にやり繰りして、磨り潰した野菜を、わかりにくいくらいの量にして潰した肉の中に入れ、肉団子にしたり。

 スープに魚の味を染み込ませ、その後液状にした野菜を、味に不和ができないよう、何度も作り直したり。

 それでもシオンから帰ってきた答えは『不味い』で、苦笑していたのを、覚えている。

 「シオン」

 ポロポロと泣いているシオンに、シルは、穏やかにその名を呟いた。

 「大好きな人のこと、忘れたくないんだよね」

 シルは、シオンの周囲にある噂の大半を聞いたことがある。良いことも、悪いことも、全て。

 「でも、死んでしまった時を思い出すのは、とても痛くて、辛い」

 だけどやはり、シル・フローヴァという少女にとって、シオンという人間は、あの頃一緒に、無邪気に遊んだ時のままだ。

 「それでいいんだよ」

 一緒に食べて、一緒に遊んで、一緒に寝て……泣いて、怒って、笑って、楽しんだ。

 「それが、普通なの」

 見上げることも、見下すこともしない。

 「無理に忘れなくて、いいんだから」

 冒険という『非日常』ではなく、ただの『日常』における友人。

 「だからね。もし、義姉さんに何かを返したいっていうのなら」

 その程度でいい。いや、ずっと、これから何年経っても、そういう関係でいたい。

 「シオンの大切なものを守って、それができた時の姿を、誇ればいいんだよ」

 あの人は、愛情に見返りを求めていなかった。きっと、与えた何かで、幸せになった姿が見られれば、それで良かったのだろう。

 「……ああ」

 だから、『やってやったぞ』と自分を誇っていれば、それだけで、恩返しになる。

 「本当に、それでいいのか、なんておれにはわからないけど」

 そう告げると、シオンは少しだけ、吹っ切れたように笑っていた。

 「あの頃義姉さんの近くにいたシルの言葉だから、信じる」

 まだどこか憂慮を纏ってはいたけれど、ずっとずっと、マシに見えた。

 「友達とか、家族とか。皆を守って、それで誇った姿を、見てもらう」

 言って、シオンは残りを食べた。まずいまずいと言いながら、懐かしそうに。

 「……なぁ、シル」

 「なぁに? シオン」

 けれど。

 「――ありがとう」

 「――どういたしまして」

 シルは、気付いていなかった。

 シオンが冒険している時の姿を、見たことがなかったから。

 それこそが、致命的なズレを生み出した。

 その事を後悔する時は、近い。

 「――またね、シオン――」




実は野菜嫌い、という設定追加。普段はそれを隠しながら食べています。まぁ本編に密接に絡む事はありません。今回ぐらいです。

後先週ネタで書いてる(?)『彼女を見てしまう~』更新しました。内容が全然進んでいないので、もしかしたら明日も更新するかもしれません。

ベートがガチモンのTSしているだけなので、見たい人だけ見てね! 忠告したよ! 見た後に文句言われても私知りませんからね!

次回もお楽しみにノシノシ


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アイズの出会い

 スッ、と手に握る刃を相手の体に差し込み、横へ通す。体の真ん中から真横へ振り抜かれた剣を負うように、人間にはありえない異色の血液が飛び出てくる。同時、アイズの耳に不愉快な響音が届いた。

 それでも相手は生きている。ホブ・ゴブリンの体長は二Mを超えていて、その分人間よりも血液は多い。出血死させるには、まだ軽いのだ。

 続けざまに両腕を切り飛ばし、反撃の手段を失わせる。身軽になった、あるいはさせた相手を風を纏う足で蹴り飛ばし、こちらを狙っていた毒針の盾にした。

 ――デッドリー・ホーネットは二体。

 これ以上増えると、乱戦が更に悪化する。何より、デッドリー・ホーネットを倒すのが難しくなってしまう。

 現在、シオンを除いたパーティメンバーでダンジョンに潜っているアイズ達。それはつまり、魔法を主体として戦える者がいないという事を示している。

 遠距離戦は不利、ならば、

 「今のうちに、仕掛ける……!」

 他のモンスターを無視して、アイズは壁に向けて走り出す。それを見たティオネは、湾短刀をリザードマンの魔石部分に突き刺しながら叫んだ。

 「ちょっとアイズ、無茶するんじゃないわよ!」

 「大丈夫、やれる!」

 「ああ、もう! ベート、少しフォローしてやって!」

 「俺の状況見てから言えや!?」

 ベートもベートで、アイズを狙わなかったもう一体から狙撃されつつ、ホブ・ゴブリン三体を相手取っていた。とはいえベートの双剣はこの三体に効果が薄い。ホブ・ゴブリンは体が大きく、また太っている。

 体積が大きい、という訳なので、刀身が短いと効果的なダメージが与えられないのだ。だから今のベートは、専らこの四体が他を狙わないようにちょっかいを出す事しかできない。

 相性の問題だ。こいつらを相手にするなら、それこそ、

 「せいやぁ!!」

 ティオナのような、大剣で頭から真っ二つにする方が手っ取り早い。相手を縦に真っ二つにしたティオナは、その勢いを維持したまま今度は横に振り抜く。それだけで彼女を周りから襲おうとしたホブ・ゴブリンとリザードマンが輪切りにされた。

 「鈴、お願いね!」

 「了解さ!」

 とはいえ、その回転した瞬間ティオナに大きな隙ができる。そこを狙ってデッドリー・ホーネットの狙撃を、鈴は手に持った刀を、鞘から引き抜き、()()()()()

 「ふぅ……」

 成功した事に残心したまま息を吐き、ベートの元へ走る。そして後ろを見ていないホブ・ゴブリンの一体を、飛び上がって首を落とす。ドサリと倒れ伏したホブ・ゴブリンに、やっと事態を理解した残り二体が慌てて鈴の方へ体を向けようとしたが、

 「アホか、敵から目を逸らしてんじゃねぇ」

 そんな忠告と共に、首に剣が生えた。ベートの双剣だ。

 「どんだけ体がデカかろうが、首をやられりゃ一発だろ」

 代わりに得物を失ったが、まぁベートは徒手空拳でも戦えるので問題はない。それに残りはリザードマンばかりだ。

 それにデッドリー・ホーネットは、

 「ッ、やぁ!」

 リザードマンの頭を足場にし、壁に着地したアイズが相手をするだろう。

 まずそこで体勢を整えたアイズは、一つ吠えてデッドリー・ホーネットへ向けて飛びかかる。無論それを黙って見ている馬鹿はいない。体の向きを変え、相手の位置から、必ず当たる状況にし、針を打ち出す。

 ――当たる。

 誰が思ったか、それは絶対の事実。しかし、忘れてはならない。アイズは風の申し子、空中だから何もできない、だなんていうのはありえない。

 「風よ」

 アイズの体に、突風が纏う。それによって、発射された針の勢いがわずかに薄れた。そして、その速さなら、十分対応できる。

 体を縦に回転させ、タイミングを見て、足の裏で毒針の中間を踏みつけた。そのまま体を戻し、針を足場に、もう一度跳ぶ。

 「吹いて!」

 それでも、蜂故にある口元の大顎で反撃しようとしたデッドリー・ホーネットを、風でもって揺らす。飛んでいる以上、風の影響はどうあがいても受ける。

 そして、死に体となった相手を斬る事など、造作も無かった。顎の少しした、人間でいう肩を横から剣をすり抜かせる。殺しきったかはわからないが、もうこいつは飛べない。後は下にいる誰かがやるだろう。

 そう判断し、アイズは今度はデッドリー・ホーネットの体を蹴って、近くにいたもう一体の個体を狙う。

 ただし、もう彼女にその距離を移動するための速度はない。でもそれでいい。元よりもう一体を斬るつもりはなかった。

 さっきの移動は、単に向きを変えるための物だ。

 アイズの体がしなる。剣を持った方が後ろを引き絞られ、体を捻ったそれは、投擲の姿勢。デッドリー・ホーネットも慌てて針を飛ばしたが、無駄だ。

 「この剣は、椿が作ったもの。……あなたに壊せる道理は無い」

 空中で激突した剣と針は、呆気なく砕かれた針を無視した剣がデッドリー・ホーネットの体を貫いて終わった。

 まだ生きているようだが、それもすぐに尽きる。足元に移動したティオナが、大剣を掲げて待っているのが見えたから。

 それに、残っていたリザードマンもほとんど狩り終わった。これで、一先ず息をつけるだろう。

 とりあえず、どうやってうまく着地するか。それが問題だった。

 結局風の力を地面に叩きつけて勢いを殺し、何とか着地したアイズ。無駄な怪我をせずに済んだ事にホッとしつつ、投げてしまった剣を取りに行く。念のため刃こぼれしたりしていないかの確認をしつつ、鞘へ仕舞う。

 と、そんなアイズの頭にコツンと軽く何かが乗った。

 「無茶をするな、って言ったはずなんだけど?」

 「あの程度なら、無茶じゃない」

 頭に乗せられたのは、鞘に入った湾短刀だった。正直ほとんど痛くないが、次いで言われた説教に少しムッとしてしまう。

 その反応に、ティオネは頭が痛い、と言いたげに額に手を当てた。

 「ダメね、やっぱアイツが悪い。何もかんもシオンが悪い」

 アイズがしたあの動きは、シオンの動きと似通っている。師匠と弟子、という立場があるから戦闘スタイルが似るのはわかるが、無茶するところまで真似しないで欲しい。

 「ちゃんと周りは見てるし、出来ない事と、出来ても不利になるならしない。その辺りの把握は戦う上での必須事項」

 「なまじ実践してるから反論しづらい」

 見ている方はハラハラ物なのだが。暫定的にシオンからリーダーを預かっているから、神経質になっているのだろうか。

 ――そもそもリーダーのアイツのせいなんだけど。やっぱりシオンが全部悪い!

 と、実は風評被害でも無い事実を再確認しつつ、ドロップアイテムと魔石を回収する。戦果は上々といったところか。

 いつもならまだ先へ――27層か28層までは行きたいところだが、シオンがいない現状、そこまで行くのは遠慮したい。

 「もう24層まで来たし、今回はここで終わりにする?」

 後少しで25層には行けるが、ここから先は出てくるモンスターの種類が増える。戻ることを考えるのも、長く冒険を続ける秘訣だ。

 「俺は戻るのに賛成だ。持てる量には限りがあるからな」

 ドロップアイテムは落ちる落ちないに差はあるものの、魔石はモンスターを倒せばほぼ確実に――魔石を砕いてモンスターを倒さない限り――手に入る。しかも魔石は石という性質上、そこそこ重い。

 そうなれば当然、荷物になる。必要以上に倒しても捨てるしかない。無理をして持てば、体力を削られて戦闘に支障が出るのだから、仕方ないが。

 「一応私はまだ持てるけど」

 「一人に負担ばっかさせるのは仲間として下の下だろうが」

 「ふーん……」

 と、どうでも良さそうな反応をしているが、髪を人差し指で遊ばせているので、少し照れているらしい。

 ティオネの反応に苦笑しつつ、ティオナも会話に加わった。

 「私も戻るのに賛成かなぁ。もう潜って二日目だし、そろそろ戻らないと三日目どころか四日目に行っちゃうよ」

 「あたいも戻る方がいいね。そっちは良くても、あたいはもう体力が……」

 と、この中で唯一Lv.2である鈴が辟易とした表情で言う。彼女は身体能力はともかく、剣術という一点では飛び抜けている。だからこそここまで着いてこれているが、精密さを要求されるせいで異様に疲れるのだ。

 「少し頭もボーッとするから、できれば18層で眠りたいね」

 「なら決まりね。さっさと戻るわよ」

 引き際を見極めたティオネの号令に従い、さっさと元来た道を歩き出す。道中モンスター、あるいは同業者と出くわすが、モンスターは殲滅、同業者はお互い通路の端と端を通り、必要以上の接触はしない。

 「……やっぱり、良い気はしないね」

 「仕方ないわ。見知らぬ相手は信用できない、それが正しいんだもの」

 ポツリと呟いたアイズに言葉を返す。

 同じ人間だとしても、ダンジョン内では警戒心が先立つ。色々と理由はあるが、最も大きな原因は、やはり『アレ』のせいだろう。

 「『闇派閥』のクソ野郎共だったらどうする、か」

 「一目で見抜けるわけじゃないから、面倒なんだよね。あ、鈴はわかるんだっけ?」

 「あたいにわかるのは、そいつが下心を持ってるかどうかってくらいだよ」

 そう、最近至る所でその話を聞く『闇派閥』という存在。ティオネ達が生まれる遥か過去から存在し、ギルドや多数の【ファミリア】が煮え湯を飲まされてきた者達。

 彼等が活発的に行動し始めたとあって、どの【ファミリア】、どの人間も、相手に疑惑の目を向けるようになってしまった。

 シオンと鈴は、過去の経験からそれぞれ『殺意を持つ相手』と『騙そうとしてくる相手』を見極められるようになっている。しかし、やはり専門的に学んできた訳ではないので、その道に通ずる相手は見抜けない。

 「……ギスギスしてて、何かヤだなぁ」

 ティオナのその言葉は、誰しもが思っていることだ。

 「でも、私達の身を守るためには、仕方のないことよ」

 それでも、騙され裏切られてから後悔しても遅い。ティオネの言葉を胸に刻みつつ、五人は19層を歩き始めた。

 

 

 

 

 

 18層にたどり着くと、特に鈴が大きく肩を落とした。最低限の警戒心は残しているが、今にも寝落ちしてしまいそうだ。

 「鈴、あんた大丈夫なの?」

 「……、……ハッ。わ、悪い、何か言ったかい?」

 あ、これダメね、と瞬時に判断したティオネは、鈴の横に行くと自分の首に鈴の腕を回した。そのまま彼女の脇腹を持ち、

 「仕方ないわね、そのままこっちに体重預けて、そう、それでいいわ。ティオナは反対側をお願い。ベートは周囲の警戒。アイズは……ちょっと、お肉とか買ってきて貰っていい? 量は少なくてもいいから」

 そう指示を出した。ティオナは今にも崩れ落ちそうな鈴を反対側から支え、ベートは素直に頷いて周りに目を向けた。

 一方、買い出しを命じられたアイズは目を白黒させてしまう。

 「わ、私、値切りとかできないよ?」

 「今回は言い値でいいわ。あ、でも六桁以上はあの街でも相当吹っ掛けられてるから……大体八〇〇〇〇ヴァリスってとこかしら。それくらいでお願い」

 ちなみに、その値段は中層でも通じる武器が一つ買える値段である。食料の補充がほとんどできないダンジョンとはいえ、やはりぼったくりに思える。

 まぁ、嫌なら買わなければいい、と返されるのがオチだが。

 「値切りをしなくていいなら、何とか」

 「今回は私が自腹で出すから、気にしないで。最近使ってないしね」

 このパーティ、実は散財する者はほとんどいない。買い食いはするが、それだって大金を支払う訳ではない。

 武器や防具は椿から、回復薬はシオンの個人的な付き合いによって安く手に入るため、パーティ共同資産で十分事足りる。

 例外的にベートが『フロスヴィルト』や魔剣を手に入れるために金を吹き飛ばしたくらいだ。そのため、アイズ、ティオネ、ティオナは八桁ものお金を持っていた。

 だから、別に十万を超えてもいいといえばいいのだが……。

 ――値切りはもう性分になってしまったので、それはそれ、である。

 「ま、任せたわ」

 短く言って、ティオネ達は言ってしまった。

 アイズもアイズで腰にかけた剣を触って位置を調整すると、リヴィラの街へ歩き出した。

 道中モンスターと遭遇する事もないまま平原を抜け、相変わらず通りにくい岩肌を通り、見慣れたリヴィラ(ぼったくり)の街に入る。

 ここに来るまでに手に入れたドロップアイテムや魔石を売り、その安さに怒鳴る者、それに対し強気の姿勢を崩さない者、食料や回復薬、解毒薬を手に入れようと値切りする者、安い宿屋を探そうと駈けずり回る者、と様々だ。

 そんな中、キョロキョロと周囲を見るアイズはそれなりに目立っていた。彼女の年齢は未だ十そこらなので、何故子供が、と思われていたからだ。逆にアイズの年齢と身のこなしから、感心するような者もいた。

 そうして歩いていると、ふと一人の少女に目が行った。アイズと同じくらい、いや一つか二つくらい上の少女が、値切り交渉をしていた。

 その少女の隣には、年上の女性が苦笑しながら見守っている。少女が失敗する度に肩を落としたり慌てたりしているので、そのためかもしれない。値切られている側でさえ、仕方ないなぁという表情をしているくらいだったから。

 「えっと、えっと、ドロップアイテムは多めですし、魔石も、質は良い方です。戦闘で傷ついたりもしてないので、だから、その……うぅ」

 終いにはガックリと項垂れてしまった。しかしその少女はエルフだったので、どうにも同情を誘ってしまう。店主側も、髪を掻きながら、

 「……仕方ねぇ、野菜数人分と、肉二人分で手を打ってやらぁ」

 俺の負けだ、と手をあげて言った。その答えに、少女がパァァ、と表情を明るくする。

 「いや、すまない。わざわざ付き合ってもらったのに」

 「昔の自分を思い出しちまってな。すまないと思ってんならもうちょっと買ってくれ」

 「是非そうさせてもらおう。野菜を倍、肉は二倍追加で頼む。それから砥石を少量頼む」

 「了解した、回復薬とかは?」

 「生憎だがうちには回復魔道士がいてな。ある程度で十分なんだ」

 と、会話しつつ二人が物とお金のやり取りをしている。それを見て、アイズは今だ、と判断して横から割って入った。

 「あの」

 「ん? ……何だ、今日はちっちぇえのばっかりだな」

 「その女の人が買ったのと同じ値段で、お肉を売ってくれませんか」

 しみじみと呟いた店主が、思わず女性と顔を見合わせる。そして、ふいに二人揃って爆笑してしまった。

 「ハッハッハ! その値切りの仕方は斬新だ、だが間違っちゃいねぇな!」

 「ふ、確かにな。自分ではできないなら、他人が買っていった値段を見る。賢いやり方だ」

 クックック、と小さく笑う女性。その二人の間で、結局売ってもらえるのかわからなかったアイズはおろおろしてしまう。

 「あの、それで、売ってもらえますか……?」

 それでも聞くと、店主はおう、と威勢良く返事してくれた。ティオネの予想以下の六〇〇〇〇ヴァリスで買えたので、かなり浮いた計算になる。

 少しホッとしたアイズが感謝を述べると、二人共どこか複雑そうな顔をした。お互いぼったくられている、ぼったくっているという思いがあるからだろう。

 それがわからないアイズが首を捻っていると、

 「あ、あの!」

 「……? 何?」

 さっき交渉をしていた少女が、キラキラとした瞳でアイズを見ていた。アイズとしては彼女に見覚えがないので、そんな瞳を向けられる理由がわからない。

 「【ロキ・ファミリア】のアイズ・ヴァレンシュタインさん……で、合ってますか!?」

 「確かに私はアイズ、だけど」

 「やっぱり! あの、私、数年前にあった『宴』に参加してたんです」

 その言葉で、何となくこの少女の瞳の理由がわかった。あの『宴』によって、アイズ達は同じLvの冒険者よりも一歩抜きん出た存在として知らしめられた。

 「Lv.6の『勇者』フィン・ディムナさんに一歩も劣らず戦い抜いた姿、私、とっても格好良かったと思いました!」

 「あ、うん。負けちゃったけど、ね」

 あの一戦はアイズとしては苦々しい記憶だ。あそこまで奇襲奇策奇手を用いたにも関わらず、勝てなかった。情けない、という思いしかない。

 「でも、私なら……いいえ、私以外の人でも、Lv.6の人と戦って勝てって言われて時点で無理だって諦めると思うんです。だから、やっぱり尊敬しちゃいました」

 そこは認識の差異と言う他無いだろう。そもそもアイズ達は日常的にフィン達から訓練を受けていたので、戦う事自体に忌避感は無いのだ。

 しかし口下手なアイズはそれを言えず、苦笑するしかない。

 「特に『魔法を使うぞ!』って場面でそれがブラフだった時には、驚かされました。まさか魔法を囮に使うなんて、想像もしてませんでしたから」

 『そんな魔法、あるわけないだろ』の事だろうか。確かにあれはフィンでさえ驚いていた。

 「対人戦でしか使えないけど、ね。ティオナ達が魔法を完成させるために必死に盾になればなるほど、シオンの囮が際立つって」

 『考える』人間だから引っかかる罠だ。これがモンスター相手であれば、まったくもって意味が無いのだし。

 「はい、だから本当にびっくりしましたよ。私は見ての通りエルフなので、魔法は持っていて当然、みたいな考えがありますから」

 あの戦法を見て、少し視野が広かったのだ、と少女は言う。

 「お陰でLv.2になれて、二つ名も――」

 「はい、ストップ」

 ゴツン、と少女の頭の上に拳骨が叩き落とされる。話が終わったらしい女性が、ヒートアップする少女を手っ取り早く落ち着かせようとしたのだ。

 「だ、団長、痛い、です……!」

 「アイズとやらが困っているのに全然気づかないのが悪い。その上名乗ってすらいないじゃないか、自分は聞いたくせに」

 「……あ」

 少女の動きが止まる。それから顔を上げて、苦笑をするアイズに顔を真っ赤にさせた。

 「フィ、フィルヴィス・シャリア、と、言います……」

 とても恥ずかしそうに言うフィルヴィス。そんな彼女に、アイズは苦笑したまま、よろしくね、フィルヴィスと言った。

 「悪いね、うちのファミリアじゃこの子の同年代がいなくて。街中で見かけたら、仲良くしてくれるとありがたいんだけど」

 「それくらいなら、大丈夫です」

 「そうか? なら私は信じて後はこの子に任せるかね」

 と、団長らしい女性はお節介を止めると、アイズに向き直る。その目は真剣で、世間話ではないと気づいたアイズも姿勢を正す。

 「アイズは来たばかりか? それとも戻ってきたのか?」

 「戻ってきた、方です」

 「潜ったのは?」

 「25層の階段前までになります。それ以降は、リーダー不在なのでやめておきました」

 「……なるほど、わかった。ありがとう、答えてくれて」

 「いえ、これくらいなら構いません。でも、何故そんな事を……?」

 その疑問に、女性は持っていた荷物をフィルヴィスに手渡し、先に戻るように告げる。フィルヴィスはアイズに名残惜しそうな目線を向けたが、ペコリと頭を下げて去って行った。

 「まだ噂程度なんだけど、27層でモンスターの動向がおかしいって話があるんだ」

 「27層……? 28層、ではなく?」

 「ああ、27層だ。28層ってのは?」

 「ウォーウルフの一体が、モンスターの背中に騎乗していたんです。そんな情報、今まで一度も聞いたことがなかったのに」

 「ふむ、なるほど。確かにモンスターの動向がおかしいね」

 実はそのモンスターの正体はベートが知っているのだが、ここにベートはいない。だから、二人の話はそのまま進んだ。

 「となると、27層だけを警戒する訳にもいかない、か。ありがとうアイズ、これで一緒に行く他の【ファミリア】にも面目が立つよ」

 「いえ、こちらも27層以降は気をつけなきゃいけない事がわかりましたから」

 ギブアンドテイクだ、とアイズは言う。その顔の冷徹さに、女性は、これがフィルヴィスより年下の少女がする顔か、と思ってしまった。

 「……まぁ、私達が動くにはまだ数日かかる。足並みを揃えなければならないから、な。もしそちらと出逢えば、よろしく頼むよ」

 「ええ、こちらも人手が多いのは助かりますので」

 最後に女性の名前――クリスタリア・フィエラを頭に刻み込んで、別れる。

 荷物を落とさないように抱えつつ、リヴィラの街を出る。ふと振り返ったアイズは、フィルヴィスという少女を思い出し、クスリと笑った。




久しぶりにアイズメイン?

そして原作のキャラからかけ放たれたというか、完全にぶっ壊れているフィルヴィス。まあこの年齢の彼女はこんなもんです。ていうかこれが普通です。

あの六人が子供離れしてるだけ何だ……!

次回の内容は未定。更新も若干未定。
できれば待っていてください(白目)。


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超えたい存在

 ――泣いて、スッキリした、と思う。

 そもそも涙を流すという行為をしたのは何時以来だろう。記憶が正しければ、義姉が死んだ時――数日前のアレは例外としておく――以来のはずなので、五年ぶりか。

 「……五年、か」

 十歳であるシオンの半分。しかもその大半をダンジョンで過ごし、生きるか死ぬかの境界線を彷徨い続けた。長く感じるのも当然か。

 ダンジョンと言えば、とシオンはふと街の中心にあるバベルの塔を見上げた。昨日ベート達がダンジョンに行って、順調なら今日には帰ってくるはず。

 無茶はしていない――最近自分含めて信用できなくなってきたが――と思う。だが疲れきっているはずなので、濡れタオルと軽い食事くらいは用意しておくべきだろう。

 一度ホームへ戻り、足りないお金を補充し、タオル数枚をカバンへ入れてからそれを持ってまた外へ。そしてバベルの塔周辺広場について、見知った相手を見つけた。

 数秒して相手もシオンに気付いたらしい。フードを被って詳しくはわからないが、口元だけでも端整とわかるそれを軽く緩ませて、シオンに手を振った。

 それに応じつつ、シオンは彼女、リオンの元へ近寄った。

 「数日ぶり。あの時は助かった、ありがとう」

 「礼はあの時に貰いました、もう十分です。それに、私達が役立ったかと言われると……」

 「実際どうだったかなんて些細な事だよ。『助けよう』っていう気持ち自体が嬉しかった、だから何度もお礼を言う、ってだけだしね」

 「……なるほど。では、先の言葉は受け取ります。ですが、やはりそれ以上はいりません」

 お礼以外の報酬も頂きましたしね、とリオンは腰に付けたポーチを叩く。そこにはシオンがリオンとサニアの二人に渡した万能薬が入っている。

 ちなみに自腹である。当然だ、シオンが依頼した事なのだから。

 個人的にはまだ足りないと思っている。Lv.4は世間一般的には一流の冒険者に該当する。そんな人物を二人も雇ったのだから、それこそ倍、三倍、それ以上かかってもシオンは文句など言わなかっただろう。

 「次はおれがそっちの手助けできるといいんだけどね」

 シオンのLvは未だ3、Lv.4となったベートと違って彼女達の手伝いはまだできないだろう。それが少し歯痒い。

 「でしたら、その内【ロキ・ファミリア】との橋渡しをお願いします」

 「橋渡し?」

 「ええ、オラリオでも最大規模の探索系【ファミリア】――そのネームバリューは絶大です。私達【アストレア・ファミリア】には敵が多い。できるだけ友好な相手は多い方がいいのですよ」

 実際に力を借りられなくとも、『もし』という可能性を相手に与えられる。虎の威を借る狐のような行為は嫌いだが、仲間達の命には代えられない。

 「……フィンやロキに言うくらいはできるけど、確約はできないぞ?」

 「それだけでも十分です」

 シオンが言った、それこそが重要なのだ。リオンにはわかっている、この目の前にいるシオンという存在が、【ロキ・ファミリア】にとってどれだけ大事な人間か。

 でなければ【勇者】、【九魔姫】、【重傑】の三人からの指導という、オラリオにいる誰もが妬み羨む物を受けられるわけがない。

 リオンは思わず小さな溜め息をした。

 ――ただ、友人を助けようとしただけなのですが。

 いつの間にか打算的思考に陥っている脳に自己嫌悪する。いや、人間関係に多少の打算が付き物なのはもう十分に知っているが、それでも、嫌なのだ。

 だから、という訳ではないが、リオンは軽く手を差し出した。シオンはその手を見ても不思議そうにするだけで、反応がない。

 シオンはリオンがエルフだという事を知っている。そして、エルフという種族がどういう物なのかも、リヴェリアから聞いて理解している。

 そのせいで、この突然な行為を理解するのに数秒かかってしまった。しかし、リオンはただジッとシオンを見つめ、その体勢で待ち続ける。やがて意を決したシオンがその手を取り、お互いに軽く握り締めた。

 その時、周囲にいた仲間達が小さく息を呑んだ。

 リオンが肌に触れる事を許した人間は少ない。サニアと、アストレア。彼等が知っているのはこの二人だけだ。その二人は共に女性で、男性相手はこれが初めて。

 「……握手した後に聞くけど、これの意味って?」

 「……誠意、でしょうか?」

 「いや、こっちが知るわけ無いし」

 とはいえ本人達も理由などさっぱりわかっていない。リオンは手を解くと、自らの掌を一瞥し、そこに嫌悪感が欠片もないのを悟った。

 数日前のことを思い出す。何かもわからぬ悪意に晒され、泣いていた彼の姿を。友の無事に安堵する小さな背中を。

 ――ああ、そうですね。

 力になってあげたい、と思った。その小さな体に背負ったいろんな物をどうにかすることなど、リオンにはできない。

 でも、ちょっとした事を手伝うくらいはしてあげたい、と。そう思ったのだ。

 未だ戸惑うシオンに、仄かな悪戯心を刺激される。微かな笑みをたたえながら、リオンはシオンの頭に手を添え、数度梳いた。

 「リ、リオン……?」

 困惑に揺れる瞳に、しかし嫌悪は無い。手に隠れて顔は見えないが、どことなく楽しげな雰囲気を滲ませるリオンを止めようとも思えず、シオンは素直に任せた。

 すぐにやめるだろう、そんな考えに反してリオンの動きは止まらない。前髪の一部を摘み、くるくると人差し指に巻き、親指で押さえる。親指を離すと、するすると解ける柔らかな髪質が、どこかクセになってしまう。

 そうしてシオンの髪をよく見ると、女神もかくや、というその質に、羨望を覚えた。そして一部にできている枝毛などが妙に気になる。

 時間があれば切ってあげたいのですが、と考えつつ、もう時間だ。ぽんぽん、とシオンの頭を軽く撫で、名残惜しげに手を離す。

 「もう少し、髪に気を遣うとよろしいかと」

 「あ、ああ……え、髪? え?」

 「はい。では、私も時間なのでこれで」

 「わかった……また」

 「ええ、また、その内に」

 リオンが背を向けて、仲間のところへ歩いていく。シオンはその背中に、どこかムズ痒そうな顔をしていたが、やがて溜め息をし、軽く己の頭に触れた。

 ――……なんか、義姉さんを思い出すな。

 あの優しさと慈しみに溢れた手。同じとは言わないし、言えないが、どうしてかリオンの手に、似通った物を感じてしまった。

 その事に、どうしてか嬉しくて――悲しくも、あった。

 

 

 

 

 

 リオン達もダンジョンに行って、一人になるシオン。話し相手もおらず、する事も無いため邪魔にならないところに腰掛け、ブラブラと両足を揺らす。

 体調は万全、だと思う。少なくとも今からダンジョンに行っても問題ないと言い切れるくらいには。

 ――今更ながら、趣味も何も無いんだな、おれは。

 修行、修行、ダンジョン、ダンジョン。とかくそれに類する事しかやってこなかったためか、シオンはこういった時に暇を潰す手段が見当も付かない。思い浮かぶのは今周囲にいる冒険者達の状態や話し声から、今のダンジョンの状況を推察するとかそういった事ばっかりで。

 ――ああ、本当に。

 色んな事を切り捨てているんだ、と、そう強く自覚させられる。

 ハァ、と一つ息を零し、頭を小さく振って意識を切り替える。どことなく鋭くなった視線で、シオンは考えた。

 ――最近ダンジョンの特定層でおかしな事が起こっている。その原因の把握のためにギルドも情報を求めていたか。

 シオンもエイナから一度情報を求められた。とはいえシオンはここ最近まともなダンジョン攻略を行えていないので、何も答えられなかったが。

 ――だけど、正確性の高い情報は未だ得られていない。

 あくまで噂の段階。それに30層まで行ける冒険者のパーティは、オラリオ全体から見てもそう多くない。

 何せ中小規模の【ファミリア】ではそこまで行ける冒険者は希少だ。そんな存在を、危ないとわかっているところに放り込む訳が無い。必然情報も集まらず、確度の高いモノかどうかも精査できずに調査は難航する、と。

 ――だから【アストレア・ファミリア】が動いたのか?

 リオンの属するそこは、オラリオの治安維持を務めている。その性質上、ダンジョンアタックはあまり行わない。シオンの知る限り、遠征等を行った話も聞かない。

 ――でも、さっきの人数は……いや、おれも【アストレア・ファミリア】の団員を全て知っている訳じゃないが。

 チッ、とシオンは行儀悪く舌打ちした。嫌な予感がする、と思いながら。ただの予感程度でしかなかったが、焦燥感は募る。

 ――ただの気のせいなら、それが一番良いんだけ、どっ!?

 ドゴン、と強烈な一撃が背中を始点に全身に走り出す。あまりの痛みに立ち上がりながらたたらを踏んで、背中を摩った。

 「ッ、げほっ、いったいな、何すんだ!?」

 文句を言おうとして咽て、若干の羞恥を感じつつ攻撃の主を睨む。その相手は、シオンの睨みに思っていた反応と違ったのか、

 「あー、えっと、その・・・・・・こう、眉間に皺が寄ってたから、気分転換に、ね?」

 両掌を見せつつ、悪意は無かったと言い訳したティオナを、シオンはジト目で見つめた。それこそジーッと。

 十秒、再度の言い訳。

 二十秒、引き攣った笑みが崩れる。

 三十秒。

 「……ごめんなさい」

 「最初から素直に謝れ」

 と言いつつ、謝罪は受け取ったのでティオナを許す。そしてシオンはこちらをニヤニヤ見ていたベートとティオネ、鈴に、唆されたな、と大体を悟った。

 これに反応すると泥沼になりそうだったので、後で借りを返すと内心で誓う。その瞬間、三人の顔色が悪くなったような気がしたが、まぁ気のせいだろう。

 少しだけ気を晴らしつつ、シオンは何も知らされておらず、オロオロしていたアイズに歩み寄った。やはりというべきか、汚れている。

 ダンジョンに潜っている以上仕方がないが、やはりモンスターの血、埃や砂、汗に塗れた顔は見ていて良いモノじゃない。シオンは肩にかけていた鞄からタオルを取り出し、軽く濡らして湿らせるとアイズの頬に触れた。

 「……冷たい」

 「それくらい我慢する」

 小声で文句を言うアイズだが、少し身を竦めただけで嫌がりはしていない。それに気を良くしたシオンは、どこか機嫌良さそうに笑顔でアイズの顔を拭き始めた。

 その姿は兄――姉?――が妹の世話を焼いているかのよう。アイズは心底シオンを信頼しているようで、軽く顔を上げて目を閉じると為されるがままにされた。汗やら何やらが拭われる度に爽快感を得られて気持ちがいい。

 ダンジョン攻略は強くなるために必須だが、まともに水浴びもできないので、どうしても体が汚れてしまう。そこは割り切ったが、やはり、清潔でいたいと思うのが人間というものだ。女なのだから尚更に。

 つまり――傍から見ていた四人も、そうである、ということだ。

 「ね、ねぇシオン? 私達にも、その、ね?」

 最初に我慢しきれなくなったティオネが、おずおずと声をかける。それを横目で見つつ、聞こえないフリをしてアイズの世話焼きを続行。段々汚れてきたタオルを袋に入れて、代わりに新しいタオルを取り出し湿らせ、軽くアイズの髪を拭う。取り敢えずこびり付いた埃やらなんやらが取れればいい。残りはホームでシャワーを浴びて貰おう。

 髪も拭き終えると、流石に体までやるのはどうかと思ったので、また新しいタオルを渡して自分でやって貰うことにした。

 「ここは人目も多いし、腕とか脇とか、足とか……見られてもあんま影響無い部分だけにしとけよ?」

 「うん、わかってる。私も、見られたくないから」

 比較的軽装なアイズはそれだけ露出度も高く、汚れてしまった部分も多い。だから一つ忠告しておき、四人の方を振り向いた。

 「……なんだ、まだ帰ってなかったのか? 走りゃすぐだろ」

 「わかってて言ってる? ねぇ、わかってて言ってるんでしょ!?」

 「この後はギルドやら商売人に直接交渉でドロップアイテムを売りつけるんだから、ホームに帰るのは二度手間じゃないか」

 思わず反論したティオネと鈴に、シオンはそうだっけ、とくすくす笑った。

 ――さっきの仕返しか!

 即座にシオンの内心を看破したベートは、耐えられることは耐えられるが、と内心思い。

 ――いや、やっぱ不快だ。

 綺麗サッパリした様子のアイズがいるのを見れば、尚の事。もしやシオンは悪いことをしなかったアイズをさり気なく褒めつつ、俺達に言葉のない説教を――!? と、思惑全部を理解した。

 「……チッ、俺は、認める」

 理解したので、言葉足らずに言った。

 「お、良いのか?」

 「そんだけ頭が回るんなら、もう大丈夫なんだろ?」

 「まぁな。心配してくれるのはありがたいんだけど、ね」

 それでもシオンはわかったのか、ベートにタオルを二枚と水筒一つを左腕で放り投げた。それを受け取ったベートは、乱雑に自分をタオルで擦り出す。交渉成立、だ。

 一方、ティオネと鈴は理解できず、頭にハテナを浮かべていた。

 その様子を見ていたベートは、小さく、

 「……()()

 そう呟いた。そこまで言われたやっと二人はわかった。さっきのベートの言葉と、シオンの動作の意味を。

 シオンはつい先日まで、左腕を切り落とされ、呪いを受けていた。

 そして今、シオンは()()()、物を投げた。

 ベートの『認める』とは、もう問題なくなったシオンの『ダンジョン攻略復帰』を認めるという事である。

 「はぁー……これだから男って奴は」

 「でも、認めるしかないってのが癪だね」

 心配する方の身にもなれ、とアイズを羨ましそうに見ているティオナを横目に、ティオネと鈴は両手を上げて降参の意を示した。

 「私達も認めるわよ、全くもう、みみっちいわね」

 「全くだ、肝の小さい男だよ」

 「……あ、たおるなくなったー。でもしかたないよなー、もうぜんぶつかっちゃったしー」

 「「(あたい)が悪かったからタオルを下さい!!」

 棒読みで言いつつ残っていたタオルを全部アイズに渡すシオンに、慌てて二人は謝った。シオンはアイズから貰うんだな、と苦笑し、三枚だけアイズから返してもらうとティオナに近寄る。

 ジーッとアイズを見ていたティオナはシオンの接近に気付くのが遅れたらしく、

 「ん――ってシオン!?」

 ずざざ、と数歩距離を取った。驚きに目を丸くするシオンに、自分が取った行動を理解したティオナは恥ずかしそうに頭を掻きつつ戻る。

 「あ、あはは。私今汚れてるし、臭いとか色々アレだし、つい」

 「そんなの今更だと思うんだが」

 「フクザツな乙女心を理解して下さい……」

 よくわかっていないシオンを余所に、ティオナは両手人差し指をツンツンしながら俯いた。

 ――相手が綺麗なのに自分だけ汚れてると、色々気になるなんて言えない……!

 しかし、

 ――アイズみたいにああやって拭いて貰うのはそれはそれで憧れる……。

 なんて若干嫉妬と羨望の入り混じった感情もある。だがそのためには近寄る必要があり、いやいやそれは、でも、とティオナの頭がオーバーヒート。

 が、最終的に想い人に優しくされたいという思いが勝ったのか、ティオナは羞恥で頬を染めながら言った。

 「えっと、私もシオンに拭いてもらいたいなー……なんて」

 それを聞いたシオンは少し驚き、考え。

 「ふむ、別に大した労力でもないか」

 「じゃあ!?」

 「ああ、ダメだな」

 ニッコリ笑顔で断った。それはさながら、一片の曇りもない太陽のような。そのためティオナは言葉の意味を理解するのに、数秒の時を要した。

 「……ダメ?」

 「ダメ」

 「……アイズだけ?」

 「アイズだけだな、今回は」

 とりつく島も無かった。シオンも特に重要視していなかったようで、あっさりティオナにタオルを渡すと背を向けてしまう。

 「~~~~~~~~~~!!!」

 羞恥を堪えて頼んだのににべもなくフラれたティオナが真っ赤に染まる。

 ――考え事してる時に背中叩かなきゃ良かったッ!

 シオンの思考がティオナには読めていた。要するにからかっているだけだ。悪戯されたのだからそのお返し、というだけで、彼に悪気は一切ない。

 無いのだが……唆した三人の同情の瞳が、ティオナの羞恥心を煽る。それはもう、穴があったら入るどころか、自分で穴を掘って入りたいくらいに。

 ふと、顔を両手で覆ったティオナは、アイズの顔を見た。彼女はいつも通りに見えて、その実ティオナだけがわかる程度に、顔を変えていた。

 無表情の中から覗く、優越感が滲みでたドヤ顔である。

 ――羨ましい羨ましいうーらーやーまーしーいー!

 とはいえその感情を誰かにぶつけることもできず、ティオナは内心で叫ぶのみだった。

 

 

 

 

 

 所変わって、【ロキ・ファミリア】ホーム修練場。そこでシオンは、久方ぶりにフィンと一対一で向き合っていた。

 その二人を観戦するように眺めるのは、ティオナ、ティオネ、ベート、鈴、そしてアイズ。更にはリヴェリア、ガレス、ロキが、さり気なく屋内から見守っていた。

 「こうしてフィンと向き合うのも、数ヶ月ぶりか」

 「個々人で最低限の強さを持つのは当然のこと。ダンジョンで一番重要なのは、チームの連携だからね」

 フィン達の指導は、彼等の経験則に従って行われていた。だからこそ、最初の内は自分の力を荒いながらも磨けるだけ磨き、後はチームを組ませて役割を固定させた。

 それこそが、ダンジョンで生き残り、強くなるたった一つの正解だから。

 ダンジョンでソロを続けるのは自殺行為でしかない。5層前後までならそれでも問題無いが、それ以降は食料、回復薬、武器、ドロップアイテムの回収、敵との戦闘、休憩等の様々な部分で釣り合いが取れなくなる。

 どうあっても、ダンジョンでは人と人との助け合いが必要になる。コミュニケーションの取れない人間は、それだけで一流にはなれないと言い切っていい。例え個人としてどれだけの武を持っていたとしても、だ。

 ――実際、最初の頃の【ロキ・ファミリア(僕達)】はそうだった。

 背が低く、小人族故に信用もされにくかったフィン。世界に出たばかりで、プライドばかり高かったリヴェリア。頑固で偏屈だったガレス。自分含めて一癖も二癖もある人間ばかり。ロキもさぞ苦労しただろう。

 駆け出し時代は、黒歴史の山だ。

 そんな彼等が超一流と呼ばれるようになったのは、散々馬鹿にしあった彼等のお陰だった。

 だからこそ胸を張って言い切ろう。

 冒険者として最も大事なのは――誰かを信じ切れる事である、と。

 その点で言えば、シオンは合格だ。余程合わない相手でなければ、信じ、受け入れ、共に歩む事ができる。

 ――だからこそ失いたくない。

 ヒュッ、と軽く槍を振って構える。

 それに追従するように、シオンも剣を構えた。

 「もう一度確認だ。これは怪我をしたシオンがどれだけ戦えるか、あるいは鈍っていないか。それを確かめるために戦う」

 「わかってる。怪我が治ってなくて戦えなければ論外、体が鈍っていたら鍛錬し直してからダンジョンに行く事を許可する、だろ?」

 「理解しているなら大丈夫だ」

 それを合図に、フィンは目線を鋭くする。彼からは動かない。ハンデの一つとして、先手は必ず彼等に譲ると決めてあるから。

 シオンもそれをわかっている。

 ――例え身体能力を同じレベルまで下げていても、フィンの方が圧倒的に上だ。

 フィンは、もう少しで四十を超える。彼がオラリオに来た年齢は知らないが、十代で来たならその戦闘経験は二十年以上。実践経験が四年程度しかないシオンの、優に五倍である。侮れば即死で間違いない。

 「【変化せよ(ブリッツ)】」

 下手な魔法も無意味。

 「【ライトニング】!」

 速度重視の『付与魔法』を使って、後は勝ちに行くしかない。

 ほんの刹那、シオンの一歩が加速する。体の制御を度外視したその速度は、シオンの初手を予測していたフィンを上回った。

 けれど、それだけである。体をまともに制御できないシオンは、剣を突き出す動作程度しかできなかった。『次』が無い一撃など知れている、フィンは片手を槍から手放すと、剣の腹に掌底をぶつけて逸らした。

 その勢いを利用して片手で槍を打ち出す。剣を打ち払われたシオンの体はフラつき、泳いでしまっている。このままなら腹に槍が突き刺さるだろう。

 ――この程度じゃないんだろう?

 ――ああ、当たり前だ!

 しかし今のシオンは【ライトニング】を纏っている。速度――正確には足の動作に関与するこの魔法によって、シオンは地面を踏みしめ、片足をあげる。加えて剣を持たない方の腕、肘を使ってフィンの槍を挟み込んだ。

 だが槍の勢いは止まらず、肘と膝が擦りむき、血が滲む。その血が槍を濡らし、滑りを良くしてしまう。

 それも想定の内。一瞬止まればそれでいいのだ。シオンは上体を下げると、転ぶようにして槍を避けた。そんなシオンを追うように槍を払い、その槍を更に避けるようにシオンは受身を取り、側転、片手で跳躍、蹴りまでの動作を流れるように行った。

 その蹴りをスウェーで躱しつつ、フィンは腰に隠し持っていたナイフを取り出す。そしてシオンの死角を穿つように投げた。

 それをシオンは見れなかったが、何となく危ない気がして剣を背後に回した。同時、剣に衝撃と何か硬い物を弾く音がした。

 ――ナイフ。

 一瞬でその正体を看破し、同時にフィンがそんな小細工を使ったことに驚いた。驚きつつも体は動き、地面へ着地、フィンへ向き直る。

 フィンはシオンへ追撃せず、その場で構え直す。

 ――正確には、しないというよりできない、が正しいが。

 フィンはハンデとして、一定歩数以上動いてはならない制限がある。その歩数、何と十。だからこそフィンは無駄な追撃を行えない。十歩以上動けば容赦なく敗北というルールだからだ。

 だが、シオンはそのルールがありながら、フィンに()()()()()()()()

 先手を譲り、身体能力を落とし、歩数を制限し、魔法も――フィンの魔法は実質使えないようなものだが――使わない。

 それでも尚、シオンは、シオン達は勝てない。

 何故なら、

 ――フィンはまだ、()()()()()()()()()

 片足を動かしている以上は一歩動いている計算になる。だが軸足を動かしていないのなら、それは動いていないも同義である。

 情けないと思わば思え。それはフィンの槍捌きを見たことがない愚か者の感想だ。

 小人族故に小柄で、間合いが短く、体力も、力も、耐久も低い。だからこそ彼等は弱い。そんな固定観念が粉々に打ち砕かれる程の強者がフィン・ディムナという冒険者である。

 ――ああ、クソ。

 そんな彼に、シオンは油断の欠片も無い目を向けられている。認められている、とすぐにわかる程強烈だ。

 ――勝ちたいなぁ。

 認められているからこそ、勝ちたい。こんなルールに縛られたフィンではなく、何の縛りも無い十全の彼と。

 そして、勝つ。

 純粋に、シオンは、そう思った。

 

 

 

 

 

 ――結局シオンは負けた。

 あの後何とかもう一歩動かすことはできたが、そこでシオンの魔力が切れた。気絶する事は無かったが――リヴェリアに気絶しない境目を叩き込まれた――『付与魔法』無しで勝てるほどフィンは甘くない。

 「ッ……ッハ、ゼ……ァ……」

 地面に大となり、過呼吸寸前に陥りながら意識を保つシオン。そんなシオンを心配そうに見つめつつ、ティオナは水とタオルを持って近寄った。

 ティオネは流石団長! と恋心を顕にし、ベートは顔を険しくしつつ、脳内でフィンと戦う自分をシミュレート。鈴はレベルの差によって戦いを全て把握できず、そんな己を情けなく思いながら強くなることを誓い。

 アイズは、後で自分も稽古を付けてもらおうと、フィンを見ていた。

 「僕を二歩動かしたんだ、合格だよ。怪我している間も、考える事はやめなかったみたいだね」

 「それくらいしか、できなかっただけだ」

 ティオナに上体を起こしてもらいながら水を飲み、失った水分を補給する。汗塗れのシオンと違いフィンは然程疲れていないらしく、そもそも準備運動にすらなってないかもしれない。

 もう少しくらい善戦したいと思いながら、シオンはつい言った。

 「フィン」

 「何だい?」

 「――いつか、超える」

 『勝つ』、ではなく『超える』という言葉に、フィンは心底嬉しそうに笑った。

 「ああ、期待してるさ。心からね」




 投稿しなくなってから半年も経ちました。今更投稿したクソ野郎、ハイ私です。
 書かなくなるとやばいですね。一月以上経つと何か書く事自体が億劫になるというか。他作品の作者様方の気持ちがわかります。

 久方ぶりに感想欄見て『待ってる』と言われたので書きましたが、次回は未定。ダメだこいつ。


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束の間の小休止

 息を整え終えたシオンがやっと起き上がり、木に背を預ける。今日は日差しは強くないが全力運動によって火照った体が冷えて少し気持ちいい。

 ティオナから渡された水を飲み、それを終えるとタオルにぶちまけて濡らし、乱雑に顔を拭う。それだけで顔中の汗が引いていくようだった。その状態でしばらくぬぼーっと意識を散らしていると、土を蹴る音がした。

 「……ベートか」

 足音から即座に誰かを看破するシオン。ベート自身隠す気が無かったのか、シオンの顔からタオルを取ると、使っていない裏面で汗塗れの顔を拭いだした。

 シオンは気にしている余裕が無かったためわからなかったが、ベートもフィンに稽古を付けてもらったようだ。体に付着している土埃から見るに、結果は明らかだが。

 「自分の分くらい自分で持って来いよ」

 「うっせぇ。てめぇだってティオナに用意して貰ってただろうが」

 返されたタオルに思わず顔を顰めると、ご尤もな言い分が帰ってきた。実際ここ数年ティオナに甘えていた身としては耳が痛く、聞こえないと耳を塞いでポーズを取る。

 だが、それを無視してベートは言った。

 「シオン、お前、何に焦っていやがる?」

 シオンなら片耳は絶対に開けている、と見抜いて、あるいは信頼していたベート。実際その通りで、微かにシオンが息を呑んだ音が聞こえた。

 「……わかるもんか?」

 「見りゃわかる。俺だけじゃねぇ、全員気付いていたさ」

 お前だって俺達がおかしそうにしてればわかるだろう、と言われて、違いない、と苦笑を返すしかない。

 言われるまでもない事だった。

 「嫌な予感が、するんだ」

 ポツリと、本音をこぼす。

 今朝リオンと会ってから――あるいは会う前から。脳裏に警鐘が鳴り響いていて、止まらないのだ。気のせいと言われればそうなのだろう。

 だがシオンは確信していた。

 このままこれを放っておけば、きっと後悔すると。

 そして、そんな感覚を覚える原因なんて、一つしか思い浮かばない。

 「ダンジョンで何かが起こる――絶対に。それを見過ごしたくない。見過ごせない」

 そう言い切るシオンは、横に立つベートを見上げた。

 「一人でも行く。そのために、さっきフィンに認めさせたんだから」

 その顔を見て、ベートは説得を諦めた。左腕についてどうこう言っても、きっと笑顔で流されるだけだろう、と。

 ――くっだらねぇ。

 真剣な表情を浮かべるそれに唾を吐きたかった。流石にそれは自重したが、代わりにこのわからずやの頭をぶん殴ってやる。

 「ふんッ」

 「ッ――!? あ、頭がァ!?」

 予想以上に痛そうに頭を押さえるシオン。その悲鳴に、実はベートが戦い終わってからアイズ、ティオネ、鈴と共に戦っていたティオナが意識を逸らしてしまう。

 「ちょ、ベート何シオンの頭を殴って――」

 「戦闘中によそ見してるアンタのが何やってんのよ! 死にたいの!?」

 意識どころか視線を逸らしてベートを睨み付けているティオナに怒鳴るティオネ。

 実際これが本当の戦闘中なら間抜けと思われながら殺されるだろう。実戦さながらの稽古である以上、そういう意識を持って行うべきだ。

 幸いフィンは異変を察して苦笑しながら待っていてくれたが、本来なら隙を狙ってアイズ達を崩し、各個撃破できた。

 それを全員理解しているから、ティオナはつい反応してしまった自分に肩を落として落ち込んでいる。一応反省の念を見せているから、ティオネもそれ以上は自重した。ティオナが過剰に反応したのは、数日前まで痛みに苦しんでいたシオンを見ていたからだと、わかっているからだ。

 くるくると湾短刀を回転させ、ため息を吐いて鞘にしまう。

 「申し訳ありません団長。今回はここまでという事で」

 「ああ、構わないさ。ベートが悪い部分もあるしね」

 「お、俺のせいか!?」

 流れ弾が来たベートがギョッとしたように目を瞬かせる。そんなベートに、シオンは痛みで片目を瞑りながら、揺れる頭を押さえて言った。

 「Lv4になって筋力値と耐久値の釣り合いが変わったんだよッ……!」

 あ、とベートが口を開けて固まった。どうやら完全に忘れていたらしい。それを見て、元からわかっていたが完全に故意ではないとわかったシオンは彼を許した。

 「いつもおれとお前は同時にレベルを上げていたからわからなくもないけどな」

 やっと痛みが引いてきたシオンは立ち上がり、ベートの真正面を見る。何でいきなり頭を殴ってきたのか、と。

 ベートは横目でティオネ達を見る。彼女達はまず汗を拭う事を優先したようで、こちらに近づいてくる様子はない。

 「てめぇがバカ言ったからに決まってんだろうが」

 「バカを言ったから……?」

 完全に覚えがない、といった様子で首を傾げるシオン。自覚症状の無い賢いバカはこれだから困る、そう思いながらベートは、さっきシオンが言った言葉を再度告げた。

 「『一人でも行く』――そう言ってただろうが」

 「何かおかしかったか?」

 「ったりめぇだ。おいシオン。お前の役割はなんだ」

 役割、と言われて、シオンは戸惑った様子を見せる。それでも言葉を振られたからには理由があるのだろうと考え、すぐに答えを出した。

 「パーティの、リーダー、か?」

 「そうだ」

 どうやら忘れていなかったようで安心する。だが、根本的に意味を履き違えているシオンにわからせるよう、額に人差し指を押し当てて、言ってやった。

 「お前は俺達のリーダーだ。俺達の行く先を示す人間だ。いいか、もう一度言うから聞き逃すなよ」

 ――お前は俺達の仲間(リーダー)で、俺達の方針(みち)決める(しめす)人間だ。

 「お前が行くなら、間違って無い限りは着いていく。それを忘れんじゃねぇ」

 「……もし間違ってたら?」

 「さっきみたいにぶん殴って止めるに決まってんだろ。俺はまだ死にたくねぇからな」

 だから一人で黙ってどこかに行くな。そう、ベートは続けた。一人勝手に死にに行くような真似は許さない、という言外の言葉を感じて、シオンは己が間違っていたと素直に認めるしかなかった。

 両手を上げて降参を示す。

 「わかった、ちゃんと皆に言って賛成を貰うさ。それで明日、ダンジョンに潜る。それでいいか?」

 「ああ、それなら俺も何も言わねぇ」

 満足そうに返して、ベートは背を向けた。少なくとも懸念が解消できたようで、ここに留まらず部屋に戻るようだ。

 そんなベートに小さくありがとうと言えば、その鋭利な聴覚によって聞こえたのか、片手をあげてひらひらと振った。

 何というか、素直じゃない奴。そう内心で思いつつ、つい苦笑を作ってしまう。一見すれば誰とも仲良くする気がない、喧嘩腰の気に食わない一匹狼。その実遠くにいるからこそ誰よりも人を良く見て、間違っていれば殴ってでも止めてくれる奴。

 ――何より得がたい友人だ。

 「なーに話してたの、シオン」

 「うぉ!?」

 気が抜けていたところにティオナが飛びかかってきた。全体重を乗せたそれに、完全に不意を突かれて思わず転びかける。

 それに驚いたのは、むしろ飛び掛かった方であるティオナだった。いつものシオンならあっさり受け止めてくれたのに、と。

 「や、病み上がりだし、やっぱりまだキツい……?」

 「いや、完全に気を抜いてただけだから。ちゃんと踏ん張れただろ?」

 ペタペタシオンの体に触れるティオナにそう告げる。それが嘘ではないとわかり、安心したように胸をおろしたティオナ。

 そこに、ティオネがやってきた。

 「アンタのその癖そろそろやめなさいよ。シオンにしかやってないみたいだけど」

 「うぐっ、つ、つい勢いで……」

 まぁそれはわかる。ティオネだって飛びついてないだけで、フィンを見つければ迷わず一直線だからだ。

 好きな人の傍にいたい、なんてのは、人間誰しも持っている物である。

 が、当のシオンは一切気づいていないあたり、報われないというか何というか。ティオネは軽く肩を竦めた。

 「まぁいいわ。それで、ベートと何話してたのよ?」

 「ああ、明日ダンジョンに行きたいんだけど、いいか?」

 「は? ……明日? 明後日じゃなくて?」

 シオン以外の五人は今朝までダンジョンに潜っていて帰ってきたばかり。いくらなんでも明日は早すぎる。

 早くリハビリをして鈍った勘を取り戻したい、というのはわかるが、少し性急過ぎると思うのだが。ティオネとしても、せめて一日は休みたいところだ。疲れは残っているのだし。

 ――けれど。

 「……ハァ、ま、私はいいわ」

 「私もいいよー。シオンのためだしね!」

 そんな、何時にも増して真面目な顔をされてしまうと、否定できないではないか。そんな内心を胸にため息を一つ。渋々肯定した。

 そして未だシオンの首に両腕を回しているティオナも頷いた。元々シオンに甘い妹だからあっさり受け入れるだろうとは思っていたが、軽すぎるというかチョロすぎて心配になる。

 ティオネは横目で辺りを確認しつつ、ティオネの腕を掴んだ。

 「ほら、いつまで引っ付いてんの。行くわよ」

 「ええ!? もうちょっとくらいいいじゃん!」

 うだうだ言うティオナに、ティオネは言う。

 「アイズにこの事を伝えて、明日のダンジョンアタックの準備をするの! それがシオンの為になるんだから」

 「うぅ……しょうがない、かぁ」

 未練タラタラだが、それでも素直に頷いた。

 ……やはりシオンをダシにするとチョロい。思わず半眼になりつつ、恐らく剣の手入れをするために部屋に戻ったアイズのところへ足を向ける。

 その寸前、シオンに振り返った。

 「アイズは私達が言うから、鈴はアンタが言っておきなさいよ」

 「ああ、わかった。二人共、ありがとう」

 ティオネは肩を竦め、ティオナは笑顔でその言葉を返す。

 そして二人は扉を潜ってホームの中へ戻っていく。それを見終えると、シオンはフィンの稽古を終えても一人素振りを続けている鈴のところへ向かった。

 このパーティで一番Lvが低いが、一方で一番体力のある人間、それが鈴だ。恐らく収めている技術の差だろう。剣の振り方、体の動かし方一つとっても、やはり鈴には勝てない、そう思わせられる。

 「鈴」

 「ん? 何だ、シオンかい」

 集中していたのか、かなり薄着でありながら、その額から大量の汗が吹き出ている。それを拭う事もせずにシオンの方を向いたためか、目に入りかけて片目を瞑っていた。それを乱雑に手で弾いているのを、おれより男らしいな、と思いながら見た。

 そんな事を思っているなど欠片も考えていないだろう鈴の手にある刀を見る。彼女が持ってきた刀の二本の内の一本。彼女の家に代々伝わってきた名刀。

 「……久しぶりに打ち合ってから話そうか」

 「別にいいけど……愉快な話って訳じゃあ、無さそうだね」

 その視線の意味。

 それをどことなく察してか、バツの悪そうに顔を顰めながらも、鈴はその提案を受け入れる。今の自分とシオンとの差を、わかりやすく測れるからだ。

 シオンは壁に立て掛けておいた剣を手に取って、鈴の数歩前で止まる。それからお互いが得物を振るに足る距離まで調整し、鈴が構えた。

 一方シオンは構えない。現時点で後一度でもダンジョンに潜ればLv.4に上がる状態であるシオンと、恐らく大きな切っ掛けでも無ければLv.3にはなれない鈴。この【ステイタス】の差は覆しようがない。

 先手を譲った上で反応できるからこそ、シオンは構えないのだ。その事は鈴もわかっているからこそ、何も言わず、鋭く切り込んだ。

 狙うは剣を持つ右腕。シオンから見て右から迫り来るそれを、シオンは剣を()()()()()()()()即座に反撃した。

 ギャリッ、と刃と刃が噛み合う歪な音が二人の中心で鳴り渡る。

 打ち負けたのは鈴。いや、敢えて自分から刀を下げて追撃の準備に利用したのだ。逆に打ち勝ったはずのシオンは、スルリと躱された事によって、腕が泳いでいる。その腕を狙って、鈴は左に回転、その回転の勢いのままに剣を斜めに切り上げた。

 けれど、気付けばシオンは剣を右手に握り直している。その手を使って、剣を鈴と刀に向かって振り下ろした。

 再度の異音。

 振り下ろしと振り上げ、どちら側が不利かを即座に理解した鈴は、刀を両手で握り、刀身を滑らせるように斜めに傾ける。

 叩くでもなく、裂くのでもなく。ただ『斬る』事に特化したそれは、滑らかな紋を波打たせながらシオンの剣を流していく。

 どう足掻いてもその刀を斬る事ができないと知っているシオンは、音すらしない程に静かに受けられているのを、逆に受け入れた。右腕に力を込め、流される速度を加速させる。

 困惑したのは鈴だ。長すぎる刀は、穂先に向かうほど操るのが難しい。『次』の一手に移行しようとした瞬間に、先をブラされれば、どうしても『間』ができてしまう。

 それを知っていたシオンは、流されきる瞬間に剣を手放し、また左手で柄を握る。

 シオンの体が沈み、今にも跳ね上げられそうなのを見抜いた鈴は、刀を顔の横にまで上げ、振り下ろした。

 先程とは正反対に、シオンが振り上げ、鈴が振り下ろす。

 違ったのは力の差だ。鈴は振り下ろしていながらシオンを押し切れず、逆にシオンは問題ないと押し抜ける。

 刀を打ち上げられ、だが手放す事だけはしない。天を向く刀を、逆手に持って地を向けさせる。そして剣の腹に手を添えて、盾にした。そこにシオンの剣がぶつかる。

 ほぼ十字の形でぶつかりあったそれは、当然というべきか、シオンに軍配が上がった。受け止める準備が完全にできなかった鈴は、吹き飛ばされてしまう。

 ――それが決め手だった。

 着地自体は上手く行ったが、それ以上にシオンの動きが素早すぎる。着地とシオンの迎撃、両方を意識した鈴の微かな隙、半呼吸も無いその隙間に、剣を差し込んだ。

 首に剣を添えられた鈴は、大きく息を吐いて、降参を示すように両手を上げる。

 「……いつの間に両手で剣を使えるように?」

 「元からだな。おれは左利きだったんだけど、義姉さんに右利きの方が後々便利だからって矯正されて……だから、両利きなんだ」

 実はこの事を知っている人間は少ない。というか、今知った鈴を除けばフィンしか知らない。だが両利きという大きな利点を活かさない点は無いと、昔彼に相談して、練習したのだ。

 「ダンジョンで片手が使えられなくなる状況なんていくらでも考えられるからな。念の為に、左手も使えるようにしておいた」

 「だからって普段使ってる右手と同程度に使えるってのはねぇ」

 どれだけ練習したんだ、とつい言いたくなった。だがそこは聞かず、剣に手を添えて首元からどかす。

 それからもう一度、大きく息を吐いた。

 鈴はかなりの負けず嫌いだった。負ける事前提で打ち合ったとはいえ、相手は魔法を一切使わず体術も織り交ぜず、それでこれである。もう少し食い下がれると思ったのに、実は両手共使えますという驚きの事実に対応しきれず、負けた。

 だが、シオンの方も方でかなり驚いていた。普通、Lvが一つでも違えば、まず勝てない。食い下がるのだって難しい。対抗するのであれば、人数を揃えるのが一番楽で、確実だ。

 魔法・体術無し、完全に剣のみとはいえ、これは本来凄い事だと言ってもいい。

 恐らくシオンと鈴の【ステイタス】を同程度にして剣を交えれば、恐らく負けるのは――。

 ――それを、シオンは敢えて黙っていた。事実とはいえ慰められていると鈴は思うだろうし、そうでなくとも慢心されては彼女のためにならない。

 負けず嫌い、というのは、自身を成長させる大事な要因の一つなのだから。

 「シオン、今度は軽く打ち合ってもう一回だッ!」

 「ああ、わかった。ただ打ち合いながら話は聞いてもらうからな」

 思惑通り、鈴はもう一度を迫ってきた。それを快く受け入れながら、シオンは頷く。

 そして二人は最初の位置に戻り、お互い軽く得物をぶつけ合う。全力だったさっきとは違い、かなり余裕がある。そもそも二人共打ち合う寸前、すっぽ抜け無い程度に力を抜いているので、反動がほとんどなかった。

 「それで、そもそも何を話したかったんだい?」

 「明日ダンジョンに潜りたいって話だ」

 「……なるほどね。さっきベートやあの姉妹と話してたのはその事、か……。しょうがない、今あたいに話してるなら、あの三人は頷いたんだろう? だったらあたいもオーケーさ」

 「いいのか? 疲れてるなら休んでいていいけど」

 「冗談。実はダンジョンアタック、不完全燃焼でね。明日ソロで行くのも悪くないって思っていたくらいさ。皆で行けるなら、その方がいいね」

 軽く笑みを浮かべる鈴に、気負った様子は見られない。それを理解したシオンは、また鈴の刀に眼を向けた。

 それを察した鈴の腕から勢いが無くなり、止まる。

 「シオン、はっきり言いな。……あたいに、何を求めてる?」

 鈴の目が、鋭く細まる。シオンの言いたい事が何か、その大部分をわかっていながら、しかし鈴は敢えて惚けていた。

 何故なら、今の鈴に()()()を使う気が無いから。

 だが、もし。

 もしも、シオンがそれを願うなら。

 ――鈴は、それを抜き放つのを、躊躇わないだろう。

 鈴の本意の全てを見抜けなかったシオンだが、それでも鈴の想いはわかった。その上で数度躊躇って、やがて、言った。

 「鈴。今度のダンジョンアタック、刀を二本共持ってきてくれ」

 「……わかったよ。ま、使わないで済むならそれに越したこたないけどね」

 一度触れたシオンだからこそ、その危険性をよくわかっているのだろう。それを押し付ける傲慢さも。

 それを、鈴は笑って受け入れた。

 どうか使わないで欲しい。使う状況なんてこないで欲しい。そう願いつつ、シオンは嫌な予感が拭えなかった。

 

 

 

 

 

 日も暮れて、月が頭上の中天に輝く頃。

 一人部屋に籠るシオンは、何をするでもなく、そこにいた。

 立ってはいない。だが、部屋の窓を開け、その淵に座っていた。いつ落ちるともしれない危うい境目。それを怖いとすら思わず、ただ一心にバベルの塔を見据えていた。

 ……嫌な予感が、どんどん強くなっている。

 治ったはずの左腕にも熱があるような気さえした。

 「ううん、気のせいなんかじゃないよ」

 「アリアナ……?」

 シオンの体、その内側から、久しぶりに彼女が現れた。シオンに宿る、アイズの母、アリアから受け継がれた、幼き風の精霊。

 前に見た時よりも、成長したのだろうか。頭身が小さすぎてわかりにくいが、少しだけより女性らしくなっていた気がした。

 そんな彼女は、風を纏って浮き上がると、シオンの肩に座る。微かな風に髪が揺れ、出てきた耳たぶを掴んで、アリアナは自身を固定させた。

 「久しぶり、だな。最近全然出てこなかったけど、どうしたんだ?」

 シオンは真っ先にそれを聞いた。姿どころか、声さえ発さなかったアリアナ。彼女に何か不調でもあったのだろうか、と。

 「それは私じゃなくて、シオンが悪いんだよ!」

 そこを指摘されたアリアナが、何故か怒った。だが原因がさっぱりわからないシオンとしては困惑するしかない。

 その様子を見たアリアナは、やっぱりわかってないんだ、と肩を落とした。

 「いい、シオン。私はシオンの魔力を糧に何とかここにいるの。つまり、シオンの魔力が無かったり、()()()()()()()と、私は表に出てこられない」

 「変、質……?」

 アリアナは、シオン自身の魔力と、アリアが彼に渡した『祝福』による魔力、その二つによって少しずつ成長している。だが、それは逆に言えば、シオンの魔力が存在しなければ、生きるのも難しいという状況下にあった。

 だからこそ、シオンの魔力に異常が起きれば、彼女は休眠する。今はまだある、だが何れ必ず残るアリアの魔力を、少しでも無くさないために。

 「そう。あったはずだよ、そうなった原因が」

 「……『呪い』、か」

 チラリと、左腕を見下ろす。切り落とされ、繋ぎ直し、そして異常を来たした腕を。今はもう治って――いや、おかしい。

 それなら何故、アリアナは『気のせいじゃない』と言ったのか。

 横目でアリアナを見ると、彼女もまた、シオンを真剣に見つめていた。

 「シオン、その腕の呪いは解かれてなんかいない。私と同じ、休眠状態――起動するまで、一時的に機能を停止しているだけ。……停止、っていうのも、ちょっと違うかな」

 精霊であり、シオンの内側にいるアリアナは、休眠していても何となくシオンの肉体情報がわかってしまう。

 この呪いの効果は恐らくとても単純な仕掛けで、だからこそ、どうしようもないのだと。

 「呪いを植え付けた場所を中心に、体中の魔力を奪う。だからシオンは苦しんだ」

 魔力は、生命力に直結する大事な要素だ。これを失えば気絶するし、失いすぎれば、命を落とす危険性がある。

 それを無理矢理奪い続けられるのだ。ポーションで回復するのは体力だけだ。死ぬまでの延命にしかならない。

 「私が表に出られなかったのは、その呪いのせい。呪いによる影響でシオンの魔力が負の方向にあったのと……私まで魔力を吸収してたら、シオンは死んじゃうから」

 ……正直に、言ってしまえば。

 左腕を今すぐ切り落として欲しい、というのが本音だ。呪いは今も宿っている。シオン自身気付いていないだけで、この呪いは()()()()()()()()()()()()()()

 だけど言えない。言えるわけがない。

 シオンの事を、恐らくシオン以上に知っている彼女は……それを言ってしまうのが、それを行うのが、どれだけ致命的な事なのかを、よくわかっていた。

 「だからさ、明日ダンジョンに行くのは止めようよ。危なすぎる!」

 それを押し隠して、ただそれだけを告げる。本心から。彼を心配して。

 「ありがとう、アリアナ。心配してくれて」

 ……ああ。

 「でも大丈夫。おれは一人じゃない、皆がいる」

 ……だけど。

 「だから、何とかなる。きっと死なないさ」

 ――止められない事なんて、はじめから、わかっていた。

 笑うシオンに言いたかった。どうしてシオンが嫌な予感を感じているのか。それは、()()()()()()からなんだって。

 「それに、ここで行かない方が後悔する。リオンや、サニア……恩を受けた人達に何かあったのに、そこに行けたはずなのに、何もできないなんて、嫌だから」

 「そ、っか。そうだね。うん、それじゃあ、仕方ないよね」

 泣いて、叫んで、止められるなら、そうしただろう。でもきっとシオンは受け入れない。彼の根幹が、それを受け入れる選択肢を潰してしまう。

 だからアリアナは笑った。できるだけ大きな花を咲かせるように。心で泣いているのを、悟られないように。

 ――コンコンコン。

 その時、タイミングよくノックがした。部屋の扉からだ。

 「あ、私は消えるね。またね!」

 「おい、アリア――ナ……消えたか」

 それを切っ掛けに、あっさりアリアナは消えてしまった。手を伸ばしても、自分の肩を掴むだけでそこには何も無い。

 ――彼女は、何を隠していたんだろう……?

 シオンは気付いていた。アリアナが、必死に何かを伝えるのを堪えていたのを。その内容はさっぱりわからなかったが。

 ――コンコン、コンコン。

 と、そこでもう一度ノックがする。それにどうぞ、と声を返すと、控えめに扉が開いた。誰だろう、と思いながら見ていると、意外や意外、アイズだった。

 「アイズ……? どうしたんだ?」

 寝巻きを着ているアイズ。既に寝る直前だったのだろうが、どうしてここに来たのか。まだ幼いとは言え、貞操観念がしっかりしている彼女らしくない。

 気になるといえばもう一つ。

 何故、片手を後ろ手に回しているのだろうか。

 そのアイズはというと、部屋に入ってからどこか遠慮気味に左右に揺れていた。だが数分してから、意を決してようにその片手を前に回した。

 「あのね、シオン」

 それは、長方形の、柔らかそうな物体。

 「きょ、今日……一緒に、寝よ?」

 即ち、枕だった。

 

 

 

 

 

 『…………………………』

 断る理由もなかったので、素直に受け入れた。が、枕を左右に並べて、同じシーツに包まって横になると、途端に無言になってしまう。

 アイズは元から口数が少ない方だし、シオンは話さなくていいなら話さない人間だ。二人だけだとほとんど喋らず、身振りで意思疎通をするのも珍しくない。

 そしてそんなシオンは、今回に限ってアイズの本音がわからなかった。

 そもそもアイズとこうして一緒に寝たのも、アイズがここに来て数日の間のみ。両親をほとんど同時に喪って寂しがった彼女を慰めるように寝ていたのだ。

 それこそ、彼女の本当の兄のように。

 だがアイズは、母を探すために己を鍛え、そのためにシオンに甘えるのをやめた。こうして甘えていたら強くなんてなれないと思ったのかもしれない。あるいは、スパルタ過ぎたシオンに嫌気がさしたのかもしれない。

 理由はわからない。

 ただ、こうして一緒に寝ようなんて言ったのには、何かがあるはず。

 「……ねぇ、シオン」

 「なんだ?」

 「私、ね。……ちょっとだけ、怖い」

 『怖い』――彼女がそういうのは、久しぶりだった。怖いと思っても、決して弱音を吐かないのが彼女だから。

 シオンは何となく、腕を出した。アイズの後頭部に差し込むように。それを感じて、アイズはちょっとだけ頭を上げる。そこに、腕が入った。

 即座に頭を下ろし、シオンの方へ向けて横になる。

 ……硬い腕だ。子供らしくない、鍛えた人間特有の感触。

 でもどこか、安心できる腕。

 「ダンジョンに行くって、二人から聞いた。……私は、イヤ」

 「そう、か。じゃあ、アイズはやめておくか?」

 だから、本音を吐き出した。きっとシオンは受け止めてくれると思ったから。そしてシオンは、そんなアイズの想像通り、優しく言ってくれる。

 だけどアイズは、首を振った。その提案を断るように。

 「ううん。イヤだけど、でも、シオンだけ行かせるのは、もっとイヤ、だから」

 ――でも、怖いのは本当だから。

 「ちょっとだけ、甘えたいの」

 そう言って、アイズは珍しく、本当に珍しく、シオンに体を寄せて、その体に抱きついた。そして体から力を抜いていく。

 全身を弛緩させて、すぐに眠ってしまった。

 すぅすぅと微かな寝息を感じる。そんな彼女の髪を数度撫で付け、シオンも目を閉じる。

 ――明日、誰も死にませんように。




 感想で待ってると言われたのと、ちょっと物書きへのモチベが戻ったので投稿。前回に続いて、そして前回以上の息抜き回。

 後確約はできませんが、投稿ペース戻そうと思います。大体週一、忙しい時は週二更新って感じに。

 ……待ってくれる人いるのかな? これ。
 いや自業自得なのでどうしようもありませんが。


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『壁』

 服を着替える。簡素な寝間着から、ダンジョンに潜れるほど厚い生地の物に。ただし必要以上に厚くない、最低限の物だ。

 長袖長ズボン。夏は暑すぎて嫌になるが、ちゃんと肌を隠しておかないと怪我を負いやすいので諦める。

 それから胸当て。心臓部分を守る程度の簡素な鎧。ただし鍛治氏として大分有名になってきた椿が作っただけ頑丈な一品だ。

 両腕と両足には、細く鋭いナイフを納めたベルトを巻き付ける。モンスターには牽制、人相手には……命さえ奪える、凶器。数が数なので結構な重さになるが、あるのと無いのとでは雲泥の差なので、割り切った。

 そして、全身を覆う黒いフード付きローブ。暗闇では視覚に頼るモンスターから姿を隠せるし、休憩中の就寝では床に敷いたり、体の上に乗せて掛布の代わりにできる。内側にポケットを縫ってあるので、ポーションや暗器、携帯食料を持ち運ぶ事だって可能だ。

 最後に、自身の身長もある長剣を背負う。剣帯がズリ落ちないように調整。軽くジャンプして確認し、頷いた。

 「装備は……これでいいはず。後はティオネが用意してくれたバックパックを持てば行けるか」

 小さく呟いて、二度目の確認。こういった命に係わる事柄において、口に出して忘れた事が無いかを確かめるのは重要だ。

 まぁいいや、という考えが命を落とす最大の要因になる事は、よくわかっている。

 開けていた窓を閉じる。振り返って部屋を見渡し、少しの間だけ、動きを止めた。

 アイズは既に部屋に戻って自分自身の装備を整えているはず。だから、誰もいない事が当たり前のはずなのに、どうしてだろうか。

 ――ああ、そうか。

 あそこまで密着して寝るのは本当に久しぶりで……アイズだけじゃない、シオンも知らず知らずの内に、癒されていたのだろう。それが無くなったから、ポッカリと胸が空いたかのような寂しさに襲われたのだ。

 小さく頭を振る。これからダンジョンへ行くのだから、感傷に浸る余裕はない。

 気を引き締めなおして、シオンは部屋の扉を開けた。

 

 

 

 

 

 「……うーん」

 「何唸ってるのよ、ティオナ」

 既にダンジョンを潜り始めて数時間。上層程度のモンスターはもう相手にもならず、足を止める事すらほとんど無い。一応魔石とドロップアイテムは回収しているが、どうせ中層のあの街で二束三文で売ってしまうのはわかりきっていた。

 まぁ、そういった積み重ねが大事なのだとわかっている。だからティオネも、面倒臭いが渋々腰を折って拾っていた。

 そんな折、ティオナが何か気に食わないと言いたげに細まった目を作った。見ている方向は、見なくてもわかったが。

 「シオンとアイズの様子が、おかしいっ」

 「そんなこと? そんなの朝からずっとでしょうに」

 「気付いてたの!?」

 むしろアンタは気付いてないのか、と突っ込みたかった。アイズがシオンの顔を見て、滅多に動かさない表情を、ほんの少し赤く染めていたのはすぐにわかった。シオンもどことなく居心地悪そうにしていたので、多分昨夜何かがあったのだろう。

 然程興味は無いが。妹には悪いが、ティオネとしてはシオンとアイズがくっ付いても悪くないと思っている。きちんと祝福できるだろう。

 「うぅ、朝はシオンと話してばかりだったから……シオンはすぐにわかったんだけど」

 「アイズの事に気付いたのは今さっき、と」

 回収する物は取り終わったので、立ち上がる。それを袋に乱雑に詰め込み、口をティオナの方に向けて入れさせる。

 両腕で抱きしめたそれを開放しながら、ティオナはまた横目で二人を見た。

 「気になる、気になっちゃう……!」

 「ダメだこりゃ」

 ポンコツ一歩手前状態のティオナに額を押さえる。気になるなら聞けば、と軽く言えないのは、ティオネ自身、フィンがそうなっていたらティオナのようになるとわかるから。

 しょうがない、と肩を落とす。

 ティオナをフォローできるように注意しておこう、と苦労性の姉は腰に手を当てた。

 ――意識散漫でありながら、襲ってきたモンスターを叩き潰す姿を見れば、多分大丈夫だろうとは思うが。

 一方、一番前を行く鈴は、一番モンスターに襲われていた。とはいえこれは鈴自身が願った事だ。今の彼女から見れば弱い相手ではあるが、それでも多少の糧になる。Lvで劣っている現状、努力しない理由はない。

 魔石やドロップアイテムを回収する手間も惜しいと刀を振るう。Lv.5相当の冒険者が使っても劣らない名刀と鈴自身の腕前によって、モンスターの断面図は綺麗な物だ。

 ……代わりと言っては何だが、断面図から内臓が綺麗に見えるので、慣れない人間が見れば吐瀉物だが。後臭いもけっこうキツい。狼人であるベートとしては、余り近付きたくない死体だった。

 「もうちょっとこう、何とかなんねぇのかよ」

 「刀に『斬る』以外の何を期待するってんだい?」

 言外に諦めろと言われてしまった。思わず顔を顰めたが、言っている事はおかしくないので反論もできない。

 そもそも臭いどうこうだって、ダンジョンにいればどうやったって生じる物だ。せめて上層くらいは、というのもベートの我儘でしかない。

 ハァ、と息を吐き出して、壁に張り付いてスタンバイしていた奴の頭を貫く。ベートの速度に反応さえできなかったそれは、あっさりと死んだ。

 張り付いていた手から力が抜けて、死体が落下する。あまり高さは無かったが、頭から落ちたせいだろう。

 真っ赤なザクロが出来上がった。

 「……あたいに文句言えた立場?」

 「うっせぇ、不可抗力だ」

 どっちもどっちな殺し方である。壁を蹴って床に下りながら、軽く付着した血を払う。そこで一度、後ろをチラと覗いた。

 「……で、アレどうするよ」

 「さーね。微笑ましい、とでもコメントすりゃ満足?」

 「使いモンにならねぇから早く修理しときたいんだがなぁ」

 ついボヤいたが、ベートも鈴も、あまり気にしていない。十字路や三差路で横合いから襲い掛かってきたモンスターにきちんと反応しているし、受け答えもちゃんとする。

 ただ、どうしようもなく、こう……見ていてイラッとする。

 命のやり取りをしている(シリアスの)横でイチャコラ(ラブコメを)するのはやめてほしい、というか。

 最終的に二人は気にしない事にした。

 幸いというべきか、先頭だから後ろを振り向かなければいいのだし。

 ちなみに四人から色々言われまくっている二人だが、本人達は普段通りにしているつもり……だった。

 実際たまにすれ違う同業者は何も気付いていない。単純に、付き合いの長さからわかってしまっただけで。

 「アイズ、ほら」

 「うん、ありがとう」

 魔石を取るときに付いてしまった血をシオンが水で洗い流す。

 「あッ!」

 「ちゃんと前を見ろ。……でも珍しいな、転ぶなんて」

 「ごめんなさい……あと、ありがとね」

 ちょっとだけ上を見ていたせいで、石の破片を踏んでしまい、体勢を崩して倒れかけた瞬間シオンが抱き留めた。

 自分の腕に捕まるアイズを立たせて、シオンはちょっと驚いた様子を見せる。事実、ダンジョンで転んだ時のアイズなんて余程追い詰められて余裕が無い時しかない。そこを指摘されて顔を少し赤らめながらも油断していた事を謝り、そして支えてくれたことを感謝した。

 気にするなと口元を緩めたシオンは、乱れたアイズの髪に触れて軽く整える。何度か髪を梳いて満足したのか、手を離すとベート達との距離を戻すため、若干小走りで駆けていった。

 ――その一部始終……というか全てを見ていたティオナが、ぐぬぬぬと唸り声を出す。

 「ありえない……絶対昨日までの二人の反応じゃないんだよ……!」

 「みたいねー。何というか、色気づいたってところかしら」

 アイズが『上』を向いていたのはシオンの横顔を見るためだ。そのせいで注意散漫になって転びかけた。そこまではいい。

 ただ、その後のシオンの反応が素早すぎる。どう考えても、アイズのいる方に意識を傾けていたとしか思えない程に。

 「頭を撫でた時のアイズの顔も! 今までなら全然気にしてなかったはずなのにィ……!」

 「そうねー。恋してます、って感じの顔だったわねー」

 結論から言おう。

 意識的にか無意識的に、二人はお互いを『男』と『女』として見始めている。

 やはり昨日の夜。自分達が知らない間に、二人の意識が変わるような『何か』があったに違いない……!

 「でもま、それが普通だと思うわよ? シオンはちょっとおかしかったんだし、これで正常に戻るって考えればいいんじゃない」

 「それは……そう、なんだけど」

 そう、至極一般的に考えるなら、別に何もおかしくないのだ。十歳ともなれば思春期目前、男女の差を感じて接するのに戸惑う時期だ。ティオナとティオネはその辺りが早かったので慣れたものだし、ベートはわかっていて気にしていない。鈴は……また別の事情がありそうだが。

 わかっていなかったのは目の前の二人だけなのだ。

 ただただ強くなるのを目的にしていたシオンと。

 『何か』を探して必死になっていたアイズ。

 この二人が、ちょっとでも周りを意識できるようになれば、それはきっと、二人の幸せになってくれるはずだから。

 「ていうか、アンタが気に食わないのはシオンに『女』を意識させたのが自分じゃないからってだけでしょ?」

 「もちろん!」

 「……切っ掛けはアンタじゃなくても、その後は意識し始めたシオンを落とせばいいだけなんじゃないの」

 それが一番現実的だと思う。うだうだいじけてないで、いっそ漁夫の利を狙うくらいがちょうどいい。

 どことなくアマゾネスらしさを覚えてしまうが……それは仕方ないと割り切ろう。ティオナもそう思ったようだ。

 「うん、そうだよね。拗ねてたら手に入る物も手に入らないんだし」

 グッと両手を握り締めるティオナ。そして意を決したのか、いつものようにシオンのところへ駆け出し、笑顔でその腕に抱きついた。ただ、今のティオナは身の丈以上に長く重い大剣を背負っている。速度と重さによって勢いを増したそれは、抱きつきというより最早タックルに近い。

 そのせいで受け止めようにも受け止めきれず倒れかけたシオンを、慌てながらアイズが横から支えた。

 結果的に助かった物の、傍から見るとまるで両手に花。……シオンの容姿から考えると姦しいと見るべきだろうか。

 「……ここ、ダンジョンよね?」

 呆れたように言っていたティオネの口元は、言葉に反して綻んでいた。

 

 

 

 

 

 「一応いくつかから聞いたけど、やっぱりアストレアはもう先に行ったみたいね。詳しい事はわからないけど、速ければもう目的地に着いたんじゃない?」

 「目的地はどこだって?」

 「少なくとも30層。それ以上の事は流石に聞いてないみたいよ」

 むしろどこまで行くのか聞けただけでも上々というべきだろう。シオンは軽く頷くと、ティオネに水を差し出した。

 今五人がいるのは、18層にある森の中。モンスターが階層内で出現しない、一種の安全地帯だった。ここに着いてすぐティオネに換金と情報収集を頼み、そして今報告を聞いていた、という訳である。

 「18層を出たのは半日前か?」

 「いいえ、五時間くらい前よ。相手は大人数みたいだし、動きはどうしても遅いんでしょ」

 パーティ内で恐らく最も交渉上手な――話し合い、暴力、どちらともという意味で――ティオネのもたらした情報だ。これ以上のモノは出てこないだろう。

 ――休憩無しで追いかければ間に合うかもしれないが……。

 ほぼ一日以上の差を持ってダンジョンに入ったはずだが、ここまで追いつけば良い方だろう。休憩しないで追いかけても、体力が無ければ足手纏いだ。

 「昼飯を食べて、三十分休憩。そうしたら出発しよう」

 「……随分急ぐのね。ここに来るまでの間もかなり無茶したし」

 実はシオン達、1層から18層まで、たったの五時間しかかけていない。本来ならありえない時間である。通常なら、どれだけ速くとも一日近くかかるはずだ。

 ダンジョンは1層は狭く、そこからどんどん範囲が広がっていく。言うなれば、一つの町、都市を十八個分巡っているような物だ。モンスターとの戦いもあるが、それ以上に、足で踏破するのに時間を食われる。

 遠征で最も注意すべきなのがそこである事からも伺える。距離がある、というのは、どれだけ強くとも覆せない要素だ。

 それを覆せたのは単純、ダンジョンの特性を利用しただけ。

 「上手く行ったのは偶然だよ。穴の配置が悪ければ逆に遠回りする事になるし」

 『穴』。それは本来ダンジョンにある凶悪な罠の一つ。唐突に出現し、数多の冒険者を一つ、あるいは二つ下の階層に引き摺り込み、殺してきたトラップだ。

 ただこれは、現階層の現在地と、下の階層の地図を覚えていれば、道を無視してショートカットできる近道にもなる。

 シオンの言う通り、下の階層の道筋を覚えていなければ、単なる遠回り、下手すると迷子になりかねない。

 ティオネの驚いている点はそこじゃない。

 「私が呆れてるのは、シオンの頭によ。まさか1層から18層までの地図を全部頭に入れてるだなんて」

 そう、そこである。

 先にも述べた通り、このショートカットは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()

 つまりシオンは――この時点で、都市18個分の、細かい道全てを覚えている、と言い換える事ができるのだ。

 「いや、流石にそれはムリ」

 が、それは即座にシオンに否定された。

 「おれが覚えてるのは主に使う通路だけだよ。そこから外れたら流石にわからん」

 「……それはそれで驚愕モノなんだけどね」

 「代わりに30層までは覚えておいた。まぁ、穴を使えるのは24層くらいまでになると思うけどね。縮尺を合わせるのも結構面倒だし」

 やっぱりおかしい、という言葉が喉元まで出かかる。言われるまで忘れていたが、ダンジョンは階層毎に広さが異なる。これのせいで、穴に落ちる凶悪さが増している一因になっていると言ってもいい。

 正直、シオンの最も脅威的な部分はその記憶力と計算力だと思う。下手に小っ恥ずかしい姿を晒せばそれを一生覚えられるのだし。

 そんな下らない事を考えてしまったティオネは肩を竦める。敵になったら厄介な手合いでも、味方なら心強い。そう判断して、シオンを見た。

 「ま、頼りにしてるわ。リーダー」

 「おう、任せろ」

 作った拳を軽くぶつけ合って笑い合う。そして肩を並べてベートのところへ向かう。

 料理に関しては全くわからないが、火を見たり煮込み具合の確認、かき混ぜるくらいはできるベートはティオナのアシスタントをしている。

 「似合わないな、それ」

 「うっせぇ、よくわかってら」

 それを見たシオンの第一声がそれだった。ベート自身自覚があるようで、鼻を鳴らすも勢いはほとんどない。

 「そこだけ切り取ると主夫よね。……ぶっ」

 「殴られてぇのかテメェ!?」

 「そこ、鍋が無駄になるから騒がない!」

 が、思いっきり吹いたティオネは別だ。お玉を持たない片手が唸るほどに握り締めたが、即座に野菜を切り分けていたティオナから鋭く諫められた。

 「ティオネも、わざわざベートを挑発しないで。食事抜きにするよ?」

 それを軽く笑っていたティオネも、いつもの笑顔が無い妹に睨まれてしまった。

 「う……それは、ちょっと……」

 「なら素直になる。ほら」

 「……。……わ、悪かったわよ」

 「……チッ」

 ちょっと小さくなって謝るティオネに、毒気が抜かれたベートは舌打ちしつつ、視線を鍋の中へと下ろす。

 それらのやり取りを尻目に、シオンは気配を出来るだけ紛らせながら黙々と皿を用意していたアイズのところへ移動した。

 そして彼女に、気になっていた事を聞く。

 「なぁ、なんかティオナおかしくないか? 余裕無さげっていうか、何というか」

 「それで合ってる。今のティオナ、あんまり余裕無いから」

 その答えに、シオンは眉を寄せる。よく意味がわかってないシオンに、ティオネはデザートとして森から持ってきた果物……の、ような何かをカットした物を見せる。

 「これは……ああ、そうか。そういえばティオナはそうだったな」

 一見すれば綺麗に皮だけ切り取れているが、シオンにはわかる。いくつかミスをして、実を抉ってしまった物が混じっていた事に。

 次いで思い出す。彼女は刃物の扱いが一番下手な事に。

 ティオナの得物は大剣。斬るのではなく叩き潰すのを得意とする武器だ。そのせいで彼女はこういった細かい作業に対してかなり不器用になってしまった。

 最近は何故か料理に凝っているようだが、それでもやはり、未熟な点が目立つらしい。味自体はかなり良くなってきたのだが……彼女はそれで満足できないようだ。

 「真剣になってる理由はそれだけじゃないんだけど……」

 「ん?」

 「……。鈍感」

 本気でわかっていないらしいシオンを、アイズはジト目で見つめる。まぁ、口で伝えていないティオナも悪いよねと、アイズは知らんぷりで配膳に戻った。

 ……ちなみに。

 食事中、シオンに味を尋ねた乙女がいたらしい。

 結果は――満開の花を見れば、誰でもわかるだろう。

 

 

 

 

 

 情報を集め、心を満たすような食事をし、十分な休憩も取ったので、これ以上いる理由は無いと18層から19層へ。

 潜った瞬間、やはり17層以前よりモンスターの密度が増していると実感する。特に一週間以上間の空いたシオンはそう感じたようで、話すのも惜しいと警戒を強くしていた。

 だが、ベートのLvが4に上がったこと。そうでなくとも全員の【ステイタス】が底上げされた事によって、ほぼ苦労せずに突破できた。鈴はまだLv不足で危うい点が目立つも、持ち前の技術で何とか捌けるようだ。

 途中にある穴を経由し――降りる前に、ちゃんと計算するのは忘れない――どんどん目的地に降りていく。ただこれが通じるのは24層まで。それを過ぎると、ちゃんと覚えた順路に従って1層ずつ降りていった。

 そして、26層のラスト。

 「……なぁ、シオン。ここが階段、でいいんだよな?」

 「……の、はずなんだけどね」

 27層へ続くはずの階段、そこで足止めを食らっていた。いいや、この表現は正しくない。正確には、通れなくなっていた。

 『それ』を見上げる彼等の額には、疲労以外の事が原因で浮かんだ汗が流れていた。

 「……なんだ、()()()……?」

 壁というより、瓦礫の山。

 それが目の前に積み重なり、壁となり、通せんぼをしていたのだ。




 思ったより長くない。ダンジョンでのシーンも同じような内容だと被りますし、冗長なのでバッサリカットしたせいなのですが……。

 本当は何か理由付けてリオンかサニアと合流させようかとも思ったんですが、ちょっと御都合すぎるかなとやめちゃったのも一因かも。

 ま、リハビリもあるのでお許しを。

 次回もよろしくお願いします!


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仲間の裏切り

 「なんだ、この瓦礫……?」

 26層から27層へ続く階段の手前。本来ならさっさと進むべきその場所で、シオン達は想定外の事態に陥っていた。

 土と石の山。

 単純な質量の壁。

 「シオン、これ魔法で壊すって訳にはいかねぇのか?」

 「壊すだけなら、できる」

 だけど、と何やら続きがありそうなところで言葉を止める。シオンの意図を読めなかったのか、ベートが顔を顰めて続きを促した。

 「魔法で壊す。それはいい。……でも、()()()()()()()()()()()?」

 「あ? んなもん適当に――いや、ダメだな。それはやばい」

 「何がやばいって?」

 シオンの考えている事を理解したベートが、息を吐き出す。代わりに二人のすぐ傍で乱雑に瓦礫を叩いていた鈴はわからなかったのか、小さく首を傾げた。

 「今おれ達は26層に続く階段の手前でうろついてるよな? 逆に言えば、27層側もそうなってる可能性が高いんだよ」

 「無作為に魔法をぶっぱなして向こう側まで貫けば、瓦礫の山の代わりに死体の山ができあがりって訳だ」

 だから考えなしに動くとロクな事にならない。敵意と殺意を向けられて反撃するならまだしも、そうでない相手を殺すのはごめんだ。

 たかが瓦礫を積み上げる。たったそれだけのこと。

 捻ったものではない、単純なモノに過ぎないが、だからこそシオンは動けない。

 そうやって止まっているシオン達に、ふと違和感を覚えたアイズが尋ねる。

 「……それって、ここにいる私達が向こう側から殺されちゃうんじゃ……」

 その発言に、シオンを除いた全員がアイズを振り返る。一斉に視線を浴びたアイズが肩をビクリと震わせた。

 「えっと、シオン。大丈夫、だよね?」

 恐る恐る振り返ってきたティオナが代表してシオンに聞く。聞かれたシオンは、特に気にした様子もなく壁に耳を当てていた。

 「壊すならさっさと壊すと思う。【アストレア・ファミリア】もいるんだし」

 シオンが気にしていないのは、そのせいだ。これがいつからあるのかは不明だが、それでも数時間は経っているはず。

 シオン達がここに来るまでの間に壊す時間は、十分にあったはずなのだ。だが、確かにこれは存在している。

 で、あれば。

 「27層側で階段に戻ってきた人間がいない。あるいは――あちら側に何か問題が起こって、これを壊せるような状況じゃない」

 瓦礫にくっつけていた耳からは何の情報も得られなかったシオンは、数歩下がる。

 ――少なくとも振動が通る程度に薄い物じゃない、か。

 「どちらにしろ、これがあるって事は人為的に起こされた事だろうな。この先で何が起こっているのか、想像もできない」

 基本的に、ダンジョン内部では様々な罠が存在する。だが、それはあくまで冒険をする上で厄介なモノばかりというだけであって、こういった必ず進行するルートに瓦礫の山が出来上がる事はありえない。

 こういった物が出来上がるには、それこそ人が手をかけるしかないのだ。

 「どうするのよシオン。下手に壊す訳には行かない以上、手詰まりよ」

 じっと瓦礫を見上げているシオンに、ティオネが指摘する。だがそれに、シオンは小さな笑みを作ってしまう。

 そう、誰も『戻ろう』とも、『帰ろう』とも口にしない事に。

 「いや、一つ手はある。『穴』を使う」

 だからシオンも、それを言わずに現実的な手段を提案した。

 彼等がここに来るまでの時間を大幅に短縮したショートカットである落とし穴。これを使って27層へ降りる、と。

 「それなら瓦礫を壊さねぇでもいけるが……道がわからん」

 だが、また別の問題が出てくる。

 正直に言ってしまうと、シオンを除いてダンジョン内部の地図をある程度覚えているのは、ティオネだけだ。その彼女もシオン程詳しく覚えているわけではない。正規ルートから外れれば、すぐに迷う程度だ。

 「ああ。だから、()()()()()()()

 『……え』

 ニッコリ笑ってそんな事を言い切ったシオンに、ティオネ以外の全員が固まった。シオンの言葉が理解できない、と言わんばかりに。

 「む――ムリ! 私にはムリだからね!? 私、バカだからね!」

 真っ先に再起動、そして拒否したのはティオナだった。直情径行、猪突猛進、とにかく大剣を叩きつければ敵は死ぬ、ととかく頭を使わない私には、あまりに辛い。

 そんな感じでぶんぶん首を振るティオナに続くように、他三人の反応も悪かった。全員覚える気が無い、というより、覚えられる気がしない、という拒否なだけまだマシだろうが。

 「シオンが言ってるのは、現在地と行く方向を覚えろって事よ」

 そんな四人をジト目で見つつ、シオンの足りない言葉を埋めるようにティオネがフォローした。それくらいわからないのかと、頭痛を堪えるように額を押さえてもいたが。

 「下に降りても、この階段の位置、方向を大雑把に覚えていれば、戻ってくるのは不可能じゃないわ。歩いている最中はある程度頭の中で地図を作る必要があるけど、全体図を覚えるのに比べれば楽でしょ」

 「ま、まぁ、それくらいなら……?」

 「アンタに地図が作れるとは思えないから、方向だけ覚えておきなさい」

 「酷い! でも確かに!」

 やっぱり一番怪しいティオナであった。

 瞳が泳いでいる彼女を一瞥して、ティオネはシオンを見直す。シオンは任せると頷いて、采配を預けた。

 そして地面に座ると短剣を持ち、ガリガリと地面を引っ掻いて簡易地図を描き始める。

 それを見ていた四人の視線を引き寄せるように、ティオネが柏手を打つ。

 「最初の提案の時点でわかった人はわかったでしょうけど、人数を分けて穴を探すわよ。二人一組で、編成は私と鈴、ティオナとアイズ、そして、ベートとシオン。組み分けについて質問は?」

 「俺とシオンが一緒なのは?」

 「無茶ができるからよ。うちで一番強いのはアンタとシオンの二人だからね。場合によるけど、かなりの無理を押し通して行動し続けてもらう必要があると思うから」

 実際は少し違う。シオンが仮に暴走した場合、腕力で止められるのがベートしかいないのだ。つまるところ、シオンのお目付け役と言っていい。

 暴走前提で説明するのもどうかと思ったので建前を口にしたが、幸いベートはわかってくれたのか、素直に引いてくれた。

 ついでにと、ティオネは他二つの分け方についても説明する。

 「後は単純に役割の問題ね。言っちゃ悪いけど、このパーティで一番弱いのは鈴、アンタよ」

 「承知してるさ。【ステイタス】とLvの差が覆し難いってのは、よくわかってるよ」

 「だから鈴をフォローできる人間を組ませなきゃいけないんだけど、それができるのはシオンと私、次点でベートとアイズかしらね。……ティオナ、アンタは論外だからね」

 「うっ……」

 我が妹ながら情けない、そんな声音の姉に、しかし反論できない。ティオナもフォローするよりフォローされる立場になる事が多いからだ。

 「ま、シオンと組めない以上、私が適任でしょ。組み分けの理由はこんなもんよ」

 とはいえ単純な戦闘能力ならかなりのポテンシャルを持っていると、ティオナの事は信じているティオネ。魔法を使えば近・中距離で戦えるアイズがある程度フォローしてくれれば、戦い抜けるだろう。

 「……悪いけど、脳内地図はアイズ、任せたからね」

 「任せて。ティオナの代わりに、ちゃんと覚える」

 とはいえそちら方面では一切役に立たないので、アイズに念押しするティオネだった。

 そんな説明の間にシオンが書いていた簡易地図も出来上がった。その地図は本当に簡素な物で、精々が26層の最端外縁部、つまり26層の範囲。階段のある現在地と、その周辺経路のみ。後は東西南北を示す記号くらいか。

 「地図を見れば何となくわかるだろうけど、あの通路が東な。で、あっちが西。階段は北。最悪この方向だけ覚えてれば、この瓦礫の山のある場所がある程度絞れる」

 だから方向感覚だけは切らすなと言って、シオンは説明を終える。元より多く言う必要はないからだ。後は個人の記憶力に任せるしかない。

 もういいと判断した者から立ち上がり、地図の内容を頭の中で再現、確認する。相変わらずティオナは怪しそうだったが、方向を確認すると慌てながらも正解を答えたので、割り切った。

 そうやって全員が確認を終えると、それぞれのペアと隣立つ。

 「じゃあ、各自穴を探してそこから27層に降りる。ただし27層じゃなくて28層、あるいは29層に落ちる可能性もあるから、事前確認は忘れるな」

 何よりも、

 「――死ぬなよ。他の誰を見捨てても、必ず生き残れ」

 それが一番重要な事だと、シオンは言い切った。生き残れれば勝ちだから、という認識を全員が違えていないのを再確認して、笑った。

 「散開!」

 そうして各自が背を向ける、その瞬間。

 シオンと鈴の目線が交わり、互いが互いに頷きあっているのを見た者は、誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 誰よりも速く移動できるベートと、それに追従できるシオンの二人は、当然ながら他の二組と比べ物にならない速度で移動できる。

 けれど、それでも落とし穴はそう簡単に見つけられない。追い詰められた時ほどあっさり踏み抜くのに、余裕がありすぎるとき程見つからないのだ。こういうのは。

 そして数分して、見つけられないのに業を煮やしたベートが足を止めて振り返った。

 「ん、どうしたベート。何か見つかったのか?」

 「いや……一つ提案があってな」

 提案? と不思議そうにするシオンに、ベートは首肯した。一体何をと思いつつ、身振りで先を促す。

 「ここで二手に別れねぇか?」

 「は? ……いや、それは流石にリスクが高すぎるだろ」

 確かにベートとシオンなら、一日二日程度ならこの階層でも戦い抜けるだろう。だがそれはあくまで通常時の話であって、何が起きているのかわからない状況でするものではない。

 「問題ねぇだろ。俺とお前がそこらへんの奴に負ける訳がないんだからな」

 「そりゃそうそう負けないだろうけどさ」

 ベートはLv.4に上がり、シオンはその目前。一般的な目安なら、お互いに一流の冒険者と言い切っていい。

 だが、そこで調子に乗って痛い目どころか死に目に合えば冗談にもならない。

 「……はぁ、最悪お互いローブ被って壁面捕まってりゃ何とかなるか」

 けれどシオンは受け入れた。お互いの強さをよく理解していて、フィンクラスの敵でも無ければ一瞬で負ける事は無いとわかっているからだ。

 「下手こいて死ぬなよ。死んだらテメェの墓の前で笑ってやる」

 「いや、笑えないんだが」

 流石にそれはない、そんな意思を宿した目に、ベート自身無いと思ったのか、冷や汗を流しながらそっぽを向いた。

 「じゃ、先行くぜ」

 「ああ」

 シオンの返事を待たず、ベートは走り去ってしまう。その背中を、シオンは納得いかないと言いたげな顔を浮かべながら見ていた。

 ――ベートは何を焦ってたんだ?

 負けないという言葉が真実で、それを信じているのは本当だろう。だがそれとは別に、らしくなく焦っている。恐らくその焦りが原因で、あんな提案をしたのだろう。

 その焦りをシオンは理解できない。そして同時に、ベートもまた、ティオネの真意を理解できていなかった。

 「……行くか」

 シオンを止める鎖は、何も無い。

 

 

 

 

 

 「――見つけた。予想通りなら、ここから27層に降りれるはずなんだが」

 落とし穴を真っ先に見つけたのは、やはりというべきか、シオンだった。これは偶然でも何でもない、ただの予測によるものである。

 ダンジョン内部には様々な罠が存在するが、それは大枠として三つに分けられる。

 何らかの形になって擬態し、冒険者を騙す事で奇襲、殺しに来るモンスター。

 希少な素材、それらに類似したモノ――主に花、薬草――となり、猛毒を宿す劇物。

 最後に、ダンジョンそのものが用意したとしか思えないモノ。落とし穴がその一つだ。

 ダンジョンは凶悪だが、理不尽で無ければ不条理でもない。たまにそんな事を言う輩がいるが、それはそいつらに抜けている点があっただけ。情報を集めれば、どんな事でも対策自体は立てられるのだ。

 擬態するモンスターなら、何に擬態し、どう見抜くのか。希少な素材に類似した毒物は、どんな特徴があるのか。

 そしてこれら落とし穴は――どういった傾向で出現し、また消えるのか。

 こういった落とし穴は罠として凶悪な部類に入るので、発見次第ギルドに報告される。また消えた場合も報告される。それらの報告から大雑把に推測すれば、正確性に欠けるが予想できる。

 ただそういった事を組み立てて考えられる人間は極めて少ない。そもそも『傾向がある』と考える人間自体がほぼいない。

 「よし、大丈夫だ」

 それに気付かぬまま、シオンは怪我をしないよう、また着地をモンスターに狙われないように意識して、縁から飛び降りた。

 飛び降りてすぐ、壁に背を向けるように移動する。壁自体がモンスターの擬態の可能性も考慮に入れて観察するのを忘れない。周囲を見渡すが、人も、モンスターも誰もいない。

 ――違う、()()

 どこの通路からも死角になる隅っこ。そこでうずくまり、ガタガタと震えた人間がいた。どうしてそんなに震えているのか、訝しみつつもそれに近づいていく。

 「おい、どうした。何が――」

 「く、くく来るなァ!?」

 肩を叩こうか叩くまいか。そんな風に悩みつつも声をかければ、気が狂ったかのような声を上げて、抱いていた剣を振ってきた。

 だが座って、腰の入っていない、子供よりも酷い太刀筋が当たる訳が無い。シオンは一度避けると、剣の腹を掴んだ。

 そこでやっと相手の顔を見れた。

 男、なのだろう。だが恐怖に歪み、涙と鼻水に塗れた顔は、子供のようにしか見えない。

 「落ち着け、おれは敵じゃない」

 「う、嘘だ! 殺すんだろ、俺を! あ、あいつらみたいに!?」

 目の焦点が合わない男は、そもそもシオンを見ていない。

 多分、この男が見ているものは……それを予測して、シオンは一度目を瞑った。そして眼を開けると、

 「おれは『英雄(ブレイバー)』のシオン! 【ロキ・ファミリア】の人間だ。主神ロキと二つ名に誓って、おれはお前を不当に殺さない!」

 手が涙と鼻水と泥で汚れるのを厭わず、男の両手に添えて、眼を覗き込むように言い切った。その微かな痛みが重要だったのだろう、男の目の焦点が合わさり、息が落ち着いていく。

 それでもシオンは手を離さなかった。彼が縋るように手を握り締めてきたのもあるが、何よりも心細い時、他人の体温が冷たい心を癒してくれると知っていたからだ。

 「……すまない。助かったよ」

 早く事情を聞きたい己の心を抑え込むのに苦心しつつ、だが、その苦労は実った。己を取り戻した彼に苦笑を一つ返して、言う。

 「気にするな。事情は何となく察した。……だが、だからこそ聞きたい。一体ここで、何があったんだ?」

 まっすぐ射抜くように、彼を見据える。男はそんなシオンの体格と、幼い相貌から大体の年齢を察した。

 同時にこうも思った。

 ――幼くとも『英雄』か。

 そんな彼に多量の罪悪感と、少しの期待を込めて、彼は思い出したくもない記憶を、ポツポツと語り始めた。

 「最初はただ、この辺りに良い物があるって聞いて来たんだ」

 彼等のパーティは、彼自身が言うように、良くも無ければ悪くも無いモノだったそうだ。数日に一度ダンジョンに足を向け、30層付近まで行き、モンスターを倒して得た魔石やドロップアイテムを手にする。それを換金し、『経験値(エクセリア)』を手に入れて、【ランクアップ】していく。

 大多数の冒険者と同じような平凡な日常。もちろん彼等とてここまでこれるほどだ、凄腕の冒険者と言っていい。

 だが、伝え聞く【ロキ・ファミリア】の団長フィンや、オラリオ最強の冒険者であるオッタルに比べれば、平々凡々だった。

 もちろんそれでも十二分に幸せだった。気心知れた仲間、命を預けあえる家族。それこそが何より大事だと、神も仲間も、よく知っていたから。

 ――そんなある時、仲間の一人からある情報が寄せられた。

 30層付近にお宝が出たらしい、行ってみないか、と。

 もちろんその情報に正確性など欠片もない。行っても無駄足になるだけだろうと、全員がわかっていた。

 ただ飽いた日常、繰り返される平凡に、少しのスパイスがあればいい――そう、誰もが思っていた。

 思っていた、のに。

 「裏切、られたんだ……! そいつに」

 情報を持ち込んだのも、27層で一旦休憩しようと行ったのも、そいつだった。休憩してしばらくすると辺りが騒がしくなり、不安になりつつ武器を構えた。

 そして押し寄せてきたモンスターを相手に必死になって応戦して。し続けて。

 「前で戦う奴らの背中に、剣を突き立てやがったんだ」

 唐突な裏切りだった。考えもしていなかった。それくらい長い間、一緒に戦い続けてきたのだから。

 裏切りと、戦線を支えていた一人の死。重なった衝撃は、モンスターを抑えきれなくなり、蹂躙された。

 自分以外の全員。――裏切った人間さえも。

 「俺だけが必死に逃げて、逃げて……他の奴らは、全員死んだってのに!」

 ありえないと眼を見開いた彼を。死にたくないと震えて泣き叫んだ彼女を。死ぬのをわかっていて囮になった者達を。

 満足そうに笑って、モンスターに食われた裏切り者を。

 「俺達だけのパーティじゃない。他にも罠にハメられたんだ。身内に、仲間だと、家族だと思ってた奴に裏切られて」

 やまないモンスターの群れと、仲間の裏切り。それによる疑心暗鬼が辺りを覆い、自分以外誰も信じられない状況にさせられた。

 ある意味で俺は幸いだった、と彼は言う。自分以外全員死んだから、無理に信じる者がいなくなったから、と。

 「ここは、たまたま安全なだけだ。すぐに奴らが来る。そして、俺も……!」

 気を取り戻したからこそ、辛い状況を鮮明に思い出してしまう。再度恐怖に震え出す体を、だが口だけは止めずに、彼は告げる。

 「止めて、くれ」

 自分の命ではなく。

 「この、クソったれな状況を。罠にハメた奴らに、目に物見せてやってくれ。そうすりゃ、まだ助かる奴らが大勢いるんだ」

 仲間の命を奪った奴等を止めること。

 そして、まだ命のある者達の救援を、望んでいた。

 「……26層に続く階段への道はわかるか?」

 「え? いや、わからない、けど」

 それを聞いて、シオンは敢えて答えず、質問を返した。思っていた答えが帰ってこなかった彼は戸惑いつつも、素直に答えてくれる。

 「ならおおまかな方向を教える。多分、右の壁伝いに移動すれば、その内瓦礫の山が見えるはずだ」

 「瓦礫の山、って?」

 「――26層と27層を繋ぐ階段に置かれた瓦礫だ。多分あの近辺は、モンスターと人が入り混じった状況にあると思う」

 彼の話と、未だに存在する瓦礫の山を考えれば、その付近がどうなっているのかなんて簡単に想像できる。

 そして、そこに何の【ファミリア】がいるのかも。

 シオンは懐から短剣を取り出す。その輝きに一瞬体を硬直させるも、敵意が無いのはわかるのだろう。すぐに落ち着いてくれた。

 それをありがたく思いつつ、シオンは長い髪をひと房掴み、それを切った。

 「これを」

 後で怒られるかな、と内心で苦笑を浮かべつつ、髪を彼の手に押し付ける。ギュッと握っていないと今にも零れおちそうなくらい滑らかな髪質に驚きつつ、彼は目線で問いかけた。

 「おれの髪色は結構変だからな。……途中である【ファミリア】を見かけたら、伝言を頼みたいんだ」

 「伝言? どんな?」

 「『この状況の原因はおれ達で何とかする。だから、26層へ続く階段を塞ぐ瓦礫の撤去と、そこに逃げる冒険者の保護を頼みたい』って」

 「……その【ファミリア】って?」

 若干の不信感を偲ばせつつ、彼は言う。身内にすら裏切られたのだ、その反応も仕方ない。けれどやはり、彼女達を信じるしかない。

 「【アストレア・ファミリア】だ」

 「【正義(アストレア)のファミリア】、か。なるほど、彼女達なら、確かに。だけど、ここにいるのか?」

 「彼女達が昨日、ダンジョンに潜っていったのを見送った。途中で会わなかったし、まずこの階層にいるのは間違いない、と思う」

 実際に確認した訳ではない。だが、いるだろう、という奇妙な確信があった。そんなシオンの自信を感じ取ったのか、最後には彼も、頷いてくれた。

 「わかった。後、それを見せても疑われたら、リオンかサニアがいるか聞いて、これを伝えてくれ」

 ――『リオンとサニア、二人から受けた恩を返しに来た』と。

 多分それで、【アストレア・ファミリア】は彼を信用するだろう。

 ……彼自身が裏切り者だ、という線を、シオンは考えている。だが、敢えてそこには触れなかった。彼の後悔は本物だし、死への恐怖も本物だ。それよりも、この伝言を伝えてもらうという事の方が上回った。

 それら全ての思惑をおくびにも出さず、シオンは告げた。

 「必ず伝えてくれ。だから、死ぬな」

 その言葉を聞いて、彼は悟った。

 『助かる人が大勢いる』、その『大勢』には、俺自身も含まれているのだと。

 若干疑われている事を知らぬまま、先程とは真逆の意味で涙を浮かべつつ、絶対に死なないと告げて、彼は去っていった。

 ……この状況を作り上げた者達の名を、最後に告げて。

 正直、顔を歪めなかったのは奇跡に近い。それほどにシオンは彼等と因縁があり、同時に個人的な恨みもあった。

 「『闇派閥(イヴィルス)』。……義姉さんを殺した男が、いる組織」

 ギリギリと拳が唸りを上げる。内心で爆発しそうな怒りと憎しみを、けれど抑えて、シオンは冷静になるよう深呼吸した。

 「大事なのはこの状況の解決だ。見誤るなよ、おれ」

 敢えて口に出さなければ抑えきれない。

 それほどの激情を自覚することなく、シオンは戦闘音がする方へと走り出した。



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壁の中の暗闇

 ベートは焦っていた。

 理由はわからず、ただ彼の直感が『ヤバい』と叫んでいた。それこそ、普段ならわかっていたティオネの意図が読めず、ペアとなったシオンと別れて一人で行動する、なんて愚策に出てしまうくらいに。

 何故、どうして、こんなにも総毛立つ思いを感じるのか。それがどうしてもわからなくて、でもこのままだと取り返しのつかない事が起きるような気がして。

 だからベートは、ほぼ直感で見つけ出した穴を、確認もせずに飛び降りた。

 五感が奇妙に冴え渡る。

 Lv.4になったから? それともどこか違うような気がした。ただわかるのは、この状態が維持できるなら、負ける気がしない、というくらいか。

 飛び降りた瞬間、ベートの視覚が二つの集団を捉えた。片方は防戦を行っていて、もう片方は容赦無く殺しにかかっている。

 『守………し…! 相……『闇……』だ!』

 『…せ! ……の…………めに!』

 途切れ途切れに声が聞こえた。ほとんどは戦闘音に紛れて聞こえないが、声を張り上げた瞬間だけはこちらに届いた。

 そして、それで十分だ。どちらを殺すのか――その判断を付けるには。

 まだ落ちきっていない身を、壁面に付ける。もちろん足だけだ。ザリザリと壁を擦る、耳に残る音に顔を歪ませつつ、蹴った。

 自由落下に少しの慣性を加えて、斜めに移動する。狙うは先に声を上げた男。司令官を狙うのは戦の常道である。

 どいつもこいつも目の前しか見えていない。

 ――頭上注意だ、悪く思うなよ……!

 空中でグルンと体を回転させる。ただでさえかなりの速度で落下しているのに、一瞬の加速をプラスしたそれは、一撃で男の頭から背中、背骨までを破壊した。

 脳漿と血がぶちまけられる。濃厚な血と死の気配に、前で戦っていた奴らの動きが鈍る。それ以上に、目の前でリーダーを殺された魔法使い達が、その凄惨な死に様に体を硬直させた。

 ――アホか、良い的だ。

 内心でダメ出しをしつつ、決して情けはかけない。片方の短剣を投げて、それを魔法使いの心臓に当てた。心臓を射抜かれた男――あるいは女か――信じられないとばかりに片手を短剣の刺さった胸に添えようとして、倒れた。

 倒れる前に短剣を回収しつつ、すぐ傍にいたもう一人の腕を切り落とす。もちろん杖を持った方の腕だ。

 「あ、あ゛あ゛あ゛がああああああああああああッ! お、俺の、腕があ゛ァ!?」

 聞くに堪えないダミ声で絶叫する男。耳を塞ぎたくなるが、その余裕はなさそうだ。今の叫びで硬直していた彼等が再起動してしまった。

 ――再起動まで大体二秒から三秒。……思ったより弱いか?

 付け加えれば、防戦一方になっていた方も。折角隙を作ったというのに、一体何をしているのだろうか。

 「テメェら、案山子みたいに突っ立ってる暇があんなら手ぇ動かせ!」

 本当なら叫びたくなかったが、かといって一人で後七人を相手にするのは無理だ。魔法使いだけなら何とか――シオンのようなタイプだと想定して――なるが、背を向けた状態で前衛から狙われるのは避けたい。

 「あ、ああ! 協力感謝する!」

 武器を構えてぶつけ合う音が響く。これで背中を狙われる危険性は減っただろう。後は残った奴を――殺すだけだ。

 「き、貴様どこから!?」

 「上からだよ」

 狼狽した相手がどうでもいい事を聞いてくる。敵が目の前にいるというのに、今更そんな事を知ってどうなるというのか。

 自分が死なないために相手をどう殺すか考える、それが一番賢いはずだ。

 だからベートは、答えている間に手を動かしていた。

 片方の剣を軽く放り投げ、柄を口で咥える。これで片腕が空いた。即座に腕を腰に回し、ベルトに挟んでいたナイフを引き抜く。

 「あ――?」

 その動きは淀みなく、気付けばそれは胸を貫いていた。寸分違わず心臓を射抜かれた魔法使いは倒れ、絶命する。

 「か、構えろ! 速く詠唱を」

 ――させると思ってんのか?

 見たところ並行詠唱が出来るほど優れた魔法使いはいないらしい。魔力の貯め方を見ればどのくらいの長さなのかは何となくわかる。

 だからこそ、この結果は必然だ。

 動きの鈍く、攻撃するのに詠唱という行為を必要とする者と。

 動きが速く、攻撃するのに腕を振るうだけで済む者と。

 相手が全滅するのに、一分といらなかった。正直、詠唱が一番短い一人に魔法を撃たせて、他はベートの足を止めるように妨害していた方がまだ勝ち目があっただろう。

 血糊を拭いつつ、後ろを振り返る。後衛からの援護がなくなり、人数が少なくなった前衛は、血の海に沈んでいた。チラリと死に顔を晒す『闇派閥』の人間を見るも、覚えはない。

 「……すまん、助かった」

 「別にいい。こっちも一人で全員相手しなくて良かったからな」

 どこか警戒心を滲ませつつ相手が言う。当然だろう、助けられたとは言え、ベートが味方だとは限らないのだから。

 それがわかっているから、ベートも必要以上に距離を詰めようとせず、投げたナイフを回収する事で距離を作る。

 それでベートのスタンスを理解したのだろう。代表して、恐らくパーティのリーダーだけが一人だけ前に出てきた。

 「あんたの名前は?」

 「ベート・ローガ。【ロキ・ファミリア】に所属している……といえばわかるか?」

 「なるほど。狼人、双剣使い、その速さ。納得だ。俺はスクルズ。仲間内じゃ何故かクルスって呼ばれてる」

 お互いに軽い自己紹介を終えつつ、ベートは上を指差して簡単にこちらの事情を示しつつ、この状況の説明を求めた。

 結果わかったのは三つ。

 今この階層には、30層以降のモンスターが何種類も存在し、人、モンスター問わず殺し合っていること。

 この状況を作り上げた『闇派閥』の人間達も、人、モンスター、共に殺していること。自分達が殺されても、むしろ笑って死んで逝っている者達さえいるほどだ。

 最後に、この状況のせいで、仲間さえ信じることが難しい、ということだった。

 「それは……キツイな」

 前者二つは、まだ割り切れば何とかなる。このくらいの状況、ここまで来る冒険者なら一度や二度は経験しているのだから。

 だが、最後――何年も行動を共にしていたはずの仲間が信じられないのは、想像したくもない。

 ベートで言えば、シオン達を信じきれない、という事なのだから。

 「こっちも一つ聞きたい。どうしてわざわざあんな穴を使ったんだ? 階段から来ればよかったはずだ」

 「それは」

 答える前に、相手の顔を見た。クルスは何となくわかっていて、けれどわかりたくない、と表現できる顔をしていた。

 「お前の想像通り、塞がれてるよ」

 「そう、か。そちらで壊すことはできなかったのか?」

 「難しいな。壊すだけなら無理じゃなかったみたいだが、代わりに階段辺りにいるだろう奴等を何人殺す事になるか」

 「……魔法はそんな便利な物じゃない、か。わかってはいたが、厳しいな」

 肩を落とす相手に、かける言葉が見つからなかった。望んでここにいるベート達と、望まず巻き込まれた彼等。立場が違いすぎる。

 だから、代わりに一つの情報を教えた。

 「あっち方向に26層に続く階段があるはずだ。行くかどうかは任せる。多分だが、階段前でたむろしている奴は多いだろうしな」

 「情報、感謝する」

 「ああ、こっちもな」

 ベートが告げた情報は真実だ。だが、それを相手が信用するかどうかはまた別。少なくとも義理は果たしたはずだと判断し、ベートは背を向ける。

 それから軽く走り出す。

 後ろから狙われる事は無かった。小さな警戒心を後方に向けていたのを悟られたのだろうか。あるいは、彼等は全員が『仲間』なのだろうか。

 どちらにしろ、最低限のお節介は終わりだ。彼等には彼等の、ベートにはベートの、やるべき事がある。

 そう決めて、ベートは本格的に足を動かし始めた。

 

 

 

 

 

 足を動かしてわかった事は、この状況がかなり最悪の部類にある、という事だった。

 モンスターの数が多すぎる。それだけで絶望的だ。本来下の階層にいるモンスターが混ざっているせいで、攻撃方法や弱点がわからない。対処するのが難しい。

 その上それらのモンスターは地に、空に、視界を埋め尽くす勢いで現れる。それをベート一人で相手取るのは、不可能だ。

 だから、逃げた。相手が接近に気付く前に――あるいは気付いたとしても――知るかとばかりに背を向けて、尻尾を巻いて逃げ出した。

 当然、逃げる獲物を追いかけてくるモンスター。どうやら遠距離攻撃を持っているモンスターは多いようで、針やら毒酸やら炎やら――種々様々な手段を用いて攻撃してくる。

 だがそれを、ベートは笑って避けていた。

 ああ、そうだとも。笑わずにはいられない。

 ――狙った通りに動いてくれるバカは楽でいいな……!

 シオンやティオネなら即座に、アイズと鈴も少しすれば気付く。ティオナなら野生並みの直感と本能で察するだろう。

 だが、得物を追うのに本能の全てを割けられているモンスターには、わからない。

 『ギ、ギャアァァイェ!?』

 くぐもった悲鳴が後方から響く。それから、肉が溶けたような、焼けた臭いも。そうしてすぐに悲鳴が増大し、消え、増えて。それを繰り返していく。

 視界を埋め尽くすような敵。それを引っ張って走り続ければ、当然数は増える。増え続けたモンスターは、遠距離攻撃をすればする程に、近くにいるモンスターが邪魔になる。

 奴等に仲間意識があるのかはわからない。仮にあったとしても、誤射とはいえ体を傷つけられて怒らない奴は稀だろう。

 ――同士打ち。

 それがベートの狙いだ。奴等がどう考えていようと、いずれこうなるよう、ベートは動いていただろう。

 体の大きな奴が、逃げ回る小さなハエを落とすのに苦労するのと同じように。引っ掻き回して自滅させる。

 足が速い、且つ一人で行動しているからこそできる事だ。それと、これ程の勢いで敵が出てきている、というのも。

 まぁ、仮に同士打ちさせられなくても問題はなかったが。

 「な、なんだお前は? 後ろのモンスターは……押し付けるつもりか!?」

 「そのつもりだが? 『闇派閥』のクソ野郎共に押し付けても罪悪感なんざねぇからな」

 この階層にどれほどの人間がいるかはわからない。この階層まで来ると、オラリオ以上の広さになるからだ。

 だが、走り続ければいずれ人と遭遇する。

 そしてそれが、『闇派閥』なら――この大量のモンスターを押し付けたところで、何も問題なぞありはしない。

 「じゃあな。精々ガンバレ」

 「ふ、ふざけ……クソ、逃げるぞ! やってられるかこんな数!?」

 流石の『闇派閥』と言えど、無謀なのはわかったらしい。逃げようとしたのがわかった。とはいえ一本道なので、逃げてくるのは同じ方向だが。

 ベートもそれはわかっている。このまま背中を向け続けて、弓やらナイフやら魔法やらで攻撃されるのはゴメンだ。

 だから、ベートは奴等にバレないように、腰に斜めに下げたポーチに手を入れると、それぞれの指の間に回復薬を挟んで取り出した。その蓋をすぐに外すと、振り返り様に中身の液体を彼等の顔面目掛けて放り投げた。

 ――回復薬は飲んだ方が効果が高い。だが、患部にかけても効果はあるし、疲労回復効果も受け付けられる。

 ただ、忘れてはならない。

 回復薬は、液体であるのだ、という事を。

 「み、見えねぇ!? なんだこれ、水か?」

 「ちょ、いきなり止まんないでっ、邪魔よ!?」

 とどのつまり、目にかけられれば水を浴びたのと同じ結果になる。

 逃げるために意識を傾けようとした、その空隙。そこを狙って文字通り冷水を食らった、前にいた数人の足が止まる。唐突な衝撃と、視界が塞がれる事によって起きたパニックは、それぞれの足を封じたのだ。

 当然、割を食うのはその後ろにいた者達だ。通路にまだ余裕があるとはいえ、無理に避ければ自分が押し倒される。

 これが本当の仲間、パーティなら、きっと腕を引っ張ってでも助けてくれただろう。だが、奴等は所詮『闇派閥』に過ぎなかった。

 「ならせめて――私達のためになりなさい」

 「え――」

 後ろにいた者達は、腕を掴むと、思い切り後ろに引いた。それによって腰を落とした彼等は、立ち上がる事無く、モンスターの群れに放り込まれた。

 一撃で殺された者は良かっただろう。だが、中には手足を潰され、痛みで眼を見開いたところに見えたモンスターの顔を直視し、絶望しながら死んだ者もいた。

 ……その悲鳴を聞いても、誰も振り返りすらしなかった。

 ――やっぱ、そんなもんか。仲間じゃなく、単に利害が一致してるから行動してるだけだ。

 そんな彼等を内心で思う。だからテメェ等は弱いんだ、と。

 「イタッ!?」

 走っていた者の一人、軽装の人間が走りにくそうに顔を歪めた。そして、その女性の足裏からは血が転々と溢れていた。

 それから一人、また一人と足裏に出血を作る。何がどうなってと焦るが、わからない。踏んだ部分はもう後方にあるからだ。

 足の痛みに耐え切れなくなった者達から脱落していく。それを、既に遥か彼方先を走るベートは冷ややかに見ていた。

 ――使って空になった瓶を無駄にする訳ねーだろ。

 ベートが落としたのは、瓶を割って作ったガラス片だ。それも、布や革靴で踏めばそれを貫くように尖らせた物を。

 鉄靴などならば踏まれて砕かれるのがオチだ。だが、奴等は先頭にいた者――鉄靴を履いた人間を真っ先に犠牲にした。残ったのは弓使いや魔法使いなんかの、軽装を主とする者達ばかり。

 踏んで砕ける人間は、ほとんど残っていなかった。

 チームワークが欠片もない。

 だからあっさり他人を犠牲にできる。

 だからこんなしょうもない罠を見抜けない。

 ド三流も良いところだ。内心鼻で哂って、ベートは彼等の視界から完璧に消え去った。残った者達が生き残れたのかどうかなんて、どうでもよかった。

 それからしばらく走り続けて、ふいにベートは立ち止まった。そして、横を見上げる。

 壁だ。

 何の変哲も無い、ただの壁。

 それをジッと見上げて、おもむろに取り出したナイフを、壁に向けて勢いよく放った。それは()()()()()、キンッと弾かれる音がすると、地面に落ちた。

 その結果を、ベートは無言で確かめる。

 それから数秒して、思い切り顰めた顔で息を吐き出すと、その壁を通り抜けた。

 通り抜けた先は、思いの外暗かった。背後の壁は、光源をも遮断するようで、中は辛うじて何があるのか把握できる程度の明かりしかない。

 ――嫌な予感は、ここから、か?

 ずっと感じる、脳内から響く警鐘。それがこれなのだろうかと考えつつ、その先へ足を進め。

 それを強制的に止められた。

 「……随分な挨拶だなァ、オイ?」

 「そっくりそのままお返し致します」

 無言で返されたそれは、先程投げたナイフ。上手く手で受け止めねば、頭を貫いて脳天に風穴が空いていた事だろう。

 「さっさと出てこい。……それともこっちから行くか?」

 「……仕方、ありませんね」

 ふぅ、という溜め息と共に、一人の女が闇を纏いながら現れる。

 黒い。

 シオンという白に慣れたベートからすると、そう言うしかないほど黒かった。髪色、瞳、肌に衣装、その全てが漆黒に染め上げられていて……見続けなければ、この暗闇の中では見逃してしまいそうなほどだ。

 「猫人、か」

 「ええ、あなたと同じ獣人ですよ」

 ピクピクと頭上で動く耳と、微かに覗く尻尾が揺れる。

 良く良く見れば肌は黒に近い褐色だった。見間違えたのは、この暗闇のせいだろう。翻ってベートは、比較的白い。……若干不利だろうか。

 「どうして、その壁を見抜けたのでしょう。早々わからないと自負しておりましたが」

 「勘。……後は臭いだ。ここからくっせぇくっせぇ臭いがしてくるんだよ」

 「臭い? 臭いなど、どこにも」

 そこまで言って、ベートの意図に気付いたのだろう。初めて顔を歪めた。まぁ、挑発しているというか、侮辱しているのは事実だ。

 「俺ァ、狼人だからな。()()()()()()()()には敏感なんだよ」

 「……なるほど。覚悟はよろしいようで」

 言って、女は懐に手を突っ込み――何かをばら蒔いた。何を出したのか、何がしたかったのかわからなかったベートも、顔と体に粒粒とした物が降りかかったのを察した。

 それと、その臭いも。

 「あら、これは酷い。とても()()()香りがここまでしますわ。お帰り下さいますか?」

 「……へぇ。あんがとよ、これでテメェの臭いが大分マシになったぜ。テメェも塩被った方がまだ良い香りがするんじゃねぇか?」

 文字通り塩を蒔かれたベートは、相手の意趣返しに頬を引き痙らせる。だが、それは相手も同じこと。

 同時に、相手のことをこう思った。

 ――気に食わないクソ野郎(アマ)だ、と。

 お互いにガン付け合うも、動かない。挑発しつつも、彼等はお互いの力量を正確に見積もっていた。

 ――差は、ほとんどない。

 あるとすれば年齢による体格の差か。身長的にはやっと青年と呼べる段階にまで至ったベートだが、それでも目の前のとっくに成人を超えた女相手では負けてしまう。

 その利点は相手もわかっているが、動けない。

 彼女には、己から動けない理由があった。

 その答えはあっさりと出てくる。

 ――ウォァアゥ……ァ、イァァァ。

 喉奥から搾り出すかのような声。死に掛けと、すぐにわかるような。だが、ベートはその声に背が凍るような寒さを感じた。

 そして、その寒さの正体を、彼は知っている。

 「おいテメェ……まさか……」

 「ハァ……バレてしまいましたか」

 確信している相手に誤魔化しても意味がないとわかったからだろう。女は諦め気味に、ベートの思考を肯定した。

 「()()()()()()()()()()()()()()()!?」

 聞こえてくる声は、一つ二つではない。さっきの声だって、複数の声が入り混じったせいであんなにも変に聞こえたのだ。

 「ええ、その通りです」

 「正気か……? あんなもん作って制御できる訳がねぇ。死ぬぞ、全員!」

 かつて出会った一体にさえ、あんなにも苦戦したのだ。それを量産――仮に五体いるだけでも、厳しいなんてレベルを超えている。

 「()()()()()()

 「な、に?」

 「私は元より『闇派閥』の者達を仲間だと思ったことはありません。入れば便利だから、居る。それだけの事です」

 他のメンバーもそうでしょう、と気にすることなく女は言い切った。その無表情さは、だからこそ本音だという事を際立たせていて。

 「……テメェは、ここで殺す」

 引く理由、全てを失ったベートは、静かに構えた。女もそうだろう、通せば負けとでも言いたげに武器を取り出して、両手を広げた。

 まるで猫のツメのように、鋭い鉄の五指を伸ばした手甲、というには歪なそれ。何故ならそれは手の部分が丸々露出していて、覆っているのは肘の先から手首まで。手首の上部分から五本のツメが伸びた武器。

 ――こんなヘンテコな武器を使う奴は初めてだ。

 だが、見れば何となくコンセプトは理解できる。それでもベートは額から汗を流し、油断無く彼女を睨みつけて。

 そして静かに、地面を蹴った。




 先週は更新できず申し訳ない。ギルマスからずっとやっているオンラインゲームの運営公式大会に誘われまして、その準備と練習に時間奪われました。
 まぁ今日で終わったので、来週は週一に戻れそうです、安心? して下さい。
 次点で大学のサークル活動。無駄に忙しかったんです。

 言い訳終わり。
 今回は全部ベートオンリーでしたが、多分鈴・ティオネとアイズ・ティオナは半々になります。
 次回もお楽しみに!


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初めての――

 「あ~もぅ、待ってよアイズ~!」

 「待てない、急いでティオナ」

 「これ以上急げないから言ってるのにィ!」

 タッタッタ、と軽やかに走るアイズとは反対に、ドンッ、ドンッと床を踏みしめて道を行くティオナ。

 その理由は単純で、軽装のアイズと、自身の身の丈を上回る大剣を背負うティオナは、それだけ移動速度にも影響が出るせいだ。

 そもそもベート、シオンに次いで足の速いアイズと――付与魔法アリなら二人を追い抜く――パーティで最も足の遅いティオナの組み合わせである。全力で走ればあっさり置いて行ってしまうため、アイズもこれで相当気を遣って走っていた。

 ちなみに速度はともかく距離に関して言えばティオナがぶっちぎりの優勝である。彼女は短距離ではなくマラソンなどの長距離向けの人間だった。

 それはともかく。

 何故この二人がこれだけ慌てて移動しているのか。

 『グゥルルルルァ!!』

 「ひぃ、真後ろから聞こえてきた!?」

 「口を動かしてる暇があるなら足を動かして!」

 ――モンスターの群れを引き付けているからである。

 彼女達は知る由もないが、この時間、同じようにモンスタートレインを行っていたベート以上のモンスターを引っ張っている。

 彼と違って距離が開けないどころか徐々に縮まっているせいで、モンスターが無理に遠距離攻撃を行わず、自滅行為をしないからだろう。一歩でも足を止めれば、あるいは前からモンスターが襲いかかれば二人纏めてお陀仏する未来まで見えた。

 「今回、運が、無さすぎない!?」

 疲れではなく後方から迫るプレッシャーによって顔から汗が吹き出てきたティオナは、それを拭うのも惜しいとばかりに足を動かす。

 その意見に内心同意しつつ、アイズは注意深く周囲を見渡す。落とし穴が見つかれば、即座にそこへ向けて動くために。

 ――実のところ、二人がこの状況に陥ったのは、皆から別れてすぐの事だった。

 モンスターに気付かれないよう慎重に行動しようとしたのだが、十字路を通った時にバッタリ大型モンスターに遭遇。虎の姿をしたそれは、襲いかかる前に一度『吠えた』。

 フロア中に響き渡ったのではないかと思えるその音に引き付けられたモンスターの群れに、戦っていられるかと逃げ出して、早十分以上。

 そろそろ逃げるのも限界だ。体力という意味ではなく、追い詰められるという意味で。この階層のマップを覚えていない以上、袋小路に誘導されただけで終わるのだから。

 しかもこういう時に限って穴が見つからない。基本的にモンスターはその階層内でのみ行動していて、穴を降りて来る事は無いから、見つけられさえすれば撒けるのだが……。

 「って、アイズ、アレ壁!? まさかここで終わっちゃう!?」

 「……アレは、壁じゃない! モンスター!」

 壁に擬態したモンスター。確か名前はダーク・ファンガスだったか。

 「ティオナ、大剣で無理矢理押し通って! 毒は私が何とかするから……ッ」

 「わ、わかった!」

 走りながらティオナが大剣を抜き放つ。掛け声一閃、耐久力は無いに等しいきのこ型のモンスターは、断末魔の悲鳴をあげる暇もなく真っ二つに避けた。

 「【目覚めよ(テンペスト)】」

 それと同時、内部の毒袋に溜め込んでいた粒子が死体から湧き出てくる。斬るために前のめりになっていたティオナに躱す術はなく、まともに吸えば動けなくなるのは明白だ。

 「【エアリアル】!」

 だが、それほど強力な毒だからこそ、この状況では利用できる!

 アイズの持つ、付与魔法の領域を超えた付与魔法。アイズの意のままに動く風を使い、毒の粒子を包んで外へ逃さない。

 「ティオナ、真っ直ぐ!」

 「……!」

 返事も惜しいとばかりに頷いて、上手く体勢を整えつつ帯剣する。その動作のせいで若干もたつき、足が遅くなる。

 大丈夫、問題ない、とアイズは逸る己の心を落ち着かせる。

 ティオナが走る体勢に戻った瞬間、風を動かしてその背を押す。驚いた声を出す彼女に並走するように移動する。

 ――一。

 それを追って来るモンスターを、顔だけ振り返って確認。

 ――二の。

 未だ風に包まれて空中を漂う毒素。それに眼を向けること無くダーク・ファンガスの死体を踏んだのを見計らって。

 ――三!

 爆発、させる。

 吹き荒れる風に足を止められ、それに乗る毒を顔面にまともに受けた。モンスターだから人よりも耐性はあるだろう。だが、それでも、しばらくは動けない。

 更に後ろから押され、転ぶように倒れる先頭にいたモンスター。立ち上がれず、ドミノ倒しのように、渋滞を引き起こし、遂には詰まった。一番下で挽肉になったのと、今挽肉にされかけているモンスターの目が潰れ、顔から飛びかけているのが見えた。見えてしまった。

 「え、えげつないね」

 「……やらなきゃ死んでたよ?」

 その光景にドン引きしていたティオナも、端的な指摘に言葉を詰まらせる。アイズとて好んでこんな光景を作りたかった訳ではないのだ。えげつない、という感想は心外だった。

 ティオナは小さくごめん、と謝ったので、いいよ、とアイズも許す。

 やっと余裕が出てきた二人は、小さく笑い合って、疲れた体を軽く解しつつ歩き出す。それから一分と経たず、それを見つけた。

 「穴、だね」

 「うん。でもこれ、二層以上先まで落ちる感じかな」

 一層分ではなく、二層、あるいは三層先まで落ちる穴。これに入ればまず間違いなく戻ってこれなくなる。

 「残念だけど、これはスルーして次の奴を……アイズ?」

 「……うん、多分……行ける」

 ――行けるって何?

 何か嫌な予感がしたティオナは、恐る恐るアイズを見る。そのアイズは頭の中で何かをシミュレートしていたようで、うんうん頷いていた。

 逃げようとジリジリ後ずさっていたティオナの腕を、突如アイズが掴む。そのままズルズルと穴の付近にまで移動していく。

 「やめて!? 私死にたくない、まだ死にたくないんだよ!?」

 「大丈夫。私の予想通りなら死なないから」

 「それ大丈夫じゃない奴だから! 落ち着いて! まだ他にもあるから! きっと! イ」

 ――ヤァァァァァァァ!??

 

 

 

 

 

 「……死んだかと、思った」

 「大丈夫だって言ったよ?」

 「一歩間違えたら死んじゃう状況で信じるのは難しいからね!?」

 余りの恐怖に腰が抜けて立てなくなったティオナは、不思議そうに首を傾げているアイズを見て思う。

 ――シオンの悪いところがアイズにも伝染っちゃった……!

 目元を押さえるティオナは、ついさっきの出来事を恐怖と共に思い出す。

 ティオナの腕を掴んで飛び降りたアイズは、『エアリアル』を発動させたままだったのだ。強力な風を操るそれを使って、壁を蹴る勢いを加速、地面に落ちる速度を減少させて、うまく穴から離れて一層だけ落ちるようにした。

 ただしそれを知らないティオナにとって、飛び降りた瞬間は片道切符の地獄のジェットコースターに無理矢理乗せられた気分だったが。

 「せめて一言説明が欲しかったなぁ」

 さめざめと泣きつつ、笑っている足を壁を支えに立ち上がる。アイズは相変わらずわかっていなさそうだったが。

 これは後で説教だね。シオンにも。と若干の煽りを受けた――ティオナの中ではシオンが悪いという事になった――シオンに誰かが合掌しつつ、始めてくる27層を見渡す。

 「見たところ上とあんまり変わらない、かな?」

 「下層とか深層に入る訳じゃないし、そんなものだと思う」

 考えていたより普通だな、と思った瞬間だった。

 遠くから、男女の折り重なった悲鳴が聞こえてきた。音が反響しているせいでどっちから聞こえてきたのかわかりにくいが……恐らく、左側だ。

 「……どうしよっか」

 今の悲鳴が敵か、味方かもわからない。シオンの考えではこの状況が人為的に起こされた物である以上、助けに行く相手が敵である、というリスクがあって然るべき。

 そして敵であるのなら、当然、助けた後に襲われ、殺される危険性も考慮しなければならない。

 「助ける」

 その事をわかった上で言い切ったのは、アイズだった。言葉が少なく、意図を誤解される事も少なくない彼女は、その真っ直ぐな心根を変える事はない。

 「……ふふ、そっか。なら、助けに行かないとダメだね」

 その真っ直ぐさは、生来の物か、あるいは――シオンの影響か。

 二人のお説教は勘弁してあげるかな、とティオナにとっても妹分の彼女の成長を微笑ましく思いながら、先導するようにティオナが前に立つ。

 「アイズ、もしもの時は私を盾にしてね」

 「うん。前は任せる、後ろは私。いつも通り、だよね」

 微かな笑みを浮かべるアイズに、満面の笑みを返すティオナ。その口元は、お互い自信に満ち溢れる物だった。

 体力を大きく失わない程度に、だが体を温めていつでも厳しい戦闘を行えるように。その程度を見極めつつ走る。

 走り、距離を稼ぐ毎に聞こえてくる、悲鳴のような怒声。それだけ追い詰められ、余裕がないという事なのだろう。

 だが、二人は焦らない。呼吸を乱さない。助けるのにも、助け方という物がある。それを見極めるために、二人はそっと角から覗き込むように状況を確認した。

 「十字路? ……ううん、小さいけどもう一つ道がある。そこからモンスターが来てるって事は巣みたいな物があるか、ちゃんと通れる獣道みたいな感じかな」

 「私達がいるこの通路以外からモンスターが来てるね。……もしかして、この声の人達」

 声の()()()()から考えて、この声の主達は、恐らく。

 「袋小路に閉じ込められてる。それも私達の時みたいに擬態されてるんじゃなくて、本物のダンジョンの壁に」

 通るべき道を選び間違えたのだろう。この余裕の無さを鑑みるに、動けないレベルの怪我人もいると考えてもいいくらいか。

 「アレだけの数がいたら、私達が横から食いついても食い返されるだけ、かな」

 「五人揃ってるなら、別だけど」

 見えてるだけのモンスターならまだしも、後から後から湧いてくるアレらを相手取るのは不可能だ。助けると判断したのは良いが、助けるだけの力が無いかもしれない。

 「最悪見捨てるしかないよ」

 「待って」

 言いづらい事を敢えて言ったティオナの眼を、アイズは見る。アイズの瞳には、『諦観』などという感情は欠片も無かった。

 「……何か、策でもあるの?」

 だから、ティオナもそれを信じた。

 「策って程じゃないけど。……どうにかできる技なら、ある、かも」

 それでもどことなく不安そうなのは、さっきの無茶を思い返してだろうか。より明確な死への道筋が見えるからか、ヤケに消極的だった。

 「じゃ、行こっか」

 「え?」

 「どうにかできる、スッゴイ技があるんだよね? それを初お披露目、しに行こ!」

 そう言って手を差し出すティオナに、どうしてかアイズは目を細め、けれど確かに、頷いた。

 ――アイズの言う『技』を最も効果的に使うには、できるだけ直線を作るほうがいいらしい。

 となれば、まず最初にする事は決まっている。

 合流、だ。

 まともに考えれば、あのモンスターの雪崩に飛び込むなど自殺行為。自分達よりも遥かに大きく数も多いのだから当たり前だ。

 ならば事は単純。

 まともに飛び込まなければどうとでもなる。

 「ティオナ、風に、身を任せて……ッ」

 通路を大きく、半円を描くように緩やかに移動する。相手の視界に映らないよう、また助走距離を稼ぐために。

 その助走に加え、アイズがずっと発動し続けている風の付与魔法が柔らかく体を包む。それは決して彼女達の邪魔をする事はなく、母に抱かれるかのような安心感のみを覚えさせた。

 今ならシオンやベートにも走り負けない――そんな錯覚を抱かせる程の速度を出しつつ、ティオナは跳んだ。

 一歩制御を誤ればティオナをモンスターの群れに叩き込んでしまうアイズは、己も跳躍しつつ、額に汗を浮かべながら二人の体を細かく操る。これによって、ただの人間であれば絶対にありえない程の飛距離を、二人は跳んだ。

 そして二人は、()()()()()()

 前ばかり見ているモンスターは、壁に足を着けた二人に気付かない。風を真横から叩きつけて無理矢理足を壁に押し付けているため体は重いし、思ったように動かせない。だが、それでも、壁走りという偉業、いや異業を為しながら、今尚剣を振るう彼等に合流した。

 「セイ、ヤァ!」

 「……!」

 ティオナが足を曲げたのを見て、アイズは風を動かすのを止める。風の楔から解き放たれたティオナは、猫のように壁を蹴って身を捻ると、大剣を複数のモンスターに当てる荒技を使って空白地帯を作り上げる。

 彼女が作ってくれた一瞬の空隙。そこを縫うようにアイズも移動する。唐突に現れた助っ人、だが見た目十代になったばかりの少女達――それも外見上かなり美しい。人形のような、という言葉が似合うレベル――の姿を見て、傷だらけの女性が言った。

 「ど、どこから……!? いえ、そんな事より。貴女達、私達の事はいいから逃げなさい!」

 ここに来れたのなら、戻る事もできるでしょう、と存外冷静な彼女を見て、アイズはホッと一息吐いた。これで暴言でもぶつけられたら、何を言えばいいのかわからなかったからだ。

 「助けに、来ました」

 小さく細い、だがよく通る声に、言われた側である女性は絶句した。……恐らく二十代を過ぎた大人が、己の半分程度の齢の少女に言われれば、それも仕方ないが。

 「助け、って……貴女達が? どう、やって?」

 半信半疑、いやほぼ九割以上疑われている。シオンのように弁が立たない事を自覚しているアイズは、携帯ポーチから回復薬をいくつか取り出して女性に差し出しつつ、軽く言った。

 「私の前に、立たないで下さい。全員」

 ――じゃないと、死にます。

 端的過ぎて、端折りすぎて、だがそれが事実なのだという、淡々とした声音。ゾクリとした感覚が、それが恐怖によるものだと自覚しないまま、女性は言った。

 「皆、あの子の直線上に立たないように動いて! 数体ならいっそ抜かしてもいいから!」

 少女の言葉を微塵も疑わない自分に、だが不思議に思う間もなく彼女は行動している。女性の指示に驚きつつも、恐らく彼女が纏め役なのだろう。素直に動いてくれた。

 ――これで、『道』ができた。

 「皆、回復薬よ。これでできるだけ傷を癒すの。軽い傷は後回しにして、できるだけ大きめの傷に塗りつけなさい」

 言いつつ薬を配っている女性を横目に、アイズは構えた。

 シオンに倣って片手で持っていた剣の柄を両手で持ち、小さく前後に足を開く。その状態で半身になり、顔の右側に両手を持ってくる。剣の先は、出来た『道』の先へ向けた。

 その出来た『道』に、モンスターが走る姿が見えた。隙だらけのアイズ目掛けて、一直線に。だがアイズは気にしない。

 「――はいはい、ここで通行止めだよ」

 己には、最も信頼できる『盾』があるのだから。

 巨大な大剣を片手で振るうアマゾネスの少女の姿に、前で盾を構えて戦っていた男性が一瞬固まった。その男性の背中の鎧を軽く叩いて正気を戻させると、その背中を叩いた拳を、モンスターの顔面に叩き込んだ。

 凹む、撓む、そして弾ける。一見すれば柔らかな手は、だが何より恐ろしい凶器であった。

 「さ、どれだけ来てもいいよ? 一対一なら、負ける気がしないもんね」

 実際ただのモンスター相手なら負けた事が一度もないティオナは、血に塗れた拳を顔の横まで上げて、笑顔で言ってのけた。

 後ろから見ても割とホラーである。狂気染みたその笑顔を、前や横から見たモンスターと、女性の仲間達の心情や如何に。

 「……貴女の仲間は、その……結構、ユニークなのね」

 「アレで結構、家庭的、です、よ?」

 事実であった。掃除洗濯料理に編み物、一通りの家事は人並み以上に熟せる。というか、この辺りの作業だけで『器用』の値を伸ばしていたりする。

 ただ、この言葉を聞いていた全員が一切信じていなかったのが、アイズの涙を誘った。その涙を一切表に出さず、無表情を維持していたアイズも、実は結構引かれていたのだが。

 それを知らぬまま――知らない方が幸せな事もある――アイズは、ふぅ、と息を吐く。練習では何度も成功していて、だが実戦では初の技だ。

 名前もまだ無い、新たな必殺技。

 「『風よ、纏え』」

 アイズの付与魔法は、彼女の想いに呼応して動く。だから、言霊なぞ無くても、技自体は発動する。

 だが、これだけは例外。

 ロキに『技名を言ったほうが威力が上がる』と言われたからではない。

 この技は、()()()()()()()()()()()()()()()ほど、精密な動作を必要とするのだ。

 「『我が風よ、我が身に纏え。大いなる風よ、我が剣に纏え』」

 アイズの魔法『エアリアル』の風が、アイズを中心に渦を巻く。最初は小さく遅く、次第に大きく、速く。近くにいた女性の髪が、大きくなびく。

 その風はアイズの両足、膝、腿、腰を通り、下半身から上半身へ移動していく。その風はやがて腕を伝い、剣に。

 「『逆巻け、逆巻け』」

 全ての風がアイズの体を伝って、剣に乗る。強烈に、超高速で回転するそれは、アイズの剣を数倍に大きく見せた。

 だが――それはまだ変化する。

 「『全てを貫く、万象の風となれ』!」

 ギュッと、風が薄く、鋭く、凝縮された。収斂された。アイズの剣の刀身が見えるまでに。代わりに、アイズの剣の先が、長くなる。

 もう、風の影響はない。

 最も近くにいるアイズさえ、風に吹かれていない。

 風の力、その全ては、剣に閉じ込められたから。

 「イ、ヤアアアアァァァァァァ――――――――――ッッッ!!!」

 後ろ足を、前に踏み出す。その勢いを持って、捻っていた体を、顔の横に動かしていた腕を、同期させつつ、ただ前へ。

 ――突き刺した。

 まさしく神風。神速の一撃が、『道』を通って全てを貫く。どれだけ硬い装甲を持っていようとも無意味。細い針のようなそれは、遍くモノを、射抜いてしまう。

 哀れにも射線上にいたモンスターが絶命し、倒れ伏す。それは他のモンスターの通り道を若干ながらも塞ぎ、雪崩の一部を食い止める柵となった。

 「ハ……ハ、ハ……」

 余程集中していたのか、今の一撃だけでアイズは肩で息をし、大きく胸を動かす。額から流れた汗を腕で拭い、周りを見る。

 「し、死ぬかと思った……って、タンマタンマ! 一秒でいいから!」

 集中しすぎて意識していなかったが、ティオナはギリギリで避けたらしい。尻餅をついていた所を狙われて慌てて起き上がり、そのまま剣で頭を砕いていた。

 「あ、貴女、今のは……」

 だがそれはティオナだけのようで、横で唖然としていた女性がアイズを見てくる。その視線の意味はわかっていたが、アイズは敢えて無視した。

 「まだ、全部は倒せてない。話は後」

 前方に作られた死体の山を見てもなお、冷静に状況を判断しつつ、アイズは再度構える。それは先ほどのモノと同じで――だからこそ、全員がギョッとした。

 「ま、またやるの?」

 「もう一、二回は撃てる。けど、針はもう意味ないだろうから……扇を、やる」

 ……何となくだが、意味は察した。

 『針』が先程の一直線の突きなら、『扇』は面による制圧だろう。恐らく、今前で戦っているモンスターは粉切れになるだろうか。

 なるほど、これほどの強さがあるなら確かに『助っ人』だ、と見た目で判断していた己を恥じつつ、女性は弓を構えた。

 「せめて露払いくらいはさせてちょうだい」

 それくらいしか出来ないのが情けない。そう自嘲しつつ、彼女は矢を番えた。

 「私はミエラ。あなたは?」

 「アイズ。アイズ・ヴァレンシュタイン」

 「アイズ……って事は貴女、【風姫】のアイズ? なるほど、さっきの風を見れば納得ね」

 さっきの一撃が余程強烈だったのか、ミエラは疑う事無く頷いた。一方で気になる事があったのか、視線でティオナを示すと、

 「彼女の二つ名は?」

 「【初恋(ラヴ)】」

 「え?」

 「だから、【初恋】」

 「……えぇ……」

 色んな意味でドン引きしていた。【風姫】には一瞬で納得していたのに。幸いティオナは忙しすぎて聞こえなかったのだけが、救いだろうか。

 

 

 

 

 

 二度目の『扇』も強烈だった。というより、凄惨だった。モンスターと言えど、皮が、肉が、内蔵が、骨が、血が粉のように細かく千切れる様は、見ていて精神衛生上とても悪い。

 実際風が晴れた後、その通路はドス黒い血と肉で汚れていて、正直通りたくない。臭いもかなり酷く、吐き気を催す者も出た程だった。

 アイズもこれには予想外だったのか、この技は封印しよう、と内心決めた程だ。

 「……ァ……ッ!」

 とはいえそれはあくまで心で考えただけ。言葉を出すのも億劫なのか、足を曲げ、女の子座りで地面にお尻をつける。

 「アイズ、大丈夫? 無理しすぎよ、後は私達に任せなさい」

 「うん、そうする……」

 返事をするのも億劫な様子を見せつつ、アイズは前をぼうっと眺めた。アレだけの光景を見ていながら、未だにモンスターは襲いかかるのをやめない。

 ――……モンスターには恐怖とか、そういうの、無いのかな。

 シオンはよく、勝てないなら逃げるのも手だ、という。当の本人がほとんど逃げないので説得力の欠片も無いが、逃げて生きられれば、それはそれで勝ちだから、と。

 そんな事を考えていたアイズは、隙だらけだった。

 体力気力、共に消耗し。すぐには動けない体勢で。もう大丈夫だろうと、余計な事まで考えている始末。

 ああ、そうだろう。

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()

 「えっ!?」

 ――だからこそ、対応しやすいんだけど、ね。

 女の子座りから、片手で地面を押して体を持ち上げ、回転して立ち上がる。その行動によって先を取られた誰かの顔を見る前に、もう片方の手で首を掴んで押し倒す。足りない勢いは風で後押しすればいい。ついでに持っていたナイフは遠くに飛ばしておこう。

 「ぐぇ」

 首、ひいては喉を押さえられたせいか、くぐもった声が相手から漏れる。……感触的に相手は女性だろう。体格から考えて、十五、六と言ったところか。

 「……?」

 何だろう、とアイズは首を傾げた、この少女の顔、どこか既視感がある。どこで見たものだったっけ、と考えていると、すぐ横から驚いた声が聞こえた。

 「リエラ? 貴女、どうしてこんな事を!?」

 そちらを向いて、すぐに納得した。この女の子は、ミエラと似ているのだ。姉妹、だろうか。そのミエラは、己を見ているアイズの視線に気付き、沈痛な面持ちを浮かべながら頭を下げた。

 「ごめんなさい。首を押さえるのを、やめてもらっても良いかしら」

 「わかった」

 頷いて、ゆっくりと手から力を抜いていく。それによって塞がれていた気道が開き、リエラという少女は幾度か咳き込んだ。

 それを心配そうに見つつ、ミエラはこれ以上リエラが何かしないよう、注視しながら聞いた。

 「リエラ、どうして、こんな事を……」

 本当にわからなかったのだろう。ミエラの顔を見れば、それがわかる。だがリエラは、それに憤怒の表情を浮かべて、吠えた。

 「どう、して? どうして、だって!? あんたが言うのか、それを! よりにもよって、あんたが!」

 アイズに上半身を固められていることなど知ったことかと、唾を飛ばしてミエラを睨む。その目には、どうしようもない憎しみがあった。

 だがそれは、すぐにアイズの方へ向く。

 「あんた達が来なきゃ、こいつら全員殺せたのに……!」

 その言葉の意味を、すぐに理解できた者はいなかった。

 ただ一人、あらゆる意味で部外者だった、アイズ以外は。

 「……リエラは、『闇派閥』?」

 「ッ、ええ。ええ、そうよ! 何、悪いっての!?」

 確信を持って投げられた問いに一瞬怯み、だが気丈に睨み返す。命の生殺与奪権を奪われていながらこの反骨精神。

 ……一体、何があったのだろう。気にはなったが、どこまで行っても部外者でしかないアイズは固まっていたミエラを見つめる。

 「『闇派閥』って……どうして、貴女が。なんで、【ファミリア】を壊すような、真似を」

 「うるさい! 何が家族(ファミリア)よ! ふざけるな、ふざけんな! あたしの家族は母さんだけだ!」

 吠える。

 怒りを胸に。憎しみを携えて。かつての慟哭を、ぶつける。

 「あのクソ野郎を! あのクソアマを! 偽善者のあんたを! 全員、全員殺す! あたしの母さんを死に追いやったあんたらの家族なんて、死んでもごめんだ! だからここに連れてきたんだよ!」

 「……まさか、自分事? 自分を巻き込んででも、私達を、殺したかったの?」

 「ハッ、あたしは『闇派閥』だ。死ぬことなんてどうでもいいね。どうせあたしらは――」

 そこで、言葉を止める。それ以上先を言うつもりなど無いというように。そして、未だ己を組み伏せて離さない、己より圧倒的な才を、美貌を持ち、運に恵まれた相手を見る。

 「……あんたみたいな、何の挫折も知らなそうな人間に止められるなんてね」

 「……私、は」

 知っている。挫折も絶望、味わった事がある。だが、この相手にはそれを伝えても無駄だろう。それがわかっていたアイズは、沈黙を選んだ。

 それを肯定と受け取ったのか、リエラは何かを、あるいは己を嘲笑うように口を歪めた。

 「忠告だ。シオン、とかいうののパーティと、その周辺の人間は狙われてる。……精々足掻いて見せな。あんたらが無様に這いずってるのを地獄で見守ってやっからよ」

 言外に、リエラがどうしてアイズを狙ったのか、その理由を告げつつ――彼女は奥歯を噛み砕いて、そこに仕込んでいた毒を飲み込み、刹那の内に絶命した。

 その事を悟ったのだろう。ミエラは最後まで、どうして、という言葉を、言い続けている。

 アイズは一度目を閉じると、柄に添えていた手から力を抜く。そうして立ち上がると、先の言葉に動揺しつつも戦っている者達のところへ歩を向けた。

 「……アイズ」

 「事情は、聞かない。聞いても、仕方がないから」

 ただ、と視線を、死んだ彼女の方へ向ける。

 結果的には、アイズが殺したのだろう、少女へ。

 「本当にその人を愛していたなら。……綺麗に終わらせてあげるべきだと思う」

 その言葉の意味を、意図を読み取り、ミエラは静かに涙を流す。アイズはそれに背を向ける。逃げるように――いいや、逃げたのだ。

 直接、剣で斬った訳ではないけど。

 アイズは、これが初めての人殺しだったから。




 結構アイディア湧いてきたせいで時間足りなくなりました。1時間遅れ投稿です。代わりにちょっと長めなので許してください。

 アイズの新技。作中ではまだ成功回数が数回なので技名がない、という設定ですが、ぶっちゃけ私が技名思いついてないだけ。ぷりーずあいでぃあ。
 感じ的にはFateの青王の風王○槌(ストライク・○ア)。ただしあちらと違い、超圧縮しているので、範囲激減、射程・威力超強化。
 有効射程・アイズの視認範囲全て。貫通精度・モノによる(事実上無い)。
 弱点はそれなりの数列挙可能。使い方は慎重にね!

 メイン運用は『針』。亜種として『扇』があります。尚当たった結果グロすぎて封印指定になった模様。

 ミエラとリエラの関係は異母姉妹。それ以上は説明しません。蛇足過ぎる……気になる方は感想で言ってくれれば設定だけ書きます。

 次回はティオネ・鈴ペア。
 最初に出てきたある『モノ』が出てきますよ~。お楽しみに!


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蛇の瞳

 「それじゃ、私達も行きましょうか」

 「ああ、それはいい、んだけどさ」

 「? 何か疑問でもあるの?」

 シオン達、ティオナ達と別れ、鈴を後ろに移動させて歩いていたティオネが足を止め、首だけ振り返させる。

 「いや、あたい達は走らなくていいのか? って思ってね」

 ここまで十分、ずっと歩いていた鈴が複雑そうに言う。恐らく他の四人は走っているだろう、それがわかるだけに、まるで楽をしているかのような今の状況が受け入れ難い。

 だが、ティオネは逆のようだ。目を細め、どこか呆れているように言った。

 「……私がわからないとでも思ってるの?」

 その静かな、しかし力強い声音に秘められた迫力に気圧され、一歩下がってしまう。ティオネは下らないとばかりに鼻を鳴らし、鈴が持っていたバックパックを奪って自分で背負った。

 「疲弊した状態で走らせるような奴はただのバカよ。……それとも鈴、妙に疲れてるのに自分で気付いてないの?」

 「それは」

 気付いていない、とは言えなかった。隠していたはずの疲労を見抜かれたのだ、嘘も即座に暴かれると考えて然るべき。

 出来るのは黙る事ぐらいだったが、肯定しているようなものだった。

 「シオンが持ってこさせた、その刀が原因なんでしょうけどね。理由はわかんないけど、何でかこう、近寄りたくないと思わせられるし」

 言って、鈴の持つコテツではない刀――確か、オロチアギト、とか言ったか。奇妙なまでの威圧感を迸らせるそれを片目で見やる。

 無意識に距離を取っているティオネでこれだ。そんな物を常に持ち歩いている鈴は、肉体的な物ではなく、精神的な疲労を重ねている事だろう。

 「歩いて回復するとは思えないけど、ま、走り回るよりは楽でしょ。しばらくボーッとしててもいいわよ。警戒は私がしておくから」

 そもそもティオネが鈴と組もうと思ったのは、これが理由なのだし。戦闘ではなく、むしろ行動中のサポートをするのが役目だろう、と。

 「……いや、大丈夫さ。心配してくれるのはありがたいけど、これについては自分が一番よくわかってるからね」

 「そ。ならいいわ。こっちで勝手にやるから」

 言葉を重ねる方がむしろ失礼だと判断し、ぶっきらぼうに言葉を終える。言葉だけを捉えればかなりおざなりだが、その真意が分かるだけに、鈴は苦笑するしかない。

 礼を述べても、彼女は多分受け取らないだろうから。

 彼女の好意に甘えて、鈴は少しだけ意識を散慢とさせる。瞑想で心を落ち着かせ、だがもし何かに襲われてもすぐに反撃できる程度に意識を拡散。

 幼少より培われた心の在り方は、座らず歩いている状態でも真価を発揮する。むしろ、普段よりも反応が良くなる可能性さえあった。

 研ぎ澄まされた刀が、鞘から抜き放たれる瞬間を待っているかのような――。

 そんな緊張を背後から感じてしまい、ティオネはちょっとだけ、背中が落ち着かなかった。

 とはいえティオネも一流に近い冒険者。その状態にすぐ適応し、むしろ慣れたモノと、安心して背中を任せられるかのようにリラックスした状況に変える。

 恐らく今二人がモンスター、あるいは人に襲われても、あっさり勝てるだろう。それくらい心が落ち着いていた。

 だからだろう。

 「……あら」

 二人の前には、あっさりと目的地に繋がる空洞が広がっていた。

 「モンスターにも出会わなかったし、これは運が良かったと見るべきかしらね」

 言いつつ落ちないように片膝を付き、縁に手を置いて下を覗き込む。周囲の音を見逃さないよう耳を立てておくのを忘れない。

 「……人ね。それも結構多い。二、三パーティ、ってところかしら」

 大体四人か五人を一パーティとして、下にいるのは大凡十三人くらいか。

 さて、とティオネは頭を悩ませる。アレが味方、あるいは中立の人間なら問題はない。このまま飛び降りても問題無く接触できるだろう。

 反対にアレが敵対側の人間だとどうしようもない事態になる。鈴は未だLv.2であり、ティオナ自身もLv.3だ。

 たった二人であの人数に対抗できると考えるほど、自惚れていない。敵対を前提として考えるなら、先手必勝、奇襲を行うのが勝利するために必須の行動だった。

 だがその場合、もし彼等が味方、中立側だったらこちらは完全な悪役。事情も聞けないし、最悪こちらの名前がバレて【ロキ・ファミリア】の看板にも傷を付ける事になるだろう。心情的にも無抵抗な相手を殺したくはない。

 いっその事彼等がどこかへ行っていなくなるのを待つか、こちらが別の場所に移動するか……そちらの方が現実的か、と判断したティオネは立ち上がる。

 「鈴、少しの間だけ待ちましょう。彼等がいなくなれば降りる、そうでなければ別の場所に移動を……ちょっと鈴、聞いてる?」

 「聞いてるよ。ティオネ、ちょっと周りの警戒を頼むよ」

 「は? あ、ちょっとっ。……もう」

 言うなり鈴は先程のティオネのような体勢に移ってしまう。一つ違ったのは、刀を少しだけ鞘から抜き放つと、その柄に添えるように手のひらを乗せたことだ。

 ――まるで、獲物を狙い定めて、一息に殺すかのような姿勢。

 心なしか、彼女の存在感が増しているような気さえする。もう一度声をかけようかと思ったティオネだったが、多分、今の鈴には聞こえないだろう。

 素直に諦めて、彼女が言うように周囲の警戒を始める。

 時間にして一分にも満たない時が過ぎると、鈴は柄から手を離して穴から数歩下がり、立ち上がる。

 ――……アレ、確か摺り足、だったかしら。

 腰を落とし、片膝を立てた状態でありながら淀みなく動いていた鈴に感嘆の息を零す。相手の距離感を乱すのに便利そうだ、と率直な感想を思いつつ、鈴の言葉を待つ。

 「ティオネ、あいつ等とあたい、どっちを信じる?」

 「ハァ?」

 ただ、飛んできたのは全く想像していなかったモノ。思わず怪訝を超えて、バカにしているのかという怒気さえ滲ませた声を出してしまった。

 ……だが、それもすぐに引っ込んだ。

 鈴の真剣な顔は、真っ直ぐに射抜くような視線は、ティオネに冗談でも茶化している訳でもないと、雄弁に語っていた。

 だから、ティオネも簡潔に返した。

 「アンタに決まってんでしょ。……何やらかすのか知らないけど、いいわ。終わるまで着いていってあげるわよ」

 ただし、終わった後の説明で納得が行かなければ、そこから先は知らないが。そんな言外の意図を獰猛な笑みに乗せたティオネを、鈴は最初呆然と、次に苦笑と呆れを同時に浮かべた。

 「臨機応変に対応してくれ。ティオネならできるだろ?」

 「投げるわねぇ。いいわ、任されてあげる。背中くらいは守ってあげるわよ」

 その言葉を背中に、鈴は思い切り飛び降りた。

 ああ、やはり信じられる仲間はいいものだ――そんな、切ない思いを心に滲ませながら。

 

 

 

 

 

 ドン、という重量のある物が落ちた音が二度響き渡る。そちらを警戒しつつ目をやると、幼い少女――容姿端麗、将来的には美女になるだろう程の――が二人、立っていた。

 一体どこから、と思ったが、すぐに真上を見て納得する。あそこから飛び降りて来てしまったのだろう、と。

 仲間の内、女性の一人に目を向ける。それで察してくれたのか、彼女は仕方ないと言いたげながらも対応を請け負ってくれた。

 「運が無いね、あんたらも。今ここがどういう状況なのかわかってんのかい?」

 「いえ、実はモンスターに襲われ、仲間からもはぐれてしまって……。モンスターから逃げるために慌てて飛び込んだんです」

 少女の片割れ、恐らくアマゾネスだろう方が答えた。

 「もしかして、今この階層は危ない、のでしょうか」

 「ああ、危険も危険、超が付くほどのね。あたしらがこうして大人数で固まってるのもそのせいだからね」

 言って、全員の装備を見せるように半身になる。実際、良く見ればわかるが、彼等の装備は数人単位なら統一性があったが、全体で見ればバラけている。例え幼くとも、ここまで来れるパーティならその意味を察せられるだろう。

 少女もそれはわかったのか、小さく頷いた。次いで、申し訳なさそうに言う。

 「すいません、軽くでもいいので、事情の説明を頼めませんか?」

 「そりゃそうか。ま、そんくらいはタダでいいさ。普段だったらコレを貰ってるところだ、サーピスだよ?」

 片目を瞑って笑顔を作り、右手での親指と人差し指で丸を作る。イヤに気取った態度だが、様になっているのは彼女の気性故だろう。

 それから彼女にはいくつかの情報を貰ったが――覚えるべき点は二つだろう。

 『闇派閥』の暴走と、それによる人とモンスターの入り混じった闘争。要約すればそれだけになる。

 「なるほど、それで出来るだけ大人数になって、モンスターや『闇派閥』の襲撃に対して備えよう、という事ですか」

 「そういう訳さ」

 納得したように頷くと、彼女はチラリとずっと黙っているもう片方の少女を見る。服装や顔立ちから恐らく東の人間なのだろう。黙っているのは引っ込み思案だからだろうか。

 視線を向けられた東洋の少女に顔を向けると、彼女はあらぬ方向へ視線を動かす。それから黙ったまま頷いて、柄に置いた手を放し、腰に差した二本の刀を叩いた。

 それを確認するとアマゾネスの少女は、眉尻を下げてお願いを言う。

 「あの、できれば、で構わないのですが……私達も仲間に入れて貰えませんか? 他の仲間からははぐれたままですし、この状況を二人では……殺されてしまいます、から。戦力的には十分だと思いますし、足手纏いにはなりません!」

 血の気の引いた、どことなく青い顔で少女は頭を下げる。それを見下ろし、どうすると言いたげに請われた女性は仲間を見やる。

 「おう、こんな小さな女の子を見捨てる方が男が廃るってモンだぜ。戦力にならなくても守ってやるのが大人の男だろうさ」

 「何だなんだ、お前小さな女の子が好きなのか? それとも青田買いか? やめとけ、お前じゃ相手にされねぇよ」

 「ンだと!? 格好つけてるのは認めるが、流石に年の差をなぁ――」

 ハァ、とバカな男共の態度に額を押さえる。

 「ガキばっかで悪いね。でもま、異存は無いらしい。あたしも文句はないよ。ただし! 戦えるってんなら、必要な時は容赦無く働いてもらうから、そのつもりでいな!」

 「あ、ありがとうございます!」

 少女は一度頭を上げると、もう一度深々と頭を下げる。そしてまた頭を上げると、手を差し出してきた。よろしくしたい、という事だろう。女性は口を緩めると、握手をするために前に出た。

 だが、そのためか東洋の少女が少し横に動いてしまう。それを察したアマゾネスの少女がもう一度頭を下げようとする前に手を掴み、上下に振る。

 無理矢理ぶんぶんとやったせいで、少女はちょっと痛そうにしていたのを、からからと笑いつつ女性は気付いた。

 「ああ、そういえばお互い名乗ってもいなかったね。あたしは――」

 そこで、言葉が止まる。

 「おいどうした、まさか自分の名前を忘れるなんてバカな事、は……あ?」

 あまりに不自然な止まり方に、やり取りを見ていた一人が近寄って肩を叩いた。

 その衝撃が、始まりだった。

 ――()()()()()()()()()()()()

 「な!? ハァ!?」

 目の前で首が落ちた事に目を見開き、思考が停止する。その顔に、綺麗な断面図から吹き出た血の噴水が降り注いだ。

 ドサリ、と崩れ落ちる女性の体。それを呆然と見下ろし――それが、最期の光景となった。

 白刃が、煌く。

 今度は縦に両断された死体が、内蔵を撒き散らして血の海に沈む。

 それを、生み出したのは。

 先程まで黙りこくっていた、東洋の少女だった。

 

 

 

 

 

 「鈴? アンタ、何してんの!?」

 アマゾネスの少女が目を見開いて叫んだ。交渉事には疎い彼女に代わり、情報を引き出し、仲間として行動できるところにまで漕ぎ着けたのだ。それを無かった――どころか、改善できないレベルにまで悪化させられた。

 慌てて距離を取る。鈴の近く、ではない。先程まで交渉していた、彼等の方へ。

 「お、おい嬢ちゃん! いきなり何してくれやがった!」

 「わ、私は知りません! り、鈴が、勝手に……」

 怯えたように言う少女の様子から嘘ではないと判断したのか。男はそれ以上聞くことは無く、鈴と呼ばれた少女に向き直った。

 「まさか『闇派閥』か? 【ファミリア】に長年潜入して信頼を得て、今回盛大に裏切ったっていう奴がいるのは知っていたが……」

 少女に聞かせるように呟く。

 それを聞いて更に顔を青褪めさせた少女が更に距離を取り、一番後ろへ移動する。それを確認しつつ、腰から短剣を引き抜き前に構えた。

 「敵は一人だが、油断するな! 冷静になって制圧しろ!」

 制圧――出来れば殺さず、情報を吐かす。不可能なら殺す。分かりやすい指示だ。腰を落としていつでも前に出れるようにして――それが、彼の命を救った。

 「え?」

 それは、本当に、何気なく零れた本心。理解できない現実を前にした時の声だった。

 横にいたはずの仲間の首が、上半身が、落ちていく。残った下の体から血が溢れ、彼の全身を血で濡らした。

 ――ありえない。

 鈴は数歩先にいる。どう足掻いたって刀が届く距離じゃない。『詠唱』だって聞こえなかった。現実を否定しようとして、けれど、気付く。

 ――最初からおかしかったじゃないか。あの刀は、あの人に当たるはずなかった。

 一人目、女性を斬った時、鈴の刀ではもう一歩分踏み込みが必要だったはず。それがわかっていたから、彼女は鈴が柄に手を置いていても何も言わなかったのだ。

 彼女の肩を叩いた彼も。

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 「皆、ある程度距離を取って散らばるんだ! 彼女の刀は伸びるぞ!」

 それしかない。あの刀固有の能力、そう考えればしっくりくる。

 あの刀が魔剣なのか、あるいは『不壊』や『切断』のような、新たな属性が付与されたモノなのか。それはわからないが、油断していい相手ではない。

 「制圧は諦めよう。こっちが殺される!」

 ちらりと、殺された三人を見下ろす。彼等はそれぞれ重厚な盾や鎧を持っていた。一息に斬り捨てるなんて、できるはずがないのに。

 それを感じさせない鮮やかな断面が、彼の背筋を凍らせる。

 ――防御しても、意味がない。そのまま斬られる……!

 「回避を重視しよう。特に後衛の人は、できれば程度の援護でいいから」

 ジリジリと距離を詰める。

 射程が伸びる刀は、単純に考えれば近づけばその真価を発揮できない、はず。持ち前のスピードを活かして接近すれば勝てる。

 援護がある、その思考を突いて近づければ――!

 そこまでを一瞬で考えて、足に力を込める。込めようと、した。

 「あ、れ?」

 ポタ、と口から血が溢れる。息が苦しい。呼吸ができない。咄嗟に押さえた首元から、ネチャリという粘着く感触がした。

 そして手には、赤い、アカイ――。

 「く、クび、ガ……?」

 その言葉を最期に、彼の心臓は音を止めた。

 

 

 

 

 

 「後味わっる……鈴、ちゃんと説明してくれるんでしょうね?」

 主に顔と手にベットリと塗られた血にティオネが顔を顰める。そんな彼女の背後には、七人の物言わぬ死体が転がっていた。

 それぞれが同様の手口、首を掻き切られての即死である。御丁寧にちょっとの悲鳴も漏らさないよう、手まで添えて、念入りに。

 そんなティオネだが、当然ながら事情は一切知らない。鈴の様子から、相手を全滅させやすいように動いただけだ。

 嘘を信じさせ、不安がる少女を演じ、仲間に裏切られた少女を演じた。罪悪感は当然あったが、彼等には悪いが鈴を信じたから。

 ただし、事情は説明してもらう。ティオネが納得の行く説明を。

 「待ちな。まだ終わっちゃいない」

 鈴は虚空を睨み、刀を抜いた。コテツ、ではない。今までずっと使わなかった――そして、先程からずっと『柄に手を添えていた』刀。

 「喰いな、『オロチアギト』」

 真っ直ぐ、何かを突くように切っ先を向けた先へと()()()()()

 シオンやベート、アイズが本気を出した時以上の加速。その速度はティオネをもってしても見切れきれず、壁に向かって直進していった。

 それは壁にできた隙間を縫い、『何か』を貫く。

 「ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!??」

 その悲鳴から考えるに、人間。

 壁に潜んでいたモノは、ただ隠れていた訳ではないだろう。そんなのんきな思考ができるほど、ティオネはお気楽じゃなかった。

 ティオネが事態を把握している間にも、鈴はオロチアギトを元の長さに戻し、別の隙間に向けて放っていた。それは寸分違わず別の相手を狙い、微かな悲鳴と共に死ぬ。今回は狙いが良すぎたようだ。

 だが、鈴が楽に相手を殺せたのはここまで。二人殺す間に隙間から這い出たのだろう、十人もの人間、エルフ、ドワーフ、獣人――殺した数と合わせて二十五人か――が襲ってきた。

 全員ティオネを無視している。いや、本当は無視したくはないのだろうが、ティオネ以上に鈴を警戒しているのだ。

 あの刀(オロチアギト)を持った鈴は危険過ぎる、と。

 「全員で襲えば殺せる。――甘い思考だねぇ、本当に、さ」

 ギィン、という音が、鈴の()()から響き渡る。上、前後左右、全てからナイフが、短剣が、剣に槌、杖――各々の武装を持って襲いかかってきていた。

 その全てを、鈴のオロチアギトは防いでいた。

 とぐろを巻くように、鈴の全身を刀が包み込んでいる。

 ――あの刀、直進以外にも伸ばせるの!?

 どう見ても湾曲している刀に、見ていたティオネが驚かされる。構造上どう考えてもありえない形をした刀を、鈴は回転しながら一気に振り抜いた。

 その様は、まるで獲物に襲いかかる蛇のよう。

 とぐろを巻いていた体を開放し、一瞬で獲物を丸呑みにしようとする蛇。だが終わらない、まだ敵は全滅していない。

 「『貫きな(アギト)』」

 剣の先が、上下に裂ける。大口を開けた蛇が獲物を呑み込むように。それぞれの刃が、二つの標的を狙って襲いかかった。

 片方は避けて、片方はそのまま体を貫かれ、空中に持ち上げられる。だがそれも、自重によって体を引き裂かれて落ちていった。……それでもまだ生きているのが見えて、思わず目を閉じる。それがどれだけ愚かな行為だとわかっていても。

 感覚で、避けた側も即座に湾曲した刀が貫いたのがわかる。そちら側は恐らく即死した。下手に生き残るよりは余程マシ、なのだろう。

 目を、開ける。

 鈴の顔を、見た。

 ――何、アレ……?

 違う。

 どう考えても、あの『瞳』は、鈴のものじゃない。

 縦に伸びた瞳孔は、人間のそれではなく、先程想起した、蛇の物で――思わず、足が一歩下がりそうになる。それを理解したティオネは苦笑すると、膝を叩いて震えを止まらせる。

 鈴の、いや、オロチアギトの暴虐は止まらない。殺した相手には見向きもしないが、殺しきっていない相手は執拗に狙っている。

 戦意を喪失し、武器を手放しても。死に掛けて、何もせずとも死ぬ相手でも。最後まで戦おうとする相手でも。全て平等に、公平に、死を与えていく。

 ティオネはそれを止められなかった。手助けする事もできなかった。ただ見ている事だけが、彼女にできる事だった。

 それだけが、鈴の仲間としてできる、たった一つの事だったから。

 やがて、敵だった物の全ての動きが止まる。それは鈴の、ひいてはオロチアギトの暴虐の終わりでもあった。オロチアギトの形が元の刀に戻り、鞘へ戻される。

 それを確認して、ティオネは鈴へ近寄った。

 「……それで」

 「ッ」

 ビクリ、と鈴の肩が揺れる。恐る恐るティオネの顔を見る彼女の瞳は揺れていて。……元々の彼女の目に戻っている。

 それを見て内心安堵しつつ近寄るが、鈴は一歩下がった。先程の惨劇を起こした人物とは思えないほど弱々しい反応だ。

 「逃げるな」

 敢えてハッキリと告げて動きを制し、鈴の前で立ち止まる。

 「最初から、全部、私に説明しなさい。今回の出来事も。……その刀の事も」

 鈴は視線を逃がすように泳がせる。だが逃げられない事を悟ると、ゆっくりと瞼を下ろし、諦めるように言った。

 「ああ。……わかったよ」

 

 

 

 

 

 「あたいの刀の名前は、『コテツ』と『オロチアギト』って言うのは知ってるだろ?」

 それが、説明の始まりだった。

 「おかしいと、少しでも思わなかったかい? いや、東洋の人間じゃないならおかしいとは思わないのかもね」

 シオンが気付いたのがおかしいのか、と鈴は笑う。その意味がわからず顔を顰めると、鈴は気にした様子もなく続けた。

 「あたいの国だとね、この刀はそれぞれこう書くのさ」

 『コテツ』――『虎徹』

 『オロチアギト』――『大蛇の顎』

 「気付かない? おかしい、ってさ」

 「あ……これ、名前の付け方がおかしい、わよね」

 そう、『オロチアギト』という名前の付け方は西()()()()()()()だ。だが、鈴は()()()()()。そしてこの二つの刀も、彼女が家から持ち出したもの。

 矛盾している。

 「元々この『オロチアギト』はただの『大蛇(オロチ)』って名前だった」

 その理由は、彼女が生まれる前から存在していた。

 「あたいの家はこれで結構な名家でね。代々『虎徹』と『大蛇』、二本の刀を当主が継承し、振るうのが習わしだった」

 二つの刀にはそれぞれの指標があった。

 『虎徹』はあらゆる物を受け止めることを。

 『大蛇』はあらゆる物を斬り裂くことを。

 それぞれがオラリオでいう『不壊』と『切断』の属性を有しているような刀だった。だが、だからこそ必然だったのだろう。

 「ある時、『大蛇』が折れた」

 あらゆる物を斬れても、己が斬られる事を想定していなかったそれは、折れた。以降、風見家は『虎徹』のみを振るい、折れた『大蛇』は鞘に仕舞われ、表に出てくる事はなくなった。

 ――そう、思われた。

 「だけど、それを直した鍛冶師がうちに来てね。以前の『大蛇』よりも圧倒的に強靭になった」

 鈴自身、幼少から家を出るまで、ずっと世話になった相手だ。今でも尊敬しているし、感謝だってしている。大恩ある相手だ。

 ただ、直した刀には大きな問題があった。

 「詳しくは知らないけど、直すために素材にしたのはある『(へび)』の……多分、牙。あるいは背骨か」

 ――使い手を激しく選別するようになってしまったのだ。

 まるで、刀が(たましい)を持ったかのような。

 かつてシオンが握り、少し鞘から抜いただけで『油断すれば殺される』と判断したのは、決して間違いではない。

 その証拠に、と鈴は鞘から刀を引き抜いた。同時に、鈴の瞳が蛇のそれに変わる。恐らくこの瞳は『オロチアギト』を使っているという証左なのだろう。

 だが、驚いたのはここからだ。

 スー、ハー、と息を吐いた鈴が、肩から力を抜く。

 同時に、刀がピクリと震え――伸びた。()()()()()()()()()

 その刃が、ピタリ、と止まる。そしてシュルシュルと、彼女の意に反するかのように、少しずつ少しずつ、元の長さへ戻っていく。

 元に戻り、鞘へしまった時。鈴の喉元には、一筋の赤い涙が流れていた。

 それを拭う事もせず、鈴はティオネに真正面から向き直る。

 「『オロチアギト』はあたいを認めていない。あたいが少しでも気を抜けば、あたいも。……あたいの大事なモノも、全部殺し尽くす、だろうね」

 正直に言って、まだ出会った頃の鈴があっさりシオンを信じたのは、シオンが『オロチアギトを使わなくていい』と判断してくれたからだ。

 それを鈴は、何より感謝している。……この刀の存在によって、鈴は何度も何度も、思い返すのも嫌な経験を繰り返されたのだから。

 「ま、それでも強力すぎる武器だ。奪おうとして殺されかけた。守ろうとした相手に怖がられて逃げられた。持ってるだけでとんでもなく疲れるし、家から持ってきたのを何度も後悔したよ」

 おちゃらけたように笑う鈴を、しかしティオネは真っ直ぐに見抜いた。彼女の内面を見透かすように。彼女の『本心』を見逃さぬように。

 やがて、ティオネは口を開く。

 「その刀の事情は理解したわ。で、彼等を殺した理由は?」

 「え?」

 まるで刀に纏わる理由はもうどうでもいいと言わんばかりの態度に、肩透かしを食らったかのような鈴は、つい口出ししてしまう。

 「それだけ、かい?」

 目を丸くする鈴に、ティオネは肩を竦めた。

 「言ったはずよ」

 それは、今回の出来事の最初から言っている事だ。

 「私は鈴を信じてる、って。だから、最後まで説明をしなさい。納得できれば、その刀とか、今回人を殺さなきゃいけなかった理由とか。……全部呑み込んで、またアンタを信じれる」

 「あ、う……」

 そう、些細な事だ。

 シオンはもう、欠片も気にしていないだろうが。……ティオネは、かつて彼を、一時の怒りに任せて殺そうとした事を、ずっと後悔している。

 その後悔があるからこそ、今ティオネは、一時の感情に身を任せずにいられる。冷静になれと理性を律していられる。

 あの出来事があったから。――ティオネはきっと、『大きく』なれたのだ。

 「私の『信じる』は生半可な覚悟で言うモノじゃないの。それがわかったら、さっさと続きを言いなさい」




 先週更新できず申し訳ない。金土日は一年の新歓コンパで潰れて書けなかったのだ。正確には日曜日は書けたんだろうけど疲労で寝腐ってました。

 今回はずっと前からあった『オロチアギト』について。性能だけ見ると作中最強と言っても過言ではありませんが、常人が握ると即死します。
 幼い頃から精神修行をしてきた鈴だからこそギリギリ扱えるレベル。というか、この刀を使うために精神修行をしていた、というべきでしょうか。……そんな鈴のような経験をしていないのにギリギリ扱えそうなシオンの経験も推して知るべし。

 あ、あと随分前ですが『ティオネがシオンを殺しかけたのにお互いアッサリしすぎているのが受け付けない』という感想を受け取ったので、今更ながらその点について描写。まぁ、やっぱり軽くしか触れませんけどね。
 シオンはあの頃義姉を殺されて精神的に色々不具合が起きていたので素で気にしていませんが、ティオネは内心結構気にしていました。
 原作のティオネと違い前に出過ぎませんし、なるべく理性的に行動しようとします。というか彼女の場合シオンに配慮した結果今の立ち位置になった、というべきか。

 まぁ語りすぎるのもアレですね。次回もお楽しみに!


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予想外の縁

 「……それで」

 さっきの言葉の後、俯いて口を開かなくなった鈴。そんな彼女を横目に、ティオネは血で汚れ切った湾短刀に手拭いを置く。それだけで血を吸い、ドス黒く濁った布を嫌そうに見つめると、適当に放り投げた。

 流石にアレを再利用するために持ち帰るつもりにはなれない。

 「結局、どうして皆殺しにしたのよ?」

 そしてもう一つ新しい布を取り出すと、まず自分に付着した物を拭い、余った部分を使って武器を拭く。

 それでもまだ取れない。どれだけ血を吸ったのだろうか。殺し方が悪かったのかもしれない。

 ティオネがそんな事を考えているなど露も知らない鈴は、あぁ、悪いね、と慌てたように続きを説明した。

 「あたいの眼を見てくれ」

 「眼? って、そういえば色も形も大分おかしかったわね」

 そう、ティオネの言う通り、今の鈴の瞳は、金色の瞳孔を宿している。また虹彩も赤色に変化していて、およそ人間が持つ瞳とは言い難い。

 何より大きな変化は、瞳孔の形だ。通常円を描いているはずの瞳孔部分が、どうしてか縦長に変化している。この特徴は猫、またはリザードマン等蛇の要素を持つ者に多い。

 「確かその眼は暗いところでも視えるように発達した結果、だったかしら。つまり今の鈴は暗がりでも関係無く物が視えるの?」

 「まぁ、そうなるね。でもそれは副次結果で、一番の効果は別にある」

 そしてそれは、ティオネが感じた蛇のような瞳、という感想と相違無い。

 「人に説明するのは面倒なんだけど、例えばそこの暗がりとか、後は壁の向こうの物陰とかに隠れていても、熱を探知できるのさ」

 「……それは単純にモノが見える、というのとは別なのよね?」

 「ああ、違う。そうだね、あたいには今、ティオネの顔がわからない。代わりに体温の高い部分が赤く、低い部分は青く見えるのさ」

 そこまで言われて、何となく理解した。

 要するに鈴は、熱源が見られるのだ。熱の中心は赤く、冷えていれば青く。壁の向こうにいても熱探知が可能なのは、人という熱を持つ物体が壁に触れる事で熱が伝わり、色が変わるからなのだろう。

 鈴が唐突に壁へ向けてオロチアギトを伸ばしたのは、壁の中に潜んでいた人間の熱を見ていたからだ。

 「ま、通常の視界が無くなるのは不便でしかないけどね。本当の蛇なら眼じゃなくて別の器官を使うから問題ないんだけど」

 いわゆるピット器官である。目と鼻の間にあるモノなのだが、当然人間には備わっていない。そのため鈴は、ある意味『見えない』視界で戦っていたりする。

 「……なるほどね、大体わかったわ」

 『オロチアギト』という武器の存在を隠していた理由。シオンがそれを容認し、だが今回持ってこいと言った訳。それほどの能力。

 ――そして、この状況。

 「壁に人間が潜んでいたってのは、まぁ奇襲のためしかないでしょうね。鈴が殺すと決めたなら警戒をせずに休んでいたんでしょうし」

 「ああ、その通りだ。物を飲み食いする余裕さえあったようだからね」

 「で、それを隠して、一見武装がバラバラな集団で待機。そこに通りがかった哀れな被害者を良い人ヅラで仲間に引き込んだと見せて――ハッ、反吐が出そう」

 一度でも仲間だと思ってしまえば、警戒心は薄れる。安心感から緊張を解いた瞬間、壁の中にいた人間が襲い掛かり――背を向けたら、そのまま殺す。

 とても有効だからこそ、ティオネは不快だった。それは鈴も同じなようで、鞘に戻したオロチアギトの柄を握り締める。

 「『闇派閥』……話しに聞いてはいたけど、思った以上の外道だったみたいだねぇ」

 「性根の腐った連中の集まりよ? まともさを期待する方がどうかしているわ」

 言って、拳をぶつけ合う。

 「「殲滅戦! 見つけ次第殺す!」」

 物騒な事をのたまい――だがこの状況ではそれが最善手なのが困る――ながら、二人は互いがいつでもカバーできる程度に走り出す。

 気のせいか、鈴はティオネに先程よりも近くを走りながら。

 

 

 

 

 

 「ハ……ハ……運が、いいな」

 『英雄』と名乗った少年と別れてから、ずっと言われた通りに走り続けた。回復薬のお陰もあってか、精神的にはともかく肉体的な疲労は欠片も無いと言っていい。

 だが何より幸運なのは、ここまで人ともモンスターとも遭遇しなかった事だ。普段通りの実力が発揮できればモンスターとの逃走戦も問題無く行えるだろうが、今の精神状況では期待できない。

 人との会話も、あの裏切りの後では無理だ。どうしても疑ってしまう。

 彼の――シオンの言葉を信じられたのは、嘘を言っても仕方がないという状況だったのと、あの真っ直ぐな目になら、騙されてもいいかな、と思えたからだ。

 そう思うと不思議と体が軽くなり、手足が思う以上に動かせる。

 ――今彼が自身の背中を見られたのなら、それが錯覚ではないと気付けただろう。

 ――煌々と輝くその背中に宿る『恩恵』を見れば、原因など一つしかないのだから。

 しかしそれに気付く事無く、彼は開けた広間に到着した。

 「こいつは……ひでぇな」

 怒声と悲鳴が入り混じる戦場。そんな言葉が似合うほど状況は悪かった。だが、よくよく見れば怪我を負う者はいても死者は出ていないようで、最悪とまではいっていないらしい。

 そして気付く。どうやら俺はたまたまモンスターが通っていない道を来ただけらしい、と。恐らく後数分もすればこの道にもモンスターの群れが襲い来るはずだ。悠長に考えていられる時間は無いだろう。

 「隙間……走って通り抜けられる隙間……」

 戦闘を行っていたとしても、必ずどこかには空隙が存在する。そこを見つけて、途中死なないようにすればあそこまで行けるはずだ。

 問題があるとすればひとつだけ。

 ――モンスターと勘違いされて殺されないようにしないと。

 そうなれば目も当てられない。伝言さえ伝えられずに死ぬなど、助けてもらった恩を返せないだけじゃない。彼等に希望を伝えられないということでもある。

 ――落ち着け。途中で声を出して俺が人間だという事を知ってもらえばいい。

 だから震えるな、と手足を抑える。一歩間違えれば死ぬ、という想像ではなく事実を考えて硬直しそうになる体を動かすために。

 行け。

 ――行け。

 「行け!」

 小さく自分を叱咤し、足を前に。後を考えない全力疾走は、自分が考えていた以上の速度となって駆けていく。

 そして、ふいに剣を背中の鞘から抜き放った。

 「セイ、ヤァ!」

 目の前にいたモンスターを、避けるのではなく切り払う。声を掛けるよりも、モンスターを殺した姿を見せる方が絶対に目立つし、わかりやすい。

 刹那の思考がそう判断した結果だった。

 それが功を奏した。一瞬こちらを見たモンスターは、つまり本来相手にしていた者から目を離した事を意味する。

 その数秒の隙は、あまりに致命。ここまで来た冒険者にとって、命を奪うにはあまりにも容易な瞬間だった。

 そしてそれは、彼が安全に移動するための道が作られた事を意味する。剣を鞘に戻すのも惜しいと手に持ったまま――いっそ投げ捨てようかとさえ考えた――走り抜ける。

 「すまん、助かった!」

 「いや、こちらこそ隙を作ってくれて感謝する。……だが、すまない。お前を通す事は、まだできないんだ」

 恐らく【アストレア・ファミリア】の団員であろう女性に感謝の言葉を贈る。だが、返ってきた言葉はある意味予想通りの物で、だからこそ彼は戸惑わなかった。

 「怒らない、のか?」

 「こっちは助けを求めに来た側だからな。そっちの事情も、まぁ何となくわかる。――俺が『闇派閥』の人間かどうか、疑っているんだろ?」

 この言葉に、彼女は顔は逸らさずとも目線がズレた。嘘が吐けないわかりやすい女性だな、と苦笑したくなるも、こちらも急ぎだ。

 「これを見てくれ。見せればわかる、そう()から言われたんだが」

 「ッ!? それは……それをどこで?」

 ずっと手に持っていた白銀の髪を胸元まであげる。それを見た彼女の反応は劇的だった。どうやらシオンの言っていた言葉は正しく、見せるだけでわかるとは、どれだけ近しかったのだろうという疑問もまた同時に湧いてきた。

 「『英雄』シオンからの伝言をそのまま伝えるぞ。『この状況の原因はおれ達で何とかする。だから、26層へ続く階段を塞ぐ瓦礫の撤去と、そこに逃げる冒険者の保護を頼みたい』、だ」

 「なるほど。……彼等も、ここに来たのか」

 昨日リオンと話していたシオンの姿が女性の脳裏に浮かぶ。……一日という時間差がありながらもう追いついてくるとは、相変わらずおかしなパーティだ、と思いながら。

 「信じてくれる、のか?」

 「その髪と、伝言内容を考えればな。……だが、念のためだ。他には何と?」

 「えっと、『リオンとサニア、二人から受けた恩を返しに来た』って、言っていたな」

 確定だ、と女性は後ろを振り返ると、回復薬を管理・運搬の役目を負っていた少女を呼ぶ。

 「はい、なんでしょうか!」

 「リオンとサニアの客人だ、彼は『闇派閥』ではない。シオンの伝言も持ってきてくれた、これについては彼の案内をした後団長に伝えてきてくれ」

 「シオンさんの!? わかりました、必ず報告します!」

 こんな状況でありながら笑顔を忘れず、元気な少女に、我知らず肩から力が抜ける。どうやら思った以上にさっきの状況が負担になっていたらしい。

 内容を聴き終えた少女は、やはり笑顔でこちらを見てきた。

 「それでは案内致します。あ、あまり広くはないので、変な物を踏まないようにお願いします」

 「ああ、わかってるよ」

 基本的に階段のある付近は、大人数の人間が通れるよう、通路の幅が広くなっている。それでもやはり、例えば『ゴライアス』が出現するあの通路ほどではない。

 そのため【アストレア・ファミリア】と、恐らくここに逃げてきた大小のパーティが混在しているここはかなり狭い。特に負傷者を横たわらせている付近は雑魚寝そのものだった。

 「リオンさん、サニアさん! お二人にお客様です!」

 「え、私達に?」

 反面、狭すぎるので案内自体は一分もかからなかった。出迎えてくれた二人の少女――片方は体全てを覆い隠すローブのせいで顔すらわからないが――の片割れが言う。

 「でも、私達ってそんなに知り合いもいないんだけど」

 「シオンさんの言伝を預かった人ですから、お客様で合ってると思いますよ?」

 「シオンから!? まさかここにいるの?」

 「さ、さぁ、それは私からは何とも……では、私は団長への報告があるので。失礼します」

 ペコリ、と頭を下げる少女は、そこで急いで去っていった。先程までの歩みは嘘のような速さである。恐らくかなり忙しいところを、気を遣ってくれたのだと思われる。

 ……だが、この状況で残されるとかなり辛い。

 お互い初対面なのだし。警戒されまくっている。

 「あー、と。まぁ、シオンからの伝言を預かった男だ。名乗りはしない。たまたま彼に助けられただけの男だからな」

 「はぁ……」

 気の無い返事に心折れそうになるも、あくまで伝言、あくまで伝言、と内心で割り切る。

 「――『リオンとサニア、二人から受けた恩を返しに来た』。これが証拠だ」

 「その髪……! それに、恩を返すって」

 どちらも彼彼女しか知らない物だ。渡された髪は、あまりに握り締められたからだろう、解れていたし汗も付着していたが、それでもよく知る彼のものだった。

 「あの、これを受け取った状況は!?」

 「俺も錯乱してたし、よく覚えてない。ただ、そうだな」

 そう、実はこれを受け取った時点で疑問に思っていた事が、一つだけある。

 「周囲にシオン以外の人影が無かった。錯乱した俺を慮ってって訳でもない。……今、彼は一人で行動してる、と思う」

 実際は違うのかもしれないが、何となくそうなんじゃないか、と思っている。

 どうしてこんな危険な場所で一人なのか、とか。

 そんな状況で他人を助けられるなんて、とか。

 色々思わせられることはあるが、助けられた側の人間に文句は言えない。ただ助けられた恩を返す程度だ。

 「……確かに伝えたぜ。伝言役でしかない俺はここまでだ」

 今にも死にそうなくらい精神的に疲弊していた彼は、壁に向けて歩き出す。フラフラと、真っ直ぐ動くのも難しい彼は、壁に背を向けるとそのまま腰を落とし、気絶してしまった。

 それを見守りつつ、サニアは横目でリオンを見る。

 「どうする? リオン」

 恐らく彼の言葉は何一つ間違っていないだろう。サニアの知るシオンなら、そうしていても何ら不思議ではないからだ。

 だが、それを聞いてどうするのか、と言われても、どうしようもない、というのがリオンの本音である。

 当たり前だ、今の彼女達は暇ではない。かつてのように、シオンに雇われただけの冒険者として振舞うのは、あまりに【アストレア・ファミリア】への不義理が過ぎた。

 「……私は」

 だが。

 「シオンを。彼を……助けたいと、思っています」

 行動する事と、思う事は、全くの別物だ。

 基本他人に無関心のリオンが吐露した他者を心配する言葉に、サニアはにっこりと笑顔を浮かべる。

 「じゃ、助けに行けばいいじゃん」

 「え? いや、それは」

 「団長には私から言っておくからさ! リオンの代わりに人一倍働くとでも言えばきっと頷いてくれるよ」

 それはありえない、というのはリオンでなくともわかる。とんでもなく怒られるだろうし、ペナルティも大きいだろう。最悪退団さえ考えられる。

 けれど。

 けれど――!

 「わかり、ました。頼みます、サニア」

 「うんうん、たまにはドーンと私に任せておきなさいな!」

 己が認めた他者でなければ触れることさえ厭うエルフの性。そんな自分にできた、二人目の友達を助けたい――その一心が、リオンを突き動かした。

 武器、回復薬、その他入用な物を入れたポーチ。そしていつも纏うローブ。最低限の必需品を持って、リオンは影を縫うように走り出した。

 それを笑顔で手を振って見送り、その背中が見えなくなると、サニアは顔を強ばらせた。

 「……出てきて構いませんよ、()()

 「……ふむ。私がいると知っていながらあの発言、ですか。覚悟はよろしいので?」

 笑顔のまま固まった顔を振り向かせる。背後に立っていたのは、サニアよりも頭二つ分は高そうな身長を持つ女性だ。

 そんな彼女は、サニアに向けて冷静な口調で、顔は怒りを携えながら、問うていた。

 「ええ、もちろん。リオンが――親友が、友達を助けたいと願ったんです。手助けしない、なんてそれこそありえませんよ。……この件が終われば、退団ですか?」

 だが、サニアはリオンの事を話す時だけは、本心からの笑顔で――退団の時はやはり強ばってしまったが――頷いた。

 それを数秒見つめ、本心からの発言だと理解すると、対面の女性は大きく肩を落とした。

 「……昔の私なら、規律ばかり考えていたのでしょうね」

 「団長?」

 「私は何も見ていませんし、聞いていません」

 敢えて、彼女は大きな声で、はっきりと言った。その真意を掴めず、困惑した様子のサニアを無視して、彼女は()()()を続けた。

 「ああ、でもリオンがいなくなってしまったのはやはり重いですね。……これでは()()()()()()()大きくなってしまいそう。誰か引き受けてくれる人はいないものでしょうか」

 それは。

 その、意味は。

 覚悟はできているのでしょう。そう目線で問われた意味を知ったサニアは、大きく手を上げて己を指差した。

 「はい、はいッ、私が引き受けますよ! 戦闘雑用何でもござれ、パパッとこのサニアちゃんが片付けてみせましょう!」

 「……そうですか。では、リオンがいなくなっても何の問題もありませんね」

 「ええ、もちろんですとも」

 

 

 

 

 

 「そろそろキツくなってきたかも、な!」

 そう言葉に出して乱れそうになる呼吸を整える。頬に付着した血を袖で乱雑に拭うと、壁に背を預けて前を見つめる。

 そこにあったのは、死体だらけ。人と、モンスターの……死体の山だった。生きているモノは一つとして存在しない。

 ついさっきの戦闘を思い出し、シオンは顔を顰めた。

 ――モンスターはまだいいけど、人が、な。

 敵なのか、味方なのか。その判別が非常に難しい。味方のフリをして近づいて来る『闇派閥』は最も危険な存在だ。

 また『闇派閥』でなくとも、『疑わしいからとりあえず殺す』というパーティもいた。彼等からは走って逃げ出したが、あの様子では遠からず……。

 そこまで考えて、シオンは震えそうになる手を、手首を押さえて押し留めた。

 ――例え『闇派閥』だろうと、人を殺すのは……辛いな。やっぱり。

 覚悟はしていた。でも、モンスターを殺すのと、自分と似た形を持ち、言葉を、意思を交わせる相手を殺す負担は全くの別物だ。

 もちろん助けられた相手もいた。自分の居場所がわからず彷徨っていた冒険者達に、階段の大雑把な方向を伝えられた。疑われていたが、自分の所属や二つ名を名乗れば、一定の信用くらいは得られたらしい。そっちに行く素振りは見せてくれた。後は彼等次第だ。

 怪我はしていないが、最も効能の薄い回復薬を取り出して飲む。傾けすぎて微かに脇から零れて頬を伝った。それをまた袖で乱雑に拭い、瓶を投げ捨てた。

 ――数秒だ。数秒休んで、また進もう。

 そう思った時だ。右の通路から、フラリと人影が現れたのが見えた。それに対し、シオンは無意識に警戒し、片手を柄に添える。徐々に近づいて来ると、相手はどうも全身を隠すローブを纏っているらしい。この距離では、身長がとても高い、くらいしかわからなかった。

 男か女かも判別できない。後わかるのは、武器は表に出しているので剣を持っている、という事くらいか。

 そして一定の距離に近づくと――シオンは本能だけで行動した。

 剣を抜刀しつつ突撃し、一撃で殺せるように剣を真っ直ぐに突き刺す。

 それに相手は慌てたように腕を伸ばす。その腕は、人の腕にはありえない、()()をしていた。

 ――コイツ。

 どうしてこんな行動したのかを、シオンは今更ながらに理解する。

 ――人に擬態するモンスター!?

 そんなモンスター、聞いた事がない。腕の色から恐らくリザードマン。確かに奴等なら、ローブでその特徴的な体を隠せば体格の良い人間として誤魔化せるだろうが――そんな知性を持つリザードマンがいるなどという情報、一度も聞いた事がない。

 あるいはこれが特殊個体……いや、とシオンの思考が凍りつく。

 ――まさかこいつ、あの時と同じ『強化個体』か……!?

 同族に近いモンスターを殺し、その魔石を喰らって己を強化したモンスター。その強さを、悍ましさをシオンは覚えている。

 あの時の感覚を、まだ感じないが。

 ――まだ弱い内にコイツを殺さなきゃマズイ!

 一人で殺し切れるほどに弱い事を祈ったシオン。そんな彼を止めたのは、奇しくも目の前にいた()()()()()()だった。

 「ストップだ『シオっち』! 俺は敵じゃねぇ!」

 「――……は?」

 ピタリ、と己の――それもたった一人しか呼ばぬ名前に、シオンの思考と体が完全に止まる。今ならあっさり殺されるだろう、というぐらいに。

 だが、目の前のリザードマンはフードを取ると、妙に親しげな、だが笑顔とわかる笑顔を浮かべてシオンを見ていた。

 「いやぁ、あの殺気にはブルったぞ? まさかもうここまで強くなってるなんて思いもしなかったな」

 「あー、えっと……まさか、リド?」

 「おう! 久しぶりだな、数年ぶりか? 滅多に会わないから仕方ねぇが、こんな状況じゃなきゃアルルにも会わせてやれたんだが」

 勿体ねぇなぁ、としみじみ呟いているが、むしろシオンの方が驚いている。モンスターであるリドがここにいるなど危険過ぎる、と。

 だが、リドはそれを否定した。

 「いやぁ、それがそうでもないんだな、これが。オレっちはモンスターだが、異端だ。本来同族であるリザードマンでさえ殺しに来る。ローブ被ってりゃ、尻尾に気を付けてれば案外人間のフリをするのは訳無いぜ」

 実際この状況だ。相手をよく観察する暇など早々無い。もちろん怪しさ全開なので、助けに入った後数度話せば即別れるのだが。

 それでもリドは、『人を助けられる』という事に、一定の充足感を得ていた。それが何の意味もない自己満足だとわかっていても――。

 「だが、お前さんがいれば話は別だ」

 ただし、シオンがいれば、それは自己満足ではなくなる。

 「お、おれ?」

 「ああ。オレっちだけじゃ階段のある場所を教えても、欠片も信用されない。嘘か罠かと断定されるのがオチだ。というか、された」

 まぁ、わからなくもない。リドが強いのは立ち振る舞いからわかる。そんな強者だとしても、顔体の全てを隠しているのは致命的に怪しすぎた。

 「だけどそりゃ、逆を言えば信用できる相手からの言葉なら別ってこった」

 「……つまり、おれが矢面に立て、と?」

 「おう、その通りだ! 自慢じゃねぇが、オレっちはお前らで言うところのLv.5程度の実力を持ってる。喉から手が出るほど欲しい、信用できる『戦力』だと思わねぇか?」

 ……確かに、その通りだ。

 シオンはあの【ロキ・ファミリア】に所属し、最年少ながらLv.4に到達しかけている『英雄』の二つ名を有する、新進気鋭のパーティリーダー、という肩書きを持っている。

 反面パーティで行動せず、単独で動いた場合、シオンより強い相手などいくらでもいる。本来ならベートがいてやっとここで活動できるほど、今の状況は危うい。

 一手間違えれば死ぬ、という今の状態において、リドのいう戦力は、確かに魅力的だった。それも相手がまず裏切らないと確信できる相手なら、尚更に。

 まぁ、リドの正体がバレれば、一転してヤバくなるが、それも承知の上で動けばいい。

 「……おれに雇われた凄腕冒険者。顔を隠しているのは見せられないほど顔が酷いから。そんな肩書きで行動すれば、行けるか」

 「お、ってことは?」

 シオンは嘘を吐いた事が無い。無いが、それはシオン個人だけの話。リドがする嘘はシオンには関係無い。

 「リドに大きな借りができそうだな」

 「おう、気長に返済待ってるぜ? なんせオレっち、金に興味ねぇからな!」

 そっちの方がむしろ困るんだけど、と思いながら、シオンはリドに手を差し出した。それに口元を緩めると、リドは爪を立てないように気を付けつつ、その力強い手で握り締めてきた。

 「期待はしないでくれ。次いつ会えるのかも謎なんだから」

 「いいさ。あー、友達を助けるのに理由はいらない、だったか? 実はアレに憧れててな、借りなんてのもぶっちゃけいらねぇのが本音だ」

 だからどんどん頼ってくれ、というモンスターの形をした友達に、シオンも気付けば、この場にそぐわない笑みを浮かべてしまっていた。




 久しぶりにリドを出せました。ここのためだけにシオンとリド達を会わせました。じゃないとシオンが単独行動なんていう無理な状況から死亡ルートしかありえなかったので。
 ま、実質今回は場を整える回。ベートとティオナ&アイズはお休みです。

 それはそれとして、忙しくなってきました。研究室配属に、夏休みに行くインターンシップのエントリーなど、準備が多い。
 部活とインターンシップで夏休みの大半が消し飛ぶかも……。もしかすると夏休みの方が書く時間少なくなりそうです、申し訳ない。

 梅雨も過ぎて本格的な夏が始まりますし、お互い体調に気をつけましょう。

 次回もお楽しみに!


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魔力と魔石、そして■■■■

 そうしてリドと行動をする事になったシオンだが、行動し始めてすぐに舌を巻く思いを隠すのが難しくなった。

 ――強い。

 ただ、それに尽きる。

 恐らく一対一ならフィンと互角、リドの装備次第では圧倒すらできるのではないだろうか。

 元々モンスターは冒険者よりも強い。そんなモンスターであるリドは、恐らくアレと同じ『強化個体』に分類される。

 強い理性があり、戦う技術を学び、人より圧倒的なポテンシャルを誇る、イレギュラー中のイレギュラー。それが彼だ。

 この階層のモンスターが束になっても、意味など無いと鎧袖一触で蹴散らしていく。確かリザードマンは比較的『耐久』が低いはずなのだが、巧みに鱗の中でも特に硬い部分で攻撃を受け止め即座に反撃。拳で相手の頭を掴んで圧縮した。

 ――……いや、素手でモンスターを掴んで握り潰せる握力とは一体……。

 シオンがリドの桁外れの戦闘力に内心ドン引きしつつ、だが彼は味方だという事に安堵もしていた。

 同時に気になっていた事も聞いておく。

 「なぁ、そもそもリドはどうしてこの騒動に気付いたんだ?」

 そう、そこだ。この騒動を起こすにおいて、『闇派閥』は相当計画を練ったはずだ。少なくとも冒険者側でこれを事前に察知できた者はほぼいないはず。

 それはモンスター側も同じなはずなのだが。

 「いや、単純な話だぜ? オレっち達と『闇派閥』の行動経路が似ているからだよ」

 「似ている……?」

 「ああ。何せオレっち達も奴らも、『他人に見られると不味い』っつー共通点がある。だから普通はダンジョン内で行動する時は、人が来ない所を拠点にしているのさ」

 それが、『異端児』と『闇派閥』の行動経路が似ている理由だ。余人に知られるな、というわかりやすい理念を持つが故に、リドは奴等の動きを把握することができたらしい。

 「でも、それは逆の事が言えるんじゃ?」

 「……忘れたのか? オレっち達は外見上同種のモンスターと変わりない。その階層にいても不自然じゃないモンスターの外見をしてる奴に偵察を頼めば、それだけでバレないのさ」

 もちろん全てのモンスターは人を見れば襲いかかる上に、異端児達も、異端であるが故にモンスターから狙われてしまう。

 だが、それでも、例えばシオンが『闇派閥』を偵察するより、バレる可能性は低い。

 「そう、か。そうだったな」

 その事をシオンは失念していた。そして、その理由をどことなく察したリドが、フードの下で鋭い牙を剥き出しにするように口元を緩めた。

 まるで威嚇しているかのようだが、違う。これがリドにとって本当の意味で笑っている事を意味しているのだ。

 ――ああ、コイツは本当にオレっち達をモンスターとして見ていないんだな。

 あくまでリド達を『人』として見ている。それが堪らなく嬉しい。どう見たってバケモノでしかない自分達を、勝手に『友』と呼んでいるだけのモンスターの群れを、友と言い返してくれるのだから。

 「だけど、騒動を起こすのがわかっても、助けに来るかどうかは別じゃないか?」

 だから、この質問の答えは簡単だった。

 「ああ、そうだな。最初はオレっちだって、来るつもりはなかった」

 異端児で最も強く、賢いのはリドだ。彼が倒れれば、他の異端児達は己の身を守るために、相当な苦労を強いられるだろう。それでもここに来た、その答えは――。

 「――でも、お前が来ると思ったんだ。きっとシオっちなら、この騒動を見逃さないってな。オレっちはよ、他人を助けるシオっちを助けに来たのさ」

 それだけだ。それだけしかない。正直に言って、シオン以外の他人を助けるのは、物のついででしかないのだ。

 だが、理由を聞いたシオンは、意外な事を聞いたとばかりに目を丸くしていた。

 「おれを……?」

 「さっきも言ったろ? 友達を助けるのに理由はいらないって。アレ、嘘じゃないんだぜ」

 照れくさそうに鼻を鳴らしながら、だが真実を告げる。シオンは更に目を丸くしたが、やがて目を細めて、

 「そっか」

 ただ一言だけを、返した。

 そこに全ての想いが込められているような気がして、益々居心地が悪くなる。思わずローブの下で尻尾を二度、三度と揺らしてしまった。

 『――――――――――!!』

 「「ッ!?」」

 そんな穏やかな雰囲気も、遠くから聞こえた怒声でかき消される。

 「リド」

 「おう、行こうぜ!」

 それでも、その怒声に怖じける間もなく即座に戦闘体勢に移れる二人は、やはり根っからの『戦闘者』なのだろう。

 目を合わせると、頷き合い、声の中心へ向けて駆け出した。

 

 

 

 

 

  そして、その悲鳴を合図にシオンとリドは相当数の戦いに巻き込まれた。一度巻き込まれればネズミかゴキブリのようにモンスターと『闇派閥』が襲って来るのだ、休む暇もありゃしない。

 「で、またモンスターの群れなんだが……トレインされてないかこれ?」

 「生憎周辺に人がいる気配は無いな。オレっちが片付けるから、回復薬で体力を回復しといた方がいいぜ」

 ゼェゼェと息を荒げているシオンに声をかける。怪我自体は掠り傷を除いて一つも無いが、体力はそうではない。要所要所をリドに任せているとは言え、ほぼ全力で戦い続けているシオンは汗まみれだ。露出している顔や首筋だけでなく、手も汗で濡れている。

 「そうする。……リドは、いいのか?」

 「モンスターの体力舐めんなよ? まだまだ余裕よ」

 そう言って手を振るリドは、確かに空元気ではなく本当に余裕そうだ。やはり単純な身体能力では人間はモンスターに遥かに劣る。その事実を認識しつつ、だがリドは味方だから、と然程気にした様子もなくシオンは回復薬を口にした。

 ……ちなみに、ではあるが。

 こうして話している間も二人はモンスターに襲われている。単純にリドが一騎当千の動きでモンスターの群れを押し留めているだけだ。

 あと、ここまでリドと共に戦っていてわかった事がある。

 それは、リドはモンスターから狙われやすい、という事だ。もちろん目の前で戦っていればそのモンスターはシオンしか狙わない。だが、同じ距離でシオンとリドを視界に入れると、高確率でリドを襲いに行くのだ。

 ――人と異端児じゃ、異端児の方を優先的に狙う、のか?

 その理由を、シオンは漠然と理解していた。恐らく彼等の行動理由は、人のそれと対して変わりないんだろうな、と。

 例えば、肌の色が違う、例えば、髪の色が違う。例えば、話す言葉が違う。そんな、ちょっとした違いに途方もない嫌悪を覚える人間と同じで、モンスターも、自分達と決定的に異なるリド達に強烈な嫌悪を感じるのだろう。

 だからこそ、リドを襲う。いいや、リドだけではない。

 異端児――そう呼ばれる者は、誰一人例外無く、『異端』なのだ。

 ――人からも、モンスターからも疎外され、弾かれる、か。

 シオンが彼等と会ったのは、今回の事を除けばあの一回のみ。だが、そのたった一度の邂逅だけで、シオンは彼等の力になりたいと思ってしまうのだ。

 リドの笑みを思い出す。……子供のような、その純真な笑顔を。

 確かに外見は怖いかもしれないが――でもきっと、子供のような無垢なそれを。

 ――うん、そうだ。

 人だとか、モンスターだとかなんて、関係ない。

 ――おれは、きっと……。

 シオンがナニかに気付きかけた、その一瞬前。

 「シオっちッ、飛べェッ!!」

 その声に導かれるまま、シオンは倒れこむように跳んだ。その直後、シオンは鋭い物が掠めた感覚を覚えた。

 「大丈夫かシオっち!?」

 「ああ……多少髪が、切れたくらいだ」

 「……わりぃ、もう少し早く気付いてりゃあ、切られずに済んだんだが」

 言われて見ると、膝下まであったはずの長い白銀髪の左半分程が、腰上まで切られていた。リドに言われなければ、髪ではなく体を両断されていただろう事を考えれば、安い対価だろう。

 「髪なら伸ばせばまた元に戻る。……いや、別におれは伸ばす気なんて無いんだが」

 後半部分だけ小さく愚痴りつつ、シオンは前を睨む。

 ――()()()()

 少なくとも、刃物かそれに準じた物を持った何かがいるはずなのに。シオン、そしてリドの視界には何も見えない。

 「チッ……そこにいんだろうが! コソコソ隠れてねぇで出てきたらどうだ、臆病者が!」

 途轍もなく不機嫌そうなリドが、舌打ちしつつ右前方を睨みながら叫んだ。だが、それでも出てこない、シオンに見えない何かを感じているリドが得物を構えた。

 「出てこないなら、別にいいぜ。オレっちの方から」

 「チッ、マジでわかってんのか。あーあー、俺のこれも完全じゃねえって事かよ。使えね」

 「――ッ!!」

 その声を、シオンは覚えている。いいや、忘れる事などありえない。

 名前は、知らない。だが、だけど、コイツだけは忘れる事など無いと、確信を持って言えるような相手。

 「どう、して」

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 「お前が、ここにいる――ッ!?」

 全てを呪うかのような達観した瞳が、見下すようにシオンとリドを見つめていた。

 ――けれど。

 「ハーッ。ンなもん相手に教えるバカがどこにいるよ」

 心底どうでも良さそうに、視線さえ外してしまう。

 「……ッ。お前、『闇派閥』の人間だったのか」

 そう返されるのがわかっていて敢えて聞いたシオンは、それでも苦渋を隠さないままもう一つの事を聞いた。

 リドは……黙っている。言葉を交わす役目をシオンに任せたようだ。警戒心を向けたまま、いつでも突っ込めるように腰を落とす。

 「ふん、答えのわかってる質問なんてするのは時間の無駄だぜ」

 言って、背を向ける男。だが、油断は無い。リドも無闇に突っ込むのを躊躇うほどに、危うさを感じてしまう。

 「だから、それに答える代わりに――いいぜ、答えてやるよ。()()()()()()

 「何?」

 目的を教えるのはバカのする事だ、と断じた相手の手のひら返しに、逆に訝しみ、眉を寄せるシオン。そんなシオンの苦悩を、楽しそうに、心底から喜んでいるかのように、ただし、と奴は口を歪めた。

 「貰うもんは貰っとくがな。――そら」

 「……? ……ガッ!?」

 「シオっち? いきなり左腕を押さえてどうした? ――お前、何をしやがった!?」

 突如膝から崩れ落ち、リドの狼狽にも答えられないまま左腕を押さえだすシオン。その額に浮かぶ汗は、どう見ても痛みを堪えるために出てきた油汗だ。

 「ん? 別に答えるのは構わないけどよ。そのまま放っとくと死ぬぜ? そいつ」

 「何言って……!」

 シオンの苦悶の声をニヤニヤと眺めていた男は、リドの言葉にあっさりと返答した。それはどういう意図なのか見抜けなかったが、すぐにバラされた。

 「左腕に仕込んだ呪いさ。魔力と、少しの生命力を、呪いを中心に集める――ただそれだけの、単純なシロモノだ」

 「って事はつまり、シオンは今」

 「魔力と生命力を吸われ尽くしている真っ最中ってワケだ。……さて、さてさて? ここでショータイム!」

 バッと両腕を大きく広げ、堪えきれない嘲笑を混じえながら、男は叫ぶ。

 「その呪いの中心点は左腕! そして、一度発動した呪いはまず解呪できない! だったらシオンを助ける方法はたった一つしか無いよなぁ!?」

 ()()()()()()()()――言外に男はそう告げていた。

 「な、んだと……!?」

 リドが狼狽によって一歩下がり、動揺を隠せないままシオンを見下ろす。今にも気絶しそうなシオンに、剣を持つ手が震えた。

 ――左腕を、切り落とす。

 確かにそれが最善なのだろう。今も苦しむシオンを助けるには、この小さな体の一部を切り離す事こそが、救いになる。

 だが。

 だが、だ!

 ――オレっちが、シオっちを、傷つける……?

 異端児にとって、同類である異端児以外全てが敵だ。モンスターは当然、人間であっても会話など夢のまた夢。

 それでも、リド達は外に憧れた。ジメジメとしたダンジョンで、共に戦い、笑い合う人間達と、そんな彼等が住む外の世界に、憧れたのだ。

 だから努力した。助けても襲われて、襲われて、襲われ続けて――そして初めて、異端児を見ても襲わず、恐れず、会話を交わし、笑顔を見せ合った――。

 ――……たった一人の、人間の友達。

 できない。できるわけが、ない。

 「ああ、先に言っとくぜ」

 完全に固まるリドを見て、笑顔を隠せない男は、事実を告げる。

 「その呪い、魔力が切れれば生命力を容赦無く奪うから――後数分で死ぬぜ? そいつ」

 「……ッ!」

 事実だ、とリドは瞬時に悟った。先程シオンにもリドにも見えなかったが、リドは見えずとも感じていたのは、彼の感覚器官が優れていたからだ。特に聴覚を鍛えていたので、声音から嘘ではないのを察してしまった。

 けれど、動けない。

 左腕を斬らなければ、シオンは死ぬ。

 それでも、それでも――リドは、『もしも』の未来を恐れて、動けなかった。

 ――冒険者にとって、五体満足であるのは大前提だ。

 例えば四肢の欠損。例え一箇所であろうとも欠損していれば、冒険者稼業などまずできない。そしてシオンは冒険者であり、左腕を切り落とす、というのは。

 ――()()()()()()()()()()()()という事に、他ならない。

 命は、助かる。

 だが、この齢で冒険者になる事を決意したシオンの覚悟を、捨てさせてしまう。そして、そうなった時のシオンが、左腕を切り落としたリドを恨まない、とは言い切れない。

 初めての、たった一人の友達。

 そんな彼から向けられる、本気の憎悪――それを想像するだけでも、リドは剣を持つ手を動かす事ができなくなってしまう。

 恨まれてもいいから助ける、と言い切るには、リドはあまりにも孤独な時間が長すぎた。

 これが同じ異端児なら、覚悟できても。

 人を相手にすれば、これほどまでに脆いだなんて――……。

 「……リ、ド……ッ!」

 「ッ、シオっち!?」

 動けないリドを動かしたのは、シオンだった。痛みを堪えきれないのだろう、鬱血し、痕が残りかねないほど強く左腕を掴みながら、シオンは言った。

 「左腕を……切ってくれ」

 「な!?」

 「死ぬのに比べれば、ッ、安いもんだろ……」

 震えながら体を起こし、右手を離す。それからすぐに布を口に運んで噛むと、ポーチに入れておいた万能薬(エリクサー)を取り出し、リドの足元に置いた。

 そして、目で告げるのだ。

 ――お前にしか頼めない。

 今の瀕死に近いシオンでは、自分で自分の腕を切り落とす程の力が出ない。中途半端になるのがオチだろう。

 だからこそ、リドだ。リドの膂力なら――綺麗に、ひと思いに、やってくれるはず。

 そう、信じている。

 そして、それを感じ取ったリドも、覚悟を決めた。自身の剣に目を落とし、その刃のボロボロさに苦笑した。これでは綺麗に切れる訳が無い。

 「借りるぜ。剣」

 「……ッ」

 シオンの取り落とした剣。それを拾い、リドは構えた。

 一撃だ。

 一撃で、切り落とす――!

 スッ、と、斬られたという事実を遅れて認識するほどに、あっさりとシオンの左腕は肩口から切り落とされた。腕が宙を舞い、血が吹き出た瞬間、シオンは痛みを知覚する。

 「――――~~~~…………!??」

 あまりの激痛に左腕を押さえかけるも、それを意思一つでねじ込む。今下手に傷口に触れれば痕として残りかねないと、わかっていたからだ。

 リドに渡しておいた万能薬が塗りつけられるまでの時間が、あまりにも長く感じる。そうして長くなった時間の中で、痛みによって反射的に浮かんだ涙で揺れる視界の端。

 飛んでいった腕を回収する男の姿が見えた。

 けれど、それを止める事も、言葉で言う事もできない。

 今万能薬で治療しなければおれは死ぬと、誰に言われるまでもなく気付いていたからだ。液体が傷口に振りかけられる激痛。布を噛んでいながら、それを噛みちぎって血だらけになった口元に飲み込まされる激痛。

 痛みには慣れている、というのにも限度がある。そしてこれは、その限度を超えていた。

 獣のような声を間近で浴びながら、それでも暴れるシオンを抑えて冷静に万能薬を使ったリドの心境は如何ばかりか。

 シオンにはわかるはずもなく、意識が暗転し――数秒で、起きる。

 「ッ……ノド、いた……洒落、なってない……」

 万能薬を飲んでおきながら、未だに痛む喉を右腕で押さえる。リドに背中を支えられてようやく上体を起こせたシオンの体に、左腕は、もうなかった。

 「中々面白い見世物だったぜ」

 「テメェ! ぶっ殺してやるからそこ動くんじゃねぇ!!」

 怒りによって遂に口調が乱れたリドの殺気は、並の冒険者では出せない相当な濃さ。それを受けても涼しげに笑いながら、男は約束だ、と言った。

 「俺の目的を教えてやるよ」

 それを聞いても、シオンは鈍い反応しか返せない。頭の中で鈍痛が止まず、言葉を言葉として認識するのも辛い状況だからだ。

 そんなシオンをつまらなそうに一瞥すると、それでも律儀に続けた。

 「ま、目的っつっても単純だ。シオン……あるいは、シリスティア。お前にこれ以上ないってくらいの惨めさを教えてやりたいだけだ」

 「シリスティア……? シオっちの事か?」

 「そいつの本当の名前だ。母親の名前はイリスティア。オラリオ(ここ)じゃイリスなんて名乗っていたから、知ってるのは俺を入れても少数だろうよ」

 「……父さんと母さんを殺して、それに飽き足らずおれも、か。精神破綻しすぎ、だろ」

 言い終えた瞬間咳をし、同時に血が溢れる。傷は治っても、流れた血は体内に残留したまま消えていないからだ。

 「安心しろ、自覚はしている。――で、だ。あまりにあっさりとそいつの両親殺しちまったせいかねぇ? 足りないのさ。この怒りが、恨みが、憎しみが! まだまだ向けたりねぇって叫んじまう! だからこそ考えた!」

 ――シオンは、あっさり殺してやらなきゃいい、と。

 「義姉を殺した。人殺しの道に引きずりこもうとした。噂を利用して孤立させようとした。友を殺そうとした。――大半は失敗に終わったが、それでも、散々苦労しただろう?」

 「…………………………」

 「これもその一貫さ! ああそうだ、随分前から念入りに準備していた! ――使えねぇ駒のせいで予定が狂っちまったがな」

 シオンの反応は、やはり鈍い。それでもなお、もう気にする必要など無いとばかりに男は笑い続ける。

 「――さて、ここで一つ授業をくれてやる。シオン、オラリオの便利な生活は魔石によって支えられているのは知っているな?」

 「……何を、今更……」

 「ふむ、反応ありがとう。なら、魔石が魔力の塊なのも言わずとも知れたことだ」

 上機嫌に告げながら――後ろ手に隠し持っていた、シオンの左腕を掲げる。呪いを宿したというシオンの左腕は――黒に染まっていた。

 「だが、そこから先は誰も考えない。例えば、そう――人の魔力も、一箇所に集められるなら()()()()()()()を宿すんじゃないか、とかな」

 まぁ、考えてもまず不可能なのは言うまでもないが。魔力が液体だとして、それを体内に宿したまま一箇所に集め続けるなど、リヴェリアでさえできない事だ。

 ……けれど。

 外部から、それを可能にする機能を付け加えれば。

 例えば――そう、例えば。

 呪いによって、『魔力と生命力を強制的に吸収する呪い』を埋め込めば――不可能は、可能へと成り代わる。

 「さあ授業の答えだ! 呪いによって湧き続ける魔力を一点集中! 長時間集めに集めたそれは深層のモンスターの純度を遥かに超えた擬似魔石となるわけだ!」

 特に、

 「シオン、お前はLv.3ながらそこらの魔道士に勝るとも劣らない魔力を持つ。超難度の魔法を常用してきた結果だろうが――だからこそ、この左腕は凄まじい魔力を宿すわけだ」

 さて、さてさて。

 「そして、これまでの『実験』で得た擬似魔石が、ひとーつ、ふたーつ、みーっつ。と、数はあんま揃えられなかったが、こんだけある」

 ()()()()が、本番である。

 「んでもってこっからが重要だ。この擬似魔石は、擬似とついちゃいるがモンスターが宿す魔石と機能は変わんねぇ、とさっきも言ったな?」

 「……待て。待て、お前、まさか……!?」

 「リド……?」

 リドが、固まる。まるで理解し難い人間を見つめるかのような目で、その縦長の瞳を見開いた。恐らくリドの正体などとっくに感づいていながら、男は壁に近づき、虚空に手を置いた。

 ――いいや違う。

 それは、シオンが虚空だと思っていた物だった。

 それは、リドの五感さえも欺いて、そこにあった物だ。

 それは――巨大な卵のように、ドクン、ドクンと振動していた。

 「さあ――ここに、階層主がいる。見ればわかるが、まぁ、出現間近だな?」

 それを見れば、シオンもわかる。この男が一体何をしようとしているのか。一体何を考えて、擬似魔石を作り上げたのか。

 そんな、信じられない物を見たかのようなシオン達にバレないよう詠唱し、魔法を唱える。それを即座に完成させ、『自分とシオン達』にかけた。

 それに気付かぬまま、シオン達は見た。

 巨大な卵が割れる様を。

 そこから出てきた、卵の威容に恥じぬ巨大な体を。

 階層主の出現を告げる咆吼をあげるために、その口元を大きく開いた、その瞬間。

 「さぁて――ショータイムの始まりだ」

 そこに、四つの擬似魔石が、放り込まれるさまを。

 ――シオン達は、何もできないまま、見つめるしかなかった。

 『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッッッッッ!!!!!!!!!!』




一月ぶりの更新、遅くなって申し訳ありません。忙しさどうこう以前に暑すぎてやる気が起きない……休みの日の半分以上寝て過ごしている有様です。

まぁ何とか更新は続ける予定。
ちなみにタイトルの■■■■は擬似魔石。人の体を犠牲に作り上げるシロモノです。わかりにくいなら、ちょっと古いですが鋼の錬金術師の賢者の石あたりを想像するといいかも?

次回は……内容あんまり考えてません。割と大雑把進行になりつつある(描きたいシーンが多すぎて)。
実は今回もシオンとリドが他の冒険者助けるシーン一つ二つ書きたかったんですが、気力的に書けなかった。低クオリティすみません。

……こんな無様な有様ですが、次回もお楽しみに!(していて下さい、はい)


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竜の出現

 その咆吼は、フロアにいる全存在へと響き渡った。

 否、声は届いていない。声を轟かせるには、このフロアはあまりにも広すぎる。

 けれど、かの存在感は、声は届かずとも濃密な死の気配を理解させるには十分で、だからこそ、あまりに呆気なく踏み越えられた。

 ――自分達はここで死ぬのだ、という恐怖を。

 誰もが薄々と感じていたそれを、必死に抑え込んでいた理性を……階層主が現れただけで、焼き払ってしまった。

 ああ、届いてくる。感じてしまう。あちこちで発生するパニックを、しかし止める術などありはしない。

 恐らく【アストレア・ファミリア】が守護する階段付近は希望を保てるだろう。だが、そこにいない冒険者達の末路は、想像したくもなかった。

 それら全てを予期できた、違う、できてしまったシオンは、しかし動けなかった。動かなきゃいけない、という心に反して、体は欠片も動いてくれない。

 何とか目だけを動かしてリドを見る。

 「無理、だ」

 シオンの期待の込められた視線を、その意味を理解しながら、リドはそれを拒絶した。その真意を痛みで鈍った脳で何とか理解する。

 ――ああ、足手纏いなんだな、今のおれは。

 リドが動けば、必然動けないシオンはここに放置される。そうなれば死ぬだろう。例え1階層に出現するモンスターであっても、今のシオンなら抵抗もできずに殺される。それほど今のシオンは弱っているのだ。

 「ふむ、コイツは予想外だな」

 今尚咆吼をあげ、己の存在を知らしめているそれを見上げる男。その男の目線の先を追うと、階層主の左頭を見ていた。

 その左頭は、右頭とは異なり巨大化している。というより、大きすぎて体のバランスが傾いて、常に左頭を地面に着けている程だ。

 ――『双頭竜』アンフィス・バエナ。

 外見としては蛇が近い。ただ蛇と違うのは、アンフィス・バエナには尾が存在せず、代わりにもう一つの頭がある事だろう。

 その頭――恐らく後ろの方――の一つが巨大化しすぎて、まともに動けていない。前の頭が必死に引っ張ろうにも、自重のせいでビタンビタンと鞭のようにしなるだけで終わっている。

 「27層の理由は、これ、か……」

 階層主は強い。というか、強すぎる。一パーティで相手取るのは余程のレベルと経験を備えていなければ不可能。そのため例え異なる【ファミリア】に所属していても一時的に協力してレイドを組んで相手にするほどだ。

 だが、その階層主は基本的に()()()()()()()()()という特性を持つ。自身が現れた場所から一定範囲を動くことはなく、視認しても全力で逃げれば追ってこない。

 だが、このアンフィス・バエナだけは違う。

 この階層主だけは――ギルドで確認した中で唯一の()()()()()()

 つまり、()()()()。コイツは。この、27階層全体を。

 26層に逃げれば追ってくる可能性は低いが……今、その階段は塞がれている。逃げようとしたところで逃げられるような状況ではない。

 だからこそ、今の奴の状態に助けられている。恐らく後ろ頭を動かせれば、奴は瞬時に移動を開始していただろう。というか、今も動こうと必死なのだし。

 「残念、だったな。おれの左腕は、ただの重石にしか、なってないみたい、だぞ?」

 途切れ途切れで事実を告げる。擬似魔石として利用されはしたが、あの階層主をこの場に繋ぎ留める要石に使われたのなら本望だ。

 それと朦朧とした意識の中でも観察し続けて気付いたが、奴の胴体がおかしい。二つの頭の丁度中間点が、異様に膨れているのだ。

 そして膨らんでいる部分、皮と肉から透けて見える『黒』。後ろ頭はシオンの左腕を取り込んだ結果なのだとしたら、誰かの心臓を取り込んだあそこは恐らく……。

 「ふ、くく……ハハハハハ、ハハハハハハハハッ!!」

 「……? 何笑ってんだお前? 自分の計画がご破産になって気でも狂ったか?」

 そこでシオンの思考は中断された。唐突に笑いだした男は、何がおかしいのか、腹を抱えて爆笑している。

 そんな男を警戒するように、シオンを抱き抱えて一歩下がるリド。それを気にすることなく、男は両腕を広げて振り返った。

 「いやいや、本当におかしいのさ。まさかシオン――『強化種』に常識を求めているんじゃあないだろうな?」

 「な、にが」

 「見ていればわかる。いいや、もう直()()()()ぞ、コイツは」

 そう、宣言した瞬間だった。

 ドンッ! という音を、全身で感じた。それに対応するようにリドが足を踏みしめつつ、その発生源に目を向けた。

 「おい……マジかよ」

 向けて、口を開く事しかできなかった。

 ドンッ! という音が、もう一度響く。前の頭が、黒い瘤がある部分までを持ち上げ、更に追加で振り下ろす。

 それは、人間で言えばうつ伏せの状態から上半身だけを持ち上げ、頭を地面に叩きつけるような行為。やっている人間を見れば正気を疑うような行動だ。

 それを、アンフィス・バエナは一度、二度、三度と繰り返し続ける。振動は27層を揺らし、揺らし、そして――それが起こった。

 ()()()()()()()()

 もちろん、前頭のように大きく持ち上がることはない。だが確かに上へ持ち上がり――そして即座に、地面へ落ちた。

 轟音が響き、一瞬男とリドの体が地面から浮き上がる。

 あまりの音量に耳を塞ぎたい衝動に駆られながらも、リドは確かに見た。

 少しずつ、少しずつ――アンフィス・バエナが、動き出しているのを。前頭を地面に叩きつけ、その反動で後頭を引きずるように動いている。

 「テメェ、まさかこうなるって知ってやがったのか!?」

 「んなわけないだろ、俺にも予想外だぜコイツは! まさかこんな移動をするなんてなぁ! 強いのか弱いのかもわかんねぇし!」

 あまりにもバカバカしいのか、未だに笑っている。確かに従来と異なる動きでは、本来の強さを発揮するのは難しい。

 だが、わかっているのだ。男も、リドも、シオンも。

 あの後頭が鉄球そのものだという事を。あの頭が大地を薙ぐだけで、その威力は絶大な物となる事を。

 今はまだ、アンフィス・バエナが満足に後頭を振るう術を持ち合わせていないだけ。すぐにでもアレは今の己の戦い方を編み出すだろう。

 「だが、面白い。変な方向に行きはしたが、だからこそ突飛な戦い方が生まれたんだから」

 それを『面白い』と言い捨てる男の歪さに、シオンは知らず顔を顰めた。そんなシオンを嘲笑うように、いいや実際嘲笑っているのだろう。

 男は、言った。

 「お前のお陰だ、シオン」

 「お、れの?」

 男の瞳にはシオンしか映っていない。

 「ああそうだ。お前は最初からわかっていたはずだぜ、自分の左腕は完治なんてしちゃいないことくらい。それを隠してここに来るかどうかは賭けだったが、俺はそれに勝ってあの『強化個体』を生み出した」

 確かに、そうだ。

 『心臓』を元にしたからあの瘤が生まれ、『左腕』を元にしたからあの黒い後頭となった。つまりそれはシオンの左腕があったからこそで。

 「お前がいたから――今ここにいる人間全員、殺し尽くすことも夢じゃない」

 「ッ……!」

 シオンの瞳には、男しか映っていない。

 「()()()()()()()()()

 その言葉の意味が、決して感謝のそれじゃない事はどんなバカにもわかる。

 「お前は困った人を見捨てられない」

 ――ああ、だから27層にまで来た。

 「お前は【アストレア・ファミリア(トモダチ)】を見捨てられない」

 ――わかっていた、『何か』が起こることに。

 「そんなお前のお陰(せい)で――皆、みーんな死んじゃうんだぜ?」

 ――だから、これはおれの……。

 「ふざけてんじゃねぇぞ! 頭に蛆湧いてんのかテメェ!?」

 「リド……?」

 徐々に俯いていたシオンの顔が上がる。その眼を見て、リドは男を罵倒した自分を、決して間違っていなかったと確信する。

 死にかけていたシオンの眼を見れば、確信を得る以外に無い。

 冷静な頭なら、シオンはきっとコイツの言葉を無視しただろう。だが、今のシオンに冷静さは期待できない。ただでさえ血を失った上に痛みを堪えているのだ。

 だからこそ、教えてやらねばならない。

 悪いのは全て、コイツなのだという事を!

 「シオっちの腕を擬似魔石に変えたのもッ、それ以外の擬似魔石も! 全部テメェが用意してアレに食わせただけだ! 全部テメェのせいだろうが!?」

 その言葉に、シオンの冷静な部分が納得を覚え、同時に感情が反発する。だが、それでも先程までの死んだ眼はどこにも無い。

 「チッ、余計な事を」

 「悪いがどこに余計な事があるのかオレっちにはわからないね」

 それを見た途端、急速に興味が失せていく。絶望し、泣き叫ぶ様が見たかったというのにこれでは意味がない。

 「ああ、そうだ。()()してくれた礼だ。報酬をくれてやるよ」

 だから、最後に言ってやった。

 「今この一帯には、さっきまで階層主を隠していたのと同じ魔法を展開している。この騒動が終わるまでは消えないから――ま、後はわかんだろ?」

 こう言えばどうなるのか、それを理解していながら、男は去っていった。

 それを止めることはできない。止めるだけの余裕がない。歯ぎしりして、今すぐ奴の首を捩じ切りたいのを堪えて、シオンを抱えなおす。

 「アイツの言葉が真実かどうかはわからねぇけど、体を休めなきゃいけないってのは本当だ。しばらくここでジッと……おい、シオっち!? 何してんだ!??」

 リドの言葉を無視して、壁にもたれた体を動かしてポーチから万能薬を取り出す。それはシオンが持っている分の最後の一つで――虎の子のそれを、躊躇なく飲み干した。

 「ッ……ァッ!?」

 瓶が手からこぼれ落ち、痛みに堪えるように体を抱きしめる。そんなシオンを慌てて抱えるも、何が起こっているのかわからないリドには手が打てない。

 それでいい。今のシオンは、万能薬によって血を増産しているだけ。その増産に伴い各種臓器や血管に負荷がかかっているだけなのだ。

 特に――失ったばかりの左腕。その断面に。

 痛みに悶えたのは五分か、十分か。貴重な時間だった。けれど必要な時間だった。通りがかったモンスターが無視したのもあって、二人は無傷だ。どうやらあの男の言葉は真実らしい、というのを再確認しつつ、リドは呻きを止めたシオンを見下ろす。

 「シオっち、敢えて聞くぜ。……()()()()()()()()?」

 「戦うつもりだ。アンフィス・バエナと。そして……アレを討伐する」

 「……ッ、無理だ! わかっているはずだぞ、アレはそう簡単には倒せねぇって事くらい!」

 「わかってるよ」

 「ならどうしてだ!?」

 問い続ける間にも、シオンは立ち上がろうとしている。苦痛に歪んだ顔を隠し、左腕が無くなってバランスの取れなくなった体を揺らし、それでも、と。

 そんなシオンを見ていられなくて、リドは悲痛な声を出した。

 そんなリドを、シオンは見つめた。

 「アンフィス・バエナを倒さなきゃ、助けられない人がいるからだ」

 「……!?」

 ――誰かを助けたい。

 シオンの願いは、想いは、それだけだ。左腕を持ってかれたからでも、自分のせいだという筋違いな責任感からでもない。

 ただそうしたいからという、ワガママから来る行動だ。

 そして、わかってしまった。

 こんな頑固な眼をした人間なぞ、止められないという理解。両目を片手で覆い、盛大な溜め息を吐き出した。

 「ァ~あ……しゃあねぇ。それじゃ止めるなんてできるわけ無いっての」

 これ以上無いくらいの苦笑いを浮かべつつ、リドは剣に触れた。

 「それなら」

 「ああ、ここでお別れだ、リド」

 力になる――その言葉は先んじて封じられた。

 「きっとアンフィス・バエナとの戦いは相当なモノになる。リドが近くにいれば注目を浴びるだろうし――それに、そのローブも保たない」

 どうして、という疑問すらも制される。

 「オレっちは……シオンの助けにゃ、なれねぇ、のか?」

 リドの声が、拳が、微かに震える。それを聞いて、見ていながら、シオンは瞼を閉じて、静かに頷いた。

 「リドには十分助けられたよ。左腕程度で済んだし、ここに来るまでにも色々カバーしてくれたしな」

 「だ、だけどよ。これからが本当に辛いとこだろ? オレっちの力が本当に必要なのはここからじゃ――」

 「リド」

 言い募る彼を、一言名を呼んだだけで押さえてしまう。それはシオンの表情が不自然な程に穏やかだったからだ。

 「ありがとう」

 心の底から嬉しそうに。

 「お前の言葉で目が覚めた。それで十分。……お前はお前の身を案じてくれ」

 ――彼は、リドを拒絶した。

 シオンにそんなつもりは欠片もないだろう。だが、リドはそう感じた。さよなら、という言葉さえ今生の別れにしか聞こえなくて――リドは最後まで、彼の背中を見ている事だけしかできなかった。

 そしてその小さな背中が見えなくなって……リドは、崩折れた。

 「ち、くしょう」

 知らず、そんな言葉が漏れる。

 「畜生……畜生ッ!」

 今初めて、己が身を呪う。

 「オレっちが、人間ならッ! こんな体じゃ無けりゃ、力になれたのに!?」

 異端であることを。人でもモンスターでもないこの身を、強く、強く。

 「肝心なとこで友達の力になれねぇなんて……!」

 シオンの想いを無碍にしないのであれば、今すぐ逃げるべきだ。異端児が存在を許されるのは、その存在を悟らせないから。

 悟られれば、全員が狩られる。リドだけじゃない、力を持たない彼等全員だ。

 それをわかっていても、リドは動けなかった。

 ただ、思う。

 「誰でも、いいんだ」

 ただ、願う。

 「オレっちの代わりに、シオっちの助けになってくれ――!」




 コミケに行く前に予約投稿してたんですが、日にちズレてました。帰って早々寝落ちして確認もできず……という訳で今日投稿します、申し訳ない。

 今回は短め。後今更気付いたんですが、27層やそれ以前の層の描写してないな、と。でも今更書き直すのもなぁという絶妙な気分の私です。

 あ、あとそれっぽい感じで終わってますが、次回は少し時間軸が戻ります。そろそろベートを始め他のメンバーに焦点を当てないと、想定通りに終わらないので。

 そして誤字報告ありがとうございます。誤字には気をつけたり軽く読み直して自前で修正したりしているので比較的少ない方だと思いますが、まだこんなにあったのかってくらい一気に報告が。
 今まで報告してくれた方々含め、ありがたい限りです(それだけ注意して読んでくれてるって事なので)。

 それでは次回もお楽しみに!


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