執務室の新人提督 (カツカレーカツカレーライス抜き)
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そこから
1話


「はい、これお願い」

 

「はい、じゃあこちらをお願いします」

 

「あ、うん」

 

 書類が、さらりと交わされる。

 まるで流れるような作業は一切の淀みもなく、人が見ればその行為は今執務室に居る二人の間で長く交わされた物であると思う事だろう。

 だが、実際は違う。

 

「……うん、これなら大淀さんが見ても大丈夫だと思います、提督」

 

「そっかー……ありがとう、初霜さん。早く仕事が出来るようにならないとねー……」

 

「いえ、ここに着任されて半月でこれなら、十分ですよ?」

 

 僅か、と言うべきかどうか判然とはしないが、そう長くもない時間である。あるのだが、"提督"と呼ばれた20を幾つか過ぎた程度の年若い男と、"初霜"と呼ばれた、男よりさらに年若い――と言うよりは、幼いと言うべき――少女の間で、"仕事"という時間は半月の間、特に濃く、実に重く流れた。

 人は少しの時間でも、苦楽を共にすれば親しく、または相互に信頼を得るのだが、この二人は特にそうだった。

 

「んんー……」

 

 提督と呼ばれた男が椅子に座ったまま、背もたれにもたれかかり、両手を突き上げて背伸びをすると、少女は目を細め微笑み、いつの間にか用意していたお茶と、適度に切られた羊羹を提督の前に置き、書類を軽く片付けた。

 

「少しばかり休みましょう。もうお昼時ですし」

 

「あれまー……もうそんな時間かぁ」

 

 背伸びをした際に滲み出た涙を指で拭いながら、男――提督は初霜の言葉で室内に備え付けられた壁掛け時計を見上げた。確かに、時刻は昼を少しばかり過ぎている。

 提督は頭を軽く掻いて、初霜に頭を下げた。

 

「集中し過ぎた。申し訳ない」

 

「いえ、お仕事ですもの」

 

「……」

 

 微笑んだままの初霜に、提督は口をへの字に曲げて甘えてみせた。

 

「初霜さん、お昼ご飯だよ」

 

「そうですね」

 

「そうですね、じゃないよ?」

 

「そうなんですか?」

 

 さらりさらりと言葉と時は流れていく。至極当然、さも瞭然と。

 

「僕はいいんだ、初霜さん。お昼ご飯の時間だよ。お姉さん達と食べておいでよ」

 

「……姉さん達、まだ食堂にいるかしら」

 

 首を傾げる初霜に、提督は目前の少女とよく似た微笑を相に浮かべて返した。

 

「君達は皆仲がいい。例え初霜さんのお姉さん達が居なくても、霞さんや雪風さんに朝霜さん浜風さん、ことによっちゃあ那智さん羽黒さん、矢矧さんか伊勢さん日向さんが居るかもしれないよー」

 

 少女と特に仲の良い名前が提督の口から出たからだろう。初霜は小さく頷くと

 

「では、お言葉に甘えさせて頂きますね」

 

「そりゃあ、こっちのセリフだよ」

 

 手をひらひらと振る提督に、初霜は苦笑を一つ浮かべながら一礼し、部屋から退室していった。

 一人分の温度を失った室内で、提督は初霜の出してくれたお茶と羊羹を眺めた。そのままじっと眺め続け、10分も過ぎると頬杖をついて見つめ、30分もすると親の敵かと言わんばかりに睨み付けていた。

 

「――よし」

 

 何かを決したのだろうか。提督は湯飲みに口をつけ、少しばかり嚥下する。ゆっくりと湯飲みを机に置き、初霜が用意したであろう楊枝も使わず、手掴みで羊羹を口へと運び咀嚼する。

 飲み込み、何かを確かめるように頷くと、提督は一言呟いた。

 

「ぬるい」

 

 お茶の事だろう。

 

「甘い」

 

 羊羹の事だろう。

 

「なら、これはやっぱり現実で……"リアル"だ」

 

 なんの事だろう。

 

 提督は頭を掻いてから、机の上に置いていた白い帽子を手にして立ち上がる。なんら気負った様子はなく、日常的な動作に過ぎない。ただ、その姿になにか寒さがある。

 彼はただ歩く。目は真っ直ぐ一点を見ている。初霜が一礼し、開閉した木製の扉。その銀色に輝くドアノブだ。

 小さく息を吐き、大きく息を吸い。そして提督はドアノブに手をかけ、回した。

 

「……あぁ、今日"も"かい。そりゃあ、また――」

 

 弱弱しく口にした言葉を、提督は途中で放棄した。彼の耳に小さな足音が飛び込んできたからだ。小さな、そう、例えば初霜と呼ばれた少女位の、軽快な足音が、徐々にこの部屋に近づいて来ている。

 

 壁にある時計を一瞥し、苦笑を浮かべ、肩をすくめる。提督は自分の肩をとんとんと叩きながら椅子と戻り、白帽子を無造作に机の上に放り投げ、背もたれにだらしなくもたれかかった。ゆっくりと目を閉じ、扉が開くのを待つ。そこから顔を出すだろう少女の姿を思い浮かべながら。

 

「提督、ただいま帰還しました」

 

「あぁ――」

 

 提督の想像通り、部屋へと当たり前に入室してきた初霜の姿に、つい先ほどやった様に肩をすくめる。なんとなく、少女の足音によって途中で遮られた独り言を思い出し、提督は続きを口にしてやろうと唇を舌で湿らせてから、嗤った。

 

「残酷だねぇー……」

 

 鈍く光るドアノブを見つめたまま、提督は首を横に振った。




はつしもふもふ
りはびりとプロローグなんで文字数すくないもふもふ


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2話

短時間での連続投稿禁止っていつの間にか規約から消えてたんですね


 鎮守府。

 そう呼ばれる敷地内の、まだ朝霧が僅かに漂う一画に、軽快な足音が木霊する。白い裾の長いセーラー服をワンピースのように纏ったその足音の主は、目に飛び込んできた前を行く黒い後姿を見て、笑みをこぼした。

 手を大きく振り、足を早め、急くようにその黒い後姿に近づき――

 

「はぁつしもー。おはよー!」

「っ!?」

 

 ばしん、と、少しばかり勢いを乗せた手のひらで背を叩いた。驚いたのは叩かれた方だ。

 彼女は首だけを動かし、背を叩いた少女へ涙を浮かべた瞳できつくにらみ付ける。……まぁ、にらみ付けているのだろうが、どうにも迫力がない。少しばかりの痛みで浮かべた小粒の涙も迫力を削ぐ小道具になっているのだろうが、どうやら彼女――初霜には迫力といった物が今一つ足りないのだろう。

 

「雪風さん、おはようございます」

 

「はい、おはようです!」

 

 本当に今一つ二つ迫力が足りない。それでも、流石に言いたい事があるらしく、白い少女――雪風の二度目の朝の挨拶を聞いてから、初霜は迫力の足らぬ相で眉を吊り上げ、口を開いた。

 あとしつこい様だが、本当に迫力がなかった。

 

「雪風さん、一日の始まりなんですから、そりゃあ親しく体をたたくのも、まぁあって良いとは思います。思いますけど、まずはその人を確りと見てからお願いします」

 

「あ、そうか。ごめんなさいです」

 

 初霜の言葉に、何か思い当たる事でもあったのだろう。雪風はぺこりと頭を下げ、いまだ動かぬ初霜の両手を見た。

 普段であれば、何かしらの叱責――と言えるほどの物では到底ないが――を落とす際、初霜は腰に手を当て、反対の手で指を一本立てつつ、正面から相手の目を見る。が、今朝はそれがない。

 体を正面にむけるでもなく、ぴっと指を一本立てて叱るでもない。それも当然であった。

 彼女の両手は、今塞がれていた。雪風は、初霜の両手を塞ぐそれを、ほー、っと口にしながら眺め、

 

「それが今日の司令の?」

 

「うん、そう。朝ごはんなの」

 

 初霜は嬉しそうに、白い布に包まれた弁当箱を撫でた。

 

「今朝は、初春姉さんがどうしても炊き込みご飯を入れたいって言うから、少し早くて……」

 

「なるほどー、たきこみですかー」

 

 ちなみに、弁当の調理中に必死に出汁巻きを入れようとする軽空母が居た訳だが、特にこの話とは関係ない。

 眠そうな、しかしそれ以上に幸せそうなかつての相棒の顔に、雪風はなんとなく双眼鏡を弄りながら続ける。

 

「司令も、食堂に来れたら良かったんですけれどねー」

 

「……そうね」

 

 同意しておいて、けれど、と初霜は返した。

 

「だから、こういう事が出来る、と思いたいの」

 

 両の手にある弁当を僅かに持ち上げて、初霜は雪風の目を真っ直ぐ見つめた。

 

「一昨日は綾波型。昨日は暁型。今日は初春型。明日は――」

 

「白露型の皆さんですね。じゃあ、そろそろ私達の番かなー」

 

 提督のために弁当を作り、初霜のように微笑む順番である。だがしかし。

 

「誰が持っていくかで、大抵荒れますが」

 

「前の時も陽炎型とか大混戦でしたよ」

 

 ハイライトさんが仕事を放棄した顔で初霜が呟くと、普段の元気印など知らぬと言った顔で雪風が返した。

 駆逐艦娘寮○○型部屋からお送りするホットなセンソウカッコガチである。最悪の場合他の艦娘も巻き込む仁義なきセンソウカッコガチである。いや、彼女達の仕事は冗談抜きのガチ戦争ではあるのだが。

 

「姉妹の数が多いですものねー」

 

「ねー」

 

 なんとなく、苦くではあるが微笑んで、二人は肩を並べて歩き出す。話題は、そのままだ。

 

「吹雪さんとこみたく、分けた方が良いかもしれませんね?」

 

「でもそれやると、改白露型とか、陽炎姉妹なのか夕雲姉妹なのかはっきりしない末っ子が暴れるかもですよ? いや、秋雲だと両方のお弁当当番に顔出すんじゃ……」

 

「んー……そこはまぁ、言い含めておかないとね? あぁ、あと霞さんのとこも、姉妹多いですから、ちょっと荒れる、かなぁ?」

 

 何を好きこのんで男一人の弁当当番を争うのかと思われるかもしれないが、なんの因果か少女へと転じた艦達にとっては、提督、或いは司令と呼ばれる男は特別な存在なのだろう。

 

「あ」

 

「なんです? なんです?」

 

「霞さんと言えば、前のお弁当当番のとき、得意料理のカレーを入れたそうなんですけれど」

 

「あぁ、大事な決戦の前に用意して食べるくらいですもんねー」

 

 坊の岬の実話である。あと雪風はさらりと流したが、朝からカレーは一定の年齢を超えた人間にとっては拷問である。さらに言えば弁当に向いた物ですらない。あと通常紫に光ったりは決してしない。あの高速戦艦は何を混ぜているのだろうか。 

 

「お昼って、軽巡、重巡と戦艦の人が当番でしょう?」

 

「夜は軽空母と正規空母と航空戦艦の人でしたっけ。住み分けですねー」

 

 雪風は微妙に間違っていた。

 

「そうね。で、お昼、足柄さんだったらしくて……」

 

「あ」

 

 朝昼ダブルカレーである。そして始まったまさかの礼号組を巻き込んだ内部抗争は、提督内で一生語られる逸話となった。胃へのダメージと共に。

 

 雪風と初霜は、互いに目を合わせて、柔らかく微笑んだ。微笑ばかりの朝ならば、多分それはきっと幸せな事なのだろう。

 

 

 

 

 

 

「うん、おはよぅ……はつ、しもさん?」

 

「はい、初春型四番艦、初霜です。おはようございます、提督」

 

 朝は弱いらしい提督を手伝い、初霜は執務室の隅に広げられたままの、つい先ほどまで提督が包まっていた布団を持ち上げ、前もって開けておいた窓へと向かい、干しにかかる。

 

「この部屋の窓が大きいから、こうやって干せますけど……やっぱりベランダかお庭で干したほうがいいと思いますよ?」

 

「でも、ここにはベランダないし、庭となると、誰かに持っていって貰うって話でしょー?」

 

 寝ぼけ眼のまま、提督は頭をがしがしと少しばかり乱暴にかきむしり、やっぱりそれは、と口を動かした。

 

「駄目だな。嫌だ。僕の事でそこまでは、駄目だ」

 

 確りとした声音である。こうなると、これ以上は無理だ、と初霜は感じ、ちょっとばかし頬を膨らませた。年相応、実にらしい姿である。

 

「じゃあ、してもいい事はしますよ?」

 

 布団を干し終えた初霜は、櫛を手に取り、だらしなく床にあぐらをかく寝ぼけ姿の提督の後ろへあっさりと回り込んで、髪を梳かし始める。

 

「慣れてるねー」

 

 先ほどの様子はどこへやら、むにゃむにゃと夢見心地のまま無防備に佇む提督へ、初霜はにこりと笑った。

 

「うちの姉妹は、若葉以外みんな髪が長いですから。時間がないときなんかは、皆で手伝ったりとかしますよ?」

 

「あぁ、なるほどなー」

 

 撫でるように髪を梳き、見れる程度には髪形を整え終えた初霜は、今度は室内に置いてるクローゼットから、提督が今日着る第2種軍装――見慣れた白い軍服――を取り出し、余計な皺がよっていないか確かめながら、執務室にあるソファーに掛けていた。その姿をなんとはなしに眺めている提督に、いつの間にやら箪笥からシャツやトランクスと靴下を引っ張り出し終えた初霜が、声をかけた。

 

「朝のお弁当、初春姉さん入魂の炊き込みご飯をはじめ、それぞれ初春型皆の気合の一品ですよ」

 

「子日は何つくったのかなー?」

 

「子日姉さんは、ハート型の鯖の味噌煮ですね」

 

「やだちょっと怖い」

 

「若葉はハート型の麻婆茄子です」

 

「それハート型にしていいの?」

 

「私は、ハート型の北京ダックなんですけれど」

 

「やだはつはるがたってなんかこわい」

 

「では、私は食堂に行って来ます。0800から、仕事に参ります」

 

 ぴしり、と海軍式の手のひらを見せない敬礼を提督に送り、初霜は退室して行った。

 去っていく小さな背を見送り、軽い軋みをあげて閉まる扉を、起きたばかりの半眼でねめつけてから、提督は初霜の置いていった弁当を探した。

 

 探した、などとは言うが、朝の弁当当番である駆逐艦達は皆同じ場所にそれを置いていく。見やすく、分かりやすい、という点で選ばれた、提督の執務机の上である。

 白い布に包まれた弁当を手に取り、布をほどいていく。するりするりとほどけていく布を簡単に畳んで隅に置き、提督はなんとなく唾を嚥下してから蓋をあけた。

 

「……」

 

 そこにあったのは、初霜の言葉通りの物であった。ハート型の鯖の味噌煮と、同じくハート型の麻婆茄子、それと初霜作のハート型の鶏肉らしき物である。

 

「なんと言うかー……」

 

 そして、初霜に初春入魂との言わしめた――キング型の炊き込みご飯。

 

「違うんだなー……違うんだぞ初春さん……誰もトランプの絵柄を作ってた訳じゃないんだぞー?」

 

 ――ネームシップは流石だなぁ。

 

 そんな事を思うまだ眠い提督であった。

 

 

 

「あ、旨い」




潜水艦は何当番かって?
オリョクルだよ!


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3話

 ――これはなんだ。

 

 未だ陽も差さぬ暗闇の中で、息苦しさに目を開け、手のひらを広げて見つめる。

 

 ――これはなんだ。

 

 窓に目をやり、そこに仄かに映る誰かの顔を見て、自身の顔を掌で覆う。

 

 ――これは、自分だろうか?

 

 分からない。

 

 ――これが、自分だったろうか?

 

 分からない。

 ぐるぐると視界は回り、目は閉ざされる。

 

 ――自分なのに、自分が分からない。

 

 何もかもが、シャットアウトされた。

 

 

 

 

「ふ……あぁ」

 

 意識せず漏れた欠伸を、初霜は噛み殺し周囲を見回す。昼時を幾らか過ぎた頃である為か、今初霜が佇む食堂は、閑散としたものだ。彼女は誰も今の欠伸を見ていない事を確かめ、ほっとため息をついた。

 

 ――こういう日は、背骨が痛むわ。

 

 目覚めの悪い日は、いつもそうだ。彼女の前――前世と言うべき艦時代の最後による物だろうか、どうにも、傷む事がある。

 なんとなく初霜は背を気にしながら、今度は重いため息を吐いた。

 

 そんな初霜に、近づいて来る影があった。その影はそっと初霜の背後に回ると、ぽん、と軽く肩をたたいた。

 

「おはよう、初霜」

 

「あぁ、もう、吃驚したじゃないですか、時雨さん」

 

「ごめんごめん」

 

 時雨と呼ばれた黒セーラー服姿の、横で小さく跳ねた髪がどこか犬を髣髴とさせる駆逐艦娘である。時雨は初霜の隣の椅子を引き、それに座ってテーブルに置かれたメニュー表を手に取る。

 

「時雨さんも今からお昼ですか?」

 

「そうなんだ。演習でちょっと手間取ってね」

 

「なるほど、じゃあ他の人達もそろそろ来ますね」

 

 初霜がそう言ったと同時に、扉が勢い良く開かれ、閑散としていた食堂に声と数人の姿が入ってきた。

 

「おなかへったっぽーい!」

 

「そうですねー」

 

「あの、扉はもう少しゆっくり開けたほうがいいかも……」

 

「……もう、帰りたい」

 

「来たばかりですよ」

 

 演習は、通常一艦隊六隻対一艦隊六隻の同数によって行われる。となれば、先ほど来た時雨を別にすれば、五人が新しく食堂に入ってきた訳である。そしてその五人が、先にいた時雨、更にはその前に居た初霜を含めて、濃い。どれくらい濃いかと言うと、食堂に残っていた数名の艦娘と食堂の主間宮が一斉に目を剥いた程度に濃い。

 

「間宮さん間宮さーん、夕立いつものスタミナ定食大盛りっぽーい」

 

 時雨の横に座って、早速注文する夕立。

 

「綾波、肉じゃが定食ですー」

 

 初霜と時雨に微笑みながら会釈してから、マイペースに席に着く綾波。

 

「うーん――うーん、と、今日は何にしようかなぁー」

 

 メニュー表を片手に、うんうんと唸る高波。

 

「なんでもいい……浜風、任せた……」

 

 テーブルに突っ伏し、そのまま寝てしまいそうな初雪。

 

「初雪さん……自分の分は自分で頼むべきですよ?」

 

 ため息を吐きながら、結局初雪の分は何を頼むべきかと悩みだす浜風。

 

 その五人が、挨拶もそこそこに初霜と時雨の居たテーブルに固まった。

 もう一度言うが、濃い。性格、という面もあるが、実際には――

 

「特Ⅰ型、特Ⅱ型、初春型に白露型に夕雲型の幸運、武勲、功労と揃い踏みだ……」

 

 誰かが零した小さな言葉が、七人の耳を打ち、彼女達はそれぞれ同じテーブルにつく少女達の顔を見回して、

 

「ぷっ」

 

 と小さく誰かが吹いた。それを期に肩を震わせる者、腹を抱える者、テーブルを叩く者等などと七人七色の喜色を表した。

 なるほど、そうである。

 くすくすと微笑んでいた初霜は、周りの少女達を見て改めて思う。時雨は言うまでもなく、夕立、綾波は駆逐艦の枠を越えた武勲艦であり、高波は短い艦歴ではあるが、その最後は眩しく、普段だらけて見える初雪にしても意外や意外、隠れることなき武勲艦である。浜風も駆逐艦の仕事をまっとうした正統派の功労艦であるし、

 

 ――私も、まぁ、一応……かな?

 

 純粋に、武勲艦とは言えないだろうが、功労艦であり幸運艦ではあるだろう。一人頷いて、初霜は今日は何を食べようかと考え始めた。

 

 女三人寄ればなんとやら、だが、七人も揃うともう大層なものだ。今日の演習はどうだった、昨日の護衛任務はこうだった、昨日のマリカはああだった、等と情報を交換しながら、彼女達は少しばかりの平穏な時間と、間宮の料理を楽しんだ。

 

 楽しい時間と言うのは、あっと言う間に過ぎ去る。御多分に洩れず、少女達の昼食兼お茶会も、そろそろ閉会が近くなってきた。

 

「で、初霜」

 

 どこか目を細めた時雨が口を開かなければ、自然と解散したであろうそれが

 

「提督は、どうしているのかな?」

 

 その言葉で延長戦に入った。

 

 夕立はカウンター向こうの間宮に持って行こうとしていたトレイをテーブルに戻し、上げかけていた腰を椅子に戻す。

 綾波は無言で湯飲みを手にし、口をつけるでもなく前を見つめている。

 高波は普段の気弱さなど鳴りを潜め、作戦行動中の神通と良く似た目で初霜を注視していた。

 初雪は背を正し、目を閉じ次のアクションを待っている。

 浜風は豊かな胸部に手を当て、おろおろしながらそんな彼女達を心配げに見回す。

 

 常と変わらぬ相で、初霜は泰然自若としたまま湯飲みに残ったお茶で喉を潤してから、応じた。

 

「いつも通り。来られてから――ここに着任されてから、今まで通り、執務室で元気にされてますよ」

 

「それは良かったよ。で、どうなってるかな?」

 

 真剣、としか伝えようもない相で時雨は初霜に続きを促した。

 

「提督はどうも……そうですね、高速戦艦ネームシップさんみたいなタイプは、ちょっと苦手みたいですよ?」

 

「私も、苦手……」

 

「えー、夕立は好きっぽいけどなー」

 

「十人十色さ。で……逆に、どういうタイプは提督から苦手に思われてないのかな?」

 

「そうですね……」

 

 初霜は腕を組んで、むー、っと唸りながら考え込んでから、あぁ、とつぶやいて組んでいた手を解いた。

 

「曙さん、満潮さん、霞さんに……大井さんと比叡さん……かな?」

 

「司令官はMなんでしょうか?」

 

「高波、がんばるかもッ」

 

「やめて下さい」

 

 常識人の浜風はすでに一杯一杯であった。

 

 ――あぁ、姉さん達。姉さん達。この無力な浜風に力を!

 

 そんな事を浜風が思った際に脳裏をよぎった顔は、ひまわりの種を満足そうにかじる雪風であった。

 

 ――チェンジで。

 

 早かった。そして仕方のない事であった。

 

「あくまで、苦手かそうでないか、の基準で見た場合です。情となればまた人は複雑でしょうから、半月程度ではなんとも言えませんよ?」

 

 初霜の言葉に、皆は、浜風さえもふむと頷いた。と、何かに気づいたのだろう。高波がおずおずと手を上げて、自信なさげに声を上げた。

 

「あの……今日のお昼当番って、金剛型の皆さん……だったかもですよね……?」

 

「おぉう、タイムリーっぽい」

 

「何が好都合なんだい?」

 

 妹の言葉のニュアンスを正確に捉えた時雨の言葉に、夕立はにやりと笑って返した。

 

「我等が提督の秘書艦殿に、その辺りをきっちり聞いて貰うチャンスっぽい」

 

「なるほど……状況次第では長門さんに報告して修正案募ろうか?」

 

 呟いた初雪に、初霜は苦笑を浮かべて首を横に振った。

 

「たぶん、提督の事ですから――」

 

 

 

 

 

 

 

「いや、嫌いじゃないんだよ」

 

 ほら、やっぱり、と初霜は胸中で呟いた。

 つい先刻まで金剛型戦艦達との昼食兼お茶会が開催されていた執務室で、提督は机にへばりついて書類にサインをし、或いは判子を押し、初霜の質問に答える。

 

「ただほら、僕はこういう……インドア人間じゃないか? 金剛さんとか長良さんとかは、人間としての平仄が合わないというかなー」

 

「お嫌いですか?」

 

「だから、それはない」

 

 提督は疲れた顔で書類から顔を上げ、顔の前で掌をひらひらと動かす。

 

「だいたい、好きだ嫌いだで人を選んで、仕事をやろうって話じゃないだろう、ここはさー」

 

「まぁ、そうですね」

 

「あー……でもなぁー……」

 

 疲れた顔で天井を仰ぎ見る提督に、初霜は疑問符の透けてみえる相で小首をかしげた。

 

「金剛型って、お弁当の四分の二がアウトかデッドなんだよねー」

 

 英国料理は暗黒面(アウト)であり、二番艦は……あれ(デッド)である。

 

「あの……その、今日の夜ご飯は……?」

 

「鳳翔さんと龍驤さんのご安心コースだよー……」

 

「あぁ、よかったです」

 

 元一航戦組の安心感は半端なかった。

 

「とは、言えね。あれだよ、あれ」

 

「わかりません」

 

「ですよねー。あー……自分の為に、和食を習ってくれてるってのは、まぁ、嬉しくもあったりするわけで」

 

「……金剛さんが?」

 

「ですです」

 

 あぁ、と初霜は頷いた。なるほど、と思えど意外と思う事はない。この鎮守府における、実質的なナンバー2といえば、間違いなく彼女――金剛だ。面倒見がよく、わけ隔てなく接する姿は、ナンバー1である長門とはまた違った安心感がある。おまけに、誰知らぬ者とてない、提督love勢筆頭――自他共に認める――だ。聡い金剛が、提督に苦手と思われている事に気づけていない訳がない。

 ならば欠点を埋めて距離を詰めるべく能動的に動くのは当然の事ではないか。この場合、提督にとって苦手意識となる金剛の長所を伸ばせないのだから、戦術的にはそう動くしかないとも言えるが。

 

「スキンシップとか、そういうの僕は苦手だけどね。でも、好かれて嫌える訳もないし、わがままなんだけどねー」

 

「誰だってわがままですよ」

 

「そりゃあ、人間だもの」

 

 にこりと笑ってから、提督は気の抜けた顔で欠伸を零した。

 

「お疲れですか? 何か甘いものでも……」

 

「いや、いいよ。お昼と紅茶で、もうおなかぱんぱんだしねー」

 

 苦笑を相にのせ、自分の腹をぽんぽんと叩く提督の姿は、暢気な物である。

 実に平和な午後であった。初霜は窓から見える太陽を仰ぎ見て、目を細め、声に出さず何かを呟いた。

 

 飛行機雲が、空を奔った。



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4話

 ――本当に、この部屋にはなんでもある。

 

 初霜はそんな風に思った。

 

「まぁ、暇つぶし用だよ。流石に、出しっ放しって訳にはいかないから、普段はここだけどねー」

 

 そう言って提督は執務室の隅にあるダンボールから、ゲーム機とそれ用のコントローラーを二つ取す。慣れた仕草であるのは、やはりそのゲーム機の出番が多いからだろうか。

 

「そんなファ○コンを出したままにしていたら、大淀さんに怒られますよ」

 

「違うよ母さん、これ6○だよ」

 

「誰が母さんですか」

 

 ぴこぴこいうのは全部ファ○コンである、と言ったのは一航戦加賀さんであるがこの話には特に関係ない。

 

「と言うかですね、提督……これは誰が持ち込んで来たんですか?」

 

「望月さんと初雪さん」

 

「でしょうね」

 

 その二人じゃなかったらどうしようかと、と言いたくなるほどイメージ通りだった。

 

「今二人ともプレス○の98甲○園に夢中らしくて、貸してくれてるんだ」

 

「やめてくださいしりたくありません」

 

 夢に出るから。

 

「少しばかり手持ち無沙汰ですね、と言っただけで、こうなるとは思いませんでした」

 

「うん、僕も初霜さんとゲームするとは思わなかったかな」

 

 ゲーム機を出すと、後は早かった。コントローラーをつなげ、電源をつなげ、ゲーム用の型落ちブラウン管テレビを、これまた別のダンボールから取り出し……五分と待たず準備は終わり、気づけば二人ともコントローラーを手にしていた。

 

「とりあえず、どっちやろうかねー? ロボ? スマッシュ?」

 

「ロボで」

 

「はいはい」

 

 しばし無言で二人はコントローラーを動かし、やがて、わー、きゃー、と小さな声で騒ぎながらブラウン管を睨んでいた。

 さて、そんな事を続けていれば、集中力はやがて尽きるし、尽きてみると喉が渇いた、小腹がすいたと体が訴えはじめる。

 

「じゃあ、お茶とお菓子を用意――」

 

「しといたわよ」

 

 腰をあげて立ち上がろうとした初霜の後ろに、白いブラウスと、サスペンダー付きのプリーツスカートを纏った、小柄な少女が居た。背格好は初霜とそう変わらないが、浮かべている表情には、淡い攻撃色がある。

 

「あぁ、霞さん、居たなら声をかけてくれればいいのにさ」

 

「そんな……ぴこぴこ? に夢中の貴方達に、どう声をかければ良いのよ?」

 

「違うよ母さん、これ○4だよ」

 

「知らないわよ」

 

 あの、ぴこぴこ? ですか? 私そういうの良く分からなくて……そう言ったのは鳳翔さんであるがこの話には特に関係ない上に可愛い。

 

「あはははは」

 

「そこで苦笑いしてる秘書艦も、嫌なら嫌って言えばいいのよ? なんでもかんでも、このクズ司令官に付き合う必要なんてないんだから」

 

「いえ、仕事は終わってましたし、ちょっと暇でしたから」

 

「ふーん」

 

 初霜の言葉に、霞は執務机に近づき机上にあった書類を数枚手に取った。流し読み、鼻から、ふん、と息を吐くと提督に向き直る。

 

「仕事、覚えた?」

 

「うん、みんなのおかげだねー」

 

「体の調子は?」

 

「問題ないよー?」

 

 気の抜ける提督の返事に、霞は目を細め、顔を初霜に向けた。

 

「初霜?」

 

「はい」

 

 頷く初霜を十秒ほど見つめてから、霞は肩から力を抜いた。そして、もう一度提督に向き直る。

 

「ご飯はちゃんと食べてるの?」

 

「うん、母さん」

 

「違うわよ」

 

「でも、そう呼ばれても仕方ないんじゃ」

 

 小さな初霜の呟きも、霞の耳には確り聞こえていた様で、霞は再び初霜に顔を向け、

 

「毒されない」

 

「はい」

 

 注意した。

 

「まったくもう、初霜まであんな風にぴこぴこする様になるなんて、初春が知ったら――」

「あ、初春姉さん、スマホでゲームしてますよ?」

 

「え、えぇええええええええええええぇー?」

 

 いや、似合わないわけではない。彼女の艤装は近未来的な物であるから、現代利器の一つや二つ、身に持って可笑しい訳ではないのだが、似合わないわけではないのだろうが……普段の言動から見ると、なかなかに繋げ難い。ちなみに若葉は任○堂派で、子日はゲーム機全部派である。セ○・マー○Ⅲが当たり前に在る。それが駆逐艦娘寮初春型部屋クオリティーなのだ。

 

「ちなみに、初春さんはどんなゲームを?」

 

「えーっと……子日姉さんが言うのには……乙女ゲーとか」

 

 ネームシップは自由奔放であった。

 

「やだ……なんかちょっと頭痛い……」

 

「大丈夫かい霞さん? 頭痛が痛いのかい?」

 

「ほんっとに痛くなってきたじゃない、このクソ提督」

 

「それ人のだよ?」

 

「う る さ い」

 

 提督と霞から一歩離れ、初霜は霞用にとお茶を用意し始める。霞は二人分のお茶とお菓子を用意しただけで、自分の分を出していなかったからだ。

 執務室に設置した小型冷蔵庫の中から冷えたお茶を取り出し、霞用の水色のプラスチックコップにお茶を注ぐ。その間もなにか会話を続けている提督と霞を見て、初霜はころころと笑った。

 

「……なによ、初霜」

 

 半眼で彼女を睨む霞に、初霜は笑ったまま応じる。

 

「だって、上司同士の仲が良好なら、部下としては嬉しいじゃないですか」

 

 と、面白い事が起きた。提督と霞が、同時に頭をかいたのである。お互いそれに気づかず、ただ一人気づいた初霜は、笑い出す訳にもいかずただただ堪えた。

 

「あたしと貴方が部下だったのは、ほら、"前"でしょ?」

 

「まぁ、そうなんですけれど」

 

 この辺りは、何も初霜に限った話ではない。艦であった頃に引っ張られている艦娘は意外に多く、その当時の逸話や繋がりで強い絆を持つ艦娘は決して少なくない。神通などはその最たる例で、二水戦所属経験の駆逐艦娘からは、大いに慕われ――同程度には、恐れられている。あと神通が走り込みを行っている姿を偶然見てしまった山城が「ヒェッ」と真っ青な顔でこぼしてふらふらと倒れたのはこの話に本当に関係ない上に可哀想。

 

「上司ねぇー……初霜さんの場合だと、阿武隈さんと、那智さんと、霞さん……矢矧さん?」

 

「それと、伊勢さんと日向さんですね……この人達にお願いされると、どうにも断れなくて……」

 

 まぁ困った事をお願いされたこともありませんけれど、と初霜は困り顔で笑った。

 

「そのうち、日向辺りが瑞雲がどうのこうのと言わないでしょうね……」

 

「そこは秘書官の仕事ではなく、提督のお仕事ですよ?」

 

「え、じゃあ僕に直接くるのか、それ」

 

「あるとすれば、だけどね」

 

「でもなぁ……言われても、扶桑さんと山城さんから、装備むいて、はいどうぞ、なんて出来ないしなー」

 

「扶桑はともかく、山城は暴れそうね」

 

「……」

 

「何?」

 

 霞は黙りこんだ提督の顔を半眼で見つめ、言いなさいよ、と顎をしゃくった。提督は軽く頷くと、何やら真剣な面持ちで口を開いた。

 

「神通さんに間に入って貰えば……」

 

「やめたげなさいよ!? あんた山城死ぬわよ!?」

 

 黒髪の子かわいそう。

 

「ほんっとにもう――……あぁ、初霜、そろそろ夜番がくるわよ」

 

 霞の言葉に、初霜は執務室の壁に備え付けられた時計へと視線を向ける。それが示した時間は確かに霞の言う通りで、このまま部屋に留まっていては霞はもちろん、秘書艦の初霜でさえ"停戦協定"に触れてしまう事になる。

 

「提督、そろそろ時間ですから、片付けましょうか?」

 

「あぁいや、僕でやっておくよ。二人とも、ありがとうねー」

 

「ふん……あたしは何もしてないわよ」

 

「それでも、だよ」

 

「あぁそう」

 

 

 

 

 

 初霜の手を引っ張って、霞は少しばかり乱暴に扉を開けて部屋を出て行く。

 ただただ霞に引っ張られたままの初霜は、霞に何か言おうとして、止めた。彼女の耳に、僅かばかりの声が響いたからだ。

 

「嫌になるわね」

 

 常らしからぬ、霞の弱い声。それがまだ初霜の耳に届く。

 

「司令官あってのあたし達、そうじゃない」

 

「はい」

 

 応じた初霜に気づいているのか、いないのか。霞はまだ初霜の手を引っ張ったまま、続ける。

 

「あたし達あっての司令官? 本当に? ……たぶん、ちがうわ」

 

 答えなど求めていない霞の声が、初霜には苦しかった。

 汽笛の一つでも鳴らせば、気でも晴れるのだろうか。艤装もなく、艦でもない少女の体を持った初霜は、霞の手を握り返すくらいしか出来なかった。




おまけ

鳳翔「もう、提督。ぴこぴこを片付けないと、ご飯抜きですよ」
提督「ごめんね母さん」
鳳翔「ほら、こっちのぴこぴこもですよ」
提督「あぁ母さん、それは望月さん達から借りたのだから」
鳳翔「じゃあもっと大事において置かないと駄目ですよ、もう。今度片付けていなかったら、加賀さんにも言いますからね」
提督「やーめーてーよー」
龍驤「いや、なんやねん君ら」


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5話

今回初霜は出番なし


「ふむ……」

 

 時刻は2300。場所は提督の座す執務室。その部屋の主である提督を前にして、眼鏡をかけた青い改造セーラー服姿の女性――大淀は、机の上に置かれた今日の提督の成果である書類に目を通していた。丁寧に、見落としなく、初霜と提督が記入している予定表なども確認する。

 こうやって、最終確認し、各自の書類を大本営に提出するのが、大淀の仕事だ。

 

「質問、宜しいでしょうか?」

 

「はい、どうぞー」

 

 書類から目を離し、眼鏡の蔓を指で微調整しながら、大淀は机を挟んで向かい合う提督の顔を見た。仕事を終えた男の顔ではなく、眠い、と正直に書いている顔だ。だらしなくもあり、頼りなくもある。

 が、大淀にとっては、それでこそ、とも言える。

 

「明日の演習の予定ですが、千代田さんを旗艦におく理由は?」

 

「早く軽空母にするべきだ。水母なら他に居るし、艦載機が余っている現状だと、空母の層を厚くしておきたい、かなー……と」

 

「なるほど……遠征はいつも通りでしたが、変更は?」

 

「ないよー。長距離、防空、海上。ローテーションの管理は大淀さんと初霜さんと、あとメンバーは……募集して、当人達のやる気次第でお願いします」

 

「了解しました。一応お聞きしますが、航路はどうされますか?」

 

「んー……」

 

 大淀の言葉に、提督は頭をかきながら天井を睨み、数度頷いた。

 

「許された範囲で、ランダム。"前"の失敗は繰り返すべきじゃあ、ない」

 

「了解です」

 

 大淀は提督の顔を見たまま、小さく一礼した。場合によっては、叱責が飛ぶだろう。提督から、大淀へ、だ。だが、それもない。提督はやはり、眠い、と顔に書いたままであるし、敬礼を強要する様な気配は一切ない。

 

 ――おまけに。

 

「それと、提督」

 

「んー?」

 

「明日の演習と、第一艦隊の展開ですが、これもいつも通りで?」

 

「任せたよ。僕はほら、ここで書類に目を通すしか能がないからねー」

 

 これである。普通の提督と言うのは、艦隊行動を一人で決めたがる傾向にある。特に、着任したての提督などは、それが顕著だ。自身の力、能力を誇示し、艦娘達の頭をおさえつけ誰が艦隊のトップであるかはっきりと形にしておきたいらしい。それが自身を高みにいざない、周囲に平穏をもたらす秩序へ繋がると、本気で思っているのだろう。

 無論、そんな提督ばかりではなく、着任初日から艦娘と友好的に事を運ぼうとする提督も少ないわけではないし、経験をつんだ提督などは良く艦娘の意見を聞き、作戦行動に取り入れたりもする。

 

 のだが、ここまで事務オンリー、作戦もほとんどノータッチの提督は、相当に珍しい。大淀などは当初、無責任の塊で、作戦行動の失敗は全部艦娘に擦り付けるつもりではないかと疑っていたのだが、それらしい気配もやはりない。

 大淀は先ほど目を通した書類の内容を思い出しながら、自分の相には何も表さず提督の顔を見つめたまま、思案した。

 書類仕事も確りと勉強し覚えている様であるし、何より。

 

 ――モチベーションと、現状維持、ですね。まぁ、それと、うん、まぁ、それ。

 

「提督、何か欲しいもの、或いは、して欲しい事はありませんか?」

 

「んー?」

 

 この提督は、甘やかしたくなる。

 理性的な大淀らしからぬ事であるが、このままの提督で居て欲しいという打算的な餌付けでもある。感情大盛りの、情寄りな打算では、あるのだが。

 

「欲しいもの、して欲しい事……かー……」

 

 腕を組んで、うんうん唸りだした提督は、何か自分の中にある欲求を見つけたのか、さっと腕を解いて口を開いた。

 

「大淀さん、僕――」

 

 

 

 

 

 

 

「吃驚しました」

 

「あ、あはははははー」

 

 現在時刻2340。大淀はカウンター向こうの、苦笑いで頬をかいている同僚に愚痴をこぼしていた。

 

「だって、そうじゃありませんか? 提督だって若い男性なんですから、普通は、こう、ね?」

 

「分からなくも無いんですけれどね。こう言っちゃなんですが、私達って見た目は一級品ですし」

 

「ですよ、そうなんですよ。いや、あまり自分で誇るような事では、ないんでしょうが……それに、実際求められても、ですしね」

 

「あー……」

 

 提督とそういった関係になるのは嫌だ、とまでは彼女は思わなかった。"提督""司令官"に求められるなら、艦として応えなければならないからだ。が、何かの報酬として求められるのは釈然としない。純粋に求められていないからだ。

 

 ――あぁもう、そうではなく。

 

 どうも自分は混乱しているらしい、と大淀は自己判断を下した。着任して半月程度の提督に乱されるなど、あってはならない事だが、揺れ動く"乙女心"という奴は平常心を簡単に駆逐する。

 結局のところ、大淀の女としてのプライドと、艦として求める提督への想いと、純でありたい乙女心が入り乱れて均衡を崩しているだけの話だ。

 

 大淀は自身とよく似た服着た同僚、明石に手に持っていた籠を渡してため息をついた。 

 

「毎度どうもー」

 

「こういうのを買う日が来るとは、思いませんでしたよ」

 

「私も、大淀さんが持ってくる日が来るとは、思いませんでした」

 

 明石は自身が任されている酒保でも、特に売れ筋でもない商品をレジ打ちしながら眺める。明石の視線に誘われたのか、大淀も同じく、自身が籠にいれ、カウンターまで持ってきたその商品を見つめた。

 

『カップラーメン 大盛り』

 

「……これは、どういう時に食べるものなんでしょうか?」

 

 規則正しい食生活を心得え、間宮の食堂の常連である大淀にとっては、今回提督からお願いされたそれは、未知のものである。

 

「時間が無い時には、便利なんですけどねー」

 

 大淀とは違い、何度か口にしたことがある明石は、それにしても、と呟いた。

 

「欲しいもの、でこれが出てくる辺り、あの人はなんというか、なんというかですねー」

 

 表現に困る人物だ、という事だろう。大淀はその言葉に大いに賛同し、大きく頷いた。

 

「で、どんな時にこれかって言うと、やっぱり時間が無い時とかですね、あとは――」

「その答えなら、私がしってるわよ!」

 

 明石の言葉を遮り、深夜にはちょっと出すべきではない声量で大淀と明石の前に現れたのは、籠いっぱいにビールとあたりめを入れた赤い芋ジャージ姿の足柄だった。

 

「飲み会ですか?」

「いいえ、一人酒です」

 

 大淀の質問にタイムラグ無しに答えた足柄の相は、ひどく穏やかな悟りを開いた物であった。

 

「私の事なんかどうでもいいでしょ?」

 

「いえ、割と気になります」

 

「きにしないの!」

 

「あ、はい」

 

 大淀の返事に、足柄は腕を組んで自身の豊満なバストを強調する。芋ジャージ姿で行われたそれに何の意味があるのかは、飢えた狼さんにしか分からない。

 

「男って生き物はね、レアな物に惹かれるところがあるのよ」

 

「レアなもの、ですか?」

 

 明石はレジ打ちもやめて、足柄の言葉に耳を傾ける。売り手としては、何か思う事がある言葉だからだろう。

 

「そうよ、一人暮らしをしてインスタントばっか食べてると、レアな――手作り料理が欲しくなる」

 

「はぁ」

 

 一流シェフも絶賛、と称される間宮の食堂で一日三食を済ませる大淀にとっては、理解できない物で、気の抜けた返事しか出来ない。

 

「逆に、手作り料理ばっかり食べてると、今度はインスタントが欲しくなるのよ」

 

 腰に手を当て、ドヤ顔でふふんと笑う足柄に、明石が言う。

 

「で、それはインターネットで?」

 

「……男心をつかむ100の方法とかいう本ですごめんなさい」

 

「足柄さん……」

 

 礼号組仲間の何ともいえない姿に、大淀は泣きそうになった。

 

「でも、提督ったら欲しい物、でこんなの要求したのね。失礼しちゃうわねー」

 

「あ、そこから聞いてたんですね、足柄さん」

 

「う、うん、会話に入り込むの、ちょっとどのタイミングで行こうか迷ってから……」

 

「足柄さん……」

 

 大淀は眼鏡を外して目元をハンカチで拭っていた。

 

「やめて、やめてくださいお願いします。そういうの自分が惨めになっちゃうからやめて」

 

 明石は、そう言って俯く足柄の手にある籠の中身を何も言わずレジ打ちし、サービスの一つもあげようと思う優しい気持ちで胸中が一杯になった。

 

「しかし、そうですか」

 

 大淀には、先ほど足柄が口にした言葉に、なんとなくの答えが見えた。

 

「確かに、提督は着任して以来、皆の手料理ばかり口にしていますからね……変化が欲しかった、と言う事でしょうか」

 

 ふむり、と一人納得して頷く大淀はレジ打ちを再開し始め、料金を告げる明石にきっちり分を渡して、後ろの足柄を待った。

 

「あら、待ってくれるの?」

 

「流石にお酒は一緒出来ませんけど、帰り道くらいは一緒しますよ」

 

「悪いわねー」

 

「しかし、男はレア物に弱い、ですか? うちも何かそういうの入荷したほうが良いんですかね?」

 

「レア物って……何を入れるんです?」

 

「……お酒?」

 

 丁度明石の手に足柄の持ってきた酒瓶があった為か、彼女は反射的に応えてしまった。

 

「どこぞの軽空母とうちの姉が根こそぎ持っていくに一票」

 

「私もそれに一票」

 

「ですよねー。ほんとそれですよねー」

 

 事実である。大抵新規入荷の酒はその辺りの艦娘が購入する。さらにはお客様アンケートの八割は酒売り場拡張希望である。酒はガソリン、等と口にする者もいるが、実際には必要の無い余分である。が、その余分がなければ戦意と士気が維持できないのも事実だ。

 余裕があればこそ、余分が出来る。艦娘も人間も、そういった側面は何も変わらない。

 

「レア物、レア物かー……」

 

 器用に、レジ打ちしたまま、むむむ、と眉間に皺を寄せて考え込み始めた明石は、しかし僅かな時間でその表情を常の物に戻して見せた。

 そして、

 

「レア物!」

 

 満面の笑みで自身を指差した。

 大淀は明石の姿に、腕を組み顎に人差し指をあて何事か考え込み始めたが、こちらも直ぐに戻ってきた。そして、

 

「レア物です」

 

 きりっとした顔で眼鏡の蔓を指で微調整していた。

 

 通常海域と通常建造でドロップできる赤い芋ジャージ姿の足柄は、建造不可でイベント海域と高難易度海域低ドロップ率な二人には何も答えず、悲しげな顔で天井を見上げ、ぽつりと呟いた。

 

「そうね……レア物だからって、貰ってもらえる訳じゃないのね……」

 

 所詮本よねぇ、とため息をついた足柄が、その後明石と大淀に何をされたは、誰も知らない。

 当事者達をのぞいて。



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6話

「さて、っと」

 

 提督、と呼ばれる男は椅子から腰を上げ、背筋を伸ばした。

 

 ――朝ごはんも食べた。

 

 白露型駆逐艦娘達の合作であり、持って来たのは最近鎮守府に所属する事となった江風であった。

 

 ――秘書の初霜さんも、仕事に出た。

 

 大淀と長門の指示で第一艦隊に編成されたので、今頃は攻略海域だろう。

 

 ――書類もまぁ、昼までの分は終わった、かな?

 

 特に人の手を借りるような事もなかったので、提督一人でもどうにか出来たらしい。

 

 腰をぽんぽんと叩きながら、提督は自分に与えられた執務室を見回し、最後に壁にかけた時計を見る。昼の弁当当番が来るまで、つまり休憩時間まで随分と余裕のある状態だ。

 となれば。

 

 ――昨日大淀さんに貰ったインスタントラーメンか。

 

 昨夜遅くに大淀に頼んだそれは、その日のうちに大淀の手によって提督に届けられた。その後どこからか「んにゃ!? んにゃー!!」と猫の鳴き声が聞こえてきたが、発情期の猫が喧嘩でもしているのだろう、と提督は流した。

 

 提督はインスタントラーメンを昨夜片付けた執務机横の小棚から取り出そうとしたが、何事か突如動きを止めた。

 

「いや、待てよ……」

 

 深刻な顔で、一人呟く。提督は自身の腹を数度さすり、それから二度ほど腹を叩いた。

 

 ――あ、これあかんやつや。

 

 若干のぷるんぷるんとぽよんぽよんがあった。なるほどの結果であると、提督は頭を抱えた。

 見目麗しい艦娘達に用意してもらう三度三度の食事は、若い男の胃袋には大層魅力的であり、健啖家でもなかった提督でも箸の進む物であった。愛らしい少女の用意して貰う上に、更に食事が旨い場合もある訳である。食欲を抑えられる筈も無く、若い提督は自身の欲望に抗おうともせず半月過ごしたのであるから、幾ら若いといっても余分な脂肪が増えてしまうのも仕方ない事であった。

 

「手っ取り早いのは、まぁランニング、とかなんだろうけどなぁー……」

 

 恨めしげにドアを見て、提督はため息をつきながら首を横に振った。

 

「ダイエット目的で現状できる事と言えば、まぁ、少ないけど無いわけじゃ……」

 

 独り言も呟いていた提督は、その途中で口を閉ざし言葉を飲み込んだ。

 廊下から、「ヒェッ……」という言葉が、僅かに、だが確かに聞こえたからだ。提督の耳に届いたその小さな悲鳴は、間違いなく聞き覚えがある物であり、そうであれば――

 

 ドアがノックされる。

 控えめの音がいかにもらしい物で、提督は苦笑で応えた。

 

「開いているよー、神通さん」

 

 提督の言葉から十秒程空いて、扉は開かれた。そこから顔を出したのは、提督が予想し、口にしたその艦娘であった。

 

「あ、あの……失礼いたします」

 

 華の二水戦が誇る最強の旗艦、神通だ。

 彼女はなにやら驚いた様子で、おずおずと提督にお辞儀した後、

 

 「ど、どうして、私だと分かったんでしょうか?」

 

 そう提督に聞いた。提督にすれば、何でもなにも、おそらく廊下ですれ違っただろう山城の小さな悲鳴で理解しただけの事だ。まぁ、そのまま執務室を素通りしてしまう可能性もあったが、控えめなノックが神通らし過ぎて間違えようも無かったのである。

 

「神通さんは、何かと分かりやすい、からかなぁー……」

 

「そ、そんな」

 

 適当な提督の言葉に、頬を朱に染めて俯く姿は、可憐な乙女そのままだ。

 だがしかし、しつこいようだが……神通と呼ばれる艦娘は、華の二水戦の歴代旗艦の中でも最強と称される猛者である。

 

 ――らしいんだけどなぁ。

 

 執務室に篭っている提督には、神通の作戦行動中の姿など知りえない情報であるから、どうにも今眼前にある乙女然とした、羽黒に勝るとも劣らない"お嫁さんにしたい艦娘的姿"と、例えば、二水戦旗艦絶対参加訓練等に参加した二水戦最後の旗艦である初霜曰くの、殊戦闘や戦術行動となると次元が違う、という言葉が提督の中で結びつかない。

 

「あぁ、そういえば山城さんは?」

 

「そ、それも分かるんですか……? え、えっと、廊下ですれ違ったあと、すぐ別れましたから……また昔みたいに、一緒に訓練できたら、嬉しいんですけれど……」

 

 別れたというよりは、退いたの方が正しい。そうは思っても、指摘しない優しさが提督にはあった。あとトラウマっぽいから止めてあげような? と言うだけの強さは提督には無かった。

 

「んで……神通さんはどうしてここに?」

 

 基本、執務室から出ることが無い提督と顔をあわせるには、会いたいと思った方から執務室に行くしかない。休憩時間中や、就寝前の暇な時間となればそれなりの艦娘達が提督に会いに来る。

 しかし、今はまだ仕事中の時間だ。慣れと仕事量の少なさで手持ち無沙汰になってはいるが、本来なら、提督はまだ机にかじりついて書類と格闘中の筈である。

 

 ――なんというか、模範的というか、委員長的な神通さんが顔を出すような時間じゃないんだよねぇー。

 

 提督の疑問に答えようと、神通は顔を上げてか細い声で提督の耳を打った。

 

「その……初霜さんも出られたと聞いたので、お仕事で困っていないかと……」

 

「あー、まぁ、その、ありがたいのだけれどね。昼までに終わらせるべき仕事は、全部おわってるんだなぁ、これが」

 

「あ、そ、そうです、か……すいません」

 

 出来た娘であるが、神通は本日非番である。事実上の待機扱いとは言え、軽巡の層は厚いのだから、休めるときには休むべきではないだろうか。

 提督がそんな感じの事を口にしようした時、彼は神通の顔を見て一つ聞いてみたくなった。

 

「神通さん」

 

「は、はい?」

 

 提督は神通の瞳を覗き込み、神通もまたそれを真っ直ぐと受け止めた。あと少しで再び神通が俯く、といったところで提督は

 

「ルームランナーって持ってない?」

 

 そんな事を言った。

 

 

 

 

 

 

 

 結果を言うと。

 

「はっ、はっ、はっ……あ、これ、ちょっと、速度、落とさ、ないと……」

 

「が、頑張ってください、提督」

 

 持っていた。

 

「雨の日なんかは、グラウンドも使えませんし、屋根のある訓練室もあるにはあるんですが、狭いですから……」

 

 自室からマイルームランナーを持ってきた神通は、提督にはにかみながらそう言った。

 

「こういうのを、訓練室にも、置いた方が、いいかも、だね」

 

「ですね」

 

 トレーニングウェアに着替えた二人が、ルームランナー上を走っていく。

 ちなみに、神通も提督の隣でルームランナー中である。しかも設定してある速度は提督より上だ。男としては情けない事態かもしれないが、相手が艦娘、その中でもトップクラスである上に、提督はトップクラスのインドアである。勝負にならないのは当然であった。

 十分も持たず、提督はストップボタンを押して室内のソファーに倒れこんだ。

 

「あ、あぁー……、駄目だ、ソファーが、汗臭く、なる……でも、起きれ、ない……」

 

 息も絶え絶え、といった姿の提督に、神通は自身もルームランナーから離れ、これも持参してきたタオルとスポーツドリンクを手渡した。

 

「どうぞ」

 

「あー……ありがと、神通さん」

 

 提督は幽鬼の如く起き上がり、しばらくぼうっとしてから渡されたタオルで顔を拭い、髪を風呂上りのように乱暴に拭く。それからスポーツドリンクを嚥下し、自身の隣に立ったままの神通を見上げた。

 

「すごいね、神通さんは……僕なんて、すぐこれだ」

 

「私は、艦娘ですから」

 

「だとしても、だよ……インドアを自認する僕なんてのは、まぁこんな物でございと、情けなさも感じないのが、情けないけど」

 

「私は、これしかありませんから」

 

 提督の自虐に、神通は胸に手をあて、目を閉じる。

 

「私は、提督のお仕事は手伝えても、それその物を出来ません。艦娘は艦娘であって、提督の部品足り得ても、提督にはなれませんから」

 

「……僕は、あれだな」

 

 悲壮さを堪える様に目を閉ざした神通の、運動直後の上気した艶然に過ぎる貌を見上げたまま、提督は首を横に振った。

 

「冥利に尽きる、と言うべきなんだろうけど僕は――」

 

 瞼を開いた神通の、その奥にある深い茶色の双眸に、提督は見入った。

 見入らされたから、提督は肩をすくめた。

 

「……言わせない?」

 

「あの……」

 

「言わせたくない?」

 

「聞きたくは、無いと……思います」

 

 続くはずであった提督の言葉を遮った眼光は瞬時に消えうせ、今の神通の瞳は常の深く静かな物である。それを確かめてから、提督は自分の膝を叩いて立ち上がった。

 

「じゃあ、片付けようか。どうにも僕は、ダイエットでは走れても、趣味や訓練となると、やっぱり走れない物であるらしいや」

 

 

 

 

 

 

 

 提督が窓から見える夜空を眺めていると、ドアがノックされた。これもまた控えめな音であるが、提督の耳には昼のそれとはまた少しばかり違って聞こえた。

 

「はい、どうぞ」

 

 間を置かず扉は開かれ、提督が一番見慣れた少女が執務室に入ってきた。

 

「提督、ただいま帰還しました」

 

「ん、お帰り。怪我とか、そういうの、大丈夫ー?」

 

「その……翔鶴さんが中破で、今入渠中です」

 

「バケツ、使っていいよー」

 

「はい、それで戦況報告ですが」

 

「はいはい、お願い」

 

 海域の情報、問題点、敵の戦力、それらを一応聞いてから、提督は"らしく"頷いて見せた。

 

「お疲れ様だね」

 

「ご苦労、と言って下さい」

 

 目上として振舞え、と言外に語る初霜に提督は、ふふんと得意げな顔で

 

「僕はいつだって甘えるのさ。なんたってインドアだからねー」

 

 そう笑った。

 

「今日はまた一段と意味が分かりません……」

 

 困った顔で呟いた初霜は、なんとなく室内を眺め、そこに見慣れない物がある事に気づいた。

 

「あの、提督、あれは?」

 

 初霜の指さす先に在るそれを少しばかり意地悪げに見つめて、

 

「貰ったんだ。上手にお黙り出来たご褒美にってさー」

 

 提督は笑った。

 

 

 

 執務室の隅に、ルームランナーが一つ、ぽつんと在った。



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7話

 ――あぁ、眠い。

 

 窓からさす光から逃げるように、提督は少しばかり奥まった所に設置された洗面台へとよたよたと近づいていった。

 備え付けのコップに入れてある青い歯ブラシを手に取り、同じくコップに入れてある歯磨き粉を持ってキャップをあける。ひねり出したそれを歯ブラシに乗せ、提督は無造作に口に突っ込んだ。

 

 右手で歯ブラシを動かしながら、左手で頭をがりがりとかく。洗面台の正面につけられた鏡には、寝ぼけ眼の男と、その提督の背後にあるガラス戸を映していた。

 

 ――あぁ、風呂の掃除もしないとなぁ。

 

 背後へと振り返り、提督は本来執務室には無いはずのバストイレを眺める。そして再び洗面台へと向き直り、彼はコップを手にして蛇口をひねった。

 

 口をゆすぎ、歯ブラシとコップを洗い、水をきってから置いてあった定位置に戻す。

 

 ――定位置、ねぇー。

 

 口の端を僅かに吊り上げてから、提督は首を横に振ってまだ水を出したままの蛇口に両手を出した。水をすくってそれを顔に叩きつけ、それを何度か繰り返して顔を洗う。

 

 ――あ。

 

 しまった、と思っても後の祭りだ。顔から滴り落ちる水を拭う為のタオルが、彼の手元にはないのである。

 

 ――馴染んでないのか、間抜けなだけか。

 

 胸中で呟いて、さてどうした物かと提督が悩んでいると、その頭にふわりとタオルがかけられた。提督は一瞬身を強張らせ、正面の鏡を覗き込んだ。

 

「早く顔を拭いてよね。私だってお腹すいているんだから」

 

 青い髪の少女が、提督の後ろに立っていた。

 

 

 

 

 

 

 陽炎型七番艦初風。

 陽炎、不知火、黒潮の妹であり、あの浮沈艦雪風の直ぐ上の姉である。

 

 ――昨日が朝潮型で、一昨日が白露型だったから、今日は陽炎型で……明日は夕雲型かー。

 

 ぼうっとしたまま、提督は陽炎型七番艦の動きをなんとはなしに目で追っていた。

 初風は来客用、という事に一応なっている執務室のテーブルに持ってきた弁当を広げ、それが終わると今度は提督着任の翌日に備え付けられた小さな冷蔵庫からお茶を取り出し、提督のコップ、それと自分のコップに適量を注いで戻ってきた。

 提督、そして自分の前にコップを置いて、ソファーに腰を下ろして……

 

「はい、いただきます」

 

「あ、はい。いただきます」

 

 持って来た弁当を食べ始めた。

 初霜は秘書を務めている事もあって、食事を一緒することは無いが、他の艦娘が弁当のお届け当番なる物になった場合は、今の初風の様に一緒に食べる事になっている。のであるから、この状況はなんらおかしな物ではない。

 であるのに、提督は自分の弁当と初風の弁当を見比べたりするばかりで、手に持っている箸を動かす気配が無い。

 

「何よ? 嫌いな物でもあったの?」

 

「いや、特にはないけど……んー?」

 

「そう、じゃあ早く食べなさいよ。そっちの出汁巻きなんて、どこかの軽空母の猛攻を凌いで、陽炎姉さんが作ったのなんだから」

 

「たべりゅー」

 

「殴るわよ」

 

 じろり、と横目で提督を睨んだ初風は、一旦弁当をテーブルにおいてお茶を手にし、軽く飲んでから再び弁当箱を手にして食べ始めた。

 提督はそんな初風を、横目で眺めてから、ようやく箸を動かし始める。最初に口に運んだのは、初風曰く陽炎作の出汁巻きだ。

 

「旨い」

 

「当たり前じゃない。我らが陽炎姉妹のネームシップよ。伊達じゃないんだから」

 

 提督の感想に、初風は胸を張った。自慢の姉が褒められたのが嬉しいのだろう。綻んだ顔は実に少女らしい相である。常々、どこか憮然とした印象を与えがちな初風にしては、意外な相と言えるだろう。

 

 とはいえ、流石にそれを口にしてしまうほど提督は愚かではない。彼は白米、おかず、白米、おかず、と次々に弁当箱の中を口に入れて咀嚼して嚥下していく。

 

 ――実際旨いんだけれどもねー。

 

 実は、悩みもある。

 華も恥らううら若き乙女達の手によって調理された食材を、若い胃は拒まない。拒みはしないが、しかしどうにも、多いようにも提督には思えるのだ。提督は、ちらり、と初風にばれないよう隣を流し見た。その提督の視線の先、初風の手にある弁当箱は、普通の弁当箱である。駆逐艦娘は艦娘の中でも潜水艦娘に次いで食事量が少ない。もちろん個人差はあるのだが、初風の食事量は平均的な駆逐艦娘の物である。では、対して提督の弁当箱はどうであろうか。

 

 ――でかい。

 

 提督は自身が今手にしている弁当箱を見下ろして、胸の中だけで呟いた。本当に、でかい、というべき代物である。どこぞの野球少年が持っている様な大きな銀色の弁当箱。更に恐ろしいことに、それがもう一つ、提督の前に置かれている。

 白米八割、おかず二割で弁当箱一つと、おかず十一割の弁当箱が一つである。一割はサービスであるから問題ない。

 

 若い男と言えど、朝から腹に詰めるにはなかなかに苦しい量であるが、それが入るのもまた若い男特有の胃袋で在る。そしてまた艦娘達も、艦時代の記憶のせいか、若い男は沢山食べると信じていた。実際大人四人前くらいはぺろりと食べてしまえる提督もその時代には実在した訳であるが、だがしかし、だがしかしである。それは軍人である若い男と飛龍さんとこの多聞君の話だ。執務室に引きこもるインドア人間代表の様な男では、比べる事自体が間違いだ。

 

 ――今日も空いた時間で走り込むかなぁ。

 

 執務室の隅に在るルームランナーを視界の隅におさめて、提督は弁当箱を平らげにかかった。そっけなく見える初風も、流石に自分だけが食べ終えると暇であるのか、提督が口に運ぶおかずを見ては、それは誰が、これはあれが、と邪魔にならない程度に喋ってくる。

 

「あ――」

 

 初風の小さな呟きを耳にした提督は、首をかしげて彼女に顔を見つめた。彼女の目は、ただ一点、提督の箸に摘まれた芋煮を凝視している。はて、なんであろうか、と口を開きかけた提督は、突如彼女が何型の駆逐艦娘であったかを思い出した。

 

 陽炎型駆逐艦。

 

 あぁ、居たではないか。あぁ、潜んでいたではないか。

 提督は真っ青な顔で初風を見つめ、初風も提督を見つめる。二人は何一つ口にせぬまま、ただ同時に頷いた。

 提督はゆっくりと芋煮を弁当箱に戻して、目を閉じた。どこからか「てけりり」と聞こえたが、提督は鋼の意志でそれを黙殺した。決して弁当箱からの方からではない。そう信じた。

 

「危ないな……危なすぎるぞ君の妹……」

 

「凄いわね……作ってるときは、普通だったのに……流石武勲艦は違うわ」

 

 初風は顎を手の甲で拭い、くっ、と唸った。

 

「妙高姉さんの次くらいに怖いわね」

 

 それでも不動のナンバー1である妙高は、どれほど恐ろしいのかと慄く提督であった。

 

 恐ろしいこともあったが、時間は流れる。

 提督は、ゆっくりとコップを仰向け、中身を嚥下し……とん、とコップをテーブルに置いた。両手を合わせて、一礼する。

 

「ごちそうさまでした」

 

「どういたしまして」

 

 広げられていた自身の弁当箱と、何かカタカタと動き出した提督の弁当箱を片付けながら、初風は執務室を見回す。

 

「ここ、本当に変わったわね」

 

「まぁ、ねー」

 

 頭をかきながら答える提督に、初風は呆れ顔を見せる。

 

「洗面台と、あとあれ、お風呂でしょ?」

 

「バストイレだね」

 

「ユニットバスってやつ?」

 

「それ、誤用なんだってさー」

 

「へー」

 

 興味を惹かれたのか、初風はソファーから立ち上がると、提督が言うバストイレの方へぱたぱたと向かっていった。

 

「へー……ねぇ、これ誰に作ってもらったのー?」

 

 風呂場特有のエコーが掛かった初風の声に、提督は肩をすくめて答える。

 

「明石さんと、妖精さん達、あと、北上さんと夕張さんがちょっと応援に来てくれたよ」

 

「なるほどねー」

 

 一頻り覗いたら満足したらしく、初風は自身の首を擦りながらソファーに戻り、腰を下ろそうとして――止めた。

 

「そろそろ時間、よね?」

 

「ん……あぁ、そろそろ初霜さんが来る頃だねぇ」

 

 つまり、仕事の時間だ。初風は提督の言葉に、提督と自分のコップを手にし、洗面台で歩いていった。それを軽く洗ってから、布巾を手に戻ってくる。テーブルをさっと拭き、それもまた洗面台に戻す。前もって片して置いた弁当箱を手に、初風はドアへと向かっていった。

 ちゃんと見送るべきだろう、と提督は立ち上がり、初風の背を追って三歩ほど歩き……立ち止まった。

 背を向けていた初風が、振り返って提督と向かい合っているからだ。何か忘れ物かと思った提督が口を開くより先に、初風は肩に掛かった髪を優雅に払って言った。

 

「さて……で、提督」

 

「ん?」

 

「陽炎姉妹の力、どうよ?」

 

 皆で作った弁当の事であろう。提督は、自信有りげな初風の目を見つめて、笑った。

 

「磯風さんは誰かが操作しような?」

 

「無理言わないで」

 

 一転、頬を引きつらせる初風であった。が、これは提督の死活問題である。弁当の量がどうとかの問題ではなく、生きるか死ぬかの瀬戸際だ。

 

「雪風さんとかにお願いできないものかな、これは?」

 

「馬鹿。誰がそんなお願い聞くもんですか」

 

 首を横に振る初風の姿は必死なもので、事がなかなかに難しい事であると提督に理解させた。させたが、やはり提督にとっては看過出来る問題ではない。いずれ来るかもしれない朝昼連続デス弁当等、真っ当な感性を有しているなら当然阻止すべき物で在る。

 

「なら……」

 

「?」

 

 提督は初風を指差し、

 

「命令だ。磯風さんの調理は、初風さんが方向修正すること」

 

 そう言った。

 

「めい、れい?」

 

「うん。それ」

 

 お願いで駄目なら、提督として命令するしかない。もはや彼にはそれ以外無かった。作るな、と言うのも手ではあるのだが、その結果別の方向で何かされても困る上に、何を仕出かしてくるか分かった物ではないので、現状を受け入れるしかないのである。

 

「命令――命令なのね、提督?」

 

 提督に命令された初風は、提督から顔をそらし、自分の足元を見ながらか細い声で囀った。いっとう、らしからぬ初風の姿に、提督は何事かとも思ったが、とりあえず頷いておいた。

 

「命令だ、初風」

 

 さん、もつけない。これは上司としての言葉であると明確にするためだ。初風は俯かせていた顔を上げ、提督の顔をじっと見つめると、小さく息を吸って確りと頷いて応えた。

 

「任せて。私、あなたの艦娘だもの」

 

 

 

 

 

 

 

 静かに出て行った初風の背を脳裏に描きながら、提督は大きなため息をついた。最後に見せた彼女の姿は、どうも常らしからぬ姿であったが、それよりも気になる事があった。

 提督は先ほどまで食事を摂っていたテーブルとソファーを見つめて、軽く首を横に振った。

 

 ――切り替えよう。まぁ、無理っぽいけど。

 

 提督は自嘲しながら時計に目をやり、そろそろか、と小さくが呟いた。と同時にドアがノックされる。

 

「あいてるよ、初霜さん」

 

「はい、おはようございます、提督」

 

「はい、おはよう」

 

 提督は頷いて挨拶を返し、初霜の手にある今日の仕事分である書類を受けとろうとして――先ほどあった、自身の中で消化できぬそれを初霜に聞いてしまった。

 

「ねぇ初霜さんや、初霜さんや」

 

「はいはい提督。なんですか?」

 

 提督は初霜から書類を受け取りつつ、二人分の熱も未だ消えぬソファーに目を向け、聞いた。

 

「初霜さんがこのテーブルで僕とご飯食べるなら、どこに座る?」

 

「隣です」

 

 即答であった。

 

「まぁ、私の場合秘書艦をやってますので、そこまで一緒したら皆に悪いんですけれどね」

 

 彼女の、又は彼女達なりの線引き、協定なのだろう。もちろん、提督は知りえぬ事であるのだが。

 初霜の即答を聞いた提督は、頭をかきながら天井を仰ぎ、朝食時の初風を思い出しながら肩をすくめた。

 

「なんだ、普通の事なのかい、あれは」

 

 



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8話

提督と初霜はお休み。


「ふむ」

 

 小さく呟いて、その女性はテーブルにあったコップに手を伸ばした。中身を少しばかり飲み込んでからゆっくりと立ち上がり、

 

「これはなかなかに当たりでしたね」

 

 そう言ってDVDプレイヤーからディスクを取り出し、ケースに直した。女性――青葉は座っていたソファーに戻り、テーブルを挟んで自身の反対側のソファーに座る、シャツとジーパンをラフな感じに着た私服姿の同僚、那智に微笑みかけた。

 

「うむ、悪くなかったな。特にあれだ、活躍こそ少なかったが、重量級のあのロボットは良かったと思うぞ」

 

「私はやはり、純粋に主人公ロボットですかね。吹き替え版のロケットパンチも、なかなかインパクトがありましたし」

 

 言いながら、青葉は手にあったケースをソファーから立ち上がる事も無く棚に戻した。その姿に、那智は少しだけ眉をひそめ、

 

「青葉、駆逐艦娘達が真似をしたらどうする?」

 

「ここには居ませんよ?」

 

 にんまりと笑って返す青葉に、那智は肩を落とした。

 

 今二人が居るのは、重巡洋艦娘寮の娯楽室だ。周囲には、先ほどまで青葉達が使っていたテレビとDVDプレイヤー、さまざまなDVDが並べられた棚と、それ以外にも、ゲーム機やボードゲーム等がきっちりと片付けられて保管されているのが分かる。

 

 二人はそんな室内で、再び今見た映像の感想をこぼし合い、良し悪しを語った。

 

「しかし、なんだな」

 

 十分に語った、という満足げな顔に苦笑の色を僅かに添えて、那智はテーブルに置いてあった自分の湯飲みを口元まで運ぶ。

 

「先ほどのは、提督のお勧め、だったな?」

 

「はい、私が直接取材しましたので」

 

 どこからともなく、さっとメモとボールペンを取り出し、青葉は、にしし、と笑った。

 

「あの人は、なんというか、分かりやすいな」

 

「まぁ、いつもの傾向はありましたね」

 

 二人はさまざまなケースがおさめられた棚を同時に見つめる。そこにあるのは、誰誰推薦、これはお勧め、眠たい時用、注意地雷処理班専用、等と区別されたケース達である。そして棚の一番上段には、燦然と輝く『提督お勧め』の文字である。

 そこに並べられているタイトルを目にしながら、那智は湯飲みをテーブルに戻し弱く頭を振った。

 

「あの人は、アクション、ミステリー、ホラーにカントリーと、なんでもありな癖に、ラブロマンスだけは絶対入れてこないな」

 

「らしいとも、言えますけどもね」

 

 彼女達が提督と呼ぶ男のお勧めは、ジャンルこそバラバラであるが那智が口にした通りの特徴がある。どうにも彼が名を上げた作品は、恋愛傾向が薄い。もしくは、無い。あっても精々わき道にそれる程度で、メインは別、と言った物ばかりだ。

 

 ゆえに、彼のお勧めは大抵の艦娘達に不評である。艦娘、とは言えど乙女である。恋に恋する駆逐艦娘達を筆頭に、淡い恋の世界を垣間見たい乙女達の思考からすれば、提督のお勧めは合わないのも道理であった。

 ただし、彼お勧めの一つである、中年サラリーマンが料理を食べるだけのドラマシリーズが一部艦娘達からは大好評であったりと、まったく需要が無いという訳でもない。むしろ恋愛方面が絡まなければ、提督のお勧めは名作と良作のオンパレードである。偶にアタック系などを突っ込んでくる捻くれ具合ではあるが。

 

「やたらラブロマンス物を買ってくるうちの妹に比べれば、まだ無害ではあるのだがな」

 

 言うまでも無く、狼さんの方である。余談であるが、彼女の姉妹の作品傾向は、羽黒が青春ラブコメ系とアクション、足柄が駆逐艦娘はちょっと見れないラブロマンス、那智は黒澤作品系とコナンシリーズ、妙高がミステリーとサメである。

 

「まぁ、100人以上の艦娘が所属するこの鎮守府だ。個性は多くあって当然と言うべきだが」

 

「でしょうが、さて――提督のあれ、個性で済ませてよい物かどうか」

 

 青葉の言葉に、那智は額をおさえてうめいた。

 

「もう半月か?」

 

「はい、そうです」

 

 青葉は自分の手に在るメモを見ながら、ノック部分でこめかみ辺りをかきながら頷く。

 

「着任して以来、執務室からは一切、本当に、一切、まったく、これっぽっちも、出ていません」

 

「食事は我々が用意しているが――風呂は?」

 

「あれ、知りませんでしたか?」

 

 青葉の言葉に、那智は眉をひそめて同僚の顔を見つめた。

 

「提督、執務室にトイレとバス、つけましたよ」

 

「何をしているんだあの人は……」

 

 頭を抱える那智に、青葉はけらけらと笑って手を振った。面白くて仕方ない、と隠さず顔に書いてあるのは、自分の情報を口にできるのが嬉しいのか、それとも那智の姿がつぼに入ったのか。

 

「最初は流石に渋っていたそうですが、明石さんと妖精さん達が提督に命令され嬉々として設置したそうです、あ、お手伝いに夕張さんと北上さんも行ってますよ」

 

「納得の面子ではあるが……」

 

 那智は脳裏に、名の上がった艦娘達の顔を思い浮かべた。明石は言うまでも無く工作艦であり、妖精達は生まれながら各々の分野の職人達だ。夕張は明石の友人で機械や工作にも強いだろうし、特に接点もなさそうな北上にしても、工作艦経験者である。

 脳裏に在る人物達がそろえば、確かに執務室にトイレとバスを設置する事も難しくは無いだろう。

 

「あぁ、ちなみに、その時執務室の隣にあった物置部屋に三割ほど侵食したそうです」

 

「まぁそうなるな」

 

「なんですか日向さん」

 

「那智だ。あぁ、それにしても、まったく……提督の引きこもりに加担した様な物ではないか」

 

 那智は憤懣やるかたなし、といった相で拳を握り締め脳内の作業実行者達を咎めた。当然、咎めた程度の軽い物で、それは痛罵の如き激越では無かった。

 

「とは言いますがー」

 

「なんだ?」

 

 ペンのノック部分で、今度は自身の額をとんとんと叩きながら、青葉は那智をにんまりと流し見た。良からぬ顔であるが、那智からすれば見慣れた同僚の顔芸程度だ。那智は湯飲みを手にして適量を口に含み

 

「提督に命令されて、拒めます?」

 

 青葉の小さな呟きに、那智はすべての動きを止めた。息をすることも、もしかしたら彼女の心臓さえ動く事をやめていたかもしれない。

 やがて、ゆっくりと湯飲みをテーブルに置き、那智は目を閉じて口の中にあったお茶を静かに嚥下した。そして、ゆっくりと、本当にゆっくりと首を横に振った。

 

「誰も責められないな……私は、駄目だ」

 

 脳内で試したのだろう。自身が命令された場合の仮定を。ちなみに彼女は命令された直後尻尾を振って作業に入った訳だが、仕方が無い事である。妹が狼であるし、彼女もイヌ科に属するのかもしれない。

 

「大丈夫です、私もです。たぶん、命令されたら無理でしょう。何せ、ほら」

 

 青葉は静然と微笑み、続けた。

 

「私達は、艦娘ですから」

 

 青葉の静かな笑みを見てから、那智は腕を組んで鼻から荒い息を吐いた。ソファーの背に体重を預け、自身の中で渦巻く熱をどうにか処理し、今度は口から強く息を吐いた。

 

「お前は、楽しそうでいいな」

 

「記者ごっこ、なんてのも楽しい物ですよ。最近他の鎮守府の私ともスカイプとかで話をするんですが、知ってます?」

 

「ん?」

 

 またも胡乱げな表情で笑い出した青葉の顔を半眼で睥睨しつつ、那智は律儀に促してしまった。この辺りは性格ゆえだろう。

 

「提督とほぼ同期のそこの提督さん、通算の建造回数18回目で雪風さん出したそうですよ」

 

「いきなりだな……いや、まぁその回数で雪風を出したとなれば、たいした物だが」

 

「ですねー……ちなみに、我らが提督は通算126回目ですね」

 

「特に運が良いという提督ではないからな、うちの人は」

 

 那智に青葉は確かに、と頷き、メモ帳をぺらりとめくり、にししと笑った。

 

「大鳳さんは大型一回目で出してますけど」

 

「偏りすぎなんだ、あの人は」

 

 ちなみにここの提督、大和とビスマルクも狙い撃ちで一発建造である。誰かの運を吸い取ったとしか思えない奇跡である。

 

「で、青葉」

 

「はいはい」

 

 軽妙に返事をする青葉を、那智はやはり半眼のまま見据え、

 

「何が言いたいんだ?」

 

 常から硬質な声を、更に硬くして。那智は青葉を睨んだ。

 

「……半月前に着任した提督は出てこない」

 

「あの人の気質の話だ。仕方が無い」

 

「初霜さんが初期からの秘書艦」

 

「あの人が決めた事だ。私に不満は無い」

 

「着任一ヶ月のほかの提督が――」

 

 がたり、と音が響いた。ソファーから立ち上がり、那智は無言で娯楽室の扉へと歩を進めた。そして、ドアノブを捻り扉を開け――背を向けたまま、青葉に言った。

 

「私はあの人に建造された。お前も、同じだろう」

 

 扉を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 自身だけになった娯楽室で、青葉は手にあるメモを見つめていた。去り際に那智が言った言葉が、青葉の胸中で木霊する。

 

 ――その通りだ。まったく、その通りだ。

 

 今でも覚えている。覚えていないわけが無い。初の重巡洋艦娘だと喜び、手を叩いていた提督の姿を、彼女が忘れるわけが無い。

 第一艦隊の旗艦として海域を攻略し、演習をし、開発を手伝い、建造された新しい艦娘を一緒に出迎えに行った事も在る。ただ、艦娘層の厚さから、彼女が旗艦であったのは僅かな時間であったが、青葉にとってもっとも輝かしい日々の記憶であった。

 例え何があろうと、絶対に忘れはしないだろう。

 

 そう、何があろうと、絶対に。

 

 青葉は自身の手にあったメモを握りつぶし、俯いた。

 その顔は、もう見えない。




まぁ、もうばれてはいると思うのでさらっと。


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9話

提督またお休み。


 今しがた買ったばかりのそれを、袋から取り出して勢いよく齧り付いた。味を確かめるようにゆっくりと咀嚼し、嚥下する。

 

「あぁ、やっぱ旨いわぁー」

 

 龍驤は口元を綻ばせ、今しがた明石の酒保で購入した肉まんを平らげに掛かった。

 

 ――うまうまやなぁ。赤城や加賀がこっちに夢中なんも、わかるなー。

 

 龍驤はうんうんと頷き、一人歩いていく。

 彼女は食道楽にさほど通じては居ないが、かと言って興味が無い訳でもない。人型――艦娘になってから、彼女の周囲には様々な未知があった。人として在る為のデータは入っていたが、人として動くためのプログラムはまだ未発達であったからだ。

 

 一つ動き、一つ確かめ、龍驤は自身に合う事と合わない事を覚えていった。食べ物、ファッション、思考、趣向、行動。或いは、龍驤という艦娘の竜骨を確固たる物にするための日々。

 すべては、手探りであったが、彼女は彼女として龍驤の容を満足できる型で形成させる事に成功した。少なくとも、彼女に不満は無い。

 

 指についた麺麭を舌で舐めとり、腕に抱えた袋からもう一つ取り出そうとして、動きを止めた。そのまま、特に確かめる事も無く龍驤は声を上げた。

 

「なんやー、うちになんか用かー、青葉ー」

 

「ありゃー……恐縮です、青葉ですー」

 

 果たして、龍驤の背後からひょいひょいと姿を現したのは、ペンとメモを手にした重巡洋艦娘の青葉であった。

 

「お聞きしますが、なんでばれたんでしょうか?」

 

「空母相手に、何を言うてんねんな。陸でも、艤装なしでもこれくらいやるんが、うちらや」

 

「なるほど」

 

 納得、と頷く青葉であるが、流石に顔は引きつっていた。当たり前だ。空母ならこれくらいやる、と龍驤は至極当然と答えたが、青葉が知る限りこんな芸当が出来るのは龍驤の他には鳳翔だけだ。

 青葉の記憶では、赤城を始めとした正規空母達でも、もう少し接近できたし彼女の姿も確かめず言い当てられた事はない。あえて言うなら、利根に気配を察知された事があったくらいである。

 

「流石、我が鎮守府最古参の軽空母のお一人ですねー」

 

「鳳翔さんとはなー、建造された日も同じ、ここでの進水日も同じ、錬度も同じやからねぇ」

 

 龍驤はしみじみと呟くと、色んなとこ一緒にいったなーと遠い目をしながら袋から取り出した肉まんを青葉に差し出した。

 

「さっき酒保で買ってん。食べる?」

 

「あ、これはどうもどうも」

 

 青葉はメモとペンをどこかへさっとしまいこみ、龍驤から肉まんを受け取って一口齧った。

 頬に手を当て、んー、と目を細める。

 

「美味しいですねー」

 

「ほんまになー。明石と提督に感謝やなー」

 

 そう言って、龍驤は袋からもう一つ肉まんを取り出し口にした。

 

「空母の人達は、美味しそうにたべますよねー。いや、特に、って意味ですよ?」

 

「いや、青葉。赤城達やったら、これ一個一口でいくで?」

 

「またまたご冗だ――いや、マジですか?」

 

 青葉はあわてて残りの肉まんを口に放り込み、開いた手にいつの間にかペンを握っていた。少し遅れてメモを手に取り、頁をめくって何事かを記していく。

 

「あんたのそれも、赤城達の食道楽と同じくらいすごいなぁ」

 

「いえいえ、私なんてとてもとても」

 

 にしし、と笑みを見せる青葉に、龍驤は肩をすくめる。それは青葉の目からしても堂に入った物で、違和感も滑稽さも覚えさせない。

 

「で、一つお聞きしても?」

 

「んー? なんやー?」

 

 青葉は一つ、また一つと龍驤に質問をし、龍驤もそれに答える。龍驤は答え方一つにも余裕があり、多少ずれた話にも穏やかに笑って返す。青葉は長門や金剛とはまた違った安心感を龍驤に覚えた。

 

 龍驤と言う軽空母艦娘は、一見すれば駆逐艦娘かと思えるほど小柄で華奢だ。全体的に細い体つきも、背丈も、肉付きの薄さも、少女然とし過ぎた艦娘である。

 だが、決して誰も彼女を侮らない。誰もが彼女を下に見ない。この鎮守府に属する者なら誰もが知っている。

 

 第一艦隊の右目。第一艦隊不動の元一航戦コンビ。

 

 不動とは謳われど、海域の攻略上、編成から外れた事は何度か在る。だが、それ以外では全て参加した、いや、今現在も参加し続けている古強者だ。青葉とて古参である。だが、龍驤はそれ以上に古参だ。提督の艦娘が十も居ない頃から弾雨をくぐって来た、最初期の軽空母なのだ。おまけに、青葉が昔旗艦を任された際には随分世話になった軽空母の片割れでもある。艦種の違いから人型での挙動を馴染ませるための指導を受けたわけではないが、青葉が艦娘の心得を教えられたのは、間違いなく龍驤である。

 青葉は、我知らずため息を零した。

 

「ん? どないしたんや?」

 

「いえ……その、龍驤さんは提督の覚えもめでたい、うちの看板じゃないですか」

 

「ほっほー、なんや自分、誉めごろしか?」

 

 満更でもない表情で笑う龍驤に答えもせず、青葉は続けた。

 

「私なんて一番最初の重巡洋艦娘とは言っても、今じゃ十把一絡げの存在ですし提督にも――」

 

 そこで青葉は口を閉ざした。龍驤が、見上げているのだ。青葉を、じっと。

 そこには今まで龍驤の貌を彩っていた笑みも、青葉を優しく包み込んでいた穏やかもさも無かった。

 青葉の頬に、冷たい汗が流れた。彼女は口を閉ざした、と前述したが実際は違う。動かないのだ。青葉は、今物理的に動けないだけだ。遮られた口も、龍驤の双眸に縫い付けられた目も。

 

 龍驤は、またしても手についた肉まんの麺麭をぺろりと舐め取ると、自身のトレードマークの一つでも在るバイザーを少しばかり動かして口を開いた。

 

「青葉。あんたは重巡洋艦娘や。うちらよりよっぽど汎用性が高い」

 

 青葉を見上げる龍驤のその瞳は、波一つ無い水面のようで、青葉は自身が今どこに立っているのかさえ忘れた。

 

「夜戦ともなれば、あんたらは艦隊の火力の要や。それにな――」

 

 龍驤は抱えていた袋を青葉におしつけ、青葉に良く似た顔で笑った。

 

「提督は、あんたの作る新聞、よう見とるで。十把一絡げなんてのは、あらへんあらへん」

 

 ひらひらと手を振って龍驤は青葉に背を向けた。

 青葉は龍驤の背が視界から消え去るまで見送ってから、まだ暖かく、少しだけ重い手にある袋の中を見て、首を横に振った。

 

「こんなに食べるつもりだったんですか、龍驤さん……」

 

 

 

 

 

 

 てくてく、と龍驤は道を歩いていく。鎮守府の中なら全て記憶している彼女である。なんとなく歩いているのだろうが、そこに迷いは見えない。どこに出ても戻れる故の強みだろう。

 

 ――あれで、青葉は曲がるやろかなー。

 

 自分で考えて、すぐさまそれはないと打ち消した。青葉もまた、自身のあり方を自身で形成した艦娘だ。重巡洋艦娘一の古参である青葉が、簡単に曲がると龍驤は思えなかった。

 

 青葉が問うてきたその内容を思い出して、龍驤は肩をすくめた。

 理解は、出来る。痛いほどに、龍驤には理解できる。青葉が重巡洋艦娘初の艦娘であるように、龍驤もまた軽空母の――と言うよりも、提督の艦隊初期の艦娘だ。

 だが、戦場には流れがあり、戦闘には要所がある。四路あれば五動がある。

 

 ――時期尚早、やと思うんやけどなー、うちは。

 

 龍驤は進む事も退く事も左右に行く事もやめ、待つ事を選んだ。青葉や龍驤のように、違和感に気づいた艦娘達の多くは、龍驤に倣っただろう。青葉だけが、動いてしまっている。

 龍驤は鼻を鳴らして、近づいてきた建物を見た。龍驤の視線の先にあるのは、間宮の食堂である。

 乱れることなく、てくてく、と歩みを進め扉にてかけて

 

「あ、初霜やん」

 

 背後に振り返って声を上げた。

 

「はい、どうも、龍驤さん」

 

 慣れているのだろう。突如振り返って声をかけていた龍驤に、初霜は平然と挨拶を返した。

 

「なんや、今からお昼なん?」

 

「はい、これからご飯です」

 

「そかそか」

 

 ふんふん、と頷きながら龍驤は初霜を見た。黒いブレザーも、陸上では穏やかな顔も、何もかもが常の通りの、龍驤が良く知る初霜だ。

 

「龍驤さんも今からですか?」

 

「まぁ、せやねん。ちょーっと用意しとったお昼を、狼さんにとられてなー」

 

 龍驤が自身の腹を叩きながら口にした言葉に、初霜は瞬かせ口元を手の平で覆った。

 

「え、足柄さん?」

 

「いや、ソロモンの方。実際にはあげたんやけど、ちーっと足りんてねぇ」

 

 あっけらかんと笑う龍驤に、初霜はくすくすと笑いを零した。

 

「ご一緒します?」

 

「おうおう、初霜はやさしーなぁ」

 

 龍驤は手をかけたままだった扉を開け、あぁ、と声を上げて後ろの初霜に問うた。

 

「初霜、自分提督が執務室に篭ってんの、どう思う?」

 

「待つだけですよ。今は」

 

 即答である。それに、と初霜は何気なしにささやいた。

 

「私の提督ですから」

 

 小さな初霜の声は、それでも龍驤の耳に確りと届いた。

 だから、龍驤は

 

「それでこそやで」

 

 愉快そうに笑った。




実は連続で出たのは提督と初霜以外だと青葉が初めて。


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10話

実験


 その影は、ただ一人暗い廊下を歩いていく。

 明かりは無い。廊下の窓から見える空は黒く、淡く仄かに輝く月の光だけが影の行き先を僅かに照らしてた。しかし、その光も消え去った。影は立ち止まり、窓へと近づき空を見上げる。

 

 雲が月を覆っていた。風の無い夜である。影はこの闇は長く続くのかと嘆息を漏らした。

 影はまた窓から離れ、廊下を一人歩いてく。

 

 周囲には影の足音と手に持った袋から鳴る音以外何一つ無く、深海の奥に迷い込んだような深蒼の夜は、見るものに死後の世界を錯覚させる。だが、影はゆっくりと歩くだけだ。

 まるでその世界の王――否。

 

「あら、意外と早くに雲が動いたのね」

 

 女王の様に。

 雲の払われた夜空は再び月の明かりを取り戻し、その幽雅な灯りは影を照らした。元軽巡洋艦、現在は兵装交換によって艦種変更し、重雷装巡洋艦となった大井である。

 特別海域の切り札。と多くの提督達から信頼を寄せられる3人しか居ない重雷装巡洋艦娘の一人だ。この鎮守府でも多分にもれず、大井という艦娘は要の作戦行動となると殆ど第一艦隊、または連合艦隊に参加していた。

 最近では準重雷装巡洋艦娘とも言うべき軽巡洋艦娘の登場により、少しばかり出番は減ったが、それでも提督にとっての準レギュラーメンバーである。

 

「ふふふふ……」

 

 大井は何かを思い出したのか、口元に手を当てて淑やかに微笑んだ。見る者が居たら、さぞ驚いただろう。そしてさぞ慄いただろう。その相は淑やかでありながら、穏やかでありながら、目に強烈な情がこもり過ぎていたからだ。

 

 ――あぁ、楽しい。

 

 楽しくは、無かった筈だ。彼女の"前"は、楽しくなど無かった。軽巡洋艦としては凡庸で、練習艦として未来在る少年達を死地に送り込んだだけだ。そして大井自身もまた――

 

 それでも、大井は今微笑んでいた。

 窓からさしこむ柔らかい光が照らす、その廊下に、大井の影と僅かな音、そして音楽が加えられた。奏でたのは、もちろん大井だ。彼女は鼻歌を奏でて歩いていく。ただ、ただ歩いていく。脳裏に過日を思い出しながら。

 

 彼女、大井は艦娘になっても、やはり平凡な軽巡洋艦娘でしかなかった。姉妹艦達、そして戦友達と再び見えた事は喜べたが、それだけだ。ネームシップの姉が戦場で活躍し、他の仲間達が戦果を挙げるたび、大井の胸は喜びと苦しみで乱れた。

 

 もう一度与えられた命である。しかも、何の因果か人型で。今度こそ、今こそ何かが出来るのだと大井は信じていた。それを仲間達は証明し、彼女は証明できなかった。その嬉しさと苦しさは混ざり砕け乱れ溶けて、やがて狂った色で鈍く光る一振りのナイフに形を変え、大井という艦の古傷をえぐり、大井という少女の心を削った。

 

 だから、彼女は北上に依存した。マイペースで、大井を拒まない、最も近い存在である北上の存在だけが、大井の居場所になれた。大井が、その居場所以外を拒んだのだから。大井だけが傷を舐めてもらう不毛な日々は、しかし突如失せた。

 

 提督が、大井と北上を第一艦隊に編入したからだ。

 当然、大井は混乱もし、反発もした。居場所を決めてしまった彼女に、今更他の場所は必要なかったのだ。何もかもが弱い大井には、特に。

 

 ――北上さんに手を引かれて、嫌々出撃してたな、あの頃は。

 

 挙句、出撃早々大破もした。中破など何回やったか大井はもう覚えていない。いたいいたいと、イタイイタイと零して鎮守府に帰り、何度提督に毒を吐いたのか。それももう大井には分からない。 

 北上という存在が大井の傍に居なかったら、大井は提督に何事かをやってしまっていただろう。それが例えその当時不可能であったとしても。

 提督に命令されたのなら、艦娘達は従わなければならない。理解していても、積もっていく痛みと出撃回数だけが嵩んで行く日々は大井にとって理不尽な時間でしかなかった。いつになったらこの時間は終わるのだと、何度嘆いただろう。だが、不思議と、この日は無理だ、と彼女が思う時だけは提督も彼女達を動かさなかった。

 

 弱い彼女は弱いなりに、平凡な軽巡洋艦娘として海上を駆り、火線走る砲雷音楽の世界を無様に回り続けた。危うい立ち回りも、第一艦隊の両目に助けられた。

 そんな彼女に変化があったのは、いつ頃であったのか。

 

 ――北上さんが活躍しはじめて、MVPとったり……私も、そうよね。

 

 北上のMVPに顔に大輪の花を咲かせた。そして、その頃から大井もまた戦場の主役足りえる存在になった。

 仲間達と戦い、共に帰還する。まだ守られる事の多い北上と大井であったが、そんな日々も大井は受けいれていった。かつて大井を傷つけていた不気味なナイフは、もう無かった。

 

 そして、またその日々は変化する。始まりは、やはり提督だ。

 珍しく出撃を早めに切り上げたその日、提督は二人を工廠へと呼び出し――世界は、大井の世界は塗り替えられた。

 新しい世界の色に誰よりも驚いたのは、北上であり大井であった。

 平凡な軽巡洋艦娘は、その日からたった二人の重雷装巡洋艦娘になった。

 

 守られる側から、守る側へ。怯える者から、追う者へ。変わっていく大井の中で、一番変わったのは……北上と提督、両者への距離だろう。艦娘として、また少女として一人の足で立った時、大井は過去の自分が危うい状態であったと正確に理解できた。

 大井は北上に傷を舐めてもらう事をやめ、対等な者になろうと距離をとったのだ。それは、提督との接し方にも変化を表した。

 

 ――手探り、だったけど。

 

 あの苦しかった時間も、この為に合ったのだと理解した大井は、提督に礼がしたかった。

 大井は思う。北上に依存していたあの頃を終わらせたのは、間違いなく提督だ。あのままあり続けていれば、自分は狂愛的な人格を作り上げ自壊して居ただろう。第一艦隊の仲間達を与えてくれたのは、提督だ。あの狂った光沢で自分を刺していたナイフを砕いたのも、提督だ。と。

 

 されど大井には分からなかった。艦娘としての大井の容は造れたが、少女としての大井を大井自身が分かっていなかった。

 大破、中破で帰還した際、提督に毒を吐いていたのは大井自身の意思だ。そこに嘘は無い。

 無いからこそ、わからない。どうすれば、どうやれば、提督へ確りと自分の想いを告げられるのか。それは、今も変わらない。

 

 ――手探り中、だけど。

 

 大井は鼻で笑った。自身に向かって、である。

 

 どれだけ臆病なのよ。もうあれからどれくらい時間流れてると思っているんだ私。しかも今妹まで重雷装巡洋艦娘になってるじゃない。別に提督の事とかどうで良いし、良くないし、最近提督インスタントラーメン買ったって本当? 駄目ですよそんなのばかり食べてたら体壊しますよ? 今度一緒に北上さんとお弁当つくって持って行きますからね。だってたった二人だけの重雷装巡洋艦ですものあと近頃第一艦隊に編入されないから開幕魚雷そのへんの改長良型の阿武隈型軽巡洋艦娘阿武隈とかいう? なんかそんな人? にぶちこんでもいいですか? あとそろそろ阿武隈さんうざい。あとあとそろそろ138枚目の提督の写真が欲しいのでまた撮りにいきますよ。

 

 以上、大井が自身を鼻で笑った際、頭にあった言葉全部である。

 阿武隈に関しては、大井達の出番を少々奪った事に対してのライバル意識である。あと北上との距離に少々思う事があるらしい。

 

 大井は明かり一つ無い廊下を歩み続け。そっと足を止めた。

 大井が夜歩いた、その理由が、今大井の目の前にある。彼女は目の前のそれ――扉のドアノブをつかんで、回した。小さな音が廊下に響き、大井は周囲を見回す。誰も居ない事を確かめてから、彼女はそっと室内に入った。

 

「誰も危害を加えないからって、無用心じゃないですか……」

 

 と口にする大井だが、もし鍵をつけられたら一番困るのは彼女である。

 

「ねぇ、提督」

 

 大井がじっと見つめるその先には、彼女達に司令、或いは提督と呼ばれる男が布団に包まって眠っていた。大井はその姿を眺めてから、執務室の冷蔵庫に近づいていく。冷蔵庫をあけ、膝を床につき袋の中から羊羹、お茶などの取り出すとそれを冷蔵庫におさめていく。

 

「んー……この前に買って来た羊羹、あんまり口にされてませんよね。お口にあわなかったのかしら。次からは別のにしますね?」

 

 大井は眠っている提督に笑みを向け、冷蔵庫のふたを閉じると今度はクローゼットに向かった。目の前のそれを静かに開け、吊るされている提督の服を一つ一つ確かめていく。

 

「うーん……これは初霜、これは初風……こっちは……あぁ、球磨姉さんね」

 

 アイロンをかけた艦娘の名前だろう。それぞれの癖を見取った大井は、これならよしと頷いてクローゼットを閉じた。

 ちなみに、駄目だしが出た場合、大井がその場でアイロンをかけ直す。嫁としての能力は意外と高い大井のだ。ただし嫁としての人格は保障しない。

 

 その後も、大井は箪笥の中を確かめ、箪笥の中の提督のシャツの匂いを確かめ、箪笥の中の提督のハンカチの匂いを確かめ、箪笥の中の提督のタオルの匂いを確かめ、重労働によって額に流れた汗を手の甲で拭って、ふぅ、と息を吐いた。

 

「さて……と」

 

 呟き、大井は提督の枕元へ音も無く歩いていく。未だ何事にも気づかず、否、今回もやはり気づかず、提督は眠り続けていた。

 

「……」

 

 大井は無言のまま、枕元に正座をして提督の顔を覗き込んだ。語らず、動かず、本当にただじぃっと。

 やがて、満足したのだろうか。大井は袋からデジカメを取り出し、それを提督の寝顔へ向けた。シャッターを切ろうとした瞬間――彼女はそれを止めた。

 それまで穏やかだった提督の寝顔に変化が生じたからだ。デジカメを投げ捨て、大井は提督の顔をあわてて覗き込んだ。提督の相にあったのは、かつて大井にあった何かだった。それは大井の勘違いで、思い込みかもしれない。だが、大井はそう感じた。

 

 ――居場所が無かった頃? 提督?

 

 大井は目を見開いた。そうではないか。提督には皆が居る。艦娘達が居て、その中心には絶対提督がいるのだ。だというのに、大井の目に提督の貌は昔日の自分を見せたのだ。

 大井は戸惑うように手を伸ばし、提督の頬を撫でた。温もりで癒せる物であれば、そう思っての事だ。それまで、決して提督には触れなかった大井が、初めて提督に触れた夜でもあった。

 

 ――大丈夫、大丈夫……

 

 起きそうにない提督の額に手を当て、大井は提督の寝顔を覗き込んだ。すこしばかり苦しそうな提督の相は、まだ晴れない。

 

「ここにいますよ。ここに、居ます。私が、居ます」

 

 小さな呟きは、誰も知らない。

 雲に覆われた月夜の世界は、執務室を深海の底へと誘っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 その影は、ただ二人廊下を歩いていく。

 廊下の窓から見える空は青く、燦々と輝く陽の光があらゆる物を照らしていた。

 

「あー……大井っちー、私ら最近暇だねー」

 

「平和な証拠ですね、北上さん」

 

「だねー」

 

 飴でも口に含んでいるのだろう。北上は頭の後ろで手を組みながら、口をもごもごと動かして歩いていく。その隣に、大井がいた。彼女は北上の隣を歩き、幸せそうに笑っていた。

 

「んあ」

 

 と北上は間抜けな声を上げて立ち止まった。そうなると、隣に居る大井も立ち止まる事になる。

 

「どうかしましたか?」

 

「んあー……提督、いるねー」

 

「あぁ、いますね」

 

 北上は首だけ動かし、その扉を見つめる。中から聞こえてくるのは、初霜と提督の声だ。北上は隣に居る相棒に振り返り

 

「お邪魔する? どうよー、大井っちー?」

 

 と聞いた。その言葉を聴いた大井は、ふるふると首を横に振った。

 

「あの人の邪魔は……したくないの」

 

 そう言って、大井は北上を置いて歩いていく。徐々に小さくなっていく大井の背を、珍しく呆然とした相で眺めていた北上は、暫しの間を置いてから頬を真っ赤に染めて零した。

 

「い、いやいや、いやいや大井っち……あんたなんて顔で言うのよ」




大井、山城はいいと思います。いいと思います。
早霜? あのこはなんていうか、クーデレ寄りだとぼかぁおもうんだなぁ
あと多いと大井がゲシュタルト崩壊しました


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11話

「第一艦隊、揃いました」

 

「あ、はい」

 

 背後から聞こえる大淀の声に、提督は隣に立つ初霜へ困惑の視線を向けた。

 だが、初霜は苦笑で提督に返すだけで口を開かない。提督は机の上においてあった帽子のつばをつかみ、適当に頭の上へと帽子を乗せた。

 

「提督、失礼します」

 

 提督が適当に乗せた帽子に不満でもあったのか。背後の大淀が帽子を調整し、前に回り込んでから一つ頷き、また背後に戻っていった。納得の出来だったのだろう。

 

「あぁ、ありがとう」

 

「いえ、申し訳ありません」

 

 提督の言葉に、大淀は一礼する。もっとも、前を向いたままの提督にはその姿が見えず、目にしたのは、今提督の前で横一列にならぶ第一艦隊の艦娘達だけだ。

 

 その艦娘達一人一人の顔を提督は見つめた。

 第一艦隊不動の元一航戦コンビ、艦隊の両目、龍驤と鳳翔。二人は提督と目が合うと、鳳翔は深々と頭を下げ、龍驤はにんまりと笑って小さく手を振った。

 その二人の隣は、特別海域の切り札、北上と大井である。この二人も、提督と視線がぶつかるとそれぞれの反応を見せた。北上は、にんまり、と笑い胸の前でピースをし、大井はすまし顔で腕を組みそっぽ向いた。

 

 それぞれの如何にも、といった返し方に提督は左手で帽子を脱いで、右手で頭をかいた。適当に頭に帽子を戻すと、また大淀がそれを直す。

 

「ありがとう。でも僕は大丈夫だよ母さん」

 

「いえ、申し訳ありません。あと私は提督の母親ではありません」

 

 今度は振り返り、大淀の顔を見ながら声を上げる提督に、大淀は綺麗な一礼と否定を返した。自身の首を軽く叩いて、提督は前に向き直る。そして、第一艦隊の残る二人へ目を向けた。

 

 第二水雷戦隊最強、夜を裂く華、神通。

 第一艦隊旗艦、山城。

 

 「……」

 

 提督は何も言葉にしなかった。

 数日前提督に見せた気弱げな相など欠片も見せず、兵士の顔で海軍式の敬礼をする不動の神通を目にして、提督は得心が行ったと頷く。かつて初霜が語った言葉の意味が、形となって今提督の目の前で片鱗を覗かせているからだ。

 感嘆のため息をもらした後、提督は盗み見る様に山城に目を移した。

 

 神通の隣で真っ直ぐ前だけを見てぷるぷると震える涙目の山城。提督に何かを言える訳も無かった。言う権利も無かった。

 なぜかと言えば、この編成を考えたのは、提督だからだ。

 

 ――昔の名残なんだろうなぁ……こんな事になるなんて思ってなかったから、こんな事やってたんだなー。僕は。平然と、残酷に。

 

 まだ提督になって日の浅かった昔日の自身を思い出しながら、彼はその能天気そうな脳裏の自身を数度殴っておいた。その程度の権利はあるだろうと考えながら。

 

 提督曰くの"昔の名残"だろうか。大淀や長門に編成を任せても、だいたい彼の好んだ編成で返ってくるのだ。この日も、そうであった。もちろん、提督がそれを拒む理由は無い。無いはずだが。

 

 ぷるぷると震える山城と、何ともいえない顔で立つ提督の目が合い、瞬間、二人の目に力がこもった。

 

 なんて事するのよなんて事するのよ。またこれなの? なんでまたこれなの? これ隣の人これあれよ、あれなのよ? 5500トン級の艦体で弩級戦艦に突っ込んでくる意味のわかんない、えーっと……あれなのよ? わかってるの、その頭には何がつまってるの? 脳みその変わりに別の物はいってるんでしょ? ばかなの? しぬの? っていうか私胃に穴空いてしぬわよ? あぁ……空はあんなに青いのに……。

 

 いやー、なんと言うかこの編成、僕にとっては艦隊の安定感半端ないのよなー。多少限定的なのは認めるけどあきらめて欲しいかなーって。あと神通さんはほら、山城さんを信頼してほら、あの、突っ込んでいっただけで、な、ほら? うん、あぁ、な? お、そうだな。あ、うん、明石の酒保に豆乳あるって隼鷹から聞いた事あるから、飲むと良いとおもうのよ、僕。あれ胃に優しいから。あとお姉さんのセリフとるのはやめようか?

 

 この間一秒。それぞれ山城の念と提督の念である。一切口は動かしていない。

 だと言うのに。

 

「それ本当?」

 

「胃に膜を張るから良いんだってさ。守ってくれるって訳かな」

 

「へぇー……姉様にもお勧めしておこうかしら」

 

 しっかりと通じ合っていた。

 突然口を開いて意味不明な会話を始めた提督と山城に、その場にいる全員が何も言わない。見慣れた光景だからだ。

 

 こほん。

 

 と小さく咳一咳し、提督は第一艦隊をもう一度見回して頷いた。

 

「皆の活躍と、無事を願うよ。よし、お互いお仕事始めようか」

 

 締まらない提督の言葉に、その場に居た全員が背を伸ばし海軍式の敬礼を提督に見せた。提督も慣れぬ様子で敬礼を返し、それを見届けてから第一艦隊の面子は執務室から一人、また一人と去っていく。そして最後、白い着物と赤く短い袴姿の背に、提督は声をかけた。

 

「山城さん」

 

「……なんですか、提督」

 

 幽鬼の如く。まさにそれ以外の例えが出ないほどのオーラと相で、ゆらりと山城は振り返った。青白い火の玉でも周囲に飛ばしていそうな山城の姿に、提督は

 

「いってらっしゃい」

 

 とだけ言った。

 山城は提督の顔をじっと見つめた後、小さく頷いて退室していった。続いて、大淀が提督に一礼して部屋から出て行く。これから、港で具体的な話をするためだろう。

 

「あぁー……こういうの、いるのかなー? いや、わかんだけどねぇ」

 

 椅子に座ると同時に、提督は執務机に体を預けた。初霜は提督の姿に苦笑で返す。

 

「出来れば、いつもやって欲しいんですが」

 

「無理、それやったら引きこもる」

 

「どこにですか」

 

 すでに執務室に引きこもっている提督である。これ以上どこに引きこもれるのかと初霜は純粋に疑問を抱いた。

 

「ここ」

 

 と提督は自身の寝そべる机を指差した。机の下に引きこもるという意味だろう。

 

「止めてください。そんな事したら、鳳翔さんと雷さんを呼びますよ」

 

「やめてくださいしんでしまいます」

 

 初霜が名を上げた二人は、大抵の鎮守府、警備府等の提督に愛される、または提督を愛してやまない艦娘であるのだが、初霜の所属する鎮守府の提督はこの二人に――と言うよりはこの二人にも――弱いらしく、机から身を起こして涙目になっていた。

 

「それにしても……山城さんは大丈夫なんかね、あれ」

 

 編成を許可しておきながら、提督は山城の姿を思い出しつつ首を叩いた。

 あれは普通、艦隊行動に支障が生じるレベルなのではないかと、今更ながら心配になってきたのである。昨日は大丈夫だった。その前も大丈夫だった。だから今日も大丈夫。

 といかないのが人であり仕事だ。

 

「大丈夫ですよ。山城さんは第一艦隊の旗艦なんですから」

 

「そうかい?」

 

「そうですよ。海に出れば、あの人は切り替えます」

 

 初霜の言葉に提督は、そんなものか、と納得したが、その話題でもう一つ思い出して呻いた。

 

「……やった方がいいんだろうけどねぇ、あれも」

 

 提督は窓から見える空を見上げながら、ぽつりと口にした。

 彼らが行った、第一艦隊の艦娘達の――そんな大それた物ではないだろうが、観艦式である。今日戦場へ行く者に、提督が声をかけるのは間違っていない。いや、間違っていないどころか、そうしてしかるべきだ。最終的な決定権は提督にあった以上、彼女達を海上に送り出したのは提督なのだから。

 

 しかし。それでも。

 

 ――違う。

 

 提督は大きく息を吐き、隣にいる初霜を見た。初霜は泰然とそこにたたずみ、提督を静かに見つめていた。

 

「……仕事といきましょう」

 

「はいはい。今日も一日頑張りましょうーっと」

 

 初霜の言葉に、提督はペンを取り、机の上にあった書類を一枚、手に取った。

 

 ――わがままだ。

 

 提督と初霜は、胸中で同時に呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 仕事を覚え慣れ始めた提督と、それを助ける秘書艦がいれば簡単に片付く事もある。早々に終えた書類を机の隅に追いやり、提督は時計を見上げる。まだ早い時間だ。となれば。

 

「はい、提督。お茶と羊羹です」

 

「あー、ありがとう初霜さん」

 

 いつの間に用意していたのか、初霜は提督の分を机に置き、自分は書類を纏めて扉へと向かっていく。

 

「では、終えた分、大淀さんに預けてきますね」

 

「はい、お願いします」

 

 初霜は一礼し、ドアを開けて退室する。

 

「大本営に送る、ねぇ」

 

 頬杖をつき、初霜が持っていった書類を思い出して提督は口元を歪めた。

 

 ――誰の物として、誰に送るんだ。

 

 提督は、大本営なるものを知らない。まったく、知らない。しかし、半月以上もそれで回ってしまっている。まるで問題など無いかの様に、当然歴然瞭然画然と回っている。

 

 ――割り込んだ? 奪った……? どうなんだ?

 

 顔を上げ、頭を乱暴にかく。そして、額を二度ほど手のひらで叩いて……初霜の用意してくれたお茶と羊羹を見た。

 

 疲れた頭が糖分を欲しがり、提督はお茶より先に羊羹を口に運ぶ。

 

 ――その程度か、僕の悩みは。

 

 口に含み、ん、と彼は首をかしげた。目を閉じ、味わう様に時間をかけて咀嚼してから嚥下し、提督は首を横に振って冷蔵庫を見た。

 提督は買い物にも行けない。ゆえに、彼の双眸に映る冷蔵庫の中身は、艦娘達が用意してくれた物だけが入っている。艦娘たちがいなければ、提督はこうやって甘い物も食べられないのだ。

 

 ――ご機嫌取りと判子とサインが仕事か。ご立派だぞ、僕。

 

 提督は首を横に振って、窓の向こうにある景色を見た。見慣れた風景だ。そして、窓硝子に仄かに映る自身の姿を見て、目をそらした。

 

「あぁ、昨日はよく寝られたのになぁ」

 

 何故だかは分からない。だが、その夜提督は久しぶりにゆっくりと眠る事が出来た。まるで誰かが傍で見守っていてくれたかのような、そんな温もりに包まれて眠る事が出来た。だと言うのに、そんな小さな幸せも窓に映った薄くぼんやりとした彼の姿が、提督から奪い去った。

 

「なぁ、僕は少佐か?」

 

 独り言にしては大きな声で提督は続ける。攻撃的な彩で瞳を染めて、乱暴に椅子の背もたれに寄りかかり、今度は小さく。

 

「なぁ、僕は新米の、着任したての提督だ。提督なんだ」

 

 大本営も知らず、何かに怯えて自分の階級章も目にしない提督は。

 

「まさか大将って事は無いだろう? だってそれは――」

 

 呟き、飲み込んだ。

 どこかで。遠い遠いどこかで。PCのディスプレイがひび割れた。



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12話

 ぺらり、と視界いっぱいに広げていた紙面――新聞をめくり、提督は次の頁に目を通した。

 提督は執務机にひじをつき、広げた新聞を眺めながら一人頷きつつお茶をすすっている。そしてそんな休日のお父さん的姿で寛ぐ提督の向こうでは、白いエプロンと髪をポニーに結った初霜がソファ-に座って提督の衣服等を畳んでいた。

 

『新人提督氏、念願の雪風』

 

 そんな記事に一人頷いて、提督は自身の遠い記憶を思い出していた。提督となった皆が通る道である。出ない五航戦姉妹、二航戦の黄色い方、卵焼き製造機。

 

 提督はなんとなく胃の辺りをおさえて記事の続きを読んでいく。どうやら、記事になるだけあって異例の事態らしく『着任一ヶ月の快挙、天佑なる哉』と大きく書かれている。

 

「あぁ、この人同期なのかー」

 

 小さく呟いてから、胸中で同期であるらしい新人提督に応援を送った。

 

 ――さぁ、次は島風だ。

 

 そしてその後も五航戦姉妹、二航戦の黄色い方、卵焼き製造機、タウイタウイ、グワット、ホテルに御殿にと、地獄は続いていく訳である。もっとも、一番地獄の苦しみを味わうのは潜水艦娘達であるが。

 それにしても、と提督は新聞を畳み、初霜へと視線を動かした。

 

「この共同青葉通信っていうのは、案外悪くないねぇ」

 

「各地の青葉さんの合作ですからね。私達の間でも、購読者は増えているみたいですよ」

 

「なるほどなー」

 

 机の上に置いた新聞、青葉通信の一面に目を落として、提督は感心感心と小さく手を叩く。趣味ごとに重きをおく艦娘は数あれど、ここまで突き抜けた艦娘はそうは居まい、という感心だ。この青葉、という重巡洋艦娘は、前述された雪風、島風などと比較すれば建造しやすく、海域で発見もしやすい。早めに提督の下に配属された彼女は、その生来の気質か、従軍したとある人物の影響か、兎に角"取材"とそれらで得た情報の公開に酷く熱心なのだ。もちろん、常識の範疇で許された情報の公開である。軍属である青葉は、いうまでも無くその辺りは規律的であった。まぁ、同艦であっても個体差はある訳だが……。

 

 そしていつしか彼女達は、自身の範疇にある情報だけでは満足できなくなったのである。一人の古参の青葉が、また古参である他の青葉にそれを漏らし、また他の青葉は他の青葉からそれを聞き、と続けているうちに、一つの集いが生まれた。特別情報公開班、通称青葉会である。彼女達はそれぞれ所属する鎮守府、警備府、基地、泊地の名を書いた腕章をつけて参加し、互いの情報を交換して吟味し、それぞれの所属する上に確認を取って刷って行く。

 三ヶ月に一度の集いが、今一番楽しいと笑顔でこぼす青葉は多く、青葉を嫁艦とした提督など屈託の無い無垢な笑みに惚れ直した、と言ったほどであるらしい。

 

 ――情報の交換、なぁー。したいんだけどなぁー。

 

 なにぶん、執務室から出ない提督である。情報は艦娘達から聞くか、青葉通信か、インターネットか、だ。ただそれも情報の取得であって、交換ではない。交換の方法が無い訳でもないのだが。

 

 ――例えば、これか。

 

 机の上の青葉通信をもう一度手にして、末頁を目にする。そこには、提督同士のやり取りが書かれていた。

 

「○○鎮守府の○○提督、レアレシピどうもでした」「嫁(戦艦)の料理が不味い」「○○提督、前の飲み会ではどうもでした。またお願いします」「嫁(駆逐艦)の料理が不味い」「たべりゅー」「うちの飛龍が俺にたくさん食べさせてくる、これ何?」「ワレアオバ」「にゃあ」

 

 などなど、である。

 

 それぞれの青葉が所属する提督のコメント欄だ。当初はただの挨拶だったのだが、いつの間にか互いへの感想やレス、コメントになってしまっていたらしい。当然、ここに彼が参加する権利はある。彼は提督だ。彼の青葉もこの通信に参加している。

 だが、彼は特に参加もしなければ、自身の情報も出さなかった。それぞれの鎮守府等の情報公開となれば、そのトップである提督の情報も含まれる。先にあった新人提督などの話は、まさにそれだ。そのうち小さな話程度は青葉に許可するつもりだが、その程度でお茶を濁すつもりしかないとも言える。

 

 ちなみに、提督の所属する鎮守府は、その情報が殆ど出ていない事から逆に注目されてしまっている。隠し玉、或いは切り札、そういった組織なのではないかと一部提督達から噂されているのだ。もちろん、それはただの思い込みで勘違いでしかないのだが。

 

 ――まぁ情報交換もなにも、相談したら一発アウトで病院いきだろうけどなぁ。……それにしても。

 

「若いなぁ……」

 

 提督はもう一度新聞を開き、一つの記事に目を落とした。黒い文字列の中に白黒の写真がある。そこに、はにかんだ少年と雪風が写っていた。少年提督の年頃は、どう見ても十代後半……いや、十代後半成り立て位にしか、提督には見えなかった。

 

「今は、珍しくありませんよ?」

 

「えぇー……」

 

 畳んだ下着類を箪笥に仕舞いながら微笑む幼な妻風初霜に、提督は唖然とした。珍しくない、と初霜が言ったのだから、それはつまり――

 

「平均年齢は?」

 

「19……くらいだった筈です」

 

「……」

 

 初霜の答えに、提督は頭を抱えた。確かに、そうだろう。提督自身、本来提督と呼ばれるには不相応な若造だ。自身もまた、その異常の証明の一助となる事例であった事に、提督は更に頭を抱えた。

 

「その……私達が艦であったころと、艦娘である今だと、提督の意味が違うんです」

 

「……あぁ、それか。個々の能力云々じゃなくて、艦娘が従える――なんだ、資格があるかどうか、と?」

 

「そうです。その資格、というのも未だはっきりとしていません」

 

 その判然とせぬ何かを持つ提督だけに、艦娘は従う。故に、軍は提督と言う存在を軽くしたのだ。資格保有者なら誰もが提督になれる程度に。

 

 提督は隅に在る書類へ目を飛ばし、なるほどと鼻を鳴らした。簡単な訳である。当然だ。これは飽く迄提督と言う存在をその程度だと理解させる物で、本当に必要な書類などは、例えば大本営が各鎮守府、警備府等に配備した大淀に処理させているのだろう。

 

「今度大淀さんに何か送ろうかなぁ……」

 

「金剛さんとかと修羅場に発展してもいいなら、良いと思いますよ」

 

「っべー、まじやっべーわ」

 

 意味不明な言葉を繰りながら提督は新聞を机の隅に置いた。大淀は極めて理知的であり、金剛もまた理性的であることは提督も重々承知しているが、その手の話は理性であるとかそれまでの常識といった類の物を軽く飛び越えてくるところがある。

 

 愛、恋、という人の想いはなかなかに枯渇しない燃料だ。それがある限り機関部は動き続け、運命とやらを左右する歯車は回り続ける。その歯車がかみ合っているのかいないのかは、提督には興味も無い事だが。

 

「しかしまぁ、不憫だね、そっちも」

 

 提督の気遣う視線にさらされ、初霜は首をかしげた。後ろで結ったポニーが揺れ、提督はなんとなくそれが初霜の肩に掛かるのを見届けてから瞼を閉じた。

 

「何か分からない物で、君達は"提督"に縛られている……いやはや、ご愁傷様だよ、申し訳ないねぇー」

 

 提督は肩をすくめてそれだけ口にすると、目を開けた。

 

「――え?」

 

 そして、驚いた。

 提督の目の前に、初霜の顔があったからだ。大きな赤い瞳、小さな鼻と柔らかそうな唇、それらが提督の前にあったからだ。

 

「は、初霜さん、ちか――」

「ぷっぷくぷー」

 

 提督が初霜に近すぎると文句を言う前に、初霜が提督に言葉を刺した。

 

「え?」

 

 意味不明な言葉で。

 いや、意味不明ではない。この鎮守府にも所属するとある睦月型駆逐艦娘の口癖の一つだ。だがそれは、少しばかり特徴的であり、提督からすれば初霜の口から出ると温度差の余り眩暈がするだけなのだ。

 

「へいへーいでも、ひえーでも、ひゃっはーでもかまいません」

 

「え、なにそれは」

 

「たとえ提督が、突然それらの奇矯な雄たけびを上げて鎮守府の廊下を走り回っても、私はかまいません」

 

「やめよう初霜さん。各方面にナチュラルに喧嘩売るのはやめよう。あと僕はそこまでストレスためてないから」

 

 初霜は提督の言葉に、更に顔を近づける。提督の双眸に映った初霜の顔がまた大きくなり、提督の瞳の中に初霜の瞳が映りこんでいた。

 

「提督がぶくぶく太っても、特別海域で毛根が死滅してしまっても、何もしないで食べる飯は旨いか、と聞かれる人生を送っていても私はかまいません」

 

「おいやめろ」

 

「どんな形でも……私達の提督は貴方です。貴方こそが、貴方だけが、私達の提督です」

 

 おもむろに、初霜は提督から身を離した。自然、両者の顔は離れていく。呆然としたまま、提督はあぁ、と零しながらうなずき、初霜は

 

「貴方の元に来たのは、皆それぞれだけど……私達は、貴方が提督で、司令で、良く分からないままの想いでも、それで良いと決めたんです。それだけは、否定しないで下さい」

 

 ささやいた。

 

「……当人にも分からない想いを、ねぇ」

 

 提督は頭をかいた。分からない、分からない。何もかもが、そんな調子だ。彼の周囲は。

 かつて帝国海軍に在った艦達が少女の体となって再び現世し、提督と言う何かの資格を持つ人間の元で喜び、怒り、哀しみ、楽しむ。死地に誘われようと、地獄へ送られようと、彼女達はそこに佇むだけだ。ただ、提督の傍に、と。

 その根源は、彼女達にも理解できぬ物で、少女の姿である事も彼女達には理解できぬ事で、当然、他者にはもっと分からない事だ。

 

 ――当初は、さぞ疑われた事だろうさ。

 

 提督は腹の中で当時の世相を予想し、多分当たりだろうと笑った。実際、その通りであった。自身にとって都合のいい物を求めるのは万国共通人の欲だ。都合が良すぎると疑うのが万国共通人の性だ。自身の欲と世間の性の曖昧な中間を探し出し、自分が納得できる間を見つけてやっと理解出来る。

 

 そういった点で見れば、艦娘達の歪さはよく理解できた。歴史的に見れば人類のパートナーとなった犬の様である。が、犬ではない人間の形をした艦だ。おまけに、それは少女の体と心を持つ。しかも、見目麗しい。

 分からない、が当然の生き物だ。判然とするべきではない存在とも、提督には思えた。

 

「兵器か人かで分けても、ろくな事になりそうにないなー」

 

「提督……」

 

 提督が零した言葉に、初霜はただ開きかけた口を閉ざしただけだ。

 

 ――なんでこんな話してるだい、僕らはさ。極楽トンボがせめて今くらいはお似合いだというんだよ、なぁ。

 

 提督は隅に置いてあった新聞から覗く、はにかんだ顔の少年提督に唇を歪ませ、

 

「かまうなよ、初霜さん」

 

 苦笑を浮かべた。

 脈絡の無い提督の言葉に、初霜はまたしても首をかしげ、そんな初霜を視界に納めながら提督は声を上げた。

 

「へいへーい」

 

「――え?」

 

 小さな声だ。

 

「ひえー」

 

「……え?」

 

 普通の声だ。

 

「ひゃっはー!」

 

「――……え?」

 

 大きな声だ。

 それも、両手を広げてのパフォーマンスつきである。いきなり奇声を上げ、らしからぬ事をやって見せた提督に、初霜は目を見開いて若干身を硬くしている。

 その姿を見て、提督は肩をすくめて笑った。

 

「どうだい、僕もなかなかどうして、分からないモンだろう?」




おまけ
隼鷹「よんだー?」ガチャ
提督初霜「呼んでないです」
隼鷹「えー」
卯月「よんだぴょん?」
提督初霜「もっと呼んでないです」
卯月「ぷっぷくぷー」
比叡「ひぇー?」カレー
全員「ヒェッ……」


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13話

 浜風は、その豊かな胸を撫で下ろし、ほっ、と一息ついた。

 右手にある、今は演習用の模擬弾が詰められている連装砲を一瞥してから、浜風は自身の周囲を見回した。右足のつま先で地面を、とんとん、と叩く時雨。陸に上がってもまだ物足りなさげに海を眺める夕立。潮風に流される髪をおさえながら空を眺める綾波。肩から力を抜いて、ほう、っと立つ高波。眠そうな顔で棒立ちの初雪。

 浜風は連装砲を軽くたたいて、

 

 ――今日も勝ちましたよ、提督。

 

 微笑んだ。

 

 通常、演習という模擬戦は違う提督につく艦娘同士で行われる。その組み合わせは大本営が用意し、その中から希望に沿った演習相手を選び、あとは提督同士で話をする。自分はこの編成でいきますが、どうでしょう? あぁ、でしたらこちらはこれで行きますが、大丈夫ですか? そういった具合だ。

 この大本営が用意する演習相手は、その提督と同期が7割、ベテランが3割ほどだ。同期には自身の状態は相手と比べてどうであるかという判断基準にさせ、ベテラン相手には実戦に近い形で揉んで貰え、という事である。

 これでさまざまな事を学ぶ提督は多い。可能性の模索や先人の知識を垣間見る機会となるからだ。

 ただ、それは通常の鎮守府の話だ。

 

「んー……っ! 今日の演習、なかなかでしたねー」

 

「っぽい!」

 

「まぁ、うちの鎮守府だからね」

 

 歩きながら右腕を突き上げ背を伸ばす綾波に、夕立が笑顔で頷く。そんな二人のすぐ後ろを歩く時雨が、空を見上げて笑う。

 

 彼女達の今日の演習相手は、重巡洋艦娘2人、軽巡洋艦娘2人、同じ駆逐艦娘が2人であった。駆逐艦6人の演習相手としては、相当重い相手である。

 しかし、彼女達はその演習で白星をとった。勝利の理由は実に単純明快だ。

 

「彼女達も、経験を積んで錬度をあげれば、化けますよ」

 

「かもですね。艦種が違うし、多分次から危ないかもです」

 

 浜風の言葉に、高波が何度も頷いて返す。

 今回、この鎮守府の提督に演習を申し込んできたのは、提督歴一ヶ月になる同期の提督であった。当然、そこに集った戦力はまだまだ乏しく、配属している艦娘達も未成熟だ。対して綾波、時雨、夕立、初雪、高波、浜風が所属するこの鎮守府の戦力は――充実していた。最前線海域を任されたベテラン提督となんら遜色無いほどに、充実していたのだ。

 ゆえに、演習での編成を組む際、長門は駆逐艦娘6人を選んだのだ。侮りではない。決してながもんの趣味じゃないと拳を突き上げて。

 

『見せてやるんだ。教えてやるんだ。駆逐艦であっても長い時間で積み上げた努力と経験は、時として艦種をも超えるのだと』

 

 錬度の違いが、この編成を良しとした。六対六の海上演習は段違いの経験と錬度差が、艦種の差を飛び越えて如実に現れた。ましてや、相手は最近建造したばかりの駆逐艦娘、雪風を出してきたのだ。いかな不沈艦と言えど、錬度と経験が無ければ戦場と運命は覆せない。

 二段階目の特殊改造が施された艤装をまとった綾波、時雨、夕立が砲雷音楽を海上に高らかと響かせ、三人に劣らない錬度を誇る高波、初雪、浜風がそれをサポートする。

 

 結果は、前述したとおりだ。

 演習相手の艦娘達、そして彼女達の提督に、彼女達は確りと言外で語った。「これが、未来の貴方達である」と。

 

 こんな事により、この鎮守府が他所の警備府や鎮守府から「あそこはやばい」「流石切り札部隊だ」「まじぱねぇ」「嫁(軽空母)の飯が旨い」と評価されてしまう原因の一助となっている訳だが、とある軽空母に「このぴこぴこはなんですか?」と質問されている最中の引きこもり提督は何も知らない事である。

 

 

 

 

 

 間宮の食堂はそれなりの喧騒を見せていた。食堂に入った浜風は店内にある時計に目を向け、現在の時刻を確かめる。昼少し前だ。あと少ししたら込み出す頃だと浜風が隣の時雨に言うと、

 

「じゃあ、ゆっくり食べよう」

 

 時雨は平然と言った。

 

 きょとん、とした浜風に時雨は彼女の背を叩く。

 

「演習とは言っても、僕らは海上帰りだよ。ちょっと位のわがままは、させてもらおうよ?」

 

 あいている適当なテーブルに近づき、時雨は椅子を引いて腰を下ろした。その隣に夕立が座り、各々がそのテーブルに適当に座っていく。

 

「さてさて、今日は何を食べようかな?」

 

 メニューを手に取り、時雨は今日食べる物を吟味し始める。夕立は勢い良く手を上げ、カウンター向こうの間宮に声をかけた。

 

「夕立、焼肉定食大盛りっぽーい!」

 

 綾波と高波は、むむむ、とうめきながらメニューを睨み、初雪はテーブルに突っ伏して浜風にメニューを渡す。

 

「てきとーに……お願い」

 

「またですか……」

 

 あぁもう、等と口にしながらも、浜風は初雪からメニューを受け取りに口を動かす。

 

「気分はどうですか?」

 

「んー……悪くない」

 

「重い物は?」

 

「別に……いい」

 

「じゃあ、焼きソバ定食でも?」

 

「おけ」

 

「はい、じゃあ私もそれにしますから、二人前頼みましょうか」

 

 浜風は頷き、メニューの角でテーブルを軽く叩くと、間宮に声をかけた。

 

 それぞれが注文した物は十分ほどで彼女達のテーブルに揃い並び、最後に綾波のじゃがバター定食が彼女の元に届いてから、彼女達は一斉に手を合わせそれぞれ目の前にある料理に一礼する。

 

「いただきます」

「っぽい」

 

 或る者は勢い良く食べ、或る者はゆっくりと食べる。味わい方もさまざまで、少女と言うのはたった六人でもこうも多種多様なのだと言う事を見る者に深く深く思わせる事だろう。

 が、ここは鎮守府。艦娘達が集う一種の花園である。誰も誰かが食べる姿など見ては居ない。なにせ自身がその多種多様の一人なのだから、興味も無い上にただの日常風景だ。

 そんな多種多様の一人である初雪が、意外にも上品に焼きそばを口に含み、こくん、と嚥下してから、ふぅ、と小さく息を吐き口を開いた。

 

「それにしても、今日の演習は……疲れた」

 

「夕立は面白かったっぽい」

 

「意味わかんないし……」

 

 テンションの高い夕立とテンションが低い初雪は、余り意見の一致が無い。駆逐艦娘のアウトドア派代表が夕立であるなら、初雪はインドア派の双璧であり代表だ。ただ、それだけで二人の仲が危うい物かと言えば

 

「初雪のおかげで相手の足を止めれたっぽい、ナイスアシストっぽい!」

 

「まぁ……あぁいうの、ほんとは得意だし」

 

 そんな事もない。人間も艦娘もこの辺りは同じだ。同じような性格の友人、知人が並ぶ中で、どうにも似ていない友人、知人が混じってくる。それは何故かと首をひねるも、当人に会って話をしているとどうでもよくなってくものだ。

 

「初雪、焼きソバ美味しい? 美味しい?」

 

「うん……じゃあ……そっちのお肉と交換」

 

 ――猿山って、偶に他所の猿を受け入れて新しい血を求めるんでしたか?

 

 浜風は自身の前で仲良くおかずの交換を始めた二人を眺めつつ、これはなかなかに失礼な事を考えてしまったと己を恥じ、俯いた。だが、それを見ていたのだろう。時雨が浜風に笑顔を向けて、こそっと囁く。

 

「多分、僕も同じような事を考えていたよ」

 

 その言葉に浜風は顔を上げ、くすり、と笑った。

 

 浜風は自身の周囲を見回す。ゆっくりと、ゆっくりと。

 時雨はマイペースに湯飲みを仰ぎ、夕立は、焼きソバ美味しいっぽい、とにこにこ笑い、初雪は焼肉をこれもまた上品に口に運び、高波と綾波は、初雪と夕立と同じ様に互いのおかずを交換して穏やかに微笑んでいる。

 

 ――良かった。

 

 浜風は豆腐とワカメの味噌汁を飲みながら胸中で呟いた。

 浜風は、提督の下に来たのが遅かった。今同じテーブルについている中では、後ろから二番目だ。どういう訳か判然としないが、建造では生み出せない艦娘達が居る。浜風もその一人だ。彼女を含むそれらの艦娘達の多くは、大本営が三ヶ月に一度発令する特別海域作戦や、高難易度を誇る海域でしか発見できない。

 そのてん、浜風は比較的安易な海域で発見、邂逅出来る艦娘であるのだが、その発見率は極めて低い。ベテラン提督の鎮守府でも、彼女が未所属であるのは珍しい事でもないのだ。

 

 ――ここで、良かった。

 

 所属した時期が遅かった。だが、そんな物はまったく問題にならない。

 演習、実戦、海上護衛……様々な任務が、経験が浜風に与えられ、彼女はすぐ一線に立てるだけの錬度を得た。それは、浜風と同じテーブルでおとなしく咀嚼している高波も同じだ。

 

 ――これで、もっと先に進める。前より、もっと先に。

 

 浜風は、かつて艦であった頃に不満は無い。やるべき事はやったのだ。最後まで、坊ノ岬沖で沈むその最後まで。

 

 ただ、艦娘となった浜風は、いつしか未練はあったのだ、と思う様になった。少女の形になったからこそ、彼女はそれに気づけた。

 笑いたかった。共に。泣きたかった。共に。怒りたかった。悲しみたかった。ただ、共に。

 硬い物言わぬ兵器では叶わなかった願いを、少女の体が叶えた。僅かにしか邂逅できぬ彼女の身が現世に触れた時、懐かしい潮風と眩しい太陽を"身体"に感じながら、浜風は確かに喜んだのだ。

 

 ――共に。ただ、共に。

 

 浜風はここで、戦い、守り、笑う事が出来る。

 浜風は葱とみょうがが沢山振られた焼きソバを頬張りながら、思う。

 気心の知れた戦友を与えられた。この鎮守府に。少女として友を与えられた。提督に。幸せだと思う事を与えられた。自分の、提督に。

 

 ――そうだ。

 

 浜風は沢庵と白米を口に運びながら、頷いた。今度提督が暇している時にでも執務室に行こう。その時、その場で演習の事、遠征の事、普段の事、色んな事を話そう。と。そして沢山、一杯誉めて貰うのだ、と浜風は笑みで相を輝かせた。

 

 浜風は小皿に盛られたポテトサラダを口に入れた。

 それは甘く美味であった。

 ふと、浜風と綾波の目が合った。浜風がふわりと微笑み、綾波もふんわりと笑みを浮かべる。

 

「何と交換します?」

 

「じゃあ、この明太焼きと……」

 

 そんな浜風と綾波の隣では、高波と時雨が同じようにそれぞれのおかずを取り替えていた。夕立と初雪はいまだ演習の話を続け、綾波はポテトサラダを幸せそうに噛み締めている。

 

 ――ずっと、ずっと、ただ、共に。

 

 浜風は強く願った。



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14話

「提督、外を見てどうしたの?」

 

 冷たげな、ひやりとした声に提督はばつの悪い顔で、自身の隣に立つ声の主を見上げた。

 白い着物と、短めの青い袴。サイドポニーに結われた髪は茶色で、相は――声同様、冷たげだ。

 

 提督の隣で冷然と佇むのは、元加賀型戦艦一番艦、現加賀型正規空母一番艦、加賀であった。彼女は持っていた書類を執務机に置き、

 

「今日の貴方の仕事です。お願いします」

 

「あ、はい」

 

 提督の隣に立ったままじっと彼の手元を見つめる彼女からは、そこから動き出す気配は欠片も見出せない。ペンを手に取り、書類に向かおうとした提督であったが、頭をかいてからもう一度隣を見上げた。

 

「あー……加賀さん、その、なんだろうなぁ」

 

「……なに?」

 

 冷めた相に相応しい双眸で、加賀は提督を見下ろしたまま首をかしげた。仕草は愛らしいが、加賀のまとう冷たい気配のせいで、獲物を狙う肉食獣の予備動作の様にしか提督には見えなかった。無論、そんな思いはおくびにも出さない。

 

「そっちに、秘書艦用の小さな机がある訳で」

 

「あれですか」

 

 提督の言葉に、加賀は執務室にあるそれを流し見る。提督用の執務机から少し離れた所に置かれたその机は、

 

「……少し小さいのではないかしら?」

 

「うん、そうですね」

 

 加賀の言う通り少しばかり小さかった。本来執務室にあった秘書艦用の机は、もう少し大きい物であったのだが、提督の秘書艦である、駆逐艦娘の中でも特に小柄な初霜用にと合わせた所、こうなってしまったのである。兵器だろうが日常品であろうが、特化すれば汎用性が犠牲になる。

 脳内で初霜用の机に、ちょこなん、と座る加賀を思い浮かべてから、提督は、無いな、と心の中で頷いた。

 

「じゃあ、ソファーにでも座っていれば――」

 

「……何、迷惑なの?」

 

「なんでもないです」

 

 物騒な光を帯びだした加賀の瞳から逃げるように、提督はペンを持つ手に力を入れ、書類に向き直った。

 

 ――仕事に集中しよう。うん、それでいこう。

 

 そう考え、提督は今日の仕事分に取り掛かった。時計の秒針の音と、提督が走らせるペンの音だけが執務室に木霊する時間がしばらく続く。

 が、人の集中力は一時間と持たない。ましてや隣に、その頃には背後に近い場所ではあったが、兎に角他者の気配があればなお更だ。

 提督は執務机に置かれた湯飲みに手を伸ばし、なんとはなしに小さな秘書艦用の机を見た。

 

 ――初霜さん、今頃海の上か。

 

「初霜の事?」

 

 提督の視線の先にある物を理解したのだろう。加賀は小さな声で提督に問うた。

 加賀の言葉に、提督は素直に頷いた。

 

「今日は、第一艦隊に編入されていたのよね?」

 

「うん、対空要員としてね」

 

「夜戦、対空、おまけに秘書艦と忙しいわね、あの子も。で、旗艦は?」

 

「山城さん」

 

 提督の上げた名前に加賀は、あぁ、と呟いて頷いた。

 

「"第一艦隊旗艦"ね。なら大丈夫だわ」

 

「? あ、うん」

 

 加賀の言葉に妙な違和感を覚えた提督だったが、このまま少し会話をしてみようかと思い、持っていた湯飲みを机に戻して口をもう少し動かす事にした。

 

「それにしても加賀さん、よく秘書艦の代役なんて引き受けたねー?」

 

「非番だったのよ。それに、特に用事もなかったから」

 

 この鎮守府における初期秘書艦である初霜は、第一艦隊の旗艦を兼任しない。他所では知らず、この提督の鎮守府では、旗艦は旗艦、秘書は秘書と分けている。

 普段提督の仕事を補佐する上に、作戦行動にまで出てしまうのはどうだろうか、という提督の考えの下、分業化されたのだ。

 その時、提督が意識せず零した『それすぐ赤色にならないか?』という言葉は誰一人として理解できなかったのだが。

 

「まぁ……暫くの仕事は戦闘機の開発込みだから、加賀さんに頼んだろうねぇ、初霜さんも」

 

 一枚の書類を手に取り、提督はその内容を確かめる。数日前、提督が大淀に渡した戦闘機開発許可申請への大本営からの返事だ。

 

 ――好き勝手に、開発は出来ないんだよなぁ。

 

 独断専行などもっての外。何をするにも許可、というのは当たり前の事であるが、提督にとっては今更だ。彼の鎮守府の戦力は、既に異常だ。しかし、それでも現場では足りていない物がある。それを補う為の開発だ。

 

「戦闘機開発……私にもなにか手伝えればいいけれど」

 

「いやいや、手伝うも何も、加賀さん達じゃないとさー?」

 

「龍驤や鳳翔さんに頼んだらどう?」

 

「二人とも今は海の上じゃないか」

 

「……そうね」

 

 加賀は提督の手に在る書類を見て、顎に手を当てた。

 

「提督、資材は?」

 

「大丈夫だよ。その辺は問題ない」

 

「どの子を開発したいの?」

 

「彩雲と烈風はもう少し欲しいかな……使い回しじゃなくて、それぞれ皆に専用として渡せれたら、ベストだと思う。まぁ、流石にそこまでの数は許可されていないけれどね」

 

 基本的に、戦闘機は空母系の艦娘達の間で使い回しされる。強力な戦闘機は建造が困難だ。自然、性能の高い戦闘機は龍驤と鳳翔に回され、彼女達の癖がついてしまう。そうなると、他の空母に渡された際、戦闘機達の機動が僅かだがぶれるのだ。

 

 もっとも、それは提督が山城から報告された話で、実際に目にした訳ではない。ただ、聞いた以上どうにかするのが提督の仕事だ、と彼は大本営に許可を求めたのだ。

 それにしても、と提督は手に在った書類を机に戻した。

 

「このタイミングで初霜さんが加賀さんと代わったって言うのは、多分あれだねぇー」

 

「えぇ、大淀や長門と話し合って、かつ貴方の役に立てるようにと作戦に参加したんでしょうね」

 

「そんなに頑張っても、僕はなにも返せないんだけどなぁ……初霜さん」

 

 しみじみとした呟く提督を斜め後ろから窺いながら、加賀は少しばかり眉をひそめて口を開いた。

 

「貴方、駆逐艦の子に懸想しているの?」

 

「なんでそうなるんですかね?」

 

 顔を加賀に向けて頬を引きつらせる提督の目を、加賀はじっと覗き込みため息を吐く。

 

「仕事に戻りましょう、ロリコ――提督」

 

「今なんて言おうとしたのかな?」

 

「それは精神病の一つだとはっきり口にした方が?」

 

「まず僕はそれじゃないと理解して欲しい」

 

 はっきりと口にした提督に、加賀は頷いただけだ。それが了解の意であるのか、どうでもいいの意であるかは、提督には分からなかった。白黒はっきりしたいと提督は考えたが、今仕事中であるのも事実だと思いなおし、不承不承頷いて妖精達に渡す戦闘機用の資材記載書を机に広げた。この書類は最終的に秘書艦の手によって妖精に渡される。そこに記された資材数で、妖精達は開発、建造を始めるのだ。

 

「あー……彩雲、烈風、流星狙いは……」

 

 ――あぁ、こっちにはアレがないからなぁ、流石にこの辺りは確りと覚えちゃいないなぁ。

 

 それでも、とあやふやな記憶を頼りに、眉間に皺を寄せながら背を丸めて書類にペンを走らせようとしていた提督は、しかし突如固まった。

 

「確か、この配分だった筈よ」

 

 加賀が、その書類に各資材の消費数を記していく。提督の背後から。提督の頭に乗せて、としか言えない姿で。加賀の何が提督の頭に乗っていたかは、言う必要も無いだろう。

 提督は慌てて机に伏せ、加賀の豊かなそれから逃げる。机に突っ伏した間抜けな姿で、提督は目を閉じて声をあげた。

 

「加賀さん、心臓に悪いよ……」

 

「そう……?」

 

 加賀は真っ直ぐと背を伸ばし、机にへばりつく提督を見下ろす。提督は首だけ動かし、背後にいる加賀に目を向けた。視線が交差した二人は、それぞれの反応を見せた。加賀は腕を組んで窓の外をみつめ、提督は癖なのだろう、頭をかいていた。

 

「……扶桑」

 

「はい?」

 

 突然とある航空戦艦娘の名を零した加賀に、提督は首を傾げた。加賀は窓の外を見つめたまま、提督の言葉に応える。

 

「窓の外の道に、扶桑が居たわ」

 

「あぁ、なるほど……」

 

「妹は第一艦隊旗艦、彼女も準一軍メンバー……立派なものね」

 

「うん、彼女達にはいつも助けられているよ。なんというか、扶桑さんなんて数少ない癒し枠の人でもあるしねぇ」

 

 偶に執務室に妹と共に来る扶桑の佇まいを思い出したのだろう、提督は笑みを浮かべた。その言葉に、加賀は窓から視線をそらし、俯いた。その相がどこか苦しそうな気配を含んでいる事に気づいた提督は、慌てて身を起こし目を見開いた。

 

「え、ちょ、加賀さん? なにその反応? え、違うの? 実は優しい近所のお姉さん枠じゃないの扶桑さん?」

 

「少し前の話なのだけれど――……いえ、やっぱりやめましょう」

 

「すっごい気になるんですがそれは」

 

 その提督の言葉が、加賀の背を押してしまったのだろう。加賀は遠くを見る目で執務室の壁を見つめながら、話し始めた。

 

「この前、廊下で初霜と扶桑がすれ違ったのを遠くから見たのだけれど……扶桑、初霜に向かって手を合わせていたわ……」

 

「Holy shit!」

 

 金剛が居たらびびるくらい流暢なイントネーションで提督が叫んだ。態々流暢なイントネーションで叫ぶような事では無かったが。

 

「あと、初霜と雪風と時雨が扶桑とすれ違ったのを遠くから見た時は……扶桑、彼女達に向かって膝をついて賛美歌を歌いだしていたわ……」

 

 提督は無言で数度机を叩き、それが終えると暫くただ静かに肩を震わせていた。

 ちなみに、扶桑に突如賛美歌を捧げられた彼女達の反応だが、時雨はハイライトの消えた瞳で扶桑をじっと見つめ、雪風は初霜の背に隠れて泣き出しつつ確りと魚雷を装填し、初霜は周囲を見回し退路を確保しようとしていた。

 偶然その場を通った山城が、扶桑を引きずって去らなかったらどうなっていたのか、それは歴史のIFである。

 

 提督は天井を仰ぎ見、ため息と共に言葉をつむいだ。

 

「仕事に戻ろう」

 

「そうね」

 

 提督は机の上にある書類に向き直り、加賀は提督に覆いかぶさり再び頭に豊かな双丘を乗せた。提督は数秒ほど固まり、また机に伏せて暖かく柔らかいそれから逃げる。疲れた顔で目を閉じ、提督は声を上げた。

 

「加賀さん……?」

 

「冗談よ」

 

 加賀は小さく呟いて、微笑んだ。

 

「半分くらいは」

 

 加賀の笑みは、当然提督には見えなかった。




夏と冬は忙しい加賀さん


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15話

「……ふむ」

 

 工廠へと続く道を歩きながら、加賀は手に在る書類を見つめた。

 彩雲、流星、烈風狙いの開発要請書類だ。加賀は工廠に居る妖精に書類を渡しに行く最中である。妖精が行う開発は不可思議な物で、まず開発を行う際誰が妖精のサポートをするかで建造される物が違ってくる。

 駆逐艦娘がやれば彼女達用の小型主砲や、対潜水艦用のソナーや機雷が建造される。戦艦娘がやれば大砲等が出来上がり、そして今回提督が求めた戦闘機は加賀達空母系艦娘達が必要になってくるのだ。だからこそ、提督が次に開発する物を理解していた初霜は、空母の加賀に秘書艦を譲ったのである。

 

 ――まぁ、あの子は固執はあっては拘ってはいないものね。

 

 加賀は初霜の面立ちを脳裏に描き、手に在る書類を軽く弾いた。工廠はまだ少しばかり遠く、加賀は少しばかり思考の波に身を任せることにした。

 

 ――本当に出てこない。

 

 加賀は少しばかり肩を落として息を吐いた。当然、提督の事である。着任してから半月、そろそろ一ヶ月だ。若い男が執務室に篭ってまったく、本当に一歩も、外に出ないのである。自身が着任した鎮守府であるのだから、普通は飽きるまで、人によっては隅の隅まで見回したくなる筈だ。そこが、自分の城となるのだから。

 だというのに、加賀の提督は一切出てこない。いつの間にか着任し、待機していたどの艦娘にも顔を見せず、姿も現さず、影さえ踏ませず、気がつけば居たのだ。執務室に。

 

 加賀達の提督は。

 

 ――なに、あの人は忍者か何かなの?

 

 意外にお茶目な事を胸中で呟き、加賀は少しばかり視線を動かした。小さく開かれた場所に椅子が備え付けられており、そこに執務室の窓から見た扶桑と、メモとペンを手に、ふんふん、といった感じで頷く青葉の姿があった。

 その青葉は、加賀に気づいた。彼女は加賀に一礼し、隣の扶桑にも一礼すると椅子から立ち上がりどこかへと去っていく。残された扶桑も立ち上がり……何を思ったのか。彼女は加賀へと近づいていった。

 

「加賀、おはよう」

 

「えぇ、おはよう」

 

 提督曰くの癒し枠の近所の優しいお姉さん的存在、扶桑の挨拶に、加賀は少しばかり俯いて返す。何せその提督の幻想を粉微塵に砕いたのは加賀である。扶桑自身の行動に問題があったとしても、告げたのは加賀だ。気まずいのは、仕方のない事であった。

 その気まずい思いを消すためか、加賀は二度ほど咳払いをして扶桑に確りと目を向けた。

 

 常に冷然とした加賀のそんな姿に、扶桑は違和感を覚えたが、彼女の手に在る書類を見て艶麗な微笑を浮かべた。

 

「おめでとう、加賀。提督のお仕事を手伝っているのね」

 

「ええ……ありがとう。あの人は、まだ出てこないものだから」

 

「ふふ……じゃあ、邪魔をしても悪いから、またね……加賀」

 

 加賀自身、記憶にある扶桑の奇矯な行動が何かの間違いではなかったのかと思えるほど淑やかに存在する扶桑が、背を向けてどこかへ行こうとしている。意識せず、まったく意識せず加賀は

 

「よければ、工廠まで一緒にどうかしら?」

 

 そんな事を口にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 加賀、という艦娘は社交的な性格をしていない。表情が出にくい相は他者に誤解を与えやすく、少ない言葉は冷淡に思われ距離をとられがちだ。彼女自身ももう少し相を、或いは言葉をどうにかしようかと思わないでもないのだが、なかなかに矯正できない。

 しかし、そんな加賀にも普通に接する艦娘達もいる。例えば、元一航戦の鳳翔と龍驤。同じ一航戦の赤城、二航戦の蒼龍と飛龍、普通に、とはまた違うが五航戦の翔鶴と瑞鶴。

 そして、今加賀の隣にいる扶桑もその一人だ。

 

「そういえば、提督は篭ったままだけれど、運動はどうしているのかしら……?」

 

「執務室に、ルームランナーがありましたよ」

 

「健康にも気を使っているのね……なら、いいわ」

 

「良くありません」

 

 引きこもり自体が問題だ。いい年をした男が鎮守府に着任して以来、執務室から出て来ていないなど、前代未聞の椿事だ。おまけに情けない。人が聞けば一笑に付すだろう。

 だが、加賀のそんな言葉にも扶桑は白い指で口元を隠して微笑むだけだ。

 

「笑っている場合ではありません」

 

「けれど……加賀?」

 

「なんですか?」

 

 扶桑は加賀の顔をじっと見つめてから、またコロコロと笑う。

 

「あなたも、提督に部屋から出てください、と口にしなかったのでしょう?」

 

「……」

 

 加賀は口を閉ざして、扶桑の視線から顔を背けた。その通りだ、確かに、その通りでしかない。加賀は提督当人に会ったときにも、軽く刺してこそいたが、出ろとは言っていないのだ。

 

「さっきね、青葉にも色々質問されたの」

 

 さきほど加賀が見たのは、それだったのだろう。扶桑はそっぽ向いた加賀に暖かな目を向けたまま続ける。

 

「提督が引きこもっているのはなんでだろう、どうしたら出てくるだろう、出てきたら何をして欲しいか、何を言ってほしいか、どこに一緒に行きたいか」

 

 扶桑の言葉に、加賀は脈絡もなく赤城を思い出した。顔を戻し、加賀は隣を歩く扶桑に向けた。作戦行動中には、戦艦の中でも特に特徴的な大型艤装をまとい毅然と火線と砲撃が交差する海上を走る彼女の姿は、そこからは垣間見れない。

 

 ――赤城さんも、そうだ。

 

 この二人は切り替えが上手いのだろう。そう思うと、加賀は余計な力が体から抜けていくのが分かった。

 

「加賀は、もし提督とどこかに行けるなら、どうするのかしら?」

 

 話の続きである。加賀は扶桑が口にしていた内容を少しばかり思い出し、手に在る書類に目を落としてから小さく口を開いた。

 

「赤城さんと提督と……一緒に飛行機でどこかに行きたいわ……」

 

「そう、素敵ね」

 

 まるで自身の事のように、扶桑は幸せそうに微笑む。その相が、やはり加賀の中で赤城を思わせる。そして、加賀は思い至った。あるままに受け入れ、時として嵐のように荒ぶる。この二人は、そのタイプであると。

 

「昔の話だけれど」

 

「なぁに?」

 

「赤城さんのプリンを、食べてしまった事があったの」

 

「……大変だったでしょう?」

 

「……えぇ」

 

 加賀の脳裏を過ぎる、過ぎ去りし日の赤城の姿はまさに嵐であった。三ヶ月に一度発令される特別海域の第5作戦海域辺りの最深部に座す指揮深海棲艦として出てきてもなんら可笑しくないほどに恐ろしい何かであった。人殺し長屋の異名は伊達ではない。

 

 ちなみに、どうでもいい話であるが一つ。加賀の言を扶桑から伝え聞いた提督は、

 

「ピトー管かな? 着氷かな? レバノン料理かな? 児童操縦かな?」

 

 という意味不明な言葉を零した後、飛行機だけはノー、絶対ノー、と応えた。

 

 扶桑と加賀の二人は、工廠までの距離など考えず、ただ歩いてただ会話を続ける。二人の間に流れる穏やかな空気は華やかでこそなかったが、包み込む様な優しさに溢れていた。

 

「青葉も……」

 

 空気に呑まれたのか、加賀は少しばかり穏やかな相で空を見上げた。

 

「青葉も、思う事はあるんでしょう」

 

「そうでしょうね……気持ちは、分かるつもりなの」

 

 焦燥があるのだろう。想いがあるのだろう。もっと伝えたい事があるのだろう。青葉には。

 いや。

 

「皆、同じですもの……」

 

 青葉にも。

 扶桑のかすれた囁きに、加賀は空を見上げたまま、気付きもせぬまま頷いていた。加賀の見る空は広く、提督のいる執務室は狭い。加賀は、或いは扶桑は、それでもと考えた。不確かであった頃より、確りと提督が在るのだからと。

 

「それに、これはこれで……酷い言葉になりますが、管理しやすい状態です」

 

「……そうねぇ」

 

 現状、秘書艦の初霜が一つ頭抜けているが、初霜と言う艦娘は提督からの寵愛を得ると言う事に熱心ではない。愛したい、愛されたい、という感情よりも初霜は別の何かを原理に生きている節がある。少なくとも、加賀や扶桑、そして多くの艦娘達はそう見ていた。

 

「あぁ、困ったわ……青葉の事を言えないわ」

 

 突如悩ましげに声を上げた扶桑に、加賀は何だと目で問うた。扶桑は目を細め頬に手を当て、ほぅ、っと熱い吐息を唇から零した。

 

「提督に会いたい、と思ってしまうの……理由も無く執務室にお邪魔するなんてそんな、とは思うのだけれど……」

 

 同じ女である加賀から見ても、今の扶桑の姿は目に毒だ。背伸びしたがる駆逐艦娘、特に荒潮や如月あたりが目にすれば、扶桑に弟子入りを懇願してしまいかねない程の――凶器である。

 加賀はなんとなく自身の胸を見下ろし、次いで扶桑の姿を眺めた。

 山城と同じ、白い着物と赤く短い袴だ。

 

 ――そんなところも赤城さんに似てましたね貴方は。

 

 等と思うも、やはり強烈に思うのはその女性らしい曲線と肉厚だ。

 加賀とて、十分なレベルを保った乙女であるが、扶桑のそれは実に豊かだ。

 本当に、心底、心の奥底から加賀は思った。

 

 ――執務室に行かせてはいけない。少なくとも、その表情と仕草では絶対に駄目。

 

 現状、遵守されている協定であるが、これは危険である。提督が男である以上、この手折ってくれと言わんばかりの凶器は、食べてくれと言わんばかりの凶器は、物騒に過ぎる。

 火薬庫で花火をするようなものだ。夕立に骨を投げるような物だ。火を見るよりも明らかだ。 火薬庫は爆発し、夕立は骨を蹴り上げ手刀を放ち落ちてきたところに全力の拳を叩き込んで粉々に砕け散った骨を足元に、誉めて誉めてー、と言うに決まっている。いや、言う。

 

 このままでは、本当にこの調子のまま今夜にでも執務室に行ってしまうのではないか。

 いや、行く。これ行く。

 若干壊れ気味の思考で加賀は断定し、それを阻止するには如何するべきかと考え始めた。扶桑一人で行くわけではないだろうから、山城に期待するのも良いのだが、何しろ山城である。扶桑が誘えばころっと参るだろう。いや、参るに足る理由だと、乗るに違いない。

 

 ――"第一艦隊旗艦"め……姑息な真似を。

 

 そう考え、加賀は自身の状態が冷静ではないと感じ努めて感情の温度を下げにかかった。同僚の正規空母達からは、意外に熱くなりやすい、と何度かからかわれた事もあった加賀だが、そうだろうか、と気にする程度であった。が、この時ばかりは、まったくその通りだ、と素直に受け入れた。

 

 ――冷静に、冷静に。

 

 目をそっと閉じ、頭で、心で、全身で呟き、彼女は静かに目を開けた。隣にいる、どこか戸惑いを感じさせる扶桑の顔を見て、加賀は心の中で弓矢を構え、矢を引き。

 

「扶桑、ごめんなさい」

 

「どうしたの、加賀? 何か考え事なの? ……私でよければ」

 

「山城に引きずられていった時の話、提督にしてしまったの」

 

 矢を放った。

 

 その矢がいかほどの威力であったのか。放った加賀には分かっていた。理解していた。いや、していたつもりだった。

 加賀の隣の扶桑は俯き、ふふふ、あらあら、ダンケダンケと呟くだけだ。その相は、はらりと落ちた扶桑の黒髪に遮られ判然としない。やがて、扶桑はゆっくりと、ゆっくりと顔を上げ――

 

 ――あ、この人こういうところも赤城さんと同じだ。

 

 加賀は諦めた。

 

 その日、三ヶ月に一度発令される特別海域の第5、6作戦海域辺りの最深部一歩前でワンパン大破生産機として出てきてもなんら可笑しくないほどに恐ろしい何かが加賀を襲った。




扶桑さんはもっと夏と冬が忙しくなっていいと思います。
思います。


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16話

「では、失礼します。おやすみなさい提督」

 

「はいはい、おやすみ」

 

 退室する大淀を見送ってから、提督は軍服の襟を緩め第一ボタン、第二ボタンと外していく。いつも背を預ける執務机の椅子ではなく、来客用にと用意されている筈のソファーに腰を下ろし背もたれに寄りかかった。

 

「あぁー……きつい」

 

 しんどい、と提督は言わなかった。執務室に篭ってこそいるが、実際には休憩時間も多く、また時間を確保できればその分も休憩に回せる上に、仕事自体が簡単だ。提督に与えられる仕事は大した物ではなく、精々書類仕事で手が痛くなった、目が疲れた、といった程度だ。提督が口にしたのは、きつい、である。今現在、彼が置かれている状況が彼には少々きついのである。

 

「提督ってのは、なんなんだろうねぇー……」

 

 提督自身が提督と呼ばれる存在であるが、何を以って提督か分かっていない。ただ、彼の下にいる艦娘達は提督は提督であり、司令は司令であり、司令官は司令官であるのだ。ただそれら全てが彼を表す記号であるとするなら、

 

 ――凡庸たる身には過ぎたる荷物じゃああるまいかね? なぁ?

 

 軍服のボタンを全て外し、乱暴に脱いでソファーの上、自身の隣に投げつけ、提督は首を回した。暫しぼうっと天井を眺め、布団を出そうかと腰を上げかけて――

 

「お疲れなの……司令官?」

 

「――!!」

 

 声もなく悲鳴を上げた。提督の肩に置かれた手は小さく、冷たく、背後から耳元にかけられた吐息は暖かかった。提督は大淀が閉めていったドアを凝視してから、緩慢に後ろへと振り返った。

 そこに、少女が一人居た。

 長い艶やかな黒髪で右目を隠す、一種独特な服を着込んだその少女は。

 

「は、早霜……さん?」

 

「はい、司令官……私はこうして……いつも見てるだけ。見ています……いつでも……いつまでも」

 

 駆逐艦夕雲型17番艦、早霜であった。

 穏やかな相で何やら人を不安にさせる様な事を口にしていた早霜に、提督は疑問をぶつけた。

 

「は、早霜さん?」

 

「0000。0時です」

 

「時報じゃなくて」

 

「なんですか、司令官?」

 

「君、どうやって部屋に?」

 

 提督の僅かに震える声に、早霜は飼い主に撫でられた猫のように目を細め、提督の肩においていた手を緩やかに動かし、提督の肩の上で白魚の如き指を歩かせた。

 

 ――軍服の上着一枚と侮るなかれ、か?

 

 提督は隣に投げ捨てたそれに少しばかり意識を飛ばした。なぜなら、布一枚でもあれば、早霜の指の動き一つで背を振るわせたという事実を、隠せたかも知れなかったからだ。

 たった一枚、それが無いだけで、早霜は提督の反応を感じ取り更に目を細めてしまっている。駆逐艦娘であるのだから、何を大人の真似をしているのだ、と笑い飛ばしてもいいのだろうが、提督が知る限り駆逐艦娘も様々だ。睦月型、暁型や改暁型とも言える初霜、若葉といった少女らしい姿の艦娘もいれば、今提督の背に手を置き静かに微笑む女性と言うべき駆逐艦娘もいる。

 

 ――この年頃の女は、本当に意味不明だというんだよなぁ。

 

 同年代だった頃には不可思議な生き物で、年をくってからは正体不明の生き物だ。と言うのが提督の考えだ。

 とにもかくにも、イニシアチブを取り戻さなければならない、と提督はもう一度同じ事を口にした。

 

「早霜さん、どうやってこの部屋に」

 

 そう言いつつ、そこの壁を通り抜けて、等と早霜が言ってきたら如何しようかと真剣に考え込む提督に、早霜は細めていた目を閉じて応えた。

 

「大淀さんが出た瞬間に、入れ違いで」

 

「やだこわい」

 

 想像以上の怖さであった。提督の馬鹿げた予想こそ裏切ってくれたが、この早霜は確りと物理的にこの執務室に入ってきたのである。しかも誰にも気付かれずに。今後もこういった事があるかも知れないと心中震える提督を、誰が笑えようか。

 

「あらあら……怖いだなんて司令官……」

 

 彼女の長姉、夕雲にも似通う笑みで相を染め、早霜は提督の肩を揉みだす。力加減は絶妙で、まだ肩こりも無い若い提督の体には少々くすぐったい物であった。

 だが、誰かに肩を解されるという行為が、提督の中にあった"きつい"という何かを溶かしていく。

 

「あー……すまないねー」

 

 色々と言いたい事、思う事はあったが、提督は肩から力を抜き早霜に身を任せる。それがまた嬉しいのか、早霜は提督の後頭部に頬ずりしながら肩揉みを続けた。

 

「早霜、まだお風呂に入ってないからー……、じゃなくてだね、君も女性じゃないか。簡単に君、そんな事をしちゃあいけないよ」

 

「簡単でなければ、いいのね……?」

 

「まだ早いと言っているのは分かっている筈だから、くんで貰えないものだろうかなー?」

 

 そうね、と小さく呟き、早霜は頬ずりを止めて小声で囁いた。

 

「お風呂、お背中流しましょうか……?」

 

 提督の耳元で囁いたそれは、提督にとってスイッチとなった。提督は横に移動して早霜の手から逃れ、斜め後ろに立つ彼女を見上げる。

 

「あまり大人をからかうな……なんてのは月並みだけれど、それ以外言葉が無いよ」

 

 名残惜しげに自身の手の平を見ていた早霜は、スカートの裾を一つ払うと、床に、ぺたん、と座り込んだ。女の子座り、とも言われる座り方だ。その姿のまま、早霜は提督をじっと見つめている。さて、これはまたなんだ、と口をへの字にした提督は早霜に問うた。

 

「それは……?」

 

「司令官を見下ろすなんて、失礼でしょう……?」

 

「平気でやる艦娘は何人もいるんですがそれは」

 

「十人十色」

 

「あ、はい」

 

 なんとも先の読めない早霜の様子に、提督は頭をかいて自分が座るソファーの反対側、テーブルを挟んでもう一つ置かれているソファーを指差した。

 

「はい、こっち」

 

「えぇ、そうね。ソファーに座るほうがいいのね……」

 

 早霜は立ち上がり、またスカートの裾を一つ払ってソファーに座った。

 提督の隣に。

 

「いや、いやいや早霜さん、僕が指定したのは」

 

「?」

 

 飼い主の顔を見上げる子猫のように、早霜は小首をかしげ提督を見つめ、提督はその視線から逃げるように顔を俯かせ肩を落とした。

 

「どうしたの司令官……大丈夫よ、私がついているわ……」

 

「憑いているに聞こえるんですがそれは」

 

「……ふふふふふ、ふふふふふふふ」

 

 提督の返しが気に入ったのか、早霜は笑い始めた。ただその笑い方は……控えめに言っても心臓に良くない笑い方であった。多分暁や潮やグワット辺りが見たら一人で眠れなくなるレベルだ。

 

「……で、君はなんの用事でここに?」

 

「……」

 

 提督の言葉に早霜は何も応えず、浮かべていた笑みも消して静かに提督の目を見て在るだけだ。引き込まれる、飲み込まれる、引きずり込まれる。そう感じた提督は身じろぎし、

 

「……っ」

 

 何か硬い物が自身の尻の下にある事に気付いた。僅かに腰を上げ提督は下にあった物を取り出して、あぁ、と呻いた。先ほどまで提督の下にあり、今は提督の手に在るのは彼がソファーに投げ捨てた軍服の上着だ。

 

「ありゃまぁー……」

 

 早霜の事も一時的に頭の隅に置いて、提督は白い上着を両手で持って広げる。目の前にあるその服に、少しばかりの違和感を覚えて首を傾げると、提督の頭の隅に追いやられていた早霜が声を上げた。

 

「司令官……これではなくて……?」

 

 早霜の手に在る金色のボタンを見て、提督は自身が目の前で広げる上着に視線を戻した。確かに、そこにあるべき筈のボタンが一つ足りていない。提督は、ありがとう、と応えると早霜の手に在るボタンへと手を伸ばし――空振りした。

 

 互いに何も言わず見詰め合う。提督は目を瞬かせ、いったいなんだ、と口にするより先に、早霜が提督に手を差し出した。

 

「え、えーっと?」

 

「貸してください……」

 

「……えーっと?」

 

「ボタン、直しますから……」

 

 早霜の言葉に、提督はもう一度目を瞬かた。早霜はその間にも、ボタンをテーブルの上に置き、あいた手でスカートのポケットから小さな裁縫セットを取り出していた。

 

「直しますよ……司令官」

 

 再度、提督の耳を打った早霜の声に、提督は手に在る上着を早霜に渡した。

 

「あの、髪縫い付けたりとか、真っ赤な糸で、呪、とか縫わないよね?」

 

「……しましょうか?」

 

「やめてくださいしんでしまいます」

 

 口を閉じた提督は、早霜の手元を眺めた。早霜の手は淀みなく流れるように動き、瞬く間にボタンを直した。そういった事があまり得意ではない提督から見れば、見惚れるほどの鮮やかさだ。

 

「凄いものだなぁ」

 

「夕雲姉さんに、花嫁修行として……教えられたの」

 

「……長波とか朝霜も?」

 

 お世辞にも淑やかとは言えない二人の姉の名を提督の口から聞いた早霜は、裁縫道具をポケットに仕舞いながら淡い笑みを見せた。

 

「十人十色」

 

「便利な言葉だよ、それ」

 

 肩をすくめる提督に、早霜もそれを真似て肩をすくめた。そして早霜は無言で立ち上がり、執務室の扉へと近づいていく。その背に、提督は声をかけた。

 

「ありがとう、早霜さん」

 

 早霜は振り返り、目を細めて一礼した。

 入ってきた時とは違い、提督の目の前で早霜は扉を開け、パタン、という音と共に執務室から消えた。提督は今しがた彼女の手によって修繕された上着を手にしたまま、あいた手で頭をかいた。

 

「いや、本当に何をしにきたんだろう……早霜さん」

 

 人は、用事がなくともやって来る。提督がそんな事に気付けたのは、十分後に金剛達が執務室に来た後だった。

 

 

 

 

 

 

 消灯された駆逐艦娘寮の廊下を、早霜はゆっくりと歩いていく。その彼女独特の気配もあって、仄暗い夜が似合い過ぎるほどに似合う早霜の姿は、見る者が見れば相当に驚いた事だろう。

 例えば、夕雲がこの場に居ればこう言った筈だ。あら早霜さん、何か良い事でもあったの? と。

 

 早霜はスカートのポケットに手を入れ、そこから何かを取り出し目の前まで持って行き、じっと見入った。消灯によって色を失った世界はそれを判然とさせず、ただ、窓からさしこむ星の光だけを取り込み、鈍くではあるが、きらり、と僅かに光った。

 

「ふふ……ふふふふふ……ボタン、司令官のボタン……ふふふ……第二、ボタン……」




おまけ

暁「ひ、響! ひびき! ひ び きー!」
響「……なに? 眠いんだけれど……」
暁「ろ、廊下に幽霊がいたの! 幽霊がいたの!!」
響「……おやすみ」
暁「おきて! おきてよ! と、トイレ一緒に! ね、一緒に行ってあげるから!」
響「レディ(笑)」
暁「もう! もう! もー!! 大事な時にはおなか壊す癖にー!!」
響「……」
暁「あ……ごめん……」


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17話

「それで……今日はこの配分で戦闘機を開発するのね?」

 

「うん、お願いしますよー」

 

 執務机を挟んで、加賀は提督に渡された書類を手に頷いた。現在秘書艦代理を務める加賀の、どこか疲れが見える相に提督は、

 

「……なんだい、疲れているなら他の空母の人を呼ぼうか?」

 

 そういった。その言葉が氷柱にでもなったのか。加賀は僅かに下がっていた肩を上げ、同じように少しばかり丸まっていた背を伸ばし、提督を睥睨した。そう例えるしかない目であった。

 

「大丈夫よ。提督、貴方を残して……沈むわけにはいかないわ」

 

「え、そんな大事なんです?」

 

「いえ、少し良くない物が見えただけよ……それで、提督?」

 

「はい?」

 

 一航戦の探る目に当てられ、提督は身じろいだ。そんな提督を気にもせず、加賀は一心に睨み続ける。常から冷たい相の加賀がそれを為せば、提督にどれほどのダメージを与えるかなど言うまでもないだろう。

 

「あの、加賀さん? 僕何かした? あれ、もしかして加賀さんのプリンとか食べちゃったとか?」

 

「やめてください、その話は私に効きます」

 

 一転、加賀は提督から目を離しじっと床を見つめ始めた。その瞳からは徐々に光が失われて行き、額からは大粒の汗が滲み出ていた。あ、これあかんやつや。そう悟った提督は少し大きく拍手を一つ打った。その音に驚いたのだろう、加賀は床から視線を離し提督をじっと見つめた。

 その瞳には光が戻っており、よく分からない危機から無事脱したのだと確信した提督は肩から力を抜いた。

 

「一航戦加賀、開発に向かいます」

 

「お願いします」

 

 加賀はいつもの様子を取り戻し、提督に敬礼を行ってから踵を返し扉へと向かっていく。扉を開け、そのまま閉じるのを提督が眺めて待っていると、加賀が顔を出した。

 

「な、なに?」

 

「……」

 

 らしからぬ加賀の姿に提督が口を開くも、加賀は執務室内、ルームランナー、そして最後に提督を見て小さな声で提督に、

 

「扶桑は、来ましたか?」

 

 そういった。それを聞いた提督は、頭をかいて首を横に振る。提督が覚えている限りでは、昨日来た中に扶桑は含まれていない。

 加賀は一つ頷いて、そうですか、と呟くと深々と頭を下げて扉を閉じた。

 

 ――はて、なんだろうか、あれは?

 

 自身の首を揉みながら提督は加賀が去っていた方向、つまり扉を暫し見つめたままでいたが、机の上にある少しばかりの書類を思い出して気持ちを切り替える事にした。各種書類を手に取り、今日はまた一段と少ない、と苦笑いでペンを取ると仕事を始めた。

 そして十分もすると――扉へもう一度目を向けた。

 何も言葉にせず、息さえ殺して提督はじっと扉を見つめる。意識を集中させた彼の耳には、扉の向こう、つまりは廊下から響き始めている音が聞こえていたのだ。そして提督が眉を顰めると同時に、

 

「司令官! 走ろう!」

 

 ルームランナーをかついだ長良が、転がり込んできた。

 

 

 

 

 

 

 軽巡洋艦長良型一番艦長良。

 提督がよく使う軽巡洋艦娘五人の中の一人である。

 さて、その長良であるがどの様な存在であるかと問われれば、提督にとって実に明瞭な言葉で返せる。

 

「長良さんは元気だなー……」

 

「当然!」

 

 これである。むしろその言葉以外となると提督から出る言葉は、苦手、しかなくなる。

 

 ――嫌いじゃないんだけれどなぁ。向かってる方向が逆なんだよねぇ、僕と彼女は。

 

 かつて提督はそれを『平仄が合わない』と例えた。交友関係は同一の、又は類似の趣味趣向をもつ人間だけでは成り立たない。そんな事は提督も百も承知だ。しかも長良は、神通、阿武隈、矢矧、球磨と、提督が特に使いこんで第一艦隊に編成していた艦娘である。性能面においてなんら不満はなかった。なかった筈だが。

 

 ――"こう"なると、相性ってのがあるんだよねぇ、生身の。

 

 しみじみと、何故かマイルームランナーを床に置き、提督のルームランナーをその隣に運ぶ長良を視界におさめたまま、提督は項垂れた。そのまま、提督は長良に声をかける。

 

「えーっと、今一応仕事中なんだけどもねー?」

 

「大丈夫! 長良に任せて!」

 

「なに、君達は誰かからセリフ取るのが仕事なの?」

 

 提督に向かって、びしっ、と親指を立てる長良に提督はまた一段深く頭を沈めた。

 

「任せてっていうのは……その、何?」

 

「さっき廊下で加賀に会ったの」

 

 そこで加賀は提督の仕事量が少ない事、運動量が足りているか不安な事、等々長良に語り、そして長良に少し見ておいて欲しいと言ったのだ。

 

「あと、なんか体力がなかったら夜にあれが来ても出来ないだろうって」

 

「ふむ?」

 

「あと初霜も今は第一艦隊で出てるから大丈夫――あ」

 

 慌てて自身の口を両手でふさぐ長良を見て、提督は少しばかり黙り込み、あぁ、と手を打った。

 史実にあった事を思い出したのだ。

 

「スラウェシ島のケンダリー攻略か」

 

「……あたりです」

 

 嬉しくなさそうな顔で、今はもう空いた手で小さな拍手をする長良に提督は、疑問符の透けて見える相で続ける。

 

「いや、長良とぶつかって大破したのは、初春じゃあないか? 初霜は君のあとをついで旗艦になっただけじゃあ? それに……だいたい君に突っ込んで行ったのは初春の方だよ?」

 

「んー……でもやっぱり、お姉さんに怪我させたっていうのが申し訳なくて……随分前に謝ってはいますけど、それで終わる話じゃないし……あとあと、そのあとの旗艦を引き継がせちゃったのも、これも申し訳なくて……あと」

 

「あと?」

 

「初霜ってちょっと怖い」

 

「怖い?」

 

 提督は腕を組み、自身の秘書艦初霜の顔を思い出した。記憶にある限り、怖い、という顔はない。怒った顔がない訳ではないが、幼い顔立ちもあって怖さがないのだ。うんうん、と唸りだした提督に長良が声をかける。

 

「なんというか、正統派実戦一水戦道と花の二水戦を合わせたまったく新しい水雷戦を、うおーって言いながらしそうで」

 

「なぁにそれ」

 

「この前秋雲と初雪と望月が言ってました」

 

「お前らじゃなかったらどうしようかと」

 

「あとその話を聞いて神通さんが戦闘中の顔でアップを始めて涙目の阿武隈引きずってグラウンドに行ってました」

 

「ばいばいアブゥ」

 

 一頻り内容のない会話を続けたあと、提督は椅子から立ち上がった。秘書艦代理の加賀が長良に任せると言った以上、付き合った方が無難だろうと提督は諦めたのだ。箪笥からスポーツウェアを取り出し、長良に向き直る。

 

「風呂前で着替えてくる」

 

「覗けばいいんですか?」

 

「ううん、なんで?」

 

「え、筋肉のつき方とか確かめないと、効率的なトレーニング出来ないじゃないですか!」

 

「そのままの綺麗な君で居て下さい」

 

 そう言って、提督は風呂場の前で服を着替え始めた。脱いだ服を腕にかけて戻ると、長良は提督を待っている間暇だったのか、これから確りと動くつもりだからか、アキレス腱を伸ばしている最中だった。

 

 スポーツウェア姿の提督を見て、嬉しそうに長良は立ち上がり

 

「いやいや、いやいや、いやいや長良さん長良さんながらさーん」

 

 腕をもみ、足ももみ、肩を撫で回し、腰をもみ、抱きついた。

 

 長良が、提督に。

 

「長良さん、長良さん、なんか良い匂いがするする長良さん」

 

「え、何です?」

 

 未だ平然と提督に抱きついたまま、長良は体中をまさぐりながら、なんら乱れもない調子で返した。その姿を見て提督は、動揺する自分が可笑しいのだろうか、と思い始め長良に任せるままにした。諦めもあったが、長良の行動にやましさを感じられなかったのが大きい。

 やがて長良は、うんうん、と頷き一歩下がって上から下まで、スポーツウェアに着替えた提督を眺めて、

 

「司令官、全然体出来てない!」

 

 何故か嬉しそうに言った。このもやし野郎、と詰られた様な気分で提督は肩を落として首を横に振った。初雪望月秋雲が艦娘のインドア派代表なら、この提督は現在インドア派人類代表の様な男だ。

 電源ゲームから非電源ゲームまでこなし、CoCTRPGではオレ・メッチャ・ウラギリスキーというキャラを作って探索パートでPC関係間で猛威をふるい、戦闘パートでムンビに瞬殺された後次のPCを作っている間にゲームが終わっていた事もある猛者なのだ。

 体が出来ている訳がない。

 

 そんな提督など放っておいて長良は執務室にあるメモを一枚取り、提督のペンを手にして、さらさらとペンを走らせ何かを書き込んでいく。

 

 ――無防備だなぁ。

 

 提督は、長良の肉付きのよい太ももを毒にならない程度に見てから、天井を見上げた。長良の姿は何故かブルマ姿だ。健康的な焼けた肌は、長良という健康美を前面に出した少女を輝かせる物だが、倒錯的な面がないとも言えない危うい物だ。

 

 視線を下げ、ため息をはいた提督の眼前に、突如白い物が広がる。それを何かとじっと凝視すると、何事かが書かれたメモだと分かった。もちろん、それを提督の眼前まで持って来たのは長良だ。

 

「司令官専用の健康的な体を作るための、メニューです!」

 

「えー……」

 

 長良からの手からメモを取り、上から目を通していく。

 

「えぇー……」

 

 どう見ても無理だった。オレ・メッチャ・ウラギリスキーとかルーニーやって瞬殺されたお荷物な人には到底無理なメニューだった。

 

「長良さん、無理だわこれ」

 

「私と神通さんだって出来るんだから、提督だって出来ます!」

 

「それもう大半が無理じゃないかな?」

 

「いけるいける!」

 

「なに、君達は誰かからセリフ取るのが――あぁいいや、でもこれ……本当に出来るのかねぇ? 例えばほら、球磨さんとか阿武隈さんとか、矢矧さんでも?」

 

「……」

 

 長良は目を閉じて暫し、むむむ、と呻ってから目を開けた。

 

「矢矧は……いける。阿武隈はアウト」

 

「アブゥ……」

 

 同じ長良型ではあるが、改長良型であり由良型とも呼ばれる彼女は駄目であったらしい。

 

「球磨は……球磨はどうかなー……意外に優秀な球磨だからなぁー……」

 

 猫、マイペース、あれ、眼帯のまとめ役である以上、優秀でなければならないのだろうが、長良でも球磨の優秀さが如何程の物であるかは分からない様だ。

 

「じゃあ、司令官。走ろう!」

 

 満面の笑みで、長良は提督の背を押してルームランナーへと向かっていく。押されるままの提督は、背後にいる長良を意識しながら、

 

 ――だから苦手なんだ。あんな笑顔を向けられたら、やれそうに思えるし、やらないとしょうがないじゃあないか。

 

 そう胸中で苦笑と共にもらした。

 

 二十分後、提督はギブアップした。




おまけ

長良「司令官、はやーい」
提督「君達は、誰か、から、セリフ、取る、の、が仕事……なの?」
長良「よし、まだ元気だ! いけるいける!」
提督「ちょ」


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18話

 食堂からの帰り道、姉妹や仲間達から離れ一人、てくてく、といった調子でその少女が歩いていると、開けた庭のベンチにぼんやりとした様子で座っている少女を見つけた。

 少々歩調を変え、少女はベンチに座る黒髪の少女へ近づいていき――

 

「お帰りなさい、初霜」

 

 自身の被っていた帽子を初霜の頭に乗せ、暁は微笑んだ。

 

 

 

 

 

「今日はどのメンバーで海に出たの?」

 

「今日は、山城さん、龍驤さん、鳳翔さん、羽黒さん、球磨さん、私、ですね」

 

「ふーん、いいメンバーじゃない」

 

「はい、結果を出せたと思います」

 

 そう言って控えめな笑みを見せる初霜に、暁はつられて幼い笑みを零し、すぐそれを打ち消した。自身の相を覆う笑顔に、納得いかないと勢い良く首を横に振ったのだ。

 

 ――淑女! 暁は淑女だもの!

 

 むふん、と鼻から息を吐き暁は握りこぶしを作って空を見上げる。一人前のレディを自認する暁である。笑みと言う物はもっと余裕を見せる相であるべきで、子供のような笑みは暁にとってレディらしからぬ物であるのだ。

 

 暁は見上げた空にぼんやりと薄く映る、熊野、イタリア、瑞穂、愛宕等の姿に力をこめて頷き、握っていた拳に更に力をこめた。あと、どうでもいい話だが暁の目に映る姿の中にグワットの姿はなかった。グワットの姿はなかった。

 初霜は隣の暁を真似てか、同じように空を見上げて首をかしげている。彼女の目には当然ただの青い空と白い雲とまばゆい太陽があるだけの、常の空であった。

 

 暁は余裕をもった相を装って咳をはらう。その姿が既に余裕のなさを見せてしまっているのだが、艦娘としてはともかく、少女として幼い暁にはまだまだ理解し得ない事である。

 帽子を頭に乗せたまま、首をかしげてじっと暁の顔を見る初霜に、暁は口を動かした。

 

「初霜が秘書艦として頑張って、作戦でもっと頑張ってくれれば、同じ第一水雷戦隊の仲間として暁ももっと頑張れるわ!」

 

 暁なりの声援であり、感謝だ。初霜と暁は所属する駆逐隊は違うが、上は同じだ。第一水雷戦隊旗艦阿武隈の下、地味で目立たぬ、だからこそ意味のある仕事を重ねてきた仲間である。その仲間が提督の秘書艦として、また第一艦隊の準レギュラーメンバーである事に暁は妬まず、そんな初霜が居るから自身も進めると言ったのである。

 その言葉に初霜は、にこり、と微笑み頭に乗せられていた帽子を深々と被った。

 

「暁さんにそう言って貰えるなら、私ももっと頑張らないといけませんね」

 

「それでこそ初期秘書艦なんだから」

 

 暁は胸を張って応える。何故に胸を張ったかはレディにしか分からない。グワット辺りなら分かるかも知れないが、彼女は現在プリンツに魚の骨をとって貰っている最中なのでここには居ない。そしてその隣では魚の骨が喉にささって妹の名を叫ぶ利根が居たが、特に関係はない。

 

「それにしても……秘書艦、秘書艦……レディの響きよね!」

 

「そ、そうかしら……?」

 

 目をきらきらと輝かせて、暁は初霜の肩を勢い良く掴んだ。

 

「眼鏡とかスーツとか、こう紙一杯持って社長の横に居るんでしょ? 暁知ってるんだから!」

 

「……」

 

 初霜は何も応えず、自身の姿を見下ろした。

 胸の辺りを小さく叩き、スーツではない事を確かめる。鼻の辺りを、とんとん、と指で叩き、眼鏡がない事を確かめる。そして、彼女は暁に顔を向けた。

 

「そうした方がいいんでしょうか?」

 

「んー……」

 

 暁はゆっくりと初霜の姿を眺めて、なにやら真剣に考え込み始めた。彼女の淑女理論が分析を始めてしまったのだろう。このままでは長考に入ると感じた初霜は、

 

「今度妙高さんや高雄さん、鳳翔さんに聞きましょうか」

 

 そう言った。暁は思考の渦の入り口から脱し、目を閉じた。初霜が口にした艦娘達の顔を瞼の裏に描き、ふむふむ、といった様子で頷きながら目を開ける。

 

「なるほど、なかなかいい人選じゃない。じゃあ暁は熊野達に聞いておくわね。情報は多様じゃないと」

 

 良い事言った、と隠す事もない相で満足げに頷く暁に、初霜は嬉しそうに頷き返す。どういった事であれ、自身の事を考えてもらえるというのは、幸せな事である。それゆえの、初霜の笑顔であった。

 笑顔の初霜に気を良くしたのだろう。暁はベンチから立ち上がり、傍に置かれていた自販機へ、てくてく、と歩いていく。

 

「初霜、何飲む?」

 

「そ、そんな、悪いです」

 

 慌ててベンチから腰を上げようとする初霜に、暁は人差し指を突きつけた。

 

「暁はお姉ちゃんなんだから、いいの!」

 

 これを聞いた初霜は、おとなしくベンチに座りなおした。初霜にとって、その言葉は無視できないからだ。

 

 暁は座りなおした初霜を見届けてから自販機に顔を向け、ポケットに入れてある愛用のデフォルメ化された猫の顔型の財布から小銭を取り出して投入口に入れた。ボタンを押して、また同じを事を繰り返す。違うのは押したボタンだけだ。

 両手にそれぞれ缶を持ち、暁はベンチに戻ってくる。左手に在るオレンジジュースを初霜に渡すと、暁は右手にある缶コーヒーのプルトップをあけた。同じように、手に在る缶をあけた初霜が暁に小さく頭を下げる。

 

「頂きます」

 

「はい、どうぞ」

 

 初霜はオレンジジュースを、暁はU○Cの缶コーヒーに口をつけ、小さく仰いだ。

 その姿を第三者が見ていれば、仲の良い姉妹だと微笑んだだろう。ベンチで並び座る暁と初霜は、着ている服こそセーラー服にブレザーとそれぞれ違うが、顔立ちや体つきは驚くほど似ている。先ほど初霜に対して暁が自身を「姉」と言ったのも、決して間違いではないのだ。

 

 初春型、という駆逐艦は軍上層部の無茶な要求によって作られた。従来の駆逐艦より小型に、従来の駆逐艦同様の武装に、と建造された初霜の姉である初春と子日は、その無理な設計が祟って問題を抱える艦となってしまったのだ。そうなると、設計を見直さなければならない。そのため、若葉と初霜の建造には特Ⅲ型――暁型の設計思想が一部流用された訳である。

 もちろん、それは彼女達の"前"の頃の話だ。少女の体を持った今はまた違った可能性もあったのだが……結果は、今並んで座る二人を見れば言うまでもない事だろう。

 

「秘書艦……かぁ」

 

 コーヒージュース、とでも言うべき甘い缶コーヒーから口を離し、暁は流れる雲を遠い目で見つめて呟く。先ほどまでの話題であったその単語に、初霜は暁に返した。

 

「初めの五隻……五人からの伝統でしたよね」

 

「そうそう。初めて人と接して、人と艦の間をとりもった五人……」

 

 艦娘として人類と接触したその五人が、今も多くの艦娘達と僅かな人間――提督の間をとりもっている。人との相性が特に高かった五人の同型同名艦娘は、今も各鎮守府や警備府に着任する提督の補佐役として、大本営から一番最初に与えられている艦娘――所謂初期秘書艦だ。

 

「秘書艦かー……」

 

 妹一人、姉三人がその最初の五人である事に思う事があるのか、暁は缶コーヒーを両手で包み込み大きなため息をついた。少しばかり不安げに顔を窺おうとしていた初霜は、しかしそれを為せなかった。暁が突然隣にいる初霜に顔を向けたからだ。

 

「吹雪と電と叢雲はまだ分かるの! 漣や五月雨って大丈夫なの?」

 

 別に重たい事は考えておらず、暁はそんな事を考えていたらしい。安堵のため息を小さく零す初霜を無視して、暁は更に口を動かす。

 

「だって漣なんて言ってる事よくわかんないし、五月雨はばーってやってごんってやって良くこけてるじゃない!」

 

 初霜にはその擬音は判然と出来なかったが、暁の言いたい事は理解できた。漣は少々――大分……酷く癖の強い艦娘であるし、五月雨は何もない道でもこけるような艦娘だ。補佐役としてどうかと思わないでもない。と初霜は頷いたが、それだけではない事も理解している。

 

「艦娘も色々だから、提督も色々なんですよ」

 

 吹雪を標準とするなら、叢雲は意志の弱い提督を引っ張るタイプで、電は我の強い提督を包み込むタイプだ。そして件の二人はというと、五月雨は庇護欲の強い提督と相性が良く、漣はオブラートに包んでマイルドにして明言を避けて人に優しく例えるなら、他者と接する事に少々問題がある自分の世界だけでも十分生きていける引きこもりがちなう○こ製造機一歩前インドア派の提督達から大人気の艦娘であった。

 

 それぞれがそれぞれに、需要があるわけである。

 初霜からの説明を聞いて、なるほどなるほど、と頷いていた暁は、ん? といった様子で首をかしげて初霜の顔を覗き込み始めた。

 

「あ、あの……何か?」

 

「んー……んー……? んー…………まぁ、いいか」

 

 初霜には応えず、暁は缶に残っていたコーヒーを飲み干して立ち上がった。珍しく、ぷくり、と頬を膨らませる初霜の顔を見て、暁は彼女の頭から帽子を取る。

 

「あ……」

 

 と零し、名残惜しそうに自身の頭をさする初霜に、暁は顔を近づけて

 

「ひはいです……あかふひさん」

 

 両手で初霜の両頬を引っ張った。が、それも直ぐに終わる。両頬を開放された初霜は、自分の前に立つ暁を見上げて、唇を尖らせた。

 

「もう、なんなんですか」

 

「初霜だなーって思って」

 

「わかりません……」

 

 本当に意味不明だと思っているのだろう。素直にそう書いてある初霜の顔を見て、暁は笑った。淑女らしからぬ笑みであったが、暁は幼い顔に相応しい笑顔で暫しコロコロと笑うと、

 

「あぁ、あと少しで輸送任務ね」

 

 自身の右手に巻いてあるデフォルメされた犬の顔型の腕時計、そこにデジタル表記された数字を確かめながら暁は左手に持っていた帽子を自身の頭に乗せた。

 

「じゃあ、いってくるわ。暁も頑張るんだから、初霜も頑張ってね!」

 

 そして暁は、初霜に背を向けた。

 

 

 

 

 

 

 輸送任務までの時間は、まだ30分以上ある。だが、可能な限り15分以上の余裕をもって任務につくのがこの鎮守府のルールだ。暁は一旦背後に振り返った。彼女の目に、小さくなってなお、未だ暁に手を振っている初霜の姿が見えた。それに大きく両手を振って応え、暁はまた前に向き直り歩いていく。目的地は港に設置された待機所だ。

 

 だが、そこにつく少し前に、暁は声をかけられた。

 

「どもどもー、青葉ですー。今ちょっとだけよろしいですか?」

 

 青葉だ。トレードマークのメモとペンと手に話しかけてくる青葉に、暁は時計を確かめてから頷いた。

 

「時間遵守はレディの嗜みなんだから、早くしてよね!」

 

「えぇ、それはもちろん。では、提督が執務室から出てくるには、どうすれば良いと思います?」

 

「部屋の前で宴会するとか?」

 

「おや、日本神話をご存知で?」

 

「ううん、この前那智が食堂で言ってた」

 

「あー」

 

 そんな調子で、二人は会話を続けていく。青葉は質問し、暁はそれに答える。その質問も終えたところで、今度は暁が青葉に質問した。

 

「青葉、これなにか意味のある質問なの?」

 

「……あー……いえ、なんと言いますかー……」

 

 目を泳がせ言葉を淀ませる青葉に、暁は目に力を込めた。

 

「司令官をいじめたりするの?」

 

「それはないです。絶対ないです。命にかけてもないです」

 

 そう返しながら、青葉は内心冷や汗をかいていた。ただの少女、ただの駆逐艦娘にしか見えない暁だが、専用の艤装に第二特殊改装を施された古強者の一人だ。少なくとも、青葉より先に提督の下に在った艦娘である。

 

「ふーん、じゃあ、いいわ。そろそろ時間だから、もう行くわよ?」

 

「えぇ、ご協力どうも」

 

 去っていく暁の背が視界から消え去るまで見送ってから、青葉は力を抜いて息を吐いた。失敗した、と思いながら。

 

 青葉は暁が答えた先ほどの回答を確かめながら、艦時代、そして現在も彼女が所属する水雷戦隊の名を小さく呟いた。

 

 「第一水雷戦隊……」

 

 第一水雷戦隊。主力戦艦部隊を護衛するための戦隊であり、戦艦娘自体に護衛の必要が少なくなった今現在での捉え方をするなら。

 提督を守る、小さな盾達だ。

 

 ――これだから駆逐艦は怖い。

 

 青葉は脳裏にこの鎮守府の初期からの秘書艦の顔と、今しがた暁が見せた鋭い双眸を確りと思い浮かべながら、メモ帳をうちわ代わりに顔をあおいだ。

 




多分もふもふにとってprprは近い従姉とかだと思う


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19話

 一昨日、昨日、それらの報告書に目を通した後、提督は首を横に振った。戦闘機開発を任せた加賀からの報告は提督にとって納得の行く物ではなく、その感情が彼の首を横に振らせたのだ。

 

 ――そりゃあまぁ、一日の開発回数が決められてる上に、狙い撃ちの開発レシピも絶対じゃないからなぁー。

 

 出来上がってしまった九九式艦爆等は、不本意だがばらしてしまうしかない。保有戦力には限りがあり、かつてあった上限拡張方法も今の提督では出来そうにないからだ。

 

 ――魔法のカードなぁ。

 

 持っていないわけではないが、明石の酒保には買えたはずの"あれら"を扱っている様子もない。ここに来てしまった混乱期の、一週間目のいつ頃かに提督は初霜へ購入を命じたが、そう言った物はないとはっきり明言されてしまっている。

 

 ――まぁ、こつこつやるか。

 

 ここでのルールがあるなら、提督はそれに従うしかない。例えそれが不本意であっても、納得がいかないものであっても、存在する自我を彼自身が否定する訳にはいかない。

 提督は執務室の扉へ目を移し、ため息をついた。と、そのため息が終わると同時にドアがノックされる。控えめでも、特徴的なドアノックでもない。

 さて誰だ、と思いながら提督は壁にある時計を一瞥し、口元に苦笑を浮かべた。

 

 ――あぁ、もう昼時か。

 

「開いてるよ、どうぞー」

 

 提督の許可にドアはゆっくりと開かれ、ノックをした当人の顔が現れた。

 

「おはようございます、提督」

 

「おはよう、アイ……明石さん」

 

 他の鎮守府等ではいざ知らず、ここでの最初に出会ったときの挨拶は、おはようございます、と決まっている。互いに挨拶を交わした後、明石は提督に眉の角度を少しばかり上げた。

 

「提督……また私の事アイテム屋さんって言おうとしてましたね?」

 

「ごめんごめん、どうにもねー……これはなかなかに手強い癖でねぇー……」

 

 すまなそうな顔で頭をかき出したこの提督には、どうにも直らない癖がある。人間20を越えて残った癖はなかなか直らないというが、20を越えてついた癖もなかなかに頑固にこびりつく。どうやら提督もそうらしく、明石をアイテム屋と呼んでしまう癖が頑固にへばりついていた。

 

「確かに酒保とか預かっていますけど、なんか酷いあだなですよ、それ」

 

「いや、申し訳ない」

 

 部下に軽々しく頭を下げる提督に、明石は、大淀や初霜も大変だろうなぁこれは、と考えながらも持って来た荷物を来客用のテーブルに広げ始めた。

 

「ほらほら、提督もこっちに来て下さい。ご飯ですよ、ごはんー。大淀と夕張と私の愛情弁当ですよー」

 

「あぁ、美味しそうだね」

 

 苦笑の相でさらりと流す提督に、明石はいつも通りに戻ったと喜ぶべきか、流石提督だと感心するべきか、愛情料理なんだぞこの唐変木めちくしょうと怒るべきか迷い、結局平静を装ってテーブルに弁当を並べる作業に集中した。

 集中した、等と言ってもそれは直ぐにおわる。まだ暖かい弁当はレンジで温めなおす必要もないし、味噌汁も魔法瓶に入れて持って来たのを椀に注ぐだけだ。流石に座ったままでは悪いと思ったのだろう、提督もお茶程度は用意し、明石の前に彼女専用の薄桃色のコップをおいた。

 自身の前に置かれた、なみなみ、とはいかないが、そこそこに注がれたお茶を見て、明石は緩やかに握った拳の甲で口元を隠しつつ僅かに笑った。

 

「あれ、なんか間違えた?」

 

 コップはそれぞれ、艦娘によって分けられている。明石の反応から、それをもしかして間違ってしまったのではないかと心配しだした提督に、明石は首を横に振った。

 

 ――結局何を言われても、提督が何かしてくれた程度で大丈夫、なんて言えないし。

 

 明石は提督とテーブルを挟んで向かい合い、提督が弁当箱を開けるのを待った。未だ疑問符の飛び交う相ではあったが、明石の視線に促されるように提督は弁当箱へと手を伸ばし箱を開けた。

 

「おぉ……」

 

 中に詰まったそれらを見て、提督は嬉しそうに眦を緩めた。その提督の姿に明石は、うんうん、と頷いて自身の弁当箱の蓋を開ける。中身は、量こそ少ないが他は提督と同じだ。

 白米、少し辛めのミートボール、甘いソースの焼きそば、塩をふった焼き魚、塩分控えめのポテトサラダにキュウリと沢庵。

 

 全体的な栄養バランスにこだわったのは大淀であり、少し辛めのミートボールを作ったのは試したがりの夕張で、弁当箱とお椀は明石作である。あとは互いに互いを手伝いながら作った。まさに外も中も三人の合作である。

 

 執務室から出てこない提督のため用意された食事当番は、明石にとって発表された当初憂鬱な物であった。何せ彼女は、姉妹艦がいない。いや、実際には姉妹艦に該当する様な工作艦が存在するのだが、艦娘として存在しないのだ。北上や秋津州なども工作艦であった頃もあったが、彼女達は別の艦種として確立してしまっている。

 

 どうしたものかと肩を落としていた明石の背を叩いたのは、夕張であり、大淀であった。姉妹艦がいないなら、居ない者同士で協力すればいい。簡単な事であった。その際、島風、あきつ丸、まるゆ、そして配属されたばかりの瑞穂にも彼女達は声をかけたのだが、島風は天津風に誘われ陽炎姉妹に、あきつ丸は鳳翔と龍驤の配慮で軽空母の自由枠に、瑞穂は千歳のところに、まるゆは潜水艦娘達にと、それぞれ誘われていた。ちなみにパスタ達はジャガイモ達に誘われたが方向性(しょくぶんか)の違いから解散した。

 

「旨そうだなぁー……頂きます」

 

「はい、いただきます」

 

 提督の言葉に明石は応え、手を合わせる。二人は一礼して箸を手にした。提督は本当に美味しそうに箸を動かし、その顔がまた明石に笑みを与える。

 提督は一旦弁当をテーブルに置き、わかめと豆腐が浮かぶ味噌汁の入った椀を取り啜った。濃くもなく薄くもないそれが、実に作った艦娘達らしいと思ってから、提督は明石を見た。

 

 提督はここ最近での経験で、座り方にもそれぞれが癖がある事に気づいた。座り方、というよりは正確には座る場所、だろうか。提督とゆっくり食べたいタイプは隣に座り、提督と話したがるタイプはテーブルを挟んで正面に座る、と。

 

 ――今回はさて、どうだろうか。

 

 等と考えている提督に、明石が口の物を飲み込んでから声をかけた。

 

「提督?」

 

「はいはい?」

 

「この前大淀が買っていったインスタントラーメン、もう食べました?」

 

「いやー……なかなか食べる機会がないんだなぁ、これが。本とかでも、買ったらそれで安心ってのあるけど、これもそうかなー?」

 

「あぁー……私も趣味でプラモとか買いますけど、案外作らないんですよね、あれって」

 

 欲しいと思って購入しておきながら、手元にあるという安心感が彼らにそれを実行させない。実によくある社会人からの病気である。今度、また今度。そうやってずるずると引っ張っていくのだ。

 

「あと、最近提督戦闘機ばっかり作ってますよね?」

 

「あれ、加賀さんとかと話した?」

 

「いいえ、工廠は酒保のすぐ傍ですから、すぐ分かるんです」

 

 工作艦明石の本当の仕事場と言えば、酒保よりも工廠だ。遅延なくすぐに動けるようにと、それらの設備はどの鎮守府や泊地でも大体近場に置かれている。当然、それはこの鎮守府も同じだ。

 

「へぇー」

 

「いや、へぇって提督。ここのトップが知らないのはどうかと思いますよ?」

 

「僕は判子とサインして、皆を誉めるのが仕事なんだなー、それ以外は知らない知らない」

 

「じゃあ、私の事誉めてください」

 

「くわばらくわばら」

 

「提督はどこが故障したんですかねぇ」

 

 半分くらいは本気で口にした明石の相に、提督は弁当箱で顔を隠した。

 

 その後も、あれはどうだ、これはどうだ、誰それがこうで……等と会話は弾み、気付けば二人の弁当箱は空になり、明石が執務室に来て相当の時間が経過していた。

 明石は弁当と魔法瓶を片付けはじめ、提督は自身と明石のコップを洗って定位置に戻す。明石は提督の背に声をかけた。

 

「そこ、不調とかありませんか?」

 

「全然、流石明石さんと夕張さんとスーパー北上さまと妖精さんが拵えたモンだよ。壊れる気配もないねー」

 

 ぺちぺちと洗面台を叩きながら答える提督のその言葉に、明石は喜色を帯びた相でまた口を開く。

 

「じゃあ、次は何作ります?」

 

 大淀辺りが聞けば怒り狂っただろう。これ以上執務室を改造――つまり提督にとって都合のいい部屋にしてしまえば、本当に出てこなくなるからだ。もっとも、何があろうとなかろうと、提督はこの部屋から出ないのだが、艦娘達はそれを知らないのだから仕方ない事である。

 ただ、何を作るか、と聞いておきながら、明石はある程度提督からの答えを予想していた。そしてそれは恐らく裏切られないだろう、とも。

 事実、

 

「んー……特にはないかなー」

 

 その通りであった。明石はその程度には提督を理解していた。大淀の様な理知的な美人が、何かして欲しい事はないか、と聞いた際に、カップラーメンと答えるような人間だ。理解しやすいとしか言いようがない。

 

 弁当箱を片付け終え、魔法瓶の蓋を確りと閉めた事を確認していた明石は、しかし動きを止めた。提督が明石に声をかけたからだ。

 

「あぁいや、欲しい物があるんだけど……でも前も無いって……んー……」

 

「? なんです? ある程度なら用意できますよ? まぁ大それたのは無理ですけれど」

 

 そして提督は口を開き――

 

 

 

 

 

 

 明石は提督の言葉に首を横に振ってしまった。

 

 ――なんというか、申し訳ない気持ちで一杯だけど、そんなの知らないものー。

 

 断られた際に浮かべた提督の自嘲する相が、明石の脳裏から離れてくれない。

 意識せず、自然と早くなっていた足を緩め、明石は長い廊下の窓へ目を移した。明石の酒保と工廠はここからでは見えない。

 

 ――あぁ、そう言えばあれ……少し前にも初霜が同じ物ないかって聞きにきたなぁ……。

 

 提督が着任してから少し後の頃だ。耳にして大規模工事を実施するのかと思ったが、どうやら違うらしいとその時の彼女は理解した。理解はしたが、何故それを自分に聞いてきたのかは、理解できなかった。そして、それは今も同じだ。

 

 ――提督って、ちょっと独特よねぇ。メンテ必要かなぁ?

 

 胸中で呟いて、長い廊下を歩いていく。角を曲がって階段を下りていく最中に、窓から見える港をその瞳に映して、明石は苦笑を浮かべた。

 

 ――母港拡張なんて、工作艦でもちょっと無理かな。



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20話

「以上、口頭での報告よ」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 初霜は加賀の報告に礼を返した。

 

 現在、二人が居るのは伊良湖の開いている甘味処の一室だ。加賀は今日最後の戦闘機開発を終え、提督に報告も済ませた。あとは初霜に加賀が秘書艦であった時にあった事、やった事を報告すれば加賀の秘書艦としての仕事はすべて終わる事になる。加賀は港で第一艦隊の帰還を待ち、初霜に事情を説明し、ここに来たのだ。港で説明では、余りに素っ気無いと思ったのだろう。もしくは、それ以外に理由があるのか、だ。

 

「書類上での報告は、提督にも渡してあるからあとでそちらも見て」

 

「はい」

 

「あとは……そうね、愚痴になるけれど」

 

「えぇ、大丈夫です」

 

 初霜のその言葉に、加賀は小さく頷いた。加賀がここに来たもう一つは、同僚、それも秘書艦としての愚痴だ。これを零せる相手となれば、相当に限られる。初霜か、大淀くらいだ。

 

「思ったより、上手く出来なかったわ……」

 

 戦闘機開発の事だ。その為に加賀は秘書艦代理になったというのに、結果ははかばかしい物ではなかった。作られなかったわけではないが、数がそろえれた訳でもない。空母艦娘達の戦力を向上出来なかったという事実が、加賀を弱気にさせた。

 

「私だって、ソナーも機雷も上手く作れないですから」

 

 事実である。例えばこの初霜は、大型建造で提督と妖精をサポートした際、大和、矢矧、大鳳を一発で出した実績を持つ。ただし、ソナー等の開発となるとどうしてか彼女はさっぱりなのだ。機銃ばかりだしてしまうので、ソナー機雷狙いの開発からは外された事もある。

 

 初霜の言葉に加賀は常の相で頷き、自身の前に置かれているワラビもちを一つ口に運んだ。その顔には先ほどまであった僅かばかりの気弱さもない。初霜も加賀と同じように自身の前にある水羊羹を一つすくい口に入れた。

 口の中にあったワラビもちを嚥下し終えたのだろう。加賀は、そう言えば、と口を開いた。

 

「提督が、また良く分からない事を言っていたわ」

 

「またですか?」

 

 また、と秘書艦に言われるほど、提督の奇矯な言動はぽろぽろと零れているのである。もっとも提督からすれば、奇矯程度で済んでいるのか、と安心する事だろうが。

 

「えぇ、開発で数回回して報告した後、ウィキがあれば……とか小さく呟いたのだけれど……」

 

 加賀は初霜に問うような視線を向け、初霜は首を横に振った。ウィキ、というのが電子百科事典で在る事は初霜にも理解出来ている。ぴこぴこいうのは全部ファミコン、と認識している加賀は危ういが。兎にも角にも、そういった物がインターネット上に存在するのは初霜も分かっているが、それと戦闘機開発になんの関係があるか彼女には分からない。

 

 開発レシピ、等と少々軽めに称されるそれであるが、中身は艦娘の兵器開発である。現在進行形の秘匿情報である。そんな物が軍部の情報から漏れて一般の電子百科に載ろうものなら、国家の一大事だ。しかも現状での開発レシピは不安定な物ばかりで絶対的なものは無く、またそれぞれの鎮守府についた提督独自の、いわば試行錯誤の物ばかりだ。レア艦娘建造レシピの様にほぼ確定され、公開を許されたレシピなど開発レシピには殆ど無い。

 

「まぁ、提督ですし」

 

「そうね、提督ですものね」

 

 提督の奇矯な言動に一つ項目が増えただけである。その程度は流してしまえる程度に加賀と初霜は提督を理解してた。具体的にはベットの下の本を見つけてしまった母親や姉の様な物だ。あぁ、年頃ですものね、と流すだけである。ちなみに、初霜はそのままそっと戻し、加賀は机の上にそれを置くタイプである。

 

「あぁ、そう言えば提督といえば……青葉と同じように、提督にも少し質問をしてみたの」

 

「部屋からでてどうするか、何をしたいか、とかのあれですか?」

 

「そうね、それね。で、どこに行きたいかと聞いたら、あの人なんて答えたと思う?」

 

「……なんです?」

 

 初霜の真剣な相に、加賀もまた真剣な相で応える。

 

「趣味の悪いネクタイをつけて空港のロビーに行きたいと」

 

「……?」

 

「その後、過去にあった飛行機事故の話をして、レバノン料理を食べてから何もせず帰ると言っていました。一人で」

 

「大淀さんにお医者様を手配してもらうべきかしら……」

 

 どうでもいい話だが、提督が空港のロビーと口にしたのを聞いた加賀は小さくガッツポーズをし、その後の話を聞いて握った拳で壁を殴った。驚いていた提督に加賀は、虫が居たので、と誤魔化しておいたが、それを提督が信じたか信じていなかったのかは加賀には分からなかった。そしてもっとどうでもいい話だが、レバノン料理は食べられる場所が大分限られている。恐らく日本の空港の食堂では口に出来ない筈だ。もう一つどうでもいい話だが、空港で一人航空事故の話などしていると、まず間違いなく警備員に連れて行かれるのでお試しの際はご了承下さい。

 

「ところで……」

 

 加賀は一度初霜から目を離し、自分の湯飲みへ目を落とした。茶柱などは立っておらず、ただ薄緑の液体が注がれているだけだ。それに映る自身の顔を見てから、加賀は初霜に視線を戻した。

 

「青葉が何しているか理解しているのね?」

 

 先ほどの加賀の会話に、初霜はすぐに応じた。それは初霜が加賀と同じ情報を持っているからに他ならない。初霜は常の表情で頷き、湯飲みを口元へと運んで小さく仰いだ。控えめに喉を鳴らし湯飲みをテーブルに戻して、彼女はゆっくりと口を開いた。

 

「加賀さんには直接?」

 

「いいえ」

 

 加賀は首を横に振った。扶桑と青葉が一緒に居たの目にして以来、数度青葉が誰かと一緒に居たのを見たが、青葉は加賀に対して常に一礼するだけで話しかけても来ない。そしてそれは

 

「私も、直接ではないんですよ」

 

 初霜も同じだ。その理由もまた、加賀も初霜も理解していた。

 加賀は提督が提督になって以来求め続けた正規空母だ。一日に四度回す艦娘建造では特定のレシピで常に回し続け、相当な時間をかけて建造した艦娘である。蒼龍8人、飛龍2人、赤城2人、翔鶴2人、瑞鶴3人、軽空母、水母沢山、という結果の後、やっと建造された空母なのだ。加賀が着任した際の提督の喜びようは、だからだろう。尋常な物ではなかったのだ。声も無く両手を勢い良く天井に突き上げ、暫し無言で佇み、震える声で提督は言ったのだ。

 

『きた……やっときた……お前の為に提督になったのに……ずっといなくて……もう諦めかけてたんだよ……やっとだ……! やっとだぞ畜生! よし、まずロックだな!』

 

 この言葉は当時も秘書艦であった初霜はもちろんの事、加賀も当然覚えている。そしてその発言の中から、加賀という存在が提督をこの鎮守府に着任させた、という特異性により、この情報は鎮守府内で大きく報じられた。ゆえに、加賀が幾ら遅い着任であろうと誰も彼女を軽んじない。加賀という艦娘は、その存在自体が殊勲であるのだ。

 

 対して初霜は、誰もが認める秘書艦だ。その存在は大きく、事実提督からの信頼もあつい。山城が第一艦隊旗艦として機能できない時には、何度も第一艦隊旗艦として海上に出た事もある。輸送任務でも確実に仕事をこなし、第一艦隊として出撃すれば夜戦で大いに活躍した事もある。三ヶ月に一度の特別海域作戦で何度彼女が活躍したかは、この鎮守府に所属する艦娘なら誰に聞かずとも知っている筈だ。そして彼女が多くの艦娘達から秘書艦として認められている最大の理由は、その地味な仕事ぶりである。山城が海域から戻ってくると、提督はすぐに初霜を呼び単艦で彼女を執務室に置いていた。他の誰でもなく、彼女だけをもっとも長く、だ。

 

 ただ、その初霜を執務室に置いた提督は、大抵そのまま退室して鎮守府から消えてしまっていた。本当に、どこにもいないのだ。常に、忽然と消えてしまうのだ。そうなると、仕事は執務室にいる初霜が行うことになる。こうした地味な仕事の積み重ねが、初霜をこの鎮守府の、あの提督の秘書艦たらしめているのだ。

 

 ゆえに、青葉は二人に質問しない。出来ない。何かの間違いで尻尾を踏んでしまえば、青葉であっても無事では済まないからだ。導火線に火がついたのなら、それに水をかけるなり踏み消すなりと出来るが、尻尾を踏めば大抵どうにも出来ない。あとは、戦闘機という牙で噛まれるか、魚雷という爪で抉られるか、その程度の違いしかない。

 

「放っておいても?」

 

「良いと思います」

 

 加賀の言葉に、初霜はふわりと微笑む。幼い顔立ちであるが、その輪郭の中にある表情は、とても大人びた物だ。ただ、加賀はその中に自身に似通った何かを感じ取った。

 

「私達が私達のまま、そうある事を許してくれているのは提督ですもの。青葉さんのそれも、青葉さんらしくある為の物だと思います」

 

 けれど、と小さく初霜は呟いた。その声は加賀には辛うじて拾える程度の囁きだった。

 

「それが提督の体を、心を傷つける様なら……」

 

 その先を初霜は俯いて口にしなかった。かつて、加賀は初霜をこう評した。

『固執はあってもこだわりは無い』と。

 事実、そうであった。初霜は秘書艦であることにこだわりは無い。理由があればすぐ加賀に譲り、過去にも特定の開発の為に何度もその席から離れた。

 だが、固執はある。加賀は初霜の目を見つめたまま、胸中で呟いた。

 

 ――提督だ。

 

 加賀の胸中の呟きは、正鵠を射ていた。初霜のその感情の根底にはいったいどの様な物が潜んでいるのか加賀には窺い知れない。せめてそれが負の感情ではない事を祈るだけだ。

 ただ、青葉のあれも提督を想っての行動であるのだろうと見ていた加賀は、それが初霜の短い導火線に火をつけないか、それが心配になってきた。水をかける暇も無い、踏み消す暇も無い、そんな導火線だ。火が触れたら、即爆発するだろう。

 

 第一水雷戦隊にもっとも長く所属し、第二水雷戦隊で最後に将旗を掲げた艦。陽炎型や夕雲型の様な生まれからの名機ではなく、改装によってやっと平凡な艦になった艦。長い艦歴の中で駆逐艦として動き続け、走り続け、守り続け、戦い続け、そして最後まで空に火線を放ち続け散った、ただ経験だけを重ねた凡庸な艦だ。幼い顔立ちは少女のものでしかなく、艦娘の顔は苛烈であって当然だ。

 未だ俯いたままの初霜の相がいかなる物であるか、加賀には分からない。ただ、分からなくても察する事は出来るし、感じる事は出来る。殊、今の初霜からは加賀の良く知る艦娘と同じような気配が滲み出ていた。

 

 ――龍驤と同じような物ね。

 

 加賀と同じく、戦闘機を用いて海の戦場を駆る艦娘だ。戦闘機の運用方法は弓に式紙と違いはあるが、空での動かし方はそこまで離れていない。加賀は脳裏で描いたその龍驤も、見た目こそ少女然とした姿であるが、艦娘としては実に苛烈だ、とため息をついた。"前"にある武勲艦としての本能か、苛烈という言葉が霞むほどに龍驤は苛烈だ。一度敵と見えれば、龍驤の激越は少女の相を容易く消す。まさしく、青鬼も赤鬼も後ずさりする程の恐怖を振りまいて、龍驤は空を制するのだ。 

 

 ――あぁ、もう。前の意趣返しも兼ねて、扶桑辺りも巻き込みましょうか。

 

 多分事情を話せば、龍驤や鳳翔も巻き込めるだろうが、被害が少ないに越した事はない。その想定された被害に扶桑を巻き込もうとする辺り、加賀も相当に酷かったが。

 この場合、誰が一番悪いのか。そんな事を加賀は思った。そして特に時間もかけず、加賀は答えを見つけた。

 

 ――出てこない提督が一番悪い。

 

 その通りだった。

 




錬度が一番高い嫁艦を単艦放置は基本。


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21話

 ――まったく、らしくない。

 

 そうぼやきながら、大淀は普段より少し速い足取りで歩いていく。

 

 ――どうにも、最近は寝不足ですっきりしない。

 

 出てこようとする欠伸を必死にかみ殺し、大淀は胸を張った。

 

 進むは長い廊下、向かうは提督が座す――というよりは、提督が篭る執務室である。

 大淀は手に持った書類を意識しながら、背を真っ直ぐに伸ばして足を動かす。その姿は見るからに出来る女、といったもので人の目を惹く。事実大淀の視線の先、執務室から出てきた五人の少女達は一斉に大淀に視線を向けた。

 

 大淀、そして五人の少女達は双方歩き、当然そうなると廊下ですれ違う。大淀は見本の様な一礼を、少女達もそれぞれ一礼した。大淀はその少女達の先頭に立つ、黒い夏用セーラー服を着た少女、吹雪に声をかけた。

 

「提督は、おられますか?」

 

「はい、さっきまで少し話をしていましたんで……」

 

 そう言って嬉しそうに微笑む吹雪に、大淀はまた一礼し、吹雪もそれに一礼返した。自身の横を通り去っていく少女達を暫し眺めてから、大淀はドアをノックした。

 

「あれ、忘れ物?」

 

 吹雪達がさって直ぐのノックだ。誰かが忘れ物で戻ってきたかと思っている様子の提督に、大淀は自身の名を告げた。

 

「いいえ、大淀です」

 

「……どうぞー」

 

 提督の返事を耳にして、大淀はドアを開けた。

 最初に大淀の目に飛び込んできたのは、テーブルに置かれたスナック菓子各種だ。有名なポテトのチップスや、スティック状の芋菓子やら芋けんぴやら干しいもと、ポップコーンやベジタルなスナック等々が置かれている。

 

 ――あれは吹雪ですね。

 

 やたら多いイモ類を持って来たのは間違いなく彼女だ。と大淀は断定した。

 彼女の妹……或いは従妹に当たる綾波なども、食堂に行くと確実に芋を使った料理を口にしている。何か芋に思い入れでもあるのかもしれない。と大淀は歩を進め、テーブルの上にあるそれらを見下ろした。彼女が見る限り、それら全ては未開封である。つまり御菓子を広げてお茶会をしていた訳ではないらしい、と思った大淀は、どこか疲れた相で椅子に座る提督に目を向けた。

 

「これは……?」

 

「お菓子があんまり無いんじゃないかって、持ってきてくれたんだよ。ありがたいんだけれどねぇ……ありがたいんだけれども、まぁ、なんだろうなぁ」

 

 疲労を滲ませた提督のはっきりしない言動から、大淀はある程度を察した。何せ先ほどまでいた五人の少女達は大淀よりも年若い、所謂箸が転んでも、といった年頃にみえる外見だ。そしてその外見に応じた少女達の中身では、お菓子を持ってきて終わり、という事には絶対にならない。

 大淀はもう一度テーブルにある雑多なお菓子を見てから更に周囲を軽く見回し、提督にまた視線を戻した。

 

「お疲れ様です」

 

 心底から、大淀はそういった。女三人寄れば姦しい、と昔からいうがプラス二人の五人である。それも年頃の少女達が、このそこまで広くも無い執務室に集まって、だ。たった一人の男である提督がどれほどの居心地の悪さの中で時間をすごしたか、大淀には想像に難くなかった。おまけに、室内の様子を見るにゲーム機類も出ていない。これは提督が自身のフィールドに相手を引き込めず、自身の領地でありながらアウェイのなか孤軍奮闘していたことを示唆していた。

 要するに、お茶も濁せず若い少女達の無軌道なお喋りに提督は翻弄されたという事だ。ましてやこの提督、人類インドア派の代表で金メダル候補だ。花咲く前の蕾の様な少女達を捌き切れるようなスキルを持っているわけが無い。

 大淀はそこまで断定してから、書類を提督に渡そうとして――提督の机、執務机に置かれている物に気付いた。

 

 大盛りのカップラーメンだ。

 

「まだ食べていなかったのですか?」

 

「食べようとしたら、ノックがあってねぇ」

 

「……申し訳ありません」

 

「いや、さっきの五人娘の方」

 

 浅く頭を下げた大淀の向こう、テーブルに置かれた様々な菓子を瞳に映して、提督は肩をすくめた。

 

「でも、多分また暫く食べないかな……。なんというか、色々増えたし、カップラーメンは今のところこれ一個だし」

 

 菓子はここに来た艦娘達がそれぞれ補充していくが、提督の手元にあるカップラーメンはこれ一つだけだ。レア度が高くなると倉庫に仕舞いがちになるのは、仕方がない事でもある。

 そんな提督に、大淀は

 

「もう一つ買ってきましょうか?」

 

 そう言った。酒保で買ってくる程度であれば、大淀にしても自身の買い物のついでに済ませるからだ。が、提督は大淀の言葉に首を横に振る。

 

「貰ってばかりってのは、これでなかなかどうして……ねぇ?」

 

 大淀は、座ったままばつの悪い顔で自身を見上げる提督の言葉に、頬を膨らませた。それは大淀が意識した物ではなく、ただ自然と行ってしまった大淀の感情の発露だった。

 

「執務室に篭っている時点で相当に甘えているんです。もっと甘えても良いのではないですか?」

 

「でもね夕雲さん?」

 

「大淀です」

 

 確かに、どことなく夕雲型姉妹の長女を思わせる言葉で在ったかもしれない、と自省しつつも大淀は腰に手を当て身をかがめる。

 

「唯でさえ提督はコミュニケーション不足が目立つのですから、もう少し私達と接してください。それも提督の仕事の一つなんですから。良いですね?」

 

「あ、はい」

 

 近くなった大淀から距離をとるように、提督は身を捩じらせていた。その提督の姿にため息を吐き、大淀は背を真っ直ぐに正した。

 提督は自身に向けられた大淀の呆れを含んだ視線から逃げるように手元へ目を落とし、それを見て苦笑を浮かべた。

 

 ――あぁ、じゃあこれだ。

 

「んー……じゃあ、大淀さん」

 

「なんでしょうか?」

 

「今度、僕と夜食一緒にしない?」

 

 カップラーメンを手にして自身を見上げる提督に、大淀はきょとん、とした相で首を傾げた。

 それはつまり――

 

「夜食の、お誘いですか?」

 

「そうそう」

 

「……カップラーメンの?」

 

「そうそう」

 

「……えーっと、私もカップラーメンを買ってきて、一緒に?」

 

「そうそう」

 

 暫し間抜けな会話を続けた後、大淀はカップラーメンと提督の顔へ視線を何度か往復させ、目を瞬かせた。

 

「その……」

 

 僅かに相を強張らせ、大淀は口を開いた。眼鏡は窓から差し込む陽の光を取り込み、大淀の目を完全に隠している。

 

「カップラーメンを食べた事がない……のですが……」

 

 ただでさえか細い声が、徐々に小さくなっていく。しかし、しんとした執務室ではその声も提督の耳に届いていた。気恥ずかしげに俯き、床を右足のつま先で、とんとん、と叩く大淀の姿に提督は

 

「なおの事だ。よし、今日暇なら一緒に食べよう、大淀さん」

 

「は、はい。大淀、了解しました」

 

 大淀は背を伸ばし海軍式の敬礼を見せた。提督は頭をかいてから大淀の敬礼に比べれば大分劣る敬礼を返し、大淀の手に在る書類に目を向けた。

 

「で、えーっと、大淀さん、なんの御用かな?」

 

「あ、申し訳ありません。こちらの書類ですが少し記入ミスがありまして……」

 

 慌てて執務机に書類を置く大淀の姿は、実に愛らしいものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 明石は目にしていた新聞から目を離し、自身の酒保にやってきた大淀に目を移した。大淀に似合わぬインスタントラーメンコーナー前で、これもまた大淀らしかぬ鼻歌交じりで眼前のカップラーメンを選別する姿に、明石は首を傾げた。が、そのまままた明石は新聞に目を戻した。

 大淀にとって、何か楽しい事があったのは明石にも当然分かる。だから、明石はそれを邪魔しない事にしたのだ。

 それを分かち合いたい、語りたいと思えば当人からよって来るだろう、と。

 

 そして明石に生ぬるい視線で見られていた大淀はというと、

 

 ――カレー……とんかつ、劇辛……んー……こう、あんまり匂いが体に移るのはどうでしょう?

 

 などと考えながら物色していた。提督に誘われた夜食用のラーメンを選ぶ彼女の顔は、誰が見てもどう見てもどの角度から見ても上機嫌だ。

 数分ほど悩み、大淀は薄塩のカップラーメンを選び、今度はチョコなどを物色し始める。吹雪達はスナック菓子や芋系のお菓子を提督に渡していたが、一口サイズの甘い物は入っていなかった。

 

 ――それに、疲れたときには甘い物、ですからね。

 

 チョコを少々、飴も少々。それらを籠にいれ、大淀は提督の疲れていた顔と、廊下で会った少女達の姿を思い出し小さく笑った。

 

 ――確かに、五人も相手にすれば疲れますよね。それが最初の五人なら、なお更ですか。

 

 大淀があの時すれ違ったのは、吹雪、叢雲、漣、電、五月雨である。タイプはそれぞれ違うが彼女達は仲睦まじく、そんな五人を相手に立ち回らなければならなかった提督は

 

 ――相当に大変だったでしょう。まして吹雪は提督の初期艦ですからね。

 

 吹雪は正真正銘、提督にとって初めての艦娘だ。古い相棒相手に、あの提督が甘くないわけが無い。

 大淀は苦笑を浮かべて頷き、徐々に瞳を揺らし始めた。違和感がある。大淀の中に大きな違和感が、今になって生まれた。

 

 ――この鎮守府の初期秘書艦は、初霜で……初霜が初期秘書艦?

 

 前例は無い。だが、大淀の記憶ではそれに不都合はなんらない。初霜は多くの時間執務室に居た、提督自身が選んだ秘書艦だ。

 

 ――提督が着任した時、私はあの人が無責任の塊で、作戦行動の失敗は全部艦娘に擦り付けるつもりではないかと疑っていた……それはいつ?

 

 大本営からここに配属されたその日ではないかと大淀は考えたが、それが上手く彼女の中で繋がらない。まるで彼女の中に別の彼女が居るような、妙な重さがある。

 首を横に振り、大淀は大きく息を吸った。眼鏡を外し、レンズをクリーナーで磨く。そしてまた眼鏡をかけなおし、人差し指で額を何度も叩いた。

 

 ――私があの人と初めて出会ったのは? 初めてあの人の為に海上に出たのは?

 

 任務娘と呼ばれ、提督に任務を伝えるだけだった頃が彼女の脳裏を過ぎる。ついで、いつ頃かの特別海域クリア後辺りから、大淀、と提督に呼ばれ始めたのも確りと彼女の中で再生された。第一艦隊の旗艦をまかされ様々な海を駆け、様々な仲間と共に駆けたことも、明確に心にあった。提督の大淀としての記憶は鮮明だ。

 

 大淀に良く似た暗い瞳を持つ何かが、大淀の首を絞めようと手を伸ばす。そんな何かを脳内で幻視しながら、大淀は強く頭を横に振った。

 

 ――私が"ここで初めて"出会ったのは?

 

 提督が着任した時、大淀と提督は言葉を交わしている。ただ、それはノイズ交じりの映像で、大本営の大淀の記憶は不鮮明だ。大淀の中で、繋がらない、結ばない、噛み合わない記憶と情報が交差する。まるで二人の違う大淀が、どちらが正しくこの世界の住人であるかの主導権を奪い合うような、そんな滑稽な争いが大淀の中で起きている。頭痛の余り俯いた大淀は、籠の中にある物を見て目を見開いた。

 

 ――は、はははは。

 

 声には出さず、腹の中で大淀は笑う。

 たったそれだけ。ただ目にしただけ、言われた言葉を思い出しただけで、大淀の中は綺麗に浄化された。自身の中から何が、誰が消えたのか大淀にはもうどうでも良い事だった。少なくとも先ほどまでの事を考えても違和感もなくただ当然と、そうだった、と思うだけだ。

 

 ――それにしたって。

 

 そう胸中で呟いて、大淀は籠の中にあるそれを手にした。それはただのカップラーメンだ。それ以上でもそれ以下でもない。

 

 ――私もこれも、安いなぁ。

 

 大淀は自身を心配そうな相で見つめる明石に苦笑を向け、肩を落とした。




さらっと終わらせる。
本編もあと少しで終わらせる予定なので。


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22話

 机の上に置かれた書類の束から一枚取り、その内容を確かめてから提督は判をついた。手元にあった書類を隅にやり、また種類の束から提督は一枚取る。彼がそれを繰り返していると、ソファーに座っていた女性が声を上げた。

 

「大変そうですね」

 

 そう言って女性――山城は手元の本に目を戻した。大変、とは言っても、その余りの無関心さに提督は肩をすくめて山城に目を向けた。

 

「なら、手伝ってくれても良いんじゃないか? ここで本を読むより、余程有意義だ」

 

「提督の仕事でしょう……? 私は今、非番で待機中ですから」

 

 山城のその言葉に提督は少しばかり目を細め、山城は山城で、本から顔をあげ提督に常の相で目を合わせる。僅かな時間目を合わせ、二人は目を離してそれぞれの作業に戻った。

 提督は書類を確かめながら頭をかいた。

 

 ――そんなに嬉しいものかねぇ、ここで休憩なんて。

 

 判を押しながら、口をへの字に曲げる。おかしな物で、提督には山城の言いたい事が目を合わせただけではっきりと分かる。そしてそれは山城も同様だ。先ほどの二人の会話になっていない会話は、他者にはまったく理解できないが当人達には十分理解できていた。

 

『たまの非番じゃあないか。君も扶桑さんと一緒にどこかに行ったらどうだい?』

 

『姉様は伊勢と一緒に新入りの江風達を連れて航空戦艦運用演習に出ました……これ、提督の命令ですけれど?』

 

『あー……すまないね、申し訳ない』

 

『……いいえ。じゃあ、私は楽しい休憩に戻りますから』

 

 以上が、二人が目を合わせて声も出さずになした会話である。どういう理由による物か、はたまたただの神様の悪戯であるのか、この鎮守府で出会って以来、提督と山城はこの様な事になってしまっていた。それを山城はそういった物かと受け入れ、提督は仕方ないかと諦めていた。違いはそこだけである。

 提督は書類から離れ、頭の後ろで手を組み背伸びをした。

 

「んー……」

 

 そのまま提督は目を閉じ、肩を解して目頭を揉んだ。小さくため息をはき、彼は目を開けて書類仕事に戻ろうとして、自身に向けられた山城の目に気付いた。

 

『少し前までよく欠伸を零していましたけど……お疲れですか……提督?』

 

『いや、最近は良く眠れるようになったから、そうでもないよ』

 

 ここに来た当初から暫くの間、提督は睡眠不足に悩まされていた。状況が理解できても、体と心への負担は大きすぎたのだ。何か特別な訓練を受けた人間でもない、まったくの普通人間である提督にとって、状況の理解が進むほどに疲労は積もって行った。寝不足などもそれが原因だ。

 

 だが、いつ頃からか提督の睡眠不足は解消された。誰かが傍にいるような温もりが、提督に安らぎを与えたからだ。

 

『今は見逃して上げた方が良さそうね……あれも。今は……』

 

 提督が山城の目から読み取れた思考は、そこまでだ。山城は提督から目をそらし、ソファーから腰をあげ提督へ近づいていく。

 

「あー……何かな?」

 

 視線も合わず、ただ無言で近づいて来る山城に提督は戸惑いを過分に含んだ目で問うた。ただ、それも無意味だ。山城は俯いて提督に歩み寄ってきている。その目は誰にもぶつからない。

 山城は提督の横まで来ると、腰をかがめて提督の顔を見下ろした。

 

 ――ほら早霜さん、よくある事なんだよこれ。

 

 かつて、司令官を見下ろすなんて出来ないと言った少女に心中で呼びかけながら、提督はまた口をへの字に曲げた。

 

「顔色は良いのね……ご飯はちゃんと?」

 

「色々作って貰ってます」

 

「ちゃんと休んで?」

 

「程々に仕事して程々に休んでます」

 

「間食とかしてない?」

 

「昨夜大淀さんと夜食を少々」

 

「へー、そー、へーぇー……」

 

「やだこわい」

 

 山城の、久々に実家に戻ってきた息子を見る様な目が、最後の質問に返した提督の言葉で一気に濁った目へと変わった。

 

 山城はそっと提督に頬に手を添え、常の相でじっと佇んだ。提督はそんな山城の目を見ようとして――止めた。彼の仕事は判子とサインと艦娘達を誉める事、そして尻尾を振ることだ。

 個人だけに応えるのは、何か違うと彼は考えた。

 

「提督は、私達でなくても良いですからね……」

 

 唐突な、先ほどの言葉に比べてどこか冷たい山城の言葉に、提督は背に冷や汗をかいた。

 

「提督は、他の誰かの助けがあればそれでいいでしょう? それは別に、私達じゃなくても良い……けれども提督、私達は違うの」

 

 提督には山城が突然と声の温度を変えたことは判然と出来ないが、語る内容は判然と出来た。

 確かに、その通りだ。提督は我知らず胸中で零した。風呂やトイレをこの執務室に設置するのも、妖精、または時間は掛かるだろうが業者を呼べばよかった。食事も、持ってくる誰かが必要なだけで、艦娘達が絶対に必要というわけではなかった。提督には。

 

 提督、という肩書き以外に、彼が在る為に艦娘は必要ではなかった。提督という肩書きだけが、艦娘を彼の傍に置いていた。

 山城は提督の頬を撫でながら続ける。目を見開く提督とは、一切目をあわさずに。

 

「私達艦娘には、艦長も砲撃手も舵手も必要としない。けれども、私達は艦なの、提督……」

 

 空いていた山城の手が、空いていた提督の頬に添えられる。

 

「提督が、司令が、司令官がいない艦隊は無いの。艦を統べる貴方が居ない私達は、存在する理由も意味も無いの。在るのも、生きるのも。生み出し、見つけた貴方が居るからなんです」

 

 何が山城をこうも饒舌にさせるのか。提督は山城を見上げようとして、遮られた。

 

「やめて、嫌。許さないし許せない。ここで生きるために尻尾をふろうなんて貴方の目は見たくない。そんな目でもう一度私を見たら、沈めて、沈んでやる」

 

 目を見てわかる互いであれば、提督のこの執務室でのあり方など山城にはすぐ分かったのだろう。提督は頬に添えられた山城の両手の震えに、その手のひらの冷たさより痛みを感じた。

 

「それでも……」

 

 震える山城の声に、提督は一度執務室の扉をみつめてから、目を閉じて山城の手の上に自分の手を置いた。声同様に震えた山城の手を、提督は自身の手で包み込んだ。

 

「貴方が、こうして触れて……貴方と話し合えて、不確かじゃないから……ここでも良いと思って私達は」

 

 提督より先に、この世界を受け入れた。彼女達は、この世界で良いと判断した。何かが違っても、どこかが違っても、そこに提督が居るからだ。不確かでも、突如消えるでもない、執務室の一室に常に提督が居るからだ。

 だから彼女達は提督を確かめる。霞は傍にたって小言を口にし、浜風は誉めてもらおうと執務室に寄り、初風は一緒に在りたいと隣に座り、神通は温もりを求めて寄り添おうとした。大井は、長良は、早霜は、加賀は提督に触れ温もりを確かめ、そして山城は――

 

 提督は震える山城の左手を優しく握り、彼女の薬指にある金属質の冷たさを確かめてから目を開けた。そのまま、顔をあげ山城と目を合わせる。未だ尻尾を振っていれば、提督は山城に沈められる。そして山城は自身を沈めるだろう。

 二人は目を合わせるだけで、他には何も無い。山城はあいている手を提督の頬から離し、提督の男にしては細く首に手をかけることも無く、自身の口元に手をあてて俯いた。

 

「普段静かなタイプは、饒舌になると怖いねぇ」

 

「……うるさい、提督」

 

 提督の軽口に、山城は目を閉じて大きなため息を吐いた。そんな山城から視線を外し、提督は天井を見上げて肩をすくめる。

 

「君たちも、やっぱりおかしいとは思っていたんだ?」

 

「当たり前です……着任もなにも、私達の記憶には貴方との長い時間が在るんです」

 

 開放した海域。走り回ったイベント。増えていく仲間。とある艦娘強化アイテムからの騒動。それらはすべて彼女達のなかの記憶に、確りとある。

 

「僕はね、確証は今までなかった」

 

「そうなの……?」

 

 山城の言葉に、提督は素直に頷いた。

 

「だって僕が君達と会っていたのは、その……まぁ、そういうのでさ。その君達にそういった感情があるのは、僕からしたら十分ファンタジーなんだ」

 

 提督からすれば、そうなる。自身がPC上で触っていた世界のなかで、彼女達一人一人が生きて在り、そこに確固たる感情が宿っていたなど知る筈も無い、知る事もない筈の事であった。

 知りもせぬ鎮守府に、突如着任しなければ。

 提督にとってここはファンタジーの二重掛けだ。慎重にもなるし、疲労も負担も積もってかかるばかりであった。

 

「よく分からないわ……」

 

「多分、知ったらここに来た以上に驚くよ」

 

 提督は握ったままの山城の手を僅かに引いた。

 

「なんですか……?」

 

「多分、そういうのも含めて……君か初霜さんに真っ先に言うから、次からは」

 

「そ、そうですか……そうですよ、私は第一艦隊旗艦……提督の旗艦で、初霜は提督の秘書艦なんですから、そうしてください」

 

「うん、それにしても、皆先に納得済みかぁ……」

 

 気の抜けた顔で呟いた提督に、山城は弱弱しく首を横に振った。

 

「ちょっと違います……正確には、ここに来たのも、提督が出てこないのも仕方ないと納得している派と、ここに来たのは納得しているけれど、提督が出てこないのは嫌派、がいます」

 

「はい?」

 

 山城の言った内容を理解しようとする提督は、しかしその作業は中断を余儀なくされた。

 廊下から、音がする。そして、何か言い合う声も。

 

「……?」

 

「あぁ、このタイミングでぶつかるとか、流石初霜と青葉ね」

 

「は、はい?」

 

 提督は再び混乱に陥った。脳内で処理が終わらぬ作業があるというのに、また作業が増えたのだ。特に優秀というわけでもない彼のスペックでは、処理落ちで動作も鈍りつつある。

 なぜか、まったく落ち着いた様子で山城は提督にゆっくりと語りかける。

 

「つまり、提督がいてくれればそれでいいの派筆頭の初霜と、提督が出てこないのはじっとしてられないな派筆頭の青葉のぶつかり合いが、今そこの廊下で進行形です」

 

「――え?」

 

 山城が指差すそのドアの向こうから、何かが倒れるような音がした。




ちなみに、第一艦隊嫁艦さん以外には霞なんかも大分早くから提督の尻尾振りを理解していた模様。


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23話

 大淀に書類を渡し終えて執務室へと戻る初霜は、自身が今しがた声を交わした大淀の上機嫌な様子に首をかしげながら、ゆっくりと歩いていた。

 提督と山城――トップとその旗艦の逢瀬である。直ぐにそれを終わらせてしまうのは悪いのではないか、と考えた初霜なりの気遣いだ。ならそもそも執務室に戻らなければいいではないか、と思われるかも知れないが、執務室にいる提督にはまだ仕事が残っている。それを手伝うのは、初霜の仕事だ。妥協すれば、時間を延ばすしかないのである。

 

 初霜はゆっくりと階段を登り、廊下を歩いた。そして、彼女の目に青葉の姿が映り込み……彼女は駆けた。執務室の前を足音も立てず静かに通り過ぎ、ただ歩いているだけの青葉に近づいていく。その初霜に気付いたのだろう。青葉は常の相で笑いながら、手を上げた。

 

「どうもー初霜さん。どうしたんですかー?」

 

 やはり常通りの声で青葉は声を上げる。ただ、だからこそ初霜は立ち止まり身構えた。

 

「え、なんですか?」

 

 自身に向かって身構えた初霜に、青葉は目を剥いて驚く。そんな様子の青葉を無視して、初霜は口を開いた。

 

「何をするつもりですか?」

 

「……何が、ですか?」

 

「何を、するつもりですか?」

 

「……」

 

 初霜の言葉に、青葉は一度は応じたが二度目は黙った。青葉は廊下の窓から見える青い空を、ぼうっと見た後、興味深げに初霜へ視線を移した。

 

「どうして、分かったんでしょうか? 後学の為にお願いできますか?」

 

 心底、といった相で青葉は初霜に問い、初霜は青葉から目を離さず小さく首を横に振った。

 

「第一水雷戦隊の直感、としか言いようがありません」

 

 初霜の言葉に、嘘は無い。階段からあがり、廊下を歩き、向かいからやってくる青葉を見た瞬間、あぁ、今日このタイミングで執務室に行くのだ、と理解した。青葉が執務室で何を言うつもりなのかも、初霜には予想できていた。初霜にも、青葉の気持ちは理解できる。共感も出来る。しかしそれでも。

 提督の為にある小さな盾は、それらを看過できなかった。

 

「本当に、駆逐艦は怖い」

 

 赤い瞳が鈍く光る、陸の上では滅多に見せない初霜の凶相に青葉は軽口で応じた。だが、その青葉の相は口から出た言葉とは違い軽くは無かった。初霜同様の海上作戦中にだけ見せる、戦士の顔だ。腰を落とし、足を肩幅に広げる。退くも往くも、仕掛けるも迎えるも出来る構えだ。

 海上とは違い、艤装をまとわない事で軽くなった体を持て余しながら、二人はにらみ合う。

 互いに喋らず、目を逸らさず、微動だにせず。そして突如動いた。まったくの同時に、二人が。

 

 仕掛けたのは青葉で、受けたのは初霜だ。真っ直ぐに繰り出した青葉の拳を、初霜は受けずにかわした。艤装からのサポートを受けられない彼女の現在の身は、通常の人間程度でしかない。それは青葉も同じであるが、そうなると単純な事で勝敗が決して来る。

 

 体重差だ。

 

 青葉の体格は平均的な女性のそれであり、初霜の体格は幼い少女のそれだ。みたまま、そのままが如実に結果として出てしまう。ゆえに、初霜はよけた。受ける事自体が負けへと続くからだ。

 身を翻す勢いを利用し、初霜は伸びきった青葉の腕を掴んで極め様とした。が、青葉は腕を曲げて肘を初霜の頬に叩き込もうとする。させじ、と初霜は身を翻して青葉から距離をとった。

 

 再び、ソロモンの狼と坊の岬の小さな勇者がにらみ合う。

 二人は息も乱さぬ互いを見て、何故こうなったのだと同時に考えた。だから、二人は口を開いて声を上げる。

 

「私は……青葉は! あの人と一緒に笑いたい! あの部屋だけじゃなくて、もっと、もっとたくさん、色んな場所で、笑って……! あの人の笑顔が見たい!」

 

「私は……私は、あの人を守りたい。扉を見るたび、辛そうなあの人の心を、間違っていたとしても守りたい」

 

 言葉は終わり、青葉は駆けた。距離を一瞬で詰め、足が床から離れた瞬間から放たれた拳が初霜を穿とうと唸りを上げる。威力が高い事で知られるジョルトブローだ。ただ、そのパンチは隙が多い事でも知られている。初霜は放たれた拳を身を屈めてやり過ごし、がら空きにあった青葉の脇の下に掌打を打ち込もうとし――青葉に組み付かれた。

 

「青葉……さんっ!」

 

「あんなテレホンパンチ、本気では打ちませんよ」

 

 懐におびき出すための餌であったらしい。青葉はこのまま初霜を締め落とそうと顎の下に腕を入れようとしたが、初霜は空いている足を使って全力で壁を蹴った。

 

「こ、この……!」

 

 バランスを崩した二人は転倒し、初霜は青葉の腕から逃げようとする。が、それを逃がすような青葉ではない。逃すまいとする青葉と、逃げようとする初霜は組み合ったまま転がり、もどかしさから叫んだ。

 

「初霜さんだって! 提督と一緒にどこかに行きたいでしょう! もっと色んな場所で笑いあいたいでしょう!? 貴方だけじゃない、皆そう思ってる! 思っていても、みんな動かないから! 私が動くしかなかった! みんなの意識を確かめた上で動けば、提督だって出てきます!」

 

「それは!」

 

「それはなんだと言うんですか……? わがままだとしても押し通します! あの人は居るんです! そこに! もう笑ってもらうだけじゃないんです! 私達が、あの人を笑わせて上げられるんです!」

 

「青葉さんは! あなたは……!」

 

 悲痛な青葉の声に、初霜はそれ以上の悲痛さを秘めた叫びを上げた。

 

「突然に与えられたのなら、突然に奪われると思わなかったのですか!!」

 

 青葉は腕から力を抜き、自身の下で鋭い双眸のまま荒い息を吐く初霜を、呆然と見つめた。彼女の言った言葉の意味が、上手く青葉の中に入ってこないからだ。

 青葉は小さく笑い、首を横に振った。

 

「何を言っているんですか、初霜さん……提督は、提督はだって居ますよ?」

 

「……出てこられない状況です」

 

「ちゃ、着任だってして、この鎮守府の提督として、ここに居ますよ?」

 

「出られないという一つの不都合がある以上、その着任も提督にとって不都合だった可能性があります」

 

 青葉は、首を振った。分かっていた事が、理解させられていく。提督は出てこない。執務室から出てこない。誰にも悟られず、誰にも知られず、突如執務室に現れた提督は、執務室から出てこない。

 

 ――違う。

 

 出られない。

 

 半月、そろそろ一ヶ月の時間、提督は執務室から出てこなかった。それを青葉は出てこないと思った。信じた。信じ切って、信じ続けて、今になって悟った。嘘だと。

 呆然とした青葉の相を見上げて、初霜は息を整えて続ける。

 

「あの人の言葉で、提督の言葉で、はっきりと私達にここに在ると明言されない限り、私達は待つべきです」

 

「それは、いつですか……」

 

 青葉の濁りだした声に、初霜は瞼を閉じて静かに応えた。

 

「わかりません」

 

「いつ……! いつになったら、あの人があそこから出て! 私達の傍に、あの人から来てくれるんですか!!」

 

「わかりません」

 

 目を閉じたまま、自身の頬を打つ暖かい青葉の涙を受けながら、初霜は手を伸ばした。青葉の頭を優しく抱え、そのまま自身の胸にその顔を運ぶ。

 

「は、初めて出来た重巡だと言ってくれたんです! 嬉しいと……嬉しいといってくれたし、私だって嬉しかったんです……! だから、だから……っ」

 

 初霜に、もう言うべき言葉はなかった。ただ、泣き続ける青葉を優しく撫で、ただ提督が青葉達とここに共に在ると明言しくれる時を待った。初霜には、彼女にはもう何も出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 扉の向こうから聞こえてくる声が、泣き声が、提督の胸を抉った。何度も聞いた艦娘の声は、まったく違う響きと彩で提督の耳へ届き、木霊する。扉へ近づき、ドアノブを手にして……ドアを叩いた。

 無慈悲だ。ドアはやはり開かない。

 山城は提督の手元を見ながら、目を丸くした。

 

「実際に見ると、不思議ね……それ、開けようとしているんですよね、提督?」

 

「暢気に言っている場合かい……山城さん」

 

 提督は冷静そうな山城に振り返り、後悔した。目があえば山城と提督は互いに分かる。山城の目から、提督は冷静さを感じられなかったからだ。

 それでも、今提督にはやるべき事がある。ドアノブを指差し、提督は山城を呼ぶ。

 

「すまない、開けてくれ」

 

 その言葉に、山城はドアを開けた。開かれたドアの直ぐ傍には、倒れた初霜と青葉が居た。だが、嗚咽を漏らす青葉とそれを撫でる初霜から、提督に気付いたような気配は無い。彼女達は提督を認識できていないようだ。この執務室自体が、提督の転移の際に可笑しくなった可能性がある。風呂などを設置できた以上、空間自体は狂っていないはずだが、無機物と生物では違いがあるのかも知れない。そんな事を思い浮かべ、提督は自身の額を叩いた。

 今提督にそんな事を考察している暇は無い。提督は山城に横に退くように頼むと、三歩ほど下がって……勢い良くドアの開いたそこショルダータックルをかまして――ぶつかり、倒れかけた。

 

 言葉では説明できない不可思議な現象を前に、山城は目を点にする。ただ、提督だけが悔しげに舌打ちしていた。

 

「やっぱり、またか」

 

 既に実行済みだったのだろう。半月も居ればその程度は終えているらしい。提督は何が足りないのかと考えるより先に、何をしてないのかと考えた。ここが違う世界で、ここが鎮守府で、ここが提督の在る事を許した場所なら、何が足りないのかと考えて、廊下の窓から覗く空を見た。

 

 提督、と呼ばれる彼は、それをただの暇つぶしで始めた。始めてみれば驚くほどはまり、直ぐに課金して入渠ドックをあけ母港を拡張した。増えていく艦娘に飽きないイベント。それらが彼をずっとそこに繋ぎ止めた。その世界の中で、自身が愛され、求められているなど知りもせずに。

 かつて建造し、その誕生を喜んだ彼の初めての重巡が泣いた。

 かつて最初の海域で最初にドロップした駆逐艦が受け入れ様としていた。

 知った以上、理解した以上、そこで泣いている彼の大事な艦娘が居る以上、提督には今すべき事がある。だというのに、執務室がそれを許さない。

 

 なんで出られないと、何故鎮守府を歩けないと、今になって提督は心底から焦燥し、極楽トンボを決め込んでいた先ほどまでの自分を許せそうにないと憤っていた。

 

 窓から見える穏やかな景色に苛立ちをぶつけ、提督はそれをじっとねめつけた。だが、そこに仄かに映る自身の姿を認めると、反射的にまた目を逸らそうとして、提督は動きを止めた。

 提督は窓をじっと見つめ、狂ったように見つめ、自分の服の襟をただただ見つめ、山城に顔を向けた。

 

「山城さん、この階級章の階級は!?」

 

「しょ、少佐ですけど……?」

 

 常ならぬ相の、場違いな問いに山城は目を瞬かせながら答え、その言葉に提督は力強く頷いた。 提督は既に開いているドアに足の裏を向ける。そのまま、蹴破るかのように足を落とした。

 

 ――ここに着任した新人少佐様だ! 大将でも偶に中将でもない! 何か問題があるかこの野郎! 

 

 轟音。そうとしか例えられない音が廊下を、鎮守府を揺らした。

 山城は呆然と、廊下に出た提督に目を向けた。初霜は突如轟音と共に現れた提督に驚愕の相を向け、初霜に守られるように頭を抱えられた青葉は、狭い視界の中で真っ赤になった目を見開いて提督に見入っていた。

 

 執務室の外に居る、提督を。

 

 三人のそれぞれの目に見つめられる提督は、襟を正し、帽子を確りと被り、咳一咳しておもむろに背を伸ばして声を上げた。

 先ほどの轟音以上の、提督からすれば今後もう無い様な大声で叫んだ。

 

「提督が鎮守府に着任しました! これより艦隊の指揮に入ります!!」

 

 提督は小さく息を吐き、どこかぼんやりとした三人を見回してから、少し恥ずかしげに肩をすくめた。




お前が言うんかい。そんなオチ。

あとがきは活動報告にて。


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それから
24話


 皿に盛られた肉団子を口に放り込み、力強く咀嚼した。喉を大きく鳴らして嚥下し、今度はテーブルに置かれたフライドチキンを手にして齧り付いた。噛み千切り、何度もかみ締めてまた飲み込む。それから、霞はコップを手にして大きく呷った。テーブルにコップを勢い良く戻し、霞は周囲を見回す。

 場所は、彼女達が常から使う間宮食堂だ。普段とテーブルの配置が違うのは、今夜は宴会だからである。それも特別な、だ。

 それぞれのテーブルに、姉妹、或いは親しい者達が集まって各々が料理や飲み物を手に笑顔で言葉を交わしている。

 

 霞は更に目を動かし、それらを良く見た。

 鳳翔、間宮、伊良湖、瑞穂、瑞鳳といった、今夜の宴にと料理に腕をふるった艦娘達が苦笑を浮かべ、金剛姉妹達はべろべろになってテーブルに突っ伏す長姉の介抱中だ。青葉は珍しく馬鹿笑い中で、意味も無く古鷹や加古の肩を叩き、衣笠がそれをたしなめている。酒を好む連中は明日の事も考えてない様子で杯を空けては満たし、また空けては満たしと繰り返し、酒を飲めない連中も場の空気に飲まれて普段よりどこか開放的だ。

 

 霞はそれらを見てから、また自身の前に目を戻して、自分の前にある料理を口に放り込んだ。愛らしい少女姿に似合わぬ、どこか乱暴な仕草だ。それを横目でみていたらしい、彼女の姉である満潮が咎めた。

 

「汚いわよ、霞」

 

「はぁ……? 別にいいでしょ、あたしがどう食べても」

 

 姉に対しても、霞の調子は変わらない。が、その姉も姉できつい性格の持ち主だ。満潮は霞に対して挑発的な笑みを浮かべて口を開いた。

 

「甘えん坊よね、霞は」

 

「……なに? 喧嘩売られてる?」

 

「図星だからって、すぐそうやって睨むのはどうなの?」

 

「……はぁ?」

 

「なによ?」

 

 霞と満潮は相を険しくして睨み合い、やがて同時にため息をついて力を抜いた。周囲の艦娘達が自身達に注意を寄せていると気付いたからだ。

 

「まったく、あのクズ司令官……」

 

「まぁ、あれはあれで司令官らしいともいえるけれど……」

 

 二人はまったく同じ仕草で肩を落とし、またため息を吐いた。同じ型の姉妹であるためかその姿は良く似ている。そんな二人がまったく同じタイミングで、同じ仕草を行ったのだ。それを目にしてしまった者は、二人に悪いかと思いながらも微笑んでしまう。

 

「……もう良い、今日は食べる」

 

「……せめて食事と、作ってくれた人に失礼にならない食べ方をしてよね」

 

 笑われている、という訳でもないのだが、周囲から生ぬるい視線を送られる事に二人は我慢できず、他の事でそれを紛らわせようとした。今彼女達がもっと簡単に出来る事は、自分達の前に置かれている様々な料理を食べる事だ。

 

 満潮はハンバーグを一口サイズに切り分けて口に運び、明日はいつもより動かないとお肉つくわね、これ、と考えながら口を動かし、霞は特に何も考えずに再び周囲を見始めた。ただし、今度はゆっくりとだ。

 べろべろになった金剛を見て、霞は今夜の宴の、その一番最初を思い出した。

 

 

 

 

 

「えー……」

 

 何故か食堂に置かれていた小さな台に乗って、提督が目を泳がせながら口を動かしていた。

 

「あー……」

 

 言葉になっていない、一文字を伸ばすだけの簡単なお仕事中の提督を、そこに居並ぶ艦娘達はただ静かに、ただ見つめていた。背を正し、顔をあげ、歯を食いしばり、彼女達は全神経を耳と目に集中させていた。その相がまた、提督に一文字を伸ばして口にするだけの簡単なお仕事をさせる。

 

「んー……その、なんだ」

 

 やっと言葉を出す事に成功した提督の口は、そのまま動いていく。ただし、この時提督はもう目を閉じていた。視界に飛び込んでくる真剣な相の艦娘達が怖かったからである。

 

「長く、待たせたみたいだけれどもー……今日から、まぁ、なんだ。提督を頑張ってみたい、と思っている、かなーっと」

 

 提督の締まらない言葉も、艦娘達は誰も笑わない。悲願、念願、そういった物が、ただそこに立って喋っているだけの提督に詰まっているからだ。

 食堂に、立っている、ただそれだけの提督に。

 

「じゃ、じゃあ……かんぱい?」

 

 提督はその言葉で小さな台から降りて後ろに控えていた山城に笑顔を向けた。山城はそれに、仕方がない人だ、といった相で応えようとしたが、出来なかった。提督が山城の視界から消えたからだ。

 山城は目を瞬かせつつ周囲を慌てて見回し、耳を打つ奇矯な声に気付いた。その声が発せられる足元に目を向け、彼女は眉を顰めた。

 

「へ、へへへへヘーイ提督! ヘーイ! ヘヘヘヘーイ!! ヘヘヘヘーイてぇいぃいいいいいいとくぅう!」

 

 提督の腰辺りにしがみつき、倒れこんだ提督の体に一生懸命頬を擦り付け瞳にハートを映したなんかきめてるんじゃないかと疑いたくなる大分言語中枢がぶっ飛んだ感じの金剛がいた。そしてそんな金剛にタックルを決められ宴会開始早々死に掛けている提督もいた。

 山城は暫しそれを無言で眺めてから、はっと我に返り金剛を引き離しに掛かった。

 

「金剛……! 金剛、気持ちは一応理解できるけれど、今は離れてください!」

 

「山城! 後生、後生ネー! あと五分提督分を摂取できたら私もっとやって行ける感じがめっちゃするけんだはんでちくとまってつかぁさいネー!!」

 

 もうどこ生まれの何人であるかも分からない金剛を、一人では提督から剥ぎ取れないと確信した山城は周囲にいる艦娘達に声をかけた。

 

「比叡カレー、装填用意!!」

 

「え、ちょ」

 

「はい!!」

 

 何やらびくりと震えた金剛の傍に、恐ろしい速さで神通が現れた。当然山城が言ったそれを手にしてだ。速攻で取りにいったのか、山城が言う前から用意して隙さえあれば金剛の口に放り込むつもりだったのか、それは誰にも分からない。

 多分後者で間違いないし確定だが誰も怖くて目を合わせられないからだ。こうやって多くの真実は闇の中へ埋もれていくのである。

 普段なら神通の出現に、比叡カレーを前にした金剛の如くぶるぶると震えだす山城も、こういう場面では心強いと感じたのだろう、力強く頷いて口を開いた。

 

「主砲……よく狙って、てー!!」

 

「いや、それは流石にちょっと――」

 

「比叡カレーも次発装填済です……これからです!」

 

「おかわりあるんデスかー!?」

 

 開始早々、宴会はもう駄目な方向に向かっていた。

 

 その後、結局腰を痛めた提督は山城と共に執務室へと逆戻り、金剛は比叡カレー×2によって大破着底したあとバケツで帰還、そのまま自棄酒に入った。この鎮守府の先行きを不安にさせる気まずい滑り出しであった。

 

 が、今夜がそうなってしまっただけだ、と多くの艦娘達は笑い飛ばした。今まで半月、いや、彼女達からすれば提督が彼女達の提督になってから今まで、長い時間制限されていた様々な事が解除されたのだ。

 実際、今回の宴会で料理を作ったメンバーなどは、前向きだ。

 

「まだ材料に余裕もありますし、明日が無理でも明後日か明々後日辺りにまたやりましょうか?」

 

「そうですねぇ……今度は提督へのおさわりは禁止、という項目込みですね」

 

「あ、あははははー」

 

「提督に、卵焼き食べて貰えなかった……」

 

「大変そうですね……提督……」

 

 鳳翔、間宮、伊良湖、瑞鳳、瑞穂が口にした内容を耳にした霞は、まぁ仕方ないわよね、と特に否定もせずまた次のテーブルに目を移した。

 霞が目を向けたその先では、青葉が衣笠に抱きついて馬鹿笑いを上げていた。

 普段、抑えた笑顔を浮かべるだけの青葉にしては、相当珍しい顔である。が、今回ばかりはこれも仕方ない事であった。少なくとも、霞は共感できていた。

 

「で、そこでですねー、提督がばーって出てきましてー……んで、がーって声を上げてですね」

 

「うんうん、衣笠さんそれもう何回も聞いたんだけどね、青葉ー」

 

 青葉は自分が目にしたこと、耳にした事を真っ赤な顔でアルコールによって乱れた怪しい調子のまま、時には身振り手振りを交えて話していく。

 

「あぁもう、あぁもう悔しいなー、青葉もうすごいくやしいなー! なんであの時青葉はていとくをカメラでとっておかなかったんですかもー」

 

 あの時、と言うのが霞には判然と出来ないが、凡その事は分かる。というよりも、あの時間鎮守府に居た事務方、または待機中、もしくは休日を楽しんでいた艦娘は全員耳にした。

 

 提督当人が、ここに確りと着任したという宣言を。

 

 或る者は口に含んでいた紅茶を吹いて咽せ、或る者は今日に限って遠征、または演習で鎮守府を離れた同僚や姉妹に事を一秒でも早く伝えるため港まで走りまだかまだとそわそわと待ち、或る者は今夜は宴会だと食材をチェックして料理になれたメンバーに声をかけ、或る者は今夜は宴会だとカレーの材料をチェックして自身に勝るとも劣らない腕を誇る駆逐艦娘(陽炎型)に声をかけ、或る者は赤い芋ジャージを脱いで下着姿のまま執務室に突撃しようとしたところを迷彩塗装の艤装装備済みの長姉の腕ひしぎ逆十字固めによって阻止された。この鎮守府は本当に先行きを不安にさせる材料が豊富である。

 

 結局、皆がそれぞれ浮かれて流されて、蓋を空ければ提督即離脱の現実である。

 

 ――明日がどうなるか分からないけれど、そろそろ部屋に戻ろうかしら。

 

 こうもなれば、明日まともに動ける者は僅かだろう。そうなれば鎮守府自体が開店休業の状態になる。勿論、大本営からの最低限の任務はこなさなければならないが、その辺りは自制しているメンバー……例えば霞などが動くしかない。

 

 霞は額に手を当て、またも周囲を鋭く目配せし危険を察知した。

 今霞たちが居るここに、とある艦娘がいないのだ。そう、提督と一緒に執務室に戻った、山城が。

 

 提督の介抱の為にと一緒に執務室まで付き添った山城が戻ってこないという現状が、そろそろ新たな爆弾になるのではないかと感じ取り、霞は腰を上げた。今でこそ場の空気に飲まれ皆ほろ酔い――一部除く――気分だが、一度冷静になれば皆すぐに気付く筈である。そこまで想像してから、霞はテーブルから一人離れようとしていたのだ。しかし、霞とほぼ同じタイミングで腰を上げた者達が居た。

 

 霞の姉である満潮と、それぞれ座っていたテーブルは違うが、扶桑、最上、朝雲、山雲、時雨だ。霞は彼女達を見つめ、西村艦隊の仲間がいない事が心苦しいのか、と思い少しばかり熱くなった目頭でもう一度彼女達を見た。立ち上がった彼女達の相から、「西村艦隊旗艦を気遣った振りして執務室に行けば誰も文句なんて言わないよね」的なオーラを感じ、霞はまた違った感じで熱くなった目頭をおさえ顔を背けた。

 

 ――やだ、大人って汚い。

 

 場の雰囲気に呑まれ大分思考回路がおかしくなっている霞は、一人そんな事を考えた。が、その霞の肩に手を置いた者が居た。姉の満潮である。

 彼女は霞の目を真っ直ぐに見つめて、口を開いた。

 

「霞だって、初霜が介抱に行っていたら21駆の仲間を気遣った振りして行くでしょう?」

 

「当たり前じゃない」

 

 この鎮守府は本当に先行きが駄目だった。



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25話

「んー……」

 

 左手にある煎餅をかじりながら、提督は右手にある書類を凝視していた。口の中にある煎餅を飲み込むと、また手に在る煎餅にかじりつく。そうして左手は空になり、提督はまだ手に在る書類に視線を向けたまま、机の上にある湯飲みを左手で探し始めた。

 

「行儀が悪いですよ、提督」

 

 見かねたのだろう。執務室に置かれた、殆ど専用と化した秘書用の机から離れ、初霜は頼りなく彷徨う左手に湯飲みを差し出した。

 

「あぁ、ありがとう初霜さん」

 

 やっと書類から目を離し、提督は初霜に礼を述べる。上司というよりは同僚、または後輩に対するような気安さが、この人物の良さであり、上司としての悪さなのだ、と初霜は複雑な思いで小さく頷いた。初霜は提督が口に含んだお茶を飲み込み終えるのを確認してから、提督の手に在る書類を気にしながら口を開いた。

 

「あの、何かお悩みでしょうか?」

 

「んー……どうしたもんかなーっと」

 

「大淀さんをお呼びしますか?」

 

「いんや、そこまでの事じゃあない……つもりだけどねぇー」

 

 提督は肩を落として、持っていた書類を初霜に渡した。渡された初霜は、さてなんだろう、とそれに目を落とし、はて、と首を傾げた。特に変わった書類ではない。いや、秘書艦である初霜にとって良く目にする物であるし、なんら珍しい物でもない。これのどこに提督が悩む理由があるのかと、初霜は書類から提督へ視線を移した。

 問うような初霜の目に、提督は頭をかいて苦笑を浮かべる。

 

「うちって、水母何人いたっけ?」

 

 その言葉に、初霜はもう一度今は自身の手に在る書類に目を落とした。そこには「水上機基地建設乃至水上機前線輸送作戦」と書かれていた。

 

 水母、水上機母艦という艦種に属する艦娘の数は多くない。現在確認されているだけでも、千歳、千代田、秋津州、瑞穂だけである。しかも内二人の艦娘、千歳と千代田は軽空母に艦種変更する事で戦力を向上できるので、殆どの鎮守府ではこの二人を水上機母艦のまま海上作戦に出す事は少ない。では次の残り二人だが、これは余り鎮守府に配属していない。建造不可で、特別海域での邂逅のみが許された艦娘だからだ。そういった、戦力的問題で装備変更をされ、あるいはそもそも配属していない為、水上機基地建設等の水上機母艦を必要とした遠征任務は余り人気の無い物ではあるのだが……

 

「うち、水上機母艦結構いたよね?」

 

「? ありますよ?」

 

 あるのである。少なくとも、この鎮守府には。いや、多くの鎮守府に、いた筈なのである。提督が元々いた場所では。改用、改二用、牧場用、任務用、開幕魚雷用、浪漫用、グラフィック的使用用、中破用、と様々な理由で同一の存在を複数所有していた。当然の事である。

 特に水母は任務用が絶対必要な上に、当初千歳と千代田しかいなかった。しかも開幕魚雷に必要な武装は、この二人しかもって来てくれなかったのである。その重要性は推して知るべし、だ。

 おまけに、

 

「大淀さんもこの前、うちは水母に余裕あるっていったら、否定しなかったし……」

 

 少し前の事であるが、提督と大淀が千代田を早く軽空母に改装したいと交わした言葉の中で、その様な話題があがった。その際、大淀は提督の言葉に是と頷いたのだ。であれば、ここには余裕があるという事だ。だが、そこで提督は首を傾げてしまうのである。

 

「でも、ここに居るの軽空母で改二の千歳と、最近軽空母になった千代田だよねぇ?」

「そうですよ?」

 

 そうなのである。提督の言葉に頷く初霜の即答が、それをただ事実であると提督に教える。だがしかし

 

「水母の千歳と千代田も居るんだよね? その、相応の錬度の?」

 

「ありますよ?」

 

 提督の記憶では、水上機母艦の千歳は錬度76、千代田は73と、スペア用に錬度53の千歳と錬度55の千代田がいた。あと軽空母にしようとしていた錬度41の千代田もいたが、これは最近軽空母になったばかりで余り関係は無い。

 はて、さて、と腕を組んで唸りだした提督は、しかし先ほどからの初霜の発言にやっと思い至り、間抜けな顔をさらした。

 

「……ある?」

 

「ありますよ?」

 

 いる、ではない。ある、なのだ。さて、それはどういった事なのだと目で問う提督に、初霜は何故か背を正して敬礼した。

 

「説明させて頂きます」

 

「はいはい、おねがいします」

 

 艦娘、というのは艤装が無い状態では普通の人間程度の身体能力しか有しない。では何故海上で自由自在に奔り戦えるのかと言うと、艤装によるサポート――というよりは、艤装により本来の能力を取り戻すからだ。様々な戦闘、航法、補助の経験により、艦娘自体も動きを変化させていくが、その度艤装は艦娘との同調率を上げ最適化をはかり無駄を省き動きを鋭くしていく。それがいわゆる錬度とよばれる物になるのだ。

 ここまで聞いて、提督は理解した。

 

「千歳、千代田用の、水母の艤装があるって事だ?」

 

「はい。錬度は違いますが、お二人に二つあります」

 

 それを聞いて、提督は何度も頷いた。となると、彼にはまた聞きたい事が増える。

 

「海域で艤装を拾ったりする?」

 

「はい。偶に拾いますね」

 

「それ、鎮守府にいる艦娘用だけだよね?」

 

「はい、何故かそうなっています」

 

「建造もそうだよね」

 

「はい、もう居る人が建造された場合は、艤装だけです」

 

 何がどうなってそうなっているのかは提督にはさっぱりだが、これは誰もがさっぱりであるらしい。少なくとも、初霜は理解していない。ただ、そうである、と納得はしているようだ。

 

「となると、北上さん達も三つくらい艤装あるよねぇー?」

 

「ありますよ、北上さんと大井さんと木曾さんは、相当高い錬度の艤装が三つあります」

 

「ですよねー」

 

 重雷装巡洋艦娘達は特別海域のトリプルエースである。最近では艦種によるルート限定もあって海域での無双も出来なくなってきたが、彼女達の開幕魚雷と夜戦での安心感は、古きを知る提督達にとってこれ以上無いものである。ゆえに、大抵のベテラン提督は札対策も兼ねて複数所有する。

 提督は腕を組んでじっと天井を睨み、すぐ初霜に目を落とした。じっと自身を見つめる初霜に、提督はまだ口を動かす。少しばかり気になる事があるからだ。

 

「……じゃあ、大鯨は?」

 

「大鯨さんは、えーっと……あぁ、潜水母艦の艤装と、龍鳳用の艤装があります」

 

「あー……やっぱりかぁ」

 

 提督は悔しげに頭をかき、初霜はそれを不思議そうに眺める。

 提督には一人の大鯨と二人の龍鳳がいた。潜水母艦大鯨と、軽空母龍鳳と、軽空母龍鳳改、だ。自身の鎮守府に招かんが為に、どれだけの時間を捕鯨に割いたか等、提督からしたらもう思い出したくも無いほどだ。一番大変だったのは、捕鯨にかり出された艦娘達であろうが。

 兎にも角にも、少なくは無い時間を割いて育て上げた艦娘が一人消えてしまったような物だ。提督にはそれが悔しかった。

 

「あ、すいません」

 

「……え?」

 

 初霜は頭を下げ、慌てて口を動かす。

 

「龍鳳さんの未改造艤装もあった筈です」

 

「……あぁ、じゃあ、いいんだ」

 

 掌で顔を覆い、ほっとした相で佇む提督に、初霜もまた胸を撫で下ろして息を吐いた。そして、そのまま類似の状態――複数の専用艤装を持つ艦娘達の名を上げ始めた。恐らく、提督は今この情報を欲しているのだろうと彼女は思ったからだ。

 

「他にも、山城さんも通常の戦艦艤装と、前まで使っていた航空戦艦艤装が一つずつあります。現在は二段階目の特殊改装艤装です。あとは……」

 

 初霜の口にする情報は、過去に提督がPC上で複数所持していた艦娘達そのままであった。改装で艦種を変えた艦娘や、通常、改造、改二それぞれ一人ずつ、といった所持の仕方は、そう珍しい物でもない。ただ、流石に艦娘所持数にも限界がある。提督などは同じ艦娘を三人も四人も持つのはお気に入りだけであった。艤装の数や状態を、提督の為と口を動かしていた初霜は、しかし突如として滑らかにあった口を閉ざした。

 

「……えーっと?」

 

「……」

 

 真っ直ぐ、秘書艦として提督に向かい合っていた初霜が、少しばかり頬を朱に染めて言葉を紡いだ。

 

「わ、私も三つ、艤装があります。その……ありがとうございます!」

 

「あ、う、うん?」

 

 初霜の言う、ありがとう、がなんの礼か提督にはとんと理解できなかったが、顔を赤く染めた少女が真面目な相で口にした以上、それが何かを問うのは流石に失礼と控えたのだ。

 どうでもいい話だが、一つ。

 この鎮守府で三つも専用の艤装があるのは、そのレアさから捕鯨された大鯨、決戦戦力として期待された北上、大井、木曾達と、遠征目的等の為水上機母艦の艤装を二つ持つ千歳と千代田に、嫁艦である山城と、そして初霜しかいない。

 純粋なお気に入りとして提督が複数所持したのは、山城と初霜だけだ。

 どうでもいい話である。

 

 

 

 

 

 

「あぁ、明日は水上機母艦で長距離遠征ですか」

 

「はい、瑞穂さんの艤装の調整も兼ねて、千歳さんや天龍さん一緒に、と」

 

「あぁ、その二人がいるなら大丈夫ですね」

 

「あと、皐月さんも組み込む予定だから、この後聞いてきて置いて欲しいといわれました」

 

「……彼女もですか。瑞穂さんも大事にされていますね」

 

 初霜は大淀のいるもう一つの執務室で、書類を渡しながら会話をしていた。話をしながら、初霜は大淀の執務室――大本営への連絡室を見回した。

 提督の執務室には無いような、特殊な通信機器が多数見受けられるそこは、どことなく初霜に無機質さを感じさせる。ただ、よく見れば女性らしい小物も幾つか置かれており、それがこの部屋の主の性格を良く表わしてもいた。

 

「誰とでも相性抜群の千歳さんと、遠征の大ベテランの面倒見抜群の天龍さんに、武功抜群の皐月さん……」

 

 大淀は、自身の執務室を見合す初霜より、書類と提督が指定した艦娘達が気になる様子で、顎に手を当ててぶつぶつと呟いていた。が、それも長くは無い。

 彼女は頷いて、書類をファイルに仕舞う。提督と大淀の連絡係でもある初霜は、そのファイルがなんであるか、勿論知っていた。問題なし、とされた書類が納められるファイルである。

 

「その三人なら、まだ新人の瑞穂さんでも大丈夫でしょう。何があっても対処できます。流石提督ですね」

 

 べた誉めである。提督からしたら特に考えも無く、いつも通りの遠征での編成である。皐月などは提督の史実好きによって多くの戦場にも送り込まれたが、基本的な睦月型の運用方法そのままに、遠征が基本だ。

 

「あと、その任務には私も行く予定です」

 

「初霜さんもですか?」

 

 大淀は珍しく相を乱した。幾ら新人の為とはいえ、駆逐艦のエース達が出張るような物ではない。まして初霜は、雪風、皐月、霞と並ぶ駆逐艦のトップエースだ。演習などでも、相手が相当のベテランでないと出撃を許されない駆逐艦の切り札の一人である。

 そのうちの二人が遠征に出ると聞いて、流石に大淀はうろたえた。らしからぬ自身の周章狼狽に恥じて我へと返り、大淀はずれた眼鏡をかけなおして咳を一つ払った。

 

「長い遠征ですが……その間、秘書艦はどうします?」

 

「大淀さんさえ良ければ」

 

「わ、私、ですか……いえ、でも……まだお夜食一緒にした程度ですし……」

 

 俯いて突如髪等を手櫛で整え始め意味不明な事を呟く大淀を見て、初霜は申し訳ないと書いてある相で口を開いて

 

「都合が悪いのでしたら、加賀さんに――」

 

「大淀、いけます!」

 

 即閉ざされた。初霜はなんとも言えぬ顔で大きく一つ頷き、敬礼をする。大淀がそれに返礼したのを見届けてから、初霜は部屋から退室しようとした。

 その背に、大淀の声が掛かる。

 

「宜しいのでしょうか? その……秘書艦というのは、やはり特別なものですよ?」

 

 口にしておきながら、大淀も初霜が秘書艦という立場に拘っていない事をよく理解していた。しては居たが、それでもやはり秘書艦は特別だ。特に、昔とは違ってずっとそこに居る暖かい提督の秘書艦というのは、彼女達にとって本当に特別だ。

 初霜は大淀に顔を向け、微笑んだ。

 

「提督の為に頑張れるなら、私はそれだけで満足です」

 

 同じ女の大淀でさえ見惚れるような、満面の笑みだった。




天龍幼稚園はここでもやっぱり営業中。


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26話

「で、提督って今何してるの?」

 

「はぁ、あたしが知るわけないでしょ」

 

「んー……直接執務室に行けばいいんじゃない?」

 

 少女達はそれぞれ、勝手に口を開いて黙った。互いが互いに目をやり、ふん、と鼻を鳴らす。いや、その中に一人逃げ腰な少女が居た。阿武隈だ。

 

「と言うか……なんで提督の話?」

 

 気のきつい方ではない阿武隈には、今この場に居る自分が不思議でならない。不思議でならないが、何故か納得もしている。ゆえに、彼女はここ――伊良湖の甘味処の一室から逃げはしなかった。

 

「んー……ほら、提督さ。執務室から出て来たっしょ、ほら、最近も宴会で」

 

「うん」

 

 きつい方の片割れ、鈴谷は穏やかに笑って阿武隈に話しかけた。相手に合わせるのが鈴谷のやり方だ。阿武隈が喧嘩腰にならないかぎり、鈴谷は穏やかに笑ったままだろう。

 

「でさぁ……結局提督、あんま外で見かけないじゃんさ?」

 

「あぁー……」

 

 鈴谷の言葉に、阿武隈は納得と何度か頷いた。確かに、鈴谷が言うその通りだからだ。部屋から出てくる提督を、多くの艦娘は目にしてない。現在も、提督に会いたければ執務室に行け、という状態だ。結局変化が無いも同然の状態である。

 それが鈴谷にとって不満なのだろう。

 

「せっかく出られるんだからさぁ、一緒に色々行きたいと思うっしょ?」

 

「うん」

 

 素直に阿武隈は頷き、一人ぱくぱくとみたらし団子を食べているもう一人のきつい方……霞を見た。その目が、霞の目とぶつかった。霞はハンカチで口元を拭うと、おもむろに口を動かした。

 

「じゃあ言いに行けばいいでしょう? ここで愚痴って何になるの?」

 

「わかってなーい。わかってないなー霞は」

 

 鈴谷は一転、相を険しくして霞を睨んだ。攻撃的な思惟が見えるその相に、向けられた訳でもないのに阿武隈は上半身を仰け反らせた。そんな阿武隈を気にもせず、鈴谷と霞は口を動かす。

 

「そういうのって、提督に言わせるのが一人前ってもんでしょ?」

 

「じゃあ言わせて見なさいよ」

 

「っかー、もー、っかー……霞は駄目、もう駄目。全然分かってない」

 

「はぁ? あんた日本語大分怪しいわよ?」

 

「艦が女の形になるなら、言葉だって空飛んで海潜って陸走って三体合体六変化くらいするっしょ?」

 

「駄目だわ、あたしあんたの言葉がまったくわからない……」

 

 額に手を当てて俯く霞の相は、冗談ではなく本気で苦しそうだ。対して鈴谷は、実に涼しげである。鈴谷は自身が頼んだミックスジュースのストローに口を寄せ、吸った。喋って喉が渇いたのかもしれない。が、阿武隈は尚更喉が渇きそうだ、と思って目を逸らした。阿武隈は、こほん、と咳を吐いて二人の視線を自身に誘導してから、

 

「まぁ、出てこない、から出てくる、になったんだから、ここからどう攻めるかよね?」

 

 そう言った。その阿武隈の言葉に、霞と鈴谷はテーブルに身を乗り出し同時に言った。

 

「それ!」

 

 

 

 

 

 

 偶々、本当に偶然三人は廊下ですれ違い、何故か三人で甘味処へ来る事になった。何故、どうして、と思いはするが、どこか本能的な部分が恣意的に動いていた。当人達の意識を無視して。

 ただ、こうやって話をしてみると、なるほどとも彼女達は思った。

 

「誰か、何か案は?」

 

「もう一回宴会やろうって話があるけど、金剛にやられた提督が釣られるかなぁ?」

 

「あれはもう金剛も反省してるし、掘り返しちゃわるいって」

 

 つまり、三人とも現状に満足していなかったのだ。

 折角執務室から出てくるようになったのだ。ならもっと提督に色々と見てもらいたいこと、一緒に見たいものがある。それはこの三人に限らず思うことであったが、ここに居る三人娘はいざと言う時直ぐ動ける為に下地――作戦を用意しておきたかったのである。

 

「無難にいけば、暇しているだろう時間にお邪魔して、工廠とか港に誘い出す……かなぁ?」

 

「いやむりっしょ。それ人通り多いから見られて協定違反って言われない?」

 

「じゃあ、どこか人通りの少ないところへ連れ込めばいいのね?」

 

 霞の言葉に、鈴谷と阿武隈は目を合わせた。そのまま、二人して顔を真っ赤にして霞を睨む。その二人の相によからぬ物を感じた霞は、暫し考え込み……はっと顔を上げてこちらも同じように相を真っ赤に染めて口を大きく動かした。

 

「ば、ばか! ばかばか! あ、あたしからそんな事しないわよ! 馬鹿じゃないの!?」

 

「あぁ、されるのはいいんだー」

 

「迫られるのはありなんスかー霞さーん」

 

 結果、霞のそれは鈴谷と阿武隈を煽っただけで終わった。霞は涙目で残っていたみたらし団子を口へ運び、二人を睨みつける。涙目の相に常に迫力などかけらも無く、鈴谷と阿武隈は流石にやり過ぎたかと苦笑を浮かべた。

 

「じゃー、和んだところで再開といきましょー」

 

「ですねー」

 

「あんたらいつかぶっとばす」

 

 決して室内の空気は和んではないが、阿武隈と鈴谷は気付かぬ振りで払拭に取り掛かった。

 

「結局、誰にも気付かれずに提督を自分の陣地に運ぶってのが大事な訳っしょー……」

 

「いや、そんなの無理じゃない?」

 

「あはははは、だよねー」

 

 と話していた三人のうち、突如鈴谷と霞が真剣な相で阿武隈を見つめた。

 

「え、え……な、なぁに?」

 

 真剣な相、と言うよりはもう親の仇を見る様な二人の双眸に、阿武隈は逃げ腰だ。が、それを許さぬものが居た。鈴谷だ。彼女は一瞬で阿武隈の肩をつかみ、真正面から阿武隈の目を覗き込んで呟く。

 

「抜け駆け……しないよね……?」

 

 普段の軽い調子ではない。完全に命を刈り取る者の声音と相だ。常は軽い感じの、所謂今時の女性を装った鈴谷が見せたやたらに重そうな呪怨的顔に、阿武隈はただ黙って頷くしかなかった。

 鈴谷から解放され、肩で息をする阿武隈のその上下する肩に、再び誰かが手を置いた。誰かが、などというが、阿武隈にはよく分かっていた。ここには三人しかいないのだ。

 阿武隈はゆっくりと顔をあげ、肩に手を置いた人物に視線を向ける。そこには阿武隈の予想通り、霞がいた。笑顔の霞が。ただ、目がまったく笑っていない。その霞が、何かを確認するように阿武隈に対して首を傾げて見せた。ハイライトも無い瞳で、じっと見つめて。阿武隈は必死に、何度も頷いて、また解放された。第一水雷戦隊旗艦として、阿武隈自身どうかと思わないでもないが、怖いものはこわいのだ。

 

「さて」

 

 手を軽く打ち、鈴谷は常の相で二人へ目を向ける。霞は片眉をあげてその視線を受け止め、阿武隈は平静に戻ろうとして胸を押さえながら視線を迎えた。

 

「んじゃあ、続行しましょうかー」

 

 

 

 

 

 

 

 結局、まともな答えなどでないままそれは終わった。二人と別れ、阿武隈は軽巡洋艦娘用の寮へ足を向けながら、話題の中心となった出てこない提督を、もやもやとした胸の内で思い出していた。

 特に有能な提督ではなく、目を惹くような特技を持つ提督ではなく、人を驚かせるような戦術も戦略ももっていない、ただの提督である。

 しかし、そんな凡人をここの艦娘達は求めてしまっている。そのぬくもりと、存在を。純粋な男女の愛である艦娘も居れば、友に対する愛もあるだろう。触れ合いたいといっても、その指先に宿る温度は思いの分だけあって様々だ。

 それでも、求めている事に違いは無い。阿武隈は提督の顔を脳裏に描きながら、さて、それは何故だろうと考え始めた。

 

 戦術にはまったく口を出さない。これは艦娘達を信頼していると考えても良いだろう。

 編成にもあんまり口を出さない。これは今も昔も編成自体に大きな変化がない事も理由の一つだろう。

 阿武隈がかつて艦であった頃、艦長であった者たちや有能であった者達を思い浮かべ、比較した。今の阿武隈の提督の能力は、底だ。誰にも比肩しない。出来ない。劣りすぎている。

 そんな事を思っても、歩く阿武隈の相は笑顔だ。確かに、能力を比べれば凡人の提督はまったく駄目であるが……

 

 ――そこじゃ、ないもんねー。

 

 それではない。彼女達が彼を提督と、司令と、司令官と認めたのは、能力ではない。海の男を見慣れた艦娘達にとって、提督となった男は当初珍しいのが提督になった、と遠巻きに見ているだけであった。だが、男は凡人ながらに海域を効率よく解放し、武装を整え、資材をそろえ、艦娘達を自身の配下におさめた。彼女達が疲れたと思えばすぐに下げ、危ないと思えば海域の解放一歩前でも撤退した。犠牲無く、無駄なく、彼女達は今この凡人が指揮する鎮守府に在る。

 ただ、今まではそれだけだった。阿武隈にとっての最後の楔は、ただ一つの言葉だった。

 

『おかえりー』

 

 気の抜けた、そこに在るだけの提督が発した、帰還後の言葉である。

 阿武隈は、その言葉が自身に対して発せられたのだと理解したと同時に、貫かれた。ただの凡人の言葉、たった一つに、だ。

 艦ではなく、少女の体と心を持つ理由と意味を。触れ合う為の体は、分かり合うための心は、傍にある温もりに寄り添い、守る為にあるのだと。

 

 ――やられてるなぁ。

 

 戦うものとして、思考が偏るのは誉められた事ではない。だが、正解ではないかもしれないが、彼女はそれを過ちだとも思えなかった。提督の為に戦うと決めた時から、阿武隈の在り方はより鋭く、より硬くなったからだ。

 第一水雷戦隊旗艦。提督の盾達の中で将旗を掲げる彼女であるなら、鋭く硬くあってなんの問題があろうか。

 

 ――本当にもう、やられているんだなぁ。私は。

 

 判然とした想いであり、確固たる慕情であった。

 それでも、もやもやとした胸のうちは晴れない。友愛、情愛、様々な艦娘達の思いの中で、皆が皆どうしたものかと彷徨っている。断られたらどうしよう。嫌われたらどうしよう。受け入れられなかったら、捨てられたら。そんな事ばかり誰もが考える。

 海の上では勇敢な艦娘でも、陸の上では悩み多き少女でしかない。

 

 ――あぁ、いっそ。

 

「いっそ、霧の中を進んで、抜け駆けしちゃおうか」

 

 そんな事を呟いて、阿武隈は空を見上げた。




なお神通さんも参加資格があった模様
ヒント、髭


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27話

「ふーむ」

 

 提督は手に在る新聞――青葉通信に目を落としたまま唸った。特に意味のある唸りではない。ただ書かれている情報を頭に入れていると自然に出た物である。

 この鎮守府が大きな変化を迎えたように、他の提督の鎮守府や警備府も変わってきている。特に目に見える変化といえば、やはり最近終えた特別海域の事だろう。

 提督は青葉通信の末頁を読みながら、あるところで目を止めた。各青葉達の提督による近況報告、と言うよりはレス返しコーナーとなりつつあるところだ。

 

 今提督の手に在る青葉通信の前号に、提督は初めて近況を報告した。この世界の住人となって、艦娘達の提督としてある為に、同僚達と繋がりを持つべきだと思ったからだ。社会人になれば嫌でも分かるが、横の繋がりは上下の関係とは違い切れない。切れにくい、いうべきか。上司は味方であり敵であるが、様々な事情で交代する場合がる。部下は仲間であり駒であり敵でもあるが、これも様々な理由で自身の下から去る事がある。

 が、横はなかなか消えない。自身が昇進しようが、同期が昇進しようが、だ。特に十年も二十年もすれば、少なくなった同期などもう一人の自分の様にすら感じるだろう。

 

 貴様と俺とは同期の桜、と人は歌うが、脳裏に描いてみると良い。二十年後、その桜がまだ隣で咲いているのか、散っているのか、そもそもその樹すらあるのかないのか。

 同期とは、付き合い方にもよるが宝である。切磋琢磨するも、嫉妬するも、仰ぐも、隣に居た者であるからこそ一入だ。

 

 そういった存在を、提督はここで作る決心を固めたのだ。嫌な言い方をしてしまえば、自身の鎮守府が何がしかの不都合に巻き込まれた時、手を差し伸べてくれる相手を作る事にした。当然、彼自身も手を差し伸べる立場にもなるだろうが、それもまた貸しになる。いつか返してもらうのだから、不都合は無い。

 兎に角、提督はさしあたってここでのデビューを考えた。

 

 ――まぁ、だからこそちょいと斜めってみたんだけども。

 

 主婦の公園デビューの様なものだが、どこか無遠慮に見下ろしていた世界に足を踏み込むというのは、なかなかに難しいようだ。素直に出るにはこの鎮守府は少し人の目を集めすぎた。かと言って澄まし顔で出るには上が多すぎて申し訳ない。そこで、彼は考えた。

 ネタで濁そう、と。

 

「瑞穂のお弁当が美味しすぎて辛い」

 

 提督は、この水母艦娘はそうそう他の提督の手元に居ない筈だと予想して少しばかり煽りつつネタに走ったのである。これに対するレスもまた、だいたい提督の予想通りだった。

 

「死ね。氏ねじゃなくて死ね」「そんな艦娘いないし」「やだ、あの鎮守府やっぱりこわい」「おまえのとこの戦闘機の妖精パイロット、全員ボナン副操縦士になる呪いかけたわ」「写真でいいんでお願いします」「お前それグアノ環礁沖海域でも同じ事言えんの?」「たべりゅー」「お前それ比叡嫁の俺の前でも同じ事言えんの?」「お前それ磯風嫁の俺の前でも同じ事言えんの?」「うちの飛龍が大人四人前くらい食べられないと紹介できないとかいいだしたんだけど、これ多聞さんくるの? ねぇこれ人殺し多聞丸さんくるの?」「にゃー」

 

 ネタにネタで返して来たのである。

 

 ――いや、ネタの筈……だよなぁ?

 

 ネタでないとしたら周囲の鎮守府もちょっとあれである。

 

 何か怨念じみた物が滲んで見えるコメントもあるが、気のせいだと提督は思い込む事にした。あとその飛龍さんは目にハイライトがあるか無いかで大分対処方法が変わるから、と今度レスする事に決めていた。

 提督は青葉通信を末頁から一面記事へと戻し、そこにある見出しを視界に納めた。

 

 江風海風着任、国家の大慶也。瑞穂之真に在るものや? 空母機動艦隊、速吸と風雲へ拍手喝采の大歓迎。対空の要照月、鎮守府着任セリ。リベッチオはぁはぁ。

 

 などの見出しに目を通し、提督は天井を仰いだ。この際、周囲の鎮守府の大分あれなところは無視して確りと考えようと提督は目を瞑った。

 今回、提督は海域最深部までの進攻を控えた。彼にとってここはまだ未知の部分が多い。前と同じように進めて、轟沈したなどとなれば当人にも、そしてこれまでやってきた仲間達――艦娘達にも死んでも詫びきれなくなる。だから、提督は適当なところで切り上げた。それでも、彼はここでは着任一ヶ月未満の提督だ。提督の今回の働きは、そんな新人が上げられる様な戦果ではなく、十分異例の事態であった。

 しかし、提督は目を開けて天井を見たまま考え続けていた。

 

 提督の経験で言えば、夏は大型のイベントが来る。そして提督の感覚が正しければ、今回の特別海域はまさに大型のイベントそのものであった。そんな中、限られた提督しか擁しないこの世界でも、最深部まで進攻し照月を迎えた提督が存在するのだ。我知らず、提督は拳を握り締めた。何千、何万の提督がいる世界ではない。百いるかどうかの提督達が、攻略ウィキでの緻密な情報交換をするでもなく、手探りで暗い海をかき分け照らした。

 

 ――そうだ、だからなお更同僚が必要だ。

 

 この世界を感じさせてくれる、この世界を当然に理解している、この世界の提督の知己と助けがこの世界に馴染もうとする提督にはどうしても必要だった。

 ここはもう、彼の知るゲームの世界ではない。提督の采配一つで艦娘は死ぬ。例え同名同型の艦娘を建造し邂逅しようと、それは別人だ。彼が前の世界から愛した艦娘ではない。

 

 思考の渦の中で肺に溜まった熱を逃すため、提督は一度大きく息を吐いて周囲を見回した。

 常の執務室で、そこにはいま提督以外誰も居ない。

 秘書艦である初霜は瑞穂の遠征を手伝いに出ているし、秘書艦代理の大淀も開発の為席を外している。狭くも無く、広くもない。そんな執務室で一人もう一度息を吐いて、提督は目を閉じ――

 

 ノックが執務室内に響いた。

 提督はドアへ目を向け、頭をかきながら声を上げた。

 

「どうぞ」

 

「提督、ただいま戻りました」

 

「うん、おかえり」

 

 提督の言葉に、普段余り見せる事もない無防備な笑みを向け大淀は頷いた。彼女は手に在る書類、大淀がサポートした妖精との開発結果が書かれたそれを、提督に差し出した。受け取った提督は、手に在る書類を見つつ、しかし考えているのは先ほど見せた大淀の笑顔だった。

 

 ――ここの子はなんだろうね、まぁ綺麗に笑うもんさなぁー。

 

 艦娘にもよるが、提督が挨拶した際嬉しそうに笑う娘は多い。提督も男であるから、若く見目麗しい少女や乙女達の笑貌に胸動かぬ等という事は無い。凡人である提督は、美的感覚も極めて普通だ。愛らしい、と言うよりは凛々しく、清潔感をまとった美少女である大淀に胸の一つや二つ高鳴ると言うものだ。

 だが、である。

 

 ――女だらけの職場で、男が一人なんだよなぁ。

 

 女、という生き物は男の視線や情動に鋭く、敏感だ。一人の、或いは少ない職場の男が誰か一人を優遇すれば、僅かな事でそれを察知し優遇された女性を集団で避け始める。そうなると、一番不幸になるのは優遇された女性だ。

 短い社会生活でも、そんなものは提督には確りと見えていた。男は上を見て格差に嫉妬するが、女は隣を見て僅差に嫉妬するのである。無論、個人差はあるだろうが、世間を見ていればよく目に入ってしまうのも事実だ。昔の偉人などはそんなさまを見て、小人と女は度し難い、と良く書き残したわけである。

 

 提督とて、ここに居る艦娘達がそうであるとは思っていない。思いたくも無い。多くの人は近しい人には小人であって欲しくないと思っている筈だ。しかし、それでも提督が一人、二人を特に贔屓する事で誰かが不幸になる事態が起きないと証明できる物も無いのだ。絶対なんてものは絶対無い。ゆえに、提督はなるべく大淀に悟られぬよう平静を装った。

 

「で、今日は……あぁ、ペンギンと――あのよく分からないの」

 

 戦闘機開発の時とは違い、大本営から命じられている一日四回の兵器開発だ。提督は気負った様子も無く能天気な相で大淀に顔を向ける。

 良く分からない物、と提督は言ったが、本当に良く分からない物なのだ。綿のようであるが綿ではなく、ぬいぐるみの様でぬいぐるみではない。触ってみれば生暖かく、脈打つように蠢いていも居る。もしやと思い一時間ほど監視した際には、モルスァ、と鳴き出したので、提督も、キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!!! と返した後焼却処分したのである。提督にとっては、比叡カレー、磯風ご飯に並ぶ謎物質である。

 

「はい、あのよく分からない物です。一応処分しておきましたが……」

 

「うん、まぁ、駆逐艦の子とかが欲しいと言ったら、絶対阻止してね。なんか変な進化とかしたり悪霊化したりしたら大変な事になるんで」

 

「はい、承知しております」

 

 案外ありそうな事を気の抜けた貌で口にする提督相手にも、大淀は綺麗な一礼で応じる。提督はそんな大淀に苦笑を浮かべ、手に在った書類を机に置いた。

 

 それを見ていたのか。大淀は書類が置かれた執務机、その上に置かれていたもう一つの紙面、青葉通信を眼鏡に映して提督へ顔を向けた。

 

「提督、青葉さんから聞いたのですが、前の号でコメントを出されたとか……?」

 

「うん、そうだけれども?」

 

 それがどうした? と問う提督の目に、大淀は少しばかり躊躇したあと小さく口を動かす。

 

「その、今まで外との接触を絶たれていた提督が、どうして……と思いまして。至らぬ者で、申し訳ありません」

 

「あぁいや、引きこもってたのはただの事実だし、特に君達にも説明してなかったからね」

 

 提督は頭をかいて、肩をすくめた。机の上に置かれた新聞へ目を落として溜息混じりに零した。

 

「やっぱり、いざという時に横の繋がりが欲しくなってね。今更だけど、損得勘定込みの友誼も求めてみたくなったわけだ、僕なんかでもね」

 

「提督……」

 

 その提督の言葉に、大淀は深く一礼する。提督がそうする理由の一つに、自分達の事も含まれるからだと理解したからだ。流れ落ちようとする涙を隠す為、また心からの感謝の為、大淀は海軍式の敬礼ではなく、ただの女として深く一礼したのだ。

 そんな大淀の心底までは見えなくとも、心の篭った礼を受けた提督は慌てた様子で口を動かし始める。

 

「あぁ、まぁ、それにほら、僕だって飲み友達とか、愚痴りたい同僚とか欲しいってモンで、何も全部が全部仕事で義務って訳じゃないんだ」

 

 慌てた調子の提督が微笑ましいのか、気遣いが嬉しいのか。大淀は指で目尻に溜まった涙を拭うと、くすりと笑って頷いた。

 

「そうですね、提督もご友人を作られるべきです。ただ、悪い遊びを教えるような友人は、必要ではありませんが」

 

「うん、そうですねー」

 

 朗らかに笑っていたはずの大淀の相が、後半辺りから何故か淀んでいった事に提督は戦々恐々と応えた。その空気を入れ替えようと、提督は特に何も考えず今後の事を口にした。

 

「それにまぁ、こっちで提督続けるなら、今はともかく、十年二十年もすればやっぱりお嫁さんとか欲しいし、そういうの紹介してもらう伝も、同僚とか上司から貰えたらなー、と」

 

 この辺りが、まだ彼がこの世界に馴染んでいない甘さとも言えただろう。

 大淀は提督の言葉にきょとんとし、口元に手を当てて首を傾げた。

 

「お嫁さん……ご結婚ですか?」

 

「うん」

 

「……山城さんは、"第一旗艦"ですよね?」

 

「お、おう?」

 

 大淀の口から突如山城――提督のケッコンカッコカリ艦娘の名が出た事に、提督は少しばかり身を竦めた。ただ、それは彼にとってゲーム上の仕様の一つであり、限界突破の為のシステム上の……艤装の強化だと思っていたのだ。勿論、山城との間に特別な何かがあることは、提督も理解していたが、申し込んだ際山城からお断りされているのも事実である為、深い意味のある物だとは思っていなかったのだ。

 ただ、提督はそれ以上に大淀の言葉に何か違和感を覚えた。

 

 ――確かこれ、前に加賀さんの時にも……。

 

 そう思った提督は、大淀へ問いかけた。

 

「ごめん、今なんて?」

 

「……? 山城さん?」

 

「じゃなくて、山城さんが?」

 

「……あぁ、"第一旗艦"ですか?」

 

 加賀は、第一艦隊旗艦、と山城をいい、大淀は第一旗艦と山城を言った。ただ、その中で同じ部分が提督にとって妙に引っかかって聞こえるのである。

 

「あぁ――えっと、その……」

 

 んん、と腕を組んで首を傾げ始めた提督をちらちらと見ながら、大淀は忙しなく眼鏡のフレームを触りつつ早口で言った。

 

「他の誰かが第二旗艦や第三旗艦になる事もあるでしょうから、私はそのまぁ別に大丈夫です。指のサイズも今度報告しておきますのでご安心ください。他にもお嫁さんが欲しいと言われるなら、はい、確りと皆で準備しておきますので少しばかりミーティングをしておきたいので失礼致します」

 

 言い終えると、大淀は口調同様すばやく敬礼をして執務室から出て行った。

 提督は暫く大淀が出て行った扉を見つめた後、呆然と自身の左手を見た。彼の目に映るのは、長年共にあった手があるだけで、他には何も無い。そう、なにもない。

 決して、薬指に銀色の指輪などない。

 

「……え? 他のお嫁さん?」

 

 ぽつりと呟いたはずの声が、提督の耳には何故か酷く大きな声に聞こえた。




ファー…ブルスコ…ファー…ブルスコ…ファ-

まぁ実際には嫁、という時を、き、とは読まないのですが、まぁニュアンスと言う事で。


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28話

「では、お手元の資料をご覧ください」

 

 その言葉に、室内に居るほとんどの艦娘達は資料とやらを手に取った。

 遠征終了後、大淀に引っ張られるように会議室まで連れて行かれた初霜も、釈然としない相ながらも資料を手にとっていた。厚みはない。精々十枚あるかどうかの代物だ。

 であれば、そう大した事でもないのだろうと初霜は考えたが、その自身の思考に素直に頷く事は控えた。

 初霜は室内に居る、自身と同じように訝しげに資料を見る者、または事情を知っているのか、熱心に手元の資料を見つめる者、そういった同僚達を流し見て、心中穏やかならぬ溜め息をついたのだ。

 

 鎮守府のまとめ役、長門。秘書統括とも言うべき大淀。一水戦旗艦阿武隈、二水戦旗艦神通、三水戦旗艦川内、四水戦旗艦那珂、第一艦隊の両目にして歴戦の龍驤と鳳翔。他にも、赤城、加賀、白雪、多摩、妙高、最上、高雄、古鷹、雷、暁等などといった一軍及び各艦種代表又は苦労人たちばかりが集められている会議室である。さらに初霜の隣には、俯いて親指の爪を噛みながら何事かぶつぶつと呟く提督の嫁艦山城まで控えているのだ。提督の秘書艦初霜までここに加えれば、会議室で今から行われる会話が資料同様軽い物であるとは、到底初霜には思えなったのである。

 さて、何か物騒な山城の隣に座らされた上、どう考えても楽観視出来ない会議の行方に肩を落とす初霜を尻目に、まとめ役の長門が席から立ち上がり腕を組んで周囲を見回した。

 

「さて、この度の提督重婚作戦の指揮をとる長門だ。よろしく頼むぞ」

 その意味不明な言葉に数名は首をかしげ、数名は頷き、数名は吹いた。初霜は当然首を傾げた側だ。様々な反応の彼女達を冷静に眺めたまま、長門は重々しく頷いた。

 

「事情を知らぬ者もいただろう。だが、兵は神速を貴ぶ。この作戦は速やかに発動すべしと私と大淀は考えた。驚いた者もいただろうが、許して欲しい」

 

「あぁ……いえ、良いんですが……」

 

 初霜と同じく、事情を知らなかった白雪が胸の前で小さく手を振っていた。そして、その隣に座る赤城は、落ち着いた顔で長門へ声をかける。

 

「それは、提督の御意志でしょうか? 事情を説明しないまま、事を運ぼうとはしていませんか?」

 

 その言葉に、長門と大淀は僅かに顔を強張らせる。それを目にした瞬間、数名の艦娘が体に力を込めた。阿武隈、暁、雷、初霜だ。特に阿武隈は顕著であった。彼女の相は普段のどこか甘さの抜けない末妹の相ではなく、完全に戦士の顔になっていた。

 

「落ち着いて下さい、一水戦の皆さん」

 

 宥めたのは、神通である。ただし、彼女の相も常の物ではなく冷たく険しい。

 

「まずは事情を。ただし、納得いかなければ、相応の覚悟をお願いいたします」

 

 阿武隈、神通の鋭い眼光を受けてなお泰然と佇み、長門は心身乱れぬ様子で口を開いた。

 

「確かに、提督はまだこちらでのケッコンカッコカリの意味を、私達とは違い理解しておられないようだ」

 

 提督は、理解していない。ただ、艦娘達は多少違う。

 彼女達はここに来た際、いや、ここで待機していた間にこの世界での自分達と同調していた。当然、その中で大淀のように、大本営から派遣された大淀と、提督の下に居た大淀が混じって暫し冷静に混乱していた者もいたが、それ以外は混乱無く馴染んだのだ。ゆえに、ある程度の事は理解している。例えば、初霜はここでの艦娘の在り方を提督に教えもしたし、青葉などは他の鎮守府の青葉と違和感無く、また違和感を覚えられない程自然にこの世界に馴染んでいる。

 

「だが――私は、これに価値を見出した。敵の弱い所をつくのが戦術であり、敵の知らぬ所から侵攻していくのが戦術だ。卑怯と罵られ様と、まずは勝つ為に進むべきだ」

 

 言いたい事は初霜にも分かる。敵に察知される前に奇襲する、というのは戦術上なんの間違いもない。常道だ。が、今回それを仕掛ける相手が悪い。阿武隈や神通などはやはりそこが気に食わぬようで、その双眸から冷たい光は消えていない。だが、流石にこの二人も次の長門の言葉で相を常の物に戻した。

 

「私が第二嫁艦に推したいのは、鳳翔さんだ」

 

 鎮守府のまとめ役をして、さん付けされる鳳翔は、その言葉に目を丸くした後固まってしまった。脳まで言葉の意味が届かないのだろう。そんな鳳翔を放置したまま、長門はまだ続ける。

 

「あるいは、古鷹、夕雲、雷……そうだな、あとは新参ではあるが瑞穂もいいだろう」

 

 長門の上げる艦娘達を脳裏に描き、皆が頷いた。長門の言いたい事が分かるからだ。そして、判然としたからだ。長門は提督を守るつもりだ、と。

 長門以外の全員が、初霜の隣に座る航空戦艦に目を向ける。そこには未だ親指の爪を噛みながら孤影悄然の山城だけが居た。

 どう見ても、誰が見てもホラーである。そこに癒しの要素はまったく無い。ために、皆長門の上げる艦娘達へ反対意見を出さなかった。ただ、名を出された艦娘で現在この会議室にいる者達といえば……鳳翔は固まり、古鷹は俯き、雷はドヤ顔で胸を張っていた。実に様々である。

 

「私は、やはり前例がある、という意味で白雪さんと赤城さんです」

 

 長門の隣に座っている大淀の発言に、一部を除いた艦娘達が首を傾げた。その様に、今度は大淀まで首を傾げる。やがて彼女は何か思い至ったのか、手を、ぽん、と叩いてまた発言する。

 

「私はこちらの、大本営の大淀を取り込んだので知っているのですが……私達の世界でも、このお二人は大本営から与えられるのですが、実はこちらでも同じなんです」

 

 彼女達がここに来る前に居た世界では、任務の報酬という形でこの二人は鎮守府に与えられていたが、それはこの世界も同じである。ただし、この世界においてはただの報酬、という訳ではない。大淀が言うように、前例、なのだ。

 

「このお二人は、結婚された提督と子を残しておられます」

 

 その言葉に、皆が言葉を失った。当人――というよりは同族同艦である白雪と赤城は勿論、固まっていた鳳翔や、俯いていた古鷹やドヤ顔っていた雷もだ。

 それほどの衝撃であった。彼女達がかつていた世界において、提督と艦娘の間に子が出来たと言う話は決してなかった。在りえなかったのだ。

 不確かで、触れも出来ない相手とどうして子を生せよう。ケッコンカッコカリというシステムはあっても、触れられない互いの温もりはあまりに一方通行だったのだ。通わなければ、生す事もできないのは当然である。

 

「あああ、あぁ、その、その、それで、その提督や艦娘や子供は……?」

 

 普段は自身を崩す事が少ない赤城が、何とも言えない相で大淀に続きを促した。隣の白雪は、真剣な顔で何度も頷いている。大淀は眼鏡を光らせて応じる。

 

「子を生されてからは一線を引き、今はどちらのご夫婦も退役です。白雪さんのお子さんは、最近提督になられて雪風を建造され大本営から一目置かれています。赤城さんのお子さんは、此方も提督になられて、特に空母運用に長けておられるようですね……最近の特別海域でも奮闘し、照月を迎えたと聞いております」

 

 ゆえに、大本営はこの二人の艦娘を提督の下へ配属させる。それが人類の為になるからだ。

 あぁそれと、と大淀は続ける。

 

「最近ケッコンカッコカリをした飛龍さんによく食べ物を口に放り込まれているという情報が青葉さん経由で来ています」

 

 そこまで聞いてから、長門が目を閉じ大淀に問うた。

 

「それで……その退役された提督達は、重婚はしておられたのか?」

 

「はい。どちらも100人以上の嫁艦がおられます」

 

 その二人の言葉で、会議室に完全なる沈黙が舞い降りた。そう、山城でさえ黙ってしまったのだ。……いや、良く聞けばやはり口が動いていた。

 運悪く隣にいた初霜は、偶然その声をきいてしまった。

 

「どうして……どうして……なに? 山城が出る幕はもう無いというの……? どういうことなの……? ……不幸だわ……あぁ、そうよ……たとえあいてがねえさまでも……」

 

 初霜は慌てて耳をふさぎ、そこから先を遮断した。姉妹の愛憎劇など、ドラマや本でしか見たくは無いからだ。そもそも初霜にとっては、ドラマや本でも進んで目にしたいジャンルではないが。

 

 長門は腕を組んだまま、仁王立ち姿で目を開ける。

 

「聞いたとおり、ここでは珍しい事ではない。だからこそ、提督には急ぎここのルールに馴染んで貰いたいと思っている」

 

 その上で、長門や大淀が選んだのが前述した艦娘達であった。そこに、長門と大淀の在り方が良く見える。長門は第一嫁艦が少しばかりジャンル:ホラー寄りであるため、癒し要素を第二嫁艦に求めた。自身を推さずに、泰然自若と構えて、だ。例え自身も嫁艦になりたいと思っていても、長門はそれを見せず、感じさせない。これが鎮守府のまとめ役の二番手である金剛であると、血涙を流しながら長門と同じ人選をしただろう。そこがこの二人の明確な違いであった。

 

 ちなみに、金剛は現在大和と比叡と榛名と霧島と陸奥と扶桑と伊勢と日向とイタリアとローマとグワットにおさえつけられている。この会議室に戦艦娘が長門と山城以外いないのは、これが原因であった。

 

 さて、片や大淀であるが。これは彼女の情動が理性よりであることを示している。流石に感情を全て殺して、とまでは行かないが今後の事も考えて発言しているのだろう。提督はこの世界の人間として生きていくと決めたのだから、そのために必要なのは家庭である。ならばその環境の為と前例をもつ二人を推したのだ。

 

「私達としても、強化できる上に繋がりも今以上に持てるってのはいいけどさー」

 

「でも那珂ちゃんはちょーっと反対かなー」

 

 川内、その妹である那珂が口を開き、神通が比較的穏やかな相で頷いた。長門はその三人に目を向け、続けろ、と目で促す。川内がそれに首を縦に動かして応じた。

 

「急ぐ事は無いと思うんだよ、人の一生は夜戦じゃないんだ。ぱっと輝いて一瞬で水底へ沈む物じゃない。私は、提督にはもっと穏やかに、ゆっくり在って欲しいね」

 

「そうだよ、それそれ。急いで売れたアイドルは、一発で消えちゃうからねー。那珂ちゃんとしては、提督にはそんな風になってほしくないなー」

 

「そうそう、那珂の言うとおり、慌ててやる事はないと思うのよ。十年二十年見て行けばいいって。たとえ今が戦争の時代でも、私達がしっかりと守れば時間的余裕だって生まれるだろうし」

 

 発言する二人と、それに頷く二人。川内と那珂の意見に、神通は勿論のこと、阿武隈まで賛成している様であった。長門は彼女達から目を離し、周囲をぐるりと見渡した。

 水雷戦隊は、全員その意見に賛成の様であり、古鷹や鳳翔等も賛成の意がその相から見てとれる。他の者達は殆どがどうしたものかと思案顔であり、山城はやはり俯いたままで、加賀は常の相で佇むだけだ。

 その加賀に、何かあるのではないか、と長門は感じ声をかけた。

 

「加賀、何か意見は?」

 

「そうね……」

 

 加賀は小さく頷いて席から腰を上げた。

 

「私は赤城さんと同じね。まず提督にしっかりと説明すべきだと思うわ……その上で、あの人が選んだ事に沿えばいいんじゃなくて?」

 

「……このまま、進むべきではないと?」

 

「あの人は、倒すべき相手でも、私達が戦術的行動、戦略的行動で翻弄していい相手ではないでしょう? それに、私達だけ納得しても仕方ないのではないかしら?」

 

 アドバンテージ、イニシアチブ。そういった物を握って向こうに回すべき相手ではないと、加賀は言ったのだ。たとえそれが守る、癒す、そういった目的であっても、片方だけで話を通せばただのわがままにもなるからだ。その言に、長門は眉を顰めた。

 

「……言ってはなんだが、あの人は本当に凡庸だぞ。今決めてしまえば、後々有利に事を運べるじゃないか。それが、追々あの人の為になる筈だ。戦力の増強にもなるのだから」

 

 加賀は、長門が口を動かしてるその間も、じっと相手の目を見ていた。その加賀の目には、長門の瞳の奥底に宿る猛る炎が見えていた。鎮守府のまとめ役、艦娘のトップ、常に自分を殺して皆の意見を拾う、そんな長門らしからぬ情が、加賀にはよく理解できた。ここに来て、語り合う事が出来た、触れ合う事が出来た、愛する事も、愛される事も可能な現状が、今が、彼女を曇らせ焦らせている。加賀は長門からわずかばかり視線を外し、初霜を見た。見られた初霜は、苦笑いで頷くだけだ。

 

 ――この場で提督に対して冷静なのは、初霜と私だけね。

 

 どちらかと言えば内では激しやすい加賀は、自身がここで冷静な事を不思議な物だと思いながら、溜息交じりの声を上げた。

 

「例えば……」

 

「?」

 

 怪訝そうな長門を無視して、加賀は続ける。

 

「この場にも数名居るけれど、絶対に怒らせてはいけない艦娘が居るでしょう? 高雄、古鷹、妙高、龍驤、鳳翔さん、吹雪、初霜、那珂、赤城さん、扶桑……この辺りは鉄板かしら」

 

 実際、この面子は鎮守府における各艦種代表であり相談役のようなものだ。そして普段おとなしく、また笑顔ですごすがゆえに切れにくい。が、何かの間違いで一度切れれば容易な事では止められないのである。また、名は挙がっていないが神通や阿武隈は自身の感情のコントロールに長けており、海上と陸上での切り替えがスムーズに行える為、怒らせてはいけない、という艦娘の中には入らない。ただし、訓練中の神通に近づくな、護衛中の阿武隈に触れるな、という暗黙のルールはある。

 

「さて……代表として一人……そうね、妙高」

 

「はい?」

 

「あなたに聞きたいのだけれど、あなたなら、この鎮守府で誰が一番、怒らせたら怖い?」

 

 問われた妙高は加賀をじっと眺めてから、長門に目を移して俯き……暫し黙った後、口元に手を当てて肩を振るわせ始めた。そんな妙高を長門は黙って見つめ、加賀は小さく頷いて

 

「あなたが一番怖いと思った人、長門に伝えても?」

 

 言った。隣の高雄に背を撫でられていた妙高は、真っ青になった相で頷いた。

 艦時代を含め、この鎮守府でも燦然たる武勲を持つ歴戦の艦娘が見せた青い相である。誰もがいったい誰を脳裏に描いたのだと慄いた。そして自然、答えを知っている様子の加賀に目が向いた。

 

「……で、誰だ?」

 

「……簡単でしょう?」

 

 加賀はゆっくりと口を開いた。

 

「提督」

 

 その言葉に、皆は一瞬首をかしげ、暫し思考に沈み――顔を青くした。

 極楽トンボの凡人提督であるが、それゆえに艦娘達は彼の怒り狂った相など知りはしない。知りはしないが、想像は出来た。普段おとなしい人ほど、一度火を吐けば恐ろしいものだ。それは、人も艦娘もない。そう、ないのだ。

 極楽トンボの、凡人が、どの様に火を吐き、どのような言葉をたたきつけるかなど、誰も確りと描けはしない。

 しかしそれでも……

 

「なるほど……これは……駄目だな」

 

 長門などは、提督の怒った相をまず脳裏に描けなかった。描けなかったが、それより二つ三つ下の相は想像できてしまった。落胆、失望、そんな相の提督だ。彼女はそれだけでもう駄目だった。建造され、まみえ、提督の指揮の下海上を奔った。特別海域よりも通常海域での火力として期待されていた長門は、当然とその期待に応え、応えた分寵愛も得た。触れなくても、語り合えなくとも、だ。その存在が自身に価値を見出せない、裏切られた、そんな相を見せただけで、長門の足元は簡単に瓦解した。立ち位置が崩れさり、ただ自身の意味がなくなった事だけが長門にははっきりと分かったのだ。

 ただの想像一つで。

 

「私も……長門と大淀の挙げた人選に文句はないわ。でも、これはまず提督に話すべきよ。後でうらまれ、怒られてもいいというのなら……どうぞ。ただし、私は知りません」

 

 加賀の言葉に、皆一斉に頷いた。いや、一名を除いて。

 

「まず、嫁艦は一人でいいと思わないの……?」

 

「あなた、提督を普段から労わっていて?」

 

 加賀の言葉に、山城は黙り込んだ。少なくとも、山城に癒し要素を見つけるのは難しい。

 そんなことは当人も一応理解はしているのだ。

 

「普段からホラージャンルを鑑賞しているなら、偶には料理番組なども見たいでしょう、提督も」

 

「なに、ホラージャンルって何……? 私そういう扱いなの?」

 

「分かりました、もう少し表現を提督よりにしましょう……貴方リ○グとかで井戸の中から這い出ていなかったかしら?」

 

「なにそれ……私ホラーとか怖くて見ないんだけど……」

 

「あなた自身がホラーなのに?」

 

「やだ、姉さま私いま凄いナチュラルに喧嘩売られてるわ……そ、そんなに私ホラーなの……?」

 

 加賀は、いや、誰もが山城から目を逸らして黙り込んだ。周囲の反応を目にした山城は、再び俯き親指の爪を噛み始めた。

 

「不幸だわ……」

 

「本当は幸せなくせに」

 

 山城の左手の薬指にある銀色の光を見ながら、誰かがそう言った。




一応後日談の短編なので、ケッコン話はこれで一旦終了。
長い連作だと番外にした意味がないんで。


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29話

 ドアを開けて、大井は顔を顰めた。

 大井が今扉を開けて入った部屋は、提督の座す執務室である。外へ出るようになっても、結局提督は執務室に篭りがちで余りここから出ない。出ないどころか――

 

「あぁもう提督……また布団を跳ね除けて」

 

 未だこの部屋で寝起きしている。鎮守府のトップが、である。一部艦娘達はやはり提督らしく私室を用意するべきだと提案したが、提督は提督で苦笑一つで首を横に振った。

 たったそれだけで皆がそれ以上何も言わなくなったのは、なるほど、提督こそがトップであると尚更大井に思わせた事でもあった。

 布団を跳ね除けた提督に歩み寄りつつ、大井は目を細める。

 

 ――あぁ、これは初霜、こっちは……山城。あとは金剛、この卵焼きのにおいは瑞鳳ね。

 

 鼻を微かに鳴らしながら大井は溜息を吐いた。室内に在る、提督以外の匂いだ。大井はこの執務室が好きだ。ここには提督の匂いが、温もりが一番色濃く在る。だが、同時にこうやって異物も混じるのが大井には酷く不安でもあった。

 この部屋は誰も拒みはしない。誰が来ようとも鍵も無い執務室は常に誰でも受け入れる。

 それがまるで執務室の主の様で、大井はそれが不安だった。彼女は夜中、そう、今執務室の窓から仄かに光る月の、星の灯りの下でしか提督と会わない。いや、会ってすらいない。

 眠っている提督の顔をデジカメにおさめ、少しばかり触れ、冷蔵庫の中身を補充するだけの片思いだ。

 

 負担になりたくない、素直になれない。だから大井は提督が起きている時間と、たまに在る出撃前の挨拶以外で執務室に入らない。

 

 ――どうせ私は、皆と違って提督と話が弾む事もないし……

 

 そう胸中で呟いてから、大井は背後へ振り返った。そこにあるのは執務室の扉である。ただ、大井が実際に見ているのは、その扉の向こうだ。

 

 ――あの人も、提督と話が弾むタイプじゃないと思うけれど。

 

 雑な気配の消し方をしている、提督からとある指輪を渡された航空戦艦を思い浮かべ大井はまた小さく溜息を吐いた。手に在る手提げ鞄からデジカメを取り出し、大井は提督の枕元に両膝をついた。室内にいるもう一つの気配に気付かず、安らかな相で眠る提督の顔を一枚、二枚、三枚、百枚とおさめ、大井は跳ね除けられた掛け布団をゆっくりと提督にかけた。

 

 ――あぁ、よかった。提督、今日もお元気そうね。

 

 かつて、提督が苦しんでいた夜があった。ただ静かに眺め、写真におさめるだけだった仄暗い夜の独りよがりな逢瀬が、あの夜から変わった。

 大井が触れた事で、提督の相から苦しみが抜けたのだ。大井にとって、それは救いであり免罪符であった。自身が居る事で提督が救われるなら、それは大井にとっても救いだ。自身がそこに在る事で提督が安らかになれるのなら、この夜の片思いは必要な事なのだと信じられる。

 

 大井は提督の頬に手を当て、ゆっくりと撫でた。安らかにあった提督の相が、その白魚の如き指に撫でられ更に穏やかになっていく。

 少なくとも、大井はそう感じた。それが大井の相を提督よりも穏やかにしていく。慈しみに満ちた相のまま、大井は提督の髪を撫でようとしてそれを遮られた。

 遮ったのは、言うまでもないだろう。室内には二人しか居ないのだ。

 

 ――え?

 

 提督だ。提督の手が、大井の手を掴んでいた。いや、それは掴むと言うよりは包み込んでいた、だろうか。未だ眠る提督の体は弛緩したままで、そこに力など込められていない。優しく、羽毛のような軽さだった。

 

 ――……え?

 

 それが不味かった。与えるだけで、与えられない大井の触れ合いだったのだ。この夜までは。提督からしたら寝たままの、意識もしてない仕草だとしても、それをどう受け取るかは大井の心に任せるしかない。

 大井は自身の、提督の手に包み込まれた手を見て、暫しじっと佇み……慌てて立ち上がり手提げ鞄を手にして去っていった。

 月と星だけの頼りない光では、その時大井の相が如何な物であったか判然と出来ないが、態々いう必要も無いだろう。

 

 大井が去ってからも執務室の傍にあった雑な気配は暫く佇み、一度室内を確かめてからその気配を夜の闇にとかして消えていった。白い着物を僅かに揺らしながら。

 

 さて、執務室である。提督は、少しばかり口を動かした後緩やかに目を開け始めた。掛けなおされたとも知らぬ掛け布団を緩慢にのけ、ゾンビの如く上半身を起こした。提督は開ききっていない目で周囲を見回し、壁にある時計へ寝ぼけ眼を向けた。

 

「……あれ?」

 

 提督が常に起床する時間ではない。眠っていた間に喉は潤いを失い呟いた声は枯れていた。自身の声と喉に水分が足りないと頭では理解出来ず、体の求めるまま提督は小さな冷蔵庫へよたよたと歩み寄っていく。

 あけた冷蔵庫から溢れ出たオレンジ色の明かりに、寝起きの細い目を更に細め、手探りでお茶を取り出す。冷蔵庫横にあるコップを手に取り、そこへお茶を注いで一気に仰いだ。

 

 ――寝直そうか?

 

 と提督は思ってみたが、どうにも何か足りなくて眠れない、と首を小さく横に振り、出した物をのろのろと片付けていく。壁にある電灯のスイッチを手探りで押し室内を明るくすると、提督は目を閉じて瞼を揉んだ。

 

 ――どうしたものか。

 

 と寝ぼけた顔でぼうっと考え始めた提督の耳に、ノックの音が飛び込んできた。特に何も意識せず、提督はそれに応じた。

 

「はいはい、あいてますよー……」

 

「なんや君、えらい時間におきとるねー」

 

 入ってきたのは髪を下ろし、愛らしい熊さんプリントの寝巻きを着た龍驤であった。手には懐中電灯がある。その懐中電灯を見るとはなしに見ていた提督は、ぼうっとしたまま首を傾げた。

 提督の視線と仕草で気付いたのか、龍驤は手に在る懐中電灯を振りながら笑った。

 

「まぁ、一応見回りってやつやねぇ。うちの鎮守府には必要ないかもしれへんけど、せやからって怠ける訳にもいかへんやろ?」

 

「せやな」

 

 特に考えも無く提督は返した。完全に条件反射である。

 ここは鎮守府、艦娘とそれを指揮する提督が座す陸へと続く海と空を守る一つの小さな世界である。幾ら平穏であるからといって、これからもその平穏が続くと勝手に思い込んで自滅するわけにはいかないのだ。ゆえに、龍驤などの索敵に優れた者が夜の警邏を行うのである。とはいえ

 

「でもおとうさんしんぱいだなー」

 

「おう、誰がお父さんやねん」

 

 提督の軽口に、龍驤は手の甲で何も無い場所を打った。いわゆるツッコミのポーズである。

 夜の警邏は大いに結構だが、その警邏に龍驤の様な……少女然とした艦娘までもが参加している事に提督は心配したのである。口調こそ軽かったが、根にあるのは心からの心配だ。

 それを感じられない龍驤ではない。彼女は提督に満面の笑みを向けて胸元からぶら下がっている物を取り出し、提督へ見せた。ホイッスルである。

 

「まぁ、安心してって。何事かあったらこれで皆を起こすって寸法や」

 

「ほほぅ……で、皆って?」

 

「せやなぁ……一水戦の皆はすぐ来るし、二水戦もまぁ、すぐくるなぁ……あと川内、那珂、山城、大井、妙高も即参上って感じやろか? ちょっと遅れて長良、球磨、矢矧、北上、木曾、高雄やね」

 

「夜戦火力ぱないっすね」

 

 名の挙がった艦娘達が艤装つけて砲雷戦を開始したら鎮守府が一つなくなるのではないだろうか、と寝ぼけた頭で考える提督に、龍驤は笑みを浮かべたまま頷いた。

 

「まぁうちは、珍しい時間に灯りついとるなーって来ただけやから、提督はよ寝ーよ?」

 

「んー……なんか、ねれそうなねれなさそうなー……」

 

 提督は寝癖のついた頭をふらふらと振りながら応じる。そこには常以上に無防備な提督がいる。龍驤は提督に近づき、寝癖のついた頭をそっと撫でた。

 

「君は、うちらのまとめ役っていう大事な仕事があるんやから、しっかりやすまなあかんねんで?」

 

「でもおとうさんしんぱいだなー」

 

「誰がお父さんやねん」

 

 寝ぼけた提督の言葉に今度は龍驤も突っ込みのポーズもとらず、彼女は自身の胸に提督の頭を抱き寄せた。先ほどの大井同様、慈愛に満ちた相で龍驤は寝癖を撫でる。

 

「まぁ……お父さんでもえぇけどね。うちらは、君がおるから頑張れるん。せやから、君はいつもの君でいたらえぇねん。しっかり寝て、しっかり食べて、しっかり働いて、しっかり生きてや」

 

「……ん」

 

 提督の耳に、人の心音が心地よく木霊する。人の心音は人を癒す。そこにある他者の温もりが、生きてある互いを繋げるからだ。求めれば分かる。抱きしめれば知る。どうしてこの人と一つになれのだろうと、心音を一つにしようと人は強く他者を抱きしめる。

 このときの提督も、それであった。寝ぼけているからだろう。彼は何の迷いも無く龍驤を抱きしめた。

 

「……ちょっと痛いで?」

 

「……ん」

 

 提督は龍驤の腕の中でゆっくりと頷き、やがて動かなくなった。龍驤は眠りにおちた提督の背を優しく何度か叩き、扉に目を向け口を開いた。

 

「悪いけど、暫くこうしとく。君もしっかり休みや」

 

 提督と龍驤しかいない室内だ。しかし龍驤のそれは独り言にしては大きすぎ、誰かに向けられた言葉であるのは明白である。が、やはりその室内には、扉の向こうの廊下にも気配は無い。

 いや、無かった筈だ。だというのに、執務室の扉は開かれた。

 

「じゃあ、あとはお任せしますね?」

 

「悪いね……わがまま言うてもて」

 

「いいえ、龍驤さんですから」

 

 心底から申し訳ないと語る相の龍驤に、阿武隈はそう返してまた扉を閉じた。と、途端に気配は消えた。龍驤であるからこそ、辛うじて察知できるような気配だ。

 

「いやー……多分これわかるんいうたら、あとは鳳翔さんくらいやなー」

 

 ぽつりと呟いて、龍驤はまた提督の背を叩いた。

 

「まぁ、この調子やったら起きてもなんも覚えてへんやろうし……お互い幸せやからええやんなー?」

 

 自己主張する提督の寝癖を軽く指で弾いて、龍驤は華の様に笑った。

 

 

 

 

 

 

「あれー……」

 

 布団を跳ね除け、提督は腕を組んで首を傾げた。

 昨夜、へんな時間に起きたような気がするのだが、その様子がどこにも無いからだ。先ほどまで布団にくるまっていたし、室内を見渡してもそういった気配は感じられない。常の、いつもの寝起きの彼の世界だ。

 

「……なんか、二人くらいの女に抱きついたようなないような……」

 

 流石に女性だけの職場で駄目になってきたか、と頭を悩ませる提督の耳にどたどたと足音が届き始めた。提督は室内の時計に目を向け、いつもより少しばかり早い時間だと確かめた。

 となると、この廊下を走る足音は当然朝一番に顔を見せる秘書艦初霜ではなく、偶に初霜と変わる大淀や加賀でもないと、未だすっきりしない提督の頭でも理解できた。

 さて、足音は通り過ぎるのか、それとも扉の前で止まってノックするのか、と扉を見つめる提督の目に、勢い良く人影が飛び込んできた。

 

「おー……ノックなしかー」

 

「提督! てーへんだ! てーへんだ!!」

 

「おうどうしたハチ」

 

「球磨だクマー!」

 

 お金をぽんぽん悪人に投げ飛ばす岡っ引きのテンプレを崩しつつ、朝の早くからノックも無しに執務室に飛び込んできた軽巡四天王が一人球磨が吼える。

 

「そんなこっちゃどうでもいいクマ!」

 

「どうしたんだい球磨さんや。軽巡洋艦娘四天王の名が泣いちゃうよ?」

 

「四天王……?」

 

 提督の言葉に、球磨は自分と並ぶ熟練度の同艦種娘達を脳裏に思い浮かべた。球磨の脳裏によぎったのは、神通、長良、阿武隈、矢矧である。

 

「五人いるクマ! 四天王じゃないクマー!」

 

「肥前のクマさんとこも四天王だけど五人クマ?」

 

「クマー?」

 

「クマー」

 

 え、それマジ? といった相で首を傾げる球磨に、提督はうんマジ、と頷き返した。

 ちなみに、龍造寺四天王という実在した五人の戦国武将たちである。

 

「そうなのかクマー」

 

「クマー」

 

 球磨はふわりと笑い、提督は寝ぼけたまま頷く。と、球磨が目を瞬かせながら暫し考え込み始め、少しばかりの後手を勢い良く振り始めた。

 

「肥前だか肥後だが蝦夷だかのクマはどうでもいいクマー!」

 

「いや、蝦夷の熊害事件は洒落にならないの多いんだぞ球磨さん」

 

 寝ぼけていても変に的確なツッコミを入れる辺り、この提督はぶれない。そんな提督に球磨は大きな声で続ける。

 

「なんかうちの妹がめっさキラキラしとる! 朝のはよからめっさキラキラしとる!!」

「えーっと、どの妹さん?」

 

「大井だクマー! 大井がめっさキラキラしとるクマー!!」

 

 龍驤張りのなかなかこなれた関西弁で口を動かす球磨に、提督は首を傾げた。キラキラといわれても、寝ぼけた提督からすればあぁ、絶好調なのか、と思うだけだ。

 今日の編成を提督は脳裏に描き、あぁ、と頷く。

 

「じゃあ、今日は大井さんMVPとりまくるかもねー」

 

「そんな問題じゃないクマー!?」

 

 妹の事が心配らしい球磨と、寝ぼけたまま意味不明な事を返す提督しかいない室内に、もう一つ影が入ってくる。

 

「なんや君ら、朝の早くからちょっとうるさいでー」

 

「あぁ龍じょ――うわめっさキラキラしとる!」

 

 提督と球磨の前に現れた龍驤は、確かにキラキラとしていた。肌や瞳が常より輝いており、あふれ出すオーラがそう見せるのである。

 だから提督はゆっくりと頷き。

 

「あぁ、龍驤さんもMVPとりまくるかもねー」

 

「そんな問題じゃないクマー!?」

 

 球磨に突っ込まれた。



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30話

 ――なんでこうなったんだろう。

 

 初雪は自身の隣でフライパンに油を引き温め始めた提督を見ながら、目を閉じた。

 

「初雪さん、ばら肉とってー」

 

「ん、わかった」

 

 初雪は手元にある豚ばら肉のパックを、油を回す為フライパンを揺らしている提督に渡した。提督はそれを受け取り、ラップを外してあけていく。

 初雪は提督と微かに触れ合った自身の指先をじっと見つめた後、何故こうなったのだろうか、と肉の焼ける音を聞きながら再び目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 初雪、という艦娘はインドアである。駆逐艦娘寮の吹雪型姉妹にあてがわれた部屋から、好んで出てくるタイプの少女ではない。部屋にあるノートパソコンとゲーム機、買い置き、または姉妹達の買ってきた本を目にしていれば時間をつぶせる、深雪曰くのちょっと変わった姉、である。

 そんな彼女でも、部屋から出るときは当然ある。友人に呼ばれた時、出撃命令の時、気分転換等などだ。そして現在、雲も少ない夜空の下、月の光に照らされる鎮守府の廊下を初雪が歩く理由は、実に明瞭であった。

 

 ――おなか、すいた。

 

 そういう事だ。今日の初雪は、完全にオフだった。演習も出撃もなく、遠征もない。朝食べてから昼は軽く済ませ、夕も少しばかり量を減らした。余り動かなかった日には初雪も余り量をとらない。取りすぎれば余分が溜まるからだ。横やなにやらに。

 

 ――気をつけないといけないのは……わかってる。

 

 初雪は目当ての場所へと足を進めながら自身の横腹を摘んだ。特に目立ってでている物は無い。むしろ第三者が居ればもっと食べろと言う様な華奢さだ。彼女は姉の吹雪に似たのか、頬はぷっくりとしているのだが、全体的な肉付きは薄い。それでも余計なお肉を怖がるのは、乙女特有の悩みなのだろう。

 

 ――夜食は天敵……。わかってるけど。

 

 それでも、空腹を訴える自身の腹を黙らせる術が初雪には無かった。おまけに空腹すぎて眠れないのだ。こうなっては、もう仕方なかった。

 初雪が目指すのは、間宮食堂でも伊良湖の甘味処でもない。その二つの店は既にしまっている時間であるし、鳳翔がやっている居酒屋も、初雪には少々敷居が高い。ちなみに、この初雪の場合の敷居が高い、は誤用での意味ではない。初雪は実際鳳翔の店で少々失敗した事があるからだ。なれない酒の匂いに当てられ、カウンター席で寝てしまったのである。それも丸一夜、だ。

 鳳翔は微笑んで許したが、初雪自身がそれを許せなかった。人の店で迷惑をかけるなど、決して許されては為らぬ行為である、と初雪が心底恥じたからだ。

 為に、初雪は鳳翔の店に行かない。行けない。行ける筈も無い。こう見えて、艦娘インドア派代表の初雪はお堅いのだ。この辺りも、姉達に似てしまった結果だろう。

 

 初雪は暗い廊下を歩いていく。彼女が向かうのは、提督の執務室が在る司令棟の給湯室だ。給湯室、というが実際にはガスコンロやそこそこ大きな冷蔵庫が置かれた、小さな調理室の様な場所だ。当然、そこには備え置きの食料が在り、艦娘達が自費で食材などを置いている。勿論、初雪もそこに幾つか備えおいて在る物があるので、今夜はそれを、或いは誰かが買っておいた共用の食べ物を口に入れようと考えているのである。

 

「……あれ?」

 

 初雪は、思わず足を止めた。彼女の視界に入ってきた給湯室からは、明かりが漏れていたからだ。首をかしげて、まぁでもそうかな、と初雪は考えてまた足を動かしだす。今が夜の遅くだとしても、小腹がすいたと給湯室へ行く者はいるだろう。事実、初雪がそうなのだ。

 ひょい、と部屋をのぞきこんだ初雪は、そこで暫し動きを止めた。

 

「……え?」

 

「あぁ初雪さん、おこんばんわー」

 

「お、おこんばんわー?」

 

 常は閉じられがちな初雪が、一杯に目を見開いて眼前の人物を凝視していた。そんな珍しい初雪に凝視されているのは、明石の酒保でよく使われるレジ袋を持った提督であった。

 初雪にじっと見られていると分かった提督は、持っていた大きなレジ袋を掲げて肩をすくめた。

 

「どうにも、お腹すいてねー」

 

「あぁ……提督、も?」

 

「……おや、初雪さんもかー」

 

 徐々に常の相に戻っていく初雪の前で、提督は袋からインスタントラーメンともやし、豚バラ肉、レンジでチンするご飯等を取り出していく。ラーメンは袋タイプのインスタントだ。それらを取り出してから、提督は軽く頷いた。

 

「あぁ、丁度良かった」

 

「……よかった?」

 

「そうそう、よかった」

 

 提督はテーブルにレジ袋から様々な物を取り出し並べていくが、量が少々多い。少なくとも、提督一人分の量ではなかった。

 

「いや、僕もここを使うにあたって、皆と同じように共用の食材を買ってきたんだけど、ちょっとばかし量がわかんなくてねー」

 

「ふむふむ」

 

 初雪以上の引きこもりであった提督である。この部屋の冷蔵庫や棚にどれだけ入るかよく分からないまま購入してしまったのだろう。他にも、炭酸ジュースやスナック菓子等も提督は広げだした。

 

「というわけで、だ。初雪さんや」

 

「うん?」

 

 常温で保存可能な物は棚へ、それ以外は冷蔵庫へと仕舞いだした提督は、首だけ初雪へ向けて口を開く。初雪はそんな提督を手伝おうと一歩踏み出したところであったが、提督の言葉に足を止めた。

 

「夜食、一緒に食べよう」

 

「はい、初雪……ご一緒します」

 

 提督のその発言に、初雪は背を伸ばし海軍式の掌を見せない敬礼で応えた。

 

 

 

 

 

 

 提督がおかずの一品にともやしと豚ばら肉を混ぜ炒めている間、初雪は小さな鍋に湯を張りつつ何度も横目で提督を見ていた。鼻歌でも歌いだしそうな提督の、意外にもなれた感じの手つきが初雪の視線を誘導してしまうのだ。塩やコショウを振りながら、フライパンのなかを混ぜる提督はそれなりに様に為っていた。少なくとも、調理が得意ではない初雪よりは、だ。

 

「まぁ、一人暮らしもそれなりに長かったからねー……簡単な男の手料理くらいは、それなりにつくれるよ」

 

 初雪の視線に気付いていたらしい提督は、フライパンを眺めたまま軽口を叩く。初雪は僅かに肩を落として、インスタントラーメンの袋を破って乾燥麺を取り出した。それを湯へと落とし、溜息を吐き

 

「……女として、肩身が狭い、です」

 

 そう呟いた。男がフライパンを回し、女がインスタントラーメンを作っているのが、今の二人の状態だ。今の世で男が、女が、という在り方を問うのは愚問である。艦娘という乙女達が戦い、海の男である軍人達が比較的安全な陸にいる様なここでは特に、だ。それでも、人には理想的なそれぞれの姿がある。

 それを初雪も持っていたのだ。個性的な存在が多い艦娘の中でも特に尖った少女であるが、極めて一般的な理想像を。

 

「肩身が狭いは、僕のセリフだなぁ……」

 

 提督は小皿に出来上がった物を移し、フライパンをガスコンロの上に置く。熱が引かないうちから流し――水場に置けば、フライパンの劣化が早まるからだ。

「皆が海で働いてる最中、僕はここで書類か休憩かだよ。少なくとも、君達みたいに命は賭けてない」

 レンジで温めるご飯を手に取り、提督はそれを備え付けの電子レンジに入れて操作を始める。と、提督は俯いて鍋のなかの麺をほぐす初雪へ顔を向けた。

 

「初雪さん、ご飯あつめ?」

 

「……ぬるめ、です」

 

「はいはい」

 

 そうやって、提督は秒数を設定してもう一つを温め始めた。初雪はどことなく楽しそうな提督を横目で何度か確かめながら、どんぶりを手元に寄せた。そして、気付いた。

 

「提督、お湯は少な目? ……それとも、大目? ふつう?」

 

「ふつうで」

 

「うん……あぁ、いや……あの、提督のふつうが、わからない」

 

 困った様子で自身を見上げる初雪に、提督は苦笑を浮かべて初雪の傍へより手元を覗き込んだ。

 

「じゃあ、ストップって言うまでどんぶりに移動で」

 

「あぁ、なるほど……」

 

 鍋を傾け、初雪はどんぶりへラーメンを移していく。

 

「あ、ストップ」

 

「ん」

 

 提督が口にした瞬間、初雪はぴたりと動きを止めて鍋を戻した。あとは箸で鍋に残った麺を掴み、どんぶりへと移してく。自身の傍に居る提督をまた見上げて、初雪は小さく問うた。

 

「提督、玉子とかは?」

 

「今日はいいかなー……と。初雪さんは?」

 

「私も、今日はいい……かなって」

 

 初雪のその言葉に、提督はにこりと微笑んだ。つられて、初雪も微笑んだ。

 

 全部作り上げ、小さなテーブルに二人はつき手を合わせた。

 

「いただきます」

 

「いただき……ます」

 

 提督はラーメンから、初雪はご飯と豚バラともやしの炒め物からだ。提督は普通に、初雪は上品に口へ運んでいく。

 提督の簡単な男料理を口にした初雪は目を閉じてゆっくりと咀嚼し、またゆっくりと嚥下した。味は悪くない。流石に間宮の食堂で出されている物と比べるのは間違いだが、簡単な夜食として出る分にはなんの問題もない味だ。

 目を開けた初雪の視界に飛び込んできたのは、自身を少しばかり不安げにみつめる提督であった。初雪は提督へ頷き、口を開いた。

 

「美味しい、です」

 

「あぁ、よかった……」

 

 初雪の言葉に、提督は肩から力を抜いて息を吐いた。料理一つで大げさではないか、と思いながら初雪が口をひらこうとすると、それは提督の言葉に遮られた。

 

「僕が君達に何か食べてもらうのは、初めてだったんでねぇー……いや、よかった」

 

 その言葉に、初雪は動きを止めた。そして、今食べた物をじっと見つめる。確かに、提督の言うとおりである。初雪達は執務室から出てこない提督の為、皆で食事を用意した。弁当当番制度なる物まで作って、である。が、誰かが提督から料理を作ってもらったという話を、初雪は聞いた事が無い。提督の言の通りであるなら、初雪が初めて、一番最初だ。

 提督の最初期艦娘を姉に持ち、提督の配下にある駆逐艦娘のエースである初雪が、一番艦を、トップエース達を、更には第一旗艦を抜いての一番だ。

 

 初雪は隣に座る提督を見上げて、声を上げた。

 

「提督……美味しい、です。その……ありがと」

 

「いんや、こっちこそありがとう」

 

 自分の気持ちの十分の一でも確りと届いているだろうか、と初雪はただ隣の提督を見つめ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日の話である。

 間宮食堂にて、一つの会話があった。テーブルに集まるのは、時雨、夕立、綾波、浜風、高波、初雪、といったこの鎮守府でのエース駆逐艦艦隊である。トップエースには一歩譲るが、彼女達もまた精鋭である。さて、その精鋭達が少しばかり遅い昼食も終え、それぞれ席から去るでもなく何をしているかと言うと……

 

「加賀さんって、意外にカラオケ上手だって聞いたけど、本当かい?」

 

「あー……それ綾波も龍驤さんから聞きましたー。とてもお上手で、趣味の一つであるとか」

 

「っぽい?」

 

「かもです」

 

「前の飲み会の時、偶々私も同席していましたが……確かに凄いものでした」

 

 それぞれの反応に、浜風が返して皆が、ほう、っと溜息を吐いた。彼女達からすれば、加賀にそんな特技があった事に驚き、物静かな人物の意外な趣味にまた驚いたという状態だ。

 

「ふむ……それなら、僕なんかは那珂ちゃんさんの意外な特技も吃驚だったね」

 

「那珂ちゃんはあぁ見えて夜戦での目測雷撃戦超得意っぽい!」

 

「あの姉妹は夜戦火力おかしいですからね……」

 

 夜戦火力では上位に食らいつく夕立と綾波の賞賛である。その時点で川内姉妹達の夜戦での暴れぶりがどれ程であるか分かろうという物だ。

 そして、そのまま六人は誰それはあぁで、あの人はあれで、と自分達が知っている情報を出していく。そうなると、当然出てくる人物が居た。いや、出てこない訳が無かった。

 

「――で、肝心の提督は……何か特技とかあるのかな?」

 

 時雨の言葉に、皆が相を固くした。

 

「……ゲームっぽい?」

 

「得意とか特技って訳じゃないかもですね」

 

 夕立と高波は首をひねりながら応じ、

 

「読書が趣味ですから……速読、とかでしょうか?」

 

「綾波が知る限りでは、普通の早さですよ?」

 

 浜風と綾波は腕を組んで唸る。

 

 各々が頭を悩ませている中で、一人静かにお茶を飲む艦娘が居た。時雨はテーブルに身を乗り出し、その艦娘――初雪に口を向ける。

 

「初雪は、何か知らない?」

 

 時雨にあわせて、皆が初雪に目を向けた。が、初雪は黙ったままお茶を飲み続けていた。

 初雪が知っているのは、提督の作った料理の味だ。それが特技であるのか、趣味であるのかは初雪も知らない事であるのだから、彼女から返せる言葉は一つだ。

 皆の視線にさらされる中、初雪は湯飲みをテーブルに置き、常の相で小さく呟いた。

 

「知らない」

 

 小さな嘘で、あの夜の思い出を隠した。



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31話

ちょっとだけいつもと違う感じで。


 いつも通りの夕時であった。窓からさす夕日の赤い光に照らされた執務室の中で、提督は書類を目で追い判子、またはサインを書いて机の隅に置く。隣では、秘書艦用の小さな机に、ちょこなん、とおさまった初霜が過去の書類を処理していた。

 と、突然初霜の机に置いてある電話が鳴り響いた。初霜は落ち着いて受話器を取り、耳に当てた。

 

「はい、こちら――」

 

 受話器を耳にあてる初霜をちらりと見てから、提督は手元にある書類に目を戻そうとした。が、それを初霜の声によって止められた。

 受話器の片方、声を届ける部分に手を当て、初霜が提督に声をかけたからだ。

 

「提督、お電話です」

 

「……んー」

 

 執務室から立ち上がり、提督は初霜の手から受話器を受け取った。基本的に、彼が電話に出るのは余り無い。演習相手からの編成の話なども、基本的に彼は初霜に任せてきた。ただ、最近は少しばかり提督も――いや、この鎮守府自体が変わった。同僚、仲間、友人。それらの横の繋がりを得る為、提督が外との接点を求めたからだ。これも、その結果の一つだった。

 

「はい、どうもお電話変わりました。こちら――」

 

 受話器越しに提督の耳へと届いた声は、良く演習をする同期の提督であった。お互い、秘書艦も交えず電話越しの会話である。提督は胸中で小さく拳を握った。

 

「えぇ、はい、ありがとうございます。では明日こちらからそちらへ、……あぁ、すいませんそこまでして頂いて。はい、どうも、はい、はい。では、明日。失礼いたします」

 

 受話器を耳に当てたまま、数秒ほど待って指で電話を切る。提督のこのあたりの癖は、社会に出たときに教え込まれた物だ。切る寸前に相手が何か思い出すこともあるので、受話器から耳を放せないのだ。

 提督は受話器を戻し、初霜に顔を向けた。にこにこと微笑む彼女に、提督も笑顔で頷いた。

 

「明日、予定通り出掛けるから準備開始」

 

「はい、皆に発令いたします」

 

 背を正し、提督に敬礼して執務室から初霜が去っていく。初霜の姿が消えた執務室で、提督は肩をすくめて頭をかいた。

 

 ――まぁ、これで本当の第一歩かなぁ。

 

 演習を良く申し込んでくる同期の提督に接触を図ったのは、提督からだ。彼は電話での会話の中で、是非そちらにお邪魔したい、と時機を見て持ちかけたのである。これを、相手も快諾した。相手の提督にも思惑があるのか、それとも、隠し玉艦隊と称される同期の提督に興味があったのか、それは提督には分からない。分からないが、許可が出たのは事実だ。流石に他の鎮守府の提督が来る、となるとトップ同士だけではなく、鎮守府全体の話になるので相手も即決を控えた様だが、こうして目出度く許可を得られたのだ。

 提督は一人、天井を見上げて大きく息を吐いた。

 

 

 

 

 

 翌朝、鎮守府の門前に100人以上の艦娘と提督が立っていた。提督は大きな鞄一つを手に立っているだけだが、艦娘達は様々だ。

 

「大丈夫、司令官本当に大丈夫? ハンカチは? ティッシュは?」

 

「提督……何かあったらすぐ電話するんですよ? あと生水は口にしたら駄目ですよ? ね?」

 

「提督、ここ少し曲がっていますよ……直しておきますね」

 

「提督、武運長久を……どうか、ご無事で。貴方に何かあれば、私たちは……」

 

「いいか、相手が舐めた真似してきたら俺に言えよ! 絶対だぞ!」

 

「ふふふ……ふふふふふふ」

 

 上から、提督の右腕を掴んで心配そうに提督を見上げる雷、こちらも心配そうな顔で提督の左手を握って離さない夕雲、提督の襟を正している古鷹、提督を真っ直ぐに見つめて呟く鳳翔、自身の拳を握りこんで気合を入れている天龍、わら人形片手に笑う早霜、である。彼女達以外の艦娘も、それぞれ提督に声をかけている訳だが、特に特徴的だったのは彼女達だ。あとは、ただ静かに佇む大井や、提督の隣に居る大淀を筆舌に尽くしがたい相で睨む山城がいるくらいである。

 

 兎に角、それら艦娘達に提督は一人一人応じ、頭を下げ、笑い、微笑む。そんな彼らの傍、提督の鎮守府の前に一台の車が止まった。なんの特徴も無い白の普通車だ。そこから、一人の男が出てきた。男は提督の前まで進むと、綺麗な敬礼を行った。

 

「お初にお目にかかります。自分はこの度案内を命じられた片桐中尉であります」

 

「あぁ、これはどうも」

 

 軍人然とした相手の敬礼に、提督は下手糞な敬礼で応じた。

 さて、その片桐中尉であるが、そう若い男ではない。体つきはたくましく、白い海軍士官服よりも野戦服の方が似合いそうな男である。

 片桐中尉は車の後部座席のドアを開け、そこで微動だにしなくなった。提督がそこに座るのを待っているのだろう。その様子に、提督は軽く頷いて自身の艦娘達の顔を見回した。

 

「じゃあ、行ってきます。すぐ帰ってくるけど、あとは皆任せたよ」

 

「はい!」

 

 全員が――いや、大淀以外が敬礼で応じ、それを見てから提督は皆に背を向けて車へと足を進めた。それに続くのは、大淀である。この世界の大本営の大淀を取り込んだ彼女は、この世界をよく理解していない提督にとっては必要なナビ役だ。

 

「その、失礼を承知でお伺いしたいのですが」

 

「はい?」

 

 提督の手から荷物を預かりトランクに仕舞おうとしていた片桐中尉がなんとも言えない相で言葉を続ける。

 

「護衛の艦娘は?」

 

 片桐の目は大淀に向けられている。大淀、という艦娘が護衛向きの艦娘ではない事を知っている目だ。それゆえ、もう一人同行者が居るのではないか、と彼は提督に伺ったのである。だが、提督の答えは彼の予想を大きく裏切った。

 

「いませんよ?」

 

「え?」

 

 提督は呆然とした片桐中尉の相を眺めてから、小さく肩をすくめて車の後部座席に乗り込んだ。それに続いて大淀も後部座席、提督の隣に座る。片桐中尉は少しばかり慌ててトランクを閉じ、運転席へと戻っていった。

 

 エンジンが鳴り、排気口から排気ガスが噴出され、車はゆっくりと車道へ出て……そして艦娘達の視界から消えていった。はらはらとずっと眺める者、何かを決意した相でグラウンド、或いは訓練室へ歩み去る者、筆舌に尽くし難い相で親指の爪を噛む山城等と多種多様な反応を見せて、提督の艦娘達は常ならぬ一日を迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 車の中で、片桐中尉は少しばかり困惑していた。通常、新人提督という存在はその特異性から天狗になりがちだ。特に若いからだろう。時に目に余るほど彼らは増長する。

 ただ艦娘に命令できるという才能一つで、少佐待遇という恵まれた出発をし、国防の要は自身だと自負するのであるから、鼻はどこまでも高く長く伸びるのは実に自然な事であった。特に事情などなければ、だ。だというのに、今片桐の運転する車の後部座席に座る提督は、実に普通であった。

 

「大淀さん、お土産用意したけど、本当にあんなのでよかったのかねぇ?」

 

「大丈夫ですよ、提督。こう言った物は気持ちも込みですから」

 

「あぁどうしよう、こんな物食えるか、シェフを呼べ、とか言われたらどうする?」

 

「いえ、提督は何を言っているんでしょうか?」

 

 バックミラーで伺う艦娘大淀とその主である提督の会話は、実に普通だ。いや、決して提督の言動は普通ではないが、片桐が見た限り前の主と同じ程度に自然だ。

 

 片桐の今の主と同じ、一ヶ月ほどの提督が、だ。

 この時期の提督はまだ天狗の鼻が折れる前だ。大抵の提督は艦娘に対して高圧的で誰が上であるか分からせようとしている。そんな者ばかりではないとしても、やはり命令するという立場を守ろうとする提督ばかりの筈だ。少なくとも、片桐の20年ほどの軍人生活の中で、今後部座席に居るような新人提督は見た事が無かった。

 おまけに、護衛の艦娘もなしだ。同じ軍属、同じ提督といっても、戦力が揃えられた他所の鎮守府に行こうとする提督が自身の護衛も用意しないというのは、片桐が知る限り聞いたことも無い話である。

 

「あぁでもどうしよう。実は色んな提督達が集まっていて、僕が入ったら、おういいナオンちゃん連れてるじゃねぇか、俺は提督ランクCだぜ。ひよっこのお前に提督のなんたるかを教えてやるからそのナオンちゃん一晩俺に貸せよ、とか言い出した後、提督ギルドの受付提督嬢が提督ギルドのギルドマスターを呼んできて助けてくれるんだよね?」

 

「提督、確りして下さい。いえ、本当に確りして下さい」

 

 大淀は提督の肩を掴み、わりと強めに揺さぶっている。

 その姿がまた、この二人の繋がりを片桐にも垣間見せていた。決して部下と上司だけの付き合いで作られる関係ではない。男女の仲でもなく、もっと深い、長い時間で信頼を積み上げた関係だ。

 片桐には、そう見えた。

 

「あの、すいません」

 

「あ、はい……なんでしょうか?」

 

 突然後ろの提督から声をかけられた片桐は、慌ててバックミラーから眼を離し応じた。提督は申し訳ない、と心底から感じさせる声音で片桐に続けた。

 

「片桐中尉は、今から向かう鎮守府の提督さんの、部下の方で?」

 

「えぇ、そうです」

 

 部下の方、という独特な言い回しに片桐は内心笑った。馬鹿にした笑いではない。その言い回しに、人の良さを背後の提督から感じたからだ。ゆえに、片桐は意識せずに笑顔で返した。

 

「先代からのご縁で、坊ちゃん――あぁいや、失礼しました。提督の手伝いをしております」

 

「坊ちゃん、ですか?」

 

「あ、あははは……まぁ、実はですね」

 

 やはりそこは見逃してくれないか、と諦めて片桐は提督に説明した。

 

 片桐がその鎮守府の提督に仕えているのは、先代からの縁だ。彼の前の上官は、実に優れた提督であり、指揮官であり、男であった。と同時に、とてつもない事をやってのけた男でもあった。

 それが為に、片桐の前の上官は退役し、自身の子供が提督になった時、片桐に声をかけたのである。すこしばかり特殊な事例であるから、と。

 そこまで聞いて、提督は黙り込んだ。ここまで聞いて、その特殊な事例とやらを突いて良いかどうか迷ったのだろう。だから、片桐は今度は声に出して笑った。

 

「あぁ、いえ、失礼しました」

 

 まだ笑った相のまま、片桐はバックミラー越しに提督と、その隣に座る大淀へ頭を下げた。二人はそんな片桐に軽く頭を下げ返すだけで、そこに怒りのかけらも見受けられない。

 

「そちらの大淀なら知っているとは思いますが……どうしましょう。自分が説明した方が?」

 

「はい、どうかお願いいたします」

 

 片桐の言葉に、再び大淀が一礼する。それを見届けてから、片桐は唇を舌で一度湿らせてから続けた。

 

「その自分の元上官殿は、艦娘との間に坊ちゃんを作ってしまいましてね」

 

「うえ?」

 

 その辺りの話を知らなかった提督は奇妙な声をあげ、片桐と大淀へ交互に、何度も目を走らせる。大淀は提督に意味ありげに微笑み、片桐は、おっかないおっかない、と心中で呟いた。

 

「まぁ、前例が一つしかない事だったんで、こりゃあなかなか大変だろうと提と……あぁ、元上官は思いましてね、で、自分の様な古い人間を、坊ちゃんにつけた訳です」

 

「……前例、ですか? それはつまり、その、他にも艦娘と提督の間に子供が……?」

 

 それなりに有名な話であるが、知らない人間は知らない物か、と片桐は提督に応えた。

 

「はい。正規空母赤城と、その提督の間に一人。その子供も、今じゃあ立派な提督になっていますよ。今回の特別海域でも、なんでも最深部まで進んで防空駆逐艦娘と邂逅したとか」

 

「そりゃあ、凄い」

 

 心底、と驚く後ろの提督に、片桐はもう笑顔が引っ込まなくなってきた。だから、そのまま彼は口を動かす。

 

「で、こっちの坊ちゃんの母親は、駆逐艦娘の白雪でしてね」

 

「…………その、それは大丈夫で?」

 

「これがまた、うちの元上官ががっしりした海の男ってやつでしてね」

 

「犯罪臭半端ないじゃないですか」

 

「そう、それなんですよ」

 

 片桐の言葉に、提督は愉快そうに笑い、片桐もそれにつられて笑い出す。

 今でこそ片桐は笑っていられるが、当時は大変であった。見た目から漂う犯罪臭もそうであったが、艦娘が人の子を孕んだのである。それも駆逐艦娘の幼い少女の姿をした存在が。

 大本営は混乱し、その片桐の元上官と同期の提督たちはもっと混乱した。赤城の時も相当混乱したらしいが、この時はそれ以上の物であったのだ。

 

 人権を無視して子を取り上げようと言う者、赤城の時には人権を認めたのだから、今度もそうするべきだと主張する者、駆逐艦娘と子供とかお前俺と代われよと嘆く元帥(当時)と、え、じゃあうちの三日月ちゃんももしかして孕んじゃうの? 等と自ら性癖と行いを暴露した者と、本当に混乱したのだ。

 結局、一通り調べた限りでは普通の子供であると各検証で証明されたので、赤城の時同様穏便に事は済んだのである。

 ただしこの後元帥と一人の提督が降格処分の上大本営から地方に左遷された。ただ提督の方は三日月が、自分達は真剣に愛し合っているのだ、と再三訴えた事から後に階級を戻した上で左遷先から復帰したのである。ただ元元帥、当時大将だけはそのまま据え置き処分であった。

 

 ちなみにこの当時大将、現在は大本営に返り咲き海軍元帥として活躍している有能な人物でもある。

 

「まぁ、色々言いましたけども……」

 

 片桐は目の前の鎮守府、その門前にある小さな二つの人影を確かめてから、車のスピードを緩めて背後の提督へ振り返った。

 

「良ければ、うちの今の上官とも、仲良くしてやって下さい」

 

 紛れも無い、心からの片桐の言葉であった。




鎮守府と提督達の名前だけは意地でも出さないパターン。
あと一話だけ同じ話題で続きます。


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32話

「あ、これつまらないものですがどうぞ」

 

「ありがとうございます」

 

 礼儀正しく頭を下げ、自身の隣でゆっくりと歩く少年を提督は失礼にならない程度に眺めた。茶色の髪は柔らかそうで、瞳は大きくきらきらと輝き、頬はぷっくりとして体の線は細く背は高くない。

 

「あ、これ薩摩芋ですか。ありがとうございます、僕これ大好きなんですよ!」

 

「良かったですね、司令官」

 

「うん、そうだね吹雪」

 

 そう、その少年提督の三歩後ろを歩く駆逐艦娘、吹雪と彼の背丈、体つきは大差ない。そのまま衣装を交換しても違和感が無いだろうと思えるほどに、少年提督は実に愛らしい姿であった。

 

 ――いやぁ、凄いなぁこれ。

 

 提督とて写真で彼の姿は見知っていたが、やはり生となると視覚の捕らえ方は変わってくる物なのだろう。彼の後にいる吹雪とどこか似通った美少女顔もそうだが、匂い立つ犯罪臭とでも言うべきか、未だ未熟な四肢に本来なら鍛えられた男が着る白い海軍士官服とのミスマッチが、逆に何か危うい物をこの少年提督に与えているような、兎に角筆舌に尽くし難い物が生身の少年提督からは滲み出してしまっていた。

 

「あ、ここがここの執務室です」

 

「どうぞ」

 

 少年提督の言葉に、吹雪が静かに彼らの前に出て扉を開けた。提督は少年提督と吹雪に頭を下げ、彼の背後、先ほどのまでの吹雪と同様三歩後ろに佇む大淀も提督にならう。

 その二人に少年提督と吹雪も頭を下げ、互いにぺこぺこと頭を下げながら執務室に入る事となった。

 

「あぁ……やっぱりそう変わる物じゃないですよねぇ」

 

 提督は招かれた執務室兼、一応の応接間となっているその部屋を見回した。広さは提督の執務室と変わらず、内装もほぼ同じだ。当然、バスやトイレはないしゲーム機や暇つぶし用の本をなどを入れてあるダンボールは無い。ルームランナーは、言わずもがな、だ。

 ただし、提督の引きこもり用執務室にもある見慣れたものが、この部屋にもあった。提督はそれを見たまま苦笑まじりで口を開いた。

 

「あぁ、やっぱりいりますよね、冷蔵庫」

 

「……あの、そちらも?」

 

 びっくり、と正直に書いた顔で返す少年提督に、提督は苦笑のまま頷いた。

 

「喉も渇くし、一々給湯室からお茶とかジュース持ってきてもらうってのも、申し訳ないもんで」

 

「あははは、僕もそうなんですよ」

 

「もう司令官、それくらい気にしなくてもいいんですよ?」

 

 朗らかに笑う少年提督に、腰に手を当て頬を膨らませる吹雪。これだけで、提督には二人の関係がなんとなく見えた。少年提督にソファーに誘われ、提督はそこに腰を下ろす。それを見届けてから、少年提督は提督と向かい合う形でソファーに座った。互いに、背後に吹雪と大淀が立って控えている。艦娘二人の相は、先ほどまでに比べれば少々温度が冷めていた。無論、提督から見えるのは少年提督の吹雪の顔だけだが、彼女の相だけで自分の背後に居る大淀がどんな顔をしているのか、おおよそ分かる。

 控え目かつ涼やか。提督の同行者として恥じないよう、等と考えて大淀はそうしているだろうと提督は思っていた。そしてそれは正解だった。

 

 ――しかし、こうして見ると……やっぱり分かるものなんだなぁ。

 

 そう提督がしみじみと何事かに感心していると、静かにドアがノックされた。少年提督が、どうぞ、と応じるとドアがゆっくりと開かれた。執務室に入ってきたのは、大淀であった。

 

「お茶をお持ちしました」

 

「あぁ、お気遣い無く……」

 

「粗茶ですが、どうぞ」

 

 少々硬い笑みで提督の前に、そして少年提督の前へ湯飲みを置く大淀は、今提督の背後に立つ大淀とまったく同じ同族同艦だ。提督の耳に届いた声も、僅かな仕草も彼の大淀と同じである。

 

 ――やっぱりなぁ。

 

 それでも、再び提督は何事かに感心して胸中で呟くだけだ。そんな提督を放って、少年提督達は動き続けていた。

 

「大淀、これ貰ったんだよ」

 

「あら、薩摩芋ですか。提督や吹雪達の好物ですね……ありがとうございます」

 

「いえ、粗品で申し訳ありません」

 

 嬉しそうな少年提督に微笑みながら、大淀が大淀に頭を下げた。本来頭を下げるべき相手が、何やら他の事に気を取られていると見たからだろう。実に細やかだ。例えば、提督達の前に在るお茶も大淀の細やかさが出ている。冷蔵庫が執務室にあるのだから、そこからお茶を出せばいいのに、態々給湯室から出したのである。気配りもそうだが、少年提督が軽く見られないようにしているのだ。

 これもまた、大淀が大本営から各提督へ与えられる理由の一つである。

 

「では、こちらを焼いて参ります。少々お待ちください」

 

 薩摩芋の入った箱を受け取り、大淀は一礼し退室しようとした。と、それに声をかけたものがいた。提督の背後に居た大淀だ。

 

「私も、手伝います」

 

「え?」

 

 少年提督、吹雪、もう一人の大淀が同時に声をあげた。彼女は提督の同行者であり、とても相は見えないが――実際彼女に格闘技の心得はほぼないが――護衛役でもある筈だ。少なくとも、少年提督達はそう見ていた。それが、提督の傍を離れるというのだから、彼らが驚き声を上げるのも無理からぬ事であった。

 そんな彼らを放って、今度は提督達が動いていく。大淀は提督の目を覗き込み、提督はそれに微笑んで頷く。そんな提督に大淀も頷き返し、彼女はもう一人の自身へ声をかけた。

 

「駄目だ、といわれるなら勿論やめておきますが」

 

「いえ……その、宜しいので?」

 

「はい、提督からのご許可は頂きました」

 

 むふん、と嬉しそうに鼻から息を吐く大淀に、もう一人の大淀は、むむむ、と唸って自身の主、少年提督に目を向けた。

 

「提督……どういたしましょうか?」

 

「えーっと……良いって言うなら、僕は大丈夫だけど」

 

「……了解しました。では、手伝いをお願いします」

 

「はい」

 

 二人の大淀が執務室から出て行き、背後から大淀の姿を失った提督は先ほどから相一つ変えずソファーに座ったままだ。その姿に、少年提督は背後の吹雪に声をかけた。

 

「吹雪」

 

「はい」

 

 名を呼ばれた吹雪は、少年提督、そして提督に頭を下げて部屋から静かに去っていった。その背を見送ってから、提督は口を開いた。

 

「あれ、吹雪さんも薩摩芋の手伝いに?」

 

「……あ、あはははは。そんなかんじです」

 

「吹雪型に薩摩芋焼かせると、たいていその場でつまみ食いしますよ?」

 

「吹雪なら止めると思うんですが」

 

「いや、一口くらいいいよね、でそのまま一つ二つ行くのが吹雪だと思いますよ?」

 

「あ、あぁー……」

 

 何か思い当たる事があるのだろう。少年提督は額に手を当て、かもなぁー、等と唸りだした。

 その姿を眺めていた提督の耳に、どこか遠くから響いてくる声が届いた。それは彼の執務室でもよく聞く声で、耳に届いたこれがなんであるか、彼にはすぐ分かった。

 

「グラウンドで訓練中ですか」

 

「あ、はい。そうです……僕のところはまだまだ艦娘の層が薄いですから、訓練に出せる艦娘は僅かですが」

 

 出撃、遠征、演習、という出撃任務が無い艦娘でも、基本的には待機扱いだ。出撃メンバーなどに問題が出た場合、待機メンバーから艦娘が選ばれる。であるから、訓練にでるメンバーは完全にその日フリーでなくては為らないのだ。それゆえ、少年提督の鎮守府では訓練に回せる艦娘は僅かなのである。

 

「ですかぁ……あぁ、そうだ」

 

「はい?」

 

「神通さんは、居ますか?」

 

「いえ……まだうちには居ないんです」

 

「建造、ドロ――あぁいや、邂逅したら是非育てる――じゃなくて、積極的に運用する事をお勧めします」

 

「え、す、凄いですね、僕の特殊相性が分かるんですか?」

 

「……?」

 

「?」

 

 いまいち、何かかみ合っていない様子の会話に、提督はとりあえず一歩踏み込む事にした。

 

「とくしゅ、あいしょう……あれ、なんだったかなぁー、こう、がっこうでたあとはつかわないことばってすぐわすれるんですよねー」

 

 凄まじい棒読みであったが、少年提督の口にした単語が提督なら誰もが知っている、例えば学科で必ず出る言葉などであった場合、疑われると提督は考え芝居をうったのだ。三文どころの物ではない下手糞な芝居を。

 

「……え、えっと、そういう事もありますよ……ね?」

 

 駄目だった。提督の芝居は本当に駄目だった。それでも、少年提督は実に愛らしい笑顔で話題をつなげた。

 

「僕ら提督には、それぞれ得意な……相性のいい艦娘達がいるじゃないですか。それを表す言葉ですよ。僕なんかは……駆逐、軽巡、重巡ですね」

 

「あぁ、みっつ"も"」

 

 ここでも、提督は芝居をうった。ただし、これは上手くいった。

 

「はい……自慢になる、お恥ずかしい話なんですが……やっぱりその、特殊な生まれですから、成績はよくなかったんですが、こういうのだけは……はい」

 

 何も悪いことはないというのに、少年提督は頭をぺこぺこと何度も提督に下げてくる。提督はそれが少し嫌で、態と明るい声を出してそれをやめさせた。

 

「凄いじゃないですか。ハンモックナンバーがなんです、あなたは、凄いんです。もう、凄いんです!」

 

 何が、とか、どれが、とかではない。ただ凄いのだと提督は言った。そんな提督に、少年提督は暫し呆然とし、やがて頬を朱に染めて俯いた。同じ男の提督から見ても、なんというか駄目な仕草であった。駄目にする仕草であった。

 

 話題はそれるが、ハンモックナンバーとは簡単に言えば同期生間の先任順位である。良い成績の者ほど良い役職につけるが、旧日本海軍ではこれによってまったく無駄な事もしていた。有名な話が南雲機動艦隊だろう。この南雲忠一海軍中将という人物、ハンモックナンバーにより空母艦隊の司令長官となったが、この軍人、本来は水雷屋である。しかも有能な。つまり、軽巡、重巡乗りなのだ。実際には参謀長官であった草鹿龍之介少将が空母戦を理解していた様で、外部、また部下たちからは草鹿機動艦隊、と揶揄されていたのである。有能な水雷戦屋の軍人を態々不慣れな空母艦隊の司令長官にしてしまうこのハンモックナンバーなる物、どう取るかはそれぞれにお任せしたい。

 ちなみに、この航空戦に理解のない南雲中将と、南雲の陰に隠れて艦隊を動かしている草鹿少将に対して、多聞丸さんは批判的であった、という話も残っている。有名な、「南雲さんはやらんだろうなぁ」等はその証明なのだそうだ。

 

 さて、提督に凄い、凄いと言われた少年提督であるが、彼は顔を上げて提督の目をじっと見た。きらきらと輝く、無垢な瞳だ。それが提督をじっと見るのである。反らしては失礼かと提督もじっと見返すが、彼の背はむずむずと痒みを覚え始めていた。

 

「よかったと、思います」

 

「……はぁ?」

 

 ぽつり、と零す少年提督に提督は間抜けな声で応じた。その姿に少年提督は、ぽや、っとした感じで微笑み何度も頷く。

 

「なんとなく、電話とかで話した感じから大丈夫だと分かっていたんですが、こうやって話をして、やっぱり安心しました」

 

「う、うん? そう?」

 

 何も理解していない提督は、何故か背を正して少年提督の次の行動を待った。何かっても直ぐ逃げられるよう、僅かに浮かした腰はなかなかに失礼な物であったが。

 

「あ、そうだ。僕だけなんて駄目ですよ、今度はそっちの特殊相性教えてくださいよ」

 

「えー……特殊相性とか言ってもなぁ」

 

 この提督にとって相性が言いも悪いもない。敢えて、となれば性能の低さも物ともせず今だ第一線で大活躍する軽空母や駆逐艦や軽巡等と相性がいいと言えるかもしれないが、これは彼の前の世界からの癖だ。燃費が良いし、何より愛していた。艦これ、というゲームで最後に物を言うのは、どんな悪運も羅針盤もミスも覆す、或いは許す愛だ。すべてはそれに始まりそれに終わる。

 データを愛し、整数を愛し、艦娘を愛し、ゲージ破壊ミスで毛根にダメージが来ても愛する。

 それが、提督が提督としてやってきた提督だ。

 だから、彼はそれだけは誤魔化せない。それが生身で会ったのが初めての相手でも、違う世界の違う海の提督であっても、同じ提督であるから。

 

「皆好きだ。そこに相性なんてないよ」

 

 好きで始めたゲームなら、好きのまま終わるべきだ。彼にとってもうこの世界はリセットも出来ないが、愛したモノを守るために今も提督はこうして動き続けている。好きで在り続ける為に。

 

「……」

 

 少年提督は、本当に呆然と提督の相を見つめた後、突如提督の手を取ってぶんぶんと振り始めた。

 

「え、なにこれは、やだ僕貞操の危機なのこれ?」

 

「す、凄いです! 凄いです! 凄いと、僕は思います!」

 

 とある駆逐艦ととある提督の間に生まれた彼は、満面の笑みで提督の手を握って離さない。邪気はなく、稚気に富んだ相と行動であるがそれを許してしまえる何かが、この少年提督にはある。

 少年提督は真っ直ぐに提督に顔を向け、頬を朱に染め声を上げた。

 

「と、友達からお願いします!」

 

「友達まででお願いします」

 

 少しばかり疲れた顔で、提督ははっきりと応えた。



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33話

「うーん……うーん…………」

 

 初霜は自身に与えられた秘書艦用の机から顔をあげ、執務机にへばりついて唸り声を上げる自身の主――提督を見た。

 腕を組み、頭を乱暴にかきながらノートパソコンを睨む提督の相は、普段共に過ごす事の多い初霜をして余り見ない類の物であった。

 提督は腕を解き、ノートパソコンの電源を切って頬杖をついた。初霜は気遣うように提督に声をかける。

 

「あの……提督、どうされましたか?」

 

「ん……あぁ、いや、別になんでもないよ」

 

 と提督は初霜に返すが、彼女からすればここ数日の……少年提督の鎮守府から戻ってきて以来の提督の様子が乱れがちである事に不安を覚えていた。

 提督が他の鎮守府で何かよからぬ、或いは先ほどの様に思い悩む様な何かを見聞きしたのではないか、と初霜は思ってしまうのだ。

 

 ――あぁ、いっそあのまま引きこもって……いえ、閉じ込めてしまえばよかった。他の誰にも触れないよう深海の奥底に沈めるように静謐な世界に包んでおけばよかった。

 

 初霜は相当物騒な事を考えながらも、常の相に戻せていない提督に近づき、その背を優しく撫でた。労わるようにな手つきに、提督は苦笑を浮かべる。

 

「まぁ、ちょっと調べ物があってねぇ……僕も聞いた事はないから、多分こっちにも無いとは思うんだけれど……」

 

 初霜は提督の背を撫でたまま、首を傾げた。子犬の様な仕草だ。

 

「提督は、何をお探しで? もし宜しければ、私達もお手伝いしますよ?」

 

「んー……」

 

「私達では、提督のお力になれませんか?」

 

 提督を撫でていた初霜の手に、僅かだが力が込められた。当然、それを感じられない提督ではない。彼は首を叩きながら、まいった、と続けた。

 

「実はね、僕のことじゃないんだ」

 

「……?」

 

 またも首を傾げる初霜に、提督は鼻の頭をかきいて肩をすくめる。

 

「特定のレシピをね、探してたんだ」

 

「特定の、レシピ、ですか?」

 

 提督の口から出た言葉に、初霜は疑問符の透ける相で返す。初霜とてそのレシピとやらは知っている。提督がこの鎮守府の開発や建造で用いた資材のレシピ、だ。ただ、初霜と提督ではそのレシピの考えに少しばかり違いがある。

 初霜たち艦娘はそういう物もあるが、確定されたレシピは少ない、としか知らない。まさか自身たちがほぼ確定された艦種別レシピで建造されたなどと、PC内の世界に在った彼女達には理解の外だろう。

 

「その、提督はレシピをお求めで、でもそれは自分の為ではない、と?」

 

「うん、まぁそうだねー」

 

 判然としないながらも、初霜は提督の言から情報を固めていく。そして初霜は、それ――提督が悩みだしたのがいつ頃からかに気付いて頷いた。

 

「よく演習をされる、あの提督にレシピを公開したいと?」

 

「公開というか……高確率である艦種、とある型が出るレシピをねぇ」

 

「それは――」

 

 提督と初霜達がやってきた世界では、艦娘の特定レシピといえばレア艦レシピしか公開されていない。提督の数は少なく、誰もが試行錯誤を繰り返して建造、開発を繰り返している状態だ。何万、何十万の提督達が攻略ウィキで情報を交換しながら精査出来る世界ではない。どうしても、レシピなどは提督の居た場所に比べれば解明し難くなるのだ。

 

 それを、公開しようかと言い出したのだ、この提督は。

 初霜の相から読み取ったのだろう、提督はまた肩をすくめて笑った。

 

「しないよ、流石にね」

 

 その言葉に、初霜は大きく息を吐いて胸を撫で下ろした。ただの情報一つであるが、その情報にどれだけの有用性があるかを思えば、公開した提督の立場が危うくなる。一つ情報を出せば、もう一つあるだろうと公開を迫る筈だ。そして、それを何度も繰り返すだろう。大本営が。

 そうなれば、提督は飼い殺しだ。情報は貴重であるから意味があり、切り札であるからこそ価値がある。ならばその情報を握る提督が、不確定多数と交友を持つなど、大本営が許す筈がない。

 提督の持つ情報は、戦力なのだ。幾つもの鎮守府や警備府を御す為の、必要戦力となるのだ。

 

「まぁ、僕が見た限り、そういうのはやっぱり無いみたいだし……多分初霜さんの顔だと、出したら即アウトっぽいしねー」

 

「即アウトではありません」

 

「え、そうなんだ?」

 

「エターナル監禁です」

 

 提督に合わせたその初霜の造語に、提督は、うへぇ、と表情をゆがめ肩を落とした。

 

「あぁ、勿体無いなぁ……」

 

「勿体無い、ですか? その、それほど才能豊かな提督なのでしょうか?」

 

 珍しく、どこか攻撃的な初霜の双眸に提督は上半身を仰け反らせた。まさか自身の艦娘が提督以上の提督、という存在に嫉妬しているなどと気付けない提督は、右手で初霜をなだめながら言葉を返した。

 

「才能は……どうだろうねぇ、僕はそう言うの分からないけれど、多分、良い提督だとは思ったかな」

 

「良い、ですか?」

 

「そそそ。秘書艦の吹雪さんとも仲がよろしかったし、大淀さんとも仲良くやっていたよ。ちょっと見ただけだけど、鎮守府の雰囲気とかも良かったし、案内役の片桐中尉だって馴染みやすい感じだったしさ」

 

 提督の右手が置かれた肩を視界におさめて、初霜はその提督の右手に自身の掌を乗せて微笑んだ。

 

「お友達が出来たんですね」

 

「うん、お友達までのお友達がね」

 

「じゃあ、今日は間宮食堂を使って皆で輪形陣になってお祝いしましょうか?」

 

「やだ、それなんか怖い」

 

「勿論提督が真ん中ですよ?」

 

「やだもっと怖い」

 

 提督は割りと本気で慄いていた。そんな提督を双眸に移し、自身の肩にある提督の右手を掌で何度も優しく握りなんだから初霜は提督に問うた。

 

「ところで、なんの艦種をその提督に建造させたかったんですか?」

 

「重巡、高雄型」

 

 らしからぬキメ顔で提督は即答した。そのまま彼は語りだす。

 

「吹雪さんでもいいけれど、やっぱりあの手のショタ提督には重おっぱい艦の高雄型二人とか加賀さん長門さんが似合うと思うんだ僕は。基本というかお約束だよ初霜さん。多分秋雲さんとか秋雲さん寄りの人がこのツーショット見たら悶える上に創作意欲を刺激されるとは思うんだけどもねぇ」

 

「あの、提督?」

 

 自身の手をにぎにぎとしながらも、どこか戸惑いがちな様子の初霜に提督は暫し無言で佇み、やがて空いている左手で自身の顔を覆った。

 

「……なんでもないよ。忘れていいからね?」

 

 そう零した。

 

 ちなみに、秋雲等の艦娘が一番創作意欲を刺激されたツーショットが、提督と少年提督であった事を後に初霜は知ったが、彼女は提督にそれを伝えなかった。流石にそんな理由で引き込まれても困るからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 とてとて、と提督は廊下を歩いていく。提督の隣を歩くのは初霜ではない。初霜の代理秘書艦をよく任される大淀、加賀でもない。提督の隣を歩くのは――

 

「今日は良い天気ですね、司令官!」

 

「うん、そだねー」

 

 提督の初期艦吹雪である。本日の演習メンバーの旗艦だ。今回の演習相手は、エースで相手をする程の鎮守府でもない事もあって、エースではないがベテラン、という吹雪を提督は旗艦に置いた。初期艦、という事もあるのだろうが、吹雪に旗艦を任せたときの艦隊は山城とはまた違った安心感がある。皆提督の一番艦である吹雪を軽んじないし、吹雪もまた提督と皆の期待に応えようと結果を出しているからだ。

 

 提督は嬉しそうに隣を歩く吹雪を見た。と、吹雪は突如相を一転させ泣き出しそうな顔で提督を見上げる。

 

「あ、あの、でも本当に大丈夫でしたか? これ私やっぱりかなりいけないことしていませんか司令官?」

 

「大丈夫大丈夫、僕が許可したんだから、吹雪さんは悪くないよー」

 

「……すいません、初霜にも悪い事をしてしまって」

 

 しょんぼり、と呟く吹雪に提督は頭をかいた。

 仕事が早く終わって暇をしている提督達のもとに、頭を下げながら入ってきたのはこの少女、吹雪であった。何度も頭を下げながら吹雪が言うのには、

 

『その、深雪がちょっと元気がない感じで……申し訳ないんですが、司令官に見送ってもらえば、あの子も元気になると思うんです……駄目、でしょうか?』

 

 吹雪が言う駆逐艦吹雪型4番艦深雪、つまり吹雪の妹も今回の演習メンバーの一人だ。

 こうやって人を気遣い、誰かの為に動くのが彼女の美点であり、また誰もが吹雪に一目置く理由でもあった。

 提督は吹雪に頷き、初霜は執務室に残って彼らを見送った。吹雪は秘書艦初霜にとって唯一人の先任艦娘である。初霜は吹雪と提督の邪魔をしなかったのだ。決して、吹雪は初霜を邪魔だとは思わないとしても、最初の、この鎮守府の始まりの二人の間に入るべきではないと初霜が決めているからだ。

 

 初霜に見送られ、二人は演習メンバーが揃って待つ港前の控え部屋まで歩いていく。語ることは、やはり最近の出来事では一番大きかった、他の鎮守府行きの話だ。

 

「あの後大変だったんですよ、金剛さんと山城さんが食堂でばったり鉢合わせして、無言でにらみ合ったり、神通さんと長良さんが完全休暇中の艦娘達に実戦形式の特訓やろうとしたり、清霜とリベッチオが戦艦の艤装装備しようとして明石さんに怒られたり、赤い芋ジャージ着た人が隼鷹さんとやけ酒はじめて迷彩艤装を装備した人に腕挫十字固決められて本気泣きしたりしたんですから」

 

「うん、居なくて正解じゃないかな、それは」

 

「司令官がいないから、そうなったんですよぅ! 居たらこんな事…………多分、してない……かなぁ?」

 

 吹雪自体、ないとは言えない艦娘が数名いたので言葉を濁した。やる奴というのは、大抵常からやらかすモノである。赤い芋ジャージの狼さんとか金剛型一番艦とか扶桑型二番艦の事であるとは誰も断言しない。断言はしない。

 

 表情をころころと変えながら吹雪は提督に話しかけていく。そんな姿を見ながら、提督は柔らかく微笑み呟いた。

 

「あぁ、やっぱ違うなぁ……」

 

「……はい?」

 

 提督の零した呟きに、吹雪は首を傾げた。型も違う、外見も違う。それでも、何故か初霜と良く似た何かを提督は感じた。

 

「うん、この前行った鎮守府で、同じ吹雪さんと大淀さんに会ったんだ」

 

「あぁ、それで違うと?」

 

「そうそう」

 

 提督は笑顔のまま頷いた。彼は少年提督の鎮守府で吹雪と大淀と出会い、言葉を交わした。それでも、彼は違うとはっきり理解できた。吹雪などは、確かに少々違う。少年提督の吹雪はまだ青いセーラー服だが、提督の吹雪の服装は黒いセーラー服で細部も違う。経験から来る自身や自己構成もあるだろうが、顔つきも少々違って提督には感じられた。だが、大淀はどう見ても大淀だった。提督の知る大淀と違いは見られなかった。それでも、提督はそれも見分けがついた。

 理由は彼にも分からないが、分かる物は分かるのだ、と彼はそれを至極当然と受け入れた。受け入れて困るような物でもなかったからだ。

 

 一人うんうん、と頷く提督と、それを見上げる吹雪が歩いていく。その提督に吹雪はまたも泣き出しそうな顔で声を上げた。

 

「そ、その、司令官! 私は私ですよ? 司令官の吹雪ですよ?」

 

「うん? そうだよ?」

 

 提督はもう前の前にある港の控え部屋へ歩み寄り、ドアノブを掴んで回した。その動作と共に、彼は何気なく声に出した。何の捻りもない素直な答えを。

 

「吹雪さんは僕の吹雪さんじゃないか」

 

 そのまま、提督は演習メンバーが待つ控え室へ入っていく。その背を追う様に吹雪は慌てて控え部屋に入り――

 

「お、本当に提督連れてきたのふぶk――きらきらしとる! 吹雪がめっさきらきらしとる!」

 

 演習メンバーの一人であった球磨がまたアイデンティティを放置して叫んだ。




このあとめちゃくちゃMVPとった。


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34話

ちょっと重巡洋艦に目を向けて無いなーっと。


「あー……もうマジめんどいしー……」

 

 そう零して鈴谷は頭上を見上げた。

 雲ひとつ無い空に浮かぶ太陽は燦々と輝き、鈴谷達乙女の白い肌を無慈悲に焼こうとしている。陽の強さに、出る前に塗った日焼け止めの効果は如何程であろうか、といった事を考えながら鈴谷は今自身が居る場所、グラウンドを見回した。

 

 様々な室外用用具の他にも、水場等が設置された普通の広いグラウンドだ。ただ、鈴谷自身は普通のグラウンド、つまり学校施設などのそれを知らないので比較は出来ていない。ただ、彼女にとっては良く知る、常の、普通のグラウンドであった。そして、そのグラウンドで

 

「うぼぁー…………ちくまー……ちーくーまー……我輩……もう駄目じゃー……」

 

「駄目ですわ……もう私駄目ですわ……最後に神戸牛をたらふく食べたかったですわー……」

 

「くまりんこー……」

 

「さぁ皆さん、適度に休んだら次の訓練に移りますよ」

 

「早く準備をなさい。この程度でへばって提督の艦娘を名乗れるものですか!」

 

 倒れこみ様々なうめき声を上げて伸びている艦娘達と、彼女達を叱咤する、鈴谷達と同じスポーツウェア姿の二人の艦娘を含めて、鈴谷の良く知る、常通りの、普通のグラウンドであった。

 

「あらあら、鈴谷はまだちょっとやれそうね?」

 

「当然でしょー? でも、ちょっとだるい感じするけど」

 

 鈴谷の隣で、他の者達とは違い二本の足でしっかりと立っている艦娘、赤い芋ジャージ姿の足柄が腕を組んだ、妙に胸を強調するポーズで佇んでいた。

 更にその隣には控えめながらも姉同様確りと立つ羽黒、乱れた髪を整える愛宕、何故か皆をカメラに収める青葉が居た。

 青葉にカメラを向けられた足柄は更に胸を強調し、隣に居る事で自然カメラのフレームにおさまってしまう鈴谷は硬い声を出した。

 

「ちょっと、青葉。別に撮るなって言わないけど、汗くさい姿はやめてよね?」

 

「えー、いいじゃないですか。こう、皆の汗水流す訓練姿を見たら、司令官だって私達の事気にしてくれますよー?」

 

「ちょ、マジでやめてよ!」

 

 鈴谷は向けられたカメラを手で遮り、本気で焦った相を見せた。

 

「あらあらー。鈴谷ってば乙女ねー」

 

 足柄のように強調するつもりもないだろうに、愛宕は腕を組んで微笑んだだけで彼女の胸が何よりも強く押し出された。その姿に、足柄は、ぐぬぬ、と自称チャームポイントである八重歯を見せて唸った。

 

「なによ、じゃあ愛宕はいいの?」

 

「んー……どうかなぁ……? 高雄と妙高はどぉう?」

 

 頬に手を当てのんびりと愛宕は彼女達より少し離れた所に立つ二人、妙高と高雄に水を向けた。元より興味があったのか、それとも無駄話を注意するつもりだったのか、兎に角二人はすぐに反応を見せた。

 

「提督に態々見せる必要も無いかとは思いますが……気にしていただけるのであれば、それも冥利かもしれませんね」

 

「余り殿方に見せたくは無い姿ではあるけれど……結果を出す為の努力の姿を、提督がどう評するかは興味があります」

 

「かたい」

 

「おかたいですねー」

 

 妙高と高雄の言葉に、鈴谷と青葉がなんともいえない相で返す。青葉達の即答に、硬いと評された二人は互いの顔を見やり、少しばかり困った相を作った。

 

「その、妙高姉さんと高雄さんは、あの、立場上仕方ないかと……私は思います。とっても頼りになりますし」

 

「ありがとう、羽黒」

 

 控えめな羽黒の言葉に、妙高は黙って頷き高雄は笑顔で応じた。三人の姿を視界に納めて、鈴谷はまた周囲を見回しつつここに居るメンバーの事を考え始めた。

 高雄、妙高。この二人は重巡洋艦娘のまとめ役である。本来ならまとめ役の立場にもっと相応しい――例えば、鈴谷達の前で倒れた利根を様々な角度で撮りだした青葉がまとめ役を担うべきであった。そういった類の鈴谷の視線を感じ取ったのだろう。青葉はカメラから目を離し、ぺろりと舌を出して肩をすくめた。

 

「いやー青葉は皆をこうして眺めているのが好きですから、監督役なんてとてもとても」

 

 そう返す青葉であるが、この鎮守府における一番最初の重巡洋艦艦娘で、更に相当の戦績保有者だ。妙高、高雄も相当だが、錬度と経験では青葉には一歩劣るのである。今鈴谷の隣で愛宕の胸に憎しみの視線をぶつける足柄も、のほほんと微笑む愛宕も、大人しく黙っている羽黒も、皆提督の下で武勲を重ねた艦娘であるが、青葉にはかなわない。

 そしてそれは彼女達と同じく、二本の足で立っている鈴谷も同じだ。

 

「なんていうか……もっと青葉に気張ってほしいじゃん、私……ら的には?」

 

 鈴谷の言に、足柄は真面目な相で青葉を見、それに続いて愛宕も青葉に目を向けた。愛宕の相はまだ笑顔のままであったが、どこか問うような、探るような目をしていた。

 それらの視線に晒された青葉は、また肩をすくめた。龍驤もそうだが、青葉もこの仕草を好んで行っている節が在る。おそらくそれは、この鎮守府の主を真似た物なのだろう。そこにまた、鈴谷に――鈴谷達に提督と青葉達古参の距離の近さを感じさせた。

 

「まぁ、皆さん色々思うことはあるとは思うんですがねー」

 

 意識した提督の真似だろう。口調も、仕草も真似て青葉はカメラを覗き込みある方向に向いた。それにつられて鈴谷達も目を動かす。青葉に誘われた双眸の先には、沢山の小さな影達が機敏に動き回っている。その小さな影達にまじって、鈴谷達とそう変わらない背丈の影があった。

 

 小さな影たちは駆逐艦娘達で、他の影は五人の軽巡洋艦娘だ。様々な型の駆逐艦娘達が、阿武隈、神通、川内、那珂、由良の指導の下体を動かしているのだ。艦娘は艤装を装備して初めて艦娘と呼ばれるに足る物となる。艤装のない彼女達はその見た目通りの能力しか有しない、ただの少女だ。だが、それでも地力を上げる事に意味が無いという事は無い。苦しみを知れば逆境に強くもなれる。そして、実戦で訓練以上の事は出来ない。ゆえに、少女達の体に負担が出ないように、神通達は駆逐艦娘達に訓練をつけている。

 が……その負担の残らない訓練でも、端から見たらどう見えるかといえば。

 

「青葉、何気にスパルタ気味ですが、よろしいですか?」

 

 皆一斉に首を横に振った。水雷戦隊、という艦隊の露払い、または負傷艦の護衛の為の戦隊を組む軽巡、駆逐には火力よりも速さが求められる。それでいて遠征の為の持久力も求められる為、自然地力をつける為の訓練は端から見たら熾烈を極めるものになりがちだ。

 それに比べれば、鈴谷達火力保有艦娘達、戦艦、重巡は戦術、砲撃理論や基礎体力を鍛えるだけですんでしまう為、人としての部分を延ばす必要はあまりない。

 妙高や高雄も相当きつい訓練プログラムを組んだつもりでも、軽巡達のそれに比べるとおかしな言葉であるが、迫力に欠けるのである。

 

「私なんかは……まぁ、古参ですので。龍驤さんや初霜さんを見てますから、ちょっと危ないんですよねー、ははははー」

 

 青葉は朗らかに笑うが、聞いている鈴谷からすれば笑えない。鈴谷の双眸の先では、その青葉の口から出た初霜が雪風と模擬戦闘を行っているのだ。体つきこそ幼く、見た目どおり非力ではあるが寸止めルールでやっている急所狙いは非常にえげつない。親友同士の二人が、喉、わきの下、水月、鼻の下、と貫手、掌打、拳で打ち込むのである。

 見目麗しい少女達の汗水を流す運動としては、物騒に過ぎた。

 

 ただ、軽巡や駆逐と重巡や戦艦の役目は違う。軽巡達が切り込み、護衛部隊なら、重巡達は指揮艦部隊だ。小回りが効かない分一発も無駄にしない為砲術理論を学び、その間に戦術を学ぶ。更に鈴谷達航空巡洋艦娘達は空母的な戦闘機運用も覚え、鈴谷達程ではないが他の重巡艦娘達も水上戦闘機の持ち帰った情報をどう取り扱うか多元的に考える為、古代の戦術指南書まで目を通さなければならない。過去の書物の中により良き未来を得る為の知恵があるからだ。

 つまり、局地的に一点投下されるのが軽巡達で、戦局を面的に見なければならないのが重巡達である。実際、鈴谷の姉妹で未だ地面に伏せている神戸生まれのお嬢様熊野は戦術と砲撃なら大の得意であるし、妹に水を飲ませて貰っている利根は龍驤鳳翔に次ぐ索敵上手だ。

 艦娘といっても一括りではなく、それぞれ向き不向きがある。

 

 ちなみに、鈴谷が見ていた初霜と雪風の模擬戦は、駆逐艦娘達の中で見ればレベルの高い物ではない。神通をして、危ない、見ていてはらはらする、兎に角混ざりたい、と言わしめたのは、今グラウンドに居ない皐月と霞の組み合わせによる模擬戦である。寸止めルールであるが、目潰し、肘撃ち、膝撃ちは当然の事。関節、打撃、全てを使って相手を潰そうとするのである。

 

「さて、そろそろ休憩も終わりです」

 

 手を打って鈴谷達の視線を集め、妙高が口を動かす。続いて高雄が頷いて未だ二本の足で立たぬ艦娘達一人一人を眺めて言う。

 

「さっさと起きなさい。提督の下に来た時から、私達に無様は許されておりません! 立って牙を剥きなさい!」

 

 高雄の意図された攻撃的な言葉に、数人が本当に牙を剥いた。だが、それらを向けられても高雄は涼しげな、いや、それ以上に嬉しそうな相でまた頷いた。それでこそ、といった相でだ。

 

 ――そんなだから、二人ともまとめ役なんて青葉に任されちゃうんだよ。

 

 鈴谷は小さく首を振った。

 

 

 

 

 

 

 

「あー……しんどーい」

 

 自身のベッドに身を預け、鈴谷は足をばたつかせる。それを見ていた熊野は、寝巻き用の水色のネグリジェを広げながら口元に笑みを浮かべた。

 その相に何か思ったのだろう。鈴谷は熊野に尖った口を向けた。幼い仕草であるが、鈴谷はこういった仕草が様になるところがある。少なくとも、熊野がやれば似合わないそれも、だ。

 

「しんどいなんて言っても、今鈴谷は何を見ていて?」

 

「……べっつにー。そういうんじゃないしー」

 

 つい先ほどまで目を落としてた本、韓非子を少し乱暴に熊野に放り投げ、鈴谷は仰向けになって腕を伸ばした。

 

「んんー…………つかれたー」

 

「つかれたー、じゃありませんわよ、いきなり何をするんですの!?」

 

「夜だよ熊野ー……どっかの夜戦好きじゃないんだから、静かにねー」

 

「もう、本当に」

 

 熊野がネグリジェを置き本棚に本を戻す姿を見ながら、鈴谷は室内を見渡した。二つのベットに二つの机、それから小さなテーブルに本棚と小物入れ。

 重巡洋艦娘等の人数が少ない艦娘の寮は部屋が余りがちだ。希望すれば一人部屋が用意出来るほどに。ゆえに、鈴谷と熊野は最上達とは部屋を別にした。特に意味は無い。事実上改最上型であるからとか、趣味が合わないとか、そういう事ではない。ただ年頃の娘が一人部屋、或いは広い部屋を欲しがるのと同じような理由で鈴谷と熊野は部屋を分けたのだ。

 

「えーっと……鈴谷、これはどの本の隣ですの?」

 

「んー、それ円珠経と周詩の間に入れといてー」

 

「いえ、ジャンル違いませんの、それ?」

 

「いいのいいの、提督の為にはならないんだから、私的にはどこでもいいのー」

 

「もう……」

 

 片して自身のベッドへ戻り、またネグリジェを手に取った熊野に、鈴谷は問うた。

 

「ねー、熊野」

 

「なんですの?」

 

「そのネグリジェ、勝負用?」

 

「――……」

 

 鈴谷の言葉に、熊野は顔から湯気を出してネグリジェを箪笥に仕舞いだした。

 

「え、それ寝巻き用でしょ? なんで仕舞うの?」

 

「あ、あなたが変な事いうからでしてよ!」

 

「熊野ー、今夜だって言ってるじゃん?」

 

「うわほんまなぐりたいわー」

 

 神戸生まれの神戸っこ故の流暢な関西弁であった。ただし、頬は未だ赤い。照れ隠しも含んだ物なのだろう。鈴谷は青葉を、いや、提督を真似て肩をすくめて口を開いた。

 

「勉強するのも、女磨くのも、提督の為って……私たち良い女だよねー」

 

「……まぁ、そうですわね」

 

 熊野は今度は大人しめの寝巻きを取り出して広げだしていた。ただ、鈴谷に応えるその相は若干赤い。

 

「提督も、さっさと手を出せばいいのにねー」

 

「鈴谷……」

 

 再び真っ赤になった熊野の相に指差し、鈴谷はけらけらと笑い出す。顔を真っ赤にしたまま諦めの相で肩を落とす熊野を置いてけぼりで鈴谷は暫し笑い転げていた。

 やがて、笑いすぎてこぼれ出した涙を拭いながら、鈴谷は息を整え始め

 

「はやく提督に求められるような女になりたいなー」

 

 鈴谷は透明な、純粋な相で呟いた。求めているから、求められたい。愛しているから、愛されたい。出来うれば、ただ純粋に、ただ強く。自身と同じ物を提督に宿らせる為に、鈴谷は今日も自分を磨く。

 

「ねーねー熊野ー、私も勝負下着ネグリジェとかの方がいいかなー?」

 

「知りませんわよ!」

 

「熊野……夜だって言ってるじゃん?」

 

「ほんまあかんわこれ」

 

 こんな日常の中で。




戦艦にも目をむけてないんですがそれは。


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35話

注意。艦隊これくしょん二次創作でありながら、艦娘が今回出ません。
おっさんと青年の無駄話です。


「はぁ、結婚、でありますか」

「そうですそうです」

 片桐中尉は焼酎の入ったコップを傾けながら眼前に居る白いシャツとジーパン姿の青年、私服の提督を見つめた。場所は片桐中尉が勤める鎮守府近くにある普通の居酒屋である。

 

「僕もこっちで――あぁいえ、ここでもう決めてしまおうかと思っておりまして、それでまぁ、伴侶というか、妻というか、お嫁さんというか、そういうのをどうしたもんかと」

「ははぁ……」

 片桐中尉は私服の、それこそ普通の青年にしか見えない提督をまじまじと見ながらなんとなく頷いた。片桐中尉も、町の居酒屋に出るにあたって服装は普通のネズミ色のスーツだ。端から見れば会社の先輩社員と後輩アルバイト、といった感じだろう。実際、店に居る客達はその様に見ていたし、興味も惹かれなかった。偶に注文されたメニューをテーブルに運んでくる店員などは、あぁ先輩に女性の事で相談しているのだなぁ、と思う程度で、それも明日には忘れてしまうような日常の一風景であった。

 

 さて、そんな事を相談された片桐中尉は大いに困っていた。今彼の目の前に居る提督は、現在片桐中尉が仕える少年提督の友人であり、広義で捉えるなら同僚であり上司でもある。無碍に扱いたくは無かったが、なにせ彼からすれば提督の発言は不明瞭かつ意味不明だ。

 

「その、お恥ずかしい話ですが、出会いがとんとないものでして」

「ははぁ……」

 ここがもう片桐中尉には分からなかった。出会いがないも何も、彼が過日鎮守府に赴いた際には、門前に百以上の艦娘がいたのである。それで出会いがないとは如何なる事であるのか、それが片桐中尉にはさっぱり分からないのである。

 ただ、次の提督の言葉である程度は氷解した。

 

「僕もまぁ、あの鎮守府を確固たる物にするには、多少自分の縁も利用したいと思っておりますので、片桐中尉、誰か幹部将官などの娘さんで年頃の、相手の容姿とか能力に無頓着ないい人はいないものでしょうか?」

「あぁー……なるほど」

 自身の膝を叩いて、片桐中尉はコップに残っていた焼酎を飲み干した。コップを静かにテーブルに戻して、年若い上官に片桐中尉は優しい笑みを向けて応じた。

 

「提督は、上級将官との婚姻などは事実上無駄ですが、宜しいですか?」

「え、無駄なんですか?」

「えぇ、無駄なんですよ」

 片桐中尉は目を剥いた提督の相を眼に映して頷いた。横を通りかかった店員にもう一つ焼酎を頼んでから、彼は提督へ続けた。

 

「私の前の……まぁ、坊ちゃんの親父さんの話ですが、あの人も昔自分の鎮守府の為にそういった事をしようとしていた頃があったんですがね」

「ほほう」

「言いにくい言葉ですが……艦娘を配下における提督という存在は、軍閥の中にあって非常に厄介な存在でもあるんですよ」

「……あぁ」

 片桐中尉の言わんとすることを察したのだろう。提督は、しまった、と言った相で頭をかき始めた。その姿を見つめながら、片桐中尉は口を動かした。

 

「軍医と同じ扱い、と言えばご理解頂けますかね?」

「待遇階級、ですね?」

「はい」

 下級の士官や兵卒に危害を加えられないよう軍医などに用意された階級の事だ。貴重な専門職を優遇する為の措置である一方、この待遇を受けた者は軍閥において無用の長物と扱われる。

 旨みをもっていない、またはデメリットを抱えているからだ。

 軍医は戦後、または退役後大抵軍から離れて市井に戻り医者に戻る。元々一般の医者に対して軍が優遇処置を用意した招致だ。役目が終われば去る者が多く、彼らは軍の中で一定の権力を得る為の派閥を作れず、また必要ともしていなかった。

 同様、現在の提督、つまり艦娘に指示を出せる存在も一種の専門職だ。それも天賦の才に頼るしかない脆い物である。手繰り寄せた縁を無駄にしない為、軍は提督の為ある程度の餌を用意しなければならなかった。それが、少佐待遇からのスタートだ。

 

 ただし、それは見せ掛けだ。大将になろうと、元帥になろうと、艦娘を率いる提督と言う立場にある限り、提督は階級待遇を受けられても軍閥政治の中で権力を得られない。

 当然だ。彼ら提督の有する戦力が馬鹿げているからだ。それを受け入れる派閥がもし存在してしまえば、あとは泥仕合だ。互いが互いを牽制する為に提督の奪い合いになり、自身の価値を理解した提督が暴発しかねない自体に陥る。それを未然に防ぐ為、提督には待遇階級しか用意されないのだ。ちなみにこれは、長く軍にいると徐々に見えてくる不文律で、大抵の提督が若いうちに一度は足をすくわれる物事でもある。

 

「しかし、そうなると上に行こうとする野心家には受けがわるいのでは?」

「その場合、艦娘と縁を切って普通の士官になるしかありませんよ」

「……そういった人物が、過去に?」

「いいえ、自分が知る限りでは、皆最後まで提督でしたなぁ」

 例えば、片桐中尉のかつての上官の様に。片桐中尉などは、口に出したことは無いが常々思っている事があった。

 

「貴方は、どうされますか?」

「やめませんよ、提督は。上に行くのは艦娘達のためなのに、そのために提督を辞めちゃあ本末転倒じゃあありませんか」

 だろうともさ、と片桐中尉は頷いた。常々、彼は思っていたのだ。

 艦娘を指示する才能を天が与えたと人はいうが、艦娘達が提督を選んでいるだけではないのか、と。効率を求める提督の下に効率を求める艦娘が集まり、戦いを求める提督の下に戦いを求める艦娘が集まる。そうではなく、そういった人材を艦娘達が選別しているとするなら、今現在の様々な鎮守府や泊地の在り方に説明がつくのである。ただ、それらから漏れる鎮守府なども在るにはあるが、少数だ。片桐中尉は、案外自分の考えは妄想や夢物語りの類ではなく、当たりではないのだろうかと胸中で苦笑を零しつつ、皿に盛られたから揚げを口に放り込んだ。

 

「じゃあ、僕らって結婚どうするんでしょう……?」

「……まぁ、普通はうちの元上官の様に、艦娘と結婚ですな」

 世界が変われど、変わらぬ物がある。職場結婚などどこにでも転がっている至極当然と世にある物だ。提督にとっての職場とはつまり艦娘達の職場でもあり、自然そうなってしまうのだ。

 それを恵まれた楽園と思うか、閉じられた箱庭と思うかは、人それぞれだろう。

 

「……」

「まぁまぁ、貴方の様な若い提督なら、まだケッコンカリもしておられないでしょうから、考える時間はまだありますよ」

「…………」

「……」

「……」

「え、もしかして?」

 提督は黙って頷いた。着任一ヶ月ほどで艦娘とケッコンカッコカリ済みというのは、片桐中尉が知る限り快挙……であるが、何故か片桐中尉はその情報をさほど重い物として受け取れなかった。受け取れなかったどころか、いつの間にかそんな物かと受け入れていた。何か無理やり修正された様な物であったが、それは片桐中尉には分からぬ事である。

 

「子供が産めるのは前に知りましたけど……まさか結婚も可とか……」

 いつぞや、大淀がこういった会話の後執務室から慌てて退室していった事を思い出しながら提督は重い溜息を吐いた。ちなみに、提督はその後も特に説明を受けていない上に、最近では各艦娘の左手薬指のサイズを記した書類を渡されたばかりである。外堀はじわじわと埋められていた。

 

「あの、ケッコンカッコカリって、こっちだと――あぁいえ、艦娘と提督的には、どういった意味が……?」

「……事実婚、です」

 提督はもう何も言わず、テーブルに突っ伏した。彼にとっては、ケッコンカッコカリの相手である山城は確かに嫁は嫁であった。ただしそれは二次嫁という奴だ。挙句彼は申し込んだ際お断りされている。格別思いが無いとは言わないが、色々と考えてしまう相手でもあった。

 

「艦娘の人権――扱いはまぁ、難しいところでして。法律上の結婚は無理ですが、あの指輪を送る事で事実婚としている状態でありますよ。うちの元上官なども、最終的には全員と結んでおりましたし」

「うぼぁー……まじかー……まじですかクマー」

 何かに浸食され始めた提督を放って、片桐中尉は年若い提督を肴に次の焼酎を飲み始めた。

 この提督は見ていて実に面白いのだ。提督ほどの年頃なら事実婚もそう珍しい物ではない。戦場が常に傍にある人種と言うのは、死が近い分血を残す、または家族を作ると言う事が早まる傾向にある。

 

 まして海軍となれば、その源流にあるのは薩摩の血だ。

 明治維新後権力を手中に収めた薩長は土州を排除し陸軍と海軍を二分して掌握した。特に海軍はあの元勲西郷隆盛の弟、西郷従道を頭においたのだ。

 そのためだろう、海軍男児というあり方はどうしても薩摩男児に近くなってしまった。南の男特有の懐の深さを持ちながらも、好戦的で生き恥を晒す事を恐れ、自らの艦と運命を共にしたがる。勿論昔の事で今はそんなことはないのだが、大本営を含む多くの人々の記憶にある海軍男児とは、快活とした薩摩男児なのである。

 

 為に、人々の理想にそい、或いは海軍男児らしく生きようとすると、どうしても海軍の男は太く短い人生になりやすい。特に戦中となれば顕著だ。艦娘との間に子が出来ぬと知っていながら、それでも結んでしまうのは、情の深さと生の短さに原因がある。

 

「で……どの艦娘とケッコンカッコカリを?」

「……山城さんです」

「あぁ、あぁあああああー……」

 提督の返した名前に、片桐中尉は顔を覆った。今度は片桐中尉が、しまった、といった相だ。

 航空戦艦娘山城という艦娘は、個体差もあるが殆どが潔癖気味で情の深い艦娘だ。姉である扶桑に向けられていた想いを提督にも向けた場合、その愛は片桐中尉が知る限りでは相当に深くなる。その反面、というべきかどうか、実に嫉妬深くもあるのだ。

 正直、ケッコンカッコカリ艦にもっとも向かない艦娘である。

 戦力を求めるなら、複数とのケッコンカッコカリは必要な処置でもある。ただし、山城の愛情に応える為には、他の艦娘とのケッコンカッコカリは、そこに愛は無いと断言しなければならない。

 感情を持つ、乙女相手に、だ。指輪を送っておきながら、だ。

 

 ただ、これは山城だけに限った話ではない。大井でも金剛でも白雪でも同じだ。

 それをどう裁くかも、提督の手腕の一つである。しかし、それでもやはり山城は不向きだ。と片桐中尉は思った。殊女性経験も浅そうな、というか無さそうな眼前の提督には、もっとも不向きな相手であったと彼は素直に思った。その思いがぽろりとこぼれた。

 

「これは……やってしまいましたなぁ」

「……片桐さん」

「はい?」

 名を呼ばれた片桐は、おや、と首をひねりながら提督を見た。顔を上げた提督の目には、常にない何かが宿っていた。

 

「僕の山城さんを、やってしまいました、は止めてください」

「……失礼」

 付き合いは短いが、片桐中尉はこの提督が好きだった。好きだからこそ、彼は頭を下げた。一個人、片桐としてだ。

 

「……いえ、僕もかっとしまして……申し訳ありません」

 提督もまた、頭を下げた。待遇とはいえ少佐にある者が、中尉の片桐にだ。片桐は提督のこういう所が好ましく思えるのだ。階級を感じさせないように私服に着替え、気軽にと居酒屋に腰をおろし、まるで自身を先輩の様にしたい、だからこそこういった相談をよせてきた提督を。

 

「しかし……話が結構反れてしまいましたなぁ」

「あぁー……ですねー」

 常に戻った様子の提督に、片桐中尉はにやりと笑う。その顔に何か見たのだろう。提督は首を叩きながら少しばかり身を正して片桐中尉の次の言葉を待った。

 

「女性と出会いがない、ですか。これはちょっとそちらの艦娘達と相談したほうが良いかもしれません」

「やめてくださいお願いします」

 片桐中尉の言葉に、提督は本気で頭を下げた。発言の意味を、女扱いしていない、として理解したら幾らなんでも提督の艦娘達でも怒り狂うだろう。いや、提督の艦娘だからこそ、と言うべきか。兎に角そうなるに決まっているのだ。女性関係に疎い提督でもその程度は理解できる。

 先ほど片桐中尉が発した言葉は、提督としては決して外に漏らしてはならぬ機密だ。

 提督は慌てて店員を呼び、片桐中尉に言った。

 

「もうなんでも頼んでいいんで、お願いします」

「ほほーう……それじゃあ、お言葉に甘えますかな?」

 とはいっても、片桐中尉ももう若くない。今でも健啖ではあるが食は衰えだした頃だ。彼は軽いものとビールを頼んでこれで手打ちとしたのである。

 ほっと息を吐いた提督は、話題を変えようとして二人の共通の人物の名を出した。

 

「で、彼はその辺り如何するんでしょう?」

「坊ちゃんは……家庭がそもそもそういう物だったから、問題ないとは思いますが。ただ……ちょいと親父さんとは毛色の違う家庭を築きそうな気は……するんですがね?」

「あぁー……」

 提督は姿を見たことがないが、片桐中尉から聞いてはいる。少年提督の父親は海軍男児らしいがっしりとした男であったらしい。となると、それとは正反対の少年提督の家庭となれば、確かに父とはまた違った物が出来上がるはずだ。

 それにしても、片桐中尉の言い方は、何か先が見えているような言い方であった。

 

「えー……その、最近彼に何か?」

「……最近、建造で愛宕が着任したんですが」

「いえ、分かりました。それ以上はやめましょう」

「……助かります」

 お互い頭を下げた。ただ、片桐中尉がどこか可笑しそうな顔をしているので、提督は首をかしげて少しばかり目で促してみた。すると、片桐中尉は頷いて応じた。

 

「けどまぁ、男女の差はありますし、愛宕はそうがっちりもしてないんですが……こう、昔の、提督と白雪が一緒に並んでた頃を思い出したりもして……逆なんですがね、絵面も。でも……どうしようもなく楽しみでもあるんですよ、坊ちゃんのこれからが」

 片桐中尉は少年提督の部下であり、父親ではない。それでも、年の離れた兄の様なつもりなのだろう。弟分の姿に、元上官の姿が重なるのがたまらなく嬉しいらしい片桐中尉の相に、提督は何も言えなくなった。

 

 だから彼は、片桐中尉が追加注文したビールを、空になった彼のコップに注いだ。片桐中尉は潮に焼けた顔に男くさい笑みを浮かべ、提督も生白い顔に腑抜けた笑みを浮かべ、意味もないのにお互い声を上げて笑った。




この手の話に艦娘は出せないという罠。少なくとも僕は絡ませないと判断しました……未熟で申し訳ない。


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36話

 布団を敷いて提督は自身の肩を叩いた。壁にかけてある時計へ目をやり、今から布団に潜り込むのは少しばかり早いか、と彼は思い部屋の隅に置いてあるダンボールへ近づいていく。

 中にある本や携帯ゲームで時間を潰そうとしているのだ。ダンボールを空け、中に手を入れた提督の耳に一つの音が届いた。

 控えめな、本当に弱弱しいノックである。

 さて、このようなノックはいったい誰だろうか、と首をひねった提督はダンボールを閉じて口を開いた。

 

「どうぞー」

 

 ゆっくりと扉を開け、夜の執務室に入ってきたのは山城であった。

 先ほどのノックと山城が結びつかない提督は山城をじっと見つめてしまった。その視線から逃れるように、山城は身をよじりか細い声を上げた。何もかもがらしからぬ調子である。

 

「あ、あの……提督?」

 

「……はい?」

 

 過日、片桐中尉と交わした会話が提督の脳裏を過ぎった。提督にとって山城は事実上の嫁――妻である。そう考えてしまうと、こうして夜の執務室で二人向き合うのは提督にとって少しばかり気恥ずかしいのである。自然、彼の声は常の物ではない硬い物になってしまった。

 それを感じ取った山城は、提督の目を見つめてまた弱弱しく声を上げる。

 

「あの……何か予定でもありますか?」

 

「いや、もう寝るだけだったんだけど……」

 

「……ごめんなさい、失礼いたし――」

 

「あぁいや、流石にちょっと早いかなって思ってたから、大丈夫」

 

 退室しようとする山城を引きとめ、提督は何度か咳を払って喉の調子を常の物へ戻そうとした。

 

「あー……で、山城さん、僕に何か用で?」

 

「あの……すいません、ちょっと頼みたい事が……」

 

 山城の返事に、提督は目を瞬かせた。山城が提督に用事、というのは少し珍しい。大抵の事は扶桑と共に、もしくは西村艦隊の艦娘達と済ませるのが山城だ。

 さてどんな難題がくるのだ、と身構えた提督の前で、山城は着物の袖から一つの物を取り出してぷるぷると震えながらそれを提督へと良く見えるように突き出してきた。

 提督がまじまじとそれを見る。彼の目に映るそれは、普通のDVDケースである。ただし、パッケージはなんというか、こう、仄暗い。

 

「い、一緒に見てください……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひ、ひっ……!」

 

 そう零して自身の腕にしがみつく山城の女性らしい香りと柔らかさを感じつつ、提督はダンボールの中から出したDVDプレイヤーと、それが接続されたテレビの画面を半眼で眺めていた。

 そこに映るのは、随分昔に流行ったホラー映画である。のろいが伝染する、新しい都市伝説の形、などと称され絶賛された作品だ。ただ、提督などからすれば、もう古典である。ホラーというジャンルは意外と流動が早く、新進気鋭の天才が斬新なホラーを作ったかと思うと、すぐ原点回帰してのろのろ歩くゾンビに戻る傾向があるのだ。

 

 提督からすれば退屈な古典であっても、彼の腕にしがみつく山城からすれば純粋な恐怖だ。ただし、ホラーを見ている彼女のほうがよっぽどホラーな顔をしている事を指摘しない優しさが提督にもあった。怖すぎて言えないだけかもしれないが。

 

「あ、あわわわ……」

 

 目じりに涙を浮かべながらも、決して目を閉じない山城に、提督は話しかけた。腕に押し付けられる柔らかな何かから意識を逸らす為である。

 

「えーっと、これはどういう話で、山城さんは見ているんだろう?」

 

「か、加賀に、なんか私がこういうジャンルだからって言われて……ひっ……で、で……初霜に相談したら、子日が持ってるっていうから……貸し、ひぃいい……も、貰って……」

 

 ところどころつまりながら、というか怯えながらも山城は答えていく。実に律儀な、難儀な性格の持ち主であった。

 隣に座り、今や遠慮の欠片もなく腕にしがみつく山城の様子に、提督は空いている手で頭をかいた。山城は滑稽なほどに怯えているが、提督にはその辺りがさっぱりと分からないのだ。

 この作品は、言ってしまえば最後だけだ。それ以外は筋立て、伏線回収でしかない。何も、山城の様にそこまで怯える場面などないのである。

 

「あぁー……山城さんは、普段ホラーとかは?」

 

「み、見ません! 見ません! これが初め……ひっ!」

 

 そうであるらしい。ただ、この作品はホラー初心者向けである。実にライトなホラーだ。提督が知るヘビーホラーに比べれば、この作品は実に軽い。それでこの調子であるのだから、普段は何を見ているのだろうと提督は思い、素直に聞くことにした。

 

「ふ、普段ですか……普段は姉様と一緒に魔女の子が宅急便を始めるのとか、田舎に来た姉妹を助ける妖精の話を――て、提督! いま、今!!」

 

 画面を指差してぽろぽろと涙を零し始めた山城の頭を撫でながら、提督は強く目を閉じた。

 

 ――そら君、耐性びっくりするほどあらへんわー。

 

 何故か龍驤調で胸中呟いた提督は、ゆっくりと頭を横に振った。比較的平和な、メルヘンな物を姉妹揃って観ていたのである。が、それにしたって今提督達が鑑賞しているホラーは前述の通り初心者向けでもあるのだ。これより初心者向けのホラーとなると、アルバトロ○フィルム辺りが出しているアタックシリーズしかない。あれをホラーと言っていい物かどうかは分からないが。

 

「……扶桑さんと一緒に見たほうが、良くないですか?」

 

「だ、駄目! 姉様にこんなの見せられない!」

 

 そして選ばれたのが提督であるという事だ。提督にならこんな物を見せても平気なのだろう、山城的には。

 

 問答無用に腕を引っ張られ、それでも泣いている山城の頭を健気に撫でている提督は、部屋の隅に在るダンボールを見つめながら肩をすくめた。

 

 

 

 

 

「あぁ……怖かった……」

 

「うん、そうだねー」

 

 胸に手を当てて俯く山城の背をぽんぽんと叩き、提督は適当な相槌を打った。心も篭っていない棒読みのそれであるが、山城は特に反応を示さない。気が回らないほどに、本気で怖かったからだろう。ホラージャンル寄りの艦娘が、実はホラーが苦手だという事実に、提督は良く分からない眩暈を覚えていた。そんな中でも、彼は隅にあるダンボールを、足でどうにか近くに手繰り寄せていた。山城が腕から手を離さないからだ。

 提督は山城の背を叩いていた手でダンボールを空け、中から一つのDVDを取り出した。

 パッケージを見て、にんまり、と提督は笑い山城の肩を軽く叩いた。

 

「山城さん山城さん」

 

「な、なんですか……?」

 

「お口直ししようか」

 

「?」

 

 テレビに映るのは、のんびりとした山村の風景だ。ナレーターの声以外は住民の声とテロップしかない、なんとも目に優しい映像である。

 そんなのんびりとした物を瞳に映し込みながら、提督は隣の山城の様子を窺った。

 特に興味を惹かれたような素振りもないが、退屈そうな様子にも見えない。人間は、後の映像のほうが記憶に残りやすい生き物だ。印象的なものを完全に拭い去るのは不可能だろうが、反するもので中和する事は可能なのだ。

 眠れない時、ぼうっとしたい時に提督が見るその映像は、山城の心を常の物に戻す事にそれなりの成功を見せていた。

 

「提督、あのウサギって野うさぎでしょうか?」

 

「だろうねぇ、こんな番組でやらせってのもないだろうし」

 

「ですよね……ふふふ」

 

 野を駆けるウサギの後姿に何を思ったのか、山城は空いている手で口元を抑えて小さく笑った。提督はそんな山城を見て、ほっと胸を撫で下ろした。が、その提督の相は少し固めだ。

 

「提督?」

 

「はいはい?」

 

「ここ、どこかしら……静かな場所ですね……」

 

「うん、元鉱山だとか言ってたから……あすこ辺りかな?」

 

 知っている情報を口にする提督と、黙ってそれに頷く山城。二人は特に無理に騒ぐでもなく、話題を探すでもなく、極々自然に会話を交わしていた。

 ただし、その中で自然でない異物があった。

 

「……」

 

 如何したものか、と考える提督の隣で、山城が俯いた。提督は、

 

 ――あぁ、そういえばさっきから山城さん静かだなぁ。

 

 と思ってその顔を覗き込むと、山城は目を閉じて舟をこいでいた。あぁ、本当に如何したものか、と空いている手を額に当てて、提督は目を閉じた。再び目を開け、彼は立ち上がろうとする。

 しかし、それは叶わなかった。遮られたのだ。

 山城の手に。

 山城は起きていない。未だソファーに座って眠ったままだ。

 

 ――仕方ない。

 

 提督はため息交じりでそう思い、ソファーに腰を下ろした。それにしても、と提督は頭をかいた。そんなに怖いのなら、見なければ良かったのに、と呟いた。

 

「いい加減僕の腕、離してくれないかなぁ……山城さん」

 

 返事は、静かな寝息であった。

 

 

 

 

 

 

 翌日の話である。

 

「あぁー……ねむい……」

 

 結局、あのまま起きなかった上に、腕も離してくれなかった山城を隣に、提督はソファーに座ったまま眠る事にしたのである。近場にあった掛け布団を自身と山城にかけて、だ。

 翌朝、彼が起きるとそこには山城の姿はなかった。

 座ったまま寝たのが悪かったのか、やはり隣にいい匂いがする事実婚の相手が居る事が心労となったのか、疲れの抜けきらぬ体を引きずって提督は欠伸を零した。

 

 現在、提督が廊下を歩いているのはせめてもの気分転換だ。仕事量はそこそこで、まだ本日の仕事は終了していない。提督はそろそろ戻ろうかと目を上げた。

 と、向こうからやって来る人影が見えた。彼は特に何も考えず、その人影に向かって声をかけた。

 

「大井さん、おはよう」

 

 今日はまだ挨拶をしていないので、昼時だろうが夕時だろうが、おはよう、だ。常の通り控えめな顔で頷く大井を予想していた提督は、ここで見事に裏切られた。

 

「……おはよう……ございます……」

 

 山城張りのホラー振りで大井が応じたのである。

 

「ヒェ……っ」

 

 思わず提督は仰け反った。

 大井の相はなんともあれな物であった。

 目の下には隈が在り、俯いた相には影が色濃く宿って、垂れた前髪から覗き見える瞳はハイライトが仕事を放棄していた。このまま丑の刻参りに行くと言っても、そうだよね、そんなかんじだよね、それ以外ないよね、と普通に返せる雰囲気であった。

 

「お、大井……さん?」

 

 昨夜の初心者向けホラーなど脳裏から消え去り、初めてオー○ィションを見た時の事を思い出しながら提督は辛うじて口を開いた。

 

 そんな提督の隣を、幽鬼の如き足取りで大井が歩いていく。先ほどまで陽のさし込んでいた窓はその役目を忘れたようで、提督の視界は恐ろしいほどに暗い。何故か暗い。そんな中で、提督は背に火の玉か白髪の痩せこけた老婆でも背負っていそうな大井をなんとなく見つめ続けた。……暫ししてから、突然大井がくるりと振り返った。

 振り返り方一つにしても、見惚れるようなホラー的振り返り方であった。

 大井は何も語らず、ただじぃっと提督を見つめた後再び墓場を彷徨う腐乱死体の様な頼りない歩き方で去っていった。

 

「……お、大井……さん?」

 

 初めて首吊○気球を読んだ夜の様な相で提督は呟いた。その背後で、阿武隈が溜息を吐いていたことを、彼は知らない。

 




大井さんはね、可能な限り毎夜きてるからね。仕方ないね。


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37話

新人組二人。


「しっかし……わかンねぇなぁー」

 

 食堂のカウンター席で態々胡坐をかいて座りながら、江風は小さな声でそう言った。

 

「こう言っちゃなンだけどよ、そう騒ぐようなモンかねぇ、あれは」

 

 頬杖をつき江風はカウンターの向こう、水場で動く人影を見つつぶっきらぼうに続けた。彼女のそれは独り言ではない。相手に同意を求めている様な内容だが、実際は確認だ。自分はおかしいのだろうか、と聞いているだけである。

 確認を求められた人影、皿を洗っていた瑞穂は常日頃から穏やかな相に微笑を添えて応じた。

 

「私は、良い提督だと思いますけど……」

 

「そら、まぁ……良い悪いでいやぁ良いだろうけどさー」

 

 穏やかな、それこそ裏方に徹したほうが良いと思っている瑞穂辺りからしたら、提督は良い提督だろう。瑞穂が裏方を希望した時、提督は笑顔で頷いたのだから、瑞穂からすれば提督は良い提督だ。

 瑞穂の様に、事務方に重きを置く艦娘はそれなりにいる。艦娘も150人以上集まれば、皆が皆海上で戦えばいいという訳には行かない。人が増えれば裏方の仕事は増え、自然事務員が不足して来る。大本営に事務員の補充を願えばいいのだろうが、その事務員が鎮守府にとって害になる可能性を考慮すれば、それも最善とは言えない。補充を頼んで間者が来るようでは、負担が増えるだけだ。

 

 その結果、鎮守府を良く知り事務能力も有した即戦力となる艦娘が裏方に回される事になるのである。当然、これは当人の希望があれば、だ。やる気のない者を配置して現場の士気が下がるのは、戦場も鎮守府も同じだ。そして、今食堂で皿を洗っている瑞穂は、志願して裏方に回った艦娘である。

 勿論、有事の際には艤装を装備して海上に出るが、好んで戦場に出たいと瑞穂は思っていない。反面、椅子に胡坐をかいて座っている江風は、事務能力などさっぱりで好んで戦場にでたがる生粋の戦闘思考持ちの艦娘であった。

 

「かー……もう、さっぱりだ、江風にはさっぱりだぜ」

 

 江風のような艦娘にとって、この鎮守府の提督の様な、体から潮の風を感じられない男というのは少し受け入れ難い物がある。ある筈なのだ。しかし現実はどうだろう。

 彼女はゆっくりと後ろに振り返った。

 江風の視線の先には長良型の姉妹達が集まっていたテーブルがある。いた、だ。そのテーブルには今や誰も座っていない。先ほどまで置かれていた食器なども片付け終えた後だ。更に言えば、そこには提督も座っていた訳である。平々凡々とした姿で。

 

 ――あの分じゃ、あの噂も本当かどうか……。

 

 そう胸中で呟いた後、江風は再び長良型姉妹に意識を戻した。

 

 長良型、と言えばこの鎮守府において軽巡四天王の一人と精鋭の一水戦旗艦を擁した上に、対潜水艦戦で特に目覚しい活躍をする姉妹達だ。特に五十鈴は対空対潜を得意とする支援上手だ。自然、江風の様な前線勤務希望の艦娘から見れば実に華やかな姉妹達である。

 だというのに、そんな姉妹達が提督一人を囲んで、ただの乙女の様に顔をほころばせてころころと笑っていたのだ。つい先ほどまで。

 それが、江風には分からない。

 

「でも、皆凄いですよ?」

 

「……そうなンだよなぁー」

 

 洗い終えた皿を水きりしながら瑞穂が微笑み、江風がうな垂れた。瑞穂が言う通り、江風達が配属された鎮守府の艦娘達は、相当に錬度が高い。少女の体を持って現世に現れたばかりの二人は他の鎮守府が如何な物であるか判然とはしていないが、それでも演習や遠征などですれ違う他の鎮守府の艦娘を見れば分かるのだ。

 動きが違うし、凄みが違う。江風自身、艦娘なりたての存在であるので己の竜骨をまだ確固たる物と出来てはないが、艦時代の彼女の艦歴が、この鎮守府に居る先任達の凄みを感じさせるのだ。

 そんな先任達が、海の男らしからぬ提督へ花に集まる蝶の様に、或いは蜂の様に寄っていくのである。江風からしたら、もうまったくの意味不明だ。

 ただし、こんな事は他では――瑞穂達以外には江風も漏らさない。

 

「川内さンもさ、時雨の姉貴もさ、超つえーさ。でもさ、ちょっとでも今みたいな事言うと、顔では笑ってるけどスゲー目で見るンだぜ?」

 

 尊敬に値する先任艦娘達と姉の目を思い出したのか、江風は自身を抱いてぶるりと身を震わせた。相当に恐ろしかったのだろう。そんな江風を微笑んで眺める瑞穂に、江風は尖った口を向けた。

 

「瑞穂は、そういうミスないのかよ?」

 

「そうですねー……私は、玉子巻きの作り方で瑞鳳さんと軽く口論したくらいで」

 

「なにそれ」

 

 おおよそ艦娘が口論する問題ではない。だが、こうだからこそ瑞穂が事務方に移ったとも言える。彼女は江風から見ても戦闘向きの性格ではないし、また艤装も彼女に合わせてか戦闘向けではない。食堂で玉子焼きの口論をしているほうが似合う艦娘では、確かにあった。

 

「私が提督にと玉子焼きを作ろうとしていると、まず玉子のかくはんからして違うと言われまして……」

 

「かくはん?」

 

「混ぜ方です」

 

 艦娘になって間もない江風でも、艤装をまとった海上戦闘はすでにお手の物だ。感覚で物事を掴むタイプである江風は、自身が少女の体である事に特に悩みもないからだろう。まず間違いなく、この少女は戦闘において今後真価を発揮していく艦娘だ。艦娘としては問題ない。

 そのくせこの江風という存在は、少女としてはポンコツだった。家事一般はさっぱりで、調理などはもう本当にさっぱりだ。食う専門で作るのはまったくなのである。

 

「その後も、焼き方はこうで、とか、提督はもっと柔らかいほうが好みだから、と言われまして……それで、その」

 

「口論?」

 

「……はい。その、私にだって作りたい玉子焼きがありますから」

 

 消え入りそうな声で返す瑞穂に、江風は苦い相で唇をゆがめた。江風と瑞穂は性格的に合わない。火と水、いや、名前からすれば風と水だろう。常に動き回り炎を煽るのが風なら、水は一所に留まり火を消す存在だ。ただ、共通点はある。互いに流れるというところだ。

 

「……そういや、リベ公は?」

 

「リベッチオさんでしたら、清霜さんと戦艦娘寮に遊びに行くと言っていましたよ」

 

「はー……あっちは順調に馴染ンでやがンなぁー」

 

 同じ時期に鎮守府に配属された江風と同じ駆逐艦娘はすでに無二の友人を作ったようである。ここにいない速吸にしても空母連中によくしてもらっているし、カウンター向こうに居る瑞穂も千歳や、これまた空母連中、更には食堂組や料理上手連中と仲がいい。

 それに比べて、江風は少々躓いている状態だ。

 姉妹との仲が悪いわけではないし、遠征や第一艦隊に編成されて海上にも出ている。ただ、その日常は艦娘として充実していても、江風という少女として充実していない。

 

「調理なぁー……」

 

 かといって、江風は瑞穂の様に調理場が似合う少女ではないと自分でも理解している。艦娘としてはすぐ確立できた江風ではあるが、少女としてはまだ不安定だ。自我はあるが自己はこれであると主張する物がないのである。

 

「自分とこの海軍の艦じゃないリベ公に、なンか先に行かれてるみたいで、おさまりが悪いンだけども、だからって似合わない事すンのもなー……」

 

「調理が、ですか?」

 

「似合うと思うか?」

 

「……」

 

 江風の言葉に、瑞穂は顎に手を当てて少し俯いた。瑞穂は周囲をきょろきょろと見回し、他に人影がない事を確かめてから小さく声を出した。

 

「摩耶さん……実は料理お上手なんですよ?」

 

「うっそだろ」

 

 江風は目をむいて驚いた。重巡洋艦娘摩耶と言えば、この鎮守府の対空の要であり、実に面倒見のいい姉御肌の艦娘だ。江風にとってはまさに尊敬に値する艦娘である。それがまさか、と思い江風はじっと瑞穂をねめつけた。だが、瑞穂は怯えもせず目も逸らさない。となれば、それはつまり。

 

「えぇー……マジかよ」

 

「ここだけの話にして下さい。間宮さんや伊良湖さん、他にも料理上手な艦娘達にはよく相談されていますよ?」

 

「相談って」

 

「から揚げの美味しい揚げ方とか、スパゲティーの茹で方とか」

 

「ンなもん、どっちも入れて待っとけばいい奴じゃないか?」

 

「違いますよ、江風さん。シンプルな物ほど、奥が深いんです」

 

「あぁー……確かにそンなモンだよなー」

 

 瑞穂は料理の事を語ったが、江風の脳裏にあるのは戦闘技術だ。砲雷撃戦一つでもただ放てばいいという訳ではないからだ。

 

「あとは……」

 

 言いよどむ瑞穂は、ちらりと江風をみてまた悩みだす。その仕草に江風は胡坐をかいたまま腕を組み、鼻からフンス、と息を吐いて胸を張った。

 

「いや、もう言い切ってくれよ。生殺しとかちょっとスッとしねぇし。大丈夫だ。もう何がきたっておどろかねぇよ」

 

「あの、これは本当に秘密ですよ?」

 

「おう」

 

 瑞穂は江風に近づき、耳元で囁いた。

 

「摩耶さん、提督の好みとか……良く聞きに来られます」

 

「……」

 

 江風はもう何も口にせず大きく首を横に振った。また提督だ。誰も彼も提督だ。悪い人物だとは江風も思わない。しかし、どうにも分からない。歴戦の艦娘達が熱を上げる相手として見るには、提督は凡庸すぎた。江風なら、もっと颯爽とした快男児がいい。指揮能力が高く、好戦的ならなお一層良しだ。ただし、それは艦として求める指揮者の理想像だ。彼女はまだ娘の部分が構成しきれていないので、理想の異性像は作れないらしい。

 

「もうなんだ、姉貴達の趣味がわかンねー」

 

 肩を落として零す江風と、それを見て困ったそうで微笑む瑞穂の耳に音が届いた。食堂の扉を開ける音である。が、今現在ここに主である間宮は居ないし、扉には準備中の札をかけていた筈だ。さて、では誰が来たのだ、と二人は扉を開けた人物へ目をやった。

 

「あぁ、やっぱりここに居たんだね」

 

 二人の視線の先に居たのは、江風の姉であり駆逐艦娘のエースの一人、時雨であった。話していた内容が内容だけに、江風は喉を数回鳴らして調子を戻そうとしていた。瑞穂は黙って微笑むだけだ。若干、その相につらそうな物も見えるが。

 二人の様子に首をひねりながらも、時雨は足を進めて二人へと近寄ってく。

 

「あぁ、瑞穂」

 

「はい?」

 

 時雨に話しかけられたからか、瑞穂は僅かに身を硬くして時雨の言葉を待つ。

 

「提督のお昼ご飯、間宮さんに任されたんだって?」

 

「はい……やってみなさい、と間宮さんが」

 

 少ない機会であるが、提督が食堂に来た場合間宮が料理を出していた。どれほど忙しくともだ。だというのに、今日に限って瑞穂が担当を任されたのである。現状、出せる力は全て出し切ったと瑞穂は考えているが、作り手の考えを食べる人に押し付けるわけにはいかない。ゆえに、彼女は提督に何も言わなかったのだが……

 

「いつもと味が違うから、多分瑞穂さんだなぁ、って提督が言ってたよ」

 

「……そう、ですか……味が」

 

 時雨の言葉を悪い方に捉えたのだろう。瑞穂は睫毛を震わせて俯いた。間宮に比肩するほどの物は作れないと彼女自身理解していたが、それでも悲しい物は悲しいのだ。

 

「おいしかったからまたお願いってさ」

 

「あ――……はい、次はもっと頑張ります」

 

 一転、ほっとした相で胸を撫で下ろす瑞穂に、時雨も笑顔でうんうんと頷いた。そんな二人をみながら、江風は居心地の悪さを感じていた。時雨と瑞穂に挟まれている上に、話題が先ほどまで口にしていた提督の事だからだ。

 

「あぁそうそう江風」

 

「……なンだよ、時雨姉貴」

 

 ばつの悪さからか、胡坐のまま頬杖をついて少々反抗的な口調で江風は返した。そんな江風を暖かいまなざしでみつめて、時雨は肩をすくめた。勿論、提督の真似である。

 

「おめでとう」

 

「……はぁ?」

 

「明日江風を第一艦隊の旗艦において海上作戦を展開するってさ?」

 

「……」

 

 時雨のその言葉に、江風は目を何度も瞬かせた。次いで、自身の頬を抓り結構な勢いで頭部を叩いた。当然、自身の、だ。

 

「っつてぇええええええええええーーーー!」

 

「いや、何をしているんだよ、江風?」

 

「時雨の姉貴、時雨の姉貴! それ本当か!?」

 

 目じりに涙をためたまま、椅子から突如立ち上がり江風は時雨の肩を掴んだ。もうこのまま時雨を抱きしめてしまいそうなテンションである。

 

「嘘じゃないよな!? マジだよな!?」

 

「本当だよ。執務室にいた提督が、僕の前で初霜と大淀に言ってたから、確定だし、僕がこうして報告役任されたんだから、信じなよ、っていうか江風痛い」

 

 時雨の言葉の途中から、江風は時雨を抱きしめていた。ぶるぶると震えながらだ。

 この鎮守府において、第一艦隊の編成に組み込まれる事は珍しい事ではない。周囲はベテラン達で、提督からしても安心して新人を任せられるからだ。

 ただし、旗艦となればまた違ってくる。第一旗艦山城がその座を引くのは、限定海域で戦艦をだせない時や、初霜が指揮を任された時、そして一部の艦娘が任された時だけだ。

 

 この鎮守府に配属になって日の浅い江風でも知っている。いや、江風だからこそしっている。高い錬度の艦娘が多いこの鎮守府の情報通、青葉に話を聞いていたからだ。強くなるための努力を厭わないのは、彼女の長所である。当然、その話の中でそれぞれの武勇伝に近い物も耳にした。

 その中で、江風にとって二番目に興味を惹いたのはある話だった。

 かつての旗艦経験艦娘達の話だ。吹雪、初霜、時雨、初雪、綾波、浜風、神通、矢矧、球磨、大井、北上、青葉、妙高、高雄、利根、鈴谷、摩耶、足柄、羽黒、金剛、比叡、扶桑、伊勢、大和、赤城、加賀、鳳翔――と、他にもまだ居るが江風の知る限り第一旗艦を務めた艦娘は、皆この鎮守府で一廉の艦娘である。

 その中に自身が入ったのだ。その喜びは一入だ。

 ちなみに、一番彼女の興味を惹いた話と言えば――

 

「あの提督、本当に見る目があるンじゃねぇか!」

 

「……見る目、ですか?」

 

 子供の様に喜ぶ妹をあやす時雨に、瑞穂は首を傾げた。瑞穂は知らない話であるから、不思議に思うのは仕方のない事であった。

 

「そういう噂があるんだよ。僕らの提督は、艦娘の事をよく見て、僕ら以上に知ってるって噂が」

 

「そんな噂があるんですか……」

 

 驚いた、と正直に語る相で零す瑞穂に、時雨に抱きついたまま江風が言った。

 

「うちの提督って良い奴だよな!」

 

「はい、私もそう思いますよ」

 

 まるで妹を見るような目で微笑み、瑞穂は江風に返した。




実は着任早々白露型を代表して提督と一緒にお弁当を食べた事もあるまろーちゃん。


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38話

第二回宴会大作戦。


「宴会……ですか?」

 

「はい、宴会です」

 

 すっかり愛用、というか提督とセット扱いになっている執務机で書類を眺めていた提督は、眼前にいる大淀へ目を移した。

 大淀は眼鏡のフレームを少し調整しながら頷いた。ただ、提督も大淀も、更には秘書艦用の机に座わる初霜の表情も、皆一様に暗い。

 なにせ前回の宴会が酷すぎた。開始早々、宴会の主役である提督離脱で始まる、いじめかな? と思えてしまうような宴会であったのだ。

 渋い顔をする提督と初霜に、大淀は胸を叩いて声を上げた。

 

「ご安心ください、前回から学びました。この大淀、同じミスは致しません」

 

 自信満々、と全身で語る大淀を見てから、提督は初霜を見た。

 初霜はただ提督と大淀を見つめるだけだ。決定権は提督にあるのだから。

 提督はゆっくりとうなずいて肩をすくめた。

 

「分かった、じゃあやろうか」

 

 提督のその言葉で宴会は決まった。

 

 

 

 

 

 

 第一水雷戦隊、そして第二水雷戦隊の精鋭達が鋭いまなざしで周囲を見回していた。神通、阿武隈に率いられた駆逐艦娘達の視界にあるのは、間宮食堂とこの鎮守府に所属する艦娘達だ。いつぞやの様にテーブルの配置は変えられ、椅子は別の部屋に運ばれている。広い食堂であっても、流石に一堂に会するとなれば手狭だ。

 親友同士、友人達、姉妹達で各々あつまったテーブルに、少し開けた場所に一水戦、二水戦の精鋭が並び立っていた。この場にいないのは、提督と大淀と初霜だけである。

 

 さて、いつになれば宴会の主役がやってくるのだろうかと待っていた艦娘達は、ふと入り口の扉を同時に見た。扉の向こうからゴロゴロと音が鳴り出したからだ。補填された道の上で、強化プラスチックタイヤが回る音だ。さて、これはなんだと隣の友人、姉妹達と顔を見合わせようとしていた艦娘達は、しかしその正体をしって言葉を失った。

 小さな人影、初霜が扉をあけ、次いで台車が食堂に入ってくる。圧しているのは大淀だ。

 そして――

 

 台車の上に置かれた檻の中で、提督が正座していた。

 

 誰も何も発しない。息さえ忘れて彼女達はその奇矯な物体と大淀達を凝視していた。食堂で存在を主張するのは台車の車輪の音と提督が口ずさむドナドナだけであった。

 台車を押す大淀と、それを先導する初霜。彼女達は一水戦と二水戦のメンバーの間で止まり、周囲を見回した。配置は、殆ど前の宴会と同じだ。間宮食堂の開かれたカウンター席前で鎮守府の主である提督が佇む。ただ違うのは、その背後にこの日の為にと選ばれた精鋭達――提督の盾と矛が並びそろい、何故か檻に入って正座をしている死んだ目の提督が居ることだろう。

 流石にそれはどうか、と思ったのだろう。長門が声を上げた。

 

「大淀、提督のその姿は、いったいどういう事だ。神通、阿武隈、初霜……お前達もだ。提督になんという真似をさせている!」

 

 鎮守府のトップに如何なる理由があってこんな無体を働いたのか、と長門は肩を怒らせて語気を強め、名を呼んだ艦娘達をにらみ付けた。戦艦長門の鋭い眼光である。気の弱い艦娘なら腰を抜かしかねない視線だ。

 それでも、名を呼ばれた艦娘達は皆平然としたままだ。

 ちなみにその間も提督はドナドナを口ずさんだままだ。

 大淀が一歩前に出て、長門と向き合う。

 

「私は、同じミスはしません」

 

「……で?」

 

「前回の失敗は、生身の提督を飢えたLOVE勢の前に出した事だったのです」

 

 大淀のかなりメタな発言に金剛が胸の辺りを押さえて呻きだした。金剛の隣に居る比叡が、大丈夫金剛お姉さま、カレー食べりゅ? などと言っているが聞こえていないようだ。聞こえていても聞こえていない振りをするだろうが。

 

「……その結果が、それか」

 

「はい」

 

 眼鏡を光らせて応える大淀に、長門は如何したものかと初霜に目を移した。見られた初霜は長門に頷き、大淀と志を同じくした同志であると応じた。大分あれな同志である。長門は少しつらそうな相で阿武隈、神通にも目を向けた。

 

「提督をお守りする為です」

 

「これも提督の為だから」

 

 両者とも、完全に作戦行動中の――戦士の顔だ。当然、二人の背後に並ぶ選抜メンバー達も皆戦に赴く前の勇者の顔である。

 長門は鎮守府における武勲艦、武功艦の並ぶ盾と矛の戦隊全員の相を見て、重く頷いて口を開いた。そして提督はドナドナ~子牛復讐編~を口ずさみ始め一部艦娘達の興味を独り占めしていた。

 

「その心意気や天晴れだ! 長門は了承した!」

 

 この艦娘も鎮守府に毒されすっかり駄目になっていた。大淀が発案し、長門が許可し、金剛も口を挟まない上に、初霜も止めないのだ。もうこれで決定である。あとどうでもいい話だが子牛が立派なミノタウロスへと成長し畜産農家を滅ぼし、こうして人の暗黒時代が始まったのだ、と渋い声で締めた提督に拍手を送る一部艦娘達が居た。

 

「その……いいでしょうか?」

 

 鎮守府の艦娘トップ4が決めてしまおうと、やはりそれでも気になる艦娘はいたのだろう。おずおずと手を上げたのは鎮守府の良心であり第一艦隊の目の一人、鳳翔であった。

 

「うむ、なんだろう鳳翔さん」

 

「そのままでは、提督がお食事できないのではないかと」

 

 長門に返す鳳翔の言葉に、殆どの艦娘が、あ、と口を開いた。現在一部艦娘達に続編をせがまれ、ふふふ、どうだったかねぇ、と老婆の様な相で返す提督は檻の中だ。

 食事をとれる状態にはどう見てもみえない。が、平然としていた大淀は

 

「ご安心ください、この大淀におまかせあれ、です」

 

 提督を檻に突っ込んで台車で運んできた元任務娘さんはドヤ顔で言った。前述に不安になる要素しかないあたり、この艦娘も実にこの鎮守府に相応しい人材である。

 彼女は長い箸、菜箸らしきものをどこからか取り出し皆に見せた。

 

「では、実演を」

 

 と言うや、大淀はテーブルにあった皿を一つとり、綺麗に切り分けて盛られていたドネルケバブを一つ摘んで檻の間からそれを提督の口元に運んだ。ちなみにその間も提督はドナドナ~鷹の団黄金期編~を歌い語り一部艦娘達の瞳をキラキラさせていた。

 

「ていとくー、あーんですよー」

 

 幼い子供に言い聞かせるような大淀の調子に、提督は素直に口をあけて箸に摘まれていたドネルケバブを食べた。もぐもぐと口を動かす提督を幸せそうな相で大淀は眺め、

 

「おいしいですかー?」

 

「ヌラーヴィッツァ」

 

「ハラショー」

 

 幼児向けの言動であやす大淀に、提督は何故かロシア語で返した。どうでもいいが最後のは一水戦として前に並んでいる、意外と提督の歌に夢中になっていた響ことヴェールヌイだ。ちなみに、ヌラーヴィッツァとはロシア語で、いいね、の意味である。

 大淀はテーブルにドネルケバブの盛られた皿を戻し咳を払った。

 

「このようにして、提督に食べていただこうかと思います。と言いますか誰ですか中東の肉料理を作ったのは」

 

「あ、それ私のです」

 

 手を上げたのは瑞鳳であった。

 

「あぁ、瑞鳳さ――瑞鳳さん!?」

 

 大淀は綺麗な二度見をかまして玉子焼き製造機を凝視した。いや、大淀だけではない、大半の艦娘は瑞鳳を凝視した。

 

「あの……偶には提督にも、違う料理を食べてもらいたいかなー……って」

 

 てへ、と笑う姿は愛らしい。そこから中東料理を宴会で平然と出してくる豪胆さは見えてこないが、彼女もまた戦う艦娘の一人であったという証左なのだろう。どうでもいい証左であるが。

 ちなみに提督と吹雪とヴェールヌイはこの間ロシア語で近況を語り合っていた。

 

 そしてぐだぐだのまま宴会は始まったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

「提督、こちらどうぞ」

 

「司令官、こっちも美味しいわよ!」

 

 何故か提督が恐れる雷、鳳翔のコンビに餌付けされている檻の中で正座している男――提督を見ながら、皐月は肩を落とした。鳳翔と雷以外にも、順番待ちで檻の周囲に待機している艦娘は多い。

 古鷹、夕雲、瑞穂、千歳、電、金剛、榛名、霧島等が待機済みだ。

 皐月の視線のさきでは提督が、あー駄目になるんじゃー、等といいながらも確りと差し出された物を口にしている姿がある。

 前に比べればましであるが、それでもやはり不満がない訳ではない。皐月は頬を膨らませて隣に居る霞に言った。

 

「僕だって司令官と一緒にご飯食べたいのに、ずるいよ」

 

「仕方ないでしょ。これでもまだ穏便……かどうかは知らないけれど、マシではあるんだから」

 

 応える霞も、言葉ほどに納得していないのだろう。その相はどこか不満げだ。目の前にある手羽先を骨ごと噛み砕かんと口に運ぶ彼女の姿は、実に未練たらたらである。

 出来うるなら霞も提督に餌付けしたいのだろう。餌付けして手懐けてしまいたいが、彼女には今までで作り上げた人物像があるし、そういう事を堂々と出来る性格ではないのだ。

 気難しい乙女なのである。

 

「んんー……初霜だって僕と同じでしょ?」

 

 未練がありながらも動かない霞から目を離し、皐月は次に同じテーブルに居る初霜を見た。初霜はコップを満たすオレンジジュースで喉を潤していた最中だったが、コップから口を離して微笑んだ。

 

「そうですね」

 

「だよね、だよね!」

 

 初霜の同意に、わが意を得たりと皐月は力強く頷いた。

 

「あのまま部屋に持ち帰ってしまいたいですよね」

 

「ううん、そうじゃないよ初霜」

 

 うっとりと檻の中の提督を見つめる初霜の発言に、皐月は力強く首を横に振った。

 初霜の手に在るコップにはアルコールが含まれている物で満たされているのだと信じて、皐月は同じテーブルに居る最後の一人、雪風に言を向けた。

 

「雪風だって」

 

「はい! 雪風も首輪とかつけて持ち帰りたいです!」

 

「ううん、もういいや」

 

 天真爛漫な笑みで大分駄目なことを口走った雪風を放置して皐月は額を押さえた。今テーブルに集まる皐月を含めた四人、駆逐艦娘のトップエース達がこれである。霞はまだマシにしても、他の二人はもうなんかちょっと駄目であった。

 

「提督が幸せなら、私はそれでいいの……苦しみのない世界で、檻の中で私たちがずっとお守りできるなら、それもきっと提督の為になると思うの」

 

「ですよね! 雪風もそう思います! もうあのまま駆逐艦娘寮に運んで用意しておいた地下室に招いたらいいと思います!」

 

 初霜と雪風の物騒な会話に皐月は頭痛を覚えつつも、いつの間にか地下室なるものを用意していたという事に驚愕していた。

 

「……どんな地下室を用意したってのさ?」

 

 皐月の半眼、じと目に晒された二人は同時に首をかしげた。何故そんな目で見られるのか不思議なのだろう。ただ、律儀な二人はしっかりと皐月の言葉に応じた。

 

「何かあっても大丈夫なようにと、第一水雷戦隊と第二水雷戦隊合同で作った地下室です」

 

「そうです! 雪風達が保存食や水とかを用意して、十年くらいはなんとかなるようにしておきました!」

 

 やだ怖い、そんなことを胸中で零しながら皐月は頭を抱えた。初霜と雪風にアルコールが入っていることを切に願ったが、願ったところで地下室は実在するのだからあまり皐月にとって良い方向には向かってくれなかった。安息は尊く遠いのである。

 

「あぁもう……この鎮守府の艦娘は、本当に変な奴ばっかりじゃないか……僕が司令官をしっかり守らないと……」

 

 そう決心して呟く皐月は、じっと檻の中の提督をみつめていたが、何事か思いついたのか突如声を上げて霞の肩を掴んだ。

 

「霞!」

 

「なによ」

 

 瞳をキラキラとさせたまま、胡乱げに自身を見る霞の肩を揺さぶって皐月は続けた。

 

「僕も檻に入って提督にあーんってすれば良いんだ!」

 

「あんたも大概変な奴よ?」

 

 冷たく返す霞の背後で、それだ! と小さく叫ぶ艦娘達が居た。

 本当にこの鎮守府は駄目だった。




すごくあたまのわるいはなし


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39話

今回は三女がやってくれたのか、あのイベントは。
またほっぽちゃんを何度も泣かせる日々がはじまるお


「ふむ……よし、これは大丈夫だな」

 

 自室兼職場の執務室で判子をついて、提督は自身の肩を軽く肩をたたいた。手元にあった書類を机の隅に追いやり、また新しい書類を手にして目を通し……

 

「初霜さん初霜さん」

 

「はい、なんですか?」

 

 秘書艦用の机で書類を整理していた初霜を手招きつきで呼んだ。提督は手に在る書類に目を落としたまま、首をかしげて提督の次の言葉を待つどこか子犬的な初霜に問うた。

 

「えーっと、食堂からの話って、何か聞いてるかな?」

 

「食堂、ですか?」

 

 傾げていた首を更に傾げ、疑問符を浮かべる初霜に、提督は手に在る書類を渡した。受け取った初霜は提督に目礼してから書類に目を走らせた。

 大本営やこの鎮守府の事務方から回された書類でないことは開始数行で初霜も理解したが、読み終えてから彼女はまた首を傾げてしまった。

 

「提督、これは、なんでしょう?」

 

「特定資源の過剰供給、かなぁー……」

 

 二人は一枚の書類、今は初霜の手に在るそれを見つめた。

 

 

 

 

 

 

「さて……これ、どうしましょうか?」

 

 頬に手をあて、間宮食堂の主間宮は眼前に並ぶ――いや、大量に在るそれを眺めた。彼女が今居るのは間宮食堂の厨房の地下にある共用貯蔵庫だ。食堂と居酒屋と酒保の各種材料の長期保存を目的とした場所であって、決して提督を拉致監禁する為の地下室ではない。

 地下の貯蔵庫は大層寒く、間宮も常の着物の上にコートを羽織っていた。そしてそれは、

 

「どういたしましょうか……」

 

 間宮の隣にいる鳳翔も同様であった。彼女達が羽織っているのは海軍士官服の冬着用の黒いコートだ。二人とも穏やかな女性だというのに、その姿に違和感はない。無骨な筈のコートでありながら、それを違和感なくまとう事の出来る彼女達は、姿形に関係なく軍属という事だろう。

 

「一応、提督に書類で相談をしてみたのですけれど……」

 

「提督に、ですか?」

 

「はい……やはり、お忙しいところを邪魔しては、駄目でしたでしょうか……?」

 

 ここに居ない提督に向かって頭を下げだしそうな間宮の様子に、鳳翔はにこりと微笑んだ。間宮の冷たい指先を手に握り、温めるように自身の手で包み鳳翔は間宮の目を確りと見つめて口を開いた。

 

「あの方はそんな人ではありませんよ。きっと、きっと間宮さんを救ってくれます」

 

「鳳翔さん……」

 

 目じりに涙を浮かべ感動する間宮に、鳳翔は何も返さずただ頷いた。

 と、友情に震える二人の耳に扉を開ける音が届いた。ついで、足音が二つ地下室に響きだした。食堂の貯蔵地下室となれば誰でも入ることは可能だが、実際に入ってくるものは限られている。間宮や鳳翔、食堂のスタッフとなっている艦娘――例えば現在厨房で仕込みを行っている瑞穂等がそうだ。

 となれば、何か材料の不足や、或いは相談があって誰かが来たのだろうと二人は思った。

 さて、では誰が来たのだろうと階段へ目を向けていた二人は、足音の主達を見て、口元に手を当てた。開いた口を見られないようにするためだ。

 

「あぁ、瑞穂さんに聞いたらここに居るって聞いたもんで、ちょっとお邪魔してますよ?」

 

 鳳翔と間宮の視線の先にいたのは、彼女達と同じコートを羽織った提督と初霜であった。少々サイズのあっていない初霜はともかく、この中で一番コートが似合っていないのが提督である。

 提督はコートを気にするように歩き二人に近づいていった。彼自身、コートに着られていると分かっているのだろう。

 

「あの、提督……?」

 

 間宮は提督の顔を見つめ口を開いた。だが、そこから続く言葉は彼女から出てこない。提督は黙って頷き二人に頭を下げた。

 

「申し訳ない」

 

「て、提督……!?」

 

「な、何をなさって!」

 

 普段穏やかな、調子を乱すことも少ない間宮と鳳翔が小さく叫んだ。彼女達の前で鎮守府の主、提督が頭を下げたのだから当然ではあるが、彼女達からすれば、何故提督が頭を下げる必要があるのかまったく分からない。むしろ、間宮等は提督がここに来た理由を鑑みれば自身こそが頭を下げる立場だと理解していたのだから、混乱は特に強かった。

 

「僕が不甲斐ない提督なものだから、鎮守府の現状を理解していなかった。君達に負担をかけて、申し訳ない」

 

「提督……」

 

 未だ頭を上げない提督を見つめて、混乱したままの間宮は提督の三歩後ろに佇む初霜を見た。勿論、助けを求めてだ。だが、初霜は黙って立っているだけだ。今の彼女は秘書艦初霜ではなく、一水戦、提督の小さな盾としての初霜として存在するのだろう。初霜はただ静かに在るだけだ。

 間宮は困った顔で隣の鳳翔へ目を向けた。間宮より冷静であった鳳翔は、間宮の視線に頷いて返した。

 

「提督、お顔をあげて下さいまし。相談したのは我々で、それを聞き届けて下さったのは提督です。そんな貴方に頭を下げられては、私達も胸が苦しいではありませんか」

 

 鳳翔の懇願するような、どこか諭すような言葉に提督は頭を上げた。そのまま、彼は初霜から件の書類を受け取り何事も無かったかのように続けた。

 

「話は、この書類で理解しています。で、それが問題の?」

 

「はい……」

 

 間宮は僅かに身を横にずらし、提督の視線がそれへと届くようにした。提督、いや、地下室にいる四人の瞳がそれに吸い込まれる。

 

 そこには大量の秋刀魚があった。

 

「よし、どうにかしよう」

 

「ありがとうございます、本当にありがとうございます提督!」

 

 提督のはっきりとした言葉に、間宮は目じりに溜まっていた涙をぽろぽろと零しながら何度も頭を下げた。今提督の手にある書類も、間宮手書きの嘆願書である。

 増えすぎた秋刀魚をどうしたらいいか、という物だ。

 

「皆さんの献立や健康管理を考えると、秋刀魚が体に良いからといつも出すわけにも行きませんし、かといって腐らせるなど以ての外……提督、どうか、どうか間宮を、間宮食堂をお救い下さい……!」

 

「お、おう」

 

 悩む理由はすこしあれだが、間宮はどうも深く思い悩んでいたらしい。提督の手をとって涙する彼女の姿は真剣その物だ。その間宮から目を離し、提督は貯蔵庫に置かれた秋刀魚に目を落とした。流石に冷蔵の中だけあって魚類特有の匂いは強くないが、山ほどに詰まれた秋刀魚達からは仄かに鼻を刺激する臭みが漂ってくる。

 

「……いや、これはちょっと予想以上に凄いなぁー」

 

「はい、私もどうした物かと思ったのですが……」

 

 第一艦隊不動の鳳翔が提督に応えた。

 

「海域に出るたびに、何故か誰かの艤装に常にかかりまして……その、性分でしょうか、捨てられず、つい」

 

「いや、仕方ない事です、はい」

 

 申し訳無さそうな鳳翔に提督は珍しく真顔で頷いた。艦時代の頃で思うことがあるのだろうが、艦娘という存在は食に対して拘りが強いものが多い。特にこの鳳翔などは戦後まで残り食糧難で苦しむ時代を見たせいか、食材を雑に扱えないのだ。復員輸送艦だった頃に、自身の船上で戦傷と飢えに苦しむ人々を見た彼女に、提督が言える言葉など多くは無い。

 

「献立などは……僕が聞くまでもないかな」

 

「私の食堂でも、鳳翔さんの居酒屋でも、焼き魚、刺身、蒲焼と色々分けて出してはいますが」

 

「なにぶん、需要と供給が釣り合っていない状態でして……」

 

 補給される分と消費される分が釣り合っていないのである。提督は、とある艦娘達を思い浮かべて鳳翔を見た。提督の視線を受けた鳳翔は、相を苦笑で染めて首を横に振る。

 

「赤城達もよく食べますが、流石に魚ばかりを食べるわけではありませんので……それに、ずっと食べているとやはり飽きるようですね」

 

「それもそうか」

 

 特に良く食べる戦艦娘や正規空母などが口にしていればもっと消費が早まった筈であるが、同じ物ばかり食べられる訳も無いのだ。それがどれ程美味であろうと、脳は飽きを訴えるのだから仕方ない。

 

「駆逐艦娘達はどうだろう? 食はそうでもなくても、人数は多いじゃないか?」

 

「提督、それが……」

 

 間宮は提督の後ろに居る初霜をちらりと見て言葉を濁した。その間宮の様子に、初霜は提督に敬礼して声を上げた。

 

「私達駆逐艦は、魚よりも牛や豚肉を好む傾向があり、あまり口にしないのです。勿論、現状を理解しているので極力食べるようにはしていますが……」

 

「でも、そんなに食べられないものなぁー」

 

「……はい」

 

 目を伏せて頷く初霜の肩を軽くたたいて、提督は微笑んだ。気にするなと伝えたのだ。

 人間も艦娘も同じだ、とはよくいうがこれもまた同じ事である。年若い人間は牛や豚を好み、中年辺りから鳥や魚を好むようになる。消化能力の低下から、脂の少ない物を摂る様になるからだ。艦娘、という存在にもある程度歳の設定がなされている様で、駆逐艦娘は特に幼く若い。

 当然、そうなると彼女達が好むのは栄養を多く含んだ牛や豚となるのだ。

 

「しかし……どうしたものかねぇ、これは」

 

 提督は目の前にある秋刀魚の山を眺めて小さく呟いた。彼の脳裏には何故か泣いている北方棲姫の幼い姿があった。いつぞや、まだ提督がただの会社員で在った頃にやった菱餅イベントだ。

 ただ、大本営から秋刀魚を集めろという指示はきていないし、暁型の末娘からも、集めるのです! とは言われていない。

 あれは飽く迄ゲームであって、現状は現実なのだから何かが違うのかもしれない、と提督は考えため息をついた。

 

「よし、ある程度は僕でどうにかしましょうかねー」

 

「ほ、本当ですか?」

 

 間宮の輝く瞳に頷き返し、提督は士官服のポケットから携帯を取り出した。スマホでないのは、勤務時間中に何かの間違いでゲームなどをしない様にと自戒した為である。

 いったいぜんたいどうするのだ、と提督を見つめる三人の視線の中で、彼は最近登録したばかりの番号にあわせてボタンを押した。

 

「……あ、もしもし、どうも」

 

『あ、あぁー……お電話ありがとう御座います。どうしたんですか、携帯に直接なんて。何か内々の事でしょうか?』

 

「あぁいえ、そんな大それたもんじゃないんですが、ちょっと変な事お聞きしても?」

 

『えっと、はい、なんでしょう?』

 

「今、秋刀魚とか食べたいですか?」

 

『……え?』

 

「秋刀魚とかめっさ食べたいとかありませんか?」

 

『いえ、嫌いじゃありませんけれど、その?』

 

「いえ、ちょっとうちの鎮守府で凄い余ってまして、それならお隣で近いそっちに冷蔵保管して上げちゃおうかなって思いまして?」

 

『……あぁー、ちょっとまって下さいね?』

 

「はいはい」

 

 と、提督は三人の顔を見回して小さく肩をすくめた。三人とも納得した顔である。友誼を深め、食糧も無駄にならない。妙手とは言えない普通の手であるが、凡庸な提督らしい普通過ぎる解決手段に、皆なんとなく笑みを浮かべた。

 さて、提督の手に在る携帯である。そこで保留になるのかと提督は思っていたのだが、どうにもそのままのようだ。しかも少年提督は手で塞いでもいない様子だ。つまりどうなるかと言えば。

 

『大淀ー、秋刀魚どうかなって』

 

『ど、どうかなって、とは? ご実家からですか?』

 

『ううん、ほらあっちの――うわっ』

 

『はいはい提督、おやつの時間ですよー』

 

『愛宕くっつかないでよー!』

 

『司令官、お芋、お芋です! 焼いてきましたよ!』

 

『吹雪も愛宕も出て行って下さい! 提督は今大淀と仕事の話をしているんです!』

 

 提督は悟った顔で携帯から聞こえてくるプチ修羅場を聞きつつ穏やかな心で過ぎる時間に身を任せていた。提督の携帯の音量が大きく、地下室という環境内である程度の情報を耳に出来てしまった間宮、鳳翔、初霜も、それぞれ苦笑いや澄まし顔でやり過ごしていた。

 

『あ、あの!』

 

「はいはい、愛宕さんから良い匂いがしましたか?」

 

『はい、なんか柔らかい匂いがしました!』

 

「それはよかったです」

 

『え、はい?』

 

「で、秋刀魚はどうしましょう?」

 

『あれ? ん? ……あれ? あ、いえ、頂ける様であれば是非。旬の頃ですし、刺身とか醤油とおろししょうがで食べると美味しいんですよねー』

 

「おやまぁ、若いうちから肴向けの食べ方をしてますねぇー」

 

『片桐に教えてもらったんです、あれ本当に美味しいですよねー』

 

 その後も暫し会話を続け、提督は頭を下げながら、失礼します、と言って携帯を切った。

 はぁ、と声を零して提督はまた肩をすくめ、三人に顔を向けた。

 

「いやぁ、思った以上にあっち凄い事になってたねー」

 

 そっちじゃない、と思いながらも頷く辺り、三人は実に心優しい艦娘達であった。




普通缶詰にしようとか考えません、大本営(運営)さん……


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40話

番外らしいっちゃ番外らしい物。
完全に別のことしてますんで。


「……」

 

「山城さん山城さん」

 

「いや、見ない。絶対見ない。見せたら貴方を沈めて私も沈む」

 

「なんでやねん」

 

 提督は隣で自身の腕にしがみつく山城から目を逸らしてテレビ画面に目を向けた。ゲーム用の幾分型落ちしたそれの画面には、美麗なグラフィックが所狭しと映っていた。映像はどこか耽美で、退廃的な雰囲気を漂わせている。美麗な女性と廃墟という組み合わせが人にそう思わせるのだろうか。

 

「あ、山城さん幽霊出た」

 

「聞こえません聞こえません聞こえませんきーこーえーまーせーん!」

 

「あ、君、はよ写真でやっつけなこっちがやられるで」

 

「はいはい、えーっと」

 

 提督は龍驤の言葉にコントローラーを操作し始めた。提督の操作はお世辞にも手馴れたものとは言えない物であった。ただし、焦った様子も無い。

 

「紅い蝶の方が個人的には好きなんだけどなぁー」

 

「そっちの方が面白いん?」

 

「面白いというか、作風があっちの方が僕向きっていうか、まだこれが試行錯誤の時代で色々と遊んでる部分があって好きだったんだよねぇ……あと背景設定が過去作の中で一番ぞくっとする物があったりで」

 

「ほへー」

 

 どうやら提督は今作は初めてでも、前作辺りまでは確りとプレイ済みであったらしい。聞き手の龍驤はゲームには疎い物の、楽しそうな提督の笑顔だけで満足げで、特に退屈を覚えている様子も無かった。

 ただ、その中で浮いている人物が一人いた。

 

「……山城さん?」

 

「……終わった? もう終わった?」

 

「いや、ほんまなんでやねん」

 

 提督の腕にしがみついて目を強く閉じた山城である。その肩はまるで神通と出会ったときの如くぷるぷると震えていた。

 さて、どうでもいい話だが一つ。

 現在提督がソファーに座ってプレイし、龍驤が提督の右側で煎餅をかじりながらそれを眺め、山城が提督の左腕にしがみ付いて離さない現状であるが、その原因となったこのゲーム。

 山城が持ち込んできた物である。

 

 

 

 

 

 

 

 事の発端は少し前のDVDにある。自身がホラーに弱いと悟った山城は、度々就寝時間前に執務室へやって来てはライトホラー系の作品を見るようになったのだ。自己改善、弱点の克服、そういったものであろうと提督は考え付き合い始めたが、今夜に限って山城はゲームを持って来たのだ。何故か龍驤まで連れて。

 

「まぁ、うちも暇してるし、邪魔はせぇへんからええやろ?」

 

 とは龍驤の弁である。山城に誘われたわけではないらしい。提督としても一人が二人になったところで問題は無いし、事実上妻になる山城との二人だけの時間に少々気まずさも覚えていたので、これは渡りに船であった。

 山城がから手渡されたゲームを見て、提督は思わず目を細めた。

 

「て、提督……何か気になる事でも?」

 

「あぁいや……昔随分遊んだなぁーって思って」

 

「そ、そうなんですか……? 初霜から借りた物なんですけれど……これは昔ので?」

 

「いやいや、過去作は随分遊んでたんだけど、これはまだやってないんだよねぇー……こっちにもあったんだなぁ、これも」

 

 懐かしそうに目を細めて呟く提督に、山城は困惑顔だ。山城にゲームの良し悪しは分からない。ゆえに、彼の懐かしそうな顔にも何も共感できないのである。

 ちなみに、山城は初霜から借りた、と言ったが実際には子日経由である。最近の子日は雪山山荘遭難ゲーで悪い方にバタフライエフェクトする事に必死で、このゲームの貸し出しを許可したのだ。

 

「んじゃ、始めますかー」

 

「おー」

 

「お、おー……?」

 

 ちょいテンション高めの提督と、それに合わせる龍驤に引っ張られて山城も声を上げたが、どう見ても無理をしている感は拭えていなかった。

 

「えーっと、一応ナイトメアいっとくか」

 

「なんやのんそれ?」

 

「一番難しい難易度」

 

「大丈夫なんか、それ? 一応初めてなんやろう?」

 

「んー……正直もうこのゲームはシステム的には行き詰ってるから、ナイトメアが丁度いいんだよねぇ……あとはまぁ……グラフィック楽しむゲームというか、ちょっとグロ怖い耽美な世界にふけるゲームって言うか」

 

「ほー」

 

 提督の説明も、龍驤と山城にはさっぱりだ。ただ、それでも話しかけたり返事をする龍驤に比べて、山城はもうこの時点で口数が減ってきていた。ホラーであるがゆえに、やはり緊張してしまうのだろう。

 

 設定が終わってゲームが始まるなり、山城は提督の腕に自身の腕を絡めた。提督はそれに何を言わない。すでに予定調和だ。来るたびに、ホラーを見るたびになされた行為である。多少は慣れてきたのだろう。ただ、それを端で見ていた龍驤は、なるほどなぁー、と小さく呟いて頷いていた。

 

「……これ、ゲーム、ですよね?」

 

「そうそう、これで驚いていたら、最新ゲーム機のゲームなんて、もっと吃驚しますよー?」

 

「はー……えらいこっちゃでー」

 

 見慣れぬ二人はOPらしきところで既に感心しきりだ。ただ龍驤は暫ししてから、にやりと笑った。

 

「こんな映像で、ホラーなんやろう?」

 

「そうそう、そこだけはまぁ、期待していいよ」

 

「ひ……」

 

 山城は身を強張らせて一層提督に強くしがみ付いた。その様子に、提督と龍驤は顔を見合わせて同時に肩をすくめた。

 

 そして三人は画面に視線をやり――

 

「山城ぉ、自分が持って来たモンやで? 当人がゲーム画面見てないってどうやねんな」

 

「でも……だめ、やっぱり無理、怖いもの……」

 

「……んー? 怖いか、これ?」

 

 冒頭の場面である。

 龍驤は困惑した相で提督を見た。視線を向けられた提督は一先ずコントローラーをテーブルの上において煎餅を手にした。

 

「このゲーム、前からなんだけども、幽霊より儀式の方が怖いだなぁ、これが」

 

「せやんなぁ……」

 

 二人は同時に手に在る煎餅をかじり、未だ目を閉じたままの山城を見た。演技ではなく、本当に怯えている様子の山城に、提督は煎餅を食べ終えると手をハンカチで拭って山城の背を撫で始めた。経験則で、こうすれば多少落ち着くと知っているからだ。

 そんな二人を眺めながら、無造作に煎餅を口に放り込んで龍驤は胸中で呟いた。

 

 ――そら、こんな調子やったら監視役も頼まれるわ、これ。

 

 口の中の煎餅を噛み砕きながら龍驤は天井を見上げた。

 彼女は煎餅を飲み込んでから、すこしばかり口を歪めて山城の背を撫で続けている提督に声をかけた。

 

「なぁ君、もっと怖いのもってないん?」

 

「りゅ、龍じょ――イタい!?」

 

 龍驤の言葉に声を荒げる山城だったが、急に頭を上げた為彼女は提督の顎を頭で打ってしまったのだ。涙目の山城よりも深刻なのは提督であろう。

 彼は何一つ言わずただ顎を押さえて肩を震わせているだけだった。その姿だけでも、どれほど痛いか山城と龍驤には分かった。

 常日頃、軽口が多い提督である。それが無言になって痛みを堪えているのだ。相当であると理解できて当然であった。

 

「て、提督、ご、ごめんなさい……大丈夫? 大丈夫ですか?」

 

 オロオロとする山城を他所に、龍驤は提督の頭に腕を回し自身の胸へと抱き抱いた。

 

「ごめんな、うちが変な事言ったからこうなってもて……ごめんな?」

 

 優しく頭を撫でる龍驤の姿からは、山城から見ても母性が溢れ出ていた。それゆえに山城は暫し呆然とその龍驤の行為を黙って見ていたが、突如思い出したように提督を奪い返した。

 そのまま、未だ無言の提督を今度は山城が自身の胸へと迎え抱きしめた。その行為にあまり母性は感じられないが、乙女心は垣間見れた。少なくとも龍驤には見えた。

 さて、提督である。彼の顎の痛みは既にそこそこには引いていたが、龍驤の抱擁に何故か不思議な懐かしさを感じ、山城の抱擁には気恥ずかしさの余り言葉が出てこなかっただけである。

 

「ちょ、ちょっと、山城、さん。ストップ、ストップ!」

 

 山城の抱擁から逃げ出して、提督は自身の頬を数度叩いた。頬に当たっていた山城の女性的な柔らかさを打ち消す為に必要な儀式であったが、龍驤と山城からすれば奇行である。

 二人は心配そうな目で提督を見つめた。

 そんな視線を受けた提督は、心外だ、と鼻で息を吐いてテーブルの上にあるコントローラーを手に取った。この空気を追い払うには、他の何かで気を散らすしかないからだ。

 

「よし、続ける」

 

「あ、ちょっと待って下さい……!」

 

「ま、ちょい長い休憩やったかもね」

 

 再び提督の腕を取り出した山城を見てから、龍驤はソファーから立ち上がった。そのまま彼女は執務室備え付けの小さな冷蔵庫へ向かい、そこからジュースを取り出した。

 彼女自身喉が乾いていたし、他の二人のコップもそろそろ中身が無くなる頃だったからだ。

 そしてそれ以上に、今はソファーから離れておきたかった。

 龍驤は見てしまったのだから。

 

 

 

 

 

 

 暗い廊下をゆっくりと歩いてく。そこそこ深い夜の世界は、どこか深海じみて彼女には少々不気味に思えた。特に執務室であんなゲームを見た後では、それなりに思う事は多い。あの影から何か出てこないか、あの角から誰かが――等と思ってしまうのは、乙女の心の多感さだろう。

 艦時代は戦えばよかったが、少女の体を得てからの彼女は自身でも呆れるほどに複雑だ。

 と、彼女は――龍驤は突然足を止めて視線の先、廊下の角へ目を向けて口を開いた。

 

「安心しぃ、確り山城が寮に戻ったん確認したから」

 

 独り言にしては大きな声だ。だが、これは独り言ではない。事実、暗い夜の廊下の角から、影が一つ伸びた。月明かりに照らせれたその姿は、夜が良く似合う少女、大井であった。

 

「ごめんなさい、龍驤さん……こんな事をお願いしてしまって」

 

「まぁ、それが皆の為でもあるやろうしね」

 

 頭を下げる大井に、龍驤は肩をすくめて返した。龍驤が言う通り、皆の為である。流石に山城が第一旗艦とは言え執務室にそう何度も泊り込めば一部艦娘達のストレスは溜まってしまうし、かといって山城に執務室に行くなとは言えない。必要なのは第三者による線引きだ。

 ただ、この鎮守府で第三者、にあたる人物はいない。

 結果、頼られやすい龍驤が大井の話を聞いて早めに動いたのだ。こじれる前に、と。

 

「ま、自分ももう少ししてから行きや? まだ提督眠れてへんよ?」

 

「はい、そうします」

 

 普段提督と語ることが少なく、その癖寝ている提督に今日在った事等を一人報告している大井の横を通り過ぎて、龍驤は歩いていく。その背に大井が再び頭を下げている気配を感じ、龍驤は振り返らずに手をひらひらと振って応じた。

 再び一人夜の廊下を歩きながら、龍驤は胸中でため息をついた。

 

 ――あぁ、損な性分や。

 

 他の鎮守府ならどうだっただろう、他の提督が提督ならどうだっただろう、もっと後に配属されていたらどうだっただろう、彼女はそんな事を考えた。

 しかしそれは余りに無意味だ。彼女はここに居る彼女であるからこそ、提督の龍驤だ。

 古参であり猛者であり武勲艦の中の武勲艦、殊勲艦である。軽空母というどちらかといえば非力な艦種でありながら前線を支え、多くの艦娘達を支え、提督と鎮守府を支えてきた。それは他の鎮守府の龍驤ではなく、この鎮守府の、あの提督の龍驤だからこそ出来た偉業だ。

 

 彼女は小さく横に頭を振った。艦としての戦い方は嫌というほど覚えた体も、未だ乙女としての心は未熟だ。提督を抱きしめた時、胸に宿ったのは温もりで、山城に取られたときに感じたのは純粋すぎる無垢な喪失だ。自身の心の一部さえ消し飛んだと龍驤が錯覚したほどの。そして山城の腕の中で、自身の腕の中にあった時よりも朱色に染まった提督の顔を見て思ったのは、刺すような痛みだ。

 針で刺された程度の痛みは、しかし今も龍驤の心を苛み続けている。

 

「目がええんも、良し悪しやなぁ」

 

 提督が幸せなら、それで龍驤は満足だ。自身の傍で提督があり続けているだけで満足できた筈だった。艦として納得した部分を、今日乙女としての龍驤が納得行かぬと声高に叫んだ。

 山城に対して、龍驤が悪く思う事は無い。山城は同じ第一艦隊の旗艦としてなんら問題の無い立派な艦娘であり、あれはあれで提督と似合いの乙女だ。硬い山城と軟い提督である。鎮守府のトップとその妻が円満に近い形に収まっているのなら、それは理想的なものだ。

 ただ、龍驤はふと思ってしまうのだ。思うようになってしまったのだ。

 

「べつに提督を幸せにするん、うちでもええやんなー?」

 

 競いあいだ。山城だけが相手ではない。競争相手は多いだろう。その結果提督が幸せになれるのなら、これは龍驤にとって必要な事であった。彼女は提督の龍驤だ。提督の為の龍驤だ。

 

「おし、明日鳳翔さんにも相談してみるかー!」

 

 腕を伸ばして彼女は叫んだ。夜の廊下に不似合いなそれは、深海に溶け込む月の明かりの様に、人知れず鎮守府の波間に消えていった。




尚提督は山城の胸で一層紅くなっただけの模様。
龍驤ちゃんはほら……ないからね?


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41話

秋だから


 空いている港の一つに、今一つの影があった。

 この港が設置された鎮守府の主、提督である。彼は持っていた小さな折り畳み椅子を広げて腰を下ろし、もう一つ持っていた釣竿を適当に振った。

 海面で揺れる浮きを眺めてから、提督は空へと目を上げた。まばらな雲と、夏ほどには照っていない太陽がそこにある。海面から吹く少しばかり冷たい風に提督は、コートを羽織ってくれば良かった、と思いながら肩をすくめようとして――

 

「お、提督ー、何してるのさー?」

 

 出来なかった。突如背後から抱きしめられたからだ。提督を後ろからハグする少女は自身の言葉に首をひねったあと、数度軽く咳を払ってにんまりと口を開いた。

 

「ねーねー、なに、なにしてんの? ねぇ何してんの? なに、なに、なに、ねぇ?」

 

「なんで君たちは姉妹からセリフを取るの?」

 

 提督は振り返りもしないまま自身に抱きつく少女に声をかけ、あ、と零してから未だ離れる素振りも見せない少女に問うた。

 

「君、本当にどっちなんだろう?」

 

「さぁ、秋雲的にはどっちもでいいかなぁって思うけど?」

 

 秋雲――駆逐艦娘陽炎型19番艦、一応の陽炎型の末っ子となっている少女は自身の事であるのにどうでもよさげにそう言った。型は陽炎だが彼女のまとう服装は夕雲型姉妹達と同じ物である。

 一瞥しただけならば間違いなく夕雲型であるが、話してみると如何にも個性的なところが陽炎型姉妹の様でもある。史実でもどちらかはっきりしなかった彼女であるが、艦娘となった現在もやはりなんとも言えない立場であった。が、当人はそんな事どこ吹く風である。

 

「で本当に何してるの?」

 

「いや、釣りを少々」

 

「どのスレ?」

 

「ちげーます、ちげーますですー」

 

 釣りは釣りでも釣り違いである。秋雲のそれはネットという電子の海で嗜む釣りであって、今提督がやっているのは現実の海での釣りだ。

 提督にとってもっとも相性が良い艦娘というのは数人いるが、この秋雲はその数人の一人である。なにせ趣味の方向が似通っているのだ。インドア派で少しばかり濃い部分を持つ提督にとっては、話が通じる存在と言うのはそれだけで砂漠のオアシスに等しいのだ。

 

「秋雲さんはどうしてこんなところに?」

 

 鎮守府の主である提督が言うように、この港は"こんなところ"だ。資源が十分にあるこの鎮守府では遠征組が全員回転する必要は無い。せいぜいバケツ集めと減った分の資源を補う遠征だけだ。となると、どうしても空きがちな港が一つや二つは出て来る。この鎮守府の出撃港は十近くあるのだから尚更だ。提督にとっては、だからこそ意外であった。秋雲も提督と並ぶほどのインドア派であるというのに、港にいるのだから。

 

「それ、提督が言っていいのかにゃー?」

 

「……あぁ」

 

 秋雲の言い分はもっともだ。秋雲がここに居る事が意外と言うのなら、提督がここに居ることも同様、意外である。提督に会いたければ執務室へ行け、と言われるほど普段から出歩かない提督が港にいるのである。提督は苦笑を浮かべて鼻の頭をかいた。

 

「僕はちょいと時間に余裕が出来てねぇ、暇つぶしだよ」

 

「ほほー」

 

「似合わないっていうのは分かっているから、言わないでいい」

 

「まぁ似合わないよねー」

 

 にゅふふふ、と独特な笑い声を上げて秋雲は提督の肩をぺしぺしと叩いた。実に楽しげな様子であるが提督からは秋雲のそんな調子も見えてはいない。ただ、なんとなくそうなのだろうとは彼も理解できていた。この辺りもこの二人の相性の良さだろう。

 

「でもまぁ、そんな似合わない事してたから秋雲に出会えたでしょー? 嬉しい、ねぇ嬉しい?」

 

 どこか妹――いや、清霜は彼女にとってはこの世界での正式な型的には妹ではないのだが、それに近い存在の真似を再びやりつつ提督に問うた。首の傾げ具合まで真似たものであるが、流石にそれは提督には気付けなかった。

 

「うれしいなー」

 

「やだこの蒼龍さん飛行甲板全然ない」

 

「そらあらへんがな」

 

 平たい男の胸を平然とまさぐる秋雲に提督は呆れ顔で返しつつ、流石に少女としてどうだと思い軽く頭をはたいた。

 

「あいた。なーにーさー。提督がネタ振ったから、秋雲もネタで返しただけだぜーい? 何、放置プレイの方が提督よかったりしたの? よかったりしちゃったのー?」

 

「放置プレイ言うなし」

 

「ですしおすし」

 

 まったく返事になっていない返事を口にして秋雲はまた独特な笑い声を上げた。秋雲は実に楽しそうである。

 

「んで、秋雲さんは、なしてこんなとこに?」

 

「あぁ、んん、秋雲さん新作開始。でもちょーっとネタに詰まって散歩中。んで、偶々提督見つけて抱きついた。今ここ」

 

「さいですか」

 

「ういあ」

 

 またも返事になっていない返事を口した秋雲に提督は突っ込まなかった。彼はゆっくりと海面を漂う浮きを見つめ、秋雲も提督に合わせてそれを眺めていた。

 暫し静かな時間を過ごして、秋雲は提督の耳の傍で囁いた。

 

「世界は違っても、空と海は同じだねー……」

 

 どこか哀愁を感じさせる秋雲の言葉に、提督は何も言わず、頷きさえしなかった。簡単に同意するには秋雲の囁きは提督にとって重すぎた。提督の見る空と海は青だが、秋雲のそれは多分違うからだ。炎に焼かれた夕焼けの様な空で、オイルと鉄くずで侵されたどす黒い海で、それが秋雲の双眸を塗りつぶしているとするなら、提督にはもう何も言えることは無い。ただの凡人提督に理解できる世界ではないのだから。

 

「今度のヒロイン、青と白の縞パンでいいかなぁー」

 

「そうかそうか、つまり君はそういうやつなんだな」

 

「エミール乙」

 

 秋雲の趣味は、イラストと漫画である。この港に来たのもそれが煮詰まった結果である。これはこの鎮守府の秋雲だけの特殊な趣味ではなく、秋雲という駆逐艦娘は全員そうなのだ。全員絵描きなのである。ただ、提督は知らないが各鎮守府の秋雲のジャンルは違っている。熱血少年漫画を描く秋雲も居れば、恋愛物の少女漫画を描く秋雲もいる。そして提督の秋雲はと言えば、

 

「で、提督はそろそろ誰かの着替えとか覗けたの?」

 

「僕が物理的にも社会的にも死ぬんですがそれは」

 

 こてこてのラブコメを描く。それはもう愛らしい絵で、だ。提督も目にした事はあるが、愛らしい少女が愛らしい少女達のラブコメ模様を描いているという現実に眩暈を覚えて早々に切り上げた経験がある。

 

「えー、提督今の状況理解してよもー、身をはってネタになってくんないと、秋雲こまるー」

 

「じゃあ今度秋雲さんが着替えてる時間くらいに突撃するわ」

 

「えー……浜風とか浦風どうよ? どの辺りの時間とか教えようか?」

 

「姉を売る妹」

 

「たまげたなぁ」

 

 提督としては姉達を簡単に売ろうとした秋雲にたまげているが、秋雲は提督に未だ引っ付いたまま、いっこうに釣れない竿を眺めながら首を傾げた。

 

「そーいやさ、提督提督てーいーとーくー」

 

「はいはい、秋雲さん秋雲さんあーきーぐーもーさーん」

 

「提督は秋雲達みたいな特典ないの?」

 

「はい?」

 

「いや、だから転生特典」

 

「……あぁ」

 

 秋雲の言わんとする事を理解して提督は肩を落とした。提督達はこの世界に鎮守府ごと移ってきたという状態だ。が、それは艦娘達の認識で、提督は更にゲームの中の艦娘達がしっかりと日常を過ごしていたという状況からの平行世界らしき場所への転移である。混乱は提督の方が一層酷かったわけだが、それももう終えた話だ。彼はその辺りは特に触れず暫し黙り込んだ。

 その沈黙を嫌ったのか、それとも気を回したのか、秋雲は提督を更に強く抱きしめて口を開いた。

 

「いやー、秋雲達ってば強くてニューゲームの無双だぜー? 提督もそーゆーのなんかなーい? ほらステータス見えるとか、実はSクラスの実力があるけどBランクくらいで満足してる的な」

 

「提督にはそーゆーのないなー。僕は僕のままってもんさ」

 

「えー……なんか欲しくはなかった?」

 

 秋雲の声は、意外なことに真面目である。真剣な相であるのか、そうでないのか。後ろに目の無い提督には分からぬ状態だ。ただ、真剣な声にふざけて返す事は提督もしなかった。

 

「いや、一個あるかな」

 

「お、本当?」

 

 嬉しそうな秋雲の声に、提督は我知らず微笑んだ。彼を思い彩る秋雲の相が喜びであった事に、彼もまた喜んだのである。

 

「秋雲達が僕のチートだなぁと」

 

「……あぁ、仲間チート系か……いや、組織チート系?」

 

「それそれ」

 

 提督当人の身体や能力になんら特典もないが、彼の艦娘達とこの鎮守府がそれを補って余りある状態でこの世界に在るのだ。提督は十分に恵まれている。少なくとも、彼はそれ以上求めるつもりは無い。あと彼が欲しい物と言えば、平穏くらいだろう。

 何せ宴会を開けば初手轟沈、次檻で見世物である。しかもどちらも彼にとってのチート部分である艦娘によってなされた行為である。実に駄目な特典である。

 

「なるほどなー。でも提督あんまそーゆーの言わないよねー? それ皆にも伝えてあげたら喜ぶと思うけども?」

 

「その結果金剛さんにまた轟沈されろと言うのか」

 

「あっ」

 

 察した秋雲はそれ以上何も言わず顔を背けた。勿論提督には見えていないが、なんとなく分かるものである。彼は肩を落とした。この鎮守府に所属する艦娘は、提督に対して少々……いや、かなり感情的だ。悪い方にはあまり向かわないが、嬉しいことがあると直ぐ行動に移す傾向にあるのは確かである。駆逐艦娘や金剛等はその筆頭であると言っていいだろう。

 提督からすればそれで一応納得しているが、艦娘達からすればその程度ではない。今になってやっと触れ合えるのだ。今はまだそれで満足しているだけである。今はまだ。

 

「あぁもう、君達も女性なのだから、安易に異性に触れていいものじゃあないと僕は思うんだけれどもねー……」

 

「現状」

 

「うん、秋雲さんにものっそい抱きつかれてますけどね?」

 

 事実である。提督が口にした内容と、現状は大きな隔たりがある。異性に安易に触れるなと提督は言うが、今の提督は秋雲に後ろから抱きつかれたままだ。

 秋雲からすれば安易ではないのだから、何を言われても離すつもりはないのであるが。

 

「そういやー、今日も龍驤さんにハグされまくったの?」

 

「おうともさ」

 

 何故か胸を張る提督に、秋雲はまたも個性的な笑い声を上げて返した。龍驤という軽空母娘も秋雲同様、いやそれ以上に提督と相性のいい艦娘である。秋雲にとっては本当に頭の上がらない先任であり頼れる姉貴分である。そんな龍驤が、いつ頃からか提督に対してのスキンシップが目立つようになってきた。廊下ですれ違えば抱きつき、食堂で座っている提督の頭を撫で、出撃前の顔見せではハグ、である。

 

 秋雲や龍驤のような相性の良い艦娘との触れ合いは、提督にとってもある意味で癒しだ。一人違う場所に来てしまった彼にとって、艦娘は温もりであり癒しでもあった。無償で愛した存在達からの暖かさだ。そこに安心感を感じられないほど提督は冷たい人間ではない。

 相対的に度々見かけられる山城の藁人形と五寸釘が似合いそうな姿も現在の鎮守府にはあるわけだが、結局それのケアも夜の執務室のホラー鑑賞等で行われているので、現状は確りと維持されている。提督の平穏は若干置き去り気味だが。

 が、それでも徐々に変化はある。

 

「あぁでも、今日は夕立さんとか文月さんにもハグされたなぁ」

 

「そりゃーねぇー」

 

 頼れる古参の姉貴分がやるのなら、自分も、という事だ。これは龍驤の真似ではない。ただ彼女たちにとってすべき事を龍驤に教えられただけである。

 

「一応二人にも、さっき秋雲さんに言った事と同じ事を言ったけど、あれは伝わってないなぁ」

 

 提督は当時の二人を思い出しながら零した。二人とも首をひねって疑問符を頭の上に浮かべていた。言葉を理解していないというより、その行為の何が駄目なのか分かっていないような様子であった。それはそうだろう。彼女達もまた、安易に抱きついたわけではないのだから、提督の言葉を理解できるはずも無い。提督もまた彼女達のそういった部分を理解できていないのだから、なんとも悲しいすれ違いである。

 

「あぁ、ビギナーズラックなんてないもんだ」

 

「おや、坊主でフィニッシュー?」

 

「残念ながらねぇー」

 

 提督は垂らしていた釣り糸を巻き戻し、肩をすくめた。そのまま、前を見たまま彼は続けた。

 

「ありがとうね、秋雲さん」

 

「うん?」

 

 首を傾げる秋雲に、提督は顔だけ振り返って笑った。

 

「来たときは寒かったけど、今は暖かいよ」

 

「……うん、秋雲も今は暖かいよー」

 

 秋雲は提督をまた強く抱きしめた。提督がそう思っているのなら、今はそれでもいいか、と思いながら。



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42話

また重要な事をさらっと流し逃げダイナミック


 手に在る書類を乱暴に机へ放り投げ、彼――少年提督は自身の艦娘である大淀を鋭い眼差しで射抜いた。睨み付けられた大淀はただ常の通り佇むだけで、そこに怯えや恐れは見えない。

 常から穏やかな少年提督に睨み付けられるのも仕方がないことであり、怯懦と応じる必要も無い事であった。今少年提督の手から放された書類は、ただ大淀の仕事の一つでしか無かったのだから。

 

「大淀、これはなんだ」

 

「提督、必要なことです」

 

 相同様、硬い声を上げる少年提督に大淀は常の涼やかな声で応じる。それがまた歳若い少年提督の心を逆なでしていることに大淀は気付いていたが、彼女まで感情的になれば今この執務室で交わされている会話は鋭いだけの物になってしまう。大淀はそれをこそ恐れた。

 

「あの鎮守府は近すぎるのです。今後、本当に提督の友人に相応しい方であるかどうか、我々は知らねばなりません」

 

「大淀」

 

「……貴方に万が一でもあれば……私たちは……」

 

 大淀の崩れぬ相が徐々に弱さを彩り始めた。自身の痛みには耐えられる艦娘が、提督の"もしも"を想う余り見せた脆い少女の相に、少年提督は言うべき言葉を失った。

 彼はゆっくりと目を落とし、先ほど乱雑に扱った書類を手に取り目を通した。そこにあるのは最近交友を持つに至った同期の提督の詳細が記されていた。

 名前、年齢、性別、出身地、生い立ち、士官学校での成績、素行、教官たちの所感、提督としてのデータ。様々な、それこそ人物を知る為に図る素材がそこに転がっている。だからこそ、少年提督はやはりそれを乱暴に扱って再び放り投げた。歳若い彼の心は青臭い正義心に忠実であった。

 しかしその青臭さを彼は瞭と自覚していた。自覚して尚青臭いと言うのなら、それはもう彼の生涯に渡る友である。

 

「大淀、気持ちは嬉しい。けれど、僕はあの人をこうやって」

 

 そう言って、彼は机の上にある書類を指で弾いた。

 

「こうやって紙面でみるべき人じゃないと思う。僕らは、もっと友人を目で見て心で感じるべきだ」

 

「裏切られたらどうなさるのですか」

 

 大淀の心底から少年提督を気遣った言葉に、少年提督は苦笑を添えて首を横に振った。

 

「あの人は、多分僕をこんな風に調べては無いよ、大淀。先に裏切ったのは今の……こんな事をしてしまった僕らだ。後で裏切られたからって、恨んじゃいけない」

 

「調べたのは私です!」

 

 声を荒げた大淀に、少年提督は微笑んだ。その笑みは、大淀の心に自然と入ってきた。

 

「大淀は、僕の艦娘だ」

 

 そう笑って返す少年提督の相は、驚くほど彼の友人の笑顔と似ていた。無論、二人には分からぬことであるが。

 

 俯いて黙った大淀の肩を見つめながら、少年提督は脳内に入ってしまった情報を思い出した。同じ学科、提督科という旧海軍時代にはなかった士官学校の学科の中に居た自身の年上の同期、隣の鎮守府の提督のデータだ。

 年数人、一人も居ない時も珍しくない科であるため、実情は主計や砲術、参謀等に混じって特別扱いされるのが提督科の士官候補生だ。将来恵まれたスタートを踏み出せる彼らを、嫉妬の眼差しで見る人間は当然多い。それによって貴重な提督と言う存在が軍部から去らぬよう、また教官達――いや、士官学校は特別扱いするのだから、その嫉妬はより一層強まる。

 そんな中で共に過ごした同期と言うのは、なかなかに記憶から拭えない物である筈なのだが、面白いことに少年提督は隣の鎮守府の提督のことなど、当初すっかり忘れてしまっていた。

 

 大淀のまとめた書類のデータを脳裏に描く。流し見た程度でも、今しがた読み取った情報は鮮明だ。

 普通の家庭に生まれ、まったく普通に育ち、偶然提督の素質を持っていた。転がり込むようにして入った士官学校での成績は中の下、素行はまったくの普通、教官達の所感は、居るのか居ないのか分からないほど存在感がなかったという事。提督としてのデータは、丙。最低ランクだ。

 次に記されていたのは、この世界での提督の特殊相性である。駆逐艦娘、初春型。

 それだけだ。

 

 通常、特殊相性が駆逐艦娘にある提督は他の鎮守府や警備府の支援役や、遠征を担うことになる。火力不足は否めないからだ。その中でも、特に少年提督の友人である提督は運が無かった。

 駆逐艦娘、しかもその中でも初春型にしか彼の持つ提督としての相性は発揮されないのだ。

 初春型という駆逐艦娘は決して恵まれた性能を持っていない。睦月型の様な燃費のよさも、陽炎型や夕雲型の様な優れた性能も持ち合わせていない。おまけにたった四人しか現在も確認されていない上に、もし増えたとしても二人増えてたったの六人だ。全てで一歩劣る艦娘である。

 

 だが、蓋を開けてみればどうだ。

 彼は同期の提督どころか、既に何年も深海棲艦達と戦ってきた先輩提督達となんら遜色の無い、いや、明らかに彼ら以上の戦果をあげている。

 そこまで考えて少年提督は驚愕したが、何故か徐々に脳と心は冷え、次第にそれを、あぁそんなものか、と受け入れていた。無理やり何か――この世界その物に抑え込まれたという事実に気付くことも無く、少年提督は息を吐いた。

 

 彼の吐いた息を落胆のそれと感じ取ったのか。大淀は肩を僅かに震わせて俯いた。少年提督は大淀の肩を撫でた。自身より高いところにある肩に少々羨望を覚えて、であるが。

 

「僕とあの人は、生まれもあり方も違うだろうけれど、これは必要な事だったと僕は思うよ。人間は似通った人間の中で、違った人間を偶に求める物だって父さんも言ってた。人として何かを得る為だって……多分、これはそういう事なんだ。だからもう、大淀。あの人にこういうのはやめよう」

 

「……はい」

 

 素直に頷く大淀に、提督もまた頷いた。ただし、と彼は続ける。

 

「僕はあの人を信じたけど、これから先信じられない人間が出てくる事だって分かってるつもりだ」

 

 青臭い正義心であろうと、生涯の友であればそれは忠告も忘れない。友故にだ。

 

「だから、その時は頼むよ」

 

「……はい」

 

 大淀は力強く頷いた。

 

 少年提督は、何気なくいった言葉であろう。人間が、自身とはまた違う人間を求める、と。

 当人たちは知らずとも、いつ頃か彼の友人の配下にある浜風も、同じような事を思った。

 それが答えである。

 まさかそれ故に、提督がここに居るなどと誰が思うだろうか。星が自身とはまた違う星の血を求めた。新たなる提督の血を、この星が求めたのである。艦娘と人間の為に。

 

 

 

 

 

 

 さて、その壮大なアプローチの末この平行世界にやってきた提督の鎮守府はと言えば。

 

「はーい、ストップ。よし、休憩!」

 

「うっぷす……」

 

「はぁ……はぁ、はぁ……」

 

「ふぅ……ふぅ……」

 

「……」

 

 現在広いグラウンドで訓練を行っていた。

 もっとも、参加人数は少ない。妹が第一艦隊として出撃した為代行で指導艦を務める長良、訓練に参加している朧、潮、漣、曙、合計たったの五人である。

 

「んー……流石に一水戦の精鋭ねー。二水戦メニューについて来るとか……どう、二水戦来る?」

 

「いえ……私達、このまま一水戦で、頑張ります、から」

 

 代表して朧が長良に答えると、皆同意とばかりに一斉に頷いた。それを見て長良は目を細めた。無論、笑みの為である。

 

 この鎮守府において、一から四まであるどの水雷戦隊に所属するかは、当人の意志によって決められる。艦時代一水戦であっても、艦娘である今を縛る要素にはならないからだ。ただ、やはり慣れた古巣が良いと思うものなのか、艦時代の記憶が同僚と上司を求めるのか、どうにも過去の編成のままに水雷戦隊は組まれがちだ。そんな中、この朧たち第七駆逐隊は少しばかり毛色が違った。姉妹全員、一水戦になったのである。

 艦時代、一水戦、二水戦、三水戦、四水戦とばらばらになりがちだった彼女達は、今世こそはと思ったのか、皆一水戦に所属した。

 長良などはその姉妹の繋がりを尊重する反面、そんな気持ちだけでやって行ける水雷戦隊ではないと考えても居たのだが、今彼女の相を覆うのは笑みである。

 

「そっかー……でも、皆どこでも十分やれるだけの力は持ってるって事。それは忘れないように」

 

「はい!」

 

 長良なりの声援に、普段大人しい潮が大きな声で返した。元々一水戦であった彼女は、本来とは少々違った運用をされる現在のこの戦隊の在り方に第七駆逐隊の中で一番合った艦娘である。

 ちなみに二番目と言えば、潮の隣に立って肩で息をしている曙である。朧と漣はマイペースであるが、それは自身のペースを崩さず周囲を見ているという事でもある。護衛としては多面的な視覚を有することは美点である。提督第一の潮と曙、周囲に目を配る朧と漣。実に均衡の取れた駆逐隊である。

 ただし、

 

「らんらんは豚だから難しい水雷戦隊の事とかはわからないよ」

 

「また漣が訳わかんないこと言ってる……」

 

 妹の奇妙な言動に頭を抱える曙と、そんな姉達を苦笑いで見つめる潮、そしてぼーっと眺める朧は、長良のような少女には少々難しい相手でもある。特に特Ⅱ型の五女、漣は長良からすれば未知の生物にも似ていた。

 

「漣も偶には海でゆんやーさせたいー」

 

「今度、大淀さんや長良さんに相談してみる?」

 

「どっちかって言うと、初霜に話通してもらったほうが良いんじゃない?」

 

「ゆんやーって何?」

 

 上から、漣、潮、曙、朧である。

 この奇矯な言動を見せる艦娘、漣は人類と最初に接触した五人の艦娘の一人の同艦同族である。別の漣とはいえ、なかなかに重要な立ち位置にいる筈の存在なのだが、個性的過ぎて交友範囲が狭いのもまた事実であった。特にこの鎮守府の漣はそれが顕著である。

 提督と似たような趣味をもつわりには、それほど提督との相性は高くない。何せこの漣と言う艦娘、テンションが高いのである。おまけにインドア派の様に見えて実はアウトドア派だ。様々なことに首を突っ込み、気付けば動き回っているタイプである。

 

「ゆんやーはゆんやーじゃない?」

 

「いや、そんな平然と返されても困る」

 

 朧は妹の返事に常の通り返しているが、良く見ると相に若干の疲労が見えていた。曙と潮は、そんな二人を眺めながらまた違った会話を交わしていた。

 

「そういえば、この前凄かったよね……」

 

「……あぁ、この前のあの謎の会話ね」

 

「……」

 

 潮と曙の話に、長良は頬を引きつらせた。その場に長良もいたからだ。

 さて、何があったかと言えば簡単だ。提督が訓練を見に来ただけの話だ。ただ、その後が簡単で意味不明であった。長良達にとっては。

 提督が、秋雲、漣、初雪、望月と会話を始めたのである。ただの会話である筈だ。ある筈だが、長良達にはその会話がさっぱりであった。

 恐らく日本語であろうが、独特のスラングを用いて交わされた提督達の会話はあまりに意味不明であったのだ。

 

「私も、勉強したほうがいいのかな……」

 

「やめて」

 

 どこか意を決した潮の言葉に、曙の必死の止めが入った。長良も当然曙と同意見である。彼女は大きく頷いて潮の決意を挫こうとしていた。だが、そんな二人を見ても潮は曲げぬようで、硬い相で口を開いた。

 

「で、でも、覚えたら提督とももっとお話できる、かなって」

 

「漣、ちょっと教えなさいよ」

 

 曙陥落である。陥陣営でも突っ込んできたのかと言うほどの陥落っぷりであった。長良のなんとも言えない視線に気付いたのか、曙は腕を組んで顔を逸らした。

 ちなみに、陥陣営とは呂布配下の名将高順、または彼の部隊その物に与えられた異名である。彼の率いる部隊は必ず攻め込んだ敵陣を落とした為こう呼ばれたのだ。

 

「ち、違うわよ! 別にクソ提督のことなんてどうでもいいし? ただ遊んでやるっていうだけの事で深い意味とか全然ないし!」

 

「ツンデレ乙」

 

「ツンデレとかじゃないし!」

 

「おほーっ」

 

「もう漣マジ意味わかんない! そんなだから秋雲と違って提督に近づけないのよ!」

 

「あやまって?」

 

 言葉こそあれであるが、最後だけは漣も瞳孔の開ききったマジ顔であった。何やら言い合いを始めた二人と、それを宥める潮を放って、長良と朧は目を合わせた。

 

「お疲れ様……」

 

「それほどでもない」

 

 朧の独特な返し方に、この子もやっぱり漣の姉なのだなぁ、等と思いながら長良は肩を落とした。世界が提督を求めて呼び寄せようと、違う鎮守府の大淀が警戒して提督を調べようと、この鎮守府は常の通りである。

 

「ゆんやー!」

 

「ゆんやー!!」

 

 意味不明な事を叫び互いにファイティングポーズをとる漣と曙の姿は、まさにこの鎮守府の提督に相応しい艦娘のそれであった。




平行世界「世界の変革に合わせて違うとこから提督呼び寄せたらなんか変なの釣れた」
提督の居た世界「ざ ま ぁwwwwww」
平行世界「あやまって?」

多分今頃こんな感じ。

あと作中に出た意味不明なあれを調べられる方は、自己責任でお願いいたします。人によっては大変不快な思いをいたしますので、ご注意ください。
ちんちんかゆい人との約束な?


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43話

 鼻歌交じりで、おまけに体でリズムまで取って歩く目の前の上司を見ながら、野分は確りとした足取りで歩いていた。ご機嫌に歩く彼女の上司――那珂と、軍属らしく一部の隙もなく歩く野分の姿は対照的だ。ただ、現在彼女達が歩く鎮守府の廊下には傍目が存在していない。

 もっとも誰かが二人を目にしても、何も思わずすれ違いざまに会釈したり軽く挨拶をする程度だっただろう。皆理解しているのだ。彼女達はそういった艦娘であると。

 

「那珂さん、今日の訓練メニューはどうしますか?」

 

「那珂ちゃんだよー、さんはいらないよー?」

 

「……いえ、その上司を、ちゃん、と呼ぶわけには」

 

「もー、野分は硬いぞー、そのままだと、自分不器用ですから、とか言い出すようになっちゃうよー」

 

 態々振り返り不器用云々の所で、きっちりと眉を寄せてしかめっ面を作る辺りが実に那珂らしい、と思いながらも野分は那珂の言葉に頷かなかった。なにせこの彼女、普段から妹に当たる艦娘からノワッチなどという不本意な名で呼ばれている為か、人をあだ名で呼ぶ事が不得意なのだ。

 しかもそれが上司となれば尚更である。

 

「んー……ま、それが野分のいいとこでもあるからねー。でも、いつまでもそれじゃ那珂ちゃんやだよー?」

 

「……善処します」

 

 曖昧な返事の野分にも、那珂は微笑んで身を翻して歩いてく。軽巡艦娘としては平均的な身長の、その那珂の背を見つめたまま野分は小さく息を吐いた。

 彼女の聞きたかったこと、つまり今日の訓練メニューの話が流れてしまっているからだ。それを口にしようとした野分は、しかし那珂の声によって遮られた。

 

「今日はねー、お休みにしようかー」

 

「え、休み、ですか?」

 

「うん、那珂ちゃんそんな気分なんだー」

 

「き、気分一つで休暇なんて……っ」

 

 那珂の能天気な言葉に、野分は声を荒げた。

 野分が所属し、那珂が指揮を執る第四水雷戦隊は、他の水雷戦隊に比べれば酷く地味だ。

 

 四水戦は第二艦隊の魁……つまり二水戦と同じ立場にある水雷戦隊であったが、旧海軍時代の、つまり彼女達が艦であった頃は不遇であった。人は華の二水戦と称すれど、四水戦を華とは称えていない。主戦場を駆けた第一艦隊に比べれば、それは仕方ないことで在ったかもしれないが、不遇に過ぎたのもまた事実だ。

 ただし、水雷戦隊としては完全に二水戦に名で負けているが、輩出した武勲艦は他の水雷戦隊に決して負けては居ない。野分、夕立、江風、時雨、と意外に多いのである。

 

「……確かに、今の私たちの戦隊のあり方は変わりましたけど、志まで変えては」

 

「ノワッチは本当に硬いぞー」

 

「ノワッチじゃありませんっ」

 

 冷静になろうとした野分は、しかし返って来た那珂の言葉にかき乱された。そういう所がまた那珂を喜ばせているのだと、真面目すぎる野分には知りえぬ事であった。

 

 野分の言の通り、現在の水雷戦隊のあり方は変化している。この鎮守府に在っては、一水戦は提督の護衛と艦隊の護衛、二水戦は従来通りの艦隊の魁及び電撃戦と水上打撃の要、三水戦は敵威力偵察、四水戦は他の水雷戦隊のサポートだ。

 遠征は各水雷戦隊のメンバーが合同で務め、鎮守府近海の警備と制海権守備は各水雷戦隊および他の戦隊の合同でなされる。

 

 野分は、少しばかり不満がある。一から四まである水雷戦隊の中で、彼女の属する、今彼女の目の前にいる那珂が率いる四水戦だけが、やはり地味だ。一水戦は提督を護衛することで鎮守府自体を守っている。二水戦は今の時代も華のまま艶やかだ。三水戦も、本来は第二艦隊の護衛任務が主目的であったが、四水戦同様大きくあり方を変えた。ただし、こちらは四水戦に比べて――いや、他の水雷戦隊と比較しても見劣りしない。

 川内率いる三水戦は海路を確保する任務にあるほか、そこで出会った敵勢力と交戦した後、敵の情報を正しく理解して持ち帰ると言う至難の任務がある。それが例えどれだけ強力な敵であってもだ。おまけに、撤退中敵勢力に鎮守府までの航路を明かさず帰還しなければならない。

 一水戦が盾で、二水戦が矛であるなら、三水戦は車輪である。

 皆、戦場を変えた防具であり武器であり道具だ。

 四水戦だけが、何物でもない。何にもなれていない。提督の為の何かに、なれていないのだ。

 

 ――自分だけが。

 

 野分は知らず四水戦の現状を自身の境遇と重ねてしまっていた。武勲艦、幸運艦として一時は雪風、時雨とも並び称された艦でありながら、彼女は数ある武勲、幸運、功労艦の中で埋没してしまっている。四水戦には間違いなく華があった。矛であった。誰もを魅了し、何もかもを貫いたのだ。彼女はその中にあって確りと意味を持っていた筈なのだ。

 人としての心の負に囚われた野分は、艦娘になってからの生真面目な性格もあってか、一度それに足を絡め取られると中々に抜け出せないで居た。

 しかし、野分の足を絡み取っていた何かは突如消え去った。

 

「あ、提督ー」

 

「お、那珂ちゃん」

 

 彼女達以外誰も居なかった廊下に、二つの人影が追加されたのだ。一人は那珂が口にした通り提督であり、もう一人は提督の背後に佇む時雨だ。彼女はまるで常の初霜の様に、静かに提督の傍にいる。それを見て、野分の胸は小さな痛みを訴えた。

 

 ――嫉妬だ。野分は、馬鹿だ。

 

 そう信じた。そこに居ない自分と、そこに在る時雨に野分は嫉妬したのだと信じた。信じるしかなかった。彼女の心は未成熟なのだから。

 

「提督ー、こんなところでどうしたのー?」

 

「散歩だよ。大淀さんが気分転換にどうぞって」

 

「あぁ、それで時雨が護衛なんだー?」

 

「そうそう、初霜さんは今第一艦隊で出てるし、護衛に時雨さんを、って。ただの散歩なんだけどねぇ」

 

 那珂が時雨に目をやると、時雨がぺこりと頭を下げた。それを受けて那珂も嬉しそうな顔で頭を下げ返す。それを眺める提督の目は穏やかで、一人野分だけが黙って立っているだけだ。

 

「そうそう、うちのエースノワッチだよー」

 

「……野分です」

 

 提督達の視線を誘って野分の孤立を防ぐ那珂に、野分はなんとも言えない顔で突っ込みを入れた。

 

「野分さん、おはよう」

 

「……はい、おはようございます提督」

 

「おはよう、野分」

 

「おはよう、時雨」

 

 それぞれ挨拶を交わしていると、どうしたことか時雨が野分へと近づいていた。彼女は野分の横に立つとそこで立ち止まり、提督と那珂の会話をにこにこと眺め始めた。

 が、笑って眺めている場合ではないと野分は時雨に語気を強くして問うた。

 

「時雨は提督の護衛でしょう。離れてどうするんですか」

 

「那珂ちゃんが提督の傍にいるから、大丈夫だよ」

 

 常のペースを崩さぬ幸運艦の姿に、野分は大きく息を吐いた。隠すこともないため息である。

 時雨という艦娘は、史実にあって一水戦と四水戦にそれぞれ所属していた。ただし、所属していた時期は違う為、野分にとっては書類上同じ水雷戦隊に所属していた事もあった艦、程度の認識だ。時雨はこの鎮守府の駆逐艦娘のエースの一人、野分はただの駆逐艦娘。それもまた野分が素直に溜息を吐いた理由でもあった。

 

「それにしても、提督と那珂ちゃんは仲がいいね」

 

「……そうですね」

 

 沈んでいた野分の思考は時雨の言葉で再び浮き上がり、野分は目の前の二人を見つめた。お互い自然体で語り合い、そこの無理に笑っているような様子は見えない。

 

「提督はね、テンションの高い艦娘――というか人間相手でもそうだと思うけど、そういうのは苦手だって知ってたかい?」

 

「えぇ、どこかで聞いた気がします」

 

「那珂ちゃんは、凄いね」

 

 時雨の素直な那珂への賞賛に野分は少しばかり誇らしくなり、それを馬鹿馬鹿しいと胸中で首を横に振った。ただ、やはり野分は那珂を誇らしく思った。

 

 提督から悪感情で見られている訳ではないが、時雨が言う通りテンションの高い艦娘を提督が苦手としているのは確かだ。だがどうだろう。今野分の前で、その代表的存在でもある那珂は提督と普通に、常の調子で会話を続けている。提督にも無理をした様子はなく、それは飽く迄日常の風景に溶け込んでいた。

 

「那珂ちゃんは、こういうところも怖いよねぇ」

 

「……怖い、ですか?」

 

 時雨の、どこか相手を称えたような口調に野分は首をひねった。野分からすれば、那珂の姉である神通や、夜の廊下であったら多分泣くにちがいない山城のほうが怖い。あと早霜も怖いし大井も怖い。この鎮守府に在って数少ない軍属の気分を多いにもつ艦娘の一人である野分も、乙女であるため怖いものは意外と多いのだ。偶々同僚が怖いだけで野分は悪くないのだが。

 

「那珂ちゃんは怖いよ?」

 

「……そう、かしら?」

 

 不可思議の余り素を出した野分を、時雨は気付かぬ振りで続けた。そこを突けば野分がまた硬い顔に戻ってしまうと思ったからだ。

 

「那珂ちゃんは、色んな水雷戦隊に顔を出すよね」

 

「……それが、第四水雷戦隊の任務ですから」

 

 各水雷戦隊のサポート。いわば雑用だ。手が足りない時、病欠が出た時、様々な理由で第四水雷戦隊は那珂を先頭にして動く。任務は常に急で、彼女達はいつだって慌しく動くはめになる。

 準備をする暇があるのは稀だ。

 

「いつだって急に動くのに、指揮権だって渡されるのに、那珂ちゃんはいつだって失敗しない」

 

「……そう、ですね」

 

 野分は、過日自身も共にした那珂の戦場を脳裏に描いた。

 一水戦の護衛も那珂は確りとこなした。二水戦の電撃戦も、神通病欠の為急遽指揮権を渡されたにも関わらず無難にこなした。三水戦の航路確保とその途中での遭遇戦も、帰りの撤退戦も手堅くやりきった。どれもこれも、それぞれの旗艦やエキスパートには及ばないが、那珂は任務をやりきったのだ。自身が中破になろうと、如何にぼろぼろになろうと、笑顔のままで。

 

 時雨は、それを怖いと称えたのだろうか、と野分は思い隣の時雨を見た。時雨の顔は羨望の色に染まりつつあった。何ゆえか、と野分が提督たちへ目を移すとそこには先ほどと変わらぬ景色が在るだけだ。ただ、何故かまた野分の胸が小さくうずいた。

 野分はまだ、心が幼いのだ。

 

 

 

 

 

 

 提督と別れ、二人はまた廊下を歩き出していた。那珂は体でリズムを取りつつ鼻歌交じりで、後ろを歩く野分は軍属らしい確りとした足取りだ。その野分が、前を歩く那珂に声をかけた。

 

「那珂さん」

 

「もー、さん、じゃないよー。ノワッチって呼び方固定して広めちゃうよー?」

 

「やめてください」

 

「野分はわがままなんだからー」

 

 それでも、野分の声に足を止め振り返る那珂は部下思いなのだろう。那珂は首をかしげて野分の言葉を待っていた。

 

「那珂さんは、このままで良いんですか?」

 

「……四水戦のお仕事ってこと?」

 

「そうです」

 

 聡い那珂は野分の言わんとする事を察し、野分はそれを肯定と頷いた。那珂はなんでも出来るのだ。であれば、指揮権を由良に移して他の水雷戦隊へ移籍するという選択肢もある筈だ。

 野分には、那珂が水雷戦隊旗艦という立場にこだわっている様にも見えない。いや、拘っていればこんな雑用水雷戦隊など蹴っていた筈だとさえ思った。

 

「うーん……那珂ちゃんはねー」

 

「はい」

 

 首をかしげたまま、頬に指を当てて那珂は野分に応じる。

 

「艦隊のアイドルでしょ?」

 

「……そうですね」

 

 自称であるが、那珂は艦隊のアイドルだ。何があって艦娘の那珂がそうなるに至ったのか殆どの艦娘は知らないし、野分もまた知らない。那珂もまた、それを語ろうとしていないのだから。

 

「アイドルって、仕事をしっかりやるモノだと思うのよね、那珂ちゃんは」

 

「……はい?」

 

 野分の歳相応、少女然とした相に那珂は屈託のない笑顔を見せた。自身の相が那珂にその顔をさせたなどと知らぬ野分を放って、那珂は口を動かし続ける。

 

「急な仕事、ぜんっぜんOK。難しい仕事? いいじゃないいいじゃない、那珂ちゃんそういうの好きだよー? 求められたから、那珂ちゃんは答えるの! だって那珂ちゃんアイドルだもん!」

 

 那珂の在り方であり、生き方だ。恐らくこの那珂という少女は、すでに艦娘としても少女としても完成している。己の竜骨をしっかりと構成しているのだ。

 皮肉なものである。一度は不幸な事故により建造中に解体された艦が、三度生まれて今誰よりも艦娘として、少女として完成している。

 

「皆を笑顔にしてこそアイドル! どんな時だって笑顔がアイドル! アイドルって仕事が那珂ちゃんだから、那珂ちゃんはアイドルを続けるだけだよー!」

 

「……す、凄い……ですね?」

 

 野分には理解できない世界である。あるが、しかし野分にも分かる事はある。那珂は現状に不満などなく、この四水戦を嫌っていないという事だ。いや、皆に頼られるという今を受け入れてすらいる。

 野分は未だ確立できない自身と、既に何かを確立させている指揮艦との違いに自嘲の笑みを零した。

 

「そ、れ、にぃー」

 

 そんな野分の前で、那珂は満面の笑みで何やら言い始める。

 

「那珂ちゃんが色んなお仕事すれば、提督いっぱい笑ってくれるでしょー? 提督は那珂ちゃんの一番最初のファンで、一番大事なファンだもんねー。提督も笑顔、那珂ちゃんも笑顔! あはははは、川内ちゃんみたいな夜戦バカとか神通ちゃんみたいに急に火照っちゃう子に、那珂ちゃん負けないもんねー」

 

 何気に姉妹をディスりつつ自己主張する辺り、いかにもこの鎮守府の艦娘である。ただ、野分は提督云々の部分でまた胸が疼いた。今日は調子でも悪いのかと野分は首をかしげた。

 それでも、そこに先ほどまであった自嘲の笑みはない。那珂はそんな野分の相に小さく頷いた。

 

 と、二人の居る廊下に、一つ足音が響いた。何事かと二人が目を向けるより先に、足音の主が声を上げる。

 

「あぁ那珂、丁度よかった!」

 

「あれ、川内ちゃん。どーしたの?」

 

 先ほど軽くディスっておきながら、那珂は常の調子で姉に声をかけた。この娘中々に肝が太い様である。

 

「近海警備、今日はうちと一水戦の合同なんだけど、どっちからも病欠出ちゃって……」

 

「あぁー……最近寒かったり暑かったりだからねー。那珂ちゃんたちも気をつけないとねー」

 

「そうよねぇ、じゃなくて。人が足りないのっ。あんたのとこから誰か出られない?」

 

「ほっほー……川内ちゃんからのあつーいオファーだよ、野分」

 

「熱くないわよ」

 

「はい」

 

「はいじゃないが」

 

 二人の会話を聞いていた野分は、軽く川内を流しつつ既に海上に出る心の準備を終えていた。四水戦の任務上、艤装も常に整備している。あとは海上を駆るだけだ。

 

「川内ちゃん」

 

「なに?」

 

「川内ちゃんのこってりしたオファーに応えて那珂ちゃんも行くけど、いい?」

 

「こってりじゃないが」

 

 野分だけでなく、那珂も出るようだ。野分は那珂を見上げた。野分は兵士の相で那珂に挑んだが、那珂はやはり常のままの笑顔だ。何故か九州の方言で返す川内は二人ともスルーである。

 

「よぉーし! 第四水雷戦隊、那珂ちゃんとノワッチ、でまーす!」

 

「野分です」

 

 勢い良く、それこそ川内まで置いて走り出した那珂の背を見ながら、野分は小さな笑みを零した。

 

 ――もうちょっと、頑張ってみよう。

 

 そんな事を考えながら。




 でも実際は川内とかが敵半殺しにして鼻歌交じりで帰ってきてる三水戦の現状。
 尚那珂ちゃんが三水戦の指揮をとっても同様の模様。


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44話

普段出ない面子にスポットを。


「まーみーやー……おかわりデース」

 

「はいはい、少しお待ちくださいね」

 

 間宮食堂のカウンター席でだらしなく両肘をついて息を吐くのは、金剛型姉妹の長女、金剛である。対照的に、背を伸ばして隣に座しているのは彼女の妹、金剛姉妹の末っ子霧島だ。霧島は複雑な相で湯のみを両手で包むように持ち、ゆっくりと嚥下した。

 いつもなら、彼女達はカウンター席ではなくテーブル席に座って食事を摂る。間宮食堂のテーブル席は、姉妹の多い駆逐艦娘にも合わせた大型の物だ。そこにたった四人で座るのか、と思われるかもしれないが、霧島の姉である金剛と言う艦娘は、そこに居るだけで人を惹き付けるところがある。

 

 任務行動の都合一人、或いは少数になった艦娘達や、何事かの相談を持ちかける艦娘などがテーブルに寄ってくると、大型のテーブルで丁度良いくらいなのである。

 が、今回彼女達はカウンター席を選択した。霧島の優秀な頭脳が、今夜はそこで摂るべきだと訴えたからである。

 その証拠に、常ならば寄ってくる艦娘達もまったく来ない。カウンター向こうの調理場で金剛に頼まれた物を用意している間宮も、完全に苦笑いである。

 さて、いったいぜんたい何がそうさせているのかと言えば。

 

「ブー……ブー……提督ー……提督ー……」

 

 金剛がこの調子だからである。この金剛、鎮守府に所属する艦娘達のトップ2という立場にある。錬度と戦果も十分に誇れる金剛だが、彼女が長門に次ぐ立場に在るのはそれだけではない。

 長門とは違った懐の深さと面倒見の良さ、そして接しやすい彼女の在り方が自然と金剛をそういった立場へと押し上げたのである。

 金剛自身、そういった自身に不満もないようで、むしろ率先して皆の面倒を見ていた。

 自身の心を殺してまで皆の意見を汲み取る長門、親しみやすさを持つ金剛、参謀役の大淀、艦娘と提督の橋渡し役初霜、白装束と血糊が似合う山城。この艦娘達が提督の鎮守府におけるトップ4、いわゆる四天王である。

 

「はい、どうぞ……その、飲み過ぎは毒……かしら? いえ、きっと毒ですよ?」

 

「わかってマース……分かってても女にはストップできない時があるんデース……」

 

 そういった立場の艦娘が、顔を真っ赤にして管を巻いているのだ。何事かと遠巻きに見ることはあっても、近寄ってくる者は少ないだろう。

 間宮から受け取ったそれを、金剛は大きく呷った。ビールジョッキで一気飲みでもしているような姿だが、金剛の手に在るのは小さなティーカップである。

 当然、中を満たしていたのも、今金剛の胃に流し込まれているのもただの紅茶だ。決してアルコールは含まれて居ない。居ないはずなのだが。

 

「ぷっはー! 仕事あがりの一杯は格別ネー!」

 

 背を伸ばしたままながらも、疲れきった顔の霧島の隣で仕事帰りのサラリーマンが居酒屋で一杯やったあとの言葉を吐く金剛の姿は、完全にそれその物であった。

 

「……うぅ……提督……てーいーとーく……金剛頑張ってるヨー……前にいきなりハグしてクラッシュさせちゃったけど、金剛頑張ってるヨー……シット、あの課長人の仕事ちゃんと見てないネー……自分の仕事をまずしっかりやれって話だろ、なー?」

 

 そして躁からの鬱も居酒屋のサラリーマンに良く見られる姿であった。そして何故か愚痴までサラリーマンの様になっていた。

 

「なんでこんな時に限って霧島一人で……」

 

 そう呟く霧島の姿は、伸ばされた背に反して完全に折れていた。今金剛の隣に居るのは霧島ただ一人だ。普段一緒に食べる比叡と榛名の姿はそこにない。比叡は陽炎姉妹達に誘われてお料理DVDの鑑賞会で、その後料理勉強会のついでに夕食を済ませると言って別行動だ。

 霧島の双子の姉である榛名は、伊勢と日向と一緒に空いている港で弁当を広げて夕食である。事情を知らない者が聞けばおかしな事をやると思うかもしれないが、史実を知っていれば言葉を失うだろう。最後の最後まで、着底して尚本土を守るため砲火を放ち続けた彼女達の絆は、何人にも断てぬ物なのだ。

 

 折れた霧島の姿を見つめる間宮の相も、苦笑こそ浮かんでいるがなんとも言えない物だ。何せ金剛が頼むのはただの紅茶である。これが本当にアルコールであれば適当なところでとめる事もできるのだが、紅茶の適当なとめ時など間宮は知らない。

 如何したものかと首を傾げる間宮の相には、しかし金剛を心配する色が添えられていた。隣にいる霧島も、今間宮食堂にいる他の艦娘達にも、だ。

 霧島は先ほど、なんでこんな時に限って自身一人で、と呟いたがそれは面倒事を自分だけが負わされた、という意味ではない。

 長姉を慰めるのに、自身一人では荷が勝ちすぎると自覚したゆえの霧島の弱音だ。

 

「提督……ソーリー……ごめんなさいねー……」

 

 うな垂れて呟く金剛の姿は許しを請う罪人にも似て、それを傍で見た霧島は目を閉じた。普段の明るい姉も姉であるなら、この姿もまた姉であると受け入れる為だ。

 そして霧島は、金剛がただの紅茶でこうも見事に酔っ払った理由を思い出していた。

 

 提督篭る。金剛困る。提督出て来る。金剛喜ぶ。提督宴会する。オレサマ オマエ マルカジリ! アッオーンッ!! 狩リノ時間ダ!!

 

 霧島の優秀な頭脳はこれまでの流れを正確に導き出した。霧島の中では。

 兎に角、執務室から出て来なかった提督が突如とある宣言を行い、これは目出度いと宴会となった訳である。そして金剛は宴会開始早々提督を大破着底させたのだ。

 それ以来、金剛はふとした事で自身の行いを思い出すようで、その度沈むようになってしまったのだ。ただ、紅茶で酔っ払ったのはこれが初めてである。

 

 ――さて、いつもの金剛姉様に戻って頂くには、どうするべきか。

 そう考えて、霧島は腕を組んで思考の海へと潜っていった。潜行は速やかに、そして答えは明快に。艦隊の頭脳霧島は理想どおり速やかに、そして明快な答えを導き出した。

 

「金剛姉様、深海棲艦100匹くらい刈りましょう」

 

「き、霧島さん?」

 

 金剛は何を言ってるんだこいつは、といった相で霧島の言に首をかしげ、間宮はそういう問題じゃないと思いっきり書いた顔で霧島の目を凝視していた。

 霧島は顎に手をあて、むむむ、と唸ったあと晴れ晴れとした顔でぽんと手を打った。

 

「金剛姉様、姫級20匹くらい刈りましょう」

 

「霧島さん!?」

 

 珍しい間宮の狼狽した叫び声である。例えば第三次ソロモン海戦でやらかした眼鏡をかけた自称頭脳派の高速戦艦四女辺りならそれで気も晴れるかもしれないが、金剛はそうではないと間宮は霧島に伝えようとした。

 

「それもいいけど、今はそんな気分じゃないネー」

 

 それもいいらしい。間宮は肩を落として流し台にある食器を疲れた顔で洗い始めた。このままでは自分も大破する羽目になるのではないか、と考え始めた間宮の目に、新しい客の姿が見えた。

 

「間宮さん、俺いつものなー」

 

「間宮さん、俺もだ」

 

「はい、分かりました」

 

 気分を切り替えて常連二人の、いつもの、を作り出した間宮にとって、その二人は救いの神となった。二人はそのままカウンター席、金剛の隣に座ったのだ。

 どこか重い空気を感じられなかった訳ではないだろう。この二人は鈍いわけではない。むしろ聡いほうだ。となれば、今の金剛の隣に座ったのは意図した物である。

 

「どうしたんだよ、金剛。なんか暗いぜ?」

 

「そうだな、お前らしくないぞ」

 

 金剛の隣に座ったのは、この鎮守府のおっぱいのついた眼帯イケメンコンビ、天龍と木曾であった。金剛は話しかけてきた二人に視線を移し、愚痴を零し始めた。

 ちなみに、この鎮守府のおっぱいがついたイケメンは他にも加古や那智がいる。ついでにおっぱいのない性格イケメンが龍驤であり、おっぱいもついてないイケメンでもないのが提督である。

 

 妹に言えないことでも、この二人には言いやすいのか。金剛は胸のうちを訥々と語った。

 いきなりやらかした事、それでも提督は自身に怒っていない事、それに甘えてしまっていいのかという悩み、最近やたらと野菜が高いという現状、この前鍋をやったら最後に入れたご飯がこびりついて取れなくなったが鳳翔の知恵で助けられた事、最近提督の隠し撮りが上手くいかない事、最近榛名が提督抱き枕を作ったから自分も作ろうかと考えている事、それらをだ。

 

 聞き終えた天龍と木曽は半分聞き流した。聞き留めていい物ではないからだ。事実霧島などは耳を塞いでいた。姉と双子の姉の現状に何か思う事があるのだろう。気晴らしに敵を刈ろうとか言いだすような娘でも。

 

「まぁ……なんだ。提督は金剛のやった事をそんなに怒ってないだろ」

 

「いや、というよりあれはもう完全に流しているだろうな、あいつはそう言う男だ」

 

 天龍と木曾の二人が湯飲みを片手に笑った。イケメン力の高い二人である。

 この二人、如何した事かよく一緒に居る。下手をすれば姉妹艦よりもだ。艦時代、特に交友のあった関係でもなく、お互いこの鎮守府の役割も違う。

 木曾は重雷装巡洋艦娘の一人、特別海域の切り札とも言える主力の一人だ。一方、天龍はと言えば遠征要員である。旧式の艦故恵まれた性能を持たない天龍は、一軍メンバーに比べて一歩も二歩も劣っているのは事実だ。

 ただし、それは戦闘面の性能だけだ。天龍型の長所、燃費のよさに加え彼女には天性の才がある。天龍という艦娘は、駆逐艦娘にやたらと人気があるのだ。彼女自身の面倒見のよさもあるだろうが、個性豊かな駆逐艦娘達を捌き切れる彼女の才と、それによって補充される鎮守府の資材は決して軽視して良い物ではない。

 

 片や提督の切り札である重雷装巡洋艦。片や鎮守府の資源調達の要である軽巡洋艦。

 職場も違えば役目も違う彼女達であるが、在り方が近い為今はこうして二人でつるむ事が多いのだ。ただし、在り方が近いといっても、同じという訳ではない。

 

「でも……二人は提督に苦手に思われてないでしョ……? もし私と同じ立場になったら?」

 

「そ、そりゃあ……ま、まぁ……俺は、別に、確りと、自分がやる事をやるだけで……」

 

「……駄目だな、俺はきっと球磨姉さんに泣きついてその後提督に泣きつくな」

 

 こういう部分は違う。

 天龍は意地をはり、木曾はとことん素直だ。いや、あぁいった姉達に囲まれると、素直であったほうが無難であるのかもしれない。

 

「那珂ちゃんにもこの前どうやったら提督とそんな普通に話せるのか聞いたけド、良く分からないっていわれたし……」

 

 金剛は金剛なりに、現状を把握した上で出来る事は何かを手探りで始めている。彼女は提督を愛している。愛ゆえに暴走もするが、愛ゆえに悩むのも一人の女だからである。

 

「苦手だって思われてるのは知ってるの。けれど、私は提督の傍に居たい。あの人を笑顔にしたい。あの人の為の私でありたい……邪魔でも、いらなくなっても、私はあの人の為の私でいたい」

 

 真摯な金剛の呟きに、天龍は間宮に差し出された秋刀魚定食を食べながら黙って聞いた。

 そして木曾は、だんだん日本語が流暢になっていく金剛を眺めながら秋刀魚の刺身を食べていた。

 ついでに霧島は紅茶で酔ってその発言なのかと嘆いていた。

 

「よし、分かった。ちょっと待ってろ」

 

 そう言うと、天龍は勢い良く秋刀魚定食を食べ始めた。隣に居た木曾も、少し遅れてそれに倣う。霧島と金剛は、きょとん、とした相でそれを眺めていたが、カウンター向こうの間宮は笑顔だ。天龍と木曾が何をするのか、理解しているからだろう。

 暫しの時間で、二人は食事を終えた。

 

「ご馳走様、間宮さん。……ごめんな、食べ物こんな風に食べちまって」

 

「いいえ、天龍さんと木曾さんにその思いがあるなら、私からいう事は何も在りませんよ」

 

 天龍の横で済まなそうな顔を見せる木曾に笑いかけ、間宮はそう言った。二人は頭を下げてからカウンター席を離れた。

 

「よし、行こうか」

 

「おう、ほらほら、準備しろよ二人とも」

 

「え? え?」

 

「な、なんですか?」

 

 天龍が金剛の肩をたたき、木曾が霧島の背を叩く。何がどうなっているのか分からない二人に、天龍はにやりと笑った。

 

「大人ってのはな、弱音を吐いていい場所は限られてんだぜ? なら金剛よぅ。そっちに行くのがまず最初だぜ」

 

「そうだぞ。俺たちでよければとことんまで付き合うさ。仲間なんだ、お前の荷物半分くらいなら、俺たちだって持ってやれるさ」

 

「木曾……天龍……おまんら……」

 

「私完全に巻き込まれなんですが」

 

 天龍と木曾の言葉に目を潤ませてどこかの方言を使い出した金剛と、朝帰りコース確定かと額に手を当てる霧島の姿は対照的だ。木曾はそれを笑う。が、それは純粋な笑みだ。

 

「そんな事を言っても、霧島は付き合うんだろう?」

 

「当然です。私は金剛姉様の妹ですから」

 

 胸を張ってそう語る金剛姉妹の四女に、また木曾は笑みを深めた。天龍が金剛の背を押し、木曾が霧島の背を叩き、四人が間宮食堂から去っていく。

 消えた四人の背を思い浮かべながら、間宮はメニュー表を眺めた。

 

 ――紅茶、やめようかなぁ。

 

 と考えながら。

 

 ちなみに。

 鳳翔の居酒屋で酒を飲んだ金剛は即素面に戻った。

 

「鳳翔さぁのところのお酒は紅茶のごたる!」

 

 素面である。きっと素面である。

 あと、

 

「流石金剛姉様……この霧島の目をもってしても見抜けぬなんて! 霧島一生の不覚!」

 

 と叫んでいた眼鏡っ子が居た事をここに記しておく。

 




 ここでこの作品の今後に関わる大事なお知らせです。
 鍋にこびりついたご飯は、お湯に浸して暫く放置しておくと取れやすくなります。
 


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45話

いつもと違う面子第二弾


「ふむ、紅茶もなかなかどうして……悪くないな」

 

「うん、いいじゃない。やるじゃない榛名」

 

 伊勢と日向の姉妹は窓から見える朧月から目を離し、自身の淹れた紅茶に口をつける榛名にそう言った。その言葉に榛名ははにかみつつも微笑み頭を下げた。

 彼女達が空に浮かぶ朧月を楽しむその部屋は、榛名と霧島の部屋である。

 重巡洋艦娘や戦艦娘の様な数の少ない艦娘達の寮は部屋が余りやすい。その為重巡洋艦娘寮の最上姉妹の下二人、鈴谷と熊野の様に部屋を分ける艦娘は意外に多いのだ。

 

 伊勢は見慣れた榛名と霧島の部屋を眺めた。小物入れ、ベッド、クローゼット、箪笥、テーブル、ベッドの上やクローゼットからはみ出る提督抱き枕×10、天井から吊るされたサンドバッグ×10。伊勢の良く知るいつもの榛名と霧島の部屋であった。

 

「しかし、霧島はどこへ行ったのだ?」

 

「……もしかして、気を使わせちゃったとか? だとしたら……申し訳ないわね」

 

「いいえ、霧島は元々用事だって言ってましたから」

 

 榛名の言うとおり、この部屋のもう一人の主霧島は前から予定していた用事のため部屋を空けているだけである。鳥海と共に、艦隊の頭脳らしく敵を効率よく刈る方法はないかと定期的に検討会を開いているのだ。ちなみに今日の議題は『孫子の兵法書:深海棲艦首折り編』の翻訳をどうするかである。先日某鮫殴り財団から譲り受けた鮫殴り編を解読し終えたので、今度はそれを、と言うわけである。

 

「そうか、霧島は相変わらずなのだな」

 

 その説明を榛名から受け、日向は頷いた。彼女の視線の先にあるのは天井から吊るされた、程よく使い込まれたサンドバッグ達である。良く見るとそれらのサンドバッグにはサウスだのフランシスコと書かれていた。もしかしなくてもサンドバッグ達の名前だろう。しかしそれはだだの名前だ。どこかで聞いた名前に近い物だが、それになんら意味はない筈である。

 そう考えて日向は目をそらしたが、そらした先にはワシントンと書かれたサンドバッグがあった。日向は見なかった事にしてゆっくりと紅茶を嚥下した。

 

「……その、ごめんなさいね……私の分まで用意してもらって……」

 

 日向のすぐ隣で、弱弱しい声が上がった。

 声の主は伊勢姉妹と同じ航空戦艦娘、扶桑である。扶桑は出されたティーカップこそ手にしているが、未だその中身に口をつけていない。戦場に出れば凛とした相を浮かべる扶桑は、反面艤装をまとっていない時は穏やかな相で居る事が多い。が、今扶桑の相にあるのは穏やかというよりも、先ほどの声同様弱弱しい物であった。

 

 それもその筈である。

 今榛名と霧島の部屋に集まっている四人の艦娘のうち、三人が呉軍港襲撃の際、浮砲台として最後の最後まで足掻いた者達なのだ。おまけに榛名は純国産戦艦として初の民間造船所――神戸川崎造船所生まれであり、時の天皇陛下が座乗する御召艦も務めた名誉ある艦である。戦場に出れば必ずと言っていいほど損傷したが、それ以上に武勲を挙げている。

 

 伊勢にしても、日向にしても、その武勲は隠れもない旧日本海軍屈指の名艦である。レイテ沖での激しい砲火の中、両艦共に行った回避行動は実に見事であり、キスカ撤退戦に並ぶ奇跡の作戦にして旧日本海軍最後の成功作戦、北号作戦の立役者だ。しかも日向は数々の作戦行動中に僚艦を殆ど失わなかったという幸運にまで恵まれている。

 

 そんな中にあって、扶桑に常のままで居ろというのは、酷な事なのだろう。扶桑は――いや、扶桑型姉妹の二人は、決して幸運ではなかった。恵まれた性能を得られず、恵まれた戦場も与えられなかった。得たものが、恵まれたものがあったとするなら、共に黄泉の下へ逝った仲間達がそれだろう。一隻では、一人ではなかった。たったそれだけが、それだけの事が扶桑達の幸運であった。

 渡されたティーカップに口をつけぬ扶桑に、榛名は優しく声をかけた。

 

「扶桑さん、気にしないで下さい。榛名達がお誘いしたのですから、扶桑さんが気にすることなんて何もないですよ」

 

「そうよ、扶桑。榛名の淹れた紅茶でも飲んで、いつもの貴方にもどってくれないと、こっちも調子がでないじゃない」

 

 榛名と伊勢の言葉に、扶桑はティーカップを口へと運んだ。ゆっくりと傾け、少しばかり口に含み、またゆっくりと嚥下した。

 ほう、と息を吐くと扶桑は嫣然として口を開いた。

 

「ありがとう、美味しいわ……榛名。貴方も、ありがとう伊勢」

 

「どういたしまして」

 

「少ない航空戦艦同士でしょ? 気にしない気にしない」

 

 扶桑の笑みを見た榛名と伊勢は少しばかり頬を朱に染めてそれぞれ言葉を返した。両名共に、気恥ずかしさよりも扶桑の相に飲まれたからである。

 扶桑、という艦娘は同姓さえ惑わすような色香を持っている。しかもそれを無意識のうちに出してくることがあるので、中々に厄介な艦娘でも在るのだ。当人に意識も無く、また悪意もないのだから尚更である。

 

「だが……山城は執務室でホラー鑑賞、だったか? 扶桑はそれでいいのか?」

 

 一人、飲まれずマイペースに構える日向が室内の空気を一掃しようと話題を振った。問われた扶桑は複雑な笑みを見せて首を傾げた。伊勢はその相に気遣うような素振りを見せたが、扶桑は苦笑を浮かべて首を横に振った。

 通常、伊勢姉妹と扶桑姉妹の仲は悪いと言われている。相性、と言っても良いだろう。

 欠陥戦艦扶桑と、その改修型として生み出された伊勢は、近いからこそ互いに距離をとりがちであった。各鎮守府でも各姉妹の距離感は変わらず、互いに歩み寄って精々隣人程度と言われ、これはもう扶桑姉妹と伊勢姉妹の宿命と諦められていたのだが……この鎮守府ではこの調子である。

 一人では寂しかろうと誘われるほどに、彼女達の距離は近いのだ。

 

 提督を想う互いの心が距離感を縮めたのか、あの提督とこの鎮守府に毒されたのか、ここには居ない山城も特に苦手意識や対抗意識を持っていないのだ。むしろここに居ない山城に対して、ここの艦娘全員が対抗意識をもっている訳だが、それは仕方がないことだろう。

 彼女の左手の薬指に輝く銀のリングは、羨望の視線を集めるに十分な物だからだ。

 

「その……ホラー、でしょ? 私あぁいった物は少し苦手で……」

 

 山城が執務室で行うホラー鑑賞会の話だ。

 普段アットホームな作品を駆逐艦娘達と一緒に見る扶桑にすれば、ホラーなど到底見れた物ではない。伊勢は、あの妹と一緒ならそれだけでホラーへの耐性がつくのではないか、などとも思ったが流石に口にすることは控えた。ちなみに、榛名と日向も伊勢に倣って口にはしなかった。口には。

 

「それに、山城は提督の第一旗艦、でしょう? 二人っきりの時間を姉であるから、と邪魔するのも悪いから……」

 

「ふむ……山城は良い姉を持ったな」

 

 日向は悪戯っぽい目で自身の姉、伊勢を見た。視線を受けた伊勢は妹と同じような目で口を開いた。

 

「へー、私の姉妹は榛名だけだから、日向の姉なんて知らないなー」

 

「え、榛名ですか?」

 

「そうそう、はるなねーさん」

 

 伊勢は榛名に抱きつき、榛名は目を瞬かせていた。が、暫しの後嬉しそうな笑みを浮かべ伊勢を抱き返していた。榛名にとって霧島は妹に当たるが、あくまで双子の妹だ。純粋な姉扱いをされている訳ではない。ポーズとはいえ甘えてくる伊勢が嬉しいのか、榛名は満面の笑みである。

 

「うーん、伊勢かわいー! かわいいかわいいー!」

 

「あぁ……貴方やっぱり金剛の妹ねぇ……」

 

「まぁ、そうなるな」

 

 扶桑と日向の前で、榛名は伊勢の頭を撫でながらハグしていた。その姿は彼女の姉である金剛によく似ている。というよりも、榛名にとっての姉像とは金剛なのだろう。

 

「これはこれで新鮮かもねぇ」

 

 されるがままの伊勢は、マイペースにそう言った。日向の姉らしいとも言えるし、日向が姉に似た部分ともいえるかも知れない。

 

「……そう言えば、貴方達同じ造船所生まれだったかしら……?」

 

 扶桑の言葉に榛名はハグをやめ、伊勢も榛名の腕の中から離れた。

 日向がティーカップをテーブルに戻し、僅かに唇を湿らせてから扶桑の疑問に答える。

 

「榛名と伊勢は神戸川崎造船所生まれだな。特に榛名はそこで最初に生まれた純国産戦艦だ」

 

 あぁそういえば、と伊勢と榛名は互いの顔を見た。ついでに、日向は三菱造船所――現・三菱重工長崎造船所生まれであり、扶桑は呉海軍工廠生まれだ。

 純粋な軍の大型艦造船所生まれは扶桑だけである。あの大きさ的に、選択肢が絞られただけかも知れないが。

 

「はるなねーさーん」

 

「やーん、伊勢かわいい伊勢可愛いー! 伊勢はなしてこんなぬなまらかわいいがねー!」

 

「あぁ……貴方やっぱり金剛の妹ねぇ……」

 

「カワサキか……」

 

 再びハグを始めた伊勢姉妹長女と金剛姉妹三女を前にしても、扶桑と日向は落ち着いたものであった。彼女達が属する鎮守府ではこのくらい日常風景だ。川内が夜戦を捨てるとか、神通が姫級相手に情けをかけるとか、那珂ちゃんのアイドル引退宣言とか、山城が妊娠したとか朝潮が妊娠したとかない限り、この鎮守府の面子が本当の意味で混乱することはないだろう。

 まぁ提督が箪笥の角で足の小指ぶつけて悶絶したくらいで皆混乱する程度でもあるのだが。

 

「しかし……提督は今後どうするつもりだろうな」

 

「どう、とは?」

 

 だだ甘えさせてくれる榛名姉様の腕から再び離れ、伊勢は日向に問うた。榛名にしても、扶桑にしても目で日向に問うている。そのくらい、日向の声音と表情が真剣な色を帯びていたからだ。

 

「山城が第一旗艦で、今も二人っきりであるなら、もう山城もすべき事はしているという事だ」

 

「……」

 

 日向の言葉に、皆押し黙った。提督は夫であり、山城は妻である。であれば男女の愛の落ち着くべき所に落ち着いている筈だ、と日向は言うのである。榛名も伊勢も真面目な顔でそれに頷くが、一人扶桑だけは思案顔であった。

 

「であれば、提督も男だ。しかもただの男ではない。私達を率いる男の中の男、英雄だ。女は一人であってはいけないだろう」

 

「あぁ、英雄色を好む、ね?」

 

 姉の言葉に日向は頷いた。あばたもえくぼ、とでも言うのか。恋する乙女は盲目と言うべきか。彼女達の目にはあんな提督でも英雄に見えてしまっているらしい。

 いや、実際それに相応しい戦果を提督は持っている。ただの一人も失わず、様々な激戦を制してきたのは間違いなく提督だ。

 ただし、それはゲーム時代である。あの頃のように攻略ウィキにも頼れず、ボタン一つで命令を出せる訳ではない。今の提督はただの人間だ。彼女達を愛するただの人間で、ただ彼女達が愛する人間だ。

 

「第二旗艦……つまり、その、伽に呼ばれる……可能性もある、と?」

 

「提督の事だ、すぐという話にはならないだろうが、いずれそうなるだろう」

 

 顔を真っ赤に染めて、それでも真剣な相で呟く榛名に日向は頷いた。伊勢もまた頬を染めてこそいるが真剣な相である。そして扶桑だけはやはり思案顔だ。

 

「……どうしたんですか、扶桑さん?」

 

「あぁ……いえ、山城の事なのだけれど……」

 

 扶桑の相に気付いた榛名に、扶桑は口を小さく動かして遠慮がちに囁いた。そうなると、自然皆が扶桑の言葉を聞き逃すまいと耳に意識を傾けた。

 

「山城……あの子、提督とはまだ何も無いんじゃないかしら……と……」

 

 言い終えるや、室内に沈黙が舞い降りた。発言者扶桑と、それを聞いた榛名、伊勢、日向が無言でそれぞれ目配せする。

 

「いや、まさかそんな、山城だって第一艦隊旗艦としてのプライドとか、女としての矜持ってものが……」

 

「伊勢、扶桑の言葉を否定するには材料が少ない」

 

「いえ、むしろ材料が多すぎるのかも知れません……」

 

「えぇ……あの子だから……」

 

 四人は我等が栄光の第一艦隊旗艦の顔を脳裏に描いた。海上を駆ける凛々しい相、提督に誉められて素直に喜ばない姿、自身の薬指にある銀のリングを眺める乙女の顔、五寸釘で藁人形を打ち付ける丑三つ時の白装束姿。

 最後だけは事実確認されていない想像上の物であったが、一番山城らしい生き生きした姿であった。

 様々な相と、この鎮守府の日常にある山城の行動を当てはめると、扶桑達は皆一斉に頷いた。

 

 あ、これやってへんわ、と。

 

「あの子、乙女だから……きっと相手から求められないと無理だと思うの……」

 

「まぁ、その辺はきっと皆そうじゃない? 私もやっぱり提督に求められたい方だし」

 

 女同士の気軽な愚痴である。提督相手では決して言えないよう事でも、同性であれば別だ。ましてや彼女達は気心の知れた戦友でもある。

 明日死ぬかも知れない身であるなら、自身の気持ちを誰かに伝え、それを受け継いで欲しいと思う事もあるだろう。同じ男を想う身なら、殊更に。

 

「私も、抱くよりも抱かれたいな……」

 

 腕を組んでしみじみと呟く日向は、どこから見てもその想いに相応しい乙女だ。そして三人は、黙ったままの榛名に目を向けた。彼女達の視線の先にいたのは、真っ赤な顔の榛名である。

 

「はい、榛名は大丈夫です!」

 

「あ、いえ、榛名はもう何も言わない方がいいと思うの……」

 

「はい、榛名は大丈夫です!」

 

「榛名、私もちょっと嫌な予感がするから、ちょっと待って」

 

 扶桑と伊勢の言葉も無視して、いや聞こえてすら居ない様子の榛名は、立ち上がって拳を握った。

 

「はい、榛名は自分から行けるので大丈夫です!」

 

「カワサキか……」

 

 榛名の宣言の裏で小さく呟いた日向は、ティーカップに残っていた紅茶を飲み干した。何故かそれは苦かった。



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46話

 港から甘味処へと続く道を歩く二つの影があった。一人は特徴的な臍だし制服を着た重雷装巡洋艦娘、提督の切り札の一人大井だ。となれば、その隣を歩くのは大井と同じ制服を着込んだ黒髪の少女かと思われるかもしれないが、違った。

 茶色の髪をショートで揃えた白い着物と短い袴姿の少女は、戦艦娘比叡である。

 二人はそれなりに親しげな調子で会話を交わしながら、甘味処へと歩いていた。

 

「比叡さん、本当なんですか?」

 

「本当、本当本当ですって。この前私、伊良湖さんから直接お願いされましたもん」

 

 えへん、と胸を張る比叡に大井は何も返さなかった。これが姉妹達であれば、それ本当? と念押しも出来るのだが、大井の猫かぶりは、それなりに親しい、程度でははがれないのだ。

 それに、特に念押しをする必要も無いからだ。

 比叡という戦艦娘はとあるスキルのせいで悪目立ちしている感があるが、実際には善良な人物である。調理台に立っていない時の比叡は、まず信頼して良い女性なのだ。

 あとどうでもいい話だが、北上が同じような言葉で誘った場合、大井はただ頷くだけだ。それはもう勢い良く頷いてありもしない尻尾をブンブンと振るのだ。ちなみに、提督がさそっても素っ気ない顔で見えない尻尾をブンブン振るので、彼女が被っている猫の下には、きっと犬が潜んでいるに違いない。

 

 二人の目に伊良湖が営む甘味処の暖簾が入ってきた。白い布に黒一色で書かれたそれは、鳳翔入魂の一筆である。人の温もりを求めた伊良湖が、鳳翔に頼み込んで書かれた甘味処、という文字が風に揺れていた。

 それをくぐり、大井と比叡は店内へと足を踏み入れた。

 

「こんにちわー、大井さんと一緒にきましたー」

 

「……どうも」

 

 比叡の屈託の無い明るい声につられて、大井も声を上げた。比叡に比べれば愛想も無い声と言葉であるが、常の大井はこんな物であるから誰も気にしないだろう。

 事実、

 

「あ、いらっしゃいませ。比叡さんも大井さんも、態々ありがとうございます」

 

 そう言って頭を下げる伊良湖はまったく気にしていない様子だ。むしろ客商売のせいか、当人の性格によるものか、彼女の方が申し訳無さそうに苦笑いを浮かべていた。

 

「すいません、試作品の試食なんてお願いしてしまって」

 

「いえいえ、私も楽しみでしたから」

 

「……そうですよ、伊良湖さんが気にする事なんてありませんから」

 

 比叡にあわせて、大井も伊良湖に頭を下げた。

 彼女たちがここに来たのは、伊良湖が口にした通り試作品の試食の為だ。

 

「それにしても、すいません」

 

「……? 何がですか?」

 

 伊良湖は少しだけ大井を見て微笑んだ。それに首を傾げたのは比叡であるが、見られた大井も内心では比叡と同じように首を傾げている。

 

「友人をお一人どうぞ、ってお伝えしたから、てっきり金剛さんを連れてこられると思っていたもので」

 

「あー……」

 

 伊良湖の言葉に、比叡は納得と声を上げた。これは大井も同意である。

 比叡という艦娘は、大抵とあるスキルと特徴を持って生まれる。とあるスキルは言うまでも無くアレの事であり、特徴というのは自身のネームシップに当たる金剛への熱い愛情である。

 鎮守府によっては金剛をかけた提督対比叡の血で血を洗う抗争まで起きているのが、この艦娘の現状だ。ついでに一つ。多くの金剛ラブ勢の提督対比叡の現状だが、2対8で比叡に押されている。原因は、カレーによる押し出し、払い落とし、足払い、名古屋撃ち、奥義!無双乱舞、途中であのカレーしか食べられなくなって比叡ラブ勢になった、等である。

 

「まー、金剛お姉様を、とは思ってたんですけれどねー……なんか金剛お姉様、抱き枕用の? 提督の隠し撮り分がないとかで、今動けないとか言ってまして」

 

「さぁ伊良湖さん、どのテーブルに座ればいいのかしら?」

 

「あ、はい。こちらです」

 

 比叡の話す内容が大分怪しかったので、大井が強引にカットした。伊良湖も、ほっとした相でそれに合わせてテーブルへと案内し始める。

 二人が案内されたのは、個室であった。閉ざされた襖を前に、比叡が笑顔で零す。

 

「ほはー……伊良湖さん、何やら凄い個室ですなぁー」

 

「えぇ、お店の将来のメニューを決める事ですから、格好だけでも、なんて」

 

 楽しげな比叡につられてか、伊良湖は接客用ではなく伊良湖個人としての笑みを浮かべていた。大井は、こうして自身を自然に引っ張ってこの店に来た事や、伊良湖との話しかた等を見て比叡の社交性の高さに舌を巻いていた。

 

「さぁ、どうぞ」

 

「あ、どうも」

 

「ありがとうございます」

 

 襖を静かに開けた伊良湖に、二人は頭を下げた。座敷に上がるため靴を脱ごうとした二人は、しかし座敷のテーブルを見て目を見開いた。

 

「あ、やっと入ってきたねぇー」

 

「し、司令?」

 

 そこには提督が一人で座っていた。いつも通りのなんら変わらぬ提督である。手で二人を招く提督の姿にはどこか愛嬌があり、大井などはそれだけで頬が緩んだ。

 が、小さく首を振って大井は頬を引き締めた。そんな大井にも気付かぬようで、比叡は素早く靴を脱いで提督の前に腰を下ろした。

 

「司令もお呼ばれですか?」

 

「うん、何か大事な事だからって。まぁ、僕としては伊良湖さんの新作食べられるなら、それだけでいいんだけれどね」

 

「その、やっぱり新作の試作ですから、この鎮守府のトップに食べて貰いたいじゃないですか?」

 

 そう語る伊良湖の目は、大井から見ても深い色を湛えていた。単純な物ではない。複雑にして深い感情がそこにあった。少なくとも大井はそう見た。

 それでも、大井は何も口にせず黙って靴を脱ぎ、比叡の隣に腰を下ろした。提督に向かって頭を下げる大井に、隣の比叡からの視線が突き刺さった。大井は比叡に目を合わせた。

 

 ――そこでいいの?

 

 そう語る静かな、本当に静かな瞳に圧されて大井は僅かに肩を揺らした。だがそれだけだ。彼女は比叡から目をそらしてそっぽ向いた。

 子供の様な姿だが、今の大井にはそれに気付くだけの余裕はなかった。なにせ普段昼間には会わない提督が彼女の前に居るのだ。しかも甘味処という、仕事も関係ない場所でだ。それだけでも彼女は冷静にある事が出来なかった。

 しかし、今の彼女の相方、比叡は落ち着いた物であった。

 

「それでは、少しお待ちください」

 

「はいはい、ゆっくりでいいですよ?」

 

「そうですよ、私もよくカレー作るから分かりますけれど、大変ですモンね」

 

「……は、はははは……そ、そうですね。では」

 

 比叡の言葉に、伊良湖は濁して返し襖を閉めた。小さな足音が提督達のいる個室から離れて行き、やがてそれはまったく聞こえなくなった。

 

「にしても」

 

 それが合図、という訳ではないだろうが、提督が自身の前に並ぶ二人を見比べながら笑いかけた。

 

「比叡さんがもう一人連れてくる予定と聞いてはいたけど、大井さんってのは意外だなぁ」

 

「あー……司令も私がお姉様と一緒に来るって思ってたんですね? ショボーン……私って、そんなに友達いなさそうに見えますか……?」

 

「いや、だって君、まず金剛ありきじゃあないか?」

 

「まぁそうなんですけれどね」

 

 二人はまったく調子を乱す事も無く極々自然に会話を続けていた。大井は黙ってそれを聞くだけだ。

 

「榛名か霧島も、とは思ったんですけど、二人とも今日は第一艦隊で出てますしー」

 

「今日はちょっとね。火力が必要だったから、大淀さんと長門さんに頼んでおいたんだ。申し訳ないね」

 

「いえいえ、戦うの否定しちゃったら、私達もうなんでここにいるか分かんないものですから」

 

 にこにこと笑う比叡は、そこまで言うと突如隣の大井の肩に手を置いた。大井の身は僅かに跳ねたが、比叡も提督も気付いた様子は無い。

 

「で、そこで友達の大井さんにご足労願いました」

 

「……え、友達、ですか?」

 

「え、私達友達じゃないの?」

 

 悲しそうな比叡の相に、大井は軽い眩暈を覚えた。大井にとっては、比叡はそれなりに親しい知人ではあるが、友人と断言できる関係ではない。というよりも、大井にはそういった知人は多いが友人となるとまったくいないのだ。

 

「ショボーン……友達じゃないんだ……」

 

「あぁもう、友達でいいです、いいですから落ち込まないで」

 

「え、本当? あとで体だけの関係とか言い出さない?」

 

「言いませんよ、そんなこと」

 

 大井の言葉で相を一転させた比叡は、散歩を前にした犬の様に全身で喜びを表していた。正座したままで。実に器用な娘である。

 

 そんな二人を見る提督の目は、本当に嬉しそうな物であった。自身の艦娘達が、こうして日常を過ごしているという事が彼にとっては堪らなく嬉しい事なのだろう。彼がディスプレイの向こう側に注いだ無償の愛が、今こうして比叡と大井を繋げているのだとしたら、それは彼にとっての最高の報酬だ。

 一人庭で遊ぶ孫達を眺める老爺の様になっていた提督は、二人を見てある事に気付いた。

 

「……あぁ、練習艦友達か」

 

 何気なく呟かれた提督の言葉に、比叡と大井は提督を見てから互いの目を見た。比叡は笑い、大井は黙って目を閉じる。

 

「そう言えばそうでしたね、私全然気付きませんでした」

 

「もう……比叡さんは色々駄目すぎます」

 

「だ、駄目じゃないです! 金剛型戦艦二番艦、この比叡駄目な子じゃありませんよ!」

 

 大井の言葉に比叡は反論を始めた。

 この二人、提督が言う通り練習艦で在った頃があった。艦種は違えど二人は艦時代、間違いなく次代の青年達の育成の為に海上を駆ったのだ。

 それが例え戦場への誘いの一歩だとしても、彼女達の上で青年たちは青春を謳歌したのだ。

 

「こんな人が御召艦だなんて、もう信じられません」

 

「酷い、司令、大井さんがなんか色々酷い!」

 

「大井さんはねー、その人と親しくなると毒を吐くタイプだからねー」

 

「て、提督……!」

 

「おぉ、こわいこわい」

 

 泣きつく比叡、眉間にしわを寄せる大井、肩をすくめる提督。三者三様の姿であるが、場の空気は決して悪いものではない。

 

「人を怖いなんていいますけれど、提督。この比叡さん、今日の砲撃訓練で駆逐艦娘を半泣きにしてましたからね」

 

「お、大井さんだって雷撃訓練で駆逐艦の子半泣きにしてましたー! してましたよー!」

 

「あぁ、お疲れ様です」

 

「提督……!」

 

「司令!」

 

 最後の二人の言葉は、提督の言葉遣いに対する抗議だ。仮にも提督ともあろう者が、配下の者にお疲れ様、では示しがつかない。特にこの二人は、駆逐艦娘や他の艦種の娘達の教官役を担う事もあるから特に煩い。

 

 技術の一番早い習得方法は、熟練者から直接指導してもらう事だ。駆逐艦、軽巡の艦娘達は火力よりも速さと持久力を求められる事が多い為、多くの時間を体力作り等にとられてしまう。

 そのため、戦術面や砲術論が疎かになりがちだ。それを補う為の、熟練者による教官制度があるのだ。

 大井は卓越した雷撃理論を持つ上に、練習艦であった事からか人にそれらを伝える術を心得ていた。比叡も砲術ではあるが、大井と同じである。しかも比叡は砲術だけには収まらず、礼儀作法から語学まで堪能だ。さらに礼儀作法は宮中の作法にまで通じている。おまけに花嫁修業も一つを除けば完璧なのだ。

 まさに教官役にうってつけの艦娘と言って良いだろう。

 

「まぁまぁ、僕の教育方針は、霞さんとか大淀さんと相談してからで」

 

「鳳翔さんと雷ちゃんで」

 

「古鷹さんと夕雲さんで」

 

「やーめーてーよー! だだ甘えさせコンビ×2とか、あれだぞ、僕が次の日廃人になってるよ?」

 

「あら、何か楽しそうですね?」

 

 音もなく襖を開けて、伊良湖が座敷へと入ってきた。いや、音はあったのだろう。ここに来るまでの足音も、襖の音も、おそらくは入室の伺いも。

 ただ、皆気付けなかったのだ。会話に夢中で。

 

「すいません、余りに楽しそうな声だったので、お断りもなしに入ってしまいまして」

 

「いえいえ、お気になさらず」

 

 伺いはしていなかったらしい。伊良湖は手に在る盆から皿を取り、それを皆の前に丁寧に並べていく。皿の上にあるのは、白蓬桜の三色の最中だ。

 並べ終えると、伊良湖は皆から少し離れたところで正座した。提督達の評価を聞くためだろう。

 

「いただきます」

 

 提督達は伊良湖と最中に一礼して口に運んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「単純なお菓子で、確りした食べ物を作るって、やっぱりプロは凄いですねー」

 

「……そうですね」

 

 比叡は上品に湯飲みを傾け、大井はなんとなくそれを眺めていた。比叡という艦娘の一面がそこにあるからだ。例えば、彼女の礼儀作法での弟子初雪も綺麗に食事を摂るが、やはり師にはかなわない。僅かな、些細な日常の作法まで自然と美しい物になって一流なのだろう。

 大井の目の前に居る比叡の様に。

 おまけに、比叡という女性はプロから試食を頼まれるほどの確かな舌を持っている。持っているくせに、作らせたら大変な事になるのだ。

 比叡という艦娘は知れば知るほどに、正しく摩訶不思議な艦娘であった。

 

「で……大井さん」

 

「なんですか?」

 

 二人がいる座敷には、もう伊良湖の姿も提督の姿もない。伊良湖は午後の開店前の準備を始め、提督は仕事の為執務室へと戻っていった。その際、比叡が

 

『あ、今誰か動いた』

 

 と漏らした。おそらく提督の護衛だ。ただ、比叡に察知されるという事は阿武隈ではない。それ以外の誰かが今日の担当だったのだろう。

 

「大井さんは、それでいいの?」

 

「比叡さん、何を言っているのか――」

 

 そこで、大井は口を噤んだ。大井が見た比叡の瞳が、ここに来た時と同じ静かな物だったからだ。

 

「提督の……隣に座れば良かった、と?」

 

「大井さんは、きっと素直になった方がいいですって」

 

 穏やかに笑って返す比叡に、大井は一人の軽巡艦娘の顔を思い出していた。見た目やタイプは違うが、そこに宿る物は同じだ、と大井は感じたのだ。

 ただ、素直に頷くには大井の被った猫が大きすぎた。

 

「比叡さんだって、提督の事嫌いじゃないでしょう……? それに、金剛さんに悪いと思わないですか?」

 

「うー……ん。私の事は別にいいかなぁ。金剛お姉様の事は、私はどっちも応援するから問題ないでしょ?」

 

「ないんですか?」

 

「うん、ないない。金剛お姉様も、榛名も、霧島も、大井さんも、私は応援するの」

 

 何を応援するのか、という主語は抜けているが大井からすれば問いただす必要も無い事であった。応援というそれに、いい迷惑だ、と返すのは簡単だった。特に大井の様な気の強い娘には。

 ただ、それを言わせない強さが比叡の輪郭の中にあった。

 

「みんながみんな、幸せになろうとしても無理でしょう? だからせめて、自分の友達と姉妹くらい、応援したいな、って」

 

 偽善と笑い返せば、きっと比叡はそれを黙って受け入れただろう。しかし、大井には出来なかった。比叡という分かりやすい艦娘の心が、大井には確りと見えてしまうからだ。

 

 愛されようと咲き誇る華があるなら、ひっそりと咲く華もあるだろう。咲き誇る華の彩を、より美しく見せる為に咲く地味な華だ。

 比叡は、金剛達にとってのそれで良いと語っている。

 

 大井はなるほどと頷いた。彼女の脳裏にあるのは、那珂の顔だ。

 大輪と咲いて、誰も彼も咲き誇れと誘うのが那珂なら、ただ寄り添うようにそっと咲くのが比叡である。咲き誇る華も違えば、在り方も違うが想いは一緒だ。

 誰かの為の自分。それだけだ。

 

「比叡さんこそ、提督の隣に座ればよかったんじゃないですか?」

 

「え、私……? 私は……」

 

 圧されてばかりでは癪だ、と大井は比叡に口を向けた。比叡は少し困った顔をして、それから穏やかに笑った。

 

「一番大事な人達が寄り添いあって笑ってくれたら、それが一番の幸せだから」

 

 欲張りな艦娘なのだろう、比叡という存在は。きっと、彼女の中には一番大事な人が沢山居て、誰も選べないのだ。だから、こうも比叡は自身を置いてしまう。置いていかれても、放り出されても、きっと比叡は少し泣いてまた歩き出すだけなのだろう。

 誰かの為の自分だから、と。

 それが、大井には気に食わない。自身も夜だけ咲く華であるくせに、気に食わなかったのだ。

 

 大井は、眦を決して比叡に人差し指を突きつけた。

 

「私も、比叡さんは応援するから、覚悟しなさいよね!」

 

 まるで喧嘩を吹っかけるような、そんな剣幕であった。

 大井と比叡が友達になった、そんな日の事である。




普段と違うメンバーこと、金剛姉妹編、これにて終了。

練習艦仲間のカトリーヌさん? あぁあの人いま遠洋漁業中だから。秋刀魚の。
当人も遠洋漁業ならお任せくださいってよく言ってるし。


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47話

今回ドイツ艦好きな方は注意してください。


 夕焼けの紅い陽に照らされ、仄かな紅に染まった執務室で提督は手の中にある書類に目を落としていた。在るは常の執務室、座すは常の執務机だ。そんな彼の前に居るのは事実上この鎮守府を運営している大淀だ。

 組み合わせも、彼らが居る執務室も、何かが可笑しいと言うわけではない。ただ、何か違和感があった。常の執務室にはない何かが、今この場を侵している。

 異物を見つけるのは、しかし簡単な事だろう。たった一つだ。

 

 提督の顔、それだけだ。

 

 常ならぬ真剣な相で、提督は手に在る書類を見つめていたのだ。

 彼の前に立つ大淀は、そんな提督に圧されてどこか不安げな相である。そして提督は大淀の様子にも気付かぬようで――いや、敢えて無視して書類を静かに読んでいた。

 たった数枚、それだけの書類である。読み終えるのは早かった。

 提督は手に在った書類を机に置き、大淀を見つめた。その瞬間、大淀の肩が大きく跳ねた。提督にしては珍しい、感情のない相が大淀の心臓と肩を跳ねさせたのだ。

 

「残念だよ……大淀さん」

 

「て、提督……」

 

 落胆を過分に含んだ提督の声に、大淀はただただ体を震わせるだけだ。提督はゆっくりと椅子から腰をあげ、大淀の横を通り過ぎた。通り過ぎる際、彼は大淀の肩を叩いて感情の篭らぬ声で小さく、

 

「残念だよ……本当に、残念だ」

 

 そう呟いた。

 扉が小さくきしみ、そして閉ざされた。しかしその音は大淀の耳に届いては居なかった。紅に染まった執務室で呆然と佇む彼女が提督の退室に気づくのは、もう少し後の事である。

 

 執務室から出た提督は、大淀に見せた相を輪郭の中に保ったまま廊下を一人歩いていた。いや、実際には見えない護衛がいるのだろうが、提督には見ることも感じることも出来ないのだから、彼にとっては今この廊下には彼一人だけ、だ。

 そんな彼の目に、一人の少女の姿が映った。少女は提督に気付くと嬉しそうに彼に歩み寄り、しかしある程度まで近づくと彼の相に気付いたようで、歩調を変えておずおずと提督の前までやってきた。

 適当に濁して逃げないのは、その少女の提督への愛ゆえだろう。想い人の常ならぬ様子を濁して尻尾を巻いて、等と少女――吹雪には出来かねる事であった。

 

「し、司令官……どうされたんですか? 落ちていた御菓子でも食べたんですか? それとも課金ガチャが十連続でハズレだったんですか?」

 

 ただし心配するレベルがこの程度である辺り、如何にも提督の初期艦である。

 提督は吹雪の気遣う声と姿に、悟った様な――まさに諦観といった相で小さく首を振り、吹雪の肩に手を置いた。

 そして、言い含めるように、優しく呟いた。

 

「吹雪さん……」

 

「し、司令官……?」

 

 夕焼けがさし込む二人だけの長い廊下で、男が少女の肩に手を置き見つめ合ったまま優しく声をかける。吹雪にとっては、漫画やテレビでしか見た事がない世界が、今目の前で、しかも自身に起きていた。

 頬は熱くなり、心臓の鼓動は煩いほどに早く鳴り響いていた。自身の体であるのに、心であるのに、吹雪には何一つ制御できない。

 言い知れぬ甘い痺れの中で提督の次の言葉を――或いは行動を待つ吹雪は、

 

「猫提督、居ないって」

 

「……はい?」

 

 素に戻って首をかしげた。

 

 

 

 

 

 

 

「可笑しいじゃないか、だってここにはショタ提督が居るんだよ?」

 

「は、はぁ?」

 

「だったら犬提督だって猫提督だって凶暴な自称兎型パワードスーツを着た提督だって居て良いじゃないか」

 

「は、はぁ」

 

 吹雪は常の調子に戻った提督の意味不明な言葉に、ただ頷いていた。彼女の手にはオレンジジュースで満たされたコップがあるが、それに口をつける余裕もない。

 

「でも……提督?」

 

 そう言って、吹雪と提督の座る座敷席に入ってきたのは鳳翔だ。彼女は手に在る盆から秋刀魚の刺身を提督の前に並べ始めた。

 

「その、猫、ですか? そういった同僚がいたとして、提督はどうされるのでしょう?」

 

「もふりますがなにか」

 

 鳳翔の疑問に、提督はなんの迷いもなく即答した。しかも無駄に男らしい顔で。普段そんな顔を見せられれば惚れ直す鳳翔と吹雪であるが、流石に話の内容が内容だけに苦笑いしか出てこない。

 

「大淀さんにも調べて貰ったんだけど、居ないって言うし……残念だ……本当に残念だよ……」

 

 違う鎮守府では、将来を考えて違う大淀が提督個人のデータを調べていたというのに、この鎮守府では、将来もふりたいが為に大淀に頼んでそんな事をやっていた訳である。頼む方も頼む方だが、それをしっかり調べる方も調べる方である。おまけにそんな事を書類数枚で提出だ。この鎮守府は本当に色々と間違っている。

 

「流石に私たちでも、猫や犬が提督では困りますねぇ……」

 

 頬に手をあてて上品に微笑む鳳翔の顔を見ながら、提督は何か言おうとしてやめた。吹雪は吹雪で、腕を組んで、むむむ、と唸っていた。が、暫ししてから腕を解いて声を上げた。

 

「動物の提督は無理ですよ……意志の疎通が出来ないじゃないですか」

 

「喋るから大丈夫だよ」

 

「それもう犬とか猫じゃないですよね?」

 

 吹雪の鋭いツッコミにも提督は怯まない。彼は鳳翔によって捌かれ、今目の前に置かれている秋刀魚の刺身を見て鳳翔に頭を下げた。

 

「すいませんね、鳳翔さん。お邪魔した上に料理まで出してもらって」

 

「いいえ、お気になさらないで下さい。今日は私も龍驤も待機でしたし、仕込みも一段落ついたところでしたから」

 

 現在、三人が腰を下ろしているのは鳳翔の居酒屋である。時間は陽が少し前に落ちた頃で、まだ開店前だ。

 提督のあまりにあまりな発言に、吹雪が鳳翔の元に提督を運んだ結果、こうなったのである。

 

「でも……鳳翔さんは凄いですね。第一艦隊の不動の軽空母なのに、週4日もお店を開くなんて……」

 

 心底からの言葉であろう。吹雪の相は素直な賞賛に染まり、吹雪の声は純粋な感嘆に溢れていた。

 

「何も凄いことじゃありませんよ」

 

 鳳翔は微笑むだけだ。ただ、と鳳翔は続けた。

 

「私が、皆の笑顔をみたくて、出来ることをやっただけですから」

 

 そう言った。吹雪と提督は、そんな鳳翔の笑顔に胸を打たれた。終戦後、一番最初の空母は、一番最後の空母と共に解体された。その小さな、艦として見れば小さな体の上に傷つき倒れ、心さえ切り裂かれた様々な人間を乗せて、同胞達の消えた水底の上を駆け回った。

 鳳翔が最後に見た物はなんであったのか、感じた事はどんな事であったのか、そんな事を分かると言えるほど、共感できると思えるほど吹雪も提督も傲慢ではなかった。

 

「それに、普段は間宮さんや瑞穂さん達にも助けて貰っていますから」

 

 第一艦隊不動の両目の一人である鳳翔である。そう大きくはない店一つとはいえ、一人で回すのは不可能だ。そのため、鳳翔の友人である間宮や腕自慢の艦娘が下拵えなどを手伝うのである。

 鳳翔自身も、体が空いている時には様々な所で動いている為、皆出来ることを手伝うのだろう。

 

「それに……」

 

 と、また鳳翔はそれにと呟いた。ただし、今回の呟きは弱弱しい上に少しばかり困り顔だ。さて、何事かと身構える吹雪と、秋刀魚うめぇ、と刺身を食べる提督は鳳翔の次の言葉を待った。

 

「その……私達軽空母は、お酒好きが多いですから、放っておくと間宮さんに迷惑をかけてしまいそうで……」

 

「あー……」

 

「千歳さんと隼鷹さんですね……」

 

 納得、と声を上げる吹雪と該当艦娘の名をあげる提督に、鳳翔は溜息を零しながらも確りと頷いた。

 

「その二人に引っ張られて、皆飲んでしまうんです……それを見ているともう、これは私が処理できる範囲で見ていないと、他の皆に迷惑をかけると思ってしまいまして……」

 

 龍驤と共に軽空母をまとめる――いや、この鎮守府を裏からまとめる鳳翔である。当人にその気はなくとも、実際そうなっているのだから仕方ない事であった。

 そんな彼女であるから、後輩達を放っておけなかったのだろう。であれば、と色々考えてこの居酒屋を持つに至ったのだ。

 

「皆の笑顔も見れますし、軽空母達のお酒も度を越せば注意できますし、丁度良かったんですけれどね」

 

 笑顔の鳳翔であるが、度を越した場合どんな風に注意されるのか気になって仕方ない吹雪と、秋刀魚うめぇ、と刺身のつまの千切り大根を食べながら提督は黙っておく事にした。

 

「……そう言えば」

 

 吹雪はオレンジジュースをちびちびと飲みながら、秋刀魚うめぇ、と添えられたたんぽぽを食べている提督に問うた。

 

「提督はお酒とかは飲まないんですか?」

 

「うーん……」

 

 吹雪の言葉に、鳳翔も提督へ目を向けた。二人の前で頭をかいている提督は、間宮に行こうと鳳翔の店に来ようと、酒を頼んだことがない。酒保にある酒を購入したという話もなければ、誰かと一緒に飲んだ、という話もない。気になるのは当然の事であった。

 

「飲めない事はないんだけれど、飲むのはねぇ……」

 

「えー……じゃあ、じゃあ好きな銘柄とかは?」

 

「……特に無いかなぁ」

 

 嘘だ、と吹雪と鳳翔は思った。何か根拠のある物ではない。ただ、二人はそう感じた。感じて、この人らしいと思いもした。

 

 間宮食堂、そして今三人がいる鳳翔の居酒屋では一つ流行っているメニューがある。金剛と霧島の隣に座る際、天龍と木曾が口にしたメニューが、今の流行だ。

 

『いつもの』

 

 そう言って出されたのは、今鎮守府で余っている秋刀魚を使った定食であった。つまりそれは二人の、いつもの、ではない。原因は提督だ。

 彼は偶に足を運ぶ間宮食堂で、間宮相手に冗談で、いつもの、と言ったのである。偶の来店で、だ。それを聞いた間宮は、冗談だと分かった上で微笑み、お任せメニューとして受け取って作ったのである。

 

 これを、皆が真似始めた。

 提督、という人間は目立つ存在だ。当人がいくら凡庸でも、人ごみの中に混じればもう見分けがつかない様な存在でも、その提督の下に居る艦娘にとって絶対的に目立つ存在だ。

 そういった存在が常識の範疇で遊び、常識の範疇で行動すれば、艦娘が真似るのは時間の問題であった。普段の提督は真似るには少しばかりあれだが、いつもの、というのは真似やすかったのだろう。本当に、あっという間に広まったのだ。

 

 だから、提督は言わない。口の中にあったたんぽぽを飲み込んで、余っている秋刀魚をせめて少しは、と頼み、夜のお弁当当番の為に軽い物しか食べなかった提督は、何も言わない。

 彼が愛したのは、ただ彼女達らしく在る彼女達で、彼自身の色に染まった彼女達ではない。すこし手遅れな所もあるのだが、それは彼の知らぬ事である。故に、彼は黙るだけだ。

 それが正しい事であるのか、間違った事であるのか、判然とさせるには時間が必要であった。

 

 皆が静かになったその場に、一つの音が響いた。

 居酒屋の扉が勢いよくあけられたからだ。扉には準備中の札が在った筈であるが、それを無視してあけたとなれば何か理由があるのであろう。

 そう思って三人があけた人影の顔を見ると、ビスマ、グワットであった。

 

「提督……貴方うちの子をみなかった!?」

 

 彼女は肩で息をしながら、店内を見回し大きな声で叫んだ。提督達は互いの顔を見てから、代表して提督が問う事にした。

 

「レーべさん? マックスさん? それともプリンさん?」

 

「違うわよ! うちの子って言えば、オスカーに決まっているでしょう! もう三時間も見つからなくて……」

 

「――あぁ、あの黒い猫ですね」

 

 オスカーと言われても提督にはさっぱりであったが、続いて口にした鳳翔のその言葉に、眉を動かした。

 

「オスカー、と来たか……君、その猫を出撃につれていっちゃあいけないよ? いいね、絶対だよ?」

 

「……? 当たり前じゃない、そんな危ない事しないわよ。もう、あの子ったら、お風呂が嫌いだからって何も逃げなくてもいいじゃない……」

 

 気の強そうな顔から一転、おろおろとし始めた姿に提督は腰を上げた。提督に合わせて吹雪も腰をあげる。鳳翔も、といったところで提督がそれを手で制した。

 

「鳳翔さんはお店があるでしょう?」

 

「そうですよ、私達に任せてください」

 

「いえ、まだ開店には時間がありますから、せめてそれまでは」

 

「鳳翔……吹雪……提督……あ、ありがとう」

 

 手伝うと言外で語る三人に、ビス、グワットは常らしからぬ素直な調子で感謝の言葉を口にした。

 

 座敷から出ようとする提督は、靴を履こうとして動きを止めた。彼の靴の隣にある吹雪の独特なデザインの靴の後ろに、小さな影があった。黒いころころとしたそれは……

 

「あぁ、オスカー! そんなところにいたのね!」

 

 ビ、グワットは小さくころころとした黒猫――オスカーを抱き上げた。逃げないところを見ると疲れているのか、動き回って風呂の事も忘れたか、それだけ懐いているかのどれかだろう。

 嬉しそうに無邪気に笑うでっかいレディーを見ながら、しかし三人は黙ってオスカーを見つめていた。いや、より詳しく言うのなら、オスカーの頭頂部にあるそれを、だろうか。

 三人の視線に気付いたのか、大きな暁は胸を張って言った。

 

「どう、似合っているでしょう? 流石私のオスカーよね!」

 

 豊満な胸の中で眠そうに欠伸をするオスカーの頭頂部には、提督が偶に被る帽子とまったく同じ物が猫サイズになって被されていた。




実は身近にいた猫提督カッコカリ。
不沈のサムでぐぐれば詳しい話が分かります。

おまけ
その後大淀さんが赤い芋ジャージさんと鳳翔さんとこで飲み会。

大淀「……大淀だって頑張りました……頑張ったんです……」
足柄「……まぁ、ほら、仕方ないじゃない?」
大淀「珍しく提督から頼られたから頑張ったんです……なんですか、犬とか猫の提督くらい百人くらい居てもいいじゃないですか……」
鳳翔「あ、猫提督ならこの鎮守府にいますよ?」
大淀足柄「えっ」


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48話

 実際、相方や姉妹の揃っていない提督さんも多いのでは? という話だったりしなかったり


「うむ、実に壮観だ」

 

 そう言って、腕を組んでグラウンドに確りと立つ長門は眼前の光景に見入っていた。

 彼女が二本の足で立っているグラウンドでは、暁姉妹、綾波型の下四姉妹、朝潮姉妹、陽炎型の十六駆逐隊組と十七駆逐隊組達が、今日の指導艦である矢矧の下訓練に励んでいた。

 

「うむ、これでこそ提督の盾。提督の矛だ。駆逐艦と侮れないぞ」

 

「そうですね」

 

 長門の声に同意を返すのは、彼女の隣に立つ大和である。その大和の目には、霞と一緒にストレッチを行うスポーツウェアを着た龍驤の姿が映っていた。

 

「うむ、特にあの二人など、駆逐艦とは思えぬ見事な対空訓練だ」

 

 長門が視線で促す先には、他の皆と同じスポーツウェア姿の瑞鳳と大鳳が戦闘機を空に飛ばして動作確認を行っている。

 

「宙返り、雪風宙返りが見たいです!」

 

「うーん……矢矧ー、いいのかなぁ?」

 

「別に構わないわ。雪風に見せてあげて」

 

 雪風にせがまれて、戦闘機を苦笑いで宙返りさせている瑞鳳の姿に、長門は目元に微笑を湛えた。

 

「大鳳大鳳! 谷風さんぁ着氷してピトー管にレバノン料理が詰まった整備不足の副操縦士が見たいねぇ!」

 

「……矢矧?」

 

「ごめんなさい、ちょっと首の後ろ辺り叩いてくれる? いつもそれで直るから」

 

 谷風にせがまれて、なんとも言えない顔で矢矧に助けを求める大鳳の姿に、大和は目元に悲哀を湛えた。

 

 二人の戦艦娘が見つめるのは、駆逐艦娘の待機組の訓練である。

 歩のない将棋はなんとやら、と言うが駆逐艦は艦では歩に当たる。であれば、その歩を強化する事に異を唱えるものは少ないだろう。上は訓練を推奨し、下はそれを当然と応えた。

 今矢矧の指導で訓練を行っている駆逐艦娘達の相に、不満の色は無い。いや、逆に皆積極的ですらあった。皆瞳に強い輝きを宿し、口元に決意を湛えている。

 暁達はその駆逐艦娘達の中でも特に小さな体を動かして走り回り、朝潮達はきびきびと無駄なく動いている。朧達も、少々ふざけていた雪風や谷風達もだ。

 皆、小さな体に大きな何かを内包していた。

 かつての海を取り戻さんが為、仲間の為、鎮守府の為、そして提督の為、汗を流す表情は苦しくとも、彼女達の少女の相に不満など欠片も宿ってはいなかった。

 

「駆逐艦達がここまでやってくれるのだ……私達もうかうかしていられないな」

 

「そうですね」

 

 鎮守府の艦娘達のまとめ役としての長門の言葉に、大和はいい加減それはボケているのか天然なのかと突っ込みたいと思いつつも、結局そこには黙って流しておく事にした。

 

 長門は、こうしてグラウンドで艦娘達の訓練姿を眺める事が良くある。水雷戦隊であれ、重巡洋艦であれ、戦艦であれ空母であれ、様々な艦種の訓練を、だ。

 まとめ役として、古参の一人として、今の鎮守府とその優秀な歩である彼女達の訓練姿を見る長門の相は満足げだ。そしてそんな長門を見る大和の相は、少々困り顔であった。

 

 大和にとって、長門は姉の様な存在だ。

 いや、正確な意味での姉となれば、大和型の塔型艦橋等をテストした比叡になるのだろうが、大和の隣で訓練を眺める長門と彼女の関係は、まさに姉妹のそれであった。

 

 長門は、提督にとって二番目の戦艦であった。建造時期が早すぎた為に過剰戦力の扱いとなり、当初出撃もなく偶に演習に出る程度であった。が、通常海域攻略にも火力が必要な時期になって来ると、長門を常時動かすだけの資源に困る事も無く、それまでの日々が嘘の様に長門は活躍した。様々な海域を開放し、あらゆる敵を見事に粉砕したのだ。

 

 一方、大和は提督にとって中期の艦娘である。彼女は何の縁であるか、かつて隣で戦った初霜の助けによってこの鎮守府で建造された。彼女も当初の扱いは長門と同じ過剰戦力の扱いで、演習以外出番がなかったのである。このまま自分は演習だけで終えるのか、艦時代と同じように殆ど海に出ず沈むのか、と気落ちする大和を支えたのは、長門である。

 

 長門は武蔵――大和の妹も居ないこの鎮守府では寂しかろうと、大和に気を配った。自身も妹である陸奥が居ないというのに、だ。

 通常提督がいた世界では、戦艦をつくってあの時間が出れば陸奥になる、などと言われているが、長門だけが出たのがこの鎮守府の恐ろしいところである。

 

 自身の事を置いて、大和に慰めを悟られまいと慰める長門の姿に、大和が何を思ったか等言うまでも無い事だろう。大和もまた素直にそれに甘え、二人は互いの縁を深めたのだ。

 そして、大和は見事に実戦での活躍を果たした。特別海域という難関を突破してだ。提督の計らいで組み込まれた演習によって鍛えられた錬度が、長門達によって支えられた日々が、大和の中で確りと実を結んだのだ。 

 

 そんな事があったからだろう。長門の実の妹、陸奥が来た頃にはもう実の姉妹の様になっていた程に大和は長門に懐いた。ちなみに、その陸奥との仲も良好であるので、この鎮守府では長門型は事実上三隻扱いである。一部では決戦火力三姉妹とさえ呼ばれている。

 武蔵が着任したら、そのまま改長門型扱いでいくのではないか、というのが凡その見解だ。実にオーバーキルな四姉妹の完成である。しかも長女と四女が似通っているというおまけつきだ。

 

 兎にも角にも、そんな事情もあって大和は長門に強く出られないところがあった。艦娘達のトップであり、時に大和と共に特別海域で雄雄しく戦う姿を知るからこそ、大和は尊敬もしていた。

 しているのだが。

 

「おう、長門。暇してるんやったらうちと演習でもするか?」

 

「うむ、しかし龍驤……お前たちは今日は駆逐艦の日だろう?」

 

「なんやねん、その駆逐艦の日って」

 

「天津風から聞いた。一部軽空母と装甲空母は、艤装の取替えによって駆逐艦になれると。流石だな龍驤」

 

「なれへんわ!」

 

 ぴし、と手の甲で何も無い場所を叩く龍驤を長門は暫し眺めて――そして驚いた。

 

「なに、嘘か!?」

 

「いや、いやいや分かってたやん? 絶対分かってたやん?」

 

「しかし、翔鶴も艤装の交換で艦種が変わるぞ?」

 

「いや、それ同じ空母やん。どうやったら空母が駆逐艦になれるんや」

 

 ふむ、と考え込み始めた長門に、大和は小さく溜息を零した。長門という艦娘は、少しばかり天然というか、純粋だ。作戦行動、戦力考察等に関わらない話の場合、こうして簡単に騙される。そんなところもまた皆に愛されているのだから、悪い事ではない。

 

 完璧な存在が周囲に居れば、排除したがるものだ。満ち足りている存在に劣等感を植え付けられ、肥大化するそれを抑えられず、存在そのものが疎ましくなるのである。人も艦娘も、心がある以上良い事ばかりではない。

 時に、そんな物にも目を向ける羽目になるのが生の路だ。

 完璧ではない、という事は長門とこの鎮守府にとって歓迎すべき事ではあるのだが、しかし妹分の大和としては、日常のそういった面をどうにか、と思ってしまうものである。

 そんな思い悩む大和を放って、長門と龍驤はまだ言葉を交わしていた。

 

「そうか……しかし演習か。よし、今度山城と神通も呼んで盛大にやるか?」

 

「いや、長門それはあかん。あかんやつや」

 

 艦時代、龍驤と長門が演習で交戦したように、山城と神通も交戦している。そしてその場で神通はやらかしたのだ。山城からしたらトラウマ確定の行為を。

 

「にしたかて、長門。天津風なんか他に言うてへんかった?」

 

「……そうだな。他にも確か、手ぬるい、もっと頑張りなさい、と」

 

「いや、何をや」

 

「……会話の流れで言うなら、お前の駆逐艦としての能力だろうな」

 

「なんでやねん」

 

「そうでち。龍驤は軽空母だから駆逐艦じゃないでち」

 

「なぁ、せやん――」

 

 長門と龍驤は同時に、鋭く背後に振り返った。あまりの鋭さに大和がワンテンポ遅れたほどである。だが、彼女達の視界には常のグラウンドがあるだけだ。他には何も無い。

 そう、何も無い。

 

「……今日も駄目か」

 

「うちの索敵から逃げ切る、やと……やるやんか……」

 

 長門と龍驤は瞳に鋭利な輝きを映して呟いた。大和は、あれが、と呟くだけだ。

 彼女達が前に――駆逐艦たちの視線を戻すと、先ほどまで同様の訓練姿があった。何一つ変わっては居ない。

 勝手に走り回る雪風と谷風に、切れた霞と満潮が妙高直伝腕挫十字固をきっちりかけている、いつもの光景だ。そしてそんな霞と満潮に、ハラショーと拍手を送る響と朧もいつも通りだ。

 

「そ、それにしても、龍驤?」

 

「うん、なんや大和?」

 

 少し顔を引きつらせつつも問う大和に、龍驤は長門に向けていた顔とはまた違う顔で応じた。長門にとって大和が妹同然であるように、龍驤にとっても大和は――いや、この鎮守府にいる艦娘の殆どが妹分だ。自然、その顔は温和な物になる。

 

「その、どうして駆逐艦の訓練に混じっているのかしら?」

 

「あぁ、たまーにやけど、体がなまらへんように、って事やね」

 

「ほう、では瑞鳳と大鳳もか?」

 

「うん、大鳳は元々体動かすの好きで、よう二水戦の訓練とかにも混じってるし、瑞鳳も瑞鳳で、あれで人の面倒見るのすきやからねぇ。面倒見るにも、まぁ体力いるわなぁ、って」

 

 龍驤の言葉に、長門と大和は頷いた。艦種は違えど体は同じだ。特に龍驤達は体つきが幼く、戦闘に向いた姿形ではない。

 

「それに、体動かすのに駆逐も空母もないやろ? 何事も体が資本やで、資本。まぁ、出来る事は限られてるんやけどね……」

 

 しかし、それでも同じような駆逐艦達は前線で戦っているのである。龍驤からすれば、そこに学ぶべき事が在ったのだろう。

 鳳翔と共に鎮守府を裏から纏めていると見られている龍驤であるから、そう考えれば行動も早かったという訳だ。完璧な存在を嫌うのが心を持つ人と艦娘の性であるなら、完璧に近づこうとする不完全な存在を尊いと思うのも性だ。

 

「赤城達も誘ったのか?」

 

「いんや。赤城達は航空理論とかその辺の勉強会や。それに、あいつらは体ができあがっとる」

 駆逐艦や軽巡洋艦の様な少女の体を持った艦娘達は、未成熟な体に応じた伸び代を持つが、大人の体で生まれた艦娘達は、その身体能力の伸びも緩やかであり頭打ちも早い。完成された体ゆえに、彼女達は様々な理論を蓄えて効率よく艤装を使わなければならないのだ。

 故に、彼女達の訓練は身体能力が鈍らない程度の運動、になるのである。

 

「それになぁ、長門」

 

「うん、なんだ?」

 

 龍驤は、大和には向けた事が無い不遜な笑みで続けた。

 親しい友人、謂わば同期故の上も下も無い近さが龍驤にその相を出させ、長門もまたそれを許したのだろう。

 

「赤城達にこんな訓練させてみい、あいつらただでさえ普段からよー食べるのに、もっと胃に放り込みよるで?」

 

「……まぁ、それに関しては、私もなんとも言えないところだが」

 

「あの、それだと大和はもっと凄い事になるんですがそれは」

 

 大和の言葉に、長門と龍驤は大和に目を向けた。

 そのまま、二人は納得と手を打って頷いた。納得いかぬのは大和である。

 

「確かに。大和は凄いからなぁ」

 

「赤城より食べるもんなぁー」

 

「やめてください、その朗らかに言うのはやめて下さい」

 

「でも、大和は本当によく食べると、はっちゃんも思うのねぇ」

 

「うむ、そうだろうそうだろう、お前もそう思うだ――」

 

 三人が、一斉に背後に振り返った。しかし、そこにはやはり誰もいない。残り香すらありはしない。そこはただの空間だ。

 誰かいたと言う気配すらなく、長門と大和は黙って龍驤を見た。二人の視線を受けた龍驤は、ただ黙って首を横に振るだけだ。

 

「あかん……さっぱりや」

 

「ふむ……流石だな」

 

 龍驤と長門は互いに腕を組み頷き始めた。

 

「しかし、何の用事だろうな?」

 

「そらぁ、鎮守府の警邏みたいなもんちゃう? 今はもう暇してるって聞いた事あるし」

 

「ふむ……確かに今の資源は十分であるし、彼女達も本来の仕事に戻っているというわけか……」

 

 何事かの話題で言葉を交わし始めた二人の隣で、大和は小さく零した。

 

「あれが、提督の潜水艦隊……隠密部隊、ですか」

 

 大和は勝手に棒倒しを始めた谷風に妙高直伝ギロチンチョップを放つ初風を見つめながら、頬を伝う汗を手の甲で拭った。どこかで、ハラショーという声が響いた。




 なにしてんのあいつら?
 ってよく言われるから、偶にはね。

 第○○駆逐隊艦娘
 第十六駆逐隊
 初風 雪風 天津風 時津風
 第十七駆逐隊
 浜風 浦風 谷風 磯風

 実はその場に居たという天津風


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49話

「黒潮ー、そっちの玉子とってー」

 

「んー……はいな」

 

「サーンキュ」

 

 妹から差し出された玉子を受け取って、陽炎はにこりと笑った。手に在る玉子を片手で器用に割り、ボウルへ落とすとそれをかき回し始めた。手早く手を動かす姿には躊躇がなく、慣れがはっきりと見て取れた。

 

「んー……で、塩はこれくらいで」

 

 塩を小さじ一杯ほど入れて、陽炎はまた箸を回し始める。それを見ていた隣の少女、陽炎の妹である磯風が声をかけた。

 

「司令はだし巻きに塩だったか?」

 

「うん? そうよ。司令はこっちの方が好みだって。ねぇ、初風?」

 

 磯風の隣に立ち、しっかりと見張る初風に陽炎は声をかけた。問われた初風は磯風の手元から目を離さず、応じた。

 

「えぇ、前に食べた時も美味しいって言ってたわ」

 

「ほらほら、さっすが私よねー」

 

「流石だよな俺ら」

 

 答える初風と胸を張る陽炎とは少し離れたところで、何故か雪風が椅子に座りながらノートPCを開いており、その隣では秋雲がテーブルに片手をついて、フーンとした顔で何かを言っていた。

 と、その二人の頭を叩いた者が居た。

 

「遊んでいる場合ですか、今私たちが従事している作戦の重要さを理解しなさい」

 

 ぎろり、と眼光鋭く妹二人をにらむのは不知火である。不知火は二人を叩いた後直ぐに自身の従事している作戦へと戻っていた。つまり、から揚げをあげていた。

 菜箸で衣に包まれた鶏肉をつつく不知火の相は、ただただ真剣その物であった。

 

「はいはい、秋雲作戦行動に戻りまーす」

 

「雪風も戻ります!」

 

 そう言って、秋雲と雪風の二人は自身達に与えられた作戦内容、味噌汁作りに戻った。そしてそんな二人を見てから、磯風が声を上げた。

 

「そうか、司令は塩が好きなのか……よし、こっちの秋刀魚も塩をもっと振れば」

 

「馬鹿、振り過ぎよ! 提督が高血圧になるでしょ!」

 

「浜風ー、浦風ー、手が空いてたら磯風を確り見たげてかー」

 

「分かりました」

 

「まかしときー」

 

 秋刀魚の塩焼きを任されている磯風に、浜風と浦風が黒潮の言葉に頷いて返した。初風一人では荷が勝ちすぎだと彼女達も判断したからだろう。

 

「というか、何故初風はいつも私の料理に駄目だしするんだ?」

 

「……良いでしょ、別に。いいから塩から手を放しなさい、はーなーしーなーさーい!」

 

 磯風の疑問に答えぬ初風の姿を見ながら、陽炎は肩をすくめた。今日も大仕事だ、と考えながら彼女は今自身達――陽炎姉妹達が集まる調理場を見た。

 

 場所は、間宮食堂の厨房である。姉妹の少ない艦娘達なら、鎮守府司令棟にある給湯室でも十分調理できるのだが、流石に陽炎姉妹程数が多い艦娘達になると、広さが必要になる。

 姉妹の多い艦娘達が、さてどうした物か、と頭を悩ませていたところ間宮の好意で厨房の貸し出しが決まったのだ。

 今朝の提督の弁当番は陽炎達であり、不知火曰くの遂行している重要な任務とは、それを美味しく作り上げる事である。

 

「よし、あとはこれを焼いて……」

 

 と陽炎が玉子焼き用のフライパンを探していると、彼女の鼻をふんわりとした甘い匂いがくすぐった。陽炎は、はっとした顔でにおいの先、コンロへ目を向けた。

 そこにはエプロン姿の少女が一人、玉子焼きを作っていた。

 

「まーたーかー!」

 

 陽炎は音もなくその少女の背後に立つと、肩をがっしりと掴んだ。掴まれた方は身じろぎしながら、それでも一切のミスなく玉子焼きを作りながら声を上げた。

 

「放して! 放して! 私は陽炎型20番艦、瑞風! やっと会えた、ご指導ご鞭撻よろしゅうな!」

 

「私にそんな妹いないわよ! もう毎回毎回玉子焼き作って! 知らぬ間に弁当に入れようとして! というかその雑な挨拶はなに!?」

 

 陽炎に肩を抑えられて身じろぎする自称瑞風は、どこで調達したのか陽炎姉妹達と同じ制服姿である。違和感がないどころか、これが彼女の正式衣装ではないのか、と思えるほどの着こなしだ。

 

「司令の出汁巻きは私が作るから、あんたは出なさい。っていうか、軽空母の当番は夜でしょ! ちゃんと守りなさい!」

 

「大丈夫、陽炎が出汁巻き作る、私玉子焼き作る。問題ないじゃない?」

 

「なぁに、演習で夜戦やりたいって?」

 

「やめて! やめて! 夜戦とか私達置物だから、置物だからやーめーてー!」

 

 マジ泣きし始めた瑞鳳に、陽炎は額を押さえて溜息を零した。陽炎の前で泣きつつもしっかりと玉子焼きを作るこの自称駆逐艦陽炎型20番艦瑞風、他称玉子焼き型軽空母1番艦瑞鳳は、何故か他の姉妹達の弁当当番でも、どこからか入ってきて玉子焼きを作ってしまう変な癖を持っていた。

 こうして陽炎姉妹、いや、他の姉妹達の調理に混じって玉子焼きを作った回数は、優に両手を超える。両手どころか、陽炎が知る限り皆勤賞であるから相当な数の筈だ。

 陽炎は本気で泣いている瑞鳳の姿に、心を鬼にして眉に力を込めてにらみ続けた。

 

 ――もう、瑞風ったら、ちゃんと理由さえ教えてくれたらお姉ちゃんだって邪険に扱わないのに。末っ子だからって甘やかした私も悪いのかしら。

 

 と、陽炎姉妹の制服をがっつり着こなした軽空母に確り侵食されつつ、陽炎は瑞鳳に問うた。

 

「で、瑞風。あんたどうしてこんな事ばっかりするの?」

 

「だって、提督の玉子焼きは私の当番だから……」

 

 陽炎に応じる瑞かz瑞鳳の相は、泣いてこそいるが真剣その物だ。何を馬鹿げた事を、と思うのが普通だろうが、その馬鹿げた事に真剣であるのが瑞鳳だ。

 彼女はそこに他者の理解を求めていない。ただ自身と提督だけが分かっていればいいとしか考えていない。それは、わがままでもあり、一途でもあった。

 陽炎はその姉妹の多さから、姉という立場上そういった物を否定しない。しないからこそ、再び彼女は問う。

 

「今日はお姉ちゃんが出汁巻き当番でしょう、瑞風? じゃあ、瑞風はどうしたらいいと思う?」

 

「じゃ、じゃあせめてムサッカアを」

 

「今更作る時間ないでしょう? っていうか、なんで中東料理なの?」

 

「いや、ムサッカアってなんやねんな?」

 

 陽炎は当然の様に返したが、普通は黒潮の様に知らない料理である。ムサッカアとは中東、レバノンの料理で、野菜を使ったグラタンの様な物である。多分瑞風なる駆逐艦は、艦時代その辺りでの任務が多かった為にそういった料理を得意としているのだろう。

 

「ほら、しょうがないから一緒に作るわよ」

 

「か、陽炎お姉ちゃん……!」

 

 泣いた顔に笑みを浮かべ、瑞風は姉である陽炎に抱きついた。抱きつかれた陽炎は、優しい顔で妹の背を何度も叩いた。

 

「ふむ……ところで陽炎」

 

「なによ、磯風」

 

「うちに瑞風という妹はいないぞ?」

 

「……」

 

「……」

 

 磯風の言葉に、抱き合っていた二人は互いに目を合わせた。

 

「あんた何自然にうちの妹になってるのよ!?」

 

「くっ……あともう少しで切り抜けられたのに……磯風、流石武勲艦ね!」

 

「なんだろうな、それは誉められているのか?」

 

 各々が口を開く調理場で、秋雲がテーブルに片手をつき、雪風がノートパソコンを開いて椅子に座っていた。

 

「流石だよな、うちの姉者」

 

「OK、ブラクラゲット」

 

 個性的な姉妹達である。

 

 

 

 

 

 

 

 

「んー……終わった終わった」

 

「こっちも終わったわよ」

 

「こっちもオッケイだぜーい」

 

 陽炎はどうにか追い出した瑞風なる妹分の事を脳裏に隅に追いやりながら背を伸ばした。

 先ほどまで広げられていた調理器具は元に戻され、汚れたところなども確りと綺麗に拭われていた。少なくとも、陽炎達が来る以前の調理場には戻っていた。

 

「うん、そっちもお疲れ」

 

「いえ、これくらいは」

 

「そうじゃよー」

 

 自身の言葉に返事を返す妹達に、陽炎は微笑んだ。そのまま、浜風と浦風に目を向けて口を開いた。

 

「で――大丈夫だった?」

 

「……どうでしょうか。見た限りでは十分に封じ込めたと思うのですが」

 

「磯風の料理は、時間が経つと進化する事も在るけん、なんとも言えんよ……」

 

 探る陽炎に、浜風は困り顔で、浦風は溜息混じりで返した。浦風は進化、と口にしたがそれを笑う者はここには居なかった。普段茶化す事が多い秋雲も、黙って聞いているだけだ。

 陽炎は一番近くで磯風を見ていたであろう艦娘、初風に目を向けた。

 陽炎の視線を受けた初風は腕を組んだまま頷き、その唇を動かし始めた。

 

「少なくとも、前みたいに動いたり喋ったりはしなかったわ。でも、それでも提督と食べてる最中に進化したこともあったから、なんとも……」

 

「そう、ね……それはもう、黒潮に期待しましょう」

 

 陽炎はここに居ない妹、黒潮に万感の思いを込めて目を閉じた。

 各時間の弁当当番になって最も得な事と言えば、出来上がった弁当を提督へ届け、一緒に朝食を食べられるという事であろう。この鎮守府の艦娘達にとっては、喉から手が出るほどに欲しい権利である。

 

 今回その権利を得たのは、陽炎姉妹の三女黒潮と、12女である磯風であった。

 通常弁当を届ける艦娘は1人と決まっているのだが、陽炎姉妹は特に数が多いことから、一度に二人までの特権が認められたのだ。もっとも、これは彼女達だけではなく、睦月姉妹と夕雲姉妹にも認められた権利であるので、彼女達だけの特権とは言い難い。

 ちなみに、こちらも大家族の吹雪型は当初から特Ⅰ型、特Ⅱ型、特Ⅲ型と別々に弁当当番を担当していたので、この話には特に絡まない。

 

「しかし、何故磯風の料理はあぁなってしまうのでしょう? 不知火にはとても不思議です」

 

 眼光鋭く周囲を見る不知火の言葉は、皆の疑問でもある。ただ、それに的確な答えを持つ艦娘はここにはいない。いや、どこにもそんな存在はいない。

 恐らく磯風の料理の真理に一番近いのは比叡だろうが、比叡も疑問に答えられるだけの物は持っていないだろう。いや、持っていたとしても答えないに違いない。人の触れて良いものではないと比叡は理解し、何も語りはしないだろう。

 そう、名状し難き冒涜的な外宇宙の神々の眠りを、徒に妨げるべきではないのだ。

 

「磯風の料理がどうこうって辺りは、谷風さんにはさっぱりだよ。助けてあげるにも限度ってモンもあるってもんさ。あとは黒潮が上手く提督を助けるのを期待するだけだねぃ」

 

 それまで黙っていた谷風が、自分の肩を揉みながら皆に言った。意外に面倒見がいい、と言われる谷風でもそこまでは助けられないのだろう。

 ここにいない黒潮と磯風は提督との朝食権を得たのだ。二人は少し前に、清潔な布に包まれた弁当箱と、味噌汁を入れた魔法瓶をもって執務室へと向かった。であれば、もう黒潮に縋るしかないのである。

 

「しかし提督さんと一緒にご飯かい……かぁーっ、谷風さんも一緒したいもんだねぇー」

 

「あれまぁ、意外っちゃ意外ねぇ。谷風はそういうの興味無さそうだけれどさぁ?」

 

 からからと笑って言う谷風に、秋雲が軽く絡んだ。が、それは陽炎なども思った事である。谷風という艦娘から出た言葉にしては、先ほどの言は少々乙女的だ。谷風の普段の行いや言葉遣いからは想像できない類の物である。

 ゆえに、今谷風をさす姉妹達の視線は少々鋭い。

 

「なんだいなんだい、皆してさぁ。谷風さんだって乙女だってんだよ? 想う人と一緒にご飯も食べたいもんさ。皆だってそうだろう?」

 

 自身の心情をあっさりと喋る谷風に、皆は俯き、目を閉じ、或いはそっぽ向いた。各々バラバラの行動であるが、共通点は一つだ。頬が朱に染まっていた。

 

「そりゃ……まぁ……自分が作った物とか、美味しいって言って食べてる姿とか見れたら、いいと思うけど……」

 

 陽炎の言葉は、姉妹達を代表した言葉でもあった。その為に皆朝の早くから準備し、皆気持ちを込めて料理を作っている。全ては提督、司令と呼ばれる男の為だ。

 そこには日ごろの感謝と、無垢な想いと、純粋な愛があった。

 

「でも……まずは料理をもっと上手にならないとね」

 

「ですよね……戦うのはともかく、料理というのは……少し難しいです」

 

「とかいって、浜風なんてバレンタインデーとか凄い気合入ってたのにねぇー」

 

「そうじゃのー」

 

 とりとめもない会話で、彼女達は黒潮達が帰ってくるのを待っていた。弁当箱と魔法瓶を流しで洗わなければならないからだ。

 黒潮と磯風に任せればいい、という事でもあるがそれをしないのが陽炎達だ。いや、多くの姉妹達も同じだろう。

 

 そうやって会話を交わしていると、磯風と黒潮が戻ってきた。

 手に在るのは空の弁当箱と、魔法瓶だ。二人に声をかけようとして、陽炎は眉を顰めた。

 磯風は常より仏頂面で、黒潮は満面の笑みだ。さて、何があったと陽炎が問う前に、初風が磯風に声をかけた。

 

「どうしたの……? 二人ともそれぞれ顔色が違うけれど?」

 

「司令だ」

 

 短く答えて、磯風は手に在る弁当箱を流しに置いた。が、磯風の返事は返事になっていない。彼女自身もそれを理解しているのだろう。磯風は弁当箱を包んでいる布を少々乱暴に解きながら続けた。

 

「三人で朝食をとっていると、司令が黒潮にプロポーズした」

 

「黒潮、詳しくお願いします」

 

「ぐは……っ!」

 

 磯風の言葉が終えるより先に、不知火が黒潮の襟首を締め上げていた。苦しさに顔を歪める黒潮を見下ろす不知火の顔は、姫級を殴る前の霧島と同じ物であった。完全に敵を見る相である。

 

「いや……ちょ、息が……!」

 

「不知火、放さないと喋れないと谷風さんぁ思うんだけどねぃ?」

 

「……そうですね」

 

 谷風の言葉に頷き、不知火は黒潮を放した。解放された黒潮は数度咳き込み、息を整えてから口を開いた。その相はやはり、上機嫌である。先ほどの事があったのに、だ。

 

「い、いやぁ、なんか一緒にご飯食べてたらな? 司令はんが、黒潮と一緒に朝御飯を食べたい人生だった……とか言い出して、な?」

 

「それだけじゃない。司令は、黒潮と一緒に登下校したい人生だった、とまで言い出したんだぞ」

 

 磯風は仏頂面のままぶっきらぼうに言い放ち、乱暴に洗い物を始めた。黒潮は頬を染めて照れ笑いだ。陽炎はそんな二人を見ながら溜息を零した。ついでに、神通直伝の突撃準備を始めた不知火を押し留めていた。

 

「司令の事だから、いつもの良く分からない言葉でしょ? その後、黒潮に司令が何かした?」

 

 陽炎の言葉に、磯風と黒潮は同時に目を瞬かせた。そして、暫しの後それぞれ別の動きを見せた。磯風は納得と頷き、黒潮は長い溜息を吐きながら肩を落とし始めたのだ。

 

「ほら、何も無かったんでしょう? だから不知火も戻って。今日は皆訓練とか演習があるんだから、早く終わらせて準備するわよ」

 

 手を叩いて皆を纏める。個性的な姉妹達を持つ長女の貫禄が、今の陽炎にはあった。

 

「でも、黒潮はあとで詳しく話聞くから覚悟しておいてね?」

 

「えー……」

 

 それでも、やはり彼女もまた乙女であった。姉として納得できても、一乙女として納得行かぬ事もあるのだろう。

 もっとも、個性的な姉妹のまとめ役、長女である彼女なのだからこんな物だろう。

 

「あぁそうそう磯風、尋問用に一品作っておいてね!」

 

「えぇええええええええええええ!?」

 

 ……こんな物だろう。




駆逐艦 陽炎型20番艦 瑞風

耐久45 火力0  装甲39 雷装0
回避25 対空18 搭載48 対潜0
甲種駆逐艦陽炎型の20番艦。
ドロップや建造時に、やっと会えた、ご指導ご鞭撻よろしゅうな! と一部提督達のトラウマを抉ってくる事で有名な駆逐艦娘。
駆逐艦でありながら軽空母並みの艦載機運用能力を持つが、反面夜戦ではまったく活躍出来ない。癖の強い駆逐艦なので使う提督達は要注意だ。
遠征などでも何故か失敗することが多いが、逆に何故か成功する遠征も在る。
空母系遠征とは非常に相性が良いので、積極的に使うと良いだろう。
ただし駆逐艦にしては燃費が悪いので使う場面を間違えないようにしないといけない。なかなかに考えさせられる駆逐艦である。

史実では単独で中東エリアを担当。
同じ駆逐艦の朝潮型の龍驤、Z1型の大鳳と共に第72駆逐隊を編成したが、作戦行動を共にした記録は一切無い。
第二次世界大戦勃発時には既に中東で玉子焼きを焼いていた。
その後ミッドウェー海戦時も中東で玉子焼きを焼いていた。
全てのソロモン海戦時も中東で玉子焼きを焼いていた。
ブーゲンビル島沖海戦時には中東で玉子焼きを焼いている最中に失敗。これが元で大破し、長い間修理に入ることになる。(注 ブーゲンビルの悲劇を参照)
その後トラック島空襲に中東で玉子焼きを焼いて戦線復帰した。
しかしレイテ沖海戦時に中東で間違って目玉焼きを作り沈没。
彼女は日本に帰る事なく、遠い異国で眠りについた。


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50話

外の景色、中の景色。
同じモノ、違うモノ。
違う事、同じ事。


 火線が奔る。早く、速く、迅く。

 ただの遠征任務が、不確定な深海棲艦の動き一つで交戦状態に陥るのは珍しい事ではない。ただ、その為に必要な火力が不足する事も、珍しくない事だ。

 このまま沈む。このまま散る。そのまま消える。

 様々な恐怖が少女の脳髄を侵していく。

 

「あぅ……! くそ……!」

 

 小さく叫んだのは、少女の――この遠征部隊の旗艦、由良だ。普段穏やかな彼女が、余裕もなく舌を打つ時点で状況は見えている。少女の周囲に居る少女と同型の姉妹達も、皆浮べる相に希望の色は見えない。一層清清しいほどに、この場にいる遠征部隊の皆が浮べる相は絶望だ。

 そしてそれは、少女もまた同じであった。

 せめて今度こそ。今こそ。そう願って生きてきた。頑張ってきた。

 艦で在った頃、特に目覚しい活躍もなく消えたのだから、今こそは、と。それが皆の為になって、鎮守府の為になって、そして――

 

 ――あぁ、司令官……

 

 少女の脳裏に浮かんだのは、岩の様なごつごつした顔に穏やかな双眸を持った提督の顔だ。それだけが彼女の幸せであった。例え体は恐怖に震えようと、心の奥には大事な人との記憶がある。

 ただ、それを胸に抱いて死ぬ事で、少女の優しい提督が傷つくだろうという事が、少女のもっとも深い悲しみであった。

 

 深海棲艦達が、滅びの足音と共に少女達に近づいていく。誰も逃すまいと、何一つ助けまいと、何一つ許すまいと。空に砲華が咲き乱れ、水面に仄かに映りこんだ紅のそれを踏み乱して、おぞましいそれが。その目に狂気を宿して近づいていく。

 全て、この海の全て、在る全てをその瞳に映した狂気で塗りつぶしてやろうと。

 

 だがそれは。

 たった一発の小さな砲撃によって希望へと塗り替えられた。

 

「……だ、誰?」

 

 旗艦の由良が、皆を見回す。ただ、誰も砲撃など行っていない。そんな余裕すら彼女達にはなかった。

 と、そんな少女達と深海棲艦の間を割って入ってきた人影があった。彼女の手に在る機銃から、硝煙があがっている。砲身からあがる煙の消え往く先を見届けるように、少女は機銃の主を見上げた。

 

「あらあら。お邪魔だったかしらぁ?」

 

 そこに、少女と同じ顔を持つ少女が、少女とは違う服装で居た。

 少女とはまったく違う、自信に満ちた相で拳を握って。

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 先ほどまで自身がいた港が望める小さな広場にあるベンチで、その少女はもの憂げな相で小さく息を吐いた。風に梳かされる長い髪を押さえる手つきはどこか艶やかさがあった。

 ただし、

 

「あぁ……暇だわぁ」

 

 その体つきは仕草に反して幼い。女性的な曲線には遠い、とまでは言わないが肉厚的な魅力には乏しい体つきだ。背丈もそう大きなものではなく、艶やかな仕草がまだまだ人に違和感を与える年頃である。

 しかし、だからこそ彼女はその仕草を好んでいるのだろう。それを馴染ませる為の練習期間が今である、と彼女は考えているからだ。

 誰しも、最初から熟練者であった訳ではない。皆それを習熟する為の苦しい時間が在った筈なのだ。彼女の師はそう言った。そしてそれを、なるほど道理だ、と彼女も受け入れていた。

 

「ほんと、ひまねぇ」

 

 ゆえに、彼女は違和感を他者に与えようと止めない。

 彼女が選んで、決めた事なのだから。

 

「おーい、如月ー」

 

「あら、深雪。どうしたの?」

 

 彼女の――如月の名前を呼びながらよって来るセーラー服姿の少女、深雪を見て如月は小悪魔っぽく首を傾げた。これも、まだ如月にとって練習中の技である。

 

「睦月達に聞いたら、ここに居るって聞いたからさ」

 

「睦月ちゃん、何か言っていたかしら?」

 

「んー……別に?」

 

「そう」

 

 からっと返す深雪に、如月は素っ気無く返す。そんな如月の隣へ、深雪が挨拶もなく腰を下ろした。

 

「ちょっと、マナー違反よ?」

 

「気にすんなって。深雪と如月の仲だろー?」

 

「なぁに? 如月達ってそんな深い仲だったかしら?」

 

「あぁーもう、ほら、そこの自販機で買ったコーヒーやるから、機嫌直せよー」

 

 深雪がポケットから取り出した缶コーヒーを少々乱暴に取って、如月はプルトップに指をかけた。

 

「私、コーヒーより紅茶の方が好きって何度も言ったでしょ?」

 

「わりぃー、紅茶はなかった」

 

「本当だか」

 

 深雪の言葉にそう返して、如月はプルトップを空けた。そのまま、缶コーヒーを口に近づけて飲み始める。隣の深雪も、如月に倣ってか缶コーヒーを飲み始めた。ただし、控えめに飲む如月に反して、深雪のそれは豪快だ。現場の作業員並の豪快さだ。

 

「っかー! いやぁ美味いなー」

 

「……深雪、あなたも」

 

「あーあー、分かってるって。女の子なんだから、だろう? 深雪様もそりゃあ分かっちゃいるけどさぁ、なんかこう、違うんだよなぁ」

 

 苦笑を浮べて頭をかく深雪に、如月は小さく息を吐いた。諦めの色を多く宿した相で彼女は呟く。

 

「もう、折角こうした綺麗な体で生まれたんだから、それを磨きなさいよ」

 

「えー……そりゃあ、人間の体ってのも悪くないけどさぁ。ご飯とか凄い美味いし」

 

「というか、深雪はそれが大半の理由でしょ?」

 

「おう!」

 

 胸を張って答える深雪に、如月は目を閉じて首を横に振った。

 深雪という少女は、自身の姿に無頓着だ。如月から見ても、磨けば光るだけの素養があるというのに、深雪はそれを放置したままである。自身を磨く事に労力を惜しまず、淑女として艦娘として僅かでも光ろうと、とある艦娘に弟子入りまでした如月からすれば、それは冒涜ですらあった。

 

「あーなーたーはー」

 

「ひーはーひー!」

 

 如月は苛立ちの余り、深雪の頬を引っ張って口を動かす。

 

「姉達を見習ってもう少し色々考えなさいよ。宝の持ち腐れなんて、一番やっちゃ駄目な事よ?」

 

「いやぁ、でもうちの姉達だってそんな見習う程のモンじゃないぜー?」

 

 如月の指が離れた頬を撫でながら、深雪は目じりに涙を浮べて返す。その声音には苛立ちも反感も含んでは居なかった。つまり、本心からそう言っているという事だ。

 それに、また如月は溜息を零した。

 

 吹雪型――特Ⅰ型姉妹の上三人と言えば、提督の1番艦でありベテランの吹雪、鎮守府古参にして駆逐艦の相談役白雪、駆逐艦のエースにして比叡の弟子である初雪と、個性豊かな如月達の鎮守府に在って存在感を放つ傑物達である。

 それを深雪は、見習う程のモンじゃない、と言うのだ。

 どちらかといえば、強烈な個性達の中に埋没しがちな如月としては、深雪の姉譲りなそのもっちもちの頬を千切りたいと思う程度に怒りを覚えるのも仕方無い事であった。

 もう一回頬を引っ張ってやろう、と考えた如月は、しかし深雪の次の言葉で動きを止めた。

 

「やめろよー。八つ当たりなんて如月らしくない」

 

 急激に、如月の中で様々な物が冷めていく。先ほどまでの深雪への怒りも、手に在るコーヒーが紅茶でない事への些細な怒りも。如月の中で代わりに熱くなったのは、この世界への怒りだ。

 如月は先ほどの深雪の様に、豪快にコーヒーを飲むと、ぷはー、と息を吐いて握り拳を掲げた。

 

「ぬるい!」

 

「え、それコールドだぞ?」

 

「ぬるい!」

 

「あ、はい」

 

 深雪の突っ込みも無視して、如月は鋭い眼差しで続けた。決して茶化してはいけない、と深雪は適当に相槌をうった。ちなみに深雪は朧曰く、本能的に長寿タイプ、と言われている。漣の姉だけあって、あの娘もどこか変である。

 如月はゴミ箱へ空になった缶を全力で放り投げた後、ふんす、と鼻から息を吐いて続けた。

 

「どいつもこいつも、誰も彼も、ぬるいのよ。泣いて運命を受け入れる余裕があるなら、ドラム缶で敵を殴ればいいじゃない。悲劇のヒロインなんて、それこそ自分の司令官に対して失礼よ」

 

「あー……」

 

 如月が口にする意味不明な内容は、しかし深雪には理解できる物であった。深雪の同意ともとれる様子に、如月は目を細めて小悪魔的な笑みを見せた。これも練習中の技である。

 

「なによ、やっぱり睦月ちゃんから何か聞いていたんでしょう?」

 

「……ん、まぁ、今日の遠征であった事くらいは?」

 

「あなたも、暇人ね」

 

「そうでもないぞー? 深雪様はなんてったってスペシャルだからな!」

 

 如月に返す深雪は、それまでと変わらぬ調子だ。無理をしている様子も、気遣う素振りもそこにはない。

 

 先ほどまで、如月は姉や妹達と遠征任務に出ていた。いつもと変わらぬ遠征は、偶然の交戦で常と違った物へと変わってしまったのだ。別鎮守府の、友軍の危機を見てしまったからだ。

 当然、如月達は友軍を助けた。交戦していた深海棲艦は特に強力なモノでもなく、駆逐艦娘四人で殲滅可能なモノでしかなかった。

 ただ、その時から今まで如月は不安定であった。

 

 ――気にして、睦月ちゃんが深雪に頼んだんでしょうねぇ。

 

 如月の隣に当然と座る深雪は、少女の姿として見れば如月とは遠い存在だ。お互いに違いすぎる。少女であることに意識が向かない深雪と、女を磨こうとする如月は別方向にすら向かっている。ただ、艦娘としての相性は悪くなかった。

 恐らくそれは、艦時代の両者の早すぎる離脱から起きる、自嘲の色濃い同属意識だろうと如月は思えど、それを口にするつもりは彼女には無い。そんな物に汚されるほど、二人の間にある今の絆を軽く見られなかったからだ。

 

「……私達が助けた相手……艦娘達が誰か、聞いた?」

 

「いんや?」

 

 首を振る深雪に、如月は遠い目で息を吐いた。

 彼女としては、中々に口にし難い事であるからだ。だが、それでも彼女は結局口を動かす。そこに、反対方向にすすむ友人が居るからだ。

 

「私たちと同じ睦月型……それに、私と同じ如月」

 

 如月の呟きに、深雪はただ無言で頷いて促した。

 

「この世界はぬるいし、弱いのよ。泣いたって仕方ないじゃない。そんな暇があったら殴ればいいのよ。両手がなくなれば、噛み付いてやればいいのに、なんで泣いてるのかしら」

 

 如月の脳裏に浮かぶのは、諦めの相を浮べた自身と同じ如月だ。服装こそ違うが、同じ艦で同じ存在だ。それが如月をイラつかせる。

 彼女には、その如月が何を考えていたか分かるから、尚一層くるものがある。

 

「自分が沈んで司令官が悲しむ事が一番悲しいなんて、そんな事思ってる暇があるなら敵を一隻でも多く潰せばいいんだわ。そうすれば司令官の敵が僅かでも減るのよ? あの人の為の私たちであるなら、あの人の為に最後まで足掻くべきよ。それが、それでこその私達よ」

 

 そこまで言い切って、如月は大きく息を吐いた。黙って聞いていた深雪は、空を見上げて零す。深雪の相貌は、驚くほどに透明だ。

 

「そりゃあ、今の如月だから出る言葉だろ?」

 

「……そうよ」

 

 如月は反論しない。その考えにいたったのは、彼女が強くなれたからだ。弱い頃の彼女は、何も取り得が無い頃の彼女は、泣いていたほかの鎮守府の如月と変わりはしない。悲劇のヒロインを演じて、提督に傷を残してしまうだけの存在だった。沈んでいれば、だが。

 幸いにして、如月は沈まなかった。それなりの活躍をし、それなりの錬度を得、それなりの艦娘となった。

 

 誇れる物がない、そんな如月が。

 

 最高になりたいとまで思うほど、如月は傲慢でも無知でもない。駆逐艦には駆逐艦の限界があり、旧式には旧式の限度がある。それぞれに個性があるように、それぞれに向き不向きがあって、皆それぞれ在り方がある。

 

 如月は、それなり以上にはなれない艦娘だ。師を持って足掻けど、やはりそれなりからは脱していない。

 だが、それなりだからと言って泣くつもりはないのだ。彼女はもう昔の彼女ではないのだから。艦ではなく艦娘であり、提督から与えられた、それなり、を返す為に彼女は今ここに在る。それなりでもまだ上を見て、それなりでも進んで。泣いている暇なんてこの如月にはないのだ。

 非力な、無力な、史実に何も誇りがない駆逐艦はここにはもう居ない。居ない筈なのだ。

 

「違う如月は、まだそこまで司令官に愛されてないんだよ。じゃあ後で愛されるのかって言われりゃ、深雪の知ったことじゃないけどさ」

 

 深雪は見上げていた空から、隣に居る如月に目を移した。深雪の双眸に、憮然とした如月の相が映る。

 

「あぁもう……深雪相手だと、皆に言えない事でも言えるから厄介だわ……」

 

「その辺は睦月に文句いえよー? 深雪は見に来ただけだからな」

 

「はいはい」

 

 嫣然、とはいかない幼い笑みを浮かべ、如月はベンチから腰をあげて小さく背伸びした。深雪と話をしていただけで、もう彼女の中にあった違う彼女の姿は殆ど消えていた。

 だから本当に厄介だ、と如月は未だベンチに座る深雪を一瞥した後、一歩一歩確かめるようにゆっくりと歩き出した。

 

「あ、おい、どこ行くんだよ!」

 

 慌ててベンチから立ち上がり、ゴミ箱に缶をすてる深雪に、如月は振り返らずに応じた。彼女が目指す女性的な笑みも捨て、にやりと不敵に笑いながら。

 

「気晴らしに、もう一回遠征に出て二三隻沈めてくるわ」

 

 力強く握った拳を掲げて振る如月の後姿に、深雪は乱暴に頭をかいて零した。

 

「あぁ、やっぱり霧島さんの弟子だよなぁ、あいつ」




にちじょうふうけい
霧島「良いですか如月。まず乙女とは拳に始まり拳に終わります」
如月「はい、師匠」
霧島「朝起きれば自分が死んだ姿を想像しなさい。夜寝る前に悔いがないと思いなさい。淑女道とは死道と知りなさい」
如月「はい、師匠」
霧島「機銃や砲撃は弾幕と威嚇の為です。拳です。拳が全てを決するのです。この拳はあなたを裏切りません。そしてあなたも拳を裏切ってはいけません」
如月「はい、師匠」
霧島「……宜しい。では、今日もお互い淑女らしく過ごしましょう。全ては提督の為に」
如月「はい、師匠。全ては提督の為に」

睦月「……しゅ、淑女ってああいう物なのかにゃ……?」
暁「多分違うと思う……」
睦月「っていうか、なんで如月ちゃんは霧島さんに弟子入りしちゃったの……?」
朧「霧島さんは光属性のリアルモンク属性だから一目置かれる存在。だから私が紹介した」
暁「えっ……何それは……」

ちがうちんじゅふのひにちじょう
如月「凄かったの司令官、私と同じ如月が、深海棲艦をばったばったと殴り倒して!」
巨漢提督「……(えっ)」
由良「あの、それが本当の事で……」
巨漢提督「……(えっ……何それは……)」
如月「如月もいつかあぁなるのね……改二が楽しみだわぁ……!」
巨漢提督「……(ポチポチ)」
少年提督『あ、はい。先輩お久しぶりです』
巨漢提督「すまない、この辺りの鎮守府に、拳一つで深海棲艦を数隻殴り倒す如月を配下にもつ提督はいるだろうか……?」
少年提督『えっ……何それは……』


最初の、拳を握って、でオチが読めた人挙手


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51話

季節の変わり目で見事にぶっ倒れましたが何が。
誤字脱字がいつも以上と思われますので、見つけたらご一報お願いいたします。


 鎮守府の司令棟――提督の執務室と大淀の執務室がある、いわばこの鎮守府の本部とも言えるそこは、廊下が長い。様々な、必要な施設などを用意していくと、どうしてもこの司令棟の内部が過密になり、その結果廊下が長くなったと理解している初霜でも、やはり辛いものはある。

 特に初霜は駆逐艦娘の中でも小柄な少女だ。歩幅もそれに準じて小さい。

 かと言って、初霜は余程の事情がない限りこの廊下を走る――或いは小走りでも、だが――つもりもなかった。

 ここは提督の居る鎮守府の心臓部である。そこを喧騒で冒すつもりは初霜にはないのだ。

 であるから。

 

「あぁ、いたいた初霜!」

 

「川内、そう走るものではないぞ」

 

 今自身に走りよってくる川内と長月には、それ相応の事情があるのだろう、と初霜は考えていた。

 

「おはようございます、川内さん、長月さん」

 

「あ、おはよう」

 

「うむ、おはよう」

 

 初霜の挨拶に、川内と長月が返す。そして川内が初霜の肩に手を置いた。

 

「初霜、ちょーっとうち――三水戦で航路確保の任務があるんだけれど、出るはずの卯月が馬鹿やっちゃってさぁ……誰か今日空いてる奴いないかなぁ?」

 

 川内の懇願に、初霜は川内の隣にいる長月に目を向けた。川内が名を出した卯月とは、長月の姉にあたる駆逐艦娘であるからだ。

 初霜の視線を受けた長月は、眉間に皺を寄せて俯いた。

 

「すまない……川内の言う通り、事実だ」

 

「あの……何があったのか聞いても?」

 

 苦しそうな、本当に苦しそうな長月に悪いと思いながらも、初霜は問う事にした。航路確保などの作戦行動は前日から準備されて通達する物だ。となれば、卯月が出撃できない理由は急な事情である筈だ。体調不良や怪我であれば今後のシフト調整の為聞き取りが必要であるし、風邪ならば程度によっては軽い隔離処置も必要だ。

 ここがどれだけ独特な鎮守府であろうと、軍である事に違いはない。万が一にも、体調を崩す病の蔓延等あってはならない事なのだ。

 

「卯月が……如月のその、なんだ……勝負下着という物を馬鹿にしてな」

 

「あ、はい。大体分かりました」

 

 実に独特な鎮守府であった。恐らく、その事で怒った如月に霧島直伝の格闘術を叩き込まれたのだろう、と初霜は考えた。正解である。

 

「まぁ、その顔だと大体分かっているだろうが……その後、如月のいいパンチを目にした皐月が、決闘を申し込んでな……」

 

 初霜の想像の斜め上であった。次女と四女の完全なワンサイドゲームで気を昂ぶらせた五女の登場など、普通思いつかない。思いつかないのだが、何故かそれが皐月らしいとも思える初霜でもある。

 

「そのまま如月と皐月の模擬超接近戦闘がはじまって……菊月が泣いて止めるまで、止まらなかったんだ……」

 

「菊月さん……」

 

 長月ほどではないにしても、普段武人然とある菊月の様に、初霜は同情を禁じえなかった。あまりに不憫である、と目じりに涙さえ浮かべた。

 

「まぁ、なんにせよそんな状態でさぁ……初霜なら誰か空いてる奴知ってるでしょ? 誰か良いのいないかなぁ……?」

 

「四水戦の皆には?」

 

 川内のお願い、といった顔を目にしても初霜は冷静だ。通常、1から3の水雷戦隊の欠員を補うのは四水戦の仕事である。ゆえに、初霜はそれを川内に問うた。

 

「……今日は那珂のやつ、全員つれて山篭りだって。まったく、あいつは……」

 

「……え?」

 

 初霜はポケットにある小さなメモ帳を取り出して中を確認し始めた。簡単にではあるが、主要メンバー達の今日の予定が書かれた物だ。表紙をめくり、そのまま今日の予定まで飛ばしていく。

 初霜は手を止め、目当ての頁へと目を落とした。

 

『四水戦メンバー、特殊訓練』

 

 とだけある。てっきり海上での訓練、またはグラウンドでの物だと初霜は思っていたのだが、これがまさか山篭りであるとは理解できなかった。いや、普通艦娘の行う特殊訓練と聞いて、山を想像する者はいないだろう。

 

 ――次からは確り聞こう。うん。

 

 胸中で頷いて、初霜は川内に目を戻す。と、川内は何やら那珂への愚痴を零し続けていた。

 

「今回だって、今時のアイドルはもっとハングリーじゃないといけない、とか言い出してさ……この前なんて、片眉剃って熊殺しやろうかどうかで、神通と凄い話しあっててさ……二人とも無駄に真剣で、殴り方やら絞め方やらと……もうお姉ちゃん心配だってのよ……」

 

「……それはアイドルですか?」

 

 目を瞬かせて聞く初霜に、川内は肩を落として首を横に振る。彼女達が知る限りそんなアイドルは居ない。そんな空手家なら居ただろうが。

 

「うむ……どこも姉妹関係は難しいのだな……」

 

 しみじみと呟かれた長月のその言葉は、本当に重いものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 川内の要請に、本日体の空いている姉の子日を呼んで対応した初霜は、再び廊下を歩いていた。菊月にケーキでも差し入れしようと考えながら歩く初霜の目に、二つの人影が入ってきた。

 その二人の人影をはっきりと認識した瞬間、初霜は背を伸ばして海軍式の敬礼を行った。

 

「おはようございます!」

 

「え……あぁ、よかったぁ……初霜ー、助けてよー」

 

「あぁ……おはようございます、初霜」

 

 初霜の挨拶に応じるのは、一水戦旗艦阿武隈と、二水戦旗艦神通である。一水戦所属、とされている初霜であるが実際にはどちらにも籍を置いている。状況に応じて盾にも矛にもなるのだ。これは初霜だけではなく、他にも霞などがこの形で両方に所属している。

 つまり、今初霜の前に居るのは二人とも上司なのだ。自然、初霜は敬礼をとってしまうのである。決して神通の訓練で仕込まれた訳ではない。決して神通との訓練でこの人にだけは逆らわないでおこうと思ったからではない。

 

「初霜ー、聞いてよぉ」

 

「……初霜も、意見をお願いします」

 

 背を伸ばして敬礼を続ける初霜に、阿武隈と神通は陸に居る時の――作戦行動や護衛任務外の、常の相で接した。

 この二人はどうしてこうも、作戦行動中と普段がかけ離れているのだろうか、と不思議に思いながらも、初霜は敬礼をとき首を傾げた。

 

「はい、なんでしょうか?」

 

「聞いて聞いてよもー……神通が、一水戦と二水戦の合同訓練やろうって」

 

「はい……どうでしょう? 私は、お互いの為に必要な事だと思うんですけれど……」

 

 今にも泣き出しそうな顔で詰め寄る阿武隈と、その阿武隈の後ろから控えめに提案する神通は対照的である。ただし、両者共に初霜の同意を得ようとする熱意だけは強かった。

 なにせ初霜は提督の秘書艦である。彼女の同意があれば大抵の事は通るのだ。両者共に目に力を込めるのは、当然の事であった。

 困ったのは、そんな瞳を向けられた初霜である。

 

 彼女としては阿武隈の気持ちも分かる。少女として自身の興味がある事に空いている日を使いたいのは理解できるのだ。特に阿武隈などは少女らしくあるタイプなので、それらに時間を割きたいと思う気持ちは一入だろう。

 だが、同じように神通の気持ちも初霜には分かるのだ。

 駆逐艦、軽巡洋艦に求められる迅速な行動力を増す為に持久力をつけ、実戦に近い形で動くことで本番に備えようとする考えには、初霜としても同意できる物である。

 

「那珂が熊殺しをしようというのです……姉である私も、それと同様の試練を受けなくては――艦娘として……っ!」

 

「それは本当に艦娘でしょうか……」

 

「そうそう、そうそう!」

 

 神通のこういうところは初霜には同意できないところである。初霜の言に必死になって首を縦に振る阿武隈も理解できない事であるらしい。実際には熊よりも深海棲艦の方がよっぽど危ないのだが、初霜と阿武隈からすれば、それはそれ、これはこれである。

 

「では、私はいったい何を殺せばいいのですか……っ!」

 

「やだ……この人怖い……」

 

 焦りを過分に含んだ神通の物騒な言葉に、阿武隈が本気で引いた顔で初霜の背後に隠れた。初霜としては、上司のそんな姿を見たくはなかったが、先ほどの神通の台詞は確かに一人の少女を怯えさせるに相応しい物であったと妙な納得をしていた。

 那珂の山篭りを知って、神通は神通なりに焦っているのだろうが事情を知らない者から見れば、ただただ物騒な言動である。

 

「……そう、ですね……すいません、確かに変な事を言いました」

 

「う、うん……ちょっと怖かったよ、神通」

 

 少しは落ち着きを取り戻したのか。頬に朱をさし俯く神通に、阿武隈がおずおずと言う。ただし、阿武隈はまだ初霜の背後である。長良姉妹の末っ子である為、すぐ人に甘えてしまうのだろう。だがそうなると自分はどうすればいいのか、と現状では初春型末っ子の初霜は胸中でため息をついた。彼女は提督の為の盾であるが、阿武隈の為の盾ではない。

 まして相手は最強の矛である。初霜からすれば、最強の盾である阿武隈に頑張ってほしいところであった。

 

「では、私はどこで殴り方や絞め方の訓練をすればいいのでしょう」

 

「まずその物騒な発言からやめましょう」

 

 拳を握って、きりっ、と発言する神通に初霜は普通に駄目出ししておいた。

 ちなみに、初霜の背後に隠れていた阿武隈はこの時点で軽く気を失っていた。彼女も任務外となると、とことんアレである。

 

 

 

 

 

 

 長い長い廊下を歩いて、初霜は重く長い溜息を吐いた。とりあえず、二人にはその様な物もあると考えて前向きに善処しておきます、と濁して初霜は二人から離れたのだ。戦術的撤退とも言う。彼女は終わった分の書類を大淀に渡しにいっただけで、決して言い知れない疲労感を溜め込む為に執務室の外へ出た訳ではない。

 このまま外にいては危ない、と警告する自身の本能に従って、初霜は執務室へと小走りで急いだ。彼女にとっては緊急の事態であるから、これは仕方ない事である。

 

 初霜は見慣れた執務室の扉を見つけると、少しばかり背後を確かめた。なんら意味のない行動であるが、少し出ただけで妙に肩が重くなった初霜には必要な行動に思えたのだ。

 何もない、誰もない事を確かめてから初霜は扉を開けた。

 

「あぁ、おかえり初霜さん」

 

 提督の言葉が、初霜の耳を撫でた。

 たったそれだけで、初霜の重かった肩も、妙に痛くなっていた胃も常の調子に戻る。初霜は笑顔で、

 

「はい、初霜ただいま戻りました」

 

 そう返した。

 常より明るい初霜の相に提督は一瞬、おや、といった顔を見せたがすぐ笑顔で頷いた。提督にとっては艦娘達の屈託のない笑顔は清涼剤であり宝だ。

 事情は知らずとも、何も問わず笑顔を見せる提督に初霜は一礼し、自身の為にと用意された小さな秘書艦用の机に向かって歩いていく。

 その机の上にあるのは、今日の初霜の仕事分だ。本当に重要な仕事は全部大淀に回っているが、それでも彼女や提督がすべき事もある。

 

「えーっと」

 

 初霜は机の上にある書類に軽く目を通し、優先順位をつけていく。朝一番に終えた作業だが、現状で見落としがないか確認する為だ。

 と、秘書艦用の机の上にある電話が鳴った。小さな長方形のディスプレイに映る相手の番号は、馴染みの番号だ。

 

「はい、もしもしこちら――」

 

 自身の所属する鎮守府の名を名乗り、初霜は相手の声を待った。相手は初霜とここ最近よく電話越しにやり取りをする違う鎮守府――少年提督の大淀であった。

 

「はい、はい……提督、ですか?」

 

 初霜の声に、提督は目を上げた。彼も机で書類を仕事をしていたのだろうが、自身が呼ばれた事が気になったらしい。初霜は目で、どうしましょう、と問うと提督は黙って、こっちに、頷いた。

 流石に山城ほど目で会話は出来ないが、この程度なら初霜でも可能だ。初霜は電話を操作し、提督の机に在る電話へと回線を回した。

 

「はい、あぁどうもどうも。いつもお世話になっております。え、秋刀魚ですか? ああいえ、あれくらいなら別に……はいはい」

 

 提督は相手も見えないというのに、電話越しでも相手に頭を下げたりしていた。艦娘相手に提督が、と初霜は思うが、それもまた提督なのだとも思う。

 初霜の目の前にいる提督の様な人間だからこそ、この鎮守府の皆は自由に、らしく在る事が出来るのだ。少々自由すぎるところはあるが。

 そんな風に考えている初霜の耳に、それまでとは違う戸惑いがちな提督の声が届いた。

 

「え……はい……はい? え、インファイト仕様の如月、ですか? え、颯爽と深海棲艦を殴り倒した? ……それは本当に如月ですか? 霧島の見間違いじゃありませんか?」

 

 そう返す提督に、初霜は八の字を寄せた。執務室に篭り、海上にも出れない為艦娘達の作戦行動中の姿を知らない提督に、いいえ、それは間違いなくうちの如月さんです、と無理なく伝えるにはどうすればいいのかと悩んだ為だ。

 

 僅かな時間で、初霜に立て続けで様々な事が起きている。彼女は今日は厄日か何かではないのか、と考えた後、提督を見てその考えを改めた。

 確かに、彼女の肩は重くもなり、胃も痛んだ。だがそれだけの事だ。

 

 ――提督の傍に居て、提督とお話できて、提督を守ることが出来る。

 

 なら、それで本望だと初霜は微笑んだ。

 彼女は初霜である。

 一水戦にもっとも長く所属した、古くて小さい、最高の盾だ。

 

 

 

 

 

 

 

 後日談

 初霜が長い廊下を歩いていると、窓の傍に一人の人影があった。ぼんやりと外の風景を見るその人影は、四水戦所属の野分であった。

 初霜にとって縁遠い艦娘ではない。彼女はそっと野分へ近づいていった。

 

「あの……どうかしましたか?」

 

「あぁ……初霜」

 

 野分は自身の姉――雪風の親友、初霜の気遣う相に首を横に振った。心配されるような顔をしていたのか、と反省しながらだ。

 

「私でよければ、聞きますよ?」

 

「……」

 

 初霜のその優しさに、野分は言葉を失った。いや、こうだからこそ皆と提督の橋渡し役が出来るのだろうと胸中で頷き、小さく零した。胸のうちにある苦悩を。

 

「この前山篭り、したんです……」

 

「……あぁ」

 

 心当たりがある初霜は、野分の言葉に相槌をうって頷いた。野分は事情を知る初霜に目を向けた後、静かな、ただただ静かな目で窓の外の空へ視線を移した。遠くを見る、そんな目だ。

 

「熊って、あんな風に絞め殺せるんだなって……」

 

 野分の重すぎる呟きに、初霜は何も言えなかった。とりあえず、あの姉妹の下二人をどうするべきか考えつつ、初霜は野分を甘味処にでも誘おうと思った。

 途中で長月と菊月も呼んで、と。




もふもふ。もふもふ。もふもふ。prpもふもふ。


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52話

まだちょっと頭痛い状態ですので、何かおかしな所等を見つけられた方は、是非報告お願いいたします。


 赤城、という艦娘は良く知られている。

 何を、と問われれば誰もが喜んで口を動かすだろう。

 史実においては第一航空戦隊を代表する軍艦で、南雲機動艦隊旗艦であったという正規空母だ。女性の体を得て在る現在では、提督との間に子を為したと言う事から、一定の任務を終えた鎮守府や警備府等に大本営から与えられる存在である。

 しかし、それは前例にならって子を、という意味だけではない。赤城という艦娘の艦載機運用能力を戦線で活用せよ、また使い切って見せよ、と与えられるのである。

 

 様々な海上作戦を実行した提督や、その提督を助ける艦娘達は、深海棲艦側へと切り込んでいく中で制空権の確保を重視するようになり、やってきた赤城に多くの可能性を見る事になるのだ。

 初めての空母艦娘は赤城であった、という提督も少なくはない。ゆえに、赤城という存在は多くの提督達にとっての教本の様な存在ともなるのだ。

 それも、苦労を共にした、である。

 その結果、大本営の思惑通りとでも言うべきか、互いに心惹かれてそのまま結ばれるという提督と赤城は多い。

 

 戦艦ならば金剛大和、空母であれば赤城か加賀か、貰う為なら金草鞋。

 

 とは現代で歌われる提督達の今歌である。

 赤城への軍部――提督達からの想いが窺えようという物だ。

 

 当人も一航戦の、正規空母の筆頭として芍薬の様に凛々しく、海上を行く同僚達を気遣う姿は牡丹の如く美しく、想う人の隣に静かに在る風貌は百合にも似て優しげだ。

 外貌、内面、そして在り方。それら全てが高い水準にある赤城ゆえに、誰もが彼女をよく知っている。

 そして赤城でもっとも有名な事と言えば。

 

「んー……美味しいですー……」

 

 健啖家、という事だろう。

 

「間宮さんの豚カツも美味しいですけど、鳳翔さんの豚カツも美味しいですー」

 赤城はどんぶりに盛られた大盛りの白米を口に運びながら、豚カツにも箸を伸ばす。頬を膨らませて食事を摂る赤城の姿からは、芍薬だの牡丹だの百合だのといった華は窺えない。ただ、普段凛々しく在る事の多い赤城の、この食事を摂る際に見せる顔は、多くの提督を魅了してやまないものでもある。

 常では見れない赤城の、その満面の笑みに堕ちる者は多いのだろう。ただし、今ここで赤城と共に箸を動かしている存在は、まったく魅了されていなかった。

 

「赤城は食べすぎでち……そんなんじゃ、いつか提督にも愛想尽かされるんじゃない?」

 

 伊58、皆からゴーヤと呼ばれる潜水艦娘である。

 彼女は提督指定の水着と、常から羽織るセーラー服の上に黒の軍用外套を重ねていた。季節はそろそろ冬である。海の中となれば艤装のサポートもあって体温調整も出来るが、陸の上となれば寒さを遮る外套が必要なのだ。

 ゴーヤはぱくぱくと、その癖綺麗に料理を口にする赤城を半眼で見ながら、自身の前にある秋刀魚定食をゆっくりと食べていた。

 

「提督はそんな方ではありません。ゴーヤさんこそ、そんな食事量では痩せ細って提督に見放されますよ?」

 

「提督はそんな人じゃないもの」

 

 ゴーヤは赤城の目を見ながら返すと、一旦箸を置いて湯飲みへ手を伸ばした。赤城はテーブルの上に在る様々な料理、今度は秋刀魚の蒲焼に箸をつけていた。

 

「……はぁ」

 

 ゴーヤは熱いお茶を嚥下すると、息を零した。それはお茶の熱さと美味さに満足したという溜息ではなく、呆れの余り出た溜息であった。

 

「赤城は、なんでスタイルが崩れないの……」

 

「……? スタイル、ですか?」

 

 ゴーヤの言葉に、赤城は暫しきょとん、としてから自身の体に目を落とした。赤城の目には、常の自分の体が映るだけである。赤城の目には、だ。

 

「それだけ食べてその体を維持してるとか……もう女性全てに喧嘩売ってると思う、ゴーヤは」

 

 ずず、と湯飲みを傾けてお茶を飲むゴーヤであるが、そのゴーヤにしても中々の物である。体つきこそコンパクトであるが、女性的な膨らみや柔らかさから無縁、という体付きではない。むしろ理想的な物を体現したスタイルである。同性の赤城から見ても、ゴーヤは十分に魅力的であった。

 

「それを言うなら、ゴーヤさんこそそれだけの食事量でよくその体が維持できますね?」

 

「嫌味でちか?」

 

「いいえ、純粋な疑問です」

 

 半眼のゴーヤに、赤城は穏やかに返す。お互い何も口にせず、ただ静かに黙っていると、二人が居る部屋――座敷に一つの声が響いた。

 

「宜しいですか?」

 

「はい、どうぞ」

 

 赤城の返事に、襖が開かれる。座敷に入ってきたのはこの座敷がある居酒屋、それの主である鳳翔であった。

 鳳翔は手に在る盆から大盛りの焼き鳥、じゃがバターをテーブルに置くと二人に一礼した。

 赤城はそれに深く頭を下げて返し、ゴーヤも正座で礼儀正しく頭を下げた。

 

「ゴーヤさん、お口にあいましたでしょうか?」

 

「はい。やっぱりゴーヤは間宮さんと鳳翔さんのご飯が一番でち。他のはいまいちでちね……」

 

「あら……赤城も、注文は以上で大丈夫かしら?」

 

「はい、十分です。今日はあんまり食べないつもりですから」

 

 鳳翔は二人と言葉を交わすと、また一礼し廊下へと出て静かに襖を閉じた。赤城は早速、先ほど鳳翔が持って来た焼き鳥へ手を伸ばす。

 

「あんまり食べない……ねぇ」

 

「そりゃあ、潜水艦娘と比べられたら、誰だって大食いですよ?」

 

「いやあ、そういう枠組みだけの話じゃないでち、これは」

 

 一本、二本、と次々と串に刺さった焼き鳥と葱を口に消していく赤城を見つめながら、ゴーヤは秋刀魚定食の残りを食べる為再び箸を手に取った。

 

 お互い、また何も喋らない。静かな座敷の中で、僅かに食器とテーブルのぶつかる音や、箸が茶碗、または皿をついた音だけが木霊する。

 二人は、特に親しい友人という訳ではない。こうして食事を共にする事はあるが、本当にただの同僚だ。いや、ただの同僚と言うには、少々遠慮なさ過ぎるところがあるのだが、これも二人の中では僚艦同士のじゃれ合いなのかもしれない。

 お互い、正規空母、潜水艦のまとめ役として、肩の力を抜きたい時もあるのだろう。

 

「ごちそうさまでした」

 

「ごちそうさまでち」

 

 二人は同時に手を合わせ、食事を終えた。

 正規空母赤城と潜水艦娘ゴーヤは、同時に食べ終えたのだ。赤城は健啖家ではあるが、ゴーヤは小食家の代表の様な艦娘だ。いや、潜水艦娘は皆小食であるが、ゴーヤは小食の上に食事の速度も遅い為、特に目立つのである。

 健啖家で食べる速度も速い赤城と、少食家で食べる速度も遅いゴーヤであるからこうして食事を終えるのはいつも一緒だ。

 この辺りも、二人が偶にとはいえ一緒に食事をする理由なのだろう。

  

 赤城は湯飲みの中身を飲み干すと、手に在るそれをゆっくりとテーブルに戻し、同じ様にお茶を飲み干していたゴーヤに目を向けて

 

「……問題はありませんか?」

 

 そう言った。その言葉に、ゴーヤは何も応えない。

 主語のない赤城の言葉に、疑問の相を浮かべるでもなく、何かを誤魔化すでもなく、ただ黙っているだけだ。

 

 ゴーヤは感情の消えた顔で赤城を見た。ゴーヤに応じる赤城の顔も、またどこか冷たげだ。先ほどまで赤城の相を覆っていた、柔らかい彩りは消え失せてしまっている。

 ゴーヤはそんな赤城を見返しながら、平然と口を開いた。

 

「何もないでち。あとは提督の言葉を待つだけでち」

 

「そうですか、それは良かった」

 

 赤城は穏やかな相に戻って二度三度と頷いた。その後、テーブルにある伝票を手にとって、座敷の外套かけにかけて置いた、ゴーヤと同じデザインの黒い軍用外套に袖を通した。

 

「赤城、ゴーヤの分は出すでち」

 

「良いですよ、ここは私に出させてください」

 

「でも……」

 

 と続けようとするゴーヤに、赤城は掌を見せて首を横に振った。

 

「御報謝」

 

 短く、またはっきりと言った赤城に、ゴーヤは暫し黙った後苦笑を漏らした。

 御報謝、等と今時まず聞くものではない。ゴーヤ達が艦で在った頃でも、だ。様々な意味を持つ言葉だが、この場合赤城が口にした御報謝、とは江戸の時代など、旅する僧侶や見るからに苦労している旅人に、人々が僅かばかりの金銭などを渡す際口にした物であろう。明治や昭和の初期辺りならまだあった風習かもしれないが、海で生涯を終えた彼女達は知らぬ物である。

 それでも、今の彼女達は人の体を持ち心を持つ存在だ。どこかで聞いた、或いは知ったそれを、赤城は女性の姿と心でゴーヤに行っている。

 ゴーヤが暫しここを離れ、様々な土地を巡ったと知るからだ。

 

「じゃあ、今度は他の潜水艦の子を呼んであげてね?」

 

 ゴーヤは苦笑を浮かべたまま赤城を見上げて言った。その御報謝とやらに与れるのが自分だけでは、と思ったからだろう。

 そんなゴーヤの思いが分からぬ赤城ではない。彼女はにこりと微笑んで

 

「じゃあ、提督もお呼びして皆でお食事会でもしましょうか」

 

 そう言った。

 ゴーヤは、苦笑を朗らかな物に変えて返した。

 

「それだけで、胸がいっぱいでち」

 

 

 

 

 

 

 

 ゴーヤにとっての久方ぶりの鳳翔の料理は、やはり美味であった。少なくとも、ここを離れていた際に口にした物とは比ぶべくもない程である。

 ゴーヤが鳳翔や間宮の料理に馴れた舌で在ったが故にそう思うだけだろうが、そう思わせるだけの魅力が鳳翔と間宮の食事には在るという事だろう。

 

 ゴーヤは満足げに頷くと外套の襟を首元に寄せた。季節は冬の前であるが、夜ともなれば寒さも強い。

 殊、先ほどまで在った居酒屋が暖かった分、感じ入る寒さはより一層厳しい物だ。

 ゴーヤは息を吐いて、僅かに白く染まったそれが宙に溶ける様を見つめた。

 そして、今日までの日々の、その始まりを脳裏に描いた。

 

 この世界に渡った際、一部の艦娘達――ゴーヤ達潜水艦娘は直ぐに動きを起こした。いや、動くしかなかったのだ。静かに混乱し、人知れず狼狽する主の為にも、彼女達は動かなければならなかった。

 その混乱と狼狽を、主から取り除く為に。

 

『提督、お願いがあるでち』

 

 代表して口を開いたゴーヤの話す内容に、提督は黙って頷いた。そして、無事に帰ってきて欲しい、と言ったのだ。

 だからこそ、ゴーヤ達は人知れず行動を起こし誰にも悟られず、この地に在る全ての鎮守府と施設を調べまわったのだ。大本営さえ、だ。

 提督の龍驤や鳳翔でさえ察知できぬ彼女達である。情報を得る為に様々な施設に忍び込む事は、ゴーヤ達の想像以上に簡単な事であった。集められる物を必死に集め、出来る事を必死で行い、そして彼女達はこうして提督の言葉通り無事戻ってきた。

 提督の願いだからだ。

 

 彼女達の中には、ほぼ全ての軍部の情報がある。勿論、一ヶ月やそこらで集められる情報には限りがあるが、それでも今現在鮮度の高い、生きた情報が手元にあるのだ。

 軍部のあり方、近隣の鎮守府と、そこに居る提督達の素行。各施設の艦娘達の扱いや保有戦力、展開中の作戦、展開予定の作戦、深海棲艦側の動向等などだ。

 だからこそ、ゴーヤは赤城が食事を一緒に、と言ってきた際頷いたのだ。

 どうせ赤城をかわしても、他の誰かが来るだけなのだから、と。

 

「たしか、あの鎮守府の提督だったでちか……」

 

 ゴーヤは潜水艦娘寮へと続く道を歩きながら、星を見上げて一人小さく呟いた。先日、大淀がとある鎮守府の提督が来る旨を皆に伝え、近隣の清掃や注意を促していた。その来客に該当する人物は、彼女の中にある情報の一つだ。

 体つきの大きな、それでいて草食動物の様な穏やかな双眸を持つ提督である。提督の友人である少年提督の先輩に当たり、年齢と階級はゴーヤの提督よりも上だ。

 が、そんな情報を赤城達が欲しがる訳がない。

 彼女達が欲しい情報は一つだ。だからこそ、赤城は何も言わぬゴーヤに何も返さず帰ったのだ。

 

 害なす存在かどうか。

 

 ただそれだけだ。

 何も応えぬゴーヤに、赤城は答えを見たのだろう。そういった存在ではない、と。そうでなければ、ゴーヤ達がまず提督に報告している筈なのだ。先ほどまでの居酒屋での会話は、飽く迄赤城達による確認だ。

 私達は傍観でよいのか、どうなのか、という。

 結局、ゴーヤは何もそれらを一切口にしなかった。ゴーヤにも守るべき事があるからだ。

 

 そんなゴーヤに、無理にでもと口を割らせようとしない赤城にゴーヤは感心していた。流石正規空母の筆頭、そして提督の艦娘である、と。

 赤城はよくゴーヤ達を理解している。いや、赤城自身も戦場において艦載機を縦横無尽に走らせて情報を取捨選択する立場である正規空母ゆえに、共感出来たのだろう。

 拾い上げた情報の扱い方も捉え方も違うが、それもまた在り方の違いであると。

 ゴーヤ達潜水艦娘は多くの情報を持っているが、それは彼女達の物であって彼女達の物ではない。

 

 ただ、提督が開示せよと命令した時だけ、ゴーヤ達の口から語られる物なのだ。

 

 彼女達の情報はただ一人の為に集められた。たった一人の男を守るが故に、だ。

 それは艦娘達の物ではない。あってはならないのだ。

 

 ゴーヤは立ち止まり、外套の下にある提督指定の水着をそっと撫でてを息を吐いた。再び淡く白いそれが宙に溶ける様を見届け、そしてまた一人小さく言葉を零した。

 強い意志が込められた瞳の中に、夜空に浮かぶ淡い月の姿を湛えて。

 

「提督……月が綺麗でち……」

 

 彼女の耳には、死んでもいいわ、とは聞こえてこなかった。聞こえたとしても、きっとゴーヤは慌てて首を横に振っただろう。

 忍び、忍んで、まだ偲べない。

 ゴーヤは潜水艦だ。提督の潜水艦だ。まだすべき事がある。

 今はまだ、提督の愛に溺れて沈む訳には行かないのだから。




提督指定の水着と言われて、果たして何人の提督が頭を抱えただろうか。
勿論あの格好で一向に構いませんが。

実は活動報告に祝五十話突破のおまけ話アップしてます。


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53話

 思うことは、少なくない。

 果たして自分が縁を求めて、良いことであるかどうか、という事も一つだ。

 大本営という組織は、やはり様々な軍閥によって均衡を保っている側面がある。そういった存在は、下にある存在達が独立的な力を持つことを極端に嫌がる。いや、それも道理だろう。

 古今東西に限らず、権力は下へと流れていく。神から王へ、王から宰相へ、宰相から大臣へ、大臣から貴族へ、貴族から騎士へ、そして騎士から市民へ、だ。春秋、ローマ、ギリシア……それらの教本は実に多種多様にして同一だ。

 

 歴史は何度もそれを繰り返した。

 故に、上は下の結託に過敏だ。まるで毛を吹いて小疵を求めるような時代すらあったのだ。

 今現在の大本営は、当代の元帥が提督達に肯定的な立場である為それほど監視の目が厳しいわけではないが、それでも猜疑に濁った視線が無いわけではない。

 

 せめてもの救いは、彼自身が警戒されるような提督ではないという事だろう。

 今まであげてきた戦果は平凡であり、提督としての能力も凡庸だ。だからこそ、上も接触に何も言わないと彼自身断言できるのだが、それでも可能性は常に考慮すべきである。

 

 ――それが救いとは、なんとも救いが無いではないか。

 

 と彼は胸中で溜息を零して自身の姿を見下ろした。

 

「……可笑しいところはないだろうか?」

 

「大丈夫大丈夫、提督はいつも通り格好よいぞー」

 

 白い軍服の襟を正す彼の問いに、セーラー服姿の少女が笑顔で応えた。彼は自身を見上げる少女の笑顔を暫し見つめた後軽く咳払いして被っていた帽子を脱いだ。髪を軽く撫でて、彼は髪に乱れがないか手探りで確かめる。

 彼の髪は短く刈られた無骨な物であるが、髪質が固い為乱れると直ぐに分かるのだ。髪を短く揃える様になって以来、彼は常にこの調子だ。

 

「もー……横着してる。ほらほら、睦月の手鏡どうぞー」

 

「……あぁ、すまない」

 

 少女の差し出す化粧用のコンパクト鏡を受け取り、彼は小さな鏡に映る自身の顔を見た。鼻も顎も耳も額も口も、すべてが体に合わせた様に大作りだ。そんな中で、瞳だけが特徴的であった。彼自身特に思いいれもないその部位は、しかし見る者に彼という人間を良く理解させた。

 まるで風一つない湖面の様に静かで穏やかなのだ。

 彼は掌にすっぽりとおさまったコンパクト鏡を小刻みに動かし、髪の乱れがない事を確認して小さく頷き、そっと少女にそれを返した。

 

「……ありがとう、助かった」

 

「いえいえ、どういたまして」

 

 にこり、と微笑み返された鏡を鞄に戻す少女に、それは言い間違いか理解した上でそれを通しているのかと聞こうとしていた彼の耳に、エンジン音が聞こえた。

 彼と少女――駆逐艦娘の睦月は今自身達がいる執務室の窓から、少し離れた場所にある来客用の駐車場を見た。小型のバンから降りる二人の軍人と一人の艦娘を見て、睦月と彼は顔を見合わせて頷いた。

 

「……よし、行こうか」

 

「はいはいさー」

 

 ソファーにおいてあった鞄を手に取り、巨漢と睦月は執務室を後にした。

 

 

 

 

 

 

「えーっとですね、一応、今日僕達が行く事を知らせてはいるんですが」

 

「……すまない、迷惑をかけた」

 

「あぁいえ、先輩頭を上げてください」

 

 とある鎮守府に続く道を走るバンの中で、巨漢の提督が少年提督に頭を下げていた。彼らの後ろに並んで座るそれぞれの艦娘、雪風と睦月はお互い苦笑を浮かべていた。

 

「……こんな事を頼んだ上に、仲介まで……本当にすまない」

 

「いえ、その……先輩、僕は気にしていませんから」

 

 士官学校の先輩、しかも階級では少年提督より上の巨漢提督が頭を下げ続けているのだ。少年提督としては居心地が悪い事この上ない状態である。どうすれば良いのだ、と巨漢の艦娘である睦月に目を向けても、自身の艦娘である雪風に目を向けても、返って来るのは苦笑だけだ。

 彼女達としても出来る事がないのだろう。

 困り果てた少年提督を助けたのは、運転席で車を走らせる片桐中尉であった。

 

「うちの坊ちゃんも困っております。そのくらいでお願いしますよ」

 

「片桐!」

 

 坊ちゃん、と呼ばれた少年提督に鋭い一喝を食らわせた。が、その声は中性的で人を脅す迫力に欠けている。おまけに相は涙目で頬は朱をさして紅々としていた。小型犬に吼えられて怖いと思う人間は少ないだろう。

 片桐は軍帽を深く被りなおして口を開いた。

 

「いや、これは失礼」

 

「本当だよ! っていうか片桐今笑っただろう! そこの鏡に顔映ってるからな!」

 

「いやいや、そんなまさか」

 

 言い合いを始めた主従を、巨漢は穏やかな目で見つめた。そんな彼に、片桐が声をかけた。

 

「しかし、申し訳ありませんでした」

 

「……さて、何がでしょうか?」

 

 歴戦とはいえ、一中尉に過ぎない片桐にも巨漢提督は丁寧に聞き返した。慇懃無礼であるとか、そういった素振りや気配は一切ない。まるで禅僧の様な穏やかさで巨漢提督はそこに在るだけだ。

 

「いえ、こちらのわがままでそちらに注文をつけてしまって……本当に申し訳ありません」

 

「……その事ですか」

 

 巨漢提督は片桐中尉の言葉に、自身の後ろの座席に座る睦月を見た。睦月は久方ぶりのお出かけにご機嫌である。同じくご機嫌の雪風と話す姿など、どこからどうみてもただの女学生だ。

 が、よく見れば睦月の相には無理が見て取れた。彼女自身、やはり緊張があるのだろう。妹を助けてくれた鎮守府であるから、まったく常の通りとは行かないものだ。

 巨漢提督は運転席でハンドルを握る片桐中尉に頭を下げる。

 

「先に頼んだのは私です。それくらいは果たすべき事でしょう……それに」

 

 と、頭を上げた彼は、大作りな顔に少しばかりの困惑を浮かべてそこで一旦言葉を止めた。付き合いの長い少年提督から見れば、巨漢提督にしては珍しい相である。

 どう口にした物か、と迷う巨漢提督の為に、続きを口にしたのは彼の睦月であった。

 

「如月ちゃんも行きたいって言ってたんですけれど、如月ちゃんちょっとテンション高くなり過ぎてたんで、睦月で丁度良かったんですよ。ねー?」

 

 最後は、自身の提督へ同意を求める物だ。巨漢提督は睦月の言葉に黙って頷いた。

 遠征で助けられて以来、如月が少しばかり落ち着かないのは事実であるし、そんな艦娘を連れて行くわけにはいかないからだ。

 相手がそれを許したとしても、失礼は失礼である。人と人、もしかすればそのまま鎮守府と鎮守府の付き合いになるかもしれない相手なのだ。

 最初のボタンを掛け間違うような真似だけは、巨漢提督もしたくなかったのである。

 

「んー……先輩の考えもなんとなく分かりますけど、まぁ、なんというか。多分それはそれで受け入れるような気もするかなぁ……あの人だと」

 

 少年提督の評を耳にした巨漢提督は、もう少しその辺りを聞こうとして止めた。

 バンが緩やかになり、窓から見える施設の門前に、一人の男と一人の艦娘の姿を見たからである。

 

「あとは、ご自身で……という事ですよ」

 

 口元を微妙に歪めて笑う片桐中尉に、巨漢提督は黙って頷いた。その穏やかな双眸に、どこにでも居るような男の姿を映して。

 

 

 

 

 

 

 

「どうも、これお土産です」

 

「これはどうもどうも」

 

 少年提督から差し出された包みを受け取って提督は頭を下げた。そして、その少年提督の隣でじっと静かに佇む巨漢提督を見上げる。純粋に驚く提督の相に、少年提督は笑みを湛えて隣の巨漢提督を紹介した。

 

「こちらが、この前伝えた――」

 

「あぁ、どうも。何やらうちの如月が、ちょっとその……やったみたいで。この鎮守府の提督をやっている――」

 

「痛み入ります。私は――」

 

 提督同士が互いに自己紹介をし、そのまま頭を下げる。特に巨漢提督の礼は深い物であった。

 提督には襟にある階級章など見分けもつかないし重さも理解できていない。それでも、深く頭を下げる男が、自身より年齢も階級で上であるという事は、事前の報告で理解していた。

 

「やめましょう。僕の如月も、あなたの如月達も無事だった。それで良いじゃあありませんか」

 

 提督がそう口にすると、巨漢提督が顔をゆっくりと上げた。穏やかな双眸でじっと自身を見つめる彼に、提督は肩をすくめて見せた。

 

「僕らがお堅いままだと、落ち着けないじゃないですか?」

 

「……む」

 

 提督の言葉に、巨漢提督は後ろに立つ自身の艦娘、睦月へ目を向けた。車内で見せていた相から一変し、気遣うような顔だ。当然だろう。

 彼女はここの提督の人となりを自身では知らないのだ。少年提督や片桐中尉の様子からある程度は察する事が出来ても、果たしてどうなるのか、と自分の提督の心配をするのは艦娘として何も間違ったことではない。

 

「さぁ、ソファーにどうぞ」

 

 提督の催促に、少年と巨漢は頷いてソファーに腰を下ろした。それぞれの背後に、彼らの艦娘達が立つ。巨漢はもう一度睦月の顔を見ようとして、そっと後ろを窺った。

 視線がぶつかると、睦月は常に近い相で微笑んだ。

 

「失礼いたします」

 

「はい、どうぞ」

 

 小さく響いた少女の言葉に、この部屋の主である提督が返す。

 静かに、そっと執務室に入ってきたのは、この鎮守府の門前で彼らを出迎えた艦娘、初霜である。彼女は盆の上にあるお茶をそれぞれ前に丁寧に置いていく。

 ついで、二人の提督達の背後に立つ艦娘達に、缶コーヒーを手渡した。勿論、そっと、である。こういった場合はソファーに座らない相手には何も出さない物であるが、初霜としては礼に反しない程度に崩したかったのだろう。

 

 受け取った雪風と睦月は、淡く微笑んで小さく頷いた。三人の秘密、という事だろう。

 しかし、そんな物提督達には丸見えである。丸見えであるが、提督はそんな初霜をもふもふして誉めたい気分であるし、少年提督としても大歓迎である。巨漢提督も穏やかな相で佇むだけで、そこに何か含んだ物は見られない。

 

「まずは……改めて、この度は私が至らないばかりに、本当に申し訳ありませんでした」

 

「申し訳ありませんでした!」

 

 ソファーでもう一度頭を下げる巨漢提督に合わせて、その背後の睦月も頭を下げた。何故か少年提督とその艦娘である雪風まで、だ。

 いや、仲介として名乗り出ただけではなく、彼としても先輩の艦娘を助けてくれた提督に感謝の念があったが故にここまで一緒に来たのだろう。

 提督は、揃って頭を下げた二人の提督と二人の艦娘を見た後、頭をかいて口を開いた。

 彼らがここに来たのは、こうして直接頭を下げる為だ。それは提督も理解している。だからそれをどうにかしなければ、彼を今現在襲う居心地の悪さは改善されないのだ。

 

「はい、受け取りました。ですから、もう止めてください。なんですかもう、僕の背中がかゆくなってきたじゃあありませんか」

 

 冗談めかした提督の言葉に、少年提督は小さく吹き出し、巨漢提督は目を閉じた。艦娘達も自身の提督の変化を察知して、ゆっくりと顔を上げる。

 皆が顔を上げたのを見届けてから、提督は自身の背後に佇む秘書艦に掌を向けた。

 

「うちの秘書艦の初霜さんです」

 

「はっ! 第一水雷戦隊及び第二水雷戦隊所属、秘書艦の初霜であります!」

 

 提督の紹介に、初霜は背を伸ばして綺麗な海軍式敬礼を行った。それを見た艦娘達は、自身の提督に目で問うた。答えは両者共に同じだ。

 

「第二水雷戦隊所属、雪風であります!」

 

「第一水雷戦隊所属、睦月です!」

 

 初霜と変わらぬ、甲乙つけ難い美しい敬礼だ。少年提督も、巨漢提督も相を覆うのは笑みである。自身の艦娘達の名乗りに、初霜に劣らぬ気迫を感じ自然と笑みを浮かべたのだ。

 少々軽くなった室内の空気に、提督は小さく息を吐いて初霜に問うた。

 

「片桐中尉の案内は、大丈夫でしたか?」

 

「はい、そちらは伊良湖さんが任せて欲しい、と」

 

「……すいません、うちの片桐が」

 

「あぁ、いえいえ、むしろこっちこそすいません」

 

 またも頭を下げる少年提督に、今度は提督も頭を下げた。

 執務室に案内しようとした際、片桐中尉は提督達の邪魔になるとこれを断ったのだ。彼は普通の海軍士官であって、提督ではないからだ。

 であれば、と提督は片桐中尉に希望を聞いて、甘い物が食べたい、と言った彼を甘味処へ案内するように初霜に命じたのだ。

 

「片桐はその、甘い物に目がないもので……」

 

「いえいえ、これくらいは。片桐中尉には、僕もお世話になっていますから」

 

 提督の言葉は世辞や社交辞令ではない。実際提督は片桐中尉に世話になっているのだ。

 居酒屋で相談にのってもらった回数など、もう両手に届こうかという状態だ。常識的な海軍士官で、人当たりの良い片桐中尉という人材は提督にとって、この世界を知る上で得難い存在であった。 

 

「もっと速く走り抜けなさい! 捕捉されますよ!」

 

「もー……っ! 髪が崩れちゃうじゃなぁーい! 神通のばかばかばかぁー!」

 

 突如、執務室にそんな声が響いた。遠くから飛び込んできた様なそれに、雪風と睦月は目を瞬かせ、少年提督と巨漢提督は興味深げな目で提督を見た。提督は首筋を叩いて壁に備え付けられた時計を見上げて、口元をゆがめ窓へと視線を移した。篭りがちな空気を入れ替える為、まだ朝と夜以外は暖かいからと開けていた窓の向こうからは、少女達の声が聞こえてくる。

 

「あー……初霜さん、この時間あたりだっけ?」

 

「……はい。神通さん待望の、合同訓練です」

 

「アブゥ……南無」

 

 初霜の言葉に、提督は窓に向かって手を合わせた。今日は来客があるため、鎮守府は事実上開店休業だ。であれば空いているその日に待機している艦娘達に訓練を、と訴えたのは神通や妙高達であった。

 彼女達の身体能力、各技能の上昇は鎮守府の為、提督の為必要な事であった。盾であり矛であり車輪であり杖であり弓であり矢である。

 それらは鋭く速くあるために手入れが不可欠だ。結果、待機中という事になるほぼ全ての艦娘が訓練に参加することになったのである。

 無論、それぞれの艦種に合わせた訓練であるが、合同である以上それぞれ枠を越えた訓練となる筈だ。

 

「ほらもー! そんなんじゃアイドルになれないぞー! 山城、アイドルになれないぞー! やまっちー!」

 

「私は……! アイドルに……! なるつもりは、ありません……!! っていうか……! やまっちって誰!」

 

 再び窓から飛び込んできた遠くからの声に、提督は肩をすくめて窓を閉じようとした。が、それを遮った者がいる。

 

「あ、あの……!」

 

 睦月だ。

 彼女は声を上げたが、それ以上は続けなかった。自身の提督、巨漢提督を強い眼差しで見る。その眼差しを受け止めた巨漢提督は、僅かに首を縦に振り、提督へと目を移した。

 

「私の睦月の発言を、許してもらえますでしょうか?」

 

「え、あ、あぁ……どうぞどうぞ」

 

 ぎくしゃくと、それでも確りと頷いた提督に一礼し、巨漢提督は睦月を促した。

 睦月もまた提督に一礼し、一度息を整えてから続きを口にする。

 

「その訓練、見学させて貰っても宜しいでしょうか?」

 

 睦月は常の相もかなぐり捨てて、ただ真剣に提督に問うた。提督はこの睦月を知らない。それでも彼は自分の睦月を良く知っている。マイペースで、どこか飄々としたところもある艦娘であるが、彼女は姉妹想いだ。長女として睦月という少女は理想的な存在である。

 この睦月もそうであるなら、それはきっとここに居ない妹――如月の為なのだろう、と提督は考えて頷いた。いや、頷こうとした、である。

 

「で、でしたら雪風もお願いします!」

 

 勢い良く手を上げる雪風に、少年提督は何も言わない。つまりそれは、その意見に賛成という事だろう。

 提督はなんとなく、本当になんとなく自身の秘書艦、初霜の顔を見た。

 初霜は提督の視線を受けて頷いた。

 

「では、お二人のスポーツウェアも用意しましょうか」

 

「え、見学だけじゃ?」

 

 そう呟いた提督に、初霜は首を横に振る。

 

「見学だけで終わるとは、私には思えません」

 

 その言葉に、三人の提督は睦月と雪風を見た。視線にさらされた二人は、その視線に戸惑いがちでこそあるが初霜の発言を否定してない。つまりそれは、初霜の言に妄は無いという事だ。

 巨漢提督は小さく唸ったあと、提督へ静かに問うた。

 

「その……よろしいでしょうか? 私としても、それが睦月の為になるなら参加の許可を頂きたいのですが……」

 

「僕も、雪風がもっと強くなれるのなら、是非お願いします!」

 

 またも頭を下げだした二人に、提督は苦笑のまま返す。これが何か思惑ありげな人間相手なら彼としても断れるのだが、少年提督は勿論、初対面の巨漢提督にもそういった負の側面は感じられなかった。

 巧妙に偽装している可能性もあるだろうが、提督にはどうしても、巨漢提督の穏やかな双眸に嘘や偽りが在る様には思えなかったのだ。

 

「うちの訓練でよければどうぞ……ただ、今回は合同ですけど、そんな凄い訓練でもないですよ?」

 

 提督の言葉に、初霜も頷いて肯定した。彼ら、彼女らにとっては見慣れた普段の訓練の少しキツイ版、くらいの物だ。

 

 初霜は雪風と睦月を連れ立って、まずはスポーツウェアを用意しましょうか、と言いながら執務室から出て行こうとしていた。

 と、睦月が提督に向かって口を開いた。今度は途中で巨漢提督に問うことも無い。

 

「如月ちゃんを助けてくれて、ありがとうございました!」

 

「……うん、グラウンドに、僕の如月もいるから……彼女にも言って欲しいかな」

 

「はい!」

 

 姉としての睦月の言葉に、提督は微笑んだ。場所は違えど、人は違えど、それでも彼女もまた睦月だ。その主である巨体の提督もまた、信頼に足る人物なのだろうと自然頬が緩んだのだ。

 友を見れば人が分かる。部下を見れば上が分かる。

 歴史がどれだけ巡ろうと、世界が違おうと、人は変わらないものだ。

 

 それぞれ、敬礼して去っていく艦娘達を見届けてから、提督達は揃って頭を下げた。

 

「本当にすいません」

 

「このご恩は必ずお返しします」

 

「いやもう、なんかすいません」

 

 少年提督と巨漢提督には頭を下げる理由はあったが、提督は場に飲まれてである。

 実に日本人的な人間であった。

 三人は同時に頭を上げ、なとなく穏やかな相を浮かべた。少年提督としては、この提督の懐の深さに笑みがこぼれ、巨漢提督としては、この提督の優しさと誠実さに触れた様に思え、良い縁だと頬が緩んだのだ。

 

「いやまぁ、しかしそちらの睦月さんは、真面目ですねぇ……」

 

「……いや、あれもその、如月の姉として、私の妻として何か考えているようでして」

 

「あぁそうですか、姉として妻とs」

 

 そこで提督の動きが止まった。

 彼は暫し考え込んだ後、目を見開いて巨漢提督を穴が空くほど見つめた。顔同様、驚きを隠さぬ声で提督はおずおずと、そしてゆっくりと口を動かした。

 

「え、あの……え、睦月さんが、あなたの、妻で?」

 

「……はい、そうです」

 

 提督の様子にも、巨漢提督は特に相を変えず穏やかに返した。恐らく、驚く顔を見慣れているからだろう。

 

「まぁ、先輩と睦月の体格差を見れば、皆驚きますよねー。片桐も、こんな事で驚かさなくてもいいのに」

 

 少年提督の言葉に、提督は耳をぴくりと動かした。

 提督に耳には、片桐中尉がこれを準備したように聞こえたのだ。であれば、彼としては確かめなくてはならない。

 

「え、彼女は片桐中尉の……その、あれで?」

 

 片桐中尉がここに呼んだのか、と目で問う提督に、二人は同時に頷いた。

 それを見て、提督は俯いて乱暴に頭をかいた。

 

 

 

 

 

 

 

「さて……今頃"先輩"と、何を話しているもんかねぇ」

 

「……? あの、どうかされましたか?」

 

「あぁいえ、なんでもありませんよ。いや、これは本当に美味しいですなぁ」

 

「ありがとうございます」

 

 片桐は伊良湖が作った甘味を口に運びながら、一人にやりと笑った。




おまけ
睦月「あの、お願いします」
神通「はい……こちらこそよろしくお願いします」
矢矧「それで……二人はどのコースにするの?」
雪風「コース、ですか?」
球磨「今は合同訓練だから、そのコースにそったメニューを受ける事になるクマー」
睦月「なるほど……では、私と同じ駆逐艦コースで」
神通「……痛くなければ覚えられませんが、宜しいですか?」
睦月「……あの、軽巡コース……」
矢矧「伊達になって帰りたい、と?」
雪風「……あの、比較的安全なコースは……?」
球磨「うーん……雷装コースの雷撃理論メニューか、重巡コースの運動並行戦術メニューか……あとは戦艦コースの――」

霧島「ほら、もっと脇を絞めて腰をふらつかせない! そんな遅い拳で敵が倒れる物ですか!」
如月「はい!!」
五月雨「はい!」

球磨「ううん、なんでもないクマ。お勧めは航空戦艦コースの瑞雲講習メニューだクマ」
雪風「あ、はい」
睦月「……(如月ちゃん……これあかんやつや)」

霧島「ワンツー! ワンツー!!」
如月五月雨「ワンツー! ワンツー!!」

尚数年後、どこかの鎮守府の如月とどこかの鎮守府の如月が連合艦隊を組んで特別海域でやらかしたわけだが、それは特に関係のない話である。

如月(拳)「行くわよ――!」
如月(蹴)「えぇ!」
如月(拳)「ユーハブコントロール!」
如月(蹴)「アイハブコントロール!」
如月(拳)「パターンセレクト! R・H・B……エンゲージ!」

関係ない話である。


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54話

 執務室の窓から見える空を見上げながら、その男は、ぼうっとしていた。頬杖をついて気の抜けた顔を晒すその様は、男――提督らしくあって実はらしからぬ物である。

 この男、平凡は平凡なりに考える事も多いようで普段余り気の抜けた顔を人に見せる事は少ないのだ。

 同じ執務室の、その小さな机で仕事をしていた初霜は、提督に優しく声をかけた。

 

「提督、お仕事は終わりましたか?」

 

「……うん」

 

「提督、そろそろお夕飯ですよ?」

 

「……うん」

 

「提督、ネッシーの学術名は?」

 

「ネッシテラス・ロンポプテリウス」

 

「あぁ、いつもの提督ですね」

 

 初霜は、ほっと一息ついて頷き、手元にあった書類を束ね側面で机を叩き揃える。壁にある時計を見やり、針の位置を確かめてから提督に一礼した。

 

「では、失礼いたします」

 

「うん……お疲れ様」

 

 執務室から去っていく初霜に、提督が声をかけた。ただし、これは条件反射的なものだ。初霜の聞きなれた常の提督の挨拶に比べれば、彼女には物足りない物がある。

 それでも、初霜は何も言わない。

 手に在る書類を胸に抱き、大淀の執務室へと足を動かすだけだ。

 

 ――今夜のお弁当当番の人は、あの人だから……きっと大丈夫。

 

 そう胸中で呟き、初霜は長い廊下を歩き続けた。

 

 

 

 

 

 初霜が提督の砦、執務室から去って十分もしないうちに、その扉の前に立つ艦娘の姿があった。彼女の手には、大きな包みが二つと魔法瓶がある。それはつまり、彼女が今夜の弁当当番である事を物語っていた。

 であるのに、彼女は――翔鶴型正規空母1番艦、翔鶴がその扉を開ける気配は、まったくと言ってよいほどなかった。

 彼女は扉を見ては悩み、また扉を見ては悩み、と繰り返している。

 

 ――あぁ、なんでこんな時に限ってお弁当当番にされてしまうのかしら……私やっぱりちょっと不幸なのかもしれない……

 

 最近姉妹揃って改二の改修がなされ、今まで以上に提督の為に頑張れると思っていた矢先の出来事だ。自身の不幸を嘆くのは、仕方ない事であった。

 それでも、彼女の手には渡すべき物があり、実行すべき任務がある。

 提督を空腹で悩ませるなど、翔鶴にとってはまず許せ無い事であったから、どう足掻いても彼女は扉を開けるしかないのだ。

 

 時間は残酷に過ぎていく。彼女も、提督もその流れに逆らう事はできない。悩んでいる時間は、それこそがまったくの無駄でしかないのだ。

 翔鶴は大きく息を吐き、そして静かに息を吸う。それを数度繰り返してから、翔鶴は目に力を込めて口を開いた。

 

「いい? 瑞鶴……行くわよ! お弁当部隊、出撃!!」

 

 ちなみに、瑞鶴はここにいない。

 姉妹の幻覚を見るのは、艦娘にとってわりとメジャーな病気であるので、もし目にしても否定しないであげて欲しい。

 

 何やら出撃時の台詞らしき物を口にして入ってきた翔鶴に、提督は曖昧な笑みを見せて頷くだけだ。翔鶴から見ても、やはりそこには常の提督らしさがない。

 翔鶴達の提督は、見かけこそまったく普通の男だが、口を開けばたいがい可笑しい男であるのだ。こんな大人しい姿は、彼女としてもなかなかに衝撃的な物がある。

 

 提督が上の空になるようになったのは、違う鎮守府の提督が来てからだ。そしてこの変化は起きるべくして起きた物だ。少なくとも、翔鶴を含む正規空母達は在る程度の背景を聞いて皆納得している。

  

 ――でも、だからと言って私というのはどうなんでしょうか……赤城さん。

 

 翔鶴は、ぼうっとした提督に一礼した後、手にある弁当をテーブルの上に広げながら脳裏に浮かぶ自身達正規空母の筆頭、赤城の顔を思い浮かべた。

 本来、今夜の当番は彼女の妹である瑞鶴であったが、赤城の

 

『今回の当番は、翔鶴がお願いします』

 

 の一言で変更となったのだ。秘書艦の初霜まで証人として用意して、だ。

 少しばかりぐずる瑞鶴であったが、赤城が耳打ちすると途端大人しくなり引き下がったのである。

 いったい赤城は自身に何を期待しているのか、と心中で重いため息をついて翔鶴は、未だ執務机から離れない提督に声をかけた。

 どうでもいい話だが、瑞鶴は次の第一艦隊空母枠の優先権で買収されただけである。決してその際にMVPを取って提督に誉めて貰おうなどとは考えていない。誇り高い新一航戦の瑞鶴がそんな事を考える訳がないのだ。多分。

 

「提督……準備が整いました。どうぞ」

 

「うん」

 

「提督……お夕飯ですよ?」

 

「うん」

 

「提督、メガロドンの学術名は?」

 

「カルカロドン・メガロドン」

 

「あぁよかった、いつもの提督ですね」

 

 ほっと胸を撫で下ろし、翔鶴は提督へと静かに歩み寄りそっとその手を取った。

 

「さぁ、どうぞ」

 微笑む翔鶴の相を見上げたあと、提督は自身の手を包む、彼女の手に目を向けた。その手は、白く細いが、指は意外に硬い。矢を番え海上を行くその身であれば、ただ美しく柔く在るだけを許されないのだろう。

 提督は、翔鶴に誘われるままソファーに座り、テーブルに置かれた弁当を見た。

 男一人が食べるにしても、随分大きな銀箱弁当だ。しかもそれが二つもある。陽炎姉妹などもそうだが、翔鶴達も男ならこれくらいは食べると信じているのだろう。

 彼女達の基準は、若い海軍兵士や士官達であるから、それも仕方ない事なのだろうが、ここにいる提督はデスクワーク専門の凡人である。

 食べきるにはなかなか辛いものであるが、用意されたそれを提督が残せるわけもなかった。

 

 翔鶴が提督、彼女用のコップにお茶を入れてテーブルに置き、そして提督の隣に座る。

 彼女の座り方は、まるで提督を窺うかの如くにゆっくりだ。提督が、隣ではなく前へ、と口にする可能性も考慮した彼女なりの配慮だ。

 提督からすれば、隣でも前でも、それがその艦娘の個性だろうとしか考えていないのだから、それはただただ無駄な考慮であるが、こういうところこそが翔鶴が赤城をして、ポスト鳳翔さん、と言わしめる所以なのである。

 

「いただきます」

 

「……いただきます」

 

 二人が、手を合わせて一礼する。

 赤城ほどではないが、それでも十分大きな弁当箱を手にとって翔鶴は蓋を取った。つられる様に、提督もそれに倣う。

 中にあったのは、翔鶴姉妹が心を込めて作った手料理たちだ。

 だというのに。

 

 箸で口に運ぶ料理達を、提督は味わえないで居た。いや、味はあるのだ。あるのだが、それを確りと認識できていない。何か他の事で思考が占領され、余裕がないのだ。

 常なら舌鼓をうつ料理に、これでは余りに失礼ではないか、と提督は僅かに怒りを覚えた。当然、自身に、だ。

 提督の一瞬の怒気に気付けぬ翔鶴ではない。彼女は口の中にあるプレスカピッツァを上品に飲み込んで口を開いた。

 

「どうされましたか……?」

 

「……あぁ、いや」

 

 気遣う翔鶴の視線から目をそらす提督は、本当に常らしからぬ姿である。勿論、そんな事は彼自身が一番良く理解していた。

 しかし、それでも彼は思うのだ。

 この世界の提督らしい提督であろう巨漢の男と、現状の自身との差はなんであろうか、と。

 それは彼自身の悩みであって、手料理を執務室まで持って来た翔鶴には関係ない話だ。関係ない話であるが、それでも提督と艦娘の一つの形である以上、どうすれば良いのか提督には分からないのだ。

 

 何か言わなくては、と彼は珍しく焦った。すまない、申し訳ない。それらの言葉を口にしようと、提督は顔を上げ翔鶴に言葉を発しようとして――

 

「はい、どうぞ」

 

 出来なかった。

 提督の口に、翔鶴が差し出したスーヴラキが入ったからだ。串焼きのそれを焼き鳥と同じように食べながら、提督は隣の翔鶴を見た。

 彼女は、今度はケフテデスを箸で掴んで待ち構えていた。

 これはつまり、暫くこれを口にして黙って欲しい、という事だろうか。と考えた提督は、黙って頷いておいた。

 それに、翔鶴も微笑を添えて頷いた。正解なのだろう。

 

「提督……提督がどこまで深く悩んでいるかなんて、きっと私には図れません」

 

 憶測はできても、それ以上は出来ない。人はそれぞれ別の体と心を持っているのだ。分かったと思い込むことは出来ても、真に理解できる事はないだろう。

 それでも、心は心を知りたがる物だ。

 

「提督、私はやっぱり不幸なんだなぁー、って思うことがあるんですよ?」

 

「……?」

 

 さて、それはなんだと、と提督は首を傾げた。前後の繋がりがない上に、突然の告白に提督としても差し出されたケフテデスを口内で噛む事しか出来ない。

 

「でも、きっとそれで良いのだと、皆といると思う事が出来るんです」

 

 偶にやっぱり落ち込みますけど、と翔鶴はころころと笑った。提督はやはり、黙って差し出されたショウバーロウを口にするだけだ。

 

「一人では、幸せも不幸もないじゃありませんか……私もそれまで、随分悩み迷いましたが……違う誰かが居て、その人とは違う自分が居て……ちょっとの差を見つけられるんですよね?」

 

 問うてくる彼女に、提督は差し出されたケバブを食べつつ頷いた。そう思い至るまで、彼女はきっと様々な物を見たのだろう。それはきっと、自己の中にある綺麗ではない物だったはずだ。それでも、翔鶴は、自分なりにその結果へと辿り着いたのだ。そしてケバブが少し醤油風味なのも自分なりにその結果へと辿り着いたからだろう。

 

「提督も新しい縁の中で、そういった事に戸惑っているのだと思います……ですから、一人で悩まないで下さい。私達は、ずっとここに、お側にいますよ」

 

 ムサッカアを提督へと差し出して微笑む翔鶴の相は、去ろうとする提督に縋るような色があった。しかしそれは弱さではない。女性としての、情の強さだ。

 そのまま、袖を切ってしまわねば振り払えないのか、と提督は中国の哀帝の故事を思い出しながら笑みを零した。

 

 もっとも、あれは男色の話であるし、寝ている愛人が袖の上に眠っていたがゆえの話だが、提督からすれば同じだ。 

 愛するが故に、そっとしておきたいのである。

 その愛は未だ男女の物にはならぬ青い物であるが、いつか熟す事も十分にある愛だ。

 だから、提督は微笑んだ。

 

「今度はもっとゆっくりと、落ち着いてご飯が食べたいね……翔鶴さん」

 

「……はい」

 

 翔鶴もまた、微笑んだ。

 

  

  

  

 

 

 

「では、失礼いたします」

 

「うん、ご馳走様」

 

 提督の挨拶に、翔鶴は一礼して執務室から去っていく。

 と、十秒も待たず扉がノックされたのである。

 提督は思わず首をかしげて扉を見た。翔鶴が何か忘れ物でもしたのだろうか、と軽く室内を見回しながら声を上げた。

 

「どうぞ」

 

「球磨だクマー」

 

 入ってきたのは、軽巡四天王五人組の被害担当艦、球磨型姉妹長女の球磨であった。

 彼女は入ってくるなり、提督をじと目で見る。まるで女衒を見るような目である。提督としてはそんな目で見られる謂れはない。しかし、球磨からすればそれはまた違うのだ。

 

「さっきすれ違った翔鶴が、めっさきらきらしとったクマー……」

 

「いや、それを僕にいわれても……」

 

「提督相手にしか言えないクマ」

 

 じっとりと言い放つ球磨に、提督は困惑顔だ。彼としては普通に接しているだけである。

 少なくとも、良い値段で売り飛ばしてやろうなどとは一切考えていないのだから、今の球磨の視線は彼にはまったく関係ないものだ。彼自身の考えでは、だが。

 

「……まぁ、いいクマ」

 

 と、球磨は相をころりと変えて笑顔になった。そのまま、提督の前まで歩み、椅子に座る提督を見下ろした。何事か、と見上げる提督の顔を球磨は両手で挟んで、むにむにと揉みだした。

 

「いや……これなぁに?」

 

「んー……よいぞよいぞー」

 

「それ姉妹の台詞ですらないだろう」

 

 提督の突っ込みに、球磨はさらに笑みを深めた。心底から、という笑みに提督は暫し言うべき言葉を奪われた。

 

「うんうん、流石ポスト鳳翔さんクマ。よいぞ、よいぞー」

 

「……あぁもう、なんだっていうんだ、これはもう」

 

 口にして、しかし提督は球磨の手から逃げようとはしていない。上機嫌、といった球磨の相をみてしまった彼には、その手から抜け出せないのだ。抜け出せば、きっとこの顔が雪の様に溶けて消えてしまうのだから。

 

「で、提督はいったい何を考え込んでいたクマー?」

 

「……んー」

 

 球磨の余りに直截な言葉にも、提督は特に顔色を変えない。

 或いは、これこそが正しい意味での、適当な道だったのではないか、と心中でため息をつく球磨に、提督ははっきりと応えた。

 

「いや、あの体格差だと色々大変だろうなぁ、って」

 

「提督は本当に愛すべき馬鹿だにゃー」

 

 妹の真似をして、球磨は提督の頭を叩きつつ、胸にかき抱いた。

 

 その後、部屋に戻った際妹の多摩に

 

「あ、おかえrねえちゃんめっさきらきらしとる……めっさきらきらしとる」

 

 といわれた事を記しておく。




明日はお休み


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55話

 一人歩く。その長い廊下を一人歩く男の姿がある。

 彼はなんとなく立ち止まり、なんとなく窓を開けた。グラウンドで戦闘機を飛ばす二人の姿と、それを少しはなれたところで見つめる小さな人影に、彼の興味は惹かれた。

 と、そんな彼の耳に聞きなれない小さな音が響いた。

 どこだろうか、と彼が見回すと、グラウンドの横にあるそう大きくもない施設が目に入る。再びそこから響く小さな異音に、彼は一つ頷いた。

 

 

 

 

 

 

 たん、と音が一つ響いた。

 その音が鳴った場所を二人の少女達が見つめる。一人は肩を落とし、もう一人は目を細めた。

 

「もう一度、いきます」

 

「次はもう少し中央に近づけてね」

 

 手に在る弓を構え、もう一度矢を番えるのは正規空母雲龍型三番艦、葛城であり、そんな葛城を後ろから見つめるのは正規空母飛龍型一番艦、飛龍である。

 葛城が目を細めて狙い定める先には、白い円形の的があった。先ほど放った矢を含め、数本刺さった状態だ。ただし、その的の中央に描かれた赤い点には、どの矢も刺さっていなかった。

 

 弓を構えて的を射抜かんと睨みつける葛城は、背後からそれを見つめる飛龍からすれば、なっていない、という状態だ。弓の構え方であるとか、焦燥が透けて見えるなどと言った事ではない。

 二人が今身を置くのは、教育施設などにもある弓道場に良く似た場所であるが、鎮守府という軍施設にあるここで学ぶのは、弓道ではない。

 武道といった類の物は、その道を正しく歩み、自己の内面を極めんとする物である。対して、今彼女達がこの場で修めんとするものは、術を学ぶという事だけだ。

 艦載機を発艦させる際使用する弓矢を、もっと速く、もっと効率的に、と戦う事だけに尖って修得するだけの訓練場だ。

 

 構えなどどうであっても良く、焦燥など戦場では幾らでも沸きあがる物だ。想定された戦場など少なく、戦いの場はいつだって不確定要素をそこら中に撒き散らしている。

 彼女達に必要な道は、提督が歩む為の安全な道だけで、それを切り開く為には術こそが必要なのだ。卑怯であれ、卑劣であれ、提督が罵られない限り全ての術はその為だけにある。 

 

 たん、と再び音が響いた。結果は、肩を落とす葛城の姿が全てを物語っていた。

 葛城は背後にいる飛龍へと振り返り、縋るように見つめた。なにかアドバイスが欲しいのだろう。飛龍はそれに応じて口を開いた。

 

「私達が持っているのは弓だけれど、戦闘機を放つ気持ちでやってみて。矢を放つんじゃなくて、艦載機の翼が空を奔るのをイメージして」

 

 飛龍の言葉に、葛城は頷いた。が、その頷きは飛龍から見ても戸惑いを過分に含んだ物であった。

 その理由が分かるだけに、飛龍は苦笑いを零しそうになる。しかし、彼女はその苦笑いをかみ殺した。今この場で行われているのは葛城の為の訓練で、飛龍は指導艦だ。

 であれば、飛龍はこの場に限って言えば葛城の上官であり教師である。先輩でも同僚でもないのだ。

 

「イメージが湧かないのなら、誰かが艦載機を飛ばしている姿を想像してみて」

 

「……誰か、ですか?」

 

 構えも解かず、飛龍の言葉に葛城は首を傾げた。そんな葛城に飛龍は小さく頷いて続ける。

 

「それを、自分の理想的な姿に近づけて放つ。何度でも。出来るまでやりなさい」

 若干座った目で、それでも確りと言い放つ飛龍に葛城は唾を飲み込んで頷いた。そして、飛龍が言った通りに、誰か、の戦場での戦闘機発艦の姿を脳裏に鮮明に描いた。

 鮮明に、繊細に描いたのは勿論瑞鶴である。彼女にとって瑞鶴は尊敬に値する先輩であり、栄光ある帝国海軍を代表する空母であるのだ。

 

 そう、戦闘機の扱いにも未だ戸惑う葛城とは違うのだ。

 

 葛城、という正規空母が建造されたのは、既に敗戦の色濃い頃であった。空母としてこの世に鉄の体で生まれども、その身に置くべき戦闘機は少なく、更にその戦闘機を動かすパイロットにも窮していたのだ。空母の発着艦が出来る熟練パイロットなど、とうに泉下であったのだ。

 他にも、進水式には失敗、機関は駆逐艦の物を使用、とどうにも葛城という艦は恵まれていないのだ。

 その為だろう、艦娘として今ここに少女の体である葛城は、戦闘機の扱いに少々ぎこちなさがある。おまけに運動能力も艦時代の機関の問題のせいか、姉達に比べて少しばかり劣るのである。

 となれば、もう技術を向上させるしかないのだが、前述のとおり葛城は戦闘機の扱いが苦手なのである。

 

 ――私が、瑞鶴先輩みたいになれるのかな……

 

 脳裏に描かれた瑞鶴に比べて、葛城は自身の境遇はどうなのだ、と胸中でため息を零した。が、今彼女の後ろには指導の為に立つ飛龍がいる。葛城の迷いを見抜けないような飛龍ではない。

 結果、

 

「しっかりしなさい!」

 

「は、はい!!」

 

 怒鳴り声だ。

 常は朗らかで、誰にでも明るく接する先輩の張り詰めた気配を受けて、葛城は背を正した。それでも、的を睨みつけながら葛城は思うのだ。

 

 ――姉さん達も、今頃龍驤さんに怒られてるのかな……

 つい今しがた怒鳴られたばかりであるのに、そんな事を考えられる葛城はなかなかに図太い艦娘であろう。ただし、彼女の背後には、鬼だ蛇だと恐れられた戦艦のしごきさえぬるく見えた、と言われたほどに苛烈なしごきをやらかした人物の影響を色濃く受け継いだ艦娘がいるのである。

 であれば――

 

「ぼやっとしない!!」

 

「ひゃ、ひゃい!!」

 

 それは当然の帰結であった。

 

「ふぅ……」

 

 飛龍は矢を放つ葛城を見つめながら小さく息を吐いた。

 空を見上げると、もう紅い色に染まっている。あともう少しすれば夜の帳が下りるだろう。つい数ヶ月前までは、この夕焼けの時間が長かったことを思いながら、飛龍は弓道場から見えるグラウンドを見た。

 そこに、雲龍姉妹の上二人と龍驤の姿が見える。茜色の空を舞うのは、雲龍達の式神戦闘機だろう。龍驤のそれに比べれば、空を奔る姿の精度がまったく違うのだ。

 それを腕を組んでじっと見つめるのは、龍驤だ。

 彼女達は戦闘機の運用方法が葛城とは違うタイプなので、指導艦は龍驤などの式神タイプの艦娘になる。

 

 と、龍驤と飛龍の目があった。

 龍驤はバイザーを脱いでそれを振った。雲龍達も飛龍に気付き頭を下げる。飛龍はそれに一礼返して再び葛城の背に目を戻した。

 その細い肩がどこか寂しげに見えるのは、果たして飛龍の錯覚だろうか。

 一人、姉達から離れて弓を構える葛城を、飛龍は不憫に思い慌てて首を振った。

 

 飛龍からすれば、雲龍達は妹と呼べる存在である。改飛龍型とも称されえる雲龍達に、飛龍が思う事は実に多い。そうでなければ、葛城の指導を進んで担当してはいないだろう。

 弓を使う艦娘は多い。赤城をはじめ鳳翔達軽空母にも居るのだから誰でも良いのだ。

 それでも、飛龍は志願した。戦闘機を把握できず、どこか寂しげな葛城を放っておくなど彼女には出来なかったのだ。

 

 ――でも、もう嫌われてるかもしれないなぁー。

 

 訓練の度、飛龍は葛城にきつく当たっている。それを愛の鞭だ、と胸を張って言えるほど飛龍は厚顔無恥ではない。ただ、それでも厳しくあたらなければ葛城の為にならないのだから、飛龍は現在のスタンスを崩せないのだ。

 おもしろい物で、これは瑞鶴なども同じである。葛城の指導であるなら、まず彼女こそが一番相応しい筈であるのに、瑞鶴は一切関わらないのだ。

 

 ――私が訓練をつけたら、きっと甘くなります……それは葛城の為にならない。だから飛龍さん、お願いします。

 

 そう言って、二人だけの時に瑞鶴は飛龍に頭を下げたのだ。

 嫌われ役を押し付けたという事を、瑞鶴は頭を下げることでしか償えないと肩さえ震わせたのである。その想いが如何程の物であるか、飛龍には痛い程分かった。

 葛城達は、瑞鶴にとっても可愛い妹分なのだ。それも自身を慕う葛城などは、本当に瑞鶴からすれば妹同然だろう。

 

 この鎮守府は確かに自由度の高い平和な場所だ。

 主である提督に似たせいか、個性的な艦娘が多くそこに漂う空気はどこか緩く穏やかだ。それでも、艦娘は戦う為の存在である。

 穏やかで、緩やかで、甘くあって、それで誰もが強くなれるのならそれで良いだろうが、しかしそんな訳がない。

 戦場はどんな存在にも平等だ。一瞬の隙が命を奪い、僅かな甘さが誰かを傷つける。新兵も熟練兵もない。

 沈むときは、どんな存在であっても簡単に沈むのだから。

 

 故に、飛龍は訓練中だけは厳しく接した。偶に一緒に出る出撃でも、動きに過ちがあればすぐ口にし、一緒に出ない時でも山城や初霜、鳳翔龍驤に状況を聞いて、当人に報告さえさせた。

 

 ――ちょっと違うけど、加賀さんと瑞鶴みたいね。

 

 加賀は何かあればすぐ瑞鶴に小言を零す。ただ、瑞鶴はその小言にすぐ噛み付くので、その辺りが違う。しかし、加賀と瑞鶴は確かに誰の目から見ても反目しあっている存在であるが、あれはあれでお互いを信頼してる節があるので、その辺りも違うのだろうと飛龍は自嘲した。

 

 と、弓道場の扉がノックされた。

 教育施設にある弓道場よりも小さな物である。おまけに場の空気は実に静かだ。大きくもない音でも、葛城と飛龍の耳には確りと届くのである。

 

 さて、誰だろうか、と扉に向かおうとする飛龍より先に、葛城が動いていた。指導艦である飛龍が動くほどの事ではない、と考えたからだろう。彼女は飛龍に小さく頭を下げて扉へと近づいていく。そして扉の前に立つと、声を上げた。

 

「はい、どちら様でしょうか?」

 

「どうも、提督です」

 

「……本当に提督?」

 

「本当に提督です」

 

「プラーヴダ?」

 

「ダー」

 

 飛龍を置いて、葛城は扉の向こうにいる提督と会話を続ける。そして何故か最後のほうはロシア語であった。ちなみに、本当ですか? と聞いた葛城に提督が、はい、と答えたのである。

 頭を抱える飛龍をよそに、しかし会話はまだ続いていた。

 

「最初に上下逆さまに復元されて、最近では前後も逆じゃねこれ、って発表されたカンブリア紀中期後半のバージェス動物群の一種は?」

 

「ハルキゲニア・スパルサ」

 

「あ、提督!」

 

 葛城は笑顔で扉を開けた。入ってきたのは確かに提督であった。

 葛城という少女は、艦娘として確立するより先に、この鎮守府の色に染まるほうが早かったのかもしれない。そんな事を思う飛龍を、誰が責められるだろうか。

 

「飛龍さん、提督が見学に来たって」

 

「分かりました。じゃあ葛城、しっかりと弓を構えて」

 

「はい!」

 

 飛龍の言葉に葛城は敬礼で返して再び弓を構える。狙う先は、未だ中央に何も刺さらぬ的である。

 提督は静かに、邪魔しないようにと飛龍の隣に立った。飛龍が深々と、静かに頭を下げて提督もまた頭を下げた。

 そして、小さな、葛城の耳に届かないような声で提督が飛龍に話しかけた。

 

「葛城さんの調子は、どうですか?」

 

「まだまだ、としか」

 

 応じる飛龍の言葉は、どこか硬い。今の彼女は指導艦であり、葛城の同僚でも先輩でもない。まして相手はこの鎮守府の、そして自身達の主提督だ。些細な事でも偽れるわけがないのだ。

 それがこの鎮守府の戦力に関わる事であるなら、尚更だ。

 

 果たして、自身の応えに提督はどの様な相を浮かべるだろう、と飛龍は提督の顔を窺った。

 飛龍の目に映るのは、ただ葛城の細い肩を見つめる提督の透明な目だ。そこに、葛城の現状に不満があるようには飛龍には見えなかった。

 それでも、飛龍は今後の葛城に何かあってはと考えて口を開いた。

 

「私の指導不足です。全ては私の不手際で――」

 

 言い続けようとする飛龍に、提督が掌を見せた。不快にさせたか、と慌てて飛龍が顔を上げるも、やはりそこにある提督の顔は常の通りだ。いや、透明な双眸は更に深い色に染まり、穏やかな物になっていた。

 一瞬高鳴った胸を全神経を稼動して押さえ込み、飛龍は指導艦としての相を維持した。

 

「大丈夫だよ。葛城さんは」

 

「……え?」

 

 しかし、その相は脆くも崩れた。提督の一言で崩れるのは、強度が足りなかったせいか、それとも飛龍にとっては重い一言で在ったからか。

 提督は、的を外しても矢を番える葛城の背を見たまま、肩をすくめた。

 

「葛城さんがどんな艦か、僕は良く知っている……つもりだ。最後の最後、鳳翔さん達と一緒に頑張った彼女が、こんなところで躓くものかよ」

 

 言葉を紡ぐ提督の相貌は、まるで子供の様に無邪気だ。目には先ほどまであった穏やかよりも、きらきらとした輝きが強く宿っていた。

 本当に子供の様な顔だ。

 目を瞬かせ、提督の顔をまじまじと見つめる飛龍の耳に、提督の声はまだ続いていた。

 

「それに、姉に当たる様な飛龍さんがしっかり指導しているんだから、僕としては不手際なんて感じられないよ」

 

 飛龍と提督の目が、合った。

 提督の目は、まだ無邪気な少年の物であった。

 

 

 

 

 

 

 

「うん、おいしい、おいしい」

 

 ぱくぱく、と勢い良く料理を口に運ぶ彼女――飛龍の姿に、隣に座る蒼龍が顔を引き攣らせていた。飛龍が満面の笑みで口に運ぶ料理は、すでに常の量を大きく超えている。

 それでも飛龍に止まる気配がないのだから、ほぼ同型ともいえる蒼龍としては顔も引き攣ろうという物だ。

 

「……何かあったの、飛龍?」

 

 彼女達の前に座る加賀が、流石に常と違う飛龍を見て問いかけた。ただし、その声音に心配の色は見えない。満面の笑みで食事を摂る飛龍であるから、飽く迄加賀のそれは確認だ。

 

 葛城の訓練後であるから、飛龍も空腹だったのかと皆思うのだが、普段は訓練後の飛龍といえば沈んだ顔でいる事の方が多い。

 厳しい訓練に、また葛城に嫌われた、と一人勝手に落ち込むからである。その癖指導艦を降り様ともしないのが、如何にも飛龍らしくあった。

 そして、葛城から指導艦の交代願いがない事が何を意味するのかを気付けないのも、飛龍らしいところである。

 

 故の、どうしてそうも上機嫌なのか、という確認だ。

 問われた飛龍は、箸を止めてゆっくりと嚥下した。それから目を閉じ口を開こうとして――提督の言葉と無邪気な相を脳内で鮮明に描き、首を横に振った。

 

 妹分を誉められた。自分も誉められた。普段では見れない提督を見れた。

 言葉にすればたったそれだけの事だ。その、たったそれだけ、で飛龍の心は幸せで一杯だ。それを簡単に人にさらせるほど、彼女の乙女心は安くも軽くもないのだ。

 

「ううん、何もありませんよ?」

 

 笑み一色に染まった相で零れた飛龍の言葉を、信じる者などこの場には居なかった。




葛城は戦中での戦果こそありませんが、戦後の戦果は様々な武勲艦達に比べてもけっして劣らない物であると個人的には思っております。


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56話

「おいーっす」

 

 そう言って、女は扉を開けた。扉の向こうにあるのは、様々な商品が並べられた棚と、所狭しと置かれたアルコール類、それとつまみである。

 カウンター内で青葉の新聞を読んでいた明石は、自身のもう一つの城に入ってきた女――隼鷹に笑みを向けた。

 

「いらっしゃいませ、隼鷹さん。頼まれていたお酒、来ましたよ」

 

「おぉー、やっぱりかー。なんとなくそんな気がしてここに来たんだよー」

 

 明石の言葉に、隼鷹は相一杯に笑みを湛え足取りも軽くカウンターへと歩いていく。明石はそんな隼鷹に苦笑を零しつつ、奥に仕舞っておいたそれを取り出してカウンターの上に置いた。

 

 和紙に丁寧に包まれたそれを、隼鷹は目を輝かせて眺めていた。そんな隼鷹を見る明石の目は、どこか嬉しげである。

 今隼鷹が熱心に見つめる物は、そうそうお目にかかれない希少価値の高い日本酒だ。なかなか市場に出ないという代物を、明石がたまたまネットで見つけて確認した後取り寄せたのである。

 

「いやー……ありがとな、明石」

 

「いえいえ、こちらも商売ですから」

 

 隼鷹の心からの感謝に、明石はそう返したが笑みの質がまったく違っていた。少なくとも、そこに浮かぶ物は仕事としての責務を果たした、といった類の笑みではなく、仲間の役に立てたと喜ぶ少女の笑みだ。

 

 明石という艦娘は工作艦――移動する海軍工廠である。彼女は誰かを直し、誰かの為に何かを作る事が求められた存在だ。艦隊支援の為にと生まれ、パラオ大空襲で大破着底するその時までに為した彼女の功績は、移動する海軍工廠の名に恥じぬ物であった。

 誰かの為の自身、というスタンスは艦娘として女性の体を得た現在も変わらず、明石はこうして誰かの為に何かを行っている。

 さて、それにどうやって報うべきか、と悩む隼鷹の目にふと見慣れぬ物が映った。

 

「明石……あれは、何さ?」

 

「はい?」

 

 明石は首をひねるが、隼鷹が指差す先を辿って、あぁ、と頷いた。

 最近入荷した物で、売り上げもそう大きな物ではない。ではないのだが、今後、恐らくこの酒保で大きなウェイトを占める事になるだろう商品を見つつ、明石は頷いた。

 今彼女の店に居る艦娘、隼鷹はこう見えてお嬢様なところがあるので、恐らくこういった類の物を知らないのだろうと理解したからだ。

 であれば、と明石はその商品を一つ手にとって口を開いた。

 

「プラモデル、模型ですよ」

 

「……へぇ、これが模型、ねぇ?」

 

 明石の手にある模型の箱を珍しげに見て、隼鷹は、ほへー、と間抜けな声を上げた。

 彼女の瞳に映るのは、在りし日の艦姿の同僚達の絵だ。箱に描かれたそれを暫し眺めた後、隼鷹は明石に目を戻した。

 

「……で、これはどういう物?」

 

「これはですね」

 

 そう言って、明石は箱を開ける。中にある物見た隼鷹は、げ、と小さく呻いた。

 その姿に、明石は苦笑を漏らして肩をすくめる。隼鷹が何に対して呻いたか、明石には分かるのだろう。

 

「このランナーっていうところから各パーツを綺麗に取っていって、一つ一つ組み上げていくんですよ」

 

「うわぁ……面倒くさそう……」

 

 隼鷹の言葉に、あぁやっぱりそれか、と明石はまた肩をすくめた。隼鷹という女性からすれば、なんでそんな面倒なことを、という事なのだろう。艦娘としては、恐らく自身や姉妹、それに近い存在、または戦闘機の模型程度は組み立ててみようかと興味も惹かれるだろうが、その程度だ。

 進んで組み上げたい、と思う事はないのだろう。

 これは隼鷹だけではない。ここに来て、模型に気付いた艦娘達の殆どがこれである。明石としてもその辺はなんとなく分かる物なのだ。

 ただし、

 

「言っちゃ悪いけど、誰が買うの?」

 

「えー、ちゃんと居ますよ? 夕張とか大淀とか北上とか秋津州とか」

 

 しっかり買っている艦娘も居ないわけではない。

 少々偏りはある訳だが。

 

「北上と秋津州は工作艦経験があるからかねぇ?」

 

「なんとなく、手先を動かして何か作りたいって時があるみたいですよ?」

 

 ちなみに、そんな事を言っている明石も模型を確りと組み立てる艦娘の一人であった。工作艦の性か、彼女の一個人的な趣味であるのか、どうにも組み立てられる物があると、ついつい一つくらいは、とやってしまうのである。

 

「で……夕張……はまぁ分かるか。大淀がどうして模型を買ってるのさ?」

 

「凝り性ですから、大淀も」

 

「あー……」

 

 明石の応えに、隼鷹は納得と声を上げて頷いた。大淀という艦娘に、明石が言うような特徴があるのも事実であるが、実際は友人である夕張と明石が面白そうに組み立てている姿に影響を受けて、気付いたらそれなりにはまっていた、という状況だ。

 もっとも、明石などは放っておいてもいずれはまった事だろうと眼鏡が似合う友人の一人を思い浮かべるだけである。

 

「でも、たったそんだけしか購入してないなら、なんでそんなに場所をとってんのよ?」

 

 隼鷹は明石の手にある箱が先ほどまで置かれていた棚を見上げた。

 カウンター傍に置かれた、それなりに大きな棚に様々な艦の絵が描かれた箱が所狭しと並べられている。それはどう見ても、先ほど明石が口にした艦娘達の為に用意したにしては大仰に過ぎるのだ。

 まさか自身の趣味の為だけに並べたのか、と半眼で無言のまま訴える隼鷹に、明石はどうしたものかと腕を組んで俯いた。

 驚いたのは隼鷹だ。軽く突いてみたら、明石が本気で悩みだしたのである。これは何かあると悟った隼鷹は、周囲を見回した後声を潜めて明石に問うた。

 

「あぁいや、なんかヤバイならいいんだよ。私だって明石に無理に答えてほしいってモンじゃないしさぁー……」

 

 言葉遣いこそ普段のままだが、気遣いの色が過分に盛られた隼鷹の声に、明石は組んでいた腕を解いて小さく笑った。

 

「いえ、そういう訳じゃないんです。ただ、今は黙っていて欲しいと頼まれているもので」

 

「……へぇ。別に隠すような趣味じゃないのにねぇ」

 

 隼鷹自身は模型作りに興味を惹かれる事はなかったが、それでも隼鷹にとってこれは否定するような物ではない。少なくとも、部屋に遊びに行って模型が並んでいても、隼鷹はただ平然と受け入れるだけの物だ。

 

「随分と恥ずかしがり屋な奴が居るもんだねぇー」

 

「あ、あはははははー……」

 

 隼鷹の言葉にも、明石は愛想笑いで返すだけだ。これは相手に相当な弱みをつかまれているに違いない、と隼鷹は考えて、ポケットから財布を取り出して数枚の紙幣をカウンターに置いた。

 

「そいつが無茶言うなら、呼んでよね? 飲み会に連れて行って有耶無耶にしてやるから」

 

「どんな解決方法ですか……」

 

 しかも有耶無耶であるから実際には解決していないというおまけつきである。

 頼りになるのかならないのか、と胸中で零しつつ、明石は確りと会計を終えお釣りを隼鷹に渡した。

 ありがとうございまいました、と明石が言うより先に、再び酒保の扉が開かれた。

 入ってきたのは、この鎮守府の主提督だ。共に居ることが多い初霜の姿はない。恐らく、私的な時間なのだろう、と明石はあたりをつけて笑顔で挨拶の声をあげた。

 

「いらっしゃいませ、提督」

 

「おはよう、明石さん」

 

 互いに笑顔で一礼し、提督は次いでカウンター前に居る隼鷹にも声をかけた。

 

「おはよう隼鷹さん。この前は助かったよ。ありがとう」

 

「おはようさん、提督。……で、この前って何さ?」

 

 挨拶の次に来た提督の言葉に、隼鷹は首を傾げた。この前、と言われても彼女には思い当たる節がないのだ。さて、提督が何を話題にしているのか、と一瞬悩んだ隼鷹は、素直に問うことにしたのである。

 提督はそんな隼鷹にも特に気落ちした様子はなく、常のままの調子で返した。

 

「いやー、山城さんが胃が痛いって言ってたから、隼鷹さんお勧めの豆乳を紹介したら、ましになったって報告があってね?」

 

「いや……それ大分前じゃね?」

 

「うん、結構前です」

 

 具体的には、まだ提督が執務室に篭っていた頃――一ヶ月ほど前の話である。隼鷹としては、提督に言われるまで忘れていたような話だ。

 それでも、そんな話であっても確りと感謝の言葉を忘れない提督が、隼鷹にとってはこの上なく好ましいのである。

 

 隼鷹にとって、人の体を得ることでもっとも恩恵を得た事と言えば、姉達と同僚たちと酒と食事と、これだ。

 明石とも、提督とも、隼鷹は会話をすれば自然と笑みが零れる。勿論会話の内容如何によっては笑みの質も変われば、そもそも笑みも出ない事もあるのだが、大抵の会話によってもたらされるのは心が温かくなるようなひと時である。

 彼女にとって、それは何物にも代え難い宝物の一つであった。

 だから彼女は、手に在る日本酒を抱きかかえて提督達に背を見せた。

 

「あ、隼鷹さん」

 

 声をかけてくる明石に、隼鷹は僅かに振り返った。言うべき言葉はない。しかし、伝えるべき思いはある。

 

 ――ごゆっくり、ってな。

 

 にんまりと笑った隼鷹の、その意思が透けて見えたのだろうか。明石は口を閉ざして顔を真っ赤にした。隼鷹はそれを見届けてから空いている手をひらひらと振って酒保から出て行く。

 今度鳳翔の居酒屋で感謝がてらに奢って、提督が来たときの明石のあの嬉しそうな顔を少しばかりからかってやろうか、等と考えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

「行っちゃったねぇ」

 

「あ、は、はい、行っちゃいましたね」

 

 提督の言葉に、明石は少々詰まりながらもどうにか返した。隼鷹の気遣い、と言うよりは少々からかいの意味合いが濃いであろう気の回し方に、明石は少々乱されたのである。

 彼女はやたらと熱い頬を自身の両手で挟み、軽く叩いてから顔を上げた。

 顔を上げた明石の目に映るのは、きょとん、とした提督の顔だ。

 

 ――あら可愛い。

 

 などと思いつつも、それでも明石の体は提督を前にして確りと酒保の主らしく動いていた。

 手に在るのは、先ほど隼鷹に見せていた模型の箱である。

 

「こちら、新型の模型ですよ」

 

「ほほぅ……これはこれは」

 

 差し出されたそれを、提督は両手で受け取って興味深げに箱の絵を眺める。箱に描かれたのは駆逐艦だ。それから提督は、側面部分に書かれた文章に目を通し始めた。

 そこに書かれているのは大まかな艦歴である。これは大体の模型の箱に書かれている物で、ロボット物であればそのロボットの紹介、城であればどの時代の誰が作ったか、等が書かれている物である。

 普通の少年時代を過ごし、それなりに模型を作った提督からすれば見慣れた物であるが、しかしそこは平行世界である。少々違う部分があるのだ。

 

「へー……初雪さんって公にはそう説明されてるのか……」

 

 艦娘である現在の情報も、ある程度書かれているのだ。

 軍の機密である艦娘であるが、全てを隠す事は不可能である。隠そうとすればするほど、人はそれを暴きたがる物だ。その為、大本営が敢えて情報を流したのである。大本営発表、つまり公的な物として、だ。

 無論、例えばこの駆逐艦初雪の模型の側面に書かれた艦娘としての初雪の情報は、各初雪から出された平均的な初雪の情報である。所変われば品変わる。南橘北枳。といったもので、艦娘も例外ではない。

 総じて面倒くさがりではあるが、それだけが初雪の全てではないのだ。

 山城だってみんながみんな、五寸釘だの藁人形だの血糊だの白装束が似合うわけではないんじゃないだろうか多分。

 

「……面倒くさがりで引きこもりがち……いやぁ、これを公的に発表しちゃう方も方だけど、それでいいやって放置してる初雪さんも凄いなぁ……」

 

「まぁ、大抵の初雪は自分の仕事をしっかりやれば、あとの評価はどうでも……とか思っているのかもしれませんね」

 

「あぁ、それっぽいなぁ」

 

 提督は自身の初雪を思い浮かべて笑みを零した。

 

 この鎮守府にいる初雪は、確かに明石が言うようなところがある。その結果が駆逐艦のエースの一角であるのだから、明石の言は提督としては納得の物だ。

 模型の側面に書かれているような、面倒くさがりで引きこもりがち、と言った文は親しみを求めて書かれたものだろう、と提督は一人頷いた。

 少なくとも、眠たげな目のまま深海棲艦を葬り姫級相手でも一歩も引かない支援上手、などと模型の箱の側面に書かれるよりは、余程ましである。

 勿論、そんな初雪はこの鎮守府にしかいない非平凡的初雪であるし、そんな情報は提督の知らぬことである。

 

「うん、じゃあ今日は初雪を貰おうか」

 

「はい、今日もこの後港の倉庫で?」

 

「だね。まぁ、アレが今の僕の秘密基地だからねぇ」

 

 にこりと笑う提督に、明石も笑みを返した。

 提督がこの酒保で購入した模型を組み立て、保管するのは使われていない港の倉庫だ。空気が篭らないよう確りと調整、管理された場所である。

 提督はそこを、秘密基地、などと称したが秘密でもなんでもない。少なくとも、今こうして明石は口にしたし、一水戦の護衛メンバー、潜水艦達も知っている場所だ。

 それでも、そこは提督の秘密基地である。

 そこには提督以外誰も入ったことがなく、誰もその倉庫の中を知らないのだから、そこは誰がなんと言おうと提督の秘密基地だ。

 

 提督が模型を執務室で作らず、また口止めを頼んでいるのは、前に『いつもの』が流行ってしまった事が原因だ。彼としては、自然と流行した物であれば何もいう事は無いのだが、流石に自身の影響一つで艦娘達が動くことをよしと出来なかったのである。

 彼が愛した艦娘達は、そのままの艦娘達だ。そこに提督の色など必要ないのだ、彼からすれば。染められたい彼女達と、染めたくない彼のすれ違いはいっそ喜劇的ですらあるが、当人達は大真面目である。

 

「じゃあ、また来るよ」

 

「はい、ありがとうございました」

 

 購入した駆逐艦初雪の模型を胸に抱き、ジュース二本が入った袋を空いた手でぶら下げ提督が酒保から去っていく。

 明石は閉ざされた扉を暫しじっと見つめた後、大きく息を吐いた。

 そして、倉庫へと繋がる扉を見て、肩を落とした。明石が見た扉の向こう、倉庫には表には出せない在庫などが置かれている。それは常の事で、状況や季節に応じて出す物、仕舞う物を選んでいるだけだ。この平行世界に来る前から、提督にアイテム屋さんと呼ばれていた彼女の酒保での仕事は変わっていない。

 

 それでも、変わりつつある物がある。

 明石は模型の置かれた棚を見て、頬杖をついた。店主としては人に見せられないようなだらしない姿だ。そんなだらしない姿で思うのは、倉庫の奥に置いてある、とある模型の事であった。

 明石は、先ほど提督が口にした言葉を思い出した。

 

『初雪を貰おうか』

 

 たったそれだけだ。それだけなのに、明石はカウンターに突っ伏してじたばたともがき始めた。倉庫の奥にある模型――とある工作艦が酒保に並ぶのは、もう少し時間が掛かることなのだろう……きっと。

 ちなみに、扉を開けて酒保に入ろうとした大淀が、中を見た後そっと扉を閉じて出ていった事を明石が知るのは、もう少し後の事である。 




おまけ
隼鷹「明石ー……で、なんで提督来た時、あんないい笑顔だったんだよー? おねーさんにちょーっと言ってみ? 言ってみ?」
明石「……隼鷹さんだって、提督が来たときいい笑顔でしたよー?」ヒック
隼鷹「え、えー……そ、そりゃあ、ほら、久しぶりだったしさぁ……」
明石「……私、決めました」ヒック
隼鷹「え、どうしたの明石?」
明石「今度、明石を買って貰います」キリッ
隼鷹「ちょ」
明石「隅から隅まで、提督の指で染め上げてもらいます!」クワッ
隼鷹「え、ちょ、ひ、飛鷹ー!? 飛鷹ー!? 明石がなんか壊れたー!?」


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57話

まったりとした日常回


  彼女自身は、自身をまったく普通の軽巡洋艦娘だと思っている。

 夏から秋、秋から冬へと装いと彩を変えだした窓から見える眼下の花壇を見ながら、彼女は様々な花の中にあって、未だ朽ちず自己を主張する金木犀の強い匂いに唇を歪めた。

 強い物は、例え埋没しようと自己をこうやって主張する物だ、と笑ったのである。

 

 彼女自身は、自身をまったく普通の軽巡洋艦娘だと思っている。

 少なくとも、彼女には姉の様な武功はないし、妹達の様な活躍の場も無い。出撃は稀であり、遠征で偶に旗艦を任される位だ。彼女と言う存在は、金木犀の匂いに消される他の花の様なものでしかない。

 それでも、彼女はまったく動じても焦ってもいなかった。

 

「あぁー……いい天気だにゃあ……」

 

 冬を前にした貴重な暖かい日の光を受けながら、軽巡洋艦球磨型2番艦多摩は、だらしなく頬を緩め目を細めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 軽巡洋艦娘の層は厚い。出撃に適した川内型、球磨型、長良型、阿賀野型、遠征に適した天龍型、兵器の実験を担当する事も多い夕張、鎮守府における事実上の兵站、参謀、政務担当の大淀と、実に色とりどりだ。

 求められる役割に対してはっきりと色分けされた彼女達は、それぞれの分野で活躍の場を与えられる。しかし、その数の多さゆえにどうしても控えめになってしまう艦娘達がいるのも、また事実であった。

 その一人が、現在軽巡洋艦娘寮の球磨姉妹部屋の窓から日の光を浴びている多摩である。

 

 彼女の姉は軽巡四天王なる物に名を連ねる鎮守府を代表する猛者であり、妹の三人は特別海域で一騎当千の活躍を見せる、提督の切り札である。

 そしてそんな姉と妹達を持つ多摩は、いたって普通の軽巡であった。

 少なくとも、彼女には特別な何かはない。球磨の様な、軽巡を越えた戦闘能力も、北上大井木曾の様な特徴的火力もありはしない。

 姉や妹といった近しい者が優秀である場合、大抵劣等感に苛まれて曲がり、ねじれ、折れる者が多いが、ここで眠たげに目を細める多摩はそれらの感情には一切冒されていなかった。

 まったくの自然体である。

 

「あー……今夜は何食べようかにゃ……秋刀魚……いや、そろそろ他の魚にいくかにゃ……」

 

「また多摩にゃんは魚ばっかり食べてー」

 

 背後から掛けられた声に、多摩は眠たげな目のまま振り返って声の主を確かめた。多摩に声をかけたのは、ベッドの上で本を読む多摩の妹――北上である。

 

「多摩にゃんじゃねぇにゃ」

 

「えー、かわいいよ、多摩にゃん」

 

「なんかご当地マスコットみたいでいやだにゃ」

 

「わがままだにゃー」

 

 姉の言葉に、北上は真似つきで返した。北上の相も、姉に良く似て眠たげであったが、これは真似ではなく彼女の常の物である。

 

「あれだよー、多摩にゃんはしっかり猫草とかも食べないとぽんぽんこわすよー?」

 

「んなもん食べないにゃ。あと多摩にゃんじゃねぇにゃ」

 

 多摩は北上にそう言うと、開けていた窓を閉めて室内を見回した。

 今この部屋にいるのは、北上と多摩だけである。他の姉妹たちはそれぞれの用事で出払っているのだ。

 五人の部屋として用意された室内は思いのほか広く、二人だけしか居ないとどこか寂しげだ。が、そんな状況でも二人はマイペースであった。

 多摩は腕を天井へ伸ばして欠伸を零し、北上は読んでいる本を一定の間隔でめくるだけである。そこに寂しい、などといった感情はまったく見られない。

 

「んで、球磨ねーちゃんが出撃で、大井が?」

 

「ん、比叡と一緒に散歩だってー」

 

「んにゃ。で、木曾は?」

 

 ここに居ない姉妹達の確認をしながら、多摩と北上は互いにポーズをとりながら言葉を交わしている。ちなみにこの時の二人のポーズは、背伸びと寝転んだままのポーズだ。

 

「んあー……木曾は、今度こそ提督を口説くんだって、花壇に花を取りにいってた筈だよー」

 

「わが妹ながらちょっと間違ったイケメンだにゃー」

 

「だねー」

 

 妹の奇行をその程度で流せるのも、姉としても余裕なのだろう。或いはもう諦めているだけかもしれないが。

 恐らくその花を差し出して気障な台詞でも言うつもりなのだろうが、それは男女逆の行為であるしなんというか古臭い物である。それでも、そんな行為が似合うのもまた木曾というおっぱいがついたイケメンなのだ。

 

「んで、多摩にゃん」

 

「多摩にゃんじゃねぇにゃ。姉をちっとは敬うにゃ」

 

「いやー……とか言っても、多摩にゃんだって球磨ねーさんを敬ってないっしょー?」

 

 北上の言葉に、多摩はうんにゃ、と首を横に振って、ぴしっと指を一本立てた。

 

「多摩は球磨ねーちゃんをしっかりかっちりぽっきり敬ってるにゃ」

 

「えー……どんなところ?」

 

 多摩は立てていた人差し指をふりふりと振って、本から目を離して自身を見つめる北上を真っ直ぐ見返した。

 

「お弁当作る時とか、野菜の余る所まできっちり使い切るところとか、洗濯の時にはかっちりお風呂の余り水使うとか、無駄な買い物をしないところとか、多摩はすげーなねーちゃんって思ってるにゃ」

 

「お、おう」

 

 北上の予想に反して、多摩が球磨を敬うところは実に地味なところであった。少なくとも戦果や戦闘能力を仰ぎ見ている様な気配は、多摩には無い。妹である北上から見てもないのだから、これは誰が見ても同じだろう。

 実際、多摩の発言は本心からだ。裏も無ければ探っても無駄な物である。

 

「ちょっと前のスイカの漬物なんて、多摩は感動だったにゃー」

 

「あー……あれ美味しかったよねー」

 

 とろんとした相で天井を仰ぎ見る二人の脳裏をよぎるのは、夏の主役の一つであるスイカだ。食べ終えたあとの皮などは、それこそ捨てるかカブトムシの餌にしかならないと思っていた二人だが、球磨はそれを割烹着姿で綺麗に洗って漬物にしたのである。

 お茶漬けによし、添え物によし、と二人にとっては季節を感じさせる美味なる物であったのだ。

 

「んで北上にゃん、多摩になんか聞きたい事があるのかにゃ?」

 

「うんスーパー北上にゃんだよー」

 

「……畜生、こいつぶれねぇにゃー」

 

 反撃として繰り出した姉の攻撃にも、北上は平然としたままである。しかも態々片膝立ちの重雷装巡洋艦のポーズまでして、だ。とことんマイペースである。

 

「んでんで多摩にゃん」

 

「おうおうなんでいスーパー北上にゃん」

 

 何故かべらんめい調で返す姉に、北上は特に反応も示さず、再びベッドに仰向けで倒れこみ、足をぶらぶらとさせ始めた。

 

「北上さんは暇だよー」

 

「多摩も暇だにゃー」

 

 二人はそう言った後、互いに暫し視線を合わせて同時に欠伸を零した。

 その様は、まさに姉妹と言わんばかりにそっくりで、彼女達の中に流れる緩やかな時間を確かに感じさせる物であった。

 

 実際、球磨姉妹でよく似ているのは球磨と木曾、多摩と北上である。前者は海上での言動がそっくりで、後者は日常での言動がそっくりだ。

 ちなみに、大井はと言えば誰にも特に似ていない。彼女は実に独特な存在であるからだ。ただし、だからといって大井が姉妹の中で孤立している訳ではない。

 大井にしても、姉や妹達には一切猫を被る事が無いのだから、その姉妹間の信頼や愛情がどれほどの物か分かろうという物だ。

 まぁ、北上に対しての信頼や愛情が重すぎるのも、大井の独特さを際立たせている訳だが、それも個性と言えば個性だ。

 

「んー……おー……うぼぁあああああああああー」

 

 上半身を起こし、首をかしげ、腰をひねり、最後に両手を振り上げて北上は奇声を上げた。多摩はそれを黙って見ているだけだ。見慣れた物なのだろう。

 奇声をあげ終えた北上は、平然と佇む姉に顔を向けて口を開いた。

 

「おなかすいたねー」

 

「おなかすいたにゃー」

 

 多摩は絨毯に、北上は再びベッドに突っ伏して、へにょーんとした顔で同時に零した。突っ伏したそのままで、二人は顔だけ動かして互いの顔を見る。互いに、へにょーんとしたままだ。

 

「なんか食べに行くかにゃ?」

 

「でもあたし、多摩にゃんと違って猫草とか食べられないしさー」

 

「多摩だってんなもん食べねぇにゃ」

 

 ぐでーん、と二人は絨毯とベッドの上で、それぞれごろごろと転がりながら会話を続ける。ここに第三者が居ればいったい何事かと我が目を疑うような様だが、幸いとも言うべきかここには多摩と北上しかいない。

 ちなみに、この第三者が球磨、大井、木曾であった場合、あぁいつもの事か、と普通に流す。姉妹からすれば見慣れた物なのである。

 

「たしか、この前酒保で買ったお菓子があったはずだにゃー」

 

 むくり、と起き上がっていつもそれらを仕舞っている棚を多摩は見た。が、こちらもむくりと起き上がった北上が、自身のお下げを弄りながら首を横に振った。

 

「そんなものは、この前この北上さまが貪り食ってくれたわー、うははははははー」

 

「おうお前ちょっとこっち来るにゃ」

 

「えー……めんどくさい」

 

「多摩もそっち行くのめんどくさいにゃ」

 

 本当に良く似た姉妹である。片や窓際から動かず、片やベッドから動かない。ぱっと見、着ているいる制服も顔の造りも違うのに、この二人はそっくりだ。

 

「じゃあ、間をとってスーパー多摩にゃんさまがアルキメンデス買ってくる、でどう?」

 

「いや、そんなもの頼まれたら明石も泣き出すにゃ。というかどういう間なのかにゃ、それは」

 

 二人とも眠たげな相で交わす会話は、実に独特である。大井とはまた違った独特さであるが、二人が大井の姉であることが良く分かる内容であった。

 

 どうでもいいだろうが、アルキメンデスとは80年代に発売されたインスタントのあんかけかた焼きそばである。高価な割には余り味のよい物ではなく、2年ほどで市場から消えた不遇のインスタント食品であるが、その試みは十分に評価されてよい物であった。惜しむらくは200円という値段に対し、味を追求し切れなかったという事である。

 それさえクリアすれば、或いは今でもスーパーの棚に並んでいたかもしれない物であった。裕福な時代という物は様々な――本当に様々な意図が読み取れない摩訶不思議な物まで生み出すが、アルキメンデスもまた80年代という現代のカンブリア爆発の中で生まれ、そして悲しくも消えていった悲運の存在であるのだ。

 

「んあー……とーおー、っと」

 

 意味不明な掛け声で、北上はベッドから立ち上がって絨毯に降りた。そして何故か自分のお下げを振り回した後未だ絨毯に座ったままの多摩へと近づいて行く。足取りは重くも軽くも無く、まったくの普通だ。

 

「んにゃー……来たな馬鹿妹め。姉の怒りの鉄拳を食らうがよいにゃー」

 

 ほわた、と多摩が北上の額に繰り出したのは、手刀であった。当たった時に、ぺち、と音がする程度の物である。

 

「えー……鉄拳じゃないしさー」

 

「うむ、現実ははいつだって理想とは違うもんだにゃ」

 

「多摩にゃん的にはどんな現実だったのさ?」

 

「うむ、こう、当たったらどごーんって感じだったにゃ」

 

 おー、怖い怖い、と返して北上は肩をすくめて多摩へ手を伸ばした。多摩はそれを問うことも無く、躊躇無く差し出された手を掴んだ。

 引き起こされた多摩は、そのまま北上の背に回ってもたれ掛かる。おんぶの出来損ない様な姿であるが、多摩はそのまま扉を指差して声を上げた。

 

「よし、我が妹北上にゃんよ。このまま多摩を食堂まで運ぶがよいぞー」

 

「えー、すっごいめんどくさい」

 

 姉の奇行もなんのその、北上はいたって普通のテンションで返した。彼女自身の先ほどまでの奇行からも分かるように、その程度は普通に応じられる物なのだろう。

 が、外に出ようかと言うのなら流石に現状の姿では駄目である。駄目すぎて何が駄目か注意できないくらい駄目である。

 

「多摩にゃーん」

 

「多摩にゃーんじゃねぇにゃーん」

 

 首筋に掛かる多摩の息に、北上はくすぐったさを覚えつつもお下げで多摩の肩辺りをぺしぺし叩きつつ言葉を続ける。本当に、第三者が見れば目を疑うような異様な空間であった。ただし球磨達は普通に流せる程度の物であるが。

 

「こんな姿で他の子達に会ったら、どうするのさー?」

 

「アルキメンデス食べたらこうなったって言うにゃー」

 

 アルキメンデスにそんな効力は無い。あれはただ高くて不味かっただけのインスタントあんかけかた焼きそばであって、そんな呪術的な効力は一切無い。

 

「んじゃー、提督にあったらどうするのさー?」

 

「ん……提督かぁー」

 

 肩をぺちぺちを叩く北上のお下げを軽く握った拳の猫パンチでいなしつつ、多摩は暫し考え込んだ後、ゆっくりと北上の背から離れてドアへと歩いていった。背中から離れた姉を黙って見る北上に、多摩はドアノブを掴んだ姿勢で顔だけ振り返って声をかけた。

 

「さぁスーパー北上にゃん、途中で提督を拉致って食堂で一緒にあんかけかた焼きソバ食べるにゃ。提督だったらきっとご飯奢ってくれるにゃ」

 

「いやぁ……多摩にゃんすごいなぁーってあたし思うのよねー」

 

 キリっ、とした相で北上を促す多摩の姿に、北上は感心しきりといった様である。自分の欲望に素直というか、裏表が無いというか、無垢というか、兎に角姉のこういったところは北上にとって本心から驚嘆するところである。

 隠れたがりで、素直になれない大井を近くで見ているから尚更だ。

 

「よし、速く作戦を開始するにゃ。あと、多摩にゃんじゃねぇにゃ」

 

 ドアを開けて廊下に出る多摩は、この鎮守府にあって普通の軽巡洋艦娘である。

 彼女自身は、自身をまったく普通の軽巡洋艦娘だと思っている。それに間違いはない。ないのだがしかし、その私生活と個性までが普通であるかは……それぞれの判断に委ねるとしよう。




球磨組のマイペースコンビは、もっと増えて欲しいです。


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58話

ここから暫く更新が止まります。
秋イベに備えてのバケツ集め及び、秋イベに集中してまいりますので、ご了承下さい。


「ふむ……こっちはこれで終わりかな。で、っと。次はー……っと」

 

 今しがたチェックの終えた棚に、済、と書かれたマグネットシートを貼って瑞鳳は手に在る書類に目を落とした。その棚の番号、棚に在る筈の分、そして実際にある分が今瑞鳳の手によって書き込まれた。

 彼女は書き損じが無い事を確認してから、隣の棚を見た。

 並べられた物資は多く、先ほど瑞鳳が使ったマグネットシートが貼られていない棚はまだまだある。

 その数の多さに、瑞鳳は肩をすくめて息を吐いた。少しばかり見通しの悪い単純作業という物はその不透明さと退屈さから精神を磨耗させる。そして磨耗した精神はミスを誘発するのだから、本当に質が悪い。

 殊それが、地味であっても必要な事であるから、瑞鳳にとって本当に辛い物であった。

 

「さぁーって……んじゃあ、あともう少しだって信じてがんばろっか」

 

 それでも、磨耗する精神を支える物が彼女の中にはあったのだ。

 瑞鳳は握っているボールペンをポケットに仕舞いこみ、未だ触っていない箱に近寄ってそれらをあけて中身を確かめていく。

 

「んー……あれ、これ機銃の弾だ」

 

 箱の一つに書かれた、大本営指定の地味な文字と弾丸マーク、それから対応したサイズが刻まれたそれに、彼女は棚の番号を確かめてから、もう一度書類に目を落とした。

 書類に書かれている情報では、今瑞鳳が確認を行っている棚には艤装用の修理パーツがある筈なのだが、今彼女の前に在るのは地味な弾薬箱だ。

 さて、もしかしてこの棚すべてがそうなのか、と確かめる瑞鳳に、背後から声がかけられた。

 

「瑞鳳ー。こっちの棚に艤装の修理パーツがあるんだけれどー」

 

「……あー」

 

 なんとなく、事情を察して瑞鳳は声を上げた。

 なるほど、こういう事があるからアナログであっても人の手は必要なのだ、と思いながら。

 

 ――まぁ正しくは、私は人じゃないんだけれど。

 

 確かめた上で、たった一つだけ間違ってこの棚に並んでいた弾薬箱を手に取り、瑞鳳は違う棚で同じように確認作業を行っている千歳に声を返した。

 

「ちーとーせー。こっちに弾薬箱あるけど、どーおー?」

 

「それ、それ! それこっちの棚ー」

 

 当たりであった。

 瑞鳳は頬を緩めて空いている手でスマホを取り出して時間を確認する。まだ昼までには余裕がある時間だ。

 瑞鳳は素早くスマホをポケットに直し、歩き出した。千歳に弾薬箱を渡し、自身も艤装用の修理部品を受け取るためである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 軽空母瑞鳳、という艦娘は実に独特な存在である。

 彼女という存在は、この個性的な艦娘が多数存在する鎮守府の中にあっても、まったく埋もれず、まったく劣らず、燦然と輝き自己を主張する軽空母だ。

 戦果は、流石に龍驤や鳳翔には及ばないが、それでも二人に追従するだけの物であり、旗艦を任せた場合でも不味い指揮は執らない。

 龍驤が猛将型、鳳翔が知将型の戦い方で空から海上を制圧していくのに対して、瑞鳳という軽空母は地味な、それでいて失敗しない戦術をとる事が多い為いまいち目立たないところもあるが、提督からは十分に信頼された艦娘であった。

 

 戦場を離れても、その地味なところは変わらない。例えば、事務方に顔を出して先ほどの様に保有物資の状況を確認したり、大淀の書類を手伝ったり、他の艦娘達の報告書を手伝ったり、と地味である。

 が、地味であるがそれをしっかりとこなして、誰にも恩を売らないのが瑞鳳という艦娘だ。

 今回のこの地味な仕事も、偶然大淀のところに顔を出して、千歳一人では辛かろう、という気持ちだけで半分を受け持ったのである。

 

 軽空母としての古参の先輩達に似たのか。それとも軽空母はそういった気質の艦娘が多いのか。小さい体であっても前線を支える龍驤鳳翔同様、なかなかに得難い艦娘なのだ、瑞鳳という軽空母は。

 

「うーん、おいしー」

 

「本当、なかなか美味しいわね。コンビニ弁当でも馬鹿に出来ないわよねぇ」

 

「よねー」

 

 二人は倉庫から出たすぐそこにある広場で、簡単な間食の最中だ。

 ベンチに座った二人の膝の上にあるのは、明石の酒保でも扱っているコンビニ弁当である。間宮食堂があるのに、何故そんな物が、と思われるかもしれないが、レンジで温めるだけ、時間が無い時、などといった利点と、たまに無性にコンビニ弁当が食べたくなる、といった要望の為置かれているのだ。

 流石に軍部の組織であるから、コンビニその物を置けない為に、ならば酒保で、と扱っているのである。

 ちなみに、廃棄にならない様に廃棄2時間前に100円引き、1時間前で半額だ。それでも廃棄になった場合、明石や大淀、初霜等の事務方のお昼になる。

 彼女達にとって食べ物を捨てるなどとは、絶対に出来ない事だからだ。

 

「でも、ごめんなさい瑞鳳。すっかり手伝わせてしまって……」

 

「うん? いいのいいの。私も今日は丸々一日空いてるし、やる事もないんだから」

 

 屈託無く笑って、間食用の小さなコンビニ弁当から揚げちくわを箸で摘んで口に運ぶ瑞鳳に、千歳は苦笑を浮かべた。

 軽空母千歳は、瑞鳳の先輩にあたる。瑞鳳という艦娘はその建造に難が多く、易々とは提督の前に来てくれないのだ。おまけに、海域での邂逅確率も低く、大抵の鎮守府では瑞鳳の活躍は遅くなる。

 その辺りは、この少々おかしな鎮守府も他と変わらない。

 

 誰と組んでも仕事をミスしない事から、相性抜群と称される千歳であるが、果たしてそれは自身に相応しい言葉だろうか、と内心首を傾げていた。

 千歳は小さなコンビニ弁当からウインナーを掴み、それを咀嚼しながら隣でお茶を飲み始めた瑞鳳を見た。

 

 錬度は、既に千歳以上である。軽空母の順位で言うなら、龍驤、鳳翔、祥鳳に次ぐ第四位だ。軽巡、駆逐の様に四天王と称される物がもし軽空母にも当てはめられるなら、瑞鳳はその一人になる。

 海上での仕事は堅実で、龍驤の様な苛烈さも、鳳翔の様な緻密さも、祥鳳の様な冷静さもないが、手堅い情報収集と制空権掌握には、千歳も何度か助けてもらった事が在るほどだ。

 陸上での仕事も正しく堅実だ。瑞鳳という艦娘は地味な仕事でも、飽きは見せてもミスは見せない。

 

 得難い、本当に得難い艦娘であるが、先輩である千歳としては複雑に思う事もあるのだ。

 千歳の顔からそれを読み取ったのだろう。瑞鳳はお茶の入ったペットボトルのキャップをしめて、千歳に問うような眼差しを向けた。ある程度は読み取れても、それは確実なものではない。提督と山城の様に、目を合わせたらお互いの事が全部分かる、という方がおかしいのだ。

 瑞鳳の視線を受けた千歳は、苦笑の色を濃くして肩を落とした。

 

「心配でもあるの。瑞鳳はいつも動き回っているでしょう? ちゃんと休めているのかしら、って」

 

 千歳にとって瑞鳳は後輩だ。自身より強くとも、自身より要領がよくとも、瑞鳳という後輩は体つきが小さな一人の少女である事に違いは無い。

 故に、いつも思うのだ。果たして、それで大丈夫なのだろうか、と。

 

「ありがとう、千歳。でも大丈夫」

 

「……でも」

 

「ううん、本当に大丈夫。私が出来ることで、皆と提督を支えたいだけだから、これはわがままなの。千歳が気にする事じゃないよ」

 

 にこりと笑うその瑞鳳の相が、まるで自分達の先輩である龍驤の物にも見えて、千歳は小さく頷き返した。それは恐らく、何か一つの壁を越えた艦娘だけが持ちえる意志の輝きなのだろう、と千歳は感じとったからだ。

 例えそれが千歳の勘違いであっても、今彼女はそれを信じた。目の前の少女には、そう信じさせる強さがあったからだ。

 

「それに、本当に疲れたときには部屋で、ぐでーってしてるから、大丈夫大丈夫」

 

「ぐでーって」

 

「ぐでーってしてるよ?」

 

「……あぁ、ぐでー、ね」

 

 実際にベンチで横になって白目を剥く実演中の瑞鳳に、千歳は笑顔で返しておいた。彼女もまた古参の一人である。その程度の奇行は十分笑顔で対応可能なのだ。

 流石はこの鎮守府の水母系任務を支えてきた片翼――千歳であった。それを流石と称えられたとしても、千歳は多分喜ばないだろうが。

 

 千歳は残っているコンビニ弁当を、素早く口に運び、お茶を含んでそれを嚥下した。空になったペットボトルと弁当箱を、近場のゴミ箱に入れて瑞鳳に顔を向ける。

 

「じゃあ、残りを速く終わらせましょうか」

 

「うん」

 

 

 

 

 

 

 

 こういった仕事を任される事が多い千歳と、事務方に手馴れている瑞鳳の手によって、彼女達が任された分の倉庫は直ぐに終わった。飽く迄一部保有物資だ。

 流石に全ての、となればもっと人手が必要だが、そう大きくも無い倉庫では彼女達二人の手に掛かれば容易い物であったのだろう。

 

「んー……」

 

 背伸びをする千歳は、太陽の高さを確かめてから隣にいる瑞鳳に目を向けた。多分今日も無理だろう、と思いながらも千歳は口を開いた。

 

「用事が無ければ、お礼にお昼を奢りたいんだけれど……」

 

「ありがとう、気持ちだけ貰っておくね」

 

 瑞鳳は空いている手でポケットから取り出したスマホを真剣な表情で見つめ、何かを確認した後、ポケットにスマホを仕舞い顔を上げて申し訳なさげな顔で首を横に振った。が、その返答は千歳には分かりきっていた物であった。彼女は苦笑で小さく頷いた。

 

「まぁ、ほどほどにね?」

 

「うん、任せて!」

 

 千歳の言葉に、瑞鳳は力強く頷いて走り去っていく。時折、振り返って瑞鳳は千歳に手を振った。それに同じように手を振って返す千歳の相は、困り顔寄りの苦笑である。先ほどより苦さが強くなっているのは、今手を振っている、小さな瑞鳳が何をやらかすかよく理解しているからである。時間は昼前、向かう先は司令棟の給湯室。

 そして振られていない手に在るのは、玉子焼きセットである。

 何故その手に在るのか、先ほどまで無かったではないか、と千歳はいちいち突っ込みはしない。突っ込むのを放棄したからだ。

 

 この世界は不思議な事など沢山ある。巨大な地上絵、未確認の生物、証明難解な事象、不可解な現象、そしてそれらの中に瑞鳳の玉子焼きがあるだけの事なのだ。

 千歳としては、ネス湖のネッシーもクレイ数学研究所のミレニアム懸賞問題も瑞鳳の玉子焼きも、そういった物としておく事で精神の均衡を保ちたいのである。

 いちいち考え込んで寝込むような事は、人生で一度だけで十分なのだから。

 

 とはいえ、まったく何もかもの思考を放棄している訳ではない。不思議は不思議なりに、思う事はある物だ。

 瑞鳳という軽空母は、食事時には妖怪玉子焼き作りになる。勝手に調理場に入って一品作り上げて去っていく姿は、まさに現代に蘇った妖怪だ。ぬらりひょんやその辺りの妖怪の亜種かと思えるほどである。

 

 もっとも、その成功率は高い物ではなく大抵追い出されて終わる事が多い。

 多いのだが、しかしおかしな事というべきか、懐の深さというべきか、そんな瑞鳳を追い出さない艦娘達も確かに存在するのである。

 それは少数だけの姉妹達であったり、瑞鳳の行為を黙認している艦娘達である。何故か仲がいい那珂のいる川内姉妹、なんでもござれの伊勢姉妹、結局面倒見のいい扶桑姉妹、こちらも何故か仲が良い子日がいる初春姉妹等々と、そして先ほどまで瑞鳳と共に倉庫で仕事をしていた千歳も、その一人だ。

 一品増えた程度では困らないし、場合によっては調理も手伝って貰う事もあるので、むしろ彼女としては助かっているとも言えるだろう。

 

 であるのだから、普段の行動を背景に交渉すれば、玉子焼きくらいは作らせてもらえると思えるのだが、何故か瑞鳳はそれをしない。

 まさかそんな事に気付いていないという事はないだろうから、これは瑞鳳の個人的な拘りなのだろうと千歳は思うのだが、それでも不思議な物は不思議だ。

 

 暫し、そんな事を考えていた千歳は、自身の昼食の為にと大淀の執務室へ足を向けた。手に在る二人分の仕事の成果――書類を渡して報告を終えてから食堂に行く為だ。

 そして彼女が大淀に報告を終え、廊下に出ると瑞鳳と鉢合わせした。

 

「あぁ、報告ありがとう。大淀はなんて?」

 

「ありがとうございます、って」

 

 大淀の執務室前であるから、瑞鳳は千歳が何をしていたのかすぐ理解できたのだろう。うんうんと納得したように頷く瑞鳳の相を確かめてから、千歳は一つ問うた。

 

「今日は成功したの?」

 

「うん、そりゃもう大成功よ! むしろ感謝されたもの!」

 

「そうなの、大成功じゃない」

 

 喜ぶ瑞鳳に、千歳はやっぱり、と微笑んで頷いた。

 玉子焼き一つ、されど玉子焼き一つ。

 瑞鳳という少女は、調理時に他の姉妹艦娘達の中に紛れ込んで玉子焼きを作れなかった場合、穏やかならぬ顔でがるるるると唸っているのだ。

 今回、それが無かったという事は成功したのだろうと千歳は考えたが、念の為問うて見たのである。

 そして、感謝された、という部分も千歳には聞くまでも無く理解できることであった。

 

「まったく、相変わらず凄いの作ってたから、ちょっと手直しと監視して時間掛かっちゃたし」

 

「なるほどね……あぁ、そうそう瑞鳳」

 

 ん? と瑞鳳は千歳に目を向けた。子猫の様な丸い瞳である。

 その瞳に映る自身の顔に、千歳は微笑を見せた。

 

「お昼、今からなら一緒出来るでしょう?」

 

「……うん、じゃあ行こうか」

 

 二人は並んで歩き始めた。千歳は隣を歩く楽しげな瑞鳳を見て目を細める。楽しげな誰かの存在は、それを見る者まで喜色に染める物だが、瑞鳳のそれはまた格別だ。

 それだけ今回の成功を喜んでいるのだろう。だがしかし、千歳には言いたい事があった。

 しかしそれを伝える事で瑞鳳の笑みが翳るかもしれないと思うと、千歳にはなかなか伝え難い物でもあった。

 結局、その日千歳がそれを口にする事はなかった。さて、では千歳が瑞鳳に何を伝えたかったかと言えば、実に簡単な事だ。

 

 ――で、いつまで金剛型の服着ているの?

 

 たったそれだけの事である。

 ちなみに、瑞鳳はその後もそのまま過ごし、風呂場で服を脱いだ際にやっとそれに気付いた。姉の祥鳳が頬に手を当てため息を吐く横で瑞鳳がその時言った言葉は、

 

『でもこの服も足がかわいいよね、足が』

 

 である。

 この言葉を聴いた祥鳳が、もう一度大きな溜息を吐いたのは言うまでもないだろう。




おまけ
瑞鳳「ただいまー」
祥鳳「おかえりなs」
瑞鳳「んー……今日も充実した一日だったー」
祥鳳(……え、なにこれは? ネタなの? それとも仕込みなの?)
瑞鳳「あ、祥鳳、お菓子貰ってもいい?」
祥鳳「え、えぇ……い、いいけれど……(やだ、これは突っ込み待ちなの……? 私に与えられた試練なの……?)」

数時間後

風呂場
瑞鳳「……あれ? あれー……なんでまだ金剛姉妹五番艦瑞剛用の服なの?」
祥鳳「」


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59話

 潮の香りを肺一杯に吸い込み、長良は大きく息を吐いた。

 長良は簡単なストレッチを行いながら、潮の香りが強く漂う周辺を見回す。

 誰も使っていないはずなのに、何故か最近修理と改修、施錠がなされた空き倉庫に、未使用の艦娘達用の小さな待機部屋、それから、青い海と青い空だ。

 

 ――うんうん、偶には陸! って場所より、海が見える場所を走らないとね。

 

 力強く頷き、長良は足首を軽くほぐした。彼女は今からこの鎮守府を軽く一周するにあたり、そのスタート地点を現在準備運動を行っている寂れた港にしたのである。

 右腕を回し、左腕を回し。そして長良は腰を落として走り出そうとして――それをやめた。

 港の角から、見慣れた影が出て来たからだ。

 長い紫の髪をポニーテールに結った小柄な少女である。その小さな体を包むのは、白いセーラーだ。しかしセーラーという洋装を身にまといながらも、今長良の瞳に映る少女は見る者に貴い和の趣を感じさせた。

 

「ん? おぉ、長良かや」

 

 少女も長良に気付いたのだろう。少女は長良へ、てくてくと近づいてく。長良は背を正し、自身へと歩み寄ってくる少女――初春の背を見つめつつ声を上げた。

 

「おはよう、初春」

 

「うむ、おはようじゃな、長良。そもじ、今日はかような場所でなんぞや?」

 

 かような場所、と口にした初春に長良は目を点にした。それを言うなら初春はどうなのだ、と思ったからだ。そういったときに、疑うような、或いは攻撃的な視線を相手に送らないのは長良の美点であるが、人に問うという点では欠点でもある。

 初春もやはり長良の疑問に気付けず、さて、その相はなんだろうか、と首をひねるばかりだ。

 であるから、長良は口を開いた。

 

「いや、私はここから鎮守府を一周、くるっと走ろうかと思っているんだけれど……初春は?」

 

 しかし、長良の双眸は初春の目に合わされて居ない。話すときには相手を真っ直ぐに見る長良にしては珍しい事であるが、初春はその視線の向かう先を目で追って理解した。

 

「うむ、わらわはこれの試運転じゃ」

 

 そう言って、初春は自身の背にある――長良が見つめる艤装を軽く叩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 艤装という物がなんであるのか。

 艤装とは艦娘にとってなんであるのか。

 これらは未だ解明されてはいない。艦娘と共に建造され、艦娘と共に海上に現れる、彼女達の艦時代を色濃く表したそのパーツは、しかし単体ではなんの意味もなく、更には互換性もなかった。

 

 陽炎の艤装は陽炎専用であり、それは同じ型である不知火であっても陽炎の艤装を扱うことは出来ない。ただし、別の陽炎が別の陽炎の艤装を装備できるが、艤装の中にあったデータは消えてしまうのだ。陽炎と共に艤装が培った経験――錬度は、その陽炎当人にしか適用されないのである。同型同艦でさえ、艤装は別人と認識しているのだ。

 

 そのくせ、建造で簡単に作れたり、海上で拾えたり、修理も簡単で在ったりと、本当に謎多き物体である。

 そしてその謎の中でも最大の物と言えば。

 

「ふむ、通常航行には問題なしじゃな」

 

「じゃあ、次は戦闘航行速度?」

 

「いや、も少しならしてからじゃな。何事もせいでは仕損ずるものじゃ」

 

 海上で波を切って進む初春の姿である。

 艦娘達はただの少女だ。少なくとも、彼女達はその外見に準じた身体能力しか有していない。であるのに、一度艤装をまとえば彼女達は海を侵し人類を脅かす深海棲艦相手に一歩も引かぬ兵士となる。

 如何な兵器でもあっても、まともな戦闘行為さえ許さなかった深海棲艦相手に、だ。

 

 海上を曲がり、戻り、進み、様々な動きを初春は試してく。

 艤装の調子を見るためだ。その姿は知らぬ者からすれば、無骨なフィギュアスケートにも思えて滑稽と笑ったかもしれないが、自身もまた艤装をまとう長良にしてみれば、初春のそれは実に様になる姿であった。

 戦闘の為に、或いは迅速な行動の為に、まず何を見るべきか理解した上で初春が艤装の調子を試しているからだ。

 

 彼女達の艤装は彼女達だけの物だ。

 故に、明石や妖精達が修理、調整したそれを本番――作戦行動で直ぐ使える物であるかどうかを試すには、地道な試運転しかない。

 流石に砲撃や雷撃を試すにはここでは不足だが、現在の初春の様に走らせる程度なら寂れた港でも十分であった。

 

「……少し飛ばしてみるかや」

 

 初春は小さく呟き、それまでの通常航行速度から戦闘航行速度に切り替えた。

 相手の火線をくぐり、弾雨の下を走り、的確に相手へと近づき仕留めるには瞬間的な速度が必要になってくる。走り、止まり、走り、止まり、とそれらを淀みなく、直線で進み、稲妻の様に奔り緊急回避行動を取って初春は息を吐いた。

 彼女が感じる限りでは、修理前の調子となんら変わった様子が無いことに安堵のため息を零したのだ。

 そして彼女は、そんな自身を港から見つめる長良に目を向けた。長良の手にはメモとペンがある。

 何か不調が見られた場合記す為のものだ。当人では気付けない問題箇所も、傍目の誰かには見えるものであるから、偶然居合わせた長良にこれ幸いと初春が頼んだのである。

 

「しかしなんじゃな」

 

「ん?」

 

 初春は海上で緩やかに曲がって長良に近づきつつ零した。こちらは現在艤装がない長良であるが、彼女の素の身体能力は高く、それは五感にも現れていた。初春の零した声も確りと耳に届いているのである。

 

「かつてぶつけてしまった相手に、こうして試運転に付き合って貰えるとは、わらわは果報者よな」

 

 初春のその言葉に、長良は腕を組んで唸った。艦時代の事である。スラウェシ島のケンダリー攻略という一場面で彼女達は運悪く衝突し、長良と初春は一時離脱、仲良くダバオで修理となったのだ。

 ぶつかって来たのは初春であり、被害者は長良である。ただし、それは二人が艦の頃の話であって少女の体を持つ現状にあっては、こんなにも小柄な少女を入院させる様な事態を起こしたのか、と長良にとっては後悔しきりだ。

 

 おまけに、その時初春の妹である初霜には旗艦任務まで任せてしまったのだから、長良からすれば後悔ばかりの出来事である。

 それらのことは、既に互いに謝罪済みであるが、謝って終わり、というようなものでもない。少なくとも長良にとってはそうだ。

 落ち込んだ相を見せる長良に、初春は持っていた扇子を開いて口元を隠し、からからと笑った。

 

「そもじ、何という顔をするか。悪いのはわらわじゃ。そもじが何あって落ち込んでよいものか」

 

 笑う初春であるが、言葉に含んだ”よいものか”とは古語の非難の意を込めて問い返す言葉だ。謝っておきながら強気な姿勢は果たしてどうなのだろうか、と呆れ顔を見せた長良に、初春は扇子をぴしゃりと閉じてそれで自身の肩を叩いた。

 

「それでよい。そもじに暗い顔など到底似合わぬぞ。誰が何を言おうと、何するものぞ。何するものぞ。言うてやれば良い。わらわ――初春が悪いのじゃと、呵呵と笑ってやればよい」

 

 ふふん、とどこか挑むような笑みを浮かべる初春に、とうとう長良は小さく笑った。笑うしかないのだ。

 初春は自身が放った言葉に嘘など含まれて居ないだろうし、その言葉で自身が不利益を蒙っても撤回する事はないだろう。

 長良型姉妹の長女である長良が真っ直ぐである事同様、初春型姉妹の長女もまた真っ直ぐなのだ。

 

「それにじゃ。そんな事を気にしておったらそもじ、深雪と電、初風と妙高なぞどうするものじゃな」

 

「んー……」

 

 初春が口にした深雪と電、初風と妙高も、彼女達と同じ衝突組だ。ただし、この二組は衝突の結果が二人以上に悲惨である。

 あるのだが、この二組は特にわだかまりなどないのだ。初風は妙高を恐れてもいるが尊敬もしているし、何かあれば妙高に相談する程である。深雪にしても、妹――或いは従妹とも言える電に特に含んだような素振りは見せていない。休日などには一緒に遊んでいる事もあるので、こちらも良好だ。

 となれば、結果的には両者共無事に復帰で済んだ自身達がどうこう気にするような物ではない、と初春は言いたいのだろう。

 

「それでもまだ気にすると言うのならば、もう少しばかりわらわの試運転に付き合えばよい」

 

「……いいの?」

 

「良いもなにも、もうわらわはそもじの世話になっておるぞ? それともなんじゃ、ここでわらわを放ってどこかに行ってしまうのかや?」

 

 問う初春の眼差しは、珍しい事であるが歳相応の甘えが見えた。長良の目には、だが。

 長良にとって、自身の訓練を置いて初春の艤装の試運転に付き合ったのは、過去の後ろめたさからだ。しかし初春はそれに、言葉ではともかく、態度では少女としてただ甘えてきたのである。

 自身もまた、5人の妹を持つ長良としては、到底放っておける物ではなかった。

 

「私でよければ手伝うけれど……」

 

「うむ、良い心がけじゃぞ」

 

「かわりに、あとで私のランニングに付き合ってね?」

 

「……うむ、おそらく、多分……そうじゃな、子日か若葉か初霜が付き合うと思うぞ?」

 

「おい長女」

 

 目をそらしてしどろもどろに呟く初春に、長良は据わった目で突っ込んだ。流石にこれには長良も攻撃的だ。

 お互い長女である。妹を売るとは何事かと非難を込めた訳だ。だがしかし、長良のその様に初春は手に在った扇子を彼女に突きつけて声高に叫んだ。

 

「ではそもじ、神通に訓練へと拉ch――誘k――道連r――誘われた阿武隈が居たとして、我が身を呈して守れるかや!」

 

「頑張ってね阿武隈」

 

 長良は満面の笑みで返した。脳裏に浮かぶのは、在りし日の子牛と買い取り業者――阿武隈と神通の姿である。初春は仮定として口にしたが、それがまさか過日に在りし悲劇だとは思いもしなかっただろう。

 神通という乙女は、普段はまさに華にも似た乙女であるが、作戦行動となれば矛となって敵を貫く戦乙女になってしまうのだ。訓練、となれば同僚達との物であるから、流石に作戦行動中の苛烈さには及ばないが、それでも十分恐ろしい物である。

 

 ほぼ同等の身体能力を持つ長良ですらそう感じるのであるから、神通という乙女の気迫は半端なものではない。

 もっともそれは、言ってしまえばたった一人の為に磨かれた覚悟であって、神通という乙女の純な想いでもある。だからこそ、誰も彼女を止められないという問題も孕んでいる訳だが……

 

「あぁ……でも、初霜かぁ……」

 

「……うん? なんじゃ? 初霜がどうかしたかえ?」

 

 初春が売った妹の中の一人、現状では初春型の末っ子である初霜の名を零す長良の相は明るい物ではない。故に初春は問いただしたのだ。

 

「いやぁ……初霜にも迷惑掛けてるし、やっぱりお姉さんをドッグ送りにしてるから……」

 

 初霜だけに限った話ではなく、もうその場には居なかった子日を別にして、若葉にも長良は後ろめたい物がある。初春はそれを許すというが、彼女の妹達が何を思うかはまた別だ。

 特に初霜には、長良が途中で投げ出した仕事を任せてしまったのだから尚更だ。既に謝罪しているからといって、それが消える訳でもない。

 少女の体というのは実に便利である反面、そこに宿った少女の心というのは実に不可思議だ、と長良は自身事ながら妙な感心をした。

 

「ふむ……では、こういうのはどうじゃ?」

 

「うん?」

 

 初春はにやりと笑いながら、扇子で自身の頬を軽く二度三度と叩きつつ流し目で長良を見た。余程自信があるのか、と興味を惹かれた長良は身を乗り出して初春の次の言葉を待った。

 

「提督を真似ればよいのじゃ」

 

 が、初春の言葉はこれである。長良からすれば、いったいぜんたい、何を言っているのかさっぱりという物だ。目を瞬かせながら首を傾げる長良に、初春は掌を見せて頷いた。

 

「まぁ焦るでない。ゆるりと構えよ。そもじはまずそこから、提督を真似るべきじゃぞ?」

 

「えーっと、司令官の真似……司令官の真似……あぁ」

 

 初春の言葉に、長良は暫し考え込んだ後掌に握った拳を、ぽんと落とした。そして、初春の艤装をじっと見つめて

 

「不明なユニットが接続されました」

 

「……なんじゃそれは」

 

 何故か平坦な、それこそ機械音声かと思えるような声で意味不明な事を言い出した長良に、初春は扇子を顎に当てて首をひねった。真似ろといったら長良のこの様である。

 まさかそんな意味不明さを真似るとは思わなかった初春からすれば、まさに不意打ちであった。

 

「うん、この前司令官が扶桑とか大和の出撃前の艤装装備姿を見て、さっきの言葉言ってたから。初春は意味が分かる?」

 

「……いや、どこかで聞いたような気はするのじゃが、はっきりとはせんのう……ふむ」

 

 長良の応えに初春は考え込むも、やはり彼女の思考はクリアにはならなかった。ちなみに、初春がどこでそれを聞いたかと言えば、自室でスマホを弄りながらやっていた乙女ゲー中に、背後で子日と若葉が遊んでいたゲームから聞こえた物であった。

 乙女ゲーという以上、乙女が嗜むゲームなのだと信じてそちらに集中していた初春は、結局妹達のゲームにまで気が回らなかった訳である。

 まぁ回ったところで無駄な知識が増える程度だったのでなんら問題は無いわけだが。

 

「いや、あんまり提督のそういったところは真似るでないぞ。あれはあれで良いおのこじゃが、一人であるから良いのじゃ。あんなものが増えたら世も末じゃぞ」

 

「真似ろと言ったり真似るなと言ったり、どっちなの初春?」

 

「わらわが真似ろと言ったのは、あやつの気の抜けた……まぁ、どっしりと構えたところと日に三度のあれじゃ。奇妙奇天烈なところは真似んでよい」

 

 そう返されて、長良は提督を目を閉じた。瞼の裏に思い浮かべるのは彼女の提督――司令官の姿だ。常からぼうっとしたいまいちしまらぬ男で、どこからどう見ても凡庸な男だ。ただし、外貌は凡庸でも、口を開くと凡庸ではない。それも悪い意味でだ。

 そういった男であるが、確かに初春が言うようにこの鎮守府の主が焦った姿など長良は知らない。実際にはここに来た当初相当に焦った訳だが、そんな姿を見ていない長良には知らぬ事だ。

 

「で、気を抜いてどうすればいいの? っていうか、日に三度のあれってなに?」

 

 目を開け、素直に型から力を抜いた長良の問いに、初春は喜色に染まった笑みで頷き返した。長女としての性か、些細な事でも頼られるのが嬉しいのだろう。

 

「初春型と長良型でお弁当なぞ用意して、空いている港で昼でも一緒するが良いと思うのじゃ」

 

「……あぁ」

 

 長良はやっと理解の色を瞳に宿し、数度頷いた。初春姉妹の上司である阿武隈を末っ子にもつ長良であるから、それをセッティングする事に難はない。長良は空を見上げた。そこにあるのは青い空だ。

 こんな空の下で、海の風を感じながら美味しい物を食べて、皆で笑えたらどれだけ幸せなことだろう、と長良は心底から思った。と、そんな彼女の耳に初春の声が入ってきた。

 笑いをこらえるような、どこか喜色を帯びた声だ。

 

「うむ、ついでじゃ。特Ⅰ――吹雪姉妹達も招くかや? うむうむ、我ながら良い事を思いついたぞ」

 

 一人納得して満足げに頷く初春に、長良は問うような眼差しを向けた。初春はそんな長良の視線に暫し考え込んだ後、片眉を上げて扇子を広げ、口元を覆い隠した。

 

「なんじゃ、そもじ知らぬのか? まあ任せよ。何事も形からじゃ、そう、形じゃ」

 

 初春の発言の意味を汲み取れない、というよりも、自身だけで納得している初春を視界におさめつつ、長良は肩を落とした。が、それでも彼女は不安には思わない。

 自身ありげに扇子で口元を隠す初春の瞳に、強い輝きを見たからだ。

 

「新しき年の初めの初春の、今日降る雪のいやしけ吉事、とな」

 

 耳をくすぐったその言葉がなんであるのか、長良にはまったく分からない。

 それでも長良は、なるほどと頷いておいた。

 なんとなく、それで良いのだと思いながら。




おまけ

大和(出撃帰り艤装つき)「……? あれ、皆さんでこんな所でお昼ですか?」
子日若葉初雪鬼怒「……」
大和「……え、あ、あの?」
子日若葉初雪鬼怒「不明なユニットが接続されました」
大和「そ、それなんなんですか? 前にも提督に言われたんですけれど」
初春長良「……」



そもじ

そなた。あなた。

おのこ

この場合は成人の男子。

新しき年の初めの初春の、今日降る雪のいやしけ吉事(万葉集 大伴家持)

新生万年 ショシュンの時空の歪みに舞い降りる氷塵の公爵に、…フン、悪くない事象も奪った命の数だけオプティマながら、それでも人はあがき続けるのか……………と預言書にも記されているように別々の心がとけあう時、もう一度その手はつながれる・・・


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60話

 海に面した市街地からかなり離れた場所に、その施設はある。

 大きな壁に囲まれ、上空から見れば隔離された建造物としか見えないそこは、しかし人類の守り手達が住まう箱庭――鎮守府であった。

 外観は赤煉瓦の、舞鶴旧鎮守府倉庫施設に良く似た造りだ。何もここだけが、という訳ではない。殆どの鎮守府はこれと同じ造りである。

 

 これは艦娘達と、その主である提督達に軍部への帰属意識を強く持たせる為の物だと言われている。飽く迄その様に世間では囁かれているだけで、肝心の大本営はこれに関して何も語ってはない。ただし、それは否定もしていないと言う事だ。

 まず間違いなくそうなのだろう、と言うのが現状での皆の認識であった。

 

 さて、そんな赤煉瓦の伝統あふるる鎮守府の司令棟にある執務室で、二つの影が寄り添いあって穏やかに言葉を交わしていた。

 

「あれー……こっちにバケツなかった?」

 

「んー……? バケツだったら……あぁ、上の仮拠点だわ」

 

「えー」

 

「この前上で麦畑作ったから、そのままチェストに放り込んだままだ。悪いねー……」

 

「んじゃ、地下用のバケツも作っておくかなぁ。鉄鉱石余ってたし」

 

「んー……それもいいやねぇ」

 

 果たしてこれが伝統あふるる赤煉瓦造りの鎮守府の一室で交わされてよい会話であるかどうかは、是非を問うまでも無いだろう。

 しかし、当人達にとってはこれこそが日常であった。

 二人、提督と駆逐艦睦月型11番艦、望月は互いの手に在る携帯ゲーム機を慣れた手つきで操作しながら、ゲーム機の中の四角い世界を遊び倒していた。

 

 二人が今腰を落ち着けているのは本来なら来客用にと用意されたソファーで、更にそのソファーの前にある小さなテーブルにはポテトチップスやコップに注がれたコーラ、干し芋などが雑に置かれている。

 ここに初霜や大淀がいたなら、苦笑いか眼鏡を光らせていただろうが、生憎とここにいるのは提督と望月だけだ。

 いや、もし居たとしても流石に彼女達も何も口にしないだろう。現在、二人は夕飯前の休憩時間中だ。

 

 確りと働いた上で遊び、それを終えれば二人とも部屋を片付けるのだから、誰も文句はつけられないだろう。その点に関しては、だが。

 

「そーいや、司令官さー……」

 

「んー?」

 

 気だるげな声で、携帯ゲーム機の画面から目を離さず口を開いた望月に、提督も似たようなテンションで返した。

 

「最近龍驤さんとどーよー……?」

 

「いや、どうよって言われましてもさぁ」

 

 こちらもゲーム画面から目を離さないまま、提督は望月が名を上げた軽空母を脳裏に描いた。小柄で、独特なバイザーを被った少女である龍驤は、その外見に反してこの鎮守府の古参であり、鳳翔と共に影の支配者、等とも称される存在である。

 多くの艦娘の進水を助け、戦場で支え、私生活でも相談に乗ることが多い姉御肌の艦娘だ。提督にしても、多くの海域で助けられた艦娘であり、全幅の信頼を寄せる一人だ。

 それがどういう訳であるのか、

 

「今日も出撃前にハグされたんだってー? 夕立が言ってたぜー?」

 

「うん、そのあとその夕立さんにもハグされたんだけれどね?」

 

 いつ頃からか提督を見るとすぐ抱きついてくるようになってしまったのである。更にそれを真似て、夕立や、今提督と一緒に遊んでいる望月の姉、文月達まで真似始めたのだ。

 しかも最近では、MVPを取った朝潮に敬礼されたあと、抱きついても宜しいでしょうか、と聞かれた程であった。

 少女といえど乙女である。果たしてどうであるのか、と提督自身彼女達に問うた事もあるが、これは今現在もすれ違いのまま終わっている。

 気軽に抱きつくべきではない、という提督の意見も、彼女達は気軽ではないのだから問題は無いのだ。

 

 これはどうでもいい話だが……文月にハグされる度に提督は、世に文月のあらんことを……などと呟き、更に皐月にハグされた時には、お前の方が可愛いよ! 等と呟いている。心底どうでもいい話だが。もっとどうでもいい事だが、その後皐月が作戦行動中に偶然遭遇した神通似の姫級をきっちりカットイン撃破しておいた事をここに記しておく。

 

 閑話休題。

 

 この現状でまさに矢も楯もたまらず、といった状況に陥っているのが成熟した女性の体を持つ艦娘達である。

 一度鈴谷が真似て抱きついた際、提督が本気でこれを嗜めたからだ。もっとも、これは提督の照れ隠しと職場に在って彼我の距離を正しく取る為という側面が強いのだが、そこまで読み取れている艦娘は少ない。

 そんな状況下で、自身達は我慢しなければならないのか、と落ち込む一方で、実はそれはそれで、と先を見て納得しても居るのだ。

 

 駆逐艦達が許されるのは、彼女達が見目幼い少女だからだ。彼女達以外が許されないのは、それが提督に女を感じさせるからだ。

 それはつまり、女として確りと意識されていると判断したのだ、彼女達は。

 そう考えれば彼女達としてもある程度納得できるのである。女として意識されるが故にハグが出来ないのなら、今は我慢しよう、という訳だ。今は、だ。

 

「ふーん……そういやさぁ、そろそろ三日月なんかも提督の頭を撫でてあげたいって言ってたぞー」

 

「あぁ、三日月さんかぁ」

 

 同じ睦月型であるから、当然同じ寮の同じ部屋だ。その日常の中で望月は姉のそんな言葉を耳にもしたのだろう。

 それを前もって提督に伝えるのは、望月なりの姉への応援であり提督への土産でもあった。提督へは前情報を与え、断るなよと釘を刺し、三日月にはそれとなく大丈夫そう、と後々伝える為である。気だるげで無気力に見える望月もまた、強かな艦娘の一人であった。

 

「三日月さんの場合は、なんと言うか……」

 

 望月の姉、三日月を思い浮かべながら提督は一旦ゲーム画面から目を離し天井を仰ぎ見た。つられて望月が天井を仰ぎ見ていることは、当然提督には分からない。

 提督の知る三日月という艦娘は、朝潮と同じくらい確りとした、この鎮守府では数少ない常識人だ。

 そんな彼女のスキンシップと言えば、ある意味で実に彼女らしくあるもので、それがまた提督にはなんとも言えないのだ。

 

「……なに? 三日月に何か落ち度でも?」

 

「せめて姉妹のセリフにして欲しい」

 

 陽炎型二番艦の真似をする望月に、提督は肩を落として再びゲーム画面に目を戻した。それでも、指はまったく動かない。提督は過日の事を思い出しながら、望月にゆっくりと返した。

 

「いや、三日月さん、頭を撫でた後絶対肩を叩くんだよねぇ」

 

「……司令官の?」

 

「そうそう」

 

 苦笑を零す提督に、望月は眉をしかめて頭をかいた。望月の傍に居る提督は、まだ歳若い男である。まだまだ体にガタなどなく、その肉体はそれなりに健康に保たれていた。

 となると、当然一日の負荷などは眠れば消え去り、身体の各部にはしる違和感などもまったく無い状態である。もう少し歳を取ればまた違ってくるだろうが、提督の若さでは肩に凝りなどまったく在りはしない。

 それでも、三日月は肩を叩いてる訳である。提督の役に立ちたいからこその行為だろうが、完全に空回りだ。

 

 望月は天井から目を離し、背後の提督へ目を向けた。

 こちらから止めるようにと伝えようか、と聞く為だ。が、口を開こうとして望月はすぐにそれを止めた。

 望月の双眸に映る提督の相は苦笑に染まっているが、明らかに楽しさが勝っている。

 それは望月の記憶の中にある、妹達や仲間達に誕生日を祝ってもらい、プレゼントを貰った時に如月が見せた相に似ていた。

 そして貰ったボクシンググローブをすぐさま嵌めてシャドーボクシングをやっていた訳だが、望月のログにはその辺がとんとなかった。実に都合のいいログであった。

 

「それじゃあ、今度三日月さんに会うまでに、ちょっと肩を凝らせとかないとねぇ」

 

「変な司令官だねー……知ってはいるけどさぁー」

 

 ふん、と生意気そうな素振りで鼻を鳴らした望月に、提督は暫し顎に手を当てて考え込んだ後、素早く振り返って望月の肩に手を置いた。

 置かれた方の望月はと言えば、僅かに肩を跳ねさせた程度で、特に何もしなかった。彼女達の提督は、少々奇矯な人物では在るが殊異性関係には常識的な――いや、堅物ともいえる人物であった。故に提督が自身に何かするなどと、望月は考えても居ないのだろう。

 が、今日この時だけは違った。

 

「はいはーい、マッサージしますよー」

 

「ん……もっと上……あー……そこそこ。凝ってんだよねー。ん、うまいじゃん」

 

 二人は目を合わせて微笑んだ。

 凝っているも何も、望月の肩は少女特有の硬さこそあったが柔いものであったし、望月にしても自身の肩が張っているとは思ったことも無い。これは飽く迄二人の遊びだ。当意即妙な望月の対応に提督は笑みを浮かべ、望月も自身の司令官の笑みに無邪気に笑ったのだ。

 どれだけ斜に構えても、無関心を装っても、強気に挑んでも、提督の笑顔一つで艦娘もまた笑顔で応じてしまう。

 

 それは自身が主と選んだ人間の、そのなんの衒いもない喜びに深く安堵するからだ。この人で良かった、この人の為の自身で良かった、と。

 そこには忠義があり、友情があり、様々な形の愛がある。望月が提督の笑みに応じた際に浮かべた相には、親愛が色濃く宿っていた。

 

 提督は望月の肩から手を離し、ソファーに置いた携帯ゲーム機を手にとってまたゲームを始める。ソファーで二人、背中合わせでだ。提督の背に望月がもたれかかっている様にしか見えないが、それは二人の身長差を考えれば仕方無い事であった。

 

 二人は先ほどの会話で満足したのか、今度はまったく口を開かずゲーム画面を見つめつつ操作を行っていた。

 暫しの時間の後、二人は同時に息を吐きまったく同じタイミングで振り返った。

 望月は提督の目を見てにやりと笑い、提督もまた同じ様に笑う。そして互いの掌を叩いて声を上げた。

 

「うーし、ブランチマイニング用の地下拠点完成だー」

 

「よしよし、これでダイヤモンド掘りまくりますかねぇ」

 

「で、帰り道でマグマに……」

 

「やめろ……やめろ」

 

 手に在るゲーム内で一つの拠点を作り上げた二人は、軽口を交し合いながらゲーム機をテーブルに置いた。望月がテーブルにあるポテトチップスを一枚摘んで口に運び、提督はコップを手にする。そして二人が目を向けたのは、壁にある時計だ。

 時刻は夕飯三十分前。なかなかに良いタイミングで終わった、と二人は互いに頷きあい、直ぐ次の行動に移った。

 ゲームで遊んだ、それも終わった、となれば後は片づけだ。

 

「司令官、余ったポテトはいつものパウチでいいのー?」

 

「ういさ、それお願い。僕はジュース片付けてコップ洗うから」

 

「へーい……あぁめんどくせー」

 

 口ではだるそうに言いながらも、望月の動きはきびきびとしていた。途中まで口にしたポテトチップスを、執務室にあるパウチに移してしっかりと封を閉じて菓子入れに戻す。

 その間に、提督は宣言したとおりジュースを冷蔵庫に直してコップを洗っていた。

 あと少しすれば提督の夕食係が執務室にやって来るのだ。望月としてはそれを邪魔したくもなかったので、ソファーをはたき、テーブルを拭い、コップを小さな食器棚に戻す提督に声をかけて退室しようとしていた。

 

 が、何故か足が動かなかった。望月はどうした訳か、動けなかったのだ。

 まるで何か忘れ物でもあるかのような、そんな望月自身にも判然と出来ない漠然とした物が足に絡まってしまっている。

 

 ――さて、それはなんだ?

 

 と望月は室内を見回した。いつものダンボール。提督の執務机と椅子、秘書艦用の机と椅子、本棚、小さな冷蔵庫、こちらもまた小さな食器棚、部屋の奥にあるバスとトイレ。制服のポケットに収まった携帯用ゲーム機の、先ほどまで遊んでいたゲームもひと段落着いている。となれば、あとは……首を傾げる提督だ。

 なんともいえぬ愛らしい――勿論望月から見て、だが――提督の仕草と相に、望月は頷いた。それであったか、と頷いたのだ。

 

「司令官」

 

「はい?」

 

 首を傾げたコリーにも似た提督に、望月はにやりと笑った。

 

「今度、あたしが一番とったら……また肩とか揉んでよー? んじゃ」

 

 提督の答えも聞かず、望月は執務室を足早に出た。礼を失した、と思いはすれど望月の心が急かしたのだ。

 

 先ほどまで足が動かなかったというのに、なんてわがままな足なんだ、と呆れながら望月は息を吐いた。彼女の足取りは軽やかで、壁の電灯に照らされた長い廊下を常より速く歩いていく。それを可笑しいとも、変だとも望月は思いもしなかった。

 当然、今自身が浮かべる相が如何な物であるかも、彼女には分かってもいなかった。駆逐艦寮で姉の三日月と言葉を交わすまで、彼女は自身の相を覆う色がなんであるのか、知りもしなかったのだ。

 

「三日月ー、司令官OKだってー……」

 

「え? あ、あぁ……ありがとう。で、望月?」

 

「……ん?」

 

「ご機嫌だね? 何かあったの?」

 

 三日月の言葉に、望月は自身の頬や口元を撫でた。頬は緩み、口元は笑みに歪んでいる。それを確かめてから、望月は頭をかいた。

 

「なんでもない。次は頑張らないといけないから、ちょっとめんどくさい事になったなぁー……って、そんだけ」




ちと風邪っぽいです……
このいきなり寒くなるのは、本当に止めてほしい……
推敲とか甘いと思いますので、誤字脱字を見つけられた方は、是非突っ込みお願いいたします。


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61話

 艦娘、という名で呼ばれる乙女達は、日常においてまったく普通の娘と変わらない。

 多少訓練や座学に時間を取られがちではあるが、待機中の体が空いた時間となれば、小物に化粧に服装にと、様々な物に目を輝かせる普通の乙女達になる。

 そうやって普通、を繰り返していると、徐々にそれぞれ差別化が図られていく。或る者は小物を収集し、或る者は服飾に夢中になり、或る者は今時のドラマ等に胸ときめかせるのだ。

 海の上では勇猛果敢な艦娘達も、陸の上ではただの乙女に過ぎない。

 

 さて、そんな普通の乙女に過ぎない陸上の艦娘達の中で、一際趣味事に夢中になっている者と言えば誰であろうか、と各鎮守府の提督達、そして多くの艦娘達に聞けば皆一様にある者達の名を上げるだろう。

 食道楽まっしぐらの赤城、各種スポーツにのめり込む長良、模型や造形にこりだす明石と夕張、だ。勿論、各鎮守府の彼女達はそれぞれまた違った個性も持つのだが、どうした訳かこれらの特徴だけはまるで基礎データとして組み込まれたかのように如実に出るのだ。

 そしてそんな彼女達を差し置いて常に真っ先に皆の口に上る艦娘と言えば……

 

「なぁ青葉……ほんとに行くのか? ってかそこに何があんだよ?」

 

 摩耶の前を歩く、重巡洋艦青葉型一番艦、青葉である。青葉は月明かりに照らされた、摩耶にとっては余り馴染みのない細い道の先をじっと見つめたまま、振り返りもせずに応じた。

 

「さて、何があるんでしょう?」

 

「おい」

 

 夜間用に調整された、と自慢するカメラを手で確かめながらいつもの調子で返してきた青葉に、摩耶はこめかみに血管を浮かせた。彼女達を照らすのは頼りない月明かりだけで、その周囲には他に灯りもない。

 青葉が見つめていた先を見れば、頼りない光ではあるが灯りも見て取れるのだが、足元を照らさないような光源など夜道では不要だ。目印にはなるだろうが、今摩耶が欲しいのは自身の先を照らす物であるのだから。

 

「まぁまぁ、怒らないで下さいよ。それを確かめに行こうじゃないか、って話なんですから」

 

「んだよ……んなモン大淀とかに聞けばいいだろ?」

 

 振り返らずとも摩耶の口調から苛立ちを感じ取った青葉は、宥めるような声音で応じた。ただし、やはり青葉の視線は前に向くばかりで、摩耶には注がれていない。青葉の背を眺めながら、摩耶はこめかみを揉みつつ唇を尖らせた。

 摩耶が言うように、この鎮守府の施設について思う事があるのなら大淀に問うのが一番だ。

 が、青葉は摩耶の問いに強く首を横に振った。

 

「良い手段ではありませんね」

 

「……なんでだよ?」

 

 摩耶の言葉に、青葉はようやっと振り返って人差し指を立てた。それを左右に振って青葉は続ける。

 

「良いですか摩耶さん、大淀さんが未だに我々に知らせない事ですよ? 聞きにいけば警戒されてしまいます。そうなっては、満足に調べられないじゃありませんか」

 

 真面目に、極めて真剣な相で言い切った青葉に、摩耶は暫し呆然とした後額に手を当てて大きなため息をついた。感心したからではない。呆れたからだ。

 

「たかが一個、最近になって倉庫が使われたって話だろう? なんでそこまでやるんだよ……」

 

 摩耶のその言葉に、青葉は目を細めた。細められた目は怜悧に輝き、そこに知性を感じさせる強い輝きが見えた。青葉はその光を双眸に宿したまま拳を強く握って口を開いた。

 

「そこにまだ見ぬ情報があるなら、この青葉。ジャーナリストとして放って置けませんっ!」

 

 くわっ、といった感じの顔で、それでも夜であるという事からか控えめに小声で叫んだ青葉に、摩耶はなんとも言えない頭痛を覚えた。同時に、こんな事に巻き込まれた自身の運のなさを痛感していた。

 青葉という艦娘は艦時代に乗せた人物の影響を色濃く受けたせいか、どうにも戦場以外では記者として動きたがるところがある。

 その為か、自身の周囲、或いは少しはなれたところ程度なら、すぐに動き回って情報を集めたがるのだ。あっちへふらふら、こっちへふらふら、と暇さえあればメモとペンとカメラを手にどこにでも現れる為、青葉を見ない日などは逆に不安になるという艦娘もいる程だ。

 

 じっとしていられない、とは青葉当人の言葉であるが、その言葉はまさに彼女の性分を良く表した物である。

 そしてそんな、じっとしていられない青葉がどこからか拾ってきた情報と言うのが、最近整備され使われるようになった寂れた港の倉庫の話であった。

 

「それまで鍵も無かった倉庫が、いつ頃からかしっかり整備されて鍵までつけられたんだっけ?」

 

「ですです。よくご存知ですねー」

 

「いや、青葉がここに来るまでに説明しただろ」

 

「……あれ、そうでしたっけ?」

 

 摩耶は拉致されてからここまでの道すがら軽い説明を受けたのだが、青葉にしてみれば覚えてもいない事であるらしい。港に行く事で思考が占領されて、それ以外の事は億劫なのであろう、と摩耶は自身に言い聞かせておいた。

 そうでないと、空いている方の手で頭を殴りたくなるからだ。恐らくそれは軽くかわされるだろうが、それでも殴りたくなるのが人の心情という物である。

 

「いやー、しかし助かりました。流石に青葉一人では夜道が怖かったので」

 

「……あぁ、まぁ……あたしも運がなかったしな」

 

 頭を軽くかきながら、ついでに肩まですくめる青葉に摩耶は肩を落として応じた。夜戦となれば艶やかに、そして鮮烈に咲き誇る彼女達であるが、それは飽く迄海上の作戦行動中の話だ。

 こんなにも幽かな月の光だけが道を照らす寂しげな夜を歩くだなどと、陸上にあっては可憐な乙女の一人に過ぎない摩耶からすれば真っ平御免である。

 作戦行動となれば夜であっても同僚もいるし、必要なことでもあるが、日常となれば不必要な行為であるからだ。決して、夜道の脇で風に揺れる草木のざわめきに寒気がするとか、揺れ動く影が別の何かに見えるから嫌だ、などという理由ではない。

 

 ――大丈夫……大丈夫……違う違う。あれなら妙高と鳥海の方が怖い……え、あれ、マジであっちの方が怖いぞおい。

 

 現在重巡の旗頭の一人として摩耶達を纏める艦娘の、腕挫十字固を笑顔で決めて芋ジャージを泣かす姿と、妹の眼鏡を光らせた容赦ない夜戦姿を思い出して先ほどまでとはまた違った恐怖に背を振るわせる摩耶は、このままベッドに戻って愛用の猿のぬいぐるみを抱きしめて眠ってしまいたいと思いながらも、なんとか前を見て歩き続けた。

 

「あぁ、それにしても皆冷たいですねー……摩耶さんだけですよ、頷いてくれたのは」

 

「……あぁ、そうかい」

 

 頷いたもなにも、頷かされたような物であるが摩耶はそれを掘り返さなかった。タイミングが悪かったのだと思い込むほかないからだ。

 と、摩耶は先ほどの青葉の言葉に眉を顰めた。どうにも先ほどの言から見るに、こうなった原因がその頷かなかった”皆”とやらにあるのではないか、と思えたからだ。

 そうなると、摩耶としては流すわけにはいかない。

 出来うるなら何かの形でこの落とし前をつけさせる為、摩耶はもう少し詳しく聞きだす事にした。

 

「青葉、誰を誘ったんだ?」

 

「えーっとですね」

 

 青葉は腕を組んで月を見上げ、一人一人と名前を挙げていった。

 

「まず最初は、吹雪さんですね」

 

「へー……吹雪が断ったのか……珍しいな」

 

「で、次が加古さんで」

 

「へー……加古もかぁ……」

 

「その次が古鷹さんで」

 

「へー……古鷹も……いや、青葉?」

 

「で、最後が熊野さんです」

 

「いや、いやいや青葉お前……」

 

 青葉は摩耶の言葉を遮り、組んでいた腕を解いて真っ直ぐに摩耶を見つめながら口を開いた。

 

「皆さん冷たいと思いませんか?」

 

「お前、狙ってやったんじゃないだろうな?」

 

 頬を膨らませて、私怒ってますよ、といった相を見せる青葉に摩耶は割りと真剣な顔で突っ込んでおいた。青葉が挙げた名前は、確かに青葉と縁のある艦娘達であるが、それはまた違った意味でも縁深い相手であったからだ。

 摩耶としては、落とし前も何もない。むしろ、まぁそうなるな、と無駄に納得できた面子である。

 摩耶の突っ込みを受けた青葉は、悲しそうな顔で俯き摩耶に背を向けた。そして、小さな声で呟いた。

 

「……しかも、頼んでいる最中に何故かオスカーと雪風さんが現れまして……」

 

「……お、おう」

 

「それも四度とも」

 

「全部かよ!」

 

 断られるはずである。相手からすれば完全にフラグスイッチが入った様な物だ。デスノボリ全開の九蓮宝燈である。

 せめてそれさえなければ……と悔しげに呟く青葉の背を見ながら、摩耶は思いっきり肩を落とした。

 運が無いどころか、何かこの先行きを暗示しているような、そんな風にも思えるからだ。摩耶自身が誘われた際には、摩耶も良く知る提督とお揃いの白い軍帽を被った黒猫も、陽炎型の八番艦も影も形も見せなかったが、それでもそういった話を聞けば不安にもなるというものである。

 

 摩耶は気分を切り替えるため、左手にある袋からクッキーを一つ取り出して口の中に放り込んだ。甘いものがさほど好きでもない摩耶が作っただけあって、甘さ控えめの一品だ。それを嚥下してから、摩耶は小さく頷いた。

 上手く焼けていると、と感じたからだ。自然と緩む頬は、しかし直ぐ引き締められた。

 何せその上手くいったクッキーのために、摩耶は今ここにいるのだから。

 

「いやぁ、摩耶さんが居てくれて本当に助かりましたよー」

 

「……あぁ、そうかよ」

 

 笑顔の青葉に、摩耶はぶっきらぼうに返した。

 

 偶然の事であった。

 偶々とぼとぼと歩いていた青葉が、偶々給湯室前を歩き、偶々一人こっそりとクッキーを作り終えた摩耶と出くわしたのだ。

 摩耶からすれば、自分らしからぬ趣味であると理解しているお菓子作りだ。知っている者も相当に限られている。それを青葉に見られたのだから、もう何を言われても頷くしかなかったのだ。

 実際には、青葉は摩耶の顔を見てすぐ駆け寄ったので、摩耶の手にある物にまでは気が回っていなかったのだが、この辺りも摩耶の不運である。

 故に、摩耶としても今回ばかりはクッキーの出来を素直に頷けないのだ。

 

「あともうちょいか?」

 

「だと思いますよ」

 

 沈みそうになる気分を変えるために、摩耶は青葉に問うた。

 応じた青葉の視線は、もう港を照らす灯りに向けられていた。その相は月明かりだけでは頼りなく判然としない物であるが、摩耶にはなんとなく、真剣な相なのだろうと思えた。

 青葉という艦娘は、摩耶達にとってなかなか言葉には出来ない存在だ。

 この鎮守府における一番古い重巡であり、重巡に限定すればまず間違いなく殊勲艦である。青葉に人体での戦闘挙動を指導された者は多く、その中には現在重巡の旗頭とされる妙高や摩耶の姉、高雄なども含まれていた。

 

 摩耶にとっては姉の師であり、師の師だ。様々な武功を伝え聞いた摩耶は畏敬の念もないではないが、しかし青葉は仰ぎ見られる事を嫌った。

 

 妙高、高雄が十分に動ける様になると、青葉はすぐに重巡のまとめ役を二人に譲り、現在では気ままな一艦娘として海上では縦横無尽に走り回り、陸上では待機中となると記者としてふらふらと歩き回って過ごしている。

 

 趣味事に重きを置いて自由気ままで、それでいて武功と行動力は抜群で、尊敬したくてもさせないのである。本当に言葉に出来ない重巡洋艦娘なのだ、青葉という存在は。

 

 常に動き回っている青葉が休んでいるのは、きっと重巡艦娘寮の青葉達の部屋のベッドで眠っている時だけに違いない、と摩耶は一人納得して胸中で頷いた。

 

 ――ほんと、行動力すげーよなぁ。

 

 青葉の、その自身とはさして変わらぬ乙女の背を見て摩耶は半ば呆れ、半ば驚嘆の息を吐いた。そして青葉の行動力がもっとも発揮される事となるのが、

 

「……で、その倉庫……偶に提督が出入りしてるって話だっけ?」

 

「みたいですねー」

 

 これである。

 

 重巡青葉は、提督の事となると本当にじっとしていられない。

 その最たる例が、最近あった提督着任宣言事件である。いや、あの出来事をこんな風に語っている艦娘は誰もない。が、摩耶の中ではそんな言葉で記憶されているわけである。

 兎にも角にも、引きこもっていた提督を引っ張り出すため、青葉が珍しく音頭を取って動き回っていた時期があったのだ。 

 結局、無理に出すべきではないと主張する初霜と執務室前で激突した訳だが、その一手によって提督が執務室から――いや、彼だけの狭い世界から出てきたのは紛れも無い事実だ。

 

「うん、確かあの倉庫ですね」

 

 突如零された声に、摩耶は小さく体を跳ねさせた。目を瞬かせながら、摩耶は港の明かりに照らされた、思っていたよりも明るい施設を見回した後小さくなっていく青葉の背を追った。

 小走りで倉庫の扉へ向かっていく青葉を、摩耶もまた小走りで追いながら問うた。

 

「お、おい、鍵かかってんだろ? 近くによって見るだけじゃないのかよ?」

 

「いえいえ、こんな事もあろうかと、ですよ?」

 

 青葉は一足先に扉の前にたどり着くと、少し屈んでポケットから鈍い色を放つ粗い作りの鍵を取り出した。それはどう見ても、そういった物に特に詳しくない摩耶の目から見ても、最近取り付けられたという真新しいドアノブとその鍵の差込口には釣り合わない物であった。

 となれば、それはつまりそういう事だ。摩耶は額に手を当てて呻いた。

 

「青葉……お前さぁ……」

 

「お昼に下見に来たときに、ついでに鍵の形を取っておきましたので。まぁ……お手製なのでいけるかどうか、微妙なところですけれど……」

 

「お手製って……? 明石は?」

 

 こういった際に頼れそうな工作艦の名を告げる摩耶に、青葉はドアノブの差込口に手製の粗い鍵を慎重に挿入しながら、とんでもない、といった相で首を横に振る。

 

「明石さんは大淀さんの親友ですよ? そこからばれたら、青葉困ります」

 

「……あぁ、そっか」

 

 言われて見ればその通りだ、と摩耶は頷いた。

 工作艦明石に鍵の製作を頼んだとして、それを明石が怪しいと思えばもうアウトだ。すぐ大淀に話が行くだろう。別に行ったところでそれだけの話であるが、情報を自力で収得したがる青葉としては致命的だ。

 暴いてこそ一流のジャーナリスト。与えられるだけは二流、という事だろう。

 その暴こうとしている事が、提督も出入りしている倉庫のこと、という辺りが青葉の愛らしさでもあるが。

 

 青葉が黙り込んで鍵を動かしている間、摩耶は今回夜遅くに来る羽目になった倉庫を眺めていた。そう大きな物でもない、まったく普通の倉庫だ。

 あえて特徴をあげるなら、まるで外部からの視線を拒むような、窓一つ無いその作りだろうか。それ以外は本当にただの倉庫だ。

 

 さて、こんな事に必死になっている愛らしい、提督にとっての一番最初の重巡である青葉は、鍵を差し込んだ後しゃがみ込んでドアノブに耳を近づけ慎重に指を動かしていた。

 ドラマや漫画で見たようなシーンを、まさかこんな所で見るなんて、と小さな感動を覚える摩耶であったが、次の青葉の声と音で目を剥いた。

 

「……開きましたっ!」

 

「マジか……」

 

 満面の笑みを見せる青葉と、目を剥く摩耶。二人の耳に飛び込んできたのは、間違いなく鍵が開いた時の音であった。事実、青葉がドアノブをまわすと、それは何の抵抗も無く動き、ドアが僅かに開かれたのだ。

 

 青葉は手にあるカメラを確りと握って、ゆっくりと倉庫の中に入っていく。摩耶もまた、神妙な顔で一旦周囲を確かめた後、つばを飲み込んで青葉に続いた。

 二人の視界の先にあるのは、ただただ暗いだけの世界である。

 窓一つ無いその室内は、港の明かりも月の灯りも遮ってしまっている。

 摩耶はその余りの黒の深さにおし黙り、青葉は息苦しさを覚えながらも、壁にあるだろう電灯のスイッチを探そうとした。

 探そうとしたが……その自身の手の平を湿らせる汗に不快感を覚え、キュロットスカートで軽く拭った。

 そして今度こそ、と壁に手を這わして暫し弄った後、スイッチを見つけた。青葉は小さく息を吸った後、吐くと同時にそれを押した。

 

 そして彼女達が目にした物は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一緒ですね、しれぇ!」

 

「そうだねぇ、一緒だね。雪風さん」

 

 陽に照らされた寂しげな港の一角で、提督は雪風と向かい合って言葉を交わしていた。

 昼とはいえ、流石に冬となると海から吹く風は冷たい。黒の海軍士官用の外套に身を包む提督に対して、雪風は常の装いのままだ。子供は大人に比べて体温が高い為、この程度の寒さは物ともしないのだろう、と提督は納得して雪風の腕の中で丸まっている猫の背を撫でた。

 

「しかし、お二人は仲が良いなぁー」

 

「はい! オスカーとは大の仲良しです!」

 

 雪風の声に、ぴくりと耳を動かして名を呼ばれたオスカーは自身を抱く雪風を見上げた。そしてそのまま、ただ名を呼ばれただけだと分かると再び腕の中で丸まって目を閉じた。

 実は仲が良いというよりも、雪風の体温目当てではないだろうか、等と思っても提督は決して口にしない。

 純粋無垢な少女である雪風の思いを踏みにじるのは、提督としても一個人としても難しいことだからだ。

 

「っしゅん!」

 

 と、提督の前で雪風が愛らしいくしゃみを零した。

 子供は風の子、とはいえやはり限度はあるものであるらしい。照れ笑いを浮かべて鼻をこする雪風に、提督は肩をすくめた後自身の外套を脱いで雪風の肩にかけた。

 雪風は少しの間まったく動きを止め、きっちり十秒後に再起動して狼狽し始めた。

 

「し、司令! ゆゆゆ雪風は大丈夫です! 問題ありません! い、今すぐコートをお返ししますから!」

 

「あぁ、大丈夫大丈夫」

 

 オスカーを地面に下ろして両手を空けようとする雪風に、提督はその細い肩に手を置いて宥めた。成人男性用の外套を肩に掛けられた雪風の姿は、幼い風貌もあって少しばかり違和感を覚えさせるが、寒さを遮る為となればそれも致し方ないことである。

 提督は少しばかり不恰好で、それでいて目じりに涙を浮かべて自身を見上げる雪風に目を合わせ、言葉を続けた。

 

「すぐそこの倉庫に、もう一着外套があるから。それと、ここは寒いからもう帰ったほうが良いかもね……オスカーも風邪を引くかもしれないし」

 

 雪風は提督の言葉に暫し考え込んだ後、目尻に涙をためたまま大きく頷いた。おそらく敬礼したいのだろうが、両手で塞がった状態であるから、せめて確り頷こうと思ったのだろう。

 

「はい、雪風帰還します!」

 

 雪風は大きな声でもう一度大きく一礼して、オスカーを腕に抱いたまま提督の外套に包まれて寂れた港から去っていった。

 

 ここに雪風がいたのはまったくの偶然だ。好き勝手に動き回るオスカーに付き合っていたら、この場所に出ただけの事である。

 対して、提督はと言えば倉庫に用事があっただけだ。

 数日前、暖かいからと置きっ放しにしてしまった三着しかない外套の一つを回収に来たのである。

 

 ――まぁ、その結果また外套が一つ手元から消えた訳で。

 

 消えた、というのはまた違うが、手元に無いのは事実である。そして雪風が提督の外套を身にまとったまま駆逐艦娘寮に戻り、それを見た艦娘達と一悶着起こす訳だが、それは提督の知らぬ事であった。

 提督は海から吹く風に身を震わせ、足早に倉庫へと向かっていく。

 ズボンのポケットから銀色の真新しい鍵を取り出すと、彼はそれをドアノブの差込口に無造作に入れて回した。

 鍵が開いたと同時に提督は室内に入り、窓が無い為に昼でも暗いその場を照らす為に壁にある電灯のスイッチを探し出し、これもまた無造作に押した。

 

 そして提督の目に飛び込んできたのは、何も無い一室であった。

 

 いや、棚や使われていない備品などが乱雑に置かれている。それでも、それほど広くも無い室内に置かれたそれらは余りに少なく、例えば提督の個室でもある執務室に比べれば、本当に何も無いと言って差し支えのない部屋であった。

 提督はそれでも、満足げに頷いて歩を進めた。

 

 少ない備品が置かれた室内で、どこを見ても外套など見つからないそこを歩く提督の脳裏にあるのは、先ほどまで雪風と交わしていた会話の内容であった。

 

『秘密基地となれば、しれぇはどこに作りますか!』

 

 少女らしい――いや、子供らしい言葉である。奇しくも提督の秘密基地が傍にあるというのに、雪風はそれと知らずそんな話題を偶々出会った提督に振ったのだ。

 そして提督の答えを聞くと、雪風にしては珍しく、何度も頷きながら小さな声で零したのである。

 

『流石神通さんです……司令の好みもばっちりです……っ。一緒です!』

 

 勿論、その言葉は提督の耳にも届いていたが何も知らない提督には意味不明な物である。オスカーを撫でつつ、その辺を聞き出そうとした提督であったが、結局雪風のくしゃみ一つでそれをなせなかった。

 ここでもし雪風がくしゃみをせず、提督が寒いから戻りなさい、等と言わずにその辺りの事を確りと問いただしていれば、神通と阿武隈主導で駆逐艦娘達が提督にも知らせず極秘に作った施設が一つ埋められただろうが、流石は幸運艦雪風と不沈猫サムのコンビである。

 これをくしゃみ一つで華麗に回避したのである。

 

 そうとは知らぬ提督は、ある備品の前で歩みを止めた。彼の前にあるのは、少しばかり錆びた大き目の棚である。提督はそれを動かして隅にやると棚があった場所で屈みこみ、床の一部をスライドさせた。

 細められた提督の目に映るのは小さな階段である。

 

『そりゃあ、勿論地下だ』

 

 雪風の、秘密基地ならどこに作る、という言葉への提督の回答だ。

 提督にとって、秘密基地とはダンボールか土管か穴だ。流石に彼の歳でダンボールに四方を包まれると違った意味で寂しくなってくるし、土管では狭いし、と地下にしたのである。

 これもまた、明石と北上と夕張と妖精達の手によって作られた物で、地下へと続く階段の先にある狭い一室は、地下でも模型が作れるようにと空調設備を整えた中々の一室である。

 

 そこには提督の模型以外にも、北上が作った模型の一部が提督の模型ギョーザの隣に置かれていた。

 ちなみに、明石の模型は赤穂浪士密談、夕張の模型は横綱土俵入りという、それぞれ提督の作った模型の隣に置かれている。

 

 提督はそれらを笑顔で流し見しながら、過日当人が無造作に置いていった目当ての外套へと近寄り、身を屈めた。外套を手にすると同時に、提督の頭に鋭い痛みが走った。

 

「あいた!」

 

 提督は手にした外套を手放し、頭を抱えながら慌てて立ち上がって周囲を見回した。一度、二度と見回し、三度目にゆっくり確かめて、やっと足元にある二つの物に気付いた。

 提督はしげしげとそれを見下ろした後、屈みこんでそれぞれを丁寧に掴んだ。

 

「……え、落ちて来た? 何もなかったのに?」

 

 提督が感じた限りでは風も揺れもなかった筈だ。筈だが、事実として今提督の右手と左手にあるそれぞれの物は棚から落ちてきたのだ。

 提督は顔しかめながら、それでも確りと二つのそれを確認していく。

 目で見た限り、特に破損部位はないと確認してから提督は大きく息を吐いた。そして、それらを本来あった場所に戻して、提督はもう一度屈んで外套を手にした。今回は頭上を気にしながら、だ。

 

 外套を羽織って上へと続く階段の一段目に片足を置いた提督は、ぴたりと動きを止めておもむろに背後へ振り返った。

 提督の訝しげな視線の先にある物は、つい最近彼が作り上げ、先ほど彼の頭上に落ちて来た模型である。それらをじっと見つめた後、提督は首を捻って零した。

 

「摩耶さんと青葉さんに、僕は何かしたんだろうか……?」

 

 提督の言葉に、棚に並べられた軍艦摩耶と青葉の模型は、何も応えなかった。




 多分摩耶の模型は、落ちる前に青葉にも一発かましていると思われます。
 あと、猿のぬいぐるみは摩耶の史実から。
 兵隊さんと一緒にぴしっと整列するお猿さんとか、実に和みます。

 ギョーザ、密会、土俵入り、は実在する模型であり、公式記録、専門家の分析、関係者の証言をもとに構成しています(メーデー風)


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62話

 冬を前にしても、窓を開ければまだ散りきらぬ金木犀の香りが部屋に漂う。

 あぁ、まだ残っているのか、と僅かに顎を上げて目を閉じると、声が飛び込んできた。

 

「あ、多摩にゃん多摩にゃんおはよー」

 

「おはようだにゃ。でも多摩にゃんじゃねぇにゃー」

 

 背後から聞こえてくる会話に、彼女は手に在る本に目を戻した。内容は古代中国春秋時代、運命に翻弄された夏姫を題材とした物だ。艦の頃から縁がある翔鶴から借りた本である。どちらかと言えば勇ましい戦国武将等の本を好む彼女は、読むまでは果たしてどうであろうか、と躊躇していたのだが目を通して見ると透き通るような心情の描写に惹かれ、時間を忘れて頁を捲っていたのである。

 その手がとまったのは、部屋の窓が開けられ金木犀の香りが彼女の鼻をくすぐったからだ。

 さて、次は楚を脱出した後はどうなるのだ、と続きに目を落とそうとするが、しかしそれは為されなかった。

 

「あ、川内ちゃん川内ちゃん、おはよー」

 

「んーー……? あぁ、おはよー……」

 

 背後から聞こえてくる挨拶の応酬に、彼女は天井を仰ぎ見た。

 その会話が気に食わない、その声が癇に障る、等という事は無い。ただ、悲劇という余りに巨大な濁流の中で、か弱い女一人が必死に耐え続け、ようやっと幸せに触れようか、という様な類の本を読むには、どうしても背後から聞こえてくる能天気な声を聞きながら、という訳にはいかないだけだ。

 

「あ、お鬼怒ちゃんお鬼怒ちゃん、おはよー」

 

「あぁ、おはよーさんだよー」

 

 そして彼女は、手に在る本にしおりを挟んでそっと机に戻し、勢い良く背後に振り返って声を上げた。

 

「姉さん……!」

 

「……なぁに?」

 

 彼女――矢矧は何か口にしようとしたが、振り返った際に目に飛び込んできた、何故か両手を上げて力瘤を作るようなポーズをとっていた姉、阿賀野の姿を見て、暫し黙った後弱弱しく首を横に振った。

 

「なに……それ?」

 

「お鬼怒ちゃんのポーズ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 現在、この部屋に居るのは長女阿賀野と三女矢矧だけだ。

 次女の能代と末っ子の酒匂は、阿賀野に貰った小遣いで甘味処で休憩中である。

 その二人しかいない阿賀野姉妹の部屋は、下は川内、隣は球磨と長良、上に天龍、と見事に個性豊かな姉妹達に囲まれている。

 

 この様な形で部屋に入居させたのは、元寮監の長良である。

 鎮守府の艦娘が増え、後進の育成に集中したかった彼女は後任として当時鳴り物入りで着任してきた、まだ日の浅い阿賀野を指名した。

 

 それだけ長良が阿賀野姉妹――当時はまだ酒匂着任前の、3姉妹であったが――に寄せる期待は、並々ならぬ物であったと言う事だ。

 実際、能代はしっかりと寮監補佐として任務を果たし、ともすれば無軌道ともいえる面子を軌道修正してなんとかギリギリ艦娘かな? というところに着地させる事に今のところ成功している。

 酒匂や矢矧にしても、そんな能代を助けて寮内の空気が緩みきる事をなんとか押さえ込んできた。

 

 特に矢矧の記憶の中で、収拾に梃子摺った軽巡寮で起きたワースト3と言えば、川内対阿武隈。神通対阿武隈。大井対阿武隈である。

 

 川内と阿武隈の長年の宿縁に終止符を打たんとした玉子焼き対決では、謎の大淀型三番艦瑞淀という艦娘の登場によって有耶無耶になったり、神通と阿武隈の提督護衛権をかけたクギ打ち対決では、謎の夕張型二番艦瑞張が蕎麦をすすりながら二人の釘を全部倒して有耶無耶になったり、大井対阿武隈では、寝ている提督を膝枕したあと安心しきった提督の寝顔を見て何やら感極まって布団に忍び込まんとする大井を阿武隈が阻止している間に、謎の天龍型三番艦瑞龍と謎の祥鳳型三番艦阿賀鳳が入ってきて二人の脳天を叩いて執務室から放り出し、夜の遅くに提督の眠りを妨げるとは何事か、と静かに説教して終わった。

 

 最後のそれは軽巡寮の事ではないが、軽巡寮に住まう艦娘の起こした事であるから、矢矧の中ではこの寮での一つの事件として記憶されている。

 そしてこれは、全て阿賀野に関係ない事である。

 あるのだが、どこの誰かはしらない謎の瑞なんとかはともかく、面影がそっくりな瑞鳳という軽空母は阿賀野と懇意にしている艦娘である。

 

 そう、阿賀野なのだ。

 長良に後任を任されたのは、能代ではなく矢矧でもない。

 イマイチ良く分からない、現在矢矧の前で自筆の提督日誌なる物の総集編を編纂している阿賀野姉妹の長女、阿賀野である。

 

 能代には世話されっ放し、矢矧には小言言われっ放し、酒匂とはぴゃー言いっ放しというちょっとだらしないお姉さんであるのだが、何故か大淀や初霜、長門とさらには提督にまで信頼された摩訶不思議な艦娘である。

 

 能代は飽く迄補佐だ。

 長門、初霜の決定で、後に提督もこれに賛成し否とはしなかった。

 しかも阿賀野着任から約半年後、艤装を手に入れて軽巡寮に入ってきた大淀も、阿賀野が寮監である事にまったく異を唱えなかったのだ。

 

 この個性派揃いの軽巡達の日常におけるまとめ役など、大任である。

 

 矢矧からすれば姉であるのだから高い評価は嬉しくも思うが、自身には姉の何かが見えていないのかもしれないと不安にもなるのだ。

 群盲象を評す、というが、自身もまた姉のお腹だけを触って、そのちょっとぷにっとしたところだけで姉を見てはいないか、と矢矧は思うのである。まして矢矧は群ではなく個だ。

 象牙を触って、象とは硬く冷たい物ですね、と言っているだけで意見の交換ができていない。

 

 さて、自身は何が見えていないのだ、と矢矧はじっと姉を見つめた。

 乙女の体と心を得てから共に過ごした時間は約2年程である。2013年の秋の特別海域で、姉達に遅れること三週間、といったところで矢矧はこの鎮守府に着任した。

 面白いことに、この時点で既に艦であった頃よりも、艦娘である現在の方が長い時間を共にしている。

 

 彼女達は高性能軽巡洋艦であったが為に、同じく高性能であった甲種駆逐艦――陽炎姉妹、夕雲姉妹と同じ道を辿った。

 優れた能力は当然戦う為に与えられた物である。である以上、使われる場面は勿論それに応じた場所である。

 戦局は既に終盤、それも敗戦色の濃い時代であった。結果は阿賀野型四隻中三隻沈没、だ。残った酒匂にしても、姉達と出会うことなく、燃料不足に泣かされて満足に海上を走る事も出来なかった。そんな彼女の、その最後の長い航行は異国への死出の旅であった。

 

 今でこそ同じ寮の同じ部屋で四人が笑って過ごせるが、酒匂が初めて姉達の顔を見たときの、あの泣き出しそうな笑顔は矢矧には忘れられない物である。

 

 2年。

 たった2年。されど2年だ。

 それが短い物であるか、長い物であるかは人それぞれだろう。矢矧にとっては濃く、それでいて様々な事があった2年であった。

 

 矢矧はこの年月で、もはや見飽きたとも言える姉の顔を、じっと、じっと見つめた。

 泣き出しそうな酒匂を真っ先に抱きしめて微笑んだ、慈愛の相はそこにない。明石を見るたび御礼をする律儀さも、今は見えてこない。那珂と出会うたびハイタッチをしてハグする明るさも、秋津州を見る度無理に笑う姿も、矢矧にはやはり見えない。

 提督日誌を前にして、煎餅を齧りながらうんうんと唸るだらしない姉がいるだけだ。

 

 と、阿賀野が提督日誌から顔を上げた。矢矧の探るような視線に気付いたのだろう。

 が、何を探っているかまでは理解できなかった阿賀野は、あぁ、と頷いて口を開いた。

 

「これはねー、ふふ、提督さんが鳳翔さんに耳かきされていた時のお話なのよ」

 

「……いや、そんな事は聞いて――いや、待って。耳かき?」

 

 手元にある日誌を手にして矢矧に渡そうとする阿賀野に、矢矧は首を横に振ろうとしたが、聞こえてきた内容が明確に頭へと浸透してくると阿賀野に聞き返した。

 何せ阿賀野が矢矧に渡そうとしている日誌とやらに書かれている文字は、エジプトのヒエログリフかインカのキープにしか見えないのだ。

 現代日本で普通に艦娘をやっている矢矧にはそれらの解読スキルなど無いのだから、古代阿賀野語に精通した阿賀野文明の生き残りである阿賀野氏に意訳して貰うほか無い。

 

「えーっとね、提督さんが猫とうにゃーってやってる時に、眠くなってきて、偶々通りかかった鳳翔さんが偶然で明石さんところで買ってきた耳かきで提督を近くのベンチで膝枕してこりこりーって」

 

「……あ、うん、大丈夫。なんとなく分かるわ」

 

 阿賀野語はやはり難解であったが、接する機会も多い矢矧には言わんとする事の大筋は理解できていた。が、次はさっぱりであった。

 

「で、それを見ていた雷ちゃんが突入して、提督さんをもみもみむにゅーってやり始めて、提督さんがあぁ駄目になるんじゃーって言いながらオスカーの肉球でぺちぺちされてたのよね?」

 

「いや、私に聞かれても……」

 

 最後のほうになると、何故か阿賀野は首をかしげながら不安そうな顔で矢矧に問うてきた。

 どうやら自身でも阿賀野文字は確りと解読できていないようである。果たしてそれは編纂可能なのか、と思う矢矧であったが、触れないことにした。

 手伝って欲しい、などといわれても困るからだ。彼女が習得しているのは日本語と英語だけで、他の言語はさほど詳しくない。

 

 が、悲しいかな。2年。たった2年。されど2年。

 寝食を共にした姉の、その他人が聞けば何ぞやと首を傾げて、理解しようとすればするほど頭痛がして自殺一歩前まで行くような、夢野久作の有名な迷作を読んだあとのぼさぼさ頭でどもりがきつい名探偵の生みの親の名作家の気分を追体験出来そうな意味不明な言葉も、矢矧はある程度理解できてしまうのだ。

 

 矢矧は暫し目を瞑り、腕を組んで阿賀野の言葉を脳内で咀嚼した。

 そしてゆっくりと目を開け、何か期待するような眼差しで自身を見つめる姉の双眸を確りと見て、口を開いた。

 

「……鳳翔さんが提督に耳かきをしている最中に、雷が現れて提督にマッサージを始めた。で、それをオスカーが真似て提督の頬を前足でむにむにし始めて、提督がその、なんか変な事を言い始めた……と?」

 

「それ!」

 

 目を輝かせて手を打つ阿賀野の姿に、矢矧は腕を組んだままふふんと胸を張った。

 決して胸を張れるようなことではないのだが、何故か様になっていたのはそれが矢矧という武勲艦であるからだろう。

 そしてそんな二人を突っ込む筈の次女の不在が痛かった。突っ込み不在であるのだから、矢矧のこの行動も仕方ないことであったのだ、多分。

 

 さて、実はその時、鳳翔によって耳かきされ、オスカーの肉球に頬を押され、雷にはマッサージされていた提督は、駄目になるんじゃー、等と言いながらも本気で駄目になりそうな状況に心底怯えても居たわけだが、それは誰も知らぬ事である。

 

「じゃあ、じゃあじゃあ、これ分かる?」

 

 少しばかり興奮した相で、阿賀野は次の日誌を手にしていた。これもまた矢矧から見れば解読不能な文字である。そして恐ろしいことに、書いた阿賀野にも半分程度しか理解できていないという悲しい文字でもあった。

 古代文明が現代文明から完全に消える条件とは、文字や記録が消える事であるという人もいるが、このままでは阿賀野文明も大分危ない状態である。

 消えたこところで誰も損しない駄目っぽい文明であるのだが……。

 

「えーっと…………あ、駄目だ読めない」

 

 駄目文明だ。

 阿賀野は手にしていた提督日誌を隅にやると、また新しい日誌を手にしてめくった。と、今度は目を輝かせた。どうやら読める物であったらしい。

 

「瑞鳳ちゃんがねー、提督さんに玉子焼き誉められてすごいうきうきしてた時の話ねー」

 

「……瑞なんとかではなく、瑞鳳なのね?」

 

「そうよ? やぁねぇ矢矧ー。瑞なんとかさんは瑞なんとかさんで別人じゃないのー。瑞鳳ちゃんは瑞鳳ちゃんよー?」

 

「……えぇ、そうね」

 

 阿賀野の中ではそうなっているらしい。

 偶に調理時に突如現れる阿賀野型五番艦瑞賀野も、阿賀野の中ではれっきとした妹の一人なのだろう。まぁ、矢矧自体、特に思う事もないのでそれはそれで構わないのだが、それを真剣に信じているとなると流石に姉の今後が心配にもなる。

 

「ん、こっちは秋雲ちゃんの新作の話ねぇ。提督さんをモデルにしたキャラクターを作ったら、動かない上にやたら意味不明な行動をとるようになった、とかで相談されたのよねぇ」

 

「まぁそうなるな」

 

 そうなるほか無い。あれをモデルにしようなどと、余りに無謀だ。

 矢矧の返事に、阿賀野は微笑んだ。慈愛に満ちた、酒匂を抱きしめた時と同じ相である。

 そんな表情のまま、阿賀野はまた別の日誌を取って嬉しそうに矢矧に話し出す。矢矧にとってはいつもの姉だ。

 どこか抜けて、どこか甘くて、ぼけっとした、それだけの姉だ。

 

 だから矢矧には、やっぱり分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「姉の事なのだけれど……」

 

「んー……?」

 

 後日、偶然食堂で相席になった阿武隈に、矢矧は話しかけた。

 注文した定食が来るまでの時間つぶしであり、ちょっとした謎の解明だ。

 

「なんで長良は姉を寮監したのかしら、って」

 

 矢矧は長良の寮監時代を知らないが、現在も軽巡四天王、等とも呼ばれる五人を球磨と共に纏めている長良であるから、不味いおさめ方はしていなかった筈で、後進の育成に集中したい、といっても体力自慢の長良であれば両立できたのではないか、とも思えるのだ。

 それだけに、やはり不可解なのである。であるから、相席になった長良の妹、阿武隈に問うたのだ。

 さて、矢矧に問われた阿武隈と言えば、暫しぽかんとした後、苦笑を零した。

 阿武隈の苦笑に怪訝そうな相を浮かべる矢矧に、阿武隈は応えた。

 

「候補はね、他にも居たのよ? 球磨とかー」

 

「でしょうね」

 

 当たり前である。阿武隈が口にした艦娘は、矢矧がなるほどと頷ける者である。

 あの苦労人の球磨であれば、寮の――艦娘達の管理くらい当たり前にやってみせるだろう。

 が、阿武隈は違ったようで、苦笑の色を濃くした。

 

「でも、当人はこれ以上面倒なんてみれないクマー、って」

 

「……ふむ」

 

 それもそうだ、と矢矧は頷いた。

 日常では個性派の妹達の面倒を見て、海上では武勲艦として護衛に哨戒に殲滅にと大忙しだ。それ以外でもやはり頼られる場面は多く、これ以上は無理と球磨は判断したのだろう。

 

「他にも、那珂とかー神通とかー、夜戦馬鹿とか、天龍も名前が挙がったんだけどぉ、皆阿賀野を推したのよねー」

 

「……その皆が?」

 

「そうよ?」

 

 この鎮守府における一から四までの各水雷戦隊の、そして遠征部隊を束ねる旗艦が阿賀野を推したという事実に、矢矧はなんとも言えない顔を見せた。

 姉が評価された事を喜び、その喜びを表に出すまいと抵抗し、そして日常を知るが故に何故だろうかと疑問に塗れた相の混じった、なんとも言えない顔だ。

 苦虫を噛んだ、という相であるなら、きっと矢矧は相当苦い虫を噛んだのだろう。

 

「日が浅いのに、阿賀野が一番皆の事を見ているから、阿賀野が良いって。長良姉さんも、阿賀野とよく話して決めたって」

 

「……」

 

 阿武隈の、その苦笑交じりの言葉に矢矧はやはりなんとも言えない相のまま、頷くでもなく否定するでもなく、ただ腕を組んで口をへの字に曲げた。

 矢矧が阿武隈に何か返そうとすると、食堂の扉が開かれた。自然そちらに視線を引かれた矢矧と阿武隈は、そこに笑顔の阿賀野、同じ様に笑う鬼怒、気だるげな多摩、眠たそうな川内を見た。

 彼女達も矢矧達に気付いたようで、手を上げてテーブルに歩み寄ってくる。

 鬼怒と阿賀野だけは、両手を上げて力瘤を作るようなポーズであったが。

 

 誰も彼も笑顔だ。阿賀野の顔を見たとき、矢矧はそれまでのなんとも言えない相から直ぐ笑顔になった。ただ、そんな事は当人の知らぬことである。

 

 艤装もまとわぬ日常であるなら、笑顔が一番だ。それが自然に溢れ出る、誰もが安心できるものなら尚結構だ。

 提督日誌という記録の中に、艦娘達の日常を青葉とはまた違った形で記憶する阿賀野のあり方がどういった物であるのか。

 

 近すぎて見えてない矢矧が、それらに気付ける様になるにはまだ少しばかり時間が必要であった。

 この鎮守府では、時間はまだ余るほどにある。それを幸か不幸か決めなければならないのであれば。

 艦であった頃、僅かな時間だけを共にし、末の妹とは出会う事も出来なかった彼女達には、それはきっと、間違いなく幸せなことなのだ。

 

「矢矧矢矧ー、秋雲ちゃんのポーズ!」

 

「鬼怒のポーズじゃないの!?」

 

 多分、幸せなことなのだ。




 阿賀野の駄目っぽい少しぽっちゃりしたお腹をぷにぷにしたい人生だった……


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63話

 手に在る武装を確かめながらその港にたどり着くと、なにやら港らしからぬ音楽が彼女の耳に響いた。あまり使われていない、提督の秘密基地がある港よりは少々マシ、といった場所である。

 そういった場所であるから、彼女は自身の耳をくすぐった音――音楽は、どこか違う場所から風が運んできた物ではないのか、と目を凝らし耳を澄ませた。

 

 ――あれ、でもこれって。

 

 やはり音楽は彼女が現在身を置く港からである。これが軍歌であればまだ、なるほど、と頷けるのだが今彼女の耳に聞こえてくるのは、比較的最近の軽快なテンポの物である。 

 さて、これはなんであるか、と彼女は手にある、さきほど自身で修理して調整し、この港で軽く調子を見ようとしていた愛用の三式水中探信儀★6を構えて、港に響き渡る音楽の発信源に、じりじりと歩を進めた。

 

 だが、突如として軽やかな音楽はその存在を消し、代わりに彼女の耳に飛び込んできたのは、

 

「んー、ストップー! んー……ここなんか違う?」

 

「そうねぇ、ちょっとステップはもう少し早めでもいいかもね」

 

「あの……那珂さん、さっきのステップでも問題は……」

 

「あるよー、あるんだよー。なんかさっきのはキレが悪いの。っていうかなーかーちゃーんだよー」

 

 聞きなれた声である。

 彼女と同じ四水戦、それも旗艦の那珂、それから最近めきめきと頭角を現し始めた那珂の秘蔵っ子、と称される野分、そして那珂と親しい瑞鳳の声である。

 彼女は構えていた三式水中探信儀★6を下ろし、ほっと息を吐いてその声のする方向へと足早に向かっていった。

 

 果たして、小道から出た先、開かれた一画に並ぶのは前述の三名であった。

 彼女達は常の服装ではなく、それぞれ着慣れた様子のスポーツウェアを身にまとい顔を寄せて何事か言葉を交わしていた。そんな彼女達から少しはなれた所に置かれている、先ほどまで軽快な音楽を鳴らしていたのだろう小さなプレイヤーと、それに接続されたスピーカーも今は静かである。

 

 と、那珂が急に振り返った。彼女の気配を察知したのだろう。那珂は彼女の顔を見ると、嬉しそうに微笑み手招きをした。

 であるから。

 彼女――第四水雷戦隊所属、由良は笑顔で返した。

 

 

 

 

 

 

 

 さて。

 季節は冬、そして年明けまであと一ヶ月という頃である。

 となれば、年が明ける前にもう一つイベントがあるという事は態々言うまでも無い事だろう。人それぞれ、思う事は多々あるだろうそのイベントは、しかしこの鎮守府においては完全に歓迎ムードであった。

 特に今年は、提督の初参加という吉事である。

 艦娘達の喜びようは凄まじく、隼鷹と千歳は祝い用の酒を既に手配済みで、届けられたそれに手もつけず鳳翔に預け、間宮や料理上手の面子は調理内容を既に何度も相談し合い、大淀や初霜は当日の会場の準備及び護衛内容を確かめ合い、霧島は既にサンドバッグを四つも駄目にしていた。

 他にも、皆それぞれプレゼントを物色し、これはと思えば明石に相談して注文する、といった具合で全体的に浮き足立った状態である。

 そして提督は、また檻かな? と沈んだ状態である。

 

 そして、そんな中海風に吹かれる港で、那珂達が何をしているかと言えば。

 

「つまり、練習中ってことなのね?」

 

「はい、そうです」

 

 イベントでの出し物、ダンスの練習中であった。

 由良は隣に立つ野分と会話しながら、自身の視界の中で確りと動き回る二人を見ていた。

 那珂にしても、瑞鳳にしても、軽快な音楽に合わせて踊る姿は楽しげに見せているが、顔だけは真顔だ。特に那珂などは、普段は練習中でも笑顔で踊るだけあって殊に目立っていた。

 

「でも、こういうのはグラウンドでも良いんじゃ……?」

 

「いえ、グラウンドは現在、一水戦と二水戦がそれぞれ使っていますし、屋内の訓練所も三水戦が使用していますから」

 

「なるほどー……」

 

 燃料消費量が少なく、入渠しても比較的早く修理が終わる軽巡、そして駆逐の属する艦娘達は戦艦や空母、重巡に属する艦娘達より小回りが効く為、さまざまな場面で運用される。

 特に水雷戦隊となれば護衛に電撃戦に航路確保に各支援にと、まさに大忙しだ。そしてそんな様々な場面で的確に動けるようになるために、どうしても普段の訓練は疎かに出来ないのである。

 それはこんな、冬の大型イベントを前にした状況でも同じだ。練習以上の事を実戦で出来るはずもないのだ。

 

 であるから、現在由良の前で、珍しく笑顔も見せず踊る那珂も、そして由良の隣で会話しつつも注意深く那珂と瑞鳳を見つめる野分も、訓練後のプライベートな時間である。由良を含めた四人の中で、非番であるのは由良だけだ。そんな由良にしても、非番であっても武装の調整に時間を割いているあたりが、いかにもこの鎮守府の艦娘らしい物でもあった。

  

「――あれ、那珂さん?」

 

 突如動きを止め、腕を組んで首を傾げる那珂に野分が声をかけながら近寄っていき、代わりに、先ほどまで那珂と同じ様に踊っていた瑞鳳が由良に歩み寄ってきた。

 ちなみに瑞鳳は完全に付き合いだ。交友のある那珂が練習で踊ると聞いて、顔を出しただけである。

 

「どう、私たちの動き?」

 

「凄いなぁ、って。私はこういうの苦手だから、尚更、ね?」

 

「そう? 踊れば意外と楽しいよ?」

 

 朗らかに笑う瑞鳳に、由良は苦笑で首を横に振った。

 由良という艦娘は万事控えめだ。戦果にしても日常にしても、前に出て行動するより、同僚達と歩調を揃えて歩きたがるところがある。

 それは勿論悪い事ではない。いや、兵士としての本分を考えれば美点ともいえるだろう。

 が、それは飽く迄軽巡の役割、下士官としてみれば優足りえる物で、艦娘として見ればやはり少しばかり寂しい物でもあった。

 

 対して、由良に話しかける瑞鳳と言えば、この鎮守府にあって名物的な艦娘でもある。常はどこへでも顔を出し、手助けが必要となれば特に見返りも求めず手を貸し、戦場となれば堅実に制空権を確保して確実に艦隊の勝利に貢献する。そして食事時前となれば様々な制服に着替え、時には髪型にまで手を加えて名も立場も変え、調理場に紛れ込み玉子焼きを作っていくという摩訶不思議な奇行に走る艦娘である。

 

 当然それは追い出される事も、迎え入れられる事もあるが、その追い出す代表が野分達陽炎姉妹であり、迎え入れる代表が那珂達川内姉妹である。

 特に瑞鳳は那珂と非常に親しく、道ですれ違う度にハイタッチやハグを交わす姿がよく見られていた。

 では追い出す代表に属す野分とは仲が悪いのかと言えば、そういった様子も無く、今度は那珂と一緒に踊りだした野分に、見る者を安心させるような笑顔を向けていた。

 

「野分ー、ファイトー」

 

「は、はい! 野分頑張ります!」

 

 那珂と親しい瑞鳳はまだ良いが、どちらかと言えば自身寄りの野分は大変だろう、と胸中で同情する由良に、瑞鳳は由良の腰辺りを軽く叩いた。

 何をするのだ、と目を向ける由良に、瑞鳳はにんまりと笑って口を開いた。

 

「野分は、あれで結構踊りなれているよ?」

 

「……え? そうなの?」

 

「そうそう、舞風に付き合って踊ってるから」

 

 瑞鳳の言葉に、由良は心底納得して深く頷いた。

 野分の妹である舞風と言えば、この鎮守府では那珂と並ぶ踊り達者だ。そんな舞風と姉妹の仲で一番仲がよいのは野分である。となれば、当然舞風の踊りにも付き合っているのだろう。

 事実、由良が目にする野分の踊りは、なかなかに堂に入った物である。流石に那珂程、とは言えないが、先ほどまで一緒に踊っていた瑞鳳と比べて劣る物ではなかった。

 

 となると、それはそれで由良には疑問が生じる。

 由良はなんとも言えない顔で、隣に立つ、現在はスポーツウェアに身を包んだ軽空母の顔を盗み見た。

 偶に長良姉妹七番艦、或いは改長良型とされる由良型姉妹四番艦を自称し、二通りの制服をそれぞれ着こなす瑞良という魚雷も撃てない、夜戦も出来ない、そして何故か開幕艦載機を発艦させる不思議軽巡洋艦である。

 何を言っても、何に混じっても、結局彼女は軽空母でしかない。

 ないのだが、特に仲が良い大鳳龍驤らと共に、水雷戦隊の訓練に混じり、確りと最後まで食らいついたり、その気になれば体術で長良や神通相手でもそれなりに良い勝負が出来るという軽空母詐欺の一人でもある。

 

 高い身体能力を有するのであれば、踊りもできるだろうと思うが、舞踊という物は身体能力だけではなく、音楽を全身で聴き、それを一体化させて体現するというセンスも求められる物だ。

 流石に恵まれすぎではないか、と思い、由良は瑞鳳から目を離して重い溜息を吐いた。

 才能の差を妬んだが故の溜息ではない。そんな物で瑞鳳を計り、そんな事で落ち込もうとした自身に嫌気が差し漏れ出た溜息だ。

 

 瑞鳳が高い身体能力を持つのは、それだけの経験があるからだ。踊りにしても、最初からそうであったとは限らない。それでもやめず、めげず、曲がらず、ただ笑顔で続けた結果が現在の瑞鳳であるのなら、由良にそれを計る権利などない。

 由良がすべき事は、それを認め賞賛し、それでも負けるものかと上を向く事だけであるからだ。

 

「野分も凄いけれど、瑞鳳も凄いのね」

 

「えへへ、ありがと」

 

 由良の、短いながらも心の込められた賞賛の言葉に、瑞鳳は頬を朱に染めてはにかんだ。心からの言葉は、心にある色彩で素直に顔を染め上げるものだ。

 やるべき事を一つ終えた由良は、再び那珂達に目を戻した。

 由良の双眸に映るのは、やはり真剣な相で踊る野分と那珂であった。踊りの事など特にしらぬ由良から見ても、額に汗を流して身体でリズムを体現する彼女達の姿は十分に芸術的な物である事だけは理解できた。

 

 ただ、やはり自身には遠い世界だ、とも由良は思うのである。

 自身がそこに在って、踊る姿を想像できないのだ、彼女は。

 と、そんな彼女の腰辺りが、再び軽く叩かれた。何事か、と由良はもう一度瑞鳳に目を向けた。

 

「今はいないけれど、名取も参加してるんだよ?」

 

 瑞鳳の言葉に、由良は暫し目を瞬かせた後、ぽかんと口を開けた。その反応が面白かったのだろう。瑞鳳はくすりと笑ってまた由良の腰辺りをぽんぽんと叩いた。

 

「長良も一緒に踊ってるし、皐月に文月に長月、天津風や曙だって参加してるんだから」

 

「え、えぇー……」

 

 由良としては、瑞鳳に返せる言葉はそれだけだ。

 彼女の姉である長良はまだ理解出来る。体を動かす事が好きな少女であるから、たまには踊りもいいだろう、位で参加してもおかしくは無い。天津風も皐月も文月も、お祭りが嫌いな少女達ではないからこれも由良には納得できた。が、彼女の直ぐ上の姉、名取や、普段他者と距離を取りがちな曙や、幼いながらも武人然とした長月は、由良には理解不能であった。ダンス、といった物とイコールで結ばれる艦娘にはどうにも思えないのだ。

 

 由良の混乱が手に取るように分かるのだろう。瑞鳳は笑みの色を深めて二度三度と頷いた後、軽快な音楽を背後にしながら穏やかに紡いだ。

 

「いつもとは違うから、いつもと違う事がしたい。あの人のための私たちだから、そんな私たちを見て欲しい、きっとそんな物だと思う」

 

「あ――」

 

 由良は僅かに肩を揺らした。

 一年に一度、たった一度のイベントだ。特に今回は、提督が初めて参加するという状況である。浮き足立った体はそのまま飛び、常とは違う何かが彼女達には見えたのだろう。見えた以上、常のままではいられなかったのだ、彼女達は。

 

 ――なるほど……そうかも、ね。

 

 由良の中で導き出された答えであるから、それが紛れも無い正解とは言えないだろう。人はそれぞれ複雑にして単調で、単純であって難解だ。

 見えた答えがそのままの答えであるとは誰も、当人でさえ分からない物だ。それは当然、人と同じ精神構造を持つ艦娘も同じだ。

 それでも、由良はそれが一番近い答えなのだろうと頷く事が出来た。

 

 由良は瑞鳳に向かって屈託の無い笑顔で頷き、自家製の玉子焼き味のスポーツドリンクを飲みながら、瑞鳳もまた笑って頷いた。

 

「もう! こんなんじゃ駄目だよ! 駄目駄目だよ!!」

 

 珍しい、那珂の癇癪をおこした声が港に響いた。

 一緒に踊っていた野分は驚いて目を見開き、瑞鳳はスポーツドリンクから口を離してかたまり、由良は愛用の三式水中探信儀★6を反射的に構えていた。

 那珂と言うアイドルを自称する艦娘が癇癪を起こすという事は、彼女達にとってそれだけの椿事であったのだ。

 だが、三人の視線を集める那珂はそれぞれの様子にも気付かぬようで、首を横に振った後力なく地面に座り込んだ。

 

 顔を俯かせ、肩を落とした那珂の姿は、普段どんな時でもアイドルという事を優先させて笑顔で過ごす那珂とはかけ離れた物で、皆一様に驚き、また胸打たれた。だが、それゆえに彼女達の体は動かない。

 尋常ならざる事態に、体がいう事を聞かないのだ。

 それでも、由良は自身の為すべき事を為さねば、と辛うじて喉を鳴らし、かすれ声で那珂に問うた。

 

「な、何が駄目なの……?」

 

 由良の問いが聞こえたのか。那珂は落としていた肩をぴくりと震わせると、座り込んだまま由良を見上げた。瞳は涙に濡れ、その相は常の那珂からは思いも出来ぬ、ただの娘と成り果てていた。

 ごくり、と喉を鳴らす由良に、那珂は小さく首を横に振って答えた。

 

「勝てない……こんなんじゃ、こんなのじゃ……」

 

 瑞鳳が、野分が、那珂の弱弱しい姿に相を悲しみに歪ませる。親しい友が、畏敬する上司が、普段の姿をかなぐり捨てて弱さを吐いている。それをすぐさま癒すことが出来ぬ自身に、悲しみを感じたのだ。

 そして那珂が、叫んだ。

 

「これじゃ……こんなのじゃ――提督のドナドナに勝てないよー!!」

 

「おうちょっとまてや」

 

 突っ込んだのは龍驤譲りの関西弁を放った瑞鳳である。北は北海道、南は沖縄、行き着くところまで行けば阿賀野語からエスペラント語まで自由自在に使いこなす瑞鳳にかかれば、関西弁程度は軽いものであった。

 が、那珂は特に瑞鳳の突っ込みに思う事もなかったようで、一人続ける。

 

「こんなダンスじゃ、提督が開催予定のドナドナ~プラスコミュニケーション感謝ぱっく~にはきっと勝てないよ!」

 

 地面を悔しげに叩く那珂の相は、残念ながら真剣そのものであった。前の宴会――提督が檻に入って参加したあの宴会で、那珂は提督の語るドナドナに魅了された一人であった。誰もが知る悲しい童謡が、徐々に明かされていく謎によって壮大な物語として構成され、特に最後に語られた斬馬刀を構えるスラムキングとの対決など、姉の神通と共に手に汗握って聞き入っていたのだ。そして姉の川内は何も聞かなかったことにして黙々とチキンを食べていた。

 

 那珂にはあれに勝てるだけの物が必要であった。

 相手が提督であろうと、舞台となれば想いも憧れも無い。いや、人一倍想うからこそ、那珂はプラスコミュニケーション感謝ぱっくだかサマーバケーションだかプラスシチュエーションポータブルだかいう物に勝たなければならなかった。

 愛しているからこそ、だ。

 そして提督はそんな思いを向ける相手に、曲芸商法的何かで迎え撃とうとしている訳である。本当に残念な提督であった。

 

 とりあえず。

 那珂がうずくまり、瑞鳳は呆れて頭を抱え、野分は言葉も無くおろおろとする中で、由良は動かねばならなかった。

 何せ彼女は第四水雷戦隊の、旗艦補佐――いわゆる副隊長という立場にいるからだ。

 

  

  

  

  

  

  

 

 

 後日の話である。

 由良がのんびりと食堂で食事を取っていると、突如慌しく扉が開かれた。

 入ってきたのは長月であった。

 彼女は食堂の中を忙しなく一望したのち、由良を確かめて足早に近づいていった。

 焦燥を浮かべた長月の相に、さて何事か、と身を正す由良に長月は、

 

「ダンス部隊旗艦の那珂ちゃんが、青葉にぶつかって一時離脱だ」

 

「……え?」

 

 そう言った。言ったは良いが、聞いた方としては意味不明である。

 

「……取材中の青葉と、運悪く衝突してな……双方手錬であったのが不幸となった……お互い避け様と無理な動きをしたものだから、こう……な」

 

「……」

 

 青葉も那珂も、本当に運が悪かったらしい。

 が、本当に運が悪い艦娘がここにいた。

 

「それで、那珂ちゃんから伝言だ……第四水雷戦隊副隊長として、意志を継いで欲しいと」

 

「……え?」

 

 長良型軽巡洋艦四番艦、或いは改長良型、由良型軽巡洋艦一番艦由良は、第四水雷戦隊において那珂に次ぐ立場にある艦娘だ。

 仕事と言えば、那珂の補佐であり臨時の旗艦などである。

 であるから――今回もそうなった。

 

「……え、えぇええええぇぇ」

 

 年に一度の冬の大型イベント――クリスマス作戦は、こうして由良の手に渡った訳である。




 クリスマス島攻略部隊。
 曙はこじつけで、野分と瑞鳳は友情出演です。
 シーウルフさんは、ソロモンの狼さんに代わっていただきました。
 まぁ、史実では四水戦の旗艦が由良になった頃で、実際には由良はクリスマス島攻略には関係ありませんが……


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64話

 これは実験的な話であり、公式記録(提督日誌)、専門家の分析(瑞鳳 能代 矢矧)、関係者(各艦娘達)の証言をもとに構成しています(メーデー風)


 明石の酒保から少しはなれた所にある休憩所のベンチで、その猫は一匹たそがれていた。

 常であれば、ここに居れば自身を見かけるとすぐよってくる駆逐艦娘なども多数居るのだが、現在は主要メンバーは哨戒、警邏、遠征にと出撃中であり、また多くの艦娘達は自主訓練に打ち込んでいるような時間帯である。

 

 このままでは、常の様に腕の中へと飛び込み暖を取ることも叶わないか、と思った猫は仕方なしに部屋に戻って飼い主にくっつくか、と顔を上げ。

 そして休憩所の前の道を歩む、自身と同じ白い帽子を被った男を見つけた。

 

 

 

 

 

 

「あぁ、ここかー」

 

 提督は腕の中でごろごろと鳴く猫の喉辺りを撫でていた。自動販売機の横にあるベンチに座る提督の腕の中には、提督と同じ帽子を被った猫がいた。

 撫でられて目を細める猫の様子に、提督は笑みを深めて今度は猫の後ろ首辺りを揉み始める。

 これもまた気持ちよいのか、猫はごろごろと鳴いて答えた。

 

「オスカーは人に馴れてるなぁー」

 

 と、提督は腕の中にいるオスカーを見ながら、半ば呆れ、半ば感心しながら肩をすくめる。いつぞや、雪風の腕の中にいたこのオスカーなる猫は、ドイツ艦娘達が住まう部屋で飼われているが、猫の性であるのか、それともこの猫の癖であるのか、どうにも一所にじっとしていられない様で様々な場所でその姿を見られた。

 そういった、じっとしていられない所が雪風とも合うらしく、この一人と一匹のコンビは最近の鎮守府では珍しいものではなかった。

 

 まぁ、見た状況によっては、夜道で山城に出会うより怖かったと言われる組み合わせでもある訳だが……。

 

 さて、そんなオスカーであるが、こういった猫は家猫と違って様々な人々とすれ違い、或いは関わりを持つためか人に馴れやすい。

 家だけで生活する猫などは、それこそ他人を見れば威嚇を始めることもあるのだが、人と接する機会の多いオスカーの様な猫はすぐ人に馴れる。

 

 この提督に見せるオスカーの相など、まさにそれだ。

 提督はオスカーを知っている。オスカーもなんとなく提督を知ってはいる。が、こうやって提督がオスカーを抱き上げたのはこれが初めてだ。

 だというのに、オスカーは完全にリラックスした姿である。無用心ではないか、と思う反面、これもまたオスカーの処世術、の様な物なのだろうと提督は感じ、自分と違って器用な物だと肩をすくめたのだ。

 

 誰とも穏便に付き合えるオスカーのあり方は、艦娘達の思いに未だ正面から答えられない提督からすれば眩しい物でもある。

 猫からすれば時期が来れば勝手にそうなるような物であろうが、提督としては大いに悩むべき物事であった。

 

 と、撫でる手が止まっていたからだろうか。

 オスカーが提督の腕の中から提督の顔を見上げた。問うような眼差しは愛らしいもので、であるから提督は苦笑を浮かべて頭をかいた。

 

「あぁ、悪いねぇ。猫じゃらしでもあれば、もっと一緒に遊べるんだろうけれど……」

 

 と言って、提督は自身の周囲を確かめた。

 残念ながら、確りと清掃され整えられたこの鎮守府の中とあっては、あぁいった雑草などの発見は極めて難しい。

 提督としては、自身の腕の中にいる猫提督の猫らしい姿をもっと見たかった訳であるが、これは仕方ないかと首を横に振った。

 が、猫じゃらしこそ見つからなかったが、別の存在が提督の双眸に飛び込んできた。

 

「……あら、提督。オスカーちゃんと一緒に、どうされたんですか?」

 

 明石の酒保で扱っている袋を手にした、この鎮守府の古参の軽空母であり、守り手の一人にして居酒屋を営む鳳翔である。

 彼女は提督の傍――三歩前まで歩み寄ると提督の影を踏まぬように気を使いながら、問う眼差しを提督に向けた。

 こういった視線であれば提督でも理解できる。提督は笑顔で頷き、鳳翔もまた笑顔で胸を撫で下ろし提督の隣に腰を下ろした。

 季節は冬だ。二人は共に黒い軍用の外套を羽織っており、それが幽かに触れ合った。

 鳳翔なりの、精一杯の冒険であったが、提督はそれには気付かぬようで、自身の腕の中にいる猫をあやしながら鳳翔の言葉に返した。

 

「いやぁ、僕もちょっと気分転換で散歩中で……」

 

「あぁ、なるほど……」

 

 提督の言葉に、鳳翔は口元を手で隠しながら笑った。と、その目が一瞬あらぬ方向を見て小さく頷いた。龍驤と同等の索敵能力を持つ鳳翔である。

 であるから、彼女には提督の護衛としてついてきた艦娘の姿もはっきりと見えていた。これが一水戦旗艦の阿武隈であれば完全に気配も姿も消すであろうし、長波や夕雲、初霜島風響といったキスカ組であればそれなりに隠れたであろうが、鳳翔が見る今回の護衛役は、まだまだ甘いようであった。

 

 それにしても、と鳳翔はオスカーの背を撫でる提督を見た。

 部屋を出られるようになっても、未だ提督が長くを過ごすのはあの執務室である。であるはずなのだが、最近ではこうやって提督が様々な場所で見かけられる事が多くなった。

 彼は彼なりに、自身の目でこの鎮守府と艦娘達を見て回っているのだろうか、と鳳翔は提督の横顔に笑みを深めた。

 

 そうであるのなら、自身達は提督が見るに足る存在であり続けなければ、と考える鳳翔に、しかし提督は偶然であろうか、一言零した。

 

「そのままでいい」

 

 猫をあやす提督の目は、変わらずオスカーに向けられ、鳳翔には向けられていない。だが、その言葉はあまりに、鳳翔の決意に対する提督らしい言葉であった。

 鳳翔は笑みを消し提督へ顔を寄せ、ただただ問うような目で提督を見つめた。互いの黒い軍用外套はいまやもう触れるどころか重なり合っている。

 触れ合った肩の温もりは冬の空の下では熱過ぎて、鳳翔は身を引こうとした。

 だが、

 

「そのままがいい」

 

 提督の言葉でそれも遮られた。

 あいも変わらず、提督はオスカーを撫で回してるだけで鳳翔と目をあわさない。それでも、これは鳳翔にとって間違いなく提督から、自身達に向けて零された物であると思えた。

 この提督は、確かに凡庸だ。どこまでも凡庸で、普通だ。

 

 戦術などよく理解もしてない。であるから初霜や大淀にまかせっきりだ。

 戦略などもっと理解していない。であるから、それも長門や大淀にまかせっきりだ。

 鎮守府の維持もよく理解していない。であるから、それも大淀や他の艦娘達にまかせっきりだ。

 

 ただ、自身の艦娘の事となれば、この提督は誰よりも何よりも深く理解していた。

 何も見返りなど無い不毛な、あまりに一方的な愛であったかもしれないが、提督は間違いなく彼女達を愛していたのだ。

 この鎮守府の艦娘達がそうであったように、提督もまた触れ合えない関係の中でも、ただ愛したのだ。

 

 何故に触れ合えなかったのかまでは鳳翔には分からない。それでも、共に過ごしたこれまでの、それこそここに来る前の時間でさえ、彼女は提督と共にあった。

 その時間の中で分かったのは、提督が提督足りうる存在であるという事だ。

 

 愛し愛される。想い想われる。

 提督は艦娘達の為の提督であり、艦娘達は提督の為の艦娘であった。

 

 そこに至るまでに少しばかり遠回りもあっただろうが、これだけは、たった一つのこれだけは、提督は決して凡庸な提督ではなかった。

 

 鳳翔は、何か返すべきだと口を動かそうとしたが、しかし何も形に出来なかった。

 語るべき言葉がなく、語るべき想いがありすぎて選べない。

 肩が触れ合うほど近いのに、どうしてこうも思いを告げる事が出来ないのだろうか、と鳳翔は悲しみに相を歪めた。その瞬間である。

 

 一陣。

 ただの一陣、風が凪いだ。

 

 鳳翔の髪をさらい、その香りを確かに提督に届けたそれは、たった一瞬の事であった。

 僅かに乱れた髪を手櫛で整えた鳳翔は、隣にいる提督に流れた髪がぶつかりでもしなかったか、と不安げな顔で目を向けた。

 と、鳳翔の目に映ったのはオスカーを撫でる手をとめ、なにやら顔をしかめる提督であった。

 

「て、提督……どうされましたか?」

 

 鳳翔の気遣うような問いに、提督は耳を掌で軽く叩きながら返した。

 

「あー……いや、これなんか……さっきの風で耳になんか入ったような……」

 

 かゆいところに手が届かない、といった相の提督に、鳳翔は目を丸めた。まぁいいか、と軽い調子で猫を撫でようとした提督を止めたのは、目を丸めていた筈の鳳翔であった。

 

「いけません、提督。些細なことで大きな事になる事もあります。さぁ、どうぞ」

 

 明石の酒保で扱っている袋から、耳かきを取り出して鳳翔は自身の膝をたたいた。提督からすれば、それが何を伝えたいのか分かるが、さてその手にある物は随分と準備が良いではないか、と問うてみたくもなるのである。

 

 提督同様、鳳翔にもこの程度なら言葉がなくとも分かるものである。彼女は口元を手の甲で隠しながら微笑んだ。

 

「さきほど、丁度明石の酒保で購入しておいたんです。ふふ、こういう事もあるんですね?」

 

 まったくの偶然なのだろう。鳳翔の言からは嘘は感じられず、であればそうなのだろうと提督はあっさりと信じた。が、流石に彼はすぐには動かなかった。

 それは分かる。理解もした。納得もした。

 だがしかし、それに頷いたとなれば、彼は鳳翔の膝に頭を置かねばならない事になるのだ。

 提督はじっと鳳翔の膝を見た後、目線を上げて鳳翔の顔を見た。

 

 そこにあるのは、ただ提督を待つ美しい女の相であった。含むものなど一切無く、ただただ提督に尽くそうとする古き良き佳人の香りがそこにある。

 果たしてそれは、自身が汚して良いものであるのか、と提督は悩み、だがすぐに思い直した。直された、と言うべきか。

 逡巡する提督に、鳳翔が僅かに眉を下げたのだ。それは鳳翔の微笑が悲しみに翳ろうかという兆候であり、それを目にした以上提督としてはもうすべき事は一つであった。

 

 提督は肩をすくめて頭をかいた後、少しばかり座る場所を調整し、腕の中に居たオスカーの胸中で謝りながらベンチに離し、そっと鳳翔の膝に頭を置いた。

 オスカーは二人の姿を不思議そうに眺め、そこから離れる気配は無い。

 鳳翔も、そんなオスカーに小さく頭を下げてから、提督の頭を優しく一撫でしてから耳に顔を近づけた。

 

「あら……提督の耳はお綺麗ですね?」

 

「まぁ、それなりに綿棒とかで清掃してますんでー……」

 

 鳳翔の言葉に提督は普段通りの調子で返したが、内心では大いに焦っても居た。

 耳に顔を近づけて囁く鳳翔の声は、余りに心地よすぎるのである。おまけに吐息までかかるものであるから、提督としては落ち着けないものであった。

 

 心底からの笑顔で、提督に膝枕をして耳かきをする鳳翔という艦娘は、提督にとって在る意味では天敵の一人と言っても良い存在であった。

 家庭用ゲーム機をぴこぴこ、と言い切ってしまえるほど独特な艦娘であるが、溢れんばかりの母性で提督を包み込もうとする慈愛に満ちた鳳翔の在り方は、提督にとって恐れるに足る物であったのだ。

 

 駄目になる、などとかつては提督も画面越しに口にしていたが、実際にその暖かさに包まれてみるとまた違った物が見えてくる。

 抵抗する為の心も心地よさにまったくふるわず、抗う為の気概も根元からぽっきりと折られる。安心しきった気の抜けた顔を一つさらす程度ではないか、と思われるかもしれないが、男も20を越えれば子供のままでもそれなりに一端のプライドをもつ様になる。

 社会に出れば尚更だ。

 小さくとも成し遂げたことがあり、それを共に誇れる同僚も得たのであれば、自身のだらしない姿が同僚や仲間たちをも下げてしまう物だと理解し始める。故に、そうそうだらしない姿を見せないようになっていくものだ。

 

 提督もその辺りは同じだ。

 だからこそ、彼は鳳翔ともう一人の、ここには居ない艦娘を大いに恐れるようになったのである。

 

 ――あぁ、鳳翔さんだけってのがせめてもの救いかぁ……

 

 と胸中で呟いた提督は、しかしすぐ絶望へと誘われる事になった。

 不幸な事であった。まったくもって不幸な事であった。彼の嫁ばりに不幸な事であった。

 提督には一水戦から常に護衛がつくようにされている。それはどんな事態でも、どんな時でも、だ。勿論、今この時にも提督には護衛がついていた。

 その護衛こそが――

 

「ずるいー! ずるいずるい鳳翔さん! 雷も司令官に頼ってもらいたいのに!」

 

「あらあら……」

 

 鳳翔は頬に手を当てて困った相で微笑むが、提督からすれば比叡カレーを前にして、更に比叡にスプーンであーんとされたような物である。何せ、鳳翔と共に居なくて良かった、と思い浮かべた相手が今目の前で頬を膨らませて提督を見下ろしているのだ。

 

 駆逐艦暁型三番艦雷、という艦娘は恐らく殆どの提督にとって感慨深い存在であろう。性能は普通の駆逐艦で、特に何か優遇された物がある訳でもないが、その個性が余りに中毒性が高いからだ。

 その中毒性というのが、鳳翔に勝るとも劣らない――いや、場合によっては勝る母性である。

 

 司令官優先、何事も司令官の為。そういった姿勢が一つ一つの言葉から垣間見れる、なんとも献身的な幼な妻――幼すぎる妻系艦娘なのだ。

 

 兎にも角にも、これまた提督にとっては生身で向かい合うにはなかなかに覚悟が必要な相手である。

 そんな相手が、よりにもよって二人揃って提督を見下ろしているというのが、提督の現状であった。

 まな板の上の鯉はこんな気持ちであったのか、と妙な理解をした提督は、一人そっと胸の前で十字を切った。ちなみに彼は基督教ではなく、日本人らしい無宗教である。

 

「雷も! 雷も提督に何かしてあげたい!」

 

「そうね……提督、どうされますか?」

 

 見下ろす鳳翔と雷の瞳は、慈愛に満ち溢れて目をそらしたくなるほど輝いていた。

 実際提督は二人から目を離し、遠くを見つめたまま頷いた。無垢に輝く瞳を相手に、駄目になるから嫌です、とは言えないというそれもまた、男のちっぽけなプライドであった。

 

 そして、鳳翔は提督の頭を撫でながら耳かきを続け、雷は提督の体をマッサージし始めた。

 おまけに、オスカーが雷を真似始め、提督の頬を前足で揉み始めた。

 提督に出来ることなどもう何もなかった。ありはしなかった。

 いや、一つだけあるとすれば。

 

「あー……駄目になるんじゃー」

 

 そんな事を呟く事だけであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これが、最近編纂され、それなりの艦娘達の間で読まれるようになった阿賀野の提督日誌の一部である。

 

 さて、どうでも良い話だろうが、この軽巡洋艦娘阿賀野が最近編纂し、阿賀野語の権威である瑞鳳によって翻訳化された提督日誌の中には、更に提督を駄目にした出来事が記されていた。

 ある日提督が食堂のカウンター席の角で小指を打ち、悶絶した姿を鳳翔、間宮、夕雲、古鷹、雷、瑞穂といった艦娘達に目撃され、そのまま布団に運ばれて寝かしつけられてしまい、雷などから提督の急な休みの理由を聞いたある者は艦娘用の高速修復材――通称バケツを持って来たとまで書かれていた。

 

 勿論、提督はただの人間であるからバケツが効くわけも無く、もっといえばバケツを必要とするような怪我ではなく、むしろ怪我ですらないのだが、この日一日だけは普段平和な鎮守府も慌しい物であった。

 

 まるで昔の、鉄底海峡のルンバ沖から先の様でした。

 とは秘書艦初霜の言である。

 

 本当にこの鎮守府は……まぁ、平和である。




 阿賀野日誌のあれを、少しばかり形にしてみました。
 まぁたまにはこんなのもどうかと。

 鉄底海峡のルンバ沖から先、とはサンタクロース諸島から始まる地獄の事です。


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65話

 軽巡洋艦娘達が住まう寮の庭には様々な花が植えられた花壇がある。

 秋にはその香りを振りまいていた金木犀も散り去り、代わりに類種の柊が咲き誇っていた。四季に応じた花が飾られたその場を管理するのは、長良型三番艦名取と、川内型二番艦神通、同じく川内型三番艦那珂と――

 

「おい、これなんか提督に合うんじゃないか?」

 

「いや、提督は男だから花とか喜ばないって言ってんだろ……?」

 

 球磨型五番艦木曾、そして天龍型一番艦天龍である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 提督に似合うのではないか、と木曾が手にした花はまだ残っていたリンドウである。そろそろこれも散る頃なのだが、比較的温暖な今年の冬は未だ咲き残っていたのだ。

 天龍は木曾が摘もうとしているその花を見て、大きく肩を落として口を開いた。

 

「なぁ木曾、もう提督に花がどうだのなんてのは言わねぇよ。けどなぁ……それはやめとけよ?」

 

 天龍の気遣う声に、木曾は首をかしげて天龍を見た。天龍同様――とはいえ、互いに左右逆なのだが――眼帯に覆われていない真っ直ぐな隻眼が天龍に向けられる。

 その瞳に宿るのは、純粋な問いの色だ。そんな木曾に、天龍は頭を乱暴にかいてから溜息交じりで応える。

 

「リンドウの花言葉、悲しんでいるあなたを愛する、とかだぞ」

 

「……本当か?」

 

「嘘ついてどーすんだよ、んな事」

 

 目を剥いてリンドウから離れる木曾の言葉に、天龍はもう一度頭をかきながら肩を落として返した。なんとも言えない顔でリンドウを見下ろす木曾は、危なかったな……と呟いて顎の辺りを手の甲で拭っていたが、それもまた過ちである。

 であるので、天龍は相を変えず若干引き気味の木曾に続けた。

 

「いや、他にも正義とか誠実もあるんだぜ、そいつ」

 

「おぉ、いいじゃないか!」

 

 一転、明るい調子で手を打つ木曾に、天龍は疲れた顔で首の後ろ……うなじ辺りを叩きながらまだ続ける。

 

「つっても、有名なのは最初の花言葉だぜ? あんまお勧めできないぞ……? まぁ、お前が提督の悲しんでる姿がいいってんなら、俺はなんも言わないけどさ」

 

「冗談じゃないぞ、天龍。提督のそんな姿を見たら、俺は球磨姉さんに泣きつくぞ」

 

「なんでだよ」

 

 天龍の突込みにも返すことなく、木曾はまたそれなりに広い庭を歩き始めた。

 

 ――っても、提督が花言葉とかしってるとは思わねぇけどな。

 

 天龍はそう胸中で呟いた。男という生き物は花のなんたるかなどさっぱり理解していない生き物だ。精々食べられない植物、位にしか思っていない連中ばかりである。

 こればっかりは幾ら変な事を知っている提督でもそう違いはないだろうと天龍は考えたが、同時にその周囲に居る艦娘はどうだろうか、と考えると軽率な行動はとれなくなるのだ。

 初霜辺りなら知っているかもしれない、大淀辺りは本命だ。

 更に提督の第一旗艦山城となれば、花言葉から古代中国の呪詛まで知っていそうな艦娘だ。その辺りから提督に漏れた場合、提督としても流石に良い顔はしないだろう、と天龍は見たのである。

 

 だというのに、木曾は何も考えていない様子で花壇の間を歩くだけだ。

 天龍もまたそれに付き合いながら、そっと小さくため息をついた。

 

 天龍の前を歩く、様々な花壇で咲き誇る花達をみながら歩いている木曾という艦娘は、この鎮守府を代表する歴戦にして、提督の切り札とも称される艦娘である。

 重雷装巡洋艦、というたった三人しかいない希少な艦種に属する一人であり、これまでの働きは龍驤鳳翔に比べても決して劣らない。

 

 元はただの軽巡であったが、姉達と同じ重雷装巡洋艦になってからという物、この鎮守府――いや、提督に仇なす特別海域での強敵達――提督曰く、ゲージ――を魚雷で粉砕してきた。

 しかも姉達に比べて若干ではあるが消費量も控え目であるため、通常海域などでも艦種限定されない場合は編成に組み込まれて猛威を振るってきた艦娘である。

 まず間違いなく、この鎮守府における武勲艦の一人だ。

 ただし

 

「なぁ天龍、これはどうだ!?」

 

「あぁ、ガマズミかぁ……それ、無視したら私死にます、とかだぞ」

 

「山城みたいな花だな!」

 

 ポンコツである。

 庭に植えられた落葉低木のガマズミから離れる木曾は、日常においてとことんポンコツである。

 なにやら花にも山城にも失礼な事を口走った木曾は、少々むきになった顔で周囲を見回し始めた。

 

 ちなみに山城は、提督から無視された場合提督も一緒に巻き込んで死ぬので厳密にはこの花の花言葉とは違う。

 

 さて、木曾である。

 提督に贈る為の花を選んでいるのだろうが、その相自体が花を遠ざけている様な物だ。少なくとも花から愛される相ではない。

 花を見るなら、もっと穏やかにあってはどうか、といった類の事を言おうとした天龍は、しかしそれをやめた。

 

「天龍、これどうだ!」

 

「あぁ……コスモスか」

 

 木曾がコスモスを指差していたからだ。流石にここで菊を選ぶような真似はしないか、とどこか残念に思いながらも頷き天龍は木曾に応じた。

 

「まぁ、いいんじゃねぇか?」

 

「いや、コスモスの花言葉は?」

 

「んー……乙女の心とか、そんなんだぜ」

 

「良いじゃないか。よし、これにしよう」

 

 天龍の口から出たコスモスの花言葉に木曾は気をよくし、しゃがみ込んで園芸用の刃部分の短いはさみを取り出してコスモスを選別し始めた。

 そんな木曾の様子をなんとなく眺めながら、天龍は今木曾と共に歩き回った庭を見た。

 そこにあるのは、低木や草花だ。その中にあって、この季節に咲く有名な花が無い事に天龍は苦笑を浮かべた。

 

 ――やっぱり、誰も植えねぇか、あれは。

 

 天龍が思い浮かべたあれ、とは先ほど天龍が胸中で呟いた、天龍自身も前には艦首に頂いた菊である。

 菊というのは武家の家紋としても天皇家の家紋としても使われ、菊見の宴や菊人形にと人々の目を楽しませてきた反面、墓前の花、仏壇の花、葬式の花として使われるためかどうしても人に死を連想させるところがあり、縁起が悪いといわれて嫌厭されやすい。

 

 特に薩摩藩士を多く受け入れ――というよりも彼らが起こしたとも言える海軍は、武家の色が濃く、菊の様な、花がそのまま落ちる物は首が落ちる姿に似て嫌ったのである。同様の散り方をする椿も同じだ。ただし、軍艦には菊花紋章が使用されたのだから、この辺りは実に複雑な思いであっただろう。

 或いは、純粋な武家が消えた事で斬首という不名誉な刑に対する忌避感が薄れたのか、天皇家への忠誠がそれに勝ったのか、それとも花は花、菊花紋章は菊花紋章と別に考えていたのか。

 

 兎にも角にも、吉祥や縁起、通例等に重きをおく頃の海軍に生まれてしまった多くの艦娘達は、そういったところを色濃く受け継いでいる事が多く、それはこの庭の草花の面倒を見ている名取や神通達も同じであった。

 当然、天龍も同じである。

 と、天龍の肩を木曾が叩いた。天龍が振り返ると、そこには笑顔の木曾の顔があった。

 

「終わったぜ」

 

「あぁ、んじゃ執務室に行くか」

 

「おう、天龍も早くしろよ」

 

 その木曾の言葉に、天龍は疑問符を顔に浮かべて首を傾げた。早くしろも何も、天龍には用意する物など何も無い。精々木曾についていって、その後提督と話がしたい程度だ。

 であるのに、今度は木曾が天龍と同じ仕草で疑問符を浮かべた。

 そして木曾が口を開いてこう言った。

 

「お前は花を贈らないのか?」

 

「おまえなぁ……」

 

 あぁなるほど、と天龍は納得した。それはもう深く納得した。

 納得はしたが、それを頷けるかどうかは別である。当然、天龍は頷ける物ではない。

 木曾は良い。彼女はそういった姿が絵になるし、まぁ残念でポンコツなイケメンだ。

 が、天龍はそういう艦娘ではない。木曾と並べばおっぱいのついたイケメンコンビと称されるだけあってなかなかに凛々しい顔立ちであるが、こう見えて天龍という艦娘は立派な乙女だ。そして龍驤はおっぱいのないイケメンで立派な乙女で、提督はおっぱいもない立派なフツメンだ。

 

「お、俺はほら……そういうの……別に、いいし……お前と違って特にこれっていう戦果もないし……」

 

 天龍、という艦娘は戦場ではこれといった戦果も無い目立たない艦娘である。

 しかしそれは当然の事であった。なにせ彼女は、提督の意向によって改にすらなっていない。流石にそれでは、幾ら錬度を上げようと限界という物がある。

 結果、彼女は火力や装甲といった性能においては、部下である駆逐艦娘にすら及ばないのだ。

 

「馬鹿言うなよ、天龍。ここでお前をそんな目で見る奴がいるもんか。提督だって勿論そうだぞ」

 

 それでも、木曾の言うとおり天龍は決して見下されない。

 石油の一滴は血の一滴に値する、とは彼女達が艦であった戦時中の言葉であるが、この鎮守府を生かすために必要な血肉を求め、運び、戻ってくるのはいつだって天龍とその部下達だ。

 遠征は物資の運搬だけが仕事ではなく、時と場合によっては予期せぬ遭遇戦もある。天龍とてそれは何度も経験したことだ。

 天龍自身は確かに弱い。錬度を上げても、彼女の艦娘としてのスペックは既に頭打ちだ。

 ただし、戦闘経験は生きた。数字化されないそれは、天龍という艦娘に部下達を手足の様に動かせるだけの指揮能力と、先を見る目を与えたのだ。

 

 故に、この鎮守府で天龍を侮る者はいない。いる筈が無い。彼女達の艤装を動かす為の石油も、修理の為に、或いは武装開発の為に必要な鋼も、敵を討ち滅ぼす為に必要な弾丸も、戦闘機を作り上げ、失った分を補う為に必要なボーキサイトも、更には高速修復材も、殆どが天龍達の手よってこの鎮守府の各倉庫にもたらされた物だ。

 

 戦果の面での英雄が木曾や大井、北上であるのなら、それらを助けた兵站での英雄は天龍達である。それは紛れも無い事実だ。

 

「お前のことを馬鹿にする奴がいるなら俺に言え、それはそいつが馬鹿なんだ。ぶん殴ってやる」

 

 海上以外ではポンコツと言えど、間違いなくイケメンの木曾である。それは外貌だけの話ではなく、内面さえもイケメンなのだ。

 

「でもその後球磨姉さん達にやり過ぎだって怒られたら、天龍からも支援頼む!」

 

 ただし内面もだいぶんポンコツだった。

 天龍は息を吐きながら俯いて頭をかいた。意識もせず、特に思うことも無く、龍驤や青葉と同じ様にうつってしまった提督の癖だ。それでも、それはもう天龍の癖である。これは彼女を彼女足らしめる一つであり、それは木曾も同じだ。

 

「あぁもう、分かった分かった。俺もなんか選ぶから、ちょっと待ってくれ」

 

「おう」

 

 胸を張る木曾は、そうあってこそ木曾だ。海上での凛々しく勇ましい姿も木曾であるなら、日常での足りていない言動もまた木曾だ。

 誰も彼も、満ち足りては居ない。どこか欠けている。

 それは天龍や木曾だけに限った話ではなく、恐らくこの鎮守府にいる全ての存在がそうであった。それはしかし、当たり前ではないか、と天龍は花を選びながら小さく笑った。

 

 この鎮守府の提督こそが、彼女達にとって誰よりも提督足りえる存在でありながら、軍人としての能力はまったく欠けているのだ。

 類は友を呼ぶ、欠けているから補い合う。これはただ、それだけの事であった。

 しかし、天龍はそこまで考えて頬を朱に染めてまた頭をかいた。乱暴、とまではいかないが、雑なかき方である。

 お似合いと自身で言っているようで、気恥ずかしさを覚えた為の仕草だ。乙女な彼女からすれば、受け入れたくも在り、受け入れがたくもある事なのだろう。

 木曾はそんな天龍に目を点にして問うた。長い付き合いの彼女にしても、天龍の今の姿は奇異に映ったのだ。

 

「どうした? 虫でも頭に飛んできたのか?」

 

「違うっつーの! あぁもう……なんでもねぇって、なんでも」

 

 乱暴に手を振って返す天龍の様子に、まさかそんな乙女的思考で雑な行動を取っていたとは気付けない木曾は首を捻ったが、相棒の言い分を信じて黙った。天龍はと言えば、先ほど思った事を脳裏で文字にしてすぐ消した。それで消えてくれと念じながらだ。

 が、意識すれば意識するほど思考の中にあるそれは一際存在感を放つようになるものだ。

 天龍のそれもご他聞に漏れずそうなってしまった。なった以上、天龍は諦めて舌打ちしながら花に集中し始めた。

 

 が、それは木曾のそれより長かった。

 理由と言えば、彼女が木曾とは違い花言葉に詳しかったせいである。何故に花言葉に詳しいのか、と問われれば、この庭を管理するに当たり本を読んで覚えた、と応える用意のある天龍であるが、実際はこの庭の面倒を見る前から知っていた。提督から花を贈られた際、それが何を意味するかを察する為に覚えたのだ。実に乙女である。

 

 そして言うまでもないだろうが、彼女が提督から花を貰ったことはない。いや、ここの艦娘達は誰一人としてそんな物を提督から貰った者は居ない。

 あの提督にそんな事を求めること自体が大間違いなのだが、少女の体と乙女の心をもつ彼女達には関係ない話である。

 まぁ、ちょっと誉められたりしたらすぐキラキラする彼女達であるので、そういった意味でもお似合いの提督と艦娘ではあるのだが。

 

 と、天龍が足を止めた。

 天龍が見つめる先にある花壇は、神通がよく世話を見ている花壇だ。そこに咲く花があまりに愛らしくて、そしてその花言葉がいじらし過ぎて足が止まったのだ。

 その花もまた、今年の暖かい冬の為に咲き残った花である。本来ならそろそろ無い筈の物、というのがまた天龍にはいじらしく見えたのだ。

 

 彼女はそっとその花に近寄っていった。指で軽く小さな太陽にも見えるその花を撫でると、やはり僅かばかりの弱さが見えた。本来ならもう散っている花だ。暖かいからといっても多少の無理の痕はある。限界だ。この花はもう散るより他無い。

 だから天龍は、意識もせず声を零した。

 

「なぁ……お前、最後に人に愛されたいか?」

 

 花は何も応えない。その為の口はなく、その為の心は無い。その筈だ。そうであるべきだ。それでも、天龍には確かに見えたのだ。花が頷いたと、天龍は確かに見たのだ。風に揺れたと彼女は思わなかった。そこに確かに、花の想いがあったとだけ感じたのだ。

 それが錯覚だとしても、そう感じ取った以上天龍はその花を提督に贈らなければならなかった。それがこの花にとっても良い事だと信じて。

 

「木曾、はさみ貸してくれ」

 

「……おう」

 

 木曾は短く答え、天龍にそれを差し出した。天龍はそれを受け取り、軽く頷いてまた花に向き直った。はさみを花に当て――天龍はもう一度零した。

 ただし、今度は胸中でだ。花にさえ通じればよいと思い呟いた彼女の言葉は、

 

 ――私を見つめて。

 

 サンビタリア。小さな向日葵の様な愛らしい姿の、いじらしい花言葉である。

 それは多分、世話した神通もそれを黙ってみている木曾も、

 

「安心しろよ……これからいくところにはな、普通で可笑しくて、それでも飛びっきりにいい男がいるんだぜ」

 

 今こうして花に語りかける天龍も、同じである。




 菊花紋章は陸軍でも小銃とかに刻印されていたそうです。
 昔読んだ小説では、泣く泣く敵軍に投降した兵士たちが、自分達の持つそれらの武器の紋章を削っていたという話がありました。菊花紋章が敵の手に渡る事が許せなかったのでしょうね……


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66話

 少しばかり寂れた港の一角で、音楽が鳴り響いていた。

 人影も絶えた港までの道に、もし誰かが居れば、物珍しさにつられてひょいと首を出して覗きにいったに違いない。

 そしてその港の一角で、たった二人で踊る少女達を見て思わず拍手を送った筈だ。

 ただ、その拍手は賞賛の物ではなかっただろう。

 

「漣、ワンテンポ遅い!」

 

「ムキー! 曙だってさっき間違ったくせにー!」

 

 その拍手は、二人の少女のひたむきな努力に向けられた応援に近い物であった筈だ。

 音楽を背にたった二人で踊る曙と漣は、額を流れる汗も拭わずただ踊っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて。

 何ゆえに曙が人もそう来ぬ港で漣を共に踊るかと言うと、季節が関係する。

 秋も去って冬となった訳だが、この冬にある大きなイベントが、とある人物の参加によって更に大きくなってしまったのだ。

 その為、毎回この季節にはステージでダンスを披露する那珂は、例年以上にしようと参加メンバーの枠を広げた。クリスマス島攻略作戦時と同じ編成で、更に四水戦からも、それ以外からもメンバーを受け付けたのだ。

 

 では曙はその別枠から拾われたのか、と言うとそれは間違いである。彼女は那珂に、クリスマス島攻略作戦の編成メンバーとして招かれた。実際には曙は参加していない作戦であるのに、だ。

 そうであるのだが、これも縁であるのだろう。あけぼの丸と言う船は参加していたのだ。つまり、代役である。

 常の曙であれば、

 

『何よそれ……つまり私じゃなくていいんじゃない。そんなの……別に参加しないし』

 

 等と返そう物だが、冬の大きなイベント、特に今年からは提督も参加すると言う目の前のそれに惑わされたのか、どこか暗い影を落す自身の艦時代とはちがった、華やかなステージに思う事でもあったのか、気付けば頷いてしまっていたのである。

 ついでに、その時曙の隣に居た朧の、隠された力を発揮する披露宴となる、という意味不明な鶴の一声によって綾波型姉妹全員参加となったわけである。

 せめてその場に漣が居れば、汚いなさすが忍者きたない、と諭して朧を止める事も出来ただろうが、ネットに疎い曙では朧を止める事など不可能であったのだ。まぁ実際は漣が居たとしても、そんな意味不明な言葉で止める事は出来なかったと思われるが。

 

 兎にも角にも参加である。となればどうするか、と言えばもう語るまでも無いだろう。

 自分に合わない、等とどこかで思っていても、やるとなればやるのが曙だ。捻くれていようが素直じゃなかろうが、すべき事はするのである。

 

 が、それでも体力には限界がある。通常の訓練を確りとこなした上で、プライベートの多くの時間をダンスの練習に割いているのだから、曙と漣の小さな体に負担が掛からない訳が無い。

 ゆえに、彼女達は一曲終わるとすぐにプレイヤーを止めて適当な箱などに腰を下ろした。

 彼女達の装いは、普段の訓練でも使うスポーツウェアだ。汗をふくみ、体に張り付くそれを漣は摘んで肌から放し、胸元を扇ぎながら風を通していた。

 

「うぉおー……あっちぃー……」

 

「……ちょっと、漣」

 

 曙はと言えば、箱に座ってタオルで額を拭っていた。スポーツドリンク飲もうとしたのか、あいている左手は、自身で用意したのだろうそれに向かって開かれている。

 が、それを掴むより先に、妹の無防備で恥じらいを捨てた行動に思うことがあったらしく、口を動かすことを優先させたのだ。

 そして曙のその言葉に対する漣の応えは、

 

「まぁまぁ、ここにはご主人様もいないから」

 

 これである。

 曙は、確かにそうであるが、と同意しつつも、釈然としない顔でスポーツドリンクを手に取り口をつけた。慌てず、急がず、ゆっくりと中にある塩分を含んだ有名なドリンクを嚥下して行く。

 喉がある程度潤うと、曙は口を放して水筒を箱の上に置いた。

 

「で、どう? あんたは何か掴めたの?」

 

「んー……漣ダンスは不慣れだから、まだなーんも、って感じかな」

 

「その割りに、結構笑顔で踊ってたじゃない?」

 

「ま、そのくらいは気持ちってモンっしょー? 那珂ちゃんみたく、とはいかないけど、漣達が笑顔じゃなきゃ、見に来る皆も笑えないし?」

 

 妹の言葉に、曙は顔をしかめた。

 漣は練習の中で何も掴めていないと言うが、曙からすればその思考は何かを掴んだも同然と思えたからだ。少なくとも、曙は漣の様な考えは持っていなかった。それどころか、なるほどと理解した今でさえ、それが不可能に近いと感じ思わず顔をしかめたのだ。

 

 誰しも、得意不得意がある。

 曙にとって笑顔など、まず出せないものだ。捻くれ者で、素直になれない彼女にとっては相当ハードルの高い問題である。ただ救いがあるとすれば、那珂達が曙にそこまで求めていないと言う事だろう。こういった事に無関心だろう曙が参加してくれただけでも、彼女達からすれば大助かりなのだ。流石にそれ以上は、という事である。

 

 曙は内心、重く長いため息をついた。

 期待されないというのは、それはそれで来る物があるのだ。実際には期待されない、ではなく、それ以上求めるのも悪い、なのだが曙からすれば一緒だ。

 では笑顔で踊れるかと言えば、やはり無理であるから曙は重いため息をつくのだ。

 

「あ、そうそう。漣、ちょーっと気になったんだけど」

 

「なによ?」

 

 顔を向けず妹の言葉に応じた曙の耳に、そこから先は入ってこなかった。何をもったいぶっているのだ、と曙が漣に目を向けると、漣がきつい目で一点に凝視して黙り込んでいた。

 さて、それはなんだ、と曙は漣が目を向ける先に視線を飛ばすと、なるほどと思わず頷いた。

 ここがダンスの練習場所となったのは、ここが人通りも絶えがちな、寂れた港だからだ。

 使われていないそこは彼女達にとって丁度良かったのである。

 

 だと言うのに、何故だろうか。曙と漣の視線の先には一人の姿があった。明らかにダンスメンバー以外の姿だ。しかもその姿は、徐々に大きくなってきている。

 つまりは、この港にいる二人に近付いて来ているのだ。そして更には――その相手に問題があった。曙が顔に手をあて、天を仰ぐ程度には問題がある。

 

 ――あぁ……そりゃ、漣がそんな顔をするわよね……あんたじゃ。

 

 胸中の呟きは、当然零した当人である曙にしか聞こえない物である。であるのに、二人に近寄ってきた艦娘にはある程度読めたのか、それともただの偶然か、にやりと不敵に笑ったのだ。

 勿論、それは顔を覆って天を仰いでいた曙には見えなかった表情の変化であるが、目にしてしまった漣と言えば、それはもう大変な事であった。

 具体的にどれくらい大変な事であったかと言えば、立ち上がって

 

「ふしゃー!」

 

 と叫んで荒ぶる鷹のポーズを取った程である。

 ちなみに、それを見た曙は、案外普段通りだと安心した。

 さて、歩み寄ってきた艦娘だ。彼女は何を思ったのか、漣の威嚇であろうその構えを見ると同時に、どこからかスケッチブックを取り出し、次いでこれまた何処からか出現した手の中のペンを走らせ始めた。

 

「あ、漣、もうちょい足上げられる?」

 

「なんだとこのヤロー! 漣なんざアウトオブ眼中だとこのヤロー!?」

 

「あ、ちょーっと動かないで。 もうちょいだからさ」

 

「あ、ごめん。これでいい?」

 

 等と会話する二人を視界におさめて、相変わらず仲が良いのか悪いのか分からない、と曙は首を横に振った。更に言えば、曙には漣が口にしたアウトアブなんとかも分からない物であったが、朧や漣が意味不明な事を口にするのは日常茶飯事であるから流しておいた。

 

 このまま二人に会話させてもろくな事にならない、と理解している曙はスケッチブックにペンを走らせている艦娘に溜息交じりの声をかけた。

 

「で……あんたは何しにきたのよ、秋雲」

 

 曙の問いに、丁度スケッチを終えたのか。提督とお揃いの黒い外套を羽織った秋雲はスケッチブックを背後の鞄に直すと曙に顔を向けて応じた。

 

「いやー、冬を前にすると色々焦ってさぁー……まぁなんてーの? ちょっと気分転換でうろうろしているってもんかな?」

 

 何ゆえ冬を前にすると焦るのかなど、曙にはさっぱりであるが気分転換云々は理解できた。秋雲という艦娘は艦娘のインドア派代表の様な存在で、自身の部屋に篭りがちだ。

 ただ、長くを同じ場所で佇んでいると気がめいる事もあるようで、それなりの頻度で散歩する姿も目撃されている。今回、その散歩先が偶々曙達が居る港であったと言うだけのことだ。

 実に不幸なことであるが。

 

「おうおーう! 秋雲さんよーう。ここを通りたきゃ払うもん払って貰おうかー」

 

「えーっと、はい、これ」

 

「……ナニコレ?」

 

「え、提督の絵だけど」

 

「キタコレ!」

 

 秋雲に対して、良からぬ悪い顔で絡んでいた漣は、しかし秋雲がスケッチブックから離して手渡してきた提督の絵一枚で確り餌付けされていた。

 

「この前一緒に提督と港で喋った時の記憶を頼りに、一枚二枚と書いたんだぜーい」

 

「自慢ですか、自慢ですか? 秋雲さんそれは自慢ですか?」

 

 そして瞳孔が開ききった目でまた絡んでいた。実に表情豊かな艦娘だ。

 少々可笑しいところもあるが、平々凡々な提督を頂におくだけあって、この鎮守府は平和である。特に艦娘同士の衝突もなく、穏やかに過ぎる日が多い。だが、何事にも例外がある。

 それがこの、漣と秋雲だ。

 両者共に、ネットに強い、いわゆる提督に近い艦娘なのだが、漣は活発的な所が提督と相性が悪く少しばかり距離が遠い。対して、秋雲は提督と特に親しいと言われる艦娘の一人だ。

 漣からすれば自身と近しい秋雲が、漣曰くのご主人様と親しくやっているという現状に納得がいかぬという訳である。

 

 その癖

 

「で、漣達は何してんの? ねぇ何してるの? ねぇねぇ?」

 

「妹の真似すんなし……あれ、妹じゃないんだっけ? あぁもー! 秋雲紛らわしいし!」

 

「えー……で、何してんの?」

 

「漣達はクリスマスでやるダンスの練習中よ! 秋雲と違って篭ってばっかじゃないんだからね!」

 

 会話は案外普通だ。と言うよりは、秋雲が主導権を握っているからだろう。これで秋雲まで漣に合わせれば一波乱起きることもあるだろうが、秋雲はのらりくらりと避けるので一応なんとかなっている現状である。

 その秋雲が、今度は曙に目を向けた。

 

「それって綾波姉妹全員で出んの?」

 

「そうよ」

 

「じゃあ、他の皆は?」

 

「綾波は演習で出撃、敷波は事務の手伝いで、朧と潮は敷波の手伝いよ」

 

 曙の言葉に秋雲はなるほどといった相でふんふんと頷いた後、どうした訳か比較的綺麗な箱に腰を下ろして鞄からスケッチブックを取り出し始めた。

 そしてペンを手に取ると、

 

「あ、秋雲の事は気にしないでいいよ。ほらほら、練習続けてー」

 

 と言った。

 言ったは良いが、しかし曙も漣も動かなかった。当たり前である。秋雲が準備したそれを見れば、彼女のやろうとしている事は明白だ。練習中の自身を描かれるなど、彼女達からすればなかなかに容認し難い物である。

 曙が口を開くより先に動いたのは漣であった。

 

「秋雲! せめて許可くらい取りなさいよ!」

 

「じゃあ、今度執務室で書類相手に唸ってる提督とか描くけど、どう?」

 

「曙! なんか凄いニッチっぽいけどめっさ欲しいのがキタコレ! どどどどどうする!?」

 

 割と本気で焦りだした妹に、曙は何とも言えない相で肩を落とした。どうして妹はこうも欲望と言ってよいかどうかも分からない何かに素直なのか、と嘆いたからだ。

 まず頷いて良い物ではない。であるから、曙は秋雲を睨みつけ口を開いた。

 

「提督が執務室でくつろぎながらお茶を飲んでいる絵にならないの?」

 

「曙もニッチだねぇ……」

 

 どこか感心したような呆れ顔で呟く秋雲に、曙は鼻を鳴らした。

 彼女達がここに居るのは提督のためだ。その提督が、僅かでも日常を穏やかに過ごしているその瞬間を欲する気持ちは、捻くれていようが捩れていようが素直に欲しいのである。

 漣の琴線に触れた書類を相手に唸る云々も、それと同類だ。

 提督の凛々しい顔も、考え込む顔も彼女達には必要ない。いや、惹かれない訳ではないが、それでも一番欲しいのは愛する人の普段の姿だ。

 曙の相に何を見たのか。秋雲はペンのノック部分で軽く米神をかくと二度三度と頷いた後応えた。

 

「それでいいなら、まぁ秋雲も初霜に交渉して頑張るけどさぁ……」

 

 執務室の中のことであるから、流石に秋雲だけでは決められない。それには秘書艦初霜の許可が必要だ。もしくは、初霜にそういったシーンをスマホか何かで撮って貰うかである。

 秋雲自身も欲しいワンシーンであるから、許可を得るための労力には厭わないが、こういうところは誰も彼も一緒だと呆れもしたのだ。

 

 その言葉で、曙と漣は互いの顔を見て頷きあった。二人の両目に溢れるのは決意の光である。案外安い光であろうが、それを突っ込んではいけない。少なくとも彼女達は真剣である。

 

 曙はタオルを置いて先ほどまで踊っていた場所に戻り、漣は音楽を鳴らすためにプレイヤーに近づいていった。と、漣は再生ボタンを押す前に、秋雲が来る前に言おうとしていた事を思い出し、なんとなくそれを口にした。

 

「そう言えば、ご主人様ってどんな音楽が好きなの?」

 

 なんともない問いだ。が、その問いに曙は動きを止め、秋雲はスケッチブックから目を上げて漣を見ていた。口にした漣自身、軽い気持ちで口にした言葉であったが、それを知らぬ自身に不甲斐なさを覚えたのか、徐々に目を細めて俯いていった。

 そのまま自身のつま先に視線を落とそうかと言う漣は、しかし素早く顔を上げて秋雲を見た。

 漣の挙動につられて、曙もまた秋雲を見る。そして曙は、あぁなるほど、と漣の行動を理解した。

 

 秋雲は提督と親しい艦娘の一人である。

 であれば、提督のそういった趣味も知っている筈だと漣は見、曙はそれに納得したのだ。だがしかし、どうであろうか。スケッチブックから目を離した秋雲の顔は、思案に染まった物であり、そこに知る人間特有の優越感といった物は見られない。

 

 だが、望みが無い訳でもない。秋雲の相を覆うのは思案だ。知らぬ、といった物ではない。それはどこかで聞いた情報を、必死に記憶の中から探して出そうとしている相にも曙には見えたのだ。

 

「あー……なんだったかなぁ……鬼……」

 

「鬼!?」

 

 秋雲の口から出てきた物騒な単語に、漣が目を剥いた。

 

「確か……うーん……首?」

 

「首……!?」

 

 続いて秋雲の口から転がってきた何やら危険な感じの単語に、曙が一歩引いた。

 

「あぁー……あぁ! 悪魔!!」

 

「悪魔!?」

 

 そして今度は秋雲の言葉に二人して同時に叫んだ。

 暫し黙り込んだ後、曙と漣は顔を見合わせ、次いで秋雲を同時に睨んだ。睨まれた秋雲は、スケッチブックで顔の下半分を隠して僅かに腰を引いた。それほどに二人の眼光が鋭かったからだ。

 

「あーきーぐーも……なんか盛ってない?」

 

「えー……秋雲何一つとして盛ってないってー」

 

「いや、それにしたって……なんか、物騒じゃない、それ」

 

「提督が、なんかそんな感じの手毬歌が好きだってこの前言ってたんだってー」

 

 詰め寄る二人に、頬を膨らませる一人である。

 さて。

 このうち二人は、鎮守府にあって相性が悪い組み合わせだと聞いて誰が信じるだろうか。

 恐らく、誰も信じはしないだろう。

 

「秋雲嘘ついてないってばー……なにさなにさもー……何か微妙にテンション下がるわ……漣、秋雲の肩揉んで?」

 

「調子に乗ると、ぶっとばしますよ?」

 

「あんたらほんと……仲良いわよね」




 提督のカラオケでの十八番は、悪魔の手毬歌の鬼首村のわらべ唄です。
 カラオケに入っているかどうかは知りませんが。


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67話

 常の執務室で、常の通りに書類に目を通して提督はペンを走らせていた。いや、サインでは通らない、大淀のチェックの後大本営に送られるような書類もあるにはあるので、判子も使っての書類仕事だ。

 最近袖を通した第1種軍装――冬用の黒い海軍士官服の似合わぬ提督でも、書類に目を通す姿だけはそれなりの物だ。社会人時代にも経験した書類仕事であるから、提督も特に気負わぬ姿だ。

 それでも、やはり鎮守府とは軍属だ。書類の内容は兵装、兵站、軍事情報などが絡んでくる為、提督にとってはやはり異質な世界だ。それを数字や文章で見ても、彼にはあやふやな物に見えてしまう事すらある。

 なれぬ数字に惑わされ、脳に要らぬ負担が掛かる事もしばしばで、当然それはミスに繋がる事も在るのだが、その為に提督には秘書艦がつく。

 

「司令官……これ、本当に通してしまっても……?」

 

 この日も、そうであった。

 白魚の如き指が差し出す書類を受けとり、さっと目を通す。内容は、球磨の長期休暇の申請だ。球磨直筆で書かれた書類――というより手紙は、姉妹の面倒を見ることに疲れたから、暫く執務室で息抜きがしたいという類の嘆願が丁寧に、かつ達筆に記された物であった。

 提督は暫しそれに見入ってから、そっと目を離して困惑顔で頭をかいた。

 彼の記憶ではこの書類に目を通した記憶が無い。何か別の事と混同したのか、サインこそまず間違いなく提督のそれであるのだが、まったく覚えがないのだ。

 

「駄目、っていうか球磨さんはあれだ、長期休暇を執務室でって、どうやって過ごすつもりなのだろうね?」

 

「それは……司令官の傍にあって、同じ時間を過ごしたいという事では……?」

 

「いやあ……僕の息が詰まるなあ……」

 

 秘書艦の返しに、提督は肩をすくめた。

 彼自身若い男であるから、見目麗しい女性が傍にいるのは一種の潤いとも言えるだろうが、長きを一緒となるとそれは流石に考えなければならない事だ。

 将来を約束した女性であれば、それもまた一つの練習期間と考えて頷く事も出来ただろうが、そうではないのだから提督としても許可できない事である。

 

「それに、クマーが長期休暇入ったら、大変な事になるしねぇ……」

 

 この提督の言葉に、秘書艦は同意と頷いた。

 球磨という艦娘は軽巡四天王と呼ばれる五人の一人であり、その親しみやすい個性や、長くこの鎮守府にいる艦娘達の面倒を見てきた事もあって皆から愛される艦娘だ。

 であるから、そういった艦娘が抜けた穴と言うのは中々に埋められない物である。更に言うなら、球磨はあの個性的な球磨型姉妹の長女だ。

 重石が外された場合、どうなるか提督には予想もつかないのであるから、到底認める事など出来ないのである。

 

 提督としては、妙高、川内、球磨、陽炎の長期休暇だけは、この鎮守府と自身達の胃の為にも、絶対に許可しないと断固たる決意で望んでいた。

 

 筈なのだが、結果は今提督の手に在る書類が物語っている。

 一応、来客用として置かれているソファーに腰を下ろし、テーブルに書類を広げて今も目を通している秘書艦が居なければ、提督はクマークマー鳴く全自動世話焼き機の手によって駄目にされていた事だろう。そして鎮守府も、球磨が抜けた事によって徐々に歯車が狂って行き、緩やかな崩壊にむかっていた筈だ。

 自身と鎮守府の無残な未来が見えたのか、提督は小さく身震いしてから掌で額を軽く叩いた。それから顔を上げて、書類に目を落としている秘書艦に感謝の言葉をかけた。

 

「あぁ……本当に助かったよ、ありがとう、早霜さん」

 

「……ふふふ。こんな私でもお役に立てたのね……嬉しいわ、司令官」

 

 書類から目を上げ、提督の言葉に無垢な笑みを浮かべるのは、独特な制服を着込んだ艦娘、早霜であった。常の秘書艦初霜、または代理をよく頼まれる加賀や大淀ではない。

 今日は、早霜が提督の秘書艦なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな事もある物なのだろう。

 初霜、大淀、加賀、という提督の補佐役を長く勤めた事務仕事に馴れた艦娘達は、現在年末の倉庫群の在庫調査中だ。

 小分けにして調べても居たのだが、やはりこの時期になるとどうしても大掛かりな仕事が転がってくるようで、それはこの鎮守府も逃れられない物であったらしい。

 その為、比較的事務仕事に馴れて、しかも提督好みに静かな早霜が代理として秘書艦を担うことになったのだ。もっとも、その仕事も昼までだ。

 現場で指揮を執る大淀は倉庫から動けないが、初霜と加賀は昼で一旦引く予定である。

 早霜はその間の繋ぎだ。最終的には初霜もまた早霜の仕事をチェックするのだから、代役程度と考えて気軽に構えてもまったく問題ない仕事であったのだが、

 

「司令官……お茶を、どうぞ」

 

「あぁ、ありがとう」

 

 早霜は確りと勤め上げていた。

 書類仕事も確りとこなし、提督が疲れたと見たら一礼してお茶を汲み、場が静かに過ぎて二人の間が乾燥した時等は、邪魔にならない程度の世間話や噂話で執務室の乾いた空気を潤した。

 それは長く提督の秘書艦を勤める初霜や、事務方になれた大淀、提督のお気に入りである加賀に比べれば少々力及ばぬ所作ではあったが、誰の目から見ても秘書艦に相応しい仕事振りであった。勿論、提督に異などない。在ろう筈もない。

 提督の手に在って、軽く嚥下された茶などは提督好みの風味と熱さであるのだから、異など欠片もない。

 

「あぁー……美味しいなぁ……」

 

 ほっと息を吐きながら心底と声を零す提督に、早霜はゆったりとした仕草で口元を掌で隠して小さく笑った。その笑みにどこか母性の様な物を感じて、提督は早霜を見下ろした。

 

 そう、見下ろした、である。

 

 個性的な艦娘、というのはこの鎮守府にあっては歩けばぶつかる、と言うほどに多いが、この早霜という艦娘もまた実に個性的な存在だ。

 言葉や仕草一つにしてもどこか幽かな香りがある癖に、一度言葉を交わせば忘れられない所がある。口数は少なく、特に前へと出たがるような艦娘でもないのに、だ。

 その個性の一つが、今提督の前で為されている早霜の行為だ。それをじっと提督が見つめるからだろう。

 早霜は小さく首をかしげて淡い唇を動かした。

 

「司令官……どうかしましたか?」

 

 執務机の前で、ちょこなんと正座を崩した――いわゆる女の子座りなるもので座したままだ。

 

「……いやあ、立ってもいいんだよ?」

 

「いいえ、いいえ。司令官……それでは司令官を見下ろしてしまうわ……」

 

 提督の言にも、早霜はそう返して首を横に振るだけだ。この少女の線引きの一つであるのか、それとも何かもっと他に理由でもあるのか、兎に角早霜という艦娘は提督を見下ろす事を良しと出来ないらしく、見下ろす様な事態に陥った場合はこうして自身が座ってしまうのである。

 提督にお茶を渡した後、ソファーにも戻らず、態々一礼して、だ。

 奇異な行動である。まず一般的な社会にあって誰しもが頷けるといった類の物ではないだろう。

 だが……ここは一般的な社会ではない。

 

 艦娘達の本分は戦闘だ。守る為の戦闘であり、攻める為の戦闘だ。遠征は戦う為の物資を集める任務であり、演習も牙を研ぐ為の模擬戦闘で、最終的にはどうあっても戦闘に帰結する。

 ねじが一本足りない、歯車が一つかみ合っていない。その程度は、だからどうした、と鼻で笑ってしまえるのが鎮守府と言う小さな世界だ。

 

 見下ろすのが不敬だと早霜は座すが、彼女が現在行っている行為もまた不敬だと見る者は見るだろう。例えそれを指摘しても、早霜はただただ座るであろうから、これはまことに立派な個性である。奇矯と言った方が、恐らくは正しいのだろうが。

 

 立派な、とは言ったが誉めるようなものでもない。故に提督は早霜の、きょとんとした様子に肩をすくめて頭をかくだけだ。少なくとも、提督にとって今日の早霜は許容できる存在であるから尚更だ。

 随分前の様に、誰かが開けた扉の隙間を潜って、誰にも知られず入り込んできた時に比べれば、今日などはドアをノックして普通に入ってきたのだから、提督としてはその程度流してしまった方が心の均衡を保てるという物である。

 

「ところで、司令官……?」

 

 沈黙を嫌ったのか、それともただの問いかけであるのか。

 早霜が提督を見上げて小さく口を動かした。淡い唇はその作りに相応しく僅かにしか動かない。その癖、不思議と声が提督の耳に確り届く物だから、提督はそれが声ではなくなにか別の物ではないかと信じた。

 

「早霜のお茶……どうですか?」

 

「うん……? んん……」

 

 美味しい、と先に提督は伝えたにも関わらず、早霜は問うて来た。となれば、それはもっと別の答えを待っているという事だ。少なくとも提督はそう受け取った。だから提督は、目を瞑ってもう一度早霜が淹れたお茶を口に含み、ゆっくりと飲み込んだ。少しばかり冷めていたが、まだそれは提督の好みの範疇だ。お茶で潤った舌先で下唇を軽く湿らせてから、提督はまた早霜を見下ろした。

 

「早霜さんのお茶は、美味しいね」

 

 本心だ。前と差して変わらない言葉であるが、これが早霜の淹れた物で、それが美味であると提督は言っただけだ。本当に先ほどの言葉と差して変更点が無い。

 が、提督の言葉を聴いた早霜は満足げだ。

 首の下――自身の鎖骨辺りを軽く弄りながら、早霜は幸せそうな笑みで頷くだけだ。

 眼前に居る提督にも読み取れない、静かな、ただ静かな歓喜である。早霜の指先の熱さを知るのは、服の下で掴まれたペンダントとなって吊るされた誰かの第二ボタンだけである。

 

「カレーもそうですけれど……艦娘の数だけ、それぞれの味わいがありますからね……ふふふ」

 

「うん、お茶、な。お茶だから」

 

 早霜に他意はないだろうが、聞いている提督の方が思わず訂正したくなる様な言葉だ。せめてもの救いは、ここに早霜と提督以外が居ない事と、呟いた早霜の相が楚々とした、他意を感じさせない物であった事だろう。

 

「そういえば……この前、夜道で神通さんに会って、私達の部屋でお茶でもどうですかと誘ったのですが……」

 

「ですが?」

 

 お茶繋がり、という事だろう。

 早霜の世間話に提督は長くなった場合も考え、冷める前に飲み干そうと湯飲みを傾けながら目で先を促した。早霜はそんな提督の視線に目をあわせて頷き、また口を動かす。

 

「何か……用事があったようで、すぐ立ち去られてしまいって……肩を震わせながら、目尻に涙まで溜まっていたのですけれど……私、神通さんに何かしてしまったのかしら……と」

 

「……」

 

 提督は無言である。

 まさか言える訳も無い。夜道で会った部下に、上司が涙が出るほど驚いた等と、早霜の為にも神通の為にも言える筈が無かった。

 早霜という艦娘は美しい少女であるが、その美しさにはどこか浮世離れした透明さがある。それが夜空の月や、頼りない街灯に照らされると、この世の物とは思えない影を落して早霜を覆ってしまうのだ。これは提督の第一旗艦である山城も同じだ。

 勿論それらは、早霜や山城が悪い訳ではない。もって生まれた、どこで使えば良いのかイマイチ分からない特徴だ。ただ、神通としては二水戦の旗艦として、同じ二水戦の早霜にそれ以上醜態を見せられなかっただけで、早霜からのお茶会や誘いに何か思って断った訳ではないのだ。

 

 どこか縋るように見上げる早霜の双眸に、提督は空になった湯飲みを机に戻して笑いかけた。

 

「神通さんはそんな人じゃないだろう? 今度はお昼にでも誘って見たらどうだい?」

 

「……えぇ、そうですね」

 

 気休めだ。提督の言葉は気休めだ。だというのに、聞いた早霜は笑顔だ。少々淡い笑顔であるが、それは愛想笑い等ではない。むしろ安心した様な、胸を撫で下ろす様な笑みだ。

 提督はその相に、何か引っかかりを覚えた。何か胸に刺さっていた物が取れたように見えたからだ。

 提督の相に浮かぶ疑問を見て取ったのか、早霜は小さく頷いた。

 

「少し前のことですが……訓練中に、少しありまして……」

 

「少し?」

 

「はい……」

 

 当時の事を思い出しているのか。早霜は目を閉じて天井を仰いだ。仰げども彼女の瞳は閉ざされているのだから、そこには何も映らない。もし映るものがあったとするなら、その時の情景だけだ。

 

「二水戦の訓練中に、神通さんが心構えを口にして……」

 

「心構え?」

 

「……はい」

 

 そこで、早霜は目を開けて提督を見た。その双眸は幽かな常の早霜ではなく、まるで訓練中の神通が乗り移ったかの如く鋭い物であった。変化に驚き、僅かに目を見開いた提督に構わず、早霜は神通の瞳のまま、神通の言葉を紡いだ。

 

「仏と会えば仏を斬り」

 

「あぁ、神通さんそっち系も読むんだ……」

 

「鬼に会っても仏を斬る」

 

「……」

 

 提督は突っ込まなかった。いや、突っ込むべきなのだろうが、神通の瞳を宿した早霜の相と言葉に、果たして突っ込んでよい物かどうか迷ったのである。

 

「……私達も、今の提督と同じで……その、どう返せばいいのかと迷ってしまい……」

 

 そしてそれは、当時の早霜のまた同じであった。もう常の早霜の相に戻って口元を掌で隠す早霜である。

 提督としても、なんとも言えない物である。間違いは誰にでもある。これもまた、先ほどの夜道で会った云々と同じで、流すべきだと提督は考えて突っ込まないことにしておいた。

 

「まあなんだ……そういう事もあるという事で……」

 

「……そう、ですね」

 

 二人は同時に頷いてこの話題を終わらせた。

 早霜はそっと一礼してから正座に戻り、そのまま器用に下がってソファーへと近づき、そこに腰を下ろして再び書類に目を通し始めた。実に奇矯な行動である。それが楚々と行われるから、尚更奇妙である。が、反面それでこそ早霜とも思えるのだ、提督には。

 見ていて飽きない艦娘が多いこの鎮守府であるが、早霜などはそのうちの五本の指に入るのではないだろうか、と提督は妙な感心をしつつ数度頷いた。

 

 それでも、提督の視界の隅に映る備え付けの時計は、昼時を告げている。早霜の仕事は昼までの代理だ。どこか彼の妻――という事になっている、だが――山城に近い少女との時間が終わる事に、提督は何故か寂しさを覚えた。

 だからだろうか、提督は机の上にあるそれを手に取り、早霜に声をかけた。

 

「……早霜さん、お代わりを貰えるかな?」

 

 湯飲みを手にする提督は、喉などもう渇いていない。熱いお茶が恋しいほど寒いという事も無い。ただのわがままだ。

 だというのに、早霜は提督の言葉にゆっくりと書類から目を離して振り返り、そっと微笑んだ。

 

「えぇ……私で良ければ……味わってください、司令官」

 

 誰かが聞けばまず疑いの目を向けるような言葉だ。

 しかしそれは、誰か居ればだ。

 ここには提督と早霜しか居ない。二人だけの小さな世界だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに、神通の言葉は言い間違いでもなんでもない。

 一度敵と決めたら何があっても、どうあっても斬れという神通からの暖かいメッセージで、早霜達がそれを知るのはもう少し先の事である。恐らく知りたくはなかっただろうが。




 お久しぶりの早霜さん。
 初霜さんとひらがなでも漢字でも一文字違いの早霜さん。


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68話

 きらきらと、きらきらと輝いていた。

 昨夜から降り続けた雪は鎮守府にも町同様の白化粧を施し、窓の外の世界を見慣れぬ風景へと変えていた。

 街路樹の枝をたわませる雪も、舗装された道を覆う雪も、各施設の屋根に積もる雪も、皆太陽に照らされてきらきらと輝いている。

 その輝きが余りに眩しいので、提督は目を閉じて息を吐いた。

 

 目が閉ざされた事で鋭敏になった聴覚が、訓練場で遊んでいる駆逐艦娘達の声を拾い上げた。

 

「それー! 綾波覚悟っぽいー!」

 

「雪合戦なら、綾波負けませんよー」

 

「寒い……部屋に戻って……コタツに篭って、ねる……」

 

「そうかい? 僕はどうにも、無性に走り回りたい気分だけれど」

 

「雪だるま……作りたいかもですね」

 

「そうですね……隅で一緒に作りましょうか?」

 

 夕立、綾波、初雪、時雨、高波、浜風の声だ。

 史実の武勲や功労に感じ入り、時間が許す限り育て上げてきた提督にとっての駆逐艦のエース達だ。それぞれ個性を感じさせる言葉に、提督は頬を緩めて足を動かした。

 

 散歩。

 ただそれだけの事だ。ここに来てすぐには出来なかった、ごく当たり前の事である。

 雪化粧に染められた街路樹を見ながら提督が歩いていると、次に加賀と扶桑の声が聞こえてきた。

 

「あら……あんな所に時雨が……加賀、少し拝んできても良いかしら?」

 

「やめなさい、扶桑。いえ、本当にやめて」

 

 訓練場の隅にある、提督からは物置を挟んで見えない休憩所からの声だ。きっと何事かあって、いや、もしかしたら何事もなく二人して休憩所でホット缶片手に些細な事、或いは重要な事を語り合って居たのだろう。

 提督は物置の向こうに居る、見えぬ二人になんとなく一礼してから訓練場から離れていった。

 

 歩く歩く、ただ歩く。

 提督は一人、ただ歩く。

 

 特にどこか目的がある散歩ではない。目的も目標も無い、そんなただただ普通の散歩だ。

 が、今日は常の散歩とは少しだけ違う。雪が太陽光を反射して目が痛いのである。似合わぬサングラスをするくらいなら、と提督は空を見上げた。太陽そのものが存在する空であるが、幾分ましである。

 

 提督が目を細めて空を見ていると、そこに一つの小さな飛行機雲が生まれた。

 生み出したのは、小さな烈風改である。

 なんとなく、本当になんとなくだが提督はそれに向かって手を振った。それに気付いたのか。烈風改はくるりと提督の頭上で一回転して港の方角に去っていった。

 

 龍驤の艦載機だ。誰にも聞かずとも提督には分かる。そんな事だけは分かるのだ。

 どんな時でも、常に第一艦隊に座しあらゆる敵を粉砕してきた殊勲艦の羽があれであると、彼だけは分かるのだ。

 

 暫し大空に消え行く小さな飛行機雲に見入っていたからだろう。提督は冬の刺すような寒さを感じて黒い外套の襟をかき合せ一つ小さく震えた。

 周囲を見回し、目当てのものを見つけるとそれに足を向けた。

 

「暁はレディなんだから、コーヒーくらい平気よ!」

 

 そんな声を聞いた。

 提督の視線の先にあるのは、道におかれた普通の自動販売機である。そこで売られているのは、季節に合わせた缶の飲料だ。

 今は冬であるから、そこにあるのは当然ホット缶ばかりである。自身もまたそれを欲する提督は、聞こえてきた暁の声に苦笑を浮かべて自動販売機へと近づいて行く。と、もう一度提督の耳に声が届いた。ただし、その声は暁の物ではない。自動販売機の向こうから響いたのは、もう一人の声だ。

 

「凄いですね。雪風はコーヒーが全く飲めません!」

 

 何故か自信満々、といった雪風の言葉に、提督は苦笑をさらに深めた。

 提督は知っている。暁は確かにコーヒーを口にするが、それはコーヒージュースとも言えるような甘い奴だけだ。提督好みの水出しのブラックではない。

 その辺りを少しばかり突いて、暁を慌てさせて見ようか、という悪戯心が提督の胸に芽生えた。少しばかり足を速めて自動販売機へと歩み寄り、そっと正面に回った。

 

 そこに、誰も居ない。

 

 少女二人分の温度や香りは確かにその場に残っていたが、二人の姿はなかった。

 提督は小さく首を横に振ると、外套から財布を取り出し、冷たくなった指先で小銭を不器用に掴んで自動販売機のコイン投入口に入れた。

 提督はどのボタンを押すかで少しまごついた。彼好みのブラックが無いのだ。あっても微糖までである。

 

 人体としてのエネルギー源である糖分を摂取する事を考えれば、確かにラインナップはそれでも良いだろう。が、コーヒーや紅茶といった嗜好品は、もっと幅を広げるべきだ、と提督はため息をつき、選んだ微糖のコーヒーを取り出し口から取り出して、外套のポケットに入れた。暫くの間は、これがカイロ代わりであるからだ。

 今度大淀にラインナップの見直しを相談しよう、と一つ頷き、提督は自動販売機に背を向けて、また散歩を始めた。

 

 歩く歩く、ただ歩く。

 提督は一人、ただ歩く。

 

 鎮守府と同じ様に、赤レンガ造りの倉庫群を提督が眺めていると、どこかから音が響き始めた。それなりに入り組んだ場所であるから、音一つにしても反響が激しく、それがどこから響くものであるのか提督にはさっぱりであった。

 が、次に耳に届いたものは、提督にとってさっぱりではなかった。

 

「長良さん……! 遅れていますよ!」

 

「この……! 負けないよ! 負けないんだから!」

 

 倉庫群の中で響き渡る軽快な足音と、その主達の吐息と声だ。

 神通、長良である。

 

「司令官の為にも……! 今回の勝負は貰うよ!」

 

「負けません……! 提督……私に力を!」

 

 ただの長距離の走りこみ一つにしても、身体能力が伯仲した両者の間には何か余人にとって理解し難い勝負的な何かがあるようで、司令官の為と叫ぶ長良も、祈るように提督と口にした神通も、恐ろしいほどに真剣であった。

 無論、提督からは二人の顔色など全く見えない。彼が知る情報は倉庫の隙間で跳ね返り続けている彼女達の声と足音だけだ。

 それでもやはり、それはきっと真剣なのだと提督には思えた。

 

 外套のポケットの中で、少々温くなった缶コーヒーを弄ってから提督は頭をかいた。

 その間にも、足音は遠ざかっていく。音が不規則に響き渡る様な場所でも、去っていく音は徐々に小さくなっていくものだ。

 そして、風だけが提督の耳を撫でるようになった。

 温くなった缶コーヒーをポケットから取り出し、プルトップを開けようかと考えた提督は、しかし思いなおした。

 まだ少しばかり、その温もりが必要だと思ったからだ。

 

 なんとはなしに見ていた倉庫群から目を離し、踵を返した提督は見慣れた影を幻視した。長く艶やかな黒髪、その髪によって隠された片目、そして独特な制服をまとった少女の姿だ。

 提督は暫し立ち止まり、目を瞬かせてその姿があっただろう場所を凝視した。

 だが、そこに人の姿などない。故の幻視だ。

 提督は小さく首を横に振って、ポケットから缶コーヒーを取り出してプルトップを開け――飲み干した。

 

 僅かばかりの温もりも、消えた。それでも、それでも。

 歩く歩く、ただ歩く。

 提督は一人、ただ歩く。

 

 どこをどう歩いたのか、提督にも判然としない物であるが、面白いものでその足は正確に鎮守府の中心部、提督の私室兼仕事部屋がある司令棟の廊下の上にあった。

 最近、どうにか提督にとって見慣れた鎮守府、となった場所であるが雪に彩られた鎮守府は常とは違った物で、散歩も寒さをのぞけば提督にとってはなかなかに乙な物であった。

 それは今歩く廊下も同じであるようで、白がのぞく窓の景色は、廊下に飾られた絵画のようで提督はそれを一つ一つ眺めながら、ゆっくりゆっくりと歩いていた。

 

 が、そこで一つ絵画が抜けた。

 いや、空気の交換の為に窓が開けられていただけであるが、提督には絵画が一つ抜けたように見えたのである。閉じようか、閉じまいか、と足を止めて考える提督の耳に、窓の向こうから声が届いた。

 

「明石さーん、司令官は普段酒保でどんな物を買うんですカー? 青葉気になっちゃいます」

 

「もう……お客様の事だから教えませんよ」

 

 青葉と明石の声だ。

 窓の下を、歩きながら会話を交わしているのだろう。なんとなく、二人がどんな相で言葉を交し合っているのか想像できた提督は、足を動かして窓へと近づいていった。

 

「じゃあじゃあ、青葉が知ってる司令官の特別な情報と交換でどうでしょう……?」

 

「――……お、おおおおお客様の事だから、お、おしえま……せん……けど……でも……」

 

 顧客の情報管理は基本だろう、等と胸中で明石に突っ込みつつも、提督は開いていた窓へと辿りつき明石と青葉が居るであろう窓の下に目を向けた。

 そこにあるのは雪に塗られた白い舗道だ。提督がため息をついて目を動かすと、二人の声は曲がり角の向こうから聞こえてきた。どうにも、提督が顔を出したのは二人が通り過ぎた後であったらしい。

 

 窓を閉めて、提督は軽く首の後ろを叩いた。

 今日は誰にも出会わないからだ。

 常であれば提督が歩けば必ず誰かに出会う。出会えば言葉を交わし、時にはスキンシップもとられる。そのまま一緒に散歩することも在れば、一緒に遊ぶ事もある。

 というのに、今日に関してはここまで誰とも出会っていない。なまじ声をきいてしまった分、何か言葉に出来ない寂しさが提督の胸にはあった。

 

 ふと、提督は顔を上げた。

 寝ている間に良く鼻にする、なんとも安心できる香りを感じたからだ。

 周囲を見回し、提督はやはり誰の気配もない事に苦笑を零して肩を落した。寂しさは紛れない。

 

 それでも、足は動く。

 ただただ動く。その提督の小さな領域、執務室へと。

 

 提督が去って暫しの後。

 廊下の角から、提督の背をじっと見つめる大井の姿があった。

 

 歩く歩く、ただ歩く。

 提督は一人、ただ歩く。

 

 そして気付けば、提督は自室の扉の前に立っていた。

 ドアノブをじっと、彼の艦娘達が見れば蒼白になるだろう、きつい目つきで凝視して、だ。

 提督にとって、この扉とドアノブこそが、すべての隔たりであった。大きな溝であり、深い境界線である。

 たったこの板一枚、金属部品一つによって提督は狭い世界の中で暫しの間息をしていたのだ。

 その癖。

 

 ドアノブに手を伸ばし。その冷たい感触に目を細めて提督はゆっくりとドアノブを回した。

 

 簡単に。どうしようもないほど、簡単に開くのだ。何かしらの理由があっての事だろうが、提督にとっては忌々しい扉で在る。それでも提督にとって日常の風景の一部であるのがまた、提督には忌々しいのだ。

 そんな顔で部屋に入ったからだろう。

 

「提督、お帰りなさ――ひっ」

 

 執務室を掃除していた山城が、小さな悲鳴を上げた。手に在ったはたきを落して、自身の体を抱きしめ、目には涙が溜まっていた。本気で怯えてるのだ。

 提督はそんな山城を見て、何故山城が部屋に居るのかよりも、自身が山城にそんな顔をさせたのだと察し、自身の頬を数度強く叩いて常の相に戻した。

 そして、まだどこか怯えた様子で提督を見る山城へと歩み寄り、声をかけた。

 

「ごめん、山城さん。ちょっと良くない事を考えていて……怖がらせて申し訳ない」

 

「い……いえ、いいの……だ、大丈夫……」

 

 大丈夫、と声にする山城であるが、その相は到底提督からすれば信じられる物ではない。声は震え、涙はもう頬を伝ってとめどなく流れてしまっている。

 さて、こういう時はどうする物であったか、と提督が考えるより先に、彼の体は動いてしまっていた。ここ最近になって彼の身に自然とついてしまった、第一旗艦が怯えだした時に宥める為に行っていた動作である。

 

 抱きしめて、背を叩く。

 それだけだ。

 

 大丈夫だとも言わない。安心しろとも言わない。

 提督のそれは、ただそれだけだ。それだけであった筈なのに。

 提督は山城の髪の香りを感じながら、執務室の窓から見える白い風景を見て呟いた。

 

「山城さん……今日は月が綺麗だろうね」

 

 世間話だ。冷たい夜の月は、玲瓏たる姿で浮かぶだろう、と呟いただけである。迂闊である。迂闊すぎるとしか言い様が無い。

 提督に抱かれて背を叩かれていた山城は、おずおずと提督の背に手を回し、やがて離すまいと提督をかき抱いた。

 相は見えない。姿さえも、提督と抱き合って半分ほどしか見えない。それでも、その姿は誰が見ても乙女であった。

 

 山城が、小さく何かを呟いた。か細く、消え入るような声だ。

 すぐ傍に、本当にすぐ傍に居る提督にさえ判然としない声であるから、提督は小さく首をかしげて山城に問おうとした。

 が、それは出来なかった。

 

「提督、そろそろクリスマス会場に」

 

「お、大淀さん……! 今は駄目です――!」

 

 大淀と初霜が、扉の開いたままだった執務室に入ってきたからだ。

 その瞬間、山城は提督から腕を解いて俯き、その顔を両手で覆った。ただし、提督から一切離れていない。提督に寄り添い、離れまいとしているのである。

 対して提督は、第一旗艦と抱き合っていた姿を見られたためか、僅かに頬を朱に染めて気まずそうな相で咳払いをしていた。

 

 大淀としてはそれだけで事情は理解できる。出来るがしかし、それを納得するかはまた別である。大淀は今自身の隣に立っている初霜に目を移した。

 大淀の瞳に映る初霜は、珍しく慌てふためいていた。当然だ。

 自身の提督と第一旗艦の愛在る抱擁――と初霜には見えていた――に見入り、護衛役の本来の仕事を忘れていたのであるから慌てもする。

 

 大淀は小さく咳を払い、背を伸ばして提督に目を向けた。

 

「提督、クリスマス会場の下見の時間です。宜しいでしょうか?」

 

「あぁうん、そういやそんな予定だったね……」

 

 散歩の前には覚えていたが、帰ってきた時にはそんな予定は提督の頭の中からさっぱりと消えていた。当然である。提督にとって特に縁がないイベントだからだ。

 実家に居た時などは提督もクリスマスを楽しみにしていた。ケーキも出れば御馳走も出る。プレゼントだって貰えたのだ。

 だが、成人し実家を出て一人暮らしを始めるとクリスマスもただの寒い冬の一日である。

 外に出歩けば筆舌に尽くし難い苦痛に苛まれ、部屋で篭れば自身の境遇に涙が出そうになる、そんな寒いただの一日だ。

 

 それでも、彼女達と出会ってからはまだマシであった。ゲームの中、ディスプレイの遮られた世界であるが、提督にとっては有意義な時間であった。

 そして今年は、何の因果か生身で彼女達と過ごすのである。

 提督としても思う事は少なくない。少なくは無いのだが……

 

「やっぱりクリスマス中止は無し?」

 

 毎年恒例、サンタがどうこうされているコラや画像を脳裏に浮かべながら提督は口にした。

 とんと縁がないイベントであるから、提督にとってはすごし方が分からないのだ。一人であればなんとでも時間を潰せるのだが、家族友人以外の誰かと、となると提督には全く経験が無い。

 

「ほら、ああいうのはリア充のイベントであって僕には縁遠い物であるからして、今からでも鎮守府中にサンタがどうこうなった画像とかを張りまくる」

 

 もう提案ではなく断言であった。このまま放っておくと、提督は本気でやらかしただろう。

 それを見る大淀と初霜の目は、呆れの色を強く宿していた。それもその筈だ。

 提督はクリスマスがリアルが充実した者達のイベントであると口にしたのである。であれば、提督は参加資格を充分満たしている。

 

 大淀と初霜は、顔を合わせて頷いた。

 

「行きますよ提督」

 

「動かないなら、また檻に入れて台車で運びますからね」

 

 大淀と初霜が、それぞれ提督の手を引いて執務室から連れ出そうとする。

 山城は提督との距離を維持したまま、未だ顔を手で覆ったまま器用に提督についていく。

 提督はされるがままだ。第一旗艦に、秘書艦に、もっとも古い付き合いの任務娘が相手だ。提督にできることは、大人しくついていくだけである。

 

 であるから。

 提督は誰も居なくなった扉が開けられたままの執務室に振り返って――肩をすくめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうでもいい話であるが。

 いや。

 どうでも良くは無い話だが。

 

 クリスマス当日。由良達のダンスが終わり、皆が興奮したその会場で、山城、大淀、初霜の連名で山城と提督の正式な結婚が発表された。

 

 一番驚いたのは――提督である。




「私、死んでもいいわ 」

 小さな小さなその声は、多分誰にも届きはしないけれど――それでも、山城は想いを告げたのだ。


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そこでの、おはなし
設定集とおまけ


基本的に出たキャラクターだけ。

20160205 見落としていたキャラクターと名前だけのキャラクターも追加(潮 浦風 子日 若葉)

20161002 見落としていたキャラクターと名前だけのキャラクターも再追加(菊月 三日月 望月 瑞鶴)

20161005 見落としていたキャラクターと名前だけのキャラクターも再々追加(千代田)

 

 

 

1名前

2艦種

3備考

4ネタ

 

提督の鎮守府

1提督

2元会社員 現提督

3艦隊これくしょんで遊んでいた普通の青年。サービス開始からそう遠くない古参の提督で、艦娘に無償の愛を注いでいたまったくのフツメン。何の因果か、艦隊これくしょんの艦娘や深海棲艦が実在する平行世界に転移され、その状況下で暫し混乱していた被害者でもある。

現在は状況を受け入れて、自身の意思がまったく反映されていない引っ越し先の世界で生きようと決意。艦娘達と自身にとってより良い環境の為そこそこに頑張っている。

嫁は山城。ただしその関係は飽く迄カッコカリ留まりである。

4この鎮守府が駄目な原因の病原体。何はともあれボケたがる。

 

”駆逐艦”

1初霜

2初春型駆逐艦

3提督の秘書艦である駆逐艦娘。比較的温厚で常識的。ただし提督の事となれば少々過保護になる。この鎮守府にいる駆逐艦娘のトップエースの1人であり、一水戦の精鋭であり、鎮守府を代表する艦娘の1人でもある。

秘書艦、という立場にあるが実際は鎮守府全体の艦娘と、提督との橋渡し役である。困ったことがあれば誰々に相談、といった際にはまず間違いなく名前が出る艦娘。

当人は秘書艦という立場に拘っておらず、今までも代理を立てて作戦行動に出た事がある。

4比較的常識人、比較的温厚。比較的。最近では少しばかり出番がないが、統計すれば恐らく提督以外でもっとも出番のある1人。

 

1雪風

2陽炎型駆逐艦

3初霜と同じく駆逐艦娘のトップエースの1人。初霜の親友でもあり、戦友でもある。個性的な陽炎姉妹の中にあって埋没しないだけの個性と確かな実力を持つ。

4意外に出番がない不沈艦。鎮守府に居る猫、オスカーと仲が良い。

 

1霞

2朝潮型駆逐艦

3雪風、初霜、皐月に並ぶ駆逐艦のトップエースの1人。指揮官型の艦娘で、陣頭で指揮を執るタイプ。実際には水雷戦や砲撃戦よりも撤退作戦や救出作戦、支援作戦を得意とするが、持ち味のスピードを使って鮮やかな奇襲作戦も行う。大胆不敵にして小心翼翼という矛盾した指揮艦でもあるが、彼女の中ではなんら矛盾していない。指揮艦として小心翼翼に、兵士として大胆不敵に動いているだけなのだ。作戦立案よりも、作戦実行を得意としているので、現場で考える事が多い。場合によっては何もせず帰ってくる事もあるので、中々に使いづらい艦娘であるかもしれない。

4おかん。ちっさいおかん。

 

1皐月

2睦月型駆逐艦

3駆逐艦娘トップエースの中でも兵士としては最強と見られている艦娘。誰も彼女を旧式であるとは思っていない。神通の愛弟子の一人でもある。

4あまり出番はなかったが、悪通をシャッシャドーンしたりとネタには困らない艦娘でもある。

 

1時雨

2白露型駆逐艦

3駆逐艦娘のエースの1人。演習に良く出る1人で、提督の友人でもある少年提督配下の艦娘達との演習は、大抵時雨が旗艦である。

4あんまりおっきくない。

 

1夕立

2白露型駆逐艦

3駆逐艦娘のエースの1人で、時雨の妹。姉同様どこか犬っぽい。っぽい? 最近では提督を見かけると抱きつくようになった。

4おっきい。

 

1初雪

2吹雪型駆逐艦

3駆逐艦娘のエースの1人。無気力そうな姿だが、縦横無尽に走り回る夕立や血の気の多い艦娘達の支援を受け持つことが多い。比叡から礼儀作法などを習っているようだが、それ以外も教えを受けている模様。

4あんまりない。

 

1綾波

2綾波型駆逐艦

3駆逐艦娘のエースの1人。大人しそうに見えるが、一度戦場に立てば敵対する全てを破壊するまで動きを止めない鬼神様。間宮で芋を使った料理を食べている姿がよく発見されている。

4あんまりない。

 

1高波

2夕雲型駆逐艦

3比較的後期に入った艦娘でありながら、エースの座に上り詰めた真っ赤なシンデレラ。バトル・オブ・ブリテンじみた海戦の中で覚醒した彼女の能力は、現在もまだ頭打ちの気配はない。

4あんまりない。

 

1浜風

2陽炎型駆逐艦

3高波同様比較的遅い時期に提督の鎮守府に来た艦娘。こちらも早くからの前線勤務や演習によってエースと呼ばれるに相応しい能力と経験を得ている。ただし、高波が前衛に出たがるのに対し、彼女は仲間の支援や援護を好む。撃破数は多くないが、同僚達から信頼されている艦娘である。

4でかぁああああああああああああああい!

 

1如月

2睦月型駆逐艦

3何を血迷ったのか接近戦、特に拳での戦闘に特化した旧式駆逐艦娘、の筈である。拳限定であれば、駆逐艦の中でも近接最強と称される妹、皐月ともやりあえる小悪魔系格闘娘。

最近では違う鎮守府の如月と、よく一緒に遊んだり訓練したりする姿が見られている。

4霧島の弟子。艤装廃棄後、眼鏡をつけた。

 

1長月

2睦月型駆逐艦

3三水戦所属の普通の駆逐艦の一人。少なくとも如月や皐月の様な無茶はしない、冷静な艦娘。そのせいか川内とはよく一緒に居ることが多い。

4本当に普通の駆逐艦。この鎮守府では、普通の駆逐艦。

 

1菊月

2睦月型駆逐艦

3睦月型の武人枠でクール枠。と当人は思っているが被害担当枠の不幸な艦娘である。皐月と如月の超接近戦で泣いたりする辺り姉妹想いであり意外と気が弱いところがあると思われる。

4史実関係であるのか、一人でいるのが苦手。だいたいは長月か長姉睦月、特に付き合いの長い天龍の後ろにいる。

 

1三日月

2睦月型駆逐艦

3睦月型駆逐艦の良心、というよりは鎮守府の良心の一人。性能も性格もいたって普通だが、特に肩がこってもいない提督の肩を揉んだりする辺り世話好きなのかもしれない。姉妹の仲では望月と一番仲がいい。

4長月同様まったく普通の駆逐艦。

 

1望月

2睦月型駆逐艦

3鎮守府のインドア派二大格の一人。とは言え仕事は確りするタイプなので特に問題は無い。提督の休憩時間に一緒にゲームをやったり、初雪と一緒にフリーダムなゲームをやったりと、この鎮守府らしい自由な駆逐艦娘。

4駆逐艦としてはいたって普通。ただし初雪秋雲提督漣などと会話し始めると他者では理解出来ないような言葉を繰り出して場を混乱させることもある。

 

1陽炎

2陽炎型駆逐艦

3大所帯の陽炎型姉妹をまとめるだけあって、指揮や面倒を見る事が得意。反面瑞なんとかさんを普通に姉妹と思い込んで受け入れそうになったりする抜けた一面も。

4得意料理は出し巻き。

 

1不知火

2陽炎型駆逐艦

3あんまり落ち度が無い普通だったりする眼光の鋭い不知火さん。ただし提督が関係ないときだけに限るというぶっ飛んだところもあるのでわりと注意。

4ぬいぬい

 

1黒潮

2陽炎型駆逐艦

3よく提督に意味深な言葉をかけられたりして、その度姉妹達から絡まれているある意味での被害担当艦。彼女は一切悪くない。悪いのは提督である。

4黒潮にたこ焼きをあーんってされたい人生だった……

 

1初風

2陽炎型駆逐艦

3提督にお弁当を届けたり、横に座って一緒に食事をとったりと、なかなかに恵まれた艦娘。ただし磯風の監視役も仰せつかっているので、なかなかに難しい立場に居る。妙高を苦手にするも、確り尊敬していたりもする。

4怖いのは妙高、苦手なのも妙高、尊敬しているのも妙高、好きなのは姉妹達、愛しているのは提督。そんな娘。

 

1磯風

2陽炎型駆逐艦

3誰もが知ってる飯マズ艦娘であるが、恐らく頑張れば食べられない物から食べたら死ぬくらいの物を作れる(断言)

4外なる宇宙の神々を無自覚に召還したりする物騒な面も。

 

1谷風

2陽炎型駆逐艦

3案外面倒見が良い、中破が実にあれな艦娘。

4僕はそんな谷風が実は大好きです。

 

1野分

2陽炎型駆逐艦

3四水戦に属する、少しばかり伸び悩んでいた艦娘。他のエースに比べて、仕事や自身の能力で悩んでいたが、那珂と接するうちに考えを改めて立派な艦娘兼アイドルになるために修行中である。当人にアイドルになる予定は一切無いが、那珂が上司になった時点で諦めて欲しい。

4那珂の秘蔵っ子。将来は四水戦を代表する艦娘になる。

 

1浦風

2陽炎型駆逐艦

3浜風にせまるきょういの駆逐艦。きょうい()の。提督甘やかし勢の一人である。

4本当はもっと動かしたかったが、筆者に広島弁の知識がなく断念となった。多分そういった作者さんは多いはず。

 

1秋雲

2陽炎型駆逐艦

3提督ともっとも近しい艦娘の一人。清霜の口調を真似る事が多く、その度に面倒くさい突っ込みをもらっている。

4ケッコンカッコカリのあの言葉は、実に興味深いと思います(迫真)。

 

1早霜

2夕雲型駆逐艦

3正真正銘の不思議艦娘。白い着物とろうそくが一番似合う艦娘であるのだが、その辺りは山城と二分すると言う状況である。

4従順な少女であり、提督の為にある少女でもある。

 

1満潮

2朝潮型駆逐艦

3霞の姉であり、西村艦隊の一人として活躍するベテランの一人。満潮型駆逐艦と言われると本気で切れるので口にしてはいけない。

4ぼのと違って、こちらは提督への好意を隠そうとしていない。

 

1吹雪

2吹雪型駆逐艦

3提督にとっての初めての駆逐艦。最初の一隻。現在では第一艦隊から引き、他の任務にあたっている。ベテランであり、派手な、目を惹く指揮能力は有していないが確実で安全な作戦を執る。ちなみに、間宮食堂では芋料理に舌鼓を打ち、明石の酒保では芋けんぴや干し芋をよく購入している。

4初霜の唯一の先輩。恐らく誰よりも強い発言力を持つが、当人はそれを理解した上で一歩引いていると思われる。

 

1白雪

2吹雪型駆逐艦

3駆逐艦娘達の世話役、寮監も務める縁の下の力持ち。この世界の違う自分が提督との間に子供を残していると知って、ちょっと期待しているのは秘密である。筒抜けの秘密ではあるが。

4実は提督にとっての2番目の艦娘になる筈だった艦娘。任務達成に気付かなかった提督が悪い。

 

1深雪

2吹雪型駆逐艦

3提督の最初の艦娘、駆逐艦娘達の世話役、比叡の弟子にして駆逐艦のエース、という中々に凄まじい姉達がいるが、当人はいたってマイペース。この鎮守府ではまったく普通の艦娘である。この鎮守府では、だが。

4如月の友人であり、実は顔の広い艦娘。艦時代の知り合いが少ない分、艦娘である現在動き回っている様である。

 

1初春

2初春型駆逐艦

3提督の秘書艦初霜の姉。少々特徴的な、古風な言葉を使う。人の世話を焼くのが好きで、人に世話を焼かれるのも好き。最近はまっているのは、乙女ゲームである。

4朝起きると大抵髪が乱れているので、よく妹達が髪を整えている。

 

1子日

2初春型駆逐艦

3ヘビーゲームユーザー。PCエンジン、バーチャルボーイにツインファミコン、メガドラCDやセガマークⅢを現役で遊ぶゲーマー。普通にPS4などにも手を出している。提督が山城達と一緒にプレイしたゲームやDVD等も彼女の持ち物であったりもする。

4ネノヒダヨー

 

1若葉

2初春型駆逐艦

3姉や妹達とは違い、普通の駆逐艦をやっている駆逐艦。ただしハート型の麻婆茄子を提督に作ったりしているあたり、決して普通とは言えないし、それなりに提督への好意がある様子。改暁型とも言える設計思考を艦時代から受け継いだ為か、暁達とよく一緒にいるらしい。あと任○堂ユーザー。

4自身の髪が短いのに、姉妹達の寝癖直しで髪の扱いが一番上手くなってしまった艦娘。

 

1暁

2暁型駆逐艦

3一人前の淑女を自称する艦娘。だがしかし、愛用の腕時計は犬の顔がデフォルメされたもので、愛用の財布は猫の顔がデフォルメされた物である。あとコーヒーが飲めることが自慢であるが、飲んでいるのは甘いコーヒージュースである。

4prpr

 

1雷

2暁型駆逐艦

3誰もが知ってるロリお艦。提督にとっての天敵ともされるが、実際にはさほど脅威でもないという存在だったりする。甘えてもらうことで当人も甘えるという、なかなかの策士。

4駄目になるんじゃー。

 

1江風

2白露型駆逐艦

3着任して日が浅い為、提督に対して懐疑的であった艦娘。が、後に提督にべったりになったりいちゃいちゃし始めるわけだが、それはまた別のお話という奴で。

4まろーん。

 

1朧

2綾波型駆逐艦

3口数が少ない常識的艦娘に見えて、一番のダークホース。漣の影響であるのか、それとも漣に影響をあたえる原因であるのか、独特なネット用語をぽつりと呟く不思議艦娘。

4意外におっぱいがあってびっくりする艦娘でもある。

 

1曙

2綾波型駆逐艦

3一応裏提督ラブ勢のマスクを必死に被り続けているが、端からみたらそんなものぼろぼろであると気付けないちょっぴり迂闊な艦娘。結婚後は、二人っきりになると相当甘える。

4踏んでくださいお願いします。

 

1漣

2綾波型駆逐艦

3提督をご主人様と呼ぶ、ネット用語にも堪能なアウトドア派。その為か、提督に近そうで遠いという不遇の艦娘でもある。

4キタコレ。

 

1潮

2綾波型駆逐艦

3姉妹中一番普通。ただし魔性の色気が若干あったりなかったり。

4おっぱいぷるんぷるん。

 

”軽巡洋艦 重雷装巡洋艦”

1大淀

2大淀型軽巡洋艦

3鎮守府を実質的に運営している艦娘であり、作戦立案能力に優れた参謀役である。提督の右腕。というかもう実質的に提督。この艦娘が居なくなると、鎮守府がちょっと困った事になると思われる。

4実は途中で声変わりしている。

 

1天龍

2天龍型軽巡洋艦

3遠征要員として使われるため、改にもなっていない旧式軽巡艦娘。なのだが、当人の身体能力はともかく、指揮能力は非常に高い。鎮守府を代表するおっぱいがついたイケメンコンビの一人であるが、当人は驚くほどに乙女であるので、実はその呼び名を嫌っている。

4極めて常識的な艦娘。

 

1川内

2川内型軽巡洋艦

3三水戦旗艦であり、この鎮守府では比較的普通の感性をもった艦娘でもある。そして普通過ぎる故に案外語るべきことも無い不遇な艦娘でもある。

4でもやっぱり夜戦は大好き。そして実は鎮守府を代表する飯ウマの人。

 

1神通

2川内型軽巡洋艦

3華の二水戦旗艦。水雷戦隊最強であり、当人もまた鎮守府の最強の一人と称される猛者である。訓練中、戦闘中、作戦行動中はそれに相応しい表情で佇むが、一度日常に入るといたって温和で、弱きにすら見える。趣味は読書と園芸である。

4提督の水雷戦隊好きを体現したような艦娘。

 

1那珂

2川内型軽巡洋艦

3四水戦旗艦。地味な仕事も笑顔でこなす、どんな時でも笑顔がモットーの艦隊のアイドル。そして笑顔のまま熊も絞め殺すおかしい艦娘でもある。最近では由良に旗艦を譲ってもいいかもしれない、と思っている。

4提督の第四旗艦。彼女の娘が、後に国民的なアイドルになるなどと誰が想像できただろうか。

 

1長良

2長良型軽巡洋艦

3軽巡四天王一人であり、神通に劣らない身体能力を持つ。健康美を体現したような艦娘で、一度は提督に意識させたというある意味での武功艦でもある。実は提督に抱きついても注意されない軽巡洋艦娘でもあったりする。

4この鎮守府では本当に貴重な常識的な艦娘。

 

1由良

2長良型軽巡洋艦

3四水戦旗艦補佐。大人しい性格で、どこに出ても一歩引いている。ただし、那珂と一緒に1-5に出たときだけは、生き生きとした姿を見られる。敵潜水艦になにか思うことがあるのかも知れない。

4ね。

 

1鬼怒

2長良型軽巡洋艦

3長良と由良の妹で、自由気ままなマイペース艦娘。ゲームなども嗜むようで、大和相手にゲームで使われている言葉を放っていた。

4コロンビア!

 

1阿武隈

2長良型軽巡洋艦

3一水戦旗艦にして、準重雷装巡洋艦とも言える脅威の火力を有するようになった被害担当艦。軽巡寮で何かあった場合、大抵何かしらの形で関わっているという不遇っぷりである。普段はちょっと気の抜けた艦娘であるが、提督の護衛、一水戦としての任務等となると全く違った兵士の相を見せる。

4実は提督からあだ名で呼ばれている数少ない艦娘の一人。

 

 

1球磨

2球磨型軽巡洋艦

3提督はゲーム上でのデータを目にして育て始めたが、そのまま個性を気に入ってレギュラー入りを果たし、ついには四天王入りしてしまったクマー。作中では主にキラキラメーターとして活躍していたが、当人もキラキラするにいたり、最終的には多摩にキラキラメーター役を譲った。日常も優秀、戦場でも優秀、嫁としても優秀。流石クマー。

4その後、嫁達のまとめ役となって更に疲れることを、彼女はまだ知らない。

 

1多摩

2球磨型軽巡洋艦

3いたって、本当にまったく普通の軽巡艦娘と自他共に認める艦娘。ただし性格まで普通だとは誰も思っていない。

4一話しかまともに出ていない癖に、妙に記憶に残っているのは僕だけだろうか……

 

1北上

2球磨型軽巡洋艦

3提督の切り札、重雷装巡洋艦の一人。予備の艤装をたくさん持つ艦娘でもある。姉の多摩と同じくらいマイペースで、実にまったりした艦娘。

4大井より先に提督に嫁入りしている。

 

1大井

2球磨型軽巡洋艦

3提督の切り札、重雷装巡洋艦の一人。こちらも予備の艤装をたっぷりもつ艦娘。昼には提督とまともに語り合わないが、夜ともなると寝ている提督相手に昨日あったこと等を語りかけている。提督の睡眠状態、体調、冷蔵庫の中を一番把握しているのも彼女。

4比叡を最後まで応援し、また北上も応援した後、提督と結ばれた。

 

1木曾

2球磨型軽巡洋艦

3提督の切り札、重雷装巡洋艦の一人。日常ではかなりポンコツであるが、一度戦場に立てば勇猛果敢に敵陣に切り込んでいく切り込み隊長だったりする。鎮守府のおっぱいがついたイケメンコンビの一人であるが、こちらはその呼び名に対して何も思っていない。

4実は姉妹全員が確りと出ているのは、球磨姉妹と川内姉妹、あとは金剛姉妹だけだったりする。

 

1阿賀野

2阿賀野型軽巡洋艦

3提督日誌なる謎の日誌を書いている艦娘。軽巡寮の寮監を務めているが、実際彼女がその立場におさまってからは大きな事件があってもなんとか持ちこたえられているので、日常での処理能力は意外に高いと思われる。

4そしてインカのキープはそもそも文字じゃないという突込みが来なかったという……

 

1矢矧

2阿賀野型軽巡洋艦

3軽巡四天王の一人。第二水雷戦隊旗艦補佐。阿賀野の世話をやく一人でもある。

4軽巡四天王の中で、一番目立てなかった艦娘……次の機会があれば……

 

”重巡洋艦”

1青葉

2青葉型重巡洋艦

3鎮守府に知らぬものが居ない自由人であり、ジャーナリストであり、武勲艦。提督第一の提督主義で、提督の話題となれば絶対に絡んでくる艦娘。のほほんとしているように見えるが、実際は一番ヤンデレの適正がある艦娘でもあるので、扱いには注意。

4提督にとっての一番最初の重巡洋艦。

 

1妙高

2妙高型重巡洋艦

3重巡の旗を青葉から譲られた一人。青葉には劣るが、充分な戦果を持つ歴戦の艦娘の一人。実は霧島と同じタイプで、砲撃よりも接近戦を得意とする。特に腕固とか。腕固とか。

4芋ジャージキラー。

 

1那智

2妙高型重巡洋艦

3那智艦隊の旗艦。初霜の上司の一人であり、青葉の友人の一人でもあるが、当人は意外に普通の艦娘。武勲を持つ友人や同僚、姉妹に囲まれても自身を崩さない武人肌の艦娘なので、非常に貴重な存在でもある。

4多分鳳翔さんの居酒屋の常連。いや、絶対。

 

1足柄

2妙高型重巡洋艦

3紅い芋ジャージがトレードマークのちょっぴり残念系艦娘。料理も上手、裁縫も上手、意外に面倒見が良く包容力もあったりするのだが、常の言動が少しばかり残念なのでイマイチふるわない、そんな足柄さん。

4でも実は、提督の第三旗艦だったりする。

 

1羽黒

2妙高型重巡洋艦

3姉達と並んでもなんら遜色の無い武闘派艦娘。神通と仲が良いらしく、良く一緒にいるらしい。

4砲撃戦ならぴか一。身体能力も指揮能力も高いが、引っ込み思案で損をしている。

 

1鈴谷

2最上型重巡洋艦

3提督ラブの艦娘。砲撃も運動も指揮も高い水準でまとまった艦娘で、第一旗艦に編入された際には山城の補佐につく事もある。趣味は意外にも読書。特に古代中国系の詩や兵法書などを好む。

4今時っぽく見えるが、実は古風。そんな鈴谷がいても僕はいいと思う。

 

1熊野

2最上型重巡洋艦

3鈴谷の妹でありルームメイト。運動はさっぱりだが、指揮能力と砲撃能力は高い。

4お嬢様。

 

1高雄

2高雄型重巡洋艦

3妙高とともに重巡洋艦娘達の旗頭を務める。妙高とは違い、こちらは青葉から砲撃を特に学び、砲撃に限れば青葉にも並ぶ。

4おっぱい。

 

1愛宕

2高雄型重巡洋艦

3きつい訓練にも確り最後まで、それも特に汗を見せることなくついてくるだけの実力を持つ。が、実際には砲撃戦が少しばかり不得手で、体術面でそれを補っている。

4おっぱい

 

1摩耶

2高雄型重巡洋艦

3お猿さんのぬいぐるみを持ち、趣味はお菓子作りというなんとも乙女なヤンキーっぽい艦娘。被害担当艦っぽいかもしれない。

4へそ。

 

”戦艦”

1金剛

2金剛型戦艦

3知らぬものなどいる筈も無い提督ラブ勢筆頭であり、提督の鎮守府のナンバー2である武勲艦。なのだが、これまた日常では少々落ち着きがなく、提督を轟沈させたりしている。後のことであるが、第二旗艦が決まった際、笑顔で拍手をして送り出した。

4提督が絡まなければ有能、という大きな矛盾を持ってしまった謎方言使い。西郷さん(せごさぁ)が歴史上の人物では好きらしい。

 

1比叡

2金剛型戦艦

3礼儀作法から宮中の作法までおさめた令嬢。家事全般から武芸百般も得意とするも、料理に大きな欠陥を持つため警戒される悲しい艦娘でもある。

4提督の第二旗艦。

 

1榛名

2金剛型戦艦

3大丈夫じゃない大丈夫な高速戦艦娘さん。

4ヒロイン過ぎて弄り回したくなる艦娘だったりするので、また今度やらかすかもしれない。

 

1霧島

2金剛型戦艦

3砲撃は威嚇、という謎の言葉を発する拳派高速戦艦娘。如月や五月雨の師匠でもある。それ以外はいたって普通のお姉さんである。多分。

4史実的に見れば、武闘派にされても仕方ないというのも、また霧島らしい持ち味なのか……

 

1長門

2長門型戦艦

3提督の鎮守府のまとめ役であり、通常海域や特別海域での火力面の切り札。実に面倒見が良く、また物事を冷静に見る。自身の事は置いて、まず鎮守府と提督、という判断基準を持つため、その辺りを皆を信頼されている。

4提督との子供が、駆逐艦娘みたいな子だったらいいなぁ、とか思ってたりする。

 

1大和

2大和型戦艦

3この鎮守府では、長門の妹の一人と見られている火力の切り札の一人。ごつい艤装と、穏やかに佇む姿が対照的で、深く印象に残る。あと大食い。

4不明なユニットが接続されました。

 

1ぐわっと

2ぐわっと

3ドイツからやって来た、砲撃も魚雷もあるんだよ、的な戦艦娘。プリンツがいないと間宮食堂の魚料理も食べられない為、秋刀魚が大量だった時期は大変だったと思われる。オスカーという猫を自室で飼っているが、当のオスカーは飼い主より雪風に懐いている現状。

4そろそろいい加減怒られそうな気がしないでもない。でもやる(断言)

 

1扶桑

2扶桑型航空戦艦

3提督から近所の優しいお姉さんと思われていた艦娘だが、実際には中々に個性的なおっとり娘であった。ある意味で、提督の感情を強く揺さぶった数少ない艦娘の一人だったりもする。

4姉さま。

 

1山城

2扶桑型航空戦艦

3提督のケッコンカッコカリ相手であり、この鎮守府の第一艦隊旗艦を任された殊勲艦の一人。夜道であうと泣く、この前廊下の曲がり角で鉢合わせになって心臓が止まりそうになった、白装束とろうそくが似合う、等とよく言われているが、それは恐ろしいほどに日本人的佳人であるからだ。ちなみに当人は、ホラー系はまったく駄目。

4提督の第一旗艦。正真正銘、最初の結婚相手。

 

 

1伊勢

2伊勢型航空戦艦

3扶桑と一緒にお茶を飲むという、伊勢型らしからぬ伊勢。なかなかにマイペースな艦娘でもある。

4普通の航空戦艦。

 

1日向

2伊勢型航空戦艦

3他の鎮守府では個性的で目立つ存在なんだろうが、川内しかり彼女しかり、この鎮守府では普通の艦娘扱いである。航空機の扱いなら鎮守府でもトップクラスだったりする。

4まぁそうなるな。

 

”正規空母 装甲空母”

1赤城

2赤城型正規空母

3正規空母のまとめ役。他の艦種の娘達とも親しく、顔の広い存在。鳳翔の愛弟子の一人であり、日常と戦場を完全に分けて考えている。あと食道楽の健啖家。

4長門と同じ様に、提督を優先して物事を考えるタイプだったりもする。

 

1加賀

2加賀型正規空母

3赤城の補佐役にして提督を呼び寄せた殊勲持ち。彼女なくして今の提督はいなかった。着任は遅かったが、武勲は充分、経験も豊富な艦娘である。

4カラオケが得意。あと焼き鳥を見ると複雑な顔をする事がよくある。

 

1蒼龍

2蒼龍型正規空母

3二航戦の危ないほう。普段は笑顔の似合うお姉さんだが、一度弓を手に取れば敵が散るまで一切容赦しない艦娘。龍驤の愛弟子でもある。

4実は地味に危ないという……

 

1飛龍

2飛龍型正規空母

3二航戦のもっと危ないほう。龍驤の愛弟子でもある。もっとも、彼女も蒼龍も、龍驤から学んだのは戦場での振る舞いであって、弓の扱いや心がけ自体は鳳翔から学んでいる。赤城同様戦場と日常をはっきりと区別しているので、日常での姿は蒼龍と同じ様に笑顔の似合う朗らかなお姉さんである。

4最近弟子を取ったためか、龍驤や鳳翔の偉大さに今更ながら再認識している。

 

1翔鶴

2翔鶴型正規空母

3五航戦の被害担当艦、であるはずなのだが、当人自体はそう不幸でもないという艦娘。同じ名前の妹が偶に増えたりもするが、特に気にもせず、妹が増えたと喜ぶほんわか若妻オーラお姉さん。次期鳳翔さんとも称される。

4そして改二はどう見ても団地妻。

 

1瑞鶴

2翔鶴型正規空母

3五航戦のちっぱい担当艦。偶に同じ名前の妹(ペタ)がどこからか生えてくるが彼女的には問題ないらしい。意外と大らかなのかもしれない。というか、妹ゆえに妹的存在に甘いだけかも。葛城とかにもきっとなんのかんので甘いと思われる。

4加賀との関係はそれなりに友好的。多分彼女のほうが、この鎮守府においては先輩だからだろう。

 

1大鳳

2装甲空母

3龍驤、瑞鳳と仲が良く、長良や神通とも訓練仲間として親しく、中破に陥っても航空機を発艦出来る事から提督から頼りにされている目立たぬ武勲艦。身体能力そのものだけで言えば、神通や長良にも迫る物を持っている。

4最近では装甲空母も増えたことを密かに喜んでいる。

 

1葛城

2雲龍型正規空母

3艦時代、エース級やベテランクラスのパイロットを扱ったことが無い為、艦娘になった現在、艦載機の扱いに戸惑っている。その辺りを、師匠にあたる飛龍に矯正されている最中。

4艦としては未熟であるが、娘としてはしっかり自律している。

 

”軽空母”

1鳳翔

2鳳翔型軽空母

3龍驤とほぼ同時に着任した為、最初の軽空母の二人とされている。軽空母のまとめ役であり、提督の天敵であり、癒し要員であり、お艦であり、居酒屋の店主であり、第一旗艦不動の軽空母であるという殊勲艦の一人。赤城や加賀の師匠でもあり、弓を扱うタイプの艦娘は大抵彼女の弟子に当たる。日常は穏やかに、戦場は冷静に、と綺麗に自身を使い分ける為、艦娘内にも信望者は多い。為に、影のナンバー1などと言われる事も。

4僕らのお艦。

 

1龍驤

2龍驤型軽空母

3鳳翔とほぼ同時に着任した為、最初の軽空母の二人とされている。彼女もまた軽空母のまとめ役であり、提督の甘やかし要員であり、癒し要員であり、第一艦隊不動の軽空母である。弓を使わない軽空母は大抵彼女の世話になっており、更には青葉等の艦種が違う艦娘の指導も行っていた。鳳翔同様、日常と戦場は別と割り切るタイプであるが、彼女の場合敵と合間見えれば鬼さえ逃げ出すような何かになる。ちなみに、鳳翔も彼女も、提督との結婚はかなり後であったが、当人達は一切焦りもせず皆を笑顔で見送っていた。

4ぺったんだけど気にしてない。ぺったんだけど包容力はある。そんな軽空母。

 

1瑞鳳

2祥鳳型軽空母

3ある意味、この鎮守府、あの提督の艦娘らしい艦娘。なんでそうなのかは作中参照としか言えない。得意料理は玉子焼きとレバノン料理とギリシア料理等など。事務もこなすし指揮も優秀、身体能力も高く、感性も豊かと万能選手。の筈であるが、一々行動が残念な艦娘でもある。

4ぺったんだけど気にしてない。ペったんだけど自分らしくある。そんな軽空母。

 

1千歳

2千歳型軽空母

3誰とでも相性がよい事から、相性抜群と呼ばれる軽空母。どちらかと言えば、水母の艤装をまとって遠征に出る、大淀の手伝いで事務をする、といったほうが得意。

4鳳翔さんの居酒屋の常連。

 

1千代田

2千歳型軽空母

3提督の鎮守府における水母系任務の要の一人。艦載機を飛ばすよりも魚雷を撃つほうが得意で開幕魚雷の命中率だけでいえば北上たちにもひけをとらない。

4姉ほどには飲まない。飲むと何故か胸に行くから。

 

1隼鷹

2飛鷹型軽空母

3明石の酒保にあるアルコール類を常に買いあさる常連客。実はお嬢様で、比叡ほどではないが礼儀作法にも通じている。

4ヒャッハー。鳳翔さんの居酒屋の常連。

 

 

”水上機母艦 潜水艦 工作艦”

1瑞穂

2瑞穂型水上機母艦

3千歳や千代田と共に水母系遠征を任されるようになった、最近着任したばかりの艦娘。戦闘よりも事務仕事――間宮食堂の手伝いが合う様で、翔鶴がポスト鳳翔さんと呼ばれるのに対して、こちらはポスト間宮さんとも呼ばれている。

4開幕魚雷は――尊い。

 

1伊58(ごーや)

2巡潜乙型改二潜水艦

3潜む、という事に特化しすぎて、陸上でも潜めるようになった潜水艦娘達のまとめ役。何があっても提督優先。龍驤や鳳翔でも捉えきれないステルス能力で、各軍施設の様々な情報を持つが、それが開示されるのは提督の命令があった場合のみである。

4現在はのんびり空いている港などで泳いでいる。オリョクル? しらない子でち。

 

1明石

2工作艦

3鎮守府の皆の日常を潤す日常品から、工廠での修理まで、なんでもござれの工作艦娘。提督の執務室に、本来ないはずのバスとトイレをつけた一人。偶に提督からアイテム屋さんと呼ばれることがあり、それが少しばかり不満。

4ピンクはえろいってこのまえぼくがいってた。

 

 

他の鎮守府の提督等

1前川近衛(まえかわこのえ)

2少年提督

3白雪の子として生まれた少年。父からは提督としてのあり方を、母からは艦娘との接し方を早いうちから教え込まれた。これは当人がどうであれ、まず間違いなく軍属、それも提督として大本営に招かれる事を両親が読んでいた為である。秘書官吹雪、任務娘大淀、建造した雪風愛宕と特に親しい。後に彼女達との間に子を残し、赤城の子である提督達と並び称され、死後護国四柱とされた。

4提督の個人的な友人の一人にして、ある意味で弄り要員。

 

1有賀実幸(あるがさねゆき)

2巨漢提督

3配下の如月が提督の如月に助けられた事により縁ができる。提督にとって艦娘と提督のあり方を身をもって教えた人間にもなる。後々、提督の睦月の間に出来た双子の一人を養子として貰いうける。その子が、大本営で拗ねて閉じこもっていた大和の提督となる、有賀幸作である。ちなみに、双子の片割れは武蔵の提督となる猪口敏平。

4禅僧の様な静かな佇まいが、血の繋がらない息子に受け継がれた。後の提督の長男の上司にもあたる人物である。当人はいたって普通の提督で会ったはずなのだが、結んだ縁が悪かったのか、よかったのか……死後護国四柱として奉られる。

 

1片桐孝三(かたぎりこうぞう)

2少年提督のお目付け役

3少年提督――前川近衛の父に仕えていた士官。そのまま息子である前川近衛にも二代続けて仕えた。提督にとっても頼りになる軍人であり、何か相談事があった場合はよく居酒屋などで会っている。甘い物好き。

4実際には仕えている、というよりは頼りになるまで育てている、という具合である。しかも育てるのが提督を加えて二人になったのだから、彼も大変だろう。

 

 

おまけ

その世界での提督のウィキ頁

猪口 匠谷(いのぐち たくや、19○○年(平成○○年)○月○日 - 20○○年(△△○○年)○月○日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。護国四柱、その中心的な人物として知られる。

 

経歴

○○県○○市出身。一般的な会社員の長男として生まれる。○○大学卒業後、偶然艦娘と遭遇し提督の素質ありと見られ、そのまま○○士官学校の提督科で学んだ。この時、後に盟友の一人となる前川近衛と交友を深め、お互いその才を称え合ったと言われている。

卒業後、空いていた鎮守府に着任。その後も着実に海域をおさえ、武勲稀なる者と讃えられ、30代で少将、その後も特別海域での合同任務などを経て中将、最終的には大将となった。

 

人物

・武勲が目立つせいか軍人らしい姿で演じられることが多いが、実際の彼は声を荒げない、至極穏やかな人物であった。

・相手が例え新人であろうと、腰を低くして接して常に笑顔であった。

・無頓着なところがあり、艦娘との出会いは運命的な物であったのですね、と人に聞かれた際、よく覚えていないと返したことがある。

・早くに軍を去ったためか軍属の匂いが薄く、近所の人間の多くは彼があの猪口匠谷であるとは誰も思わなかった。

・高校時代、友人の一人が突如自宅で行方不明になったという事から、彼自身常に人には何かあるのだと後輩や友人によく語っていた。

・子沢山、孫沢山で知られる。またこれほどに艦娘との間に子を為したのは、今現在彼だけである。

・指揮のコツは何か、と若手の提督から聞かれた際、彼は朗らかに笑ってこういった。「自分の艦娘を信じて、自分の艦娘を真摯に愛すればいい。それ以外僕らに何ができるというんだい?」

・彼自身はその生涯において一度しか策を弄していない。また、それを一切誇らなかった。(リンク参照)

 

評価

多くの特別海域を同僚の提督達と共に解放した手腕は今でも評価が高い。反面、一部からは無能ではないが有能でもなかったとも言われていた。

・提督としては一流。軍人としては三流、と当時の山本元帥からは評価された。

・ただし、策士としては恐らく超一流、とも山本元帥から評されている。

 

逸話

唯一度、猪口匠谷が大本営を相手にした事がある。

当時提督同士の繋がりは大本営の幹部達にとって認め難い物であった。そんな中、彼の子供の一人を友人、有賀実幸の養子にしたい、と書類で伝えた際、大本営は全く動けなかった。これは普段、彼が同僚の提督達、更には大本営の幹部達にも腰を低く丁寧に接し、また物資などで困った際には見返りも求めず支援したからである。10年以上、彼はその様に過ごしていた。いわゆる待遇階級であるが、それでも少なくは無い政敵相手にも、である。彼は特にそれらに触れることもなく、ただ静かに山本元帥に、いつも通りの調子で頭を下げて願い出た。山本元帥はこれを承認。また周囲からも反対意見は表面上まったく出なかった。

この後も、ただ静かに、高圧的な態度など一切見せず、彼は何一つ願い事など口にせず退役するまで提督を続けた。

 

・悪人ならば極悪人だろう。善人ならば仏様だろう。だが彼はどこまで普通だ。立派な普通だ。友人、前川近衛の言葉である。

・この件もあって、有賀実幸は彼に頭が上がらなかったという。

・彼の死後、普段静かに禅僧の様に佇む有賀実幸が、彼の棺に抱きつき泣きじゃくった姿が残されている。

・若い頃、敵を作りがちであった長男に出した手紙が保存されている。

『若い頃は何かと片意地をはり、何者とだって立ち合ってやろうと思うものだろうが、策を弄するなら一度にしておきなさい。策は弄すれば弄するほど人間の純度を下げる。本当は、ただ穏やかに過ごすのが一番ではあるのだけれどね』

・恐妻家であったらしい。特に山城には頭が上がらなかった、と伝えられている。




提督のウィキ酷いわ……誰だよこれ。いや、ホント誰だよこれ。


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ン十年後の鎮守府のお話

 久々の自分の部屋に、青年は懐かしさを感じて頬を緩めた。

 本棚の上を軽くなで、掌を見る。彼の手のひらは微塵も汚れていない。それはつまり、この部屋を誰かが清潔に保っていたという事だ。

 

「あぁ、あとで母さんになんかお礼しなきゃなぁ」

 

 そう言って青年は頭をかいた。彼が今居る室内は、実家に在る一部屋である。彼がこの部屋に足を入れたのは、数年ぶりなのだ。父同様にある才能に恵まれた彼は、早い段階から軍に目をつけられ英才教育を施されてきた。

 そのまま、幼年学校から士官学校を経て鎮守府に着任し、父や伯父、親類達と同じ提督となったのだ。

 

 青年は久方ぶりの自身の部屋にある、小学生の時に買ってもらった学習机に近づいていく。この手の机は成長に合わせてサイズを調整できるので、そのままこの部屋を出るまで愛用していたのだ。

 机の棚にある本を一つ手に取り、適当にぱらぱらとめくる。赤いマーカーでチェック線を引いたところや、偉人の写真などにシャーペンで髭を書き足したものがあった。

 くすり、と一つ笑って青年はそれをまた棚に戻す。

 そして、愛用の学習机の上に置かれた写真たてのなかにある、親族集合の写真を見て目を細めた。

 

「じいちゃん、ばあちゃん達、お久しぶり」

 

 

 

 

 

 

 青年は、実に有名であった。軍部において、というだけではなく市井でも有名だ。

 事実、道を歩けば誰かが振り返る。地元で買い物をすれば常に声をかけられ、いつだっておまけがついた。それは久方ぶりの帰郷でも変わらない。

 

「おぉ、久しぶりだなぁ……ほら、りんご三つ持ってけ」

 

「あらまぁ、どうしたの? お嫁さんをご両親に紹介する為にもどったの?」

 

「おう、若様とこのボンかぁ……お前ますます爺さんに似てきたなぁ」

 

「若様の奥さんとぼっちゃん……どうです、今日はいいホタテがありますよ!」

 

 この調子だ。隣で歩く青年の母親は、皆の言葉に穏やかな相で会釈している。

 親として、こうして地元の人達に息子が愛されていることが嬉しいのだろう。隣で歩く息子に買い物の荷物を持たせる母親は、穏やかながらもどこか誇らしげに青年には見えた。

 そんな青年の目に、どこかぽかんとした顔が幾つか映った。青年が離れている間にこの土地に来た人達なのだろう。彼ら、彼女らの目には青年とその母親の姿は、スーパーの店主たちが口にする関係には見えなかったのだろう。

 

 ――そりゃそうだ。

 

 青年は隣の母親を一瞥してから頷いた。青年から見ても母は若い。いや、化粧でどうこうであるとか、整形でどうこうという若さではない。本当に若いのだ。こうして並べば、ただの夫婦か恋人、姉と弟に見えるほどに。

 

「あら……どうしたの?」

 

 隣の息子の様子を見て取ったのか、感じ取ったのか。休日である為に常の着物をぬいで、大人しめの私服に身を包んだ航空戦艦扶桑が首を傾げた。

 一児の、それも青年の様な大の男が居るような歳には到底見えない、若々しい姿である。

 

「いやいや、こりゃあ親父も大変だろうなあ、なんてとてもても僕には言えないですよ」

 

「もう……本当に義父さまに似てきたわ……あなた」

 

 頬に手をあて、困ったような顔でほぅ、と息を吐く母親の姿は、息子である青年から見ても十分過ぎるほどに艶っぽいものであった。

 これは本当に父親は大変だろう、案外また妹か弟が増えるのではないか、とまで考えて青年は溜息をついた。

 母親とはちっとも似ていない溜息をのつき方である。

 

「そう言えば、母さん」

 

「何かしら?」

 

「僕は、そんなにじいさんに似ているのでしょうかねぇ? 正直、あんまり覚えちゃあいないんですよ、僕は」

 

 青年のこの言葉に、母親は困った様に眉を八の字にして溜息をついた。

 青年を知り、更にその祖父を知る人々は、今彼の目の前に居る母親と同じような反応を見せる。青年ももう独り立ちした一海軍士官だ。それでも、地元と同じように軍部でさえ、祖父が、祖父が、と言われれば気にもなる。しかも似ているというおまけつきだ。

 

「そうね……義父さまは、とてもその……独特な人ではあったの」

 

「じゃあ、やっぱり僕とは似ても似つかないんじゃあないかな?」

 

「ううん、あなたそっくりよ?」

 

 断言する母親を軽く睨んで、青年は肩をすくめた。青年自身はいたって普通の青年であると自認しているのだ。であるから、祖父と似ている、というだけで、いいか変な事はするなよ、絶対するなよ、あと配下の艦娘に変な事教えたりするなよ、特に水雷戦隊に変な事覚えさすなよ! と上司に注意されている青年としては、いい迷惑ですらある。

 

 この前も、砲台が不調になった際にと青年が訓練させて置いた格闘術で特別海域を乗り切った際、大本営から呼び出しが掛かって随分と迷惑をかけられたのだ。青年の祖父の友人であるという高官達は笑っていたが、それ以外は泡を吹いていたらしい。あれの再来だとまで言われたのである、青年は。

 ちなみに、その後も艦娘達の自主性を重んじすぎた結果、なにやらフリーダムな鎮守府になってまた大本営から呼び出しを食らっている。流石に特別海域の合同連合艦隊で、隣の親戚の鎮守府と組んでドラム缶殴り倒し艦隊で出た事が原因である。しっかりと結果を残しているので、両者お咎めなしであったが、厳重注意は貰っていた。

 

「僕はいたって普通じゃないか。なんでもかんでも比べられたんじゃあ、たまったものじゃあないよ」

 

「気持ちはわかるけれど、貴方越しに義父さまを見る人が居るのは、仕方ないんじゃないかしら……」

 

 母としてはそう言うしかない。こうして愚痴る姿までそっくりなのだ。彼女の愛する夫にしても、あれはますます親父に似てきたな……頭が痛い……不幸だ。と零している現状である。

 夫は義父に似なかったのに、息子はそっくりになったという事に、扶桑は遺伝子の面白さと残酷さを感じていた。

 

「だいたい、あなた……似てるも似ていないも、趣味まで一緒じゃない……」

 

「……いや、これは僕が悪いんじゃない。僕が悪いんじゃない」

 

 母の言葉に、青年が首を横に振った。ただしどこかばつが悪い顔である。

 

「それに、僕はばあちゃんの若い頃なんて知らないんだから、そんな事は知ったことじゃあないさ」

 

「……そうねぇ。義母さまは義父さまに合わせて艤装を解体されたから……」

 

 艦娘にとって艤装こそが艦である証である。それを解体するという事は、艦娘で在る事をやめるという事だ。これを行った場合、その艦娘は普通の人間と殆ど変わらない存在になる。

 

 青年の祖父の艦娘達は、自身達の主であり夫である提督の老いを感じた時、皆艤装を解体した。共に逝く事を願ったからである。大本営は、色々とやらかしてくれた鎮守府でこそあるが、それを補って余りある恩恵を与えた鎮守府の、その守り手達が消えることを惜しんだが、艦娘達の意志は固く結局その意志を曲げる事は叶わなかった。

 すでに青年の祖父の子供達が新しい提督となり、新たな時代の幕開けを感じさせていた事も大本営を比較的大人しくさせたのだろう。

 

 だから、青年は祖母の若い頃をしらない。彼が辛うじて覚えているのは、優しい顔の祖母と、偶にスパナなどを眺めて、あのタワーは今もあるんだろうか、などと呟くボケ気味の祖父である。

 実は僕、おやかたさまでもあったんだ、とのたまう祖父をボケたとしか思えなかった青年に罪は一切ない。やたらと工事現場の工具や特殊車両に詳しかった祖父を、じいちゃんすげー、と目を輝かせていた青年であるが一切罪はない。

 あと日本刀にもやたら詳しかった祖父に、じいちゃんパネェー、と手を叩いていた青年に罪は一切ない。

 

「もっと詳しく義父さま達の事を知りたいなら、私じゃなくて文月義母さまに聞いて見たらどうかしら……?」

 

「……いや、文月ばあちゃん、僕が行くと凄い勢いでお菓子とか小遣いくれるから、行きにくくて……」

 

 青年ももういい大人である。であるから、祖母の一人である文月の孫可愛がりは分かるのだが、扱いには少々距離を取りたくもあった。孫であるのは事実であるし、愛らしい祖母だと思いもするのだが、青年自身がもう嫁を貰おうかという頃なのだから、尚更だ。

 

「で……母さん、大丈夫?」

 

「何が……?」

 

 ぽつりと呟いた青年に、母親はきょとんとした相で首を傾げた。

 青年は頭をかいた後、口をもごもごと動かして言い辛そうに問うた。

 

「その……うちの山城と、やっていけそうかな、と?」

 

 息子の言葉に、母親は口元を手で隠して上品に笑った。まさに嫣然とした物である。車の止めた駐車場までの道で、途中すれ違った幾人かがその笑顔に目を奪われていた。

 が、青年としては笑顔よりもはっきりとした返事が欲しかったのである。彼は手に在る荷物を持ち直して再び口を動かす。

 

「いや、やっぱり僕としてもその……妻になろうかって言う山城と、母さんの仲が悪いとなると、こう、自分の鎮守府に篭るしかないわけで……」

 

「あぁ……大丈夫よ」

 

 青年の疑問に、母親はさらっと応えた。本当にさらっと、だ。あまりの素っ気無さに、青年が眉をしかめるほどである。

 そんな青年を顔を見て、母親は艦娘――扶桑としての相で口を開いた。

 

「あなたの連れてきた山城が、義母さまと同じ山城ではないでしょう? 義母様さまは義母さま、あなたのつれてきた山城は、あなたの妻でしょう? あなたこそ大丈夫なの?」

 

「……何が?」

 

「私の妹の山城と、あなたの妻の山城、ちゃんと見分けられる?」

 

「山城叔母さんと山城は間違えないよ。僕の艦娘だ。絶対ないよ」

 

 息子の、男としての、提督としての応えに扶桑は大きく頷いた。それはそれとして、彼女には一つ考えるべきことがあった。

 

「で……あなた、どこで結婚式やるとか、ちゃんと考えているのかしら……?」

 

「……まぁ、いつものとこじゃないかなぁ、と?」

 

 頼りなげに返す青年に、彼女はため息をついた。いつもの場所、とは祖父がいた鎮守府――現在は彼の父が受け持つ鎮守府の一番大きな港である。

 基本的に、鎮守府というのは軍部の施設であるから、世襲という事はありえない。それでも彼の父が祖父の鎮守府を譲り受けたのは、それに相応しい戦果を持つことと、祖父の偉業故の特別な計らいだ。

 親族を呼んでの行事は、たいていそこだ。そこは様々な思い出があり、皆の出発地点であり、始まりだからだ。それ以外にもある理由としては、やはり親類縁者を呼ぶとえらいことになるからである。

 

「さて……続きは家で、しっかり話し合うとして……」

 

「へいへい」

 

 止めてあった車の鍵を開け、青年は後部座席に荷物を置き運転席へと腰を下ろした。助手席についた扶桑は、腕時計を見てため息をついた。

 

「早く帰らないと、二人とも不幸だ不幸だとため息ついていそうねぇ……」

 

「……」

 

 青年はその言葉に何も返さず、ただ早く帰ろうとだけ思う事にした。

 決して、母親の口にした光景が容易に想像できたからではない。決してない。




 
 おまけ 
 山城「あ、あの義父さま……お茶でも、お、お入れしましょうか?」
 父「あ、あぁ……お、お願いできますか……?」
 山城「は、はい……(ど、どうしましょう……間が持たないわ……)」
 父「……(息子よ……妻よ……何故二人だけで買い物にいったのだ……)」
 山城「……(不幸だわ……)」
 父「……(不幸だ……)」




 まずそこまで行かないという部分を、ぽんっと放り投げて見ました。未来のお話です。


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旗艦の理由

 常の通りの朝であった。壁に備え付けられた時計の針はいつもの数字を指しており、カーテンから漏れる光も、冬の朝特有の冷たい空気も普段通りだ。

 であるから、彼――提督は常の通り確固たる意思を持って暖かな掛け布団と毛布を払おうとして間抜けな声を出した。

 

「……あれ?」

 

 いつも通りの朝であった。常の執務室であった。

 ただ、提督の声だけは、自身が聞いても枯れた物であった。

 

 

 

 

 

「風邪ですね……」

 

「そ、そんな……」

 

 提督の口元から離された体温計を確かめながら告げたのは、この鎮守府の参謀にして事実上の提督、大淀であった。告げられて口元を覆うのは提督の秘書艦、初霜である。

 そんな二人に寝かしつけられている提督はと言えば、赤い顔で少々荒い息遣いでこそあるが、気配そのものは普段のものであった。

 むしろそんな提督を見つめる大淀と初霜の方が余裕がない様子だ。

 

「て、提督……? 今日はお休みにするとして、何か必要な物はありませんか?」

 

「どこか痛くありませんか? 痒いところとかありませんか? 姫級200くらい刈って生贄にしておきますか?」

 

 いったいぜんたい、深海棲艦を200も狩ってなんの生贄にするつもりであるのか提督にはさっぱりであったが、それを問い質すだけの元気も勇気も余裕も彼にはない。世の中には彼程度の若造が触れてはいけない物などごまんとあるのだ。

 故に彼は、初霜の手によって額に添えられた濡れタオルを指差し出来うる限り常の調子で口を動かした。

 

「初霜さん、タオルをまた冷やして貰えるかな?」

 

「は、はい!」

 

 提督の調子は常のままであるが、それでも声は常のままではない。枯れた声音は割れた硝子をこすり合わせたかのようで、それがまた初霜と大淀に余裕を失わせる。そして同時に、彼女達にこうも思わせるのだ。

 

 ――このままでは駄目だ。

 

 自身達がここに居るという、それ自体が、と言う意味でだ。

 彼女達の提督は少しばかり個性的な性格でこそあるが、人格は破綻していない。破綻していないどころか、人間性だけで言えば極めて善良だ。故に、提督は傍に艦娘が居る限り自身の病状を省みず気を使うだろう。

 それが大淀や、初霜といった比較的近しい艦娘であっても、だ。

 

 例え余裕がなくとも二人にもその程度は理解できる。理解できるからこそ、初霜は提督のタオルを冷やした後またそれをそっと額に戻し、大淀と目を合わせた後、共に提督へ深々と一礼して室内から退室した。

 

 執務室の扉から離れ、その扉の向こうに居る提督を幻視しつつ、二人は言葉を交わす。

 

「最初に発見した時から、様子はどうですか?」

 

「……最初はまだ顔色も良かったのですけれど」

 

 第一発見者、秘書艦初霜は大淀の質問に肩を落として応じる。提督の体調不良が進行したのは、彼自身が自覚した事で体力面が目に見えて落ちた事が原因で、初霜には一切落ち度は無い。それでも常から提督の一番近くにいる初霜であるから、今日までの日常の中で見落としがあったのではないかと思いもするのだ。

 それこそ、あと一つ何事かあればその大きな瞳から涙を零してしまいそうな秘書艦の姿に、大淀は小さな同僚の肩へと優しく手を置いた。

 

「今は、提督の介抱です。貴女がそんな調子では、提督がまた気を使ってしまいますよ?」

 

 大淀の言葉に、初霜は顔を上げて頷いた。その通りだと思ったからだ。

 

「……では、私たちの仕事をしましょう」

 

 そう言った大淀はこの鎮守府の参謀で、それに頷き返す初霜はあの提督の秘書艦だ。だからこそ現状必要な作戦と人材を彼女達は用意しなければならない。

 

「提督が気を使わない――或いはそれに最も近い艦娘に現状を報告して……」

 

「手伝ってもらいましょう」

 

 皆に知らせようとは二人ともしなかった。当然である。体力の落ちた提督の下に、100人以上の艦娘が押しかければどうなるか等口にするまでもない。勿論、皆が皆そういった行動をとる訳でもないだろうが、士気が下がってしまうのは明白だ。金剛などは悲壮な相でお百度参りを始めるだろうし、夕立辺りは憤怒の形相で願掛けをして姫級100匹程刈り出すだろうし、山城ならば無表情で姫級200匹程儀式の生贄にしてしまう事だろう。なんの儀式であるかは分からないが。

 

 兎にも角にもそんな事になるのは誰から見ても明白なのだ。個性豊かな鎮守府で、色彩艶やかなる艦娘達であるから、その混乱の度合いも実に深刻である。

 

 大淀でさえ、許されるなら執務室の扉の前で一日待機したい程なのだ。それほどに、彼女達にとってあの少々可笑しな提督は大きな存在なのだ。

 であるから、彼の身体を冒す病魔の速やかなる駆除を彼女達は行わなければ成らない。その為に必要な作戦はまだ判然としないでも、提督の傍に置けるだろう人材の確保は早急に行うべきなのだ。

 

「初霜さん、心当たりは?」

 

 大淀は鎮守府の運営となれば人後に落ちない艦娘であるが、こういった際の細やかな判断は初霜には敵わない。いや、こういった事で在れば常に提督の傍に居る初霜以上の適任はいない。彼女は提督の初期からの秘書艦なのだ。

 初霜は少しばかり顔を俯かせ、瞼を閉じ落ち着いて、それでいて迅速に脳内で検索をかけた。朝、昼、晩。すべての提督の言動、表情、それらと接する艦娘達を思い出し、やがてゆっくりと顔を上げて目を開いた。

 そして、告げた。

 

「大淀さんは山城さんと内密におかゆやスポーツドリンク等の準備をお願いします」

 

「……なるほど、そうですね。では初霜さんは?」

 

「私は、他の三人を特別作戦という名目で集めてきます」

 

 現状においてすべき事は決まった。二人は頷き、そしてすぐ動いた。

 同時に、まったく同時に執務室の扉を見て、速やかに。

 

 

 

 

 

 頭が熱く、体は寒い。毛布と布団が邪魔に思えて、それでもこれが無ければ体調は更に崩れる。朦朧とする意識の中でも、そんなところだけは冷静なのか、と提督は頭を動かそうとしてそれをやめた。いや、止めたというよりも出来なかった、と言うべきか。

 少しでも頭を動かすとそれだけで首や頭に痛みが走るのだ。彼にとっては久方ぶりの風邪で、あぁ風邪とはこういった物だった、と溜息をつかせた。

 その溜息のせいだろう。少しばかり動いた為か、額にあった”冷たい”濡れタオルが僅かにずれた。それを直す事にも億劫な彼は、それでもそろそろ瞼を覆おうかというタオルに流石に手を動かそうとして――

 

「あれ……?」

 

 動きを止めた。

 瞼を覆う一歩前で、その何故か冷たいタオルが額に戻ったのだ。さて、それは何故なのだ、と提督はゆっくりと目を開けた。

 

「あら? ごめんなさい提督。起こしてしまったかしら?」

 

 少し小さな声で、申し訳なそうな相と声音で提督の艦娘、足柄がいた。提督は何か言おうとしたが、足柄は自身の口元に人指し指を立ててそれを遮る。

 作戦行動外となれば赤いジャージ姿で過ごす足柄の、珍しいスーツ姿に提督は目を細めた。

 

「仕方ないじゃない。だって特別作戦って呼ばれたんだもの。いつもの格好じゃ駄目でしょ?」

 

 足柄は濡れたタオルで提督の目下を優しく拭いながら小さな声で応じる。山城ほどではないとしても、彼女もまた提督の思考をなんとなく見て取る艦娘であった。

 恥ずかしさを覚えながらも、提督は足柄のされるがままだ。足柄の態度は病人相手にしても甘すぎる物だが、それでも確りと線引きされた態度であるからだ。

 

 足柄の姿は献身的で、そこに下心は無い。普段残念な言動で知られる重巡洋艦娘であるが、彼女は決して愚かではない。

 何より提督の心を一番解きほぐしているのは、傍にあって提督の顔を拭う足柄の匂いであった。

 風邪で鼻が馬鹿になろうと、顔を拭うほど傍に来れば僅かでも鼻腔をくすぐるものだ。それは提督にとって好ましいものであったのだ。

 と、その好ましい香りが更に強くなった。

 

「あ、司令。おかゆとスポーツドリンクありますけど、どうされますか?」

 

 そっと音も無く、足柄の横から現われたのは比叡だ。常の活発な気配はそこになく、足柄同様静かで仄かに在る。問いかける声さえ幽かで、普段にはない妙な色気がそこにあった。

 提督はその色気に気付かぬ振りをして、比叡が口にした内容を反芻し目を瞬かせた。スポーツドリンクというのは彼にも分かるのだが、どうにももう一つが引っ掛かったのだ。

 その提督に疑問に応えたのは、当の比叡ではなく別の艦娘であった。

 

「大丈夫大丈夫、比叡が作ったおかゆじゃないよー?」

 

 比叡や足柄達とは反対側から顔を出した那珂である。こちらも比叡と同じく、普段の様子は鳴りを潜め、まるで姉の神通の様な穏やかさで佇んでいる。流石に口調はいつもの那珂そのものだが、そうであってこその彼女であるからそこは仕方ないところなのだろう。

 

 提督はなるほどと胸中で呟き、那珂の手にあるおかゆと、比叡の手にあるスポーツドリンクを交互に見やり、己の欲求はどちらかと暫し考えた後比叡を見た。

 提督の傍に居る三人にはそれだけで分かるようで、那珂は提督にかけられたタオルをとって掛け布団と毛布をそっと払い、足柄が提督の背に手を回し上半身を起こす手助けをする。

 比叡は提督用のコップにスポーツドリンクを注ぎ、それを静々と提督の口元に運んだ。

 

 鎮守府の主、更には病人相手にしても至れり尽くせりの足柄達に、提督は世の富豪達はなるほど欲深であると苦笑を零した。

 これほどに愛されるというハーレムの中にあって尚富豪を続けられるというなら、それは欲がどこまでも深くなければ無理だと思ったのだ。満足しない事が何よりの秘訣なのだろうが、提督如きではこの時点でもう大満足で、むしろ怖いくらいである。ただの元会社員、一般人の感性ではこの辺りが限界という事だろう。

 後、その限界をとことん拡張されるという過酷な運命が提督を待っている訳だが、それはまた別の話と言う奴である。

 

 提督が喉を潤すと、丁度良いといったところで比叡が口元からコップを離した。提督は意識もせず口を開いて礼を言おうとしたが、比叡も足柄と同じ様に自身の口元に人差し指を立てて微笑んだ。

 だから提督は、また目を細めて頷いた。

 

 そっと再び上半身を敷布団に戻され、那珂に布団と毛布をかけられる。足柄は冷やしたタオルを提督の額に優しく当て、そして比叡は穏やかに呟いた。

 

「今はゆっくり休んでください、司令」

 

 提督はゆっくりと頷いて、瞼を閉じた。

 足柄も、那珂も、比叡も。優しい香りであったから逆らえなかった。

 

 

 

 

 

 次に提督の目が覚めると、そこは仄かに暗い部屋であった。カーテンに遮られた窓からは月明かりが漏れ、今の大まかな時間を提督に知らせる。

 再び目を閉じようとした提督は、しかしそれが出来なかった。

 

 くぅ。

 

 と男にしては愛らしい腹の虫の鳴き声が為だ。

 風邪であっても、スポーツドリンクしか口にしていないとあっては空腹にもなる。まして窓から見える月を思えば、ほぼ一日食べていないのだ。腹が鳴るのも当然である。

 流石に一日眠れば少しは調子も戻るようで、幾分ましになった身体を動かして提督は布団と毛布を払い上半身を起こした。が、それは一人だけで行った行為ではない。

 まだ明るかった頃に足柄が提督を助けたように、今もまた誰かが提督を助けたのだ。

 ではそれが誰かであると言えば、

 

「……提督、おかゆですか?」

 

 仄暗い室内でひっそりと提督に寄り添う山城である。

 幽かな暗闇の世界に同化した様なその姿は幽鬼にも似て、見る角度を一つ変えれば全身が粟立つ景色にも見えただろう。しかし、この提督に限って言えばそれは日常の一風景だ。

 ましてそれが、足柄や那珂、比叡以上に言葉を必要としない山城であるから、驚くに値しない。

 

「いたの? ……ですか? なんか酷くないですか、それ」

 

 提督の視線から言いたい事を完璧に察した山城に、提督は首を横に振って小さく笑った。喉が本調子ではないから、それは本当に小さな笑みであったが。

 山城はそんな提督から少し離れ、またすぐ傍に戻ってくる。手には湯気が上るおかゆが入った小さな土鍋があった。

 提督は目を瞬かせ、山城を見た。山城は提督の視線に気付きながらも、おかゆをレンゲですくって、ふーふー、とそれを冷ます。

 そしてある程度冷ますと、レンゲを提督の口元に運んだ。

 提督は、本当にハーレムの王は偉大なのだなぁ、等と思いながらそれに口をつけ、山城の言葉に耳を傾けていた。

 

「なんとなく。なんとなくですけど。……そろそろ起きるんじゃないかなって思っただけです。えぇ、比叡達と仲良くお喋りしていた誰かさんは、私の事なんて気付きもせずにまた眠ったから、夜にはお腹が空くんじゃないかなって、なんとなく準備していただけですけれど」

 

 声音こそ恨みつらみの篭った物であるが、提督に甲斐甲斐しくおかゆを運ぶ姿は尽くす女その物だ。そうやって、提督は山城の言葉を耳にしながら食事を続けた。

 二人だけの暗い執務室であるから、風邪以外の理由で赤い顔も、朱に染まった頬と耳も気にせず、二人は傍にあってただただ過ごした。

 

 空になった土鍋を置き、山城が提督の背に手を回す。そっと提督は布団に戻され、布団と毛布をかけられた。幾分ましになったとは言え提督はまだ風邪だ。本調子には程遠い。特効薬も無い風邪であるから、彼が出来ることは眠って体力を養う事だけだ。

 それ以外に出来る事など、僅かである。その僅かの為、提督は山城に目を向けた。慈しみを過分に含んだ瞳で提督を見下ろしていた山城の瞳とぶつかるのは、当然の結果であった。

 

「……お礼とか良いですから、早くいつもの提督に戻ってください」

 

 山城の冷たい手のひらが、提督の瞼を覆った。だから山城は知らない。目を合わせれば何でも分かる彼女も、知らない。遮ってしまったのだから。

 

 ――優しい匂いがする。

 

 提督は、石鹸の匂いが好きだ。たったそれだけの事であるが、それは提督以外誰も知らない事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 後、提督が風邪で寝込んでいた事が発覚すると、初霜や大淀の予想通り鎮守府は大いに荒れた。金剛は提督の無病息災を願って四国八十八箇所巡礼に行こうとして妙高にギロチンチョップで止められ、夕立は提督の無事故無違反を願って姫級200匹程刈ろうとしたところで霧島に先を越され、山城は密かに提督と添い寝した事を思い出しながら時たま思い出し笑いをして気味悪がられていた。

 

 おかしな鎮守府の、案外日常通りの、そんな風景である。



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実は朝霜の方がこの面子よりアルコール依存度が高い件について

足柄と提督をいちゃいちゃさせようとか思って書いたら結局こうなった。


 足柄、という艦娘が居る。

 艦種は重巡洋艦、つまり実質的に軽巡や駆逐艦達が属する水雷戦隊をまとめる士官クラスにあり、艦隊行動時には旗艦の補佐も務める事が多い。これはどこの鎮守府でも同じで、艦時代、重巡という枠だけで見れば最後まで動き続けた足柄と言う艦娘は作戦行動において極めて有能であるという事だ。

 

 攻めて良し守って良し、昼戦良し夜戦良し、指揮良し補佐良し、という海上任務だけで見れば本当に艦隊行動に必要な艦娘である。

 ただし、少々戦闘に拘るところが強く、私生活において若干抜けているというべきか、わき道にそれがちであるというべきか……兎にも角にも、少々特徴的な個性を持つのが、艦娘足柄達の在り方であった。

 

 さて。

 足柄と言う艦娘がいる。

 それは当然、とある鎮守府にもいるという事である。

 

 

 

 

 

 

「うーん、朝はやっぱり勝利定食よねー」

 

「いや、験担ぎにしてもなかなか難しい選択だぞ、足柄」

 

 朝の早くから殆どのテーブル席が埋められた間宮食堂で、更に盛られたカツを口に運んで頬張る足柄の姿があった。

 隣で突っ込みを入れる彼女の姉、那智は毎度の事であるが朝一番から重たい物を口にする妹の姿に、自身が口にしたわけでもないのに腹部に妙な重さを感じていた。

 まだ味噌汁を少々すすった程度であるというのに、何故に自分は食欲が失せているのだと嘆く那智の真向かいには、妙高姉妹の末っ子羽黒が苦笑を浮かべて朝食――足柄と同じ、足柄曰くの勝利定食ことカツ定食を口に運んでいた。

 

 姉である足柄に付き合って羽黒が頼んだメニューであると那智も理解はしているが、それでも苦も無くカツを口にする真向かいの羽黒と、健康的に頬張る隣の足柄達を見ていると、もしかして自身は軟弱な胃袋の持ち主なのではないかと思い、那智は羽黒の隣に座すネームシップ、妙高の手元に縋るような眼差しを向けた。

 

 そこにあるのは赤身と白身がバランスよく添えられた刺身定食である。妙高は妹達の会話にも特に関心がないようで、背を伸ばして上品に食事を摂っていた。

 那智は我知らず安堵の溜息を大きく零し、まだ箸をつけていない自身の朝食の主菜、焼き鮭に箸を伸ばした。

 

「そう言えば足柄」

 

「にゃに、 みょうほうねえひゃん?」

 

「口の物を飲み込んでから話をしなさい」

 

 妙高の問いかけに口の中にカツを残したまま答える足柄に、妙高は小さな、それでいて鋭い声で叱り付けていた。元々生真面目な性格である上に、重巡の旗頭を高雄と共に任されている妙高は妹であっても――いや、妹であるからこそ日常での作法にも煩いところがある。

 足柄は湯飲みを掴んで、口の中の物を熱いお茶もろとも嚥下してから首をかしげて口を開いた。

 

「なぁに、妙高姉さん?」

 

「……今日の任務を確認したいだけです」

 

 任務の確認といっても、大抵の艦娘の作戦行動等は前日、或いは数日前から予定された物だ。それでもあえてそれを聞くのは、姉妹達の行動を把握しておきたいという妙高の姉心であり、自身の知らないところで何か予定外の動きが無かったかの確認であり、朝食の席でも何故か一人だけ赤い芋ジャージを着た三番艦辺りがまた何かやらかした際には確りとストレッチをして万全の状態で腕を極めたいと考えたからである。

 

「予定通りよ」

 

 難しい顔の妙高に、足柄は掌をひらひらと振って暢気に応える。姉心も分からぬ妹の能天気さにも見える姿であるが、末っ子の羽黒などは足柄の言葉に少しばかり青ざめていた。

 そしてそれは那智も同じである。妙高も那智も、羽黒にしても足柄の今日の予定は数日前から予定されていた物であるから理解はしている。

 

 妙高は高雄と共に長門や赤城達と戦術研究と午後から提督のサポート、那智は水雷戦隊との砲撃訓練後に近海警備、羽黒は三水戦の海路確保行動に同行して火力支援の予定だ。

 そして足柄はと言えば、これがまた実になんとも言えない。いや、普通の任務ではあるのだが、少なくとも妙高達にはなんとも言えない物であった。

 

「……そう。頑張りなさい、足柄」

 

「? えぇ、よく分からないけれど、この足柄! 出る以上必ず勝ってみせるわ!」

 

 フンス、と鼻息も荒く拳を握って応える足柄の姿に、姉妹達はなんとも言えぬ相で佇んでいた。彼女達の脳裏に、本日の足柄の任務が大きな文字で、それはもう本当に大きな文字ではっきりと描かれる。

 

 第一艦隊旗艦補佐。

 

 それが足柄の本日の予定である。

 

 

 

 

 

「あぁー……もうどないやねん」

 

 龍驤の言葉が、全てを物語っていた。

 肩を落として掌で顔を覆う龍驤の隣では、鳳翔が困ったような顔で佇み、その二人を盾にするように谷風が縮こまって隠れていた。

 

 場所は良く使用される港の第一艦隊用の艦娘待機部屋の一つであり、そこに居るのは本日第一艦隊に編入された艦娘達である。

 第一艦隊不動の軽空母コンビである鳳翔と龍驤、史実において奇跡的な対空回避行動を見せた対空装備の谷風、そして部屋の真ん中で互いに無言のままにらみ合う第一旗艦山城と高速戦艦金剛である。

 

「あぁー……もうほんまどないやねん」

 

 龍驤は大きな声でもう一度言った。聞こえても構わない、というよりも聞こえてくれ、と願っての事である。が、その声も山城と金剛の耳には届かなかったようで、二人は豊かな胸を強調するように腕を組んで無表情のままにらみ合っていた。

 

 どの鎮守府にも相性が良くない艦娘達は居るものだ。

 各鎮守府や警備府の代表としては伊勢型と扶桑型であるが、この鎮守府においては漣と秋雲であり、そしてそれ以上と言われるのが金剛と山城だ。

 なにせ二人とも漣や秋雲とは立場が違う。漣と秋雲は水雷戦隊の構成員ではあるが、それだけだ。鎮守府という組織で見れば一兵士という立場でしかない。

 が、今龍驤達の前で火花を散らしまくっている山城と金剛は、提督の第一旗艦と鎮守府のナンバー2である。

 

 山城にしても金剛にしても、お互い大人の女性であるのだから私情はさておき、弁えて行動しようとはするのだが、どうにも提督と言う存在が絡むといかんともし難いのである。

 金剛は提督ラブを自他共に認める艦娘であるし、山城は現状唯一の指輪保有艦娘だ。せめてこの二人の間に何かしらの優劣があれば諦めもついただろうが、お互い無視するには伯仲過ぎた。

 火力に優れ航空戦力も充実し指揮能力も高い山城。火力と速さを両立させた対地攻撃の要にして経験豊富な金剛。提督に最も愛された艦娘と、提督を最も愛する艦娘。

 互いに認め合うからこそ二人の間には複雑な感情が宿り、結果無言で視線をぶつけ合うという物騒な関係になるに至ったのである。

 

 ――ほんま、これはなんの不幸や……。

 

 龍驤は頭を振りながら胸中で呟いた。

 それだけであれば、相性が悪いというだけで済んだのが、それだけでは済まないのがこの鎮守府である。

 この二人、私情においては相性最悪であるが、海上任務においては相性抜群なのだ。

 

 鈍足であるが火力と航空戦力を有する山城と、高速移動能力を有した金剛のコンビネーションは、長門大和の最大火力コンビに勝るとも劣らない。いや、手数だけを見れば鎮守府でも並ぶ者はいないかもしれない組み合わせだ。

 しかも二人ともこの鎮守府の上位に就くだけあって、いざ戦闘となれば戦果を提督の為に、と互いに穴を埋めあう様に動く物であるから本当にどうしようもない。

 その為に、月に数回はこの二人を主力に置いた編成で第一艦隊が組まれてしまうのである。

 

 大淀も初霜も、更には提督でさえも山城と金剛のこのなんとも言えない胃が痛くなるような関係を知っているのだから、なるべくこういった編成にならないようにはするのだが、結果を確りと出してしまう以上どうしても必要になってしまう。ここは鎮守府で彼女達は艦娘である以上、その辺りは仕方ない事でもあった。仕事という物はどんな物でも私情を脇に置かなければならないのだ。

 ただし、

 

「……」

 

「……」

 

 それは飽く迄作戦行動中、だ。

 現在無言のままにらみ合う二人は、どこから見ても誰が見ても相性抜群には見ない。戦場では二人の動きを知る龍驤の目から見ても、そんな物は夢幻に思えるほどに剣呑な二人にしか見えないのだ。

 独特なデザインのバイザーを外し、頭を乱暴にかく龍驤の背後から、彼女と鳳翔を盾にして身を隠していた谷風が恐る恐るといった様子で顔を出して二人に声をかけた。

 

「そ、そろそろ軽くでもミーティング始めた方がいいんじゃないかなーって……谷風さんは思うんだけどねぇい……」

 

 普段健康的な、言ってしまえば腕白な少女である谷風にしては気弱な震え声だ。らしからぬと言えばそうだろうが、この場合は相手が相手であるから納得の姿でもある。それでも二人に声をかけたのは、谷風がこう見えて任務となれば真面目な艦娘だからだ。

 相性が良かろうが悪かろうが、すべき事はするべきなのだ。龍驤はそんな谷風の頭を軽く叩き、鳳翔は背を優しく撫でた。

 谷風は二人に笑顔を見せ、そして金剛と山城はやはり身じろぎ一つしなかった。

 

「……今日は遅いですね」

 

「せやなー」

 

 鳳翔と龍驤は、無視されて涙目になっている谷風をあやしながら部屋の壁に備え付けられた時計を見た。出撃にはまだ大分余裕がある。むしろ龍驤や谷風や鳳翔、おまけに金剛と山城達が早めに待機しているだけだ。

 苦手な編成であろうが、龍驤達にとって余裕をもって待機部屋に集まるのが常なのである。そしていつもなら既にいる筈の同僚の姿が部屋に無い事に、龍驤と鳳翔は苦笑を浮かべた。

 二人が未だやってこない同僚の姿を脳裏に思い浮かべると同時に、待機部屋の扉が勢い良く開かれ艦娘が一人転がり込んできた。

 

「おはよー! 今日も絶好の戦闘日和ね!」

 

「あぁ、おはようやでー足柄」

 

「おはようございます、足柄さん」

 

「やっときた……やっときた、これでかつる……」

 

 挨拶と共に入ってきたのは、本日旗艦補佐を命じられた重巡洋艦足柄である。見慣れた芋ジャージ姿ではなく、姉達や妹と同じスーツに身を包み満面の笑顔を浮かべる足柄に、皆それぞれ言葉を返した。

 返していないのは、まるで微動だにしない山城と金剛である。足柄はそんな二人にも特に気を悪くした様子も無く、いつの間にか荒ぶる鷹のポーズをとっている金剛と、そろそろ相手を呪い殺しそうな双眸をし始めどこからか藁人形でも取り出しそうな山城にまったくの自然体で近づいていった。

 ちなみに山城は藁人形などもって居ないし目にしたら本気で涙目になるので、用量用法を守って山城の手の届かない所に保管してください。

 

「山城、今日も私は切り込み役で良いのよね?」

 

「……えぇ、前衛は貴方に任せるわ」

 

「金剛、開幕の一発はそっちに譲るから、ちゃんと私の分残してよ?」

 

「……えぇ、勿論デース」

 

 山城と金剛、二人が互いから目を離して足柄に視線を移した。それを見て、龍驤と鳳翔は胸を撫で下ろし、谷風は感心しきりといった相で胸の前で小さく拍手をしていた。

 

「流石第一旗艦補佐役だねぇい、足柄さん!」

 

「あら、本当の補佐役は鈴谷よ? 私はほら……そうね、代役の代役、かしら?」

 

 谷風の賞賛に、足柄は軽い調子で返した。

 足柄が言う通り、第一艦隊でもっとも長く旗艦補佐をやってきたのは航空巡洋艦鈴谷だ。所謂今時といった風貌をもつ鈴谷であるが、彼女の戦術や砲術、戦場での冷静さが山城を助けてきた事は純然たる事実である。古風な山城、今時の鈴谷。一見すればかみ合わない様であるが、それでも確りと歯車がかみ合うのがこの鎮守府の恐ろしいところである。

 

 その鈴谷が出られない場合に旗艦の補佐を担う重巡と言えば、妙高や高雄、青葉に古鷹といった古参の兵達である。

 そして件の名補佐役鈴谷と古参の兵達、実は金剛山城が主力であるこの編成では顔を出した事がない。

 この編成の時だけは、鈴谷や妙高達の代わりに足柄が入るのが常だからだ。

 

 足柄と言う艦娘は攻めて良し守って良し、昼戦良し夜戦良し、指揮良し補佐良し、と本当に有能な艦娘だ。ただ、そんな艦娘は大抵の鎮守府でありふれている。むしろ尖った性能や特技を持つ艦娘が戦場面で目立つのが常だ。

 そういった意味では、足柄という艦娘は那珂と良く似ていた。

 日常面ではともかく、戦闘面では不得手も無いが何事も三番手四番手。そしてここだけは明確に違うのだが、目測雷撃戦という特技がある那珂に対し、足柄には残念ながらこれといった突出した特技は無い。

 

 が、それでも彼女達はやはり似ている。

 那珂と言う軽巡洋艦娘が水雷戦隊に――この鎮守府にとって必要不可欠な存在である事同様、足柄もまたなくてはならない存在であった。

 

「ねぇねぇ山城。今度鳳翔さんのとこでやるって言っておいた女子会、提督誘って来てよ」

「それは女子会にならないでしょう……?」

 

「じゃあ提督に女装させて来てよ」

 

「なんで?」

 

「……ありネー!」

 

「え、そうなの……?」

 

「いざとなれば、私のジャージを提督に貸して女装して貰うから大丈夫!」

 

「それは女装なの……?」

 

 つい先ほどまで互いに親の仇と言わんばかりににらみ合っていた二人の間に足柄が入っただけでこの変わり様である。足柄は決して提督に対して淡白ではなく、中々に積極的な艦娘だ。なのだが、どうにも残念すぎて山城にしても金剛にしても警戒したくてもできない。させてくれない。

 結果、そんな足柄が山城と金剛の間に挟まる事で緩和されるのである。緩くなって中和されるのだから、まさしく緩和だ。

 

「……そうだわ、皆でジャージを着て女子会すればいいのよ! パジャマパーティーとかもう過去の物ね! 当然の結果よね! 大勝利!」

 

「それはもう『女子』会ではないと思うし、大勝利でもないと思うわ……」

 

「デース……芋ジャージとか足柄しかフィットしないデース」

 

「そうよね! ……あれ、褒められてるの? あれこれもしかしてひょっとしてちょっとかるーくディスられたの私?」

 

「ものっそい正面からばっさり斬られたのに、めっちゃポジティブやな君」

 

 龍驤は疲れた顔で溜息混じりに呟き、肩をすくめる。それでも先ほどまでのよろしくない雰囲気に比べれば幾分――いや、かなりマシなのだから龍驤としてはやはり溜息が出てしまうのだ。

 と、空気を読んで鳳翔と龍驤の背後から出てきた谷風は、唇に人差し指を当てて首を傾げた。何事か気になるのか、と見た龍驤はどうしたのか、と問うて見た。

 

「いやぁ……その女子会、メンバーどうなってるのかねぇ、って」

 

 谷風の声が聞こえたのだろう。足柄が何故か腕を組んで胸を強調するようなポーズをとって応えた。何故にそんなポーズをとったのかは誰にも分からない。そして当然足柄にも分からない。

 

「隼鷹と千歳と那智姉さんと霧島と山城と私!」

 

「……山城、ジャージでええんちゃうかな?」

 

「……」

 

 龍驤の言葉に、山城は何も答えなかった。どちらかと言うと女子会というよりは飲み会と言うべき面子に思えても山城は何も言わなかった。確かにジャージの方が何事かあった際には助かるかもしれない、と頷きかけた自身に軽くショックを受けてもいた。

 

「……まぁ、ほどほどにしときや?」

 

「任せなさい! お酒なんかに負けたりしない!」

 

 その面子が集まってほどほどですむ筈が無い。そんな事は突っ込みを入れた龍驤にも分かっていた。そして態々どでかいフラグを立てているキリッとした顔の足柄を龍驤は華麗にスルーした。

 

 

 

 

 

 

 足柄、という艦娘が居る。

 攻めて良し守って良し、昼戦良し夜戦良し、指揮良し補佐良し、と中々に優秀な艦娘で鎮守府や海域によっては主力の一人に数えられるような、そんな艦娘である。

 

 その足柄が、今夕日が差し込む鎮守府の廊下を足早に歩んでいた。赤い絨毯の敷かれた長い廊下を走らないのは、一度やらかした時に迷彩艤装を装備した某ネームシップさんにその場でギロチンチョップを食らったからだ。

 速度を保ったまま足柄は進んでいく。彼女が目指すは提督の座す執務室だ。

 

「提督提督!」

 

 目当ての部屋が視界に入ったと同時に、結局足柄は扉まで駆け寄り勢い良く扉を開けた。ノックも無しに、だ。

 

「今日のMVP、この足柄よ! 褒めて褒めてー!」

 

 同じイヌ科の白露型駆逐艦娘の台詞を勝手に拝借しつつ満面の笑みで手を振る足柄は、しかし次の瞬間

 

「……足柄?」

 

 まったく動きを止めた。

 足柄の目が、提督の居る執務室をゆっくりと映して行く。

 いつ頃からか置かれるようになったルームランナー、ゲーム機などが入ったダンボール、提督の服一式が入った箪笥、小さな冷蔵庫、誰も座っていない秘書艦用の小型の執務机、そして定位置である執務机に座して窓の外の風景を悲しそうな眼差しで見つめる提督と――

 

 

 

 

 

「んにゃ!? んにゃー!!」

 

 足柄、という艦娘が居る。

 まぁ……色々と面白い艦娘である。 




よし、いちゃいちゃしたな(白目)

ヒント
妙高さんの午後からの予定


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