モモンガ様ひとり旅《完結》 (日々あとむ)
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序:孤独な王様 ひとりぼっちのオーバーロード

 
悪のカリスマが無い萌え骸骨、モモンガ様の放浪旅。

所々、色んな登場人物のキャラが違うと思われるのでご注意を。

 


 

 

 DMMO-RPGというものがある。

 体感型大規模多人数オンラインロールプレイングゲームと呼ばれるものだが、ただのオンラインゲームでさえ時間と金の大量放出、現実での生活を犠牲にする者が相次いだのだ。当然、より精度を増しリアルさを追求し、多様な機能を身に付けたDMMOは熱中する者が後を絶たなかった。

 それは、現実での生活の辛さも拍車をかけたのだろう。

 空は灰色。人工肺が無ければ満足に呼吸も出来ない苦しさ。何処までも続く、終わりの見えない環境汚染。幻想の中にしか、もはや自然と呼べるモノがない現実。

 

 ……だが、どんなモノにも終わりはある。

 「無限の楽しみを追求できる。」そんな宣伝文句さえあった、日本でDMMOと言えば『コレ』と呼ばれるほどの大人気ゲーム―――『ユグドラシル』さえ例外ではなく……―――

 

 

 

 

 

 

 異形種のメンバーのみで構成されたギルド『アインズ・ウール・ゴウン』。

 その拠点であるナザリック地下大墳墓の最下層、玉座の間で唯一人残ったギルドメンバーにしてギルドマスターであるモモンガ……鈴木悟もまた、サービス終了というどうしようもない終わりを、惜しみながらも受け入れていた。

 

 モモンガは玉座に座りながら、周囲を見回す。そこにはモモンガがここまで連れてきたNPC達がいた。守護者統括のアルベド。執事のセバス。そして戦闘メイド・プレアデス達。

 最後に少しだけ、アルベドの設定を書き換えてしまったが、これも最後まで残ったギルドマスターの特権だろう。ちょっとしたお茶目だ。本来の作成者もいないし、それが何か影響を及ぼす事もない。

 どうせ、この日を最後に、全ては泡沫へと消えるのだ。

 

 ――――楽しかったな。

 

 最後の最後でひとりぼっちになってしまったが、それで全ての思い出が嘘になるわけではない。モモンガはNPCに見守られながら、ゆっくりと瞳を閉じた。

 

 00:00――ユグドラシルのサービス終了時間。

 この瞬間、『ユグドラシル』という世界は終わった。

 

 

 

 

 

 

 ……微風が肌を撫でていく。おかしい。自室に窓など無いはずだ。まさか泥棒か何か入ったのだろうか。それは困る。ただでさえ課金しまくっているおかげで生活は厳しいと言うのに、泥棒に金目の物を盗まれるなどたまらない。確認しなくては。

 モモンガは鈴木悟に戻るために目蓋を開いた。

 

「……、は?」

 

 視界に広がる光景に、モモンガは絶句する。馬鹿な、有り得ない。

 

 目蓋に飛び込んだ風景は、『自室』ではなく『草原』だった。

 

「……どういうことだ?」

 

 周囲を見回す。しかし、見渡す限り緑が広がっているだけだ。強いて言うならば、すぐ近くには森が続いている。それだけだ。空を見上げれば夜空が広がっている。

 

「馬鹿な……」

 

 それが、例えようもないほどに異常だった。

 現実の世界は大気汚染、水質汚染、土壌汚染が進んでもはや『自然』という概念は失われている。過度に進んだ環境汚染は、地上から緑を奪い、空から色を奪った。

 だが、今モモンガの目の前に広がる光景は何だというのか。

 そこには、かつてブルー・プラネットが愛したいと願った光景が、そのままに広がっている。

 その異常な光景を前に、ふらりと足を後ろによろめかせる。そこでようやく、自分の頭を覆っている筈の機械が無い事に気づき、自分の肉体を見下ろした。

 

 骨だった。

 ゲーム内で見慣れた格好。死の支配者(オーバーロード)としての姿がそこにあった。

 

「……もしかして、まだログアウトしていないのか?」

 

 有り得る話だった。サービス終了処理を運営がしくじったのだろう。別の場所にユーザーを移動させてしまう。そういったバグは過去何度か体験している。運営とて神様ではないのだ。失敗を減らす事は出来ても、無くす事は出来ない。

 

「…………」

 

 だが――モモンガはそう思って再び夜空を見上げる。ここは本当に『ユグドラシル』なのか?

 ――――例え『ユグドラシル』だろうと、いや、どんなゲームだろうと、ここまで美しく世界を創れない。

 

「……とりあえず、コンソールを開くか」

 

 そして、モモンガは更なる異常事態に遭遇した。

 コンソールが浮かび上がらない。

 そのままコンソールを使わずともいい他の機能を使おうとする。強制アクセス、チャット機能、GMコール、そして強制終了。

 どれも一切、感触が無い。まるで完全にシステムから除外されたように。

 

「……どういうことだ!」

 

 憤怒の声を上げる。苛立ちが気分をささくれさせ――そして妙に冷静になる。

 まるで冷水をかけられたように鎮静させられる感情に戸惑い、手で顔を覆った。

 

「何なんだ、いった……ぃ……――」

 

 語尾は言葉にならなかった。単なるアバターでしかない骸骨。その髑髏の――自分の口が動いている事に気がついたからだ。

 

「――――」

 

 絶句する。DMMO-RPGの常識からして、絶対に在り得ない状況。

 どうする? どうすればいい? 必死になって頭を捻る。再び混乱がピークに達しようとした瞬間――今度こそ、ぷにっと萌えの言葉で、自分の意思で冷静になれた。

 焦りは禁物。まずは、自らの状況を把握するべきだ。

 最優先でしなければいけないのは運営との連絡だが、しかしGMコールを初めとした手段は通用しなかった。ならば魔法はどうだろうか。

 ついでだ。魔法が使えるかどうか確かめるために、少しばかり実験しよう。

 幸いな事に、周囲を見渡してもすぐに命の危機は無いようだった。

 

 

 

 

 ――一通りの実験を済ませ、一息つく。

 まず、魔法。何の問題も無く使用可能なようだった。特にユグドラシルとの乖離は見られない。

 ただ、〈伝言(メッセージ)〉は誰とも繋がらなかった。運営は勿論、かつての仲間達とも連絡は取れない。繋ぐべき相手がいないからなのか、それとも距離が離れ過ぎているからなのかは、モモンガにもよく分からない。

 

 次にアイテム。これは、アイテムボックスに入れている物ならば取り出せる。アイテムボックスには限りがあるが、無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)――全然無限ではないが――を幾つも持っているため、早々アイテム不足に困る事は無いだろう。幾つか試しに消耗しても構わない物を使用し、効能が発揮される事も確かめた。

 

 そして最後に――リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。

 自分達のギルドの拠点であるナザリック地下大墳墓内を移動するのに便利であり、そして宝物庫に行くための必須アイテムである指輪。外からナザリックへ移動する際にも用いられるそれは、今は完全に沈黙していた。

 〈伝言(メッセージ)〉と同じく、距離が離れ過ぎているからなのか……それとも、そもそもそんな場所が『無い』からなのか……。

 

 現状を確認した後、現在地を知るためにモモンガは歩き出した。本来なら〈飛行(フライ)〉を使用したいところだが、目立つ行為は極力避けるべきだった。

 モモンガはレベルをカンストしているが、しかし最強ではない。ユグドラシルではレベルカンストは少なからずいる。モモンガはロールプレイ重視の職業(クラス)と魔法修得を選んでいるため、ガチ勢と比べると見劣りするのだ。たまたま、最高レベルの神器級(ゴッズ)装備で身を固めているが、それでもギルド最強は名乗れない。

 ……この肉体で死亡した場合、どうなってしまうのか。それはモモンガには分からない。

 故に、極力目立つ行為は避けるべきだった。

 

 ――――そうしてしばらく歩いている内に、幾つか更に気がついた事がある。

 この肉体には疲労や空腹といったバッドステータスが無い。アンデッドだからだろう。アンデッドには幾つか状態異常無効化のスキルが付属している。それが働いているのだ。先程から起こっていた奇妙な精神鎮静もその機能の一つに過ぎないと結論した。

 これは、嬉しい誤算である。隠密行動で気を付ける事は疲労による集中力・行動力の欠如だ。これならば、足が棒になっても歩き続けられる。

 モモンガは森の中をあてもなく、ひたすらに歩き続けた。

 

 

 

 

 

 

 ――モモンガは数日ほど森を彷徨った。

 

 途中、ゴブリンやオーガなどのモンスターに遭遇したが、問題なく対処出来た。それもそうだ。レベル一〇〇という数値のモモンガに、ゲーム序盤に出るようなモンスターでは相手になる筈が無い。

 更にモモンガは、自身の特殊技術(スキル)である絶望のオーラや負の接触(ネガティブ・タッチ)が発動しているのに気づき、一時停止させた。知的生命体と接触した際に不快感を抱かせるような行為は控えた方がいいと判断したためだ。

 

 そして数度目の朝を迎えて……モモンガは、森の様子がおかしい事に気づいた。

 騒がしいのである。

 森の中の小動物達が忙しなく動き回り、何処かへと走り去っていく。

 モモンガはそんな小動物達の様子を観察し、彼らが逃げるのと反対方向へと向かった。

 近づくにつれ、モモンガもその理由が分かってきた。

 幾つも鳴る騒がしい金属音。怒号と悲鳴。それが、モモンガに対してそこで起こっている事態を知らせていた。

 だが……首を捻らざるをえない。

 間違いなく、この先で起こっているのは胸糞悪い類の悲劇の筈だ。だが、モモンガは何故かそれに対して嫌悪感が湧かないのだ。恐怖心も無ければ、義憤も抱けない。

 

 人間として、何か致命的なモノが欠けてしまっている気がする。

 

「――いや、そんな」

 

 気のせいだ。そんな事がある筈が無い。

 恐ろしい。今、自分が酷く恐ろしい。

 おそらく、この森の外で起きているのは情け容赦ない虐殺だろう。森へと届く悲鳴と怒号、金属音がその想像が現実だろうと訴えてくる。

 だが、今心の中に浮かぶのは見逃した場合の利益と助けた場合の利益。どちらがより自分にとって利益が見込めるか、という打算だった。

 当たり前のように浮かぶ筈の感情――憐憫、憤怒、焦燥、義憤。何もかもが欠落している。

 まるで子供の頃、石の裏をひっくり返して見つけた昆虫同士の、閉じた世界の弱肉強食を見つめ続ける感覚。

 自分とはまるで関係の無い、遠い世界の食物連鎖。

 ヒトとしての心が欠落している。恐ろしい。とても恐ろしい。

 何より恐ろしいのが、そんな自分の心を冷静に分析している自分の心が恐ろしい。

 ――アンデッドになった弊害なのか、もはやモモンガは人間という種族を同族と見做していないのだ。

 そしてモモンガの無情な冷静さは結論を出していた。

 

 ……見捨てるべきだ。

 

 一方的な虐殺は何か理由があるかも知れない。疫病や犯罪、あるいは見せしめか。村人が単なる盗賊団に襲われているならばいいが、これが国からの極秘任務を受けた非正規部隊からの強襲なら、助ければモモンガはかなりの不利益を被る。

 右も左も分からぬ見知らぬ場所で立ち上がるには、あまりにデメリットが大き過ぎた。

 

「――――」

 

 踵を返して森の深くに戻ろうとする。その時、視界の端にチラリと二人の少女が入った。

 おそらくは姉妹なのだろう。年上の姉と思われる少女とそれより背丈の低い幼い少女が互いの手を必死に掴んでこちらへと走ってきている。

 一瞬自分の存在が露見したのか、などと思ったが何の事は無い。単純に逃げているだけだ。開けた場所で逃げ回るより、森の中に逃げた方が生存率が高い。それだけの事だろう。

 そして姉妹達の後ろから甲冑を着込んだ騎士らしき男が二人追って来ている。……やはり、助ける必要は無い。盗賊や山賊があのような格好をする筈が無いのだ。面倒な事態は避けるべきである。

 

 モモンガは姉妹を見捨てようとした。

 そう、自分には関係の無い話なのだ。もはや人間は自分の同族ではない。そして助けるメリットよりデメリットが大きい。情報の確保、という意味では助ける必要はあったが、それでも国を敵に回したいとは思わない。

 それに、あの姉妹の格好からしておそらく村娘だろう。ならば、他にもまだ村はある筈だ。無事かどうかは分からないが、国を敵に回すよりマシ。

 自分には関係無い。例え、妹が転んで騎士に追いつかれそうになったとしても。必死になって姉がその騎士の兜に拳を打ち込んで生きようとしても。姉が背中を斬られたとしても。姉妹が抱き合って、怯えていたとしても。

 それは、モモンガには関係の無い話なのだ。

 

 ――――誰かが困っていたら、助けるのは当たり前。

 

「――――たっち、さん」

 

 ふと、頭の中にギルドメンバーのたっち・みーの言葉が思い起こされた。

 

 ……昔の話だ。モモンガが『ユグドラシル』を始めた頃、異形種狩りというものが流行っていた。幾らログインしようと行われるPKに嫌気が差し、ゲームを止めようとした頃に助けてくれたのがたっち・みーだった。

 まるで正義の味方みたいに、自分の事を助けてくれたたっち・みー。彼がいなければ、きっとモモンガは『ユグドラシル』を止めていたに違いない。

 そんな彼の、自分を助けてくれた時の言葉が思い起こされる。

 

「……そうですね。誰かが困っていたなら、助けるのが当たり前、です」

 

 ここが何処なのか分からない。自分は『ユグドラシル』に入り込んでしまったのか、それともあるいは全く別の場所にいるのか。

 今の自分の状態はさっぱり分からない。けれど、『アインズ・ウール・ゴウン』のメンバー、そのギルドマスターとして、どんな場所でも彼らに胸を張って生き続けたいと思う。

 モモンガは森の外へ向けて、足を一歩踏みしめた。

 

 

 

 

 

 

 エンリ・エモットは必死になって妹の盾になろうと身を屈めていた。激昂した騎士が自分の体に剣を振り下ろそうとするのを、視界の端に見つけて。

 自分が盾になれば、もしかしたら妹は助かるかもしれない。森へ逃げ込めるかもしれない。

 エンリにとっては、もうそれだけが救いなのだ。

 

 ――今日の朝は何かおかしかった。何故かやってくる帝国の騎士達。斬り殺される村の人々。騎士にしがみつき助けようとした父。逃がしてくれた母。

 そして今自分も、両親と同じように自分より小さな家族を守ろうとしている。それが誇らしく、けれど同時に悲しかった。

 

 もし夢なら覚めて欲しい。エンリは刹那の間にそう思う。

 しかし夢は覚めない。けれど、斬り殺されるという現実もまた、降って来なかった。

 それがあまりに不思議で、妹と共に顔を上げる。

 騎士は剣を振り下ろそうとした形で止まっていた。目を見開いて、自分達を見つめている。

 

「……?」

 

 いや、違う。自分達ではない。騎士の視線は自分達の背後で固定されている。エンリは振り返った。そして後悔する。

 背後に、死神のような恐ろしい姿をした“絶望”が立っていた。

 

 

 

 

 

 

 森から突如姿を現した自分に動揺したのか、全身鎧を着込んだ騎士らしき人間は剣を振り下ろす事も忘れ、モモンガに視線を送るばかりだった。

 剣を持つ相手と対峙しても、心の中に恐怖心は生まれない。やはりアンデッドの精神が鈴木悟という人間の脆弱な精神を押さえつけている気がする。

 

 ――まあ、今そのような事はどうでもいいだろう。

 

 モモンガは片手を広げ――伸ばす。

 

 〈心臓掌握(グラスプ・ハート)

 

 第九位階の心臓を握り潰して即死させる高位魔法。モモンガの得意な魔法の一つである。これは例え抵抗された場合でも朦朧状態になる、という追加効果がある。

 抵抗された場合は少女達を連れて逃げの一手だ。朦朧状態になっている間に〈転移門(ゲート)〉を使い、森の中に逃げ込むしかあるまい。

 だが、その準備は不要だったらしい。

 手の中で柔らかいものが潰れる感触があった。同時に、騎士が無言で崩れ落ちる。

 その死体を見ても、モモンガは何も感じなかった。

 

「――――」

 

 これで、モモンガが遂に現実を受け止めた。

 自分は完全に人間を止めている。人を殺しても何も感じない、なんてあり得ないからだ。

 モモンガは怯える姉妹の横を通り過ぎ、姉妹を自分の後ろに隠した。残ったもう一人の騎士はモモンガを怯えた瞳で見つめ、一歩後退する。

 

「……女子供は追い回せるのに、毛色が変わった相手は無理か?」

 

 その気配に嘲笑し、次いで魔法を放つ。

 

「〈龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉」

 

 今度は第五位階の魔法だ。龍の如くのたうつ白い雷撃はモモンガの指先から放たれ、その延長線上にいる騎士を目がけて空間を奔り、騎士へと直撃する。

 雷撃を受けた騎士は糸の切れた人形のように大地に転がり、周囲に異様な肉の焦げた臭いが漂った。

 

「……よわっ」

 

 〈龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉はモモンガからすれば弱過ぎる魔法である。モモンガの適正な狩場で使用する魔法は大抵第八位階以上の魔法だ。警戒し、わざわざ追撃の準備に入っていたというのに、無駄になってしまった。

 

「……はあ」

 

 決死の覚悟で姿を現したというのに、たかが第五位階魔法で死ぬ騎士達の脆弱さに緊張が抜ける。ただこの二人の騎士が特別脆弱だったというのも考えられるが、抜けた緊張は戻りそうにない。

 とはいえ、警戒はしなければならない。ここは見知らぬ場所である。

 モモンガは特殊技術(スキル)を使う事にした。

 

 ――中位アンデッド創造 死の騎士(デス・ナイト)――

 

 モモンガの選んだ種族には特殊能力があり、これはその内の一つだ。特にこの死の騎士には敵モンスターの攻撃を完全に引き受ける能力と、一回だけどんな攻撃を受けてもHP1で耐えきるという能力が備わっており、壁として最適である。

 黒い靄が中空から滲み出て、心臓を握り潰された騎士の体に覆い被さるように重なった。そして靄が騎士へと溶け込んでいく。人間とは思えない関節を無視したような動きで立ち上がる。

 

 背後で「ひっ」という悲鳴が聞こえた。しかし、モモンガも驚く。見た事の無い光景だったからだ。

 ゴボリという音と共に黒い液体が騎士の兜の隙間から溢れ出す。溢れ出た粘液質な闇は全身を覆い尽くし、形が変形していった。

 数秒後には身長二メートルを超え、身体の厚みも爆発的に増大したアンデッドが立ちあがる。

 左手にタワーシールド、右手にフランベルジェを持ったオンボロな漆黒のマントをたなびかせた全身鎧のアンデッドの騎士。

 モモンガは召喚したモンスターに対して精神的な繋がりを感じた。大丈夫だ、操れる。

 

「この村を襲っている騎士――あの鎧を着込んだ似たような奴だ――それを、殺せ」

 

「オオオァァァァァアアアアア――!!」

 

 聞く者の肌が粟立つような咆哮を上げると、殺気を撒き散らしながら死の騎士は駆け出していった。それをモモンガは呆然と見送る。

 あまりに、『ユグドラシル』と自由度が違い過ぎた。

 

「えー……盾が守るべき者を置いて行ってどうするよ? いや、命令したのは俺だけどさぁ……」

 

 とりあえず、もう一体作成するべきだ。モモンガは魔法職――つまり後衛である。前衛がいなければ、満足に魔法も唱えられないかもしれない。

 今度は死体を使用せずに作成した。

 ずるりと靄が現れ、それがカタチを成していく。数秒後に出来上がったのは先程と同じ死の騎士(デス・ナイト)だ。今度は別の命令をする。

 

「俺の盾となって付き従え」

 

「――――オオォォォ」

 

 呻き声と共に、モモンガに大人しく付き従う。今度は自分の傍を離れない。上手くいったらしい。

 

「……やれやれ。もう少し実験しないとなぁ」

 

 自分の頭蓋骨を指先で少し掻くと、モモンガは姉妹達に視線を戻した。

 モモンガの無遠慮な視線に晒された姉妹は、身を縮めて震えていた。死の恐怖を味わったのだ。無理も無いだろう。

 手を伸ばす。すると、アンモニアの臭いが周囲に立ち込めた。

 

「…………」

 

 凄まじい疲労感を覚える。疲労しない筈のアンデッドがそう思うのは、気分的な問題だろう。

 

「……怪我をしているんだろう。治してやる」

 

 社会人として鍛えられたスルー能力で見なかった振りをし、モモンガはアイテムボックスを開いた。そこから無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)を取り出し、ショートカットキーに登録しておいた安いポーションを取り出す。

 この赤い色の液体の瓶は下級治療薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)と言い、HPを少しだけ回復させる。ただ、モモンガはアンデッドの種族を選んでいるため、逆にダメージを受けるのだ。

 仲間がいた頃の名残で持っていたのだが、今となっては完全に無用の長物である。

 

「これは治療薬だ。飲むといい」

 

 無造作に突き出すと、姉の方が恐る恐るといった表情で受け取り、震えながら飲み干した。

 すると、瞬く間に背中の傷が治っていく。

 

「うそ……」

 

 その効能に姉の方は驚き、何度も背中を見ようと捻ったり、触ったりしていた。

 

「他に痛みは?」

 

「だ、大丈夫です」

 

 あの程度の傷ならば下級治療薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)で充分らしい。納得すると別の質問を投げかける。この答え如何で取るべき行動が変わってしまうのだ。

 

「お前達は魔法というものを知っているか?」

 

「は、はい。む、村に時々来られる薬師の……私の友人が魔法を使えます」

 

「……話が早いな。俺は魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ」

 

 〈生命拒否の繭(アンティライフ・コクーン)

 〈矢守りの障壁(ウォール・オブ・プロテクションアローズ)

 

「この二つの魔法は生物を通さない守りの魔法と、弓矢などの射撃攻撃を弱める魔法だ。そこにいれば大抵は安全だろう」

 

 本来ならば対魔法用の障壁も用意してやるべきだが、ここが『ユグドラシル』なのか全く別の世界なのかモモンガには分からない。その状態で無意味になるかもしれない魔法は唱えたりしない。魔法詠唱者(マジック・キャスター)が来たら運が悪いと諦めてもらう。

 

「――それと、念のためにこれをやる」

 

 みすぼらしい小さな角笛を放り投げる。

 

「それは小鬼(ゴブリン)将軍の角笛と言うアイテムで、吹けば小鬼――小さなモンスターの軍勢がお前に従うべく姿を見せる筈だ。そいつらを使って身を守れ」

 

 モモンガからすれば大した事の無いアイテムだ。ゴブリンなどモモンガからすれば足止めにも盾にもならない脆弱モンスターである。ナザリックに預けていたアイテムが使えないため、少々惜しい気もするが、モモンガにとってはゴミアイテムなのだ。気にするまい。

 モモンガはそれだけ告げると、踵を返して歩き出す。向かう先は悲鳴と怒号と金属音の聞こえる祭の中心。おそらく今なお、虐殺の起きている村だ。

 しかし、数歩も行かない内に背後から声がかかった。

 

「あ、あの――助けてくださって、ありがとうございます!」

 

「ありがとうございます!」

 

 足を止め、振り返った。そこには眦に涙を滲ませた姉妹が、感謝の言葉を告げている。

 

「……気にするな」

 

「あ、あと、図々しいとは思います! で、でも貴方様しか頼れる方がいないんです! どうか、どうかお母さん

とお父さんを助けて下さい!」

 

「……了解した。生きていれば助けよう」

 

 軽く約束をすると、姉は頭を下げた。

 

「あ、ありがとうございます! ありがとうございます! 本当にありがとうございます! そ、それとお、お名……お名前は、なんとおっしゃるんですか?」

 

「――――」

 

 名前。モモンガはその単語の意味を深く考える。

 

 自らの象徴にして栄光。輝かしい仲間達の記憶が蘇った。

 たっち・みー。ヘロヘロ。ぶくぶく茶釜。ペロロンチーノ。餡ころもっちもち――……『アインズ・ウール・ゴウン』の四十一人のギルドメンバー達。

 今も、モモンガにはここが何処か分からない。『ユグドラシル』なのかそうでないのか。現実なのか夢なのか。

 五里霧中。一寸先さえよく分からない摩訶不思議。

 だが、今も記憶の中に残っている。何も失われてはいない。

 

「――ああ」

 

 『アインズ・ウール・ゴウン』のギルドマスター。『ナザリック地下大墳墓』に残った最後の一人。ならば、今の自分の名は――――

 

「アインズ。俺の名前はアインズ・ウール・ゴウンだ」

 

 仲間達の栄光と誇りを胸に、モモンガは――いや、アインズは二人の少女に名を告げた。

 

 

 

 

 

 

 恐ろしいアンデッドの騎士――死の騎士(デス・ナイト)を相手に戦っていた騎士達は、救いを求めるための救援用の角笛を鳴らしたが、少しして現れたのは死の騎士(デス・ナイト)をもう一体連れた化け物だった。

 

 黒いローブを身に纏った恐ろしい骸骨。頭蓋骨の空虚な眼窩には赤黒い光が灯っている。その姿はまさに死者の大魔法使い(エルダーリッチ)で――すなわち、アインズだった。

 

死の騎士(デス・ナイト)、そこまでだ」

 

 アインズの声は場違いなほど軽く響く。

 村の周囲で警戒していたであろう騎士達を実験に利用しながら皆殺しにし、聞こえてきた角笛に呼び寄せられたのだ。一応、姉妹から頼まれていた両親であろう人物の生死は確認したが(死んでいたが)、実験に夢中になり過ぎた事を反省して〈飛行(フライ)〉の魔法で飛んでいく事になった。

 もう一体の死の騎士(デス・ナイト)を伴い、アインズは地上に降りる。

 

「はじめまして、諸君。俺はアインズ・ウール・ゴウンという。投降すれば命の保証はしよう。まだ戦いたいと――」

 

 生き残っていた四人の騎士達の剣が即座に地面に投げ出された。その間、一切の発言は無い。ただ恐怖の気配だけがそこには渦巻いている。

 

「ふん。よほどお疲れの様子――ああ、いいぞ。生きて帰るがいいさ。だが――」

 

 先程まで騎士達を殺し回っていた死の騎士(デス・ナイト)が一人の騎士から兜を剥ぎ取り、そこに疲労で濁った瞳が顕わになる。

 アインズはその瞳を見つめながら、静かに凄んだ。

 

「飼い主に伝えろ。この辺りで騒ぎを起こすな。騒ぐようなら、今度は貴様らの国まで死を告げに行ってやる」

 

 四人の騎士達がいっそ滑稽なほどに必死になって頭を上下に振る。アインズはその姿を確認すると、顎でしゃくって騎士達を促した。

 

「行け」

 

 騎士達はその言葉に弾かれたように、一目散に走り出す。その恐怖に駆られた後ろ姿を見送りながら、アインズは頭の中で死の騎士(デス・ナイト)に、おそらく死の騎士(デス・ナイト)が殺して作られたのだろう従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)を片付けるように指示を出し中央に集められた村人達を振り返った。

 

「ひっ……」

 

 村人達から悲鳴が上がる。その顔には恐怖と混乱で彩られていた。

 騎士達を逃がした事に不満が出なかったのは何故なのか、アインズは悟る。騎士達より強い危険人物が残った。村人達――弱者の視点ではそうなのだろう。

 アインズは溜息を吐きたい気分になりながらも、村人達に優しげな口調で語りかけた。

 

「もう安全だぞ。この周囲の連中は全員追い払った」

 

 そう告げると、村人達は何とも言えない表情を浮かべた。何というか、意外な言葉を聞いたというか、聞ける筈の無い言葉を聞いた――そんな違和感を持った表情だ。

 その事に首を傾げ――村人の代表者らしい人物が死の騎士(デス・ナイト)から目を離さないようにしながら開いた言葉に、ようやくアインズは自分の間抜けを自覚した。

 

「……もしや、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)?」

 

 死の騎士(デス・ナイト)を連れて歩いていたせいだろう。アインズは、騎士達が死の騎士(デス・ナイト)を恐れていたのではなく、自分の姿を見て恐れていたのをようやく悟った。

 

「――あ」

 

 間抜けな声が漏れるが、幸い村人達には聞こえなかったらしい。村人達は代表者に視線を送り、無言で先を促している。

 

「聞いた事があります。アンデッドは生命を憎む存在であり命を奪うことに腐心する傾向がありますが、知性のあるアンデッドは憎悪を抑え、生者と関係を持つ者もいると……」

 

「――ふむ」

 

 アインズは頭の中で全員の記憶操作は出来るか考え――どう考えても破綻するだろう事に気がついた。

 となれば、するべき事は一つ。口から出まかせを吐いての言い訳である。

 

「――自分は生前から魔法詠唱者(マジック・キャスター)でして。えー……魔法の研究に没頭するあまり、アンデッド化してしまったといいますか…………」

 

 そう口篭もりながら言い訳を並べると、村人達の表情が若干ではあるが和らいだ。

 本来なら決してアインズの言葉を信じたりはしないだろう。しかし、村人達は先程まで同じ種族である人間に虐殺されようとしていたのだ。

 対して、アインズと死の騎士(デス・ナイト)は決して村人達を傷つけなかった。今も死の騎士(デス・ナイト)は大人しく立っている。先程までの凶行が嘘のように。

 そして、アインズのアンデッド化の理由も気を抜く要因だった。研究に没頭するあまり、という間抜けな理由が親しみさえ感じられたのだ。

 更にアインズは知らない事ではあるが、このカルネ村は――今までモンスターに襲われる事はほとんど無かった。カルネ村の前に広がるトブの大森林と呼ばれる森の一角は、とある魔獣の縄張りであり、しかし魔獣は人里に下りて来ないため村人達はほとんど争いとは無縁に過ごしていたのである。

 

「――ごほん。詳しい話はまた後で。ここに来る前に姉妹を見つけて助けてきた。その二人を連れてくるから待っていて欲しい」

 

「ええ、わかりました。助けていただきありがとうございます」

 

 死の騎士(デス・ナイト)やアインズへの警戒心が完全に抜けたわけではないだろうが、しかし村人達は口々にお礼を言う。アインズはそんな村人達の感謝の言葉を聞きながら思う。

 

 ――人助けもそう悪い気分じゃないですね、たっち・みーさん。

 

 

 

 

 

 

 村の代表者……村長の家へ案内されたアインズは、椅子に座り室内を観察する。

 何処を見渡しても機械製品などは見受けられず、あまり科学技術は発展していないように見えるが――魔法のある世界で科学技術が何処まで発展するのかには疑問がある。

 科学の代わりに魔法が発達しているのかも知れない。アインズは気分を引き締めた。

 

「お待たせしました。まずはお礼を言わせて下さい。村を救ってくださりありがとうございます」

 

 少しすると村長が向かいの椅子に座り、頭を下げた。それに手を上げて制止させる。

 

「いえ、お気になさらず。実はちょっとした下心があってのことですから」

 

「……はあ」

 

 それからアインズはまず金銭の要求をし、そこからかつて営業として働いていたサラリーマンとしての交渉術で何とか話を繋げていった。

 頭から煙が出て過負荷でエンストを起こしそうになりながらも、何とかアインズは知りたい情報を最低限手に入れる。

 

 まずはアインズの持つユグドラシルの金貨はこちらでは交金貨二枚分くらいの重さで、アインズの金貨の方が比重が重く価値がある。一般的な村での硬貨は銅貨を使い、その上に銀貨、金貨となる。村で精一杯で出せる金額は銅貨三〇〇〇枚。

 

 続いて魔法詠唱者(マジック・キャスター)だが、ユグドラシルと同じような意味を持つ職業であるらしい。神官(プリ―スト)司祭(クレリック)秘術師(アーケイナー)なども一纏めにすれば魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。

 

 これが一番重要な事だが――この世界は『ユグドラシル』ではない。

 この村はカルネ村といい、近くにエ・ランテルという都市がある。そしてこの村が属する国の名はリ・エスティーゼ王国。敵対国家であるバハルス帝国。スレイン法国。

 知らない地名である。アインズは酷くショックを受けた。骸骨であるため村長達には表情は読めなかっただろうが、アインズは精神抑制が働くほどのショックを受けた。

 ――当然、彼らはナザリックという場所も知らないという。アインズは自分がひとりぼっちで見知らぬ世界にいるのだということを悟らざるを得なかった。

 

 ……そしてアインズが国の話を幾つか聞いた中で、溜息をつきたくなった。

 

「――失態だ」

 

 呟く。村長達は先程の騎士の鎧に刻まれていた紋章が帝国のものであるから帝国の騎士だと思っているようだが、国境が隣接している以上、スレイン法国の偽装工作の可能性がある。

 騎士は一人くらいこっそり捕まえて、後で情報を引き出すべきだった。しかしもう遅い。

 王国は村を助ける事で恩を売れたが、代わりに帝国か法国に喧嘩を売ったと見るべきだろう。非常に不味い事になった。

 

 ……そもそも、アインズは疑問に思う。この世界には自分しかいないのか?

 

 実際に魔法を見ていないので何とも言えないが、魔法詠唱者(マジック・キャスター)の分別が『ユグドラシル』と同じなのだ。もしかしたら、何処かで『ユグドラシル』と繋がっているかもしれない。

 これからは、プレイヤーの存在にも注意して行動しなければならない。アインズは一人なのだ。拠点であるナザリック地下大墳墓もなく、そこに預けていた世界級(ワールド)アイテムを使用出来ず、仲間もいない。

 ましてアインズはロールプレイ重視の特殊技術(スキル)の取り方や魔法の覚え方を取っているため、同レベルのガチ勢とPvPになればどうなるか分からない。

 

 ――これからはもっと慎重に行動しなければ。

 

 アインズは決意を新たに、再び村長の話に聞き入った。

 

 …………そうして話を続けていると、村人がドアから入ってきた。村人は村長に声をかける。どうやら、死者の葬儀の準備が整ったらしく、これから村人達で集まるらしい。

 村長は申し訳なさそうにアインズを見たが、アインズは村長に気にしないように言った。

 そして村はずれの共同墓地で葬儀が始まり、アインズはその様子を少し離れた場所で眺めていた。――同時に、頭の中でとあるアイテムの存在を思い描く。

 

 蘇生の短杖(ワンド・オブ・リザレクション)

 

 死者を復活させる魔法を宿したアイテムであり、それをアインズは幾つも所持していた。それこそ、村の死者全員を蘇生させてもお釣りがあるほどに。

 だが、アインズはそれを使おうと思わなかった。

 宗教的な意味ではなく、ただ利益が無いから。

 死を与える魔法詠唱者(マジック・キャスター)と死者を蘇生させる魔法詠唱者(マジック・キャスター)。どちらがより面倒に巻き込まれるかと言えば、当然後者である。今のところ、この村にそんな面倒を引き受けてもいいほどのメリットは無い。

 だから、アインズは死者を蘇生させない。

 理由はそれだけだ。

 きっと、それだけだ。

 

「…………」

 

 そして、自分の後ろに立つ死の騎士(デス・ナイト)を眺める。

 今存在している死の騎士(デス・ナイト)は一体だけだ。もう一体は既に消失した。その違いは一つ。死体という媒介を使用したかしていないか。

 ゲームでは召喚モンスターには時間制限があった。死体を使用していない方の死の騎士(デス・ナイト)はその時間制限通りに消失している。

 だが、死体を使用した方はまだ残っていた。

 

「……ふうん。媒介があるか無いかでも、維持費が全然違うんだな」

 

 呟く。騎士の死体で作られた死の騎士(デス・ナイト)は葬儀が終わっても残り続けた。

 

 ――そして葬儀が終わった後、再びアインズは村長の家でこの周辺の事やある程度の常識を学んだ。それらの話が終わる頃には、夕日が空を染めていた。

 アインズは話が終わる頃に、村長にちょっとしたお願いを申し出てみた。

 

「……村長、お願いがあるのですが」

 

「はい?」

 

「実は泊まるところが無いので、一泊だけ泊めていただけますか? 今までは別大陸のナザリックという場所に住んでいたのですが、少々魔法の実験に失敗して帰れなくなっていまして」

 

「そうだったのですか! いえいえ、貴方様は命の恩人です。どうぞ、何泊でもしていってください」

 

「ありがとうございます。……まあ、アンデッドゆえに睡眠は必要無いので、一夜骨休め出来る屋根のある場所を提供していただけるだけでかまいません」

 

「は、はあ……。では、元からの空き家がありますので、そちらにご案内いたしますね」

 

 村長の家を出て、広場へと差し掛かる。そこで数人の村人が二人に真剣な顔で寄ってきた。

 

「そ、村長」

 

「どうした、お前達」

 

「それが――――」

 

 その緊迫した気配にアインズは内心舌打ちをしたくなった。また厄介事か、と。

 村人達の話では、まだ村人の遺体が無いか、あるいは生き残りがいないか周囲を見て回っていたところ、この村の方角へと馬に乗った戦士風の者達が近づいているのを見たらしい。

 

 そう話し終えたところで、その場にいた全員の視線が怯えたように、懇願するようにアインズへと向けられた。

 こうなったら、毒を食らわば皿までだ。内心溜息を吐きながら、村人達に安心させるように優しく告げた。

 

「任せてください。村長殿の家に生き残りの村人を至急集め、そこへ避難を。村長殿はお、私とともに広場へ。それから――」

 

 アインズはアイテムボックスから仮面とガントレットを取り出し、それを装着する。これで邪悪なアンデッドではなく、邪悪な魔法詠唱者(マジック・キャスター)にしか見えまい。……何か違いがあるのか、と聞かれれば苦痛に満ちた顔になるが。

 

 余談ではあるが、仮面の名は嫉妬する者たちのマスク。クリスマスイブに特定の条件を満たすと問答無用で手に入ってしまうある種呪われたマスクだ。一部のギルドメンバーが被り、持っていないたっち・みーを始めとしたリア充を取り囲んで遊んだものである。……本当に遊んだだけである事を強く主張しておく。

 

「私がアンデッド、ということは秘密で。でなければいきなり斬りかかられるかもしれませんし」

 

 アインズがそう言うと、村人達は約束すると言って頷いた。そして、駆けていく。鐘で村人達を集め、村長の家に集合させたらアインズは残っていた死の騎士(デス・ナイト)を自分の背後へ配置して、村長と共に招かれざる客人達を待った。

 

 ……村人達を守る、という点では出来れば死の騎士(デス・ナイト)は村長の家に配置したかったが、そうするとアインズの盾役がいなくなる。さすがに、自分の命を天秤にかける事は出来ない。

 

 村長と共に待っていると、やがて村の中央を走る道の先に数体の騎兵の姿が見えてきた。彼らは隊列を組み、広場へと進んでくる。見える姿にアインズは首を傾げた。

 武装に統一性がなく、各自でアレンジを施しているのだ。とても正規軍には見えない。

 

 良く言えば歴戦の戦士団。悪く言えば武装の纏まりのない傭兵団だろう。

 

 彼らは死の騎士(デス・ナイト)を警戒しつつ、村長とアインズの前に見事な整列をしてみせた。そして、一人空気の変わった……言うなら、一人だけ突出しているような気配の男が進み出てくる。

 男の名はガゼフ・ストロノーフ。王国の戦士長を務めているらしい。この近隣を荒らして回っている帝国の騎士達を討伐するために王命を受けて、村々を回っているのだとか。

 村長曰く、王国の御前試合で優勝を果たした凄腕の戦士であり、王直属の精鋭兵士達を指揮する立場の人物。つまり、王国でも身分が上の立場の人間である。

 

「村長、横にいるのは一体誰なのか教えてもらいたい」

 

 アインズを警戒していたガゼフの視線が村長へと動き、村長が口を開くがアインズが止めた。

 

「それには及びません。はじめまして、王国戦士長殿。私はアインズ・ウール・ゴウン。この村が騎士達に襲われておりましたので、助けに来た魔法詠唱者(マジック・キャスター)です」

 

 一礼して自己紹介をすると、ガゼフは馬から降り、頭を下げた。

 

「この村を救っていただき、感謝の言葉もない」

 

 特権階級の人物が頭を下げる。それもわざわざ馬を降りて。この世界――時代の人間としては信じられない対応なのだろう。ざわりと空気が揺らいだ。

 その、一目で人柄が分かるガゼフの態度に、アインズは好感を抱く。

 

「……いえいえ。実際は私も報酬目当てですので、お気にされず」

 

「冒険者なのかな? かなり腕の立つ冒険者とお見受けするが……寡聞にしてゴウン殿の名は存じ上げませんな」

 

「冒険者、というよりは引きこもりの研究者ですね。ナザリックという地を御存知で?」

 

「いや、聞いたことがない。……もしや国外の方か?」

 

「ええ。魔法の見聞を広めるための旅、とでも思っていただければ」

 

「なるほど、旅の途中でしたか。優秀な魔法詠唱者(マジック・キャスター)のお時間を奪うのは少々心苦しいが、村を襲った不快な輩について詳しい説明をお聞かせ願いたい」

 

「勿論かまいません」

 

 アインズが頷くと、ガゼフはちらりと横目で死の騎士(デス・ナイト)を見た。アレから血の臭いを鋭敏に感じ取ったのだろう。

 

「その前に今ここで二つ、お聞きしたい……あれは?」

 

「私の生み出したシモベですよ」

 

 ガゼフの感心した声と共に、気配が鋭くなる。流石は王国戦士長という役職についているだけの事はある。肌で危険性を感じ取っているのだろう。

 

「では、その仮面は?」

 

「魔法的な理由によって被っているものです」

 

「仮面を外してもらっても?」

 

「お断りします。アレが暴走したりすると厄介なので」

 

 村長がぎょっとした目でアインズを見る。村長はアインズが仮面をしていなくとも死の騎士(デス・ナイト)を支配していたのを見ているので、当然アインズの嘘に驚いたのだろう。しかし、すぐに仮面の下のアンデッドの姿を見せられないのだから、嘘も当然だと納得したが。

 しかしガゼフは村の空気が一瞬変わったのを察知し、何か感じ取ったのだろう。首を横に振った。

 

「どうやら、取らないでくれていた方が良いようだな」

 

「ありがとうございます」

 

 そして少し話をしたが――すぐに話は中断する事になった。ガゼフの連れてきていた騎兵が広場に駆け込み、緊急事態を告げたのだ。

 

「戦士長! 周囲に複数の人影。村を囲むような形で接近しつつあります!」

 

 

 

 

 

 

「なるほど……確かにいるな」

 

 ガゼフは家の陰から不審人物達を窺う。

 等間隔でゆっくりと村に向かって歩む複数の人影。おそらくは魔法詠唱者(マジック・キャスター)。連れているのは天使だ。異界より召喚されたモンスター。スレイン法国では神に仕えていると思われている特殊モンスターである。

 

「あれは炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)か……」

 

 横のアインズの漏らした言葉に、ガゼフは即座に反応する。

 天使や悪魔といったモンスターは同じ魔法で召喚されるモンスターよりも若干強いのだ。様々な特殊能力に加え、魔法を使う事もある。宗教論争に興味は無いが、どれほどの難度か、という事には興味がある。

 ガゼフ達王国の戦士にそういった知識は無いが、ここに高位であろう魔法詠唱者(マジック・キャスター)がいたのは幸いだった。

 

「ゴウン殿、あの天使を知っておられるなら、どういうモンスターか教えて欲しい」

 

 ガゼフの問いに、アインズは数瞬沈黙し――答えた。

 

「第三位階魔法で召喚されるモンスターだと思われます。おそらく、ですが」

 

 アインズも判断を決めかねているようで、歯切れが悪い。しかしガゼフにはそれだけで充分だった。

 つまり、彼らは最低でも第三位階魔法を使う魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ、という事が分かれば。

 魔法というものにも神官(プリ―スト)の使う魔法、森司祭(ドルイド)の使う魔法と色々あるが、位階は決まっている。十の位階まで存在する、とされ、帝国のフールーダという魔法詠唱者(マジック・キャスター)は確認されている中でも最高の第六位階まで使えるという。

 第七位階からは前人未到で検証不可、英雄譚や神話にしか存在しないとされているが……在るか無いか分からないものを想定するつもりはない。

 そして、第三位階の魔法を使う魔法詠唱者(マジック・キャスター)は大成した領域に立つ者、とされるのをガゼフは小耳に挟んだ事がある。

 そんな魔法詠唱者をあれほどの数揃えられるとすれば――ガゼフには彼らの正体がおおよそ見当がついた。

 

「一体、彼らは何者で、狙いはどこにあるのでしょうか? この村にそんな価値はないでしょう」

 

「ゴウン殿に心当たりが無いならば、答えは一つだな」

 

「……なるほど。憎まれているのですね、戦士長殿は」

 

「この地位についているかぎり、仕方のないことだ。高位の魔法詠唱者(マジック・キャスター)をこれだけ揃えられるところから見ると、相手はおそらくスレイン法国の――特殊工作部隊、噂に聞く六色聖典の一つだろうな」

 

 相手は厄介に過ぎる。激しい焦りと――同時に怒りも湧いた。

 本来、ガゼフは王より賜った五宝物を装備している筈だった。

 だが、今その装備は全て引き剥がされている。王国で私腹を肥やす貴族共に動かす事を禁じられたのだ。

 そしてこの状況だ。厳しい。厳し過ぎる。

 手が足りない。準備が無い。対策の打ちようが無い。全てが無い無い尽くしだった。

 それでも一つだけ、手がある。ガゼフはアインズを見た。

 

「ゴウン殿」

 

 天使を熱心に見ていたアインズが、ガゼフの言葉に視線を向ける。

 

「良ければ雇われないか?」

 

 仮面の奥で、赤い光が灯ったような気がした。

 

「報酬は望まれる額を約束しよう」

 

「……お断りさせていただきましょう」

 

 拒絶の後に、少し難易度を下げてあの召喚された騎士の借り受けを求めたがそれも断られた。強制徴収しようとも思ったが……アインズの脅しに、ガゼフは諦めた。

 この魔法詠唱者(マジック・キャスター)は、とても恐ろしい生き物だと――ガゼフの勘が告げたのだ。

 

「――そうですか。では、仕方ありません。ゴウン殿、お元気で。この村を救ってくれたこと、感謝する」

 

 ガゼフはガントレットを外してアインズの手を握った。アインズの両手をしっかりと握りしめ、心の底から感謝の言葉を口にする。

 

「本当に、本当に感謝する。よくぞ無辜の民を暴虐の嵐から守ってくれた! 最後に、どうか我が儘を聞いて欲しい。何も差し出せる物は無いが、もう一度だけ村の者達を守って欲しいのだ。どうか……!」

 

 土下座だってするつもりだった。しかし、それをアインズはガゼフの肩に手を置いて優しく止める。

 

「そこまでする必要はありませんよ。村人は必ず守りましょう。この、アインズ・ウール・ゴウンの名にかけて」

 

「感謝する、ゴウン殿」

 

 ガゼフの心はその言葉で軽くなった。つい、微笑みが出る。もはや後顧の憂いは無くなった。

 

 ――――そんな、つい先程の出来事をガゼフは地に伏した体で思い出していた。

 

 村人達の逃げる隙を作ろうと、派手に暴れ、戦い続けたが無理だった。

 きっと、周囲には自分に付き合った部下達も倒れ伏している。

 勝てる可能性は皆無と言ってよかった。ガゼフはその可能性を引き寄せられなかった。いかに英雄と謳われようと、それでも数の暴力の前に敗北する。

 

「――――」

 

 必死に立ち上がろうとしても、立ち上がれない。にじり寄ってくる天使達に抵抗しようとも、ガゼフの体はどうやっても起き上がらない。

 

「止めだ。ただし一体でやらせるな。数体で確実に止めをさせ」

 

 敵の指揮官はこの状況であっても冷静だ。決して油断してくれない。それが憎い。

 王国戦士長という肩書きだ。アインズの言う通り、自分は憎まれている。いつかこの腹に憎悪で出来た刃が突き込まれる。

 そんな事は分かっていた。

 だが、この結末は受け入れられない。

 目の前にいる連中はガゼフを殺すためだけに幾つも村を滅ぼした。

 

 反吐が出る。

 

 人の命を、軽く見過ぎている。

 そんな奴らにこの命を奪われるのは許せない。

 そんな奴らから、この愛する国を守れない自分に我慢がならない。

 

「ぐ、があああああああ! なめるなあああああああッ!!」

 

 だから、雄叫びをあげて精一杯力を込めた。口から血と涎が垂れ流される。知った事か。

 

「はッ! はぁぁぁあああああ!」

 

 立ち上がる。たったそれだけで意識が朦朧とする。知らない。どうでもいい。

 だって、そんな事が許される筈は無いのだ。

 

「俺は王国戦士長! この国を愛し、守護する者! この国を汚す貴様らに負けるわけにいくかあああ!!」

 

 あの村はアインズが守ってくれる。だから、自分がすべき事は今ここで一人でも多くの敵を倒し、国民達にこのような不幸が降りかかる可能性を減らす事。

 未来の王国の民衆を守る。ただそれだけ。たったそれだけの理由で、ガゼフは立ち上がった。

 

 ――だが、敵の指揮官……ニグンは冷ややかに返す。現実というモノをガゼフに押し付け、ガゼフの心を折ろうとする。

 

「……そんな夢物語を語るからこそ、お前はここで死ぬのだ。ガゼフ・ストロノーフ。そんな理想、いつまでも抱えられるものかよ」

 

 その通りだ。ガゼフだって、こんなものが夢物語だと知っている。

 それでも、ガゼフは立ち上がるのだ。

 立ち上がりさえすれば、可能性はゼロではない。そうして小賢しい頭で悟った態度を取り、諦めて寝そべる。そんな事をするから、いつまでも願いは叶わない。

 だから、ガゼフは頭が悪いままでいい。夢物語を現実にしようとする、愚かな男のままでかまわない。

 

 それこそが――きっと、英雄というモノなのだ。

 

「――――そうだな、俺も同感だ。そんな夢物語が叶う筈が無い」

 

 ふと、声が響いた。それもすぐ近くから。

 ニグンがぎょっとした顔でこちらを見ている。ガゼフは振り返った。そこに――――奇妙な仮面をつけた、暗いローブを纏った闇色の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が立っていた。

 

「馬鹿な、いつの間に……!」

 

「ゴウン殿…………」

 

 ガゼフは呆然とアインズを見つめる。アインズはガゼフの前に出た。ガゼフはアインズの背中を見つめる。

 

「交代だ、ガゼフ・ストロノーフ。ここからは、俺がやる」

 

 ガゼフを振り返らずアインズは、ガゼフとその部下達が倒れている方へ向けて指先を向け魔法を唱える。ガゼフを包むように、障壁が現れた。

 

「…………!!」

 

 ニグンが息を呑む音がガゼフには聞こえた。ガゼフもまた、ごくりと唾を飲み込む。

 敵の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が魔法で障壁を作り、矢を防いだのは知っている。しかしそれは精々盾のように目の前にかざすだけだ。

 こんな、アインズのように人一人軽々と覆ってしまうような大規模の障壁など知らない。

 

「……」

 

 ふと気づけば、いつの間にか部下達がいなかった。ガゼフはアインズを見る。

 何を言われるまでもない。きっと、アインズがどうにかしてくれたのだ。

 故に、ガゼフは微笑みながら――安心して、重力に従い膝を折った。

 

 ――――そこから起きた出来事を、ガゼフは知らない。ただ、気絶してから一瞬だけ、意識が浮かび上がった気がする。

 そして、おぼろげな意識で目の前の人物を見上げた。

 

「――そうとも、ガゼフ・ストロノーフ。あんなもの、夢物語だ。大の大人が信じるようなものじゃないだろう」

 

 誰かが、独り言のように呟いている。ガゼフは眠るようにそれを聞く。

 

「ああ、でも――死を覚悟して進む人の意志。その強い瞳。憧れるよ」

 

 俺には、それが無いから。

 

 そんな憧憬の籠もった言葉を聞きながら、再びガゼフの意識は微睡みに溶ける。

 その刹那――――仮面を剥いだ、骸の王の顔を見た気がした。

 

 

 

 

 

 

「戦士長!」

 

 ガゼフが目を覚ました時、最初に視界に入ったのは自分の部下達の姿だった。

 

「目を覚まされたのですね、戦士長!」

 

「ここは……」

 

 痛みに耐えながら身を起こす。どうやら、寝具の上に寝かされていたらしい。部屋の隙間から外を見ると、今が真夜中である事を告げていた。

 ガゼフの疑問に部下達が矢継ぎ早に答える。

 

 どうやら、ガゼフは気絶している間にアインズに運んでもらったらしい。部下達も気絶していつの間にか村のアインズが防御魔法をかけた家屋の中に運び込まれていたようで、全員無事だった。傷もある程度回復している。アインズが、回復アイテムをくれたらしい。それで少しの体力だけ回復出来たようだった。

 

 そして、あのスレイン法国の連中は――全員、アインズが追い返した、と教えられた。

 

「そうか……ゴウン殿に助けられたな」

 

 追い返した、という言葉に嘘だ、と感じたが、しかし何も言わない事にする。助けてもらったのだ。その恩を忘れて自分達の都合を押し付けたくはなかった。

 

「それで、ゴウン殿は?」

 

 部下にアインズの居場所を教えてもらい、ガゼフはアインズがいるという村から少し外れた木陰に向かう。部下達はついていきたがったが、断った。

 しばらく歩くと、アインズは木陰に座り、熱心に美しいクリスタルを眺めていたようだった。

 何か魔法を発動させ、クリスタルを見ている。そして……何とも言えない気配を漂わせていた。

 

「どうされた、ゴウン殿」

 

「……ストロノーフ殿ですか。もう体は大丈夫なのですか?」

 

「ああ」

 

 声をかけると、ガゼフへと振り返った。その手には相変わらずクリスタルが握られている。

 

「――と、その前に礼を言わせていただきたい。ありがとう、ゴウン殿。この気持ちをどう表せばよいか……。もし、王都に来られた時は、必ずや私の館に寄って欲しい。歓迎させていただきたい」

 

「そうですか……では、その時はよろしくお願いします」

 

「……ご一緒される気はないか。では、ゴウン殿はこれからどうするつもりで?」

 

「とりあえず、しばらくはこの村に滞在させてもらえるよう、村長に頼んでいます。数泊したら、また旅を続けますよ。ストロノーフ殿は?」

 

「我々は傷を癒すため、しばらくこの村で休ませてもらうことになっている。それが終わったら王都へ帰って報告ですな」

 

「そうですか」

 

 互いの予定を告げて、改めてガゼフはアインズの持っているクリスタルに目を向けた。

 

「ところで、そのクリスタルは?」

 

「――ああ。これは魔封じの水晶と言いまして、魔法を封じ込め、それを自在に任意のタイミングで使用出来る水晶です。敵の指揮官が使おうとしてきましたが、仲間も前衛もいない状態で切らせるわけにはいかない手札だったので、先手必勝を取らせていただきました」

 

 結果、使用されなかったクリスタルが残ったというわけらしい。

 

「これは水晶の輝きの度合いによって封じられる魔法の位階が上がります。この輝きならば、かなり高位の魔法を封じられるでしょう」

 

「…………」

 

 と、いう事は伝説級のアイテムという事だ。今さらながら、あの男が何者なのかガゼフは気になった。

 しかし、それを知る事はもう出来ないだろう。そしてアインズも、そのクリスタルの中にどのレベルの高位魔法が封じられていたのか喋る気は無いようだった。

 証拠品としてそれを徴収しようとし――ガゼフはすぐにやめた。アインズから無理矢理取れるとも思えないし、何より……知らない方がいいものだと、ガゼフの勘が告げたのだ。

 第六感は信じられる。ガゼフはずっとそうやって死を回避してきた。

 

「そうですか。では、ゴウン殿。また後で」

 

「ええ、ストロノーフ殿。また後で」

 

 ガゼフは立ち去る。アインズは、夜が明けるまで村に帰ってこなかった。

 

 ――――ガゼフが立ち去ったのを確認し、アインズは魔封じの水晶を使用法に従い破壊した。

 

 ニグンとの戦闘では、前衛のいない状態で切らせるわけにいかない手札だったので沈黙させたが、アインズは内心使用させればよかったな、と思っている。

 アインズが魔法で調べた際、中に封じ込められていたのは第七位階魔法だと判明したのだ。この輝きならば第十位階魔法まで封じられるというのに、中に込められていたのは第七位階。ニグンがこれをもってかなり傲慢に振る舞っていたから、てっきり中に込められた魔法は第十位階だと思ったのだ。

 最高位天使が封印されている。アインズと天使は相性が悪い。全力でも下手をすれば勝てない。そう思って先手を打ったというのに、第七位階程度ではアインズなら余裕だったではないか。

 水晶が破壊された事で中で封じられた魔法が発動し、周囲を光が染め上げる。

 そこに、光り輝く翼の集合体が降臨した。

 

 その天使の名を――威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)

 

「〈暗黒孔(ブラックホール)〉」

 

 そして、アインズはそれをただ一言の魔法で消滅させた。清浄なる輝きが消滅し、再び周囲に夜の静寂が訪れる。

 

「……ふぅ」

 

 アインズはどさりと寝転がる。夜空を見上げながら、これからの予定を考える。

 

 ――とりあえず、しばらくはこの村に滞在して捕まえて森の奥に隠したあのスレイン法国の連中を拷問し、情報を吐かせる。最低限の情報さえ手に入れられれば、後はお払い箱だ。始末しよう。

 その後はどうするか――考えて、すぐに結論が出た。

 

 今、自分は身一つでこの世界にいる。この見知らぬ世界に。

 

 脳裏に、『ユグドラシル』時代の事を思い描く。まだ、自分が駆け出しのプレイヤーの頃、ゲームの宣伝文句に誘われて、未知を求めて冒険したあの心躍らせた気持ちを。

 

「うん、そうだ」

 

 自分を縛るものは何も無い。アンデッドの肉体ならば飲食は不要で、呼吸さえいらない。

 

 未知を探しに行こう。あの頃の、昔の自分の心を思い描いて。見知らぬ世界を自由気ままに冒険するのだ。きっと、それはとても素敵な事に違いない。

 ガゼフという眩しい人間に出会って、人間の――鈴木悟としての自分の気持ちを思い出した。

 

「未知を探しに行こう。あのスレイン法国の連中を見るかぎり、きっと他にもプレイヤーはいる。もしかしたら、また皆に会えるかも」

 

 かつてのギルドメンバーに会えなくても、アインズ・ウール・ゴウンという名前を名乗れば、知っている人間が声をかけてくれるかも知れない。彼らと情報交換するのもいい。

 この、未知の世界を冒険しよう。きっと、それはとても素敵な事だから。

 

 アインズは夜空を見上げ続ける。この美しい星空の続く先を。自分の知らない世界を思い描いて。

 朝陽が昇るまで、アインズはずっと夜空を見上げ続けた。

 

 

 

 

 




 
このモモンガはどちらかと言うと、死の支配者じゃなくてユグドラシルプレイヤー寄り。

やったね人類! モモンガ様が人間にとっても寛容だよ!
※同時に、縛りプレイをやめているもよう。

 


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支配者のいない王国

 
その頃のナザリック。

 


 

 

 ――モモンガ様は、来られない。

 

「…………」

 

 しん――と静寂ばかりが広がる玉座の間で、アルベドはいつも通り玉座の横で佇んでいた。

 

 ……昨日の事だっただろうか、モモンガは珍しい事に玉座の間へと訪れた。それもいつも動かさないセバスや戦闘メイド(プレアデス)まで連れて。

 そして玉座に座り、何か考え事をしているようだった。アルベドには何を考えていたか分からないが、きっとモモンガは自分達程度では想像する事さえ不可能な何かを考えていたのだろう。

 至高の御方。アルベド達、NPCを創造した神の如きいと高き御方。

 アルベドにはよく分からないが、モモンガを初めとした四十一人の至高の御方はアルベド達のような一から創造したモノ達を『NPC』と呼んでいた。

 だから、自分はNPCだ。そのように創造されたから、そのように行動する。それに誇りを持っている。

 

 ――ただ、悲しいのはモモンガ以外はもうこのナザリック地下大墳墓を訪れてくれない事。

 至高の御方々は遠い地へと旅立ち、きっと二度とその御姿を瞳に映す事が叶わない事だ。

 

 アルベドは思う。それでもいい。自分はモモンガを愛している。モモンガだけは、『アインズ・ウール・ゴウン』を纏めていたあの主人だけは、自分達を見捨てないでくれているのだから。

 悲しくない。辛くないと言えば嘘になる。しかしアルベドはそれでも、まだ耐えられると信じていた。

 

「…………」

 

 しん――と静寂が玉座の間に広がる。既にこの玉座の間にセバス達はいない。昨日、モモンガが玉座の間を去った後、セバス達は通常の業務へとアルベドの責任で戻したのだから。

 時折、至高の御方々は何処かへ旅立つ事がある。それは地上へ希少(レア)アイテムを探しに行く事だったり、『りある』というよく分からない場所へ向かう事だったり。

 

 『りある』。アルベドは、言ってはならない事だがこの『りある』という都市……と言っていいのだろうか、その都市が嫌いだった。

 いや、きっと自分だけではない。きっと自分達NPCの誰もが、一度はこの単語を聞き、その都市が嫌いだと内心思っている。

 至高の御方々は『りある』に色々なモノを持っているらしい。このナザリックを守る守護者の一人……アウラやマーレの創造主、ぶくぶく茶釜は『りある』では『せいゆう』と呼ばれる職業なのだと言っていたし、メイド服を設計したホワイトブリムは『まんがか』なのだと言っていた。

 ……アルベドはよく分からない。ただ、以前創造主のタブラ・スマラグディナが『りある』の愚痴を呟いていたのを聞いた事がある。

 

 ……だったら、そんな場所捨ててしまえばいいのに。

 

 アルベドと同じような気持ちでいるNPCは、たくさんいるだろう。言葉にしないだけで。

 

「…………」

 

 アルベドは玉座の間でじっと佇む。どうやら、今日はモモンガはナザリックに来ないようだ。

 

 ――そういう日もある。至高の御方々が次第にナザリックに来なくなってからは、誰もがつられるように忙しなく、ナザリックに来ない日も増えた。

 モモンガもそういう日があった。なんでも、このナザリック地下大墳墓を維持するためには、莫大な金貨が必要らしい。至高の御方々がいなくなってから、モモンガは一人でそれを稼いでいるらしく、ナザリックに顔を出さない日もあったのだ。

 今日は、きっとそんな日だろう。

 アルベドは思う。自分達に命じて下されば、そのような些事、すぐさま解決してみせますのに、と。

 

 愛するモモンガは、やはりナザリックに来なかった。

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 玉座の間。アルベドは一人佇んでいる。いつも通り、静かな微笑みを浮かべて。

 

 昨日はモモンガはナザリックに来なかったようだが、今日は来るかもしれない。そして、もしかしたら先日のように気まぐれでこの玉座の間に来られるかもしれない。

 その時に気の抜けた表情をしているなど恥ずかし過ぎる。愛する殿方には、常に最高の自分を見て欲しい。

 だからアルベドは、柔らかく微笑みを浮かべ続けた。

 

「…………」

 

 昼を過ぎる。来ない。

 夕方になった。来ない。

 夜になった。来てくれない。

 

「…………」

 

 どうやら、今日も留守らしい。モモンガを始めとした至高の御方々の気配は、このナザリックにおいてとても目立つ。

 そう、シモベ達は決して支配者の気配を間違えない。近くにいれば、分かるのだ。感じるのだ。

 至高の御方々はナザリックに来られる時、必ずと言っていいほど、第九階層の円卓と呼ばれる部屋に現れていた。

 そこからナザリックを散策するか、そのまま部屋で会議をしているか、あるいは地上へとアイテムを探しに行くか……そのように行動している。

 

 『りある』にいる時は、円卓の間を訪れない。

 アルベドはそれを知っていた。

 

「…………」

 

 不安は無い。モモンガは必ずナザリックに一度は来てくれていた。だから、少し来ない程度なんでもない。

 アルベドは微笑む。玉座の間に一人で。

 

 ――モモンガは、今日も来なかった。

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 朝になった。来ない。

 太陽が真上に昇る時間だ。来ない。

 黄昏の時間。来ない。

 夜になった。来てくれない。

 

「…………」

 

 大丈夫。なんでもない。少し『りある』で何かあったのだろう。そういう日もあったのを、アルベドはよく知っている。

 だから、なんでもないのだ。

 

 ――モモンガは、今日も来なかった。

 

「…………」

 

 次の日。

 朝になった。来ない。

 昼になった。来ない。

 夕方になった。来ない。

 夜になった。来てくれない。

 

「…………」

 

 大丈夫。なんでもない。アルベドは玉座の間で微笑み続ける。

 

 ――モモンガは、今日も来なかった。

 

「…………」

 

 次の日。

 朝になった。来ない。

 昼になった。来ない。

 夕方になった。来ない。

 夜になった。来てくれない。

 

「…………」

 

 アルベドは微笑む。

 

 ――モモンガは、今日も来てくれない。

 

「…………」

 

 次の日。

 次の次の日。

 次の次の次の日。

 次の次の次の次の日。

 

「…………」

 

 アルベドは微笑む。

 

 ――モモンガは、今日も来てくれない。

 

「…………」

 

 次の日。次の日。次の日。次の日。次――

 

 なぜですか。

 次の日。

 どうしてですか。

 次の日。

 申し訳ございません。

 次の日。

 私が何かしたなら謝罪します。

 次の日。

 モモンガ様。

 次の日。

 

「…………」

 

 朝になった。来てくれない。

 昼になった。来てくれない。

 夕方になった。来てくれない。

 夜になった。来てくれない。

 

 ――モモンガは、今日も来てくれない。

 

「…………」

 

 玉座の間の扉を開く。大広間が視界に入った。天上には四色のクリスタルが白色光を放っていて、その光は悪魔達の彫像を照らしている。

 その悪魔達が並ぶ中を、歩いた。

 

「…………」

 

 心臓が壊れそうなほど、強く脈打っている。恐ろしさに身が竦む。今にもあの悪魔の彫像達が動き出してしまうような錯覚を覚えた。

 

「…………」

 

 大丈夫だ。悪魔の彫像は動かないし、天井のクリスタルは召喚を開始しない。

 これは敵を迎撃するためのもの。決して、味方には発動しない。

 

 だから、大丈夫の筈だ。

 

「…………」

 

 大広間を無事に通り過ぎた。足が震える。今ならまだ言い訳が出来る。

 自らの役目は玉座の間で待機し、守護者達を統括する事。玉座の間から出る許可は、決して戴いていない。

 だから、玉座の間に帰った方がいいと――そう告げる理性を、それ以上に強い感情が抑え込んだ。

 

「…………」

 

 歩く。震えながら、必死になって足を動かした。病人の方がまだきびきび歩くような速度で。

 それでも懸命に。

 

「…………」

 

 歩く。歩く。歩いた。そして――ついに第九階層へと至る階段のある、広間へと到達した。

 第九階層。それは至高の御方々のプライベートルームであるロイヤルスイート。決して、自分達シモベ如きに存在を許される場所ではない。

 現に、第九階層に招かれたNPCは一人としていない。ただ、至高の御方々の世話係のメイドが同じ数だけ存在しており、御方々の娯楽のための店主などが存在しているだけだ。

 

「…………」

 

 その階段を見て、息が荒れる。心臓が忙しなく動き、手足が震えてくる。

 第九階層ロイヤルスイートへ行くため、アルベドはその前に広がる広間へ足を一歩踏み出した。

 

「アルベド」

 

「――――」

 

 一言。名前を呼ばれて動きが止まる。足は一歩たりともそれだけで進まない。

 しかし、視線は階段から逸らさなかった。

 

「職務をお忘れですか?」

 

 渋い男の声。執事のセバスの声だ。他にも六人分の視線がアルベドに突き刺さっている。しかし――

 

「…………」

 

 アルベドは再び、覚悟を決めて足を踏み出した。それに殺意さえ滲ませた、驚愕と困惑の感情がアルベドに絡む。

 それは信じられない、という心。アルベドが創造主達から与えられた職務を放棄した証拠を目の当たりにした、純然たる驚愕に他ならない。

 

「…………」

 

 アルベドは歩く。広間を。セバス達は動かない。いや、動けないのだ。至高の御方々から、そのような指令は受けていない。

 だから彼らは動かない。動けない。

 

 しかしアルベドは足を進め続けた。

 

「…………」

 

 階段の目の前に辿り着いた。あと一歩で階段に足をかける事が出来る。

 その事に息が乱れた。心臓の鼓動が加速する。手足が震えて立ってられない。もうこれ以上は無理だと思うのに、更に苦しくなる。

 

 ここが最後だ。これ以上は、完全に言い訳のしようが無い。

 そしてアルベドは――階段に、足をかけた。

 

「…………」

 

 一歩。また一歩と歩を進める。セバス達の驚愕の視線が背中に刺さる中、アルベドは無様に、けれど必死になって足を動かして階段を上り続けた。

 

 ――はぁ、はぁ。

 

 乱れる呼吸。流れる冷や汗。鳴り続ける心臓。震える手足。滲む視界。

 アルベドは底なし沼を歩くように、必死になって歩き続けた。

 

 ――――そうして、アルベドはセバス達を置き去りにして、ナザリックの上を目指して歩き始めた。

 

「…………」

 

 第九階層に辿り着く。ふらふらと幽鬼のような足取りで歩いて進む。出会うメイド達が驚愕の視線でアルベドを見て、後退る。

 それを無視してアルベドは歩いた。

 部屋のドアは手当たり次第開けた。中を確認する。誰もいない。それを何度も、何度も繰り返す。四十一回と繰り返す。

 

 誰もいない。

 

「…………」

 

 分かっていた。気づいていた。だって、この階層に創造主達の気配は無い。あの支配者達の、圧倒的なオーラを感じない。

 だからここには、誰もいないのだと気づいていたのだ。

 

「…………」

 

 再び、アルベドは上を目指す。第八階層へと上がっていく。

 第八階層、荒野。決められたNPC以外、存在する事を禁じられた場所。

 歩く。ひたすらに。荒野を歩いた。

 

 ……小さな、ピンクの天使が飛んでいる。アルベドの姿を見て驚愕し、アルベドを止めるようにアルベドの周りを飛び回る。

 第八階層守護者、ヴィクティム。小さな天使は言葉で、行動で必死にアルベドを止めようとするが、アルベドは決して歩みを止めない。

 ヴィクティムはアルベドが第七階層の階段を上るまで、ずっとアルベドについてきた。

 

「…………」

 

 第七階層、溶岩。アルベドは歩く。

 歩く。歩く。歩いた。

 

「アルベド」

 

 いつの間にか、誰か立っていた。スーツ姿に眼鏡をかけた、尻尾の生えた悪魔。第七階層守護者、デミウルゴス。アルベドと同程度の頭脳を持つ、同胞。

 彼は、アルベドに優しく話しかけてくる。

 

「玉座の間が貴方の待機場所でしょう。どこに行こうとしているのです?」

 

「…………」

 

 口調は慈愛に溢れていた。しかし紡がれた言葉ははっきりとアルベドの罪を告げていた。

 その事に背筋が震える。視界が滲む。立っていられない。

 

 けれど――アルベドは再び足を動かした。

 

「アルベド」

 

 歩く。

 

「やめなさい」

 

 歩く。

 

「至高の御方々から与えられた役目を忘れたのですか?」

 

 歩く。

 

「アルベド」

 

 歩く。

 

「やめなさい」

 

 気づいた。

 

「やめなさい」

 

 デミウルゴスに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 

「やめてくれ」

 

 心の中で、必死になって頭を下げた。

 

「頼む」

 

 デミウルゴスの声には恐怖と懇願が混じっていた。

 

「やめてくれ、アルベド」

 

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 

 必死に謝りながら、懇願を振り払って足を進めた。第六階層の手前、階段まで辿り着く。

 背後から、デミウルゴスの涙交じりの忠告が聞こえた。

 

「――――きっと、いいことなんて何も無い」

 

「――――ぁ」

 

 心が折れそうになった。その一言が、何よりもアルベドの心を砕く鉄槌だった。

 殺していた筈の理性が鎌首をもたげる。玉座の間に帰ろう、と優しく告げてくる。

 アルベドは、それを奇跡を信じる不条理な感情で抑え込んだ。

 

「…………」

 

 デミウルゴスの声は、もう聞こえなかった。

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 第一階層、墳墓。外へ繋がる出口が見えてきた。

 

 ――はぁ、はぁ。

 

 アルベドは歩く。外を目指して。

 第六階層に上がってから、アルベドを邪魔する者はいなかった。おそらく、デミウルゴスが手を回したのだろう。アウラ、マーレ、コキュートス、シャルティア。誰一人、アルベドは出会わなかった。

 

 ――はぁ、はぁ。

 

 視界が滲んで出口がよく見えない。足が震えて、中々前に進めない。

 苦しい。苦しい。苦し過ぎる。もう無理だ。理性が頼むから帰ろうと必死になって叫び声を上げている。

 それを無視して――アルベドは出口に手をかけた。

 

 外へ出る。

 

 ――――視界に、美しい星空に照らされた、蒼暗い草原が広がった。

 

「――――あ」

 

 ピシリ、とどこかに罅が入った。

 それはきっと、魂と呼ばれるモノだろう。アルベドは心のどこかで、そう現実逃避するように考える。

 

「あ……あぁ……ッ」

 

 耐えられた。耐えられた。耐えられた筈だった。

 

 外に出て視界に広がる光景が沼地だったなら、暗い霧が立ち込め空など見えなかったなら、まだ耐えられた。

 だって、その時は今度は地上のあらゆる場所を探せばいい。『りある』という場所を探して旅立てばいい。

 

 ……けれど。

 

 視界に広がったのは美しい星空だった。綺麗な草原だった。

 どこにも。そう、どこにも沼地も霧もありはしなかった。

 

「あ、あぁ、あ……あは……あ」

 

 ぺたり、と膝が頽れ、地面に座り込む。視界が滲んだ。前が何も見えなくなる。

 

 知っていた。心のどこかで気づいていた。

 何故なら、至高の御方々は皆ナザリックを去ってしまったから。だからいつかきっと、モモンガもいなくなるのだと心の奥底で気づいていた。

 

 でも、同じくらい信じていたのだ。

 慈悲深きギルドマスターだけは、きっと自分達を見捨てないでくれるって。

 

 だが、そんなのは自惚れだった。この光景を目に灼きつけるがいい。ここは誰も知らぬ場所。今までナザリックのあった地形とは、全く重ならぬ未知の地形である。

 つまり、答えは一つだけ。

 

 ――――ナザリック地下大墳墓は、『アインズ・ウール・ゴウン』に捨てられたのだ。

 

「――――アルベド」

 

 背後から、優しく肩を掴まれた。呆然と振り返る。

 そこには、ナザリックの者達にだけは慈愛溢れる、優男の悪魔がいた。

 

「帰りましょう」

 

 何処にだ。

 

 デミウルゴスの言葉は的外れだ。還る場所なんてどこにある。至高の御方々がいないナザリックのどこに、価値がある。意味がある。意義がある。

 

 至高の御方々がいないナザリックに価値は無く。

 至高の御方々がいないナザリックに意味は無く。

 そしてNPCは、意義が無い。

 

 そんな事は分かっている筈だ。現に、デミウルゴスの手は震えていた。声だって、か細くはっきりと聞こえない。

 彼もまた、アルベドと同じく絶望しきっている。

 いや、そもそも――どうして、デミウルゴスはここにいるのか。

 知っていた筈だ。分かっていた筈だ。アルベドの向かう先に、希望は無いと。だからこそ、彼はアルベドを止めたのではなかったのか。

 

 それとも、デミウルゴスも信じたかったのだろうか。

 モモンガは、ナザリックを捨てたりなどしない――と。

 

「帰りましょう、アルベド」

 

 どの道、自分達の還る場所なんて、この見捨てられたナザリックにしか無いのだから。

 デミウルゴスは、言外にそう告げているような気がした…………。

 

 

 

 

 

 

「――諸君、まずは集まってくれた事、感謝する」

 

 第六階層、ジャングル。その闘技場に、デミウルゴスは各階層守護者達を集めた。

 第一から第三階層の守護者、シャルティア。

 第五階層の守護者、コキュートス。

 第六階層の守護者、アウラとマーレ。

 

「なんなんでありんす、デミウルゴス。先程も急に自室待機など命じて」

 

 シャルティアは酷く不機嫌そうだった。いや、コキュートスやアウラ、マーレも不機嫌な空気を漂わせている。

 当然だろう。本来デミウルゴスに彼らに命令する権利は無い。それは至高の四十一人にだけ許される行為であり、守護者統括のアルベドだけが、形だけで命令権を持っているくらいなのだ。

 それをデミウルゴスは、責任は自分が持つ、と言ってごり押しした。当然、他の守護者達は面白くない。しかし一番頭が良いのはデミウルゴスなのだから、逆らうのも気が引けたのだ。

 

「それで、なんなのデミウルゴス」

 

 アウラの言葉に、デミウルゴスは数瞬口を震わせ――しかし、覚悟を決めて口にした。

 

「現在、このナザリック地下大墳墓は未曽有の事態に巻き込まれている」

 

「――――」

 

 全員が、デミウルゴスをじっと見る。デミウルゴスはその中に含まれるありとあらゆる感情を、涼し気に――しかし内心では必死になって無視した。

 

「――モモンガ様が、このナザリック地下大墳墓へ御帰りになられなくなった」

 

「――ひっ」

 

 悲鳴のような呻き声を上げたのは、果たして一体誰だったのか。あるいはそれは守護者全員の悲鳴だったのかも知れない。

 

「落ち着いて欲しい。そもそも、ナザリックの場所自体が移動しているみたいなんだ。私とアルベドが先程地表に出て、周囲を見回したから間違いない」

 

 本来、ナザリックがある場所は沼地であり、周囲に霧が立ち込めている筈だ。しかし、それらは一切なく、美しい星空と草原が広がるばかりだった。

 

「どうやらナザリックは何らかの理由で地点移動してしまったみたいだ。おそらく、そのせいでモモンガ様と我々が離れ離れになったのだと思う」

 

「ど、どうすればいいんですか……」

 

 マーレの怯えた声に、デミウルゴスは優しく答えた。

 

「簡単だよ。こちらから見つけに行けばいい」

 

「――――」

 

 そのデミウルゴスの言葉に、空気が凍った。

 当たり前だろう。デミウルゴスの提案はつまり、外に出ようという意味であり――創造主達から受けていた存在理由を、ある意味で放棄しろと言っているようなものなのだ。

 

「正気カ、デミウルゴス」

 

 コキュートスの言葉に、デミウルゴスは頷いた。

 

「勿論だとも。確かに、私の提案はある意味で叛逆かもしれない。しかし、このままでいいのかい?」

 

 このまま、主がいつ帰って来るかも分からぬまま、じっと無様に待つつもりか。

 

 言外にそう訊ねると、全員が息を呑み――そして、首を横に振った。

 それは拒絶。このまま、至高の四十一人誰とも逢えず朽ち果てるのは嫌だ、という総意。

 

「結構。では、これからの私達の方針を言おう。まず、何よりも先に確かめるべきは現在の状況だ。ここはどこなのか知るのが、まず最初だと思う」

 

 それからデミウルゴスは次々にすべき事を各守護者達に伝える。守護者達は聞き漏らすまいと必死に耳を傾けた。

 そして説明が終わり――最後に、デミウルゴスは締め括った。

 

「それでは各員、気を引き締めるように。いついかなる時も、至高の御方々が御帰還なされた時に無様を晒さないよう」

 

「――――」

 

 デミウルゴスの言葉に、彼らは頷く。そして彼らは各階層へ帰っていった。隠密行動に適したシモベの選抜や、ナザリックを守るための警備の見直しなどをしなくてはならないからだ。

 デミウルゴスは彼らが去ったのを確認し、続いて第九階層へと下りていく。

 

「――セバス」

 

 第九階層で待機していたセバスに、デミウルゴスは話しかける。正直、理由は無いがデミウルゴスはセバスが苦手だ。嫌いだと言ってもいい。しかし、今はそのような事を言っていられる事態ではない。

 

「アルベドはどうしました?」

 

「――駄目です。玉座の間に籠って、返事がありません」

 

 デミウルゴスがアルベドを元の玉座の間に帰した際、アルベドはモモンガの旗を手に取ると、それを掲げられていた場所から外し、布団のように自らが中にくるまり、玉座の近くに座り込んで動かなくなった。

 そのため、本来はアルベドがすべき事をデミウルゴスがする状態になっている。

 

「そうですか。仕方ありません」

 

 デミウルゴスはアルベドを放っておく事にした。そしてセバスがじっとこちらを見ている事に気がつく。

 

「なんですか?」

 

「……本当に、御方々が見つかると思っておいでですか?」

 

「――――」

 

 その質問は禁句だった。しかし、セバスは誤魔化せない。

 何故なら、彼はモモンガがナザリックに帰らなくなる前に、普段のモモンガならば絶対にしないような事を目撃してしまったのだ。

 だから、彼は――セバスだけはどうしても疑う。他のユリ達はデミウルゴスの言葉に納得してみせたが……セバスだけは、疑い続けた。

 

「……セバス、ならば君が代案を出すといい。我々は、他に何か出来るのかい?」

 

「……失礼いたしました」

 

 セバスは一歩引き、デミウルゴスに謝罪する。デミウルゴスはセバスの言いたい事がよく分かっていた。

 だが、他にする事なぞ何も無いのだ。モモンガがナザリックを捨てた、という現実を受け入れる事が、デミウルゴス達には絶対に出来ない。

 

 受け入れてしまえばアルベドのようになる。何もする気がなくなって、ただ、ひたすらにそこに在るだけ(・・・・)の置物になるのだ。

 それだけは――デミウルゴスはごめんだった。

 

「…………そうとも。受け入れるものか」

 

 モモンガがナザリックを捨てたなど間違いだ。

 誰か、何らかの攻撃を受けて、このナザリックの座標がずれた。それだけの話だ。

 

 デミウルゴスは考えない。

 リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンがあればすぐにナザリックに転移出来るのだという事実を。

 かつて一五〇〇人ものプレイヤーに襲撃されても撃退出来ていた事実を。

 

 デミウルゴスは、必死に考えないようにしていた。

 

 

 

 

 




 
ナザリックの状況

・精神的主柱が不在
・ワールドアイテムを初めとした自分の所持品以外のアイテム使用不可
・一部NPCの使用不可
・一部システムの使用不可

モモンガがいないだけでここまで酷くなる(白目)!

 


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一:仮面の魔法詠唱者 おいでよ、カルネ村

 
ストック切れなので次回から不定期更新になります。

 


 

 

「よいしょ……と」

 

 エンリは腰をあげる。小さな甕の中には水がたくさん入っていた。これで三往復目。家の大きな甕もこれでいっぱいになるだろう。

 

「ふぅ」

 

 小さな甕を持って家までの距離を歩く。とてもいい天気だ。雲一つ無い快晴。

 新しい自分達の出発に、ぴったりの天気。

 

「姐さん」

 

「あ」

 

 ふらりと一匹のゴブリンがエンリの前に姿を現した。

 

「駄目ですよ、一人で出歩いたら」

 

 ゴブリンは邪悪な顔を精一杯心配そうに歪めながら、エンリを心配する。エンリはそれに慌てて答えた。

 

「大丈夫ですよ。すぐそこなのに」

 

「駄目です!」

 

 ゴブリンの言葉に苦笑する。とりあえず、エンリは苦笑いしながら大人しく頷いて、このゴブリン――カイジャリと一緒に自宅まで甕を持って帰る事にした。

 

 ……このゴブリンは先日の事件の後、村人達で今後を相談していた時にエンリがふと思いついて使ったアイテムから召喚されたものだ。アインズから貰った角笛。それを吹くと突然現れたのである。

 最初は村人全員慌てたが、エンリがアインズから貰った角笛から召喚されたのだと言うと、少し安心したようだった。

 そして、まだ村で復興作業を手伝ってくれていたアインズにも訊ねると、そういうアイテムだと教えてもらったのですぐに心配は消えた。ゴブリン達も、一生懸命エンリの言う事を守って働いてくれるので、村人達の疑いの心はすぐに解かれていった。

 しかし、エンリは思う。幾ら召喚主だからと言って、ゴブリン達はエンリに甲斐甲斐し過ぎる。エンリの方が恐縮して、辟易してしまうくらいだ。

 そんなゴブリンの甲斐甲斐しさに内心辟易しながら、けれど同じくらい感謝しながらエンリは村に戻る。そこでは、今も一生懸命他の村人達やゴブリンが空き家になった家を解体していた。

 そして――――

 

「いやぁ、それにしてもいつ見ても怖いっすね」

 

「あはは…………」

 

 幾体かの立派な体躯の骨のアンデッドが、解体された材木を持ち運び、その材木を柵にするため村人達が補修。アンデッド達は土に穴を掘っていた。

 

 これはアインズが魔法で生み出したアンデッドで、村の復興作業を厚意で手伝ってもらっているのだ。

 アンデッドは生きているものと違って、空腹も睡眠も必要無く、疲労さえ感じない。故に延々と作業を続けていられた。おかげで、村は急ピッチで復興作業を行える。ここ数日で行った作業は村人達だけならば数年は掛かったかもしれない。

 

 全部、アインズのおかげだ。

 

 王国の兵士達は少し傷を癒した後、すぐに村を出た。村に護衛を残してくれてもいいのに、とエンリ含め村人達は思ったが、しかし彼らには彼らの事情があるのだろう。彼らは皆引き上げてしまった。

 しかし、アインズはまだ旅に出ずに残ってくれた。こうして魔法で復興作業を手伝ってくれている。勿論、無料というわけではなかった。空き家を一つ貸して欲しい、という願いに、村人達は首をすぐに縦に振った。

 

 このカルネ村にとって、アインズへの恩は計り知れない。

 

 アインズはナザリックと呼ばれる遠い国にいたらしく、この付近の事に詳しくはないが、そんなチグハグな印象など――それこそアンデッドだという事が気にならないくらい、多くの事をしてくれた。

 このままここに居てくれればいいのに、と村人達は密かに思っているがそれは無理だろう。

 アインズはそろそろ村を出る気でいるらしい、という事をエンリは知っている。

 ちょうどエンリの近くにある家が先日の事件で空き家になったので、アインズがそれを片付けて借宿にしているのだ。妹のネムは助けてもらった恩からか、アインズに懐いてエンリがいない間はそちらの家にいって、アインズに相手をしてもらっている。ネムがアインズが独り言で「そろそろ旅に出るか」と呟いていたのを聞いたらしい。

 エンリはネムがアインズのもとへ邪魔していると知った時、酷く恐縮して必死に謝ったが、アインズはあまり気にしていないようだった。むしろネムが行っている薬草の磨り潰し作業に興味があるのだとか。

 エンリはよく分からないが、アインズは魔力系の魔法詠唱者(マジック・キャスター)なので、薬草を煎じたりといった事に詳しくないらしく、ネムの作業を手伝ってくれる代わりに、薬草の種類や効果をネムに訊ねてくるそうだ。

 

 本当に――アインズはチグハグな魔法詠唱者(マジック・キャスター)である。相当、遠い所にナザリックはあるのだろう。もしかしたら、この大陸のモンスターでは無いのかも知れない。

 理由は幾つかあるが――アンデッドを知る村人達曰く、アインズは穏やか過ぎて、理知的過ぎるのだとか。

 少なくとも、アインズのような物静かなアンデッドは見た事も聞いた事も無いという。

 アインズが研究に没頭するあまり、アンデッドに成った事に気づいていなかった――という間抜けな話は、本当なのかもしれなかった。

 

 だから村人達は、アインズを嫌いになれない。

 だから村人達は、アインズやゴブリン達を受け入れられるのかも知れなかった。

 

「ただいまぁ」

 

 自宅に帰り、一応声をかける。するとすぐに他のゴブリンが顔を見せた。

 

「お帰りなせぇ、姐さん」

 

「はい、帰りましたパイポさん。ネムはどうしてますか?」

 

「ネムさんはまだ眠ってます」

 

「じゃあ、私はこれから朝ごはんを作るので、まだしばらくかかりますから他の皆を手伝ってあげて下さい。カイジャリさん」

 

「はいよ、姐さん」

 

 ついてきてくれていたゴブリンが去っていく。外の村の男達と同じように空き家の解体作業に戻るのだろう。

 

「それじゃあ、手伝って下さいねパイポさん。いつもありがとうございます」

 

「気にしないでくだせぇ」

 

 一緒に手を洗い、材料を切ったり、薪に火を点けてもらう。

 そこでふと気になった。

 

「ゴウン様はどうしてるんですか?」

 

「あー……俺らはあんまり近寄らないんで、なんとも……」

 

「そうですか……」

 

 ゴブリン達はアインズには近づかない。仲が悪いのかと思ったが、そうではないらしい。

 曰く、ゴブリン達が一〇〇体いても勝てないような気配がする相手なので、ゴブリン達はあまり近づきたくないのだとか。確かに、帝国の騎士達が寄って集っても勝てないアンデッドの兵士を何体も召喚するような魔法詠唱者(マジック・キャスター)が相手では、ゴブリン達では勝てないだろうとエンリにも分かる。

 最初、ゴブリン達がアンデッドを侍らせた仮面姿のアインズを見て震えあがっていたのをエンリは思い出した。

 

 ――やっぱり、ゴウン様は凄い魔法詠唱者(マジック・キャスター)なんだ。

 

 エンリはそれを改めて確認し、村を救ってくれたアインズに感謝をしながら、再び意識を料理に集中した。

 

 

 

 

 

 

 ――やはり、読めない。

 

 アインズは村長から借りた適当な本を見ながら、改めて認識する。

 

「うーん。口元を見てて思ったけど、やっぱり言語体系が違うんだろうなぁ」

 

 翻訳コンニャクみたいなものだろう。日本語を喋っているわけではないが、アインズには勝手に翻訳されて聞こえるのだ。確認のため本を貸してもらったが、やはりアインズには読めなかった。

 

「この世界じゃ、これが手放せないな」

 

 アインズは片手で眼鏡を持ち、溜息――アンデッドなので本当に息を吐いているわけではないが――をつく。

 この眼鏡はマジックアイテムで、魔法の力で文字が読めるようになるのだ。もはや、このマジックアイテムはこの世界で生きる必需品と言えるだろう。

 

「さて……これからどうするかな」

 

 当然、このまま村に厄介になるわけにはいかない。アインズは一応アンデッドなわけで、あまり一つの場所に長居するわけにはいかないのだ。

 村人達はこちらを信用しているようだが、アインズは信頼出来るとは思っていない。ユグドラシル時代を思い出す。あの時でさえ、中身は同じ人間だと分かっているのに、異形種狩りなどというPKが流行ったのだ。

 今のアインズは身も心もアンデッドなのだ。このまま人の社会で生活するわけにはいかない。

 それに。

 

「……冒険者かぁ」

 

 アインズは村長との会話を思い出す。

 このカルネ村から少し離れた場所にエ・ランテルと呼ばれる城塞都市があり、そこには冒険者組合があるのだとか。

 冒険者。なんて素敵な響きだろう。

 アインズだって元はゲーマーだ。未知を求め、世界を冒険する。ユグドラシルプレイヤーならば、誰だって憧れるだろう。なにせ、『ユグドラシル』というゲームは、そのために存在したゲームと言っていい。

 

「やっぱり、やってみたいよなぁ」

 

 アインズにとって、この世界は未知しかない。はっきり言って、重度のユグドラシルプレイヤーであるアインズは、この世界にとても魅力を感じていた。

 見渡す限りの大自然。この身はアンデッドであり、足で山の天辺まで登る事が可能だし、何の装備も無しに海に潜る事も可能だろう。

 やはり、アインズは未知の世界への好奇心を捨てられそうになかった。

 

「よし、決めた。三日以内にこの村を出よう」

 

 まずはエ・ランテルへ向かい、冒険者としての仕事をする。

 あのスレイン法国の特殊部隊――ニグンという男を初めとした連中から、魔法である程度の常識は訊き出したが、それでも実際に生活してみるのとは違うだろう。

 それに――アインズは懐から財布代わりの皮袋を取り出す。

 

 金が無い。

 

「…………あぁぁぁ」

 

 悶える。先日の事件で手に入れた騎士の装備を売り払い、ほとんどはこのカルネ村の復興資金へ消えた。「情報が欲しい」と言った手前、「お金が欲しい」とは言えない。その時は情報が最優先だったからだ。

 しかし、ニグンから魔法で聞き出した情報から、この世界の生物のレベルは総じて低い。アインズ一人で国を幾つか落とせるだろう。

 

 だが、そんな事をするわけにはいかない。

 

 スレイン法国。それが信仰しているという六〇〇年前に人類を救済したという六大神。そして五〇〇年前に現れ、瞬く間に世界を支配し、この世界の竜の王達と戦争をしたという八欲王。この六大神と八欲王は、間違いなくプレイヤーだろう。

 今は死んだとも滅ぼされたとも封印されたとも言っていたが、今の自分一人の状況で、あまり大事にはしたくなかった。

 まあ、そもそも世界征服に興味が無いのだが。

 

「ユグドラシルの金貨を使うわけにはいかないしなぁ」

 

 再び、皮袋に視線を向ける。村の人間達からの好意で、アインズも多少の金を受け取った。しかし、この僅かな路銀で一生を過ごすわけにもいかない。

 未知の世界を楽しみたい。金が欲しい。何より仲間達がいるなら逢いたい。

 

「うん。それしかないよな」

 

 とりあえず、変装して旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)としてエ・ランテルに向かう。そこで冒険者として少し活動し、路銀を溜めたら本格的な旅に出ようと決める。

 それに、王都にも行ってみなければなるまい。ガゼフが是非会いに来て欲しいとも言っていたし、複雑な事情がありそうにせよ、せっかくの権力者との出会いだ。無駄にしたくはなかった。

 

「さすがに、この装備のままはまずいよなぁ」

 

 アインズは自分の姿を見下ろす。

 豪奢な漆黒のマントとローブ。さすがにスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンはアイテムボックスに厳重にしまったが、他の装備はそのままだ。

 アインズがこの装備ではまずい、と思った理由は簡単だ。

 

 率直に言って、世界観のレベルに差があり過ぎるのである。

 

 帝国騎士の鎧やスレイン法国の僧衣、そしてリ・エスティーゼ王国の戦士の鎧を見たアインズの感想だ。この見解は間違っていまい。

 アインズにとってはゴミのような武装でも、彼らにとってはそうではないのだ。そしてそのレベルに合うような装備を、アインズは持ち合わせていなかった。

 それに、仮に持ち合わせていたとしてもアインズはとてもその装備に変える気にはならない。

 これは他にプレイヤーがいるらしい、という情報があるためだ。アインズ――モモンガがギルドマスターを務めていたギルド『アインズ・ウール・ゴウン』はDQNギルドとして匿名大型掲示板に晒されており、更にモモンガ自身もまた晒され、ある程度の攻略情報があるので、あまり舐めた装備でいくと「恨みはらさでおくべきか」などといった状況に陥った時に非常に不利だ。

 

「……」

 

 恐ろしい。この世界で死亡すれば、プレイヤーである自分はどうなってしまうのか。アインズはそれを考えると、とても試しに死んでみよう、とも殺される気にもならない。

 

神器級(ゴッズ)アイテムじゃなくて、聖遺物級(レリック)アイテムで統一しよう」

 

 見た目は〈上位道具作成(クリエイト・グレーター・アイテム)〉でどうにかすれば、傍目にはチグハグな格好をした人間に見えないだろう。

 とりあえず、装備はそれでよしとしよう。

 

「あとは死の騎士(デス・ナイト)達か……村に預けていこうかな」

 

 特殊技術(スキル)で作成した死の騎士(デス・ナイト)達だが――実験から、死体を使った場合は消えない事が確定した。かと言って連れて歩くわけにはいかないので、村に置いていく事にする。

 実際、今の村の状況で死の騎士(デス・ナイト)達がいなくなれば、彼らは困るだろう。働き手がいないのだ。護衛も欲しくなるだろうし、村にはこのままアインズの仮拠点としての役目を果たしてもらうため、置いてもらう事にしよう。ちなみに――これらはニグン達の死体で作成されたものだ。

 

「さて、それじゃあ村長達に話してくるかな」

 

 アインズはこれからの予定を村長へ伝えるため、借宿を出た。

 

 

 

 

 

 

 城塞都市、エ・ランテル。

 リ・エスティーゼ王国にある都市の一つで、王の直轄土地だ。そして、冒険者組合の存在する大都市の一つでもある。

 その町並みを――(シルバー)のプレートを持つ冒険者達『漆黒の剣』の四人が歩いていた。

 

「また今日もモンスター狩りかよ、ペテル」

 

 そう野伏(レンジャー)のルクルットが、『漆黒の剣』リーダーのペテルに訊ねる。

 

「ああ。割といい金になるし」

 

「ちょっと心許無くなってきましたもんね」

 

「うむ」

 

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)のニニャが答え、森司祭(ドルイド)のダインが頷く。

 

 彼ら『漆黒の剣』は下から三番目の、(シルバー)のプレートの冒険者チームだ。

 だが、別に彼らが弱いというわけではない。そもそも、それより上のプレートが五つほどあるが、そんなプレートの冒険者は何処の国でも一握りと言っていい。最上級のアダマンタイトに至っては、王国でも二つしか存在しない。

 『漆黒の剣』の四人は、これからの予定を話し合っていた。

 彼らの言うモンスター狩りは、エ・ランテルの道中に現れるモンスターを幾体か狩り、その狩ったモンスターから剥ぎ取った部位で報酬を貰う、というものである。

 王国の王女が作った冒険者用の案であり、誰も損をしない仕事と言っていい。ペテル達はよくこの仕事をこなし、報酬を貰っていた。

 

「昨日見たかぎりだと、私達に合う仕事はあまり無さそうでしたし、今日はそれでいきますか」

 

 ニニャは冒険者組合で見た、依頼の張り出されていた掲示板を思い出す。反対意見は出ず、このまま四人とも装備を整え、街を出ようと思ったが――。

 

「――――あれ? もしかして、バレアレの」

 

 道の先を歩いている、一人の少年にルクルットが気づいた。このエ・ランテルの有名人だ。気づかない筈が無い。

 少年は自分の苗字を呟かれたのを聞いたのか、声の方角――自分の後方を確認し、そこに冒険者達四人を見つけ、ぺこりとお辞儀をした。

 この先にあるのは冒険者組合である。なんとなく気になって、ペテルは声をかけた。

 

「すいません、バレアレさん。もしかして仕事の依頼に?」

 

 ペテルの言葉に、少年――ンフィーレアは頷いた。

 

「はい。実は――」

 

 ンフィーレアが快く教えてくれた内容は、トブの大森林に生えている薬草を取りに行きたい、という事だった。その道中の護衛と、薬草の採取を手伝って欲しいという依頼をこれから冒険者組合に届けに行こうとしていたところだったと言う。

 その言葉を聞いて、ペテルは自分達を売り込んでみる事にした。

 

「どうですか? 俺達に依頼してみませんか? これも何かの縁だと思って」

 

 ペテルの言葉を聞き、ンフィーレアは彼らの胸元で光るプレートを確認する。そのプレートの輝きを確認し、充分だと判断したのだろう。快く頷いた。

 

「それじゃあ、よろしくお願い出来ますか?」

 

「もちろんです」

 

「じゃあ、早速指名で依頼を出してくるので、お名前をお聞きしても?」

 

 ンフィーレアの言葉に『漆黒の剣』は各々紹介し、ニニャの紹介を聞いてンフィーレアは驚いたようだった。

 

「ニニャ? もしかして、あの生まれながらの異能(タレント)持ちの?」

 

 生まれながらの異能(タレント)というのは、文字通り生まれながらに異能を持って生まれた者達の総称だ。例えば天気を当てたり、魔力を視覚的に捉えて、相手の位階を調べる事が出来る者がいたりする。

 しかし、仮に生まれながらの異能(タレント)を持って生まれても、それが自分の才能と合っているとは限らない。例えばニニャは本来の魔法の習熟期間を半分に出来る能力を持つが、魔法詠唱者(マジック・キャスター)としての才能が無ければ、そんな異能も宝の持ち腐れである。

 幸運な事に、ニニャは自分に合った異能を持てた例と言えよう。

 そしてンフィーレアも同じく生まれながらの異能(タレント)持ちだ。彼の異能は、マジックアイテムの制限を無視出来るというもの。仮に人間には扱えないマジックアイテムがあったとしても、彼はそれを無視して使用する事が出来るのである。

 そんな凄い異能を持っているからか、ンフィーレアは街でも有名で、そしてニニャもまた有名だった。

 

「あのバレアレさんに知っていていただけるなんて、光栄です」

 

 ニニャが朗らかに微笑むと、ンフィーレアも笑って答えた。

 

「ンフィーレアでいいですよ。僕の方が年下ですし。それに、これから依頼を出すんですから」

 

 そうして、冒険者組合まで行き、そこでンフィーレアが依頼を出し、ペテルがそれを受ける。その間に、他の三人は買い出しを済ませていた。

 

「じゃあ、これからよろしくお願いしますね」

 

「ええ、こちらこそ」

 

 合流した彼らは馬車を引きながら――目的地、カルネ村へと向かっていく。

 

 ……彼らは思いもよらなかった。カルネ村の近くまで順調に向かい――その塀で囲まれた村の入り口でゴブリン達に不審人物として囲まれるなど。

 

 

 

 

 

 

「やれやれ。さすがに二体以上は無理だったか」

 

 この村に死の騎士(デス・ナイト)を預けるため、昨日村長に話をしにいったアインズだったが、さすがに村に一体くらいしかおけそうになかった。

 まあ、それも当然である。死の騎士(デス・ナイト)は体躯が大きいし、役人が来た時にゴブリンを隠すのは簡単でも、これを隠すのは一体が限界だろう。

 

「でも、アンデッドってバッドステータスが無いから、労働力としては便利なんだけどなぁ」

 

 アインズはそう愚痴りながら、死の騎士(デス・ナイト)達を見る。

 感慨深く見ていたが、ずっと見ているわけにもいかない。幸い、もうほとんど必要無いので、一体を残して無理矢理片付ける事にした。

 

「よっと」

 

 支配を切り、魔法で片す。全て片したアインズは、荷物を纏めるために仮宿へ帰る事にした。そこに――ゴブリンが慌ててやって来ていた。

 

「姐さん!」

 

 どうやら、エモットの姉妹に用があるらしい。ちょうど家にいたエンリがゴブリンの声に家から出てきた。

 

「どうしたんですか?」

 

「馬車を引いた、武装した五人組がこっちに来やす。どうしやすか?」

 

 そのゴブリンの言葉に、エンリが思わず顔を顰めたのを見て、アインズは溜息を吐きたい気分になった。この村はどうやら、騒動に巻き込まれるように出来ているらしい。

 

「また非常事態か?」

 

 アインズは一人と一匹に近寄り、訊ねる。ゴブリンはアインズに反射的に怯え、エンリは安心したような表情を見せる。

 アインズの口調が砕けているのは、ついゴブリン相手だと敬語が出て来ないのだ。モンスターとしてアインズより脆弱だからだろう。あまり、親しみは感じない。ゴブリンよりもエンリの方がよほど親しみを感じるくらいだ。

 ただ、アインズの中ではこの親しみは所詮、野良の子犬や子猫を可愛がるような気持ちでしかない。

 そんな冷酷なアインズの内心には気づかずに、エンリが口を開く。

 

「ゴウン様。えっと、話を?」

 

「ああ。武装した五人組が来たそうだな」

 

 アインズの言葉に、ゴブリンが頷く。

 

「ええ。一人は馬車を引いていて、他の四人が警戒してます」

 

「エンリ・エモット。心当たりは?」

 

 アインズの言葉に、エンリは考え込み――おずおずと答えた。

 

「あ、はい。もしかしたら――私の薬師の友人かもしれません。時折、森に生えている薬草を取りにやって来るんです」

 

「ふむ」

 

 その線が濃厚か――しかし違った場合、面倒な事になる。

 

「俺らが護衛するんで、姐さんが顔を見て確かめるしかなさそうですね。ゴウンさん。申し訳ねぇが、そこの騎士さんに村の後ろを見てもらってもいいっすか?」

 

 ゴブリン達は前を。アインズには挟撃の可能性を考えて背後を守ってもらって欲しいらしい。

 しかし、そんな事をせずとも顔を確認するだけなら簡単である。

 

「待て。もっと簡単な方法がある」

 

 アインズはそう言って、〈千里眼(クレアボヤンス)〉を使い武装した五人組を見る。そして一人と一匹に見えるように〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉を発動させた。

 エンリとゴブリンはアインズの魔法に感嘆の声を漏らすが、しっかりと画面を確認する。そこに映る自分の一人に見覚えがあったのだろう。エンリが声を上げた。

 

「ンフィーレア!」

 

「知り合いか?」

 

「はい! 先程言った、薬師の友人です」

 

 つまり、ほぼ問題無い、という事だ。

 

「なら、念のためゴブリンと一緒に会いに行ってやるといい。俺は帰る」

 

 そう言って通り過ぎる。背中越しにエンリの「ありがとうございます! ゴウン様!」という感謝の言葉を聞いたが、手を軽くひらひらとさせるだけで返事をした。

 残った一体の死の騎士(デス・ナイト)に村人の警護をするように命令し、そしてドアを開けると、今日もいつものようにエンリの妹のネムがいた。

 

「やれやれ。また来たのか」

 

「うん!」

 

 ネムは何が楽しいのか笑顔でアインズの言葉に返事をし、楽しそうにアインズが机の上に並べていたアイテムを見ている。

 アインズが机の上に並べているアイテムは、アインズがアイテムボックスを整理するために出して並べたものだ。アインズには無意味なポーションや、時間を確認するための時計など、様々なアイテムが並んでいる。

 

 一見すると綺麗なインテリアにも思えるので、ネムはそれを眺めるのがお気に入りらしい。ネムは子供らしく物珍しいものは何でも見たがり、「すごいすごい!」と興奮して褒めるので、ついアインズも鼻高々にネムに自慢気に説明してしまう。

 

 ネムはきらきらと輝く瞳で、熱心に机の上のアイテムを見ている。その幼い少女の姿に片付けるのも気が引けて、アインズはどうしたものかと考えた。

 そこで、ふと思い出す。そういえば、村長が森の賢王と呼ぶ魔物がいると言っていたな、と。

 

(森の賢王かぁ……賢そうな響きだよなぁ。確か、何百年も生きていて、白銀の体毛に蛇の尾を持つ四足の獣って言ってたっけ)

 

 確かユグドラシル時代にも似た生物がいた筈だ。尾が蛇の四足の魔物――。

 

(あ、思い出した。鵺だ! ユグドラシルのモンスターもいるのかな? ちょっと会ってみたい気もする……魔物が相手なら、こっちが気を使って話をする必要もないし)

 

 鵺のデータを思い起こし……頷く。

 

(うん。鵺なら前衛がいなくても充分相手に出来る。さすがに上位種になると、ちょっと厳しいものがあるけど……大丈夫かな)

 

 アインズはそう結論を下すと、一応ネムに声をかける。

 

「少し森に行ってくる。何かあった時は村にいる死の騎士(デス・ナイト)に守ってもらうといい」

 

「うん!」

 

 ネムはアインズの言葉に元気よく返事をし、相変わらず熱心にアイテムを見続けていた。

 アインズはそんなネムを尻目に、家を出て森へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

「そんなことがあったんだ……」

 

 カルネ村に辿り着いた時、村の様変わりに絶句しそしてゴブリンに足を止められ、それを従えたエンリに出迎えられたンフィーレアは、その後エンリにこの村で何があったか聞かされ、喘ぐように呟いた。

 ンフィーレアにとって、エンリとは将来を誓い合った仲――になりたい少女である。恋する相手なのだ。そんなエンリに訪れた不幸には悲しみを覚えた。

 エンリの両親とて、両親が死んで祖母と二人で暮らしているンフィーレアにとっては実の両親のように可愛がってもらえた、暖かな存在だ。帝国の騎士達が死んだとして、ざまあみろという気分にしかならなかった。

 

 それから二人色々と話をして――この村を救った魔法詠唱者(マジック・キャスター)の話になる。

 

「えっと、そのアインズ・ウール・ゴウンさんってどんな人なの?」

 

 ンフィーレアがそう訊ねると、エンリは少し口篭もった。なんと説明していいか分からない、という様子にンフィーレアも首を傾げる。

 

「んー……変わった人、なのかな」

 

「変わった?」

 

「うん。えっと、まだ村にいるから、会ってみる?」

 

「そうだね。僕もこの村を守ってくれてありがとうって、お礼を言いたいし」

 

 本心だ。その魔法詠唱者(マジック・キャスター)がいなくては、きっとこのカルネ村も滅んでいただろう。

 二人はアインズがいるという借宿へと足を運び、その間にエンリがンフィーレアにどれだけ凄い魔法詠唱者(マジック・キャスター)なのか熱心に語った。

 

 そして、エンリの話すアインズ像に、ンフィーレアは酷く驚愕する事になる。

 まず、エンリを救った際に第三位階の魔法を使った事だ。

 第三位階の魔法は常人が辿り着ける限界値。つまり、魔法を完全に習熟した事を差す。それより上は本当に才能がある極一部の魔法詠唱者(マジック・キャスター)しか辿り着けない。

 そしてンフィーレアは、おそらくアインズは第三位階以上の魔法も使えるのだろう、と推測した。

 

 理由は、エンリが貰ったというゴブリンを呼び出す角笛だ。

 本来、召喚されたモンスターは一定時間が経過すると消えてしまう。しかし、エンリの使った角笛で呼び出されたゴブリン達は全く消える気配が無い。これは、今までの魔法の常識を覆す行為だ。

 おそらく売れば一生遊んで暮らしていける。そんなマジックアイテムを平然と渡すような相手が、第三位階までしか使えないとは考えにくかった。

 

「それでね、私に真っ赤なポーションをくれたの」

 

「赤いポーション?」

 

「うん。どうしたの、ンフィー?」

 

 エンリが不思議そうな顔をするが、ンフィーレアはそれどころでは無かった。

 ンフィーレアは薬師であり、ポーション生成などを生業としている。

 だがそんなンフィーレアでも、赤い液体のポーションというものは見た事が無かった。生成する過程で、どうしてもポーションは青色になってしまうのだ。

 

 赤い色のポーション。それはンフィーレアの知識では確か……伝説の、神の血と呼ばれる類のもの。劣化する通常のポーションと違い、魔法で保存せずとも劣化しない、完成された神の血液。

 

「…………」

 

 そんなまさか。ありえない。ンフィーレアはエンリの話もほとんど耳に入らず、何度もぐるぐるとポーションについての考察が脳裏を過ぎった。

 

「ここだよ」

 

「…………」

 

 エンリに案内されたのは、エモット家の隣と言ってもいい家だった。

 

「あの事件の後、この家が空き家になっちゃったから、この家に宿泊してもらってるの」

 

「そ、そうなんだ……」

 

 少し嫉妬の感情が滲む。エンリの様子を見るに、別にアインズに恋心を抱いている、という雰囲気は無いが、それでもンフィーレアは男として好きな少女の隣に知らない男がいるのは気に入らない。

 

「ちょっと待っててね。ゴウン様、今いいですか」

 

 エンリがドアをノックし、声をかける。しかし、返事をしたのはアインズと思われる男の声では無かった。ンフィーレアもよく聞いた事のある小さな女の子、エンリの妹のネムの声だ。

 

「はぁーい」

 

「ネム? またゴウン様に迷惑かけてるの?」

 

 聞こえた妹の声に、エンリは慌ててドアを開けて中に入った。ンフィーレアも一緒に入り、見渡す。アインズらしき人影は、室内に見えなかった。

 

「もう。ネム! ゴウン様に迷惑かけたらダメって言ってるでしょ!」

 

「ゴウン様何も言ってなかった!」

 

「そういう問題じゃないの」

 

 姉妹の微笑ましい口喧嘩を聞きながら、ンフィーレアはネムの向こうに見える、机の上に乗ったアイテムの一つに視線を釘付けにされる。正確に言えばそのアイテム――ポーションは三本ほど置いてあり、どれも同じもののようだったが、そんな事は問題ではなかった。

 

 机の上に、まるで血液のように赤い薬瓶が、無造作に置かれていた。

 

 ンフィーレアはふらふらと吸い寄せられるようにそれに近づき、手に取って見てみる。輝く血の赤。それを呆然と見つめながら、ンフィーレアはエンリに訊ねた。

 

「ねぇ、エンリ。エンリの言っていたポーションって、これ?」

 

 ンフィーレアの言葉に、エンリはネムへの注意をやめ、ポーションを見て頷いた。

 

「うん。それだと思うよ」

 

「――――」

 

 そう言ってエンリは、再びネムと微笑ましい口論を再開する。ンフィーレアはそれをBGMに聞きながら、呆然とポーションを見つめ続けた。悪魔の囁く声が聞こえる。

 

 ……今、この場にアインズはいない。エンリとネムはンフィーレアに注意を向けていない。薬師の誰もが求める、最も美しく完成されたポーションが、目の前に無防備に置いてある。

 

 ンフィーレアでは詳しい事はまだ分からないが、祖母のリイジーに見せれば、魔法でより詳しい事が分かるだろう。このまま持って帰れば、研究で同じポーションを生成する事も可能になるかもしれない。

 悪魔が、ンフィーレアに優しく囁いている。持って帰ればいいじゃないか、薬草を取った後一直線にエ・ランテルに帰れば、きっと気づかれない、と。

 

「…………」

 

 浅はかな考えだ。しかし、ンフィーレアはそれを捨てる事が出来ない。ごくりと生唾を飲み込み、ンフィーレアはそのポーションの薬瓶を――――

 

「え? ゴウン様、今森にいるの?」

 

「……!」

 

 ゴウン、といういきなり聞こえたアインズの情報に、びくんっ、と体が反応する。慌てて二人を見るが、話に夢中でンフィーレアの行為には気づいていないようだった。ンフィーレアは慌てて、ポーションを机の上に戻す。

 

「どうしたの? エンリ」

 

「あ、ンフィー。えっとね、今ゴウン様森に行ってるんだって」

 

「森か……じゃあ、薬草を探している僕らと会うかもね。その時にお礼は言おうかな」

 

「そう? じゃあ、いつまでも家にいちゃいけないから、出よっか。ネムも帰るよ」

 

「はぁーい」

 

 エンリに手を引かれ、ネムは隣のエモット家へ帰る。ンフィーレアも一緒に家を出て、ペテル達と合流した。

 

「お? ンフィーレア、ちゃんとあの女の子にビシッと決められたか?」

 

 ルクルットがニヤニヤと声をかけてきた。入口でゴブリンに囲まれた時に、ンフィーレアは勘違いしてゴブリンに村が占拠されたかと思ったのだ。つい、声を荒げて興奮したのを見て、ンフィーレアがエンリに恋しているのが『漆黒の剣』にはバレてしまった。

 

「おい、ルクルット。……すみません、ンフィーレアさん」

 

「あはは」

 

 によによと笑っていたルクルットは、すぐにペテルに拳骨をくらって黙らされる。そんな二人にンフィーレアは笑い、そんな彼らの雰囲気に先程までの嫌な自分への嫌悪が薄れていった。

 

「皆さん、あと一時間ほど休憩したら、森に入って薬草を取りましょうか」

 

「はい。分かりました」

 

 代表として、ペテルが頷く。そしてンフィーレアもその場に座って、四人の会話に加わった。

 

「それで、村は大丈夫だったんですか?」

 

 ニニャの心配そうな声に、ンフィーレアは頷いた。

 

「はい。なんでも、帝国の騎士が周辺の村を灼いて回っていたそうですか、この村は通りすがりの魔法詠唱者(マジック・キャスター)に助けていただいたそうです」

 

魔法詠唱者(マジック・キャスター)?」

 

「ええ。第三位階の魔法を使えるらしくて、あのゴブリン達もその方のおかげみたいです」

 

 さすがに角笛の事は話さなかった。わずか数日の関係だが、『漆黒の剣』は好印象を抱くがそれでもあの角笛を教えるわけにはいかない。

 エンリの身を守るための角笛なのだ。それが危険を呼び寄せては本末転倒だろう。

 あの角笛は、このままひっそりとこの村で姿を消すべきだった。

 

 第三位階魔法を使う魔法詠唱者(マジック・キャスター)と聞いて、同じく魔法詠唱者(マジック・キャスター)のニニャが驚く。

 

「第三位階ですか! 凄いですね……ぜひ、会ってみたいです」

 

「僕も村を守ってくれたお礼を、って思ったんですけど、今は村じゃなくて森にいるみたいです。森で出会えたならそこで、会えなかったら村に帰った時にお礼を言おうと思ってます。ニニャさんも一緒に会いにいってみますか?」

 

「ぜ、ぜひ!」

 

 その後は一時間、カルネ村を救った魔法詠唱者(マジック・キャスター)の話で持ち切りだった。

 

 

 

 

 

 

 森に入ったアインズは、少し開けた場所に到着すると、さっそくアンデッドを作成する。

 

 現れたのは、膿のような腐った色と、輝くような緑。揺らめく靄が肉の代わりに取り巻いて点滅する、馬ほどの大きさもある骨の獣だった。

 

「蛇のような尾を持つ、白銀の体毛の四足の魔獣だ。行け」

 

「――ォオロロロロロン!」

 

 嘶きであろう怖気の奔る鳴き声を上げた骨の獣――魂喰らい(ソウルイーター)は、アインズに了解の意を示して走り去る。

 その姿を見届けたアインズは、もう一体アンデッドを作成する。今度は骨で出来たハゲワシだ。それを空に飛ばし警戒させる。

 ある程度の警戒を済ますと魔法で椅子を作って座り、魂喰らい(ソウルイーター)が森の賢王を発見し、それをこちらに誘い込むのを待つ事にした。

 

(さてと、いきなり敵対しないように罠とかはやめといた方がいいかな。人語くらいは喋れるみたいだし。俺の手に負える奴ならいいんだけどなぁ。いざとなれば、〈転移門(ゲート)〉で村まで逃げるか)

 

 アインズは静かな場所で考え込む。森の中にいるため、村の人間の気配は全くこちらまで届かない。

 周囲を見渡し、感嘆する。

 

(ブルー・プラネットさんが自然を愛していたのも分かるな。本当、どこを見ても宝石箱みたいにキラキラしてる)

 

 動くものの気配は無く、遠くから小動物の鳴き声が聞こえる。

 小さな風で森の木々が揺らされ、葉がざわざわと騒ぐが、村の喧噪のような不快感は感じない。

 

 これが大自然。その広大さに、アインズはどこまでも圧倒された。

 

(素敵だ。皆と一緒に、この世界に来たかったな)

 

 そうすれば、ユグドラシルにいた頃よりも、もっと素敵な大冒険が出来ただろうに。

 アインズはそう惜しみながら、じっと魂喰らい(ソウルイーター)が帰ってくるのを待ち続けた。

 

 しばらくして。

 

「…………」

 

 上空で警戒をしていた骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)が何か見つけたようだった。見通し辛い森の上空からのため、詳しい情報は分からない。

 アインズは引き続き警戒をさせ、自分はすぐさま魔法の詠唱に移行出来るように身構えた。

 

 少しすると、五人組がやって来るのが見えた。向こうも警戒しているらしい事が肌で分かる。

 

「ふむ……」

 

 仮面の顎部分を撫で、五人を観察する。五人も、こちら相手に緊張しているようだった。

 そこで、前髪で目元まで隠した少年が口を開いた。

 

「あの、もしかしてアインズ・ウール・ゴウンさんですか?」

 

「そうですが?」

 

 そう告げると、五人は安心したようで、緊張を解いた。少年が前に出て、自己紹介を始める。

 

「はじめまして、僕はンフィーレア・バレアレといいます。あの、エンリの友人で……村を救ってくださって、ありがとうございました」

 

「あぁ……もしかして、エンリ・エモットの言っていた薬師の友人ですか?」

 

「そ、そうです!」

 

 こくこくと首を縦に振って頷く少年――ンフィーレアに、アインズは軽く手を振る。

 

「気にしなくていいですよ。単なる通りすがりで、たまたま救っただけですし」

 

「それでも、ありがとうございます!」

 

 深々と頭を下げる少年に、アインズは辟易して頭を上げるように促した。

 

「いいから顔を上げて下さい。――それで、なぜここに?」

 

 訊ねると、彼らは口々に自己紹介を始め――その際にお互い名前でいい、という事になったが――この森に来た理由を語った。

 

 ンフィーレアは薬師であり、祖母と二人でポーションなどの生成を生業としている。いつものように冒険者組合で依頼を出し、道中の護衛と薬草採取の手伝いをしてもらいに来たとの事だった。

 

 冒険者、という言葉にアインズの琴線に触れる。好奇心の赴くままに、アインズは訊ねてみる事にした。

 

「その冒険者、というのはどういう事をするのか聞いても?」

 

 『漆黒の剣』の面々に訊ねると、彼らは顔を見合わせ、ペテルが訊ねる。

 

「アインズさんは冒険者を知らないんですか?」

 

「いえ、言葉としては知っているが具体的に何をするかはさっぱりで……基本、研究で引き篭もっていたものですから」

 

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)が研究のために引き篭もっている、というのは現実味があったらしく、納得してペテルが説明してくれた。

 

「えっと、冒険者というのはですね。基本的には人間に害をなすモンスターが現れたら、それを退治するのが主流ですね。あと、稀に遺跡の調査とか、秘境を探索したりもします」

 

「組合というのがあって、それに登録すると冒険者になれるんですけど、まずは(カッパー)のプレートから始まるんです。プレートは冒険者としてのレベルですね。そこから依頼を幾つもこなし、昇進試験を受けて合格すれば、次第にプレートのランクが上がっていって、最後にアダマンタイトになります。プレートのランクが上がれば上がるほど、依頼の危険度も高くなりますけど、その分報酬がたくさんもらえるんです」

 

「なるほど……ほとんどモンスター退治専門の傭兵みたいなものなんですね」

 

 アインズがそう言うと、ペテル達の顔には苦笑が広がった。

 

「はは。そう言われるとそうですね。よく勘違いする人がいるみたいですけど、一攫千金、なんてことは全然無いです」

 

 想像以上に夢の無い仕事だった。これでは単なる派遣社員である。いつの時代、どんな世界でも世知辛いものだ。

 アインズの心の中で、冒険者への憧れが急速にしぼんでいく。冒険者になろう、という気持ちはすっかり萎えてしまった。

 

「あの、アインズさん!」

 

「うん?」

 

 そうして冒険者の話に花を咲かせていると、ンフィーレアが真剣な顔でアインズを見ていた。その様子に首を傾げる。

 

「なんでしょう?」

 

「えっと、その、エンリから聞いたんですけど、アインズさんの持ってるポーションをいただいてもいいですか?」

 

 ンフィーレアの言葉に首を傾げると、矢継ぎ早に口を開いていく。

 

「その、アインズさんのポーションは僕の知らない製法で出来たポーションみたいだったので、ちょっと興味があって……」

 

 その言葉に、アインズは少し困った。ポーション如きと、全く気にせずにいたがそういうわけにもいかなかったらしい。

 

 ンフィーレア曰く、通常のポーションは青い色をしているらしく、アインズの持つ――ユグドラシルのポーションのような、赤い色はしていないらしかった。

 

 これはもしや……非常に困った事態に発展しそうであるとアインズの勘が告げている。

 

「私も製法は知りませんよ? 自分で作ったわけではないので」

 

 一応、深く突っ込まれた時のためにそう告げておく。しかしンフィーレアはそれでも構わなかったのか、ずずいっとアインズに近づき、「構いません!」と興奮気味に叫んだ。

 

(うーん。これは引きそうにないなぁ……まあ、いいか)

 

 アインズは仕方なく、頷いた。

 

「分かりました。借宿の机の上に置いてある物を、一つなら売ってもいいですよ」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 大げさだなぁ、とアインズは思いながらも天にも昇りそうな昂揚した様子のンフィーレアに、何か言うのは憚られた。見れば他の四人もンフィーレアに若干引いている。

 

「えっと、アインズさんは魔法詠唱者(マジック・キャスター)なんですよね?」

 

 ンフィーレアを落ち着かせるためか、あるいは単純に本人に興味があったのか、ニニャがアインズに訊ねる。アインズはニニャの言葉に頷いた。

 

「ええ。魔力系の魔法詠唱者(マジック・キャスター)ですね。そういえば、ニニャさんも魔法詠唱者(マジック・キャスター)だと先程……」

 

「はい、そうです」

 

「こいつ生まれながらの異能(タレント)持ちなんだ。これでもエ・ランテルじゃ天才の魔法詠唱者(マジック・キャスター)なんて言われてるし」

 

 ルクルットの言葉に、アインズはとても興味をそそられた。それはさながら、コレクターの欲望の如くで。ゲーマーとして、そして魔法職に就く者としてそういう未知にはとても興味が引かれる。

 ニニャは恥ずかしそうにルクルットの言葉を肯定する。

 

「そうですけど……でも、たまたま運が良かっただけですよ。魔法適性が無ければ宝の持ち腐れでしたし」

 

「ということは、ニニャさんは魔法詠唱者(マジック・キャスター)系の生まれながらの異能(タレント)を持っているんですか?」

 

「はい。私の生まれながらの異能(タレント)は、魔法の習熟に八年かかるものを四年にする、といった時間短縮です」

 

「それは凄いですね」

 

 素直に感心した。つまり、習熟時間が半分になるという事は、その分他の事に時間を使えるという事であり、他の人間よりゴール地点が早いという事だ。アインズはどうでもいいが、この世界の魔法詠唱者(マジック・キャスター)ならば喉から手が出るほど欲しい異能かもしれない。

 

「うむ。ニニャは充分誇っていいのである! だから『術師(スペルキャスター)』という二つ名も、恥じる事は無いのである!」

 

 ダインの言葉に、ニニャは顔を真っ赤にして唸る。

 

「だから、その、恥ずかしい二つ名はやめましょうよ!」

 

「いいじゃないか、かっこいいのに」

 

 ペテルが真面目な顔で、それこそなんでニニャが恥ずかしがってるのか分からない――という心底不思議そうな顔で呟いた。その言葉に、アインズは生暖かい目になる。

 

(あー……そういえば、ウルベルトさんとかも厨二病だったなぁ。それでよくたっち・みーさんと喧嘩してたっけ)

 

 少しばかり昔が懐かしくなる。彼ら『漆黒の剣』を見ていると、本当に仲がいいんだろうな、という事が窺えた。

 彼らを見ているとかつての仲間達の姿が思い起こされる。素晴らしい仲間だったと、『アインズ・ウール・ゴウン』の名が誇らしくなるのだ。

 

 この名前を自分が名乗るのが、少しばかり罪悪感を覚える。でも、文句があるなら目の前に現れて、今すぐに言って欲しい。それはお前の名前じゃない。俺達の名前だ、と。そうすれば、アインズはすぐにモモンガに戻るのに。

 

 ――なんだかしめっぽくなった感傷を振り払い、続いて気になる事を訊ねた。

 

「そういえば、皆さんは何故『漆黒の剣』と名乗っているんですか?」

 

 彼らとの談話は、ンフィーレアが薬草の採取という目的を思い出すまで、ずっと続けられた。

 

 

 

 

 

 

「――――」

 

 地面に生えている薬草を毟っている五人をぼぅっと見ていたアインズは(手伝おうか、とも思ったがこの世界の薬草に詳しくないので止めた)、再び骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)からの反応に意識を向ける。

 

 魂喰らい(ソウルイーター)からの、切羽詰まった反応は無い。つまり、順調にこちらに誘い込んでいるようだ。

 

 少しして野伏(レンジャー)であるルクルットが、空気の変化を敏感に感じ取り、全員に警告をした。

 

「何か来るぞ」

 

 その声に弾かれたように『漆黒の剣』が武器を抜き、構える。ンフィーレアは不安を滲ませた顔と声で訊ねた。

 

「森の賢王でしょうか?」

 

 アインズもまた立ち上がり、魔法で構成していた椅子を解体する。続いて、上空に飛ばしていた骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)も消した。

 そしてそのまま彼らの前に出るように立ち塞がると、彼らに話しかける。

 

「撤収を勧めます。私の目的の物が近づいてきたらしいので」

 

「え?」

 

 アインズの言葉に彼らは首を傾げ、ルクルットは近づいてくる気配に少し慄いた。

 

「おいおい、アインズさん……このデカブツ、アンタが誘い込んだのかい?」

 

「森の賢王という生き物に興味があったもので。巻き込まれたくなかったら森から出た方がいいです」

 

 アインズが忠告すると、五人は顔を見合わせて、急いで荷物を纏めだした。

 

「しかしアインズさん、前衛無しに大丈夫なんですか?」

 

 ペテルが不安げな顔で訊ねる。アインズは見た目からして後衛の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。後衛というものは身体能力が脆弱であり、前衛の壁役がいなければ無力なのが普通である。

 実際、アインズも前衛がいた方が都合がいい事は確かだ。

 しかし、『漆黒の剣』ではアインズとのレベル差がありすぎて、前衛どころか単なる足手纏いにしかならない。故に、アインズはペテルへとしっかり頷いた。

 

「大丈夫です。ちゃんと、対策は取っていますから。皆さんの任務はンフィーレアさんを無事にエ・ランテルまで帰すことでしょう。こちらは気にせずとも構いません」

 

「アインズさん……」

 

「また、村で会いましょう皆さん」

 

「は、はい!」

 

 五人は心配そうにしながらも、足早に森の外へと去っていった。アインズは近づいてくる気配に、次第に緊張を高める。

 

「さて……森の賢王か。魂喰らい(ソウルイーター)でも大丈夫ってことは、俺一人でも大丈夫だと思うけど」

 

 アインズはいつでも魔法を詠唱出来るように、注意深く森の奥を見据える。

 

 ざわざわ。ざわざわ。森が一際騒がしくなり、段々と争っている音がすぐ近くへと寄ってきた。そして――美しい白銀の体毛を持った、巨大な魔獣が姿を現した。

 

「むむむ、挟撃でござるか!」

 

 森の奥から魂喰らい(ソウルイーター)に押されて姿を現した魔獣は、アインズの姿を見咎めると唸りを上げる。アインズは――

 

(え、えぇ~……)

 

 姿を現した魔獣の姿に、絶句した。

 白銀の体毛。蛇のように長い尾。人の言葉を喋る知能。そして円らな瞳。

 

 魔獣は魂喰らい(ソウルイーター)がアインズのいる場所まで来ると立ち止まったのを見て、仲間と判断する知性があるようだが――アインズの思考はどうしてもその魔獣の形態(フォルム)と、真っ黒な円らな瞳に吸い寄せられる。

 

「も、森の賢王……?」

 

「その通り。それがしこそ、森の賢王でござるよ!」

 

「そ、そうか……なあ、もしかしてお前の種族名って……」

 

 アインズは震える声で訊ねた。何故なら魔獣の姿は――

 

 

 

「ジャンガリアンハムスターとか言わないか?」

 

 

 

 どこからどう見ても、遠近の狂った愛玩動物(おおきなハムちゃん)にしか見えなかった。

 

(うわぁー……ないわー。これはないわー。絶対詐欺だわー)

 

 気分はさながら、深夜の通販番組に触発されお届けされた現物を見た主婦の如し。アインズは世の無常を噛み締める事になった。

 

「なんと! お主、それがしの種族を知っているでござるか!?」

 

「あ、いや……昔、仲間の一人がお前によく似たペットを飼っていてだな……」

 

 ちなみにその仲間は、その愛しのハムちゃんが寿命で死んだ時一週間は『ユグドラシル』にログインしなかった記憶がある。ペットロス症候群(軽度)というやつだ。

 

「もしそれがしの同族を知っているなら教えて欲しいでござるよ。子孫を作らねば生物として失格でござるがゆえに」

 

「はうッ!」

 

 アインズの心に痛恨の一撃。効果は抜群だ!

 

(いやいやいやいや……生物失格じゃないし! そもそも、俺ってもうアンデッドだから! 生物じゃないから! 現実でも魔法使い予備軍だったとかもう関係無いし!)

 

 震えながら心の中で言い訳を並べ、なんとか心を平静に保つ。精神抑制が働かなかった事が苦痛ではあったが、生物失格(DT)呼ばわりされて精神抑制が働くほどショックを受けない事を喜べばいいのか悲しめばいいのか……。

 

「お、大人でも手乗りサイズだったから、おそらく無理だと思うぞ」

 

「それはちょっと無理でござるなぁ……結局、それがしは一人なのでござるか」

 

 アインズとしては同族がいたらねずみ算式に数が増えて、世界征服。そのまま世界が終わるのではないかという不安にかられるので嬉しいかぎりである。

 

「ではそろそろ無駄な話はよして、命の奪い合いをするでござるよ!」

 

 きゅぴーんっと狩猟本能に輝く瞳を前にして、アインズはやる気の失せた気分のままに、面倒くさそうに答えた。

 

「いや、俺は別に戦いに来たじゃないんだが……ただ、少し賢王なんて呼ばれる魔獣と話をしてみたいと思っただけで」

 

 アインズの言葉に森の賢王は頬袋をぷくりと膨らませ、怒りを爆発させたようだった。

 

「お主! そんなことのためにそれがしを寝床から叩き起こし、あの気色の悪い馬に追わせたでござるか! 許さんでござる! その傲慢、死をもって償ってもらうでござる!!」

 

「ア、ハイ」

 

 ですよねー……っとアインズもさすがに会話の入り方が物騒過ぎると自覚する。確かに向こうからしてみれば、急にアンデッドに追いかけ回され、挙句その主からはちょっと会話したいだけなどと言われては怒り心頭にもなるだろう。

 怒り狂った森の賢王は、魂喰らい(ソウルイーター)を警戒しながらもアインズに向かって突進した。

 

「……はぁ」

 

 アインズは突進してきたもふもふに向かって指を向ける。無骨なガントレットに覆われた骨の指は真っ直ぐに殺人毛玉を差して――

 

「絶望のオーラ……れべるいち」

 

「ひぇえああああああああ」

 

 ぽて、と愛くるしい効果音という幻聴が聞こえるほどの様子で、森の賢王の動きを止めて仰向けにさせた。思わずもふりたくなるような腹部が無防備に晒される。

 

「降伏でござるーそれがしの負けでござるよー」

 

「…………」

 

 所詮は獣か。アインズは生きていれば盛大に溜息を吐いた事だろう。

 

「まったく……とんだ無駄足だった」

 

 涙目の愛くるしい巨大毛玉は、ぷるぷると震えてアインズから告げられる運命を待ち続けた。

 

 

 

 

 

「アインズさん!」

 

 ――少しして去った筈の『漆黒の剣』の面々が現れる。アインズは驚き、そちらを振り返った。

 

「無事かアインズ氏!」

 

「逃げるのは性に合わないってね」

 

「大丈夫ですか!」

 

 現れた四人に、アインズは思わず間抜けに口を開いた。

 

「どうしたんですか、皆さん」

 

「どうしたも何も、さすがに森の賢王と戦うっていうのを見捨てていくのは……」

 

 ペテルは言葉を続けようとしたようだが、ぽかんと口を開き途切れた。他の三人もまた、アインズの向こうに見える巨大な毛玉に驚き言葉も無い様子だった。

 

「あの、それ……何ですか?」

 

「森の賢王だそうですよ。もう、私の支配下に入りましたけど」

 

 結局、アインズは森の賢王を殺さなかった。なんだか、殺そうと思っても涙目の毛玉を見つめているとその円らな瞳に罪悪感を抱いてしまうのだ。

 

 森の賢王はドヤ顔でアインズに体を撫で繰り回されながら宣言する。

 

「まさに殿のおっしゃるとおりでござる。この森の賢王、殿に仕え、共に道を歩む所存でござるよ!」

 

 忠誠を誓う森の賢王に、ペテル達は呆然としていた。

 

(だよなぁ。巨大ジャンガリアンハムスターとか……どこが森の賢王なんだか……。こんなのおっさんが連れ回すとかとんだ羞恥プレイだよホント)

 

 アインズがすっかり萎えていると、ニニャが叫んだ。

 

「凄い! なんて立派な魔獣なんだ!」

 

「ファッ!?」

 

「強大な力を感じるのである!」

 

「深みある英知を感じさせる瞳ですね」

 

「いやいや、アンタすっげぇわアインズさん」

 

 口々に讃えられる言葉に、アインズは思わず『漆黒の剣』を凝視し、続いて森の賢王を凝視する。そしてそれを二、三度繰り返し――「ありえん」と呟く。

 

 そんなアインズの様子を、元凶の森の賢王と『漆黒の剣』は不思議そうに眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 アインズ達が村に帰ると、森の賢王の姿を見た村人達が大慌てで駆け寄ってきた。

 

「アインズ様! その魔獣は一体……!?」

 

 やって来た村長が驚愕の瞳で森の賢王の姿を見つめる。他の村人達も似たり寄ったりであり、遅れてやって来たエモット姉妹とンフィーレアも同じ表情だ。

 

「これは森の賢王です。懐かれてしまいまして……」

 

 アインズがそう言うと、『漆黒の剣』にしたように、森の賢王がドヤ顔を披露する。それを見た村人達は、口々にアインズを讃え始めた。

 そして、その中でンフィーレアが慌てたようにアインズに訊ねる。

 

「アインズさん! あの……その魔獣がいなくなった場合、縄張りが無くなってこの村がモンスターに襲われたりっということはないんですか?」

 

 ンフィーレアの言葉に、村人達が不安そうな顔で顔を見合わせている。確かにンフィーレアの言う通りだ。アインズは森の賢王へ告げた。

 

「確かにお前がいなくなるとこの村が大変だな。……どうだろう、この村を襲わないなら俺はお前がいなくなっても構わないが」

 

 そう突き放すと、森の賢王は慌てたように答えた。

 

「ま、待つでござるよ殿! ……そもそも、森は今勢力バランスが崩れているのでござる」

 

「なに……?」

 

 その不吉な言葉に思わず声が低くなる。森の賢王の言葉にペテル達も何か思い出したのか、口を開いた。

 

「そういえば、この村に来る途中普通なら見ないような場所にオーガとゴブリンを見つけたぜ」

 

「森の賢王の縄張りが広がっているから、普通なら遭遇する筈が無いので、不思議だったんですけど……」

 

 ルクルットとペテルの言葉に、森の賢王の言葉の信憑性が増してきた。

 

「そうでござる。最近、森が荒れてそれがしの縄張りだろうと入って、森を出て行く者達が増えているのでござる。もはや、それがしがあの地にいようと安全とは言えないでござろうな」

 

「そんな……」

 

 村の中でざわざわと不安が広がっていく。『漆黒の剣』の面々が村を救う案を考え始め、村人達は不安げに、そして助けを求めるように段々とアインズに視線が集中していく。

 

(うーん……これも乗り掛かった舟、かなぁ。やれやれ……)

 

「森の賢王、何か心当たりは無いのか?」

 

 アインズが訊ねると、森の賢王は鼻をぴくぴくと動かしながら頷いた。

 

「実はあの森は南をそれがしが、東には不死身の巨人が、西には魔法を使う蛇がそれぞれ縄張りを張っているのでござる」

 

「ふむ……北にはいないのか?」

 

「北はどういうわけかいないでござる――と、言いたかったんでござるが、どうもそうではなかったようでござる」

 

 森の賢王は声を潜めるようにして語った。

 

「どうも、北からは恐ろしい空気が最近漂っているのでござる。東の不死身の巨人が北に向かったようでござるが、最近のオーガやゴブリンの様子から見ると、帰って来なかったようでござるな」

 

「…………」

 

 それはアインズ以外にとってはゾッとする話だった。彼らは森の賢王一体だけでも恐ろしく、抵抗も出来ないというのに更にそれと同じような魔物に二体。

 

 そしてその魔物でも帰って来れなかったという北に棲む恐ろしい魔物。

 

「その東の不死身の巨人というのはどんな見た目なんだ?」

 

 アインズは何か引っかかるようなものを覚えて、森の賢王に訊ねる。森の賢王はそんなアインズの様子に気づく事無く答えた。

 

「見た目はオーガそっくりらしいでござるな。ただ、不死身とも言える恐ろしい再生能力を持っていて、魔法の剣を持っているそうでござる」

 

「…………ぇ」

 

 その小さな声は誰の耳にも届かなかったが、アインズははっきりと自覚した。

 

「……オーガに似た姿に再生能力……となれば、トロールだろうな」

 

「トロール! 金級冒険者レベルの難度のモンスターじゃないか!」

 

 ペテルやルクルットが呻き声にも似た声を上げる。『漆黒の剣』のプレートは銀だ。トロールとはとても戦えない。

 ――当然、そのトロールを生かして還さなかった北の魔物とも戦える筈が無い。

 

 そして――――

 

(ギャーッ! すいません! 犯人は俺でしたーッ!!)

 

 アインズは、無い筈の冷や汗を山ほどかきそうになり、精神抑制で乱れた精神を鎮静化させていた。

 

 ……この世界に来たばかりの頃の事である。

 アインズは魔法や特殊技術(スキル)の実験のために、見つけた魔物に手当たり次第喧嘩をふっかけていた。そうしてオーガやゴブリン、悪霊犬(バーゲスト)などの魔物を殺し回りながら南と思われる方角へ歩き――魔法の剣を持ったトロールに遭遇したのである。

 

 結果は、言うまでもなく。

 アインズは何の気も無しに、魔法でそのトロールを爆発四散させ即死魔法を叩き込んでやったのだった(ちなみに魔法の剣はちゃっかり回収してアイテムボックスに突っ込んだ)。

 

(うわーうわー……どうしよー……。それで東のボスがいなくなって、森が不安定になっちゃったのか……)

 

 無い頭を捻る。捻って捻って、熱が出るまで捻る。

 そして悟った。答えはもうこれしかない。

 

「……『漆黒の剣』の皆さん、少しの間私に雇われてみませんか?」

 

 アインズはペテル達に声をかける。そんなアインズに、彼らは不思議そうな顔をした。

 

「えっと……どういう意味です?」

 

「私はこれから、この森の賢王と共に森に入ります。私が残った西の蛇と北の魔物をどうにかしてくる間、三日ほどでいいのでゴブリン達と共に村の警護を務めてもらえないでしょうか?」

 

「え?」

 

 そう――色んなものを無かった事にするにはこれしかない。

 

(西の蛇とかいう奴を屈服させ――そいつに森を統治させて、村の安全を確保するしかない!)

 

 せっかく築いた村人達との友好関係を崩さないために――――、具体的に言うと真相を闇の中に葬るために。

 アインズは心の中で決意した。

 

 

 

 

 




 
モモンガ「全員ボコボコにして森の平穏取り戻すわ」(脳筋特有の解決方法)

次回!
「こないで、どうぶつの森」!
いつか更新します。

 


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こないで、どうぶつの森

 
トブの大森林に棲む生物は出荷よ~。
 


 

 

「それで、ハムスケ。西の蛇とやらはどこにいるんだ?」

 

「こっちでござるよ、殿」

 

 アインズの言葉に、ハムスケ――森の賢王は答えて、先頭に進み案内する。アインズはハムスケのもふもふした尻を見ながら森の中を進み続けた。

 

(うーん。名前を欲しがられたから、ついぱっと浮かんだのをつけちゃったけど、『ハムスケ』は早まったかなぁ……。喜んでくれてたけど、ギルメンの皆は俺にはネーミングセンスが無いって言ってたし……『大福』の方がよかったかな?)

 

 ハムスケの尻を見ながら考え込む。

 

 そうやってうんうん唸っていると、ハムスケがちらりと背後のアインズを振り返り、言いずらそうに口を開いた。

 

「ところで殿、それがしの上に乗ってくれないのでござるか? 正直、乗ってくれた方が早く着くと思うのでござるが」

 

「ふむ――」

 

 確かに、ハムスケの足に合わせようと思うと森の中を〈飛行(フライ)〉で移動するに等しくなる。当然、森の中でそんな事は出来ないのだから、ハムスケの言うように騎乗した方がいいだろう。

 だが――――

 

「…………」

 

 アインズはハムスケをじっと見つめる。遠近感の狂った、巨大な愛玩動物(ハムスター)。黒々とした円らな瞳。ファンシーでメルヘンな生き物。

 

(これに、乗る? 魔法使い間近(DT)の俺が?)

 

 何の罰ゲームだ。

 それはさながら、彼女も家族も連れずいい年のおっさんがメリーゴーランドに乗る光景に近い。そんなもの、誰にも見せられる筈が無い。

 断言しよう。モモンガはそんな光景を見たらたまらず噴き出し、腹を抱えて呼吸困難になるまで笑うだろう。

 

「…………」

 

 ハムスケは、きらきらとした瞳でアインズを見つめていた。

 

「…………」

 

 そして――――

 

「よぉーし! 飛ばすでござるよ、殿!」

 

「あぁ…………」

 

 誰も見ていない、という言い訳を胸に、アインズは苦渋の思いでハムスケに騎乗した。馬とは体形が違うため、尻を後ろに突き出した、跳び箱を跳ぶような姿勢。

 

(羞恥プレイだ……)

 

 努めて周囲からはどんな風に見えるのか思考から排除しながら、アインズはハムスケに身を任せて気配を探った。

 段々と日が暮れ、森の中のため星明りさえ届かなくなるだろうが……しかしアインズには無意味だ。アインズの持つ、常時発動型特殊技術(パッシブスキル)の一つである闇視(ダークヴィジョン)は暗闇の中でも太陽の下にいるように周囲を見通す。そのため、アインズのようなアンデッド系の種族は暗闇が不利にならない。

 ハムスケがアインズを上に乗せて走り続けている。しかし、森に棲息しているモンスターに遭遇する事はない。ハムスケが森の南部分を制圧している、というのは本当のようだ。

 

「――そろそろ、西の蛇の縄張りでござるよ」

 

 しばらく進むと、ハムスケがぽつりと呟いた。アインズはハムスケの言葉に頷き、注意深く気配を探る。そして――――

 

「止まれ、ハムスケ」

 

「は、はいでござる!」

 

 アインズはハムスケを止めた。ハムスケはアインズの命令通り、その場でブレーキをかけ、身を止める。アインズはピタリとある一点を見据えて口を開いた。

 

「不可視化で消えているつもりか? 俺の前では無意味だぞ。無駄なことは止めるんだな」

 

 真っ直ぐ、そこにいるモンスターの目を見つめてそう言うと、そのモンスターは不可視化を解除し、何もいない筈の場所からモンスターが姿を現した。

 

 それは蛇の胴体を持っていた。上半身には人間の老人のような枯れ細った体が生えており、頭から生えている髪がぞわりと蠢く。

 

「なるほど、ナーガか。――ということは、お前が西の蛇だな」

 

「わしの透明化を見破るとは……魔獣、わしの縄張りに何を連れてきた?」

 

 ナーガはじろりとハムスケを見つめるが、ハムスケは素知らぬ顔だ。

 

「それがしの主君でござる。それがしは、これより殿と共に生き、殿と共に道を歩み、殿へ忠誠を捧げるのでござる」

 

 そこまで言って、ハムスケは不思議そうな顔でナーガを見た。

 

「それより、そなたどうしてここにいるのでござるか?」

 

 そう、ここはまだナーガの縄張りに入ったばかり。縄張りのボスというものは、普段は一番安全な場所にいるものだろう。見回りに来ていた、とも考えづらい。見回りにくる場合、それは自らの威容を見せつける意味合いを持たなければいけないのだ。不可視化で姿を隠していたら、意味が無いだろう。

 

 ナーガはハムスケの言葉に苦々しい表情を浮かべたようだった。続いて、低く唸るように言葉を放つ。

 

「森を出ていくおぬしには関係あるまいよ、魔獣」

 

「…………ふむ」

 

 アインズは考える。このナーガは、何故不可視化をしたまま移動していたのか。

 先程も考えた通り、縄張りの見回りはありえない。姿を隠したままでは、頭の悪いモンスターが「臆病者」と調子に乗って縄張りで暴れ回る危険性があるからだ。

 ――となれば。

 

「もしやハムスケ――森の賢王に用があったということか」

 

 そう告げれば、ナーガがアインズに目を向け、複雑そうな表情を作る。

 

「その通りじゃよ、見知らぬ魔法詠唱者(マジック・キャスター)。わしの透明化を見破る辺り、おぬしもただの魔法詠唱者(マジック・キャスター)ではあるまい」

 

 ナーガの探るような視線。アインズはハムスケの上で腕を組み、口を開いた。

 

「俺の名はアインズ・ウール・ゴウンという。それで……ナーガよ、お前は何故ハムスケ……魔獣に会いにきたんだ?」

 

「…………くく、用があったのは確かじゃが――必要無かろうよ。人間如きに組み敷かれるようではなぁ!」

 

 ナーガはその顔を醜悪に歪める。アインズはそれに顔を顰めた。

 

「おいおい。一応、二対一だろう? 数の差くらい考えたらどうだ?」

 

「い、いかんでござる!」

 

 そして瞬間、ナーガの胴体が伸縮し、老人の体の上半身がこちらへ飛びかかってきた。ハムスケが即座に回避行動を取る。しかし――

 

「馬鹿かよ、魔獣! 上に大きな荷物を乗っけたままで、おぬしの機動力が活かせるかァッ!!」

 

 上半身を見事に避け、着地した瞬間に蛇の下半身が器用に動き、ハムスケの足を捉えた。そのままとぐろを巻くように、一瞬でアインズごとハムスケの身体を包み込むように締め上げる。

 

「このまま締め上げてくれる!!」

 

 ミシリ、ミシリ……と不吉な音がし始める。ハムスケは振り払おうともがこうとするが、しかしアインズが上に騎乗しているためだろう。ナーガの締め上げを外せない。

 

「ぐぐ……」

 

「無駄よ、魔獣。もはや外せん。――さて、わしに協力してもらうぞ」

 

「協力?」

 

 いやに静かな声がナーガの下半身に覆われている場所から響いた事に、ナーガは不思議そうな気配を発したが気にせずにアインズの質問に答える。

 

「そうよ。北に現れた亡霊を仕留めるのを手伝ってもらおうと思ってな」

 

「グの奴は――東にいるトロールのことじゃが――わしの忠告を聞かずに、仲間と共に北の亡霊に挑みにいきおった。しかし、一向に帰ってこん。これはもう、死んだとみていいじゃろ」

 

 ミシリ……ミシリ……不吉な音がずっと聞こえる。

 

「グを殺すような奴じゃ。わしや部下だけでは負けるかもしれん。しかし魔獣、おぬしも協力してくれれば、十分勝機はあるはずだろうて」

 

 ミシリ……ミシリ……。

 

「さて、魔獣よ。おぬしはともかく、この魔法詠唱者(マジック・キャスター)はそろそろ限界のはず……森を無事に抜けたくばわしの傘下に――――?」

 

 ミシリ……ミシリ……不吉な音がずっと聞こえる。

 

 何故だ?

 

「と、殿……もしや魔法を使ったのでござるか? 先程から全く痛くないのでござるが……」

 

 ハムスケが不思議そうな声色で訊ねた。それに、アインズは普段と変わらぬ声で答える。

 

「いや? 単純に、この鬱陶しい蛇の胴体を掴んでやっているだけだ」

 

 ミチ。

 

「――――ギ」

 

 アインズは、掴んでいたモノを離さず、両手に力を籠め始めた。

 

「ギャアアアアアアアア――!!」

 

 骨と皮をミチミチと言わされたナーガが、絶叫を上げる。皮膚と肉が裂け初め、筋肉がブチブチとアインズの握力で切断されて血が噴き出し始めた。

 

「ギ――ギィッ!!」

 

 ナーガはたまらず締め上げを解く。グルグルとそこから現れるアインズは全くの無傷であり、ハムスケの体毛が多少乱れた程度の変化しかない。

 

「は、離せぃッ!」

 

 喉が裂けるほどの叫び声を上げるが、アインズはナーガの蛇の下半身を離さなかった。仮面越しにナーガを見下ろす。ナーガは必死に距離を取ろうとしているが、アインズが蛇の胴体を離す気がないと分かったのか、魔法で反撃を開始した。

 

「〈魔法の矢(マジック・アロー)〉!」

 

「お?」

 

 三つの光球が現れ、アインズを撃ち抜こうと矢のように鋭く形を変えて光球が迫る。が――

 

「は?」

 

 それはアインズに届く前に、まるで元々この世に存在していなかったかのように消失した。

 そんな理不尽をなしたアインズは、しかしどうでもいいのか気にも留めない。

 

「これが実力差だ。魔法と言うのは実力差が開けば開くほど、無効化されやすい。お前程度では何をしようと俺に攻撃は届かん」

 

「ばッ――!」

 

 化け物――と叫ぼうとした口が開いたまま閉じなくなる。漏れる筈の罵倒は空気に溶けて消えていった。

 アインズが、ナーガの下半身を離して指先を向けている。まるで、死を告げにきた死神のように。

 

「〈魔法の矢(マジック・アロー)〉」

 

「ぁ……」

 

 アインズの背後に、一〇もの光球が現れる。ナーガは唖然と――そして絶望した表情でそれを見た。

 

 第一位階魔法の一つ、〈魔法の矢(マジック・アロー)〉は使い手の技量によって光球の数が変わる。

 一つならば一般的な魔法詠唱者(マジック・キャスター)だろう。二つならば優れた魔法詠唱者(マジック・キャスター)に違いない。三つ出せば、その魔法詠唱者(マジック・キャスター)は間違いなく一流だ。

 

 つまり魔法詠唱者(マジック・キャスター)としての力を簡単に調べるには、この〈魔法の矢(マジック・アロー)〉の光球の数を見ればいい。

 

 そしてアインズの出した数は――――間違いなく、前代未聞だった。

 

「――――」

 

 光がナーガに向かって殺到する。ナーガは自らの体に吸い込まれるように向かってくる光球を絶望の表情で眺めて――

 

「――――、?」

 

 その全てが、ナーガの体を真横を通り過ぎて背後にあった木に着弾した。途端、木が文字通り木端微塵と化していく。

 そして視界からアインズを外した一瞬の隙に、アインズはハムスケの背中から飛び降り、ナーガの目の前に降り立った。

 

「はっ!?」

 

 出来た影に急いでナーガが振り返るが、その前にアインズはガントレット越しにナーガの喉を掴む。ギチギチと喉を押さえながら、ナーガの巨体を持ち上げた。

 

「ぐ、げぇ――」

 

 ひしゃげた蛙のような呻き声を上げるが、アインズは気にせず口を開いた。

 

「おい」

 

「ぐ、がが」

 

 喉を絞められ、呼吸困難に陥りながらもナーガは蛇の下半身をアインズに巻きつけ、抵抗する。その無駄な抵抗に溜息をつきたい気分になり、更に強く喉を絞めた。

 皮膚が裂け、肉に指が食い込んでいく。ナーガの瞳を恐怖の感情が染め上げた。

 

「いい加減に無駄な抵抗はやめろ。こっちも、お前に用があって来たんだ。あまり時間をかけたくない」

 

 ハムスケと同じように、低レベルの絶望のオーラを向けて告げる。ナーガは恐怖に染まった涙目の瞳をアインズに向けながら、必死になって肯定の意を示していた。

 アインズはそれを確認し、ナーガの喉から手を離す。

 

「ぐ、げぇぇぇえ! ごぼ!」

 

 必死になって足元に蹲り酸素を取り込むナーガを見下ろしながら、アインズは乱れて皺がついたローブを引っ張って整える。

 

「まったく、皺を作るのは止めて欲しいものだ。さて……では交渉に入ろうか」

 

「は、はひ……」

 

 震えた声で返事をしたナーガに満足し、口を開く。

 

「では改めて――まずは自己紹介をしよう。俺の名前はアインズ・ウール・ゴウンという。これは俺が支配下に加えたペットのハムスケだ」

 

「わ、わしの名はリュラリュース・スぺニア・アイ・インダルンと申します……。こ、この森には何の御用件で来られたのでしょうか……貴方様の御要望に、わしは全力で応えることを御約束致します」

 

「よしよし。物分かりがいい奴は嫌いじゃないぞ、リュラリュース」

 

 そしてアインズはナーガ……リュラリュースにこの森を訪れた目的を語った。ハムスケが支配していた縄張りの森の外に村がある事。ハムスケはアインズが連れていくため、そこが手薄になってしまい、今までモンスターの脅威とは無縁でいられた村が危ない事。そのため、唯一生き残っているリュラリュースに森を完全に支配してもらい、カルネ村に被害を出さないようにしてもらいたい事など。

 

 全てを聞き終えたリュラリュースは、恐る恐るといった様子でアインズに訊ねた。

 

「お、恐れながらアインズ様……そのためには、北の亡霊を倒さねば難しいかと……」

 

「勿論だとも。そちらも俺が対処しよう。そして当然、俺の頼みを聞いてもらった報酬はあるぞ。――――お前がこれからも息をし、生を謳歌する事を俺は許そう」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 ガクガクと体を恐怖で竦ませながら頷き、頭を地面に擦りつけているリュラリュースにアインズは満足そうに頷いた。

 

「お、恐ろしい。貴方様は本当はわしのことをどうとも考えておられない。道端に転がる石が何かの形に似ている、その程度の感情しか貴方様はわしに抱いておられぬ」

 

「そんなことはないとも。もう少し興味を抱いているぞ――例えば、道の隅を歩いている蟻程度にはな」

 

 必死になって頭に地面を擦りつけるリュラリュースに、今度はアインズが訊ねた。

 

「さて、今度はこちらが訊こう。お前はハムスケに交渉する予定だったと言っていたが、部下はいないのか? ハムスケと同じように単独で支配していたと?」

 

「いえ、部下がおります。ですが今回は交渉のため、連れてきておりませんでした。部下達は不可視化などの逃げる手段を持っておりませんので」

 

「なるほど」

 

 そしてアインズは、北の亡霊の事を訊ねる。リュラリュースは丁寧に、東を統べていたグなるトロールなどの事や(既にアインズの手で死んでいるが)、北の亡霊と思わしき被害について話をする。

 

(まあ、北の亡霊の正体は俺なんだけどさ)

 

 道の途中で適当に死者の大魔法使い(エルダーリッチ)でも作ってそれを北の亡霊役にでもすればいいだろう。アインズはそう思っていたのだが――

 

「――ちょっと待て。まだ被害が出ているだと?」

 

「は?」

 

「――い、いや何でもない。続けろ」

 

「は、はい」

 

 リュラリュースは語る。それを聞きながら、アインズは思考した。

 

(どういうことだ? 北の亡霊――間違いなく俺のことだと思ったんだが。実際、そのグとやらを殺したのは俺だ。だが……俺はしばらく、森に入っていない。今日を除いて、最後に森に入ったのはニグン達の始末の時だ。当然、その際にモンスターを殺した覚えもない。今も被害が出ている、というのは明らかにおかしい)

 

 結論。北にはアインズ以外の何かがいる。それも、アインズと同じ時期に発生したと思われる。

 

「――というわけでして」

 

「ふむ」

 

 ちょうど、リュラリュースの説明も終わったところだ。アインズは〈千里眼(クレアボヤンス)〉を発動し、続いて〈転移門(ゲート)〉を使う。移動地点は自分が最初にこの世界に現れた場所にして、ニグン達を隠していた開けた場所だ。マーカーを置いているので、この手順でいつでも転移出来る。

 

「殿? それはなんでござるか?」

 

 目の前に突如現れた黒い空間に、ハムスケが疑問を持つ。それに振り返らずに答える。

 

「空間転移用の魔法の門だ。移動するぞ、お前達も来い」

 

「はいでござる!」

 

「わ、分かりました!」

 

 アインズは門の中に入り、移動した。続いてハムスケとリュラリュースがやって来る。

 

「お、おぉ~……」

 

 二匹がやって来たのを確認してから〈転移門(ゲート)〉を消す。ハムスケは穴を通った後に現れた、先程までいたのと違う光景に間抜けな声を上げていた。

 対して、リュラリュースは恐怖に凍り付いている。ナーガは魔法を使う。ニグンから聞くにこの世界での一般的な魔法のレベルは精々第三位階までだという事なので、リュラリュースは魔法を扱うものとしてアインズの使っている魔法が自分達とは次元が違う、という事を肌で感じているのだろう。

 ハムスケも魔法を使うらしいが、魔法を使うためには体に紋様がありそれが光る、という工程を考えると頭で理解して魔法を使っているわけではないのだろう。両者の反応の違いはその頭の使い道の差だ。

 

「さて、ではここから変わったモンスターがいないか探してみるか」

 

 アンデッドならばアインズの常時発動型特殊技術(パッシブスキル)ですぐに分かるのだが、今のところアンデッドの反応はない。という事は、アンデッド系ではないモンスターがいる筈だ。あるいは――

 

(もしかしたら、俺と同じプレイヤーかもな)

 

 ありえない話ではない。アインズと同じ時間にこの世界に来たが、偶然遭遇しなかったという事態は十分考えられる。

 その場合は――交渉でどうにかなる事を祈るしかない。自分より弱いプレイヤーならばいいが、アインズ――モモンガのユグドラシルでの強さは上位陣に劣る。ガチビルドの連中には勝てないだろう。

 

 アインズは細心の注意を払いながら、何者かの気配がないか探る。少しして――

 

「――?」

 

「どうした、ハムスケ」

 

 鼻と耳をひくひくとハムスケが動かした。その様子を見たアインズが訊ねる。

 

「物音が聞こえたでござるよ、殿。こっちでござる」

 

 ハムスケが顔を向けた方へアインズも顔を向ける。リュラリュースもまた、警戒したようにそちらへ顔を向け、すぐに動けるように態勢を整えたようだった。

 

「…………やっぱり」

 

 少しして、女の声が聞こえた。その声で、ふと気づく。声の発信源は木からだ。森の木の一本が喋り、こちらに近づいてきていた事に気づいた。

 

「君、先日のアンデッドだろう!」

 

 その木――ドライアードはアインズに向けて、責め立てるように叫んだ。

 

 

 

 

 

 

「と、殿! アンデッドだったのでござるか!?」

 

 ドライアードの言葉に驚愕してハムスケがアインズを振り返って訊ねる。隠しても意味は無い、と思いアインズは仮面を外した。――そこから、赤い燈火を二つ光らせた髑髏が現れる。

 

「に、人間ではなかったのですか……どうりで」

 

 化け物のように強いはずだ、とリュラリュースが呻いた。化け物のような強さの人間は、化け物だったという単純な話である。

 

 仮面を外したアインズは、怯えた様子のあるドライアードに質問した。

 

「確かに俺はアンデッドだが――そう怯えられても困るんだがな。ドライアード、別にお前に害を為す気はないぞ?」

 

 そう言うと、ドライアードはそれでもびくびくと怯えた様子で、アインズを見ながら口を開く。

 

「で、でも君。人間拷問してたじゃないか……しかも、なんかいつも唐突に現れるし……」

 

「当たり前だ。人間の前で人間を拷問して実験なんぞ出来るか。――それに、いつも唐突に現れるのは魔法の一つだ」

 

 アインズは言い返し、続いて不思議に思ってドライアードを見た。

 

「それで――何か用があったのか? まあ、お前がここに棲息しているドライアードなら、俺も少しばかり用があるんだが」

 

「うえ? え、えっと……その、実は君を待ってたんだ」

 

「はあ?」

 

 思わず素っ頓狂な声が漏れた。ドライアードはバツが悪そうな声色で呟く。

 

「だ、だって最近ここに来るのは君だけだったし……人間と話してたから、言葉は通じるだろうから、もしかしたら頼みを聞いてもらえないかなって……」

 

「ふむ……いいぞ、聞くだけなら聞いてやろう。その後、俺の質問にも答えてもらう」

 

「あ、うん」

 

 そのドライアード――ピニスンの頼み事とは人探しだった。曰く、昔ここに来た七人組をもう一度ここに呼んでほしいらしい。

 

「何故、そいつらが必要なんだ?」

 

「えぇっと、実はこの森は今、とんでもない事になっているんだ」

 

 このピニスンが生まれる前の、もっとずっと大昔。空を突然に切り裂いて、幾人もの化け物が現れたのだとか。

 その化け物の一人一人がとても強力で、この世界に棲む竜の王達とも互角に渡り合ったという。

 しかし彼らは傷つき、ある者は深い眠りに、ある者は封印されてしまった。

 だがその内の一体がこのトブの大森林に眠っており、いずれ世界を滅ぼす、と言われている。

 その化け物は時折分裂体とも言える枝分かれしたものを出し、暴れているのだとか。

 

 封印の魔樹、ザイトルクワエ。世界を滅ぼす魔樹、と言われる歪んだトレント。

 

「――で、その七人組は分裂体と戦って、いずれ本体が目覚めた時は自分達が退治するから、呼んで欲しいと言っていたんだな」

 

「うん、そうだよ」

 

 ピニスンの話を要約し、頭の中で結論を下す。

 

「つまり俺に七人組を探して連れてきて欲しい――ということは、目覚めそうなのか」

 

「――――うん」

 

 暗い声で頷くピニスンに、アインズは溜息をついた。

 

「どうもここに来てから厄介事ばかりに巻き込まれるな……。ハムスケ、リュラリュース。お前達はこの話を知らないのか?」

 

「申し訳ないでござる、殿。それがしはちょっと知らぬでござるなぁ」

 

「わしは少しだけ……確か、その魔樹のせいで昔、この森を支配していたダークエルフ達が森から逃げ出す羽目になったとか」

 

「ほう……なあ、ハムスケ。森の賢王ってリュラリュースのことじゃないのか?」

 

「と、殿……そんな冷たい目でそれがしを見ないでほしいでござる。ちゃんと、ちゃんと役に立ってみせるでござるよ!!」

 

 なんだか掲げる看板に偽りがあった気がして、じっとハムスケとリュラリュースを見比べる。その冷たい眼差しに、ハムスケが涙目で必死になって言い訳をした。

 

「――まあ、いい。それで、ピニスン――っといったか。その魔樹とやらはどこにいるんだ。一応、見るだけ見ておいてやる」

 

「え?」

 

 アインズの言葉に、ピニスンは不思議そうな声でアインズを見つめた。

 

「どうも話を聞くに、俺の用件とお前の頼みは合致しそうだ。その最後の確認だよ。場合によってはその魔樹、俺が片付けてやらんでもない」

 

「はあ?」

 

 完全に頭の可哀想なものを見る目で見つめるピニスンを、しかしアインズは気にせず歩き出した。

 

「行くぞ。面倒なことはさっさと済ませるにかぎるからな」

 

「ま、待ってほしいでござるよ、殿!」

 

「待って下さい、アインズ様!」

 

「ち、ちょっと待って! 置いてかないで!」

 

 ハムスケ、リュラリュース、そして遅れてピニスンがアインズに続く。アインズはピニスンに前を歩かせ、おそらくアインズが思っているだろう場所へと辿り着く道案内を、ピニスンに任せた。

 

 

 

 

 

 

 そして日が暮れて夜になり星が輝く頃に、ピニスンの案内でアインズはそこに到着した。

 

「これは……」

 

「木が枯れている、でござるな」

 

「魔樹が目覚める前兆、というのは間違いなさそうですな」

 

 辿り着いた場所は、ほとんど木々が枯れ果てていた。そしてアインズはこの光景を見た事がある。

 この世界にやって来た最初、適当に歩いた時に辿り着いた場所だ。こんな風に枯れているから、これ以上先に進む意味は無いと思い、さっきの広場へ戻って今度は別方向に進んだのだ。

 

「この枯れた場所の中央に魔樹はいるんだ。最近、魔樹が食べる森の木々達の量が加速していて、こっちにいったモンスターもいたけど、誰も帰ってきてないよ。帰ってきたのは君くらいだね」

 

 ピニスンはアインズを見ながら暗い顔で語った。「なるほど」と軽い調子でアインズは頷くが、確信する。

 

(は、ははは……やっぱり犯人俺だな。ここに来た時はまだ、絶望のオーラを垂れ流してた時だったんだよなぁ……。その刺激のせいでヘイト稼いじゃったかぁ)

 

 そして刺激された魔樹はおそらく、本来より早い段階で覚醒したのだろう。

 

「何もいないようにしか見えないでござるが……」

 

「わしにも見えぬよ、魔獣。アインズ様はどうなのですか?」

 

「俺は――――」

 

 瞬間、爆音のような衝撃音が鳴り響く。土を引っくり返し、そこから巨大なものが生え出てくる。

 

「おいおい」

 

「な、な、な」

 

「は、はあ?」

 

「ひぇっ……」

 

 その衝撃音に全員が視線を集中させ、音源を見た。目を見開く。

 

 ――オオォォォオオオオオ……

 

「はは! ガルガンチュアよりデカいじゃないか!」

 

 アインズはあまりの大きさに笑いがこぼれる。ガルガンチュアはナザリック地下大墳墓の第四階層に、守護者の役割を与えて置いてあるゴーレムのことだ。その大きさは三〇メートル以上の戦略級攻城ゴーレムなのだが――明らかに、魔樹はガルガンチュアの大きさを超えていた。

 

 見るかぎり、その大きさは約一〇〇メートル。触手のようにうねり生えた六つもの枝は、三〇〇メートルを超えている。

 話を聞いたかぎりでは『ユグドラシル』におけるイビルツリーを想像していたのだが、アインズの知識では知らない外見を持ったモンスターであった。

 

「あわわわ……よ、甦っちゃったよ……世界を滅ぼす魔樹が…………」

 

「で、でかいでござるな……」

 

「これは……ダークエルフ達が逃げ出すのも納得出来るというもの……」

 

 アインズ以外はあまりの威容に呆然とし、体を震わせている。

 

「ど、どうしよう……」

 

 その絶望的な嘆きの声を聞きながら、アインズは落ち着いた声で魔樹を見据える。

 

「ザイトルクワエ、か……。油断は出来ないな。〈生命の精髄(ライフ・エッセンス)〉」

 

 とりあえず、相手のHPを調べることから初めてみた。そして驚く。

 

「測定不能? あの巨体といい、まるでレイドボスだな」

 

 レイドボスとは多人数で挑むタイプのボスの事だ。一人や数人組で挑む、というのではなく、複数パーティーで挑むタイプという意味である。こういうのは規模の大きい多人数で挑む事もあって、HPが異様に多く設定されている事がある。

 

 アインズはハムスケ達より一歩前に出ると、振り返って自分を対象に含んだ魔法を幾つか唱えた。〈集団標的(マス・ターゲティング)〉で複数を対象にし、続いて幾つもの障壁や物理抵抗・魔法抵抗・幸運値などを上げていく。

 

「さて、ではやるか――〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉」

 

「え? ち、ちょっと……!」

 

 ピニスンの言葉を無視し、魔樹の近くに転移する。急に姿が消えたアインズに驚いたのか、最後に聞いた言葉は途切れていた。

 魔樹の近くに移動したあと、空中で〈飛行(フライ)〉を唱え、浮かぶ。

 

「まずはその邪魔な触手から斬り飛ばすか。〈時間停止(タイム・ストップ)〉」

 

 瞬間、時間が停止する。停止した時間の中で、アインズは鼻白む。

 

「時間停止対策は無し、と――これなら早く済みそうだな」

 

 〈魔法三重化(トリプレットマジック)上位魔法蓄積(グレーター・マジックアキュリレイション)

 

 三つの魔法陣がアインズの前に浮かび上がり、続いてアインズはその魔法陣の一つに魔法を込める。

 

 〈魔法最強化(マキシマイズマジック)現断(リアリティ・スラッシュ)

 

 続いて更に、別の魔法陣に魔法を込める。

 

 〈魔法最強化(マキシマイズマジック)現断(リアリティ・スラッシュ)

 

 最後の魔法陣に、最後の魔法を込める。

 

 〈魔法最強化(マキシマイズマジック)現断(リアリティ・スラッシュ)

 

 計三つ。全てに魔法を込めて――タイミングを計る。

 

「そろそろか。――〈解――〉、なに?」

 

 うぞり、と魔樹が蠢いた。時間が止まっている筈の世界を。

 

「ちっ――! 〈解放(リリース)〉!」

 

 アインズが魔法陣に込められた魔法を解放する。が、それより早く、時間停止の縛鎖を引き千切った魔樹が動き、触手が跳ね回る。

 魔法陣から解放された空間ごと切断する魔法の刃が触手へと迫り、二本(・・)の枝の触手が吹き飛んだ。

 

「時間停止に耐性でもあったのか? やれやれ……一発外したか」

 

 〈現断(リアリティ・スラッシュ)〉は第十位階魔法で最も強力な破壊力を持つ魔法だが、魔力の消費値も当然高い。外したくない魔法ではあったが、相手に時間停止に多少耐性がついていた事を知る事が出来たので、よしとしよう。

 

 ――オォオオオォォオオオ……

 

「おっと。〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉」

 

 襲いかかる触手に気づき、空間転移で避ける。先程までアインズがいた場所を触手が二本通り過ぎた。

 

「さて、残っている触手は四本。仕方ない、もう一度〈時間停止(タイム・ストップ)〉をかけて、残りを斬り飛ばすか」

 

 アインズは再び〈時間停止(タイム・ストップ)〉を唱え、止まった時の中で再び三つの魔法陣を浮かび上がらせる。そしてその中の一つ一つに、〈魔法最強化(マキシマイズマジック)〉で強化した〈現断(リアリティ・スラッシュ)〉を込めていった。

 

「最後に――〈魔法最強化(マキシマイズマジック)現断(リアリティ・スラッシュ)〉。――――〈解放(リリース)〉」

 

 時間の停止が解ける寸前に自分でも詠唱し、四つの空間断絶攻撃が放たれた。そして今度こそ、魔樹の触手を全て斬り飛ばす。

 

「これですっきりしたことだし、体力を削っていくかな」

 

 

 

 

 

 

「ねぇ……夢でも見てるのかなぁ?」

 

「…………」

 

 ピニスンの言葉に、しかしハムスケもリュラリュースも言葉を返さなかった。いや、返せなかったと言っていい。

 

「き、気がついたら殿の姿が消えて、いつの間にか魔樹の方に行っているでござる。それに飛んでるでござるよ!」

 

「っていうか! おかしいでしょ!! なんで気がついたら次の瞬間触手が二本ぶった切れて! んで次は同時に四本ぶった切れてんの!?」

 

 ピニスンはハムスケのヒゲをガシッっと鷲掴みにし、引っ張って叫ぶ。キンキンと響く叫び声にハムスケは、何の反応も返せない。ハムスケ自身、わけが分からないからだ。

 

「お、おそらく魔法を使っているのだとは思うが――じ、常識外れにも程がある……。明らかに、第三位階だとか第四位階だとか超越しておるぞ…………」

 

 呻くように呟いたリュラリュースの言葉に、ピニスンもハムスケも乾いた笑いしか出なかった。

 

「あ、殿が何か使ったでござるよ。あの大爆発はなんでござろうか……」

 

「おぉ! 魔樹が口に木をたくさん銜えはじめたでござる! 何をする気なのでござろうなぁ……」

 

「木を口から撃ち出したでござるよ! 殿の前に障壁が出て全て弾いてしまったでござるな……」

 

「あ、ありえない……ありえないぃぃぃ…………」

 

 ハムスケの驚愕の声と、そしてピニスンの悶える声が聞こえる。リュラリュースは不思議に思い、ピニスンを見た。

 

「昔ここに来た七人組とやらは、どうなんじゃ? アインズ様のようなことは出来なかったのか?」

 

 リュラリュースの言葉に、ギッと奇怪な動きでピニスンはそちらに目を向ける。

 

「出来るわけないだろ!! 常識でモノを考えてよ!」

 

「じゃろうなぁ……わしも出来るわけがない、と思うよ。しかし分裂体を片付けたのじゃろう?」

 

「分裂体はあそこまで強くなかったよ!! それに、彼らだってあそこまで強くなかったし……もっと常識的な戦い方だったね! 断じて! 断じて! あんな! 後衛のはずの魔法詠唱者(マジック・キャスター)が! 一人で! ボコボコにするとか! そんな戦い方でも強さでもなぁいッ!!」

 

 絶叫するピニスン。気持ちはよく分かった。ハムスケもリュラリュースも、自分の中の常識というものがアインズの戦いを見物する毎秒毎に崩壊していくのがよく分かる。

 ただ、これだけは三体全員の共通の思いだろう。

 

 ――下手な口答えしなくてよかった……。

 

 なんだか抵抗したり、大人しく従わなかったりしたらどんな事になったのか想像したくもない。

 

「お? 殿が何やらやっているでござる。何をしているのでござろうか?」

 

「あれは……何の魔法じゃろうな? 魔樹の周囲が爆発で光り輝いておる……」

 

「あはは、あははは……きれーだねー……」

 

 何の魔法を使ったのか、魔樹の周りが突如として輝き出し、夜の闇を照らした。輝く爆発がまるで星の輝きのようであり、夜という事もあってそこにはどこか神聖な輝きさえ見出せる。

 何だか既に麻痺し始めてきていた三体は、その神聖な、けれど何故か――どこか物悲しさを感じる、輝きに彩られた魔樹を呆然と見つめ続けた。

 

 遠く離れてはいたが、アインズもまたその魔樹を見つめている。

 

 その背中を視界に捉えながら、三体は魔樹の周囲の輝きが消え去るまで、じっと見つめ続けた。

 

 もしここに客観的視線を持つ第三者がいたのならば、その三体――いや、アインズを含めた彼らの視線に、同じものを感じてこう称しただろう。

 

 …………目が死んでいる、と。

 

 何故アインズの目まで死んでいるのか、それはきっと、アインズと同じくプレイヤーにしか分からないだろう。そしてそのプレイヤー達はアインズと同じように死んだ目をしながら、ぽつりと呟くのだ。

 

「メリー、苦しみます(クリスマス)ツリー」

 

 

 

 

 

 

「――さて、これで全ての問題が解決したわけだな」

 

「あ、はい。そうなりますね」

 

 世界を滅ぼせる魔樹を滅ぼして戻ってきたアインズに、ピニスンが丁寧な言葉で返す。それに首を傾げながら、アインズはリュラリュースに告げた。

 

「――と、いうわけでだ、リュラリュース。この森は今日これよりお前のものだ。が――――」

 

「はい。分かっております、アインズ様。決して、決して! 南の方の外にあるカルネ村を、配下が襲わないよう徹底的に教育しておきます」

 

「よろしい。期待しているぞ」

 

 襲った時にどうなるか――リュラリュースは想像したのかガクガク震えながら答えた。そのハキハキとした言葉に満足して頷き、アインズはもう森に用は無いとばかりに〈転移門(ゲート)〉を使う。

 

「と、殿! このハムスケ、殿に更なる忠義を尽くすでござるよ!!」

 

「わかったわかった」

 

 そうハムスケをあしらいながら、ハムスケと共に森を去ろうとする。そんなアインズの背中に、ピニスンが声をかけた。

 

「えっと、あの……! 正直、すっごく怖かったけど……でも、森を助けてくれてありがとう!!」

 

「…………ああ」

 

 ピニスンの精一杯の感謝の言葉を聞きながら、アインズとハムスケと共に空間転移で森の南方に移動する。移動した一人と一匹は、来た時と同じように、歩いて森を抜ける。カルネ村に着く頃には、おそらく夜が明けているだろう。

 

 アインズは歩きながら再び仮面を被り直し、それを見たハムスケが口を開いた。

 

「殿、アンデッドだったのでござるな」

 

「ああ。分かっていると思うが――」

 

「勿論分かっているでござる。決して、誰にも言わないでござるよ!」

 

「よし」

 

 そしてしばらくハムスケの質問に答えを返しながら、ハムスケと森の景色を見ながら歩いて森を出て行く。段々と太陽が昇り始め、暗い森に日が差し込みはじめ、緑が視界を染め始めた。

 

 森を出ると、『漆黒の剣』とゴブリン達がアインズ達を待っていた。

 

「アインズさん! 無事だったんですね!」

 

 ニニャが顔を輝かせ、アインズを見つめた。それにペテル、ルクルット、ダインが続く。

 

「どうでした? 西の蛇には会えたんですか?」

 

「北の正体不明の奴も知りたいね」

 

「アインズ氏の話を詳しくききたいのである」

 

 ゴブリン達も、心配そうな顔でアインズを見ていた。アインズの結果如何によっては、この村を捨てなければならないかもしれないのだから、当然だろう。

 それにアインズは安心させるように告げる。

 

「大丈夫です。北の魔物は退治しましたし、東の巨人はやはり、もう死んでいたみたいですね。西の蛇はかなり賢く、話の通じるモンスターだったので交渉出来ました。彼らは、森が全て自分の支配下に入るなら、わざわざ人間の村で狩りを行う理由がない、との事なので、この村に手出しするつもりは元から無かったようですね」

 

「よ、よかったぁ……。じゃあ、私はさっそくンフィーレアさんにこの事を伝えに行きますね!」

 

 ニニャはアインズの言葉に喜び、ンフィーレアや村長にこの事を伝えるために走り去る。ペテル達やゴブリン達もアインズの話に安心して、各自それぞれ元の警備位置に戻っていった。

 

「しっかし早かったなアンタ」

 

「ハムスケに騎乗して行きましたから」

 

「ああ、確かにハムスケさん足が速そうですもんね」

 

「あの森を一日で駆けるとは凄まじいのである」

 

 魔法を使った事は噯にも出さず、ハムスケの手柄にする。いくらハムスケでもそこまで速度は出ないが、それでも本当に足が速い事は確かなのだ。ハムスケは最初は複雑そうだったが、足に自信があるのは事実であるし、それに一日で往復するのは無理でも、二日あれば往復する事は可能である。次第に得意そうな顔でドヤ顔を見せつけるようになった。

 

 そんなハムスケに呆れながら、ニニャから説明を受けたのであろうンフィーレアが走ってこちらに寄って来ているのを見つける。後ろにエンリやネム、ゴブリン達も続いていた。

 ニニャがいないのは、村長に話をしに向かっているからだろう。

 

 嬉しそうに手を振るンフィーレア達に、アインズは少し複雑ながらも、彼らに向かって手を振り返した。

 

 

 

 

 




 
森はモモンガ様のせいで大変な事になり、モモンガ様のおかげで大事にならない。
 


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死を告げる燈火

 
いきなりの真面目なタイトル。
 


 

 

 ――カルネ村に向かう途中で一泊、カルネ村で二泊、そして村を早朝に出てエ・ランテルに帰還する頃には街は夜になっていた。

 『漆黒の剣』とンフィーレアはその夜の街を歩きながら、口々にカルネ村で起きた出来事を喋る。

 

「それにしても凄かったですね、アインズさん」

 

 ンフィーレアの言葉に、ペテルは苦笑する。

 

「確かにそうですね。さすが森の賢王を服従させられるだけはあります」

 

「確かになぁ……第三位階の魔法って初めて見たけどよ、あんなすっげぇのな」

 

「あの威力ならオーガの胴体も貫通しそうであるな」

 

「その可能性はありますね。おそらく、アインズさんは普通の魔法詠唱者(マジック・キャスター)より魔力が強いんでしょう。私も師匠に〈雷撃(ライトニング)〉を見せてもらった事がありますが、あれほどの威力は出ていなかった筈です」

 

 村で頼み込み、案山子に〈雷撃(ライトニング)〉を撃ってもらった時の光景を思い出しながら、ニニャは語る。

 〈雷撃(ライトニング)〉は第三位階の魔法であり、貫通力のある魔法だ。しかし案山子を消し炭にした後、後ろの塀の一部を焼き切るという威力は見た事がない。

 ……もっとも、その後塀を焼き切ったアインズは慌てていたが。

 その時の光景を思い出したのか、ルクルットがニヤニヤと笑う。

 

「でもまあ、威力が高いのも考え物だな。同士討ち(フレンドリィ・ファイア)の可能性が高くなっちまうし」

 

「冒険者が同じレベルの人間とパーティーを組む理由が分かりましたね……」

 

 ルクルットの言葉にンフィーレアが頷く。

 

 基本的に冒険者というものは同じレベルの人間とパーティーを組む。

 何故か。それは一人だけ突出していたりすると、連携が取れないためだ。

 弱ければ、その冒険者を庇おうと他の冒険者の動きが鈍くなり、足手纏いになる。逆に強過ぎるとアインズのように同士討ち(フレンドリィ・ファイア)の可能性が高くなり、連携が満足に取れなくなる。

 そして――おそらく、他の冒険者が嫉妬に駆られてしまう。

 人間なのだ。自分より強い者に憧れを持つのも多いだろうが――大半は、嫉妬で足を引っ張りたくなるものだろう。

 そのため、冒険者もワーカーも同レベル同士でパーティーを組むのが暗黙の了解となっている。

 

「それにしても、手伝わなくてよかったんでしょうか?」

 

 ニニャは少しばかり暗い顔になった。自分達が魔法を見せて欲しいと頼んだため、アインズは魔法を見せて塀を焼き切ってしまった。

 本当ならば、アインズは一緒にこの街に来る予定だったのだ。エ・ランテルは見た事がなかったそうで、道案内をしてあげたかったのだが――。

 

「んー……確かに半分は俺達のせいだからな。手伝いたかったけど、村人達が大丈夫って言ってるんだから、大丈夫だろ」

 

 ペテルの言葉に村での出来事を思い出す。

 

 塀を焼いて慌てたアインズと、自分達を見学していたネムの「あー!」という大声で寄ってきたエンリとゴブリン達。アインズはエンリに謝り、急いで塀を修復する事になった。

 自分達も手伝おうとしたのだが、彼らは大丈夫だと言い、アインズは自分が壊したのだから自分で責任を持つと言っていた。

 そしてそのせいで、アインズは塀の修復のために今この場にいない。

 

「直したらすぐにこちらに向かう、と言っていたから大人しく待っていようではないか。合流したその時に、アインズ氏には謝ればいいのである」

 

「――そうですね」

 

 アインズはンフィーレアに渡したポーションの代金の受け取りと、カルネ村の護衛を『漆黒の剣』に依頼した依頼金をペテル達に渡すために、エ・ランテルに向かう。

 そしてエ・ランテルを少し回った後、また旅に戻るのだそうだ。

 

「――冒険者に興味があったみたいですけど、やっぱり止めちゃうんでしょうか?」

 

 ンフィーレアの問いに、ペテルは苦笑した。

 

「はは。確かに“夢の無い仕事だ――”とか言ってましたしね。アインズさんはモンスター退治より、秘境探索とかの方が好きそうでしたし。やる気ないでしょうね」

 

「やらないわけじゃねぇんだけどな、秘境探索」

 

「でも、正直私達のような冒険者より、ワーカー達の方がそういう事はやっているでしょう」

 

「そうであるな」

 

 ワーカーというのは、一般的には冒険者の脱落組である。

 冒険者の仕事はまず組合が通すが、その分組合は仕事をする。情報に裏が無いか調べ、犯罪に使われそうなら拒絶する。むしろ、逆に阻止するように動く事もあるだろう。

 だが、ワーカーは組合を通さずに直接依頼人から依頼を受け取る。そのため、組合からの信用のおける情報が無い代わりに、見返りが多くあるのだ。

 そしてだからこそ、誰も知らない秘境で誰も知らないマジックアイテムを手に入れられる確率は高い。

 ――もっとも、危険度も跳ね上がるのだが。

 

「――っと、これで依頼完了ですね。皆さん、お疲れさまでした」

 

 ンフィーレアはそう告げ、彼らと別れようとする。

 

「ンフィーレアさん。よかったら家まで送っていきますけど? 馬車から薬草降ろすのも大変でしょうし」

 

「そこまでして貰わなくても大丈夫ですよ。それに、皆さんは組合の近くでアインズさんと待ち合わせがあるじゃないですか」

 

 別行動となったため、アインズはペテル達と冒険者組合の方で待ち合わせをしていた。早朝の出発時に塀の修理がそろそろ済みそうだという事で、アインズもすぐに追いつくと言っていたのである。そこで目立つ冒険者組合で待ち合わせをし、少し街案内がてらバレアレ家へ行こうという事になっていたのである。

 

「そうですか? じゃあ、組合で報酬を貰って、アインズさんと合流したらすぐに向かいますね。あ、それとも明日の方がいいですか?」

 

「いえ、今日はたぶんずっと起きてますから。それに、アインズさんにすぐポーションの代金を渡さないとだまし取ったみたいで落ち着きませんし」

 

 気まずそうなンフィーレアに、ペテル達は苦笑する。アインズの持つ赤いポーションを渡されたンフィーレアの様子を思い出したのだろう。

 前髪で隠れた瞳がきらきらと輝いているのが簡単に分かる、とても昂揚した様子だったのだから。

 

 しかしそれは同時に、アインズの持つポーションの価値が高い、という意味である。アインズは平然とンフィーレアに渡していたが、ンフィーレアの内心は殺してでも奪い取りたい高級品を懐に入れた村人A、といったところだ。とても落ち着かない。

 

「それでは、また」

 

 ンフィーレアは薬草を乗せた馬車で去っていく。それを見送ったペテル達は、早速組合の方へ向かう事にした。話題は勿論、アインズとハムスケだ。

 

「しっかし凄い魔獣だったな、ハムスケ」

 

「森の賢王っていうのは伊達じゃないな。あんなに凄いとは思わなかった。俺達じゃ皆殺しにされていただろう」

 

 鋼鉄より硬い白銀の体毛に、鋭く長い尻尾。語る言葉には溢れんばかりの知性が表れ、力強い瞳には英知を感じさせた。

 まさに森の賢王。数百年を生きた伝説の大魔獣である。

 

「まあ、アインズさんにとってはそうじゃなかったみたいですけど」

 

 ニニャの言葉に、全員苦笑いになる。

 

「アインズ氏にとっては森の賢王も大きな犬猫だったようであるな」

 

「“黒くて丸い円らな瞳が可愛い”って、あれのどこに可愛らしさがあったんだか」

 

 四人は思い出す。どう贔屓目に見ても、そこには深みある英知を感じさせる力強い瞳があるだけだった。正直、可愛いと言うアインズの感性を疑う。

 ……だが、それも仕方あるまい。アインズは魔法詠唱者(マジック・キャスター)でありながら、あの森の賢王を一人で捻じ伏せ、従わせてしまうような人なのだ。そんな彼からしてみれば、あの森の賢王ですら犬猫と変わらなかったのだろう。可愛いと言うのも仕方あるまい。

 

「そういう意味で言えば、今回の依頼は僥倖だったな。凄腕の魔法詠唱者(マジック・キャスター)を間近で見れたし、その人と友好関係を持てたと思えば」

 

「もしかしたら、アインズさんのいない時に森の賢王に遭遇する可能性だってありましたしね」

 

 そうなれば『残念! 漆黒の剣の冒険はここで終わってしまった!』となってもおかしくない。アインズがいたのは、彼らにとってまさに運が良かったと言えるのだ。

 

「んじゃ、とっとと組合の用事を片付けてアインズさんを待ちますかね」

 

 

 

 

 

 

「――それでは皆さん、お世話になりました」

 

「短い間でござったが、この御恩は忘れぬでござるよ」

 

 日も暮れた頃、アインズは村の出入り口で村長夫妻とエンリ、ネム。ゴブリン達と別れの挨拶をしていた。

 ハムスケも村にいる間にネムに懐かれ、ネムに上に乗られたり毛づくろいをしてもらったので感謝の意を示している。

 

「いえ、アインズ様。感謝するのは我々の方です。この村は貴方様がいなければ、あの騎士達に滅ぼされていたでしょう。命を助けていただいたどころか、村の復興まで手伝って下さって……」

 

 村長はアインズに頭を下げる。村長からしてみれば、アインズの求めた報酬は報酬とも言えない。ほとんど、無料で救ってもらったようなものだ。

 村長の後ろで、村長の妻やエンリ、ネムも一生懸命頭を下げていた。

 

「お気になさらず。久々の人との交流は、こちらにとっても心躍るものでした」

 

 嘘ではなかった。アインズ――鈴木悟の現実は両親もおらず、恋人もおらず、友達もいない天涯孤独の身の上だった。その寂しさを『ユグドラシル』で紛らわせ、そこで出来た『アインズ・ウール・ゴウン』の仲間達こそが唯一の交流であった。

 しかし、当然の帰結と言うべきか……月日の経過は『アインズ・ウール・ゴウン』を過去の栄光にしてしまった。サービス終了時に会えたのはほんの少しの人数であり、誰とも終わりを迎える事もなかった。

 

 モモンガは一人だった。誰もいない、現れないナザリック地下大墳墓で一人だったのだ。

 

 だから、ここまで心温まる交流は久しぶりだった。村長夫妻にエンリ、ネム――村人達はいい人ばかりだった。ンフィーレアのひたむきな真っ直ぐさは好感が持てた。『漆黒の剣』はかつての仲間を思い起こすほど、チームワークに優れた素晴らしい冒険者達だった。

 

 そんな彼らとの交流は、このアンデッドの体になった鈴木悟の魂を、自分もまた『人間』なのだという事を思い出させた。

 

 彼らでなければ、きっと自分はここまで他人のために尽くさなかっただろう。

 

「お礼を言うのは俺の方です。いやはや、やはり引きこもってばかりは駄目ですね」

 

 アインズの朗らかな言葉に、村長も苦笑する。村人達は時折、彼がアンデッドだというのをつい忘れがちなのを思い出した。

 きっと、最初から仮面を被ったままだったなら、村人達はアインズがアンデッドだという事にずっと気づかなかっただろう。

 

「アインズ様。村の人間を代表として、お礼を言わせて下さい。そしてまた気が向いたら、ぜひこの村にお越し下さい。精一杯のもてなしをさせていただきます」

 

 村長の真摯な言葉に、アインズは仮面の奥で苦笑した。

 

「アンデッドの俺は食べられないので、気持ちだけいただいておきますよ。その時はハムスケにでもたくさん食べさせてあげて下さい」

 

 この時ばかりは、アンデッドの体が煩わしい。食物もいらず疲労もしない便利な身体だと思ったが、その気持ちを受け取れない事が残念でならなかった。

 

「では皆さん、お元気で」

 

 村を出る。アインズの背中に、最後に二人の姉妹の声がかけられた。

 

「ゴウン様! 本当に、ありがとうございました!」

 

「またね!」

 

 手を振る姉妹。しっかり者の姉は眠たげな妹の手を握り支え、妹は眠たげな眼でけれどしっかりアインズを見て手を振っている。

 

 その二人の姉妹と、村長夫妻に優しく手を振って、アインズはカルネ村を後にした。

 

 

 

 ――そしてしばらく歩いてから、アインズは足を止める。ハムスケも同時に止まった。

 

「さて、ハムスケ。少し待っていろ。今からエ・ランテルを確認して近くに〈転移門(ゲート)〉を開く」

 

「? 歩いては行かぬのでござるか?」

 

「出来れば行きたいんだが……検問所があるらしいからな。俺だけでも難しいが、お前がいたら絶対に通れないだろ」

 

 『漆黒の剣』に聞いた話なのだが、エ・ランテルのような大きな都市に向かうには検問所があり、不審人物が通らないか調べているらしい。

 アインズは旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)でなんとか通れるかもしれないが、ハムスケは無理だ。絶対に通れない。

 冒険者のような最低限の身分証明書でもあれば別だっただろうが、今のアインズにはそういうものはない。

 ……それに、冒険者にもなりたいと思わない。『漆黒の剣』の話では派遣社員のようなもので、その実態は興味が引かれるような内容ではなかった。

 

 有名にはなりたい。けれど、管理はされたくない。種族が人間種ならばよかったのだが、アインズは異形種である。カルネ村が特別であっただけで、本来ならばアインズのような生き物は忌避されるものだろう。

 そういった騒ぎは御免だった。

 

 アインズはその場に胡坐をかいて座ると、アイテムボックスから遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)を取り出す。

 これは指定したポイントを距離に関係なく映し出すアイテムで、ユグドラシルでは微妙系アイテムの一つとして数えられていたものだ。

 カルネ村にいた時に何度か練習し、操作方法は熟知したので問題なく使える。

 

 アインズは教えてもらったエ・ランテルまでの大体の距離を指定し、その付近を鏡へと映す。そして周囲を探索し、大きな都市がある場所を発見した。

 

「ここか」

 

 そこから街の入り口近くを探して、外の道沿いに視界を映していく。夜のため通常の人間は見えないだろう距離をとって、そこに〈転移門(ゲート)〉を開く。

 

 手が急に消えただ、その鏡はなんだと騒いでいたハムスケを放って、アインズは立ち上がって「行くぞ」と一言声を掛けてから転移する。

 

「ま、待ってくださいでござるよ殿!」

 

 アインズの後ろにハムスケが続く。着いた先で、アインズはハムスケを振り返った。

 

「さて、ハムスケ。ここで待っていろ」

 

「ど、どうしてでござるか!?」

 

 待機を命じられたハムスケは、涙目になってアインズを見つめた。そんなハムスケに溜息をつきたい気分で、アインズは答える。

 

「お前のような巨体を街に連れ込めるはずがないだろう。俺が冒険者組合に冒険者として登録してあったなら、組合に魔獣としてお前を登録すれば街に連れ込めるようだが……俺は登録する気はない」

 

「た、確かにそれがしは目立つでござるが……」

 

 街に自分がいると大変な事になる、と言われ自分も納得しているのだろう。声に元気がない。

 本当は不可視化系の魔法で姿を隠せば連れていける気がするが、不可視化系の魔法は効率が悪い。もしかしたら街にはそういった魔法を見破る事が出来る人物がいるかもしれない。その場合は更に厄介な事になるだろう。

 とてもではないが、ハムスケは連れて歩けなかった。

 

「わかったでござる。それがしはここで、殿の事を待っているでござる……」

 

「大人しくしていろよ」

 

 わしわしとしょぼくれたハムスケの頭を撫でてやり、アインズは街に向かった。

 

 そしてエ・ランテルの街並みを見て、アインズは目を見開く。俯瞰で見た時も凄いとは思ったが、やはり肉眼で確かめるのとでは全く違う。

 さすがの城塞都市。軍事系統の設備がアインズの目から見てもきっちりと組まれているように見えた。

 今まで森や村ばかり見ていたアインズにとっては新鮮なものだ。ナザリックと比べればそれは見劣りするだろうが、夜だというのに陰鬱さが全く存在せず活気に満ちている都市はアインズには珍しいものとして映る。

 

「おっと、目的の場所はどこかな?」

 

 アインズは冒険者組合を探す。しかし、すぐに見つかるとは思えなかった。仕方なしに、その辺りを歩いている街の人間に声をかけてみる事にする。

 

「すみません、ご老人」

 

 ちょうど近くを歩いていた老婆に声をかける。老婆はこちらを振り返り、アインズの姿に驚いたようだがしっかりと答えてくれた。

 

「……どうしたんじゃ?」

 

「冒険者組合の前で人と待ち合わせをしているのですが、そちらはどこにあるのでしょうか?」

 

 アインズがそう言うと、老婆は納得した表情を作る。

 

「お前さん、エ・ランテルは初めてなのかえ? なら仕方ないの。どれ、案内してやろ」

 

「いえ、そこまでは……」

 

「いいんじゃよ。もう店は閉めておるしの。――こっちじゃよ」

 

「……ありがとうございます、ご老人」

 

 老婆に礼を言って、大人しく後ろをついていく。そうしてしばらく歩いて、吊り下げられた看板に、ペテル達から教えてもらった絵が描いてあるものを見つけた。そして、その出入り口の近くに屯している四人組も。

 

「あそこじゃよ」

 

 老人が指差すと同時に、四人組の一人――ルクルットがこちらを見た。

 

「お! アインズさん!」

 

 ルクルットの言葉に全員がアインズの方を見て、その姿を確認する。

 

「おお! アインズ氏、無事に着けたようであるな!」

 

「待ってましたよ」

 

「――って、もしかして、リイジー・バレアレさんじゃないですか!?」

 

 最後にペテルが、アインズを道案内してくれた老婆を見て、目を見開く。バレアレ、という言葉にアインズも驚き、老婆を見た。

 

「ンフィーレアさんの祖母の方だったんですか?」

 

「そうじゃが……なんじゃ? おぬしら、ンフィーレアと知り合いかい?」

 

 アインズ達は集まり、リイジーに自分達の説明をする。カルネ村に行って帰るまでの護衛を依頼された冒険者だという事、ンフィーレアにポーションを売った旅の者だという事。

 そしてこれから、バレアレ家に行ってンフィーレアからアインズがポーションの代金を受け取る予定なのだという事など。

 それを聞いたリイジーは驚き、アインズを見た。

 

「そりゃ、孫が失礼な事を……。代金より先に現物を受け取るなど……」

 

「いえ、かまいませんよ。ンフィーレアさんならそういう事はしないと、信頼していますから」

 

 アインズはリイジーの謝罪を止めさせ、朗らかに答える。特にアインズが気分を害してないという事が分かったのだろう。リイジーはほっとした様子だった。

 

「そんじゃ、一緒に行かんかね? おぬしらの冒険の話など興味あるしな」

 

「勿論かまいませんが――」

 

 アインズはチラリとペテル達を見る。ペテル達は気にしていないようで、「俺達もかまいませんよ」と告げた。

 

「なら、一緒に行きましょう」

 

 アインズはリイジーやペテル達からエ・ランテル内を案内されながら歩いた。

 

 

 

 

 

 

「ここじゃよ」

 

 店に到着したリイジーは扉の前までいき、鍵を取り出す。しかし、首を傾げた。リイジーが扉を押すと何の抵抗も無く扉は静かに開いていく。

 

「なんだい、あの子、無用心じゃないか。ンフィーレアやーい。アインズさんと、『漆黒の剣』の人達が来たよー」

 

 店の奥に向かってリイジーが声をかけるが、返事は無い。静まり返った空気が漂うだけで、人の気配は皆無だ。

 

「どうかしたのかねぇ」

 

「? 誰もいないみたいだぜ」

 

 気配を探るのが得意なルクルットが不思議そうに口を開く。全員で扉をくぐり、中を見回した。

 

「やっぱりいないねぇ」

 

「出かけているんでしょうか?」

 

「鍵をかけずに?」

 

 ニニャの問いにペテルが不可解そうに答えた。――異様な気配。あまりに静かすぎる静寂は、不気味な気配を漂わせている。

 

 『漆黒の剣』は互いを見回し、アインズを見た。

 

「アインズさん。ここでリイジーさんの護衛をお願いしてもいいですか?」

 

「勿論です。ですが……皆さんもお気をつけて」

 

 アインズの言葉に頷いた彼らは、ルクルットを前に、続いてダイン、ペテル、ニニャと続く。アインズが後ろにいるため、今回にかぎり背後や挟撃の可能性は気にしなくていい。

 

 ペテル達が緊張気味に周囲を探りながら奥に向かっていくのを見ながら、アインズはリイジーと入口近くで待機した。

 内心では、はっきり言って気が滅入っている。

 

(本当、災難続きだなぁ……)

 

 どう考えても奇妙な状況に、アインズは不穏な気配を感じ取って溜息をつきたい気分だった。

 この後の展開を予測し、アインズは周囲を見回し、目的の物がこの家に残っていないか探す。――そして、運が良い事に、アインズが探していた物は少なくとも目に見える範囲には無かった。

 

 しばらくして、ペテル達が慌てた様子で戻ってくる。

 

「薬草の保管場所みたいな部屋があったんだが、そこの裏口の通路が開いてた。んで、少しだけ争った形跡がある」

 

 真剣な顔で語るルクルットに、リイジーは顔を真っ青にした。

 

「で、ではンフィーレアは!?」

 

「たぶん、何者かに攫われたみたいですね……」

 

「そんな……!」

 

「落ち着くのである。とりあえず、冒険者組合に知らせるのが最初であるな」

 

 慌てるリイジーに、ダインが宥めた。確かに、ンフィーレアのような有名人を誘拐するなど、何か後ろ暗い事があると想定した方がいい。ンフィーレアのみを誘拐し、他に価値のあるだろう金銭やアイテムを持ち帰っていない事からもそれが窺える。

 そんな中、アインズは空気を読まず近くの椅子に座ると、彼らに手を差し出した。

 

「誰か、この街の地図を」

 

「え? あ、はい!」

 

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)であるニニャは、アインズが何かしようとしている事に気がついたのだろう。急いで懐から街の地図を取り出し、アインズに渡した。

 

 アインズはその地図を確認しながら、ニニャに別の椅子に座るよう促した。

 ニニャは不思議そうな顔をして座り、他の面々もアインズが魔法で何かする事を察したのか近くに寄る。

 

「一つ訊ねますが、俺が渡したポーションはこの家にありましたか?」

 

「いや、なかったぜ」

 

「ならば結構。それが犯人の命取りになる。――ニニャさん、今から幾つか魔法を使うから、よく見ておいて下さい」

 

「あの……どういう事ですか?」

 

 ペテル達の不思議そうな顔に、アインズは説明をする。

 

「今から俺が渡したポーションに〈物体発見(ロケート・オブジェクト)〉を使います。知っていますか?」

 

 ニニャに訊ねると、ニニャは首を振った。

 

「特定の物を探す魔法です。ンフィーレアさんは俺が渡したポーションを懐に丁寧にしまって持っていました。ならば、まだ持っているか、近くにある可能性が高いです。それで相手がどこにいるか分かります」

 

「なるほど……」

 

 頷くニニャに、アインズは少し声を低くして告げた。

 

「それから――こういった情報収集系の魔法を使用する時は、敵の対抗魔法に対する対策を十分に準備してから発動させるように。相手が〈発見探知(ディテクト・ロケート)〉という探知系魔法を発見する魔法を使用している可能性を考え、〈偽りの情報(フェイクカバー)〉や〈探知対策(カウンター・ディテクト)〉で自分を守るのは基本中の基本です。他には――」

 

 アインズはそうしてニニャに説明してやりながら、幾つも魔法を発動させていく。

 ニニャは何度か自分より位階が上のアインズに魔法を教えて欲しそうにしていたので、ついでとばかりにアインズはニニャに説明しながら、魔法を実践していった。

 

 そしておよそ十もの魔法を唱えた後、一度説明を区切る。本来ならば特殊技術(スキル)による強化や対策もすべきだが、この世界のレベルの魔法詠唱者(マジック・キャスター)ならば、ほとんど必要ではないだろう。どの道、アインズの指輪の一つは探知阻害のマジックアイテムだ。魔法をかけずとも元より探知は出来ない。

 

 ――魔法を発動させたアインズは、ポーションが今どの辺りにあるか特定し、地図の一点を指差した。

 

「――――ここですね」

 

 アインズが指差した場所を見て、ペテルが叫んだ。

 

「そこは墓地だ!」

 

「なんで墓地なんかに……」

 

 全員が不思議そうな顔をしているところ、外が騒がしくなった。全員で顔を見合わせ、その喧噪に釣られるように家を飛び出す。

 家の外に出ると、幾人かの衛士や冒険者らしき人間が慌てているところだった。

 

 その中に見知った人間を発見したのだろう。ペテルが声をかける。

 

「おい! どうしたんだ!?」

 

 ペテルに声をかけられた中年の男はペテル達を見て、近くに寄って声を潜めながら語った。

 

「墓地からアンデッドが山のように湧き出てるらしい。手が空いている冒険者は全員そっちへ向かえってよ。お前らも手伝え。アンデッドの軍勢だ」

 

「な――――」

 

 その状況に全員が絶句する。今、まさにこのエ・ランテルでとんでもない事が起きようとしていた。

 ペテル達は顔を見合わせ――続いて、アインズを見た。

 その様子にアインズは辟易しながら言葉を待つ。おそらく、この後事件の解決を頼まれるのかもしれないと思って。しかし――

 

「アインズさん、今までありがとうございました」

 

 彼らから出てきた言葉は、アインズの予想もしないものだった。

 

「ンフィーレアさんの居場所も探知してもらいましたし、私達は十分過ぎるほど色々な事を手伝ってもらいましたから……なので、ここでお別れということで」

 

「……いいんですか?」

 

 今は見えないが、ハムスケも連れているのだ。ならば、アインズに助けを求めるのが正解だろう。

 しかし彼らはそうしなかった。それを『恥』であると、そう確信していた。

 

「いやぁ……村でも結局何の役にも立ってなかったしな、護衛とか言われても正直アイツらいたし」

 

「塀を壊してしまったのに、手伝えませんでしたしね」

 

「ンフィーレア氏の護衛の依頼も、結局、出来ていないである」

 

 口々にそう言って、彼らはそう反省していた。

 

 ゴブリン達がいるのだから、自分達の村の護衛などほとんど必要なく。

 自分達が頼んで魔法を見せてもらい、結果塀を壊してしまったのに修理を手伝っていなくて。

 そしてンフィーレアの護衛という依頼も、最後で大失敗になってしまった。

 

 彼らのその言葉に、アインズは幾つも反論が浮かぶ。しかし、彼らは自分達をそう判断しているのだ。言葉でいくら言っても、彼らの中にはしこりが残るだろう。

 

 故に彼らは、アインズに礼を言ってここで別れる事にした。

 

「アインズさんはここで、リイジーさんと待っていて下さい。リイジーさん、ンフィーレアさんは必ず助けてきますので」

 

「んじゃ、いくか!」

 

 ペテル達は去っていく。墓地に向かって、自らの役目を果たしに。

 その姿を――アインズは眩しいものを見るように、その背中を見つめた。彼らの姿が見えなくなるまで。

 

「…………ああ、本当に」

 

 人間とは、なんて眩しい生き物なんだろう。

 脳裏に、王国戦士長の姿がよぎった。

 

 そして取り残された二人。アインズはちらりと、不安そうな表情を浮かべるリイジーを見る。

 アインズの視線に気づいたのか、リイジーもアインズを見た。

 

「リイジー・バレアレ」

 

「……なんじゃ?」

 

「俺を雇わないか?」

 

「え?」

 

 アインズはアイテムボックスから、ポーションを取り出す。ンフィーレアにも渡したポーションだ。

 リイジーはアインズが取り出した赤い色のポーションを見て、息を呑んだ。目の色が変わったと言っていい。

 

「俺はこれをンフィーレアに渡していてな。このポーションの代金と、『漆黒の剣』への依頼の代金。そして――これから、ンフィーレアの救出依頼の代金を前払いしてくれるなら、助けに行ってやってもいい」

 

 目の前に差し出されたポーションを、リイジーは震える手で手に取った。そして、魔法を使ってポーションを調べる。

 

「――――こ、これは」

 

 今度こそ息が止まった。

 

「ば、馬鹿な……神の血液? ほ、本当に……?」

 

 リイジーは驚愕に目を見開きながらポーションを見つめる。その姿を見ながら、アインズは最後通牒とばかりに促した。

 

「それで――どうする? リイジー・バレアレ」

 

「…………!」

 

 リイジーはアインズの顔をじっと見つめ、そして急いで踵を返し家に駆けこんだ。

 少しして、何かがたくさん詰まった皮袋を一つ用意してくる。

 

「金貨が一五〇枚入っておる」

 

 誰が聞いても大金だった。しかし、それをリイジーはアインズに差し出す。

 

「ポーションの代金と、それから孫を助けてもらった場合の報酬じゃ。受け取ってほしい」

 

「では、交渉成立だな――任せろ、ンフィーレアを助けてきてやる」

 

 アインズはずっしりとしたその皮袋を受け取り、リイジーに背中を向けた。その背中に、リイジーから声がかかる。

 

「まるでおぬしは悪魔じゃな」

 

 それは罵倒のようであったが――しかし、声にこもった感情は、まったく別の物を表していた。

 

「悪魔は人を堕落させるという。もうちっとばかり、自分に色を付けた方がええぞ。そうやって軽く自分を売るから、あの者達はお前さんに頼まんのじゃよ」

 

「――忠告、感謝する」

 

 安い話にも、美味しい話にも裏がある。当たり前の事だ。この当たり前を崩された時――人間は、人間不信になるのだろう。アインズにもよく分かる。

 自分を安く売っていたつもりはなかったが――どうやら、もう少しばかり我が儘になった方がよかったらしい。

 

 アインズは少しばかり自分の今までの行動を反省しながら、墓地に向かって歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 ――リイジーから見えなくなった辺りで、魔法を発動させて転移する。目的地は当然、墓地だ。

 アインズは墓地の上空に魔法を使って浮かぶと、地上を見る。

 地上では冒険者達や衛士達が必死になって、街に向かおうとするアンデッドを抑えていた。アンデッドの中にはゾンビやレイスがいるが、これなら、まだ大丈夫だろう。

 

 アインズはそのまま、空を飛んで墓地の奥を目指す。霊廟の付近まで近づくと、地面に降りた。

 そして足を進める。墓地の最奥に存在する霊廟の前で、幾人もの怪しげな者達が円陣を組んで何かをしていた。

 全身を黒色のローブで覆い、スタッフを持った男達。唯一中央に立っている男のみが顔を晒しており、時に高く、時に低くうねるような呟き声が聞こえてくる。

 

「…………」

 

 アインズは無造作に近づく。まったく身を隠さずに地上に降り立ったのだから、当然相手はこちらに気づいていた。

 

「カジット様……」

 

「〈飛行(フライ)〉か……。それなら、確かにあのアンデッドの群れを突破出来るだろう。おぬしだけか? 他には?」

 

 リーダーらしき男……カジットの言葉に、アインズは少し白ける。伏兵を警戒しているのだろうが、それでも普通正面から正直に訊ねるだろうか?

 

「俺だけだとも。さて……通告するが、ンフィーレア少年を渡す気は? そうすれば死なずにすむぞ?」

 

 アインズがそう言えば、カジットは鼻で嗤った。それが答えであると了解し、アインズは彼らをどうするか内心で決定する。

 

 〈敵感知(センス・エネミー)

 

 アインズは無詠唱化させた魔法を使用する。敵対意志を持ったモノを感知する魔法だ。それにカジット達以外に霊廟の奥から反応があった。

 

「伏兵がいるな。霊廟にいるだろう、出てこい」

 

 アインズの言葉に、不気味な女の笑い声が響いた。

 

「ふふーん。何か探知魔法でも使ってたのー? やるねー」

 

 女が出てくる。何処か歪な笑顔を浮かべている女だ。歩く度にチャラチャラと金属の擦れる音が聞こえる。

 その金属音と浮かべた笑み。そして不気味な気配が何か不吉な気配を感じさせていた。あのマントの下には、見るもおぞましいものが隠されていると。

 

「おぬし……」

 

「だってバレバレじゃーん。隠れてもしょうがないしー。大体さぁー、〈生命隠し(コンソール・ライフ)〉が使えないから隠れてただけだしねー」

 

 女は険を含んだカジットの言葉に苦笑いを浮かべる。そして、ンフィーレアを人質にとる事もなく、アインズに女が問いかけてきた。

 

「はじめましてー。私はクレマンティーヌ。よろしくね」

 

「アインズ・ウール・ゴウンという。知っているかな?」

 

「……知らんな」

 

「私も知んなーい。一応、この都市の中の高位冒険者とかの情報は集めたけど、その中にはそんな名前の奴はいなかったなー。んで勿論、あっちでも知んなーい」

 

 あっち、というのがどういう言葉を指すのか気になるが、アインズには関係が無い。

 彼らは、『アインズ・ウール・ゴウン』の名前を知らなかった。

 アインズにとって重要なのはそれで、もはや彼らに用は無いと言っていい。

 

「っていうかさー、どうやってここが分かったのー? 珍しくスマートに済んじゃったから、証拠なんて残してないのにさー」

 

 クレマンティーヌの言葉に、アインズは静かにネタ晴らしを告げた。

 

「覚えておくがいい。魔法には特定アイテムを探知する魔法がある。特定人物が特殊なアイテムを持っておけば、それだけで居場所など分かるだろうさ」

 

「へー……」

 

 その言葉に、少しだけクレマンティーヌがアインズに対して警戒心を抱く。

 

 自分が知らない魔法を知っている。それだけで、警戒レベルは跳ね上がる事をクレマンティーヌは経験から知っていた。

 

「もしかしてあの変な色のポーション? カジッちゃんが調べたけど、凄いポーションだねー。私も驚いちゃったー」

 

「ああ、私の持ち物だ」

 

 それで、完全にクレマンティーヌの警戒心に火が点いた。チリ、と空気が明らかに変わり、クレマンティーヌの姿勢が戦闘態勢に変わる。

 

「ふ、ふふ……でもまぁ……」

 

 獣のように身を屈めたクレマンティーヌが、不気味な、引き攣ったような笑い声を上げながら叫ぶ。

 

魔法詠唱者(マジック・キャスター)ごとき、スッといってドス! だけどねー!!」

 

 クレマンティーヌが突進してきたのに合わせ、アインズも盾役のアンデッドを召喚する。当然、召喚するのは死の騎士(デス・ナイト)だ。クレマンティーヌの突撃をタワーシールドで弾き、続け様に手に持つフランベルジェで斬りかかろうとする。

 しかし、その一撃は空を斬った。クレマンティーヌは一瞬で身を翻し、死の騎士(デス・ナイト)の攻撃範囲から逃れている。手にはいつの間にかスティレットが持たれていた。

 

 だが、アインズはその攻防の内に呆けている、無防備なローブの男達に狙いを定める。

 

「〈集団標的(マス・ターゲティング)龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉」

 

 龍のごとくのたうつ白い雷撃がアインズの突きつけた指先から放たれる。それは分裂し、落雷染みた放電を発しながらカジット達に襲いかかった。

 白い雷撃はカジット達を焼き尽くし、数瞬の内に炭と化させる。雷撃が消えた頃にはカジットの部下達は全て大地に転がっていた。

 ……しかし、カジットのみはまだ立っている。だがその身には幾つもの火傷の痕があり、そしてアインズを見て驚愕に目を見開いて呻き声に似た声を上げた。

 

「第五位階魔法だと……!」

 

「〈電気属性防御(プロテクションエナジー・エレクトリシティ)〉でダメージをある程度防いだか……無駄な足掻きを」

 

 対するアインズは余裕を崩さない。死の騎士(デス・ナイト)はアインズを守るように、クレマンティーヌをしっかりと見つめ、警戒態勢を取っている。

 

 それにクレマンティーヌは舌打ちした。クレマンティーヌの武器はスティレットだが、これは刺突武器だ。アンデッド系のモンスターに対しては効果が薄い。

 一応、打撃武器であるモーニングスターを持っているが、クレマンティーヌはあまり得意ではないのだ。

 ならば使役している術者を狙うべきだが……当然、それはこの護衛がさせてくれない。

 

 何よりも、勘がピリピリと告げている。このアンデッドの騎士は、クレマンティーヌであっても、全力で挑まなければならない怪物だと。

 

「ふ、ふふ、ふふふふふ――この国で私とまともに戦えるのは風花の連中が集めた情報によると五人」

 

 王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。

 『蒼の薔薇』のガガーラン。

 『朱の雫』のルイセンベルグ・アルベリオン。

 戦士長と互角の剣士ブレイン・アングラウス。

 そして冒険者を引退したヴェスチャー・クロフ・ディ・ローファン。

 

「全員戦士ばっか。そりゃ、魔法詠唱者(マジック・キャスター)が召喚するシモベなんか対象外だよねぇふつーはさー」

 

 クレマンティーヌは気持ちが悪いほどつり上がった笑みを浮かべ、アインズを見つめた。

 

「第五位階魔法に、私並みの前衛のシモベを召喚する? なにそれ? 十三英雄じゃあるまいし――あぁ、いらつく。でも素敵。てめーをぶっ殺して、私が英雄級だってことを、アイツより出来るんだってことを証明してやるぅ!!」

 

 激昂したようなクレマンティーヌに、アインズは嫌になるほど冷静に答えた。

 

「あっそう。まあ、頑張れ」

 

「ぅるああああぁぁあああああああッ!!」

 

 クレマンティーヌがマントを剥ぎ、その下から女の狂気の正体が垣間見える。

 そこにあったのは異なる色の鱗があるような輝きを持つ鎧――しかし、決してまともではない。その鱗の正体はアインズの教えてもらった知識の通りなら、冒険者のプレートだ。下は銅から、上はオリハルコンまで。無数の冒険者のプレートが輝きを放っている。

 

 それはまさに、狩猟戦利品(ハンティング・トロフィー)。クレマンティーヌが狂っている事を示す、この上ない証拠だった。

 

 何がクレマンティーヌの精神を揺らしたのかは知らないが、獣のような叫び声を上げたクレマンティーヌは異様な前屈姿勢をとり、獣が獲物に飛びかかるように瞬時に突っ込んでくる。

 だが、当然アインズに傷をつける事は出来ない。死の騎士(デス・ナイト)が防ぎ、そのままクレマンティーヌと死の騎士(デス・ナイト)は戦闘に移った。

 それを確認し、アインズは再びカジットへと視線を戻す。カジットはアインズがクレマンティーヌに気をやっていた内に手に持った黒い珠を掲げ、自らの弟子達をゾンビへと変えていた。

 

「〈不死者創造(クリエイトアンデッド)〉? しかし複数体を一度にアンデッド化させる力は無いはずだが……その珠の力か?」

 

 襲いかかるゾンビを今度は〈火球(ファイヤーボール)〉で焼き払う。一瞬でゾンビ達は炎に呑みこまれ、更なる消し炭と化す。だが、カジットは歓喜に震えるように叫んだ。

 

「十分な負のエネルギーの吸収だ! これで十分……ゆけぃ!」

 

 カジットの手の中で黒い珠が墓場の闇を吸い込み、ほのかな光を発している。心臓の鼓動のように緩やかに。

 そしてアインズの上を大きな影が覆う。当然、上空を飛んでいたそれに最初から気づいていたアインズは、大きく飛びのいて上空からの強襲を避けた。

 

 先程までアインズがいた場所を巨大な影が掠め、カジットの前に降り立つ。

 三メートルはある人骨の集合体。四足で翼を持つ骨のプラモデル。骨の竜(スケリトル・ドラゴン)――と呼ばれるアンデッドである。

 

「魔法に絶対の耐性を持つ骨の竜(スケリトル・ドラゴン)よ! 魔法詠唱者(マジック・キャスター)にとっては手も足も出まい!」

 

 カジットはそこで、更に手に持つ珠に力を込めて天に翳した。

 

「そして見よ、この死の宝珠の力を!」

 

 アインズの立つ大地がぐらいと揺れる。次の瞬間、大地が割れて二体目の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)が姿を現した。

 

「二体同時だ! いかに英雄級であろうと、魔法詠唱者(マジック・キャスター)である以上骨の竜(スケリトル・ドラゴン)には勝てまい!」

 

 カジットは最大限の力をもってアインズを殺さねばならぬと悟った。なにせ、第五位階の魔法を使い、クレマンティーヌと同レベルの前衛のシモベを呼び出す魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。

 そんなものは、カジットの知識では十三英雄クラスの実力者しかいない。ならば出し惜しみはせぬと、そうしなければならぬと悟ったのだ。魔法詠唱者(マジック・キャスター)の天敵である骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の二体目を呼び出したのは保険である。

 

「さあ、ゆけ!」

 

 奇怪な叫び声を上げて骨の竜(スケリトル・ドラゴン)がアインズに迫る。それをアインズは、何の気負いもせずに、カジットが目を剥くような仕草で防御した。

 

 ガントレットを嵌めた左腕で、迫り繰る巨大な爪の攻撃を掴んで押さえたのである。

 

 巨体の体重がアインズにかかるため、アインズの立つ地面がへこむ。しかし、アインズはまったく気合いを入れた様子もなくその巨体を支えている。

 

 決してありえない光景に、カジットは次の指示も出せず呆然とした。目の前の光景がまったく信じられない。

 どうして、肉体能力に乏しいはずの魔法詠唱者(マジック・キャスター)が、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)のあの巨体を腕一本で支えられるというのか――!

 

「……どれ。魔法詠唱者(マジック・キャスター)の先達として、一つ教授してやろう。当然、受講料はお前の命だ」

 

 アインズはそう言うと、まるで出来の悪い生徒に物を教える教師のように、悪夢のように優しくカジットに囁いた。

 

骨の竜(スケリトル・ドラゴン)には確かに魔法に対する耐性がある。だがな、それは第六位階までの魔法に限定される。――――つまり」

 

「俺の魔法は、防げない」

 

 アインズはそう言うと、空いている右手を骨の竜(スケリトル・ドラゴン)に差し向け、告げた。

 

「〈獄炎(ヘルフレイム)〉」

 

 ポツンと微かに揺らめく、吹けば消えるような黒い炎が骨の竜(スケリトル・ドラゴン)に付着した。

 瞬間――骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の全身を黒い炎が一瞬で覆い尽くす。叩きつけられる熱気は離れていたカジットも目を開けていられないほどの勢いだった。

 天すら焼き尽くす勢いで燃え上がった黒炎は、容易く骨の竜(スケリトル・ドラゴン)を溶けるように掻き消す。

 その骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の後を追うように、黒炎もまたこの世から消失した。

 

 後には何も残らない。全てがまるで夢であったかのように。

 

 ――ああ、本当に夢なら、どれだけ幸せな事だろう。

 

「ぁ……は、あ……」

 

 カジットは目の前で行われた意味不明の現実に、喘ぐ様に息を漏らした。

 ありえない。おかしい。誰がどう見ても、こんな現実があるはずがない。

 だというのに――そのありえないモノが、ありえない死を運んでくる。

 

「――と、こういうわけだ。来世からはよく考えて行動する事だな」

 

 アインズが告げる静かな言葉に、カジットは狂ったように叫んだ。

 

「何故だ!? 何故、ようやく願いが叶おうという瞬間になって、おぬしのような者が邪魔をするのだ!?」

 

 理不尽だった。この街で五年間準備した。三十年以上経とうと忘れられぬ想いがあった。

 望みは唯一つだけだったはずだ。

 何でもない普通の村で、当たり前の誰かとして生を受けた。村での仕事に精を出す父親と、そんな父を支える穏やかな母親。普通の両親を持って、普通の人生を歩むはずだった。

 カジットはあの日の夕焼けを今でも覚えている。もう思い出せないほど些細な理由で帰りが遅くなり――母の「早く帰れ」という言葉を違えてしまった日。急いで駆けた夕焼けの世界を。

 

 帰ったら、母が死んでいた。

 

 死因は「脳に血塊が出来ていたこと」。

 誰のせいでもない。誰も悪くなかった。もし仮に罪がある人間がいるとすればそれは一人だけ――――

 

 あの日、つまらない理由で家に帰るのが遅くなったカジット。母の言いつけ通りもっと早く帰っていれば、母は助かったのではないだろうか。

 カジットの母国であるスレイン法国には信仰系の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が数多く存在する。カジットの村にも何人かいたのだ。早く家に帰っていれば、母は死んでいなかったのかもしれない。

 

 母の苦痛に歪んだ死に顔が、今でもカジットのトラウマになっている。

 

 そう、誓ったのだ。――母を蘇らせようと。

 あの日、自分の犯した過ちを正そうと。掛け違えてしまった何かを、元の位置に戻すのだ。

 

 山のような困難があった。魔法の知識を得れば得るほどに、大きな問題が浮かび上がった。

 第五位階には死者の蘇生魔法が存在する。しかし、生命力が足りない死者は復活出来ずに灰になる。単なる村人であった母にはその魔法での復活は不可能だった。

 そして存在しないのならば、自分の力で開発するしかない。

 だが時間が無い。人間の一生は短すぎる。たかだか一〇〇年程度の寿命では、そんな奇蹟のような魔法は作れない。

 

 だからアンデッドになろうと――そう思ったのに。ようやく、ようやく悲願への第一歩を歩み始めたというのに……!!

 

「わしの人生の全てが、どうしてこんな僅かな時間で無駄になる!? 突然現れたおぬしなんぞに、それを無に帰す資格があるというのか!?」

 

 絶叫するカジットに、しかしアインズはひどく――ひどく平坦な声で、どうしようもない結論を告げた。

 

「気にするな。どんな人生を歩もうと、やがて死ぬ」

 

 アインズは仮面を取る。その仮面の下にある顔に、カジットは引き攣ったような声が漏れた。

 

「人生とは――ままならないものなのだ」

 

 死の神。目の前にいるのはそれだと、どうしようもないのだとカジットは悟った。

 あの夕焼けの日、母を連れていった死の神が、今度はカジットを連れていこうとしている。

 

 ――――〈(デス)

 

 アインズがカジットを指差し、魔法を唱える。何かを思い出す暇も無かった。カジットの体がパタリと倒れる。

 カジットはそうして――――眠るように息を引き取った。

 

 続いてアインズはカジットの近くに待機していたもう一体の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)に指を向ける。

 

「〈暗黒孔(ブラックホール)〉」

 

 アインズの唱えた魔法で出来た闇色の孔の中に、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は吸い込まれるように消滅した。

 そして周囲には静寂が戻る。

 

「さて――残るはお前だけか、クレマンティーヌ」

 

「…………」

 

 死の騎士(デス・ナイト)と死闘を演じていたクレマンティーヌが、顔色を真っ青にしてアインズを見ている。

 

 先程の攻防を、クレマンティーヌもまた見ていた。

 ふざけるな。冗談じゃない。クレマンティーヌの心の中を占める大部分はそんな思いだ。

 第七位階以上の魔法――そんな神話の領域の魔法を行使する化け物に、勝てるわけがないと理性が冷静に叫んでいた。

 

 致命的なまでに間違えた。

 この目の前の化け物とは――絶対に敵対してはいけなかったのだと。

 

 それでも最後の望みをかけて――泣き笑いのような表情を作って、クレマンティーヌはアインズに訊ねる。

 

「ねぇ……何でもするから見逃してくれない?」

 

 それに対する返答は、当たり前の答えだった。

 

「駄目だ。見られたからには、生かしておけない」

 

 とりわけ仲良くなったわけではない。ここにいるのは罪を犯した人間と、人間のふりをした化け物である。ならば結論として――生かしておく理由が無い。

 

 アインズにとって人間――赤の他人とは、単なる虫の群れである。

 

「…………」

 

 髑髏の奥の闇から、赤い火が灯っている。それはまさに、死を告げる燈火であり――――

 

 全てを諦めたクレマンティーヌの視界の端で、恐ろしいアンデッドの騎士がクレマンティーヌの首を斬り落とさんと剣を振り上げていた。

 

 

 

 

 

 

 ハムスケがぼうっと朝陽を眺める中、街に行っていたはずのアインズが帰ってきた。

 

「殿、御帰りでござるか?」

 

「ああ」

 

 アインズはハムスケにそう返事をすると、ハムスケに向かって手に収めていた物を投げた。

 

「ハムスケ、やる」

 

 ぽいっと投げられた球体を、ハムスケは慌ててキャッチする。

 

「これは一体なんでござるか?」

 

「魔法のアイテムだ。使えるか?」

 

「使えそうでござるが……な、なんだか五月蠅いでござるよ、殿! 殿のもとに返して欲しいと五月蠅いでござる!!」

 

「死の宝珠というらしいぞ。俺が持っていても意味ないんだ。やる」

 

 ハムスケはアインズから受け取った宝珠を頬袋の中に収める。それを確認し、アインズは懐から今朝街を出る前に買った地図を取り出して開いた。

 

「さて、行くぞハムスケ」

 

「は、はいでござる!」

 

 アインズがそう言うと、ハムスケは元気よく返事をしてアインズに懐く。そんな愛くるしい巨大な愛玩動物に内心苦笑いし、アインズは気の向くままに歩き出した。

 

 それじゃあ、まずは何処に行ってみよう――アインズは未知の世界に胸を高鳴らし、これからの旅路を暗示するように真っ青な青空を見て、目を細めた。

 

 

 

 

 




 
ンフィーレア君は無事、原作と同じように救出されました。そしてブリタちゃんの出番は無い。
 


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舞台裏の小さな劇場

 
今回は全てモモンガ以外の視点。
 


 

 

 城塞都市エ・ランテルにある令嬢の執事としてやって来ていた老人は、囁くように話をしていた冒険者達の言葉にふと気になるものがあって、市場の相場調査をしながらその会話に耳を傾けた。

 

 ――なあ、えーっと、いつだったか例のあの事件……

 

 ――墓地からアンデッドの軍勢がやって来たやつか?

 

 ――ああ、それ。結局あれってなんだったんだ?

 

 ――なんでもズーラーノーンが起こした事件だったみたいだぞ。

 

 ――マジかよ。よくこの街無事だったな。首謀者はどうなったんだ?

 

 ――通りすがりの魔法詠唱者(マジック・キャスター)が解決したらしい。

 

 ――はあ?

 

 ――マジかよ?

 

 ――お前らもそう思うか? まあ、魔法詠唱者(マジック・キャスター)が解決したのは事実らしいぞ。アンデッドの軍勢は〈飛行(フライ)〉で無視して、直接首謀者を叩いたみたいだな。

 

 ――へえ……。で、その魔法詠唱者(マジック・キャスター)はどこ行ったんだ?

 

 ――人質を救出したら、さっさと旅に出ちまったんだと。魔術師組合長がすんげぇ悔しがってたぜ。「うちに登録してくれればいいのに」だってよ。

 

 ――はは。

 

「…………」

 

 『ズーラーノーン』。老人はその単語を頭の中に刻む。おそらく大事な単語だ。あの場にいた冒険者の誰もが、その単語に疑問を覚えなかった以上彼らにとっては常識なのだろう。

 しかし何よりも――通りすがりの魔法詠唱者(マジック・キャスター)に敬意を抱く。

 老人――セバスは、自らの創造主であるたっち・みーの「弱き者を救わなくして、強き者を名乗れるはずがない」という考えを好み、共感を持っている。弱き者を助けようとする人間。こういう人間がいるからこそ、セバスは人間という種族を嫌いになれない。

 

「…………」

 

 ――そして、心の中に暗雲が立ち込める。今のナザリック地下大墳墓の現状を思い出したからだ。

 ついに、あの慈悲深き主君、モモンガまでもがナザリックからいなくなってしまった。

 アルベドは今もモモンガの旗にくるまり、玉座の間に閉じこもっている。現在は守護者統括代理としてデミウルゴスが動き、なんとかナザリックの機能を維持している状態だ。

 現状は……あまり芳しくないようにセバスは思う。そも、至高の四十一人が決めた役職、上下関係という設定があるにせよNPCは本来対等だ。それを捻じ曲げて、デミウルゴスが維持している。

 セバスはそれについて不満はあっても、逆らう気は今のところない。アルベドがあのような状態な以上、アルベドと同等の頭脳を持つデミウルゴスをリーダーにするのが最適なのは、セバスにだって分かるからだ。

 

「…………」

 

 だが、それでも不満が消えない。おそらく、NPCは誰もがそう思っているはずだし、デミウルゴス自身も自分がリーダーであるのは不満なように思う。

 違和感が消えないのだ。不快感を覚えて仕方ない。心の中で不安が燻っている。

 自分達にとって一番大切な、大事な部分にぽっかり穴があいてしまっているのだ。

 

「…………」

 

 何か恐ろしい事を考えそうになって、頭を振る。

 

 きっと、いつか至高の御方々は還ってくる。

 

 そもそも、今いるこの地はユグドラシルか、と言われれば疑問が残る。言葉は通じるが、口の動きを見るに自分達と同じ言語体系ではなさそうだ。文字だって、実際は違っていた。

 それを考えると、デミウルゴスが出した『異世界』だという結論は間違っていないのだろう。

 

 だからセバスは――いや、NPC達は誰もが思っている。元の世界に還れば――至高の御方々が、少なくともモモンガがいるはずだと。

 

 急いで還らなくては。でなければ、ナザリックが存在しない姿を見たあの慈悲深き支配者はどれほど悲しまれるだろうか。

 それどころか、仮に他の御方々が還ってきても、そこには何も無いという事になる。

 

 ――――ただ、デミウルゴスはもう一つ可能性を掲示していた。それは、この世界が至高の御方々がお隠れになった場所、『りある』なのではないのか、という事だ。

 

 『せいゆう』『まんがか』『こうむいん』などなど……。ユグドラシルには存在しない職業の事を語っていた事が四十一人にはある。

 もしかしたらこの『異世界』こそ――かつて創造主達が語っていた『りある』という世界なのかも知れない。

 何故なら、誰も『りある』の詳細を知らないのだ。この世界がそうではないなど、誰が言える。

 

 だからこそ――この世界に、『ナザリック地下大墳墓』という栄光ある名を広めなければ。

 

 私達はここにいます。

 私達はこんなにも役に立ちます。

 だから、どうか――この地に、御帰還下さい。

 

 そのために、まずはこの大陸を支配する。

 デミウルゴスはそう言い、とりあえずは情報収集する事を第一とした。

 セバスがこのエ・ランテルという人間の城塞都市にいるのもその一環だ。セバスはソリュシャンと共に人間のふりをして、王国の情報を集めていた。

 ソリュシャンは成金商人の令嬢役として、セバスはその執事役として人間社会に溶け込んでいる。エ・ランテルである程度情報を集めたら、そのまま王都の方まで向かうつもりだが……。

 

「…………」

 

 セバスは先程の冒険者達の言葉を思い出す。『ズーラーノーン』。おそらく、何らかの犯罪組織と思われる。

 間違いなく、デミウルゴスに報告して指示を待った方がいいだろう。場合によってはこのままエ・ランテルに潜伏し、その『ズーラーノーン』なる組織を隅々まで調査する必要があるかもしれない。

 

 セバスはそう結論し――今の仕事である市場の相場を調べる作業へ戻った。

 

 

 

 

 

 

 その村を発見した時、彼らは思わず困惑した。

 彼らの知識では、この村は単なる開拓地である。それもつい最近――これは極秘だが――六色聖典の内の一つ、陽光聖典の任務に『やむを得ない犠牲』として挙げられていた村の一つだったはずだ。

 それがどうだろう。

 

 塀がある。それも、とても村人の力では一年や二年では作る事の出来ないほどの、立派な塀だ。

 

「どういうことでしょうか? 隊長」

 

 そんな事を言われても困る。自分だって分からない。ただ、何かがあった事は確実だろう。

 

 ――少し前、スレイン法国ではある大事件が起こった。

 陽光聖典の動向を探ろうとした土の巫女姫と、その神殿が謎の大爆発に巻き込まれたのである。

 結果として、土の巫女姫は死亡するという重大な事件だ。

 その少し前“占星千里”が破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)の復活を予言していた。そのため、自分達――――漆黒聖典は復活した破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)を支配下に置くために出撃していたのだが、〈伝言(メッセージ)〉によりもたらされた情報により急遽寄り道を余儀なくされたのだ。

 

 そうして国境を越え、陽光聖典達の最期の任務となってしまった地へと向かったのだが……その果てに見つけたのが、この村だ。

 

「この村の名は?」

 

「確か、カルネ村だったかと。近くに森の賢王の縄張りが広がってるんで、モンスターに襲われたことのない暢気な村のはずなんですがね」

 

 隊員の一人に訊ね、答えを聞き考える。

 モンスターに襲われた事の無い暢気な村。……つまり、このような立派な塀があるのはおかしいという事だ。

 とりあえず、無視するという選択肢は存在しない。明らかな異常だからだ。となれば村の人間に何があったか訊ねるべきなのだが……。

 

「透明化の魔法で中を調べますか?」

 

「頼む」

 

 隊員の一人がそう言って、魔法を使い姿を消す。そしてしばらく待つと、珍妙な表情で戻ってきた。

 

「どうだった?」

 

「それが――――」

 

 戻ってきた隊員の報告を聞いて、ますます意味が分からなくなる。

 

 この村の中では、ゴブリン達が村人と一緒に生活していたらしい。ゴブリンが無理矢理命令を聞かされている様子もなく、逆に村人がゴブリンに無理矢理命令されているのでもない。お互いがお互いに、助け合って生きていたのだという。

 

 外から見ただけでは駄目だ。これは、確実に中に入って村人から詳しい話を聞かなくてはならない重要事項である。

 

「何人かついて来い。村人に話を聞く」

 

 そう言うと、全員納得し何人か選別する。

 そうして護衛対象とその護衛を数人残す。場合によっては、この村でスレイン法国としての仕事をしなくてはならない。警戒しながら村へと近づいた。

 

 当然、村に近づくとゴブリン達がこちらに気づき、警戒して動き始める。身を隠していないため、すぐに気づいたのだ。だが、ゴブリン達はゴブリンとは思えないほど賢かったようで、自分達を見ると慌てているようだった。見張りに立っていたゴブリンの内の一匹が村へと駆け込み、姿を消す。

 

 その様子を見ながら、万が一を考えて警戒するが、ゴブリン達そのものは警戒に値しない。例えこのゴブリン達が束になってかかっても、自分達漆黒聖典の隊員の誰も殺せないだろう。

 

「ちょいと聞きますがね、お兄さん方。この村に何か用かい?」

 

 代表であろうゴブリンが訊ねるのに従い、口を開いた。

 

「少し村人達に話を聞きたい。村長はいるか?」

 

「あー……ちょっとばかし待って下さい」

 

 自分の言葉を聞いて、ゴブリン達が目配せをしているのを気づかれないように観察する。

 

 間違いない。このゴブリン達は、何者かに召喚されたゴブリンである。人間の味方をしている辺りからおそらくそうだろうと想像していたが、先程の統率の取れた動きで確信した。

 そして、その召喚主は村長ではないだろう。ゴブリン達は必死で隠しているようだが、自分から見ればバレバレだ。村長への呼び出しに、ほっとしたような感情が過ぎったのを見逃さなかった。

 

 このゴブリン達は賢い。明確な強さは分かっていないだろうが、一目で自分達では勝てない相手だとこちらを認識している気がする。

 ――――まるで、過去そういう相手に出会った事があるかのように。

 

「……こ、これは何事でしょうか?」

 

 しばらく待つと、村長らしき年を取った老人がやって来た。その老人の顔を見て、口を開く。

 

「私達は国の者だが……村長、以前まではこのような塀は無かったはずだ。それに、このゴブリン達は何事だ?」

 

 嘘は言っていない。ただ、スレイン法国の者だと言わなかっただけである。当然、ゴブリン達は訝しんだが善良な村人である村長は特に気づいていないようだった。

 

「は、はい。つい最近、帝国の騎士達が村にやって来たのですが……」

 

 村長の話を聞き、事の真相が分かってくる。

 

 村長の話では帝国の騎士らしき者達がやって来て、近くの村々を灼いて回っていたらしい。この村もその内の一つに入るところだったが、通りすがりの魔法詠唱者(マジック・キャスター)がやって来て、帝国の騎士達を撃退。

 その後王国戦士長のガゼフ・ストロノーフ達が来訪し――それを追った何者かの組織がこの村を強襲。

 そしてその謎の組織を、その通りすがりの魔法詠唱者(マジック・キャスター)が再び撃退したのだと言う。

 この塀はその魔法詠唱者(マジック・キャスター)の協力で作成し、ゴブリン達は魔法詠唱者(マジック・キャスター)から貰ったマジックアイテムから召喚された者達なのだとか。

 

「…………その魔法詠唱者(マジック・キャスター)は? 話を聞きたいのだが」

 

「えっとですね……旅に戻られるとかで、エ・ランテルの方に向かわれました」

 

「なるほど。協力感謝する」

 

 おそらくこれ以上聞ける話は無いだろうと認識し、村長に礼を言って隊員を連れて村から離れる。村長やゴブリン達は自分達の姿が見えなくなるまで、村の入り口で自分達を見送っていた。

 

 残っていた隊員達と合流し、情報を共有する。

 

「隊長、それって……」

 

 隊員の言葉に頷いた。

 

「ああ、おそらく、陽光聖典を殺したのはその魔法詠唱者(マジック・キャスター)だな」

 

 当然、そうなると土の巫女姫の謎の爆発事件も犯人はその魔法詠唱者(マジック・キャスター)となる。

 

破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)の復活じゃなかったんですか? あの“占星千里”の予言は、もしかしてこの事なんでしょうか?」

 

「そうかもしれない。しかし…………」

 

 その魔法詠唱者(マジック・キャスター)のチグハグさに違和感を覚える。

 

 まず陽光聖典の任務。そのために出る必要な犠牲。これは善良な者ならば不快感を示すだろう事が分かる。そのような者達に遭遇し、それをどうにかする力があったならば助けようとするのも不思議ではない。

 だが、分からないのは土の巫女姫の方だ。彼女は陽光聖典の動向を探ろうとしただけである。それが何故、爆発され死ぬという結果になるのか。情報収集を阻止しようとしたとしても、いくらなんでもやり過ぎだろう。

 これが悪人ならば分かるのだ。相手を殺すという過剰防衛を行っても不思議ではない。

 だが、それだと何故陽光聖典から村を助けたのか。善良な者がそこまで過剰な防衛をするように思えない。

 相反する属性。チグハグな印象。まるで分からない事だらけだが、それでも分かった事がある。

 

 おそらく、この魔法詠唱者(マジック・キャスター)はあの大罪人達――八欲王や、十三英雄達と同じ類の者なのではないだろうか。ゴブリンを召喚し、それを永続的に維持する破格のマジックアイテムを持っている事からも、可能性が高い。

 そして少なくとも、陽光聖典の隊長ニグンが持っていた切り札……最高位天使を破るほどの実力があるはずである。

 

「確か、エ・ランテルに向かうと言っていたな……」

 

 少し考え、結論を下した。

 

「本国に戻るぞ。この件を本国に報告し、指示を仰ぐ」

 

「は!」

 

 破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)は今は置いておくべきだ。“占星千里”の占いも、時には外れる事もある。というより、この場合は『意味を読み間違えた』と言うべきか。この謎の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の情報を持って、本国に帰還すべきである。

 隊員達を率いて、再び来た道を戻る。

 

 その時――ふと、思った。

 もしや、その魔法詠唱者(マジック・キャスター)にとって土の巫女姫の件は――実は殺す気など無かったのではないか、と。あれはただの自動攻性防壁(オートカウンター)で、本人は意図して殺したのではなかったんじゃないか、と。

 

(いや、まさかな)

 

 その恐ろしい想像を振り払う。浮かび上がった“もしも”を即座に否定した。

 仮にこの想像が真実だったとするならば――それはつまり、あの帝国最強の魔法詠唱者(マジック・キャスター)フールーダ・パラダインさえはるかに超越する怪物である、という意味なのだから。

 

 不安を胸に押し殺し、彼らはスレイン法国へと帰還した。

 そして彼らはその帰りに、異常な戦場跡を目撃する事になる。

 

 

 

 

 

 

「ブレイン!」

 

 与えられた個室で武器の手入れをしていると、ブレインが所属している傭兵団『死を撒く剣団』の一人である傭兵が慌てた様子で入ってきた。

 当然、先程までの喧噪に気づいていたためブレインは気にせずそちらに目をやる。

 

「何事だよ」

 

「それが、外の熊用の罠にすげぇ魔獣がかかっていて……今、暴れてやがるんです」

 

「はあ?」

 

 傭兵が語るには、外で見回りをしていた仲間の一人が地面に埋めていた罠にかかっている魔獣を発見したらしい。

 その魔獣は見上げる巨体であり、白銀の体毛に蛇のような尻尾を持っており、しかも人語を話すらしかった。

 

 ただ、魔獣と言えども足に罠がかかっている。そう容易く罠を外せないだろうと高をくくっていた一人を前に、いとも容易く力ずくで罠を外してしまったらしい。

 

 そして今――その魔獣は、集まって来ていた傭兵達に猛威を振るっていた。

 

「あー……」

 

 そう説明されたブレインは、面倒くさそうに頭を掻く。

 大方、その魔獣に調子に乗ってちょっかいを出して反撃された、というのが真相だろう。

 

「まだ外で暴れてんのか?」

 

「は、はい。そうです」

 

「じゃあ、俺も行くわ」

 

「お、お願いします!!」

 

 傭兵はほっとした表情を浮かべ、すぐさま仲間達が押さえている外へと駆けていった。

 

 ブレインはゆっくりと立ち上がり、武器を腰に下げる。そして机の上に置いていた数本のポーションが入った皮のポーチをベルトに引っかけ、紐で固定する。防御魔法の込められたネックレスと指輪は既にしているため、これで準備は終わりだ。

 

「さてと……しかし、白銀の体毛に蛇のような尾、ねぇ」

 

 覚えがある。このエ・ランテル近郊では有名な話だ。トブの大森林には森の賢王と呼ばれる数百年を生きた伝説の魔獣がおり、その魔獣は白銀の体毛に蛇のような尾を持つのだと言う。

 

「ふふん。まさかマジに伝説の魔獣か? だとしたら、面白いな」

 

 伝説に謳われたあの大魔獣を、このブレイン・アングラウスが退治する。

 それはなんて素晴らしい状況だろう。

 

 ブレインは人を斬った事が何度もある。当然だ。何故なら、そもそもブレインはとある人間を斬りたくて、このような傭兵稼業に就いているのだ。

 目的は唯一つ。唯一自分に敗北を刻みつけたあの王国最強の戦士、ガゼフ・ストロノーフに勝つ事。

 そのために、剣の天才であったブレインは血の滲むような努力をした。

 

 今まで片手間だった剣の修行を、必死になってこなした。

 弱者の技術だと馬鹿にしていた魔法、その知識を必死に頭に刻み込んだ。

 今までひたすらに才覚だけで通していた我に、努力という装飾品を装備させた。

 

 結果として、今のブレインはある。

 ブレインの強さは極限の域にまで昇華した。今ならば、必ずガゼフにも容易く勝利出来ると確信している。

 だが、それでも傲慢にはならなかった。鍛錬だけは、絶対に行っている。

 

 ああ、目を瞑れば今でも思い出せる。あの試合で見た、ガゼフの美麗な戦いを。自分が無様に敗北した姿なんて思い出せない。ただひたすらに、あの美しい男の姿だけが目に焼き付いているのだ。

 

 そして今度こそ、確信しよう。あの伝説の魔獣、森の賢王を退治する事が出来たならば――間違いなく、ブレインは最強の剣士。あの十三英雄達にも匹敵する者であると。

 

 ベルトのポーチからポーションを二本取り出し、呷る。更に一本のポーションを自分の武器の刀身に垂らす。キーワードを口にし、マジックアイテムである指輪とネックレスから微かな魔力が迸る。

 

 さあ、行こう。魔獣狩りである。

 

 

 

 

 

 

「むむむ……新手でござるか」

 

 ブレインがその場に着くと、既に半数の傭兵が殺されていた。

 聞いた通り、白銀の体毛に蛇のような尾を持っている。しかし、何よりもブレインを惹きつけたのは瞳だ。漆黒の瞳は力強く、叡智を感じさせる。

 巨大な、人語を喋る大魔獣。なるほど、確かにこれは伝説と謳われても誰もが納得する。

 

「一応確認するんだが……お前さんが森の賢王ってやつか?」

 

 ブレインの言葉に、傭兵達がぎょっとして魔獣から身を引く。魔獣は頷いた。

 

「その通りでござる。それがしは以前までトブの大森林南方に縄張りを持ち、そう呼ばれていたでござるな」

 

「なるほど」

 

 大当たり。ブレインは笑った。

 

「お前らどいてろ。俺がやる」

 

「お願いします。ブレインさん」

 

 傭兵達が退く。魔獣は動かず、じっとブレインを見ていた。獣の本能からか、誰を一番警戒すればいいのか分かっているらしい。

 

 武器を構えたブレインに、魔獣は表情を歪めた。それがどことなく、困った顔と見えなくもなくてブレインは心の中で困惑する。

 

「それがし、ここで待ち合わせをしているのでござる。何もする気はござらんので、放っておいて欲しいでござるよ」

 

 その言葉にブレインは勘だが、魔獣の言葉に嘘は無いのだろうな、と思った。やはり、傭兵達が調子に乗ってちょっかいをかけて暴れさせただけなのだろう。

 

 だが、同時に警戒する。ブレインの専門は人間であり、魔獣の類との戦闘経験は人間を斬った数ほど多くない。だが、それでも知識だけはあった。会話の可能な魔獣は厄介であり、知性の高い魔獣は魔法を使用する事もあるのだという。この魔獣の落ち着きで、知性が高い事が感じられた。

 

「そりゃ無理だな。――――なにせ、伝説退治は男の浪漫だぜ」

 

「むむむ……よく分からないでござるが、退く気はないのでござるな。仕方ないでござる」

 

 退く気がないと悟ったのか、魔獣もまたブレインに対して戦闘態勢を取ったらしい。魔獣の全身が沈む。

 

「行くでござる!」

 

「こい――――!」

 

 どん、と大地を揺らすような勢いで地面を蹴り上げ、巨大な塊となった魔獣が一気に飛びかかってくる。

 その巨体を生かした体当たりは、人間程度のサイズであれば容易く吹き飛ばされ、強打された部位をミンチにするだろう。

 

「舐めるな……ッ!」

 

 ブレインはその体当たりを俊敏な動きで避ける。そして身を捻り、カウンターをお見舞いした。が――甲高い金属音が響き、ブレインの刀が弾かれる。

 

「――!」

 

 その鋼鉄のごとく硬質な体毛にブレインは即座に距離を離した。今までブレインがいた場所を、その強靭な足腰で無理矢理方向転換した魔獣が通り過ぎる。

 

(なるほど。……やっぱり一筋縄ではいかないってか)

 

 ブレインが再び体当たりを回避した事を悟った魔獣はボールのように地面を弾み、ブレインの方を向いて後進して着地する。距離が十メートルほど開いた。

 

「それがしの突進を避けるとは……中々やるでござるな」

 

 魔獣はそう呟くと、再び全身を沈ませ、突進するかのような姿勢を取る。それにブレインは気を引き締め――

 

「〈全種族魅了(チャームスピーシーズ)〉」

 

 頭の中に靄のようなものがかかり、引き締めたはずの気が曖昧になった。

 

(な、なんだ……これは。まさか……やっぱり魔法か……!)

 

「な、舐めるなぁあああああッ!!」

 

 奥歯が砕けるほど気を引き締め、叫ぶ。それで頭の中の靄は切り払われた。

 

「その程度の影響力で壊れるほど、軟な精神力じゃないぞ俺は!」

 

 そう、刀を抜いている最中のブレインの心の中はまさに刀の如く。並みの精神支配など受け付けない。

 とはいえ、先程のは危なかった。さすが伝説の魔獣というところだろう。仮に傭兵達を撤退させていなかったら、その傭兵達が影響を受けてブレインも危なかったかもしれない。さすがにあれほど強大な魔獣と戦っている最中に有象無象に邪魔をされては、ブレインの集中力も続かなかっただろう。

 

 一瞬の隙が命取りになる。まさにこの闘いはそういう領域だ。

 

「なかなかやるでござるな!」

 

 魔獣は再び、突進しようと地を蹴った。それを見てブレインは一瞬で刀を鞘に納めると同時に〈領域〉を使用した。

 

 〈領域〉とは、ブレインのオリジナル武技である。半径三メートル以内の範囲内に存在するあらゆるものを知覚する事が出来る。

 魔獣という人間とは身体能力に差がある異種族同士でも、この武技ならばブレインは魔獣の動きを察知出来るだろう。

 

(来る――!)

 

 迫り来る魔獣。ブレインは〈領域〉から〈能力向上〉と次のオリジナル武技を発動させようとした。その名も〈神閃〉。これは相手より一瞬でも早く、致命傷を与えるために特化した武技だ。

 だが、おそらく普通に魔獣の肉体を狙ったのでは通用しない。魔獣の強靭な体毛は既に鋼鉄の鎧を超える、と言っていい。ブレインは鎧を纏った人間を一刀両断に出来るが、そのブレインの攻撃を魔獣の体毛は弾いたのだ。速さを乗せれば怪我くらい負わせられるだろうが、だがあの巨体では一撃で殺せるとは思えない。

 故に、狙いは一つ。あの魔獣の眼球から、脳髄を狙って突っ込むしかない。

 基本、ブレインは横薙ぎでしか〈神閃〉を使用した事はない。これは横薙ぎで十分だった事と、線の攻撃ならば攻撃範囲が広いためだった。

 しかし、今回にばかりは裏目に出た。あの魔獣の鎧のような体毛と巨体では、一刀両断は難しい。

 

 この生きるか死ぬかの土壇場にて、ブレインは不慣れな神業を成功させなければならなかった。

 

(上等――!)

 

 だが、ブレインに恐れは無い。元より伝説に挑もうというのだ。ならば、それを成功させずして何が英雄か。

 ブレインは確信している。自分が十三英雄のような英雄である事。ガゼフに敗北したあの頃のブレインはもういない。ここにいるのは、努力する天才剣士ブレイン・アングラウスなのだ。

 

「――――」

 

 一刀より少し遠くに魔獣の顔面が届いたその瞬間、ブレインの刀が鞘奔る。鞘から抜かれる刀身はあまりに速過ぎて、まるで白い光そのものが奔っているかのようだった。抜き放たれた刀身の先は真っ直ぐに魔獣の眼球を狙い、刹那の後に到達する魔獣を待ちわびていたが――

 

「む!」

 

「チィ――!」

 

 魔獣はその瞬きの如き速さに対応した。身を捻り、顔面をずらして刃先から逃れる。掠ったのは頬だ。皮膚を少し切り裂き、僅かな血と幾本もの毛が空を舞う。

 そのまま突進してくる魔獣にブレインは急いで身を捩じった。そして魔獣も通り過ぎた後すぐにこちらを振り向くが向かってはこない。警戒するようにブレインをじっと見ている。距離は再び十メートル。ブレインは素早く鞘に刀をしまい、〈神閃〉の準備に入る。

 

(森の賢王の方が上手だった……? いや、違う!)

 

 すぐに原因は理解した。ブレインの〈神閃〉と〈領域〉が噛み合っていなかったのだ。横薙ぎにするのではなく、突きの状態にする以上、どうしても本来のタイミングより早く〈神閃〉を発動させなくてはならない。

 つまり、刃先を準備するのが早過ぎた。そのため魔獣は自分の眼球が狙われている事を悟り、顔を逸らす事によってブレインの攻撃を防いだのである。

 

(やはり、ぶっつけ本番は難しいな)

 

 現実はそう簡単にうまくいかないものである。ブレインはそう自らの技量を恥じ、再び魔獣へ神経を尖らせた。

 

「…………」

 

 ブレインの狙いを悟ったのだろう。魔獣はじっとブレインを見据え、再び身を沈めて飛びかかる体勢を取っている。

 

 どう出る気か……。ブレインはそう考え、〈領域〉を発動させながら魔獣の動きを決して見逃さないように睨みつけた。そして――空気がしなったような気がした瞬間、〈領域〉の端に何かを捉えた。ブレインは魔獣を見つめる。見つめている。魔獣は動いていない。

 だがブレインは自らの武技〈領域〉を信じ、刀を抜いた。迎撃する。火花が散った。体が軋む。それを何とか技量でいなし、防ぐ。視界にそれの正体を見た。尻尾である。

 蛇のような鱗に覆われた異常に長い尻尾がブレインの刀にいなされ、びゅるん、とした動きでしなり戻っていく。ここまで距離十メートル。先程見た魔獣の姿では、そこまで尾は長くなかったはずだ。

 つまり、あの尾は伸縮自在という事になる。こうなってはどこまでが射程圏内なのか分かったものではない。

 

(魔法に加えて、遠距離攻撃手段まで持っているのか!)

 

 その恐るべき能力に戦慄する。脳裏を『伝説の魔獣』という言葉が過ぎった。

 

 巨大な体躯に、刃物を弾く鋼鉄のような体毛。どこまでも伸びる尻尾。人語を解し、言葉を喋り、魔法を行使する知能。

 

 なんて隙の無い、完成された生き物。人間如きの矮小さではその身に届かぬと、その魔獣は存在そのもので訴えていた。

 

「――は!?」

 

 驚愕しながらも〈領域〉内に踏み込んだ存在を見逃すほど耄碌はしていない。ブレインは突進されたのかと即座に回避しようとしたが……魔獣は寸前で、二本足で立ち上がった。

 

「な……」

 

 魔獣が浮き上がった前足を振り上げる。鋭い爪がそこから覗いており、ブレインは魔獣の行動を即座に理解した。そしてやはり、その知能の高さに戦慄する。

 

 魔獣はブレインの狙いを看破するや否や、尾を囮にして接近し、近接戦を仕掛けたのである。

 

「ぐっ……!」

 

 魔獣の攻撃を刀でいなす。甲高い音が鳴り響き、その爪もまた鋼鉄のような強度がある事を理解する。腕に痺れが走った。だが、それを根性で押さえつける。刀を離しては、絶対に勝機は訪れない。

 

「見事でござる! ではもう一発いくでござるよ!」

 

 魔獣がもう片方の前足を振り上げる。そう、魔獣の武器は両前足。そこに備われた鋭い爪は容易くブレインの肉を裂くだろう。故にブレインは全力で回避しなくてはならない。

 しかし、片方を避けても先程防いだもう片方がくる。ブレインは全神経を集中させ、この恐るべき両拳を捌き切った。

 

「――ふん!」

 

 回避し、捌き、自らの間合いにまで距離を離そうとする。しかし魔獣はさせんと距離を詰めてくる。特に、刀を鞘に納められるほどの距離は絶対に離させてくれそうにない。鞘を使い居合切りの形を取らなければあれほどの速度は不可能だ。先程しくじった一発がここで効いていた。

 

 唯一の救いは、この魔獣には技術が無い事だろう。野生のモンスターであり、生まれ持った優れた身体能力が、技術の必要性を見出させなかった。

 

 故に、ブレインの勝機はそこにある。

 

 ブレインが神経を光らせ魔獣の両前足に集中していると、魔獣の胸の辺りが光った気がした。

 

「〈盲目化(ブラインドネス)〉」

 

 盲目化の魔法が魔獣から放たれる。しかし、ブレインの装備していたネックレスがそれを無効化する。ブレインはいつか遭遇した冒険者に感謝した。魔法を使われた際に陥る不利な状況を、この致命的な場面ではなく先に教えてくれた状況を作ってくれていた事に。

 

 魔獣は魔法を抵抗された事など気にも留めず、近接戦を挑み続ける。それをブレインは驚異の技量で捌き切る。

 だが、ブレインは分かっている。このままでは自分が敗北すると。

 

 簡単な話。人間と魔獣の体力・集中力は同等か?

 

 答えは否。何をどう足掻こうと、同じ土俵で挑んでは敗北するのは人間である。

 人間は脆い。身体能力は脆弱に過ぎる。同じ大きさならば、蟻にさえ劣るのが人間という種族の悲しい限界なのだ。

 だからこそ、ブレインは技術を磨いた。そう、武術とは――――人間をはるかに超えた生き物達を相手にするために生み出された、人間の叡智の結晶なのだ。

 

 身体能力は元から魔獣より劣っている。持久力など当然獣よりあるはずが無い。鋼鉄の鎧のような体毛に、叩き切る両刃剣ならばともかく、ブレインの持つ細く薄い切り裂く事に特化した刀では致命傷を負わせるなど不可能だ。

 このように密着された状況でブレインに出来る事など何も無い? いいだろう――――まずは、その勘違いを解いてやろう。

 

 少し間を開かせる。刀を鞘に納める事など絶対に出来ない、けれどギリギリ魔獣には刃先が届く距離。無理矢理に開かされた距離は、けれど魔獣には簡単に詰められる程度の距離にしか過ぎない。

 ブレインは刀を振り上げた。

 

「――――」

 

 狙いは一つ。眼球と同じく、魔法でも使わないかぎり何をどう足掻こうが鍛えられない生物の急所――。

 ブレインは武技を発動させる。それはかつて王国の御前試合で、ブレインを破ったガゼフの武技。

 

 〈四光連斬〉

 

 たったの一振りで、四つの軌跡を刀が描く。その四つの軌跡が全て狙うは――――

 

 魔獣の、鼻である。

 

「か――――ッ!」

 

 慌てて飛びのこうとした魔獣だが、距離を詰めようとしていた事が災いした。もはや避けられる距離ではない。両前足を出して防ごうとするが、四つの連撃は容易くすり抜け……魔獣の鼻先を抉った。

 

「――――」

 

 魔獣が怯んだ。その隙に一瞬だけ大きく後退する。距離が開く。刀を瞬時に鞘に納めた。そして魔獣に向かって突進する。

 

「――――」

 

 魔獣がブレインの様子に気づいた。鼻先からは血が出ているが、しかしもはや魔獣も気にした様子は無い。慌てて後ろに飛び退こうとしているが、遅い。

 

 届く。このタイミングなら。間違いなく。

 

(殺った――――ッ!)

 

 〈神閃〉を発動する。再び、鞘から決して抜かせてはならない全てを断ち切る白い刃が奔る。魔獣の反射神経を超え、光のような速さで刃先は魔獣の眼球に吸い込まれていく。

 完璧なタイミングだ。たった一度の失敗で、ブレインは完璧にタイミングを掴んだ。まさに天才剣士。もはや魔獣には何をどうしようと防げない。この刃は確実に、魔獣の眼球に突き刺さり、その奥の脳髄へ到達するだろう。

 

 

 

 

 

 ――――第三者が邪魔さえしなければ。

 

 

 

 

 

「〈魔法の矢(マジック・アロー)〉」

 

「ふぎゃ――――ッ!!」

 

「なに!?」

 

 横合いから魔法で出来た光の矢が魔獣に突き刺さり、魔獣が横に吹き飛ぶ。魔獣は痛みに悶えながらも綺麗に地面へと着地した。

 ブレインは横合いから放たれた魔法に驚き、魔獣を気にしながらもすぐにその光球の向かって来た方向へ視線を向ける。

 

「い、痛いでござるよ! 殿!」

 

「助けてやったんだ。感謝しろ」

 

「――――」

 

 いつの間にいたのか。夜のような深い闇色のローブを纏った、白い骸骨の魔物が静かにそこに立っていた…………。

 

 

 

 

 




 
ブレインの戦闘シーンを書いている間、ずっと回し車をとっとこしているハムスターが脳裏を過ぎって集中出来なかった訴訟。
モモンガ様がその間どこで何をしていたかは次回。勘のいい方はきっと気づいているでしょう(白目)。
ちなみに漆黒聖典さんの口調は捏造。番外さんじゃなければ、たぶんこんだけくだけた口調なんじゃないですかね(だって俺は最強だとかクソだとか言ってたし……)?
 


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二:通りすがりの神様 さまようよろい

 
このタイトルの出落ち感よ……。
ちなみに捏造設定てんこ盛りに注意。

15/10/13:少し戦闘シーンを修正してます。

 


 

 

 最初に言っておこう。これはただの偶然である。

 どちらにとっても、不幸な遭遇戦であったのだ。

 

 

 

 

 

 

 エ・ランテルを出た後アインズはハムスケの背に乗り、森の中を走っていた。

 

「殿ー。本当にカッツェ平野に行くのでござるか?」

 

 ハムスケからかけられた声に、アインズは頷く。

 

「ああ。この地原産の野生のアンデッド、という奴を是非見てみたい」

 

 今までほぼトブの大森林しか見ていなかったので、あまりこの地のモンスターを見た事がない。特にアンデッド、というのは是非見ておきたかった。一般的にどこまで自然発生するのか、というのがとても気になるのである。

 少ない経験からこの世界のレベル帯は低い、というのは分かった。おそらくレベル三〇程度のハムスケが伝説の魔獣、と言われる事。魔法詠唱者(マジック・キャスター)の行使出来る位階魔法が第三位階が基本限界、という事。クレマンティーヌという女の言葉から、中位アンデッド程度の死の騎士(デス・ナイト)一体倒せないような人間が、準英雄級だと言われる事など。これらが、その仮定の正しさを証明している。

 ただ、それでもレベル三〇~四〇がこの異世界の限界レベル、だとは思わない。森に封印されていた魔樹――ザイトルクワエはおそらくレベル八〇にもなるだろう。時間停止魔法に耐性もあった。強者は、いるところにはいるのである。

 

「嫌なトラブルを避けるためにも、気軽に作成していいアンデッドを確かめないとな。たかが中位アンデッドの死の騎士(デス・ナイト)を召喚しただけで、伝説の英雄クラスに認定されるとは思わなかった」

 

 ぽつりと呟き、ガゼフを思い出す。クレマンティーヌはガゼフを自分と同程度、と言っていた。となれば、当然ガゼフはこの世界の人間として死の騎士(デス・ナイト)の異常さに気づいただろう。何も言ってこなかったのが好意からなのか何か別の理由があるのかは知らないが、これからは気をつけて盾役を作成しなくてはならない。

 

魔法詠唱者(マジック・キャスター)相手には下位アンデッド作成で骨の竜(スケリトル・ドラゴン)でも作ればいいか。これは一日で二十体召喚出来るし。……するとやはり問題は前衛職が相手の場合か。死の騎士(デス・ナイト)で問題無い気もするが、そうなると伝説級のアンデッドを作った魔法詠唱者(マジック・キャスター)、になるんだよな」

 

 ガゼフ級が相手ならば異常に気づかれ、かといって弱過ぎるとそもそも盾にならない。アインズは悩み、視線を下に向けてチラリとハムスケを見る。

 

(ハムスケに任せるか? 連れて歩くのは確定してるんだし、わざわざ特殊技術(スキル)を使用して呼び出さなくてもいい辺りメリットがあるよなぁ)

 

 そう考えたアインズだが、しかしそうなると万が一の問題に直面した時が不味い。

 例えばザイトルクワエのような高レベルの相手と対面した場合、死の騎士(デス・ナイト)ならば一撃は絶対に耐えられるがハムスケは耐えられない。そのような特殊技術(スキル)は持っていないので、一撃で死亡し、そのままアインズに貫通する危険性もある。

 それを考えると、やはり盾役は死の騎士(デス・ナイト)を召喚した方がいいだろう。

 

(ハムスケにもなんとなく愛着が湧いてきたしなぁ……。この大きな毛玉が動かなくなった光景を想像すると、昔を笑えなくなっちゃうような……)

 

 ペットのハムスターが寿命で死んで、一週間ほど『ユグドラシル』にログインしなかったギルドメンバーを思い出す。ペットロス症候群とは、かくも恐ろしいものなのだ。

 

「……まあ、盾役は臨機応変でいいか。――ところでハムスケ、カッツェ平野とはどういうところなんだ?」

 

「カッツェ平野でござるか? 殿、それがしは森から出た事が無いので、正直詳しくないのでござるが……確か、昼夜問わずずっと薄霧がある場所だと聞いた事があるでござるよ」

 

「ほう? という事は視界が悪そうだな。あんまり悪いようだと魔法でどうにかするか」

 

 第六位階に〈天候操作(コントロール・ウェザー)〉という、天候や気象現象を変化させる魔法がある。それを使えば霧くらい晴らす事が出来るだろう。

 

 アインズはウキウキと未知の場所に心躍らされながら、ハムスケに騎乗して夜の森を駆けていた。

 

 ――しばらくそうして駆けていると、ハムスケの様子がおかしい事にアインズは気づいた。

 ハムスケは耳をぱたぱたと動かす奇妙な動きをしている。それはまるで、何か音を捉えようとしているかのようだった。

 

「どうした、ハムスケ」

 

 アインズが訊ねると、ハムスケは相変わらず耳をぱたぱたと動かし、周辺を探りながら答えた。

 

「殿……金属の音がするでござる」

 

「なに?」

 

 アインズも耳を澄ませる。しかし、木々が騒めく音が聞こえるだけだ。ハムスケの言う金属音はアインズには聞こえなかった。

 つまり……アインズの耳では聞き取れない遠く、という事だ。ハムスケは獣らしく、野伏(レンジャー)でもないのに野伏(レンジャー)の真似事が多少は出来る。

 

「どこだ?」

 

「少し遠いでござるな。……殿、凄いスピードでこっちに向かってきているでござる。それがしよりも速いと思うでござるよ。このままでは遭遇すると思うでござる」

 

「ふむ」

 

 少し考え――ハムスケに指示を出した。

 

「止まれ、ハムスケ。向こうが通り過ぎるのを待とう」

 

「了解したでござる」

 

 ハムスケは徐々にスピードを落とし、止まる。そして相手を探るように耳をぱたぱたと動かし――次第に不安そうな顔をしてアインズを見た。

 

「どうした?」

 

「殿…………たぶん、この音は金属の鎧の音鳴りだと思うのでござるが」

 

「?」

 

 首を傾げる。そしてハムスケは――アインズが驚愕するような言葉を呟いたのだ。

 

「金属音が、方向転換してこっちに向かって来ているでござる」

 

「…………!」

 

 ぎょっとする。アインズはハムスケの見ている方角を見つめた。

 

 ――さて、どうするか。アインズは考える。止まって遭遇を避けたというのに、わざわざこちらに向かって来ているという事は、ひょっとすると相手はハムスケが相手に気づくよりも先にこちらに気づいた可能性がある。

 そうなると、当然相手の野伏(レンジャー)レベルが気になるところだ。ハムスケが「凄いスピード」と言うのならば、かなりのスピードだろう。

 以上の事柄から、相手は相当なレベルの持ち主だと思われる。

 

(まさか、ユグドラシルプレイヤーか?)

 

 可能性としてはゼロではないだろう。アインズと同じようにこの異世界に転移したプレイヤーはいるはずだ。六大神に八欲王、十三英雄などがその可能性を告げている。

 それに、この世界の人間であるならばハムスケが走行するより速い人間がいるはずがない。ハムスケは伝説の魔獣と言われるほどであり、あの周辺国家最強と言うガゼフよりも強いかもしれないのだ。しかしレベルは三〇程度。ユグドラシルプレイヤーならばハムスケ程度は雑魚であり、魔法詠唱者(マジック・キャスター)のような後衛職でもないかぎりはハムスケ以上の速度を出すのは困難ではない。

 

(――――仕方ない。一番分かり易い魔法で判別するか)

 

 使うのは当然、第十位階魔法である〈時間停止(タイム・ストップ)〉。これは『ユグドラシル』ならば七〇レベル程度からこの魔法に対する対策が必要になってくるが、逆に言うとレベルが七〇以下ならば対策出来ないという事でもある。

 この魔法に対抗出来るようならば、つまりはほぼユグドラシルプレイヤー。対抗出来ないのならば、アインズにとっては敵にならない雑魚というわけだ。

 

「確かめさせてもらおう。――〈敵感知(センス・エネミー)〉」

 

 まずは相手が現在どの地点にいるのか、敵意はあるのかを探知。そして、夜なのは問題無いが森の木々で前が見えないが、もはや一五〇メートル以内に相手が近づいて来ている事に気づく。この魔法に反応したという事は、当然相手はこちらに多少の敵意を持っているとも。

 

「〈時間停止(タイム・ストップ)〉」

 

 よって、即座に魔法を放つ。アインズの周辺の時間が停止する。全ての時間が停止し、森の木々の騒めき、微かに聞こえていた虫の歌声さえ聞こえなくなる。ぴぃん……とした完全な静寂。

 

 そこに、アインズにも聞こえた。聞こえてしまった。アインズの魔法を物ともせずに突っ込んでくる金属鎧から聞こえる甲高い擦り音が。

 

「――――ッ!」

 

 結論。アインズはこの正体不明(アンノウン)を、この異世界に転移してから最大の『敵』と認識する。

 

「糞が!」

 

 ハムスケの背から降りる。時間は無い。おそらく、〈転移門(ゲート)〉を使ってもこの距離・速度では閉じる前に相手も突っ込んでくる。よって出来る事は――――

 

 〈千里眼(クレアボヤンス)〉で適当な位置に〈転移門(ゲート)〉を開いたところで魔法の効果が切れる。そこにハムスケを蹴り入れ叩き込んだ。

 

「そっちで待っていろ! 後で迎えに行く!!」

 

「と、殿!?」

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)爆撃地雷(エクスプロードマイン)〉!」

 

 ハムスケの言葉を聞かずに、即座に〈転移門(ゲート)〉を閉じて自分を強化――は間に合わないと判断し自分と相手の射線上らしき場所に魔法の地雷を作る。その瞬間――金属の音の主が姿を見せた。

 

「――――」

 

 それは、白金色の鎧を纏った、豪奢な騎士だった。この夜の森という闇色一色の世界で、唯一の輝ける光明。アインズの纏う夜のような漆黒のローブとは正反対の、太陽のような白金の全身甲冑。

 

 ここに今、出会うべきではない者達が、早過ぎる邂逅を果たしたのだった――――

 

 

 

 

 

 

 言っておこう。これはただの偶然である。

 どちらにとっても、不幸な遭遇戦であったのだ。

 

 

 

 

 

 

「――――」

 

 互いが互いを油断なく見据え、辺りを静寂が包み込む。背後で、〈転移門(ゲート)〉が閉じた気配をアインズは察した。しかし、相手から目線を逸らしはしない。〈時間停止(タイム・ストップ)〉に耐性があった時点で、そのような事をしていい相手ではない。

 

「――――」

 

 白金の騎士は剣を構えている。剣の見た目に覚えは無く、そして間抜けに魔法を唱えて効果を知るわけにもいかない。

 白金の騎士は何も言わない。ただ黙してこちらを見据えているだけだ。仕方なく、アインズはそこにユグドラシルプレイヤーならば爆弾に等しいものを投下する事にした。

 

「俺は『アインズ・ウール・ゴウン』のモモンガと言うのだが――何者だ? 喧嘩を売られる覚えは無いんだが」

 

 『アインズ・ウール・ゴウン』。異形種のみで構成されたわずか四十一人の少人数ギルド。しかし、その悪名は留まるところを知らない。『ユグドラシル』では異形種はPKしてもペナルティが無い、という運営システムを利用され、PKされ続けた果てにPKKを繰り返し、PKをしていた事実のみが一人歩きした結果生まれた『ユグドラシル』でもアンチが多い“悪”のギルドである。

 それが、喧嘩を売られる覚えが無い。当然、嘘だ。ユグドラシルプレイヤーならば、『アインズ・ウール・ゴウン』のギルドメンバーである、というだけで喧嘩を売る万の理由に勝る。

 ましてやモモンガはギルドマスターであり、wikiに攻略法が掲載されるメンバーの一人でもある。ユグドラシルプレイヤーならば名前を知らない、などと言うのは絶対にあり得ない。

 だからこそ……

 

「…………ツアー」

 

 ぼそりと騎士が呟いた言葉の時点で、アインズはこの白金の騎士がユグドラシルプレイヤーではない事を看破した。

 だが、それは油断していい理由にはならない。むしろ逆。決して油断は出来ない相手だった。

 ユグドラシルプレイヤーならばアインズとて何度も戦った事がある。当然、不慮の遭遇戦に対する心得もある。

 しかし相手がユグドラシルプレイヤーではない時点で、その最低限の備えも心得も、無に帰す可能性が高い。この異世界にはアインズの知らない武技と呼ばれるものがあり、そして魔法もある。相手がそれを使ってこない可能性はゼロではなく、アインズはそれに対して何が最適解なのか分からないのだ。剣で武装しているから物理防御を上げれば、実は魔法攻撃でしたなどという事態もあり得る。

 ましてや時間停止対策を持つ高レベルの存在――後手に回ると不味すぎる相手だ。

 

 故に――――先手必勝。

 

「〈心臓掌握(グラスプ・ハート)〉」

 

「――――」

 

 魔法詠唱と同時に白金の騎士がアインズに向かって突っ込んできた。そのスピードに、相手が前衛職である可能性が高確率である事を認識する。だが、構わない。

 〈心臓掌握(グラスプ・ハート)〉は即死魔法であるが、例え即死判定に失敗しても敵を朦朧状態にする追加効果がある。更にアインズの目の前には魔法で地面に地雷を仕込んでいるので、これで時間が稼げる。その間に壁役の上位アンデッドを作成して――

 

「――――は?」

 

 白金の騎士は、何事もなく突っ込んできた。即死判定に失敗した。それは分かる。追加の朦朧状態は……発動していない。白金の騎士の足取りは一切ブレておらず、距離を詰めてきている。

 

 結論。白金の騎士は状態異常に耐性があると判断し、あらゆる状態異常魔法、即死魔法は意味をなさないものと想定する。

 

「……ッ! 上位アンデッド創造――青褪めた乗り手(ペイルライダー)

 

 蒼い馬に乗った禍々しい騎士が出現する。同時に、白金の騎士がアインズが目前に準備していた魔法の地雷で大きく後方に吹き飛びたたらを踏む。

 だが、白金の騎士は痛がる様子もなく再びアインズに突っ込んできた。しかし作成された青褪めた乗り手(ペイルライダー)がその進行の邪魔をする。その間に、アインズは魔法を唱える。

 

「〈生命の精髄(ライフ・エッセンス)〉、〈魔力の精髄(マナ・エッセンス)〉、〈飛行(フライ)〉、〈魔法詠唱者の祝福(ブレス・オブ・マジック・キャスター)〉、〈無限障壁(インフィニティウォール)〉、〈上位全能力強化(グレーターフルポテンシャル)〉……」

 

 白金の騎士が青褪めた乗り手(ペイルライダー)に手間取っている内に唱え、準備を整えていく。

 しかし、それも最後までは続かない。白金の騎士はほどなくして、青褪めた乗り手(ペイルライダー)を始末して再びアインズへと襲いかかる。

 

「〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉」

 

 転移魔法を発動させ、白金の騎士の視界から一瞬で消える。出現した場所は白金の騎士の上空だ。〈飛行(フライ)〉を使用しているので落下する事は無い。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)星幽界の一撃(アストラル・スマイト)〉」

 

 非実体に対して効果的な一撃を与える魔法を白金の騎士に向かって撃ち出す。白金の騎士がアインズのいる上空を振り向くが、一撃を受ける。その一撃を上空から受けた白金の騎士は即座に全身を屈め、地を蹴り空中にいるアインズに襲いかかった。

 

「〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉」

 

 それに即座に反応して転移する。空中に躍り出て身動きの出来ない白金の騎士に向かって魔法を撃つ。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)万雷の撃滅(コール・グレーター・サンダー)〉」

 

「――――」

 

 巨大な豪雷が白金の騎士に向かって奔る。しかし白金の騎士は〈飛行(フライ)〉の魔法を使用する事もなく、動く事の出来ないはずの空中で身を捻って雷を躱した。

 

「な……!」

 

 地面に着地する白金の騎士。そして、油断無く相手はアインズを見据えている。アインズもまた、白金の騎士を油断無く見据えた。しばしの空白。

 

(俺の魔法を避けるとはどういう身のこなしだ……! 戦士職としても上位だなアレは……。いや、しかしそれよりもどういうことだ? 〈星幽界の一撃(アストラル・スマイト)〉もほとんど通用しないという事は物質として存在している、ということだが……それならば、何故〈心臓掌握(グラスプ・ハート)〉の追加効果が発動しない!? 俺の特殊技術(スキル)である不死の祝福に反応が無い、ということはアンデッドではあり得ないはずだが……)

 

 そこでふと、アインズは考えた。

 

 

 

 ――――あるいは、アインズの魔法レベルと拮抗しているために、ことごとく判定に成功しているのか。

 

 

 

「…………」

 

 ここにきて、アインズは本当の意味で慢心を捨てた。これは今ここで殺さなければならない。そうしなければ、おそらく二度とこの相手を殺す機会はやってこない。

 それを――――お互いが(・・・・)認識した。

 

「〈魔法三重化(トリプレットマジック)黒曜石の剣(オブシダント・ソード)〉!」

 

 空中に三振りの黒く輝く剣が浮かび、意思を持っているかのごとく白金の騎士に向かって飛来する。

 

「――――」

 

 それを白金の騎士は一振りで崩壊させた。魔力由来の剣は物理攻撃で破壊するのは困難を極めるというのに。

 

(これはガゼフが使っていた〈六光連斬〉!? いや、そうとはかぎらないか……だが、物理攻撃で俺の〈黒曜石の剣(オブシダント・ソード)〉を破壊するとは……!)

 

 白金の騎士が接近する。間合いに入られればどうなるか分かっているアインズは、更に魔法を唱え白金の騎士を寄せ付けないように白金の騎士との間に壁を作る。

 

「えぇい! 俺に近寄るな!! 〈骸骨壁(ウォール・オブ・スケルトン)〉」

 

 武器を持った無数のスケルトンが埋め込まれた骨の壁が目前に現れ、視界を遮る。おそらく向こう側では壁を構成するスケルトン達が手に持つ武器で白金の騎士を攻撃している事だろう。

 その間に、アインズはここしばらくアイテムボックスの奥深くにしまって外に出さなかった、とある武器を引っ張り出す。

 

 それは、神聖さと禍々しさを極限のバランスで保ったスタッフだった。

 宝石を咥えた七匹の蛇が絡まる、黄金のスタッフ。夜の森さえ照らすような黄金の輝きを放ちながら、けれど黒く赤い――人の苦悶の表情を象ったようなオーラがそれから発せられ、崩れ、消える事を繰り返す。まるで苦悶の声が聞こえてくるようなおぞましさがそれからは発せられている。

 

 これこそ、『アインズ・ウール・ゴウン』のギルド武器。スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンである。

 

「…………」

 

 アインズの能力がこのスタッフを持つ事によって上昇する。正真正銘の完全武装を遂げたアインズは、このスタッフの力で自らの壁役を召喚する。

 火の宝玉に意思を込め、発動を促した。

 アインズの意識に従うように一匹の黄金の蛇が咥えた宝石の一つに、力の揺らめきが起こる。そして桁外れな炎の渦が巻き起こった。

 巻き起こった渦は加速度的に大きくなっていき、紅蓮の煉獄が熱風を巻き起こしていく。その熱風によって目前のスケルトンの壁と周囲の森が灼き尽くされていき、アインズのローブをはためかせる。

 周囲の空気を食らい尽くし巨大になった炎の竜巻は、融解した鉄のような輝きを放ちながら揺らめいて、人の形を象った。

 

 召喚されたのは元素精霊(エレメンタル)の最上位に近い存在。八〇後半というレベルの高さを持つ根源の火精霊(プライマル・ファイヤー・エレメンタル)である。

 

「――――」

 

 熱風により吹き飛ばされ、距離を離していた白金の騎士がアインズの持つスタッフと召喚された精霊を見て空気を変える。

 そして、アインズは今まで切っていたあらゆる常時発動型特殊技術(パッシブスキル)を最大威力で解放する。アインズの周囲を禍々しい暗黒のオーラが囲み、そのオーラに触れた周辺の森の生き物達が動きを停止し、ぼとぼとと地面に落ちていく。同時に、根源の火精霊(プライマル・ファイヤー・エレメンタル)の熱風という名の炎が周囲を灼いていった。

 

 しかし、アインズのスタッフを装備した最大出力の絶望のオーラと、根源の火精霊(プライマル・ファイヤー・エレメンタル)の炎ダメージを受けた白金の騎士は、未だ立っている。

 

(やはり強いな……ザイトルクワエ以上の苦戦になりそうだ)

 

「――――」

 

「ゆけ」

 

 白金の騎士が先程より更にスピードを上げて突っ込んでくるが、アインズは召喚した根源の火精霊(プライマル・ファイヤー・エレメンタル)に命令を下し、白金の騎士を抑える。ダメージがゼロのはずが無いのだが、やはり白金の騎士は痛みなど感じていないようにその機敏さを劣化させずに根源の火精霊(プライマル・ファイヤー・エレメンタル)と交戦する。

 

「さて……では、始めるか。〈魔法最強化(マキシマイズマジック)現断(リアリティ・スラッシュ)〉」

 

 白金の騎士が根源の火精霊(プライマル・ファイヤー・エレメンタル)にかかりきりになっている隙を縫うように、アインズは第十位階でも高破壊力の魔法を使い白金の騎士の体力を削っていく。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)現断(リアリティ・スラッシュ)〉」

 

「――――」

 

 血飛沫は出ない。しかし白金の騎士の全身甲冑に傷が刻み込まれていく。〈生命の精髄(ライフ・エッセンス)〉で見るかぎり、体力は削られていっているのは間違いない。だが、思いのほか減少値が低い。そこまで防御値があるのかと思ったが――違う。根源の火精霊(プライマル・ファイヤー・エレメンタル)を盾にするように誘導して動いており、HPの消費を最低限に減らしているのだ。

 やはり、知性が高い分ザイトルクワエより優秀だ。こちらが前衛の根源の火精霊(プライマル・ファイヤー・エレメンタル)を避けて魔法を放っているだけあって、〈現断(リアリティ・スラッシュ)〉は実際はまともにダメージを与えていない。

 

「…………」

 

 少し考える。誘導型の魔法に切り替えるべきか。――しかし、今までの状態異常無効や非実体に効果的な〈星幽界の一撃(アストラル・スマイト)〉がほとんど効果が無い事実を考えると、下手をすれば『ターゲティング出来ない』などという事がありかねない。

 それを考えれば、MP消費が大きいが確実にダメージを与えられる〈現断(リアリティ・スラッシュ)〉で攻めるべきだ。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)現断(リアリティ・スラッシュ)〉」

 

 放つ。容赦など無く。ひたすらに。白金の騎士の体力を削っていく。白金の騎士の動きが流石に鈍くなってくる。鎧に傷が入り、凹み、ダメージが蓄積されていく。

 だが、それでもなお白金の騎士は痛みなど感じないかのように動く。蓄積されたダメージはアインズの〈生命の精髄(ライフ・エッセンス)〉では既に、半分以上も削られているというのに。

 

「――――」

 

 白金の騎士の強さに、アインズは無いはずの舌を巻く。強い。根源の火精霊(プライマル・ファイヤー・エレメンタル)のHPの減りが予想以上に早く、白金の騎士を殺し切る前に前衛が死亡する。

 

「…………」

 

 アインズは白金の騎士の残りHPを調べ、考える。超位魔法の大ダメージによる必殺。狙うべきか、狙わないべきか…………。

 

「――――」

 

 白金の騎士の剣が、根源の火精霊(プライマル・ファイヤー・エレメンタル)の核を捉え、ついにHPがゼロになる。本当に強い。だが、白金の騎士のHPはかなり削れている。

 超位魔法の案は却下する。どの道、白金の騎士ほどの相手ならば詠唱時間中にアインズに多大なダメージを与えて詠唱キャンセルをする事が可能だろう。いくら課金アイテムで詠唱時間を短縮出来るとはいえ、前衛がいない中で使うべきではない。

 何より、伏兵がいないともかぎらない。そして相手に超位魔法のような反則が無いともかぎらない。余計な隙は作らないべきだ。

 

「〈負の爆裂(ネガティブバースト)〉」

 

「――――」

 

 負の衝撃波がアインズを中心に巻き起こり、空気を爆発させるように衝撃波が振動する。白金の騎士はその衝撃でたたらを踏み、その隙にアインズは更なる魔法を唱える。

 

「〈内部爆散(インプロージョン)〉」

 

 白金の騎士を内部から爆発させようと、鎧が歪み、そしてついに衝撃に耐えられなくなったのか鎧の胸部と腹部が破裂する。その中身を見て、アインズはようやく悟った。

 

「ふん……なるほど。道理で状態異常系の効果がことごとく無効化されるわけだ」

 

「――――」

 

 バランスを崩した白金の騎士が膝をついている。だが、溢れる血は無い。あるはずが無い。

 

 白金の鎧の中は、“空”だった。

 

 中身が無い。白金の騎士は中身が空のまま動いていたのである。それから導き出される答えは一つ。

 この白金の騎士には、初めから中身など無かった。これは単なる人形。操っている存在が何処かにいるのである。

 

「中身はどこだ? 俺の魔法による探知に引っかからないとなると、かなり遠いところから操作しているようだな。とんでもないセンサー持ちだ」

 

 超位魔法を使用しないでよかった。危うく、何の手札も切っていない本体に自分の手札を切るところだった。慎重さが功を奏したらしい。

 

「見えているのはHPではなく、正確には鎧の耐久力か。――もう限界のようだな」

 

 白金の鎧はギシギシと軋み、必死に立とうとしているようだがもはやそれも叶わない。表面には幾多もの傷が刻まれ。胸部も腹部もバラバラに砕け散っている。

 

「おっと、そういえば今更転移で逃げを打たれても困る。封じさせてもらおう」

 

 アインズは魔法で転移阻害を使用し、この周囲一帯の空間転移を封じる。これで、おそらく即座に空間転移で離脱は出来ないだろう。

 

「では、とどめを刺させてもらう。――――ただ、一つだけ聞いて欲しい」

 

「俺はな、ただ未知の世界を見たいだけなんだ。この美しい世界を、宝石箱のように綺羅綺羅している世の中を、ただ見て回りたいだけなんだ。人間にも、魔物にも別に何をしようと思っているわけじゃない。これに懲りたら、もう放っておいてくれると嬉しいよ」

 

 アインズはそう言って、白金の騎士の鎧に杖先を向けた。

 

「――――」

 

 白金の騎士が跳ね上がるように動き、アインズに向かって駆け出した。それを無視し、アインズは魔法を唱える。唱えるのは魔法で超強化し尽くした〈暗黒孔(ブラックホール)〉だ。これで、完全にこの世から白金の鎧を消滅させる。

 

 白金の騎士の剣がアインズに向かって振り下ろされる。しかし、その剣は寸前で届かない。アインズがこっそり仕掛けておいた足止めの魔法が白金の騎士の足に絡みつき、そこから前には進ませてもらえない。剣はアインズの仮面を掠め、キィィィン――という音を立てて、何の効果も無いが故に耐久性も皆無な仮面が真っ二つに割れた。

 

「さらばだ、ツアーよ」

 

 最初に名乗っていた名前を呼び、アインズは目前に呆然と立つ鎧を虚空の彼方へと消し飛ばす。最後に白金の騎士は、何事か呟いたようだが、アインズの耳には残念ながら届かなかった。

 

 ――――スルシャーナ、という困惑気味に呟かれた誰かの名前など。

 

 

 

 

 

 

 …………そして、ツアーは目蓋を開いた。

 

 ドラゴンの鋭敏な知覚能力は人間をはるかに凌ぎ、例え相手が不可視化や幻術を使っていようと、遠距離の気配も即座に感知出来る。例え、眠っていようともだ。

 

 ツアーが危険視しているスレイン法国の最強部隊、漆黒聖典が動いたのを察知して、彼らに気づかれないように後を尾行していたのはいいが、とんでもない存在に遭遇してしまった。

 

「スルシャーナ……」

 

 ぽつりと呟く。夜の森で出遭った仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)。しかし、その仮面を剥いだ下にあった顔は、かつて見た顔をツアーに思い出させた。

 だが、ツアーは知っている。似ているといっても、あれは本人ではない。おそらく、『ユグドラシル』から来たプレイヤーであり、スルシャーナと似たような種族の存在なのだろう。

 そもそも、スルシャーナはもうこの世にはいないのだ。

 

「…………」

 

 おそらく、あれはどちらにとっても不幸な遭遇戦だったのだろう。ツアーは漆黒聖典を尾行している最中で、向こうはそんな緊張感を孕んでいたツアーの近くを偶然通りがかったにすぎない。そのせいで、ツアーの敵意に向こうが反応し、お互い殺し合いに発展してしまったのだと思う。

 

 ユグドラシルプレイヤー。一〇〇年の揺り返し。そろそろ頃合いだろうとは思っていたが、まさかいきなり遭遇するとは思わなかった。

 

「…………彼は、どっちなんだろう」

 

 六大神やリーダーの側なのだろうか。それとも八欲王側なのだろうか。分からない。ユグドラシルプレイヤーの中身は外見と一致しない。例えどれほど悪質な側に見えようとも、実際は弱き者を守る心優しい持ち主である事もあるのがユグドラシルプレイヤーだ。

 

 スルシャーナが、そうだったように。

 

「…………」

 

 目を閉じ、先程までの光景を思い出す。完敗だった。確かに本体である自分自身が出たわけではないにせよ、結局向こうは無傷でツアーの鎧を破壊してしまった。おそらく、あれは八欲王クラスだろう。どう見ても第六位階以上の魔力が籠もった魔法を連発していた。

 手にしていたあの黄金のスタッフ。ツアーは知っている。それと似たような気配を持つ武器を、ツアーは知っていたのだ。

 

 それは、ツアーがこの場所から離れられない理由。今も守っているそれと同じ気配をしたモノ。かつて八欲王の残したギルド武器と呼ばれる強力なマジックアイテム。

 

 おそらく、あの『アインズ・ウール・ゴウン』のモモンガという者が持っていた黄金のスタッフはそれだろう。

 八欲王クラスの強さの魔法詠唱者(マジック・キャスター)と考えると、ツアーは頭を抱えたくなる。何故なら、八欲王はとても恐ろしい者達だったから。

 

「本当に……彼はどっちなんだろう」

 

 分からない。けれど、出来れば八欲王のような存在で無ければいい。その可能性は高いだろう。だって、最後にツアーに語った言葉には真実味があった。そのまま信じるわけにはいかずとも、けれど信じたいと思えるほど穏やかな声だったのだ。自分との戦闘に際して、盾に使わずに空間転移で連れていた騎獣を守ったのも好感が持てる。

 

「…………」

 

 どうか、彼が八欲王のような恐ろしい生き物ではありませんように。ツアーは祈るように瞳を閉じ、意識を微睡みの中へと蕩けさせていった。

 

 

 

 

 

 

 恐ろしい白金の騎士との戦闘を終え、アインズは再びギルド武器のスタッフをアイテムボックスの奥に厳重にしまう。そして同時に、周囲を再び魔法で探索し、本当に伏兵も誰もいない事を確認してから深い息を吐いた。

 

「あー……驚いた。やっぱり、いるところにはいるんだな、強いの」

 

 英雄級がガゼフやらあのクレマンティーヌやらで、しかも死の騎士(デス・ナイト)に勝てないような体たらくだと思ったが、やはりザイトルクワエのような高レベルの者はいたらしい。先にザイトルクワエに遭遇していなければ、アインズでも油断して手痛い反撃を貰っていたかもしれなかった。

 

「でも、中の奴を殺せなかったのが痛いなぁ……」

 

 ただの人形だとは思いもしなかった。『ユグドラシル』にはあそこまで自由自在に動かせる人形など作れない。この世界特有の魔法なのかもしれない。

 一応、多少の言い訳程度はしてみたが、向こうはどう思っているのだろうか。あの拙い言い訳に納得して貰えるといいが……やはり、それは都合が良すぎるだろう。

 

「っていうか、仮面割られちゃったし……後で直しておくか。今はあんまりそういうのにMPを使いたくないし」

 

 真っ二つにされた嫉妬マスクを見て、溜息。とりあえずそれを懐にしまい、アインズは空間転移を阻害していた魔法を解く。そして少し考え……アイテムボックスの中から、とある課金アイテムを取り出した。

 

(もし仮に、さっきみたいなのがまだたくさんいるとしたら……経験値が色々必要になるかもしれない。強力な超位魔法には経験値を消費して使うものもあるし、俺の持っている世界級(ワールド)アイテムも経験値を使うしな。もうカンスト分まで俺自身は溜めているけど、世界級(ワールド)アイテムならもっと溜められる)

 

 アインズは、それを使って宝物殿に置いていたとある世界級(ワールド)アイテムを取り出した。

 それは天使のように無垢な純白と、悪魔のように禍々しい暗黒の色をしたガントレット。カンストしている経験値を更に溜め込む事が可能な世界級(ワールド)アイテムであり、名を『強欲と無欲』という。

 

「これつけとくかぁ……。ちょうど手の骨も隠せるしなぁ。…………勝手に使っちゃうけど、こんな状況だし、皆も許してくれるよな」

 

 アインズはそう呟いて、今までつけていたガントレットを外して『強欲と無欲』を装着した。魔法のアイテムなので、アインズのサイズに勝手に調整される。

 

「……それにしても、ナザリックにあるはずのアイテムまで課金アイテムを使えば呼び出せるって、どうなってるんだろ? 前も使ってみたら取り寄せられたし……でも、指輪は全く機能しないんだよな。この世界、やっぱりわけ分かんない」

 

 深く考えても出ない答えに、アインズは溜息を吐いて魔法を使用する。転移する場所は、先程ハムスケを放り出した場所だ。ハムスケが首を長くして待っている事だろう。アインズは〈転移門(ゲート)〉を開き、門をくぐって空間転移する。

 

 そうして辿り着いた先で、ハムスケは見知らぬ男とじゃれていた。

 

(何やってんだ、あいつ)

 

 その光景にぽかんと口を開ける。というか、何を本気であの無精髭の男はいい年してハムスターなんかとじゃれているのだろう。

 アインズが来た時、ちょうど男はハムスケから後ろに飛び退いていた頃だった。ハムスケは何故か片手で鼻を抑えている。

 そして、アインズが見ている前で男は鞘に刀をしまい、再び鞘から刀を引き抜きつつハムスケに突進する。その姿を見たアインズはそれが居合切りの一種だと悟り、そしてハムスケが負けそうになっている事に気づいた。

 

「やれやれ……〈魔法の矢(マジック・アロー)〉」

 

 全然力を込めていない、全く本気ではない無属性の光球をハムスケに向かって撃ち出す。男とハムスケはお互いがお互いに集中していたためだろう。アインズの出現には気づいておらず、ハムスケはまともにアインズの〈魔法の矢(マジック・アロー)〉(手抜き)が腹部に直撃し、ぶわっと浮いて吹っ飛んだ。男はその様子に驚愕して動きを止め、アインズの方へ振り向く。

 

「い、痛いでござるよ! 殿!」

 

「助けてやったんだ、感謝しろ」

 

 吹っ飛ばされながらも、見事に地面に着地したハムスケはアインズに向かって涙目で訴える。それにアインズは心外だという気持ちをこめて、少し刺々しく返した。こちらが先程まで命懸けの死闘を繰り広げていたというのに、ハムスケは知らぬおっさんと戦って、あげく負けかけていたのだ。少し不機嫌になるのも仕方あるまい。

 

「さっさと帰るぞ、ハムスケ」

 

 そうハムスケに呼びかける。アインズが先程まで戦っていた場所は戦闘の余波で森の木々が焼け、山火事が起きたように一部禿げてしまっているのだ。ここから数百メートル離れた距離にあるとはいえ、あまりこの森に長居したくはなかった。

 

「…………」

 

 男が、じっとアインズを見つめている。見れば、刀を鞘に納めていた。アインズはそれを見て、あちらも戦う気はないのだろうと認識する。

 

「ハムスケが迷惑をかけたな」

 

 アインズはそう言って、無造作に男に近づく。見れば男は所々ハムスケの爪が掠ったのか皮膚に傷を負っており、近くに転がっている死体達からこの男は単なる野盗などの一人なのだと気づいた。

 先程ハムスケに与えた一撃を見ていたアインズは、まったく自分の敵にならない相手だと悟り、その足取りは軽い。率直に言ってしまえば、今は疲れているのでさっさとこの場から去りたかった。単なる野盗ならば、あのエ・ランテルの犯罪者と違って顔を見られても何も困らないだろう。

 

 スタスタと無防備に近づくアインズに、男は鞘から刀を引き抜き、居合切りによってアインズの首を断とうとする。

 

 しかし、それを見てもアインズは何の警戒心も抱けなかった。先程まで相手にしていた白金の騎士ツアーに比べれば、目の前の男の攻撃は欠伸が出る。蠅が止まるほどの速度しか感じられない。

 だから、アインズはその刀を鷲掴んだ。そして、しげしげと〈道具上位鑑定(オール・アプレーザル・マジックアイテム)〉で掴んだ刀を眺める。

 

「神刀、属性神聖、低位魔法効果、物理障害に対する斬撃効果二〇パーセント向上、物理ダメージ五パーセント向上および一時的効果に一〇パーセント追加、非実体に対し三〇パーセントのダメージ効果、クリティカル率五パーセント向上――といったところか」

 

 とりわけ、アインズの目を引くような武器ではない。アインズは掴んでいた武器を離してやる。男はそれで解放され、たたらを踏み呆然とアインズを見つめていた。

 

「武人建御雷さんがこういう武器を好んでたな……懐かしい」

 

 アインズは懐かしさに呟く。武人建御雷が引退した後は、確か彼のNPCであるコキュートスが持っていたはずだ。コキュートスに持たせると見た目も相まって格好いいのだ、これが。

 

「さて、帰るぞハムスケ。そこらの一般人と遊んでいるんじゃない」

 

「わ、分かったでござるよ、殿……」

 

 鼻を押さえたハムスケがアインズの近くに寄ってくる。アインズは男をほとんど警戒せずに、彼に目を向ける事をしなかった。

 

 何故なら、アインズにとって男は本当にどうでもいい存在だったから。

 武器の強度さも、レベルも、敏捷性も、その何もかもが――先程まで戦っていた白金の騎士ツアーに劣る。本当に、何も感じないほどにアインズにとって男は単なる一般人だったのだ。

 

 アインズはハムスケがこちらに近寄ってくるのを見て、踵を返す。さっさとあの現場から離れて、落ち着きたい。

 

「と、殿!」

 

「うん?」

 

 ハムスケの叫び声と同時に、背中に少し衝撃を受けたような気がする。ぽん、と背中を撫でられたような感覚だ。アインズは背中を振り返る。男が呆然と立っている。ハムスケを見て、男の持つ刀を見て、アインズは背中をぽんぽんと軽く叩いた。

 

「おいおい。服に皺を作るのはやめろ」

 

「――――」

 

 そのアインズの無慈悲な言葉に、男は絶望的な――世界が終わりを迎えたかのような顔を作ったが、しかしアインズは気づかない。気づけない。何故なら、アインズにとってはあまりに些細なものだったから。

 あの白金の騎士と戦闘さえしていなければ、もう少し気をつけようと思えたかもしれない。だが、今のアインズはアンデッドだというのに少しばかり精神的に疲れていて、あまりのレベル差に細かなところに気づけなくて。

 だから、男の心情に全くもって気づけない。アインズの心の中にあるのは、さっさとハムスケを回収してこの森から去りたい。ただそれだけなのだ。

 

 アインズは歩き去る。ハムスケはそんなアインズを追いかけ、そして時折気の毒そうに男を振り返った。男はふらりとその場にへたり込む。

 

「――――、――――」

 

 少し武術を齧った程度の、単なる一般人の男から発せられる嗚咽の声は、アインズにはまったくもって届かなかった。

 

 

 

 

 

 

「――それで、どうしたんだその鼻は」

 

 しばらく歩いてから、アインズはハムスケの傷に気がついた。ハムスケの鼻先は鋭利な刃物で切り裂かれたような傷があり、少し血が滲んでいる。

 

「さっきの男にやられたんでござる。うぅ、痛いでござるよ」

 

「そうか。少し待っていろ」

 

 アイテムボックスからポーションを取り出し、ハムスケの鼻先にかける。すると、みるみるうちにハムスケの傷は治療されていく。ちなみにハムスケが一番痛かったのはアインズの魔法が直撃した腹部であるが、アインズが手を抜いていた事もあってポーションで一緒に治療された。

 

「おぉ! 全然で痛くないでござる! 感謝するでござるよ殿!」

 

「わかったわかった」

 

 懐くハムスケをアインズは適当な返事で長し、再びハムスケの上に騎乗した。

 

「そら、さっさとこの森を抜けるぞ。まったく、とんでもない目にあった」

 

 白金の騎士を思い起こし、アインズの気分はじくじくとブルーになる。もう少し強ければ精神抑制が働くというのに、そこまでは気が沈んでいないと思うと、なんだが中途半端で苛々した。

 

「そういえばいつもの仮面はどうしたんでござるか、殿。腕のも変わっているでござるし」

 

「あれか? お前を逃がした後に遭遇した変な奴に割られたよ。まったくとんでもない奴だった。魔樹のザイトルクワエより強かったからな」

 

「な、なんと!」

 

 その言葉を聞いたハムスケは驚愕し、その身を震わせている。そして、しっかりとした口調で告げた。

 

「殿」

 

「なんだ?」

 

 アインズはハムスケを見下ろす。ハムスケは一生懸命アインズを見ようと顔を動かしており、ようやく視界に入ったのか口を開いた。

 

「このハムスケ、殿に更なる忠義を尽くすでござるよ!!」

 

「それ、前にも言ってただろう? よく分からん奴だな」

 

 ハムスケが急にそんな事を言う理由が思い当たらず首を傾げる。アインズからしてみれば、ハムスケの忠義は意味不明であった。

 何か凄い事が判明する度にアインズに向けて告げられるハムスケの言葉は、哀れアインズにだけは正確に意味が通じる事が無かったのだった。

 

「さっさと森を抜けろ。長居していると、またさっきの奴が来るかも知れないからな」

 

「わかったでござるよ殿! しっかり掴まってて欲しいでござる!!」

 

 ハムスケは駆ける。夜の森を。アインズは懐から二つに割れた仮面を取り出し、時間が経って回復してきたMPで修復を試みた。

 

「――――」

 

 ふと、空を見上げる。いつの間にか、星空は見えなくなっていた。白い雲が幾つもあり、空は眼も覚めるような青に変わっている。東と思われる方角からは、眩しげに太陽が昇り始めていた。

 

 その光景にアインズは目を細め、修復した仮面を再び装着し、ハムスケの背に揺られながら美しい自然の風景を通り過ぎていく。

 

「まったく、しばらくはカルネ村のように落ち着いて過ごしたいものだ」

 

 『漆黒の剣』と出会ってからの怒涛の日々を思い出し、溜息をついた。カルネ村で村人達とのんびり過ごしていた頃が無性に懐かしい。まだ一週間も経っていないというのに。

 あの姉妹達は元気でやっていけているだろうか。そして、ンフィーレアは祖母と仲良く商売を再び出来るだろうか。『漆黒の剣』は冒険者として活躍出来るだろうかとアインズはふと考え、姉妹の太陽のような輝ける笑みを。ンフィーレアの若さ故の好感の持てる真っ直ぐさを。『漆黒の剣』のかつての仲間を思い起こせるようなチームワークを思い出し、それが無用な心配である事を悟って仮面の中で苦笑した。

 

 それを思えば、自分の先程の白金の騎士ツアーとの遭遇も、彼らに今度会う機会があった時の、面白い冒険譚として話せるかもしれない。

 アインズはそう考えて、ハムスケの背に揺られながら未知の世界を見つめ続ける。

 

「ああ――――」

 

 未知の世界は、こんなにも素晴らしくて、こんなにも楽しい。

 

「殿、楽しそうでござるな」

 

 気分の昂揚したアインズの気配を察したのか、ハムスケが話しかけてくる。アインズはそれに楽しげに答えた。

 

「そうとも。未知の世界は、こんなにも楽しい。お前はそうじゃないのか、ハムスケ」

 

 アインズが訊ねると、ハムスケは少し黙って――けれど、アインズと同じ声の調子で……楽しそうに答えたのだった。

 

「それがし、縄張りから出たことはなかったでござるが……でもそれがしも、知らない世界は楽しいでござるよ、殿!」

 

「そうか、そうか――」

 

 同じ気持ちを共有して、一人と一匹は青空の下を駆けていった。

 どこまでも。どこまでも――。

 

 

 

 

 




 
モモンガ「一般人に構ってる暇ないから」
ブレイン「」
ツアー「今度は“始原の魔法”をぶち込むね^^」

リモコン鎧の詳細な設定が書籍で出たら書き直すかも。
 


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身に覚えがありません

 
タイトルできっと落ちてる話。
たぶん前話と同じで後書きを読むだけで話の内容がだいたい分かる。
 


 

 

 ――緑がほとんどなく荒涼とした、赤茶けた大地。昼夜関係なく存在し、漂う薄霧。数百年前の建築物である崩れ落ちた尖塔が墓標のように幾つも突き出しており、その何一つとて元の形を留めているものは無い。

 建物は崩壊し、周囲に瓦礫となって砕けて散らばっている。それは時間の風化によってそうなったのではなく、大抵はこの地で行われた様々なモンスター達の争いが原因である。

 ここは、アンデッド達の蠢くところ。彼らの反応を覆い隠すように存在する霧からは何故かアンデッド反応があり、奇襲を受けて命を落とした冒険者は数知れない。

 

 そう、そこは血染められた死の大地。

 カッツェ平野と呼ばれる、人間種の誰もが忌避する呪われた土地である。

 

 

 

 

 

 

「最近依頼も無いし、そろそろカッツェ平野のアンデッド退治をしようと思ってるんだが、お前らどうだ?」

 

 バハルス帝国のミスリル級冒険者に匹敵するワーカーチーム、『フォーサイト』のリーダーである軽装戦士のヘッケランは、そう言って同じチームの仲間達を見回した。

 

 カッツェ平野のアンデッド退治は帝国では国家事業であり、無限と言っていいほど湧き出るアンデッド達の数から、定期的に数を減らすために年中無休でその仕事はある。アンデッドはあまり放置していると、生と死のバランスが崩れて強力なアンデッドが誕生するようになるためだ。

 そのため、依頼が無く財布が心許無くなってきた冒険者やワーカーにとっては金の成る木のような扱いを受けている。

 ……とは言っても、極稀に骨の竜(スケリトル・ドラゴン)のような恐ろしく強力なアンデッドが出現する事もあるので、命を落とす人間も少なくないのだが。

 

「そうですね……。そろそろ新調したいアイテムもありますし、懐が寂しくなってきたところです」

 

 神官戦士のロバーデイクが顎をさすって頷く。そうは言うが、彼の懐が寂しいのは自分の報酬を孤児院に寄付したりなどして、あまり自分の手元に残らないせいだ。装備品などは当然手を抜いていないが、しかし贅沢をする姿を見た事は仲間内でも一切見た事が無い。

 

「賛成。最近、矢とかアイテム補充したから、私もちょっとヤバイ」

 

 弓兵のイミーナは苦々しい表情で頷いた。カッツェ平野のアンデッド退治は金になるが、同時に装備の消耗が激しくもある。アンデッドは貫通攻撃や斬撃に対する耐性を持っている者が多く、有効な攻撃は打撃系であるため攻撃手段が弓矢のイミーナは矢の刃先を潰さなくては有効打を与えられない。

 しかし、そうして刃先を潰した矢はアンデッド以外に対してはあまり役には立たないので、別々に用意し常備しておかなくてはならないのだ。

 

「私も問題無い」

 

 若くして第三位階まで使いこなす魔法詠唱者(マジック・キャスター)のアルシェも抑揚を感じさせない口調で頷く。彼女は魔法詠唱者(マジック・キャスター)のため、そこまで装備を摩耗させる事は無いのだが、今までほとんど装備品を新調した事が無い。だが、基本的にどんな依頼でも受けようとする気持ちがある。しかし贅沢をしているようにも見えず、『フォーサイト』としては少しばかり不思議に思っているところがあるのも事実だ。

 

 仲間達全員から了承の意を受け取ったヘッケランは、頷くとこれからの予定を説明する。

 

「じゃあ、流れはいつも通りだな。今日は消耗アイテムの補充に充てて、明日の早朝出発しよう。俺とロバーでアイテムは補充するが、何か絶対に買ってきて欲しい物とかあるか?」

 

 ヘッケランはイミーナとアルシェに訊ねる。これは別にパシリと買って出た、というわけではない。単純に、やはり女性というものは軽視されがちで、特にイミーナは半分がエルフという事もあって昔いらぬ騒ぎを起こしてしまった事があった。アルシェは若すぎて、自分達ワーカーのような職種の人間がいく市場にはあまり適さない。

 ワーカーの集まっているこの歌う林檎亭では、ミスリル級冒険者に匹敵するイミーナやアルシェを軽視する人間は間違っても存在しないが、やはり見た目で相手を判断するどうしようもない人間はいるものだ。

 そういった連中とのいらぬ騒動を起こさないために、基本的にアイテムの補充などはヘッケランやロバーデイクの仕事だった。

 

「んー……最近補充したから問題無いわ」

 

「私も大丈夫」

 

 イミーナとアルシェはそう言って、ヘッケランの質問に否定を返す。ヘッケランはそれに了解し、ロバーデイクを誘った。

 

「じゃあ、消耗品の補充だけで充分か。ロバー、行こうぜ」

 

「ええ」

 

 ヘッケランの言葉にロバーデイクは頷き、席を立つ。二人で歌う林檎亭を出たヘッケランとロバーデイクは、他愛無い世間話をしながら帝都の雑踏へ消えていった。

 

 

 

 ――そして数日後、彼らはカッツェ平野にいた。

 

「相変わらず、霧で前がよく見えないわね」

 

 イミーナが煩わしそうに呟く。野伏(レンジャー)職業(クラス)を持つイミーナだが、このカッツェ平野ではそれはあまり意味をなさない。

 カッツェ平野は常に薄い霧が周囲を覆い隠しており、この霧が晴れるのは一年に一回。それも何故か、バハルス帝国とリ・エスティーゼ王国が戦争を起こすその一回のみなのだ。何故そうなのかは今のところ謎であるが、とにかくそういう場所のため、見通しがあまり利かない。

 そしてその霧からはアンデッドの反応が常にするために、アンデッド探知も役に立ちはしない。

 信じられるのは聴覚のみ。この耳でなんとかアンデッドの物音を探り、アンデッドに奇襲を受ける事だけは避けなくてはならないのだ。――まあ、つまりは野伏(レンジャー)の技能を持たないイミーナ以外の『フォーサイト』の五感は、もっと役に立たないという事だが。

 

「油断するなよ、イミーナ。老公から聞いた話じゃ、王国の冒険者チームがあの骨の竜(スケリトル・ドラゴン)に奇襲されて仲間二人殺られたって事があったらしいし」

 

 ヘッケランの言う老公、とは同じワーカー仲間であるパルパトラという老人の事だ。今では齢八十になるが、全盛期時代はオリハルコン級冒険者と同じ強さと言われたほどである。……もっとも恐ろしいのは、もはやいつ死んでもおかしくない老人だというのに、未だ現役であるという事だが。

 そのパルパトラが率いるワーカーチームがカッツェ平野でアンデッド退治をしていた時に、王国の冒険者チームと遭遇し、そしてあの骨の竜(スケリトル・ドラゴン)に空から奇襲されたらしい。奇襲であったため運悪く王国の冒険者チームは仲間を二人殺され、パルパトラ達と拙いながらも連携して倒したという話をヘッケランは酒場で聞いた事があった。

 

「それは……恐ろしいですね」

 

 ロバーデイクがごくりと喉を鳴らして、呟いた。骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は難度四八のアンデッドであり、あらゆる魔法を弾く骨の体を持ち、そしてスケルトン系アンデッドとしての耐久力や持久力を、更にドラゴンの飛行能力を持つ恐るべきモンスターである。はっきり言って、ミスリル級冒険者でも苦戦する相手だ。

 そんなものにこの霧の中で空から奇襲されれば、それは生きた心地がしなかった事だろう。むしろ、死者二人で止めたというのを褒められるべきだ。

 

魔法詠唱者(マジック・キャスター)の私では、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の相手は出来ない」

 

 アルシェが悔しそうに呟く。魔法に対する絶対防御を持っているため、アルシェの魔力系魔法やロバーデイクの信仰系魔法が通用しないのだ。完全な物理攻撃で戦う事になるので、前衛型神官戦士のロバーデイクはともかく完全な後衛型魔法詠唱者(マジック・キャスター)のアルシェでは本来の実力を発揮出来ない。

 そして、イミーナも弓兵なのであまり骨の竜(スケリトル・ドラゴン)との戦闘で役には立てない。盗賊としての(クラス)も持ってはいるが、盗賊は戦士ほど前衛が出来る(クラス)ではないのだ。

 ――つまり、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)に襲われた場合、『フォーサイト』は実質前衛のヘッケランとロバーデイクの二人で戦う事になる。

 仮にパルパトラに聞いた話のように骨の竜(スケリトル・ドラゴン)からの奇襲を許してしまえば、高確率で『フォーサイト』は瓦解するだろう。

 

骨の竜(スケリトル・ドラゴン)はカッツェ平野でも極稀にしか出現しないらしいから、そう心配しなくてもいい気はするけど……」

 

「ああ。だが、万が一を考えると恐ろしすぎる。イミーナ、気を抜くなよ」

 

「ええ」

 

 ヘッケランの言葉にイミーナは頷き、再び全身全霊で警戒しながら前を進む。

 

 ――霧の中は、アンデッドの気配に満ちている。腐敗臭こそしないが、アンデッド特有の臭いが周囲に充満している。いつ来ても、鼻が曲がりそうな所だった。

 

 四人は周囲に気を配りながら進んでいく。そうしてしばらく歩いていると、イミーナが物音を聞きつけ、ヘッケラン達に合図した。ヘッケラン達は勝手知ったるといった具合で、少しだけ互いに距離を取ってイミーナの警戒する方向を注視する。

 

 少しすると、カシャン、カシャン……といった骨の鳴る音が聞こえ始めた。そして、霧の中から浮き出るように歩くスケルトンを見つける。その数は四体。

 スケルトン系のアンデッドは外見に大きな差異が無いため、ぱっと見では種類が分からない事があるが、気配からヘッケラン達はこれが単なるスケルトンである事を判別した。

 そしてすぐさまヘッケランが前に出て、持っていた双剣で斬りかかる。最弱系アンデッドモンスターであるスケルトンはヘッケランの攻撃に反応する事も出来ず、容易く粉砕された。ヘッケランは一息つく。

 

「とりあえず、四体か。ちゃんと証拠はとっておかないとな」

 

「分かってる。骨の一部を回収する」

 

 アルシェがそう言い、スケルトンの骨の一部、それも証拠能力が高く出来るだけ小さい部位を回収し、持っている皮袋に入れる。一番証拠能力が高いのは頭蓋骨だが、頭蓋骨は流石に重すぎる。しかし腕や指などの一部は証拠としての力が無いため、必然的に首や背、腰の骨の辺りになる。

 ちなみに、スケルトン系は種類によって回収する部位が決まっている。報酬の二重取りなどの防止のためだ。

 

「そんじゃ、この調子で狩ってくか」

 

 ヘッケランは首と肩をコキリと鳴らして、仲間達を見回すと再び歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 唐突な話になるが、アンデッドの発生原因に関しては多くの不明な点があり、あまりはっきりとした原因は分かっていない。基本的には生者が死を迎えたその場所に、不浄なる生を持って生まれてくる事が多い。更にその中でも無惨な死に方をした死者や、満足に弔われない死者がいた場合アンデッドが発生する可能性は非常に高くなるという。

 そして、アンデッドには一つの問題があった。それは放置しておくとより強いアンデッドが発生し、それを放置すると更に強いアンデッドが発生するという現象。

 この現象を利用してかつて都市を一つ死都に変えた“死の螺旋”と呼ばれる暗黒の大儀式が存在するが……今は置いておこう。

 

 言いたい事は一つ。例えスケルトンのような弱いアンデッドであろうと、数が増えればそこからそれらより強いアンデッドが発生するようになる。そのため、墓地や戦場跡で発生したアンデッドは、どれほど弱いアンデッドだろうと決して見逃してはならない、という事。

 

 そういう意味で言えば、このカッツェ平野は地獄のような場所である。誰もが死の大地と呼んでも異を唱えないほどに、この土地は色々な意味で“終わっている”。

 

 だからこそ、この地は王国の依頼を受けた冒険者や帝国の騎士達、そして帝国の冒険者が自発的に共同で掃討を行っているのである。帝国と王国が共同で物資を運び、アンデッドを討伐する者達へ支援するための小さな街さえ維持していた。それほどまでに、カッツェ平野とは危険な場所なのである。

 

 年に一度は戦争を行い、いがみ合う王国と帝国が協力するほどに。

 このカッツェ平野の任務中に互いに殺し合いになるまで争った者達がその後罰則染みたものを受けるほどに。

 

 重ねて言おう。墓地や戦場跡で発生したアンデッドは、例えスケルトンであろうとも見逃す事は出来ない。

 見逃せばどうなるか――それは骨の竜(スケリトル・ドラゴン)と遭遇した冒険者達や、かつて一度だけ発生した伝説のアンデッド(・・・・・・・・)と遭遇した帝国の騎士達が恐怖に身体を震わせながら、口から泡と唾を飛ばして叫び教えてくれるだろう。あるいは、自ら体験する事になるかもしれない。

 

 しかし、見逃す事は出来ないと言われてもこのカッツェ平野には既に多くのアンデッドが生息している。

 例えば、霧の中を走る幽霊船の船長である死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の噂があるし、他にもアンデッドの兵団を見た、という噂もある。

 不思議な事と言えば、彼らは王国と帝国の戦争の日だけは、どこにもおらず姿を隠している事か。一年に一度の霧が晴れる日だけは、彼らの姿を見る事は無い。

 

 しつこいようだが、もう一度言っておこう。墓地や戦場跡で発生したアンデッドは、例えスケルトンでも見逃せない。

 アンデッドはより強力なアンデッドを呼び寄せる。だからこそ、弱い内から始末して決して強過ぎるアンデッドを発生させないようにするのだ。

 

 ――――ならば、もし仮に。

 そんな死の大地に。これ以上は無いというほど強力なアンデッドが紛れ込んでいた場合、どうなってしまうのだろう――――?

 

 

 

 

 

 

「ぐ、おおあああああぁぁぁああッ!!」

 

 霧が周囲に充満し、満足に視界を確保出来ない中でヘッケランの雄叫びが木霊する。両手に持つ双剣が空を奔り、目前の敵に斬りかかる。

 

 ――オオオォォォオ

 

 だが、目前の敵は持っていた円形の盾が防いだ。そのままヘッケランに斬りかかろうとする。

 

「させません!」

 

 ロバーデイクがそう叫び、割って入る。手に持つメイスを渾身の力で敵のアンデッド――骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)の頭に叩きつける。骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)は大きくバランスを崩してその場でたたらを踏む。

 その隙にヘッケランが体勢を整え、骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)に追撃を与え骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)は崩れ去った。

 だが、そこで戦闘は終わらない。

 

「〈雷撃(ライトニング)〉」

 

「〈電気属性防御(プロテクションエナジー・エレクトリシティ)〉」

 

 一直線に進む白色の雷撃がロバーデイクへと迫る。それにアルシェが魔法で電気系魔法をある程度防ぐ〈電気属性防御(プロテクションエナジー・エレクトリシティ)〉でロバーデイクのダメージを減らす。

 

「この……!」

 

 イミーナが先程〈雷撃(ライトニング)〉を放った敵――死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に鏃の先を潰した矢を放つ。だが、他の骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の前に割って入り、盾でその矢を防ぐ。イミーナは舌打ちした。

 

「〈双剣斬撃〉!」

 

 その隙に距離を詰めたヘッケランの双剣が光を走らせ、骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)の頭部に迫る。骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)は頭部にもろにその一撃を食らい、バランスを崩す。そこにアルシェの〈魔法の矢(マジック・アロー)〉が追撃し、骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)は更にバランスを崩した。ヘッケランは骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)にとどめを刺そうとし――

 

「〈恐怖(スケアー)〉」

 

「――ぁ」

 

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が放った魔法により心を恐怖で塗り潰され、体の動きが止まる。

 

「ヘッケラン! 〈獅子のごとき心(ライオンズ・ハート)〉」

 

 体に軽い火傷を負ったロバーデイクがヘッケランに掛けられた魔法を打ち消す。ヘッケランは体の自由を取り戻した。イミーナは死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が追撃してこないように再び矢を放つが、バランスを取り戻した骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)の盾によって再び防がれる。

 そして――――

 

「まずい――皆、散開!」

 

 アルシェの警告が全員に飛ぶ。死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が捻じくれた杖を掲げ、魔法を唱えていたところだった。

 

「〈火球(ファイヤーボール)〉」

 

 その言葉が放たれる前に、全員が散開してお互いとの距離を離す。直後に業炎が噴き上がり、熱波が周囲を叩きつける。狙われたのは神官のロバーデイクだ。ロバーデイクの体を炎が包み込むが、しかしミスリル級冒険者と同等の強さのロバーデイクは一撃では死にはしない。そして距離を離していたために、範囲攻撃魔法である〈火球(ファイヤーボール)〉はなんとかロバーデイクだけにダメージを与えるに収まった。

 

「く……!」

 

 ロバーデイクは苦痛に顔を歪める。死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は先程から執拗にロバーデイクを狙っている。おそらく、ロバーデイクが自分にとって天敵である神官だと理解しているのだろう。そして次に警戒しているのが前衛のヘッケランだ。どちらかと言うと後衛のイミーナや、人間であるが故に自分より格下の魔法詠唱者(マジック・キャスター)であるアルシェはそれほど狙ってこない。さすがに通常のアンデッドとは違い、知性の高さが段違いである。

 

 ――気づけば、ヘッケラン達は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と遭遇していた。この霧のせいだろう。互いにそれほど距離を離さない場所で発見し、戦闘になった。

 

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は強力な魔法詠唱者(マジック・キャスター)のアンデッドである。特に範囲魔法である〈火球(ファイヤーボール)〉を連発出来るというのだから恐ろしい。更に、アンデッドのため疲労とは無縁であり、疲れ知らずだ。

 冒険者ならばミスリル級で勝算は十分あるが、それ以下となると少々厳しくなる。遠くから発見されず、ある程度近い距離で発見出来たのはむしろ幸運だろう。距離が離されていればいるほど、勝利する事が絶望的になっていただろうから。

 

「まったく……まさか、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と遭遇する羽目になるとは。運が無いぜ」

 

 ヘッケランは悪態をつく。何せかなりの強敵だ。出来れば一生遭遇したくないくらいの。『フォーサイト』は一度死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が率いるアンデッド兵団と戦った事があるが、その時も死者が出る可能性があるほどに苦戦を強いられた。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は難度六〇を超える。はっきり言って、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の方がマシなくらいだ。

 

「本当ですね……。これは、帰ったらクジでも引いてみますか? 大当たりが出るかもしれませんよ」

 

 回復魔法を使い体力を回復したロバーデイクもヘッケランの言葉に頷く。その言葉にイミーナが刺々しい声で言葉を返した。

 

「そんなのよりコイツを討伐した報酬の方が堅実よ。男って奴はこれだから……」

 

「一攫千金なんて夢。お金は堅実に集めるべき」

 

 イミーナの言葉に妙に実感が籠もった言葉で返したのはアルシェだ。何故か鬼気迫る迫力が籠もっているのは、もしや一度試してみた事があるのか――。

 

 ヘッケラン達は強敵を前に軽口をたたく。これは余裕の表れなのではない。強敵を前に、そうやって軽口をたたく事で心を落ち着かせているに過ぎない。

 

 何故なら、このカッツェ平野で死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に遭遇するのは恐ろしい事だから。

 どこかの廃墟か墓場で遭遇したのだとしよう。それならばまだ、彼らは余裕をもって戦える。例え死者の大魔法使い(エルダーリッチ)ほどの強敵を前にしても、決して不覚を取る事は無い、といつもの調子で言い切るだろう。実際はどうであれ。

 しかしここはカッツェ平野。周囲を霧が包み、どこからアンデッドが飛び出してくるか分からない危険な死地である。そこで強力なアンデッドと遭遇し、戦闘になる事がどれほど恐ろしい事なのか――想像に難くない。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)骨の竜(スケリトル・ドラゴン)より強敵である。ならば――もしや、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)もいるのでは。そんな恐ろしい妄想が脳裏から離れないのだ。

 

 だから、彼らはいつも通りの軽口を言い合う。その恐ろしい妄想を取り払うように。

 

「いくぞ――!」

 

「神の加護を見せて差し上げましょう!」

 

 ヘッケランが叫び、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に向かって突進する。そこに骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)が盾となるべく割って入るが、ロバーデイクがアンデッド退散を使う。その途端、骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)は塵となって破壊された。

 このアンデッド退散はある程度のレベルの神官ならば使えるもので、レベル差が離れていればアンデッドを消滅させる事が出来る。今までこれを使わなかったのは温存もあったが、何より一度使ってしまえば死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は警戒する。死者の大魔法使い(エルダーリッチ)ほどの強敵ならば、アンデッド退散は通じない。下手に手の内を見せたくなかった。

 骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)という前衛が一瞬で蒸発したため、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は驚き一瞬動きを止める。

 

「くらいな!」

 

 そしてその隙を縫うように、イミーナが鏃の先を潰した矢を放つ。その数三本。前衛がいないため、今度こそ矢は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の胸を叩いた。

 

『グオォ……』

 

「〈魔法の矢(マジック・アロー)〉」

 

 アルシェの魔法の光球が死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に突き刺さる。だが、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)はそこでそのままバランスを崩し無防備を晒す、などと無様な姿は見せなかった。死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が近づいて来ていたヘッケランに指を差し、その指に白い雷が宿る。おそらく一瞬の後、その白い雷はヘッケランに向かって宙を奔り彼を殺すだろう。

 

(〈雷撃(ライトニング)〉か! だが!)

 

 ヘッケランは武技を発動させる。〈限界突破〉、〈痛覚鈍化〉、〈肉体向上〉、〈剛腕剛撃〉――そして。

 

「〈双剣斬撃〉!」

 

 ヘッケランの肉体を損傷させながら放たれる、一撃必殺の最高の一撃。双剣が弧を描いて死者の大魔法使い(エルダーリッチ)へと迫る。死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は反応出来ない。頭がいいからこそ、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は先程までのヘッケランの速度を念頭に魔法を放ったはずだ。まだ間に合う、殺せる、と。

 だが、ヘッケランが武技を幾つも同時に発動したせいでそれが狂う。戦士職でもない死者の大魔法使い(エルダーリッチ)にはもはや何もする事が出来ず――

 

「死にやがれ! この糞アンデッド!!」

 

『グ、ガァッ! オ、オノレ……』

 

 無防備な胴体を双剣が切り裂く。刃物が骨をゴキゴキと鈍い音を立てて切断する感触がヘッケランの両手に伝わる。そんなヘッケランに向かって死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は、最後の抵抗とばかりに先程まで灯っていた魔力の消えた手を伸ばす。アンデッドには負のオーラが纏わりついている。そんなものに触れられればどうなるか――。

 

『カッ……』

 

 だが、そのおぞましい手はヘッケランに触れる事は無かった。イミーナの放った鏃の潰れた三本の矢が死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の頭部に撃ち込まれ、限界までダメージを負った体が崩れ落ちた。

 そして、周囲を再び静寂が包み込む。

 

「ッ、はぁー……」

 

「大丈夫ですか、ヘッケラン」

 

 ヘッケランはその場にへたり込み、近寄ったロバーデイクが〈中傷治癒(ミドル・キュアウーンズ)〉を唱え、ヘッケランの傷を癒す。ロバーデイク自身の傷も、既に治癒魔法で癒していた。イミーナとアルシェは既に周囲の警戒に入っている。ヘッケランとロバーデイクを信頼しているからだ。自分達のリーダーが死ぬはずはなく、ロバーデイクはヘッケランの傷をきちんと癒すだろう、と。

 

「しっかし疲れたぜ。いや、マジで」

 

「確かに。さすがに死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は予想外に過ぎましたよ」

 

「自分じゃ運のいい方だと思ってたんだけどな……」

 

「いいんじゃないですか? 当たりを引きましたし」

 

「こんな当たりはいらねぇ……」

 

 ヘッケランの愚痴にロバーデイクが苦笑しながら返す。少し愚痴を吐いて落ち着いたのか、ヘッケランは立ち上がり、しゃがんでいたロバーデイクも身を起こした。

 

「さて、んじゃま、この糞野郎の遺品、遺品でいいのか? まあいいや……遺品を貰って今日はもう帰りますかね」

 

「賛成。さすがに死者の大魔法使い(エルダーリッチ)はきつい」

 

「帰ってゆっくり休みましょうか」

 

「ちょっと待って」

 

 イミーナの緊張を含んだ言葉に、全員が動きを止めて警戒態勢を取る。

 

「どうした?」

 

「こっちに近づいてくる気配がある。複数」

 

「…………」

 

 全員がイミーナが警戒した方向をじっと見据える。少しして霧から徐々に影が見え始める。それは人型でありまたアンデッドかと思ったが――違う。アンデッドにしては気配に生命力が溢れ過ぎている。徐々に見え始める人影達に目を凝らし……そして、気づいた。

 

「グリンガム!」

 

「ヘッケランか!」

 

 向こうも警戒していたのだろう。グリンガムと彼が連れた仲間達はヘッケラン達の姿を見ると安心したように構えをといた。ヘッケラン達も武器を降ろす。

 

「お前らもカッツェ平野のアンデッド退治か?」

 

「汝らもそのようだな」

 

 グリンガムはヘッケランと同じレベルのワーカーであり、『ヘビーマッシャー』という大所帯ワーカーチームを率いるリーダーだ。

 ヘッケランはいつもの気安さが無いグリンガムの変な口調を疑問に思い、ふと背後を見ると帝国の騎士達が一緒にいるのに気づいた。グリンガムの仲間自体はいつもの十四人というチームではない。

 

「あん? 帝国の騎士さん達までどうした?」

 

「いや、それがな……先程まで骨の竜(スケリトル・ドラゴン)と戦っていたのだ」

 

「はあ? マジかよ?」

 

「ああ。珍しく今回は運が無かった。だが、帝国の騎士達も近くにいたので楽に勝てたぞ」

 

 このカッツェ平野で他者との諍いは厳禁である。帝国の騎士達も、普段は犯罪者手前の扱いであるワーカーに対して寛容だった。もっと正確に言えば、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)という強敵を前にそのような暇は無かった、とも言える。お互いで即席だが協力して戦ったらしい。

 

「いやいやグリンガム。お前らはまだ運がいいって。俺らなんて死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に遭遇したんだぞ?」

 

「はあ!? マジか!? あ、いや、本当か!?」

 

 一瞬素が出て口調が元に戻るが、すぐに思い出したようにグリンガムは直した。素が出た気持ちは分かる。ヘッケランは苦笑いして答える。

 

「おう。さっきまで激戦で、もう帰ろうかと思ってたところなんだよ。そこ、転がってるだろ?」

 

「おぉ……」

 

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の残骸を見つけたグリンガムは呻く。その会話を聞いていたのだろう帝国の騎士達の隊長格の騎士が、二人に近寄り、声をかけた。

 

死者の大魔法使い(エルダーリッチ)骨の竜(スケリトル・ドラゴン)とは……今回は随分と大盤振る舞いでしたな。しかし、これでしばらくは強力なアンデッドは出現しないでしょう」

 

 帝国の騎士隊長の言葉にヘッケラン達も頷く。

 

「確かにな。どっちも稀にしか出ないし、今回出たならしばらくはこのクラスは出ないだろ」

 

「本来ならばあの幽霊船の船長も退治するべきなのだろうがな」

 

 このカッツェ平野で有名なアンデッドを思い出し呟くグリンガムに、ヘッケランは苦笑した。

 

「無理だろ。そもそもなんだよ幽霊船って。平野滑ってんじゃねぇよ船が」

 

「まったくです」

 

 船なんだから陸地ではなく水面を滑れ、という切実な願いである。平野を滑るからこその幽霊船なのかもしれないが。

 

「さて、俺らは帰るけどお前らどうすんだ?」

 

「我らもそろそろ帰還する。アイテムが心許無くなってきたところなのだ」

 

「私どももそろそろ交代の時間なので、別の隊が来る頃でしょう」

 

 そう言って、お互い別れようとする。そこに待ったをかけられた。

 

「待ってくれ」

 

「ヘッケラン、何か近づいてくるわ」

 

 グリンガムのチームの盗賊と、イミーナだ。三人はその言葉ですぐさま警戒し、騎士隊長は騎士達に警戒態勢を取らせ、並ばせる。ワーカー達も同様だ。

 

 そして少しして霧をかき分け、黒い騎士甲冑を着込んだアンデッドの騎士が現れる。眼光は赤く輝き、生命に対しての深い憎しみを感じさせた。黒い全身鎧(フルプレートメイル)には化粧のように所々赤いものが付着している。その姿を見せた二メートルを超える巨躯のアンデッドの姿に、全員がいい知れぬ不安を抱えて凍りつく。冷や汗が全員の背中を、頬を伝う。

 

 逃走不可能の絶望が、姿を現した。

 

 彼らに出来る事は二つだけ。このまま死を受け入れ無力に死すか――あるいは、少しでも抵抗して微力に死すか。

 それだけである。

 

 

 

 

 

 

 かつて帝国は一度、カッツェ平野であるアンデッドと遭遇した。

 

 その時の帝国騎士達の戦力は一個中隊。戦力としては十分である。

 彼らはいつも通り任務だからと討伐を開始した。そして、当たり前のように一方的に殺された。

 

 相手は強過ぎた。骨の竜(スケリトル・ドラゴン)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)も、このアンデッドの前ではゴミのように感じるほどに。

 その化け物はおぞまし過ぎた。殺された者はゾンビになり、そのゾンビに殺されればまた新たなゾンビが誕生するから。

 

 自分達の前に絶望がいると知ったのは、接触からわずか数十秒の後。たったそれだけの時間で、帝国の騎士達は撤退を、いや逃亡を余儀なくされた。

 

 強力なアンデッドは強力なアンデッドを呼び寄せる。

 

 かつて帝国が遭遇し、そして二度と出遭いたくないと願った恐ろしい死の騎士が、再び彼らの前に姿を現していた。

 

 

 

 ――まず最初に、帝国に仕える魔法詠唱者(マジック・キャスター)が全力で逃げ出した。

 彼は知っているのだ。このアンデッドを。姿そのものは見た事がなくとも、自分達のいる帝国魔法省にこれと同じアンデッドがいたのを。知識として。

 だから彼は逃げた。その結論は間違っていない。誰が見ても正しいと言える。彼が無事に逃げ出せれば、すぐさまこの事は帝国に伝わり、最短で帝国最強の魔法詠唱者(マジック・キャスター)、フールーダとその弟子達をこのカッツェ平野に呼び寄せる事が出来ただろう。

 そう、無事に逃げ出せたのなら問題は無かった。彼に間違いがあったとすれば一つだけ。

 

 それは、あまりにも慌て過ぎた事。〈飛行(フライ)〉を使って逃げれば、もしかしたらこのカッツェ平野から生きて帰れたかもしれないのに。

 道中には危険が山のようにあるだろう。もしかしたら他のアンデッドに弓で狙われるかもしれない。

 いや、そもそも踵を返す前に仲間達に事情を説明し、撤退を進言すれば少なくとも彼は家に帰れたかもしれないのに。

 

 踵を返し走った魔法詠唱者(マジック・キャスター)。それを見逃すほどその死の騎士は甘くなく――――

 

「ぁ」

 

 気づけば、彼の前には恐ろしい死の騎士がいた。黒い疾風がワーカー達と帝国の騎士達の間をすり抜け、彼の目の前に出現する。

 彼が許された距離は、たったの五歩だった。

 

「――――」

 

 白銀の輝きがきらめいた後、首が一つ宙を舞う。刹那の後に切断面が噴水のように血を噴いた。どさりと頭を失った体が地面に倒れ、切り離された首はボールのように転がる。

 

『フシュウウゥゥ――』

 

 喜悦の声が、周囲に響いた。黒い全身鎧(フルプレートメイル)にびしゃびしゃと血が付着し、化粧を作る。まるで祝福の喝采を浴びたかのように、それは歓喜の声を上げたのだ。

 逃れようもない死を纏った騎士――伝説のアンデッド、死の騎士(デス・ナイト)が残った人間達を見つめる。今まで呆然としていた者達が弾かれたように体を動かす。彼らは気づいているのだ。これから行われるのが戦闘ではなく、おそらく虐殺となるだろう事を。

 

 そしてその成就して欲しくない予感を肯定するように、死の騎士(デス・ナイト)は歩き出す。

 彼らを、皆殺しにするために。

 

 

 

「押さえろ! 押さえろぉッ!!」

 

「駄目だ!! 逃げろ! 逃げろ!!」

 

 今、本物の地獄がカッツェ平野に広がった。帝国の騎士達がゴミのように宙を舞い、死んでいく。

 

『クカカカカカカ……ッ』

 

 臓腑を転がすような嗤い声のような呻き声が周囲に響く。それにゾッとしながらも、ヘッケランはすぐさま指揮を飛ばす。

 

「アルシェ、逃げろ!」

 

「そんなの出来ない!!」

 

 ヘッケランの言葉にアルシェは泣き叫ぶような声を出した。普段のアルシェなら絶対に出さない、金切声のような叫び声。分かっているのだ、アルシェは。いや、騎士達の攻撃を受けてなお無傷な死の騎士(デス・ナイト)の姿に、分かってしまった。

 あの恐ろしいアンデッドに満足にダメージを与えられるのは、アルシェのような魔法詠唱者(マジック・キャスター)だけ。前衛の物理攻撃では盾と鎧の前に弾かれ、かと言って信仰系の魔法詠唱者(マジック・キャスター)ではレベル差があり過ぎて通用しない。

 つまり、帝国の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が死亡した時点で、満足にダメージを与えられるのは『ヘビーマッシャー』の魔法詠唱者(マジック・キャスター)とアルシェの二人だけだ。その内の一人でもいなくなれば、戦線は容易く崩壊し、きっと全員殺される。

 

 だが、だからこそヘッケランは言わなくてはならなかった。

 

「いいから行け! お前じゃなけりゃ駄目だ!! アルシェ! お前なら帝国の魔法省にコネがあるだろ! そこからお上にこのアンデッドの事を伝えろ! 帝国の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が一番に逃げ出そうとしたのは、たぶんこのアンデッドの事を知ってるんだ!」

 

 それは頭の悪いヘッケランが考えた、正解に近い答えだった。少なくとも他の人間達がぐうの音も出ないほどの正論で、この場で唯一活路を見出せそうな答えでもあった。

 

「第三位階を使えるお前なら、一人でもカッツェ平野を出られる! だから、お前じゃないと駄目なんだアルシェ! 逃げろ!!」

 

「あ、あう、あ…………」

 

 その正論の前にアルシェは反論する術を持たない。置いていきたくなど無いのに、しかしそれが正解だと分かってしまう。

 

 だがきっと、そうすればこの場の全員死ぬ。

 

 ここに残れば、もしかしたら勝てるかもしれないのに。そんな淡い夢が抱けるのに。

 

『オォォオオォオ――』

 

 死の騎士(デス・ナイト)が逃げる者の気配を察したのか。アルシェに目を向ける。睨まれたアルシェは蛇に睨まれた蛙のように恐ろしさで身動きが止まる。

 

「こっちを見ろクソッたれぇぇええッ!!」

 

 それを、イミーナが矢を射る事で注意をこちらに向けた。正確に鎧の隙間の顔面を狙われた死の騎士(デス・ナイト)は、盾で防ぐとイミーナを見る。そして、そちらに一歩近づいた。

 

「グリンガム! やるぞ!」

 

「仕方ないな! それしか生き残る道は無さそうだ!」

 

 馬という足があれば逃げられたかもしれない。〈飛行(フライ)〉が使えれば、絶対に逃げられただろう。

 だが、馬も無ければ〈飛行(フライ)〉も使えない、そんな『フォーサイト』と『ヘビーマッシャー』にはこれ以外の道は取れない。

 

 それは、耐え忍ぶ事。ひたすら全員で纏まって追われながら後退を続けて、アルシェの呼ぶ援軍を待つしかない。

 

「おいおい……」

 

「冗談じゃありませんよ、本当……」

 

 ロバーデイクや盗賊が絶望的な声を上げた。死の騎士(デス・ナイト)に殺された者達が動き出している。首を断たれた者は動かないが、それ以外の帝国の騎士達がゆっくりと起き上がり、ゾンビとなってこちらを見ている。

 その瞳に宿るのは敵意と嫉妬だ。お前達もこちらに来い、と。

 

 全員がアルシェを見ている。それは生存を強く信じる目だ。それ以外に生き残る道が見出せない者達が見せる、覚悟の瞳。生か死かを選ばされる冒険者やワーカーが見せる、覚悟の瞳である。

 その瞳を前にして。アルシェは涙で顔をくしゃくしゃにしながら、頷いた。

 

「わ、わがっだ……」

 

 無論、お互いこれが今生の別れになるかもしれない事は理解している。しかしこれが一番生存確率が高いのも事実だった。このカッツェ平野でバラバラに逃げても、おそらくきっと誰も生き残れない。かと言って纏まって逃げても、あの死の騎士(デス・ナイト)が追いかけてくる。

 

 だから、絶対に生存出来る人物が逃げ出し、救援を呼ぶ。そしてその間亀のように縮こまって耐え忍ぶしか、もう彼らに出来る事は無い。

 

「〈飛行(フライ)〉――」

 

 アルシェは魔法を発動させると、無言で霧の中に消えていった。それを追おうとする死の騎士(デス・ナイト)であるが、そんな事は当然ヘッケラン達がさせない。

 

「おぉぁぁああああああッ!!」

 

 アルシェの背後で、魂を振り絞るような叫び声が聞こえた――。

 

 

 

「はあッ、はあッ!」

 

 そして、アルシェは緊張で呼吸を乱しながらも、〈飛行(フライ)〉で霧の中を突き進んでいく。しばらくすると、制限時間により体を包む魔法の力が弱まってきた事に気づいた。

 

「う、うぅ……」

 

 アルシェは再び魔法を唱えようとする。ここはまだ、それほど進んではいない。全力で飛行するといざモンスターに気づいた時に止まれず、モンスターの群れの中に突撃する羽目になるかもしれないからだ。

 だが、ゆっくりするわけにはいかない。早く援軍を連れて来なければ、全員死んでしまう。

 確か、帝国の騎士達がそろそろ交代の時間だと言っていたはずだ。だとすれば、援軍はすぐに連れて来れる。その時に帝国の魔法詠唱者(マジック・キャスター)に顛末を伝え、自分よりも高位の魔法詠唱者(マジック・キャスター)を連れてきてもらうしかないのだ。

 放置するのは、論外なのだから。

 

 さくり。アルシェはその時耳に地面を踏む音を聞いた。

 

「――――!」

 

 呼吸が荒くなり、冷や汗が出る。体温は一気に下がった。何か、近くにいる。

 

 さくり。さくり。誰かが歩いてきているようだ。アルシェは震えながら杖を握り、霧の中から浮かび上がる黒い人影に怯える。それと同時に、絶対に生き残ると覚悟を決めた。

 

 さくり。さくり。近づいてくる足音と影。きっと向こうも、こちらに気づいている。アルシェは杖を突きつけ、そして現れる人影と巨大な影に驚愕した。

 

「――――」

 

 現れたのは、豪奢な黒いローブとマントを羽織った、仮面をつけた魔法詠唱者(マジック・キャスター)らしき者だった。その隣には、先程の死の騎士(デス・ナイト)に匹敵するほどの精強な魔獣がいる。

 何故か魔法詠唱者(マジック・キャスター)らしき者からはアルシェの生まれながらの異能(タレント)で魔力が見えなかったが、隣の魔獣の強さはその見た目だけで一目瞭然である。一目で、アルシェは自分に勝ち目が無い事を悟ってしまった。絶望がアルシェを襲う。

 

 現れた魔法詠唱者(マジック・キャスター)らしき者はアルシェを見つめ――呟いた。

 

「どうかしましたか? お嬢さん」

 

 深い知性を感じさせる、落ち着いた声だった。アンデッドのような恐ろしさなど欠片も無く、ただひたすらに、この場でアルシェのような少女が一人でいる理由が分からない、と告げる穏やかな気配だった。

 

「――――あ」

 

 そんな落ち着いた魔法詠唱者(マジック・キャスター)らしき者の気配に、アルシェは一気に気が緩み、へたり込む。そして、必死になって訴えた。

 

「た、助けて……」

 

 

 

 

 

 

 アインズはカッツェ平野に到着した時、さすがに絶句した。

 

「えぇー……マジか」

 

 そう、さすがのアインズも絶句するしかない。アンデッドの反応がずっと大規模にするため、まさかと思ったがそのまさかだったと気づいたからだ。

 

 霧そのものから、アンデッドの反応がするのである。

 

 これではアインズが思っていた魔法で霧を晴らそう、という行為は無為に等しい。そんなもので晴れるとは思えなかった。おそらく、この霧は天気だとかそんなものではなく、もっと別の理論によって漂っているものだ。

 

「どうかしたでござるか、殿?」

 

「いや、なんでもない……」

 

 アインズは溜息をついて、魔法を唱える。

 

「〈不死者忌避(アンデス・アヴォイダンス)〉」

 

 低位のアンデッドを近寄らせない魔法を使い、自分とハムスケを覆う。元からアンデッドの自分にはあまり必要の無い魔法なのだが、ついでとばかりにかけておく。

 そしてアインズはハムスケの背中から降り、ドキドキワクワクと胸を高鳴らせながらカッツェ平野を彷徨ったのだが――――

 

「誰も出ないではないか」

 

「殿。それがしにそう言われても困るでござる」

 

 アインズ達の前には、さっぱりアンデッドは出なかった。影も形も見えなかった。

 わざわざ低位のアンデッド避けを張ったのは、有象無象のような連中には興味が無かったためだ。しかしせいぜい効果があるのは低位なので、死の騎士(デス・ナイト)魂喰い(ソウルイーター)などの中位アンデッドは避けられない。アインズの興味があるのは最低限それからで――つまりあのナザリック地下大墳墓でも自動湧き(POP)しないアンデッド達が自然発生するか興味があったからなのだ。

 だと言うのに、アインズの周囲には全く現れない。幾ら歩いても、幾ら待ってもアインズはアンデッドの一体にも遭遇しなかった。

 

「つ、つまらん……」

 

 ぽつりと呟く。こんなにも虚しい観光があっただろうか。いや、無い。

 

「何も見えないし、何もいないでござるからなぁ……殿、どうするでござるか?」

 

「どうするかな……もうかなりの時間歩いているし、それこそ夜になるまで待ってみるか?」

 

 今は一応日中である。モンスターの出現率とは太陽が出ている時と夜とでは全く異なる事が多い。この異世界でもそうだとは限らないが、待ってみる価値はあるだろう。

 

「仕方ない。魔法の効果もそろそろ切れるが、夜までもう少し歩いて――」

 

「殿。何か聞こえるでござるよ」

 

「なに?」

 

 ハムスケがパタリと耳を揺らしている。ハムスケの聴覚は、何らかの音を捉えたようだ。

 

「何の音だ?」

 

「むむむ……殿、これはたぶん戦闘でござるな。何者達かが戦っているでござる」

 

「ふむ……」

 

 可能性としては、アンデッドと戦っている冒険者、といったところだろう。このカッツェ平野はアンデッドの多発出現地帯なので、王国では冒険者を何度も派遣して、アンデッドの発生を少しでも抑制していると『漆黒の剣』から聞いていた。

 

「何のアンデッドと戦っているか、気になるな。少し近づいてみるか」

 

「了解したでござる」

 

 アインズの言葉にハムスケは頷き、歩き出したアインズの一歩後ろをハムスケも歩く。そのままゆっくりと歩き続けて――

 

「殿、今度は誰か近づいてきているでござる」

 

「うん?」

 

 困惑気味のハムスケの言葉にアインズは疑問に思い、少し立ち止まる。少し考え――ハムスケが何も言わないので、あのツアーのような危険な匂いは感じないのだろうと判断して再び歩を進めた。

 

「確かめてくるか」

 

 そう言ってハムスケの言う方角へ歩いていく。ハムスケもそれに当然追従する。そして、顔を涙でぐしゃぐしゃにした少女が姿を現した。

 少女は手にしっかりと杖を持っており、おそらく見た目から魔法詠唱者(マジック・キャスター)だと判断する。

 自分達を見ても何の反応も示さない少女に首を傾げ、アインズは訊ねた。

 

「どうかしましたか、お嬢さん」

 

 なるべく落ち着かせるように、穏やかに話しかける。もしかしたらハムスケを見て襲いかかるんじゃないだろうかと思い、少し警戒した。しかし少女はアインズの言葉を聞くとその場にへたり込み、震える声でアインズに囁いた。

 

「た、助けて……」

 

 そんな少女の懇願に、アインズとハムスケは顔を見合わせたのだった。

 

 

 

 

 

 

「帝国の騎士! 首を斬れ! 早くしろ! 蘇ってくるぞ!!」

 

「急げ! 急げ!」

 

「ロバー! アンデッド退散を――」

 

「無理です! もう使用回数が……!」

 

「畜生! 連中また集まって来やがった!!」

 

 戦場を、絶望的な叫び声が木霊する。その中で、ただ死の騎士(デス・ナイト)だけが哄笑のような呻き声を上げていた。

 

 最初はまだよかった。おそらく死の騎士(デス・ナイト)は遊んでいたのだろう。何人か殺したが、その後は自分達を盾で強打するという腹立たしい遊びを開始したからだ。その場合はダメージは負っても死にはしない。死の騎士(デス・ナイト)を常に視界に入れながらも、人数差でゾンビを狩っていけばよかった。

 だが、次第にヘッケラン達は気づいた。スケルトン達が周囲に集まり始めている。おそらく、血の臭いか生命の匂いに誘われたのだろう。アンデッド達はヘッケラン達の奮闘に誘われるように、この地獄を更に地獄に塗り替えるために集まりつつあったのだ。

 

 これが、地上で戦うワーカーや帝国の騎士達でなく、魔法詠唱者(マジック・キャスター)達の部隊ならばよかった。彼らは空を飛び、その上から範囲攻撃の魔法を降らす事が出来るために、どんなに頭の悪いアンデッドでもおいそれとは近づいて来なかっただろう。

 だが、今ここで戦う者達はいずれも空を飛べない者達だ。一人二人程度が飛べたとしても、弓を持ったスケルトンに落とされる。この数では対抗出来ない。

 

 ヘッケラン達の奮闘を嘲笑うために集まった低位のアンデッド達。それは際限が無く……『ヘビーマッシャー』の神官も、ロバーデイクも既にアンデッド退散の使用限界回数に到達してしまった。

 終わりの見えない状況に絶望が脳裏を過ぎる。アルシェはいつ帰ってくるのだろうか。交代で来るはずだった帝国の騎士達はどうなったのだろうか。彼らはいつ来るのだ。もう来ていいはずだろう。

 

「――――」

 

 途端、ヘッケランの脳裏にある光景が思い浮かぶ。この黒い騎士のアンデッドが現れた時に既に鎧に付着していた赤い液体。

 あれは一体――どこで付着したものだったのだろうか。

 

「駄目だグリンガム! もう無理だ!」

 

「諦めるな!! 生きて帰るんだ! 戦線を維持しろ!!」

 

 グリンガムの怒号が仲間に響く。死しているが故に疲労という概念が存在しないアンデッド達が、そんな彼らを嘲笑うかのように呑み込もうとする。

 

 まるで、水のうねりのようだ。あらゆる自然現象は、人間のようなちっぽけ存在の抵抗など、その巨大な力で全て呑みこんでいく。

 このカッツェ平野にとっては、アンデッドの大群というものはまさに大自然の現象以外の何物でもなかった。

 

「ヘッケラン!」

 

 今まさにヘッケランを襲おうとしたアンデッドがイミーナの矢に射られ、体勢を崩し、それをヘッケランが双剣でとどめを刺す。

 

「助かった、イミーナ!」

 

「いいから前見て! こっちに漏らすんじゃないわよ!!」

 

 イミーナの注意にヘッケランは心の中で頷く。前衛であるヘッケラン達が後衛のイミーナ達までアンデッドを通してしまえば、戦線は容易く崩壊するだろう。前衛が何とか留まり、後衛がその漏らしを片付ける。そういう簡単な役割分担で対応してきた。即席の合同チームではこれが精一杯なのだ。あまり複雑な動きをすると、慣れない動きで隙が大きくなりやはり戦線が崩壊する。

 

『クカカカカカカッ――』

 

 嗤い声のような呻き声を上げる死の騎士(デス・ナイト)――。それはアンデッドの群れの後方で笑いを作り、時折思い出したかのようにこちらまで突っ込んできて、盾で自分達の誰かを強打してくる。愉しんでいるのだ、あのアンデッドは。死の騎士(デス・ナイト)そのものはそのまますぐに後方に下がるが、一時的に開いた戦線の穴に他のアンデッド達が殺到する。それの対応に追われ、結果的にわずかだが徐々に戦線が崩れ始めている。

 ダメージを回復する暇は無く。かといってあの死の騎士(デス・ナイト)を倒す手段など無く。助けは来ない。

 

 死ぬのだ。ここで。ヘッケラン達は。弄ばれるように徐々にアンデッドに押し潰されて。

 

「嫌だ!」

 

 その未来を振り払うようにヘッケランは叫ぶ。そうする事でその未来を回避するように。

 

 まだだ。まだ死ねない。だって、まだ自分の人生は何も始まっていないから……。

 脳裏を過ぎるのは惚れた女の笑顔だ。これから、たぶんきっとずっと歩んでいく事になるはずの女。彼女と歩くはずの人生は、まだ始まってすらいないのだと信じている。

 

「ぐ、おおぉぉおおあああああああッ!!」

 

 だが悲しいかな。気合いでどうにかなる戦力差ではない。そこいらのアンデッド達では相手にならないヘッケラン達の強さも、あの死の騎士(デス・ナイト)には通じない。

 今はまだスケルトン系達だけだが、こうしている内に、いつかは死霊(レイス)のような強いアンデッド達も集まってくるだろう。物理攻撃が通用しにくい相手だ。そうなれば後衛が狙われ始め――戦線は崩壊する。

 

 ……いや、正直に言おう。ヘッケラン達が遭遇したアンデッドは出遭った時点でどうしようも無い相手だった。遭遇した時点で、既に彼らは詰んでいたのだ。彼らに出来る事は、後はどれだけ死を先延ばしに出来るのかという事だけ。

 

 

 

 要するに、本当に、ただ――――彼らは、運が悪かったのだ。

 

 

 

「ヘッケラン!」

 

「――――ぁ」

 

 再び、死の騎士(デス・ナイト)が突進してくる。今度の狙いはヘッケランだ。疲労もピークに達しているこの状態。双剣という武器の性質上盾も持たないヘッケランに防ぐ手は無い。彼はそのまま盾の強打をくらう。もはや後衛の魔力も尽き始めている中で、そのダメージは致命的だろう。遂に、戦線が崩壊する瞬間が来たのだ。

 

 何故か馬鹿みたいに遅く感じる世界の中。しかし体は動かない。迫り来るタワーシールド。

 

「――――」

 

 しかし、ヘッケランの視界の隅を白銀の巨体が駆け抜けた。タワーシールドはヘッケランに当たる事は無かった。

 

「な……」

 

 呆然と、目の前に現れたものにヘッケランは目を向ける。それは、巨大な魔獣だった。白銀の体毛に、蛇のようにうねる尾を持つ四足の大魔獣――。

 その英雄譚にでも出て来そうな精強な魔獣が、ヘッケランを守るように現れ、死の騎士(デス・ナイト)を体当たりで吹き飛ばしたのだ。

 

『グオオォォォォ――』

 

 怨嗟の呻き声を上げる死の騎士(デス・ナイト)。だが、しかし――

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉」

 

 ヘッケラン達の間を通り抜けて、白い龍の形をした雷が三つ、死の騎士(デス・ナイト)へと殺到した。

 絶叫を上げる死の騎士(デス・ナイト)。想像を絶するほどの威力の雷を三連撃で受けた死の騎士(デス・ナイト)はボロボロと崩れ落ちていく。

 

 それは、とても呆気ない幕切れだった。あんなにも恐ろしいアンデッドが、こんなにもあっさりと消えていく。

 

「みんな!!」

 

 その声に、弾かれたように振り返った。ロバーデイクとイミーナも同様だ。少し離れた先にアルシェが立っていた。涙目で。自分達の身を案じるように。

 そしてその横に――こちらに指を突きつけていた仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が立っている。

 

「第五位階……マジかよ」

 

 イミーナの横にいた『ヘビーマッシャー』の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が呻くように呟く声が聞こえる。第五位階、という言葉が聞こえた全員が、驚愕した。

 

 そう、第五位階とは現在確認されている中でも最高位、第六位階の手前の魔法だ。帝国の魔法省でも第五位階を使えるような魔法詠唱者(マジック・キャスター)はいるのだろうか。ヘッケランには分からないが、それが尋常ならざる力の持ち主であるという事だけは分かる。

 

「ハムスケ、雑魚を片付けろ」

 

「はいでござるよ、殿!」

 

 ハムスケ、と呼ばれた精強な魔獣が叫び、尾を使って他のアンデッド達を横薙ぎに倒していく。それを呆然とヘッケラン達は見つめる。仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)は続いて魔法を解き放つ。

 

「〈火球(ファイヤーボール)〉」

 

 放たれた火球は着弾と共に火柱を上げ、溶岩のように炎が広がり周囲のアンデッド達を根こそぎ焼き尽くしていく。残されたアンデッド達は拙い頭脳ながらも恐怖を感じ取ったのか、霧の中に姿を消していった。

 そして、周囲に静寂が戻ってくる。

 

「大丈夫ですか?」

 

 仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の穏やかな声だけが、カッツェ平野に響いた。

 

 

 

 

 




 
Q.いつものマッチポンプですか?
モモンガ「いえ、ほんと身に覚えが無いんですけど……」
カッツェ平野の愉快な仲間達「よろしくニキー^^」
 


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レロレロレロレ(ry

 
どうせ皆、タイトルでオチが分かってるんでしょ?
 


 

 

 ――その都市はバハルス帝国の帝都に近く、リ・エスティーゼ王国の城塞都市エ・ランテルに近く、そしてカッツェ平野に近い。

 そのため帝都の次に大きな都市と言ってよく、流通などに至っては一部帝都を凌ぐほどだ。

 全ての道路、とまではいかないが大通りなどはレンガや石に覆われており、整備が行き届いている。馬車や馬が通る道と人が通る道にはちょっとした防護柵が立てられており、歩行者の安全を確保していた。そして今は夜だからだろう。人通りは少ないが道路脇に立てられている街灯が魔法の光を放って道を照らしている。そして、騎士がどこを見ても立っており、周辺の安全に目を光らせていた。このような場所で犯罪を働くのはさぞ勇気のいる事だろう。

 

 そんな夜道を、アインズはワーカー達と一緒に話をしながら歩いていた。ハムスケは歩道を通れないため、馬車と同じように大きな道を歩いている。ハムスケの姿を見て幾人も振り返ったり、警戒したように目を光らせる者がいるが、帝国の騎士の姿を見て警戒を緩めていたため、職質のような事をされる事は無かった。

 

「それにしても助かりました。何とお礼を言っていいか……」

 

 帝国の騎士の隊長格の男――引き締まった体をしているが、四十代と思われる――が、アインズにしきりに礼を言う。アインズは段々面倒臭くなりながら、何度も同じ答えを返す。

 

「いえ、お気になさらず。単なる通りすがりですので」

 

 死の騎士(デス・ナイト)を倒した後、話もそこそこにアインズ達はこの男に案内され、カッツェ平野の監視用の小さな街を訪れた。そこで生き残りの帝国の騎士達は他の騎士達にカッツェ平野での出来事を報告し、続いて見回りを交代する手続きをしたようだった。

 残念ながら、本来交代するはずの騎士達は死の騎士(デス・ナイト)と運悪く遭遇してしまったようで、彼らの行方は知れない。

 そしてアインズはこの騎士に何者なのか尋ねられたため、旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だと説明した。そのままお礼をしたいと言われ断ったのだが一緒にいたワーカー達にも押され、ウヤムヤのうちに礼のためにもっと大きな都市へ案内されたというわけだ。

 

「そう言うなよ。アンタがいなきゃ俺ら全員死んでたぜ」

 

 気安そうに話しかける男はワーカーの一人で、ヘッケランと言うらしい。『フォーサイト』というチームのリーダーだ。チームには神官のロバーデイク、弓兵のイミーナ、魔法詠唱者(マジック・キャスター)のアルシェがいるが、今は離れている。

 

「全くだ。汝にはいくら感謝しても足りないと言うもの」

 

 この男はグリンガムという名前で、こちらもワーカー。『ヘビーマッシャー』という十四人で構成された大所帯チームのリーダーである。今一緒に歩いているのは彼だけで、こちらもチームのメンバーを連れてはいない。

 理由は簡単で、『ヘビーマッシャー』のチームには被害が出てしまった。帝国の騎士に比べればたった一人という少ないものだが、それでも彼らには一大事だろう。冒険者で言えばミスリル級に匹敵する仲間を一人失ったのだ。ミスリル級ともなれば、並みの帝国の騎士より強いらしく、損失は大きい。その仲間の弔いと、今後の事での話し合い、そして消費したアイテムの補充のためにこの場にいないのだ。

 『フォーサイト』もアイテムの補充などがあるため、一緒に抜けている。チームリーダー二人がこの場にいるのは、アインズという第五位階魔法を使う凄腕の魔法詠唱者(マジック・キャスター)と顔を繋いでおきたいからだろう。ちょっとしたコネクション作りの一環、というやつだとアインズは認識しているためそれほど不快には思わない。帝国の騎士も似たようなものだと思っている。

 

 さすがに死の騎士(デス・ナイト)を倒すのに第五位階を使うのはやりすぎたか、と思わなくもないのだが、しかしこの世界では死の騎士(デス・ナイト)はガゼフと同じレベルらしいクレマンティーヌと同じ強さなのだ。それに対して第三位階の魔法でちまちま始末する、というのはさすがに気が引けた。

 今までの経験から死の騎士(デス・ナイト)に遭遇した事のある人間はいないようだが(ガゼフや犯罪者のクレマンティーヌ、カジットという男も知らないようだったし)、もし知っている人間がいた場合第三位階魔法だけで倒したと伝わるのはよくない気がしたのだ。

 まあ、アインズにはハムスケもいるのでハムスケが与えたダメージがかなり大きかったという事にしておこうとアインズは思っている。

 

 ……この世界、いやバハルス帝国での死の騎士(デス・ナイト)の扱いというものを知らないアインズは、それでいいだろうと楽観していたのだった。

 

「ところで何か嫌いな物はありますか? ここの酒場はですね――」

 

「ああ、申し訳ありません。宗教上の理由でしてね、命を奪った日の食事は一人で済ますようにという教えなんです」

 

「ほー……それなら、仕方ないな」

 

 帝国の騎士の言葉に、アインズはかつて『漆黒の剣』にも語った建て前を話す。何処の国、何処の世界でもやはり宗教というものは厄介なようで、彼らはそれほど疑問にも思わず、深く訊ねてこなかった。アインズはそれに安堵する。

 

「でもさ、アンデッドじゃんか。連中もう死んでね?」

 

「アンデッドでもそこにいれば生きている、と言っても過言ではないと思いますよ。死体だろうと、自分の意思で動いているのですから、人によってはそうとるでしょう。私のいたナザリックでは、そう判断しています」

 

 アンデッドに対する言葉に少しばかり不快になるが、一般的な言葉なので我慢する。……この男、自分が仮面をとった時どういった反応をするのだろうとふとアインズは気になったが、そうやってからかう理由も無いのでその考えを棄却した。

 

「それより、ハムスケの泊まれる場所があればいいのですが……」

 

「ああ、大丈夫ですよ。この先にある酒場は宿泊施設にもなってまして、馬車などで訪れるお客もいますから、馬を休ませるための小さな厩舎もあるんです。お連れの魔獣は、そちらで休ませればいいと思います」

 

「それはよかった」

 

 そうして案内されたのは、一目見て高級感溢れる最高級宿屋だと看破出来る施設であった。ただ、趣というものはあまり感じられず、言うなれば新規オープンした高級ホテル、といったところか。アインズが王国のエ・ランテルで見かけた最高級宿屋は高級旅館、といった感じだ。街中を見ても思ったが、やはりこれは古き良き歴史を大切にする王国と、新しいものは何でも取り入れようと進化を促す帝国との差なのだろう。どちらが好感が持てるか、といった個人の感想はこの際置いておく。

 それに、アインズとしては心配になる事が一つ。

 

「えぇー……ところで、王国の金貨でも支払いは大丈夫なのでしょうか?」

 

 リイジーから貰った金貨がまだ一枚も使わずにあるが、それはカルネ村で見た金貨と全く同じなため、おそらく王国金貨なのだろう。カルネ村のような小さな開拓村に交易共通金貨があるとは考えにくい。そして交易共通金貨があるという事は、国によって硬貨のデザインは変わり、場所によっては使えないのではないかという危惧をアインズは抱いた。

 お金が足りないのではないかという心配はしていない。自分とハムスケの分ならば、金貨が一五〇枚もあれば足りるだろうと思っている。さすがにリイジーが実ははした金を渡していた、という事は無いと信じたい。

 

「大丈夫ですよ。王国金貨と帝国金貨はもともと一対一ですので。それに、お金の事は心配しなくて大丈夫です。私が支払わせていただきますから」

 

 微笑む帝国の騎士にアインズは慌てる。

 

「そこまでしていただくわけには――」

 

「いえ、お気になさらず。それに、命を助けていただいた恩人に宿を案内しただけなどと本国に知られれば、私は騎士の恥晒しだと言われてしまうでしょう」

 

「あ、はい」

 

 有無を言わせぬ雰囲気で微笑みながら押し込んでいく騎士に、アインズは諦める。自分で金を払い、こういう高級宿はどれくらいの金額がかかるのかというものを知りたかったのだが無理そうだ。

 

(っていうか、宿って事は宿帳に名前書かないとまずいよな? 俺日本語くらいしか書けないんですけど!? アインズ・ウール・ゴウンってこっちの言葉だとどう書くんだろ!?)

 

「さあ、どうぞ!」

 

「では失礼します」

 

 内心の冷や汗を押し隠し、涼しい顔(仮面のため見えないというか無いが)で案内され入口に歩を進めた。

 

「――失礼。申し訳ありませんが、どのようなご用件でしょうか?」

 

 帝国の騎士とアインズ、そして後ろにいるワーカー二人組とハムスケの姿を見て宿の警備兵だろう男達が声をかける。仮面を着けているような怪しい魔法詠唱者(マジック・キャスター)が相手なのだ。それも当然だろう。しかも(アインズにとってはよく分からない感性だが)大魔獣まで連れているのだ。ワーカー二人は本来犯罪者一歩手前だが見た目だけなら冒険者にしか見えないので、プレートの事を突っ込まれないかぎり大丈夫だ。

 

 それに対し、帝国の騎士が進み出て、懐からある羊皮紙を取り出して相手に見せている。

 

「こ、これは……!」

 

 それを見た警備兵が顔色を変えた。騎士が持っている羊皮紙は、前のカッツェ平野の拠点用にある小さな街にいた、帝国の魔法詠唱者(マジック・キャスター)から渡されていたものだ。アインズは詳しく聞いたわけではないが、あれがどのような効果を持つのか大体は分かる。

 アインズは第五位階魔法を使った。そして、人間の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が辿り着ける魔法は第三位階まで。稀に第四位階魔法を使う者もいるが、本来はその第三位階魔法までしか使えない。第五位階や第六位階は英雄級なのだ。

 つまりアインズは英雄級の魔法詠唱者(マジック・キャスター)であり、粗末な扱いをするわけにはいかない、という事なのだろう。帝国の魔法詠唱者(マジック・キャスター)は粗相が無いようにと騎士に口を酸っぱくして語っていたのをこっそり聞いていたアインズは、あの羊皮紙にも似たような事が書いているのだろうな、と推測している。

 

「大変失礼いたしました。どうぞ。私が受付までご案内させていただきます」

 

「すまないが、この御仁の騎乗魔獣も頼みたい」

 

「なるほど……では、係の者をお連れしますので、少々お待ちください」

 

「ハムスケ、大人しくしていろよ」

 

 アインズは入り口に置いていくハムスケに振り返り、声をかける。ヘッケランとグリンガムが苦笑いして答えた。

 

「あ、俺が説明しておきますよ」

 

「ああ。我らは自分のチームのところに帰らねばならないからな」

 

「ああ――色々、この街の説明などの事もですがありがとうございます」

 

 ヘッケランとグリンガムの言葉に、礼を言う。二人は苦笑し、ハムスケと入口に残った。アインズは帝国の騎士と共に警備兵に案内され、受付へと進む。

 受付には品の良さそうな女性が座っており、警備兵が幾つか女性に耳打ちする。その後、警備兵はアインズに恭しく一礼して持ち場へと戻っていった。受付の女性は深々とアインズに頭を下げる。

 

「ようこそおいで下さいました。私どもの宿屋を選んでくださったことを、深く感謝いたします」

 

「ゴウン殿。何かご希望の部屋などはおありですか?」

 

 帝国の騎士の言葉にアインズは首を横に振る。

 

「いえ。希望はないですね」

 

「かしこまりました。では、記帳などの些事は私が」

 

 騎士がそう言って宿帳にサインしてくれるのを横目に、アインズは内心ほっと息を吐く。「どうぞサインを」などと求められれば、「文字知らないので書いてください」と言わなければならないところだった。さすがにそれはちょっと恥ずかしい。

 

(この世界の文字……覚えないとまずいよなぁ。明日の朝適当に市場で本でも買って、練習してみるか?)

 

 今度自分でサインする状況になった時、いい年した大人の男が「文字が書けない」などと言うのは恥ずかし過ぎる。特に、アインズの見た目は叡智溢れる大魔法詠唱者(マジック・キャスター)なのだ。そんな恥ずかしい事態は本当に勘弁してほしい。たぶん、二度とその街に近寄れない。

 

「ありがとうございます」

 

「では、こちらへどうぞゴウン様」

 

 宿帳に記載されたのを確認して、近くにいた従業員が話しかけてくる。騎士を連れてアインズはその従業員の後をついていく。着いた先はやはりと言うべきか、高級宿の例に漏れず、一目で貴族か何かが泊まるのだろうなと分かる調度品の置かれた部屋だった。

 

「ゴウン殿。食事はいつ頃部屋にお持ちするよう頼みますか?」

 

「そうですね……では、準備出来次第お願いします。朝はいいので、気にしないでください」

 

「かしこまりました。こちらに滞在中は私どもの方で宿泊費を出費させていただきますので、ゴウン殿は気になさらず好きなだけご滞在してください」

 

「いえ、さすがにそれは――」

 

 そう何日も相手の金銭で滞在するのは気が引ける。しかし、帝国の騎士は首を横に振り告げた。

 

「ゴウン殿。命の恩人である貴方への、精一杯の御礼ととっていただきたい。これくらいせねば気がすまないのです」

 

「そうですか……分かりました。街を出る時はここの従業員に告げておきますね。何から何までありがとうございます」

 

 アインズはそう言って、しきりに頭を下げる帝国の騎士に苦笑しながら従業員と騎士が去っていくのを見送った。それを確認し、アインズは部屋を一つずつ魔法で何か仕掛けがないか調べていく。

 そして何も無い――と分かると、ハムスケに<伝言(メッセージ)>を繋げた。

 

「ハムスケ。聞こえるか?」

 

『と、殿!?』

 

 頭の中に聞こえる声に驚いたらしく、叫ぶ声がアインズの頭に響く。

 

「落ち着け。ただの声を届ける魔法だ。静かにしろ、頭に響く」

 

『も、申し訳ないでござるよ殿……』

 

「それで、今は一匹で厩舎か?」

 

『そうでござる。あの二人はもう帰ったでござるよ。“囁きの葡萄亭”という宿泊施設にいるそうでござる。用があれば、そこを訪ねて欲しいと言っていたでござるよ』

 

「なるほど。そうだな……明日、連中にこの街の案内でもさせるか。本人達も俺とコネを作っておきたそうだったしな」

 

 まあ、俺とコネを作っても意味なんて無いんだけどな――という内心を隠す。向こうが勝手に期待しているだけだ。それに便乗して、精々役に立ってもらおう。ある程度の常識はカルネ村と『漆黒の剣』から聞いたが、帝国での事となるとまた違ってくるであろうし。

 

「俺は明日出かけるが、ハムスケ。お前は大人しくしていろよ」

 

『分かったでござるよ、殿』

 

 そして、<伝言(メッセージ)>を切る。

 

 この後アインズは持って来られた食事を試してみて挫折したり、風呂に入ってみてあまりの自分の体の洗い辛さに身悶えしてキレて感情を抑制されたりしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 バハルス帝国の帝都アーウィンタール。そこにある帝国でもっとも豪奢であり、権力の象徴である城――鮮血帝という異名を持つ皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは、絢爛豪奢と言われるような執務室で従者四人を従え、その日の執務に励んでいた。

 ジルクニフの目の前にある机には幾つもの書類の山があるが、そこから分けられるように数枚の紙が散らばっている。

 その分けられた紙は報告書だ。王国の内通者からもたらされた、ある小さな村を救った魔法詠唱者(マジック・キャスター)についての報告。

 

 ――そして、ノックも無しにドアが開かれた。ジルクニフは視線をそちらに向ける。従者達はその無礼な態度に腰を落とし警戒し、敵意の籠もった視線をドアの向こうに向ける。

 入ってきたのは老人であり、純白のローブをゆったりと着ている見るからに魔法詠唱者(マジック・キャスター)であろう者だ。

 その姿を確認した従者達は、警戒を解き元通りの姿勢に戻る。

 

「厄介事ですぞ」

 

 老人――帝国一の魔法詠唱者(マジック・キャスター)であり、第六位階魔法を使えるという英雄級の主席宮廷魔術師の大賢者、フールーダ・パラダインは開口一番にそう吐き出した。

 

「調査しましたが、発見は不可能でした」

 

 フールーダは王国の内通者からもたらされた魔法詠唱者(マジック・キャスター)の情報を聞き、ジルクニフに調査するよう言われていたのだが、その結果は非常によろしくないものだったのである。

 

 まず、探知魔法と呼ばれる類のものがある。特定アイテムを捜索したり、あるいは特定の人物を捜索する事が可能な魔法だ。

 これを防ぐ手段は二通りある。

 一つはマジックアイテムを保有すること。探知阻害のマジックアイテムというものは、高価ではあるがあるにはある。決して不可能では無い。

 そしてもう一つは自力で防ぐこと。高レベルの魔法詠唱者(マジック・キャスター)ならば、探知阻害の魔法を使う事が可能なのだ。

 

 だが、この二つにはどちらも問題がある。

 

 それは――フールーダという最高位の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の魔法を防ぐというのは、並大抵の力では済まされないという事だ。

 マジックアイテムであった場合、フールーダの魔法を防ぐほどのマジックアイテムを保有する事が出来るほどの財を持つ、という事になる。当然ただの一般人のはずが無く、ある程度の権力を持っているだろう。

 そして魔法で防いでいた場合は――もっと恐ろしい。それはつまり、フールーダに匹敵する、あるいはそれ以上の魔法を行使する誰か、という事になるからだ。

 

 そのような推測を聞き、ジルクニフとフールーダ以外の者に緊張が生じる。

 

「嬉しそうだな、じい」

 

 ジルクニフは皮肉まじりに呟く。しかし、決して嫌ってはいない。ちょっとしたからかい交じりの言葉だ。ジルクニフは知っているのだ、フールーダの夢を。

 フールーダには力への渇望というものは全く無い。この老人にあるのは、ただ魔法の深淵を覗きたいという魔法知識への飽くなき欲求だけだ。

 魔法を――いや、そもそも物事を学ぶ上でもっとも最適な方法は、誰かに師として仕えさせてもらう事である。だが、それがフールーダには許されない。何故なら、フールーダこそが最も魔法という道の先を歩む者であるからだ。フールーダだけは、誰かが切り開いた“道”ではなく、自らで切り開いた“未知”を歩まなければならない。

 だからこそ、フールーダはこの王国の辺境にふと現れた魔法詠唱者(マジック・キャスター)に期待している。この魔法詠唱者(マジック・キャスター)こそ、あるいはフールーダが求めた誰かなのではないか。いや、そうでなくともいい。ただ、自分と同じ位階であれば、少なくとも魔法談義によってより研磨出来る。

 

 嬉しそうだと言われたフールーダは、しっかりと頷く。

 

「ええ。この魔法詠唱者(マジック・キャスター)が私が求めた相手である事を望んでおります」

 

「可能性は高いぞ。この報告書では、どうやらあのスレイン法国の特殊部隊数十人をたった一人で相手にしたみたいだからな」

 

「それは……素晴らしい」

 

 ジルクニフはフールーダに報告書の内の一枚を渡す。そこにはガゼフが王国に報告した内容が記載されており、ついでに記入者が個人的に感じた事まで書かれている。

 それを読んだフールーダは、まるで餓えた獣のような気配を発して呟いた。

 これが事実であった場合、間違いなくこの報告書に記載された人物はフールーダと同等――つまり英雄級で確定だからだ。

 

「陛下、この村には誰か送ったのですか?」

 

「いや、まだだ。送れば目立つからな――」

 

 そうしてこの報告書に記載された謎の魔法詠唱者(マジック・キャスター)、アインズ・ウール・ゴウンについての話題に花を咲かせる。暫くすると、新たに訪れる者がいた。しかし今度はフールーダのような事はなく、きちんとノックがある。

 

「入れ」

 

 ジルクニフの言葉に、「失礼します」と言って頭を下げ男が入ってくる。ローブを纏った魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。これはフールーダの弟子の一人であり、どこか慌てた様子であった。

 

「師よ! ご報告が……アインズ・ウール・ゴウンなる魔法詠唱者(マジック・キャスター)ですが、発見いたしました」

 

「なんだと!?」

 

 青天の霹靂とも言える、ふって湧いたような報告にジルクニフもフールーダも驚愕し、思わず席を立つ。

 

「どういうことだ?」

 

「はい。カッツェ平野でアンデッドの間引きをしていたところなのですが――その、そちらの方でも一つご報告があります」

 

「なに……?」

 

 顔色を真っ青にした弟子の言葉に困惑し、先を促す。弟子は覚悟を決めた表情で、しかし怯えの色を見せながら口を開いた。

 

「カッツェ平野で、死の騎士(デス・ナイト)が出現いたしました」

 

「――――ば、馬鹿な」

 

 フールーダは呻くように呟く。ジルクニフはそれに少し聞き覚えがあり、フールーダに訊ねる。

 

「じい、死の騎士(デス・ナイト)とはなんだ? もしや魔法省の奥にいるというアンデッドのことか?」

 

 死の騎士(デス・ナイト)はかつて一体で帝国を危機的状況に追い込めると言われたアンデッドである。確かジルクニフはそのように記憶している。

 

「そうです、陛下。魔法省の奥深くに封印しており、未だ私ですら支配の叶わぬアンデッドです。かつてカッツェ平野で出現し、その時は帝国の騎士達に大損害をもたらした、彼のアンデッドです」

 

「なるほど……だが、じいは捕縛出来ただろう」

 

「はい。弟子達と協力し、<飛行(フライ)>で相手が届かない空から<火球(ファイヤーボール)>などの範囲魔法を放つことで、なんとか捕縛しました。それがもう一体出現するとは……」

 

 尋常ならざる事態である。早急に、死の騎士(デス・ナイト)を始末するしかない。放っておけば、恐ろしい事に更に厄介なアンデッドを呼び寄せる事になりかねないからだ。

 

「あの、そのことなのですが……死の騎士(デス・ナイト)の件は既に終わっております」

 

「なに?」

 

 弟子の放った意味の分からない言葉に、ジルクニフもフールーダも困惑する。何を言っているのだ、この男は。そう表情が物語っていた。弟子も自分で自分の言っている事が信じられない、という表情で語っている。

 

「件の魔法詠唱者(マジック・キャスター)――アインズ・ウール・ゴウンなる者が、死の騎士(デス・ナイト)を倒してしまったのです」

 

「は?」

 

 言われた言葉の、意味が分からなかった。

 

「帝国の騎士やワーカー達が死の騎士(デス・ナイト)と戦っているところに、恐ろしく精強な魔獣を連れて現れ、その魔獣と協力して倒してしまったのだと報告がありました」

 

「……冗談だろ?」

 

 ジルクニフは思わず呟く。しかし、弟子は顔色を真っ青にしながらも首を横に振った。

 

「いえ、なんでも魔獣の体当たりと<龍雷(ドラゴン・ライトニング)>を三重にして放ち、勝利したと」

 

「…………」

 

 三重、という言葉にフールーダの眉が動く。フールーダの二つ名は『三重魔法詠唱者(トライアッド)』。その言葉の意味は違えど――しかしそのフールーダであろうと――

 

「おい、じい。率直に訊くが死の騎士(デス・ナイト)に一人で勝てるか?」

 

「無理ですな。一人ではダメージが彼奴の体力を上回る前に、私の魔力が枯渇するでしょう。ましてやカッツェ平野では他のアンデッドからの奇襲を警戒しなければなりません。一人で<飛行(フライ)>を使い空を飛び、死の騎士(デス・ナイト)を倒すのは難しいでしょう」

 

「じゃあ――それが出来るコイツはなんだ?」

 

 ジルクニフは報告書を指差す。フールーダでも不可能な事を成した、という事はつまりフールーダよりも格上の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だという証明に他ならない。

 しかし、それにフールーダは首を横に振る。

 

「一人では無理でしょう。しかし、この御仁と同じ状況ならば出来るかも知れません」

 

「どういうことだ? あー、簡単でいいぞ。じいの魔法解説は長いからな」

 

「では簡潔に――例えば、この死の騎士(デス・ナイト)と同格……あるいは格上、もしくは少し劣る程度の前衛がいるならば可能でしょう。まず死の騎士(デス・ナイト)はその前衛に任せ、他の横槍はワーカー達に任せます。そして御仁が現れる頃には少しくらいは体力が削られていたことでしょう。それなら、この御仁と同じことが出来るやも知れません」

 

 そのフールーダの言葉にジルクニフは笑った。

 

「なんだそれは? あのガゼフ・ストロノーフがこの場にいたとでも?」

 

「そうは言いませぬが、そういう状況ならば私でも御仁と同じことが出来る可能性があります。ただ、その場合私は御仁よりも別の魔法、あるいは多くの魔法を使うことになりますが」

 

「なぜだ?」

 

魔法詠唱者(マジック・キャスター)の中にはエレメンタリストと呼ばれる類の者がいるのです。特定属性に特化し、更に特殊化した魔力系の魔法詠唱者(マジック・キャスター)をそう呼びます。得意分野の攻撃力は同じ位階魔法の使い手と段違いに跳ね上がります」

 

「コイツはそれだと?」

 

「おそらく。強化に強化を重ね、三重化させて<龍雷(ドラゴン・ライトニング)>を放ったのでしょう。更にその前は魔獣の体当たりが、そして帝国の騎士やワーカー達が些細ではあるでしょうが少しは体力を削っていたことも考慮すると、死の騎士(デス・ナイト)を倒すことも可能になります」

 

「なるほど」

 

 ジルクニフは納得した。納得したが……それは同時に、フールーダが得意分野では自分はアインズ・ウール・ゴウンに劣るだろうという宣言に等しいとも理解している。

 

 帝国最強の魔法詠唱者(マジック・キャスター)、『三重魔法詠唱者(トライアッド)』のフールーダ・パラダイン。帝国全軍に匹敵するほどの強さを持つ現代の英雄である。

 そのフールーダでも、一分野では勝てないと言わしめる魔法詠唱者(マジック・キャスター)、アインズ・ウール・ゴウン。

 ジルクニフは思う。欲しい。とても欲しい。出来れば帝国に迎え入れたい。少なくとも友好関係だけは絶対に築いておきたい相手だ。何せ帝国全軍に匹敵するフールーダに匹敵する相手である。フールーダが敵に回った事態など考えたくもない状況だ。それを避けるためには、少なくとも帝国に対して敵対行動を取らない程度には友好関係を築いておかなくてはならない。

 

「今、そいつはどこにいるんだ?」

 

 ジルクニフが訊ねると、弟子はカッツェ平野にもっとも近い大都市に滞在しているのだと語った。アインズは旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)らしいので、急ではあるが自分達の判断で恩を返すという名目でその都市一番の高級宿に、代金こちら持ちで宿泊してもらっているはずなのだとか。

 

「ふむ。――よし、行こう」

 

「は? 陛下自らですか?」

 

 今まで黙って聞いていた従者の四人の一人……“雷光”バジウッドが思わず訊ねる。それにジルクニフは頷いた。

 

「ああ。フールーダ級だという相手に対して、皇帝の私が会いにいかないとまずいだろう? 旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)ならばいつまでも留まっていないだろうから、急いだ方がいいな。とりあえず急ぎの案件だけ片付けて――三日くらいか。街までの日数を考えると……五日だな。五日間、なんとしてもその街に留まらせろ」

 

「向こうから来るよう言わないんですか?」

 

「それは向こうがこちらに会いに来る気があればだろ? 旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)で、世捨て人の類だと無視して出ていく可能性があるぞ。なあ、じい? 見知らぬ権力者から会いに来いと命令されて、お前は来るのか?」

 

 ジルクニフはフールーダに訊ねる。フールーダは少し考え、首を横に振った。

 

「まず無いですな。なにせ、私でも時折このような権力に付随する義務が面倒になりますので」

 

 その答えにジルクニフは笑い、その場にいる者達に命令する。

 

「そういうわけだ。金でも女でもなんでもかまわん。何とか街に留まらせ、少しでも友好関係を築いておくよう命令しろ。それと、一緒にいたというワーカー共がアインズ・ウール・ゴウンの機嫌を損ねないよう見張るようにも言っておけ」

 

「は!」

 

 ジルクニフの命令に、その場にいた者は深く頭を下げた。

 そしてジルクニフはフールーダと護衛を連れて、三日後にお忍びでアインズのいる街へとやって来る事になる。

 

 

 

 

 

 

 ワーカー達に案内してもらった市場で、アインズは無い目蓋をぱちくりとまばたきするような気持ちに襲われた。

 

「これは……」

 

 市場に並べられているアイテムの一つを手に取る。この店に並べてあるマジックアイテムは生活用の物で、冒険の役にはあまり立たない。しかし、アインズの興味を引くには充分だった。

 

「それ気になるの?」

 

「魔法学院とか魔法省があるくらいだからな。帝国の魔法技術は他の国より高いぜ。だから、そういうの買う時は帝国の方が安上がりだぞ」

 

 ついて来ていたイミーナとヘッケランの声を聞きながら、アインズはその手に取ったマジックアイテムを眺める。

 一言で言えば――そのマジックアイテムの形状は小さな冷蔵庫、と言ったところか。説明書きもあり、こっそり仮面の下に装備している文字を解読する眼鏡によると、そのマジックアイテムの力は見た目通り冷蔵庫と言って過言では無かった。

 

「これは……誰が発明したんですか?」

 

「知らないの? こういう生活向上用のマジックアイテムは、二〇〇年前に“口だけの賢者”って言われてた牛頭人(ミノタウロス)が発案したのよ」

 

「ただ、そういうアイテムを発案したがそれを作る能力も無ければ、どうしてそういう形状をとるのか、どういう理屈でそういう結果になるのか全く説明出来なかったらしいけどな。だから、“口だけの賢者”ってね」

 

「でも戦士としては一流だったらしくて、色々な武勇譚が残ってるわよ。それに、人間種を食料としてしか見てない牛頭人(ミノタウロス)の大国を動かして、人間を労働奴隷階級まで引き上げたって話もあるわ」

 

「なるほど……」

 

 間違いなくプレイヤーだろう。やはり、六〇〇年前の六大神に五〇〇年前の八欲王。そして二〇〇年前の十三英雄とアインズの他にもプレイヤーは色々いる。ただ、どうして異世界に転移した時間がずれているのかは分からないが。その“口だけの賢者”などと言われてしまった異形種プレイヤーは、十三英雄と同じ時期に転移したようだ。

 少しだけ羨ましいと思う。十三英雄などと言われている以上、その牛頭人(ミノタウロス)は周囲に仲間がおらず一人で転移したとしても、自分と同じような存在がいる事を肌で感じられたはずだ。

 アインズのいるこの時期には、プレイヤーの気配はあれども、プレイヤーそのものだと思える名声は全く聞こえてこなかった。

 

 そうして再び市場を見て回る。これは既に何度も繰り返した光景だ。アインズがこの街に滞在して既に三日経っている。最初はアインズの少し(?)吃驚する邪悪な魔法詠唱者(マジック・キャスター)然とした姿に驚いていた街の住人だが、帝国の騎士が何度か一緒に歩いていた姿を見て、次第に警戒を解いていたようだった。この帝国では民衆の騎士達への信用はとても高い。

 

 アインズも帝国の市場を見て回り、大体相場というものが分かってきた。アインズからしてみればゴミのような装備でも、こちらでは高価な場合が多く、やはり全体的に『ユグドラシル』よりは質が落ちている。まあ、アダマンタイトなどという柔らかな鉱石が最高級であり最硬度なのだから、ある程度予測出来た事ではあるのだが。

 

「そういえば話は変わりますが、冒険者の皆さんがよく言う難度、とは何を基準にしているのですか?」

 

 モンスターの基準値となる強さを『難度』と言っているようだが、『ユグドラシル』のレベルと違う数値であり言葉なので、よく分からないアインズはヘッケラン達に訊ねる。ヘッケランとイミーナは顔を見合わせ、何と言ったものかと説明に困惑していた。

 

「難度……難度ねぇ。一応、強さを大雑把に数値化して、大体これくらい……って基準にしてるだけだな。種族が同じだとあんまり変わんねぇし」

 

「年齢とか、体躯の大きさで変わっちゃうけど、大体はそれで測れるわ。例えばカッツェ平野で遭遇したアンデッドの骨の竜(スケリトル・ドラゴン)なんかは、難度四八ね。私達と同程度のレベルで言われるミスリル級の冒険者が大体それくらいの強さってところかしら。そして死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は難度六六くらい。難度の差が十五前後だったらまだ勝てるけど、それ以上になると難しくなるとは言われてたと思うけど」

 

「なるほど。では、アダマンタイトやオリハルコン級になるとどの程度の難度になるのでしょうか? 王国戦士長のガゼフ・ストロノーフを難度に当てはめてみたりとか」

 

「そうね……アダマンタイト級なら大体九〇くらいだと思うけど。オリハルコンは七〇くらいじゃないかしら。あの王国戦士長はアダマンタイト級だから、難度九〇くらいね」

 

「なるほど。よく分かりました」

 

「そうか?」

 

「ええ。これから何かモンスターに遭遇しても、難度で説明出来そうです」

 

 今まで説明された数値で、大体その難度が『ユグドラシル』とどういう違いがあるのか分かった。おそらく、この異世界の難度は『ユグドラシル』のレベルの約三倍だ。骨の竜(スケリトル・ドラゴン)はアインズの知識ではレベル一六であり、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は二二程度。ガゼフは三〇ほどだろう。これを難度と比べると全て三倍ほどの数値になる。

 

「そういやあのカッツェ平野で遭遇しちまったアンデッド……なんて言ったけ? 死の騎士(デス・ナイト)だったか?」

 

「そうですね。私の知識だとあれは死の騎士(デス・ナイト)と呼ばれるアンデッドです」

 

「あれって、難度どれくらいなんだろうな?」

 

 ヘッケランの疑問に、アインズはどう言ったものか悩む。見ればイミーナも気になるようだ。少し口篭もり……正直に答える事にした。

 

「ハムスケと同じ程度でしょう」

 

「アンタが連れてる魔獣と?」

 

「ええ。難度一〇〇くらいです」

 

「は?」

 

 ヘッケランとイミーナは何を言われたのか分からない、という顔をした。気持ちは分かる。難度に差があっても、十五くらいならどうにか出来るらしいが死の騎士(デス・ナイト)とは自分達と倍の差があったのだ。信じられない、という思いが強いのも当然だろう。

 しかし彼らは常に死と隣り合わせでモンスターと戦う者達である。すぐに、納得したようだった。あの強さなら、それくらいあるだろう、と。

 

「うわ……よく生きてられたな俺達。ぶっちゃけ奇蹟じゃないか?」

 

「っていうか、アインズさん。そんな強さの魔獣連れてたの!?」

 

 イミーナは驚きアインズを見つめる。アインズはそれに困ったように仮面をぽりぽりと指先で掻く事で返事をした。

 

「うわー。うわー。マジか……。え? マジで?」

 

「でも、あの魔獣ならそれくらいの難度も納得だわ。……それに忠誠を誓われているなんて、凄い人」

 

 キラキラとした瞳でイミーナに見つめられ、アインズは少し照れ臭くなる。ヘッケランが少しばかりムッとした顔をしたが、アインズはそのヘッケランの表情にも苦笑した。

 ほんの数日の付き合いだが、ヘッケランがイミーナに恋をしている事を知ってしまったのだ。いや、自分で気づいたのではなく彼らの仲間であるロバーデイクが悪そうな顔で教えてくれたのだが。その時の顔は中々に邪悪だった。具体的に言うと、誰かをからかう寸前のるし★ふぁーと同じくらい。

 

「いえいえ。単なる引きこもりですよ……魔法の研究に没頭しすぎた、ね。こうして皆さんがよく知る知識もあまり知りませんし」

 

「いやいや、そんだけ魔法詠唱者(マジック・キャスター)として完成されてりゃ、多少の世間知らずなんかお釣りがくるだろ?」

 

「そうですか? しかし、私は<警報(アラーム)>なんかの簡単な魔法を使えなかったりしますし、魔法詠唱者(マジック・キャスター)なんて十人十色ですよ。私より強い魔法詠唱者(マジック・キャスター)なんて、探せばどこかにいますよきっと。私の知り合いにもいましたし」

 

 かつてのギルメンの一人、最強の魔法職の男を思い出す。他にもアインズより強い魔法詠唱者(マジック・キャスター)は、探せば幾らでもいたものだ。……まあ、この世界で本当にいた場合は間違いなくプレイヤーなので全力で逃げ出したい気分になるが。

 

 ヘッケランとイミーナはアインズの言葉に苦笑いしている。表情が明確に物語っていた。「どこの魔境、そこ?」と。たぶん信じていないだろう。

 

 アインズはヘッケランとイミーナをお供に、再び街中を見て回る散歩を再開する。明日は一人で歩いてみるかな……と思いながら。

 

 

 

 

 

 

「そろそろこの街を出るかな……」

 

 この街へ来て五日ほど経つ頃、アインズは宿の一室でぽつりと呟く。そろそろ次に見て回りたい場所に行くか、と。気分はさながら観光名所を回る観光客である。

 もはやこの街は大体見て回ったし、なんとなくだが帝国の騎士達が鬱陶しくなってきたところだ。食事に誘ったり、おそらくであるが風俗店のような場所に誘われた事もある。いくら誘われようとアンデッドのアインズにはそのような事は不可能だ。そのため、すげなく断っているのだが向こうから必死の気分が伝わってきて、なんとなく嫌な予感を覚えたのである。

 ちなみに、既に昨日ワーカー達は自分達の本来の拠点である帝都へと帰っていった。『フォーサイト』とも『ヘビーマッシャー』ともある程度仲良くなったので、何か頼み事があった場合彼らに頼んでみるのもいいかもしれない。金はかかるだろうが、冒険者と違って組合を通さないでいいのが利点だ。アインズのような立場の者からしてみれば、そちらの方が都合がよかった。

 

 アインズはハムスケに<伝言(メッセージ)>で伝え、アイテムボックスの中身を広げて整理する。

 

「うーん……さすがになんか、買い過ぎたよなぁ」

 

 つい“口だけの賢者”の伝えた生活用マジックアイテムが気になって幾つか買ってしまった。別に自分にとっては珍しくもなんともないのだが、蒐集家(コレクター)としてはつい気になって集めてしまう。

 

「そういえば、イミーナとアルシェも生まれながらの異能(タレント)持ちだって言ってたな。ニニャといい、ンフィーレアといい、生まれながらの異能(タレント)持ちはあまり珍しくないのかな?」

 

 特にンフィーレアは破格の生まれながらの異能(タレント)持ちだ。しかし、あの墓地の事件以外何か事件に巻き込まれたような様子は無かったみたいなので、それほど生まれながらの異能(タレント)というのは疎まれるようなものではないのだろう。初めて聞いた時は、持ち得ない者に嫉妬くらいされていると思ったが。出会った彼らは誰もがいい仲間に恵まれていた。

 

 アインズはちょいちょいと纏め、分別する。ある程度纏め終わった後、急いでこちらに近づいてきている何者かの気配を感じ、全てアイテムボックスにしまってドアがノックされるのを待った。ドアを開けるとそこにいたのは帝国の騎士である。彼は少し慌てたようにアインズに告げた。

 

「申し訳ありません、ゴウン様。ゴウン様にお会いになられたい、という方がいらしております」

 

「は? ……誰でしょうか?」

 

「その、魔法詠唱者(マジック・キャスター)のフールーダ・パラダイン様です」

 

 その言葉にアインズは仮面の奥で驚く。しかし、予想しなかったわけではなかった。死の騎士(デス・ナイト)に第五位階魔法を使用したので、この異世界の住人にとっては驚かれるというのはある程度納得済みだ。もしかしたら、という思いもあった。

 そして実際、フールーダは会いに来たのだろう。まさか、自分から訪ねに来るとは思わなかったが。権力者らしく、こちらに「来い」と命令でもするかと思ったのだが。

 ただ、同時に納得した。大物が来るから、帝国の騎士達はアインズを必死にこの街に留めようとしたのだろう。

 

「分かりました。そのパラダイン殿はどちらに?」

 

「はい。貴賓館でお待ちになられています。ご案内いたしますので――」

 

 アインズは内心面倒臭いと思いつつ、しかし少しの興味に引かれて帝国の騎士の案内で貴賓館を目指した。

 着いた先はこの都市でもっとも立派な建物である。皇帝などの地位の高い者が来た時のみ、開かれるらしい。聞いた話ではあったが、やはりフールーダは帝国でも皇帝に次ぐ地位にいると言っても過言ではないという事がはっきり分かった。

 

(もしかしてと思って、仮面の下に幻影を作っててよかったな)

 

 仮面の下の髑髏を隠すために、現在アインズは幻影の魔法で人間の顔を作っている。触るとその感触が無いのですぐに発覚するが、まさかいきなり顔面に触ってくるような無礼な人間はいないだろう。

 

 貴賓館に辿り着いた後は案内役が騎士から別の者に代わり、それについていく。応接室であろう一室のドアの前まで案内されると、この貴賓館に勤める従者であろう男はドアをノックし、アインズが到着した事を告げた。中から、老人の声が聞こえ入室を促す。

 従者の男はアインズに深く一礼すると、去って行った。アインズはその後ろ姿を少し確認し、ドアを開く。

 

「――失礼します」

 

 ドアを開けると、純白のローブを着た老人が椅子から立ち上がり、アインズを見て頭を下げた。

 

「お初にお目にかかります。私の名はフールーダ・パラダインと申します。お話は伺っております。さあ、どうぞこちらの席へ」

 

「本日はお招きありがとうございます。アインズ・ウール・ゴウンです」

 

 アインズも頭を下げ、促された席に座る。パラダインも続いた。そして、室内にいたメイドに目配せし、飲み物を出すように命じている。メイドは茶を持ってきた後、一礼して部屋から去って行った。どうやらアインズに対して配慮してくれているようだ。何も言わなくとも、他人には何も聞かれない状況が出来た。

 

「さて……では早速ですが、ゴウン殿は第五位階魔法が使えるとか……」

 

「私も貴方の噂は耳にしました。パラダイン殿は第六位階をお使いになられるとか」

 

「そうです」

 

 そうして少しばかり互いの自己紹介を交えながら、魔法についての話を訊ねていく。アインズは第六位階魔法を使える、というフールーダの知識の深さに驚いた。アインズは『ユグドラシル』時代に覚えた魔法なので、そこまで論理的に魔法を覚えているのではないのだが、フールーダはこの異世界という現実で覚えたからだろう。アインズよりある意味魔法の知識に詳しい。しかし、それでアインズが話についていけない、という事ではないので、アインズはフールーダの話を聞いていき、それとなく助言を与えたり、疑問に思ったりした事を話す。

 フールーダも打てば響くようなアインズとの魔法談義に、どんどん話が長くなり、饒舌になっていった。もはや、彼は出された飲み物の存在さえ忘れている。きっと、本来の目的(・・・・・)も忘れているだろう。

 そうやって話をしていく内に、アインズは気になった事を訊ねてみた。そう、アルシェの生まれながらの異能(タレント)の事だ。フールーダも同じ生まれながらの異能(タレント)なのだから、ぜひ聞いておきたい。

 

「そういえば、パラダイン殿は魔法詠唱者(マジック・キャスター)の使用出来る魔法の位階を見破る事が出来る生まれながらの異能(タレント)をお持ちだとか」

 

「はい」

 

「それはどのように見えるのですか? 同じ生まれながらの異能(タレント)を持っている方に訊ねた時は、重なるようにオーラが見えると言っていたのですが。<魔力の精髄(マナ・エッセンス)>のような感じなのですか?」

 

 アルシェにそれを訊ねた時は、アルシェには回答出来なかった。それは、アルシェは<魔力の精髄(マナ・エッセンス)>を使えなかったためだ。しかし、フールーダほどの実力者ならばアインズの疑問に答えられるだろう。

 フールーダは少し考え、アインズに説明する。

 

「そうですな……<魔力の精髄(マナ・エッセンス)>に似ていると言えば、似ております。ただ、<魔力の精髄(マナ・エッセンス)>よりは精度が高く、直に感じ取れますな」

 

「なるほど。<魔力の精髄(マナ・エッセンス)>では魔法詠唱者(マジック・キャスター)の使用出来る位階魔法までは見えませんからね」

 

 便利なものだ。アインズが相手の魔力を見破ろうと思うと魔法を使用しなければならないが、フールーダは見るだけでそれを看破出来る。それどころか、相手が魔法詠唱者(マジック・キャスター)かどうかまで見るだけで判別出来るだろう。

 

(ンフィーレアの時も思ったけど、<星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)>なら奪えるかな?)

 

 <星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)>は超位魔法の一つだ。『ユグドラシル』では幾つか出る選択肢の中から一つ選択し、それを運営が叶える形だったのだが……今はどんな風になっているのだろうか。使ってみたい気もするが、アレは経験値を消費するタイプの魔法であるため、さすがに実験のためだけに使用するのは憚られた。

 

「…………」

 

 そこでふと、アインズはフールーダが自分をじっと見つめている事に気づいた。いや、確かに今までフールーダは自分を見つめていたが、今の視線は相手と目を合わせるという類のものではない。これは、不可解なものを見つめる視線である。

 

「どうしましたか?」

 

 なので、素直に訊いてみる事にした。するとフールーダは申し訳なさそうにアインズに告げる。

 

「いえ、申し訳ない。私の生まれながらの異能(タレント)でゴウン殿の魔力が見えませんので、どのような探知阻害の魔法を使われているのか気になったのです」

 

「ああ、なるほど……」

 

 アインズはこの異世界に来た時から、探知阻害の指輪を装備している。今まで神器級(ゴッズ)アイテム装備で全身を固めていても、誰にも何も言われなかったのもそのためだ。中には、ガゼフやツアーのように勘で気づく者もいたようだが、アインズが異常なレベルのマジックアイテムで装備を統一しているように見える者は少なかった。

 しかし、フールーダは魔力が見える生まれながらの異能(タレント)を持っているため、それが逆に違和感を覚えさせてしまったらしい。

 

「…………」

 

 さて、どうするかとアインズは考える。フールーダは理由を知りたがっているだろう。アインズも生まれながらの異能(タレント)持ちには自分がどのように見えるのか知りたい。例えば、フールーダの看破は格上にも通用するのか。一般的な魔法詠唱者(マジック・キャスター)の位階魔法は第三位階である。となれば、フールーダは今まで自分よりも格上の魔法詠唱者(マジック・キャスター)と遭遇した事は無いはずだ。フールーダは格上の――第十位階魔法を使えるアインズの位階を、文字通り看破出来るのだろうか。それほどまでに、生まれながらの異能(タレント)とは理不尽なのか。

 

「……いらないトラブルに巻き込まれないために、私は探知阻害の指輪を装備していましたので見えなかったのでしょう。どのように見えるのか気になります。教えていただけますか?」

 

「勿論ですとも」

 

 フールーダは快く頷く。今から目玉が飛び出る事態になるかもしれないが、アインズは問題無いだろうと判断した。この短い魔法談義で、なんとなくこの老人の人となりが分かったとも言う。

 この老魔法詠唱者(マジック・キャスター)は、あまり権力などに興味が無い。おそらく、魔法というものを深く知りたいという研究肌な人間だ。それに、フールーダのレベルならばアインズの魔法に抵抗出来ない。いざという時はかつてニグン達に実験で確かめた記憶操作でも使えばいい。

 

 故にアインズはガントレットを外し、その下に隠されていた幻影の指から探知阻害の指輪を外した。――――外してしまった。

 

 死ぬほど、後悔する事になるとも知らずに。

 

「――――」

 

 指輪を外す。途端、フールーダが呆然とし――続いて、フールーダの頬を涙が伝ったのを見てアインズは驚愕した。

 

(な、なんだ!?)

 

「ど、どうしましたか?」

 

 アインズの質問に答えず、そのまま少し呆然とすると椅子を蹴倒すように立ち上がったフールーダに、アインズは身構える。しかしフールーダは溢れる涙をそのままにアインズに対して跪き、平伏した。

 

「魔法を司るという小神を信仰しておりました」

 

「あ、はい」

 

 態度が変貌したフールーダに、アインズは困惑した返事をする。しかしアインズが微妙に引いている事に気づいていないのか、フールーダは額を地面に擦りつけた状態で語り始める。

 

「しかし、貴方様がその神でないというのであれば、私の信仰心は今掻き消えました。――――何故なら、本当の神が私の前に姿を見せてくださったからです」

 

「ファッ!?」

 

 フールーダは平伏したままにじり寄ってくる。アインズは身を仰け反らせ、今にも立ち上がって逃げそうな体勢になった。

 

「失礼と知りながらも、伏してお願いいたします! 私に貴方様の教えを与えてください! 私は魔法の深淵を覗きたいのです! そのためならば何でも差し上げます……魂さえも、全て!」

 

「え、いや、あのですね」

 

「深淵の王よ! いと深き御方よ! 何卒! 何卒お願いいたします!!」

 

「えー……」

 

 ドン引きである。誰が何と言おうとドン引きである。たとえ仮面で表情が見えなくとも、この場に第三者がいれば間違いなくアインズのドン引きっぷりに気づいたであろう。それほどまでに明らかであった。

 色よい返事がもらえない事に焦ったらしいフールーダは、アインズの下に這いつくばった姿勢でアインズの足元まで更に近寄るとアインズの靴を舐め始める。

 

「お願いします! お願いします! いと深き御方よ!!」

 

「――――」

 

 フールーダにまだ理性が残っていたならば、キス程度で何とか抑える事が出来ただろう。しかし、色よい返事をもらえない事に焦ったフールーダからは、既に理性など残っていない。ただひたすらにアインズに懇願し、アインズから慈悲をもらう事を待っている。靴を舐め回し、必死になって懇願した。

 そう、フールーダに理性など残っていない。相手が嫌がるかもしれないなどという常識は、既に遥か彼方に追いやられている。普段は頭の片隅にいるはずの冷静な自分ですら、欲望に忠実にフールーダの行動を後押ししている。

 

「よ……」

 

 そしてアインズには、はっきり言って他人に傅かれる趣味など全く無いのだった。ぶっちゃけ、この異世界に来て一番ドン引きした出来事だった。

 

「寄るな気色悪い!」

 

 当然の返事である。誰がどう見ても、アインズの行為の正当性を説くだろう。否と答える者には是非とも訊ねたい。お前は美形でもない枯れた老人に足を舐め回されて、それに興奮する変態なのか――と。

 

 アインズは立ち上がり、フールーダを足元から振り払う。もしアインズが生身であったなら鳥肌が全身に立っていただろう。振り払われたフールーダは今にも死を選びそうな絶望を宿した表情でアインズを見つめた。

 

「ああ、我が神よ――!」

 

「ええい! 寄るな! 触るな! 気色悪い!! この街にはもう用事など無かったからな……もう俺は行くぞ!」

 

 叫び、アインズは<上位転移(グレーター・テレポーテーション)>を使って即この貴賓館から離脱する。宿泊していた宿にマーカーをつけていてよかったと心底思った瞬間だった。消える寸前フールーダが縋りつくように手を伸ばしたが、当然アインズは振り払う。

 

 宿に転移したアインズは、すぐさま部屋を出て受付にチェックアウトする事を告げる。いつの間にか帰ってきていたアインズに受付は驚いたようだったが、よく訓練されているため彼らはにこやかに「またのご来場をお待ちしております、ゴウン様」と深く一礼してアインズを見送った。

 外に出たアインズはすぐにハムスケのもとへ行き、ハムスケに声をかける。ハムスケはいつもと違う様子のアインズに驚いていたようだった。

 

「ど、どうしたでござるか殿!?」

 

「さっさと行くぞハムスケ!」

 

 またフールーダに遭遇する事を考えると、骨に鳥肌が立つような感覚だった。感情抑制がアインズを落ち着かせようと働くが、すぐさま感情が高ぶってほとんど役に立っていない。

 ハムスケはアインズの様子にただならぬものを感じ、即頷いた。

 

「わ、分かったでござる!」

 

「よし――<転移門(ゲート)>」

 

 今度はハムスケも連れているため、<転移門(ゲート)>を発動させる。距離制限、失敗確率無しの空間転移だ。当然、フールーダも追ってはこれない。

 

 アインズは空間を転移して帝国を離れながら、きっぱりと心に決めた。

 

「もう二度と帝国には行かない!」

 

 その後の貴賓館の騒動など、アインズには知った事ではなかったのだった。

 

 

 

 

 




 
フールーダ「(^p^)我が神ペロペロォ……」
モモンガ「(´;ω;`)コワイ! サヨナラ!」
ジルクニフ「\(^o^)/帝国オワタwww」

戦犯フールーダ。
 


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ファーマー1lv

 
モモンガ様の壮大な挑戦が今始まる……!
 


 

 

「さて、次はどこに行くか……」

 

 ハムスケの上で地図を広げ、アインズは熱心に地図を見つめる。

 アインズはトブの大森林に帰っていた。<転移門(ゲート)>で帝国から逃げ帰った時、慌てていたのでマーカーをつけたままにしていたトブの大森林に出たのである。

 

「殿、どうでござるか?」

 

 ハムスケが自分の上で悩むアインズに訊ねる。ハムスケとしても、主人のアインズが行き先を告げないと進む方角に悩むのだろう。アインズは地図をじっと見つめる。

 

「そうだな……そういえば、地図を見るかぎりこの森には何も無いが、川があるということは湖か何かあるだろう。知っているかハムスケ?」

 

「それがしは縄張りから出たことがないので、あまり知らないでござるな」

 

「む、そうか」

 

 少しばかり残念になる。そして再び地図をじっと見つめる。

 

「…………」

 

 穴だらけの地図だ。それがアインズがこの地図に抱いた感想である。

 まず、人間以外が住む亜人種達の国が載っていない。そして、国境線も曖昧であり、人間の国でさえ都市が何も書いていなかったりするほど酷い地図だ。鈴木悟という人間の生きていた現実の世界の地図と同じくらい精密にしろ、とは言わないが未知を楽しむための『ユグドラシル』の地図よりある意味酷かった。

 ただ、これには理由がある。アインズは市場にあった一般向けの地図を買ったために、それほど精密では無いのだ。アインズが聞いた店主の話では、これより精密な地図は冒険者組合長や貴族など、一部の特権階級の者しか手に入れられないらしい。

 

「とりあえず、今までの調べた事を書き込んでおくか」

 

 アインズはペンを取り出し、日本語で地図に文字を書き込んでいく。エ・ランテルの事、トブの大森林、カルネ村、カッツェ平野など――遭遇したモンスター達や、地図とは違った実際の地形……。

 そうして幾つか書き込み、満足する。

 

「こんなものか」

 

 少しばかり詳しい内容になった。昔、真っ白な地図を片手にユグドラシルの世界を巡った事を思い出す。

 一生懸命、その地図にこうやって調べた事、体験した事を書き込んでいた。そうして埋まっていく地図に胸が高鳴っていたものだ。どちらの地図がより詳しいか、という事でギルメンが喧嘩した事もある。

 ……少しばかり感傷的になった。アインズはかつての記憶を隅に追いやり、目的地を決める。

 

「とりあえず、せっかくだから川でも辿って湖か何か探してみるか。水の傍なら何かモンスターが棲んでいるだろうし、亜人種が集落を形成している可能性もある」

 

「分かったでござるよ殿!」

 

 アインズの指示にハムスケは頷き、再び歩を進めて森の奥深くへと入り込んでいった。

 

 ――そうして数日ほど彷徨ったアインズは、小さな川を発見し、その小川の水流を確認して、上流と思われる方角へ進んでいった。そこから更に数日ほど経ち、アインズとハムスケは湖畔を発見した。少しばかり飛び出るような地形になってしまっているようで、大元の湖の姿は森の木々に覆い隠されてあまり見えない。

 

「やれやれ。ようやく着いたか」

 

 アインズはハムスケの背中から降りて湖畔に近寄る。そしてふと気づいた。

 

「ここは湿地と湖が重なるようになっているのか」

 

 アインズの体重に耐えかねて、少しだけ地面が沈む。ハムスケもアインズと同じように近づくと、ずぶりと身が沈んで慌てていた。だが、その感触が新鮮で楽しいようで、ハムスケは野生動物らしく楽しそうにずぶずぶと進み沈んでいく。

 その様子に呆れながら、アインズは<飛行(フライ)>を使って服が汚れないように宙に浮かぶ。

 

 そして再び水面に近づき、じっと水の中を見つめた。

 水の中は少し見通し辛いが、それほど汚れてはいないようで幾匹もの水棲生物がいた。確かブラックバスと呼ばれるような魚に似た魚や、ブルー・プラネットがよく言っていたゲンゴロウだったか、そういうもはやかつての世界には絶滅したはずの虫に似た生き物もいる。

 

「…………」

 

 そんなもはやいないはずの生き物の、絶対に見る事が出来ないはずの生態を目にして。アインズはついついじっと見つめ続けてしまった。群れを作りながら泳ぐ小さな魚達。水草の影に隠れるエビと、土の中に潜っていく虫。そんな彼らをじっと見つめる。

 

「…………」

 

 じぃっと。じぃっと。

 

「…………」

 

 ――――。

 

「…………はっ!?」

 

 熱心に見つめ過ぎて<飛行(フライ)>の制限時間がきている事に気づかず、がくっと一瞬高度が落ちたのに合わせて意識を取り戻す。慌てて再び<飛行(フライ)>を唱え、水の中に墜落するのを防いだ。

 

「つい見つめすぎちゃったな……」

 

 アインズの声に驚いた水の中の生き物達は蜘蛛の子を散らすように慌てて姿を消している。

 

「うーん。それにしても、まさか水の中の生き物を見つめるのがこんなに時間を忘れるなんて思わなかったな」

 

 魔法を使って浮いていなければ、今でも時間を忘れてじっと見つめ続けていたかもしれない。

 

「おっと、そうだハムスケ……」

 

 つい時間を忘れて見ていたせいで、ハムスケの存在も忘れていた。アインズは周囲を見回す。

 

「…………うん?」

 

 ハムスケの姿が、どこにも無かった。

 

 

 

 

 

 

 トブの大森林には二〇キロ四方の、ひっくり返した瓢箪のような形をした巨大な湖がある。上の大きい方が水深があり、そちらには大型の生物が。下の小さい方は浅いため小型の生物が生活の場所としている。

 そして、小さな湖の方には亜人種族の蜥蜴人(リザードマン)達が五つの部族に別れて集落を作り生活していた。

 その内の一つ――“緑爪(グリーン・クロー)”族の旅人、ザリュース・シャシャはペットのロロロにいつもの餌の魚を四匹与えた後、森の中を通りながら彼が旅に出ていた間教わり、帰ってきて作った生け簀の様子を見るために、陸地に異変が無いか調べながら歩いていた時の事だった。

 

「…………兄者?」

 

 目的地の近くに、兄であり部族長であるシャースーリューが隠れるように潜んで、じっとザリュースの目的地を見つめていた。

 

「…………」

 

 一体何をしているのだろうか。ザリュースはシャースーリューに声をかけようと口を開いたが、シャースーリューがこちらを見つめ、焦ったようにザリュースに黙るように仕草だけで合図をしたため黙る。

 そして……ザリュースにも聞こえた。バシャバシャという水飛沫の音を。

 

「…………!」

 

 その音に驚愕し、ゆっくりと慎重にシャースーリューに近づき、その横に並ぶ。シャースーリューは音を立てずに、静かにザリュースを招き、繁みから音源の方を指差した。

 ザリュースはそちらを見つめる。

 

 そこに、それはいた。

 

「…………ッ!!」

 

 驚愕し、思わず悲鳴を漏らしそうになって慌てて口を閉じる。声を上げそうになったザリュースを見て、シャースーリューが目を見開き咎めるような表情を作った。それに軽く頭を下げ、ザリュースは再び音源を見つめる。

 

 ザリュースが作った生け簀の囲いの一部を破壊し、水の中に顔を突っ込んで生け簀の中の魚を熱心に食べている巨大な魔獣がそこにいた。

 無理だ。ザリュースが最初に心の中で思った言葉がそれだった。

 あれには勝てない。勝敗を競うのさえ愚かしい。それほどまでに巨大で、立派で、圧倒的な強者のオーラを放つ魔獣だったのだ。

 

 かつてザリュースはこの生け簀を作るのに何度も試行錯誤した。まず囲いを作るのに四苦八苦し、魚を育てる餌は何がいいのか悩み繰り返した。モンスターに囲いを破られ全て無に帰した事もある。

 よってザリュースは生け簀については諦めた。これは数ある失敗の一つに過ぎない。確かに成功間近だった。努力を無にされたのは悔しい。

 しかし、それも命あってのものだ。今この場であの魔獣に挑み、何になるだろうか。無駄に命を散らすだけである。

 シャースーリューも同意見なのだろう。二匹はお互い頷いて、示し合わせたようにその場をゆっくりと離れた。

 

「…………」

 

 しばらくお互い無言で森を歩き、そして充分離れたと思われた場所でようやく立ち止まり、互いの顔を見る。

 

「……兄者」

 

「ああ、分かっている弟よ。生け簀のことは残念だったな……」

 

 アレは諦める他ない、という事がシャースーリューにも分かっているのだろう。ザリュースは気にするな、とばかりに首を横に振った。

 そう、問題はそれではないのだ。失敗したというならば、成功するまでまた始めればいい。コツは掴んできているのだ。前よりもっと上手く、短期間で以前と同じような状態まで持っていけるだろう。

 問題は、そこでは無かった。

 

「兄者、どうする」

 

「……ああ、分かっている。あの魔獣だな?」

 

 こくりとザリュースは頷いた。問題は、生け簀の魚を食べていたあの強大な魔獣の存在だった。

 あの魔獣は強い。旅人として蜥蜴人(リザードマン)の村を出て見て回ったザリュースから見ても、あれほど強大な魔獣には遭遇した事も無い。唯一、かつて遭遇しながらも逃げ出したアンデッドがいるが、それでもあれほどの強さは持たないだろう。アンデッドの方はそもそも、魔法攻撃以外通用しないという特殊な肉体を持っていたせいもある。

 だが、あの魔獣はおそらく単純に強い。発せられる気配は王者の気配であり、輝く白銀の体毛はどんな武器も通すまい。とてもではないがザリュースは一対一であの魔獣に勝てるとは思えなかった。

 いや……例えシャースーリューと協力しても、刺し違える事さえ万が一の確率だろう。

 

「出来れば生け簀の魚で満足して欲しいが……」

 

 苦々しい口調で呟く。ザリュースの言葉にシャースーリューも頷いた。

 

「まずいのは、この辺りを縄張りにしようとした場合だな」

 

「ああ……」

 

 ただの通りすがりで、単純に腹が空いたから休憩がてらに生け簀の魚を摘んだ、というのならばいい。だがそうではなく、この辺りを気に入って自らの縄張りにしようとした場合が厄介だった。その場合、“緑爪(グリーン・クロー)”族は自分達の村を捨て、別の場所に避難する必要があるだろう。

 

 ……あの魔獣は強い。戦うのは愚かの極みである。勝てるかも分からない相手と戦うくらいならば、蜥蜴人(リザードマン)達は自分の縄張りを諦めて去るだろう。それがもっとも賢い選択だからだ。

 だが、あの魔獣が“緑爪(グリーン・クロー)”族のいた縄張りだけで満足しなかった場合はどうなるだろうか。もし、更に勢力を拡大していき他の部族の者達も追い出していったら――。

 

 答えは簡単だ。蜥蜴人(リザードマン)達は殺し合いに発展する。

 

 同じ種族の者達が避難しようとすれば、当然避難しようとする立地条件は被るだろう。未知の土地を縄張りにしようとする生存競争に加え、食料を巡っての縄張り争い。四年前の戦争を彷彿とさせる出来事が起こるかも知れない。

 当然、回避する簡単な方法がある。あの魔獣を倒す事だ。

 だが、それには多くの問題がある。まず、誰があの魔獣を倒すのだ、という事。

 あの魔獣を退治しようと思うと、間違いなく死傷者が出るだろう。何せ、ザリュースやシャースーリューでさえ勝てないだろう魔獣なのだ。一部族の戦士達が協力した程度で倒せるとは思えない。倒せたとしても死傷者の数は計り知れない。一部族が犠牲になる覚悟がいる。

 だがその場合、誰が生贄になると言うのだ。自分の部族だけが戦力を落とすような結果を認める部族はいない。そうなれば、他の部族の精鋭達とも協力するのが無難な解答だろう。

 そこまでしなければならない道に苦悩する。そこまでしても勝てない可能性がある恐るべき魔獣に理不尽な怒りを抱く。

 

「……しばらくは、様子見か」

 

「そうなるだろうな」

 

 お互い溜息をつく。ザリュースがそう考えたように、シャースーリューもその後の問題に気づいているのだろう。

 

「とりあえず、村に帰り様子見のための野伏(レンジャー)を集めよう。狩猟頭と相談しなければ」

 

「ああ――」

 

 頷き、再び足を動かし村へ帰ろうとしたところ――

 

「この、馬鹿がぁあああッ!!」

 

「!?」

 

 聞こえてきた怒声に、思わずザリュースとシャースーリューは尻尾が飛び上る。お互い顔を見合わせ……その声が聞こえた方角が先程魔獣のいた生け簀の方である事に気づき、頷くと急いで踵を返して生け簀の方へ戻っていった。

 ある程度近づくと、再びこっそりと更に距離を詰める。最初に見ていた繁みに隠れるようにして身を乗り出すと、あの恐ろしい魔獣がしょんぼりとした様子でおり、その目の前には闇色のローブを着た仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が立っていた。

 仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)は呆れた様子で目の前の魔獣を叱っている。

 

「ハムスケ……これはどう見ても生け簀だろう……、勝手に生け簀の中の魚を食ったあげく、囲いまで一部破壊するとは……」

 

「す、すまないでござるよ殿……美味しそうな魚がたくさんいたから、つい食べてしまったでござる……」

 

 何者かの手が入っている、という事を考慮したらしい思慮深そうな仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)は、そんな魔獣の返答に頭を抱えていた。

 

「ああ、いや……これはペットから目を離した飼い主の俺の責任か……。とりあえず、囲いは<修復(リペア)>で……いや、待てよ……? <修復(リペア)>では失われた耐久値は元には戻らない。……となれば、わざわざ作り直す必要が……食べた魚の補充もいるだろうし……」

 

 ぶつぶつと呟いて考え始めた仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)に、魔獣は申し訳そうな顔で訊ねた。

 

「ところで殿、生け簀とは何でござるか?」

 

「うん? そうか、お前は知らないか……。まあ、俺もそこまで詳しいわけじゃないんだが……生け簀というのは、こうして囲いを作り捕まえた魚などを入れ、そこに生きたまま保存しておく場所のこと、だったか? こうすると、いつでも新鮮な魚が食べられるし、生きているため干物に加工するよりよっぽど長く保存出来る。まあ、ちゃんと飼育出来ればの話だがな」

 

「なんと! 獲物を生きたまま捕獲して飼う場所のことでござったか! ……ということは、これは何者かがわざわざ捕まえて飼っていた、ということでござるか?」

 

「おそらくな。……しかし残った魚を見るに、大きな魚だな。生き物を飼育するのは難しいと聞くが、よく育っている。ブルー・プラネットさんが言っていたが、魚の飼育は難しいそうだぞ? 水温の変化ですぐ死んでしまう魚もいるし、餌にしても何でも食べるわけでは無いらしいからな。それに、食べても他の魚に餌を取られて食べられない魚もいたりするし、稚魚が生まれても親が子を食ってしまうから分けて飼わなければいけないとも言うし……。一番きついのが一匹でも病気になると、狭い場所だから魚が全部病気になって全滅する事もあるのだとか」

 

「ブルー・プラネット殿というのは確か殿の昔の仲間でござったな! とても詳しいんでござるなぁ……」

 

「あの人はこういう生き物や自然界の事に詳しかったからなぁ……まあ、自然を語る時に熱くなり過ぎることが玉に瑕だったが」

 

「…………」

 

 仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)と魔獣の会話に、ザリュースとシャースーリューは互いの顔を見合わせる。思う事は同じだ。互いに頷き合い、一人と一匹に声をかけようと口を開いた。

 

「……その、すまない」

 

「うん?」

 

 ザリュースとシャースーリューが繁みから出る。仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)と魔獣は特に驚いた様子は無かった。もしかしたら、とっくに覗き見しているザリュース達に気づいていたのかもしれない。

 

「その生け簀の持ち主なのだが……」

 

「あー……」

 

 ザリュースがそう言うと、仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)は少し口篭もり、頭を下げた。

 

「ペットがすまない。飼い主である俺の責任だ」

 

「申し訳ないでござる。それがしが悪かったでござるよ」

 

 魔獣もまた頭を下げる。その様子を見て、ザリュースとシャースーリューは互いに顔を見合わせ、頷いた。

 彼らは話が通じる理性的な生き物だ。魔獣はともかく、人間だろう仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)蜥蜴人(リザードマン)であるザリュース達を見ても物怖じした様子もなく、嫌悪しているような気配も発していない。旅人として外の世界に出た事のあるザリュースからしてみれば、仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)である男の態度は、酷く奇特な姿だと言える。人間というものは自分と同じ形をしていない生き物を酷く嫌悪する種族だと聞いた事があったからだ。

 まあ、それも当然かと納得する。様子を見るに、仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)はあの強大な魔獣を支配している主人だ。魔獣を支配している時点で恐るべき魔法の使い手だと分かる。祭司頭の使える第二位階を超える魔法……第三位階の使い手か、あるいは第四位階という驚異の力の持ち主の可能性がある。そんな相手からしてみれば、ザリュースとシャースーリューだけでは警戒に値しないのかもしれなかった。

 ……強者のような気配は全くしないが、しかし魔獣を連れている時点で決して油断は出来そうにない相手だ。

 

「いや、モンスターに囲いを壊されるのはよくあることだ。謝ってくれただけでも嬉しい」

 

 当然、そんな相手を怒らせるような事は論外である。相手が理性的に話してくれているのだ。こちらも理性的に振る舞う必要がある。

 

「我等はこの湖に棲む蜥蜴人(リザードマン)の部族の一つ、“緑爪(グリーン・クロー)”族の族長シャースーリュー・シャシャという。こちらは弟のザリュースだ」

 

「俺はアインズ・ウール・ゴウンという。旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。こちらは俺のペットでハムスケという」

 

「よろしくでござる」

 

 旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)という言葉に、内心で安堵する。それならば、縄張りについての心配は杞憂で終わりそうだった。

 

「しかしこの辺りは蜥蜴人(リザードマン)の集落だったか。すまないな、勝手に縄張りに入って……生け簀も壊すし」

 

 申し訳なさそうな魔法詠唱者(マジック・キャスター)――アインズに、ザリュースは首を横に振った。

 

「一部が壊されただけだ。すぐに修理出来る。それより……もしよければ知恵を貸してもらえないだろうか?」

 

「うん?」

 

 ザリュースの言葉に、アインズは不思議そうに首を傾げている。しかし、これはザリュースやシャースーリューにとっては当たり前の質問だ。

 ザリュースはかつてこの生け簀を作るのに、試行錯誤した。当然だ。何せ、旅先で話を聞いただけのイメージで作ったのである。ここまでこぎつけるのに果たしてどれだけの月日を使ったか。

 しかし、アインズの生け簀の話はかつてザリュースが話を聞いた者よりも詳しかった。特に稚魚の話などはザリュースは全く知らない。ある程度大きくなった魚を育てる事は出来るが、稚魚からとなると全く勝手が違って分からないのだ。

 

 ザリュースから詳しい話を聞いたアインズは、なるほどと頷いたようだった。

 

「ふむ……生け簀の件もある。俺でよければ知恵を貸そう。とは言っても、俺も話を聞いただけで詳しく無いんだが……」

 

「いや、少しでも貸してもらえると助かる」

 

「そうか? ……しかしこれだけ広ければ、そう易々と食料に困らんだろうに。よく生け簀を作るという発想になったな」

 

 感心したようなアインズの言葉に、しかしザリュースもシャースーリューも暗い影を落とした。ザリュースが外へと旅に出て、そして生け簀の話を聞いて帰って来るに至る理由が、そこにはあったのだ。

 

 何故なら四年前。蜥蜴人(リザードマン)達は湖の魚を巡って殺し合い、七部族の内二部族をほぼ消滅に追いやるほどの苛烈な戦争があったのだから。

 今でも思う。あの時どうして魚は不漁になってしまったのか。あの時、どうしてこの養殖という方法を知らなかったのか。

 おそらく、どの部族にとってもあの戦争は心の傷になっているだろう。

 

「いざという備えはあった方がいい。今はこの弟しか作っていないが、いつかは弟を真似て他の者もすることになるだろう」

 

 シャースーリューの言葉に、アインズは同意とばかりに頷いた。

 

「確かに。わざわざ危険を冒すこともないしな」

 

「とりあえず、まずは囲いを直そう。手伝ってもらってもいいだろうか?」

 

「無論だ」

 

 シャースーリューは族長という立場もあるので申し訳なさそうに帰ったが、残ったザリュース達は協力し合って囲いの修復に取り掛かった。アインズが魔法で網を修復、召喚したアンデッドのスケルトンで木を切り倒し、ハムスケが背に乗せて水辺まで運ぶ。そしてザリュースは慣れた手つきで囲いを組み立てていく。

 彼らは互いに雑談を交えながら、雨が降ってくるまで作業に没頭したのだった。

 

 

 

 

 

 

「――と、いうわけで餌はエビやサナギを乾燥させて磨り潰し、団子にすると食いがいいらしいぞ。寄せ餌にもなるそうだ」

 

「なるほど……そうやって細かくすれば、稚魚でも餌を食べられるし、保存もきくな」

 

 アインズはザリュースへと説明する。ザリュースは感心しながらアインズの話を真剣に聞いていた。

 

 ……ハムスケが生け簀を壊した日から、既に数日が経過している。時折シャースーリューや他の蜥蜴人(リザードマン)が様子を見に来るが、何か問題が起きた事は無い。蜥蜴人(リザードマン)という種族は強者に敬意を示す、などという習性があるため、ハムスケを見てすぐに力関係を悟ったためだ。これが指輪で気配を隠しているアインズだけならそうはならず、一戦交えるくらいになったかも知れないがハムスケを従えている以上、アインズにも喧嘩を売らない方がいいと納得しているらしい。

 勿論、その納得にも裏がある。アインズは対外的には第五位階魔法まで使用出来る事にし、ザリュースやシャースーリューから村に話が伝わった際に興味を引かれた祭司頭が訪れ、実際に第五位階魔法を見せたためだ。魔法に詳しい祭司頭などがそれがどれほどの脅威なのか村で説き、村を殲滅する事が可能な魔法詠唱者(マジック・キャスター)という事で一目置かれている。アインズからしてみれば第五位階魔法なんて弱過ぎて話にならないレベルの魔法なのだが、一流の魔法詠唱者(マジック・キャスター)でも第三位階止まりなこの異世界では、アインズの認識に納得してくれる者はユグドラシルプレイヤーしかいないだろう。

 

 今、アインズとザリュースがいるのはアインズが寝泊まり用に出したマジックアイテムのコテージの中だ。これはマジックアイテムなので使用しない時は小さく、手に収まるサイズだが使用すると大きくなる。当然、マジックアイテムなので外から見た容量と中の容量は一致しない。外からではドアから入れないサイズのハムスケでさえ、それに合わせてサイズが変わるため入れるようになっている。

 蜥蜴人(リザードマン)達は閉鎖社会のため、旅人のアインズが泊まる余地は無い。そこで、この生け簀の近くにアインズがコテージを出し寝泊まりするようになったわけだ。本来はアインズはアンデッドなのでコテージなど使用しないのだが、ハムスケがいるため時折使っていた。今は人間だと思われているため怪しまれないように使用している。蜥蜴人(リザードマン)は亜人種なので、さすがに異形種であるアンデッドに対しては忌避感を持つかも知れないためだ。

 

 ザリュースはアインズの出したマジックアイテムのコテージに驚いたようだが、すぐに慣れてしまった。そして今そのコテージで談話しているのは、外は連日雨が降っているために会話に適していないためだ。ハムスケはザリュースの連れてきたペットの多頭水蛇(ヒュドラ)――本来八つあるはずの頭が四つしかない奇形であるが――ロロロと共に、外で雨が降る中を遊び回って駆けている。

 ザリュースがロロロを連れてきた理由は、ハムスケと同じように少し手伝ってもらおうという理由からだ。ロロロの頭に乗れば<飛行(フライ)>を使えないザリュースも高い所に手が届く。そしてハムスケが言っていたのだが、ロロロはとても嬉しそうなのだという。ザリュースはハムスケからそれを聞いて、ぽつりと語った。なんでも小さな頃はほぼ四六時中一緒にいたが、大きくなってからは家に一緒に入れないため別々の所で生活するようになっていたので寂しいのだろうと。ロロロもハムスケと同じくこのコテージならば一緒に室内に入れるため、ご機嫌になっているのだろうというのがザリュースの見解だった。

 

「しかし悪いな、色々と世話になって」

 

「なに、気にする必要はないぞ。いい経験になったからな」

 

 申し訳なさそうな声色のザリュースに、アインズは気軽に答えた。実際、アインズはハムスケが生け簀を壊した罪悪感とも、全くの善意とも無関係な真意でザリュースを手伝っているのだ。

 

 アインズは思う。自分はレベル一〇〇であり、これ以上強くなる事はないだろう。これが自分の成長限界だ。

 だが、そのままでいいはずがない。ゲームならともかく、現実で成長しない最強は最強などではない。

 これはちょっとした実験の一環だ。もはやレベル上限にあるはずのアインズが、新しい職業(クラス)のレベルを取得出来るかどうかの。それが出来れば、更なる強さを手に入れられる。もしくは手に入れられないとしても、職業(クラス)として修得しないと出来ない事と修得しなくても出来る範囲を調べる実験にはなるはずだ。アインズはそれを確かめたかった。

 

 今のところ、アインズはザリュースを手伝って農業系の職業(クラス)を手に入れた感触は無い。

 しかし仮に手に入れる事が出来たなら――もしかしたら、この世界特有の魔法や武技、職業(クラス)を手に入れる事が可能になるかもしれなかった。

 

 アインズは蒐集家(コレクター)である。ロールプレイ重視のビルドで組んでいるし、覚えている魔法の数は七〇〇を超えるが、役に立たない魔法だってある。アイテムボックスにも自分が使用しないポーションを入れていたりするし、たかがゴブリンを十数体召喚するだけの角笛なども入っていた。

 そんなアインズからしてみれば、『未知』というものはそれだけで興味をそそられるものなのだ。

 

「そう言ってもらえると助かる。……しかし、この雨はどうにかならないものか」

 

「確かに。最近ずっと降っているな」

 

 外の天気に不満を漏らすザリュースにアインズも同意する。体は濡れるし、土はぬかるんで歩き辛く、あらゆる作業は捗らない。雨のせいで魚が見えにくいため、狩りも困っていると狩猟頭が言っていたらしい。そういう内容をアインズもシャースーリューから聞いていた。

 アインズが試しに第四位階魔法<雲操作(コントロール・クラウド)>の込められた巻物(スクロール)をアイテムを使って(クラス)制限を騙して使用し、雲を動かしてみたが、その程度の魔法ではやはり天気までは変わらない。天候を変えようと思えば第六位階の<天候操作(コントロール・ウェザー)>がいる。〈雲操作(コントロール・クラウド)〉の巻物(スクロール)ならば誤魔化して使えるが、そちらはザリュース達を誤魔化すのは難しい。よってアインズは第六位階の巻物(スクロール)は使用しなかった。アイテムはタダではないのである。

 アインズが雨が降って特に嫌なのがハムスケの件もあった。傘をさして雨を防げるアインズや、爬虫類特有の滑らかな鱗の体を持つ蜥蜴人(リザードマン)多頭水蛇(ヒュドラ)と違って、ハムスケは『毛玉』なのだ。そのせいで、雨に濡れるとハムスケの毛づくろいが面倒なのである。泥がたくさんついて面倒だし、アインズと違い生き物であるハムスケは体調管理にも気を使わなくてはならなかった。そろそろ、余っているバッドステータスを一部消す指輪でも貸そうかとアインズは思っている。

 

「この辺りはまだ大丈夫だが、俺達のいる湿地は大分ぬかるんできたぞ。湿地が少し広がってしまった。……まあ、湿地の方が歩き易くて俺達はいいのだが」

 

「なんだと?」

 

 ザリュースの放った何気ない一言に、アインズは驚愕する。湿地地帯が増える、という事はつまり水位が上がっている、という事だからだ。

 

「どうした?」

 

 アインズが驚いた理由に思い至らないザリュースに、アインズは少し待てとばかりに手の平を突き出し、状況を整理するために思考する。

 

(湖……湖っていうと確かブルー・プラネットさんが説明してくれたはず……なんて言ってたっけ……?)

 

 川と池、沼と湖の違いを思い出し、これではないと頭を振る。必要なのはでき方だ。湖のでき方は確か……土や石などで水の流れを塞がれ、結果出来るダムのようなものだ。トブの大森林のすぐ上にはアゼルリシア山脈と呼ばれるものがあり、おそらくそこから地下水が流れ出ているのではないだろうか。あるいは、地下水が湧き出ているのかもしれない。

 

(北の大きく水深が深い方にはトードマンっていう種族が生息してるって言っていたっけ。ということは、あっちから水が流れてきているのか?)

 

 ブルー・プラネットが熱く語ってくれていた自然の事を一生懸命思い出す。ダムは雨があまりに酷いと、よく下の川へ水を放出していたらしい。そうしなければダムの壁が水の圧力で決壊し、とんでもない大災害に発展するかもしれないからだ。

 そんな事を色々と思い出しながら、アインズはふと気づいた。アゼルリシア山脈も空を見るかぎり雨が降っていそうだ。あちらはどうなっているのだろうか、と。

 

「…………」

 

「どうした?」

 

 急いでアイテムボックスから遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)を取り出し、湖から上流へと視点を移動させていく。この村より下流ならば問題は無い。トブの大森林は広く、木々があるためナーガのリュラリュースや森の外のカルネ村には影響が無いだろう事が分かる。

 問題は、だから上の方だった。

 見るからに川が荒れ狂っている。隣で鏡を驚きながらも覗いていたザリュースが小さく悲鳴を上げた。

 

「こ、これは……」

 

「このマジックアイテムは望む場所を見ることが出来る。魔法などで防がれていれば出来ないが、こうして水の様子を見る程度ならば問題無い。しかし――やはり、上流は荒れ狂っているな」

 

 川の様子をじっと上流に上がって見つめる。そして、やはりアインズの予想していた通りそこにそれはあった。

 

「これは……やはり、まずい……!」

 

「な……なんだこれは……!」

 

 ザリュースが横で絶句する。当たり前だ。湖に繋がる川の上流で、堰き止められていただろう岩や土塊で簡易の小さなダムのようなものが出来ていたのだ。

 それは今にも決壊しそうになっており、ミシリミシリと石壁が水の圧力で軋む音が聞こえそうなほどだった。

 

「おそらく大元のアゼルリシア山脈では大雨だぞこれは……! これが決壊すれば、下手をすればお前達の村が沈むぞ……!!」

 

「……!!」

 

 蜥蜴人(リザードマン)達はその生態から湿地帯を好み、そこに集落を形成する。それが仇になった形だ。堰き止められていた水が溢れ出せば、今まで以上に水位は上昇する。いや、それだけで済めばまだいい。水の量が圧倒的に多過ぎると、押し流された石や土、水が濁流となって下流に襲いかかる。

 どうやら地下から湧き出た水と、上流から流れた水がこの辺りで堰き止められ、後々上流からの水が更に堰き止められて地下から湧き出た水のみで形成した湖。それがこの水のたまり場の正体だったらしい。連日の大雨のせいで、上流の堰き止められていた水が今にも溢れ出しそうになっている。

 

「そんな……急いでこのことを村に……!」

 

 ザリュースがそう言って立ち上がった時、ちょうどドアをノックする音があった。外からシャースーリューの声が聞こえたため、許可を出すとシャースーリューがドアを開けて入り、驚いた様子でこちらを見る。

 

「どうした弟よ?」

 

 困惑気味のシャースーリューにザリュースが慌てた様子で、アインズが見せていた映像を指差しながら現状を説明する。

 ザリュースの言葉に次第にシャースーリューも顔色を失った。

 

「それは……まずいぞ。急いで村に知らせよう。弟よ、お前は他の村にも知らせるのだ。我等の全滅の危機だ……“竜牙(ドラゴン・タスク)”も“朱の瞳(レッド・アイ)”もフロスト・ペインを持つお前の話ならば無下にはすまい」

 

「わかった」

 

「それと申し訳ないがゴウン殿、村で分かり易く説明をして欲しい。信じぬ者もいるだろう」

 

「ああ、かまわん」

 

 さすがにアインズとて、ある程度の愛着は感じる。このまま彼らが自然災害を前に絶滅するのは見るに耐えなかった。

 

「だがこのぬかるみだ……せめて、雨だけでも止んでくれれば作業がしやすいのだが」

 

 シャースーリューは苦々しそうな顔で呟く。ザリュースも同様だ。雨が降っているため視界も悪く、家の土台を強くするのや、即席で壁を作るのに適さないのだ。

 それに対し、アインズは任せろと頷いた。

 

「安心しろ。俺がどうにかしよう――ザリュース」

 

「なんだ?」

 

「他の村までどれくらいの時間がかかる?」

 

「……? おそらく、二時間以内でどんな結果にせよ片が付くと思うが」

 

 アインズはそれを聞くと、ザリュースに考えた事を話した。

 

「なら二時間後にある魔法を使う。おそらく、話だけでは半信半疑の者もいるだろう。だから、俺が魔法で話を信じ込ませる」

 

「信じ込ませるとは……どうやって?」

 

「〈天候操作(コントロール・ウェザー)〉を使って天気を変える」

 

「は、はああああ!?」

 

 その言葉を聞いたザリュースが、顎が外れたと言わんばかりに驚いていた。

 

「第六位階魔法!? そんな馬鹿な……」

 

「実は使えたんだよ。とりあえず、それで俺がこの湖の天気を晴れに変えてやる。これなら、どんなアホでも信用するだろう」

 

 当たり前だ。第六位階魔法を使うような魔法詠唱者(マジック・キャスター)が気をつけろと忠告するのだ。例え他の者達は信じなくとも、祭司の者達は絶対に信用する。

 ……まあ、実際は巻物(スクロール)の力だが。

 

「だが、おそらく山の天気は範囲外だろう。だからこの周囲は晴れに変えた内に作業しろ。天気も、すぐに雨雲が来て雨に変わるだろうからな」

 

 近くに雨雲がある以上、晴れに変えても風が雨雲を運んでくる。そのため、これは本当に一時凌ぎにしかならないだろう。

 だが、それでも充分過ぎるほどだった。少なくとも、誰も信用せずに全滅、という事だけは避けられそうだったから。

 

「急ごう……後はもう時間との勝負だ!」

 

 

 

 

 

 

「急げ! 材木が足りないぞ!!」

 

「もっとしっかり塞げ!」

 

 結果として、シャースーリューとザリュース兄弟のカリスマ、とどめのアインズの魔法もあって蜥蜴人(リザードマン)達はその話を信用し、蜥蜴人(リザードマン)達は誰もが協力し合いながら村の補強を重ねていった。

 避難しようにも、彼らは湿地帯に棲息する者達。森の陸地は彼らにとって魔境であるため、モンスターに襲われる可能性がある。そのため誰もが村が流されないように維持する方向で動いていた。

 

 ザリュースは“緑爪(グリーン・クロー)”族の村に帰ってきてはいない。“朱の瞳(レッド・アイ)”族には戦士などの力仕事が出来る者が少ないらしく、そこを手伝っているらしい。……〈伝言(メッセージ)〉で聞くかぎりはどうも“竜牙(ドラゴン・タスク)”族でも一悶着あったらしいが。

 

「シャースーリュー殿! この材木はどこに運べばよいでござるか!?」

 

「ハムスケ殿! それはあちらの者達のもとへ……申し訳ないゴウン殿! もう一度魔法を……!」

 

「分かっている! 〈全体飛行(マス・フライ)〉」

 

 アインズは〈飛行(フライ)〉を複数人に一度にかけ、そのおかげで上部にある作業を楽にする。ハムスケは切り倒した木を背に乗せ、運んでそれぞれの作業場に配っていた。

 既に、雨雲が再びこの湖に集まり始めている。おそらく、また雨が降るのは確実だろう。山岳部の雨もあるので、急いで作業しないと本当に危ないかもしれなかった。

 

 急げ。急げ――と全員が激しく声を飛ばしながら、必死になって作業を進めている。アインズは転移魔法でそれぞれの村を行き来し、彼らに魔法をかけて作業を行いやすくしていたがやはり作業は遅々として進んでいない。蜥蜴人(リザードマン)達は人間のようにこのような作業に慣れていないのだ。

 

 だが、そこには確かな連帯感があった。それぞれの村ではあるが、彼らは大自然を前に確かに力を合わせ戦っている。

 

 かつて遥か昔――アインズの、鈴木悟のいた世界でもこうした光景が見られたのだろうか。アインズはそう感傷に浸りながらも、転移魔法で別の村へ飛んでいく。

 

「あと、少し……!」

 

 ああ、だが悲しいかな。

 

 大自然とは、そのような矮小な生き物達に攻略されるほど甘くは無い。

 何故なら核兵器さえ生まれた世界でも、確かに存在し続けた実績があるが故に。

 

 自然とは――――ありとあらゆるものを運び去り、消えない傷痕を残していくものである。

 

「――――あ」

 

 誰かの間抜けな声が、ぽつんと聞こえた。その声にそれぞれが振り返り、顔を引き攣らせる。

 

 湖の水面が、異様なほどにうねっていた。

 

「……全員! 何かに掴まれ!!」

 

 シャースーリューの怒声のような叫び声が響く。それと同時に、北の方から大きな津波のような水の濁流が押し寄せてきた。

 

「……ッ! ……ッ!」

 

 流される。流される。流されていく。蜥蜴人(リザードマン)達は必死になって木々に、家の柱に、その両腕でしがみついていた。

 濁流と共に、おそらく北にいたのであろう一部のトードマン達もまた流されてくる。だが、彼らは蜥蜴人(リザードマン)とは違う。その濁流の水の中を泳ぎ、流される折れた木や石を避け、それぞれ手身近にあった蜥蜴人(リザードマン)達の家の柱に掴まり難を逃れていた。

 

「……あぁ」

 

 その様を、呆然とアインズの魔法で空を飛んでいた者達が眺める。自分達が棲む場所の、自然というものの恐ろしさを目に焼きつける。床の高い家の中に避難させられていた子供達もまた、恐怖の目で呆然と迫る恐怖(みず)を、足下を通るそれらを見つめている。

 

「……ッ! ……ッ!」

 

 荒れ狂う水のうねりに晒され、シャースーリューは目蓋も口も開けられない状態で近くの家の柱にしがみついてこの奔流が収まるのを待っていた。

 ああ、けれど。シャースーリューには分かる。何人か若い者達が、老いた者達が身体を支えられず水に流されていくのが。優れているからこそ、その悲しい気配が目を瞑っていたとしても察知出来てしまう。

 ぬるぬると滑る手。必死に爪を立てて掴まりながら。けれど逆らえぬ水の流れに押されていく。

 

 ――嫌だ。嫌だ! 死にたくない……!

 

「……ッ! ……ッ!」

 

 心の中を占めるのはそうした、原初の強い感情だ。だが無情な自然はそうした矮小な彼らの願いも姿も、押し流そうと力強く現実を叩きつける。

 

 ――そして、シャースーリューはある気配を察した。何かが猛烈な勢いでこちらに近づいてきている。ずるずると流されている。それは……折れた大木。

 

「……!」

 

 このままではぶつかる。手を離さなくては。しかし手を離せば、シャースーリューはこの濁流に呑み込まれるだろう。濁流に呑みこまれて生きていられるのか。分からない。分からないけれど、しかしこのままではあの大木がぶつかる。いや、ぶつかって自分が大怪我を負うだけならば、そうして自分が流されて死ぬだけならまだいいだろう。

 だが、もしあの大木がこの家の柱まで折ってしまったら……家の中に避難している女子供は絶対に死ぬだろう。

 

「う、うオオォぉぉぉぉッ!!」

 

 必死になって体を前へ進ませる。大木から家の柱を守るように。そうしなければならぬと強く思ったのだ。何故ならば、彼は族長であるが故に――皆を守らなければならない。

 

 だが、心の中では――――

 

「……死にたくないッ!!」

 

 強く叫んだ。叫ばざるを得なかった。そう祈らざるを得なかった。例え、その願いが叶わなくとも……。

 

 だが、シャースーリューの願いを聞き届けた者の声が聞こえる。

 

 ――――お安い御用だ。任せろ、シャースーリュー・シャシャ。

 

「え……?」

 

 聞こえるはずのない声が聞こえて、思わず目蓋を開ける。見えるはずの水の奔流が視界に入らない。

 ただ蒼く美しい白い光の雨が、綺羅綺羅と天上を舞っていた。

 

 

 

 

 

 

「凄いなこれは……」

 

 アインズはその濁流を、〈飛行(フライ)〉によって浮かんだ空から眺めていた。

 

 濁流は湖周辺の集落を全て呑み込もうとうねり、押し流していく。全てが流されていくのも時間の問題のように見えた。

 周囲にはアインズの魔法で偶然難を逃れた蜥蜴人(リザードマン)達があまりな有様に、呆然と地上を眺めている。

 

「…………」

 

 地上は阿鼻叫喚だ。いや、絶叫さえ水に呑まれて聞こえない。蜥蜴人(リザードマン)や北の方から押し流されたトードマン……ツヴェーグ達もが必死になって家の柱や木の幹にしがみつき、この濁流に耐えていた。

 

 だが、それも長くは続かないだろう。いかに彼らが人間の脆弱な力とは違うと言っても、それでもこの自然に逆らえるほど強くない。こうして空を飛んでいる者達や家の中にいる子供達以外、全て流されていくのが容易に想像出来た。いや、もしかしたら家も崩れて攫われていってしまうかもしれない。

 

「…………」

 

 時間を停止させて、飛行魔法で全員救出するか。いや、おそらくそれでは間に合うまい。その方法では村を二つか三つ救うのが限界だろう。どう考えても、村が二つ犠牲になる。

 

「…………」

 

 そして、アインズにそれは関係の無い話だ。さっさとハムスケを回収して立ち去るべきである。それがもっとも正しい道だとアインズには分かっている。

 

「…………」

 

 アインズにとって、正しいのは正義という概念では無い。ただ、未知が楽しくて。アインズの心にあるのはそれだけで。

 誰が死のうと関係は無い。アンデッドとしての感情が、それを支持する。例えそれが倫理的に間違っていようと、今のアインズを責める相手はいない。だから、正しく旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)としてこの場を去るべきだ。

 そもそもアインズは、既に彼ら蜥蜴人(リザードマン)に対してかなりの肩入れをしている。これ以上の馴れ合いは必要無い。

 

「…………」

 

 そう、必要など無いはずだ。

 

「……まあ、ハムスケを助けなきゃならないし。それに一度実験してみたかったんだよな」

 

 だから、きっとこれは余分な事。それを誰かに対して言い訳がましくポツリと呟き、アインズは一つの魔法を発動させた。

 

 アインズを中心に、青白い光を放ち一〇メートルにもなろうかという巨大なドーム状の魔法陣が展開される。

 それは目まぐるしく姿を変え、一瞬たりとも同じ文字を浮かべていない。

 この曇り空の中で、その蒼く澄んだ美しい光の曲線と文字はなお輝いていた。

 

 ふと、声が聞こえた気がした。死にたくない、という仲の良い兄弟の片割れの声。

 

「ああ――――お安い御用だ。任せろ、シャースーリュー・シャシャ」

 

 超位魔法――

 

 魔法陣が弾け、無数の光の粒になって天空へと舞い上がる。そして一気に爆発するように天上で広がり――

 

 ――〈天地改変(ザ・クリエイション)

 

 そして世界が、姿を変えた。

 

「…………は?」

 

 ポカン、とアインズは仮面の奥で思わず口を開いた間抜けな表情を作る。それほどまでに、アインズは自分の魔法がもたらした効果が想像以上だった。

 

 アインズの使った超位魔法〈天地改変(ザ・クリエイション)〉はエリアフィールドを改変する魔法であり、一日に四回しか使えないのもあって強力な魔法である。『ユグドラシル』ではかなりの広範囲に渡ってフィールドの地形効果を改変し、火山地帯の熱ダメージを防いだり、氷結地帯の寒気ダメージを防いだりした。

 そして今回、アインズは湿地帯の地盤を上げて濁流から守るために発動させた。水を凍らせてもよかったのだが、その場合濁流の中にいる者達が氷の中に閉じ込められる事になる。

 そのためにただ地盤を上げて陸地を作る目的で使用したのだが……。

 

「……どういう効果範囲だ、これは」

 

 存在したはずの湿地帯がほぼ消えて、集落がある地盤が上がっている。小さいながらも、まるで彼らの村に湖と家を区別する崖が出来たような有り様だ。さすがのアインズも、これは予想外に過ぎた。

 

「いやいやいやいや……やりすぎでしょ、これは」

 

 ポツリと呟く。地上では、いきなりの天変地異に蜥蜴人(リザードマン)達が狂喜乱舞している。そんな彼らの姿を見下ろしながら……アインズは全てがどうでもよくなった。

 

「うん。効果範囲を調べる実験は終わったもんな」

 

 それで良しとしよう――と、アインズは全てを投げ出した。

 

 魔法の効果が切れて地上に降りたアインズは、同じように地上に降りた蜥蜴人(リザードマン)や助かったシャースーリュー達を初めとした蜥蜴人(リザードマン)達に平伏され、代表として一番前にいたシャースーリューが瞳を輝かせながらアインズを見つめて叫んだ。

 

「アインズ・ウール・ゴウン様……貴方様は神だったのですね!!」

 

「…………ぇ?」

 

 一番にお礼を言われると思っていたアインズは、そのシャースーリューの言葉に思わず訊き返すような言葉を返す。

 しかし彼らには聞こえなかったのか、彼らは平伏しアインズを口々に崇め始めた。

 

「ありがとうございます、神よ……おかげで、我等は助かりました!」

 

「ありがとうございます! ありがとうございます!!」

 

「おぉ……アインズ・ウール・ゴウン様の御慈悲に感謝を……」

 

「え、えぇー……」

 

 異様なほどの強い崇拝を感じさせる熱気に、アインズは内心引く。だが、彼らはひたすらに平伏し、アインズへの感謝を告げるのみだ。

 

「あ、いや……おほん! 俺への感謝はいい。それより、流された連中を探しにいった方がいいぞ」

 

「あ、そうですね! かしこまりました! 水も引いてきたようなので、すぐに捜索隊を組みます!!」

 

 シャースーリューはそう言うと、もう一度深々と頭を下げて立ち上がり、他の蜥蜴人(リザードマン)達に命令し捜索隊を作って森へと探しに行った。ちなみにツヴェーグ達は水が引いた時点で泳いで元の棲み処へと逃げるように帰っている。

 

 その後ろ姿を見ながら、アインズは仮面の頬をぽりぽりとかいた。

 

「まあ、俺もハムスケを探しに行くか……」

 

 ちなみに、ハムスケはロロロと一緒に木の幹に尻尾や頭で絡みついて、背中に何体かの蜥蜴人(リザードマン)を乗せていたところを発見された。

 

 

 

 

 

 

 ザリュースは、今水の中を揺蕩っている。

 

 ゆらゆらと揺られて、段々底へと沈んでいく。

 

 はて、と思う。どうして自分は、こんな水の中にいるのだろうか、と。

 

 少し考えて……ザリュースは思い出した。ああ、そうだ。自分は確か流された折れた大木に惚れたメスが――クルシュが打ち付けられようとしたのを見て、咄嗟に庇ったのだった。

 その衝撃でザリュースは濁流に呑み込まれ……そして今、こうして水の中を揺蕩っているのだろう。

 

 ゆらゆらと揺られながら、思い出すのはクルシュとの出逢いだ。

 一目惚れだった。美しいメスだった。彼女ほど美しい生き物は、きっとこの世に存在しないと思えるほどに。思わず出逢ってすぐ求愛の鳴き声を上げてしまうほどに。

 

 続いて思い出すのは、ゼンベルというオスの事だ。族長のくせに旅人で、そしてだからこそザリュースの言葉をすぐに信用してくれたオス。

 彼は何と言っていたか……そうだ、確か「フロスト・ペインを持つお前に勝つのが夢なのさ」などと言っていた事をザリュースは思い出した。

 

 その好戦的な言葉と表情に、けれど悪い気はしなかった。この嵐が終わったら、その勝敗を決めようと笑い合えるような清々しいオスだったと思う。

 

 けれど、それはきっと叶わないだろう。

 

 ――ああ。全身が沈んでいく。深い、深い水の底へと。ゆらゆらと揺られながら。

 

 ――――そうして久遠とも刹那ともつかぬ時間が経ってから、誰かが手を差し出してきた気がした。

 

 悪魔のような気がする。けれど、同時に天使のようにも思えた。

 

 何者なのか分からない。ただ、優しい感触がする。水面からゆっくりとザリュースを引き上げようとする誰かの手の感触がする。

 

 この手を振り払うべきか否か、ザリュースは迷う。しかしその迷いは一瞬だった。

 

 声が聞こえたのだ。愛するメスの。優しい兄の。可愛い弟の。なんだか頼もしい友のようなオスの。自分を呼び戻そうとする声が。

 

 ザリュースは掴む。その手を。一気に引き上げられる。白く染まった世界が視界に飛び込んだ。

 

 ――ああ。全身の脱力感が酷い。身体の中がドロドロになって、溶けてしまうかのようだ。

 

 そうしてゆっくりとだが目蓋を開け……

 

「ザリュース!」

 

 自分を見つめながら、涙をこぼす愛するメスの姿が目に入った。その姿に酷く驚く。

 視界に入ったのはそれだけではなかった。クルシュだけではない。シャースーリューが、ロロロが、ゼンベルが心配そうな表情でじっとザリュースを眺めている。

 

「よかった……! 本当によかった……!! 私なんか庇って!!」

 

「く、くるしゅ……?」

 

 抱き着いてくるクルシュに驚き、よたよたとしながらも周囲を見回した。

 そこには、平伏しぴくりとも動かない仲間達がいる。その様子に更に驚く。シャースーリューが誰かに向き直って、平伏している姿が視界の隅に入った。

 

「ああ……私の弟を生き返らせていただき、感謝します神よ……」

 

「……は?」

 

 その聞こえてきた言葉に驚き、ザリュースはそちらに視線を向ける。兄のシャースーリューが平伏しているその先に……闇色のローブを纏った、もう見慣れた仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が、白銀の魔獣を侍らせて立っていた。

 

「あ、あいんず……?」

 

 ぽかんとして名前を呼ぶ。すると、ゼンベルがザリュースを小突いて呟いた。

 

「お前、死んじまってたんだよ。それをあの方が、生き返らせてくれたんだ」

 

「は? ……そ、それはだいぎしきをおこなって……?」

 

「いや、一人で。ぽん、と。ちなみに俺らの村も全部水から引き揚げちまった。地形まで魔法で変えちまってよ……ありゃ、マジもんの神だ」

 

「…………!!」

 

 それでようやく、ザリュースも思考が追いついた。見ればここは村の広場だ。だが、あるはずの水草も水も存在しない。しかし見慣れた景色が、ここを自分の村だと告げているのだ。

 

 全てに理解が追いついたザリュースは体をよたよたと動かし、アインズの前に平伏する。慌ててクルシュやゼンベルも同じように平伏した。

 

「か、かみよ……すくっていただき、かんしゃします」

 

 その言葉に、アインズから困惑のようなものが発せられた気がするが、おそらく気のせいだろう。深く頭を下げて、ザリュースは崇拝を示した。

 アインズはそんな彼らの様子を仮面越しに見つめ、しかりと頷いた。

 

「この程度、些細なものだ。気にする必要は無い。これからも、生きるということに全力を尽くせ」

 

「…………!」

 

 その言葉に、全員が額が地面に擦れるのもかまわずに頭を下げる。神が蜥蜴人(リザードマン)の生を全肯定してくれた事を、深く感謝する。

 

 蜥蜴人(リザードマン)達に、新たなる宗教が誕生した瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

「……はあー……」

 

「殿、そう何度も溜息をつかないで欲しいでござる」

 

 ハムスケの上に跨り道を進みながら、アインズは深く溜息を吐く。

 今、ハムスケの背にはアインズの他に蜥蜴人(リザードマン)達が「聖獣様にどうぞこれを」と持たせられた大きな魚が括りつけられていた。それを見て、アインズは再び溜息をつく。

 

「いや、しかしなぁ……」

 

 結局、アインズはあの後数日だけ村に残って復興作業を手伝ったが、蜥蜴人(リザードマン)達にはもはや完全に神として認識されていた。どこを歩いても敬われ、畏敬の念を送られるのだ。辟易するのも仕方ないだろう。

 ……実は、少しだけ寂しいという思いがある。今までの気安さが消えて、「神よ」と呼ぶ蜥蜴人(リザードマン)の兄弟にショックを受けたのだ。

 

 欲しかったのは、友達だったはずなのに。

 

「……はぁ」

 

 だから、溜息が止まらない。

 

「……ところで殿、それがしお腹が空いたでござるよ。魚を食べてもいいでござるか?」

 

 その空気を嫌ったのか、ハムスケが空腹を訴える。アインズはその訴えに頷いた。

 

「ああ、そろそろ昼か。……ここで休憩にしよう」

 

 ハムスケの背から降り、適当に地面に座り込む。普段なら魔法で椅子くらい出すが、そんな気さえ起きなかった。

 

「…………」

 

 魔法で、ハムスケの背から魚を取る。全部で四匹。全て、一日でハムスケの胃に収まるだろう。

 

「ん? そういえば……」

 

 確か蜥蜴人(リザードマン)と係わったのは、修得していない職業(クラス)を修得出来るかの実験だったはずだ。その事を思い出したアインズは、じっと魚を見つめる。

 

「……料理に挑戦してみるか」

 

 アインズは内臓を丁寧に取ってある魚を見つめ、呟くと魔法で次々とアイテムを作り出す。大きな網と、それを置くための上部が開いた箱だ。ハムスケに言って枯れ木を集めさせ、箱の中に入れて火をつける。その上に網を置いた。

 

「殿、何をするのでござるか?」

 

「ああ。火を通してみようと思ってな」

 

「なるほど。カルネ村で一度だけ火を通した食べ物を食べたことがあるでござるよ。あれは美味しいでござるな!」

 

 期待に満ちたハムスケの瞳に、少し頑張ってみるか、という気分になる。火が大分燃え上がってきた頃に、アインズは魚を網の上に置いた。

 

「――――」

 

「いつ焼けるのでござろうなぁ……」

 

「――――」

 

「おぉ、美味しそうな匂いがし始めたでござる!」

 

「――――」

 

「……と、殿? そろそろいいのでござらんか?」

 

「――――」

 

「殿? 殿!? 焦げ始めているのでござるが!?」

 

「――――」

 

「殿ー! 殿ー! 焦げてるでござる! 焦げてるでござるよー!!」

 

「――――は!?」

 

 アインズは気づく。見れば完全に炭化した魚らしき物体が鎮座していた。顔を上げてハムスケを見る。

 

「…………殿。殿はもう料理はしない方がいいでござる」

 

「あ、はい……」

 

 炭化した無惨な元魚を悟ったような表情で見つめて呟かれたハムスケの言葉に、アインズは素直に頷いたのだった。

 

 

 

 ――――なお、結局無駄にやる気を出したアインズが全てを消し炭にする事になったが、炭化した魚は全てハムスケ(スタッフ)が美味しく(?)食べたので、決して無駄にはしていない。

 

 

 

 

 




 
(ファーマーを獲得するのは)やっぱり駄目だったよ……。

なお、フレーバーのゴッドは既に5lv(Max)なもよう。
 


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後日談

 
今回はとっても短いです。小話、とも言う。
 


 

 

「――――この、愚か者」

 

 バハルス帝国の皇帝ジルクニフは、フールーダから聞かされた報告に、はっきりと分かる憤怒の表情で答えた。

 フールーダはジルクニフの言葉に平伏し、頭を下げている。さすがのフールーダも、自分が悪いと分かっているのだ。

 

「魔法談義で熱が入り、弟子にして欲しくて平伏し、あげく相手を不快にさせて逃亡されただと? ……フールーダ、お前は頭脳がマヌケか?」

 

「申し訳ございません、陛下」

 

 ジルクニフはそんなフールーダに溜息をつく。即刻文字通り首を斬ってやりたいところだが、フールーダは帝国にとって替えの利かない駒だ。そんな事が出来るはずがない。

 

「……いや、これは私の失態だな。お前が魔法の深奥に触れることに対して、全てを賭けていることを私は知っていたのだから。ゴウンになるべく不快感を与えないように別室待機して、途中からフールーダに会いにくる体で合流しようと思ったが……誰か見張りくらい置いておくべきだった……」

 

 ジルクニフは苦々しく呟く。フールーダが魔法に対して狂気に近い渇望を持っているのを知ってはいた。だが、真の意味で理解していなかったという事だろう。恥も外聞もかなぐり捨てて懇願するとは……ましてや、相手がそれほどの魔法詠唱者(マジック・キャスター)だとは思ってもみなかったのだ。あらゆる事態を、そう――本当にあらゆる事態を想定して然るべきだった。

 

「まあ、いい。いや、よくはないが、過ぎたことはもうしょうがない。それよりもだ、じい……本当に、そのゴウンは第十位階魔法の使い手なのか?」

 

「あの魔力の奔流……それ以外に考えられませぬ!」

 

 フールーダに訊ねると、興奮したような答えが返ってくる。しかし、ジルクニフはそれに待ったをかけた。

 

「本当にそうなのか? じい、お前は自分より格上の魔法詠唱者(マジック・キャスター)を見たことが無いのだろう?」

 

「それは……そうですが……」

 

「その上で訊きたいのだ。本当に、アインズ・ウール・ゴウンは第十位階魔法の使い手なのか?」

 

 ジルクニフの問いにフールーダは悩み……苦悶したような表情で、はっきりと語った。

 

「正直なところ……分からない、と言わざるを得ません。私の生まれながらの異能(タレント)は相手の魔力を視覚化して視ることが出来ますが……知っての通り、私は第六位階魔法までしか使えませぬし、私以上の使い手は彼の十三英雄達しか知りませぬ。その彼らとて、今の私ならば追いついたと思えるほどですし……第十位階となると、どのように視えるのかはっきりとは……。噂によると法国では、神官達が大儀式を用いて上の位階を使うそうですが……私はその場面を見たこともありませんので」

 

「だろうな。……と、なると実際のところは、だ。じい、お前より上の位階魔法の使い手だということしか分からない、ということだな?」

 

「そうです」

 

「ふん……」

 

 まあ、あまり深い意味は無い。第十位階だろうが第七位階だろうが、フールーダより上の位階魔法の使い手だという事だけは確実なのだ。それだけ分かれば充分であるし、それだけで帝国としては致命的な失態を演じた事になる。

 

「やるべきことは……ゴウンをまず探すことだな。それも極秘裏に」

 

「極秘っすか?」

 

 今までジルクニフの警備として横に控えていた男……バジウッドが不思議そうに訊ねる。皇帝に対するような口調では無いが、しかしこの室内にいる誰も文句を言わない。

 ジルクニフはバジウッドの言葉に頷いた。

 

「そうだ。極秘裏に行うのは必須だぞ」

 

「大々的に探した方がすぐ見つかると思いますけど……?」

 

「理由をどうする気だ? “フールーダより格上の魔法詠唱者(マジック・キャスター)を是非帝国に迎え入れたいので、アインズ・ウール・ゴウンを探してます”とでも言うのか? 法国と王国が血眼になって探し始めるぞ。当然、見つけても帝国に報告は無しだ。次の王国戦にゴウンが出てきたらどうしてくれる?」

 

「ああ、なるほど。そりゃ無理っすね」

 

 フールーダと帝国全軍は互角だ。当然、フールーダより強い魔法詠唱者(マジック・キャスター)は帝国全軍より上、という事になる。周辺国家最強のスレイン法国に隠し玉を増やされても困るし、かと言ってリ・エスティーゼ王国につかれると、国力を手間暇かけて削っていたのに一気に引っくり返されてしまう。

 

「だからこそ、極秘裏に捜索する必要がある。王国がゴウンを軽視している内にな。連中の頭の悪さに感謝のキスを贈ってやりたいよ」

 

 ジルクニフの言葉に、室内の全員が苦笑を浮かべる。彼らの中では、王国の貴族連中の頭の悪さは周知の事実なのだ。もっとも、少し前まで帝国は王国を笑える立場では無かったのだが、国のトップの出来が王国とは違った。数代かけて皇帝が徐々に準備を整え……ジルクニフの代で全てに始末をつけた。そして王国は逆に、代を重ねる毎に腐敗を強めてしまったのだ。

 今の王国の国王――ランポッサ三世はどうにかしようと躍起のようだが、ジルクニフは知っている。あのおぞましい腐敗が、一代でどうにかなるはずが無い。帝国のように数代かけなければ出せない“膿”だ。そして当然……そんな隙は与えない。

 

「しかし、探せますかね?」

 

 バジウッドの疑問は当然だ。何せ、相手はフールーダの魔法でさえ感知されない凄腕の魔法詠唱者(マジック・キャスター)である。しかもたった一人の人物を極秘裏に探そうと思うと、どうしても人員が足りないように思えた。

 しかし、ジルクニフは気軽そうに答える。

 

「大丈夫だろ。聞いた話だと巨大な魔獣を連れているそうじゃないか。いくら何でも、それは目立つだろうしな」

 

「あー……確かに」

 

 どこにいた魔獣かは聞きそびれたが、あの死の騎士(デス・ナイト)に対して一歩も引かなかったという魔獣だ。ただの魔獣であるはずが無い。そんなものを連れて歩けば目立つにもほどがある。

 だからこそ、ジルクニフの心配はそこではなかった。

 

「問題はスレイン法国だな。あっちに捕捉されると厄介だぞ。法国の特殊部隊を壊滅させたことは、当然向こうだって気づいているだろうしな」

 

 ただの様子見ならまだいいが、法国に引き入れられると厄介に過ぎる。ただでさえ、法国には手札と切り札が多いのだ。周辺国家最強の戦士は王国のガゼフ・ストロノーフだが、法国ならばそれより強い戦士を保有していたとしても、不思議は無い。そこにフールーダより格上の魔法詠唱者(マジック・キャスター)まで加えられると、もはや引っくり返せない戦力差が出来上がってしまう。

 

「……とは言っても、向こうはゴウンの不興を買っているか。状況としては五分だな。いや、こちらが有利か」

 

 法国は特殊部隊を使って村を虐殺して回る、というアインズの不興を既に買っていた。特殊部隊を出した以上、当然『国』が全く絡んでない、などという言い訳は許されない。

 だが、帝国の場合はフールーダが暴走しただけ、としらを切れる(本当に暴走しただけだが)。帝国の方から丁寧に謝れば、向こうもそこまで不快感を示さないだろう。フールーダが暴走しないように手綱を握っていれば、向こうもフールーダの慰めに付き合ってやろう、という気になるかもしれない。

 

「今までの行動を見るに、奴は理知的であり、そして義理人情に篤い男だ。法国の特殊部隊に喧嘩を売って、何の関係も無い村人やガゼフを助けるんだからな。ならば、帝国に勝算は充分有る」

 

 そして法国は既にアインズが忌避感を持っていてもおかしくはなく、王国は現状の貴族達を思えばこれから失態を演じる可能性が高い。

 

「一番警戒すべきは法国だが……ゴウンが次に現れそうな国は竜王国か。あそこは例年ビーストマン共に食糧庫同然の扱いをされているからな。普通なら危険で近寄らないが、今までの義理人情に篤いところを見るに、現れそうな確率は高い。まあ、そうなるとかなり目立つが」

 

「確かに。ビーストマンが侵攻を止めちまったらゴウンって奴の出現確定っすね」

 

「一番確率が低いのはじいのせいで出て行ったこの帝国、既に行ったことのある王国。そして名前から出身国と思われる法国か」

 

 旅人ならば一度行った場所にはよっぽどの事か、もしくは愛着が無いかぎりは訪れないだろう。

 

「とりあえず、情報局に回して極秘裏に人探しだ。ゴウンはじいより格上の魔法詠唱者(マジック・キャスター)なのだから、魔法での捜索は通じない。地道な努力こそが近道と知れ」

 

「……普段フールーダ様に助けていただいていたツケが、ここで来ましたね」

 

 ぽつりと呟かれた秘書官の言葉に、ジルクニフは鼻を鳴らす。

 

「確かに。他とは違ってこっちにはじいがいたからな。そのせいで経験が浅い。……まあ、初っ端から難易度が高いがいい経験になるだろ」

 

 これでその話は終わりだ。ジルクニフ達は帝都に戻り、アインズを探しながら日々の雑務をこなしていく。

 

 ……その頃探すべき対象が、まさかトブの大森林という人類未開の地で、平然としているとは思いもしない彼らだった。

 

 

 

 

 

 

 神官長会議という、スレイン法国の最高会議から解放された彼は、気疲れにより凝った肩を少し回してほぐしながら退室した。

 そして退室した廊下で、壁にもたれかかるように一人の少女が立っている。手には六大神が広めた玩具ルビクキューがあり、それを一生懸命解こうとかちゃかちゃと音を鳴らしていた。

 

「一面なら簡単なんだけど、二面を揃えるのって難しいよね」

 

 それに苦笑いで答えた。彼からすれば、特に難しいものではないが、本音で答える事を遠慮した結果だ。

 

「それで、一体何があったの? 神官長達まで集まっちゃって」

 

 報告書は既に届いているはずだが、彼女はそれに「読んでない」とすっぱり答える。報告書などよりも事情を知っている人間に聞いた方が楽だし、あまり主観の入らない純粋な情報を得られるからだ。

 

「……陽光聖典との連絡が途絶えた件で彼らが最後に確認された地点を調べていた時、興味深い魔法詠唱者(マジック・キャスター)の存在が浮かび上がりました」

 

「ふぅん……どんな奴?」

 

 それに彼は答えを窮した。なんと答えればいいか分からなかったためだ。そうして言葉に詰まった彼に初めて、彼女は玩具から視線を外し顔を上げて彼を見た。

 

「なに? そんなにやばいの?」

 

「……その魔法詠唱者(マジック・キャスター)の……おそらく、という注釈が付く戦歴があります。聞きますか?」

 

「ぜひ」

 

 にっこりと、満面の笑顔。血に塗れたような表情が笑顔だと断言出来るのであれば、だろうが。

 

 そこで彼は語る。あの最高位天使を封じた魔封じの水晶を含めた、陽光聖典の殲滅。トブの大森林の一角を支配する伝説の魔獣、森の賢王の支配。そしてエ・ランテルでの裏切者クレマンティーヌの処刑。最後に――カッツェ平野で発生した伝説級のアンデッド、死の騎士(デス・ナイト)の退治。

 

 全てを聞き終えた彼女は――瞳を輝かせながら、彼に更に訊ねる。

 

「それ、本当?」

 

「少なくとも陽光聖典の件と死の騎士(デス・ナイト)の件は。クレマンティーヌのことについては、後々分かるでしょう。風花聖典が死体を回収出来たそうですから」

 

 危うくズーラーノーンに先に回収されるところだったが、何とか風花聖典が間に合ったらしい。

 

「ふぅん。なら、後でもっと詳しい話が分かるのね。――ところで、その殿方の扱いはこれからどうするつもり?」

 

 相手を男と確信している口調だが、彼はそれに訂正を入れなかった。何だかおかしな気配がするが、あまり突っ込んでも碌な目に遭いそうに無い気がする。

 故に彼は、彼女の質問に答えるだけにした。

 

「旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)のようなので、居場所が分かった時点で接触してみるべきではないか、と意見が出ています」

 

「うん? 魔法で調べられないの?」

 

「最低でも第七位階魔法の使い手ですよ? それに、土の巫女姫の件の犯人である可能性も高いので、魔法で調べるのは危険過ぎる、とのことです」

 

「ああ、あの……それは確かに危険過ぎて調べられないわね。でも、それなら接触するのも危険じゃないかしら」

 

「……今までのことから、基本的に人助けすることが多いようですから、いきなり敵対行動にはならないのではないか、という見解です」

 

 もっとも、向こうは陽光聖典を滅ぼし、こちらは罪の無い民衆を殺している。すぐに殺し合いに発展はしないだろうが、敵対行動染みた行為はお互いに取ってしまっていた。なので、接触した際にはお互いの落としどころを探る必要があるだろう。

 ……彼女には関係の無い話であろうが。

 

「それにしても、話を聞くかぎりその殿方、人間じゃないわよね? もしかして――私達と同じようなタイプ?」

 

 “人間じゃない”、という単語に顔の表情が動きそうになるが、何とか抑えて彼女の質問に答える。

 

「その可能性は高いと思われます」

 

「ふぅん……。あと他には何かあった? 破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)を支配下に置きに出撃したんでしょ? そっちはどうしたの?」

 

「そちらの方はまだ詳細不明です。……もしかすると、件の魔法詠唱者(マジック・キャスター)と一戦交えたのかも知れませんが」

 

「え?」

 

 カルネ村からの帰りに、通った森で行きと帰りで景色が変わっていたのだ。そこは森だったのだが、明らかに戦場跡であり、しかも周囲一帯が焼け野原になるほどの痕跡を残していた。時間的に、例の魔法詠唱者(マジック・キャスター)と何者かが遭遇し、戦闘になった可能性が一番高い。

 そこまでの痕跡を残すとなると……それこそ、相手は同格か、それに近い者だったと分かる。そうなると敵対していた相手の最有力候補は破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)だ。

 

 それを聞いた彼女は楽しそうな笑みを浮かべて、壁から背を離した。

 

「なるほどね。……他には無いの?」

 

「今分かっているのは」

 

「そう。じゃあいいわ」

 

 彼女はそれだけを告げると、彼に背を向けて歩き去っていく。再びかちゃかちゃと玩具を弄る音が鳴り始めた。そしてその背中を見送りながら、彼は彼女に告げなかった情報を頭の中に思い浮かべる。

 

 陽光聖典の作戦に使った、帝国の騎士に扮した工作員の生き残りが数人存在している。彼らは帰って来た時、ある情報を持ち帰った。

 闇色のマントとローブを羽織った、髑髏の王。そして死を告げに行く、という警告。

 

 このスレイン法国には、そんな容貌にピッタリ合致する存在がいた。

 それは彼らが信仰するもの。六〇〇年前、この地に降りて人々を救済し導いた六柱の神。その一角にして最強の存在。漆黒聖典の真の主とも言うべきもの。

 

「――――」

 

 その、かつて大罪人に追放され、もはや何処へと消えたかも分からぬ神の名を口にする。

 仮に――彼の者が本当にそうだったとするならば、このスレイン法国はどうなってしまうのだろう。いや、例え偽物であろうとあれだけの力を持ち、かつその姿をしているというだけで、スレイン法国の各宗派の力関係が崩れてしまう。

 そうなった時どうするのか。それがもっとも恐るべき事態であり、そして今なお神官長達が議論する原因だった。

 

「…………」

 

 ふと、思考を断ち切るように頭を振って前を歩く彼女の姿を見る。彼女はもう遠く、そろそろ姿が見えなくなりそうだ。

 その背中を見ながら、ふと――あり得ない想像をした。

 

 なんだか彼女の後姿は、まるで恋する乙女のように軽やかだな、と。

 

 

 

 

 

 

 ――トブの大森林の山脈の麓……瓢箪のような形をした湖の近くで、彼らはより集まって生活していた。

 そしてその中でも最強の戦士と名高いオス、ザリュースは何とか頑張って木を削り、彫ったそれを見て満足気に呟く。

 

「――よし」

 

 その出来の良さに、自分でも惚れ惚れする。そっくりだと確信出来るほどの作り込みに。

 ……戦士である彼が何故そんな細かな作業をしているのかと言うと、“神”を一番間近で見ていたのが彼であり、“神”の顔を細部まで覚えているのもまた彼であったからだ。

 だからそれを作るのは、専ら彼の仕事だった。

 

 蜥蜴人(リザードマン)の村は“神”が降臨してから、大きく変わった。

 まず、五つの部族で離れて暮らしていたのを、一つの村としてちゃんと纏まる事にしたのだ。これは先日の自然災害からの教訓であるところが大きい。湿地に家を作っていると、水に呑まれる事を学習したためだ。また、“神”が作り与えた土地の方が安全なため、そこに集まったとも言える。

 陸地を歩くのは少しばかり不便だが、あの濁流に呑まれる恐怖を思い出せば、陸で歩き辛い程度は苦にもならない。

 それに、湿地へと続く坂があるため、そこまで大変ではなかった。

 

 そして湿地には幾つもの生け簀が出来上がっている。これは部族が一つに纏まるのに際して必要不可欠な事だった。食料問題は、いつだって重要な問題なのだ。

 まだ全ての養殖場が完成したわけでも、軌道に乗ったわけでもないが、それでも数年後には食うに困らない状態が出来上がるだろう。

 ただ、今はまだ足りないためいつもと同じように各部族の狩猟頭率いる狩猟チームが、湖で漁をしている。

 

 そして、村のある陸地の一番高い場所に大きな建物が造られた。そこは祭殿であり、祭司達が日夜そこに詰めて“神”に祈りを捧げている。

 つまり、そこは神殿だった。そこには“神”の偶像が置かれ、戦士達が森の奥で危険を冒して手に入れた美しい花や、漁で獲った大きな魚を献上品として像の前の祭壇に置かれている。

 

 今や、ここにはかつての蜥蜴人(リザードマン)達の姿はどこにもない。一柱の神を崇拝する、一つの教団としての姿がそこにあった。

 

「…………」

 

 ザリュースは木彫りのそれをじっと眺める。あとはこれに、祭司達が色を塗れば完成だ。ここまで上出来の代物なのだ。これは祭司達が着ける装備品で、あの強大な魔力の一端を御貸し頂こうというためのものであり、つまりは祖霊の塗料みたいなものだ。だからこそ、やはりこれは、最も力ある祭司が持つのが道理だろう。

 そして蜥蜴人(リザードマン)達の中で最も力ある祭司とは、彼女しかいない。

 

「ザリュース」

 

 ふと、背後から声をかけられた。振り返る。そこに、白い鱗に赤い瞳の、美しいメスがいた。

 

「クルシュ」

 

「連合長が呼んでいたわ。たぶん、生け簀の件についてじゃないかしら」

 

「なるほど。なら、これを祭司達のところに届けたら向かうか」

 

 ザリュースの言葉に、クルシュが手元を見る。そこにあるそれに、クルシュの顔が綻んだ。

 

「まあ、素敵」

 

「ああ。今回は本当にいい出来だぞ。これ以上は作れそうに無い」

 

 最初の頃を思い出し、ザリュースは胸を張る。最初は失敗続きだった。何せ、ザリュースは何かを彫って作る、という細かな作業はした事が無い。それは戦士ではなく、祭司の仕事だからだ。

 だが、これを作るにあたって最も細かく模倣出来るのも、また彼であった。そのため、彼は必死になって毎日毎日、ずっとこの練習をしていたのだ。

 そうしていつしか、彼はこの彫刻の名手になっていた。

 

「それじゃあ、それが私の?」

 

「ああ、これが君のだ。やっと、これを君に渡せる」

 

 その言葉に、クルシュは朗らかに微笑んだ。ザリュースはクルシュに向き直り、まっすぐに彼女を見つめて、そして口を開いた。

 

「すまない、クルシュ。あの日の答えを聞かせて欲しい――」

 

「――はい」

 

 緊張に声が震える。しかし、ザリュースはそれでもしっかりと、はっきりと、その言葉を告げようとして――

 

「おう! ザリュース! お前の兄貴が呼んでるぜ!」

 

 バン、と思い切り大きな音を立ててゼンベルがやって来た。

 

 数秒の沈黙――

 

「まさか……今からやるところだったのか?」

 

 申し訳なさそうなゼンベルの言葉に、ザリュースとクルシュは無言で鍛えられた腹筋に拳を叩き込んだ。崩れ落ちるゼンベル。

 悶え苦しむゼンベルを見ながら、ザリュースは空気を入れ替えるように咳を一つすると、クルシュを見た。クルシュもザリュースを見ている。何だか、互いに苦笑いがこぼれた。

 

「そういえば、兄者が呼んでいたんだったな」

 

「そ、そうだよ……生け簀の件で、よぉ……」

 

「わかった、すぐに行こう。すまないクルシュ、これを代わりに届けておいてくれるか?」

 

「ふふ、分かったわ」

 

 手の中にあった物をクルシュに渡す。クルシュは恭しくそれを受け取った。

 

「あー……マジ痛ぇ……。んじゃ、行こうぜザリュース」

 

「ああ、ゼンベル」

 

 友人に笑いかけて、歩き出す。その横をクルシュが、ゼンベルが共に歩く。

 家の外に出ると、各部族の子供達が共に笑いながら、追いかけっこをしている姿を見つける。そして各部族のメス同士が何人も集まって、色々と何かの話をしている姿を目撃した。湖の方を見ると、兄のシャースーリューとゼンベル以外の他の族長達が集まって、生け簀を見ながら何か話していた。シャースーリューはザリュースの姿を見つけると、笑って手を振っている。

 

 ……まるで、光の中を進むようだ。ザリュースは今の光景を見る度に、強くそう思う。

 

 昔、ずっと思っていた。自分達は同じ種族でありながら、共に生活する事は無かった。もしその有様が崩れるのなら、それはおそらくどうしようもなく勝てない、絶望の権化とも言える敵が現れた時だろう、と。その時こそ、自分達は協力し、戦い、そして勝利を勝ち取ってこうして共に歩むようになるのだろうな、と。

 

 しかし、敵はいなくとも戦というものは存在するのだと知った。

 毎日は戦いだ。生きるという事は、厳しく、苦しく、難しい事なのだと。世界に対して、こんなにも自分はちっぽけなのだと、あの濁流の中でザリュースは思ったのだ。

 だからこそ――今、ここにある奇蹟を尊ぶ。今、こうして皆で笑い合える事が奇蹟なんだと信じている。

 

 

 

 それこそが、あの通りすがりの神様が起こしてくれた――――本物の奇蹟なんだと、ザリュースは信じているのだ。

 

 

 

 クルシュの手の中で、“神”の付けていた仮面を模した、木彫りの仮面が太陽の光を受けて輝いた気がした。

 

 

 

 

 




 
流 行 っ た
 


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三:黄昏の王国 幕開け

 
ギャグ? ねぇよんなもん。
 


 

 

 ――その日、王都リ・エスティーゼでは雨が降っていた。

 

 ガゼフは濡れる外套(クローク)を鬱陶しく思いながらも、同じような恰好をした数人とすれ違いながら黙々と道を歩く。自宅への道を。

 そしてその途中で、雨に濡れた、心がへし折れた一匹の負け犬に出遭った。

 

「アングラウス……」

 

 小道で雨に濡れるがままにされ、人形が投げ出されたように座り込んでいる、精気の抜けた顔。男……ブレイン・アングラウスはガゼフだと気づいていないのか、真正面からわざわざ顔を確認しに来た男を鬱陶しく思ったらしく、よろよろと立ち上がって気だるげに、とぼとぼと歩き出した。

 雨の中小さくなろうとする背中に、ガゼフは走り寄って叫ぶ。

 

「ブレイン・アングラウス!」

 

「…………ストロノーフか」

 

 そこで、初めてブレインはガゼフに気づいたのか。小さな、気迫の無い声がガゼフの耳に届いた。

 

「な、なにがあった?」

 

 とてもかつて見たライバルと同一人物とは思えないその有り様に愕然として、ガゼフはつい問いかける。

 ガゼフは知っている。一度の失敗で転がり落ちるような、楽な方へと逃げてしまう人間がいる事を。

 だが、ガゼフの知るブレインはそうした者達とは無縁の生き物だったはずだ。ブレインならば、その失敗を糧にしてすぐに立ち上がり、より高みを目指して飛びたとうとするだろう。

 そう思っていたはずなのに――

 

「……折れたんだ」

 

 ぽつりと呟かれた覇気の無い言葉に更に愕然とする。つい、心の中にある結論を否定したくて、ブレインが幼子のようにしっかりと持っている刀を見る。だが、それには刃こぼれ一つ存在しなかった。

 

「なあ、俺達は強いのか?」

 

「――――」

 

 その問いに対する答えを、ガゼフは口に出来なかった。

 思い出すのはカルネ村の事だ。そこにいた謎の魔法詠唱者(マジック・キャスター)、アインズ・ウール・ゴウン。彼がいなければガゼフは、部下は、村人達もまた諸共に死んでいただろう。王国最強と言われようと所詮その程度なのだ。

 強いなどと胸など張れない。けれど、それを口にするのは憚られる。何故ならそれは――

 

「俺達は弱いよ。所詮、人間なんだ。俺達なんて、ただのゴミだ。劣等種族たる人間なんだよ」

 

「分からないな、アングラウス。戦士ならばそんなこと、誰でも知っていることではないか」

 

 そうだ、人間は弱い。

 周辺国家最強などと謳われていようと、ガゼフは自分が最強だとは思わない。例えば法国はガゼフより強い戦士を隠している可能性があったし、それに人間であるガゼフより異形種や亜人種達の方が基礎スペックは上だろう。同じ技術力ならば、きっとガゼフは勝てない。

 

 本当の最強。本物の無敵なんて存在しない。高みは目に見えないだけで、はっきりと存在する。ガゼフはそれを知っていた。

 だが――ブレインは、ブレインはそれを理解していなかったのだろうか。どんな戦士だって知っている、当たり前の事を。

 

「高みはある。だからこそ……勝つために努力するのではないか?」

 

 いつかは、その高みに届くと信じて。

 例え、それが淡い夢だとしても。

 いつかは墜落する、断崖の果てからの飛翔なのだとしても。

 

 だが、ブレインの返答は血を吐くような絶叫だった。

 

「違う! そういうレベルじゃないんだ!! ……本当の高みには、努力したって無駄なんだ。決して手なんか届かないんだよ。それが人間という種族の限界だ。最初から、勝ち目なんてあるはず無かったんだ……!」

 

「なあ、ストロノーフ。お前も剣に自信があるだろう? でも、それはゴミなんだ。お前はゴミを手にして、人を守った気になっているだけなんだよ!!」

 

 感情が抜け落ちたような静かな表情で、けれど人を殺せるような気迫でもってブレインは告げる。

 

「それほどの高みを、見たのか?」

 

「見た。知った。知ってしまった。人間という種族の限界を。……スタート地点が違うんだ。俺達は初めから、周回遅れなんだよストロノーフ。どんなにその背中を追いかけても、手が届いたと思っても、それは幻影だ。決して手なんか届きっこないんだよ……」

 

 もはや、ガゼフは何も言えなかった。

 心に傷を負った人間を救う手立てはない。他人には何も出来ない。彼らを救う事が出来るのは、いつだって自分自身だからだ。

 自分の力で立ち上がれないかぎり、彼らは永遠に立ち上がれない。

 

「……最後に、お前と出会えてよかった。――――これで、ようやく死ねる」

 

 もはや声をかける気力さえ失いかけていたガゼフは、しかし背を向け歩き出したブレインが呟いた小さな声に慌てて追いかけて肩を掴む。

 

「何をする」

 

「俺の家に行く」

 

「止めてくれ。助けようとしないでくれ。俺は死にたい……。あんな気持ちは、もうまっぴらだ。気にも止められない。路傍に転がる石程度の認識しか持たれない。奴らのような生き物にとっては、所詮俺などその程度だと、そんな現実は見たくない……。分かるか、ガゼフ。食物連鎖だ……俺達人間の抵抗なんて、奴らにとっては俺達が子供の頃、石の裏で見つけた小さな虫達の食物連鎖でしか無いんだ」

 

 その閉じた食物連鎖に意味は無い、と――そう呟くブレインの声を、しかしガゼフは苛立ち交じりな声で掻き消した。

 

「黙れ、ついてこい。服を着替えて、飯を食ったら、すぐに寝ろ」

 

 そうして腕を掴んで引っ張って歩く。どかどかと歩くガゼフの耳に、小さなブレインの呟きが聞こえた。

 

「――俺達は、ただの虫けらだ。服に皺をつけることさえ出来やしない」

 

 

 

 

 

 

「ふむふむ。だいぶ地図も埋まってきたな……」

 

 アインズは丸まって寝ているハムスケの横で、地面に座ってしげしげと自らの地図を眺める。今は夜だが、しかしアインズの視界は昼のように明るい。種族的特徴で、夜の闇はアインズにとって無いに等しいからだ。

 そしてアインズが自分の膝の上に広げている地図は、かつてエ・ランテルで買った物だ。現在はアインズがその地方で出現するモンスター、トブの大森林の地形の詳細などを書き込んでいるため、最初の白紙のような綺麗さがなくなってかなりごちゃごちゃしている。

 

 だが、冒険者や商人はその地図を見れば心底それを欲しがるだろう。当たり前である。彼らにとってより正確な情報は命と等価値なのだ。自分達の持つ不確かなものなどより、実際に見聞きして確認が取れている情報など、場合によっては金貨を数百枚出してでも買い取る人間がいるだろう。

 特にトブの大森林については詳しく書き込まれており、今までの人類未開の地、というのが嘘のような情報量だ。スレイン法国を除いて、人類は未だトブの大森林に湖がある事も、その湖に生息するモンスターも、そしてリュラリュースなどのナーガの事なども知らないし、その難度も知らない。

 アインズの地図には、そういった情報がびっしりと書き込まれている。

 

「トブの大森林はもういいな。カッツェ平野も特に何も無かったし……スレイン法国は、もうちょっと情報を集めてから寄りたいな」

 

 帝国は論外、とそして口の中で呟く。少なくとも、あのフールーダという魔法詠唱者(マジック・キャスター)が死なないかぎりは行かないようにしよう、と思う程度にはアインズの中でトラウマとなっていた。ノーマル性的嗜好な男に、アブノーマル性的嗜好な男との絡みなど辛いのである。

 

「他にこの地図で分かるのは……あとは竜王国と聖王国くらいか」

 

 アインズの持つ地図では、その二つしか確認出来ない。これは王国で手に入れた地図であり、そして普通人間の地図は人間が住む場所しか必要としないためだ。アインズもまた、この異世界に詳しく無いため、他にどのような国があるのか知らなかった。

 ……実はトブの大森林の地下にはゴブリンの帝国があったし、アゼルリシア山脈には帝国と貿易しているドワーフの国がある。他にも人間の住まない亜人種や異形種の国があったが、アインズには確認出来なかった。

 

 勿論、アインズはそういった国が存在するだろう事は気がついている。だが、まずは地図で分かる場所を訪れてみようと思っているのだ。まずは手軽なところから、堅実に。

 …………自らのビルドには浪漫を求めるくせに、こういうところは小心なアインズであった。

 

「とりあえず、今度はどこに行くかな……」

 

 竜王国か聖王国か。アインズは地図を見ながらうんうんと唸る。そうしていると、ハムスケが耳と鼻をぴくぴくと動かし、目を覚ました。

 

「どうした、ハムスケ」

 

 暢気に眠っていたハムスケが起きたのを見て、アインズは訊ねる。ハムスケがこうやって起きる時は、何かの気配を察した時だ。ハムスケは寝ぼけた頭を少し振って目を覚ますと、アインズに告げた。

 

「殿、血の臭いがするでござる」

 

「うん?」

 

 アインズは周囲を窺うが、特に何も感じない。という事は、少し遠い場所なのだろう。

 

「あと、何だか煙の臭いもするでござるよ」

 

「ふむ……」

 

 地図を見る。現在、アインズ達がいる場所はトブの大森林を抜け出た王国領土の草原だ。どちらか片方だけしか感じないならば、特に何も思わないが――血と煙の臭い、だとすると話は別だ。厄介事の気配しかしない。

 

「とりあえず、見に行ってみるか」

 

 見物をしに、アインズは立ち上がる。ハムスケも身を起こし、アインズが背に乗るのを待った。アインズは地図やペンをしまうと、ハムスケの背に乗る。

 

「よし、案内しろハムスケ。ただ、気づかれないように静かにな」

 

「はいでござる、殿」

 

 そしてハムスケの案内で、アインズは道を進む。少しすると、どうやら人が住んでいる村落があった。それも明かりがたくさん灯っているのか、丘の上からだと中がよく見える。

 

「…………?」

 

 しかし、アインズはそれを不思議に思う。思い出すのはカルネ村だ。カルネ村の復興を手伝った身であるが故に気づいたが、その村はおかしいのだ。

 

 何故か、囲いの外ではなく中に畑を作っている。

 

 それがアインズにとって疑問であった。勿論、アインズが知らぬだけでそういう畑の育て方をする村もあるのかも知れないが。

 だが、アインズがもっとも瞠目したのはそんな村の違和感などでは無い。

 

「火事か……? いや、違うな」

 

 村は燃えている。いや、燃やされている、というのが正しい。村人らしき者達は必死に燃え盛る炎を消そうと、燃えている場所に集まり躍起になっているが、いくら水をかけても消えないのだ。つまり、何か特殊な方法で燃やされているのだろう。

 

「殿、あそこの他にも煙が燻っているところがあると思うでござる。ちょっと嫌な臭いだらけでよく分からぬでござるが」

 

「ふん」

 

 つまり、何者かがこの村を焼き払おうとしているという事だ。それに微かな不快感を持つ。村人達の必死さに、何となくカルネ村を思い出した。同時に、たっち・みーの事も思い出す。こうして焼き払われる村を見て、彼はどう思うだろうか。

 決まっている。

 

「…………とりあえず、他の火種は鎮火させてもらおう」

 

 アイテムボックスから巻物(スクロール)職業(クラス)を騙すためのアイテムを取り出す。巻物(スクロール)の中に込められている魔法は、当然〈天候操作(コントロール・ウェザー)〉である。アインズの手の中で、使用と共に羊皮紙とアイテムが燃えるように消えていく。

 上空でゴロゴロと音が鳴り、落雷の音と共に大雨が降り出した。

 

「……これで既に発火したもの以外は消えるだろう」

 

 消えない炎というものはあるが、基本それは炎だけだ。こうして完全に着火する前の火種の内に消してしまえば、そもそも発火しない事がある。これでも発火する時は何らかの特殊なアイテムか、あるいは魔法詠唱者(マジック・キャスター)が魔法で火を消すしかない。

 

「ハムスケ、他に何か分かるか」

 

「むむむ……よく分からないでござる。何だか、嫌な臭いが漂ってよく分からないのでござるよ……」

 

 ハムスケは鼻をひくひくと動かし、そして顔を顰めている。

 

(動物は煙の臭いが嫌いだって言うけど、それかな?)

 

 そんなハムスケの様子にアインズは、ハムスケは遠くで待機させた方がいいと判断し、指示を出す。

 

「仕方ない。ハムスケ、お前は少し遠くで待機しておけ。俺は少し村の様子を見てくる」

 

「申し訳ないでござるよ、殿……」

 

 ハムスケはアインズの傍を離れ、村から遠ざかっていく。その間も嫌そうに鼻を顰めたままだった。

 

「行くか」

 

 その様子を確認して、アインズは自らに〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉を使用すると、転移魔法で村の中へと入っていった。

 

 ――そしてアインズが村を見て回ると、村人達はほっとした顔で空を見上げている。それも当然だろう。火事が起きている中、雨が降ったのでこれで終わると安心しているらしい。

 

(さて、とりあえず燃えている現場を見に行くか)

 

 アインズは村の中を平然と歩く。彼らにはアインズの姿は見えないのだ。〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉は第九位階魔法の、最高位の不可視化魔法である。これを見破れる者は、この異世界ではほとんど存在しないだろう。アインズが見破られると確信している相手は、今のところ魔樹のザイトルクワエか、白金の騎士ツアーだけである。

 そして、ザイトルクワエは既に滅ぼしたし、ツアーがここにいるとは思わない。

 

(ここだな。魔法で消してやるか)

 

 唯一炎が燃え盛っている場所に移動し、アインズは手を翳す。しかしその前にふと、アインズは燃えている物が気になった。

 植物である。

 

「…………」

 

 アインズはじっと眺める。アインズに気づいていないが、周囲の村人達はその植物が燃えているのをこの世の終わりのように眺めていた。それもアインズは気になった。具体的に言うと、蒐集家(コレクター)魂に火が点いた、とも言う。

 

(ちょっと調べてみるか。〈道具鑑定(アプレーザル・マジックアイテム)〉)

 

 魔法で効果を調べる。そして――――アインズは、盛大に無い顔を顰めた。

 

(なんだこれは)

 

 効果は、一言で表すと麻薬だった。多幸感、陶酔感に恐ろしいほどの中毒性と副作用。これが麻薬でなくてなんだと言うのか。

 

(こんなものをこの村は栽培しているのか?)

 

 そこにはっきりとした嫌悪を覚えた。アインズの――鈴木悟が住んでいた現実にも、こういった麻薬はあった。いや、流行っていたと言うべきだろう。厳しい現実には、例えそれが後に破滅する未来だろうと夢が必要なのだ。アインズはそうした物に興味を持った事はないし、否定していた。

 

 それが、そうした唾棄すべき物が、今目の前で栽培されている。

 

「…………」

 

 アインズは、その時点でこの村を助ける、という行為を取り止めた。村人達は自分達が育てている物を知っているのだろうか。いや、例え知らなくてももはやアインズには助けようと思わない。この村は、ここで育てられている植物は全て燃え尽きるべき物である。

 

(失敗したな)

 

 空を眺める。雨が降っていた。自分が降らした雨だ。おそらく村を焼こうとした下手人は慌てている事だろう。今となっては申し訳ない事をした。

 

(とりあえず、魔法の効果が切れる。人目につかない場所に移動するか)

 

 そこでもう一度天気を変えよう。さすがに今回は自分が悪い。アインズは身を翻し、魔法の効果が切れる前に空間転移でこの場を去った。

 

「……やれやれ」

 

 村の外に転移したアインズは、溜息をつくと同時に魔法の効果が切れた事に気づく。そして村から離れるように移動し、アイテムボックスから巻物(スクロール)を取り出そうとしながら足元にある石などの障害物を避け――――

 

 

 

 目が、あった。

 

 

 

 

 

 

「くそッ! ふざけるなよ……雨だと!?」

 

 王国のアダマンタイト級冒険者――『蒼の薔薇』の一人である魔法詠唱者(マジック・キャスター)のイビルアイは、空を見上げて唸った。

 先程まで見えていた星は全て姿を消し、今はただそこから雨が地上へと降り注いでいる。

 

 『蒼の薔薇』がこんな村にいるのは、依頼ではあるが、冒険者組合からの依頼というわけではない。これはチームリーダーである神官戦士のラキュースの友人であるこの国の王女……黄金のラナーから受けた、私用の極秘依頼である。

 本来、こんなものは受けるべきでは無いのだが事情が違った。彼女達には、どうしてもこの依頼を受ける必要があるのである。

 彼女達が受けた依頼は――麻薬密売組織の一端である、麻薬栽培を行っている村の焼き討ちだった。

 

 現在、王国ではライラの粉末(あるいは黒粉)と呼ばれる麻薬が流行っている。多幸感と陶酔感に簡単に酔う事ができ、副作用は無いが軽い中毒性があると信じられている、王国でもっとも広まっている麻薬。

 そんなわけがない。事実は効能に応じて、当然副作用として高い中毒性があった。

 だが見た目では禁断症状が弱く、そのくせバッドトリップしても暴れたりしないため、危険性があまり浸透していないのだ。そのせいか、王国の上層部に黙認され、それどころか帝国に「裏産業にでもしているのか?」というクレームがつくほどになってしまった。

 

 そして王国に拠点を置く彼女達は――特に、貴族の一人でもあるラキュースとしては、ラナーに協力してこの問題をどうにかしなければならなかったのだ。

 

 だが、今こうして村の畑に火を点けたというのに、雨が降ってきてしまっている。

 

「とっても不幸」

 

「どうする?」

 

 双子の忍者――ティナとティアがイビルアイに訊ねる。だが、イビルアイはその唸るような声色のまま断言した。

 

「これはただの天気の変わり目ではない! ……誰かが雨雲を呼び寄せたんだ!」

 

 イビルアイには分かる。確かに周囲に雨雲は存在していた。今の季節、王国ではよく雨が降るのだ。雨雲が周囲にあるのは不思議ではない。

 だが、風の動きから雨雲はこの村にかかるはずがなかった。それがこうして村を覆ったという事は、誰か第四位階魔法を使って雲を操作したのだ。

 

 つまり……近くに第四位階魔法の使い手か、あるいはその巻物(スクロール)を持つ者がいる。

 

 ティアとティナもその危険性に気づいたのか、全身を覆う黒い布から見える目元が引き締まった。

 

「二人を〈伝言(メッセージ)〉で呼ぶ。少し待て。お前達は周囲を警戒しろ」

 

「わかった」

 

 イビルアイは〈伝言(メッセージ)〉で村の正面と裏手で待機していたラキュースと前衛戦士のガガーランを呼び寄せる。すぐに向かう、と返事がきた。

 

「さて……これからどうするか……」

 

 考える。十中八九、この魔法詠唱者(マジック・キャスター)は〈伝言(メッセージ)〉を使えるだろう。〈伝言(メッセージ)〉は魔法詠唱者(マジック・キャスター)ならば基本使用する事が出来る魔法である。

 だが、巻物(スクロール)であった場合、相手の職業(クラス)は盗賊かもしれない。盗賊は本来それに連なる系統の魔法の使い手しか使用出来ない巻物(スクロール)を、騙す事が可能なのだ。しかし魔法詠唱者(マジック・キャスター)ではないため、使える魔法に限りがある。

 

(いや、それでも〈伝言(メッセージ)〉の巻物(スクロール)くらい持ってきているか)

 

 つまり、任務は失敗だ。確実に、他の村にもバレている。

 

「くそっ!」

 

 苛立たしくなり、呟く。そこでトントン、と肩を叩く人物がいた。ティナだ。

 

「どうした?」

 

「誰かいる。見えないと思うけど、隠れた方がいい」

 

「――――わかった」

 

 ティアとティナはそう言うと、周囲の物陰に隠れた。イビルアイは不可視化の魔法を発動させる。少しして、雨の中を歩く物音が聞こえる。イビルアイの夜も昼のように見通す瞳に、その姿が映った。

 

「――――」

 

 それは、仮面をつけ、漆黒のローブを纏った見るからに魔法詠唱者(マジック・キャスター)らしき人物だ。体躯から、おそらく性別は男だろう。

 

(いや、男とはかぎらないか。ガガーランの例もあるしな)

 

 自らと同じチームに所属する戦士を思い出す。体格的に、どう見ても男にしか見えない女丈夫を。

 その魔法詠唱者(マジック・キャスター)は〈闇視(ダークヴィジョン)〉を発動させているのか、足元に転がっている石をこの闇の中正確に避けている。

 

(なんだ、アイツは)

 

 イビルアイは困惑する。あれだけ目立つのに、どうも気配が希薄なのだ。しかし、すぐに理由に思い当たった。おそらく、探知阻害の魔法かマジックアイテムを使っているのだろう。イビルアイも使っている物だ。

 

(こいつが犯人か)

 

 そして、この怪しい魔法詠唱者(マジック・キャスター)に当たりをつける。それに、聞いた事があった。王国の裏を牛耳る犯罪組織『八本指』――その警備部門である『六腕』と呼ばれる者達の中に、一人魔法詠唱者(マジック・キャスター)がいたのを。

 

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)――“不死王”デイバーノック。

 

(どうやって巻物(スクロール)を騙したんだか……待てよ? アンデッドの魔法詠唱者(マジック・キャスター)だと!? まずい!)

 

 一部の種族には常時発動型特殊技術(パッシブスキル)――種族的特徴とも言われるものがある。本来ならば鍛えなければ得られない特殊技術(スキル)を初めから種族として得ているモノ。例えばアンデッドならば夜を昼のように見通せる魔法〈闇視(ダークヴィジョン)〉が魔力を用いずとも常に発動している。

 更に魔法詠唱者(マジック・キャスター)は能力を高めていけば、魔法による不可視化を見破る事も可能だ。そして死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は軽々と第三位階魔法を使用出来るという事実。

 

 それに気づいてそっと物陰に隠れようとした瞬間――イビルアイは、目が合った(・・・・・)

 

「――――ッ!」

 

「これは、これは……」

 

 仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)はイビルアイの姿を見咎めると、平坦な声で驚いた様子を見せる。

 その姿があまりにチグハグで、驚いたような口調のくせに、声は異常なほど冷静そのものだった。

 

 その姿が恐ろしい。

 その姿が、あまりに奇怪だ。

 何故か知らないが、動かない(・・・・)心臓を鷲掴みにされたような緊張感を覚える。

 

(馬鹿な!)

 

 その怖気づいた心を振り払う。自分がたかが死者の大魔法使い(エルダーリッチ)ごときに怯える必要などあるものか。

 それに――――大物である。正直な話、ここでこの魔法詠唱者(マジック・キャスター)を捕らえる事が出来れば、王国の裏社会に蔓延する膿を取り除けるほどの。

 

(ならば――!)

 

 殺気立ってきたイビルアイに気づいたのか、魔法詠唱者(マジック・キャスター)は漆黒と純白の奇妙なガントレットに覆われた腕を突き出し、イビルアイを押し留めようとする。

 

「あー……失礼。私はただの通りすがりなのですが……」

 

「貴様のような怪しい通りすがりがいるかッ!! 〈砂の領域(サンド・フィールド)対個(ワン)〉」

 

 まずは動きを止めるための魔法を発動させ、相手の機動性を殺し、動けなくしようとする。魔法詠唱者(マジック・キャスター)はどこか呆れたような気配を漂わせ、先程まで突き出していた両腕を組んで余裕綽々にその場に立っていた。

 

「…………ッ!」

 

 魔法を発動させたというのに、その気品さえ溢れる余裕ある態度から、イビルアイは初手をしくじった事を悟った。

 

 地面から砂が浮き上がり、相手の体に巻きつこうと蠢く。そしてイビルアイの予感通り――いや、予想外に、それは魔法詠唱者(マジック・キャスター)に巻きつく寸前、最初から何も無かったように消失した。

 

「――は?」

 

 その目の前の光景に、一瞬だが頭が呆然となる。イビルアイの予想とは違った光景だったからだ。

 イビルアイは何もせずに余裕で立っている態度から、おそらく行動阻害に対する完全耐性を相手が持っているのだと予想した。しかし、それに対する返答は魔法の消失である。

 そして、魔法は実力差があればあるほど無効化されやすい。

 

「……!」

 

 以上の状況からイビルアイは、目の前の魔法詠唱者(マジック・キャスター)はイビルアイと実力差が開いた、完全な化け物であると悟った。

 

 喧嘩を売るべきでは無い相手に、喧嘩を売った。

 

 それに気づいたイビルアイは、一気に血の気が引く。

 

(ま、まずい……!)

 

「逃げろお前達!!」

 

 絶叫を上げる。先程の光景はティナとティアも見ていたはずだ。

 『蒼の薔薇』で一番強いメンバーはイビルアイであり、その難度は一五〇を超える。はっきり言って、他の『蒼の薔薇』のメンバー四人を纏めて相手にしても、イビルアイは負けない自信がある。

 

 そのイビルアイの魔法が、相手に無効化された。

 

 つまりこの目の前の化け物は、『蒼の薔薇』を殺し尽せるイビルアイさえ容易く殺せる化け物である。

 

「…………」

 

 ティナとティアが二手に分かれて去っていくのを気配で察する。おそらく、帰り道でラキュースとガガーランを拾って現状を伝える予定なのだろう。それでいい。ここでこの化け物と立ち向かったところで、死体が五つになるだけだ。だから、イビルアイは見捨てていくべきである。

 ただ――それでも一瞬だけ、彼女達は逡巡した。イビルアイを見捨てる事を躊躇した。

 だから、それでいいのだ。イビルアイはそれだけで、救われるから。

 

「…………」

 

 目の前の化け物は何もしない。ただ、沈黙してイビルアイを見つめるだけだ。強者の驕りなのか、何故かは分からない。それがとても助かった。

 

(時間を、稼ぐ)

 

 これに喧嘩を売ったのは自分だ。だから、自分が始末をつける。仲間達が逃げ切れるだけの時間を稼いで、その後に転移魔法で離脱する。

 イビルアイが生き残る手段は、それしか無い。

 覚悟を決めた。

 

「――失礼」

 

 そしてイビルアイが覚悟を決めて、勝てない怪物に挑もうとしたその瞬間。その怪物が酷く理性的な声色で声をかけてくる。出鼻を挫かれて一瞬不快になるが、しかし格上の相手が戦いではなく言葉で、しかも時間稼ぎに付き合ってくれるという状況に幸運を感じて行動を改める。

 

 イビルアイが動きを止めたのを見てから、化け物はもう一度念を押すように告げた。

 

「私は通りすがりの魔法詠唱者(マジック・キャスター)なのですが――」

 

「え?」

 

 最初に言われたふざけた言葉をもう一度告げられ、イビルアイは困惑する。何を言っているのだ、こいつは。

 

「貴方達と戦う意思は全く無いのですが――それでも、やりますか?」

 

 相手から心底困ったというような声色で告げられた言葉に、イビルアイは徐々に理解が追いついてくる。

 

 何もしない相手。時間稼ぎに付き合ってくれる現状。嘘などついてなさそうな、困惑気味の気配。嘘をつく必要が無いほど開いた実力差。先程までの自分の態度。

 

「いえ、まあ……この天気については申し訳ない。村が焼き討ちされていたのでつい助けましたが……まさかあのような植物を栽培している村だったとは。貴方達の仕事を邪魔してしまったようで……」

 

「う……う……」

 

 仮面の下で、赤面するほどの羞恥心がこみ上げてくる。自分の今の現状を、客観的に理解した。

 つまり相手は正真正銘の通りすがりで。村が焼かれているのを見て義憤で助けようとして。後で気づいたので誤解を解こうとして。最初から最後まで冷静に、理性的に話し合おうとして――。

 それに問答無用で襲いかかった、頭の足りない自分。

 

「う、うわああああああぁぁぁぁぁ!!」

 

 イビルアイは恥ずかしさのあまり、絶叫した。

 

 

 

 

 

 

「おぉ、お帰りなさいでござるよ、殿!」

 

「ああ……」

 

 ハムスケは体調が戻ったのか(どうも鼻が嫌だったのは、今となってはあの麻薬の原料である植物が出す煙のせいだったのだろう)、元気に帰ってきたアインズに声をかける。アインズはそれに気の抜けた返事をした。

 

 ――あの後。イビルアイと名乗った小柄な女はアインズに何度も頭を下げ、謝り倒し、急いでいるのか大慌てで転移魔法を使って去っていった。

 アインズとしては何か勘違いされていたようだが、勘違いされても仕方のない事だと思うので、特に気にしていない。

 

「しかし……」

 

 アインズは村を見る。既に雨は止んでいるが、畑ははっきり言って無事だ。最初に燃えていた場所しか燃えていない。イビルアイはよほど慌てていたのか、何もせずに去って行ってしまった。

 

「……仕方ない」

 

 後で、自分が燃やしておこう。正直、その後何か問題が起きて自分が犯人だと何だと言われそうなのだが、その程度の問題は引き受けてしまうか、という気になっていた。

 

「殿、今度はどこに行くでござるか?」

 

 ハムスケが訊ねてくる。それにアインズは少し考えて――ふと、ガゼフの事を思い出した。そういえば、カルネ村で今度訪ねに行く、と言っていたなと。

 

「そうだな……王都にでも行くか」

 

 久々に、あの勇者の顔を見たくなった。

 

 

 

 

 

 

 ――そこは、まぎれもない地獄だった。

 

「シャルティア様、皮を剥ぎ取り終わりました」

 

 乳白色の気味の悪いモンスター……トーチャーが、天幕の中で休む主人に伝える。主人――ナザリック地下大墳墓の第一から第三階層守護者であるシャルティア・ブラッドフォールンは、トーチャーの報告を聞くと満足気に頷いた。

 

「よろしい。では、次の工程に入っておくんなまし」

 

「かしこまりました」

 

 トーチャーが頭を下げると、シャルティアのいた天幕から外へと出ていく。シャルティアはそんな彼の後ろ姿を確認する事もなく、自らの爪をやすりで綺麗に整える。

 

 ここはアベリオン丘陵と呼ばれる場所で、シャルティアはここでデミウルゴスから受けた命令を実行していた。

 それは、“羊”の皮の加工である。

 

 ――ナザリック地下大墳墓が摩訶不思議な異常に巻き込まれて、最初に行ったのが情報収集だ。

 セバスやソリュシャン、ナーベラルなどの人間と見分けがつかない者達は人間社会で情報収集するように言われ、前者は王国へ、後者は帝国へ向かった。

 アウラとマーレは近くの広大な森にどのようなモンスターがいるか調べており、そちらは比較的早く済んだようで、特に何か特別なモンスターもいなかったらしい。オーガやゴブリン、ナーガなどの雑魚ばかりだったそうだ。強いて変わった所があったと言うならば、蜥蜴人(リザードマン)の集落があるくらい。それもレベル一〇代程度の存在で、それが五つの部族に分かれて暮らしている。その程度だったらしい。平原などで見たモンスターもレベル三〇代程度が関の山で、あまり強力なモンスターはいないようだった。

 そのため、アウラとマーレはすぐに別の任務に回された。姿を隠してスレイン法国へと向かったらしい。詳しい話は、シャルティアは知らないが。というか、興味も無い。

 そしてシャルティアがデミウルゴスから頼まれたのが、この牧場の運営である。

 

 最初に役割分担と命令を受けたが、それよりもまず最初に行われたのが、自分達ナザリック地下大墳墓で生活する者達の持ち物の確認である。

 どうしてそうなったかと言われれば、簡単な話だ。至高の四十一人がいないので、ナザリック地下大墳墓を維持するための物資を自分達で用意しなければならないのである。

 シャルティアには――というか、デミウルゴスにも何故そうなのかは理由が分からないが、このギルドの拠点を維持するためには莫大な金が必要になるらしい。

 まず、下位モンスター達はどうでもいいが、階層にある罠を発動させるのに金がかかる。そしてナザリック地下大墳墓そのものが存在するのにも、金がかかるようだ。

 ただ、これは宝物殿から自動的に引かれていくようで、屈辱的で情けないがしばらくは大丈夫だろう、と言われていた。宝物殿には至高の四十一人しか持たない指輪が無ければ移動出来ないが、そこに残された御方々の金貨があるため、よっぽどの事が無いかぎり持つらしい。これは、第九階層で唯一残られていたモモンガの独り言を偶然聞いていたメイドから聞いた話だ。

 例え姿が無かろうと――自分達は至高の四十一人にこうして存在を支えられている。それを想う度に、シャルティアは――いや、ナザリック地下大墳墓に住む全てのシモベ達は感動のあまり泣きそうになってしまう。

 

 御方々の財産をすり減らさなくてはならない。それがとても心苦しいが、宝物殿に行く方法も許可も無い自分達では覆せない。この失態は、御方々がナザリック地下大墳墓に戻られた時に全員で責任を取ると決めていた。

 

 だが、そんな至高の四十一人の財産であろうと、解決も先延ばしも出来ない問題もあった。それが……アイテムの欠品である。

 

 シャルティアを初めとする自分達NPCはともかく、部下のシモベ達は、至高の四十一人や自分達と違って使える魔法が限られている。同じ第十位階魔法の使い手でも、御方々や自分達が使える魔法の数が一〇〇だとするなら、シモベ達は精々一〇だ。それほどまでに差が開いているのである。

 しかも自分達が使える魔法と言っても偏っていたりする。よって、使えない魔法は図書館などで保管されている巻物(スクロール)で補う事になるだろう。そこで問題が出てしまった――素材となる羊皮紙である。

 

 巻物(スクロール)は込める魔法の位階によって素材を変更せねばならず、第十位階魔法ともなるとドラゴンの皮が必要になる。

 ただ、これはセバス達が王都で手に入れた羊皮紙で解決するかと思われた。だが、彼らは自分達の知らない魔法を開発している事もあれば、自分達が知っている魔法を知らない事もあった。そのため、同じような羊皮紙に魔法を込めて解決しようといざナザリック地下大墳墓に持ち帰ってみれば――――何故か、作成出来なかったのである。

 これが由々しき問題だった。何がなんでも、早急に解決しなければならないほどに。

 

 勿論、これも少しでも先延ばしにしようと思えば出来ただろう。解決方法はあった。自分達が持っているアイテムでは解決出来ないが、第九階層のロイヤルスイートに行けば解決する。

 そう――至高の御方々の部屋から、保管され放置されているアイテムを回収すれば。

 

 当然、これは全員が拒否した。そもそも本来ならば自分達は第九階層を歩けるような身分では無いのだ。それを非常事態だからと言って捻じ曲げ、歩いている。第九階層――それもロイヤルスイートを歩いていいのは御方々の御世話を命じられていたメイド達だけだというのに。

 その挙句、更に厚顔無恥にも御方々の私室に土足で踏み入れ、アイテムを貰っていく? ふざけているのか。そんな事、ナザリック地下大墳墓のシモベなら誰であろうと許すはずがない。

 

 そこでデミウルゴスは、部下に命じてまず近くの森の魔物から素材を一体ずつ採取して持ち帰るよう言った。しかし、彼らの皮もあまりな出来だったらしい。

 なので、帝国の帝都に潜入していたナーベラルにある素材を持ち帰るように命令し――様々な種類の“羊”が送られてきた。

 結果、それはデミウルゴスを満足させるに足るものだったようだ。

 デミウルゴスはすぐにコキュートスと同じくナザリック地下大墳墓の警備として待機していたシャルティアに、今まで集めた情報から一番バレにくい、という理由で選ばれたこのアベリオン丘陵で“羊”の牧場を運営するように告げた。何故アベリオン丘陵なのかと言うと、あまり拠点の足元でやって、愚かにも自分達に逆らうような者達が出た場合、あり得ないとは思うがナザリック地下大墳墓を一歩でも汚らしい土足で踏み歩く者が出ないようにするためだった。

 この任務の重要性をしっかりとデミウルゴスに教えられたシャルティアは、勿論了承し、結果として今この場にこうして牧場が開かれた。

 

「…………よし」

 

 “羊”達の悲鳴を聞きながら爪を整えていたシャルティアは、その出来に満足すると立ち上がる。同時に、傍に侍らせていた二体の吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)も、シャルティアが持ち込み、座っていたソファから立ち上がる。

 

「それでは、わたしもお仕事をしようでありんすかぇ」

 

 天幕から出る。外に広がる光景に、シャルティアはどんな不能も欲情してしまうかのような、蕩けるような笑顔を浮かべた。

 

「わたしにぴったりのお仕事でありんすね」

 

 本当なら自分がしたい仕事だった、と言うデミウルゴスの顔を思い出しながら、牧場の風景を見てシャルティアはうっとりと微笑む。

 

 楽しくて仕方がない、と。

 面白くて仕方がない、と。

 “羊”達の悲鳴が、愚かで、無様で、愛おしくて仕方がない、と。

 

 シャルティアは“羊”達を見ながら、心底愉しそうに微笑むのだ。

 

 ――お前達はこの私の、ナザリック地下大墳墓の、至高の御方々の役に立っている。これほどの栄誉は他にあるまい?

 

 その誰もが見惚れるほどの美しい笑みに、そうした嘲りを乗せて。

 

 シャルティアは、微笑むのだ。

 

 ……あるいはそれは、仲間達が見れば逃避しているかのように見えたかも知れなかった。

 しかし、ここに神はいない。シャルティアに対して、そう告げられる同じ立場の同僚もいない。

 

 ここにいるのは、ひたすらに皮を剥がされ絶叫を上げる、無数の“羊”と――それを成すおぞましい悪魔のような魔物達だけである。

 

 シャルティアは歩き出す。ピクニックに向かうように。蕩ける笑顔を浮かべながら。

 二本脚の“羊”達の皮を剥ぎ取るために。

 

「――――、?」

 

 しかし、シャルティアの足が止まる。〈伝言(メッセージ)〉を受け取ったのだ。シャルティアは意識を集中し、そして告げられた言葉に、呆然とした。

 

「は? セバス達が……?」

 

 告げられた言葉の意味が、シャルティアには全く分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 ――ちょうどその日、彼らは王都を訪れていた。

 理由は、何でもない事。あるいは少しの気まぐれ。いつもの拠点としていた都市から離れ、彼らは王都へとやって来た。

 

 ……相変わらず、嫌な空気の場所だな、と一人は思う。ふと気を抜けば、貴族に対する憎悪が顔を出しそうだった。

 

 その背中を、一番気安い仲間の一人が軽く叩く。それに気づいて顔を上げれば、いつもの人好きそうな笑みが浮かんでいた。

 申し訳なくて、少しだけ顔を伏せる。

 けれど、仲間達は誰もが気にしていないようだった。

 

「…………」

 

 そういえば、とふと思い出す。あの都市を出立する途中、例の村まで一緒に行こうと依頼をされたので、一緒にいた彼は想い人の少女の誤解を解けただろうか。偶然、門で出会ったのだが何やらおかしな事になっていたみたいで、彼が一生懸命誤解を解こうと必死だった。彼は正直、少女に会いたいという思いだけだったので村に行くのを止めてしまい、自分達は王都へと旅立ったが。

 

 まあ、きっと大丈夫だろう。彼は有名人なので、なんとか誤解は解けるはずだ。

 

「――――」

 

 彼らは王都の中を歩く。こうして仲間と一緒にいれば、憎悪を忘れられるので、いつもと同じような受け応えが出来る。

 

 その王都の冒険者組合に向かって、そこで色々と依頼の掲示板を見たりして。そして街の武器屋や道具屋を見て回って。

 

 彼らは歩く。グレードの上がったプレートを首元で光らせて。

 冒険に出てみた。とても楽しかった。王都での依頼は、少しだけ今までの依頼と違った。たぶん、出現するモンスターが違うのと、そして貴族達からある程度の横槍でも入れられるのかも知れない。

 日が経つ度に冒険者組合を訪れてみたが、有名なアダマンタイト級冒険者は見る事が出来なかった。たぶん、あまり運が無いのかも知れない。それが少しだけ残念だと仲間達と話し――アダマンタイト級の魔法詠唱者(マジック・キャスター)と、“あの人”とどっちが上の魔法詠唱者(マジック・キャスター)なんだろうと仲間達と面白がって話をしてみたりもした。

 

 いつか、お礼が言えたらいいな、と思う。あの街でこっそり助けてくれたお礼を、いつかちゃんと言いたいと思った。それが、彼らの今のもう一つの目標だった。

 

 ……贅沢を言うならば、もし出会えたならちょっと魔法を見て欲しいな、と思う。ついに、第三位階魔法を使えるようになったから。是非、“あの人”に見てもらって感想を聞いてみたいと思った。

 

「――――」

 

 そうして、王都で少しだけ暮らしていた。そろそろ元の拠点にしていた街に帰るか、という仲間達からの話題も出た。

 彼らは王都を出る準備をしていた。

 

 ただ、少しだけ。もう少し王都を散策しようとしたのだ。今度訪れるのはまたいつになるか分からないから。仲間達に断って一人で街へ歩き出す。王都を見て回って、そして記憶に刻み込み――――ちょっと道から外れて、道に迷ってしまった事に気がついた。

 

 ゴミ捨て場のような細い裏路地。不快になり顔を顰める。視線の先には小さいけれど、そこに放り棄てられ転がっていた、無惨な死体があったのだ。

 

「――――」

 

 傷だらけで、酷い有様だった。女の死体のようである。それがゴミのように打ち捨てられており、何とも哀れな様子だったのだ。

 だから、つい足を止めた。踵を返して元の大通りまで急いで戻らなくてはならないのに。けれど足を止めたからこそ、それがまだ微かに生きている事に気づいてしまった。

 

「――――」

 

 厄介事だ。誰がどう見ても、係わる必要性の無いもの。いや、むしろ係わってはいけないものだろう。

 なのに、何故だろうか。それに目が吸い寄せられて止まらない。止まっていた足が、ひとりでに動き出してしまう。

 

「――――あ」

 

 転がっていた死にかけの女の顔を覗いて、そこに見覚えのある顔を幻視して。何もかもが面影なんて無いはずなのに、なのに何故か自分と少しだけそっくりな顔を幻視してしまった。

 

「ああ――――」

 

 涙が、ぶわりと溢れる。止まらない。止める理由さえなかった。その死にかけの女を、何故なら知っていたから。

 

「姉さん――」

 

 ニニャはそう震える声で呟くと、服が汚れるのもかまわずに地面に膝をつき、傷だらけの女を掻き抱いた。

 姉と呼ばれた死にかけの女は、けれど何の反応もせずに、ただニニャの腕の中でヒューッ、ヒューッとか細い呼吸を繰り返すだけだった。

 

 

 

 

 




 
モモンガ「困っている人を助けるのは当たり前ですよねたっちさん!(麻薬村に向かいながら)」
たっち・みー「違う、そうじゃない」
 


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思想/対立

 
天国はこちらになります( *´∀`)     (^o^ )……

|←地獄|     ┗(^o^ )┓三     (´∀`* )クスクス
 


 

 

 リ・エスティーゼ王国はアゼルリシア山脈の西側を支配する、人間種の大国である。

 封建国家であり、政治は王と貴族の会議で行われていたが――現在は、王派閥と貴族派閥に分かれて対立しており、どちらもが互いの足を引っ張って、スレイン法国やバハルス帝国のように統治は上手くいっていない。

 更に、年に一度帝国が畑の実りの時期に戦争を仕掛け、徐々に国力を削られていっていた。

 だが、その現状を真に理解している貴族達は少ない。

 

 ……大貴族の一人は裏切り、帝国や法国に金銭を要求する代わりに内部の情報を流している。他の貴族達は王派閥と貴族派閥に分かれて、よりどちらが権力を握るか、美味しい蜜を吸えるかと権力闘争に明け暮れている。後継者として名を挙げられる二人の王子は、王の後継を狙って互いに足を引っ張り合う。

 そして、その隙を縫うように、徐々に内部崩壊させるように帝国が毎年国力を削ってくる。

 

 破綻は見えていた。王国の現状はほぼ詰んでいる。もはや、どうしようもないほどに。

 しかしそれでも――彼らは互いの身を喰らい合う事を止めないのだ。

 

 それこそが、まさに人間の欲望。法国が絶望と軽蔑を宿して自分達を見ている事に、彼らは全く気づいていない。

 

 人間の住まう土地など、ほんの一部だ。亜人種も、異形種も、その気になれば人の世界など容易く崩壊させるだろう。

 竜王国が、ビーストマンの侵略を受けて民衆がただの食事になっているように。

 かつて八欲王達と戦争をして、結局生き残った竜の王達がいるように。

 

 人間は弱い。だから協力して生き残らなければならない。同じ種族同士で争い合う暇など、自分達には全く無いのだ。

 

 それでも――――人間は争いを続けている。互いの足を引っ張っている。

 王国は、今もその先に見える破滅に気づかずに、互いを喰い合っていた。

 

 

 

 

 

 

「――それで、村のことだけれど……ねぇ、ラキュース。本当にイビルアイ以上の魔法詠唱者(マジック・キャスター)に遭遇したの?」

 

 自らの仕える主人――王女ラナーの言葉に、クライムは表情を更に引き締めた。

 

 ここは王女の私室とも言うべき場所であり、現在『蒼の薔薇』のリーダーであり貴族のラキュースと、仲間のティナが訪れていた。彼女達は先日、王国の裏社会を牛耳る『八本指』の麻薬部門……その麻薬の原料である植物を育てている三つの村を壊滅させるために、ラナーに頼まれ秘密裏に動いていたのだ。そしてそこから指令書らしきものが見つかったので、それを含めて話し合っていたのだが……ラナーは最後に、そう不安そうに訊ねた。

 

 クライムには、ラナーが不安になる気持ちも分かった。自分だって不安になる。あのアダマンタイト級冒険者のイビルアイより強い魔法詠唱者(マジック・キャスター)の登場に。

 

 その魔法詠唱者(マジック・キャスター)はどうやら通りすがりだと言っていたらしく、実際通りすがりなのだろうと思われている。何故なら、イビルアイに対して敵意を持っておらず、むしろ自分達の代わりに村の畑を焼いてもらった節さえあったからだ。焼き損ねた村を焼こうと再び訪れた時、彼女達が見たのは、ほとんど壊滅状態の村と、怯える村人達だったと言う。

 

 そして、その生き残っていた村人達は言ったのだ。何もせずとも火が点き、周囲は一瞬で炎に包まれていたと。そして自分達はいつの間にか、こうして村の外れに投げ出されていたのだと。

 

 ラキュースはその時の事を思い出したのか、苦々しそうに語った。

 

「ええ。魔法って言うのは実力差があれば無効化されることがあるらしいの。イビルアイははっきり言って、下級冒険者に属する魔法詠唱者(マジック・キャスター)程度の魔法なら無効化出来るわ。でも、そのイビルアイの魔法を無効化したってことは、その魔法詠唱者(マジック・キャスター)はイビルアイとそれだけ実力が離れているっていうことね」

 

「イビルアイ、名前聞き忘れてた。後で探したけど見つからない」

 

「そう……『六腕』の“不死王”――のはずがないわね。村を焼く理由が無いし」

 

「ええ。だから正体不明ね」

 

 ラキュースの言葉に、ラナーは考え込む。その姿は、まるで何か知っている事があるような素振りだった。

 当然、気になったラキュースがラナーに訊ねる。

 

「ラナー、何か知っているの?」

 

 それはどんな些細な事でも教えて欲しい、という懇願だ。アダマンタイト級の魔法詠唱者(マジック・キャスター)よりも強い魔法詠唱者(マジック・キャスター)だという時点で、その仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)は危険人物だろう。

 ラナーはその言葉に少し苦笑気味に答えた。

 

「もしかして……といったところだわ。それほどの魔法の使い手は、そう何人もいないでしょうし……一応聞くけれど、帝国のパラダインじゃないのよね?」

 

「ええ。それだけは無いと思うけど……」

 

「だったら、その人はたぶん戦士長様がおっしゃっていた魔法詠唱者(マジック・キャスター)だと思います。特徴も一致していますから」

 

「え?」

 

 クライムも初耳だ。ラナー曰く、貴族達が話をもみ消し、ガゼフも自分から語る事ではないという事で出回っていないのだと言う。

 

 ……少し前、王直轄領であるエ・ランテル近郊の開拓村が何者かに焼き討ちされていたのは、王城では有名な話だ。その際に出撃するよう命じられたのが、ガゼフが率いる王国戦士達である。

 だが、その際に貴族派閥の人間達が言いがかりじみた適当な理由から、ガゼフの武装を剥ぎ取り、ガゼフは普通の剣と鎧で出立する事になった。しかし、無事に城に帰り、かつそれ以降村が焼き討ちされる事も無くなったため任務を果たしたのだと思われていた。

 ――実際は、村を囮にガゼフは法国の特殊部隊に襲われ、その際にガゼフ達や一つの村を助けたのが、その仮面をつけた魔法詠唱者(マジック・キャスター)なのだという。

 

「そうだったの……」

 

 話を聞いたラキュースは、心底驚いたらしく瞳を丸くしている。クライムも同じ気持ちだ。あのガゼフですら殺されそうになった法国の特殊部隊に、たった一人で戦い勝利した魔法詠唱者(マジック・キャスター)となると、それは尋常な魔法の使い手では無いだろう。

 

「貴族達は自分を売り込むために襲撃をお膳立てしたんじゃないかって勘ぐって色々言っているけれど、戦士長様の言葉なら嘘ではないと思うわ。たぶん、その方じゃないかしら?」

 

「そう、そうね……仮面に黒いローブ……イビルアイに聞いた特徴と一致するわ。通りすがりの村を助けたって言うなら、今回もその可能性はあるわね。傍から見れば、私達のしていたことは眉を顰めるようなものだったでしょうし」

 

「……でも、今回はその後村を焼いてる」

 

 ティナの言葉に、ラナーが少し考えて答えた。

 

「それはおそらくでしょうけど、村がどういう村か後で分かったから、イビルアイの後始末をしてくれたんだと思うわ。それに、村の畑は焼いても村人に被害は一切無いみたいですし」

 

 ようは、義理人情に篤い人間なのだろう。クライムはその人間性に、とても好感を持った。ラキュースも同じらしく、柔らかく微笑んでいる。ラナーもまた、無邪気で、しかし慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。

 

「この近くにいた、ということはもしかしたら戦士長様に会いに来られたのかもしれないわ。戦士長様は王都でぜひお礼をしたいって誘ったことがあったそうだから」

 

「そう……なら、また会えるかもしれないわね。出来れば、冒険者組合の方にも顔を出して欲しいけれど」

 

 法国の特殊部隊を追い払うほどの腕を持つ魔法詠唱者(マジック・キャスター)ならば、確かに王国の味方になって欲しいだろう。こうして損得抜きに人を助けてくれる姿を見れば、とても信頼の出来る人間とも言えた。今の王国の現状を思えば、喉から手が出るほど欲しい人材である。

 

「うーん。一応、まだ確定じゃないから何とも言えないわ。でも、もし本当にその方だったら、ラキュース達が会えるようにお父様から戦士長様に言っておいてもらうから」

 

「ありがとう、ラナー。――それじゃあ話は戻るけど、クライムを貸してもらえるかしら? ガガーラン達に――――」

 

 

 

 

 

 

 クライムとラキュース達が去った部屋で、ラナーは新たに呼んだ客人が訪れるのを部屋で待つ。ただ、その客人は多忙な人間なので、来るのはさすがに少し遅くなるだろうとも思っていた。特に何の用件も告げずに呼んだのだから、王族ではあってもそこまでの権力を持たないラナーでは早々客人の予定は変えられないだろう。

 ……いや、それとも自分が呼ぶからこそ、大急ぎで来るか。

 おそらく後者だろうな、とラナーは思う。

 そして紅茶の香りと味を楽しんでいると、メイドが客人が訪れた事を告げた。

 

 予想より、早い。となれば、もう一人連れがいるか。

 

 ラナーは即座に立ち上がり、訪れた客人の数に予想が正しかった事を悟る。そして頭の中の計画を更に修正した。

 

「お兄様」

 

「よう、腹違いの妹。元気そうじゃないか。面白そうな話になりそうだと思って、来てやったぞ」

 

「お呼びになったとのことで参りました。ラナー殿下」

 

 腹違いの兄――第二位の王位継承権を持つザナックである。ラナーはメイドを下げさせ、誰にも話が漏れない状況にさせてから、二人をテーブルに招いた。

ザナックは行儀悪くどかりと、そして本来の客人――レェブン侯は品よく静かに着席する。ラナーはレェブン侯の前に紅茶を注ぎ、差し出した。

 その際に兄と少しばかり言葉の受け渡しを楽しんで、兄にも紅茶を差し出す。

 

「ところで殿下、一体何事でしょうか。勿論、お呼びともなればいついかなる時でも馳せ参じる気持ちではありますが」

 

「ありがとうございます。それでは単刀直入に言わせてもらいますが――王都に繋がる検問所の者達を、貴方の息がかかっている者達に代えてください。貴方ならば出来るはずです」

 

「は――!?」

 

 ラナーの言葉に、レェブン侯は目の前で爆発が起こったかのような顔をした。

 

「王派閥の陰の支配者であり、それを纏めている方でしょう? そして貴族派閥でも大きな発言権を持っている――そんな貴方ならば出来るはずです」

 

「す、少し待っていただきたい……! 貴方はどこでそれを……!?」

 

「少し話を聞けば分かります。メイド達とも時折話をしますし」

 

「――化け物か」

 

 それは無数のゴミの山の中から、綺麗な部分だけを選りすぐって宝石のネックレスを自作したような、あり得ない所行だった。

 それを聞いたザナックの全てを悟ったような言葉に、ラナーは微笑む。

 

 ――心優しい慈愛溢れる『黄金』のラナーの化けの皮を剥がした姿を正しく認識し、ザナックとレェブン侯とラナーは共犯となる。クライムの件や王の後継の件など、暗い密談を互いに交わす。

 

 そうして、話は再びラナーの爆弾発言に戻った。

 

「私達の話はこれくらいにしましょう。――それで、ラナー殿下。どうして検問所に私の部下をお求めに?」

 

「はい。これは先程ラキュースから聞いた話なのですが……その前に、お二方は戦士長様の語った魔法詠唱者(マジック・キャスター)を覚えておいでですか?」

 

 ラナーの言葉にザナックとレェブン侯は顔を見合わせ、頷いた。それを確認し、ラナーは二人に語る。

 

「その方が近くに来ています。その方の不興を、なるべく買いたくありません。しかし今の王国の現状ではどの貴族の方でも魔法詠唱者(マジック・キャスター)を相手に、敬意を払うということが出来そうにありませんから。それが一番可能なレェブン侯にお願いしたいのです」

 

「それは……確かに、あのガゼフ殿が警戒するような御仁の不興を買うのは遠慮したいところですが」

 

 確かにこの話だけでは事態は呑み込めないだろう。故に、ラナーはそこにラキュースから聞いた話を入れた。

 

「ラキュース達ですが、先日不幸な事故でこの方とお遭いになられたそうです」

 

「なに?」

 

「その際に仲間の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の魔法を、簡単に無効化してしまったそうです」

 

「――――!?」

 

 ザナックは少し困惑しているが、レェブン侯に対してこの言葉の効果は絶大だった。やはり王家の者となると、魔法詠唱者(マジック・キャスター)は遠い存在になり理解し難い存在になるのだ。しかし配下に引退した冒険者を持つレェブン侯は当然、それがどういう意味か分かっている。

 

「あのアダマンタイト級の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の魔法を、無効化した、と……?」

 

「そうです。私もそこまで詳しいわけではありませんが……魔法詠唱者(マジック・キャスター)の魔法というものは、実力差が開けば無効化されやすいそうですね。勿論、マジックアイテムのおかげという線もありますが……可能性は低いと思っています。なにせ、法国の特殊部隊を壊滅させたらしい方ですから」

 

「それは、確かに……」

 

 人類最高峰の冒険者、あの『蒼の薔薇』の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の魔法を無力化する、というのはおそらく帝国のフールーダでさえ不可能だ。

 つまり、あの魔法詠唱者(マジック・キャスター)――アインズ・ウール・ゴウンはフールーダを超える怪物である、という事になる。

 

 事態の深刻さを理解したのか、レェブン侯がラナーに頷く。

 

「かしこまりました。なんとか、捻じ込んでみます」

 

「ありがとうございます。……お兄様、何か質問はありますか?」

 

「いや。お前らの反応で、かなりヤバい奴だってことは理解した。俺も、発言には注意しておこう」

 

「助かります、殿下」

 

 ザナックの返答にレェブン侯が頭を下げる。それから、ラナーとザナック、レェブン侯は少し話をして別れる事になった。

 

 

 

 ――――そうして、一人室内に取り残されたラナーは思う。

 

 アインズ・ウール・ゴウン。あのガゼフが勝てないと警戒し、そして法国の特殊部隊を壊滅させた義理人情に篤い魔法詠唱者(マジック・キャスター)

 

「義理人情に篤いですって……?」

 

 まさか。そんなはずがない。ラナーからしてみれば、それは一目瞭然だ。

 

 ……確かに、一見するとこの魔法詠唱者(マジック・キャスター)はそう思えるだろう。何の価値も無い村を助け、少し王国と繋ぎの取れる程度の価値のガゼフ達を助け、法国と敵対する危険を冒してまで彼の国の特殊部隊を壊滅させたのだから。そこまでの事をしてくれた者が、義理人情に篤くないはずもなく、慈悲深くないはずもない。

 

 だが、ラナーには分かる。それは結果的にそうなっただけで、本人は法国と敵対する事になった事を、気にも留めていないだろう。

 

 ……この魔法詠唱者(マジック・キャスター)に、村を、ガゼフを助けるメリットは存在しない。王国に恩が売れる? ふざけているのか。今の王国に、恩など売って何になる?

 王国は泥舟だ。破綻など、既に見え始めている。あと数年もしない内に、王国がこのままでは帝国に破滅させられるだろう。

 王国に価値は無い。魔法詠唱者(マジック・キャスター)ならば尚更だ。自分の価値を理解出来ない連中に恩など売っても、どうせ安く買い叩かれるだけだ。そんな事よりも、明らかに法国と敵対する事の方がデメリットが大きい。いや、大き過ぎる。

 それが分かっているからこそ――誰もが、おそらくこの魔法詠唱者(マジック・キャスター)を慈悲深く、義理人情に篤いのだと勘違いするのだろう。

 

 ――違和感は最初からあった。メリットとデメリットを並べ、デメリットを選ぶような人間はそうはいない。この魔法詠唱者(マジック・キャスター)はそういう人種なのだろう……そう思った事もあるが、ラナーはついぞ信じ切れなかった。

 

 大体、本当にガゼフを助けてくれたと言うのなら、何故彼の魔法詠唱者(マジック・キャスター)は法国の特殊部隊の死体をこちらに引き渡さないのか。

 逃げられたというのは嘘だろう。ガゼフの反応から、ラナーはそう思っている。あのガゼフでさえ信じていないのだ。彼らは全員殺されているのは確定である。

 なのに、何故死体をこちらに渡さない。王国を、ガゼフを助ける気があったなら、捕虜は無理だろうとせめて犯人の死体を渡すのは当然だろう。証拠を渡さないというのはどういう事だ。

 

 あの魔法詠唱者(マジック・キャスター)はそれをしなかった。それがずっと、ラナーの違和感に繋がっているのだ。

 

 そして――ラキュースが持ってきた情報で、ラナーは確信する。

 

 前提条件が違っていた。はじめから、あの魔法詠唱者(マジック・キャスター)はデメリットではなくメリットを選んでいたのだと。

 

 ラナーは知っている。『蒼の薔薇』の魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)イビルアイ。彼女は、かつて“国堕とし”と呼ばれた吸血鬼(ヴァンパイア)だ。

 そんな化け物であるイビルアイの魔法を無効化する魔法詠唱者(マジック・キャスター)が、普通の人間であるはずがない。まず間違いなく、最低でも英雄級の実力者である。

 そしてそんな実力を持つ魔法詠唱者(マジック・キャスター)ならば、確かに法国と敵対する事にデメリットを感じないだろう。いや、むしろ目的はあちらだったのではないだろうか。村とガゼフを助けたのはついでだ。あの魔法詠唱者(マジック・キャスター)は、むしろ法国の特殊部隊にこそ用があったのだ。

 

 義理人情に篤いなどとんでもない。あの魔法詠唱者(マジック・キャスター)は、冷徹に、残酷に、損得勘定をしてガゼフを助けただけにすぎない。

 

 それに気づいた時、ラナーは悟った。現状、王国は完全に詰みの段階に入ったと。

 

 貴族達はこの魔法詠唱者(マジック・キャスター)の危険性に全く気づかないだろう。それは貴族派閥だけでなく、王派閥の者も同様だ。唯一、レェブン侯だけが敵に回す絶望に気づけるだろう。王国の貴族達はこの細心の注意を払って接しなければならない相手に、当たり前のように見下しながら接するに違いない。

 

 ……一応、冷静なのは間違いない。イビルアイとの遭遇の出来事を見るに、不快に思ったところで適当に流す可能性も高いだろう。

 だが、王国の貴族達はイビルアイ程度では――その程度では済まさない。必ず、ドラゴンの逆鱗に触れる。怒り狂った相手がどれほど危険なのか、気づきもしないで。

 

「非常に、まずいわ」

 

 ラナーは既に現状で予測されるありとあらゆる事態を想定している。その結果、この王国の現状では完全に詰みの段階に入ったと理解した。このままでは王国は滅ぶ。

 

 ……別に、王国が滅ぶ程度はどうでもいいのだ。ラナーはクライムさえいればそれでいいし、その他は全て死滅してもかまわない。他の人間達がどうなろうと、ラナーには全く関係無いし、どうでもいい事だ。

 重要なのは唯一つ。クライムをずっと自分に縛りつけておく事。この愛を、ずっと貫き通す事なのだ。

 

 だが、今の王国ではそれさえ出来ない。このままでは、貴族達の自滅であの魔法詠唱者(マジック・キャスター)に諸共滅ぼされるか。あるいはあの魔法詠唱者(マジック・キャスター)のせいで、帝国に滅ぼされるかの二つだろう。

 逃げ道を確保したいが――今の状態では、非常に難しいと言わざるを得ない。

 

「――――どうやら、首を挿げ替える(・・・・・・・)時期がきたようね」

 

 ラナーは、いつもクライムが見ているような表情で笑った。

 

 

 

 

 

 

「――――」

 

 ナザリック地下大墳墓、第七階層の赤熱神殿でデミウルゴスは様々な思考を巡らせている。それは消えたモモンガの事や、残された仲間達の事。今の自分が何をすべきか、などだ。

 

 ……現在、ナザリック地下大墳墓は未曽有の事態に巻き込まれている。異質な世界への転移。至高の四十一人最後の御方、モモンガの不在。そして――結果として、守護者統括であるアルベドの自我崩壊による行動不能。

 そのため、今は全てがデミウルゴスの背中に伸し掛かっていた。

 

「…………」

 

 その重圧に、デミウルゴスは気を抜けば挫けそうになる。アルベドのように何もかもを放り出して、ひたすら内に引き篭もっていたい、という衝動に駆られる。

 

 だが、それは許されない。

 

 守護者統括でありながら、今はその責任を放棄したアルベドにデミウルゴスは文句を言う気は無い。彼女は既に立派に自分の務めを果たしている。

 そう――玉座の間から出て、外の異常を確かめた時点でアルベドは立派に務めを果たしたのだ。あれが無ければ、自分達は今も異常を見て見ぬふりをして無駄に時間を使っていたかも知れなかった。

 その葛藤、その苦痛を思えばデミウルゴスに何が言えるだろうか。仮にアルベドを責める者がナザリックにいると言うのなら、デミウルゴスはその存在を許さない。

 

 アルベドは現実を受け入れる、という立派な務めを果たした。だから、今度はデミウルゴスの番だ。アルベドに並ぶ頭脳の持ち主として、デミウルゴスにはなんとしてもナザリック地下大墳墓をユグドラシルに帰還させなくてはならない。

 きっと、そこに――モモンガが自分達の帰りを待っていると信じて。

 

「…………」

 

 現在、デミウルゴスは外で行動している者達からの情報を整理している。

 まずは現状把握。そこから目的に向かっての情報収集、行動に移らなければならないからだ。

 自分達の現状を把握し、そして今自分達が自由に使えるアイテムを確認した。結論として、仕方のない事ではあるがデミウルゴスは自分達には資源がおそろしく足りない事を認識する。

 

 宝物殿。あの宝物殿や至高の四十一人の私室に保管されているアイテム。そして図書館に保管されているアイテムなどを使用出来れば、何の問題も無かっただろう。ゆっくりと資源を確保していけばいい。

 

 だが、デミウルゴス達にそれは出来ない。そのような事は不敬だ。御方々の財宝を勝手に持ち出すなど、どうして出来る。それくらいならば死を選ぶ。

 

 とりあえずの応急措置として、第九階層のメイドや娯楽施設の者達は必要最低限の行動しかとらせていない。特にメイドは大食いなので、全員合わせると維持費が凄まじい。そのため最低限の人員だけを残して、あとは活動を停止させていた。娯楽施設に至っては利用する者がいないため、完全に閉鎖していると言っていい。

 

 彼らはそれだけのために創造された者達なため、戦闘力などが皆無である。

 ナザリック地下大墳墓を守るために必要な戦闘力を持つ者の中にはデミウルゴスのような飲食不要のマジックアイテムを持っている者もいるが、持っていない者もいる。その者達のために料理長と数人のメイドを残し、副料理長などは活動を停止させてあった。

 ……至高の四十一人が作り上げた完璧なバランスを崩してしまっているが、それは仕方ないだろう。今は収入が無い。支出だけでは財政が破綻する。そのための苦肉の策だ。

 

 ――これで、何とか時間は稼げる。

 

 デミウルゴスがそうして次に手掛けたのが、周囲の状況の把握だ。アウラとマーレを使い、周辺……特に危険なモンスターが潜んでいそうな付近の大森林を重点的に探らせた。結果として、レベル三〇以下の雑魚しかいないと判明したが。

 これは、デミウルゴスにとって嬉しい誤算だった。当然、弱いモンスターしかこの地方には生息していない、という可能性はあるだろう。だが、それだけで充分である。

 更に近くに人間の小さな村があったが、特に気にするほどの事も無い。強いて言うならばゴブリンと生活しているという奇妙さはあったが、ユグドラシルでの事を思えば、とりわけそこまで奇妙と言うほどではない。

 アウラのようなビーストテイマーもいるし、アイテムでモンスターを召喚する事も不可能ではない。そのアイテムがあれば、ゴブリン達だって召喚主に従うだろう。

 

 こうして付近を調べてから、デミウルゴスはここは見知らぬ土地だが、ユグドラシルとそう差異の無い世界だと判断した。デミウルゴスとして一番遠慮したかったのは自分達の知るモノが何一つ無い世界だった場合の事だ。

 だが、モンスターの種類や彼らの使う魔法を見て、ここはユグドラシルとそう差異の無い場所だと判断出来る。自分達の常識が通用する場所だ。

 

 ――となれば、問題は世界情勢だろう。

 ある意味、これが最大の難問でもあった。

 

 デミウルゴス達は異形種達の集まりである。創造主達が異形種ギルドという形を取っていたため、創造されたデミウルゴス達もまた異形種なのだ。……一応の例外はいるが。

 

 情報収集する上でもっとも楽な方法は、人間種の国で情報を得る事である。ナザリック地下大墳墓に所属する者達にとっては理解に苦しむ事だが、人間という生き物は矮小で卑小なくせに自尊心だけは高く、だが周囲が自分と同じ形をしていないと不安に駆られるという奇妙な生き物だった。

 ナザリック地下大墳墓に所属する者達はどんな見目を持っていようとも、至高の四十一人に忠誠を誓うシモベである、というだけでどのような者であろうと同胞である。多少の権力差はあるが、それでも同胞であり仲間だ、という認識を持っている。そんなナザリック地下大墳墓の者達からすれば、人間種の生態は殊更奇妙であった。

 

 ――戦闘になっても何の問題も無いような脆弱さだというのに、正確な情報を得ようと思うと最低限ヒトの形を取らなくてはならない。

 はっきり言って、そうでなければ耐えられない貧弱な精神に、普段であれば嬉々としてそういった者達を弄ぶデミウルゴスだが、この時ばかりはさすがに辟易した。

 

 人間種では無い国から情報を探ろうかとも思ったが、そういった亜人種や異形種は警戒心が強く、用心深い。そういった者達から探る手間を考えると、やはり人間種から情報を盗むべきだろう。

 

 幸い……セバス、ソリュシャン、ナーベラル、ユリなど見た目は人間に見える者達がいたので、これは何とかなった。現在、彼らは人間種の国で色々な情報を仕入れているだろう。

 そして幾つかの最初の報告で、スレイン法国というものが人間国家の中では飛び抜けている事に気づき周囲の捜索が終わったアウラとマーレを送った。人間至上主義を掲げているため、人間の形をしていない二人では多少不安が残るが……隠蔽能力や索敵能力、戦闘能力を考えるとあの二人が適任でもある。

 

 残った階層守護者のシャルティアとコキュートスには、ナザリック地下大墳墓の防衛を頼んだ。特にコキュートスとは相性がいいため、組んで行動するとなるとコキュートスが最適だったのだ。

 

 そして残る問題は巻物(スクロール)の材料である皮だが、周辺モンスターでは出来があまりよろしくない。人間種達が使用している羊皮紙は、自分達の作成方法では作成する事は不可能だった。理由は幾つか考えられるが、今はしっかりと調べている暇は無い。早急に解決しなければならない問題であったために。

 そこで目を付けた種族がいたのだが――大森林の近くにあった小さな村は、周囲を探ってみるかぎり、どうやら焼き討ちでもあったようであまり種類が少なく、見逃す事になった。壊滅させてもよかったが、それも手間である。それよりは帝国に向かったナーベラルに頼んで、何種類か見繕った方がより取り見取りになる。

 ――その結果、やはりデミウルゴスが目を付けたのは正しかった。使用頻度の高い低位階の魔法ならば問題なく作成出来る。

 よって、牧場を作る事になったのだが、これは幾らか部下を貸してシャルティアに任せる事にした。シャルティアの戦闘力は出来れば置いておきたかったが、シャルティアは〈転移門(ゲート)〉が使えるため、すぐにナザリック地下大墳墓に帰還する事が出来る。そのため、ナザリック地下大墳墓から離れても問題の無い守護者でもあったのだ。コキュートスではこうはいかないし、更にコキュートスはおそらく牧場にあまり気乗りしないだろう事もデミウルゴスは分かっていた。それを考えても、シャルティアが適任だったと言っていい。

 ――まあ、本音で言えばデミウルゴスがやりたい事でもあったのだが。こんな状況でなければ自分が牧場を運営していただろう。

 

「…………」

 

 ――そうして、幾らか届いた新たな報告書に目を通し、頭の中で情報を揃え、その後の計画に修正を加えながら緻密に組んでいく。

 デミウルゴスの優秀な頭脳は、既に結論を出していた。当面の時間は稼げると思い、稼いできた。事実、ナザリック地下大墳墓そのものは、まだ崩壊は先だろう。宝物殿の金貨は山のようにあるに違いない。

 だから、問題はアイテム。アイテムは基本使用すれば消えるもの。消耗品なのだ。複数回使えるようなマジックアイテムは、自分達の持つ類の中にはほとんど無い。

 破綻する。間違いなく。遠からず――世界征服の前に、アイテムが尽きる。

 

 ……人間社会で情報収集して分かった事であるが、彼らの使用するマジックアイテムは、ナザリック地下大墳墓が所有するアイテムと比べると、価値がゼロに等しい。硬貨とて、ユグドラシルの金貨と等価値にしようと思うとこの世界の金貨は二枚分必要になる。おそらく、至高の四十一人の一人が持つポケットマネーだけで国が一つ買えてしまうだろう。……これは、彼らが持っている金貨が膨大な量である事が原因だが。

 そう、全体的な価値が低い。これでは、最優先であるはずのナザリック地下大墳墓の維持が難しくなる。人間種の国を一つ根こそぎ奪うような事をしなければ、追いつかない。

 

「――――」

 

 だが、無いよりはマシだろう。人間種如きはどうでもいいが、ドラゴン達が評議員を務めるアーグランド評議国という、世界征服をするにおいてもっとも問題になりそうな国もある。彼らと戦争になる際には、こちらももしかしたら少なからず犠牲が出る可能性はあった。自分達は最強だと信じているが、しかしドラゴンは侮れない。戦闘メイド(プレアデス)程度の戦闘力ならば負ける可能性がある。

 そして、そんなドラゴンの国とてこの大陸にある国の一つに過ぎないのだ。この大陸の先には、まだ何か広がっている。その事も考えなければならない。

 

 それを考えれば――この辺りで、まだアイテムに余裕がある内に大掛かりな補充を考えるべきか。

 

「…………」

 

 デミウルゴスは少し考え――何者かが、第七階層を訪れた事を察知した。

 

「おや……」

 

 危険な第八階層を通らず、各階層をなるべく自由に行き来するための〈転移門(ゲート)〉を管理している彼女が、相手を素通りさせた事。防衛のコキュートスが何も言わない事から、自分達の同胞である事は分かる。しかし、帰還するといった〈伝言(メッセージ)〉は受け取っていない。最初は希少品であったが、今の補充の利く状態になった際にすぐさまシモベ達を使って配ったため、全員が〈伝言(メッセージ)〉の巻物(スクロール)は幾つも持っているはずだ。使い惜しみするはずがない。

 

 その事にデミウルゴスは不思議に思い――けれど、何となく予感があった。デミウルゴスはコキュートスに〈伝言(メッセージ)〉ですぐに第七階層に来るように伝える。

 

 ――――そして、デミウルゴスの予感通り、そこに彼は来た。

 

「やあ、どうしたのかねセバス」

 

「デミウルゴス様――」

 

 セバスは険しい顔だ。背後には、顔色を青くしているユリが立っており、罰の悪そうな顔でナーベラルとソリュシャンがそれに続いている。それで、何があったかを悟った。

 

(やれやれ……ナーベラルに対しての口止めが甘かったか)

 

 表情の変わっているセバスとユリ。二人の共通性を考えれば自ずと分かる。ナーベラルに対して、もう少しきつく注意を言っておくべきだったと反省し――デミウルゴスは改めてセバスを見た。

 

「呼び捨てでかまわないとも。本来、私と君は対等の立場だろう。至高の御方々が役職を決めたからそうなっているだけでね」

 

「そうですね……では、デミウルゴス」

 

「なんだね、セバス」

 

 チリ、とセバスの瞳に宿ったのは果たして何だったのか。その剣呑な視線の意味に気づいているデミウルゴスは、いつも通りのにこやかな顔でセバスを見る。……もっとも、いつも通りだと思っているのは本人ばかりだが。

 いや、この二人はそうなのだ。セバスもデミウルゴスも、両者共に相手を理由なく苦手とし、時に嫌悪していると言ってもいい。

 それが何故なのかは分からない。

 理由が無い。

 だから止まらない。

 

「ナーベラルから聞きました……人間(・・)を集めて、皮を剥ぎ取っていると」

 

「その通りだよ、セバス。巻物(スクロール)は貴重なわけだが、どういうことか我々の作成方法ではこの地の者達と同じように巻物(スクロール)を作れないらしい。だが、御方々の所持品を無断で我々が使用することは出来ない。ならば、現地からどうしても調達しなければならないだろう? 彼らの皮(・・・・)が、一番効率がいいのさ」

 

「――――」

 

 セバスの表情を見て――(ユリが息を呑む顔をしたのも目に入ったが)、デミウルゴスは眉を顰める。

 

「分かっていると思うが、セバス。重要なのはナザリック地下大墳墓であり、至高の御方々の財産を守ることだ。そのためならば、たかが人間如きに哀れみを抱くのは間違いじゃないかね?」

 

「分かっています」

 

「解っているようには見えないが」

 

「解っているのです!!」

 

 血を吐くような叫び声に、デミウルゴスは思わず間抜けな顔をした。だが、そこに悲痛な感情を見出し、表情を引き締める。

 

「私にも解っているのです、デミウルゴス……! これはナザリック地下大墳墓――栄えある『アインズ・ウール・ゴウン』の――至高の御方々に仕えるべきシモベとして間違っていることも……! 『アインズ・ウール・ゴウン』に属さぬ存在に哀れみという感情を持つことは正しくない……そんなことは解っているのです! ですが、デミウルゴス――無くならないのです! 私の中で、燻っているのです……! 困っている者がいたのならば、進んで助けなければならぬと……弱き者がいたならば、彼の者を救うのが当たり前だと……私の中で、訴えるのです!!」

 

「セバス――」

 

 セバスは苦渋の表情だった。シモベとして正しくないと思いながらも、しかしけれど心の奥底で正しい行いだという思いもあった。

 何故なら、セバスの創造主はたっち・みー。『アインズ・ウール・ゴウン』最強の存在。彼が掲げていた理念は、今もずっとセバスの心の中で生きている。生きてしまっている。

 

 ……仮に、ここに至高の四十一人の誰か一人でもいれば、セバスはその者への忠誠心から決してこの道を歩まなかっただろう。その理念に生きるよりも、至高の存在に対しての忠誠心の方が大切だからだ。おそらく、誰か一人でもいればその御方への忠誠心から、セバスはそんな自分の心など見せなかっただろう。むしろ、忘れる事さえ出来たかもしれない。

 

 だが、ここにはもう誰もいないのだ。セバスを止められるべき発言権を持つ者が、一人もいない。

 だから、セバスは止まれない。何故なら、彼の創造主の幻影が、セバスの行いを正しいと肯定しているのだから。

 

「――――」

 

 デミウルゴスはセバスを見つめる。不快さは最高潮に達しているし、ナザリック地下大墳墓のシモベの考えに相反し、反逆とも取れる行動を取っていると思っている。

 だが、それでもデミウルゴスはセバスに何も言えなかった。何故なら、デミウルゴスはセバスの忠義に一定の理解をしてしまったから。

 

 ――その考えに至るまで、セバスの中でどのような葛藤があったのかは分からない。だがセバスは、認めたのだ。このナザリック地下大墳墓に、『アインズ・ウール・ゴウン』はもういないのだ、という現実を。

 

 誰もいない。もう、彼らは還ってこない。ならばせめて――創造主の理念(アライメント)に従おう、と。

 ある意味でセバスは、彼なりにたっち・みーへの忠義を示したのだ。

 だから、デミウルゴスはもうセバスへの苦言を止めた。自分もまた、覚悟を決めたと言っていい。おそらく、既にセバスは覚悟を決めている。

 

「ユリ――君も同じ気持ちかな?」

 

 セバスと同じ属性に傾いているユリに、デミウルゴスは問いかける。ユリは青白い顔で一礼すると、震える声でデミウルゴスに訴えた。

 

「お、お許しくださいデミウルゴス様……」

 

 その言葉で、デミウルゴスはユリについても納得した。ナーベラルとソリュシャンが、彼らの背後で困惑の表情を浮かべている。その場違いさに、何故か苦笑が漏れた。

 

「なるほど。君達の気持ちは理解したとも――だが、分かっていると思うが、私は守護者統括代理として、それ(・・)を認めるわけにはいかないのだよ」

 

 そう――デミウルゴスは認めるわけにはいかないのだ。何故なら、デミウルゴスまでもがアルベドと同じように放棄してしまえば……一体、残された者達はどうすればいいのだ。

 デミウルゴスは残虐であるし、冷酷であるし、非道であり外道である。だが、それはナザリック地下大墳墓の者達以外に対してだ。この大墳墓の仲間達へは、常に慈愛をもって接している。

 だからこそ、彼らのために――アルベドやセバスのように、認めるわけにはいかない。

 最期の――最後まで。

 

「――――申し訳ありません、デミウルゴス」

 

 セバスの言葉に、今、初めて――デミウルゴスはセバスを心底理解出来たと思った。場違いな事ではあるが、今この瞬間にようやく、お互い相手の心が理解出来たのだ。

 

 ……いつも、互いの事が理解出来なかった。だがこうして、終わりになってようやく、相手を理解出来た気がする。

 その事だけは、まぎれもなく彼らの救いになったと思ったから。

 

「――コキュートス」

 

「――――」

 

 静かにデミウルゴス達の話を聞いていた、いつの間にか第七階層赤熱神殿にいた氷結の武神が姿を現す。コキュートスは静かに、セバスとユリに対して手に持つ武器を構えた。

 そして、ナーベラルとソリュシャンもまた、悟る。彼女達は少し考えて――セバスとユリに相対した。

 そんな妹達の姿に、ユリは少しだけ寂しそうな笑顔を浮かべて……けれど、自分やセバスの方が異常だと理解出来るから、それを受け入れた。

 

「デミウルゴス様――妹達をよろしくお願いします」

 

「勿論だとも――」

 

 ユリの言葉に、デミウルゴスは頷いた。それでもうよかったのか、ユリも静かに構える。ナーベラルとソリュシャンに向けて。

 

「コキュートス様……」

 

 セバスは、コキュートスを見た。コキュートスはセバスに対して、何の感情も感じ取れないいつもの声で返答する。

 

「セバスヨ……私ニハ、オ前トデミウルゴスノ考エガ解ラヌ……。イヤ、解ラナクテヨイト思ッテイル。私ハ、タダノ一太刀デヨイ」

 

「そうですか……それが、貴方の忠誠の形なのですね」

 

 武人である事を求められた。一振りの太刀である事を求められた。そのように創造された。だから自分は、そうしたモノでかまわない。

 あるいは思考停止とも取れるそのコキュートスの考えもまた、自らの創造主に対する忠誠なのだろう。

 

 

 

 そう――彼らは皆、自らの創造主への忠誠に生きている。

 

 

 

 だからデミウルゴスも――今この時だけは、創造主の理念に従おう。たっち・みーと反目し続けた、ウルベルト・アレイン・オードルの心に。

 

「では――守護者統括代理として、反逆者を処刑しよう」

 

 彼らは今、終わりに向けて一歩足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

「うーむ……やはり、王都の検問所ともなれば、チェックが厳しそうだな。ハムスケを連れたまま通るのは厳しいか。――っていうか、俺も通れるのか?」

 

 アインズは王国の王都の付近まで来ていた。そして、少しだけ遠くから巨大で重厚感を出す門を眺めている。

 こうして見るかぎり、さすがは王国の首都と言うべきか、行列が複数並んでおり、入都市審査を厳しく行っているようだった。

 

(エ・ランテルの時はこっそり入ったし、帝国の時は帝国騎士が一緒だったからなぁ……素通りで、全然こういうのに経験が無いんだよな。受けてみたいと思うけど……俺もハムスケも、絶対に引っかかるよなぁ)

 

 やはり、『漆黒の剣』のように冒険者組合に登録して、多少は有名になっていた方がよかったか。帝国のワーカー達の話では、冒険者として有名になればほとんど顔パスのような扱いになるらしいとアインズは聞いていた。

 

「どうするかな……」

 

 ガゼフに会いに行こうと思ったが、これでは会いにくい。ハムスケも見せてやりたかったので、出来ればハムスケも連れていってやりたかった。帝国では連れてやっていたので、置いて行かれるハムスケも寂しいだろう。そう考えて――

 

(あ、いや待てよ? そうだよ! 普通に引き留められたら彼の名前を出して、確かめてきてもらえばいいじゃんか! 王国戦士長で偉い人だったみたいだし、素通りさせてもらえるよな! ……たぶん)

 

 もし駄目だったら、その時はその時だ。時間でも止めて、魔法で操った後記憶を操作してこっそり入ってしまえばいい。そんな軽い気持ちになり、アインズはハムスケを促し王都の検問所へと近づいた。

 

「…………」

 

 行列に並ぶと、人々はアインズの姿と、そしてハムスケの姿を見て驚き、少しばかりの恐怖に身を震わせている。

 

(うっひー……すみません皆さん! やっぱ、ハムスケ怖いですよね!)

 

 自分ではそう思わないが、ハムスケはこの世界の人間(それどころか蜥蜴人(リザードマン)にも)には恐ろしい魔獣に映るらしい。一応、ハムスケは大人しくさせているので暴れ出したりはしない。だが、そんな事が分からない他の者達は怖いだろう。アインズは少し申し訳なく思った。

 

 ……ハムスケと同じくらい、正体不明の仮面の男は怖かったが、本人は全く気づいていなかった。

 

 そうして行列に並んでしばらく経つと、アインズの番になった。検問所の兵士達はアインズとハムスケを見るとぎょっとした顔になっており、ついにアインズの番が来たとなると死を覚悟したような顔をして、恐る恐るアインズへと声をかけた。

 

「あの……まずは詰所の方に寄ってもらってもかまいませんか?」

 

 兵士は若干涙声になったような震え声で、アインズに胡麻でも摺りそうな表情で訊ねた。アインズは快く頷く。

 

「勿論です。ハムスケ、大人しくしていろよ」

 

「了解したでござるよ、殿」

 

 喋ったハムスケを見て、兵士が更に顔を強張らせる。アインズはそれに内心平謝りしながら、兵士に促されて詰所へ向かった。ハムスケは他の旅人と同じように馬車扱いで外で待機だ。

 

「……では、そこに座ってもらえますか?」

 

「ええ」

 

 椅子に座り、兵士の質問を待った。

 

「あの、その……まずは仮面を取っていただけませんか?」

 

「これは失礼を……」

 

 さすがにこの状況で仮面を取らないのは怪し過ぎる。アインズは仮面を取り、幻影の顔を兵士に見せた。兵士はアインズの顔を見て少し驚く。

 

「失礼。私は国外からの旅の者なので」

 

「ああ、なるほど」

 

 見せた後、再び仮面をつける。アインズが作った幻影の顔は、鈴木悟のものだ。そのため、この世界では珍しい黒髪黒目なので不思議に思われたのだろう。だが同時に、旅人という事で納得したらしい。

 

「えぇっと……それでは、名前と御用件を伺ってもよろしいですか?」

 

 アインズは知らないが、本来なら更にここで出発した場所の名前を聞かれる。だが、旅人で国外の者と言われた兵士は聞いても無駄だろうと訊ねなかった。……もし訊ねていれば、アインズは冷や汗を流す気分を味わえただろうに。

 

「ええ。私はアインズ・ウール・ゴウンと申します。この王都を訪れたのは、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ殿を訪ねにきたからですね」

 

「戦士長殿!?」

 

 あまりの大物の名前に、兵士は驚愕する。さて、アインズはこれからどうなるかなと思い反応を待つと――

 

「失礼します!」

 

 大慌てで別の兵士が詰所に入ってきた。そして幾つか兵士に耳打ちしている。アインズが耳を澄ますと――レェブン侯――戦士長殿の知り合い――通すように――などの重要な単語が聞こえてきた。

 

(これは……もしかして、上層部の方に知られてるのかな?)

 

 少し厄介だと思い、アインズは仮面の内側でこっそり溜息をついた。兵士は全てを聞き終えると、にこやかな表情でアインズを見る。

 

「失礼いたしました、ゴウン様。もう少々お待ちいただけますか? 戦士長様をお呼びいたしますので」

 

「ふむ……それは確認のためですか?」

 

「はい。そうです」

 

「なるほど……分かりました。待ちましょう」

 

「ありがとうございます」

 

 兵士はそうにこやかに告げると、大急ぎで詰所を出て行った。その後、別の兵士がやって来て、更に詰所の奥に案内する。

 

「大変申し訳ございません。ゴウン様、少し奥の方でお待ちいただいてもよろしいですか?」

 

「ええ、かまいませんよ。連れの魔獣の方もどかしておきましょう」

 

「助かります」

 

 詰所から出て、アインズは声をかける。

 

「ハムスケ、こっちに来い」

 

「はいでござる、殿!」

 

 ハムスケはアインズの言葉に従って、従順に動いてアインズの命令通り、詰所の傍の少し離れた場所で待機する。それを確認し、アインズは再び詰所の奥へ向かう。

 

 兵士は奥の椅子にアインズを案内すると、飲み物を出して一礼し、去っていった。そうして少し待つと――詰所の外から声が聞こえる。懐かしい声だ。

 

「――おお、ゴウン殿! 来てくださったのか!」

 

 かつてカルネ村で見たガゼフは、アインズを嬉しそうな顔で出迎えた。アインズは立ち上がり、頭を下げようとするガゼフを止める。

 

「お久しぶりです、ストロノーフ殿。お元気そうでなにより」

 

「ゴウン殿も元気そうですな」

 

 ガゼフは朗らかに笑うと、兵士達にお礼を言った。

 

「知らせてくれてすまないな」

 

「いえ。お気になさらないでください戦士長様」

 

「そうはいかん。何せ、この御仁は俺の命の恩人なのだ。王都を訪れた際には、ぜひ館で歓迎したいと思っていたのだよ」

 

 ガゼフはそう言い、アインズを促す。

 

「では、私の館まで案内させていただきたいゴウン殿」

 

「それはかまいませんが……ストロノーフ殿、貴方は仕事があるのでは? それに、宿泊施設を探しますよ? そこまで貴方の家に厄介になるわけには……」

 

「いや、心配していただかなくて大丈夫だ。もう仕事の時間は済んでいるので。それに、あの時言ったはずでしょう。ぜひ、私の館で歓迎したい、と」

 

 既に日が暮れ始めている時間帯だ。空は夕焼けで染まっている。嘘は無いのだろう。アインズは頷いた。

 

「分かりました。ただ、私は今連れの魔獣がいるのですが、大丈夫ですか?」

 

「魔獣? なんと、魔獣を使役しているのかゴウン殿! その話もぜひ聞きたい。勿論かまいませんとも! ……っと、失礼。そういえば私も今居候がいまして、その者に対して少しばかり助言をしてもらってもかまいませんか?」

 

「どうしたのですか?」

 

 ガゼフに促され外に出て、ハムスケを呼びガゼフの横に並ぶ。ハムスケを見たガゼフは驚いたようだが、しかし他の兵士ほど驚愕はしなかった。ただ、「立派な魔獣ですな」と褒め称えるのみだ。ハムスケはどや顔を見せつけている。それを無視して、居候に助言を送ってほしいというガゼフの話が気になった。

 

「実は……少しばかり、挫折をしてしまったようで。自分より圧倒的に強い者と会って、心が折れてしまったようなのです。同じ強さの俺が助言をしても、おそらく無駄でしょうし――それで、出来ればゴウン殿にも彼の話を聞いて欲しいと思いまして」

 

「なるほど……」

 

 ガゼフと同程度、という事はつまり周辺国家でも強いという事だ。そんな人間が挫折するような強者――アインズはツアーを思い出して気を引き締める。やはり、強者というのは意外なところにひっそりといるものだ。ツアーほど強い者は早々いないだろうが、それでもレベル五〇はある相手かもしれない。むしろ、アインズの方からそれがどういう相手か聞いておきたかった。

 

「分かりました。私が役に立てるか分かりませんが、話を聞くくらいなら出来るでしょう」

 

「感謝する、ゴウン殿」

 

 そう言って、ガゼフは申し訳なさそうに笑った。

 

 ……その後、アインズはガゼフに促されながら王都の街中を歩き、ガゼフと今まであった事を話す。特にガゼフが興味を引いたのはやはりハムスケの事で、ハムスケがトブの大森林に縄張りを張る森の賢王と呼ばれる魔獣だと知ると、とても驚いていた。ただ、エ・ランテルの住人ほど詳しいわけではなく、ちょっとした英雄譚(サーガ)で聞きかじった事がある程度らしい。だからこそ、とても詳しく話を聞きたがっていた。

 ぶっちゃけ、アインズは簡単にハムスケを使役してしまったので、あんまり語れる要素が無いので、『漆黒の剣』が言っていたエ・ランテルで有名だった話をガゼフ相手にしただけだが。

 

「っと、ここは私の館です」

 

 ガゼフの家は普通の家よりは少し大きいが、有名で戦士長になるほどの人物が住むような家では無いように思われた。正直な話、見た目からして地位に比べて質素すぎるのである。

 しかし、アインズはそれに好感を持った。中身日本人なアインズとしては、あまり華美なものはそこまで好きではない。こういう落ち着く雰囲気の方が、よほどアインズの好みに合っていた。

 

「帰ってきたのか、ストロノーフ」

 

 家から、一人の男が顔を出す。ガゼフの言っていた居候だろう。世話を頼んでいるのは老夫婦だと言っていたので、この若い男は必然居候になる。若いとは言っても、おそらくガゼフと同じくらいかそれより少し下程度だろうが。アインズはその男を見て――その男は、アインズとハムスケを視界に入れた。そして、一瞬で動きが止まる。その姿にアインズとガゼフは首を傾げ、連れていたハムスケが「あっ」と声を上げた。

 

「――――」

 

「お、おい?」

 

「え?」

 

 ガゼフとアインズが不思議そうな声を上げる中――男は、股間を濡らしながら泡を吹いて気絶した。

 

 

 

 

 




 
セバス「お前の父ちゃん効率厨!!」
デミウルゴス「お前の父ちゃん頑固者!!」
コキュートス「モモンガ様――ッ!! 早クオイデクダサイ――ッ!!」

ブレイン「アインズショック! しめやかに失禁!!」
モモンガ・ガゼフ「うわー(ドン引き)」
 


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王国の闇 前編

 
理不尽なマジックアイテムがイビルアイを襲う!
 


 

 

「――で、ストロノーフ殿。一体彼に何が?」

 

「さぁ……申し訳ない、ゴウン殿。私にも何がなんだか……?」

 

 いきなり失神した男に困惑しながらも、アインズはガゼフを手伝い一緒に男を奥の、男の部屋として貸しているらしい部屋に連れて行き、寝具に寝かせてやった。そして、「申し訳ないがここで待っていて欲しい」というガゼフの言葉で客間らしき部屋でガゼフを待ち、片付け終わったガゼフが顔を出したところで、アインズは訊ねた。

 しかし、ガゼフもまた困惑気味の顔をしている。

 

「実は、私はまだ彼から何があったのか聞いていないのだ。……もしや、ハムスケ殿に何か刺激されたのかもしれん」

 

「ああ――ハムスケは魔獣ですからね。それに、トブの大森林で有名だったみたいですし、その可能性もありますか。ちょっと訊いてみましょう」

 

 ハムスケは家の中に入れないので、外で番犬のように放されて丸まっている。この異世界では恐ろしい見た目だと思われているハムスケだが、ガゼフはよほど信頼が篤いようで、近隣の家の住人は遠巻きに見るだけで、何か言ってきたりはしない。

 

 だが、さすがに〈伝言(メッセージ)〉で訊ねてハムスケに独り言を呟かせるわけにもいかない。さすがに、それは周囲の住民が驚くだろう。アインズは席を立った。

 

「ストロノーフ殿は先程の、えー……」

 

「ああ。彼はブレイン・アングラウスという」

 

「ブレイン・アングラウス……?」

 

 アインズは聞いた事のある名前に首を捻り――あのクレマンティーヌが言っていた名前の持ち主の一人だと思い出した。

 

「聞いたことがあったのですか、ゴウン殿」

 

 ガゼフはアインズの様子に瞳を丸くしている。アインズは頷いた。

 

「ええ。確かストロノーフ殿に匹敵する戦士だと耳にした事があります。彼がそうだったのですね」

 

「ああ。昔御前試合で、彼と戦ったことがあったのだ。その時は辛勝でした」

 

「なるほど……とりあえず、そのアングラウス殿にストロノーフ殿、ついていてあげてください。私はハムスケから少し話を聞いてきます」

 

 そう言って、アインズは家を出て庭で丸くなっているハムスケを見る。ハムスケはアインズが家から出てきたのを見て、円らな瞳でアインズを見上げていた。

 

「彼は大丈夫だったのでござるか? 殿」

 

「なぁ、ハムスケ。お前あの男を知っているか? ブレイン・アングラウスと言うらしいんだが――」

 

 アインズがそう言うと、ハムスケは少しジト目になったようだった。そして、アインズをじっと見つめ、溜息をつく。

 

「な、なんだ」

 

 その様子に困惑し、アインズは少し不安になってハムスケを見る。ハムスケは口を開いた。

 

「殿、やっぱり覚えておらぬのでござるな」

 

「え?」

 

 なんだか不穏な言葉に、アインズは無いはずの表情が引き攣る。ハムスケはそんなアインズに語った。

 

「あの男は確か、殿がツアーという騎士と戦っていた時にそれがしが戦っていた、傭兵団の一人でござるよ。名前まではそれがしも知らなかったでござるが、それがし……負けそうになったでござる。殿が助けてくれたのではござらんか」

 

「え?」

 

 アインズはハムスケの言葉に記憶を掘り起こす。無いはずの海馬から必死に記憶を過去へ遡らせる。そして――

 

「あ」

 

 アインズはようやく、ブレインという男の顔を思い出した。

 

「あー……」

 

「殿……どうするのでござるか?」

 

 確か、顔を見られている。あの時アインズは仮面をツアーに破壊されたので、していなかったのだ。ハムスケもそれを覚えていたらしく、アインズにどうするのか不安そうに訊ねてくる。

 

「…………」

 

 アインズは必死になって考える。さて、ブレインのあの様子から、間違いなくアインズの事を覚えているだろう。と、いうよりブレインは自分より強過ぎる相手と遭遇して挫折した、とガゼフが言っていたはずだ。そうなると、ブレインはアインズのせいで挫折した事になる。

 アインズはブレインにした仕打ちを思い出す――。

 

(そうだよ……俺、あの時他人にかまってられなくて、さっさとその場から離れるのを優先したんだよなぁ……。うわぁ……殺しておけばよかった。いや、今からでも記憶を操作してくるか?)

 

 そう考えたアインズはしかし――ガゼフの顔を思い出して、なんだかそれをするのも嫌になった。ブレインの記憶を操作すると、連鎖的にガゼフの記憶も操作しなくてはいけなくなる。まだあまり話を聞いていない、と言ってもガゼフもさすがに少しは話を聞いているだろう。モンスターに遭遇した、などの。

 その記憶も消さなくてはならなくなる。さすがに、ガゼフの記憶を消すのは少し遠慮したいとアインズは思った。

 

「……どうするかな」

 

 アインズはちょっと呆然とし――聞こえた悲鳴のような絶叫に驚いて、ガゼフの館を振り返った。すると、悲鳴を上げながらブレインがアインズがいる方とは正反対の方向に走り去っていく。アインズはぽかんと仮面の内側で口を開けて呆然とその姿を見送った。見れば、ガゼフもブレインが出てきたであろう窓から呆然と顔を出してブレインを見送っている。

 ガゼフとアインズはお互い顔を見合わせ、互いにまたブレインの去っていった方角を見つめた。

 

「その……ゴウン殿。何か分かりましたか?」

 

 館の中に戻ったアインズをガゼフは出迎え、そして困惑した表情を向けている。そんなガゼフにアインズは無い心臓がバクバクと音を鳴らしている錯覚を覚えながら、逆にガゼフに訊ねた。

 

「そうですね……ストロノーフ殿、彼からはどれだけのことをお聞きになりましたか?」

 

 とりあえず、ブレインがガゼフに何を言ったのか気になったのでそう訊ねる。ブレインがいなくなったのはある意味好都合だ。この隙にガゼフがブレインからどこまで聞いたのか知り、そこから後でブレインを捕まえて話の帳尻合わせをすればいいだろう。

 

 ガゼフはアインズの質問に、やはり困惑した表情で答えた。

 

「私が聞いているのは、恐ろしいモノに出遭った(・・・・・・・・・・・)――というそれだけですね。何に遭遇してしまったのか……その後どうしたのか、それもまだ聞けていないのです」

 

「なるほど……姿形も何も聞いていなかったのですね」

 

「ええ」

 

 アインズは内心ほっとする。つまり、ガゼフはほぼ何も聞いていないに等しいからだ。これなら、ブレインを探してちょっと細工するだけで済むだろう。それならばと思い、アインズはガゼフに脳内(実際は無いが)で考えた話を語る。

 

「実はですね……少し前のことなのですが、私とハムスケは旅の途中ある傭兵団に遭遇しまして」

 

「傭兵団、ですか……」

 

 ガゼフは犯罪者に対するに相応しい、嫌そうな表情を浮かべる。しかし、すぐにそんな表情を打ち消すと、アインズに話の続きを促した。

 

「詳しくは私も知らないのですが、その傭兵団が私と別れて散歩していたハムスケに色々とちょっかいをかけたそうで……その際に、あのアングラウス殿とハムスケは戦ったそうです」

 

 ガゼフはアインズの話を聞いて察した表情をした。そして頭を抱え始める。アインズはつい視線を逸らした。なんというか、今の自分達の状況は結託してブレインにとどめを刺しにきたに等しい。

 

「それで、ですね――えぇ、まあ……私はハムスケの危機に魔法を使用して追い払ったのですが――えぇっと……その、ですね。私はちょっと相手の顔を覚えていなかったのですが――」

 

「――――」

 

「その……ストロノーフ殿の御友人に、大変申し訳ない」

 

「いや、ゴウン殿。こちらもアングラウスが大変申し訳ないことを……」

 

 互いに、深々と頭を下げる。お互い、相手に申し訳ない気持ちになってしまった。

 そして顔を上げると、アインズは仮面の額を手で押さえながら、ガゼフに向かって語る。

 

「とりあえず、彼は私が魔法で探しておきましょう。その後、ストロノーフ殿のもとへ帰るように伝えておきますよ。私は街で宿を取りましょう。彼もあまり、私と顔を合わせるのは嫌でしょうから」

 

「しかしゴウン殿……アングラウスが先に迷惑をかけたのは事実ですし、命の恩人である貴殿にそのような……」

 

 ガゼフからすれば、犯罪者として活動していたブレインの方が悪いという思いがあるのだろう。実際、アインズはハムスケを助け、そして犯罪者を過剰ではあるが驚かしただけなのだ。これでアインズが人間ならば、ブレインの方が悪いと言えるだろう。

 しかし、これが実際ブレインから話を聞けば、アンデッドのアインズに遭遇したという時点で命の危機を感じたと言えば当然である。人間ならば誰が聞いても、アンデッドに遭遇したという時点でブレインを擁護するだろう。アインズだってそうする。

 だからこそ、アインズはガゼフに首を横に振って、自分の思いを口にした。

 

「ストロノーフ殿、経験者の言葉として聞いて欲しい。“友人”は大切にするべきだ」

 

「しかし――」

 

 しかしガゼフは口篭もる。その人の良さにアインズは苦笑し、ガゼフに告げた。

 

「でしたら、ハムスケを預かっておいてください。私は街で宿をとりますが、ハムスケを歩かせるのは厳しいでしょう」

 

「そんな……いえ、分かりました。ハムスケ殿は私が責任を持ってお預かりします」

 

 ガゼフはアインズを見つめ、しかし少し考えてアインズに深く頭を下げた。それにアインズは気にするなと手を振り、ガゼフに別れを告げて館を出て行く。

 ……どの道、アインズの姿はアンデッドであり、骸骨なのだ。実はガゼフの館には一泊程度しかする予定は無かった。食事も出来ない、トイレにも行かない。そんな生活臭皆無の男を見れば、ガゼフとて不審に思うだろう。

 それなのにガゼフのもとで一泊でも世話になろうと思ったのは、ガゼフの厚意を無下にする事に罪悪感を覚えたからだ。ガゼフがアインズに敬意を持ってくれているように、アインズだってガゼフに敬意を持っている。アインズが持たない輝きを持つあの勇者がアインズには眩しくて、尊くて、つい目を細めて見てしまうほどに。

 

 アインズは街に出ると、物陰に隠れてアイテムボックスから遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)を取り出し、ブレインの姿を探す。

 ……魔法で探そうと思ったのだが、ブレインが持っている特殊なアイテムとなるとアインズにはさっぱりだったので、このような地道な探し方になった。

 

「…………む」

 

 くるくると視界を移動させ探していると、早速特徴的な青頭を発見した。ブレインの髪色は青色であったので、おそらく彼がそうだろう。ちょうどいい事に、ブレインも路地裏を歩いている。アインズは転移魔法を使用してブレインのもとに向かった。

 

「…………」

 

 ふらふらと覚束ない足取りで歩くブレインの背後に出る。ブレインは魔法で音も無く忍び寄ったせいか、あるいはもうそこまで注意を向けられないほど精神が衰弱しているのかアインズに気づいた様子は無い。アインズはスタスタと歩いて近寄り、足音で振り返ろうとしたブレインの肩を掴んだ。

 

「おい」

 

「あ――」

 

 間違いなく、ブレインである。ブレインはアインズを呆けた顔で見て――その顔を恐怖で歪め叫び声を上げようと口を開き――それより早く、アインズの魔法が指先からブレインの頭へ撃ち込まれた。

 

 アインズの使用した魔法は第十位階魔法の一つで、〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉と呼ばれている精神系魔法だ。一部の記憶を書き換える事が出来るのだが、陽光聖典での実験から判明した事実によって、アインズはあまり使用したいとは思わない。

 

(燃費最悪なんだよなぁ、これ……。たかが数秒の記憶を書き換えるだけでも、とんでもない魔力を消費するし)

 

 この異世界に来て効果が少し変更され、そして魔力消費量が変わった魔法の一つである。記憶を文字通り操作する事によってどのような弊害が出るのか、まだ実は未知数のためいざという時にしか使用出来ない。

 

 アインズはブレインの記憶の中にある、骸骨のモンスターという事実をアインズは最初から仮面を被っていたという捏造で歪める。アインズの体からごっそりと魔力が抜け落ちていく感覚がした。記憶を書き換えた後、ブレインは頭を抱えて膝を地面につき、靄を振るように頭を振ってからアインズを見る。アインズは魔力が抜けて少し気だるげにブレインに話しかけた。

 

「やあ、ブレイン・アングラウス――だったか? ストロノーフ殿の友人だろう?」

 

「お前は……」

 

 書き換えられた記憶によって、多少は恐怖が和らいだらしい。ブレインは先程までのように逃げ出そうとはしなかった。……あるいは、ガゼフの名前を出したからなのかもしれないが。

 

「…………」

 

 しかし、身に沁みついた恐怖はどうしようもないのか、ブレインはアインズをかなり警戒している。それにアインズは溜息をついて、柔らかく声をかけた。

 

「私を警戒するのは勝手ですが、ストロノーフ殿が心配していますよ。帰った方がよろしいのでは?」

 

 人間に対する丁寧な言葉遣いに変えて話す。そんな柔らかな対応にブレインは毒気を抜かれたような顔をして――やがて、納得したように呟いた。

 

「そうだな……アンタにとっては、俺はその程度か」

 

「…………?」

 

 ぽつりと呟かれた言葉にアインズは首を傾げる。そんなアインズにブレインは諦めたような顔をして、アインズに告げた。

 

「いや、分からないならそれでいいさ。むしろ、その方がいい……気を使われると、余計惨めになるからな」

 

「そうですか。なら、何も言わないでおきましょう」

 

 というか、アインズには本気でブレインの言っている意味が分からないが。

 

「……で、ストロノーフが心配しているって?」

 

「心配もするでしょう。友人が私の顔を見て絶叫を上げて逃げでもすれば」

 

「はは……友人か」

 

 “友人”という言葉の何がツボに入ったのか、ブレインは軽く笑う。ブレインの言葉はアインズにはさっぱりだ。

 

「それで……アンタはストロノーフの何なんだ? 単なる顔見知りって感じじゃないな。その様子だと」

 

「そうですね……ちょっとした命の恩人、ということになります。詳しくは、本人から聞いた方がいいでしょう。私が言うと、単なる自慢話にしかなりませんし」

 

「確かにな。命の恩人なら、自分で言やぁそりゃ単なる自慢話だ!」

 

 ケラケラと笑うブレイン。何だかあまりにも先程とは違う様子に、アインズはちょっと引く。

 ブレインはひとしきり笑うと、引いているアインズに気づいていないのか、打って変わって真面目な顔でアインズを見た。

 

「で、アンタにとってストロノーフは何なんだ?」

 

 そのブレインの問いに、アインズはきっぱりと告げた。迷いなく、それ以外の言葉が見つからなかったからだ。

 

「“勇者”。英雄でもかまいませんがね」

 

 アインズの答えに、ブレインは呆然とし――そして、アインズの告げた単語が、あまりにもガゼフに対してぴったりだったのか、また再び笑い出した。

 

「ああ、そうだな! 確かに、アイツは“勇者”って言葉が相応しいかもな! ――でも、アンタにとっちゃそれに意味があるのか? だって、アンタの方が何倍も強いだろ? それとも、ガゼフは俺より圧倒的に強かったのか?」

 

「まさか。貴方は知っているので正直に言いますが、ハムスケ――貴方が戦った私の連れの魔獣ですが、それと同程度なら私には単なる団栗の背比べです。一〇〇回戦っても、全て私の完勝で終わるでしょう」

 

 アインズの言葉にブレインも同意見だったのか、それならば何故――という顔をした。

 

 ――どうして、ガゼフに対してはそこまで敬意を払うのか。

 ――ブレインとガゼフ。一体、何がそこまで違うのか。

 ――二人の強さは、所詮団栗の背比べ。なら、この扱いの差は何なのか。

 

 ブレインの声なき声が聞こえたわけではない。だからこそ、アインズはきっぱりと告げるのだ。

 

「別に、敬意を払う相手が強く無ければいけない道理は無いでしょう?」

 

「――は?」

 

「ですから、誰かに敬意を感じるのも、憧れを感じるのも別にその対象が自分より強くなければならない道理は無いでしょう? たとえ自分より弱くても、吹けば飛ぶような軽さでも、それでもそこに自分では出来ない何かがあったなら、それは敬意をもって接するべきです」

 

 アインズがガゼフを尊重するのは、それが理由だ。アインズには絶対出来ない事が出来るガゼフだから、アインズは彼を尊敬する。

 

「分からないな……強くなければ、結局無意味じゃないか。こんな弱肉強食の世界じゃ、強くなければ生きていけないだろ。そこに何の意味があるっていうんだ」

 

「知りませんよ、そんなもの。――先程、私は自分が彼の命の恩人だと言いましたが、それは単純に彼と敵対していた相手が私より弱かったからです。別に命の危険なんて全く無いから、私は彼の命の恩人足り得ている。仮に、彼が戦っていた者が私より強いのなら、私は彼を見捨てていたでしょう。――ええ、私は貴方に共感する」

 

 だからこそ――――

 

「だからこそ、私は彼を尊敬します。自分が死ぬと分かっているのに、他人のために命を捨てられる人間はそうはいない」

 

 それが出来る時点で、ヒトというものの強さとしては、確実にガゼフの方がアインズより――鈴木悟より上だろう。

 

 

 

 ――困っている人がいたら、助けるのが当たり前。

 

 

 

 ……かつての仲間が言っていた言葉が思い起こされる。鈴木悟の英雄。虚像で出来た仮想(ネット)の世界で、確かに輝いていたもの。

 現実(リアル)での彼がどんなものだったのかは、自分は知らない。あの廃れた世界では出来もしない事をやって心の慰めにしていただけかもしれないし、本当にそういう生き方を体現しようと頑張っていたのかも知れない。

 ただ、輝いていたのだ。それが嘘でも。確かに救われたのだ。そしてそれだけは嘘じゃないから。

 

 だからアインズは、ガゼフを尊敬し続ける。

 

「私には出来ない事だから、私は彼を尊敬する。理由は、ただそれだけです」

 

 ――その言葉に、ブレインは何を見たのか。ブレインはそっと目を細めると、思い出すように呟いた。

 

「そうだな――確かにその通りだ。俺も、アンタに共感する」

 

 アインズはブレインをじっと見つめた。ブレインもアインズを見る。互いに、眩しいものに対する憧れを感じたからだ。ある意味でアインズとブレインは同類だと、そういう共感を覚えた。

 

 がむしゃらに立ち上がって必死になった過去か。あるいは誰かのために戦える自分では持ち得ない心の強さへの憧れにか。

 お互いに、お互いの事なんて知らないはずなのに……確かに、今、アインズとブレインは互いが歪んだ鏡に映った鏡像だと錯覚した。

 

「――ごほん。まあ、ストロノーフ殿が心配しているので、さっさと帰った方がよろしい」

 

 そう言って、アインズはブレインの記憶の書き換えも済んだので適当な宿に泊まろうと踵を返す。もはや日は暮れて、周囲は夜の闇に包まれ始めていた。

 大通りに消えようとするアインズに、ブレインは声をかける。

 

「お、おい! ストロノーフのところに行かないのか?」

 

「私がいたら、貴方が心休まらないでしょう? 適当な宿に泊まりますよ」

 

 そう言って、ひらひらと手を振ってアインズは今度こそ、ブレインに別れを告げてまだある人波に消えていった。

 

 

 

 ――――大通りに出たブレインは、仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が消えた人波を見つめる。あれだけ目立つのに、何故か人ごみに紛れると途端に気配が薄れて分からなくなった。もしかしたら、何らかの魔法かも知れない。

 

「魔法っていうのは、何でもアリだな」

 

 そう呟いて、ブレインも歩き出す。思い出すのは、あの魔法詠唱者(マジック・キャスター)の言葉だ。

 

 ガゼフに負けて、強さだけをがむしゃらに追い求めた。そのためには何でもした。

 そう、何でもしたのだ。人を斬る感覚を忘れないために、傭兵団にも所属した。そこで斬り殺した人間の数など、覚えていない。

 何もかもを捨てて、ひたすら強さだけを追求した。かつて敗北したガゼフに勝つために。

 

 だが、それは何の意味も無かった。ブレインの強さは、魔法詠唱者(マジック・キャスター)程度にさえ平然と押し負ける。

 

「……ん?」

 

 何だかそこに何か違和感を覚えたが、分からない。ただ、ブレインは考えるのだ。

 

 どれだけやっても勝てない。あの森の賢王だって、ブレインが負ける確率の方が高かった。その魔獣に勝っても、平然とその魔獣を騎獣にしてしまうような化け物染みた強さの者もいる。

 そう――上なんて、どれだけ見てもキリが無いのだ。どうしたって、最後は何でも出来る奴に負けてしまう。

 

 ブレインに魔法の才能は無い。突き詰められる強さは剣士としての強さだけだ。

 だから最後には、魔法も剣も出来る人間に負けてしまう。

 

 所詮、ブレインは一番にはなれない生き物だったのだ。

 

 だが、そんな一番になれそうな生き物でも――出来ない事があった。

 

 それこそが、ガゼフ・ストロノーフだけが持つ強さで――確かにブレインも、あの魔法詠唱者(マジック・キャスター)の言い分に納得出来た。

 

 ブレインがガゼフのいるような王都まで、無意識に彷徨い歩いたのは何故なのか。

 どうしてブレインは、心をへし折られてもガゼフのもとまで歩いたのか。

 そんなガゼフの家で、ゆっくりと安穏に眠れたのは何故なのか。

 

「ああ――そうだ。俺も、アンタに共感する」

 

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)の言葉を思い出す。憧れる。尊敬するとそう言っていた男の言葉を。

 

 ブレインも心のどこかで、ガゼフの強さに気づいていたのだ。だからこうやって、無意識にガゼフのもとまでやって来た。理由はきっと、それだけだった。

 心は依然折れたままだけど――少しだけ、あの太陽のような男が“友人(ライバル)”と呼んでくれた事に感謝して、頭を負け犬みたいに俯かせて歩くのだけは、もうやめよう。

 

 きっと、ガゼフのようになんてなれやしない。みっともなく、無様なままなんだろう。

 

 それでもブレインは、立ち止まったままでいる事だけはやめようと思った。

 

 ――――そう、彼は再び歩き出すのだ。たとえ心が折れたままでも。みっともなく、無様で、負け犬のままでも。

 美しい、手の届かない輝きを目指して。

 

 

 

 

 

 

 全員が集まった宿屋の一室で、次の任務のためにアイテムを並べていたイビルアイは、仮面の内側の眉を顰めて呟いた。

 

「――巻物(スクロール)を補充しに行きたいのだが」

 

 イビルアイの言葉に、ガガーラン、ティナとティア、ラキュースも頷く。

 

「そうね。昨日は運よく『六腕』には遭遇しないで済んだけれど、一つ潰された時点で警戒しているだろうから、補充すべきだわ」

 

 彼女達『蒼の薔薇』は現在、王国の裏社会をほぼ牛耳る組織『八本指』の拠点と思われる場所を、もぐら叩きのように潰して回っていた。これは王女ラナーの依頼であり、今の王国の現状から打てる唯一の手でもあった。

 そして今は昼。次の拠点潰しを行う前に、消費アイテムを補充すべきである。

 

「私とイビルアイで魔術師組合に行ってくるわ。三人はこのまま宿屋で待機。よろしくね」

 

 ラキュースはそう言って、イビルアイと共に宿を出る。二人はそのまま王都の魔術師組合に向かった。

 

「……しかし、今日で二つ目になるがなるべく早く証拠を押さえたいものだな」

 

「そうね。全て潰して回った場合、確実に冒険者組合の方からペナルティがあるわ。幾ら私達でも、限度があるってね。王派閥の人間が冒険者を私的利用しているなんて表沙汰になったら、貴族派閥が活気づいてしまう」

 

「それでは本末転倒だな。だが、前襲ったところでは下っ端程度だった。やはり、抜け道を使われたのだろうか」

 

「たぶんね。まったく、どれだけ改装しているんだか……」

 

 建物の構造が本来と異なっているのはよくある事である。それも含めて警戒し、襲撃を仕掛けたのだが逃げられてしまった。重要書類も隠された後である。やはりこういうのは、裏社会に生きる者達の方が上手なのだろう。ティナとティアは元暗殺者だった事もあってそういった事に詳しく、なるべく穴が無いようにしたのだがそれでも逃げられてしまった。

 

「一つ目の時点でなるべく多く情報を手に入れられるようにしたかったんだけど、これからは更に難しくなるでしょうね」

 

「だろうな。向こうも警戒心が段違いに上がるだろう。なるべく早めに決着をつけたいものだ」

 

 イビルアイはラキュースの言葉に頷いた。

 

「っと、着いたわね」

 

 ラキュースの言葉に、イビルアイも注意をそちらに向ける。長い壁に囲われた、五階建ての塔が三つと二階建ての幾つもの塔。ここが王国の魔術師組合本部である。新たな魔法の開発や魔力系の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の育成、そしてマジックアイテムの作成を行っている。

 国家の援助はほとんど入っていないが、それでも魔法詠唱者(マジック・キャスター)達の王国の総本部とも言えるので、下手な貴族の建物よりも立派である。

 

 ラキュースとイビルアイは慣れたもので警備兵に止められる事無く門を潜った。

 

「……? なんだ?」

 

 ただ、いつもと違って少し浮足立っているようにラキュースには感じられた。イビルアイもそう思ったのだろう。首を傾げて不思議そうな様子を表している。

 

「どうしたのかしら?」

 

「さぁな。誰か大物でも来ているのかもしれんぞ」

 

 イビルアイがそう言っても、ラキュースはそんな事は信じていなかった。自分達以上の大物など、それこそ王族や六大貴族になるだろう。こういった冒険者達の色が強い組合では、ただの貴族なぞいくら大きな顔をしても涼しい顔をされる。勿論、表立ってはそのような態度は示さないが。

 しかし王族や六大貴族がわざわざこんな場所に来るはずがなく、訪れたところで意味が無い。来るならば遣いを寄越す程度だ。

 

 だからこそ、二人は違和感を覚えながらもロビーへと向かい……そこに、ラキュースはイビルアイと同じくらい怪しい人間を見つけて驚いた。

 

「――では、ゴウン様。これらをお買い上げでよろしいでしょうか?」

 

「ええ」

 

「かしこまりました。少々お待ちください」

 

「ゴウン様。昨日お売りいただいたマジックアイテムの方なのですが――大変申し訳ございません。もうしばらくお待ちいただければと……」

 

「かまいませんよ。……まあ、出来れば明日にでも査定を出していただければ幸いですが」

 

「はい! 明日には必ず!」

 

「――――え」

 

 組合の者達が、揉み手をしながら豪奢なローブを着た仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)に頭を下げている。それも一人二人ではない。仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)はソファに座り、机の前には飲み物が出されていていかにも上客だという事が伺えた。

 イビルアイとラキュースはそんな光景に、呆然とする。

 そして仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)はふとこちらを見て――「あ」と呟いて止まった。

 

「先日の――」

 

 仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が口を開く。それより早く、イビルアイは土下座せんばかりに頭を深く下げた。

 

「先日はすまなかった――!」

 

 仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)に頭を下げる奇異な光景に、ラキュースを初めとしたその場の者達は呆然と二人を見つめたのだった。

 

 

 

「えぇっと……つまり、先日遭遇した魔法詠唱者(マジック・キャスター)がこの人なのね? イビルアイ」

 

「そ、そうだ。先日は本当に申し訳ないことを……」

 

「ゴウンさん。こちらも仲間の一人が申し訳ないことをしました」

 

「いえ、別に気にしていないので頭を上げてください」

 

 イビルアイとラキュースは魔術師組合の一室を借りて、仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)……アインズとの話を聞いていた。一応、イビルアイ達から話は聞いていたが、アインズの姿を見た事はラキュースは無かったので、改めて頭を下げている。

 二人はアインズにそう言われ、頭を上げてアインズを見た。

 

「それでゴウンさん。戦士長様にお会いになられに王都までいらしたのですか?」

 

「……それ、どこまで広まってるんですか?」

 

 少し仮面の額を押さえたアインズに、ラキュースは慌てて声を上げた。

 

「あ、すみません。そんなに広まってないと思いますよ? 私は一応貴族出身なので、多少知っていただけで……」

 

「そうですか。……まあ、その通りです。王都には戦士長殿の顔を見に来ただけです。それと、巻物(スクロール)の補充ですね」

 

「なるほど」

 

 旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)ともなると、補充する巻物(スクロール)の量は相当だろう。ましてや、貴族や王族を間近で見る事があるラキュースやイビルアイにとっては、アインズが身に着けているローブは間近で見るとかなり細部に拘った豪奢な作りをしている。並大抵の貴族ではこのようなものは身に着けられまい。

 特に目を引くのが両腕の漆黒と純白の色のガントレットだろう。その造り込みは凄まじいの一言につき、魔力の気配は感じられないが美術的な意味合いから見ても金貨数千枚はくだらないはずだ。

 つまり、どう見ても魔術師組合からしてみれば上客である。それはあそこまで丁寧な接客をするだろう。組合の人間誰もが浮足立っていた理由が分かる。

 

「ゴウンさんはしばらく王都にいらっしゃるのですか?」

 

 ラキュースが訊ねると、アインズは頷いた。

 

「ええ。何分王都は初めてなので、ちょっとした観光も兼ねていますから。……ここは戦士長殿に案内してもらったのですがね。それと、ここでちょっとしたマジックアイテムを査定に出したので、その査定が終わるまではここにいるでしょうね」

 

 そう言えば、先程組合の人間が頭を何度も下げてアインズにそう言っていたのを思い出す。少しだけ、好奇心が湧いた。

 

「即日査定出来ないなんて……一体、どんなアイテムをお売りに?」

 

 冒険者としての好奇心が疼く。イビルアイも少し気になるのかじっと無言でラキュースとアインズの会話を聞いていた。……下手な事は言うまい、という自制心で黙っているだけかもしれないが。

 

「あー……完全なる狂騒というマジックアイテムですね。本来精神系魔法の効果が無いアンデッドにも、精神系魔法が効くようになるというアイテムなのですが……」

 

「え!?」

 

 ぎょっとして身を乗り出す。ラキュースもイビルアイもだ。何故なら、アインズの語ったマジックアイテムはとんでもない代物だからである。

 

 ……本来、アンデッドのような死者には魅了の魔法などの精神系魔法が全く通用しない。これは彼らは既に死者であるため、そういった幻惑の魔法が効かないのだ。

 だが、そのアンデッドに対して精神系魔法の完全耐性を無効化するマジックアイテムとなれば、それは魔術師組合の人間も慌てるだろう。一体金貨が何百枚いるのか想像もつかない。査定額がすぐに出せないというのも納得だ。

 二人は組合の者達が頭を下げていた理由がよく分かる。ガゼフが連れて来て、しかもこんなとんでもないマジックアイテムを査定に出せばそれは下手な事は出来ないだろう。イビルアイが叫んだ瞬間に組合の者達が慌てたのはそのせいに違いない。

 

「ど、どんな見た目のアイテムなんですか?」

 

 言ってから、ラキュースはそんな希少なアイテムが幾つもあるわけがない事に気がついた。しかし、アインズは「こういうのですよ」と懐から赤と黄色の縞模様になった円錐の形をした物を取り出す。

 そしてそんな希少アイテムをアインズは平然と渡した。手に取ったのはイビルアイで、じっとそれを見つめている。

 

「ここにある紐を引っ張れば発動しますよ」

 

「な、なるほど……」

 

 イビルアイはそう言ってアインズが指差した紐を触る。そして――

 

「あ」

 

「え?」

 

「ちょ」

 

 イビルアイは力余って、円錐の先から出ているその紐を引っ張ってしまった。

 

 パン、という軽快な音色と共に、円錐の平べったい蓋から金色の拳を突き出したような人の像と幾色ものリボンが飛び出してくる。

 そして――――

 

「あ、あわわわ……も、申し訳ない」

 

「ご、ごめんなさいゴウンさん! 勝手にアイテムを使ってしまうなんて……!」

 

 呆然とこちらを見ているアインズに、ラキュースは慌てて頭を下げる。イビルアイも慌てて頭を下げていた。

 しかしアインズはそんな二人に落ち着いた声で告げる。

 

「いえ、大丈夫ですよ。アンデッドにしか効果がありませんし。まだ幾つか持っているので、そんなに慌てなくても結構です」

 

「で、でも……」

 

 しかし、これは金貨数百枚に匹敵するだろうアイテムだ。そんなアイテムを使ってしまったのだ。慌てない理由が無い。だが、そんなラキュースにアインズは穏やかな声で語りかける。

 

「どうぞ、お気になさらず。どの道私にとってはあまり使用する予定の無い、宝の持ち腐れのようなアイテムでしたから。今回売りに出したのも、使い道の無いアイテムの整理のためのようなものですし」

 

「本当にごめんなさい……もし何かあったら、ぜひ『蒼の薔薇』をご利用ください。出来るかぎりのことはさせていただきます」

 

「そうですね……では、何かあった時は少し頼み事をさせていただく、ということで」

 

 確かに、アインズは金貨数百枚程度の価値は気にしないような風貌だ。その落ち着いた、こちらを落ち着かせようという声色から本当に気にしていない事が窺える。なのでラキュースは最後にもう一度頭を下げて、それからアインズに一度無償で依頼を受ける事を提案した。アインズもラキュースが気にしている事に気づき、その謝罪を快く受け取っている。

 

 そしてイビルアイは……未だにそわそわとしている。

 

(あら……?)

 

 ラキュースはそれに首を傾げるが、イビルアイとて高額なマジックアイテムを勝手に使用してしまったのだ。まだ落ち着かないのだろう。

 

 話が少し落ち着いたところで、ドアをノックする音が聞こえる。どうやらアインズの買った巻物(スクロール)が全て用意出来たらしい。アインズは色々と買い込んだので、全て用意するのに時間がかかったらしかった。

 

「では、話はこれで……」

 

「そうですね。時間を割いていただいてありがとうございます」

 

 ラキュース達も巻物(スクロール)の補充をしに来たのだ。『八本指』の拠点の襲撃任務もあるし、これ以上長居する事は出来ない。アインズとラキュースは立ち上がり、その後イビルアイも立ち上がった。……と、何故か慌てて立ち上がっていたイビルアイは椅子に足を引っかけたらしく、バランスを崩す。

 

「わ……」

 

「っと、危ない。大丈夫ですか?」

 

 ラキュースが掴む前に、アインズがイビルアイの体を支える。体を支えられたイビルアイは、びしりと固まった。動きの止まったイビルアイを、アインズは首を傾げて見ている。

 

「――――」

 

「あの……大丈夫ですか? もしかして、体調が悪いのですか?」

 

「は、はわわ……」

 

 固まるイビルアイにアインズは心配そうに声をかける。そのいつもと様子が全く違うイビルアイに、ラキュースはもしや、と思い当たった。そう……先程のマジックアイテム完全なる狂騒は確か、アンデッドに効果があると言っていなかったか、と。

 

 イビルアイは――吸血鬼(アンデッド)である。

 

「う、うわあああああああああ!! ご、ごめんなさいいいい!!」

 

 突如として叫び声を上げたイビルアイは、アインズから一瞬で離れると、猛スピードで走り去っていった。思い切り開け放たれたドアはギシギシと悲鳴のような音を鳴らし、そのドアの向こうで組合の者が呆然と去っていったイビルアイの背中を見つめている。

 そして当然、いきなり目の前で叫ばれたアインズとラキュースも呆然とその背中を見ていた。

 

「えー……」

 

 アインズの呆然とした声に、ラキュースは慌てて謝る。

 

「な、仲間が本当に何度もごめんなさい! ゴウンさん、とりあえずこれで失礼しますね!」

 

「は、はあ……」

 

 仲間の醜態にラキュースも恥ずかしくなり、急いでこの場を離れる。踵を返して、しかしふと気になってチラリと見たアインズの、仮面の頬をぽりぽりと掻く呆れたような仕草に、更に恥ずかしくなってついラキュースも早足になってしまった。

 

「イ、イビルアイ!」

 

 そうしてイビルアイを追いかけたラキュースは、魔術師組合の外まで駆け、街中で呆然としているイビルアイに声をかける。イビルアイはラキュースの言葉にびくりとすると、慌てたように振り返り、きょろきょろとしてラキュース以外の姿が見えない事を確認すると、途端にしおれた花のようにその場に蹲った。

 

「あ、あうー……」

 

「ね、ねぇイビルアイ……。もしかして、あのアイテム自分に使っちゃったの?」

 

 ラキュースが訊ねると、イビルアイは無言でこくこくと頷く。それにラキュースは呆れてしまった。

 

「あれからさっぱり落ち着かなくてだな……ふ、普段はこんなこと無いのだが……」

 

「そう。精神攻撃の完全耐性を無効化するって、本当なのね」

 

 イビルアイの醜態の正体は、やはりあのマジックアイテムだったのだろう。イビルアイは間違えて自分に使ってしまったのだ。これがラキュースかアインズが対象ならば、単なる無駄撃ちで終わったろうに。

 しかしアンデッドの精神攻撃耐性を無効化する、と言っていたがそれだけではなくイビルアイは随分落ち着きがなくなってしまっている。どうやら、ちょっとした事で動揺してしまう体質になってしまったらしい。

 

「あー……む、胸がドキドキするぅ……。ゴ、ゴウン様はいないよな……?」

 

「大丈夫、まだ魔術師組合よ。……さすがに私も恥ずかしいから、彼がいなくなってからもう一度魔術師組合に行きましょう」

 

「…………」

 

 こくりと頷くイビルアイ。とんだ時間の消費に、ラキュースは溜息をつく。

 

 ……ちなみに、イビルアイの狂騒効果は一時間ほどで切れたのだった。

 

 

 

 

 

 

(いったい何だったんだ……)

 

 アインズは魔術師組合の帰り道で、先程出会った二人の冒険者の事に思いを馳せていた。

 

 アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』の神官でありリーダーであるラキュースと、アインズと同じ魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)のイビルアイ。特に思い起こされるのはイビルアイの方だ。

 

(なんであの娘あんなに落ち着きがないんだ……?)

 

 アインズからして見れば、イビルアイは出会った当初から落ち着きが無い人間、という認識なので、先程の出来事もその延長線だとばかり思っていた。まさかイビルアイが自分に自爆で完全なる狂騒を使用してしまったなど、アインズは思いついていない。むしろアインズの心にあるのは、自分を対象に使われなくてよかったという点だ。

 そのため、アインズはイビルアイが自爆したなど全く気づいていないのだった。

 

(まさかあの慌てよう……俺がアンデッドだって気づいたのか!? ……いや、探知阻害系のアイテムはちゃんと装備しているし、仮面も幻影もバッチリのはず……単にあのイビルアイという女が情緒不安定なだけだな、うん)

 

 アインズはそう結論を下す。日頃の行いとは、かくも大事なのだ。

 

 そうしてアインズが通りを歩いていると、ふと見知った顔を見つけた。この王都には、本来いないはずの人間だ。

 

「……ルクルットさん?」

 

 そう……カルネ村で出会い、エ・ランテルで別れた冒険者『漆黒の剣』。その野伏(レンジャー)であるルクルットが妙に周囲を警戒したように歩いて、そこにいた。

 ルクルットはフードを深く被っており、アインズもフードの奥が偶然見えなければ気づかなかっただろう。

 

 自分の名前を耳に拾ったのか。ルクルットは驚愕の瞳で振り返り、そこにアインズの姿を見ると強張っていた全身を解くように肩の力を抜いた。

 

「アインズさん! よ、よかった……誰かと思ったぜ、俺」

 

「お久しぶりですね。どうしたんです、いったい?」

 

 まるで正体を隠すように歩いているルクルットに、アインズは首を傾げる。エ・ランテルとは全く違う彼の様子と、声をかけた時の慌てた反応が気になった。それに、他の者達はどうしたのか。

 アインズの疑問にルクルットは悩む素振りを見せ――アインズに近寄ると、アインズにだけ聞こえるようにこっそり言った。

 

「わりぃ……ちょっと内緒話だわ。その……よかったら、協力してくれね?」

 

「ふむ?」

 

 口調は前と変わっていないが、その声のトーンと瞳の真剣さは全く違っていた。おそらく何らかの厄介事なのだろう。……それも、かつてエ・ランテルでアインズに助けてもらう事を遠慮するような人間が、アインズに協力して欲しいと頼むほどの、だ。

 知らぬ仲ではないし、アインズはルクルットの言葉に頷いた。場合によっては協力してもいいだろう。

 

「かまいませんよ。……場合によっては、という注釈はつきますが」

 

「助かる。そんじゃ、ちょいと適当な店にでも……」

 

 ルクルットに促され、アインズは近くにあった適当な店に入る。カフェのような場所で、人もそう少なくない。ルクルットとアインズは店員に案内され適当な席に着いた。

 

「――――」

 

 アインズは一応、幾つか魔法を無詠唱化させて使用しておく。周囲の喧噪がほとんど聞こえなくなった事に気づいたルクルットが、アインズを見た。

 

「魔法を使いました。よほどの魔法詠唱者(マジック・キャスター)でないかぎり、私達の話に耳を傾けられることは――いえ、興味を示すことはないでしょう」

 

「……わりぃ、助かる」

 

 ルクルットは素直に頭を下げた。そして、アインズに今『漆黒の剣』が陥っている状況を語る。

 

 ルクルットの話では、『漆黒の剣』はちょっとした観光気分で王都にやって来たらしい。エ・ランテルでプレートのグレードが上がり、少しだけ羽目を外したようなものだ。そこで、ある一人の女性を拾ったのだとか。

 ……その女性は娼婦で、全身傷だらけで酷い状態だった。とても自分達では治癒出来ないほどの重傷で、神殿で治療しても治らないかもしれないほどの。

 どう考えても厄介事の塊だが、彼らにはその女性を見捨てられない理由があった。

 

「……実は、ニニャの姉貴なんだ。ニニャは昔貴族に連れて行かれた姉貴を探していて、その姉貴が――」

 

「――その女性、というわけですか。なるほど」

 

 随分と奇妙な偶然もあったものだ。偶然王都を訪れた『漆黒の剣』が、偶然仲間の一人の目的である姉を見つけるとは。

 だが、その偶然が幸運であるはずがない。事実、彼らは今窮地に陥っている。その女性を見捨てられないがために、その女性を抱える厄介事に巻き込まれているのだ。

 

「で、誰に追われてるんです?」

 

「……『八本指』。どうも、そいつらの息のかかった娼館の従業員だったみたいでよ。まあ、捨てられてたから“元”が付くだろうけど。そいつらが証拠隠滅のためにニニャの姉貴を回収しようとしてるってわけだ」

 

「ふむ」

 

 なるほど、分からん。アインズには『八本指』などさっぱり分からない。しかし、ルクルットが普通に出した言葉から、よほど有名な犯罪組織なのだろう。しかも、平然と娼婦に重傷を負わせ捨てられるほどの。

 そうなると、厄介事としては最悪の類だ。まず女性は重傷なのでそう長距離は動かせない。傷の治療が必要だ。

 しかし、神殿で治癒してもらおうとしても、十中八九その犯罪組織に知らせが届くだろう。そしておそらく、王都から出ようとしても検問所で止められるに違いない。

 つまり、彼らは八方ふさがりだった。

 

 ……それでも、彼らはその女性を見捨てられない。ニニャも捨てられない。

 

「…………」

 

 アインズの沈黙をどう取ったのか、ルクルットは軽薄な男のナリを潜め、真摯に頭を下げた。

 

「迷惑だって分かってるんだ! それに、アンタにゃエ・ランテルでも――何度も借りもある! でも……でも、頼む! 助けてくれ!」

 

 アインズとて何が出来るわけでもない。何せ単なる旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。……それでも、アインズは何とかしてくれるという安心感があったのか、ルクルットは頼み込む。

 ルクルットのその様子に……アインズは溜息をついた。

 

(どうして俺には厄介事ばっかり寄ってくるかなぁー……)

 

 アインズは立ち上がり、ルクルットを促す。ルクルットはアインズを見上げた。

 

「とりあえず……まずは件の女性と会ってみますか」

 

 それはつまり、『漆黒の剣』が抱える厄介事に付き合ってくれるという事だ。ルクルットはアインズに深く頭を下げた。

 

「アインズさん……ありがとう!」

 

「気になさらず。……仲間は大切にすべきですからね」

 

 アインズだって、『アインズ・ウール・ゴウン』のメンバーがそうした厄介事を抱え込んだら、真摯に対応して解決しようとしただろう。仲間を見捨てない彼らに好感が持てたともいう。

 ……本当に、どうして彼らはこんなにもアインズの好みを直撃するのだろう。

 

「じゃあ、アインズさん。こっちだぜ」

 

 店を出たアインズはルクルットの案内に従って、再び王都の街中を歩き始めた。

 

 

 

 ――ルクルットは何度か尾行に気をつけながら、少し無駄に遠回りして目的の場所へと向かっているようだった。

 着いた建物は普通の宿屋の一室である。おそらく、冒険者用の宿ではその女性を匿えないと判断してだろう。冒険者の宿ではそういった厄介事の持ち込みは禁止されているだろうし、それを破れば彼らは完全に詰んでしまう。だからこっそり、普通の宿に入り込ませたのだ。冒険者だからこそ出来る芸当だが、かなり危ない橋を渡っている。

 

「おーい、帰ったぜ」

 

 ルクルットはドアを何度かノックし、少ししてドアが開いた。出て来たのはペテルだ。これも久しぶりな顔である。

 

「帰ったのかルクルット。アイテムは補充してきてくれたか?」

 

「いや悪い。ちょっとそれどころじゃなくなってよ……その代わり、すげぇの連れてきた」

 

「え?」

 

 ルクルットがドアの外を見るよう促し、視線をそちらに逸らしたペテルはようやくアインズに気づいたのか、瞳を驚愕に見開いた。

 

「ア、アイ……ッ!? と、とりあえず中に……」

 

 ペテルに促され、ルクルットとアインズは室内に入る。ペテルが鍵を閉めたのを見て、アインズは朗らかに手を上げて挨拶をした。

 

「ペテルさん、お久しぶりです」

 

「お久しぶりです、アインズさん」

 

 ペテルは頭を下げる。アインズはそれに苦笑し、頭を上げるよう促した。

 

「話はルクルットさんから伺ってますよ。とんでもない事件に首を突っ込みましたね」

 

「す、すみません……」

 

 恐縮するペテルだが、アインズを見ると再び頭を下げ、ルクルットと同じように真剣な瞳で語った。

 

「アインズさん……何度も助けていただいておきながら、虫のいい話だとは分かっています! ですが、お願いです! 少し手助けをしてもらえませんか!」

 

「いいですよ」

 

「すみません! ですがどうしても……え?」

 

「ですから、いいですよ」

 

 サラリと答えたアインズに、ペテルは呆然としている。

 

「既にルクルットさんから聞いていると言ったでしょう。とりあえず、件の女性は?」

 

「あ、こ、こっちです! ニニャも一緒にいます。ダインはちょっと買い出しに行ってるんですけど……」

 

「なるほど」

 

「あ、あのアインズさん……ありがとうございます!」

 

 指差された部屋の奥に行こうとしたアインズは、ペテルの深々とした礼にひらひらと手を振って答えた。

 

「ちょっと失礼しますよ」

 

 部屋の奥……ニニャのいる寝室に到着したアインズは、そう一言声をかける。それに弾かれたように後ろ姿を見せていたニニャは振り向き、アインズを見ると口をはくはくと呆然と動かした。

 

「お久しぶりです。ニニャさん」

 

「お、お久しぶりです……アインズさん…………」

 

 アインズはニニャから視線をずらし、ベッドで寝ている女性を見る。

 

 ……女性は静かに眠っているようだった。見た目だけならおそらくダインの治癒魔法で回復させる事が出来たのだろう。しかし、アインズの持つ様々な特殊技術(スキル)が、明確に彼女に漂うある臭いを嗅ぎ取っていた。

 ――そう、誰もが遠ざけたがるもの。“死”の臭いを。

 

 それがニニャにも分かっているのか。いや、ダインが治せなかったというのだから気づいているのだろう。ニニャの姉はもう、外傷を治す程度ではどうしようもない程に壊れていると。連日泣いていたのか、泣き腫らしたような瞳をしていた。

 

 ニニャはアインズを見つめると、今にも涙をこぼしそうな顔をして頭を下げた。ルクルットが、ペテルがそうしたように。

 

「お、おね、お願いしますアインズさん……。た、助けてください姉さんを……」

 

「…………」

 

「い、今まで何度も助けてくださったのに、またこうして頼むなんて恩知らずだということは分かっているんです。で、でも……姉さんを助けてください。お願いします……!」

 

 アインズは懐からこっそりアイテムボックスから取り出して用意していたものを取り出す。それは、一枚の羊皮紙だ。そして、それをニニャに突き出す。

 ニニャはいきなりアインズから突き出された羊皮紙に、ポカンとした顔をした。

 

「これは、巻物(スクロール)です」

 

「は、はあ……」

 

 そう、これはアインズが持っていた巻物(スクロール)だ。ただし、先程魔術師組合で買って補充したものでも、趣味で集めたものでもない。純粋に、正真正銘アインズがアイテムボックスに入れていた、初めからアインズが持っていたものだ。

 そして、おそらくこれを補充する事は二度と出来ない。だからこそ、アインズは告げる。

 

「中に、〈大治癒(ヒール)〉が込められています」

 

「〈大治癒(ヒール)〉……?」

 

「第六位階魔法。体力の回復だけでなく、病気などのバッドステータスもあらかた治癒する効果があります」

 

「…………!」

 

 ごくり、とニニャの喉が鳴った。そう、この異世界ではもはや二度と手にする事が出来ないとも言えるほどの、希少魔法の巻物(スクロール)である。

 

「はっきり言っておきますが、私は信仰系魔法を習得していないので、当然私が込めた魔法ではありません。そして、二度と手に入れる事が出来ないでしょう」

 

 この巻物(スクロール)は売れば、金貨数百枚どころか数万枚の価値が付くだろう。それほどまでに希少なマジックアイテムなのだ。しかも一度しか使えない。

 はっきり言おう。これは王族などが重傷や不治の病にかかった際に使うべきもので、当然こんな薄汚れた冒険者の身内風情に使うべきものではない。

 

 ニニャはその巻物(スクロール)をじっと凝視している。これがあれば姉が助かる。しかし――

 

「払えますか?」

 

「そ、それは――」

 

「私自身の力で解決出来るものならともかく、これは私でも二度と手に入れられないマジックアイテムです。だからこそ、無料というわけにもいきません。ニニャさん――貴方に、この巻物(スクロール)と同等の対価を支払えますか」

 

 不可能だ。ニニャの瞳がそう告げている。スレイン法国に行けば何とか手に入れられるかもしれないが、しかし当然ニニャにそんな事が出来るはずもなく、スレイン法国もニニャにそこまでするはずがないだろう。

 そう、ニニャには絶対に支払えない。それでも――――ニニャはアインズに縋りつくように頭を下げ、叫んだ。

 

「払います! いいえ、払ってみせます!! 何をしても、絶対! 私の全てを使っても! だから……だからお願いです! アインズさん……それを私にください!」

 

「当然、俺らも協力するぜ!」

 

「!?」

 

 その声に弾かれたようにニニャが貌を上げ、アインズの背後を見る。アインズも振り返った。そこには、ペテルとルクルットと、帰ってきたのであろうダインが立っている。

 

「み、みんな……」

 

「アインズさん。私達も協力してその代金を払わせてもらいます。だから……お願いです! ニニャの姉のために、それを使わせてください!」

 

「アインズ氏、お願いするのである。ニニャのために、ぜひ私にそれを使わせて欲しいのである!!」

 

 他の三人もアインズに頭を下げる。そんな三人を見て、ニニャは「みんな……」と涙をぽろぽろとこぼした。

 そんな四人に、アインズは訊ねる。

 

「払うんですね?」

 

 四人は頷いた。

 

「まだ代金が何かも言っていないですし、金貨でさえない可能性もあります。いえ、大きな犯罪に巻き込もうとしているかもしれません。それでも――払うんですね?」

 

「払います!」

 

 悪魔の言葉かもしれない。そう、これは魂を売り払う行為に等しい。それでも払うのか。アインズに魂を売るのか、とそう訊ねる。

 しかし全員は間髪入れずに頷いた。そんな『漆黒の剣』の言葉に……アインズはダインに向かって持っていた巻物(スクロール)をポンと投げた。ダインが慌てて受け取る。

 

「どうぞ」

 

「あ……」

 

「代金は、また後日何にするか決まった時にでも言いますよ。とりあえず借用書でも書いておきますか」

 

「あ、ありがとうございます……! アインズさん……!!」

 

 ニニャが泣きながら必死で頭を下げる。アインズはそれを無視して、近くの椅子に座った。ダインが慌てて巻物(スクロール)を使おうと女性に近寄る。ニニャはそんなダインの横で寝ている女性を見つめている。ペテルとルクルットはアインズと同じように近くの椅子に座り、そしてアインズに頭を下げた。

 

「ありがとうございます、アインズさん」

 

「お気になさらず。では、悪魔の契約書にサインをしてもらいましょうか」

 

「おーとも! サインしてやるぜ!」

 

 ルクルットの言葉にアインズとペテルは苦笑する。暢気なものだ。本当に、悪魔の契約書になるかも知れないのに。しかし――――

 

「姉さん!」

 

「――、――」

 

 視界の端で、ニニャが泣きながら姉に抱き着いている姿を捉える。ダインの手から、燃えて消えゆく巻物(スクロール)が落ちた。ダインは涙目だ。ペテルも、ルクルットもニニャを振り返って涙ぐんでいる。

 

 そんな彼らを見つめて――アインズは仮面の内側で眩しいものを見るように目を細めた。当然、錯覚だ。アインズの顔は骨である。そこに目蓋も、眼球も無い。けれど確かに、アインズは眩しいものを見たのだ。

 

 

 

 ――困っている人がいたら、助けるのが当たり前。

 

 

 

(そうですよね。みんな……)

 

 確かに最初は、困っている人を助けようとして生み出されたのがギルド『アインズ・ウール・ゴウン』なのだ。だからアインズは、この行為が正しい事だと信じている。ウルベルトだって、偽善だ何だと言いながら、結局最後には理不尽なPKに遭っていた異形種を助けていたではないか。

 例えそれが、仮想世界(ネット)の中でだけの偽善(ロールプレイ)なのだとしても。確かに救われたものがあって、輝いていたものがあったのだ。嘘がずっと嘘である必要は無いのだから。

 だからアインズは、彼らを助ける事が正しい事だと信じている。

 

 アインズの視線の先には、きょうだいが再会して抱擁する美しい姿があった――。

 

 

 

 

 




 
モモンガ・ブレイン「キャー! ガゼフー!!」
ガゼフ「声援が野太ぇ……」

漆黒の剣「悪魔の契約書にサインしちゃったけど大丈夫だよね!」
 


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王国の闇 後編

 
(笑)
 


 

 

「――では、これからの事を話し合いましょう」

 

 ニニャとその姉を寝室に残し、アインズとペテル、ルクルット、ダインは居間に集まってこれからの事を話し合う。そう……姉の体を治療したからと言って、それで全てが解決するわけではない。いや、むしろ問題はここからだった。

 

「現在、貴方達はこの王都に巣食う犯罪組織『八本指』に狙われている、ということでいいですか?」

 

 アインズが訊ねると、ペテルが頷いた。

 

「ええ。ニニャのお姉さんは昔貴族に妻として誘拐同然に連れ去られたらしいのですが、ニニャの聞いた噂ではあまりいい貴族では無かったらしいです。おそらく、そこから『八本指』の息のかかった娼館に売られたのでしょう」

 

「一応、今じゃこの国の王女様のおかげで国に奴隷売買は禁止されてんだがなぁ……抜け道ってやつは必ずあるもんだし。借金の形として娼館で働かせるのは違法じゃねえ」

 

 ルクルットが顔を嫌悪に歪めて語る。ダインも頷いた。

 

「我々は冒険者――それも(ゴールド)級だからこそ、ニニャは捨てられていた姉君を連れ帰ることが出来たのである。しかし、やはりどこかでその姿を見られていたのであろうな。ルクルットが尾行に気づいたのである」

 

「そして――今も、監視されているわけですか」

 

「……たぶん、そうです。本当はこの王都をもう出たいのですが、おそらく検問所で止められると思います。口惜しいですが、『八本指』は噂では貴族達と深い繋がりがあるそうで、たぶん彼女が勤めていた娼館も貴族達が客として通っていたはずでしょう。そうなると、証拠である彼女も知ってしまった我々も逃がすわけにはいかないと思われます」

 

「…………権力者達を完全に抑えられているのが痛いですね。王都は彼らの庭、そして検問所は絶対に通過出来ない。……何か、目くらましでもしないと皆さんがエ・ランテルに帰るのは不可能でしょう」

 

 アインズは頭を抱えたくなる。彼らはどうしようもないほど詰んでいる。アインズがいなければ、彼らは二度とこの王都から出られなかっただろう。

 

 ……アインズの魔法を使えば、彼らを簡単に王都から逃がす事が出来る。〈転移門(ゲート)〉を使えばいい。それだけで、彼らはこの王都から脱出出来る。しかし、それをするわけにはいかない。

 まず、アインズ自身がそこまで彼らの世話をするわけにはいかないし、〈転移門(ゲート)〉は反則過ぎて後々大問題に発展する危険性がある。彼らを信用しないわけではないが、それでも〈転移門(ゲート)〉を見せる事には抵抗があった。

 続いて――ニニャの姉を娼館から退職させなければ、そのまま彼らは誘拐犯の汚名を被せられる可能性が大きい。そうなると、彼らは冒険者ではなくワーカーとなるしか道が無くなる。

 

 帝国でアインズは『フォーサイト』と『ヘビーマッシャー』というワーカーチームに出会ったが、彼らの話を聞くかぎりワーカーというのはかなり危険性の高い仕事だ。冒険者組合が多少の安全を確保して、冒険者のレベルに見合った依頼を紹介するのと違いワーカーは自分達の判断で依頼人と直接交渉し、依頼を受けるか否か決めなければならない。

 はっきり言おう。アインズは、このお人好しの『漆黒の剣』にワーカーが務まるとは全く思えない。依頼人に騙される姿が脳裏に浮かぶようだ。ましてやニニャはこれから姉を背負わなければならない身分である。お金のために、レベルに不相応な依頼を受けて死亡する事もあり得た。それはアインズにとって寝覚めの悪い出来事である。

 

(……と、なると『八本指』の犯罪を暴かなきゃならないのは確定だな)

 

 少なくとも娼館は潰す必要がある。そう――最低限、娼館の犯罪を暴いて潰さなければならない。事件を揉み消される事なく。

 

「……とりあえず、これからの方針を考えました。文句がある場合は遠慮なく言ってください」

 

「文句なんて! その、関係無いアインズさんに助けてもらおうっていう私達が図々しいんです。何でもしますから、どうぞ何でも言ってください!」

 

「分かりました。では、まず皆さんにはこのまま王都で暮らしてもらいます」

 

「え?」

 

「釣りをしましょう」

 

 

 

 ――アインズは『漆黒の剣』が宿泊していた宿を出ると、少し裏通りに隠れる。そして、誰も見ていない事をきょろきょろと確認してから――魔法を使った。

 

「〈兎の耳(ラビッツ・イヤー)〉」

 

 ぴょこん、とアインズの頭から兎の耳が生え、ぴこぴこやらぴくぴくやら動いて音を探る。アインズは複雑な心境になった。

 

(邪悪な魔法詠唱者(マジック・キャスター)みたいな格好の奴の頭に兎の耳が生えてるとか、ほんと誰得だよ……)

 

 しかし、野伏(レンジャー)系の技能を持たないアインズのような魔法詠唱者(マジック・キャスター)にとっては、この周囲の物音を探る魔法は便利なのである。

 アインズは耳を澄まし物音を探り……そして、期待した通りの音を探ってニヤリと仮面の内側で笑った。

 

(やっぱり尾行していたな。まあ、俺は目立つし――ダインも目立つだろうからな。絶対いると思ったよ)

 

 アインズが探していたのは『八本指』の工作員であろう人物達だ。小声である事と、周囲の雑音に紛れて聞こえにくいが、耳を澄ませて何とか音を拾う。

 

(えぇっと……『六腕』? 明日の夜……、って言ってるのかな? さすがに、これ以上は聞こえないか。仕方ない)

 

 アインズは〈兎の耳(ラビッツ・イヤー)〉を解くと、再び大通りに出て何食わぬ顔で進む。同時に、無詠唱化させた知覚系魔法を発動させた。

 

 アインズは通りを歩く。もはや日は暮れており、通りに人はあまりいない。王都は帝国の大都市と違って灯りがほとんど無いため、夜の街は人通りが極端に減るのだ。

 そして――アインズはある二人組とすれ違った。通り過ぎて少し経つと聞こえる、話し声。

 

(はい、発見)

 

 先程聞いた声色と同じため、即座に先程の二人組が『八本指』の工作員だと判断する。

 アインズは少し彼らに意識を集中し、耳を澄ませるが――あまり情報は漏らさない。単なる監視役なのだろう。先程の、少し聞き取れた会話が偶然幸運に見舞われたに過ぎない。

 

(仕方ない。少しばかり迷惑になるだろうけど、やっぱりあっちを頼るか)

 

 アインズは続いて〈伝言(メッセージ)〉を発動させる。連絡相手はハムスケだ。

 

「ハムスケ」

 

『は、はいでござる殿! どうしたでござるか?』

 

 少しばかり寝ぼけていたのか、ハムスケは慌てた様子である。それは気にせず、アインズはハムスケに訊ねる。

 

「ガゼフ・ストロノーフはまだ起きていそうか?」

 

『殿の御友人の戦士の方ですな。まだ起きているようでござるよ。あの傭兵の男と色々話が弾んでいるようでござる』

 

「なるほど。ならば都合がいい。今からそっちに行く。少しばかり、ガゼフに用がある」

 

『分かったでござる!』

 

 アインズはハムスケの返事を聞くと、〈伝言(メッセージ)〉を切る。そして、尾行している人間がいる可能性も考えるが――気にせず、そのまま歩いてガゼフの館に向かった。

 

 ……ガゼフの館に到着したアインズは、玄関ノッカーを鳴らす。少しすると、ガゼフの館で使用人をしている老夫婦の老婆が出て来た。

 

「あらあら、まあ……」

 

「夜分遅くに申し訳ない。ストロノーフ殿は御在宅ですか?」

 

「少々お待ちください」

 

 老婆はアインズを見ると、奥へ引っ込んでいく。アインズの足音にはもう慣れてしまったのだろうハムスケが、安心したように庭ですやすやと眠っている姿を観察して時間を潰した。

 少しするとガゼフが慌てたように出てくる。

 

「ゴウン殿! このような遅くにどうされたのだ? さあ、中に入ってくれ」

 

「申し訳ありません、ストロノーフ殿」

 

 頭を下げ、ガゼフに案内されるままに室内に入る。そして二人で酒盛りでもしていたのか、通された居間にはブレインが酒を片手に並べられた料理をちまちまと口に運んでいるところだった。

 ブレインはアインズに気がつくと「うげ」という顔をして身を強張らせたが、しかし最初の頃よりは幾分か吹っ切れたのだろう。そのまま気絶する事もなく、席に座ったまま少し頭を下げて再び料理に集中し始める。

 

「さあ、ゴウン殿。こちらの席へ」

 

「ありがとうございます」

 

 ガゼフに促され、アインズは空いている椅子の一つに腰かける。ガゼフはアインズのためにコップを用意しようとしており、それを見たアインズはガゼフを止めた。

 

「申し訳ありません。ストロノーフ殿。飲み物は結構です」

 

「そうか? 一杯くらいは……」

 

「いえ。実は少し頼みたい事がありまして」

 

「……うん?」

 

 アインズの言葉に、ガゼフは自分の席に戻って座る。ブレインは視線を上げて、ガゼフとアインズを見た。

 

「俺は退いておいた方がいいらしいな」

 

「む? そうか……ゴウン殿。ブレインは退出してもらった方がよろしいか?」

 

(おや?)

 

 ガゼフの言葉に違和感を覚える。それが何かと考え――すぐに気づいた。ブレインに対する呼び方だ。確かアングラウスと呼んでいたはずなのに、今は名前で呼んでいる。

 

(どうやら、色々と仲良くなったらしいな)

 

 何かあったのだろう。しかし、それには言及せずにアインズは少し考え――首を横に振った。

 

「いえ、大丈夫です」

 

「そうか。じゃあ、俺は大人しくしているぜ」

 

 ブレインはそう言うと、興味を失って再び酒と料理に視線を戻す。それを確認して、アインズはガゼフに訊ねた。

 

「ストロノーフ殿、『八本指』というのを知っていますか?」

 

「『八本指』ですか……えぇ、知っています」

 

 ガゼフの表情に浮かんだのは、明確な嫌悪だ。王都に根を張っているらしいので、やはりガゼフも知っていたらしい。

 

「それならば話は早い。少しばかり知り合いが厄介な事になっていまして……」

 

「なに?」

 

 アインズはガゼフに『漆黒の剣』の身におきた出来事を語る。話を聞くにつれガゼフは表情が徐々に憤怒に駆られていく。

 話を聞き終えたガゼフは、一度深く息を吐くとアインズに頭を下げた。そんなガゼフにアインズが驚く。

 

「大変申し訳ない。我々が不甲斐ないばかりに……」

 

「頭を上げてください、ストロノーフ殿。貴方が頭を下げる必要はないでしょう」

 

「いや、私もまた王国を守る兵士の一人。ならば私も頭を下げるべきでしょう」

 

 そんなガゼフの言葉にアインズは溜息をついて、苦笑が漏れながら口を開いた。

 

「では、その謝罪を受け取りましょう。件の彼女には私から伝えておきます。――それで、大変申し訳ないのですがストロノーフ殿、少しばかり力を貸していただきたい。彼らを何とか王都から……彼女を娼館から退職させる、という形にして脱出出来ませんか?」

 

 アインズの言葉に、ガゼフは首を横に振った。

 

「難しい……いえ、不可能でしょう。恥を晒すようですが、『八本指』は王国の裏社会を支配しており、そこで生まれた汚れた金を貴族達に横流しして癒着することで、表社会でも力を振るっています。娼館で働いていたとなると、間違いなく貴族から横槍が入りますし……」

 

「やはりそうですか……」

 

 暗い顔をしたガゼフに、アインズは考え込む。予想した通りで、やはり厄介だった。

 

「王の強権発動で無理矢理炙り出せないのか?」

 

 横で話を聞いていたブレインが口を開く。ガゼフはそれにも首を横に振った。

 

「無理だ。対立する貴族派閥が横槍を入れてくる。『八本指』は王派閥とも癒着しているんだ。だから、『八本指』を潰そうとすると両方の派閥からそれを潰しにかかってくる」

 

「なんだそりゃ。詰んでるじゃないか」

 

 ブレインの言葉に、アインズも頷きたい気分だ。アインズも帝国で少し小耳に挟んだ事がある。現在、この王国は内乱一歩手前状態にあるのだと。派閥が二つに分かれて水面下で争っているのだと。

 そして、そんな両方の派閥と癒着し、賄賂を贈り、貴族達に守られている『八本指』。もはやどうしようもなかった。――通常の方法では。

 

「おっと、そういえば聞き忘れるところでした。『六腕』、というのをストロノーフ殿は知っていますか?」

 

「『六腕』……ですか? ええ、知っています。『八本指』の警備部門を担当する、その中でも最強の六人を指す言葉ですな。一人一人がアダマンタイト級冒険者に匹敵する強さだとか」

 

「はあ? 本当か?」

 

 ブレインが身を乗り出した。アインズも驚く。アダマンタイト級は確か、ガゼフと同等の強さなのだと『フォーサイト』に聞いた事がある。つまり、一人一人が周辺国家最強のガゼフと同等とも言える強さを誇るのだ。

 

「それは……」

 

 まずい。非常にまずかった。『漆黒の剣』が今まで生きている事から、アインズはてっきりそういったレベルの強さの暗殺者染みた連中はいないと思っていた。

 だが、ここにきてそういった存在がいる事が判明してしまった。それも複数。そして聞いた――『六腕』という言葉と『明日の夜』という言葉。

 

「どうされました? ゴウン殿」

 

「いえ、少しばかりしくじったな、と。……私が今回ここに来たのは、ストロノーフ殿に穏便に済ます方法があるか聞きたかっただけです。もし無理ならば、おそらく役所の人間か誰かが『漆黒の剣』に接触し、訴えられたくなければすぐに彼女を解放するように交渉に来ると思っていましたのでそこから……その、まあ手荒な事なのですが。娼館を無理矢理強襲して、犯罪を明るみに出そうかと思っていたのですが」

 

 どうして今まで『漆黒の剣』が生きていたのか、監視だけで誰も接触してこなかったのか理解した。ニニャの姉と『漆黒の剣』から金目の物でも根こそぎ奪い取る気でもあるのかと思っていたが、真実は全く違う。

 『八本指』は、おそらく『漆黒の剣』を皆殺しにする気だ。犯罪者として強請るのではなく、後腐れのない殺害を選んだ。

 『漆黒の剣』に誰も訪ねに来なかったのは、そもそもそういう意図が無いから。今まで彼らが生きていたのは、おそらく『六腕』の都合が中々つかなかったのだろう。仮にも『漆黒の剣』は(ゴールド)級冒険者である。通常の暗殺者や荒事が得意な連中では、返り討ちにしてしまうだろう。ニニャは第三位階魔法まで使えるようになったらしいし。だからこそアインズはなるべく暴力的な事は避けようとしているのだと思ったのだが……。

 しかし、おそらく条件が整った。明日の夜、絶対に逃さないように『六腕』が『漆黒の剣』を強襲しに来る。

 

 アインズがそうガゼフに予想を説明すると、ガゼフははっきりと憤怒の顔を浮かべた。

 

「いいだろう。ならば返り討ちにしてくれる……!」

 

「落ち着け、ガゼフ! お前が動いたらまずいだろ! 戦士長だぞ、お前は!」

 

「しかし王国を汚す害毒が……!」

 

「それは分かるが、自分の立場も考えろ!」

 

 ガゼフとブレインの言い争いを横目に、アインズはしばし考える。顎に手をかけ仮面の縁をなぞり……思いついた。

 

「ストロノーフ殿、本当に来たいのですか?」

 

「無論だ! ましてや、『六腕』が動くとなると……」

 

「分かりました。では、これから明日の夜の待ち伏せについて考えましょう」

 

「え?」

 

 ガゼフを止めようとしたブレインも、断言したガゼフもぽかんとした顔でアインズを見る。

 

「おい、ゴウン殿。どうする気だ? ガゼフがいるとこの国の王に迷惑がかかるぞ?」

 

「ええ。なので正体を隠しましょう。装備も全て変更して、顔も隠します」

 

「隠す?」

 

 アインズは、自分の仮面をコンコン、と指先でつつく。それを見て二人とも察したようだった。

 

「しかし、装備も変更するのか? そりゃ、兵士の装備してたらバレるだろうが……アダマンタイト級だっていう『六腕』相手に、防具無しでかつそこいらの剣で戦うなんて、無茶だぞ?」

 

 ブレインの言葉に、アインズは仮面の裏で人の悪い笑みを浮かべる。

 

「でしょうね。――なので、今回は私が装備をお貸ししましょう。幾らかありますので、そちらを」

 

「それは……かたじけない、ゴウン殿」

 

「お気になさらず。さすがにアダマンタイト級が複数相手では、私も一人では勝てないでしょう。手伝ってくださるのですから、この程度の援助は当然ですよ」

 

 アインズがそう言うと、ガゼフとブレインの顔が引き攣ったような苦笑いを作った。「嘘だ!」と顔に書いてあるのをアインズは見つけるが、気づかないふりをして話を続ける。

 

「では、話を続けましょう……。設定はワーカー。『漆黒の剣』に雇われた流れ者、ということで。『漆黒の剣』が宿泊している宿で、明日の朝から待ち構えます。ストロノーフ殿はお仕事があるでしょうから、後から合流という事にしましょう」

 

「む……」

 

「それが確実だな」

 

 これで方針は決まった。アインズがそう締め括り、ガゼフとブレインは再び酒と料理に集中し始める。すると……二人が顔を上げたのを見て、アインズは首を傾げた。

 

「今日は客が多いな」

 

 ガゼフがそう呟き、少しすると先程の老婆がやって来た。老婆はガゼフに客だと説明し、その名前を聞いたガゼフは驚いて席を立つ。

 

「失礼する」

 

「……どうしたんだ、一体?」

 

「さあ……?」

 

 アインズとブレインは顔を見合わせる。少しして、ガゼフは一人の少年を連れて居間に帰ってきた。アインズとブレインの視線が集中すると、少年は即座に頭を下げる。

 

「すまない。待たせた」

 

「いえ、お気になさらず」

 

「それよりガゼフ、その坊主は誰だ?」

 

 ブレインの言葉に、少年は嗄れていながらもはっきりとした声で告げた。

 

「私の名はクライムと申します。この国の兵士をしております。このような夜分遅くに申し訳ございません」

 

 クライムと名乗った少年は、礼儀正しく頭を下げながら告げる。それにブレインとアインズも続いた。

 

「俺はブレイン・アングラウスだ。よろしく」

 

「アインズ・ウール・ゴウンです。はじめまして」

 

「! はい!」

 

 二人の名を聞いた少年は、更に深く頭を下げる。それにアインズとブレインは困惑し、ガゼフを見る。ガゼフは二人を見ると「こういう奴なんだ」という顔をしていた。

 

「それで、クライム。今日はどうしたんだ?」

 

「はい。少しお頼みしたいことがあったのですが――」

 

 クライムはチラリ、とアインズを見る。それは少しの視線の動きではあるが、それを見逃すような人間はこの場にいなかった。

 

「何かご予定がありましたら、またにするよう言われております」

 

「そうか……」

 

 あまり急を要する依頼ではない、という事なのだろう。クライムはそう言うと、再び頭を下げた。

 

「……ああ、そういえば」

 

 クライムを見ていたアインズは、ふと思い出してクライムに用事を頼む。

 

「クライム君、もしよければ用事を少し頼まれてもらえませんか?」

 

「は?」

 

「初対面なのに悪いのですが……」

 

「い、いえ! お気になさらず……なんでしょうか?」

 

「ちょっと冒険者組合の方に行って私の名前で――」

 

 

 

 アインズの頼みで、クライムがガゼフの家を出たのと同時に、ガゼフとブレインがアインズを見る。

 

「ゴウン殿、何故彼女を?」

 

 ガゼフの言葉に、アインズは口を開く。

 

「実は、この王都に来る前に少し面倒を起こしてしまっていまして――」

 

 アインズは麻薬のもととなる植物を栽培していた村と、その村の様子。それからそこの畑を秘密裏に焼こうとしていた『蒼の薔薇』との遭遇を話す。

 聞き終えたガゼフはなるほど、と頷いた。

 

「それなら、確かに協力していただいた方がいい」

 

「確かにな。そりゃ、間違いなく『八本指』関係だ。なら巻き込んだ方がいいかもしれん」

 

 でなければ、後々面倒な事態に発展する可能性がある。彼女を巻き込めば、そこから彼女にそういった事を依頼した貴族を巻き込めるし、あるいはその貴族にとって有利になるだろう。

 

「だとすれば、クライムに頼んだのも正解かもしれんな」

 

「どういうことです?」

 

「彼は……実は、その、ラナー王女殿下のお付きの兵士なんだ。そして『蒼の薔薇』は王女殿下の友人でもある」

 

「ほー……なら、あの坊主ももしかして巻き込んだ方がいいか? ……いや、『六腕』と構えるならむしろ邪魔だな。お留守番か」

 

「それが賢明だが……無理だな。たぶん、彼はついて来るぞ」

 

「じゃあお守りがいるか……」

 

 チラ、と二人がアインズを見る。アインズは仕方なく頷いた。

 

「分かりました。いざと言う時は、私が」

 

「すまない。恩に着るゴウン殿」

 

 ――そうして少しばかり経過した後、再びクライムがガゼフの館にやって来た。しかし、今度はもう一人いる。彼女はガゼフの家に連れて来られ、かつそこに集まった面子を見てキョトンとした顔をしていた。

 

「ようこそ。では、早速ですが依頼をお受けして欲しいのですが――――」

 

 アインズの説明を受けて、彼女はしっかりと首を縦に振って頷いた。

 

 

 

 

 

 

 闇夜に溶け込むように、彼らはいた。

 

 六名はそれぞれ違った武装を纏っており、一見して兵士のような雰囲気は無い。彼らの纏う空気は兵士と言うよりは冒険者に近かった。

 

 そんな彼らはこの日――『八本指』という同じ組織に所属し、奴隷部門の長であるコッコドールからある依頼を受けていたために集まったのだ。

 その依頼内容は“殺し”である。

 きっかけは単純。処分する予定の女に、厄介事が出来た。ある冒険者チームが女を拾い、そのまま匿ってしまったのである。

 これに困ったのは当然コッコドールだ。何せ、調べる内に彼らはそれなりに腕のある冒険者チームであり、魔法詠唱者(マジック・キャスター)に至っては第三位階魔法を行使するという厄介な相手である事が判明したのだから。

 通常の暗殺者などでは返り討ちにあうのは確定であろう。殺しの場数はこちらの方が上だろうが、修羅場の場数が違う。手痛い反撃を受けるのが目に浮かぶようだった。

 

 故にコッコドールは、思い切った行動に出た。

 『八本指』の警備部門――その最強たる『六腕』を動かして欲しい、と依頼したのだ。

 支払われる金額は目を覆うほどだろう。だが、コッコドールは決断した。何せ奴隷部門は今では斜陽傾向にあるのだ。黄金のラナーの働きで市場を縮小させられているため、万が一にでも娼館を潰されると色々な意味で不味すぎる。場合によっては、『八本指』に始末されるほどに。

 そんな事態になるくらいならば、とコッコドールは『六腕』を雇った。依頼金は莫大な値段になるだろう。だが、払えないわけではない。確かに奴隷市場は縮小させられ、斜陽傾向にある。だが、それで人間の欲望が収まるかと言えば答えは『否』だ。

 人間の欲望は、禁止されれば収まるほど単純ではない。禁止されたならばもっと巧みに、もっと隠密に、ひたすら闇に隠れて更なる発展を遂げるだろう。そして、貴族達はその残された背徳の楽園に堕ちていくのだ――。

 

「しかし、コッコドールも思い切ったことをする。たかが(ゴールド)級冒険者チームに俺達を雇うとは」

 

 軽薄な優男の姿をした男――“千殺”のマルムヴィストの言葉に、リーダーである“闘鬼”ゼロが答える。

 

「そう言うな。それに、万が一を考えると正しい選択だろうよ。第三位階魔法を使用出来る魔法詠唱者(マジック・キャスター)がどれほどの難敵か、知らぬわけではあるまい?」

 

 ゼロがチラリ、と“不死王”デイバーノックを見る。視線に釣られるように他の者達もデイバーノックを眺め、頷いた。

 

「そうね。じゃあ、しっかりと仕事をしましょう」

 

 “踊る三日月刀(シミター)”のエドストレームと呼ばれる女の言葉に、黙ったまま全身甲冑の“空間斬”ペシュリアンが頷いた。

 

「じゃあ、やりますかボス」

 

 最後に、“幻魔”サキュロントが呟く。それに、ゼロは頷いた。

 

「行くぞお前達」

 

 今夜、この宿にはどんな騒ぎが起きても誰も来ない手筈になっている。そう――どんな騒ぎが起きても。たとえ人の悲鳴が聞こえたとしても。

 ゼロがドアを開ける。無造作に、普通にドアを開けるようにだ。

 どう見ても怪しい一団がやって来たというのに、宿の受付も、案内役も誰も彼らに視線を向けない。そして普段はロビーで談話している者がいるだろう場所も、人影は皆無だった。

 その中をゼロ達は歩く。階段を上り、目的の階層につけば、その静寂はより一層不気味になった。あまりに、人の気配が無いのである。

 ――そう、今夜この階層には誰もいない。そういう手筈になっている。目的の獲物達以外、ここには誰もいないのだ。そして、監視の者達から彼らがここから抜け出していないのは聞いている。

 ゼロは目的の部屋の前に立つと、ドアを一撃で吹き飛ばした。そして――――

 

「ようこそ、『六腕』諸君」

 

 ありとあらゆる家具を片付けて室内を広々とさせた部屋に、怪しい仮面をつけた五人の男女がゼロ達を待ち受けていた――――。

 

 

 

「――何者だ、貴様ら」

 

 ゼロは最大限に警戒して、彼らに問う。

 

 彼らは同じデザインの仮面をつけていた。ただ、その色が違う。赤、青、黒、白、黄――それぞれ違う色の仮面をつけ、その仮面の色に似た装備を身に纏っている。

 

「そうですね――“正義の味方”、とでも」

 

 その内の一人――真ん中に立つ白い仮面とローブを纏った、魔法詠唱者(マジック・キャスター)のような男が静かに告げる。その言葉にゼロ達は臨戦態勢を整えていく。何故なら、言葉で語るまでもなくその気配で彼らの意図が明白であったからだ。

 

「正義の味方だと? ふん、趣味の悪い連中もいたものだ」

 

 ゼロが会話をしている間に、他の五人はじりじりと部屋に入って互いの間合いを離していく。何故なら、ゼロを含めて六人全員がこの室内がかつてない戦場であると察していたためだ。

 

 赤い仮面の男、青い仮面の男、そして黒い仮面の女。……この三人はまずい。その気配から、この三人はゼロ達と並ぶ強さだと感じている。一人劣るのが黄色の仮面の男だ。この場にあって場違いでは無いかと錯覚するほどに、強者の気配を感じない。

 そして不気味なのが今ゼロが会話しているこの白い仮面の男――。異常だ。何故なら、この集団の中にあって、この白い仮面の男からは恐ろしいほど気配が分からない。

 そう、強者の気配は感じない。しかし同時に、黄色の仮面の男のように、弱者のような気配も感じないのだ。代わりに佇まいからは異様な静けさを感じる。それが妙に恐ろしい。

 

「確かにそうですね。私も、自分に似合わないことをしていると思っています」

 

「ならばこうしないか? お前達は俺に跪き部下になればいい。そうすれば、命だけは助けてやろう」

 

 ゼロがそう言うと、赤い仮面の男からミシリ、と空気が軋むほどの憤怒の気配を感じた。ゼロは一瞬そちらを見やる。しかし、すぐに白い仮面の男に視線を戻した。白い仮面の男も赤い仮面の男を見やり、再びゼロに視線を戻している。

 

「遠慮しておきましょう。あまり、彼を怒らせたくありませんし――何より、貴方達は私を不快にさせた」

 

 そして――ゼロに聞こえるだけの小さな音で、ぽつりと呟いた。

 

「俺がわざわざ手間暇かけて助けた連中を殺そうと言うんだ。これほど不快なことはあるまいよ」

 

「――――!」

 

 その静かな声に、ゼロは全身の鳥肌が立った。その一瞬だけ、異様な圧力を感じたのだ。まるで人外――魔獣や不死者と相対した時のような、生物としての根源から来るおぞましさを。

 

 故に、ゼロの方針は決まった。

 

「やるぞお前達! サキュロント! お前は一番弱いのを狙え!」

 

 ゼロの言葉にサキュロントが動き、黄色の仮面の男に向かう。黄色の仮面の男は剣を構えて、サキュロントを迎え撃った。そしてペシュリアンが青い仮面の男に、エドストレームは黒い仮面の女に、マルムヴィストは赤い仮面の男に向かおうとし――デイバーノックは後方で魔法を唱えようとする。そしてゼロは目の前の白い仮面の男に向かい、拳を振りかぶった。

 

 だが――

 

「――ぬ!」

 

「お前の相手は俺だ」

 

 赤い仮面の男が割って入る。おそらく、元からゼロを相手にするつもりだったのだろう。そして白い仮面の男が両腕を広げ、その男の言葉が室内に響いた。

 

「〈集団標的(マス・ターゲティング)上位全能力強化(グレーターフルポテンシャル)〉」

 

 白い仮面の男から魔力が解き放たれ、それぞれ仮面をつけた者達に向かう。そして、彼らの動きが見るからに、格段に上昇した。

 

(一度に、全員の能力を強化させただと!? しかも敏捷性だけでなく!?)

 

 ゼロの拳とぶつかった赤い仮面の男の剣からかけられた剣圧に、ゼロは驚愕する。しかし驚愕しながらも、ゼロは決して判断を誤ったりしない。

 

「俺がこの赤いのを殺る! マルムヴィスト、デイバーノック! 白いのを潰せ! サキュロント、黄色のを始末したら二人を手伝え!」

 

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)ならば、前衛がいなければ大丈夫だと思うがしかしそれでも、先程のおぞましさがゼロに、サキュロントが救援に回るという選択肢を選ばせた。そして拳と剣を合わせた感覚から、この赤い仮面の男がゼロと同格であるという感触を覚える。故に、この赤い仮面の男は他の者達に回せない。

 

 ――集団戦の鉄則であるが、まず一番に狙うのは一番弱い者だ。強い者ではなく、弱い者。そうすれば強い者と戦っている内に弱い者に狙われて意識を分散させる、という隙を見せなくて済む。

 だがそれ以上に狙わなければいけない相手。それは後方支援を行える者――特に回復役は真っ先に潰さなくてはならない。でなければ回復され、いたちごっこになってしまう。

 

 だからこそ、ゼロは真っ先に二人で白い仮面の男を潰すように言った。正直な話、黄色の仮面の男はサキュロント一人で殺せる程度の相手だ。気配や身のこなしで分かる。故にサキュロント一人に任せ、始末次第マルムヴィストとデイバーノックの救援に向かわせた。

 

 ……そう、ゼロの判断は間違ってなどいなかった。普通に考えれば、一番最初に潰すべきは一番弱い相手か、あるいは回復や能力強化を使用出来る後方支援型である。それを先に潰さなければ話にならない。

 だから、ゼロの判断は決して間違ってはいなかった。

 

 ――――ただし、間違っていなくとも、それが正解でも。それで事態が解決するとは限らない。

 

 

 

「――くッ!」

 

 “空間斬”ペシュリアンは、自分が戦っている相手が最悪なほど相性が悪い事を確信していた。

 

「――ふん」

 

 ペシュリアンが戦っているのは、青い仮面の男だ。青い仮面の男は南方の武器である刀を装備しており、それを用いて斬り込むように戦う。

 ……本来、こういった刀を持つ相手はペシュリアンにとって都合のいい相手だ。何故ならば、ペシュリアンが装備している防具は全身甲冑。叩き潰すように斬る両手剣や片手剣ならばともかく、鋭さを強調した細い刀身の刀は全身鎧(フルプレート)には不利に働く。

 

 しかし、それ以前の問題として、ペシュリアンがこの青い仮面の男が自分と最悪な相性である事を確信していた。

 

「――――」

 

 ペシュリアンは決して互いの武器が届かないであろう場所まで一息で離れる。青い仮面の男は追わない。互いの差を理解しているためだ。ペシュリアンは鞘に剣を収め、振り抜く。

 

 ……ペシュリアンが“空間斬”という二つ名があるには理由がある。それは、彼は三メートルも離れた相手さえ両断する魔技を持っていたからだ。

 その正体は特殊な剣。ウルミと呼ばれる剣があり、これはかなり柔らかい鉄で出来た長い剣で、よく曲がりそしてくねる。極限まで刃を薄くしたその糸とも呼べる剣は、むしろ金属で出来た鞭と言っていいだろう。それを鞘から抜き放って高速で振るう事で遠く離れた相手を狙撃するように切り捨てる。それが彼の二つ名の正体だった。

 鞭の先端速度は音速に到達する事さえある。目視による回避は極めて困難――いや、不可能に近かった。

 

 だが――知るがいい。上には上がいるという事を。

 

「――はッ」

 

 青い仮面の男が、その桁外れの速度を誇る剣の先端を容易く切り弾く。それにペシュリアンは歯噛みした。

 この相手には、超速の斬撃が通用しない。人では対処不可能なはずの攻撃を、青い仮面の男はまるで周囲に触覚でもあるかのように剣の先端を察知し、それを弾いてしまう。そしてそれがペシュリアンのもとへ引き戻されるよりも早く間合いを詰め、ペシュリアンの鎧の隙間――関節を狙う。

 

「う、おぉおおお!」

 

 ペシュリアンはそれを何とか体の位置をずらす事で避ける。金属の鳴り響く音。ギリギリで防いだ剣閃。そしてペシュリアンは足を上げて青い仮面の男を蹴ろうとする。即座に、男が身を翻して間合いを離す。剣の先端が戻ってくる。

 

「…………」

 

 互いに睨み合う。だが、ペシュリアンは絶望的な気分を味わっていた。相手は何らかの――それも感知系の武技を持っている。それを確信したからだ。

 そうでなければ、あの桁外れの速度の剣の先端を、ああも容易く弾けるはずがない。

 

「…………」

 

 だが、勝算が無いわけではない。相手の武器は刀。ペシュリアンに致命傷を負わせるのは難しい武装だ。

 

 ――武技を使用させ疲労を狙う。

 

 ペシュリアンはそこまで特殊な武技を使用しているわけではない。彼の攻撃は武器の特性だ。故に、武技に精神力を使用する以上、必ず相手はペシュリアンより先に疲労するはず。そこに賭けるしかない。

 そしてそうペシュリアンが決めた時――青い仮面の男は、刀を鞘にしまった。

 

「悪いな。今までリハビリに付き合わさせて」

 

「…………は?」

 

 意味が分からなかった。この男は、一体何を言っているのだろうか?

 

「刀を握ったのは久しぶりでな。今まで、ちょいと感触を確かめてたんだ。いや、ちょっと前を向いて頑張ってみようかと思ってな」

 

 青い仮面の男が身構える。殺気がピリピリとペシュリアンに向かい始める。

 

「では――終わりにしよう」

 

「――抜かせ!」

 

 ペシュリアンは再び剣を鞘にしまい、そして剣を鞘奔らせる。間合いを離す必要は無い。その間合いは、目の前の男が稼いでくれた。

 勿論、ペシュリアンが狙うのは武技の過剰発動による疲労。先程までの焼き回しだ。

 

 だが、青い仮面の男はそうしなかった。

 

「――――」

 

 青い仮面の男は先程までと同じように、剣の先端を待つ。しかし刀は抜かない。男はそのまま――刀を鞘にしまったままで、剣の先端がどこにいつ届くのか知っていたかのように、身を屈めて避けた。

 

「は?」

 

 先程までと違い、刀を抜く事さえしなかったその姿に驚愕する。だが、ペシュリアンは決して油断しない。青い仮面の男はペシュリアンの狙いを看破しているのだろう。男の視線はペシュリアンの首を見ている。となれば――狙いは一つ、鎧の隙間、関節の部分だろう。

 

(甘い!)

 

 青い仮面の男が刀に手をかける。しかしペシュリアンは首を少し屈めた。全身鎧(フルプレート)は防御に関しては数多の鎧より特化している。たとえ相手の武器より一段劣る防具であろうとも、全身鎧(フルプレート)の防御を突破するのは難しい。

 今のペシュリアンの鎧に隙間などほとんど無い。腕や足などは元から鎖帷子で防がれているし、表面の鎧の突破はなお難しい。狙うならば首だと、ペシュリアンははっきり分かっていた。

 

 ――そう、狙うのは首だと思っていたのだ。

 

 青い仮面の男は、首など狙っていなかったというのに。

 

「―――――あ?」

 

 視界が潰れる。真っ赤に、あるいは真っ黒に。何も見えない。灼熱の痛みが眼球のある場所からして――それがペシュリアンが感じ、見た最後の記録だった。

 

「……ふう」

 

 青い仮面の男――ブレインがペシュリアンの鎧の隙間、兜のスリットから刀を抜く。兜のスリットから刀を抜かれたペシュリアンの体が、支えを失って床に投げ出される。兜の隙間から真っ