TALES OF THE ABYSS外伝ーセレニィー ((╹◡╹))
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番外編
01.セレサンタ


 しんしんと夜闇の中に雪の降りしきるケテルブルグ… 今宵もヤツはやってくる。

 

「ハーッハッハッハッ! メリー・クリスマスーッ!」

 

 ヤツが何者なのか。何の為に『あのようなこと』をしているのか。

 その全ては謎に包まれている。ハッキリしていることはただ二つ。

 

 ヤツが一年に一回、特定の日にのみ出没すること。

 そして…

 

「クソッ! 追え、追えー! 『セレサンタ』を逃がすなぁーッ!」

「誰が捕まってやりますか! ほら、スピードアップですよ! トナカイさん!」

 

「了解よ、『セレサンタ』!」

 

 誰かが呼び始めたのか、あるいは自分で名乗ったのか。

 ……『セレサンタ』、そう呼ばれている赤き衣を纏った不審者(しょうじょ)であることである。

 

 

 

 ――

 

 

 

 慌ただしくセレサンタを追う官憲たちが通り過ぎてゆき、路地には静寂が戻る。

 その路地裏からひょっこりと美しい女性が顔を出して、左右を確認する。

 

 亜麻色の髪をロングに伸ばして片目を隠した、スタイルの良い女性である。

 しかし何故か鹿のような動物の着ぐるみを着ており、相当に間抜けにも見える。

 

「よし、行ったみたいよ。セレサンタ!」

「ふぅ… やっと撒きましたか。まったくこんな夜だというのに、お仕事熱心な連中ですね」

 

「よく言うけど『こんな夜』って? ただのローレライデーカン47日の夜じゃない」

「暦の上ではただの13月47日ですが、『クリスマスとして祝う』ことがルールなのですよ」

 

「そう。ルールなら仕方ないわね」

 

 オールドラントにかような風習はない。

 されどルールならば仕方ない。

 

 重ねて言うが、オールドラントにかような風習はない。

 これはセレサンタ独自のルールなのである。

 

「さて、そろそろいきますかね」

 

 白い息を吐きながらセレサンタが立ち上がる。

 

「……今夜もやるの?」

「当然! それがルールですからね。行きましょう、トナカイさん」

 

「そう。ルールなら仕方ないわね」

 

 もう一つのルールを果たすため、傍らの女性『トナカイさん』に声を掛ける。

 彼女は着ぐるみから美しい髪をなびかせて、腕を組みつつ頷いた。

 

 ……相当に間抜けな光景である。

 

 さて、セレサンタにはルールがある。

 一つは『クリスマスイブ(自分ルール)に出没すること』。もう一つは…

 

「さて、今宵も子供たちにプレゼントを配りましょうか… 間に合うかなー」

 

 もう一つは『夜明けまでに子供たちにプレゼントを配り終えねばならない』というもの。

 それが何故なのか、守られなかった時にどうなるか… セレサンタ自身にも分からない。

 

 ただ、やらねばならないということだけはハッキリしていた。

 ルールとは守るべきものであるからだ。

 

「私たちならきっと出来るわよ、セレサンタ」

「そうですね。頼りにしてますよ? 相棒(いざとなったらコイツ囮にして逃げよう)」

 

「フフッ… 任せて、セレサンタ(私を頼りにしているセレサンタ可愛い)」

 

 歪なコンビは官憲の目を盗んで、ケテルブルグの夜闇に躍り出るのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 それから、それなりの時間が経過して…

 

「よし… 粗方の子供の家にはプレゼントを配り終えましたね」

「えぇ、官憲は私たちの用意したダミーにかかったみたいね」

 

「赤い衣を纏った案山子を、ケテルブルグ内各所に配置。それと同時に罠を仕掛ける」

「……近付いて捕まえようとすれば罠が発動し、逆に囚えられる」

 

「その解除のために近寄れば、新たな罠が発動する二段構え」

「既に発動したのだからもう罠はないはず… そんな心理を逆手に取った見事なトラップね!」

 

「フフン、それほどでもー」

 

 ハイタッチの乾いた音を響かせる二人の少女。

 稀に一般市民もかかってしまう気がしないでもないが、それはそれ。

 

 彼女らに倫理観や道徳観念というものは(あまり)存在しない。

 

 官憲の目を盗んで、子供たちにプレゼントを押し付け… もとい配って回る。

 それが彼女たちのルールであり存在意義なのだ。

 

「さて、というわけで残る四人ですか…」

「例の四人が残ったわね」

 

「えぇ、毎年難易度を上げてくる強敵です」

 

 四人の強敵。サフィール、ピオニー、ネフリー… そしてジェイド。

 それは、毎年あの手この手を使ってセレサンタの活動を妨害する小癪な子供たちである。

 

 だがそんじょそこらの子供たちに負けるなど、セレサンタの矜持が許さない。

 例え外見が子供と変わらなかったとしても。

 

 気合を入れて彼女は、サフィール・ワイヨン・ネイスの家へと向かった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 場所はサフィール… もといネイス家の屋根の上。煙突前に移る。

 その前でセレサンタは唸っていた。

 

 小首を傾げたトナカイさんが問い掛けてくる。

 

「どうしたの、セレサンタ? 煙突に入らないの」

「いえ… 罠が仕掛けられてますね。これ」

 

「そ、そうなの?」

「えぇ、迂闊に足を踏み入れれば閉じ込められてそのまま捕らえられるでしょう」

 

「くっ、なんと卑劣な… セレサンタを捕らえるのは私だけの特権なのに!」

「その戯言は聞かなかったことにします。さて、こうなったら仕方ありませんね…」

 

「どうするつもりなの? セレサンタ」

 

 その言葉に答えず、セレサンタは敢えて屋根から降りてネイス家の表口に回る。

 玄関をガチャガチャ鳴らす… やはり鍵はかかっている。当然だろう。

 

「無理よ、セレサンタ。鍵がかかってるわ… それとも壊すの? なら私がやるわ」

「いえ、やめておきましょう」

 

「……?」

「ゴリラさん… もといトナカイさんの腕力を疑うわけではありませんが、騒ぎになります」

 

「なるほど。人に気付かれたら元も子もない… まさに八方塞がりね」

「いいえ、一つだけ手があります。……ここは『サンタ魔法』を使います」

 

「サ、『サンタ魔法』…!?」

 

 説明しよう!

 

 サンタ魔法とは、クリスマスイブ(自分ルール)で高まった魔力でのみ行使できる奇跡。

 一年に一回しか使えないその神秘的かつ幻想的な魔法は、セレサンタの力の証明でもある。

 

「サンタ魔法… 一の奥義!」

「おお!」

 

「『マジカル・ピッキング』!」

 

 説明しよう!

 

 マジカル・ピッキングとは、金属片や針金を駆使して施錠された扉を解錠する奇跡である。

 ただし、これを第三者に発見されると社会的に死んでしまう非常に危険な奥義でもある。

 

(※現実世界の皆さんは決してこの行為を真似をしないでください。

 本作は犯罪行為を助長する意図は一切ございませんことを、改めてここに申し上げます)

 

「よし… 開きました」

「流石セレサンタ! まるで手慣れているかのように迅速な仕事だったわ!」

 

「あはは… 偶然ですよ、偶然」

 

 談笑しながら躊躇なく中に入る。そこには微塵の迷いもない。匠の技である。

 そしてセレサンタは独自の子供探知センサーを駆使して、真っ直ぐサフィールの部屋に向かう。

 

「よし… 寝てますね」

「起きてても私が眠らせるわ。物理か譜術で」

 

「せやな」

 

 トナカイさんの物騒な発言を軽く流しつつ、セレサンタはサフィールの枕元に近付く。

 そして優しげに微笑むと、手にした袋から何かの紙の束を取り出してそっと置く。

 

「メリー・クリスマス… 良い年の瀬を」

 

 セレサンタは親指を立てて、綺麗な笑顔で立ち去った。残りはあと三人だ。

 続けて向かったのはピオニーの屋敷である。

 

 流石は皇位継承権が極めて低いとはいえ皇子である。厳戒な警備体制が敷かれている。

 

「うーん… これは中々に骨が折れそうですねぇ」

「ねぇねぇ、セレサンタ… ちょっと聞いていいかしら?」

 

「はいはい、なんですか? トナカイさん」

「さっきディストに、一体何をプレゼントしたの?」

 

「誰ですか、ディストって… サフィールさんにプレゼントしたのはこれですよ」

 

 そう言ってトナカイさんに紙の束を見せる。

 そこには『お友達券(1日分)※セレサンタ限定』と書かれていた。

 

 震える声でトナカイさんは尋ねる。

 

「こ、これは… 一体どういうものかしら?」

「折れ線にそって一枚千切れば、一日だけ私が友達になってあげます。その束ですね」

 

「………」

「正直奮発しました」

 

 ドヤ顔で言ってのけるセレサンタ。正直ただのゴミである。

 だが、トナカイさんの反応は違った。

 

「じゃあ『セレサンタが妹になる券』をちょうだい。百枚綴りで!」

「えー…」

 

「いいじゃない、私にプレゼントをくれたって!」

「でもトナカイさんは16歳ですし、体の一部がどう見ても子供じゃないですし…」

 

「くっ! この胸、どっかで捨てられないかしら」

「それを捨てるなんてとんでもない!」

 

「! 誰だ! 誰かいるのか!?」

 

 アホなことを話していたら、警備兵さんに勘付かれてしまったようである。

 灯りを向けられる前に咄嗟に隠れたものの万事休す… このまま捕まってしまうのだろうか?

 

 いいや、このクズどもはそんなことで観念するほど人間性ができてなかった。

 

「トナカイさん、プランBでいきましょう」

「分かったわ、セレサンタ」

 

「むっ! やはり誰かいるのだな? 大人しく出てこい!」

 

 その言葉にゆらりとトナカイさんが両手を… もとい両前脚を上げたまま立ち上がる。

 珍妙な姿に警戒しながらも戸惑いを隠せない警備兵。

 

 ……その一瞬の隙が命取りとなった。

 

 トナカイさん必殺の眠りの譜歌『ナイトメア』が、広範囲無差別に炸裂する。

 警備兵さんは頭を抱えてうずくまり、やがて眠りについた。

 

「フフフ… プランB、それは即ち『正面突破』!」

 

 なお一昨年にこの作戦を実行したところ、味方識別がなかったためセレサンタも巻き込まれた。

 そのまま明け方まで眠りこけてしまい、半泣きでプレゼントを配る羽目になった記憶は新しい。

 

 まぁ、そのような過去の話は置いておこう。

 トナカイさんの譜歌をバックに、セレサンタは悠々とピオニーの屋敷に入っていくのであった。

 

 ……眠ってしまった警備兵のみなさんを、取り敢えず風邪引かない場所に運んでから。

 

 

 

 ――

 

 

 

 そしてピオニーの部屋… 案の定、彼は眠りこけていた。

 

「さて、皇位継承権の低い皇子といえば仮面ですね。……あれ? 見当たらない?」

 

 首を傾げながら袋の中を探るセレサンタ。

 その光景に、トナカイさんが申し訳なさそうに手を… 蹄を上げる。

 

「ごめんなさい… 友達との闇鍋に混ぜてたら誤って噛み砕いてしまって…」

「なんでそんな野生剥き出しなんですか… ていうか、友達いたんですか」

 

「え? 友達なんて普通簡単にできるものでしょう?」

 

 セレサンタである自分ですらボッチなのに… そう思って言えばあっさり返された。

 トナカイさんは全ぼっちを敵に回した。

 

 怒りを解消できるようなナイスなプレゼントを探るセレサンタ。

 ピオニー完全にとばっちりである。

 

 そして、見つかった… 見つかってしまったのだ。

 

「よーし… じゃあ、女性関係で失敗しそうですしこのマスクをあげましょう」

「あら? 目元に炎が宿っている素敵なマスクね」

 

「えぇ、由緒ある素敵なマスクで聖夜のプレゼントにピッタリです。その名も、『しっと…」

 

 その時、廊下の方から気配が濃くなってくる。

 

「警備兵が揃って眠りこけているだと! ええい、誰かあるか! 誰かあるか!」

「ちっ… もう嗅ぎつけてきたみたいね! 行きましょう、セレサンタ!」

 

「合点承知! あばよっ、マルクト兵のみなさん! メリー・クリスマスッ!」

 

 トナカイさんとセレサンタは窓から揃ってアイキャンフライした。

 もっとも、セレサンタは受け身が取れず積雪の中に頭を突っ込む羽目になったが。

 

 さて、騒ぎが大きくなるケテルブルグだが残る子供はあと二人。

 ネフリーとジェイドである。しかしこの二人は兄妹なので向かう家は実質一つ。

 

 そして今、警備の包囲網を突破してなんとか二人の家… バルフォア家前に立っている。

 

「屋根にはサフィールさんお手製の罠が仕掛けられているのは確認しました」

「じゃあ、さっきのように扉から行く?」

 

「いえ… これを見てください」

 

 セレサンタは口に咥えていたシガレットチョコのケースを、扉に向かって放り投げた。

 ジュッと音がしたかと思うと、ケースは一瞬で黒焦げになり灰となって舞い散った。

 

「これは… 罠?」

「えぇ、それも強烈なデストラップです。迂闊に触れれば死あるのみ」

 

「どうするの、セレサンタ?」

「仕方ありません… 新たなサンタ魔法を使います」

 

「そんな… 危険よ! 一日に何回もサンタ魔法を使うと悪徳カンターが貯まるわ!」

「仕方ないんです… 子供たちにプレゼントを配る。それが、ルールですから…」

 

「セレサンタ…」

 

 セレサンタはそのまま木に登ると、枝の前にある屋敷二階の窓の前に立った。

 

「サンタ魔法『マジカル粘着テープ』! そして『マジカル鈍器』!」

 

 説明しよう!

 

 マジカル粘着テープをガラス面に貼り付けつつ、マジカル鈍器でそこを割るとどうなるか?

 なんと大きな音を立てずに静かに侵入することが可能になる、奇跡の魔法で奥義なのである。

 

(※現実世界の皆さんは決してこの行為を真似をしないでください。

 本作は犯罪行為を助長する意図は一切ございませんことを、改めてここに申し上げます)

 

「やったわ! 最初はどうなるかと思ったけどあっさり忍び込めたわね!」

「………」

 

「……セレサンタ?」

「トナカイさん、念のために『ナイトメア』を… 無論殺傷能力は無しでお願いしますよ」

 

「ど、どういうこと… だって私たちは静かに潜入できはずじゃ…」

 

 セレサンタはトナカイさんの言葉に険しい表情のまま首を振り、シガレットチョコを咥える。

 そして、口を開いた。

 

「ヤツが… あのドSが気付いていないはずがない」

「………」

 

「お願いします、トナカイさん」

「わ、分かったわ」

 

「……ありがとう、相棒」

 

 そしてトナカイさんの譜歌をBGMに、セレサンタは屋敷内を歩んでいく。

 やがて、去年と変わらぬネフリーの寝室へとたどり着いた。

 

 ツカツカ歩いていたセレサンタの足音が止まる。

 

「(この部屋にはあのドSはいない… 自分の部屋で待ち構えてたか)」

「ど、どうしたの? セレサンタ」

 

「いえ、大丈夫です。……入りましょう」

 

 音も鳴らさずに入ると、くぅくぅとベッドで愛らしい寝息を立てている少女の姿がある。

 ネフリーである。兄は悪魔なのに、妹は天使である。似なくて良かった。本当に良かった。

 

 その寝顔を優しい表情で見詰めてから、セレサンタは袋からプレゼントを取り出した。

 

「はい、将来あなたは大きくなりそうですからね…」

「あ、あの… セレサンタ。それは一体?」

 

「なにって、ブラジャーですけど?」

 

 セレサンタは1mには達しようかという巨大なバストを支えるための、ブラジャーを持っていた。

 どう見ても変態である。流石のトナカイさんも思わずツッコミ役に回ってしまう。

 

「い、いや… ブラジャーは分かるけど、なんで?」

「なんででしょうかね… 見えたんですよ」

 

「見えた?」

「えぇ、将来この子がバスト1mは超えてそうな眼鏡美人になる姿が…」

 

 その瞳は優しかった。トナカイさんも「そ、そう…」と頷いて引き下がるしかない。

 そしていよいよ残る子供は一人となった。

 

 ……ジェイドである。

 

 二人は彼の部屋に向かいながら会話を交わす。

 

「さて、ヤツも流石に『ナイトメア』の威力の前では動きが鈍っているはず…」

「眠ってないことは前提なのね…」

 

「当然です。アレを舐めたら命が幾つあっても足りませんよ」

 

 その時、前方に光が生まれる。示し合わせたようにその場を離れる二人。

 刹那の後に、光芒の矢が過ぎ去っていった。下級譜術エナジーブラストである。

 

 そして当然、それを放ったのは…

 

「かわされちゃったか。やっぱり狙ってから撃つまでのタイムラグが課題だね」

「やれやれ… 相変わらずの歓迎ぶりですね、ジェイドさん」

 

「うん、まぁね。大事なお客様だし… そっちも僕に解剖される決心はついたかな?」

「お断りです! 死んだらおしまいじゃないですか!」

 

「セレサンタに手を出すつもりなら容赦はしないわよ!」

 

 セレサンタとトナカイさん、二人の口上におかしそうに笑うジェイド。

 

「大丈夫だよ、もし死んじゃってもフォミクリーで蘇らせてあげるから」

「フォミクリー?」

 

「そう。つい最近生み出した、複製を作るための譜術だよ… できたのは偶然なんだけどね」

「……複製は複製であって本人じゃありません。人の命をなんだと思ってるんですか!」

 

「難しいことを聞くね。……強いて言えば、それを知るためにやっているんだよ。全部ね」

 

 そう言うと、ジェイドは譜術を乱発してくる。死ぬ気で回避するセレサンタとトナカイさん。

 しかし奇跡は何度も続かない。やがて掠り始め、ダメージが蓄積していく。

 

 このままではジリ貧だ。そう思っているところに、トナカイさんが声を掛けてきた。

 

「セレサンタ、聞いて… このままじゃジリ貧よ」

「それは分かってますけど、隙がなくて…」

 

「よく聞いて、セレサンタ。私たちのルールはなに?」

「………。まさか!」

 

「そう、プレゼントを部屋に置いてくれば私たちの勝ち… 私が囮となるわ」

「その間にジェイドさんの部屋にプレゼントを置けば… でも、トナカイさんが!」

 

「いいのよ。このままじゃ二人揃って… だから一縷の望みに賭けましょう?」

「………」

 

「ね?」

 

 促されて、セレサンタは一つ頷いた。

 

「(クックックッ… まさか自分から言い出してくれるとは。……手間が省けたぜ!)」

 

 内心でほくそ笑みつつ。

 

「(プレゼント置いたらさっさとオサラバさ。なぁに、トナカイさんはどうせ死なない)」

 

 正真正銘の屑である。

 

 かくして作戦は実行に移され、尊い犠牲を乗り越えてセレサンタは部屋に入ったのであった。

 あとはプレゼントを置くだけである。しかし…

 

「げっ!」

 

 中には多くの、恐らくはサフィール製であろう譜業人形が蠢いていた。

 

 

 

 ――

 

 

 

「……ふぅ」

 

 最後の一体を片付け終えて溜息をつく。

 強くはないが数が多く、殺傷力を持っているので油断はできなかった。

 

 おかげで思ったより時間を食ってしまった。

 

「さて、さっさとプレゼントを置いて帰らないと追い付かれますしね」

「そうだね」

 

「!?」

 

 その声に振り向くより早く、反射的にマジカル鈍器を構えるセレサンタ。

 模造刀とぶつかり合い、鈍い音を立てた。

 

 鍔迫り合いになるも、セレサンタが相手の胴を蹴って間合いを取る。

 窓から漏れる月明かりで相手の顔が映る。そこには案の定、ジェイドが立っていた。

 

「トナカイさんを乗り越えてきましたか…」

「うん、結構手間取ったよ。いい駒を持っているね」

 

「………」

「それに比べてサフィールの人形は全然ダメだね。しつこいから使ってやったけどさ」

 

「残念でしたね。私の相棒は世界(オールドラント)一ですから」

 

 軽口を叩きつつ、活路を模索する。プレゼントを出す… 無理だ、そんな隙はない。

 逃げ出す… それはルール違反だ。ならば…

 

「へぇ… 武器を構えるんだ。勝てるわけないのに」

「さて、どうでしょうか。各人の性能差が絶対的戦力差とは限りませんよ?」

 

「なるほど、一理ある。じゃあ君の性能テストといこうか」

 

 そこからは一方的な展開であった。

 

 殴られ、蹴られ、譜術で吹き飛ばされ… あっという間にセレサンタはボロボロになった。

 床に投げ出されながら彼女はうめき声を上げる。

 

「ぐ、畜生…」

「まぁまぁ頑張ったんじゃない? 知らないけどさ」

 

「く、来るな! 来るなぁ! サイコパスがぁ!」

 

 後退りながら、転がっているサフィール製の譜業人形の部品を投げつける。

 そんなものを物ともせず、無表情のままジェイドは近付いていく。

 

 なんだか冷めてしまった。さっさと解剖して調べておしまいにしよう。そう考えていた。

 それは、奇しくもセレサンタが邪悪な笑みを浮かべる瞬間と一致していた。

 

「と見せかけて… サンタ魔法ぉっ!」

 

 そう叫んで、プレゼントを取り出す袋をジェイドに向かって放り投げる。

 

「!?」

 

 袋の中から大量の胡椒が飛び出した。それを油断していたジェイドはまともに浴びてしまう。

 思わず目を閉じて腕で顔を庇うも時既に遅し。少量ながら目に入り込み吸い込んでしまう。

 

「ゲホッ、ゴホゴホッ!」

「ハァーッハッハッハッ! 見たか、サンタ魔法が究極奥義『胡椒爆弾』!」

 

「ぐ、この… ゲホゲホッ!」

 

 説明しよう!

 

 胡椒爆弾とは胡椒粉末を一杯に詰めた袋を相手に投げつけ、目潰しを行う卑劣な技である。

 どっかの小市民が使っていた技と酷似しているが、気のせいである。他人の空似である。

 

(※現実世界の皆さんは決してこの行為を真似をしないでください。

 本作は犯罪行為を助長する意図は一切ございませんことを、改めてここに申し上げます)

 

「これくらい… この距離ならまとめて譜術で吹き飛ばせば!」

「ひっ!?」

 

「ぐっ…」

 

 その時、ジェイドがガクリと膝をつく。

 譜眼による譜術の威力増加… そのパワーに振り回された疲労が、一気にやってきたのである。

 

 だが無理をすれば後一撃くらいの譜術詠唱は可能だ。構わず詠唱を開始する。

 そこに、セレサンタが慌てて割って入る。

 

「ちょ、ちょちょちょ… ちょーっと待ったぁ! ……『粉塵爆発』って知ってますか?」

「……『粉塵爆発』?」

 

「一定濃度の可燃性の粉塵が大気中に浮遊した状態で、引火して爆発を起こす現象のことです」

「………」

 

「もし譜術を使うならば… 私はここでマッチを起こしますよ? いいんですか?」

 

 ふへへへ… と卑屈な笑みを浮かべながら笑うさまはもはや悪役である。

 既に不審者で犯罪者であるが。

 

 それに対するジェイドの答えは淡白なものであった。

 

「……いいよ、やりなよ」

「なんですと?」

 

「殺そうとしたら殺される。それは公平なことだと思う… だから構わないよ」

「………」

 

「どうしたの? やらないの?」

 

 そこでセレサンタが激怒した。

 

「ふっざけんなぁ! どうして(私の)命を大切にしやがらねぇんだ!」

「なんで怒っているのさ…」

 

「命がなくなるんですよ! つまり死ぬんですよ! いいんですか、それで!?」

「僕にとって、それに価値は見いだせないよ…」

 

「私にとってはその考えこそが、クソ以下のモンですよ! はい、平行線! OK!?」

「僕の考えが… クソ以下?」

 

「天才だかなんだか知りませんが、ただのガキがふざけんなってことです!」

「………」

 

 ジェイドは目をこすることも忘れて、ポカンとしている。セレサンタは更に続ける。

 

「この世に天才は自分一人だとでも思ってます? 自分以外の考えは無価値だと思ってます?」

「それは…」

 

「ただの思春期にありがちな妄想です。世間は、それほどあなたを注視してませんから」

「ぐぬぬ…」

 

「人生を楽しめないあなたは、人生を楽しんでる私以下の人生を送ってます!」

 

 ドヤ顔で言い切られた。

 

「だからあなたの考え方なんてゴミ以下なんですよ。はい、論破!」

「……そうだね。そうかもしれないね」

 

「分かってくれましたか! じゃあ、素直にプレゼントを受け取ってくださいね!」

「だから世間一般の常識に従って不審者で犯罪者の君を譜術でぶん殴って捕まえるね」

 

「………」

 

 笑顔のままセレサンタが硬直する。

 ジェイドはそのまま笑顔で詠唱を続け、そして完成する頃に… ゆっくりと倒れた。

 

「必殺、ユリア式延髄チョップ。30分は目を覚まさないわ」

「トナカイさん!」

 

「間に合ったようね、セレサンタ。さ、プレゼントを置いて帰りましょう?」

「はい… はい!」

 

 夜が白み始める頃、セレサンタとトナカイさん… 二人の不審者は屋敷から脱出した。

 今年もケテルブルグの子供たちに無事(?)プレゼントを配り終えた。ルールを達成したのだ。

 

「ジェイドさん… 恐ろしい強敵でした」

「そうね… そういえば、セレサンタ。あの子には何を渡したの?」

 

「彼の敗因は譜眼によって細かい制御を失ったこと、そして胡椒爆弾を防げなかったこと」

「ふむふむ… まぁ、そのとおりね」

 

「なので、譜術制御を補助する眼鏡型の譜業を置いてきました!」

「……弱点、なくなったわね」

 

「はうあっ! しまったぁ!?」

 

 セレサンタのプレゼントにより、来年は更に死角がなくなったドSが待ち構えているだろう。

 それでも戦え、セレサンタ。負けるな、セレサンタ。

 

 ケテルブルグの子供たちに比較的迷惑なプレゼントを押し付け続ける… 自分ルールのために!

 

 

 

 ――

 

 

 

 ジェイドは仲間たちにそう語り終えると、大きく溜息をついた。

 

「なるほど… そんな感動的な物語があったなんて。セレサンタ、可愛いわ」

 

 ティアは感動のあまり涙を流している。

 そんな彼女を笑顔で見やりながら、ジェイドは自分の眼鏡を指差す。

 

「その眼鏡型の譜業が今掛けているコレです。無論、年月の経過とともに改良していますが」

「へぇ… 旦那の眼鏡は譜業だったのか。今度見せてもらってもいいか?」

 

「はっはっはっ… 壊さないならば構いませんよ、ガイ」

 

 そしてガイは眼鏡が譜業であるという部分に食いついている。

 

「凄いですね、セレサンタは… 子供たちに夢を与えるために身を粉にして働いて」

「全くですわ… ノブレス・オブリージュを知る者ですのね」

 

「いや、二人とも。どう考えても不審者で犯罪者だから… 騙されちゃダメだよ?」

「おやおや、アニスは夢がありませんねぇ…」

 

「いや、自分も申し訳ありませんが捕まえるべきだとは思いますが…」

 

 イオンとナタリアが感心しているのをアニスが窘め、トニーがそれに追随する。

 そんな様子にジェイドはやれやれといった風に肩をすくめる。

 

 そんな彼にルークが語りかけた。

 

「で… 実際のところはどうなんだ、その話。……作り話なのか?」

 

「ふむ… この話が本当かどうか、ですか?」

「おう!」

 

「それは…」

「それは?」

 

「秘密です」

 

 ジェイドは笑顔で口元に人差し指を立てて、そう締め括った。



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02.泡沫の夢

 この世界に存在する全ての生命は、星より生まれ出た。

 全ての生命は例外なく星によって生かされている。

 

 ならば、星の記憶を紐解くことは全ての生命の道標を得ることに他ならない。

 

 仮定の話をしよう。同じ星の、しかし何かが違う物語を聞かせよう。

 どこかで「ありえた」かもしれない、しかし「IF」のまま泡沫(うたかた)と消えた話の触りを。

 

 

 

 ――

 

 

 

「セレニィ、セレニィ!」

 

 ここは世界で唯一公認された宗教組織、ローレライ教団の総本山ダアトの大教会。

 このダアトのみならず、パダミヤ大陸が丸々ローレライ教団の自治区となっている。

 

 その理由は、星の記憶から未来を紐解き道を示す『預言(スコア)』にある。

 古くからその預言(スコア)を詠むことで世界を導いてきた功績が、認められた結果である。

 

 そして今、教団が誇るダアトの大教会廊下に一人の壮年男性の声が響き渡っている。

 その声に振り向く者がいる。十にも満たぬ年齢であろう一人の少女だ。

 

 容姿は銀の髪と澄んだ青い瞳が印象的で、年の割りに落ち着いた雰囲気を感じさせる。

 書類の束を抱え廊下を歩いていたが、男性の声に気付いて振り返ると口を開いた。

 

「これは詠師モース様… 私めに一体どういったご用件でしょうか?」

「うむ、重要な話が… しかし、なんだな。二人きりの時くらいは父と呼べ」

 

「職務中の公私混同は良からぬ噂のもととなります。……モース様」

「う、うむ… そうかもしれんな。……すまなかった、セレニィ」

 

「こちらこそ言葉が過ぎました。また、私めに謝る必要などありません」

 

 ビヤ樽のような身体を縮こまらせて、申し訳無さそうな表情をするモース。

 そんな『父』の姿に、セレニィと呼ばれた少女は内心で溜息を吐いた。

 

 ……彼女、セレニィは捨て子であった。

 捨てられたのは赤子の時であるため、本当の父や母の顔も知らない。

 

 ある朝この大教会前に籠に入れられ置かれていたのを、モースに拾われたのだ。

 なんでも、『捨て子を拾う』と預言(スコア)に詠まれていたとかなんとか。

 

 それが本当か嘘かは彼女には分からない。そして、確認しようとも思わない。

 拾われたという事実の前では些細な問題であるし、今更実の両親に思うところもない。。

 

 籠にはセレニアの花が一輪添えられており、セレニィと名付けられた。安直である。

 そしてモースに養女として迎え入れられ、赤子はスクスクと育っていった。

 

 父モースは出世頭の詠師。実質的に教団の最高権力者たる導師のすぐ下の存在だ。

 自身は若年ながら教団の実務に携わり、将来を嘱望されている最年少の詠師付き秘書官。

 

 世界最大の宗教組織で、出世街道をひた走る… 絵に描いたように順風満帆な人生だ。

 ……しかしながら、この現状は彼女にとっては必ずしも望ましいものではなかった。

 

「(はぁ… いくら恩返しと言っても、前世の知識を気軽に使ったのが運の尽きか…)」

 

 そう… 前世、である。今世でもなければ来世でもない。オマケに夢も希望もない。

 何を隠そうこの少女には、『前世が日本人男性だった』という記憶があったのだ。

 

 彼女の信じるそれが彼女の妙にリアリティのある妄想なのか、はたまた真実なのか…

 それらを明らかにする手段は何一つないし、あったとしても全く意味を成さない。

 

 ただ一つ言えることは、彼女は物心ついた時からそれを自覚して信じ続けてきたのだ。

 本来それだけの話に過ぎなかった。いずれ少女も、自身を取り巻く環境に適応する。

 

 そう、適応する。このオールドラントという世界にも、かつてと異なる自身の性別にも。

 不要となった記憶や知識は忘れ去られ、本格的に世界の住人となる… はず、だった。

 

「(あの時の自分に出会えるならば問答無用で鉄拳制裁して、小一時間説教したい…)」

 

 しかし、そうはならなかった。

 

 文字を覚え始めた頃に恩を少しでも返そうと、養父の経理の仕事を手伝ってみせた。

 いつも大量に仕事を持ち帰り、夜遅くまで作業しているのが気の毒に映ったのだ。

 

 愚直で真面目な養父の力に少しでもなろう… そう思ったのが運の尽きである。

 驚いた表情の養父がおかしくて、ドヤ顔のまま次々と経理用の書類を片付けてみせた。

 

 ……片付けてしまったのだ。彼女は、前世の力を発揮できる機会が嬉しかったのだ。

 それからは何故か養父モースによる英才教育が始まった。それは今も続いている。

 

 勉強しつつ仕事の手伝いをする日々だ。所謂オンジョブトレーニングというヤツである。

 養父モースはその分より精力的に教団の仕事に取り組み、順調に出世を重ねていった。

 

 そして何故か、あれよあれよという間に詠師付き秘書官にさせられてしまったのだ。

 養父が養女の献身に報いようとゴリ押し人事をしてくれたのだ。ありがた迷惑である。

 

「(泣きたい… あっ、なんかまた胃が痛くなってきた)」

 

 それからは早過ぎる出世を妬んでか身内人事へのやっかみか、まぁ、虐めにあった。

 表に出ない程度には巧妙にである。うん、仕方ないね。出る杭は打たれるもんね。

 

 セレニィも断りきれなかった時点で覚悟はしていた。ほんのりと想定を上回られたが。

 

「(いや、うん。実際かなり酷かったッス… 仕事に逃げるのが救いになる程度には)」

 

 ちょっぴり遠い目をしてしまう。まさか社畜になることが救いだとは思わなかった。

 年齢一桁の幼女にも容赦なし。世界最大の宗教組織ローレライ教団の闇の実態である。

 

 本当はさっさと退職して、自由気侭なガキんちょ様にジョブチェンジをしたかった。

 心からしたかった。しかし、そうするにも後ろ髪を引かれる理由というものがあった。

 

「(このオッサン、認識やら脇やらが甘すぎるし… 見てないと不安で仕方ないし)」

 

 目の前の『オッサン』こと養父モースをチラリと眺めてから、大きく溜息を吐いた。

 養女の冷たい視線に、彼はビクッと大きな身体を震わせたが知ったことではない。

 

 このオッサンのガバガバ過ぎる政治工作の尻拭いを、一体今まで何度してきたことか。

 胃が痛くなる日々を思い出す。いや、現在進行形でセレニィの胃を痛めてるのだが。

 

 モースという男は些か敬虔すぎる信者である。愚直に真面目に預言(スコア)を守り続けている。

 そう… 『預言(スコア)は全ての出来事に優先される』と心からそう信じ込んでいるほどに。

 

 セレニィからすればアホとしか言いようが無い。どんなお題目があろうと犯罪は犯罪だ。

 預言(スコア)を免罪符にしたからといって許されるはずがない… それが彼女の価値観である。

 

 やたら身内で固めた派閥人事やら会議の場で強行採決やらしたがる程度ならばまだいい。

 いや、よくねーよ。そのせいで散々虐められたんだから。そう一人ツッコミを入れる。

 

 だがこのオッサンは、ちょっと目を離せば横領やら偽造にまで手を伸ばそうとするのだ。

 一体今まで何度それを止めて、宥めすかして、代案を示して、思い止まらせてきたか。

 

 この世界とて、いつまでも養父に好き勝手させるほどガバガバではないはずだろう。

 もしこのまま大詠師にでも駆け上がらせたらこの世界は本気でアホだ。そう思う。

 

 あんな稚拙な隠蔽工作では遠からず露見し、お縄を頂戴することは想像に難くない。

 その時に彼がどのような罰を受けるかは、やらかした度合いによって変動するだろう。

 

 しかし、唯一の身内たる自分にとって生き辛い世の中になるのは多分間違いはない。

 それになんだかんだと育ててくれた養父に、悲惨な末路を迎えさせるのも寝覚めが悪い。

 

 しがらみから逃げるに逃げられない… それがセレニィの置かれた現状であった。

 それでも旅支度と当座の金と食料を自室に常備している辺り、中々に保身に熱心だが。

 

 機嫌の悪い養女の様子をうかがうように押し黙った養父に対して、彼女は口を開く。

 

「それで、一体どういったご用件だったのでしょうか? モース様」

「う、うむ。次期導師様にお目通りする機会を得られたのでな…」

 

「そうですか、それはおめでとうございます。では私はこれで」

「いや、待て待て。今回お目通りするのは私ではなく、セレニィ… おまえだ」

 

「……はぁ?」

 

 養父の言葉にセレニィ本人と言えば、苛立たしげに眉根を寄せた。

 完全にメンチを切っている養女の迫力に、モースは怯える。

 

「な、なんでそんなに怒る? 私はおまえのためを思って…」

「誰がいつそんなことを頼みましたか? モース様」

 

「いや、その…」

「お話がそれだけならば私はこれで。誰か別な人でもお誘いくださいな」

 

 養父にそう言って、セレニィは背を向けて歩き出した。

 次期導師との面会… なるほど、素晴らしいな。感動的ですらある。だが無意味だ。

 

 セレニィは大量の仕事により、ここ二日間での睡眠時間が軽く三時間を切っていた。

 幼い身空での睡眠不足は地味に堪える。仕事は逃避にはなるが楽しくもないのだ。

 

 今欲するのはコネではなく睡眠。というかこれ以上コネいらない。イジメマジで怖い。

 今でさえやっかみが酷いのに、この上更に次期導師と面会までしたらどうなることやら。

 

 護身のためには拒否一択。そう結論付けて立ち去ろうとしたが、養父はしつこかった。

 

「そ、そう言うなセレニィ! 先方にはもう話を通してあるんだよ!」

「知りませんよ、そんなの。モース様の独断専行じゃないですか」

 

「そう言わずに、私の顔を立てると思って…」

「だぁー! ウザい、離せぇー!」

 

「ちょっとだけだから! な? なんでもおまえの好きなモノを買ってやるから!」

 

 このイオンとの出会いがセレニィの運命を歪ませ、望まぬ道を邁進させることとなる。

 歴史は語る… 『セレニィこそは己の命をオールドラント存続の礎にした』のだと。

 

 これは様々な苦難を背負い、多くを救いながらついに誰にも救われなかった女性…

 セレニィと呼ばれたローレライ教団に属する一人の人間、そのはじまりの物語である。

 

 後日『詠師が幼女に言い寄ってた』という噂が流れ、火消しに苦労するのは別の話。

 

 

 

 ――

 

 

 

「……ゆ、夢か」

 

 思わずガバリと起き上がり、セレニィは荒い息のままそうつぶやいた。

 寝汗が酷いことになっている。

 

 寝間着の袖で額の汗を拭いつつ、水差しに口を付ける。

 

「ふぅ… とんでもない夢でした」

「どんな夢だったの?」

 

「えぇ、なんというか… どうあがいても絶望というか、開始前に詰んでるというか」

 

 自身の隣から涼やかな声で尋ねられ、それに応える。

 

「そう… それは大変だったのね」

「……えぇ、まさか今より最悪があるとは思いませんでした」

 

「そこまで?」

「はい。『世界は救えるがオマエは死ぬ。絶対にな!』というメッセージを感じました」

 

「……そ、そう」

 

 モースルートもとい教団ルートの難易度は天元突破というレベルじゃない。

 それが言葉ではなく魂で理解できた。そんな夢であった。

 

 そう考えると、各国に満遍なくコネを得られている今の状況がどれだけ幸運なことか。

 自身の幸運に感謝しつつ、セレニィは新たな疑問を口にした。

 

「で、なんでいるんですか? ティアさん」

「そこにセレニィがいたからよ」

 

「……鍵、かけてたと思うんですけど」

「フッ… ファブレ公爵家の警備網すら無力化した私にかかれば、この程度は朝飯前よ」

 

「うん。次勝手に入ってきたら絶交ですからね」

 

 そう言って、セレニィは笑顔でティアを窓の外に叩き落とした。

 これだけ言っておけば当分は大丈夫だろう。……当分なのが悲しいところだが。

 

 大きな溜息を吐きながら、先ほどの夢の内容に思いを馳せる。

 もはやそのほとんどが朧気ではあったが、その感じた想いにはリアリティがあった。

 

 当然だろう。自分などは所詮場当たり的に生きるしか出来ない人間だ。

 夢だからと割り切って、俯瞰視できるほどに器用でないことは分かりきっている。

 

 その場その場でやれる限りを尽くしていくしかないのだ。

 

「みゅうー… すぴぴー…」

「おーおー、気楽なもんですねー。こっちは夢見が悪かったってのに…」

 

「みゅ、みゅ、みゅう…」

 

 寝息を立てているミュウを見て、その頬をつつきながら気分を落ち着かせる。

 

「ま、なるようになりますかね」

「すぴー…」

 

「よし、明日からがんばろう」

 

 そう言い残して再びベッドに身を埋める。

 先ほど見た泡沫(うたかた)の夢… それが正夢とならぬよう、祈りながら。

 

 そして明日には、綺麗サッパリと夢のことなど忘れているのもまたお約束である。



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EX.正月の共犯者ども(頂き物)

ネットでお付き合いのある方からのサプライズプレゼントをいただきました。

嬉しさのあまり思わずこちらに掲載させていただきました。ありがとうございます!
(掲載許可はいただいております)


 オールドラントの暦においても、年明けというものはある。

 ただ、それがどの程度重要視されるかという感覚においては現代日本とは大きな隔たりがあるのだ。

 様式、というものに関してなど語る必要性すら感じられない。

 

 だが、今ここに。

 現代日本風の正月を満喫したいと願う一人の少女がいた。

 

「……というわけでですね」

 

 何故かテーブルにダブルの布団を被せてその上に大きなガラス板を乗せつつ足を突っ込んだまま言う。

 

「私の知ってる風習では年明けから数日は作り置きの料理を貪りつつゴロゴロするのが主流なんですよ」

「だからと言って、テーブルの脚を半分に切って地べたに絨毯を敷いてまでしなくても良いのではないか?」

 

 少女… セレニィの対面に同じように付き合って足を突っ込んだ男、ヴァンが渋面で応えた。

 ちなみに、中に火のついた炭壷を入れる案を考えたが火災を恐れた周囲に本気で止められたので諦めた。

 

「おや、どうやら主席総長殿にはこの侘び寂びが分からないと」

 

 にやにやしながら挑発的に言う。元よりセレニィにとってはヴァンは「なんとなくイラっとする相手」なのである。

 なので、実にその言葉の棘も絶好調である。

 

「そんな事だから、約一名を除いて部下のハートを全く掴めてないんですねぇ?」

 

 にやけ顔を超えてドヤ顔である。ヴァンでなくても殴りたくなる素敵な顔だ。

 だが、彼も一応大人である。ましてやセレニィはティアのお気に入りでもあるのだ。

 ぐっと堪えてさっさとこの苦行を終らせようと決意する。

 

「侘び寂びは結構。しかしだな、このように緩いことをしていては大事は為せん」

「ほうほう」

 

「ましてや、己の研鑽なくして大望には至れまい。否定はせぬが長くこのような事をするのは賛成しきれん」

 

 まぁ、言っている事は実際には「時間の無駄なので早く終らせろ」である。

 そんな事を言っているよりも勝手にここから去っていけば良いのだが、彼も何気にお人好しである。

 

「ふっふっふ… 『問うに落ちず語るに落ちる』とはこの事」

「何? どういう事だ」

 

 警戒の色を浮かべるヴァン。大抵、こういう時のセレニィは勢いで周囲を丸め込もうとする。

 その手に落ちてはなるまいと警戒してしまったのである。実際には、そのような相手をこそ落としやすいのだが。

 

「例えば、です。貴方が必死で悲願成就のために毎日の研鑽を怠らなかった場合」

「ふむ? 怠らなかった場合?」

 

「貴方は孤独死します」

 

 な・ん・で・だ。

 

 そう叫びたい衝動をヴァンは必死で押さえ込みつつ、余裕の表情を浮かべて先を促す。

 

「良いですか? 人間には大抵休息が必要です。ああ、まぁ貴方はアリエッタさんに休暇を与えなかった監督役の更に上司でしたね」

 

 一々合間に皮肉を挟んでくる。本当こいつ殴りたい。

 

「ですが、人間というのは上司が頑張っていると自分も休み難いものです。そうやって部下を鼓舞する方法もありますが…」

 

 実際、その方法は有効だろう。と、ヴァンは思う。誰よりもラルゴである。

 かの黒獅子が前線で誰よりも奮闘し、そして部下の手本となるからこそ彼の部下は心酔しついていく。

 

「今、ラルゴさんを思い浮かべましたね?」

 

 気付けば、にやぁとした笑顔を浮かべたセレニィの顔が近くにあった。

 こいつ、こういう邪悪な顔しなければ見てくれ良いのになぁ、と思ったのはさておこう。

 

「ラルゴさんは確かに、自身が手本となるべく部下をまとめている… それは事実でしょう」

「何が言いたい?」

 

「いえね? ですが、彼がいつでもONの状態であると思っているのなら本当に貴方は部下の事を分かっていないのだと…」

 

 すぐに結論に至らず、ちまちまと小出しにしてくる物言いにいかんと思いつつ心中に苛々が募る。

 落ち着け、落ち着くんだ、ヴァン。

 

「ラルゴさんはきちんと部下の前で抜く時には抜いてますよ。酒の席や食事の席。ふと廻りが肩の力が入りすぎた時…」

 

 確かに、ラルゴは部下と店を借り切って飲みに出たり大勢で食事をしたりする事があった気がする。

 いや、だがそれは上司として部下に振る舞いをするためで仕事の一環とも言えて…。

 

「ラルゴさんが、まるっきり仕事上の理由だけで部下に酒や食事を奢ったとして…」

 

 心を読んだかのようなタイミングで次のセリフを繰り出してくるセレニィ。

 そのタイミングのせいで、ヴァンは迂闊にも内心でセレニィの意見と同調しかけているような錯覚を起こしはじめていた。

 

「それなら、金だけ渡せば済む事です。ですが、そうでなく自分も輪に入りゆっくりした時間を作る…」

 

 何やら、そこで溜めを作るかのように一度言葉を切り、目を閉じるセレニィ。

 そして、やおらカっと目が開かれる。

 

「そうして部下との愉しむ時間の共有を行う事で、単なる好感度でなく信頼を彼は得ているのですよっ!!」

「なん… だと…」

 

 信頼。それはある意味、ヴァンにとってもっとも縁遠い単語の一つだ。

 何しろ、まず妹からしてあれである。更に、部下からの信頼も正しい意味では一人も勝ち取っていない。

 リグレットからのそれは信頼だけでなく好意からのモノである、とヴァンは一応理解はしていた。

 

「分かりますか? 自分も休む事で他人にも休んでいいのだと無言で語りかける」

 

 まるで謳うように朗々と語るセレニィ。これ一種の譜歌じゃないだろうなと一瞬疑いたくなった。

 

「そしてその余裕を見せる事で、懐の深さを部下に示す」

「む、むぅ…」

 

「その上でっ! 何かあった時には己が率先して動く! これでこそ部下はその人を頼りになる上司と信頼するのですっ!」

 

 なんと… そうだったのか…。

 己の大望を為すために我武者羅に生きて、気付けば一人でそれを為そうとしていた…。

 

 だが、もしかしたら… ほんの少し、足を停めて休んで考えれば、あったのだろうか?

 誰かと大志を共に戦う現在(いま)が。

 

 セレニィは内心、しめたと思っていた。

 

 大体ヴァンの考え方は短くとも密度の濃い付き合いで分かってきている。

 思考の先回りなどは簡単とは言わないが不可能ではないのである。

 

「そう、その結果こそが誰とも志を分かち合えず迎える孤独死なのです…」

 

 沈痛な表情すら浮かべて滅茶苦茶な事を言う。

 だが、ヴァンの脳内には悲しいかな悲願果たせず一人誰にも知られず朽ちていく己の姿がよぎってしまった。

 

 さて、ここまで来たら今度は飴である。

 

「ですが、ヴァンさん。貴方が頑張ってきたこと、それは否定されるような事ではありません」

「セ、セレニィ…」

 

 唐突に自己を肯定されて戸惑いながらも安堵するのが手に取るように分かる。

 くっくっく、こいつちょろい。

 

「そのたゆまぬ努力があって、今の貴方の強さがあるのは事実… その強さにより主席総長になったのは誇るべき事」

「お、おぉ…」

 

「ただ、ほんの少し今まで急ぎすぎていたんですよ。だから、今からでも遅くはありません。ゆとりを取り戻すのです」

 

 ぽん、とヴァンの肩に小さな手が置かれる。体が小さいので実はめいっぱい腕を伸ばしてちょっと苦しい。

 

「そうすれば… 今からでも取り戻せるのか? 私に『真の仲間』が出来るのか?」

「ええ、そのためにも微力ながらゆっくり休むやり方をお教えしましょう」

 

「分かった! ならば、頼む!」

 

 こうして、気付けば。

 ヴァンは炭火の上に乗せた網でライスを叩いて潰して纏めたものを焼いていた。

 

「(……おかしい、どうしてこうなった?)」

 

 ちなみに、当然のようにセレニィはコタツ(?)で丸まっている。

 

「な、なぁセレニィ? ゆっくりとしてはいるのかも知れないが、私だけこうしてるのは若干腑に落ちないものが…」

「黙って焼け、ハゲ」

 

「ハゲとらん!? 貴様言うに事欠いて…!」

「ああ… 間違えました、ヒゲ。心の中ではヒゲもハゲも言い慣れてるもので」

 

 言い慣れるなよそんなもん。

 心底そう思いつつ……。

 

 とりあえずこれが焼きあがったら一発殴ろう、と心に決めるヴァンであった。



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本編
01.出会い


 ここは何処とも知れぬ渓谷。

 

 既に日は沈み、夜空には美しい月が浮かんでいる。

 一面に群生する白い花々が、優しく吹く風に、そっと(なび)いている。

 

 そこに三名の男女が倒れていた。

 外傷はない。それぞれ規則正しく胸を上下させている。

 眠っているだけのようだ。

 

 一人は、年の頃17から18の赤毛の青年。

 機能性を重視しているが、上等な素材で作られたであろう衣服を身に纏っている。

 一人は、長髪の女性。年の頃は16前後だろうか?

 スリットの入った際どい軍服のような衣服を纏い、髪型は片目が隠れるほど伸ばしている。

 一人は、12,3歳程度の銀髪の少女。

 何処にでもいるであろう庶民の装いだ。平和そうに涎を垂らして眠っている。

 

「うぅ、ん。ここは…?」

 

 やがて長髪の女性が目覚めて起き上がると、傍らにいた青年を揺り起こそうとする。

 

 

 

 ―――

 

 

 

 言い争うような声が聞こえる。最初は無視してこのまま安眠を貪ろうと思っていた。

 しかし、声は大きくなるばかり。

 

 イライラは募り、この上はもう気持ち良い睡眠など望めそうもない。

 

「だぁー… もう、うるさいなぁ! 人が気持ちよく寝てるって言うのに!」

 

 我慢できなくなって、銀髪の少女は目をこすりながら不機嫌も露わに声を上げた。

 先程まで言い争いをしていた男女がキョトンとした様子で彼女を見詰める。

 

「………」

 

 辺りに沈黙の帳が降りる。

 

 少女は考える。

 

 はて、この人たちは誰だろう? 自分の記憶にはないが。首を傾げつつ周囲を見遣る。

 どうやら白い花々の咲く原っぱに寝そべっていた模様。そして周囲には見慣れぬ岩場が点在。

 空を見上げれば綺麗な満月が浮かんでいる。

 

「……え? なに? どうなってんの、コレ? ドッキリ?」

 

「え? 三人目…」

「オメー、どうするつもりだよ… コイツまで巻き込んじまったみてーだぞ」

 

 怒るでも悲しむでもなくひたすら困惑した様子の少女に、長髪の女性は胸を痛める。

 それを横目で見ながら青年が口を開く。

 まるで他人事と言わんばかりの青年の様子に、長髪の女性はカッとなって思わず怒鳴る。

 

「そもそもあなたが邪魔をするから超振動が起こってしまったのに…ッ!」

「あ、あのー…」

 

 再び言い争いを始められては今度こそ置いてけぼりにされてしまう。

 そう感じた少女は、多少ビビりながらも勇気を出して割り込むことに決めた。

 

 縋るような目付きの少女を無視して言い争う気にもなれず、不機嫌そうに互いにソッポを向く。

 

「…フン」

「うぜー…」

 

 ひとまず喧嘩はやめたようだが状況は芳しくない。空気が重い。

 出来ればこんな怖そうな人たちに頼りたくない。

 けど、こんなところで置いて行かれたら死ぬかもしれない。背に腹は代えられないのだ。

 

 命綱に媚び(へつら)うことこそ肝要。その思いから出来る限りの愛想笑いを浮かべて尋ねる。

 

「えと… ここはどこなんでしょう? なんで俺はここにいるんでしょう?」

 

 小柄な少女らしからぬ一人称に女性と青年は一瞬驚くが、指摘する前に疑問に答えてやる。

 といっても、彼らにしても知っていることは少ないが…

 

「ごめんなさい、ここがどこなのかは私たちも分からないの。どこかの渓谷ということしか…」

「はぁ、そうですか。……なんで俺がここにいるのかはご存知です?」

 

「多分、超振動ってのに巻き込まれたんじゃねーの? その女がさっき言ってたぜ」

「チョウシンドウ?」

 

 聞き慣れない単語に再度、首を傾げる。

 

「なんだっけ… ドウイタイによるキョウメイゲンショウって言ったか?」

「はぁ… それに巻き込まれるとどうなるんですか?」

 

 さっぱり分からなかったので理解するのを早々に諦め、結論だけを尋ねる。

 

「転移してしまうこともあるわ。今回のようにね」

「おぅふ…」

 

 ここがどこだか分からない。

 良く分からない現象の良く分からない効果のせいで見知らぬ場所に飛ばされた。

 突き付けられたあまりに過酷な現実に少女は頭を抱える。

 

 既に泣きそうだ。哀れに思ったのか女性がフォローを入れる。

 

「だ、大丈夫よ。さっきから水音が聞こえるから、きっと川があるのよ! だから、ね?」

「あぁ… そうですね、とりあえず川沿いを下るしかないですよね。はい」

 

「川沿いを下ってどうするんだよ?」

「まぁ、川沿いには町が出来やすいですから。そうでなくても河口には港もあるんじゃないかと」

 

「そういうことよ。分かった? ルーク」

「うぜー… なんだよ、えらそーに」

 

「そ、そういえばお二人のお名前は!?」

 

 隙あらば喧嘩しようとする二人にあわてて割って入る。

 なんということだろう。どうしてこの状況で執拗に喧嘩をしようとするのだろうか。

 俺の胃を痛め付けるための策略か? だったら大成功だよ、コンチクショウ。

 

 二人に対して恨めしく思いつつも、少女は胸中でそう呟く。

 

「私はティア。こっちはルークよ。……あなたは?」

「あ、これは失礼しました。俺は…」

 

 俺は… はて? 名前が出てこないぞ。少女は三度首を傾げる。

 

 確か、日本人で、男性で… うん、ここまでは覚えてるな。

 バッチリだ、自分を褒めてあげたい。

 

 名前は? 年齢は? 家族構成は? 友人関係は? ……駄目だ、サッパリ思い出せない。

 なんでもう少し頑張れなかった! しっかりしろよ、自分!

 

 しかし、いくら自分を鼓舞したところで出ないものは出ない。

 

「……俺は、誰なんでしょう?」

 

 諦めたような困ったような笑みを浮かべて、少女は尋ね返した。

 なんということだろう。

 つまるところ、彼女は未だ自身が少女になっていることすら自覚していなかったのだ。

 

「………」

「………」

 

 沈黙に固まる彼らを、白い花々と夜空に浮かぶ月だけが見詰めていた。

 

 

【挿絵表示】

 



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02.セレニィ

「記憶、喪失…?」

「どうすんだよ、オイ… 流石にこれは洒落にならねーぞ…」

 

 呆然と呟いた女性を、先程より厳しい表情で男性が見詰める。

 記憶を失ったという事実に対して思うところがあるようだ。

 

「何よ! 私が悪いっていうの!?」

「オメー以外の誰のせいだって言うんだよ! そもそもオメーが…」

 

「あ、あのあの! なんか素敵な名前をお二人で付けて貰えたら嬉しいなぁ!!」

 

 目の前で喧嘩が始まると心臓に悪い。空気も重くなるし居心地も悪い。

 少女はどこまでも小市民的であった。

 

「そうね… 今はルークのことは後に回しましょう」

「うぜー… なんだよ、いちいち突っかかってきて」

 

 同時に互いを睨み付ける。

 

「(おまえら、ひょっとして凄く仲いいのか? いい加減に泣くぞ、この野郎)」

 

 取り残されつつある少女はストレスがマッハだ。

 そろそろ、律儀に振り回される自分の方が悪いのだろうか? などと思い始めている。

 

「でも、そうね… どんな名前がいいかしら?」

「んじゃ、ここに咲いてる花はどうだ」

 

「セレニアの花? ……そうね、たしかに可愛らしい響きだし似合ってるかも」

「………」

 

 自身を未だ男だと思っている少女は複雑そうな表情を浮かべる。

 いや、可愛い響きの名前を自分につけられても… という気分だ。素直に喜べない。

 

「へー… これ、セレニアっていうのか。んじゃ、セレニィとか?」

「あなたね、知りもしないのに名付けようとしたの? 変な名前だったらどうするつもり!」

 

「うっせぇな! そんときゃ別の名前にすりゃいいだろうが!」

「ティアさん、ルークさんありがとう! すごい素敵な名前ですね! セレニィサイコー!」

 

「そ、そうかしら…?」

「へん、当然だ。まぁよろしくな、セレニィ」

 

 また喧嘩が始まりそうになるので慌てて二人を褒めた。

 いい加減放置したいところだが、それが出来ないのが悲しい小市民のサガである。

 それに存在感を消しても忘れ去られそうだ。忘れ去られれば命の危険がある。

 

 なし崩しにセレニィになってしまったが、まぁ、仮の名前だしと自分を誤魔化す。

 うん、「セレ(にぃ)」と考えれば中々に男らしいとも言えるのでは?

 ……もはや自己暗示の領域であったが。

 

 

 

 ――

 

 

 

「さて、それじゃそろそろ出発しましょうか?」

「え?」

 

 名前が決まって和やかな空気で談笑している中、長髪の女性… ティアがそう切り出した。

 思わず声を上げてしまうセレニィ。何を言っているんだ、コイツは? という表情だ。

 

「私が責任をもってあなた達を送るわ。……どうしたの、そんな顔して。帰りたくないの?」

「あ、いや、その… ティアさん、今は夜ですよね?」

 

 恐る恐るといった様子で確認する。

 間違いであって欲しい、冗談だと言って欲しい… そんな顔で。

 

「えぇ、そうね」

「月明かりがあると言っても視界が悪いですよね? 渓谷なら足場も悪いですし」

 

「それって、よく分かんねぇけど危ないんじゃねーの?」

「えぇ、危ないです。足を踏み外して転んだら怪我したり、打ち所が悪ければ死ぬかも…」

 

 援護をするつもりもなかったのだろうが、ルークが発した言葉に同意する。

 怖いのも危ないのも絶対にノゥ! チキンである彼女は必死である。

 

「大袈裟ね。怪我をしても私が治療してあげるわ… 回復譜術が使えるのだもの」

「カイフクフジュツ?」

 

「そう。数の少ない第七音譜術士(セブンスフォニマー)の特権とも言えるわね」

 

 どこか誇らしげに胸を張るティア。たわわな胸がプルンと震える。

 心根は健全な男性のままのセレニィはそれを網膜に焼き付けつつ話を続ける。

 

 ちなみに譜術云々については早々に理解を放棄している。

 得体のしれないものには足を踏み入れない。それが生き延びる秘訣だと固く信じている。

 

「そうですか… でも、野生動物に襲われるかも。肉食獣の多くは夜行性ですし」

「それって、魔物と戦闘になるかもしれねーのか!?」

 

「フフッ、それも大丈夫よ」

 

 セレニィの言葉に慌てるルークの様子に微笑みながら、ティアは大丈夫と言い切った。

 なんだか分からないがすごい自信だ。

 これは信じても良いのかも。セレニィがそう思った時…

 

「私たち3人で力を合わせればきっと乗り越えられるわ」

「おい… おい…」

 

 何ナチュラルに頭数にカウントしてんねん? と思わず関西弁で突っ込みそうになる。

 いや、ボケての発言なら確実に突っ込んでいた。そうでないと失礼なくらいの巨大なネタだ。

 

 だが… ティアの目は本気だった。

 思わず息を呑みそうになるほど深い色を湛える瞳であった。

 

 だがセレニィは諦めない。

 彼女は絶対保身するマンなのだ。おいそれと頷く訳にはいかない。

 

「いや、あの、人間は夜行性の動物ほどに夜目は利かないと思うんですけど…」

「いいことを教えてあげるわ。それを補い合うために仲間がいるのよ」

 

 ティアは待ってましたとばかりにドヤ顔で言ってのける。駄目だ、コイツ話が通じない。

 

「補い合う仲間… そ、そういうもんなのか? なら…」

「ちょっ、だまされないで!?」

 

 ちょっと感動したっぽいルークが腰を上げそうになるのを必死で阻止する。

 もう半泣きだ。

 

「それにどの道、野営する道具も水も食料もないもの。進むしかないと思うわ」

「そっか… 時間が経てばジリ貧だな」

 

 ついにルークが説得された。

 もうダメだ。

 

「あ、うん。……それも、そうですね。進むべきかもですね」

「分かってくれた? セレニィ」

 

「えぇ、分かりました。けど、俺、手ぶらですし流石に素手で参加はキツいかなって…」

 

 この期に及んで兵役を逃れる気満々である。どこまでも屑である。

 

「なるほど、確かにそれはそうよね…」

「そーだな。俺はまだ木刀があるから良いけど、セレニィにはキツいんじゃないか?」

 

「そうね、分かったわ」

 

 分かってくれたか! パァ… 花も綻ぶような美少女の満面の笑みを浮かべる。

 

 ずしっ。

 

 手に何か重いものを持たされた。

 

「……え?」

「私のナイフを貸してあげる。……切れ味が鋭いから取り扱いには気を付けてね」

 

 渡されたものを見詰める。

 月明かりに映える鈍い光沢を放つソレは、命を奪う説得力に満ちた重量を手に伝えていた。

 

「おぅふ…」

 

 彼女は肩を落としながら、夜の渓谷を下る二人に付き従うのであった。



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03.チームワーク

「なんかデカいイノシシがいますよね」

「あぁ、いるな」

 

「なんかこっちをガン見してますよね」

「えぇ、してるわね」

 

 夜の渓谷を下るルーク一行の前に巨大なイノシシが現れた。

 鼻息荒く前脚で地面を蹴りつつ、非常に興奮している様子が伺える。

 

「あの、家のエアコンつけっ放しな気がするんで帰ってもいいですか?」

「魔物が来るわ! 構えて!」

 

 セレニィの戯れ言は一刀両断される。

 

 戦闘が始まった。

 前衛に立ち、ルークは木刀を構える。ティアは後衛にて詠唱を始める。

 そしてセレニィは…

 

「ぎょえぇえええええ!?」

 

 イノシシの突進から逃げ回っていた。必死である。

 ティアから借り受けたナイフで応戦しようなど考えにも浮かばない。

 絶望的な体積差がそこには横たわっているのだから。

 

「ちょ、セレニィ!?」

 

 思わずセレニィを助けに向かおうとしたルークであるが、そこでイノシシが動きを止める。

 ティアの眠りの譜歌の詠唱が完成したのである。

 ダメージを受けて眠りに落ちたイノシシに気付かず、セレニィは未だパニックの中だが。

 

「流石ね… 彼女が一人で魔物の目を引きつけてくれた。こうして安全かつ確実に戦えるわ」

「どういうことだ?」

 

「獣は大きな声を出す者、逃げる者を追いかける習性を持つわ。彼女はそれを利用したのよ」

 

 無論、ティアの勘違いである。

 セレニィはありえないほどの巨体のイノシシに襲いかかられ、恐慌状態に陥っただけである。

 

 そんな彼女の動きではなく表情を見ていたルークは、ティアに思うところを口にしてみる。

 

「ホントにそうなのか? なんかマジで怖がって逃げてるだけのようにみえるんだけど」

 

「そうかしら? う~ん… 私の分析で間違いはないと思うのだけど」

「いや、でも… 演技にしちゃ真に迫りすぎじゃねーか? 劇なんて見たことねーけどさ」

 

 セレニィを指し示すルーク。それに対しティアは若干小首を傾げる。

 

 ティアは若干演出家の向きがある。

 とある事件で、対象を暗殺するためだけにわざわざ叫んで屋根から飛び降りたこともある。

 普通に考えれば暗殺的には台無しなスパイスだ。しかしティアの中でそれは矛盾しない。

 

 そう、彼女は見た目に映えるか否かを無意識のうちに取捨選択してしまう傾向があるのだ。

 そこへ来てこのシチュエーションだ。

 渓谷で出会った可愛らしい少女が仲間のために身を尽くす… いかにも彼女好みの舞台だ。

 

 そのせいで、思考が囚われ過ぎていたかもしれない。ティアは一つ頷くと、口を開いた。

 

「彼女には後で確認するとして、今は戦闘を。……譜歌の効果時間もそう長くはないわ」

「っと、確かに今はあのイノシシをどうにかしないとな。よし、セレニィ! 後は任せろ!」

 

 世間知らずの貴族だとばかり思っていたが、存外、人を見ているのかもしれない。

 心の中でルークへの評価を上方修正しつつ戦闘後に直接確認するよう提案する。

 

 一方ルークにしても、軟禁生活を余儀なくされていた事情から世間知らずの自覚はある。

 ティアがああ言った以上、自分の全くの勘違いという可能性もまた捨てきれないのだ。

 

 戦闘終了後に本人から直接確認するという提案に否やはなく、頷きつつ木刀を構える。

 そして、大イノシシに突進した。師匠との稽古での動きを思い出し、再現しようと試みる。

 

「喰らえ、双牙斬ッ!」

 

 駆け出し一気に間合いを詰めると、木刀を叩き付け、間隙を置かず斬り上げる。

 まともに入った一撃は、流石の大イノシシといえども耐えられるものではなかったようだ。

 地響きを上げて倒れ伏すと、そのまま動かなくなる。

 

「っしゃ!」

 

 イメージ通りの攻撃が出来たことに思わずガッツポーズを取るルーク。

 

「調子に乗らないで。踏み込みが甘いし、何より雑よ」

「うぜー!」

 

 折角の高揚感に水を差され、不愉快そうにティアを睨み付ける。

 

「ぜー、ぜー… ルークさん、ティアさん、助けてくれてありが… げふっ、ごふっ」

 

 そこに散々追い回されフラフラになったセレニィがやってくる。

 足が生まれたての仔鹿のように震えている。

 

 

 

「えっと、セレニィ。疲れているところ悪いのだけど一つ確認したいことが…」

「は、はい… おほんっ、なんでしょう?」

 

「いや、さっき逃げ惑いながら魔物の注意を引いてたのは作戦なのかそうじゃないのかってな」

 

 こいつらは一体何を言っているんだろう。若干本気でセレニィは考えこむ。

 そんなの見れば分かるだろう。ていうか助けに来るの遅くなかったか? 世間話でもしてたか?

 

 正直めっちゃ怖かったです。死ぬかと思いました。そう、キッチリ言ってやらねば…

 

 そして口を開こうとして、気付いた。

 

「(いや、待てよ。違うって言ってしまったら役立たず認定されるんじゃ…)」

 

 役立たず認定されたらどうなるのか… 想像してみる。

 

『なんだ、やっぱり逃げてるだけだったのか。はー… 使えねーヤツは邪魔なだけだな』

『そうね… 残念だけどセレニィはここに置いていきましょう。ついてこないでね?』

 

 こんな危険極まりない渓谷に放り出されたら夜明けを待たずに死亡する自信がある。

 なんとしてもそれだけは避けなくては! その一心で絶対保身するマンは口を開いた。

 

「と… 当然、作戦通りに決まっているじゃないですか!」

 

 冷や汗を垂らしながらもドヤ顔で言い切った。

 

「なーんだ、そうだったのか。だったら事前に一言くらい言えよなー?」

 

「フフッ… ルーク、心配してたものね」

「う、うっせーな! コイツが使えねーんじゃねーかとハラハラしてただけだっつの!」

 

 ティアに指摘されると、赤くなってまくし立てるルーク。

 やはり捨てられるところだったのだと、正解を選択できた幸運に胸を撫で下ろすセレニィ。

 

 だが、これで満足していてはダメだ。さらなる発言をもって基盤を作らねば!

 

「確かに一言あって然るべきでした。俺の落ち度です… 申し訳ありません」

 

「べ、別にわかりゃいーんだよ。だから頭上げろって!」

「はい、ありがとうございます。……けれど、みなさん阿吽の呼吸で合わせてくれました」

 

 謝罪をしてみせて謙虚さをアピールしつつ話を続ける。

 

「仲間を信じるのは当然のことよ。……心配したのも事実だけどね」

「んだよ… 作戦に気付いてなかったの俺だけかよー」

 

「でもこの場の誰か一人が欠けててもこの結果はなかった。俺はそう思います」

 

 慈愛の微笑みを浮かべながら、セレニィは口にする。

 

「だからこの結果は、謂わば私たち3人全員の… チームワークの勝利ですよ!」

 

 だから喧嘩するなよ? 俺を捨てていくなよ? そういう想いを込めてそう宣言した。

 

「えぇ、そうね。きっとそうだわ」

「へへっ! いいこと言うじゃねーか」

 

 ティアとルークは感動したような表情で頷いている。

 

「……よし、こいつらチョロい」

 

 とことん屑である。

 

 ……だが、彼女は知らない。

 その宣言によって自らに課せられるハードルが上がってしまったことを。

 

「っと、早速次の魔物がお出ましみたいね。セレニィ… 頼んだわよ!」

「……え?」

 

「一撃で仕留めてやるから頑張ってこいよ!」

「……え?」

 

 彼女は信頼する仲間たちに笑顔で送り出された。

 目の前には魔物がいる。……今度は2体だ。

 

「……え?」

 

 

 

 ――

 

 

 

「セレニィの的確な判断で全くの無傷で突破できたわ」

「俺よりも年下のしかも女だってのにさ… 結構やるじゃねーか」

 

 夜が明ける頃、泥だらけになった彼女と無傷のまま彼女を讃える仲間の姿があった。

 彼らは意気揚々と川沿いを下っている。

 

「こひゅー… こひゅー…」

 

 サラッと重要情報を漏らす仲間の言葉も耳に入らない。

 ただ真っ直ぐ前方のみを見詰めるセレニィの表情は死んでいたという。



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04.辻馬車

「出口よ!」

 

 喜色を滲ませ叫ぶティアが示す方を見れば、なるほど、確かに山道が途切れている。

 

「ようやくここから出られるのか」

「……ですね」

 

 疲労によって極端に口数を減らしていたセレニィではあったが、流石に嬉しかったようだ。

 顔を上げてルークと笑い合う。

 

「! 静かに… 誰か来るわ」

 

 その時、何者かの接近する気配を感じてティアが小さく声を上げる。

 すわ新たな魔物かと緊張感とともに身構える3人であったが…

 

「うわっ! あ、あんたたち… まさか漆黒の翼か!?」

 

 現れたのは水桶を手にした一人の中年の男性であった。

 安堵の息を吐いて緊張を解くセレニィとティア。一方ルークは疑問をそのまま口にする。

 

「漆黒の翼… って、なんだよ?」

「盗賊団だよ。この辺を荒らしている男女三人組で… って、やっぱりそうじゃないか!」

 

 男はルーク一行の人数を数え直すと水桶を手にしたまま、恐怖に怯えて後ずさる。

 

「ちょっと待って! 私たちは盗賊団なんかじゃないわ! ……その、道に迷っただけなの」

「そうだぜ。ていうか、そういうオッサンこそ何者なんだよ?」

 

 盗賊団と疑われ、怒りを露わに言い返すティアとルーク。

 そんな二人をセレニィは凄いと思いつつ見守っていた。

 自分だったら後ろ暗いことがなくても挙動不審になって、ますます疑われていたかもしれない。

 

 堂々と言い返す男女とオロオロしながら事態を見守る少女の様子に、男は気勢を削がれる。

 

「俺は辻馬車の馭者(ぎょしゃ)だけど… 本当に漆黒の翼じゃないのか?」

「しつけーな! 俺やセレニィをケチな盗賊野郎と一緒にするんじゃねぇ!」

 

「……そうね、セレニィはともかくルークと一緒にされたら相手が怒るかもしれないわ」

「んだとっ!」

 

「あ、あのあの! 辻馬車ってことは俺たちを乗せていくことも可能ですか!?」

 

 油断をしていた。その一言に尽きる。

 渓谷を下る道中の戦闘を通じて仲良くなったと思っていたのは気のせいだったようだ。

 時間経過かもしくはイベントが挟まれる毎に喧嘩をするのが彼らの仕様なのだろう。

 

 折角の土地勘を持っているであろ人間を逃してしまっては堪らない。

 馭者が喧嘩に呆れてさっさと戻ってしまう前に、セレニィは慌てて口を開くことにした。

 

「そりゃまぁ… 可能だが。当然その分の料金はいただくよ?」

 

 泥だらけになった年頃の少女が、哀れを誘う目線で見上げてくるのを無碍には出来ない。

 彼らの言い分をひとまず信じることにして、馭者としての商売に思考を切り替える。

 

「えっと… どうしましょうか?」

 

 ことはお金が絡む。

 道中で倒した魔物が吐いたコインのようなモノは回収していたけれど… 使えるのだろうか?

 

 自分一人で決定できる問題ではないと判断したセレニィは背後の二人を見詰める。

 

「そうね… 馬車は、首都へいきますか?」

「あぁ、終点は首都だよ」

 

「んじゃ、決まりだな。もうクタクタだし、乗せてってもらおーぜ!」

 

 そう言ってセレニィの隣に移動すると、その頭をポンポン叩く。

 ティアは勝手に決定したルークを軽く睨むが、疲れた様子のセレニィを見て言葉を飲み込む。

 

「……そうね。首都まで3人、お願いできますか?」

「首都までとなると一人12,000ガルドになるが… 持ち合わせはあるのかい?」

 

「高い…」

 

 思わず呟いた様子のティアを見て、セレニィにも持ち合わせでは足りないのだろうと伝わる。

 状況を理解し、目の前が絶望で真っ暗に染まる。

 ルークはそんな彼女らの様子に気付かず、何が楽しいのかセレニィの頭をポンポン撫で続ける。

 

「安いんじゃね? 心配すんなって。首都についたらおまえらの分も親父が払ってくれるさ」

「そうはいかないよ。前払いじゃないと…」

 

 そこまで言って先程から黙っている銀髪の少女の様子が目に映る。

 その瞳には何も映さず、絶望に支配されているように見えた。

 衣服は泥だらけ。更には所々ほつれておりボロボロだ。……ここに来るまでの苦労が偲ばれる。

 

「はぁ… 前払いはしてもらうけど一人8,000でいいよ。これで払えなかったら知らないよ」

 

 ここで置いて行ったら自分の方が悪者みたいではないか。

 ため息を吐きながら精一杯の温情を示してやる。後は彼ら次第と責任を押し付ける形にした。

 

 彼の気持ちが伝わったのか、ティアは数瞬だけ悩んで懐からペンダントを取り出した。

 

「……これを」

「へぇ… こいつは大した宝石を使っている。よし、充分だ。乗っていきな!」

 

 満足気に頷いた馭者はそう言うと、水を汲んでから馬車のもとへと戻っていった。

 これで当座の足は用意出来たことになる。

 一時はどうなるかと思ったが無事に乗れることが分かると、ルークも楽しそうにはしゃぐ。

 

「よし、これで馬車に乗れるぞ。いこうぜ、セレニィ!」

「はい。……あの、ティアさん」

 

 馬車に向かって駆け出したルークを見送ってから、振り返る。

 

「どうしたの? セレニィ」

「さっきのペンダント… ひょっとして大事なものだったのでは?」

 

 絶対保身するマンは他人の顔色をうかがって生きている。

 当然、ペンダントを差し出す時のティアの表情をチェックしていない筈がなかった。

 

 その指摘にティアは一瞬だけ目を見開くと、続いて優しく微笑んだ。

 

「いいのよ。私たち3人が出来るだけ安全に移動できることが何よりも大事でしょう?」

「ですが、その…」

 

 否定しなかった。やっぱり大事なものだったんだ。

 セレニィが抱いた疑惑は確信に変わり、表情はそのままに青褪めていく。

 

 いつかこの時のことを持ち出されて復讐されるんじゃないか?

 あるいは、トイチで勘定してるから耳揃えて返せと言われるんじゃないか?

 

 明るい未来が見えない。絶望去ってまた絶望である。

 

「大丈夫よ、気にしないで。ほら、ルークが呼んでいるわ。急がないと置いて行かれるわよ?」

「へ? ……ぎゃあああああ! ちょっ、置いてかないでぇ!?」

 

 慌てて後を追おうとするが、最後にもう一度だけティアを振り返る。

 

「ティアさん」

「…なに?」

 

「その、ごめんなさい。……そして、ありがとうございます」

 

 最後に申し訳無さそうな笑顔を見せて、一つ頭を下げると馬車へと駆けて行った。

 彼女なりに申し訳なさそうな表情を作ろうとしていた。

 だが、これ以上歩かず馬車に乗れるのは嬉しい。笑顔が隠し切れない。紛うことなき屑である。

 

「……まったく」

 

 一人残されたティアは、苦笑いを浮かべながらため息をつく。

 先程、馭者に差し出したペンダントは母の形見であった。

 こんな形で突然喪ってしまうのは本意ではなかったし、勿論、辛くないはずがない。

 

 けれど、彼女は… セレニィはその想いを正確に汲み取り「ありがとう」と言ってくれた。

 それだけで救われた気がした。自分の決断は間違っていなかったのだと。

 

「母さんも、きっと許してくれるわよね」

 

 夜空を見上げる。顔も思い出すことのできない母の笑顔がそこに浮かんでいる気がした。

 

 二人が自分を呼ぶ声が聞こえる。

 何かと我侭なルークであるが、自分にはともかくセレニィには気遣っているようだ。

 そしてセレニィはあの歳で優しくて賢くて可愛くて、尊敬に値する仲間だ。

 

 それまでは、ある『使命』から悲壮感に支配された気の重い旅路であった。

 けれど、あの二人がいるならもう少しだけ前向きに進んでも良い気がしてくる。

 そう考えて、笑顔を浮かべて彼女は歩き出した。

 

「そんなに大きな声で叫ばなくても聞こえているわ。少しは落ち着きなさい」

 

 馬車へ、そして仲間の元へと。

 

 

 

 ――

 

 

 

「しかし、ガルド… 聞いたことのない通貨だな」

 

 ティアを待つ間に、セレニィは一人思考に耽る。

 いや、通貨の問題だけならば自分が知らない種類のものだという考えもできる。

 彼女自身、世界中の通貨を全て覚えているかと言われればそれはなかった。

 

 だが、それ以上に不審な点が目立つ。道中で襲ってきた魔物たちの存在だ。

 大きなイノシシはともかく、二足歩行をする植物などあっただろうか?

 どこかの軍需企業によるバイオ兵器? それにしてはティアには慌てた様子がなかった。

 

 となれば、考えられるのは…

 

「異世界? トリップ? 転生? ……決めつけるのは早計か。もっと情報を集めないと」

 

 シリアスに締め括る彼女であるが、根本的な自身の変化にまだ気付いてなかった。

 

「しかし、この世界の人はみんな大きいなぁ」



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05.第一歩

「すぴー」

 

 ガタンゴトンと揺れる馬車の中、セレニィは爆睡していた。

 半開きの口から涎を垂らした幸せそうな寝顔だ。熟睡だ。

 普段以上に幼い表情のまま眠りこけている彼女を、ティアは向かい側から眺めている。

 

「フフッ… 可愛い寝顔ね」

 

 飽きもせず、楽しそうに。

 セレニィのことをまるで自分の妹のように思って親近感を抱いているのか。

 

 しかしながら居心地が悪いのはルークの方だ。

 セレニィの隣に腰掛けたのが運の尽きか、いつしか肩を枕代わりに熟睡されてしまっている。

 肩に伝わる体温が気まずいが、さりとて距離を離そうとして動けば起こすかもしれない。

 

 さながら膝の上で寝てしまった仔猫を見守るような心持ちだ。

 あるいはティアが飽きもせず眺めるのもルークの感じているそれに近いからなのかもしれない。

 なるほど、他人事ならば微笑ましく眺めたくなる気持ちも理解できよう。

 

 しかし、寄りかかられているルーク本人にしてみれば…

 

「(動けねぇ…)」

 

 八方塞がりというものだ。

 馬車内という閉鎖空間の中で、女二人に対して男一人という疎外感も気まずさを加速させる。

 これならひょっとすれば、馬車に乗らず歩いていた方がまだマシだったかもしれない。

 

「(せめてガイがこの場にいてくれれば… いや、無理か)」

 

 今も屋敷にいるであろう自分が気安く付き合える数少ない友人のことを思い出す。

 しかし、直後に彼が重度の女性恐怖症だったことを思い出す。

 付き合いの長い屋敷のメイドに囲まれただけで悲鳴を上げてルークに助けを求めるほどだ。

 

 こんな環境の中に放り出せば、奇声を上げて馬車から飛び出してしまうかもしれない。

 

「ったく、つかえねー…」

 

 ルークはため息を吐きながらそう呟いた。

 ガイからすればルークの想像の中で勝手に登場させられ勝手に呆れられと散々な扱いである。

 

「どうしたの? 急に」

 

 だが、そんなルークの独り言に反応したのがティアである。

 

「いや、オメーに言ったんじゃねーけどさ… でも折角だし聞いておくか」

「……なにを?」

 

 別にティアに対して言ったつもりはなかったが、落ち着いて話をするいい機会でもある。

 

 セレニィのことや魔物との戦いの中でなぁなぁで流したまま、後回しにしてきた問題について。

 それを察したのか、ティアも緊張感を滲ませた瞳を細めつつルークを真っ直ぐに睨みつける。

 

「分かってんだろ… なんでウチに上がり込んでヴァン師匠(せんせい)を殺そうとしやがった?」

「……あなたには関係ないことよ。私の事情に巻き込むつもりもない、詮索しないで」

 

「ふざけんな! この状況のどこが巻き込んでねぇってんだよ!?」

 

 彼にしてみればあまりに勝手過ぎるティアの言い分は、自身を激昂させるに充分。

 怒りのままに席を立とうとする。

 

 それをティアは慌てて押しとどめる。

 

「静かに… セレニィを起こしてしまうわ」

「……チッ」

 

 流石のルークも、ティアと険悪になるたびセレニィが仲裁してくれていたことは気付いている。

 それだけではなく、戦闘の際も自ら率先して危険な囮役を買って出てくれた。

 そのおかげで初の実戦でも大したパニックになることなく落ち着いて戦うことが出来たのだ。

 

 彼も彼なりにセレニィに感謝していた。だがそれだけにティアの態度は許せないものがあった。

 

「おまえ、ホントに分かってんのか? ……俺だけじゃなく、セレニィも巻き込んだんだぞ」

「それは…」

 

 道中での戦闘だけでなく、馭者との交渉の件でもセレニィはティアを気にかけてくれた。

 ティアにとってもセレニィは好感の持てる人物であることは間違いがない。

 彼女が口にしないからといって、それに甘えて不義理を働くことには罪悪感を覚えてしまう。

 

 途端に頑なな態度を萎ませて俯いてしまうティアに対し、ため息を付きつつルークは口を開く。

 

「俺はまだいいさ。記憶障害と7年間付き合ってきて、気に入らねーけどある程度は慣れた」

「………」

 

「でもセレニィにとってそれは今なんだぞ。家族すら思い出せない、自分が誰かも分からない」

 

 ルークもまた、かつて自身が誘拐事件に巻き込まれて記憶障害になったと聞いていた。

 記憶もなく言葉も喋れず… そんな状況に追いやられたのだ。

 そのせいで家族である父から冷たく扱われたり婚約者から心無い言葉を投げかけられもした。

 

「それなのに俺たちのことを優先させて… それでも関係ないって言えるのか? おまえは」

「そ、それは…」

 

「だったらオメーは人間じゃねぇし、セレニィが許しても俺はぜってぇ許さねぇ」

 

 ティアは、もはやルークの言葉に反論する気力も持てない。

 実際に記憶障害になったルークから語られる言葉には否応ない説得力を感じる。

 

 けれど、この『使命』という重荷を他人に背負わせていいものか。

 それは更なる罪を重ねることになりはしないだろうか。その想いが口を開かせないでいた。

 

「すぴー」

 

 一方、渦中の存在たる絶対保身するマンは幸せそうに惰眠を貪っていた。

 気付かれないのをいいことに、涎をルークの服に垂らすなどやりたい放題である。

 

 戦闘での活躍は偶然だし、ご立派な言動は捨てられまいとする保身から生まれたもの。

 気遣いに見える数々の行動は単に顔色をうかがってきた結果にすぎない。

 そもそも記憶が無いこともさほど悲観的に捉えておらず、生き延びられればそれで満足である。

 

 この世界についての考察も早々に諦め、疲労に抗わず身を任せてさっさと眠りについた。

 それが冒頭の爆睡につながっているのである。

 

 救いようがないほどの屑であり、自分に正直なダメ人間であった。

 

 そんな内情など知る由もないルークとティアは互いにセレニィを想って口を閉ざす。

 馬車の中に気まずいムードが漂う。

 

 

 

 ――

 

 

 

 そこに、大きな爆発音が鳴り響いた。

 

「な、なんだ? ……うわっ、なんか外で別の馬車がデカい船に襲われてるぞ!」

 

 動揺したルークにお構いなしに二度、三度… その衝撃とともに馬車を揺らす。

 

「多分これは軍艦の砲撃音ね… 振り回されないようにしっかり捕まって!」

「わ、わかった! ……って、セレニィが」

 

 その揺れに、セレニィは幸せそうな寝顔のままルークと反対方向に傾いていき…

 

「ぐへっ!」

 

 鈍い音を立てて、その後頭部を強かに馬車の窓縁へと叩きつけた。

 

「……いたひ」

 

「うわ、いたそー…」

「だ、大丈夫? セレニィ」

 

 半泣き状態で頭を抱えて(うずく)る彼女を、それぞれ痛々しそうな眼差しで見守る。

 天国から地獄とはまさにこのことか。

 

 しかし断続的に続く轟音と揺れる馬車の様子に気を取り直して尋ねる。

 

「うぅ… 一体何があったんですか?」

「軍が盗賊を追っているんだよ! ほら、あんたたちと勘違いした漆黒の翼だよ!」

 

 外で馬車を操っている馭者がそう説明してくる。

 

「へー… あれが」

「あ、ホントだ。なんかすごい船がボロっちい馬車を追い回してますね」

 

 並んで窓の外を見ている二人の視線の先で、追われた馬車は橋を爆破しつつ逃げていった。

 

「すっげぇ迫力ー!」

「驚いた! ありゃマルクト軍の最新型の陸上装甲艦タルタロスだよ!」

 

「タルタルソースか… おなか減ったなぁ」

 

 興奮するルークとそれに気を良くして説明する馭者を尻目に、空腹感を自覚するセレニィ。

 なんとなく流されて一緒に見守ってみたが、もともとさほどの興味もないことに気付く。

 精々がわざわざ戦艦を持ち出してまで追いかけてた盗賊にあっさり逃げられたなぁ、くらいだ。

 

 だが、ルークとティアは違った。馭者の説明に、見る見るうちに表情を青褪めさせる。

 

「マ、マルクト軍だって? なんだってマルクト軍がこんなところにいるんだよ!」

「そりゃ当然さ。キムラスカの連中がいつ攻め込んでくるか分からない物騒な世の中だしね」

 

「……ちょっと待って。ここはキムラスカ王国じゃないの?」

 

 揉めている気配に気付いたセレニィは、揚げたてのエビフライの妄想を取りやめ耳を澄ます。

 

 ふむふむ、ここはキムナントカ王国じゃなくてマルナントカ帝国の西ナントカ平原だったのか。

 ……なるほど、サッパリ分からん。

 

 ただ、どうやらティアさんがウッカリ道を間違えたらしいということが伝わってきた。

 美少女で巨乳で片目隠しロン毛でウッカリさんと来たか。あまりの属性過多っぷりに戦慄する。

 

 そしていつもの通りに言い合いを始める二人の間に割って入る。

 もはや予定調和の動きといえるだろう。こんな動きに慣れたくはなかった。そう密かに思う。

 

「どんまいです、ティアさん! 誰にだって間違いはありますよ!」

「そ、そうよね… でも、ごめんなさい。私が迂闊だったわ」

 

「いやいや、俺なんて地名言われてもサッパリですからそれよりずっとマシですって」

「フフッ… それ、フォローになってないわよ? セレニィ」

 

「んだよ… ったく、俺には謝るより先に逆ギレしやがったくせによ」

 

 不満気にブツブツ言うルークではあるがこれ以上、事態を引っ掻き回すつもりもないらしい。

 

「とりあえず、ここは全員で協力してこれからのことを考えませんか?」

 

「そうね。異論はないわ」

「あぁ、わかったよ」

 

 提案に頷く二人の様子に、内心ほっと胸を撫で下ろす。

 この世界のことを何も知らない自分では役に立たないことは明白だ。

 なんとしてもこの二人に知恵を出して貰わねばならなかったのだ。

 

 とりあえず作戦の第一段階は通った、と思ったところで何故か注目されていることに気付く。

 

「……あの、何か?」

 

「気を悪くしたらごめんなさい。これからのことを考える上で少し気になることがあって」

「あぁ、俺もだ。大したことじゃないっちゃないんだけど…」

 

 はて? なんのことだろう。自分に関係のあることなのだろうか。

 首を傾げて考えてみるも、心当たりは思い浮かばない。

 愛想笑いを浮かべつつ彼らの言葉を待ってみる。暫し経って、躊躇(ためら)いがちにティアが口を開く。

 

「どうして女の子なのに『俺』なんて使っているのかしら、って」

「あぁ… 不自然だしあんま似合ってねーと思うぞ」

 

 笑顔のまま表情が固まる。

 何か今、聞き捨てならないことを言われたような… そう思い、恐る恐る確認する。

 きっと何かの間違いだ。そうであることを願って。

 

「女の子? 誰が?」

「あなたが」

 

「……マジで?」

「マジで」

 

 現実は非情である。

 

「……え? どういうことなの?」

 

 彼は、彼女としてついにその一歩を踏み出した。



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06.性別

 馬車の中を重苦しい沈黙が支配している。

 

「………」

 

 やがて、セレニィの様子に気まずさを覚えたルークとティアが互いを牽制する。

 

「……おい、オメーが聞いたせいだろ。なんとかしろよ」

「……あなたも追随したでしょう。私だけのせいにしないで」

 

 一方、セレニィはといえばまだ現実を受け入れられないでいた。

 そもそも自分は男だったという自覚があるのだ。

 それが当たり前だった以上、今更「いや、女だよね?」と言われても… その、困る。

 

「は… はははははは、そんな馬鹿な…」

 

 乾いた笑いとともに自分の胸に手を伸ばす。男なのだから胸があるはずがない。

 恐らくきっと、精々が他人から見て多少女顔なだけだろう。

 ルークとティアは、ほら、ロン毛だから目に髪が入って見間違えてしまったんだ。

 

 そう思いながら、胸に触れた。

 ほら、きっとペタンと…

 

「………」

 

 ほのかな膨らみと、確かな弾力が感じられた。

 ……うん、これはおっぱいですね。

 

「あ、あの… セレニィ? なにを」

 

 困惑した様子で尋ねるティアの言葉など耳に入らぬまま硬直する。

 いや、うん、落ち着こう。……そう思いつつ深呼吸を数度。

 

「(そうとも、胸は男女に関係なくあるだろ! 諦めるな!)」

 

 深呼吸を終え、見開いた瞳にはもはや絶望はない。

 後は希望に向かって突き進むだけだ。

 

「セ、セレニィ?」

 

 そのまま席を立つと、彼女は腰紐を緩めてキュロット状のズボンの中を確かめる。

 

 ……なかった。

 

「あれ?」

 

 目を一回こすって再度確かめる。

 

 ……やはり、なかった。

 

「……ない」

「その、セレニィ… まずは落ち着いて話を」

 

「ルークさん、ティアさん。どうしよう… 俺、女でした!」

 

 途端、頭の中は混乱に支配される。

 ティアの言葉に被せつつ、この世の終わりのような表情で二人に報告する。

 

「そっからかよ!? 見りゃ分かるっての! いいからさっさとベルト直せよ!」

「でも… でもっ!」

 

 チラチラ視界に映る白い布が精神衛生上よろしくない。

 ルークは真っ赤になりながら叫ぶ。

 

「ルーク、セレニィをいやらしい目で見ないで。……その目を潰すわよ?」

「今の俺が悪いのかよ!? ていうか、オメーが言うと色々と洒落になんねーよ!?」

 

 背後にセレニィを庇いつつ、底冷えのする瞳で睨みながらルークを威嚇するティア。

 対するルークは、女は理不尽だと思いながらティアの間合いから距離を取る。

 

「おい、アンタら! 馬車の中で暴れないでくれよ!」

 

 ……ついにはぎゃあぎゃあ騒ぐ三人まとめて馭者から注意を受ける羽目になった。

 

 

 

 ――

 

 

 

「……この度はお騒がせして、誠に申し訳ありませんでした」

 

 馭者に注意を受けたセレニィは、落ち着きを取り戻し服を直した。

 そして今、馬車内の座席の上で手をついて頭を下げている。

 

 ……その名も、DO☆GE☆ZA。

 かつてホドに伝わっていたとされる古式ゆかしい謝罪スタイルである。

 

 ルークとティアにとってはただの珍妙なポーズでしかないが、その謝意の程は伝わっていた。

 

「あー… まぁ、もういいって。自分の性別まで忘れてたらそりゃ混乱するよな」

「セレニィ、私たちは仲間でしょう? 頭を上げてちょうだい」

 

 いや、別に性別を忘れてたわけじゃなくて認識していた性別に齟齬があった形なのだが。

 しかし、今更あれこれ言っても無駄に話を長引かせるだけだ。

 セレニィはそう思いつつ、ティアに言われたとおりに素直に頭を上げることにした。

 

「けど… 本当にご迷惑をおかけしました」

 

 そしてもう一回だけしおらしく頭を下げる。彼女にとって頭は何回下げようがタダだ。

 絶対保身するマンは捨てられないためならばプライドなどいつでもドブに捨てられるのだ。

 

 そんな様子を見てティアは優しげな色を瞳に浮かべつつ、ため息をつく。

 

「さっきも言ったと思うけれど、私たちは仲間よ。困ったときは助け合うものでしょう?」

「そうだぜ、セレニィ」

 

「ティアさん… ルークさん…」

 

 心の中で「よし、こいつらチョロい」と思いつつガッツポーズを取る。最悪の屑である。

 

「これからも困ったことがあったら相談して。せめて一緒に考えるくらいはするわ」

「……はい、ありがとうございます」

 

 慈愛に満ちた表情のまま紡がれるティアの言葉に、神妙な表情で頷き礼を言う。

 

「一人称は速やかに『私』に改めること」

「はい… うん?」

 

「それからたまにで良いから、私のために可愛らしい服を着て見せてくれること」

「いや、あの… ティアさん? 俺は」

 

 なんだかおかしな方向に話がシフトしている気がして、思わず呼び止める。

 

「もう… セレニィったら。『私』でしょ?」

「え? いや、その… でも、俺はですね」

 

 まじまじ見詰めてもティアの慈愛に満ちた表情は変わらない。

 

「『わ』『た』『し』… そうよね?」

「……………………はい、(わたし)はセレニィです」

 

「フフッ… いい子ね」

 

 調子に乗った屑ではあるが、所詮は小市民である。

 圧迫面接の前にあえなく陥落することとなった。

 満足気な笑みを浮かべて、ティアはセレニィの頭を撫でている。

 

「どうしてこうなった…」

 

 美少女とスキンシップをしているはずなのに全然嬉しくない。

 むしろ肉食獣が獲物を狙うような目で見詰められている気すらしてくる。

 

 助けを求めてチラッとルークを見れば、そっと目を逸らされた。

 

「……こんなの絶対おかしいよ」

 

 呟いた声は誰に拾われることもなく、突き抜けるような青空に吸い込まれる。

 淀んだ瞳の少女と他2名を乗せ、馬車は街道を進んでいくのであった。

 



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07.いい人

 あれから話し合いの末、ひとまずエンゲーブという農村で降りることとなった。

 目的地であるキムラスカ王国に向かうには南下する必要があるとティアが言ったからだ。

 ルークもセレニィも土地勘がない。ティアがそう言うならばとその提案に従った。

 

「おっと! 待っておくれ、嬢ちゃん」

 

 村へ進むルークとティアの後を追おうと歩き始めたところで、馭者に声をかけられる。

 

「あ、はい。なんですか?」

「忘れもんだよ… ほら」

 

「わっ… とと。えっと、これは?」

 

 そう言うとセレニィの手の上にズッシリとした革袋を乗せてくる。

 少しよろめきながらも落とさず受け取りつつ、疑問を口にする。

 手に伝わってくる感触からして、中にはコインが入っているようだが…

 

「お釣りだよ。……あの宝石は、グランコクマまでの料金としてのモノだったろう?」

「……あっ」

 

「ハハッ。アンタはともかく、あの長髪の彼女もしっかりしてるように見えて抜けてるね」

 

 ともかくって… 自分ことセレニィが抜けてることに疑いは持たれていなかったのか。

 複雑な感情を抱きつつも返す言葉もないので、口から漏れるのは苦笑いのみである。

 釣りについて3人とも失念していたのは事実なのだから。けど、そうなると疑問が残る。

 

「なんで、わざわざお釣りを返すんだって考えてるな? そりゃ俺も最初は考えたさ」

「ははは、ですよねー。……でも、だったら」

 

「なに、ただの気まぐれさ。ちょっと『いい人』になってみたい、そんな気分だったのさ」

 

 そう言われてしまってはなんとも言えない。あれこれと詮索して気が変わられても困る。

 結局セレニィは丁寧に頭を下げて礼を言って別れ、ルークとティアの後を追うことにした。

 

 そして村の入口… 辻馬車の待合所には馭者が一人残される。

 

「ったく、聞かせるつもりはなかったんだろうが… 『記憶喪失』なんて耳に入っちゃなぁ」

 

 気まぐれとはいえこちらから料金を負けてやったのだ。最後まで通さねば片手落ちだ。

 そう自分を誤魔化しつつ、馬車の出発の準備をはじめる。グランコクマまではまだまだ遠い。

 安っぽい同情心から不意にしてしまった稼ぎは、自分自身の働きで補わねばならないのだ。

 

「儲けについちゃ正直なところ惜しかったが… まぁ、頑張りなよ。記憶喪失の嬢ちゃんたち」

 

 つぶやくような独り言を拾うものは誰もいなかった。

 

 

 

 ――

 

 

 

「遅かったわね、セレニィ。ルークは探検するって言ってたけど… 何を話し込んでたの?」

「ふっふっふっ… 馭者さんからお釣りを貰っていたんですよ。ほら!」

 

「お釣り? ……あっ!」

 

 セレニィが掲げた革袋を見て、自身がそのことに思い至らなかったことに気が付く。

 自身の迂闊さを理解したティアは、思わず口に手を当てたポーズのまま硬直する。

 

「どうやらお気づきのようですね。そう、あの宝石の料金は首都までのもの」

「ここは一駅目だものね… となれば差額を要求するのは当然の権利か。失念していたわ」

 

「当座の資金は用意できました。これで旅の準備も整えやすくなったかと」

 

 旅をするならば、それは可能な限り安全で快適なものにしたい。

 絶対保身するマンにとって、それは呼吸をするように当たり前の思考である。

 

 そんなことは露知らず、ティアはセレニィに尊敬の眼差しを向けている。

 

「えぇ、そのとおりね。……それにしてもよく気付いたわね」

 

「当然ですよ。ティアさんが私たちのために手放してくれたモノを、無駄にはできません」

「セレニィ… ありがとう」

 

「気にしないでください、ティアさん。だって、お… 私たちは仲間じゃないですか」

 

 ドヤ顔である。

 

 言っていることは馭者の受け売りなのだが、自分の手柄のように吹聴している。

 絶対保身するマンは捨てられないために自身を売り込む機会は逃さないのだ。

 

 まさに屑の所業であるがティアはそんなセレニィの本性には気付かない。

 そしてセレニィも、さらに自身のハードルが上がってしまったことに気付かない。

 

 天網恢々(てんもうかいかい)疎にして漏らさず。これぞ因果応報と言えるであろう。

 

 

 

 ――

 

 

 

「のどかな村ですねぇ… 旅の途中でもなければゆっくりしたいところですけど」

「えぇ、本当に。……あらルーク、どうしたの? こんなところで」

 

「ん? あぁ、遅かったな。おまえらを待ってたらここからいい匂いがしてきてな」

 

 ティアが村の入口近くの家の前で立っているルークに声をかけると、そう返事が返ってくる。

 それに興味を覚えたセレニィはルークの隣に立ち、その匂いとやらを嗅いでみる。

 

「! これは…」

「な? いい匂いだろ」

 

「……味噌」

 

 そうつぶやくと、歩き出した。

 

「ってオイ。どこ行くんだ?」

「……セレニィ?」

 

 涎を垂らしながら、まるで操られるようにフラフラと匂いの先へと。

 そして躊躇なく扉を開けて中へと入っていった。

 

「ちょっと、セレニィ!?」

「よ、よくわかんねーけど… 追うぞ!」

 

 後を追った二人が見たものは…

 

「おねーちゃん、だいじょーぶ?」

「アンタ、どこの子だい? ひょっとしてお腹をすかせてるの?」

 

「……はい」

 

 潤んだ瞳で腹の音を鳴らす、哀れを誘う少女の姿。

 そして突然家に上がり込まれたにもかかわらず、親身に対応してくれる母子の姿であった。

 

 確かに今にも垂れた耳と尻尾が見えてきそうな情けない姿では警戒心を抱けそうもない。

 

「じゃあそろそろウチもご飯だから食べておいき」

「……はい!」

 

「なんだかセレニィが千切れんばかりに尻尾を振っているように見えてしょうがないわ」

「奇遇だな、俺にもそう見える… っと。わ、わりぃ! そいつ、俺らの仲間なんだ」

 

 ティアのつぶやきに同意したルークであったが、気を取り直して女性に声をかける。

 

「あぁ、この子の保護者… っていうかお連れさんかい? みんな若いねぇ」

 

「突然お邪魔して本当にご迷惑をおかけしました。……ほらセレニィ、帰るわよ」

「………」

 

 ティアはそう言って女性に頭を下げると、セレニィに手を差し出す。

 しかしセレニィはこの世の終わりのような絶望の表情を浮かべ、首を振りつつ無言で後退る。

 

 その寸劇に思わず吹き出す女性。

 

「いいって! 流石にここで放り出しちゃ寝覚めも悪いよ。お連れさんも食べておいき」

 

「す、すみません… せめて何かお手伝いできることがあれば言ってください」

「そう? だったらこの人数だと心許ないから裏の家から味噌を貰ってきて欲しいんだけど」

 

 ティアは一つ頷くと、ルークを連れて味噌の調達に向かった。

 結果、まんまと他人様の家でご相伴に預かることとなった。

 

 いきなり他人様の家に上がり込むのは元日本人としてどうかと思うが常識で腹は膨れない。

 だがせめて代金くらいは出すべきではないか? そう思ったセレニィは革袋を取り出す。

 

「あの、せめてお金を」

「子供がつまんないこと気にするんじゃないよ。お腹いっぱい食べて早く大きくなりな」

 

「……はい!」

 

 セレニィは元気よく頷く。

 背が小さいのは仕様だが、お腹いっぱいに食べることに異論はない。

 田舎ならではの温かみのある人情がありがたい。

 

 程なくルークたちも戻り、賑やかな食卓で食べる料理は大変美味しいものとなった。

 

「はい、セレニィ… あーん」

「あーん」

 

「フフッ… おいしい?」

 

 口元に運ばれた料理を咀嚼しながら頷く。味噌パスタうめーと思いながら。

 

 なんだか餌付けされている気がするが、きっと気のせいだろう。

 あとさっきからティアがやたら近い気がするが、これもきっと気のせいだろう。

 

 でも今後はさり気なく距離を取ることにしよう。セレニィはそう心に誓うのであった。

 

「……可愛い」

 

 若干手遅れな気がしないでもないが。



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08.散策

 民家でご馳走を振る舞われ空腹を満たした面々は、機嫌よくエンゲーブの村を散策する。

 今夜の宿を探そうという名目なのだが、ルークとセレニィは観光に夢中となっている。

 ティアも普段の張り詰めた空気は和らいでおり、ルークと険悪な雰囲気になることもない。

 

「でも、なんか貧乏くせぇとこだなぁ。小屋に毛が生えたような建物ばっかだし…」

「そうなんですか? お… 私からすればどれも立派なお家に思えますけど」

 

「こんなのを立派なんて言ったらウチ見たら腰抜かすぞ? 案内してやるから楽しみにしてろ」

 

 時折ルークが危うい発言をするも、セレニィの無邪気な発言が巧みにフォローしている。

 

 といっても彼女にそうした認識はなく、どれも本当に立派なものだと思っているのだが。

 集合住宅というわけでなく全てが一軒家で、どの家にも小さいながら畑や庭がついている。

 娯楽が少なさそうなのは難点だが、最悪でも食べるに困らなさそうな点はいかにも魅力的だ。

 

 それを差し引いても、ファンタジーっぽい世界を巡るのは興味が尽きないし楽しいものだ。

 渓谷を下る時はどうなるかと思ったが、一息ついたことで世界を楽しむ余裕も出てきた。

 ルークにしてもニコニコ楽しげに話を聞く彼女は自慢のしがいもあり、機嫌も上向いていく。

 

「ま、こういう第一次産業ってのが俺らの生活を支えてくれてることに理解は示すけどな」

「おおー! 流石ルークさん、物知りですねー」

 

「へへん、まぁな! 勉強はそんなに好きじゃねぇけど、これくらいはな」

 

 これまでの屋敷の中での生活では、剣術の師匠くらいにしか褒められたことがない。

 何かにつけ明るく持ち上げてくれるセレニィの言葉はルークの耳に心地よかった。

 一方、セレニィにしても裏表のないルークとの会話は自身がそうでないため好ましく感じる。

 

 ……まぁ、セレニィのやってることは「佞言(ねいげん)は忠に似たり」を地で行く行為に等しいが。

 

「ここが宿屋のようね… けど、閉まってるみたい。留守にしているのかしら?」

「うーん… いないんじゃ仕方ありませんね。勝手に入るのもなんですし」

 

「オメーさっき勝手に人の家に入ってったじゃん… まぁ、そんなら探検続行しようぜ」

 

 しれっと今更ながらに常識を語るセレニィを、軽く小突きながらからかうルーク。

 

「うぐっ! さ、さっきのあれは空腹が生んだ気の迷いというか…」

 

「フフッ… 今度から気を付けてね? ルークもあまりセレニィを苛めないの」

「わーってるよ。ちょっとからかっただけだろ? 別に怒っちゃいねーって」

 

 やいのやいのと仲良く談笑しながら村の広場へと通り掛かる。

 流石は農村の広場だけあって、所狭しと野菜や果物に乳製品やらが並んでいる。

 

 一通り物珍しげに眺めたところで屋台にたくさん並んだリンゴが目に留まる。

 

「おおー。美味しそうなリンゴがありますよ」

「お、確かに… って、さっきあんだけ食ってまだ入るのかよ?」

 

「はい。食後のデザートは別腹なんですよ… 多分」

 

 さっき一皿をペロリと平らげても足りず、ティアに餌付けまでされていたというのに。

 それを思い出し、呆れ混じりに指摘してみるも当の本人は何処吹く風という具合だ。

 確かに渓谷での運動量は並ではなかったが、あの体格で自分顔負けの胃袋とは恐れ入る。

 

 そんなことを考えているルークを置いて、彼女はてくてくとリンゴ屋台へと近づいていく。

 

「ティアさんもいかがですか? リンゴ」

「そうね。じゃあ、いただこうかしら」

 

「わかりました。それではおじさん、リンゴ2つお願いします」

「って、俺を除け者にすんじゃねー! 俺にも1つよこせ!」

 

「クスクス… すみません、おじさん。やっぱり3つでお願いします」

 

 セレニィはそんなルークの様子に微笑むと、彼の分も含めて注文をし直すことにした。

 

 ルークは彼女の笑顔を見て考える。コロコロと変わる表情がよく似合っていると。

 ティアは綺麗だが表情に乏しく、彼にとっては仏頂面や澄まし顔ばかりのイメージだ。

 とはいえ、イメージがそれらに固定されているのは彼の発言にも原因があるのだが。

 

「(セレニィはナタリアやティアと違って、いかにもな女の子って感じだなー)」

 

 本人が聞いたらショックを受けそうなことを考えつつ、彼女の買い物の様子を眺めるのだった。



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09.冤罪

 3人でリンゴを食べながら散策を続行する。

 とはいえ、そう大きくない村のこと。

 やがて一周してしまい宿屋の前へと戻ってくる形となった。

 

 まだ営業は再開していないようだ。

 しかし、今回は先ほどまでと違って入口付近に人が大勢集まっている。

 何やら思案顔で、問題ごとの相談をしているようだが…

 

「駄目だ…。食料庫のものは根こそぎ盗まれてる」

「北の方で火事が起こってからこっち、ずっとだな…」

 

「ひょっとしたら脱走兵かなんかが…」

「いやいや、漆黒の翼の仕業ってことも…」

 

 聞いたことのある単語が飛び出て、3人は思わず顔を見合わせる。

 

「また漆黒の翼とやらが噂になってますね。……ていうか滅茶苦茶評判悪いですね」

「まぁ、軍に追われて橋落とすような連中だ。きっとロクでもない盗賊団なんだろうさ」

 

「確かに… 橋が壊れて彼らが戻ってこれないのは、幸運といえるのかもしれないわ」

 

 そんな連中に何度も間違えられたのかと、ため息や悪態の一つもつきたくなる。

 

 ともあれ、もういない盗賊団のことより今晩の宿の確保をしてゆっくり身体を休めたい。

 恐らくたむろしている彼らが関係者なのだろうが、現在は議論に夢中のようだ。

 どうしたものかとティアとセレニィが様子をうかがっていると、ルークが一歩前に進み出る。

 

「おい、食べ物の話なんかどうでもいいからさっさと中に入れろよ。俺らは休みたいんだ」

 

「ルーク!?」

「ちょっ、おま…」

 

 ティアとセレニィにしてもルークの言いたいことは分かる。

 というより他人事である以上、全面的に同意したい程なのだがその言い方はまずい。

 

 案の定、話をしていた男性陣が気色ばんだ表情で詰め寄ってくる。

 

「『なんか』とはなんだ、『なんか』とは!」

「うぜーっての! 別に話すなとは言わねーよ。ただ、ここでされると通行の邪魔なんだよ」

 

「ちょ、ちょちょちょっと… ルークさん!?」

 

 ルークの言っていることは間違いなく正論だ。

 だが悩んでいる時に、他人に上から目線の正論を言われるほど腹が立つことはない。

 

 ティアは絶句し、苦虫を噛み潰したような表情で頭を抱える。

 小市民であるセレニィは怯えきった表情でルークを止めようと必死に縋り付く。

 

「なに! 俺たちが一年間どんな思いで畑を耕してきたと… ん?」

 

 激昂し、ルークに詰め寄ろうとしたところで前に出てきたセレニィに視線が集まる。

 

「……どうした?」

 

「いや、そのチビ… さっき『勝手に人の家に入った』とかなんとか言ってたような…」

「あ、それなら俺も聞いたぞ! 確か『空腹が生んだ気の迷い』とも言ってた!」

 

 まさかの方向に事態が進み、セレニィはルークに縋り付いたままガタガタと震えだす。

 一方のルークとティアは、「何言ってるんだコイツら」と言わんばかりに堂々とした態度だ。

 

 なんでそんなに自信満々なんだよ。その肝の太さを少し分けろよ。セレニィはそう思う。

 

「ケリーさん、ついさっき俺の店に来た時も『まだ入るのか』とか言ってたのも聞いたぞ」

 

 そこに、まさかの方向から屋台のリンゴ屋さん参戦である。

 お金を支払いわざわざ商品を購入してくださったお客様を背後から狙撃する。

 豪華オールキャストが揃い踏みだ。かなり嬉しくない事態だ。

 

 一方セレニィはもう既に半泣きである。絶対保身するマンはアドリブに弱い。

 万が一でのピンチを嫌うからこそ、他人の顔色をうかがって生きるのだ。

 そもそもピンチでの対応力があるならば、絶対保身するマンになどなる必要はない。

 

「怪しいな… おい、どうなんだ! アンタ!」

「食料盗難の犯人じゃないだろうな!?」

 

「黙ってちゃ分からんだろ! なんとか言ったらどうなんだ!」

 

 ルークが先制口撃で場を暖めていたため、彼らの怒りと興奮はピークを維持している。

 そんな連中に口々に責められ、睨みつけられてはたまらない。

 小市民的には逃げ出さないだけ褒めて欲しいくらいだ。……まぁ、足が動かないだけだが。

 

 だが、誤解を解かなくては。大丈夫、やれば出来る。ルークやティアを見習うのだ。

 そう思い、セレニィは意を決して口を開いた。

 

「し、しししししししし知りませんじょ…?」

 

 ……開いてしまったのだ。頼りになる仲間たちのフォローよりも先に。

 

 身体は小刻みに震え、目線は逸らしたまま、言葉は噛みまくりで、冷や汗は止めどない。

 誰が見ても犯人より犯人らしい態度としか言いようがなかった。

 

「……そうか」

 

 ケリーと呼ばれていた男が、一つ頷くと大きなため息をついた。

 わかってくれたのか! と、セレニィの口元に笑み(引き攣っていたが)が浮かぶ。

 

 そして、セレニィはヒョイと小脇に抱えられた。

 

「あ、あるぇー…?」

 

「正直に言ってくれれば手荒な真似はしたくなかったんだが。……軍はローズさんとこか?」

「あぁ、まだ話し合いをしてたはずだ」

 

 そのまま彼らはスタスタと歩き出す。

 セレニィを小脇に抱えたまま。

 混乱に支配された彼女の脳内ではドナドナがエンドレスリピートされている。

 

「おい、オメーら! セレニィをはな…」

「ルーク! ……『今は』抑えて」

 

 セレニィを助けるために木刀を抜き放とうとしたルークを、ティアが小声で窘める。

 

「……まさか、セレニィを見捨てるって言うんじゃねーだろーな?」

「それこそまさか。でも、ここで暴れたところで状況は悪い方にしか転ばないわ」

 

「だからってアイツを見捨てることなんか…!」

 

 ただでさえ相次ぐ食料盗難事件で苛立っている村民たち。

 その燻ぶる怒りに油を注げばどうなるかは、先程ルークが証明したとおりである。

 

 ここでこれ以上、彼らを刺激することはティアも避けたかった。

 

「落ち着いて。……抵抗しないところを見ると、セレニィにもなにか考えがあるのかも」

「けどよ…」

 

「勿論、いざとなったら割って入ってでも助けるわ。彼女に対して責任があるもの」

 

 無論、セレニィに御大層な考えなどありはしない。単に抵抗する腕力がないだけだ。

 

 なおも渋るルークに対し、ティアは自身の決意を明かす。

 その悲壮な色を滲ませた瞳にルークは思わず息を呑む。そして彼女は彼から一歩離れる。

 

「先に謝っておくわ」

 

「……え?」

「場合によってはあなたを送り届ける責任、果たせなくなるかもしれないから」

 

 そこまで言って、ティアは背を向けて男たちの後を追って歩き出した。

 自身の無罪は明らかだが、「犯人にされてしまう」可能性とて大いに有り得るのだ。

 

 反射的にティアに続こうとしたルークだが、そこに足を止めた彼女の声が被さる。

 

「あなたは、今ならまだ無関係と主張できるわ。私にしても巻き込むつもりはないし」

 

「………」

「ついてくるつもりなら、そのことをよく考えてからにしなさい」

 

 彼女は返答を待たず、今度こそ歩き出した。『いざとなったら』の事態に備えるために。

 

 後を追う足が止まりかけたルークの脳裏に、先程までのセレニィの笑顔が浮かぶ。

 

「……ええい、クソ! だから既に巻き込まれてるっての!」

 

 ヤケクソ気味に声を上げると、村の奥の一番大きな家に向かう彼らの後を追って駆け出した。



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10.軍人

 セレニィを小脇に抱えた男たちは、村の奥にある(この村にしては)大きな家に到着した。

 その後にはルークとティアが硬い表情のままついてきており、油断なく周囲を警戒している。

 

 続いて男たちはその扉を開けると、ポイッとセレニィを放り投げドカドカと上がり込んだ。

 

「わぷっ! ……いったたた」

 

「こら! アンタたち、いきなりやってきてなんだい! 今、軍のお偉いさんが来てんだよ!」

「わかってるよ。だから食料泥棒を突き出しに来たんじゃないか… コイツをな!」

 

 彼らに放り投げられた時に打った尻をさすっていたセレニィは、そこで掴み上げられる。

 掴まれた襟首を支点にブラブラ揺れている現状は、まるで猫になったような気分にさせられる。

 

 試しに鳴いてみようか。などとまるで他人事のように考える。いわゆる一つの現実逃避だ。

 

「食料泥棒だって…?」

 

 半信半疑といった表情で掴み上げられた少女を見遣る。

 小汚い格好をしているが暴れる様子もなく大人しくしており、幼いが顔立ちも整っている。

 

 ……家出中のどこぞのお嬢様かなんかじゃないか? 家主は怪訝な表情を浮かべる。

 

「にゃー?」

 

 目が合うと、なんか鳴かれた。小首を傾げつつ。

 

「………」

 

 気まずい沈黙が漂う。家主の責めるような視線を受け、男たちも居心地悪そうだ。

 

 少女の同行者と思しき片目を隠した長髪の女性は、何故か鼻を抑えているが。

 

「す、すみません… なんか猫になった気分になってまして…」

 

 自分のせいで周囲の空気が重くなったと理解した少女は、恥じ入りながら謝罪した。

 空気の読めてない行動をしてしまったが、流石にそれくらいの空気は読めるのだ。

 

 家主である恰幅の良い女性はため息を一つ吐くと、視線を、男たちから少女へと戻す。

 

「アタシにゃただの猫の鳴きマネが好きな女の子にしか見えないけどねぇ…」

「そ、それは忘れましょうよ! 人の黒歴史を弄り回すのは良くないですよ!?」

 

「で、でも! 連れも含めれば男女三人組で、漆黒の翼かもしれないんだぞ!」

 

 赤くなって慌てる少女が醸し出すほのぼのした空気に、旗色の悪さを感じた男の一人が叫ぶ。

 途端に他の男からも「そうだそうだ」だの「怪しいから捕まえろ」だのの追随がはじまる。

 

 もしかしたら勘違いしたんじゃないかと思いつつあったが、今更引っ込みがつかないのだろう。

 

「ふぅ… ともかく、みんな落ち着いとくれ。これじゃ詳しい話もできゃしないよ」

 

「けどよ、ローズさん…」

「食料泥棒の件を解決しないと、俺らも生活が…」

 

 落ち着かせようと宥める女性… ローズ夫人であったが、彼らもそう簡単に納得はできない。

 そこによく通る声が割って入った。

 

「そうですよ、みなさん」

「大佐…」

 

 眼鏡をかけた長身の男性。ローズ夫人の呼び名からすると軍人のようだ。

 大佐と呼ばれた男にまで落ち着くよう言われ、男たちは不承不承ながら漸くセレニィを離す。

 

 ……彼女は再び尻を床に打ち付ける羽目になったが。

 

「あいたっ! すみません、ありがとうございます。ローズさんと… えっと…」

「コレは失礼。私はマルクト帝国軍第三師団所属ジェイド・カーティス大佐です… 貴女は?」

 

「あ、はい。セレニィと呼ばれています… えっと、ジェイド・カーティス大佐?」

「はい、なんでしょうか?」

 

「仲裁をしていただいてありがとうございました。……ローズさんも」

 

 尻の埃を払いつつ立ち上がり、頭を下げて礼を言う。

 男たちを落ち着かせただけだが、ちゃっかり仲裁をしたという既成事実を作ろうとしている。

 

 絶対保身するマンにとって権力とは絶対的な存在だ。むしろ窮地で利用しない理由がない。

 

「いいえ、大したことはしてませんよ」

「こっちも気にしないでおくれよ」

 

「とんでもありません。とても助かりました」

 

 互いに笑顔を交わし合い、和やかな雰囲気が流れる。

 

「それじゃ、そういうことで」

「おや? まだ話は終わっていませんが」

 

「ははは、ですよねー」

 

 セレニィはにげだした しかし まわりこまれてしまった!

 

 そのまま和やかな雰囲気に乗り、笑顔のまま出口に向かおうとしたセレニィ。

 だが、ジェイドはそれを阻止した。いい笑顔だ。コイツ間違いなくドSだ。

 

「さて、貴女は漆黒の翼と疑われているようですが… なにか反論はありますか?」

 

「ち、違います… 漆黒の翼なんかじゃありません」

「なるほど、貴女の主張は理解しました。では、それを証明するものはありますか?」

 

 証明? 証明ってなんだ? セレニィは思う。

 自分たちは客観的に見てただの不審者で部外者だ。

 

 この場に本物の漆黒の翼でもいれば別だろうが。しかし…

 

「漆黒の翼は戦艦で追ってた軍が無能で逃がしたし… もう壊れた橋の向こう側だし…」

「そーだぜ! あんなデカい船で追ってて逃がしちまったマルクト軍が悪いんだろーが!」

 

「二人とも、事実でももう少しマイルドに! ……その、橋の向こうに追い込んだとか」

 

 見かねたルークとティアがフォローに回る。麗しき友情である。

 唯一の問題点はフォローがフォローとして機能していないことであるが些細なことだろう。

 

 それを聞いたマルクト軍人であるジェイドは苦笑いを浮かべる。

 

「いや、実に耳に痛いですねぇ」

「あ、すみません。マルクトの軍人さんの前で…」

 

「いえいえ、謝るのはこちらの方ですよ」

 

 流石に失礼が過ぎたと頭を下げようとするセレニィの動作を遮り、ジェイドは口を開く。

 はて? 何のことだろうと首を傾げるセレニィにジェイドは伏せていた事実を明かす。

 

「なんせ件の陸上装甲艦タルタロスの責任者は、この私なのですから」

「……え?」

 

 ドSは爽やかな笑顔を見せる。

 

「無能ですみませんねぇ… あぁ、でもそれをご存知ということは貴女がたは先程の辻馬車に?」

「………」

 

 呆気にとられた表情で固まっているセレニィを眺めつつ、愉しげ… もとい楽しげに語る。

 

「ならば、貴女がたが漆黒の翼でないと証明されますねぇ。おめでとうございます」

「………」

 

「いや、無能なりにお役に立てて喜ばしい限りですよ。無能なりに。……ねぇ、セレニィ?」

 

 おめでとう、セレニィは明らかにドSそうな軍人に名前を覚えて貰ったぞ。

 

 流石セレニィと何故かドヤ顔で胸を張るティアと、気の毒そうに事態を見守るルーク。

 二人の視線とジェイドの嗜虐的な視線を受けながら少女はようやく現実を認識する。

 

「……え?」

 

 戦わなくてはいけない現実の壁は、彼女にとってあまりにも高く映っている気がした。



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11.弁解

「(初対面でいきなり無能発言しちゃったし目をつけられたし… あばばばばば!?)」

 

 ドSに笑顔で見詰められた屑はテンパッていた。なんとしてもこの場を切り抜けねば、と。

 どちらが悪いと聞かれれば、疑われるような行動を取りながら暴言を吐いた自分である。

 

 村人の判断が性急に過ぎる部分は否めないが、かといって軍人に暴言を吐くのは違うだろう。

 

「(どうする? 土下座するか? いや、でもなー…)」

 

 なんか土下座した頭を、笑顔でそのまま踏みつけそうな匂いを感じる。コイツ絶対ドSだ。

 それでいて事態がなんらかの改善を見せる気配が見えない。「それで?」とか言いそう。

 絶対保身するマンは己のためなら幾らでも頭を下げられるが、無駄なことはしたくないのだ。

 

 土下座は感情に訴える勢いの謝罪。ここは相手に合わせて理路整然と自らの非を認めねば。

 プライドが高い皮肉屋だが理詰めでの話は通じる。セレニィはジェイドをそう分析した。

 常に他人の顔色をうかがってきた絶対保身するマンの真骨頂である。そして彼女は口を開く。

 

「まずはご多忙の中お時間を取らせましたにもかかわらず失礼な発言、お詫び申し上げます」

「ほう… いえ、お気になさらず。私も少々大人気なかったですからね」

 

 そう言って頭を下げるセレニィ。

 

 それに感心したようなため息を漏らしたジェイドは、笑顔で謝罪を受け取る。

 先程までのそれとは異なり、その中に嗜虐的な色は薄れている。

 

「ですが、そのような私に弁明の機会を与えてくれたばかりか証言までして下さいました」

「冤罪の可能性もゼロではありません。誤認逮捕ほど軍として無様なことはないでしょう?」

 

「先の暴言について改めて訂正させて下さい。有能なマルクト軍人の公正な裁きに感謝を」

 

 満面の笑みを浮かべてお礼を言う。

 その可憐な姿に、先程まで疑っていたはずの男連中からも「ほお…」とため息が漏れ出る。

 セレニィは内心でガッツポーズを取る。

 

 会話の中で自然に無能を修正して印象を上書きした。ミッションコンプリート! と。

 脳内審査員は「10点」「10点」「10点」「10点」「10点」といった具合だ。

 やっていることは周囲への色仕掛けに近いのだが、悲しいかな彼女自身にその自覚はない。

 

「いえいえ。通りすがりの身ではありますが、マルクト帝国軍人として当然のことですよ」

 

「……すっげーなぁ、セレニィ。なんか空気が変わっちまったぞ?」

「……しっ! でも確かにあの場で否定するよりも効果的だわ。そういう意図があったのね」

 

 小声で話し合っているルークとティアは、セレニィの態度に素直に感心している。

 先程の強面の男性陣に比べれば、こちらは話が通じるので乾坤一擲をかけただけなのだが。

 

 その一方でジェイドもまた、内心でセレニィについて興味を深めていた。

 

「(多少は頭と口が回るようですが、そこに見るべきほどのものはない。重要なのは…)」

「……?」

 

 眼鏡の奥の赤い瞳で彼女を見詰める。

 実験動物を観察するような熱を感じさせない瞳に、セレニィは寒気を感じて体を震わせる。

 

「(周囲の状況を読み取る能力とそれに自分を合わせることの出来る柔軟性、ですかね)」

「あ、あの…?」

 

「おっと、これは失礼。……さて、こういう次第ですがみなさんはまだ彼女が犯人だと?」

 

 厳密に言えば、まだ漆黒の翼であるという容疑が晴れただけ。食料泥棒の件は別である。

 ジェイドはそれを理解していて、場の空気に染まった男連中に尋ねてみることにした。

 

 案の定、既に彼女を容疑者とする気のなくなっていた男たちは口々に謝罪をはじめている。

 

「(なんとも気の早い… とはいえ、私の勘でも彼女は“シロ”ですしね。ま、良いでしょう)」

 

 内心で流れるばかりの村人に呆れつつ、口を開くことにした。面倒事は早めに片付けたい。

 

「では食料盗難事件に話を戻しましょう。セレニィ、貴女に何か心当たりはありますか?」

 

「おい! オメー、まだセレニィを疑ってんのかよ!?」

「……別にそういうわけではありません。先程のやり取りから彼女の考えを聞いてみたいと」

 

 食って掛かる彼女の同行者であろう赤毛の青年に笑顔で対応する。

 

「どうかしら、セレニィ。なにか思いつく?」

「そうですねぇ… と言っても私たちはまだ村に来たばかり。農業についても素人ですし」

 

「確かに、そうですね。……ふむ」

 

 同じく同行者であろう長髪の女性が隣に移動し、悩む彼女の肩をそっと抱き寄せる。

 何故か近い気がするが些細な問題だろう。しかし彼女も分からないか。……当てが外れたか。

 

 そう思ってこの場の解散を呼びかけようとしたところで、彼女は口を開いた。

 

「連日の被害ということは厳重に鍵も管理してるでしょうし、見張りもつけているでしょう」

 

「……鍵?」

「……見張り?」

 

 セレニィの発言に男たちは顔を見合わせる。……まさか、そこからだったのか?

 ジェイドは盛大にため息をつきそうになるのを、眼鏡のブリッジをあげてこらえる。

 

「その上で犯行を行っていたとなると… え? なんですか、この反応」

 

「あ、いや… ゴホン! そうだな、鍵はちゃんとかけないとな!」

「ウォッホン! 見張りもちゃんとつけないとな! うん、順番を決めてやってかないとな!」

 

 男たちは赤面し、しきりに頭を掻いたり咳払いをしながら大声を出して誤魔化している。

 ここに来てようやく、自分たちの対策の稚拙さを自覚したようだ。……呆れて物が言えない。

 

「おい… おい…」

 

 愕然として言葉を失っているセレニィに同情すら覚える。

 彼女はそのせいで散々な目にあったのだから。

 とはいえ、彼女のおかげで犯人確保はともかくこれ以上の食料盗難被害は軽減できるはずだ。

 

 そう思い、ジェイドは礼を言う。

 

「ありがとうございます、セレニィ。貴女のおかげで対策の目処はつきました」

「あ、いや。お… 私は、そんな… ははは…」

 

「……いや、本当にマルクト帝国というのは軍も農民も無能揃いで困りますよねぇ?」

 

 そう言ってやると涙目になって首を振る彼女が可笑しくて、一つ笑うのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

「ですがどうやらこの一件、一筋縄でいかない事情があるようです」

 

 そこに割って入る高く澄んだ声。

 

「イオン様…」

 

 そちらを向いたジェイドは、声の主の名をそう呼んだ。自然、周囲の視線が向けられる。

 声の主は多くの視線を浴びながらも、堂々とした、それでいて穏やかな笑みを浮かべていた。

 

 そしてセレニィは…

 

「(うわー! すごい美少女キタコレー! 可愛い、めっさ可愛いー!)」

 

 ひたすら萌えていたという。



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12.導師

 声の主… イオンはローズ夫人に近づくと、彼女に細い糸のようなものを差し出す。

 

「少し気になって食料庫を調べていたのですが… 隅にこんなものが落ちていましたよ」

「こいつは… 北の森にいる聖獣チーグルの抜け毛じゃないのかい?」

 

「えぇ、恐らくチーグルが食料庫を荒らしていたのでしょう。……理由は分かりませんが」

 

 セレニィはといえば開いた口が塞がらない状況である。

 現場検証すらもまともにしてなかったんかい、と。

 一時は命の危機すらも覚悟したのに、こんなお粗末な結果ではなんともやりきれない。

 

「ふざけんなよ! セレニィを散々疑って、手荒に扱っておいて!」

「……こちらの言い分に、耳を傾けようともしませんでしたね」

 

「ははは… はぁ」

 

 ルークが怒りを(あらわ)に怒鳴りつければ、ティアも冷たい眼差しで男連中を睨み据える。

 セレニィは力ない表情で乾いた笑みを漏らすばかりだ。

 

 村人ではなさそうな彼らがなぜ? それにこの状況は一体?

 部外者がローズ夫人宅にいるこの状況を疑問に思ったイオンは、ジェイドに小声で尋ねる。

 

「ジェイド… 彼らは一体何故ここに? かなり激しているようですが」

 

「例の事件の犯人と疑われていたのです。疑われた事自体は仕方ないにしても…」

「疑う側に問題があった… ということですか?」

 

 ジェイドは頷き、彼らは被害者ぶるばかりでロクに鍵や見張りすら付けてなかったこと。

 今またイオンにより、現場調査すらもしていなかったことが明らかになったことを伝える。

 愚かな人間や無能な人間を嫌うジェイドからすれば、辛辣な評価になるのは已むを得ない。

 

 だが、村人からすれば平和な村に突如降って湧いた災厄だ。

 解決の道筋が見えないまま被害が増えれば多少の疑心暗鬼に囚われてしまうのも仕方ない。

 イオンはそう考え、彼らに哀れみを覚えた。

 

「いや、その… だから悪かったって。参ったな、ローズさんからもなんか…」

「知ったこっちゃないよ。先走ったアンタらが悪いんだろ? 自分の尻くらい自分で拭きな」

 

「そ、そんなぁ!?」

 

 仲介を頼んだローズ夫人に、けんもほろろに断られ途方に暮れる男連中。

 

 そんな彼らをよそにセレニィは不気味な沈黙を保っていた。

 セレニィとて聖人ではない。彼らのこれまでの姿勢に腹に据えかねるものがあるのは事実だ。

 余計な恨みは買いたくないが嫌味の一つや二つくらいは言ってやりたいと考えていたのだ。

 

 そして…

 

「(よし、言ってやろう!)」

 

 彼女は算盤を弾き終えた。自分たちの冤罪が晴れた今は、いわば圧倒的に優位な立場。

 オマケにジェイドも呆れたような目で男連中を見ている以上、半分は軍公認といえる状況。

 

 嫌味の一つや二つくらい言ってみてもバチは当たるまい。と、そう判断することにした。

 

 そう結論を出して口を開こうとしたところ…

 

「僕からもお詫び申し上げます。……どうか、彼らを許してくれませんか?」

 

 そこに涼やかな声が割って入る。

 

 セレニィたちが声のした方を見ると、イオンが彼女たちに向かって頭を下げていた。

 一同はイオンの予想外の発言と、彼の持つそのオーラに呑まれ言葉を失っている。

 

「(ファー! 僕っ娘キタコレー! 顔だけじゃなくて声も可愛いー! やっほい!)」

 

 ……一部、別の理由で言葉を失っている者を除いて。

 

「あ、あの…?」

 

 動きを止めた少女を心配して声をかけるイオン。

 セレニィにしてみれば声掛けから上目遣いに繋げるダブルコンボである。

 

 そして、気が付いた時には彼女の口は勝手に動いていた。

 

「許しますよ! 当然じゃないですか!」

 

「あ… ありがとうございます!」

「ここまで気持ちよく許してもらえるなんて… 改めてすまなかったな、嬢ちゃん」

 

 キリッとした表情で握りこぶしを作って力説する。

 

 もはや彼女の中で冤罪をかけられた怒りや恨みなどどこかに吹き飛んでいた。

 己の下心に忠実すぎて将来が心配になるが、屑だから仕方ない。

 

「でもよ、セレニィ… 本当に良いのか?」

「はい?」

 

「濡れ衣を着せられて、こんな連中にバカにされて… 腹が立たねーのかってこと」

 

 嬉しそうな笑顔を浮かべるイオンを網膜に焼き付けていると声が掛かる。

 ルークである。彼はまだ不満そうにしていた。

 

 彼にとってセレニィは、失望せずに優しく自分を褒めてくれた大事な存在である。

 力強く自分を励ましてきてくれた剣の師匠とはまた別の暖かみを感じている。

 それだけに、彼女がこんな考えなしの連中にいいように貶められては納得いかない。

 

 優しいセレニィが我慢して無理に許してやってるなら代わりに自分が戦ってやる。

 彼なりに彼女を守ろうという考えから、そう密かに決意していた。

 彼女からすれば単に他人の顔色をうかがい保身し続けてきた結果にすぎないのだが。

 

 そんなルークの内心など知ったこっちゃないセレニィは穏やかな微笑を浮かべる。

 恨みや怒りなどとうに吹き飛んでるし、今は脳内HDDへの保存作業に忙しいのだ。

 主にイオンの。

 

「ま、『罪を憎んで人を憎まず』… ともいいますしね」

「ありがとうございます。貴女のような素晴らしい人がいるなんて…!」

 

 だからドヤ顔で適当なことをほざいて話を打ち切ることにした。

 これは同時に、「もう恨んでませんよ&怒ってませんよ」のアピールとなるからだ。

 主にイオンへの。

 

 そしてイオンは感動の眼差しでセレニィを見詰めている。すごく騙されている。

 

「……おまえ、人がいいな」

「あなたとは正反対ね」

 

 彼女に本当に怒りが残ってないことを確信したルークが、呆れたようにつぶやく。

 そこにすかさずティアがルークに喧嘩を売ってみせた。……またまた起こる痴話喧嘩だ。

 

 今はセレニィがポンコツなので、その声が大きくなる前にジェイドが割って入った。

 

「さて、事件も解決したことですしそろそろ解散をお願いしてもよろしいでしょうか?」

 

「……はい、失礼しました。……そういえば、宿も早く取らないといけないわね」

「すまなかった。お詫びに今日の宿代はいただかないつもりだからゆっくり休んでくれ」

 

 素直に引き下がったティアがつぶやく声が聞こえたのか、宿の亭主がそう申し出てきた。

 3人はその言葉に甘えつつ、ローズ夫人の家を後にするのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

「ねぇ、ルークさん… イオンさん、すごく可愛かったですね?」

 

 宿に向かう道中、セレニィは小声でルークに話しかける。

 勝手に男同士というシンパシーを抱いているのだ。

 無論、ルークからはそう見られていないことは言うまでもないが。

 

「そうか? 俺は、その… なんだ、セレニィも結構可愛いと思うぞ」

「ハハッ、戯れ言乙」

 

「お、おう…」

 

 そんな言葉は求めていなかったため、セレニィは笑顔のまま戯れ言を一刀両断する。

 ティアに一人称:私を強制されているものの、あまり自分が女という意識がない。

 

 一方ルークは珍しく人を褒めたのに喰らった熱いしっぺ返しに人知れず落ち込むのであった。



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13.教団

 宿に向かう途中、ティアが先程いた人物のことを思い出して怪訝な表情を浮かべていた。

 

「あれは間違いなく導師イオン。一体、何故こんなところに…」

「知っているんですか! ティアさん!」

 

「え、えぇ… ローレライ教団最高指導者であらせられるお方よ」

 

 それを耳ざとく拾ったセレニィが情報収集を試みる。

 過去最高レベルの食いつきを見せたセレニィに驚きを感じながらも律儀に答えるティア。

 

 とはいえ、それも仕方ないことなのかもしれない。

 周囲をうかがいつつも、その中身にはさほどの興味も執着も抱いてこなかったセレニィだ。

 

 急激な食いつきに違和感を覚えるのはむしろ自然といえるだろう。

 

「ほほう、ローレライ教団… とな?」

「……そう、あなたは記憶喪失だったわね。良かったら、道すがら説明しましょうか?」

 

「はい、お願いします」

 

 普段はルークに引っ付いていてあまり自分に寄ってこないセレニィがくっついてくれる。

 それがティアに満足感を与え、また、知識を披露できることで密かな優越感にも浸らせる。

 

 ちなみにセレニィは確かにティアから距離をとっているが、別に嫌っているわけではない。

 たまに(今とか)目付きが怖いので、なんとなく近付き難いというのは大きな要因だが。

 話をするならば、彼女の中で同性に位置づけられるルーク相手のほうが何かと気楽なだけだ。

 

 セレニィにとってティアは、嫌ってはいないが多少の苦手意識はある。というのが実情だ。

 

「(あわよくば、これを機にもっと仲良く… 『お姉さん』とか呼んでくれないかしら?)」

 

 ともあれ、そんなことを考えつつ、ティアは努めて真面目な顔でセレニィに講義を開始した。

 

「ローレライ教団は、ユリア・ジュエを始祖とする宗教組織。その歴史は二千年以上に及ぶわ」

 

「へー、二千年以上も… ローレライ教団以外には宗教組織ってないんですか?」

「ん… 私の知る限りではないわね。それだけ、この世界でユリア・ジュエは特別な存在だもの」

 

 仮にではあるが、かつて自分がいた世界に照らしあわせてこれを考えてみる。

 某四文字を崇め奉る感じの宗教組織が、大きな対立もなく二千年間繁栄してるようなものか。

 

 なるほど、信仰の是非は置いてもその影響力たるや相当なものだろうとセレニィは考えた。

 

「(とりあえずローレライ教団とやらに睨まれたらヤバイ。……把握した)」

 

 絶対保身するマンは教団のヤバさを感じ取ってその警戒を強める。小市民ゆえに宗教は怖い。

 こんなヤバげな宗教組織とは適度に距離をとって生きていかねばならない。そう決意した。

 

「ユリアは、このオールドラントの全ての記憶を読み取った偉大な預言士(スコアラー)でもあったの」

「記憶を読み取る? スコアラー?」

 

「知らねーのか? 確か、星には誕生してから滅亡するまでの『記憶』が存在するんだよな」

「その預言(スコア)を読み取れる存在が預言士(スコアラー)と呼ばれる。……ちょっとルーク、割り込まないで」

 

「別にいーじゃねーか。減るもんでもなしに」

 

 聞き慣れない単語に小首を傾げると、退屈していたルークが補足説明をしてくれる。

 一方ティアの方は自分の見せ場が取られた気がして、横目で軽く彼を睨み付ける。

 そんな彼女の視線を受けてルークは不満気にブツブツこぼしている。なんだか微笑ましい。

 

 そんな彼らの様子に微笑を浮かべつつ、ティアに尋ねる。

 

「ということは、イオンさん… もといイオン様は始祖ユリアの子孫か何かなのですか?」

 

「いえ、その… ユリアの子孫は別にいるらしいけど導師になったという話は…」

「なるほど…(今、一瞬だけど顔色が… 『ユリアの子孫』という単語に反応したのか?)」

 

 言葉を区切って静かに首を振るティアに相槌を打ちつつ、その表情の変化を観察する。

 彼女は、ユリアの子孫という単語になにか特別な感情を抱いているのかもしれない。

 とはいえ、多少は気になるが今の関係を無理に壊してまで踏み込むべき内容でもないか。

 

「じゃあ、導師はどうやって選ばれ… あ、ひょっとして預言(スコア)で決まるんですか?」

 

 恐らく地雷案件だろうと当たりをつけたセレニィは、サラッと話を流すことに決めた。

 絶対保身するマンは護身のため、地雷から距離を置く当たり障りない生き方を好むのだ。

 

「そのとおり。理解が早いわね、セレニィ」

「あ、あはは… どうもです…」

 

「んだよ! 俺への態度とセレニィへの態度で随分違うじゃねーか」

「な、なんか私のせいでごめんなさい… ルークさん…」

 

「セレニィは優しいわね。でも謝る必要なんてないのよ?」

 

 いや、おまえが謝れよ。セレニィはそう思うが怖くて口に出せない。ごめんよルークさん。

 

 嬉しそうにセレニィの頭を撫でるティアの瞳には、やはり獲物を狙うような光が宿っている。

 そのせいか美少女と触れ合っているというのにちっとも嬉しくならない。……解せぬ。

 

 やはり距離を取らないと(使命感)。そう決意を新たにしたところ、ティアが話を続ける。

 

「導師にはある資質が求められるの。そして、それを持つ者が預言に従って選ばれるわ」

「……資質、ですか?」

 

惑星(プラネット)預言(スコア)… かつてのユリア同様、それを詠める者が導師となる。それが教団の決まりよ」

 

 なるほど、預言が最重要視される世界かー。そして次に能力と。セレニィはそう理解した。

 恐らく二千年間かけて、ゆっくりとそれを『常識』として世界に浸透させていったのだろう。

 オマケに分かり易い預言(きせき)まである。ローレライ教団の手練手管にはむしろ感心すら覚える。

 

「へー… そうだったんですか。凄いんですね、ローレライ教団もイオン様も!」

 

「フフッ、今日の平和の多くは始祖ユリアの偉業と教団の努力が齎したものと言えるのかもね」

「けっ! 俺はワケ分かんねーとこに飛ばされて、現在進行形で平和じゃねーっての…」

 

 不満気にぼやくルークに反応したティアが彼と言い争いを始める。

 いつもどおりの言い争いをいつもどおり止めに入る。

 

 無論、セレニィには自分の内心を講義してくれた彼女に告げるつもりなんぞサラサラない。

 さり気なく教団を推してくる姿勢から、ティアも教団関係者なのだと推測できるからだ。

 根は悪い人間ではないのは分かるが、人格面に少々の問題があることは嫌でも伝わってくる。

 

 気付かぬうちにとんでもない犯罪行為に手を染めかねない危うさが、彼女から感じられるのだ。

 

「丁寧な説明の数々、大変ためになりました。……ありがとうございます、ティアさん」

 

「いえ、むしろ大雑把な説明でごめんなさい。語り始めると凄く長くなってしまうから…」

「クスクス… でしたら、次の講義の機会を楽しみにしていますよ? ……ティア先生」

 

「ま、まかせて! ……セレニィ、あなたの期待を裏切る結果にはしないと始祖に誓うわ!」

 

 何故か赤くなったティアは鼻息荒くそう宣言した。

 ……いや、そんなこと始祖に誓われても。セレニィは内心でドン引きしている。

 

 悪い人間ではないのだろうが、何故か本能的な恐怖を感じる。

 

「(とはいえ、なにかの時は出来るだけフォローするかな。見捨てるのも寝覚めが悪いし…)」

 

 それなりに同じ時間を過ごし、良くしてもらってきたという恩もある。

 口先だけで言ってみた『仲間』ではあるが、無惨に切り捨てるには少々情が移ったようだ。

 

 セレニィは絶対保身するマンらしからぬこの考えを、後で死ぬほど後悔する羽目になる。

 

 

 

 ――

 

 

 

 だがそれは少し先の話。

 

「(そうだ、そんなことよりイオン様に萌えよう。グッズとか売ってないかなー?)」

 

 今はのどかな村の風景を尻目に、一行はなにごともなく平和に宿に到着するのであった。



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14.導師守護役

「連れを見かけませんでしたかぁ!?」

 

 宿に入ると、ピンク色の制服っぽいモノを着こなした少女が亭主に何事か話していた。

 どうやら人探しをしているようだが…

 

「私よりちょっと背の高いぼやーっとした男の子なんですけど…」

 

「なぁセレニィ。あれって、探してるの、さっき会ったイオンってヤツのことじゃね?」

「うーん… イオン様は無垢で可憐な天使ですし、きっと別の誰かのことですよ」

 

 セレニィにしてみれば、少女の語る特徴でイオンに合致するものは背の高さくらいだ。

 そして少女はセレニィ程ではないが小柄で、彼女より背が高い男の子は多いだろう。

 

 そんな曖昧で主観的な特徴を言うよりも、イオンを探すならば他に言いようがある。

 ヒラヒラした白いワンピースみたいな服をまとっているとか、若草色の髪の毛だとか。

 だから目前の少女の探す人物がイオンを指しているとはセレニィには思えなかった。

 

 そもそも…

 

「それにルークさん、あんな可愛い子が男の子のはずないじゃないですか」

「お、おう… そうだな」

 

「(あれ? 確か、導師イオンは男性だったような… いえ、よしましょう。私の勝手な考えを伝えてみんなを混乱させたくない)」

 

 キラキラ輝く瞳でそう言い切られてしまってはルークも黙るしかない。

 ティアも己の考えをそっと胸のうちにしまうのであった。

 

 そんなやり取りをしているうちに少女は亭主と話し終え店の出口、こちら側へとやってくる。

 

「あっ、可愛い子だ」

 

 その顔を見て、思わずといった具合にセレニィがつぶやく。萌える美少女には弱いのだ。

 

 黒髪をツインテールに結び、大きくクリクリした目はリスのような愛らしさを伝える。

 今はまだ全体的におしゃまな少女といった具合だが、顔立ちはかなり整っている。

 恐らくあと3,4年もすれば誰もが振り返る美少女になるだろう。セレニィはそう感じた。

 

「えへへ、ありがと。あなたもけっこー可愛いよ?」

「あ、あはは… どうも…」

 

「あなた、導師守護役(フォンマスターガーディアン)よね? 一体どうしてこんなところに…」

 

 つぶやきを拾われたのか、そう返してくる少女に対しセレニィは苦笑いしか出来ない。

 そんな会話の中に、少女の制服に見覚えのあったティアが入ってくる。

 

「え? そ、それはその… 当然イオン様に同行してて…」

 

「ふぉんますたーがーでぃあん?」

「あ、えっと… 若い女性で構成されている導師の護衛役で、その公務には必ず同行するの」

 

 言い淀む少女を尻目に、聞き慣れぬ単語についてティアに説明を求める。

 

 ……なるほど、理解した。

 

 導師の時点で美少女なのに護衛まで美少女なんて。美少女×美少女で世界が平和に見える。

 そんなんで公務とかで来られちゃったら、もう信仰してしまうしかないやん。ないやん。

 おのれ… 汚いぞ、ローレライ教団! こんなの預言(スコア)なんかなくても信仰しちゃうだろうが!

 

「(なんて、すばら… けしからん教団なんだ! 全力で貢がせていただきます!)」

 

 もはやセレニィの中でイオン様&導師守護役関連グッズの購入は決定事項となっている。

 うっとりした表情を浮かべつつ、口の端からほんのり涎が垂れている。ゴミ屑である。

 

 そんな残念過ぎるセレニィを余所に、ルークが不満気な表情を隠そうともせずに口を開く。

 

「てか、ホントに公務なのかよ? 俺、導師は行方不明だって師匠(せんせい)に聞いたぞ」

「え? あの、その… それは密命的なアレっていうか…」

 

「ルーク、あまり人の事情に踏み込むものじゃないわ」

「けっ! オメーはそればっかだな。セレニィとは大違いだ」

 

「……イオン様は村の奥のローズ夫人宅よ。導師守護役ならお傍に控えていたほうがいいわ」

 

 悪態をつくルークを横目で睨みながら、ティアは少女にイオンの場所を伝える。

 彼女が探す人物がイオンであろうとなかろうと、長い間イオンを一人にするのは好ましくない。

 

 少女はイオンの居場所を教えてくれたティアに礼を言うと、宿の出口へと駆けていく。

 

「あ… お仕事がんばってくださいね」

「ありがと! あなたもね!」

 

 そこに妄想世界から帰ってきたセレニィが声をかける。

 少女はそれに対して元気よく手を振ると、今度こそ勢い良く宿の外へと駆け出していった。

 

 

 

 ――

 

 

 

「ふぅ… お待たせしたな。さて、約束通りアンタらの宿泊料金は今夜はいただかないよ」

 

 少女を見送ると、宿のカウンターに立っていた宿の亭主ケリーが声をかけてくる。

 

「あ… それなんですが、男女別部屋でお願いできますか? ティアさんは女性ですから」

「おっと、そうだな… 大部屋を案内するところだったよ。いや、気が利かなくてすまんね」

 

 セレニィはケリーに男女別部屋をお願いすることにした。なんかたまにティア怖いし、と。

 いや、おまえも女性だよな? という視線をルークとティアから受けているのに気付かない。

 

 むしろ自分からティアと二人きりの密室を作り出している状況だが、それは置いておこう。

 

「いえ、そんな、こっちの我侭ですから… あ、必要なら当然追加料金をお支払いします」

「ハハッ、そんなのいらないよ。どうしてもってなら、次の機会にもご利用をよろしくな!」

 

「えぇ、その時は是非」

 

 日本人らしい愛想笑いを貼り付けたセレニィによるケリーとの話は和やかに進んでいる。

 あるいは、他の二人よりは軟化した態度を引き出しやすいのかもしれない。

 高慢な態度を表に出しやすいルークや、仏頂面が服を着て歩いているティアよりは恐らく。

 

「あ、それと一つお尋ねしたいのですが…」

「ん? なんだい。なんでも言ってくれ」

 

「この村で雑貨などを取り扱っているお店はありますか?」

「あぁ、それならここがそうだよ。村の生活雑貨から武器防具までなんでもござれさ」

 

「ほほう… 目録を見せていただいても?」

 

 ケリーに差し出された目録を眺めつつ、今後の動き方を瞬時に計算する。

 

 絶対保身するマンは、自らの生存とより快適な旅のためならば打てる布石は全て打つ。

 脳内でシナリオを描き終えたセレニィは、後ろを振り返るとティアに語りかける。

 

「ティアさん、今後の旅のことを考えるとここで装備を整えたいのですが…」

「えぇ。それは必要なことだと思うし、私も賛成するわよ?」

 

「ですが、ティアさんが大事な品まで手放して作ってくれたお金を使い込むのに抵抗が…」

 

 くすんくすん… と泣き真似をしてみせる。

 屑は自分が楽をするために他人を騙すことに微塵も躊躇を覚えない。

 

 加えて、ここらで利用価値を示しておかないといつ捨てられるかも分かったものじゃない。

 屑は性根が曲がっているので、ティアやルークからの好意には気付けないのだ。

 

「ありがとう、セレニィの気持ちは何より嬉しいわ。でも、使う時に使ってこそでしょう?」

「ごめんなさい。ティアさんだけじゃなく、ケリーさんたちの親切にも甘えているのに…」

 

「もう泣かないで。私たちは仲間でしょう? お金が足りなくなってもきっと助け合えるわ」

「そうだぜ! それに、家に帰ったら」

 

「ルークさん、ティアさん! ……ありがとうございます。私、よく考えてお買い物しますね」

 

 ルークの発言に被せる形でそう宣言する。当然、金持ちであることを匂わせないためだ。

 セレニィはルークをいいとこのお坊ちゃんと考えている。ここで口を挟まれては困るのだ。

 

 ティアはああ言っているが「金が無いのは首が無いのと同じ」とセレニィは考えている。

 流石に「金の切れ目が縁の切れ目」とまで言うつもりはないが、あるに越したことはない。

 

 こんな右も左も分からぬような状況下では特に。

 

「お騒がせしてすみません。あの… お買い物をさせていただけますか?」

 

 そしてケリーへと向き直る。

 

 もちろん、その際に出来るだけ無理して微笑んでいるような表情を作るのも忘れない。

 自分は健気な少女、自分は健気な少女… と、自己暗示まで試みる徹底ぶりである。

 

「泣かせるじゃねぇか… よし、俺も男だ! 2割… いや、3割引きで売ってやらぁ!」

「ケリーさん…! でも、そんな… お気持ちはありがたいのですが…」

 

「ガキが遠慮すんじゃねぇよ! それとも、なにか? ウチの商品はいらねぇってか?」

 

 威勢よく声を上げるケリーの侠気に感極まったのか、顔を俯かせるセレニィ。

 

「(くっくっくっ… コイツら、チョロい!)」

 

 そんな筈がなかった。屑は今日も平常運転である。

 

「ありがとうございます、ケリーさん。……では、2割引きでお買い物をさせて下さい」

「あん? 人の話を聞いてなかったのかい。ガキが遠慮」

 

「いえ、お世話になりっぱなしで私が心苦しいんです。ですから私を助けると思って… ね?」

「ちっ… ガキに気を遣わせるとは俺もまだまだか。んじゃ、2割引きで決まりだな!」

 

「はい!」

 

 セレニィの言葉に納得したケリーは苦笑いを浮かべながら引き下がる。

 無論、口にした通りの殊勝な理由などでは断じて無い。

 

「(商売はWin-Winであるべき… 一方のみの言い分を通しては必ず後に禍根を残す)」

 

 利益は欲しいが恨みは徹底的に避けて通る。絶対保身するマンの真骨頂である。

 好意に対する感謝は、態度で、口で示してこそ伝わる。さすればそれが真実となる。

 

 結果、ここに、双方の歩み寄りによる平和的な合意が為された。屑大勝利である。

 

「(……さて、狩り(オカイモノ)の時間を始めるとしよう)」

 

 屑の瞳が妖しく光った。

 

 ……やっていることはタイムセール品をより安く値切ろうとしている主婦と大差ないが。

 それも、雑魚ゆえ致し方なし。



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15.買い物

 宿屋内は戦場となっていた。カウンターを挟んでセレニィと宿の亭主ケリーの一騎打ちである。

 

「まず水袋3つと着火道具を… 多少値が張っても構いませんのでいいものを。火打ち石ですか? ではそれをお願いします。もちろん油も一瓶。油差しも… サービス? ありがとうございます! あとは調味料を砂糖と塩を一瓶ずつ。あ、お醤油もあるんですか! これも一瓶ください! それから胡椒を… 一掴み一袋として8つ、とかお願いできます? OK? どうもです! そうなると調理器具と食器も必要になりますね… じゃあこの鍋とフライパンも。包丁はいいです、ナイフありますから。あと食器は… あ、陶器だと割れそうなので木製で。むむっ、3つ買うより5つセットの方がお買い得ですね… 予備も考えて買いますか。木製だから軽いですし。それから保存食もありますか? ふむふむ、二種類と… 試食出来ます? すみません、無理言って… ほう。こっちは濃くてこっちはパサパサしてると。それじゃこっちのパサパサしてる方をお願いします。濃すぎるよりは調理次第で味が変えられますしね。3人で… 5日分くらいで。あとは松明を… あ、そんなに長くて大きいのじゃなくていいです。別に長時間は使わないでしょうし… そうですね、それくらいのを6本で。うーん… 本当はテントとか毛布が欲しいところですが、重くなりますし。夜露がしのげるフード付きのマントとかあります? 多少通気性が悪くても厚手で頑丈な作りのものが… あ、いい感じですね。ルークさん、ティアさん、試着しておいていただけます? あ、そうそう。あと応急処置のための道具が欲しいですね。包帯と留め具と糸と針と… 傷薬は? え、グミなんですか? へー… では、それを5個ほど。そっちの色違いは? 精神力を回復するグミ? なるほど… ティアさんに必要かもしれませんね。しかし高い… では、3つ。あとは一応ロープを… はぁ、結構重くなりそう。それから手鏡も一つ。で、最後にこれらが入りそうな鞄を… 背負い袋になる? ですよねー。あ、でも、頑丈そうで悪くないじゃないですか。ギリギリ背負える、かな? よし、雑貨についてはこんなとこですね。ご協力どうもです、ケリーさん!」

 

 セレニィの笑顔に、ケリーは頭を叩いて「嬢ちゃんにはまいったぜ!」と豪快に笑っている。

 

 ルークとティアは指示されたマントの試着をしながら、セレニィの様子を呆然と眺めていた。

 これまでの言動でそのコミュニケーション能力の高さは疑ってなかったが流石に予想外だ。

 何故記憶喪失なのにここまでテキパキと買い物がこなせるのか、と少し疑問に思うほどである。

 

「記憶を失う前のセレニィは一体どんな子だったのかしら? ……興味が尽きないわ」

「確かにな。今も金勘定を暗算しているみたいだし、頭はいいみてーだけど」

 

「妙に礼儀正しくて年齢不相応の落ち着きがあって… 官僚の卵か、商家のお嬢様かしら?」

「そういうのにしちゃ、なんか旅慣れてる感じがしねーか? 今とかさ」

 

「……そうね。彼女のことを知るためにも、責任をもってしっかりと送り届けないと」

 

 別にセレニィが彼女の言う地球にてサバイバル技術を磨いていたとかそういうオチはない。

 

 単に絶対保身するマンとして、自身の生存戦略について徹底に徹底を重ねたいだけである。

 なければ困るものを列挙していったら、とんでもない量になっただけというのが実情だ。

 そも記憶喪失については2人の思い込みで彼女自身は一度も自身をそう言っていないのだが。

 

 特に訂正しないまま流され続けてきたのがより酷い誤解を招いている気がしないでもない。

 

「というか、護身用に預けた私のナイフ… 包丁代わりにするって…」

「諦めろよ。今のセレニィは止められる気がしねー… きっと、大事に使ってくれるさ」

 

「そうよね… はぁ」

 

 そのタイミングでセレニィが声をかけてくる。

 

「あ、お二人ともマントの試着は終わりましたか? でしたら、ちょうど良かったです」

「えぇ、たった今ね。他に私たちに用かしら? セレニィ」

 

「はいです。お手数ですが、武具類についてもお二人に合わせていただきたいのですが…」

「お、やっとか。へへっ、いつまでも木刀じゃキツかったからなー」

 

 嬉々として武具選びを始めたルークを余所に、ティアはセレニィへと振り返り尋ねる。

 

「私とルークはいいとして… あなたの武具はどうするの? セレニィ」

 

 先ほどの言からして、ティアが預けたナイフは包丁として使うことになっているはずだ。

 いや、武具としても使うかもだが、出来れば魔物を刺したモノで調理してほしくない。

 もしもの時は、それとなく注意してやめるように言って聞かせねば… そう思い身構える。

 

 そんなティアの内心など知る由もない彼女は、手にしていたモノをティアへと差し出す。

 

「私ですか? 私はこれにする予定ですが」

「これを? これって杖じゃなかったの」

 

「まぁ、杖としても使う予定ですから間違いじゃないですよ」

 

 それはティアが譜歌詠唱の助けとしている譜術杖(スタッフ)よりも長めの棒であった。

 セレニィ自身の背丈ほどはあるだろうか。

 ティアのものと違い、特別な処理を施されているわけでもなくただの長い棒にすぎない。

 

 さらには、錘もなく太さも細めで均一… とても武具として適しているようには見えない。

 ティアの怪訝な表情を知ってか知らずか、セレニィは言葉を続ける。

 

「『突けば槍、払えば薙刀、持たば太刀、杖はかくにも外れざりけり』とも言いますしね」

「へぇ… 凄いわね。セレニィは棒術の心得があるの?」

 

「まさか! ルークさんのような剣技もティアさんのようなフジュツ? も、使えませんよ」

 

 感心したティアの言葉に笑いながら首を振る。

 

「でも、お… 私が役立たずに終わったとしてもこの棒は結構使いでがあると思いますよ」

「なるほどね… 色々と考えているのね。凄いわ、セレニィ」

 

 確かに物干し竿に使ったり遠くのものを押したり突いたり、様々な使い方が想定できる。

 どの町でも購入が容易というのも嬉しい材料だ。上手く行けば旅の道中だって補充できる。

 

 ある程度手荒に扱ってもいいならば最悪の場合、使い捨てにするという選択肢も取れる。

 それは、高価なルークやティアの武具にはないメリットとしてセレニィの目に映った。

 

 そもそも彼女は出来るだけ魔物の近くで戦いたくない。なので、長物以外の選択肢はない。

 

「(大丈夫、大丈夫… 獣くらいなら棒で牽制すればきっと… ある程度は、うん…)」

 

 しかし槍も弓も心得などまるでない。だとすれば棒を適当に振り回すしかないのである。

 臆病でチキンな彼女にとっては必要に迫られた選択肢であり、苦肉の策でしかなかったのだ。

 

 あんな危険な最前線なんかで戦いたくはない。けれどこんなところで捨てられたくはない。

 胃をキリキリ痛めながらも、ならば少しでも安全をと欲してしまうのは小市民のサガか。

 

「それじゃ私も武具選びをするわね。ありがとう、セレニィ」

「礼には及びませんよ。私自身のためにやったことでもありますし、それに…」

 

「私たちは仲間だもの… ね?」

「ですね!」

 

「フフッ… それでもよ。ありがとう、セレニィ」

 

 お互いに笑顔を浮かべて別れると、ティアはルークの横に立って武具選びに加わり始めた。

 

 セレニィにとって、ティアは他の人間と違って何を考えているか読めないところがある。

 言葉と行動が一致しない部分が散見されるが、そこに彼女自身は矛盾を感じていないのだ。

 

 以上のことを鑑みるに、恐らくティアはセレニィにとっては相性が悪い相手なのだろう。

 彼女自身、こんな状況でもなければ眺めこそすれティアには決して近寄らなかったはずだ。

 

 だが運命の悪戯か、今、二人は仲間として旅をともにしている。

 

「理解できない… なんて、甘えたことを言ってる場合じゃないしなぁ」

 

 ポツリとつぶやく。

 

 果たして和を尊ぶ日本人の気質か… 理解できないなりに、歩み寄っていこうと決意する。

 少しずつ、少しずつ。

 

「(……でもダメだったら諦めよう、うん)」

 

 すぐにヘタれるところはダメ人間ゆえであろうが。



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16.計画

 既に陽は沈み、一行は夕食を食べ終えて食堂でくつろいでいた。

 遠くから聞こえてくる虫の音色が耳に心地よい。

 

「うーん… 満腹満腹。美味しい夕ご飯でしたねー」

 

「そうだな、屋敷で食べる料理ほどじゃないけど中々だったぜ」

「食材がこうまで新鮮なのはエンゲーブならではね、きっと」

 

 あれから買い物を終えた一行は、もう一度、村の散策をした。

 といっても、今度は旅に役立つ道具類を揃えようという目的のためだが。

 

 その結果、先の買い物に加えて幾つかの補充をすることとなった。

 

 セレニィは旅の道中のビタミン不足対策に露店でドライフルーツ類を。

 ティアは掘り出し物として売られていた防御効果のあるブレスレットを。

 ルークは家族や友人のためにあちこちの店から面白そうな土産物を。

 

 宿も用意し、これからの旅の目処もついたため最初よりは気楽なものだ。

 夕焼け空を背景に談笑しながら戻る頃には、食事の用意が整えられていた。

 

 

 

 ――

 

 

 

 そして今に至る。

 

 宿の食堂はリビングに併設されており、食後の歓談が楽しめるようになっている。

 そのソファに腰掛けていたルークが残る二人に向けて口を開いた。

 

「おまえら… ちょっといいか?」

 

「なにかしら?」

「はい、なんでしょうか。ルークさん」

 

 少し迷ってから続きを口にする。

 

「明日、北の森に行きたいんだ」

 

「………」

 

 先程までの和やかなムードから一転、その場は重苦しい沈黙に包まれる。

 先に口を開いたのはティアだ。常のような冷たい眼差しをルークに向けつつ言葉を紡ぐ。

 

「ルーク、一体何を考えているの? あなたの我侭で寄り道をしている暇なんて」

「ま… まぁまぁ、ティアさん。頭ごなしに叱っていては話もできませんよ」

 

「でも、セレニィ…」

「ルークさんも今、こうして相談してくれてます。なら、話し合ってこその仲間では?」

 

「そう… そうね。いきなり声を荒げてしまってごめんなさい」

 

 セレニィは宥めた側でありながら、内心でティアが素直に頭を下げたことを驚愕していた。

 彼女の中でティアは、ルークに素直に頭下げたら死ぬ病気にかかってそうですらあった。

 

 やはり食事による満腹効果が大きいか。……今後、ティアへの食事は絶やさぬようにしよう。

 

 セレニィはそう密かに決意しつつ、ルークに向かって口を開く。

 

「まぁ、そういうわけで。……ルークさんの考えをお聞かせいただけますか?」

 

「考えってほどじゃないけど、セレニィが疑われてムカついた。調べて文句言ってやりたい」

「(はい、論外! ていうか、マジで考えってほどじゃねー!?)」

 

 セレニィは笑顔のまま沈黙する。小市民ゆえ、その考えが既に大迷惑ですとは言えない。

 ルークの戯れ言に言葉を失いつつ、既に内心でどうやって説得しようかと考え始めている。

 

「あ… あのね、ルーク。私たちは全員揃って安全に帰るのが目的なのよ?」

「そりゃー分かってるけどさ…」

 

「わざわざ危険に踏み込むのはどうかしら? 必要のない危険を犯すのは賛成しかねるわ」

 

 キツい口調を反省したのか彼女なりの優しい口調でルークを説き伏せようとするティア。

 

 その横でセレニィは思索に耽る。心情的には、今まで良くしてくれたルークに味方したい。

 もし彼がいなくてティアと二人きりであったならば、早晩息が詰まっていたことだろう。

 同じ男同士という気安さと、今も含めて何かと気にかけてくれる彼に救われた部分は大きい。

 

 もし検討すらせずにここで突っぱねてしまっては、彼が気にせずともこちらにしこりが残る。

 

「(ふーむ… なんとも悩ましい…)」

 

 ルークに恩や親しみを感じているとはいえ、魔物が出る世界で森に特攻するのは恐ろしい。

 せめて調べるだけならまだしも… ん? 待てよ?

 

 セレニィは頭の中で瞬時に算盤を弾く。

 

「村の現状を考えるならこの話は… となると、話を持ちかけるべき相手は…」

「ど、どうしたのセレニィ… 急にブツブツつぶやきだして」

 

「セレニィも反対なのか? ……まぁ、だったら無理言うつもりはねーけどさ」

「あ、いえ。条件付きという形にはなりますが私は賛成しますよ? ルークさん」

 

 ルークが残念そうにため息をつくと、セレニィは顔を上げて否定した。

 

「………」

 

 すると何故かその場は異様な沈黙に包まれ、思わずセレニィは小首を傾げてしまう。

 なにか不味いことを言ってしまったのだろうか? と。

 

 とはいえ、彼らが驚くのも無理は無い。

 ルークもティアも、堅実なセレニィの性格上反対に回るだろうと予想していたからだ。

 

「え、えっと… マジでいいのか?」

「はい」

 

「セレニィ、ルークに気を遣ってないかしら? それは美徳だけど無理する必要はないのよ」

「まぁ、その側面がないとは言いませんけど。ルークさんには良くしていただいてますし」

 

 あっけらかんと言い切る。

 ならば止めなくては… と思うティアが口を開くより早く、苦笑いを浮かべながら続ける。

 

「とはいえ、それが全てでもありませんよ? 私なりの考えがあってのことでもあります」

 

「なら、いいんだけど…」

「なんか、悪いな。……セレニィのためって言いながら結局付き合わせちまってるし」

 

「そんなに難しく考えないでください。こうやって今後の行動を相談するのは楽しいですし」

 

 気不味そうな表情を見せる二人に微笑んでみせる。

 

「『思い付き』をみんなで知恵を出し合って形にする。凄く仲間っぽいじゃないですか!」

 

「セレニィ…」

「……あぁ、そうだな!」

 

「(クックックッ… それに、こうすることで次回はこっちの我侭が通りやすくなるしね!)」

 

 だが、いつもどおり中身は屑であった。

 

「それで、さっき言ってた条件ってのはなんなんだ?」

 

「あ、はい。まずは森で夜を迎えるとかゾッとしないので明日の朝は早めにしたいのです」

「正論ね… 夜の森は危険よ。私に異論はないわ」

 

 ティアが神妙な面持ちで頷く。

 おまえなんでそれで夜の渓谷を強行突破しやがったと思わないでもない。口には出さないが。

 

 無論、ルークにも異論はなく次の条件へと話が続く。

 

「続いて少しでも『危険そう』『手に負えないかも』と感じたら、引き返すこと」

 

「これについても異論はないわ。退き時を見誤れば被害は拡大する一方だもの」

「あぁ、わかった。……確かに、無茶して大怪我したりしたら元も子もねーからな」

 

 これについても二人に了解を得られる。いよいよ最後の条件だ。

 

「最後に… 明日は出発前にローズ夫人のお家に向かいたいのです」

 

「あそこに? なんで?」

「フフッ… ちょっとした『お仕事』の話です。詳しくは明日のお楽しみということで」

 

 彼女が具体的に明かさないのは、別に大きな成果を明かすことを焦らしたわけではない。

 むしろその逆… 彼女の試みが成功する保証がどこにもないからだ。

 

 成果が得られるかどうかは、明日のローズ夫人との話し合い次第ということになる。

 ここまでカッコ付けたことを言っておきながら失敗したら、赤っ恥どころではすまないが。

 

 問題は信じて任せてもらえるかどうかだが…

 

「まぁ、なんだか分からねーけどセレニィが言うなら任せるさ」

「そうね… でも手伝えることがあったら言ってね?」

 

「あ、はい…(なんでこんなに信じられてるんだろ? ……純粋なんだな、きっと)」

 

 なぜだかアッサリと信じてもらえたので、特に話し合いで問題は発生しなかった。

 

「ま… そういうわけで明日は早いので、そろそろ休みませんか?」

 

「だな!」

「えぇ」

 

 こうして一行はそれぞれの部屋で身体を休めるために宿の二階へと上がっていった。

 そしてセレニィは普通に男部屋に入り込もうとして、廊下にベショッと放り出される。

 

「……解せぬ」

 

 彼女は廊下に突っ伏しながら、そうつぶやいた。



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17.寝物語

 セレニィが女性部屋のベッドに潜り込み、ウトウトとしているとティアが声をかけてきた。

 

「ねぇ、セレニィ… まだ起きてる?」

「……はい、起きてますよ」

 

 無視するわけにもいかず、返事をする。本当は凄く寝たいのだが。

 

「今日のこと… 凄かったわね。正直、少し尊敬したわ」

「……今日のこと?」

 

 昨日、今日と色々とあり過ぎてどれのことだか分からない。特定不能だ。

 

 夜の渓谷を降りたり、魔物に追い回されたり、戦艦が盗賊追い回すのに巻き込まれたり…

 あんなデッドリーな出来事の数々を経験しながら、未だ五体満足な自分を褒めてあげたい。

 

 セレニィの沈黙の意味を理解したのか、ティアが言葉を続ける。

 

「食料泥棒の冤罪をかけられていたでしょう?」

「……あぁ、あれですか」

 

 うん、あれも嬉しくないイベントだったなー。最悪私刑(リンチ)にかけられてたかも。

 そんなことを考えながらセレニィは相槌を打つ。

 

「逃げずにしっかりと話し合って、誤解を解いた。そればかりか怒りも見せずに許したわ」

「まぁ、そんなこともありましたね」

 

 そもそも逃げられるなら逃げていた。ボケっとしてたら逃げる前に捕まっただけだ。

 許したことについてもそうだ。本当は恨み言の1つや2つは言ってやりたかった。

 だが大天使イオン様に許せと頼まれちゃったらしょうがない。セレニィはそう考える。

 

 そして脳内フォルダを開放して、穏やかな笑顔を浮かべているイオンのことを思い出す。

 

「(イオン様スマイル最高! 上目遣いのイオン様可愛いヤッター!)」

 

「実は私も冤罪にかけられたことがあるの。……故郷での家畜舎襲撃事件のね」

「はぁ、そっすか(イオン様イオン様イオン様ホッホッホァー!)」

 

 もはや変態である。しかし、ティアはベッドで身悶えているセレニィに気付かない。

 

 既に頭の中はイオンの妄想でいっぱいだ。沢山の笑顔のイオンに囲まれて幸せいっぱいだ。

 今日はいい夢が見れそうだなぁ、などと考えながらティアの話を適当に聞き流している。

 

 最低の屑である。

 

「誰も信じてくれなかった。けれど、教官… 私の師匠に当たる人が調査をしてくれた」

「(イヤッホォオオオウッ! ローレライ教団ばんざぁあああ)ゴフッ!?」

 

「………。えっと、大丈夫? なんか今、すごい音がしたけれど」

「だ、大丈夫です。……ちょっと寝返りを打ったら壁に頭ぶつけてしまっただけで、はい」

 

 身悶えてゴロンゴロンしすぎて勢い良く壁に頭をぶつける結果になってしまった。

 自業自得である。

 

「……まぁ、そういうわけで無事私の無実は証明されたの」

 

 とりあえず流すことにしてティアは話を再開する。

 仲間として、セレニィとの付き合い方がわかってきたようだ。喜ばしいことである。

 

「『後ろ暗いことがないなら堂々としろ』… そう、教官に言われたわ」

 

「はぁ…」

「今日のあなたの姿はその時の教官のソレに重なったの。……私の憧れの人の姿に」

 

 まぁ、確かに同じ冤罪事件ではあるが一体自分に何の関係があるのだろう?

 そう疑問に思いつつ相槌を打っていたら、何故かティアが珍妙なことを口走り始めた。

 

 まるで意味が分からんぞ。

 

 一体ティアには今日の事件がどのように映ったのか… 少し興味を覚えて口を開く。

 

「んー… どうしてそう思ったんですか?」

 

「え? だって、一歩も引かずに正しいと思ったことを主張して認められたわ」

「……ふむ、なるほど」

 

 少しだけティアのことが分かった気がする。

 この子は、『正しい行動には正しい結果が返ってくる』と強く信じている子なのだ。

 だから『自分は正しくないといけない』と肩肘を張っている。そんな気がする。

 

 ……まぁ、違っているのかも知れない。所詮は他人事なのでどうでもいいけれど。

 

「これは飽くまで俺の意見ですから、ティアさんが受け入れる必要はありませんが…」

「え? ……えぇ」

 

「ティアさんの冤罪事件も今日の一件も、ぶっちゃけ単に運が良かっただけだと思います」

 

 眠気で頭が朦朧としているのか或いは睡眠前の気まぐれか… 少しだけ口が軽くなる。

 

 案の定ティアは絶句しているようだ。少し楽しくなってきた。

 

「納得できませんか?」

「それは… だって理不尽じゃない」

 

「えぇ、理不尽ですね」

「だったら…」

 

「でも、その教官さんが動かなければティアさんは犯人にされていたのでは?」

 

 意地悪な言い方をしてみる。彼女は否定の言葉が出てこないようだ。

 

「今日の一件もそうです。普通ならこちらが犯人にされて『ハイ、おしまい』ですよ」

「そんな…」

 

「実際に被害が出ている自国民と、得体の知れない余所者… 信じるならどちらです?」

「……ぅ」

 

「ま、そういうことです。取り調べを受けさせてくれるなら御の字ってとこですねー」

 

 ネガティブな方向にだけ口がペラペラ回る。

 セレニィは苦笑いを浮かべつつ、我ながら情けないものだと内心で呆れ返っている。

 

「そもそも、犯人じゃないと信じてもらえても意味が無い場合だってありますしね」

「え… さ、流石にそれは意味が分からないわ!」

 

「何故です? 手っ取り早く『身代わり役(イケニエ)』用意して民心慰撫なんてありふれてますよね?」

「そ、そうなの…?」

 

「すみません。……飽くまで俺の考えなんで、それが正しいかは断言できませんでしたね」

 

 流石に日本人だった頃の尺度で語ってしまうのは失礼というものだったかもしれない。

 やはり眠気で判断力が落ちているな… 関係ない方向に話を逸らしてしまった気がする。

 

 そう思いつつも、セレニィは言葉が止まらない。

 

「まぁ… 堂々としていて真っ向から反論できても、結果が伴わない場合もあるかもです」

「そんな… だったら、何故…」

 

「ティアさんが助かったのは教官さんのおかげ。俺が助かったのはあの軍人さんのおかげですよ」

「教官の… おかげ…」

 

「……自分が、人の善意や努力によって生かされてるって前提を忘れない方がいいかもですね」

 

 大きく欠伸をする。

 まぁ、あの眼鏡のマルクト軍人については絶対ただの気まぐれだろうけど。ドSそうだし。

 

 つーか堂々としてるだけで冤罪が晴れるんなら、この世に冤罪なんて存在しねーよ。

 ため息とともに心中で毒づく。

 

「正しい行動を取れば正しい結果が返ってくるならそれが一番なんでしょうけど…」

「そうあるべきじゃないの?」

 

「中々そうもいかないと思います。そも、常に正しくいられる人間のほうが少ないのでは?」

「それは…」

 

「理不尽な選択を迫られたり、善意でやったことが最悪の結果を招くこともあるかもです」

 

 ティアたちについていくか、渓谷に一人取り残されるかは間違いなく理不尽な選択だった。

 善意で申し出てくれたのだろうが、セレニィには地獄の片道切符にしか思えなかったし。

 最悪かより最悪かを選べと言われてるようなものだった。思い返しつつ自分の言葉に頷く。

 

 そもそも世の中には理不尽が溢れかえっている。この二日間の自分の出来事がまさにそうだ。

 理不尽の体現者として生き証人になってしまう勢いだぞ、コンチクショウめ。

 

「誰にだって間違いはあります。しっかり者のティアさんが馬車の行き先を間違えたように」

「そ、そのことは忘れてちょうだい! ……まったく、迂闊だったわ」

 

「クスクス… ごめんなさい。ま、偉そうに言いましたけど俺は『赦せる人』になりたいんです」

 

 暗くて見えないが、真っ赤になっているだろうティアの様子を想像して思わず笑みが零れる。

 なんだか怖い怖いと思っていた彼女に、初めて親しみの感情が湧いた気がする。

 

「……『赦せる人』?」

「たった一度間違ったらそこでおしまいなんて悲しすぎるでしょう? 俺は赦されたいですし」

 

「………」

 

 そう言ってもう一つ大きな欠伸をする。

 

 言っていることは、つまり「おまえのミス許すからこっちのミスも許せよな!」である。

 他人に甘くするから自分に甘くして欲しいという、なぁなぁここに極まれりのダメ発言だ。

 

 だが、ティアは違う意味に受け取ったようだ。その表情は思い詰めている。

 

「それでも、私は…」

「あ、ティアさんは無理に合わせなくてもいいんですよ」

 

「え?」

「言ったじゃないですか。飽くまでこれは俺の意見ですって」

 

「そ、そうなの…?」

「そーです」

 

 一方セレニィはなんか眠くなっていたので適当に返した。軽く、あっさりと。

 どこまでも無責任な人間、それがセレニィだ。安定の屑である。

 

 そもそもが寝る前の与太話として気まぐれ混じりに語ってみただけの事柄である。

 

「ま、世の中にはこんなヤツもいるんだなーとか思ってくれればそれで十分です」

 

「……セレニィはそれでいいの?」

「むしろそれ以上の何を望めと? ティアさんの心はティアさんのものでしょうに」

 

 何言ってんだこいつ、とばかりに問い返す。

 確かにこれまで口先ばかりではあるが『仲間』という表現を多用してきたのは認めよう。

 しかし、仮に真の『仲間』であっても踏み込んではならない領域というものがある。

 

 相手を尊重することと、自分を捨てて相手を全肯定することは違うのである。

 心を改造して自分以外の誰かになれやと言われても絶対にノウ! お断り状態である。

 

 ……まぁ、心はともかく身体が改造されちゃってるんですけどね! この状況!

 セレニィはそう、脳内で一人ノリツッコミを果たす。

 

「………」

 

 そして部屋には沈黙の帳が落ちる。ティアは、その沈黙を何故か心地よいと思った。

 

 ややあってティアは口を開く。

 

「あのね、セレニィ… 実は、私にはある『使命』があるの」

「………」

 

「それは… セレニィ?」

 

 反応がないことを訝しんだティアは、セレニィのベッドの方に視線を寄越す。

 

「すぴー…」

 

 そこから聞こえてくるのは可愛らしい小さな寝息。

 思わず微笑が漏れる。

 

「フフッ… 長話が過ぎたわね。ごめんなさい… そしてありがとう、セレニィ」

 

 この話の続きは次の機会に持ち越しか。

 それが残念でもあり嬉しくもある。

 

 窓から零れる月灯りを眺めながら想いを馳せる。

 この月灯りを今、『あの男』も眺めているのだろうかと。

 

 そんなことを考えつつ、彼女は瞳を閉じる。

 程なくその想いは、小さな微睡(まどろ)みの中に呑まれていくのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 翌朝。

 

「(ぬぉおおおおおん! 昨晩は調子に乗ってつい語り過ぎちまったぁあああああ!)」

 

 昨晩の色々を思い出し、羞恥に悶える少女の姿があったという。

 

「どこの中二病患者だ… 黒歴史確定… せめてティアさんが忘れてくれてることを切に願う…」

 

 残念ながら昨晩のやり取りは、ティアの心に深く刻まれているらしい。

 

 今はセレニィの輝かしい未来に合掌しよう。



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18.依頼

 夜が明け、準備を整えた一行は朝食を食べるとローズ夫人宅へと向かいその扉を叩いた。

 程なく彼女が姿を現す。

 

「おやまあ、アンタたちかい。昨日はすまなかったねぇ」

 

「いえいえ、こちらこそ昨日はお騒がせしました」

「それで何か用かい? 朝っぱらからやってくるくらいだ。なんか重要な話でもあるんだろ」

 

 さて、ここからが本番だ。セレニィは気を引き締めつつ口を開く。

 

「えぇ、お話したいことがあって寄らせていただきました。お食事中でしたら改めますが」

 

「大丈夫だよ。田舎の朝は早いんだ、お茶くらい出すからあがっておくれ」

「それでは… お邪魔します」

 

 こうしてローズ夫人宅の中へと通される。セレニィの後にはルークとティアの二人も続く。

 出されたお茶を飲んで一息つく。

 

「……美味しいお茶ですね」

「ありがとよ。といっても自家製の適当な代物だけどね… 口に合ったようで何よりさ」

 

「とても優しい味がします。茶葉だけじゃなくて淹れる方の工夫によるのでしょうね」

 

 当り障りのない会話を楽しみつつ、ニコリと微笑む。

 

 まだ“流れ”を掴んだとは言えないな。セレニィはそう分析しつつ会話の内容を検討する。

 ……よし、これで行こうか。

 

「あの、昨日はありがとうございました」

 

「なんだい、藪から棒に。迷惑かけたのはこっちだろう? 礼を言われる筋合いはないさね」

「いえ、軍の方は勿論のことローズさんの口添えがあってこそ私たちは信じて貰えました」

 

 興奮状態の男連中に流されず、逆に一喝までした彼女の胆力には実際かなり助けられた。

 会話運びの一環とは思っているものの、お礼を言いたい気持ちもあったので素直に頭を下げる。

 

 そんなセレニィの態度にローズ夫人は苦笑いを浮かべる。

 

「ははっ、まったく真面目というか律儀というか… お嬢ちゃん、名前はなんだったっけね?」

「これは失礼をしました。私はセレニィ… そして、こちらがルークさんにティアさんです」

 

「おう、よろしくな」

「よろしくお願いします、ローズさん」

 

「はい、よろしく。もう知ってるみたいだけどアタシがローズ、一応このエンゲーブの顔役さ」

 

 和やかなムードの中、セレニィはルークとティアを紹介しつつ互いに挨拶を交わす。

 

「(この“流れ”だな)……そういえば食料泥棒の件、軍の方はなんと?」

 

「はぁ… どうにも別任務があるみたいでね。すぐの対応は難しいんだとさ」

「……それはお困りでしょうね」

 

 ローズ夫人が憂鬱そうなため息を吐くと、場には重苦しい沈黙が漂う。

 しかしセレニィにとっては、これこそが求めていた展開である。

 

 内心など表情には一切出さずに、こっそりと心の中で時間を数え始める。

 10を数え終えると、意を決したとばかりの態度で顔を上げて言葉を紡ぐ。

 

「(…8,9,10。よし)……あの、ローズさん」

「ん? なんだい、セレニィちゃん」

 

「もしよろしければ… 食料泥棒の件の調査、私たちに任せていただけませんか?」

 

 予想もしなかった突然の申し出に、ローズ夫人は目を瞬かせている。

 ルークやティアも、驚いたようにセレニィを見詰めている。

 

 ……それもそのはず。彼女は一切の打ち合わせなく、ぶっつけ本番で話し始めたのだから。

 自分の目的のため、前触れ無く仲間を利用してのける。まさに屑のなせる所業である。

 

「正式に軍に依頼しようにも時間がかかりますよね? けれど詳細が不明では軍の腰も…」

「重くなる。それで頭を悩ませてたのさ。だから願ってもない申し出だけど、良いのかい?」

 

「はい! ある程度の背景調査が出来上がっていれば、軍の方も動き易くなりますよね?」

「それは… うん、確かにそうだ。軍の連中も、それなら部隊編成をしやすくなるからねぇ」

 

「お邪魔でしたら無理は申し上げません。ですが… お力にならせていただけませんか?」

 

 そこまで言ってローズ夫人の言葉を待つ。

 

「それはありがたいよ。でも…」

 

 少し不安そうに、セレニィやルークたちを見遣る。

 

「(なるほど… 子供に任せるのは不安か。だが、それを解消する言葉も用意している!)」

 

 屑、絶好調である。さながら燃え尽きる寸前の蝋燭の最後の輝きの如く。

 

「ご安心を。ルークさんはここに来るまで、魔物の攻撃を掠りもしなかった程の剣の使い手」

「……お、おう。まぁ確かに、ここまで全部の魔物は俺が片付けてきたな!」

 

「へぇ…!」

 

 魔物のターゲットにされたのは主にセレニィなので、嘘は言っていない。

 だがそんなことを知らないローズ夫人は素直に感心している。

 

「さらにティアさんは優秀な“せぶんすふぉにまぁ”。治癒・回復のスペシャリストなのです」

「まだまだ修行中の身ではありますが、任せられた役割はしっかり果たすつもりです」

 

「なるほど… まさかそんな凄い子たちだとは思わなかったよ。うん、それだったら安心だねぇ」

 

 ローズ夫人はすっかり信じ込んでしまった。ずっと屑のターンである。

 やっていることは詐欺師とほとんど遜色が無いだけにたちが悪い。

 

「……ただ、私たちも旅の途中の身の上。路銀も稼がなくてはなりません」

「そりゃ当然だろうねぇ」

 

「厚かましいとはお思いでしょうが、どうか成功時には報酬をいただきたいのです」

「流石にタダ働きさせる気はないさね。……むしろ成功報酬だけでいいのかい?」

 

「えぇ、失敗時にも報酬を確約されてしまったら真面目に取り組めなくなりますしね」

 

 冗談めかして言えば「あっはっは! そりゃ確かに!」と呵々大笑するローズ夫人。

 ここまでは理想的な流れ… さて、いよいよ仕上げだ。

 

 セレニィは胸中で汗を拭う。

 

「では、報酬の件ですが…」

「………」

 

 ローズ夫人は笑うのを止めて、セレニィの出方を伺っている。

 緊張する。手に汗が滲んでくる。

 

 さて、鬼が出るか蛇が出るか…

 

「調査成功で1500ガルド、それに加え事件解決で3000ガルド… これでいかがでしょう?」

「………」

 

 沈黙が場を支配する。

 

 もしかして、価格計算を間違えてしまったのだろうか?

 ……いや、動揺を表に出すな。笑顔を貼り付けたままにしろ。

 セレニィは自身をそう奮い立たせる。

 

 ややあってローズ夫人は口を開く。

 

「そりゃまた随分と安いねぇ… なんだか申し訳ないくらいだよ。本当に良いのかい?」

 

 よし、通った! そう心の中でガッツポーズを取る。

 ちなみにセレニィは知らないが、1ガルドは地球の日本の10円程度の価値があるらしい。

 

 だが彼女にとっては「不審を抱かれるほどに高すぎなかった」ことが重要なのである。

 

「昨日、ローズさんには助けられました。それにケリーさんにも良くしていただきました」

「そうは言っても…」

 

「お力にならせていただきたい… その言葉に嘘はありません。……ご迷惑でしょうか?」

 

 悲しそうな表情で少女にそう言われしまっては、断る言葉など持ち合わせはしない。

 ローズ夫人は後ろ髪を引かれる思いながら、セレニィのその申し出を受けるのであった。

 

 セレニィにすれば無報酬が一転、調査だけで1500になる錬金術を使ったようなものだ。

 笑いが止まらない。

 

「(くっくっくっ… コイツら、チョロい!)」

 

 屑は今日も邪悪に絶好調である。

 

 

 

 ――

 

 

 

 ローズ夫人からの依頼という形で約束を交わした三人。

 彼らは今、意気揚々と北の森へと向かっている。

 

「しかし、考えたわね。セレニィ」

「考えたって… あぁ、さっきのことか。アレ、結局どういうことだったんだ?」

 

 ティアがローズ夫人宅での先程のやり取りを思い出し、嬉しそうに口を開く。

 それに反応したルークが、疑問に思っていたことを口に出す。

 

「私たちが森を調べても、その結果が分かるのは私たちだけでしょう?」

「あぁ、そうだな」

 

「村にとって、それは何のプラスにもならない。ただの私たちの自己満足だわ」

「うーん… 確かにそうなるよな」

 

 ティアの説明に、ルークは納得して頷いている。

 なんだか知らないが仲は改善しているようだ。いいことだ。

 

 そう思いながら、セレニィは適当に頷いている。

 絶対保身するマンは周囲の危険を警戒するのに忙しい。

 

「けれど、セレニィはそこで村の代表のローズ夫人に相談し依頼という形を提案した」

「さっきの話だな」

 

「これにより村は、直面する事件の情報を入手する手段を得られたの」

「あ、確か軍をすぐに動かすにはある程度の情報が必要とかなんとか言ってたよな」

 

 ルークの言葉に頷きつつティアは話を続ける。

 

「村は食料盗難事件に怯える必要はなくなり、解決に向けて大きく前進することとなった」

「なるほどなー… 確かによく分かんねーって怖いもんな」

 

「ルークの思い付きから村の問題まで絡め、村人たちの心のケアにまで気を配った細やかな配慮… これがセレニィの描いたシナリオだったのよ」

「そうだったのか! ようやく分かったぜ。すげぇな、セレニィ!」

 

「いえいえ、それほどでも」

 

 そんな立派なことは考えてない。単に金が欲しかっただけである。

 

 しかし、得意満面の表情で謙遜してみせる。最近屑は調子に乗っている。

 

「普段は大したお役に立てない分、せめて交渉で支えてこその仲間じゃないですか」

 

「フフッ… 今後も大いに頼りにさせてもらうわね」

「ったく、負けてらんねーな。見てろよ? 戦闘じゃバリバリ活躍してやっからなー!」

 

 仲間の賞賛が心地よくて、ドヤ顔でちょっといいことを言ってみる。

 

「(来ている… これは流れが来ている! 今後のフラグに大いに期待できる予感!)」

 

 彼女は最近上手く行っていたから、調子に乗って忘れていたのである。

 

 この世界は非常にデッドリーなモノで溢れかえっていることを。

 自身が何の力の持たない無力な少女でしかないことを。

 

 程無く彼女の望み通り、活躍の場である交渉の席とともにフラグは立てられることになる。

 

「おーい、何やってんだセレニィ? そろそろ進もうぜー」

「あ、はーい」

 

 ……そのフラグは俗に『死亡フラグ』と呼ばれていた。



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19.森

 斯くして一行は大きなトラブルに見舞われることもなく、北の森へと足を踏み入れた。

 

 入り口近辺は然程でもないが、奥に進むに連れ陽が遮られ陰が増える森。

 それははなんとも言えない不気味な雰囲気を醸し出している。自然、一行の口数も少なくなる。

 

 黙々と奥へと進んでいたその時、ふとセレニィが足を止める。

 

「? どーしたんだ、セレニィ」

 

「お静かに。……イオン様の気配がします」

「………」

 

 ……どうしよう、セレニィが壊れてしまった。

 ここ数日の様々な出来事のせいか、あるいは交渉とか買い物とかを任せきりにしたせいか。

 

 これからはもう少し労ってやらないと… ルークはそう考えて口を開こうとする。

 

「な、なぁ… セレニィ」

「こっちです! うぉおおおお、イオン様ー!」

 

「おい! ちょっと… って、はえぇ!?」

 

 制止する暇とてなく、叫ぶが早いかセレニィは奥へと向かって駆け出していってしまった。

 一体どうしたものか… 隣に並ぶティアに声をかけようとする。

 

「な、なぁ… ティア」

「流石セレニィね… こんな薄暗い森の中でイオン様の気配を探り当てるなんて」

 

「……あ、うん。……そーだな、すごいな」

 

 キラキラした眼差しでセレニィが駆け去った方角を見詰めているティアを見て悟った。

 おかしいのはコイツらじゃない。理解できない自分のほうなのだと。

 

 そして仲間との間にある溝の再確認に若干肩を落としつつ、セレニィの後を追うのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 程無くセレニィの方から戻ってきた。

 

「ぎゃああああああああああああ!?」

 

「バウワウッ!」

「ガウガウッ!」

 

 ……三匹ほどの狼を引き連れて。

 

「魔物だわ、構えて!」

「だー! まったく世話のやける!」

 

 それをルークとティアがカウンターにする形で魔物を迎え撃つ。

 ただの狼とはいえ、れっきとした魔物。侮ることは出来ない。

 

 だが夜の渓谷で積んだ戦闘経験、そしてエンゲーブで整えた武具を持つ彼らの敵ではなかった。

 ティアの譜歌が接敵までに全ての魔物の動きを止め、ルークが順次それに止めを刺していく。

 

「フッ、流石ですね… ルークさん、ティアさん」

 

 セレニィは戦闘が終わった頃を見計らって、ドヤ顔で茂みから現れる。

 いい性格をしている屑であるが、頭の上に乗った葉っぱが間抜けだ。

 

 最初の頃に比べ、多少息は切れているものの大量の荷物を背負っているにもかかわらず無傷。

 魔物からの追い回され方にも、堂が入ったような手慣れた雰囲気をうかがわせる。

 

「こーら! ったく、勝手な行動しやがって。反省しろよなー?」

 

「むぐ、あぅあぅ…。ご、ごめんなさいー…」

「ま… まぁまぁ、ルーク。セレニィもきっと分かってると思うからそれくらいに…」

 

 いつも冷静な妹分らしからぬ行動に、ルークは彼女の頭をわしゃくしゃにしつつ注意する。

 

 ティアは「落ち込んで涙目のセレニィも可愛いわ…」などと思いつつフォローを試みる。

 ルークにしても本気で怒ったわけではないので、ティアに窘められればアッサリと解放する。

 

 これで当面の危機は去った。しかし、こんなことを繰り返せば問題であるのは自明の理。

 ティアは考える。大事な仲間であるセレニィを守るための方策を。

 

「(セレニィ可愛い… 今の状況ではセレニィへのフォロー役が必要ね。セレニィ可愛い)」

 

 どうでもいいけどそこの屑と思考が同レベルですよ、ティアさん。

 

 その時、ティアに天啓が走る。

 

「(そうよ… はぐれないように、私がセレニィの手をつないでいてあげればいいのよ!)」

 

 この思い付きこそ始祖ユリアの導きに相違ない。

 ……嗚呼、始祖の導きに感謝を。

 始祖が聞いたら助走つけてぶん殴ってきそうなことを、ティアは大真面目に考えている。

 

『ティアさん、こっちこっちー! はやくはやくー!』

『フフッ… そんなに急ぐと転ぶわよ? セレニィ』

 

『ティアさん… ティアさんのこと、お姉さんって呼んでいいですか?』

『あら、私はとっくにそのつもりだったのに違ったの? お姉さんは寂しいわ』

 

『ティアさん… いえ、お姉さん…』

『セレニィ…』

 

 良い… 凄く良い!

 ティアは自身の輝かしい未来図(妄想)を想像して、小さくガッツポーズを決める。

 さぁ、心は決まった。あとは実行に移してこの未来図(妄想)を形にするだけだ。

 

「セレニィ! またはぐれるといけないわ! だから私と手をつないでいきましょう!」

 

「え? 普通にイヤですけど」

「………」

 

 ティア、轟沈。

 そのあまりのショックに彼女は膝をついて項垂れる。俗にいうOrzのポーズである。

 

 屑もここ数日間の付き合いで、彼らに対する遠慮というものがなくなってきている。

 加えて絶対保身するマンとしても「捕まったら終わり」という脳内の警告を無視できない。

 

「あぁ… 始祖ユリア… 何故… 何故なのです… これも試練なのですか…?」

「(なんかブツブツ言ってる。怖いしティアさんのことはそっとしておこう)」

 

 ついには虚ろな表情でブツブツつぶやきだしたため、ますます距離を取られることになった。

 

 そんなティアを尻目にセレニィが思い出したように口を開く。

 

「あ、そんなことよりルークさん! やはりこの先にイオン様がいらっしゃいました!」

「え? ホントにいたのか?」

 

「はい、魔物は私が引き離しましたけどまた何かあっては危険です。すぐに向かいましょう」

 

 真相は、単に魔物がセレニィにターゲットを変更して追い回していただけであるが。

 

 ともあれ、イオンを心配したセレニィはルークの腕を両手で取ると先へと進むよう促す。

 ルークは「セレニィってたまに人間やめてるよな…」と思いつつも素直にそれに従う。

 

 別にセレニィに人の気配を感じる特殊能力などがあるわけではない。

 単に何処に出しても恥ずかしい変態であるため、イオンの気配がわかってしまうだけだ。

 

「はやく、はやく! こっちですよ!」

「わーったって! 引っ張るなよ… ったく。おいティア、急がねーと置いてくぞー?」

 

「………」

 

 ルークとセレニィが先へと進み、後にはOrzのポーズのままのティアが取り残される。

 

「フ… フフフ… フフフフフ…」

 

 小さな笑い声が響き渡る。

 鈴の鳴るようなその声には、底知れぬ冷たさが滲んでいるようですらある。

 

「残念よ、ルーク… あなたとはいずれ分かり合えるかも知れないと思っていたのに…」

 

 ゆっくりと立ち上がる。

 彼女は膝についた土を払うこともなく、言葉を紡ぎ続ける。

 

「あなたは… 私の敵だったのね」

 

 今ここに、嫉妬ウーマン(逆恨み)が爆誕した。

 

 

 

 ――

 

 

 

「なんか寒気がする…」

「あらら… 風邪は引き始めが肝心と云いますし、ちゃんとティアさんに相談して下さいね」

 

「うん… でも何故だろう。余計に悪化しそうな気がする」

 

 先行した二人はそんなことは露知らず… 平和に談笑しながら歩いていたという。



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20.追跡

 ルークとともに森の道を進んでいると、前方の道から小走りに駆けてくる人影がある。

 昨日ローズ夫人宅でも会った、ローレライ教団の最高指導者である導師イオンだ。

 

「あぁ、良かった… 無事だったのですね」

 

 元気そうな様子のセレニィを確認して、安堵の息を漏らす。

 不可抗力とはいえ、先ほど自分の身代わりに魔物に追われていった少女である。

 その逃げ足の速さは見事だったが、万が一のことを心配していたのだ。

 

「はい、私の自慢の仲間が助けてくれましたから!」

「へへっ、まぁな!」

 

「そうだったんですか、仲間の方が… そういえばあなた方は昨日お会いしましたね?」

 

 短いやり取りの中に強い信頼関係も結ばれている様子がうかがえる。

 微笑ましく思うとともに、昨日のローズ夫人宅でのやり取りを思い出す。

 

「あぁ、俺はルーク。んで、こっちのちっこいのがセレニィだ」

「セレニィです。よろしくお願いしますね、イオン様」

 

「はい、こちらこそよろしくお願いします。……しかし、ルークですか」

 

 互いに挨拶を交わすと、イオンがルークの名前に興味を覚えたように見詰める。

 セレニィはこっそりイオン様フォルダの拡充を狙い、網膜をフル稼働させている。

 

 ブレない屑である。

 

「あん? なんだよ」

「確か、古代イスパニア語で『聖なる(ほむら)の光』を意味していたかと。素敵な名前ですね」

 

「べ… 別に褒めてもなんもやんねーぞ!? 大体それを言ったらセレニィだって…」

 

 褒められ慣れてないのか、真っ赤になったルークがセレニィに矛先を逸らそうとする。

 

「いやいや、私は落ちてた場所がセレニアの花が咲いてる原っぱだったってだけですし…」

「落ち… え?」

 

 聞き間違いかと思わず尋ね返してしまったイオンの様子に、セレニィは説明をする。

 

「あ、私はつい二日前に渓谷でルークさんともう一人の方に拾われたんですよ」

「んで名前もなんも覚えてないって言うから、仮の名前として付けて今に至るってワケだ」

 

「それはまた… なんとも大変だったのですね」

 

 ルークの説明も加わり判明したハードな背景に思わず、驚きの表情を浮かべるイオン。

 

 だが目の前の少女は何が楽しいのかこちらを見てニコニコしており、暗い影は見られない。

 そんな厳しい状況にもかかわらず、冤罪をかけようとした村人をあっさり許してくれたのか。

 そう理解したイオンは、内心でセレニィに対する感謝の気持ちと申し訳無さで一杯になる。

 

 イオンの内心など知る由もない彼女は笑顔で話を続けている。……ただ下心に忠実なだけだが。

 

「いえいえ、むしろルークさんともう一人の方に助けられて大ラッキーでしたし」

「……セレニィさんは強いのですね」

 

「はい? むしろ弱くて雑魚ですよ。っと、噂をすれば… ティアさん、こっちですよー!」

 

 違う意味で取られたかと思いつつ、イオンは苦笑いを浮かべる。好意に値する少女だ。

 

 彼女にしてみれば、イオンと知己を得られたことでトータル的にはプラスに傾いている。

 この世界で体験した命の危機に瀕するイベントの数々など、既に遠い忘却の彼方だ。

 まさに『喉元過ぎれば熱さを忘れる』というか、驚きの学習能力のなさであると言えよう。

 

 そのまま上機嫌で、遅れて姿を現したティアの手を引いてイオンへと彼女の紹介をする。

 ティアはそんなセレニィの態度に先程までの怒りは吹き飛び、ニコニコ顔を浮かべている。

 

「フフッ… セレニィったら、そんなに引っ張らなくても私は逃げたりしないわよ?」

「イオン様、こちらがティアさんです。ルークさんと同じく私の命の恩人さんですね」

 

「よろしくお願いします。……その身形から察するに、あなたは『神託の盾(オラクル)騎士団』の?」

「あ、はい。私は…」

 

「おい、オメーら! あそこを歩いてるヘンテコな獣… あれがチーグルじゃねーのか!?」

 

 ティアが口を開こうとしたところで、ルークがヨチヨチ二足で歩く耳の大きな獣を発見する。

 彼の大声に怯えて森の奥にすぐさま逃げてしまったが、その姿は全員が確認した。

 

「間違いありません。教団の聖獣チーグルです」

 

「やっぱりそうか! よーし、調査のためだ! なんとしてもとっ捕まえてやる!」

「あ、ちょっ… ルークさん!?」

 

 イオンがチーグルだと認めると、ルークはその後をダッシュで追いかけていく。

 一見のどかな森ではあるが、イオンとてつい先程も魔物に襲われたばかりである。

 

 このまま単独行動をさせては危険だと考え、イオンは残る2人に声をかける。

 

「ひとまず彼の後を追いましょう。ここで見失ってしまってはことです」

 

「あ、はい。そうですね… 私たちも調査のために来たわけですし」

「御心のままに。……まったく、セレニィやイオン様もいるのにルークには困ったものね」

 

 セレニィやティアにしてもそれに異論があるわけではなく、頷きルークの後を追う。

 

 道中襲ってくる魔物は文字通りルークが『蹴散らし』ながら突き進んでいる。

 ティアはセレニィとイオンの安全に注意しつつ、届く際は援護をしながら進んでいく。

 

「うわぁ… ルークさん、なんかマジで強いですね。幾ら加速に乗っているとはいえ」

「あの威力、新しい技なのかも… けど、勢い任せで危なっかしいったら無いわ」

 

「さしずめ『崩襲脚(ほうしゅうきゃく)』といったところですか。しかし野生動物がここまで興奮しているとは…」

 

 ルークの新技による突進力と、文句を言いながらもそのフォローをこなすティア。

 二人の連携に内心で舌を巻きつつ、イオンは森の状況に違和感を覚える。

 

 やはりチーグル以外にも異変が発生しているのかもしれない。

 

 そんなことを考えつつ進んでいくと、一行はやがて大きな樹の根本へと辿り着いた。

 一足先に到着していたルークは不機嫌そうに周囲を見渡しつつボヤいている。

 

「っかしーなぁ… この辺りで見失ったんだけど、どこ行きやがった」

「撒かれてしまったのかもしれないわね。……どうする? 一旦戻ってみる?」

 

「いえ、多分このあたりの何処かにいることは確かなんじゃないでしょうか」

 

 戻ることも視野に入れてみてはどうかと提案するティアに、セレニィが待ったをかける。

 二人がどういうことかと視線で問いかければ、彼女は付近に転がっているある物を指差した。

 

「そこに転がっているリンゴ、明らかに浮いてますし。周囲にはなっている木もないのに」

「恐らくセレニィさんの言うとおりでしょう。チーグルは樹の幹に巣を作ると聞きます」

 

「なるほど… あ、イオン様。よろしければどうか私のことはセレニィと呼び捨てて下さい」

 

 乱れた息をある程度まで整えたイオンが隣に進み出て、セレニィの意見に同調する。

 セレニィはそんなイオンに自らの水袋を差し出しつつ、名前を呼び捨てるようお願いする。

 

 憧れのあの人に呼び捨てられる、ちょっと特別な関係を味わってみたいのだ。

 ……もっとも、セレニィは名前を呼び捨てしかされてないため実質一切の特別感はないが。

 

「すみません、セレニィ… 水も、ありがとうございます」

「勿体無いお言葉です(っしゃー! イオン様の間接キスGETだぜ! ……家宝にしよう)」

 

 上品に微笑みつつ大切そうに水袋を懐にしまう。考えていることは変態一直線である。

 つい先程も「頬を上気させて息を乱してるイオン様、色っぽい」とか不埒なことを考えていた。

 

 考えていることを表情に出さない元日本人スキルを最大限に悪用している屑の鑑である。

 

「ってことはつまり、あの樹の穴ん中に連中がいやがるんだな? よし、行こうぜ!」

「はい。……大人しいとはいえチーグルも魔物です。充分にお気をつけ下さい、ルーク殿」

 

「へへっ、わかってるって! あとイオンっつったよな? 俺のこともルークでいいぜ」

「本当ですか? ありがとうございます! あなた方はセレニィ同様素晴らしい方々ですね」

 

「(イオン様の花丸笑顔可愛いヤッター! って、素晴らしい? 俺、なんかやったっけ?)」

 

 素晴らしい人間と思われることに心当たりがないセレニィは思わず小首を傾げてしまう。

 屑だとか変態だとか罵られる心当たりなら掃いて捨てるほどには大量にあるのだが。

 

 ひょっとして自分のそっくりさんか何かに遭遇していたのか? 清廉潔白な偽セレニィとか。

 ……いかん、そっちの方が100%本物だ。自分、偽者として討伐される? 消されちゃう?

 イオン様に嫌われてしまう。あ、でも蔑み顔で罵ってくるイオン様もそれはそれで…

 

 セレニィの妄想は止まらない。

 

「あなたはいつもそうね、セレニィ。……その自然体に私たち、結構救われてるのよ?」

「……ティアさん?(いきなり何言ってんだろ。ティアさんってたまに電波だなぁ)」

 

「大丈夫、あなたとイオン様は守るわ。ルーク! あなたも今度はちゃんと気を配りなさいよ」

「っせーなー、わーってるっての。でも、さっきのアレは見逃すよりはマシだっただろー?」

 

「フフッ… 本当に、素晴らしい方々です」

 

 慈愛の笑みを浮かべつつセレニィの肩に手を置くティア。

 そんな彼女にめちゃくちゃ失礼なことを考えているセレニィ。

 ブツブツ言いながらもティアの指示を否定しないルーク。

 

 凸凹だらけの3人組を、優しい笑顔で見守るイオンを加えた4人。

 

 彼らは森の中のチーグルの巣穴へと、ついに足を踏み入れるのであった。



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21.聖獣

 一行はセレニィが用意していた松明を点け、薄暗い樹の穴の中へと足を踏み入れる。

 

「まさに『備えあれば憂いなし』といったところかしら? お手柄ね、セレニィ」

 

「いや、私も流石にこんなに早く出番がくるとは思いませんでしたけど…」

「さーて、連中は… おっ、うじゃうじゃいやがるな。おい、オメーらが食料泥棒の犯人か?」

 

 チーグルは火を恐れているのか、遠巻きにみゅうみゅう鳴くばかりで寄ってくる気配はない。

 

「ルーク、いくら可愛いと言っても魔物よ。言葉なんか通じるの?」

「ん? それもそーだな… だったら、どーしたもんかな」

 

「確かチーグルはかつて始祖ユリアと契約し、その力を貸したと伝えられている魔物です」

「なるほど… でしたら、何らかの手段で互いの意思を疎通できてもおかしくありませんね」

 

 イオンが進み出てルークとティアに聖獣チーグルの伝説について説明する。

 それにセレニィが同意する形で続く。

 二千年前の伝説など全く信じていないが、イオンが言うなら真実であるという前提で動く。

 

 セレニィは、屑は屑でも想う人にはそれなりに一途でほんのり健気な屑なのである。

 

「……おまえたち、ユリア・ジュエの縁者か?」

 

 イオンとセレニィの仮説を肯定するように、しゃがれた老婆のような声が奥から響く。

 声がした方向へ松明を向けると、そこには一匹の年老いた様子のチーグルが立っていた。

 手には金色に輝く輪っかのようなものを持っているが、先ほどの声の主なのだろうか?

 

 セレニィが考えている間に、イオンは穏やかな表情で年老いたチーグルの前へと進み出る。

 

「はい、ローレライ教団の導師イオンです。あなたはチーグル族の長とお見受けしましたが」

「いかにも」

 

 ……やはり先ほどの声の主で間違いないようだ。あの輪っかに不思議な力があるのだろうか。

 それを確認したルークがイオンの隣に並んで、長に語りかける。

 

「言葉が通じるなら話ははえー。……おい魔物、おまえらエンゲーブで食べ物を盗んだろ」

「なるほど。それで我らを退治に来たというわけか」

 

「へっ、盗んだことは否定しねーのかよ」

 

 ルークが怒りを滲ませた瞳でチーグルの長を睨み付ける。

 それを制したイオンが何故そうしたのかを長に尋ねると、彼は事情を語り始めた。

 

 チーグルの仲間が北の地で火事を起こし、この地にライガなる肉食獣を流れ込ませたこと。

 そして怒りに燃えるライガはチーグルを捕食しようとしたこと。

 代わりに人間の村(エンゲーブ)で盗んできた食料を差し出すことで、難を逃れようとしたこと。

 

 それらを聞いてセレニィは思った。

 

「(うん、100%自業自得だな!)」

 

 殺されないために手段を講じる必要があったとはいえ、不用意に人間の村まで巻き込んだ。

 思いっ切り喧嘩売ってる行為だし、セレニィはそのせいで容疑者として捕まったりもしたのだ。

 

 個人的な怨恨も含めて同情の余地ゼロである。ギルティである。

 

「……しかし、それは本来の食物連鎖の形とはいえません」

 

「えぇ、イオン様の仰るとおりです」

「セレニィ…」

 

 そして話し合いを続けるイオンたちの間に、彼の意見を支持する発言を以って割り込んだ。

 明るい表情を浮かべるイオンに背中を押される形で、セレニィは言葉を続ける。

 

「なので、本来の食物連鎖に則って速やかにライガとやらに喰われてきて下さいね」

 

 セレニィは長にそう言った。彼女のその発言に、周囲は重苦しい沈黙に支配される。

 

 ……はて、何かおかしなことを言っただろうか? 彼女は首を傾げる。そして気付いた。

 あ、仕事の話かと。

 

「あぁ、ご安心下さい。経緯についてはエンゲーブのみなさんに説明しておきますから」

 

 しかし沈黙は解除されない。彼女はますます分からなくなり、再び首を傾げる。

 そこに、なんとか再起動を果たしたイオンが口を開いた。

 

「セレニィ… それではチーグルたちが死んでしまいます」

「え… え?」

 

 セレニィは悲しそうなイオンの表情と声に思わず動揺する。

 

 いきなり人間の食料を盗み出して、食物連鎖に全力で喧嘩を売ったのはチーグルの方である。

 それを是正せよというのであれば何よりチーグルの処分こそ優先すべきに思えるのだが…

 

 セレニィは全力で考える。イオンの言っていることだから出来るだけ理解したい。

 

 そしてその思考に光明が刺した。

 

「(あ、この世界の『食物連鎖』って『生態系』って意味なのかな? だったら通じるし)」

 

 食物連鎖はすごく大雑把に言えば弱肉強食を原則とする循環システムである。

 植物が光合成をしつつ草食動物に食べられる。そして草食動物は肉食動物に食べられる。

 動物の糞尿や死骸が植物を育てて空気を保っていく… とまぁ、大体そんな感じだ。

 

 一方、生態系は特定の環境下における生物相を示す。

 考えなしに外来種を放流してしまったら、在来種が大打撃を受けるのは日本では常識だ。

 アメリカザリガニ、ブラックバス、ブルーギル… どれも恐るべき強健種である。

 

 なるほど、確かに現在この森の生物相はおかしくなっている。主にチーグルのせいで。

 彼らが喰われても已む無き事件ではあるが、生物保護という観点からは問題が残る。

 ましてイオンは教団のトップ。小さな森とはいえ特定生物の絶滅を指示するのは外聞が悪い。

 

「ごめんなさい、イオン様。私、分かりましたよ!」

「分かってくれましたか、セレニィ」

 

「はい。……チーグルのみなさんは早速旅支度を整えて下さい。新天地を目指すのです!」

「……違います。そうじゃありません」

 

 これも違ったのか。セレニィは内心で頭を抱える。

 え? なに? じゃあ100%被害者のライガを退治するの? それってちょっとひどくない?

 

 やはり教団のトップたるもの、時に冷酷さも求められるのだろうか。

 セレニィはまた一つ異世界オールドラントの厳しい常識を学んだ気がした。

 

 見かねたティアが声をかける。

 

「ね、ねぇ… セレニィ。こんなに可愛いチーグルたちが可哀想だとは思わない?」

「え? 全然。というか、可愛い可愛くないはこの場合の判断材料にならないと思います」

 

「それは…」

 

 もし萌えな美女や美少女が生贄にされそうというなら全力で阻止するが。

 内心でそう思いつつティアの言葉を否定する。

 あ… ひょっとして、可愛さや美しさがかなり優先されてしまう世界観なのかな?

 

 そう考えると今までのティアの態度に符合する点も散見できそうだが。

 今の自身の美醜を客観的に判断はできないが、ルークは議論の余地なくイケメンだ。

 気になってきた。確認しよう… そう思ってセレニィは口を開く。

 

「私やルークさんが顔に傷でも負った場合、ティアさんの中では仲間解消なんですか?」

 

「そんなわけないじゃない! 冗談でもそんなこと言わないで!」

「……そっか。良かったです」

 

 思ったよりも確認した時に不安になって、そして否定された時に安堵した自分自身に驚く。

 意外と彼らに感情移入をしていたのだろうか? こんなのはまったくもって、“らしく”ない。

 

 そこにイオンが恐る恐る口を開く。

 

「どうしたんですか、セレニィ… ひょっとして、かなり怒っているのですか?」

「そ、そうよ。どうしたの? 昨日はケリーさんたちだってあっさり許したあなたなのに…」

 

「……え?」

 

 別に怒ってはいない。カルチャーギャップにひたすら振り回され困惑しているのは事実だが。

 

 チーグル? アレらについては呆れを通り越して論外です。怒りすらも湧いてきません。

 でも、そうか… 第三者から見ればそう思われても仕方ないか。どうやって誤解を解こうか。

 

 悩みながら髪を弄っていると、それまで沈黙を保っていたルークが呆れたように口を開く。

 

「ったく、他人事かよ。……出会ったばかりのイオンはともかく、ティアまでさ」

 

「……どういうこと?」

「セレニィが怒るのも無理はねーよ。俺だって同じ気持ちだ」

 

 ルークを睨み付けるティアであったが、逆にルークに真っ直ぐ睨み返される。

 

 よく分からないけど自分は怒っていたのか。ルークがそういうならそうかもしれない。

 そう思いつつセレニィは彼の言葉に耳を傾ける。

 

「こいつら一言も謝ってねーじゃねーか。退治されるような悪いことだって知ってたんだろ?」

 

「そ、それは…」

「なのに黙って聞いてりゃまるで被害者のように振る舞いやがって… ムカつくんだよ!」

 

 長を指差しながらルークは怒鳴る。ティアもイオンも返す言葉もなく項垂れる。

 

 確かにチーグル側から一言も謝罪がなかったのはずっと気になっていたのだ。

 普通は悪いことをした自覚があるなら第一声は「ごめんなさい」だよね。

 謝らなければそもそも許す許さない以前の問題だろう。偉いぞルークさん。そのとおりだ。

 

 セレニィは内心で拍手喝采を送る。

 

 今ならルークさんに抱かれてもいいかも… いやいや、やっぱホモはNGで。

 

「被害者はどう見てもセレニィや村の連中だろーが。俺の言ってること、間違ってるか?」

 

 イオンもティアもルークの言葉に何も返せない。

 

 そしてセレニィはそれを聞いて腕を組みながら上機嫌な表情でウンウン頷いている。

 とても怒りをこらえている人間の態度には思えないが、それは流しておこう。

 

「……いえ、間違ってません。……僕が軽率でした、申し訳ありません」

「フン! 分かりゃいーんだよ。つってもセレニィが許さなけりゃ俺も許す気はねーけどな」

 

「ごめんなさい、セレニィ。謝って許してもらえることじゃないかもしれないけど、私…」

 

 口々にセレニィに謝罪するイオンとティア。それに困惑するのはセレニィの方だ。

 

「ちょ、ちょっとやめてくださいよ。私は怒ってませんし、許すも許さないもないですよ」

 

「ですが…」

「……本当に気にしてませんから。それにイオン様やティアさんが謝るのは違うでしょう?」

 

 困惑のままに苦笑いを浮かべる。

 

 繰り返すが彼女自身は別に怒ってはいないのだ。チーグルに呆れてはいるが。

 確かに村で世話になったローズ夫人やケリーについて考えれば、思うところはある。

 しかし、それすらも絶対保身するマンからみれば所詮は他人事である。屑ゆえに。

 

 屑は自分に被害が及ぼされなければ割と心が広いのだ。

 

 セレニィとしてはイオンは勿論のこと、ぞんざいな扱いをしてるがティアも嫌いではない。

 好きか嫌いかどちらかと問われれば好きであるのは間違いない。

 萌えに値する美少女であるし、少なくとも自分には終始優しい態度で接してくれていた。

 

 ……割りと常識ぶっ飛んでるのとたまに目付きが怖いので余り近付きたくないだけだ。

 

 むしろ、放置されっ放しで目の前でホームドラマ見せられた長に同情しそうにすらなる。

 ……いや、やっぱないな。チーグルは滅んでいいと思うよ、割りとマジで。

 北の地で火事を起こしたことは事故と考えても、食料を盗んだ件は弁解の余地ないし。

 

 そんなことを考えつつ、セレニィはこの居心地の悪い空気を払拭するため話題転換を試みる。

 自分の好きな人達に自分のせいで頭を下げさせたくないといういかにも自分本位な理由で。

 

「そ、それより今後について相談しませんか?」

「そーだな。つっても事件の真相は分かったわけだしなー」

 

「ですねー。私としてはこれから村に戻って調査結果の報告とかしたいなって…」

「それなんですが… チーグルは教団の聖獣です。やはり、僕はその解決に力を注ぎたい」

 

「イオン様…」

 

 イオンの悲壮な決意に思わず手を伸ばしかけたティアは、寸前でグッと堪える。

 その様子をルークはつまんなさそうに見遣ってから「けっ!」と視線を逸らした。

 

 え、何この空気。ますます重くなったんですけど。俺? 俺のせいなの、これ?

 所詮は小市民。重くなった空気に慌て出す。そっとイオンらの顔色をうかがう。

 

「(あかん… イオン様の目が、本気と書いてマジだ…)」

 

 このままでは一人でも特攻しかねない危うさがある。下手すりゃティアさんも一緒に。

 

 現状3人でも割りと一杯一杯なのにティアさんまで欠けたらマジでヤバい。

 むしろ自分は戦力としてはマイナスな足手まとい野郎なのだ。

 いくらルークさんが強かろうともやはり限界というものがある。死亡フラグがマッハだ。

 

 何より美少女を2人も喪いかねない選択肢など取れるはずがない。

 

「はぁ… となれば、現状の解決のためにみんなで知恵を出し合いましょう」

 

「セレニィ…!」

「……いいのですか?」

 

 ため息を吐きつつ苦笑いとともにそう宣言する。

 それにイオン様とティアさんが顔を上げる。

 いいのかって? いいわけがない。泣きたい。心の底から泣きたい。

 

「おい、セレニィ」

 

 でも…

 

「しょうがないじゃないですか。……今は私たち、仲間なんですから」

 

 そう言って、乾いた笑顔で薄っぺらい嘘を重ねる。

 仲間云々はともかく、チーグルのためというのが全くモチベーションが上がらないが。

 

 ルークはそんなセレニィを見詰めてから、不承不承頷く。

 

「すまぬ、人間の娘よ。迷惑をかけておいて図々しいが、どうか我らを救って欲しい」

「……まぁ、私なりに善処はします。他のみなさんもいますし」

 

 そこに空気を読んだのか、長がそう言ってきた。

 いい感じですよ、長さん! 助けようというモチベーションが5%くらいUPしました!

 

 そう考えながらセレニィは大してない頭を絞らせることになる。

 

「(拝啓 いるかどうか定かならぬお袋様)」

 

 彼女は方策を練りながら、いるかどうか分からない自身の母親を想う。

 

「(やっぱり人生って糞なんじゃないかと最近とみに思います)」

 

 胃が痛いです。



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22.相談

「というわけで」

 

 ある程度、話し合いが進んだところでセレニィが改めて口を開く。

 

「チーグルを救うには、いかなる形であれ人間の介入が必須だと思われます」

 

「やはり、そうなりますか」

「けっ! めんどくせーなー」

 

 ここまで拗れて問題が拡大してしまった以上、丸く収めるにはそれしかない。

 

 なんせ行動する度に、ライガとか人間とかどっかの勢力を怒らせているのだ。

 そうそう誰でも出来ることじゃない。ある意味で誇っていいかもしれない。

 でも、そういう方面の才能は一生埋もれたままでいて欲しかったと心底思う。

 

 まぁ、もう後の祭りなんですけどね。セレニィは心中で乾いた笑みを浮かべる。

 

「まぁまぁ、ルークさん。ご不満はおありでしょうがどうかお付き合いいただけませんか?」

 

「ったく、しょーがねーなぁ… あんま役には立てねーと思うぞ?」

「いえいえ、頼りにしてますよ。ルークさんのお力はこれまでの旅で私が一番知っています」

 

 やる気を出させるためヨイショする。「勿論ティアさんのお力も」と付け加えるのも忘れない。

 絶対保身するマンは捨てられないために仲間のメンタルケアに細心の注意を払うのだ。

 

 傍から見るとおべっか使いまくる三下にしか見えない。

 

 しかし生存戦略の前には第三者からの評価など路傍の石程度の重要性しかない。

 セレニィの目的はまず第一に生き延びること。第二に出来るだけ楽にそれを行うこと。

 つまり、ルークやティアに寄生できる今の立場を捨てるわけにはいかないのだ。

 

「チーグルを聖獣として教団で引き取り、保護することは?」

「それは難しいです。ここからダアトまでは遠い… 許可を得られるかも分かりませんし」

 

「だあと?」

「ローレライ教団の総本山の名前よ。自治区としての首都機能も持ち合わせているわ」

 

 聞き慣れない単語に首を傾げるセレニィに、ティアがそっと耳打ちする。

 その説明になるほどと頷きつつ、ひとまず保護は難しいということは理解できた。

 

 ならば仕方ないか。

 

 下手すれば食糧価格高騰に陥るかもしれないからこっちは提案したくなかったのだが。

 とはいえ流通の要たる橋も盗賊のせいでぶっ壊れたし、遅かれ早かれだったかも。

 

 セレニィはそう考え、ため息を吐きつつ次善の案をあげてみる。

 

「でしたら次善の案ですねー。エンゲーブの食料を買い取ってライガに供出しましょう」

「え? ですが、それだけのお金は…」

 

「はい、個人の所持金では賄えないでしょう。ですので導師の名の下に教団が請け負います」

「なるほどなー。でも後払いできんのか? 辻馬車の時みたいに断られたらどーすんだ?」

 

「そこで重要になるのが教団の威光です。導師が保証すれば内心はどうあれ無視できないかと」

 

 セレニィの説明に、ルークは「なるほどな」と納得して引き下がる。異論はないようだ。

 だがその一方で、教団に所属するイオンとティアは困ったような表情を浮かべている。

 

「そ、それは… その、もう少しなんとかならないかしら? セレニィ」

「ふむ… 『なんとか』とは?」

 

「もう少し教団の負担が少ない方向でとか…」

「エンゲーブの方々は、教団の聖獣が引き起こした食糧盗難事件により窮乏の危機にあります」

 

「……ぅ」

「むしろ出来るだけ良い条件で購入することで、誠意を示すことに繋げるべきでは?」

 

 別にセレニィにティアをいじめるつもりはない。確かに涙目のティアはちょっと萌えたが。

 むしろこちらの意見にバンバン反対してより良い意見が出るならば大歓迎なのである。

 

 何が悲しくてわざわざ自分がチーグル救出作戦の陣頭指揮など執らねばならないのか。

 元日本人かつ小市民である。オマケにこの世界のことなどほとんど知らないのだ。

 目立つことに魅力など感じないし作戦立案&実行者になって重い責任など背負いたくない。

 

 そもそも教団は絶対に金を貯め込んでいるとセレニィは信じている。賭けても良いほどに。

 ティアがチラッと言った自治区についてもその考えを裏付けているようにしか思えない。

 故に出そうとして出せないことはないと思っている。無論、進んで出したくはないだろうが。

 

 とはいえ、教団に属するイオンとティアが揃って難色を示すなら仕方ない… これも没か。

 これ以上の案をと言われてもないものは出しようがない。自分の頭などたかが知れてるのだ。

 

「うーん… でしたら軍に通報して、直ちにチーグルとライガを駆除するしかないかと」

「え? チーグルはともかく、ライガもなのか?」

 

「はい。彼らには悪いですが、こんなに人里近くの森に肉食獣が住み着くというのも…」

「そっか… そうなっちゃうよな…」

 

「後はライガがどれほどの肉食獣か分かりませんが、生態系の破壊も懸念されますしねぇ」

 

 下手すればエンゲーブの食料生産にも影響が出るかも知れない、そうルークに説明する。

 

 ルークはライガに同情しているが、かといって人間が危険に晒されるとあれば文句は言えない。

 ティアにしても、彼女はライガという肉食動物の脅威を知っており否定できるものではない。

 

「ですが… それをするわけにはいきません」

「つってもよ、イオン。セレニィに押し付けた挙句『アレも嫌コレも嫌』じゃ話が進まねーぞ?」

 

「ちょっとルーク、イオン様に失礼よ! そういうあなただって案を出せてないじゃない!」

「オメーもな! 大体俺はチーグルがどうなろーと知ったこっちゃねーんだよ」

 

「なっ…」

「セレニィが言うから聞いてやってるだけだ。本来は助けたいオメーらが考える問題だろーが!」

 

「ま、まぁまぁお二人とも…」

 

 議論が硬直し、停滞した途端に喧嘩を始める二人を宥める。

 たった数日で慣れたものである。……慣れたくなんかなかったけど。

 

 ともあれ、新しい案は出ない様子だ。

 となれば… 先程までに出た案を実行可能なレベルにまで補強なり再構築するしかないだろう。

 

 少しアプローチを変えてみるか… セレニィは脳内で算盤を弾きながら口を開いた。

 

「今の案は採用できない。最初の案も物理的に不可能… でしたね? イオン様」

「え? えぇ…」

 

「となると、2番目の『ライガへの食糧供出案』が現実的ですが… 何故無理なのです?」

「そ、それは…」

 

 俯き黙ってしまったイオンに萌えつつ、会話のシナリオの検討していく。

 

「決まってるじゃない。無関係な教団を巻き込む訳にはいかないわ」

 

 と思ったらティアが釣れた。うん、いつもの芸風ですねとセレニィはむしろ安心感を覚える。

 

「エンゲーブの村が既に巻き込まれてますし、導師が単身この森に来ちゃってますが…」

「そ、それは…」

 

「第三者の立場で考えて下さい。導師がチーグルと接触していたら教団は無関係と思えます?」

 

 ティアは何も言い返せずに黙りこむ。

 

 そう… 導師と聖獣が接触した時点で、教団は既に盛大に巻き込まれてるのだ。否応なしに。

 こうなった以上は、むしろコントロール出来る範囲で関わった方がマシだろう… 多分。

 

 セレニィの話を聞いて、自分の行動が裏目に出てしまったのかとイオンは青褪める。

 そのイオンの表情を見て、セレニィは己の失策に気付いた。

 

「(教団が黒幕と思われるよりはマシだと思って提案したのだけど… 気付いてなかった?)」

 

 だとすれば説明不足だった自分の責任だな。

 そう内心で反省しつつ、話を続ける。

 ローズ夫人から依頼をもぎ取った時の心持ちを思い出せと自己暗示しながら。

 

「導師であらせられるイオン様は、言うまでもなくローレライ教団の最高指導者です」

「は、はい… ですが…」

 

「にも関わらずこの案に難色を示されるのならば、恐らく相応の『理由』があるのでしょう」

 

 不安に怯えるイオンの言葉に優しく己の言葉を被せる。

 示すべきは慈悲と寛容。勿論、どっちも見せかけだけの真っ赤な偽物だが。

 

 押し黙るイオンに優しい笑顔を浮かべる。

 

「イオン様」

 

 屑はそろそろこの議論に疲れてきていた。ルークとティアも喧嘩を始めるし潮時だろう。

 イオンにさえ「うん」と言わせられればこの不毛な話し合いにも終わりが見えるのだ。

 ならば、嘘でも何でも問題が解決したと思わせるように誘導すればいいのだ。そう考えた。

 

「よろしければお力にならせて下さい。そしてみんなで一緒にこの『試練』を乗り越えましょう」

 

 慈愛の笑みに優しい声音を乗せて、セレニィは言葉を続けた。

 狡猾な悪魔が純粋な天使を毒牙にかけるが如きである。

 

 例え自分が萌えている人が相手でも、自分のためになるなら騙すことに躊躇を覚えない。

 屑らしい最低の思考である。

 

 そして天使は…

 

「……分かりました。自分語りになってしまいますが、僕の話を聞いて下さい」

「はい」

 

 悪魔に騙された。屑、心の中で渾身のガッツポーズである。

 

 そしてイオンは語り始める。

 

 自分が生まれてから、ダアトの外の世界を見たことがないままに軟禁されてきたこと。

 最高指導者とは名ばかりで実権は詠師(えいし)という教団の運営者たちに握られていること。

 そんな自分を変えたくて、ある任務にかこつけて飛び出すようにここまでやってきたこと。

 

「(あれ? これひょっとして、すごい厄ネタじゃ… 最悪誘拐犯に間違われたり…)」

 

 聞いちゃいけない話を聞いてしまった気がする。セレニィは笑顔のまま硬直する。

 

 い、いや… 気のせいだよね? そうだよ、確か村には導師守護役とかいたんだし。

 だから、そう… ちょっと強引に押し切って認めさせただけのはず。そうに違いない。

 そう、セレニィは強引に自分を納得させる。

 

「軟禁、か… イオンも大変だったんだな。悪い、俺、さっきは言い過ぎだったかも」

「本当に大詠師様たちがそんなことを? でもイオン様の言葉に嘘は感じないし…」

 

「無理に信じてくれとは言いません。本来ならば話すべきではなかったことでしょうし…」

 

 その横でルークはイオンに同情の表情を浮かべていた。

 或いは共感できる何かがあったのかもしれない。

 ルークといえば、導師が行方不明ってことになってるとか言ってたような… あ、あれ?

 

「………」

 

「ど、どうしたんだセレニィ。なんか顔色が紫色だぞ?」

「セレニィ… しっかりして、セレニィ!」

 

「イエ、ナンデモアリマセンヨ?」

 

 うん、忘れることにしよう。自分はイオン様が何故ここにいるのか知らない。いいね?

 だから胃が痛むことなんてありはしない。きっと、これはちょっとお腹が減ってるだけ。

 

 絶対保身するマンはしめやかに現実逃避を開始した。

 だけど、一刻も早くこの問題を解決してエンゲーブに帰らないといけない。そんな気がする。

 

 気のせいだといいなぁ! そう思いながら強引に話をまとめ始める。

 

「失礼でしたら申し訳ありません。……イオン様はまだ成人には達されてませんよね?」

「あ、はい。……確かに、僕は14歳ですが?」

 

「そのお歳であれば、後見人や補佐役が付くことはなんら不思議なことではないと思いますよ」

「確かに… 真相がそういうことだったなら、イオン様のお話にも符合するわね」

 

「それは、そうかもしれません。……ですが、軟禁というのは」

 

 ティアがセレニィの言葉に納得して頷いている。だが、納得しにくいのはイオンの方だ。

 不当に軟禁されてきたという不満はどうしても燻ってしまう。こればかりは仕方ない。

 時間が許すならば、セレニィは自分で良ければいつまでも愚痴を聞いていたいとそう思う。

 

 だが今は一刻を争う。さっさと話を流さねばならない。

 

「導師の御身に何かあっては取り返しがつきません。皆、安全に成長して欲しいのでしょう」

「みんな僕に対して過保護なだけ… と?」

 

「確かに母上も、俺が剣術稽古をするってだけで心配するしなー。どこもそんなもんかもなー」

 

 そこにルークのナイスアシストが光る。

 いいぞ、ルークさん! 今日のMVPは君だ! 屑は心の中でルークに万歳三唱をしている。

 

「加えてイオン様はお若い。まだ学ぶことが沢山あるのではないでしょうか? 例えば…」

「……例えば?」

 

「一人で魔物の出る森にやってきたら御身を危険に晒し、周囲に心配させてしまうとか… ね?」

 

 冗談めかして悪戯っぽく微笑みながら言ってみれば、イオンは真っ赤になって俯いてしまう。

 真っ赤になってしまったイオン様かわえー! ここぞとばかりに脳内フォルダに保存しまくる。

 

「みんなイオン様のことが大好きで心配しているんです。その気持ちを分かってあげて下さい」

 

「……僕の視野は狭かったのかもしれません。セレニィもそう思ってくれますか?」

「大好きかって? 当然。いえ、そんな言葉では足りません。この気持ち… まさしく愛です!」

 

 実際は教団内の政治も絡むだろうから「みんな大好き」で簡単に片付く問題ではないだろう。

 しかし、セレニィ個人がイオンを好いているかと問われれば間違いなくYESである。

 

 イオンの問いかけに、親指を立てていい笑顔で答える。屑は最近調子に乗っているようである。

 

「(ここでダメ押しを)……それにイオン様、これは結果的に教団のためにも繋がるのです」

「え? そうなのですか?」

 

「はい。イオン様が仰るようにダアトが遠いなら本来この問題に教団が関われるのはもっと後…」

「なるほど… 教団が知る前にチーグルが討伐されていた可能性も0ではないということね?」

 

「えぇ、その場合は教団を信じるにせよ信じないにせよ… 民の心が乱れていたかもしれません」

「民の心が…」

 

「『民心乱れれば世は乱れる』と言います。世が乱れれば真っ先に被害を被るのは弱き人々です」

 

 セレニィは出来るだけ深刻な表情で言い切った。

 

 え? 嘘は言ってないですよ? 「風が吹けば桶屋が儲かる」くらいぶっ飛んだ理論なだけで。

 可能性的には0じゃない。ちょっと大袈裟に語っただけです。屑はそう開き直っている。

 

「この場に私たちが… そして、イオン様がいなければそうなっていたかもしれません」

「………」

 

「ですが、今だからこそ救うことが出来るんです。……エンゲーブも、チーグルも、教団も」

 

 他に頭の良い人が考えたらもっといいアイディアが湯水のごとく湧いてくるだろう。

 だが、セレニィではこの程度が限界だ。「これしかない」と思わせる詐欺しかできないのだ。

 

 そして、イオンを真っ直ぐ見詰めて続ける。

 

「あなたが、あなただからこそ出来ることなんです。胸を張って下さい。私はあなたを信じます」

「僕が… 僕だから、できること…」

 

 なんかいい感じのことを言っているが、屑は自分が生き延びることしか考えていない。

 感極まって緩みそうになる涙腺を無理やり堪えつつ、イオンは笑顔を浮かべる。

 

「僕がすべきは… そういうことだったのですね。教団を、人々を想うこと」

「多分そんな感じなんじゃないかと思います」

 

「今は認められずとも、一歩ずつ進んで真に認められる『導師』になること…」

 

 屑はメッキが剥がれかけている。

 

「僕の気持ちは定まりました。……みなさん、力を貸してくれますか?」

 

「へへっ… ま、乗りかかった船だ。しょーがねーから助けてやるよ」

「こら、ルーク! まったく、もう… イオン様の御心のままに」

 

「私の気持ちなんか今更でしょう? イオン様のために頑張りますよ! 当然じゃないですか!」

 

 さあ、あとはエンゲーブに帰ってあれやこれや報告したり対策を練るだけである。

 

「(はー… 疲れた疲れた。でも終わり良ければ全て良し… だよね。やり遂げたんだ、俺…)」

 

 ……などと平和に終わるわけがない。数分後にはセレニィの無邪気な笑顔が曇ろうとしていた。



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23.遭遇

 では後はエンゲーブまで全員無事に帰るだけですね。

 帰宅までが遠足! 勿論気を抜きませんよ!

 

 無事にチーグルとの話し合いを終えて、一行はエンゲーブに帰還中…

 

「……なーんて、そう思っていた時期が私にもありました」

 

 ではなく、森の更に奥… ライガの巣へと向かっている。

 

 導師であるイオンを戦闘に参加させるわけにもいかない。

 戦闘面における実働はルークとティアが担当している。

 

 セレニィは、タゲられて攻撃を誘ったり敵を集めるだけの(命の重さが)軽いお仕事だ。

 ここに来るまでの戦闘で思った以上に牽制用の棒が役立っている。

 

 しかし、ルークみたいに技をポンポン閃く気配は微塵も感じられないが。

 

「……才能ってずるいぜ、べいべ」

 

 そんな表情の死んでいる彼女のつぶやきに、ルークが反応する。

 

「どうしたんだ、セレニィ? さっきからブツブツと」

「あ、いえ… 自分の人生の糞ゲーっぷりにちょっと思うところがありまして…」

 

「? まぁ、困ったことがあればキチッと相談しろよな」

 

 ポンポンとセレニィの頭を叩いてからルークは前方の警戒に戻っていった。

 ルークの気遣いは正直ありがたい。例え、もう手遅れだとしても。

 いや、でも、今からでも逃げればワンチャンいけるかな? そんなことを考えつつ…

 

「はぁ… どうしてこうなった…」

 

 ため息と共に絞り出した声は、今度は誰にも拾われず深い森の中に吸い込まれていく。

 

 歩きながら、時にタゲられ全力で逃げながら、セレニィは考える。

 こうなった経緯について。あの話し合いの後で何が起こったのかを。

 

 

 

 ――

 

 

 

 セレニィは話し合いが終わると長のもとへと近づいて、その肩をポンと叩いた。

 

「さっきの話は聞こえてましたね? まぁ、そんな感じでライガたちとの交渉お願いします」

 

「む… いや、しかし…」

「一回は交渉できたんでしょ? 同じことするだけですって。大丈夫大丈夫、君なら出来るさ!」

 

 特に根拠はないがセレニィは適当ほざいて長の背中を押す。キラキラ輝くいい笑顔で。

 まぁ、99%食われると思うけど。だが最後の1匹になる前にライガが聞いてくれればいい。

 

 最後までライガが聞く耳持たなかったら? ……まぁ、それはそれで。

 それもまた大自然の掟というもの。悲しむふりして、成仏くらいは祈ってやろうじゃないか。

 

 何が悲しくてチーグルを救うために肉食獣相手に身体張らないといけないのか。

 怖いのも危ないのも絶対にノゥ! な生来の性格に加え、戦闘能力すらも皆無という有様だ。

 

 そもそもセレニィにチーグルを救う気はサラサラない。

 さっきは仲間の手前、案を出しただけだ。実行するのが自分たちだなんて一言も言ってない。

 

 これが本物の屑である。

 

 そこにルークが口を開く。

 

「でもコイツらじゃ怒らせるだけなんじゃねーの? セレニィならともかくさ」

「……はい?」

 

「やはり、セレニィは交渉も凄いのですか?」

「あぁ… つーか、交渉とか商談の話は俺らセレニィに任せっきりさ。なぁ? ティア」

 

「(ちょっ、イオン様… “も”ってなんですか、“も”って。あとルークさん!?)」

 

 無論、今までの積み重ねからティアがセレニィの交渉力を否定するはずもなかった。

 そして、期待の視線が一気に彼女に集まる。

 

 イヤです。絶対にイヤです。死にます。セレニィは無表情のまま、無言で左右に手を振る。

 

「あ… でもそーか。そのライガってのが、コイツらみてーに喋れるとは限らねーよな…」

「そ、そうですよ! いや、流石の私も言葉が通じなければどうしようもないかなー!」

 

「それでもセレニィなら… セレニィならきっとなんとかしてくれるに違いないわ。可愛いし」

「いやいや、無理無理無理ですって。ティアさんの中で私はどんだけ人外になってんですか」

 

 あんまり寝言ほざいてると、そのたわわに実ったおっぱい揉みしだきますよ? マジで。

 天国から地獄に早変わりである。絶対保身するマンとしては決して認めたくない現実である。

 

「そう、ですか… 確かに無理を言い過ぎたかもしれませんね」

「イオン様… お気を確かに…」

 

「え? いや、その…」

 

 悲しそうに俯くイオンとそれを支えるティアに、セレニィは罪悪感が刺激される。

 彼女は屑ではあるが、自分のせいで誰かを悲しませると居心地が悪くなる小市民でもあるのだ。

 わざわざ死地に飛び込むつもりはないが、せめて、残念そうな素振りだけでも見せておこう。

 

 そう思って口を開く。

 

「か、かー! 残念だなー! 言葉さえ通じればなー! かー!」

「……では、通訳のものにわしのソーサラーリングを貸し与えよう」

 

「おい」

 

 そこに沈黙を保っていた長が事態解決のための一手を示した。正直、ありがた迷惑である。

 

 ていうか、狙ってた? 狙ってたよね? このタイミング。怒らないから正直に言ってご覧?

 長に詰め寄ろうとするセレニィ。小一時間くらい話し合いたい。だがそれは叶わなかった。

 

「これで唯一にして最大の問題は解決しましたね… あなたに全てを託します、セレニィ」

「え?」

 

「そうね… 簡単な事とは思わないけれど、セレニィがやってくれるなら私に不安はないわ」

「…え?」

 

「確かに、命預けるんならあのブタザルどもよりゃセレニィだよな。死ぬつもりもねーけどよ」

「……え?」

 

 イオンさんの期待に満ちた視線が突き刺さる。

 ルークさんの信頼に満ちた視線が突き刺さる。

 ティアさんの… あ、うん、ティアさんは別にいいや。

 

「………。え?」

 

 

 

 ――

 

 

 

 そうして断り切れないまま、ズルズルとこんなところまで来てしまったのだ。

 120%自業自得である。

 

 そういう経緯で森の奥へと進んでいた一行は、ついにライガの巣穴の前まで到着した。

 

「中は薄暗いみたいですね… ミュウさん、この松明に火をお願いできますか?」

「はいですの! ファイアッ!」

 

 ミュウと呼ばれた青い毛並みのチーグル族の子供が火を吹き、松明に火が灯る。

 火打ち石要らずである。……安くないお金を払って高級品を買ったのだけど。

 

 あれから口を挟む暇もなく、通訳兼案内役として長に紹介されたのがこのミュウである。

 長によると北の大地に火災を発生させた張本人でもあるらしい。

 先ほどの長との話を聞いていたのか、開口一番謝られたのでセレニィとしては隔意はない。

 

 でも… うん、人選おかしくないかな? ミュウが反省しているのは分かるよ?

 

 けど、そもそもなんで長が来なかったのだろうか。セレニィは歩きながら考える。

 貸し与えるとか言ってたから、このなんとかリングの本来の持ち主は長のはず。

 通訳が必要でそれをチーグルが引き受ける場合、普通はリングの持ち主がやるんでないの?

 

 そんなことを考えつつ、当座の火を用意してくれたミュウに礼を言う。

 

「うん、いい感じですねー。ありがとうございます、ミュウさん」

「みゅみゅ! セレニィさんのお役に立てて嬉しいですのー!」

 

「二人ともとっても可愛いから凄く絵になるわね。……ポーズとか決めてくれないかしら」

 

 ティアのつぶやきを華麗にスルーしつつ、脳天気に鳴いているミュウを見て思う。

 ……きっと貧乏クジ引かされたんだな。なんとなく今の自分に重なって共感を覚えてしまう。

 

「さて、入りましょうか。獣は火を恐れると言いますが、みなさん充分に警戒して下さいね」

 

 そう声をかけて巣穴の中に入る。

 

 案の定、中にいる獣たちは火を恐れて遠巻きに唸るばかりだ。

 松明を棒の先に紐で結びつければ、即席の炎の槍の出来上がりだ。

 

 遠くから比較的安全に牽制できるすぐれものだ。

 

 ライガたちは低い唸り声をあげつつも、みな一様に距離を取る。

 稀に飛びかかってくる勇敢なのもいたが、そこはそれ。

 

「ほいっ!」

「ギャンッ!」

 

 そういう輩には懐から取り出した胡椒爆弾を投げつけ撃退する。

 

 何のために胡椒ばかり8袋も用意したと思っている。

 クックックッ… 野生動物の鼻には刺激系調味料は辛かろう?

 

「へぇ… やるもんだなぁ、セレニィ」

「足場が悪いところだから、戦闘を避けられるのはありがたいわね」

 

「本当にセレニィは頼りがいがありますね」

 

 背後の声援を余所に、屑は野生動物を苛めつつ邪悪な笑みを浮かべている。

 こういう姑息な戦法は大得意なのだ。

 

 思ったよりも効果が絶大だ。……ゆくゆくは辛子も調合しようかな。

 そんなことを考えながら、まだ戦意を失わないライガにミュウをけしかける。

 

「む? まだ諦めてないようですね… ミュウさん、ファイアです!」

「はいですの!」

 

 ミュウの吹いた火が熱風となってライガに吹き付ける。

 それは未だ舞い散る胡椒を焼き、隙を伺っていたライガの気管に入り込む。

 

「ガウッ… ギャウンッ!」

 

 のたうち回る仲間の姿を見たライガたちは算を乱して逃げていく。

 

「フフン… 戦闘向きでないミュウさんの炎でも使い方次第なのですよ」

「ですの!」

 

 ドヤ顔を決めた卑劣な屑がそこに立っていた。卑怯万歳ミュウ万歳である。

 この分なら戦闘中でも牽制にくらいは使えそうだ。思った以上の拾い物かもしれない。

 確実に自分より役に立つし、どうせ短い付き合いになるからその間は使い倒そう。

 

 そんな事を考えながら炎の槍(仮)を手に奥を照らす。

 

 無論、ライガも殺すつもりはない。精々人間は恐ろしい存在だと学習してもらおう。

 ……単に追い払うのが精一杯というだけであるのは秘密だ。

 

「(ふむふむ… ライガと言うのは見たところ精々が体長1m前後、か)」

 

 先を進みながらセレニィは考える。

 確かに脅威であるのは確かだが、これなら戦闘になってもルークたちで対処できそうだ。

 

 体長30cm前後のチーグルには対処のしようもなかっただろうが、これは…

 

「(うん、案外楽な仕事かもしれない… となると3000Gか。フフッ、チョロい!)」

 

 という感じに、セレニィの心に余裕を生んだ。

 上機嫌で笑顔を浮かべる。この屑は「懲りる」という言葉を知らないようである。

 

 そのまま順調に進み、ついに巣穴の最奥へと辿り着いた一行。

 セレニィは先頭に立ち、笑顔で口を開いた。

 

「すみません、お邪魔しまーす。私たち、交渉に」

 

 ……言葉は最後まで口にできなかった。

 

「グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!」

 

 地の底から響いてくるような轟音が、巣穴全体を震わせる。

 そして轟音はそのまま突風となり、セレニィの細い体を揺らす。

 

「っ、凄い威圧感。アレが女王ね」

「女王… ってなんだよ?」

 

「ライガは強大な雌を中心とした集団で生きる魔物なのよ」

 

 うん、ティアさん。そういうのはもっと早く教えて欲しかったなってセレニィ思うんだ。

 むしろ色々と漏らさなかっただけ褒めて欲しいくらいなんですよ?

 

 そんな混乱に支配されたセレニィを余所に、奥に寝そべっていた影がムクリと起き上がる。

 

「グルルルルルル…」

 

 “女王”は威嚇の唸り声を上げながら一歩前に進み出る。

 そのため、その姿が松明の灯りに照らしだされた。

 

「(あ… 死んだな、これ…)」

 

 セレニィは無表情のまま、自身を見下ろす『絶望』そのものを見上げる。

 逃げようという発想すら起きない。

 

 松明に照らされたライガの“女王”は今までのそれと違い、大きさ4m級の怪物であった。



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24.交渉

「グルルルルルル…」

 

 ライガの“女王”は警戒した様子を見せつつ、セレニィを見下ろしている。

 なんでこんな雑魚を警戒しているんですかねぇ…。

 

「(ないわー… コレはないわー…)」

 

 チーグルの長が渋るわけである。こんなの、自分の立場だったら二度と交渉したくない。

 押し付けられる相手がいるのなら、全力で、どんな手を使ってでも押し付けたくなる。

 

 あ、その結果がこれか。セレニィは納得した。畜生、あの狸め。死んだら化けて出てやる。

 

「みゅうー… セレニィさん、『なにをしにきた?』って言ってますの…」

「あ、はい。そうですね…」

 

 あれこれ考えていると、怯えた声でミュウが“女王”の言葉を翻訳して告げてきた。

 いつの間にやら交渉はスタートしているようだ… 時間は待ってくれない。

 

 早鐘を打つ心臓を服の上から押さえつける。

 

 死にたくない、死にたくない、死にたくない… そう、死にたくないなら冷静になるんだ。

 自分なら出来る。多分出来る。きっと出来る。絶対出来る。不可能でも出来る。

 

 自己暗示を繰り返し、深呼吸をしてから口を開く。

 

「お話を、しに」

 

 声が震えている。いや、泣き出さなかっただけ上等だ。

 そう思いつつ、言葉を続ける。

 

「こちらから、あなたやあなたの仲間たちに危害を加える気は一切ありません。どうか…」

「グルルルル…」

 

「『だが現実にオマエは仲間とともに武器を手に我に詰め寄っている』と言ってるですの!」

 

 良かった… 心の底から絞り出した安堵の溜息をつく。

 

 印象は最悪だが、問答無用でないだけ御の字。オマケに理性的な詰問までしてくれるときた。

 

「(あのチーグルが交渉できた時点で気付くべきだった… この“女王”、話が通じる!)」

 

 セレニィの瞳に光が宿る。こうなればトコトン諦めが悪いのが絶対保身するマンの真骨頂。

 手札は元日本人として磨き抜かれた奥義『土下座外交』。プライドは投げ捨てるものなのだ。

 

 屑は仲間たちの命すらも勘定に入れて、脳内で算盤を弾き始める。

 

「では武装を解除しましょう。仲間も下がらせましょう。前に出るのは私とこの通訳のみで」

 

 言うが早いか背負袋を下ろす。そして炎の槍(仮)をルークに、ナイフをティアに預ける。

 

「セレニィ、僕は… あなたに、とんでもないことを…」

「今は何も仰らないで下さい。……ただ、上に立つ者としてそのお気持ちは大事にして下さい」

 

「はい… はい…!」

 

 自分が望んで招いた状況の深刻さに謝罪しようとするイオンを、セレニィは押し止める。

 

 本音を言えばイオンに慰められたい。抱き締められたい。チュッチュしたい。帰って寝たい。

 しかし、そんな事をしてたら背後のライガさんがマジギレしてしまう。ゲームオーバーだ。

 

 だから断腸の思いでイオンを退けるしかない。絶対保身するマン的に死にたくないのだから。

 

「ルークさんとティアさんは周囲の警戒を。万が一にも交渉に邪魔が入れば… 詰みます」

 

「………」

「………」

 

 セレニィが真顔で言い切ると、二人は息を呑んだ。

 しかし、気勢まで呑まれるわけにはいかじと慌てて口を開く。

 

「でもセレニィ、護身用の武器まで外すなんて無茶よ」

「そうだぜ。せめて俺たちのうち誰か一人でも…」

 

「いいんですよ、お二人とも。これは分かり合うための対話… 武器や護衛など要りません」

 

 淡い微笑みを浮かべる。

 ……勿論、嘘である。

 

 本音はいざとなったら逃げる気満々なので少しでも身体を軽くしたいだけだ。

 先ほど「逃げようという発想すら浮かばない」と言ったな? あれは嘘だ。

 

 この屑は常に生き延びることに頭が一杯で、仲間を置いて逃げることすら厭わないのだ。

 その時はイオンの手を取り逃げようと心に誓っている。手に手を取って逃避行である。

 

 そして仲間の死という大きな悲しみを乗り越え、互いを意識し始めて結ばれる二人。

 白い大きな家で、大型犬をペットに、子供に囲まれ、ささやかだけど幸せな家庭を築いて…

 

「『いつまで待たせる気だ。我を殺す相談でもしているのか?』って言ってるですの!」

「……はっ、すみません!」

 

 妄想世界から帰ってきたセレニィは涎を拭きつつ、応える。現実逃避の時間は終わりだ。

 この屑、オールドラントに来てからの度重なる命の危機に感覚が麻痺しているようだ。

 

「ではミュウさん、『互いの会話を無差別かつ正確に伝える』とライガさんに連絡願います」

「わ、わかったですの!」

 

 こうして全方向同時通訳が実現される。

 

『人間の娘よ… 何を考えている。それくらいのことで我を懐柔するつもりか?』

「まさか! これはお話をするための前準備に過ぎません。で、応じてくれますか? お話に」

 

『………』

 

 穏やかな表情を浮かべるちっぽけな人間を前に、“女王”は暫し訝しむ。

 紛れも無くこの中でチーグルを除けば最弱。

 彼我の力の差が分からぬほど愚かでもあるまい。実際に先程まで怯えていた。いや、今も…

 

 未だ小刻みに震えている身体を目に入れながら思う。なのに、何故?

 

 動向を決めかねる“女王”の前に、またしても特大の爆弾が投下される。

 

「わかりました。では、最後まで聞いて応じる価値無しと判断したら私を食べていいですよ」

 

 平然と娘が言い放てば、背後に立っているその仲間たちが悲鳴を上げる。

 それはそうだろう… 自らその身を捧げるなど。我にもこの娘の考えは読めぬ。

 

 とはいえ… ここまで示された以上、害意がないのは真実か。

 

 “女王”はそう判断した。

 

『良かろう。……そこまで言うのであれば話とやらに応じてやろう』

「ありがとうございます! といっても、私なんか小骨多くて美味しくなさそうですけどねー」

 

『いや、オマエからはとても旨そうな匂いがする。常ならばとりあえず襲っていたであろう』

「はい? 旨そうな匂い?」

 

『うむ。努々(ゆめゆめ)、気を付けるが良い』

「(そんな残酷な現実、知りとうなかった!)」

 

 “女王”が親切心で真実を告げれば、セレニィは目を覆ってブワッと泣き出した。

 そもそも、それをどうやって気を付けろというのか。

 

 今までやたらタゲられてたのは、雑魚っぽいとかじゃなくてそのせいだったのだろうか。

 イオンを取り囲んでて噛みつく一歩手前だった狼も、自分を見たら躊躇なく襲ってきたし。

 チートを寄越せとまでは言わないが、これは幾らなんでもハードモード過ぎるでしょう?

 

 目を覆いながら、セレニィは神様がいたら胸倉掴んで殴り飛ばすと心に決めたのであった。

 

 そこにちょっぴり空気の読めてないティアが声をかける。

 

「ライガも思わず食べてしまいたくなる可愛さ… セレニィの可愛さは種族を超えたわね」

 

「ティアさん、お願いですからちょっと黙っててもらえませんか?」

「……あっはい。……ごめんなさい」

 

 セレニィが初めて発する絶対零度の冷気を伴った言葉に、ティアさん思わず真顔で謝罪する。

 

『おまえたち人間は可愛さを感じる相手を食すのか… 変わっているな』

「ティアさんはアレがアレですから放っておくべきアレなんですよ」

 

『ふむ、理解は出来ぬがそういうものなのだな。……では、話とやらを始めようか』

 

 屑もそろそろティアに容赦がなくなってきたようだ。

 “女王”のお言葉に甘えて、気を取り直して話を進めることにする。

 

 

 

 ――

 

 

 

 とはいえ、会話を始める前に整理が必要か。セレニィは脳内で状況の整理をする。

 

「(交渉役は実質自分のみ… とはいえ、周囲の警戒をしてくれるなら充分か)」

 

 今、“女王”の前にいるのはセレニィと通訳のミュウのみ。他3名は下がらせている。

 離れた場所に自身の荷物を降ろしており、武装解除も行っている。

 

 戦闘になれば死亡確率は99.9%を超えるだろう。

 だが武装して、仲間を付けたとしてもその確率が99.8%に軽減される程度と見ている。

 

「(戦う必要が無い。もっと言えば戦うことになった時点で失敗、負け…)」

 

 だったら誠意に見せかけることで、交渉の成功率に全ブッパすべきであろう。

 両取りが出来ない以上は、生存率の高い方向に張るべきだ。

 

「(事前にある程度会話ができたのは大きかったな… 話も通じるし)」

 

 幸い、初対面の時に比べて“女王”の反応も多少は丸くなっている。

 話の持って行き方次第では、物別れに終わっても円満に退出できる可能性がないでもない。

 

 あるいは「最悪、自分食べてもいいッスよ」という空手形も効いているかもしれない。

 構うものか。いずれにせよ怒らせれば喰われるのは暗黙の了解だったのだ。

 

「(誰が黙って大人しく喰われるか。万が一の場合は足掻いて足掻いて足掻き抜いてやる…)」

 

 今更それを明文化したところで痛くも痒くもない。誠意を示す一端に繋がれば万々歳だ。

 そもそも交渉が決裂したら約束なんか無視して逃げればいいのだ。互いに次はないし。

 

 よし、考えはまとまった。さて、はじめるとしよう。……屑の、屑による、屑なりの戦いを。

 

「お話というのは他でもありません。チーグル族に端を発した一連の事件についてです」

『……それがどうした?』

 

「以後、事態が落ち着くまでは食糧を人間側で提供することを認めていただきたいのです」

 

 あからさまに不機嫌になった“女王”に対して上のことを申し出れば、驚きに目を丸くする。

 意外と表情があって親しみ易いかも… セレニィはそう思いつつ相手の出方を待つ。

 

 今はこれでいい。退去にまで話を進めるには時期尚早… ゆっくりと相手の興味をくすぐる。

 

『そんなことをしてオマエたち人間に何の得がある?』

「実はこれまでチーグルが提供していた食糧は、無断で人間から盗み出されたものだったのです」

 

『こやつらめ、我が身可愛さにそのようなことまで…』

 

 人間など恐れてはいないが、大事な時期に巣まで雪崩込ませる原因を作ったことは許し難い。

 ギロリと通訳の仔チーグルを睨みつければ、怯えて少女の背後に逃げ隠れる。

 

「ですがチーグルも己の行いを反省し、あなた方への謝罪と新たな和解を求めております」

『和解… だと?』

 

「えぇ、そのために我々人間が仲介役として立つことにしたのです」

 

 いけしゃあしゃあと言ってのける。

 土下座外交というよりはむしろ二枚舌外交を髣髴(ほうふつ)とさせる有様である。

 

「提供する食糧は雑穀類や果物が中心になりますが、必ず肉も用意させます。どうでしょう?」

『ふむ… チーグルどもが差し出していた時より、むしろ内容は良くなっているな』

 

「(うん、そうだね。リンゴ転がってたしね。文句言わず食べてたライガさん、マジ天使だね)」

 

 え? なに? じゃあひょっとしてチーグルとライガの交渉ってこういうことだったの?

 

 喰われたくないけど狩りとか無理なんで仕方なく人間の村から野菜と果物盗んで差し出すよ。

 文句言わずに食えよな。約束守ったんだから。でも食糧盗むの疲れたし人間何とかしてよ。

 おまえらどんだけ自分本位なんだよ… と、セレニィはチーグルの評価をまたも下方修正する。

 

「………」

 

 そりゃライガさんキレますよね… 目の前の巨体にむしろ親近感を覚える。

 

 いや、うん。まさかね。これはただの自分の勝手な想像だからね… 真実とは限らないしね。

 そんなことを考えているセレニィの胸中の葛藤を知ってか知らずか、“女王”は口を開く。

 

『だが、無償というわけではなかろう。……何か要求があるのではないか?』

「お察しのとおりです。こちらからの要望は3つ」

 

『ふむ… 多いな。まぁ良い、言ってみよ』

「第一に状況が落ち着き次第、人里から離れた場所に移動すること」

 

『続けよ』

「第二に人間を襲わないこと。第三にそれらを群れに徹底させること… 以上です」

 

『……相分かった。どれも無体を申しているという訳ではなさそうだ』

 

 “女王”は激するでもなく静かに要望を聞き遂げる。

 セレニィは心の中でガッツポーズを決め、身を乗り出す。

 

「では…」

『だが、その約を如何にして保証する? 生憎その話だけでは、そこまでの信は置けぬな』

 

「仰ることごもっともです。なので、人間界で最も尊き御方にご臨席いただきました」

 

 そう言って、セレニィは部屋の入口付近で見守っているイオンを手で示した。

 

 やっと… やっとここまで来た。ここまで辿り着いたらあと少しだ。

 あとは教団というシステムをライガの価値観に当て嵌めつつ説明して信用を勝ち取るのみ。

 

『最も尊き人間か… 何者なのか?』

「はい、導師イオンです。あの方はローレライ教団の…」

 

『なんと、導師イオンだと! それは本当か!?』

「え? あ、はい… 僕が導師イオンですが…」

 

 セレニィの言葉をミュウが訳す途中で、ライガが驚愕の声を上げる。

 思わずそれに応えるイオン。ルークとティアは“女王”の態度に武器を構えつつ警戒する。

 

『なんと… 奇縁とはこのことか。お主、「アリエッタ」という娘を知っているか?』

「え? えぇ… 僕の守護役を務めていました。あの、あなたが何故彼女を…」

 

『知らぬ筈がない。幼きあの娘を育てたのは我である故に。我が愛しき娘は元気にしているか?』

 

 まさかの急展開である。感動的である。だが、セレニィは忘れ去られている。

 

 一頻(ひとしき)りイオンとの話が終わると、“女王”は感慨深げに声を漏らす。

 

『そうか… アレは今、新たな役割を立派にこなしているか』

「はい、それは間違いありません」

 

『アリエッタが信頼していた者がまさか罠を仕掛けるとも思わぬ。……うむ、全て信じよう』

 

 アッサリと話がまとまってしまった。……さっきまでの苦労は一体。

 天井を見上げて(まぶた)に蓋をするセレニィ。されど、両頬を伝う液体は止め処なく流れ続ける。

 

「(別にいいけどね… 気にしてないし… どうした? 笑えよ、セレニィ…)」

 

 最後は全てイオンに持って行かれてしまった。所詮屑では役者が違ったのだろう。

 嗚呼「話は通じる()」「状況を整理する()」、「信用を勝ち取るのみ()」…

 どれも一級品の黒歴史である。このまま消え去ってしまいたい。涙が止まらない。

 

 そのままセレニィが存在感を失って背景と一体化する頃、“女王”が改めて口を開く。

 

『なので… 其処な者、そろそろ剣呑(けんのん)な気を収めて出てきてくれるとありがたいのだがな』

 

 すると“女王”の部屋にパチパチパチ… と、場違いな拍手音が響き渡る。

 

「なっ! 人がいたのか… 全然気付かなかったぞ…」

「いつの間に…」

 

「実に素晴らしい手並みでした。私たちの出番などまるでありませんでしたね? アニス」

 

 まるで悪役の登場である。声の方向を全員一斉に振り返る。

 そこにはエンゲーブで出会ったドSな眼鏡軍人とロリっ娘な導師守護役が立っていた。

 

 話題を振られた少女… ジェイドに「アニス」と呼ばれた導師守護役が笑顔で応える。

 

「本当ですね、大佐! でも一人で出歩いて心配したんですよ、イオン様ー! もー!」

「アニス… 迷惑をかけました。ですが、ジェイド… 警戒をしていたはずなのに」

 

「あぁ、彼らを責めないで下さいね? まだ気配に気付かれるほど耄碌(もうろく)はしておりませんので」

 

 ジェイドはイオンにそう答え眼鏡を直すと、セレニィと“女王”に視線をやる。

 そして興味深そうに微笑む。

 

「(なんすか? 『なんでテメーがここにいんだよ場違いなんだよバーロー』の笑みッスか?)」

 

 一方それを受けたセレニィは盛大にやさぐれていた。

 所詮屑は屑でしかなかったと証明されたばかりなので致し方ない。

 

 一難去ってまた一難。また新たな問題が起きようとしていた。



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25.命名

 マルクト帝国のジェイド大佐。そして導師守護役のアニス。新たに二人の役者が登場した。

 彼らの突然の登場に、ルークが訝しみながら口を開く。

 

「オメーら、確かエンゲーブにいた…」

 

「えぇ、その節は大変ご迷惑をおかけしてしまいました。……特に、そちらのセレニィには」

「あ… いえいえ。むしろこちらが『お世話になりました』とお礼を言うべきでしょうに」

 

 声をかけられた以上はいつまでもやさぐれているわけにもいかない。礼儀正しく返事する。

 

 なんだろう… 自分は、なにか彼に目をつけられるようなことをしてしまったのだろうか?

 セレニィは自分が注目されている気がして小首を傾げる。まぁ、きっと気のせいだろう。

 あまりにも場違いすぎる雑魚が混じっていたので、つい目で追ってしまっただけなのだろう。

 

 全部イオン様が持っていったからね… 交渉は自分の仕事なんて思ってた時期もありました。

 

 一方で、ジェイドは思索する。

 

「(さて、村で見かけた時は単に多少状況判断力に優れた少女といった感じでしたが…)」

 

 村で感じたセレニィの印象は、状況に合わせ自分を動かせる対応力を感じさせる少女だ。

 その一方で、利害計算に聡く必要以上に危険や揉め事に関わらない印象もまたあった。

 それだけにこのような場所でこのようなことをしていたのは、先の分析に符号しないのだ。

 

 先の交渉もリスクとリターンがまるで釣り合ってない。彼女たち本人には何の得もない。

 といって、かつての自分のように自信と過信を取り違えたというわけでもなさそうだ。

 つまるところジェイドの見立ては面白いほど見事に裏切られてしまったということになる。

 

「(恐怖を乗り越えて、勝率の低い賭けに命を委ねるだけの『理由』が彼女にはあった…)」

 

 単にイオン様にお願いされ、断りきれずに渋々やっていたとは天才でも見抜けないだろう。

 

 ……合理性だけでは計れない「何か」が彼女にはあるのかもしれない。

 そう感じたジェイドは、彼女と少し話をしてみようかと考える。

 なに、本来の「仕事」に取り掛かるまでの僅かな時間を慰めるための気紛れにすぎない。

 

「セレニィ、貴女は」

「ピー!」

 

「はいはい、なんで… ぴー?」

 

 しかしジェイドの試みた会話は、部屋の奥より発せられた声によって中断されることとなる。

 

 声の方向を見遣れば“女王”が、中型犬くらいの大きさのライガを舐めている様子が映った。

 恐らくは“女王”の仔なのだろう。未だに目も開けてない様子だが、元気にピーピー鳴いている。

 

『我の仔だ』

「え? でも、割れた卵から這い出てきたような… え?」

 

「ご存知なかったのですか? そこのチーグルも含め、魔物の多くは卵生なのですよ」

「へー… そうだったんですか。勉強になりますねー」

 

 ジェイドの説明にミュウとライガを見比べて声を上げる。だから両者は言葉が通じるのか?

 なんかライオンかトラかって感じの生物なのに、まさか卵から子供が生まれてくるとは。

 この世界はトコトン不思議ワールドだなぁ… とセレニィは驚きを通り越して感心している。

 

「ジェイド、彼女は… セレニィは記憶喪失なのです」

「ふむ… そうだったのですか」

 

「セレニアの花畑で倒れていたところを、ルークとティアに拾われたとか」

「ルーク? ティア?」

 

「えぇ、あちらの赤い髪の青年がルーク。長い髪で片目を隠した女性がティアです」

 

 イオンからの説明にジェイドは眼鏡のブリッジを持ち上げて、しばし考えこむ。

 

「(なるほど… 『ルーク』という名前、更に赤い髪で緑の瞳とくれば恐らくは…)」

 

 自身の指揮する艦である、タルタロスの計器によって観測されたデータとも符合する。

 この推測が正しければ、上手く立ち回れば「今後のこと」にも活用できるかもしれない。

 

 眼鏡を光らせ薄く微笑むジェイドを余所に、前方では“女王”が他の面々に会話を続けている。

 

『というわけで、我が仔に名前を付けたい』

「名前… ですか?」

 

『うむ。此度の件、アリエッタと導師イオンの名によって成立したといっても過言ではない』

「確かにそうだな。共通の知り合いがいるなんて思わなかったぜ」

 

『通常、我らは名を持たぬ。我が娘の「アリエッタ」なる名も人間による命名でしかない』

 

 “女王”は話を続ける。

 要は、人間向けに「名」を付けることで今回結ばれた不可侵の盟約を形あるものにしたいのだ。

 

「どんな名前がいいかしら? わんたろー… だったら可愛いのに」

「ティアさん、ドライフルーツあげますからちょっとだけ静かにしてて下さいね」

 

『……ふむ。其処な小さき娘よ、お主の名はなんと申すか』

「はい? セレニィと呼ばれてますが… あと、小さくありません。周りが大き過ぎるんです」

 

 ティアの口にドライフルーツを放り込みつつ、不機嫌さを滲ませぶっきらぼうに答える。

 ことあるごとに小さい小さいと連呼されるのは甚だ遺憾である。例えアニスより小さくとも。

 

 かといって自分を指す言葉だと分かっている以上、無視するのも大人げない。複雑である。

 

『嘲る意図はなかった。許せ』

「まぁ、怒ってるわけじゃないから構いませんよ。して、お話は以上で?」

 

『いや、これを「セレニィ」と名付けたいのだ。構わぬだろうか?』

「……はい?」

 

 “女王”の正気を疑ってしまう。屑かつ雑魚に育って欲しいのだろうか? 罰ゲームである。

 実はあまり我が仔に愛情がないのかもしれない。卵生だし。とか失礼なことを考えてしまう。

 

「話をまとめたのはイオン様ですし、そちらから名前をお借りした方がいいのでは…?」

『無論、それも考えた。が、単身我と話をしたその勇敢さにこそ心よりの敬意を表したい』

 

「……はい?」

 

 “女王”は一体何を言っているんだろう。

 知らぬ間にチーグルに毒でも盛られて脳をやられたのか? セレニィは考える。

 自分ほど「勇敢」などという言葉が似合わぬ存在はないだろうに。

 

 そもそも「勇敢」になどなってしまったら絶対保身するマンは廃業である。

 それはありえない。いざとなったら仲間を見捨ててでも生き延びるのだ。

 何をトチ狂ってしまったか分からないが、ここは冷静になるよう言い聞かせねば。

 

 セレニィはキリッとした表情で顔を上げる。

 

「あの」

「それは素晴らしいですね。僕はそれに賛成しますよ、“女王”」

 

「きっとこの仔ライガもセレニィに似て可愛らしく育つに違いないわね」

「そっかなー、根暗ッタの弟か妹には勿体無い名前じゃないかなー?」

 

『では、これを「セレニィ」と名付ける。我らと人間の約の証(なり)… 努々(ゆめゆめ)、忘れるなかれ』

 

 ……名付け元の意向を無視して名前が決定してしまった模様。いや、もはや何も言うまい。

 ていうか根暗ッタってなんだろ?

 名前だけ出てるアリエッタさんのことかな… ふーむ、アダ名を付けるほどに仲が良いのかな?

 

 

 

 ――

 

 

 

 約一名を除いて、楽しげに「セレニィ」と名付けられたライガの仔を見詰める一行。

 彼らに向け、命名時のやり取りにおいて沈黙を保っていたジェイドが声をかける。

 

「さて、孵化したてのライガの仔は人肉を好むため狩り尽くすのが通例とされていますが…」

 

 ジェイドのその言葉にその場のほぼ全員一斉に緊張感が走る。ルークなどは身構えている。

 普段は飄々とした様子のアニスとて、思うところがあるのか戸惑った表情を見せている。

 

 反応を示さないのは「セレニィ、なんですぐ死ぬん?」と諦めたセレニィくらいのものだ。

 生まれた瞬間にドSに目を付けられてその生命、風前の灯火となった仔ライガを見遣り想う。

 

「(そんなトコまで名付け元に似なくても… さようならセレニィ。……君の分も生きるよ)」

 

 もはやセレニィがゲシュタルト崩壊しており、なにがなにやらという状況だ。

 ただ一つハッキリしているのは、セレニィ(人間)が安定の屑だということだ。

 

 彼らの反応を一瞥したジェイドは笑みを浮かべつつ繋げる。

 

「しかしライガに育てられた娘がいると判明した以上、最早その風説は当てになりませんね」

「では、ジェイド…!」

 

「……先の話を聞いてしまった以上は仕方ありません。イオン様、貴方と教団を信じましょう」

「あ、ありがとうございます!」

 

 約一名を除き互いの顔を見合わせ喝采に湧く一同。

 

「(そうか、おまえもまたセレニィの名を継ぐ者… 生き汚いんだね…)」

「ピー!」

 

「強く生きるんだよ… セレニィ」

 

 屑は絶対保身するマンとしての大器の片鱗を見せつけた仔ライガに共感を覚えたようだ。

 人生は向かい風というけれど、そんな中でほんのり小狡く立ち回って生き延びてやろうぜ。

 ……まぁ、うん、おまえは「人生」じゃないけどね。お互い頑張ろうねと笑顔を見せる。

 

「改めてお疲れ様でした、セレニィ」

「イオン様… 勿体無いお言葉です。全てはイオン様の威光の賜物ですし私は何も…」

 

「いえ、こうしてライガとチーグルの両者の和解が成立したのはあなたの働きのおかげです」

「そーだよ! あなた頑張ってたじゃん! アニスちゃんも褒めてあげるよー!」

 

「(とびっきりの美少女2人に褒められてる… 来てる! 間違いなく時代が来てる!)」

 

 デレデレと締まりのない笑みを浮かべる。ついさっき死にかけたことは忘却の彼方である。

 

「ついてはその働きに報いたく思います。何か望みはありますか? なんでも言って下さい」

「え? 今、なんでもって…」

 

「はい、どうぞ。といっても形ばかりの最高責任者… 出来ることは決して多くありませんが」

 

 苦笑いを浮かべつつもそう言い切るイオン。対するセレニィ、笑顔のまま沈黙する。

 

 え? なに、この降って湧いたビッグチャンス? ドッキリ? カメラどこなの? 看板は?

 いいのか? 言うぞ、言っちゃうぞ? 「イオン様とチュッチュしたい」って言っちゃうぞ?

 

 この間わずか0.3秒。

 

 いや、待てよ。膝枕も捨てがたい。「あーん」で食事するのも。手をつないでデートとかも。

 

「どうしました、セレニィ。……僕に遠慮する必要はないんですよ?」

 

 そんな邪気など微塵も気付かぬイオンはセレニィに向かって微笑みつつ、小首を傾げて尋ねる。

 

「あ、その、あのですね… 私は…」

 

「はい?」

「(言え、言うんだセレニィ… 恐らくこれは一生に一度のモテ期というモノだ!)」

 

 さぁ、言うのだ。落ち着いて、深呼吸をして… よし、大丈夫。言える。

 セレニィは顔を上げると、まっすぐイオンを見詰めて口を開いた。

 

「私の… 頭、撫でて下さいッ!」

 

 ……屑はヘタレた。

 

 気不味くも重苦しい沈黙が辺りに漂う。針のむしろに座らされたのは屑改めヘタレである。

 言葉も発することなく、耳まで真っ赤にして涙目で震えている。実にいたたまれない。

 

 その頭に優しく差し伸べられる手があった。

 

「はい、僕で良ければいつでも。……フフッ、セレニィは欲がありませんね」

「イ、イオン様…(この慈愛に満ちた笑顔… マジ天使…!)」

 

「へへっ、しゃーねぇ! んじゃこのルーク様も褒美をやるとするか!」

「ちょっと、ずるいわよルーク! セレニィ、私も撫でてあげるから安心して!」

 

「じゃあアニスちゃんもナデナデしてあげよー! 存分に感謝したまへー!」

 

 腕まくりをしたルークがイオンに続けば、それに負けじとティアやアニスまでも参戦する。

 しまいにはミュウまで「ずるいですのー! ミュウもやりたいですのー!」と混ざってくる。

 

 みんなに揉みくちゃにされ、小さなセレニィの身体はグラグラと面白いように揺らされる。

 

「み、みなさん。私を玩具にしないで欲しいんですが… あとティアさん、どこ触って…」

 

 そんな光景を他人事のように眺めつつ、誰ともなしにジェイドはつぶやいた。

 

「やれやれ… あんな少女ばかりなら世の中はもう少し平和なのかもしれませんねぇ」



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26.報告

 現場では迂闊にも「頭撫でて欲しい」と口走ってしまったヘタレ撫で(いじめ)が加速していた。

 

「あ、あぅあぅ… そろそろ解放して欲しいのですが…」

「フフッ… 良かったですね、セレニィ」

 

 ルークらに後を任せて、少し離れたところから笑顔で見守るイオン。

 

 何一つ良くない。この光景を微笑ましいと思える導師の目は節穴、間違いない。

 ようやく解放された頃には、彼女の白銀の髪の毛はボサボサになっていた。

 

「ぜぇー…、はぁー… な、仲間に殺されるかと思った…」

 

「あー、楽しかった! 愛されてるよねー、あの子!」

「あの… アニス、実は頼みがあるのですけれど構いませんか?」

 

 散々セレニィをいじり倒して満足して戻ってきたアニスに、イオンが声をかける。

 

「あ、はーい。頼みってなんですかぁ? イオン様」

「先の件に関わることなのですが、エンゲーブでライガの食糧を用意する必要があります」

 

「なーるほど。そこでアニスちゃんが一足先に戻って、手配しとくってことですねー?」

「はい、お願いできますか?」

 

「……恐れながら申し上げます、イオン様」

 

 そこに別方向から待ったがかかる。我らが屑… もとい、セレニィである。

 手櫛で乱れた髪を整えながら、キリッとした表情を作りつつ会話に割って入る。

 

 ……手櫛を逃れた一房がピョコンと跳ねているのが、(いささ)か以上に間抜けだが。

 

「どうかしたのですか? 意見があるのでしたら遠慮なく申し出て下さい、セレニィ」

「はい、いくら可愛くてもか弱い少女。一人で村に走れとはあまりに無体ではないでしょうか」

 

「なるほど、確かに心配ね。やはり私たちと一緒に行動すべきじゃないかしら? 可愛いし」

 

 セレニィの言葉にティアが真顔で頷く。

 二人は互いの思惑を感じ取ると、心中で堅い握手を交わす。これからの共同戦線に向けて。

 

「ふむ、少し心配し過ぎではないでしょうか? 大した危険もないように感じますが…」

 

「ですが魔物も出ます。前衛のいる私たちと行動をした方が良いのではないでしょうか?」

「そうです。それに多少の怪我なら私が癒してあげられますし、万一の警戒は必要かと」

 

 セレニィは萌える美少女とお近付きになりたい。ティアは可愛い女の子と仲良くなりたい。

 台詞からも二人の下心と本音が透けて見えまくる、絶対に頷いてはいけない案件だが…

 イオンは「なるほど、確かにその通りですね」と頷いてしまった。純粋さは時に罪でもある。

 

 そのやり取りに納得がいかないのがアニスである。子供っぽく頬を膨らませて抗議をする。

 

「ちょっとー! 可愛いのは否定しないけど、これでも導師守護役として戦えるんですけど!」

「え、可愛いだけじゃなくて強いんですか? うわ、何その完璧(パーフェクト)美少女…」

 

「も、もー! いくら本当のことでも、そんなにおだてられちゃったら照れるじゃないのっ!」

 

 この若さで導師守護役となったアニスではあるが、それ故にやっかみを受けることも多い。

 預言に詠まれた配置なのだが、その結果、実力を軽視されコネ採用と白眼視されがちだ。

 そんなところに純粋な尊敬の眼差しを受けてはたまらない。アニスとて舞い上がってしまう。

 

 とはいえ、セレニィが純粋にアニスの凄さに驚くのも無理は無いと言えるだろう。

 ここから一人で村まで帰りなさい、とか言われたらセレニィなら死ぬ。完膚なきまでに死ぬ。

 もう「なんでもするから置いてかないでください!」と泣き喚いて縋り付くレベルで死ぬ。

 

「しょーがないなー! イオン様がいいって言ったからあなた達も守ってあげるよ!」

「お、おう…」

 

「フフッ、セレニィも可愛いけどこの子も可愛いわ…」

 

 ニコニコ照れ笑いを浮かべながら同行を快諾してくれたアニスには、感謝の気持ちで一杯だ。

 だが如何せんチョロい。将来が心配なレベルでチョロい。罪悪感覚えるレベルでチョロい。

 せめてティアさんからはなんとしても守り抜かねば… セレニィは密かに決意するのであった。

 

 変態と変態という負の方向にシナジーを発揮した歴史的タッグは、裏切りによって幕を閉じた。

 

 ……さて、ひとまず話はまとまった。セレニィは大きく伸びをして仲間たちに声をかける。

 

「それではそろそろ帰りましょうか。……ローズさんに報告もしないといけないですしね」

「だなー。はー… 疲れたぜ、ったく」

 

「ルーク、元々はあなたが言い出したことでしょう… 最後までシャンとしなさい」

「おや、貴方方は彼女に何か報告することでもあるのですか?」

 

「あ、はい。軍の方がお忙しいとの事でしたので、代わりに食料泥棒の調査を請け負ったんです」

「それはそれは… わざわざ申し訳ありませんでした」

 

「いえいえ、こちらこそ結果的にイオン様を連れ回すことになって申し訳ありませんでした」

 

 ジェイドは顎に手をやり暫し考える。

 

 本来ならば、逃さぬため少々難癖をつけてでも直接タルタロスに招くつもりではあったが…

 仮にも自国の村の問題の解決に手を貸してくれた者達にする態度ではないか、と考え直す。

 それも已むを得ないとはいえ、軍が手を振り払った案件についてフォローをしてくれた相手に。

 

 導師イオンも彼らを信頼しているようだ。あまり強硬な手段に出るのはかえってマイナスか。

 

「(後ほど正面から招待しましょうか。彼らにとっても文字通り『渡りに船』でしょうし)」

「……ジェイド・カーティス大佐?」

 

「おっと、失礼… むしろイオン様をお守りいただいて、私が礼を言うべき立場でしょうねぇ」

「そう言っていただけるとありがたいです。では、一旦エンゲーブへと帰りまぐえっ!」

 

「駄目ですの! 長老に報告するですの!」

 

 帰還の音頭を取ろうとしたセレニィの頭に飛び乗りつつ、ミュウが割り込む。

 分かっていてスルーしていたというのに覚えてたか。正直、ダメ人間的に面倒なんで帰りたい。

 セレニィはそう思いつつミュウを頭から取り外し、言葉を紡ぐ。

 

「ミュウさん、あなたが長に報告すればいいんですよ。きっと大丈夫、あなたなら出来る!」

 

「みゅう!? むちゃ振りですの! できるわけないですの、失敗したと思われるだけですの!」

「はぁ… しょうがないですねー。わかりました、いきましょうか」

 

 ちっ、流石に騙されてはくれなかったか。

 心中で舌打ちをしつつ、一行とともにチーグルの巣穴へと向かう。

 

 

 

 ――

 

 

 

「ミュウから事情は聞いた。上手く話をまとめてくれたそうじゃな」

「ちゃんとイオン様とこちらのマルクトの軍人さんに謝罪してください。私にはいいですけど」

 

「う、うむ… 元はといえばミュウがライガの住処を燃やしたこと。誠に申し訳なかった」

「いやいや、そっちよりも人間の食料盗んだことのほうが人間にとっちゃ問題ですよね」

 

 セレニィは、しれっとミュウだけのせいにしようとする長の言葉を手を左右に振って叩き切る。

 この長には命の危険を感じる交渉を押し付けられたのだ。しかもあれだけ苦労して無意味!

 イオンに全て持って行かれたのだ。長を恨まずにいられない。たとえ逆恨みと謗られようとも。

 

「私知りたいなー。群れとして人間の食料を盗むことを決定した長さんの責任の取り方ー」

 

「うわ… セレニィのヤツ、めちゃくちゃ怒ってね?」

「まー当然といえば当然じゃないですかー? 子供一人に責任押し付けるって感じ悪いですしー」

 

 ルークがつぶやくと、それを拾ったアニスが答える。内心思うところがあるようだ。

 

 セレニィはニコニコ微笑んでいる。長は「ぐぬぬ…」と呻いている。

 屑は弱者には強気である。そして屑ゆえに容赦もしない。屑と屑の鍔迫り合いである。

 

「あの、セレニィ…」

「イオン様、止めないで下さいね。私としても彼女の言葉に長がどう返すのか興味があります」

 

「あぁ、セレニィとチーグル… 私はどっちの味方をすればいいのかしら…」

 

 止めようとしたイオンをジェイドがそっと制する。……安定のティアさんは置いておこう。

 

「ぐ、ぐむむ…」

 

 そして、長の出した結論は…

 

 

 

 ――

 

 

 

「それじゃ、今後ともよろしくお願いしますね? ミュウさん」

「はいですの! セレニィさん!」

 

 新たな『仲間』となったミュウとの挨拶を交わす。

 

 ソーサラーリングと、それを操るミュウを一年間人間に貸し出す。

 それが長の出した結論であった。

 

 正直そう来るとは思わなかったが… 冷静に考えれば中々にありがたい申し出である。

 

 火打ち石に、食用可能な野草やキノコの発見に、とっさのシールドに、etc...

 多種多様の使い道が可能なミュウの利便性は計り知れない。正直、自分より役に立つのだ。

 

 絶対保身するマン的に手放せる人材ではない。

 ミュウには悪いが思わずふたつ返事で了承してしまった。

 

「では、手筈通りお願いしますね」

「はいですの! ……あっ、そこのキノコは美味しいですの!」

 

「早速ですか! 一つ残らず回収しますよ!」

 

 セレニィにとって予想外だったのが、ミュウがそれについて難色を示さなかったことだ。

 ルークもセレニィがいいならと文句をいうことはなかった。……ティアは喜んでいたが。

 

 群れからミュウを引き離してしまったことに若干の罪悪感を覚えつつ、屑は損得に生きる。

 

「……まぁ、仲良くやっていきましょうね? ミュウさん」

「はいですの!」

 

「おーい、オメーらー! 早くこねーと置いてくぞー!」

 

 遠くからルークの声が聞こえる。

 道草を摘んでいる… もとい、食っている間にだいぶ離されてしまったようだ。

 

「あばばばばばばば! ちょっ、ちょっと待って下さいー!?」

 

 セレニィは慌ててキノコを鞄にしまうと、仲間たちの背を追って駆け出した。



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27.招待

「なるほどねぇ… まさか、北の森でそんなことになってたとはねぇ」

 

 ここはエンゲーブはローズ夫人宅。

 セレニィの説明を一通り聞いたローズ夫人は、ティーカップを置いて大きく溜息を吐いた。

 

 立ち会っているのはセレニィ、ルーク、ティア、ミュウにイオンとアニスを加えた6名。

 

「導師イオンにもご迷惑をおかけしました。おかげで村の連中も安心することでしょう」

「いえ… 元はといえば今回の件、教団の聖獣に端を発しました。謝るべきはこちらでしょう」

 

「みゅうう… ごめんなさいですの…」

 

 小さくなって謝る仔チーグルを見れば、ローズ夫人の方とて苦笑いをするしかない。

 

 そも今回の件での損害の補償も、まとまった食糧の買い取りも、全て教団が行うこととなった。

 信用できる相手との大きな取り引きを運んできてくれたのは、幸運であると言えなくもない。

 

「セレニィちゃんたちのおかげで事件は解決さ。すんだことをアレコレ言うつもりはないよ」

「ですって。良かったわね、ミュウ」

 

「はいですの! ありがとうですの、ローズさん!」

 

 ティアの言葉に笑顔で応じて、元気よく頭を下げるミュウにローズ夫人も頬を緩める。

 そして、テーブルの上に依頼の報酬が詰められた革袋を取り出した。

 

 導師まで引き連れて、失った分の食糧の補償まで約束してくれたのだ。充分以上に過ぎる。

 

「それじゃこれが報酬だよ。確認しておくれ」

「はい、ありがとうございます!(わぁい、待ってましたー! 3,000ガルドGETだぜ!)」

 

「金かー… こうしてみると、結構稼ぐのって大変なんだなー」

「そうね。これを機会に、もう少しお金のありがたみについて考えてみたらどうかしら?」

 

「けっ! 相変わらず、うっせーヤツだな…」

 

 セレニィが満面の笑みで報酬を受け取り金額を確認する傍ら、いつものじゃれ合いが始まる。

 常ならばそれを止めるセレニィだが、現在ヘヴン状態のためにイオンが宥めることになる。

 しかしセレニィの笑みが消えて怪訝な表情になり、「あれ…?」というつぶやきが漏れ始めた。

 

 無論、それを見逃すローズ夫人ではない。すわ何かあったかと、すかさず彼女に確認を取る。

 

「どうかしたかい? 報酬、足りなかったかい?」

「あ、いえ、その逆で…」

 

「逆って多いってこと? なになに? 一体どれくらい入ってたのー?」

「4,500ガルドです。約束では3,000ガルドのはずだったのですが…」

 

「……あ、うん。その、謙虚なんだね」

 

 日本円に換算すると4万5千円である。

 果たして、あれだけの死線を乗り越えた報酬として妥当か否かは意見が別れるところであろう。

 

 拍子抜けしたアニスの表情の意味を察したローズ夫人は、苦笑いを浮かべて説明する。

 

「なんだい? 調査で1,500ガルド、解決で更に3,000ガルド… そういう約束だったろうに」

「え? いや、解決で3,000ガルドって… あれ?」

 

「そういうつもりで村から集めたんだ。そもそも元が少な過ぎるんだしどうか貰っておくれよ」

 

 なるほど、セレニィとしては調査のプランでそれぞれ別に料金を提示したつもりであった。

 しかし、ローズ夫人は「調査成功料金1,500ガルドを基本料金とする」と捉えていたわけだ。

 

「(なるほどなるほど、まるっと理解… ってコレ、酷い銭ゲバだと思われてるんじゃ…?)」

 

 屑は安定した生活のためのお金が大好きだ。しかし、貰い過ぎても逆に落ち着かなくなる。

 所詮は小市民。少し稼ぐつもりでいたのに降って湧いた大金に覚えるのは、喜びより不安だ。

 何か裏があるんじゃないか、不当に搾取したと恨まれるんじゃないかと脳裏によぎるのだ。

 

 冗談ではない。絶対保身するマンはどんなに些細な恨みも買わずにひっそり暮らしたいのだ。

 ここはなんとしてもお断りせねば。NOと言える日本人になってみせるのだ。ファイトだ、屑。

 

「で、でもですねー…」

「もー、お人好しも程々にしなよー! 度が過ぎれば周りを困らせることにも繋がるんだよ?」

 

「……あ、はい(え? お人好し? 何故に? てか、なんでアニスさんが怒るんだろ…)」

 

 セレニィは自己保身しか考えていない。「お人好し」なる存在とは対極に位置する屑なのだ。

 

 結局割り込んできたアニスに、押し切られる形でセレニィは報酬を受け取ることとなった。

 こっちのことを考えてくれたのかな… と思って頭を下げればプイッと顔を逸らされる。

 屑は地味に傷付いた。美少女のアニスに嫌われるのは、想像以上にくるものがあったようだ。

 

「大丈夫よ、セレニィ… 私たちがついてるわ」

「ですのー!」

 

「あ、すみません。ちょっとキラキラと眩し過ぎるんで、あんまり近付かないでくれません?」

 

 ……そして一同はローズ夫人に丁重にお礼を言いつつ、彼女の自宅を後にすることにした。

 

 エンゲーブの村を歩きつつルークが口を開く。

 

「けっこー半端な時間だよなぁ。野宿ってのもゾッとしねーし… もう一泊してくか?」

「ですねぇ。流石に今晩も無料とはいかないでしょうけど、臨時収入もありますし…」

 

「……よろしければみなさんの今晩の宿、我々に手配を任せていただけないでしょうか?」

 

 そこに声が掛かる。声の方を見れば、ジェイドが数名の兵士を引き連れてそこに立っていた。

 アニスとイオンはそれに近付き、声をかける。

 

「大佐ぁ! 迎えに来てくれたんですかぁ?」

「ジェイド… タルタロスの準備が整ったのですね」

 

「あ、そーいやイオンはコイツらと一緒だったっけか… なんだかすっかり仲間と思ってたぜ」

「ルーク… そう思っていてくれたのですか? 凄く嬉しいです!」

 

「か、勘違いすんじゃねーよ! チーグルの件でついてきやがったから仕方なくだっての!」

 

 素直に感激するイオンと照れながら心と真逆のことを口にするルーク。それを窘めるティア。

 そんな微笑ましい光景を眺めながら嫉妬を滾らせる人物がいた。

 

「(くっ… おのれぇ。イオン様はルークさんの方が好きなのか…!)」

 

 言わずと知れた屑… いや、もはや屑ではない。嫉妬ウーマン2号である。

 

「(やっぱり顔か? 顔なのか? イケメンでツンデレっていうルークさん一択なのか?)」

 

 それ以前に、普通の少女は少女に恋愛感情を抱かないことを学習すべきではなかろうか?

 一方、嫉妬ウーマン2号(ポンコツ)が生まれたのでティアさんが仕事をこなしジェイドに質問する。

 

「カーティス大佐、今晩の宿とは一体どういう意味ですか?」

「どうぞ、私のことはジェイドとお呼びください。……姓にはあまり馴染みがないもので」

 

「けっ! スカしたヤローだぜ」

「(ルークさんに全力で同意ですよ! あの人からはドSかつリア充のオーラがします!)」

 

「実はみなさんに聞いていただきたい話があるのです。そのために、我が艦に招待したい」

 

 その言葉にイオンとアニスの二人は得心のいった表情を浮かべて、4人を見詰める。

 

「それはジェイド、つまり『例の件』に…?」

「えぇ… いかがでしょうか、イオン様」

 

「僕としても異論はありません。ですが、彼らは恩人です。くれぐれも丁重な扱いを…」

「無論、承知しています。……いかがでしょうか? みなさん」

 

「はぁ、『いかがでしょうか?』と言われましても…」

 

 4人は揃って顔を見合わせる。もっとも、ミュウは雰囲気でやってるだけのようだが。

 

 その間にジェイドは自分の兵たちに命令し、イオンとアニスを一足先にタルタロスに送らせる。

 その後、申し出に困惑している4人の様子を見て取ってすかさず勧誘の文句を口にする。

 

「もし受けていただける場合、みなさんが望むならある程度までは我が艦でお送りしましょう」

「へー… ってことは、早く帰れるかもしれねーなぁ」

 

「場合によっては最後まで… ね。それに加えて」

「太っ腹ですのー! ……まだ加わるですの?」

 

「話の結果如何にかかわらず一晩の宿は提供しましょう。生憎と軍用艦ゆえ無骨ではありますが」

「それでも、野宿なんかよりはずっとマシね… お金の節約にもなるし」

 

「ふーむ…」

 

 セレニィはジェイドの言葉を吟味して考える。

 

 額面通りの甘言と受け取れるほどに平和な頭はしてない。屑は他者を信じる心を捨てている。

 ひとまず「話の結果如何」と言っていることから、内容はなんらかの依頼の可能性が高い。

 ふむ… ローズ夫人の依頼を解決して見せたことで、便利屋として目を付けられたのだろうか?

 

 ……いや、持っている情報量が違うのだ。目に映るものだけを判断材料とするのは危険か。

 ティアの言うとおり、メリットは大きい。それに断ったとしても無体な扱いはしないようだ。

 ならば、あとは我が身の安全に関する言質だけか… そう判断して口を開く。

 

「……私たちに危害を加えることはありませんか?」

「おや、先ほどの私とイオン様のやり取りを聞いていらっしゃらなかったので?」

 

「勿論、聞いていました。その上で確認しています」

 

 だって、コイツ「承知しています」しか言ってないよね。イオン様を先に帰らせたしさ。

 ストッパーがいない状況ですよね。殴られたら詰みますよね。セレニィはそう考える。

 ルークと違い、ドSに対して仲間意識を持つほど平和な思考はしていないのだ。屑だけに。

 

「……やれやれ、悲しいですねぇ。もう少し私のことを信用して欲しいものですが」

「えぇ、ジェイドさんのことは信用してます。その為人(ひととなり)も… そして実力も」

 

「………」

 

 無言になったジェイドをまっすぐ見詰める。

 そして確信した… 「コイツ、万が一の場合は実力で言うこと聞かせるつもりだったな」と。

 

 セレニィの顔色の変化を見て取ったのか、ジェイドが諦めたように肩を竦める。

 そういう仕草までなんだかサマになっていて、ほんのり小憎たらしい。

 

「……無論、貴女がたに危害を加えるつもりはありませんよ。始祖に誓ってね」

「そうですか、それは良かった。始祖のお導きに感謝しましょう」

 

「(中々どうして、抜け目の無い。さて、幾らでも穴の突きようはありますが…)」

 

 敢えて鍔迫り合いを収め、ここはがんばりを見せたセレニィに花を持たせることにしよう。

 

 ジェイドは、内心でセレニィの評価を上方修正した。全ては勘違いの産物であるのだが。

 絶対保身するマンとしては、自らの生存が明文化されない話は無条件で破り捨てるだけなのだ。

 

 屑は自分が雑魚であることを自覚しているので、生き残りに必死なだけなのだ。

 

 ジェイドの条件を確認した一行は、この話を受けるかどうか相談することになった。

 セレニィとしてはなんとなく嫌な予感がするから受けたくはなかったが…

 

「もう、歩くのだりーし乗ってこーぜ! 俺はササーッと帰りてーんだよ!」

「ルークったら。……でも、確かに悪い話じゃないとは思うわ」

 

「ミュウ、『ふね』ってモノに乗ってみたいですのー! すっごい楽しみですのー!」

 

 圧倒的賛成多数により、根拠の無い不安を口に出来る空気ではなくなってしまった。

 屑といえど所詮は小市民。空気を読み、空気に従って生きている脆弱な生き物である。

 

 かくしてジェイドの招待を受けて、一行はタルタロスへと乗り込むことと相成った。

 

「(あれ… そういえばイオン様は、なんでこの村に来てたんだっけ…?)」

 

 ふと頭に浮かんだイオンのことが気に掛かり、思い出そうとする。

 だが浮かんだと思うと、まるで霞の如く消え去ってしまう。

 しまいには、頭痛と胃痛がしてきたためにヘタレは思い出すことを諦めることにした。

 

「おーい、セレニィ! 早くいこーぜー! 夕飯も用意してくれるってよ!」

「あ… はーい!」

 

「フフッ、転ばないようにね? セレニィ」

 

 うん、思い出せないということはきっと大したことがない内容なのだろう。

 きっとそうに違いない。だから脳に鳴り響くこの警鐘は気のせいなのだろう。

 

 セレニィはそう自分に言い聞かせながら、仲間たちの後を追って歩み出す。

 

「わーい、うれしーなー… イオン様やアニスさんと同じ屋根の下でうれしーなー…」

 

 ……その足取りはまるで鉛のように重かったという。



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28.決壊

 一行は夕食を振る舞われ、今は陸上装甲艦タルタロス内のとある一室に通されている。

 

「あんま美味くなかったなー…」

「ルーク! 失礼よ!」

 

「みゅう! ミュウにとってはご馳走でしたのー! すっごく美味しかったですのー!」

 

 長テーブルに備え付けられた椅子にはルーク、ティア、セレニィが腰掛けている。

 ミュウはセレニィの膝の上に抱えられている。屑はいざという時の盾があると安心するのだ。

 

 そのセレニィはというと、物珍しいのか周囲の様子をキョロキョロうかがっている。

 

 二段ベッドに加え、簡素な衣装ラックがある。そして人工的な灯りが室内を照らしている。

 ……設備からして下士官用の部屋あたりか。まぁまぁ、扱いとしては妥当だろうか?

 

「無骨な部屋にお通しして申し訳ない。……何か、気になることでもありますか?」

「あ、いえ、そんな… あ、でも一つだけ」

 

「どうぞ、なんなりと仰ってください。可能な限り配慮しましょう」

「何故にジェイドさんもイオン様たちもお立ちなので? ……私、立つべきですかね?」

 

「いえ、それには及びません。ではイオン様にアニス、彼女もこう言っていますし…」

 

 小首を傾げつつ疑問を投げかけるセレニィ。

 それに対し、ジェイドはイオンやアニスともども席に腰掛けることでその応えとする。

 護衛の役目もあるのであろう、先ほどマルコと紹介された兵は立ったままであるが。

 

 セレニィはホッと溜息を吐く。

 小市民的に自分が座っているのに、自分より上の立場の人間が立っていると落ち着かないのだ。

 そもそも、彼女の中で自分の立場はお役立ち度から鑑みて新参者のミュウ以下である。

 

 この中で文句無しに最弱である。いつ捨てられるか分からない過酷な現実に涙が止まらない。

 

「……では、他にはない様子ですので話を始めさせていただきましょうか」

 

 数秒の沈黙の後、ジェイドが口火を切る。

 その場にいる面々は彼の言葉に頷き、かくして「お話」がスタートした。

 

「我々は現在ある『密命』を帯び、キムラスカ・ランバルディア連合王国を目指しています」

「……へー、その『密命』ってのはなんだよ?」

 

「(いやいや、ルークさん… 聞いても答えないと思いますよ? なんせ『密命』ですし…)」

 

 胡乱な表情でルークが尋ねる。信用していないという態度が透けて見える。

 屑も声には出さないが内心で同意している。気が合うな、ルークさん。

 このドSを信用するときっと碌なことにならないだろうと本能が訴えかけている。

 

「お答えしましょう。その『密命』とは… 『和平の締結』です」

「師団長ッ!?」

 

「(って答えるんかい! マルコさんめっちゃ慌ててるじゃん!)」

 

 密命とのことなのに、明らかに喋り過ぎのジェイドをマルコが止めようとする。

 だがジェイドは鷹揚に首を振って「いいのですよ、誠意の見せどころでしょう」と押し通す。

 

 いきなりそんなものを見せられても小市民は困る。

 何の後ろ盾もない状況で、国と国の問題に首を突っ込んでも死亡フラグしか見えない。

 胃がキリキリと痛んでくる。表面上は静かな微笑を浮かべて堪えてはいるが。

 

 そんなセレニィの様子など知る由もないティアは安堵の溜息を漏らす。

 

「ふぅ… 和平、ということは宣戦布告ではないのね」

 

「っていうか、そんなにヤバかったのかよ? キムラスカとマルクトの関係って」

「えぇ、そうよ。……知らないのはあなただけだと思うわ」

 

 ティアはルークの疑問をそう切って捨てる。

 そのやり取りの様子に、セレニィと彼女に抱えられたミュウが気不味い表情を浮かべる。

 

 二人揃って恐る恐る挙手する。申告は早めに行ったほうが傷は浅いのだ。

 

「私も知りませんでした。……ごめんなさい、ティアさん」

「みゅうぅ… ミュウも知らなかったですの。ごめんなさいですの」

 

「何を言っているの、二人とも。知らないことは何も恥ずかしいことじゃないのよ?」

 

 優しい声音でティアが二人を慰める。

 彼女の手首には間違いなく回転機構が備え付けられているだろう。

 

「……いっそ清々しすぎて怒りすら湧かねーよ、もう」

 

 その安定感にはルークも乾いた笑いを浮かべるしか無い。

 そんな和やかな空気を敢えて読まずに、続けてジェイドは巨石を投じたのであった。

 

「そこでルーク・フォン・ファブレ殿… 貴方に我々への協力を要請したい次第です」

「へー… 気付いてやがったのか」

 

「職業柄、耳は早いもので。……しかし、否定もされないのは意外でしたねぇ」

「今更すっとぼけても『はい、そうですか』って納得するタマでもねーだろ? アンタ」

 

「ちょっと、ルーク!」

 

 ルークの返しにジェイドが苦笑を浮かべると、ティアが小声で窘める。

 一方、事態の推移に落ち着かないのはセレニィである。

 

「(……あれ? ひょっとしてルークさんって有名人なのかな?)」

 

 屑は手が汗ばんできていることに気付く。……なんだか嫌な予感がする。

 早鐘を打つ心臓を、服の上から必死に抑えつける。

 

 そんな彼らの様子を愉しげに見詰めていたジェイドが眼鏡を直して口を開く。

 

「さて、お返事を聞かせていただけますか?」

「……もし、断ると言ったら?」

 

「別にどうもしません。約束通り部屋はお貸ししますので、後はご自由に」

 

 要領を掴ませないジェイドの会話にルークは苛々を募らせる。

 その一方でセレニィは、器用に怒らせるものだと感心すらしていた。

 

 そんな彼女の内心を知ってか知らずか、ジェイドは言葉を続ける。

 

「ただ、貴方がたにはタタル渓谷方面で正体不明の第七音素(セブンスフォニム)を発していた疑いがあります」

「せぶんすふぉにむ?」

 

「『音』の属性を持つ7番目の音素(フォニム)ですの。預言(スコア)もそうですの。特別ですの」

「へー… オメー、詳しいんだな」

 

「みゅう… 照れるですの。ユリアに第七音素(セブンスフォニム)の操り方を伝えたのはチーグル族だからですの」

 

 疑問に首を傾げるセレニィにティアではなくミュウが説明する。

 ルークと揃ってその博識ぶりに感心すると、新たに驚きの事実が判明した。

 なんとチーグルがユリアの師匠だった時期もあったらしいのだ。

 

 なるほど、世界を救うなんて常人には出来ない偉業だとは思っていたが…

 そんなユリアにもし子孫がいたら、相当エキセントリックな行動に走ってもおかしくないな。

 セレニィは内心でそう考えた。……いやいや、流石に失礼だし幾らなんでも考え過ぎか。

 

「仰るとおり。それに、超振動でも大量の第七音素(セブンスフォニム)は発生するのですよ」

「へー… そうなんですか」

 

「超振動で移動した場合、貴方がたはマルクト領内に不正に侵入した… とも解釈できますね」

「………」

 

「そんなに青褪めないで下さい。それで連行なんてした日には導師様に叱られてしまいます」

「当然です。ジェイド、僕は彼らを丁重に扱うように言ったはずですが?」

 

「ははは… まぁそういうわけで、断られても残念ではありますが特にどうもしません」

 

 イオンに軽く睨まれ、小さく肩を竦めたジェイドが「ご理解いただけましたか?」と続ける。

 そのやり取りには身構えていたルークの方が拍子抜けになる。同時に罪悪感も湧いてくる。

 

 ルークのその表情を見て取ったジェイドが最後の仕上げに走る。

 

「ですが、もしそうであるならお困りでしょう? ならば私たちを『足』として使えば良い」

「『足』… ですか? 大佐」

 

「えぇ、協力を拒まれてもキムラスカに送るくらいの誠意は見せます。恩の売り時ですから」

「大佐ぁー… そういうこと口に出しちゃうのって、どうかと思いますけどぉー?」

 

「おや、ダメでしたか? 下心を敢えて(さら)け出すのも、私なりの誠意の現れなんですがねぇ…」

 

 ジェイドの言うことはよく分かった。

 頷くにせよ頷かないにせよ、自分たちに損はないことも。

 

 だがマルクトの村であるエンゲーブを回ってみて分かったのだ。

 彼らも同じ人間だ。怒りもすれば笑いもする、自分と同じ人間なのだ。

 

 ならば、戦争になるなんてのは嫌だ。出来ることなら協力したい。

 だからルークは、もう少し詳しい話を聞いてみたいと思った。

 

「だったらさ… もう少し詳しい話を教えてくれよ。協力できるかもしれねーし」

「残念ながら、それは出来ません」

 

「な、なんでだよっ!」

 

 折角の親切心を不意にされたような気がして、ルークは席から立ち上がらんばかりに激高する。

 イオンも申し訳無さそうな表情を浮かべるものの、口を開くことはない。

 

「それは… そうですね。私が説明するよりセレニィ、貴女の方からお願いできますか?」

「(なんでこっちに振るんですかー!?)……えっとですね、ルークさん」

 

「……ンだよ」

 

 不機嫌さMAXを隠そうともしないルークに、苦笑いを浮かべつつセレニィは言葉を続ける。

 

「和平を結ぶにあたって、当然マルクト側にも要望はあると思います」

「……そりゃそーだろーよ」

 

「和平さえ結んでくれれば無条件で、というわけにも… 要望は翻れば弱点にも繋がりますし」

「それは、まぁ… 分かるけどよ…」

 

「ですので、正式な会談の場で話し合って歩み寄って決めていく必要があるのですよ」

「つまりまだ詳細は決まってねーし、要求も弱点になるから言えねーってことか?」

 

「はい、そうなりますね! 流石はルークさんです!」

 

 本当は物別れに終わった時の保険という側面もあるが、そこまで言う必要はないだろう。

 

 セレニィに笑顔で褒められ、ようやく機嫌を直すルーク。

 ジェイドもそれに頷きつつ特に訂正を示すことはない。

 もっとも彼女の方は、急に丸投げしてきたジェイドに対し内心で罵倒の限りを尽くしているが。

 

 とはいえ、ジェイドも本来このような(彼にとって)当たり前のことを説明するのは苦痛だ。

 むしろセレニィに任せることでルークの心情に配慮してやった、というのがその言い分である。

 そう、ドSは屑がメンバー内の折衝役だと看破して緩衝材として使い倒すつもり満々なのだ。

 

 そんなことも露知らず、和やかな空気になったと見たセレニィが口を開く。

 

「しかし、ルーク・フォン・ファブレってまるで貴族みたいな名前ですねー… なんて」

「いや、だって貴族だし。……あ、そーいやセレニィには言ってなかったっけ?」

 

「……はい?」

「彼は貴族ですよ。キムラスカ王室と姻戚関係にあるという、かのファブレ公爵のご子息です」

 

「………」

 

 一瞬聞き間違いかと思って聞き返すも、無情にもドSが止めを刺してくる。

 背景で「公爵… 素敵…」とつぶやいているアニスの発言などもはや耳にも入らない。

 

 え? なに? てことはルークさん、王族? 公爵? 侯爵? どっちにしろやべーわ。

 あ、痛い。すごく胃が痛い。頑張れ自分。ファイトだ自分。こんなところで死ねない。

 

 セレニィは脂汗を垂らしながら、自分の胃に当たる場所を抑えこむ。

 

「ど、どうしたのセレニィ… 大変! 顔色が!」

「え? ウソウソ、ちょっと! しっかりしてよー!」

 

「セレニィ、しっかり!」

「セレニィ!」

 

 何故か遠くから仲間たちの声が聞こえる。頭がグルグル回る。

 

 走馬灯のごとく浮かぶのは、今までの自分やティアとかティアとかティアの不敬や無礼の数々。

 あ、駄目だこれ… ますます胃が痛くなる。いや、むしろ痛みを感じなくなってきている。

 

 このままじゃ死んでしまう… 癒しだ、癒しを思い浮かべるのだ。

 

「セレニィ、しっかりしてください! 僕が… 僕がついてますから…ッ!」

 

 嗚呼、癒しの化身たる萌え美少女イオン様の声が聞こえてくる。

 そうだ、彼女のことを考えて気を紛らわせるんだ。

 

 黙って教団を抜け出したせいで世間一般では行方不明ってことになってるイオン様のことを。

 

「(……あ、あれ? なんか、胃から)」

 

 それが止めとなった。最悪のタイミングで最悪の事実を思い出してしまったセレニィは…

 

「ゴフッ…」

 

 吐血して、その場に倒れ伏した。

 

 少量ながら漏れ出た鮮血が長テーブルを薄っすらと朱色に染め上げる。

 

「セレニィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!?」

 

 

 

 ――

 

 

 

 そして医務室。

 

「どうしてこんなになるまで放っておいたんですか!?」

 

 軍医に散々叱られているルークとジェイドは肩身も狭く項垂れている。

 ティアは涙ながらに、ベッドに寝かされたセレニィを見つめている。

 

「セレニィ… 一体どうしてこんなことに…」

「恐らく過度の不安やストレスによるものでしょう… 胃に幾つもの穴が空いていました」

 

「そんな… 記憶喪失で不安なのに、私たちを心配させまいと明るく振る舞ってたの?」

 

 いえ、主に貴女のせいです。

 

「その、ジェイド…」

「……なんでしょう?」

 

「俺、なんも言わずに協力するからさ… コイツを一刻も早く運んでやってくれないか?」

 

 流石のジェイドとて、目の前で幼い少女に吐血されてしまっては罪悪感の一つも覚える。

 ……例えそれが自身に一切関係のない、身に覚えのない事柄であったとしても。

 

 ゆえに、この場でのルークの申し出に対して出せる返事は一つしかなかった。

 

「えぇ… 全力を挙げてお約束しましょう。……貴方のご協力に感謝を、ルーク殿」

「呼び捨てでいーよ… そんじゃ、これからよろしくなジェイド。イオンやアニスも」

 

「はい… ルーク」

 

 かくして知らない間に和平の使者の一行としてキムラスカに向かうことになったセレニィ。

 

「うーん… うーん… ティアさん、謝ってー…」

 

 彼女はその日、胃薬を処方された。



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29.説得

 見覚えのない部屋で目が覚める。……まだ少し、頭が重い気もするが気分は概ね快調だ。

 特に、ここ数日自身を悩ませていた激しい胃の痛みが嘘のように引いているのがとても良い。

 

 セレニィがベッドに膝立ちになった姿勢のまま暫しボーッとしていると、声がかけられた。

 

「おや、目が覚めたようだね。セレニィ君と言ったかな… 調子はどうだい?」

「……中々に良好です。……あなたは?」

 

「それは良かった… 処置が効いたようだね。私はこのタルタロスで軍医をしている者だよ」

 

 口髭を生やした壮年男性が穏やかな微笑を浮かべる。人を安心させるような優しい笑顔だ。

 投薬と回復譜術で、応急措置だが胃の穴を塞いでくれたらしい。……穴、あいてたのか。

 緊張が解れたセレニィが頭を下げて治療の礼を述べると、(にわか)に彼の背後が騒がしくなった。

 

「セレニィ、目を覚ましたのか!」

「大丈夫なの、セレニィ!」

 

「君たち… ここは医務室で相手は病人だ。心配なのは分かるが静かにしてくれないかね?」

 

 軍医が後ろを振り返り注意をしている。恐らくルークとティアが室内にいたのだろう。

 どうやら吐血し、倒れてしまったことで足を引っ張ってしまったようだ。

 捨てられないといいが… と考えてるセレニィのもとへ、ミュウがひょっこりと顔を覗かせる。

 

 小ささを活かして軍医のガードを擦り抜け、セレニィの腰掛けるベッド脇へ飛び乗ったのだ。

 

「みゅうぅ… セレニィさん、目が覚めて良かったですのー。もう大丈夫ですの?」

「えぇ、おかげさまで。……ルーク様とティアさんのお二人にも、ご迷惑をおかけしました」

 

 にっこり微笑んで腕の中にミュウを招き入れる。やはり咄嗟のシールドがあると安心する。

 そこはやはり安定の屑である。一度、血を吐き倒れたからといってもブレることはない。

 

 軍医に今お叱りを受けている2人に対しても、目に届くかどうかは別として頭を下げてみる。

 

「先生に聞いたわ、セレニィ。記憶喪失で辛いことを私たちに隠して無理していたなんて…」

「……はい? 記憶喪失? いや、あの、私は」

 

「もういいの… もういいのよ。私たちは仲間でしょう? ……だから頼りにしてちょうだい」

 

 ティアは涙を堪えるような表情で、ミュウとセレニィとを包み込むように優しく抱き締めた。

 

 突然の挙動に驚いたものの、なんとか誤解を解こうと会話を試みるセレニィであったが…

 駄目だ、この巨乳まるで話を聞いてない。初対面の時からその気質はあったが悪化してないか?

 

 いや、聞けよ人の話。聞いて下さいマジで。脱出しようと藻掻くも抜け出られない。そして…

 

「(あ、包み込むような柔らかさ… なんて極上の… えへへ、これならもう流されても…)」

 

 ……いやいやいや、待て待て待て。

 こんな感じに流され続けてきたツケがさっきの吐血だろう。セレニィは学習する屑なのだ。

 

 ここは心を鬼にしてキッパリ言わなければ。

 

「ティアさん、あのですね」

「大丈夫よ、セレニィ。あなたが記憶喪失でも私たちは支えていくから」

 

「あ、はい。……じゃあ、もうそれでいいです」

 

 屑は諦めた。

 こうなったティアさんはもはや止められないと経験則で学んでしまっているのだ。

 早くも学習が活きたな、屑。

 

 だが、ナチュラルにルーク様を巻き込んでる気がするのだがいいのだろうか?

 …って、そうだった! セレニィはもう一つの重大事に気付く。対処をせねば。

 

 そしてベッドの上で正座するとティアに対して精一杯難しい顔をして向き直り、口を開いた。

 

「ティアさん、大事な話があります」

「? なにかしら」

 

「あなたはルーク様が貴族様だということに気付いていましたか?」

「えぇ、勿論。出会ったばかりの頃からね… あ、セレニィは知らなくても仕方ないのよ?」

 

「……フォローどうもです。ちなみにティアさんも貴族様だったりするので?」

「私? 私は… そうね、平民よ。ただの。フフッ、だからセレニィは気にしないで」

 

「……あ、はい」

 

 セレニィは笑顔のまま絶望に硬直する。

 

 うん、そっか… そっか… 知っててその態度だったのか、ティアさん。

 

「(アカン… このままじゃティアさん、死んでまうやん。……死刑一直線やん)」

 

 知り合ったばかりの頃なら迷いなく見捨てていたというのに、多少情が湧いたのが運の尽き。

 だがこれは何も彼女のためばかりではない。

 そうだ、自分の保身にも繋がるのだ。そう言い聞かせてセレニィは今後の方針を模索する。

 

 胃がキリキリと痛んでくる。だがこれが平常運転だ。それでこそセレニィだ。

 口元に浮かべるは諦めの色の混じった、だが不敵な微笑。

 

 そう、ついに屑は開き直ったのだ。

 ……ここまで追い詰められてなお「勇気」や「覚醒」などとは無縁なのが屑が屑たる所以(ゆえん)だが。

 

「ティアさん、ルーク様に謝りましょう? ……私も一緒に謝りますから」

「え? え? ちょっと、急にどうかしたの? セレニィ、何かしちゃったの?」

 

「はい、そしてあなたも。度重なる不敬と無礼… 謝るべき事柄ですよね?」

 

 うん、自分が間違ったことをするわけないって信じ込めるのは凄いと思う。

 だがそれで全て解決してたら司法は存在しないのだ。

 

 優しい笑顔を浮かべながらティアに言って聞かせようとするセレニィ。

 空気を読んでいるのかルークとミュウは口を挟む気配がない。ありがたいことである。

 

 ティアもセレニィの言わんとすることを理解したのか、その顔を俯かせている。

 

「ね? ティアさん…」

「……イヤ」

 

「はい?」

「どうして私が謝らないといけないの。……私は何も間違ったことはしてないわ!」

 

「………」

 

 ティアさんが拗ねてしまったでござる。

 

 いや、身分制度的に大間違いなんだけど… この調子じゃ理屈を聞いてくれるかどうか。

 こんなつまらない拗ね方をしても可愛いのだから美少女というものは得である。

 

 しかし、どうしたものか。ルーク様も呆れた… いや、諦めた視線で見ているな。

 仕方ない。……懇々(こんこん)と言って聞かせるしかないか。それがお互いのためにもなる。

 

「ティアさん」

「イヤ!」

 

「ティアさ」

「イヤ!」

 

「ティ」

「やっ!」

 

「………」

 

 ……イラッ。

 好意を散々袖にされたセレニィの笑顔が黒くなる。こめかみに青筋が浮かんでいる。

 

 大きく溜息を吐く。……笑顔を崩して、酷く冷めた表情でティアを見据える。

 そのただならぬ雰囲気に、セレニィに否定されて頭に血が昇っていたティアも思わずたじろぐ。

 

「ティアさん、いい加減にして下さい。あまり聞き分けが悪いようなら…」

「な、なによ! 私に罰でも与えるって言うの?」

 

「………」

「優しいセレニィに出来るかしら? それに、どんなことをされても私は自分を曲げ」

 

「嫌いになりますよ?」

「じゃあボクも嫌いになるですの!」

 

「ごめんなさい、ルーク様。これまでの無礼の数々、心よりお詫び申し上げます」

 

 ティアは流れるように美しい所作でルークの前に跪いた。

 

 ルークの生ゴミでも見るような温度を感じさせない視線が印象的だ。

 ややあってルークが口を開く。

 

「どうしよう、謝られているはずなのに心底殴りてぇ。……こんな気持ち初めてだ」

「ちょ… 落ち着いてルーク様! 私も謝りますから! ティアさんが残念でごめんなさい!」

 

「おかしいわね… セレニィとミュウに嫌われたくないから、誠心誠意謝ったはずなのに…」

 

 ティアは「解せぬ…」とばかりに小首を傾げている。

 その仕草はキュートだが今はその口を塞ぎたい。出来ればキスで。

 

 ていうか、だから怒らせるんですよ? ちゃんとルーク様に向かって謝りましょうね?

 青筋を浮かべながらセレニィは思った。屑は最近ちょっと沸点が低くなっている。

 

 小首を傾げるティアとオロオロしているセレニィを見て、ルークが思わず吹き出す。

 実感した。セレニィが帰ってきたんだと。

 

 セレニィが血を吐いて倒れてピクリとも動かなくなった。

 ……あの時の心まで凍るような感覚はもう沢山だ。ルークはそう思いつつ口を開いた。

 

「……いいよ」

「え? あ、はい?」

 

「『許す』って言ったんだよ。ティアが根は悪いやつじゃないってのは分かってるつもりだ」

「流石ね、ルーク。ほんの少し見直したわ」

 

「いや、だからなんでそんなに上から目線なんですかティアさん…」

 

 力なく肩を落とすセレニィを微笑ましく眺めながら、しかし、ルークは一つ咳払いをする。

 

「ただし、条件がある」

「あ、はい…(なんだろ? 『条件… それは貴様が死ぬことだ!』とか、ないよね?)」

 

「最低ね、ルーク。……私はともかくセレニィには指一本触れさせないわ」

「むしろその発想が出てくるティアさんにびっくりですよ…」

 

「ティア、うるさい。……俺を『様』付けで呼ばないこと。俺たち4人は『仲間』なんだろ?」

 

 ルークが笑いかければ、ミュウが「ですのー! 仲間ですのー!」と喜びはしゃぎだす。

 困ったような表情を浮かべるセレニィに、「強制はしたくないが… どうだ?」と再度問う。

 

 そして、セレニィは…

 

「(どうする? でも恐れ多いって辞退したら自動的にソロ前衛だよね? ルーク様貴族だし)」

 

 脳内で算盤を弾いていた。友情や仲間意識ですらもこの屑にとってはリソースに過ぎない。

 

 このタルタロスで最後まで送られることを知らないため、戦闘での立ち回りを計算する。

 雑魚にとって、戦闘での役割関連は最大の懸念事項なので仕方ないといえば仕方ないだろう。

 

「(ティアさんなんだかんだ言って意地でも前衛に立たないから… うん、ここは頷くべきか)」

 

 計算完了。

 

 もちろん感動したような表情を作るのは忘れない。

 

「そんな… よろしいのですか? 私は何処の者とも分からぬ得体の知れない存在で…」

「だー! もう、ゴチャゴチャうっせーな! 俺が良いって言ってんだ! 黙って頷けよ!」

 

「は、はい! ありがとうございます!(クックックッ… コイツら、チョロい!)」

 

 笑顔の裏に邪悪な思考が潜んでいる。屑にとっては殊更特筆には値しないただの日常である。

 

 そこに声がかけられる。

 

「ご歓談中失礼します。自分はトニー二等兵であります」

「あ、はい。……こちらこそ医務室でお騒がせして申し訳ありません」

 

「いえ、復調されたようで何よりであります」

 

 まだ新人なのだろう。

 かすかに緊張を滲ませた若い兵士が、敬礼の姿勢のまま直立不動でそこに立っていた。

 

 こちらに声をかけたということは何かの用なのだろうか?

 

「ありがとうございます。してトニーさん、何か御用でしょうか?」

「はっ! この度、ジェイド・カーティス師団長より皆様の護衛を仰せつかりました!」

 

「なるほどな。よろしくな、トニー」

「はっ! 部屋まで案内するよう命じられておりますが、お加減はいかがでしょうか?」

 

「私は大丈夫です。……みなさんが良ければ部屋に戻りましょうか?」

 

 ルークとティア、ミュウにも異論はない。セレニィはブーツを履くと、ベッドから離れた。

 少し離れて様子を見ていた軍医に改めて頭を下げる。

 

「どうもすみません。この度は大変お世話になりました」

「いやいや、あまりここに来ることがないようにね。……そうだ、ちょっと待ちなさい」

 

「……?」

 

 そう言って棚に向かって何かを取り出す軍医。

 そして戻ってくると、怪訝な表情で待っていたセレニィにそれを握らせた。

 

 なんだろ、これ… 錠剤の詰まった瓶?

 

「毎食後に水と一緒に飲みなさい。量は渡したくなかったが… 君は苦労性のようだからね」

「あ、胃薬… どうもありがとうございます」

 

「君が治すべき持病は『お人好し』と『お節介』だ。これで分からなければ付ける薬はないね」

 

 軽く肩を竦めると軍医は、書類仕事にとりかかった。

 勝手に帰れということだろう。

 

 はてさて… お人好し? お節介? どうもまた妙な誤解を受けている気がする。

 訂正するだけ無駄なのはティアの件で学習済みだが、居心地はよろしくない。

 

 ともあれセレニィは胃薬という心強い味方を手に入れた。

 ひょっとしたらティアの回復譜術より活躍の機会が多いかもしれない。

 

「(苦労性というか、厄ネタが大挙して襲いかかってくるというか… ハハッ、ワロス)」

 

 いかんいかん。深く考えないでおこう。早速使うことになってしまわないように。

 そう内心で呟きつつトニー二等兵の案内のもと、廊下を歩いていると…

 

 けたたましい警告音が艦内に響き渡った。

 

「この音は一体…」

「どうやら何らかの異常が発生したようです。……ひとまず部屋まで急ぎましょう」

 

「あ、はい!」

 

 ティアの疑問に答えると、トニー二等兵は小走りで廊下を先導する。それに続く一同。

 

 間も無く、戦闘が始まろうとしていた。



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30.人質

 ルークら一行はトニー二等兵を先頭に、与えられた部屋へと小走りに向かっている。

 

『前方20キロに魔物の大群を確認。総員第一戦闘配備につけ! 繰り返す! ………』

 

 艦内音声が響き渡る。……と、同時にタルタロス内が物々しくも慌ただしい空気となる。

 どうやら何か良からぬことが起ころうとしているようだ。不安を覚えたルークが声を発する。

 

「ど、どういうことだよ… たかが魔物だろ? だってのに、この空気は」

「魔物は本来統率された行動を取らない。裏があろうとなかろうと警戒に越したことはないわ」

 

「彼女の仰るとおりです。ですがご安心を… 我々が対処してすぐに安全を確保しますので」

 

 ティアの説明と推論を、トニー二等兵は精一杯の強がりを以って安全を強調しつつ肯定する。

 その言葉に完全に納得したわけもないが、信じるしかないと判断したルークは無言で従う。

 進む順番はトニー二等兵、ルーク、ティア、それに少し離れてセレニィとミュウとなっている。

 

 セレニィの位置であるが、仲間たちのため進んで殿(しんがり)の任を受け持ったというわけではない。

 その逆、いつもどおりの自己保身でしかない。戦場からできるだけ自分を遠ざけたいのだ。

 こんな非常時だというのに… いや、非常時だからこそ自分一人だけ安全を確保しようとする。

 

「(前衛にトニーさんとルーク様がいるのなら… 前は任せて、こっちは最後尾でいいよね!)」

 

 まさに屑の鑑である。

 と、その時…

 

 艦内に轟音が鳴り響き、タルタロスが大きな揺れと共に船体を傾けその動きを停止させた。

 当然というべきか、目方の軽いセレニィは大きくバランスを崩し転んでいきそうになる。

 助けを求めて虚空に手を伸ばすも誰も気付かない。そのままの姿勢でゆっくり傾いていき…

 

「セ、セレニィさん! 傾いてるですのー!」

「わっとととと… ちょ、転ぶ転わぷっ」

 

「おっと」

 

 だが、すんでのところで別の角から伸びてきた力強い腕によって抱きとめられ事無きを得た。

 見上げてみれば、そこにいたのは大鎌のような武器を携えた身長2mを優に超える偉丈夫。

 

「……大事ないか?」

「あ、はい。どこのどなたかは存じませんが、おかげさまで助かりました」

 

「気にするな。こちらにも都合あってのことだ」

 

 男はそのまま左手でセレニィの襟首を掴み、まるで手荷物か何かのように軽々と持ち上げる。

 うわぁい、景色が高いなー… などと楽しむ心の余裕もありはしない。猛烈に嫌な予感がする。

 

「あ、あれ? あれれー?」

「命が惜しければ不用意に騒ぐな。それを守れば事が終われば解放してやる… いいな?」

 

「……アッハイ」

 

 ミュウと揃ってコクコク頷く。

 

 男の部下たちとともに先頭集団をそのまま静かに追跡すること暫し…

 通路の向かい側からこちらに近づいてくるジェイドの姿が見えた。

 

 ルークたちは安堵の表情で彼に近寄る。セレニィは絶望に満ちた笑顔しか浮かべられない。

 

「師団長! ご無事でしたか!」

「ジェイド、イオンたちはッ!?」

 

「おや、みなさんお揃いで。ご無事で何より… というわけでもなさそうですね」

 

 ルークたちの背後に迫る存在を視認するや否や、何処(いずこ)からもなく取り出した槍を構える。

 

「ふむ、導師イオンが何処(いずこ)におわすか… それはこちらも是非聞きたいところだな」

 

 ジェイドの発するプレッシャーに怯む気配すら見せず、その男はさらに一歩前へと進み出る。

 ……セレニィをまるで猫のように宙吊りに持ち上げたまま。

 

「なっ、いつの間に…」

「セレニィ!?」

 

「え、えへへー… 捕まっちゃいましたー…」

 

 ミュウを抱えたまま器用にエヘ顔ダブルピースをしてみせるセレニィ。

 

 今ここに『THE☆足手まとい』が誕生した。

 

 

 

 ――

 

 

 

 タルタロスの通路内で、ジェイドと巨漢の男が互いの得物を構えて睨み合っている。

 

「流石だな… 体術は本業でなかろうに、その立ち居振る舞いにまるで隙が見られん」

「『神託の盾(オラクル)騎士団』が誇る六神将“黒獅子”ラルゴにそう言われるとは光栄ですね」

 

「だが人質の命が惜しくば大人しくしてもらおう。……よもや卑怯だとは言うまいな?」

 

 そう言って巨漢の男… ラルゴは囚えていたセレニィの首元へと鎌を近づける。

 

 ジェイド以外の者達は一斉に悲鳴を上げ、口々にその卑劣な行為を罵る。

 概ね予想通りの反応だ。だが、気になるのが当の本人たるジェイドと少女の反応だ。

 

 ジェイドは呆れたように溜息を吐き、少女は表情を消したまま沈黙を保っている。

 

「何か勘違いをしているようですが… ラルゴ、その少女は人質になりませんよ」

「ですよねー…」

 

「なんだと! 貴様、ハッタリは… いや、『死霊使い(ネクロマンサー)』という噂が事実なれば…」

 

 少女をあっさり見捨てるほど情をなくしてはいないと思いたいが…

 

 戦乱のたびに(むくろ)を漁るという噂がまことしやかに流れるのが、眼前の男・ジェイドである。

 人質の少女の諦めきった態度から、人の倫理観が通用しないのではないかと思えてくる。

 

「(やっぱり見捨てられた…)」

 

 屑は諦めていた。

 

 自分がジェイドの立場だったら、足手まといは100%確実に見捨てるからである。

 ドSが不利を承知で助けようとしてくれるはずがない。そう確信していた。

 

 あぁ… こんなことになるなら、顔を合わせた瞬間にミュウ投げつけて逃げればよかった。

 そんなことを考えながら涙を流すあたり、屑はどこまでいっても屑である。決してブレない。

 

 ジェイドの態度とセレニィの涙に動揺するのは、むしろラルゴの方である。

 武人として多少は手を汚そうとも、幼い少女を喜んで殺す趣味など無い。

 人質として使わせてもらった後は、適当なところで解放してやろうとすら思っていたのだ。

 

 ラルゴの中に迷いが生まれたと看破するやジェイドの動きは早かった。

 ルークに何事か耳打ちし、今にも暴れだしそうなティアをトニー二等兵と二人で抑えさせる。

 そして囚われのセレニィに気楽な声音で呼びかける。

 

「セレニィ、私はともかくラルゴは高潔なる武人です。……貴女のがんばりどころでは?」

 

「……はい?」

「『助かりたくば自分で彼を説得しろ』ということですよ。私はどちらでも構いませんから」

 

 笑顔で「顔見知りの(よしみ)ですし、せめて説得中は待ってあげますから」とか(うそぶ)いている。

 

 このドS、この局面をセレニィに丸投げする気満々である。

 その意図に気付いたセレニィがサッと顔を青褪めさせる。もはや、なりふり構っていられない。

 

 屑の決死の説得大作戦が開始した。

 

 汝、胃薬の貯蔵は充分か?

 

 そんな天の声を感じつつ、絶対保身するマンは口を開く。……過去最高レベルの本気度で。

 

「ラルゴさん、ラルゴさん… あのドS、ああ言ってますけど…」

 

「むぅ… しかしだな、オマエを解放させるための方便ではないとは言い切れまい?」

定石(セオリー)では確かにそうでしょう。ですが、もう一度だけドSの顔を確認して下さい」

 

 二人がかりでの抑えこみすら跳ね除けようとするティア… ではなく、ジェイドを見遣る。

 その笑顔は一点の曇りもなく、まるで春の木漏れ日のような爽やかさすら感じさせたという。

 

 流石のラルゴも無言で渋面を作った。

 

「ね? 見ました? ……まぁ、仮に彼が抵抗するなりして私が死んだとしましょうか」

「オマエにとっては縁起でもない例えだが… それで?」

 

「箪笥の角にぶつけた足の小指ほどの痛みも感じませんよ、絶対。賭けてもいいです、マジで」

「いや、流石にそれは…」

 

「『尊い犠牲でした。それはそれとして艦橋(ブリッジ)と連絡を取りましょう』とか言いそうでしょ?」

 

 セレニィの言葉にジェイドの笑顔がますます深まる。

 屑は目の前の死亡フラグを避けるのに必死で後のことを考えてないのだ。

 

 どうやらドSが執念深いことは学習できていなかったようである。

 

「……否定はできんな。しかし、それでオマエを解放する理由にはなるまい」

「えぇ、そうでしょう。人質に使えなくても手放す理由にはなりませんよね? 分かります」

 

「分かっているではないか。ならば」

「ですが冷静に考えて下さい、ラルゴさん。私を持っていてなんに使えるでしょうか?」

 

「………」

「えぇ、分かります。見せしめとか攻撃への盾とかが精々でしょうね。無論、分かりますとも」

 

「そこまでは… いや、そうだな。確かに最悪そういう可能性もある」

 

 セレニィの舌鋒は止まるところを知らない。そしてその成果は徐々に表れ始めていた。

 死の恐怖に突き動かされた彼女が、限界以上の口車を可能にしているのだ。

 

 ルークやティアは言うに及ばず、トニー二等兵まで半分信じ始めているのが弊害だが。

 味方をも巻き込むあの口先、ジェイドは半ば本気でラルゴごと攻撃しようかと思い始めている。

 

 笑顔のまま。

 

 セレニィは一瞬寒気を感じるが、ここが勝負のしどころと畳み掛ける。

 

「ですがラルゴさん、あのドSの譜術は洒落になりません。こんな貧弱な盾じゃ無意味です」

「『死霊使い(ネクロマンサー)』の譜術の腕前は聞き及んでいる。しかしながら、噂には尾鰭が付くものだ」

 

「チラッと見ましたが、文字通り消し飛ぶほどの威力ですよ。お荷物抱えながら戦えますか?」

「ふぅむ… 確かに万全とは程遠い戦いになるか。しかし逆境を制してこその戦働きよ」

 

「待ち焦がれた最強の敵との戦いがそれで、武人としてのあなた自身は満足なんですか!?」

「ですの!?」

 

「むむむ…」

 

 ビシッとミュウと揃って指を突き付ける。

 ラルゴは感じ入るところがあったのか、その言葉を前に考え込んでいる。

 よし、ここで最後の仕上げだ。屑は内心で腕捲りする。

 

 しかし… それより先に他ならぬラルゴが口を開く。

 

「ククク… フハハハハハハ! 良かろう。今回は敢えてその口車に乗ってやろう!」

「た、隊長ッ!?」

 

「何も言うな。……それともオマエたち、この“黒獅子”ラルゴの勝利が信じられぬか?」

 

 静止しようとした部下を逆に制しつつ、ラルゴはセレニィを放り投げる。

 尻餅をつく彼女を余所に、“黒獅子”は凶悪な笑みとともに覇気を漲らせ己の武器を構える。

 

 戦場で無敵を誇った隊長の姿を前に、部下たちも諌める言葉を失うと笑みを浮かべる。

 

「戦場にて搦め手は否定せぬが、かような強敵は正面から討ち取ってこそよ」

「やれやれ… 本気の黒獅子が相手ですか。セレニィをけしかけたのが仇になりましたかねぇ」

 

「抜かせ。それとも敵わぬと見て降伏でもしてくれるのか? だとすれば大層興醒めだな」

神託の盾(オラクル)騎士団ではジョークの訓練も盛んなようで。まさか格下相手に降伏しろなどとは」

 

「その軽口の代償は高く付くぞ? 格下かどうか己自身の身体でとくと確かめてみよ!」

 

 ラルゴの一撃必殺の上段の構えに対して、ジェイドはカウンター狙いの下段の構えか。

 動きがないように見えて互いにジリジリと動くことで、牽制を繰り返している。

 二人の一瞬の隙も見逃さぬ張り詰めた気が周囲に伝播し、通路にいる者は息苦しさを覚える。

 

 ルークもトニー二等兵も今はティアの拘束を解いて、その「静の攻防」に見入っている。

 

 集中力を失って僅かでも先に隙を作ったほうが負ける。その戦いの中で先に隙を作ったのは…

 

「ミュウファイア」

「ですの!」

 

「むおっ!?」

 

 恩を仇で返す屑に背後より攻撃されたラルゴであった。

 その隙を見逃すジェイドではない。(あやま)たず間合いを詰め、槍をラルゴに向けて一閃する。

 

 隊長のまさかの破れ様に動揺する部下たちは、声を発することもなく倒れ伏す。

 ティアの眠りの譜歌・ナイトメアが炸裂したのだ。……流れるように見事な外道の勝利である。

 

 尻餅をついたままのセレニィにジェイドが声をかける。

 

「セレニィ、中々に見事な手並みでしたよ」

「……あ、決闘を邪魔したとかで怒ることはないんですね? 良かったです」

 

「何故です? 私は夢想家(ロマンチスト)ではありません。そんなものは犬にでも食わせればよいのですよ」

 

 ドSは爽やかに微笑むと、槍に付着した血を払い先に進む。

 

「さて、それはそれとして司令部を取り戻しましょうか」

 

 ルークとティア、トニー二等兵がそれに続く。……あとにはセレニィとミュウが残された。

 這うようにしてラルゴのもとに近付き、その口元にそっと手を当てる。

 

「良かった… 息がある」

 

 ホッと安堵の溜息を漏らす。

 流石にあれだけ煽っておいて、あんな死に方をさせたら気の毒に過ぎる。

 

 だから小刻みに震えているこの身体はただの気のせいだ。

 命のやり取りなんて今まで魔物相手に何度もしてきただろう… そう言い聞かせる。

 

「おーい、セレニィ! ミュウ! ちゃんと付いてこないと危ないぞー!」

 

「あ、はーい!」

「すぐいくですのー! さ、セレニィさん」

 

 心配になったのかルークの呼ぶ声が聞こえる。

 

 ミュウに促されたセレニィはポケットからアップルグミを取り出し、ラルゴの口に捻じ込む。

 そして震える足を叱咤して立ち上がると、ルークたちの後を追って駆け出した。

 

 

 

 ――

 

 

 

 セレニィとミュウすら立ち去って誰もいなくなった今、もはやその場に動く者はいない。

 

 ……はずであった。

 

「ふむ、止めを刺そうと近寄る者がいれば逆に捕まえる気でいたが… これはグミか」

 

 ラルゴである。

 彼は己の敗北を悟ると同時に、敢えて己の死を演出し乾坤一擲の逆転の可能性に賭けたのだ。

 

 敵の油断を誘い、あわよくばその喉笛を掻き切れるようにと。

 

 だがその策は不発。

 それどころか己が人質にとっていた少女によって、グミを口に放り込まれる始末。

 

「これが笑わずにいられようか… 全く、してやられたわ。言い訳の余地なく俺の過失だな」

 

 戦場での搦手を否定しないと言ったのは己自身だ。

 まして人質を最初に使ったのも己自身だ。

 『死霊使い』に目を奪われ、それのみに集中してしまったことにこそ落ち度がある。

 

 グミの効果で傷は塞がりつつある。しかし、この深手では追跡は難しい… か。

 仕方あるまい、決着は次回に持ち越しだ。今日のところは素直に負けを認めるとしよう。

 

「さて、リグレットやアッシュめは容赦というものがないが… 精々死ぬなよ? 小娘」

 

 未だ眠りの中にある部下たちを二人まとめて担ぎつつ、“黒獅子”は帰還の途につくのであった。



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31.恐怖

 未だに幾つかの小競り合いに包まれる艦内を、一行は走る。真っ直ぐ艦橋(ブリッジ)へと向かって。

 

 ちなみに今度はセレニィは中衛に入り込んでいる。学習している。

 だが帰りたいと心から思っている。絶対保身するマン的にチキンな心は直せない。

 

 足取りはフワフワして、まるで泥の中を進んでいるかのように実感というものがない。

 ただ身体を縮こまらせて、機械的に足を前後して前に進んでいるだけだ。

 

 怯えてる? これまでこの世界で幾らでも命の危機に見舞われてきたはずだ。

 なのに何故今更怯える? 自問自答の世界では、答えてくれる者は誰もいない。

 

 彼女の懊悩(おうのう)を余所に事態は進む。

 遭遇したそれら全ての小競り合いを自慢の譜術で鎮圧しつつ、ジェイドは部下らに指示を出す。

 

「タルタロスは放棄します。貴方がたはエンゲーブかセントビナーに走りなさい」

「ハッ! しかし、師団長はいかがされるのですか!?」

 

「私は艦橋(ブリッジ)に。そこにいらっしゃるか分かりませんが、イオン様はお救いせねばなりません」

「そんな、危険です! ならば我々も…」

 

「いけません。……貴方がたの命は外交上、大きな手札となります」

「………」

 

「なんとしても生き延びて、鳩で帝都に事の次第を報告するのです。重要な任務ですよ?」

 

 そう言って部下の背を押して下がらせる。

 無論「同じ境遇の仲間を発見次第、委細伝え同様に行動させるように」と告げるのも忘れない。

 

 ジェイドは一連の教団の行動について分析する。

 

 奇襲により尽く命を奪い同時に口封じとする… 『死人に口無し』、その言葉は真理だろう。

 ならば生者の口の恐ろしさ、後々存分に味わうと良い。

 

「(警告もなく襲いかかり、大勢の部下の命を奪った罪業… たっぷり(あがな)わせてやりますよ)」

 

 静かに教団への怒りを募らせるジェイドに対して、セレニィが恐る恐る声をかける。

 

「あの、ジェイドさん… ちょっとよろしいですか」

「おやセレニィ、一体何でしょう?」

 

「ルークさ… んは貴人ですよね。部下の方たちと一緒に下がらせなくて良いんですか?」

「……あまり言いたくはありませんが、彼らの生存率は恐らく2割を下回るでしょう」

 

「にわ…っ」

「私が攻める側なら内外部の包囲封鎖をしない筈がない。それを突破せよということですから」

 

「………」

 

 セレニィは絶句する。

 普通に考えれば詰んでいる状況。ジェイドの傍にいたほうが余程安全ということになるのだ。

 泣きたくなった。……あわよくばルークと一緒に脱出しようとしていたのに。

 

 そんなセレニィの思考が手に取るように理解できたジェイドは、苦笑いを浮かべつつ口を開く。

 

艦橋(ブリッジ)にイオン様がいらっしゃならければ脱出を優先させましょう。それまでの辛抱ですよ」

 

「……は、はい」

「頑張りましょう、セレニィ。私たちがついているわ」

 

 セレニィとてイオン救出の重要性は理解できる。なので、それ以上は何も言えない。

 

 露骨に落ち込んだセレニィの頭を、ティアがそっと撫でる。

 エキセントリックな思考の持ち主だが、こういう状況では常人よりも肝が座っているようだ。

 

「(いつも残念なティアさんが今日は凄く頼もしく見える。……三日位の付き合いだけど)」

 

 優しい眼差しで頭を撫でてくるティアを見て、セレニィは思う。

 気のせいかも知れないが。

 

「(フフッ… セレニィ可愛い。今日は黙って撫でさせてくれるセレニィ可愛すぎるわ)」

 

 気のせいだった。

 

「と、とにかくさっさと行こーぜ。イオンとアニス助けて、こんなトコとっととオサラバだ」

 

「……『こんなトコ』とは言ってくれますねぇ。とはいえ、概ね同感です… 行きましょうか」

「ですの!」

 

 戦場となった艦内の空気に若干の恐怖を覚えつつ、手早く終わらせたいルークが口を開く。

 ジェイドとミュウがそれに追従する。

 

 ルークとジェイドをトニー二等兵が先導し、セレニィとティアがそれに続く。

 

「ちょ、ちょっと待って下さいー!」

「セレニィ、あまり急いで転ばないようにね? そうだ、私と手をつなぐのはどうかしら」

 

「ミュウさん、つなぎたいですか?」

「べつに、ですの」

 

「ですよねー…」

 

 ロン毛片目隠し変態さんの言葉を華麗にスルーしつつ、一行は急いで艦橋(ブリッジ)を目指すのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 大きな抵抗もなく艦橋(ブリッジ)前に到着した一行。

 というより散発的な抵抗は全てジェイドが譜術で吹き飛ばしつつ、制圧前進しただけなのだが。

 

 譜術を受けて倒れた敵兵から発せられる、肉の焦げる匂いに青褪めるルークとセレニィ。

 その様子を横目で確認しながら、ジェイドは口を開いた。

 

艦橋(ブリッジ)では大きな抵抗が予想されます。トニー二等兵、ティア、付き合ってもらいますよ?」

 

「ハッ! 承知の上であります!」

「無論です、大佐。……教団員の乱暴狼藉、同じ教団員として私がしっかりと正します」

 

「ちょ、ちょっと待てよ… 俺たちは?」

「ルークとセレニィには外の見張りをお願いします。何かあれば大声で呼んで下さい」

 

「………」

 

 ジェイドなりの気遣いではあるのだが、彼らは言外に足手まといだと告げられたと感じた。

 しかしそれを撥ね退けるだけの気概が残っているわけでもなく、結局指示に従うこととなる。

 

 後に残ったの彼らへの不満と限りない無力感と、僅かばかりの自己嫌悪。

 ……驚くべきことに、ルークだけでなくセレニィすらそれを同様に感じていた。

 

「………」

「………」

 

 両者ともに浮かぬ顔で艦橋(ブリッジ)前の扉両脇を固めている。

 今にも溜息が漏れそうな陰鬱な表情だ。

 

「……ん?」

「セレニィさん、危ないですの!」

 

 やがてどちらともなく言葉を交わそうとした時、セレニィが自分に差す陰に気付く。

 

 ミュウの注意を受け弾けるように身体が動き、前に向かって転がり込む。

 直後に背中の方から聞こえてくる大きな風切り音。

 

「フーーー… フーーーー… せめて、せめて一人でも多く、道連れを…!」

 

「な、な… なっ!?」

「セ、セレニィ!」

 

 いつの間に近付いたのか、血塗れの教団兵が鬼気迫る表情で剣を握って立っていた。

 

 ジェイドの譜術を受け、即死は免れたものの彼はもう永くはないだろう。

 “なのに、何故?” いや、“だからこそ”なのかもしれない。

 もう目もロクに見えないのか、ルークの存在を無視してひたすらにセレニィを標的とする。

 

 二度、三度、剣を振るってくるソレを、走って、転んで、運も絡んでなんとかかわし続ける。

 中々に悪運が強い。

 ……髪には何度となく掠めているが。

 

「ひっ… はっ、はぁ…!」

 

「クソッ、なんで逃げやがる! 俺が死んでおまえが死なないなんて、不公平だろうがッ!」

「はぁ、はぁ…(そ、そんなこと言われても… そうだ! 大声! 助けを呼ぶんだ!)」

 

 だが、喉が張り付いたように声が出せない。それどころか足が震えてまともに動かない。

 

「セレニィさん、動かないと危ないですの!」

「わ、わかって…(なんで! なんでなんでなんでなんで…!?)」

 

「セレニィさん!?」

 

 セレニィ本人は気付いてないが、彼女が常ならぬ怯えを見せていた原因…

 それはこの世界に来てから初めて、同じ人間からの殺意を感じたことによるものであった。

 

 敵が… 瀕死の教団兵が足を引き摺りながら、ゆっくりと近付いてくる。

 声が出ないなら、動けないなら… 戦うしかないと苦し紛れに手にした棒を突き出す。

 

 しかし、それすらもあっさりと切り払われて棒は真っ二つにされてしまう。

 

 絶望の表情を浮かべ、尻餅をついた姿勢でジリジリと下がっていくセレニィ。

 そしてそれを一歩ずつ追い詰める教団兵。

 

「あわっ!? か、壁…」

「行き止まりだ… 覚悟しろ」

 

「あわわわわわわわわ…」

 

 ついには壁に追い詰められるセレニィ。

 震える身体でミュウを抱き締める。

 教団兵は動けなくなった彼女を前に、剣を両手に持って振りかぶる。

 

「……あばよ。俺もすぐに逝く」

 

「はぁ、はぁ…(死ぬ? 死ぬの? こんなところであっさり? 雑魚には似合いだけど…)」

「………」

 

 だが、その刃がセレニィに触れることはなかった。

 

「ゴ… グ、ガハッ!」

 

「セレニィに… 手を出すんじゃねぇ!」

「く、そ… こんな、ところで…」

 

 教団兵の胸から人の血を吸った刃が伸びていた。

 ルークが背後から彼を刺したのだ。

 剣を引き抜けば、力を失った教団兵は胸から鮮血を溢れさせながらセレニィへと倒れこんだ。

 

「あぎゃああああああああ!?」

「セレニィさん! しっかりするのですの… セレニィさん!?」

 

「お、俺が… 殺した? 俺の、せいで… ぐ、うっ!」

 

 血塗れの遺体にのしかかられ発狂せんばかりに絶叫するセレニィ。

 彼女と彼女に声をかけるミュウを余所に、頭痛とともに呆然と剣を取り落とすルーク。

 

 ……そんな隙だらけの彼らを、新たに忍び寄る影たちが見逃すはずもなかった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 セレニィの絶叫を聞いて慌ててブリッジから戻ったジェイドらが見たものは…

 

「みゅう… セレニィさん、ルークさん… しっかりですの!」

 

「………」

「ふむ… 一手遅かったようだな、『死霊使い(ネクロマンサー)』。……チェックメイトとさせてもらおう」

 

 譜術の攻撃を受けたのか傷だらけになって気を失って囚われているルークとセレニィ。

 そして、気絶したセレニィに縋り付いて鳴いているミュウの姿であった。

 

 セレニィを囚えている女性の姿に、ティアは震えた声を絞り出す。

 

「き、教官… 何故ここに…?」

「ティア、『何故ここに』と聞きたいのは私の方よ。……まぁいいわ、大人しく降伏なさい」

 

「……ッ!」

「ティア、貴女の知り合いですか?」

 

「六神将が一人、“魔弾”のリグレット。ヴァンの、兄の副官にして私の教官… でした」

 

 ジェイドの問いかけに対して辛そうに絞りだすティア。

 かつての教官がセレニィを人質にしてこちらを脅している事実に思うところがあるのだろう。

 

 となれば、もう一人… ルークに刃を向けている男も恐らくは六神将。

 風貌から察するに特務師団長の“鮮血”のアッシュか。

 

「(しかしルークに似ている… いや、『似すぎている』。これは、まさか…)」

 

 あまりに似すぎた二人の容貌から、「ある技術」のことを頭に思い浮かべる。

 自身に関わり深い、禁忌とされた技術について考えるもそれは一瞬。

 

 すぐに頭から過去の記憶を追い出して、目の前の事態について思考を巡らせる。

 

 全く、タルタロスの攻略のためとはいえ六神将が3人も揃い踏みとは豪勢なことだ。

 あるいは、それ以上いるのかもしれないが… ジェイドは内心で溜息を吐く。

 

「さて、問答をするつもりはない。ただちに武器を捨てて降伏しろ、『死霊使い(ネクロマンサー)』」

「大人しく降伏したところでその末路は死あるのみでしょう。私が素直に従うとでも?」

 

「問答をするつもりはないと言った。人質は二人いる… 一人減らしてやろうか?」

 

 そう言ってセレニィに向けた譜銃… 譜術の力を撃ち出す兵器の安全装置を解除する。

 

 ルークもセレニィを気を失っている以上、ラルゴの時のような逆転をすることは出来ない。

 

 かといって譜術を使うわけにもいかない。

 六神将を相手に人質を避けて攻撃するなど、いかな天才・ジェイドといえども到底不可能だ。

 

「師団長… 自分は一体どうすれば…」

「大佐… どうか、お願いします。セレニィとルークを…」

 

 キムラスカとの和平のためには万が一にもルークを失うようなことはあってはならない。

 それに、散々こちらのむちゃ振りに応えてきたセレニィを見捨てるのも後味が悪い。

 

 これも已む無しか… トニー二等兵とティアの縋るような視線に頷くと、彼は降伏を決意した。

 

「……仕方ありませんね、武器を捨て降伏します。お手柔らかにお願いしますよ?」

 

「善処しよう。貴様が余計なことをしなければ、だがな。……捕らえよ!」

「ハッ!」

 

 リグレットが合図をすると彼女の部下がジェイドたちを捕らえ、牢へと連行するのであった。



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32.覚悟

 ここはタルタロス内の牢屋の中。

 ジェイド、ティア、トニー二等兵、ミュウ… そしてセレニィとルークが詰められている。

 セレニィは程なく目覚めたもののルークは未だ夢の中である。

 

 ……なんかたまにうなされてるし、見ている夢は悪夢かも知れないが。

 

「なんか、その… 色々とすみませんでした…」

 

「いえ。こちらもまさか敵が艦橋(ブリッジ)を空けているとはね… まぁ、間が悪かったのでしょう」

「流石に六神将に2人がかりで攻められたら、対抗できなくても無理もないわ」

 

 今にも消えそうなほどの表情で頭を下げるセレニィ。ここ最近、足を引っ張りっぱなしだ。

 

 とはいえ、状況が状況である。

 六神将二人がかりに奇襲されたとあれば、対抗できる者などジェイドくらいのものだろう。

 ジェイドもティアも目論見が外れた不運を呪えど、セレニィを責めるつもりはなかった。

 

 まぁ実際は瀕死の敵兵に止め刺してテンパってたところを横っ面殴られただけなんですが。

 

 しかも敵を倒してくれたのはルークだ。自分は足手まといよろしく逃げ惑っただけなのだ。

 絶対保身するマン的にこの事実は、知られたら捨てられかねないスキャンダルと言える。

 ことの真相は誰にも知られることのないように、墓まで持って行こうと心に誓うのであった。

 

 これ以上この話題を続ければ藪蛇になりかねないので、セレニィはさり気なく話題を変える。

 

「イオン様ちょうど艦内にいなかったみたいですしねー。これからどうなるんでしょう?」

「『どうなるか』より、『どうするか』を考えましょう。受け身の者に運命は拓けませんよ」

 

「おや? ってことは、ここから脱出する手立てがあるんですね。流石はジェイドさん!」

「さすがですの、ジェイドさん!」

 

「そうなんですか、大佐?」

「えぇ。このタルタロスには、緊急時に備えた『仕掛け』もいくつか用意してありましてね」

 

 教団兵の話を盗み聴くところによれば、イオンはある役目のために艦内を離れていたようだ。

 

 とはいえ囚われの身である以上、出来ることなど限られている。運命を待つしかない。

 そうセレニィが漏らせばジェイドは脱出への秘策の存在を明らかにした。(にわか)に活気づく牢内。

 誰かに寄生しないと生きていけないセレニィは、勿論ジェイドをヨイショするのを忘れない。

 

 ジェイドのその言葉にトニー二等兵が得心がいったように頷いた。

 

「なるほど… 例の『アレ』を使われるのですね? 自分も存在だけは耳にしております」

「そういうことです。イオン様を救出できるよう、タイミングを合わせる必要がありますが」

 

「う、うーーーーん…」

 

 そこに苦しそうなルークのうめき声が聞こえてくる。

 

「話の続きはルークが目覚めてからにしましょう。彼の意向も確認する必要があります」

「ですね(実質選択肢ないんですけどねー… この人、意地悪な質問するの好きだなー…)」

 

「わかりました。大佐を信じます」

「師団長の命のままに」

 

「まぁ、それはともかく… ルーク様がしんどそうなんでちょっと起こしてきますね」

 

 流石にうなされ続けて可哀想なので、セレニィはルークを揺り起こすことにした。

 奥の壁に設置された備え付きのベッドに向かい、そこに寝かされているルークを揺さぶる。

 

「おーい、ルーク様ー。朝… かどうか分かりませんけど、起きましょうよー」

 

「うーん… うーん… 声、声が…」

「起きてもロクでもない現実が待ってますけど、うなされたままよりは多分マシですよー」

 

「ですのー」

 

 今は多少なりとも落ち着いているとはいえ、いずれは自分もうなされてしまうのだろうか?

 

 なんだかゾッとしない。確かに死ななければ安いものだし実際に手を下したわけでもない。

 だが、敵相手とはいえ人を刺し殺す羽目になったルークの心痛たるや察するに余りある。

 それも、無様に逃げ惑っていた自分を助けるためにやってくれたことだ。罪悪感がマッハだ。

 

 せめて戦場に文句言わずに立つくらいはしないとなー。でないと生き延びられないわけだし。

 

 本当は泣き出して逃げ出したい気持ちもあるが、そんなことしても自分の首を絞めるだけ。

 そう、駄々をこねても状況が改善するわけでもない。捨てられる可能性が高まるだけだ。

 覚悟なんて更々ないが、あるように見せかけて同行することしか出来ない。雑魚なのだから。

 

 セレニィがそんなことを考えつつルークを揺さぶっていると、ルークに目覚めの兆しが訪れた。

 

「う、うーん… ここは?」

「あ、お目覚めですか? タルタロスの牢屋内みたいですよ、ルークさん」

 

「その声はセレニィか… って、うわぁああああああああ!?」

 

 寝ぼけ眼でセレニィの声がする方を向いたルークであったが、悲鳴をあげて壁際へと後退る。

 

「あー… そういえば私の服、すごいことになってたんでしたっけ…」

「セレニィさん、全体的に赤黒いですのー」

 

「……ミュウさんも赤黒いですけどね」

「セ、セレニィ… で、いいんだよな?」

 

 真っ白だった上着や白銀の髪は教団兵の血に塗れ、赤黒い模様がベッタリと付着していた。

 なんとかしたかったが、ロクに拭くものなどありはしない牢内では対処のしようもない。

 せめて上着を捨てて肌着姿になろうとすればティアとトニー二等兵に慌てて止められる始末。

 

 止められてしまっては手の施しようもなく、結局そのまま放置して今に至るというわけだ。

 セレニィに抱きかかえられていたミュウにもまた同様に赤黒い模様が毛皮に浮いていた。

 そんな二人を寝起きに目にしてしまえば、確かにホラーであろう。ルークには心底同情する。

 

「な、なんかすみません…」

「い、いや… こっちこそ大声出してすまなかった。……おかげで目が覚めたよ」

 

「フフッ… すっきり目が覚めたようですね、ルーク」

「大佐… 知ってて止めなかったんですか?」

 

「まぁ、これで話に入るのが早くなりますからねぇ。それ以外の意図はありませんとも」

 

 爽やかな笑みを浮かべるジェイドに対して、呆れたような表情で溜息を吐くティア。

 

 ジェイドのドSは今に始まったことじゃない。反応すれば喜ばせるだけ。スルー安定だ。

 そう考えたセレニィはジェイドを無視して、苦笑いを浮かべつつルークに語りかける。

 

「えと、そろそろここを脱出するみたいですけど… 大丈夫ですか? 体調とか気分とか」

「……あんまへーきじゃねーけど、なんとか。……脱出って、どうすんだ?」

 

「イオン様がそろそろタルタロスに戻ってくるようで。そこを待ち伏せて救出しましょう」

「は、はぁ!? そ、そんなことしたらまた戦いになるだろ…ッ!」

 

「仕方ないわ。そうしないと生き延びられない。それに、イオン様を渡すわけにもいかない」

 

 ジェイドの言葉に対して、激しい動揺を見せるルークに飽くまで冷静さを崩さないティア。

 二人の姿は好対照といえるだろう。

 

 とはいえ、ここで揉めていても話が進まない。仕方なくセレニィが二人の間に割って入った。

 

「まぁまぁ。お互い好き好んで人を殺すわけでもなし、まずは脱出の方策を練りませんか?」

 

「それもそうね… ごめんなさい、セレニィ」

「いえいえ。脱出する時はティアさんの譜歌、頼りにしていますとも」

 

「それでも… 俺は、人を殺したくない。俺は殺すつもりなんてなかったんだよ! なのに!」

「………」

 

 話がまとまりかけたところにルークが言葉を漏らす。それをすごい表情で睨み付けるティア。

 色んな意味で空気がぶち壊した。……だがそれも仕方ないだろう。

 

 どちらの気持ちもまま分かるとはいえ、この場合は個人的にはルークの心情に同意したい。

 誰もがティアのように強く、割り切り上手なわけではないのだ。

 まして初めて人を殺したのだ。正気を保っているだけルークを褒めてやるべきはなかろうか?

 

 とまぁ、そんなことを冷静に考えている自分もかなりキてるなー…。

 カウンセラーにかかりたい。……この世界にいるんだろうか? などと、セレニィは考える。

 

「驚きましたねぇ… どんな環境で育てば、この状況を知らずに済むというのか」

「仕方ねぇだろ! 誘拐されたせいで、ガキの頃の記憶もねぇんだよ!」

 

「うおーい… ルーク様まで記憶喪失だったなんて初耳ですよーい、ティアさーん…」

 

 今明かされる衝撃の真実ゥー… って、やかましいわ。これ絶対ティアさん知ってたよね?

 まだ隠してることないだろうな、巨乳? あったら揉むぞ。マジで揉みしだくぞ。

 

 しかしルーク様まで記憶喪失だったとは… いや、自分のはなんちゃって記憶喪失だけどさ。

 

 そこへ来て、ナントカ渓谷に跳んでからというもののデッドリーなイベントの連続である。

 更に不可抗力とはいえ、軍艦内で人殺しまで経験させられてしまった日には… アカン。

 心が壊れてないだけ大ラッキーだね! まぁ、半分はセレニィってバカのせいなんだけどね!

 

 死刑かな? そもそも、ルーク様が人を殺したのはこちらのせいだから死刑だよね… うん。

 だが半分はそこの巨乳のせいでもある! ルーク様は彼女を口だけとはいえ許すといった!

 だからこれからの働き次第でその、死刑だけは勘弁して下さい! 靴でも何でも舐めますから!

 

 絶対保身するマンは膝立ちになると、ルークに向かって穏やかに微笑んだ。もはや必死である。

 

「ルークさん… 貴方のおかげで私は命を拾いました。……本当にありがとうございます」

 

「………」

「棒も折られ、あのままでは私は死を待つばかりだったでしょう。ですが、救われました」

 

 棒じゃ限界があったね。……そもそも対人戦なんて想定してなかったしね。……仕方ないね。

 棒の無惨な最期に涙を浮かべつつ言葉を続ける。

 

「貴方のおかげです、ルークさん。その私が、『それ以上』をどうして望めましょうか?」

「俺の… おかげ? 俺、セレニィを… 助けられたん、だよな?」

 

「はい。……ですから、ルークさんが辛いと仰るならもう無理に戦う必要はないと思います」

 

 自分を救ってくれた。それだけでルーク様には十分感謝している。嘘偽りない本当の気持ちだ。

 これ以上は無理に求めない。求める必要などない。戦いたくないのは自分も一緒なのだから。

 

「(だから… そう、だから…)」

 

 これからはともに足手まといコンビとして戦闘中は存在感を消して、雑用係になりましょう!

 大丈夫大丈夫。戦闘に関しちゃホラ、ジェイドさんやティアさん人殺すの平気そうですし!

 ジェイドさんクッソ強いし足手まといの一人や二人養ってくれますよ。一緒にニートしようぜ!

 

 なんと素晴らしい思い付きか。これなら自分も平和裏にフェードアウトできる。正に一石二鳥!

 

 そんなことを考えつつ、セレニィはルークに手を差し出して微笑を浮かべた。真の屑である。

 

「セレニィ… 俺は…」

「……ルーク、あなたは本当にそれでいいの?」

 

「………」

 

 セレニィの差し出した手… ニートの誘いを取ろうとするルークに、ティアが声をかける。

 おのれ、巨乳… 平和なニートライフを邪魔したティアにセレニィは内心で歯軋りする。

 

 ティアはそんなセレニィの内心など知る由もなく、神妙な面持ちで言葉を続ける。

 

「普通に暮らしていても魔物や盗賊に襲われる危険があるわ」

「………」

 

「だから力のない人々は傭兵を雇ったり、身を寄せ合って辻馬車で移動したりしているのよ」

「………」

 

「生きるために必要なら、子供だって戦うことがある。……今のセレニィのように!」

 

 はい? 何言ってんだ、この巨乳。

 

 ……いやいや、別に戦う気なんてないですから。むしろ雑魚がいても邪魔なだけですよね?

 ここは速やかに誤解を解かなくては。オラ、なんだか猛烈に嫌な予感がしてきたぞ。

 

「あの」

「でも、それでいいの!? あなたは、セレニィに自分の危険まで押し付けて満足なの!?」

 

「……っ!」

 

 ダメだ、ティアさん聞いてくれない。……うん、いつものティアさんですね。知ってた。

 ここは非常に遺憾だがドSに頼らねばならない。大丈夫、この空気の読めないドSならば!

 

 さぁ、ドS! 君に決めた!

 

「ジェイドさん…」

「皆まで言わないで下さい、セレニィ。貴女の言いたいことは理解しているつもりです」

 

「……はい(ありがとう、ドS! やったぜ、ドS! 君は出来るドSだと信じてた!)」

「命を救われた恩を自らの命で返そうとする姿勢は立派です。ですが私はティアを支持したい」

 

「………」

 

 ドSが珍しく空気を読んだ結果がこれだよ!

 

 何ふざけたこと言ってんだこのドS。眼鏡叩き割るぞ。手が届かないのでしゃがんで下さい。

 ていうかオマエ鬼のように強いんだから一人で勝手に無双しろよ、マジで。

 

 屑は泣きたくなった。いや、もはや半泣きである。

 いや、まだだ… まだ希望は残されている。ルークが断固たる意志でこの戯れ言を断れば…

 

「そう、だな… 悪かった、ティア。おまえの言うとおりだ。目が覚めたよ」

「別のあなたのためじゃないわ。……セレニィのためよ」

 

「泣いても喚いても状況は変わらねーなら、覚悟を決めるしかねーよな。セレニィのように」

 

 別に決めてませんが。

 

「俺、人を殺す覚悟はまだ正直できてない。けど、戦うことにはもう躊躇わないつもりだ」

「ルーク…」

 

「アレだけ言われたのに半端な態度で悪いとは思ってる。でも、嘘つくのも違うかなって…」

「いいえ、それで構いません。本来戦うのは我々軍人の仕事なのですから」

 

「師団長の仰るとおりです。その気持ちは人として恥じるべきモノでは断じてありません」

 

 真っ直ぐなルークの言葉が、嘘ついて騙そうとしていた屑のハートに突き刺さる。

 痛い、心が痛い。クリティカルヒットである。

 

「セレニィ、守ろうとしてくれてありがとな。……けど、俺も一緒に戦うから」

「あ、いえ、その… 私はですね…」

 

「フフッ… 照れなくてもいいのよ、セレニィ? あなたの覚悟と優しさは伝わったから」

 

 しかも自分まで戦う流れにされている。このまま静かに息を引き取りたいくらいだ。

 やはり自分の人生は糞ゲー過ぎる… どこかで神様を見つけたらボコり倒そう。

 セレニィはキリキリと迫り来る恒例行事… 胃痛と戦いながら、そう心に誓うのであった。

 

「ルークさん、カッコイイですのー!」

「ミュウの言うとおりです。今の貴方は、王族として一皮剥けた立派な人間に思えますよ」

 

「よせよ、ミュウ。ジェイドも。……俺たちは今この時から仲間だろ?」

「ふむ… 仲間、ですか。なんとも面映ゆいですね… しかし悪くはない。……トニー二等兵!」

 

「ハッ! なんでしょうか、師団長!」

「今これより私たちは仲間です。……私のことはジェイドと呼びなさい。敬語も不要です」

 

「はっ? いや、しかし… しだ… あ、いえ、ジェイド。自分は…」

 

 しどろもどろになったトニー二等兵の姿に朗らかな笑いが沸き起こる。……約一名を除いて。

 

「あははー… わーい… 仲間だー… 嬉しいなー… やったー… 友情パワー炸裂だぜー…」

 

 その一名はどんよりとした表情で、虚ろな笑みを漏らしていたという。



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33.再戦

 さて、いよいよ脱出することと相成った。とは言ってもセレニィは一行についていくだけだ。

 

 脱出の肝は如何に速やかに敵からイオンを掻っ攫い、その体勢が整うまでに逃げ切れるか。

 これに尽きる。尽きるがこれが中々に難しい。目立たぬことと急ぐことは、古来、両立し難い。

 

 ならばどうするか? そこで重要になるのがジェイドやトニーが言っていた『アレ』である。

 

「『死霊使い(ネクロマンサー)』の名によって命じる。作戦名《(むくろ)狩り》、始動せよ」

 

 牢の檻を隠し持っていた爆弾のような物で吹き飛ばし、ジェイドは伝声管にそう声を発した。

 爆発音に驚いた見張りが駆け寄ってこようとしたが、全てティアの譜歌によって無力化された。

 

 そして程無く、何処かを走行中だったタルタロスは前触れもなく急停止をすることとなった。

 

「タルタロスが止まった… これが先ほど言ってた例の『アレ』とやらなんですか?」

「その通り… 予め登録してあるタルタロスの非常停止機構です。復旧には暫くかかるはず」

 

「……なるほど(すっごい名前… 意外と気に入ってるのかな? ノリノリだったし)」

 

 自分だったらそんなイジメみたいなアダ名絶対に嫌だが。『死霊使い(ネクロマンサー)』とか『(むくろ)狩り』とか。

 きっと中二病が治ってないんだな。セレニィがそう考えていると、ふとジェイドと目が合った。

 

「セレニィ… 何か失礼なことを考えていませんでしたか?」

「いえいえ、まさかそんな! 仲間を脈絡なく疑うなんてあんまりです! ジェイドさん!」

 

「……それもそうですね。失礼しました、セレニィ」

「どんまいですよ、ジェイドさん! 誰にだって気の迷いはありますとも!」

 

「もしそうだったら“女王”の言葉を確かめようと思ったのですが… 気のせいで何よりです」

 

 いけしゃあしゃあと言ってのけるセレニィに、ジェイドは自己嫌悪を覗かせた溜息を見せる。

 え? “女王”? ライガの? なんでここで?

 思わず疑問の表情を浮かべてしまうセレニィに、ジェイドが穏やかな笑顔を浮かべて解説する。

 

「えぇ。“女王”はセレニィが魔物が好む匂いを発していると言っていましたが」

「……ア、ハイ」

 

「果たしてそれが真実か、是非に検証したいな… と。おや? あんなところに魔物が」

「ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいいい!?」

 

「セ、セレニィさん! 一人で駆け出していっては危険ですよ! 自分もご一緒を!」

 

 駆け出していったセレニィの後ろ姿を眺めて、くつくつと低い笑い声を漏らすジェイド。

 トニーがすぐ連れ戻してくれるから平気だろうが、ティアは静かにジェイドを横目で睨む。

 

「大佐… 幾らなんでもセレニィにあんまりです。たちの悪い冗談にも程がありますよ?」

「まぁそう言わないで下さい。ラルゴの時に散々言われましたからね、ほんの仕返しですよ」

 

「……全く、程々にお願いしますよ? 彼女に何かあったら大佐といえど許しませんから」

「えぇ、承知しました。怖いお目付け役がいると分かっては私もそうそう羽目を外せませんね」

 

「言っとくけど、俺もセレニィの味方だかんなー。もしもの時は覚悟しとけよ、ジェイド?」

 

 ティアとルークに揃って凄まれては流石のジェイドといえども肩を竦めることしか出来ない。

 と、そんな時に通路の先から声が聞こえてくる。

 

「みなさーん! 奪われてた装備類が見つかりましたよー!」

「ですのー!」

 

「幸い見張りはなく、付近に人の気配はありません。今が好機かと思われます」

 

 セレニィとミュウ、それにトニーらが敵に奪われていた武具類を発見したようだ。

 

「いやはや、便利ですねー。セレニィは」

「確かに… 彼女はその、便利ですね」

 

「オメーら、もうちっと別の言い方はねーのかよ? ……便利なのは否定しねーけどよ」

 

 

 

 ――

 

 

 

 各々が自身の武具類を取り戻したが、セレニィだけはそれが出来ないままでいた。

 

「やっぱり棒はないですか… まぁ、私が相手の立場でもゴミとして投棄しますしねぇ」

「残念ですのー… セレニィさん、だったらミュウが棒の代わりになるですの!」

 

「いや、ミュウさんは柔らかいですしリーチが限られてますし、棒の代わりにはちょっと…」

 

 ぶっちゃけ当然のように『折れた棒(ゴミ)』が捨てられていた… それだけの話なのだが。

 

 ミュウを武器として装備すると自動的に近接戦闘要員になってしまう。それだけは避けねば。

 かといって手持ちの武器がないのも怖い。やっぱりミュウで妥協するしかないのだろうか?

 なんか適当に振り回していれば、それっぽく真面目に戦ってるように見えるのかもしれないし。

 

 そうやって効率的な自己保身について頭を巡らせていると、トニー二等兵が声をかけてきた。

 

「セレニィさん… でしたら、そこに立てかけてある我々一般兵用の槍はどうでしょうか?」

「はぁ… 槍、ですか? ……あ、それと別に私は呼び捨てかつ敬語なしで結構ですよ」

 

「いえ、そんな。恋人でもない女性を呼び捨てなど… 口調はもう癖なのでご容赦下さい」

「そういうことなら仕方ありませんね。では、お借りしますね」

 

「どうぞ。量産品ではありますが、それだけに癖がなくて扱いやすいのではないでしょうか?」

 

 堅い人だな。……まぁその分、自分と違って真面目で誠実そうなので信頼は置けるのかな?

 そんなことを考えつつ手渡された槍を持ってみる。……う、結構ズッシリと来るものが。

 

 軽く振ってはみたもののその度に身体が左右に引っ張られそうになる。ていうか引っ張られた。

 

「わっとととと…」

「ちょっ! ぶねーなぁ… 重すぎるんなら止めとけよ」

 

「は、はぁ… すみません」

「仕方ありませんね。セレニィはそこらの鉄パイプでも装備してはいかがでしょう?」

 

「……そっすね」

 

 ルークに止められ、ジェイドにそこらの廃材だったモノを勧められて仕方なく手に取る。

 それは重すぎず軽すぎず、太すぎず細すぎず、セレニィの手に実によく馴染んだ。

 

 ルーク様:剣、ジェイドさん:槍、ティアさん:杖、トニーさん:槍… 自分:鉄パイプ。

 ……あれ? なんか目から汗が。セレニィはそっと目頭を押さえるのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 そして今、一行は揃って左舷昇降口(ハッチ)前に待機していた。

 まだイオンが戻ってくる気配はない。そこで一同を見渡してジェイドがおもむろに口を開く。

 

「さて… 決行前に、ここらで作戦のおさらいをしましょうか」

「はい、大佐」

 

「非常停止機構によって停止したタルタロスは左舷昇降口… つまりこの扉しか開きません」

「つまり、神託の盾(オラクル)兵もここから戻るしかないということですね? ジェイド」

 

「えぇ、そうなります。そこを待ち構えて奇襲します」

 

 ジェイドが眼鏡のブリッジを持ち上げると、周囲の空気が引き締まった気がした。

 

「作戦の要となるのはこの私の譜術、それにティアの譜歌となります」

「(雑魚は戦力外通告。このドS、分かっていると思います)」

 

「まずは私の譜術で護衛の注意を惹く。注意が逸れたところをティアの譜歌で眠らせる」

「二段構え… ということですね。分かりました、大佐」

 

「トニーには私やティアの直衛についていただきます。しっかり頼みますよ?」

「はい! お任せ下さい、ジェイド!」

 

「お、おい! ちょっと待った! 俺とセレニィはどうするってんだ?」

 

 一向に自分やセレニィの名が呼ばれないことに業を煮やしたルークがジェイドを問いただす。

 それに対してジェイドは、予定調和とばかりに冷静にルークに告げる。

 

「ルークとセレニィ、そしてミュウ… 貴方がたは予備戦力となります」

「予備戦力ぅー…?」

 

「なるほど。了解です、ジェイドさん」

「りょーかいですの! がんばるですのー!」

 

「……納得がいかないという表情をしていますね、ルーク」

 

 予備戦力… つまり補欠。素晴らしい役どころだ。セレニィは目を輝かせて頷いている。

 一方、納得がいかないのがルークだ。口を尖らせて不満気な様子を露わにしている。

 

 まさに好対照とも言える二人の態度に、ジェイドは苦笑いを浮かべながら説明を付け加える。

 

「常に不測の事態には備えねばなりません。その時、明暗を分けるのが予備戦力なのです」

「つまり緊急時には私たちの働きがモノを言う。そういうことですよ、ルークさん」

 

「んー… なーんか分かったような、上手く丸め込まれたような…」

「何も起きなければそれに越したことはありません。ここは一つ、私の顔を立てると思って」

 

「……しゃーねーな。貸し一つだからな? ジェイド」

 

 拗ねた様子のルークの言葉に吹き出しつつ了承するジェイドと、思わず溜息を吐くティア。

 それを見守る三名。作戦前ではあるものの程良い緊張感と伸びやかさがそこには漂っていた。

 

 そして…

 

「……イオン様がお見えになりました。護衛は“魔弾”のリグレットと神託の盾兵一人」

 

 小窓から様子をうかがっていたトニーの言葉に、皆が表情を引き締める。決行の時が来た。

 

 扉の外からは階段を設置した音が聞こえてくる。上がってくる音は… 一名。神託の盾のみ。

 いよいよ扉に手がかかり、一行が揃って身構えていた時…

 

「くたばれ、『死霊使い(ネクロマンサー)』」

「ッ!」

 

「中々の反応だ… だがなッ!」

 

 鈍い金属音が響き渡った。死角よりの攻撃を咄嗟に手に持つ槍で受け止めるジェイド。

 だが、勢いに乗った相手はそのままジェイドの腹を蹴りつけ壁際へと追いつめる。

 

 攻撃の主は、誰あろう、先だって撃退したばかりの“黒獅子”ラルゴその人であった。

 慌ててトニーがジェイドを救うため攻撃を繰り出すも、それを難なくいなして間合いをとる。

 

「流石の貴様も攻撃に転じる瞬間は隙を隠せないと見える。このままその素っ首貰い受ける」

「その私を始末できない以上、そちらも本調子ではないでしょうに… 物好きなことです」

 

「だからこそ裏をかける。この間合いなら大規模譜術を使う隙など与えん… 悪くない博打だ」

 

 睨み合う『死霊使い(ネクロマンサー)』と『黒獅子』… 近接戦ならばトニーを加えてもやや不利だろうか。

 昇降口(ハッチ)の扉はもう開こうとしている。動けないでいるルークとセレニィをティアが一喝する。

 

「セレニィ、ルーク… 行って! ここは私たちが引き受ける!」

「なっ、えっ、でも… その…!?」

 

「分かった… 死ぬんじゃねーぞ、ティア! ジェイド! トニー!」

「誰に言っているの? そっちこそセレニィの足引っ張って教官に返り討ちに合わないようにね」

 

「へへっ! いちいちウゼーんだよ、オメーは!」

 

 なんと、補欠だったはずがいきなり決定戦力になってしまった。

 

 時計の針は止まらない。事態は待ってなんかくれやしない。

 自分が失敗すればみんな死んでしまう。現実実逃避をしても始まらない。

 

 ……そして目の前の扉が開ききる。

 

 セレニィは自棄になって叫んだ。

 

「ミュ、ミュウファイア!」

「ですの!」

 

「う、うわっ!」

 

 いきなり炎に巻かれて動揺する神託の盾(オラクル)兵を、ルークが階下へと蹴り落とす。

 そしてそのままセレニィの手を取って、階段を駆け下りる。

 

「行くぜ、セレニィ!」

「は、はひぃ!?」

 

「ですのー!」

 

 セレニィがもつれそうになる足を叱咤してなんとか階段を駆け下りた先には…

 

「セレニィ! ルーク!」

「あの時の雑魚どもか… 一度では懲りんと見える。腕の一本二本は覚悟してもらうぞ?」

 

「イオン! 今助けてやるぜ… そいつをけちょんけちょんにぶっ倒してからな!」

 

 セレニィの心の癒したる大天使イオン様。

 そして、二丁拳銃を構えた凄く強そうでかつ凄く美人なお姉様がそこに立っていたのだった。

 

「(あ… なんか死んだかも…)」

 

 セレニィはこの異世界オールドラントに来てから何度目かの死を予感した。平常運転である。



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34.毒

 久方ぶりに足に伝わる大地の感触。

 風に流れる木々の匂いを感じながら、今ルークとセレニィは敵と対峙している。

 その名は神託の盾(オラクル)騎士団六神将が一人、“魔弾”のリグレット。

 

 左舷昇降口では、ジェイドたちとラルゴによる激しい攻防が未だ続いている。

 助けは… 来ない。生き延びるためには、自分たちの手で未来を切り拓くしかない。

 

 イオンを背に庇う形を取り、二丁拳銃を構えつつリグレットは口を開く。

 

「今なら大人しく降伏すれば命までは取らん。実力差は理解できているだろう?」

「へっ! 不意打ちしか能がねーくせにえっらそーに」

 

「自らの未熟さを恥じるのだな。所詮、貴様らはその程度の実力だということだ」

 

 ルークとリグレットの舌戦が火蓋を切った。

 

 その中で、セレニィはこの光景に漂う違和感に心中で首をひねっていた。

 

「(……おかしい)」

 

 彼女自身が言うとおり、彼女との実力差は隔絶の一言で片付けられる領域といえる。

 にもかかわらず彼女は直接手を下すことなくルークの舌戦に付き合っている。

 そんなことをする必要が無い。一気呵成に攻めかかり、実力差で圧倒すれば良いのだ。

 

 ほんの少し観察しただけでも、真面目で堅物という印象が伝わってくる彼女のことだ。

 その仕草がただの仮面でない限りは『そうするだけの理由が存在する』ということ。

 

「(考えろ… 考えろ… 理由から逆算するんだ…)」

 

 大して優れた頭脳でもないが、それを働かせねば勝機… 生きる目処は立たない。

 

 まずはすぐに戦わない理由をリグレットの立場から考えてみる。

 ……互いの配置を確認してみよう。

 

 ルーク、リグレット、セレニィにイオン。数の上で劣勢かつイオンも味方とはいえない。

 乱戦ともなれば何が起こるか分からない。ましてイオンを傷付ける訳にはいかない。

 

 弱気な姿勢を見せないのは、恐らくやってやれないことはないから。

 その上で行動を起こさないのは、不測の事態を嫌ったから。

 

 なるほど… 真面目で堅物、そして完璧主義か。

 

 だが、舌戦に付き合ったところで彼女に有利になる要素があるのだろうか? 更に考える。

 ……互いの状況を確認してみよう。

 

 現在、ジェイドの非常停止機構によってタルタロスはその機能を停止している。

 それは恐らくリグレット自身も理解している。その上で、神託の盾(オラクル)兵を使ったのだろう。

 

 ジェイドはラルゴの襲撃を受け、ティアやトニーとともに足止めを受けている。

 それを認識しているかどうかは別として、なんらかのトラブルでいないのは理解しているはず。

 ならば時間の経過は彼女の不利に繋がるのでは?

 

 いや、もう少しマクロな視点で考えろ。……機能の停止となれば復旧作業は行う。

 それだけではない。ラルゴとジェイドが派手な戦闘を繰り広げているのだ。

 ということは… 増援を呼び寄せ、数で圧倒することで安全に勝利へと導く。それが筋書きか。

 

 加えてそこで気絶している神託の盾(オラクル)兵が復帰すれば数の上でも互角になる… と。

 

 なるほど… 真面目で堅物で完璧主義だが、基本に忠実かつ雑魚にも決して手を抜かないか。

 

「(……アカン)」

 

 パッと考えただけでは相手のヤバさを再認識するだけに終わった気がする。

 

 ルークもリグレットの隙のなさに攻めあぐねているのか動けないままでいる。

 対するリグレットは二丁拳銃を構えたままであるものの、余裕の表情だ。

 

 実力でやり合っても勝ち目がないのはルークとて薄々気付いているのだろう。

 そこへ加えて、自分は戦闘になってしまえば足手まといだ。そもそも銃に勝てる気がしない。

 ジェイドの譜術ほど理不尽ではなかろうが、パァンと撃たれれば倒れておしまいだろう。

 

 となれば自分に出来ることは『会話』しかない。可能性が低かろうと戦闘よりは多少マシ。

 

「(うーん… ルーク様が焦れる前にシナリオを考えないと…)」

 

「へっ! ウダウダ言ったところで結果が全てだ! やってみなきゃわかんねぇだろ!」

「ほう… 来るか」

 

「(って、はえぇよ! えぇい、自棄だ!)……お待ち下さい、ルーク様」

 

 その場に冷たい少女の声が響き渡った。

 小さい笑みを浮かべる可憐さに似合わぬ、場を睥睨するような酷薄な瞳。

 

 リグレットは無言で先程まで沈黙を保っていた少女に照準を合わせる。

 

「(戦闘になるよりはマシだと思ったけど何も考えてねぇ… マジどうしよう、これ)」

 

 無論、ハッタリである。

 せめて表情だけは余裕ぶっこいてないとノータイムで殺されそうなので必死だ。

 

 喋りながら考えないといけない。デッドリーなチキンレースがスタートした。

 

「どういうことですか? セレニィ」

「(そう急かさないで下さいイオン様、マジで)……少し、昔語りをしましょうか」

 

「時間稼ぎのつもりか? ならば…」

「そう仰らないで下さいな。その方が、そちらにとっても都合がよろしいのでしょう?」

 

「(……こいつ)……フン、好きに囀るが良い。おかしな真似をしなければな」

 

 クスクスと小馬鹿にするような笑みを浮かべながら、セレニィは必死に考える。

 地雷原でタップダンスをしている気分だ。

 

 昔見ていた毎回爆発音とかで尺をとってたアニメのスタッフの気持ちが今よく分かる。

 少しでも考える時間がほしい! セレニィは胃をキリキリ痛めながら口を開く。

 

「(えーと、この人は教団の人間だから…)始祖ユリア・ジュエ… 彼女は偉大な方でした」

「………」

 

預言(スコア)で未来を見通し、魔物(チーグル)から第七音素(セブンスフォニム)を操る術を身に着け、ついには世界を救ってみせた」

 

 おや? 表情が変わった。苦々しげな表情… 思うところがあるみたいだ。覚えておこう。

 そんなことを考えながらセレニィの要領を掴ませない話は続く。

 

 彼女自身にも話の着地点は見えてないのだから仕方ない。

 

「さて、ここに件のチーグルがおります。かつてユリア・ジュエに第七音素譜術を授けた、ね」

「……それがどうした。二千年も前の話だぞ? ましてチーグルは」

 

「お察しのとおり。ソーサラーリングの力なくば何も出来やしない… と、そう言われてますね」

 

 意味ありげに微笑んでみせる。無論、特に意味は無い。

 周囲の注意を1秒惹きつける毎に1mmずつ己の胃壁にダメージを与える簡単なお仕事である。

 

「なに…?」

「不思議に思いませんでしたか? ソーサラーリングはユリアに与えられた契約の証です」

 

「えぇ、教団には確かにそう伝えられていますが」

「『なのに何故、彼らは彼女に第七音素譜術を授けることが出来たのか?』って、ね」

 

「……ッ!」

 

 全員がハッとした表情を浮かべる。

 

 フッフッフッ、隠された謎に気が付いたようだな。……えぇ、自分も知りたいです。はい。

 とはいえ着地点は見えてきたか。

 

 そんなことを考えながら、手元のミュウを撫でつつ言葉を続ける。

 余計なことを喋られないように、ひっそりとリングを外して。

 

「話は変わりますがこのチーグル… 先日、北の地をその炎によって焦土に変えまして」

「なっ!?」

 

「生き残りのライガは住処を追われ、別の森に追いやられる始末… でしたね? イオン様」

「え、えぇ… 確かにそうでしたが…」

 

「なんですって… 連絡を聞いた時にはまさかと思ったけど、あの話、事実だったのね…」

 

 微妙に拡大解釈をして伝えれば驚愕の表情を浮かべるリグレットさん。

 でも嘘は言ってないですよ! イオン様のお墨付きですしね!

 

 というかなんだかんだでノリが良いですね、リグレットさん。

 ティアさんの師匠だから付き合いの良さも似てるのかな? どっちもおっぱいデカいしね!

 

 セレニィはいよいよ話の締めに取り掛かる。精一杯邪悪な笑みを浮かべて。

 

「まだ分かりませんか? ソーサラーリングこそが始祖の残した『封印』なのですよ」

「……確かに、かつてチーグル族は『悪魔』と呼ばれていたと僕も聞いたことがあります」

 

「な、なんだって… じゃあそのリングがなけりゃチーグルってのは…」

 

 イオン様のナイスアシストに、ルーク様が青褪めて思わず喉をゴクリと鳴らす。

 いい感じですよ! リグレットさんが真面目な人でよかった! 聞き入ってくれてるよ!

 

 人差し指でクルクルとソーサラーリングを回しながら笑顔を浮かべる。

 

「ま、待て! それはソーサラーリング… 貴様、一体いつの間に…」

「クスクスクス… フフフフフフ… アハハハハハハハハハハハハッ!」

 

「それを戻せ… いや、こちらに渡せ… さもなくば…!」

「おっと… 『それ』はいけない。『それ』はまずい。刺激すれば何が起こるかわからない」

 

「クッ… だが、貴様が本当のことを言っているとは限らない!」

 

 リングの回転を止めて、撃鉄を上げたリグレットさんをやんわりと左手で制す。

 やめてください、撃たれたらマジで一発で死んでしまいます。自分、雑魚なんで。

 

 本当のことを言っているとは限らないって? 当然です、全部ハッタリだし!

 

 リグレットさんの的確な指摘には、思わず苦笑いしか浮かべることが出来ない。

 あ、何故か分からないけどより警戒を深めてくれたようだ。ラッキー。

 

「えぇ、全くその通り。全部冗談です、ただのハッタリです… そう言えば安心しますか?」

「……貴様、何が目的だ?」

 

「別に何も。……あぁ、そんなに恐ろしいならこのチーグルも差し上げましょうか?」

「……は?」

 

「受け取って下さいねー。そーれ!」

「みゅ? みゅううううううううううううう…!」

 

 考える隙など与えない。そのままミュウを天高く放り投げる。

 

 ……思わずそれを目で追ってしまうルーク、イオン、リグレットの3人。

 

 セレニィは素早く懐に手を入れると、胡椒爆弾・改を取り出し…

 

「………」

 

 無言でリグレットに投げ付けた。

 

 流石のリグレットといえどこの状況でかわせるものではなく、頭から被ってしまう羽目になる。

 

「ゲホッ!? こ、これは… ゴホッ! なん… ゲホゴホガハッ!?」

 

 説明しよう。

 

 胡椒爆弾・改とはタルタロス内で夕食をご馳走になった後に、セレニィが厨房に頼み込み、辛子粉末を分けてもらい胡椒を入れた袋に混ぜ込むことで完成した新たな胡椒爆弾である。なお完成後に我に返り、調味料としての使用は絶望的となったことに気付いて3分ほどさめざめと泣いたことをここに併記しておく。

 

 そんな外道兵器を正面から受けてしまったリグレットの苦痛たるや如何程のものであろうか。

 しかし、外道は手を緩めない。

 

「ルークさん、今です! 彼女を!」

「へ? ……お、おう!」

 

「な、なめ… る… なァ!」

 

 セレニィの指示で慌てて駆け出すルーク… だが、リグレットとて歴戦の猛者。

 胡椒爆弾・改による負傷は免れないが、一呼吸だけならば己を殺しての行動とて可能だ。

 そして彼女は… 一呼吸で二発の弾丸を発射することが可能。

 

 劣悪な視界の中、その到達前に憎き敵それぞれに照準を合わせ、引き金を… 引いた。

 

「っ! やべ… セレニィ!?」

「ひぇっ!?」

 

 咄嗟に鞘付きの剣を盾にして銃弾を弾くルークであったが、一方セレニィは…

 

 そんな神業的な芸当が出来るはずもない。

 かといって盾となるミュウも自らの手で放り出してしまい、その死を待つばかりであった。

 

「ふぅ… 間一髪」

 

 ……突如、空から振ってきた金髪の男が更なる神業的芸当で銃弾を弾き返さない限りは。

 

「ガイ様、華麗に参上… ってな。今だ、ルーク!」

「……おぉおおおおおおお! 双牙斬ッ!!」

 

「ぐっ… くっ、無念…」

 

 ルークがそのまま鞘付きの剣を持って突進し、斬り伏せからの斬り上げの二段攻撃を見舞う。

 最後の力で銃弾を放ったのだろう… リグレットは防御行動も取れず、倒れ伏すこととなった。

 

 尻餅をついた状態で呆然としているセレニィ。彼女は思わず言葉を漏らす。

 

「はぁ… はぁ… い、生きてる…?」

 

「えぇ、生きてますよ。お疲れ様でした、セレニィ」

「まさか教官を倒すなんて… あなたの強さは知っていたつもりだったけど、流石ね」

 

「こちらも“黒獅子”はなんとか撃退しました。応援が間に合わず申し訳ありません」

 

 そこにジェイドらが声をかけてくる。揃って傷だらけではあるものの全員無事なようだ。

 

「いや、アレを『倒した』って言い張ったら流石にリグレットさんもキレるような…」

「『勝って尚驕らず』ね… 私もセレニィを見習うべきかしら?」

 

「あ、はい。それでいいですよ、もう…」

 

 いつもどおりの安定感を発揮したティアに対し、疲れ果てていたセレニィは流すことにする。

 そのまま放り投げていたミュウの回収に向かう。

 そんな会話が続く中、頃合いを見計らってルークが口を開く。

 

「こうしてイオンを助け出せたわけだけど… そういやアニスはどこだよ?」

「敵に奪われた親書を取り返そうとして、魔物に船窓から吹き飛ばされてしまって…」

 

「えぇ! アニスさん、死んでしまったんですか!?」

「いえ。遺体が見つからないと話しているのを聞いたので、無事でいてくれると信じます」

 

「それならセントビナーへ向かいましょう。アニスとの合流先です」

 

 美少女が死んだのかと泣きそうになるセレニィだったが、イオンは生存を信じているようだ。

 イオンが信じるならばセレニィが信じない理由はない。再会を願って密かに彼女の無事を祈る。

 

 そんな二人を尻目に、ジェイドが東南にあるというセントビナーに向うことを提案する。

 示された新たな指針に対し、特段異存がない全員が頷いたところで彼は更に言葉を続ける。

 

「今は一刻も時間が惜しい。自己紹介や積もる話は落ち着いてからにしましょう」

「あぁ、分かったよ。……なんだか大変なことになってたみたいだな、ルーク」

 

「まーな… 色々とあり過ぎて、俺自身、整理が追いついてねーってのが正直なところだ」

「では、この神託の盾(オラクル)兵を起こして彼の手で昇降口(ハッチ)を閉めさせましょうか」

 

「はい、大佐」

 

 かくしてジェイドの目論見通りに事が進む。

 神託の盾(オラクル)兵にリグレットを運ばせ、彼自身に昇降口(ハッチ)を閉じさせた。

 

 これによりイオン救出作戦&タルタロス脱出作戦は一応の成功を見ることとなる。

 

 そして総勢7人の大所帯へと膨れ上がった一行は、速やかにその場を後にするのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 その移動中のこと…

 ルークとティアが目を離している隙を見計らって、ジェイドがセレニィに話しかける。

 

「しかしセレニィ… 貴女の言葉は謂わば『毒』ですね。聞けば聞くほど回るあたりが」

「はぁ、そっすか…(ていうか聞いてたなら助けろよ、このドS。眼鏡叩き割るぞ、マジで)」

 

「もし貴女が私の敵となった場合は、喋らせずに始末することにしましょう」

「……もし私がジェイドさんの敵になったら、目を合わせる前に逃げることにしますね」

 

「なるほど… そういう回避の仕方がありましたか。流石ですねぇ」

「……臆病なもので」

 

「臆病? 貴女が? フフッ… なるほど、それは素敵なジョークですね」

 

 ある意味本人以上にセレニィの本質を掴んでいるジェイドだが、一点だけ見誤りがある。

 それは彼女が絶望的な状況下でも勇気を持って前進できる人間だと見ている点である。

 

「(……神よ、このドSにどうか寝ている時に落下する夢見てハッと目覚める呪いを与え給え)」

 

 そんなことを思われているとも知らず、セレニィはドSに密かに呪いをかけるのであった。



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35.休憩

 タルタロスを脱出して暫し歩いていた一行であったが、現在は街道脇にて休憩中である。

 身体の弱いイオンに不調が見られたため、ジェイドが大事を取ることを提案したのだ。

 

 誰もが頷く中、セレニィただ一人がその発案に異を唱えた。無論、追手が怖いからである。

 

「恐らく既に追手を放たれている筈。ここは一刻も早くセントビナーに向かうべきです」

「それはそうですが… イオン様の体調も心配ですしね」

 

「こんな道端で少々座り込んでも気休めにしかなりません。然るべき施設で休むべきでは?」

 

 彼女の言葉は確かに正論だ。

 誰もそれに対し返す言葉を持たないが、それだけに疲れた様子のイオンが気になってしまう。

 

 気不味い様子の一行を代表する形でジェイドが反論を口にする。

 

「ですが無理に歩かせるわけにもいきません。イオン様が倒れてしまってはことでしょう」

「えぇ、仰るとおりです。イオン様にこれ以上の無理を強いるなど論外です」

 

「分かっているなら話は早い。貴女の意見は正論ですが、それを実行できる状況では…」

「ジェイドさん。私とて、なんの腹案もなしに感情論だけで意見するほど暇ではありません」

 

「……ほう?」

 

 自信ありげに微笑むセレニィの表情に、ジェイドは諌めるのをやめ耳を傾けようと思い直す。

 周囲にそれとなく視線をやれば、不思議そうな表情は浮かべるものの聞く耳持たぬ様子はない。

 

 それを確認したジェイドは一つ頷き、眼鏡のブリッジを持ち上げつつ続きを促した。

 

「解決策はただ一つ… 私がイオン様を背負って歩けばいいんですよ!」

「………」

 

 拳を握りしめ、輝かんばかりのドヤ顔で言い切った。

 そんなセレニィに対し一行は思わず絶句する。

 一方、反応がないことに訝しむのはセレニィの方である。

 

 小首を傾げつつ再び口を開く。

 

「あれ? 聞こえなかったかな… 私がイオン様を」

「聞こえてます」

 

「あ、良かったです。聞こえてないかと… どうです? 中々悪くない案ではないかと」

 

 得意気に胸を張るセレニィを余所に一行は考える。

 悪くないどころか問題だらけにしか見えない。

 

 イオンとセレニィの身長差は軽い目測で見ても20cm以上… 無論セレニィの方が小さい。

 傍から見れば虐待現場にしか映らない。目撃されれば教団の威信は地に落ちてしまうだろう。

 

 反論がないのを無言の肯定と受け取ったのか、セレニィが更に説明を続ける。

 

「ルーク様とイオン様は貴人… 守られるべき方々ですね。戦闘など以ての外」

「ん? あ、あぁ… 一応貴族だからそーなるのか、なぁ…?」

 

「ジェイドさんとティアさんは譜術士です。負担をかけさせるべきではありません」

「ま、まぁ… 確かに、そう言えなくもない… かしら…?」

 

「前衛の方々の動きを阻害するなどそれこそ問題外。……となれば、残るはただ一人」

 

 キラキラしたいい笑顔を浮かべつつ、ミュウと揃って右手の親指を立てて自分へと向ける。

 

「そう、この私です!」

「セレニィさんですのー!」

 

「(セレニィ可愛い… ミュウ可愛い…)」

 

 一部ティアさんがトリップしているが、一行は概ね先程と変わらぬ沈黙に包まれる。

 困ったような表情を浮かべる彼らに対し、セレニィはその内心ではある邪念に支配されていた。

 

 額面通りに博愛精神や奉仕精神に目覚めたわけではなかったのだ。

 

「(イオン様おんぶして「あててんのよ」イベントキタコレー! ハスハスしちゃうぜ!)」

 

 疲れる? 重い? それが如何程のものか。それがイオン様ならご褒美だ。

 エネルギー源でしかないのだ。むしろ永久機関が完成してしまう勢いなのだ。

 

 言っていることは大真面目だが、考えていることはただの変態でしかない。

 だがそれでこそセレニィ。つまるところ『いつもどおり』ということだ。

 

 そう、彼女はいつだって打算と下心をモットーに生き、口車を働かせるのだ。

 

「(加えて戦闘要員から穏便に離脱。かつ、その存在価値を示すことが出来るってワケさ!)」

 

 守護役のアニスがいない以上、誰かがイオンの身の回りの世話をしなければならない。

 だが危険からは遠ざける必要がある。ゆえに戦闘に欠かせないメンバーでは難しい。

 

 それを自分が担当する。イオン幸せ、みんな幸せ… Win-Winの素晴らしい話でなかろうか?

 

『戦いたくない』、『捨てられたくない』、『イオン様とイチャイチャしたい』…

 これらセレニィの三大欲求を全て同時に満たす、一石二鳥どころか一石三鳥の大作戦である。

 

 是が非でも成功させねばなるまい!

 

 そんな想いを込めて、セレニィは真っ直ぐにイオンを見詰めるのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

「……解せぬ」

 

 そして今、セレニィは街道脇で膝を抱えて座り込んでいる。俗に言う体育座りの姿勢だ。

 素晴らしいアイディアだったにもかかわらず、何故かイオンに固辞されてしまったからだ。

 

 確かにイオンの性格を考えれば無理はないことだろう。

 

「……まこと、この世は複雑怪奇なり」

 

 どうやら今回の彼女には状況を客観視する視野が欠けていたようである。

 輝かしい未来予想図に心奪われた結果なあたり、ティアとよく似てきている。残念さとか。

 

 さて、全員一息ついたところを見計らってルークが口を開く。

 

「んじゃー… そろそろコイツの紹介をすっから聞いてくれよ。座ったままで良いからさ」

 

「あ、はい。……僕には、ルークはその方とかなり親しい様子に感じられましたが?」

「まーな。コイツはガイ、ウチの使用人やってて俺にとっちゃ幼馴染兼ダチってトコだな」

 

「ガイ・セシル… ファブレ公爵家のところでお世話になってる使用人さ。ま、よろしくな」

 

 爽やかな笑顔を浮かべて自己紹介をした。

 

 なるほど、爽やかな好青年という感じだ。ルックスもイケメンだし性格も悪くなさそうだ。

 輝かんばかりのリア充オーラに多少思うところはあるが、それを表情に出すほど子供でない。

 

 小市民がそこはかとない劣等感を抱くのはいつものこと。むしろ頼もしいと思うべきだろう。

 そんなことを考えつつ、他の面々に続いて自己紹介を行う。無論、礼を言うのも忘れない。

 

「セレニィです。……ガイさん、さっきは助けていただいてありがとうございました」

「なぁに、気にしないでくれ。こんなに可愛い女の子の顔に傷が付かなくて良かったよ」

 

「………」

 

 ガイほどのルックスの好青年に言われれば、普通の女性ならば頬を赤らめるのであろう。

 

 だが、セレニィは違った。

 同じ男から女扱いされるのも、可愛いと言われるのも甚だ遺憾であり我慢ならなかったのだ。

 ティアに散々言われてる? 彼女に関しては既に諦めているのだ。……その存在を。

 

 笑顔のまま無言で立ち上がり、そのまま抗議の意味を込めてガイにゆっくりと詰め寄る。

 一言言ってやらねば! そう思い、セレニィが近付いたところ…

 

「ひっ!」

 

 と、彼は大きく飛び退いた。

 

「………」

 

 はて? 何故彼はこんな雑魚にこれほど怯えているのだろうか。

 セレニィは近付くのをやめて、小首を傾げて考えてみる。

 

 リグレットを撃退した時のように、相手の立場になって逆算してみよう。

 ……閃いた!

 

「(数多の死線を潜り抜けた先に、隠し切れない強者のオーラを身に付けたのか!)」

 

「ガイは女嫌いなんだよ」

「……というよりは女性恐怖症のようですね」

 

 ルークの説明について、トニーが補足する。

 どうやらセレニィの考えは掠りもしなかったようだ。

 

 むしろ死線を潜り抜けた結果、ネジが緩んでしまっている。

 どこに出しても恥ずかしいポンコツぶりだ。

 

「わ、悪い… キミがどうって訳じゃなくて、その…」

 

 弁明をしながら後退るガイの膝が、ちょうどそこに座っていたティアの肩に軽く触れる。

 

「ひぃいいいいい!?」

「その… 私のことは女だと思わなくてもいいわ」

 

「あちゃー… 何やってんだよ、ガイのヤツ…」

 

 泣きそうな顔で悲鳴を上げられたティアは、流石に傷付いた表情を浮かべ言葉を絞り出す。

 その言葉に天啓を得て、瞳を輝かせたのはセレニィである。

 

「今、ティアさんが良いことを言いました!」

「え? そ、そうかしら…」

 

「はい! おかげで迷いが晴れました! ありがとうございます!」

 

 セレニィに自分の言葉を肯定され、思わず照れ笑いを浮かべるティア。

 そんな彼女を尻目に、セレニィはいい笑顔でガイにこう宣言した。

 

「私… いえ、俺のことは女と思わないで下さい! むしろ男と思って下さい!」

「セレニィさん、『男前』ですのー!」

 

「む、無茶言わないでくれぇ! キミ、どっからどう見ても女の子じゃないかぁ!」

「おいおい… セレニィ、そこまでにしといてやってくれよ」

 

「そうですよ、セレニィさん。こんなに怯えているのですから…」

 

 情けない声で悲鳴を上げるガイを流石に哀れに思ったのか、ルークとトニーが助けに入る。

 

「……はい、ごめんなさい」

 

 セレニィはしょんぼりした表情で頷くのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

「なるほど… 飛ばされてからえらく大変なことに巻き込まれてたみたいだな、ルーク」

「まーな… でもセレニィたちに出会えたし、世間も知れた。悪いことばっかじゃねーさ」

 

「……へぇ。なんだか屋敷にいた頃に比べて、貫禄ってモノが出てきたんじゃないか?」

「そ、そうか?」

 

「あぁ! 今のルークの成長ぶりを目にすれば、旦那様も奥方様もきっと喜んでくれるさ」

 

 ガイの言葉に赤くなって照れるルーク。それをガイは誇らしげに微笑ましげに見守っている。

 今はガイへの現状説明がてら、これまでの出来事について話を咲かせているという状況だ。

 

 なお、セレニィはティアに強く言い聞かされて「一人称:私」へと無理やり戻されてしまった。

 

「………」

 

 今は話題にも加わらず、隅っこで膝を抱えて座っている。

 いずれ(きた)る叛逆の時に備えて静かに牙を研いでいるのかも知れない。……小動物並みの牙だが。

 

 そしていよいよ話題は、旅の目的に移る。

 

「ふぅん… 戦争を回避するための使者って訳か」

「って、そうですよ! それですよ! いつの間に受けたんですか?」

 

「あれ… 言ってなかったっけ?」

「聞いてません!」

 

「では『今言った』『今聞いた』ということで、解決ですね」

 

 ガイの言葉に反応し、突如顔を上げて吠え猛るセレニィ。

 和平の使者? そんなの聞いてない。

 

 しかし、彼女の抗議はジェイドによってあっさり締められることになる。

 無論、そんなことで納得がいくわけがない。命の危機ゆえ必死である。

 

「これからあの六神将、でしたっけ? あの凄い人たちに定期的に襲われるんですよ」

「大丈夫だろ。一回は撃退したんだからさ… なぁ? トニー」

 

「えぇ、“黒獅子”とは実質痛み分けですが浅くない手傷を負わせました。当面は大丈夫でしょう」

「いやいや、そっちはともかくこっちのハッタリなんかは何度も通じませんって…」

 

「え? あれ、嘘だったんですか… 僕、すっかり信じてしまいました…」

「みゅうぅ… ボクもですの…」

 

「なんか、すみません… あとミュウさんはご本人なんですから騙されないで下さい…」

 

 大きな溜息をつく。

 今更言ったところでルークがそれを承諾した以上、変えられないことは理解している。

 更に抗議したところで「じゃあセレニィはここでお別れだね」と捨てられるのがオチだろう。

 

 そう感じた彼女は不満というより不安を飲み込むことにした。

 全く、命の価値が軽い世界だ。胃がキリキリと痛んでくる。

 

「……こんなことならリグレットさんの銃を奪ってくればよかった」

「敵の戦力を下げるという意味では有効でしょうが、こちらの戦力にするのは難しいでしょう」

 

「おや、何故ですか? 撃鉄あげて引き金引くだけじゃないんですか?」

「譜の力を込める必要があるので、あの武器は実質譜術士専用のようなモノです」

 

「譜術士か… それって誰でもなれるものではないんですか?」

「才能の有無に左右されますし、いずれにせよそれなりの訓練期間を要します」

 

「なるほど… 上手く行かないもんですね」

 

 リグレットの銃を拾えば遠距離から楽々という目論見はジェイドによって打ち砕かれた。

 彼は常にセレニィに厳しい現実を突き付けるドSである。

 

「譜の力を込める以上チャージ時間が必要ですし、精神力も使います」

「私も教官からはついに銃の扱いだけは学べませんでしたからね…」

 

「オマケに射程もそこまで長いものではない。したがって、ある程度の体術も求められます」

「欠陥武器じゃないですか、それ…」

 

「使いこなせば強力でしょう。ですが私には譜術こそが譜術士の本分であると思えますね」

 

 まぁ、ジェイドほどチートじみた譜術士が言うのであれば説得力は認めざるをえない。

 セレニィにはやはり棒が似合っているのだろう。

 

 イオンの体力も大分回復したように見られる。

 そろそろ動いてセントビナーに向かおうという話になったところで… 一同の頭に影が差す。

 

「む… 私としたことが、迂闊でしたね…」

 

 槍を取り出し、身構えるジェイド。ガイとトニーも武器を構えて警戒している。

 空を見上げれば、多くの飛行型の魔物が飛び交っていた。

 

「どうする? 先手を取るか、一気に駆け抜けるか…」

 

 ガイの言葉に、慌てて武器を手に取って立ち上がる残りの面々。

 

 しかし、不思議な事に魔物にこちらを襲ってくる気配は見えない。

 隙を伺っている… というわけでもなさそうだ。何より殺意を感じない。

 

 訝しむ一行の目前に、一際大きな魔物がゆっくりと降り立った。

 その背に桃色の髪をした一人の少女を乗せて。

 

「アリエッタ… です…」

 

 恐らくは自分の名前なのだろう。そう名乗った彼女は、静かに一行を見詰める。

 彼女の考えが読めないため、動きに出ることが出来ない一行。

 

「(はわー! 空からめっちゃ可愛い子が降りてきたー! なにこれ天使ー!?)」

 

 そんな中、緊迫した空気の読めない変態がひたすら一人で悶えていたという。



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36.親愛

 アリエッタと名乗る少女が魔物を引き連れ現れたことで、その場には緊張感と沈黙が漂う。

 

 ルークもティアもジェイドも、ライガの“女王”との一件でその名には聞き覚えがあった。

 しかし、現在は教団の人間からは敵対視され追跡を受ける身だ。おいそれと信用はできない。

 

 したがって間合いを取り警戒する形になるわけだが… そんな空気をぶち壊す人間が一人。

 

「こんにちは、アリエッタさん! どういったご用件ですか?」

「え!? あ、うぅー…」

 

 輝かんばかりの笑顔を浮かべて、無造作にアリエッタへの間合いを詰めるセレニィである。

 

 ちなみに目の前の光景に舞い上がりすぎて、“女王”の言葉のことはすっかり忘れている。

 リグレットの時はそんな余裕などなかったが、本来は萌えを優先するのが彼女の本質なのだ。

 

 一方、それに面食らったのがアリエッタの方である。

 

 魔物を操るという能力から教団でも距離を置かれ、一部の人間としか関係を築けなかった。

 一応は六神将として師団長としての任も受けているものの、その部下は総勢で20名ほど。

 他の師団長が二千~八千の人員を抱えている事実がある以上、有名無実と言っていい状況だ。

 

 事実その20名にしてもほぼ交流はなく、主戦力である魔物の世話役をしているにすぎない。

 それは仲間である六神将とて変わらない。多少仲間意識はあるが基本は互いに無関心だ。

 例外的に、極々一部の親しい者との間に静かな信頼感が芽生えることはあったがそれだけだ。

 

 それが人間という生き物であり、人間との付き合いの在り方だとアリエッタは思ってきた。

 

 ……それだけに、ここまで明け透けな好意をぶつけられる機会には恵まれなかったのである。

 

「う、うぅー…」

 

「? どうしました、アリエッタさん」

「こ、こないで…ッ!」

 

 抱いた感情は今までの自分が知らないモノ… “未知への恐怖”。

 自分が否定されかねない状況に、防衛本能が刺激される。

 感情に導かれるまま彼女は手を振るい、その結果、ピッという音とともに鮮血が舞い散った。

 

 かくしてセレニィの頬に朱色の線が走る。しかして表情には怯えや恐怖の色はない。

 さりとてその表情に全く変化が見られないかと言えばさにあらず。

 アリエッタの反応に「あちゃー… やっちゃったぜ」という気不味い表情を浮かべていた。

 

 それに対して、一同皆同様に気色ばむ。セレニィが傷付けられて、各々が武器を構える。

 アリエッタも頭に血が上った状態から解放され、己のしでかしたことを理解して青褪める。

 

 そんな一触即発の空気の中、場違いにのんびりした声が響き渡った。

 

「え? なになに… なんですか、この空気。なにかあったんですか?」

 

「なにかって… あなた、怪我したじゃない! 大丈夫なの?」

「怪我? あぁ… これは私が悪いんですからアリエッタさんを怒るのは筋違いですよ」

 

 無論、セレニィである。彼女はキョトンとしたまま、仲間の言葉に小首を傾げている。

 

 彼女には仲間たちが焦っている理由が、自分のことを心配する理由が分からない。

 どう見ても初対面で美少女にいきなり詰め寄ってしまった変態が悪いのに…

 

 世が世ならば防犯ブザーを鳴らされた上で、国家権力のお世話になっていたことだろう。

 むしろ通報されなかっただけでも御の字なのだ。謝るべきは100%自分の方なのである。

 

 とはいえ、細かいことに気を取られてアリエッタさんを待たせっぱなしなのも論外か。

 そう考えたセレニィは話を進めるべく、アリエッタに向かって口を開く。

 

「アリエッタさん、怖がらせてしまってごめんなさい。お話を聞かせていただけますか?」

「怒って… ない、の?」

 

「(涙目上目遣いのアリエッタさん、可愛すぎるんじゃああああ!)……怒る、ですか?」

「んっと… その… ごめん、ね… 引っ掻いちゃって。痛かった… です、ね?」

 

「私は大丈夫ですよ。ありがとうございます… 優しいんですね、アリエッタさんは」

「え、えへへ… ありがと、です…」

 

「あはは…(なんだ、オールドラントって最高じゃん! 理想郷はここにあったんだね!)」

 

 デレデレしないよう表情を保つのに精一杯だ。元日本人スキルの無駄遣いである。

 同時にオールドラントがパラダイスのように輝いて見えていた。

 これまでの死亡イベントの数々をすっかり忘れているあたり、懲りるという言葉を知らない。

 

 一方、少女が二人して「えへへ…」「あはは…」とはにかむ光景に周囲も毒気を抜かれる。

 各々諦めたような溜息を吐きつつ武器を収めて、二人の会話の行方に耳を傾ける。

 

「は、はなして! はなしなさい… 私は、あの子たちを…ッ!」

 

「行かせるかよ! トニー、ぜってーはなすんじゃねーぞ!」

「りょ、了解です… ってジェイド! ガイ! あなた方も手伝って下さい!」

 

 なお、その際に暴走しようとした某ロン毛残念美人はルークとトニーに抑えられていた模様。

 

「さ、どうぞお話の続きを。しっかり聞きますから、ゆっくり、少しずつで構いませんよ」

 

 笑顔で手を差し伸べるセレニィにアリエッタは満面の笑みを浮かべ、ゆっくり喋り始めた。

 

「えっと…」

 

 

 

 ――

 

 

 

「なるほど… 君は六神将の放った追手だった、と」

「……はい、です」

 

「なるほどなー… 空飛ぶ魔物で地面を眺めりゃ俺らの行動なんて筒抜けってか」

「ちょうどアリエッタ… 別行動中だった、です。エンゲーブ、いた… です」

 

「教団からエンゲーブの食糧の件で派遣されたのがアリエッタ… あなただったのですね」

「はい、です… イオン様。近くにいて、ママたちとお話出来る、教団の人間… です」

 

「確かに、アリエッタさんはその調停役にこれ以上ない人材といえますね」

 

 アリエッタの説明にトニーが納得顔で頷く。

 

 そしてエンゲーブでの調停が一段落ついたところで、一行の追跡を命じられたのだとか。

 自由自在に魔物を操り意思疎通できる彼女が追跡すれば、逃げ切るのは不可能に近い。

 まして一度捕捉されたのだ。イオンを抱えた旅道中で到底振り切れるものではないだろう。

 

 その懸念をそのままに、ジェイドが質問を投げかける。

 

「では、貴女はその任務に従って我々を捕らえに来た… というわけですか?」

「ち、違う… です。アリエッタ、恩人に牙を剥いたり… しないモン!」

 

「(しないモン… しないモン… アリエッタさんが可愛すぎて生きるのが辛い…)」

 

 セレニィは穏やかな笑顔を浮かべつつも、萌えからくる動悸・息切れと必死に戦っていた。

 このまま鼓動が速まり過ぎて死んでしまえば、世界一間抜けな死に様を晒すことになる。

 それは許されない。ここからようやくボーナスステージではないか。だから、死ねないんだ!

 

 ……恐らく世界一情けない『死ねない理由』であろう。変態は今日も平常運転である。

 

「アリエッタ、あなたたち… 送りに来た、です」

「送る? どういうことかしら」

 

「あなたたち、この子に乗せて送る… です。リグレットに、まだ探し中… 言う、です」

「なるほど。我々を捜索中と偽り、その実、目的地まで移送してくれるということですね?」

 

「はい、です。あんまり遠くは… んっと、無理です… けど」

 

 ジェイドの確認に、アリエッタはコクンと頷く。

 

 確かにあまり長い間連絡がつかなければ、それだけ不信感を与えることにつながりかねない。

 問題は彼女が真実を言っているかどうかだ。ジェイドはそう思い、セレニィに視線をやる。

 

「話の概要は分かりました。後は彼女を信じるかどうか… セレニィ、貴女の意見は?」

「? なんで私に聞くのか分かりませんが、信じる以外に選択肢があるんですか」

 

「(人を見る目のある彼女がこうまで信じ切っている、か)ふむ、嘘はないと信じましょう」

 

 単に萌えに全力で屈して、普段の思考力とかが全部吹っ飛んでいるだけである。

 セレニィの最大の弱点はハニートラップなのだ。ただし、相手は女性に限る。

 割りと彼女の目が節穴であるという事実に、残念ながらジェイドはまだ気付いていない。

 

 彼女の言うことが真実とした上で、その申し出を受けるかどうか… ジェイドは意見を募る。

 

「さんせー! てっか、魔物に乗るのとか超楽しみー!」

「うーん… 受けてもいいんじゃないか? 勿論警戒はした上でな」

 

「当然、信じるわ。セレニィと、セレニィの信じるアリエッタを」

「ボクもセレニィさんを信じるですのー!」

 

「自分も賛成です。コレが上手く行けば教団の追跡の裏もかけるでしょう」

「はい。僕も、アリエッタを信じたいです」

 

「……決まりですね。アリエッタ、かなりの大所帯ですが頼めますか?」

 

 ジェイドの確認に、アリエッタはコクンと一つ頷く。

 しかし、続いて申し訳無さそうな表情を浮かべて口を開いた。

 

「あの… あの… アリエッタ、一つだけ『お願い』が… ある、です…」

「なんでしょうか、アリエッタさん? 私たちにできることなら…」

 

「移動中だけ、で… いい、です… イオン様と… 二人きりで、お話したい… です…」

 

 絞り出すような声で目に涙を浮かべて言われてしまっては、一同、沈黙しかない。

 だが、同等かそれ以上に辛そうな表情をしているのが当のイオンだ。

 

 苦悩の色を浮かべて沈黙しているのは、恐らく頷けないだけの理由があるのだろう。

 ややあって、口を開く。

 

「アリエッタ… 僕は」

「恐れながら申し上げます、イオン様」

 

「……セレニィ?」

 

 そこに割って入ったのは、やはりセレニィであった。

 

 重要そうな話に割って入る無礼・無粋は百も承知。

 しかし、美少女が二人揃って悲しそうな表情をしている様など見ていられなかった。

 

 ただのエゴに過ぎないが、それでもセレニィなりに彼女たちを大事にしたいのだ。

 

「彼女としっかり向き合い、お話をされますよう」

「……しかし、僕は」

 

「私は見ての通りの氏素性も知れぬ身… 御身にかかる重圧など推し量れようもありません」

「そんなことは…」

 

「ですがこれだけは言えます。『後ろめたさ』を抱えて進む道は望む先へと繋がりません」

 

 微妙な後ろめたさを抱えていると、ろくなことがないのは経験則で理解している。

 ティアとかジェイドとかティアとかジェイドに、そのせいで何度胃を痛めつけられたことか。

 

 せめてイオンにはそういう思いをして欲しくない。精一杯の老婆心からの忠告である。

 

「イオン様、御身は胸を張って正しき言葉を人々に届けるべきお方です」

「僕は…」

 

「そんな時、今のように下を向かれていては、果たして届く言葉も届かなくなりましょう」

「……あ」

 

「語れぬこととてありましょう。もとより全てを語れなどと申すつもりはございません」

「……はい」

 

「ですが、勇気を振り絞って救いを求める者には… どうか向き合ってあげて下さい」

 

 意訳すると『事情あるかもだけどアリエッタさんの話ちょっと聞いてあげて』である。

 イオンが何度か喋ろうと試みるものの、なんと怒涛の勢いで押し切ってしまった。

 耳障りの良い言葉でなんとなくそうしなければいけないと思い込ませる、詐欺に近い技術だ。

 

 ジェイドが『毒』と評したのも頷ける話であろう。

 

「そう、ですね。アリエッタ… 僕は、あなたと話をしたく思います」

「イオン様ぁ…!」

 

「全ては語れません。今までさせた以上に辛い思いをさせてしまうかもしれません」

「それでも… 聞きたい、です…」

 

「ありがとうございます、セレニィ。僕は今、自分に少しだけ胸が張れそうです」

 

 そしてイオンは騙されてしまった。オマケに礼まで言ってしまう始末である。

 

 しかし、セレニィは後悔しない。美少女と美少女が笑顔になって幸せだからである。

 むしろ世界平和を成し遂げたかのような充足感に浸っている。下心満載なのに。

 

「なるほど… な。ルーク、おまえがあの娘を信頼する理由が少し分かった気がするよ」

「へへっ… だろー? セレニィはすっげぇんだぜ!」

 

「本当に、優しくて強い… 素敵な子。……私も、あの子に何度も救われたわ」

 

 仲間たちも騙されている。

 ただ、ティアさんは王族に働いた無礼から庇ってもらったことでガチで救われているが。

 

 そこにイオンと向き合っていたアリエッタが、セレニィに近付いてくる。

 

「おまえ… セレニィ、です?」

「あ、はい… そうですけど…?」

 

 真顔で尋ねられて焦るセレニィ。

 どうしよう… 『セレニィ見たら110番』とか、変態として有名になっているのだろうか?

 

 そんなことを考えつつも応対すると、アリエッタは満面の笑顔を浮かべる。

 

「ママから聞いた、です! セレニィ、小さいけど… とっても優しくて、勇敢だって!」

「え? え? それは、その… 別の世界線のセレニィさんではないかと思いますが…」

 

「ママから聞いて、想像してたとおり… ううん、想像以上… です!」

 

 ……優しく勇敢?

 それは明らかに違うセレニィである。あるいはガワだけ同じ別物を指すのではないだろうか。

 

 だがここまで目をキラキラと輝かせている少女の夢を壊していいものか。

 懊悩しつつも、取り敢えず話題を逸らすことで誤魔化してみる。

 

 え? しっかりと向き合え? よそはよそ、うちはうち。それがセレニィのモットーである。

 

「えぇと、ママというのは…」

「ママ… ライガの“女王”、呼ばれてる… です。とっても、優しくて、強い… です」

 

「わーい、アレですかー…」

 

 そういえば“女王”と話していた時、そんなことを言ってた気がする。

 美少女との出会いに浮かれていて、デッドリーなイベントは脳内から消去していたのだ。

 

 ど、どうしよう… 将来的にアレを『お義母さん』と呼べるのだろうか。

 嫁・姑問題が常に命懸けである。味噌汁の塩分が濃過ぎたら食われてしまうのだろうか?

 ……いやいやいや、自分が男ポジションだから。断じて『嫁』じゃないから。

 

 半ば現実逃避気味にそんなことを考えてるセレニィに、更に一歩アリエッタが近付く。

 

「セレニィのおかげで、セレニィ生まれた… です。セレニィ、アリエッタの妹… です」

「え? あ、はい… 女の子だったんですね(セレニィがゲシュタルト崩壊しすぎてやべぇ)」

 

「はい、です。将来はセレニィ… “女王”なる、です!」

 

 なんてことだ。

 セレニィに率いられることが確定してしまったライガの群れの未来は暗い(確信)。

 

 あと、アリエッタさんが近すぎて動悸と息切れがヤバい。

 そんな益体もないことを考えつつ、やんわりアリエッタを制しつつ口を開こうとする。

 

「あの」

 

「全部、全部、セレニィのおかげ… です!」

「いや、私は何もしてな」

 

「セレニィ、だーいすき… です!」

「はぇっ!?」

 

 そのまま感極まったアリエッタにギュッと抱き締められる。

 やわらかな感触と、温かい体温… そして優しい香りに包まれながらセレニィは思う。

 

「(あ… 今日、死ぬんだ…)」

 

 鼓動が最高潮に高まったセレニィの心臓は、その日、停止することとなった。

 

「セ、セレニィーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?」

 

 突き抜けるような青空に浮かんだ彼女の笑顔は、どこまでも爽やかであったという。



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37.会議

 時刻は夕暮れ頃。

 斜陽の光が窓から入り込み、部屋の中を優しいオレンジ色に染め上げる。

 

 その部屋に一人、ベッドで寝かされている者がいる。

 

「すぴー…」

 

 セレニィである。

 

 一時は心停止した彼女であったが、こうして無事に蘇生して今に至っている。

 幸せそうな寝顔を浮かべているさまは、果たして逞しいのか図太いのか。

 

「うぇへへ… アリエッタさんもイオン様も… アニスさんもリグレットさんも…」

 

 調子に乗ったのか、段々と夢がピンクがかってくる。

 ゴロゴロ寝返りを打ちながら、美女や美少女たちの艶姿を思い描いているらしい。

 

 まさに寝言乙、といった状況だ。当然、そんなモノが長く続くわけもなく…

 

「しょうがないなぁ… ティアさんも仲間に入れぐえっ!」

 

 ベッドから転がり落ち、したたかに顔を打った。

 

 急速に視界が開ける。まだ頭は働かないものの、意識は覚醒した。

 右を見る… 左を見る… そこは夕陽に照らされた、知らない部屋の中であった。

 

 思わず声が溢れる。

 

「……ここ、どこ?」

 

 したたかに打った鼻から垂れる血でシーツに真紅の染みを作りつつ、彼女は呟いた。

 よくよく生傷の絶えない存在である。

 

 セレニィが部屋で尻餅をつきながら放心していると、扉がノックされる。

 

「あ、はい。います… どうぞ、ってやば!」

 

 反射的に答えたものの、自分が鼻血を垂らしていることにようやく気づく。

 

 どう言い訳したものかと考えている間に扉は開かれる。姿を現したのはジェイドであった。

 

「おやセレニィ、お元気そうで… お元気そうでなによりです」

「ちょっと待ってください。何故言い直さなかったんです?」

 

「ははは… 鼻血を出すほど元気ならば何の心配もいらないでしょう?」

「これは『流血してる』って言うんですよ! ちっとは心配しろや!」

 

「そんなことより、皆さん既にお待ちかねですよ。さぁ、行きましょうか」

 

 いい笑顔でセレニィの訴えを華麗にスルーしてみせるジェイド。

 仕方ない。ドSに人の道を説いた自分が愚かだったのだ。

 

 セレニィはそう思い、彼に従い歩き出した。「いつかこのドS泣かす」と心に誓いつつ。

 

 

 

 ――

 

 

 

 ジェイドの歩幅に合わせ廊下を小走りで進みつつ、セレニィはジェイドに語りかけた。

 その鼻にはジェイドから渡されたティッシュが詰められており、大層間抜けである。

 

「ところで、ここって何処なんですか?」

 

「おっと、説明がまだでしたね。……ここは城砦都市セントビナー、その軍基地ですよ」

「あ、セントビナーに着いたんですね。じゃあ、アニスさんとも?」

 

「えぇ、合流済みです。出立直前だったようで、危うく擦れ違いになるところでしたが」

 

 アニスとは既に合流済みらしい。

 

 また、和平のための親書の確保についても成功していたため、いつでも出発が可能だとか。

 ともあれ無事に生きていて良かった。彼女も可愛らしかったので再会する時が楽しみだ。

 

 そんなことを考えつつ笑みを浮かべていると、ジェイドが話を続けてくる。

 

「あまり私たちに心配をかけさせないで下さいね? 貴女は、大事な仲間なんですから」

「そ、そっすか…(どうしたドS。『ドSの目にも涙』か? それとも『ドSの霍乱(かくらん)』か?)」

 

「それに気軽に弄れる対象がいなくなったら、誰が私のストレス解消をしてくれるので?」

 

 いや、知らんがな。

 

 人をサンドバッグ代わりにするのも大概にしろよ、このドS? マジで眼鏡叩き割るぞ。

 ほんのり良いことを言われて照れたものの、損をした気分だ。やっぱドSはダメだな。

 

 そんなことを思いつつセレニィは大きく溜息を吐く。続いて、今後の計画について尋ねる。

 

「ごめんなさーい、反省してまーす。それで、今後の予定などは決まっているので?」

「おや、謝り方に誠意が感じられませんねぇ。心配をかけた仲間に冷たくありませんか」

 

「(無視だ無視)……やっぱり、引き続きアリエッタさんを頼る形になるのですか?」

「やれやれ… これからその話をするというところでしてね。貴女を待っていたのです」

 

「あー… そうでしたか。なんだか、お待たせしてしまったみたいで申し訳ありません…」

 

 そんなこんなで話をしている間に、立派な扉の前までやってくる。

 

 気不味げに頭を下げるセレニィに「いいんですよ」と微笑み、ジェイドは扉をノックする。

 そのまま彼が名前と階級を名乗れば、中からは「うむ、入りたまえ」という声が返ってきた。

 

 その声はセレニィには全く聞き覚えがないものであった。あれ? なんで? 仲間たちは?

 

「あの、ジェイドさん。中にいるのってルーク様たちじゃ…」

「それでは失礼します」

 

 セレニィの言葉を無視して扉を開けるジェイド。

 さっきの無視の仕返しのつもりか、畜生。歯噛みするセレニィであったが時間は止まらない。

 

 おどおどしつつ促されるままに中に入ると、室内の二人の人物から視線を浴びる。

 一人は長い白髭がよく似合う老人。いま一人はいかめしい顔付きの壮年の軍人であった。

 

「……し、失礼します」

 

 いきなり場違いな場所に通されたセレニィは、消え入りそうな声でそう呟いた。

 

 

 

 ――

 

 

 

 二人の男性にジッと見詰められている。しかも恐らく歴戦の軍人であろう二人に。

 ……なんというか、極めて居心地が悪い。

 

 全力で帰りたい。しかし背後はドSに固められている。残る経路は前方の窓だけだ。

 飛び降りるしかないのか? ここは何階建てだろうか? 3階以上は危険だよね。

 

 引きつった笑顔を浮かべつつ、脱出手段についてグルグルと考え始めているセレニィ。

 そんな彼女の背中をジェイドがそっと押しながら口を開いた。

 

「彼女がセレニィです。さ、セレニィ… お二人に自己紹介をしてください」

「は、はい! セレニィといいます! ど、どうかよろしくお願いしましゅ!」

 

「………」

 

 噛んでしまった。死にたい。

 

 気不味い空気が漂う。老人は愉快そうに微笑んでいるが、壮年の男性は居心地が悪そうだ。

 そして彼は一つ咳払いをすると、口を開いた。

 

「あー… 私は帝国軍将軍グレン・マクガヴァンだ。こちらは私の父にあたる…」

「ホッホッホッ… なぁに、ただの退役した年寄りということで結構じゃよ」

 

「だ、そうだ。その… カーティス大佐、本当に彼女を交えてやるつもりなのか?」

 

 彼はどこかセレニィを心配したような様子でジェイドに尋ねる。

 

 いいぞ、もっと言ってやれ。この思い上がった眼鏡にガツンと言ってやってくださいよ!

 そう思いつつ、目を輝かせながらグレンを見詰めるセレニィ。現金な性格をしている。

 

 一方、尋ねられた側のジェイドの方はといえば、どこ吹く風といった様子で気楽に答える。

 

「はい、彼女の政治センスや視野の広さは私が保証します。必ずや我らの力になるかと」

「えっ? なにそれ…」

 

「ふぅむ。しかしだな…」

 

 政治センス? 視野の広さ? いやいや、全然心当たりありませんよ。なんですか、それ。

 雑魚が必死こいて死亡フラグを回避しようとしてたのをジェイドさん勘違いしちゃった?

 

 ダメだこのドS! グレンさん、あなたが頼りだ! コイツの眼鏡叩き割っちゃって下さい!

 

 セレニィは天にも願うつもりでグレンさんを全力で応援する。

 

「セレニィは、弁を使わせれば単身ライガの“女王”を説き伏せ和解を成し遂げました」

「ほう…?」

 

「戦っては、六神将が一人“魔弾”のリグレットを策にはめて撃退する程の戦巧者です」

「なんだと! あの六神将の… 君、それは本当なのかね?」

 

「え? あ、いや、その… 仲間の方のおかげですし… 運が良かっただけというか…」

 

 嘘じゃないだけに否定し辛い… とぼけようにもジェイドがそんなことを許すはずがない。

 微妙に修正はしたものの否定はしなかったセレニィに、二人は揃って感嘆の息を漏らす。

 

 そこにジェイドがダメ押しをしてくる。

 

「お聞きになりましたか? それだけのことを成し遂げながらも、この謙虚な言葉を」

「運だけで倒せるほどに六神将は甘くはなかろうて。仮に運でも二度続けば必然よ」

 

「信じられん。まだ若い… いや、幼い少女が。だが伊達や酔狂で成せることではない、か」

 

 おい、ふざけんなこのドS眼鏡。信じちゃっただろ。歴戦の軍人が信じちゃったじゃないか。

 おまえは無能無力のセレニィさんを一体どんな方向にプロデュースしようとしているんだ。

 

 セレニィは内心でジェイドに対して罵倒の限りを尽くす。

 

「仮に今回の会議で大して役に立たなかったとしても、その経験はきっと糧としましょう」

「なるほど… 貴君がそこまで買うのだ。もはや彼女の力は疑うまい… しかし、だ」

 

「ことはマルクト軍の機密にも関わること。おいそれと余人には聞かせられない… ですね?」

「分かっているではないか。彼女に不満があるというわけではないが、彼女のためにも…」

 

「万が一にもセレニィがマルクト軍の機密を漏洩した場合、私が責任持って処分しましょう」

 

 !?

 

 いやいやいや… なんで勝手に人の命をかけちゃってるの? そこは自分の命じゃないの?

 セレニィは衝撃の余り口をパクパクしながらジェイドを見詰めている。

 

「というのは冗談で… まぁ億が一にもないでしょうが、その時は私が責任を取りますよ」

「あ、あはは… そっすか(ビックリさせんなコラー! 心臓止まるかと思ったわい!?)」

 

「ま、そういうわけで彼女の能力と人間性は私が保証します。どうでしょうか? お二方」

 

 そうまで言われてはグレンらにも返す言葉がなく、セレニィの同席を認めることと相成った。

 本人にとっては、「ありがた迷惑ここに極まれり」といったところであったが。

 

 各々が席に腰掛けたのを確認すると、グレンが口を開く。

 

「さてタルタロスの乗員兵らの証言も出揃っているが、念のため、現状をおさらいしよう」

「あ、はい… ありがとうございます」

 

 グレンの丁寧な説明により、セレニィの多少足りてない頭でもある程度は理解できた。

 

 ・セントビナーやエンゲーブにタルタロスの乗員兵が落ち延びてきたので事情は聞いた。

 ・そこにノコノコ神託の盾兵がやってきて検問敷こうとしたので厳重抗議して追い払った。

 ・生き残りの証言をもとに近く本国から正式にローレライ教団へと向けて抗議する予定。

 

 だいたいこんな感じらしい。

 

 うん、だからなんでこんな重要そうな会議の席にこんな雑魚で部外者が混ざってるのかな?

 ……まったく、わけがわからないよ。胃の痛みと戦いながらセレニィは心中でつぶやく。

 

 こういう席こそルーク様やイオン様が相応しいはずなのだ。こんな特別扱いは御免こうむる。

 

 

 

 ――

 

 

 

 そして陽が完全に沈み、空に星が瞬く頃にようやくセレニィは解放されることとなった。

 あれだけ長い時間拘束されて決まったことといえば今後の経路くらいである。

 

 南にあるカイツールという街に向かい飛んで行くこととなった。勿論、アリエッタとともに。

 

 セレニィがしたことといえば、移動に関してはアリエッタ一択と強く主張したくらいだ。

 せめてもの癒しがほしい彼女としては捨てられる選択肢ではなかったのだ。

 

 今現在は疲れから会議机に突っ伏している。そこにジェイドが飲み物を持って現れた。

 

「あー… しんどい…」

「お疲れ様でした、セレニィ。初めてにしては中々のものでしたよ?」

 

「いやいや、全然だったじゃないですか」

「そうでもありませんよ。貴女の指摘のおかげで旅券の手配も行えましたしね」

 

「あー… あれですか」

 

 うん、アレにはびっくりした。

 何気なく指摘するまで誰も旅券について気付いてなかったそうな。

 

 キムラスカに不法入国するつもりだったんかい、と思わんでもない。

 まぁ、イオン様とアニスさんとアリエッタさんは大丈夫なんだろうけど。

 

 そう思いながら今後の旅についてセレニィは思いを巡らせる。

 

「セレニィは中々に気配り上手ですからね。全部終わったら、私の部下になりませんか」

「絶対にノウ」

 

「おやおや… 嫌われたものですねぇ」

 

 小さく肩を竦めるジェイドの姿にも、セレニィの心はなんら痛痒を覚えない。

 なんだかんだと、このドSとも軽口を叩けるような間柄にはなったものだ。

 決して嬉しくはないが。決して嬉しくはないが。大事なことだから二度言いました。

 

 キムラスカの首都であるバチカルとやらに着けば一先ず旅の終わりは見えてくる。

 その後に自分がどうなるのかは分からないけど、まぁ、なんとでもなるだろう。

 様々な胃痛から解放されて、きっとそれなりに幸せな未来が待っているに違いない。

 

 小市民ではあるが生来の脳天気さも併せ持っている彼女は気楽にそう構えることにした。



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38.友愛

 現在は食堂でホットミルクを自分で用意し、それを飲みながら食事の時を待っている。

 え? ジェイドが飲み物を用意してくれてたんじゃなかったかって? あははは…。

 

 確かに彼は、先ほど飲み物を持って現れましたね。……自分の分だけ手に持ちながらな!

 

「(労うなら徹底しろよ、ドS。寝てる時に眼鏡回収して指紋だらけにしてやろうか…)」

 

 そんなことを考えつつもホットミルクを一口。胃に優しく、荒んだ心が癒されるようだ。

 

 まぁ眼鏡指紋作戦を実行すれば、間違いなく指紋鑑定されて吊し上げを食らうだろう。

 ドSにそんな隙を見せれば後でどんな仕返しを食らうことか。やはり今は雌伏の時だよね。

 

 ふと耳を澄ませば、表からガヤガヤと声が響いてきた。仲間たちが戻ってきたのだろう。

 

「ふぃー… 疲れた疲れたー。なんだかんだと結構暇は潰せたなー」

「ま、そうだな。ソイルの木とか道具屋とか色々とあったしな」

 

「みなさん、おかえりなさい(こっちは睡眠+会議で缶詰でしたけどね… ふへへ…)」

 

 椅子の向きを変えて立ち上がり、呑気にセントビナーの観光をしていた面々を迎え入れる。

 

 う、羨ましくなんてないぞ。これは、そう、優雅な時間を謳歌した面々への静かな怒り。

 アリエッタさんやイオン様やアニスさんとデートしたかったけれど… はい、羨ましいです。

 

「セレニィさんがいなくて寂しかったですのー! ずっと一緒ですのー!」

 

「セレニィ、目が覚めたのね! ……良かったわ、本当に」

「無事でなによりです、セレニィ。……心配しましたよ」

 

「まったくもー… 無理ばっかりして。根暗ッタが殺したんじゃないかと焦ったじゃない」

「アリエッタ、大好きなセレニィにそんなことしないモン! アニスのイジワル!」

 

「俺も含めて君はこれだけの人間に心配かけたんだ。以後、肝に銘じて無理は程々にな」

 

 ミュウが、ティアが、イオンが、アニスが、アリエッタが、ガイが、そう話し掛けてくれる。

 ルークも輪には加わらないものの、ホッとしたような表情を見せてくれている。

 

 ええ人たちや、ホンマに… 某死霊使い(ネクロマンサー)除く。セレニィは目尻に涙を光らせつつそう思う。

 別に(あの場面では)無理はしていないが、萌え死なんて死因は明かせないので流すしかない。

 

 と、そこで『ある人』がいないことに気付く。話題を換える意図も手伝い声に出して尋ねる。

 

「おや、トニーさんは? ひょっとして軍基地所属に変更でお別れってことですか?」

「彼には明日の出発のための準備を色々としてもらっています。明日には合流できますよ」

 

「なるほど、トニーさんも同行してくれるんですね… なら、良かったです」

「お、セレニィはトニーのことが気になってるのか? 落とせるかは努力次第ってトコだな」

 

「そんなんじゃないですよ。ガイさん、あんまりふざけたこと抜かすと抱き着きますよ?」

「ひぃいいいいいいッ!?」

 

「クスクスクス…」

 

 常識人枠がこれ以上減ってしまえば胃に深刻なダメージを受けるため、必死なだけなのだ。

 

 ふざけたことを抜かしてきたガイを脅して、邪悪に満ちた黒い笑顔を浮かべるセレニィ。

 ガイを撃退してスッキリしたが、自ら女の武器を使うことで心に傷を負う諸刃の剣でもある。

 

 ほんのりダメージを負いつつ… セレニィは頭を下げた。自らのすべきことのために。

 驚く仲間を制しつつ、彼女は言葉を続ける。誠意ある謝罪をしなければ捨てられるのだ。

 

「度々ご迷惑をおかけして申し訳ありません。私のせいで貴重な一日を無駄にさせて…」

「べ、別にいいって! 弱い奴に無理させたってしょうがねーからな!」

 

「ルーク、セレニィは弱くなんかないわ! その言い方はちょっと酷いんじゃないかしら?」

 

 悲しそうに頭を下げるセレニィの姿に慌てたルークが、慌てて彼なりのフォローを試みる。

 意図は伝わるが余りにぶっきらぼうな言い様に、ティアがルークを窘めようと口を開く。

 

 が、セレニィの方を振り返り硬直する。彼女は双眸から透明な涙を流し呆然としていたのだ。

 

 その場に気不味い空気が漂う。誰もが静かにルークを責めるような視線を送っている。

 

 仲間からの心ない発言で傷付いてしまった献身的な少女の姿に、皆一様に心を打たれ口を噤む。

 ……無論、大いなる勘違いでしかないのだが。

 

「(“弱い奴に無理させても仕方ない”… 嗚呼、なんと心に響き渡る素晴らしい名言だろう)」

 

 それは感動の涙であった。

 

 この世界に来てからというもののデッドリーなイベント群は絶え間なく、むちゃ振りの連続。

 たまに命の危険はない問題に当ってもストレスで胃痛がマッハな事態になることしばしば。

 オマケに巨乳やドSは何を勘違いしたのか、こちらに、能力以上の要求ばかりをしてくるのだ。

 

 もう半分以上は諦めていた。この面々と過ごす限り、自分の胃に安息の日は訪れないのだと。

 

 だが、違った。それは思い込みだったのだ。この世界にもほんのり優しさは存在したのだ。

 数多の萌える美女や美少女と出会えたように。そして今、ルークが言ってくれたように。

 

 感極まって涙を流してしまうのも無理はない。そしてセレニィは激情の赴くままに行動する。

 

「ありがとう、ルーク様! 愛してる!」

 

 笑顔を浮かべてルークの胸に飛び込む。100%混じりっけなしの好意… いわゆる友愛である。

 

「え? な、ちょっ… おい! いきなり抱き着いてくるんじゃねぇよ!」

「っと、ごめんなさい。あはは… 嬉しくて感極まっちゃって、つい」

 

「おいおい、ルーク… 顔が真っ赤だぞ? 知らないぞー… ナタリア姫にバレたら」

「バッ! こ、これは… そんなんじゃねーっての! 勘違いすんじゃねー!」

 

「うーん… セレニィがライバルか。これは強敵かも… アニスちゃんファイト!」

 

 危ない危ない… ついテンションが上がって、感情の赴くままに行動しちゃったぜ。

 いきなり男に抱き着かれちゃってもキモいだけだよね。流石にこれはないわー…。

 

 これが庶民にも寛容なルーク様じゃなかったら無礼討ち確定だったな。……反省反省。

 

 我に返ったセレニィは、誤魔化し笑いを浮かべて自分の頭をかきつつそんなことを思う。

 だが、それに納得しない者たちもいた。まずアリエッタがセレニィを抱き寄せる。

 

「うぅー… セレニィはアリエッタの妹なの! ルークにはあげないモン!」

「は、はい… アリエッタさん?」

 

「セレニィはママの娘でアリエッタの妹です。だから、セレニィもアリエッタの妹です!」

「あぁ… ライガのセレニィさんがアリエッタさんの妹だから私も妹と。それちょっと無理が…」

 

「セレニィはアリエッタの妹だモン!」

「はい、そうですね! お姉さん!」

 

「えへへー…」

 

 萌える美少女に逆らうという思考回路を持たないセレニィは、即答で頷いて妹になった。

 その回答に満面の笑みを浮かべるアリエッタを見て、生きててよかったと心から思う。

 

 流石に今回は心停止はしなかったが、塞がったはずの鼻血が再び漏れているのはご愛嬌か。

 

 当然と言うべきか、残る一人はティアであった。

 慈愛の笑みを浮かべて、アリエッタとセレニィを抱きかかえるようにしてそこに続く。

 

「そうね… 二人とも、私のことを『お姉さん』と呼んでくれていいのよ?」

 

「? アリエッタ、別にティアの妹じゃないです」

「お疲れのようですね… ティアさん、病院に行きましょうか? 頭のですよ」

 

「なんで私はダメなの!?」

 

 安定のティアさんであった。残念ながら妹や姉はポンポン生えてこない。これが現実である。

 

 そんな和気藹々とした空気の中、夕食が用意されて各々が互いに話を弾ませるのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 そして、夕食後。

 

「ひゃっほい! 久し振りの風呂だー! 元日本人的にお風呂は欠かせないでござる!」

 

 かようなことを口走りながら男湯に特攻したアホが、廊下に放り出されたことを追記する。

 

「……解せぬでござる」

 

 流石に未だ女湯に交じる度胸はない。已む無く時間帯をずらして湯船に浸かるのであった。

 

「ふふふ… 湯船が(ぬる)いでござる…」

 

 久し振りの風呂はちょっとしょっぱい涙味がしたという。

 

 さて、セレニィが湯船に浸かっているちょうどその頃… 練兵場には3つの影が立っていた。

 ルーク、ガイ、そして少し前から鍛錬をしていたトニーである。

 

「おや、ルークにガイ… もう夜も更けていますけれど、この場所になにか御用でも?」

 

「ルークがここを借りたいって言ってな。そういうトニーこそ、どうしてここに?」

「自分には譜術の才がありませんから、これからの戦いでせめて足を引っ張らないようにと」

 

「そっか、熱心だな… ま、こっちも大体似たような理由だと思うが。だろ? ルーク」

「あぁ、トニーの邪魔はしない。だから、悪いけど少しの間ここを使わせてくれないか?」

 

「どうぞご自由に。あなた方は賓客なのですから、本来は自分に断る必要などないのですよ」

 

 そう言って、笑いながら頷く。

 

 トニーのその言葉にそれぞれ礼をしつつ、ルークとガイは互いの木剣を手に鍛錬を始める。

 頃合いを見計らってガイが口を開く。

 

「しかし、どうしたんだ急に… あぁ、なるほど。セレニィを守るためか?」

「なっ! そんなんじゃねーって言ってんだろ! 覚悟しろよ、ガイ!」

 

「おっと… 力任せに振り回しても逆効果だぞ? そういうところはまだまだだなー」

「そういう話になっていたのですか? フフッ、微笑ましいですね。自分は応援しますよ」

 

「いいのかい? セレニィはアンタも気にしていたようだったが…」

 

 ガイは「だからそんなんじゃねー!」と騒ぐルークをあしらいつつ、トニーに声をかける。

 とはいえ、トニーの方はその言葉にも穏やかな表情を崩さない。

 

「えぇ、もし本当ならお気持ちは嬉しいですが自分には故郷に婚約者もいますから」

「へぇ! そりゃあ素晴らしい… 式の日取りは決まってるのかい?」

 

「ウンディーネデーカンの吉日に… ま、休暇が取れればの話になりますけれどね」

「確かに和平次第になるだろうが、その時は仲間の好だ… 是非招待してくれよな!」

 

「えぇ、もちろん… っとガイ。ルークが」

「へへっ、隙ありぃ!」

 

「ん? ……うおっ!?」

 

 ルークの一撃に、ガイの木剣が宙を舞う。

 トニーとの話に夢中になっていると見るや、ペースを変えて高速の一撃を撃ち込んだのだ。

 

 宙を舞う木剣をキャッチしつつ、ルークがしてやったりという笑みを浮かべる。

 

「俺をナメんのも程々にしとけよなー?」

「ったく、参った参った。腕を上げたなぁ、ルーク。んじゃ、ここからは本気で行くぞ?」

 

「どっからでもかかってきな!」

「フフッ… ではガイの稽古の後には自分も協力しましょうか。無論、手は抜きませんよ」

 

「うぇっ! ト、トニーまでかよぉ…」

 

 かくしてルークは散々絞られ、終わる頃にはボロ雑巾のようにくたびれる羽目となるった。

 

 その一方で、男湯では…

 

「なんかついさっき、常識人枠が凄い勢いで死亡フラグを立てていた気がする…!」

 

 旅の垢を落としている小市民が、戦慄の予感に打ち震えているのであった。

 

「いや、きっと気のせいだよね… うん、そうに違いない。だから、この胃痛は気のせい…」

 

 でも、念のために風呂から出たらあの胃薬を飲まないと…

 

 そう決意しつつ、セレニィはセントビナーでの一時の休息にて英気を養うのであった。



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39.手紙

 そして翌朝を迎えた城砦都市セントビナー。

 一行がカイツールへと向けた出発を控えている中、アリエッタが旅の計画に難色を示す。

 

「あの… あまり長い間、連絡が取れなくなると… んっと、リグレットに疑われるです」

「(しまった、それがあったかー!)」

 

「あちゃー… しまったな。そういや、そんなことも言ってたっけか… どうしたもんか」

 

 セレニィ痛恨のミスである。この凡ミスは間抜けの一言に尽きる。

 

「困ったわね… 大佐、徒歩に切り替えますか?」

「いや、だったらせめて途中まで送ってもらう方が良いんじゃないか」

 

「ふむ、そうですねぇ…」

 

 誰も責めてこないのが逆に辛い。

 いや、既に諦められて期待されてないのだろうか? 捨てられ秒読み段階?

 

 ヤバイヤバイヤバイ… そんな逆境の中、間抜けは必死に考える。

 自分の価値を再認識させるための一手を。

 

 そして閃いた。

 

「ん… でもイオン様やセレニィのためなら、アリエッタは」

 

「アリエッタさん」

「? なに、セレニィ」

 

 たとえ仲間の六神将たちに疑われ、最悪敵対することになったとしても…

 そう悲壮な決意を固めようとしていたアリエッタの耳に、セレニィの声が届く。

 

 その笑顔には、知る人ぞ知るセレニィが小賢しい策を思い付いた時の色が秘められていた。

 それを確認したジェイドは、薄い微笑を浮かべて彼女にこの場を任せようと考える。

 

 かくしてセレニィは言葉を続ける。

 

「『休暇』って言葉… ご存知ですか?」

「休暇… 休むこと? 作戦の後は、休むために… 待機命令、貰うです」

 

「(よっしゃー! 神託の盾(オラクル)騎士団がブラックで首の皮一枚繋がったぁああああああ!)」

「あの… それが、どうしたです? セレニィ」

 

「あ、それがですね… 実は待機というのは休暇ではないんですよねー」

 

 待機は命令が下り次第、即応しなければならない。断じて休暇ではない。

 

 その説明にアリエッタは目を丸くする。

 自分は今まで休暇をもらったことがなかったのか、と驚きの色を浮かべる。

 

 実際は精神的に幼いアリエッタをフォローするための措置だったが、この場合は裏目に出た。

 リグレットやラルゴは休暇を貰っていたのにずるい… と、幼い怒りに頬を膨らませる。

 

 そんな仕草に萌えながらセレニィは更に言葉を続ける。

 

「アリエッタさんはエンゲーブでの任務は、教団の使者として見事に解決しましたよね?」

「う、うん… えへへ、アリエッタ… がんばったよ?」

 

「はい、偉いです。なのに休む暇もなく追跡調査任務も受けた。……これは働き過ぎですねー」

「そうですねぇ… 我がマルクト軍ではちょっと考えられませんねぇ」

 

「……そう、なの?」

 

 セレニィは口の端から涎を垂らしながら、アリエッタの頭を撫でる。

 撫でられたアリエッタはといえば嬉しそうに目を細める。

 といってもアリエッタの方が若干背が高いのでさり気なく爪先立ちだが。

 

 そんな彼女たちの姿に悶えるティアのことはさておき。

 

 ジェイドのフォローも手伝い、アリエッタは小首を傾げてみせる。

 普段はセレニィの胃を痛めつけるのが大好きなドSだが、こういう時の連携はバッチリだ。

 心と心で通じ合った腹黒い友情の賜物である。セレニィ的に全く嬉しくない。

 

 まぁそもそもアリエッタは思い立ったら即行動するため、フォローする必要があるのだ。

 おいそれと自由行動なども許せず、ある程度は監視付きの方が彼女を制御しやすい。

 休暇中ではなくとも休暇中のような行動を取るため、あえて与えてなかっただけなのだが。

 

 そんな六神将の苦心の裏事情など知らないセレニィは、我が意を得たりと畳み込む。

 

「休暇中の行動は基本自由です。だからこれこれこうしますって連絡も不要なんですよー」

 

「えっ、そうなんだ? じゃあ、じゃあ… イオン様やセレニィと一緒、行けるです?」

「勿論です。もし万が一聞かれても『ちょっと知人と旅行してきます』だけで充分なんです」

 

「いやはや、なんというか… 凄いものですね。セレニィは」

「アニスちゃん、たまにセレニィのことがちょっと怖いかもー…」

 

 トニーとアニスが詐欺師顔負けの口先で少女を丸め込むさまを見て、若干引いている。

 捨てられないためにと力を発揮した行動で逆に隔意を抱かれてしまったようで残念無念である。

 

 セレニィの言葉にちょっと考え込んだアリエッタは、ややあってから口を開く。

 

「んっと… じゃあ、リグレットに頼めばいいのかな? ……休暇」

「ですが今まで貰えなかったんですよね… もっと上の方に頼んだらいかがでしょうか」

 

「もっと上…?」

「はい。ダアトの詠師様あたりに向け、直接手紙を宛ててみませんか?」

 

「だとすれば詠師トリトハイム宛てが良いでしょう。彼は誠実で公平な目を持っています」

「私も文面を考えますから。一緒にがんばりましょうね、アリエッタさん」

 

「はいです! ありがとう! イオン様、セレニィ!」

 

 こうしてあれやこれやで全員を巻き込み、文面やらを考えて悪戦苦闘することしばし。

 文字を書くに慣れてない向きもあったがアリエッタもまた、彼女なりに一生懸命がんばった。

 

 結果… 頬を若干インクで汚したアリエッタが満足そうな笑顔を浮かべ、そのペンを置いた。

 その場にいる面々も疲れてはいたが、皆一様にやり遂げた表情を浮かべている。

 

 手紙が完成したのである。アリエッタはその内容を静かに読み上げる。

 

『詠師トリトハイム様へご報告をします。

 まず、イオン様の追跡調査の任務で芳しい成果をあげられなくてごめんなさい。

 それとその前のエンゲーブでの件、既に聞き及んでると思いますが成功の報告をします。

 ところで詠師トリトハイム様、アリエッタには一つお願いがあります。

 実は今まで貰ったことのない「休暇」を取れるようにお願いしたいのです。

 アリエッタの友達の魔物たちを世話してくれている教団にはとても感謝してます。

 でも、知人に初めて誘われた旅行を断るのはとても心苦しいのです。

 どうかお願いします。

 同僚であり、上役であるリグレットに頼んでも難しいだろうと思いペンを手にしました。

 報告のついでとなって失礼かもですが、あなたがこの休暇願を受け取ってくれると信じて。

                      神託の盾(オラクル)騎士団第三師団長アリエッタ響手』

 

 意訳すると下記のようになる。

 

 ・イオン様の追跡調査は難航中です。けど、その前のエンゲーブの任務は成功しました。

 ・ところで今まで一回も休暇貰ったことないんすけどー。かー、辛いわー。超辛いわー。

 ・今の上司に言っても握り潰されるだろうけどトリトハイム様はそんなことしないよね?

 

 読み終えて、満面の笑みを浮かべるアリエッタを囲んでみんなで歓声を上げる。

 

「素晴らしい仕上がりです、アリエッタ。これならきっとトリトハイムも無視できません」

「まぁ、文章表現としちゃ少し拙い部分もあるけど… それがかえって味を感じさせるよな」

 

「え、えへへ… みんな、ありがとう… みんなのおかげ、です…」

「へへっ、いいってことよ。感謝ならセレニィとイオンにするんだな」

 

「アリエッタ、私たちは仲間でしょう? 窮地においては助け合うのは当然のことよ」

「ま、これで根暗ッタに貸しを一つ作ったと思えばアニスちゃん的に安いもんだしねー?」

 

「みゅう! みんなアリエッタさんのことが大好きですのー! 仲間ですのー!」

 

 みんなと喜びを分かち合うアリエッタ。

 その光景に目尻に光る物を浮かべながら「ええ話や…」と呟くセレニィ。

 

 少し離れた位置からそれを微妙な表情で見詰めるトニーと、その横に立つジェイド。

 トニーは静かな声でジェイドに語りかける。

 

「あの… アレって、ローレライ教団的に結構な火種になるのでは?」

「そうでしょうか? 内部の派閥争いが多少加速するだけでしょう」

 

「それを『火種』というのではないでしょうか? ジェイド」

「……まぁ、私はここの仲間以外の教団員は滅んでいいと半分本気で思ってますから」

 

「………」

 

 眼鏡を光らせつつサラッと言ってのけるジェイドに、トニーも乾いた笑いを浮かべる。

 

 ジェイドほどではないかもしれないが、トニーとて今回の一件で教団には怒りを覚えている。

 多少のお灸を据えるくらいは必要かもしれない。そう思い直し、口を閉ざすのであった。

 

 仲間が互いの健闘を讃え合う暖かい光景。

 その裏で、この手紙は『教団幹部による内部告発』という生々しい意味をも持つことになる。

 これが六神将とそれを操る者たちを大いに苦しめることになるのはまだ先の話。

 

 そのはじまりは… 失点を取り戻したい、美少女と旅を満喫したい、できるだけ楽をしたい。

 そんなとある小市民のささやかな欲望が発端であったという。

 

 ……ささやかではないかもしれないが。

 

「じゃあ、後はこの手紙をグレン将軍に預けて鳩で出すようにお願いするだけですね」

 

「うん、ありがとうセレニィ!」

「なぁに、いいってことですよ! 私たち、仲間じゃないですか! ビバ、友情パワー!」

 

 お互いにいい笑顔を浮かべて微笑み合う二人の少女。

 

 え? 休暇に関して、詠師トリトハイムさんからの承認を待たなくて良いのかって?

 その辺はアレですよ。高度な柔軟性を持って臨機応変に対処すべき案件でしょう。

 

 そんなことを考えつつ、セレニィは出発の準備を改めて整える。

 

 かくして彼女たちはカイツールへと向けて飛び立つこととなった。

 それなりに長い旅路ではあるが、徒歩と違い何ヶ月もかかる行程というわけでもない。

 

 これからの旅立ちに向けて、空は澄み渡り深い青が広がっている。

 きっと幸せな未来が待っているに違いない。そんな予感を覚えつつ彼女は飛び立つ。

 

 ……後に、様々な要因から神託の盾(オラクル)騎士団からヘイトを集めまくることになるのだが。

 まさに、『禍福は糾える縄の如し』とでも言うべきであろうか。

 

「いざ、光の都バチカルへ! なんちてー。ちょっと気が早かったですかね?」

 

 そんな未来も知らず、セレニィは調子に乗りまくるのであった。



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40.獣

 無事にアリエッタの協力を取り付けた一行は、セントビナーを出発した。

 各々が彼女の用意した巨大な鳥型の魔物、フレスベルグに乗り込む。

 

 ……というわけにも行かず、互いをフォローするために二人一組が提案された。

 無論セレニィによって。

 

「(これで旅の間美少女とイチャイチャできるぜ… くっくっく、コイツらチョロい!)」

 

 とはいえ、あまり大群で飛んでいても目立つ。出来れば数羽程で移動したいのも事実だ。

 セレニィの邪悪な本性はさておき、言っていることはもっともなのでその案は採用された。

 

 なお「二人でペア組んで」で余ったティアのためにミュウが貸し出されたことを追記する。

 セレニィも流石に哀れで見ていられなかったのだが、本人的にはそれなりに幸せな模様。

 

「一緒に頑張りましょうね、ミュウ!」

「ですの!」

 

「(まぁ、喜んでるようだしよしとしよう… うん)」

 

 そして最終的に、ルーク&ガイ、ジェイド&トニー、ティア&ミュウ、イオン&アニス…

 荷物運び専用の1羽に加えて、セレニィ&アリエッタという組み合わせの合計6組となった。

 

 この組み合わせにはセレニィとしても大満足だ。女性だったら誰でも良かったのだが。

 男同士、女同士でペアを組んだ以上は重量の差が凄いことになるにはなるが、そこはそれ。

 

 フレスベルグの体格の良い個体を優先的に男に割り振ることで解決させた。

 そもそもガイが女性に触れられない以上、このペア割りは半ば以上必然とも言えたのだが。

 

 かくしてそれなりに仲の良い者同士で、気持ちの良いフライトと相成った。

 

「大丈夫、セレニィ? 寒くない?」

 

「あはは、大丈夫ですよー。ありがとうございます、アリエッタさん」

「とーぜん。アリエッタはセレニィのお姉さんだモン!」

 

 お姉さんぶる、ちょっと背伸びしたアリエッタさんが可愛すぎて生きるのが辛い。

 え? ティアさん? ティアさんは、その、嫌いじゃないんですけどね…

 

「えーと… その、そういえばですね。アリエッタさん…」

 

 そんなことを考えつつ、セレニィはふと気になっていたことについて話を切り出した。

 

「ん? なに、セレニィ」

「えっと、イオン様と二人で話をしたいって言ってたじゃないですか」

 

「ん、言ってたです」

「さっきの組み合わせでもアニスさんに遠慮してたみたいですし、大丈夫だったのかなって」

 

「………」

「あ、いや、私はアリエッタさんと一緒で嬉しいんですけどね! もし辛いなら私から…」

 

「……フフッ」

 

 ひょっとして地雷を踏んでしまったんじゃないか、としどろもどろになるセレニィの表情。

 それを見てアリエッタは思わず笑みをこぼす。

 

 初対面の時から何かとこちらを気にかけてくれて、今も自分よりもこちらを優先している。

 そのお人好しな友達が、何故か自分以上に自分のことを気にしているのがおかしかったのだ。

 

 ……まぁセレニィの方は一貫して美少女に萌えていただけだったのだが。

 

 ひとしきり笑った後、アリエッタは口を開く。

 

「大丈夫、ですよ。我慢してないって言ったら、嘘になるですけど… いいんです」

「えっと… いいんですか?」

 

「えへへ… いいんです」

 

 そう言いながら照れたように微笑むアリエッタに萌えつつ、セレニィは内心で思った。

 何この子すげぇ、と。

 

 自分は我慢するのも努力するのもしんどいのも大嫌いだ。自堕落な人間なのだ。

 今のこの立ち位置とて、状況が許さないから嫌々やっているだけに過ぎない。

 

 そもそもそうなったのも主に巨乳やドSのせいで、好き好んで作り出した状況ではない。

 彼らがいなければ、恐らくニートよろしく養われる道を全力で選択していたであろう。

 

 そんな生粋のダメ人間からすれば、今のアリエッタは眩しいほど輝いて見えたのだ。

 

「イオン様、アリエッタとの思い出… なくしちゃってたです。前と、変わってたです」

「ちょっと待って下さい。そんな大事なこと、私に聞かせていいんですか?」

 

「? イオン様、『セレニィにだったら聞かせても構いません』って… 言ってた、です」

「えっ、なにそれ… こわい」

 

 なんか不意打ちで教団のトップシークレットについて聞かされてしまった気がする。

 あ、あれ… なんで危険から距離とってたつもりなのに巻き込まれてるのかな?

 

 そもそも『セレニィにだったら聞かせても構いません』ってなんなんですか、マジで。

 え? なに? 「どうせ近い将来死にますから冥土の土産ですよ」ってことなのかな?

 

 セレニィ、死んでしまうん? いやいやいや、死んでたまるか。絶対生き延びてやる。

 あ、胃がキリキリ痛んできたぜ… うん、恒例行事だね。ちょっとばかり油断してたぜ。

 

 そんなセレニィの内心など知る由もないアリエッタは言葉を続ける。

 

「今のイオン様の一番大事は、アニスです。……もうアリエッタじゃない、です」

「………」

 

「だから、ちょっとだけ寂しいですけど… これから、また仲良くなっていくです!」

「アリエッタさん…」

 

「イオン様もアニスも『それで良い』って言ってくれたです。……だから、いいんです」

 

 ほんの少しの寂寥感を滲ませつつ、健気に微笑んでみせるアリエッタ。

 その笑顔はセレニィのハートをいつもどおりに撃ち抜いた。

 

 なんてええ子なんや。天使はここにいたんだね。目頭を抑えながら内心でそう呟く。

 

 アリエッタの驚きの白さに、腹黒さと自己保身で構成されたセレニィも浄化される勢いだ。

 ……問題はセレニィから黒さを排除すると何も残らなくなる点だが、些細な問題だろう。

 

「……アリエッタさんは本当に優しい方ですね」

「? 別にアリエッタ、普通です」

 

「いや、本当に…」

「ん… だとしたら、全部セレニィのおかげです!」

 

「……はい?」

 

 どうしよう、アリエッタさんがなんかおかしなことを口走り始めてしまったでござる。

 やっぱり、イオン様との思い出が消去(デリート)されちゃったのがショックだったのだろうか。

 

 自分は胃薬しか持ってないが分けてあげるべきか? そもそも効果があるのだろうか?

 いや、待てよ。自分より下の存在がいることで他人に優しくなれる心理という可能性も…

 

 そんなことを静かに考えこんでいるセレニィを余所に、アリエッタは更に言葉を続ける。

 

「セレニィのおかげでママが助かって、イオン様と話せて、アリエッタ、ここにいるです」

「え? は? いや、まぁ… そうと言えなくも…」

 

「……ひょっとしたら、ママがティアやジェイドに殺されてたかもしれないです。そしたら」

 

 思わず目に涙を浮かべるアリエッタを慌てて慰める。

 いやいや、いくらあの巨乳とドSでも流石にあの事件でライガさんを一方的に殺めたりは…

 

 うん、しないと信じたい。一応、なんだかんだとこれまで一緒に旅をしてきた仲間だしね!

 

 何故か早鐘を鳴らし続ける心臓のあたりを抑えながら、セレニィはそう信じこむことにした。

 

「だから、誰がなんて言っても… セレニィは恩人、です。……胸はってほしい、です」

「……あ、はい」

 

「約束ですよ? 誰かにいじめられたらアリエッタに言うです。お姉さんが守ってあげるです」

 

 そう言って、満面の笑みを浮かべるアリエッタ。

 

 ……嫌々やってきたことであるが、自分はこの子の笑顔を守れたと思っていいんだろうか?

 ほんの少しだけ、セレニィは自分を取り巻く現状を前向きに受け入れようかと考え始める。

 

 そして、小さく拳を握り締めて心の中で密かに決意する。

 

「(うん… 明日から頑張ろう!)」

 

 ……ここで変わりそうで変わりきれないあたりが、セレニィのセレニィたる所以(ゆえん)かもしれない。

 

 

 

 ――

 

 

 

 それから一行は、カイツールに向けた空の旅を続ける。

 

 朝起きて、朝食と昼食用の弁当を作って、キャンプの片付けをして飛び立ち、昼に食事休憩。

 休憩後、午後飛び立って、夕暮れまで飛んで、キャンプと夕食の用意をして、夕食後に就寝。

 

 基本的にはその繰り返しである。途中からは飛行の際のペアを変えたりして中々に楽しんだ。

 

 セレニィとしては美少女とのペアはどれも楽しかったのだが、意外な楽しみも発見できた。

 ルークと一緒に飛んだ時にふと美少女談義をしたのだが、それが思いの外楽しめたのだ。

 

 同年代… とは言えないかもしれないが、男同士でこういう下らない話をするのは実に良い。

 

「やっぱり、イオン様が一押しだと思うんですけど… ルークさんはどう思いますか?」

「お、おう… そうだな(ガイが怖がってないし、イオンは男だと思うんだけどな…)」

 

「あ、でもでも! アニスさんやアリエッタさんも、すっごく可愛いですよねー!」

「まー、そうだよな。んじゃさ、ティアとかはどうなんだ? 見た目は美人だと思うけど」

 

「そうですよね… 見た目は美人なんですけどね… どうしてああなったんだ、マジで…」

 

 そうセレニィが頭を抱えれば、ルークも苦笑いを浮かべながら同意する。

 

「ははは… やっぱそういう評価になっちまうよなー…」

「ルークさんはティアさんが気になるんですか? もしそうだったら失礼だったかな…」

 

「いや、全然。ただ名前あがってないからどーなんかなーってな」

 

 とまぁ、そんなこんなで大いに話が弾んだ。

 

 なんか自分が一方的に喋っていた気がしないでもないが、きっとルークさんも楽しんでたはず。

 晩の用意をしながらセレニィはそう振り返る。

 

 いよいよ明日はカイツールに到着するのだ。

 

 ここ数日、いろんな交流をしたり料理のレシピを交換したりで大いに充実した旅行が楽しめた。

 

 食材に関してもアリエッタの魔物が適当に狩ってきてくれて、ミュウが山菜などを発見する。

 アリエッタの汎用性がとにかく凄い。もう全部彼女に任せて良いんじゃないかなレベルである。

 

 こんなことならもう少し続いてくれても良かったのだが、楽しい時間はすぐに終わるものだ。

 

「はーい、みなさんお待たせしましたー。今日は鹿肉と山菜の包み焼きに卵スープですよー」

 

 ここ数日の付き合いで仲間の好き嫌いもある程度は把握した。問題はないはずだ。

 特に家事は疎かにできないスキルであるといえる。セレニィも捨てられないために必死なのだ。

 

「おっ、うめー! うん、セレニィはやっぱ料理上手だよなー!」

「えぇ、アニスも料理上手ですがセレニィも負けてませんねぇ」

 

「確かにコイツは旨い… 二人とも将来は良いお嫁さんになれるぞー?」

「ガイさん… あんまりふざけたことを抜かしてると抱き着きますよ」

 

「褒めたのになんで!?」

 

 ただ料理のスキルが上がる度に女扱いされるのが、セレニィ的にいかんともしがたい点である。

 脅されたガイが慌てて話題を変えるために口を開く。

 

「あ、そういえば言いそびれてたが… 実はヴァン謡将もルークを探しててな」

「ヴァン師匠(せんせい)が? おいガイ、なんだって黙ってたんだよ!」

 

「悪かったよ。で、旅券のこともあってカイツールで落ち合うことになってたんだが…」

「自分たちには既に旅券がありますし。こう言ってはなんですが無理に待つ必要は…」

 

「伝言を残しておくだけで充分なんじゃないですかー? ってアニスちゃんは思いまーす」

 

 トニーやアニスの言葉に「ま、そうなんだよなー」と苦笑いしながら頷くガイ。

 思い出したから言ってみただけで、無理に彼を待つ方向に推し進めるつもりもないようだ。

 

 だが落ち着かない人物が2名いる。「ヴァン…」と呟いて瞳に剣呑な光を宿したティア。

 そして尊敬する師匠に会いたい、会って一緒にバチカルまで帰りたいと願うルークであった。

 

「俺はヴァン師匠(せんせい)と一緒に帰りたい! なー、いいだろ? イオン、ジェイド!」

「えぇ、僕は別に構いませんが… どうでしょうか? ジェイド」

 

「困りましたねぇ… 私としては出来れば一刻も早く、バチカルに到着したいのですが…」

「協力してやってるだろ。それにホラ… タルタロス脱出する時の貸し、忘れてないよな?」

 

「おや、それを言われてしまうと弱いですねぇ。ふーむ…」

 

 ルークがジェイドを口説いているようなので、セレニィはティアに話しかける。

 

「なんか知ってるような雰囲気ですけど、ヴァンさんって方はティアさんのお知り合いで?」

「彼は… ヴァン・グランツは私の兄なの」

 

「へー… お兄さんなんですか。ではティアさんは、ヴァンさんを待ちたい感じですか?」

「えぇ、そうね… 私は、彼を殺さなければならないから」

 

「なるほどなるほどー… はい?」

 

 そのまま食事を再開しようとした手が止まる。

 

 え? なんでこの夕食時の団欒の場でいきなり兄をぶっ殺すって宣言しちゃうの、この人。

 あ、いやいや… きっと聞き間違いに違いない。あるいは言葉の綾とかそんな感じで。

 ベッドの下のお宝を暴かれたぜー! 畜生アイツ殺すしかねー! とかそんなノリだよね。

 

 ……ですよね?

 

 なんかみんな固まってティアさんに注目してますけど、そういうアレだと信じていいよね?

 セレニィは青褪めつつ、片手で胃薬を探し始める。

 

 ティアは俯きながら… しかし、ハッキリとした口調で語り始めた。

 

「私は彼を討たなければならない。……そのために旅をしていたの」

 

「おいオメー! 少しはイイヤツだって思ってたけど師匠(せんせい)を殺すつもりなら容赦しねーぞ!」

「ル、ルーク… 落ち着いて下さい! ……ティア、理由を聞かせていただけますか?」

 

 当然のことながら激昂したルークを抑えつつ、トニーが尋ねる。

 しかし、それに対するティアの回答は素気ないものであった。

 

「それは言えないわ。……私の故郷、その秘密に関わることだもの」

「オメー、ふざけんなよ! いきなり現れて師匠(せんせい)を殺そうとしやがって! 挙句にそれかよ!」

 

「ルーク、落ち着くんだ。しかしなぁ、ティア… ルークの気持ちも分かるってもんだぜ?」

 

 トニーさんに加勢してルーク様を抑えつつ、ガイさんがやんわりとティアさんを窘める。

 アニスさんはさり気なくイオン様の手を引いて騒ぎから距離をとっている。……仕事早いな。

 

 しかし中々に根が深そうな問題だ。

 どうしたものかとセレニィは考える。……その一瞬の油断が命取りとなった。

 

「大体オメー、勝手に屋敷に入ってきたこともそうだけど! 無茶苦茶なんだよ!」

「それは…」

 

「ちょい待って」

 

 思わず挙手してしまう。

 え? なになに? どういうこと? 今ちょっと信じられない発言があった気がする。

 

 きっと聞き間違いだ。そうであって欲しい。そう思いつつ、確認を取る。

 胃が… 胃が痛い。そんな混乱中のセレニィの傍に寄り添いつつアリエッタが優しく尋ねる。

 

「セレニィ… 大丈夫?」

「あ、はい。その… 今少し信じられない言葉が聞こえまして」

 

「な、なんだよ? セレニィ」

「その、公爵様のお屋敷にティアさんが殴り込んだって… 冗談、ですよね?」

 

「冗談じゃねぇ! コイツ、例の眠くなる譜歌で勝手に上がり込んできたんだよ!」

 

 オワタ。よりによって王族にも連なる公爵家でなんてことを…

 

 身体の力が抜け、目の前が真っ暗になる。

 慌ててアリエッタさんが支えてくれたおかげで倒れてないようなものだ。……ええ子や。

 

 胃の奥から迫り上がってくる『ナニカ』を感じるが、まだ倒れるわけにはいかない。

 

「ティアさん…」

「な、何かしら? セレニィ」

 

「言うまでもありませんが、人様の家に譜歌を使って勝手に入り込むのは悪いことです」

「……はい」

 

「なんでそんなことをしたんですか?」

 

 よし、良かった。話は通じる。時間はかかるかもしれないが、ゆっくりと言って聞かせ…

 

「……言えないわ。ただ、ヴァンが全て悪いの。私は追い詰められた獣だったのよ!」

 

 意訳すると『ついカッとなってやった。理由は言えないが私は悪くない。全部ヴァンが悪い』。

 

 その言葉にセレニィはニッコリと笑顔を浮かべる。

 

「分かってくれたのね! セレニィ!」

 

「………」

「セ、セレニィ…?」

 

「ゴフッ…」

 

 吐血して倒れた。二度目である。セレニィ以外の視点から見れば三度目だろうか?

 

「セ、セレニィーーーーーーーーーー!?」

 

 慌てて駆け寄る仲間たちを余所に、ジェイドとトニーは言葉を交わす。

 

「ふむ… いずれにせよ、セレニィが回復するまではカイツールに留まる形になりますか」

「……ティアはどうしましょうか?」

 

「セレニィが回復次第、彼女に任せましょう。彼女ならきっとなんとかしてくれるはずです」

「それは流石に気の毒では…」

 

「というより彼女以外に『可能性』はありません。……私や貴方、導師イオンも含めてね」

 

 ジェイドが眼鏡のブリッジを持ち上げつつそう言えば、トニーとて返す言葉もなく俯いた。

 

 かくして変態ロン毛巨乳残念美人改め、変態ロン毛巨乳残念美人テロリストとなったティア。

 彼女の未来はセレニィの手にむちゃ振りされることと相成った。

 

「うふふー… おうちかえるー… かえるのー… ポンポンいたいのー…」

 

 がんばれセレニィ… 仲間のためにその胃を擦り減らし、いつか幸せな未来を掴むその日まで。



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41.六神将

 東ルグニカ平野を南下する陸上装甲艦タルタロス… その艦橋(ブリッジ)にて三人の男が集まっていた。

 

 一人は“黒獅子”ラルゴ。ジェイドらに負わされた傷も癒え、このたび復帰が可能となった。

 一人は“鮮血”のアッシュ。苛々した様子で時折剣の柄を鳴らしては、舌打ちをしている。

 一人は空飛ぶ椅子に腰掛けた、眼鏡の男性。その顔には薄っすらとした化粧が施されている。

 

「一体どうなってやがる! 導師や『死霊使い(ネクロマンサー)』らを取り逃がして以来のこのザマはッ!」

 

 赤毛の男… アッシュが辺り一面に怒鳴り散らす。

 とはいっても、その程度のことに萎縮するような神経の細い者はこの場には存在しない。

 

 眼鏡の男が軽く溜息をついて肩を竦める程度だ。その様子にラルゴが声をかける。

 

「……ディストよ、他の面々はどうしたのだ?」

「リグレットは本部からの出頭命令で飛んでいきました。シンクは“例の件”の下準備です」

 

「アリエッタは?」

「連絡がつきません。アレも気紛れですからね… どこでどうしていることやら」

 

「……ふむ」

 

 眼鏡の男… ディストと呼ばれた彼の言葉にラルゴは顎に手を当て考え込む。

 

 このディストと呼ばれた男こそが、六神将の最後の一人… “薔薇”のディストなのだ。

 譜業(ふごう)と呼ばれるカラクリ仕掛けの機械分野にて、優れた才能を発揮する天才である。

 

 しかし、天才ながら所謂『紙一重』の属性も併せ持っており敬遠されがちな人間でもある。

 そのせいか、本人の自称たる“薔薇”よりも“死神”という通り名の方が有名になる始末だ。

 

 思考を中断して、ラルゴは再び尋ねる。

 

「リグレットの出頭命令、か… どういう名目かについては聞き及んでいるか?」

「さぁ? そこまでは知りません。……興味もありませんので」

 

「確か『タルタロス襲撃の件でマルクトから抗議が来た』って話だ。あと、別件とやらもな」

「……別件だと? それは一体」

 

「そこまで俺が知るか! この場にいないヤツのことなんざ放っておけ!」

 

 アッシュの一喝とともにその場には沈黙の帳が降りる。

 

 ラルゴは再び考え込み、ディストは自分的に無意味なこの会合の一刻も早い終わりを願う。

 もとより団体行動に向かないディストとしては、早く戻って研究に取り掛かりたかった。

 それをしないのは、(ひとえ)にアッシュの示す『餌』が彼にとり魅力的だったからに他ならない。

 

 ややあって、ラルゴが口を開く。

 

「……まぁ、いい。今後の予定は決まっているのか?」

「あぁ、カイツールでヤツらを待ち伏せる。その上で人質でも何でも使っておびき寄せる」

 

「少し、アッシュと私で調べたいこともありましてねぇ。ついでにそれも行う予定です」

「ディスト、余計なことを言うんじゃねぇ!」

 

「……なるほど。独断、というわけか」

 

 導師の奪還も行うつもりではあろうが、そこに一工程、何かを含ませようとしている。

 それをアッシュたちの独断によるものと見抜いたラルゴは、小さく嘆息を漏らした。

 

 ラルゴに聞かせる予定のなかった話まで口走ったディストを睨みつけるアッシュ。

 当のディストはといえば何処吹く風といった様子である。むしろ堂々と反論してみせた。

 

「アリエッタがいない以上、ラルゴにも話して協力を求めるのが合理的というものです」

「……あァ? どういうことだ!」

 

「六神将でまともに部隊を指揮できる者など、リグレットを除けばラルゴくらいでしょう」

 

 今回の作戦は確かに、迅速な行動を可能にする高い指揮能力が求められるものである。

 魔物を手足の如く扱えるアリエッタに頼れないとあれば、自然と人選は限られてしまう。

 

 そしてアッシュもディストも、こういった部隊行動にはまるで不向きであるといえる。

 

 暗に「おまえの計画はこのままじゃ失敗する」と告げられ、アッシュは憮然とする。

 といっても常から不機嫌そうな仏頂面なので、親しくない者にとっては変化が見られないが。

 

 拗ねたように唇を尖らせつつも、ディストの腹が立つ言葉尻を捕まえようと口を開いた。

 

「シンクはどうだってんだ? 参謀もやっているくらいだ。アイツは頭は回るぞ」

 

 それに対してディストは眼鏡を直しつつ、鼻で笑って言葉を返す。

 

「シンク? 確かにアレは目端が利いていて、大抵の物事を如才なくこなしますねぇ」

「だったら、部隊の指揮も…」

 

「頭の回転も、私ほどでないにせよまぁまぁでしょう。……ですが、それだけです」

「……はぁ?」

 

「だから、アレは参謀止まりなのですよ。ま、私も人のことを言えた立場じゃありませんが」

「何を言ってやがる? 部隊を率いるなんざそれだけで」

 

「貴方も『十で神童』と謳われた人間のはず。『ただの人』でなければ自力で考えなさい」

 

 肩を竦めて「やれやれ…」といった仕草で話を打ち切ったディストにアッシュは怒りを抱く。

 睨みつけても小馬鹿にした笑みを浮かべるばかりで、これ以上は語るつもりがなさそうだ。

 

 そんな二人の間に漂う空気が剣呑なものに変わる間際を(あやま)たず狙って、ラルゴが口を挟んだ。

 

「……構わん。俺で良ければその話、引き受けよう」

「おや、よろしいのですか?」

 

「フッ、分かりきった質問を繰り返すのは合理的ではないな。“死神”の名が泣くぞ?」

「きぃぃぃっ! この美と英知の化身たる私が、どうして“死神”なんですかーっ!」

 

「フン、分かりゃいいんだよ! ラルゴ、待ち伏せ方や作戦の詳細についてはオマエに任せる」

 

 快く引き受けてくれたラルゴに対して、上機嫌を表に出すアッシュ。

 ディストと軽口の応酬を交わしている彼に対して、自分なりの最大限の便宜を示す。

 

 しかしそれを聞いて、ラルゴの方は苦々しい表情を作った。

 

「それなのだが、アッシュよ… 『待ち伏せ』に関しては難しいだろう」

「なに? ……どういうことだ」

 

「セントビナーでの神託の盾(オラクル)騎士団排除の手際に加え、外交からのリグレットの出頭命令」

「………」

 

「分かるか? タルタロスの奇襲時を除き、相手は常に我らの一手先を進んでいるのだ」

 

 ラルゴの言葉に「性悪ジェイドならやって不思議はありませんね」とディストは鼻を鳴らす。

 ディストの言葉に後押しされたというわけではないだろうが、ラルゴは更に言葉を続ける。

 

「恐らく『待ち伏せ』を受けるとしたら我らの方… そのつもりで動くべきだろう」

「……ッ!」

 

「……アッシュ?」

「認めねぇ… アイツが、あの『屑』がこの俺より先に進んでるだと? そんなの…ッ!」

 

「落ち着け、アッシュ。……この状況はオマエのせいではない」

 

 激昂するアッシュを、慌てることなくその肩に手を置き宥めるラルゴ。

 ちなみにディストは我関せずと椅子に乗ったまま浮かんでいる。

 

 ラルゴはほとんど表情を変えることなく、常のようないかめしい顔付きで言葉を綴る。

 淡々と。ただの単語の羅列を並べるように。

 

「こうなったのも俺が死霊使い(ネクロマンサー)めに二度も敗北し、リグレットが連中を取り逃がしたためだ」

「………」

 

「臆病風に吹かれろとは言わん。が、敵を必要以上に侮るな… 失敗を繰り返さんためにもな」

「……失敗したのは俺じゃなくてテメーらだろうが」

 

「フッ、違いない。ならばこれは、二度も無様を晒した哀れな男の忠告とでも思ってくれ」

 

 そう言ってもう一度アッシュの肩を叩けば、彼は照れたような複雑な表情を浮かべる。

 ややあって「うるせぇ! 俺に指図するんじゃねぇ」とその手を振り払い、艦橋(ブリッジ)を後にした。

 

 後にはラルゴとディストの二人が残された。やがて沈黙を破り、ディストが口を開いた。

 

「ま、大丈夫でしょうよ。ああまで言われて分からないほどの馬鹿ではないでしょうから」

「……だと、良いがな」

 

「しかし見事なものでしたよ。……アリエッタにもそうやって接してやればいいものを」

「俺は軍人の在り方しか教えられん。アレにはかように血生臭い世界は似合わぬだろうさ」

 

「ハーッハッハッハッハッ! 全く… まるで、どこかの聖職者のような口ぶりですねぇ?」

 

 互いにローレライ教団に籍を持つディストの痛烈な揶揄に、ラルゴも「抜かせ」と苦笑いだ。

 ひとしきり笑い合ってから、ディストがやや真面目な表情を作って口を開いた。

 

「しかし、何故受けたのですか? 私はてっきり断られるかと踏んでいたんですがねぇ」

「確かに無謀に過ぎる作戦だ… 成功率は低かろう。そういう貴様こそ何故受けたのだ?」

 

「失敗を恐れていては譜業(ふごう)研究など出来ませんからね。私は成功のみを信じて動きます」

「フッ、大したものだ。俺はただの復讐だ… キムラスカには一方ならぬ恨みがある故な」

 

「……本当にそれだけですか?」

 

 真っ直ぐ見詰めてくるその眼鏡の奥の瞳には、生半可な虚言ならば容易く見通さんばかりの光が込められていた。

 ラルゴはしばし迷ってから… 口を開く。

 

「この一連の流れが繋がっているなら… 敵は『政治』を駆使してきているのかもしれん」

「……そうかもしれませんね。ですが、それが何か?」

 

「『政治』という怪物の前では、万夫不当の豪傑とてただ削り潰されるだけの獲物に過ぎん」

「貴方が言うと妙に説得力がありますねぇ…」

 

「確かに我らは奇襲に成功し、タルタロスもこうして奪っている… なのに今はどうだ?」

「……確かに、アッシュが苛立つ気持ちも分からないではありません。嫌な空気ですからね」

 

「知らぬうちに絡め取られるようなこの感覚… この俺を破った一人の少女を思い起こさせる」

 

 確かに今の絵図が、たった一人の人間に誘導されて仕上がったものであるなら驚異の一言だ。

 真綿で首を絞められ続けるならば、無謀は覚悟の上で動かねば詰むことにもなりかねない。

 

 そう考えたところに続くラルゴの発言に、ディストは椅子から転げ落ちそうなほどに仰天する。

 思わず食ってかかるほどの勢いでもって彼に詰め寄る。

 

「ちょ、ちょっと待って下さい! ラルゴ、貴方を破ったのはジェイドのはずではッ!?」

「二度目は確かにそうだが、最初に手傷を負った時はその少女の策に嵌まったことが大きい」

 

「なん… ですって…」

「俺に手傷を負わせたのは死霊使い(ネクロマンサー)だが、恐らく全てはアレの筋書き通りだったのだろうよ」

 

「………」

 

 言葉もないままに呆然とする。流石に六神将がそこらの少女に敗れるなど想定の範囲外だ。

 ましてやラルゴが相手とあれば、敵ならば油断も慢心もなく確実に仕留められることだろう。

 

 話を聞く限りでは、むしろジェイドの方こそ少女の手足として使われているのではないか?

 そんな思考にさえ行き着いてしまう。……だが、そんなディストをさらなる衝撃が襲う。

 

「リグレットは策に翻弄され、死霊使い(ネクロマンサー)なしのアレに撃破されたぞ。言い訳の余地なくな」

「なぁっ!? あ、あのリグレットまでですか… 念のため確認しますが、油断や偶然は…」

 

「フッ、偶然で六神将の二人までが撃破されては大事件だな。油断は… 想像に任せよう」

「………」

 

「口では説明しにくいが… この徐々に道が塞がれて誘導されていくような感覚がどうも、な」

 

 恐らくラルゴなりに、これまでの戦場経験から『何か』を感じ取った結果なのであろう。

 となれば、この盤面はたった一人の知恵者の手によって支配されていたことに繋がる。

 

 “あの”ジェイドすらをも易々と使いこなす悪辣なる手腕。時に自ら危険に身を置く決断力。

 

 加えて老獪無比なる政治力。……なるほど、これはラルゴの警戒も頷けるというものだ。

 

「……ラルゴ、その少女の名はご存知ですか?」

「確か… 『セレニィ』と呼ばれていたな」

 

「フフフ… セレニィ、ですか。覚えましたよ… 貴女はこの“薔薇”のディスト様の獲物です!」

 

 椅子を回しながら高笑いを上げるディストに対し、「三人目になるなよ?」と窘めるラルゴ。

 

 かくして各々の都合で闘志を燃やし、一路カイツールへと向かう六神将。

 彼らの作戦が果たしてどのような成果をもたらすのか、まだ、それを知る者はいない。

 

 

 

 ――

 

 

 

 一方その頃、セレニィはといえば宿の窓から覗く満天の星空を眺めていた。

 

「海の近くだからでしょうか? 綺麗な星空ですねぇ」

「はいですのー!」

 

「あ、流れ星だー。幸せになれますよーに!」

「ですのー!」

 

「あははー… ははは… はぁ…」

 

 昼食時に聞かされた、ジェイドからのむちゃ振りからの現実逃避に没頭するためである。

 しかし、現実さんはデンと彼女の前に立ち続ける。何処にも行ってくれる気配はない。

 

 ティアのことは嫌いではない。死んで欲しくもない。だがこれは流石に無茶が過ぎるのだ。

 

「(しかも、どっかで死亡フラグが立った気がするし… いや、うん、きっと気のせいだ)」

 

 そして彼女は今日も常備薬となった胃薬に手を伸ばすのであった。

 大丈夫… きっとこれを乗り越えられればあとは楽になる。そう自分に言い聞かせながら。



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42.無理

 ジェイドの思惑もあり、結局のところ一行はティアの兄・ヴァンの到着を待つことにした。

 無論、その思惑とは「ティアをなんとかして助けろ」というむちゃ振りに相違ならない。

 渋りに渋ったセレニィだが、ティアを見捨てるのも後味が悪く結局引き受ける羽目になった。

 

「やれやれ…」

 

 思索に集中できるようにと特別に与えられた一人部屋の中、セレニィは大いに嘆息をする。

 大して嬉しくない。どうせなら、むちゃ振りそのものをなかったことにして欲しかった。

 

 とはいえ決まってしまった以上、今更嘆いたところではじまらないか。と、そう考え直す。

 

 ティアを救うために、まずは今回の焦点たる彼女の問題行動について分析することにした。

 ルークへの不敬・無礼は彼自身が許しているため、今回はカウントしないで良いだろう。

 

 ・王族に連なる公爵家の屋敷に招かれてもないのに勝手に入った。所謂一つの不法侵入。

 ・その際に無差別広範囲に譜歌を使用した。公爵、公爵夫人にも効果が及んだ可能性が大。

 ・侵入目的は血の繋がった実兄たるヴァン・グランツをその手で殺害するためである。

 ・それらの行為をローレライ教団神託の盾(オラクル)騎士団所属の制服をバッチリ着用の上で行った。

 

 ……3行にまとめられなかったね、しょうがないね。

 

 うん、どうなってんのかな? これ。

 一つ一つが役満(=死刑)クラスじゃん。トリプル役満超えてるじゃん。クアトロ役満じゃん。

 

 そんな内心を抱えつつ、セレニィは頭痛と胃痛と目眩を覚えながら分析を終えた。

 毎回不調を訴える割りに一向に壊れる気配を見せないこの身体は、頑丈なのか虚弱なのか。

 

「うふふ… 突破口すら見えません! ……マジでどうしろってんだ、これ」

 

「しっかりですのー、セレニィさん。お菓子食べるですのー?」

「あ、いえ。私はドライフルーツがありますから… それはミュウさんでどうぞ」

 

 というか今貰っても胃が受け付けず戻してしまいそうだ。泣きたい。心の底から泣きたい。

 しかし突破口が見えないのはヤバい。マジで何も出来ないままに詰んでしまいかねない。

 

 そう考えた結果、『まずは情報を身につけるべき』という至極当たり前の結論に行き着いた。

 

「とまぁ、そういうわけでみなさんに色々と教えて欲しいんですよ。どうでしょうか?」

 

「いきなり呼び出したかと思えば… 申し訳ありませんが、セレニィといえど機密情報は」

「わ、私も… その、申し訳ないとは思ってるけれどやっぱり話すわけにはいかないの」

 

 急な申し出ではあるものの、ジェイドもティアもそれくらいでセレニィの評価は改めない。

 ただ、やはり話せないことというものはあるわけで… それぞれが難色を示し口を閉ざした。

 

 それに対してセレニィは苦笑いを浮かべながら手を振る。

 

「あ、別にいいですから。そういうのは」

「しかしですね… いいと言われましても流石においそれと教えるわけにはいかない話です」

 

「っと、すみません。言葉足らずで誤解させてしまいましたね… 申し訳ありません」

「おや… ならば、どういうことでしょう?」

 

「つまり、別に機密や言えないことについて聞くつもりはありません。と、そういう意味です」

 

 一体どういうことなのか… 理解できないティアは思わず横目でジェイドの表情をうかがう。

 ジェイドとしてもその意図は掴みかねるが、まずは話を聞いてみるのが先と判断したのだろう。

 

 視線でセレニィの先を促す。

 

「私はこのオールドラントについて、ほとんど何も知りません。これはご存知ですよね?」

 

 二人とも無言で頷く。それを確認してからセレニィは続ける。

 

「なので、せめて最低限の基礎知識をここらで身に着けておきたいんです。今後のために」

「そうだったのね。なら、私たちで出来ることなら勿論喜んで手伝うわ… ね、大佐?」

 

「……えぇ、私たちでお役に立てるなら(なるほど、“例の件”のためですか… 了解です)」

 

 突破口がないならば、知識を増やして突破口を見出すしかない。

 そのセレニィの意図をジェイドは正確に把握した。ならばそれに賭けて全面協力するしかない。

 

 彼はそう考えつつ口を開く。

 

「ならばカリキュラムを組んで、我々が講義を行う… という形になるのでしょうか?」

「魅力的なお話ですけど時間もありませんし、こちらからの聞き取りにしたいのですが…」

 

「なるほど、構いませんよ。貴女の言うことが妥当でしょう」

「時間がない?」

 

「あぁ、えっと… カイツールの軍港からは船であっという間にバチカルに到着ですからね」

 

 その説明に「それもそうね」とティアも納得した。セレニィとしては冷や汗モノである。

 

 かくして、『使える情報』の取捨選択をする聞き取り調査が始まった。

 

 ジェイドやティアは言うに及ばずアニスやトニー、ガイに加え時にルークやイオンにまで。

 やや人間の常識に疎いアリエッタやミュウも加えるなど、その対象は仲間全てに渡った。

 そして確認したことを随時ペンで紙に書き留めていき、いつしか膨大な量の紙の束となった。

 

「おや、見慣れない言語を使ってますね? フォニック語ではないようですが…」

「別に隠すことでもないんですけれど、後でまとめてでお願いします。今は余裕がなくて」

 

「えぇ、邪魔をするつもりはありませんよ。いずれ時間が取れた時にでもゆっくり」

 

 日本語でメモしたために勘繰られることもあったが、それに気を配る余裕などとてもない。

 いずれはオールドラントの言語も覚えたいが、それはそれ。暇と時間が出来てからで充分だ。

 

 そして昼夜を問わぬ聞き取り調査を続けて一週間が経過する頃、ついに…

 

「ふっふっふっふっ…」

「おお! セレニィさんが自信あり気な笑顔を浮かべてるですのー!」

 

「(うん、無理だこれ)」

 

 という結論に達した。やはり無理なものは無理だった。全てが徒労に終わった。泣きたい。

 

 不敵な笑みを浮かべつつ両手を上げることしか出来ない。所謂『お手上げポーズ』である。

 何か糸口になるような材料はないか、と調べれば調べるほど無理ゲーだと理解する絶望。

 

「せめて『その日』が来るまで、ティアさんには心穏やかに過ごしてもらいましょうか…」

 

 セレニィは綺麗サッパリに諦めると、その日からほんのりティアに優しく接することにした。

 

 

 

 ――

 

 

 

「ねぇ、聞いてトニー。セレニィが最近優しいのよ… これって相思相愛なのかしら?」

「ははは… 良かったじゃないですか…(あぁ… 無理だったんですね、セレニィ)」

 

「あ、勿論セレニィは前から優しかったんだけどね! でも、最近は特にっていうか…」

 

 引きつった笑みを浮かべるトニーは、ティアの惚気話に相槌を打つことしか出来ない。

 そこに爽やかな笑顔を浮かべたジェイドが割り込んでくる。

 

「良かったじゃないですか、ティア。ところで、なにか食べたいものはありますか?」

「あら、大佐も聞いてくれるんですか? フフッ、でももうセレニィに頼んでますから」

 

「おっと、これは失礼。余計な差し出口でしたねぇ… ですが幸せそうで何よりです」

「あまりからかわないで下さい、大佐。では、セレニィと約束があるので私はこれで…」

 

 ルンルン気分で立ち去るティアを、トニーとジェイドが見送るとその場には沈黙が漂う。

 しばらくして、ジェイドが眼鏡を直しながら誰にともなく呟く。

 

「流石のセレニィも今回ばかりは無理でしたか。なんとかできるのではと思ったのですが」

 

「普通に無茶でしたね… しかし、バチカルに到着するまでにまだ猶予があります」

「えぇ、セレニィに任せきりというのもアレですしね。ギリギリまで考え抜きましょう」

 

 そんなジェイドの言葉をトニーが拾う形で、二人は決意を新たにする。

 

 マルクトからの和平の使者という体面上、あからさまにティアに肩入れするのも問題がある。

 だがこれまで共に旅をして、多くの苦境を互いにカバーして乗り越えてきた仲間でもある。

 いずれは切り捨てるべきと判断する日が来るとしても、出来るだけのことはしてやりたかった。

 

 かくして宿の一階で夕飯の時間がやってくる。

 

 食事の席で、ティアはヒラヒラの服を着た(着せられた)セレニィを隣に侍らせてご満悦だ。

 本当はアニスやアリエッタにもそうしたかったのだが、彼女らに丁重にお断りされた模様。

 

 ティアは海の幸をふんだんに使ったリゾットをスプーンですくうと、セレニィの口元へと運ぶ。

 

「はい、あーん」

「……あーん」

 

「フフッ、美味しい? セレニィ」

「……おいしーです」

 

「フフッ、良かった」

 

 セレニィは死んだ魚のような目で、機械的にティアから与えられた食事を咀嚼し嚥下する。

 美味しいはずの料理なのに、砂の味にしか感じないあたり相当キているのかもしれない。

 

 昼は着せ替え人形よろしくティアに散々弄ばれたので、精神はとうの昔に擦り切れている。

 もうお嫁にいけない。……いやいやいや、婿だから。

 

 アニスとアリエッタが気の毒そうに眺めていた姿が印象的であった。

 

 目で「ここは俺に任せろ」と語れば、彼女たちはその意を汲んでそっと立ち去ってくれた。

 ……決して見捨てられたわけじゃないと信じたい。

 

「は、ははは… 君たちは仲が良いよなー… いや、うん… 微笑ましいよ、ホントに…」

「あはは… ホントに… なんだか仲が良すぎて、アニスちゃん嫉妬しちゃうかもー…」

 

「もう、ガイもアニスもからかわないで! でも私たちは一番の親友だものね? セレニィ」

「……ソッスネー」

 

 虚ろな表情のセレニィとは対照的に、ティアはまるで我が世の春とばかりの満面の笑顔だ。

 

 微笑ましそうに二人を眺めるイオンを除いて、他の面々は重苦しい表情を浮かべている。

 そんなお通夜のような食卓の中で、ティアは幸せいっぱいという様子で心から楽しんでいる。

 

 せめて残された時間を幸せにという気遣いだったが、より残酷なことをしているのでは…?

 この喜びようを見るに、そんな考えすら浮かんでくる。罪悪感で胃が痛い。

 

「(誰でも良いから助けて欲しい…)」

 

 そんな時…

 

 その祈りが通じたかどうかは定かではないが、ドアベルを鳴らし、一人の客人が入ってきた。

 身長190cm前後の引き締まった体躯。髪は総髪に結い、顎髭を伸ばしている… そんな男だ。 

 

 男は入って早々一、二度周囲を見渡してから面々を目に留めると、笑顔を浮かべ近付いてくる。

 

「すまない。これでも急いできたつもりだが… 大分待たせてしまったようだな」

「ヴァン師匠(せんせい)! 待ってたぜ!」

 

「……ヴァン!」

 

 喜色を浮かべて男の名を呼ぶルーク。一方ティアはナイフを構え、厳しい表情で席を立った。

 途端に緊張感が食堂に漂い始める。ガイやトニーはいつでも席を立てるように構えている。

 

 暫し見詰め合った後、男… ヴァンはティアに語りかけようとした。

 

「ティア、武器を収め」

「はい、ティアさん。食事中に席を立つのはお行儀が悪いですよー? 座って座って」

 

「でもセレニィ… はぁい」

「はい、デザートを食べさせてあげますからねー。……はい、あーん」

 

「あーん」

 

 しかし極度の精神的疲労のため空気を読めなかったセレニィが、割って入る形となった。

 不満気に口を尖らせつつも、ナイフを収め素直に席についたティアに瞠目するヴァン。

 

 更にデザートを口に運ばれ幸せそうに顔を蕩けさせているではないか。一体何が起こった。

 まるで餌をやるように、虚ろな目で機械的にティアにスプーンを運ぶこの少女は何者なのか?

 

 考えれば考えるほど謎しか生まないこの状況に、ヴァンは改めて妹に問いかけようとする。

 

「ティア、その少女は」

「………」

 

「……ッ!」

 

 なんか実の妹に凄い目で睨まれた。

 

 眼鏡をかけたマルクト軍の将校が肩を竦めて小さな溜息を吐いている。

 旧知の仲であるガイに視線をやれば、そっと目を逸らされる始末。

 

 そして絶対零度の冷たさを瞳に乗せて、妹は… ティアは口を開いた。

 

「どこまでも空気が読めない男ね、ヴァン… やはり殺すしかないか」

「ちょ、待て! 落ち着こう! 君には笑顔が似合うぞ、ティア!」

 

「そ、そーだそーだ! オメーにヴァン師匠(せんせい)を殺させるもんかっての!」

 

 どうしよう… 久々に会った妹が全く聞く耳を持ってくれません。

 ヴァンは遠くを見るような視線で天井を仰ぎ見ると、内心でそう呟くのであった。

 

 とはいえ、こうしていても始まらない。気を取り直して言葉を続ける。

 

「とにかく頭を冷やせ… 私の話を落ち着いて聞く気になったら、部屋まで来るがいい」

「えー! 師匠(せんせい)も一緒に食べていこうぜー?」

 

「そうですよ、グランツ謡将。久し振りに会えたんですし、ルークもこう言ってますし…」

「気持ちはありがたいがティアも心休まらぬだろう。今日のところは遠慮しておこう」

 

「では、正式な挨拶はまた明日にでもお互い改めて… といきましょうか」

 

 ジェイドの言葉に頷くとヴァンは一礼をして場を辞し、宿に泊まる手続きを取り始めた。

 

「(導師はともかく、まさかアリエッタまでいるとはな… 一体何が起こっている?)」

 

 ティアが部屋を訪れたら詳しい事情を聞いてみようと思いつつ、彼は二階へと上がっていった。

 あとに残された面々の間で会話がかわされる。正気に戻ったセレニィが口火を切る。

 

「今の方が、えーっと… ルークさんの師匠でティアさんのお兄さんの?」

「えぇ、ヴァン・グランツ。神託の盾(オラクル)騎士団の主席総長として『謡将』の地位にあります」

 

「六神将の直属の上司でもあるんだよー。だからもう襲撃はないんじゃないかなー?」

 

 セレニィの質問に、同じくローレライ教団所属のイオンとアニスが説明をする。

 その説明に、「なるほど、アリエッタさんに休暇あげなかったブラック上司か」と納得する。

 

 続いて隣のティアに確認する。

 

「後でお兄さんの部屋に向かわれるんですか?」

「? なんでかしら、セレニィ」

 

「え? いや、だって… 『落ち着いたら話をしようぜ』的なことを言ってませんでした?」

「フフッ、こんなに可愛いセレニィが側にいて落ち着けるわけないじゃない」

 

「……アッハイ」

 

 駄目だこの巨乳、話が通じない。……うん、知ってた。いつものティアさんだもの。

 セレニィが溢れ出る涙を隠しているのを余所に、イオンが口を開く。

 

「明朝に希望者で話を聞きに行きませんか? 僕も、聞いておきたいことがありますし」

「そうですねぇ… 単独で立ち会わせた結果、ティアが刃傷沙汰を起こしても困りますし」

 

「イオン様がいくならアリエッタも! セレニィもいこ? ……アニスは寝てていいよ」

「ちょっとぉ! 導師守護役(フォンマスターガーディアン)として行かないわけないでしょ! 根暗ッタこそ邪魔だよ!」

 

「俺も行く! ヴァン師匠(せんせい)とたくさん話してーことがあるんだからな!」

 

 イオンの提案に全員が賛同する形で、明日の朝に全員で話を聞きに行く運びとなった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 その夜、カイツールの宿のヴァンの部屋。

 

「……ティア、遅いな」

 

 妹の訪問を、明け方まで待ち続ける一人の男の姿があったという。



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43.兄妹

 かくして一夜が明け、窓の外からは(かもめ)の鳴き声が聞こえ始めるカイツールの宿の一室。

 現在ヴァンは腕を組んだ姿勢で椅子に腰掛けたまま、うつらうつらと船を漕いでいる。

 

 約束をしたはずの昨晩… 待てど暮らせど妹が訪れる気配はなく、さりとて年頃の妹のこと。

 部屋に押しかけるのも躊躇われ、夜を徹して待ち続けたものの結局睡魔に負けて今に至る。

 

 かなりの長旅を強行軍で続けてきたツケが、ここに来てついに現れてしまった形になる。

 そこに…

 

「ヴァン!」

「うおっ!?」

 

「折角来てあげたのに、寝てるなんて…」

 

 荒々しく部屋の扉を開けて入ってきたティアに声をかけられる。

 

 椅子から転げ落ちそうになりつつも、なんとか目を覚ますヴァン。……まだ疲労で頭が重い。

 眉間を揉みほぐしながら欠伸を堪えつつ、やってきたティアに声を掛ける。

 

「ようやく来たか、ティア… というより、昨晩は何故来なかった?」

「え? 落ち着かなかったからだけど…」

 

「……なに?」

「『話を落ち着いて聞く気になったら、部屋まで来るがいい』って話だったでしょう?」

 

「……まぁ、そうだな」

 

 昨晩吐いた己の発言を一字一句違わず繰り返されれば、ヴァンとて頷くよりほかない。

 落ち着いたら来いとは言われたものの、落ち着かなかったために行かなかったのだ。

 なるほど、理屈は分かった。……いやしかし、非常に腑に落ちないものを感じるのだが。

 

 ティアの舌鋒は止まらない。ここ最近ルークには鳴りを潜めていたお説教が火を噴く。

 

「それなのに惰眠を貪ってるなんて… ヴァン、あなたには誠意というものがないの?」

「ぐっ!? し、しかしだな… 私も明け方までこうして待っていて…」

 

「だから何? 覚悟もないのなら『話をしよう』なんて言わないで! ……信じていたのに」

 

 そう静かに吐き捨てると、ティアはその瞳にうっすらと涙を浮かべた。

 

 ティアも血の繋がった実の兄であるヴァンのことを信じていたのだ。

 ミュウの登場以来、セレニィの荷物袋の中で死蔵され続けている火打ち石の存在意義程度には。

 

 流石に妹の涙を見せられてはかなわない。ヴァンは内心で疑問を感じつつも頭を下げる。

 

「いや、その… なんだ。すまなかった、ティア」

「……分かってくれればいいのよ、兄さん」

 

「では今は、落ち着いて話ができるということで構わないのだな?」

「えぇ… でも気を抜かないで。私はいつでもあなたを見限ることができるわ」

 

「そ、そうだな… 肝に銘じておこう」

 

 キリッとした表情のティアに酷い言葉を投げかけられ、密かに落ち込むヴァン。

 これは自分が悪いのだろうか? いや、謝った以上は自分が悪いのだろうな。

 

 そう考えて、彼は不満を疑問を胸の内に押し込めて無理やり納得することにした。

 

「それで兄さん… 今は話ができるの? それとも寝るの?」

「いや、大丈夫だとも。腹を割って話し合おうではないか」

 

「そう、良かったわ… みんな、ヴァンが『腹を割って話をしよう』って」

 

 部屋の入り口の方に向かってティアが声を掛ける。

 

 思わず「は?」と間抜けな声を漏らすヴァン。そういえばドアは開けっ放しだったが…

 すると間を置かず、大量の人間が部屋に入り込んできた。

 

「やっとかよー、待ちくたびれたぜー! へー、ここがヴァン師匠(せんせい)の部屋かー?」

「ハハッ、ルーク… そんなにキョロキョロしても宿の部屋だから大差ないだろう?」

 

「失礼しますね、ヴァン」

「総長… んっと、お邪魔します… です」

 

「ちょっと、根暗ッタ! さっさと入ってよね、後がつかえてるんだから!」

 

 ルークが、ガイが、導師イオンが、アリエッタが、導師守護役が部屋にドカドカ上がってくる。

 あまりの状況に呆然とするヴァンであったが、まだ終らない。第二波がやってきた。

 

「おやおや、まったくお茶の一つも出さないとは…」

「いや、ジェイド… 流石に無茶というものでしょう」

 

「セレニィさん! はやくはやくですのー!」

「はーい。……いいのかな、こんな大人数で押しかけて」

 

「な… な… なぁ!?」

 

 マルクト軍将校が、そして兵士が、何故かチーグルが、昨晩見た銀髪の少女がそれに続く。

 自分も含め総勢11名… この一室の人口密度がとんでもないことになった。もはや言葉もない。

 

 それを見て取った銀髪の少女が、妹に語りかける。

 

「ティアさん、私的な会合とはいえ導師であるイオン様を立たせっぱなしなのは…」

「セレニィ、僕は構いませんよ。……ヴァンも長旅で疲れているのでしょう」

 

「いえ、セレニィの言うとおりです。どきなさい、ヴァン… あなた正座とか好きでしょう?」

 

 かくしてヴァンは椅子から(強制的に)どかされ、床に座すことと相成った。

 彼は内心で思う。「実の妹がセメント過ぎて生きるのが辛いです…」と。

 

 既にヴァンの精神的疲労は相当なものとなっていたが、彼はなんとか話し合いを試みる。

 

「それで行方不明のはずのイオン様が、何故ここに? 六神将のはずのアリエッタまで」

「僕はマルクトよりキムラスカとの和平の仲介役を求められ、それに応じたためです」

 

「なるほど。……アリエッタ、おまえは?」

「アリエッタ、休暇貰ったです。だから、イオン様やみんなと一緒に旅行… した、です」

 

「……そうか(一体どうなっているのだ、リグレット。これの休暇を許可するなど!)」

 

 内心ますます疑問が増えてしまったが、取り敢えず納得したような表情を見せて頷いておく。

 そこにアニスが口を挟んでくる。

 

「六神将の襲撃、すっごく迷惑だったんですけど! なんとかしてくれませんかぁ?」

「ご、ごめんね… アニス…」

 

「べ、別に根暗ッタのせいじゃないし! いちいち謝られても困るからやめてよねっ!」

「そ、そうだな… 導師守護役(フォンマスターガーディアン)の、えー…」

 

「アニス。……アニス・タトリンですぅ!」

「失敬、アニス… 彼らには後ほど私からも良く言い含めておくとしよう。すまなかった」

 

「……まー、分かってくれればいいんですけどぉ」

 

 先程までのティアの罵詈雑言の嵐に比べれば、この程度の詰問、生易しいものである。

 常より浮かべていた余裕の笑みを取り戻し、アニスの言葉にも鷹揚に頷いてみせる。

 

 よし、いつもの調子が出てきた。主席総長という中間管理職で培った処世術の見せ所だ。

 

「彼ら六神将は大詠師派でもあるからな… 恐らくは大詠師の命令で動いていたのだろう」

「主席総長は違うって言うんですかぁ? 初耳です」

 

「六神将の長であるためそう取られがちではあるな。だが、私自身は大詠師派ではない」

「だから言っただろ! ヴァン師匠(せんせい)は無意味に戦争を望んでなんかいねーって!」

 

 そこにルークが得意満面の笑顔で割り込んでくる。勿論、彼の機嫌を取ることも忘れない。

 

「ルークも暫く見ない間に逞しくなったな。旅の日々がおまえを鍛えてくれたのかな」

「へっ、トーゼン! 俺はヴァン師匠(せんせい)の弟子だからな! それに仲間もいたしな!」

 

「ほう… 仲間か。我が妹のティアはどうであった? 優しく、頼りになっただろう?」

 

 ルークの言葉に笑みを浮かべてそう返すと、部屋の中は不自然なまでの沈黙に包まれた。

 

 ガイやアニスは床や天井などあらぬ方向を向いている。いや、全員が全員そんな様だ。

 気不味い表情で互いを牽制し無言を保っている。例外は穏やかな微笑を浮かべる導師のみ。

 

 一体妹は何をしてしまったのだろう… そう考えていると彼女は勝ち誇った笑顔で口を開く。

 

「フッ… この無言の信頼感。真の仲間は言葉なんていう野暮なものに頼らないのよ!」

「え? いや、その… これはそういうアレじゃないように感じるのだが」

 

「……人を信じることを諦めてしまったあなたには決して分からないでしょうね、ヴァン」

「そ、そうなのか…?」

 

「けど、真の絆で結ばれた仲間たちとともに私は必ずやあなたの野望を打ち砕いてみせる!」

 

 ドヤ顔で決められた。渾身のドヤ顔で決められてしまった。

 肩を抱きかかえられた銀髪の少女が、昨晩と同じく死んだ魚の眼をしているのが印象的だ。

 

 ともあれこの空気はよろしくない。ヴァンは咳払いを一つし、話題を替えることにした。

 

「ところでティア、お前は大詠師旗下の情報部に所属しているはず。何故ここにいる?」

「え? あなたを殺すためだけど」

 

「………」

 

 キョトンとした顔で返される。……替えようとした話題がまるで替わっていなかった。

 ここまで話を続けても一切ブレないティアさんである。彼女は鋼のメンタルを持っている。

 

 再び室内が痛々しい沈黙に包まれる。流石に空気を読んだのかティアが慌てて付け足す。

 

「あ、その… モース様の命令で『第七譜石』を探してるの。そのついでに殺そうと…」

「あの、ティアさん… ルークさんを命に替えても送り届けるって話はどこに…」

 

「え? ……あ!」

「『あ!』じゃねーよ、『あ!』じゃ! オメー、綺麗さっぱり忘れてんじゃねーか!?」

 

「わ、忘れてたわけじゃないのよ? その、使命に没頭するあまり記憶からポロッと…」

「ソレを忘れてたって言うんだよ! 仲間だと思って大目に見てきたけどいい加減殴るぞ!?」

 

「し、仕方ないじゃない! 私は、その… 追い詰められた獣だったのよ!」

 

 その場に三度、なんとも言えない沈黙が漂う。イオンはその様子を楽しそうに眺めている。

 確かに他人事として見ればこれほど楽しい三文芝居はないだろう。甚だ遺憾ではあるが。

 

 だが当事者としては悲惨の一言だ。気不味い沈黙に耐えかねたのか、銀髪の少女が口を開く。

 

「……ひょっとして気に入りました? そのフレーズ」

「……ちょっぴり。カッコ良くないかしら?」

 

「……まぁ、『死霊使い(ネクロマンサー)』とか『(むくろ)狩り』とかと同程度にはそう思います」

「セレニィ、後でお仕置きです」

 

「ひぃっ!?」

 

 ヴァンは溜息を吐く。……なんとなくこの面子の中での妹の立ち位置が分かった気がする。

 それを見計らってイオンが口を開く。

 

「ヴァン、実は教団の勤務実態について確認したいのですが」

「勤務実態? 私に答えられることですかな、イオン様」

 

「えぇ、簡単なことです。……アリエッタに休暇を与えていないというのは本当ですか?」

「それは…」

 

「もしそうであるならば、可及的速やかに是正するようお願いします」

「は、はっ… 了解しました」

 

「これに改善の気配が見られぬようであれば、僕は改革派となることも辞さない覚悟です」

「え? いや… しかし、導師は既に預言改革派の志をお持ちでは…」

 

 そのヴァンの言葉に、イオンは首を左右に振ると言葉を続けた。

 

「そちらではありません。……『教団の勤務実態及び雇用条件改革派』です」

「な、なるほど… 承知いたしました」

 

「くれぐれも頼みましたよ、ヴァン。あなたが大詠師派でないというなら行動で証明して下さい」

 

 なんかいつの間にか大詠師派でないことが言質を取られる結果に繋がっている!?

 いや、待て。まだ慌てる時間ではない… この程度の口約束ならば…

 

「実に素敵なお志です。マルクトより派遣されたこの私の胸にも、しかと刻まれましたよ」

 

 だが眼鏡の軍人がそれに追随してくる。

 

 もうダメだ… 知らぬ存ぜぬは通用しない。ヴァンはそう覚悟して、がっくり肩を落とす。

 その肩を優しく叩く者がいた。

 

「あの… 大丈夫ですか? 私の胃薬で良かったらお分けしましょうか?」

 

 銀髪の少女である。確か、名前はセレニィと言ったか。

 

 そのありがたい申し出を丁重に辞退しつつ、ヴァンは重い腰を上げる。

 これ以上ダメージを受けたら本日中に出発できる気がしないからだ。

 

「話は一段落ついたようですな。……ひとまず出発し、続きは道中でとしましょう」

「分かりました、僕はかまいません。みんなはどうですか?」

 

 ヴァンとイオンの言葉に異論もなく、面々もそれぞれ頷く形でこの場の会合は解散となった。

 部屋を出ていこうとするアリエッタにヴァンが声を掛ける。

 

「ところでアリエッタ。待遇改善について何かと意見を聞かねばならないこともある」

「……?」

 

「つまり、悪いが一足先に教団に戻っておいてくれないか? ということだ」

「でも、アリエッタ… 休暇中、です」

 

「そ、それは確かにそうだがな… これはイオン様のためにもなるのだ。分かってくれ」

 

 そう言うと小首を傾げつつ悩むアリエッタ。そこに銀髪の少女… セレニィが割って入る。

 彼女は二人の間に割って入ると、こう言ったのであった。

 

「いや、ヴァンさんが戻るべきでは? 主席総長として勤務実態を知る管理責任者ですし」

「確かにセレニィの言うとおりですね」

 

「そ、それは…」

「ですが、ヴァンはまだここに来たばかり。ルークの意向もありますし、無理に戻すのも…」

 

「……分かりました。アリエッタ、イオン様のためなら戻るです」

「すみません、アリエッタ… では頼めますか? 何かあれば、いつでも僕に申し出て下さい」

 

「はい、です… イオン様…。セレニィも… 元気でね?」

 

 瞳にうっすらと涙を浮かべ、イオンと別れの抱擁をしてから離れるアリエッタ。

 

「(ふぅ… なんとかアリエッタだけでも取り戻すことは出来たか)」

「………」

 

 我が事成れりと密かに息を吐くヴァン。その姿をセレニィが胡乱な瞳で見詰めていた。

 なんということであろうか… 彼は知らぬ間に変態の恨みを買ってしまったのであった。

 

 かくして各々旅券を手に、カイツール砦を超えてカイツールの軍港へと出発する一行。

 

 

 

 ――

 

 

 

「しっかし、六神将ってのもアレだよなー… ヴァン師匠(せんせい)の命令無視して勝手してさー…」

「彼らにも彼らの正義というものがあるのだろう。それを否定するつもりはないさ」

 

「くぅー、さっすがヴァン師匠(せんせい)だ! 強いだけじゃなくて器も大きいんだな!」

「彼らの責任をまとめて背負ってみせるくらいの気概なくば、主席総長などやっておれんよ」

 

「よし、決めた! 俺も将来は人の上に立つ人間としてヴァン師匠(せんせい)みたいになってみせるぜ!」

 

 気合を入れて声を上げるルーク。そこにジェイドをはじめとする仲間たちが声をかける。

 

「貴方ならばきっとなれますよ、ルーク。願わくば平和な世でそれを実現させたいですね」

「ホントですよ、ルーク様ぁ! カッコ良いだけじゃなくて向上心もあるんですねー!」

 

「みゅう! 素敵ですのー、ルークさん!」

「よせよ、おまえら。俺もまだまだなのに、あんまりおだてると調子に乗っちまうだろー?」

 

「なぁに、その気持ちを忘れなければきっと大丈夫さ。……期待してるぜ? ルーク」

 

 そんなこんなで談笑しながらカイツールの軍港へと足を踏み入れた彼らが見たものは…

 

「一体何が起こったんだ!?」

「六神将の襲撃です! 相手は“黒獅子”ラルゴとその部隊です!」

 

「うわぁあああああああ!」

「各員、隊形を崩すな! 軍人はともかく、一般人への被害はなんとしても防げ!」

 

「りょ、了解!」

 

 もうもうと黒煙を上げる数多の船。そして、折り重なるように倒れた幾人もの兵の姿であった。

 血と煙の匂い、そして明らかにそれと分かる死体を目にして青褪めながらセレニィは呟く。

 

「……責任、背負えるといいですね」



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44.激闘

 軍港に広がる惨状… その状況でいち早く動いたのは、誰あろう、ティアであった。

 

「腐っても私は第七音譜術士(セブンスフォニマー)、怪我人の治療が出来るわ」

 

 硬直する一行の中から前に進み出ると、まだ息のある者たちに譜術で治療を施していく。

 その顔色からは若干血の気は引いているものの、真剣な表情で作業に打ち込んでいる。

 

 そしてそのまま、振り返りもせず極力トーンを抑えた淡々とした口調で面々に語りかける。

 

「何をしているの、ヴァン。あなたも第七音譜術士(セブンスフォニマー)でしょう? ……早く手伝って」

「う、うむ…」

 

「それと大佐、指示をお願いします。……今、私たちだからこそ出来ることのために」

「分かりました、ティア。……貴女に助けられましたね」

 

「……いえ、先程の話が本当ならこの惨劇も教団員のせい。私が何かするのは当然です」

 

 ティアは確かに、一処(ひとつところ)に心をとらわれがちな未熟で暴走癖のある少女だ。

 しかしながら、その分、こうと想いを定めた時の爆発力・安定感は眼を見張るものがある。

 

 彼女の態度から冷静さを取り戻した一行は、ジェイドの指示を受け入れて動き始めた。

 

 

 

 ――

 

 

 

 そして今、メンバーは二手に別れてそれぞれの作業を行う手筈になっている。

 

 ジェイド、トニー、ヴァン、ティアの4名は怪我人の治療とその護衛を行うこととなった。

 本来、マルクト軍人であるジェイドらが勝手にキムラスカに介入するわけにはいかない。

 怪我人の治療をするヴァンとティアを『善意で護衛する』。……これがギリギリのラインだ。

 

 ルーク、ガイ、アニス、セレニィの4名は要救助者の誘導と避難勧告を行うこととなった。

 しかし公爵子息であるルークに傷が付けば、ダアトがより窮地に立たされることになる。

 これをよく言い含めルークには自制、ガイとアニスには極力ルークを守るべきと説明をした。

 

 イオンは怪我人の慰問のため、ミュウはその手伝いのためジェイドらの組に残ることとなった。

 

 誘導の声を呼びかけつつ走るアニスに並走しつつ、セレニィが問いかける。

 

「アニスさん… イオン様と離れてしまって良かったんですか?」

「本当は良くないね。でもこんな状況だし、あたしもやることやんないとね」

 

「……イオン様を預けているみなさんを信じているんですね」

「まぁ、総長はまだグレーかな? けど、大佐やトニーがいるから大丈夫だよ。きっと」

 

「ティアさんも?」

「まぁねー。基本ポンコツだけど、こんな時には頼りになるって分かったしー?」

 

「あはは… ひどい言い草ですねー。……否定できませんけど」

 

 アニスによる情け容赦ないティア評に、思わず乾いた笑みを浮かべてしまうセレニィ。

 流石のセレニィでもそこまでは… 考えてないはずだ。多分。きっと。メイビー。

 

 それを見て、アニスはしてやったりという表情を浮かべて、笑顔とともに彼女を指差す。

 

「やっと笑ったね?」

「あ…」

 

「こういう時だもの。不安なのは分かるけど、笑顔でいないと不安が感染(うつ)っちゃうよ」

「……はい」

 

「回復譜術が使えなくても、せめてあたしたちの元気くらい分けてあげないとね」

「はい!」

 

「それに男なんて女の子の笑顔見せればイチコロだもん。ほら、スマイルスマイルー!」

 

 普段はおどけた態度を崩さないアニスだが、逆境下では驚くほどの粘り腰を見せる。

 あるいは彼女も何か背負っているものがあるのかもしれない。

 

 そんなことを考える暇もあればこそ、アニスはセレニィの脇に手をやりくすぐり始める。

 美少女の体温と甘い香りに包まれながらのくすぐりに、彼女はあっという間に忘我を極める。

 

「ちょっ、やめ… あははは! アニスさん、これ以上は私… あははははははははは!」

 

「ったく… アイツらは、なーにやってんだか?」

「なに、アニスの言うことにも一理あるさ。その上で俺たちのやることをやろうぜ? ルーク」

 

 その様子を呆れたような表情で見守るルークと、落ち着いた仕草で宥めるガイ。

 そろそろ避難勧告を呼びかける場所を移そうかという段になった頃…

 

 物陰より刃が煌めいた。

 

「っ! ……あぶない!」

「え? ひゃあっ!?」

 

 一瞬の逡巡も見せずセレニィを突き飛ばし、自らも逆方向に飛んで受け身を取るアニス。

 その刹那の後に、大鎌の如き巨大な武器が彼女たちのいた場所を薙いでいく。

 

 “黒獅子”ラルゴが数名の部下を引き連れて、建物の曲がり角より姿を現したのだ。

 

「ほう… 中々の反応速度だ。伊達に導師守護役(フォンマスターガーディアン)をやっているわけではないか」

「……ラルゴッ!」

 

「おい、ルーク。ジェイドの旦那は極力戦うなって言っていたはずだが…」

「アレが、すんなりと俺たちを見逃してくれるタマだとガイが思うんなら従ってやるよ」

 

「……返す言葉もない。やるしかないか」

 

 ルークとガイが揃って武器を構える。

 アニスも普段から背負っているヌイグルミ… トクナガを巨大化させ戦闘態勢を取る。

 

 その様子を一瞥し、ラルゴは大きく溜息を吐く。

 

「『死霊使い(ネクロマンサー)』はおらぬか… 網にかかったのがこんな小兵ばかりでは些か物足りぬな」

「ルーク、相手が相手だ… まさかとは思うが『人間は斬れません』は通じないぜ?」

 

「分かってる! 港の人たちをこんな目に遭わせやがって… 容赦なく叩き斬ってやるぜ!」

「ふむ、流石は王族に連なる者よ。……まだ若僧と侮っていたが、良い覇気をしている」

 

「俺は若僧じゃねぇ! 俺の名はルーク… ルーク・フォン・ファブレだ!」

「ならばルークよ! 貴様とその仲間たちの血を以ってこの溜飲、下げさせてもらおう!」

 

「上等! 黒獅子だか猪だか知らないけど、アニスちゃんがお鍋にして突き出してあげる!」

「フッ、中々の威勢だな。だが」

 

「ていっ」

 

 その口上の最中に、セレニィが容赦なく胡椒爆弾を投げつける。

 カイツールの宿で補充していたものだ。彼女に卑怯という概念は存在しない。

 

 警戒をしていたラルゴには容易く避けられたが、配下の兵には効果が抜群だったようだ。

 くしゃみと咳で動けなくなったところを、セレニィが指示すれば即座に打ち倒された。

 

「これで四対一だ… 悪く思うなよ、“黒獅子”の旦那」

「フン、それこそまさか。だが部下の仇は取らせてもらうぞ…!」

 

「させるかよぉっ!」

 

 かくて乱戦の幕が開かれる。この上はセレニィに出来ることなど何もない。そのはずだ。

 しかし、相手は百戦錬磨の武人… 数の不利を物ともしない。

 

 巧みな武器捌きと、位置取り… なにより常軌を逸した耐久性により徐々に圧倒し始める。

 

「そ、そんな… トクナガがパワー負けするなんて…」

「ちっ… コイツ、不死身かよ…!」

 

「どうした、もう打つ手はないのか? ならばいっそ、ここで終わりにしてくれる」

 

 ヤバい。このままじゃ全滅だ… 考えろ考えろ考えろ。

 死にたくないセレニィは必死になって考える。

 

 彼女とてボーッと眺めていたわけではない。彼女なりに幾度かの介入を試みていたのだ。

 だが何故だか分からないが、ラルゴが最大限の警戒を払っているため動くに動けず…

 

 この上は下手に介入してしまってもかえって味方の足を引っ張りかねない。八方塞がりだ。

 

「(くぅ、なんであのターミネーターみたいなオッサンはこんな雑魚を警戒してるんだ…)」

 

 焦ったところで状況は好転しない。せめて相手の視界から逃れることができれば…

 

 と、そこで名案とも言えない粗末なアイディアが頭に浮かぶ。

 数の有利、それに加えて自身の装備を再確認する… なるほど、分の悪い博打ではあるが。

 

 やってやれなくはない… かもしれない。

 取り敢えずこのままだと100%死にかねないのだ。試してみるだけの価値はある。

 

 問題は信じてくれるかどうかだが… 迷ってても仕方ない。半ば自棄になって口を開く。

 

「ルークさん、ガイさん! 一旦後退! アニスさん、暫く防戦主体で支えてください!」

「どういうことだ、セレニィ? 幾らアニスでも一人じゃ…」

 

「いや、ガイ… やってみよう。俺はセレニィを信じる!」

「りょーかい、やったげるよ! ……でも、あんまり長くは持たないからその辺よろしくー」

 

「ほう… 次はどんな小細工を考えたかは知らぬが、正面から踏み潰すまでよ!」

 

 ラルゴの猛攻を驚異的な反射神経でトクナガを操り、防ぎきるアニス。

 だがその衝撃で裂傷や歪みが生まれ、恐るべき速さでその耐久力が削れていく。

 

 げに恐るべきは六神将“黒獅子”ラルゴの本気といったところだろうか。

 それに目もくれず…

 

 というより目をやる余裕すらなく、セレニィはルークとガイに今回の作戦を告げる。

 

「ルークさん、ガイさん。良いですか? まずは…」

 

 

 

 ――

 

 

 

 かくして作戦の伝達が終わる。

 

 ルーク、ガイ、セレニィの三名が戦場を大きく旋回しラルゴの背後へと回る。

 その動きに対するラルゴは不敵な笑みを浮かべる。

 

「ほう、挟み撃ちか… だがその程度のことで遅れを取ると思っているなら興醒めだ」

「それはどうでしょうか… ねっ!」

 

「なっ!?」

 

 ルークとガイを背に置いたまま、セレニィがラルゴに向けて駆け出した。

 胡椒爆弾を先端に結びつけた鉄パイプを手に、大きく振り上げながら。

 

 流石に彼女が前に出てくるのは想定の範囲外であった。しかし、そこは歴戦の武人。

 慌てず武器を手に取ると、突進してくる彼女を突き殺さんとする構えを取る。

 

 それを見たセレニィは急ブレーキをかけ、ラルゴに自身の羽織っていたマントを投げつける。

 一瞬だけ視界を塞がれるラルゴ。だがそれとて対処の仕様はある。

 

 左手で巻きつけるようにマントを落とすと、恐らく突進しているセレニィを待ち構える。

 しかし、そこにいたのはセレニィではない。ルークでもガイでもない。

 

「くっ!」

 

 胡椒入りの袋が結び付けられた鉄パイプが回転しながら目前へと迫っていたのだ。

 

 左手が塞がっている以上、武器で迎撃することしか出来ない。

 悩んでいる暇はない。武人としての勘に従い、ラルゴは手に持つ得物でそれを斬り裂いた。

 

 やはりその判断は正しく、自身に降り掛かる胡椒の量は最小限となる。

 されどゼロではない。目をつぶり、腕を交差させる形で胡椒爆弾より顔を守る。

 

「今です! 3人とも!」

 

 目を閉じ、腹と背中をがら空きにするその一瞬の隙こそがセレニィの狙いであった。

 武人としてのラルゴの強さと反応、そして判断力に賭けたのである。

 

 マントを武器で落とされれば空いた左手で鉄パイプを掴まれる。

 そもそも最初の段階で、迎撃ではなく大きく避けられるなりをすれば策は不発に終わった。

 

 敵を倒すという不退転の決意を持つ、歴戦の武人たるラルゴだからこそ通じた奇策だ。

 

「うぉおおおおお! ガイ直伝! 瞬迅剣ッ!!」

「喰らいな… 弧月閃!」

 

「全部まとめてもっていきなさい! 絶影打ぁっ!!」

 

 三人の攻撃が完全に命中する。

 ルークとガイの剣閃が交差しラルゴの腹にX字の傷を残し、アニスが背後から乱打を叩き込む。

 

 さしものラルゴも呻き声とともに片膝をつくに至る。しかしセレニィは尚も指示をする。

 

「まだです! 3人がかりでラルゴさんを抑えて下さい!」

「わ、わかった!」

 

「く、ふふふふふふ… フハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」

 

 しかし漏れ出る哄笑とともに立ち上がると、ラルゴは武器を一閃し3人を弾き飛ばす。

 

「きゃあっ!」

「うわっ!」

 

「ぐぅっ…!」

 

 倒れる3人を見て流石にセレニィの表情にも絶望が浮かぶ。元々浮かんでいたが。

 やっぱりこんな小細工じゃ無理があったか。やばいやばい、死にたくない… どうしよう。

 

 内心で必死に次の手立てを考える。……だが、もう浮かばない。武器も仲間もない。

 胡椒爆弾も使い果たしてしまった… もう、本当にセレニィの頭では思いつかないのだ。

 

「流石だな… 最大限に警戒してもここまで追い詰められるか。だが一手及ばなかったな」

 

「ひっ…」

「悪いがオマエを見逃すことはできん。最大の強敵と思えばこその配慮だ… 悪く思うなよ」

 

 思うに決まっている。絶対に化けて出てやる。だからこんな雑魚は放っておいて下さい。

 

 そんな心の祈りが通じるはずもなく…

 一歩進み一歩下がるの行動が繰り返され、ついにセレニィは壁を背負う形で追い詰められた。

 

 武器を振り上げるラルゴ。

 

「……そこまでだ、ラルゴ」

 

 かくて救いの神が舞い降りた。剣を抜き放ったヴァンがその場に現れる。

 怒りを滲ませる主席総長の登場に、ラルゴも武器は収めないもののセレニィから距離を取る。

 

 息を吐いてしゃがみ込むセレニィ。色々漏らさなかっただけ彼女なりに健闘した方だろう。

 

「どういうつもりだ、ラルゴ。私はおまえにこんな命令を下した覚えはないぞ」

「当然であろう… 俺の独断だからな」

 

「なにっ!」

 

 開き直ったラルゴの態度に気色ばむヴァン。

 

 一気に殺気立つその場にジェイド、トニー、ティアらも駆けつける。

 だが駆けつけたのは何も仲間ばかりではない。

 

 ラルゴの部下が現れ、彼に報告をする。

 

「隊長! 船舶は全て破壊し、整備士長も確保しました!」

「ご苦労。概ね作戦は成功といえるだろう… 我らも引き揚げるぞ!」

 

「ハッ!」

「……素直に行かせると思うか?」

 

「なに、手はあるさ」

 

 そう言ってラルゴは懐から何らかの球を取り出すと、地面へと投げつけた。

 

 すると辺りは閃光に包まれる。

 ラルゴ一党を除いたその場の全員が、目をやられ動けなくなった。

 

「整備士長の命が惜しくば、導師イオンとルーク・フォン・ファブレをコーラル城へ寄越せ」

「貴様… ラルゴ! この譜業、ディストの作か!?」

 

「答える必要はない。いいか? 必ずその二人を寄越せ。さもなくば整備士長の命はない」

 

 閃光が収まり目が慣れる頃… ラルゴと彼が率いた部隊は影も形もなくなっていた。

 後に残されたのは傷つき倒れた仲間、そして黒煙をあげる軍港… 完敗であった。

 

 かくして一行は王都に向かう足を止められ、苦しい決断を迫られることとなる。

 

「(まぁ、うん… 行くわけないし最悪の場合は整備士長さん、成仏して下さい…)」

 

 早くも見捨てる決断を下している約一名を除き、面々の表情は皆一様に暗いものであった。



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45.責任

 怪我をした者たちが軍港の簡易休憩施設に運ばれ、それぞれ治療を受ける。

 イオンとミュウも合流し、そこでラルゴの要求を知るところとなった。

 

 そこで、ガイがコーラル城という名の場所についての心当たりを口にする。

 

「コーラル城… 確かここから南東にあるファブレ公爵家の別荘だったな」

「なっ… そうなのか? なんだってアイツはウチの別荘なんかに…」

 

「さてなぁ… だが、7年前にルークが発見された場所でもある。ですね? グランツ謡将」

「うむ、確かにそうであったが…」

 

「へー… 7年前にはファブレ公爵家の別荘までマルクト領だったんですか。大変ですね」

 

 何気ないセレニィの呟きが、その場に不気味な沈黙を落とす。

 その反応に解せぬとばかりに小首を傾げるセレニィ… そんな彼女にジェイドが問い掛ける。

 

「……そういった事実はありませんが、セレニィは何故そう思ったのですか?」

「え… だって、ルークさんの7年前の誘拐事件はマルクトによるものなんですよね?」

 

「た、確かにそうだよな… なのに、俺が発見されたのはウチの別荘。……あれ?」

「おかしいことだらけですよね。……そもそも第一発見者は誰だったんですか?」

 

「それは…」

 

 聞き取り調査のメモを捲りつつ、そう答えるセレニィにみんなが疑問を抱く。

 

 第一発見者の名を問われ、ガイがある人物に視線をやる。ヴァン・グランツであった。

 一斉に、問い掛けるような責めるような… 疑念の混じった視線に彼がさらされる。

 

 尊敬する師匠の窮地に、慌ててルークが割って入る。

 

「なんだよ… おまえら、ヴァン師匠(せんせい)が悪いってのか? ヴァン師匠(せんせい)は悪くねぇぞ!」

「………」

 

「えっと、まぁ… マルクト軍の仕業に見せかけたい誰かの犯行って可能性もありますし」

「そ、そーだよ! セレニィの言うとおりだ! ……俺はヴァン師匠(せんせい)を信じる!」

 

「そうだな… すまない、ルーク。信じてくれてありがとう」

 

 友人であるルークの言葉に絆されたセレニィが、鉾先をやんわり逸らす言葉を口にする。

 他の面々とてセレニィとルークのそんな態度を見せられては、是非もない。

 

 一同苦虫を噛み潰したような表情を浮かべつつ、渋々と視線の鉾先を収めるに至った。

 

 一方、落ち着かないのがヴァンの方である。

 ルークに庇われ窮地は脱したものの、居心地の悪い空気を払拭をするため話題転換を試みた。

 

「問題はこの状況であの要求を受けるかどうかではないかな」

 

「……我々マルクト軍としては微妙に介入が難しい」

「ですが、やはり人の命がかかっている以上は僕は行動すべきではないかと思います」

 

 ルーク、ガイ、アニスと前衛の大半が、復帰可能とはいえラルゴに手傷を負わされた。

 ティアとヴァンも、度重なる回復譜術の行使で精神力を著しく消耗している。

 

 状況は極めて劣悪。この状況で後先考えず、迂闊に相手の要求を飲めば死を招きかねない。

 それでもコーラル城へ向かう決断を下そうとするイオンに向けて、セレニィが発言した。

 

「恐れながら申し上げます。先の相手の要求… 飲むべきではないと考えます」

「セレニィ… しかし、僕は」

 

「いや、状況が悪化するだけです。ホントに。全滅するかもって以上に和平のピンチです」

「和平の? どういうことですか、セレニィ… 説明を」

 

「あ、はい。えっと…」

 

 こんな厄介事に首を突っ込むのは百害あって一利なし。なんとしても止めねばなるまい。

 そう考えているセレニィは、イオンの視線の前でもなんとか引かずに言い切った。

 

 真っ直ぐ見詰め返していると、ジェイドに先を促される。ならばと彼女は語り始めた。

 

「まずラルゴさんが『襲撃は自分の独断だ』と言ってましたよね?」

「あぁ… 確かにラルゴめはそう申していた」

 

「なのにここで接触しちゃったら、教団が関係してますって言ってるようなモンでしょう?」

 

 命の危機も、国家間のややこしい問題に巻き込まれるのも真っ平御免である。

 折角相手の方から無関係だと言ってくれてるのだ。乗っかって何が悪い。

 

 セレニィなりに生き残りをかけて必死に言葉を言い募る。

 とはいえ彼女自身盛大にテンパっており、もはや言葉を取り繕う余裕すらないのだが。

 

「ていうか、そもそもイオン様は『平和の象徴』にして和平の仲介役ですよね?」

「え、えぇ… 確かに、僕は『平和の象徴』と呼ばれることもありますが」

 

「じゃあ悪戯に危険に晒しちゃダメでしょ。平和も和平も軽んじてることになるんですから」

「そ、それは… ですが、彼ら六神将は教団の幹部です。僕は導師として…」

 

 残念だが、タルタロス襲撃の時点で彼らは単なる犯罪者になっている。

 少なくとも両方で実行犯として確認されているラルゴはヤバい。それがセレニィの考えだ。

 

 流石にその残酷な事実をイオンに告げるのは躊躇われたため、次の話題を口に出す。

 

「あと、ルーク様とガイさんを除いた残り全員がキムラスカ人ではないことも問題です」

「そ、それが何か問題なのかよ…?」

 

「キムラスカで起こったキムラスカの事件に、他国人が勝手に介入するのは大問題ですよね」

 

 ていうか、そんな状況になったら国籍不明で身元不明の自分が真っ先に切り捨てられる。

 

 自身に確たる後ろ盾もないと自覚しているセレニィは、そうなると確信している。

 どうせ人間我が身が一番大事なのだ。いざとなったら自分を優先して逃げるに決まっている。

 

「それ以前に、先の襲撃で大幅に消耗してて満足に戦えない人間がほとんどですよね」

「みゅう… だったら、なんとかお話し合いはできないですのー…?」

 

「ハァ? 論外です。そもそも先に殴りかかってきたのはあっちですよ? しかも、二度も」

「まぁ、そうですね… タルタロスでは、自分の同僚も大勢殺されたことでしょう」

 

「考えるべきは『三度目の正直』じゃなく『二度あることは三度ある』じゃないッスかね」

 

 いつでもぶっ殺せる雑魚と、有利な条件を捨ててまで話し合いをしたいと思うだろうか?

 いや、そんな奇特な人もいるかもしれないが六神将は間違いなくそういう人種じゃないよね。

 大天使アリエッタさんを除いて。

 

 セレニィはそう思いつつ、話を締めくくるための言葉を紡ぐ。

 

「最後に、テロリストと交渉してはいけません。脅しに屈した前例を作っちゃいけません」

「………」

 

「以上をもって、要求に従うことは和平への悪影響が出るものと断言します。マジで」

 

 彼女の言葉に誰も返す言葉がない。

 

 イオンも、そしてルークも… 悲しそうに俯いている。自らの無力さを嘆くかのように。

 セレニィはまるで自分が悪役になったような居心地の悪さを感じて、彼らから目を逸らす。

 

「(いや… 『セレニィ(わたし)』は真実、悪役だってことだなー…)」

 

 この期に及んで、後味の悪さよりも行かないことに押し切れた安堵感が勝っているのだ。

 

 先に挙げた「我が身が一番大事な人間」とは他でもない。彼女自身のことなのだ。

 ジェイドですら悲しげな表情を覗かせていることが確認できる今、ハッキリとそう感じた。

 

 まぁ、やっちゃった以上はしょうがない。整備士長さん、恨むならどうぞ恨んでくれ。

 ……あ、でもできればでいいので心穏やかに成仏して下さい。

 

 そんなことを考えているセレニィの頭をポンと撫でて、ヴァンが前に進み出る。

 

「彼女の言うとおりでしょう。イオン様、あなたは皆とともにカイツールでお待ち下さい」

「……兄さんはどうするつもり?」

 

「私は六神将の長として責任を取らねばならない」

 

 あぁ、ヴァンさんは覚悟を決めたようだ。

 この人に汚れ仕事を押し付けるなんて… 自分は最低の人間なのだろう。

 

 自己嫌悪に見舞われつつ、セレニィは口を開く。

 

「そうですか… 六神将の長として、責任を取って軍基地に出頭するのですね」

 

「えっ?」

「えっ?」

 

 互いにキョトンとした表情を浮かべるヴァンとセレニィ。場に白けた空気が流れる。

 再起動を果たしたセレニィが尋ねる。

 

「違ったんですか? じゃあ、何を以って責任を取ると」

「いや、この手でラルゴを討伐しようかなと…」

 

「ギャグですか? 万が一取り逃したら『示し合わせて逃亡幇助した』って思われますよ」

 

 何言ってんだコイツ、頭沸いてんのか? という視線を遠慮無く向けるセレニィ。

 そんな師匠の苦境を見ていられないルークが慌ててフォローに回る。

 

「セレニィ、そんなにヴァン師匠(せんせい)を苛めないでくれよ。その… しょうがないだろ?」

「いや、しかしですね、ルークさん…」

 

「だって、ヴァン師匠(せんせい)は… ヴァン師匠(せんせい)は… ヴァン師匠(せんせい)は、ティアの兄貴なんだぞ!?」

 

 その場の全てが音を失う。……それほどまでにすさまじい説得力であった。

 

「確かに… グランツ謡将は、そっか、ティアの兄さんだったもんな…」

「そうだよねー… だったらしょうがないよねー…」

 

「私としたことが、主席総長というだけで色眼鏡で見ていましたか。……失態ですね」

「ジェイド… 落ち込まないで下さい、自分もそうでしたから」

 

「僕はあなたに多くを望み過ぎていたようですね… 申し訳ありませんでした、ヴァン」

「みゅう! そう考えると兄妹でそっくりですのー! すごいですのー!」

 

「……甚だ遺憾だわ」

 

 それはこちらの台詞だ、という言葉を飲み込み平静を装うヴァン。

 優しい瞳で見詰められて、内心でこの理不尽な状況に絶叫する。これは誰のせいだ?

 ルークのせいか? それともこのセレニィという少女のせいか?

 

 そのセレニィが親指を立てて口を開く。

 

「まぁ、そういうわけでがんばって『責任』を果たしてきて下さいねー?」

「い、いやしかしだな…」

 

「ローレライ教団の存亡はヴァンさんの首… ゲフゲフン、『誠意』如何にかかってますぜ」

「ちょ、今『首』って言った!? ヴァン師匠(せんせい)、死ぬのかよ! 俺、ぜってー嫌だぞ!」

 

「死にませんよー。ホラ、アレですよー。『命かけて説得する』的なサムシングですよー」

 

 限りなく棒読みの台詞を流しながら白々しい笑顔を浮かべてみせる。

 

 そのままヴァンの肩… は届かないので、背中をポンと叩く。

 多分きっと大詠師的な何かが助けてくれるはずだ。それまで祈るがいい。聖職者らしく。

 

 アリエッタを強制的に離脱させた恨みを忘れていない小物はここぞとぶち込んでくる。

 

「セレニィ… このままじゃヴァン師匠(せんせい)が可哀想だ。なんとか助けてやれないか?」

「いえ、無理ですって。どうしてもってならジェイドさんに」

 

「僕からもお願いします。セレニィ… どうかいい案を下さい」

 

 ルークが師匠のために頭を下げるのは想定の範囲内。

 友人の願いを無碍にするのは気が引けるが、ここでヴァンを生け贄に捧げるのは決定事項だ。

 

 だがそこに、思ってもいない方向からのルークへの援護射撃が飛んできた。イオンである。

 

「セレニィ… グランツ謡将は可哀想なヤツなんだ。なんとかならないか?」

「あたしからもお願い、セレニィ… ちょっと見てられなくて…」

 

「これ以上ダアトに足を引っ張られても困りますしねぇ… 私からもお願いします、セレニィ」

「ローレライ教団には自分も含むところがありますが、あたら犠牲を出すのも… どうか」

 

「みゅう! よくわからないですけど、みなさんがそういうなら助けて欲しいですの!」

 

 いやいやいや… ちょっとちょっと… 何を言っているんだ? みなさん。

 なんでこういう流れになっているのだろう… ふとそこでティアと視線が合う。

 

 まさか彼女まで…?

 

「ヴァンは死んでもいいと思うわ! むしろ死ぬべきだと思うわ!」

「……あ、いつものティアさんですね。安心しました」

 

 親指を立ててそう言われた。

 

 ティアさんは決してブレない鋼のメンタルの持ち主だ。安心しろ。

 神にそう言われている気がした。

 

 どうする? どうする? どうする? 案はないことはないのだが。

 そして結局彼女は…

 

「い、いやー… 残念だなー! 名案が思い浮かばないやー! すっごく残念だなー!」

「………」

 

「か、かー! いやー、役に立てなくて辛いなー! かー!」

 

 白々しくもすっとぼけることに決定した。何処に出しても恥ずかしい猿芝居である。

 

 ヴァンを除いた仲間たちはセレニィから距離を取り、頭を寄せ合い声を潜めて相談する。

 ……ガイのみ、女性陣から微妙に距離をとっているが。

 

「なぁ… あれって、その、嘘だよな?」

「あぁ、間違いなく嘘だと思うぞ」

 

「フフッ、バレバレの嘘をついちゃうセレニィも可愛らしいわ」

「まさかあんな猿芝居で私たちを騙そうとしているとは… 見縊られたものですね」

 

「でもかわいーじゃん。あたしたちには嘘をつきたくないってことでしょー?」

「自分もアニスに同意です。誠実な彼女の心根故でしょう」

 

「嘘だったんですか。……僕は全く気付きませんでした」

「みゅう… ボクもですの…」

 

 ひとまず相談を続けて、セレニィの嘘を暴こうという形で話がまとまった。

 作戦の立案・監修はマルクト軍が誇るドS… ジェイド・カーティス大佐その人である。

 

 彼は笑顔を浮かべて、セレニィに近寄る。彼女はというとビクッとして警戒を見せた。

 

「やぁ、セレニィ。いいですから、さっさと案を出してくださいよ」

「い、いや… 何言ってるんですか… そんなのないってさっきから言ってますよね?」

 

「ほう… 『仲間』に嘘をつくのですか? 傷付きますねぇ」

「べ、別に嘘ついてませんしー? ていうか仲間を疑うなんて最低ですよ!」

 

「そうですか… つまり嘘と発覚した場合の『お仕置き』も覚悟の上なのですね?」

 

 ドSの笑顔が更に輝く。

 恐怖に怯えつつもセレニィは彼を睨み返す。ここで呑まれてしまってはいけない。

 

「な、なんのことやらサッパリですねー…」

「……なるほど、分かりました。貴女を信じましょう、セレニィ」

 

「ホッ… 分かってくれればいいんですよ。かー、辛いわー! 仲間に疑われて辛いわー!」

「ところでセレニィ、貴女は嘘をつく時に頭のアホ毛がハネるのですがご存知でしたか?」

 

「えっ、嘘ッ!?」

 

 思わず両手で頭を抑えてしまうセレニィ。しかし頭部に異常は見られない。

 

「えぇ、嘘です。ですが、間抜けは見つかったようですねぇ…」

「あ、あれ? 信じるって話は、その…」

 

「えぇ、信じていましたよ。ティアから感染した『貴女の残念さ加減』を… ね」

「フフッ… おそろいね、セレニィ」

 

「さて、キリキリ喋るか『お仕置き』か、どっちがいいですか? どっちも? 贅沢ですねぇ」

 

 待ってくれ、私はなにも、言ってない。

 救いを求めるようにニッコリ笑顔を浮かべるセレニィに、綺麗な笑顔で返すジェイド。

 

「(あ… これアカンやつや…)」

 

 迫り来る胃痛に怯えながら、彼女は口を割らされることとなったのであった。



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46.コーラル城

 かくしてコーラル城へと向かう一行… その中にはムスッとした表情のセレニィの姿もある。

 

「………」

「おい… いい加減に機嫌を直してくれよ。セレニィ」

 

「なんですかー? まるで私が怒ってるみたいにー」

「(いや、あからさまに怒ってんじゃねーか…)」

 

「……フン」

 

 散々行くべきでないと警告したにもかかわらず、特に理屈もないままに却下されたのだ。

 それだけならまだしも、あまり出したくなかった自身の案をも無理やりに引き出されたのだ。

 

 その結果、ローレライ教団の犯罪行為の片棒を担がされる状況となって今に至っている。

 彼女からすれば踏んだり蹴ったり… 関わるべきではないと最初から思っていたから尚更だ。

 

 こんな結果となっては小市民とて人間だ。機嫌の一つや二つ、悪くもなろうというもの。

 生きているだけで充分だとしていたかつてを思えば、我儘になったものであるとも言えるが。

 

 流石に今回ばかりはやり過ぎたと思ったのか、面々も今は遠巻きに見守るに留めている。

 最も強く「ヴァンを助けるべき」と主張していたルークが、ご機嫌伺いに派遣されたが…

 

 それに対する反応は先程のとおりである。

 とはいえ、本気で整備士長を見捨てたかったわけでもないので飽くまで一過性のものだが。

 

 しかし普段対応が柔らかいルークに対してもご覧の有様となっては、面々も揃って頭を抱える。

 

「セレニィは和平のことを考えてくれたのに、僕は… 申し訳ないことをしてしまいました」

「イオン様のせいでは… ルークでは愛が足りなかったんです。やはりここは私が」

 

「ティア、これ以上セレニィを怒らせたくはありません。……今は自重を心掛けて下さいね?」

 

 少々からかい過ぎたかと思いつつ、ジェイドは眼鏡を直して溜息を吐いた。

 

 とはいえ、彼は自身に政治的センスが無いことを自覚している。

 戦場における作戦立案の類ならまだしも、ああいう場を丸く収めるのは極めて不得手である。

 

 天才にありがちな、人の心の機微を測るのが苦手な性分をジェイドは多分に持ち併せている。

 そして彼は自身のそれをよく理解しており、故に将軍の地位も辞退し続けて今に至るのだ。

 

 これ以上の地位は不要。大佐とて身に余る、というのは紛れも無い彼自身の本心でもあった。

 

 そこへ来ると、セレニィのあの当たりの柔らかさと調整能力はいかにも魅力的に映った。

 今回の彼女の出した案そのものは非常にシンプルである。

 

 内容は『物資補充の後そのままコーラル城へ向かい、陽動を以って人質を取り戻す』のみだ。

 こんなことはジェイドは愚か、他の面々ですら容易に思い付く事柄であろう。

 

 ただ、彼女が語る内容には根拠がある。

 もっと言えば、『お題目』やら『建前』やらを状況に結びつける能力に長けているのだろう。

 

 合理の側面から事態の解決における最適解を導くジェイドには、欠けている視点と言える。

 

「えっと… 襲撃の直後なので、軍のみなさんはまず事態の収拾に追われているはずです」

 

「オマケにラルゴさんの要求について、私たち以外に誰も耳にしてないのが大きいですね」

 

「軍の編成までそれなりに時間がかかります。その上で調査をしたら更にかかるでしょう」

 

「『たまたまルーク様が立ち寄ったファブレ家所有の別荘に巣食っていた賊を追い払う』」

 

「『その上でたまたま民間人を救助する』… その程度の時間は作り出せるかと思います」

 

 だいたい抜粋するとこんなところだっただろうか? ……やはり、彼女の視点は面白い。

 

 そこまで言った後に青褪めた表情で胸の辺りを抑えつつ、なんか呟いていたが。

 確か、「教団による犯罪行為隠蔽の片棒担いじゃった」とか「マッチポンプ過ぎる」とか。

 

 そんなことを考えているジェイドの耳に「おっと… 魔物だぜ、旦那!」という声が届いた。

 

「へへっ、ヴァン師匠に俺の旅の成果… 見せてやるぜ!」

 

「ほう… 期待しているぞ、ルーク」

「前線は自分たちが支えますので、ジェイドやティアは譜術による援護を!」

 

 その場のみんなが戦闘態勢を取り、自分も槍を構えようとしたところにセレニィが呟く。

 ……まるで独り言のように。

 

「うーん… 万が一ルーク様が怪我したら大変ですよね。護衛のガイさんともども後ろかな」

「……え?」

 

「イオン様は当然アニスさんが守るべきで前に出るべきじゃない。まぁ当たり前ですよねー」

「ま、まぁ… そーなのかなー?」

 

「マルクト軍のお二方は当然ルーク様とイオン様の護衛ですよねー? 和平の使者ですしね」

「………」

 

「ティアさんにはルーク様を守る責任がありますし… あちゃー、私、武器も道具もないや」

「え、えぇ…」

 

「あ、『私なんか』が差し出がましいこと言っちゃってすみません。気にしないで下さいね」

 

 にっこり微笑むセレニィに仲間たちは気不味げに視線を逸らす。黒セレニィ爆誕である。

 

 セレニィ的に、今回の出動はヴァンの立場を守るために強行採決されたようなものだ。

 どうせローレライ教団の権力で守られるだろうに、仲間が決めてしまった形となる。

 

 ティアが急ぎ、なんとか道具屋でグミやら薬やらを買い込んできたがそれだけだ。

 

 武器も道具も補充がない状況で、あの不死身の化物(ラルゴ)の巣に特攻する羽目になったのだ。

 アリエッタを強制的に同行者から外した件もあり、一方ならぬ気持ちを抱くのは必然と言えた。

 

 かくしてコーラル城に辿り着くまで、ヴァンが一人で魔物を片付ける羽目になったのである。

 

 

 

 ――

 

 

 

 面々は現在、コーラル城近辺の木々に隠れて様子をうかがっている。

 

「ホラ、ヴァン… グミを食べて回復して。あなたは主戦力だもの、遠慮しないで」

「ありがとう、ティア。これだけ用意するのは大変だっただろうに… やはり優しい子だ」

 

「気にしないで。神託の盾(オラクル)騎士団主席総長の名前を出せば幾らでもツケに出来たから」

 

 ヴァンはティアの言葉に涙を流している。きっと感動の涙であろう。麗しい兄妹愛だ。

 そこに偵察をしていたアニスとミュウが戻ってくる。

 

「たっだいまー! 表に見張りの気配なしですよぉ? 大佐ぁ」

「ですのー! あと勝手口も見つけたですのー!」

 

「ご苦労様ですアニス、ミュウも。……さて、ここまでは順調ですね」

 

 些か順調過ぎるきらいもあるが。しかし、もとよりここは敵が指定してきた場所。

 罠はあって当然と考える方が、今後の行動を考える上で健全といえるであろう。

 

 ジェイドはそう考えつつも、敢えて陽動作戦を貫き最短の時間での制圧を検討する。

 

「当初の予定通り、メンバーを二つに分割しての陽動作戦を仕掛けましょうか」

「それは分かったけど… 一体どういう風に分けるんだよ、ジェイド」

 

「陽動は派手に暴れて注意を惹き付ける役割です。自然、戦闘が多くなるでしょう」

 

 というよりラルゴと戦ってこそ役割を果たせるのが陽動なのだ。

 セレニィ的には絶対に入りたくないメンバーである。

 

「メンバー分けは… ヴァン謡将、ルーク、ガイ、アニス、そしてイオン様の5名」

「なるほど、一応呼ばれた面々とその護衛だし説得力はあるな。了解だぜ、旦那」

 

「えぇ、頼みましたよ。このメンバーの指揮は、ヴァン謡将… 貴方にお願いできますか?」

「うむ、承知した。必ずや皆とともにラルゴを打ち倒し、全員無事での帰還を約束しよう」

 

 やった! 陽動とかいう特攻メンバーから外された! なんて素晴らしいことなんだ!

 セレニィは小さくガッツポーズをする。それを知ってか知らずか、ジェイドは言葉を続ける。

 

「続いて潜入メンバーですね。……といっても陽動メンバー以外の全員となりますが」

「人質の奪還を最優先とするメンバー… という認識でいいんですよね? 大佐」

 

「えぇ、極力敵との接触は避けます。僭越ながら、このメンバーは私が指揮を取りましょう」

 

 かくして潜入メンバーはジェイド、トニー、ティア、セレニィ、ミュウと相成った。

 ジェイドが指揮をとることに、面々にも異論はない。彼らは異口同音に肯定を返事を出す。

 

 奇しくも主な胃痛要因たるドSと巨乳に挟まれることになったが、特攻よりはマシだ。

 

 そして作戦が実行に移される。突入時間は潜入メンバーは陽動メンバーの10分後に合わせる。

 

「さて、そろそろ時間ですね… 我々も向かうとしましょう。準備はいいですか?」

「自分はいつでも覚悟はできております」

 

「右に同じくです、大佐」

「……まぁ、そこはかとなく?」

 

「ですのー!」

 

 面々の返事を確認したジェイドは、勝手口の中へと乗り込むのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 さて、中は薄暗いものの部屋のあちこちから陽光が差し込んでおり視界に不自由がない。

 となれば、迂闊に明かりを付ければそれこそ注目を浴びてしまう結果に繋がるだろう。

 

 そう判断したジェイドは、明かりをつけないよう指示を出しコーラル城の探索が始まった。

 

 そんな中、セレニィはと言えば…

 

「(前方よし、右よし、左よし、後ろよし… 全て良し! なるべく離れて移動しよう!)」

 

 効率的にサボることを考えていた。

 

 武器も道具もない状況のため、一瞬の油断が命取りとなる。彼女なりに保身に必死なのである。

 万が一にも戦闘に巻き込まれてしまったらあっさりと死んでしまうことだろう。

 

 流石にタルタロスでラルゴに捕まったことを反省し、周囲の危険を確認しつつであるが。

 そして、その考えは間違ってはいなかった。

 

「止まって下さい。アレとアレは譜業人形ですね… 来ますよ!」

「トニー、前衛をお願い!」

 

「任せて下さい!」

 

 罠として仕掛けられたであろう譜業人形が襲いかかってきて、戦闘が発生したからだ。

 ジェイドが譜術で薙ぎ払うものの、次々と応援を呼び、数を頼みに押し潰そうと突撃してくる。

 

 それを他人事のように眺めている一人と一匹。出来ることがないため致し方ないのであるが。

 身を守る物とて持たぬ状況では、あんなところに混じってしまっても轢き潰されるだけだ。

 

 まして今は前衛がトニー一人しかいない状況。近くに行っても負担をかけてしまうだけだろう。

 

「ふわー… すっごいですねー。あんな激戦区に放り込まれたら私なんて早晩ミンチですよ」

「すごいですのー! ミンチですのー!」

 

「ジェイドが戦っている様子を将として高みの見物。……なるほど、貴女がセレニィですね?」

 

 そんなセレニィらの背後から声がかけられる。振り返ったセレニィが見たものは…

 

 

 

 ――

 

 

 

 最後の一体を倒し、トニーが大きく息を吐いた。

 

「ふぅ… 流石にもう来ませんよね?」

「ご苦労様です、トニー」

 

 ジェイドが彼を労いつつ口を開く。

 

「これで全部でしょう… 大した脅威でもありませんでしたが、鬱陶しいことこの上ない」

「ですね。しかし、これで敵に動きが察知されたかもしれません… ここは急ぎ」

 

「大佐! トニー! 大変です!」

 

 そこにティアの声が響き渡る。

 何事かと振り向けば、そこには何かのカードを握り締め青褪めた表情で震えるティアの姿が。

 

 そういえばセレニィは何処に? ジェイドとトニーがティアに近付きつつ確認する。

 

「一体どうしたと言うんです、ティア。そのカードは?」

「それに、セレニィの姿も見えませんが…」

 

「それが… セレニィがいなくなってて、代わりにこのカードが…」

 

 ティアに渡されたカードをジェイドが確認すれば、そこには次のようなことが書かれていた。

 

『貴方がたのリーダーであるセレニィは、私の偉大な作戦によって捕らえました。

 返してほしくば、地下にある貴方にも心当たりのある音機関の前まで来なさい。

                           美と英知の化身“薔薇”のディスト』

 

 よくよく捕まるのが好きな存在である。オマケにリーダーとは何を勘違いしているのか。

 ジェイドは溜息とともにカードを破り捨てると、地下を目指すのであった。



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47.友情

 コーラル城の地下… 巨大な装置(音機関と呼ばれる)の前で、セレニィは放り出される。

 その身体はロープで縛られ口には猿轡が巻かれた、なんとも痛々しい姿となっている。

 

「ほいさっさズラ」

「むぐー!」

 

「ハーッハッハッハッハッ! ご苦労ですね、タルロウX!」

 

 浮かぶ椅子に乗った男が、セレニィを運んできた譜業人形タルロウXを労いつつの高笑いだ。

 神託の盾(オラクル)六神将が一人、“死神”ディストである。

 

 彼は戦闘に巻き込まれないよう見守っていたセレニィを捕らえ、ここまで連れてきたのだ。

 セレニィも咄嗟に逃げようとはしたが、素早いタルロウXの追撃に敢え無く御用となった。

 

 そして助けを呼ぶ暇もあればこそ、ロープと猿轡でぐるぐる巻きにされ今に至るというわけだ。

 あまりにあっさり捕まってしまったが、不意を突かれた場合のセレニィはこんなものだろう。

 

 ディストは勝利の余韻に浸りながらも、眼鏡を直しつつ熱のこもった口調で一人語りを続ける。

 

「このあまりに鮮やかな手際! いやはや、自分の天才ぶりが恐ろしいですねぇ」

「さっすがご主人ズラ!」

 

「そろそろ陰険ジェイドも気付いた頃でしょうかね。タルロウX、猿轡を外してやりなさい」

「……いいズラか?」

 

「なぁに、構いません。……その恐怖に怯える口から勝者を讃えられるのも一興でしょう」

 

 譜業仕掛けの従者に青褪めた表情のセレニィの口から猿轡を外させ、その言葉を待つ。

 はてさて、あのラルゴに将器を讃えられる彼女は一体どんな言葉を吐くのだろうか?

 

 悔しさを滲ませるか? 負け惜しみを口にするか? いずれにせよ自身の勝利は揺らがない。

 だが彼女は、そのいずれでもないディストの想像だにしない行動をとったのだ。

 

「……ぅ」

「う?」

 

「うぼろろろろろろろ…」

 

 彼女は運搬中に散々揺らされた胃の中の物を、タルロウXに向かって吐き出したのだ。

 吐いたのは言葉ではなくゲロであった。

 

 そして盛大にぶっ倒れる。囚われのヒロインならぬ囚われのゲロイン誕生の瞬間であった。

 

「ちょ、ちょっと嬢ちゃん… 大丈夫か!?」

 

 同じく囚われていた整備士長が自身の立場も忘れて思わず駆け寄り、優しく背中をさする。

 それに対して、感謝の言葉も発する余裕もなくぶっ倒れたまま弱々しく呻いている少女。

 

 そして思わぬ先制攻撃でゲロに塗れた己の譜業人形。

 

「オイラは、今この時ほど『泣く』という機能が欲しいと思ったことはないズラ…」

 

「うーん… ダルいー…」

「まさかこんな方法で私の想像を超えてくるとは… 油断のならない存在ですね、セレニィ」

 

 それらの光景を眺めつつ、戦慄の予感とともにディストは呟いた。

 

 

 

 ――

 

 

 

 そして今、なんとか回復を見せたセレニィはこの場の二人にペコペコ謝っている。

 ちなみにタルロウXは、ディストの命令で身体を洗いに行かせている。

 

 ……水に弱いのが若干の不安点だが、酸っぱい匂いのまま傍にいられても困るのだ。

 

「いやはや、私としたことがお恥ずかしい… ところであなた方は?」

 

「俺はただの攫われてしまった整備士長だよ。んで、この人が…」

「ハーッハッハッハッハッ! よくぞ聞いてくれました。この私こそ、美と英知の化身…」

 

 セレニィが名を尋ねると、ディストは浮かぶ椅子の上で大きく高笑いを浮かべる。

 そして長ったらしい装飾とともに己の名を名乗るのであった。

 

「至高の天才にして類稀なる超越者! その名も高き… “薔薇”のディスト様なのですよ!」

 

「おおー!」

「わぁ、なんかすっごいですのー!」

 

 そのディストの自己紹介に拍手で迎えるセレニィとミュウ。ディストの機嫌は最高潮だ。

 整備士長は流れに乗って拍手しつつ、徐々に距離をとってフェードアウトを図っているが。

 

 天才ではあるのだが、ちょっとアレな性格から教団では距離を置かれがちな彼である。

 同じ六神将にも無視されたり軽い扱いを受けることが多く、食堂でもいつも独りであった。

 

 ……ラルゴなんかは彼を慕う部下の方が放っておいてくれず、いつも一緒だというのに。

 一度副官のライナーを誘ってみたが「ちょっと用事があるので…」と目を逸らされる始末。

 

 きっと彼の昼のスケジュールは、オールドラントの一年間756日常に用事があるのだろう。

 天才である彼、ディストには説明されずともそれが分かった。……分かってしまったのだ。

 

 そんな過去を思えばこうして初対面で引かれず、むしろ賞賛されるなど快挙と言っていい。

 

「ハーッハッハッハッハッ! ま、それほどでも… ありますがねぇ?」

 

「おおー、天才に相応しい自信ですね。すごいなー、憧れちゃうなー」

「ディストさんすごいですのー! ミュウもお空飛んでみたいですのー!」

 

 一方セレニィは会話をしながらディストを冷静に分析していた。そして理解した。

 

「(あ、この人ちょっと可哀想な人だ…)」

 

 そしてディスト自身の境遇も、文字通り舞い上がる姿を見てなんとなく察してしまっていた。

 

 自分を攫った敵ではあるが、ティアやジェイドらと違い明確に迷惑をかけられてもいない。

 いやまぁ乱暴な運搬中で吐かされはしたが、そんなものは彼らのそれとは比較にもならない。

 

 それだけに同情心が残った。多分お昼とかぼっちなんだろうな、とか考えている。正解だ。

 せめて彼に囚われているこの短い間だけでも優しくしてあげたい… 心からそう思ったのだ。

 

「(まぁ、それはそれとして… 精一杯利用させてもらいましょうか!)」

 

 瞳をキュピーンと輝かせて、密かに邪悪な笑みを浮かべる。

 セレニィの話術はこういうタイプを極めて得意とする。既に利用し尽くす算段を決めていた。

 

 ……こういう部分がセレニィのセレニィたる所以(ゆえん)であろうか。

 

「やっぱり私を捕まえたのも、ディストさんの英知から導き出された作戦なのですか?」

「フフン… まずは数で圧倒し押し潰すと見せかけて、実働部隊と指揮官を切り離す」

 

「然る後に身動きが取れないでいるところを風の如く現れて、指揮官を攫っていく… と」

 

 そう言葉を継いで言えば、「そのとおり。流石はセレニィです」と嬉しそうに微笑まれる。

 ……うん、本当に友達いなかったんだね。大丈夫、今日から友達だから。利用するけど。

 

 ところで気になることを言われた。しかも名前を明かした覚えはないのだがどういうことか?

 

「はて、流石とは一体どういう意味でしょうか?」

「あぁ、ラルゴとリグレットを破った貴女は我々の間で大層な脅威と認識されてましてねぇ」

 

「………」

「かくいう私もその評判が気になりまして、こうして貴女を捕らえに出向いた次第なのですよ」

 

「なるほどですのー! セレニィさん、すごいですのー!」

 

 ……え、何その死亡フラグ。なんでそんなことになってるん? 全部ドSがやったことやん。

 いや確かにリグレットさんには怒らせるようなことしちゃったけど、自分基本雑魚ですよ?

 

 おそらく勘違いだとは思うのだが… 六神将のガバガバ過ぎる残念情報網に泣きたくなる。

 じゃあ何? ここで見逃されても、今後ずっと狙われ続けるの? 泣くよ? 泣き喚くよ?

 

 いや、狼狽えるんじゃない。絶対保身するマンは狼狽えない! ならば対象を逸らせばいい。

 頭でそんなことを考えつつ手でミュウのソーサラーリングを取り上げつつ、震える言葉を紡ぐ。

 

「あ、それなんですが… すみません、一つ“薔薇”のディストさんに残念なお知らせが」

「……はて、なんでしょうか?」

 

「実は私、セレニィではないんですよ」

「な、なんですって! では本物のセレニィは…」

 

「えぇ、健在です。今頃『あの天才ディストに策が嵌まった』とほくそ笑んでいるでしょう」

 

 ……セレニィは真剣な表情で真っ赤な嘘をついた。あっさりとそれを信じてしまうディスト。

 腕の中でなんかミュウが「みゅうみゅう!?」と鳴いているが一切気にしないことにする。

 

 悔しそうな表情で歯を食いしばり、怒りをこらえつつもディストはならばとセレニィに尋ねる。

 

「で、では… 真のセレニィは一体何処に…?」

「ロン毛で片目を隠したちょっと目付きの悪い巨乳がいましたよね?」

 

「えぇ… ま、まさか彼女が!?」

「そのまさかです。彼女こそが真のセレニィ… 裏から全てを操る者です」

 

「くっ… この私としたことがまんまと嵌められるとはッ!」

 

 取り敢えずティアに押し付けてみた。

 

 うん、きっと大丈夫さ。彼女はスペックだけなら一流相当だし… たまに人間やめてるしね。

 そこらの連中が襲いかかってきても、返り討ちにしそうな安心感がティアには備わってる。

 

 別にこれまで散々フォローさせられた恨みとかは、ないよ? ありませんよ? ……多分ね。

 そんなことを考えていたセレニィの方を、ふと何かに気付いたようにディストが見詰めてくる。

 

「いやしかし、ラルゴによればセレニィは『銀髪で小柄な少女』だったような…」

「まったく恐ろしいですよね! セレニィめの印象操作は!」

 

「い… 印象操作ですって!?」

「髪は染めれば済むし、背だってジェイドさんやガイさんに比べれば20cm以上も低いです」

 

「ま、まぁ… ガイというのが誰かは知りませんが、そうなんですね…」

「後は私という影武者… いえ身代わりの捨て駒を置けば完成。これぞヤツめの心理トラップ!」

 

「なんと… おのれ、セレニィ! どこまでも卑劣な!」

 

 仲間ですら囮にする… むしろ囮のために仲間にするその卑劣さに、ディストは憤慨する。

 ……その卑劣なセレニィは目の前にいるのだが。

 

 その彼女はうんうん頷きつつ椅子をよじ登り、悔しがるディストの肩を優しく叩いてみせる。

 

「凡人ながらディストさんの悔しさ、察するに余りあります… ですが、こうも考えて下さい」

「くっ、まんまと嵌められた無様な私にこれ以上何を!?」

 

「これは天才に課せられた試練! 積み重ねた失敗の分だけ成功は価値を増すのであると!」

「……ッ!」

 

「この失敗は終わりを意味するのか… 答えはあなたの中にあるはずです、“薔薇”のディスト」

「フ、フフフフ… ハーッハッハッハッハッ! そう… そうですとも! この私こそは!」

 

「よっ! 至高の天才! 究極の超越者! 美と英知の化身! 誉れも高き“薔薇”のディスト!」

「みゅうみゅうみゅう!」

 

「ハーッハッハッハッハッ!」

 

 高笑いを浮かべるディスト。それを囃し立てる一人と一匹。

 そしてその光景から距離を置きながら冷めた視線で見守る整備士長。場はカオスに彩られる。

 

 しかしディストはそこで更に気付いたことを口にする。

 

「では貴女の名前は? さっきそこのチーグルに『セレニィ』と呼ばれていたような…」

「じゃあ、『セレヌィ』でいいです。さっきのは、きっと発音ミス的なアレでしょう」

 

「……『じゃあ』? 『でいいです』?」

「そんな細かいことを気にしないでください! 友を疑う気ですか! このセレヌィを!」

 

「はっ! 私としたことがなんということを… 大切な友を疑ってしまうとは…」

「いいんですよ、ディストさん。私たちは過去を乗り越えるために許し合えるのですから…」

 

「セレヌィ…」

 

 お互いが優しい気持ちで見詰め合う。敵味方の間柄ながら、何かが通じ合った気がした。

 しかし、蜜月の時間には終幕が付き物である。

 

「おやおや… 何やら楽しそうな話をしていますねぇ」

 

 空気を読まないドSの声がそこに響き渡った。

 無傷で… しかも恐るべき速さで登場したジェイドに、ディストが驚愕の声をあげる。

 

「なっ… ここに来るまでに無数のトラップを仕掛けていたはず…!」

「トラップ? そんなものがあったのですか。生憎とスムーズにここまで来れたもので」

 

「なんですって… 一体どうやって…?」

「す、すまんズラ… ご主人、オイラは…」

 

「タ、タルロウXゥーーーーー!?」

 

 そこには散歩犬よろしく首に紐を結び付けられたタルロウXがボロボロの姿で横たわっていた。

 

「彼が快く協力してくれたおかげで、私たちは無事短期間にここまで来れましたよ」

 

 まさに外道。ドSに定評のあるジェイドさんの面目躍如である。

 

 そんな彼に放り出されたタルロウXに慌てて駆け寄り、優しく助け起こすディスト。

 一体どちらが正義サイドであるのか分からなくなってくる光景だ。

 

「セレニィ、無事だったかしら! 心配したわよ!」

 

「さて、セレニィ… さっさと帰りますよ」

「無事なようで自分も安心しました、セレニィ」

 

 口々に自分の名前を呼んでくる迷惑な仲間たちだ。友(偽)の疑惑の眼差しが心臓に悪い。

 だがここで怯んではならない。これしきの窮地、今までのデッドリーイベント群に比べれば!

 

 セレニィは胸を張って口を開く。

 

「なんですか、その目は」

「いや、ジェイドたちが『セレニィ』と…」

 

「ディストさん、私は悲しいです」

「……え?」

 

「苦楽をともにした私と、ぽっと出の彼ら… どちらを信じるべきかは一目瞭然でしょう!」

 

 ビシッと指を突き付けられる。

 むしろ椅子の持ち手に腰掛ける彼女に、ほっぺをグイグイ押し込まれている勢いだ。

 

 しかしそこは天才ディスト。流石に何度も騙されない。

 

「いや、苦楽をともにしたって… 貴女もさっき会ったばかりのような…」

 

「ディストさん、私は悲しいです」

「……え?」

 

「あなたと育んできた思い出… 私たちの友としての懐かしい記憶まで否定するのですか?」

 

 その言葉にディストは遠い目をして、在りし日の思い出に想いを馳せる。

 

 雪の降るケテルブルグ… 仲の良い幼馴染たち。そして誰よりも尊敬した恩師。

 あ、あれ? やっぱりいないような…

 

「トラストミー!」

「みゅうみゅうみゅう!」

 

「あ、はい」

 

 もう一度真剣に考えてみる。

 

 ……そう言われてみれば、三人目か四人目あたりの幼馴染にいたような気がしないでもない。

 うん、なんかもういたってことでいいや。ジェイド、ネフリー、ピオニー、セレヌィで。

 

 そう考えて、ディストは顔を上げてセレニィに向かって微笑んだ。

 

「えぇ… なんか貴女とは昔からの友人である気がしてきました」

「信じてましたよ、ディストさん!」

 

「みゅうみゅうみゅう!」

 

 二人は固い固い握手を交わす。感動の瞬間である。

 しかし、セレニィの仲間たちがそこに割って入ってくる。

 

「セレニィを返しなさい!」

「六神将が一人、“死神”ディストめ… 彼女をどうするつもりですか!?」

 

「おやおや、随分と鼻垂れディストと仲良しですねぇ。セレニィ」

「きぃぃぃっ! 私は“薔薇”のディストです! それに彼女は私の幼馴染のセレヌィです!」

 

「落ち着いて下さい、ディストさん。心理戦に乗ってしまっては相手の思う壺です」

 

 ムキになって言い返すディストをやんわりと宥めるセレニィ。

 そして、キッと暴言を吐いた彼らを睨みつける。

 

「しかし、私の大切な友への侮辱… 許すことは出来ませんね」

「セレヌィ… 私のために怒ってくれるのですか?」

 

「当然ですよ。ちょっと一言文句を言ってきてやります!」

「そんな… ジェイドの恐ろしさは貴女もよく知っているでしょう? 危険ですよ!」

 

「なぁに… 友のためなら命を張ってみせる、それが真の友情じゃないですか」

 

 親指を立てて微笑み、彼女は浮遊している椅子からゆっくりと… 「ぐえっ」転がり落ちた。

 そんな彼女の健気な友情に、思わず目頭が熱くなるディスト。

 

 セレニィは整備士長の腕を引っ張りながら、彼らのもとに向かう。

 そして… そのままティアとジェイドの後ろに隠れた。

 

「あ、人質確保してきましたー」

「ご苦労様です、セレニィ」

 

「あ、あれ? 友よ、命をかけたお説教は…」

 

 呆然とするディストにセレニィは手を合わせて頭を下げる。

 

「ごめんなさい」

「え、その…」

 

「あなたの事は個人的に大切な友達だと思ってますけど、このドSがどうしてもやれって…」

「セレニィ、後で覚悟しておいてくださいね」

 

「ひぅっ!?」

 

 ジェイドに脅されて涙目になって怯えるセレニィ。

 

 ディストは思う。またジェイドか… と。

 アイツはいつもいつも自分の大事なものを奪っていく。恩師に加え… 今また、友まで。

 

 ……いやまぁ今回に関しては、だいたい全部セレニィのせいなのだが。

 

「おのれぇええええ! ジェイドぉおおおおおお!」

 

 怒りの一撃を込めてジェイドに向かって特攻する。

 だが現実は厳しかった。

 

 ディストはドSによって完膚なきまでに叩き潰され、城の地下水路に落ちていった。

 タルロウXとお揃いで主従ともども。

 

 

 

――

 

 

 

 そしてすべてが終わったコーラル城の前で、同じくラルゴを退けた陽動メンバーと合流する。

 

「いや、うん… マジでゴメンね、ディストさん。個人的に大好きなのは本当だから」

「セレニィ、何をしているんですか? 早くついてこないとまた攫われますよ」

 

「あ、はーい」

「まったく貴女は学習しませんねぇ… これで何度目ですか?」

 

「いや、今回は相手が上手だったんですよ… そう、天才である“薔薇”のディストがね」

 

 朱に染まるコーラル城を振り返りながらそう呟く。

 そして城の奥に雄大に広がる海に夕陽が反射し、ほんのりセレニィの目に染みるのであった。

 

「(またね、ディストさん… 私たち、ズッ友だよ…)」

 

 本日のセレニィの成果…

 

 ・人質(通算三回目)

 ・詐欺(ボッチに対して友情を餌にする極めて悪質的な犯行)

 

 かくして一行は整備士長を無事救出し、コーラル城を後にする。目指すはカイツール軍港。

 そしてキムラスカ・ランバルディア連合王国の首都… 通称『光の都』バチカルである。



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48.仲間

 コーラル城にて激戦の末に整備士長を救出した一行は、無事カイツール軍港へと戻ってきた。

 時刻は夕暮れ過ぎといったところか… 運良く暗くなる前に戻ってくることが出来たのだ。

 

 この時間でも慌ただしく駆け回っていた整備兵の一人が、それに気が付いて、駆け寄ってきた。

 

「あっ! 隊長、ご無事だったんですね。お怪我はありませんか?」

「おう、心配かけたな。船の修理の方はどうだ?」

 

「外装はなんとか。ただ、機関部に関しては隊長の指示がないと」

「ご苦労さん。んじゃ、早速働かないとな… 他が終わってるなら一晩もあれば充分だ」

 

「はい! ……みなさんが隊長を助けてくれたんですね。ありがとうございます」

 

 整備士長との話を終えた整備兵が一行に向けて頭を下げてくる。

 それに対して、ルークは笑顔を浮かべて応える。

 

「気にすんなって。仕事、頑張ってくれよな」

「はい! それでは仕事があるのでこれで… 隊長、待ってくださいよー」

 

「さて、明日には出発の準備が整いそうですかね」

 

 ジェイドが眼鏡を直しながらそう呟く。

 

 ちなみに整備士長には神託の盾騎士団に攫われたことは触れ回らぬように口止めしてある。

 戦争に繋がりかねない『高度な政治的判断』と説明したので、出港までは大丈夫だろう。

 

 その後のこと? いずれ噂となって、タルタロスの一件ともども広がるかもしれないね。

 だが考えても仕方ない。教団の評判は地に落ちるかもしれないが、どうしようもないのだ。

 

「(こんな暴挙を二千年間繰り返してきたのか? いや、幾らなんでもそこまではなぁ…)」

 

 多分この時代のローレライ教団が特別アレなだけなんだろう。大詠師とか主席総長とかが。

 そんなことを考えているセレニィの胃痛の種が、また増えてしまったことは言うまでもない。

 

 そして翌日の出発に備え身を休める宿を探そうという段になり、背後から声がかけられた。

 

「失礼します。その特徴的な赤い髪… 襲撃を受けた折にご協力して下さった方々では?」

「ん? ……あぁ、といっても途中からだし大した役に立てたかは分かんねーけどな」

 

「とんでもございません。あなた方のおかげで多くの命が救われました。お礼申し上げます」

 

 そう言って上級兵らしきその男は礼の構えを取る。

 その畏まった姿勢にむず痒くなったルークが慌てて口を開く。

 

「いいって、そんな畏まった態度とらなくてもさ。で、えーと… アンタは何か用か?」

「これは失礼しました。私はカイツール軍港を預かるアルマンダイン伯爵の部下です」

 

「ほう… あのアルマンダイン大将ですか」

 

 ジェイドの呟きを、彼は肯定する。

 

「はい。そして主人であるアルマンダイン伯爵より、貴方がたへ言伝を預かって参りました」

 

「言伝だって?」

「ハッ! 貴方がたのご尽力に殊の外感謝の意を示されて、是非直接お礼を申し上げたいと」

 

「お礼って… 今からか?」

 

 顔を見せることは(やぶさ)かではないが、外は既に暗くなっているし何より疲労も溜まっている。

 流石にその状況は理解しているのだろう… 彼は慌てて首を振り、誤解を解くため口を開く。

 

「いえ、流石に今晩は… 差し支えなければ明日にでもお会いできればと申していました」

「なるほどな、こっちは構わねーぜ。ただ宿を探してる途中だったんだ… 行っていいか?」

 

「でしたら私どもにお任せ下さい。直ちに来賓用の宿のご用意を… 無論お代は結構です」

 

 是非にと案内する上級兵に言い募られてはルークも断り難い。ましてこの話は渡りに船だ。

 仲間を振り返り「…てことらしいけど、いいか?」と確認すれば、彼らとて異論はない。

 

 アルマンダイン伯爵の部下である彼らの好意に甘え、来賓用の宿へと案内されることにした。

 

 

 

 ――

 

 

 

 食事に舌鼓を打ち、コーラル城での疲れを癒やした一行はそれぞれの部屋に入る。

 後は明日の出発… もとい出港に向けて英気を養うばかりである。

 

 と、セレニィがベッドに向けて視線をやったところで扉がノックされた。

 

「はーい、どなたですかー?」

「あ、俺だけど大丈夫か?」

 

「おや、ルークさんですか。どうぞどうぞ」

 

 扉を開けて立ち話もなんだからとルークを招き入れると、セレニィは椅子を勧める。

 せっかくなのでと部屋に用意された道具を使って、お茶を用意するセレニィ。

 

 と、そこでようやくルークは彼女が備え付けのパジャマを身に着けていることに気付いた。

 

「あ、パジャマ… ひょっとしてもう寝るところだったか? なんか悪いな」

「いえいえ… どうにもこの身体は夜になると睡眠を欲するみたいで」

 

「あぁ、そーいや野宿する時も割りと真っ先に寝てるよなー。ミュウと一緒によ」

「セレニィさんはミュウと一緒によく寝てくれるですのー。優しいですのー」

 

「あははー…(『湯たんぽ代わりにちょうど良かっただけ』なんて言えないなー…)」

 

 三人でとりとめない話を交わす。旅の始まりやこれまでの窮地など、様々なことを。

 そして、それから少し間を置いてルークが尋ねる。

 

「明日のことなんだけど、セレニィにちょっと聞きたいなって思ってな…」

「はて、明日のこと… 出港についてですか?」

 

「いや、そっちじゃなくて。えーと… アルマンダイン伯爵ってのに会いに行く話」

「なるほど… 『どんな話をしたらいいか』ってところでしょうか?」

 

「そうそう。アレだろ? 教団のこととか、喋ったらまずい状況なんだよな?」

 

 ルークの言葉に「ふむふむ…」と頷いて顎に手を当てる。

 要はボロを出さない程度、察せられても触れられない程度に取り繕う『建前』の打ち合わせか。

 

 セレニィの思考を余所に、ルークは言葉を続ける。

 

「俺、こういうのを考えるのってあんま得意じゃなくてなー」

「そうなんですのー?」

 

「あぁ、ヴァン師匠(せんせい)に『嫌いなら勉強なんかしなくていい』って言われて甘えてきたツケかな」

「でも今はしっかりと考えようとしてるじゃないですか。立派ですよ、凄く」

 

「……そ、そうかな?」

 

 穏やかに微笑むセレニィに褒められ、ルークは真っ赤になって照れてみせる。

 

 いや、本当に立派だと思う。自分など必要に迫られなければ聞き取り調査すらしなかったし。

 しかもアレだけやって成果ゼロ。向学意欲というものを、根こそぎ持って行かれた気分だ。

 

 そんなことを考えつつ、先のルークの問いかけについて彼女なりの答えを口にしてみる。

 

「まずここはキムラスカ領内ですから、ルークさんは身分を明らかにしていいと思います」

「あ、そっか… もうマルクトじゃねーんだもんなー」

 

「相手は爵位を持つ軍部の高官。となれば、ルークさんのことをご存知かもしれません」

「なるほど… 親父は元帥やってるし戦争じゃすっげぇ活躍したって聞くしな」

 

「うん、それって絶対知ってますよね。むしろ、会ったことあるかもってレベルですよね?」

 

 笑顔を浮かべつつセレニィは表情を青褪めさせた。バリバリの武闘派じゃないですかヤダー!

 ルーク個人が無礼と不敬を許してても、秘密裏に始末される可能性がグンと高まったのである。

 

 あぁ、そういえばティアの件のフォローはまだ思い付かないし… 胃がキリキリ痛んでくる。

 先のことは考えたくない… その一心で、思考を逸らすためにも彼女はルークへの話を続ける。

 

「キムラスカからも捜索願いとかが出てるでしょうし、安心させることが出来るでしょうね」

 

「うん、そうだな。じゃ、鳩を借りて父上や母上や伯父上にも無事を連絡すべきかなー」

「はい、そうです… ん? 伯父上、ですか」

 

「あぁ、伯父上にしてキムラスカ国王のインゴベルト六世陛下。俺の母上の兄さんなんだよ」

「ぶー!?」

 

「うおっ!?」

「みゅう!? 毛皮がびしょびしょですのー!?」

 

 思わずお茶を吹き出しそうになる。というか、吹き出した。

 思い切り(むせ)つつセレニィは纏まらない思考で考える。

 

 え? 現役国王が伯父? んでもってお母さんが王妹? どういうことだ、ドS!

 

 なんか「王家に連なる」って言うから何代か前に枝分かれした程度に思ってただろ!

 これは現役バリバリの王家って言うんだよ! そんじょそこらの公爵とは訳が違うわ!

 

 セレニィは(むせ)ながらも、心の中であらん限りの罵倒を某ドSな軍人へと叩きつけている。

 

「ゲホゲホゴホッ!」

「だ、大丈夫かセレニィ… ほら。背中さすってやるから」

 

「セレニィさん、しっかりですのー」

 

 むしろルークの顔前で突如お茶を吹き出して背中をさすらせる現状…

 現在進行形で不敬&無礼ゲージを貯め続けていると言っても過言ではない。

 

 あ、でもなんか落ち着いてきたぞ。ルーク様背中さするの上手いなー。

 

「す、すみませんお二方とも… だいぶ落ち着きました。……あ、あのルーク様?」

「おまえ胃腸弱いんだからあんま無理すんなよー… ん? なんだよ」

 

「別に胃腸が弱いわけでは… じゃなくて。ルーク様、王位継承権ってお持ちです?」

 

 別段、胃腸が弱いわけではない… と思う。ただドSと巨乳に痛めつけられてるだけだ。

 

 それはともかく、気になることを確認してみた。ないのが最上、あっても低いと嬉しいな。

 なんでかって? 王位継承権の順位が高ければそれだけ「国家の面子」に関わるからね!

 

「あぁ、持ってるぜ。確か王位継承権は… 第三位、だったかな?」

「……オワタ」

 

「ど、どうしたセレニィ! そんなところで寝ると風邪引くぞ、マジで!」

 

 ……いけないいけない。この世界に来てから初めて自殺したくなっちゃったぜ。

 取り敢えずティアさんはもう諦めて。割りと真面目に未来はありません。

 

 そんなことを考えつつも、セレニィは今現在は落ち着きを取り戻している。

 

 解決策が浮かんだ訳ではない。考えないことにしたのだ。ある意味で究極の護身術である。

 残ったお茶と一緒に大量の胃薬を飲み干しつつ、セレニィは先の話の続きのための口を開く。

 

「で、まぁ… 襲撃時に人命救助に取り組んだ件も聞かれると思います。理由とか」

「あ、あぁ… そうだろうな」

 

「その時は『貴族として当然のこと』でも『人として放って置けなかった』でもご自由に」

 

 二つはどう違うんだろう、という表情を浮かべているルークのために説明を補足する。

 

「相手を見て使い分けられればベターですが、分からない場合は個人的には前者ですかね」

「『貴族として』って言った方がいいのか? なんでだ?」

 

「そりゃ上手く立ち回れば、『貴族としての』ルーク様に覚えがめでたくなりますから」

「ふーん… そういうもんなのか」

 

「ま、出世欲がある人には有効でしょう。そうでなくとも相手も貴族、仲間意識は感じます」

 

 そう言って微笑むと、ルークはミュウと揃ってしきりに感心してみせる。

 その様子になんか無理に合わせてもらってるような気分になり、苦笑いを浮かべる。

 

「すみません。つまらない話ばかりで…」

「いや、そんなことないぜ? セレニィの話は分かり易くておもしれーしな」

 

「ですのー! それに分からなかったら優しく教えてくれるですのー!」

「だよなー? そこへいくとジェイドは物知りなんだろうけど意地悪だしよー」

 

「みゅう… ジェイドさん、イジワルですのー?」

「『それくらい自分で考えて下さい。私は貴方の先生ではないんですよ、ルーク』とか?」

 

「あははははははは! すっごい! 似てますねー… いや、ドSっぽい!」

 

 ルークの物真似にセレニィは思わず拍手喝采だ。

 久々の男友達っぽいノリでのおバカな会話に、話が脱線し始める。

 

「よく言ってるけど、『どえす』ってなんだ?」

「それはですねー… 人に意地悪するのが楽しくて楽しくて仕方ない人種のことなんですよ」

 

「へー… ならジェイドにピッタリだなー」

「いや全くその通りで…」

 

「ほう? 中々楽しそうなお話をしていますねぇ」

 

 突如響いてきた、よく通る低い声に場の空気が凍る。

 震える声でセレニィは言葉を付け足す。

 

「で… でも、とっても優しいところもあるんですよ?」

「おや、どうも。ですが私はドSらしいですからやはりいじめる方が好きみたいでしてね」

 

「ひぐぅ!?」

「ていうかおまえジェイド! いつの間に入ってきやがったんだよ!?」

 

「やれやれ… 扉を開けっ放しで雑談に興じているようでしたので注意しに来たのですがね」

 

 ジェイドは眼鏡を直しつつ、溜息を吐きながらルークとセレニィにそう言うのであった。

 これには二人も返す言葉もなかった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 それからはジェイドを交え、明日のアルマンダイン伯との会談の打ち合わせと相成った。

 そして今はそれも一段落して、ルークは伸びをしながら肩を回しつつ口を開いた。

 

「うっし、大体分かったよ。なんかあったらセレニィ、ジェイド。フォローよろしくな?」

「基本はセレニィに任せた方が安心でしょう。無論、私も多少のフォローはしますがね」

 

「え? なんか普通に私が出ることになってませんか? 貴族様との会話とかちょっと…」

「そう言うなって、セレニィ。おまえほど頼りになるヤツはそうそういねーんだからさ」

 

「お、おう…(え? なんなの、この評価。ルーク様、何かに騙されてませんかねぇ…)」

 

 決まったことといえば以下のとおり。

 

 ・まずは一行を代表してルークがキチンと名を名乗ること。

 ・その上で、港の救助活動について問われれば貴族として振る舞った結果だとすること。

 ・整備士長救助は「私有の別荘にたまたま立ち寄った」結果の産物とすること。

 

 この3つである。後は深く突っ込まれることもないだろうが、基本流れに任せる形となる。

 

「ホントに助かったぜ。また何かあったら聞きに来てもいーか?」

「勿論。ただ、他にも頼りになる方が揃ってますから私ばかりでは視野が偏りますよ」

 

「えぇー… そうかなー?」

 

 疑わしげな表情を浮かべるルークに苦笑する。

 

 半分以上は「たまには誰かに押し付けられるようにしたい」という考えがあるのは認めよう。

 だが、やはり頼りになる人材が揃っているのは事実だとも思う。それを口にする。

 

「そうですよ。例えばそちらのジェイドさん」

「おや、私ですか?」

 

「彼は戦術面、作戦面で他の追随を許しません。その方面では心強い相談役となるでしょう」

「うん、それは確かに。ジェイド、すっげぇ強いし悪知恵働くもんな」

 

「いやはや、それほどでも… ところでルーク、悪知恵とはどういう意味ですか?」

 

 脅かすジェイドと大袈裟に怯えてみせるルーク。それを笑顔で眺めつつ言葉を続ける。

 

「ガイさんは行儀や作法… それに常識面での心強いパートナーですね」

「常識は分かるけど… 行儀や作法ってのは?」

 

「気付きませんでした? 例えば今日とか素人目にも分かる完璧なテーブルマナーでしたよ」

「へぇ… そうだったのか。じゃあ、そっち方面はガイにも頼ろうかな」

 

「それにルークさんにとって、精神面でも気の置けない親友という間柄でもありますしね」

 

 その言葉に、ルークは照れながらも「まぁな!」と微笑んでみせた。

 

「アニスさんは複雑な問題での立ち回りや、人心の機微の把握に長けてらっしゃるかと」

「確かに彼女は、貴女と似たような性質を持っているかもしれませんね… セレニィ」

 

「あはは… まぁ、否定はしませんけどね。でも私より『世間』をご存知の方だと思います」

「えー… そうかぁ? 俺には甘ったるい声で話し掛けてくるガキにしか思えねーけど」

 

「あはは… きっといつか分かりますよ、アニスさんの良さが。私も助けられましたしね」

 

 セレニィは基本的に美少女にはダダ甘だ。

 だがそれを差し引いても土壇場で強いアニスには大きな魅力を感じているのも事実だ。

 

「トニーさんはしっかり堅実に役割をこなし、人柄も誠実な人です。大事にしましょう」

「そーだな。てか、ティアの暴走を止められるの俺とアイツだけだもん」

 

「ははははは… いやぁ、いつもいつも大変ですねぇ。ルークとトニーは」

「ていうか、オマエも手伝えっつーの! 俺らにばっか押し付けて楽してんじゃねーよ!」

 

「いやですねぇ… 私も歳なもので体の節々が痛んでくるのですよ。口惜しいことです」

 

 トニーはとても大事だ。胃痛的な意味でセレニィに一切の危害を加えてない稀有な人なのだ。

 オマケに何故か貴重な前衛要員だ。普通は魔法使い的な存在の譜術士の方が貴重なはずなのに。

 

 というかルークとアニスを前衛メンバーに数えてしまっていいのだろうか?

 ……うん、胃がキリキリ痛んできたから深く考えないことにしよう。彼は大事。それで解決さ!

 

「イオン様とミュウは疲れた心を癒やしてくれます。見た目だけではなくてその優しさで」

「いや、見た目っておい…」

 

「悲しいことや辛いことがあったら相談してみましょう。きっと支えになってくれますよ?」

「みゅう! なんだか照れるですのー! でも精一杯頑張るですのー!」

 

「……そうですね。私もそういった時の選択肢の一つとして考えましょうか」

 

 イオン様マジ癒しの化身。たまに危なっかしいピュア過ぎるところも含めて放って置けない。

 変態… もといセレニィは心の中でイオンに萌えつつ言葉を続ける。え? ミュウはついでさ。

 

「でもティアに関しちゃ褒めるの難しいんじゃねーか? いざって時は頼りになるけどさ」

「別に褒める趣旨じゃないんですが… それにティアさんにも頼れる部分がありますよ」

 

「え、ホントか? 無理してないか?」

「はい、彼女の決断力は素晴らしいものがあります。迷った時は背中を押してくれるでしょう」

 

「なるほど… 一理ありますね」

「あと、かなり大雑把な言い方になりますが… 所謂『勘』というモノに優れているかと」

 

「……『勘』?」

「はい、理屈抜きで物事の本質を掴む才能のような。……その分、説明能力は壊滅的ですが」

 

「確かになー… 悪いヤツじゃねぇってのは分かるんだけど、アレはないよなー」

 

 ルークもジェイドも、その言葉には思わず苦笑いを浮かべてしまう。

 とはいえ緊急時においても最適に近い行動を取れることは、確かに彼女の強みであろう。

 

 あるいはセレニィの言うとおりに本当に『勘』が彼女に備わっているのかもしれない。

 

「しかし、褒めるって趣旨に切り替わったならばルークさんは外せませんねー」

「え? お、俺か… なんか照れるな」

 

「右も左も分からなかった私に、丁寧かつ親切に物事を教えて導いてくれたじゃないですか」

「ま、まぁ… そりゃ記憶喪失って聞いたらな」

 

「あと、今も分からないことや疑問に思ったことをそのままにせず誰かに聞きに来た」

「いや、それは別に凄いことじゃねーだろ?」

 

「誰でも出来ることじゃありませんよ。その気持ち、ずっと大切に持ち続けてくださいね?」

 

 そう言って微笑むと、ルークは真っ赤になってから一つ頷いた。

 

 いや、本当に凄いことだと思う。自分なんか辛いことから目を逸らして生きているのだから。

 きっとルークは良い貴族になって、ほんのり自分も暮らし易い世の中にしてくれるはずだ。

 

 そう考えつつ、いよいよとっておきの人について語ろうとセレニィは口を開く。

 

「そしていよいよ最後はオオトリに控えしは!」

「おっ!(いよいよ、ヴァン師匠(せんせい)か?)」

 

「大天使アリエッタさん! 可愛すぎてやばい! ピュアすぎてやばい! 便利すぎてやばい!」

「ふむ… セレニィの戯言はさておき、確かに彼女は非常に優秀でしたね」

 

「あー… 魔物を自由に操るんだもんなー。オマケに本人も結構つえーしな」

 

 若干肩を落としながらも、ルークは話に乗る。流石に師匠はまだ出会って日が浅かったか。

 これから仲良くなってセレニィにも彼の良いところをたくさん見つけて欲しいものだ。

 

 そう思いつつ、ルークは口を開く。

 

「しかし、セレニィ… おまえ大事なヤツを一人忘れてるぜ?」

「えぇ、まったくですね」

 

「おや、そうですか? 後はえーと… ヴァンさんのことはまだ正直分からないんですが」

「そうじゃなくて… これまでの旅を支えてくれた大事なヤツのことだよ」

 

「ちょっと考えれば分かることですよ、セレニィ」

「むむむ… 誰のことでしょう。あ! ミュウさんを貸してくれたチーグルの長老ですか?」

 

「ちっげーよ! オマエだよ、オマエ! セレニィ、自分のこと分かってないのかよ!?」

 

 ルークに言われてキョトンとした表情を浮かべる。いやいや、ただの雑魚ですしおすし。

 手を左右に振りつつ思うところを答えてみせる。

 

「いやまぁ、多少は屁理屈が回るかもですが… 基本足引っ張ってるだけですよね? 私」

「やれやれ… 『謙虚』もここまで来ると『卑屈』の領域といっても過言ではありませんね」

 

「確かにそれにも助けられたけどよ。オマエの良いとこ、今ちゃんと見せてくれただろ?」

「……夢でも見てたんですか、ルークさん。ダメですよ、ちゃんとベッドに入って寝ないと」

 

「だから! オマエが今! みんなの良いところ! ちゃんと! 俺に教えてくれただろッ!」

 

 全く心当たりがないため寝言と判断し、適度な睡眠を勧める彼女に大声で怒鳴るルーク。

 

 いや、うん… そりゃ基本みなさん優秀ですしね。キッチリそれは把握しておかないとね?

 セレニィはそんなことを思いつつ、その旨を説明しようとする。

 

「あの」

「オマエのそういう誰かの良いトコを見つけられる優しさがあるから、俺達は仲間なんだろ」

 

「ははははは… 美味しいところをルークに取られてしまったようですねぇ」

 

 耳で聞いて、頭に向かい、脳へと届けられた言葉の意味するところを理解したセレニィは…

 

「え? あ、いや、その… や、やめてください…」

 

 真っ赤になって俯いてしまった。まさか真正面から褒められるとは思ってなかったのだ。

 

「なんだ、セレニィ… 照れてんのか?」

「おやおや、これは貴重な顔を見てしまいましたねぇ…」

 

「だ、だからやめてください! 私、そんなんじゃ」

「いーや、セレニィはすげぇ! んでもってセレニィは優しい!」

 

「だ、だーかーらー…」

 

 暫く二人の言い合いは続き、それをドSが暖かく見守っていたという。

 

 

 

 ――

 

 

 

 そして翌朝。眠い目を擦り、欠伸をこらえつつセレニィは部屋を出た。

 その背後にはミュウがよちよち歩いて続いている。

 

「ふぁー… ったく、昨日は散々な目にあいましたよ。こっちはただの小物だってのに」

 

 するとちょうど廊下を歩いていた、鍛錬帰りであろうガイとバッタリ遭遇した。

 朝から精の出ることだ。そうセレニィが思っていると、彼は元気に声をかけてくる。

 

「おはよう、セレニィ! 今日もいい朝だな!」

「はい。おはようございます、ガイさん」

 

「昨日のこと、嬉しかったよ… 旅はもうすぐ終わるだろうが、これからもよろしくな!」

「……はい? それ、どういう意味で」

 

「おっと、そろそろ着替えないと朝飯に間に合わないな。それじゃまた後でな!」

 

 セレニィの疑問に応えることなくガイは立ち去っていった。いい夢でも見たのだろうか?

 小首を傾げつつ廊下を歩いていると、今度はイオンとアニスに遭遇する。

 

「あ、イオン様にアニスさん。おはようございます」

 

「セレニィ、おはようございます」

「おっはよー、セレニィ!」

 

「………」

「え? なんですか? なんで無言で見詰められてるんですか、私」

 

 ひょっとして常日頃二人でいけない妄想をしていることがバレてしまったのだろうか。

 それとも預言(スコア)で『セレニィは死ぬ。慈悲はない』とでも詠まれてしまったのだろうか。

 

 不安に怯えるセレニィに、二人は顔を綻ばせて声を掛ける。

 

「僕はあなたに出会えて良かったと… そう、心から思います」

「なにか困ったことがあったらアニスちゃんに頼ってね。絶対助けてあげるから!」

 

「は、はぁ… ありがとう、ございます…?」

 

 一体何だというのだろうか。朝から立て続けに不可解なことが起こる。

 悩んでいる間にイオンとアニスが朝食に向かうと、そこにトニーが通りかかった。

 

「あ、おはようございます。トニーさん」

「これはセレニィ… 昨晩はありがとうございました。自分も少し自信が持てましたよ」

 

「? いや、トニーさんは普通に自信を持つべき凄い方だと思いますが…」

「フフッ、貴女ならそう言ってくれると思っていましたよ。……では、自分はこれで」

 

「はぁ…」

 

 二度あることは三度あると言うが… こうまで続くと偶然という線は考えにくい。

 一体何が… そこで、自分に向かって突進してくる何者かから素早く身を逸らした。

 

 するとその直後、ソレが差し出した両の腕は虚空を切る形で交差した。

 

「ティアさん… 朝からご挨拶ですね。一体なんなんですか…」

「セレニィの愛に応えて抱き締めようと…」

 

「答えになってませんよね、それ… あとそれ以上近付かないでくれますか?」

 

 ジリジリと間合いを離せば、その分だけ詰めてくる。相変わらずの押しの強さだ。

 

「でも、昨晩のアレを聞かされちゃったら私もう…!」

「またそれですか。昨晩一体何があったと…」

 

「セレニィが私たちの良いところを一つ一つあげていってくれたじゃない!」

 

 ………。

 なんですと?

 

「え? あれ、だって… ジェイドさんが扉を閉めてくれたはずじゃ…」

「おや、私としたことが『うっかり』扉を閉め忘れていたようで… いやはや申し訳ない」

 

「………」

 

 そこに現れて、しれっとそんなことを告げてくるジェイド。

 ルークはそんな様子を苦笑いとともに見守っている。

 

 思わず呆然と固まったところ、ティアに抱き上げられる形で捕まってしまう。

 ……そのあまりの速さには、ミュウを盾にする時間すら与えられなかった。

 

 そして恐ろしい力で締め付けられる。脱出は当面の間、不可能といえるだろう。

 

「セレニィ! 私たち、想いが通じ合ってるのね! ずっと一緒よ!」

「セレニィさん、宙吊りですのー! すごいですのー!」

 

「こ、こ、こ、こ、こ…」

「おや… そうしていると、まるで捕まった(にわとり)みたいですねぇ」

 

「このドSがぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」

 

 真っ赤になったセレニィの叫び声が、早朝の宿の中に響き渡った。



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49.会談

 カイツール軍港のキムラスカ軍基地… その待合室に一行は案内されていた。

 但し、その中にルーク、ジェイド、そしてセレニィの姿はない。

 

 基地司令であるアルマンダイン伯爵との会談の代表として、向かったためである。

 そんな中、両腕を組みつつ待合室の壁に背をもたれていたガイがふと口を開く。

 

「しかしちょっと心配だな。ルークのやつ、やらかしてないと良いけど…」

 

「んー? まぁ、大丈夫でしょ。セレニィも大佐もいるし… ティアじゃあるまいし」

「フフッ… あまり褒めないで、アニス。照れてしまうじゃない」

 

 穏やかに微笑むティアに「や、褒めてないんだけど…」と返すアニスを見て吹き出す。

 そして彼は、そんなやり取りに幾分か落ち着いた表情で一つ頷くと言葉を続ける。

 

「ま、そうだな。……きっと大丈夫だよな、ティアじゃあるまいし」

「喧嘩を売っているのかしら、ガイ。……ぶん殴るわよ?」

 

「……なんでティアは、俺に対してそんなセメント対応なのかね」

「答えるまでもないわね。どうしてもというなら、可愛く生まれ変わって出直して来なさい」

 

「フフッ… ですが今の僕たちには待つことしか出来ません。彼らを信じて待ちましょう」

 

 ガイとティアの掛け合いを微笑ましく眺めつつ、椅子に腰掛けていたイオンが言葉を継ぐ。

 トニーも「バチカルに着けば我々の方は嫌でも忙しくなりますしね」とそれに同意する。

 

 それらを受けて… という訳でもなかろうが、これまで沈黙を保ってきたヴァンが口を開く。

 

「しかし、イオン様がご臨席されないのも… せめて私だけでも出席すべきだったのでは」

「ヴァン… 先ほど説明したはずですよ? 教団は今回の件で表立って動くべきではないと」

 

「ですがイオン様…」

「総長ったら… ティアだって一度説明を受けたら理解して、大人しくしてるんだよー?」

 

「アニス、それは仕方ないわ。……だってヴァンだもの」

 

 ティアのにべもない言葉に、ガイは再度吹き出す。ミュウが不思議そうな表情をしている。

 一方で彼女にそう言われたヴァンの方は、「ぐぬぬ…」と低い声で不満気に呻いている。

 

 もともとティアは聡明な少女だ。一度説明を受ければ、大抵のことは理解することが出来る。

 彼女の問題点は、それらを理解した上で必要なら躊躇いなく即座に無視できることにある。

 

 更に彼女はその実行に他者の意見を必要としない。一度こうと決めれば断固としてやり遂げる。

 理解を得られないことを寂しいと思うことはあれど、それに対して弱音を吐くこともない。

 

 ある種セレニィと対極にある思考回路をしており、彼女の常の苦労が偲ばれるというものだ。

 

「しかし事は和平に関します。しかも当事者の一人は我が弟子ルーク… 心配にもなります」

「ヴァンは相当ナーバスになってるようですね… ダアトに戻った際は休暇を勧めますよ」

 

「イオン様、それって『君には休暇を与えよう。そう、長い休暇をな』ってヤツですかぁ?」

「? まぁヴァンが望むなら、アニスが言うとおり長い休暇を与えても構わないと思いますが」

 

「イ、イオン様… 私が悪かったです! (ゆえ)、それ以上この話はどうかご容赦いただきたい」

 

 ヴァンがなおも諦め悪く言い募ろうとしたところ、進退問題にまで話が飛び火しそうになる。

 結局彼自身が慌てて前言を翻したため話は終わりとなり、その場に彼を除く笑い声が響き渡る。

 

 

 

 ――

 

 

 

 一方、ここは軍基地の応接室。ルークらが通されて暫くして、アルマンダイン伯が入室した。

 事前にガイに作法を教えられていたルークを含めて、三人が揃って席を立ち彼を出迎える。

 

 鷹揚に手を上げてそれを制しつつ、アルマンダイン伯は頭を下げて三人に手を差し出してきた。

 

「私がアルマンダインです。こちらがお呼び立てしておきながら待たせてしまい申し訳ない」

「いや、さほど待ってないから気にしないでくれ。……俺がルーク・フォン・ファブレだ」

 

「! 赤い髪と聞いて、よもやとは思っておりましたが… ご無事で何よりです。ルーク様!」

 

 精悍な顔立ちに秘められた鋭い目付きを緩め、基地司令たるその男は喜びを全面に押し出す。

 続いて跪いて先の無礼を詫びる彼をルークは慌てて立たせて、話の本題へと入ろうとする。

 

「超振動ってのでマルクトに飛ばされちまったものの、運良くこのジェイドに保護されてな」

「マルクト帝国軍第三師団所属ジェイド・カーティス大佐です… よろしくお願いします」

 

「ほう… まさかあの『死霊使い(ネクロマンサー)』ジェイドその人であらせられるか?」

「えぇ、そう呼ばれる方も中にはいらっしゃるようで」

 

「そうか。噂とは当てにならんものだ… 貴公らマルクトの尽力に心から感謝の意を表明する」

 

 厳しい印象を受ける壮年の男性ではあるが、その笑顔は意外なほど人懐っこさを感じさせる。

 彼の寄せるあけっぴろげな好意に流石のジェイドも表情をほころばせ、礼をしつつ答える。

 

「私は貴国との和平を求めるピオニー陛下の部下。先の行動は至極当然のことでございます」

「そうか… 和平が成立するかは本国の決定次第であるが、私はその成立を心より願おう」

 

「えぇ。そう仰っていただけただけでも、私としては万の味方を得たに等しい心持ちですよ」

「差し支えなければこれからの我らの友好を祈念して握手を求めたいのだが、どうだろうか?」

 

「こちらから是非お願いしたいくらいです。……無論、喜んで」

 

 その言葉とともに、両者は固く握手を交わす。

 そんな光景を、セレニィは落ち着かない様子で眺めていた。

 

「(誰だ、コイツ…)」

 

 無論、ドSの変貌ぶりについてである。彼は現在、キラキラと輝く白い笑顔をみせている。

 違うだろ… おまえの笑顔はもっとこう、どす黒い感じだろ。内心セレニィはそう呟く。

 

 すごく胡散臭そうな表情でジェイドを見詰める彼女に、アルマンダイン伯が気付いて尋ねた。

 

「ところでカーティス大佐、そちらの彼女は…?」

「え、はい! ……わ、私ですか!?」

 

「彼女の名はセレニィ。私の縁者ですが此度の使命に相談役として同行していただいてます」

 

 笑顔を浮かべたまま、ジェイドはしれっととんでもないことをほざいた。

 色々と突っ込みたい点をなんとかポーカーフェイスで耐えるセレニィ。

 

 その様子にますます笑顔を輝かせながら、ドSなジェイド… ジェイドSは言葉を続ける。

 

「雪の街ケテルブルグで生まれ育った私は、彼女とは所謂幼馴染でしてね」

「(それはマイソウルフレンドのディストさんとの設定だー!?)」

 

「そうであったのか。しかし貴公との幼馴染という割りには大分年齢が若く見えるが…?」

「まぁ、私もこれでも35歳ですからねぇ。彼女の本当の年齢は私にも分かりませんが」

 

「(おまえ三十路超えてるとは言ってたけど、その見た目で35歳だったんかいー!?)」

 

 散々ジェイドに振り回されてしまっているセレニィを見て、思わず小さく吹き出すルーク。

 そんなルークの様子に気付いたアルマンダイン伯は、慌ててルークに向き直って謝罪をする。

 

「これはルーク様… 御前に身を置きながら、私としたことがとんだご無礼を」

「いや、気にしないでくれ。俺個人もマルクトとの友好を望んでいるしな」

 

「ありがたきお言葉。しかしマルクト軍と同行しているとはいえ、此度の件、何故(なにゆえ)…」

「助けられる人間を少しでも助けるために行動するのは、貴族として当然だろ?」

 

「誠ごもっとも! 幼少の(みぎり)よりご聡明であらせられたが… 更に素晴らしく成長された」

 

 その言葉にルークは僅かに目を見開いて驚きを表すと、口を開いた。

 

「アルマンダイン伯爵は、昔の俺と会っていたのか? ……悪いな、覚えてなくて」

「お気になさらず。つい先日の事のように口にしてしまった私こそ不敬でした」

 

「そう言われると助かるよ。あとコーラル城にいたえーと… 賊を追い払っておいたぞ」

「えぇ、伺っております。救出された整備士長が皆様に助けられたと感謝しておりました」

 

「あそこ、ウチの別荘だからな。ファブレ家の責任って言えるかもしれねーし、別にいーよ」

 

 そう言ってしきりに恐縮するアルマンダイン伯に手を振ると、苦笑いを浮かべた。

 

「ただ、えーと… その、賊は取り逃がした。わりーけど連中は『正体不明』のままだ」

「……なるほど、承知しました。賊が逃げ散り確証もない以上は致し方ありませんな」

 

「申し訳ありません、アルマンダイン伯爵。当方の都合でそちらにご迷惑をおかけします」

「気にするな。連中の仕打ちは業腹だが、その企みに乗って戦の火種を作るのも面白く無い」

 

「(滅茶苦茶スムーズに話が進んでるなー… これ、普通に私いらなかったじゃん…)」

 

 アルマンダイン伯とてキムラスカ軍で大将にまで出世を重ねた人間だ。政治は心得ている。

 ルークの言わんとするところを直ちに察し、自らの権限内で出来る情報規制を約束した。

 

 ルーク一行の中に、教団の制服を身にまとう者が数名同行しているのは報告で確認済みだ。

 恐らく教団内部で意見の対立があり、今回の強行手段に出たのだろうと当たりをつける。

 

 アルマンダイン伯は正確に事態を読み取り、ルークらへの情報面からの協力を心に決める。

 だがそれは彼にとって本意ではない行動だろう。故に、ジェイドは彼に向かって頭を下げる。

 

 そんなジェイドの行動に対して彼は頭を上げるように言い、苦笑いを浮かべながら応える。

 

「なぁに、下の者に恨まれているのは慣れているさ」

「誠に、軍人とは因果な商売ですね」

 

「違いない。だが、いずれ来る平和のためと思えばこそ泥を被れる… 期待しているぞ?」

 

 真っ直ぐ己を見詰めてくるその力強い瞳に正面から相対しつつ、ジェイドは頷いた。

 それを確認すると、アルマンダイン伯はルークへと振り返る。

 

「さて… であれば一刻も早くルーク様ご一行をバチカルへとお送りするのが肝要ですな」

「あぁ、ワガママ言うようでわりーけど出来るだけ急ぎたい。……頼めるか?」

 

「一言『手配せよ』とお命じ下さい。……無論、我が名に賭けてご用意させていただきます」

「……あぁ、分かった。それじゃ、和平の使者一行を乗せるための船を急ぎ手配してくれ」

 

「ハッ! 承知いたしました」

 

 敬礼をするアルマンダイン伯に、ルークが思い出したことをもう一つ伝える。

 

「それと叔父上… 国王陛下や家族に無事を知らせたい。鳩を一羽、貸してくれるか?」

「かしこまりました。陛下への先触れを運ばせるため、選りすぐりの鳩を用意させましょう」

 

「何から何まですまないな。……船はいつごろ用意できそうだ?」

「ハッ! 午後一番には間違いなく」

 

「分かった… じゃあ、それまで時間を潰しとくよ。ありがとうな、アルマンダイン伯爵」

 

 そう言って席を立つルークに、アルマンダイン伯は平伏して見送るのであった。

 かくして無事に会談は終わった。……今回、セレニィは何もしてない。置物と化していた。

 

 待合室に向かう廊下を進む道中でセレニィは口を開く。

 

「……ぶっちゃけ、私がいた意味ってありませんでしたよね?」

「ははははは… いや、アルマンダイン伯爵が有能すぎましたねぇ。アレが大将の器ですか」

 

「そう言うなって。セレニィがいてくれたから、俺も落ち着けてトチらなかったんだしさ」

「そうですよ。もしもの時の備えが仕事をしないで済むという状況こそ、理想なのですから」

 

「……いやまぁ、いいんですけどね」

 

 気が進まないのに無理やり引っ張りだされたと思ったら、ベンチウォーマーだったでござる。

 微妙に自分の存在意義について悩みつつ、彼女は待合室の仲間たちのもとへ向かうのであった。



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50.経験則

 ルークら三名とアルマンダイン伯との会談も無事に終わり、晴れて全員が合流した。

 そして出港予定の午後までの時間は、各々が思いのままに費やすこととなった。

 

 観光地ほどには見るべきものもないが、港町ということでそこそこの賑わいはある。

 アニスとイオンはアリエッタへの… ルークとガイは屋敷の人々への土産を見繕いに。

 

 ジェイドはイオンらの、トニーはルークらの話し相手兼護衛役としてそれぞれ同行。

 そしてセレニィといえば…

 

「………」

「………」

 

「(セレニィですが、店内の雰囲気が最悪です…)」

 

 残念兄妹に挟まれて港町のお店をめぐって買い物中である。

 

 いや、買い物に同行されるのは別にいい。ティアとか断ってもついてきてただろうし。

 けれど、何故自分を挟んだまま無言で緊張感を漲らせるのか。正直勘弁して欲しい。

 

 セレニィはそう考えつつ、疲労を滲ませつつ心の底から絞り出した大きな溜息を吐いた。

 

「(どうしてこうなったし…)」

 

 思わずセレニィは自問自答するものの、答えが浮かぶことはない。全く難儀なことだ。

 

 とはいえ自分の人生のクソゲー具合なんかは、それこそ今に始まったことではない。

 そう思い直して、仕方なく、愛想笑いを浮かべながら二人に話しかけてみることにした。

 

「いやー… なんかすみませんね、付き合わせる形になっちゃって。退屈でしょう?」

 

「気にしないでセレニィ。私はこうやってあなたを見ているだけで充分楽しいから」

「気にすることはない。ティアの誤解を解く必要もあるしな… 荷物持ち程度は承ろう」

 

 ティアさんは安定のティアさんだ。そしてヴァンさんは… 誤解を解く、か。

 いずれにせよ、彼女を翻意させるのはそう簡単なことではないと思うけど。

 

 セレニィはそう考えつつ、二人が揃ってそういうのならばと買い物を続行する。

 

「えーと、ドライフルーツと保存食の補充をして… あ、あと胡椒も買い足しておこう」

 

 後は船に乗っているだけでバチカルに到着する。バチカルに到着すれば旅は終わる。

 だが、セレニィ的にはそこからが本番だ。所謂第二の人生のスタート地点なのだ。

 

 バチカルで自分はお役御免と放り出されることになるだろう。多分着の身着のままで。

 これまでの友情に免じて、荷物類は回収しないでいてくれると信じたいところだが。

 

 いずれにせよしっかり備えておかねば、早晩野垂れ死にをする羽目となることだろう。

 

 彼の地で職が見つかればそれに越したことはないが、そうでない場合はどうなるのか。

 スラムという選択肢もなくはないが、厳しい生存競争を乗り越えられる自信もない。

 

 となれば安住の地を求めて旅生活という形に落ち着くだろう。だから旅の備えは重要だ。

 と、そこでミュウの存在を思い出す。ミュウ自身に今後の展望などはあるのだろうか。

 

「そういえばミュウさんは旅が終わったらどうします? もうすぐ終点ですけど」

「ボクはセレニィさんとずっと一緒にいるですのー!」

 

「そうですか… だったら、エンゲーブもいいかもしれませんね」

「みゅ? なんのお話ですのー?」

 

「いえ、こっちのお話ですのー」

 

 ミュウもこう言ってるし、エンゲーブでスローライフを送ってみるのもいいかもしれない。

 あそこだったらチーグルの住んでいる森も割りと近いし、いつでも返しに行けるだろう。

 

 ローズさんやケリーさんを拝み倒せば、村の隅にほんのりと住まわせてくれるのではないか。

 そんなことを考えながら、セレニィは惰性でミュウの相手をしつつ商品を見繕い続ける。

 

「みゅみゅう… 真似しないで欲しいですのー」

「みゅみゅー。仰られたことを真摯に受け止め、前向きに善処する次第ですのー」

 

「みゅう! セレニィさんはイジワルですのー!」

「みゅう? イジワルはジェイドSさんですのー!」

 

「ハァハァ… みゅうみゅう鳴いてるミュウとセレニィ、可愛すぎるわ…」

 

 なんだか背筋が寒くなってきたので、そろそろミュウで遊ぶのをやめることにしよう。

 と、そこで見切り品の棚に置かれた網に目が行ってしまう。……これ、かなり安いんでは?

 

 思わず店員に確認してみる。

 

「あの、この値段… 本当なんですか?」

「ん? あぁ… 見ての通り地引き網なんだが目が粗くてね。ここらじゃ使えないのさ」

 

「なるほど… では、これ一つ貰えますか? あと油を、えーと… 5袋くらい」

 

 あと、そうそう… 棒も補充しておかねばなるまい。いつまでも素手なのは心臓に悪い。

 そんなこんなでセレニィは、彼女なりに充実したお買い物を楽しむことが出来たのである。

 

 

 

 ――

 

 

 

 そして今、セレニィは公園でヴァンと二人並んでベンチに座っている。

 二人の身長差やら外見などを考えれば親子にしか見えない。

 

 今、ティアはクレープ屋台に並んでいる最中だ。

 この世界にもあるのかと物珍しげに眺めていたら、何を勘違いしたのか駆け出したのだ。

 

 まぁ、食べたくないわけでもないので彼女に任せつつ待つことにしたのだ。

 それなりの行列のようなので退屈するだろうからと、ミュウを貸し出して今に至る。

 

「………」

「………」

 

 そして二人の間に会話もなく、微妙な居心地の悪さを感じさせている。

 ややあって重圧に負ける形でセレニィが口を開いた。

 

「どうです? ティアさんとは」

「む… 芳しくはないな」

 

「……でしょうねぇ。ずっと無視されてましたし」

 

 さっきの買い物で、支払いを任せる時以外ティアは徹底的にヴァンに無視を貫いたのだ。

 

 若干思い込みが激しいとはいえ、それなりの早さでルークと打ち解けたティアである。

 その彼女が全く聞く耳を持たないほどだ。よほどろくでもないことを企んだのではないか?

 

 胡乱な表情でヴァンを眺めてしまうというものだ。その視線に気付いた彼が口を開いた。

 

「その、なんだ。君はティアと随分親しいようだが…」

「どうなんでしょうね… ま、良くはしてもらってると思いますよ。たまに愛が重いけど」

 

「ふむ、そうか。……どうだろう? ここは、君の方からもティアに誤解だと一言」

「誤解の内容も知らないのにどうやって取り成せって言うんですか。無茶言わんで下さい」

 

「ぐぬぬ…」

「無理です。不可能です。……それとも、教えてくださるので? どういう誤解なのかを」

 

「そ、それは…」

 

 そう返されて言い淀むヴァンの様子に、話は終わりとばかりに大きな溜息を吐く。

 だがヴァンは納得できなかったのか、更に言葉を続ける。

 

「しかしだな… 兄妹で擦れ違うのも悲しいのだよ。どうにか力になってはくれないか?」

「それには同情しますけど、ティアさんはこうと思い定めたら誰の言葉にも耳貸しませんし」

 

「だが君ならば例外ではないかね? ティアにも随分と可愛がられているように感じたが」

「彼女の中で『可愛がる』と『相手にしない』は矛盾なく両立します。意味、分かります?」

 

「………」

 

 ヴァンは言葉も無いのか黙り込む。

 流石に言葉が過ぎたかと、悪くなってしまった空気を払拭せんとセレニィの方から口を開く。

 

「えーと… その、ルーク様に随分と慕われている様子でしたが」

「む? あぁ、私はルークの剣術の指南役を務めている故な」

 

「なるほどー… 道理でセンセイなんて慕ってるわけですね。さっきも誘われたのでは?」

「確かに彼らに誘われたはしたが、ティアの誤解を解く方が先決と判断したのでな…」

 

「結果はご覧の有様ですけどねー。あっはっはー!」

「全く以って返す言葉もないな! ははははは… はぁ」

 

「ごめんなさい…(ちょ、マジ凹みすんなし! どんだけシスコンなんだよ、アンタ!?)」

 

 どんよりと影を背負ってマジ凹みするヴァンを慌てて宥めるセレニィ。

 ベンチで肩を落とす彼を眺めていると、リストラされたサラリーマンのような哀愁を感じる。

 

 心なしかヒゲも萎びてる感じがする。まぁ、うん… ダサいから剃った方がいいと思うよ?

 

「ルークといえば…」

「……あ、はい(なんだろ? 剣の話? それとも性格や家柄の話かな?)」

 

「セレニィ… 君は、自分が自分でないと知ったらどう思う?」

「……はい?(脈絡が掴めねぇー!)」

 

 全く意味が繋がっている気がしない。『話題は投げ捨てるもの』がグランツ家の家訓なのか。

 とはいえ、折角彼から歩み寄ってくれたのだ。せめて答えねばならないだろう。

 

 そう思ってセレニィは道行く猫を指差してみせる。

 

「いや、つまらないことを聞いてしまったな。どうか忘れて… ん?」

 

「見てくださいヴァンさん。あそこに猫が歩いているでしょう?」

「……うむ、歩いているな」

 

「あの猫に『実は君は生物学的には魚だったんだ』と説明して生き方が変わると思います?」

「それは…」

 

「それと同じことです。私はセレニィになって、今日まで生きてきました」

「………」

 

「どんな存在であっても自分は自分なんですから。勝手に決めて好きに生きればいいかと」

 

 そもそもこの世界はなんかもう色々と唐突過ぎる。

 

 日本人だと思ってたら妙な異世界に飛んでるし、男だと思ってたら女になっちゃってたし。

 しかも大体の選択に命の危機が伴うデッドリーっぷりだ。胃薬が手放せない。泣きたい。

 

 ある意味で、なんとか渓谷で目覚めた時点から既に自分が自分でなくなっていたのだ。

 それをもう一回経験したところで「ふーん… で?」と鼻をほじれる程度の驚きしかない。

 

「ふむ、なるほど… 『自由に生きようとする』か。そういう考え方は想定になかった」

「生命ってのは結構フリーダムですからね。勝手に理屈付けて永らえようとするんでは?」

 

「フッ… 君にかかっては全てが屁理屈か」

「私はそういう人間ですから。勘なんて曖昧なモンで本質掴むのはティアさんの分野です」

 

「……君は、ティアの突拍子もない与太話を信じているのか?」

 

 驚き故だろうか… ほんの少しだけ目を見開き、やや堅い声音でヴァンが尋ねてくる。

 一方、そう尋ねられた方のセレニィとしては盛大に溜息を吐くことしかできない。

 

「確かにティアさんは訳分かんない行動を取りますし、自分勝手だし、常識が通用しません」

「そ、そうか… なんだか兄として申し訳ない…」

 

「オマケに色々と残念だし自分のしでかしてしまったことに満足に言い訳もできない人です」

「う、うむ… あの、もうそこまでに…」

 

「ただまぁ… 同行してきた中で『単なる私欲』で事を起こしたのは見たことありませんね」

 

 ヴァンが静かな圧力を伴い、セレニィを見詰め始める。だが彼女はそれに気付かない。

 そのまま言葉を続ける。

 

「だから常に自分が正しいと信じられるんでしょう。……盲目的なまでに、傍迷惑なほどに」

「ふむ。友として考えたくはなかろうが、ティアが嘘を付いている可能性もあるのでは?」

 

「いや、友達じゃありませんけど… ま、それはともかく嘘ついてるって線もないでしょう」

「ほう… 言い切ったな」

 

「『理由は言えない』と開き直るか『とにかくオマエが悪い』と逆切れするような人ですよ」

 

 ……うん、改めて考えなくてもかなり迷惑な存在だなティアさん。お近付きになりたくない。

 そう思いつつ、セレニィはヴァンに断言した。

 

「彼女は下らない嘘なんかつかない人です。むしろ嘘つけるなら私がこんな苦労してません」

「ティアを、信じるというのか?」

 

「信じる? ……まさか。『彼女がそういう人だと知っている』というだけに過ぎませんよ」

「………」

 

「誤解って可能性はあるでしょうが、内容が言えないなら一人でがんばってくださいとしか」

 

 信頼? いいえ、単なる経験則です。ティアさんを信じるなんて恐ろしくてやってられない。

 そもそも出会って一ヶ月かそこらの他人を心から信じるってのがないです。

 

 そう内心でつぶやきつつ、手を左右に振る。

 セレニィの辞書には『信じ合う』という文字はない。あっても非常に薄い文字で書かれてる。

 

「そうか… そうだな。一人でがんばるしかないか」

「そーだそーだ。がんばれー」

 

「急にぞんざいになったな。だが、耳も傾けてもらえない現状はどう解決したものか…」

「そんなの真摯に対応するしかないんじゃないですか?」

 

「……私なりに真摯に対応しているつもりだが」

「どうせティアさんにだけでしょ?」

 

「………」

「他の人にもそう接していれば、ティアさんも多少は空気読んでくれるかもしれませんね」

 

「ふむ… そうだな、参考にさせてもらおう。……ありがとう、セレニィ」

 

 そう言って、ヴァンは初めてセレニィに向けて微笑んだ。

 そこにクレープを買ってきたティアがミュウとともに戻ってきた。

 

「ただいまですのー!」

「結構時間がかかったわね。……どうしたの? 二人で話が弾んでいたみたいだけど」

 

「いやなに… セレニィにこれからもティアのことをよろしく頼む、という話をな」

「え? お断りします…」

 

「本当!? ついに家族公認の仲ね! ありがとう兄さん! ほんの少しだけ見直したわ!」

 

 グイグイと間合いを詰めてくるティアを前に、セレニィの瞳は死んだ魚のそれとなる。

 それを眺めていたヴァンは「ふむ… 確かに大した効果だ」と呟いた。

 

 ……なお、当然のごとく彼の分のクレープはなかったという。



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51.悪魔

 連絡船キャツベルト… アルマンダイン伯が一行に用意したバチカルに向かうための足だ。

 伯の見送りを受けたのは本日昼の出来事。彼の用意した護衛とともに一行は洋上にある。

 

 時刻は夕暮れ過ぎ。煌めく夕焼けを反射させながら連絡船は尚も進んでいる中、セレニィは…

 

「うーん… うーん…」

 

 船酔いに倒れていた。そういえばコーラル城でタルロウXに運ばれた時も吐いてた気がする。

 

 胃が荒れているのはドSや巨乳のせいとばかり思っていたが、普通に胃腸も弱かったのか。

 自身の弱々しさに若干のショックを受けつつ、セレニィは現在医務室で横になっている。

 

 胃腸ってどうやって鍛えようか… あれ? 乗り物酔いするのは三半規管が弱いからだっけ?

 

 医務室のベッドから天井を眺めつつそんな益体もないことを考えていると、来客があった。

 

「よーっす! どうだ、調子は?」

 

「……ま、ぼちぼちです」

「みゅう… セレニィさん、さっきからずっとしんどそうですの…」

 

「そっか、俺は船酔いの辛さってよく分かんねーけど… あぁ、いいって。寝てろ寝てろ」

 

 起き上がろうとしたセレニィを制しつつ、ルークはベッド脇の見舞い用の椅子に腰掛ける。

 見舞いの品のつもりなのか、厨房から貰ってきたであろうリンゴを一つ差し出してくる。

 

 うん、気持ちはありがたいけどそのまま渡されてもちょっと困るかな。セレニィはそう思う。

 皮をむかずに齧りつくのもそれはそれで風情があるが、今はそれが出来る元気すらない。

 

 上体のみ起こし、リンゴを受け取り手で弄んでいるセレニィを眺めてルークは口を開いた。

 

「つーか喋って大丈夫か? 俺、邪魔なら帰ろうか?」

「いえ、そんなことは… 喋ってれば多少は気も紛れますしね」

 

「そうか? しんどかったら言えよな。……でも、ティアがいないのは意外だったな」

「さっきまでいましたけど… ちょっとあまりにアレだったので追い払いました」

 

「……そ、そうか」

 

 喋っていれば多少気が紛れるというセレニィ自身の言葉に嘘はない。

 今のように、こうやって静かに落ち着いて喋るならば構わない。

 

 だが何事も限度はある。こちらがしんどいのにアレコレ構い倒してくるのは如何なものか。

 心配しての気遣いはありがたいが、かような様ではかえって気疲れをするというものである。

 

 結果、ヴァンに頼まれたこともあり「兄と話でもしてこい」と追い払い今に至るわけだ。

 

「それで、何かご用ですか?」

「用ってほどじゃねぇけど… ま、どーしてるかなって。体調崩してるって聞いたから」

 

「なんかすみません… 気を使わせてしまって」

「気にすんなって言いてートコだけど、他のみんなも心配してたぞー?」

 

「そうなんですか?」

「あぁ、あんま大勢で押しかけるのもってことで俺が行くことになったんだ」

 

「すみません… お気遣いありがとうございます」

 

 イオン様とアニスさんは優しいからなー。トニーさんやガイさんは割りと常識人だし。

 ドSは… あぁ、そうか。サンドバッグ的な意味で私に消えられると困るのか。

 

 よし、今度眼鏡に落書きをしておこう。指紋を残さないよう細心の注意を払いながらな!

 

「謝ることねぇさ。ウチも母上が体弱くてな… 俺はだから勝手に心配してるだけだ」

 

「ルークさんのお母さん… 王様の妹君でしたっけ。お身体、あまり丈夫ではないので?」

「あぁ、オマケに心配性でな。今回の件で倒れたりしてねーといいけど…」

 

 そうつぶやくと、ルークの方も心配そうな表情とともに頭を掻いた。

 セレニィとしては気休めを言うことしか出来ない。

 

「きっと大丈夫ですよ」

「……そっかな?」

 

「えぇ、ルークさんの無事の帰還を待ってらっしゃるはず。早くお会いしてあげませんとね」

「ハハッ、そーだな! ……わりぃ、なんだかこっちが逆に元気付けられちまって」

 

「家族ですものね。心配するのは当然ですし、なんら恥ずかしいことじゃありませんよ?」

 

 まぁ、世の中にはあの残念兄妹のような例もあるけど… その言葉を飲み込みつつ微笑む。

 いやまぁ、ある意味で心配になる兄妹ではあるが… 残念的な意味で。

 

 そんなことを考えながら大きな溜息を吐くと、何を勘違いしたのかルークが口を開いてきた。

 

「あ、わりぃ… セレニィには家族の記憶もねぇってのに…」

「まぁ、あっても困りますけどねー」

 

「こまるですのー?」

「あ、いえ… こっちの話です。あまりお気になさらず」

 

 自分に家族がいたかどうかは分からないが、平和な日本で元気に暮らしていると思いたい。

 だが、自分にはもうあそこに帰る宛てがない。無意味な望郷の念を抱えるよりはマシだ。

 

 帰る手段が見つかる保証など何処にもないならば、まずは生活基盤を整えなければならない。

 笑ってしまうほどの無理ゲー状態なのだ。抱えていく荷物は、少ないに越したことはない。

 

 と、そこでルークが顔をしかめて頭を抱える。

 

「……どうされました?」

「いや、いつもの頭痛さ。時折幻聴も聞こえてくるんだ」

 

「頭痛? 幻聴?」

「7年前の誘拐からこっち、ずっとな… 慣れるもんじゃねぇけど今日はいつもより強くて」

 

「大変じゃないですか。お医者さんはなんと?」

「心因性のモンじゃないか、ってさ。……幻聴は相変わらず何言ってるかわかんねーしよ」

 

「………」

 

 なんと。

 

 家柄よくて、顔も良くて、割りと性格も良くて、剣は滅法強いルークさんにそんな持病が。

 まぁ、確かにこれで持病すらなかったら単なる完璧超人なのだが。

 

 むしろティアさんみたいに、才能と反比例する形で性格が破綻しなかっただけ重畳といえる。

 えらいぜ、ルーク様。

 

 そう思いながら、彼女は頭を下げたことでちょうど眼の前に出たルークの頭を撫でてみる。

 

「ふむ… 普段みなさんより視界が低い分、こうしてみるのは中々に新鮮ですねー」

「なっ!?」

 

「(あー… でも冷静に考えたら、男の頭なんか撫でても全然面白くないな。どうしよう)」

 

 どうせなら、イオン様やアニスさんやアリエッタさんの頭を撫でたい。そして抱き締めたい。

 リグレットさんやティアさんの我儘ボディは色んな意味で撫で回したいね。男の浪漫的に。

 

 そんなことを考えつつやめ時を見失っていると、再起動を果たしたルークに手を振り払われた。

 

 真っ赤になって怒っている。まぁ仕方ない。

 確かに自分も男に頭を撫でられるのは御免被りたい。気持ちは分かる。すまんな、ルーク様。

 

「なにすんだっ!?」

「あー… なんか、すみません。……ホラ、『いたいのいたいのとんでけー』的な?」

 

「そんなんで… あれ? 確かにわりかし気分が楽になったかな…」

 

 嘘から出た真というヤツか。こっちは男を撫でたせいか、益々気分が悪くなってしまったが。

 恐らく喋り疲れたのだろうと考えつつ、セレニィは口を開いた。

 

「念のために少しお部屋で休んでおいた方がいいですよ? 私も今なら眠れそうです」

「……ん、そーだな。んじゃ、そろそろ戻るかな」

 

「あ、そうだ。ルークさん… 良かったらミュウさんを連れて行ってあげてくれませんか?」

「そいつを?」

 

「えぇ… 海が珍しいみたいです。私にずっと付きっきりというのも申し訳ないですし」

 

 無論、そんな殊勝な心根など一切ない。

 

 ティアほどではないが、ミュウも何かと構ってきて気疲れをするのだ。体良く押し付けたい。

 そんな本音をおくびにも出さず微笑みつつミュウを差し出す。

 

 ルークはしょうがないとばかりに溜息を吐くと、ミュウの首根っこを掴んで持ち上げる。

 

「しょうがねーから連れてってやるけど、あんまうるさくすんじゃねーぞ?」

「みゅう! 嬉しいですのー! ボク、絶対にうるさくしないですのー!」

 

「……既にうるせーじゃねーか。セレニィの頼みだから引き受けたけど、大丈夫かコイツ」

「大丈夫ですよー。ねー? ミュウさん」

 

「ねー? ですのー!」

「……わーったよ。大人しく連れてってやるから、ミュウ、もっと小さな声で喋れよな」

 

「(フッフッフッ… コイツら、チョロい!)」

 

 ブツブツ言いながらも、ルークはミュウを肩に乗せて部屋を出て行く。

 セレニィはそれを笑顔で見送るとベッドに横たわり、疲れに逆らわず眠りへと落ちていった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 そして夜… 月明かりが窓からこぼれ、室内を照らす頃に目を覚ます。

 気分は上々… 疲れも消えたし、酔いも収まったようではある。

 

 そして起き上がろうとして、ベッド脇で眠りこけているティアの姿を確認する。

 

「おっと… 起こさないようにしないと」

「すぅ、すぅ…」

 

「(寝ていると普通の美人さんにしか見えないなぁ…)」

 

 普段は残念だが寝顔は美人だと思う。……普段は残念だけど。

 起こさないように注意しつつ、肩丸出しの制服を着ている彼女に毛布をかけて部屋を出る。

 

 今夜は綺麗な月明かりだ。

 

 昼や夕方にそんな景色を楽しむ余裕がなかった分、ふらふら散策するのも良いだろう。

 そんなことを考えつつ甲板に出ると、波の音に混じって話し声のようなものが聞こえてきた。

 

「(はて、他に誰かいるのかな?)」

 

 こんなに綺麗な月夜だ。

 

 大人組が「さて、月見酒だ」とばかり洒落こんでいたとしても不思議はない。

 そう思いつつ声のする方に向かうと、二人の人影が浮かび上がった。

 

 体格や声音からしてルークとヴァンだろうか?

 現在、月明かりは雲に隠れているが恐らく間違いないだろう。

 

 彼女は手を上げ、声をかけようとする。

 

「おーい。お二人とも… ぎゃああああああああああああああああああああああッ!?」

 

 ちょうどそこで雲間から月明かりが覗き、彼らの姿を明らかにした。

 そして、その目に飛び込んできた衝撃的な光景に思わず絶叫を上げてしまう羽目となった。

 

 その声を受けて駆け付けた面々が見たものは…

 

 気絶したルークと、もがくセレニィを抑え付けその手で口を塞いでいるヴァンの姿であった。

 どう見ても『ある種の事案』の発生現場である。

 

 常変わらぬ鉄面皮である筈のティアも、思わず顔面蒼白になって尋ねた。

 

「ヴァン… あなた、一体何を…」

「ち、違う! 私はまだ何もしていない!」

 

「……『まだ』?」

 

 言葉尻を捕まえられたヴァンへの心証は一気に悪化を見せる。

 

「『まだ』ってどーゆーことなわけぇ? 総長」

「違うのだ、アニス! それは…」

 

「それは?」

「ルークが例の頭痛を起こしたので、私は助けようと…」

 

「……ルーク様が頭痛を起こしてなんでセレニィを捕まえてるの?」

 

 疑惑の視線は益々強くなる。そこにトニーが声を掛ける。

 

「ひとまずグランツ謡将、彼女を解放すべきではないでしょうか?」

「う、うむ… そうだな」

 

「……ぷはぁ! あー、死ぬかと思った」

 

 手を離され、大きく深呼吸をするセレニィ。

 そんなセレニィにジェイドが尋ねる。

 

「セレニィ、何が起こったのか説明してくれますか?」

「あ、はい。といっても思わず叫んだだけで大したことは見てないんですが…」

 

「それでも構いません。見たままを脚色せず聞かせてください」

「……ヴァンさんが苦しそうなルーク様を背後から抱きしめ、耳元でなにか囁いてました」

 

「………」

 

 その場が沈黙に支配される。ヴァンは冷や汗をダラダラ流しながら呻いている。

 そこにルークに預けていたはずのミュウがその場に現れ、口を開いた。

 

「みなさん! ヴァンさんは何もしてないですの! ボク、ずっと見てたですの!」

「……おお、ミュウ!」

 

「ミュウ… それは本当なの?」

 

 思わぬ援護射撃に喜色を浮かべ、まるで神の如くチーグルを仰ぎ見るヴァン。

 ティアの確認に一つ頷くとミュウは続けて言葉を紡いだ。

 

「はいですの!」

「あれ、そうだったんですか? じゃあ私の勘違いかな。みなさん、どうもお騒がせしま…」

 

「ただ、『私の声に耳を傾けろ』とか『力を抜いてそのまま』とか言ってただけですの!」

 

 旧時代の悪魔は笑顔で止めを刺した。

 

 かくしてヴァンは冷たい視線に晒されたままジェイドたちに連行されていった。

 そしてその場にはルークと、彼を任されたセレニィとミュウの3人が残されることになる。

 

「……あれ? これ、めっちゃヴァンさんに恨まれる状況じゃ」

 

 ふとセレニィは考える。王族への暴行未遂で死刑にされるだろうか? と。

 そりゃ普通に考えれば死刑相当で当たり前だ。だが、ヴァンは教団のお偉いさんだ。

 

 現時点で裁かれる気配すら見えない六神将の、そのまた上の人間なのである。

 ゴリ押しで無罪判決を取ってしまうことすら充分にあり得るのではなかろうか?

 

 となれば、出所した後に真っ先にすることは… 復讐!?

 

「……アカン」

「どうしたんですのー? セレニィさん」

 

「………」

 

 あくまで呑気な様子を崩さないミュウの頭を撫でつつ、頭の中で高速で算盤を弾く。

 

 今からヴァンに対して平謝りで証言を取り消すか? いや、ダメだ。理由が薄い。

 というか、その場合はキムラスカの王族の身の安全を蔑ろにしたことになってしまう。

 

 どちらについたとしても、中途半端なやり方では後で手痛い反撃を受けることは必定だ。

 やるならば徹底的に… それこそ、潰すくらいのつもりでやらなければならない。

 

 だとすればここは教団につくべきか? イオン様、アニスさん、ティアさんとコネがある。

 カイツール軍港で教団の不祥事を揉み消したことは記憶に新しい。その要領で…

 

 いやいや、ダメだ。『だからこそ』ダメだ。自分は教団の不祥事を知っている人間なのだ。

 それこそ全て終わったら、最後の締めとばかりに真っ先に消されてしまうに決まってる。

 

 そもそも、イオン様は教団にとってお飾りだと自分で言ってる。アニスさんはその付き人。

 ティアさんは士官学校卒業したての平らしい。その気があったとしても援護は期待できない。

 

 むしろ大詠師派である六神将を散々邪魔してきた以上、嬉々として始末されるに相違ない。

 そもそも六神将は名指しで自分を抹殺宣言しているっぽいし、これどうしようもないんじゃ?

 

「(となればキムラスカに付くしかないわけだが、問題は繋がりが薄いこと…)」

 

 そもそもルーク様は、このような事態になったとしてもヴァンさんを擁護しそうな気がする。

 むしろこのような事態だからこそ擁護しそうな気がする。そんな人である。

 

 今も保身に腐心している自分とはまるで対極にあるような、純真で正義感の強い人間なのだ。

 自分の師匠がピンチと分かれば、その弁護に参戦するに違いない。参戦しない理由がない。

 

 そもそもヴァンさんを潰すということは、ルーク様を敵の立場に回すということなのだ。

 

 キムラスカ側で、ヴァンさんを含む大詠師派と六神将を潰すとか無理ゲー過ぎるのだけど…

 

「……ん?」

 

 ここでふと別の考えがひらめいた。教団でもキムラスカでもない第三の国家… マルクト。

 

 今回の暴行未遂事件では確かに関与はないが… いや、だからこそ問題を拡大させれば。

 うん、そもそもの襲撃事件やらを全部繋げていけば… よし、なんとかなる芽が出てきたぞ。

 

 今、セレニィの悪辣極まりない頭脳は保身という燃料を受けて過去最大限の回転を見せている。

 

「うん… これならティアさんを一発逆転で救うことが出来る。いや、救わねばならない」

 

 そうすることで『彼』を抑えこむことが出来るのであれば… どんな卑怯な手も使おう。

 今後について、おおまかな道筋を立てることは出来た。

 

 さて、細かい部分での粗やらは実地で適宜修正していくとして今は行動すべき時であろう。

 

「ルークさん… ルークさん、起きてください」

「ん? セレニィ、ここは…」

 

「連絡船の甲板です。ヴァンさんが捕まりました… 会いに行きましょう?」

 

 その言葉にルークは慌てて跳ね起きる… と、頭を抑えて顔をしかめた。

 例の頭痛だろうか? そんな彼に肩を貸しつつ、セレニィは船内へと戻るのであった。

 

 かくして己の保身のため、彼女はあらゆる存在を利用しにかかる。

 

 あるいは彼女にジェイド並の頭脳があればもう少し穏当な解決手段があったかもしれない。

 だが、彼女はその方面ではどう頑張っても二流三流が精々である。

 

 誰かを宥め煽るといった言葉で絡め取り、その誰かの力を借りることしか出来ないのだ。

 

「(さて、やるしかないか… でないと死ぬしかない。なんでも死ぬよりはマシだ)」

 

 追い詰められたと思い込んだ小市民の行動が、時に、歴史の引き金を引くものである。

 

「ヴァンさん、ジェイドさん、イオン様… 話を通す方は一杯いらっしゃいますねぇ」

「? なんか言ったか」

 

「いえいえ、なにも。こちらの話ですとも」

「ですのー?」

 

「ちぇ、なんだよ… ま、いいや。とにかくヴァン師匠(せんせい)を助けに行こうぜ!」

 

 これは追い詰められた小動物が、テンパッて開き直った挙句に巨大な獣に牙を剥く…

 そんな救いようのない『悪魔のシナリオ』の始まりである。

 

 その結末が悲劇となるのか、喜劇となるのか… まだそれを知る者は誰もいない。



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52.汚名

 臨時の取調室と替えられた船内の一室。そこにヴァンは座らされていた。……正座で。

 

「ヴァン… あなたって最低の屑ね」

「ティア、違うのだ。私は…」

 

「ねぇ総長、ひょっとして今が最悪だと思ってる? 本当の最悪はこれから始まるんだよ」

「ぐぬっ…」

 

「僕は愛の形は様々だと思っています。ですがヴァン、無理やりというのはあまりに…」

 

 状況は彼にとって極めて悪く、全くの孤立無援。四方八方を敵に囲まれている。

 特にティアの軽蔑しきった眼差しと、ガイの痛ましい物を見るような表情が胸に突き刺さった。

 

 そこに荒々しく扉が開かれる。

 

「お待たせ、ヴァンさん! 騎兵隊の到着ですよ!」

「ですのー!」

 

「おいみんな、酷いじゃないか! ヴァン師匠(せんせい)は俺を助けようとしてくれたのに…」

 

 なんか味方ヅラして現れたセレニィとミュウ、それにルークを加えた三人である。

 いや、ここまでヴァンが追い詰められてるのは主にセレニィとミュウのせいなのだが。

 

 ルークはヴァンを庇う形で立ちはだかり、仲間たちを何とか宥めようと声を掛ける。

 

「みんな、落ち着いて話を聞いてくれよ! 俺はこの通り無事なんだよ。だからさ…」

「無事でよかったよ、ルーク。……もう平気なのか?」

 

「回復して良かったです。でも、無理をせずに休んでいた方が…」

「もー! 心配しましたよぉ、ルーク様ぁ」

 

「貴方の無事は喜ばしい。……かといって放置して良い問題ではありません」

「申し訳ありません、ルーク。自分たちがもう少し気を付けていれば…」

 

 ルークの無事を素直に喜び、彼に駆け寄り我先にと声を掛ける仲間たち。

 だが、かといってそれで全てが解決するほどに簡単な問題ではない。

 

 その絆が深ければ深いほどに、再発防止のために徹底的に追及し締め上げたい問題なのだ。

 そして何より…

 

「無事でよかったわ、ルーク」

「ティア…」

 

「じゃあそこをどいて、ルーク! そいつ殺せない!」

「いや、殺すなよ! 実の兄貴だろ!?」

 

「実の兄だからよ。止めることが出来ないなら、せめて私の手で殺してあげないと…」

 

 一部のティアさんが聞く耳を持ってくれないため、説得は難航しているようだ。

 安定の絶対ヴァン殺すマンぶりである。決してブレることがない。

 

 なんか良い感じに言っているが、初期から一貫して止めるより先に殺そうとしてた気がする。

 

「(やっぱりそう簡単にはいかないか…)」

 

 ルークとて、信頼すればこそ、仲間たちを簡単に説得できるとは思っていない。

 自分が逆の立場なら本気で怒るし、心配するであろうことは想像に難くない。

 

 ましてや、ここにはティアがいる。彼女の聞く耳を持たなさっぷりはガチである。

 

「(頼んだぜ、セレニィ…)」

 

 だからこそルークは『彼女』に全てを託し、説得係という名の足止め役を買って出たのだ。

 

 勿論、自分の言葉で仲間たちに理解してもらいたいとも思っている。

 ルークは一つ気合を入れなおすと、顔を上げて真っ直ぐ仲間たちと向き合った。

 

 

 

 ――

 

 

 

 一方セレニィはヴァンを立たせ、二人ともに密かに部屋を脱出していた。

 仲間たちの視線はルークに集中していたので簡単なことであった。

 

 勿論、これはセレニィの筋書き通りである。

 

『まずは冷静になるまで彼らを引き離しましょう』

『ルークさんはみなさんに呼びかけつつ注意を惹き、その隙に私がヴァンさんを連れ出します』

『私もヴァンさんに少し言い含めてからすぐに応援に戻りますから、それまでの辛抱ですよ』

 

 などとルークを言葉巧みに誘導し、ヴァンと二人きりで話が出来る状況を作り出したのだ。

 

 純粋に師匠(せんせい)を思うルークの心すらも、自分の目的のために利用してみせた邪悪がそこにいた。

 そして今、二人はヴァンの船内の私室にいる。……ミュウもいるのだが。

 

「大変でしたね、ヴァンさん」

 

「……君は私を疑っていたのではないかね?」

「えぇ、さっきまでは」

 

「『さっきまでは』?」

「ルーク様に事情を説明していただいて、納得しましたので」

 

「なるほど… 信じてくれたのか」

「はい、全ては間の悪さが生んだ誤解だったのですね?」

 

「うむ、そのとおりだ。理解を得られて嬉しい」

 

 セレニィの言葉にヴァンが安堵の溜息を漏らす。

 それを見て、より安心させようとセレニィは天使のような笑顔を浮かべる。

 

 その腹の中はお見せできないほどに真っ黒であるが。

 

「本当に全く… 災難でしたね、ヴァンさん」

「いやなに、誤解を招くような行動をとった私にも問題がないとは言えまい」

 

「ご安心ください。みなさんの誤解が解けるよう、私なりに微力を尽くしますので」

「すまないがそうしてくれると助かる。こういった疑惑の形は少し… な」

 

「では、私は彼らのもとに… ティアさんを説得するのは骨が折れそうですが」

 

 薄く微笑み合って、セレニィはその身を翻し扉へと向かう。

 そこで、ふと思い出したかのように言葉を漏らす。

 

「あ、ティアさんと言えば… お別れの時が近いので、悔いを残しませぬよう」

「……なに?」

 

「では、私はこれで…」

「待て! ティアとの別れの時が近いだと! 一体どういうことだ!?」

 

「(クックックッ… かかった!)」

 

 ベッドから腰を浮かせて思わず怒鳴り声をあげるヴァンに、セレニィは笑みを浮かべる。

 胃の痛み? そんなモノはとうの昔に突き抜けている。もはや、痛みすら遥か彼方だ。

 

 胃が痛くないならば、これはきっと楽しいことに違いない。……楽しいならば笑うべきだ。

 口元に浮かぶ引き攣った笑みをミュウで隠しつつ、セレニィはヴァンの方へと振り返る。

 

「これはおかしなことを… ティアさんのやってしまったこと、全て死罪相当ですよね?」

「……なんだと?」

 

「『王族の屋敷に無差別広範囲の譜歌を使用しつつ不法侵入』… ヤバいと思いません?」

「ぐぬっ…」

 

「しかも『その目的は公爵家の客人をその屋敷で殺めるためであった』と。悪質ですねぇ」

「し、しかし私は実の兄であるしこの通り無事で…」

 

 ヴァンの言葉など耳に入れるに値しないとばかりに無視して、セレニィは言葉を続ける。

 

「『ローレライ教団の制服着用でやっちゃいました』ねぇ… はて、どう判断されるやら」

「………」

 

「さて、どうやって助けます? 預言(スコア)ですか? 構いません、どうぞ譜石をお見せ下さい」

「こ、ことは秘預言に関わる故…」

 

「フフッ… にもかかわらず六神将による襲撃を度々行ったと? 説得力がありませんねぇ」

 

 預言(スコア)を詠めば譜石が生まれる。その譜石は預言(スコア)を記した領収証のようなものだ。

 自分が詠まれる側だったら100%提示を求める。求めないはずがない。

 

 秘預言? その成就の重要性が極めて高いが故に公開できない類の預言(スコア)

 だったらその成立に全力を投じるのが教団として当然のはずだ。襲撃などありえない。

 

 凡才だてらに、ここ暫く胃を痛めながらずっと真剣にシミュレートしてきた問題だ。

 ヴァンがこの場凌ぎで思い付く程度のことは、既に想定しているに決まっている。

 

 それほどにティアを助けるのは難しい。むしろあっさり解決されては計画が狂うのだ。

 

「ティアは… 秘預言のことを知らないのだ。それ故に、知らぬまま勝手な行動を取って」

「……秘預言の成就は、教団のみならず世界にとって何よりも重要なモノであるはず」

 

「………」

「にもかかわらず教団がそれを積極的に蔑ろにするのは、異心あってのことでしょうか?」

 

「そ、それは…」

 

 甘い甘い甘ぁーいっ!

 

 フォローすればするほど説明不能・理解不能になってしまうティアさんの行動、舐めるなよ!

 ……いや、ホントに彼女は他人の思惑をぶっ壊す天才だと思うよ。ご愁傷様、ヴァンさん。

 

 そんなことを考えつつ、苦悩するヴァンをたっぷり10秒は眺めてからセレニィは口を開いた。

 

「あ、でもこの状況を利用すればなんとかなるかな…?」

「それは本当か!?」

 

「あ、いえ… 本当にちょっと思い付いただけなんで。ヴァンさんにも迷惑かかりますし」

「それでも構わない… どうか、聞かせてくれ」

 

「………」

 

 さも、今思いついたとばかりに口を開く。想定通りにヴァンが食い付いてくれた。

 いや、良かった良かったとセレニィは内心で胸を撫で下ろす。

 

 ここまで面倒くさい妹だったら、セレニィだったら血の繋がりがあっても見捨てかねない。

 計算のうちとはいえ、ヴァンのシスコンぶりに助けられた形になる。

 

 無言で焦らしつつ、何度も視線で促された末にようやく口を開いてみせる。

 

「ヴァンさん… あなたがルーク様に道ならぬ恋心を抱いていたという設定を使います」

「なっ!?」

 

「何処かでティアさんはそのことを知ってしまった。そして、それを止めるために密かに行動」

「い、いやしかしだな…!」

 

「ようやく追い付いた時、兄はファブレ公爵邸に。もはや一刻の猶予もないと彼女は…」

 

 何度聞かれても殺そうとした動機を語りたがらなかったのは、身内の恥だから。

 お屋敷に強引な方法で侵入したのは、一刻の猶予もない非常事態だったから。

 

 兄を殺そうとしたのはルークに対して近すぎて、事を及ぶ直前に感じられたから。

 これらのことをセレニィは連々(つらつら)と説明してみせると、ヴァンは目を白黒させながら絶句した。

 

「どうですか、このお話? ティアさんに情状酌量の余地が大いに生まれると思いますが」

「そ、そんなことが認められるか!」

 

「フフッ、ですよねー。そんなことしなくてもきっと教団の力で彼女を助けられますよねー」

「そ、そうだとも…」

 

「……ま、それも絶対じゃありませんけどね」

 

 笑顔を浮かべていたセレニィは、最後の言葉を表情を消しつつボソッとつぶやいた。

 

 ヴァンの胸中に、先ほどのティアを助けるために出した案が全てダメ出しされた光景が蘇る。

 それを知ってか知らずか、セレニィは申し訳無さそうな苦笑いを浮かべて続ける。

 

「サイコロ転がして出目に委ねるような行為ですが、きっと成功しますよ」

「ぐ、ぐぬぅ…」

 

「ティアさんの心身に傷が残ったりする可能性もありますけど、きっと大丈夫ですよ」

「そ、そんなことは…」

 

「……それが、ヴァンさんの『全力を尽くした結果』なら仕方ありませんよ」

 

 ついにヴァンは押し黙った。今、必死になってアレコレと考えているのだろう。

 だが、セレニィ的に彼に考える時間を与える訳にはいかない。

 

 家族愛で散々揺さぶったのだ。次は教団への疑惑の種を植え付けないと(使命感)。

 

「確かに預言(スコア)を擁する教団の力は絶大です。ですが、預言(スコア)故に見捨てろと詠まれたら?」

「……っ!」

 

「いえ、『見捨てろと詠まれたことにされた』場合はどうでしょう? 従えますか?」

「そ、それは…」

 

「彼女を救うのは組織としては百害あって一利無し。少しでも政治を知ってれば見捨てますよ」

 

 それなりの地位にいる以上、教団のダークな部分を見てきてないはずがない。

 

 そもそも死の預言(スコア)と秘預言を明かさないとか胡散臭いにも程がある。

 その気になれば死の預言(スコア)を詠まれてたってことで殺したい放題じゃないか。

 

 そして、今のを否定しないというのはつまりそうなんじゃないかなー。

 恐らく今、彼の心の支えはグラグラだろう。ここはしっかり補強してあげないと(使命感)。

 

「でも大丈夫ですよ、ヴァンさん。今、私たちならそれが出来るんです」

「我々ならば…」

 

「一人では無理でも、二人ならばきっと。そしてこの船にいる方々の力を借りれば…」

「ティアを救うことが出来る、か。……確かに」

 

「………」

 

 敢えてここで黙る。結論はヴァン自身に出してもらおうという思惑故だ。

 だが結論を出す前に、彼はセレニィをその真剣な瞳で真っ直ぐ見詰めてきた。

 

 そして口を開く。

 

「一つ聞きたい。……君の目的とは何だ? 何故ここまでしようとする?」

「フフッ…(ここで『保身のためです』とか言ったら、多分ぶん殴られるよね)」

 

「君の狙いはどこにある? この状況を利用して何を為そうとしている?」

 

 本音は一つなのだがそれを言ったら恐らくぶん殴られてオシマイだろう。

 最悪斬られて終わる、人生が。ひとまず笑顔を浮かべて誤魔化したが。

 

 ……なんとかそれっぽく言い繕わないと。その一心でセレニィは口を開く。

 

「……ローレライ教団を破壊します」

「なに!?」

 

「もういいでしょう? 預言(スコア)で世界を操り、充分に美味しい思いはしてきたはずです」

「……預言(スコア)を否定するというのか」

 

「あんなものは所詮ただの言葉に過ぎません。……収穫の時が来たのですよ」

 

 別に私は預言(スコア)なくなっても困らないしね。ていうか詠んでもらったことすらないしね。

 そんなことより自分の命が大事なのである。絶対死にたくないでござる。

 

 人々の心の支え? 知った事か。多分なければないなりに生きていけるって。適当に。

 別に教団はあってもいいけど、教団潰さないと安全が確保できないなら潰すしかないよね。

 

 しかし眼の色変えて乗ってきたよ、ヴァンさん。

 リグレットさんの反応からまさかとは思ってましたけど、アンタも預言(スコア)嫌い派ですか。

 

 イオン様にも見直そうぜとか言われてたし教団幹部にどんだけ嫌われてるんだよ、預言(スコア)

 そう思いつつ、セレニィはたった今考えたばかりのシナリオを仰々しく口にする。

 

「手始めに… 大詠師モースを失脚させます」

「出来るか? アレは政治の世界を渡り歩き、ついには大詠師の座にまで登り詰めた怪物だ」

 

「出来るか? フッ、やるかやらないかですよ。なんならお賭けになりますか?」

「フッ… 良いだろう。私が賭けるのは『オールドラントの未来』だ… 決して安くはないぞ」

 

「実に結構。一世一代の期待など、この身はとうに浴び慣れております」

 

 まぁ、大詠師さんを失脚させればイオン様が実権を握ってくれるはずだよね。多分。

 

 イオン様ならなんとなく自分を見逃してくれるんじゃないだろうか? 仲間的に考えて。

 そう信じたい。

 

 しかし、ヴァンさんも大概中二病である。ティアさんとの血の繋がりを感じて仕方ない。

 彼女も『追い詰められた獣』ってフレーズを愛用していたし。

 

 でもドSも『死霊使い(ネクロマンサー)』とか名乗っていたし、この世界は中二病に寛容なのかもしれない。

 ともあれ、ヴァンさんのノリに合わせつつ中二病風にふわっと話を締め括る。

 

 こういうのは誇大広告なくらいがちょうど良いだろう、多分。言うだけならタダだし。

 話もまとまったしそろそろ帰りたいなとセレニィが思い始めたころ、ヴァンが口を開く。

 

「……分かった。預言(スコア)なき世界とティアのためならば、敢えて汚名を被ろう」

「ご決断に心より感謝を。では私は根回し等もあるので、ここで…」

 

「分かっていると思うが、君が失敗したと判断したら私は事を起こす。忘れないことだ」

 

 多分自力でティアを助けだすと言っているのだろうと判断し、セレニィは頷いて部屋を辞する。

 後に残されたのはヴァン一人。彼は部屋の明かりを消して、誰にともなくつぶやいた。

 

「もし彼女が… 人の力が預言(スコア)を否定できるというのであれば、私は…」

 

 そのつぶやきは誰に拾われることもなく、闇の中へと呑まれていった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 ヴァンの私室の外、ルークらが待つ部屋に続く廊下には…

 

「よーし、なんとかヴァンさんを丸め込んだぞー。次はジェイドさんとイオン様ですねー」

「ですのー!」

 

「『セレニィさんが平穏かつ幸せに生き残る計画』の第一歩ですよー。がんばりましょー!」

 

 なんかのフラグが立ったとも知らず、呑気に歩く『吐き気を催す邪悪(セレニィ)』の姿があった。



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53.暗雲

 セレニィがミュウを連れて先ほどの部屋に戻れば、まだ先ほどの議論の真っ最中であった。

 説得役として残ったルークではあったが、実際は仲間たちが彼へ再考を呼びかけていた。

 

「だから、ヴァン師匠は俺を助けようとしてくれたんだって!」

「仮にそれが事実だとしても、彼には不審な点が多過ぎます。話は聞くべきでしょう」

 

「ねぇ、みんな。取り敢えずヴァンを殺せば割りと大体解決する気がするの」

 

 議論は平行線である。飽くまでヴァンを庇うルークと、ひとまず締め上げるべきとする仲間。

 まぁ、中には一部のティアさんのように「取り敢えず殺そう」と提案する者もいたのだが。

 

 安定のティアさんということで、そのふわっとし過ぎた提案は華麗にスルーされているのだが。

 それでも一切めげない辺りは、流石は鋼のメンタルを持つ神託の盾(オラクル)騎士団期待の新人である。

 

「はーい、みなさーん! そろそろお開きにしましょうかー」

 

 そこにセレニィがパンパンと柏手(かしわで)を鳴らしながら割って入る。自然、注目が彼女に集まる。

 笑顔を浮かべながら彼女は続ける。

 

「議論大いに結構ですが、(いささ)か熱がこもり過ぎているご様子。続きは明日に改めては?」

「ふむ…(この胡散臭い笑顔、どうやら彼女なりに何らかの収穫はあったようですね)」

 

「セレニィ、ヴァン師匠は大丈夫なのか?」

「無論無事ですが、若干の混乱も見られますねー。そこも含めて、明日話し合いませんか?」

 

「分かりました。いずれにせよ煮詰まっていましたからね… 私はかまいませんよ」

 

 一行を代表する形でジェイドが頷くと、ひとまず解散するという形で事態は落ち着いた。

 みんなが部屋を去ろうとする中、セレニィがそこに言葉を付け足す。

 

「あ、イオン様とジェイドさんはこの後ちょっとだけお時間をいただきたいのですが…」

「私はかまいませんが、どういったお話でしょうか?」

 

「バチカルについてから私の今後のことを含めて少し… 勿論、無理にとは言いませんが」

「なるほど… 私はかまいません。イオン様、いかがでしょう?」

 

「えぇ、僕も大丈夫ですよ。アニス、先に帰って休んでいてください」

「はぁーい。じゃあ、あたし暖かい飲み物でも用意して待ってますからねー」

 

「すみません。そう長いお時間は取りませんので…」

 

 いずれの勢力にも属さない… というより、記憶も国籍すらも思い出せないセレニィである。

 自身の今後を、マルクト軍高官のジェイドや教団の導師イオンに相談するのは自然だろう。

 

 とはいえ、おおっぴらにも話し難い。そう納得した残りの面々は理解を示して部屋を後にする。

 かくして部屋の中にはジェイド、イオンにセレニィの三人が残される。……ミュウもいるが。

 

 それを見計らってジェイドが口を開く。

 

「さて、では本題に入りましょうか。……セレニィ、貴女は何を企んでいるのです?」

「企むなんて人聞きの悪い… ま、否定はしませんけどねぇ」

 

「? 『バチカルに到着後のセレニィの今後について』ではないのですか?」

「それも嘘ではありません。本題は『ティアさんを救う目処がついた』ことについてですが」

 

「それは本当ですか? 流石はセレニィです。ですが、それなら隠す必要もないのでは…」

 

 セレニィの表情から何かを企んでいることを察していたジェイドである。

 

 彼が切り込めば、彼女は溜息とともに肯定し『ティアを救う算段がついた』ことを明かす。

 喜色を浮かべるイオンとは対照的に、セレニィの表情は冴えない。

 

 散々考え抜いても光明が見えなかったティアの処遇について、解決したというのだろうか?

 上手く行き過ぎる話に若干の不審を抱きつつ、ジェイドはセレニィに先を促す。

 

「ヴァンさんの協力を得られました。この状況を利用して彼女の印象を逆転させます」

 

 そうしてセレニィは、ヴァンと交わした密約についてジェイドとイオンに説明する。

 

 ・ティアを『兄の道ならぬ想いを止めるために行動した善意の人』に仕立てあげること。

 ・ヴァンの協力条件としてローレライ教団大詠師モースを失脚させる必要があること。

 ・そのためにはマルクト軍高官であるジェイドと教団導師であるイオンの力が必要なこと。

 

 それらを淡々と説明してみせた。

 

「なるほど… 誤解だったのですね。しかしヴァンには辛い役割を強いてしまいますね」

「というより、セレニィはどうやってそんな汚名を着ることを承諾させたんですか…」

 

「そこはまぁ… ティアさんの命がマッハなことを示しつつ、チョチョイと丸め込んで?」

「悪魔ですか?」

 

「いやいや、スーパードS人のアンタに言われたくねーですから」

 

 ジェイドから呆れの視線とともに向けられた謂れ無き中傷に、セレニィは憤慨してみせる。

 一方彼女の言葉に少し考えていたイオンではあるが、顔を上げて一つ頷くと口を開いた。

 

「ヴァンには悪いですがそれしかティアを救う方法がないならば、彼の好意に甘えましょう」

「はい。そこでイオン様には、モースと対抗する際の御旗になっていただきたいのですが」

 

「えぇ、僕がそのお役に立てるというのであればどうぞ存分に。あなたの指示に従いますよ」

 

 イオンにしてみればこの問題、ティアの命の危険さえ回避できれば解決成功と言えるのだ。

 チーグルの森でのやり取り一端を示したとおり、イオンの倫理観は非常に幼くまた拙い。

 

 モースやヴァンが多少不利益を被ろうとも命までは奪われないのだから、という考えがある。

 誰かの命を救うため力を尽くせるが、その結果別の誰かが不利益を被ることに頓着しない。

 

 幼さと脆さが未成熟な倫理観の中に同居しているのだ。そんなイオンにセレニィが声を上げる。

 

「えっ! 指示に従うって… な、なんでもですか! イオン様!?」

「え? えぇ…」

 

「落ち着きなさい、セレニィ。……これ以上、脱線するようであれば『お仕置き』ですよ?」

「アッハイ…」

 

 しょぼんとした表情で落ち着いたセレニィと、彼女の真似をするミュウにイオンは吹き出す。

 そんな光景にやれやれといった仕草で肩をすくめつつ、ジェイドは今後のことを口にする。

 

「ではヴァン謡将への追及は一旦ストップですか。彼の機嫌を損ねてはこの策は成立しない」

「ただ、叩けば幾らでも埃が出てきそうな人なんですよねー… ヴァンさんって」

 

「ま、仕方ありませんよ。この策が成立すれば彼は恐らくしばらくは牢獄送りですからね」

「とはいえ、ルーク様と… ナタリア殿下、でしたっけ? 彼女との結婚で恩赦が出るかと」

 

「なるほど、そこも計算づくでしたか。となれば二、三年ですか… 悪くない拘束期間ですね」

 

 ドSと邪悪の話し合いに耳を傾けつつ、イオンは内心「(ご愁傷様です、ヴァン)」と思う。

 苦笑いを浮かべるイオンを余所に、ジェイドがセレニィに尋ねる。

 

「しかしセレニィ、私に役割はあるのですか? それとも、この話を聞かせるだけですか?」

 

 確かに、「こういう策を企んでいる」と事前に話を通してもらうだけで大分違うものだが。

 すると彼女は首を振り、意外な申し出をしてきた。

 

「いえ、ジェイドさんには私に席を用意してもらいたいのです。和平の使者一行としての」

「……ほう。確認しますがセレニィ、貴女は自分の言っている意味が理解できますか?」

 

「はい。この策の成立のため、バチカルで大詠師モースと直接対決するのは… この私です」

 

 ジェイドの瞳を真っ直ぐ見詰め返して、彼女はキッパリと言い切った。

 言われた側のジェイドは感嘆の溜息を漏らしつつ、黙考している。

 

 一方のセレニィに、自分を信じるとか義によって立つなどの立派な考えがあるはずもない。

 単に少しでも死に確率を下げようという切実な思いがあっただけに過ぎない。

 

「(負けても降りても全財産を溶かす博打… だったら全ブッパで乗っかるしかない!)」

 

 追い詰められたと勘違いした小物が巨獣に牙を突き立てるのだ。失敗したでは済まされない。

 仲間たちを冷静に分析した結果… 自分にしか可能性がないことも悲しいことに理解していた。

 

 ルークやイオンは性格が素直で優しすぎる。こういったことへの適性は皆無と言っていい。

 

 他を見ればアニスと辛うじてガイならば適性が見られるが、アニスは教団所属の人間だ。

 彼女の立場を考えれば、モースを追い落とすのはどうしても無理が出てくる。

 

 ガイはファブレ公爵家に雇われているとはいえ一介の使用人だ。そういう場には出られない。

 トニーも少し調べればマルクトの軍属であることが明らかにされるだろう。難しい。

 

 ティアは論外だ。かといって、和平の使者としての役割も持つジェイドには任せにくい。

 

 そもそも彼の目的を考えれば、いざという時真っ先に切り離されるべきがセレニィなのだ。

 上手く話をまとめられるかもしれないが、それが=セレニィの生存に結び付くとは限らない。

 

 というか、あのドSに命綱持たせてバンジージャンプなんて怖すぎる。絶対にしたくない。

 腕が疲れたとか空が青いからとかいう理由で、あっさり命綱を手放してきそうな予感がする。

 

「(どうしてこうなった… もう泣きたい…! 凄く泣きたい…!)」

 

 半泣きの状態で頭を抱えてキリキリ迫り来る胃の痛みと戦っていると、ジェイドが口を開いた。

 

「分かりました。貴女にその覚悟があるのなら席を用意をしましょう… とっておきのね」

「? はぁ… まぁ、よろしくお願いします。モースさんと話せればいいんで」

 

「えぇ… お任せ下さい。きっとご満足いただけるかと」

 

 にっこり微笑むジェイドに何故か背筋が寒くなりつつも、セレニィは頷いて了承の意を示す。

 続いてジェイドが言葉を紡ぐ。

 

「ですが、そういうことならば… このことを知る人間が少ないのは幸いでしたね」

「どういうことですか? ジェイド」

 

「事が終わるまでこの話は内密にすべきでしょう。何処から漏れるか分かりませんしね」

「アニスさんにも秘密にするんですか? ちょっと可哀想な気も…」

 

「いえ、万全を期すためというのならやむを得ません。アニスならきっと分かってくれますよ」

「……ま、イオン様がそう仰るなら。終わった後に種明かしすればいいんですしね」

 

「えぇ、そういうことです」

 

 そう言って眼鏡のブリッジを上げて直しつつ、ジェイドはセレニィの特性について考える。

 導師イオンはともかく、まさか彼女までがこんな当たり前のことに考えが及ばないとは。

 

「(やれやれ… ここまで悪辣な策を仕掛けながら、身内には懐が甘いものです)」

 

 そして同時に、攻防にアンバランスさを抱える彼女の危うさにも一抹の不安を覚える。

 いつか下らぬ罠や裏切りによって、あっさりと命を落としかねないと心配にもなる。

 

 これまでの危ない橋の何度か… 特に人質にされた件は彼女の警戒心の薄さに起因する。

 他人との距離を大事にして踏み込ませるのを嫌う割りに、どうも根本的にお人好しなのだ。

 

 いや、もっと言えば『平和ボケしている』と言い換えてもいいのだろうか? だが…

 

「(それも彼女の良さと考えますか… もしもの時には私たちでフォローすれば良い)」

 

 それも杞憂かと考え直す。何故なら彼女は一人ではなく、仲間たちがいるのだから。

 

「おーい、ジェイドさーん。どうしました、固まっちゃってー? 眼鏡の電池切れました?」

「電池切れちゃったですのー?」

 

「え? ジェイドって眼鏡の電池で動いているんですか? 僕、知らなかったです…」

「……イオン様やミュウが信じたらどうするんですか。新しい譜術の実験台にしましょうか?」

 

「理不尽なっ!?」

 

 彼女に薄く微笑んでそう言えばセレニィは半泣きになって頭を抱え、震え始めた。

 理不尽ではない、正当な怒りの発露である。ジェイドは内心でそう主張した。

 

 その後、少し話し合って以下の点を取り決めた。

 

 ・今回の話し合いは「セレニィの今後の身の振り方について」の相談であったとすること。

 ・セレニィはヴァンからモースについて聞き取り調査を密に行い、傾向と対策を立てること。

 ・ケセドニアで和平の使者一行としてのものにあつらえたセレニィの服装を用意すること。

 

「……と、まぁこんな感じでしょうかね」

「流石に私の服まではやり過ぎのような… 私、大してお金持ってませんよ?」

 

「構いませんよ。今回はヴァン謡将にも頼れませんし私の方で出しましょう」

「え? はい? ……一体何を企んでるんですか?」

 

「ちょっとした『先行投資』ですよ。貴女じゃあるまいし、さほど悪辣なことは考えてませんよ」

「………」

 

 にっこりと笑顔を浮かべるジェイドを、極めて胡散臭げに見詰めるセレニィ。

 信頼と実績のドS故に致し方ない。

 そんな彼女に、似ても似つかぬ純真な笑みを浮かべたイオンが声を掛けてくる。

 

「良かったですね、セレニィ。買い物の際には僕やアニスが同行しても構いませんか?」

「ほ、本当ですかイオン様! も、勿論喜んで!」

 

「みゅう! ボクもお買い物楽しみですのー!」

「そうですね、ミュウさん! 私、とっても楽しみになってきました!(デート! デート!)」

 

「ははははは… いや、喜んでいただいてなによりです」

 

 かくして喜びはしゃぐ一人と一匹、それを微笑ましげに見守る二人によって話は締め括られる。

 

 中継地点である交易都市ケセドニアで船を乗り換えれば、後はバチカルまで一直線だ。

 決戦の時は近い。

 

 果たしてジェイドの感じた不安は当たるのか否か…

 (にわか)に月夜に立ち込め始めた暗雲が、彼らに起こる未来の出来事を暗示しているようであった。



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54.特等席

 キムラスカ・ランバルディア連合王国が首都、“光の王都”バチカル宮殿最奥の玉座の間。

 謁見を許された者たちが、国王であるインゴベルト六世の前で頭を垂れて跪いている。

 

 居並ぶ重臣たちに物怖じせず、頭を垂れたままのルークが一歩前に進み出てその名を名乗る。

 

「ルーク・フォン・ファブレにございます。ただいまマルクトより帰還しました」

「その方がシュザンヌの息子のルークか! 堅苦しい挨拶は良い、面を上げよ」

 

「ハッ! 叔父上」

「その精悍な顔立ちに洗練された立ち居振る舞い。王族として立派に成長しているようだな」

 

「勿体なきお言葉です」

 

 堂々とした振る舞いのルークに、男児に恵まれなかったインゴベルト六世は殊の外喜んだ。

 

 しきたりにより、キムラスカの王位を継ぐ者は赤い髪と緑の瞳を持つ者に限られている。

 だが目に入れても痛くないほど可愛がっている娘には、残念ながらその特徴が現れなかった。

 

 ならばと、妹がその特徴を持つ子供を産んだことをこれ幸いにと許婚とすることに決めたのだ。

 七年前の誘拐事件以来、持病を患い良い噂を聞かなくなっていた甥に内心で落胆もしていた。

 

 しかし実際見れば、かすかに風格すら滲ませて堂々とした立ち居振る舞いのもとこの場にいる。

 彼を娘の許婚としたかつての自分の判断に狂いはなかった。そう思って上機嫌にすらなった。

 

 彼の帰還を喜ぶ気持ちを、改めて言葉に乗せて伝える。

 

「無事の帰還、誠に大儀。先触れによってある程度は把握しておるが、苦労したようだな」

「ハッ! ですが、彼らの尽力もありこの通り無事に戻れました」

 

「うむ、実に喜ばしきことよ。……では、ルークよ。その方の横にいる者たちが?」

「ハッ! マルクト帝国よりの和平の親書を携えた使者と、その仲介役にございます」

 

「なるほど… 我が甥が大変世話になったようだ。まずは感謝の意を述べさせていただこう」

 

 朗らかな笑みすら浮かべてインゴベルト六世はそう言った。

 ダアトのみならず、マルクトの使者にまでかような態度を示すのは極めて異例のことだろう。

 

 畏まる彼らを余所にルークが一人ずつ紹介していく。

 

「こちらがローレライ教団の導師イオンと、その守護役であるアニス」

「ご無沙汰しております、陛下。イオンにございます」

 

「久しいな、導師イオン。此度は我が国へ足をお運びいただき光栄である」

 

 アニスはイオンに従い一歩前に出るものの、声を発することはない。

 それが護衛の礼儀であるからだ。

 

 続けてルークは『その横の二人』を紹介する。

 

「こちらがマルクト帝国のジェイド・カーティス大佐」

「………」

 

 無言で一歩前に出て頭を垂れたジェイドの姿に、謁見の間はざわめき出す。

 

 それもそのはず、マルクト帝国にその人ありと恐れられた『死霊使い(ネクロマンサー)』にして皇帝の懐刀。

 それがジェイド・カーティスという男の評判なのだ。

 

 だが、不可解なことに彼はいつまで経っても声を発する気配がない。

 まるでただの護衛か何かのように。

 

 そんな周囲の疑念を裏付ける言葉を、ルークが続けて発した。

 

「そしてこちらがピオニー九世陛下の名代、セレニィ・バルフォアにございます」

「お初にお目にかかります、陛下。セレニィ・バルフォアでございます」

 

「なんと… 『死霊使い(ネクロマンサー)』ではなく、その方が真の和平の使者だと申すのか」

 

 異国風の見慣れぬ… だが上等な素材によって作られた衣装に包まれた少女である。

 彼女は一歩前に進み出ると、年齢を感じさせぬ艶やかな笑みを一つ浮かべ跪いた。

 

 唖然としたのは王ばかりではない。謁見の間に集った重臣一同にも混乱を呼んでいる。

 御前での無礼も忘れ、皆それぞれの憶測を勝手気ままに囁き合う始末だ。

 

「なんと、あんな小娘を名代などと… マルクトは我らをバカにしているのか?」

「いやしかし、ならば皇帝の懐刀と名高い『死霊使い(ネクロマンサー)』を送り込むだろうか…」

 

「なるほど… 『死霊使い(ネクロマンサー)』をも目眩ましに使った本命ということなのか?」

「……ということは、見た目同様の年齢と侮るのは危険ということか」

 

「ううむ… いずれにせよマルクトの真意が読めぬ。額面通り受け取っていいものか」

 

 そんな彼らのざわめきを耳にしながら、セレニィは薄く微笑んでいた。

 

「(くっくっくっ… 何故私みたいな雑魚がいるのか分からずに混乱しているなぁ?)」

 

 バカめ、馬鹿め、莫迦め… 貴様らなどには分かろうはずもない!

 このセレニィが一体どんな想いでここにいるのかなど! 胸中でそう叫び、彼女は続ける。

 

「(……だって私自身がなんでここにいるのか分からないんだもん!)」

 

 その叫びは悲しき慟哭であった。

 

 なんか知らない間にドSに引っ立てられて、こんなところに並ばされているのである。

 いや、モースと対決するとなった以上はそれについてはまだ納得もしよう。

 

 なんですか、「真の和平の使者」って。いらないから。そういうサプライズはいいから。

 横目でドSを睨みつけると、爽やかにウィンクを返してきた。眼鏡叩き割るぞ、コラ。

 

 彼のいう「とっておきの席」とはマルクト帝国の和平の使者の座そのものだったらしい。

 その席は、そんな簡単に得体のしれない人間に貸したりしちゃっていいのでしょうか。

 

 淡い笑みを浮かべて遠い目をしていたセレニィの様子を見て、王が重臣一同を一喝する。

 

「たわけどもめ! 使者殿の前でなんたる醜態か… 少しはルークを見習ったらどうか!」

「………」

 

 恐縮し、静まり返るその場にかえって居心地の悪さを感じたセレニィは口を開く。

 

「偉大なるインゴベルト六世陛下に親書を預かって参りました」

「………」

 

「うむ、確かに… かくなる上は決して無碍には扱わぬと約束しよう。まずは」

 

 セレニィの言葉に応え、一歩前に進み出たアニスが親書を差し出し大臣がそれを受け取る。

 その動作に鷹揚に頷きつつ、王が何かを口に出そうとした時… 事件は起きた。

 

 突然謁見の間の扉が開き、ビヤ樽のように肥えた腹の法衣をまとった男が入室してきたのだ。

 

「陛下! 卑劣なマルクト帝国の口車に乗ってはなりませんぞ!」

 

「無礼者が! 誰の許しを得て謁見の間に…」

「良い、アルバイン。……モースは余が直々に呼んだのだ。ルークからの先触れの件でな」

 

 あまりの無礼を咎める大臣・アルバインを片手を上げて制しつつ、王はモースを見据える。

 その目は冬の木枯らしのごとく、冷たく凍てついていた。

 

 思わずたじろぐモースであったが、その隙を逃さない者が一人いた。

 彼の登場を待ち構え、その命脈を刈り取るために牙を研ぎ澄ませていた者… セレニィだ。

 

「恐れながら… 偉大なる国王陛下に、この場をお借りして申し上げたき儀がございます」

「ほう… マルクト帝国皇帝名代の言葉とあらば無視はできぬ。どんな話であろうか?」

 

「教団による数々の無法極まる振る舞い… その背後で糸を引く全ての黒幕たる男について」

 

 再びざわめき出す重臣一同… いや、中には露骨にモースに視線を向ける者すら出る始末だ。

 思わずモースは歯軋りとともに、声を漏らす。

 

「貴様か… 貴様のせいで、この私が! ユリアの教えを守るべき教団が… 悪魔め…!」

「フフッ…(うん、分かってたけどめっちゃ敵視されてますね… うん、知ってた…)」

 

「陛下、騙されてはなりませんぞ! こやつこそ… こやつらこそ、真の不穏分子なのです!」

 

 モースさんの怒り具合が半端ない。マジで怖い。

 対するセレニィは恐怖を表情に出さないだけで精一杯だ。

 

 だが、ここまで来た以上は後には引けないのだ。

 乗り越えなければ死あるのみ。ならば乗り越えるまでだ。

 

 彼女はそう考え、そしてそれを実現するため動く。

 大丈夫、自分は一人ではないのだから。

 

 瞳を閉じる。

 

 今一度これまでの仲間たちとの絆を振り返り、今再び友情パワーを糧とするために。

 

 

 

 ――

 

 

 

 連絡船が寄港した港は、交易都市ケセドニアの港であったらしい。

 砂漠に囲まれたその街は異国情緒漂うデートにピッタリの地である。

 

 しかし呼ばれてないのについてきた残念兄妹によって…

 正確には残念妹によって、セレニィさん着せ替え人形ショーに早変わりしたのだ。

 

 それもようやく終わり、服を買ってさぁデートの時間だ。

 そう思ったらなんかディストさんが襲いかかってきた。

 

 相手をしてあげたかったが疲れ果ててたので、ヴァンさんに丸投げしておいた。

 流石は主席総長。多少ボコられつつもキッチリとディストさんを撃退してた。

 

 ……スマンな、ソウルフレンド。次はちゃんと相手してあげるから。

 そしてデートに行こうと思ったら時間切れ。連絡船に逆戻りする羽目になった。

 

 戻ってきたルーク様たちは楽しそうだった。……いいなぁ。

 

 船はバチカルに進む。

 その洋上でガイさんに謁見の間での作法について尋ねてみた。

 

 折角だから指導してくれると言うので有り難くお受けすると半端なく厳しかった。

 バチカルに到着するまで不眠不休で訓練をするほどには。めっちゃ後悔した。

 

 孤独に耐え切れなかったのでルーク様を巻き添えにしました。

 これ、不敬罪になるのかな?

 

 バチカルに到着してようやく休めると思ったら、そのまま王宮に直行。

 で、ジェイドさんから「貴女はセレニィ・バルフォアです」ですよ。

 

 バカなの? 死ぬの? 電池切れたの? と言ったら無言で殴られるし…

 そのまま引っ張られるようにして謁見の間に無理やり通されて今に至ります。

 

 うん、聞いてないよ。全く聞いてないよ。

 そういえばルーク様とジェイドさん、なんか打ち合わせしてるっぽかったね。

 

 でもこっちは全然聞いてないですよ?

 ガイさんとトニーさんがめっさいい笑顔で手を振ってたのそのせいですか?

 

 

 

 ――

 

 

 

 これまでの出来事を振り返り、一つ溜息をつく。そしてセレニィは思った。

 

「(あれ… 絆は? 友情パワーは?)」

 

 そんなものはなかった。幻想だったのだ。

 そして目を開ける。

 

 淀んだ瞳を浮かべ、乾いた笑顔を貼り付ける。

 

「(拝啓、いるかどうか分からないお袋様)」

 

 胃がキリキリと痛み出す。

 なんてことはない日常だ。

 

 単なる平常運転に過ぎない。

 

「(やっぱり絆とか友情パワーって存在しないんじゃないかと思います)」

 

 このやるせなさを、倒すべき敵…

 ローレライ教団大詠師にぶつけるため、彼女は動き出すのであった。

 

 勘違いと逆切れと八つ当たりによる闘争が、今、幕を開ける。



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55.裁可

 ローレライ教団の大詠師モースと、マルクト帝国よりの和平の使者セレニィ・バルフォア。

 二人が対峙する謁見の間はこれから巻き起こる嵐を予感し、静かな緊張に包まれていた。

 

 固唾を呑んでその行方を見守らんとする者たち。……その中には導師イオンも含まれていた。

 

「(相手は“あの”モース… セレニィは一体どう立ち向かうつもりなのでしょう。それに…)」

 

 頭によぎるのは、謁見直前にジェイドに引き摺られながら彼女が告げてきた不可解な言葉。

 曰く、「自身が『傀儡』という言葉を口にしたら“モースを庇って欲しい”」というもの。

 

 いざという時の援護を求めるならばまだしも、何故その逆の指示をするのか? 分からない。

 そうこうしているうちに、セレニィの方からインゴベルト六世に向ける形で口火を切った。

 

「陛下におかれましてはご存知でしょうか? 『六神将』と呼ばれる危険な集団のことは」

「なっ! 貴様、言うに事欠いて…」

 

「黙れ、モース。……神託の盾(オラクル)騎士団に属する特に腕利きの六名をそう呼ぶと聞き及んでいる」

 

 激昂せんとするモースを虫にでもするように手で払い制すると、静かな声で王は返した。

 

「然様。彼らは私めが直接体験した中でも、様々な重要事件を起こしております」

「ほう… 様々と申すか。一体、どういったものであるのか?」

 

「まず一つは、導師イオンをお運びしていた我が国の船に無警告で奇襲をかけたこと」

「……穏やかではないな」

 

「多くの乗員が死に至り、保護していたルーク様も危険に晒されることと相成りました」

 

 インゴベルト六世の表情が険しくなり、同時に謁見の間がざわめき出す。

 汗を拭き出すモースに対し、非難の視線が集中する。

 

 セレニィはしれっとした顔で話を続ける。まだまだモースを追い詰めるには全く足りない。

 

「また、その際に我が国の船を無断で拿捕し私的に運用している形跡が見られます」

「……それらのこと、確かなのか? ルーク」

 

「はい、伯父上。先触れにも書いたとおり、俺自身も何度か命を狙われました」

「当然、生存者から事情聴取も行い確認された事実をもとに教団に強く抗議しました… が」

 

「その船で来なかったところを見るに、未だ誠意ある回答を得られていないということか」

 

 後を継いだインゴベルト六世の言葉に対し、首肯を以って応えとするセレニィ。

 王は深く嘆息すると、鋭い視線をモースへと向ける。

 

「モースよ… 大詠師という立場にありながら何を以って六神将を野放しにしておる」

「め、滅相もない! 全て言いがかりです! 真の大悪人はこやつらの方ですぞ!」

 

「ほう… いい加減なことを申すと、その方、首がないぞ?」

「と、とんでもない! こやつらはダアトで暴動を起こしイオン様を攫ったのですよ!」

 

「……ふむ?」

 

 モースからの弾劾に、謁見の間はさらにざわめきが深まる。

 

 セレニィが「おい、聞いてないぞ」とジェイドに視線に向ければ、そっと顔が逸らされる。

 この眼鏡、後で千回殴る… そう思いつつ、笑みを浮かべる。

 

 疲れと緊張の極致で、テンションが上がってきているのである。

 

「ダアトの民を扇動し、騒ぎに乗じて導師を拐うこやつらこそ国際問題を引き起こし…」

「クスクスクス… フフッ、フフフフフフフ…」

 

 なんか必死に言い募ってるモースの表情がおかしくて、つい笑い声をあげてしまう。

 

 鈴の音が転がるような笑い声を上げる小柄な少女の姿に、謁見の間は先と逆に静まり返る。

 妙なテンションのまま、数十秒は本当におかしそうに笑ってから声を上げるのを止めた。

 

 とはいえその目尻には涙が薄っすら滲んでおり、口元には笑みが浮かんでいるのだが。

 セレニィにしてみればドSのせいで一転、弾劾される立場に変わったのだ。笑うしかない。

 

 だが、周囲の人間… 特にモースにしてみれば不気味の一言であった。思わずそれが口に出る。

 

「な、なにがおかしいというのだ! 気でも違ったか!?」

「……御前をお騒がせして大変失礼を致しました、陛下」

 

「良い。騒がせているのならば我が臣下どものほうがよっぽどよ」

「ありがたきお言葉にございます」

 

「だが、そこまで笑い転げるほどおかしなことがあったのか?」

 

 あくまでモースを無視して話をせんとする少女の姿勢に、彼は歯軋りを見せる。

 

 ……彼女の方からすれば、単に怖いので直接相手にしたくないだけなのだが。

 ガワだけなんとか取り繕ってはいるものの、所詮中身はチキンな小市民なのである。

 

 しかし、さて、なんと答えたものか。

 少し考えてから、セレニィは言いがかりには言いがかりで対抗することにした。

 

 ……いや、ドSが扇動して暴動起こしたのがマジなら相手側は言いがかりじゃないか。

 ホントこいつろくでもないことしかしねーな。ダアトのみなさん、ごめんなさい。

 

 そんなことを思いつつ、表情は薄っすら笑顔を固定しながら口を開く。

 

「えぇ。……ダアトは一体いつの間に、独立した主権を持つ国家になっていたのかと」

「な、なんだと!?」

 

「陛下、貴国と我がマルクトは確かに緊張関係にあります。されど…」

「………」

 

斯様(かよう)に晴れがましい式典があるならお招きと言わずとも、通達の一つは欲しゅうございました」

 

 要は「あれー? おまえら一人前の国家ヅラしてるけど、いつなったのー?」ということだ。

 国家間の問題でなければ国際問題は発生しない。ダアトは自治区だからカウント外だよね!

 

 ……つまりはこう言っているのだ。謁見の間にいる誰もが絶句する、とんでもない暴論である。

 

 現にモースなどは怒りに顔を真っ赤にして口をパクパクさせるも、言葉を失っている。

 一足先に再起動を果たしたインゴベルト六世が口を開く。

 

「……いいや、パダミヤ大陸は依然として我が国が主権を有する自治区に過ぎん」

「陛下自らのご回答、深甚に感謝申し上げます。それを聞いて安心しました」

 

「貴様っ! 何を抜け抜けと…」

「なお、我らが立ち寄った際に暴動が発生していた自治区には統治能力がないと判断…」

 

「こ、これは出鱈目です! 暴動こそこやつらが引き起こしたことなのですよ!」

「いい加減に黙れ、モース。……続けられよ、使者殿」

 

「ハッ! 折しも守護役に導かれ脱出していた導師様を、現場の判断で保護しました次第です」

 

 笑顔を浮かべて堂々と言い放つ。余りに堂々としているものだから皆、言葉を失う。

 実際には追い詰められてテンパッた小市民が、半泣き状態で開き直っているだけだが。

 

 妙なテンションになったセレニィの言葉の勢いに呑まれ、一同は誤魔化されつつある。

 騙されている。本来はどんな理由があっても教会からイオンを攫って良い筈がない。

 

 それを理解している彼女は、微妙に話をずらし始める。藪蛇になっては敵わないのだ。

 

「ジェイドと合流でき保護されたこと、嬉しく思います。ダアトの民は心配ですが…」

「勿体なきお言葉です、イオン様」

 

「彼ら自身が身を慎んで、治安の回復を告げてくればお返しする手もあったのですが…」

 

 イオンがその意図はないもののセレニィのフォローをすれば、初めてジェイドが応える。

 その言葉に乗っかりしれっと「イオン様を返還する意図はありました」と告げるセレニィ。

 

 それが本当かどうかなど今となっては判断できないのだ。

 どちらか分からないならば、悪い印象を持つ相手の責任と考える。それが人間である。

 

 イオンの証言もあり、場の空気はよりモースにとって悪い方向へと染まっていくのであった。

 ……全ては邪悪な小市民の願いどおりに。内心ガッツポーズを決めつつ彼女は話を続ける。

 

「ですが導師様の意向もあり、和平の仲介役としてご同行をいただいたのはご存知の通り」

「ふむ…」

 

「到着の折に、確かな主権国家たる貴国へルーク様と共にお引き渡しする予定でしたが」

「………」

 

「どこぞの無頼の集団に襲われてしまい、(いたずら)に危険に晒してしまったのは悔恨の極みです」

 

 余裕の笑みすら浮かべてペラペラ口を回している少女に、重臣一同戦慄している。

 暴論である。暴論であるが建前上は通ってしまう。それが国際問題では何より重い。

 

 モースが何かを言い少女がそれに返す度、彼の立場は加速度的に悪化するのだ。

 これが皇帝の懐刀すらも差し置いた真の和平の使者の実力か、と一様に恐れを抱く。

 

 なお彼女本人は雲の上の人々に注目され、笑顔で胃壁をすり減らしている真っ最中だ。

 

 実際は殺されないためには相手の息の根を止めるしかないので、必死になってるだけなのだ。

 船の中で死ぬ気で聞き取り調査して、シミュレートした結果である。主席総長様々なのだ。

 

「タイミングが重なったせいで我らが扇動したと思われたのでしょうね。悲しい事故でした」

「ぐぬぬぬ…」

 

「それはそれとしてダアトからの謝罪と賠償はまだでしょうか? 私、凄く気になります」

「……確かに無警告で奇襲して多くの人命を奪った件、軽視は出来ぬな」

 

「間違いなく我らが扇動したと仰られるならそれなりの証拠、証人を添えて申し出てくる筈」

「そうだな。……確かに、それが筋というものであろう」

 

「あぁ、その折には『死の預言(スコア)』が詠まれてない証人をご用意いただくのが望ましいですね」

 

 ブラックジョークを飛ばせば、謁見の間に忍び笑いが漏れ出る。

 

 一方針の筵に座らされたモースは、顔を真っ赤にして脂汗を垂らしながら言葉を探している。

 しかしセレニィの舌鋒は止まらない。

 

「されどダアトには誠意というものがないのでしょうか? 私、不思議でなりません」

「何ぞおかしな目に遭われたのか? 使者殿」

 

「えぇ、何故か神託の盾(オラクル)騎士団がセントビナーに検問を敷こうとしていたのです」

「そ、それはイオン様をお探しするためで…」

 

「ということはモース殿は事の経緯を把握されていたのですね。私、安心しました」

 

 ここで初めてセレニィは満面の笑顔とともにモースに顔を向けた。

 口が滑った結果だろうが、モース本人から言質が取れたのだ。笑顔にもなろうというものだ。

 

 気圧されたようにモースが一歩下がる。

 

「なんせ彼らは主席総長の命にも耳を傾けぬ、悪逆無頼の集団のようでしたから…」

「確かに、ヴァン師匠(せんせい)にも遠慮無く襲いかかってたよな」

 

「えぇ、全く。一体何処に申し出たものかとほとほと困り果てておりまして… フフッ」

「……我が名に賭けて、モースには責任ある対処を取らせよう」

 

「へ、陛下っ!?」

 

 思わず叫ぶモースの続く言葉を、インゴベルト六世はその零下の視線で以って封じる。

 

「あぁ… ですが、六神将の中にも例外というものはあるようで」

「ほう、誰ぞ志を異にする者があったのか?」

 

「えぇ、アリエッタなる者に護衛をしていただいて無事にカイツールまで送られました次第」

 

 その言葉にインゴベルト六世はルークに顔を向けて、尋ねる。

 

「確かであるか? ルークよ」

「えぇ、アイツには良くしてもらいました。俺自身、大事な仲間だと思ってます」

 

「ふむ… かような者がおったのか。その名、覚えておこう」

「ぐぐぐ…っ」

 

「ですが、それだけに教団内部で酷い罰を与えられないかと心配で心配で…」

 

 泣き真似をするような仕草を浮かべる。

 一方モースの方は、子飼いの部下に手酷く裏切られた気分で内心で罵倒を繰り返していた。

 

「彼女は言葉も喋れない頃から教団に召し抱えられ、生来の素直さから忠勤に励みました」

「……ほう」

 

「実力も相まって、ついには驚くべき若さで師団を任せられるほどとなったのですが…」

 

 ここでセレニィは意図的に言葉を途切れさせて、敢えて不自然な間を作る。

 周囲は思う。「これだけでも驚きなのに、まだ続きがあるのか?」と。

 

 言葉も喋れないってのは嘘じゃないよね。嘘じゃないから仕方ないよね。

 セレニィはナチュラルハイの状態で笑顔を浮かべつつ、話を続ける。

 

 一方モースは、数日前に届いたダアトからの召喚状を思い出し嫌な予感に身を震わせる。

 

「驚きの事実が判明しました。なんと彼女は一度も休暇を貰ったことがなかったのです」

「なんと…!」

 

「うら若き娘を言葉も喋れぬうちから使い倒して、挙句、そのような仕打ちを…!」

「信じられん。自治区をくれてやったとはいえ、かようなことを仕出かすほどに先走るとは」

 

「静まれ! ……モースよ。この話、誠であるか?」

「はっ! それは、いや、その…」

 

「……確かです。僕自身が確認しましたし、アリエッタは嘘をつける性格ではありません」

 

 答えられないモースに代わっての導師イオンの言葉に、アリエッタへの同情が集まる。

 

 一方でセレニィは内心でほくそ笑む。貴族の中でも更に重臣という上澄みの存在だ。

 これを聞いてどう感じるかと思ったが想定以上にアリエッタの立場は良化したといえる。

 

「恐れながら陛下、彼女直筆の手紙の写しにございます。お目汚しかとは存じますが…」

「良い… 目を通そう。アルバイン」

 

「はっ!」

 

 大臣に命じ、アニスを経由して手紙を受け取った王はそれを読み進めるうちに手が震えた。

 

 そこには休みを与えられず、当たり前の楽しみすら得られなかった少女の叫びがあった。

 拙い文字であることが一層に胸を打ち、娘を持つ父親としてその身を想えば涙すら溢れ出た。

 

「(いやー、アリエッタさんとの思い出に取っててよかった。流石アリエッタさんだぜ!)」

 

 なお、美少女との思い出を保存したかっただけの変態の功績には敢えて触れないでおこう。

 

「モースよ… 直ちに教団員全ての待遇を見直すように。……これは勅命である」

「は、はっ!」

 

「もし金銭的不都合が出るのであれば、その方の私財を投じてでも実現せよ。……良いな?」

 

 その厳しい視線にモースは青褪める。

 

 だがセレニィは止まらない。モースには迷惑なことに、ずっとセレニィのターンである。

 緊張と疲労から、彼女自身が普段は心掛けている歯止めというものが利かない状況だ。

 

「……襲われるのが我がマルクトだけならば、百歩譲って和平のために忘れられたのですが」

「まさか…」

 

「えぇ、先のカイツール軍港の襲撃事件… アレは六神将が一人ラルゴによるものでした」

「なんだと…!」

 

「民心と我ら一行に与える影響を考えて、アルマンダイン伯爵にはご配慮いただきましたが…」

 

 そこで大きな溜息をつく。

 

「この上は貴国にご注進申し上げねばと思い、彼の恩義に背きつつもお伝えします次第」

 

 あまりにも衝撃的な報告に謁見の間は静まり返る。

 

 それはそうだろう。先の襲撃で失った人命や喪失した船舶… どれも莫大な被害である。

 詳細な報告が上がらないのが不自然だとは思っていが、まさか教団の仕業だったとは。

 

「我が国の船を襲い導師様並びにルーク様を危険に晒し、我が国の都市に勝手に検問を敷き…」

「ぐ… 貴様! 貴様が…!」

 

「更には宗主国たるキムラスカ・ランバルディア連合王国にまで牙を剥くほど思い上がり…」

「貴様が… 全て仕組んだことだったのか…!」

 

「果ては導師を傀儡として教団を私物化し、世界を意のままに動かせるとでも錯覚しましたか?」

 

 口元には笑みを、目には冷たい色を乗せてモースと向き合うセレニィ。

 小市民に張れる精一杯の虚勢である。そこにイオンが割って入る。

 

「言い過ぎです、セレニィ。彼の忠勤は本物です… やり方を間違えただけでしょう」

「はっ! 御前お騒がせして無礼を致しました。どうか平にご容赦の程を」

 

「えぇ、僕は気にしていませんよ。ですが陛下にはしっかり謝ってくださいね」

「御意のままに… 陛下、此度は私めが調子に乗りお見苦しいところをお見せしました」

 

「良い、赦そう。……頭を上げられるが良い、使者殿」

 

 イオンの軽い窘めの言葉に恐縮して頭を垂れるセレニィ。

 それに対して居並ぶ重臣一同は驚きに目を見張る。

 

 王を差し置いてイオンに対して頭を垂れたことに、ではない。

 そもそも導師は預言(スコア)に敬意を払い、王と対等の立場を許されている。

 

 モースを一人で追い詰めた少女が、露骨に畏れ敬意を表したことにである。

 導師イオンは大詠師の傀儡と聞いていたが、これではどっちが傀儡か分からない。

 

 加えてインゴベルト六世にも配慮した立派な対応である。

 幼くして聡明という噂に偽りはないのだろう。

 

 ならばこの上はモース如きを政治顧問に据える必要があるのか?

 重臣一同の中には、ついにはそんな気持ちすらもたげてくる者も出る始末である。

 

 こうなっては、もはやモースには悪足掻きをすることしか出来ない。

 

「うぐ、ぐ… いやしかし、六神将の犯行は直属の上司の責任です!」

「……ほう?」

 

「彼らの直属の上司は、私ではなく主席総長の位にあるヴァン・グランツ謡将です」

「と、申しているが… 使者殿からは何かあるかな?」

 

「えぇ、ございます」

 

 満面の笑みを浮かべてセレニィは答える。

 

「(ようやく… ようやくヴァンさんを切り捨ててくれたか。全く、長い道のりだったよ…)」

 

 これでいよいよ最後の難題… ティアの擁護に取り掛かれるというものだ。

 そう考えて、彼女は口を開く。

 

「責任、それはないでしょう。なによりヴァン謡将にそれだけの暇はありませんでした」

「ほう… 断言したな?」

 

「えぇ。ルーク様がマルクトへと超振動で飛んだ件、覚えておいででしょうか?」

「無論、忘れるはずもない」

 

「公爵邸へ襲撃をかけた彼の妹とルーク様の間で超振動が発生し、ルーク様は姿を消しました」

「暫し待たれよ… ヴァン・グランツの妹が先の事件の引き金だと申すのか!?」

 

「えぇ、仰るとおり。しかし、これには止むに止まれぬ理由(ワケ)がございました」

 

 慌てるインゴベルト六世、加えて騒然となる謁見の間。……気付いてなかったのか。

 藪蛇となった形ではあるが後悔はない。これは『明かさねばならない問題』だ。

 

 モースは話題が逸れたと笑っているが… 聴衆が収まる頃合いを見計らって再び口を開く。

 

「ヴァン謡将は幼少の(みぎり)のルーク様とお会いして一目惚れ。道ならぬ恋に落ちたのです」

「なんと… そのようなことが!」

 

「でもなくば国家をあげて捜索しても発見できないルーク様を見付け出すなど、とても…」

「……七年前の誘拐事件のことか」

 

「はい、全ては愛ゆえです」

「なるほど、愛か… 愛ならば仕方ない、のか?」

 

「仕方ないかと」

 

 取り敢えずヴァンさんにはホモパワーでルーク様を発見したことにしてもらった。

 なお、驚愕の表情を浮かべているであろうルーク様の方を直視することは出来ない。

 

 すまぬ、すまぬ…。あなたの尊敬する師匠をホモにしてしまってすまない。

 

 だが仕方なかったんだ。私とティアさんの命を救うためには仕方なかったんや…!

 

「まさか、そのヴァン・グランツの妹なる襲撃者が単身公爵邸に押し入った理由は…」

「えぇ、恐らくは事を及ぶ前にルーク様をお救いしようと思い余って… ぐすっ」

 

「なんと… 一つの愛が肉親の絆をも壊してしまうとは。誠、因果なものよ」

「己の命をも賭して肉親の暴挙を止めようとした彼女の行為… どうか寛大なご処置を」

 

「良かろう、ファブレ公爵家が許すならば罪には問わぬ。されど謡将の方は…」

 

 泣き真似をしつつも言葉を告げると、その悲壮な決意(偽)に謁見の間は呑まれた。

 

 可愛がっている妹を持つ身として、彼女の決意のほどは悲しいほどに理解できる。

 王とて人間である。ファブレ公爵家が許すならばと罪には問わぬ構えを見せるのであった。

 

 ……勿論、ティアにそんな深い考えがあったわけでは断じてないのは言うまでもないが。

 

 だが、ヴァンを捨て置くのは色々と問題がある。主に今後の件についてだが。

 そこでセレニィが口を開く。

 

「確かに洋上でも彼はルーク様を抱きしめる始末。彼自身もそれを認めました」

「そんな… あの一件が本当にそうだったなんて…」

 

「部外者の差し出口ですが、ルーク様のご意見を参考に処罰を決めては如何でしょうか?」

「ふむ… どうか、ルーク?」

 

「まだ頭が混乱してるけど… 出来るだけ軽い罰にしてあげて欲しいです…」

「あいわかった。ならば、懲役十年… 服役態度次第では恩赦もあるとしようか」

 

「御意のままに」

 

 王の裁可に、大臣であるアルバインが平伏する。

 

 いよっしゃあああああああっ! ミッション・コンプリートォおおおおおおおっ!

 セレニィは優雅な笑みを浮かべつつ内心で大きくガッツポーズを取る。

 

 目的達成である。全セレニィさんが(脳内で)泣いた感動の瞬間である。

 そしていよいよ最後の締めに取り掛かる。

 

「彼にとっては妹の襲撃は想定外のこと。事件の後は即座にルーク様捜索に旅立ちます」

「愛ゆえにか」

 

「えぇ、愛ゆえにです」

「ふむ… 純愛なのだな」

 

「あの、伯父上にセレニィ… あんまり『愛』『愛』って連呼しないで欲しいんだけど…」

 

 居心地の悪そうなルークの言葉に、思わず二人とも謝罪の言葉を述べる。

 

 重臣一同にも「そっか。愛なら仕方ないよね…」というほのぼのした空気が流れ出す。

 自分から言っておいてなんですが、ちょっと寛容すぎませんかね? この世界は。

 

 そんなことを考えつつ、セレニィは咳払いとともに言葉を続ける。

 

「コホン、失礼。その後彼は不眠不休でルグニカ平原を往復しカイツールで合流しました」

 

「ふむ… カイツール軍港の襲撃の折には既に同行していたと申すか」

「えぇ。加えて彼自身ラルゴに退くよう命じ、拒否されたためにその剣を交えております」

 

「なるほど… ならば共犯とは考えにくいか」

 

 王は納得したように溜息を漏らす。モースが悔しさに歯軋りを漏らす。

 

「可能性があるとしたら、我が国の船の襲撃の際ですが…」

「先ほどモース自身が六神将の行動を把握していたと申していたな」

 

「えぇ。更に申し上げるなら、関与があるならば謡将自身が襲撃に加わっていたのでは?」

「なるほど、もっともだ」

 

「以上から我が国は一連の犯行をモース殿が指示したものと断定し、厳罰を求めます」

 

 セレニィが言い切ると、刺すような視線がモースに降り注いだ。

 だが憎悪に満ちた眼差しでセレニィのみを見詰める彼は、それに気付けない。

 

「貴様… 貴様は何者なのだ…!」

「………」

 

「こんなことは、預言(スコア)にも詠まれてない… 知らん、私はこんなことは知らんぞ…!」

 

 ……うん、凄く怒ってるっぽいですね。嵌めようとしてるんだから、当然ですね。

 地獄の底から響いてくるような怨嗟の声に、小市民なセレニィは震え上がる。

 

 だが、これが最後だ。大丈夫大丈夫… 死にはしないと自己暗示を重ねて、彼の方を向く。

 

「預言に詠まれてない… フフッ、果たしてそうでしょうか?」

「なんだと…?」

 

「『明かされぬ預言(スコア)』には二種類あります。一つは、詠師以上ならば知っている秘預言(クローズドスコア)

「ま、まさか…」

 

「もう一つは… フフッ、お分かりでしょう?」

 

 ニタァ… と微笑んで見せる。

 実際恐怖と緊張で笑顔が引き攣っていたと思われるので、いい画が取れたのではなかろうか?

 

 そう思いつつ、セレニィは締めの言葉を口にする。

 

「そう… 私が、あなたの『死』です!」

「………」

 

「……な、なんちゃってー」

 

 反応がないので即座に日和ってしまう辺りは小物である。

 不審を覚えた大臣がモースを確認すると、彼は思わず口を開いた。

 

「し、失神しておりまする…」

「誠か… どうやらこれ以上の詮議は続けられぬようであるな」

 

「……起こしましょうか?」

「良い。使者殿にもゆっくり休んでいただく必要がある… 解散と致そう。構わぬな?」

 

「……あ、はい」

 

 力ない声とともに頷くセレニィ。それにより、この場の解散が決定した。

 

「(やべー! やり過ぎちゃったー!)」

 

 モースを追い詰めすぎた結果、彼の処分が決定する前にお開きとなってしまった。

 

「(もうこんな緊張する場に出たくないんですけど! 素面(しらふ)でなんて無理ゲーなんですけど!)」

 

 セレニィは調子に乗ってしまったために、後日続くことになったことを激しく後悔したという。



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56.帰郷・前

 モースが再起不能となっては詮議は続けられない、ということで王より解散が命じられた。

 謂わば九分九厘勝ちが決まっていた戦いが、振り出しに戻ってしまったようなものだ。

 

 セレニィは己の迂闊さを呪ったが、もとより疲労と緊張の中で限界以上の力を発揮したのだ。

 これ以上を望むことは幾らなんでも高望みに過ぎるというものだ。そう諦めるより他ない。

 

「(今日一日で決められなかったことが滅茶苦茶無念でござる… 凄く嫌な予感がするし…)」

 

 今日の勝利は、ヴァンより入念に聞き取り調査をして綿密にシミュレートを重ねた末のもの。

 それを、持てる手札を全て使いながら奇襲を仕掛けてようやく掴んだ結果にすぎないのだ。

 

 セレニィは周囲を巻き込みつつ、屁理屈と暴論で敵を陥れることしか出来ない生粋の扇動家(アジテーター)だ。

 それ故に活躍の場がどうしても限定されるのだ。少なくとも、彼女本人はそう考えている。

 

 モースのように長く政治の世界を渡り歩いてきた男と比べれば、多分野ではどうしても劣る。

 得意分野を準備し尽くした上で、迎撃する形での騙し討ち… これはもはや準備不可能だろう。

 

 間を置いてしまえば、それだけフラットの状態のモースと対峙する必要性に迫られるのだ。

 彼とて愚かではなかろう。次回対峙する際には自分を警戒して様々な手段を講じるに違いない。

 

 オマケに、手札は全て使い切ってしまった形… 先を思えば胃が痛くなってくるのが本音だ。

 

「(とはいえ、まぁ…)」

 

 ティアの件を解決出来ただけでも良しとしよう。小さく笑みを浮かべ彼女はそう考える。

 

 もとより自分は雑魚なのだ。出来ることなど高が知れている。実力以上の成果だろう。

 先のことは先に考えることにしよう。そもそもアレだ、今日明日にはお別れかもしれないし。

 

 自分自身納得して退室しようとした時、王から声をかけられた。自分ではない、ルークにだ。

 

「ルークよ、おまえに伝えておかねばならぬことがある」

「? なんでしょうか、伯父上」

 

「実は我が妹シュザンヌが、おまえがマルクトへ飛ばされたと聞き心労から病に倒れたのだ」

「母上が!?」

 

「不幸中の幸いにして症状も軽く、今日明日にどうこうという容態ではないと聞き及んでいる」

「……それを聞いて少し安心しました」

 

「わしの名代としてナタリアを見舞いにやっている。おまえも戻り安心させてやりなさい」

「は、はい!」

 

「うむ… 今のおまえの成長した姿を見せることこそ、シュザンヌには何よりの薬となろう」

 

 話はそれで終わりとばかりに言葉を切って、穏やかな笑みを浮かべる。

 ルークは礼をするのももどかしいとばかりに、慌てて謁見の間を退室することとなった。

 

 全員が退室した後に、大臣であるアルバインがつぶやく。

 

「ふむ… ルーク殿は立派に成長されましたな。若き日のファブレ公爵を思い出します」

「クリムゾンか。あれもよくよく忠義の男だが… あれ以上にはなってもらわねばな」

 

「ファブレ公爵以上に… でございますか? それは些か以上に望み過ぎではないでしょうか」

「なんの! 我が愛娘ナタリアをくれてやるのだ。それでもまだ足らぬくらいであろうよ」

 

「ホッホッ。失礼、偉大なる国王陛下の子煩悩は今に始まったことではありませんでしたな」

 

 謁見の間が朗らかな笑いに包まれる。

 笑みが収まった頃に、居住まいを正してアルバインが言葉を続ける。

 

「旅がルーク殿を成長させたのでしょう。マルクトの使者らとの間にも確かな絆を感じます」

「うむ。……少しばかり、胸襟を開き過ぎのように見える点が玉に瑕であろうがな」

 

「なに、若さとともにあってはそれもまた魅力となりましょう。先達が補助すれば良いのです」

「ほう… 抜かしおる。ならばアルバインよ、その方まだまだ引退できぬと思えよ?」

 

「ホッホッ。見込みある若者がまだ現れませぬ故、老骨に鞭打つのも止むを得ないでしょう」

 

 口の減らない大臣を前に、国王インゴベルト六世は苦虫を噛み潰した表情を浮かべた。

 

 

 

 ――

 

 

 

 現在一行はファブレ公爵邸を目指して、バチカル上層部の貴族街の中を進んでいる最中だ。

 ちなみにヴァンは城で連行されていった。ルークは複雑な表情でそれを見送ったという。

 

 そしてファブレ公爵邸への移動中、セレニィが貴族御用達の高級総合店の前で立ち止まった。

 

「すみません、ルークさん。……10分だけお時間よろしいですか?」

「ん? ……まぁ、そうだな。セレニィの頼みならいいよ」

 

「お母様のご容態が心配な中、お時間を割いていただき申し訳ありません」

 

 ルークからすれば、今まで自分を公私に渡り世話をしてくれた少女からの珍しいお願いだ。

 一刻も早く屋敷へと戻って母を安心させたい気持ちはあるが、笑顔を見せて彼は頷いた。

 

 そんな彼の気持ちを理解して申し訳無さそうに頭を下げつつ、彼女はジェイドに声を掛ける。

 

「ですので急ぎましょうか、ジェイドさん」

「……はて、私ですか?」

 

「アンタ以外に誰がいるんですか。さっさと行きますよ」

 

 気乗りしない様子のジェイドの腕を掴みつつ、グイグイ店の奥へと入っていってしまった。

 残された形のルークが面白くなさそうな表情を浮かべていると、ガイが声を掛けてくる。

 

「ハハッ、そうむくれるなよルーク。俺が見るにまだまだチャンスはあると思うぜ?」

「だからそんなんじゃねーって! いい加減ウゼーぞ、ガイ!」

 

「きゅふふふ… セレニィは大佐を狙ってるのかなぁ。じゃあアニスちゃん大チャンス!?」

 

 キュピーンと瞳を光らせているアニスを余所に、中ではこのような会話が繰り広げられていた。

 

「お見舞い用のお花と果物一式をお願いします。一番グレードの高いもので」

「……剛毅な買い物ですねぇ。お金は足りるのですか?」

 

「何を言ってるんですか? あなたが払うんですよ、ジェイドさん」

「……今、なんと?」

 

「聞こえませんでした? 『ジェイドさんにお支払いをお任せします』と言ったんです」

 

 確認しても変わらぬセレニィの言葉を理解したジェイドは鼻で笑う。

 ケセドニアで服を買ってやったことで何か勘違いさせてしまったのだろうか?

 

 言って聞かせてやらねばと思いつつ、ジェイドは溜息とともに口を開く。

 

「ふぅ、何を言うかと思えば… いいですか? 服の時とは状況が」

「あっちがダアトの方角だったかなー。市民のみなさんは元気にやってるかなー?」

 

「………」

「暴動なんか起こって大変だろうなー。大丈夫かなー。……あ、なにか言いました?」

 

「……ろくな死に方をしませんよ? 和平の使者殿」

「それはお互い様でしょう? 腹黒扇動家殿」

 

「やれやれ…」

 

 参ったとばかりに肩をすくめて、ジェイドは支払いを済ませることになる。手痛い出費だ。

 だが彼女のこれまでの頑張りを考えれば、この程度の報酬は与えられて然るべきだろう。

 

 そうとも考えられるのだが、ウザいドヤ顔を見せ付けられては段々殴りたくもなってくる。

 そんな彼の殺気を感じたのだろうか、品物を受け取ると彼女は即座に店の外に駆けていった。

 

「みなさーん、お待たせしましたー!」

「おっ… ひょっとしてお見舞いの品か? 気が利くじゃないか、セレニィ」

 

「本当ですね。恥ずかしながら自分は、和平のことで頭が一杯で思い付きもしませんでした」

「フフッ、ジェイドさんがお金出してくれたんですよ。是非ルークさんから渡して下さい」

 

「……わりーな、セレニィ。気ぃ使わせちまって」

 

 この辺りは元日本人としてのささやかな気遣いだ。というより用意しなければ落ち着かない。

 そもそも金を出したのはジェイドだ。大層な礼を受け取るには過分に過ぎるというものだ。

 

 見舞いの花束をルークに持たせて、再びファブレ公爵邸への道を進むと程なく門が見えてきた。

 

「おお、ルーク様! お帰りお待ちしておりました!」

 

 ルークの姿を認め、門を警備していた公爵直属の白光騎士団の者が嬉しそうに声を弾ませる。

 それに対し、花束を抱えていたルークも表情を緩めて頷いた。

 

「ご苦労だったな。屋敷の方ははかわりないか?」

「勿体なきお言葉です。依然、お屋敷はかわりなく…」

 

「そうか。なら… ん? どうした、ティア」

 

 そこで申し訳無さそうに俯いているティアに気付き、ルークが声を掛ける。

 促されたと受け取ったのだろう。ティアが警備の男に頭を下げた。

 

「あ、あの… 私のせいでみなさんの警備を邪魔してしまい、申し訳ありませんでした」

「……ルーク様、彼女は?」

 

「俺がマルクトに飛ばされた件あっただろ? あの時、屋敷に殴り込んできたのがコイツ」

「なんと… その割りには自由に動かせているようですが?」

 

「実はそれにも止むに止まれぬ事情ってのがあってだな。少し長くなるが聞いてくれ」

 

 と、ルークが謁見の間でのことを説明すると警備の男は一つ頷くとティアに向き合った。

 

「事情は分かりました。御屋形様が判断することである以上、私からは許すとも言えません」

「……は、はい」

 

「ただ、貴女の反省する気持ちは伝わってきたつもりです。二度としないよう心掛けて下さい」

「……はい、気を付けます」

 

「結構です。私からは以上です、お時間取らせました」

 

 あまりにもあっさりとした対応に、ティアは勿論のことルークたちまで目を丸くする。

 思わずといった感じでルークが警備の男に尋ねる。

 

「……随分とあっさり許すんだな。こっちとしちゃ安心したけど」

「ルーク様のお客人のようでしたし、騎士たる者は女性に紳士たれ… ですよ」

 

「ガイ顔負けだな… ところで俺の件で罰せられた奴とかはいねーのか?」

「はい。幸いにして、奥方様からの計らいがありまして…」

 

「母上が?」

「『まだ事の真相も明らかになってないのに、処罰を決定するのは如何なものでしょう』と」

 

「そうか… 母上が。良かったよ、俺からもお咎め無しか軽い罰になるよう頼んでおくよ」

「ありがたいお言葉ですが、騎士である以上は如何な厳罰とて甘んじて受ける所存です」

 

「相手がティアだってのは情状酌量の余地ありさ。なんせヴァン師匠(せんせい)が敵わない唯一の人間だ」

 

 そうルークが言えば、ガイが「違いない。上手いことを言うな!」と腹を抱えて笑い出す。

 そこにアニスまでが調子に乗って「ま、人類の例外ってやつぅー?」とからかいだす始末だ。

 

 仲間からの酷評に、ティアは複雑そうな表情を浮かべて「甚だ遺憾だわ…」とつぶやいた。

 師匠の性癖は大きな衝撃ではあったが、まだルークの中に尊敬の念は残っているようだ。

 

 そこに屋敷の中から門に向けて二人の男女が向かってきた。一人はルークに似た赤毛の男性だ。

 

「(おお… 女の人の方はめっぽう美人さんだ! 背筋も正しくキリッとした美貌で…)」

 

 リグレットの滲み出るようなエロスとは違い、こちらはしっかりと軍服を着こなしている。

 怜悧さをも漂わせる風貌も相俟って、隙のないクールビューティという言葉がしっくり来る。

 

 ……いやまぁ、リグレットの滲み出るエロスは教団の制服による部分も大きいのだろうが。

 なんせノースリーブ、ミニスカ、黒ストッキングなのだ。教団は風紀を乱している(確信)。

 

 そんなことをセレニィが考えていると、男性の方からルークに向かって声を掛けてきた。

 

「表の方で笑い声がするなど珍しいと思ったが、ルーク、おまえだったのか」

「父上! ルーク、ただいま戻りました!」

 

「うむ、先触れは私も目を通している。苦労したようだな… だが、無事で何よりだ」

「は、はい!」

 

「その花… シュザンヌへの見舞いか? フッ、おまえも気が利くようになった」

 

 ルークが抱えている花束を見詰めて、穏やかに目を細めた。彼がファブレ公爵なのだろう。

 いつも素っ気ない父との感情深い会話にルークも舞い上がる。話したいことが沢山あるのだ。

 

「父上! あの、俺…っ!」

「まぁ待て、ルーク… 私はこれから登城せねばならん。積もる話は今宵ゆっくりと聞こう」

 

「あ、はい…」

「ガイもご苦労であった。ルークをよく守ってくれたようだな」

 

「……はっ。ルーク様はご立派に成長されておいでです」

 

 その言葉に満足気に頷くと、今度はその後ろにいた面々に目を向ける。

 

「使者の方々もご一緒か。クリムゾン・ヘアツォーク・フォン・ファブレです… よしなに」

 

 言葉少なに、だが確かな威厳を伴って挨拶を交わすクリムゾン公にそれぞれ自己紹介をする。

 それらに鷹揚に頷きつつ、クリムゾン公は居住まいを正して言葉を続ける。

 

「長旅お疲れでしょう… ろくにお構いもできず恐縮ではありますが、どうぞごゆるりと」

「大変ありがたい申し出ではありますが、我らマルクト軍人がお屋敷に立ち入るのも…」

 

「ふむ… お気遣い感謝申し上げます。ならば城の庭園を案内させます故、どうぞこちらへ」

 

 ジェイドとトニーが自らの立場からクリムゾン公を慮り、やんわりとそれを辞退する。

 

 ならばと彼は城内での庭園の案内を約束し、改めて客人となった彼らを城へと招く。

 それを断る方こそ失礼と判断したジェイドとトニーは、一旦別れて城に戻る形と相成った。

 

 そこにティアが声を出す。

 

「あ、あのっ!」

「君はヴァン・グランツの妹だったな。……私になにか?」

 

「実は… ご子息が超振動でマルクトに飛ばされたのは、私のせいなのです」

「なんだとっ! 貴様、ファブレ公爵のご子息を…」

 

「……良い、セシル少将。ルーク、どういうことか説明してくれるか?」

 

 衝撃の告白に気色ばみ、剣に手をやるセシル少将を制しつつクリムゾン公はルークに尋ねる。

 父の問い掛けを受け、ルークは「実は…」と事の経緯と謁見の間でのことを父に説明する。

 

 全ての説明を聞いてからクリムゾン公は理解したというように一つ頷くと、深い溜息をついた。

 

「なるほど… 陛下の御心がそうであるならば是非もない。赦そう、ティアさん」

「は、はい。……ありがとうございます」

 

「やっぱり陛下はお許しになる、えっと… お心積もりだったのですか?」

「ほう… 察してはおったか」

 

「言い回しからなんとなく、ですが」

「陛下の臣として御心を汲み、先んじて行動することは極めて重要だ。よく心掛けよ」

 

「は、はい!」

 

 どこか嬉しそうに誇らしげにクリムゾン公に肩を叩かれ、ルークは紅潮しつつも頷いた。

 そこにセシル少将から「元帥閣下、そろそろお時間が…」と潜めた声を掛けられる。

 

 それに頷きつつ、客人であるジェイドらを護衛に守らせてからクリムゾン公も背を向ける。

 

「ではルークよ… シュザンヌの見舞いにナタリア殿下もお見えだ。失礼のないようにな」

「はい、父上!」

 

「うむ。……その花束を見て、私も私なりに家族として向き合ってみたいと思ったよ」

「……父上?」

 

「もっとも、些か以上に遅い決断だったかもしれんがな。そういう意味では後悔しかない」

「それは、どういう…」

 

「今は分からずとも良い。だがいずれ分かる時が来ると信じておる… それでは参りましょうか」

 

 クリムゾン公の号令とともに一同は護衛とともに城へと向かい、やがて遠ざかっていった。

 そして置いて行かれてからセレニィは気付いた。……あれ? 自分行かなくていいの? と。

 

 仮にもマルクト側の『真の和平の使者(偽)』を名乗ったのだ。……まずくないだろうか?

 悩んでいる彼女にルークが声を掛ける。

 

「何やってんだ? 早く入ろうぜ。約束しただろ、いつか屋敷を案内してやるって」

「……よくそんな前の、しかも雑談ついでの話を覚えてましたねぇ」

 

「俺にとっちゃ仲間との大事な約束だよ。……忘れないように日記にもつけてたしな」

 

 それはエンゲーブで交わした何気ない会話の一幕。約束とも言えぬ他愛ない雑談であった。

 とはいえ、この上は固辞するのもかえって失礼というものだろうか。

 

 そう判断したセレニィは、ルークの後に続く形で公爵邸の中に足を踏み入れることとなった。



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57.帰郷・後

「しっかし、ティアにもちゃんと常識があったんだなぁ…」

 

 屋敷の廊下を歩きながらしみじみとガイがつぶやいた。それにイオンとアニスが吹き出す。

 

「失礼なことを言わないで、ガイ。私にだって常識くらいあるわ」

「そ、そうか? そうだよな… 悪かったよ」

 

「まったくもう… 失礼するわ。私はただ、ルークには謝りたくないだけなのに」

「よし、おまえに常識がないのはよく分かった。ぶん殴ってやるから覚悟しろ」

 

「落ち着いて、ルークさん。いちいち相手してると『残念』がうつりますから!?」

 

 そんな会話を余所に、アニスとイオンにミュウは物珍しげに屋敷を見て回っている。

 やがてティアのことを諦めたルークが、ガイとともに屋敷内の説明を始める。

 

 屋敷の人… 執事のラムダスや庭師のペール、メイドたちと出会い軽い会話を交わしながら。

 そして母の部屋に向かう途中の応接室にて、金髪の美少女がルークに気付いて振り返った。

 

「ルーク!」

「げ…」

 

「まぁ、なんですのその態度は! わたくしがどんなに心配していたか…」

「……すっごい美人で可愛らしい人だ。まるでお姫様みたい」

 

「あら? この子は一体…」

 

 思わず漏れてしまった言葉を聞かれたことに、セレニィは気付いてない。

 それくらいに目の前の美少女に心奪われているのだ。

 

 肩まで揃えた金髪に深い翡翠色の瞳。やや長身の、均整の取れた身体つき。

 美しいドレスに身を包み、隠し切れないほどの気品を漂わせている。

 

 呆然としているセレニィに、ガイが可能な限り離れながら耳打ちをする。

 

「セレニィ、セレニィ… このお方がナタリア姫だから。本物のお姫様だから」

「うへぇあ!? ちょ、ガイさん! なんで教えてくれなかったんですか!」

 

「お、俺が悪いのか? 目が合った瞬間にそっちがいきなりつぶやいたんじゃないか…」

「いやもう、これ全部ガイさんが悪いですよ? 空が青いのと同じくらいの理由で」

 

「理不尽過ぎるっ!?」

 

 やいのやいのと責任の押し付け合いを始めるセレニィとガイ。

 そこに鈴の音を転がすような笑い声が響き渡る。

 

 謁見の間でどこぞの邪悪な小市民がしたのと似ても似つかぬ気品ある笑い声だ。

 

「ぷっ、くすくすくす! 『うへぇあ!?』って『うへぇあ!?』って… ふ、ふふふ…」

「なんか… ウケたみたいだな?」

 

「よし、結果オーライ!」

「強いな、オイ!?」

 

「美少女が笑顔になった。私も笑顔になった。あとはガイさんを葬り去ればミッション完了…」

「何のミッションだよ! ていうか見てないで助けてくれよ、仲間たち!?」

 

「ちょ、やめ… うふふふふふ! もう、ダメ…!」

 

 某小市民のせいで、ナタリアは数分ほどお腹を抱えて笑い転がる羽目になったという。

 何故か誇らしげな表情で親指を立てているセレニィの姿が印象的であった。

 

 女性をちょっと殴りたいと思ったのは、ガイにとって、これが初めての出来事であった。

 そして今、セレニィを撫でつつ空いた手で目元の涙を拭いながらナタリアは口を開く。

 

「改めて… 『本物のお姫様』のナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディアでしてよ」

「ひゃ、ひゃい… セレニィです」

 

「フフッ… よろしくね、セレニィ。貴女、とっても面白くてよ。こんなに笑ったの久し振り」

「こ、光栄です… ナタリア殿下」

 

「ルークもお帰りなさい。……こんなのを見せられては心配も吹き飛んでしまいましたわ」

「そりゃー良かったよ。で、そろそろセレニィを解放してやってくれないか?」

 

「あら、こんなに可愛いのに…」

「甘いわね… セレニィを撫でるのは私が一番上手なのよ。なんせ『一番の親友』だから!」

 

「ぐえぇええええええ! ちょ、ハゲる! 禿げるから! 撫でるのやめて下さいぃ!?」

 

 ナタリアから恐ろしい素早さでセレニィを奪い取り、高速で頭頂部を擦り上げるティア。

 思わず悲鳴を上げるセレニィ。静かに手を合わせるアニス。まさに地獄絵図の完成である。

 

 〆られた鳥のような悲鳴を上げるセレニィを見て、またも笑い出すナタリア。

 ……意外と笑い上戸なのかもしれない。

 

 ようやく解放される頃には、セレニィはボロボロになっていた。

 美少女同士で奪い合いをされた結果の名誉の負傷なのだ。彼女自身も本望であろう。

 

 落ち着いた頃を見計らってナタリアに声を掛けるルーク。

 

「そういえばナタリア。……おまえからもヴァン師匠(せんせい)のこと、頼めないか?」

「グランツ謡将の件で、なにかありまして?」

 

「師匠の名誉のためにも深い事情は話せないが、現在罪に問われている最中なんだ」

「え、えぇ…」

 

「できればでいいから、罪の減免を呼びかけて欲しい。無理でも見る目は変わるだろうから」

 

 ルークの迫力に押されて深い事情を聞くのは憚られたナタリアであったが、それでも頷く。

 そして、代わりの条件を突き付ける。

 

「分かりましたわ。その代わり… あの約束、早く思い出して下さいませね」

「……まぁ、努力はするけどよ。思い出せないままってこともあるだろ?」

 

「記憶障害のことは分かってます。でも最初に思い出す言葉があの約束だと運命的でしょう」

「そーかもなー。でもだったら、『新しい約束をする』って手もあるぜー?」

 

「へぇ… ルークにしてはロマンチックなことをおっしゃいますのね。新しい約束、か」

 

 げんなりとしたルークが適当に返せば、思ったより響いたのか少しナタリアは考えだした。

 だが、首を振って向き直る。

 

「でもダメ! ダメですわ。わたくし、あの約束を諦めきれませんもの… 今はまだ」

「わーったよ。俺も俺なりにがんばってみるから、ナタリア、よろしく頼むぜ?」

 

「えぇ、きっと。約束ですわよ? ルーク。……フフッ、早速『新しい約束』ですわね」

 

 浮かれた様子のナタリアに合わせて、乾いた笑みを浮かべて適当に頷くルーク。

 ティアと過ごした忍耐の日々が彼を変えた。今や年上のナタリアを上手くあしらっている。

 

 婚約者が一回り大人になって自分のもとに帰ってきた。

 そう感じたナタリアは上機嫌になる。そして出口に向かいつつ、扉を開ける前に振り返った。

 

「それではルーク、ごきげんよう。……セレニィもね」

「あ、はい! ナタリア殿下!」

 

「おう。ナタリアも気ぃ付けて帰れよー?」

 

 まるで嵐が去ったような有様だ。思わずといった感じでアニスがつぶやく。

 

「いやー… あたしら完全に無視ですか」

「あっはははは! アニスのインパクトも流石にナタリア殿下の前では霞んだようですね」

 

「もう、イオン様ったら! 笑い事じゃないですよぅ!」

「ま、流石のナタリア節ってトコだったな。ルークもセレニィも災難だったな」

 

「えぇ… ティアさんは今後私の頭に触るの禁止です。触ったら噛みます」

「そんな! 『愛』が足りなかったというの!?」

 

「残念! 足りなかったのは『常識』です。いい加減それに気付いてくださいね?」

 

 青筋を浮かべながら笑顔でティアを諭すセレニィ。彼女の前途には中々の暗さが予測される。

 そんな仲間たちの様子に苦笑いしながらルークが口を開いた。

 

「オメーらよ… 仲良いのは結構だけど母上は身体が弱いんだからな。程々に頼むぞ?」

「おいおい、ルーク… 流石に全員で立ち入るわけにはいかないだろう」

 

「ん? それもそーだな… んじゃーセレニィ、悪ぃけどついてきてくれるか」

「うぇっ? わ、私なんかがついていっちゃって大丈夫なんでしょうか…」

 

「おまえなら大丈夫だって。万が一間違ってもフォローしてやるし、一緒に謝ってやるから」

 

 なんか失礼なことをして首が物理的に飛ばないだろうか、と怯えるセレニィをルークが宥める。

 そんな二人の様子を見て、ニヤニヤと笑みを浮かべたガイが声を掛けてくる。

 

「ふっふん… やっぱりセレニィを選んだか」

「……なんだよ? なんか言いたいことでもあるのか、ガイ」

 

「べっつにー? ただナタリア姫も大変だなってな」

「ちっ… 行くぞ、セレニィ!」

 

「うわっと! あ、はい… それじゃみなさん、一旦失礼しますぅー!」

 

 腕を引っ張られて、セレニィは寝室に繋がる奥の渡り廊下へと連れ込まれることになった。

 

 そして今はファブレ夫妻の寝室前。

 扉をそっと開けて母が起きていることを確認したルークは、扉を叩いて入室を知らせる。

 

「母上、ただいま戻りました」

 

 ノックの音とその言葉に気付いて、ベッドに腰掛けていた女性がこちらへと振り向く。

 少し顔色は良くないが優しい印象を与える、顔立ちの整った赤い髪の女性だ。

 

「(おお、またも美人さん… 美熟女、ありだと思います!)」

 

 変態の守備範囲は広い。無論、無礼討ちが恐ろしいので声に出して言うことはない。

 絶対保身するマンにとって、それは息をするように当たり前のことだ。

 

 ナタリア殿下とのファーストコンタクト? ……そんな昔のことは忘れたね。

 今も存在感を消して背景に溶け込みつつ、母子の感動の再会を生暖かく見守っている。

 

「おお、ルーク! 本当にルークなのね… 母は心配しておりましたよ」

「相変わらず心配症だな… それより見てくれ、花束持ってきたんだ」

 

「まぁ! あなたがこんな心配りまでしてくれるなんて。それだけで私は…」

 

 感動のあまり目に涙を浮かべる母の姿に苦笑いしつつ、そのベッドサイドまで歩み寄る。

 セレニィもお土産物の果物(メロンっぽい何か)を抱えつつ、そっとその背後に付き添う。

 

 ルークに間近で花束を見せられて微笑む彼女が、ポツリとつぶやく。

 

「本当に… 心配しました。お前がまた、よからぬ輩にさらわれたのではないかと」

「大丈夫だよ。こうして帰ってきたんだしさ」

 

「(鋭いですね奥様! 割りとティアさんはグレーゾーンギリギリだと思います!)」

 

 笑顔を浮かべてフォローするルークの背後で、激しく頷くセレニィ。

 ティアさんの存在が『教育上よからぬ輩』であることは、彼女的に疑いようがない事実だ。

 

 悪人かそうでないかで言ったら… アライメントはマイナスぶっちぎりだけど善人?

 ちょ、ちょっと常識を知らないだけなんです。根は悪い子じゃないんです!

 

 ついには疲れた脳内で、ほんのりと無理矢理気味なフォローを始めてしまう始末である。

 そこにルークの母… シュザンヌの視線が向けられ、目が合ってしまう。

 

 思わず果物を取り落としそうになるほどビビりながら、へにゃりと引き攣った笑みを浮かべる。

 そんなセレニィの様子に「まぁ…」と上品に微笑みながら、彼女は自分の息子へと尋ねた。

 

「この可愛らしいお嬢さんはどなたなの、ルーク。母に紹介してくれないかしら?」

「あぁ、コイツはセレニィ! 俺が超振動で飛ばされてからすっごい世話になったんだ!」

 

「え? い、いや、私の方こそルーク様にお世話になりっぱなしで…」

「私はシュザンヌといいます。ありがとう、セレニィさん。息子を私のもとまで届けてくれて」

 

「セレニィは頭いいし、度胸があるし、すっごく優しいんだ! 俺、何度も助けられた!」

 

 たまにこの世界の人々は、違う時空に存在するだろう偽セレニィさんの話をするのが難点だ。

 そう思いつつ、真っ赤になりながら「あ、はい…」「そ、そッスね…」など生返事を返す。

 

 傍から見ればただの挙動不審な少女なのだが、二人には何故か微笑ましく映っているらしい。

 

「ただ、こんなにすげーのにやたらと自己評価低いのだけがもったいないんだよなぁ…」

「謙遜の心をお持ちなのよ。この若さで中々そこまで自己を律することは出来ないわ」

 

「そーかもしれねーけどさぁ! やっぱりみんなにもすげーって知ってもらいてーし!」

「フフッ… ベタ惚れね。ルークがそんなに目を輝かせるなんてグランツ謡将くらいなのに」

 

「べ、別にそんなんじゃねーっての! 母上までガイみたいなことを言い出すのかよ!?」

「あらあら、まぁまぁ…」

 

「(なんかすげー仲良さそう… 自分、ここにいる意味あるんですかね…?)」

 

 アルマンダイン伯爵との面談の時のような疎外感を感じつつ、セレニィは立ち続ける。

 それを見咎めたシュザンヌが声をかけてくる。

 

「ごめんなさい、セレニィさん。どうぞ私のベッド脇で良ければおかけになって下さいな」

「うぇっ! い、いえいえいえ… そんな恐れ多い…」

 

「ダメですよ、ルーク。女性に甘えるばかりでなく自ら進んで席を用意するくらいでないと…」

「うっ、わかったよ。……以後気を付けまぁす」

 

「ささ、どうぞ… セレニィさん。一応掃除は心掛けておりますので…」

 

 この上は断るほうが無礼になるだろう。

 かくてセレニィは大変恐縮しつつもシュザンヌさんの横に腰掛けることに相成った。

 

「それでは失礼をばして、うわっ… とっ! とっ!」

 

 柔らかすぎる上等のベッドにバランスが取れず、手を振りながら倒れそうになる。

 ……そこを暖かい何かにそっと支えられる。

 

 シュザンヌである。優しく髪をすくように撫でながら、彼女はセレニィに語りかけてくる。

 

「フフッ… ごめんなさい、セレニィさん。もう大丈夫かしら?」

「あ、はい。やわらかあったかい… じゃなくて大丈夫です!」

 

「あらあら… ルークにもこんな妹がいればよかったのに。……ごめんなさいね」

「母上… 一体なにを謝ることがあるんだよ?」

 

「私の身体が弱いばかりに、あなたの兄弟を産んであげることが出来なくて…」

 

 しんみりとした空気が寝室に流れる。セレニィは未だ彼女に支えられ、頭を撫でられている。

 ……居心地の悪さ、ここに極まれりである。

 

 この空気をなんとかしたい。その一心で彼女は口を開いた。

 

「えっと… 恐れながら申し上げます、奥様」

「……あら? どうしたの、セレニィさん」

 

「あなたはとても優しく愛情深いお方だと、私めは思います」

「そう、かしら…?」

 

「なのでご兄弟の分も含め一身に愛情を受けて育ったご子息様は、きっと世界一幸せでしょう」

「……っ!」

 

「子供を世界一幸せにする… これはどんな母親にも容易には出来ないことではないかと」

 

 だからこんな雑魚を妹になんて言っちゃいけませんよ… そう言おうとしてセレニィは固まる。

 シュザンヌの瞳から一筋の涙がこぼれ落ちたからだ。

 

「は、母上…?」

「(あぎゃあああああああ! 王妹様を泣かせちゃった! 私か! 私のせいなのか!?)」

 

「ご、ごめんなさい… この子があまりも優しいことを言ってくれたので、嬉しくて…」

「(死ぬ… 死ぬのか、セレニィ… 打首、獄門、磔なのか… せっかく生き延びたのに…)」

 

「母上…」

 

 シュザンヌの言葉は聞こえていない。似合わないことは言うんじゃなかった。

 なんだかドッと疲れが湧いてきた。謁見の間での疲労が来たのだろう。

 

 かくて彼女は、シュザンヌが泣き止むまで生気のない人形として撫でられ続けるのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 そして暫く後… シュザンヌは泣き止むと、晴々しい笑顔を見せた。

 

「ごめんなさい、二人とも。……久し振りに思い切り泣いたらすっきりしちゃったわ」

「……おやくにたててよかったですー」

 

「気にすんなよ… セレニィもこう言ってるしさ。それより身体の方は大丈夫なのか?」

「えぇ、嘘みたいに元気になったわ。きっとあなたたちのおかげね」

 

「なら今日の夜さ、親父もゆっくり話そうって言ってくれたんだ。だから…」

「フフッ… それじゃ家族で話をしましょうか。母を仲間はずれにはしないわね?」

 

「あ、あぁ! もちろんだ! 期待して待ってるから! 絶対だぞ!?」

 

 満面の笑みを浮かべるルークを微笑ましく見守るシュザンヌ。

 そんな二人を余所に、まるで油の切れた譜業人形のような動きでセレニィは立ち上がる。

 

 セレブに囲まれて心身ともに疲れ果てた。この上は一刻も早く退散したい。

 

「ではもう良い時間ですし、私はこの辺りで…」

「なんだよ、もう帰んのかよ? てかウチで飯を食ってけよ! みんなも呼んでさ!」

 

「今日はご家族の語らいがあるのでしょう? 明日以降ならば幾らでも…」

「あらあら… 私たちのことなら気になさらないでいいのよ? セレニィさん」

 

「いえいえ、今日という日はそれだけ大事な日なのだと思いますから」

 

 にっこり笑顔を浮かべてNOサインを送る。頼むから巻き込まないで欲しい。

 ルーク様やシュザンヌ様ならまだしも、元帥閣下に睨まれたディナーってどんな拷問ですか。

 

 絶対にお断りしたいでござる。

 かくて鋼の意志によるお断り大作戦で、見事NOと言える(元)日本人となったのであった。

 

「そう… そうまで遠慮するなら仕方ないわね」

「その代わり、明日は絶対だぜ? 絶対!」

 

「はい、了解です。明日でしたら朝から晩まで幾らでも」

 

 まさかの屋敷の門前までの二人揃っての見送りに恐縮しつつ、適当に答えてみせる。

 

 ガイから「随分気に入られたな?」などと言われている。……他人事だと思って。

 今日は彼ともここでお別れだ。適当に愛想笑いを浮かべつつ、頭を下げて屋敷を後にした。

 

 城への道を歩きながらイオンがつぶやく。

 

「もう夕暮れですか… ここは空が近いからか夕焼けが綺麗ですね」

「えぇ、本当に…」

 

「ねぇねぇ、明日はどうしよっか! 特に予定がないならバチカル観光でも… セレニィ?」

「………あ、はい?」

 

「もー、どしたの? ぼうっとしちゃってさー。それより明日の予定だけどさ」

 

 大好きなアニスさんの言葉なのに、何故か右から左へと聞き流してしまう。

 

 頭がフラフラする。色々と限界突破してたツケが回ってきたのか?

 地面がグニャグニャする。このままじゃ転びそうだけど、なんとかお城のベッドまで…

 

「(あれ… どっちが前だっけ。えっと、前が… 地面?)」

 

 トスン、と小さな身体が地面に崩れ落ちた。

 

「セ、セレニィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?」

 

 夕焼けに染まるバチカルに、イオンたちの叫び声が木霊した。

 

 

 

 ――

 

 

 

 そして同じ頃、夕焼けに染まる城の一室。政治顧問であるモースに与えられた部屋だ。

 部屋の周囲に誰も居ないことを確認してから、彼はゆっくりと口を開く。

 

「……おい、いるか?」

 

 いつの間にそこにいたのか、『影』のような男がそこに控えており返事をする。

 

「ここに」

「……一人、音譜帯に送ってやるべき者が現れた」

 

「『預言(スコア)』に死を詠まれた者ですか?」

「……あぁ、セレニィという銀髪の幼い少女だ。確実に送ってやれ」

 

「ユリアの御心のままに」

 

 そのまま『影』は、影に溶けこみ姿を消す。部屋には静寂が戻った。

 音譜帯に送る… それは即ち殺すことを意味する。

 

 彼らこそはローレライ教団の暗部…

 『預言(スコア)』に死を詠まれながら生き延びた者を確実に『送る』ための存在。

 

 繁栄をもたらすユリアの『秘預言(クローズドスコア)』を確実なものとするための歯車。

 今モースはセレニィをこそ最大の脅威と認めた。

 

 それは同時に、己が死から逃れるために禁じ手の封印を解除することを意味していた。

 

「そうとも… 『死』を殺せば、私に『死』は訪れなくなる…」

 

 哄笑が部屋に響き渡る。

 

「私が死んで良いはずがない。誰よりもユリアの教えを守り、世界を導くべき私が…」

 

 応える者なき部屋の中で、独白とも告解とも取れる言葉の羅列をつぶやく。

 

「ヤツだ… ヤツさえ、始末すれば。ヤツこそが、この世界(オールドラント)の破滅なのだ!」

 

 その身に迫る死の刃の存在を… まだセレニィは知らない。

 この世界を二千年に渡り縛り続けてきた闇は、徐々に彼女の身体を飲み込もうと蠢き始めた。



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58.月夜

「………。あれ? ここは…」

 

 夜中、目が醒めたセレニィは思わずつぶやく。

 

 天井は高く、窓からは淡い月明かりが零れている。見慣れぬ… しかし上等な部屋だ。

 そこまで考えてから納得する。あぁ、多分ここは城内の一室なのだと。

 

「……目が醒めましたか? セレニィ」

「うへぇあ!?」

 

 急に掛けられた声にビクッとすると、声の先にはイオンが腰掛けていた。

 備え付きの椅子に腰掛けて、窓から月を眺めていたらしい。

 

 淡い月明かりを浴びて佇む導師イオン。

 イオンの儚げな風貌と相まって、それはまるで一枚の絵画のように幻想的な光景だ。

 

 言葉もないままそれに見惚れていると、イオンが苦笑いとともに口を開いた。

 

「驚かせてしまってごめんなさい。……でも、出来るだけ静かにしてあげてくださいね」

 

「え? ……あ」

「ついさっきまで酷い騒ぎで… ようやく眠ったところなんですよ」

 

 イオンの視線に従いベッド脇を見れば、そこにはアニスとティアが小さな寝息を立てていた。

 そして思い出す… 夕暮れ時の自分の醜態を。

 

「あ、そうか。私、いきなり倒れてしまってとんだご迷惑を…」

「気にしないでください。激務の連続だったのですから」

 

「ですが、なんとお詫びしたらいいか…」

「むしろお詫びしなければならないのは僕たちの方です。ジェイドも反省していましたよ」

 

「えっ、あのドSが!?」

 

 思わず驚きの声を発してしまう。

 アイツだったら使えないと判断したら一秒未満で切り捨てると思っていたが…

 

 いや、イオン様や城の兵士らの手前ということもあったかもしれない。

 一応今は『真の和平の使者(偽)』だしね、自分。そう思いながら脳内で思考をまとめる。

 

 そんなセレニィの様子に気付いているのかいないのか、イオンは笑顔で言葉を続ける。

 

「(……どえす?)トニーも心配していました。……そこの二人は言うに及ばず、ですね」

「は、はぁ… それはまた、なんともご迷惑をおかけしました…」

 

「セレニィ… それは違います」

「ほえ?」

 

「『あなたが僕たちに迷惑をかけた』のではなく、『僕たちがあなたを心配した』のですよ」

「………」

 

「……本当に、無事でよかったです」

 

 そう言って穏やかな笑顔を浮かべるイオンを直視できず、真っ赤になって俯くセレニィ。

 ……直球である。天然ゆえの直球である。これは、反則だ。

 

「(こ、この流れはアレか… 告白か? 告白する流れなのか? や、やるか!?)」

 

 そして彼女の思考は、天に浮かぶ音譜帯の彼方にまで飛躍する。

 

 ドキドキしながら胸に抱くはそんな想い。現実離れした幻想的な光景がそれを後押しする。

 だ、大丈夫… イオン様なら大丈夫さ。……断るにしても優しく断ってくれるはずだ。

 

 始まる前からそんな負け犬根性を抱きながら、意を決してセレニィは顔を上げ、口を開いた。

 

「……イ、イオン様」

「はい?」

 

「じ、実は私はあなたの事が…」

「僕のことが?」

 

「(よ、よし… いける! いくぞ! 言え、言うんだ!)」

 

 深呼吸をしつつ、ヘタレは一世一代の勇気を振り絞る。……いざっ!

 

「だいぐえっ!?」

「セレニィさーん! 無事で… 無事で良かったですのー!」

 

「フフッ… そういえばミュウも凄く心配してましたね」

 

 しかし、その想いは告げられることはなかった。

 

 ……空気を読まない聖獣がフライングボディアタックをしてきたために。

 先ほどまでの(セレニィ視点で)甘酸っぱい空気が、雲散霧消する。

 

「あ、あはは… 心配かけてゴメンなさい、ミュウさん。だからそろそろ解放…」

「みゅう! セレニィさん、ミュウは怒ってるですのー!」

 

「……うん、聞いてないですね。……どうしてこうなったし」

 

 ……そういえば餌をやるのを忘れてたか。ミュウが抗議する気持ちも分かる。

 

 言い含めていたせいで、こちらを気遣ってなるべく喋らないでいてくれたのに。

 それで存在を忘れてしまって餌をやり忘れるなど、許されることではない。

 

 ポケットからドライフルーツを一つ取り出し、ミュウの口の中へと放り込む。

 

「ごめんなさい、ミュウさん」

「むぐっ… こんなんじゃ誤魔化されないですのー!」

 

「(まだ足りんと申すか。……3個か? 3個欲しいのか? このいやしんぼめ!)」

「二人は本当に仲良しですね。……そういえば、先ほどはなんと言いかけたので?」

 

「え? いや、あの、そのー…(この空気で今更言えるはずもないし…)」

 

 ミュウの口の中に一つ、また一つとドライフルーツを放り込みながら頭をひねる。

 たっぷり数十秒は悩んでから、結局ヘタレは無難な言葉に逃げることにした。

 

「……幸せだな、って」

「幸せ、ですか?」

 

「えぇ… イオン様が優しくて、みなさんが優しくて。過分にも多くのものを頂いて」

「………」

 

「まぁ、ティアさんには一度と言わず苦しめられましたが… そこも含めて、ね」

 

 とりあえず中身があるようで実は全くない、いい話風味のことを口にしてこの場を濁す。

 ヘタレはひとまずふわっと誤魔化すことに決定したのだ。

 

 そんな彼女の言葉に、イオンは悲しそうな表情を浮かべる。

 ……そういえば、先ほど声を掛けられた時にもそんな表情を浮かべていたような。

 

 自他ともに認めるイオン様キチであるセレニィがそれを捨て置けるはずもない。

 意を決して声を掛ける。

 

「あの… イオン様、何か悲しいことでも?」

「……どうしてそう思ったんですか?」

 

「お顔の色が優れませんでしたから」

「……病弱なのは生まれつきです」

 

「それでも分かります。だって私は… いえ、私たち、仲間じゃないですか」

「ですのー! イオンさんが悲しそうだって、ミュウもわかりますのー!」

 

「……そう、ですか」

 

 ミュウさんも気付いていたのか。うん、そりゃそうだよね。仲間だもんね。

 なんだか自分だけが愛ゆえに気付けたんだと思い上がってましたね。

 

 そんな恥ずかしさに内心身悶えているセレニィを余所に、イオンは語り始める。

 

「僕は、ダアトでは… 窓から夜空に浮かぶ月を眺めるのが日課でした」

「……月を眺める、ですか?」

 

「フフッ… 軟禁されてましたからね。他に出来ることもありませんでしたし」

「……あっ」

 

「こうして、ここから眺めているとその時のことを思い出してしまって…」

 

 そして、しんみりとした空気の中でイオンは話を続ける。

 悲しげな… 寂しげな表情を浮かべたまま。

 

「ここ暫くの旅は… 大変なことも一杯ありましたけど、本当に楽しかった」

「イオン様…」

 

「仲間と助け合って友達もたくさん出来て… フフッ、これじゃ和平の仲介役失格ですね」

「そんなことないですって。仕事は楽しんでやる方がいいですよ?」

 

「ですがこの和平の旅路の中で、僕のために多くの犠牲が出ました。それなのに僕は…」

「それでもです!」

 

「……セレニィ?」

 

 基本的にセレニィは、それが自分の命に関わる状況でなければ萌えキャラを全肯定する。

 美少女然り、美女然り… ここでイオンを全肯定して励ませずして、なんのための変態か。

 

 屁理屈・暴論なんでもござれ… 今こそ力の見せ時だ。拳を握って彼女は力説する。

 

「暗い顔して後悔に浸ってれば死んだ人は浮かばれるんですか? 違うでしょう?」

「それは、そうかもしれませんが…」

 

「反省するのは良いですよ? 学習することで人は前へと進むことができるのですから」

 

 学習できずに何度も捕まった人間が言っているのは、説得力において苦しい物がある。

 ……まぁこれまで捕まった状況も、それぞれを考えれば割りと仕方なかったりするのだが。

 

 閑話休題… セレニィは、そのまま勢いに圧されているイオンに向かって熱弁を続ける。

 

「ですが、グダグダと悩み抜いた挙句に勝手に不幸になるのはダメですね。ダメダメです」

「うっ… そ、そうでしょうか?」

 

「はい。それはあなたを嫌う悪人を喜ばせて、あなたを好きな人を悲しませるだけです」

 

 イオンの不幸を願う人間は彼女の中で悪人と断定できる。慈悲はない。

 だが美女や美少女であったなら許す。可能な限りエッチなお仕置きは試みるが。

 

 その辺はまぁティアさんと大差ないブレなさである。彼女は尚も続ける。

 

「表面取り繕って、無関係な周囲の人間にバレない程度に楽しんでおけば良いんですよ」

「そ、そんなのでいいんでしょうか?」

 

「いいんですって。……だって、仲間や友達と笑い合うほうがずっと大事でしょう?」

「……あ」

 

「楽しい時に楽しまないのはむしろ相手に失礼! 優しいイオン様は失礼しませんよねー?」

 

 笑顔を浮かべて強引に押し切った。

 

 たとえ論理として破綻していようが、要は相手が納得さえすればいいのだ。

 真面目なイオンにはそれが効果的と判断して、その口車を使いまわした。

 

 そんな彼女の視線の先で、イオンは俯きながら肩を震わせる。

 それを見て、セレニィは慌て出す。ひょっとして怒らせたか? あるいは泣かせたか?

 

 だが、そのいずれでもなく…

 

「フフッ… ははっ、あはははははは! ……はぁ、そっか。そうかもしれませんね」

「……イ、イオン様?」

 

「意外と『幸せになる』のは、そんな簡単なことからだったのかもしれませんね」

「多分まぁそこはかとなくそんな感じなんじゃないかなぁと思っちゃったりなんかします!」

 

「ありがとうございました、セレニィ… おかげさまで、かなり気分が楽になりました」

 

 なんか幸せ云々に話が飛んだのでとりあえず曖昧に頷いておいたが。

 

 まぁ、イオン様が笑顔になったのでとにかくよし! である。

 さぁイオン様! 深いことなんて考えずに、適当にふわっと幸せになろうぜ!

 

 そんなセレニィの内心を知ってか知らずか…

 迷いの吹っ切れた表情で、笑顔すら浮かべてイオンは改めて月を見上げる。

 

「僕の仲介役としての仕事は終わりました。あるいは明日にもダアトに帰るかもしれない」

「おい」

 

「最後かもしれない『ただのイオン』の夜を、セレニィ… あなたと過ごせて良かった」

 

 おい… おい… なんでそこで重いものをぶっこんでくるんだ。諦めたような笑顔で。

 こんな美少女が笑顔で不幸になっても良いのだろうか? いや、良いはずがない。

 

 ならば考えろ。爆睡したんだろ、コンディションはオールグリーンのはずだ。……多分ね。

 

 手を引いて一緒に逃げる? いやダメだ… 魅力的なプランであるが現実的ではない。

 あと捕まったら死ぬ… 下手すりゃ拷問の末に死ぬ。痛いのも怖いのも死ぬのも勘弁だ。

 

 そもそもイオン様は責任感が強い。導師としての使命を投げ出させるのは事実上不可能だ。

 だけど、それなのにどこかで解放を求め、望んでいる節がある… か。難しいものだ。

 

 ……やっぱりローレライ教団叩き潰せばよかった。もっとがんばればいけたかもしれないし。

 あの謁見の間でもうちょっとだけ緩急が使えたらなぁ… とはいえ、後悔先に立たずか。

 

 ……待てよ?

 

 ……『仲間たちとの思い出を作る』、『導師としての重圧から解放させる』。

 そんな可能な限りイオン様の意向に沿う一挙両得のプランが、天啓のごとく閃いたのだ。

 

 今ならちょっとだけユリアさんを信仰しちゃってもいいかもしれない。

 そう思いつつ、セレニィは口を開く。

 

「イオン様、私にいいアイディアがあります」

「……セレニィ?」

 

「イオン様と私の服を交換して朝まで過ごせばいいんです。そうすれば朝まで私が導師様です!」

 

 ……ついに変態が暴走してしまった。ユリアも助走をつけてぶん殴りたくなる話であろう。

 というより、まだ『ただのイオン』の有効期間なのでこの提案にはあまり意味は無い。

 

 確かにセレニィの小柄さに比してその服は大きめ… というよりブカブカだ。

 イオンが着ようと思って着られないこともないだろう。

 

 ……まぁ、その服のブカブカさ加減がより一層にセレニィの小柄さを際立たせているのだが。

 

 さておき… 反応を見せないイオンに、セレニィが客観的に己を見詰め直して曰く。

 

「(いかん… このままじゃ私が変態だと思われてしまう!)」

 

 惜しい! 既に誰がどう見ても疑いようのない変態である。

 そしてセレニィは、焦りのままに己のフォローを試みる。

 

「な、なんちゃってー…」

「セレニィ!」

 

「ひゃ、ひゃい!?」

「素晴らしい名案です。……早速お願いできますか?」

 

「……え?」

 

 かくして導師イオンの大絶賛のもと、『一夜の立場交換大作戦』は実行されるのであった。

 

「(え? なにこれ… 夢? 夢なの? 本体は既に死に掛けてて幸せな夢の真っ最中なの?)」

 

 あまりの幸せな事態に頬をつねってみるが、この夢が醒める気配はない。

 ならば、やるべきことは決まっている! 全力で乗っかるまで!

 

 服に手をかけたイオンが、ふと気付いて頬を染めながらセレニィに声を掛ける。

 

「あの、恥ずかしいのであっちを向いて欲しいなと…」

「いいですとも!」

 

「……フフッ、なんだか楽しくなってきましたね。二人だけの秘密ですね、セレニィ」

「みゅうー… ボクもいるですのー…」

 

「あ… ご、ごめんなさい。……ミュウも含めて三人だけの秘密ですよね」

「じゃ、じゃあミュウさんが服を交換して下さい。……お互い、背を向けてますし」

 

「はいですのー! ボクにもお仕事ができたですのー!」

 

 口の端からよだれを垂らしつつ、セレニィもまた服に手をかける。

 白地のフードパーカーにベージュのキュロット… 男性も多少無理なく着れる服装だ。

 

 だが、そんなことはどうでもいい。もはや、彼女にはどうでもよいことだったのだ。

 

「うへへへへへ…(こんなに幸せでいいんだろうか? もう死んでもいいかも…)」

 

 ……二人の発する衣擦れの音が、月明かりが差し込む部屋に静かに響く。

 

 

 

 ――

 

 

 

 場面は移り変わって城内の廊下。

 

 見張りの兵士が音もなく崩れ落ちる。それを確認し、姿を表す黒尽くめの男たち。

 彼らは抑揚のない静かな声で、語り合う。ただの最終確認だ。

 

「ターゲットの部屋はこの奥か」

「あぁ、確実に『送る』のだ」

 

「全てはユリアの御心のままに」

 

 向かう視線の先は、イオンとセレニィがいるまさにその部屋。

 禍福は糾える縄の如し… 幸せの絶頂から一転、死の危機に見舞われるセレニィ。

 

 刺客たちが、ゆっくりと足音を潜めてその刃を突き立てんと近付いている。

 果たして彼女は生き延びることが出来るのだろうか?

 

 ……その結果は、まだ預言(スコア)にも詠まれていない。



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59.捕虜

 セレニィとイオンは互いに背を向けつつ、それぞれ自分の服を脱ぎ終えた。

 それらはミュウを経由して交換を果たされて、互いの手へと届けられる。

 

 そして今、それぞれ互いの服を身に付けてここに服装の入れ替えは完成した。

 

「(あぁ、感無量… 私は今、イオン様の温もりに包まれている…!)」

 

 そして今、何処に出しても恥ずかしい変態の姿がここに完成した。

 

 おっと、こうしてはいられない… イメチェンしたイオン様をこの目に姿を焼き付けないと!

 変態の欲望に終わりはない。セレニィはそう思うが早いか背後を振り返る。

 

「なんだか… 少し、恥ずかしいですね。変じゃないでしょうか?」

 

 そこには白地のパーカーに身を包んで、恥ずかしそうに俯いた天使が立っていた。

 キュロットからは、セレニィにとって初お目見えとなるイオンの生足が伸びている。

 

 思わず鼻血が垂れてくるセレニィだが、彼女は何一つ恥じることはない。

 ……何故なら、変態なのだから。

 

 親指を立てながら、清々しい笑顔で思うところを告げる。

 

「大丈夫です、イオン様! とってもお可愛らしいですよ! 惚れなおしました!」

「か、可愛いですか… 少し複雑な気分ですね。ってセレニィ、鼻血が出てますが!?」

 

「あ、平気です。私はその、喜びが溢れると鼻血となって零れ出てくる仕様でして…」

 

 それは何かの病気じゃなかろうかと思いつつ、イオンは平気というならと渋々と引き下がる。

 

 イオンのセレニィに対する、病気という見立ては大正解である。

 セレニィは変態という名の不治の病を患っている。美しい言い方をすれば恋の病だろうか?

 

「えへへ…」

 

 満面の笑顔で床に鼻血を垂らしていたセレニィであるが、詰め物をしてようやく抑える。

 イオンから借りた導師服を血塗れにしなかったのは奇跡の産物と言っても良い。

 

「では、たった今から明日の朝まで私が導師様です。良きに計らえー! …なんちゃって」

「フフッ… 僕はそんなこと言いませんよ。では、明日の朝までは僕がセレニィですね」

 

「はい! いっそ語り明かして楽しい思い出作りをして、二人揃ってお寝坊さんってのも…」

 

 そんなことを語りながら、セレニィはイオンへと近付いていく。

 ……と、ブカブカとなってしまった導師服の裾を踏んで思わず転びそうになる。

 

 その一瞬の後、銀閃が彼女の頭上スレスレを通り過ぎていった。

 

「……へ?」

 

 思わず間抜けな声を上げてしまい、風のした方を見ると…

 毛先を切られた己の髪が月光に舞い散る様が、スローモーションで瞳に映る。

 

 イオンが厳しい声で注意を促す。

 

「セレニィ! 避けて!」

 

 その声に従って、無我夢中で前方に跳ぶと背後で複数の風切音が響いてくる。

 

「(ちょっ… なんだこれ! なんだこれ!?)」

 

 足をもつれさせつつ逃げたところ、再び服の裾を踏んで転んでしまう。

 なんか今日こんなんばっかりだ!? 泣きたくなってくるが、刃は待ってくれない。

 

 セレニィは思わず目を閉じ、“その時”を待つ。

 

「これで終わりだ」

「セレニィ!」

 

「……っ!」

 

 ……だが、“その時”は訪れない。鈍い金属音が鳴り響き、襲撃者が一歩下がる。

 

「セレニィに危機が迫る時… 私もまた目覚める」

 

 襲撃者とセレニィの間に、ナイフを構えたティアが立っていた。

 月光を浴びて佇む彼女の姿は、その美貌も相俟って幻想的なほどに美しい。

 

 思わずそれを見るセレニィも言葉を失い、そして息を呑む。

 

 必殺の一撃を弾かれた襲撃者は低く唸ると、誰何の声を上げる。

 抑揚のなかった声に、微かに苛立ちが混ざる。

 

「……何者だ」

「ローレライ教団神託の盾(オラクル)騎士団情報部第一小隊所属、ティア・グランツ響長。任務は… 愛!」

 

「あ、中身はいつものティアさんだ」

 

 人はそうそう変わるものではないという良い見本である。

 ……既に第七譜石の探索任務は忘却の彼方なのだろう。

 

 それを見て襲撃者が合図を送ると、新たに三名… 黒尽くめの者が現れる。

 

「たった一人で何処まで耐えられるかな?」

「無論、何処までも」

 

「……愚かな」

 

 号令をかけようとした襲撃者の頭上に影が差す。

 ふとを上を向くと、巨大な黒い影が拳を固めていることに気付く。

 

 その一撃を受け、強かに壁へと叩き付けられる襲撃者。

 

「『たった一人』ならそうかもね。けど、『二人』ならどうかな?」

「……また邪魔が入ったか」

 

「ふっふーん… 可愛くて強くて可愛い、みんなのアイドル・アニスちゃん参上!」

「助かったわ、アニス!」

 

「何故2回言ったし… いや、可愛いけど…」

 

 トクナガに乗ったアニスがノリノリでポーズを決める。

 すると、その隙に更に黒尽くめの者が増えた。

 

 流石のアニスもこの人数を相手にするとは思わなかったので、若干、引き気味だ。

 

「うっわ… ウジャウジャとまぁ、ゴキブリみたいにぃ」

「流石にこの人数を相手にするのはしんどいわね…」

 

「しょーがない。あたしたちが道を作るから、イオン様はセレニィと一緒に避難して助けを」

 

 そう言って入り口に視線をやれば、いつしか燃え盛る炎がそこにあった。

 先ほどアニスに吹き飛ばされた襲撃者が、退路を断つために火を放ったのだ。

 

 これでは入り口からの脱出は難しいだろう。

 忌々しさを隠そうともせずに、アニスが舌打ちする。

 

「こりゃまた、思い切ったね。……チッ、一撃で仕留めきれなかったのが仇になったか」

「逆に言えばこれで目立つようになった。持ちこたえさえすれば応援も期待できるわ」

 

「だといいんだけど、正直この数相手じゃ厳しいかもね。……何から何まで計算づくかよ」

 

 部屋が月明かりを必要としないほどに明るくなる。

 これだけ派手な行動をしたところで、『証拠』は残さない自信があるのだろう。

 

 事実、あの不意討ちで仕留めきれなかったのだ。かなりの腕利きと見ていい。

 応援が来るまで粘れれば良いが、あの炎の壁は彼ら応援の行き来とて妨げてしまうはずだ。

 

 オマケにこちらは二人を守りながらの多人数相手の戦いだ。どうしても分が悪い。

 

 間合いを詰めようとしてくる襲撃者たちを牽制しながら、アニスはティアに声を掛ける。

 

「ティア… あんまり前衛に立ってこなかったけど、体術の心得の程は?」

「初対面でグダグダ文句言ってきたルークを投げ飛ばせる程度かしら」

 

「なるほど、ルーク様を投げられるくらいなら… って、え? なんでそんなことしたの」

「私のせいで超振動が発生したんだから責任取れとか言い掛かりをつけてきて…」

 

「言い掛かりじゃないよ! それ単なる事実だよ! 怒って当然だよ!」

「フフッ… 安心して、アニス。流石に私もルーク以外にはそんなことはしないわよ」

 

「いや、ルーク様にするのが大問題だから! 人としても! 平民としても!」

 

 なんてエキセントリックな女なのだろう。アニスは思わず言葉を失う。

 

 彼女を無罪にしたセレニィの手腕を褒めれば良いのか。

 彼女を許したルークの器の大きさを褒めれば良いのか。

 

 とりあえずこの一件が終わったら、彼女との付き合い方を一度見直そう。そう心に誓った。

 彼女が有能なのは疑いようがないのだが、犯罪者脳過ぎて存在そのものがヤバい。

 

 気を取り直して、言葉を続ける。

 

「じゃ、『もう一つ』しかないよね」

「『どっちが』?」

 

「私が。ティアじゃこの数キツイっしょ?」

「……すぐに戻るわ」

 

「よろしくねー」

 

 たったこれだけの会話で『テラスから脱出する』『アニスが残り足止めを行う』。

 これらのことが阿吽の呼吸で疎通できてしまう。いっそ痛快なほど、鮮やかに。

 

 ティアは間違いなく有能なのだろう。……その才能を尖らせすぎてしまっただけで。

 

 彼女は一つ頷くと、セレニィの手を引きテラスに向かって駆け出した。

 アニスもトクナガでイオンの背を押しながら口を開く。

 

「イオン様、行って! ここは私が引き受けた!」

「でも、アニス!」

 

「早く! 助けを求めながら駆けるの! それが一番みんなが助かる可能性が高いから!」

 

 その言葉に、イオンは頷くと駆け出した。

 慌てて三人を追おうとする襲撃者たちの前に、テラスを背にアニスが立ちはだかる。

 

 薄く、凶悪な笑みを浮かべながら。月光を背負い、炎の光を胸に浴びつつ。

 

「おっと… ここから先は行かせないよ?」

 

 そう言って闘志をみなぎらせる彼女を前にして、襲撃者は抑揚のない言葉を口にした。

 

「………」

 

 

 ――

 

 

 

「く…っ!」

 

 一方、ティアはテラスの外… 城内の庭を走る。

 だが当然というべきか、黒尽くめの者は部屋の外にも配備されていた。

 

 それらがティアに襲いかかる。

 されど人数は二人。倒しきれはしないものの、捌けない数ではない。

 

 攻撃をかわし、時に仕掛けて敵を牽制しながら進んでいく。

 そして戦闘に加わるのは彼女ばかりではない。

 

「ティアさん、避けて!」

「っ!」

 

「ていっ!」

 

 落ち着きを取り戻したセレニィが戦闘に参加し、ティアの援護を試みる。

 彼女に合図を出しつつ、懐から取り出した胡椒爆弾・改を投げつける。

 

 それは相手にされることなくあっさりと回避される。胡椒爆弾・改… 不発!

 だが、それにめげることなどありはしない。笑みすら浮かべて口を開く。

 

「流石は、(多分)生粋の暗殺者… でも、雑魚の攻撃なんて避けられて当たり前!」

 

 そんなことは予測済み。続いて、肩に掛けていたマントを目眩ましに投げつける。

 流石にこれは視界を覆うために回避はせずに斬り裂かれる。

 

「その時間差を待っていた! 喰らえ、必殺の…」

 

 この日のためにコツコツ準備してきたものを、えいやと取り出す。

 買ってから暫く後悔していたが、無駄にならなかったこの状況を喜ぶべきか悲しむべきか…

 

 彼女は用意していた『ネット』を両手で掴むと、襲撃者たちの頭の上へと放り投げた。

 

「この程度… む?」

 

 マントと同様に斬り裂こうとしたところの堅い感触に、襲撃者が怪訝な声を上げる。

 不可解な表情を浮かべる襲撃者に対して、セレニィが言葉をかける。

 

「不思議そうな顔をしてますねぇ… その網には、針金が編み込まれているんですよ!」

「ガイさんのお行儀の時間が終わった後、寝るまでの間ずっとこれやってたですの!」

 

「途中で『私、なんでこんなことやってるんだろ…』と泣きそうになりましたけどねぇ!」

「ていうか泣いてたですのー!」

 

「編み込み度はまだ六割前後でしたけどねぇ! そして続いてぇー!」

 

 そのままミュウを掴んで、その頭をポコンと叩く。

 するとミュウの口から炎が吹き出る。

 

 そして襲撃者はようやく気付く。……この網から油の匂いがすることを。

 彼らの声に初めて動揺の色が混ざる。

 

「ま、まさか…」

 

「ミュウファイア! (出来るだけ)最大出力!」

「ですのー!」

 

 ネットが一瞬で炎に包まれる。

 それを消そうと転がれば転がるほどに、ネットは襲撃者に絡みつく。

 

 命中性能は極めて低い上に連発が利かないが、厭らしい武器だ。

 

「名付けて、フレイムネット!」

「ですの!」

 

「なんというか… えげつない武器ですね、セレニィ」

「なんかようわからん襲撃者には手加減無用!」

 

「ですの!」

 

 出費が無駄にならずに済んで思わずドヤ顔を浮かべるセレニィに対し、イオンがつぶやく。

 そこに、『フレイムネット』を回避していた一人が不意討ちを仕掛けてくる。

 

「甘いわ」

「っ!」

 

「これで… 終わり」

 

 だが、その攻撃を予測していたティアにあっさり受け流され襲撃者は体勢を崩す。

 そして、手に持つナイフを頭上に振り上げるとティアはそれを… 勢い良く振り下ろした。

 

「ぐ…っ!?」

 

 鮮血が舞う。……ティアの背中から。

 

 グラリと身体を揺るがせると、彼女は地面に膝をついた。

 激痛に震えながら、それでも気丈に声を振り絞る。

 

 その背にいるであろう数名の襲撃者たちに向かって。

 

「突破してきた、か。アニスは… どうしたの?」

「さてな。好きに想像すると良い」

 

「そう… 何も問題無いわ。あなたたちを片付けてアニスを迎えに行く」

「やってみるが良い。……できるものなら」

 

「できないはずがないわ。ご先祖様ができたくらいのことはね」

 

 そう言いながら、事も無げに立ち上がる。常変わらぬ鉄面皮を貼り付けたまま。

 ……いや、一つだけ違うところがある。その瞳には怒りのためか紅蓮の炎が宿っている。

 

「ティア!」

「ティアさん!」

 

「来ないで!」

 

 そしてティアの… 仲間の負傷に、思わずイオンとセレニィが駆け付けようとする。

 だが、彼女は空いた左手を上げると叫んだ。

 

「来ないで… 走りなさい。そして助けを呼んで… 城も、もう騒ぎになってるから」

「で、ですが…」

 

「……行きましょう、イオン様。今ここにいても私たちに出来ることはありません」

「っ! ティア、きっと無事で…」

 

「ご安心を、イオン様。私はセレニィに『お姉さん』と呼んでもらうまで死にませんから」

「なんだ、それじゃ一生死なないじゃないですか。……私、心配して損しましたよ」

 

「フフッ… そうね。行って!」

 

 状況にそぐわないセレニィの軽口に、敢えてティアが乗る。

 互いに笑みを浮かべる。

 

 そして、セレニィはイオンの手を引いて走り出した。

 即座に後を追う黒尽くめの者たち。

 

「全員行くなら… 当然、即座に背中を狙うわよ…?」

 

 だが、ティアの気迫に引き摺られる形で数名が残った。

 

 

 

 ――

 

 

 

 走る。走る。走る。

 

「誰かぁー! 人殺しがいますー!」

「ですのー!」

 

 ティアの言うとおり城は騒ぎになっている。そんな中、声を上げながら庭を走り続ける。

 

 走って叫んでは相当つらいが仕方ない。

 肩に乗っているミュウが声掛けをしてくれるのがせめてもの救いだろうか?

 

 だが一向に助けは現れず、背を追う黒尽くめの者たちの手がかかりそうになったその時。

 剣がその間に投げ込まれた。思わず手を引っ込める黒尽くめの者。

 

 そこに声が響く!

 

「こっちでゲス! 早く来るでゲス!」

「モタモタすんじゃないよ!」

 

「は、はい!」

 

 最後の力でスピードアップをして走りだすセレニィとイオン。

 そこにタイミングを誤らず、黒尽くめの者たちの手前に譜業爆弾が投げ込まれる。

 

 第五音素…

 火の力を込められたその兵器は、大きな爆発音と火力を以って男たちを吹き飛ばす。

 

 命までは落としていないようだが、当分動くことは出来ないだろう。

 セレニィとイオンは、声の主たちのもとまで辿り着いて大きく息を吐く。

 

「はぁ、はぁ… どこのどなたか存じませんが…」

「まぁ良いってことよ。ゆっくり息を整えな」

 

「は、はい… 僕も、限界で…」

「ご苦労さん。えーと… 白いヒラヒラの服に女の子みたいな顔。こっちが導師イオンかしら」

 

「……はい?」

 

 女性一人、男性二人の三人組。どっかで聞いたことあるような構成である。

 セレニィを指さしそう言う女性に、思わず首を傾げる。

 

 続けて、プロポーション抜群の美女が悩ましげに声を上げる。

 

「聖獣チーグルを連れてる以上、まず間違いなくこっちが導師様だと思うけどねぇ」

「でも間違ったらコトですぜ姐御。俺たち『漆黒の翼』は堅気にゃ手を出さねぇ」

 

「どっちも可愛いでゲスけど… 男の子かどうか、聞いてみればいいと思うでゲス」

「おっ、ウルシーにしちゃ名案だな。……なぁそこの白い髪のアンタ、男の子かい?」

 

「はい! ……ん? 『漆黒の翼』ってどっかで聞いたことあるような」

「……え?」

 

「よし、決まりだ。こっちの緑髪はよく見りゃ女物の服着てるし別人に違いねぇ!」

 

 躊躇せず頷いたセレニィを、思わず「何言ってるんだ?」という目で見てしまうイオン。

 だが、これは仕方ない。セレニィ本人に、自分が女性という自覚は全く無いのだから。

 

 ……いや、ないことはないが認めたら負けだと思っている。未だに男湯に突撃するほどに。

 そこへ来て「男性か?」との問いかけである。彼女が頷かないはずがなかった。

 

「(あ! 『漆黒の翼』って橋ぶっ壊したりして滅茶苦茶評判悪い盗賊団だったっけ!)」

 

 ようやく思い出し逃げ出そうとした瞬間、即座にロープにぐるぐる巻きにされてしまう。

 あれ? と思う暇もあればこそ、今度はご丁寧に猿轡まで嵌められズタ袋に放り込まれる。

 

 ……ついでにミュウも猿轡をされて放り込まれたが。

 

「な、何をしているんですか! 導師イオンは僕です! セレニィを解放しなさい!」

「いくら庇うためとはいえそんな下手な嘘は良くないなぁ… お嬢ちゃん」

 

「嘘なんかじゃ…!」

「悪く思わないでおくれよ。アタシたち『漆黒の翼』は関係ないやつには手を出さないのさ」

 

「関係なくなんかっ! くっ、アカシック…」

「無理すんなでゲス。もうヘロヘロでゲスよ? ……そこでじっとしておくでゲス」

 

「あっ…」

 

 そこでウルシーと呼ばれた小柄な髭面の男に肩を突き飛ばされ、イオンは倒れ込んだ。

 譜術を使用しようとしたイオンだが、極度の疲労のためもう立ち上がることも出来ない。

 

「さっさとずらかるよ! 騒ぎが大きくなってきた!」

「あいよ!」

 

「す、すまなったでゲスね… お嬢ちゃん」

 

 漆黒の翼と名乗る三人組は、そそくさとロープを伝い城の外へと逃げていく。

 倒れ込んだままのイオンには、それを見送ることしかできなかった。

 

 ……程なく、ティアがアニスに肩を貸しながらやってきた。

 

「イオン様… セレニィとミュウは?」

「連れ去られました。『漆黒の翼』と名乗る連中に… 僕の、身代わりになって…!」

 

「……そう、ですか」

 

 泣きそうな声で絞り出すイオン。それを聞いて、ティアは悲しそうな表情で俯いた。

 ずっと無言だったアニスが、声を上げる!

 

「あたしなんか放っておけば良かったのに… こんな役立たずなんか! どうしてよ!」

「……ごめんなさい、アニス」

 

「違う… 違うよ! 一番悪いのはあたしでしょ! なんでよ… なんで責めないのよ!?」

「……私たちは精一杯やった。それでも届かなかったなら、きっと、これは私の判断ミス」

 

「でも… だって! そんなんじゃ! そんなんじゃ、セレニィが… なんでセレニィが!」

 

 ボロボロの姿で涙を零しているアニスに、ティアはそれ以上語る言葉を持たなかった。

 代わりに、イオンが口を開く。

 

「あの黒尽くめの連中も、『漆黒の翼』の構成員だったのでしょうか?」

「……分かりません。騒ぎが大きくなりきったら証拠も残さず退いていきましたし」

 

「そう、ですか… 僕はルークやジェイドたちになんと言ったら良いか…」

「………」

 

「イオン様、ご無事ですか。これは一体? それに、セレニィは…」

 

 すると噂のジェイドがトニーとともにやってきた。

 イオンは悲しげに俯きながら、それでも一刻も早い事態の解決のために重い口を動かした。

 

 かくして、厳戒体制のもと直ちに捜査本部が編成されることとなった。

 

 しかしながら深夜に起こった事件であり、事件当時に多くの見張りが意識を失っていたこと。

 加えて、義賊として支持者を持つ『漆黒の翼』の捜査に多くの市民が非協力であったこと。

 

 これらのことから一向に捜査は進展せず、なんら成果の得られないまま朝を迎えることになる。

 

 同時に不穏な噂の数々がバチカル内で流れ始める。

 

 曰く、『一連の事件の責任を王国側は教団に擦り付け導師と大詠師を囚えている』とのこと。

 曰く、『止めようとした神託の盾(オラクル)騎士団主席総長が汚名を着せられ投獄された』とのこと。

 

 これらのまことしやかに噂される流言飛語の裏側に、誰がいるかなど明々白々であった。

 今、政治の世界で生き抜いてきた『怪物』がゆっくりとその鎌首をもたげようとしていた。

 

 

 

 ――

 

 

 

 さて、時計の針を事件当夜に巻き戻そう。

 漆黒の翼たちは、セレニィinズタ袋を担ぎながらエッサホイサと王都の外まで駆けて行く。

 

「こちら『漆黒の翼』… 依頼を果たして帰還した。迎えを頼む」

 

 端的な言葉を手元の器械に投げかけ、そして依頼主との待ち合わせ場所…

 キムラスカの者たちに見付からぬよう、迷彩を施されたタルタロス前へと到着した。

 

 固く閉ざされていたハッチが開き、中から仮面の少年が数名の供と顔を見せた。

 仮面の少年… 六神将が一人、“烈風”のシンクが漆黒の翼一同へと声をかけてくる。

 

「やぁ、おつかれ… 首尾はどうだい? と、聞くまでもないようだね」

「まぁね。私たちにかかればこんなモンさ」

 

「結構。報酬は支払うからとっとと失せて… 分かってると思うけど他言無用だよ?」

「はいはい… そんじゃ、アッシュの坊やにもよろしくね」

 

「あぁ、伝えておくよ。……それじゃおまえたち、そいつを運んでくれ。丁重にね」

 

 漆黒の翼と別れ、部下に指示を出して未だ中身が暴れているズタ袋を運ばせる。

 

「フン、導師イオンともあろう者が見苦しい… そこまでして命が惜しいのか?」

「は? 今なにかおっしゃいましたか、師団長」

 

「こっちの話だよ。……お待たせアッシュ、連中がアンタにもよろしくってさ」

「……あぁ」

 

「まだ機嫌が悪いのかい? 何企んでたか知らないけど、ディストになんか任せるからだよ」

 

 呆れるシンクの言い分に返す言葉も無いのか、アッシュは不機嫌そうに鼻を鳴らすのみ。

 

 そんなアッシュの態度に「ま、いいけどね…」とさして興味もないのか話を打ち切るシンク。

 机の上にズタ袋を置かせると、部下に帰るように命じる。

 

「さて、導師が手に入ったわけか… これでいよいよ計画が実行できるわけだね」

「……そうだな」

 

「さっきまで結構暴れてたからね。どんな顔をしているのか、拝ませてもらおうか」

 

 イオンにただならぬ憎しみを抱いているのか、嬉しそうに声を弾ませるシンク。

 彼がズタ袋に手を当て、乱暴に切り裂くと… 中から見慣れぬ少女とチーグルが転がり出る。

 

 ……思わず無言になる二人。少女は「むー! むー!」と何かを訴えかけている。

 

「……シンク、俺にはコイツが導師イオンには見えねぇんだが」

「奇遇だね、僕も… っていうか掴まされた! あんな胡散臭いの信用するんじゃなかった!」

 

「……受け取った時に確認しろよな。間抜けか、テメェは」

「ぐっ、うるさいな… 導師イオンを袋詰めなんて知ったら部下が動揺すると思ったんだよ」

 

「ハッ! それでテメェが大失敗してたら世話ねぇな… ったく。おい、そこの白いの」

 

 溜息をつきながら、アッシュは少女… セレニィの猿轡を外して尋ねる。

 

「なんでここにいる? 何が目的だ?」

 

 ストレートな問い掛けである。セレニィ、答えて曰く。

 

「いや、知らんがな。なにがなんだかサッパリです」

 

 そう返すしかなかった。

 むしろおまえら誰? って聞きたい気分ですらある。怖いから聞けないけど。

 

「……どっかで見たことあるツラな気もするが、思い出せねぇな」

「そう? 僕は見覚えないけど」

 

「……おい、間抜け。しょーがねぇからダアト式封呪の解除はテメェでしろよ?」

「……それは仕方ないけど、一々しつこい野郎だね。師匠譲りの若ハゲ風情が」

 

「あぁ?」

「やるかい?」

 

「ストップ、落ち着きましょう! ほら、仲間同士仲良く! いざ友情パワー!」

 

 こんなところで自分を挟んで喧嘩を始められてはたまらない。

 セレニィはヘラヘラ笑いながら一触即発の二人を宥めるのであった。

 

 ……うん、なんかこの立ち位置凄く懐かしい気がする。全く嬉しくないけどな!

 そんなことを考えながら笑顔を浮かべ続ける。

 

「あ、あははー… なんちゃって」

 

「……チッ」

「……フン」

 

 やがて互いに顔を背ける六神将。……反応まであの時のあの二人と一緒かよ。

 苦笑いを浮かべながらセレニィは自分の今後を考える。

 

「(うん… 死ぬよりはマシ、死ぬよりはマシ。……だといいなぁ)」

 

 ほんのり涙を零しながら、彼女はおもいっきり敵の捕虜になるのであった。



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60.束縛

 タルタロスの外から鳥の鳴き声が聞こえる。……そろそろ目覚めの時間がやってきた。

 

 それでも、この目覚めるまでの微睡(まどろ)みの時間が愛しくて… 毛布を深くかぶり直す。

 だが、そんな至福の時間も長くは続くかない。

 

「おはようですの、セレニィさん! 朝ですのー! あーさー!」

「うーん… あと5分ー…」

 

「だめですのー! 昨日もそれ繰り返してシンクさん怒らせたですのー!」

 

 聞く耳を持たずに寝ている自分を揺さぶり、あくまで覚醒を促すミュウさん。

 ……おのれ、やはり悪魔か。

 

「ふわぁー… ぅ。おはよーござーまーすぅ、ミュウさん…」

「おはようですの、セレニィさん! 今日も一日がんばるですの!」

 

「ですねー… ふぁ、ねむ」

 

 渋々身体を起こし、大きな欠伸(あくび)と伸びを一つ。それでなんとか意識は覚醒する。

 ミュウさんと二人並んで、顔を洗って歯を磨く。

 着ていたパジャマを脱ぎ捨てて、用意されたモノに袖を通す。

 

 神託の盾(オラクル)騎士団女性制服(子供用)… これが今の自分に用意された仕事着なのである。

 

「よーし、今日も一日がんばるぞい!」

「ですのー!」

 

「はぁー… 辛い辛い。いやー、神託の盾(オラクル)六神将に監視される仕事はめっちゃ辛いわー」

 

 その仕事とは… ニート。

 

 セレニィはそんなことを考えつつ、今日も今日とて仕事の場に向かうのであった。

 何故かようなことになったのか… 少しばかり時を遡ろう。

 

 

 

 ――

 

 

 

 縛られた状態で机の上に転がされているセレニィとミュウ。

 その二人を眺めながらシンクとアッシュは相談する。

 

「どうする? 見られちゃった以上は消す方が手っ取り早い気もするけど…」

「……女の、しかもガキをか? 任務でもねぇのにそんなのはゴメンだな」

 

「気が進まないのは僕も一緒だけどさ… しょうがないだろ?」

「ハッ! やめとけやめとけ… テメェの恥の上塗りになるだけだぜ」

 

「む… じゃあ牢にでも放り込んでおいて、明日みんなで相談の上で判断しよう」

 

 どうやら一先ず命は助かったようだ。セレニィはホッと胸をなでおろす。

 ……まぁ、相談の上で「やっぱ殺そう」と言われたら泣くしかないが。

 

 かくなる上は精一杯媚びて好印象を植え付けていくしかない。

 そうすれば多分、相談の場でもそこはかとない弁護を期待できるかもしれない。

 

 期待できないかもしれないが、やらないよりはマシだろう。

 そう思い、もぞもぞ身体を動かしつつアッシュに向かって頭を下げる。

 

「すみません。どこのどなたかは存じませんがおかげさまで一先ず命は繋げました」

「……フン、勘違いすんじゃねぇ。俺のプライドの問題だっただけだ」

 

「それでもです。私はセレニィと言います… 良ければお名前を教えてもらえませんか?」

「ボクはミュウですのー!」

 

「……アッシュ。神託の盾(オラクル)六神将のアッシュだ」

 

 笑顔を浮かべたままのセレニィの時が止まる。まさか六神将だったとは。

 そんなことに気付かないまま名乗ってしまうなんてアホなの? 死ぬの? 状態である。

 

 こんなことならソウルフレンドよろしく「セレヌィ」とでも名乗っておけばよかった。

 ほんのり涙を零しているそんな彼女の様子に気付かず、シンクはアッシュの名乗りに続く。

 

「僕はシンク。そこの赤いのと同じ六神将… ま、精々見逃されるのを祈るんだね」

「あ、はい… えーっと、その…」

 

「ンだよ。なんか文句でもあるってのか?」

「いえいえいえいえ! 滅相もない! ただ、その… セレニィって名前に聞き覚えは…」

 

「……別にねぇよ、ンなモン。シンクはあるのか?」

「……いや、僕も初耳だけど」

 

「あ、あれ…?」

 

 どういうことだろう? 六神将全員が殺意満点というわけではなかったのだろうか?

 あるいは、ディストによる悪質な冗談だったのかもしれないが…

 

 考えても仕方ないとばかりに「いえ、別になんでもないです」と話を打ち切ることにする。

 とりあえず、すぐに殺されることはないだろう。そう思って多少リラックスする。

 

 それに乗っかったわけでもなかろうが、シンクが溜息をついて根本的な疑問を尋ねる。

 

「それにしてもなんだってそんな格好を…」

「え? イオン様が好きだから、かな」

 

「……紛らわしすぎる。クソッ、こんなことで大金を溝に捨てるなんて」

「どうせテメェが語った特徴がいい加減だったんだろ? ごっこ遊びのを連れてくるなんて」

 

「………」

 

 どうやらただのコスプレと思われたらしい。

 まぁ、そうですよね。普通はイオン様のモノホンの服を着込んでるなんて思いませんよね。

 

 ……そんなことを思いつつ、セレニィは机の上から降り「ぐえっ」転がり落ちた。

 縛られた状態ゆえ、致し方ないだろう。

 

 見かねたシンクがロープを切って立ち上がらせてくれる。……その手刀、凄いですね。

 

「とにかく、今日のところは牢に放り込んでおくから大人しくしてるんだね」

「はい、これはご丁寧に… ん? クン、クンクン… クンクンクン…」

 

「……なに、いきなり僕の匂いを嗅いできてるわけ? ひょっとして、変態なの?」

「……イオン様?」

 

「!?」

 

 説明しよう。セレニィは行き着いた変態のため、イオンを匂いで識別することが可能なのだ!

 ただ強力過ぎるため「イオンっぽいもの」「イオン的な何か」にまで反応するのが難点だ!

 

 そんな変態の生態とは縁がなかったシンクだが、驚きに硬直しつつも努めて動揺を隠し通した。

 

「何を言っているのかサッパリだね… 僕が導師イオンと同じ匂いだって?」

「うーん… でも、似てるようで違うような。しかし声はよく似てるし…」

 

「バカバカしい。たかが匂いで何が分かるっていうのさ? あんまりしつこいと…」

 

 殺気を表に出し、萎縮させんと試みる。並以上の実力を持つ武人相手にならば効果的だろう。

 ……だが、相手は全く何の心得もない雑魚である。かようなものを感じ取れるはずがない。

 

「あ、シンクさんってちなみに男ですか? 女ですか?」

「……まぁ、男だけど」

 

「じゃあ違いますね! ……ごめんなさい、変な言い掛かりをつけちゃって」

 

 いや、導師イオンも男なのだが… その言葉を飲み込みつつもシンクも頷く。

 これ以上グダグダになってしまってはたまらない。

 

 釈然としないものを感じつつ、彼は大人しく引き下がることにしたのであった。

 そして牢に運んでいる道中… またまたセレニィの方から話し掛けてくる。

 

「ところでシンクさん」

「……なんだい」

 

「その仮面かっこいいですね」

「……話が飛ぶね」

 

「いいなぁ… 私も欲しいなぁ」

 

 露骨におねだりされた。……助けを求めてアッシュに目を向けると、視線をそらされた。

 妙な疲れに支配されつつ牢に放り込んで黙らせると、シンクは自室に戻るのであった。

 

 牢屋の中にはセレニィとミュウが残される。

 かつて、ジェイドらとともにタルタロスを脱出する前にも放り込まれたあの牢屋である。

 

「あれ… この牢屋、見覚えがあるような。てことはタルタロスなんですかね、ここ」

「ですのー?」

 

「まぁ、六神将のみなさんが奪ってるっぽかったですし不思議じゃありませんけど」

「ボクもよくわからないですのー」

 

「ですね。良く似た別の牢屋かもしれませんし… 分かっても大した意味はありませんしね」

 

 溜息をついて壁に取り付けられたベッドに寝転がる。

 

 なんか色々とあって疲れ果てた。イオン様やアニスさんは無事だろうか?

 ティアさんは… なんか殺しても死ななそうだからいいや。

 

 セレニィがそんなことを考えながらボーッとしてると、ミュウが語りかけてくる。

 

「そういえばセレニィさん。アッシュさん、ルークさんによく似てたですの」

「……そーですかね? 他人の空似程度のモンでしょう」

 

「ですのー?」

「髪の色も確かに同じ赤ですけど、色合いが違いますし… なんか違う感じじゃないですか」

 

「でもでも、お顔も似てた気がするですのー」

「ぶっちゃけ初対面の欧米人の顔なんて、みんなある程度似たようなモンに見えますし…」

 

「みゅう… おーべーじん、ですの?」

 

 そんなこと言われてもあまり区別がつかないのが本音だ。その点、仲間たちは良かった。

 ルーク、ジェイド、ガイ、トニー… みんな顔付きやらに明確な差異があり分かり易かった。

 

 それだけでなく旅をともにしてきた結果、彼らの特徴についてもある程度は把握したのだ。

 逆に言えば、データの揃わない初対面の人間… 特に男など大した区別がつかないのだ。

 

 そんなものを指して似てると言われても「ふーん… そうなの?」くらいにしか感じない。

 もっと言えば男なんか比較的どうでもいい。それが美女や美少女ならば即座に覚えるけどな!

 

 ミュウも別段重大事と思わなかったのか「みなさんは大丈夫ですの?」と話を変えてくる。

 

「うーん… きっと大丈夫なんじゃないですかね。みなさんなんだかんだ有能ですしね」

「ですのー?」

 

「ただ、モースさんは暫く追い落とせませんね… キムラスカで影響力を失う程度が精々か」

「モースさんに勝てませんの?」

 

「うーん… あの人もそうですけど、ローレライ教団が厄介ですからね。厳しいのでは?」

 

 彼が単なる政治の化物だったら、まだキムラスカやマルクトとて手の打ちようはあるだろう。

 ……いやまぁ、これだけでも充分に難敵ではあるのだが。

 

 だが彼は、二千年に渡って預言(スコア)で世界を縛り続けてきた世界唯一の宗教組織を掌握している。

 表向きの地位を失ったところで、内部に張り巡らされた裏の地位が即消えるわけでもない。

 

 だからこそ、あの一日でやれるところまでやりたかったのだが… 結果は失脚にすら届かず。

 扇動・不意討ち・騙し討ちに屁理屈しか武器を持たない小市民には高いハードルだったか。

 

 この状態で無理矢理処刑したところで、その地位・権力を受け継いだ第二の彼が現れるだけだ。

 セレニィはそう確信している。人間の持つ自浄能力なんてのはサラサラ信じちゃいないのだ。

 

 イオンはトリトハイムなる詠師を買っているようだが、権力や地位は容易に人を変えて歪める。

 本人がいい人であってもそれだけでは背負うべきものは守れない。

 

 だから、「そうできる」よう変わることを下から望まれるのだ。それが組織という名の魔物だ。

 

「……モースさんはそう簡単にいなくなりはしませんよ。今の彼があの人だってだけで」

「ですのー?」

 

「ま、アレと政治闘争の場でやり合う事自体が発想的に大間違いだと私は思います」

「大間違いですのー?」

 

「勝っても得るものありませんしね。ローレライ教団取り込んでも面倒事背負い込むだけです」

 

 取り込めば恐ろしく強大な力となるだろうが、そのシステム構築にどれだけ労力を要するか。

 ちょっと考えたくないものがある。リスクとリターンが釣り合うか疑問が生まれるほどに。

 

 しかも取り込まれればローレライ教団の傀儡国家の出来上がりだ。渡るに危なすぎる橋である。

 ……というか、割りとマジでキムラスカさんは傀儡国家一歩手前だったのではなかろうか?

 

 セレニィ的には自分とティアの命を守るために精一杯だったが、そんな雰囲気は感じていた。

 考えれば考えるほどに第一印象以上にヤバい組織だ。もう二度とやり合いたくないのが本音だ。

 

「……ま、今の私たちが考えても意味のないことです。なるようになりますよ」

「なるですのー?」

 

「なるですのー。というわけで私は寝ますねー… おやすみなさい、ミュウさん」

 

 そう言って目を閉じると、程なく眠気が彼女の意識を攫っていくのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 そして翌朝… 久方振りにタルタロス内に六神将が勢揃いする。

 

 ラルゴとディストが怪我から復帰したこと。

 それに加え、リグレットがアリエッタを連れてダアトから帰還したのだ。

 

 なお、リグレットには疲労の影が色濃く残っている。

 

「全く! 襲撃のことだけでなく待遇改善についてまで言われる羽目になるとは…」

「リグレット… 今度からアリエッタにちゃんと『休暇』くれないと、めっ! だよ?」

 

「……くっ、分かった。閣下にはしっかり具申するので機嫌を直せ、アリエッタ」

 

 会議室に用意された席に二人が腰掛ける。これで六神将が全員揃ったことになる。

 アリエッタの機嫌を取ろうとしているリグレットに、シンクが声をかける。

 

「おつかれさま、リグレット。……しかしまた、随分と時間がかかったね?」

「……色々と面倒事があってな。閣下とはまだ連絡が取れないのか?」

 

「さぁ? ラルゴがアッシュに乗せられて喧嘩売った時点じゃ元気だったみたいだけど」

「そうか、ならば良かっ… って何をやっている!? おいラルゴ、貴様どういうことだ…」

 

「……すまんな」

「ぐぬっ」

 

「まぁ、あのヒゲは大丈夫でしょう。ケセドニアでもこの天才を撃退するほどですからねぇ!」

 

 おい、オマエも襲ったのか… ギギギ、と顔を動かしディストを睨みつけるリグレット。

 そんな彼に比べれば、素直に深々と頭を下げたラルゴの対応は千倍はマシだろう。

 

 いや、襲った時点でありえないのだが。また召喚状が届いてしまう。……次は無視しよう。

 頭痛を抱えつつリグレットは現状把握に務める。

 

 眉間を揉み解しながら右手を前に出しつつ、口を開いた。

 

「ちょっと待て… 待ってくれ。なんか何回も襲ったように聞こえるが、どういうことだ?」

「うむ… 俺はカイツール軍港を壊滅させた折に顔を合わせ、コーラル城でも刃を交えた」

 

「何故そんなことをラルゴに頼んだ、アッシュ! 言え!」

「……チッ、うっせーな。ヴァンが何か裏で企んでるようだから、それを探ろうとしたんだよ」

 

「そんなことくらいで国際問題を起こすな!? というか、ラルゴも乗るな!?」

 

 拗ねたようにそっぽを向いて言うアッシュの態度に、思わずリグレットが頭を抱えて叫ぶ。

 

 査問会で詠師たちに囲まれて、延々とお説教という名の言葉責めされるのはもう嫌だ。

 限界が来たので、ヴァンとモースに丸投げしてアリエッタに頼んで逃げてきたのだ。

 

 あの二人がいないから出来たことである。そんな彼女の経緯など知らないシンクが口を開く。

 

「でも、タルタロスを襲撃するよう提案したリグレットが言っても説得力ないしねぇ…」

「うっ! し、しかしだな… 作戦を考えたのはシンク、オマエだろう?」

 

「そりゃ確かに僕だけどね。……作戦指揮官は誰だったのか、覚えてて言ってるんだよね?」

 

 リグレットである。あの件で脛に傷を持たない者は、この場にはアリエッタしかいない。

 ……ディストは面倒だからとボイコットしたので、彼も一応脛に傷はないが。

 

 その彼女が欠伸(あくび)を噛み殺しつつ、人形をより強く抱き締めて不機嫌そうに口を開く。

 

「……アリエッタ、眠いです」

「ハーッハッハッハッ! アリエッタの言うとおり、下らない議論は時間の無駄ですねぇ!」

 

「わ、分かった… この件については閣下と連絡が取れ次第、判断を仰ぐこととしよう…」

 

 ……指示待ち人間と言われても良い。

 

 これ以上心労を重ねたくない一心で、リグレットは会議の解散を呼びかけた。

 今はただ、泥のように眠りたかった。

 

 その言葉に頷き、アリエッタやラルゴが席を立とうとする。……ディストは浮こうとする。

 しかし、そこにアッシュが口を開いた。

 

「おい、シンク。あの件…」

「……あぁ、そういえば」

 

「どうした? ……まさか、また面倒事ではないだろうな」

 

 思わず無視して帰ろうかなと思ったが、根が真面目なリグレットは結局聞いてしまう。

 ……いつでも帰れる準備をしながらだが。

 

「面倒事っていうか… ちょっとおかしなヤツを捕虜にしてね」

「捕虜だと?」

 

「導師を攫おうとして間違えたんだよ。ったく、間抜け野郎が人任せになんかするからだ」

「……ロクに人も使えない単細胞ごときが言ってくれるじゃないか」

 

「ハッ! その結果が語るも無様な大失敗たぁ笑わせる。単細胞でよかったぜ、俺は」

 

 売り言葉に買い言葉。後は「なんだって?」「やるか?」のお決まりの睨み合い。

 慌てて間に入り、リグレットは声を上げる。

 

「よし、分かった! 処遇を決定するために見に行こうか! 全員でな!」

「……アリエッタも行くですか? アリエッタ、もう眠いです」

 

「悪いね。みんなで相談するって言ってて… ここは一つリグレットの顔を立てると思って」

「……え?」

 

「研究に戻りたいのですが仕方がありませんねぇ… リグレット、貸し一つですよ?」

「チッ… めんどくせー野郎だな。まぁ、好きにしな」

 

「ちょっと待てディスト。いや、それ以前に何故アッシュが答えているんだ…」

「リグレットよ… 強く生きろ」

 

「………」

 

 最後にラルゴに優しく肩を叩かれる。

 ラルゴを除く六神将はブツブツ言いながらも会議室を後にした。

 

 リグレットはちょっぴり泣きたくなった。

 

「おい、何をチンタラやってやがる! 更年期障害か、ババア!」

「よし今すぐ殺しに行ってやるから待っていろアッシュ」

 

「リグレット… 六神将同士で喧嘩ダメって、総長、言ってたよ?」

「こんな簡単なことも覚えられないなんて、全くやれやれだよ…」

 

「ハーッハッハッハッ! まぁ、この天才に比べれば学習能力がないのは仕方ありませんか!」

「気を落とすな、リグレット。みんなしっかり者のオマエに甘えているのだろう… 多分」

 

「クソッ、オマエらなんか大嫌いだ! ……ラルゴ除く!」

 

 リグレットは涙を堪えながら彼らの後を追うのであった。

 その背中は常とは違い、とても小さく見えてしまったという。

 

 

 

 ――

 

 

 

 そして牢屋前…

 

「あ、ども。おはようございますー、みなさん」

「おはようございますですのー」

 

「なんでコイツらがここにいるんだ!?」

 

 銀色と水色の悪魔がそこから手を振っていた。

 そもそも自分を巡る星の流れがおかしくなったのは、コイツと出会ってからである。

 

 警戒から一歩下がりつつ、指差してそう言ってしまうのも無理からぬことだろう。

 だが、それと入れ替わるように牢に向かって駆け出す影が二つあった。

 

「セレニィ!」

「セレヌィ!」

 

「アリエッタさん! アリエッタさんなんですか! 会いたかったです! すごく、すごく…」

「私も… 私も会いたかったよぉ、セレニィ…!」

 

「あぁ、アリエッタさん… クンカクンカしたい… ペロペロしたい… アリエッタさん…」

 

 なんだかアリエッタの身が危ない気がする。しかしあの悪魔どもに近付きたくない。

 リグレットが躊躇している間に、話は進んでいく。

 

「あの、セレヌィ… 私もいるのですが…」

「おぉディストさん! いたんですね!」

 

「いや、『いたんですね』は友としてちょっとどうなんでしょうか…」

「フフッ、誤解させてしまったようですね… ソウルフレンドよ!」

 

「ソ、ソウルフレンド? なんですか、その素敵な響きはッ!?」

「あなたという存在が余りに大きくて、収まらなかったのですよ。……このちっぽけな瞳にはね」

 

「おぉ! そうとも知らずに私は… 貴女を誤解していました、セレヌィ!」

「ディストさん! ……だから、アリエッタさんとの感動の再会を邪魔しないでくださいね?」

 

「あ、はい」

 

 固い握手を交わしたと思ったら即座に振り払われ、しっしっと追い払われてしまった。

 それでもディストは幸せそうだが。そして牢屋越しに再びアリエッタと抱き合う。

 

 なんとしたことだ……

 まさか、閣下の手足たる精鋭中の精鋭・六神将のうち二名が三秒で籠絡されてしまうとは。

 

 ……やはり、コイツは悪魔に違いない。

 戦慄しているリグレットに、ラルゴが語りかけてくる。

 

「で、コイツの処遇はどうするのだ?」

「殺そう」

 

「む? いやしかし、無抵抗の捕虜を殺すというのもな…」

「殺そう」

 

「ダメッ! 絶対にセレニィは殺させないモン! アリエッタの友達なの!」

「右に同じくですよ… 私からソウルフレンドを奪おうと言うのならば本気を見せますよ?」

 

「ぐぬぬぬ…」

 

 悔しげに歯噛みするリグレット。

 

 そしてラルゴ、アッシュ、シンクに視線をやる。数の暴力で処刑を取り決めたい。

 リグレットさん、必死である。

 

「俺は、外道ではあっても畜生にはなりたくない… これの脅威は分かるが反対だ」

「女のしかもガキを殺せるかよ! それにコイツ、ただの雑魚じゃねーか!」

 

「まぁ、僕はどっちでも良いけど… そもそもどうしてそんなに必死に殺そうとするのさ?」

 

 シンクがもっともな疑問を口にすると、ディストが椅子を浮かせて高笑いする。

 リグレットが慌てて黙らせようと譜銃を撃つが。器用に右に左に回避する。ウザい(確信)。

 

 そしてとうとう隠したかった真実を暴露されてしまう。

 

「リグレットはセレヌィに手酷く敗れて、涙と鼻水まみれの無様を晒したのですよ!」

「……まぁ、嘘ではないが。ディスト、もう少し気を配ってやれ」

 

「うわぁ… ラルゴが否定しないってことはガチなのかい?」

「あのね、セレニィ… あんまりね、リグレットをイジメちゃったら… めっ! だよ?」

 

「はぁい、アリエッタさん!」

「ん… いいこいいこ」

 

「えへへー…」

 

 アリエッタに頭を撫でられて至福の笑みを浮かべる様は、ただの少女にしか見えない。

 そして武人特有のオーラも感じられない。本当にただの素人にしか見えないのだ。

 

 とてもコレにリグレットが敗れたとは信じられない。しかし、ラルゴが嘘を言うとは思えない。

 シンクとアッシュの瞳の色には、軽蔑ではなく同情が浮かんでくる。

 

「ま、まぁ… その、戦闘には運とかコンディションとか様々な要因があるしね?」

「そ、そうだぜ… 元気出せよ。別にテメェが弱いなんて誰も思っちゃいねーよ」

 

「……ありがとう。……うん、その捕虜の件は保留で。それも閣下に指示、仰ごうか」

 

 肩を落としてリグレットは牢屋エリアから去っていった。

 

 その哀愁に満ちた背に声をかけられるものなど誰もいなかった。

 彼女には今、休息が必要なのだ。今は全てを忘れ泥のように眠るべきだろう。

 

 しんみりした空気を咳払いで払いつつ、ラルゴがセレニィに声を掛ける。

 

「ひとまずオマエは捕虜としてこちらの監視下に置かれることになる。……構わないな?」

「はい、構いません!」

 

「げ、元気がいいな… その上で望みがあれば言うと良い。可能な限り配慮しよう」

「そんな… 私なんてただの捕虜ですし…」

 

「遠慮することはないぞ? といっても、我らにも出来ることと出来ないことがあるがな」

 

 ラルゴが薄く笑みを浮かべれば、セレニィも緊張をほぐして言葉を発した。

 

「じゃあ三食のご飯と一日一回のお風呂が欲しいです」

「ふむ… 風呂はシャワーでも構わんか?」

 

「オッケーです。あ、それと監視役はアリエッタさんかリグレットさんを希望します」

「アリエッタは分からんでもないが、リグレットもか? 先ほどのアレを見てなお望むか?」

 

「えぇ、めっちゃ美人さんですよね!」

 

 拳を握って力説されては、まぁ、仕方あるまい。ラルゴも「……配慮しよう」と返事する。

 

 最悪リグレットが発狂するかもしれないが… アレも伊達には六神将を名乗ってまい。

 きっと無闇矢鱈に暴走せず敬愛するヴァンの期待に応えてみせるだろう… そう信じながら。

 

「あのね、ラルゴ… セレニィ、牢屋にいるの可哀想だから… 出してあげて?」

「そうですねぇ… ここじゃ会いに来るのも一々面倒ですしねぇ。一つ頼みますよ、ラルゴ」

 

「む? し、しかしだな… あまり自由な行動を許すと脱走される恐れが…」

「いやいや、この待遇で逃げるなんてバカのやることですよ。絶対に逃げませんって」

 

「いや、本人に主張されてもだな…」

 

 渋るラルゴに対してアッシュが口を開く。

 

「良いじゃねぇか。何かあったらコイツらとリグレットが責任を取る… それでよ」

「ま、そうだね… 僕はどっちでも言いし、帰らせてもらうよ」

 

「あ、あとシンクさんの仮面欲しいです! 捕虜として要求します!」

「嫌だよ! しつこいよ!」

 

「……ちっ。じゃあ、代わりに私の件でシンクさんも責任とってくれるなら良いですよ」

「いや、なにさその暴論」

 

「じゃあそのイカす仮面を下さいよ! 二つに一つですよ!」

「あーもう、うるさいなぁ… 分かったよ! ラルゴ、コイツを出してやって!」

 

「む、むぅ… 仕方あるまい。重ねて言うが不審な行動を取らぬようにな?」

 

 ラルゴは胸中でリグレットに詫びながら、牢屋から悪魔を解き放ってしまったのであった。

 

 かくしてセレニィの監視生活というの名のニート生活が始まった。セレニートの誕生である。

 なお彼女にシンクの仮面を諦める気配は一切見られないのが目下シンクの悩みの種である。

 

 

 

 ――

 

 

 

「はー… 辛いわー。監視されて束縛されて自由がなくてめっちゃ辛いわー」

「セレニィさん、がんばるですのー!」

 

「今日は午後からアリエッタさんと文字のお勉強で幸せ過ぎて死にそうで辛いわー」

 

 彼女は危険のない三食昼寝付きでシャワーもついている部屋で、今日も束縛に耐える。

 この理不尽な仕打ちに耐え、いつか仲間たちと巡り合えるその日まで。

 

 なお、リグレットとは使用している胃薬の銘柄から最近話ができるようになったという。



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61.預言

 さて、その頃のキムラスカはどうなっていたのか? ……有り体に言えば混乱していた。

 

 城内堂々と導師イオンが襲撃され、マルクト帝国の皇帝名代が攫われてしまったのだ。

 警備を担当していたキムラスカ側としては面目が丸潰れであり、和平破綻の危機でもある。

 

 だが、マルクトの全権大使を引き継いだジェイド・カーティスにその素振りはないこと。

 襲撃を受けた当のイオン本人に、キムラスカへと抗議する姿勢がないことが幸いした。

 

 混乱しつつも和平へ向けた話し合いは続けられ、現実味を帯びてきた中で事態は動き出す。

 

「……今、なんと申した?」

 

 インゴベルト六世は、朝一番に謁見を申し出てきたモースの言葉に眉を上げつつ返した。

 ローレライ教団大詠師モースはその言葉に対し跪いたまま、恐縮を表し言葉を重ねる。

 

「はっ! これまで部下が起こしました数々の事件に加え、先日城内で起きました事件…」

「………」

 

「これら全て私めの至らなさによるものと心得ております。お詫びの仕様もございません」

 

 全くそのとおりである。確たる証拠はまだ見つかってないものの印象的には真っ黒である。

 だがそれを言ってどうするつもりだ? 謁見の間に居並ぶ面々は彼の真意を測りかねた。

 

 民衆も教団信者を中心に騒がしくなりつつある… 十中八九、この男の手によるものだろう。

 そこに降伏宣言とも取れる言葉… だが、この男が転んでもタダで起きるとは思えないが。

 

 そこで大臣アルバインと視線を交わし、インゴベルト六世は出方を伺うための言葉を発する。

 

「……否定はできかねるな。ならばなんとする?」

「はっ! かくなる上はこの政治顧問の座を退き、ダアトに戻り大詠師の位も返上する所存」

 

「なんだと、正気か?」

「政治顧問の立場も大詠師の地位も、もともと私めには過分な取り立てであったのでしょう」

 

「……お主が地位を捨てると申すか」

 

 インゴベルト六世は呆然としたように呟くと、背もたれにその身を預けた。

 

 いずれ、段階を踏みながらモースを政治権力から切り離さねばならない。

 そう思っていた矢先の出来事だ。拍子抜けの一つもしてしまうというものだ。

 

 彼を除くに当たっては泥を被る者が必要だ。下手をすれば教団信者の怒りの矛先となるのだ。

 そのことを充分理解した上で憎まれ役を喜んで引き受けられる者など、決して多くはない。

 

 その点、誘拐されたと目されるあのマルクトの皇帝名代は実に上手くやろうとしていた。

 その真意は不明だがモースの権勢を削ぎつつ、イオンにその座を譲り渡す寸前まで行った。

 

 だがそれは実を結ぶ前にその芽を摘まれた。間一髪の瀬戸際でモースは生き延びたのである。

 眉間にしわを寄せて、インゴベルト六世は口を開いた。

 

「……何を考えている?」

「別に何も。ダアトにて身を慎み、陛下よりいただきました最後の仕事に励みたく存じます」

 

「最後の仕事とな」

「はっ! 教団員の待遇の実態調査と見直し、私財を投じてでも務めあげてご覧に入れます」

 

「……ふむ」

 

 インゴベルト六世は顎に手を当て考え込む。

 

 モースというより教団の影の排除を考えていた矢先のことであるし、もとより処刑は難しい。

 そのようなことを発表すれば、今でも騒ぎ始めている教団信者が暴走しかねないだろう。

 

 なにより場の雰囲気に呑まれていたとはいえ、あの時、勅命と言い出したのは自分自身だ。

 この上は「もっと貴様を締め上げたいのでやっぱりアレは無しとする」とも言えないだろう。

 

 大臣アルバインに視線をやり、発言を促す。諸々の確認と言質を取る仕事を任せるために。

 

「コホン! モースよ… これまでの己の行状を省みる発言、誠にあっぱれである」

「はっ! ありがたきお言葉、恐悦至極に存じます」

 

「殊勝な申し出ではあるが、お主を手放しで信用もできぬ。故、監視役を付けたいのだが?」

「ごもっともな仰りようかと。どうぞ、なんなりと」

 

「うむ、その上で何か申し出たいことはあるか? 可能な限り検討しようではないか」

 

 監視役を付けることは同意させた。ならばダアトに戻しても安心かという空気が漂う。

 

 その上で、申し出を受け入れるよう見せかけてモースの真意を問う。

 検討は約束したが、必ず叶えるとも言っていないのでノーリスクで尋ねたような形となる。

 

 無論口を開かないことも予想されるが、ならば後から要求をしてきてもそれを理由に拒める。

 マルクトの皇帝名代ほどに奇抜さに富んでいないが、堅実な悪くない打ち手である。

 

 さて、どう出る? と身構えたところでモースが口を開く。

 

「さればお言葉に甘えて申し上げたき儀が二点ほどございます」

「ほう、二点とな? 構わぬ、申してみよ」

 

「はっ! まず一つは導師イオン様の今後のご予定についてでございます」

「ふむ? 和平の仲介役としてここにお見えになっていることはお主も知っていよう」

 

「はっ! それは承知致しております。今更私めが口を挟むことではございません」

「では、如何なる意図を以って尋ねている」

 

「有り体に言えば、導師イオン様のご帰還の予定にございます」

 

 モースは真剣な表情を作り、言葉を続ける。

 

「ダアトで暴動があったのは先の話でも明かされたとおり。今更その原因は問いますまい」

「その話が今、関係あるのか?」

 

「はっ! イオン様あってのダアト、イオン様あってのローレライ教団でございますれば」

「真の意味で混乱を鎮めるためにも予定を明らかにすべきと申すか」

 

「ご賢察のとおりにございます。民心を慰撫するのは、私めには荷が勝ちすぎる大役かと」

「……貴様の怠慢ではないのか?」

 

「返す言葉もございません。が、イオン様の去就明らかとなれば城下の騒ぎも収まるかと」

 

 つまり、イオンの動向を明らかにしなければ城下の騒ぎはまだ続くと言っているに等しい。

 この扇動の裏にいる者が誰なのかを考えれば、大胆な脅迫と受け取ることも可能だろう。

 

「(証拠さえあれば、いかな教団の重職であろうと心置きなく無礼討ちできるものを…)」

 

 大臣アルバインは額に血管を浮かび上がらせながらも深呼吸をして、なんとか怒りを鎮める。

 そして努めて冷静に言葉を絞り出す。

 

「イオン様は我が国とマルクト帝国の和平仲介役。和平の段が決まるまでなんとも言えぬ」

「はっ!」

 

「また、予定が定まっても嫌疑の濃い貴様と同時に帰す訳にはいかぬ。理解しておろうな?」

「無論でございます。民心慰撫にイオン様の名をお借りしたいのが本音でございますれば」

 

「ならば追って伝える故、然様に心得よ! ……次の申し出を聞こう」

 

 話を強制的に打ち切り、次の申し出を引き出す。果たして次はどんなことを言い出すのか?

 謁見の間に居並ぶ面々が見守る中、モースは飄々とした口調で新たな申し出を行う。

 

「さすれば『漆黒の翼』なる連中を、教団の名において国際指名手配としたく存じます」

「ふむ…?」

 

「連中こそはイオン様を害そうとし、更には誘拐を企てた重罪人でございます」

「……うむ、それは間違いない」

 

「和平の使者殿が身を呈してイオン様を守らねば、イオン様は拐かされていたかもしれません」

「キムラスカとしては面目次第もない話だがな」

 

「それを言えば教団の方でしょう。なんせ私がこの有様ですからな… いや、お恥ずかしい」

 

 大きな太鼓腹を揺らしながら、愛嬌を感じさせる表情で笑ってみせる。

 釣られて笑ってしまいそうになった者らが、咳払いをして誤魔化す。

 

 そんなことを気にもしない様子で、モースは真顔に戻って言葉を続ける。

 

「とはいえ、私の件を抜きにしても神託の盾(オラクル)兵が護衛を失敗したのは紛れも無き事実です」

「……確かにその件でも教団に責任がないとは言えんな」

 

「はっ! 聞けば連中めは自らを『義賊』などと(うそぶ)き、(いたずら)に民心を惑わしているとか…」

「然様。……それがために民衆の歓心を買っており、捜査も難航している」

 

「民を正道に戻すのも教団のつとめ… なればこその申し出でございます。如何でしょうか?」

 

 これ自体に問題は感じないが… アルバインがインゴベルト六世に目をやれば、王も頷く。

 教団からの指名手配を受けたとあらば、全てとはいえずとも民の心も離れることだろう。

 

 皇帝名代が攫われたという醜聞を大胆に触れ回らずに済む分、穏当な申し出といえるだろう。

 

「貴様のその申し出についてはありがたく受けたく思う。よくぞ申し出てくれた」

「ありがたきお言葉。最後のご奉公が叶い、私めとしても肩の荷が下りた次第」

 

「モースよ… わしからも一つ尋ねたいことがある」

「これは陛下。私めなどでよろしければ、どうぞなんなりとお声がけくださいませ」

 

「……『未曾有の繁栄』が詠まれた秘預言(クローズドスコア)についてだ」

 

 謁見の間がざわめきだす。この預言(スコア)については、秘中の秘といえる国家機密なのだ。

 それを手を上げて制しつつ、インゴベルト六世は真っ直ぐにモースを見詰める。

 

 かの男は恐縮の姿勢を見せ、頭を下げたまま答える。……王も顔を上げるようには言わない。

 両者の冷えきった関係が伺えた。

 

「『ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ鉱山の街へ向かう』」

 

 モースは朗々と、歌うように預言(スコア)の一部を詠みあげる。

 

「『結果キムラスカ・ランバルディアは栄えそれが未曾有の繁栄の一歩となる』、ですかな?」

「うむ。『ローレライの力を継ぐ若者』とは『聖なる焔の光』… 即ちルーク」

 

「恐らくはそうでしょうな」

「……掠れて読めない部分もあると聞いたが、解明はあれから進んだのか?」

 

「……進んでございません。申し訳ありませぬ」

「良い。過度の期待をかけてしまっては、その方にとっても負担であろう… 下がると良い」

 

「はっ!」

 

 頭を下げたまま御前を下がり、謁見の間を後にするモース。

 ついぞ上げられなかったその顔は、『(わら)い』の形へと歪められていた。

 

 全てを見下し、嘲笑いながら彼は悠々とその場を後にする。

 

「(馬鹿め… 貴様らは最早敬虔な信徒たる資格を喪ってしまった。真理に至るには不充分)」

 

 胸の内で「正しい預言(スコア)」を(そら)んじる。

 

『ND2018、ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ鉱山の街へ向かう』

 

『そこで若者は力を災いとし、キムラスカの武器となって、街とともに消滅す』

 

『しかる後にルグニカの大地は戦乱に包まれマルクトは領土を失うだろう』

 

『結果キムラスカ・ランバルディアは栄えそれが未曾有の繁栄の一歩となる』

 

 ……あぁ、やはり連中は愚か者だ。もとより期待に足る存在ではなかった。

 得体の知れぬ者の言葉に惑わされ、自分を排斥などしようとするから真実を見失うのだ。

 

 はてさて、未曾有の繁栄という餌を前に何処まで我慢できるか見ものだ。

 モースにとって、絶対神聖視すべきはユリアと彼女の遺した預言(スコア)の成就のみ。

 

 それを邪魔する有象無象は全てまとめて障害物… 排除すべき塵芥(ちりあくた)に過ぎない。

 

「(精々踊るが良い… 未曾有の繁栄はくれてやる、塵芥(ちりあくた)には充分過ぎた報酬だろう?)」

 

 ND2018が終わるまで、あと11ヶ月… 日数にして軽く600日以上ある。

 彼の力を以ってすれば、如何様にも手の打ちようがある。

 

 未曾有の繁栄を求めてキムラスカが素直に預言(スコア)に乗ればそれで良し。さもなくば…

 

「(これまで自分たちが何のおかげで生きてこれたのか… とくと理解させてやろう)」

 

 天敵たる『死』が排除された結果、一人の男の悪意が世界(オールドラント)を呑み込もうとしていた。

 

 

 

 ――

 

 

 

 その頃、タルタロスでは…

 

「フッ… 私としたことが冷静さを失っていたようだな。だが、もう大丈夫だ」

「そうか… あまり無理をするなよ? リグレット」

 

「安心しろ、ラルゴ。ヤツにどのように対処すれば良いのか閃いたのだ」

 

 それはいいのだが、何故自分に言ってくるのだろうか? こう見えても忙しい身なのだが。

 そう思いながらもここ暫くの彼女の苦労を想えば、邪険にすることなどとても出来ない。

 

 早く帰りたいと思いつつ続きを促すラルゴ。……そんなだから話を振られるんだと思います。

 

「そうか… それは良かったな。まぁ、言うだけ言ってみるが良い」

「確かにヤツに一度は遅れを取った。だがその知略を我らが抱えているのもまた事実」

 

「……まぁ、そうだな」

「我らの役に立つならばよし。逆に不審な動きを見せるようであれば、殺せば良い」

 

「リグレット… 貴様はまだそんなことを」

「しっ! ヤツが来るぞ、隠れろ。何をしている、ラルゴ? オマエは目立つ… 早くしろ」

 

「………」

 

 最近リグレットがおかしい。……あの時、処刑に反対したのがいけなかったのだろうか?

 

 いや、ダアトでも苦労を重ねたようだしケテルブルクの温泉チケットでもやるべきか。

 そんなことを考えつつ渋々ラルゴさんも付き合う。アッシュやシンクなら帰ってるだろう。

 

 観察一日目。

 

「えっとね… これがフォニック文字だよ?」

「わぁ! 感動です、アリエッタ先生」

 

「えへへ… んっと、アリエッタ先生になんでも聞いてね?」

「はいっ! アリエッタ先生! 早速質問が!」

 

「はい、なぁに? セレニィ」

「実は私、アリエッタ先生を想うと胸がドキドキして夜も眠れなくて…」

 

「夜眠れないなら… 昼寝れば、いいと思うよ?」

「……あ、いや、そうじゃなくてですね」

 

「一緒にお昼寝、する?」

「します!」

 

「みんな一緒にお昼寝ですのー!」

 

 観察二日目。

 

「きぃぃぃっ! なんで陰険ジェイドめに私が遅れを取るんですかーっ!」

「確かにあのドSに勝つには、並大抵のインパクトじゃ難しいですねぇ」

 

「くっ… なにか良い案はないでしょうか? ソウルフレンド」

「そうですね… デザインはいい線いってると思います。しかし、『ある機能』がないと…」

 

「『ある機能』? そ、それはなんですか!?」

「お答えしましょう… それは、『自爆装置』です」

 

「じ、自爆装置… いやしかし、それに一体なんの意味が? むしろマイナスになるだけでは」

「悪の天才科学者としてのカリスマを不動のものにします」

 

「おぉ、カリスマ! なるほど、美しき薔薇の私にカリスマが加わればまさに無敵!」

「えぇ、古来より『友情、自爆、勝利』という言葉もあります。ここはやるべきですね!」

 

「なるほど! これは次の勝負はもらいましたねぇ… ハーッハッハッハッ!」

「そうですとも! 私たちの友情パワーでドSも最後ですよ… あーっはっはっはっはっ!」

 

「みゅーっみゅっみゅっみゅっみゅっ、ですのー!」

 

 観察三日目。

 

「ちょっとアッシュさん! どういうことですか、これ!」

「あぁ? ンだよ、気安く声かけてきてんじゃねぇよ!」

 

「そんなことよりニンジン残してますよね? 好き嫌いないって言ってたじゃないですか!」

「ハッ! 食えない訳じゃねぇよ。好きじゃねぇだけだ」

 

「それを好き嫌いって言うんじゃボケがぁ! 農家のみなさんに謝れやゴルァ!」

「プッ… 捕虜に怒られるなんて“鮮血”のアッシュともあろう者が情けないね」

 

「そういうシンクさんは、なんで私のお皿にせっせとピーマンを移してるんですかねぇ?」

「……ただの親切心だよ」

 

「私がせっせと作った料理を舐めてるんですか? その仮面掴み取って没収しますよ?」

「いい度胸だね。少しでも仮面に触れてご覧、その瞬間に顔面に拳を叩き込むから」

 

「……ぼ、暴力反対」

「ですのー」

 

 三日間の観察が終わった。

 

 満足気な笑みを浮かべてリグレットがその場を離れる。

 そして頭を抱えて叫んだ。

 

「どういうことだ、アイツ! 全く働く気配が見られないじゃないか!」

「いや、捕虜だから当然だろう。……捕虜でいいんだよな? アレは」

 

「だが絶望するのはまだ早い。いかなる時も落ち着いて行動してこそ閣下の手足たる六神将」

「そうだな。そろそろ帰っていいか?」

 

「覚悟しろ悪魔どもめ… 次はないぞ!」

 

 リグレットは悪魔たちへの復讐を誓った。

 ラルゴはそっとフェードアウトして部下たちの訓練にとりかかったという。



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62.希望

 キムラスカとマルクトの間において、和平の締結に関する話し合いは一先ずの合意を見た。

 

 あとはキムラスカがその和平に向けてどのような動きをするか、という議論が行われる。

 これについてはイオンは勿論、使者を引き継いだジェイドですらも介入できる問題ではない。

 

 この上は彼らに出来ることは何もなく、キムラスカの結論が出ることを待つこととなる。

 それは多忙だった日々の中に突然、ポッカリと自由な時間が空くことを意味していた。

 

 そんな中で旅をともにしたルークやガイらに会いに行くのは、極めて自然なことであった。

 

「なんだか随分と久し振りな感じがするよ。……会えて良かったが、大分疲れてるようだな」

 

 ガイが愛想よい笑顔で友人たちを応接室に通すも、その疲れた様子に心配顔を浮かべる。

 そんなガイの表情に、なんでもないという笑みを浮かべながらジェイドが口を開いた。

 

「ま、和平の使者をやっている以上は… 簡単な問題ではありませんしね。……そちらは?」

「ここは平和なもんさ。一時は教団の件で街が騒がしかったみたいだが… っと、すまん」

 

「いいのです、ガイ。教団が世間を騒がせているのは事実… 悪評は、甘んじて受けましょう」

 

 教団関係者であるイオンたちの前での失言に頭を下げるも、イオンの方は静かに首を振った。

 アニスもティアも気持ちはイオンと変わらない様子であった。

 

「そうか? そう言ってくれると助かるよ。ルークももうじき来るから、それまで… ん?」

 

 と、ここで彼はようやく違和感に気付いた。

 ジェイド、トニー、イオン、アニス、ティア… どうにも人数が足りない気がするのだ。

 

 思わず声に出して確認する。

 

「なぁ、みんな。セレニィは? ルークのやつ、久し振りに会えるって喜んでたんだが…」

「……聞かされていないのですか?」

 

「何を… あ、体調でも崩しちゃったのか? それでミュウが残って看病しているとか」

 

 暗い表情で聞き返すトニーに、努めて明るい表情を作って再度尋ねるガイ。

 

 バチカルに戻るまでの旅路でも、セレニィは何度か体調を崩していた。

 今回もそのケースなのかも知れない。ならば、見舞いにくらいは行ってやりたい。

 

 そう思ったガイが笑顔で言うも、居心地の悪い沈黙に場が支配される。

 それに対しティアが答えるのと、ルークが応接室に入ってくるのは同時であった。

 

「よぉ、みんな! 久し振り…」

「あの子は… セレニィは攫われてしまったのよ。『漆黒の翼』という連中にね」

 

「謝罪の言葉もありません… 彼女が僕の身代わりになってしまったばかりに」

 

 それを耳にしたガイも、そしてルークも思わず硬直してしまう。

 ややあって再起動を果たしたガイが口を開く。

 

「『漆黒の翼』… 確か『義賊』を気取る盗賊団、だったか。一体どういうことなんだ?」

「実は…」

 

 そこでイオンは、何度目になったかも分からない事件当夜の説明を繰り返した。

 

 ・セレニィの提案で自分と彼女の服を交換していたこと。

 ・謎の黒尽くめの集団に襲撃され、アニスとティアが必死に応戦したこと。

 ・それでも一歩及ばず、最後の最後でセレニィを攫われてしまったこと。

 

「そんなことがあったのか… 全く知らなかったよ」

「恐らく緘口令が敷かれていたのでしょう。……全く、迂闊でした」

 

「……旦那?」

 

 苛立たしげに眼鏡を直すジェイドの方を見るガイ。

 ジェイドは続けて言葉を口にする。

 

「到着当夜の襲撃なんて常道だったはずなのに… 警戒していたのはセレニィだけですか」

「……返す言葉もありません。自分も兵士としての本分を忘れてしまい恥辱の極みです」

 

「いえ、大佐たちのせいではありません。私が連中の襲撃に対して判断ミスをしなければ…」

「なんだよ… それ…」

 

「……ルーク?」

 

 ティアがそう言い掛けたところで、ルークが小声でつぶやく。

 差し伸べようとしたイオンの手を払い、彼は激発した。ジェイドの胸倉を掴み上げて叫ぶ。

 

「なんだよ、それ… どういうことだよ! 俺は… 俺は何も知らなかったぞ!?」

「ルーク様、落ち着いて! 悪いのはあたしなんだよっ! だから」

 

「ジェイド、オメェすっげぇ強いんだろ! トニーも俺なんかよりずっとしっかりしてて!」

「……申し訳ありません、としか言えませんね」

 

「セレニィとは… アイツとは、『また明日』って約束してたんだぞ? だってのにっ!」

 

 責められても一切反発を見せず、素直に謝罪をしてくるジェイドの態度にやるせなさが募る。

 ルークは手を離してジェイドを解放すると、机に自分の拳を叩きつけた。

 

 頑丈そうな机の表面が歪み、支える足にも亀裂が走る。彼の憤りを表しているようであった。

 

「そんなことも知らずに呑気に待ってた俺が… 馬鹿みたいじゃねぇかよ…」

「ねぇ、聞いてルーク様。大佐たちは軍人だけど、マルクトからのお客さんでもあったの」

 

「……それがなんだって言うんだよ」

「キムラスカの面子を潰さないためにも勝手に戦うわけにはいかなかった」

 

「………」

「それでも最大限に急いできてくれて、それでも間に合わなかったの。……私のせいで」

 

「……チッ」

 

 アニスの言葉に、ルークは舌打ちをして頭をガシガシと掻く。

 

「……わぁってるんだよ、そんなことは。これまでの旅で、嫌ってほど」

 

「ルーク! あなた、アニスがどんな気持ちで」

「いいの、ティア! やめて!」

 

「ジェイドもトニーもアニスもティアもイオンも精一杯やったなんてことは… わかってるさ」

「……ルーク様」

 

「わかってるけど… オメェらと違って何も出来なかった自分に腹が立って仕方ねぇんだ」

 

 深い溜息を吐いて気を鎮めると、力無くそうつぶやいた。

 机を思い切り叩いた時に傷付けたのだろう… 手からは鮮血が溢れ出ている。

 

「ルーク… それを言うなら俺も一緒だ」

「……ガイ?」

 

「いや、預言(スコア)で制限されていたおまえと違って何もなかった俺のほうがよっぽど罪深いさ」

「そんなことはねーよ。だって俺、旅に出るまで何も知らなかった… 知ろうとしなかった」

 

「俺もだよ。その気になればセレニィの現状を知る手段なんて幾らでもあったはずなのに」

「ガイ…」

 

「だから一緒に考えようぜ、ルーク。どうやったらセレニィを助けられるのか、その手段をな」

 

 そう言って肩を叩いてくるガイに救われたのか、ようやくルークも「そうだな」と微笑む。

 そしてガイは仲間たち… 特に気落ちしてたアニスに視線をやって、ウィンクを一つする。

 

 気にするなという彼なりの心配りだろう。アニスは赤くなって、ガイの腹をバスンと叩いた。

 

「ゲホッ! な、なんでだ…」

「おやおや… ガイ、あなたのさりげない心配りは美徳ですが些か気障に過ぎますねぇ」

 

「自分にはとても真似できません。日常的にそんな仕草では想いを寄せる人も多いでしょう」

「女性嫌いのようですから、男性が好きなのだと僕は思ってましたが… 違うのですか?」

 

「ご、誤解しないでくれ! 俺は女性は大好きだ!」

 

 そんな彼の言葉に、場の重い空気は払拭されて各人の表情に笑顔が戻り始める。

 そこでティアが一歩前に出て、ルークに向かって口を開く。

 

「ルーク… 私はアクゼリュスに向かうわ」

「アクゼリュス? それって…」

 

「キムラスカとマルクトの国境にある鉱山の街よ。そこに第七譜石があると知らされたの」

「第七譜石っていうと… 確かユリアの詠んだ預言(スコア)の七つ目、だったか?」

 

「えぇ、モース様の命令でね」

「モースの命令? それって…」

 

「勘違いしないで。別に戦争を望んでいるわけじゃないわ… セレニィを探すためよ」

 

 ティアは胸を張って、キッパリと言い張った。

 そして彼女は言葉を続ける。

 

「私が第七譜石の探索任務を受けたのも、ヴァンを殺すために都合が良かったから」

「あ、うん… おまえ仕事を利用して身内を殺そうとするのは良くないと思うぞ」

 

「探索のために自由裁量が認められるこの任務なら、セレニィを探すための力になるわ」

「……うん。おまえのそういう自由気侭過ぎるところ、ほんのちょっとだけ尊敬する」

 

「あなたはここで待ってて。セレニィは… あの子は、きっと私が連れて帰るから」

 

 そう言って、ルークには滅多に見せない穏やかな笑みを浮かべた。

 普段はエキセントリックな言動が目立つものの、黙っていればティアは清楚な美人である。

 

 思わず見惚れそうになるルークであったが、頭を振ってなんとかそれを堪える。

 そんな彼の仕草をどう解釈したのか… ティアは小首を傾げながら再度、言葉を続ける。

 

「……ここであの子を待つのは嫌?」

「それは…」

 

「………」

 

 嫌だけど… 自分が勝手をしては迷惑になる。父にも母にも… 屋敷のみんなにも。

 旅から帰ってきて僅か数日で、そのことは既に、いやというほどに実感していた。

 

 その事実を認識しているがために口は重くなる。ティアもそれを黙って見詰めている。

 互いに口を閉ざして、沈黙の時間が流れる。

 

 ややあって… ティアの方がその口を開いた。

 

「じゃあ、私と一緒に探す? あの子を」

「……え?」

 

「『また旅をして、一緒にあの子を探さない?』って聞いたの」

「で、出来るのかよ… そんなこと」

 

「多分。……大佐?」

 

 言葉少なにジェイドの方を見遣ると、彼の方はやれやれと肩をすくめた。

 眼鏡を直しながら言葉を漏らす。

 

「ティア… あまり機密に関わることを口走るのは感心しませんねぇ」

「大丈夫ですよ。私も優先順位というものは心得ていますから」

 

「貴女の場合、セレニィとそれ以外でまとめている恐れがあるのですが…」

「そうですけれど… いけませんか?」

 

「………」

 

 無言で溜息を吐くジェイドに、ルークが縋るように声を掛ける。

 

「どういうことだ、ジェイド。何か手があるっていうのか?」

「………。ルーク、私はキムラスカとの和平がまとまり次第、アクゼリュスに向かいます」

 

「え? ジェイドもか… それってどういう」

「今回の和平の目的の一つに、障気汚染が深刻なアクゼリュスの救助がありました」

 

「障気…?」

「稀に地面から噴き出てくる人体に有毒なガスのことだ。けど旦那… 話して良かったのか?」

 

「良くはありませんが… ま、役立たずなりのささやかな罪滅ぼしですよ」

 

 心配そうなガイの言葉に苦笑いで返しつつ、ジェイドは言葉を続ける。

 

「その際にキムラスカからも、救助隊とともに親善大使を立てる手筈となっています」

「なるほど、親善大使か! じゃあ、それにルークが選ばれれば…」

 

「俺も屋敷の外に出られる… セレニィを探せるってことか?」

「加えて功績を立てれば、軟禁は解かれずともある程度の裁量権は与えられる可能性が高い」

 

「セレニィを探すために人を使うことも出来るかもってことか。これは一石二鳥だな!」

 

 明るい表情を浮かべるガイとルーク。

 それとは対照的に懸念の残る表情でジェイドは口を開いた。

 

「ナタリア王女殿下で九分九厘決まりだと思ったのですが… どうやら揉めているようで」

「はい、僕もそう聞きました。障気溢れるかの街のこと… 慎重になっているのでは?」

 

「なんだっていいさ。今ならルークが立候補すれば親善大使に割り込めるかもなんだろう?」

「……まぁ、そういうことになりますね」

 

「だったら決まりだ。善は急げって言うし、早速行動しようぜ! ルーク!」

「……あ、あぁ」

 

「ルーク?」

 

 想像していたものと違うルークの煮え切れない返事に、ガイは何事かと彼を見詰める。

 ルークは迷っていた。確かに一刻も早くセレニィを探しに行きたい。できれば自分自身で。

 

 ただ、そのために家族や屋敷のみんなに心配をかけて良いのか。

 なにより、和平のための約束… それも救助を待つ人々がいる話を利用して良いのかと。

 

 同時に、師匠を待つためカイツールでジェイドたちを待たせたことも罪悪感を刺激していた。

 救助を待つ人間がいることを知らなかったとはいえ、自分の我侭で時間を浪費させたのだ。

 

 この上で、勝手な気持ちを綺麗に飾って行動してしまってもいいのだろうか? そう悩んだ。

 そんな彼の気持ちを見透かしたようにティアが口を開いた。

 

「……今動かないと、きっと、後悔するわ」

「な、なんでだよ…」

 

「あなたはそういう人だもの」

「………」

 

「……そうね。少しだけ、私の昔話をしてあげる」

 

 口を閉ざしたルークに、特に気分を害された様子もなくティアは口を開く。

 そして自分の過去を語り始めた。

 

「私の生まれはちょっと特殊でね。ご先祖様に偉い人がいたのよ」

「………」

 

「ヴァンも祖父も、口を開けば『正しくあれ』『清くあれ』と私に願望をぶつけてきた」

「え? ティア、ご両親は…」

 

「母は私を産んで程なく、父はその前に亡くなっているの。……気にしないでね? アニス」

「う、うん…」

 

 両親を喪う悲しみや孤独感など分からないアニスとしては、頷きつつ俯くしかない。

 さして気にした様子もなく、ティアは薄い笑みを浮かべながら話を続ける。

 

「……馬鹿な人たちよね。自分たちで出来もしなかったことを子供に託そうなんて」

「………」

 

「彼らは既に正しくもなければ清くもない。そんなこと、私には手に取るように分かった」

「ヴァン師匠(せんせい)が…」

 

「同時に、だからこそ強く願うことも理解できた… だから私はそうあろうと努力した」

 

 彼女の美しい声が、まるで旋律のように静かな応接室に響き渡る。

 それはまるで彼女が歌う譜歌のように心に伝わってくる。

 

「そのせいでちょっと歪んだ子に育ってしまった私は、街で避けられるようになったわ」

 

「(ちょっと…?)」

「(え? ちょっとなのか…)」

 

「言っても何も伝わらなかったわ。私の『当たり前』は多くの人には通用しなかった」

 

 仲間たちは一斉に首を捻るが敢えて話の腰を折ることもしない。

 感覚には個人差というものが適用されるゆえだろう。そう納得することにした。

 

「それでも私は変わらなかった。変わる必要性を感じなかったの… 正しいのは私だから」

「お、おう…」

 

「どうせ誰もが遠巻きに私を見るようになる。理解を諦めて上辺だけの付き合いになる」

「………」

 

「孤独はこの道を選んだ時から覚悟の上で… でも私は能力に恵まれて、評価は得られたわ」

 

 なるほど。確かにティアの能力ならば、どんな道でもある程度の成功は収められるだろう。

 第七音素術士(セブンスフォニマー)であることに加え強力なユリアの譜歌まで使え、体術まである程度こなす。

 

 マルクトに来ればどこの部隊であろうとも引っ張りだこであろう。ジェイドは内心そう思う。

 

「でも、あの子は… セレニィだけは違った」

「セレニィが?」

 

「あの子は、恐れながらも私から離れなかった。……理解しようとすることを諦めなかった」

「………」

 

「笑えるわよね。あの子と私、全然違うのに… そんなあの子だけが私自身を見てくれた」

 

 ティアは淡く微笑んだ。その笑顔には自嘲の色が濃く表れていた。

 そして顔を上げて、仲間たちを全員見詰めてから言葉を紡ぐ。

 

「だから、私はあの子を、諦めない」

「……ティア」

 

「この気持ちがなんなのか、私には分からない。けれど、あの子と一緒に世界を見たいの」

「………」

 

「そうすれば… 私を縛ろうとしたこの世界を、もう少しだけ好きになれると思うから」

 

 そう言ってルークに背を向ける。

 

「あの子は私の希望。……ただ正しさを実行する『歯車』だった私が『人間』になるための」

「ティア、どこへ…?」

 

「アクゼリュスへ… 親善大使と同行する必要はありませんし、これ以上は待てませんから」

「……待てよ」

 

「………」

 

 そこに声を掛けるルーク。ティアは背を向けたまま、振り返りもせず沈黙のままそこに佇む。

 

「俺も行くぜ… アクゼリュスに!」

「………」

 

「『セレニィを探す』『アクゼリュスを救う』… どっちもやるなんて無茶なのは分かってる」

「………」

 

「けど、オメェの言うとおりここで立たなきゃ俺は一生後悔する。……だったら、やってやる!」

「……足手まといになるようなら置いていくわ」

 

「その言葉、そっくりそのままおまえにも返してやるさ」

 

 ルークの啖呵に微笑むと、ティアは振り返り手を差し伸べた。

 

「じゃあ行きましょう… お城へ」

「あぁ!」

 

 その手を、今度は迷うことなくルークは握り締めた。

 

 

 

 ――

 

 

 

 一方、その頃タルタロスでは…

 

「えぇっ! リグレットさん、ティアさんの教官だったんですか…」

「あぁ… まぁな」

 

「言っちゃなんですが、よく『アレ』の教官なんて出来ましたね」

「私もそう思う。というか、あの事件がなければ無理だっただろうなぁ…」

 

「……あの事件?」

 

 ここはタルタロス内の高級士官用のBAR。カウンター席にセレニィとリグレットが並んでいる。

 リグレットはカクテル酒を飲むため… セレニィは彼女の愚痴を聞くために。

 

「士官学校の家畜舎の動物が惨殺される事件があってな…」

「あ、なんか聞いたことあるかもです」

 

「そうか? まぁ、ティアはあんな性格だろ。だから真っ先に疑われてな…」

「まぁ、付き合い深くないと誤解与える性格ですよね… アレは」

 

「ちょうど閣下に頼まれてティアの面倒を見に行く矢先の出来事でな…」

「(閣下? 誰のことだろ?)……それでかち合ったと。無事でしたか?」

 

「無事なわけがあるもんか。いきなり血みどろの殺し合いになったぞ… 死ぬかと思った」

 

 リグレットの言葉に思わずギョッとする。いくらティアさんとはいえ、そこまで…?

 そう思っているセレニィを余所に、彼女は話を続ける。

 

「しばしば可愛がっていた動物たちが死んだようでな。だから疑いも濃くなったんだが…」

「あー… それで頭に血が上ったと」

 

「うむ… 幸か不幸か、躊躇せずに首謀者を殺しに向かおうとしてたところに遭遇した」

「え? どうなったんですか、それ」

 

「不祥事だからな。当然止めようとしたのだが… そしたらアイツめ、私に攻撃してきた」

 

 凄く目に浮かぶ光景である。思わずセレニィは頭を抱えてしまう。

 

 ティアにとってはそこらの人間よりは可愛い動物のほうが愛着を抱けるだろう。

 それが惨殺され、挙句に自分を陥れるためだと知ったら…

 

 うん、事を起こしてもおかしくないよね。青褪めつつ、静かに頷いた。

 

「最初は言葉で説得しようとしていたのだが… 一向に聞く気配がない」

「あぁ、それで懲らしめようと…」

 

「うむ… 油断してたらマウントポジション奪われて、二度三度と顔面を殴られたけどな」

「どこのバーバリアンですか、それ…」

 

「そこで私もカッとなって… 気が付いたら、ボコボコになったティアが倒れていた」

「いや、普通に不祥事ですよね? それ。事件拡大させてどうするんですか」

 

「うむ… 私も青褪めた。必死に事件を調査して首謀者を捕まえて解決まで持ち込んだ」

 

 意外とこの人も、色々とアレだな。セレニィは内心でそう思う。

 流石はティアさんが尊敬する教官だぜ! まったく神託の盾(オラクル)は地獄だぜ、フゥーハハハー!

 

 そんな彼女の内心を知ってか知らずか、リグレットは言葉を続ける。

 

「まぁ、首謀者はティアの目した通りの人物だったんだが… なんで知ってたと思う?」

「……『勘』でしょ?」

 

「そのとおりだ。その一言で片付けられた時は泣きそうになったよ」

「で、なんでティアさんに尊敬されたんですか?」

 

「よく分からん。殴り飛ばしたらなんか尊敬された… 不都合はないから触れないでおいた」

 

 うわぁ… セレニィは内心で思わずドン引きした。マジで獣ですね、ティアさん。

 彼女が自分で言ってた『追い詰められた獣』… それは的を射た表現であったと言えよう。

 

 もし再会したら、ちょっと彼女との付き合い方を見直す必要があるかもしれない。

 そんなことを考えつつ、なおも続くリグレットの愚痴にうんざりしつつ溜息を吐くのであった。

 

 その合間にふと思い出したことを口にする。

 

「あ、そういえばティアさんと言えば…」

「ん?」

 

「実の兄を殺すために王族の屋敷襲撃しましたけど、リグレットさんはご存知でしたか?」

「ゲフォッ!?」

 

「ちょ、リグレットさん! リグレットさん! しっかり!?」

 

 ティアに尊敬される唯一の人間… “魔弾”のリグレットは胃痛に苦しんでいたという。



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63.親善大使

 さて、ここはキムラスカ王国の謁見の間。今日も今日とて果てぬ激論が交わされていた。

 マルクト帝国との和平についてはほぼ全員が同意しており、それについては問題ない。

 

 超振動で移動したファブレ公爵子息ルークの早期の保護や、カイツール軍港での救助活動。

 これらが評価される形となり、主戦派も「ひとまずの様子見」には理解を示したわけだ。

 

 ならば今、彼らの間で議論の対象となっているものは何であるのか?

 それは、アクゼリュスに派遣する『親善大使』についてであった。

 

 マルクト帝国が和平締結の際に要望してきた、鉱山の街アクゼリュス救助に関する支援要請。

 これについてキムラスカ側は、街道の使用許可は勿論、薬などの準備を着々と進めている。

 

 支援をする準備は整えられている。後は旗印となる『親善大使』さえ用意すれば万全だ。

 ならばその大役を誰に任せるのかという点で、議論は揉めに揉めているというわけだ。

 

 筋道を抑えるならば、マルクトとの実質的な橋渡し役もこなし使者との関係も深いルーク。

 経験を取るというのであれば、数々の公務に携わりキムラスカ内の国民人気も高いナタリア。

 

 どちらを選ぶにせよ、一部の理はある。しかし議論の激化の原因はそれのみではなかった。

 

「ふむ。クリムゾンにナタリアよ… その方ら、どうしてもわしの提案に頷けぬと申すか?」

 

「はっ! まことに恐れながら陛下… (せがれ)では此度の大役、荷が勝ち過ぎてございます」

「ルークが不満というわけではありませんが、経験の上では私を送るべきでございましょう?」

 

 ルークを派遣すべきという国王の意見に、クリムゾンとナタリアが真っ向反対をしたのだ。

 互いの意見は平行線のままに議論が激化して、居並ぶ諸侯らも趨勢を見極めかねていた。

 

「(ふむ… 予想の範疇であったナタリアはともかく、クリムゾンまでか)」

 

 大臣アルバインに視線をやれば、彼も自身同様に困ったような表情をしているのが伺える。

 ナタリアがルークをこそ親善大使にすべきという考えに反発を示すのは、まぁ、分かる。

 

 才気煥発で社交的だが同時に我の強い側面もある。この手の役を譲れる気性ではないだろう。

 だがクリムゾンのこの反抗は、彼らにとっても青天の霹靂と言えるまさに大事件であった。

 

 王にとってクリムゾンは、これまであらゆる命に異を唱えることなく従い続けた忠臣である。

 時にそれが汚れ仕事であろうと王家のためとあらば率先して動き、忠義を示し続けてきた。

 

 それがために可愛がっていた妹を嫁がせて、義弟という立場を与えることで信頼を示したのだ。

 

「(クリムゾンめの恐らく初めて見せる強硬な反対、か。出来れば考慮してやりたいが…)」

 

 だがインゴベルト六世としても、今回はキムラスカ王家の未来の為に退けぬ理由があった。

 

 大袈裟と言うなかれ… キムラスカは赤い髪と緑の瞳を持つその血を何よりも重んじる。

 それこそ、ルークがナタリアと結婚した暁には彼が王位継承権第一位になってしまうほどに。

 

 だが、預言(スコア)のためとはいえ彼は長きに渡り軟禁生活を強いられていた。知名度は高くない。

 触れ合えばその才気は伝わるものの、出回っている噂は耳障りの良くないものばかりだ。

 

 だからこそ本件で存在をアピールし、後に続く彼の治世を盤石なものとしたい狙いがあった。

 さらにそれが、キムラスカへ『未曾有の繁栄』を齎す結果へと繋がるのであればなお良い。

 

 民衆はこぞってルークを讃え、ナタリアや彼らの子供にも大いなる幸せが約束されるだろう。

 万が一ではあるが預言が外れたとしても、マルクトへの信義は充分に示せることであろう。

 

 国を想う国王としても、我が子の幸せを願う父としても、決して譲るわけにはいかない問題だ。

 ひとまずクリムゾンのことは置くと決定し、インゴベルト六世はナタリアに視線を合わせる。

 

「ナタリアよ、控えなさい。……いずれ王の妻になる者としての自覚を持つのだ」

「お父様! 自覚とはなんですか!?」

 

「王妃たる者は、夫である国王を支えて日陰より国に尽くすのが本分」

「そんな! 私は言われるまでもなく、そのとおりに…」

 

「そのとおりにした結果が、『親善大使には己こそが相応しい』と主張することか?」

 

 やや厳しい口調のまま問い詰めれば、返す言葉も無いのかナタリアは俯いて押し黙った。

 それなりの老齢ではあるが、彼女の持つ功名心を見抜けないほどに耄碌もしていない。

 

 思えばナタリアも哀れな娘だ… そう思いつつ、インゴベルト六世は静かに溜息を吐いた。

 彼女は王家の赤い髪どころか、母親である王妃の黒髪すら受け継がず生まれてきたのだ。

 

 国王である己の耳にすら入ってくる不義の子ではないかという噂、それに晒され生きてきた。

 守ってくれるはずの母親は既に死別している。自分の価値を示して居場所を作るしかない。

 

 キムラスカとマルクトが和解する歴史的な場に立ち会うことで、名を残したいのだろう。

 さすれば不義の子なる不名誉な噂は一掃され、自身の存在意義を揺るぎないものに出来る。

 

「(情けないことだ… 父として、これの寂しさを埋めることはついぞかなわなんだか)」

「お父様、私は…」

 

「……ナタリアよ。おまえの苦しい気持ち、分からぬでもない」

「………」

 

「だがそれをおまえが奪うことで、将来同じ苦しみをルークに背負わせることになるのだぞ」

 

 認められぬ苦しみを誰よりも理解しているだろうナタリアに、敢えて卑怯な言い方をした。

 ……その言葉にナタリアは黙って頷くと、最早口を開くことはなかった。

 

 そして続いてクリムゾンを見据えると、インゴベルト六世は国王として口を開いた。

 

「わしは出来ればその方に命令をしたくはない。……なんとか引き下がってはくれぬか?」

「たとえそれが繁栄に続くのだとしても、それまでの道のりが不明のままでは危険です」

 

「……繁栄?」

 

 思わずナタリアが聞き返す。まだ、それが預言(スコア)のことだとは気付いてはいない様子であるが。

 

 一部の者にしか明かされてない秘預言(クローズドスコア)について口走ったことで、謁見の間に動揺が走る。

 クリムゾン自身も秘密厳守を言い渡され、これまでルーク本人は勿論妻にすら秘密にしてきた。

 

 騒ぎが広がり出す諸侯らを、インゴベルト六世が一喝する。

 

「静まれ! ……クリムゾンよ。滅多なことを口走るものではないぞ」

「……御意」

 

「なにより、親善大使は送らぬ訳にはいかぬ。次期国王以上に相応しき者がいるか?」

 

 王がルークを次期国王と明言したことで、謁見の間のあちこちから感嘆の声が漏れ出る。

 クリムゾンは押し黙る。彼とて譲り難い理由があった。我が子ルークのことである。

 

 ルークは生まれて程なく、ユリアの預言(スコア)に詠まれた重要な人物であると判明した。

 のみならず、赤い髪に緑の瞳を持っているということでナタリア姫の婿として定められた。

 

 彼にとって我が子は、預言(スコア)により王家に… 世界(オールドラント)に捧げられるべき存在であったのだ。

 ことは秘預言(クローズドスコア)だ。秘密厳守が命じられ、我が子は勿論のこと妻にも打ち明けられなかった。

 

 クリムゾンは無骨な軍人である。隠し事をしたまま我が子を愛せるほど器用な人間ではない。

 距離を測りあぐねたまま時間ばかりが過ぎていた溝が、このほどようやく僅かに埋まったのだ。

 

 このまま流されるままに我が子に運命を強制したくはない。初めての親心の発露であった。

 それに加え、ローレライ教団はもとよりモースという男が齎す預言(スコア)に疑問を抱いていた。

 

「(戦場でしばしば感じた悪寒… 根拠はないが、私の『勘』が罠だと告げている…)」

 

 無論かようなことを口走れば、先のように王に窘められるか悪ければ牢送りとなってしまう。

 この国で… いや、この世界で『預言(スコア)を疑う』ということはそれほどに罪深いことなのだ。

 

 だが『詠めない部分』とやらが『意図的に削られた』のだとしたら? それこそが恐ろしい。

 モース… ユリアを神聖視するあの狂信者めが、意図的に秘預言(クローズドスコア)を違えるとも思えない。

 

 だが削った部分に重大な秘密が隠されていたら? あるいは命取りになりかねない。

 キムラスカに繁栄をもたらすという内容が詠まれている以上、国家に不利益はないのだろう。

 

 だが何かを見落としている気がする。考えねばならない。今、自分にしか出来ないことを。

 あの狡猾な狂信者の意図を掴み取って、王を説得するだけの材料を。その手立てを。

 

 だが絶望的に時間が足りない。手札が足りない。肝心のモースも既にダアトへ帰還している。

 

 だが、だが、だが、だが… 立ち塞がる問題、そればかりが続いていく。

 八方塞がりの状況の中でクリムゾンが再度口を開こうとした時、膠着した状況は動き出した。

 

「伯父上! ルーク・フォン・ファブレです! 急なお目通り、失礼します!」

「……ルークか。一体いかなる用であるか?」

 

「はっ! お願いしたいことがあって参りました!」

 

 父の横に並んで跪くルーク。

 

 この膠着した事態をなんとかしたいと思っていた大臣も、敢えて無礼を咎めない。

 インゴベルト六世もルークの無礼を赦し、その言葉に耳を傾けんとする。

 

「この度、アクゼリュスへの親善大使の任… 是非俺に預けていただきたく参りました」

「ほう… まことか?」

 

「はい。アクゼリュスには困ってる人が大勢いるんですよね? ならば助けたいです」

 

 迷いなく彼は言い切った。そして尚も言葉を続ける。

 

「ジェイドたち… えっと、マルクトの使者の連中はそのために来てたんですよね?」

「うむ、そのように申しておった」

 

「ならアイツらをここまで連れてきた人間として、俺は最後までその責任を全うしたい!」

「ふむ… よくぞ申した! それでこそこのキムラスカの次期国王である!」

 

「……へ? 次期国王って」

 

 王の思わぬ言葉にルークは驚きの表情を浮かべる。

 それを知ってか知らずか、嬉しそうな笑顔を浮かべて王はクリムゾンに目を向ける。

 

「クリムゾンよ。ルークはかように申しておるが… どうだ?」

「……ルークよ、その言葉は本心からのものであろうな?」

 

「はい!」

「ならばこの上は私からは何もございません、陛下。御前、長々とお騒がせしました」

 

「構わぬ。……しかしその方、意外と親バカであったのだな」

 

 先ほどまで張り詰めていた謁見の間に、和やかな空気が漂い始める。

 続けてルークが口を開く。

 

「あの! 攫われた皇帝の名代の女性… なんとか探せないでしょうか?」

「ふむ… あの娘か」

 

「旅の途中、俺の友達だったんです。マルクトとの友好には大事だと思いますし、その…」

「皆まで言うな。もとよりそのつもりであったが、ルークの頼み… 特に申し付けておこう」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 そこにアルバイン大臣が口を挟む。

 

「であれば、いかがでしょうか? ヴァン・グランツ謡将を使うというのは」

「ふむ、いかなる心算か」

 

「アクゼリュスでの救助活動を行わせることで罪の減免を申し渡すのです」

「なるほど… もとより罪の減免をナタリアやルークにも求められておったしな」

 

「然様にございます。加えて、教団の印象回復にも一役買うのではないかと…」

 

 願ってもない提案だと、ルークは喜びの笑顔を浮かべる。

 これからの旅路にはやはり気心がしれた、しかも心強い味方が増えるのは嬉しいものだ。

 

 そんなルークに向かって、無理に笑顔を浮かべてナタリアが語りかける。

 

「良かったですわね、ルーク。……わたくし、あなたの成功と無事をお祈りしますわ」

「……ナタリア? なんか辛そうな顔してるけど、大丈夫か?」

 

「な、なんでもありませんわ! あなたは無事に帰ってくること。よろしくって?」

「それは、わかってるけど…」

 

「『けど』は余計です。『わかった!』と、ただ力強く約束すればよろしいのですわ!」

 

 誤魔化すように大声を出して、ナタリアは話を打ち切ろうとする。

 そんな彼女を暫し見詰めていたルークは、再び王に向き直る。

 

「あの… 陛下。もう一つだけ頼みがあるんですけど、いいでしょうか?」

「なんだ? なんなりと申してみよ」

 

「ナタリアを、俺の補佐にお願いできませんか?」

「なんと!」

 

「次期国王なんて言われましたけど、俺、そんな自覚はないし公務だって初めてです」

「ふぅむ…」

 

「色々知ってるナタリアに教えてもらえたら、正直、助かります。どうでしょう?」

 

 ルークの言葉に考え込むインゴベルト六世。

 まさかここまで忍耐強く、気遣いが出来る性格になっていたとは… そう密かに感心する。

 

 ……主にティアさんに鍛えられたせいなのだが。

 

「あいわかった。その言葉に甘えよう… だが、二人とも障気への備えは怠らぬよう」

「はい、ありがとうございます!」

 

「……ルーク、気を使わせてしまいましたわね。ごめんなさい」

「気にすんなって。大体、助けてもらうつもりなのは本当なんだ… 使い倒してやるぜ?」

 

「フフッ… こっちこそ立派な次期国王となれるよう、ビシバシ鍛えて差し上げますわ」

 

 穏やかな笑みを浮かべる娘の姿にインゴベルト六世は胸を撫で下ろすと、口を開いた。

 

「皆の者、我がキムラスカより派遣する親善大使はルークで決定した。異論ないな?」

「………」

 

「ではこの場を以って決定とする… 以後、各々はアクゼリュス救助支援の準備に励め!」

 

 一同は一糸乱れぬ様で跪くと、各々の仕事へと取り掛かっていく。

 

 謁見の間を出て、仲間たちと笑顔を見せ合うルークを眺めつつクリムゾンは思う。

 子供が道を決めたのであれば、それを守り支えてやるのが父の役目だろうと。

 

 そして信頼する腹心の部下を呼び寄せると、そっと耳元に囁いた。

 

「セシル少将… 君に救助隊の総指揮を任せるよう、陛下に奏上するつもりだ」

「しかと承りました。そのつもりで、準備に励みます」

 

「うむ… そこでだが、道中で君に一つ注意してもらいたいことがある」

「はっ、どういったことでしょうか?」

 

「……教団の動きに気を配って欲しい。ヴァン・グランツは勿論、導師らも含めてだ」

 

 彼女は声を潜めて伝えられた言葉に静かに頷くと、部隊の編成に取り掛かりに行った。

 

「(やれやれ… 我ながら疑い深いものだ。……何事も起きなければいいのだがな)」

 

 息子の無事を父親が静かに祈る。

 

 翌日、親善大使一行がアクゼリュスに向かうことが国民に向けて発表された。

 次期国王たるルークと、その補佐に絶大な人気を誇るナタリアが付くこと。

 

 これらの発表に、国民は揃ってお祭り騒ぎとなりここ数日の騒ぎなど収まってしまった。

 ……それは同時に、ヴァンが拘束されていた真の理由が明らかにされた事を意味する。

 

 

 

 ――

 

 

 

 ここはタルタロス内。

 

 情報収集から戻った部下から話を聞いたシンクが、深々と溜息をつく。

 怪訝な表情を浮かべてリグレットが尋ねる。

 

「どうした? また何か不審な情報でもあったというのか」

「不審な情報というか、不審人物の情報というか…」

 

「不審人物だと? 放っておけ。それより閣下の消息はまだ判明しないのか」

「その『閣下』が不審人物になっちゃったから溜息をついてたんだよ」

 

「ど、どういうことだ! 何かの間違いではないのか!?」

 

 慌ててシンクに詰め寄るリグレットであったが、当のシンクの表情は苦いままだ。

 といっても、その表情の大部分は仮面に覆われているのだが。……そして言葉を続ける。

 

「なんでも… 同性の王族への性的暴行未遂で捕まったんだってさ」

 

「襲われた王族ってのはまさか… なんつー真似しやがる。あのヒゲ!」

「嘘だ… そんなの、嘘だ…」

 

「んっと… 総長、男の人が好きなの?」

 

 激昂するアッシュに、今にも倒れそうなほど弱々しい声をあげるリグレット。

 そこに、アリエッタが無邪気に追い打ちをかける。

 

 流石に見かねたのか、ラルゴがやんわりとフォローに入る。

 

「そうではないと信じたいがな。……誰かに嵌められたという可能性も捨て難い」

「そ、そうだ! きっとそうに違いない! 閣下は嵌められたんだ!」

 

「うーん… だとしたら、謁見の間で告発したっていうマルクトの皇帝名代が怪しいかな?」

 

 セレニィは笑顔のまま青褪める。うん、それもしかしなくても自分のことですよね?

 どうする? ここは正直に言うべきか… 少し悩んでから、彼女は口を開いた。

 

「マジかよ皇帝名代サイテーだな!」

 

 いや、うん。無理です。

 殺気とか分からん自分にも伝わるほど禍々しいオーラをリグレットさんが発してますし。

 

 そのリグレットさんが笑顔を浮かべながら、口を開いた。

 

「もしそいつを見付けたら… 私、そいつを蜂の巣にしてやるんだ」

「精々がんばってね… そもそも、皇帝の名代って誰なのさ?」

 

「アリエッタ、しらないです。……セレニィ、しってる?」

 

 勿論答えは「NO」である。知ってようが知ってまいがこれ以外に答えはない。

 こんなことで藪蛇をしても意味が無い。さぁ、さっさと答えよう。

 

 そして口を開こうとしたところ…

 

「あ、そういやオメー… 確か和平の使者一行にいたよな。ようやく思い出したぜ」

「そういえばそうだったな。ということは、オマエは皇帝名代が誰か知っているのか?」

 

「え? あ、その… それは…」

「知っているのか。さっさと吐け… セレニィ」

 

「ちょっ、リグレットさん! 撃鉄上げたまま、太くて堅いもの押し付けないで!?」

 

 キレたリグレットにより眉間に譜銃を押し付けられ、両手を上げたまま動揺するセレニィ。

 いつしか他の六神将の注目まで集めてしまっていたようだ。

 

「まぁ、知ってるならさっさと教えてよ」

「捕虜として過分の待遇を与えているだろう。ここは素直に協力してくれないか?」

 

「いいからさっさと教えろ、カスが!」

「……吐け」

 

「んーと、んーと… 誰だろ?」

「ハーッハッハッハッ! まぁ、こんな悪知恵が働くのは一人でしょう?」

 

 プレッシャーに耐えかねて、セレニィは口走ることになる。

 

「じぇ… じぇいど・かーてぃす?」

「ハーッハッハッハッ! やはり、性悪ジェイドでしたか! 予想通りでしたね!」

 

「なるほど… 『死霊使い(ネクロマンサー)』めは奸智にも長けるということか」

「ジェイドだったんだ… アリエッタ、覚えたよ?」

 

「ちっ… そいつはぶっ殺す」

「なんかセレニィが不自然に目を逸らしてたのが、一周回って怪しいような怪しくないような」

 

「なんだっていい。そいつに地獄を見せてやるまでだ!」

 

 リグレットが一喝すると、場の空気が引き締まる。

 

「我らのやるべきことは実にシンプルだ」

「………」

 

「導師イオンを奪還し、皇帝の名代とやらを血祭りにあげて閣下の名誉を回復する」

「………」

 

「それだけだ!」

 

 彼女の檄に各々が頷く。……アリエッタとディストとセレニィ以外が。

 セレニィは小声でつぶやく。誰にも拾われないような声で。

 

「うん… 皇帝の名代って平気で仲間売るやつだし気を付けて下さいねー… あはは…」

 

 腹黒小市民が微妙に罪悪感を覚え、また、バレた時のことを考えて胃を痛めていたという。



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64.異物混入

 陸上装甲艦タルタロス内… その会議室に六神将が集う。

 

 宗教組織でありながら、『神託の盾(オラクル)騎士団』という独立した軍隊を抱えるローレライ教団。

 その中でも、それらを統率する一騎当千の六神将の武名は(あまね)く世界に鳴り響いている。

 

 そんな彼らが一箇所に集っているのだ。

 

 いやが上でも、これから起こそうとしていることの大きさを予感させるというものだ。

 同僚たちを睥睨して、六神将が一人“薔薇”のディストが愉しそうに口を開く。

 

「これから作戦会議を始めるわけですが… さてこれだけの六神将、壮観ですねぇ」

 

 一人一人、指折り数える。

 

「“魔弾”のリグレット」

「あぁ」

 

 リグレットが自身の髪を梳きながら涼やかに答える。

 

「“黒獅子”ラルゴ」

「……うむ」

 

 ラルゴが己が腕を組みながら頷く。

 

「“妖獣”のアリエッタ」

「ねぇ、前から思ってたけど『よーじゅー』ってなに? ディスト」

 

 返事をする前に、小首を傾げて上目遣いで尋ねてくるアリエッタ。

 それをスルーしつつ、ディストは点呼を続ける。

 

「“烈風”のシンク」

「いるよ」

 

 飄々とした仕草で返事をする仮面の少年シンク。

 

「“鮮血”のアッシュ」

「……フン」

 

 アッシュはいつもどおりの仏頂面で、不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 

「“心友”のセレヌィ」

「はい!」

 

 ついに手に入れたシンクとお揃いの仮面を被って、ポーズを決めつつ上機嫌に頷くセレニィ。

 つい先日ディストとアリエッタの援護を受けて、ついに予備をシンクから譲り受けたのだ。

 

 口車で乗せたり、嘘泣きしてみたり、周囲を煽ってみせたり… 中々に苦労したものだ。

 このイカす仮面をGETした壮絶な戦いを、セレニィは静かに… だが感慨深げに振り返る。

 

 数知れない攻防の末、最終的に捨て身のディストの尊い犠牲によりミッションは成功した。

 その功績を以って、彼はセレニィの『ソウルフレンド』から『心友』に出世を果たしたのだ。

 

 だが所詮は幕間の出来事。それらの出来事が、紙面で再現される日は永遠に来ないだろう。

 そんな彼女の内心など知る由もないままにディストは、最後の同僚の点呼を行うのであった。

 

「“チーグル”のミュウ」

「ですのー!」

 

 セレニィの隣の座席にちょこんと立ち、机に顔を半分覗かせたミュウが元気良く返事をする。

 その様子に満足して一つ頷くと、ディストは言葉を続ける。

 

「どうやら全員揃ったようですねぇ。それでは作戦会議を…」

「いやいやいや… ちょっと待て」

 

「なんですか、リグレット。トイレですか? だから、会議が始まる前に行けとあれほど…」

「リグレット… 漏らしちゃうの? ……アリエッタ、ついてってあげよっか?」

 

「違う! そうじゃない!」

 

 顔を真っ赤にして叫ぶリグレット。

 そんな彼女の様子に苦笑いを浮かべながらフォローに回るセレニィ。

 

「まぁまぁ、みなさん。そう話の腰を折られてしまってはリグレットさんも話せませんよ」

「ぜぇ… はぁ…」

 

「良かったらお水をどうぞ。……あと、あまり怒鳴るとお身体に障りますよ?」

 

 セレニィから差し出された水を引ったくり、ごくごく飲み干すと「ふぅ…」と一息つく。

 落ち着いた様子のリグレットに、席に戻ったセレニィが改めて尋ねる。

 

「それでリグレットさん、何かおかしなことでもありましたか?」

「いや、おまえだよ!」

 

「………」

 

 ビシッとセレニィの方を指差すリグレット。そして、シーンと静まり返る会議室。

 なるほどといった様子で頷くと、セレニィは口を開いた。

 

「ミュウさん… リグレットさんがあなたがこの場にいるのはおかしい、と」

「みゅう… ボク、ここにいちゃダメですの?」

 

「すみません。私としてもなんとかしてあげたいのですが…」

「やれやれ… 心が狭いですねぇ。たかがチーグルの一匹くらい、別にいいじゃないですか」

 

「違う! いや、違わないが… セレニィ、おまえもだ! 正確にはおまえたちだ!」

 

 再度机を叩くリグレット。

 更になるほどといった様子で頷こうとして、セレニィは小首を傾げた。

 

「ふむふむ、なるほど… 私のことだったんですね。……え、私ですか?」

「おまえだ。というか前回から流されてたけど、何しれっとした顔して混ざってるんだ!」

 

「……?」

 

 何を言われてるか分からない… という表情でセレニィは小首を傾げている。

 アリエッタとディストは可哀想な子を見るような目で見ている。……リグレットを。

 

 彼女たちの居心地の悪い視線に若干怯みながら、リグレットはなおも言い募る。

 

「大体おかしいだろ! コイツはただの捕虜だったはずだ! そうだろ? ラルゴ!」

「う、うむ… まぁ、そうなのだがな」

 

「そんな… 酷いです、リグレットさん」

 

 ホロリと涙をこぼしてみせるセレニィ。

 

「私個人の権利(ココロ)なんか関係なくて、ただ捕虜(カラダ)のみの関係を強いられるんですか…」

 

 その言葉に会議室がまたも静まり返る。沈黙が痛い… リグレットはそう思った。

 仮面に隠された絶対零度の視線をリグレットに向けながら、シンクが口を開く。

 

「まさか敬愛するヴァンがアレだからって… そっちに走ったのかい? リグレット」

「ち、ちがっ… 人聞きの悪いことを言うな! 私は…!」

 

「リグレット! 泣いてるセレニィに謝って!」

「いやしかし… 誤解なんだ、アリエッタ。私は…」

 

「ひどいよ、リグレット… ちゃんと謝ってあげてよ…」

「くすん、くすん…」

 

「ぐぬっ! ……ご、ごめんなさい」

「いやぁ、分かってくれればいいんですよ! まぁ誰にだって間違いはありますからね!」

 

「ぐぬぬぬぬ…!」

 

 親指を立てて綺麗な笑顔を浮かべるセレニィ。どう見ても嘘泣きである。

 殴りたい、この笑顔… と、リグレットは殺意をたぎらせる。

 

 それとは別に、これまで沈黙を保っていたアッシュが口を開いた。

 

「でも確かに、前から『なんでコイツ混じってんだ』とは正直思ってた」

「そうだろうそうだろう! もっと言ってやってくれ、アッシュ!」

 

「あぁ… リグレット、テメェ師団長でもねぇのになんで混じってんだ? ただの副官だろ?」

「ふむ、確かに… 本来ならば第六師団の師団長カンタビレが混ざるべきですよねぇ」

 

「え、私なのか? あ、いやいや… 私第四師団の師団長だから。ちゃんと指揮してるから」

 

 そうだったの? という視線が彼女に集中する。ラルゴまで「そういえば…」と言う始末だ。

 あまりな扱いに落ち込むリグレット。

 

 思わずといった感じでシンクが口走る。

 

「いや、いつもヴァンにベッタリだったから… 愛人かなんかだと。実力は認めるけどさ」

「ねぇ… あいじん、ってなに? 恋人みたいなもの?」

 

「ちょっとシンクさん! 大天使アリエッタさんの教育に悪いこと口走らないで下さいよ!」

「わ、悪かったよ。……それより、ホラ、会議始めるんでしょ?」

 

「そうでしたね… では、会議をはじめましょうか。みなさん、準備はよろしいでしょうか?」

 

 セレニィのその言葉に、ラルゴが、シンクが、ディストが、アリエッタが、アッシュが頷く。

 ミュウも元気に両手を上げる。

 

 そして、メンタルがボロボロになったリグレットも力無く頷いたのであった。

 

「(クックックッ… なんやかんだで会議の場に潜り込めました。ここまでは計算通り…)」

 

 思うように事態を誘導し、内心で小市民は邪悪な笑みを浮かべる。

 リグレットのツッコミを煙に巻いたりとぼけたりして見せたのも、演技に過ぎなかった。

 

 全てはこの会議にさり気なく混ざるための布石だった! ……全然さり気なくないが。

 

「(すみませんね、リグレットさん… 私は『負ける勝負』はしない主義なんですよ…)」

 

 何故だ、私悪くないのに… と俯いているリグレットに萌えつつ、爽やかな笑みを浮かべる。

 

 そのためにアッシュの料理をチキン多めにしたり、シンクの好きなハンバーグを提供したのだ。

 根回しは完璧である。教団が誇る六神将が賄賂に弱いことは明かされてはいけない(戒め)。

 

 ぶっつけ本番一択ならばまだしも、事前準備が出来るのにしないのは単なる間抜けである。

 アッシュとシンクの機嫌を取りつつ、ディストとアリエッタにも頼み込んでみせたのだ。

 

 まぁ、後者の二人は頼み込むまでもなく二つ返事で「会議? 出たいならいいよ」だったが。

 ……ラルゴには何度も殺されかけてて怖いのでちょっと近付けなかったが、結果は上々だ。

 

「(それもこれも自分が生き延びるため… このまま進むに任せたらデッドエンドですしね!)」

 

 机の下で小さく拳を握り締めて、一つ頷く。

 

 今また命の危機に晒され、ここしばらく鈍りきっていたポンコツ脳は再び回り始めたのだ。

 といっても、屁理屈や暴論で周囲を丸め込んだり煙に巻いたり煽ったりしかできないが。

 

 ならば彼女に迫る命の危機とは一体何なのであろう? それは大きく分けて二つあげられる。

 

 まず一つは六神将がヴァンに接触すること。

 もう一つは自分が六神将とともにジェイドに接触することである。

 

 一つ一つシミュレートしてみよう。まずは前者のケースだ。

 

 

 

 ――

 

 

 

 リグレットが囲みを突破して、ヴァンに近付いて明るく声を掛けました。

 

「閣下、ご無事でしたか!」

「うむ… 一時はどうなるかと思ったが、再びこうして会えて嬉しく思う」

 

「皇帝の名代なる存在に悪評を流され、閣下の評判は地に落ちてございます。許せません!」

「マジかよ皇帝の名代サイテーだな!」

 

 リグレットの言葉にセレニィが追随します。まるで他人事です。

 それに対し、やや呆れたような口調でヴァンが口を開きます。

 

「うん。まぁ、私をホモ容疑で嵌めたのおまえなんだけどね…」

 

 その言葉にそっと脱出しようとするセレニィを、リグレットは背中からドンと撃ちます。

 セレニィはノータイムでバタリとたおれました。

 

「セレニィ、おまえだったのか。閣下を嵌めてくれたのは」

 

 セレニィはぐったりと目をつぶったまま、頷きました。

 リグレットは譜銃をバタリと取り落とします。青い音素が、まだ筒口から細く出ていました。

 

 

 

 ――

 

 

 

「(……うん、死んでしまいますね)」

 

 読んだ誰もが後味悪い気分になりそうな某有名童話の例をなぞらえるまでもなく死ぬ。

 完璧に死ぬ。死んでしまうのだ。何故ならセレニィは雑魚なのだから。

 

 そこにいるのがリグレットでなく別の六神将であっても、皇帝の名代が誰だったかはバレる。

 そうすればいずれは彼女の耳に入ってしまうことだろう。後は遅いか早いかの問題だ。

 

 だから絶対に六神将とヴァンを接触させるわけには行かないのだ。自分が死ぬから。

 しかし常識的に考えれば、親善大使一行を襲撃しつつヴァンに接触しない理由などはない。

 

 加えてもう一方のケースを考えてみよう。

 

 

 

 ――

 

 

 

 リグレットが囲みを突破して、ジェイドに向かって銃を構えます。

 

「覚悟しろ、『死霊使い(ネクロマンサー)』ジェイド・カーティス! おまえだけは絶対に許さん!」

「はて… 貴女に恨まれる心当たりなどはありませんが?」

 

「とぼけるな! 閣下を悪評で貶めた皇帝名代にして和平の使者… それが貴様だろう!」

「そーだそーだー」

 

 リグレットの言葉にセレニィが追随します。まるで他人事です。

 それに対し、やや呆れたような口調でジェイドが口を開きます。

 

「なるほど… 貴女の仰りたいことはよく分かりました。“魔弾”のリグレット」

「理解したか? ならば大人しく死ぬと良い!」

 

「いや、ヴァン謡将を陥れた皇帝名代はそこのセレニィなんですけどね」

 

 その言葉にそっと脱出しようとするセレニィを、リグレットは背中から狙います。

 ですがそれより早くドSの譜術が二人を巻き込む形で発動しました。

 

 素晴らしい殺傷力です。セレニィもリグレットもノータイムでバタリとたおれました。

 

「まさか私まで嵌めようとしてくれるなんて… 『お仕置き』しないといけませんねぇ」

 

 そこに騒ぎを聞きつけた仲間たちが駆け寄ってきました。

 

「ジェイド、無事か? こ、これは… セレニィ!」

「なんでセレニィがこんなことに…」

 

「セレニィ、貴女だったんですね。身体を張ってリグレットの注意を引き付けてくれたのは」

 

 ドSは白々しいことを抜かしながら、ホロリと嘘泣きをしてみました。

 そんな彼の様子に、その場にしんみりとしたムードが流れます。

 

 セレニィはぐったりと目をつぶったまま、『犯人はドS』と地面に書き遺しました。

 ドSは勿論それを踏み消します。青い大空に、セレニィの笑顔が浮かんでいるようでした。

 

 

 

 ――

 

 

 

「(うん、間違いなく死んでしまう)」

 

 というより、なんかヴァンに接触した時よりも酷い結果になってるのは気のせいだろうか。

 仮にも仲間のはずなのに…

 

 ………。

 

「(あれ? あのドSって、仲間で良かったんだよね…)」

 

 今までの思い出を振り返り、ちょっと真剣に悩むセレニィ。

 なんか本来敵であるはずの一部の六神将とかの方が遥かに親密度が高い気がしてきた。

 

 ……多分気のせいだろう。それになにより、今は生き延びることを考えねば。

 そうとも、この二つのルートはこのままだと極めて通るのが高いのだ。

 

 だったら、どうする…?

 

「(会議を面白おかしく引っ掻き回しつつ、安全を確保できる方向に誘導するしかない…!)」

 

 邪悪な笑みを浮かべる。保身に保身を重ね、さらにまた保身を重ねる人生であった。

 セレニィにとって、この場で何もせずただ見守る… という選択肢はありえない。

 

 ならば会議の場を乗っ取り、自らの思う侭にさり気なく誘導して生き延びるしかない。

 だが、そんな邪悪な小市民の思惑にただ一人警戒を見せて立ちはだかる者がいた。

 

「(くっ… 六神将の過半数を籠絡するとは、やはり悪魔め。一体何を企んでいる…!?)」

「(リグレットさんおっぱいデカイなー… っと、いけないいけない。真面目にしないとね…)」

 

「(いや、何を企んでいるにせよ思い通りにはさせんぞ… この、閣下への敬愛に賭けて!)」

 

 勝つのは邪悪かそれとも魔弾か… 今、生き残りをかけた熱い戦いが幕を開けようとしていた。



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65.作戦会議

 かくしてここ、タルタロス内の会議室にて六神将による作戦会議が始まる。

 

 とはいえ、そこにいるのは有能だが飽きっぽく気分屋でまとまりのない六神将である。

 早くも「さっさと終わらせたい…」という色が、約過半数の表情に浮かんでいた。

 

 これまでは生真面目なリグレットと、抜群の安定感を見せるラルゴでまとめてきた。

 しかし、今日の作戦会議の場には異物が混入している。セレニィとミュウの二人である。

 

 さて各人で意見を交わし合おうかという段になって、早速セレニィが切り込んできた。

 

「では会議を始めるにあたって、議長を決めるべきだと思うのですが…」

「(早速来たか…)まさか、自分が議長になりたいとでも言うつもりはなかろうな?」

 

「はい? いやいやまさか… 私に議長をやらせたいんですか、リグレットさんは」

「そんなわけないだろう! そのつもりなら断固反対というだけだ!」

 

「あはは… ですよねー…」

 

 セレニィの動きを警戒していたリグレットは、その美しい柳眉を立てて警戒を露わにする。

 一方、当のセレニィ本人はそんな彼女の物言いに苦笑いを浮かべながらも同意を示した。

 

 なんだか分からないが嫌われているのは伝わってくるので、ほんのり寂しくなってくるが。

 陰謀ばかり企てているものの、別にセレニィは鋼のメンタルを持っているわけではない。

 

 決して折れないティアさんと比べるべくもないし、美人や美少女に嫌われれば凹みもする。

 とはいえ悪が嫌われるのは常のこと。生き延びるための必要経費ならばそれも仕方ない。

 

 綺麗な笑顔で死ぬなんて真っ平御免だ。汚かろうが罵られようがなんとしても生き延びる。

 それがセレニィという人間の生き方である。当然全て都合良く進むなど望むべくもない。

 

「(嫌われたくはないけれど、アレも嫌コレも嫌は通らない… 悩ましいけど仕方ない、か)」

 

 そう開き直ることにする。死亡フラグを回避するためならば、嫌われようがどんと来いだ。

 賽は投げられた以上、泣き言を言うわけにもいかないのだ… 気張って笑顔を浮かべる。

 

「まぁ、正直誰もいいんですけどね… でしたらディストさん、いかがでしょうか?」

「ほほう、私ですか?」

 

「えぇ、議長には中立性と広い視野… そして物事の道理を掴み取れる知性が求められます」

「ハーッハッハッハッ! なるほど、“薔薇”のディストにピッタリの役割ですねぇ!」

 

「シンクさんも相応しいとは思いますが、参謀の彼にはドシドシ意見出して欲しいですし」

 

 そこまで言ってから「どうでしょうか?」と、周囲を改めて見渡すセレニィ。

 

 基本的に自分の興味のあること以外はどうでもいい、というスタンスを崩さないディストだ。

 下手に無理矢理議論に参加させるよりは、幾分マシな結果を得られやすいのは確かだろう。

 

 そもそもセレニィ自身にしても、先ほど言ったとおり議長になるのは「誰でもいい」のだが。

 言葉の筋道は通っているとし、そもそも彼女本人にも自説に執着する気配が見えないのだ。

 

 リグレットを除いた四人にしても、別段それを否定する材料はないため賛成を表明した。

 そして残ったリグレットも、暫しの黙考の末に「……いいだろう」と頷く形となった。

 

「では議長… 会議の進行をお願いしますねー」

「ハーッハッハッハッ! ではこれより、美しく華麗な作戦会議をはじめましょうか!」

 

「ですのー!」

 

 ディストが張り切ってミュウが喜びつつの会議が始まったことで、笑顔を浮かべるセレニィ。

 

 先ほど「議長になるのは誰でもいい」と言った彼女自身の言葉に嘘はない。それは確かだ。

 本音として、その後に「……自分が議長にさえならなければ」という文面が続くのだが。

 

 セレニィの本質は煽り屋(アジテーター)だ。残念ながら、持論によって物事を一気に解決に導く能力はない。

 彼女は智将としては二流以下の存在でしかない。人質でなくともこの場にはいられないほどに。

 

 モースとの対決は、豊富な材料を持ち綿密な準備を重ねての不意討ちが成功しただけのこと。

 幸運にも恵まれた結果でもあるし、彼女の能力的にそうそう何度も渡れる橋ではないのだ。

 

 漠然とは望む方向性があるものの、介入できなければそれについては実現しようもないのだ。

 だからこそ、『意見を持てない』議長という役割を割り振られることだけは避けたかった。

 

 とはいえ、今回に限っては性格分析によってその初動のパターンだけは決まっているのだが。

 あとはタイミングだけだが、さて…

 

「会議と言ってもすべきことは決まっている。導師を奪還し、閣下の汚名を晴らすのみ」

「ふむ、確かにな。とはいえ、実際にどう動くかだが…」

 

「といっても、こちらの戦力からいって奇襲を仕掛けて混乱させるしかないと思うけどね」

 

 タルタロスは大型ではあるものの、それでも収容人員は300名弱に過ぎない。

 各人千人単位の指揮権を持つ六神将だが、配下の大部分はダアトにて待機させている現状だ。

 

 親善大使一行には導師も加わるという話まで発表されている。護衛の数は増えるだろう。

 つまり数の上では劣勢に回らざるをえない、というのが参謀役も兼ねるシンクの見立てだ。

 

 タルタロスに乗せずに指揮をすれば、数千人単位の運用とて可能だが機動性が殺される。

 そして何より、そこまでやってしまえば現時点でもヤバいのに即開戦レベルとなってしまう。

 

 現在でも充分に潜在的な戦争状態と言えるが、数千人の部下で攻めれば大戦争確定である。

 

「となると、その部隊編成に移るわけだが…」

「ちょっと良いですか?」

 

「……なんだ。貴様の発言を許した覚えはないぞ」

 

 ここでセレニィが割り込む。

 順調に進んでいる会議に水を差され、リグレットが不愉快げな表情を隠さず声を上げる。

 

 それを制しながらディストは口を開く。

 

「ハーッハッハッハッ! 構いませんよ、セレヌィ。発言を許可しましょう!」

「おい、ディスト。貴様、勝手に…」

 

「議長とは公平たるもの。参加が認められた以上、セレヌィにも発言権が与えられます」

「ぐぬっ…」

 

「もっとも、贔屓をするつもりはありませんが。……構いませんね? セレヌィ」

「構いません。感謝します、議長」

 

「堪えよ、リグレット。ディストの言い分は、議長としてはなんら間違っていまい」

 

 ラルゴに窘められてリグレットは渋々と引き下がる。

 それを確認してからセレニィは口を開いた。

 

「相手側… 親善大使一行の狙いはなんでしょうか?」

「あぁ? そんなの、アクゼリュスに向かって救助するためのモンだろーが!」

 

「それ、単に相手側の発表を鵜呑みにしただけに過ぎませんよね」

「つまり何が言いたいのだ。セレニィよ」

 

「内偵が足りてません。罠だった場合、ノコノコ出て行ったら詰みますよ?」

 

 会議室がシンと静まり返る。

 

 別にそれが事実である必要はない。「そういう可能性もある」と思わせられれば万々歳だ。

 続いてセレニィは口を開く。

 

「導師の乗ってる船襲ったり、軍港襲ったり… 六神将は既に国際テロリスト扱いですよ」

「そ、それは…」

 

「私が相手の立場なら、捕らえるために多少大掛かりな罠を仕掛ける価値はあると判断します」

「つまり、アクゼリュス行きは嘘っぱちって可能性もあるってこと?」

 

「さて… 両取り狙いもありえますしね。それを明らかにするための内偵です」

 

 これで「そうだね、内偵は必要だね。だから出撃やめようか」となったら最高なのだが。

 流石にそうは上手く行かないだろうな… と、内心溜息をつきながらセレニィは思う。

 

「セレニィの言うことも分かるけど、こちらには時間も手札もない。内偵の伝手もない」

「そもそも戦場であらゆる万全は望むべくもない。ある程度は博打も必要だぞ」

 

「全く仰るとおりです。なので、どうでしょうか? 『威力偵察』を仕掛けるというのは」

「……『威力偵察』?」

 

「はい。退路を確保しつつ少数で一当てして、相手側の戦力やスタンスを探るのです」

 

 その言葉に六神将の各人が考え込む。アリエッタは分かってないようで小首を傾げているが。

 そんな彼女に癒やされつつ、セレニィは続けて言葉を紡ぐ。

 

「ヴァンさんのことは確かに心配です。しかし、彼は正式に同行者として発表されました」

「『仲間』として扱われている以上、そうそう無体な扱いは受けないだろうってことか」

 

「はい、そういうことです。むしろ下手に襲撃をして捕まる方が彼にとっては迷惑でしょう」

「むぐぐぐ…」

 

「だが、導師奪還は我らにとっても急務。ヴァンのことは置いておくにせよ譲れぬ問題だ」

 

 ラルゴの言葉に分かっているとばかりに頷く。

 

 彼らが導師様を誘拐したがってるのはよく伝わってくる。きっとペロペロしたいのだろう。

 それがこんなハズレを引いてしまっては、テロ活動の一つもしたくなるかもしれない。

 

 ペロペロ、クンカクンカする時には是非自分も混ぜて欲しい。そう思いつつ、口を開く。

 

「えぇ。なので、導師奪還とヴァンさんに迷惑をかけない… この両立が求められます」

「口で言うのは簡単だ。だが、あれもこれもとはいかないのが現実というものだ」

 

「いいえ、今回限りは両立可能です。だからこの場合、欲張るのは間違いではありません」

 

 キッパリと言い切った彼女の言葉に会議室はざわめく。

 ディストが浮かんでいる椅子の手摺りを叩いて、声を荒げる。

 

「あなたたち、静粛に! ……さてセレヌィ、その方法は今この場で説明できますか?」

「勿論です。これは私自身の力ではなく、六神将のお力をお借りする話なのですから」

 

「! ほう… 与太話でないとあらば面白い。誰の力を借りるのか、口にしてみると良い」

「おい、ラルゴ! こんな話を本気で信じるつもりなのか?」

 

「良いではないか、リグレット。俺を使いこなすほどの器であるならば楽しみだ」

「まぁ、言ってみなよ。それに使えない案だったら、却下すればいいだけのことだしね」

 

「ならば、お答えしましょう! ……それはディストさんとアリエッタさんです!」

 

 その言葉に意外そうな表情を見せるもの、納得するもの… 反応は様々であった。

 呆れたような口調でリグレットが声を掛ける。

 

「何を言うかと思えば… その二人は部隊運用に不慣れで、戦術にも明るくないぞ」

「ほほう、なるほど… そうなんですねー」

 

「奇襲をかけるにせよ、威力偵察をするにせよ… 私かラルゴの力は欠かせぬだろうに」

「いやいや、部隊運用とかいらないですからね。むしろ火種にしかなりませんし」

 

「……はぁ?」

 

 手を左右に振るセレニィに向かって、怪訝そうな表情を浮かべるリグレット。

 美人はどんな表情をしていても美人である。内心萌えつつセレニィは説明を続ける。

 

「アリエッタさんの『友達』の空中機動力は進撃にも撤退にも重宝します。何より個で強い」

「……まぁ、そうだな」

 

「加えてディストさんの譜業は、こちらの人的被害を最小限に抑える画期的な戦力です」

「……ふむ」

 

「そして何より、『魔物が勝手に襲った』とか『譜業の暴走』と対外的に言い逃れられます!」

 

 ドヤ顔で言い切る。

 

 六神将の表情にも納得の色が浮かぶ。これこそ、保身に走ったセレニィの第二の目的であった。

 キムラスカ側や仲間たちの被害を最小限に抑えつつ、六神将の罪のカウンターを回させない。

 

 幾らテロリストとはいえ多少情が湧いた相手だ。美人さんもいるし不幸にさせるのは忍びない。

 襲撃を失敗させ、双方の被害を0か限りなくそれに近い程度に抑えつつタイムアップを狙う。

 

 そうすれば拳の振り下ろしどころが消えるはず。そんなことを考えつつ、彼女は言葉を続ける。

 

「苦しい言い訳かもしれませんけど、努力次第で全面戦争は避けられるかもしれませんよ」

「いや… なるほど、見事だ。これならば俺やリグレットが後詰めに回るのも納得だ」

 

「ありがとうございます。撤退時のサポートに、出来ればシンクさんあたりが欲しいですね」

「僕が? 構わないけどなんでさ」

 

「なんか目端が利いてて、臨機応変にトラブルに対応してくれそうだからです!」

「なんだい、それ… フフッ、まぁ別に構わないけどね」

 

「おおっ、貴重な笑顔いただきました! これはデレ期か? デレ期なのか?」

「そんなものは、ない」

 

「ぎゃあああああ! 意見はたたき台にして欲しいけど、私は丁重に扱って欲しいです!」

 

 シンクにアイアンクローを貰ってのたうち回るセレニィ。それに怒って注意するアリエッタ。

 こんな間柄でも全面戦争になってしまったら、殺すか殺されるかの関係になってしまう。

 

 厳しい世界である以上多少は仕方ないとはいえ、やっぱり出来る限りは避けたいのが本音だ。

 そしてひっそり六神将からフェードアウトして、アリエッタさんと幸せな家庭を築きたい。

 

 勿論そこにはイオン様もアニスさんもいて… 萌えキャラに囲まれて平穏な生活を送るのだ。

 リグレットさんは… なんかヴァンさんのことが好きみたいだし泣く泣く諦めるとしよう。

 

「うへへへへ…」

 

 妄想トリップをして涎を垂らしているセレニィに気付かぬまま、六神将は議論を続ける。

 この上はセレニィ本人に出来ることなんてなにもないだろう。所詮は二流の扇動家だ。

 

 後は頭のいい人達が勝手に肉付けをして、実現可能なレベルにまで考えてくれるだろう。

 そんなことを考えつつ、アリエッタと一緒にミュウの物真似ごっこに精を出すのであった。

 

「みゅうみゅう! ミュウですのー!」

「みゅみゅ… アリエッタ、ですの… ちょっと、恥ずかしいですの…」

 

「生きてて良かったですの(真っ赤になって人形に顔埋めるアリエッタさん、マジ大天使)」

「あ、あの… セレニィ? ……鼻血、大丈夫?」

 

「大丈夫ですの… これは、その… 愛が溢れてしまっただけですの…」

 

 ただし、愛は鼻から出る。……嫌な愛である。

 

 

 

 ――

 

 

 

 そして会議が終わって数日後。

 

「ハーッハッハッハッ! この天才ディスト様手製の譜業軍団、数は少ないですが精鋭ですよ!」

「んっと… アリエッタ、友達と一緒にがんばるね」

 

「いやぁ、ディストさんもアリエッタさんも素晴らしく頼もしいですねぇ」

 

 張り切る二人をニコニコと眺めているセレニィ。

 彼女は『青褪めながら』言葉を続けることとなった。

 

「……で、なんで私まで出撃する羽目になってるんですか?」

「流石に現場指揮官0ってのもね… それにセレニィの指示なら、この二人も聞くでしょ?」

 

「いやいやいやいや! そんな、私なんかがそんな…」

「謙遜するな。それに教団と無関係の者がいた方が策に説得力は出る… そうであろう?」

 

「……アッハイ、ソッスネ」

 

 ラルゴに肩を叩かれて、小さくなって俯く。

 そしてそんな彼らの様子を見ながら、アッシュがリグレットに話しかける。

 

「しかし良いのか? ひょっとしたら脱走するかもしれねーってのに」

「うん、良い。むしろいなくなれって思う」

 

「ハァ?」

「だってそうすれば胃痛の種も消えるし、戦場で会ったら撃ち殺せるだろう?」

 

「そ、そうかよ…」

 

 晴れやかな笑顔を浮かべつつそう答えるリグレットに、やや引き気味に返すアッシュ。

 その頃、出発組の準備が整ったようだ。

 

「では出発しましょうか、心友!」

「んっと… よくわからないけど、がんばろうね? セレニィ」

 

「……はーい。友情パワーをみせてやるぜー、いやっふー」

 

 ……どうしてこうなった。

 

 こんなことになるなら、後の六神将の相談にも無理矢理割り込めばよかった。

 巨鳥フレスベルグの背の上で涙をこぼすも後の祭り。

 

 果たして彼女は仲間たちと再会するのか否か… その答えは風だけが知っている。



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66.真実の…

 アクゼリュスへと向かう親善大使の一行… その中に、ヴァン・グランツも混じっていた。

 

 だが仲間たちと和気藹々と進むルークらと違い、その道程は非常に寂しいものであった。

 犯罪者ということから常に監視の目があり、その汚名から一歩退いた対応を取られてしまう。

 

 この世でただ一人、血の繋がった妹のために敢えて受けた汚名とはいえ、辛いものは辛い。

 何かにつけ、様子を見に来てくれたり話を聞いてくれるナタリア姫には感謝しかないが。

 

「ふぅ… やはり微妙に納得いかないものがあるのだが。今更言っても仕方ないのか…?」

 

 溜息を吐きながら、やれやれとばかりに頭を振る。最近、独り言が増えてしまった気がする。

 確かに自分自身で選んだ道ではある。しかしながら、この扱いは余りに理不尽ではないか?

 

 そんな胸中の不満を人知れず抱えつつつ、ヴァンはバチカルでの出来事を振り返るのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 鉱山都市アクゼリュスへと向かう親善大使の一行が発表され、本日が旅立ちの日でもある。

 彼らの姿を一目見ようと詰め掛けた国民の姿で、バチカルの大通りは溢れかえっていた。

 

 そんな待ち受けていた彼らの前に、赤い髪の男性とそれに寄り添う金髪の女性が姿を現した。

 

「おっ、ついに出てきたぞ! ナタリア様だ! ナタリア様ー!」

「隣の赤い髪の男性は誰だ…?」

 

「確かルーク様だよ。ファブレ公爵家のご子息の」

「おお、あのナタリア様の婚約者っていう…」

 

「ナタリア様と違ってあまり名前は聞かねぇけど、一体どういう方なんだ?」

「なんでもマルクトとの橋渡しをこなし、今回も自ら親善大使に名乗りを上げたらしい」

 

「そりゃなんとも立派じゃねぇか… ルーク様、万歳!」

「次期国王陛下、万歳!」

 

「キムラスカ万歳! マルクト万歳!」

 

 想像を遥かに超える盛り上がりぶりである。

 

 思わず硬直してしまうルークだが、隣のナタリアに何事か囁かれ声に応えて手を振り始める。

 その初々しい仕草と二人の支え合うやり取りに、国民はますます熱狂を見せる。

 

 そんな彼らに続いて、金髪の眉目秀麗なる若い剣士が後を続く。

 

「へぇ… あっちの剣士は堂に入っているじゃねぇの。どこかの名のある剣士なのかい?」

「ありゃ公爵家の使用人のガイ・セシルってヤツさ。目端が利いて、めっぽう腕も立つらしい」

 

「そいつぁすげぇ! でもどっかで聞いたことある名前のような…」

「オマケにあの甘ったるいマスクだろ? 全く、城下の娘達が騒いで仕方ねぇや… けっ」

 

「あぁ、噂の『ガイ』か… 女性恐怖症ってのがホントならうちのカカアは平気だな」

「なーに言ってやがる! オメェさんのカカアはおっかなくて魔物だって手ぇ出せねぇよ!」

 

 漏れ出てくる噂話に苦笑いを浮かべながら、ガイは、ルークとナタリアの一歩後ろを歩く。

 そんな彼に続くのが、導師イオンと導師守護役であるアニスである。

 

 イオンの方はこういった熱狂ぶりに慣れているのか、穏やかな笑みを浮かべて手を振っている。

 

「おお、イオン様だ! イオン様だぞ、おい! 俺ぁ生きて姿を拝めるとは思わなんだぜ」

「あぁ、全くだ… ありがたや、ありがたや…」

 

「で、隣の女の子は誰だい? 付き人かなんかか?」

「いやまぁ、それでもあるけど… オメェさん、導師守護役(フォンマスターガーディアン)って知らねぇのかよ」

 

「ふぉんますたーがーでぃあん、とな?」

「はぁ… 導師の公務の際には常に寄り添い、その身を盾にして守る護衛役ってことだよ」

 

「そんじゃあの子は、あんなに若いってのに随分エリートさんなんだな。こりゃ参った」

「オマケに腕も立つってことだ。あの子の背負ってる人形、見てみろよ」

 

「おお、なんか不気味な人形だよな。けど人形背負ってるなんて可愛いとこもあるじゃねぇか」

「間抜けか、オメェさんは。ありゃ人形士(パペッター)にとっての武器だよ… アレを使って戦うのさ」

 

「へぇ、人形士(パペッター)か! そりゃたまげた! 一体どういう仕組みなんだい?」

「どういう仕組みかって、そりゃオメェ… あっ! 次の人が出てきたぞ!」

 

 誤魔化すように大声を出す男の示す方向を見れば、眼鏡の男と兵士が姿を見せていた。

 兵士の方はキムラスカ兵ではない様子だが。

 

「ついている護衛がキムラスカ兵じゃないってこたぁ… マルクトの使者かな?」

「あぁ、なんでも『死霊使い(ネクロマンサー)』が使者としてやってきてたらしいぞ」

 

「うへぇ… 戦場で死体を漁るっていうあの『死霊使い(ネクロマンサー)』かよ、おっかねぇ…」

「ただまぁ、ルーク様もガイも連中を信頼して仲間として扱ってるらしい」

 

「てことは、噂は所詮噂だったってことなのか?」

「あぁ、カイツール軍港の襲撃事件でも真っ先に救助の手伝いをしてくれたらしいぞ」

 

「なんだって! そりゃいいやつじゃねぇか! マルクト万歳! 『死霊使い(ネクロマンサー)』万歳!」

「……全く、単純なやつだぜ」

 

 苦笑いを浮かべてそれらの声に応じて手を振るジェイドに、歓声はいや増す。

 

 続いて、教団の制服を纏った女性が姿を現す。

 物怖じしない凛とした佇まい、片目を隠した長い髪から除く意志の強さを感じさせる眼差し。

 

 そして服の上からでも伝わってくるボリューミィな肢体と、その美しい顔立ち。

 ナタリアの美しさに慣れていたとはいえ、詰め寄っていた国民の魂を抜くに充分であった。

 

「ごくっ… 誰だい、あのすこぶるつきの美人さんはよ…」

「ありゃティアだ。見ての通りの教団兵らしいぜ」

 

「そりゃ見たら分かるよ! なんかねぇのかい、名前以外によ!」

「いや、それ以外のプロフィールが一切伏せられててなぁ… 謎に包まれてるんだ、これが」

 

「くぅー… あれだけ美人でオマケに謎も多いたぁ、ますます魅力的だねぇ」

「ただルーク様たちに信頼され、仲間として扱われてる以上は悪いやつじゃねぇと思うが」

 

「ティアさーん! こっち向いてー!」

「ちなみに16歳らしいぞ、アレで」

 

「なんだって! ナタリア様より二つも年下なのか、アレで!」

 

 その声が聞こえたのか、ティアは話をしている男たちに虫でも見るような視線を向ける。

 胸が大きくなったのは断じて自分の意志ではない。二年前までは普通だったのだ。

 

 膨らみ始めた時期は、教官であるリグレットの指導を受け始めた時期と一致している。

 つまり胸が重くなったのは、全ては教官のせいなのだ。ティアはそう自己完結をしている。

 

 なお、男たちはその蔑みの視線を受けてむしろ悦んでいるようであった。

 よく訓練されている。

 

 親善大使一行が次々とバチカル発の船に乗り込む中、いよいよ最後の一人が姿を見せる。

 年の頃は三十代前後の男性だろうか? 髪を総髪に結い、顎髭を伸ばした風貌の偉丈夫だ。

 

 これまで立て続けに紹介を行ってきた男が、不敵に顔を歪めると口を開いた。

 

「おっ、いよいよ大トリか…」

「ありゃ誰だい? 随分と立派な武人さんに見えるが。服からして教団関係者かな」

 

「そのとおり。神託の盾騎士団主席総長… ヴァン・グランツだ」

「へぇ… それにしちゃ空気がおかしくねぇか? 見物人もざわめいてるし、物々しい感じで」

 

「そりゃそうだ… なんせヤツはルーク様を想うあまり襲おうとした生粋のホモなんだ!」

 

 男は相方に向けてビシッと指を突きつけた。

 相方のリアクションはわかりやすい。手を上げるような仕草で驚きを露わにした。

 

「な、なんだってぇー! よ、よく首と胴体がお別れしなかったな…」

「それがルーク様の剣術の師匠でもあったらしくてな…」

 

「いや、それまでの功績を考えるにしてもだよ…」

「旧知の仲のルーク様とナタリア様からの助命嘆願もあったらしい。教団の手前もあるしな」

 

「あぁ、そういう… しかし、主席総長が愛弟子を襲うたぁ世も末だねぇ」

「夜の船の甲板上で二人きりになってしまって、堪えきれなかったらしいな…」

 

「まったく雇ってもらった恩を仇で返すたぁふてぇホモ野郎だ!」

 

 怒りを示す相方の声と相俟って、周囲のムードが険悪なそれに変わっていく。

 それも仕方ないだろう。

 

 アクゼリュス行きへと同行させては、またいつルークが襲われてしまうか分からない。

 ナタリアを敬愛する模範的な国民としては、看過できる問題ではないだろう。

 

「かーえーれー!」

 

 一人の国民が口に出し始めた。それが誰だったのかは今となっては分からない。

 男かも知れないし女かも知れない。若いかも知れないし年寄りかも知れない。

 

 もはやそんなことはどうでもいいとばかりに、声がうねりとなって広がっていく。

 

「かーえーれー!」

「かーえーれー!」

 

「かーえーれー!」

「かーえーれー!」

 

 己に向けられる厳しい仕打ちに、ヴァンは、俯いて歯を食いしばりながら耐え忍ぶ。

 真実を明かすのは簡単だ。……それが信じられるか信じられないかは別にして、となるが。

 

 しかし、それをしたところで待っているのは新たに罪に問われてしまう妹の処遇。

 そして最悪の場合、『自分のやろうとしていたこと』について勘付かれる恐れもある。

 

 駆け付けようとしているルークが、ガイとジェイドに止められている姿を見て安堵する。

 彼がこの場にやってくるようなことがあれば、自分へのあらぬ疑いは深まるばかりである。

 

「鎮まれ! 鎮まらぬか! 彼の地での活動で罪の減免とするのは陛下のご意思なるぞ!」

「いい加減にしないと、陛下のご意思に逆らったと見做してしょっ引くぞ!」

 

 護衛のキムラスカ兵が怒鳴るさまを他人事のように眺めながら思う。

 やはりこの世は愚か者ばかりだ。

 

 預言(スコア)に支配された人間の行き着く先がこれだ。

 それを覆してみせると嘯いていたセレニィなる少女は世界に淘汰された。

 

 漆黒の翼なる集団に攫われたと聞いているが、何処まで本当のことか。

 モースの手の者に害された可能性は極めて高いだろう。

 

 やはり預言(スコア)の強制力は絶対なのだろう。

 今こうして、彼らがアクゼリュスに向かうことも含めて。

 

 預言(スコア)を盲信しているからこそ、簡単に流言に惑わされるのだ。……今のように。

 ヴァンが失望の溜息を吐こうとした時、自身を守るように影が差したことに気付く。

 

 何事かと思って顔を上げてみれば、そこには見知らぬ者達が立っていた。

 両手を上げてこちらに背を向けつつ取り囲み、まるで守るかのように。

 

 ここからは確認できないが、彼らは群衆に怒りの眼差しを向けているようにも思える。

 数名の男女であった。男性の多くは筋肉質で、女性にはいかにも儚げな者が目立つ。

 

 恐らく女性は貴族の子女なのだろう… 荒事や暴力的な視線などには慣れてないに違いない。

 だが、彼女は勇気を振り絞って口を開いた。

 

「恥じなさい! 噂に惑わされ、想像のみでみだりに他者を中傷する自らの狭隘(きょうあい)さを!」

「そうだそうだ! この方を馬鹿にすると俺たちが許さねぇぞ!」

 

 男性も力強い声でその背を後押しする。

 

 まさかこんな自分を庇うために逆境の中に踊り出てくれるとは…

 ヴァンは思わず目頭を抑えて涙をこらえる。

 

 そこに男性がタオルを差し出しながら声をかけてくる。

 

「ヴァンさん… 良かったら、これ、使ってくだせぇ」

「うむ、ありがとう… しかし、良いのかね? 私は聞いての通りの罪状があるが」

 

「だからですぜ。逆に聞きますが、例の噂は嘘っぱちだと否定しますかい?」

 

 差し出された手を掴みたい。しかし、妹のためにも否定するわけにはいかないのだ。

 自らの価値観で判断して助けてくれた彼らを裏切るようで心苦しいが…

 

「……否定することは出来んな」

「その言葉を聞いて安心しましたぜ。俺たちも同じ気持ちでさぁ」

 

「うむ… うむ?」

 

 目の前の彼は、今何かおかしなことを口走らなかっただろうか?

 そう思いつつ確認しようとしたら、女性が更に言葉を続けていた。

 

「お聞きなさい! グランツ謡将は従来の形に囚われない真実の愛を見出したのです!」

「し、真実の愛だって…?」

 

「ちょっと待って欲しい。なんだかおかしな方向に話が進んでいる気が…」

 

 群衆がざわめき出す。ヴァンは慌てふためく。

 しかし、それらを気に留めることなく彼女は尚も言葉を続ける。

 

「七年前に誘拐された公爵子息ルーク様を、ただ一人発見できたのもその愛が故…」

「え? あ、いや、その… いつの間にそんな話に…」

 

「なんだって… そこまで強烈な愛だったのか」

「くっ! ただ欲望をぶつけるだけのそれと誤解していたぜ…」

 

「確かに彼は道を誤ったかもしれません。けれど…」

「………」

 

「けれど、どうかその想いの純粋さだけは分かってあげて下さい」

 

 しんみりとした空気が流れる。

 一方ヴァンは、生まれてこの方経験したことのないほどの居心地の悪さを感じていた。

 

 出来ることならば今すぐ逃げ出したい。

 故郷のベッドで何もかも忘れて眠りにつきたい。

 

 しかし、死んだ瞳のヴァンの様子に不審を覚えたのか尚も群衆が言い募る。

 

「け、けどよ… それが本当だって保証もねぇだろ?」

「そうだそうだ! そっちの方が想像の出来事かもしれねぇじゃねぇか!」

 

「ありえません」

「な、なんで断言できるんだ!?」

 

「私のお父様は国家の重臣です… 謁見の間での出来事をつぶさに語ってくれました」

「な、なんだってー!?」

 

 群衆がショックを露わにする。

 

 それは国家機密的に大丈夫なのだろうか… 彼女の父が罰せられないことを切に祈る。

 しかして彼女の舌鋒は尚も止まらない。

 

「銀髪の少女からグランツ謡将の深い愛を聞かされた陛下は、胸を打たれたようです」

 

「なるほど… だからこうまで不自然に罪が軽かったのか…」

「確かに辻褄は合うな…」

 

「(謁見の間での銀髪の少女の語り… 間違いない、ヤツだな)」

 

 ドヤ顔で親指を立てている銀髪少女の姿が脳裏に浮かぶ。

 目の前にいたら助走つけて顔面にパンチをめり込ませてやっていたものを…。

 

 ヴァンは乾いた笑みを浮かべながら、ことの趨勢を見守っている。

 そんな彼に、庇ってくれていた筋肉質の男性が声を掛けてきた。

 

「ヴァンさん… 俺、感動しましたぜ! 王族のしかも同性相手に道ならぬ愛を貫くなんて!」

「あ、いや、別にそういうわけでは…」

 

「謙遜しないでくだせぇ! 確かに俺たちゃ日陰者… 表に出ていい存在じゃねぇ。けど!」

「うん、そうだな。出来れば一生日陰のままが望ましいと私も思うな」

 

「胸を張って生きたって良いじゃねぇか! ヴァンさん、アンタはそんな俺らの希望なんだ!」

 

 ……勝手にその筋の人々の希望にされていた。

 

 汚名を被ると言ったがこの扱いはあんまりだろう。涙がこぼれてくる。

 するとその涙をどう解釈したのか、群衆の間に拍手が沸き起こる。

 

「すまなかったな… ホモだからって馬鹿にしてよ」

「そうだよな… ホモだって生きてるんだもんな」

 

預言(スコア)に真っ向から叛逆するその生き様、非常にロックだと思います!」

「純愛だったなら、陛下が心動かされるのも仕方ねぇよな…」

 

「応援するぜ! でも、今後は無理矢理とかはしないようにな!」

 

 先ほどまで罵声に包まれていたヴァン・グランツは、一転して拍手に包まれることとなった。

 ……本人的に全く以て嬉しくないが。

 

 そこにさっきヴァンをして希望と言った男性が、またも話しかけてくる。

 

「あの、ヴァンさん… 折り入って頼みがあるんですが」

「……なんだろうか。私にも出来ることと出来ないことがあるのだが」

 

 予防線をしっかり張るヴァン。脳の警鐘が距離を詰められるなと告げている。

 だが、男はグイグイと間合いに入ってくるのだ。逃げられない。

 

「あの、ヴァンさんのこと… 師匠って呼んでもいいですか?」

「生憎と、私の弟子はルークだけでね。気持ちはありがたいがお断りさせていただこう」

 

「そ、そうですか… すいやせん、変なこと言っちまって…」

 

 よし、お断りすることが出来た。内心でガッツポーズを決めるヴァン。

 だが男は続いてとんでもないことを言い出してきた。

 

「じゃあ、尊敬を込めて勝手にヴァンさんのことを『兄貴』って呼びます」

「え? いや、勝手に弟になられても困るのだが…」

 

「気にしないでくだせぇ! 『心の兄貴』って意味でさぁ! よろしく、ヴァンの兄貴!」

「いや、それにしてもだな… って待て。勝手によろしくするな!」

 

「ヴァンの兄貴… ちょっと長いな。じゃあ今度からヴァニキと呼びますね!」

 

 自分の妹は後にも先にもティア一人だ。稀にちょっとアレだが美人で性格も… まぁ、うん。

 ともかく自分にとっては、彼女以外にいないのだ。だが、男に話を聞く様子は見られない。

 

 おい、聞けよ人の話。ヴァンは思わず剣を抜きそうになるがこれ以上罪を重ねるのは不味い。

 すんでのところでギリギリ何とか思いとどまり、深く深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

 

 その隙に『兄貴』呼称は定着させられてしまった。泣きたくなってきて思わず目元を抑える。

 そこに群衆に演説をしていた貴族の子女がゆっくり近付いてきて、何かを差し出してきた。

 

 涙を拭うためのハンカチか何かだろうか? 先ほどのタオルは少し汗臭かったしありがたい。

 

「良かったら、これ、使って下さい」

「……かたじけな、ん?」

 

「どうかなさいましたか?」

 

 だが、ハンカチか何かと思って受け取ったものは小さな肖像画だったのだ。

 ……何故かガイの絵姿が描かれていた。

 

 思わず、貴族の子女に尋ねる。

 

「……あの、これを何に使えと?」

「まぁ… わたくしの口からそれを言わせるのですか?」

 

「あ、いや、失礼しました。ご厚意、ありがたく」

 

 頬をポッと染めてうっとりとした仕草で、両手で口元を隠す様は可憐の一言だ。

 だが、その中身は致命的にアレである。

 

 殴りたいが相手は多分貴族だ。当り障りのない返事を返して、肖像画を懐へと仕舞う。

 

「(……故郷に帰りたい)」

 

 澄んだ空を見上げながら、ヴァンは笑みを浮かべた。

 その笑顔は乾ききっていたという。

 

「しっかり純愛を貫けよな、ホモ!」

「フラれてもくじけるなよ、ホモ!」

 

「欲望に負けんじゃねぇぞ、ホモ!」

「ヴァニキー! こっち向いてー!」

 

「捗るわぁ…」

 

 様々な歓声に見送られて、ヴァン・グランツもまた船に乗り込んだ。

 さらばキムラスカ… 二度と帰ってきたくない。

 

 

 

 ――

 

 

 

 旅の道中では、ナタリア自らが率先してヴァンに不自由なきよう何かと取り計らってくれた。

 彼女の優しさは、バチカルを旅立つ時の事件で傷付いていたヴァンの心を確かに癒やした。

 

「ヴァン謡将… 大丈夫ですの? 何か、遠い目をされていたようですが…」

「いや、失礼。しかしナタリア殿下、あまり私に近付いては良からぬ噂も立つのでは?」

 

「フフッ、大丈夫ですわ。むしろルークやガイを寄越す方が危険ですもの」

「……そ、そうですか」

 

「他に旧知といえばわたくしくらい。気遣うのは当然ですわ… 迷惑でしたか?」

 

 迷惑などあろうはずもない。「いえ、殿下が良いならば私は構いません」と笑みを浮かべる。

 穏やかな時間が流れる。

 

 ややあって彼女が口を開いた。

 

「……わたくし、感動しましたの」

「はて、感動ですか?」

 

「えぇ、バチカルを出発する時… 耳を澄ませば漏れ聞こえてくるあの演説」

「ま、まさか…」

 

「形に囚われぬ真実の愛… ヴァン謡将はその体現者だったのですね」

 

 うっとりした仕草でそうつぶやいてくるナタリア。

 あの時の貴族の子女と同じ瞳をしている。

 

 ヴァンは諦めたような笑みを浮かべると、何処までも広がる青空を仰ぎ見た。

 

「(ユリアよ、この世界は腐っています。……ちょっともう、色々と手遅れかも知れません)」

 

 その想いは言葉にならず、広い青空に吸い込まれていくのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 旅は続く。その中でヴァンは決意を新たにしていた。

 

 一時は信じてみようと思ったこの世界の未来… だが託した少女はいなくなってしまった。

 この上は、やはりこの世界に存続する価値などないのではないか?

 

 預言(スコア)を乗り越えることなど、所詮、それに縛られた人間には不可能なのだ。

 ……決してホモ疑惑で、なんかもう色々とどうでも良くなったからではない。

 

「(やはりこの世界に存続する価値はない… 計画を続行しよう)」

 

 そう決心した、ちょうど翌朝。

 いなくなったはずの人物が、目の前で呻き声をあげていた。

 

「……いたい」

 

 アクゼリュスに向かう親善大使一行を、魔物と譜業兵器の群れが襲いかかってきた。

 数は少ないが、それぞれがかなりの力を持っている。

 

 護衛の兵が親善大使一行や救助隊を守るためにセシル少将の指揮の下、動き出す。

 

「あー… まったく死ぬかと思った」

 

 未だ一犯罪者にすぎない自分に護衛など付くはずがなく。

 そして魔物から放り出された(転がり落ちた?)目の前の人物は戦場から取り残され。

 

 かくして一対一の対面が再び成ったのである。

 目が合う。といっても何故かシンクの仮面のようなものを装着しているが。

 

 彼女は慌ててマントをはためかすと、高笑いをする。

 

「ハーッハッハッハッ… ゲホゴホオエッ! あー… 高笑いって難しい」

「………」

 

「えー、コホン… 私は謎の六神将シンクゥですよ。決してセレニィじゃありません」

 

 言いたいことは色々あるが、ひとまず白々しいことを口にするこの全ての元凶を殴ろう。

 そう思いながら、今や時の人となった『ホモ総長』は拳を握り締めて彼女に近付いた。



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67.共犯

 ゴスッ! と鈍い音がして、直後に頭に響いてくる鈍痛。拳骨をお見舞いされたようだ。

 

「……いったぁーい」

 

 思わず涙目になり、頭を抱えてうずくまる。初手からのこの扱いは解せぬものがある。

 拳骨をお見舞いされたシンクゥは、涙目のまま、お見舞いしてきた男・ヴァンを見上げる。

 

 だがそんな視線など何処吹く風といった様子で、ヴァンは厳しい表情のままに口を開く。

 

「貴様… セレニィ、こんなところで何をしている?」

「な、なんのことですか? 私は謎の六神将シンクゥ。セレニィという名では…」

 

「……もう一発いっとくか?」

「わー! わー! セレニィです! 認めます、認めますからぁっ!」

 

 威嚇の意味も込めてもう一度だけ拳を振り上げれば、両手を上げながら慌てて認めてきた。

 なんということだろうか。謎の六神将シンクゥとやらの正体とは、セレニィだったのだ。

 

 そのあまりに鮮やかで華麗すぎる変わり身に、言った方が思わず溜息をついてしまう始末だ。

 しかしながら当の彼女はと言えば、未だにこの空気を取り繕えると考えている節すらある。

 

 ドヤ顔で語り続けるその精神力は見習うべきかもしれない。頭痛を堪えつつヴァンは思った。

 

「よくぞ私の正体を見抜きましたね! 流石は神託の盾(オラクル)騎士団主席総長」

「いや、髪の色とか体格とか声とか性格とか… なんかもう色々とバレバレだったからな?」

 

「マジか…」

「……まぁ、それはそれとして何故ここにいる?」

 

「まぁ、色々とありまして。今は六神将のみなさんのお世話になってるんですよ」

 

 ヴァンからの問い掛けに肩をすくめて答える。……実際問題、そうとしか言いようが無い。

 彼女からすれば、今この戦場に参加していること自体がそもそも予定にないことなのだ。

 

 そういえばアリエッタの方は無事にしているだろうか? と、ふとセレニィは思いを馳せた。

 

「一応戦場への介入は最小限に… 旋回による威嚇に留めるよう指示は出しましたが、さて」

「む… それはどういう意味だ?」

 

「おや、声に出てました? アリエッタさんへの指示ですよ。指揮を押し付けられましてね」

 

 せっかく謁見の間で、アリエッタはテロリストの六神将の中でも例外と受け取られたのだ。

 国王自ら心に留めてくれる破格の待遇。彼女への心証はプラスに働いていることだろう。

 

 イオンその他による証言が働いたとはいえ、問答無用の襲撃犯扱いでなくなったのは大きい。

 だからこそ、この場で尻尾を掴まれるわけにはいかない。極力介入しないことを指示した。

 

 そうすれば自分が戦場に近付く必要もなくなるし、安全を確保したままの帰還が叶うのだ。

 あとはディストが適当に敗れた頃合いを見計らって回収し、そそくさと撤退すればいい。

 

 しかしその指示をどう解釈したのか、アリエッタはセレニィを戦場に放り投げて今に至る。

 泣きたくなってくる。指揮官は、前線で指揮を取らなければならない鉄則でもあるのか。

 

 こんなことならお腹痛いとか言って襲撃を辞退すればよかったと思うが、後の祭りである。

 だがそれをどう受け取ったのか、ますます厳しい表情を浮かべつつヴァンは問いかけてくる。

 

「どういうことだ… まさか、アリエッタ以外の六神将にも伝手があったのか?」

「はぁ… どうしてそう思ったんですか?」

 

「アリエッタとは成り行きで同行していただけだろう? 容易に人間に懐く少女でもない」

 

 まぁ、否定はできない。何故か家族の恩人にされたけれど、本来は警戒心の強い子だろう。

 多分なにもなければ、イオン様くらいにしか心開かなかったんじゃないかな… と思う。

 

 可能性があってアニスさんくらいか… 確かに弁護してくれるとは普通思わないよね。納得。

 そう考えて腕を組んで頷いているセレニィの姿を肯定と受け取ったのか、ヴァンが続ける。

 

「リグレットならば貴様は殺そうとするはずだ」

「あははー…」

 

「よしんば殺されずとも、指揮を任せるには戯れが過ぎるというものだ」

「……ま、ご想像にお任せしますよ。『蛇の道はなんとやら』ってね」

 

「フン… まぁ、いいだろう」

 

 別に語れることもない。というより、自分が指揮をやらされている理由が説明不能なのだ。

 なんせ自分自身にも分からないのだ。すわ、六神将のみなさんご乱心かと思ったものだ。

 

 それをバカ正直に話しても説明にはならないだろう。だったら説明する必要すらないだろう。

 ……面倒くさいしね。まぁ、賢い人だから勝手に色々想像してくれるはず。それで充分だ。

 

 それよりここでヴァンと一対一で出会えたのは、自身にとって幸運といえるかもしれない。

 上手いこと丸め込んで、ホモ疑惑の件で自分の責任だと訴えられないようにしなければ…

 

 保身のためにそう意気込みながら、セレニィはヴァンとの対話をしようと試みて口を開いた。

 

「私のことはいいでしょう。それよりヴァンさん、そちらの調子はどうですか?」

「皮肉のつもりか? ……良い訳がなかろう」

 

「おやおや、不満が溜まってらっしゃるんですか?」

「溜まってるも溜まってないもあるか! なんだ、この理不尽な扱いは!」

 

「なかなか過酷な体験をしたようですね。……なら、私で良かったら話してみませんか?」

「……なんだと?」

 

「私とあなたは他ならぬ共犯者。衆目もない今この時こそ吐き出すチャンスですよ」

 

 ニコニコと笑顔を浮かべて、ヴァンに誘いをかけてみる。

 

 噂である程度の話は耳に入っているから、この上で彼本人から詳細を聞く必要もない。

 といって「ティアのためだ」とか「自分で選んだことだ」とかの正論も厳しかろう。

 

 それによって不満を封じることが出来ても一時のこと… 解消などは望むべくもない。

 暴発した時の被害が大きくなる。その場合は自身の制御下を離れる危険性とてある。

 

「(ストレスで精神病んじゃったら、どんな凶行に走るか分かったもんじゃないですしね…)」

 

 その見立ては正しい。セレニィがいなければ世界を滅ぼしかねなかったのがこの男だ。

 セレニィは本人も自覚しないところで、あわやのところで世界を救ったとも言える。

 

 なまじ実力がある分、暴走した時の危険度は世界を巻き込む災害レベルとなってしまう。

 グランツ兄妹の在り方というものは、かくも一般人にとって傍迷惑なものであるのだ。

 

「私とあなたは仲間なんですから。だから苦しみも半分こして背負うつもりですよ… ね?」

 

 セレニィは穏やかな笑みを浮かべて、ヴァンに手を差し伸べた。

 

 彼に必要なのは心の孤独を癒やす理解者。そして、隠しごとなく愚痴を吐ける場なのだ。

 要は飴と鞭である。鞭を打たれたならば、今度は飴を提供してやればいいまでのこと。

 

 ただ、そのいずれにせよ元凶はセレニィであるのがこの性悪小市民の恐ろしいところだが。

 

「フン… 散々煽り立てた挙句、黙って姿を消す貴様のようなやつを今更信用できるか」

「あははー… 手厳しいですねぇ。では逆にお尋ねしますが他にどんな手がありました?」

 

「む…」

「私が、恐らくモースさんの手の者であろう人たちに襲撃されたのは事実ですしね」

 

「……やはり、そうであったか」

「マルクトに大した伝手はありませんしね。他に転がり込む場所なんてありませんでしたし」

 

「むしろ、彼奴めの足元… 死角に潜り込んだ形になるわけか。なかなかに抜目のない」

 

 鼻を鳴らすヴァンに黙って頷くセレニィ。別に狙ったわけではないが結果的にそうなった。

 

 まぁ、コイツも組んでいる相手に利用価値がなくなったら遠慮なく切り捨てるだろうな。

 ヴァンの傾向をそう分析したセレニィは、敢えて彼の誤解を解くようなことは口にはしない。

 

 むしろ勝手に想像してドンドンと評価を高めてくれれば、勝手に入れ込んでくれるだろう。

 自身の見込み違いを認められないタイプだ。プライドのため勝手にフォローをするはず。

 

「(対等と認めた相手が実は無能だった… とは認めたがらない人ですよね、この人は)」

 

 基本的に他者を見下してるが、なんというか身内と認めた人間には脇が甘い性格のようだ。

 まぁ警戒心のなさという意味ではセレニィも他人のことを言えないが、より顕著に思う。

 

 そういった点では彼はティアとよく似ているのだ。独善的で排他的で… だからこそ純粋で。

 だからほんのちょっとスパイスを垂らせば、あとは自分で自分の補完を始めてくれるのだ。

 

 多少の強引な辻褄合わせになってしまっても、「なるほどな」と言ってくれる手合いだ。

 その場凌ぎで口から出任せを繰り返す彼女としては、相性の良いありがたい相手だといえる。

 

「まぁ、ジェイドさんに幼馴染やら和平の使者やら色々と押し付けられましたがね」

「それを鵜呑みにするほど平和な頭はしていない… というわけか」

 

「えぇ。付け加えるならモースさんがそれを信じていた場合、安全は真っ先に消えますし」

「なるほど… 色々と考えているようだ。だが、何故今危険を冒して私に接触した?」

 

「フフッ… 頭の良いあなたのことですから、既に察しは付いているのではないですか」

 

 模範解答は本人に出してもらおう。さも「知っているぞ」とばかりの表情で笑ってみせる。

 生真面目なリグレットには通じない手だ。「いいから言えよ」と返されるのが関の山だ。

 

 セレニィのその言葉に、ヴァンは顎鬚に手を伸ばしながらしばし考え… そして口を開いた。

 

「なるほど… 私の翻意を疑い、実際にその目で確認しに来たというわけか」

「フフッ… 流石ですね」

 

「加えて自身の姿を見せることで私に対しての牽制ともなる。なるほど、なかなかに悪辣だ」

 

 あっぶないなぁ! このオッサン、勝手に人が死んだと思って約束を破ろうとしてたのか。

 そんなことになったらティアさんも自分も死んでしまうじゃないか。なんて短気なんだ。

 

 ヴァンが世界を滅ぼそうとしていたことなど露知らず、セレニィはそう考え胸を撫で下ろす。

 幸か不幸か、天秤が完全に傾ききる前に自分が接触することが出来たのだ。そう考えよう。

 

 内心ドキドキだし胃がキリキリ痛んでくる状況ではあるが、ここからが自分の真骨頂だ。

 地雷原をタップダンスしながら渡るようなタイトロープ感に、ある種の懐かしさすら覚える。

 

 そして口元に笑顔を貼り付けながら、さもなんでもないことのように振る舞い口を開いた。

 

「加えてリグレットさんたっての要望もありましたが。『閣下の無事を確認しろ』という」

「リグレットが? ……ふむ」

 

「ま、ここは素直にお褒めに預かり恐悦至極とでも言っておきましょうか?」

「フン… また心にもないことを」

 

「酷い言い様ですねぇ… ま、それはそれでいいとして。どうなんですか? 実際のところ」

「……良いだろう。貴様の無事も確認し、モースも失脚した… 当面は様子見と判断する」

 

「実に結構。今後とも良いお付き合いの程を… と言いたいところですが、手緩いんですよね」

 

 口元の笑顔を嘲笑の形に変えて、敢えて踏み込んで見る。

 案の定、ヴァンは「なんだと…」とつぶやき気色ばむ。

 

 しかしながら、別に欲をかいてトチ狂ったというわけではない。

 ヒゲが嫌いだから挑発したわけでもない。好きじゃないけど。

 

 これは自分が生き延びるために必要なことなのだ。

 

 このまま唯々諾々と彼の要望を叶える駒のままでは、いつまで経っても対等と呼ぶに程遠い。

 だからこそ、今このタイミングで共犯者として彼に対して「要求」をする必要があるのだ。

 

 上司と部下の関係に甘んじていては我が身が危うい。彼とていつまでも不遇ではないだろう。

 このヒゲは遠慮なく下を切れるタイプなのは理解できる。その時は当然無能から切られる。

 

 無能といえばセレニィその人である。つまり、セレニィ・イズ・デッドとなってしまうのだ。

 死なないためには楔を打ち、彼と対等の共犯者という立場を早めに固める必要が出てくる。

 

 だからこそ、内心で威嚇してくる偉丈夫に怯えながらも居丈高な態度を崩さずに笑顔で話す。

 

「気分を害しましたか? ですが文句を言いたいのはこちらの方なんですよねぇ…」

「……どういうことだ」

 

「私はモースを失脚させ、あなたの妹も救った。あなたとの『賭け』は成立したはずですね」

「………」

 

「なのに未だ様子見ですか? フフッ、日和見主義もいい加減にしてください」

「む… 私を優柔不断と罵るか」

 

「違うのでしたら旗色を明らかにしてください。今、足を引っ張っているのはあなたです」

「ほう… 無能とまで言うか」

 

「私は『いらない人間』は切り捨てます。……あなたも、そうなのではありませんか?」

 

 余裕の笑みを浮かべて、仮面越しに相手を見据える。さて、どう返す?

 だがヴァンもまた余裕の表情で切り返してきた。

 

「だが忘れてないか、セレニィ」

「謎の六神将シンクゥです」

 

「……シンクゥよ。私は今、謂れ無き汚名と戦って貴様への目を逸らしているのだぞ」

「? おっしゃっている意味がよく分かりませんが」

 

「何を言うか! 私が誰のせいでホモ呼ばわりされていると思っている!?」

「いや、それティアさんのためですよね? ヴァンさんが自分で選んだことじゃないですか」

 

「なん… だと…」

 

 手を左右に振りながらキッパリとそう答えたら、ヴァンは驚愕の表情を浮かべて崩れ落ちた。

 

 なんということだろう。まさか、勝手に自分のせいにされているとは… 甚だ遺憾である。

 セレニィは憤慨しつつそう思った。ちょっとティアさんのついでに自分を救わせただけである。

 

 他の選択肢は意図的に潰したものの最終的に選んだのは彼自身だ。彼にも半分は責任がある。

 全く酷い暴論で責任を擦り付けられるところだった。自分を棚に上げてセレニィは思った。

 

 だが、崩れ落ちたヴァンが流石に哀れになったのかフォローを試みる。これでも共犯者なのだ。

 

「まぁまぁ… ヴァンさんの献身でティアさんが救われたのは事実ですよ」

「そ、そうだな…」

 

「確かに現在進行形で不遇に遭われているヴァンさんには、発案者として申し訳なく思います」

「そうであろう? 普通はそう思うよな?」

 

「ですが、甘えないでください。代案がないから採用したんじゃないですか!」

 

 代案は全てセレニィが(自分が生き延びるため)潰して回ったのだが、それは置いておこう。

 一方、持ち上げてから落とされたヴァンは絶句している。なおもセレニィは言葉を続ける。

 

「そもそもです。『あの』ティアさんを助けるむちゃ振りをこなしたんですよ? 私は」

「む、むぐぐ… それは否定できんが…」

 

「本来ならば『ありがとう』と言われて然るべきではないでしょうか。そう思いませんか?」

「(……死んでもコイツには礼を言いたくない)」

 

「ですが、そんなものを私は望みません。……だって私たち、共犯者じゃないですか」

 

 仮面を外してニッコリと微笑みつつ、手を差し伸べる。

 

 脅して持ち上げて、落としてから手を差し伸べる。……まさに詐欺師の所業である。

 釈然としないものを感じながらも、ヴァンは頷かされることとなってしまった。

 

「わ、わかった… 確かにこの汚名は自ら進んで着たモノであると納得しよう」

「分かってくれましたか、ヴァンさん!」

 

「だが、その上で何を求めるのだ。私が完全におまえに付くとして、何をしろというのだ?」

「あなたならば、今後どう動くべきか… 既に算段は立てているのではないですか?」

 

「なるほどな… アクゼリュスでの秘預言(クローズドスコア)を防ぐために動け、ということか」

「はいです、ビンゴです! 加えて言えば、万が一の際の対処も同様にお願いしますね!」

 

「ふむ… 心得た」

 

 なんのことを言っているのかよく分からないけれど、取り敢えず頷いて持ち上げておこう。

 まぁ彼ほど腹黒いけれど有能な人物ならば、万が一の時は勝手に対応してくれそうだが。

 

 っと、いけないいけない。これを忘れちゃいけないところだった… と、慌てて付け加える。

 

「あと、言うまでもありませんがこの件の裏はしばらく誰にも内緒でお願いしますよ?」

「ふむ… 六神将にもか」

 

「当然です。彼らは確かに有能ですがフリーダム過ぎます… どこから漏れるか分かりません」

 

 よし、付け加えたような形で言えたのは結果的に良かったかもしれない。

 これで六神将に事の真相が漏れて処刑される可能性が減った。

 

 ヴァンも渋々といった形であるが頷き、セレニィは内心でガッツポーズを決める。

 

「とはいえ、流石に全方位からホモ扱いされるのはそろそろ辛いものがあるのだが」

「私は理解してますから元気だしてください。……というのも酷ですね。よし!」

 

「……む?」

「状況を変えず誤解を解く『魔法の言葉』を教えます。使うかどうかヴァンさん次第ですが…」

 

「おお、そんなものがあるのか。是非教えてくれ!」

 

 魔法の言葉を教えると、ヴァンは満足そうに何度も頷いていた。よほど辛かったのだろう。

 ほんのちょっぴり同情してしまう。

 

「で、リグレットさんが閣下の指示を仰ぎたいとか言ってましたが…」

「ふむ… ならばザオ遺跡の攻略を命じておいてくれ」

 

「ザオ遺跡、ですね? 分かりました」

「うむ… ディストならばなんらかの対処法を見つけるかも知れん。無駄足かもしれんが」

 

「やるだけの価値はある、と。分かりました、しかとそのように」

 

 仮面をかぶり直しつつここまで返答して、ふとセレニィは考える。

 

 そもそも六神将のところに戻らずに、このまま親善大使一行と合流すれば良いんじゃないか?

 うむ、これはなかなか悪くない思い付きかもしれない。

 

 いつまでもテロ集団のところに身を寄せていては命が危ない。

 最低限の義理は果たしたし、伝言だけ頼んでこのまま穏便にフェードアウトすればいい。

 

 よし、そうと決まれば思い立ったが吉日。

 早速ヴァンに取り成しを頼もうとしたところ… 頭上に影が差した。

 

 巨鳥がセレニィの胴を掴んで持ち上げる。

 

「ぎゃああああああああああああ!? ちょ、ちょっとぉ!?」

「ごめんね、セレニィ。ディストが負けたから… かえろ?」

 

「いやぁあああああああ! 死ぬ、死んでしまう! こういう体勢はちょっとアレですよ!」

「大丈夫… 気をつけるから。急いでるから背中に乗せる暇がないの」

 

「ヴァンさん、助けてください! ヴァンさん!?」

「うむ… 達者でな。アリエッタよ、リグレットたちによろしく頼むぞ」

 

「ん… バイバイ、総長。……いくよ、セレニィ」

 

 こうして穏便に離脱を狙っていたセレニィはフェードアウトに失敗した。

 アリエッタに回収され、六神将のもとに(強制的に)連れ戻されることとなる。

 

 一人残った形になるヴァンは、親善大使一行のもとに向かいながらつぶやく。

 

「フッ… 対等な共犯者、か。まさか私以外に『預言(スコア)を壊そう』などと思う者がいるとはな」

 

 その口元には静かな笑みが浮かび、何気ない風景が昨日までと変わって見えた。

 この世界にそうまでして救う価値があるかは、まだ、分からない。

 

 だが、自分の力を救世のために使うというのは… 中々どうして悪くないように思える。

 爽やかな風を背に受けて、ヴァンは親善大使一行のもとへと向かうのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 そして翌日。

 

 昨日の襲撃は奇跡的に人的被害が発生しなかった。

 というより、魔物を連れていたもののディストの個人的な果たし合いに近かったのだ。

 

 なんせ倒せば自爆する譜業人形を幾つも引き連れているのだ。

 並の腕の兵士ではかえって被害が大きくなる。

 

 セシル少将と一部の供回り… そしてジェイドらが手伝い相手をすることになった。

 なかなか手強く、最終的にジェイドの譜業が決め手となって撃退に成功した。

 

 しかし、ケセドニアから陸路を進んでいる一行にとって馬車の被害は多少出たのであった。

 そして今、ようやく再出発を指示しようとしている一行のもとに、ヴァンが姿を現した。

 

 自身の背にルークを隠したセシル少将が、その警戒心を隠そうともしないままに口を開く。

 

「……これはグランツ謡将。一体如何なるご用件ですか?」

「うむ、実はルーク様に伝えたいことがあってな」

 

「……私たちが立ち会う形になりますが、構いませんでしょうか?」

「無論だ。むしろかえって好都合であるとも言える… より多くに聞いて欲しい話だからな」

 

「なるほど… 構いませんか、ルーク様?」

「あぁ。ヴァン師匠(せんせい)がせっかく話したいって言ってくれたんだ… 俺は聞いてやりたい」

 

「感謝する、ルーク」

 

 大きく息を吸い込んで言葉を発する。昨日、セレニィから教えられた『魔法の言葉』を。

 

「よく聞いて欲しい… 私は断じて同性愛者などではないのだ」

「……なんですって? それはつまり、偽証で王を謀ったということですか」

 

師匠(せんせい)… やっぱり違ったんだな!」

「ルーク様、ご自重を。ならばティア・グランツの罪は刑を免れぬものとなります」

 

「その心配はない!」

 

 セシル少将が喜ぶルークに対して懸念を口にする。だが、ヴァンは力強くそれを否定した。

 

「なんですって? 戯れ言も程々に…」

「私は断じて同性愛者ではない! 好きになった人物がたまたま同性だっただけだ!」

 

「………」

 

 場の空気が止まる。

 

 おかしい… これは誤解が解ける『魔法の言葉』ではなかったのか? ヴァンは慌てふためく。

 それを打ち破ったのは一つの声。

 

「まぁ… こんな衆目の中で熱烈に愛を囁くなんてどこまでも純愛を貫かれるのですね」

「ナ、ナタリア殿下… これは…」

 

「大丈夫ですわ。わたくし、ヴァン謡将のお気持ち… 胸が痛くなるほど分かりますもの!」

「し、しかしですね…」

 

「そう。好きになった者がたまたま殿方だっただけのこと… それだけですもの、ね?」

 

 うっとりした表情で微笑まれては返す言葉もない。

 

 今まで彼を取り巻いていた視線に厳しさが減り、ほんのり生易しくなったという。

 そして彼はいつかセレニィをタコ殴りにすると心に決めたのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 そして今、ティアと月明かりの下で二人で話をしている。

 

「ヴァン… 目付きが変わったわね。もう世界を滅ぼす気はないの?」

「……最初からそう言っていたであろう? ティアよ」

 

「とぼけるつもりならそれでも構わないわ。……でも、私は嬉しい。それだけは覚えていて」

「ティア…」

 

 笑顔を浮かべる妹との和解に、ヴァンは感動が胸にこみ上げてくる。

 

「でも、そう… きっとあの発言以降で雰囲気が変わったってことはそうなのね」

「ティアよ… 『そう』とは?」

 

「愛があなたを変えたのでしょう? ……私がセレニィに抱いている感情も愛なのかしら」

「………」

 

「あなたなら分かるかしら? ヴァン」

「さぁな… だが、次に会った時に『思い切り』可愛がってやればいいと思うぞ」

 

「そう… そうよね! それだけは変わらないもの! あなたに相談してよかったわ!」

 

 笑顔を浮かべて妹は寝所に戻っていった。

 それを手を振り見送りながら、彼は一人つぶやいた。

 

「悪く思うなよ、セレニィ… 貴様が悪いのだからな…」

 

 妹の愛の重さを知りつつ、『純愛の人』ヴァンは邪悪な笑みを浮かべていたという。



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68.教官

 拠点であるタルタロスにセレニィ、ディスト、アリエッタ、シンクらの四人が帰投した。

 無傷のアリエッタやシンクとは対照的に、セレニィとディストの姿はボロボロである。

 

「おお、帰ってきたな! 多少の怪我はしているようだが、まずは無事で何よりだ!」

 

「まぁ… はい。(主に運搬面で)死ぬかと思いましたが…」

「ハーッハッハッハッ! まぁ、この天才にかかれば造作も無いこと。上々の成果ですよ」

 

 出迎えたラルゴは相好を崩して、セレニィとディストの肩を叩く。セレニィ的に結構痛い。

 思わず顔をしかめてその旨を口にするセレニィ。

 

「いたっ、いたたた… ラルゴさん、痛いですって。私雑魚なんですからもっと優しく!」

「む? ハハハ… すまん、加減は苦手でな。しかし、雑魚とは謙遜が過ぎるだろうに」

 

「そうですとも。貴女の助言のおかげで、有象無象に邪魔されずジェイドと戦えましたしねぇ」

「初めての指揮にしては、中々に上手くいったようではないか。どうだ? 感触のほどは」

 

「どうなんでしょう? 詳しいことは報告の場で… おや、リグレットさんじゃないですか」

 

 フレンドリーに接してもらうのはありがたいが、体育会系のノリというものは苦手である。

 単純に怖さもあり、セレニィはラルゴの態度の急変に戸惑いながらも適当に相槌を打つ。

 

 ラルゴとしては同じ釜の飯を食い、また戦場を共にした者は仲間であるという価値観がある。

 武人らしい小ざっぱりした気質により、セレニィは彼に『仲間』と認められたわけである。

 

 だが例えそうであっても違う陣営に付けば一転、『敵』と認識できる割り切りも出来る。

 元日本人として安穏を旨とするセレニィには理解できない価値観を持つ。それが武人なのだ。

 

 お互いの相容れない価値観を本能で理解したのか、彼女は居心地悪げに視線を彷徨わせる。

 と… 曲がり角の先から、顔を半分だけ覗かせていたリグレットと視線が合ってしまう。

 

 発見されたと見るや渋々といった雰囲気で出てきて、いかにも嫌々といった様子で口を開く。

 

「フン… 逃げずに戻ってきたようだな。それとも、尻尾を巻いて逃げ帰ってきたか?」

「あははー…(嫌われてるなぁ… 美人さんに嫌われるのは、少し悲しいなぁ…)」

 

「おい、リグレット! 任務をこなしてきた者になんたる言葉だ! 流石に目に余るぞ!」

「いいんですよ、ラルゴさん。私は、そう簡単に信頼しちゃいけない人間なんですから」

 

「……フン、自覚しているようで何よりだ。服を整えたら会議室に来い、報告を聞いてやる」

 

 ピシャリとそれだけ言い残して、踵を返してサッサと通路の奥へと戻っていってしまった。

 ふと思う。……ひょっとして、自分たちの帰投をあそこで待っていてくれたのだろうか?

 

 そう考えれば美人さんのお出迎えだ。気分は悪くない。……エプロン付きならなお良かったが。

 根が単純なセレニィである。勝手にそう解釈してしまえばたちまち機嫌は直り、笑顔となる。

 

「おい、リグレット! ……すまんな。疲れているところ悪いが、報告も頼めるか?」

「勿論です。キチンと報告が終わるまでが任務ですからねー」

 

「へぇ… 不機嫌になるか悲しむかと思ったのに、まさか上機嫌になるとはね」

「えぇ、まぁ。リグレットさんもなんだかんだ言いながら出迎えてくれたんだな、と思うと」

 

「そういう受け取り方もあるか。もしそうだとしたら、リグレットを見る目が変わるな」

 

 シンクにからかうように尋ねられたので、素直に自分の思うところを告げてみる。

 その解釈にラルゴが不思議そうな顔をしつつ頷いていたが、真偽の程は不明だ。

 

 普通に考えれば嫌われているだけだろうが、わざわざマイナス思考になるのもバカバカしい。

 どうせ叶わぬ想いであるならば、せめて自分の心の中で精一杯飾り立てて美化してやろう。

 

 変態はチクリと胸を痛めながらも、想いを振り切るために、敢えてそう開き直ることにした。

 

「……じゃあ着替えてきますねー」

「セレニィ、更衣室… こっちだよ。一緒に、いかないの?」

 

「……部屋で一人で着替えますからー」

「女同士だってのに変なヤツ。……ひょっとして実はキミ、男なんじゃないの?」

 

「……自分としてはずっとそのつもりですよー」

 

 一緒に着替えようと言ってくれる大天使アリエッタの誘いに乗っかれるほど度胸はない。

 黒幕だラスボスだと言われても、セレニィは所詮ヘタレなチキン野郎に過ぎないのだ。

 

 湯船に浸かりたいとは思うものの、大浴場の女湯よりは部屋で一人シャワーの方が気楽だ。

 シンクのからかい言葉を軽く受け流しつつ、自室で予備の服に着替えて会議室に向かう。

 

 これから報告だ。ある程度成果を示さないと、文字通りに首が飛ぶ可能性だってある。

 だが、ヴァンと接触して伝言も預かってきた。普通に考えれば大丈夫のはずだが… さて?

 

 

 

 ――

 

 

 

 会議室にセレニィの声が響き渡る。

 

 帰りの途中でやっと巨鳥に乗せてもらえてから、その背で覚えていることを書いたメモ。

 今、それに目を通しながら六神将を前に報告を行っている。

 

「というわけで、まずディストさんを親善大使一行の進路上に待ち伏せる形で配置」

「ふむ…」

 

「シンクさんには退路の確保をお願いし、我々は上空より旋回して威嚇を行いました」

 

 メモは速度を優先して日本語で記している。見咎められたら暗号だといえば良いだろう。

 途中で風に飛ばされて何枚か落としてしまったが、読める者もいないし安全のはずだ。

 

「ディストさんの行動に関してですが、それは彼より報告を受けるようお願いします」

「む? 貴様… 指揮を任されたのにもかかわらず、その行動を把握してないのか」

 

「すみません。……私の指示が悪かったのか、アリエッタさんに放り投げられまして」

「……どうしてそんなことになった?」

 

「『近付かないように旋回』って言われたんで、総長のこと、セレニィに任せたです!」

 

 ……なるほど。いきなりあんなところに放り捨ててったのは、そういう意図があったのか。

 納得したけれど、出来ることならば事前に言って欲しかったですよ… アリエッタさん。

 

 ほんのり目尻に涙をためながら遠い目をするセレニィ。あの時は本当に死ぬかと思ったのだ。

 

「ということは貴様、閣下に接触したのか!?」

「あ、はい。お元気そうでしたよ… 次の行動の指示についても伝言を預かっています」

 

「ふむ… 言ってみろ」

「アクゼリュスで秘預言を回避するために動くので、そちらはザオ遺跡を攻略して欲しいと」

 

「なんだと! 秘預言を回避するだと! 閣下が本当にそのようなことを言ったのか!?」

「え、えぇ… なにかおかしいことでも?」

 

「信じられん… そうだ。セレニィ、貴様が嘘を言ったに違いない! そうに決まっている!」

 

 何故かリグレットさんが激昂して、ビシッと指を突き付けられたでござる。……解せぬ。

 そりゃ確かに普段から適当ほざいているし、いざという時は口先で誤魔化す人間だが。

 

 一応今回は本当なんだが… と思いつつ、内心自業自得かもしれないとほんのり納得する。

 気不味そうに口を閉ざした自分を見かねたのか、ラルゴさんがリグレットさんを窘める。

 

「リグレットよ、言い過ぎだ。嫌うなとはいわんが私情を抑えろ… 士気にも関わるぞ」

「しかし、ラルゴ! コイツは事もあろうに閣下のことまで…」

 

「……うっせーヤツだな。一々好き嫌いを言いやがって、ガキかよ」

「アッシュ、なにか言ったか?」

 

「あー、いや… 好き嫌いばかりはしょうがないですよ。食べ物のってわけじゃないですし」

 

 険悪になりかけたムードを苦笑いを浮かべて散らしたのは、他ならぬセレニィであった。

 生き残るためとはいえ、散々口先で相手を動かしてきたのだ。彼女の警戒は当然と言える。

 

 当然の報いとはいえ若干肩を落としながらそう考えつつ、続けてセレニィは口を開いた。

 

「まぁ、出会う全ての人間を好きになれるわけじゃなし。そうしろという方が傲慢ですよ」

「……む、それはそうだがな。おまえはそれで良いのか? セレニィよ」

 

「えぇ、私は嘘は言ってませんし。二度手間ですが、次回にでもヴァンさんにどうぞご確認を」

「ふむ…」

 

「……その上でもしも事実と異なるようであれば、いかようにでも好きに扱ってくださいな」

 

 まぁ、流石にヴァンさんの真意までは掴んでないので、今はこう言うだけが関の山である。

 空手形ではあるものの、命を質札に出せばある程度の信頼は得られるかもしれないしね。

 

 もしヴァンさんが「そんなの知らねぇけど?」と、梯子外してきたら全力で逃げればいいし。

 普通に逃げても撃ち殺されるだけだろうが、その時は泣いてアリエッタさんに縋り付こう。

 

 そこは知り合いのよしみでそこはかとなく便宜を図ってくれると良いな、とか思ったり。

 そんなことを考えていると、どのように受け止めたのかラルゴが申し訳なさそうに口を開く。

 

「すまないな… 疑り深い性格だが、それだけ責任感とヴァンへの敬愛が深いのだ」

「はい、分かってますとも。それも含めてリグレットさんの魅力だと思いますし」

 

「なっ… な、何を言っているんだ! 貴様は!」

「え? 私、なんか変なことを言いましたかね」

 

「わ、私のことを魅力的などと… 散々敵視してきて、おまえの命も狙ってきたのだぞ?」

 

 何故かリグレットが挙動不審になったことで、セレニィはさも不思議そうに首を傾げる。

 彼女ほどの人間ならこの手の言葉などとうの昔に浴び飽きてるだろうに、と思いつつ。

 

 だが実情はセレニィの見立てと大きく異なる。彼女は『美し過ぎて』『優秀過ぎた』のだ。

 その強い使命感も相俟って高嶺の花となり、誰もが近付くのに二の足を踏んでいたのだ。

 

 彼女に気兼ねなく接するのはグランツ兄妹くらいのもので片や上司、片や弟子である。

 そんな彼女の実情など知る由もないセレニィは、不思議そうに首を傾げながらつぶやいた。

 

「命の危機なんて日常ですし。それに私普通に好きですけど? リグレットさんのこと」

「なっ! ななななな…」

 

「へぇ、例えばどんなところが? ちょっと参考までに聞かせてよ」

「シ、シンク!」

 

「良いじゃないか。どうせ誰かさんのせいで報告は停滞してるんだ… ほんの軽い余興だよ」

「だからと言ってだな…!」

 

「まぁ職務に忠実な姿は好ましいですし、強い責任感で仲間を支える立派な方ですよね?」

 

 命の危機に慣れるつもりはないが、もはや日常と言っていいほど付き纏ってるのは事実だ。

 そんなことを考えながらも、シンクに囃し立てられるままに、思うところを告げてみる。

 

 すると、リグレットの顔がボンッと耳まで真っ赤に染まる。……なんだ、この可愛い生き物。

 

「とっても美人で可愛らしい方ですし。リグレットさんと一緒になれる方は幸せですねー」

「そ、それ以上はよせ! 言うに事欠いて私を、か、か、かわ、可愛いなどと…」

 

「いえ、普通に可愛いと思いますけど。今とか… そう思いません? アリエッタさん」

「んっとね… 思うです。リグレット、もっと、今みたいな顔すればいいと思うです」

 

「……も、もういいっ! 私をからかうのはおしまいだ! とにかく報告の続きをしろっ!」

 

 真っ赤になったまま机をドンと叩き、シンクの言うところの『余興』の終わりを宣言する。

 それに対して「はーい」と答えながらセレニィが、続いてディストが報告して終わった。

 

 アリエッタやシンクを含め全員の報告が終わったところで、改めてリグレットが口を開いた。

 

「ひとまず、セレニィの報告での指令が真実に基づいたものとして今後の行動を練る」

「え… いいんですか?」

 

「勘違いするな! 今から閣下に確認しては時間を食い、そのご意思に反しかねないからだ!」

 

 酷いツンデレを見た気分だ。良いのだろうか… これでは“魔弾”のチョログレットさんだ。

 しかし、萌えるからこれはこれでよし! そう思いつつ、内心で親指を立てるセレニィ。

 

 そんなセレニィの内心など知る由もなく、次の指令を出すチョログレットもといリグレット。

 

「では、これよりザオ遺跡攻略メンバーを発表する。呼ばれなかったものは待機任務だ」

「アァ? 具体的にどー動けばいいんだよ」

 

「親善大使一行の監視だ。目的のためにも、最終的にはアクゼリュスに先回りしたいしな」

「なるほどな… 分かった。俺は構わんからリグレットよ、発表を頼む」

 

「今回はその性質上、シンクとディストは必須メンバーとなる。連戦だが頼んだぞ?」

「……まぁ導師イオンを攫えなかった以上は、封呪の件もあるし仕方ないだろうね」

 

「ハーッハッハッハッ! この天才に解析を依頼するのです。半端なモノでは許しませんよ?」

 

 リグレットが名前を読み上げていく。

 

 今回は威力偵察の時と違って、戦力を絞る名目などない。つまり雑魚が選ばれる必要もない。

 リラックス状態でセレニィは聞き流している。邪魔しないよう静かにミュウと遊びながら。

 

「指揮官として私、リグレットが率いる予定だ。ラルゴには待機部隊の総指揮を頼みたい」

「しかと心得た。何かあった際には期待に応えてみせよう」

 

「あぁ… それと最後の一人だが」

 

 指揮官としてリグレットさんが同行するのか。良かった良かった。

 

 これで「指揮してこい」とか良く分からない理屈で、戦場に放り出される可能性は消えた。

 心身ともに完全リラックスモードに切り替わる。部屋に帰ったらシャワー浴びて寝よう。

 

「セレニィ、貴様だ。ザオ遺跡攻略任務に参加するように」

「え? いや… 正気ですか、リグレットさん」

 

「勘違いするな! この任務で貴様の本性を見極めるつもりなだけだ。精々気張るのだな」

 

 そう言われてしまっては「アッ… ハイ」としか返す言葉もない。泣きたくなってくる。

 かくして未だに疑われている嫌われ者は、遺跡の攻略任務に駆り出されることと相成った。

 

「以上をもって報告及び作戦会議は終了する。次のメンバーのディストとシンクは残れ」

「えっと… 次のメンバーの私はどうなんでしょうか、リグレットさん」

 

「貴様は邪魔だから部屋で勝手に休んで体力の回復に専念していろ! 翌日まで待機だ!」

「は、はい! 失礼します!」

 

「フン… 言わねば分からないとは、全く世話の焼ける」

 

 セレニィが退室する様子を鼻を鳴らして見送ってから、残った二人を見据えるリグレット。

 だが口を開く前に、ディストが手を上げて発言してきた。

 

「あの、リグレット… 私も戦闘の結果、少なからず体力を消耗しているのですが…」

「それがどうした? 六神将たる者が下らない泣き言を言うな。弛んでるぞ、ディスト」

 

「………」

 

 彼女のかくも厳しい鬼教官ぶりにディストとシンクは揃って閉口したという。



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69.天才

 バチカルのある東アベリア平野とケセドニアのあるイスパニア半島… その途上に砂漠がある。

 ザオ砂漠と呼ばれるその砂漠は、陸路では唯一バチカルとケセドニアを結ぶ地となっている。

 

 しかし魔物も出るその道は過酷。オアシスがあるとはいえ多くの者は船を使うのが通例である。

 無論、そんな場所にある『ザオ遺跡』も訪れる者とてない忘れ去られた地となって幾久しい。

 

「オアシスで集めた情報が正しければそろそろ当たるはずだが…」

 

 砂漠を進むタルタロス… その艦橋より前方を見据えているリグレットが、そうつぶやく。

 

 現在は魔物が闊歩するザオ砂漠の真ん中を、タルタロスにて蹴散らし進んでいる最中だ。

 オアシスで現住民(というより交易商人)らからザオ遺跡の情報を集めて、捜索中なのだが。

 

 すると程なく、索敵官より報告が入る。

 

音素探知(ソナー)に反応あり。恐らくは大型の建造物ではないかと思われます!」

「……ついに発見したか。シンク、ディスト、セレニィらを準備させろ! 私も出る!」

 

「ハッ! ただちに連絡いたします!」

「さて… ここは任せたぞ、ラルゴ。万が一の場合は、以降の指揮は貴様にすべて預ける」

 

「うむ、心得た。だが、任務の成功とは生還も含めてだ… 履き違えるなよ?」

 

 同じく艦橋に立っていたラルゴにそう言い含められる。

 

 微笑を浮かべ「当然だ。私を誰だと思っている?」と返せば、彼からはもはや何もなかった。

 それを見届けると、リグレット自身も準備を整えるために艦橋を退室するのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 セレニィが慌てて準備を整え出口付近で待っているとシンクが、続いてディストが現れた。

 どちらもこれから遺跡探索を行うとは思えないほどに軽装なので、思わず目を丸くする。

 

 ……ディストの方は、お手製の譜業兵器に加えてその手に色々と何かを持っているようだが。

 セレニィがなんだろうと思ってジッと見ていると、シンクが手を上げつつ声を掛けてきた。

 

「やぁお待たせ… って、言った方がいいのかな?」

「いえいえ、大して待ってませんですよー」

 

「ハーッハッハッハッ! この短期間に完成させてしまうとは流石は私! 天才ですねぇ!」

「へぇ… 何かを作ってらっしゃったんですか? お得意の譜業兵器でしょうか」

 

「よくぞ聞いてくれましたっ! 今回ばかりは、すこぉーしだけ苦労しましたよ! なんせ…」

「まぁ、このバカの話はいいとしてさ… セレニィは何を持ってるのさ」

 

「私の話を遮るんじゃありません! ……さておき、バスケットを持ってるようですが?」

 

 シンクとディストの二人に尋ねられ、セレニィは両手で持っていたバスケットを持ち上げる。

 

「あぁ、遺跡の攻略ということで厨房をお借りしてお弁当を作ってたんですよ」

「はぁ… なんだい、それ? ピクニックじゃあるまいに…」

 

「ハーッハッハッハッ! ですが、こと我々にかかればピクニックのようなものでしょう?」

「フン、言うじゃないか… ま、否定もしないけれどね」

 

「つまらない作業だとは思っていましたが、そう考えれば気分転換に悪くありませんよ」

「あはは…(別にそういう意図はなかったんだけどな… 単なる存在価値アピールで…)」

 

「……そんなことでは困るな。閣下は期待しておまえを指名されたのだぞ、ディスト」

 

 そこに声が掛かる。

 

 そちらの方を振り向けば、戦闘準備を万端に整えてきたリグレットがそこに立っていた。

 普段のストールは外し、身軽さを重視しつつも機能美を体現した軍服をまとっている。

 

 ノースリーブから覗く肩。ミニスカートから履き替えたショートパンツより伸びる長い足。

 その他探索に必要と思われるアイテム類を、くびれた腰にベルトバッグで吊るしている。

 

 彼女のあまりの神々しい美しさ(と色気)に、セレニィは思わずクラリとよろめいた。

 そんなセレニィの様子には気付かないまま、ディストはリグレットに大して口を尖らせる。

 

「きぃぃぃー! 一体誰のせいで無駄に疲れていると思うんですかぁ! 大体ですね…」

「悪かった悪かった… ほら、謝ってやったのだ。さっさと例のものをそいつに渡しておけ」

 

「むぐぐ… 当然のように完成したと思われてますし。くぅ、私がどれだけ苦労したと…」

 

 ブツブツ言いながら指示に従い、ディストは手に持っていたモノをセレニィに渡してきた。

 思わぬことの成り行きに「私ですか?」と自身を指さしリグレットを見れば、頷かれる。

 

 なんだろうと思いつつ受け取れば、それは拳ふたつ分ほどの長さの棒と厚手のマントだった。

 棒は金属のようなそうでないような不思議な材質だ… 敢えて言えばセラミックが近いか?

 

 マントはところどころ不思議な文様が刻まれている。なんか良さ気な素材だし高そうだ。

 サイズは自分用(つまり小さい)みたいだが何の意図があって? 思わず彼女を見詰め返す。

 

「使え。……勘違いするな! 弱者は弱者なりに最低限の身を守る道具が必要だからな」

 

 顔を赤くしてそっぽを向かれてしまう。なにこのリグレットさん、可愛すぎるんですけど。

 持ち帰っていいかな? いいよね? 萌えすぎてしまい、正常な判断力を喪うセレニィ。

 

 しかし彼女が事を起こして蜂の巣になってしまう五秒前に、高笑いとともに声をかけられる。

 

「ハーッハッハッハッ! 感謝なさい! 心友のためでなければ断ってましたからねぇ!」

「ハハッ、驚いたようだね。僕も黙っていた甲斐があったってモンだよ」

 

「実はボクもお手伝いしたですの! セレニィさんを驚かせたくて、内緒にしてたですの!」

「ミュウからセレニィの戦闘スタイルを色々聞きましたよ。中々の修羅場を潜ってきたようで」

 

「本当に工夫・奇術のオンパレードみたいだね。リグレットが遅れを取ったのも頷けるよ」

「うるさい! その話はするな! 同じ失態は二度とないぞ!」

 

「いやいや、戦場だと一度の遅れで全部喪うから。言い訳はみっともないよ?」

 

 そのやり取りに、思わず呆然としてしまうセレニィ。

 そんな彼女の様子を知ってか知らずか、得意げな様子でそれぞれの説明を始めるディスト。

 

「まずそちらの棒は、最初に音素振動数を刻んで所有者を登録します」

「所有者登録とな…」

 

「3つあるうちの赤色のボタンを押して、力を込めてください」

「んっ… こ、こうですかね?」

 

「結構… 青いボタンに力を込めれば両端から棒が伸びて長い棒となります。黄色で戻ります」

「お? おぉー! すごい、すごいですよこれ!」

 

「フフン、当然です! なんせ私は天才たる“薔薇”のディスト様ですからねぇ!」

 

 ボタンを押しながら伸縮自在の棒を振り回して喜ぶセレニィ。軽いのに固くて頑丈そうだ。

 これなら今までの棒のように、あっさり切られて根本からなくなったりはしないだろう。

 

 たとえ借り物だとしてもこれは良いものだ。楽しそうにしてる彼女にディストが付け加える。

 

「ですが、それだけで終わりではありませんよ! なんせ私は天才ですから!」

「え? マジですか…」

 

「当然です! ……ミュウ!」

「はいですのー!」

 

「さぁ、セレヌィ… その赤色のボタンをもう一度力を込めて押してください」

「はい? こうでうわわっ!?」

 

「ハーッハッハッハッ! どうやら成功のようですねぇ!」

 

 伸びた棒の両先端から炎が吹き出てきて、思わず取り落とし尻餅をついてしまうセレニィ。

 一方ディストはと言えば、自らの発明が成功した喜びにミュウとハイタッチをしている。

 

 ミュウに合わせてしゃがんでいる彼の頭を容赦なく踏みつけつつ、リグレットが口を開いた。

 

「いきなり火を出させるな、馬鹿者が。……して、どういった機能なのだ? これは」

「ぐぬぬっ、いきなり足蹴にするとは… ソーサラーリングと連動させたのですよ」

 

「ソーサラーリングと? 二千年前の技術だろうに… そんなことが本当に可能なのか」

「事実、可能としたのが天才の恐ろしいところ。……まぁ、若干の弊害はありますがねぇ」

 

「だろうと思ったさ。貴様に期待した私が馬鹿だったな… さぁ、キリキリ吐くのだな」

「この天才に何たる扱い! ……一つは特殊効果発動中はミュウの能力が一切使えなくなる点」

 

「ふむ… まぁ、それはやむをえまいな。だが、その口振りだと他にもあるのか?」

「もう一つはソーサラーリング本来の力ではないので、威力が格段に落ちる点ですかね!」

 

「なんだ、それは。だったら緊急時の護身くらいにしか使えんではないか… 使えんヤツだ」

 

 肩をすくめるリグレットの態度に、ディストは地団駄を踏んで悔しさを隠そうもせず憤る。

 一方、手から離れて棒から炎が消えたため恐る恐る拾い上げるとセレニィは口を開いた。

 

「いや、でもこれ凄すぎますよ… もともと天才だとは思ってましたがマジ天才ですね…」

「ハーッハッハッハッ! そうでしょう、そうでしょう! なんせ私は大天才ですからねぇ!」

 

「やかましいぞ、ディスト。……で、使いこなせそうか?」

「あ、はい。頑張ります!」

 

「ちなみにそちらは対譜術防御が高いだけのただの丈夫なマント。特別な機能はありません」

「やれやれ… 結局まともな発明品は棒一つかい? 期待して損したよ」

 

「いや、それ充分に凄いですから… どんだけ基準高いんですか、アンタらは…」

 

 こんなものをポンと作って貸し出してくるなんて、どんだけチートなんだよ… 六神将は。

 そりゃロクに連携も組まずに、あの人類の例外であるドSや巨乳と渡り合えるわけだわ。

 

 付け加えるとサッサとオサラバしようと思ってたのに、これだけ厚遇されるとやり難くなる。

 微妙な居心地の悪さを振り切りつつ、笑顔を浮かべながら頭を下げつつ彼女は口を開いた。

 

「でも本当に感謝です。こんな凄いものをお借りした以上は、最前線で全力で戦います」

 

「……借りるとはどういう意味だ?」

「はい?」

 

「それはもうおまえのものだ。だろう? ディスト」

「えぇ。そもそも所有者登録をしましたから、もうセレヌィ以外にその棒は使えませんしねぇ」

 

「あとそんな小さなサイズのマントを着れる者は、我が師団の中にはいないな」

「……僕の師団にもいないね。背は僕が一番小さかったはずだし」

 

「フフン! 私など、そもそも師団のメンバーとかれこれ数ヶ月は顔を合わせてません」

 

 胸を張るディストの言葉に微妙な沈黙が流れる。

 それを咳払いで誤魔化しつつ、リグレットが口を開く。

 

「コホン… とにかくそれはおまえのものだ。身を守るため、正しく使うと良い」

「え? でも、こんな高そうなものを…」

 

「勘違いするな! 捕虜に死なれては迷惑なだけだ。アリエッタやディストの手前もあるしな」

「……あ、はい」

 

「それより最前線に立つとは何事だ? 雑魚に前に出られても邪魔なだけだが」

 

 話題を替えるためだろうか、リグレットはそう言いながらジロリとセレニィを睨み据える。

 そんな彼女の表情に、小さくなりながらもセレニィは返事を返す。

 

「えっと、私は魔物を引き寄せる体質のようでして… よく狙われるんですよね」

「ハァ… 全く、そういうことは作戦会議の場で言っておけ。……それで?」

 

「なのでこれまで最前線で囮になってたというか… むしろそれしか出来なかったというか…」

「………」

 

「逃げ遅れて5回に1回は譜術に巻き込まれてたけど、今はマントあるから大丈夫かな…」

「………」

 

回復役(ティアさん)もいないですし気合入れて避けないと、ですね」

「ですのー! 譜術飛んで来る時はちゃんとミュウが注意するですのー!」

 

「あはは… 頼みましたよ、ミュウさん。……ここまでされた以上は、がんばらないとなぁ」

 

 明るく気合を入れているミュウに対して、どこか虚ろな表情で悲壮感を漂わせるセレニィ。

 

 一方、明かされた衝撃の真実にリグレット、シンクの二人は絶句することしかできない。

 ただ一人、ディストだけは「ジェイドならばやりかねない」と納得の表情を浮かべていたが。

 

 慌てて手を上げつつ、リグレットは制止の声を上げた。

 

「いや、そこまでする必要はないから! 戦闘は私たちに任せていろ… な!」

「え? いや、でも…」

 

「雑魚の戦力を当てにするほど落ちちゃいないよ… それとも、僕らが信じられない?」

「そういうわけでは… みなさんの優秀さは痛いほど分かってるつもりです」

 

「ハーッハッハッハッ! ならば、私たちの凄さを目に刻みつけるのが貴女の仕事ですよ!」

「……はい?」

 

「いいから戦闘時は邪魔にならないよう下がっていろ! これは指揮官としての命令だ!」

 

 シンクもディストもそれに追随する。

 最終的に指揮官であるリグレットが強引に締め括る形で、この話は終わることとなった。

 

 三人とも、今までのセレニィの仲間たちの非道さにドン引きである。

 ……主にドSと巨乳のせいなのだが。

 

 そして、そんな話の流れを呆然と見ていたセレニィ。

 やがてその言葉の意味するところを知って、その双眸から涙がこぼれ落ちる。

 

「(『戦わなくていい』… そう言ってくれるなんて…)」

 

 なんていい人達なんだろう。

 

 ……テロリスト集団がこんないい人達だったなんて反則だろう。溢れ出す涙が止まらない。

 泣きじゃくるセレニィを不思議そうに見上げるミュウ。

 

「(こんないい人達、絶対に死なせるわけにはいかないだろ…)」

 

 その暖かさは、適当なところでフェードアウトしようとしていた彼女を翻意させるに充分で。

 セレニィはその日、六神将を生き延びさせることをひっそりと決意したのであった。

 

 ……ある意味で、ティアの死刑回避以上の難題勃発である。

 それは、自身が死ぬのが先か胃が破裂するのが先かを競うチキンレースの開始を意味していた。

 

 

 

 ――

 

 

 

 その頃、親善大使一行はと言うと…

 

「ふむ… このメモ書き、恐らくセレニィが書いたものですね。お手柄ですよ、トニー」

「やはりそうでしたか… しかし何枚か飛んでいたようですが、一枚しか拾えず…」

 

「いえいえ… この一枚からでも見えてくるものは幾つかあります。充分な成果でしょう」

 

 そう言いながら、ジェイドはトニーから渡されたメモ書きに目を落とした。

 

 いつしかティアを助ける一件で、聞き取り調査をした時に彼女が使っていた言語だ。

 彼女自身に軽く触りを聞いた限りでは、三種類の文字を組み合わせた言語らしい。

 

 一際難解なのがこの複雑怪奇な図形にも見える文字。熟語としての意味も持つとのことだ。

 確か「カンジ」と言っていたか… されど文法も独特の癖があり、かなり理解が難しい。

 

 しかし、そこはオールドラント有数の天才ジェイドである。

 彼女が書き留めていたメモは全て暗記済み。完全解読とは行かずとも、法則性の分析は可能だ。

 

 ジェイドは知恵を総動員し、残されたメモ書きからなんとか彼女の手がかりの発掘を試みる。

 恐らくこれは、危険を冒してまで残した他ならぬ自分に向けられたメッセージなのだから。

 

 そして部分的に… というよりも極一部の単語をだけだが、メモ書きから拾うことに成功した。

 

「『アクゼリュス』『秘預言(クローズドスコア)』『回避』『ザオ遺跡』… こんなところですか」

「アクゼリュスでの秘預言(クローズドスコア)の回避のため、ザオ遺跡に向かう… ということですか?」

 

「素直に考えればそうなりますね。恐らく私たちが知らない何かを掴んでいるのでしょう」

「そうと決まれば、早速ルークたちに伝えてきましょう! ザオ遺跡に行けば!」

 

「……いえ。セレニィの無事はともかく、居場所までは伝えるべきではありませんね」

 

 駆け出そうとしたトニーの肩を掴んで、ジェイドが首を左右に振って制止する。

 思わず怪訝な表情を浮かべるトニーに対して、彼は言葉を続ける。

 

「彼女がそれを伝えたということは、彼女なりに手を打っているということです」

「ですが…!」

 

「私たちの使命を履き違えてはいけません。アクゼリュスで為すべきことがあるはずです」

「……アクゼリュスの救助、ですか」

 

「それに加えて、秘預言を見極めること… ですね。彼女はきっとそれを期待している」

 

 そう言われてしまっては返す言葉とてない。トニーは悔しげに俯く。

 頭に血が上って、自分のすべきことを忘れるような軽率な男でもない。

 

 ジェイドは手を離し、笑顔を浮かべると更にこう続けた。

 

「ですが、彼女の無事を告げる分には構いません。きっとルークたちも喜ぶでしょう」

「! そうですね、きっと喜びますよ!」

 

「えぇ、あの旅の仲間たちは揃って今夜はいい気分で眠れますね。紛れもない吉報ですよ」

「はい! では、早速!」

 

「おっと、証拠としてこのメモを持っていきなさい。無くさないようお願いしますよ?」

 

 トニーは一つ頷き、大事そうにメモ書きを懐に仕舞うと駆け出していった。

 残ったジェイドは月明かりを見上げながら、一人つぶやく。

 

秘預言(クローズドスコア)の回避、ですか。行間から伝わってくるこの悪い予感… 当たらねば良いのですが」

 

 その懸念の声を拾う者は、幸か不幸か何処にも存在しなかったという。



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70.女子力

 リグレット、シンク、ディスト、セレニィの四人からなる一行は揃ってザオ遺跡に入った。

 走破、索敵、囮をこなすディストの譜業兵器らがあるため、生身の兵士は必要としない。

 

 むしろ守るべき存在が多くなっては手が取られる。そのため各師団の兵たちは留守番である。

 ザオ遺跡にひしめく魔物たちが、想像通りセレニィのもとに殺到するが全て片付けられる。

 

 譜業兵器の群れに塞き止められる。塞き止められれば、数に任せて取り囲まれてしまう。

 万が一囲いを突破できたとして、それを見逃すリグレットではない。即座に撃ち落とされる。

 

「うわー… すごい…」

「別に大したことではない。魔物を惹き付けると分かっているなら、迎え撃てばいい」

 

「進路も予測しやすいということですからねぇ… むしろ楽な作業と言えますねぇ」

 

 感心したように溜息を漏らすセレニィに対して、リグレットの方は事も無げに言い放つ。

 譜業兵器の動きを空飛ぶ椅子に腰掛けながら微修正するディストも、それに追随する。

 

 後々仕事が控えているということで温存されているシンクが、肩をすくめつつ口を開いた。

 

「僕たちくらいの実力があるならば、むしろやりやすい状況だ。面倒ではあるけどね」

「……実力がなかったら?」

 

「『君はとんだ疫病神だ』… そう吐き捨てているよ」

「はうっ!?」

 

「ハーッハッハッハッ! 問題ありませんよ、心友! 私は至高の天才ですからねぇ!」

 

 やっぱり、こんな足手まといを連れて旅をしていた仲間たちは凄かったのかもしれない。

 そうセレニィは内心で考えて、若干肩を落としつつリグレットとディストの後を追う。

 

 ただし、圧倒的実力があるはずなのに譜術で巻き添えにしてきたドS… テメーは駄目だ。

 

 そもそもだ。

 

 そりゃ存在価値を示すために、ルークさんやティアさんには大言を吐いたかもしれない。

 けど、ドSには必要ないですよね? 囮とかそういうの。普通に殴っても強いんだし。

 

 よしんば殴るの面倒だとしても大規模譜術いらないじゃん。小さい譜術連打で充分じゃん。

 つまりドSに関しては、完全な趣味で長ったらしい詠唱を要する大規模譜術を使ってた。

 

 それだけじゃない。逃げ遅れて一緒に吹き飛んだ時に、指差して笑ってた気がするぞ。

 おのれ、ドS… 許すまじ。ふつふつとこみ上げてくる怒りに身を焦がしているセレニィ。

 

「おのれ、ドSめ…」

「どうした、セレニィ。出番が無いからといって戦場では気を抜くな」

 

「あっ、はい。ごめんなさい!」

 

 とはいえ全員がある程度以上戦える六神将と違い、ルークらには明確な後衛が存在する。

 特にイオンは導師という立場もあって、万が一にも怪我を負わせてはならない人物だ。

 

 そういう面を考慮すれば合理的なのだが、当のセレニィ本人にすればたまった話ではない。

 

「まったくもう… ディストさん、ジェイドさんってひどいですよね!」

「えぇ、まったくです! ジェイドは酷いです! 私なんてですね…」

 

「セレニィ、ディストの邪魔はするな。なんだかんだと『一応』そいつも働いてはいる」

「『一応』とはなんですか! 『一応』とは! 天才への敬意が足りませんよ!」

 

「はーい… それじゃシンクさんシンクさん、私の話を聞いてくださいよぅ」

「はいはい… まったく、あんまり話に夢中になりすぎると転ぶよ? 程々にするようにね」

 

「大丈夫ですって。そんな古典的なヘマ、このセレニィさんがするとでも… おろ?」

 

 そう言いつつ、踏み出した左足が虚空を切る。二度三度と足場を求めるも、手応えなし。

 やがて重力に耐え切れず、身体が左側に広がる傾斜の方へとゆっくりと傾いていった。

 

 助けを求めるように伸ばした手は何も掴むことなく、彼女は引き攣った笑顔を浮かべつつ…

 

「ぎゃあああああああああああああああ!?」

 

 転がり落ちていった。下り坂を。

 

「おい、セレニィ… セレニィ!?」

「は、早く追いましょう!」

 

「思わず呆然と見送っちゃったじゃないか! 何処まで世話焼かせるんだ、あの雑魚は!」

 

 転がり落ちた末に、坂の奥の奈落に飲まれて消えていくセレニィの姿。

 それは、いずれ来る彼女自身の未来を暗示しているようであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

『創世歴以前の技術…』

『各種刷り込み(インプリンティング)…』

 

『世界の救済を…』

『また不完全だった…』

 

『いや、今度こそ成功するはずだ…』

 

 現在(イマ)ではなく、此処(ココ)でもない記憶。

 

 朧気で全てが滲んで見える、薄膜を一枚隔てたように掴み取りにくい光景。

 単語は、言葉は、文字や記号や数字の羅列は、耳にではなく頭に直接入ってくる。

 

『続行…』

『続行…』

 

 痛い、痛い、痛い… 焼けた鉄を流し込まれるような痛みに、脳が悲鳴を上げている。

 

 やめて欲しい。鉛のように重い手足を伸ばす。

 やめて欲しい。声にならぬ声を喉より振り絞る。

 

 そして、手が何かを掴み光に向かって意識が浮上し…

 

 

 

 ――

 

 

 

「ん…?」

「目が覚めたか? セレニィ」

 

「……リグレット、さん?」

「セレニィさん、大丈夫ですのー?」

 

「ミュウさんも…?」

 

 目の前には、リグレットさんの美しいお顔がある。……いや、ミュウさんもいるけどね。

 どうやら二人して自分を覗き込んでいたようだ。えと、今どういう状況なんだろうか?

 

 確か自分はそう、ザオ遺跡の探索に来ていて… それで話に夢中になって足を踏み外して。

 

 そこまで思い出して顔を青褪めさせる。

 

「ご、ごめんなさい! 私… あぐっ!?」

「まだ無理をするな。どうやら頭を打っていたみたいだしな… 身体を寝かしておけ」

 

「セレニィさん、無理をしないで欲しいですのー…」

「す、すみません… 私、役に立たないばかりか足まで引っ張って…」

 

「フフッ、気にするな。いつもの澄まし顔と違って、歳相応の寝顔も見れたしな」

 

 まったく何が楽しいのやら… 美人さんにそんな表情で言われては何も返せなくなる。

 しかし一転して真面目な表情になると、彼女、リグレットさんは口を開いて尋ねてきた。

 

「しかし途中からうなされていたようだが、気分は大丈夫か?」

「うーん… 確かに夢見は悪かった気がするのですが。覚えてませんし、今はなんとも」

 

「そうか。ならばそろそろ私の手を離してくれると嬉しいのだが…」

「え? 手… わひゃあ!?」

 

「プッ、ククク… 『わひゃあ!?』はないだろう、『わひゃあ!?』は」

 

 思わず奇声を発して、握り締めていたその手を離してしまった自分は悪く無いと思いたい。

 一体何がウケたのかそんな自分の態度に、リグレットさんは肩を震わせて笑っているが。

 

 というよりさっきからなんか妙に距離が近いような… 精神的にではなく、こう、物理的に。

 それに冷静になって気付けば、ほんのりと頭に感じる柔かい感触は一体… 上質過ぎる枕?

 

「ま、まさか膝枕…!?」

「ん? あぁ、他に頭に敷くモノもなかったしな。流石に瓦礫はどうかと思ったし…」

 

「ミュウが枕になっても良かったですの!」

「……と言っているが、流石にそれもはばかられてな」

 

「な、なるほど… あの、すみません! もう大丈夫ですので! すぐにどきますから!」

「あ、あぁ… 大丈夫なら、いいのだが…」

 

「……本当にすみませんでした。本来なら捨て置かれるところを手厚い看護まで」

 

 魅惑の感触から自分を引き剥がすのは非常に惜しかったけれど、ヘタレゆえ致し方ない。

 彼女に出来るのは土下座くらいだが、リグレットは「別に気にするな」と笑って許す。

 

 セレニィはまだ胸がドキドキしているのだが、それを誤魔化すために話題の転換を試みる。

 

「そ、そういえばシンクさんとディストさんの姿が見えませんが… 一体どちらへ?」

「周囲の警戒に向かってもらった。落ち着いて休憩したいしな」

 

「わ、私のせいでしょうか…?」

「気にするな。どうせそろそろ頃合いだったのだ… 良い機会だったのだろう」

 

「でも…」

「む、噂をすれば… だな。ディスト、周囲の様子はどうだ? シンクは?」

 

「問題ありません。ですがシンクが面白いものを見付けましてねぇ… 場所を移せますか?」

 

 リグレットの問い掛けにディストがそう返す。

 

 彼女がチラリとセレニィの様子を伺ったので、セレニィは真っ直ぐ瞳を見詰めて頷いた。

 果たしてそれに納得したのか、リグレットは立ち上がって埃を払うと号令をかけた。

 

「よし、ならば場所を移す… ただし、つまらんものだったら覚悟しておけよ?」

「きぃぃぃー! なんなんですか! さっきから私へのこの扱いは!」

 

「まぁまぁ、心友… ここは私に免じて。……それと迷惑をかけてすみませんでした」

「おお、セレヌィ! 心配しましたよ! なに、心友を助けるのは当たり前のことですよ!」

 

「そう言っていただけると…」

 

 そんな会話を交わしつつ、3人と1匹はシンクが待っている場所へと向かうのであった。

 

「(歩く度に左足首痛い… 我慢できないことはないか。せめて遺跡を出るまでは…)」

「しかし、シンクの態度には驚きましたねぇ」

 

「……シンクさんが、どうか、したんですか?」

「えぇ。普段冷めきった態度のアレが慌てて駆け出した様は、もう非常に滑稽でおわぁっ!?」

 

「チッ… 外したか」

 

 話し込んでいるディストに向かって、拳大のサイズの石が勢い良く飛んで来る。

 それを椅子に乗ったまま慌てて回避した彼に対し、露骨に舌打ちするシンク。

 

 当然というべきか食って掛かるディストではあるが、当のシンクは何処吹く風だ。

 

「『外したか』って… 当たったら痛いじゃすみませんよ、その大きさは!」

「当てるつもりで投げたんだよ。かわすなんて、ディストの癖に生意気だ」

 

「きぃぃぃーっ! なんですか、その言い様は! 貴方はジェイドですか!?」

 

 あっさりと常変わらぬシンクの毒舌によって撃退され、悔しさに地団駄を踏むディスト。

 苦笑いを浮かべながらもセレニィは二人の喧嘩に割って入って、やんわりと仲裁する。

 

 お馴染みとなったその光景を呆れたように眺めつつ、リグレットはシンクに対して尋ねた。

 

「それでシンク、ディストの言う『面白いもの』とはなんだ。本当にあるのか?」

「え、なにそれ? ディストってば昼間から夢でも見てたんじゃないの」

 

「ちょっと、シンク! リグレットに殴られて再起不能になったらどうするんですか!」

「はいはい… 冗談だってば。これだよ、見てご覧」

 

「これは… 確かに凄いな。目に見えるほどに高濃度の音素(フォニム)、この色は第二音素(セカンドフォニム)か」

 

 そこには淡く茶色に輝く物体が浮かんでいた。

 いつぞやの聞き取り調査の中で学んだ知識を総動員して、セレニィは口を開く。

 

「確かノームの力を宿す、地属性の音素(フォニム)… でしたっけ?」

「そのとおり! そしてソーサラーリングがあれば、この力を宿せるのです! ミュウ!」

 

「はいですのー! ソーサラーリングに音素(フォニム)の力を染みこませるですのー!」

「で、実際どんな感じの力が宿りそうなんですか? ディストさん」

 

「ハーッハッハッハッ! それはこの天才にも分かりません! ここは実践あるのみです!」

「おい。……ミュウさん、危険かもしれませんし一旦ストップを」

 

「みゅみゅみゅみゅみゅみゅうぅ! 力が… みなぎるですのー!!」

 

 セレニィが制止するのが早いか、ミュウはそう叫ぶなり付近の瓦礫の山に突進していく。

 何やっているんだと思う暇もあればこそ、なんと逆に瓦礫の山が吹っ飛んでしまった。

 

 シンク、リグレット、セレニィの三人はその余りに現実離れした光景に思わず言葉を失う。

 

「………」

 

「すごいですの! なんでも壊せそうですの!」

「ハーッハッハッハッ! お見事ですよ!」

 

 ミュウとディストの二人だけが目に見える成果に無邪気に喜び、それを分かち合っている。

 その様子を眺めつつセレニィの方は、本物の悪魔が誕生してしまったと青褪めるのであった。

 

「えーと… じゃあそれ、ミュウアタックってことで」

「わーい! これで、もっとみなさんのお役に立てますですのー?」

 

「いや、うん… 充分過ぎると思いますですよ? はい」

 

 

 

 ――

 

 

 

 さてミュウの『ミュウアタック』習得のインパクトも終え、食事休憩の時間と相成った。

 見張りはディストの譜業兵器が受け持っている。短時間ならばどうとでもなるだろう。

 

 別に求められたわけではないが、食事だけは自分の仕事だ。キッチリとこなさねば。

 セレニィは若干誇らしげな様子で胸を張りつつ、各人にバスケットの中身を配っていく。

 

「へぇ… なんだいこれ? サンドイッチ、にしては少し変わってるようだけど」

「クラブハウスサンドです。サンドイッチは定番ですが労働量を考えるとやや軽いかな、と」

 

「ほう… レタス、トマトだけでなく目玉焼きまで挟んでいるのか。バターの味もするな」

「後はトーストを焼きつつ、若干の味付けをしてますけどね。いわゆるガッツリ系ですかね?」

 

「なるほど。これなら研究の合間にも手軽にしっかり摘めそうです… 悪くありませんね」

「そればかりでは舌が飽きるかも知れませんし、良かったらレモンの蜂蜜漬けもどうぞ」

 

「用意された水筒の水も美味しいというか、なんか疲れがスッと引いていくような感じだね」

「あ、それは生理食塩水に砂糖とレモン汁を混ぜました。砂漠で汗をかくでしょうからね」

 

「(セイリショクエンスイ?)なるほど、これは至れり尽くせりだ。是非とも参考にしたいな」

 

 足を引っ張ってしまった分、せめてこんな部分でアピールしたい。涙ぐましい努力である。

 

 だが彼女は気付いているのだろうか? 弁当やデザート、飲み物による存在アピール…

 それが即ち、彼女自身が望まぬであろう『女子力のアピール』に繋がっているという事実に。

 

「ドライフルーツやナッツも用意してますから、欲しかったら言って下さいね?」

 

「(便利だ…)」

「(便利ですねぇ…)」

「(閣下もこういう料理上手で気の付く嫁を欲しがるのだろうか…)」

 

「みゅう! セレニィさん、すごいですの! まるで『新婚さん』みたいですのー!」

「あはは… ミュウさん、何言ってるんですか。今のどこにそんな要素があったんですか?」

 

「(ひょっとして、それはギャグで言っているのだろうか…)」

 

 果たしてそう思ったのは誰だったのか。誰か一人かはたまたセレニィを除く全員か。

 

 ともあれ、セレニィの立てた『戦力で役立たずなら雑用をこなそうぜ』作戦は成功を収めた。

 彼女の望む形であったかどうかは定かではないが。

 

 そして常乾いている六神将の間に、ほのかに穏やかな空気を漂わせて休憩の時間は過ぎてゆく。

 そんな空気の中で、ザオ遺跡攻略の後半戦が緩やかに始まろうとしていた。

 

 

 

 ――

 

 

 

 さて親善大使一行に視点を移そう。あれからヴァンとティアはめっきり仲が良くなった。

 まるで失われた時間を取り戻すかのように、二人は折りに触れ語らう時間を持つようになる。

 

 そして、今日も…

 

「ねぇ、兄さん… 私には分かるの。セレニィの悲しみが、苦しみが…」

「(また始まった…)そうか」

 

「確かにあの子は生きていると分かった。でも、それを素直に喜べない私がいるの…」

「(私もアイツばかりはたまに死んでて欲しいと思うが…)そうか」

 

「きっと生きている限り、大き過ぎる使命を背負って無茶をしてしまうから」

「(そうかなぁ…)そうかなぁ…」

 

「ぶん殴るわよ、ヴァン」

「ごめんなさい」

 

「あの子は今も悲しみと孤独の中に震えている。だから、きっと私が救ってみせる」

 

 力強く宣言するティア。それを乾いた瞳で見守る兄の姿があった。

 

 単にティアのセレニィ語りに耳を傾けてくれる者が、もはやヴァン以外にいないだけだが。

 きっと妹と和解できて嬉しい兄によって、需要と供給は成り立っているのだろう。多分。

 

 そして彼女の熱意は、その場をそっと見守っているもう一人の人物に火を付けることとなる。

 

「(最近ティアはヴァン謡将と親しい… まさか! 彼女も『あの道』の素晴らしさに…)」

 

 ナタリアはちょっとそわそわした様子で、浮足立ちながらその場をそっと後にする。

 

 今はまだ早い、時期尚早だ。

 いずれ、ゆっくりと準備を整えた末にじっくりと語り合わねば… そう決意して。

 

 この場にセレニィがいたら、こう口走っていただろう。

 

「すみません。なんでもするので許してください」

 

 と。

 

 だが勘ならぬ『思い込み』に支配されたティアさんが、果たして耳を傾けてくれるだろうか?

 新たな『同志』の誕生に浮かれるナタリア姫が、そんな戯れ言に耳を貸してくれるだろうか?

 

 その答えはきっと、吹き抜ける風だけが知っている。



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71.馬鹿

 全員ペロリと弁当を平らげてくれた。クラブハウスサンドは、中々に好評だったようだ。

 なんだかんだと味には結構うるさいシンクも、文句を言わずに最後まで食べてくれた。

 

 出来ればレシピ交換などもしたいところだが、六神将は揃って料理が不得手のようである。

 リグレットは上手に珈琲を淹れられるらしいが、それを料理にカウントして良いものか。

 

「(まさか、あのメンバーより生活力のない面々と行動をともにすることなるとは…)」

 

 セレニィはちょっと遠い目をしてルークらのことを思い出し、最後の一口を食べきった。

 小さい身体ながら彼女もエンゲーブでの一件然りかなり食欲旺盛だ。モリモリ食べる。

 

 満腹とばかりにお腹を撫で、食事を終えたセレニィが六神将の面々を見詰めて口を開いた。

 

「そういえば、キチンと聞いてなかったんですけど… 一つ確認してもいいですか?」

 

「まぁ、食事休憩の時間だしね。聞きたければ好きに聞けば?」

「そうだな… とはいっても、答えられるかどうかは分からないと予め言っておくぞ?」

 

 水筒の水やデザートを口にしつつ寛いでいた六神将は、セレニィのその言葉に目を向ける。

 色々と余裕が無いままに流されてここまでやってきたが、実はずっと気になってたのだ。

 

 了承の返事をシンクとリグレットから貰い、セレニィはならばと思っていた疑問を口にする。

 

「このザオ遺跡には、一体なにがあるんですか?」

「………」

 

「地元の人も訪れない忘れられかけた場所。……流石にそれを額面通りには受け取れません」

「ふむ… 何故だ?」

 

「ヴァンさんは基本優秀です。ならばその指示には意味があると考えています」

 

 答えられない可能性は高いかも知れない。けれど、どうせならばスッキリしておきたい。

 そんな気持ちでセレニィは疑問を形にする。解説を拒まれたなら、それで諦めも付く。

 

 ヴァンのことはどうにも好きになれない。彼のことを考えると心がザワザワしてくるのだ。

 彼のことは、胸の内を隠しつつ他人を利用しようとする性格をしていると分析している。

 

「(といっても、向こうも同じ理由でこちらのことが気に入らないでしょうけどねー…)」

 

 要は近親憎悪だ。違いがあるとすれば個としての強さを持つか否かにより別れる方針。

 自分に絶対の自信を持ち思いのままに突き進むか、自身を舞台装置として影から操るのか。

 

 後者の性質を持つセレニィの方が、事態を連鎖的に拡大させるため悪辣かもしれないが。

 とはいえ、基本は自身の分というものを弁えている小市民である。大した度胸もない。

 

 今回の質問とて、深く切り込むつもりは毛頭ない。断られれば即座に退いてみせる所存だ。

 

「合流の手筈以上に優先した指示。となると、ここでの行動もまた秘預言に関わるかと」

「………」

 

「このザオ遺跡には星のフォンスロット… 『セフィロト』が隠されているのですよ」

「『セフィロト』… 聞き慣れない言葉ですね」

 

「ディスト! アンタがセレニィを贔屓してるのは分かるけど、流石に喋り過ぎじゃない?」

 

 尋ねれば沈黙で返され、まぁ已む無しかと思っていたところにディストから返答を受ける。

 聞き慣れない『セフィロト』という単語を反芻していると、シンクがディストを窘めた。

 

 しかしながらディストの方はといえば、レモンの蜂蜜漬けを齧りつつこともなげに反論する。

 

「こちらの都合で連れ回しているのです。最低限の説明くらいはして然るべきでしょう?」

「ふむ… それもそうだな。無論、全てを話すことは出来ないがある程度は話すべきか」

 

「……まったく。ま、リグレットが構わないというんなら僕からはなにもないけどね」

「フッ、すまないな。ではディスト… 折角だからセレニィへの解説の出番をくれてやろう」

 

「よろしい! この美と叡智の化身たる“薔薇”のディスト様の解説、とくと聞きなさい!」

 

 ディストの説明は思った以上に分かりやすく、丁寧なものであった。

 

 何故か説明役を何も知らないはずの自分に丸投げしてきた、何処かのドSとは大違いだ。

 若干ウザいことに目を瞑れれば、基本的に天才だし友情に篤いしで高スペックである。

 

 ディストの解説を脳内で整理しつつセレニィはそう思った。説明内容は以下の通りである。

 

 ・セフィロトとは大地に存在する特に強力なフォンスロットの総称。

 ・地核から大量に記憶粒子(セルパーティクル)が噴き出てくる場所でもある。

 ・世界中に10箇所存在し、ここザオ遺跡はそのうちの一つが存在する。

 

「なるほど… 記憶粒子(セルパーティクル)というのは、この星に流れる燃料のようなものでしたか?」

「えぇ。譜術や譜業やらが使えるのは、世界に満ちる音素(フォニム)のおかげです」

 

「循環している記憶粒子(セルパーティクル)が、世界に音素(フォニム)をもたらしている… ってわけさ」

 

 ふむふむ… と耳を傾けながら、彼女は思う。

 なるほど素晴らしいな。感動的ですらある。それが「ノーリスク」ならばな… と。

 

 果たしてそんなものを、ガバガバと使ってて大丈夫なんだろうか?

 そもそも『星の燃料』って、なんか不吉な響きじゃね?

 

「(うん、なんというか… エネルギー問題といえば『原発』を思い出してしまうよね)」

 

 セレニィにとっての物事の基準とは総じて、元日本人としての感覚がもととなっている。

 所謂『エピソード記憶』はほぼ全て失っている彼女だが、『意味記憶』は残っている。

 

 その『意味記憶』は告げている… 「そんなに都合の良い永久機関があってたまるか」と。

 原子力発電だって様々な事故やら試行錯誤を経てなお、多大な問題点を抱えていたのだ。

 

 彼女が知っていた『日本』より技術レベルが劣るだろうこの世界に、それがあるのか?

 確かに創世歴以前の技術は凄いみたいだが、『ならば何故今失われているのか』と疑問だ。

 

 この際だ… 疑問に思ったならば聞いてみよう。そう思って、物のついでと口を開いた。

 

「それは何のリスクもない完全な永久機関なのですか? ……恐らくは違うんですよね」

「……何故そう思った?」

 

「ヴァンさんが指示したってことはそうじゃないかと。あの人は基本的に有能ですし」

「そう言われてしまっては否定できんな… 全くの無関係ではない、とだけ言っておこうか」

 

「(はぁ、マジですか… 二千年分の負債が貯まってるって話なら洒落にならないぞ…)」

 

 このオールドラントという世界は、思ったよりヤバいかもしれない。……うん、知ってた。

 目覚めた瞬間からデッドリーなイベントの連続で、魔物とかいるし戦争も起きそうだし。

 

 挙句の果てにドSと巨乳に胃を痛め付けられて、教団という闇の組織に命まで狙われたのだ。

 この世界に神様など存在しなかった… いるのは邪神だけだ。そう考えて激しく落ち込む。

 

 そんなセレニィを少し眺めてから、話の締め括りとばかりにリグレットは言葉を続けた。

 

「今話せるのはここまでだ。当然、機密であるセフィロトの間にも部外者は通せない」

「まぁ、そうですよねー…」

 

「……だが、おまえが神託の盾(オラクル)に入るというのならば別だぞ。考えてはみないか?」

「ほほう、リグレットにしては良い提案ですねぇ! 私の副官になりませんか、セレヌィ?」

 

「こう言われてるけど、セレニィ… 君の返事としてはどうなんだい?」

「私が神託の盾(オラクル)騎士団にですか? あはははははは… ナイスジョーク、ありえませんね」

 

「そうか… やはり、かつて命を狙われた相手と同じ場所で働くことなどはできないか」

 

 ほんの少しだけ寂しそうに顔を俯かせるリグレットに対して、慌ててフォローの声をかける。

 確かに自分に神託の盾騎士団など務まらないとは確信をしているが、そんな理由ではない。

 

「い、いやいや… 少なくとも今は、六神将のみなさんのこと嫌いじゃありませんよ?」

「……そうなのか?」

 

「えぇ、なんだかんだと私なんかに良くしてくれますしね。嫌いになろうはずもありません」

「ふむ… では何故ですか? セレヌィ」

 

「いや、そんなの兵役でハネられるからに決まってるじゃないですか。根性もないですし」

 

 彼女は紛うことなき雑魚である。例え最下級の尖兵だとしても、こなせる見込みなどない。

 六神将は嫌いではない… どころか好きになりかけているが、それとこれとは話が別だ。

 

 そもそもが、痛いのも怖いのも嫌だという生粋のダメ人間が彼女だ。やりたいとも思えない。

 彼女らの死はなんとかして回避させたいが、かといって軍隊生活など自分には向いてない。

 

 そこまでドップリ浸かった関係になる必要もないだろう。彼女は手を振りながら応えた。

 しかし苦笑いを浮かべて辞退するセレニィに、シンクが軽い微笑を浮かべつつも異を唱える。

 

「そこまで悲観することもないと思うけどね。仮にも六神将のうち二人を倒したんだし」

「私も敗れたようなものですし、シンクも仮面を取られましたし… 既に四人脱落では?」

 

「それ含めちゃうの? じゃあもうアッシュとアリエッタしか残ってないじゃない」

「フフッ、六神将のうち四人まで手玉に取ったのだ… 誇るには充分な成果だろうな」

 

「ちょ、ちょっと… からかわないでくださいよ。そもそもまともに勝ってなんか」

「根性や体力は鍛えれば勝手に身につくしな。なんなら私が直々に鍛えてやってもいい」

 

「うぐっ…」

 

 いかにも鬼教官というイメージのリグレットにそう微笑まれれば、返す言葉も出てこない。

 言葉を詰まらせるセレニィの肩を叩きつつ、彼女は「まぁ考えておけ」と言って話は終わる。

 

「(この人たち、凄くいい人なんだよね… だけど、うん…)」

「セレニィさん、大丈夫ですのー?」

 

「……はい、大丈夫です(……いい人過ぎて、なんだか居心地が悪いです)」

 

 ドSや変態に囲まれて染まった故なのか、はたまた生来の気質故なのか…

 居心地の良い空気の中にこそ、居心地の悪さを感じる小市民がいたという。

 

「(これはアレだ… 『優秀な家族に囲まれた出来の悪い子』的ポジションなアレだ…)」

 

 なんだか、自分がここに混ざっているのが場違いなような感覚に陥ってしまうのだ。

 彼らが悪いわけではない。ただ、彼らは腹黒小市民にはまぶし過ぎるだけなのだ。

 

 そんな感情を押し殺しつつ、彼女はヘラヘラ場に合わせた笑みを浮かべるのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 微妙な後ろめたさを感じている約一名を除き、昼食休憩は和気藹々としたままに終了した。

 特に目立った襲撃もなかったようなので、再び譜業兵器を先頭にした攻略が進められる。

 

 突破したものは順次、リグレットに撃ち落とされるいつものパターンである。安定している。

 

「(さて、ゆっくり休憩したから足の痛みはもう大丈夫なはず…)」

 

 食事の後を片付けて荷物を背負い、全員が移動を始めてからそっとその一歩を踏み出した。

 ズキッ! と左足首に鈍痛が走った。思わず半泣きになるが我慢できないほどではない。

 

 本来は食事休憩の時にでも、こっそりとグミを口に放り込んで回復しておきたかったのだが。

 悲しいかな… 転んだ時の衝撃か、鞄に穴が空いておりグミの一部がなくなっていたのだ。

 

 休憩時に糸と針を使って破れた穴を繕ったものの、気落ちしてしまうこと甚だしかった。

 

「(自分グミが効き難いみたいですし… 打撲や捻挫に何処まで有効かは疑問でしたけど)」

 

 セレニィはグミの効果が現れるのが遅い。なので今までティアの回復譜術に頼ってきたのだ。

 切り傷はともかく打撲や骨折にはイマイチ頼りないグミだが、今は気休めでも欲しかった。

 

 そもそも、神託の盾騎士団の女性制服のスカートにはポケットがないのは業腹の一言だ。

 普段履いていたキュロットならばポケットに物が詰められ、グミも失くさなかっただろうに。

 

「(まぁ文句を言っても仕方ないか。ゆっくり、かつスムーズに移動をして… と)」

 

 ソロリソロリと左足を引き摺りながらも、ミュウと一緒に六神将ら三人の後をついていく。

 すると何かを感じ取ったのか、シンクがクルリと彼女の方へ振り返り視線を向けてくる。

 

 思わず立ち止まって、痛みと驚きから脂汗を流しながらなんでもないような笑みを浮かべる。

 

「な、なんでしょうか?」

「なんですのー?」

 

「……別に」

 

 納得したのか、再び前を向いたシンクがスタスタと歩いて行った。ホッと胸を撫で下ろす。

 ミュウに対してこれを口走らぬよう唇に指を当てて合図しつつ、再び彼女は歩き出した。

 

 回復要員もいないのに怪我をしたと知られれば、流石に彼らに捨てられるかもしれないのだ。

 こんなところで捨てられたら、数分を待たずに死亡確定である。露見は避けねばなるまい。

 

 と思っているとまたシンクが振り返る。セレニィは立ち止まる。振り返る。立ち止まる。

 いつの間にか「だるまさんがころんだ」が始まっていたようだ。負荷が身体によろしくない。

 

 流れる脂汗の量は増え続けて営業スマイルも厳しくなったために、唇を尖らせて抗議する。

 

「ちょっと! なんなんですか、シンクさん。さっきから!」

「んー… ちょっとね」

 

「『ちょっと』じゃありませんよ、『ちょっと』じゃ… 断固抗議しま」

 

 そんなことを語っている彼女の左足首を、近付いてきたシンクが爪先で軽く突付いてみる。

 左足首に走る激痛に、思わずセレニィは叫び声を上げた。

 

「わひゃおぅ!?」

「………」

 

「って、ミュウさんが鳴いてた気がします。さっき」

「……鳴いてないですの」

 

「はぁ、まったく。……転んだ時に捻ったのか」

 

 心底呆れたように溜息をつかれる。セレニィとしては悔しげに唸るばかりである。

 騒ぎを聞きつけて、リグレットとディストが譜業兵器を引き連れて戻ってきた。

 

「どうした? 何があった!」

「聞いてよ… この馬鹿、さっき転んだ時に怪我したのを黙ってたんだよ」

 

「なんと! 大丈夫ですか、心友!」

「全く… 今度からちゃんと言え。治療をするのでそこに座れ」

 

「す、すみません…」

 

 ベルトバッグから湿布と包帯を取り出したリグレットが、手際よく治療を施していく。

 セレニィは恐縮しつつも黙って治療を受けて、ほどなく再出発の段と相成った。

 

「あまり無理はするなよ?」

「あ、いえ、大分楽になりました。……すみません」

 

「気にするな。辛いようならいつでも言え」

「……はい」

 

「さて、それでは再出発といこう。気を引き締めて進むぞ」

 

 リグレットの言葉に、全員が頷きをもって返す。

 

 セレニィも申し訳無さ半分、凛々しく男前なリグレットへの萌え半分といった感じで頷く。

 この期に及んで萌えに関して一切ぶれないのは、ある種で一貫したものがある。

 

 再出発の進行においても、セレニィも楽になったという言葉に嘘はないのだろう。

 顔色も回復し、多少びっこを引きながらもなんとかミュウと一緒についていっている。

 

 そこに先ほどと同様、シンクが振り返ってきた。

 思わず立ち止まって小首を傾げる。もう隠していることは(多分)ないはずだが?

 

 怪訝な表情を浮かべる彼女を見て溜息を一つ吐き、彼は背を向けてしゃがんだ。

 

「……乗りなよ。チンタラ進まれるとこっちがイライラしてくるんだよ」

「いや、しかし、そこまでご迷惑をおかけするわけには…」

 

「君のせいで現在進行形で迷惑を被ってるんだから、黙って背負われて欲しいんだけどね」

「うぐっ!?」

 

「……まぁ、さっきの弁当の借りを返すだけだ。僕はここまで温存されてるしね」

 

 お言葉に甘えて良いんだろうか? おぶって貰って進めるなど、ありがたい申し出だ。

 ありがたすぎて、いくら厚かましいセレニィといえど気が引けてしまうのが本音だ。

 

 流石に躊躇し悩んでいると、大きな高笑いとともに椅子が飛んできた。ディストである。

 

「でしたら、この椅子の上にお座りなさい! 貴女ならば許しましょう、心友!」

「おお… そのよく分からん椅子に座る許可をくれるのですか、心友」

 

「えぇ! 本来私しか座ることを許されないのですが、心友である貴女ならば特別ですよ!」

「なんだか申し訳ない気分ですね… 本当に良いんですか?」

 

「構いませんとも! さぁ、私の膝の間にどうぞお座りなさい! セレヌィ!」

 

 誰にも気付かれぬよう静かに溜息を吐きながら、シンクは思った。

 

 やれやれ… 気紛れを起こしてみたが、ディストの馬鹿がしゃしゃり出てくる形になったか。

 慣れないことはするもんじゃないと思い立ち上がろうとした時、彼女の声が聞こえてきた。

 

「でも、今回はシンクさんの親切に甘えますよ。お気持ちだけありがとうです、心友」

「な、なんですってぇ! それは一体何故なんですか… 心友!?」

 

「いやだってディストさんは譜業兵器の操作があるから、私がいたら邪魔になるでしょう?」

「ぐぬぬぬぬ…」

 

「それにまぁ… シンクさんが示してくれた折角のご厚意ですからね。ここは友情的に!」

 

 そう言ってヘラリと微笑むセレニィに「私だって目一杯示してますよ!」と叫ぶディスト。

 そんな彼に彼女は「勿論知ってるさ、サンキュー心友!」と綺麗な笑顔で親指を立てた。

 

 涙を呑んで飛んで行くディストを見送ってから、セレニィはシンクへと近付いて頭を下げた。

 

「というわけで、すみません。……良かったら私を背負っていただけませんか?」

「……仕方ないね。乗りなよ」

 

「いやっほぃ! おんぶで進めますぜ! ホラ、出発進行! 二人で風になりますよ!」

「今度は顔から地面に叩き付けられたいようだね」

 

「……正直すみませんでした。だから土の味だけは勘弁して下さい」

 

 嬉しそうに飛び乗りふざけたことを口走るセレニィを脅せば、ガクガク震えて謝ってくる。

 そんな彼女の様子がおかしくて、シンクは仮面の奥で静かに微笑を浮かべるのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 セフィロトまであと少しといったところで、おんぶをされながらセレニィがつぶやく。

 

「シンクさんはシンクさんの匂いがしますねー」

「うん、キモいんだけど」

 

「あ、すみません。大丈夫ですよ、シンクさんの匂いはちゃんといい匂いですから!」

「だからキモいんだけど」

 

「……うん、自分で言っててちょっと引きました。これじゃ匂いフェチみたいで」

「フェチってのがなんなのか知らないけど、『ちょっと』で済むメンタルの強さには脱帽だよ」

 

「お、褒められちゃいましたか? フフン… それほどでも、ありますけどねぇ!」

 

 背中でドヤ顔を浮かべているであろうセレニィを、素直にウザいと感じるシンク。

 

 どうしてこんなのを背負っているのだろうか。少し前の自分を殴ってやりたい。

 そう思いつつも、シンクはセレニィとなんやかんやと言葉のドッジボールを続ける。

 

「そうだね。だから、ここで君を叩き落さない僕のメンタルの強さも褒めて欲しいかな?」

「……ごめんなさいごめんなさい」

 

「まったく… 大体匂いなんて、君が以前言ったとおりならイオンの匂いってことだろ」

「ん? いやいや、似てますけれどやっぱり違いますし… シンクさんはシンクさんですよ」

 

「………」

「おや、どうかしましたか?」

 

「別に… 馬鹿だなって」

 

 背中で「いきなり理不尽に貶められた!?」と涙声になっているセレニィ。

 そんな彼女の姿を思い浮かべつつ、笑顔を隠しシンクは話を変えてみる。

 

「そういえば六神将のコト、嫌いじゃないって言ってたよね?」

「むしろ割りかし好きですよ? アリエッタさんは大天使ですしディストさんは心友ですし」

 

「へぇ… 他の連中は?」

「リグレットさんは会議室で言ったとおり。シンクさんも友達ですから好きですね」

 

「(なんか勝手に友達認定されてるし…)」

「アッシュさんもなんだかんだ相手してくれますし、ラルゴさんは怖いけど頼れますよね」

 

「なるほど。アッシュはニンジンが大好物だから料理にふんだんに使ってやると喜ぶよ」

「いや、それ唯一の嫌いな食べ物じゃないですか… あからさまに宣戦布告じゃないですか」

 

「……そうだったっけ? これはうっかりしていたね」

「その年でボケたなら記憶をハッキリさせてあげましょうか? 後頭部をぶん殴って」

 

「おお、こわいこわい。生憎と今は間に合ってるよ」

 

 威嚇するセレニィの言葉に、シンクは軽く肩を引きながらすっとぼけてみせる。

 そして意地の悪い笑みを浮かべて、声を潜めて切り込んでみた。

 

「ところで会議室じゃリグレットが好きだと言っていたけれど…」

「はい、それが何か?」

 

「ヴァンの例もあるからね… その気持ちが『Like』か『Love』か確認しておきたくて」

「なるほど、そういうことでしたか。別に構いませんよ」

 

「そりゃ助かるよ。どうしても気になってね… で、実際のところはどうなんだい?」

 

 慌てふためく姿の一つでも見れれば儲け物… そう思って振ったネタではある。

 大した反応は引き出せなかったが、まぁほんのジャブならばこんなものか。

 

 そう思いつつ、セレニィの反応を待つ。次はどういう話を振ろうかと考えながら。

 

「勿論『Love』ですよ。決まってるじゃないですか」

 

「だよね。ところでさ… ん?」

「どうかしましたか?」

 

「いや、今普通に流しちゃったんだけど… 気のせいじゃなければ『Love』って言った?」

「はい、言いましたけど」

 

「えっ?」

「えっ?」

 

 いともあっさりと、セレニィは変態性癖をカミングアウトするのであった。

 ……彼女にとっては『当たり前のこと』なので、致し方ないのだが。

 

 一方、困惑に包まれたのがシンクの方である。

 

 事も無げに言い放つ彼女は気が狂ったのだろうか? しかし問い返しても返事は変わらない。

 声音から、彼女が心底そう信じて言っているのだと伝わってくる。

 

 ジャブのつもりで放った話題に、特大のクロスカウンターが帰ってきた気分だ。

 こんなことならば聞かなければよかった。目眩を覚えつつも、なんとか口を開いてみる。

 

「あー… その、さ。リグレットのことが好きなんだ?」

「はい、そうですよ」

 

「……アイツ、ヴァンのことが好きみたいだけど?」

「いや、そんなん見てたら分かりますって」

 

「……だよね」

 

 駄目だ、こんなのは自分らしくない。全く以て自分らしくない。

 そう思えば苛々が募ってくる。

 

 それもこれも、全てはあのヒゲ総長と痴女丸出しの格好をした副官の二人のせいだ。

 そう思いながらシンクは言葉を続ける。

 

「だったら、ヴァンからリグレットを奪い取ってみたらどうだい?」

「残念ですがそれはお断りしますよ」

 

「なんで? 自信がないから?」

「いやまぁそれは否定しませんけど… なんというか、『もったいない』なって」

 

「『もったいない』?」

 

 シンクが尋ね返すと、セレニィは一つ頷き言葉を続けた。

 

「恋は女性を美しくするんですよ。身も心もね」

「………」

 

「私がリグレットさんを好きになった時、彼女の心の中に既にヴァンさんはいたんですよ」

「……まぁ、そうだろうね」

 

「全部引っ括めて『私が好きになった彼女』なんです。それを壊すのは『もったいない』です」

「………」

 

「まぁ、私がヘタレなだけだってのも否定はしませんけどね!」

 

 開き直ったように、ビシっと指を突きつけてくる仕草が目に浮かぶようだ。

 なんだそれは… そう思ったシンクが面白くなさそうに口を開く。

 

「だったら自分により惚れさせちゃえばいいじゃん」

「だったら素直に彼女の幸せを願っちゃえばいいじゃないですか」

 

「それで二人が幸せになって、君は素直に祝福できるの?」

「えぇ。ヒゲには『爆ぜろヒゲ』とか『末永く爆発しろ』とかは思うでしょうが」

 

「リグレットの方はどうなのさ?」

「美人が笑顔になれば自分も笑顔。これって、星に優しい永久機関ですよね?」

 

「うわぁ…」

 

 その言い分に思わず呆れてしまう。なんて馬鹿なんだろう。

 

「自分を好きになるよう仕向けるって選択肢はないの?」

「晴れて彼女がフリーになったら考えますよ」

 

「ヘタレ」

「自覚してますって」

 

「分かっててそれ? プッ、ククククク…」

「ちょっと! 笑うことないじゃないですか!」

 

「いや、ごめんごめん… はー笑った笑った」

 

 馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけれど、こうまで底抜けの馬鹿ならばいっそ笑うしか無い。

 大真面目に女性が好きだと言ったかと思えば、好きな人の幸せをのみ望むと口にする。

 

 好きになった人間の全てを全力で肯定しようとしているのだ。ヘタレだが笑えるヘタレだ。

 そう考えているシンクの頭を、背中からセレニィはポカポカと殴り始めた。

 

「いたたた… 悪かったって。ハハッ!」

「だったら笑うのはやめろやゴルァ!」

 

 そんな会話を交わしながら二人は、セフィロトに向かって進んでいく。

 そして、その後は特にトラブルもないままに調査も終わり帰路につくのであった。

 

 ただ一人、羞恥心に傷を負った者を除いて。彼女はタルタロス内で不満を叫ぶ。

 

「この扱いは非常に納得がいかないものがありますよ!」

「分かる! 分かりますとも、心友! 我々への扱いはおかしいことだらけですよね!」

 

「……セレニィは何をあんなに騒いでいるんだ?」

「さぁて… 誰かさんの幸せを願っていることが、知られちゃったからじゃない?」

 

「なんだ、それは…」

 

 小首を傾げつつ立ち去るリグレットの背中を見遣ってから、セレニィに視線を向ける。

 ディストと意気投合し何やら騒ぐ様子を見て、シンクはニヤリと微笑むのであった。



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72.歯車

 さて、恒例となったタルタロスでの作戦会議… 出席は六神将+1人と1匹という面々だ。

 左足首の治療を終えて開幕に間に合ったセレニィも、意気揚々とその場に参加している。

 

 もはやリグレットも彼女の参加について咎めることはない。他の面々は言うに及ばずである。

 これまでの行動で、アリエッタやディストら以外からもある程度の信頼を勝ち取ったのだ。

 

 とはいえ、やったことといえば雑用におべっか。あとは概ね勘違いによるものなのだが。

 付け加えれば、セレニィ本人にもそんな認識はない。何故か優しくされて絶賛困惑中なのだ。

 

「(……なんでだろう? うーん、わからないな)」

 

 もともと優しい人たちだというのは知ってたが、そうまでされる理由にも心当たりがない。

 小物で小市民な自分が何かしたとも思えない。むしろ足を引っ張った記憶しかないのだ。

 

 ………。

 

 話は変わるが、イタリア系マフィアは殺しの標的への殺意を隠すために贈り物をするらしい。

 

「というわけで、若干のトラブルはあったが概ね問題なくセフィロトの調査は完了した」

「うむ… ご苦労だったな、リグレット。こちらも待機の間に特に異常はなかったぞ」

 

「了解だ。では、これにより相互の報告を終える。続いて今後の方針だが意見はあるか?」

 

 何やら考え込んでいたセレニィは、リグレットの言葉にハッとすると勢いよく手を上げた。

 そもそもが今回会議に参加した理由が『コレ』である。流してしまうわけにはいかない。

 

 周囲の視線が集中する。リグレットは挙手したセレニィを見詰め、一つ頷いてから口を開く。

 

「ふむ… 良いだろう、セレニィ。おまえの意見を言ってみろ」

「感謝します、リグレットさん。……そして、みなさん」

 

 席を立ち頭を下げる。心臓がドキドキしている。……鎮まれ、鎮まれと深呼吸を一つする。

 しかし自分の言葉を待ってくれている彼らを、あまり待たせてしまうわけにはいかない。

 

 この身は三文役者に過ぎないけれど、目的のために全てを騙しきろう。意を決して口を開く。

 

「どうか聞いてください。耳を貸してください。私たちの今後、為すべき方針について」

「………」

 

「私はここに、『タルタロス総出でアクゼリュスの救助活動を行うこと』を提案します!」

 

 自分すらも騙そうとする小物は、笑顔を浮かべて、いつになく力強い声でそう言い切った。

 

 

 

 ――

 

 

 

 このセレニィという少女は、オールドラントという世界においては非常に変わった存在だ。

 

 ……いや、一言で言い表わすならば『異常』と表現したところでなんら差し支えがない。

 この世界に生きる者たちは、多かれ少なかれ預言を前提として生活している。それが常識だ。

 

 預言を憎む彼ら六神将とて例外ではない。預言への憎しみこそが、彼らを支えているのだ。

 それは裏を返せば、預言という存在にそれだけ多くの何かを刻まれたことに他ならない。

 

 この世界に生きる限り、誰であっても目を逸らすことの出来ない存在… それが預言なのだ。

 なのに彼女、セレニィは易々『禁忌』を踏み越えていく。当然の如くその存在を無視する。

 

 預言に守られることを選ばず、「ないのが当たり前」とばかりに『現実』を睨み据える。

 預言なき現実に生きることを当たり前に受け入れる。この世界では紛れも無い異常者である。

 

 彼女は自身の無力さを嫌というほど知っている。現実の苛酷さには、疑問の余地すらない。

 自身の能力を毛先ほども信じてないのに、それでも現実に抗うことを諦めようとしない。

 

 所詮己は社会の歯車に過ぎない。小さい小さい歯車などに、大それた力などあるはずもない。

 ならば、どう動くべきなのか? やるべきことなどは決まっている。そう… とうの昔に。

 

 小さい歯車なりに集まるか、より大きな歯車と組んで、力を合わせることしかできない。

 

「(『現実』は優しくなんてない… そのことを骨身に理解させてから、取り込む…)」

 

 諦めるのは人生終わってからで充分。そう気合を入れ直して、彼女は真っ直ぐ前を見詰めた。

 

 

 

 ――

 

 

 

 リグレットは訝しげな表情を浮かべている。今セレニィが言ったことは、当然のことだ。

 敢えてあのように仰々しい形で宣言する必要など、何処にもない。故に不審を覚えた。

 

 しかしながら、考えても分かる問題ではない。そう思い、彼女は思うところを述べてみた。

 

「もっともなことだ。閣下の指示次第になるだろうが、アクゼリュスで合流次第」

「いいえ違います、リグレットさん。……その認識は『甘くて』『間違っています』」

 

「……どういうことだ?」

 

 あからさまに挑発されたのだ。彼女の目が細まり、声が低くなるのも無理からぬだろう。

 

 セレニィは内心で大いにビビりつつも、余裕の笑顔を崩さず指を立てて説明を始める。

 気分はキムラスカでの謁見の間やあの戦場でのヴァンのやり取りだろうか? 心臓に悪い。

 

「私の提案の要点は、『アクゼリュスの救助活動に参加すること』ではありません」

「……?」

 

「『アクゼリュスに単独で先回りして我ら主導で救助活動を行うこと』にあるのです」

「なっ!?」

 

「んっと… どういうこと、です?」

 

 セレニィの示した二つの方針の違いが分からず、小首を傾げつつ尋ねてくるアリエッタ。

 そんな彼女に心から萌えつつ、しかしながら笑顔を崩さずに説明を続行するセレニィ。

 

「つまり、『私たちでアクゼリュスの人々を助けちゃいましょう』ってことですよ」

「そっか… ん! アリエッタ、わかったよ!」

 

「流石アリエッタさんです。今みたいに分からなかったらなんでも聞いて下さいね?」

 

 頷くアリエッタに対し笑顔を見せるセレニィ。しかし、ことはかように美しい話ではない。

 要は「親善大使一行が来る前に救助活動を始めてアピールしようぜ」ということである。

 

 いや、もっと悪く言えば「親善大使一行が来る前に手柄掻っ攫っちゃおうぜ」なのだ。

 追い剥ぎもかくやというセレニィの提案を理解した面々は、思わず固まり絶句してしまう。

 

 だがなんとか最初に再起動を果たしたリグレットが、彼女を窘めるように言葉を紡いだ。

 

「ちょ、ちょっと待てセレニィ… 閣下の指示もなく、そんな勝手な真似は…」

「そのヴァンさんのためにも、早く動かないと手遅れになりますよ?」

 

「なんだと… て、手遅れとは一体どういうことだ! 適当なことを言うつもりなら」

 

 リグレットにはヴァンの話題が効く。こんなに優秀な人に弱点があるのはありがたい。

 セレニィは内心に浮かべた邪悪な笑みを隠しつつ、さも理解者のように振る舞ってみせる。

 

「どういうことだも何も… 今現在のヴァンさんの状況、理解されてますよね?」

「それは… 罪の減免のために、アクゼリュスでの救助活動を命じられてて」

 

「はい。付け加えるなら、罪の内容も問題ですよね… 今更口にするのも憚られますが」

「うぅ… それに関しては、きっと冤罪のはずだ。私はそう信じている」

 

「私ももちろん信じてますよ。ヴァンさんにかけられた容疑は冤罪で間違いない、と」

 

 胸を張ってそう宣言する。それはそうだ、自分がその黒幕だから知っていて当然である。

 だがリグレットはそんなセレニィの言葉に励まされ、笑みを浮かべる。騙されている。

 

 リグレットの笑顔に萌えつつも、セレニィは逆に深刻そうな表情を浮かべて言葉を続ける。

 

「ですが世間にとっては… 監視をつけられ、行動も制限されていることでしょう」

「それは… 確かにそうかもしれん」

 

「そんなヴァンさんに仕事が与えられるでしょうか? 功績が認められるでしょうか?」

「そ、それは…」

 

「しかしながらここで機先を制すれば、今後の展開は変わってくるかもしれませんよ」

 

 自信ありげに微笑んで見せれば、リグレットは、もどかしげに言葉の続きを促してくる。

 その表情だけでご飯三杯はいけるなと思いながら、セレニィはもったいぶって続ける。

 

「想像してみてください。病人に適切な処置を施し、親善大使を出迎えるとしますね?」

「む? ……うむ」

 

「当然、この立派な一団は何者だろう? 統率者は誰だろう? となるわけですよ」

「おお!」

 

「そうすればヴァンさんの名誉回復は為ったも同然。待つばかりでは何も掴めませんよ!」

 

 セレニィのこの解説には、リグレットのみならず他の六神将らにも感心の声が漏れ始める。

 

 笑顔を浮かべて見守りつつセレニィは思う。「……そんなに上手くいく訳ねーだろ」と。

 これだけではまだ足りない… そんな彼女の内心を読んだのか、シンクが口を開いた。

 

「けれど、この問題に関して僕たちは部外者だよ。どうやって介入するつもりなんだい?」

「ふむ… 部外者、ですか」

 

「アクゼリュスの件は、キムラスカとマルクトの国家間の問題だ。割り込むのは難しかろう」

 

 シンクの懸念に補足する形でラルゴも口を開いて、難しい表情を浮かべてから押し黙った。

 折角見えかけた光明が消されたような形となってしまい、会議室には沈黙の帳が降りる。

 

 しかしセレニィの笑顔は変わらない。『その程度の問題』ならばシミュレート済みだ。

 

「それに関してはいくつか腹案がありますので、どうぞご安心を。多分通ります」

「ほ、本当か!?」

 

「えぇ、通らなくても通します(……でないと、自分が死にかねませんしね)」

「ふむ… どういうことか、ご説明をお願いできますか? セレヌィ」

 

「はいです。一つ一つ順番に説明させていただきますので、まずはお耳を拝借しますね」

 

 指折り数えつつ言葉を紡ぐ。

 

「まず一つ。シンクさんは、『部外者だから介入できない』とおっしゃいましたね?」

「あぁ、確かに言ったよ」

 

「逆ですよ。『部外者だからこそ介入できる』んですよ」

「……はぁ? 流石に意味分かんないんだけど」

 

「中立である部外者だからこそ、大手を振って『人道支援』が出来るんじゃあないですか」

 

 暴論・詭弁のゴリ押しである。笑顔を浮かべるセレニィに合わせるのはアリエッタのみ。

 他の面々は絶句するか呆れるかの二択である。確かに大義名分にはなるかもしれない。

 

 だが、実際にそれが通るかどうかは別問題なのだ。ラルゴが困り顔でそのことを指摘する。

 

「確かに名分はあるだろう。人命救助こそ教団の本分… しかし、協力要請もなく」

「ありますよね? 協力要請」

 

「……なに?」

「今回、アクゼリュス救助隊の一員に組み込まれた六神将の統率者がいらっしゃいましたね」

 

「……なるほど」

「いやぁ、人道的な面を抜きにしても宗主国からの要請は断れませんねぇ!」

 

「……フッ、白々しい」

 

 キムラスカ側からの要望で六神将の長が協力するのだから、その部下が手伝うのは当然。

 やや厳しい論調ではあるがキムラスカから望んだことといえば、通せなくはないか…?

 

 首を傾げながら悩む六神将の面々を尻目に、セレニィはもう一つ指を折り曲げて口を開く。

 

「第二に、仮に大義名分が得られなくとも、後ろ盾が作れればオッケーですよね?」

「ふぅん… そんな当てまであるの? とても信じられないね」

 

「当てというより… 当たり前のことですが、上司の承認を貰えば良いのですよ」

「何言ってるのさ。ヴァンは監視されて行動も制限されてるって、さっき…」

 

「あ、いえいえ。ヴァンさんではなくて… ダアト本国の上司の承認ってことですよ」

 

 その発想はなかったという表情を浮かべる面々。……余りに単独行動が多かった故だろう。

 しかし、誰もが『ダアト本国の上司』を思い浮かべて苦い表情を作る。

 

「悪くない発想なのだが… やはり、モースに渡りをつけねばならんか。……はぁ」

「(嫌われてるなぁ、モースさん)いえいえ、モースさんである必要はありませんよ」

 

「む? ならばどうするのだ」

「詠師の誰かの承認であれば、ダアトの意思ってことになります(ていうか、します)」

 

「ふむ… そうか、そうなるか」

「まぁ、藪蛇にならぬように連絡は手紙で。出すのはアリエッタさん個人で、ですね」

 

「また、お手紙かくの? アリエッタ、がんばるです!」

 

 張り切るアリエッタを笑顔で見守りながらセレニィは思う。アリエッタは『休暇中』だ。

 彼女個人の行動でアクゼリュスの救援活動を行うのは、おそらく制限されないだろう。

 

 それが許されれば拡大解釈して六神将全員の名分とすればいい。文面は入念に指示しよう。

 周囲を利用し尽くす悪辣極まりない計画を思い浮かべつつ、小市民が邪悪にほくそ笑む。

 

 だがこの状況に何か思うところがあったようで、リグレットが首を傾げて考えている。

 

「手紙… アリエッタ… ダアト本国… 詠師… まさか!」

「え、えーと三つ目いきましょうか!」

 

「フン… 後で『じっっっくり』話を聞かせてもらうぞ? セレニィ」

「うぐっ… はぁい…」

 

 リグレットに睨み付けられて肩を落としつつ、セレニィは三本目の指を追って語り始めた。

 

「三つ目ですが、私は親善大使のルーク様やナタリア殿下と顔見知りです」

「ほう…」

 

「まぁ、ナタリア殿下は覚えていらっしゃるか分かりませんけれどね」

「なるほど。最悪、おまえの顔を使って渡りをつけることも可能ということか」

 

「ですね。手柄を奪ったことで責められたら死ぬ気で土下座しますよ、私が」

 

 出来ればそんな事態になって欲しくはないが… そう思いつつセレニィは溜息を吐いた。

 そこにアッシュが不機嫌そうに鼻を鳴らしながら、リグレットとの会話に割って入る。

 

 普段はこういった場には興味がなさ気なのに、珍しいことだ… そう思いつつ耳を傾ける。

 

「気にする必要ねぇ。ナタリア… 姫は、んな細けぇことより助けたことを喜ぶはずだ」

「あははー… そうですね。とても優しそうな方でしたし、私もそう願いますよ」

 

「フン… そんなことより、我儘貴族の親善大使様の機嫌を損ねないよう注意するんだな」

「(我儘? ルーク様が? 何処情報ですか?)あはは、ご忠告ありがとうございます」

 

「……フン」

 

 礼を言って頭を下げればそっぽを向かれる。この人は何考えてるのか本当よく分からん。

 そう考えながらも、セレニィは気を取り直して前を向く。ひとまず説明は終えたのだ。

 

 セレニィは生粋の政治屋ではない。『その気』にさせることで煽ることしか出来ないのだ。

 多分気付かないだけで穴は幾らでもあるのだ。それはそれぞれの担当に任せるしかない。

 

 セレニィは彼ら六神将を一人一人じっくりと見詰め、大きく息を吸ってから口を開く。

 

「具体案としてはアリエッタさんの手紙をケセドニアで出して、全速力でアクゼリュスへ」

「救助についてはどうする?」

 

「医薬品や支援物資は… この船にありますよね? なければケセドニアで購入します」

「……何故分かった」

 

「ジェイドさんが和平締結後そのままアクゼリュスに向かうということは、その予定だった」

「………」

 

「即ち、この船にそれらの用意はされていたと考えるべきでしょう。……違いますか?」

 

 そう言ってリグレットを見れば、彼女は微笑み「ケセドニアで買う必要はない」と返した。

 胸を撫で下ろしつつ、最後の言葉を告げる。

 

「では、私のこの案は… どうでしょうか?」

 

「無論、心友のアイディアです! 賛成ですよぉ!」

「アリエッタ、がんばるモン!」

 

「……仕方ないね、やってあげるよ」

「フン… まぁ、悪くない任務だ」

 

「是非もない。汚れ仕事ばかりでは臓腑(ぞうふ)が腐る」

「やれやれ、この空気ではとても反対はできんな。……賛成だ」

 

 大きく息を吐いて、椅子に腰掛けて背もたれへと身体を委ねた。……疲れ果てた気分だ。

 かくして、長い長い作戦会議の末にアクゼリュスでの活動方針が決まったのであった。

 

 そして、セレニィの自分はおろか彼ら六神将すらも騙し抜いた孤独な戦いにも幕が下りた。

 

 

 

 ――

 

 

 

 作戦会議が終わり、ミュウと一緒に自室へと戻る準備をしながらセレニィは考えていた。

 先ほどの作戦会議の、六神将にすら明かさなかった『会議での本当の目的』について。

 

 その狙いと(うそぶ)いて説明していたことは、彼女にとって全て後付けのこじつけに過ぎない。

 そうまでしてアクゼリュスに先行し、救助活動を最初に手を出そうとした本当の理由は…

 

「(要救助者を船に乗せることで、問答無用を発生させぬように牽制すること…)」

 

 ルークらにそのつもりがなかったとしても、その護衛兵たちはどう出るか分からない。

 なら要救助者を体の良い人質のように使ってでも、『話し合える場』を作るしかないのだ。

 

 初手から問答無用で攻撃を受けてしまった場合、全てがおじゃんになって詰んでしまう。

 そして残念ながら、テロリスト集団である彼らがそう対処される可能性は極めて高い。

 

 セレニィは六神将を助けると決めた。決めた以上は、彼らの気持ちを無視してでも助ける。

 にもかかわらず無力で小さな歯車にできるのは、こんな胸糞の悪い手を打つことだけだ。

 

 取り敢えずこれで「テロリストめ、死ね!」の初手即死コンボは(多分)防げるはず。

 あとは救助活動に精を出しながら無害アピールをして、あわよくば罪の減免を勝ち取って…。

 

「(はぁ、やだやだ… きっとロクな死に方しないだろうなぁ。近々報いがやってきそう…)」

「ちょっと良いか? セレニィ」

 

「……リグレットさん? 何かあったんですか」

 

 溜息を吐いて立ち上がったところにリグレットが声をかけてくる。

 小首を傾げてそれに応じる。

 

 それに対してリグレットはにこやかな笑顔を浮かべつつ、口を開いた。

 

「えぇ。先ほど後で『ゆっっっくり』話したいと言ったこと… 覚えてくれてるかしら?」

「………」

 

「覚えているか? 答えろ」

「アッハイ… 覚えてます…」

 

「そうか。詳しく話を聞かせてもらおう… なぁに、ケセドニアまではまだ時間がある」

 

 襟首を掴まれセレニィは引き摺られていく。これから楽しい個人授業の始まりのようだ。

 どうやら報いの回収は思ったより早かったようである。



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73.指し手

 ここはマルクトとの国境に程近いカイツール軍港。親善大使一行が到着して二日目の朝だ。

 

 復興も八割方終わりつつあり、六神将に襲撃された折の傷跡はほとんど見受けられない。

 活力が漲っているようですらある。バルコニーから眼下の街並みを眺めつつルークは呟いた。

 

(たくま)しいもんだ… 『助けてやる』なんて気持ちが、そもそも思い上がりなのかもな」

 

「かもしれないな。民草ってのは強いもんさ… きっと俺たちが思ってるよりずっと、な」

「……ガイ」

 

 いつの間にか隣りに立っていた親友に気付くと、彼はスマイルを浮かべて話しかけてくる。

 

「よっ、おはようさん! 調子の方はどうだい?」

「ぼちぼちだ… ってか、勝手に入ってくんなよなー」

 

「おいおい… 親友相手にそりゃあ酷くないか」

 

 さも傷付いたというような表情を浮かべ、大袈裟に肩をすくめているガイ。

 そんな彼の仕草にジト目を浮かべつつ、ルークは言葉を返す。

 

「何言ってんだ。『屋敷の外では公私混同せずに場を弁えろ』って言ったのはガイだろ?」

「ハハッ、悪い悪い。しっかりやれているようで何よりだ… 本当、見違えたぜ」

 

「ま、ティアに超振動で飛ばされてから色々とあったしな。へへっ、俺だって学ぶんだぜ?」

「それでは私めも、ルーク様に対して畏まった態度を取らないといけませんかね?」

 

「よせやい! 二人っきりの時にまで堅苦しい態度を取られちゃ、肩が凝って仕方ねぇ」

 

 互いに軽口を叩き合い、しばし沈黙する。

 そしてどちらからともなくニヤリと笑みを浮かべたかと思えば、笑い声を上げ始める。

 

 ……ひとしきり笑い合ってから、晴れやかな表情でガイが口を開く。

 

「でも、本当に立派になったもんだよ。これじゃ『賭け』は俺の負けで終わりそうだな」

「……『賭け』? なんだよ、それって」

 

「なんだ、覚えてないのか? ……だったら、アクゼリュスの件が片付いたら話してやるさ」

「よくわかんねーけど、約束だぜ? 今度は忘れんなよ!」

 

「わかってるって。俺が今まで約束を破ったことがあるか?」

「ハッ… ここに来る直前まで、師匠(せんせい)が俺を探してること言い忘れてたヤツがいたよな?」

 

「うぐっ! そ、それはインパクトのある冒険の連続でだな…」

 

 横目で睨んでやれば、頭を掻きしどろもどろに言い訳するガイが可笑しくてもう一つ笑う。

 そろそろ苛めるのも可哀想かと、話題を替えてやることにする。

 

「でもまぁ確かにな。みんなで冒険しながら帰って… そして今、ここに戻ってきた」

「ん… そう考えてみると、不思議な縁ってヤツなのかもな」

 

「さっきガイは、俺が立派になったって言ってくれたけど… まだまだだよ」

「おいおい、謙遜は…」

 

「まだまだ俺は知りたいし、学んでいきたいんだ。みんなと一緒にな」

「……ルーク」

 

「それは恥ずかしいことじゃなくて凄いことなんだって、セレニィが言ってくれたからな」

 

 穏やかな笑みを浮かべ、バルコニーから空を眺めるルーク。流れる潮風が髪を揺らす。

 セレニィ的には、怠け者体質な自分と比べて本気でルークを凄いと思っただけだが。

 

 そんなルークの言葉に一つ頷きつつ、同じように青い空を眺めながらガイも口を開いた。

 

「セレニィか… すごく周囲を気遣える子で、優しい子だったよな」

「……ガイ?」

 

「俺は知っての通り女性恐怖症だろ? からかわれたり遊ばれたりなんかしょっちゅうだ」

「………」

 

「けど、あの子は違った。口であれこれ言うけど、絶対に抱きついたりしてこなかった」

「そうだったのか?」

 

「あぁ… 俺がアニスに抱きつかれて困ってる時には、さり気なく助けてくれたりもしたな」

 

 単に野郎に抱きつきたくなかっただけである。イケメン爆発してしまえとすら思っている。

 アニスに抱きつかれているガイを見て本気で嫉妬したために、引き離したりもしたのだ。

 

 テメェそこ代われと内心で思いつつも笑顔で実行するあたり、流石は元日本人である。

 本気の恋愛ならば応援もするが、美少女と触れ合うポジションは譲りたくない小市民である。

 

 二人がそれぞれ実像と違うセレニィを思い浮かべる。……ややあって、ルークが口を開く。

 

「そういえばガイ、俺になんの用だったんだ?」

「ん? あぁ、朝食後にアルマンダイン伯爵が挨拶のお目通りを希望していてな」

 

「なるほどな。昨晩は気を使ってもらったしな… んじゃ、朝飯の後に司令部に顔出すか」

「そう言うと思って、既にそういう形での返事を返しておいたよ」

 

「やれやれ… 抜け目ねぇこった。んじゃまぁ、飯食いに行こうぜー」

 

 昨晩は旅の疲れもあり、休息を優先した。それを察して伯も何も言ってこなかったのだろう。

 そういった彼の気遣いを理解できる程度には、ルークも成長している。

 

 嫌な顔をせずに了承の旨を返せば、既にガイがそのように手配した後だったという。

 なんだそりゃと思いつつ、責めることも出来ずに二人連れ立って朝食に向かうのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 朝食後、ルーク、ナタリアにセシル少将とイオンを加えた四人は司令部に向かった。

 彼らの護衛として、ガイとアニスに数名の白光騎士団も付き添っている。

 

 例の応接室に通されて程なく、アルマンダイン伯爵がやってきてルークたちに跪いた。

 

「お待たせしてしまい申し訳ありません。カイツール軍港司令のアルマンダインです」

 

「いや、大して待ってねぇさ。それにそのままじゃ話もできねぇ… 立ってくれよ」

「ナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディアですわ。此度はしばしお世話になります」

 

「ハッ! ご無沙汰しております両殿下。特にルーク様には過日の件、助けられました」

「それ言ったらこっちもだ。鳩は助かったし、船のおかげで楽にバチカルまで帰れた」

 

「ハッ、ありがたきお言葉! ナタリア様もお美しゅうなられました。ルーク様が羨ましい」

 

 武骨な男だが、情に厚く、プライベートの時には感情をストレートに表現する一面もある。

 今回のように歓迎を全身で表現されればルークもナタリアも悪い気はせず、笑みを浮かべる。

 

 なおも二人に丁寧な歓迎の言葉を繰り返してから、アルマンダイン伯はイオンに向き直る。

 

「導師イオン、先日はご挨拶も出来ず大変な失礼をしました。心よりお詫び申し上げます」

「いいえ。気遣って頂いてのことですし… 部下の件、こちらこそお詫び申し上げます」

 

「そう仰っていただければこちらも気が楽になります。ささ、どうぞお席にお掛けください」

 

 イオンに席を勧めた後で、アルマンダイン伯はセシル少将に視線を向ける。

 

「セシル少将は昨晩ぶりだな。大任の重圧、察するに余りあるがゆっくり休めたか?」

「ハッ! お陰様ですこぶる快調です。身体こそ軍人の資本ですから」

 

「うむ、良い心掛けだ。では昨晩の焼き直しになるが、今後の件の説明に付き合って欲しい」

「ハッ!」

 

「ルーク様をはじめ皆々様にも、よろしければ少々のお付き合いをお願い申し上げます」

 

 セシル少将は、昨晩のうちにアルマンダイン伯と簡単な打ち合わせを済ませていたようだ。

 

 かくして護衛を除く全員が着席し、和やかなムードの中で会談が始まった。

 話題の内容としては、今後のアクゼリュスでの救助活動に向けた段取りについてである。

 

 主にアルマンダイン伯が直々に説明し、疑問があれば各々質問するという形を取った。

 しばしの説明を受けて、ルークが口を開く。

 

「てことは… 俺たちはマルクトの救助隊と、ここカイツール軍港で合流するんだよな?」

「はい。こちらも陸上装甲艦を用意しておりますので、皆様はそちらにご乗艦いただきます」

 

「マルクトの方も同型艦で訪れるのですわよね? 不思議ですわね。違う両国なのに…」

「シェリダンで開発された姉妹艦ですからな。中立地帯を経由してマルクトに売られたのです」

 

「なるほど。そのような事情が… 物資の交流が盛んなようで、大変結構なことですわね」

「まったく、中立地帯を通すだけで莫大な金貨が入ってくるのは笑いが止まらぬでしょうな」

 

「あ、あはは… その、なんだか申し訳ありません」

 

 中立地帯… モロに教団を示す言葉である。現在キムラスカとマルクトの間に交易はない。

 ならば、どうやって両国間で物流を成立させるのか? 中立を謳う教団が仲介するのだ。

 

 ……ベラボウに高い関税をかけて。お陰で、自治区でありながら教団には大量の収入がある。

 かてて加えて、両国の預言(スコア)の重要性や導師に対する敬意からお布施や寄付金まであるのだ。

 

 金の亡者と(なじ)られても反論の余地はない。イオンが小さくなるのも無理からぬ話だろう。

 一方アルマンダイン伯は、一転して表情を緩めると呵々大笑して深々とイオンに頭を下げる。

 

「ハハハハハハ! これは戯れが過ぎましたな。導師イオン、どうか平にご容赦の程を」

「え、えぇ… 僕はかまいませんが」

 

「ハッ、深いご慈悲に心より感謝申し上げます!」

 

 やや大袈裟に恐縮してみせれば面々の表情にも笑顔が浮かび、世知辛い話はお開きとなる。

 アルマンダイン伯は顔を上げると、話題転換の意味も込めて新たな情報を話題に上げた。

 

「実は今朝方鳩が届きましてな… マルクト側の救助隊も近日中に到着する見込みです」

「へぇ、そうなのか。……ん? 鳩って、ひょっとしてマルクトの方からなのか?」

 

「えぇ。両国間の問題なれば、救助はマルクト側と連携しなければなりませんからな」

「もっともなお話ですわ。では、かの『水上の帝都』グランコクマと書面のやり取りを?」

 

「いえ、流石にマルクトの皇帝陛下とは… セントビナーのマクガヴァン将軍とですな」

「マクガヴァン将軍か。そういや一晩宿を貸してくれたな… 元気してっかな」

 

「健在のようです。中々の傑物ですぞ? 矛を交えれば、多少は苦戦したやも知れませぬな」

「まぁ! 和平が締結されたというのに、血の気の多い事を仰らないでくださいまし!」

 

「こ、これはしたり… 軍人の性というもので。ナタリア様、どうか平にご容赦の程を…」

 

 ナタリアに窘められて弱り顔を浮かべるアルマンダイン伯に対して、笑顔が沸き起こる。

 セシル少将や護衛のアニス、ガイらも肩を震わせて俯きつつ笑みをこらえている。

 

 かくしてルークら親善大使一行は、マルクト側の救助隊到着までこの地で待つことになる。

 その間、救助に必要な医薬品や支援物資などの荷物は軍艦に運び込まれ、準備を整えている。

 

 一行は本格的なアクゼリュス出発に向けて、しばしの間、休息を謳歌するのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 そして数日が経過し、一隻の船とともにマルクト側の救助隊がカイツール軍港に到着する。

 港で彼らを出迎えたアルマンダイン伯に敬礼をするのは、マルクトの若い将校であった。

 

「マルクト帝国のアスラン・フリングス少将であります。受け入れに感謝します」

「うむ、アルマンダイン大将だ。遠路はるばるご足労であったな、歓迎しよう」

 

「ハッ! 此度の和平の受け入れともども、陛下は大変感謝を申し上げておりました」

 

 両者は堅く握手を交わす。そのまま案内されて、ルークら親善大使一行と面通しをする。

 顔見知りのジェイドがいることに気付いたが目で挨拶を交わすに止め、まずは跪いた。

 

 親書を差し出しながらアスランが声を発する。ルーク側も親書を取り出し、それに応える。

 

「マルクト帝国より救助隊と共に参りました、アスラン・フリングス少将であります」

「俺が親善大使を任されたルーク・フォン・ファブレだ。こっちがナタリアだ」

 

「ナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディアです。どうぞよしなに」

「マルクトからも救助隊が来てくれて嬉しく思う。一緒に頑張ろうな、フリングス将軍」

 

「ハッ! お目通りが叶い光栄の極み。かくなる上は粉骨砕身の覚悟で尽くします!」

 

 つつがなく親書を交換するも、ルークの言葉にますます恐縮を見せるアスラン。

 真面目な好青年だが、堅物でもあるのだろう。

 

 そんな彼の様子に気付いてか気付かずか、ルークが更に声をかける。

 

「俺は今回が初めての公務だ。補佐にナタリアが付いてるけど失敗もあるかもしれない」

「………」

 

「その時は遠慮なく叱って、そして教えてくれると嬉しい。邪魔だけはしたくないからな」

「そのようなことは…」

 

「人の命がかかっているんだ。当然だろ? 俺だって遊びに来たつもりはないんだ」

「ハッ!(なんと立派なお方だ… このお方がお世継ぎなれば、キムラスカも盤石か)」

 

 ルークの慈悲深くも威風堂々とした振る舞いに、アスランは内心で舌を巻く。

 

 ガイやナタリアによる礼儀作法や公務での振る舞い方の指導を受けたこと。

 セレニィに知ろうとする姿勢を肯定されたこと。

 

 なにより、ティアによって受けた度重なる心労から大きくなった器。

 これらがルークをここまで成長させたのだが、そんなことをアスランが知る由もない。

 

 ただただ、アクゼリュスの民を本気で想っていてくれることが伝わってきて嬉しかった。

 皇帝陛下がキムラスカと和平を結ぶと判断したことは、間違いではなかったのだ。

 

 感動に打ち震えているアスランの内心など全く知らぬまま、ルークは言葉を続ける。

 

「じゃあ救助隊の扱いに関する詳しいことは、こちらのセシル将軍と打ち合わせてくれ」

「ジョゼット・セシル少将であります。フリングス将軍、よろしくお願いします」

 

「ハッ! アスラン・フリングス少将です。こちらこそよろしくお願いします、セシル将軍」

 

 ルークらは出発の準備が整うまで待機することになる。

 イオンらの待つ宿へ戻ろうとした時、その背にアスランが遠慮がちに声をかける。

 

「あの… 申し訳ありません。一つだけ、ご報告したき儀がございます」

「ん? どうしたんだ。遠慮なく言ってくれ」

 

「実はこちらへ向かう途中、タルタロスと擦れ違いまして…」

「タルタロス… 六神将ですか」

 

「六神将だと! おのれ… ヤツらめ、今度は一体何を企んでおるというのだ!」

 

 ジェイドが思わずといった様子で声を漏らし、アルマンダイン伯は憤慨を露わにする。

 そんな彼らの様子に、申し訳無さそうな表情でアスランが口を開く。

 

「交戦の準備を整えたのですが、連中はそれに乗らずそそくさとルグニカ平野方面へと」

「ふむ… マルクト帝国と本格的に事を構えるのを恐れたのか?」

 

「かもしれません。追撃しようかとも思ったのですが、救助任務もありましたので…」

「いや、救助を優先してくれて俺は嬉しい。キムラスカ側の誰にも責めさせないさ」

 

「フリングス将軍の判断は正しいと思います。奪われた本人が言うのも情けない話ですが」

 

 ルークが慰めれば、かつてタルタロスの責任者であったジェイドもそれに同調する。

 しかし、何かが気になるのかナタリアは顎に手を当て考え始める。

 

 その様子に気付いたアルマンダイン伯爵が、思わず彼女に問いかける。

 

「どうかされましたか、ナタリア様。なにか気になることでも?」

「……いえ、恐らくは気のせいですわね。思わせぶりな態度で申し訳ありません」

 

「んじゃジェイドにトニー、俺らは先に宿に戻ってるぜ。ゆっくり話してきな」

「えぇ、積もる話もおありでしょう? わたくしたちのことは、どうぞお気になさらず」

 

「ははは… では、お言葉に甘えさせていただきますよ。ルーク様、ナタリア様」

「はい。どうぞ、お二人ともお気を付けて」

 

「あぁ。アクゼリュスで忙しくなるんだから、早いうちからあんま無理するなよ?」

 

 それだけ言い残し、ルークとナタリアはガイら護衛たちとともに宿へと戻る。

 宿に戻る道中、ナタリアが改めて口を開いた。

 

「ルグニカ平野方面… 普通に考えれば、セントビナーかエンゲーブを目指すはず」

「どうしたんだよ、ナタリア?」

 

「でも軍艦一隻ではセントビナーは陥とせない。エンゲーブに侵攻する価値は…」

 

 ぶつぶつ呟くナタリア。心配そうに声をかけるルークの言葉も耳に入らない様子だ。

 彼女はさらに思索を続ける。まずエンゲーブに攻める意味を考える。

 

 彼の地はマルクトのみならず世界の食料庫と言える。その価値は極めて大きい。

 何らかの思惑があってエンゲーブを落としたところで、マルクトが即座に全力で奪い返しに来る可能性は極めて高い。

 

 いや、ことは世界規模の問題なのだ。キムラスカもそれに協力する可能性は十分ある。

 かの六神将といえど、ローレライ教団の総力で当たらねば守りきれようはずもない。

 

 しかし、六神将の面々がダアトの思惑を離れて独自の行動をしていることは明らかである。

 

「(となれば、エンゲーブ方面で軍事行動を展開するのは愚の骨頂…)」

 

 残るのは両国の教団へのさらなる怒りと不審の眼差し。まるで意味が無い。

 教団を破壊することを狙っているにせよ、あまりにもやり方がお粗末だ。

 

 だったらモースなりイオンなりをその地位を使って暗殺するほうが手っ取り早い。

 エンゲーブを攻め入る可能性については除外してもよいだろう。

 

 続いてセントビナーだ。彼の地には名将と謳われたマクガヴァン元帥がいたはずだ。

 既に退役済みではあろうが、未だその訃報が届かないところを見るに健在だろう。

 

 また、アルマンダイン伯によればその息子も中々の傑物だとか。

 

「(そう… セントビナーを攻める意味も皆無。『労多くして功少なし』ですわね)」

 

 だが… 万が一を考える。そして、それこそが厄介。

 

「(けれど、連中がアクゼリュスに居座ることがあれば厄介なことになりますわ)」

 

 六神将がアクゼリュスに居座った場合、救助隊はロクに身動きが取れなくなってしまう。

 しかし、六神将が向かうにはアクゼリュスは戦略上、あまりにも意味が無い。

 

 こちらへの一時的な牽制になっても、守るには向かず、攻めこまれれば敗北は必定だ。

 ましてや瘴気汚染が進んでいる街である。確保したところであまりにも旨味がないのだ。

 

 そう… 『戦略的』には全く意味が無い。だが『政治的』にはどうだろうか?

 エンゲーブとセントビナーにはない価値が、現在アクゼリュスには生まれている。

 

「(キムラスカとマルクトの和平の要… そこがアクゼリュス)」

 

 そこを抑えられては、両国の喉元に刃を突き付けられたも同然となる。

 もしこれが教団の差し金であるならば、世界のパワーバランスをも左右しかねない妙手だ。

 

 ナタリアはまだ若いものの、王室に施される英才教育により政治を心得ている。

 それはルークは勿論、知恵者であるジェイドにすらない視点である。

 

 それだけにこの悪辣極まりない一手の脅威を肌で感じ取って、冷や汗すら浮かべた。

 

「……少し、急ぐ必要があるかもしれませんわね」

 

「おい、どうしたんだよ。ナタリア」

「お疲れでしょうか? ナタリア殿下」

 

 勘違いであるならばそれに越したことはない。

 しかしながら、嫌な予感は止まらない。

 

 一方、何事かを呟いていたかと思えば押し黙り、考え込んで今また呟く。

 そんなナタリアの様子にルークとガイは揃って心配そうに声をかける。

 

 そんな二人の様子に、ナタリアはなんでもないと笑みを浮かべつつ口を開く。

 

「ごめんなさい。でも、少し急いだほうが良いかと思いますわ」

「ふむ… そりゃまたどうしてだ?」

 

「少し、『罠』の匂いがしますの。何もないならそれに越したことはありませんけど…」

「ふぅん… 分かった。なら、セシル将軍とフリングス将軍に頼んでみるさ」

 

「……よろしいんですの?」

「別に頼むだけならな。ナタリアこそ、二人に無理だって言われたら諦めてくれよ?」

 

「フフッ… えぇ。ありがとうございます、ルーク」

 

 婚約者が何も言わずに自分を信じてくれた。その事実に心からの笑顔を浮かべる。

 そして同時に決意する。もしこの裏に黒幕がいるならば、決して思い通りにはさせないと。

 

 自分こそがルークを、そしてアクゼリュスの民を守るのだ。

 

「(たとえ間に合わずとも… 思い通りにはさせませんわよ? 『指し手』さん)」

 

 

 

 ――

 

 

 

「へちょん」

 

 作業を中断し、セレニィは鼻をすすった。

 

 ここはアクゼリュス郊外の原っぱ。様々な避難準備が進んでいる真っ最中である。

 かくいうセレニィも絶賛作業中である。

 

 リグレットが呆れた様子で声を掛けてきた。

 

「どうした、いきなり奇声をあげて」

「いや、くしゃみですって。……噂でもされてたんですかね? 寒気もしましたし」

 

「え? いや、今のくしゃみなのか… 私の知ってるくしゃみと違うが」

「どっからどう見てもくしゃみじゃないですか」

 

「……まぁ風邪かもしれないし、気を付けるようにな」

「そうですね… 後でマスク借りに行きます。要救助者に伝染(うつ)してしまったらコトですし」

 

「いや、ちょうど休憩にしようと思っていたところだ。今のうちに行って来い」

 

 リグレットの言葉に甘えて、一旦作業を中断させる。

 

 思ったより疲れていたようだ。身体がふらつく。

 あぁ、しんどい… どうにもアクゼリュスに到着してからあまり調子が良くないな。

 

 そんなことを考えつつ、セレニィはマスクを貰いに行くついでに少し休憩をする。

 原っぱに腰掛ける。気持ちの良い風が髪を揺らし、心地よさに目を細める。

 

 各部隊の作業状況を、そのままの姿勢でしばし見守る。

 

 避難民を休ませる仮設テントの設営。最優先で用意した男女トイレ。毛布や敷布の準備。

 医療用のテントに、食事の配給スペース。水を積んだタンクも鋭意準備中である。

 

 元日本人として、被災地でのあれこれをうろ覚えの知識で語った甲斐があるというものだ。

 語ったものを形にしてくれる六神将の優秀さに、セレニィは内心で舌を巻く。

 

 そういえば、この世界には魔物がいるから警備も用意しないと。後で提案しておこう。

 あとはアクゼリュスから避難民を募って、処置を施しつつ親善大使一行を迎えるのみだ。

 

「あと少しだ。あとはルーク様たちに渡りをつけて、ゆっくり粘りながら… ゴホンッ!」

 

 途端、咳き込む。

 

 アクゼリュス方面から流れてくる風にあたって、身体を冷やしてしまったのかもしれない。

 口元を抑えるが、咳は止まらない。

 

「ゲホゴホ… ゴホンッ!」

 

 嫌な咳だ。……ひょっとしてリグレットさんの言うとおり、本当に風邪を引いたのか?

 そんなことを考えつつ、立ち上がる。体力は回復したし、さっさとマスクを貰いに行こう。

 

 まぁ、もうすぐ辛いことも終わる。その暁にはゆっくり休もう。

 ふらつく足取りで、セレニィはタルタロスへと向かうのであった。



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74.救助

 六神将ら一行が、タルタロスを駆ってアクゼリュス郊外に到着してから早数日。

 避難キャンプは大賑わいであり、仮設テントは増設に継ぐ増設を重ねている。

 

 トイレは念の為に3箇所作っていたものの、この分だと足りなくなることだろう。

 いや、足りなくなるとしたら衣類に毛布もそうか。衛生班にもう少し人回そう。

 

 そんな事を考えていると、ここ『食事配給テント』の喧騒が一際大きくなる。

 

「なんだこりゃ! うめぇぞ!」

「おおい、こっちにも追加を頼むよー!」

 

「セレちゃん、こっちにもお願いー!」

 

 ガヤる大声に名前を呼ばれて「はーい!」と返事をしながら、食事を配りに行く。

 別に御大層なものでもなく、単なる豚汁だ。避難所といえば豚汁。安直である。

 

 しかしこれが物珍しかったのか思った以上にウケた。連日連夜の満員御礼だ。

 どれくらいウケたかというと、当初避難所への移動を渋ってた人たちが頷くほど。

 

 好みもあるだろうな、と試供品を配ったら「コレがあるの? 行く行く!」だ。

 この世界の人間は、大人であっても食べ物に釣られホイホイついてくる模様。

 

 むしろ受け入れが間に合わなくて、まだ元気な人は街で待ってもらっている始末。

 ……まぁお陰でこうして多くの人を受け入れられたのだから、結果オーライか。

 

「ふぅ… ゴホンッ!」

 

 汗を拭いつつセレニィはそう振り返った。あれ以来マスクが手放せぬ日々が続いている。

 咳が止まらないためだ。要救助者に伝染(うつ)すわけにいかぬ以上、慎重にもなってしまう。

 

 親善大使一行の到着までは持たせないといけないが、セレニィが欠けるわけにもいかない。

 避難所の問題に対応しなければならないし、なにより料理に関して外せない戦力である。

 

 誤魔化しながら続けてきたが、お陰で体調は良くなったり悪くなったりの繰り返しだ。

 特に初日運びだした重症者たちの姿が衝撃的だったのか、セレニィは一気に体調が崩れた。

 

「ゲホゴホ… ゴホンッ! ……あぁー、だるぅ」

 

 倒れない程度に適度にサボりながらも、働いてるように見せる匠の技で乗り切ってきた。

 なんやかんやで、現状は小康状態といったところだろうか。快復の兆しも見えないが。

 

 フラフラのセレニィを見かねて、同じく食事配給を担当しているリグレットが声をかける。

 

「おい、セレニィ… ここは私に任せておまえはもう休んでこい」

「え? ですが、料理は私がしないと… コホン!」

 

「ここ数日で、この『豚汁』とやらの作り方はマスターした。おまえがいなくてもやれるさ」

「そうですか? それじゃお言葉に甘えて、ゴホン! ……少し休憩したら戻りますね」

 

「いや、今日はもうテントで休め。休んでいるか後で確認しに寄るから、そのつもりでな」

 

 そう言われては何も言えない。リグレットの優しさに甘えて、セレニィは休むこととなる。

 このあたりの気遣いがさり気なく出来るのが、六神将のまとめ役たる所以かもしれない。

 

 食事配給テントの面々に本日は下がる旨を伝えると、あちこちから不満の声が漏れ出てきた。

 なぜだかセレニィは、男連中からの人気を集めているのだ。本人的には全く嬉しくないが。

 

 どうせなら美女や美少女に言い寄られたいと思いつつ、彼女はお辞儀をして場を辞した。

 避難所の中を歩きながら割り当てられたテントへ向かう… と、そこで騒ぎが聞こえてきた。

 

「……コホッ。なんだろ?」

 

 テントに戻る前の寄り道に、顔を出してみるとアッシュと一人の神託の盾兵が揉めていた。

 

「どーしたんですか、アッシュさん。こちらの人は?」

「ん? なんだテメェか… いや、この屑が何もしねぇで坑道の中に突っ立っていやがってな」

 

「何もしないとは心外です! 自分はモース様の命令で第七譜石探索に関わる任務が…」

「るせぇ! たかが石っころのために、アクゼリュスの人間見捨ててるってこったろうが!」

 

「ほうほう、なるほど…」

 

 意外と熱い性格してたんだな、アッシュさん。セレニィは意外そうにアッシュを見詰める。

 そんな彼女の視線など気付かぬままに、一層激したアッシュが神託の盾兵を締め上げる。

 

「そんなあるかどうか分かんねーモンと重病人の命、どっちが大事だ? あぁ!?」

「そ、それは… しかし、第七譜石の確認は重要な任務でして…」

 

「まぁまぁ、アッシュさん。そう一方的に怒鳴りつけていては、溝は埋まりませんよ」

 

 怒り狂うアッシュを宥めつつ、間に割って入る。初対面の頃と違って気安くなったものだ。

 アッシュもセレニィに対して怒鳴るでもなく、なんとか矛を収めつつ口を開いた。

 

「チッ! ……だったら、どうしろってんだ?」

 

「えーと… 神託の盾兵さん。第七譜石らしきものは発見しているんですよね?」

「……ハイマンです。はい、あとはそれを確認する預言士(スコアラー)の到着を待つばかりなのです」

 

「じゃあ、さっさと掘り起こしちゃいましょうよ」

「えっ?」

 

「掘り起こしておいて、後から確認できる人に確認させればいいじゃないですか」

 

 なるほどな、と頷いているアッシュを尻目に硬直しているハイマンを見詰める。

 なんでこんなことも考えつかないんだろう? ……仕事疲れだろうか。

 

 そう思いつつ、セレニィはハイマンの反応を待つ。どうにも反応が芳しくないが。

 

「いや、えっと、その…」

「あぁ、なるほど。すみませんでした、こんな簡単なことも気付かずに…」

 

「わ、分かってくれましたか!」

「えぇ。アッシュさん、一人じゃ掘り起こすの大変でしょうし…」

 

「特務師団の兵を回せってか? ンなことより今は救助活動の方が先だろうが」

「仰ることはごもっともですけどね。預言(スコア)が大事な人の方が多いのも事実ですし…」

 

「しょうがねぇな。おいテメェ、これでハズレだったらマジでぶっ殺すぞ!」

「……は、はい」

 

「めでたしめでたし、ですね。……コホッ!」

 

 何故か、今にも死にそうな声で返事をしたハイマンさんの健康状態が気になるところだ。

 DQNっぽい外見と言動のアッシュさんが怖いのかもしれない。根はいい人なんだが。

 

 そんなことを考えて満足気に頷きながら、セレニィはさてテントに帰ろうかと背を向ける。

 その背後にアッシュが声を掛けてきた。

 

「おいテメェ… その咳、大丈夫か?」

「まぁ、ちょっと休めば良くなりますよ。アッシュさんも風邪には気を付けて下さいね」

 

「チッ、ウゼーんだよ。……さっさと回復させて死ぬ気で働くんだな」

 

 中々に分かり易いツンデレだ。美少女だったら萌えたのに… 心底残念に思いつつ立ち去る。

 

 自分のテントに入ると、ボフッと敷き布へと身を投げる。幹部待遇なのか完全個室なのだ。

 ……いやたかがテントに個室も相部屋もないし、そもそもミュウと相部屋でもあるのか。

 

 身体がまるで根が張ったように動かない。どうやら思った以上に疲労していたようだ。

 テントで一人横になりながら、セレニィは救助活動の現状を再確認するために頭を巡らせる。

 

「アリエッタさんにはお手紙持って、セントビナーに飛んでもらってますし…」

「アリエッタさん、『お姉さんに任せて』って言ってたですのー」

 

「ホント、アリエッタさん様々だなぁ… 彼女には頭が上がらないですねぇ」

 

 熱っぽい身体を嫌って襟元を緩めつつ、ほのかに汗を浮かせながらセレニィは微笑んだ。

 

 彼女にはマクガヴァン将軍宛ての手紙を持たせて、セントビナーへと飛んでもらっている。

 六神将とはいえアリエッタさんは彼らにとって顔馴染み。いきなり攻撃はされないはず。

 

 内容は勿論、アクゼリュス避難民の受け入れについて。中でも重症者の受け入れについてだ。

 幾ら避難所を整えても、医術の心得がある者が作戦行動中の神託の盾騎士団の中にいない。

 

 ある程度大きな街に渡りをつけるしかない。程近く大きいセントビナーはうってつけだ。

 カイツールも距離的には近いが、あそこは駄目だ。今近付けば間違いなく攻撃されるだろう。

 

 六神将の連名によるお願いに加えて、飽くまで人道支援の側面を強調する文面を作成した。

 効果があるか分からないが自分の名前も併記しておいた。多分忘れられているだろうが。

 

「ディストさんは、タルタロスを動かして重症者を運んでもらってますし…」

「ディストさん、『心友のためですよ!』って張り切ってたですのー」

 

「少人数でタルタロス動かせるのは彼の譜業人形あってこそですし、見せ場ですもんねー」

 

 断られてもいいように、既にアリエッタと一緒にタルタロスにも重症者を乗せて出発させた。

 え? 断っても押しかけるのかって? だってこっちじゃ対処しようがないから仕方ない。

 

 自国民を見捨てるようなことはしないだろう。そして一度受け入れれば既成事実となる。

 卑怯卑劣と言わば言え。事前連絡により、準備する時間を与えるだけマシだと思って欲しい。

 

 セレニィとしては、六神将のみんなを助けたいしそのための人質に取る方針は変わらない。

 けれど、やっぱり助けられる人は出来るだけ助けたいしそのための力は尽くしたいのだ。

 

 別に正義感に目覚めたとかいうわけではなくて、後で罪悪感に潰されないための防衛行動だ。

 ……もし、それでもお断りされたらしょうがない。親善大使一行に死ぬ気で頭を下げよう。

 

 自分ごときの知恵では何も思い付かなくても、ドSはじめ優秀な人材が揃っているのだ。

 六神将はともかく、アクゼリュスの民間人を助けるための手立ては考えてくれるに違いない。

 

「ラルゴさんには周辺の警戒をしてもらってますし、基本避難所は安全ですし…」

「『期待に応えてみせよう』って言ってくれてたですのー」

 

「月並みですがあの人ほど敵の時は恐ろしく、味方の時は頼もしい人もいませんよねー」

 

 ラルゴと彼に統率されている第一師団は、タルタロスの構成人員の中でも最大人数を誇る。

 部隊の人数はその強さと対応力に直結する。しかも指揮官があの“黒獅子”ラルゴである。

 

 そこらの魔物では、その護りを突破して避難所の人間に手を出すことは不可能と断言できる。

 そして森や林から食料やら燃料となる枯れ木を、河から水を調達してくるのも彼らなのだ。

 

 アリエッタやディストのような派手さはないものの、最も習熟し且つ堅実なのが彼らだ。

 こと戦術の巧みさにおいて相手したくない人間の筆頭候補に挙げられる。くわばらくわばら。

 

「アッシュさんは、アクゼリュスで要救助者をよく拾ってきてくれますよね…」

「『特務師団だから危険な場所では動き慣れてる』って言ってたですのー」

 

「でも、すごく真剣に人命救助してくれてますよね。彼のおかげで助かる人が増えてますし」

 

 先のやり取りからも、恐らく六神将の中で一番人命救助に熱心なのが彼アッシュであろう。

 彼が後先考えずに要救助者を拾ってくるものだから、一時期は避難所がパンクしかけた。

 

 現在は施設を増設しつつ、空きスペースを確認してアクゼリュスと往復している日々らしい。

 今この避難所に要救助者何人いますか? と冗談で尋ねたら素で返してきたのでビビった。

 

 彼の前でやる気なさを見せたりサボるのは厳禁だ。さっきのハイマンさんのようになる。

 その分、普段の無愛想さが嘘のように救助に関する指示に素直に従ってくれる。ありがたい。

 

「シンクさんはトラブル対応っていう難しい役目をよくこなしてくれますよねー…」

「よく『生きてる?』ってお見舞いにきてくれるですのー」

 

「あれは死んでないかの確認作業かと… 果物とか持ってきてくれるのは嬉しいですけど」

 

 いくらその場凌ぎの避難所といえ、いやその場凌ぎだからこそ問題というものは出てくる。

 それをシンクは兆候レベルで事前に摘み取り、問題が起こっても短期間で解決するのだ。

 

 とにかく対応力が凄い。不便が起こりやすい避難所では人の不満が集まり治安が乱れやすい。

 なのにそれらを素早く把握し、即座に報告してくる。時には先んじて対処までこなすのだ。

 

 それどころか片手間にそれをこなしつつ、休みがちな自分のテントにしばしば顔を出す。

 恐らくはぶっ倒れてる自分を指差し笑うためだろう。口を開けば大抵罵り文句の毒舌家だし。

 

 まぁ腹いせに、彼の持ってきた果物や食べ物やらは全部自分とミュウの二人で食べてるが。

 

「意外なのはリグレットさんでしたねー。まさか料理を教えろとか…」

「『おまえのカバーは任せろ』って言ってましたですのー」

 

「……うん、なんか吸収速度凄いですよね。まとめ役こなしつつそれですもんねー」

 

 リグレットさんは本当に凄い。食事配給テントにいるものの、司令塔もこなしているのだ。

 こっちのうろ覚えの災害対策ノウハウを吸収して、しかも現実的なものに組み立て直す。

 

 オマケに、それまで不得手だった料理まで覚えたのだ。完璧超人への一歩を踏み出している。

 あまりに卑劣な手を使い過ぎて、人としての道を踏み外しまくっている自分とは大違いだ。

 

 今日なんか戦力外通告まで受けてしまう始末である。いても邪魔なだけだったのだろう。

 確かに完全上位互換のリグレットさんがいる以上、自分などお払い箱でしかないとは思うが。

 

 まぁ親善大使一行との橋渡し役という仕事が残っている以上は、まだ捨てられないはずだ。

 自分としても、六神将の面々を生き延びさせるという使命のために頑張らねばならない。

 

「はぁ… ゲホゴホコホンッ!」

「みゅう… セレニィさん、大丈夫ですのー?」

 

「ふぅ、平気ですよ。それよりあんまり近付くとミュウさんにも伝染(うつ)りますから」

「ボクに伝染(うつ)してほしいですの! そうすればセレニィさん治るですの!」

 

「コラ、駄目ですよ。冗談でもそんなこと言っちゃ」

 

 全く、冗談ではない。ミュウに伝染(うつ)ってもこっちが治る保証などどこにもありはしないのだ。

 その場合は、誰が自分を看病してくれるというのか? 虚弱な自分では死を待つばかりだ。

 

 今でも、濡れタオルを用意したり汗を拭いたりしてくれるミュウに助けられているのだ。

 ぶっちゃけ自分より役に立つ存在に倒れられても困る。そんな事態は断固お断り状態である。

 

 そのままじゃ勝手に伝染(うつ)ろうとしてくるかもしれないので、その前に釘を差しておこうか。

 

「コホン! ……ミュウさんは火を出したり、避難所に欠かせない存在なんですから」

「そんなの、セレニィさんだって欠かせないですのー!」

 

「いやいや、私ができることは大抵他の人も出来ますから」

「でも、ボクはセレニィさんが辛いのは嫌ですの… 無理だけはしないで欲しいですの…」

 

「はい? するわけないじゃないですか。無理なんて」

「……ホントですの?」

 

「本当ですって」

 

 何を言っているのだろうか、この毛玉は。無理をしたくないから死ぬ気で頑張ってるのに。

 自分ほど怠けるために全力を尽くせる人間は、そうそういないという自負があるのだが。

 

 とはいえ、これ以上言っても水掛け論かと判断したセレニィは話題を替えてみることにする。

 

「それより、今日はジョン君と遊ぶ約束だったはずです。代わりにお願いできませんか」

「みゅう…」

 

「ついでに私が来れなくなったことを謝っておいてくださいな。頼みますね、ミュウさん」

「はいですの…」

 

「すみません、ミュウさん。お願いしますね?」

 

 小さくガッツポーズをする。

 

 ジョンというのは、遠くエンゲーブより父のいるアクゼリュスにやってきたという少年だ。

 まだ遊びたい盛りの子供で、歳の近そうなセレニィを見るや遊ぶようせがんできたのだ。

 

 懐かれるのは良いとして子供に振り回されるのは疲れる。押し付けられるなら押し付けたい。

 彼との約束を、ミュウに押し付けることが出来るならばセレニィとしては一石二鳥なのだ。

 

 心配そうな表情を浮かべるミュウに笑顔で後押しして、そのままテントの外に押しやる。

 

「ケホッ、コホッ… さて、ゆっくり治しますか…。あと少しで完全に怠けられますしねー…」

 

 軽く咳をしつつ、そのまま目を閉じる。そして…。

 

 

 

 ――

 

 

 

 ふと意識が浮上してくる。額に当てられた冷たいものの感触が心地よい。

 これは恐らく濡れタオルだろう。

 

 そして人の話す声が聞こえてくる。

 

「セレニィ… 寝てるの?」

「うむ… あまり大きな声を出して起こさぬようにな」

 

「……ん」

 

 目を開けて声の主の名を呼ぶ。

 

「アリエッタさん、リグレットさん…」

「なんだ? 起きてたのか」

 

「えぇ、つい先ほど。アリエッタさん、おかえりなさいです」

「ん… ただいま、セレニィ。大丈夫?」

 

「フフッ、アリエッタさんの顔を見たら元気百倍ですぜ」

 

 根性で咳を止める。何があってもこの二人にゃ伝染(うつ)すわけにはいかねぇと決意する。

 そして小首を傾げながら尋ねる。

 

「して、どうしたんですか? お二人とも。こんなところに」

「何を言っている。もう夜だぞ… 顔を出すと言っていただろう?」

 

「アリエッタ、ただいまをセレニィに言いたかったです…」

「それはまた… ありがとうございます。嬉しいです」

 

「しかし起きたなら都合がいい。身体を拭いてやるから上を脱げ」

「うぇ?」

 

「うむ、上だ。上着ともいう。肌着も脱げよ?」

「い… いえいえいえ、そんな申し訳ないですよ。自分でやりますから」

 

「いいから脱げ。手紙の件で私に借りがあるはずだぞ? おまえは」

「アッ、ハイ」

 

 勢いに呑まれて、結局身体を拭いてもらうことと相成った。

 

 ぬるま湯に浸かったタオルで身体を拭かれるのは、中々に気持ち良い。

 自分がVIPか何かになったような気分になってくる。……錯覚だが。

 

 起きたばかりなのになんだか眠くなってくる。これは良いものだー。

 そんな夢心地の気分の中、テントの入口が開く。

 

「やぁ、生きてる?」

「……ん? あぁ、シンクさんですか。うっす」

 

「………」

「………」

 

「どうかしたんですか? みなさん固まって」

 

 首を傾げるセレニィを尻目に、リグレットが無言で譜銃を構えてシンクを狙う。

 間一髪、シンクは彼女の銃の乱射から逃げ切ることに成功した。

 

 それからしばらくして…

 上を直されたセレニィの前に、リグレット、アリエッタ、シンクの三人が座っている。

 

 渦中の本人たるセレニィはマスクを付けながら、かんらかんらと笑っている。

 

「あははー、災難でしたねシンクさん」

「笑い事じゃないよ。冗談抜きで死ぬかと思った」

 

「全く… セレニィも少しは頓着しろ」

「別に所詮私の裸ですしね… リグレットさんやアリエッタさんのを見たら話は別ですが」

 

「……もし、そっちを見てたらどうなってたの?」

「私が死んででもシンクさんの両目を潰します」

 

「………。肝に銘じておくよ」

 

 真顔で言い切ったセレニィの瞳に、シンクはその本気っぷりを確信する。

 

「まぁ、それはそれとして… 何かあったんですか? シンクさん」

「教団から応援が来てね… その報告」

 

「教団から、ですか?」

「どうかしたの?」

 

「いえ… どういった応援ですか?」

「神託の盾騎士団の兵士じゃなくて、普通に薬とか救援物資を持った教団員だね」

 

「ほほう… それはありがたいな。私が会おう」

 

 リグレットが立ち上がる。

 

 セレニィは何かが頭の中に引っかかっていた。……なんだろう? この違和感は。

 だが、時計の針は無情にも進んでいく。

 

「セレニィ、おまえは休んでおけ」

「ゆっくり… ね、セレニィ」

 

「まぁ、雑魚はさっさと治すんだね」

 

 それに対して生返事しか出来ないまま、彼らを見送ることになる。

 なおも熱持つ頭で考え続け… いつしか眠ってしまった。

 

 セレニィはこの時のことを強く後悔することになる。

 あの奸計にこの時点で気付けなかったことを。自分だけは気付くべきだったのに、と。



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75.奸計

 小鳥の鳴き声が響いてくる。テントの中、身じろぎを一つするセレニィの瞼が動き始める。

 彼女の隣にはいつの間に戻ってきたのやら、ミュウがすやすや寝息を立てて眠っている。

 

 テントの入り口切れ間からは光が射し込んでおり、時刻は既に朝になっていることが伺える。

 目覚めの時が近付いているゆえだろうか、幸せそうな寝顔を浮かべつつ涎を垂らしている。

 

 さて、セレニィ… もとい変態がどのような夢を見ているのか、一部を抜粋してみよう。

 

『セレニィ… 僕は導師失格ですね。あなたのことを想うと胸の高まりが止まりません』

『イ、イオン様…』

 

『もう、セレニィったら! イオン様だけじゃなくてあたしのこともちゃんと見てよぉ!』

『ア、アニスさん?』

 

『さぁ、セレニィ… こちらに来て僕たちと一緒に』

『ちゃーんと二人とも可愛がってくれないとぉ… お仕置きしちゃうゾ?』

 

『いいですとも!』

 

 手招きする二人のもとに飛び込もうとしたところ、クイッと背中から襟首を引っ張られる。

 思わずそちらの方を向くセレニィの視界には、先の二人に劣らぬ天使たちの姿が映った。

 

『セレニィ… アリエッタと、あそぼ?』

『アリエッタさん!』

 

『おい、セレニィ… 貴様は私のことが、す、す、好きではなかったのか?』

『もちろん大好きです! あ、でも、ヴァンさんのことは…』

 

『やっぱりホモはない』

『あ… はい』

 

『ねぇ、セレニィ。はやく、はやく… ね?』

 

 照れたような表情のままにそっぽを向くリグレットと、無垢な笑顔を浮かべるアリエッタ。

 そのまま誘蛾灯に誘われる虫のように、フラフラと二人の方に向かおうとするセレニィ。

 

『いけません、セレニィ。貴女が来るべきはこちらの方ですよ』

 

 そこに第三の方向から声をかけた。次はどんな美女だろう? あるいは美人だろうか?

 期待に胸を膨らませて、満面の笑みとともにそちらを向く。セシル将軍か、ナタリア殿下か。

 

 しかし、そこにいたのはそのどちらでもなく…

 

『はっはっはっ… いやぁ、お久し振りですねぇ。セレニィ?』

『げぇ、ドS! な、何故ここに…』

 

『そんなに喜んでいただけると光栄ですねぇ。来た甲斐がありましたよ』

 

 眼鏡を掛けたドSが、爽やかな笑顔を浮かべそこに立っていた。まさに感動の再会である。

 彼を指差しつつ、目を白黒させながら絶叫するセレニィ。脳内が混乱に塗りつぶされる。

 

『あばばばばばばばばば…』

『はい、みなさんお疲れ様でしたー。お陰さまで無事セレニィも捕まりました』

 

『はっ、そうだ! 助けて、みなさん! このままじゃドSに始末される!』

 

 たとえみっともない姿を晒すことになろうが、命の危機の前にはあれこれ言っていられない。

 残る四人に手を伸ばして必死に助けを乞う。それを無言のまま無表情で見詰めてくる四人。

 

 様子がおかしい? そんなことを考えながらセレニィが小首を傾げた時、変化は起きた。

 パリパリ… と頭頂部が割れたと思うと、それぞれの中から笑顔のジェイドが出てきたのだ。

 

『ひぎゃあああああああああ!?』

 

『はっはっはっ… 酷いですねぇ。まるでバケモノでも見たみたいに』

『はっはっはっ… 全くです。これは後で「お仕置き」ですかねぇ?』

 

『た、助けて… 誰か助けて…』

 

 大混乱の中で奇声を発して後ずさるセレニィを、笑顔のまま追い詰めていくジェイド×5。

 涙目の彼女に救いはないのか? ……いや、そんなはずはない。救いは果たされるのだ。

 

 そう。優しい… しかし揺るがぬ意志の強さを秘めた声が、セレニィの背後から響いてきた。

 

『安心して、セレニィ… 私がついているわ』

『そ、その声は…』

 

 しかしてセレニィの表情に安堵の色はない。いや、むしろ何故か分からぬが青褪める始末。

 尻餅をつきながら恐る恐る背後を振り返った彼女の前に、声の主は堂々その姿を現した。

 

『愛の使者ティア・グランツ、参上ッ!』

『やっぱりアンタかー!?』

 

『はっはっはっ… いやぁ、感動の再会ですねぇ。歳のせいか私も思わず貰い泣きですよ』

 

 キラッとポーズを決めて登場するティア。絶叫するセレニィ。目薬差しつつ囃し立てるドS。

 もはや展開は誰にも読めぬカオスの様相を呈してきている。まさに夢の夢たる所以だろう。

 

 だがセレニィにとっては紛れも無い現実だ。彼女は立ち上がると背を向けて駆け出した。

 

『くそっ、こんなところにいられるか! 私は帰らせてもらう!』

『あ、セレニィ! 夕飯までには帰ってきてくださいねぇー』

 

『誰が帰るか!』

 

 脱兎の如く、とはまさにこのことか。彼女は脇目もふらず走り続け、トップスピードに乗る。

 体力配分など考える余裕すらない。全力を尽くして距離を稼ぐのだ… 彼女は風になった。

 

 ……どれほど走っただろう。彼女は遠い地の果て、世界の壁に到達してホッと一息つく。

 後ろを振り返っても、あの二人は追ってくる気配はない。そう、彼女は見事やり遂げたのだ。

 

『よし… よしっ!』

 

 渾身のガッツポーズを決める。彼女の健脚の前には、あの二人も為す術がなかったようだ。

 上機嫌に世界の壁に落書きをしようとする。あの二人から逃げ切れたから今日は自由記念日。

 

『みゅう…』

『ん? 壁が喋ったような…』

 

『みゅう…』

『んー… なんか上の方から聞こえてくるような?』

 

『みゅうー…』

 

 いや、この声(?)は上から聞こえてくるようだ。それに誘われるように上空を見上げる。

 すると、視線のずっと先には雲突くような巨体の一体のチーグルの顔があったのである。

 

 思わず視線を下に戻していくと… 世界の壁と思っていたのは、そのチーグルの足であった。

 

『わひゃあ!?』

 

 思わず筆を取り落として、尻餅をついてしまうセレニィ。声にもならないとはこのことか。

 果たしてそれが引き金になってしまったのか、途端にチーグルの目が怪しく輝き始めた。

 

 口から階段が伸びてきてそれが地面に到達すると、口の奥からはティアが大量に湧いてきた。

 

『ミュウワープですのー!』

 

 そんな機能はいらない。あとワープは良いとして何故増えているのか。心から抗議したい。

 心中でツッコミを入れまくってたことが仇になったか、いつの間にか取り囲まれていた。

 

 もはや蟻の子一匹逃げる隙間さえない。彼女は涙目状態で震えつつ、上目遣いで口を開いた。

 

『あ、あの… ティアさん…?』

『フフッ、セレニィは可愛いわねぇ。……食べちゃいたいくらい』

 

『へっ、ティアさん… い、一体なにを…』

『………』

 

『あ、あの無言じゃよくわからないかなって…』

 

 愛想笑いを浮かべつつ対話を試みる。大丈夫、彼女だって恐らくカテゴリ上は人類のはず。

 話せばきっと分かる! そんなセレニィの思いが通じたのか、ティアも笑顔を浮かべる。

 

『ティアさん! ……ティアさん?』

『………』

 

『あの、なんで無言でにじり寄ってくるんですか? それも全員で。あの…』

 

 何故かティアは笑顔を浮かべてにじり寄ってくる。何を言っても返事がないのが不安を煽る。

 そして動けないでいるセレニィにに向かって、全員がその手を伸ばし世界は闇に覆われ…

 

「ぎゃあああああああああああああああああああっ!?」

 

「みゅっ、みゅう!? な、なんですの… なんですの!?」

「はぁ、はぁ、はぁ… 夢、ですか?」

 

 絶叫とともに目が覚める。

 荒い息を繰り返し、脳に酸素を送り込む。心臓はうるさいほどに脈打ち、血流を促している。

 

 滴り落ちる汗を拭うことも出来ないままに、セレニィはか細い声でつぶやいた。

 

「まったく… なんて悪夢ですか…」

 

 人は体調の悪い時はしばしば悪夢を見るという。

 

 

 

 ――

 

 

 

「……ぷはぁ!」

「ぷはぁですのー」

 

「ふぅ… コホッ、多少はすっきりしました」

 

 汗だくになったので広間の給水所に向かい、頭から水を浴びることでそれらを洗い落とす。

 流石に風呂とまではいかないが、ラルゴたち第一師団の活躍で洗顔するには不足がない。

 

 ミュウと二人で濡れた箇所をタオルで拭っていると、顔見知りが何人か朝の挨拶をしてくる。

 

「よっ、セレちゃん。おはよーさん!」

「あ、どもー。おはようございます… コホン!」

 

「ミュウ、今日もみゅうみゅうしてるかー?」

「みゅう? たぶんしてますのー」

 

「お、セレちゃんにミュウじゃねぇの」

「なんだって? お、ホントだ」

 

「あははー、おはよーございますですー」

 

 ワイワイと人垣が増え始める。なんだろう、この先ほどの悪夢を思い出しかねない状況は。

 とはいえ出稼ぎ労働者が多い鉱山都市。子供やらチーグルなんて珍しいのかもしれない。

 

 そんなことを考えながら、元日本人として曖昧な愛想笑いを浮かべつつ適当に対応していく。

 

「よぉセレちゃん、あんま調子良くねぇんだってな? 月並みだが一つお大事にな!」

「コホッ、どうも。……というか、そっちこそ病人ですよね? 平気ですか?」

 

「ガハハッ! いや、それがここに来てから調子よくてね。空気が良いせいかねぇ」

「オメェさんもか? まだ身体は重いけどアクゼリュスの中より断然マシだよな」

 

「いやぁ、障気蝕害(インテルナルオーガン)は完治が不可能だなんて聞くから半分諦めてたのになぁ」

「へー… なによりですよ(こっちなんて、来てからこっちずっと体調悪いってのに…)」

 

「きっとセレちゃんはじめ、六神将のみなさんが助けてくださったおかげだよな!」

「いやいや、私はなんもしてませんよー。でも体調良くなって良かったですね、本当に」

 

「はぁ… これだもんな。ここにいる誰もがセレちゃんにゃ感謝してるってのによぉ」

 

 なんか呆れたように溜息をつかれている。一つが溜息を付けば全員が同調して頷き始める。

 いやはや、アクゼリュスの人たちも元気になったものだ。……もはや若干ウザいほどに。

 

 こちらの方こそ呆れたいものだ。内心で愚痴を漏らしているセレニィに更に声がかけられる。

 

「今日は食事処に来てくれるのかい? やっぱ看板娘がいないと、どうも辛気臭くてな」

「ハハッワロス。あの絶世の美女、リグレットさんで満足できないとはなんと贅沢な」

 

「いや、リグレットの姐さんも美人なんだが… こう、セレちゃんには温かみっていうかね」

「あー、わかるわかる。いつもマスクしてっけど、明るくて笑顔なイメージあるよなー?」

 

「ゴホゴホッ! あははー… どうなんですかねー?(ねぇよ、ンなもん)」

 

 あるのは腹の中まで真っ黒な、吐き気をもよおす邪悪たる小市民だけだ。誤解も甚だしい。

 障気蝕害(インテルナルオーガン)は、脳までイカれてしまうのだろうか? セレニィは、若干本気で信じ始めている。

 

 障気蝕害(インテルナルオーガン)とは障気を吸い続けることで臓器に障気が蓄積し、発症する致死性の高い病気だ。

 あらゆる苦しみを与えたのち全ての臓器の活動を停止させてしまうらしい。絶対罹りたくない。

 

 そういった意味では目の前の鉱夫連中にほんのり同情してしまう。もう少し優しくしよう。

 そんなことを考えているセレニィの内心など知る由もなく、彼らは更に口を開いてきた。

 

「まぁ、リグレットの姐さんは洒落が通じねぇからなぁ… 別嬪さんなんだけどなぁ」

「まったくだ。ちょいと尻を触ろうとしただけで譜銃を眉間に…」

 

「おい、今なんつった?」

 

 絶対零度の声が小さい身体から発せられる。

 修羅の誕生に気付かず男たちはなおも軽口を叩こうとしながら振り返り、ギョッとする。

 

「いやだから、ちょいと尻を触ろうと… ど、どしたいセレちゃん。怖い顔して?」

「そ、そうだぜ? 可愛らしい顔が台無しじゃないの… ほら、笑って笑って」

 

「そこへ直れ! リグレットさんに手を出す不埒者は一人残らず去勢してくれるわー!」

 

 もう少し優しくしようと思ったはずだって? 物事には限度というモノが存在するのです。

 リグレットさんに手を出そうとしたのは極刑に値する。裁判は不要。死刑執行の時間だ。

 

 心友ディストに貰った棒を構えて振り回せば、鉱夫たちは蜘蛛の子を散らすように逃亡する。

 

「ちっ、逃げ足の早い… アイツら本当に病人ですか。ゴホッ!」

「でも元気になってくれて、ボクは嬉しいですのー」

 

「まぁ… そうといえなくもなくはないのかもしれませんけどねー…」

「みゅう! やっぱりセレニィさんは優しいですのー!」

 

「……はいはい。しかし、なんか増えましたねー。顔見知り」

 

 戯れ言をほざくミュウを適当にいなしつつ、棒をもとの長さに戻しベルトバッグに仕舞う。

 

 なんだかんだここに来てからそれなりに時間も経過したこともあり、知り合いは増えた。

 ましてや人と触れ合う機会の多い食事配給テント担当… いわゆる炊き出し班が役割なのだ。

 

 避難所を行き交う人々をなんとなしに眺め続ける。そのほとんどが顔くらいは知っている。

 ふとそこに見慣れぬ一団が混じっていることに気付く。はて? 教団の人々のようだが。

 

 教団の人々ならば仕事仲間だ。大体は見たことがある人々のはずだが、彼らは見覚えがない。

 

「ミュウさん、あの人たち知ってますか?」

「みゅ? ……知らないですのー」

 

「誰なんでしょうか。教団の方ではあるようですが…」

「どうしたのさ?」

 

「わひゃんっ! っと、シンクさんですか」

 

 小首を傾げながらつぶやくセレニィの背後から、声を掛けてくる者がいた。シンクである。

 全く気配を感じなかったセレニィが鈍いのか、シンクが手練なのか判断に迷うところだ。

 

 シンクはそのままセレニィの隣に立ちその視線の先を目で追うと、納得したのか一つ頷いた。

 

「あぁ、あれが昨晩言ってた教団からの応援だよ」

「なるほど、あれが… ところでおはようございます、シンクさん」

 

「……一応調べたけど、物資にもおかしいところはなかった。今は手伝いに回してるよ」

「そうなんですか、手際いいですね。ところでおはようございます、シンクさん」

 

「………」

「………」

 

 二人が睨み合う。ミュウが「なんで睨み合うですのー?」とオロオロした表情を浮かべる。

 ややあってセレニィが満面の笑みを浮かべつつ口を開いた。

 

「ぷぎゃー! 朝の挨拶一つ出来ない六神将がここにいますよー!」

「……へぇ、雑魚の分際で僕に喧嘩を売るとはいい度胸だね?」

 

「おやおや… 口で勝てないから暴力ですかー。まぁ、いいんですけどねー?」

「くっ、コイツ本当にウザい…」

 

「はーっはっはっはっ! ゲホゴホガハッ!?」

「セ、セレニィさんしっかりですのー!」

 

「くっ… 悪の仮面野郎を倒したモノの満身創痍。……短い栄華でした」

 

 ガックリと項垂れるセレニィと、それを支えようとするミュウ。身体を張った三文芝居だ。

 その騒ぎが伝わったのか、相手の方から注目されて声がかけられた。

 

「やぁ、どうもシンクさん。昨晩はお世話になりました。……そちらの方は?」

「……別に感謝を言うほどのことじゃないよ。こっちはセレニィって雑魚さ」

 

「おい、この仮面野郎」

「ほほう、貴女が…」

 

「……? えぇ、まぁ。あの、私になにか」

 

 一瞬強い視線に晒されて思わずビクリと身体が震えているが、視線を向ければ笑顔のまま。

 先ほどのプレッシャーも雲散霧消しており、気のせいかとセレニィの方が首を傾げる始末だ。

 

 一方、相手の方は笑みを浮かべたまま「いえいえ、昨晩話に出たもので」と理由を述べる。

 シンクに視線をやれば首肯を以って返される。だったらおかしいことはないかと、納得する。

 

 いや、昨晩の違和感についてもう少し考えるべきではないだろうか? そう考え口を開く。

 

「あの、あなたは…」

「あ、セレニィ! おはよう!」

 

「っと、アリエッタさん。おはようございます」

「フフ… では私はこれで失礼します。頑張りましょう… お互いに」

 

「あ、はい」

 

 そう言い残すと、彼は待たせていた一団の中へと戻っていった。その時、一陣の風が吹く。

 そしてセレニィの鼻孔に、ほんの微かに『知っている匂い』を運んでくる。

 

「(ん? これは、イオン様の…)」

「どうしたのセレニィ… ボーっとして。……まだ、しんどい?」

 

「あ、いえいえ! そんなことは。アリエッタさんの笑顔を貰えれば元気百倍ですよー」

「ホントに? だったらアリエッタ、セレニィのために笑うね? ……えへへ!」

 

「アリエッタさんが天使すぎて辛い(アリエッタさんが天使すぎて辛い)」

「なに口走ってるのさ。……頭、大丈夫?」

 

「にゃ、にゃにおう! どうやらあなたはこの私に泣かされたいようですね、シンクさん!」

「上等だよ。軽く揉んであげようか」

 

「もう、二人とも喧嘩はめっ! だよ」

 

 アリエッタやシンクとじゃれながら、なんとか気分を切り替えようとするセレニィ。

 しかし後ろ髪を引かれるような思いで、さっきの一団の方を振り返る。……どうも気になる。

 

 それを目聡く見つけたシンクが声をかけてくる。

 

「どうしたのさ。まだなにか心配ごとでもあるの?」

「あ、いえいえ。特にそういうわけでは…」

 

「そう? ……なら良いんだけどね」

「(……よく考えてみればシンクさんの匂いだったかも。今は風邪で鼻の調子も悪いし)」

 

「セレニィ、なにか心配ごと? お姉ちゃん、相談に乗るですよ!」

 

 お姉さんぶって胸を張るアリエッタに心から悶えつつ、今度こそ頭を切り替えるセレニィ。

 内心など微塵も感じさせずに笑顔を浮かべて、彼女はアリエッタに対して言葉を紡いだ。

 

「あはは、ありがとうございます。……そういえばアリエッタさんはなにかご用でも?」

「あ! んっとね… お手紙渡すお仕事終わったから、次、どうすればいいかなって」

 

「おおー、流石ですね! 素晴らしいですよ、アリエッタさん。相手の反応はどうでした?」

「んっとねんっとね… 『自国の民だしセレニィには借りがあるから引き受ける』って」

 

「借り? そんなものありましたっけね。あの会議じゃ大して役に立ちませんでしたし…」

「でもね、『文書は残せないから』ってお返事のお手紙はもらえなかったの… ごめんね?」

 

「なるほどなるほどー… いえいえ、充分です。受け入れを引き出せただけで上出来です」

 

 満足気に頷くセレニィ。なんか自分に借りがあるという言葉が不穏だが、どういう意味か。

 ひょっとしてアレなのか? 「貴様、六神将についたな。死ねぇ!」されるのだろうか?

 

 討伐されてしまう自分の未来予想図に打ち震える。この問題は、考えないことにしておこう。

 さて、次の方策か。アリエッタさんにお願いすることは… 喉元を抑えつつ再度口を開く。

 

「でしたら周辺の… 特にカイツール方面への偵察をお願いできますか?」

「んっと… 南西、だよね? どうして?」

 

「多分そろそろ親善大使一行… ルークさんたちがこちらに近付いているはずです」

「わぁ、ルークたちも来るんだ! イオン様も一緒かなぁ?」

 

「恐らくは。そこに接触して、事前にある程度の事情を説明しておいて欲しいんです」

「ん… セントビナーの時と同じ、だよね?」

 

「はい、そうなりますね。っと、いけないいけない」

 

 ついつい自分一人で突っ走ってしまった。風邪だとやはり判断力が低下するものだ。

 越権行為をするわけにはいかない。飽くまで指揮官はリグレットさんなのだ。

 

 そう思い至りつつ、自分を戒める意味も込めてアリエッタにそのことについて釘を刺す。

 

「一応リグレットさんに相談して、『いいよ』って言われてからにしてくださいね?」

「リグレットに聞いたら、『セレニィに聞いてその通りにしろ』って言われたです」

 

「なん、だと… ゲホゴホガハッ! あ、危ない… 思わず発作が…」

「だ、大丈夫? セレニィ」

 

「あ、はい。えーと… じゃあ、お願いできます? あ、でも危なかったら逃げて下さいね」

 

 そう言うとアリエッタは「大丈夫。アリエッタ、がんばるモン!」と笑顔で大きく頷いた。

 あまりの天使ぶりに魂が抜けそうになり、反応できないまま黙ってアリエッタを見送る。

 

 かくして不調の身体を抱えたまま、セレニィは作戦立案もどきをこなしつつ労働に精を出す。

 そして瞬く間に数日が経過して、いよいよ『運命の日』がやってくるのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

「いよいよ今日到着ですね… 親善大使一行」

「仲間だったんでしょ? その割りには浮かない顔してるじゃない」

 

「これからのことを思うと胃が痛くて…」

 

 この日を思うと緊張して眠れなかった。……お陰で胃薬の錠剤は全て使い切ってしまった。

 ディストは既に帰還済みだ。セントビナーでの避難民受け入れも問題なく進んだそうだ。

 

 アリエッタは親善大使一行と接触には成功したが、どうやら歓迎の空気ではなかったようだ。

 ……それはそうだろう。両国で指名手配中のテロリスト集団に、手柄を横取りされたのだ。

 

 軍が主体となっている以上、いや、例えそうでなくても面白くない事態と言えるだろう。

 更にセレニィにとって辛いことに、相手は話し合いの場に彼女を名指しで指名してきたのだ。

 

 暗に「来なかったら… 分かってるんだろうな?」と言われてるも同然だ。胃が痛いです。

 

「はーっはっはっはっ! ジェイドめ、手柄は根こそぎもらいましたよ!」

「フッ… だが連中も来たのだ。助けられる人数も速度も増えるだろう」

 

「チッ、ちんたらと手緩い真似をしやがったら承知しねぇぞ!」

「大丈夫! イオン様もいるし、きっとみんな助けてくれるモン!」

 

「やれやれ… しかし、なんだな。浮足立った空気が全軍に伝播しているな」

「それは仕方ないんじゃない? 何度も刃を交わしてきた相手だ。緊張はするさ」

 

 にもかかわらず、何故か六神将のみなさんは自信満々である。その度胸を分けて欲しい。

 小市民は胃をキリキリと痛め付けられながら縋るものがないか周囲を見渡し、ふと気付いた。

 

「あれ… そういえば応援に来てくださった例の一団、姿が見えませんね?」

「ですのー?」

 

「この騒ぎだからな… どこかに紛れてしまっても分からないかもな」

「そう、ですか…(なんだろう… すごく嫌な予感がする。外れて欲しいけれど)」

 

「それよりセレニィ、その仕事ぶりを期待しているぞ。おまえに全てを預けた!」

 

 ラルゴに強く肩を叩かれて大きくよろめく。彼なりの親愛の証だろうが身体に響いてくる。

 確かに彼の言うとおりだ。今は頭を切り替え、親善大使一行との会談に集中しなければ。

 

 大きく深呼吸して心を落ち着けようとしたところで、ディストがいつもの高笑いをはじめる。

 

「はーっはっはっはっ! ジェイドめ、亀の如く遅い足取りでやっとご到着ですか!」

「はいはい。全くディストさんは本当にジェイドさんが好きで…ッ!」

 

 その時、『何か』がつながった気がした。ブワッと全身の毛穴から汗が噴き出る。

 鼓動が早鐘を打ち鳴らしている。呼吸すらままならない。

 

 手放しそうになる意識を掴み取ったまま、震える声でディストに問い掛ける。

 

「ディストさん… 今、なんて言いましたか?」

「へ? 『やっとご到着ですか』と…」

 

「違う! その前!」

「……『亀の如く遅い足取りで』」

 

「そう… そうだ。遅すぎるんだ。いや、『親善大使一行が遅い』んじゃない」

 

 ダアトに手紙を出して、何日後に応援は到着した? 海を隔てたパダミヤ大陸のダアトに。

 明らかに『早すぎる』のだ。『親善大使一行が遅い』のではなく、『応援が早い』のだ。

 

 こちらの手を予測して、予め仕込みを入れられる程の人間。……くそっ、一体誰なんだ!?

 まさにその時、過日のハイマンとアッシュのやり取りがセレニィの脳にリフレインした。

 

『ん? なんだテメェか… いや、この屑が何もしねぇで坑道の中に突っ立っていやがってな』

 

『何もしないとは心外です! 自分はモース様の命令で第七譜石探索に関わる任務が…』

『るせぇ! たかが石っころのために、アクゼリュスの人間見捨ててるってこったろうが!』

 

 呆然とした口調でセレニィはつぶやく。

 

「……モース」

 

 二千年以上続く世界唯一の宗教組織内の権力闘争を制し、実質上の最高権力者に登り詰めた男。

 伝統を誇るキムラスカ王国の内部に入り込み、傀儡国家に仕立てる寸前にまで持って行った男。

 

 やばい、やばい、やばい… 他の誰かならまだしもアレに限って無害な仕込みとは思えない。

 浮足立った部隊全体の空気に乗じて姿を消したことすら、モースのシナリオ通りに思えてくる。

 

 いや、今からでも急いで探しに行けば…

 

「親善大使一行、ご到着です!」

 

 神託の盾(オラクル)兵の言葉があたりに響き渡る。それはタイムアップを告げる無情の鐘の音であった。

 

 駄目だ、もう探しに行けない。親善大使一行を待たせるわけにはいかない。

 ならば事情を話して協力を呼びかける? 駄目だ、信用させる材料がない。

 

 六神将に事情を話して神託の盾(オラクル)騎士団総出で探し出すか?

 駄目だ、今は彼らを持ち場から外せない。防御に専念しつつ武威を見せられるこの布陣からは。

 

 外せば「まずは捕らえてから話を聞こう」という方針にすらなりかねない。自分ならする。

 そうなれば交渉の末、六神将のうち何人かは処刑される可能性が高い。それでは駄目なのだ。

 

 抑止力としての武力は、外交の場においてその背を押すために極めて有効に作用する。

 ただでさえ三文役者なのだ。彼らの力なくして、逆境のままで勝利をもぎ取れる気がしない。

 

 絶望、絶望、絶望… 駄目だ。どうあがいても手が足りない。

 掻き毟れどもこの少々足りない頭には名案は湧いてこない。

 

 そこに先ほどのつぶやきを唯一拾っていたシンクが、声を潜めて尋ねてくる。

 

「どうしたのさ、セレニィ」

「実は、いなくなった一団がヤバいかもしれないんです… ん? 今、名前」

 

「どうヤバいの?」

「あ、はい。実は…」

 

 セレニィは半泣き… いや、全泣き状態でポツポツと説明をはじめる。

 根拠すらないのだ。妄想と片付けられて終わりだろう。ぶっちゃけその可能性も高い。

 

「………」

「あはは… すみません、こんなざまで。なんとか気分持ち直して、会談に臨みますんで」

 

「いいよ。僕が探してくる」

「……へ?」

 

「連中を探しだして捕まえればいいんだろう? だったら僕がやってやるって言ってるのさ」

「で、でも…!」

 

「お互い、時間はないよ。何をモタモタしてるのさ」

「……なんで、あっさり信じるんですか」

 

「………」

 

 お互いに沈黙が流れる。ややあってシンクが口を開く。

 

「さて、ね。知らないよ、馬鹿」

「理不尽過ぎる罵倒であった」

 

「……僕一人なら抜けても然程の穴はない。それに、僕はトラブル担当なんでしょ?」

「まぁ、そうですね…」

 

「しっかり頼むよ。……交渉担当」

 

 その頭を小突くと、シンクは身を翻して駆け出していった。

 それをしばし呆然と見送るセレニィ。

 

 そこにリグレットが近付いてきて、その頭を撫でつつそっと耳元で囁いた。

 

「………。今はシンクに任せるぞ」

「リグレットさん、聞こえて」

 

「語るべきは今じゃない。……おまえはおまえの戦いをしろ、セレニィ」

「………」

 

「どんな結果になってもおまえを恨まん。だから、思う存分やれ」

 

 そう言って、リグレットは微笑んだ。

 その笑顔に…

 

「……はい!」

 

 小市民は震えが止まった。

 

「(怖い怖い怖い… 自分が失敗したら? シンクさんが失敗したら?)」

 

 などということはない。

 

「(考えるだけで胃が痛い… そもそも思い込みで勝てるなら苦労しねーっす…)」

 

 彼女は何処までいっても小物にすぎない。勇気や覚醒などとは無縁の存在である。

 しかし、それでも…

 

「(でも、ま… やるしかないか。これしかないんだから、しょうがない)」

 

 萌えのために身体を張れる程度には、親切にしてくれた人を見捨てられない程度には俗物だ。

 だから恐怖に身体を震わせて、最悪の未来予想図に怯えて涙を浮かべて。

 

「ケホッ! よし… いきますか!」

 

 それでも… 目だけは真っ直ぐと前を見て、会談の場へと向かうのであった。



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76.対峙・上

 さて… 諸々の事前調整やら打ち合わせやらが終わり、セレニィは会談の場所へと向かう。

 本来別勢力との重要な会談の場では、事前にある程度着地点を擦り合わせるのが通例だ。

 

 だが、それが提案される気配は一切なかった。さり気なく水を向けてもやんわりと流される。

 対等の勢力と見做されていないのだろう。あるいは、この世界にそういう通例がないのか。

 

 いずれにせよ、一発勝負となってしまうことに違いはない。……そしてこれは好都合だ。

 事前に擦り合わせなどが発生すれば、ある程度結果は常識に沿ったものに修正されてしまう。

 

 要するに『六神将を全員生かす』というウルトラCが狙えないのだ。それでは意味が無い。

 それが最低ラインにして、これ以上を望めない最高の結果… 絶対譲れない条件なのだ。

 

 シミュレートは重ねたものの、ついぞ勝利の道は見えなかった。それでも進むしかないのだ。

 

「(勝ち筋は全く見えないし、身体全体の震えは止まらない。……最悪の気分でござる)」

 

 これは武者震い、これは武者震い… そんな自己暗示をかけて、笑顔を貼り付かせて進む。

 

 会談の場は、両勢力の中間地点(というより中立地点)であるアクゼリュスが選ばれた。

 街全体が紫色の煙に覆われている彼の地に向かうのは、セレニィ的にも気が重いが仕方ない。

 

「(けれど脳は回転を止めてない。考え続けている限り活路はある! ……と、いいなぁ)」

 

 溜息ついて肩を落とし… 脳を必死に回転させつつ、彼女は仮面を被り断頭台へと立った。

 

 

 

 ――

 

 

 

 六神将側からの出席者は指名を受けたセレニィ。付き添いとしてリグレットとアリエッタ。

 

 一方相手側は、親善大使であるルークにその補佐であるナタリア。仲介役の導師イオン。

 皇帝の名代としてジェイド。マルクトの代表のアスランに、キムラスカの代表のセシル将軍。

 

 ヴァンやティアまでおり、これに加えてガイやアニスやトニーらがそれぞれの護衛につく。

 これは酷いオールスターである。何故心強いはずの味方連中が全て敵に回っているのか。

 

 数の暴力も甚だしい… そう内心で毒づきつつ、セレニィは笑顔を貼り付かせて口を開いた。

 

「ようこそ、みなさん。まずは私どもとの話に応じていただき、心より感謝申し上げます」

「セレニィ… セレニィなんだろ? どうしてそんなところに…」

 

「フフッ… セレニィ? 一体誰のことでしょう。私は七人目の六神将、“幻影”のシンクゥ」

 

 縋るような表情を浮かべたルークの問い掛けに、酷薄な笑みを乗せつつセレニィは応える。

 彼女にふざけてるつもりはなく、真剣そのものだ。ここでセレニィと認めてはいけない。

 

 認めれば彼女を使者として扱ったマルクトやキムラスカなど、多方面の面子を潰してしまう。

 所詮は勝手に押し付けられたことだ。彼女自身は面子を潰すことに些かの痛痒も覚えない。

 

 だが、恨まれる分には困る。国家の恨みを買うことなど、百害あって一利なしと言える。

 ここで正面切って面子を潰せば、「口封じだ。死ねぇ!」されてしまう。即デッドエンドだ。

 

「(セレニィ? この場にそんな人間はいねぇぜ。ってことで、どうか一つお願いします)」

 

 無論、彼らとて素直に「実は別人だった」という建前など受け取ってくれはしないだろう。

 恐らくは、騙してたのかとかそういう方面で恨まれるだろう。しかし即死はない。多分。

 

 今死ぬか後で死ぬかの2択しかないなれば、後者を選択して時間稼ぎをするしかないだろう。

 そうやって稼いだ時間で、六神将ともども自分自身の死亡フラグを叩き折るしかないのだ。

 

 致死量まで抜いた血液を売り払って、七人分の輸血血液の調達資金にするようなものだ。

 錬金術もかくやという無茶振りであるが、彼女はこれが最もマシな選択であると信じている。

 

 そう信じ込んでいる。自身の価値を毛先ほども信じない彼女に、人の好意は計算出来ない。

 飽くまで(物理的にも)仮面を被り続けるその姿に、ルークは悲しげな表情を浮かべる。

 

 そんな彼女の前に、厳しい表情を浮かべたジェイドが立つ。彼は眼鏡を直しつつ口を開いた。

 

「……なるほど。使者殿の口上、しかと承りました。丁寧なご挨拶、痛み入ります」

「フフッ、恐縮です(おお怖い怖い… 珍しく怒ってるじゃないですか、ドS)」

 

「如何でしょうか、皆様。私に今回の対応窓口を任せていただければと思っているのですが」

 

 珍しく怒りを露わにした様子のジェイドに怯えつつ、しかしなんとか余裕の顔を保たせる。

 確かに小物に嵌められたと思えばドSとて怒りもするか。セレニィは冷や汗を浮かべる。

 

 そんな彼女に構うことなく、彼は周囲に向け自身が交渉の窓口に立つことを望む旨を告げた。

 ルークが「分かった。ジェイドに任せる」と返すのを始めとして他の面々にも異論はない。

 

「(やっぱりコイツが出てきたか… 分が悪すぎる相手だけれど、想定の範囲内ではある)」

 

 かくしてセレニィは、自身の天敵たるジェイドとの交渉の席に立つ事を余儀なくされる。

 引き攣った笑みを浮かべる彼女とは対照的に、ジェイドは冷たい表情のままに挨拶を始める。

 

「では、改めまして… ジェイド・カーティスです。これより話し合いを始めましょう」

「実に結構です。フフッ… お互いにとって、実りある話し合いにしたいものですね」

 

「そうなるかどうかは交渉次第でしょう。……セレニィ、それが貴女の選択なのですね?」

「………」

 

「失礼、無駄話が過ぎましたね。では話し合いをはじめましょうか… “幻影”のシンクゥ殿」

 

 賽は投げられた。果たして勝利するのはどちらか… 互いに退けない交渉戦が幕を開ける。

 

 

 

 ――

 

 

 

 

「貴女方六神将は、両国に甚大な被害を及ぼしたテロリスト集団です。……早急に投降を」

 

 開口一番いきなり斬り込んできた。ドSなジェイドらしい容赦ない突き放すような口上だ。

 これに「そうだね」と頷いてしまえばゲームオーバーだ。いきなりの即死選択肢である。

 

 これがゲームならゲームオーバー画面を見てもいいかもしれないが、現実はそうもいかない。

 セーブ・ロード機能がない現実の糞ゲーぶりに悪態を吐きつつ、セレニィは笑顔を見せる。

 

 余裕の笑みのまま全力で話を逸らそう。内心「面舵いっぱーい!」と叫びつつ口を開く。

 

「気の早いお話ですね。あなた方がここに来たのも、私たちを捕まえるためでしょうか?」

「さて? 答える必要がありますかね」

 

「いいえ。……『口にできないような任務なのか』と邪推してしまうかもしれませんが」

「……障気に侵されたアクゼリュスから、その民を救助するためです」

 

「へぇ、それは奇遇ですね。実は私たちもここアクゼリュスで救助活動をしているのです」

 

 セレニィは、さも嬉しそうに柏手(かしわで)を打ちつつ白々しい笑顔を浮かべてみせる。無論、演技だ。

 それに対するジェイドの視線は冷ややかなものだ。しかし、セレニィはめげることはない。

 

「どうでしょう? ここは一つ救うべき民のため、過去の遺恨を一時忘れて共同作業を…」

「お断りします」

 

「……そ、それはなんででしょう?」

「救うべき民のためとはいえ、貴女方のテロ行為をなかったことにはできませんからね」

 

「それは裏返せば、私どもの行為を理由にして民を見捨てて良い筈がないとも言えますよね」

 

 内心ドキドキしながら睨み合う。デリケートな問題故に言葉運びを間違えれば爆発する。

 いや、間違えなくても機嫌を損ねれば終わってしまう。ただでさえ不機嫌MAXなのに、だ。

 

 だがジェイドはこれくらいで激するほどヤワな人間ではない。溜息を吐くと言葉を紡いだ。

 

「ですが道中、六神将に襲撃を受けました。それについてどう説明されるおつもりで?」

「……導師様を一刻も早くお救いするために先走ったといえ、非はこちらにあります」

 

「………」

「とはいえ、無断で導師様を連れ攫われれば慌てもします。非はお互い様ではないでしょうか」

 

「……なるほど、貴女の仰ることにも一理あります。それについては理解を示しましょう」

「ご理解を賜り幸いでございます」

 

 挑むような笑みを浮かべる。気分は読み違えれば即死亡の弾幕シューティングゲームだ。

 セレニィのコインは刻一刻削れゆく己の胃壁だが。ジェイドは笑みを浮かべて言葉を続ける。

 

「では、親善大使一行を襲った件についてもご説明をいただけますか?」

「ほほう… 私の知っている話とは違いますね。どのような話か詳しく聞いても?」

 

「六神将の“死神”ディストが襲撃してきましてね。当方も已む無くこれに応戦しました」

「まぁ、当然の話でしょうね」

 

「人的被害はなかったものの、多少の物的被害は被りました」

「それはそれは… ご愁傷さまです」

 

 ポーカーフェイスを貼り付けて、笑顔の能面でジェイドの話を聞き流そうとするセレニィ。

 しかし当然それで追撃の手を緩めるジェイドではない。眼鏡を直しつつ、彼は口を開く。

 

「周囲には魔物の群れも散見されました。……これは六神将による計画的な襲撃なのでは?」

「まさか。導師様の平和活動の実態を知る今となっては、そのような理由などありません」

 

「では、この襲撃についてどのように説明をされるのでしょうか?」

「説明もなにも… 誤解としか申し上げようがございません」

 

「誤解、ですか?」

 

 目を細めるジェイドに対し、口先だけで生きてるセレニィはいけしゃあしゃあと言い訳する。

 

「えぇ… ディストめはカーティスさんと旧知の仲のご様子。その分、因縁もあったようで」

「……魔物の群れについては?」

 

「さて。偶発的なモノではないでしょうか」

「魔物とは本来、群れをなさない生態なんですがねぇ」

 

「過去の通説が絶対のモノとは言えないでしょう?」

 

 言外にライガの一件を匂わせながら、セレニィは反論した。ジェイドもそれには押し黙る。

 調子に乗ったセレニィは得意げな表情を浮かべて、人差し指を立てながら言葉を紡いだ。

 

「ディストには『ジェイドに決闘を挑んだ』と聞いております。それに応じられたのでは?」

「仮にそうだとしても被害が出て、進行は一時ストップしました。その罪は重いでしょう」

 

「おやおや… 失態ですね、カーティスさん」

「……ほう?」

 

「私ども六神将なれば、個人の因縁に部隊を巻き込むことなど以ての外」

「………」

 

「そのような不始末を晒し、挙句、部隊の進行を遅らせたとあっては物笑いの種となりましょう」

「耳に痛いお言葉ですねぇ」

 

「いえいえ、むしろ親しみを覚えますよ。天才譜術士といえど人の子なんだな、と」

「ははは… そうでしょうか?」

 

「私なんか『どうしてこうなったんだ』って失敗ばかりですから、ホント。……あはは」

 

 会話の流れの中とはいえ、セレニィは半ば以上本音混じりの虚ろな笑みを浮かべてしまう。

 ジェイドはそれに対し、一瞬優しい笑みを浮かべ「えぇ、よく知ってますよ」と返した。

 

 思わず幻覚と思ったセレニィが見詰め直せば、そこには冷たい表情のままの彼の姿があった。

 知ってた… と笑顔を浮かべたままほんのり絶望する。ちょっと希望を抱いただけに辛い。

 

 そんな彼女に追い打ちをというわけではないのだろうが、続けてジェイドが口を開いた。

 

「シンクゥ殿… 貴女の仰りたいことはよく分かりました。話も実に丁寧で分かり易かった」

「そ、そうですか?」

 

「貴女方に事情があったこと。我々の思い込みがあったことも恐らく事実でしょう」

「そ、そうです! だからあの、私たちで協力すれば…」

 

「その上でお答えしましょう。『お断りします』と」

「………」

 

「貴女方に事情があったことは確かでしょう。……それでも貴女方は、テロリスト集団です」

「あの、でも… それはっ!」

 

「『テロリストとは交渉しません』… それは、貴女も分かっていたはずでしょう?」

 

 にべもない言葉に、セレニィは声を失い項垂れてしまう。……なにも、返すことはできない。

 

 そう… 所詮彼女は、屁理屈と暴論で問題を摩り替えるだけの扇動家に過ぎなかったのだ。

 論点のすり替えや場の勢いに呑まれることのない冷静さを保てる人間には、通用しない。

 

 それでも彼女は諦め悪く(へつら)うような笑みを浮かべつつ、なんとか事態の立て直しを試みる。

 

「あ、その… でもですね! 私たちはアクゼリュスを助けるために来たんですよ!」

「………」

 

「い、いわゆる『人道支援』ってヤツでして… えへへ…」

「………」

 

「その、人の命を護るために動いていまして… だから、もう、テロリスト集団じゃ…」

 

 しかし、その瞳は揺れ動き心細さが表に出ている。もはや虚勢を張る余裕すら残ってない。

 精一杯構えていた蟷螂の斧は錆びついて、見せ掛けの手札としての役割すら果たせない。

 

 けれどもジェイドがその攻撃の手を緩めることはない。しばしの沈黙の後、彼は言葉を紡ぐ。

 

「……タルタロス襲撃にカイツール軍港襲撃」

「っ!」

 

「多くの命が失われました。死んでいった者たちに、残された遺族に… なんと言いますか?」

「そ、それは…」

 

「……貴女が六神将を名乗るということは、それらを背負うということです」

 

 ジェイドのその言葉はとても効いた。タルタロスで世話になった軍医、厨房のコックたち。

 ……彼らは他ならぬ六神将の手によって、もうこの世にはいないことを知っているから。

 

 カイツール軍港襲撃の折の、折り重なる死体の山の光景に錆鉄のような血臭が忘れられない。

 胸にこみ上げてくる吐き気を堪え、折れそうな心を叱咤しジェイドを真っ直ぐ睨み付ける。

 

 余計なことは考えるな。六神将を助けることだけ考えるんだ… そう自分に言い聞かす。

 脳の回転を止めない限り、諦めない限り… 自分に負けはない。そう信じて思考を巡らせる。

 

 そんな彼女を憐れむように見詰めてから、ジェイドは最後の言葉を告げるために口を開く。

 

「貴女は先ほど、『人道支援』のためにアクゼリュスに来た… そう言いましたね?」

「はい… 間違いありません」

 

「結構。では私の質問に一つだけ答えてください」

「……答えられることなら」

 

「簡単な質問ですよ。……なんでしたら『YES』か『NO』か、それだけで充分です」

 

 なんだろう… すごく嫌な予感がする。ドキドキ早鐘を打つ心臓の音がとても煩わしい。

 けれど、受けるしかない。受けて、それを乗り越えることでなんとか事態の打開を図るのだ。

 

 セレニィは無言のまま、心臓のあたりを服の上から抑えつつ… ゆっくりと、一つ頷いた。

 

「貴女は… 我々が救助のためにアクゼリュスに向かうことを、知っていましたか?」

「………」

 

「そう難しい質問でもないでしょう? どうぞ、『YES』か『NO』でお答えください」

 

 ……詰んだ。今まで必死に支えてきた何かがポッキリ折れてしまったような音が聞こえた。

 知っていたと答えれば、救助活動を知った上で取り入ろうとした下心によるものとなる。

 

 知らなかったと答えれば、六神将らによる勝手な救助活動の数々に正統性が生まれなくなる。

 その場合、イオンやヴァンの意を受けた行動だったという言い訳も後から成り立たなくなる。

 

 答えれば敗北が確定する… だが沈黙は回答と見做されない。ジェイドは重ねて尋ねる。

 

「答えなさい、セレニィ」

「……知ってました」

 

「………」

 

 それは、事実上の敗北宣言であった。降って湧いたような都合の良い奇跡などは存在しない。



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77.対峙・下

 無言のままのセレニィに、ジェイドは溜息を漏らす。

 

「……全く以て、無意味な『交渉』でしたね」

 

 救えなかった。

 

 認めてしまったその事実を前にして、銀髪の少女… セレニィは虚脱状態に陥った。

 血の気は失せ果てて、身体に力は入らず、視線は虚空を映し出す。

 

 小柄な身体が一層小さく見えて、今にも消え去ってしまいそうですらある。

 

「………」

 

 降って湧いたような都合の良い『奇跡』など、この世界(オールドラント)に存在しない。

 この世界は暖かく、そして残酷だ。結果には結果で応える。

 

 彼女は人の想いを無視して、人の気持ちを裏切り、人の好意に背を向けた。

 その行為は紛れもない… 『悪』そのものだ。

 

 なればこそ光の中を… 『正道』を歩む者たちに勝てる道理など、最初から存在しなかった。

 そんなことは、誰よりも彼女自身が理解していた。

 

 何処までも自分本位で、他人を利用することしか考えてない自分とでは役者が違う。

 

 モースを追い落としたことで、ヴァンと共犯になったことで、錯覚していたのだろう。

 自分だってこの世界で何かができるのだと… そう、思い上がっていたのだろう。

 

 だが結果はご覧の有様だ。

 重ねて言うが、降って湧いたような都合の良い『奇跡』など、この世界(オールドラント)に存在しない。

 

 仮面の奥の瞳から、一筋の涙がこぼれた。

 

 

 

 ――

 

 

 

「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、まさか、ここまで救いようがないとはな」

 

 だから、そう… これから始まることは『奇跡』ではなく『必然』。

 積み重ねてきたものによる、当然の帰結に過ぎないのだろう。

 

 大袈裟に溜息を吐きながら、付き添いとして沈黙を保っていたリグレットが一歩前に出る。

 

「リグレット、さん…?」

「全く… 『思う存分やれ』と言いはしたが、誰がいつこのようなことを頼んだ?」

 

「……ぅ」

 

 コツンとセレニィの頭を一つ叩いてから、その背に庇うように彼女を下がらせる。

 逆らう気力もなく俯いてされるがままの彼女を見送り、リグレットは前を向く。

 

 まず奥に立っているヴァンに目礼を交わしてから、続けてジェイドに向けて口を開いた。

 

「久しいな、『死霊使い(ネクロマンサー)』… タルタロスでの一件以来か?」

「えぇ、その節はお世話になりました」

 

「早速で申し訳ないが、『コレ』は暫く使い物にならん。交渉役は私が引き継ぎたいのだが?」

 

 胸を張り澱みなく言葉を口にする様は、なるほど一廉(ひとかど)の将たる風格を漂わせる。

 対するジェイドも異論はないようで、眼鏡を直しつつ一つ頷くと答えを返す。

 

「構いませんよ。尻尾を丸めた負け犬などよりは余程骨がありそうです」

「フッ… 流石はマルクト帝国にて『皇帝の懐刀』と呼ばれる男だ。話が分かる」

 

「お褒めに預かり光栄です。ですが… さて、交渉など成立しますかねぇ?」

 

 皮肉を言われても返す言葉もなく、いたたまれない気持ちになるセレニィ。

 しかしお互い、まるでセレニィなど目に入らないかのようにトントン拍子に話を進めていく。

 

 交渉に難色を示すジェイドの言葉に対しても、リグレットは慌てた様子を見せない。

 むしろ「それがどうした?」と言わんばかりの笑みを浮かべる。その意味するところは…

 

 そのことに気付いたセレニィが、思わず顔を上げて会話に割り込む。

 

「リグレットさん! それは…」

 

「まずは私ことリグレットが、六神将を代表してそちらの完全管理下に入ろう」

「……ほう?」

 

「もとより『交渉の余地』など存在しないのだ。……ならば、こうあるべきだろう?」

「結構… 賢明な判断に心より敬意を表しますよ。“魔弾”のリグレット」

 

「フン、おためごかしは結構だ。それよりアクゼリュス救出の現状についてだが…」

 

 自身の今後になどまるで頓着しない様子のまま、淡々と救助活動の引き継ぎを行う。

 嫌な汗が噴き出る。死ぬ? 死んでしまうのか、この人が… 自分のせいで。

 

 駄目だ。駄目だ。駄目だ。……そんなことは許せない。焦燥に駆られたまま口を開く。

 

「ま、待ってください!」

 

 場が静まり返る。再び、彼女は周囲の視線を集める。

 震える声でセレニィは言葉を紡ぐ。

 

「そ、そんなのは… 駄目です」

「『何故』駄目なのだ?」

 

「そ、それは… だって、私のせいですし…」

 

 リグレットの冷たい視線に気圧されながらも、なんとかそれだけを口にする。

 彼女は無言で溜息をつくと、言葉を紡いできた。

 

「勘違いしているようだから、一つ言っておくが」

「……ぅ?」

 

「私自身の罪も功績も、その全てが私自身のものだ… 勝手に自分のものにするな」

「でも…」

 

「でもじゃない。貴様には関係のないことだし… 正直、迷惑だ」

 

 にべもなく切り捨てられる。そのやり取りにジェイドが口を挟む。

 

「よろしいので? 彼女は自身を六神将だと言っていましたが…」

「ただの拾っただけの小娘だ… 何を勘違いしたか知らんがな」

 

「『だから無関係だ』と? それを通すのは、些か無理があるのではないでしょうかね」

「んっとね… アリエッタもごめんなさいするよ? だから、セレニィは許してあげて」

 

「……ふむ」

 

 リグレットに続いてアリエッタがジェイドに言葉を向ける。

 考えこむジェイド。

 

 ちょうどその時、セレニィの胸に毛玉が飛び込んできた。

 

「セレニィさん、心配しましたのー! 大丈夫ですの? 辛くないですの?」

「……え? ミュウさん。避難所に残っていたはずでは」

 

「セレニィさんが心配だから、お願いして連れてきてもらいましたのー!」

「お願いって誰に…」

 

「フン… テメェの(モン)ぐらいテメェで背負ってやる。そう文句言ってやるついでだ」

 

 その声の方向を振り向けば、不機嫌そうな表情でアッシュが立っていた。

 だが、彼がここにいるはずはないのだ… 思わず尋ねるセレニィ。

 

「アッシュさん!? 避難所で待機ってお願いしたじゃないですか…」

「フン… チーグルだけじゃなくて、コイツらまでが『連れてけ』ってうるさくてな」

 

「……コイツらって?」

 

 アッシュが示した彼の背後に立つ人影… いや、人垣に視線をやる。

 

「よぉ、セレちゃん。苦戦してるみたいじゃねぇの」

「まったく… 俺たちがついてないと、てんで駄目だなー」

 

「とりあえず、豚汁食うかい?」

 

 避難所にいるはずの鉱夫たちであった。思いもよらぬ連中の乱入に、セレニィは声を上げる。

 

「ちょっと、なんでいるんですか! ……あ、豚汁は今は結構です」

「美味しいのに…」

 

「ホントは全員で来る気だったんだけどね… 流石にそれは無理って言われてね」

「いや、それ答えになってませんよね?」

 

 突っ込み始めるセレニィを尻目に、鉱夫たちはジェイドにすら気安く話しかけている。

 

「そもそもセレちゃんや六神将のみなさんには、どえらい世話になったんだよ」

「そうそう。今の俺らがあるのは、みんなこの人らのおかげってことよ」

 

「俺たちを救助に来てくれたってならここは一つ、本当の意味で助けちゃくれませんかね」

「この人たちは悪いことをしたかもしれねぇが、俺らにとっちゃ救いの神なんでさぁ」

 

「ふむふむ、なるほど… ご意見ありがたく承りましょう。参考にさせていただきます」

 

 しかも頷いている。そもそも何故か会談の様子を把握していた様子だが、どうやって?

 

『はーっはっはっはっ!』

 

 その時、まるで彼女の疑問に応えるように音声が響いてくる。

 街の入口付近に停泊している、タルタロスからのようだ。

 

『こっそり会談の音声を拾って街の内外に垂れ流して心友を驚かせる作戦、大成功!』

「おい」

 

『この美と英知の化身たる、“薔薇”のディスト様を置いて他に成し得ない偉大な作戦ですねぇ』

「なんという才能の無駄遣い… あとそれ、ただの嫌がらせですよね?」

 

『な、なんですってぇ!? し、心友… 別に私に悪気があったわけでは…』

「なんですか? ……『ただの友達』のディストさん」

 

『ノォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!?』

 

 タルタロスの司令室の中から絶叫を上げるディストの姿が容易に想像できる。

 思わずクスリと笑みをこぼすセレニィに、アッシュが話しかける。

 

「おい…」

「ん?」

 

「ラルゴから伝言だ。……『皆と頑張れ。オマエにはそれくらいしかできんだろう』だとよ」

「あはは… 耳に痛いお言葉ですねぇ。それにしても… そうですか、ラルゴさんが」

 

「シンクのヤツもきっと似たようなことを言ってたんじゃねぇか?」

「いや、あの仮面野郎に限ってそれはない。『ウザいんだけど』って一刀両断ですよ、きっと」

 

「フッ… そうかよ」

 

 キッパリ言い切るセレニィにアッシュは笑みを浮かべる。

 笑顔など何年ぶりのことだろう? そう考えながら。

 

「それよりも何勝手に持ち場離れてるんですか? デコ助野郎」

「……俺は悪くねぇ。アイツらが」

 

「ほー… 六神将が一人“鮮血”のアッシュともあろう者が責任逃れですか」

 

 バツが悪そうに視線を逸らすアッシュに、セレニィは邪悪な笑みを浮かべる。

 

「これはシンクさんに提供するいいネタが出来ましたぜ!」

「おい、テメェ…」

 

「フフン… ニンジン料理を一回、文句言わずに食べきったら忘れるかもしれませんねぇ?」

「チッ… 後で機会があればな」

 

「やった。豚汁出してもわざわざニンジン残すのがスゲー目障りだったんですよね!」

 

 さり気なく毒を吐くセレニィに苛立ちながらも、アッシュは不承不承頷いた。

 してやったりという笑みを浮かべる彼女のもとに、鉱夫たちが話しかけてくる。

 

「お、セレちゃんは完全復活かい? まだ体調悪いんなら無理すんなよ」

「そうそう。なんなら休憩して後はドーンと俺らに任せるとかね」

 

「あはは… そういうわけにもいかんでしょう。しかし物好きですねぇ、こんな負け犬に」

「何言ってんだ! 『ダメな子ほど可愛い』って言うだろうが!」

 

「おい。そこは否定しろよ… おい」

 

 呆れるセレニィに対して、悪びれた様子もなく豪快な笑い声をあげる鉱夫たち。

 そんな連中の態度にやれやれと肩をすくめながら、彼女は再びジェイドと対峙する。

 

 その瞳は常変わらぬ邪悪な奸智が渦巻き、挑むような笑みを浮かべている。

 

「さーて… お待たせしましたね、ドS。今度こそ凹ませてやりますよ」

「ほう… 勝算でもあるのですか? シンクゥ殿」

 

「いえいえ、『ただのシンクゥ』じゃ無理でしょうね。同じことの繰り返しでしょう」

「なるほど… 馬鹿は馬鹿でも、極めつけの馬鹿でもないようで安心しましたよ」

 

「一言多いですよ! さて… 第七の六神将“幻影”のシンクゥ。してしてその正体は!」

 

 バッと仮面を脱ぎ捨て… 回収してから袋に仕舞う。

 そしてミュウと揃ってドヤ顔で言ってのける。

 

「残念! セレニィさんでした!」

「ですのー!」

 

「ウザいのでそのノリはやめていただけますか?」

「……アッハイ」

 

「いやぁ、中々の精神攻撃でしたねぇ。反射的に殴り飛ばしそうになりましたよ」

「やめてください、死んでしまいます…」

 

 ガクガク震えるセレニィを見て、ジェイドは微笑みつつ溜息を吐く。

 こういう茶番なら悪くはない… そう思いつつ口を開く。

 

「で、仮面をとった事とこの場の交渉に何の関係が?」

「フフン、察しが悪いですねぇ… 私がセレニィだということはつまり!」

 

「つまり?」

「このままでは色んな意味で和平が大ピンチ! これはフォローしないといけませんねぇ!」

 

「ほほう…」

 

 そもそもからして、『自分が救わないと』なんてことを考えたのがいけなかったのだ。

 いつから自分が万能感溢れるヒーローだと錯覚していたのか。まったく柄にもない。

 

 こんな小市民に出来ることは、周囲を煽って『その気にさせる』ことだけだというのに。

 人差し指を一つ立て、挑むような笑みを浮かべながらセレニィはジェイドに言い放つ。

 

「全てを丸く収めるために、胃を痛めつつ全力でフォローする権利を差し上げましょう!」

「なるほど。……では、口封じのために始末しましょうか」

 

「落ち着こう。そういう短慮はセレニィさん的にちょっとどうかと思う」

「おや、いけませんか? ふぅむ… 困りましたねぇ」

 

「大丈夫大丈夫。人を謀略にはめて指差して笑うことを生き甲斐にしてる君ならきっと出来る」

「たった今、フォローについて考える気がゼロになりました」

 

「ごめんなさいごめんなさい」

 

 土下座して誤魔化すことにする。意味は伝わらないだろうが、気持ちは伝わると信じて。

 

「大体、貴女の望む着地点とはなんですか?」

「……六神将全員の身の安全です」

 

「ふむ。貴女の安全は度外視なのですね… 立派な覚悟です」

「いや、何言ってんですか。私の安全は前提条件に決まってるでしょ。泣きますよ?」

 

「ふむふむ… なるほど」

「おい、『死霊使い(ネクロマンサー)』… 私たちは」

 

「あぁ… もう少しだけ待ってください。まだ肝心なことを聞いてませんので」

 

 リグレットの言葉を軽くあしらいつつ、ジェイドは再びセレニィに顔を向ける。

 一方セレニィとしては「ぐぬぬ… また意地悪質問か」と警戒して身構える。

 

「……そこまで彼らの助命に必死になる理由はなんですか?」

「うぐ… べ、別にそんなの関係」

 

「ふぅ… やっぱり処刑しかないでしょうかねぇ。非常に残念です」

「ぐぬぬ…」

 

「………」

 

 やっぱり意地悪質問だった。セレニィはなんとか場を誤魔化そうとする。

 

 しかしあからさまな脅迫を受けて、とぼけた回答を許されなくなる。

 この空気の中では十中八九冗談だろうが、万が一もある。

 

 十秒、あるいは二十秒が経過した頃だろうか… セレニィはようやく観念した。

 

「……す、好きだからですよ。……悪いですか!?」

 

 俯いた顔を真っ赤に染め、右手で顔を隠しながら、蚊の鳴くような声で言い切った。

 

 ちょっと親切にされたから。美女や美少女がいたから。

 それだけでこれだけ実りのない地雷原に飛び込む彼女も立派なチョロインである。

 

「いいえ、貴女らしい実に面白い理由だと思いますよ」

「ぐぬぬ… このドSめ」

 

「というわけで、私は『こちら』に付きましょうか」

 

 そう言うや否や、セレニィ側… つまり六神将サイドの席へとジェイドは移動する。

 慌てたのはセレニィの方だ。

 

「ちょ、ちょっと! アンタがこっち側に来たら誰がフォローするんですか!?」

「さて、誰でしょうか… ねぇ? みなさん」

 

 そんなジェイドの言葉に、親善大使側の一同が苦笑いを浮かべる。

 彼らはこの会談の最中、まったく発言しなかった。

 

 それがこのドSの仕込みだったならば… その言葉を裏付けるようにアスランが口を開く。

 

「マルクト側としては、六神将の度重なる犯罪行為を見逃す訳にはいきません」

「あ、はい…」

 

「ですが貴女がカーティス大佐をよく補佐し、和平に多大な尽力をしたことも心得ています」

「……うぇ?」

 

「その功績を鑑みて、処分は一時保留… どれだけ平和に貢献できたかで再検討します」

 

 どういうことか分からない… というのがセレニィの偽らざる感情だ。

 救助隊の指揮官ではあるだろうが、何故にマルクトの決定事項として伝えているのか。

 

 混乱する彼女を余所に、セシル将軍もアスランに続いて言葉を紡ぐ。

 

「キムラスカ側はマルクト側と異なり、和平に関する恩義は然程ないと感じている」

「は、はい…」

 

「しかし貴君のお陰でルーク様が道中守られ、奸賊モースを放逐出来たのは紛れもない事実」

「(むしろ守られたのはこちらのような… モースさんはご愁傷さまです…)」

 

「よってマルクト側と同様、処分は一時保留とする」

「………」

 

「罪の減免が果たされるかは今後に懸かっている。よくそれを弁えて行動するように」

 

 両国の将軍の言葉に、リグレット、アリエッタ、アッシュの三人が神妙に頷く。

 そこにルークが発言する。

 

「ここに双方の意思確認は果たされたと見做す。導師イオン、よろしいか?」

「はい。和平の仲介役として、導師イオンの名のもとに確かに承認します」

 

「ってわけだ! ついでに親善大使としてこの俺、ルーク・フォン・ファブレも承認するぜ」

 

 ニッとルークが微笑み、イオンが更に言葉を続ける。

 

「僕自身も導師として、数々の軽率な振る舞いで世を乱したことに対する責任があります」

「……いえ、導師の責任では」

 

「僕も背負います… あなたがたと一緒に。そして、この世界(オールドラント)のために尽くしましょう」

「………」

 

「罰を受けたところで罪は消えません。僕も、あなたがたも一生背負い続けるものです」

「……ハッ」

 

「流された血への(あがな)いとして、それ以上に流れる血を止めていきましょう。……僕たちで」

 

 導師イオンの言葉に、六神将は深く跪き頭を垂れる。

 一方理解が追いつかないのはセレニィの方だ。どういうことだと目を白黒させる。

 

 そこにナタリアが口を開く。

 

「フフッ、本当に両国の根回しに苦労しましたわ。発案者はジェイドですけど」

「……その節はご迷惑を、ナタリア殿下」

 

「構いませんわ。平和のための和平が、血によって締め括られるなど本末転倒ですもの」

 

 ジェイドの言葉になんでもないように微笑む。

 

 つまり、一から十までこの会談はジェイドの仕込みだったのだ。

 ここまでされればセレニィにも理解が追いつく。

 

 あの日本語のメモを回収し、タイミングと合わせて六神将の所に身を寄せていると看破。

 その上で情報を絞りつつ、推理と検討を重ねて政治に明るいナタリアに相談したのだ。

 

 バケモノを見るようなセレニィの視線に気付くと、ジェイドは一つウィンクをして口を開く。

 

「無意味な『交渉』と、そう言ったでしょう?」

「……そうですね」

 

「正直に話して『お願い』すれば五秒で終わったものを…」

「ぐぬぬ… だったら最初に教えて下さいよ」

 

「それでは『お仕置き』にならないでしょう?」

 

 溜息を吐いて、ジェイドは更に続ける。

 

「貴女が最後まで軽んじて、信じなかったものが『この結果』を生んだのです」

「えっと… 『絆』とか『友情』とかですかね? そういうの、柄じゃないんですけど」

 

「フフッ… それは私もですのでご安心を」

「では、一体…?」

 

「……『貴女自身の価値』ですよ」

「はい? それって、どういう…」

 

「セレニィ」

 

 なおもジェイドに訪ねようとするセレニィの前に、ティアが立つ。

 それを見たジェイドは笑みを浮かべたまま、その場を後にする。

 

 あの様子では、追いかけて捕まえたところで口を割ることはないだろう。

 だからというわけではないが、セレニィはそのままティアに向き合う。

 

「ご無沙汰してます、ティアさん」

「………」

 

「……ティアさん?」

 

 自分の名を呼んで以来、反応がないティアの様子に小首を傾げるセレニィ。

 彼女は無言のまま右手を振り上げ…

 

 その頬を強く張った。セレニィの身体が大きく揺れる。

 

「バカ… 心配したのよ」

 

 ティアの双眸から涙がこぼれ出る。

 一方、セレニィもまた涙をこぼしつつ… 口を開いた。

 

「ごめんなさい、ティアさん… ごめんなさい、みなさん…」

「ううん、いいのよ… 無事でよかった。おかえりなさい」

 

「(このようなことがあるとは… コレが、あやつの『力』なのか)」

 

 その光景を無言で見詰めながら、ヴァンは内心で独りごちる。

 誰もが笑顔で、その喜びを分かち合っているようであった。

 

 そして何故だか分からないが、自分の口元にも笑みが浮かんでくるのだ。

 不思議ではあるが悪くもない… ヴァンはそう思った。

 

 

 

 ――

 

 

 

「ごめんなさい、ティアさん…」

「? もう謝る必要はないのよ。セレニィ」

 

「………」

 

 頬を赤く染めたまま、セレニィが再度謝る。

 その姿に今度はティアは首を傾げる。

 

 少し迷ってから、セレニィは再度口を開いた。

 

「回復譜術お願いできますか? ……奥歯折れたんで」

 

「………」

「………」

 

「ご、ごめんなさい」

 

 果たしてティアの力が強すぎたのか、セレニィが虚弱すぎたのか…

 今度はティアが申し訳無さそうに謝った。

 

「(……痛すぎて喋るのも辛いです。ティアさん、マジゴリラ)」

 

 一方仲間との感動の再会の前に、セレニィは涙が止まらなかったという。



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78.序曲

 ティアさんの張り手による衝撃的な一幕があったが、概ね平和裏に話し合いは終わった。

 ガイ、アニス、トニーらも笑顔を浮かべてセレニィのもとへと駆け寄り、声を掛ける。

 

「久し振りだな、セレニィ! 元気してたか? ……ちょっと痩せたんじゃないか」

「あ… どうもです、ガイさん。実はちょっと風邪が長引いてて食欲もなくて…」

 

「えー! ちゃんと食べないと身体に悪いよ。アニスちゃんが後でなにか作ってあげよっか?」

「ホントですか? 是非お願いします!(わーい、アニスさんの手料理久し振りだなー)」

 

「またこうして貴女と出会えて嬉しく思います、セレニィ。……無事でよかった」

「トニーさん… その、六神将はあなたにとって仇でもあるのに…」

 

「みなまで言わないでください。自分は導師イオンの誓いを… 彼らのこれからを信じます」

 

 三人の常識人が笑顔とともに掛けてくれた、暖かい言葉にセレニィは感動の涙を浮かべる。

 良かった… 彼らとこうして再び出会うことができて。……ドSとゴリラの二人は除く。

 

 あの二人に関しては今からでもクーリングオフ出来ないだろうか… 半ば真剣にそう考える。

 そんなセレニィを穏やかな表情で眺めてから、ルークとイオンはアリエッタに声を掛けた。

 

「アリエッタもありがとな」

「ん?」

 

「セレニィ、守っててくれたんだろ? 六神将にはオマエもいるから心配してなかったぜ」

「とーぜん! だってアリエッタ、セレニィのおねーさんだモン!」

 

「これからはみんな一緒です。……あなたのお陰ですよ、アリエッタ」

「ほんとに? ……えへへ、うれしいです!」

 

 はにかむアリエッタの背後に近寄ってきていたアニスが、ニヤリと笑いつつ口を開いた。

 

「フフン… でもまぁ、今の導師守護役は根暗ッタじゃなくてアニスちゃんなんだけどね?」

「もう! アニスのイジワルぅ! アリエッタより弱いくせに、アニス、生意気だよっ!」

 

「な、なんですってぇ? ちょっと手加減してたら調子に乗って… やっちゃえ、トクナガ!」

「あっかんべー! そんな攻撃、ちっとも当たらないモン!」

 

「こ、こら! 二人とも、喧嘩は全部終わってからまとめてしろって」

「そうですよ! 両国の要人もいる席でこんなことをしては、どんな問題になるか…」

 

 二人のじゃれ合いと呼ぶには少々激しすぎるそれを、慌てて止めに入るガイとトニー。

 それを眺めつつ、大きな溜息を吐いて地面に座り込むセレニィ。些か以上に疲れた。

 

 六神将はもう平気だろうし、自分の出番は終わりか。……何の役にも立たなかったけど。

 今回は一から十までドSの仕込みだったし、自分はただただ無様に踊っただけだった。

 

「(良かったですね… アリエッタさん)」

 

 とはいえ、イオンとの再会に大いに喜ぶアリエッタの笑顔を見れただけでも満足だ。

 ライガの女王の時といい、よくよく狂言回しを演じさせられる星の下に生まれたものだ。

 

 セレニィが溜息混じりに思っていると、いつしか隣に立っていたジェイドが口を開く。

 

「どうしたんですか? こんなところで座り込んで。これからが大変なんでしょうに」

「コホン… さっきガイさんにも言いましたけど、風邪引いて調子が悪いんですよ」

 

「風邪… ですか?」

「えぇ、ここアクゼリュスに来てからどうにも調子が悪くて… 騙し騙しやってきましたが」

 

「アクゼリュスに来てから…」

「とはいえ、ようやく肩の荷も降りそうですから。こうして地面にへたり込みもしますよ」

 

「………」

 

 顎に手を当て、ジェイドは考えこむ。そんな彼の様子に気付かず、セレニィは言葉を続ける。

 

「でねぇ、ジェイドさん… ジェイドさん? 聞こえてます? おーい、ドS眼鏡ー」

「……人に珍妙なニックネームを付けないでください。譜術をぶつけますよ?」

 

「先に無視したのはそちらの方なのに、その扱いは納得しかねるものがあるのですが…」

「……はぁ。それで、なんですか?」

 

「いえ、交渉前になんかジェイドさん怒ってたじゃないですか? なんでかなーって」

「それを当の本人に聞きますか?」

 

「いいじゃないですか、終わった話ですし。答え合わせで… っていうか否定しないんですね」

 

 セレニィの問い掛けに呆れたような溜息を吐きながら、ジェイドは眼鏡を直して口を開いた。

 

「色々とありますがね。貴女は自分を粗末にすることで、人の気持ちを蔑ろにしがちです」

「(何言ってんだこのドS… これほど自分を大事にしてる人間はいないだろうに…)」

 

「まぁ、そんな貴女だからこそ… 私を含めて、多くの人間を動かし得るのでしょうがね」

「(コイツの眼鏡の度は合ってないに違いない。じゃあ今度眼鏡叩き割ってもいいかな?)」

 

「……恐らく微塵も信じていませんね?」

 

 そう問われては仕方あるまい… 素直に頷くセレニィ。ジェイドはそんな彼女に苦笑する。

 そして、続けて言葉を紡いだ。

 

「先ほど私は、貴女が素直に『お願い』すれば五秒で片付いていたと言いましたね?」

「はい、そっすね」

 

「ですが、どうでしょう。仮に私から先の条件を申し出たとして、六神将は頷きましたか?」

「んー… 難しいでしょうね。ぶっちゃけ罠だと疑ってたんじゃないですか?」

 

「えぇ、そうでしょうね。恐らくは、私たちだけでは彼らを許すことは難しかったでしょうね」

「……そうだったかもしれませんね」

 

「彼らが『未来』に続く道を選び取ったのは… 他ならぬ貴女がそれを望んだからですよ」

 

 言っている意味が分からぬとばかりに首を傾げるセレニィに、ジェイドは順序立てて説明する。

 

「貴女は彼らのために交渉の矢面に立ち、絶望的な戦いからも逃げ出さなかった」

「自分で『絶望的な戦い』って言いますか… まぁ、しましたけどね。絶望」

 

「その想いは彼らに伝わったのでしょう。だから、降伏を申し出たのではないでしょうか?」

「……よく、分かりません」

 

「武人というのは面倒な生き物でしてね… 『誇り』というものを大事にするんですよ」

「はぁ…」

 

「私なんかは、何処までいっても『仇敵』に過ぎませんからねぇ… 彼らからしてみれば」

 

 少しだけ困ったような表情を浮かべるジェイドに対して、セレニィは無言で話の続きを促す。

 

「そんなのが『許してやる』などと言ったところで、ますます意気旺盛になるだけでしょう」

「そういうもんなんですか…」

 

「そういうもんなんですよ」

「ふぅん…(自分なら『靴舐めたら命助けてやる』って言われたら喜んで舐めるけど…)」

 

「だから彼らの翻意を引き出すためには、貴女の力が必要不可欠だったのです」

「なるほど… 私を痛め付けるのが楽しくて、ボコボコにしていたのかと思いました」

 

「それもあります」

「あるんかい(そこは否定して欲しかった)」

 

「『お仕置き』も兼ねてましたからね」

 

 おお、やはり敵に回ったことに怒りを覚えていたか。そう考えてセレニィは暗い顔になる。

 というか、なんで怒ってたのかを確認していたのに随分と回り道をしたものだ。

 

 そんなことを考えながら、セレニィは今後の学習のためにもジェイドの言葉へと耳を傾けた。

 

「……私たちは仲間でしょう? せめて相談して欲しかったですね、貴女には」

「まさか、冷血ジェイドさんからそのような言葉が出るとは…」

 

「ははは… 今のは『宣戦布告』と受け取っても?」

「やめてください、死んでしまいます…」

 

「はぁ… まぁ、良いでしょう。今後はこういったことがないようにお願いしますよ?」

「し、しかしですね… 相談のしようもなかったような…」

 

「知りませんよ、そんなこと。それをなんとかするのが貴女の仕事でしょうに…」

「理不尽過ぎる!?」

 

「『仲間を信じなかったこと』『自らの身を軽んじたこと』… それが貴女の罪です」

 

 コツンと彼女の頭を小突いてから立ち去ろうとするジェイド。

 

 どいつもこいつも気軽に叩いたり小突いたりしてくる。脳細胞が死んだらどうしてくれる。

 そう思いながら見送るセレニィの視線の先で彼は立ち止まり、振り返る。

 

「そういえば、セレニィ。貴女の『風邪』ですが…」

「……はい?」

 

「………」

「何故黙るのか(言うべき言葉を忘れたのだろうか。……若年性のボケかな?)」

 

「失礼。なんでもありませんが… 一応明日以降は、貴女は船内で休むことをお勧めします」

「いいんですかね? そりゃ疲れてますし、休めるに越したことはありませんけど…」

 

「えぇ、お偉方には私から説明しておきましょう。風邪を伝染(うつ)して回っては大変ですしね」

 

 ジェイドの言葉に「ですよねー…」と微笑むセレニィ。

 

 そんな彼女の笑顔を見ながらジェイドは願う。自身の予想が単なる杞憂であって欲しいと。

 彼女が『障気蝕害(インテルナルオーガン)』に罹っているという残酷な運命を、神が用意していないことを。

 

 咳をするセレニィに後ろ髪を引かれる思いを感じながら、ジェイドはその場を後にした。

 リグレットと、アクゼリュス救助に関する打ち合わせをするために。

 

 救助が早く終わればそれに越したことはない。今は、それが己のすべきことであると考えて。

 ひとまず、この無茶しがちな仲間にしっかり首輪をつけねばなるまい。

 

 そう考えたジェイドは、セレニィと自分の様子をじっと伺っていたティアに声を掛ける。

 

「ティア、貴女はセレニィの様子を見ておいてあげてください」

「それは勿論ですけど… 大佐。なにか気になることでも?」

 

「……大したことではありません。疲れているようですから、無理はさせないようにと」

「本当に?」

 

「………」

「フフッ、大丈夫ですよ。あの子のためになら私、『奇跡』の一つくらい起こしてみせますよ」

 

「頼もしいですねぇ。……えぇ、万が一の時は私たちで『奇跡』を起こしてみましょうか」

 

 人類に迷惑をかけかねないレベルの天才二人が、互いに不敵な笑みを浮かべて見詰め合う。

 

「(……ドSとゴリラが、またぞろこちらの胃を痛めるような企画を目論んでいるのだろうか)」

 

 そんな二人の様子を、離れた場所から見守っているセレニィ。

 

 流石に会話の内容までは聞こえはしてこないが、なんだか不穏な気配も感じてくる。

 なんとなく聞いたら後悔しそうなので、聞かないようにしようと彼女は決意した。

 

「明日は休みなら、さて、何をしましょう? うーん、デートとかできると嬉しいんですが…」

 

 仲間たちの自分に向けた決意など露知らず、彼女はのんきに今後のことを考えるのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 一方、少し離れた場所ではルークとナタリアがアッシュへと声を掛けていた。

 彼の赤い髪に緑の瞳を持つ風貌故である。

 

 そして話をしてみようと近付いてみて、ルークは感嘆の溜息とともに言葉を紡いだ。

 

「なぁ、アンタ… 俺とそっくりな顔してるよな。良かったら名前、聞かせてくれるか?」

「俺は…」

 

「ひょっとして貴方もキムラスカ王家に連なる血をお持ちなの? お父様が喜びますわ」

「………」

 

「良かったら一度、お話をしてみませんこと? あ、わたくしったら自己紹介もせず…」

「俺は“鮮血”のアッシュ… 六神将の一人だ。悪いが、アンタたちと話すことは何もねぇ」

 

「……そう、ですの」

 

 悲しそうな表情で俯くナタリアから視線を逸らす。これでいい… こうすべきなんだ。

 そう思う心と裏腹に、アッシュの口が動き問い掛けをする。

 

「なぁナタリア、殿下。……アンタは今、幸せか?」

「……え?」

 

「すまねぇ、バカなことを聞いたな。忘れてくれ」

「……幸せですわ」

 

「………」

「良き家族を持ち、良き先達に恵まれ、良き国民に囲まれ… わたくしナタリアは幸せです」

 

「……そうか。なら、いいんだ」

 

 ナタリアの言葉に嘘はないことを感じ取ると、アッシュは穏やかな笑みを浮かべる。

 思い残すことはなくなった。

 

 だったら、これからも自分は『聖なる焔の燃え滓(アッシュ)』として生きていける。

 怪訝な表情を浮かべている二人を尻目に、彼は背を向ける。ヴァンがそこに声を掛けた。

 

「……それで良いのか、アッシュ?」

「良いも悪いも、アイツがルークで俺がアッシュだ。……元凶の分際で口挟むんじゃねぇ」

 

「そうか… そうだな」

 

 細かいやり取りは聞こえなかったものの、ルークは二人のやり取りに違和感を覚える。

 そして心が命じるままに、再びアッシュに向けて声を掛けた。

 

「なぁ、アッシュと言ったか? アンタ、ひょっとして…」

 

 だがその言葉が最後まで紡がれることはなかった。

 

 大きな地震が起こり、アクゼリュスが… 周辺の大地が崩れ始めたのだ。

 しかも、一過性のそれではない。地震は終わることなく続いている。

 

「な、なんなんですか… この揺れは。普通じゃありませんよ!?」

 

 元日本人ということもあって、セレニィは多少程度の地震ならば耐性がある。

 しかしこれまで経験したことのない揺れに、思わず叫び声をあげてしまう。

 

 一体この揺れは何であるのか?

 

 その問いに答えられる者はいない… 『ただ一人』を除いて。

 そして、その『ただ一人』であるヴァンが怒りの色も露わに怒鳴り声を上げた。

 

「この収まらぬ揺れ… よもや崩落しているというのか! ホドの時と同じように!」

 

 平和裏に和解を成し遂げた状況から一転… この場は破滅の序曲に彩られるのであった。



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79.崩落

 さて、大地震に呑まれつつあるアクゼリュスだが… 時計の針をしばし巻き戻してみよう。

 

「ふぅ… 中々に手間取らせてくれたね」

 

 最後の敵が音もなく崩れ落ちたことで、シンクが仮面の奥から溜息とともに声を漏らす。

 ここはアクゼリュスの奥にある第14坑道… 六神将が到着次第、真っ先に閉鎖された坑道だ。

 

 強い障気で溢れ返り、とても作業どころではないと判断したリグレットは即刻閉鎖を指示。

 アッシュら特務師団を中心に救助隊を編成し、避難場所へと避難させたのが初日のこと。

 

 にもかかわらず、シンクが中に入った途端に何重もの襲撃を受けた。これが意味することは…

 

「恐らくはセフィロトが目当てか… しかし、この連中は…」

 

 襲ってきた者たちにシンクは見覚えがある。セレニィも気にしてた『本国からの応援』だ。

 あの雑魚のこの手のことに関する嗅覚は何なのだろうか。半ば呆れつつシンクは考える。

 

 雑魚だから死の気配に敏感なのだろうか? いや、余計なことを考えて時間を浪費出来ない。

 確かにセフィロトへの道は、導師にしか解除できない『ダアト式封咒』で閉じられている。

 

 本来余程のことがない限り安全のはずだが、その余程が起こらない保証はどこにもない。

 

「噂に聞く『暗部』を使い捨てるとはモースにしては剛毅だね… それだけ本気ってことか」

 

 その二つ名に恥じぬ烈風の如き俊足で、シンクはセフィロトを目指し第14坑道を駆け抜ける。

 この状況は十中八九モースの描いた絵図だろう… ならば秘預言の成就を狙っているはず。

 

 あの狂信者が動く以上、なんらかの算段が立った可能性が高い。油断は出来ないだろう。

 アレは狂人だ。常人に測れない。後先考えているかもしれないし、考えてないかもしれない。

 

 アレが秘預言の成就をなにより望むのは間違いない。『己の尺度』でという注釈がつくが。

 導師イオンに詠まれた『十二歳で死んでその後しばらく導師不在になる』という秘預言。

 

 そんな簡単なモノすら違えられるのだ。理屈で考えれば考えるだけバカを見るというものだ。

 

「まったく、巻き込まれる側はたまったモンじゃないね。……頼むから間に合ってくれよ!」

 

 案の定というべきか『ダアト式封咒』は破られていた。想定の範囲内のため、動揺はない。

 シンクはそのまま一瞬たりとも立ち止まらず、セフィロト内部へと突入するのであった。

 

 そこは二千年以上も昔の、現在のそれと比較にならぬ創世歴時代の技術が盛り込まれた空間。

 教団が決して公開しない秘中の秘にして、『禁忌』… それがここセフィロト内部なのだ。

 

「はぁ… はぁ… クソッ、無駄に広いな!」

 

 悪態をつきつつシンクはセフィロト内を突き進む。階段を五段や十段飛ぶのは当たり前。

 時には自身の身のこなしと立体的な内部構造を逆手に取って、階下にショートカットもする。

 

 そして、いよいよ最奥… 巨大な音叉のような音機関を設置している部屋にまで到達した。

 音機関… 『パッセージリング』と呼ばれるソレの前には、人影がポツンと佇んでいる。

 

 光を放つ『パッセージリング』からの逆光により、その人物の顔を確認することは出来ない。

 しかしある種の確信めいたものを感じつつ、シンクは仮面を外してその人物に向き合った。

 

 相手が驚いたように見詰めているのがシンクにも伝わる。ややあって、相手が口を開く。

 

「その顔… もしかして、君も?」

「あぁ… 僕も、アンタと同じ『レプリカイオン』だ」

 

「……そう、か」

 

 仮面を外したシンクの素顔と、『パッセージリング』の前に立つ人物の顔は全く同じだった。

 若草色の髪の毛に少女と見紛うほどの容貌… 導師イオンその人が互いに向き合っていた。

 

 レプリカ… それは禁断のフォミクリー技術により生み出された、『複製』を意味する。

 生物を含めたあらゆる物質を複製可能とする技術で、複製元は特に『被験者(オリジナル)』と区別される。

 

 レプリカは外見などは『被験者(オリジナル)』と同一だが、とある事情から第七音素のみで構成される。

 そのために生体レプリカは『被験者(オリジナル)』と比較し、一部能力に劣化が見られることもある。

 

 自身と同じ顔・同じ存在であるシンクを見詰めてから、名も無きレプリカイオンは口を開く。

 

「ねぇ、『被験者(オリジナル)』は… どうしてるの?」

「二年前に死んだ。……もういない」

 

「……そう。他に僕たちと同じような子はいるの?」

 

 複製元の死を特に感慨もない様子で聞き流しながら、レプリカイオンは更に質問を重ねる。

 その問い掛けに、シンクは首肯を以って返す。

 

「あぁ。立派な傀儡になれるよう設計されたヤツが一人」

「……そうなんだ。きっと、僕たちと一緒だね」

 

「一緒だって? あんなヤツと」

「誰かのための『道具』なんでしょ? なら一緒だよ。僕にも役割があるから」

 

「! オマエ、それは…」

 

 レプリカイオンが一歩シンクに近付ことで、彼に接続された音機関の存在が明らかになる。

 コードが身体中絡み付き固定されており、頭にはギアのような物が取り付けられている。

 

 移動可能な範囲は極めて狭く、床に設置された装置がパッセージリングへと向けられている。

 それはまるで、逃れられぬように鎖に繋がれた始祖ユリア・ジュエを思わせる様であった。

 

 驚きに目を見開くシンクを尻目に、レプリカイオンは無垢なる笑顔を浮かべながら説明する。

 

「この『擬似超振動発生機関』でパッセージリングを破壊すること… それが僕の役割」

「オマエは…ッ!」

 

「君との話は悪くなかったよ。多分、これが『楽しい』という感情だったのかな?」

「それを今すぐ止めるんだ! さもないと…」

 

「無理だよ。君が来る前に既に起動していた… 一度起動したらもう止めることは出来ない」

 

 間に合わなかったのか… そう悔しがるシンクを、レプリカイオンは不思議そうに眺める。

 先ほどから怒り、悔しがり… そういった様々な感情を見せる『もうひとりの自分』を。

 

 彼は自分なのに… ただの道具のはずなのに、何故こうまで感情に満ち溢れているのだろう。

 期せずしてレプリカイオンの頭に浮かんだシンクへの疑問が、言葉となり口から出てゆく。

 

「ねぇ、君も『道具』なんでしょ? なんでそんなに怒るの? 悔しいの?」

「僕は『道具』なんかじゃない! 僕は… 僕は、『シンク』だ!」

 

「……そっか」

 

 シンクの叫びにレプリカイオンは一瞬だけ目を見開き… 続いて、淡い笑みを浮かべた。

 それは眩しいものを見るような、それでいて何かを諦めたような何とも言えない笑みだった。

 

 そんなレプリカイオンの変化に気付かぬままに、シンクは覚悟を決めた様子で向き合った。

 

「悪いけど、こうなったらアンタを殺してでも『擬似超振動発生装置』を…」

「うん、多分それで正解だよ」

 

「……なんだって?」

「『擬似超振動発生装置』は、僕の命を火種に威力を増幅させるらしいよ」

 

「火種って、それは…」

「それって裏を返せば、僕を殺せば止まるか威力を抑えられるってことなんじゃないかな?」

 

「………」

 

 笑顔のままで、事も無げに言い放つレプリカイオンに対してシンクは驚愕を露わにする。

 つまり一度機関を起動させれば、『止めても止めなくても彼は命を落とすことになる』のだ。

 

 怒りのままに再度怒鳴りつけようと思ったものの、シンクは気を落ち着かせて口を開いた。

 

「……なんで、それを僕に教えるのさ? それが『道具』としての役割だったのに」

「なんでかな? うーん… きっと、僕に感情を教えてくれた恩返しだと思う」

 

「感情?」

「うん、『楽しい』と思うこと。『不思議』に思うこと。そして… 『羨ましい』と思うこと」

 

「………」

 

 本当に楽しそうに指折り数えて話すレプリカイオンに、シンクは心から苛立ちを覚える。

 目の前のコイツは自分なのだ。誰にも必要とされず、生まれた瞬間に捨てられた自分なのだ。

 

「何勝手に諦めてるわけ? 自分でその音機関を壊すなり色々とあるじゃん」

「……無理なんだ。壊そうとしたら、その場で暴走する仕組みになってるみたい」

 

「フン… 悪趣味なことだね」

「そうかな? そうかもね」

 

「ま、そっちが勝手に諦めてくれるなら好都合だ。悪いけど、死んでもらうよ」

 

 そう言ってシンクは、『擬似超振動発生装置』に繋がれたレプリカイオンへ右手を向けた。

 

 彼は笑顔でそれを受け入れて、そっと目を閉じる。シンクは構わず譜術のタメを続ける。

 アクゼリュスをここで救わねば、今までやってきたこと全てが無駄になる。迷う要素はない。

 

 それは『アイツ』から頼まれたことでもあるし、自分の理性でも必要だと判断したことだ。

 そんなシンクの内心を知ってか知らずか、目を閉じたままのレプリカイオンが口を開く。

 

「ねぇ、シンク… 一つだけお願いがあるんだけど聞いてくれるかな?」

「なに? 命乞いなら…」

 

「ううん… 僕と『友達』になって欲しいんだ」

「………」

 

「どうかな?」

「……悪いね。僕にこれからすぐに死ぬ人間と『友達』になる趣味なんてない」

 

「そっか… ありがとう、シンク。僕を『人間』だと言ってくれて」

「………」

 

「僕から話しかけておいてなんだけど、もう時間がないよ? だから…」

 

 そのレプリカイオンの言葉に「ああ…」と言葉少なに応えて、シンクは譜術の詠唱を始める。

 そう、迷うことなんて何も無いはずだ。他に手段など存在しないのだから。

 

 なのに、あの馬鹿の脳天気な顔が頭に浮かんで… シンクは人知れずつぶやきを漏らす。

 

「すまない…」

 

 その言葉を最後に、パッセージリングの間は譜術の光で包まれた。

 

 

 

 ――

 

 

 

 そして場面は移り変わって地上のアクゼリュス… 今なお、地震による揺れが続いている。

 

「またあの時の惨劇を繰り返すつもりか… 教団は! 預言(スコア)は!」

「教団? 預言(スコア)? どういうことなんですか、ヴァンさん!」

 

「だが、預言(スコア)の通りにするならば超振動の力が必要になる。ここにはルークもアッシュも…」

 

 セレニィが問い掛けるも、ヴァンは一人で何事かを考えながらブツブツつぶやいている。

 

 確実にこのヒゲは何かを知っている。そう感じたセレニィはなんとか聞き出そうとする。

 立っていられないほどの揺れの中、なんとか地面に這いつくばりつつヴァンの傍に移動する。

 

「教えて下さいよ、ヴァンさん! 一体何が起こっているんですか?」

「恐らくはモースの手によるものか… くっ、迂闊だった!」

 

「おい、聞けよヒゲ」

 

 度重なるヴァンからの無視を受けて、段々とセレニィも遠慮というものがなくなっていく。

 

 そもそもセレニィの方に、ヴァンを敬う気持ちはこれっぽっちもない。舐めきっている。

 彼女の中でのヴァンのヒエラルキーは、ミュウは愚かディストから貰った棒以下なのである。

 

「このままでは秘預言が… そうなれば消滅預言(ラストジャッジメントスコア)も」

「さっさと話せ! ホモ!」

 

「なっ、誰がホモだ! 叩き斬られたいのか、貴様!」

「いいから説明しろや! 非常時だっての、見て分からないですか!?」

 

「せ、師匠(せんせい)もセレニィもその辺で…」

 

 非常時にもかかわらず互いに襟首を掴み罵り合いを始めた二人を、ルークが慌てて止める。

 互いに鼻を鳴らして背を向け離れつつ、不承不承といった様子でヴァンが説明を始める。

 

「我々の暮らす世界は外殻大地と呼ばれ、10本のパッセージリングに支えられ…」

「長い! 要点だけ掻い摘んで話してください! 専門用語抜きで!」

 

「……恐らく大地を支える支柱が壊れた。この付近一帯が崩落を始めている」

「ふざけんな! なんでそんな大事なこと黙ってるんですか! ヒゲむしりますよ!?」

 

 涙目になりながらもセレニィは必死こいて考える。咳だ風邪だと言ってられる状況ではない。

 取り敢えず被害を最小限に抑える方策を思いついて、アリエッタに声を掛ける。

 

「すみませーん! アリエッタさん、ちょっといいですかー?」

「なに? セレニィ」

 

 匍匐(ほふく)前進をしながら近寄ってくるアリエッタに萌えつつ、セレニィは口を開く。

 非常時だというのに筋金入りの変態である。

 

「今すぐ空飛べる『友達』に避難民を乗せて、ラルゴさんたちと合流をお願いします」

「ん… わかった。おいで、みんな」

 

「で、ラルゴさんに事情を話して『フーブラス河』の北まで移動するように指示を」

「ん… ちゃんと伝えておくね?」

 

「頼みますね、アリエッタさん。ラルゴさんはどこかのヒゲと違って頼りになるはずです」

「おい」

 

「バイバイ、セレニィ!」

 

 ありったけの空飛ぶ魔物を呼び寄せて、その背に避難民を乗せつつアリエッタは飛び去った。

 それを手を振って見送るセレニィ。よし、後は自分たちが脱出するだけだ。

 

「よーし! 私たちもこんな危険地帯、さっさとおさらばですよ!」

「……どうやって?」

 

「何言ってるんですか、ヴァンさん。そんなの空飛ぶ魔物に乗ってに決まってるでしょう?」

「……たった今、アリエッタとともに飛び去っていったな」

 

「………」

 

 互いに無言になって見詰め合う。この場にいる人間全てが、ほんのりと絶望に支配された。

 

 ルークが、ナタリアが、ティアが、ガイが、イオンが、アニスが、ジェイドが、トニーが…

 そしてフリングス将軍とセシル将軍に加えてリグレットとアッシュまでが、二人を見詰める。

 

 先に再起動を果たしたのはセレニィの方であった。

 

「わ、私は悪くありませんよっ! 横で見ていたのに、ヴァンさんが止めなかったから…」

「はぁ? ふざけるな! 私が止める間も無く勝手に貴様が指示を出したのだろうが!」

 

「ぐぬっ! 大体それを言うなら最初から事情話しとけば良かったじゃないですか!」

「フン! 外殻大地のことは教団の機密なのだ… おいそれと語れるはずもなかろう!」

 

「その結果がコレですか? あーあー、ヴァンさんが最初に話してれば脱出できたのになー!」

「なんだと! そもそも、モースの企みを見抜けなかった貴様の手抜かりだろうが!」

 

「あ、それ言っちゃいます? 自分だって見抜けなかった癖に、それ言っちゃいますかー?」

 

 再び互いの襟首を掴んで罵り合う二人を尻目に、大地がピシリと決定的な響きを漏らした。

 しかし、二人は醜くも互いに罪を押し付けあうことに夢中でそれに気付かない。

 

「おい、気を付けろ! そこ、崩落に巻き込まれるぞ!」

 

 慌ててアッシュが身体を伏せたまま警告の声を発する。……だが、ほんの少し遅かった。

 ピシピシピシ… そう音がしたと思ったら、二人がいた地面がゴッソリと崩れ落ちた。

 

「へ? うぎゃああああああああああああああああああああああっ!?」

「この疫病神めぇえええええええ! ティア、第二譜歌を…」

 

「みゅうううううううううう!?」

「セ、セレニィーーーーーーーーッ! ミュウーーーーーーーーッ!」

 

 ポッカリと空いた地面に、二人と一匹は為す術もないままにあっけなく呑み込まれていく。

 

 ティアがセレニィとミュウの名を呼びその手を伸ばすも、届かせるには些か距離が遠すぎる。

 そして、それはほどなく他の亀裂も呼び… その場の全員を呑み込んでいくのであった。

 

 この日… 『鉱山の街』として栄えたアクゼリュスは崩落して、地図からその姿を消した。



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80.奇跡

 大地に裂け目が生まれる。その場の全員区別なく、無慈悲に一人残らず呑み込まれていく。

 ルグニカ大陸の一部… 『鉱山の街』アクゼリュスとその近辺は、大地とともに消滅した。

 

 崩れる、崩れる、崩れる…。

 

 概ねヒトという生き物は、大地に足をつけることで生活しているといっても過言ではない。

 ならば、大地が根本から喪われたらどうなるのか? ……それは大空で溺れるに等しい。

 

 現在進行形で大地の崩落に呑み込まれている彼ら一同にとっても、まさに事実は当て嵌まる。

 予想だにしなかった事態に巻き込まれた者たちはみな、大なり小なりパニック状態に陥る。

 

 その中でも一段と見苦しい… もとい恐慌状態に陥ったのが誰あろう、セレニィである。

 涙と鼻水を垂らしてヴァンに縋り付き、後方に縛った彼の髪を引っ張りながらみじめに騒ぐ。

 

「ぎゃああああああ! 落ちる、落ちるぅ! 死ぬっ! ……死んでしまう!?」

「ええい… うるさい、喚くな! 本当に死んでしまっても知らぬぞ!」

 

「ほへ… な、なんとか出来るんですか?」

「あぁ、だから落ち着け。……気が散ってしまっては、出来るものも出来なくなる」

 

「は、はい… 信じますよ? 信じましたからね、ヴァンさん!」

「いいから、黙っていろ(とはいえ、場所が悪い… これでは救えて数名か。くっ!)」

 

「………」

 

 セレニィは顔を青褪めさせつつも、ミュウとともに両手で口を塞いでコクコク頷いている。

 

 対してヴァンの方は、この事態で生き延びることのできる『切り札』に思いを巡らせる。

 ユリアの第二譜歌… 『堅固たる守り手の調べ』と呼ばれるソレを使えば、生き延びられる。

 

 それは間違いない。何故ならば、十五年前も同様の手段で生き延びることが出来たからだ。

 だが、如何せん場所が悪い。決して効果範囲が広くないこの譜歌では救えて数名が限度。

 

 自身と同じくユリアの譜歌を扱えるティアとて、効果範囲は大きく変わることはないだろう。

 

「(どうやっても何人かは救えない者たちが現れる… 私の力はその程度ということか)」

「えーと、ヴァンさん… なにか深刻そうな表情ですが?」

 

「……フッ、貴様には関係のないことだ。今は、自分が生き延びることにのみ集中しろ」

 

 ヴァンは自嘲気味に笑みを浮かべる。世界を恨み、世界を滅ぼそうと暗躍してきた報いか。

 恐らく譜歌の力が届かぬであろうリグレットとアッシュに胸中で詫びつつ、目を閉じる。

 

 犠牲を容認して、救えない命を切り捨てて譜歌を発動させようとしたその時… 声が響いた。

 

「ヴァンデスデルカ! 私の譜歌に合わせなさい!」

「ティア… メシュティアリカよ、何を!?」

 

「説明している暇はないわ! 『みんなを救いたい』というのなら言うとおりにしなさい!」

「(はは、うえ?)……いや、なにを馬鹿な」

 

「聞こえているの? ヴァン!」

 

 自身を叱咤する妹の姿が、一瞬、今は亡き母親のソレに重なって見えて思わず呆然とする。

 頭を振って確かめれば、そこにあるのは己の妹の姿。そんな彼の様子に再度叫ぶティア。

 

 今度は呆然とすることはない。諦めの色を浮かべていた瞳に覚悟の炎を灯して、口を開いた。

 

「……聞こえている。分かった、オマエの言葉に従おう」

「『みんなを救う』… そんな奇跡を起こして見せるわよ、私たち兄妹で!」

 

「フッ…」

 

 妹の… ティアの瞳に、諦めの色はない。彼女が目標を定めたら決してブレることはない。

 折れず、曲がらず、真っ直ぐ目標に突き進む。目標を成し遂げるまで止まることはない。

 

 ……まぁ、うん。自分が世界を滅ぼすことを諦めてなかったら、どうなってたか少し怖いが。

 そんなことを考えつつ、しかし、何処か楽しげにヴァンは微笑んだ。気分が高揚している。

 

 人類に期待することを諦めて世界に絶望していた自分は、ただ信じる力がなかっただけ。

 本当に弱かったのは誰の方であったのか? ならば、この奇跡をきっかけに変わっていこう。

 

 自らの罪たる過ちを受け入れて、数知れぬ挫折と苦難の果てに… 栄光を掴むその日まで。

 

「クロア リュォ ズェ」

「トゥエ リュォ レィ」

 

『ネゥ リュォ ズェ…』

 

 ティアの発する不思議な穏やかさを持つ響きに、ヴァンの発する声が(おごそ)かに続いていく。

 それは互いにぶつかり・打ち消し合いながらもやがて一つに重なり、周囲を包み込んでゆく。

 

 重なり響き合う男女の二つの声がハーモニーとなって、『奇跡』の音色を生み出していく。

 その場にいる全ての人間は聞き惚れて、ある者は涙を流しある者は遠い過去の日を想う。

 

 堅固たる守り手の調べは… 人のみならず落下する軍艦を大地を、その全てを優しく包んだ。

 ユリアの譜歌の『輪唱』。それは神話の時代にも起こり得なかった、新たな奇跡であった。

 

 

 

 ――

 

 

 

「全く… とんだドジを踏んだモンだよ。チンタラしていたら出られなくなるなんて」

 

 不完全ながら発動した擬似超振動による落盤の影響で、脱出不可能となった第14坑道。

 その出口の手前で、ボロボロの身体を引き摺りながらもシンクは悪態をついていた。

 

 その肩をレプリカイオンに貸しながら… であるが。彼もまた同じくボロボロの有様だ。

 それが妙におかしくてレプリカイオンが苦笑いを浮かべながら、シンクに問い掛ける。

 

「言わんこっちゃない。僕を殺さなかったせいで擬似超振動は発動し、君は閉じ込められた」

「後悔の真っ最中さ。あと他人事のように言っているけど、閉じ込められたのは君もだよ」

 

「他人事もなにも… この時点でまだ僕が生きているだなんて、思ってもいなかったからね」

 

 レプリカイオンの皮肉とも取れてしまう言葉に、思わず苦い表情を浮かべてしまうシンク。

 

 彼にそんなつもりはないのだろうが、馬鹿にされているような気分になってしまうのだ。

 ……恐らくそれは自分自身が誰よりも強くそう思っているからこそ、感じてしまうのだろう。

 

「ねぇ、シンク。一つ聞いてもいいかな?」

「……ダメだ」

 

「なんで、僕を殺さなかったの?」

「……ダメだって言っただろ」

 

「いいじゃない。きっと、これが最後なんだし」

 

 笑顔のレプリカイオンに向かって呆れたような溜息を吐きつつ、シンクは地面に腰掛けた。

 

 最後のあの瞬間、シンクは右手の攻撃譜術発動直前に左手で障壁譜術の準備を開始した。

 攻撃譜術で狙ったのは『擬似超振動発生機関』。当然と言うべきか、超振動の力が暴走する。

 

 あとは時間との戦いだ。レプリカイオンを背後に庇いつつ、障壁譜術を発動させ耐え凌ぐ。

 神業的なタイミングでなんとか成功した。もう一度やれと言われても恐らく無理だろう。

 

 しかし所詮は片手間の付け焼刃に過ぎない。まして擬似的なものとはいえ超振動の力なのだ。

 シンクは背後に庇われたレプリカイオンともども、ボロ雑巾もかくやという状態となった。

 

 なんとか揃って生き延びたものの、その目に映ったのはパッセージリングが壊れる光景。

 全く以て自分らしくないグダグダっぷりに、思わず自分で自分を殴り飛ばしたくなってくる。

 

 挙句自分と同じ顔をした相手に、今こうして触れられたくない部分を問い詰められる始末。

 こんな無様を『あの馬鹿』に見られたらなんと言われるか。……多分指差して笑われる。

 

 考えていたら苛々を通り越してしまった。深い深い溜息を吐いてから、シンクは口を開いた。

 

「別に。自分と同じ顔した存在が、ただ『道具』のまま死ぬのはつまらないな… ってさ」

「……『道具』じゃないなら、僕はなんなんだろう?」

 

「『あの馬鹿』なら言うんじゃないの? 『それでもあなたはあなたですよ? 多分』ってさ」

「……フフッ。なにさ、それ」

 

「アイツはいつもそうさ。深い意味なんか考えもせず、適当なこと言って人を振り回すんだ」

 

 いや、やはり苛々してきた。一言ならずとも文句を言ってやりたいがこの状況では難しい。

 ならばとばかりに、目の前のレプリカイオンに愚痴の限りを吐いてもバチは当たるまい。

 

 レプリカイオンは楽しげに笑いながら、止めどなく続いていくシンクの話に耳を傾けている。

 シンクにしても話すネタは幾らでもある。あの変態には、何度となく苦労させられたのだ。

 

 自分の仮面を盗むためだけにディストに合鍵を作らせ、勝手に自室内に侵入されたこと。

 挙句に発見されたらあっさりディストを囮にして逃亡し、アリエッタに泣きつく外道っぷり。

 

 ハンバーグのために会議の出席を認めたのに、その日の晩はピーマンの肉詰めを出したり。

 指摘したら「嘘は言ってないです。まさか、好き嫌いするんですか?」と煽ってきたり。

 

 段々ムカついてきた。今度顔を見たら一度と言わずに殴り倒そう… そうシンクは決意した。

 

「まぁ、そんなわけでハンバーグとピーマンの肉詰めは全く別の料理だと思うんだけどね」

「……いや、どっちも食べたことないから知らないんだけど」

 

「なら、食べてみるといいよ。ピーマンの肉詰めのピーマン部分はアンタにあげるから」

「それが食べられるなら、ピーマンの肉詰めってハンバーグにピーマン被せただけなんじゃ…」

 

「その違いが大きいのさ。アレはどう考えてもハンバーグを冒涜している、断言してもいい」

 

 極めて真面目な表情でそんな講釈を垂れるシンク。最近緩い誰かに毒されつつあるらしい。

 そんな彼に、レプリカイオンは笑顔を浮かべた。対するシンクは不機嫌そうな顔をする。

 

「なに? アンタもアッシュやラルゴみたいに笑うわけ?」

「いや… 違うよ。さっき断られたけどさ… 『友達』って、いたらこんな気分かなって」

 

「……ハァ、やれやれ」

「あ、ごめん。……別に怒らせるつもりはなかったんだ」

 

「『これからすぐに死ぬ人間と『友達』になる趣味なんてない』… そうは言ったね」

「……うん」

 

「勘違いしているようだから言っておくけどさ。僕は死ぬつもりなんてこれっぽっちもない」

「……え?」

 

「アンタはどうなのさ。諦めて死を待つってなら、別に止めはしないけどね」

 

 皮肉気な笑みを浮かべるシンクのその言葉に、レプリカイオンはその目を大きく見開いた。

 彼はまだ諦めてなかったのだ。こんな状況の中で。……何故そう信じられるのだろうか?

 

「なんで信じられるの?」

「やれやれ… ちょっと考えれば分かることだろう。パッセージリングが壊れたよね?」

 

「う、うん…」

「それはアクゼリュスの崩落を意味する。事実、さっきまで落下を続けていたはずだ」

 

「うん。……あれ?」

「気付いたみたいだね? 今は落下が止まっている。その意味するところは、なんだろうね」

 

「え? ……え?」

 

 目を白黒させているレプリカイオンを鼻で笑いながら、シンクはその場にゴロリと寝転んだ。

 そして背を向けながら言葉を続ける。

 

「『これからすぐに死ぬ人間と『友達』になる趣味なんてない』… そう言っただろ?」

「え? それって、ひょっとして… 僕と…」

 

「考えてやってもいい、って程度だよ。それに僕が断ってもお節介な変態が放っておかないよ」

「あ、うん… それでも、ありがとう!」

 

「(はぁ… 全く以てらしくない。何もかも失敗して助けを待つことしかできないなんて)」

 

 喜色を浮かべるレプリカイオンの言葉を敢えて無視しながら、静かに助けが来るのを待つ。

 

 そして数時間が経過し… ピシリと天井が割れて、空気の流れが大きく動くのを感じた。

 手にドリルを取り付けたディストお手製の譜業人形がこちらの方を覗いている。目が合った。

 

「おぉー! ホ、ホントにいたズラー! ご主人、要救助者2名発見ズラ!」

「はーっはっはっはっ! ご苦労、タルロウX改! ……はて、2名?」

 

「まぁまぁ、細かいことは後にして取り敢えず助けに行きましょうよ」

「それもそうですねぇ! セレヌィの言ったとおりに発見できましたしねぇ!」

 

 騒がしい声が聞こえてくる。呆気にとられているレプリカイオンに肩を貸して立ち上がる。

 

「だから言ったじゃないですか。ここからシンクさんの匂いがするって」

「マジでいやがるとは… テメェ、たまに人間やめてやがるな」

 

「フフン! 今じゃアリエッタさんとリグレットさんの匂いも分かりますよ?」

「そうか、凄いなセレニィ。でも、あまり近寄らないでくれないか」

 

「あれ? 功労者なのにこの扱いって酷くないですかね…」

「はーっはっはっはっ! 天才とは常に孤高… 理解者が少ないのは世の常ですよ、心友!」

 

「そうですね。ただの友達のディストさん」

「ノォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!?」

 

「セレニィ… 私で良ければ幾らでも匂いを嗅いでくれて構わないわよ! さぁ!」

「すみません。私ゴリラに知り合いはいないんで、話しかけないでくれますか?」

 

「いやぁあああああああああああああああああああっ!?」

 

 ……うん、やっぱりアイツは変態だったようだね。

 あと、どうでもいいからさっさと助けろよ。こっちは怪我人なんだぞ。心中で悪態をつく。

 

 そうして待つことしばし… アイツが穴の空いた天井から顔を覗かせてこう言った。

 

「や、シンクさん。……おかえりなさい」

「……あぁ、ただいま。セレニィ」

 

 

 

 ――

 

 

 

「ていうか、果たしてこのやり取りでいいんですかね? 遭難者の救助的に考えて」

「……知らないよ。付き合ってやったんだから、さっさとロープ垂らしてよ」

 

「ていうか、いつの間にそんなイオン様似の美少女をナンパしてるんですか!」

「え? 美少女って… ひょっとして、僕?」

 

「イチャイチャですか? 二人で肩を寄せあってイチャイチャなんですか、ちくしょー!」

 

 なんだか良く分からないことを口走りつつ、ロープも垂らさずに錯乱し始めるセレニィ。

 

 オロオロとしているレプリカイオンを下がらせつつ、シンクは地面の石を掴み取った。

 大きく振りかぶり、なんだか騒いでいる隙だらけの馬鹿に向かってソレを軽く投げ付けた。

 

「いいからさっさとロープを垂らせって言ってるだろ! この『馬鹿』が!」

 

 かくして『馬鹿』のタンコブを代償に、シンクたち二名は無事に救出されたのであった。



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81.病魔

 シンクともう一人の要救助者が、セレニィたちによって崩落した坑道の穴から救出された。

 今はキムラスカやマルクトの救助隊の力を借りて、傷だらけのまま担架で運ばれている。

 

 リグレットやアッシュら六神将が駆け寄り、シンクに向かって何事か話しかけているようだ。

 そんな光景を遠目に眺めながら、ヴァンは笑みを浮かべて戻ってきたティアに声を掛けた。

 

「ティアよ、オマエの機転で全ての人間を救うことが出来た。……素晴らしかったぞ」

「そう? これくらい当然だと思うけど… でも、褒められて悪い気はしないわね」

 

「あぁ、今回くらいは素直に受け取っておけ。亡き母も、誇りに思っていることだろう」

 

 ヴァンに褒められて、ティアは嬉しそうに目を細める。ルークもヴァンの言葉に追随する。

 

「そうだぜ! なんか凄かったじゃねーか。いつもの譜歌と違って、こう… 雰囲気が」

「『輪唱』のこと? そうね… 本来の第二譜歌とは掛け離れた効力を発揮したもの」

 

「へー… 『輪唱』って言うのか。師匠(せんせい)と二人で歌って、なんか、こう… 神秘的だった」

 

 一生懸命自分の感じた凄さを表現しようとするルークに、兄妹揃って微笑ましさを感じる。

 そして笑い終えてから、ヴァンは改めてティアに感じていた疑問について尋ねることにした。

 

「しかし、驚いたな。ティアよ、ユリアの譜歌の『輪唱』など一体何処で知ったのだ?」

「え? ……『勘』だけど」

 

「そうか、『勘』だったのか… なんだと?」

「いや、だから『勘』だったと言ったのよ。事前に知ることなんて出来るわけないじゃない」

 

「………」

 

 さも当然の如くあっさり言ってのけるティアの言葉に、ヴァンとルークは揃って言葉を失う。

 一方で、そんな二人の様子などは何処吹く風といった有様でティアは説明の言葉を続けた。

 

「だって、ユリアの譜歌と言っても所詮は歌でしょう? 重ねられるのが当然じゃない」

「そうかも知れねーけどよ… 『奇跡』だぞ、『奇跡』。もうちっと、なんつーか…」

 

「神話の時代にも起こったことよ。二千年経った今、新たな形で起こせても不思議はないわ」

「ティアの理屈は滅茶苦茶だよなー… でも、不思議と説得力は感じちまうんだよな」

 

「当然よ。別にユリアの子孫だからって、ご先祖様の劣化品に甘んじている必要ないもの」

「……ユリアの子孫? ユリアって、あの始祖ユリア・ジュエか?」

 

「あ… 言っちゃった」

 

 話の流れだったのだろう。ポロッと一族の秘密をこぼしてしまった妹にヴァンは頭を抱える。

 思わず「やっちゃったぜ…」という感じに、口元に手を当てたポーズで硬直するティア。

 

 心中で悪態をつきながら愚かで口が軽い妹のため、ヴァンはルークにフォローの説明をした。

 

「我が一族はユリアの子孫という言い伝えがある。といっても一族の口伝に過ぎないが」

「え? それって、どういう…」

 

「教団に正式に認められているわけではない、ということだ。……最悪、異端認定される」

 

 異端認定… その言葉の意味するところは分からなかったが、深刻そうな表情は伝わった。

 ルークはなんとなく「教団に知られたら師匠(せんせい)に迷惑がかかる」ということは理解できた。

 

 彼のその気持ちが伝わったのだろう… ヴァンは表情を緩めると、大きく安堵の息を吐いた。

 

「勝手に聞かせておいてすまないが、ティアのためにもこの話は触れ回らないで欲しい」

「……分かった。俺、ぜってぇ言わねぇ」

 

「すまないな。……言うまでもなく、教団はユリアを神聖視している。いっそ病的なほどに」

「えっと、つまり… 『ユリアの名を騙る不届き者め!』とかって言われるわけか?」

 

「フッ、そういうケースは否定出来ないな。処女信仰などもまことしやかに囁かれている」

「馬鹿らしい話よね。尊敬するのは当然かもだけれど、全ての人間にユリア以下でいろなんて」

 

「………」

 

 まるで他人事のようにしれっと言ってのけるティアに、ルークとヴァンは揃って絶句する。

 ティアのこういった型に嵌まらない発想は、どこかセレニィを髣髴とさせるものがある。

 

 セレニィが聞けば嫌がるだろうが、或いはティアが彼女を気に入る理由はそこかもしれない。

 やがてなんとか再起動を果たしたルークの方が、苦笑いを浮かべつつティアに話しかけた。

 

「あぁ、うん。取り敢えずオマエは異端だわ… 俺には分かる」

「むぅ… 甚だ遺憾だわ」

 

「まぁ、変わってるといえばセレニィもか。凄く物知りなのに当たり前の事も知らねぇし…」

「そうね… 私もよく『常識がない』と言われるわ。ひょっとして、これは運命?」

 

「いや、それはない」

「あはは… ないですねー」

 

「ん? おう、噂をすれば… おつかれさん、セレニィ。救助は無事終わったみたいだな」

 

 割り込んできた声の方に振り返れば、セレニィが苦笑いを浮かべながらそこに立っていた。

 少し疲れた様子ではあるものの、その表情に充実感があるようにルークには感じられた。

 

「えぇ、まぁ。仮面なくしたってことで、私の持ってたのを取られちゃいましたけどね」

「あぁ… 最初に被ってた変なアレか。どうしてあんなの被ってたんだ?」

 

「私が私だとバレたらみなさんに迷惑かかると思いましたから。別人という(てい)で行こうかと」

「言っちゃ何だが、バレバレだったぞ…」

 

「……らしいですね。なんでなんでしょう?」

 

 さも不思議そうに首を傾げるセレニィの頭を、ルークは少し怒った表情で軽く小突く。

 

「それにさ、俺たちは仲間だろ? 困った時は頼れよな」

「そうは言っても国と国のことでもありますしね」

 

「それでもだ」

「……六神将のみなさん、テロリストですし」

 

「オマエが助けろって言うんなら無碍にはしねーよ」

「………」

 

「無理なことはあるかもしれねーけど、せめて一緒に考えたい。俺の言うこと間違ってるか?」

「いや、間違ってないとは思いますけど…」

 

「だったら決まりだ。今度からちゃんと相談しろよな? しなかったら怒るぞ」

 

 ルークの言葉にセレニィは頷くしかない。あの会談のあとにジェイドにも言われたことだ。

 二人に揃って言われたということは、やっぱりなにかしら自分が間違っていたのだろう。

 

 理解は出来ないが納得するしかない… セレニィはそう考える。流されやすい元日本人故に。

 

「まぁ、そうですね… 自分をもっと大事にしろと言われましたしね」

「そうね。いつも無茶をするセレニィを見るのは心臓に悪いわ」

 

「私としてはティアさんの蛮行の数々に、いつも心臓と胃に負担がかかりまくってるんですが」

「フフッ… 模範的な私を捕まえて、セレニィったら冗談ばっかり」

 

「いや、冗談じゃなくてですね… まぁ、いいか。それよりヴァンさん」

 

 自分としてはかなり自分を大事にしていたつもりなのだが、今後もっと保身を心掛けよう。

 ジェイドとルークという二大権力者のお墨付きだ。イオンもOKしたらコンプリートだ。

 

 堂々サボれると思いつつセレニィはヴァンに声を掛け、彼は「どうした?」と返事を返した。

 

「フリングス将軍とセシル将軍が、今後タルタロスで六神将の指揮をお願いしたいと…」

「ふむ、内容は理解したが構わないのか? 私は…」

 

「ナタリア殿下の手回しで、六神将だけでなく指揮官たるヴァンさんの罪も保留状態のようで…」

「………」

 

「まして今は非常時です。状況を考えれば、頷いていただけると個人的にも助かりますねー」

「……なるほど、承知した。すぐに向かおう… む、よろめいているようだが大丈夫か?」

 

「えぇ、まぁ… 少し無理をしてましたから。ようやく一段落ですしゆっくり休めると思いま」

 

 笑顔を浮かべたまま、セレニィはまるで糸の切れた人形のようにフラッと倒れこんできた。

 慌てて地面に付く前に抱きかかえて支えるルーク。呼吸は浅く、意識は朦朧としている

 

 オマケに服の上からでも伝わる酷い熱… よくよく見ていれば顔も真っ赤で元気がなかった。

 

「凄い熱だ… 誰か! 誰か医者を呼んできてくれ! 頼む!」

「セレニィ… しっかりして、セレニィ!」

 

「ティア、頭を揺らすな。服を緩めて安静にさせるのだ」

「みゅう! セレニィさん… しっかりですの!」

 

「いや、うん… ちょっと疲れただけですから… あとティアさん、うるさいです…」

 

 医者を呼ぶルークや慌てて叫ぶティアを尻目に、的確な応急処置の方法を指示するヴァン。

 そんな三人に対して軽口を叩きながらティアに毒舌を放つ。しかしいつものキレがない。

 

 ガイ、イオン、アニス、ジェイド、トニーのみならずナタリアや六神将まで駆け寄ってくる。

 担架で運ばれていたはずのシンクまで、左肩を庇って足を引き摺りながらだがやってきた。

 

 彼らが見守ったり思い思いに声を掛ける中、救助隊から医者がやってきて診察を始めた。

 一同が固唾を呑んで見守る中、ほどなく診察が終わると医者は首を振りながら立ち上がった。

 

「……これは、障気蝕害(インテルナルオーガン)です」

「そんなっ!」

 

 その悲痛な叫びは誰のものだったのか。既にセレニィの意識は混濁しており、返事もない。

 沈痛な表情を浮かべながらも、一同を代表してガイが医者に声を掛ける。

 

「その、なんとかならないのか? 例えば薬で症状を和らげるとか…」

「軽度ならば、ある程度の治療は可能だったかもしれませんが…」

 

「どういうことだよ? まさか…」

「極めて重度の障気蝕害(インテルナルオーガン)に罹患しております。……今、生きているのが不思議なくらいの」

 

「そ、そんな…」

 

 ルークが尋ねれば、医者は更に残酷な現実を告げてくる。思わず青褪め言葉を喪うアニス。

 苛立ちの表情を浮かべたアッシュが瓦礫の山を蹴飛ばしながら、吠える。

 

「おい、テメェ! ふざけんなよ! 俺にニンジン料理食わせるんだろうが!」

「アッシュ… 責めるなら私を責めろ。私がもっと早く気付いていれば…!」

 

「セレニィ、嘘ですよね? 僕たち、これから一緒だって言ったじゃないですか…」

 

 苛立つアッシュを宥め、拳を握り締めて俯くリグレット。イオンは目に涙を浮かべている。

 シンクは無言のまま、どこか怒りを感じさせる様子でセレニィを見下ろしている。そして…

 

「認めません… 認めませんよ!」

「ディスト…」

 

「貴女まで私を置いていくんですか、セレヌィ! ……ネビリム先生のように!」

「ディスト。いえ、サフィール… 彼女はまだ生きています」

 

「そんなことは分かっていますよ! ですがねぇ!」

 

 激昂するディストを、常ならば冷たく突き放すであろうジェイドが慰めていた。

 しかしその表情は眼鏡の下に隠され、彼が内心で何を考えているのか窺い知ることは出来ない。

 

「貴女は今、苦しみの中にいるのでしょう。ですが自分は残酷なことを言います」

「セレニィさん… いつもみたいに笑って欲しいですの…」

 

「生きてください、セレニィ。……自分を含めた、ここにいる全員のためにも」

「そう、だな。仲間を置いて先に行っちまうような真似したら、今度こそ許さないぜ?」

 

「うん… アタシの手料理、作ってあげるって約束だったもん。待ってるからね!」

 

 嘆くミュウを抱きかかえつつ、トニーは目を閉じているセレニィに向かって声を掛ける。

 その言葉にガイがアニスが続く。一方ティアは、回復譜術を使い続けている。

 

「セレニィ… セレニィ、起きて。目を覚まして…」

「ティア… 病気に回復譜術は効果が…」

 

「分かってるわ。でも、少しだけでも体力が回復できたらって…」

「そう、ですわね。ならば、わたくしが引き継ぎますわ」

 

「でも…!」

「貴女まで倒れてしまっては、セレニィが目が覚めた時に気にしてしまいましてよ?」

 

「そう、かしら。私、でも… あの子のために何もできてない…」

 

 悲しげに俯くティア。いつも自信満々で、我が道を往く彼女の身体がとても小さく見える。

 そんなティアの肩をそっと抱き寄せ、ナタリアは微笑んだ。

 

「あの子も、貴女のことが大好きですわ… 謁見の間で必死に庇ってたと聞きましたもの」

「………」

 

「だから、ね? わたくしにもがんばらせてくださいまし」

「……ありがとう。お願い、ナタリア」

 

「フフッ、えぇ」

 

 目を真っ赤にして小さく頷くティアに、敢えてなんでもないように明るい笑みを浮かべる。

 幾ら才能ある第七音素術士といえど、譜術をかけ続けるのは容易ではない。

 

 けれど、それをさせるだけの何かがこの少女にはあるということか。

 初めて会った時の印象は… 真っ直ぐこちらを見詰めてきて、惚れ込んだ表情をしていた。

 

 そして面白い話をしてくれて… なるほど、元気になったらもっと話をしてみたいものだ。

 ナタリアはそんなことを思いつつ、譜術の詠唱を開始するのであった。

 

「(安心しろ、共犯者よ… オマエが志半ばに倒れようとも、その意志は私が継ぐ…)」

 

 そんな彼らを一歩離れた位置から見守っているヴァン。彼は障気蝕害(インテルナルオーガン)の現実を知っている。

 なにより… 現実の厳しさを知っている。祈りが救いにならぬことも知り尽くしている。

 

 しかし、そんなヴァンに近付く者がいた。ルークである。彼は笑顔を浮かべてヴァンに言った。

 

「大丈夫だよ、師匠。アイツは… セレニィはきっと戻ってくるさ」

「ルークよ、オマエはそんな『夢』のようなことを信じるのか」

 

「『夢』じゃないよ… きっと、それは『奇跡』って言うんだ」

「同じことではないか」

 

「違うよ。『奇跡』は起こすものさ… ついさっき、あなたの妹がやってみせたようにさ」

 

 そう、真っ直ぐヴァンの瞳を見上げて言い切った。続けて、決意を込めた表情で口を開く。

 

「だから、俺は絶対に諦めない」

 

「そうか」

「そうさ」

 

「フッ…」

「へへっ…」

 

「良かろう、ルークよ。ならば一つ、私も信じてみるとするか… 『奇跡』とやらをな」

 

 ヴァンとルーク… 師匠と弟子が、固い握手を交わした。

 

「うーん、うーん… ゴリラ、ドS… やめて、来るな… 増えるな…」

 

 一方、渦中の人は青い顔のまま悪夢にうなされていたという。



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82.魔界

「太陽の光は届かねぇ。オマケに障気で年中薄暗いと来た」

「ですのー…」

 

「まったく、とんでもねートコに来る羽目になったぜ」

 

 宛てがわれた部屋の窓から見える外の景色を眺め、ミュウを撫でながらルークはぼやいた。

 セレニィが障気蝕害に倒れたまま目を覚まさなくなってから、はや数日が経過していた。

 

 無論、その間親善大使一行も六神将らも遊んでいたわけではない。むしろ多忙を極めていた。

 それぞれの船の修理・点検に加え救助隊の怪我人の手当など、瞬く間に時間が過ぎていく。

 

 この地に唯一存在するらしい都市・ユリアシティに渡りが付いたのは、不幸中の幸いか。

 到着翌日に主だった者を市長屋敷に招き、この地で育ったヴァンが説明を行ってくれたのだ。

 

 ただ時が流れることを待つしか出来ないルークは、その説明の席のことを思い出していた。

 

 

 

 ――

 

 

 

 ユリアシティ市長の屋敷の会議室。そこに、今回の件の主だった者たちが全員集められた。

 ローレライ教団より導師イオン、導師守護役アニス。主席総長ヴァン、副官リグレット。

 

 キムラスカより親善大使であるルーク、その補佐役のナタリア。救助隊指揮官のセシル少将。

 マルクトよりこちらも救助隊指揮官であるフリングス少将と、皇帝の名代であるジェイド。

 

 それに加えガイやトニーら護衛がそれぞれの護衛対象を守るため、その背に立っている。

 勢揃いした面々を睥睨して一つ頷くと、ヴァンは教団を代表して説明のために言葉を紡いだ。

 

「まずはご一同、こうして時間を作ってくれたこと深甚に感謝申し上げる」

「………」

 

「さて、『この地は一体?』『帰還の方法は?』… 当然様々な疑問がおありであろう」

 

 その言葉に無言で頷く面々を確認しながら、ヴァンは言葉を続ける。

 

「それらについて、教団を代表し私の方から可能な限り説明させていただきたい」

「………」

 

「途中様々な疑問にぶつかるであろうが、どうか心を強く持って聞いていただきたい」

 

 出席した面々の再度の首肯を確認して、ヴァンは咳払いを一つすると説明を開始した。

 

 この地のこと… そして、この世界のことについて。

 それは創世歴以前より続く、二千年以上の気が遠くなるような物語であった。

 

 ・ここは創世歴以前人々が住んでいた大地。現在は障気渦巻く『魔界(クリフォト)』と呼ばれること。

 ・一人の天才がプラネットストームを完成させたことで、人々の生活は繁栄を極めたこと。

 ・そしてプラネットストームの恩恵を巡る『譜術戦争(フォニック・ウォー)』が起こり、大地が障気に満ちたこと。

 

 ここまでで、ヴァンは一旦話を切る。セシル将軍が溜息とともに言葉を漏らす。

 

「まさか世界(オールドラント)にそのような危機があったなど… 何故歴史に残ってないのだ?」

「だが我々は破滅を迎えずこうして生きている。何らかの手段で危機は回避されたのですね?」

 

「………。話の続きをしよう」

 

 セシル将軍やフリングス将軍の疑問に応えることはなく、ヴァンは話の続きへと入った。

 彼にとっては、この話すらまだ『真の本題』の触りにすぎないことなのだから。

 

 ・そこにユリア・ジュエが生まれ、第七音素から未来を読み取ることで生存の道を示した。

 ・ユリアは各国の指導者に未来へと続く道を説き、大地を浮上させる計画を打ち立てた。

 ・かくて浮上した大地は『外殻大地』と呼ばれ、障気に満ちた『魔界(クリフォト)』は切り捨てられた。

 

 再びヴァンが言葉を切る。ルークが納得したように頷きつつ口を開いた。

 

「なるほど… それで『外殻大地』に今、俺たちが住んでるってわけなんだな」

「あれ? でもだったらなんで、こんな都市があるんだろ… 緊急避難用ってヤツかな」

 

「……タトリン奏長の推測は正しくもあり、間違ってもいるな。話を続けようか」

 

 大きく息を吐いて苦々しげな表情を浮かべると、ヴァンは説明の続きを始めるのであった。

 

 ・当初ユリアは、全ての国を救うために大地浮上計画… 『フロート計画』を提唱した。

 ・しかし、とある二国が敵対国を置き去りにするために技術の独占を目論んだ。

 ・それは人気と影響力が膨れすぎたユリアの排除をも可能とする、実に魅力的な案であった。

 

 そこまで説明したヴァンが言葉を切ると、会議室は重苦しい沈黙に包まれた。

 ナタリアが震える声でヴァンに向かって口を開いた。

 

「まさか、その二国というのは…」

「フランク国とイスパニア国。あなたの… そして外殻大地に住む我ら全ての先祖でもある」

 

「そんな… ユリアの投獄は言い伝えに聞いていましたけれど、そんな非道な…」

「軍を預かる身として考えるならば非常に合理的な判断だ。成功すれば、という注釈がつくが」

 

「………」

 

 ヴァンの言葉を否定することの出来ないフリングス将軍とセシル将軍は、俯き唇を噛んだ。

 キムラスカ王国はフランク国の属国であったが、宗主国を滅ぼすことで覇権を得たのだ。

 

 イスパニア国を衰退させ繁栄していたキムラスカ王国であったが、突如マルクト公国が独立。

 瞬く間に外殻大地の北半分を占領されて以降、千年以上に渡り睨み合いが続いているのだ。

 

 つまり外殻大地に存在する人間は、かつての二国いずれかの血を継いでいることになる。

 顔面蒼白になったナタリアと怒りに震えるルークを確認しつつ、ヴァンは静かに口を開いた。

 

「……と、ここユリアシティでは言い伝えられている。真実かどうかは分からぬが」

「え? 師匠(せんせい)、それってどういう…」

 

「片方のみの伝承を鵜呑みにするほど愚かなことはない。そうは思いませんか? ナタリア殿下」

「そ、それは…」

 

「仮に正しくとも二千年以上も昔のことです… 今のあなたに何の責がありましょう」

「二千年以上昔の…」

 

「少なくともこの街で、表立って外殻大地への恨み言を口にする者はほとんどおりません」

「………」

 

「……それが、『今』という時代に示された一つの真実ではないでしょうか?」

 

 ヴァンはそう言って微笑み、落ち着きを取り戻したナタリアもぎこちない笑みを浮かべた。

 勿論、ヴァンの言うとおりにユリアシティの住民に怒りや羨望がないなどとは言えない。

 

 文句を言っても仕方ない、戦っても勝てるわけがない。そんな諦めの気持ちが大半であろう。

 それが理解できないナタリアではないが、だからこそ彼女は彼の好意に甘えることにした。

 

 今は嘆き立ち止まっているべき状況ではない。いわんや全ての説明が終わってないのだ。

 気合を入れ直し前を向いたナタリアを見て、セシル将軍がヴァンに向かってその頭を下げた。

 

「申し訳ない。本来ならば私がすべき役割だったのだが…」

「気にしないで欲しい。ユリアシティに関することならば、市長を祖父に持つ私が適任だ」

 

「市長たる詠師テオドーロ殿並びにグランツ謡将のご厚意、ありがたく」

「うむ、確かに祖父に伝えておこう。……長引いてすまないが、話を続けよう」

 

「………」

 

 ヴァンの言葉に一同は注目する。恐らくはここからが話の大詰めなのだろう、と。

 ヴァンは語り始める。

 

 ・両国の目論見通り、『フロート計画』は敵対国家を置き去りにする形で成功した。

 ・しかし買収したはずのユリアの七番目の弟子が裏切り、彼女を脱獄させたのだ。

 ・彼女は『魔界(クリフォト)』に人々が暮らせる都市を作った。その都市はユリアシティと呼ばれた。

 

「裏切った弟子… まさか、それが」

「えぇ、フランシス・ダアト… ローレライ教団総本山の元となった名前の人物ですね」

 

「『弟子に裏切られ投獄されるユリア』… その言い伝えにこんな裏があったとは」

 

 フリングス将軍の言葉にイオンが返す。

 ジェイドは眼鏡を直しつつ、明かされた真実に溜息を吐いた。ヴァンは更に言葉を続ける。

 

「さて、その上で『外殻大地』にいかにして帰還するかだが…」

「ありますの? この『魔界(クリフォト)』から戻る方法が!」

 

「うむ。通常、このユリアシティから外殻大地に渡るにはユリアロードを通る必要がある」

「……ユリアロード?」

 

「ゲートのようなものと思っていただければ結構です。ですが、これは人しか通れない」

 

 ヴァンのその言葉に、一同… 特にフリングス将軍とセシル将軍は難しい表情を浮かべる。

 人しか通れないということは、船を持ち帰ることは出来ないということだ。

 

 数多くの物資のみならず、船には怪我人もいる。タルタロスには病人とて残っているのだ。

 それらを残していくというのは、いかにも後味が悪い。

 

 せっかく救った以上はなんとかしたい… そう考えるのが人情というものだ。

 そんな思いを汲みとって、ルークが一同を代表してヴァンに向かって声を掛けた。

 

「その、ヴァン師匠(せんせい)… 船も一緒に持って帰る方法はないのか?」

「一度限りという形にはなるが… あることはある。危険な手段だがな」

 

「ホントか! それは一体どんな方法なんだ!?」

「アクゼリュスのセフィロトツリー跡に刺激を与えることで、外殻大地に押し出す力とする」

 

「なるほど、それに乗って船ごと外殻大地に戻るというわけですか。また随分と荒っぽい」

 

 ジェイドの推測に頷くヴァン。

 

 ただし一度再活性されたセフィロトツリーは、エネルギーを吹き上げ続けたままとなる。

 つまり一度限りの片道切符。やり直しも実験も利かない賭けとなるのだ。

 

 そのことを説明すると、フリングス将軍とセシル将軍は揃って笑顔を浮かべて頷いた。

 

「構いませんよ。仲間を見捨てず、軍務に命を捧げることこそ軍人の務めですから」

「右に同じく… 船と救助人員を捨てていくことは救助隊の名折れ。是非もない」

 

「その覚悟、しかと受け取った。そう言うと思って必要な道具はディストに用意させている」

「フッ… なんとも手回しの良いことだな。しかし、必要な道具とは一体?」

 

「『音素活性化装置』… これを組み込むことで、ツリーの流れに乗ることが可能となる」

「なるほど… どうでしょう、カーティス大佐。貴方が手伝えば工期は早まるのでは?」

 

「私にディストを手伝えと? ……やれやれ、気は進みませんが仕方ありませんね」

 

 フリングス将軍に問われたジェイドは肩をすくめながらそう返すと、大きな溜息を吐いた。

 徐々に事態が打開されていくことで、会議室内部の空気が明るいものへと変わっていく。

 

 流石は27歳の若さで主席総長にまで登り詰めた男だ。事態を正しく進める一手は見誤らない。

 ルークは尊敬する師匠の采配に、自分も何かしなくてはと張り切りながらその声を上げる。

 

「ヴァン師匠(せんせい)! それで出発はいつ頃になるんだ?」

「装置が完成次第ということになるが… ルーク殿、あなたはその際に残ってもらう」

 

「な、なんでだよ!?」

「先も言ったとおりこれは危険な賭けだ。あなたを乗せるわけにはいかない」

 

「そんな…」

「同じ理由で導師イオンにもお残りいただく。お二方にはユリアロードでのご帰還を願う」

 

「そう、ですね… ヴァンの判断は正しい。僕も従いましょう」

 

 完全に納得が出来たわけではないが、自身の軽率さを反省していたイオンは素直に頷いた。

 今のヴァンなら素直に信用出来ると思ったこともある。しかし収まらないのがルークだ。

 

「なんだよ、師匠(せんせい)は俺の力はいらないってのか…」

「そうではない。だが『君子危うきに近寄らず』とも言う」

 

「それって、どういう意味だよ…」

「『然るべき立場の者は、みだりに危険を冒すべきではない』… ということだ」

 

「そっか。けどよ…」

 

 ヴァンはなおも不満気な表情を隠せずにいるルークの肩を叩き、苦笑いを浮かべ口を開いた。

 

「起こすのであろう? 『奇跡』を」

「……あっ」

 

「あの娘と一緒に駆け付けてくれること、期待している。……頼んだぞ、ルークよ」

「は、はいっ!」

 

「さて私の馴れ馴れしい態度によるご無礼の段、平にご容赦を… ルーク殿」

 

 跪くヴァンを慌てて止めて、立たせようとするルーク。会議室が穏やかな笑いに包まれる。

 穏やかな表情のフリングス将軍が口を開く。

 

「現状は理解し帰る手立ても、まぁ… 出揃いました。お話は以上ですか?」

「………」

 

「グランツ謡将?」

 

 フリングス将軍のその言葉にヴァンは厳しい表情で振り返ると、ゆっくりと席に戻った。

 そして深刻そうな表情のまま、おもむろに口を開く。

 

「時間をお掛けして申し訳ない。……実はこれから話すことこそが『本題』なのだ」

「え、えぇ… どういった内容でしょうか?」

 

「ユリアの遺した『秘預言(クローズドスコア)』… その全てについて、お話したい」

「『秘預言(クローズドスコア)』? それは教団においても秘中の秘では…」

 

「導師イオンと到着当夜である昨晩に相談し、『皆にも話すべきであろう』と決定した次第」

「ふむ…」

 

「ですが、その内容は余りにも重いこと。なので無理に聞かせようとは私も思わない」

 

 ヴァンの眉間にはシワが濃く浮かび上がり、苦悩のほどが見て取れる。

 一体どれほどの内容なのだろう? 誰ともなく、喉がゴクリと鳴る。

 

 彼ら一同を静かに見据えながら、ヴァンは厳かな表情のままに口を開いた。

 

「聞きたくない方はご退室を。事においても、可能な限り巻き込まぬよう努力をしよう」

「………」

 

 だが、内心はどうあれ退室する者などこの場には一人足りとも存在はしなかった。

 ……ちなみにセレニィがいたら、トイレに行ったまま戻ってこなかっただろう。

 

 ヴァンは誰一人欠けることなく残った面々を頼もしそうに見詰めながら、口を開いた。

 

 

 

 ――

 

 

 

 ルークは、自身の日記帳を確認しながらヴァンが語った秘預言(クローズドスコア)について(そら)んじる。

 

「ND2018。ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れて鉱山の街へ向かう」

 

「そこで若者は力を災いとし、キムラスカの武器となって、街と共に消滅す」

 

「しかる後にルグニカの大地は戦乱に包まれ、マルクトは領土を失うだろう」

 

「結果キムラスカ・ランバルディアは栄え、それが未曾有の繁栄の第一歩となる」

 

 ここで大きく溜息を吐く。ここまでは良い… いや決して良くはないが、まだ分かる。

 問題は次だ。憂鬱な溜息を心配したミュウの頭を撫でつつ、続きを読み上げる。

 

「ND2019。キムラスカ・ランバルディアの陣営はルグニカ平野を北上するだろう」

 

「軍は近隣の村を蹂躙し、要塞の都市を囲む」

 

「やがて半月を要して、これを陥落したキムラスカ軍は」

 

「玉座を最後の皇帝の血で汚し、 高々と勝利の雄叫びをあげるだろう」

 

「ND2020。要塞の町はうずたかく死体が積まれ、死臭と疫病に包まれる」

 

「ここで発生する病は新たな毒を生み、人々はことごとく死に至るだろう」

 

「これこそがマルクトの最後なり」

 

 吐き気を堪えて読み続けていたが、耐え切れなくなってついに日記帳を閉じる。

 気が付けば、嫌な汗がじっとりと滲み出ている。

 

 ここから先に『救い』などない。残酷過ぎる『現実』しか残されていない。

 数知れない奇跡を成し遂げたユリアが遺した秘預言。

 

 そう考えれば、それは『真実』であり『絶望』なのだろう。

 心配そうに見上げるミュウを宥めつつルークは深呼吸を一つして、日記帳を再び開いた。

 

「以後数十年に渡り栄光に包まれるキムラスカであるが」

 

「マルクトの病は勢いを増し、やがて、一人の男によって国内に持ち込まれるであろう」

 

「……かくしてオールドラントは障気によって破壊され、塵と化すであろう」

 

「これがオールドラントの最期である」

 

 これこそが、ヴァンによって語られた秘預言(クローズドスコア)の真実。

 星の終わりを詠んだ消滅預言(ラストジャッジメント・スコア)

 

「チッ… ユリアのヤツ、奇跡起こして救うってなら最後までキチッとやってけよ」

 

 自分が戦うべき相手は世界の破滅。なのに今、自分にできることは待つことしか出来ない。

 絶望と無力感に苛まれながら、ルークは苛立たしげに舌を打つのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 無力感に打ちひしがれている… そんなルークを見上げて、ミュウがふと声を掛けた。

 

「ルークさん、ルークさん… セレニィさんが言ってたですのー!」

「あん? なにをだよ…」

 

「『今考えてもしょうがないことは後で考える』って」

「いや、まぁ、そうかもしれねーけどよ…」

 

「あと『自分で無理なら人に任せちゃえ! レッツ他力本願!』とも言ってたですのー!」

「……お、おう」

 

 笑顔で語るミュウのお陰で、なんだかセレニィのイメージがガラガラ崩れていく気がした。

 そんな彼の内心に気付かぬまま、ミュウは言葉を続ける。

 

「セレニィさんは絶対諦めなかったですの」

「諦めなかった、か」

 

「色んな人の力を借りても、最後までちゃんと自分で向き合ってたですの」

「自分で向き合う…」

 

「ルークさんが何を悩んでるのか、ボクはよくわからないですの」

「………」

 

「でも、最後まで諦めないことは大事だとセレニィさんを見てたボクは思うですの!」

「そう、か… そうだよな。諦めなきゃなんとかなるか」

 

「ですの!」

 

 そう、セレニィは決して諦めることがなかったのだ。……自分の保身を。

 更には生来の怠け者気質のため、難題にぶち当たっては人任せにする根性が染み付いている。

 

 ミュウが語るような立派な性根を持ってないことだけは確かである。

 明後日の方向に誤解されつつ、ルークの笑顔を意図せず取り戻したセレニィ。

 

 その意識が目覚めることは… まだ、ない。恐らく根っからの自堕落さ故だろう。



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83.兄弟

 それからルークはミュウを連れて、屋敷の中でセレニィが寝かされている部屋へと訪れた。

 ノックの返事はない。そのまま入れば、そこには白い花に埋もれた彼女の寝姿があった。

 

 白い花… それは、暇を見つけてはティアがどこかから摘んでくる『セレニアの花』である。

 ベッド一面に敷き詰められたセレニアの花は、まるでタタル渓谷で目にした花畑のようで。

 

 ユリアシティ全体の薄暗さと相俟って、まるであの夜の出会いの光景を思い起こさせる。

 彼女のベッドの横の見舞い客用の椅子に、不機嫌そうな表情のアッシュが一人腰掛けていた。

 

「……なんだ、テメェか」

「よう、アッシュ。どうだ? セレニィの調子は。てか、ノックの返事くらいしろよ」

 

「チッ、ウゼーな… コイツに関しちゃ見ての通りだよ」

「変化なし、か。ま、悪くなってなきゃいずれは目が覚めてくれるよな」

 

「……フン、当然だ」

 

 ぶっきらぼうながらセレニィを心配する気持ちが伝わってきて、ルークも笑みを浮かべる。

 自分に対して、へりくだったりおもねったりする態度を見せないところも好感が持てる。

 

 余り好かれてはいないようだが、自分そっくりな風貌の人間がいれば気分も悪くなるだろう。

 常識を心得ている分だけティアよりずっとマシだ。そう思っているとミュウが声を掛ける。

 

「他のみなさんみたいに、起こすために色々としてみるのはどうですのー?」

 

「うーん… 他のみんながやってることは、あんま真似しないほうがいいと思うぞ?」

「そうですのー?」

 

「うん。主にジェイドとかディストとかは普通に迷惑だと思う」

「……あいつらは存在そのものが迷惑だ。見習うべき人間じゃねぇ」

 

「しょぼん、ですのー…」

 

 セレニィが寝ているベッドをセレニアの花まみれにするティアなど、まだ可愛い方だろう。

 ジェイドは検査と称して、セレニィを叩いたり何か変な物の匂いを嗅がせたりしている。

 

 ディストは「心友ぅー!」とか叫んだり、セレニィを揺さぶったり高笑いをしたりしている。

 あの二人が何かしている時は、概ねセレニィはうなされてる。心からやめて欲しいと思う。

 

 驚いたのが、六神将の面々も時間を見つけてはちょくちょく見舞いに訪れていることだ。

 リグレットは自分の師匠の副官として忙しいのだろうが、一日一回は必ず顔を出しに訪れる。

 

 アッシュやシンクといった、正直協調性に難がありそうな面々もこの部屋では喧嘩しない。

 勿論自分を始め、イオンやガイやアニスにトニーにナタリアといった仲間たちも訪れる。

 

 しかし六神将との間にあるであろう深い絆を感じると、モヤモヤした気分になるのも事実だ。

 とはいえ、口に出さずとも悩んでいる空気は伝わるものだ。見かねてアッシュが口を開く。

 

「ンだよ… しかめっ面しやがって。目障りなツラ見せんな」

「いや、年中仏頂面のオメーに言われたくねぇんだけど…」

 

「……フン」

「まぁ、なんだ。短い期間だったってのに、オメーらとセレニィの間に強い絆を感じてな」

 

「は? ……絆だと」

 

 一方アッシュは、その言葉に意外そうな顔をしてから考えこみ… やがて言葉を紡いだ。

 

「そんなものは、ない」

「……え?」

 

「そんなものは、ない」

「い、いや聞こえてるけどよ… どういうことだよ? めっちゃ大事にしてるじゃねーか!」

 

「出来の悪い妹みてーなモンだ。小狡いのにお調子者で、どっか抜けてて…」

「お、おう…」

 

「雑魚のくせに口うるさくて… こっちは嫌々付き合ってやってんだよ。分かったか!?」

 

 威嚇するアッシュに頷きながらルークは確信した。コイツはシスコンだ、間違いない… と。

 恐らくシスコンの代名詞たる師匠の部下故に色々と似てしまったのだろう。もう手遅れだ。

 

 ブンブンと首を縦に振るルークの態度に機嫌を良くしたのか、アッシュはニヤリと笑う。

 そして頼みもしないのに、その時の出来事を語ってくれた。意外と話せるやつかも知れない。

 

 花をどかしてからミュウと一緒にベッド脇に腰掛け、アッシュと話をしてみることにした。

 

「……まぁ、そんな感じでリグレットは散々振り回されてやがったな」

「ハハッ、マジかよ! そんなイメージは全然なかったなー」

 

「フン、冷静に見えてアイツは更年期障害だから沸点が低いんだよ。今度試してみろ」

「えー… やだよ。俺、命惜しーもん」

 

「みゅう? でもでもー、みんな優しかったですのー」

 

 そこに扉がノックされた。ルークが「開いてるぜ」と返事をするとナタリアが顔を出す。

 

「ルーク… ここにいましたのね。それにアッシュも。お二人とも、ごきげんよう」

「……あぁ」

 

「ようナタリア! って、なんだ? オメーら、いつの間に仲良くなってんだよ」

「フフッ、セレニィのお見舞いをする時に何度かお話をするようになって、それで… ね?」

 

「ちぇー… 教えてくれりゃ良かったのに。ま、ナタリアを見ててくれてありがとな!」

「……別にテメェのためにやったわけじゃねぇよ」

 

「それにしても廊下まで笑い声が聞こえて… お二人とも仲がよさげで微笑ましいですわ」

 

 そう言って二人を見詰めながら、ナタリアはポッと赤く染めた両頬に手を当てて微笑んだ。

 その姿はまさに可憐の一言であるが、ルークもアッシュも揃って謎の悪寒に見舞われる。

 

 この話を続けては不味い… そう直感したルークが話を変えるため、慌てて彼女に口を開く。

 

「そ、それでナタリア… なんか用か? 俺を探してたみてーだけど」

「あぁ、そうでしたわ。ヴァン謡将が愛するルークを探していたみたいで…」

 

「今後の方針の会議だろ! 変な言い方すんなよ!?」

「うふふ… ほんのちょっとした冗談ですわ(……今は、まだ)」

 

「……じゃあミュウ。オメーはここでセレニィを見ててくれ」

「はいですのー!」

 

「アッシュもありがとな。話、楽しかったぜ!」

「……おぅ」

 

「あ、もう! ルークったら、一人で走って行くなんて… まだまだ子供ですわね」

 

 廊下を走っていくルークを見送り、ナタリアは腰に手を当てて大きな溜息を吐いた。

 そしてベッドに寝そべっているセレニィに視線をやると、その頬をつつき始めた。

 

「うーん… うーん…」

「フフッ、可愛い」

 

「そこまでにしておいてやれよ… なんか、うなされてるぞ?」

「そうですわね。……フフッ、本当に兄弟みたい」

 

「兄妹? ……まぁ、そこの雑魚は出来の悪い妹分みてーなモンだからな」

「あなたとセレニィではありませんわ。……あなたとルークのことです」

 

「………」

 

 一瞬だけ室内の時間が止まる。壁にかけられた時計の秒針を刻む音が、やけに大きく響く。

 ややあって、アッシュが口を開いた。

 

「冗談はよしてくれ。俺とアイツ、どこが」

「見た目が。声が。不器用な優しさが。えっと、それから…」

 

「……もういい、やめてくれ」

「あら、もう認めますの?」

 

「認めるも認めないもねぇ… 俺は六神将のアッシュだって言っただろうが」

 

 苦虫を噛み潰したようななんとも言えぬ表情を浮かべて、アッシュが深い深い溜息をつく。

 綺麗に流したと思った問題だったのに、よもやこんなところで彼女に食いつかれるとは。

 

 警戒を解いてしまって、流されるままに見舞いの場で会話に応じたのが運の尽きだったのか。

 はたまたそれすらも仕込みであったのだろうか? だとすれば王族恐るべしと言う他ない。

 

 それを肯定するかのように、彼女はチロッと舌を出して悪戯っぽい笑みを浮かべている。

 そして獲物を捕食する猫科の動物のようなオーラを纏わせてアッシュに近付き、見下ろした。

 

「あら、そうでしたの? 忘れてしまいましたわ。そんな昔のこと」

「……チッ」

 

「あなたも忘れてしまったのではなくて? ……そうね、例えば『約束』とか」

 

 耳元で囁かれた言葉にゾッと鳥肌が立ち思わず見詰め返す。彼女はクスクス微笑んでいる。

 凄絶なまでの王族のオーラと、清楚さの中に漂う仄かな色香にアッシュは言葉を失った。

 

 胸が高鳴るこの気持ちの正体は恐怖か、それとも… それは、アッシュ自身にも分からない。

 一つ言えるのは… 瞳に怒気を篭もらせてるナタリアには、決して敵わないということだ。

 

 だが、それを認めるわけにはいかない。それはもう今更で… 色んな所で手遅れなのだ。

 

「ハッ! なんのことだかサッパリだな。思い込みも甚だしいんじゃねーか?」

「あら、そう。……飽くまで認めないと、そうおっしゃいますのね?」

 

「……フン、さっきからそう言ってるだろうが。しつこい女だな」

「お生憎様。わたくし、諦めの悪さだけはお父様にも認められた筋金入りですのよ」

 

「(あぁ、よく知ってるよ… ガキの頃からな)」

 

 本当のことを口に出来ればどれだけ救われることか… だが、それは許されないことなのだ。

 かつて和平を乱そうとした六神将。その正体がキムラスカ貴族だったなど醜聞でしかない。

 

 両国の和平のため… なにより大事な幼馴染のため、アッシュは己の想いに封を掛けた。

 ナタリアとて確信に至っているわけではないのだろう。惚け続ければいずれは諦めるはずだ。

 

 そんなアッシュの固い決意を感じ取ったのか、ナタリアは溜息を吐き一歩離れ口を開いた。

 

「仕方ありませんわね。……今はこの辺りにしておきましょう」

「……そりゃどーも」

 

「わたくしも会議に出席しないといけませんし… 続きはまた改めて」

「……おう」

 

「では、アッシュ。ごきげんよう!」

 

 嵐のように現れて嵐のように去っていった… というのが、彼女への正直な印象である。

 だが、悪い気はしない。幼い頃から彼女は真っ直ぐに成長して、それは今も変わらないのだ。

 

「やれやれ… 明日には俺はいなくなるから、続きなんてないんだけどな」

 

 誰にともなくそう呟いて、頭を掻きながらアッシュは見舞い客用の椅子から立ち上がった。

 明日には船は三隻とも外殻大地へ向け出発する。『音素活性化装置』が完成したためだ。

 

 勿論アッシュも六神将の一人として出発することは、昨晩のうちにヴァンに告げられていた。

 今回の件が片付けば、ナタリアと会話する機会などそうそう巡ってくることはないだろう。

 

「だが、それでいい… いや、『それがいい』んだ」

 

 笑みを浮かべて部屋の出口に向かう。平穏な時の中で、僅かでも彼女と言葉を交わせた。

 真っ直ぐな気持ちを失くさぬままに成長した彼女と会えた。それだけで自分は戦っていける。

 

「じゃあな、ミュウ。ぶっ倒れてるご主人様が目覚めたら、よろしく言っておいてくれ」

「はいですの、アッシュさん!」

 

「(テメェらにも、もう会うことはないだろうな… ま、悪い時間じゃなかったけどな)」

 

 アッシュは部屋を後にした。室内にはセレニィとミュウ、そしてセレニアの花が残された。

 

 

 

 ――

 

 

 

 会議室の席。そこにいるのは前回同様のメンバーだが、そこにナタリアだけが欠けている。

 ややあって彼女も到着し、自分が遅れたことについて居並ぶお歴々に丁寧に頭を下げた。

 

「申し訳ありません。わたくしのせいでお待たせしてしまって…」

「おいおい、ナタリア。俺を呼びに来たオメーが遅れてどうすんだよー?」

 

「ルーク殿。……お気になさらずどうぞお掛けください、ナタリア殿下」

「はい。ありがとうございます、ヴァン謡将」

 

「全員がお集まりのようなので会議を始めさせていただきましょう。……今回は短いですが」

 

 遅れたナタリアを責めるルークをやんわりと窘め、ヴァンは恒例となる司会の音頭を取った。

 前回の会議の長さを自ら揶揄してみせれば、それに釣られ出席者たちから微笑が生まれる。

 

 和やかなムードになったところで彼は咳払いを一つし、今後の予定について話し始める。

 

「まず今後の予定についてだが… モースは秘預言の成就を狙っているだろう」

「なるほど。我が国にしきりに戦争を働きかけていたのもそのためか…」

 

「となると、まずは戦争を回避する努力のために各国に働きかける必要がありますね」

「うむ… そのため、地上に戻ったら各艦はそれぞれの国に戻り働きかけて欲しい」

 

「承知… しかし、グランツ謡将はどうされるのか?」

 

 ヴァンの言葉に一を聞いて十を知るセシル将軍とフリングス将軍が頷いて、その言葉を継ぐ。

 彼らの言葉に頷きつつ、ヴァンは秘預言成就と戦争を防ぐための方策について示していく。

 

 なら六神将を率いるヴァンはどうするのか? 当然の疑問がセシル将軍より発せられる。

 

「戦争を始めるとあらば、陰日向の違いあれどローレライ教団が起点となる可能性が高い」

「……否定はできませんね」

 

「ならばこそ、神託の盾(オラクル)主席総長としての席を持つ私が止めれば一定の影響力はあろう」

「ですが、それは危険では…?」

 

「『虎穴に入らずんば虎児を得ず』、とも言う。……僅かでも犠牲が出てからでは遅いのだ」

 

 彼の悲壮な決意に会議室の一同は言葉もなく押し黙る。ここに来てから幾日も経過している。

 これまで慎重を重ねた彼の指示であったが、内心では誰よりも焦っていたのかもしれない。

 

 だが、時間もないが手も少ない。焦りから事を仕損じては全てが台無しになりかねない。

 迅速な対応と、手札を損なわぬための安全策… 彼の苦渋の決断が伝わってくるようである。

 

 そして、確かに僅かでも戦端が開かれれば厄介なことになる。『ホド戦争』の二の舞いだ。

 あの終わるに終われない泥沼化した戦争の再来なら、僅かな人間の力では止められない。

 

 誰もが納得せざるを得ずに押し黙るしかない状況下で、ただ一人例外がいた。ルークである。

 

「待ってくれよ、師匠! そんな自分を犠牲にするようなこと、俺はぜってぇに…」

「誰かがやらねばならんのだ、ルークよ。それに私は自らを犠牲にするつもりはないぞ?」

 

「ほ、本当か?」

「うむ。まずは残る六神将であるラルゴとアリエッタとの合流を優先する… 無茶はせんよ」

 

「その間に両国の話が纏まれば、そのままヴァン殿への援護ともなりましょう」

「そうなのか? フリングス将軍」

 

「えぇ、そのために私どもは尽力するつもりです。ですよね? セシル将軍」

「はい。ご安心ください、ルーク様。必ずやご期待に応えられるよう努力致します」

 

「そっか… なら、分かったよ。みんなを信じるよ」

 

 思わず立ち上がっていた席に腰掛けて、深い溜息を吐いたルークを一同微笑ましく見守る。

 

「(互いを想い合う絆… まさしくこれが『愛』ですのね! わたくし、感動ですわ!)」

 

 ……一部、腐っている某姫君については置いておこう。さらに続けてヴァンが口を開く。

 

「なお先日の会議のとおり、親善大使一行はこれに同行せずユリアロードからご帰還願う」

「はい、分かりました。……ヴァンも気を付けて」

 

「わーったよ。親善大使一行ってことは他の面々も?」

「うむ… 当然ながら貴人であるナタリア殿下。皇帝名代たるカーティス大佐も含める」

 

「まぁ、わたくしもですの? 折角貴重な体験ができると思いましたのに…」

「はっはっはっ… まぁ、ユリアロードを渡るのも貴重な経験でしょう? 殿下」

 

「フフッ… それもそうですわね。仕方ありませんわ、引き下がって差し上げます」

 

 おどけたナタリアの言い回しに、思わず苦笑いを浮かべるヴァン。彼は続けて言葉を紡いだ。

 

「そして当然各人の護衛たる護衛剣士ガイ、タトリン奏長、トニー二等兵にも残ってもらう」

「了解ですよ、ヴァン謡将」

 

「はぁーい! 私、全力でがんばっちゃいますからー!」

「自分も微力を尽くします所存」

 

「そして、最後に… セレニィとミュウもここに残り、回復次第我らに合流してもらおう」

 

 ヴァンが笑みを浮かべてそう言えば、居残りを命じられた面々も瞳に闘志を燃やして頷く。

 その様子を確認したヴァンは満足気に頷くと、居並ぶ面々を見詰めて最後の檄を飛ばす。

 

「これはただ一時の別れ… 一人欠けることなく揃って『平和な世界』で合流せんことを!」

『応ッ!!』

 

 拳を掲げながらヴァンがそう言えば、全員一糸乱れぬ形で拳を掲げてそれに続くのであった。

 

 

 

 

 ――

 

 

 

 

 そして未だ惰眠を貪っているダメ人間の部屋であるが…

 

「うーん、うーん… 私の根城になんか甘酸っぱい空気が流れてた気がするー…」

「セレニィさん、うなされてるですの? しっかりするですのー!」

 

「うーん、うーん… イチャイチャバカップルとかリア充とか爆発して欲しいよー…」

 

 その目覚めの時は近いような近くないような… そんな感じがしないでもない。

 ……最後まで眠っておくべきかもしれないが。



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84.復讐

 会議にて方針が決定してから、ルークは眠れぬままに市庁舎中庭に出て夜空を眺めていた。

 といっても、ここは太陽すらない外殻大地の地下にある世界。代わり映えのない景色だ。

 

 恐らくは譜業技術によるであろう灯りが、常に街の中を薄ぼんやり仄かに赤く照らしている。

 朝方なのか夕方なのかハッキリとしない光景で、居心地悪いとまでは言わないが混乱する。

 

 あるいはセレニィが未だ目覚めぬのも、こんな景色に戸惑っている故なのかもしれない。

 そんな益体もない考えすら浮かんでくる。誰にともなしに、そのまま考えが口をついて出る。

 

「なんだかここって年中夕暮れ時って感じで、今が夜って言われてもピンと来ねぇよなぁ…」

「ふむ、それは否定できまいな」

 

「……え?」

 

 返事など期待してなかったつぶやきにそれが返ってきた驚きで、思わず声の方を振り向く。

 そこには、明日ここを出立する準備に今も追われているだろう師匠ヴァンが立っていた。

 

師匠(せんせい)、どうしてここに? 明日の出発の準備をしているはずじゃ…」

「準備はあらかた終わったからな。今は、最終チェック中だろう」

 

「へぇ… 出発の準備は大変だって、セシル将軍に聞いたよ。やっぱり師匠(せんせい)は凄いんだな」

「部下に助けられているのさ。せめて最終チェックくらいは手伝おうと思ったのだがな」

 

「なんかあったんですか?」

「……リグレットに追い払われた。『部下に任せるべきは任せるのも指揮官の仕事です』とな」

 

「プッ!」

 

 苦虫を噛み潰したような表情で溜息をつく師匠の姿が可笑しくて、思わず噴き出してしまう。

 ヴァンを崇拝しているように見えるリグレットも、言うべきことはしっかりと言うようだ。

 

 こういうのを『尻に敷かれてる』というのだろうか? ガイがよく使う表現を思い出す。

 ニヤニヤ笑いが止まらないルークを横目でジットリ睨み付けつつ、ヴァンは不満を口にする。

 

「まったく… 師匠がぞんざいに扱われて笑うとは。私も酷い弟子を持ったものだ」

「ハハハッ! ごめんごめん、師匠(せんせい)!」

 

「笑いながら言うな! 反省の色が見られん。……良かろう、その性根を叩き直してくれる」

「……え?」

 

「良ければ久し振りに稽古を付けてやろう。無論、オマエが望むならば… だがな」

「へへっ、当然! 断るわけねーじゃん! 今日こそ師匠(せんせい)から一本取ってやる!」

 

「フッ、威勢だけは見事だが… さて、何処まで成長したか。ガッカリさせてくれるなよ」

 

 そう言うとヴァンは二本持っていた木刀のうち一本をルークに投げて、静かに構えを取る。

 ルークはそれをキャッチして勢い良く立ち上がると、挑むような笑みを浮かべて構える。

 

 師匠と弟子の激しい打ち合いが始まる。ルークは烈火の如き勢いで、木刀を打ち込んでいく。

 他方ヴァンは一切攻めの気配を見せずに、涼しい顔でルークの攻撃全てを受け流している。

 

「ほう… 腕を上げたな。打ち込みに思い切りの良さが加わって、技のキレを増した」

「へへっ、そりゃどーも…」

 

「だが、まだまだ粗いな。攻撃の後に集中を解き、守りが疎かになるから… こうなる!」

「なぁっ!?」

 

「どうした? 素早く武器を拾え。実戦であれば、敵はいちいち待ってはくれないぞ?」

 

 技を繰り出した後の僅かな硬直時間を見逃さず、ヴァンは木刀を一閃。得物を弾かれる。

 分かってはいたが出鱈目のような強さだ。多少は差が埋まったと思っていたがとんでもない。

 

 むしろ実戦を潜り抜け実力がついた分だけ、その力の差を嫌というほどに実感してしまう。

 全く隙が見えない… これが僅か27歳で神託の盾主席総長にまで登り詰めた者の実力か。

 

 本来なら諦めの境地にすら至る実力差… だが、ルークは窮地を前に楽しげにニヤリと笑う。

 

「(まぁ、いいさ… だったら守りをこじ開けるだけだ!)」

「ほう… 顔付きが変わったな」

 

「あぁ、迷っててもしょうがねーってのは分かるからな。足掻いてやるさ! 最後まで!」

「そうだ、それでいい… 諦めこそが己を殺す。努々(ゆめゆめ)、忘れるな」

 

「うおぉおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」

「はぁあああああああああああああああッ!!!」

 

 互いの剣がぶつかり合う。その軍配が上がったのは… 当然というべきかヴァンであった。

 二つの衝撃をまともに受けルークは空中に投げ出される。だがヴァンは構えを解かない。

 

「とくと見よ… アルバート流剣術最終秘奥義! 神葬星条破(しんそうせいじょうは)ッ!!」

 

 そのまま木刀を空中に掲げてその刀身へ螺旋状にエネルギーを集束し、地面に振り下ろした。

 叩き付けられたエネルギーは光の波動を呼び、白き羽根が舞い散るように周囲に降り注ぐ。

 

 本来ならば当たればそのまま命を落としかねない、中庭にも大穴が空くほどの秘奥義だ。

 しかしルークは直撃を受けぬように手加減されたため、多少の打ち身程度で地面に着地する。

 

師匠(せんせい)… 今のは?」

「アルバート流剣術最終秘奥義… 確かにオマエに見せたぞ、ルークよ」

 

「最終秘奥義? で、でも! 俺、何がなんだか…」

「今はオマエには何も分からぬだろう。だが、あるいはいずれ分かる時が来るかも知れぬ」

 

「………」

 

 ヴァンの顔を見れば表情に疲労は色濃く浮かび、僅かながら息を乱している様子が伝わる。

 それだけの思いをして自分のために秘奥義を見せてくれた… そう思うと言葉に詰まる。

 

 決意を秘めた強い眼差しで頷いたルークに向けて笑みを浮かべつつ、ヴァンは言葉を紡いだ。

 

「見せておいてなんだが… オマエが王の道、即ち『王道』を歩むなれば不要な力だろう」

「……え?」

 

「王の道とは人を率い導く道だ。オマエ自身が力を持つ必要はない… 邪魔ですらある」

「人を率い… 導く、道」

 

「もしオマエが万民のために王となることを選ぶならば… この力はスッパリ忘れるが良い」

 

 師匠に折角見せてもらった最終秘奥義なのに… そう、不満に思う気持ちもないではない。

 しかし、いつになく真剣な表情で静かに語るヴァンの言葉に異論を挟める空気ではない。

 

 果たしてそんなルークの内心を知ってか知らずか… ヴァンは更に彼に向けて言葉を続ける。

 

「だが、そうだな… ルーク、オマエが人としての道を選ぶのであれば力は必要だろう」

「人としての道、ですか?」

 

「あぁ。オマエが次期国王でも公爵子息でもなく『ただのルーク』であるための道だ」

「ただのルークであるための… 道」

 

「どちらにも成りきれなかった私には、どちらが正しいのか分からぬ。だからこその選択肢だ」

「………」

 

 そう言われ、なんだかとてつもなく重要な選択肢を与えられたような気がして不安になる。

 立派な王になるべきか、自分らしく生きるべきか… 自分でも何が正しいか分からない。

 

 地べたに座り込み答えを出せぬまま悩んでいると、パサッと自分の頭にタオルが掛けられる。

 

「どっちを選んでもおまえはおまえさ、ルーク。……だろ?」

「ガイ… どうしてここに」

 

「あんだけ騒いでれば嫌でも気付くさ。気を利かせて周囲に人払いをしたのは俺なんだぜ?」

「フッ、それは申し訳なかった。……ところで、私の分のタオルは?」

 

「ないよ。まさかおまえさんが汗をかく羽目になるとは思わなかったからな」

「……貴公、なかなか良い性格をしておられる」

 

「ハハッ、よく言われるさ。特に見目麗しい女性からはな」

 

 ガイのヴァンに対する気安い… というより、まるで対等以上のような口調に驚くルーク。

 驚きの表情を浮かべているルークに、悪戯が成功した子供のような笑顔を浮かべるガイ。

 

 静かに微笑を浮かべるヴァンとの間に深い関係を感じ、ルークはムッとした表情を浮かべる。

 

「どういうことだよ。説明しろよな!」

「悪い悪い、そう怒るなって。ヴァンデスデルカ、つまりヴァンと俺は幼馴染なんだよ」

 

「……幼馴染? ヴァンデスデルカ?」

「そうさ。子供の頃はよく一緒に遊んだもんだぜ… といっても5歳の誕生日までだけどな」

 

「ホド戦争が起きましたからな…」

 

 ガイの言葉に懐かしげにヴァンが追随する。……まさかガイとヴァンが幼馴染だったとは。

 なのに何故、屋敷ではまるで他人のように振る舞っていたんだろう。ホド戦争とは一体?

 

 浮かぶ様々な疑問がルークの頭の中を渦巻き、それがそのまま言葉となって口から出て行く。

 

「……なんで他人のふりをしてたんだ? ホド戦争で何か起きたのか?」

「その辺のコト、この機会に話しておこうと思ってな。約束を忘れるつもりはないからな」

 

「約束… あ、『アクゼリュスの件が片付いたら話したいことがある』っていう」

「そーいうこと。……ちょっと長い話になるかもしれないけど、時間、くれないか?」

 

「……あぁ、分かった。聞かせてくれ」

「ふむ。お二方の約束なれば、私は席を外した方がよろしいですかな?」

 

「いや、おまえもいてくれ。……今じゃ数少ない同郷だ。おまえにも関係ある話だろう」

 

 ガイの言葉にヴァンは頷き、その場に留まる。それを確認してガイは口を開き語り始める。

 

「まずは何から話そうか… そうだな、自己紹介から始めるかな」

「自己紹介っても… ガイはガイだろ?」

 

「ま、そうなんだけどな。本名は長いぞ? ガイラルディア・ガラン・ガルディオスだ」

「うぇっ!? ガ、ガイガルガラン… ガルディアス?」

 

「ははは… よせよせ、舌噛むぞ。ガイでいいよ」

「お、おう…」

 

「ガイラルディア様はホドの領主、ガルディオス家の嫡子であらせられたのだ」

「そ、そうだったのか? ガイ」

 

「まぁな。って言っても、もう随分昔の話さ」

「ちなみに私はヴァンデスデルカ・ムスト・フェンデ。ガイラルディア様と同じくホドの出身だ」

 

「ヴァン師匠(せんせい)まで… じゃあティアも?」

「メシュティアリカ・アウラ・フェンデ… もっとも生まれたのはユリアシティでだが」

 

「へぇ…」

 

 ヴァンの言葉に驚いてガイに確認すれば、彼は笑顔で頷いている。完全に驚き役である。

 しかしその言葉に多少の引っ掛かりを覚える。そういえば昔歴史で習った気がする。ホドは…

 

「ホドは島ごと消滅したんじゃ… って! す、すまない。ガイ、ヴァン師匠(せんせい)ッ!」

「お、よく勉強してるなー… ま、事実は事実だ。今更怒りはしないさ」

 

「よく言う。貴公、とんでもない目的でファブレ公爵家に潜り込んだではないか」

「おいおい… 他人事ってのは感心しないぞヴァンデスデルカ? 同じ穴のムジナだろうに」

 

「……とんでもない目的?」

 

 何故かヴァンの『とんでもない目的』という言葉に不穏なものを感じ、ルークは聞き返す。

 ガイはルークのその言葉に振り返ると、話を始めてから初めて辛そうな表情を浮かべる。

 

 そして無理に笑顔を浮かべると、ポツポツと語り始めた。その内容にルークは衝撃を受けた。

 

「ホド戦争が始まる時、ちょうど俺は5歳の誕生日を迎えていた」

「………」

 

「その日、キムラスカのファブレ公爵の奇襲を受けてガルディオス伯爵一家は死に絶えた」

「ファブレ公爵、父上が…」

 

「何が悪かったのかは分からない。とにかくあっさりとホドは滅び、俺が生き残った」

「そんな…」

 

「殺し殺されは戦争の常… 負けて滅びるは必定。仕方のないことさ」

「………」

 

「そう割り切れれば良かったんだが、当時ガキだった俺はどうしても我慢できなくてな」

 

 ガイはそう言って自嘲気味に笑うと、ルークを静かに見詰め… やがてその言葉を紡いだ。

 

「ペールに頼み込んで… 『復讐』するために、ファブレ公爵家に潜り込んだのさ」

「……ペールもだったのか」

 

「あぁ。ペールギュント・サダン・ナイマッハ… かつてホドで『左の騎士』と呼ばれた男だ」

「……そう、か。知らないのは、俺だけだったんだな」

 

「軽蔑してくれていい。首を打ってくれたっていい… ずっと騙してきたんだからな」

「………」

 

「けど、どうかこの一件が片付くまで待ってくれないか? 俺も世界のために戦いたいんだ」

 

 そう言って頭を下げるガイから目を逸らしルークは空を眺める。そこには月も星もない。

 迷いを助長させるようなぼんやりした世界だが、ルークは力強く頷いてガイへと向き合った。

 

「頭を上げてくれ、ガイ。俺には… 俺たちにはおまえの力が必要なんだ」

「ルーク…」

 

「昔のことばかり見てても前に進めねーだろ? 今は未来のために戦うべき時なんだからさ」

「……ははっ」

 

「それに戦争なんだからお互い様… ってどうしたんだ、ガイ?」

「懐かしいな、その言葉。あぁ… 俺が変わるきっかけを与えてくれた言葉だ」

 

「えー… 俺って、前にも同じようなことを言ってたのか? な、なんだか恥ずいな…」

「胸張ってくれよ。それが俺が賭けに負けた… 俺が剣を捧げるルークなんだから」

 

「『剣を捧げる』って、そんな約束してたのか… ったく物好きなやつだな、俺なんかに」

 

 ガイの言葉に苦笑いを浮かべるルーク。そんな二人を優しく見守りつつ頷いているヴァン。

 

「ははは… 本当にそのとおりだな。我ながら全く物好きだと思うよ!」

「なっ、テメー! ガイ、捧げた剣を突き返すぞ!?」

 

「おいおい、やめてくれよ。ホド製の剣は返品不可なんだぜ? なぁ、ヴァンデスデルカ」

「フッ、らしいですな。……諦めよ、ルーク。ホドの人間は中々に執念深い」

 

「ったく! ちょっとしおらしいこと言ったと思えばこれだ。やっぱガイはガイだな!」

 

 ふくれるルークを見てことさら大きな笑い声をあげるガイ。胸の中に暖かなものが宿る。

 

「(すまない、姉上… すまない、ホドのみんな… 俺にはもう… ルークを憎めないよ…)」

 

 その暖かなものは双眸に達して、そこから熱い滴となりガイ自身の両頬にこぼれ落ちてくる。

 それは彼に15年以上の長きに渡って巣食い続けてきた、凍てついた心をも溶かし尽くした。

 

 その日ガイラルディア・ガラン・ガルディオスは復讐を捨て、ガイ・セシルに生まれ変わった。

 

「……ん? ガイ、ひょっとして泣いてるのか?」

「バカ、泣いてねーよ。これはおまえの暑苦しさに当てられて出た汗だよ」

 

「なっ! いい加減なこと言うんじゃねー。ンなわけあるかー!」

 

 ……それはいつかの遠い日の賭け(やくそく)

 

『昔のことばかり見てても前に進めねーだろ? ……だから俺は過去なんていらない』

『……フン、だったら一つ賭けをしようぜ』

 

『賭け?』

『そう、賭けだ。……おまえが「剣を捧げるに値する大人になれるかどうか」のな』

 

『それ、俺が勝ったらどうなるんだ?』

『……おまえは人の話を聞いてないのか? 剣を捧げるって言ってるだろ』

 

『あ、そっか。よく分かんねーけど、剣をくれるんだよな。……じゃあ、俺が負けたら?』

『それは… 秘密だ』

 

『えー! なんだよ、それ。ずりー! ずりー!』

『はははっ。ま、おまえが賭けに勝ったら教えてやるよ… たぶん無理だろーけどな』

 

『ちぇー、見てろよ! ぜってぇに剣を… えっと、捧げさせてやるからなー!』

 

 遠い日の誓い(やくそく)は、今、障気渦巻く魔界(クリフォト)の空の下で果たされた。

 

 

 

 ――

 

 

 

 話が一段落してから、ルークがヴァンに語りかける。

 

「そういえばヴァン師匠(せんせい)… ヴァン師匠(せんせい)も復讐のためにファブレ公爵家に接触したのか?」

「あぁ。ルークには悪いが、かつての主として俺がヴァンデスデルカに命じて…」

 

「いや、私自身はホドの復讐についてはどうでも良かったから適当に話に乗っていただけだな」

「……って、うぉい!?」

 

「ど、どういうことなんですか… 師匠?」

 

 ガイのツッコミを華麗にスルーしつつ、ルークの言葉に一つ頷いてから彼は語り始めた。

 

「私が真に憎むのは悲劇を生み出す預言(スコア)と、それを是とする盲目的な人間たちのみだ」

「復讐は復讐でも預言(スコア)に対する復讐だった… ってわけか」

 

「うむ。ファブレ公爵家に思うところがないではないが、それに比べれば微々たるものよ」

「えっと… じゃあなんで師匠はウチに来たんだ?」

 

「ルークが秘預言(クローズドスコア)に詠まれた中心人物であって、あれこれ画策するのに都合が良かったからだ」

「……なるほど。俺の命令は完全に出汁に使われてたわけね」

 

「一応私の元主として最低限の顔を立てねばならないな… とも思っておりましたぞ?」

「『元』ってゆーな! 『元』って! 張っ倒すぞ!?」

 

「だからあなた様が勝手に復讐を諦めて勝手に疎遠になられても、気にしなかったでしょう?」

 

 そう言われればそうだった。というか、たまに声を掛けても事務的に対応されてた気がする。

 いやしかし、そういう理屈で主を蔑ろにするのは家臣としてどうなんだろうか? ガイは悩む。

 

 そんなガイの気持ちなど知ったことではないとばかりに、ヴァンは胸を張って言葉を続ける。

 

「というわけで、私は預言(スコア)をぶっ壊せれば後のことは比較的どうでも良かったのだ」

「お、おう…」

 

「ガイラルディア様が復讐を成し遂げようと諦めようと、ルークがそれを返り討ちにしようと」

「いやおまえ、何言ってくれちゃってんの…?」

 

「ご安心ください、ガイラルディア様。今は私たちは志を同じくする同志ではないですか」

「その言葉に欠片も誠意を感じられないんだが?」

 

「……解せぬ」

 

 元主であるガイに一向に信じてもらえない現状に、しょんぼりした表情を浮かべるヴァン。

 髭と眉が(しお)れている。……そんな彼に苛立ちながらガイはルークにじっくり言って聴かせる。

 

「いいか、ルーク… いくら有能でもこんな家臣は持つんじゃないぞ?」

「え? あ、うん…」

 

「絶対だぞ! 最悪、邪魔になったら背中から叩き斬られかねないからな…」

「……フッ」

 

「否定しろよ、おまえは!?」

 

 漫才のような、しかし妙に物騒な二人のやり取りに既視感を覚えるルーク。

 ……ああ、そうか。自分とティアだ。

 

 遠い目をして納得する。そして、思うままに口を開いた。

 

師匠(せんせい)、やっぱりティアの兄さんですよね。今、凄く納得しました」

「そ、そうか?」

 

「いや、褒めてませんから」

 

 最愛の妹と似てると言われて、照れた様子で頭を掻いているヴァンを見てルークは思った。

 ……フェンデ家の闇は深い、と。



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85.居場所

 中庭で談笑をしているルーク、ガイ… そしてヴァン。そんな三人を見下ろす影がある。

 

「『やっぱりルーク… 俺にはおまえしかいないんだ。この気持ち、受け取ってくれ!』」

「………」

 

「『そんな、ガイ… いきなり言われても。俺も自分自身の気持ちが分かんねーよ…』」

「………」

 

「『ガイよ、私の純愛を貫くための踏み台になってもらう。……遅すぎたのだよ、貴様は』」

 

 影の一つはそのまま呼吸を荒げて、食い入るようにその光景を見守っている。

 その無防備な背後に手が伸びる。見詰める側は全く気付く気配がない。

 

 それは段々と近づいていき、ゴスッ! と、見詰めている側の後頭部にチョップをかました。

 

「はきゃんっ!」

「そこまでにしておけ、ナタリア殿下… 勝手に台詞を捏造されると俺の心臓に悪い」

 

「ぐぬぬぬ… ここからがいいところでしたのに」

 

 チョップをかまされたのはナタリア王女。かましたのは六神将が一人アッシュであった。

 ここは市庁舎二階の渡り廊下… 人知れず中庭を覗くのに、絶好のポジションである。

 

 チョップをかまされて涙目のナタリアを見下ろして、やれやれと深い溜息をつくアッシュ。

 明日の準備に忙しいところ、有無を言わさず連れてこられたアッシュこそ災難であろう。

 

 なんだかんだと馴れ合うままに付き合ってしまったが、この状況は後々よろしくない。

 お義理程度には付き合った… あとは場を辞して立ち去ろう。そう思い背を向け口を開く。

 

「もう充分だな? 俺もそれなりに忙しい身だ。帰らせてもらうぜ」

「まだですわ」

 

「はぁ? いい加減に…」

 

 一度付き合ってやっただけでも充分過ぎる。想像以上に自分は寛大だったと思えるほどに。

 流石にこれ以上振り回されるのは我慢ならない… 一言ならずとも文句を言ってやろう。

 

 そう思って振り返れば、目の前に真顔のナタリアがあった。思わずギョッとしながら後退る。

 

「まだ、ですわ」

 

 真っ直ぐアッシュを見詰めるその視線には、凛とした威厳のようなものが込められている。

 優しく包み込むような普段の眼差しと異なり、否応無く王家のオーラを感じさせられる。

 

 さて困ったのはアッシュの方である。見惚れつつも言葉を失い、掠れた声で言葉を絞り出す。

 

「な、なにがだよ…」

「勿論、あなたとわたくしのお話ですわ」

 

「………」

「言ったでしょう? ……『続きはまた改めて』と」

 

「……チッ」

 

 思わず舌打ちをして目を逸らしたアッシュに、ナタリアは花も綻ぶような笑みを浮かべる。

 やれやれと溜息を吐きたい気持ちもあったがなんとか堪えて、アッシュは言葉を紡いだ。

 

「何も続くことはねぇ。俺は…」

「ねぇ、あなたとルークの関係は?」

 

「………」

 

 トコトンまで、いっそ傲慢なほどにマイペースだ。こちらに話の主導権を握らせてくれない。

 アッシュは苦虫を噛み潰したような表情で押し黙る。ならばいっそ、黙秘を貫くしかない。

 

 だがそんな彼の心中など知ったことではないとばかりに、ナタリアは言葉を紡いでいく。

 

「うーん… 兄弟かしら? そっくりですし」

「………」

 

「でも、落し胤にしても神託の盾(オラクル)騎士団で師団長なんて… そんなこともあるのかしら?」

「さぁな… もういいだろう。何があっても変わることなんざねぇ」

 

「それとも… 本人?」

「……まさか」

 

「フフッ」

 

 思いもよらぬ言葉に一瞬心臓が早鐘を打つ。しかし、なんとか表に出さずに白を切り通した。

 ……そう思っていたのはアッシュだけのようで、ナタリアは艶然とした微笑みを浮かべる。

 

「やっぱり、分かり易い反応… そんなことでは、王宮では三日と勤まらなくってよ?」

「な、なにを…」

 

「ここ数日、様々な話題の中であなたの反応を探っていたこと… 気付いてらして?」

「(全く気付いてなかった…)」

 

「ふぅ… ま、好奇心の虫が騒いだとはいえわたくしも少々大人気がありませんでしたわ」

 

 ここ最近の雑談(という名の聞き取り調査)でナタリアは、アッシュについて確信していた。

 「他人の空似」にしては似過ぎていること。「ただの偶然」にしては知り過ぎていること。

 

 特にナタリアとルークしか知り得ない記憶について振ってみれば、分かり易い反応を示す始末。

 いっそ気付いて欲しいとわざわざ赤線を引いてるかのように、そうナタリアの目には映った。

 

「(……十中八九、アッシュはルークと深い関係がある。そして『記憶』を持っている)」

 

 ナタリアはそう結論付けた。ルークとアッシュ、両者を繋げる線は未だハッキリとしない。

 しかしながら、もはや二人を無関係と片付けるほうが彼女の中では無理が出てきている。

 

 蛇に睨まれた蛙の如く硬直するアッシュを見詰め、ナタリアはティアとの会話を思い出した。

 

 

 

 ――

 

 

 

「ふむ、なるほど… 『大切な人かもしれないけど確証が持てない』と」

「えぇ… わたくし、一体どうしたらいいか…」

 

 悲しげな表情で項垂れるナタリアに、ティアは少し困ったような表情を浮かべ語りかける。

 

「私にはそれで何が困るのか分からないのだけど… 好きにすればいいじゃない」

「そんな! だって、隠そうとしているなら私は彼に…」

 

「それは相手の勝手な理由でしょう? あなたの理由じゃないわ、ナタリア」

「そんな、でも…っ!」

 

「相手に合わせて望む答えを出して… そうすれば『良い子』でいられるわね」

「………」

 

「でも、それを不満に思って愚痴をこぼして… なにか変わるのかしら? ねぇ、ナタリア」

 

 優しい瞳で見詰めて、宥めるように言葉を紡いでくるティア。それに思わず言葉を失う。

 ナタリア自身も分かっていたことだ。ただ、どうにもならぬ愚痴を聞いて欲しかっただけで。

 

 敢えて突き放してみせることでティアはそれを指摘してくれた… 彼女はそう受け止めた。

 だが違う、違うのだ。ティアという人間は本気で善意の助言でそれを口走っていたのだ。

 

「本当は分かっていたのです。今までの出来事や、周囲の状況がそれを許さないと…」

「あら、障害はちゃんと判明しているのね。ならやることはハッキリしているわね」

 

「……え?」

「だったら障害は全部捻じ伏せて、最終的に全部思い通りになるようにすればいいのよ」

 

「……はい?」

「必要なのは、力。それがないと始まらないわ… けれどナタリアには権力(それ)がある」

 

「あ、あの… ティア?」

「羨ましいわ… フフッ、目標が出来ると人生に張りが出てくるものね。応援するわね!」

 

「………」

 

 最初こそナタリアは絶句した。ティアが悪ふざけで自分をからかっているのだとすら思った。

 だが、彼女の目には嘘がなかった。心からのアドバイスをして、ナタリアを応援している。

 

 笑顔すら浮かべ、「力が必要ならいつでも言って。私たち友達でしょ」と言ってくれる。

 それは不義の子として陰口を叩かれ、孤独に耐えてきた自分にできた初めての女友達だった。

 

 感動の涙を浮かべたナタリアが、笑顔で差し出されたティアの手を取らない筈がなかった。

 

「ありがとうございます、ティア。わたくし、なんだか心の迷いが晴れたようですわ…」

「礼なんて必要ないわ、ナタリア。迷っている友達の背中を押すのは当然のことよ」

 

「わたくしに足りなかったのは、認めさせる『勇気』と『覚悟』… しかと理解しましたわ」

「そうね… 状況に浮かれて流されてしまっては、結局は『悲劇のお姫様』のままよ」

 

「フフッ、耳に痛いですわ。でも糧として、より良き未来の為に私は全てを駆使します」

「その意気よ! だからナタリアも、私とセレニィのより良き未来の為に力を貸してね!」

 

「えぇ、もちろんですわ!」

 

 組んではならない二人が、固い固い握手を交わしてしまった。もう誰にも止められない。

 そしてセレニアの花で埋まったベッドの中、意識不明中のセレニィが静かにうなされていた。

 

「うーん、うーん… のーさんきゅー…」

「あら、セレニィったら。夢でも見ているのかしら? 寝言を言うなんて」

 

「フフッ、きっとティアの夢を見ているのではありませんこと?」

「だといいわね… セレニィ、私たち待っているわ。あなたが帰ってくる日を」

 

「ティア…」

 

 しかし二人にはあっさりと流された。流されたということは恐らく些細なことなのだろう。

 

 

 

 ――

 

 

 

 そして再び場面は、ナタリアとアッシュが見詰め合っている市庁舎二階の渡り廊下に戻る。

 喋れば喋るほどにアッシュはボロを出していってくれた。ティアの助けが不要なほどに。

 

「(とはいえ、再会の感動に浮かれたままでは冷静に観察することは出来ませんでしたわね)」

 

 その点はティアに感謝だ… ナタリアは心中で独りごちる。あの会話が自分を変えてくれた。

 ダラダラと冷や汗を垂らしているアッシュを逃すつもりなど毛頭ないまま、考察を重ねる。

 

 彼はルークにそっくり。……ひょっとして『ルークが彼にそっくり』なのかもしれない。

 思い付いた時は何をバカな、と一笑に付しそうになった… そんな荒唐無稽に過ぎる仮説だ。

 

 しかし、これを前提に考えれば色々と符合する点が出てくるのだ。主に記憶についてだが。

 明らかにナタリアに対して行われる特別な仕草。過去の記憶を刺激させれば動揺する点。

 

「(そう… 全ては『誘拐事件をきっかけに入れ替わった』と考えればしっくり来ますわ)」

 

 そしてナタリアは決して愚かな娘ではない。むしろ才気煥発で賢い娘であると言えるだろう。

 恵まれた王室教育に加え、市井と触れ合うことで常識に囚われない柔軟性をも備えている。

 

 その彼女が様々な材料から考察を重ね、なんと真相程近い部分にまで独力で迫っていた。

 一種のバケモノである。この件に黒幕がいるのなれば、彼らこそ悲鳴を上げたいことだろう。

 

 ナタリアは更に考察を重ねる。ならば、今のルークは一体何者なのか? そこが謎なのだ。

 普通に考えれば血縁関係にある。だが、王族の血縁関係であれば通常厳密に管理される。

 

 木っ端貴族でもあるまいし、例え落し胤であろうとも余程の事情がなければ王室に届け出る。

 でなければ血統の価値というものは薄れてしまう。自分はそれを嫌というほど知っている。

 

「(よく似た他人を捕まえてきて、薬やら催眠術やらで記憶を消した。そんなところかしら?)」

 

 ルークを連れ戻ったというヴァン謡将から、一度、じっくりと話を聞きたいものである。

 ……とはいえ、友人であるティアの兄だ。手心を加えたいところであるし内容が内容である。

 

 しかも今は世界にとって重要な任務の前だ。藪蛇になりかねない話題は避けるべきだろう。

 出来ればヴァンかアッシュ本人から証言を取りたいところだが、この感触では望み薄か。

 

 軽く溜息を吐き笑顔で自分から離れるナタリアを、アッシュは不思議そうな表情で見詰める。

 そんな彼の表情を楽しげに見詰めて、悪戯っぽい仕草でその額を突付いて彼女は微笑んだ。

 

「仕方ありません… タイムリミット、というところですわね。勘弁して差し上げます」

「フン… そりゃどーも」

 

「今はまだ、ね?」

「チッ… なんてしつけーんだ」

 

「筋金入りですもの。……ところで、一つ独り言を口走りたいのですけれど」

「あん?」

 

 不思議そうな表情をするアッシュに構うことなく、ナタリアは口を開いて言葉を紡いだ。

 

「『あなたの居場所を必ず用意して待っています。だから帰ってきてください』」

「………」

 

「あら、お返事は?」

「テメェ、独り言だっつっただろーが…」

 

「そうですわね。で、お返事は?」

「チッ… 『いつになるか分からねーけど帰ってくる。あの日の約束のために』」

 

「フフッ」

「フン…」

 

「(ルークも守り、アッシュの居場所も作る… フフッ、わたくしってとても我儘でしたのね)」

 

 決意の微笑を浮かべるナタリアと対照的に、仏頂面のままアッシュは背を向けて去っていく。

 しかしながら、目聡い人が見ればその頬は夕焼け色に染まっているのが見て取れただろう。

 

 それは常変わらず薄ぼんやりと仄かに赤く染まっている魔界(クリフォト)の空故なのか、はたまた…

 ただ一つ言えるのは、両者とも確信とも言える想いを抱いて互いに別れたことだけである。

 

 

 

 ――

 

 

 

 そして場所は移り変わってタルタロス内、修練場。出発前夜なのにそこは酷い有様である。

 まるで嵐が過ぎ去ったかのような光景の中、その中央には佇む二人の女性の姿があった。

 

「はぁ、はぁ、はぁ… いい加減にしろ、ティア! いきなり襲いかかってきて!」

「でもその全てを凌いでいる… 流石です、教官! もっと稽古をお願いします!」

 

「私は明日の朝には出発なんだぞ! 今から寝ても四時間しか眠れないんだぞ!?」

「では手早く終わらせないといけませんね! 巻いていきましょうか、教官!」

 

「ダメだ… まるで話を聞いてくれない。片付けるの誰だと思っているんだ… くすん」

 

 そう… 二人の女性とは、言うまでもなくティアとリグレットである。

 何故ティアはリグレットに襲いかかったのか? 無論、理由はある。

 

 ヴァンからユリアの譜歌の覚え書きノートを強奪し、その習得をしたのがしばし前のこと。

 その試運転のための模擬戦闘に白羽の矢が立ったのが、尊敬する教官リグレットであった。

 

 リグレットからしてみれば迷惑以外のなにものでもない。

 補助性能の第三譜歌はまだいい… しかし、広範囲攻撃の第五譜歌はヤバい。ヤバ過ぎる。

 

 詠唱を破棄させるために譜銃で狙い撃っても、軽くヒョイヒョイとかわしていくのだ。

 

「何故かわせるんだ!?」

「勘です!」

 

「ふざけるな!」

「でも三発に一発は回避しきれませんし… 流石は教官です!」

 

「黙れ、バケモノ! 当たったら倒れろ!」

 

 譜銃が当たった傍から自動回復していく。……やっぱり第三譜歌も非常にたちが悪かった。

 リグレットが半泣きのまま戦闘を続けることしばし…

 

 ようやく満足したティアが戦闘行為をやめると同時に、リグレットは地べたに倒れ伏した。

 滴り落ちる汗を拭うことすら出来ない。しかし彼女は生き延びたのであった。

 

「ふぅ… ありがとうございました、教官」

「ぜぇ、はぁ… あぁ、おつかれ…」

 

「やっぱり教官は凄いですね! まさか無傷で切り抜けられるなんて… 私もまだまだです!」

「まぁ、うん… そうだな(一発でも当たったら死にそうだったからな…)」

 

「ありがとうございました、教官。本当に… 本当に、助かりました」

 

 丁寧にお辞儀をされては悪い気はしない。返事をするのも億劫だが手を振って応えとする。

 

 そう言えば彼女の言葉にふと気になる点があったので、コレを機に聞いてみよう。

 リグレットはそう思い、ティアの言葉の中で疑問に思った点について尋ねてみることにした。

 

「そういえばティア… 私のことを教官と呼んでいるけれど」

「はい、私の尊敬する唯一の教官ですけど?」

 

「そ、そう? あ、でもね… あなた、カンタビレにも師事してたんじゃなかったかしら」

「カンタビレ? ……あぁ、あの人ですか」

 

「(え、なに? なんか凄くどうでも良さそうな反応なんだけど…)」

 

 内心で首を傾げるリグレットを余所に、ティアは苦笑いを浮かべて右手を左右に振り語る。

 

「うーん… 一応実地訓練を通じてお世話になりましたけど、それくらいですね」

「そ、そうなのか?」

 

「はい。教官と比べれば全然ですよ… というかあの人、口だけですね」

「そ、そうかな? あ、いや… コホン。目上の人間をバカにした態度は感心しないな?」

 

「はい、すみません教官! 気を付けます!」

「えぇ、分かればいいのよ」

 

 カンタビレと言えば派閥争いに与せず、叩き上げの実力のみで第六師団長になった人物だ。

 そんな女傑とも言える人物よりもあからさまに自分が尊敬されれば悪い気はしない。

 

 リグレットさんはチョログレットさんなのである。彼女は気分良く続きを聞いてみた。

 

「しかし、何故そんな評価に至ったんだ?」

「うーん… 色々ありますけどね。なんかヴァンの妹ということで目を付けられたみたいで」

 

「なるほど。縁故採用と疑われたのだな… 私の責任もある。すまなかった、ティア」

「いえいえ、いいんですよ。それでイラッとして、つい返り討ちにしちゃって…」

 

「ぶーっ!?」

「ど、どうしたんですか! 教官!」

 

「おまえがどうしたんだ! どうやって叩き上げの第六師団長を新兵が返り討ちにするんだ!」

 

 リグレットは思わず突っ込む。しかし、彼女は何も悪く無い。

 世間の常識に全力で喧嘩を売るティアさんが悪いのだ。

 

 そんな教官の疑問に、親指を立てながらティアは笑顔で回答した。

 

「はい。教官との戦いを反省して、遠距離から第一譜歌を歌いまくりました。殺傷全開で!」

「お、おう…」

 

「歌って、ナイフ投げて、歌って、ナイフ投げての連打ですね。オレンジグミ食べながら」

「卑劣過ぎる…」

 

 オレンジグミは精神力を回復させるグミである。それがある限り譜歌は歌い続けられる。

 ティアの効率的というには些か卑劣過ぎる戦いに、思わずリグレットは絶句する。

 

 そんな戦い方を指導した覚えはない。彼女の内心を知ってか知らずかティアは話を続ける。

 

「あ。でも最後ちょっとした油断の隙に接近されたんで、馬乗りからのワンツーで締めました」

「そ、そう…」

 

「すみません、教官に接近戦禁止と固く言われてたのに… カンタビレさんには無理でした」

「な、なるほど… これからは敵相手には接近戦を使ってもいいわよ?」

 

「は、はい! 分かりました!」

 

 ちょっと遠い目をしながらリグレットは頷く。この狂犬相手にカンタビレはよく戦ったよ。

 そしてティアが衝撃的なことを口走る。

 

「それだけなら尊敬する気持ちはあったんですけど… やっぱりアレで幻滅しましたね」

「……アレ?」

 

「えぇ、ヴァンの企みを全部知ってて超振動実験やってる場所も抑えてたのに事なかれ主義で」

「え? ……え?」

 

「『じゃあ一緒にヴァン殺しましょうよ』って言っても断るし。とんだチキン野郎ですね!」

「ちょ、ちょっと待って…」

 

「はい?」

「あの… ひょっとして、私たちの計画って結構知られてた?」

 

「はい。まぁカンタビレさんは勝手に諦めてましたけどね」

 

 今度こそ完膚なきまでに言葉を失う。どんだけガバガバだったのだろう、自分たちの計画は。

 むしろカンタビレの返事如何によっては、最も兵力を抱える第六師団が敵に回ってたのだ。

 

 あのまま路線変更をせずに強行的に推し進めていたら、どこかで失敗していた可能性が高い。

 そういう意味では、融和路線に舵を取り直してくれたヴァンとセレニィには感謝すべきか。

 

 冷や汗を垂らしながらリグレットは内心で思う。

 

「そんなこんなで、私の認識では第六師団引き連れて辺境に籠もった口だけの人ですね」

「え? 私はカンタビレが左遷と引き換えにティアをモース直属に推薦したと聞いたけど」

 

「あぁ、それは本当です。ぶん殴られたこと黙ってて欲しければって言って」

「(叩き上げでのし上がってきた相手にそれはキツい… 悪魔か、コイツ…)」

 

「自由任務を受けられればヴァンを殺し易いと思ったんですけど、色々と当てが外れました」

 

 照れたように頭を掻いて微笑む姿は可憐な少女そのものだが、言ってることはヒットマンだ。

 震える声でリグレットはもしもの話を聞いてみる。

 

「あ、あの… ティア?」

「はい、なんでしょうか。教官」

 

「もし、私が敵のままだったら…」

「フフッ…」

 

 曖昧な笑顔で返して、ティアはなにも明言しなかった。

 そして結局そのままお開きとなり、リグレットは一睡もできなかったのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 翌日、三隻の船が旅立つ場に残る面々が見送りに顔を出している。

 

「みんな、がんばってくれよな!」

「みなさんのご無事を祈ります」

 

 ルークとイオンの言葉に、それぞれ頷く各部隊の代表者たち。

 その中で、青白い顔で目の下にくまが出てきているリグレットの姿がやけに目立ったという。

 

 彼らは出発する。オールドラントを包み込む戦乱の炎を生まぬために。世界を守るために。

 

 

 

 ――

 

 

 

 そして場面は更に移り変わり市庁舎内。

 

「ふわぁ… よく寝た」

 

 仲間たちのほとんどが港に集う中、忘れられた存在が敷き詰められた花の中で目を覚ました。



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86.確保

「……なんだろ、これ」

 

 目が覚めたら自分の寝ていたベッドが、見覚えのある白い花まみれになっていたでござる。

 セレニィは目覚めたばかりのまとまらぬ頭のまま、自分の置かれた状況について考える。

 

 確か、この花は… ナントカ渓谷にも咲いていた『セレニアの花』とかそんな名前だったか。

 出会いのインパクトはそれなりに衝撃的だったので、今も覚えていると言えば覚えている。

 

 問題はそこではない。何故、こんなにベッドに撒き散らされてるのかということである。

 パッと見のイメージではお棺に撒かれる『別れ花』そのもの。ここから導き出される答えは…

 

 1.見舞いの品(これ食って元気出せ。草食系だろ? おまえ)

 2.まんま別れ花(さようならセレニィ。君のことは忘れないよ)

 3.教室の机とかに置かれてる花瓶的なアレ(イジメ、カッコ悪い)

 

 常識的に考えれば1一択だが、仲間(ヤツら)には常識が通用しない。2も3も充分にあり得るのだ。

 出来れば1であって欲しい。いや、1以外のなんだというのか? ……よし、信じたぞ。

 

 セレニィは気合いを入れ「えいやっ」とばかりに口に花を放り込み、もしゃもしゃ頬張った。

 

「……まふぃ(不味い)」

 

 口の中に苦味とエグみが広がってちょっと涙目になったが、食べられないことはなかった。

 ごっくんと飲み込みつつ思う。良かった、仲間は嫌がらせをしたわけではなかったのだ。

 

 つまりは1だ。ちょっと傍から見るとギョッとしてしまう光景だが、善意の産物だったのだ。

 セレニィは感動と安堵と口の中にほんのり残る不快感から、思わず目頭を抑えつぶやいた。

 

「ちくしょう… 泣かせてくれるぜ」

 

 起き抜けに見舞われた災難に対する一言が、彼女以外誰もいない寝室に染みこんでいく。

 彼女が冷静になり「あれ、別に食べる必要なかったんじゃね?」と気付くのはしばし後の事。

 

 

 

 ――

 

 

 

「ふぃー… スッキリスッキリー」

 

 セレニィは鼻歌交じりに男子便所から出てきた。廊下の窓には見知らぬ光景が広がってる。

 とはいえ、彼女からすれば寝て起きたら知らない場所にいたというのは然程珍しくない。

 

 ナントカ渓谷然り、セントビナー軍基地然り、タルタロス医務室然り、カイツールの宿然り。

 どんだけぶっ倒れては目覚めているのか… やはりこの世界は優しくない、そう確信する。

 

「はてさて、ここはどこなのか? 置かれた状況は一体? 考えることはてんこ盛りですねぇ」

 

 窓から夕暮れっぽい景色を眺めつつ、溜息をつきながらセレニィはそう思うのであった。

 

 起きて一段落したら生理現象を催し必死に便所を探した。なんとか決壊前に発見し今に至る。

 果たして何時間眠っていたのか… 身体はバキバキだったし分からないことだらけである。

 

 だが先に言ったとおり、分からないことだらけというのは彼女には珍しいことではない。

 そして「どうせいつものこと。なんとかなるさ」とばかりに、欠伸を噛み殺しつつ歩き出す。

 

 オールドラントにやってきてそれなりの月日が経過して、彼女にも図太さが備わってきた。

 あるいは生来持ち得ている、平和ボケした日本人的な脳天気さというものかもしれない。

 

「考えてみれば仲間がいるとは限らないのか… 六神将の皆さんに拾われた時のケースもあるし」

 

 独りごちながら広い屋敷の中を宛もなく歩き回る。雰囲気からしてどこかの官庁舎だろうか?

 セレニィは頬に手を当て彷徨い歩きつつ、本当に仲間がいなかった場合の対応策を考える。

 

 ベッドに寝かせてたことから敵対的ではないはず。ならば、媚びて媚びて媚び倒すまで。

 とはいえ法外な治療費を請求されたり、奴隷契約を要求されるかもしれない可能性も考える。

 

 彼女にとってオールドラントは、デッドリーかつ理不尽な世界。それくらい朝飯前だろう。

 オールドラントさんが訴訟も辞さないほどの風評被害である。全く以て失礼千万である。

 

「……まぁその時は適当に誤魔化しつつ、隙を見て逃げるとしましょう。うん」

 

 理不尽にわざわざ付き合うのは愚か者のすることだ。自ら蟻地獄に嵌まりに行く趣味はない。

 ここ最近らしくない展開が続いていたが、自己保身に邁進することこそ彼女の本分なのだ。

 

「幸いにしてドSのお墨付きも貰ってます。作戦は『いのちだいじに』一択でいきましょう」

 

 拳を握って口元をキリッと引き締めつつ、瞳を輝かせながら彼女は宣言するのであった。

 世界からは『ガンガン逝こうぜ?』と常に語りかけられているが、それは本意ではないのだ。

 

 ふんすっ! と気合いを入れていた彼女だが、途端にアホ毛をへにゃりと萎れさせて俯く。

 

「それにしても…」

 

 両手は腹に添えられる。すると間を置かず、ぐきゅるるるる… と情けない音が響いた。

 はたと立ち止まると、哀れを誘う蚊の鳴くような小さく弱々しい声でセレニィはつぶやいた。

 

「……お腹、減ったなぁ。食べる場所は何処でしょうか? 食べ物とか、落ちてないかなぁ」

 

 快眠、快… と来れば後は快食である。意地汚いのではなく生理的欲求に過ぎない、多分。

 

「今なら食べ物くれる人にホイホイついてっちゃうぜベイベ! ……はぁ、お腹減ったぜベイベ」

 

 テンションを上げてみても持続するものではない。……やはり意地汚いのかもしれない。

 ともあれとどまっていたところで食べ物が降ってくるわけでもない。仕方なく探索を続ける。

 

 空腹を抱えたままふらふら歩き回るうちに、なんだか騒がしい声が彼女の耳に届いてきた。

 複数の男女が騒がしくも喚き合っているようだ。……はてさて宴会でもあるのだろうか?

 

「宴会だったら食べ物あるかなぁ… まぁ最悪、人がいれば話くらいはできるはず。多分きっと」

 

 セレニィは一つ頷くと、涎を垂らしながら喧騒の響き渡る場所へと近付いていくのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 一方で、市庁舎広間は大騒ぎになっていた。親善大使一行が焦った表情で走り回っている。

 彼らの表情に浮かぶのは焦燥… そして僅かな諦めと絶望。それらが大半を占めていた。

 

「どうだ、ガイ! そっちはいたか?」

「……いや、すまない。いなかった」

 

「クソッ、何処に行ったんだよ… セレニィのヤツ!」

 

 握り締めた拳を強く壁に叩き付けるルーク。その表情にはやりきれない想いが滲み出ていた。

 三隻の船の出港を見送り戻ってきた彼らがセレニィの見舞いに行けば、寝室はもぬけの殻。

 

 彼女の姿は影も形もなくなっていた。そして全員で捜索して今に至る… というわけだ。

 更には彼女を探していた一人であるアニスが、みんなが揃っている広間へと駆け戻ってくる。

 

「アニス、そちらはどうでしたか?」

「ごめん、イオン様… 見付かりませんでした。……女子トイレも食堂も探したんだけど」

 

「……そう、ですか。いえ、ご苦労様でした」

 

 何処を探しても見付からない… その絶望的な事実に一様に暗い顔を浮かべ、押し黙った。

 ……普通に男子トイレに入り、食堂を探して歩き回っているだけなのだが言わぬが花か。

 

 この市庁舎は広い。たかだか数人程度で探し回ったところですれ違わぬことも充分有り得る。

 せめて大声で名前を呼んでいれば違ったのだろうが、この時は全員が冷静さを欠いていた。

 

 気丈に耐えていたティアが、口元をきつく結び瞳を潤ませて下を向きながら口を開いた。

 

「私が… 私がついていれば。見送りになんか行かず… 私の、私のせいだ…」

「ティア! あなたのせいではありませんわ。わたくしが誘ったからで…」

 

「最終的に決めて頷いたのは私よ。あの子は… セレニィは一人で病魔と戦ってたのに!」

「やめろよ、二人とも! ……自分を責めても意味ないことくらい、分かってんだろ?」

 

「ルーク… ごめんなさい、わたくしったら冷静さを失ってはしたない真似を」

「……そうね、ルークの言うとおりだわ。ここで私が自暴自棄になっても意味はないものね」

 

「あぁ、その意気だぜ二人とも。……ジェイド、この状況になにか心当たりはあるか?」

 

 互いに自分を責めていたティアとナタリアの言葉を一喝し、落ち着きを取り戻させるルーク。

 自分も不安であるのは間違いないが、空元気を奮い立たせ笑みを浮かべて二人を励ました。

 

 続いて、先ほどから言葉を発さぬままに何事か考えている様子のジェイドに声を掛ける。

 無論ルークの言葉はしっかり聞こえていたのだろうが、ジェイドは口を開くことを躊躇った。

 

 今度はイオンやガイらにも促され、ジェイドは眼鏡を直すような仕草をして重い口を開く。

 

「……ひょっとしたら、『音素乖離』を引き起こしてしまったのかもしれません」

「そんな…ッ!?」

 

「もともと重度の『障気蝕害(インテルナルオーガン)』に侵されていたのです。……いつ死んでもおかしくないほどの」

「………」

 

「申し訳ありません。私も希望に繋がることを言いたいのですが、一番可能性が高いのは…」

 

 彼にしては珍しく悔しそうな表情で、そして本当に申し訳無さそうな表情でそう言った。

 その事実に仲間たちは言葉を失う。ジェイドですら希望に繋がることを言えない状況なのだ。

 

 彼は溜息を吐くと少し諦観の混じった、しかし、何処かしら清々しい表情で言葉を続ける。

 

「私は今、ようやく… 『人の死』というものが理解できた気がします」

「ジェイド…」

 

「ですが何故でしょうね。少しも嬉しくなく… 感謝の気持ちも湧かないのは」

「………」

 

「……申し訳ありません。少々、柄にもないことを口走ってしまいました」

 

 しんみりとした空気が流れる。誰もがその命が喪われたことを理解し、その死を悼んだ。

 寝癖だらけの髪の毛に寝間着姿で、欠伸しながら腹を掻いてその場に混じってた一人以外は。

 

 その一人は状況が飲み込めないなりに話についていこうと思って、ジェイドに声を掛けた。

 

「ふわぁーあ… それでジェイドさん、『音素乖離』ってなんですか?」

「……物質を構成する元素同士を結合する役割を持った音素が、乖離する現象を指します」

 

「えーと… つまり?」

「生物にコレが発生した場合、死に至ります」

 

「マジですか! 誰か死んじゃったんですか!?」

 

 セレニィはギョッとして眠気を覚まし、周囲を見渡す。……誰も欠けてない気がするが。

 むしろなんか増えてる気がする。……アレってナタリア王女だよね? なんでここにいるの?

 

 アクゼリュスで交渉の場にいたのは知ってる。だが仲間のようにここにいる理由が不明だ。

 しかし仲間は押し黙ったまま俯いており、先ほどの疑問に答えてくれる様子は一切ない。

 

 そんな彼女を見かねてミュウが声を掛けてきた。この面子の最後の良心である。間違いない。

 

「セレニィさんはなんでここにいるですのー?」

「いや… 起きたらお腹すいてたので、何か食べるものがないか探してたんですけど」

 

「だったらティアさんが幾らでも取ってくるセレニアの花、食べるですのー?」

「(ティアさんの仕業か、あれ)……いえ、それはさっき食べたので別のものがいいですね」

 

「みゅう… 美味しいのに残念ですのー」

 

 悲しそうなミュウに罪悪感を刺激され、話題を逸らす意味でも気になったことを尋ねてみる。

 

「え、えーと… それでみなさんは一体なにをしているんですかね」

「今はー… みなさんでセレニィさんを探していますのー」

 

「な… なんですって。セレニィさん、いなくなっちゃったんですか?」

「はいですのー!」

 

「なんということだ… なんということだ…」

 

 どうやら自分が知らない間にセレニィさんがいなくなっていたらしい。騒ぎになるわけだ。

 セレニィさん本人である自分自身すら動揺を隠せないのだ。いわんや仲間をや、である。

 

 だが待って欲しい。ならば今ここにいるセレニィさんは一体何者だろうか? 自問自答する。

 しかし彼女の答えが出るよりも早く決断の人ティアが動き出す。彼女は強い口調で言った。

 

「まだ大佐の推測が当たったとは限らないわ。……私は、最後まで諦めない」

「おお… なんだかよく分からないけど、その意気ですよ。ティアさん!」

 

「ありがとう、セレニィにそう言って貰えたなら百人力よ。あなたも手伝ってくれるわね?」

「語るに及ばずですよ! なぁに、自分探しの旅って考えてみれば乙なモンですぜ」

 

「フフッ、相変わらず頼もしいわね。それじゃ気合いを入れてセレニィを探しに… ん?」

「? どうしましたか、ティアさん」

 

「………」

 

 なんだかよく分からないけれど、気合を入れているティアの手伝いをする羽目になった。

 セレニィを探すため旅をするセレニィの珍道中である。ゲシュタルト崩壊待ったなしである。

 

 気合いを入れて彼女に続こうとするセレニィを笑顔で振り返り… はたと硬直するティア。

 そんな彼女の様子を、小首を傾げつつ見上げるセレニィ。周囲の視線が彼女に集中する。

 

 まさに穴が空くほど見詰められ、セレニィは戸惑う。自分は何かをしてしまったのだろうか?

 こんなに強い視線で見詰められるような心当たりは… 少ししかないはずだ。多分きっと。

 

 戸惑い気味のセレニィを余所に、ルークは震える指先を彼女に向けて… 大きく叫んだ。

 

「なんでいるんだよっ!?」

「え? いちゃマズイっすか、自分…」

 

「てっきり消えちゃったかと…」

 

 ビクッとしながらもセレニィは恐る恐る答えた。何故だろうか… 責められてる気分になる。

 一方の仲間たちは深い安堵の溜息を吐きながらも絶賛混乱中であり、思わず言葉を漏らす。

 

 それに対して、セレニィは妙にいたたまれない気持ちになりつつ言葉を紡ぐのであった。

 

「えっと… 便所行って、食堂探して、彷徨い歩いてただけなんですが」

「………」

 

「な、なんだかすみません…?」

 

 よく分からないがペコリと謝るセレニィ。気まずい沈黙がその場に降りる。……コレは辛い。

 一秒、二秒、三秒… 互いに見詰め合ったまま硬直して、喋れないまま時間が過ぎていく。

 

 やがてアニスが一歩前に歩み出ると、セレニィに向かって笑顔を浮かべて両手を広げた。

 

「……セレニィ」

「アニスさん?」

 

「……さ、おいで」

 

 これはひょっとして… そうなのか? 期待を込めて、アニスへと笑顔を浮かべるセレニィ。

 そんなセレニィに向かって、彼女は優しく微笑み返した。ヒャッホイと駆け出すセレニィ。

 

「わーい、アニスさーん」

 

 美少女との嬉しい抱擁まであと2m、1m… そこでアニスは腕を下げて、拳を固める。

 優しい笑顔のまま腰を深く落とし、駆け寄ってきたセレニィの鳩尾を… 力強く撃ち抜いた。

 

「ゲブフォッ!? ……な、何故」

「セ、セレニィー!」

 

「ちょっとアニス! なにをやってるんですか!?」

 

 美しくも見事なカウンターを乗せた、正拳突きである。またの名を無言の腹パンともいう。

 うめき声をあげて倒れ伏したセレニィ。叫び声をあげるティア。そして突っ込むトニー。

 

 しかしアニスは慌てず騒がずにセレニィを取り押さえると、仲間たちに向かって呼びかけた。

 

「早く確保を! きっと無理をしてるに違いないよ! 強引にでも取り押さえないと!」

「ふむ… 確かに、またいなくなられても困りますからね。意識を刈り取るのが一番ですか」

 

「なるほど、そういうことだったのね。ごめんなさいセレニィ… 少しの間だけ我慢して」

 

 流れるように見事な体捌きで、導師守護役としての暴漢捕縛術の冴えを見せ付けるアニス。

 彼女の言葉にジェイドとティアが納得の表情を浮かべる。セレニィは無茶の前科持ちだ。

 

 しかし、そのやり取りに疑問の表情を浮かべているのがルーク、ガイ、トニーの三人である。

 障気蝕害(インテルナルオーガン)の影響があるのは重々承知しているが、どう見ても健康体にしか見えないのだ。

 

「で、でも普通に元気だったようにしか見えねーけど…」

「何を呑気なことを言ってますの、ルーク! ガイも早くロープを出してくださいまし!」

 

「……わ、分かった。すまない、セレニィ」

 

 かくしてぐるぐる巻きにされたセレニィは仲間たちに無事確保され、連行されるのであった。

 

「……解せぬ」

 

 彼女はきっと深く愛されている。間違いない。



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87.方針

「はぐはぐはぐ… んぐ、んぐ…」

「はー… よく食うなー」

 

「健康的で良いことよ。セレニィ、これも食べる?」

「むぐっ、むぐっ…」

 

「……なんか、リスかハムスターを見てるみたい」

 

 スープ、サラダ、パンにパスタ。果てはシチューにリゾットまで。一心不乱に食べ続ける。

 魔界では流通の面から食材の物価は高いが、その辺は豊富な資金を駆使して購入済みだ。

 

 約束の件もあって、空腹を訴えるセレニィにアニスが調理して差し出したのが先ほどのこと。

 今は腹パンのことも忘れて、満面の笑顔で実に幸せそうに頬張っている。安い女と言える。

 

「はい、セレニィ。お水のお代わりよ」

「……ごくっ、ごくっ」

 

「しかしなんというか… 以前から思っていましたが、よく食べますね」

「料理上手とか頭が回るとかの影に隠れてたが、大人顔負けに食べるもんなぁ…」

 

「エンゲーブでも、空腹に耐えかねて勝手に人ン家に侵入してたしなぁ…」

 

 そんなセレニィを呆れたように見詰めてるのは、なにもルークやアニスばかりではない。

 その小さな身体の一体何処にそこまで入っているのかと、ガイやトニーは目を丸くしている。

 

「はぁ… 可愛いらしいですわ。一匹持ち帰って、お部屋で飼いたいですわー…」

「フフッ、いいでしょ? でも悪いわね、ナタリア。私のセレニィなのよ」

 

「くぅ、悔しいですわ! ……むぅ。セレニィ、どこかに落ちてないかしら?」

「い、いや… 二人とも。セレニィは動物じゃないですから… ちゃんと人間ですから…」

 

「しっ! イオン様、話しかけちゃ駄目ですって! 残念と変態が伝染(うつ)りますよぅ!」

 

 もっとも、給餌係のティアを始めイオンやナタリアのように微笑ましく眺める者もいるが。

 しかしながら、このままではいつまで経っても話が始まらない。それでは少々困るのだ。

 

 ひとまずという形で、一同を代表して、ガイが食器をどけながら席について話しかけてみる。

 

「なぁ、セレニィ。ちょっと話を…」

「ガルルルルルルルルルッ!」

 

「………」

「ふかー! ふしゃー!」

 

「ガイ、食器から手をどけてゆっくりと離れて! 取られると思って威嚇してるわ!」

「……お、おう」

 

「落ち着いて、セレニィ。誰もあなたの食事を取らないから… ね?」

 

 ……野生に回帰していた。一体どうすりゃいいんだよ、これ… 思わずガイは頭を抱える。

 そしてティアの宥める声が聞こえたのか聞こえなかったのか、再び、食事を摂り始めた。

 

 ジェイドはやれやれといった様子で肩をすくめて溜息を吐くと、セレニィへ向け語りかけた。

 

「ではセレニィ、そのままで結構ですので聞いてください」

「はむ、はむ、はむ…」

 

「ヴァン謡将と六神将にフリングス、セシル両将軍は別ルートで外殻大地へ向かっています」

「んぐ、んぐ…」

 

「……その後に貴女が目覚めたわけですが、いくつか不審な点も見受けられます」

 

 セレニィはジェイドの言葉に何の反応も見せない。無視している。ガンスルー状態である。

 未だ笑顔だがジェイドはこめかみに青筋を浮かび上がらせた。仲間たちは避難を始める。

 

 気付かないままなのは、渦中のセレニィとそれに餌付けをしているティアの二人だけである。

 天然組のイオンはアニスが、ナタリアはトニーが、ミュウはルークがそれぞれ退避させた。

 

 一連の動きに気付かないセレニィに、ジェイドは更に言葉を続ける。ラストチャンスだ。

 

「それらについて貴女の意見を求めたいのですが… セレニィ、聞いてますか?」

「はふー。んまーい… えへへ、しあわせー」

 

「………」

 

 笑顔のジェイドが無言でセレニィに手を向ける。……刹那の後に譜術の光が部屋を満たした。

 

「な、なななな… 何をしやがるんですか! このドSは!?」

「……かわしましたか」

 

「ナイス回避よ、セレニィ! アンコールを希望するわ!」

「まさかあのタイミングでかわすなんて… 流石です、セレニィ!」

 

「嬉しくない!」

 

 命の危機を感じ取り死ぬ気で回避したセレニィが、尻餅をつきながらジェイドに抗議する。

 彼女の目を見張らんばかりの見事な回避に、仲間たちも惜しみなく拍手喝采の嵐を送る。

 

 しかしアンコールには応えられない。奇跡は続けて起きないのがお約束。次は死んでしまう。

 ジェイドは笑顔のままセレニィを見下ろす。しかし目が笑ってない。思わず背筋が震える。

 

 しかし彼女は素直に反省するようなタマではなかった。逆ギレよろしく食って掛かった。

 

「だ、大体ですね… 『そのままで結構ですから』って言ったのはそっちでしょうが!」

「ふむ…」

 

「だから私は、ご飯食べながら話を聞いていたんですよ! 何か文句ありますか!?」

「では、私が何の話をしていたか言えますか? ……言えるのならば素直に謝りましょう」

 

「………」

「………」

 

「えへ。ご飯美味しかったです」

 

 そんな笑顔で誤魔化されるのはティアさんくらいだ。めでたく彼女の頭にたんこぶが出来た。

 

 

 

 ――

 

 

 

「うー… いててて…」

 

 セレニィは涙目で頭を撫でている。やはり世界は理不尽に満ちている、と逆恨みしながら。

 そんな彼女に呆れた視線を送りながらも、ジェイドは再度の説明を始めようと口を開く。

 

 しかし彼が言葉を発するよりも早く、セレニィが拗ねた表情で頭を撫でながら言葉を紡いだ。

 

「で? 六神将のみなさんは出発してるんですか。モースさんの企みを止めるために」

「………」

 

「いや、黙ってられたら分かりませんがな…」

「……いえ、話を聞いていたならそういえば良いものを。被虐願望でもおありで?」

 

「誰があるか、そんなモン! 話は聞いてませんでしたけど、単に推測できただけです!」

 

 セレニィの発言に、キチンと話は耳に入ってたのか… と驚きの表情を浮かべるジェイド。

 しかしそれを表に出さずに、被虐願望があるのかとからかえば案の定セレニィは憤った。

 

 とはいえ、推測できたとはどういうことだろう? 内心で疑問を浮かべながら彼女に尋ねた。

 

「推測できたとはどういうことですか?」

「あー… 別に頭がいいとかそういうわけじゃないですよ。勘違いしないでくださいね」

 

「えぇ、知ってます。だから不思議なのですよ」

「ちくせう… そう言われたらそう言われたで悔しいものがある。否定できないけど」

 

「(実際、結構回る方だとは思いますが… まぁ、言っても謙遜するだけでしょうしね)」

 

 複雑な表情を浮かべるセレニィを宥めつつ、さっさと続きを話すようにジェイドは促した。

 ぐぬぬ… と悔しげな表情は浮かべたものの、特に抵抗するでもなく彼女は話し始める。

 

「あぁ見えて、六神将のみなさんって結構面倒見がいいんですよ。割りと常識人多いし」

「確かに教官は頼りになるわね。……私たちほどじゃないけど、常識人は多いかもね」

 

「……ソーデスネ」

「まぁティアの戯言は置いておいて、話の続きをどうぞ… セレニィ」

 

「あ、はい。そんな彼らが今に至って顔すら見せない… これはいない可能性が高いな、と」

「ふむ… 手が離せない何か別の大きな仕事をしている、とは考えなかったのですか?」

 

「だったらここにいるみなさん、丸々遊ばせてはいないのでは? 特にジェイドさんとか」

 

 ヘラヘラ笑いながら言ってのけた彼女の推測に、ジェイドは「ほう…」と感嘆の声をあげる。

 しかし彼女の方は言い足りなかったようで、人差し指を立てながら更に言葉を重ねてきた。

 

「大きな公務か何かってなら、まぁルーク様とイオン様を外す手はないでしょうしね…」

「なるほど。しかし、動くに動けず周辺を捜索中という線もあるのではないですか?」

 

「や、ジェイドさん暇そうな時点でないですって。この手のことでは一二を争う人材ですし」

「はっはっはっ… そう言われると照れてしまいますねぇ」

 

「あとはさっきの繰り返しになりますけど、六神将のみなさんはそれなりにお人好しです」

 

 照れるジェイドを尻目に、セレニィは苦笑いを浮かべつつ六神将のことについて触れる。

 

「ディストさんなんか、頼みもしなくても飛んできてくれるんでは? ……椅子ごと」

「フフッ… あの鼻垂れディストと、それなりに仲良くなったみたいですねぇ」

 

「あはは… なんだかんだと友達ですから」

「おや、珍しい。素直ではない貴女のことですから、まず否定から入ると思ったのですが」

 

「……私のことを一体なんだと思ってるんですか」

 

 頬をひくつかせながらそう返すセレニィに対して、仲間たちがそれぞれ思い思いに口を挟む。

 

「んーと… 『お人好し』とかぁ?」

「僕には、『天然』に思えますね」

 

「そうですね… 少々『無鉄砲』でしょうか」

「でもとても『女の子らしい』と思うな」

 

「セレニィさんは『恩人』ですのー!」

「そうだなぁ… もう一人の『先生』かな」

 

「『可愛い』… 以上よ!」

「まぁ『興味深い』ですねぇ… 貴女は」

 

「フフッ、真っ赤になって可愛らしい。わたくし、あなたとも『友達』になりたくってよ?」

 

 真っ赤になって俯いたところを、楽しげな様子のナタリアにほっぺをツンツン突付かれる。

 イオンやガイの評価には納得いかないものがある。しかし今は空気が悪い。アウェーだ。

 

 それらに返事を返さず話を変える… というより戻す。だから素直でないと言われるのだが。

 

「まぁそんなわけで、六神将のみなさんが顔を出さない以上はいないんじゃないかと…」

「確かに、セレニィの見舞いには六神将の連中もちょくちょく来てたみてーだしなぁ」

 

「アッシュさんは義理堅い方ですし、いるならニンジン料理フルコースの約束を破らないはず」

「まぁ! そんな約束をしましたの?」

 

「え? えぇ、まぁ…」

 

 すごい勢いで食い付いてきたナタリアに、引き気味になりながらもなんとか頷くセレニィ。

 そんなセレニィの様子などお構いなしとばかりに、ナタリアは興奮気味に言葉を続ける。

 

「あの、セレニィ。厚かましいかもしれませんけど、もし良かったらその役をわたくしに…」

「? 別にそんなに深く考えずとも… ニンジン料理をご馳走するって約束なだけですし」

 

「では…!」

「えぇ、無論構いません。ナタリア殿下の手料理… 喜ばないはずがありません。羨ましいなぁ」

 

「フフッ… ではその時には、セレニィにも振る舞って差し上げますわ」

 

 思わぬ申し出にイヤッホゥと喜びを露わにするセレニィ。なお、ナタリアは調理経験がない。

 果たしてどのような出来栄えになるかは… 敢えて『神のみぞ知る』とだけ言っておこう。

 

 再び逸れてしまった話題に苦笑いを浮かべつつ、ジェイドは手を叩いて注意喚起を行う。

 

「はいはい、また話が逸れてますよ? それでセレニィ、モースのことですが…」

「あぁ、それは簡単ですよ。あの人が手ぬるい仕掛けで終わるはずありません」

 

「ふむ… どういうことですか?」

「いや、既にご存知かとは思いますがあの人はアクゼリュスの崩落の仕掛け人なんですよね」

 

「それはヴァン謡将から聞いていますが…」

「それで『はい、おしまい』ってタマじゃないでしょう。絶対次の策を用意してますよ」

 

「ふむ…」

「だから後は時間との戦い。動けるようになり次第、部隊をまとめて出発… 違います?」

 

「……これは、驚きましたね」

 

 苦笑いを浮かべるジェイドに、セレニィも「全く厄介なオッサンですよね」と苦笑いを返す。

 ジェイドの苦笑いの理由はそちらの意味ではなく、セレニィの洞察力についてなのだが…。

 

 回りくどい聞き方をしても自覚しないと思い、敢えて直球で彼女に疑問をぶつけてみる。

 

「ですが、よくそこまで推測できましたね… やはり貴女は知恵が回るのでは?」

「あはは… 違いますって。私は『知っている』だけですよ」

 

「『知っている』? ……まさか、預言(スコア)を詠んだのですか?」

「いやいや、違いますって。私が知っているのは預言(スコア)じゃなくて、ヒト… 人間ですって」

 

「ヒト… ですか?」

 

 まさか預言士(スコアラー)なのかと驚きの表情を浮かべる面々に、セレニィは苦笑いを浮かべて手を振る。

 更に続けて明かされた彼女からの意外な答えに、しかし一同は怪訝そうな表情を浮かべる。

 

 どう言ったら伝わりやすいだろうかと、頬に手を当てしばし考え… 彼女は口を開いた。

 

「ここにいる人がどんな人か、六神将のみなさんがどんな人か、モースさんがどんな人か」

「………」

 

「私はそれを『知っている』から考え付いたに過ぎませんよ。……特別なことはなにも」

「……つまり貴女は、『人間観察』だけでそこまで辿り着いたというわけですか?」

 

「えぇ。私って雑魚ですから! 他人の顔色を窺って生きるのはそれなりに得意なんです!」

 

 セレニィは全く自慢にならないことを、親指を立て笑顔で言い切った。ツッコミを期待して。

 しかしそこに返ってきたのは沈黙。仲間たちは絶句した表情を浮かべたまま見詰めている。

 

「も、もしかして… 大外れでした? 恥ずかしいなぁ。だったら言ってくださいよ」

「いえ、正解ですが…」

 

「あ、そうなんですか? 良かったぁ… 大恥かいたかと焦っちゃったじゃないですか」

 

 持ち上げるだけ持ち上げといて指差して笑うとか、ドSならばやりかねないと思ったが。

 

 貴女の推測は素晴らしかった! だが、しかし、まるで全然! 真相に程遠いんですよねぇ!

 とか愉悦顔で言われてしまったら、恥ずかしさから立ち直れない。ホッと胸を撫で下ろす。

 

 そんな彼女の内心など知る由もないジェイドは、戦慄した内心を敢えて胸の内にしまう。

 そして何事もなかったかのように話を続ける。今はまだ触れるべきではない、そう判断して。

 

「はっはっはっ… すみませんねぇ。それで、今後の方針について相談したいのですが」

「うーん… 私に相談するまでもなく、既にある程度の方針は定まっているのでは?」

 

「耳が痛いですね… ですが誓って、仲間はずれにしていたわけではありませんよ」

「それくらいは分かってますよ。察するに、選択肢があるので私の意見も参考にしたいと?」

 

「ま、そんなところです。簡単に、今現在議題に上がってる意見について説明しましょう」

 

 そう言ってジェイドは、食堂に備えられたホワイトボードにサラサラと文字を書いていく。

 ……アリエッタに読み書きを教わってて良かった。セレニィは大天使に心から感謝した。

 

 ところどころつっかえながらの悪戦苦闘ではあったが、なんとかセレニィは解読に成功した。

 

「えーっと…」

 

 1.ヴァンや六神将に同行しローレライ教団を説得する。

 2.キムラスカ王国に戻って王や貴族に呼びかける。

 3.マルクト帝国に向かって皇帝に謁見しつつ呼びかける。

 4.それ以外(自由意見)

 

 まず選びたいのは「4.このままユリアシティでゴロゴロして全てが終わるのを待つ」だ。

 向かった面々は基本的に優秀な人々だ。雑魚がいなくても、なんとかしてくれるはずだ。

 

 しかし、そんなことを言ってしまったらどうなるのか? 追放か半殺しであろう。言えない。

 出来るだけ安全を確保しつつ、しかし仲間たちを説得できる方策を考えねばならないのだ。

 

「ユリアロードはダアト近郊に繋がっています。順当に考えるならば1ですが…」

「待ってください。まずは落ち着きましょう」

 

「おや、セレニィは反対ですか?」

「い、いや… 反対というわけじゃなくてですね。も、もう少しだけ考えさせてくださいっ!」

 

「ふむ… しかし、先ほど貴女が言ったとおり時間との勝負です。それはお忘れなきよう」

「は、はひ…」

 

 セレニィは内心で頭を抱え途方に暮れる。反対ですか、だと? 大反対に決まっている。

 何が悲しくてモースの巣にして、世界最大の宗教集団の総本山に飛び込まねばならないのか。

 

 彼女にダイナミック自殺をする趣味はない。そんな役割は髭にだけ任せておけばいいのだ。

 大丈夫。あの髭はなんだかんだと優秀だから、リグレットやアリエッタは守れるはずだ。

 

 しかしそんな命懸けの道中に、自分みたいな雑魚がうっかり混ざってしまったらどうなるか?

 『雑魚事故死』『なんで混じってたんですかねぇ…』など三面記事の見出しが脳裏に踊る。

 

 そしていつしか笑顔とともに振り返られるのだ。セレニィ? 悲しい事件だったね、と。

 

「(冗談じゃねー! 『思い出の人』になんてなってたまるか! 意地でも生き延びてやる!)」

「どうしましたか、セレニィ?」

 

「……いいえ、なんでもありませんよ。ジェイドさん」

 

 ジェイドの問いかけに対し、ニッコリ笑顔を浮かべながら余裕の表情で返事をするセレニィ。

 覚悟は決まった。ここは口車でもって、このドSをはじめとする仲間たちを騙し切るのみ!

 

「確かに理屈の上では1を選ぶべきだと思います。こちらにはイオン様もいますし」

「では、貴女も1に賛成と… そういうことですか?」

 

「いえ、ですが敢えて3を選ぶべきではないかと思います」

「3… マルクト帝国に向かうのですか? 意外ですね、貴女からそんな意見が出るとは」

 

「えー! ダアトを素通りするって言うのー?」

 

 不満を露わにしたのが、ダアトを故郷に持つアニスだ。イオンも怪訝な表情を浮かべる。

 ルークも口には出さないが、ヴァンとの合流を望んでいるのだろう。困り顔を浮かべている。

 

 他はキムラスカ行きを考えていた模様だ。そんな面々を見渡しながら笑顔で言葉を続ける。

 

「そういうわけではありませんよ、アニスさん。寄る分には構わないかと」

「じゃあ、どういうことー?」

 

「幸いというべきでしょうか、私たちは目立つ船もなく隠密活動にはある程度適しています」

「なるほど… 身分を隠して行動することも出来る、というわけですね」

 

「はい。都合によって、それを使い分けて行動できるのが私たちのメリットと言えるかと」

 

 セレニィのもっともらしく大した意味もないスカスカの言葉について、みんな考えこむ。

 だが吟味させてはいけない。このまま決めきるべきなのだ。モースの件を教訓にしなければ。

 

 謁見の間で決め切ることが出来なかったため、この事態を引き起こしているのだ。反省だ。

 そんな内心をおくびにも出さずに、彼女は笑顔のままいけしゃあしゃあと言ってのける。

 

「それに物事には順序というものがあります」

「……順序、ですか?」

 

「えぇ、非常時とはいえそれを無視するのはいかがなものでしょうか?」

「ふむ… どういったことでしょう」

 

「当然、マルクト帝国皇帝陛下への和平の件のご報告ですよ」

 

 既に形骸化した話をさも重要な大義名分のごとく言ってみせれば、ジェイドは溜息を吐いた。

 それは構わない。ここまでは予想の範疇… そして、ここからが勝負どころでもあるのだ。

 

 セレニィは気合いを入れて、しかし笑顔のままジェイドの言葉を今か今かと待ち構える。

 

「それについては、フリングス将軍から詳しい報告があるでしょう。二度手間です」

「フッフッフッ… ジェイドさんともあろう方が、まさかお忘れになってるとは」

 

「……どういうことですか?」

「そう睨まないでください。しかしですね、超重要人物を忘れていれば笑いたくもなりますよ」

 

「ほう…? まさか、イオン様のことでしょうか」

「はい、そのとおり! 和平の仲介役としてキムラスカとアクゼリュスに向かわれたね」

 

「……確かにイオン様の存在は大きいでしょう。ですが、それはダアトで発揮すべきでは?」

 

 よし、かかった! このドSは頭の回転が速いから、答えを察させると逃げる恐れもあった。

 そのため普段以上にアホの子を装うことで、彼自身で答えを出させるように仕向けたのだ。

 

 途中何度か呆れ混じりの溜息を吐かれほんのり傷付いたが、プライドは投げ捨てるもの。

 それもこれもここまで話を運ぶための布石だったのだ。さぁドSよ、我が手の平の上で踊れ!

 

「違いますよ、ジェイドさん。……その認識が、間違っています」

 

 ニヤリとこれまで以上の極上の笑みを浮かべる。……ちょっぴり邪悪な絵面かもしれないが。

 

「逆ですよ。……『だからこそ』、マルクトなんじゃないですか」

「どういう意味ですか?」

 

「現陛下は預言(スコア)に頼らぬ国政を掲げていらっしゃる… そう教えられましたが」

「えぇ、確かに。私が貴女の聞き取り調査で答えましたね」

 

「皇帝陛下はそれで良いでしょう。それに従う貴族も。では民衆は?」

「……なるほど」

 

「えぇ… 『預言(スコア)に見捨てられるのではないか』。そう思う方も多いかもしれませんね」

「……全ては貴女個人の推測に過ぎませんよ」

 

「全くその通り。……ですが、万が一炊きつける側がいたらどうなります?」

 

 それだけ言えば賢いコイツは理解できる。王都バチカルで起こったあの暴動を思い出して。

 タルタロスにいた自分の耳にも入ってたのだ。そこにいたコイツが知らないはずがない。

 

 だがそれだけでは決断できないだろう。ここで更に駄目の駄目を押さなければならないのだ。

 セレニィは使命感とともに更なる手札を切る。モース以上のジェイドのメンタルを信じて。

 

「キムラスカとの和平を結ぶために、かなり強硬な採決を進められたのでは?」

「……そこまで教えた覚えはありませんがねぇ?」

 

「ご安心を。これはただの下世話な推理… ですのでジェイドさんが返事する必要はありません」

「………」

 

「ですが、イオン様が陛下寄りの声明を出せば、多くの問題が払拭できるかもしれませんね」

 

 しばし悩んでから、ジェイドはナタリアへ視線を向ける。他人に頼るのはずるいと思う。

 

「……ナタリア殿下はどう思われますか?」

「そうですわね…」

 

「………(し、心臓に悪い)」

「………」

 

「間違った見解ではないと思いますわ。マルクトの内情に詳しい訳ではありませんけれど」

 

 セーフッ! ポーカーフェイスのまま、心の中で思いきり安堵の息を吐いて胸を撫で下ろす。

 そんなセレニィの内心を知ってか知らずか、ジェイドに向かってナタリアは言葉を続ける。

 

「キムラスカは、モースの影響力をほぼ排除できているはずですわ。そしてダアトは…」

 

 イオンをチラッと見てから言葉を濁したナタリアに対して、イオンは苦笑いを浮かべる。

 

「構いませんよ。僕はお飾りの導師として… いわゆる傀儡だったのは事実ですから」

「イオン様、そんなこと…」

 

「いいのです、アニス。確かにマルクト帝国にこそ僕のやれることがあるのかもしれません」

「……よろしいのですか? イオン様」

 

「えぇ、ジェイド。僕は、セレニィが示してくれた新たな道に乗ってみたいと思います」

 

 ただの傀儡と軽んじられ続けてきた導師は、しっかり前を向きながら自分で進む道を決めた。

 その姿には、常見せていたような柔和だが何処か頼りない弱々しい子供という印象はない。

 

 そしてイオンはその場にいる仲間一人一人しっかり見詰めると、頭を下げつつ口を開く。

 

「みなさん… どうか弱い僕に力を貸してください。お願いします」

 

 決意を秘めたイオンのその言葉に仲間たちがどのように返すかなど、記すまでもないだろう。

 

「(うんうん、(よき)(かな)(よき)(かな)。これで私の死亡フラグは回避できて、イオン様の立場も向上さっ!)」

 

 満足気に頷くセレニィ。彼女の道が、いかなる未来に続くのか… 敢えてこう表現しよう。

 それは『神のみぞ知る』ことであろう… と。



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88.克服者

 話が一段落したところでルークが立ち上がり、その場にいる全員に声を掛ける。

 

「んじゃ、方針も纏まったことだしそろそろ行こうぜ」

「そうですね。ここにいると時間の感覚がおかしくなりますが、日暮れ前でしょうしね」

 

「おや、ひょっとしてもうユリアロードとやらで戻るので? 構いませんが急ですね」

 

 その言葉にジェイドも同意をする。

 それらを見てセレニィもすわ旅立ちかと慌てるが、ガイが苦笑いを浮かべつつ説明する。

 

「いや、違う違う… 流石に今日の今日で出発はしないさ。するのは準備さ」

「準備って言うと、買い物とかそういうのですかね? いつの間に…」

 

「さっき相談してただろ? 本当に、食べるのに夢中になってて耳に入ってなかったんだなぁ」

「うぐっ… お、お恥ずかしい…」

 

「大丈夫よ、セレニィ。セレニィに夢中になってた私も耳に入ってなかったから安心して」

「まぁ、それはそれとして… それじゃ一緒に行きましょうか? ミュウさん」

 

「はーい! 一緒ですのー!」

 

 ティアの戯言を華麗にスルーしつつ、セレニィも立ち上がる。

 しかしそんな彼女の視界に、妙に気合いを入れているナタリアの姿が目に入る。

 

 怪訝な表情を浮かべたセレニィの内心を察したのか、トニーが耳打ちをする。

 

「ははは… まぁ、ナタリア殿下も旅装束をお揃えになりたいと仰られて…」

「……あぁ、なるほど。それはお姫様には滅多にない楽しみでしょうねぇ」

 

「なんでもランバルディア流アーチェリーのマスターランクなので、弓も欲しいとか…」

「ほへー… 文武両道ですか。私みたいな雑魚には眩しいばかりですねー」

 

「フフッ、ご謙遜を。セレニィの旅の道中の動きもそう悪いものではありませんでしたよ?」

「そ、そうですかね… えへへ…」

 

「えぇ。自分なんかが言うのもなんですが、素人として考えれば充分過ぎるでしょう」

 

 し、素人としてか… トニーが善意で言っているのが分かるだけに、内心で凹むセレニィ。

 とはいえ、別に戦闘スキルを高めて無双したいわけでもない。生き延びられれば充分だろう。

 

 そう気を取り直すと、他の面々が呼ぶ声が聞こえた。

 

「おーい、何二人でコソコソ話してんだよー。早く行こうぜー!」

「ほらほら、お二人さん。ルークが妬いてるぜ?」

 

「なっ! バカ野郎、ガイ。テメー、しつけーんだよ!」

「あはは… トニーさんはお返ししますから、あまり怒らないでくださいね? ルークさん」

 

「お、おう…」

 

 そんな二人のやり取りに苦笑いを浮かべつつ、トニーは後を追うのであった。

 かくして面々は旅の準備を整えるために、ユリアシティへと繰り出した。

 

 

 

 ――

 

 

 

「(どうしてこうなった… どうしてこうなった…)」

 

 ユリアシティで散見できる、障気同士のぶつかり合いで発生する静電気の光。

 それらに目を奪われていたのが、遠い昔の出来事に思えてくる。

 

 こんなことになるなら、買い物になんかついてこなければよかった。

 ニートよろしく引き篭もっていればよかったのだ… そう思うも後の祭りである。

 

 セレニィは、死んだ魚のような虚ろな目をしながら薄笑いを浮かべている。

 

「ねぇ、セレニィ! 次はこれ! これを着て!」

「ほら、笑ってくださいまし。ね? セレニィ」

 

「うへ… ふへへへへ…」

「うわぁ、気の毒に…」

 

「どうしたの、セレニィ? 着替え方がわからない? 手伝ってあげましょうか?」

「ひっ! だ、大丈夫ですから…」

 

「はっはっはっ… いやぁ、ティアもナタリア殿下も楽しそうですねぇ」

 

 今彼女は、洋服屋で着せ替え人形よろしく様々な服を着せられていた。

 ……ティアとナタリアの二人によって。

 

 セレニィ自身、少しおかしいとは思っていたのだ。

 アイテムショップや武具取扱店のみならず、洋服屋にまで向かうことに不審を覚えていた。

 

 しかし、脱出しようにもティアとナタリアにガッチリ両脇を固められていたのだ。

 逃げ出そうと儚い抵抗をしてみせたが、自分の無力さを思い知るにとどまった。

 

 人間程度の腕力では、ゴリラやら弓のマスターランクの人の腕力やらには敵わないのだ。

 それを思い知った。あっという間の事件だった。か細い声で助けを求めるのが精一杯だった。

 

 ……誰も助けてくれなかったけど。誰も助けてくれなかったけど。

 とても大事なことなので二回言いました。やはり人生はクソゲーだとセレニィは確信した。

 

 気の毒そうに見詰めているアニスなどはまだ良い方で、ドSは楽しそうに笑っている。

 他の面々も品評会よろしく「おー…」とか「ほー…」とか言いながら眺めている。

 

「(この場には敵と傍観者しかいない…)」

 

 今着せられている衣装は、レースをあしらったフリル付きのワンピース。

 およそ実用向きでない衣装を着せられながら彼女は思った。……泣きたい、と。

 

 神託の盾(オラクル)騎士団女性用制服(子供用)でも辛かったのだ。仕方ないから着てたけど。

 それがこんな少女趣味全開の服を着せられて喜べるはずがない。

 

 いや、まだだ。まだ諦めてはダメだ。セレニィの瞳に力が戻った。

 さっきはドSですらも丸め込んだのだ。自慢の口車の切れ味は戻っているはずだ。

 

 そうとも、人生がクソゲーだなんてこの世界に来てから何度も実感してたことじゃないか。

 だからこそ、自分の運命は自分で切り開いてみせる!

 

 確固たる決意を持って彼女は口を開いた。

 

「しかしですね、ナタリア様…」

「まぁ、『様』付けなんて他人行儀な! どうぞわたくしのことは呼び捨てになさって?」

 

「あっはい… えっと、ナタリアさん?」

「『さん』… まぁ、今はそれでよろしくってよ。それで、どうなさいましたの?」

 

「えっと、こんな高そうな服を買うなんてお金の無駄… ゲフゲフ、申し訳ないですよ」

「まぁ、セレニィは慎み深いのね! ますます感心しましたわ!」

 

「あ、いえ、そんな… えへへ…」

「ですが心配なさらなくとも大丈夫ですわ。お金は幾らでもありますもの… ね、ルーク?」

 

「ん? おう、そんなに高いモンじゃねーしな。……服くらいならいいんじゃねーか」

 

 セレニィ、轟沈。

 札束の力で横っ面を叩いていくブルジョワジーどもの前に、金銭面での訴えは退けられた。

 

 値札見てみると充分高いじゃねーか! ここにある服だけで辻馬車何往復分だよ!

 内心の激情のままに、思わず身分の差も忘れてセレニィは怒声を上げる。

 

「謝れ! 辻馬車乗るためだけに、大事そうなペンダントを手放したティアさんに謝れぇ!」

「………」

 

「はわっ!?(や、やっちまったー! あの時の24,000ガルドが忘れられなくてつい…)」

 

 言い終えて落ち着いてから前を向くと、ポカンと呆気にとられた表情のナタリアがいた。

 そして自分のやってしまったことを振り返ると、顔を青褪めさせた。

 

 全力で身分制度に喧嘩を売ってしまった。罰は打首だろうか、獄門だろうか、磔だろうか。

 慌ててフォローを試みるも舌が回らぬセレニィを余所に、ナタリアは笑顔を浮かべた。

 

 これは笑顔で「この暴言、許すまじ。処刑じゃ」とかされるフラグ。思わず身を竦める。

 

「ありがとうございます、セレニィ」

「ひっ! も、申し訳… はい?」

 

「わたくしの友人であるティアのために怒ってくれて、わたくしを諌めてくれて…」

「………(ただのツッコミに何を仰っているのでせうか? この美人さんは)」

 

「物の価値を軽んじることは人の価値を軽んじることでもありましたのね。恥ずかしいですわ」

「えっと、まぁ… 多分、そんな感じなんじゃないかなぁと思ったりしますね。はい」

 

 なんかよく分からないけれど、いい感じにナタリア様が頷いたので乗っかっておこう。

 基本的に深く考えることを面倒くさいと思うダメ人間故、セレニィはそう片付けた。

 

 このままもうちょっとマシな服を買う流れに持って行けないだろうか? そう考えていると…

 

「セレニィ!」

「ぐぇ!?」

 

 ゴリラに抱き付かれた。肺が潰れそうになった。

 そのまますごい勢いで頬擦りされる。

 

「ありがとう、セレニィ! 私の気持ちを第一に考えてくれるなんて…」

「ぎゃああああああああああああああああ!? 死ぬ死ぬ死ぬぅ!?」

 

「でも気にしないで。ナタリアとはお互い友達だもの… こんなことで喧嘩はしないわ」

「その前に、私のほっぺたが擦り切れないか気にしてください! ……聞けよ!?」

 

 痛い痛い痛い… 熱い熱い熱い。摩擦熱で凄いことになっている。

 美少女からの頬擦りなのにちっとも嬉しくない不具合を感じる。

 

 むしろティアの方は痛くないのだろうか? 身体のパーツの強度もゴリラ並なのだろうか。

 

「あのペンダント、そんなに大事なもんだったのか? 悪かったよ、ティア」

「ルーク… 私の判断で必要だと思ったから手放したの。だから謝る必要はないわ」

 

「ル、ルークさ… たすけ…」

「ところでティア、その… セレニィがしんどそうなんだけど…」

 

「気にしないで、ルーク。これはただの愛情表現よ。セレニィもきっと照れてるだけよ」

「そ、そうかなぁ…」

 

「ひぎゃあああああああ!?」

 

 セレニィは散々玩具にされた後、痛む頬を抑えながら再度服を選び直した。

 結局選んだ服は、黒のジャケットに白地のシャツ。ベージュのハーフパンツとなった。

 

 それから靴も、思い切ってスニーカー風のシューズに新調した。

 丈夫さを優先したものの、値段は着せ替え人形の時のものよりもうんと安く付いた。

 

「うん… 神託の盾(オラクル)騎士団の制服よりもずっと楽で動き易いですね」

「ティアさん、しょんぼりしてるですのー」

 

「フン、放っておけばいいんですよ。あの人は」

 

 戦闘はいつ起こるかわからない。動き難いよりは動き易い方がずっと良い。

 

 しかし、この装いに最後まで反対したのがティアとナタリアであった。

 真っ赤に腫れた頬を見せつつ絶対零度の視線を送れば尻すぼみになって沈黙したが。

 

 これぞ怪我の功名か。着せ替え人形にさせられ頬を擦り減らされるという苦行は経験した。

 とはいえ、最終的には満足行く買い物となったのだ。悪くない結果に落ち着いただろう。

 

 セレニィは満足気な笑顔を浮かべて、市庁舎に戻るのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 各種買い物を終えて市庁舎に戻り、一同は食堂で思い思いに一息をついていた。

 

「さっきのフリルの似合ってたじゃん。どうして買ってもらわなかったのー?」

「アニスさんこそ、似合いそうな可愛らしい服一杯ありましたよ?」

 

「アタシはホラ、導師守護役としての制服を気軽に脱ぐわけにはいかないしねー」

「ぐぬぬ…」

 

「ふふーん(……反応面白いし、当面はこのネタでからかえそうだなぁ)」

 

 ……着せ替え人形にされていたセレニィが、からかわれることが多かったが。

 かようにそれぞれがまったり過ごしていると、ティアとナタリアがルークに声を掛けた。

 

「ルーク、そろそろはじめますわよ?」

「さっさと終わらせましょう」

 

「はー… やれやれ、勉強の時間かよー…」

 

 それらの言葉に、憂鬱そうな表情でルークは溜息を吐く。

 当然面白くないのが声を掛けた二人だ。腰に手を当ててナタリアが怒り出す。

 

「なんですの、その態度は! ルークの方から頼んできましたのに!」

「全くね… 私はどちらでもいいのよ。セレニィと遊んでいたいし」

 

「いえいえ。私はティアさんと遊びたくないので、どうぞルークさんが引き取ってください」

「凄く頷きたくねーけど… 了解」

 

「……くすん。この扱いは納得しかねるものがあるわ」

 

 肩を落としたティアをナタリアが慰めつつ、ルークたち三人が食堂を去っていった。

 はてさて、彼らは一体何をしているのだろうか? 疑問が思わず口をついて出る。

 

「勉強って言ってましたけど… なんなんでしょうかねぇ」

「譜術の扱いについてですよ」

 

「おや、でしたらあなたが教師役に一番適任なのでは? ジェイドさん。色々えげつないですし」

「はっはっはっ… そんなに私の『えげつなさ』を身を以て体験したいのですか?」

 

「やめてください死んでしまいます」

 

 声と身体を震わせて言ったセレニィに呆れた様子で溜息を吐くジェイド。

 全く学習しないものだ。まぁ、変わらぬ良さというものもあるかもしれないが。

 

 そんなことを考えながら、言葉を続ける。

 

「私では教えられない分野ですからねぇ… 第七音素(セブンスフォニム)の扱いに関しては」

第七音素(セブンスフォニム)? 確か回復とか出来る音素(フォニム)でしたっけ…」

 

「そうですね。加えて第七音譜術士(セブンスフォニマー)同士が衝突すれば擬似超振動も発生しやすくなります」

「あー… そういえばナントカ渓谷に飛んだのも、それがきっかけでしたっけ」

 

「タタル渓谷ですよ、まったく」

 

 しょうがないとでも言いたげに溜息を吐いたジェイドに、苦笑いを浮かべて誤魔化す。

 そして浮かんだ疑問をそのまま口にする。

 

「ティアさんがそれだということは知ってましたけど、ナタリア様も…?」

「えぇ、優秀な第七音譜術士(セブンスフォニマー)だそうですよ」

 

「ほへー… 才色兼備で文武両道、しかもお姫様ですか。いやはや、とんでもない生物ですね」

「はっはっはっ… まぁ、才能の壁ばかりは羨むしかありませんねぇ」

 

「いや、アンタが言っても嫌味にしかなんねーですからね?」

 

 軽口を叩きながら紅茶を飲む。そこにジェイドが重ねて説明を行う。

 

「まぁ、ルークも第七音譜術士(セブンスフォニマー)の才能があるようで… 二人に学んでいるのですよ」

「へぇ… ルーク様、ますます完璧超人になるんですか。誰の発案ですか?」

 

「ヴァン謡将ですね」

「あの髭かー… それなら見立ては確かなんでしょうね」

 

「……セレニィはあまりヴァン謡将が好きではないようですね。何か理由でもおありで?」

「あー… いや、裏切りそうとかそういうんじゃないですよ(理由ありゃ裏切るタイプだけど)」

 

「では、何故?」

「なんででしょうねー… あははー… なんでだと思います?」

 

「やれやれ、聞いているのは私なんですがねぇ…」

 

 実際は単なる同属嫌悪にすぎない。

 しかしそれに気付いてないセレニィとしては、言葉では説明しにくい感情なのである。

 

 曖昧に濁すような笑みを浮かべる。

 ジェイドも溜息を吐きはするが、それ以上追求はしない。代わりに別の話題を出す。

 

「ところで貴女は重度の障気蝕害(インテルナルオーガン)だったのですが…」

「はいはい、障気蝕害(インテルナルオーガン)ね… え? マジですか?」

 

「マジです。だからこそ貴女の回復が不思議だったのですが… 何か心当たりは?」

「そりゃまぁ、アクゼリュスで作業をしていたらある程度は障気を吸い込むでしょうが…」

 

「……まぁ、それはそうでしょうが」

「軽度のそれならまだしも、たかだか数日で重度にまでなるわけないじゃないですか」

 

「ふむ…」

 

 全く以てセレニィの言うとおりである。だからこそ不思議なのだが。

 考え込むジェイドにセレニィは言葉を続ける。

 

「ただの誤診だったんじゃないですか?」

「………」

 

「私はあまり身体が強くないから、ちょっと症状が大袈裟に出てしまったとか…」

「……まぁ、普通に考えればそうでしょうね」

 

「ですよー。あんまり驚かさないでくださいよー、やだなー」

 

 おっかなびっくりの表情を浮かべて空笑いをしているセレニィを見て、ジェイドは思う。

 彼女にも心当たりがないのだろう。……せめて彼女に記憶があれば違ったかもしれないが。

 

 普通に考えれば彼女の言うとおり、『ただの誤診』なのだろう。

 そう… ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()『ただの誤診』をしたのであれば。

 

「はっはっはっ… すみませんねぇ。貴女の反応が面白くて、つい」

「んだとゴルァ! 泣かすぞ、ドS!」

 

「……ほう?」

「って、ガイさんが言ってた気がします。まったく酷いですよね、あのピチピチズボン野郎は」

 

「言ってねぇ! ていうか、その呼び名はなんだよ! あんまりだろうが!?」

 

 ちょうど近くにいたガイを指差し、責任逃れをするセレニィ。卑劣である。

 悲鳴を上げるガイを苦笑気味に見守るトニー。

 

 ジェイドは眼鏡を光らせつつ、ガイに向かって笑みを浮かべる。

 

「なるほど… トニー、ガイを連れてこちらへ」

「へ? な、なんでだ…」

 

「なに… ちょっと内密の話をしようというだけですよ。……内密の、ね」

「すみません、ガイ」

 

「ちょ、待て… 俺が何をしたって、いやだぁああああああああ!?」

 

 ジェイドと、それについていくトニーに引きずられていくガイ…

 その三人を見送りながらセレニィは合掌し、紅茶に添えられたプリンを頬張るのであった。

 

 まこと卑劣である。

 

 

 

 ――

 

 

 

「で、こんなところに連れ出して一体何の用だ? ジェイドの旦那よ」

 

 人目につかない場所に連れてこられて解放されたガイは、振り向きざまにそう言った。

 ジェイドは苦笑いを浮かべながら、申し訳無さそうに語り始める。

 

「いやぁ、申し訳ありませんねぇ… こんな形で連れ出して」

「察するに… 先ほどの話の件でしょうか? ジェイド」

 

「えぇ、トニー。彼女自身も理解していない問題… 触れ回るにはリスクが大き過ぎます」

「同意だな… 障気蝕害(インテルナルオーガン)を克服したなんて話が広がれば、どんな騒ぎになるやら」

 

「イオン様やルークのように、素直に彼女の生還を喜ぶ人ばかりでもないでしょうから」

 

 三人は同時に暗い顔を浮かべる。しかし沈黙していては始まらない。

 トニーが疑問を口にする。

 

「先ほどアニスの手によって気絶した時、検査をしたのですよね? どうでしたか」

「体内の障気はほとんどなくなっていました。健康体と言って差し支え無いでしょう」

 

「本来なら手放しで喜びたいところなんだけどな… あの子は頑張ってきたから」

「今回の旅、戦争を止めることは勿論ですが… 彼女のルーツも探ってみたいと思います」

 

「分かりました。自分としても異論はありません」

「分かったよ。じゃあ仲間内で下手な話題にならないように気を配ればいいんだな?」

 

「えぇ、申し訳ありませんが頼みましたよ二人とも。私はどうもこの手のことが苦手で」

 

 そう言って眼鏡を直すジェイドに向けて、二人は「知ってる」と言いたげな苦笑いで頷いた。

 

 

 

 ――

 

 

 

 その頃セレニィは…

 

「見て見てー! イオン様、アニスさん!」

 

 市庁舎の広い廊下でキュッキュッキュッと、新しい靴で反復横跳びを披露していた。

 幸いにして人通りはないが、もし人がいたら大迷惑まちがいなしである。

 

「フフッ… 楽しそうですね、セレニィ」

「すごいですのー! なんか早いですのー!」

 

「あのさ… 何してるの?」

 

 イオンとミュウは喜んでいるが、アニスは冷めた視線を送るばかり。

 

「反復横跳びです! 早く足を靴に馴染ませようと思って…」

「うん、あのさ… ちょっといいかな?」

 

「はい、なんでしょうか!」

「凄くバカみたいだからさ… やめよう?」

 

「なん… だと…」

 

 障気蝕害(インテルナルオーガン)を克服したという世界(オールドラント)の常識を覆しかねない不思議な生命体、セレニィ。

 彼女はしょうもないことをやってアニスにツッコミを受けて、市庁舎廊下に手を付いていた。

 

 比較的アホの子だという本質はハッキリしているが、その正体が明かされる日はまだ遠い。



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89.湧水洞

 翌日、一同は外殻大地へと繋がる転送ゲート… 通称『ユリアロード』前に集合していた。

 いよいよ出発の時がやってきたのだ。……全員を見渡して、ティアが静かに口を開いた。

 

「ここから先は一方通行… 戻ることは出来ないわ。みんな、やり残したことはないわね?」

「うぇっ!? う、嘘ですよね… どうしよう、なにか忘れてないかな…」

 

「勿論嘘よ。行き来自由じゃないと、ユリアシティが今日まで存続出来てるわけないじゃない」

「なっ!?」

 

「あはは… ティアもかなりお茶目さんですね。僕も一瞬信じてしまいましたよ」

 

 慌て出すセレニィの姿を存分に鑑賞してから、ティアは親指を立てて笑顔で言った。

 その言葉に唖然とするセレニィの姿に、一同は揃って吹き出した。からかわれたのだ。

 

 最近は何故か妙にいじられ役が板についてきている気がする。……面白くない。

 そう感じたままにセレニィは頬を膨らませブスッとする。まるで子供のようである。

 

「ごめんなさい、ちょっと悪ノリしちゃったわ。ホラ、飴あげるから機嫌を直して?」

「要りませんよ! 私は子供ですか!?」

 

「せーれーにぃー? そうやって膨れちゃうところが子供なんだよー」

「おやおや、アニスに言われてしまっては形無しですねぇ」

 

「ははっ… 果たして、セレニィは大人の余裕を見せられるのか? こりゃ見ものだな」

「オメーら、あんまりイジメてやんなよ…」

 

「ぐぬぬぬ…」

 

 機嫌を損ねたティアの頭を撫でようとする手を振り払い、その言い様に抗議する。

 しかしながら、その仕草はますますムキになった子供にしか周囲には映らない。

 

 からかい文句の集中砲火を浴びるばかりか、ルークやトニーには慰められる始末である。

 むしろかえって辛い。だが、ここで泣いたり怒ったりしてはドSどもを喜ばせるだけ。

 

 ズボンピチピチ野郎の口車に乗るようで癪だが、ここは大人の余裕を見せ付けよう。

 

「フ… フン、別にこのくらいのことは気にしませんけどねー?」

「流石はセレニィだわ。さ、転ぶといけないから私と手を繋いでいきましょう!」

 

「お断りします! ……ユリアロードって、これですね?」

「そうだけど… あ、待って。一人で進むとあぶな」

 

「だから、子供扱いしないでください! ……それでは、お先に失礼します」

 

 そう言って、セレニィはミュウを頭に乗せたままユリアロードの中に入ってしまった。

 その様子を見守っていたアニスが、苦笑いとともに口を開く。

 

「あちゃー… 面白かったけど、ちょっとからかいすぎたかなぁ?」

「はっはっはっ… まぁ、大した危険もないなら平気でしょう」

 

「どうしよう。い、急いで追いかけないと…」

「あん? どうかしたのか、ティア」

 

「ユリアロードはアラミス湧水洞という場所に繋がっているのだけど…」

「ダアト近郊のあそこですね。なるほど、僕も話には聞いたことがあります」

 

「……結構強い魔物が出没するのよ」

 

 珍しく青褪めながらつぶやいたティアの言葉の内容に、周囲には沈黙の帳が降りた。

 ややあって、乾いた笑みを浮かべながらガイが言葉を紡いだ。

 

「はは… まぁセレニィは慎重な子だ。魔物を刺激せず大人しくしてるんじゃないか?」

「ガイ、それは難しいかと… セレニィはいるだけで魔物を刺激する存在ですから」

 

「! そ、そういえばトニーの言うとおりだったな。急がないと危ないかもしれない」

 

 セレニィには魔物を引き寄せる性質がある。なんでも美味しい匂いがするそうだ。

 最近忘れられがちなマイナス設定である。つくづく厄ネタしか存在しない存在である。

 

 ジェイドは肩をすくめて、溜息を吐きながら口を開いた。

 

「やれやれ、全く世話をかけさせますねぇ… 仕方ありません、急ぎましょう」

「いや、大体ティアとアニスとジェイドのせいだからな?」

 

「もー! そんなこと言ってる場合じゃないですよぅ! 早く追っかけないとっ!」

「それが… 一度使用したら、再度利用できるまでに少し間が空くの」

 

「なるほど… 確かに、行き側と帰り側が同時に使用したら問題があるもんな」

「チッ… あんまり無茶してんじゃねーぞ、セレニィ」

 

「今は彼女を信じましょう。きっと、無事であると… 僕もそう信じます」

 

 ユリアロードが再度利用できるようになり次第、面々も急いで後を追うことにした。

 

 

 

 ――

 

 

 

「オラァッ! 紅蓮襲撃ッ!」

 

 炎をまとったルークの蹴りが、二足歩行のトカゲのような魔物を吹き飛ばす。

 

「っし! ……ふぅ、これで全部だよな?」

「えぇ… まさか、入って早々襲いかかられるとは思いませんでしたわ」

 

「本来魔物ってのは、実力差を敏感に感じ取るもんなんだけどな…」

 

 ナタリアの言葉に、ガイが不思議そうに続ける。

 それらの疑問にジェイドが言葉を返す。

 

「そうですね。好戦的であることを差し引いても、集団を襲うことは少ないはずですが」

「そうね… 私がここを通って襲われるのも、大体一人の時だったし」

 

「それより、セレニィはどこ! 姿が見えないけど、ひょっとしてもう…」

「いえ、それはないでしょうアニス。そうであるならば魔物はここまで興奮してない」

 

「ホント? ホントだよね? 信じたからね、トニー!」

「えぇ、自分が保証します。ですから、彼女を助けるためにも気をしっかり持ちましょう」

 

「後悔も嘆きも後で。とにかく、進みましょう… セレニィならきっと無事よ」

「ティア、それはいつもの『勘』ですの?」

 

「『勘』? ……ただの既定路線よ。だって、セレニィだもの」

 

 湧水洞内の魔物は未だ興奮している。

 

 ならばきっと、セレニィとミュウは今も無事に逃げ回っている最中だろう。

 そう結論付けてはみたものの、危機的状況ということには変わりはない。

 

 オマケに興奮した魔物が、力量差も考えず襲いかかってくることを意味するのだ。

 セレニィを探すための足を止められることは必定だ。

 

 とはいえ、選択肢は一つだ。

 一同は、ティアの言葉に頷きつつ先に進むのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 一方、セレニィはどうなったであろうか?

 

「ひぇえええええええええええ!?」

 

 ミュウを頭に乗せて一人で湧水洞を駆け巡っている。

 どうやらまだ無事のようである。しぶとい。

 

 本来ならば、魔物の気配があった時点でユリアロードに取って返すのがセレニィである。

 しかし、ゲートの上に乗ってみてもうんともすんとも反応しない。

 

 ボサッとしてる間に魔物は増え続ける。

 ならば一か八かと、魔物の少ない奥に向かって駆け出していくのは無理からぬことだった。

 

 天井部分からはところどころ光が差し込み、視界が利くのが不幸中の幸いか。

 とはいえ、絶え間なく続く大歓迎の雨あられに絶賛大後悔中であるが。

 

 セレニィの頭の上で、まるでアトラクションかなにかのようにミュウが楽しげに叫ぶ。

 

「みゅう! 魔物さん、一杯ですのー!」

「ぜぇ、はぁ… ミュウさん! 魔物のみなさんと交渉は出来ないんですかー!?」

 

「みゅ? みなさん『美味しそう』『絶対食べる』って言ってますけど、お話するですの?」

「よし、ないな! 全力で逃げましょうか!」

 

「ですのー!」

 

 理性ある交渉? 知らない子ですね… と、ばかりにセレニィはギアを上げる。

 一層喜びの声を上げるミュウに、気楽なものだと内心で恨めしげに思う。

 

 相手は本能やら食欲やらに支配された魔物だ。口車など通じない。

 互いに交渉する余地など、存在するはずがなかったのだ。泣きたい。

 

 そこへ来ると、ライガの女王様の話の分かりっぷりは神がかってたね。マジで。

 全魔物は見習って欲しい。セレニィは心の底からそう思つつ、ひたすら駆けまわる。

 

 しかし、そろそろ背後からの圧力がヤバいことになってきている。

 どうしたものか… 焦りながら考えているとちょうど良い出っ張りが見えてきた。

 

 鍾乳洞とかで見かける、地面から伸びているように見える石… 石筍(せきじゅん)である。

 

「はぁ、はぁ… 間に合うか? いや、間に合えちくしょー!」

「どうするんですの? セレニィさん」

 

「ちょっと考えがあります。ミュウさんは火を噴く準備を… ぜぇはぁ」

「? 分かりましたですのー!」

 

「くそっ、脇腹いてー…(慌てるな、落ち着け… 落ち着け…)」

 

 ロープを取り出す。いやいや、こっちじゃない。油を染みこませてた方の… こっちだ。

 慌てず騒がずロープを取り出し、わな結びをする。カウボーイでお馴染みの結び方だ。

 

 緊張と恐怖と走っていることによる疲労で心臓がバクバクする。手が震える。

 大丈夫、大丈夫… きっとできる。自分にそう言い聞かせ、なんとかわな結びを完成させる。

 

「よし! これを…」

 

 太めの石筍(せきじゅん)の先端に引っ掛けて、そのまま道の反対側にかけていく。

 なんか適当なのは… よし、ちょうど良い太さの石筍(せきじゅん)発見! 君に決めた!

 

 これにもう片方の先端を結びつける。急げ、急げ… でも焦るな。無理でんがな!

 心中で一人ツッコミを入れつつ、セレニィは半泣きになりながら作業をする。

 

「セ、セレニィさん! もう魔物さんたちが追いついてきたですの!」

「も、もう少し… よし! ミュウさん、ロープに火を!」

 

「はいですの! ……ミュウファイア!」

 

 魔物の手がセレニィに触れようとする寸前、ボッと周囲が明るくなる。

 ロープが燃え出したのだ。

 

 彼女に手を出そうとしていた半魚人のような魔物は、炎の結界に遮られ慌てて手を引く。

 加えて、セレニィはちり紙代わりの古紙やら着火剤などの可燃物をつぎ込む。

 

「よっしゃ、思った通りこんなエリアに生息してる魔物です。火を恐れるようですね!」

「セレニィさん、すごいですのー!」

 

「はーっはっはっはっ! 結局無理やり持たされたフリフリの服もくべてやるぜぇ!」

「ですのー! ダメ押しのミュウファイアをしておきますのー!」

 

「足止めには充分でしょう。今のうちにさっさと出口までずらかりますよ、ミュウさん!」

 

 彼女は立ち上がると、後ろを振り返らずに駆け出した。

 相変わらず、姑息なことには全力投球である。

 

 そして駆け続けてしばらく… ようやく、出口と思われる光を確認した。

 出口近辺は大きな広間になっており、先程までのような濃密な魔物の気配もない。

 

 スピードを緩めてホッと一息をついたところ、事件は起きた。

 地面を響かせる音を立てて物陰から現れた魔物が、入り口に陣取ったのである。

 

「わーお…」

「ど… どうするですのー? 一旦戻るですのー?」

 

「戻ってどうするんですか。足止めだっていつまで機能してるわけでもないでしょう」

「でも、みなさんが追いかけてきてくれてれば…」

 

「その可能性に賭けたいところですが、外れだった場合は確定で死にますしね」

 

 ディストに与えられた棒を伸ばして、身構える。

 半魚人っぽくはあるが、先ほどのそれより一回りも二回りも大きい。恐らくはボス格か。

 

 得物を手ににじり寄り、殺意満点にセレニィとミュウを見詰めている。

 

「隙を見て、なんとか逃げ出したいところですけど…」

「けど?」

 

「多分、背中見せたら死にますよねー… あはは…」

「みゅううう!?」

 

「私程度じゃ片手間で相手できるような魔物じゃないでしょうし… あれ、詰んだ?」

 

 苦笑いを浮かべるセレニィ。

 

 胃がキリキリ痛んでくる。ユリアシティで胃薬を補充しておいて良かった。

 いや、死んだら胃薬もなにもないんだけど。

 

 泣きたい。全力で泣きたい。

 でもここで自ら視界を防いだら、死亡率99%が100%に格上げだ。

 

 自らの不運は今に始まったことではない。錯乱しないだけ状況はマシだろう。

 ならば仕方ない。溜息をつきつつ、棒を肩に担いで魔物に手招きをする。

 

「ひっじょーに気は進みませんけれど、相手をしてあげますよ…」

「セレニィさん、勝てるですの?」

 

「なんとか時間を稼ぎつつ、応援が来るのに一縷の望みをかければ… ワンチャン?」

「……それ、ほぼ死んでしまうですの?」

 

「物分りが良くなりましたね、ミュウさん。ガッカリしました?」

「いいえですの。『いつもどおり』って分かって安心しましたですのー!」

 

「『いつもどおり』ってゆーなー!?」

 

 お気楽なチーグルにツッコミを入れながら、戦闘に向けて頭を巡らせる。

 ミュウとの軽口が、知らぬうちにガチガチに緊張していたセレニィの身体を解きほぐす。

 

 それに気付いて、内心で感謝しつつもそれを口に出さずに溜息をさらに一つ。

 

「ふぅ… ま、仕方ありませんね。やるだけやりますか、私たちらしく」

「ですのー!」

 

「グワォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!」

 

 セレニィは棒を中断に構えて、『絶望』に立ち向かう。

 

「(大丈夫… ライガの女王様のプレッシャーよりはずっとマシ…)」

 

 仲間たちは間に合うのか、それとも…

 

「大丈夫。いける、いける… って、やっぱこわっ!?」

「みゅう! セレニィさん、しっかりですのー!」

 

「いやぁあああああああ! 死にたくないぃいいいいいいいいいいいいっ!?」

 

 ……やっぱり無理かもしれない。色々と。



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90.降臨

 巨大半魚人は、手にした釣り針が大きくなったような鉄塊を持ち上げる。

 

「ッ、緊急回避ー!」

 

 そして勢い良く振り下ろした。勿論、事前にセレニィは回避している。

 彼女には当たらぬまま、地面の石筍をまるで豆腐か何かのように粉々に砕いて見せた。

 

 そこから伝わる一撃の破壊力の程に、セレニィは思わず青褪めながらつぶやいた。

 

「ひぇっ… あんなの当たったら、ミンチよりひでぇことになるじゃないですか」

「がんばってかわすですのー!」

 

「と、とーぜんっ! こんなところで、寂しく死んでたまるもんですかいっての!」

 

 巨大半魚人はその言葉に、ニタリと笑ったような気がした。

 

 ……かわす、かわす、かわす。あれからどれだけの時間が過ぎたのか。

 未だセレニィは、死ぬことなく立ち続けている。

 

「はぁ、はぁ、はぁ…」

「し、しっかりですのー… セレニィさん」

 

「てやんでい… まだまだぁ!」

 

 しかし息も絶え絶え、身体はボロボロの満身創痍の状態にあるといえる。

 彼女には三つの誤算があった。

 

 一つは、走り続けていたために体力が底を尽きかけていること。

 もう一つは、巨大半魚人が足場を壊す度に逃げ場が減っていくこと。

 そして最後に、巨大半魚人が地面を破壊した礫が彼女に襲いかかってきたこと。

 

「(ぐ、ぐぬぬ… 持久戦なんて仕掛けるんじゃなかった…)」

「セレニィさん、前ですの!」

 

「っと、やばっ…」

 

 足をもつれさせながらも、なんとか飛び退いて回避する。

 ついには集中力まで切れてきたようだ。

 

 汗塗れのフラフラになりながらも、なんとか棒を構えて立ち上がる。

 巨大半魚人はニタニタと笑っている。間違いない、なぶっている。

 

 怒りよりも先に安堵が生まれる。すぐに殺しにかかるというわけではなさそうだからだ。

 これが「いっそもう殺してくれ」という気分になった時が最期なのだろうが。

 

 全くゾッとしない… そう考えながら、セレニィはまっすぐ敵を見据える。

 

「セ、セレニィさん…」

「ぜぇ、はぁ…」

 

「セレニィさん!」

「なん、ですか… 聞いてますよ…」

 

「ボクが囮になるですの! その隙に…」

「却下で」

 

「みゅう…」

 

 ミュウがいるから辛うじて乗りきれているようなものだ。

 これが、いなくなってしまったらどうなるか?

 

 脅威度の高いミュウがいなくなって、これ幸いと自分が潰される未来しか見えない。

 というより、常識的に考えて多少なりとも肉の多い自分の方を狙うだろう。

 

 仮に万が一逃げ切れたとして、ミュウなしで外の世界でやっていけるか?

 答えはノーだ。

 

 疲れ切った身体を抱えて、平原の魔物を倒したり逃げ切れるとは思えない。

 ダアトに潜り込めればまだ運が良い方だが、そことて思い切り敵地のど真ん中だ。

 

 マルクトかキムラスカまで脱出するか、六神将と合流するか…

 どっちにしても極めて低い運任せの博打でしかない。宝くじを買った方がマシだろう。

 

 だからミュウを手放すという選択肢はありえない。

 

「(ん… 待てよ? 『手放す』… ひょっとしたら、イケるかも!)」

「どうしたですの、セレニィさん? やっぱり疲れてるんじゃ」

 

「フッフッフッ… まぁ、待ってくださいよミュウさん」

「みゅ?」

 

「あのデカブツに一泡吹かせちゃいましょう」

「ひとあわ、ふかせるですの?」

 

「つまり、私たち二人でアレを『ぶちのめして』『勝っちゃいましょう』ってことですよ!」

 

 果たしてそれは恐怖と緊張と疲労が生んだ幻であったのか?

 セレニィは唇を震わせて、しかし、瞳に邪悪な輝きを秘めながらそう言った。

 

 

 

 ――

 

 

 

「さーて… まずは逃げ回りつつまるっと分析しますか」

 

 でも体力が残り少ないので、分析も程々にしなければならない。

 とはいえ、すぐにどうこうという問題でもないようだ。

 

 幸いにして、相手はこちらが反撃するとは思ってないはず。油断はある。

 きっとある。多分ある。なかったら困るからあるといいなぁ。

 

「(さて、今回の戦いで鍵になるのは両者の足… そしてミュウさん)」

 

 相手は足が短い。それ自体には利点も欠点もあるのだが。

 まず第一に足が短いことで、地面への安定性が増す。

 

 あの巨体を支えるのだ。太く短い足でなければ動くことすらままならないだろう。

 しかし、だからこそちっとやそっと揺さぶったところで転びはしない。

 

 問題ばかりだが、移動が遅くなるという欠点もある。

 それによって『逃げられなくなる』という、デメリットを相殺できるほど強いのだ。

 

 ヒエラルキーの頂点ならば逃げる必要もないのだろう。羨ましい。

 逃げられなくなるまで追い回すか、逃げられない場所まで追い込めばいいのだ。

 

 だから移動そのものは決して早くない。鈍重と言っても差し支え無いだろう。

 そしてそれは、セレニィが生きられている要因そのままにもなっている。

 

「(ただ、やはり人間様から見るとそれは弱点に繋がる…)」

 

 この程度の生態ならば、本来は獲物に普通に逃げられて終わりだろう。

 そして、敏捷性に特化した肉食獣に群れで襲いかかられれば危うい。

 

 洞窟内という閉鎖空間かつ足が取られる場所だからこそ、それが生きるのだろう。

 どんな場所でも、ある程度は適応力を望める人間のそれとは比較にならない。

 

 しかし経験則による知恵があるのかはたまた本能か… 相手も出口には近寄らせない。

 広い空間で獲物に逃げられれば終わりということを理解しているのだ。厄介だ。

 

「(だけど、だからこそ手が制限されてある程度は予測できるというもの…)」

 

 続けてセレニィは分析する。相手の第二の弱点を。

 それは細く短すぎる手だ。

 

 進化の途上かそれとも進化の限界なのか。

 二足歩行の生物にしては些か以上に短すぎる手である。

 

 あの小ささは、昔どこかで見た気がするティラノサウルスの骨格標本を思い出させる。

 アレのティラノサウルスの手も小さかったがそれに近いのではなかろうか。

 

 しかしその手にはしっかりと実用に足る指が備わっているようだ。

 道具の取り扱いに問題がないことは、相手が振り回す巨大な鉄塊を見れば分かる。

 

「(二足歩行と手の小ささによるリーチの短さ… それを道具で補う知恵もある、と)」

 

 オマケに余程使い慣れているのか、鉄塊を器用に扱いバランスを取っている。

 振り回す際の遠心力を、移動の補助に使っている様子すら見受けられる。

 

 小憎たらしいほどに知恵の回る生物である。

 獲物をなぶる性質があるなら、きっと本能ではなくある程度知恵が回るのだろう。

 

 けれどこちとら全生物で最大版図を誇る人間様だ。

 たかだか半魚人もどき、叡智によって制圧してくれる! セレニィはそう意気込む。

 

「やりますよ、ミュウさん!」

「ですの!」

 

「さて、まずはロープを…」

 

 さっきの燃やしたロープではなくもう一つのロープを取り出し、逃げ回りながら結ぶ。

 当然、結ぶ型はお馴染みわな結びである。

 

「っし、できた!」

 

 今度は手馴れていたのか極限による集中力かただの幸運か、手早く結び終えた。

 これの輪っかはかなり大きめに設定する。自分が二、三人分はすっぽり収まるほどに。

 

 そしてもう片方の先端をミュウのソーサラーリングに結びつけて完成だ。

 あとは輪っかの中に立ったままじっと待つ。怖いけど待つ。

 

 さて、動かなくなったセレニィを諦めたと見たのか。

 巨大半魚人はニタニタと笑いながら近付いてくる。まだだ… まだ動くな。

 

「はぁー… はぁー…(ヤバい、怖すぎる…)」

「大丈夫ですの! セレニィさんならきっとやれるですの!」

 

「そ、そっすね…」

 

 ミュウにはそう返したものの、セレニィ的にはこの世に自分ほど信用ならんものはない。

 とはいえ賽は投げられた。あとは開き直るしかない。

 

 ていうか、このまま普通に体当りされたりしたら死ぬんじゃないかな…。

 ヤバい、どうしよう… ゴーサイン出した後に、策の致命的な欠陥に気付いたが。

 

 それでも表向きはパニックにならずにその時を待つ。

 そして、ついに巨大半魚人は得物を振りかぶると… 全力で叩き付けてきた。

 

「よしっ! ミュウさん!」

「はいですの!」

 

 そのままミュウを抱えて飛びつつ、相手の鉄塊が着弾したところを見計らって…

 

「そのまま転がってください!」

 

 セレニィは、ミュウを放り投げた。

 

「はいですの!」

「いけぇ!」

 

「ミュウ… アターック! ですのー!」

 

 そのまま第三音素である土の力がソーサラーリングに沸き起こる。

 それはミュウに不思議な力を与え、回転させて突進力を与える。

 

 岩をも砕くミュウアタックの発動である。

 それはわな結びとなったロープの輪を狭め、相手の得物である鉄塊を絡めとる。

 

「よし、そのままごー!」

「ですのー!」

 

 しかし、相手も只者ではない。即座に得物を持つ手に力を込める。

 

 岩をも砕くミュウアタックであるが、その力は単純な突進力によるものではない。

 ソーサラーリングによって増幅された音素の力という側面が大きい。

 

 無論、突進力もないわけではないが純粋に力のある相手を振りきれるほどではない。

 結果として、一進一退の綱引きのような攻防になる。

 

「がんばれ、ミュウさん!」

「ぐぬぬ… ですのー!」

 

「って、ヤバい… このままじゃロープが!」

 

 ロープが悲鳴を上げて千切れようとしている。このままじゃ失敗だ。

 なぶり殺しにされてしまう。どうする、どうする… テンパった頭でセレニィは考える。

 

 そして…

 

「こ、こんにゃろー!」

 

 ディストから与えられた棒で、巨大半魚人の得物を持った方の腕を思い切り叩く。

 かような暴挙に出るにまで至った。

 

「(や、やってしまった… こんなの通じるわけないし)」

 

 こうなったら拮抗している今のうちにミュウを見捨てて逃げるか?

 そう考えた時、巨大半魚人が苦しそうな悲鳴を上げて手を離す。

 

 そのまま鉄塊は地面に落とされ、ミュウアタックの突進力に引き摺られていく。

 ここにきてセレニィはようやく理解した。

 

「あ、そうか… 腕が細いから弱点でもあったのか」

 

 得物は体躯の力で持ち上げていたに過ぎなかったのだ。

 そう言われてみれば、その手は華奢で小さかった。

 

 何度も情報は出ていたはずであった。これは迂闊の一言であった。

 

「つ、つかれましたですのー!」

「……っと、いけない」

 

 ミュウアタックの発動が終わり、ミュウも疲れから熱蒸気を出しつつ目を回している。

 その一方で巨大半魚人は腫れ上がった手を庇いつつ、得物を手に取ろうとしていた。

 

「そうはさせるかぁ! その背中、隙だらけだぜぇ!」

 

 セレニィは邪悪な笑みを浮かべて、巨大半魚人のその無防備な背中に迫る。

 

 ディストから与えられた棒… その赤いボタンを強く押しながら、大きく振りかぶる。

 棒に力が宿っていくのが分かる。なるほど、これが岩をも砕く破壊力か。

 

「必殺、岩砕棍(がんさいこん)ッ!」

 

 それは第三音素の力を纏い、ミュウアタックの力を込めたまま振り抜かれた。

 勿論狙うはお辞儀をするように下げた後頭部… ではない。

 

 巨体を支えて負担がかかっている足… その片方を正確に払い上げた。

 バランスを失った巨大半魚人は、天井を見上げるような姿勢のまま…

 

 ズシンと、洞窟内にその巨体を横たえた。

 

「フフン、なんてね」

 

 策がまんまと嵌まり、ドヤ顔を見せるセレニィ。

 

 一方半魚人は起き上がれないのか、ジタバタとしている。

 それに対してセレニィは、聞かれもしないのに解説を始めた。

 

「あなたの弱点はその短い手足。確かに立っている時の安定感は抜群でしょう」

「ですの?」

 

「ですが一度転んでしまえば、壁なしでは立ち上がることも難しい!」

「おおー、ですのー!」

 

「まして(偶然だけど)広間中央に誘い込まれ、腕と足を負傷した今では絶対不可能!」

 

 なお、聞かれもしないのにペラペラ解説しだすのは死亡フラグである。

 それを危惧したわけではなかろうが、ミュウが声を掛ける。

 

「セレニィさん、出口、いかないですのー?」

「おっと、そうでしたね」

 

 ミュウを回収し、互いに満身創痍ながらも笑顔で出口に向かう。

 そんなセレニィの前に…

 

 ズシンと、新たな音が響いた。出口の光が塞がれる。

 

「グワォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!」

 

「………」

「………」

 

 巨大半魚人さん、おかわりである。先ほど相手にしたものより少し大きい。

 旦那さんか奥さんだったのだろうか? 滅茶苦茶怒っていらっしゃる。

 

「ど、どうするですのー!?」

「あ、慌てない! 絶対保身するマンは慌てない。ひとまずロープを… もうない!」

 

「す、すっごく怒ってますですのー!?」

 

 それまでの疲労が一気にきたのか、ガクリと膝をつく。

 コンディションは最悪。道具もない。そして相手は本気。

 

「(あはは… もう、死ぬしかないのかー…)」

 

 流石のセレニィも諦めた。その時、奇跡は起こった。

 

「よくもセレニィに… 本気、出しちゃうんだから」

 

 その声は、忘れようはずもなかった。

 巨大半魚人は出口から聞こえてきたその声に振り返り、得物を振り上げる。

 

「あ、危ない! 逃げてください!」

 

 最悪の光景を予想してセレニィは叫ぶ。しかし、それは杞憂に過ぎなかった。

 

「これで終わり… イービルライト!」

 

 旋風が巻き起こり、巨大半魚人がその肉を切り刻まれる。

 それだけでも致命傷であったが、直後に極太のビームが相手を襲う。

 

 巨大半魚人は跡形もなく消し飛び、再び出口の光が目に入ってくる。

 ただし、今回は小柄な影を浮かび上がらせながら。

 

 そして『彼女』はセレニィに近付くと、笑顔を浮かべてこう言った。

 

「セレニィ、久し振りです。アリエッタ… 来ちゃったです。えへへ」

 

 萌えの化身・大天使アリエッタの降臨であった。



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91.お説教

 巨躯の魔物を討ち滅ぼし、出口の方から姿を現したのは見覚えのある人物であった。

 その人物こそ、誰あろう… セレニィが愛してやまないアリエッタその人である。

 

「ア、アリエッタさん… なん、ですか?」

「うん。アリエッタだよ… セレニィ」

 

「会いたかった… ずっと、会いたかったです!」

 

 目にうっすらと涙すらも浮かべて、そう訴えかけるセレニィ。

 そんな彼女に、アリエッタは天使の微笑を浮かべつつ両手を広げ… そして言った。

 

「……おいで、セレニィ」

「アリエッタさああああぐへぁっ!?」

 

「セレニィ、ここにいたのね!」

 

 だが、セレニィにアリエッタとの抱擁を交わされる機会が訪れることはなかった。

 背後からの強烈なタックルにより、顔から地面にダイブすることとなったからである。

 

 果たして何者であるのかは言うまでもないだろう… 無論、ティアさんである。

 

「セレニィ、セレニィ、セレニィ! あぁ、無事でよかったわ!」

「ぐえええええ。ちょっ、苦しい… はなし…」

 

「ティアお姉さんが来たからもう安心よー? うふふー…」

「人の話を… ちょ、やめて! ほっぺたすりすりだけは… ぎゃあああああ!」

 

「……あ、うん。セレニィ、無事でよかったです」

 

 戦利品とばかりにセレニィを抱え上げ、存分に彼女と自分の頬を擦り合わせている。

 なおアリエッタは「おいで」の構えを解き静かに距離をとった。護身完成である。

 

 誰も彼もが強く生きられるわけではない。弱肉強食は自然界の悲しき宿命なのである。

 

「アリエッタさん、おひさしぶりですの!」

「うん… ひさしぶり、ミュウ」

 

 セレニィという尊い犠牲を捧げつつ、ミュウと再会の挨拶を交わす。

 そこに、ティアに遅れていた仲間たちが追いついてきた。

 

「おー、いたいた… ったく、ティア。勝手に突っ走るんじゃねーよ」

「無事セレニィとも合流出来たみたいだな… お? アリエッタじゃないか!」

 

「ん… ルーク、ガイ、ひさしぶりです」

「あー! 根暗ッタじゃん! 元気してたー?」

 

「もう! アリエッタ、根暗じゃないモン! アニスの意地悪!」

 

 かくしてティアにあれこれされているセレニィを余所に、再会を喜び合う面々。

 そしてそれは、ほぼ初対面同士の触れ合いも意味していた。

 

「あなたが六神将が一人、“妖獣”のアリエッタ… でしたわね」

「そう、です。えっと… ナタリア、殿下?」

 

「フフッ、わたくしはナタリアで構いませんわ。これからお忍びになるわけですし」

「………」

 

「その代わり、あなたのことをアリエッタと呼んでもよくって? お友達として」

「ん… わかったです。ナタリア… よろしく、です」

 

「ありがとう、アリエッタ。これからよろしくお願いしますわね」

 

 そう言って、ニッコリ微笑みつつナタリアはアリエッタに向けて手を差し出した。

 それに対しコクンと一つ頷き、少し背伸びしながら握り返したアリエッタ。

 

 新たな出会いが新たな絆を紡ぐ。どこか穏やかでありながらも感動的な光景である。

 ……背景でティアに襲われている最中という、セレニィの惨劇に目をつぶれば。

 

 巨大半魚人との戦い以上に疲労しながらも、なんとかティアの戒めを脱したセレニィ。

 もみくちゃにされて乱れてしまった衣服を整えながら、彼女は尋ねる。

 

「そういえば、ティアさんだけ追い付いてくるの早かったですね…」

「ん? そうね。まぁ、仕方ないわ… みんな私ほどの愛は持ち合わせてないから」

 

「(戯言乙)……なにかカラクリでも? 何かあるなら参考にしたいなって」

「いえ、セレニィの匂いを辿って走ってただけだよ。何も特別なことはしてないわ」

 

「うわぁ… ティアさんって、ホント救いようのない変態さんですねぇ」

 

 変態(セレニィ)はイオンの匂いを嗅ぎ分ける自分のことを棚に上げて、笑顔で変態(ティア)を罵った。

 しかし、残念ながらそれは変態(ティア)にとっては単なるご褒美に過ぎなかったという。

 

 

 

 ――

 

 

 

 アラミス湧水洞を出てすぐのところにある第四石碑の丘の前は、広場となっている。

 一同は休憩を兼ねてそこにシートを敷いて、お弁当タイムとすることと相成った。

 

 セレニィが腕によりをかけて作った弁当は、どれも美味しそうで食欲をそそる出来だ。

 唐揚げ、卵焼き、ウィンナー、おにぎり、サンドイッチ、ナポリタンと定番である。

 

「ふむ… パスタを具材と混ぜて炒め直したわけですか。珍しい調理ですねぇ」

「うめぇ! 弁当にパスタなんてって思ったけど、これなら全然食えるな!」

 

「フッフーン! 戦闘でアレな分、せめてこれくらいは役に立ちませんとねぇ…」

「えぇ、貴女には本当に足を引っ張られてますからねぇ。……先程の件といい」

 

「はうあっ!? そ、それはですね…」

 

 手の込んだ弁当に舌鼓を打つルークを余所に、溜息とともに嫌味を言うジェイド。

 セレニィは言い返せないが、怒ったアリエッタがムッとした表情を浮かべ口を開いた。

 

「そんなことないもん! セレニィをイジメないで! ジェイドの意地悪!」

「おやおや… 私は、単なる事実を口にしただけなんですけれどねぇ?」

 

「おい、旦那… 事実でも言い方ってもんがあるだろ? 無事でよかったじゃないか」

「そうですよ。突出してしまったのは確かですが、自分たちでフォローすれば…」

 

「今回はそれで良かったとしても、繰り返されても困ります。問題点は詰めないと」

 

 ガイとトニーが見兼ねて擁護するものの、ジェイドの正論の前に揃って言葉を失う。

 渦中のセレニィその人は「あ、あははー… 弁当うめー…」と小さくなっている。

 

 働かないで食べる飯が旨いニートを通り越して、足引っ張って食べる飯が旨い状態だ。

 針のむしろな状態の中、セレニィは顔色が悪いまま弁当の咀嚼作業を継続している。

 

 仲間の視線がモキュモキュ口を動かす自身に集中しており、大変に居心地が悪い。

 それでもそれは責める視線ではなく、心配する視線なのが彼らの性格を表しているが。

 

 とはいえその中に例外が二人いる。睨み合いを続けているアリエッタとジェイドだ。

 

「もー! ジェイド、セレニィにひどいこと言ったんだから謝って! はやく!」

「困りましたねぇ… しかし、私は間違ったことは言ってないつもりですが」

 

「ま、まぁまぁ… アリエッタさん、その、今回は私が全面的に悪かったわけですし」

「でも、でも… セレニィは弱くない! 一人でお魚さんだって倒せたもん!」

 

「ほう… あの巨大な魔物を倒したのはアリエッタ、貴女ではなかったのですか?」

 

 涙目になりつつ庇ってくれるアリエッタの献身は、素直に嬉しいし可愛いと思う。

 だが、状況がどうもよろしくない方向に傾いている気がする。セレニィはそう感じた。

 

 それを裏付けるように、ジェイドの口元には笑みが浮かんでいる。やはり確信犯だ。

 なんとか話を変えないと碌なことにならない… そう考え周囲を見渡すセレニィ。

 

 そこに天の差配か、ナイスタイミングでこちらの隙を窺う野生動物の姿を瞳が捉えた。

 気付くが早いかこのネタを手に、セレニィは大きな声で二人の口論に割って入った。

 

「とーぜん! アリエッタ、最後に来ただけだもん! 全部セレニィがやったの!」

「ふむ、まさかあの魔物を『二体も』倒せるとは。これは私が間違ってましたか」

 

「えっ? いや、その、二人目はアリエッタが倒したけど…」

「おや、二体とも倒したわけではない? ではやはりセレニィは弱いのですね」

 

「! そんなことない! セレニィだったら何人相手でも楽勝だもん! 強いもん!」

「(話が大きくなってる!?)ふ、二人とも! それよりホラ、魔物があっちに」

 

「ふむ… しかし口だけならば何とでも言えますしね。実際に目にしないことには」

「だったら… あの魔物くらいセレニィ一人で追い払ってみせるもん! 平気だもん!」

 

「ほわっつ!?」

 

 売り言葉に買い言葉? いやいや、全てはこのジェイドSのシナリオ通りだろう。

 満面の笑みを浮かべ、アリエッタの提案に「それは素晴らしい」と手を叩くジェイド。

 

 気の毒そうに見守る仲間たち… 一部ティアやイオンは期待に目を輝かせているが。

 かくてセレニィは単独特攻を余儀なくされた。だが一縷の望みにかけて抵抗する。

 

「あの、その… 縛りプレイなんてナンセンスなんじゃないかなぁ、と…」

「ふむふむ、なるほど… 貴女の仰りたいことはよく分かりましたよ」

 

「分かってくれましたか! そうですよ。ここは友情パワーでフクロにしましょう!」

「と、彼女はこう言っていますが? アリエッタ」

 

「セレニィ… ううん。アリエッタ、ワガママだったね。えっと、ゴメンね?」

 

 アリエッタは瞳を涙で潤ませつつも、しかしセレニィを責めることなく健気に微笑む。

 そんな少女を前にして、変態の出せる返事など一つしかない。それは確定していた。

 

 全てを悟ったような苦み走った笑みを浮かべて、セレニィは棒を手に立ち上がる。

 相棒であるミュウは肩に乗せ、グローブをキツく嵌め直した。……臨戦態勢は整った。

 

「ちょっ! 無茶だよ、セレニィ。大佐の挑発になんて乗らなくても…」

「止めないでください、アニスさん。……男にはやらなきゃいけない時があるんです」

 

「うん、分かったよ。もう止めない… アンタ、女だけどね」

「……うん、出来ればもうちょっとだけ止めて欲しかったですけどね」

 

「セレニィ、がんばって! 私もまだ届かない教官を降したあなたならできるわ!」

 

 あっさり止めるのを諦めたアニスを尻目に、ティア始め仲間たちの激励が降り注ぐ。

 そう、男にはやらなければならない時があるのだ。……今は、生物学的に女だが。

 

「や、やってやらぁ!」

「ですのー!」

 

「ガルルルルルル… ガウッ!」

 

 

 

 ――

 

 

 

 しばらくして、ヘトヘトに疲れ果てながらもセレニィはなんとか魔物を追い払った。

 一体だけならまだあしらえたが、なんか時間経過毎にドンドン増えていったのだ。

 

 増援については、途中からジェイドの指示を受けたティアとナタリアが追い払ったが。

 そんなことも知らずに、セレニィはシートの上で大の字になり荒い息を吐いている。

 

「ま… お仕置きはこれくらいで勘弁してあげましょうか」

「こ、このドSめ…」

 

「なるほど、さらなる追加メニューがお望みですか… 中々に欲張りさんですねぇ」

「ひぎぃっ! め、滅相もないです… はい!」

 

「まぁ、これに懲りたら作戦面のみならず探索面でも慎重さを覚えなさい」

「ぐぬぬ…」

 

「おや、返事が聞こえませんねぇ?」

 

 ジェイドに完全降参したセレニィは小さな声で「……ふぁい」と返事をするのであった。

 彼女が戻しそうになりながら頬張った弁当は、ほんのりしょっぱい涙味がしたという。



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92.愚者

 食後のややハードな運動も終わり、一同はそれぞれ思い思いに身体を休めていた。

 そんな彼らを見渡し、手頃な大きさの石に腰掛けながらジェイドが口を開いた。

 

「さて皆さん… 今後の予定について、一つ方針を確認してはおきませんか?」

「確認ってもなぁ… ダアトってトコは目と鼻の先なんだよな? なら寄るんだろ」

 

「……それはどうかな? ダアトは教団の総本山だ。今や敵地と言ってもいいぜ」

 

 地理的に当然寄るだろうと思っていたルークに対し、ガイが慎重な意見を口にした。

 ハッと表情を強張らせるイオン。なるほど、といった具合に頷いてみせるティア。

 

 皆の反応はザッと見ただけでも様々… だが、一様に危険を再認識した様子であった。

 

「(うんうん… 敵地にわざわざ特攻するなんて正気の沙汰じゃないよね)」

 

 セレニィもその一人… いや、彼女は以前よりダアトの危険を認識し訴えてきた。

 今更改めてガイに言われるまでもなく、そのようなことは既に百も承知なのだ。

 

 当然、ジェイドの話の内容… というより、その本題についても見当がついていた。

 ガイのルークに返した言葉に一つ頷きながら、ジェイドは口を開き提案を発した。

 

「私たちは今現在、重要な使命を背負っています」

「この外殻大地を消滅の危機から救う。そのために戦争を止めること… ですわね?」

 

「えぇ、ナタリア殿下… ですので、当然この責務は確実に果たさねばならない」

「……はい?」

 

「どうしました、セレニィ?」

 

 彼女にとってはどうしたもこうしたもない。外殻大地消滅の危機とか初耳なんですが。

 慌ててその旨を申し出ればジェイドは大きく溜息を吐いてから、にべもなく答えた。

 

「……キチンと説明したはずですよ」

「え? 覚えがないんですけど…」

 

「貴女がユリアシティで目覚めて食事を摂っている横で、経緯について説明しました」

「(あの時かぁー!?)」

 

「あまり無駄な時間を取らせないでください。……話を戻しますよ?」

 

 あの時は食事に夢中であったため、ジェイドがした説明の内容などまるで覚えてない。

 説明されていたことすらおぼろげだ。アニスの料理が絶品だったのは覚えているが。

 

「(や、やっちまったぁー!?)」

 

 まさに痛恨の自業自得。

 

 こんなことなら、たとえ見放されようとユリアシティに引き篭もって居たかった。

 そうセレニィは思うものの、全ては後の祭りである。

 

 頭を抱えて項垂れる彼女をよそに、ジェイドは話を続ける。

 

「私たちは重要な使命を背負っており、ここは危険地帯… ここまでは良いですね?」

「はい。となればジェイド… より一層、慎重を心掛けて進もうということですか」

 

「えぇ、トニー… 貴方の言うことは当たらずとも遠からず、といったところですね」

「……と、言いますと?」

 

「そもそも無用なリスクは避けるべき、ということです。我々にはアリエッタもいます」

 

 ジェイドの言葉に、一同の視線がアリエッタに集まる。

 

 ……とはいえ、当の彼女本人はあまりよく分かってないようで小首を傾げているが。

 そして抱いた疑問をそのままに、アリエッタは口を開いてジェイドに尋ねる。

 

「えっと… どういうこと? アリエッタ、何をすればいいの」

「おや、言葉が足りませんでしたか。アリエッタ、貴女は空を飛ぶ魔物を操れますね?」

 

「むー… 操る、違うもん! お願いするの!」

「そうです! アリエッタさんの友達をモノ扱いしちゃったらダメですよ! ねー?」

 

「えへへ… ねー?」

 

 落ち込んでいた状況から復活をしたセレニィが、そこに積極的に茶々を入れてくる。

 ジェイドの言葉尻を捕まえながら、アリエッタとお互いに笑顔で頷き合う。

 

 ティアやナタリアなどは萌えているものの、ジェイドにとってはウザい事この上ない。

 セレニィの復活が早いのはいつものこと。眼鏡を直しつつ、静かに溜息を吐いた。

 

 ここは素直に降参しておいた方がいいだろう。その判断からアリエッタに合わせる。

 

「これは失礼しました。……アリエッタ、貴女の大切な『友達』でしたね」

「ん… わかってくれれば、いいよ」

 

「フッフッフッ… 優しい優しいアリエッタさんによく感謝することですね。ドS」

「はいはい、私の負けですとも。それでは話の続きをしても構いませんか?」

 

「あはは… どうぞどうぞ。大事な話の腰を折って、申し訳ありませんでした」

 

 苦笑いを浮かべるセレニィの姿に怒る気持ちすら消え失せ、呆れた表情で話を続ける。

 ジェイドの話とは、大雑把にまとめると以下のような内容のものであった。

 

 ・我々は外殻大地の救済という、失敗してはならない重要な使命を背負っている。

 ・加えてメンバーには要人も多く、邪魔が入れば致命的な問題になりかねない。

 ・ゆえにリスクは可能な限り切り捨てて、最短ルートで目的地を目指すべきである。

 

 これを実現するために幾つかの障害があるが、その多くはアリエッタが解決できる。

 彼女に空飛ぶ魔物を手配してもらい、空路により帝都グランコクマを目指すのだ。

 

 セレニィはこれに満足気に大きく頷いた。特にリスクを排除する方針というのが良い。

 

「素晴らしい! 全く以て一分の隙もない、見事な提案ではありませんか!」

 

「いやぁ。そこまで持ち上げられると、些か面映ゆい気分になりますねぇ」

「またまたご謙遜を。『なんて冷静で的確な判断力なんだ!』って思いましたもん」

 

「ですのー! なんだかよく分からないですけど、ボクもそう思いますのー!」

 

 リスクを避けて行動するとなれば、それだけ事故死をする可能性が減る。

 それは、雑魚にとってはとてもとても素晴らしいことだ。

 

 そもそもオールドラントは色んな意味で雑魚には生き辛い世界である。

 なのに、何が悲しくて毎度毎度自分でハードルを上げなければならないのか。

 

 セレニィは自分の自業自得ぶりを棚に上げて、そっと目頭を押さえた。

 そして得意の舌先三寸で、仲間たちの意見を望む方に傾けようとしている。

 

「俺たちも慎重に動かねーといけねーってワケか。なーんか、めんどっちいよなぁ」

「まぁまぁ、ルークさん。古くから『君子危うきに近寄らず』とも言いますし…」

 

「僕もダアトの現状は気になりますが、確かに今はリスクが大きいかもしれませんね」

 

 ルークもイオンも、ジェイドとセレニィが言うならばと方針の変更へと心が傾く。

 もとより大局を見ようとするナタリアやガイは、ジェイド寄りの意見を持っている。

 

 トニーは軍人として、上官たるジェイドの作戦には常に従う心構えを抱いている。

 ティアもその心構えがないことはないだろう。多分、おそらく、メイビー。

 

 アリエッタとしても、恩人と思っているセレニィの頼みとあらばまず断ることはない。

 さて、これで話は決まったかと思われたところに慌てた様子で口を開いた者がいた。

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいよぅ! いいじゃないですかぁ、少し寄るくらい…」

 

 アニスである。

 

 彼女からしてみれば、当然、故郷であるダアトに立ち寄れると思っていたのである。

 それが蓋を開けてみれば、トントン拍子に立ち寄らぬ方向に話が進んでいるのだ。

 

 勝手な思い込みと言われればそれまでだがそこはそれ、不満の一つとて言いたくなる。

 

「ふむ。アニスは反対ですか? 提案について、出来る限り説明したつもりですが」

「そ、それは… 内容については分かりましたけどぉ。でも、なんていうか…」

 

「アニス… そうでしたね。僕と違ってアニスにとっては慣れ親しんだ故郷ですしね」

「あ、その… イオン様を蔑ろにしたい訳じゃないんですけどぉ。ちょっとなら…」

 

「………」

 

 アニスとて、ジェイドの提案… そして説明に時間を割いた意味は理解している。

 彼は人の心の機微に疎く、他者に対する配慮というものを軽視しがちである。

 

 それでも彼なりに仲間を想えばこそ、出来る限り人に合わせて口を開いたのだ。

 聡いアニスはそれを理解している。けれども、アニスはまだ13歳の子供でもある。

 

 周囲の視線が彼女に集まる。しかしそれは責めるようなものではなく、同情のものだ。

 その中でも、特にガイは最初に慎重な意見を出しただけに居心地悪そうにしている。

 

 セレニィは勿論のこと16歳のアリエッタよりも背が高くて、お姉さんぶっていても…

 まだまだ親に甘えたい盛りの子供なのである。『分かる』と『出来る』は違うのだ。

 

「(以前ダアトを訪れてから数ヶ月。確かにアニスは私とは事情が違いますからね…)」

 

 ジェイドは内心でそう独りごちる。

 

 イオンとジェイドに頼まれたとはいえ、とるものもとりあえず故郷を飛び出したのだ。

 暴動のどさくさにという背景もあり、両親に別れを告げる暇とてありはしなかった。

 

 たかが数ヶ月と言うなかれ、オールドラントの一月は約六十日。子供には長い時間だ。

 更には何度か、戦闘や危険に見舞われながらもようやく故郷の目前まで戻ってきた。

 

 このタイミングで故郷や家族に想いを募らせてしまっても、無理からぬことであろう。

 それを察したのか、ジェイドは言い聞かせるような穏やかな口調でアニスに語りかける。

 

「アニス… 私は、貴女への配慮が欠けた提案をしてしまったかも知れません」

「そ、そういうんじゃなくて… その…」

 

「ですが、これは世界のための行動です。当然、貴女のご家族のためでもあります」

「………」

 

「辛いなら私を恨んでくれて構いません。……どうか分かってください、アニス」

 

 そうまで言われてしまっては、アニスとてこれ以上頑迷な態度を取ることは出来ない。

 何より理屈の上ではジェイドの言葉が正しいと、彼女自身も既に理解しているのだ。

 

 みんなを困らせるのは本意ではない。彼女なりに仲間のことは大事に思っている。

 だからこそ、彼女は精一杯の笑顔を浮かべ殊更になんでもないことのように振る舞った。

 

「な、なーんてね! やだなぁ、本気にしちゃって。言ってみただけですよぅ」

「………」

 

「だいたいアタシ、根暗ッタと違っておこちゃまじゃないですしー?」

「むー… アリエッタ、子供じゃないもん! アニスの意地悪ぅ!」

 

「そうやって膨れるところが子供なんだよねー。根暗ッタには難しかったかなー?」

 

 アニスは子供である。しかし、年齢の割には聡く… 空気の読める少女でもあった。

 だからこそ、自分の気持ちを押し殺して笑顔でジェイドの提案を後押しできた。

 

 それは、彼女の強さでも弱さでもあるかもしれない。だが彼女の『生き方』でもある。

 そして彼女なりの謝罪の印として、場の空気を変えようと試みるのであった。

 

 ……弄られ役にされたアリエッタ本人にしてみれば、とんだとばっちりではあるが。

 

「(うん… 後でお菓子でも作って、アリエッタには差し入れよっと)」

 

 胸中でアリエッタへと詫びながら、アニスはそう思った。

 アニスの願いが功を奏したのか、場の空気は幾ばくか柔らかいそれへと切り替わる。

 

 そんな空気の変化を敏感に感じ取り、更にすかさず動いたのがセレニィであった。

 自らの両手を叩きながら注目を求めつつ、更には笑顔を浮かべて言葉を紡いだ。

 

「はいはーい! みなさん、どうやらお話の方もまとまったようですねー」

「ま、そうなりますねぇ。ではセレニィ、仕上げは貴女に任せましょう」

 

「かしこまり! それではみなさん、改めて今後の方針について発表しますねー?」

 

 ジェイドの後を継ぐ形で場を任されたセレニィが、笑顔で議論を締めにかかる。

 一同は頷いて彼女の方を向く。当然、気丈な笑みを浮かべたアニスも例外ではない。

 

 その時、セレニィの瞳が光を放ったことに気付く者は… 残念ながらいなかった。

 

「私たちはダアトに立ち寄り、物資の補充及び情報収集に務めるものとします」

「ですのー!」

 

「………」

 

 セレニィが発したまさかの発言に、周囲の面々は皆一様に言葉を失う。

 果たして土壇場でちゃぶ台返しをかます彼女の胸中には、いかなる秘策があるのか?

 

「(あはは… アニスさんのあんな辛そうな笑顔、放っておけないからなぁ)」

 

 特に深い考えがあるわけではない。アニスのさみしげな笑顔を見て心を固めたのだ。

 美少女の笑顔を曇らせたくない。その一心で、場を引っ掻き回してしまったのだ。

 

 勢い任せの行動ここに極まれりである。だが、自分の発言に責任は取らねばならない。

 

「(さて… 考えたくもなかったけど、ダアトに立ち寄るメリットはあるにはある)」

 

 軍人畑のジェイドでは気付きえぬ視点ではあるが、セレニィなりに考えはあった。

 だが言うまでもなく、それはリスクと表裏一体の危険な賭けであるとも言える。

 

 しかし事ここに至っては腹を括るしかないだろう。セレニィは更に笑顔を浮かべた。

 

「(生半可な提案じゃ叩き潰される。しっかり理論立てて説明していかないとね)」

 

 脳内で算盤を高速で弾きつつ、彼女は自己満足からの己の言葉を紡ぐことになる。

 ジェイドの気持ちを台無しにして、自らも危険に晒す愚策中の愚策に進む道だ。

 

 けれども、それが彼女の『在り方』なのであろう。決して褒められたものではないが。

 

「ジェイドさんの仰る通り、私たちには重要な使命がありますね」

「そ、そうだよっ! だから…」

 

「そう! 『だから』こそ、立ち寄らねばならない。それを今からご説明致しましょう」

 

 アニスは子供である。しかし、年齢の割には聡く… 空気の読める少女でもあった。

 だがここに一人、空気の読めない愚か者がいたことだけは彼女の計算外であった。

 

「ほう。どんな考えがあるのか、一つ聞いてみるか… 期待してるぜ? セレニィ」

「はいです。ガイさんのご期待に応えられるかどうかは分かりませんけどねー」

 

「………」

 

 だが愚か者でもないと、この状況で子供(アニス)の心を救おうとは思わなかったのかもしれない。



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93.方策

 九分九厘まとまっていた方針が土壇場でひっくり返され、振り出しに戻ってしまった。

 ……今現在の彼らの会議の状況を説明するならば、このような形になるのだろうか?

 

 一方で渦中の人となったセレニィは、慌てず騒がず頬に手を当て何やら考え込んでいた。

 

「(さぁて、どっから話したものかなー…)」

「何やら思案中のようですが、セレニィ… 私からひとつよろしいですか?」

 

「あ… はいはい、どうぞ。なんなりとおっしゃってくださいな」

「どうも。……貴女は先程あれだけ持ち上げておいて、その意見を否定するのですか」

 

「おや、そう聞こえてしまいましたか?」

「えぇ。まさか『賛成したと言ったつもりはない』とでも仰るつもりで?」

 

「なるほどなるほど… ジェイドさんはまずそこが引っ掛かってるのですねぇ」

 

 セレニィが考え込んでいると、意見を台無しにされたジェイドの方から口火を切った。

 彼からすればこの世界を救うための行動指針を、彼なりに噛み砕いて説明したのだ。

 

 それがセレニィの急な翻意による、よく分からない横槍によって揺らがされているのだ。

 一言ならず物申したくなるのは当然であるし、理由を問い質すのもまた必然であろう。

 

 そんなジェイドの言葉に対する、セレニィ本人の反応はといえば… 微笑んでいた。

 訝しげな表情を浮かべるジェイドだが、それこそが彼女の待ち望んだ質問であったのだ。

 

「(渡りに船ですねぇ… くふふ、そこをまずハッキリさせようじゃありませんか)」

「……どうしましたか、セレニィ?」

 

「おっと、失礼。そう… 確かに、ハッキリさせないといけない部分ですよねぇ」

「えぇ、ハッキリさせていただけると助かりますね」

 

「結論から申し上げれば、ジェイドさんの仰った内容… 私はまるっと大賛成です」

「ほう?」

 

「……我々は世界を救う崇高な使命を背負っており、決して失敗は許されない」

「先ほど私が語った内容ですね」

 

「えぇ、全く以て仰るとおり! コレについては、皆さんとしても異論はないのでは?」

 

 セレニィが胡散臭い笑顔を浮かべ一同に視線をやれば、皆それぞれ頷きを返してくる。

 まさに『暖簾(のれん)に腕押し』といったところ… 要領を掴ませないままヘラヘラと笑う。

 

 そんな彼女の態度で納得するわけもない。当然、ジェイドは無言のままにその先を促す。

 

「繰り返しますが、ジェイドさんの仰った大きな方針そのものには賛成なんですよ」

「となれば… ダアトを素通りする、という一点についてのみ異があると?」

 

「はいです。これについて、少しばかり話が長くなりますがよろしいですかね?」

「構わないぜ。是非聞かせてくれ」

 

「ま、そーだな。どうせ飯食った後で今も休憩中みたいなもんだし、聞かせてくれよ」

 

 確認を取ればガイやルークを始めとした仲間も頷いて、彼女の話の続きに耳を傾ける。

 ジェイドも機嫌は治ったようで同調している。元々怒りもなかったかもしれないが。

 

 そんな彼ら… 特にジェイドの様子に、セレニィは内心でホッと安堵の溜息を漏らした。

 

「(ふぅ… まずは第一段階突破、と)」

 

 元々セレニィにはジェイドの意見に真っ向反発し、議論を拗らせるつもりは毛頭ない。

 そもそも安全策を採りたいのは彼女の本心だ。それを否定しては今後に差し支える。

 

 それに幾らアニスのためとはいえ、セレニィの行為はただのお節介かつ我侭に過ぎない。

 そんなことで関係に溝を作ってしまっては、真実が露見した折には捨てられかねない。

 

 所詮はうっかり者の三文役者。これまでのようにこれからも凡ミスを重ねるだろう。

 ならばこそ、建設的かつ和やかな議論という体を取りつつ思考を誘導しようではないか。

 

 それこそがセレニィの真の狙い。折衝役と表現すれば聞こえは良いが要は太鼓持ちだ。

 

「私たちの今現在の状況は… うん、『任務』と捉えるのが手っ取り早いですかね」

 

「任務? ……それは私の『ヴァンを殺す』任務のようなものかしら、セレニィ」

「……ティアさんの任務は『第七譜石探索』だった気がするんですが気のせいですかね」

 

「フフッ、そんなこともあったわね。私の事になると詳しいのね、セレニィ」

「ひょっとして… 愛ですの?」

 

「ちーがーいーまーすー! えっと、ティアさんは人類の例外なので置いておきます」

 

 言われるまでもないとばかりにティアとナタリアを除いた全員が頷く。話が進まない。

 出鼻をくじかれる形になって、ややゲンナリとした表情でセレニィは言葉を続ける。

 

「さて… 軍隊において大切なものについてご教示いただけますか? トニーさん」

「ふむ、自分で良ければ… そうですね。なにはなくともまずは物資ですね」

 

「ふむふむ」

「当然、物資の補給を支える兵站も… 優れた指揮官に勇敢な兵士も大切です」

 

「ですねー。全く以て仰るとおりだと思います」

「それから何よりも大切だと自分が考えるのは… やはり『情報』でしょうか?」

 

「はい、そのとおり! たった今トニーさんが大変重要なことを仰ってくれました!」

 

 人類の例外を相手にしちゃうから悪いのだ。話題におけるターゲットは常識人に絞ろう。

 そんな考えのもとにトニーに話題を振れば、彼は期待通りの回答を導き出してくれた。

 

 嬉しくなったセレニィが若干過剰に褒めれば赤くなり頭を掻く。仕草まで常識人だ。

 我が意を得たりとばかりに、セレニィは自慢の口車をフルスロットルで回転させ始める。

 

「イオン様は先程こうおっしゃいましたよね? 『ダアトの現状が気になる』と」

「えぇ、そうですね。僕は先程、確かにそう言いました」

 

「これは極めて重要なこと。敵を知り己を知ればなんとやら、とも申します」

「あ、いえ。そこまで深い意味はなかったのですが…」

 

「直感で何が重要か理解するのも、上に立つ者として必要になる資質ですとも」

「そ、そういうものなのでしょうか… 少し、照れますね」

 

「(はわー…。ほんのり頬を赤く染めて俯いているイオン様、萌え… ふへへ…)」

 

 照れるイオンに萌えて笑顔を浮かべつつも、口の端からほんのり涎を垂らすセレニィ。

 そんな彼女のトリップを中断させるのは、言うまでもなくジェイドその人であった。

 

「情報の重要性は理解しています。ですが、リスクと釣り合っているようには…」

「えへへへ…」

 

「……セレニィ?」

「おっと、失礼。えぇ、『私たちだけ』で見ればその判断に落ち着くでしょう」

 

「なるほどなぁ… そういうことか」

「ふむ、どういうことでしょうか? ガイ」

 

「今、この世界のために動いているのは俺たちだけじゃない。そう言えば伝わるか?」

 

 ガイの指摘したとおり、一行は同じ志を持って活動する面々のうちの一つに過ぎない。

 使命を任務で例えた出来事に沿うならば、いわば『独立行動中の一部隊』だろうか。

 

 もしも自分たちが情報を活かせなかったとしても、それを全体で考えればどうだろうか?

 なるほど、その優位性は数が増えるほどに比例級数的に跳ね上がっていくに違いない。

 

「(ふむ… セレニィの話の骨子はコレですか。確かにダアトに立ち寄る意味はある)」

 

 ダアトの現状について知りたいことは幾らでもある。軍事行動や世論は無論のこと。

 モースがどうしているか、現在の教団の責任者、その方針など喉から手が出るほど欲しい。

 

 ダアトに立ち寄るというリスクをさえ容認できれば、全てとは言わぬまでも手に入る。

 ジェイドは納得した面持ちで顎を撫でると、一つ頷いた。確かに理解できる内容だ。

 

 理解できる内容ではあるが、しかしながら全面的に賛同できるかといえばどうだろうか? 

 そんな彼の心理をまるで読み取ったかのように、セレニィが新たな言葉を紡ぎ始めた。

 

「私たちは重要な使命を背負っています。それは確かに心細いことかも知れません」

「ま、そーだな… それに、なんつーか世界がどうこうなんてピンと来ねぇしな」

 

「えぇ、ですが同時に心強い味方も大勢いらっしゃいますよね? ルークさん」

「おう! セシル将軍にフリングス将軍、それになんたってヴァン師匠(せんせい)もいるしな!」

 

「はいです! みなさん優秀な方々ですからね!」

「しかし、セレニィも肝が据わってるよなー…」

 

「……え? 私がですか」

「おう。だって消滅預言(ラストジャッジメントスコア)のこと知ったのも実はついさっきだろ?」

 

「まぁ、それはそうですけど…」

「なのに大して取り乱したりもしねーで、落ち着いて方策を考えてさ…」

 

「………」

 

 押し黙ったセレニィに対し、「俺なんて結構動揺したもんだぜ」とルークは微笑んだ。

 

「(一体、こいつは何を言っているんだ…)」

 

 セレニィは訝しんだ。

 

 動揺は目一杯している。世界が崩壊するのだ。崩壊したら死んでしまう。百も承知だ。

 しかし、しかしである。泣き喚いて悲嘆に暮れたところで何か解決するのだろうか?

 

 ウザいと殴られたり最悪捨てられて終わりだ。世界崩壊を待たず野垂れ死に確定である。

 そもそもセレニィは雑魚である。熊に襲われてもミュウがいなければ軽く死ねるのだ。

 

 大地が崩壊しようが空が落ちてこようが、どちらにせよ死ぬのは変わりがないのだ。

 この世界がデッドリーなのは今に始まったことではない。諦めの境地にも至ろうものだ。

 

 考えても仕方ないことは放置して、保身のため今に全力を尽くすのがセレニィなのだ。

 

「いやいや、怖いですって。でも今更ビビッちゃってもしょうがないですよね」

「フフッ、勇敢なのね。セレニィは」

 

「とーぜん! セレニィ、ママに認められるくらい勇敢で優しいもん!」

「(ホラ、ゴリラが余計なこと言うから大天使が勘違いしちゃったじゃないですか…)」

 

「ははっ、そういえばそうだよな。……今更だよな」

 

 なんだかおかしな方向に話が進み始めている。違う、今重要なのはそこじゃない。

 そんな焦る内心を押し隠しつつ笑顔を浮かべて、話の軌道修正にとりかかった。

 

「ま、まぁ話を戻しますよ。私たちには志を同じくする心強い仲間たちがいますよね」

「はいですのー!」

 

「その中でも、最も危険な任務についているのはどなたでしょうか? ルークさん」

「俺たちも含めて全員それなりに危険だけど… 一番はやっぱり師匠(せんせい)じゃねーかな?」

 

「ほほう、それは何故でしょう?」

「そりゃモースってのがいるトコに突撃するわけだから… あ、そういうことか」

 

「えぇ、先程ガイさんが仰ったとおりダアトは敵地同然。そのリスクは計り知れません」

 

 だからこそ、ここで情報を集めることはヴァンたちのリスク軽減にも繋がるのである。

 その事実にルークも気付き、納得顔で頷いた。セレニィはジェイドに言葉を向ける。

 

「情報の共有・学習こそが群体の強み。リスクを許容するだけの価値はあるかと…」

「なるほど… ですが、それで我々が危険に晒されては意味が無いのでは?」

 

「確かにそうですが、逆に考えれば『今しか好機がない』とも言い換えられます」

「ふむ、どういうことでしょうか?」

 

「アクゼリュスが崩落し、モースさんは一時的にですが我々を見失っているはずです」

「確かにそうでしょう。我々は、ティアとヴァンがいなければ助からなかった」

 

「注意を払うにしても、まずはタルタロスなど軍艦に目が向けられると思います」

「えぇ、我々がこの少人数で動いていることは我々自身にとっても想定外ですしね」

 

「そう、今しかないんです。後手後手に回ってきた私たちが、先手を打って動けるのは」

 

 セレニィはそこで言葉を区切り、ジェイドのみならず仲間の面々一人一人を見詰めた。

 そしてダメ押しの言葉を力強く解き放つ。

 

「私たちは確かに、世界を救うという他に替えられない重要な使命を背負っています」

「………」

 

「しかし、だからこそ仲間と助け合う『絆』が重要になるのではないでしょうか?」

「………」

 

「世界のための犠牲? ちゃんちゃらおかしいです。全員無事に笑顔で再会しましょうよ」

 

 セレニィはちょっぴり良いこと言ってやったという気分で、ドヤ顔で言ってのけた。

 それは如何なる偶然か、会議の席でヴァンが全員に向けて言った言葉と酷似していた。

 

 やはり互いに近親憎悪をする間柄なだけあって、どこか波長が合うのかもしれない。

 あれこれ策を巡らすのに、肝心な局面でうっかりが発動して足元を掬われる辺りとか。

 

 そして、しばしの沈黙。

 

「へへっ… だよな。難しいかもだけど、それをやってこその『俺たち』だよな」

「あぁ、ヴァン謡将も言っていたよな。全員無事にまた会おうって」

 

「えぇ、それで肝心のヴァン謡将をフォロー出来なかったら本末転倒ですもの」

「セレニィの言うことだもの。言うまでもなく、私は全面的に賛成するわ」

 

「はい。世界を救うなら、自分も全員救うくらいの気概は持つべきでしょう」

「うーんとね… アリエッタも、みんなと笑顔でまた会いたいな!」

 

「ダアトとも話し合いで解決できるかもしれません。僕は、そう信じたい」

「う、うん! きっと、きっとできますよぅ! だってイオン様はイオン様だもん!」

 

「ですのー!」

 

 そしてジェイドがやれやれとばかりに肩をすくめ、「降参ですよ」と淡く微笑んだ。

 かくして『方針』はブレぬままに、しかして『方策』は総意を以て変更が決定された。

 

「(よっしゃー! セレニィさん、大勝利ー!)」

 

 セレニィは小さくガッツポーズをする。

 そしてそんな内心などおくびにも出さず穏やかな笑顔を浮かべつつ、言葉を続ける。

 

「みなさんのおかげで実りある建設的な議論ができました。ありがとうございます」

「そんな… アタシは別に何も。全部セレニィのおかげじゃん!」

 

「それは違いますよ、アニスさん。ガイさんの指摘やアニスさんの意見…」

「い、いや俺はただ思ったことを言っただけで…」

 

「それにトニーさんの解説やルークさんの分析に、イオン様の閃き…」

「じ、自分もですか?」

 

「その他諸々ひっくるめ、ジェイドさんの提案という土台があったからこそです」

「ふむ… そうまで言われては、否定する方がかえって器を小さく見せますね」

 

「全部みなさんのおかげです。私は『その場』をなんとなーく作り出したに過ぎません」

 

 アニスの言葉に対して、やんわりと自分は議論の場を作っただけと否定するセレニィ。

 その本音は以下のとおりである。

 

「(いやいや、ないから。『責任者』とか『中心人物』とかノーサンキューですから)」

 

 単に、自分が今後の方策決定における責任者になってしまうのを避けたいだけである。

 そもそも自分のようなうっかり者が考えたこと。どこに抜け穴があるか分からない。

 

 万事適当に行き当たりばったりで生きている人間に、重要なプランを任せられるのか?

 答えはNOである。……悲しい哉、この世で自分ほど無力で信じられぬものはない。

 

 それが、雑魚がこのデッドリーな世界… オールドラントで学んだ教訓の一つである。

 

「だから今後もみなさんで意見を出し合って、みなさんで決めましょうよ。ね?」

「全く… すぐ謙遜するのね、セレニィは。まぁそこも可愛いんだけど!」

 

「(またゴリラがなんか勘違いしてる… まぁ、今は多分無害だから放っておこう)」

 

 笑顔でそう締め括るセレニィに一同は何も返せず、いい雰囲気のまま議論は終了した。

 ……全員騙されている。

 

 

 

 ――

 

 

 

 ふとそこでジェイドが口を開いた。

 

「そういえば、ダアトに立ち寄ることにもはや異論はないのですが…」

「ですが?」

 

「この人数だと些か目立ちませんかね? イオン様はマントで顔をお隠しするにしても」

「あぁ、それでしたら私に良いアイディアがあります」

 

「ほう?」

 

 セレニィの提案は、ダアトに土地勘のある三名を中心に3つのグループに分けること。

 即ち… イオン&アニス、アリエッタ、ティアらの3グループへの振り分けである。

 

 確かにそれなら無駄に目立つことはないし、手分けしての情報収集も可能。妙案だろう。

 ただ一つ難点をあげるとすれば…

 

「ただどうしても、宿で約十名の人間が顔を寄せ合うのは避けられませんねー…」

「ふむ、ですが望めばキリがないのも事実でしょう。ここはよく注意するしか」

 

「あ、あのさ!」

「おや、どうしたんですか? アニスさん」

 

「だったらさ、ウチに来ない? ちょっと狭いけど人数分ならなんとか…」

「……良いんですか?(ひゃっほい! 美少女のお家にお呼ばれキター!)」

 

「へーきへーき! みんなならもちろん大歓迎だよっ!」

 

 唐突に降って湧いた嬉しいイベントである。これは否が応でも盛り上がるというもの。

 あとはグループ分けについての場で、得意の口車でティア組を回避するだけである。

 

 セレニィがかように考えていると、そんな内心を知ってか知らずかジェイドが口を開く。

 

「イオン様の護衛には私とトニーも加わりましょう。アニス、案内を頼みますよ」

「えへへっ! 任せて下さいよぅ、大佐」

 

「微力ではありますが、自分なりに力を尽くさせていただきます」

 

 考え込んでいる隙にドンドン外堀が埋められていっている。気のせいだろうか?

 

 ……無論、気のせいではない。

 素早い決断力が求められるこのような状況で遅きに失するのが、セレニィの欠点だ。

 

「(あ、あれ…? いや、まだだ。大本命である大天使アリエッタさんが!)」

 

 そしてナタリアが友人としてティアと同行することを望み、ティアもそれを快諾する。

 ボケッとしている隙にデンジャラスゾーンが形成されている気がする。近付きたくない。

 

「な、なぁルーク… 俺と一緒にアリエッタに案内を頼んでくれないか?」

 

「へ? 別に構わねーけど、なんでだよ」

「流石にティアとナタリアの組は怖くて… アリエッタくらい小さいなら視覚的にまだ」

 

「はぁ、はぁ…(愛を囁き合う麗しき友情… 感動ですわ!)」

 

 小声でルークに囁きかけるガイ。そんな二人を見詰めるナタリアは息を荒げている。

 その視線に寒気を感じて、ルークはナタリアから一歩間合いを離しながら答えた。

 

「お、おう… いいぜ。俺もちょっとナタリアの視線が最近こえーしな…」

「ありがとう! やっぱりおまえは俺の一番の親友だよな、ルーク!」

 

「だぁー! もー、いちいち抱きつくなっての! ウゼーんだよ! 離れろって!」

 

 ナタリアは優雅な笑顔のまま、喜びが鼻血として溢れ出てきそうな勢いである。

 腐女子に餌を与えてはいけません。

 

 そして気が付けば… 残るはセレニィとミュウだけになっていた。

 

「……あれ?」

 

「さ、セレニィ… 私たちと一緒に行きましょう」

「フフッ、準備はよろしくって? セレニィ」

 

 そのままセレニィは透き通る青空を見上げて、つぶやいた。

 

「チェンジで」

 

 ……当然、その要求は通らずダアトに引き摺られていく一人の少女の姿があったという。



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94.道化

 ここはローレライ教団の総本山・ダアト。その象徴たる大教会の礼拝堂内部である。

 普段は導師や詠師らが、壇上からありがたい様々な言葉を発しているのであろう。

 

 時にためになる預言(スコア)、時に規範を示す訓戒… そうした様々な言葉を壇上より発する。

 それを拝聴するため押しかけるのが、大部分の敬虔なるダアトに住まう市民である。

 

 当然本日も、少々趣きを異にするとはいえ多くの敬虔なる市民が詰め掛けている。

 だが彼らの視線の先に詠師はいない。まして行方不明の導師イオンがいるはずもない。

 

 では何故この場に集まって、熱のこもった視線を向けているのか? 答えは簡単だ。

 最近このダアトで人気を博している演劇が、これより始まろうとしているからだ。

 

 もとより素人の演じる芝居、少々粗が目立つのはご愛嬌なれど娯楽の少ないご時勢だ。

 人々が無聊を慰めようと期待を胸に詰め掛けるのも、また無理からぬことであろう。

 

 ……その中心に立たされるセレニィにとっては、とばっちり以外何物でもないが。

 

「お待たせしました。これより舞台を開演します!」

 

 わぁっ! と、歓声が沸き上がる。続いて舞台の開演を告げられる。

 こうなった以上は、逃れることも隠れることも出来はしない。

 

「(どうしてこうなったし…)」

 

 少女は自問自答しながらも、群衆の喝采の狭間でここに至る状況を振り返っていた。

 

 

 

 ――

 

 

 

 第一陣のイオン・アニス組、第二陣のアリエッタ組に少し遅れる形でダアトに入る。

 街に入って確認したのは、まず市井の人々の表情。……笑顔が喪われてはいない。

 

 しかしながら、拭いきれぬ不安や焦燥感もまた感じる。イオンがいないからだろうか。

 

「ひとまず、普段通りとは言わないまでも街も落ち着いているようね。けれど…」

「えぇ。やっぱり、どこかしら怯えと不安があるように見受けられますわね」

 

「精神的支柱たる導師が姿を見せない状況では、不安も当然っちゃ当然でしょうね」

 

 無理矢理暴動を引き起こしてイオン様を攫ったドSは、やはりギルティであったか。

 そんなことを考えつつ、ティアやナタリアらと会話をしながら街を進むセレニィ。

 

 そんな彼女らの前を走りながら横切ろうとした一人の少年が、派手に転んでしまった。

 それが自分の目前で起こったものだから、セレニィも思わず手を差し伸べてしまう。

 

 少年は膝小僧を擦り剥いて、血をにじませている。そして、その瞳は涙に潤んだ。

 慌てたのはセレニィの方である。こんなところで泣かれて注目を集めたくない状況だ。

 

 自分本位な内心を押し隠し、手を差し伸べた以上しょうがないとフォローを試みる。

 

「痛くない、痛くないですよー… 一人じゃありませんよ。私がついてますよー?」

「……う、うぅ」

 

「おー、我慢できる強い子ですね。凄いなー、君は強くて偉い子なんですねー?」

 

 よし、なんとか注目を集めずに宥められる。そう安堵した時に後方から声がした。

 ……言うまでもない、ティアとナタリアである。

 

「まぁ! 血が出てますわ! 早く治療してあげませんと!」

「えぇ。痛みはどうしようもないけど、傷を塞ぐくらいなら私たちでも出来るはずよ」

 

「(ちょ… せっかく宥めていた痛みを自覚させんなし! ド迷惑コンビ!?)」

 

 彼女らはゴリラと腐女子ゆえ、人の気持ちが分からないのは仕方ないかもしれない。

 

 少年の表情を確認すると、そこには決壊寸前のダムのように涙をためた瞳がある。

 セレニィが「……あ、これはアカン」と覚悟を決めたその時、一つの声が割って入る。

 

「あぁ、ほらほら… この子ったら。お兄ちゃんなんだからもう泣かないの」

「ふぐ… だって、だってぇ…」

 

「ごめんよ、そこのお嬢さん方。やんちゃ盛りなモンで手をかけさせて」

「あ、いえ… その、こちらこそ何も出来ずに…(親御さん、ナーイス!)」

 

「あの、せめて傷の治療だけでも…」

「アンタ、第七音素術士(セブンスフォニマー)かい? 大袈裟だよ、こんなのツバつけとけば治るさね」

 

「……ボク、つよいからこのくらいガマンできるもん。へっちゃらだもん」

 

 少年はどうやら本当に強かったようだ。決壊寸前から見事持ち直し涙を引っ込める。

 

 恐らくティアとナタリアという美少女を前に、男の見栄を張りたかったのだろう。

 うん、外見だけは美少女だもんね。同じ男としてその気持ちは痛いほどよく分かるぜ。

 

 セレニィはそんな少年に勝手にシンパシーを感じ、無言のまま笑顔で親指を立てた。

 そんな彼女に対して少年も、どこか照れくさそうに、しかし親指を立てて応える。

 

 無言のまま、お互いにどこか斜め上にすれ違ってそうなエールを交わしつつ頷き合う。

 

「では、私たちはこれで… お騒がせしました」

「あいよ。観光客か巡礼者か知らないけど気をつけてね」

 

「はい、失礼しました」

 

 そして頭を下げてその場を立ち去ろうとしたその時、親子の会話が耳に入ってきた。

 

「しかし、よく我慢できたね。えらいよ」

 

「うん! だって泣いてばかりの子は、『セレニィが食べにくる』んでしょ?」

「あっはははは! そうだよ、よく覚えてたねぇ」

 

「OK、ちょっと待とうか」

 

 なんか聞き捨てならない言葉が飛んできた。

 

 セレニィたちが思わず足を止め振り返ってしまうのも、無理からぬ話といえるだろう。

 このままでは注目されかねないと先を急ごうとしたことも忘れて、思わず問い質す。

 

「あの… どういうことですか? その、セレニィが云々って…」

「おや、知らないのかい? 最近になって出回りだしたお話さ」

 

「えっとね。悪い子にしてたらセレニィってお化けが食べに来るんだよ!」

「どういうことだ、おい…」

 

「ちょっと、セ… ううん! アレを見て!」

「なんですか、ティアさん。今それどころじゃ…」

 

「いいから!」

 

 必死な様子のティアに釣られ、セレニィは仕方なく彼女の指し示す方向を見やる。

 そこには一枚の張り紙が壁に貼り付けられていた。

 

「ただの張り紙じゃないですか。そんなの…」

「いいから内容を見て!」

 

「……内容?」

 

 その必死な様子に反論を引っ込めて、言葉通りに目を凝らす。

 そこにはどこか見覚えのある人相の悪い少女の似顔絵とともに、こう書かれていた。

 

『この者、大悪人セレニィ。導師を拐かし、マルクト並びにキムラスカを操る者なり』

 

「………」

 

「そんな、これって… 一体どういうことですの!? どうしてセレ」

「ナタリア、今その名前を出すのは不味いわ。……えぇ、きっとね」

 

 思わず激情のままに言葉を紡ごうとしたナタリアの口を、ティアがそっと手で塞ぐ。

 普段が普段だけあって、逆境への対処は素早い。その勘も相俟って最適解を選択する。

 

 しかしながら、今この場で誰よりも深く激しく動揺を示しているのがセレニィだ。

 そのあまりの衝撃に言葉を失っており、顔からは血の気が引いて蒼白になっている。

 

「こ、これは…」

 

「あぁ、それかい? なんでもその『セレニィ』ってのがイオン様を攫ったらしいよ」

「キムラスカの王様も操られて、モース様を追い出しちゃったんだって!」

 

「観光客や巡礼者だったら知らないのも無理はないさね。ここ数ヶ月の話だしね」

 

 親子の言葉を引き金に、群衆たちも口々に『セレニィ』の悪行とやらを口にし始める。

 

「なんでも数ヶ月前の暴動も、『セレニィ』ってのが糸を引いてたんだろ?」

「あぁ。マルクトの“死霊使い(ネクロマンサー)”の親玉だって話も聞いたぞ」

 

「それで良いようにキムラスカの王様を丸め込んだって話じゃねぇか。酷ぇもんだ」

「せめてイオン様だけでも無事に帰して欲しいもんだねぇ。……おいたわしや」

 

「戦争が始まるかもって噂が本当なら、何もかもこの『セレニィ』のせいだよな」

 

 まるで堰を切ったように、市民の間から口々に響き渡る『セレニィ』への怒りや不満。

 なんてことはない。市民に宿る不安や焦燥感の原因は、徹頭徹尾それであったのだ。

 

 とどまることを知らない自身への悪評を浴びて、セレニィはフラフラと街中へ歩き出す。

 市民たちはもはや『セレニィ』を罵ることに夢中で、少女の動向など気にも留めない。

 

 一刻も早く離れたかった。……そう、間違いなく自分へと向けられた罵詈雑言から。

 ティアとナタリアは通りの人混みに逆らいつつ、セレニィに必死に付いていこうとする。

 

「ちょっと、セレ… あぁもう! 勝手に動いてしまっては危険ですわよ!」

「大丈夫、ナタリア。まずは見失わないように、落ち着いて追いましょう」

 

「でもティアは心配ではありませんの!?」

「心配よ。だからこそ、誰よりも… あの子自身よりも今は冷静でないといけないわ」

 

「っ! ……そう、ですわね」

 

 悔しげに俯きながら、ナタリアは以降は無言でセレニィを見失わぬように後を追った。

 ナタリアの隣に並ぶティアもまた、セレニィの背中を真っ直ぐ見つめつつ思いを馳せる。

 

「(セレニィ… 信じているわ。あなたなら、きっと立ち直れるって。でも…)」

 

 茫洋とした足取りのまま街中を進む少女の姿を見て、己が拳をギュッと握り締める。

 

「(万が一の時は、私が支えになるから)」

 

 

 

 ――

 

 

 

 セレニィはダアトの街をフラフラと回りつつ、聞くともなしに人々の話に耳を傾ける。

 

「セレニィは、この大陸に戦争を起こそうとしてるって話だ。くわばらくわばら…」

「イオン様を攫っただけじゃ飽きたらず、各地で散々あくどいことをしたらしい」

 

「マルクトの最新型戦艦を使い、我らダアトが誇る神託の盾(オラクル)騎士団と一戦交えたとか」

「キムラスカじゃ政治顧問のモース様を邪魔に思って、冤罪を着せて追放したとか」

 

「アクゼリュスを崩落させたのも、実はセレニィってヤツの仕業だって聞いたぞ」

「イオン様の安否がようとして知れないのもセレニィのせいだったのか…」

 

「俺は見た! 巨大化したセレニィが、アクゼリュスを物理的に崩落させたのを!」

「なんだって! それは本当かい!?」

 

「夕暮れ時、大きなマスクをしたセレニィが『ワタシキレイ?』と聞いてくるらしい」

「路地裏でゴミ箱漁っている犬に『あっち行け』と言ったらソイツはセレニィ顔だった」

 

「マジかよ! セレニィ最低だな!」

 

 途中から、なんだかよく分からない妖怪あたりと一緒にされている気がしてくるが。

 ともあれ散々な言われようである。そして、驚くほど見事に街の隅々まで浸透している。

 

「………」

 

 一方でセレニィはといえば、それら自身に向けられる言葉の数々に無言を貫いている。

 何を思っているかは想像する他ないものの、重苦しい空気をまとっているのは確か。

 

 しっかりと後をついてきているティアもナタリアも、容易には声を掛けられないでいた。

 

「(これは… 一体どういった感情なんだろう?)」

 

 一方当の本人は、茫洋とした足取りをしているもののショックは今や然程大きくない。

 むしろキリキリ痛みを訴える胃とともに、何事かを考え込んでいる様子ですらある。

 

 セレニィ自身、己の感情を測りかねていたのだ。処理できないモヤモヤが溜まってくる。

 胃が痛むのはいつものこと。言ってて悲しくなってくるのだが事実なので仕方がない。

 

「(善良なる市民のみなさんに好き放題言われて悲しいのかな… いや、ないか)」

 

 一瞬浮かんだ考えを即座に打ち消し、軽く微笑を浮かべる。全くもってありえない。

 セレニィは、思考回路が自己の保身に特化した小市民である。己の評判などは二の次だ。

 

 確かに萌えている美女や美少女に嫌いと言われれば、三日程度は立ち直れないだろう。

 逆に言えばそうした対象でない他人にあれこれ言われようと、さして気にならない。

 

 生活に余裕のある世界ならまだしも、『この世界(オールドラント)』ではそこまで気を回す余裕など無い。

 明らかに妖怪じみた扱いを受けてるとか、そういう意味でのツッコミどころはあるが。

 

 まぁ、そこはそれ。不本意ではあるのだが流すしかないだろう。ツッコミ不在なら。

 セレニィはツッコミ芸人ではないのだから、ツッコミ不在のこの状況を嘆くべくもない。

 

「(それならこんな風に『敵』として認知されて絶望している… とも、違うか)」

 

 では保身的に危機を感じ取ったのだろうか? だが幾分冷えた頭でもう一度打ち消す。

 確かに人相書きを貼られて悪人にされている現状は、『危険』だとは言えるだろう。

 

 しかし、『絶望』にはまだ遠い。セレニィは小心者だが諦めの悪さは天下一品でもある。

 口八丁手八丁で保身に走って、それでも足りなければヴァン辺りに押し付けて逃げる。

 

 それくらいは平気でする人間である。動く前に諦めて絶望するなど彼女らしくない。

 

「(むむむ… だったらこれはなんなんですかねー)……おや、この建物は?」

 

 であれば、このモヤモヤは一体なんなのか? キリキリ痛む胃を抱えて腕を組み考える。

 ふと気付けば、目の前に大きな建物がそびえ立っていた。ダアトが誇る大教会である。

 

 このように立派な教会などセレニィは日本にいた頃も見たことがない… 気がする。

 思わず立ち止まり、ボケッと見上げていると後ろからやってきた一団に突き飛ばされた。

 

「あうっ!?」

「すまない、嬢ちゃん! もうすぐ劇が始まるってんで急いでて!」

 

「あ、いえいえ… 劇ですか?」

「おう! っと、こうしちゃいられない! 早く席を取らなきゃな… 悪かったね!」

 

「……あ、はい」

 

 去っていく一団を呆然と見送ったその時、不意の突風がセレニィのフードを揺らした。

 不味い! そう思う暇もあればこそ、風はフードをめくり上げその銀髪が顕になる。

 

 衆目に晒されたセレニィの銀髪は、周囲から奇異の視線を以て迎えられることとなった。

 それは必然であろう。教団に楯突いて、世間を騒がす大悪党と同じ特徴の髪色なのだ。

 

 例えセレニィ本人だと思わずとも、今現在は良いイメージを抱かれるものではない。

 慌ててフードを被り直してその場を離れようとするセレニィであったが、一歩遅かった。

 

 その手をしっかりと掴まれた。慌ててその方向を見上げれば壮年の男性が立っている。

 

「!」

「なんてことだ。こんなにもすぐに見付かるなんて」

 

「あ、あの…」

「君がセレニィ… 特徴にぴったりだ!」

 

「ひっ…」

 

 男のその言葉に周囲のざわめきが大きくなる。

 彼は真剣な眼差しでセレニィの前に立った。決して逃しはしないという意志を秘めて。

 

 万事休すか… 振り切って逃げるにもこの衆目。セレニィは打つ手を必死に考える。

 ティアとナタリアが駆け付けようとした時、男は身構えるセレニィに大きく頭を下げた。

 

「頼む! 開演まで時間がないんだ! 代役をお願いしたい!」

「……はい?」

 

「いや、役者が急に来れなくなってしまってね! これぞユリアの導きか!」

 

 何を言っているんだろう? この男は。

 セレニィは訝しんだ。

 

「なんだ、ただの役者だったのか…」

「そりゃそうよ。こんなトコに本物がいるわけないでしょ」

 

「まったくもって。いや、焦った焦った…」

 

 周囲の人々は口々にそう言って離れていく。……ごめんなさい、多分本物です。

 そんなことを言えるはずもなく、セレニィは事態の趨勢を前に硬直していた。

 

 そこに何を感じたのか、目の前の男は一層笑顔を深くして彼女を引っ張っていく。

 

「さぁ、そろそろ始まる時間だ。後で少ないがお礼もするから頼むよ」

「え? あの、ちょっと…」

 

「みゅみゅう! ボク、劇は初めてですのー! 楽しみですのー!」

「ちょっ、ミュウさん!?」

 

「ははは、チーグルの子もいるのかい? ご期待に沿えるよう張り切ろうじゃないか!」

「ですのー!」

 

「おい。聞けよ、おい… 聞いてくれませんか?」

 

 張り切る一人と一匹に引き摺られる形で、セレニィは大教会へとテイクアウトされた。

 人混みに邪魔をされて、それを止めることがついぞ叶わなかったナタリアが歯噛みする。

 

 苦々しい表情でティアも彼女の横に並ぶ。

 

「なんてこと! セレ… ゴホン、が連れて行かれましたわ!」

「……困ったことになったわね」

 

「ど、どうしますの?」

「とにかく一緒に中にはいりましょう。いざとなったら…」

 

「えぇ、わたくしたちであの子を助けましょう!」

 

 二人は頷き合い、そして大教会の礼拝堂へと入っていった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 かくしてセレニィはその壇上にて、モース役の役者と向かい合って今に至る。

 

「(思い出せば想像以上にしょうもない理由で引き立てられてるし…)」

 

 オマケに観客からは合いの手や野次が飛んで来る。

 

「いいぞー! モース様ー! セレニィをやっつけちゃってー!」

「悔い改めろ、この魔女めー!」

 

「うぇーん、ママー! セレニィ怖いよー!」

 

 怪獣扱いである。泣きたいのはこちらの方だ… と、痛む胃を抑えつつ苛々する。

 ……そこで、ふと理解した。

 

「(あぁ… なるほど)」

 

 先程から心中に占めていた、このモヤモヤの正体に。

 

「(そうか、そうか… そういうことだったんですねぇ)」

 

 それは、『悲嘆』でも『絶望』でもなく… 『憤怒』であった。

 

「(なんで自分ばかり責められるのか…)」

 

 そんな鬱屈した想い… 『不満』の火が、彼女の中に燻っていたのだ。

 ……概ね自業自得なのであるが、そんなことは知ったことではないとばかり彼女は怒る。

 

 責められるなら、自分じゃなくてドSやヒゲだろう。何故こんな雑魚に注目するのか。

 

「(誰のせいでこんなことに…)」

 

 そこまで考えて、ふと目の前のモース役の役者の姿が目に映る。

 

「例え貴様が如何なる企みを胸に抱こうとも、ユリアは見守っておられる!」

「………」

 

「貴様の悪事を、正義は決して見逃したりはしない! 悔い改めよ、セレニィ!」

 

 どうやら黙っていたのをいいことに、断罪のシーンのクライマックスのようだ。

 ……口角が持ち上がるのを抑えられない。

 

「正義、ですか… くふふふふ」

 

 ここに来て漸く口を開いたセレニィ役の本人の姿に、観客はどよめきの声を漏らす。

 かくて道化として招かれた即興劇の舞台で、彼女の八つ当たりという名の反撃が始まる。

 

 そこに『憤怒』はあれど『正義』はありはしない。……人、それを『逆ギレ』という。



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95.芝居

「お待たせしました。これより舞台を開演します!」

 

 礼拝堂に詰めかけた大勢の観客を前に、セレニィを連れてきた男は斯くの如く宣った。

 沸き立つ観衆に向けて丁寧なお辞儀をし壇上から降りた男を、一人の女性が迎える。

 

 化粧っけはないものの穏やかそうな人柄が伝わってくる、三十代中頃の品の良い婦人だ。

 しかし常ならば笑顔を浮かべているだろう表情には、咎めるような色が浮かんでいる。

 

 男がその様子に首を傾げると、彼女は観衆の邪魔をしないようそっと小声で囁いた。

 

「あなた。時間ギリギリに戻ってきたと思ったら、こんなことをして…」

「ん? あはは、まぁいいじゃないかパメラ。こうして劇は始められるんだしね」

 

「それはそうですけど… あの子が可哀想だわ。ほら、固まってるじゃない」

 

 彼女の名前はパメラ。セレニィを連れてきた男… 名はオリバーというが彼の妻である。

 敬虔な信者が数多いダアトにおいても、彼らほどのお人好しはいないと評判の夫婦だ。

 

 事実この劇についてもほとんどボランティアで、捨て値で開演しているのが現状だ。

 なにやらきな臭い噂が耳に入ってくる世の中だが、故にこそ人々は娯楽に救いを求める。

 

 こんなご時勢だからと人々のために劇を開演する二人は、まさしくお人好しであった。

 

「なに。パメラ、君も知っているだろう? 子供向けの簡単な演劇じゃないか」

「そうはいっても… この人数を前にしたら、私だって足が竦んでしまうわ」

 

「もしそうだったとしても、立ってくれているだけで充分さ。相方がいるじゃないか」

「あぁ、そういえば好意で引き受けて下さったモース様役の役者さんは…」

 

「そう! 王都バチカルで演劇を学んだ確かな実力者。彼がフォローしてくれるよ」

 

 オリバーにそうまで自信満々に言われては、パメラとしても納得するしかなかった。

 もとより素人演劇という認知は為されている。多少の失敗は観客も織り込み済みだろう。

 

 巻き込まれてしまった少女には悪いが、演劇が終わった後に精一杯のお詫びをしよう。

 パメラはそう考え引き下がった。開始された劇を止める勇気が出なかったのもある。

 

 彼女の懸念を他所に演劇は順調に進む。といっても、セレニィは固まっているだけだが。

 

「順調に進んでいるみたいですね。モース様役の彼のフォローもありますし…」

「あはは… だから言ったじゃないか。心配し過ぎだよ、パメラは」

 

「でも、いくら劇のためとはいえ強引過ぎます! 後であの子に謝ってくださいね」

「も、もちろんさ… うん。焦ってたとはいえあの子には悪いことをしたよ」

 

「(アニスちゃんよりも小さな女の子に無理をさせてしまうなんて…)まったく」

 

 あの暴動の日以来消息不明となってしまった我が子アニスを想い、胸を痛めてしまう。

 あるいは夫のオリバーが彼女を連れてきたのも、娘の面影を見たからかもしれない。

 

 といって免罪符にはなりはしないが。後でお詫びをする気持ちを一層強めて壇上を見る。

 

 演目は『魔女と大詠師』。

 

 邪悪な魔女セレニィが大詠師モースに悪事を断罪される、捻りのない勧善懲悪モノだ。

 ユリアの導きに護られた大詠師が魔女の企みの全てを暴いて、ついには改心させる。

 

 導師イオンを見事救い出して、国王や皇帝の洗脳をといてハッピーエンド。王道である。

 そんな使い古された王道中の王道であるのだが、大人から子供まで受けに受けている。

 

 暗い噂ばかりが飛び交う憂き世には、こんな物語が求められているのかもしれない。

 そして物語はいよいよクライマックス。悪徳の魔女が断罪されるシーンまでやってきた。

 

 このまま何事も無く終わって欲しい… そんな願いを嘲笑うかのように変化が起きた。

 

「正義、ですか… くふふふふ」

 

 それまで沈黙を保ってきたセレニィ役の少女が、唇を弧の形に歪め笑い出したのだ。

 ざわめく観客など気に留めず、狂気を孕んだ瞳で只々モースを睥睨する幼い容姿の少女。

 

 今までの人形の如き沈黙が嘘のように笑みを浮かべると、彼女はゆっくり口を開いた。

 

 

 

 ――

 

 

 

「正義、正義、正義… なるほど、正義と来ましたか」

 

 楽しいことを聞いたとばかりに繰り返し、セレニィはゆっくり顔を上げる。

 そこにあるのは虫も殺せぬような、小柄で儚げな少女の笑顔。

 

 ……なのに何故だろうか。

 対峙する大詠師モースを演じている役者には、それが肉食獣の舌舐めずりにも思えた。

 

 内心で頭を振りつつ、何をバカな… 彼はそう独りごちた。

 だんまりを決め込んでいた筈の彼女が、何を思ったかこの場面で口を開いただけ。

 

 たかがその程度のことで、役者である自分のすべきことは何も変わらない。

 そう、誇りある役者(プロ)として任された仕事を全うし幕に導く。それのみだ。

 

 そんな矜持と使命感に駆られた彼は、気を取り直してその言葉を紡いだ。

 

「然様、正義である! これは始祖ユリアによって(もたら)された、正義である!」

「ほほう… 始祖ユリアによって」

 

「たとえ貴様が隠れて悪事を為そうとも、音譜帯からユリアが見守っておられる!」

 

 威厳を持たせるよう落ち着いた、しかし大きな声量でそう言い切った。

 そんな彼の堂々とした姿に、観客からは思わず感嘆の声が漏れる。

 

 しかし彼女に悪びれた態度は見られない。

 むしろ始祖ユリアの名前が出た時に、口角が持ち上がったようにすら思えたのだ。

 

 ……一瞬のことであったので、あるいは勘違いだったのかもしれないが。

 顔を俯かせた小柄な彼女の表情は、対面に位置する彼にも容易には読めない。

 

 いわんや遠目より眺めることになる観客たちをや、といった有様である。

 とはいえこれまでの舞台の流れを見るに、勧善懲悪のお約束たる時…

 

 即ち断罪の時が近付いているのは疑いようがない事実でもある。

 そうして彼女は、(彼ら観客たちにとっては)往生際が悪くも更に言葉を紡ぐ。

 

 恐らくは、彼女は罪を逃れるために見苦しい嘘をついたり逆上するのだろう。

 そう観客たちのみならず、役者の男も信じていた。それが概ねの筋書きであるからだ。

 

 だが用意されていたはずのレールは、一人の少女によって壊されようとしていた。

 

「なるほど。隠れた悪事は正義によって暴かれ、今、裁きの時を迎える… と」

「そのとおり。正義の名のもとに悪事は(つまび)らかにされねばならん」

 

「よく理解しました」

 

 モースを演じる役者の言葉に、彼女は満足そうに微笑んだ。

 いよいよ終わりを迎えようとしている。

 

 観客は固唾を呑んでその時を待ち構えた。

 愚かにも世界を破滅へと導こうとした魔女が断罪される、その終わりの時を。

 

 浅ましくも他人のせいにしたり、見苦しくも嘘をつくのが概ね流行りである筋書きか。

 あるいは(とぼ)けるか? はたまた脅迫するか? いやいや泣き落としかもしれぬ。

 

 それぞれ魔女の様々な反応を予想しながらも、その末路は一つと決めつけていた。

 だが彼女は、それら観客たちや役者に至るまでの予想だにしない反応を示した。

 

「あぁ… それはなんて素敵なことなのでしょう。実に、実に素晴らしい!」

 

 悪と断罪されようとしている彼女が、心底嬉しそうに手を合わせたのだ。

 その反応に誰もが言葉を失った。役者の彼も唖然とした表情を見せている。

 

「………」

 

「私は心より… えぇ、心よりの賛同を示しますとも。……モース様?」

「う、うむ」

 

 反応は遅れこそしたが、居住まいを正し頷いた彼の役者魂をこそ褒めるべきであろう。

 彼女の方も気を悪くした様子もなく、弾むような声音で言葉を続ける。

 

「ここに『正義』と『悪』が在る。ならばなるほど、その結末は一つでしょうね」

「あぁ、そのとおりだ」

 

「そしてこの私、セレニィこそが裁かれるべき『悪』である… ということですね」

 

 しかし彼女の側に、見苦しく言い訳をしたり言い逃れをする様子は見られない。

 嬉しそうに、鈴の転がるような声でモースの主張の後押しをする始末。

 

 さては諦めたのか? 彼女を除いたその場の誰もがそう思った。

 無論、役者の彼とて例外ではない。彼もまた、彼女の動きについて思考を巡らせた。

 

 これまでの話の流れから、ようやく舞台が勧善懲悪の演劇と理解したのであろう。

 そこで恐らく、遅まきながらそのアシストをしようとしてくれたのではないか。

 

 悪役が善玉を助けるのは如何なものかとは思うが、素人に言っても仕方ない。

 急なことでやや戸惑いはしたものの、きっと彼女なりの好意から出たものなのだろう。

 

「(よし。だったら幾つか考えていたけど、彼女にも華を持たせる流れで行くかな…)」

 

 別に自分が連れてきたわけではないのだが、素人に無理をさせた申し訳無さもある。

 ならばせめて、改心した魔女がローレライ教団に受け入れられる筋書きで行こう。

 

 彼はそう考えを纏めながら目の前の少女の言葉に乗る形で、演技を続行しようとした。

 

「観念したようだな。しかし、悔い改める気持ちがあるならば」

「ところで」

 

「始祖ユリアはお許しに… む?」

「私の為した『悪事』とは、一体どのようなものでございましょうや?」

 

「……なんだと?」

 

 しかし、静かだがよく通る声によっていきなりその出鼻を挫かれてしまった。

 思わずその言葉を放った人物に向けて、彼は言葉を放った。

 

「それは一体、どういうことだ?」

「どういうこと… と、申されましても。さて、困りましたね」

 

「……観念したのではなかったのか?」

 

 そこには質問に質問で返され、困ったような表情で小首を傾げる少女の姿があった。

 

 予想もしない反応の連続で、ついに観客がざわめきだす。

 そんな周囲の戸惑いも何処吹く風といった風情のまま、悠然と彼女は立ち続ける。

 

 得体の知れないものを見るような瞳で己を見詰める彼に、彼女はへにゃりと微笑んだ。

 そして… さもなんでもないことのように、その言葉を紡いだ。

 

「『悪事は(つまび)らかにされねばならん』」

「……なに?」

 

「そう仰ったのは他ならぬあなた様ではありませんか。……ねぇ、大詠師モース様」

「………」

 

「でしたら、えぇ… 何も難しいことではないでしょう。ですよね?」

 

 反応を返せない彼に向かって、物分りの悪い子に向けるような苦笑いを浮かべる。

 そして彼女は、更に言葉を続けた。

 

「始祖様が見守っておいでなのでしょう? ならば、全てお見通しのはず」

「いや、しかしだね…」

 

「それともアレは嘘だったのでしょうか。となると私の『悪事』についても…」

「う、嘘ではないぞ!? あ、いや…」

 

「それは良かった! ささ、どうぞ… 私なんぞお気になさらずガツンと!」

 

 始祖ユリアに絡めた言葉を嘘かと問われては、引くことなど出来やしない。

 

 ここはローレライ教団の総本山ダアト。敬虔な信者は数知れず。

 そもそもからして、役者の彼とて信者の一人なのだ。

 

 彼は思わず否定してから、台本の表記を恨みつつも腹をくくる事にした。

 彼にも、芸術の最先端たる光の王都バチカルで演劇を学んできたプライドがある。

 

 目の前の素人一人のアドリブにくらい乗ってやる。そう気持ちを奮い立たせた。

 

「良かろう。既に知らぬ者はいないだろうが、敢えて語ってみせようではないか」

「はいはーい! 是非是非お願いしますね? 『悪』に手心なんていけませんよね!」

 

「……う、うむ」

 

 緊張感を削ぐ声音と満面の笑みに迎えられ、ややゲンナリとしつつ彼は語り始めた。

 与太話を抜きにして、セレニィがほぼ間違いなくやったとされる数々の悪事を。

 

 即ち、『暴動を引き起こして、導師イオンをダアトより連れ去ったこと』。

 のみならず『導師イオンを奪還せんとする神託の盾(オラクル)騎士団と矛を交えたこと』。

 かてて加えて『大詠師モースに罪を着せてキムラスカ王国より追放させたこと』。

 

 改めて列挙すると凄いスケールの陰謀だ。役者の彼は一周回って感心してしまった。

 信憑性のない噂話の類も加えれば、質・量ともに更に膨れあがるだろう。

 

 これらをほぼ独力で画策したセレニィなる人物は、化け物か何かなのだろうか?

 人知れずゴクリと喉を鳴らしそうになるのを堪えつつ、目の前の少女の反応を伺う。

 

 彼女は表情を一切崩すことなく頷くと、彼を穏やかに見詰め返しつつ口を開いた。

 

「なるほど… ご説明ありがとうございます。とても良く分かりました」

「理解したか。ならば、この期に及んであれこれ見苦しい言い訳はあるまいな?」

 

「はい。百歩譲って概ねモース様の仰るとおりであるとしても構いませんとも」

 

 肩を竦めて、「一つ一つを指摘したところで水掛け論でしょうしね」と付け加える。

 何かを含むような少女の言い回しに眉をひそめつつ、彼は己の役割をこなそうとする。

 

 これらの数の… しかも自身で事実と認めた『悪事』を前に為す術はないだろう。

 百歩譲って云々は如何にも悪女らしい小さな強がりだろう。そう思って言葉を紡ぐ。

 

 今度こそ幕に向かおう。

 

「では」

「ですが」

 

「………」

 

 役者魂も忘れて、彼も思わず演技抜きの憮然とした表情を浮かべてしまう。

 またも出鼻を挫かれたのだ。不機嫌になるのは致し方ないことだろう。

 

 観客も、何度もお預けを食らってチリチリと不満が燻ってきている。

 あるいは強引にこちらの意のままに進めるべきか? 彼がそう思案したその時だった。

 

 ……少女が決定的な言葉を紡いだのだ。

 

「ですが… それらの何が『悪事』なのでしょうか?」

「なっ!?」

 

「……フフッ」

 

 彼も、居並ぶ観客たちも… その言葉にそれまでの思考など吹き飛んでしまった。

 少女は、絶句して二の句が継げないでいる彼らをチラリと一瞥して妖しく微笑んだ。

 

 ……哀れみをすら含んだような仕草で。

 

 そして両手を後ろに組みながら、彼女… セレニィは壇上をゆっくり歩き始めた。

 今やシンと静まり返ってしまった礼拝堂に、コツコツと彼女の発する靴音が響き渡る。

 

 まるで世間話でもするような何気ない口振りで、彼女は言葉を続ける。

 

「さて、私ども『マルクト』は『キムラスカ』との和平を望んでおりました」

「………」

 

「とはいえ、先の『ケセドニア北部戦』の爪痕が未だ残っているのもまた事実」

 

 返答はもとより期待していないのだろう。セレニィは歩き回りつつ淡々と語り続ける。

 

「いきなり申し出ても突っ撥ねられるでしょうね。そこで仲介役が必要となります」

「それで… イオン様を攫ったというわけか?」

 

「まさか。ちゃんと手順を踏まえてお願いしましたよ… ま、握り潰されましたがね」

「なんだって?」

 

「ご協力いただけるのでしたら、別にモース様でも大歓迎だったのですけどねぇ」

 

 そこで彼女は表情を曇らせる。

 意図的なものだ… 彼の役者としての目がそう看破はするが、狼狽えてしまう。

 

 思わず問いかける。

 

「ど、どういうことだ?」

「教団は中立… されど、和平の働きかけにまで不干渉を貫かれては困ります」

 

「む、むぅ…」

「それではまるで、『戦争を望んでいる』みたいじゃないですか。ねぇ?」

 

「そんなはずは… それは、貴様が。それに、だからといって暴動を起こすなど!」

 

 だからといって、暴動を引き起こして導師を攫うなど許されることではない。

 彼は巨悪に立ち向かうモースの気分になって、精一杯気を奮い起こしそう喝破した。

 

 それに対して、セレニィは『よく出来ました』とでも言うような笑みを浮かべる。

 

「暴動? はて、一体なんのことでしょう」

「……なっ!?」

 

「まさか、『あなた方が引き起こした暴動』まで私のせいに? なんて酷い!」

「まさかも何も先ほど貴様自身が…」

 

「えぇ、認めましたとも。……『イオン様をお連れした』件に関しては、ね」

 

 悪びれもせず、壇上の最前に移動して両手を広げる。

 そしてクスクスと微笑みながら口を開いた。

 

「だって、危険じゃありませんか。暴動が起こっている街に導師様を放置するなんて」

「その暴動は誰のせいで起きたと…」

 

「え? まさか(くだん)の暴徒が全員、私たちマルクト人だったとでも仰るので?」

「……なに?」

 

「百歩譲って『導師様が軟禁されてる』という噂を流したのが我々だとしましょう」

「………」

 

「ですが騒ぎを起こして教会に詰め掛けたのは、あなた方ダアト市民です。ですよね?」

 

 笑顔のままとんでもない発言をする。暴論である。明らかに喧嘩を売っている。

 どこまでも無力な存在ではあるが、こと人を煽ることに関しては天賦の才を持つ。

 

 それがセレニィという人間なのだ。

 

「あの時の私どもの総人数をお教えしましょうか? 僅か百名ちょっとですよ」

「しかし、百名もいれば暴動を煽り続けることも…」

 

「まぁ、そのほとんどは我々の船を動かすための人員だったんですけどね」

「ぐぬっ…」

 

「さて… 教会に詰め掛けた暴徒の方々は、一体どこから湧いて出たのでしょうか?」

 

 暴動の直後に、マルクトからの使者たちが船ごと姿を消しているのは確認されている。

 ギリギリまで暴動を煽り続けていたのならば、そんな迅速な動きはできないだろう。

 

 少女の言葉に、覚えのある観客らは気不味げに顔を逸らしたり目を伏せたりする。

 彼女は、これ以上に楽しいことはないとばかりに満面の笑みを浮かべる。邪悪である。

 

 それらの光景を、愕然とした表情でモース役の男も見守っている。

 

「(してやられた! 彼女はコレを狙っていたのか…)」

 

 そう役者の彼はほぞを噛む。彼女は何故こんなことを、と自問自答するも解は出ない。

 そもそも時計の針は戻らないのだ。ならば彼に出来るのは話題を変えるのが精々だ。

 

「いやしかし、神託の盾騎士団と戦うなどとは度が過ぎている!」

「おや、そうなんですか?」

 

「なんだ、その態度は! 和平のためと言いながら争いを助長し、何を企んでいる!」

 

 とぼけたような態度で小首を傾げる彼女に向かって、彼は強い言葉を投げかける。

 無論、熱の入り過ぎた演技で彼女を傷付ける恐れはある。

 

 しかし、彼は自身の中で『あの子はそんなタマじゃない』と半ば以上確信していた。

 そしてその考えは、程なく間違いではなかったと立証されることになる。

 

 他ならぬ、目の前の少女自身によって。

 

「(……さて、どう出る?)」

 

 音に出さずに小さく唾を飲み込み、少女の反応を待つ。

 彼女は微笑みながら再び両手を後ろに組んで、ゆっくり彼のもとへ歩いてくる。

 

 身を固くする男と、ゆったりとした足取りの少女。二人の姿は対照的だ。

 

「えぇ、全く… 酷いですよね、『いきなり襲いかかってくる』なんて」

 

「? 一体なにを…」

「イオン様をお守りするため止む無く応戦しましたよ。結果は惨憺(さんたん)たるものでしたが」

 

「貴様は何のことを…」

「おや、マルクトから抗議が届いてませんか? 兵士の虐殺と船の拿捕について」

 

「な、なんだって…ッ!?」

 

 これには男も思わず演技の仮面が剥がれて、声を上げてしまう。

 

 その場の全員が息を呑む。またも静まり返った礼拝堂に、無機質な靴音が響き渡る。

 いっそ場違いとも思えるほどのんびりした口調で靴音の主、セレニィが口を開く。

 

「まぁ、それはこちらの主張。場所が違えば、見解の相違とてありましょうが…」

「………」

 

「私どもの和平を求める心に偽りはありません。故に、宣戦布告はせず抗議に留めた」

「……せ、宣戦布告!?」

 

「何をそんなに驚かれることがありましょうか? ……ねぇ、モース様」

 

 思わず叫び声を上げた役者の青年の声に、クスクスと嬉しそうに微笑むセレニィ。

 そして両手を後ろに組んだまま彼と息がかかる距離まで接近し、その顔を見上げる。

 

「それとも… 襲撃で命を落とした四十三名の命は、そこまで軽いと?」

「ッ! 君、は…」

 

「非戦闘員もいました。コックや医者などのね… 真っ先に命を落としたようですが」

 

 先程までと打って変わった低いトーンの声音に、感情の抜け落ちたかのような表情。

 それらを携えて、まばたき一つせずに、モース役を演じている彼を見上げている。

 

 答えることの出来ない彼に向かって、彼女は低く感情を篭もらない声でなおも続ける。

 

「そんなにしたいんですか? ……戦争」

「………」

 

「なら、しますか? 直ちに教団への寄付を差し止め戦争するよう、建白書を奏上して」

「ま、待てっ!」

 

「………」

 

 そのまま徐々に顔を俯かせていくセレニィに向かって、彼は慌てて呼びかける。

 観客は息をするのも忘れて目の前の光景に見入っている。いや、魅入られている。

 

 ………。

 

 その沈黙は数瞬。

 しかし役者の男をはじめ彼女を除くその場の全員にとって、それは永劫の時にも思えた。

 

 そしてその沈黙を破ったのは、やはり彼女… セレニィであった。

 彼女は静かに肩を震わせ、やがて堪え切れないといった風情で顔を上げ声を発した。

 

「なーんちゃって! ……冗談ですよ、冗談」

「……は?」

 

「やだなぁ、私にそんな権限あるわけないじゃないですか。ただの一般人なのに」

「な、な、な…」

 

「あはは、騙されちゃいましたか? ごめんなさい」

 

 そう言って自虐的に表情を見せたのも一瞬のこと。

 すぐに明るい笑顔を取り戻して、再度、口を回転させ始める。

 

「でもモース様もいけないんですよ? アクゼリュスのことを黙っているから」

「……アクゼリュスのこと?」

 

「アクゼリュスが崩落したのはみなさん、ご承知のとおりかと存じます」

「それが一体どうしたというのだ?」

 

預言(スコア)に詠まれていたからなんでしょうけどね。あぁ、この場合は秘預言(クローズドスコア)ですか?」

 

 頬に人差し指を当てながら、空とぼけたような仕草で小首を傾げる。

 そんな彼女… セレニィ役の少女の発した言葉に、一同は息を呑んだ。

 

 それは、つまり…

 

「アクゼリュスの崩落は予定通りだった… 故に住民は見殺しにされた、と」

「そんな… そんなはずはっ!」

 

「なるほど、それなら和平に反対されるのも頷けます。……巻き込まれますものね?」

 

 同情するような苦笑いを浮かべる。

 そう、「仕方ないですよ」「誰だって自分が可愛いですよ」そんな言葉を言外に滲ませ。

 

 役者の彼は、まるで自身が責められているような気分になり言葉を詰まらせる。

 観客の間でも、これが演劇ということも忘れて動揺が広がっている。

 

「そういえばアクゼリュスに人道救助のために人を派遣することはなかった…」

「ホド戦争の折は、先の導師エベノス様が迅速に介入なさったものねぇ…」

 

「ケセドニア北部戦の時だってそうだ。悲しくも全滅の憂き目にあったが教団は…」

「なのに、今回に限って何故…?」

 

「まさか本当に…?」

 

 そこにパン! と、大きな音が響いた。セレニィが柏手(かしわで)を打ち鳴らしたのだ。

 ざわめきを収めた一同を見渡し、笑顔で語りかける。

 

「まさか、モース様に限ってそんなことあるわけないじゃないですか! ねぇ?」

「あ、あぁ…」

 

「“未曾有の繁栄”のためならば、小を切り捨てることも辞さない決断力」

「………」

 

「少しでも被害を抑えんとして立ち回る献身性。実に素晴らしいじゃないですか!」

 

 モースを持ち上げる彼女の口振りに、観客一同揃って互いの顔を見合わせる。

 

 なるほど、言われてみれば確かにそうかもしれない。モース様に限ってそんなことは。

 それもこれも深謀遠慮による動きだったのだ。流石はモース様。モース様万歳。

 

 そんな彼らの胸中など何処吹く風といったふうに、セレニィ役の少女は笑顔で言葉を続ける。

 

「……ですが、笑えますねぇ」

 

 嘲るようなその口調に、場はシンとした沈黙に包まれた。

 声を発するのはただ一人… 天真爛漫そのものの笑みを浮かべているセレニィである。

 

 まぁ、そのお腹の中はお見せできないほどに真っ黒なのであるが。

 

「その行動の結果… マルクトはもとより、キムラスカの国王までもを激怒させ」

「………」

 

「政治顧問の職を解かれ追放。挙句、イオン様をアクゼリュスの崩落に巻き込んだ」

「………」

 

「かくして世界は『平和の象徴』を失い、ダアトは窮地に立たされる… と」

 

 歌うような語り口調。暴論の極みにすぎない。

 

 そもそもが、ダアトの窮地はモース一人によって齎されたものとは言い切れない。

 かてて加えて、彼女の話す内容も荒唐無稽に過ぎるというのが実情だ。

 

 常ならば、演技の熱が入りすぎたのだと一笑に付されて然るべきだろう。

 だが間の悪いことに… ダアトの民は信心深く、そして導師不在の不安に苛まれていた。

 

 ましてここに集う面子は、そんな不安を払拭したいがために演劇見物に訪れたのだ。

 そこに、このような逆に不安を煽るような話を聞かされてしまってはたまらない。

 

 少女の『まるで実際に体験してきたような』リアリティ溢れる語りもそれに拍車をかけた。

 

「そうだ。イオン様はアクゼリュスの崩落に巻き込まれて…」

「幾ら秘預言のためであろうと、イオン様を危険に晒す必要なんてあったのか…」

 

「モース様… 一体何故このようなことを…」

「あぁ、おいたわしやイオン様… ご無事でいらっしゃるだろうか?」

 

「あぁ、私にはモース様のお考えがわからない…」

 

 故に、この扇動家(アジテーター)の言葉を信じてしまった。純朴で信心深いがゆえに。

 

 イオンのことを想い、聴衆は我がことのように嘆いて祈りを捧げ始めた。

 そんな様子をつまらなそうに一瞥し、そっと溜息をつくセレニィ。

 

 しかし、彼女と相対するモース役の彼にしてみればたまったものではない。

 役によって罪悪感を刺激されるばかりか、突き刺すような視線まで増えてくる始末だ。

 

 いよいよもって、四面楚歌の様相を呈してきた。

 

「(あるいはもう敗北を認めるべき『流れ』なのかもしれない。けれど…)」

 

 そう… けれど、彼は『役者』なのだ。それもとびきりプライドの高い。

 

 彼の考えるモースはここで膝を折ってはならない。

 ならば、抗い続けることこそ必定であろう。

 

 それが言いがかりでもヤケクソでも、反撃しなければならない。

 例えどんなに無様で滑稽であろうとも、演じ抜けなかった『役割』に意味はないのだから。

 

 だから砕けそうになる心を束ねて、グッと眼前の『敵』を見据える。

 そして、ふてぶてしい表情で微笑んだ。

 

 そんな彼の変化に気付いてか気付かないでか、セレニィは某ドS直伝の嫌味を続ける。

 

「さて、和平を妨害し王国を追放されイオン様も失い祖国を危険に晒した…」

「………」

 

「モース様… そんなあなたが、まだご自分は『正義』であると言えますか?」

「無論だ」

 

「………」

 

 迷いなきその言葉に、セレニィは僅かに目を見張った。

 確固たる信念を持った鋼メンタルには、口から出任せの空虚な言葉は効き目が悪い。

 

 セレニィ自身、自分の中身の無い適当な言葉の軽さを知っている。

 だからこそ丁寧に丁寧に揺さぶりをかけて、場の空気をも染め上げたのだ。

 

 それなのに何故? ほんの少しの動揺を見せたセレニィに、彼が追撃をかける。

 

「何故ならばセレニィ… 貴様が『魔女』であるからだ!」

「……魔女?」

 

「貴様が皇帝陛下や国王陛下を洗脳し、己の良いように世界を操っているのだ!」

「………」

 

「全てはこの私を排除し、ローレライ教団を窮地に陥れんがために!」

 

 その弾劾に、少女がポカンと口を開けて呆けた表情を見せたのも束の間。

 やがて、その沈黙は破られる。

 

「プッ… ククク。フフッ… フフフ、アハハハハハハハハハハハッ!」

 

 他でもない少女自身の笑い声… 哄笑によって。

 

 モース役の彼自身、半ば以上ヤケになって口走った言葉だ。

 この結果もやむを得ないものと言えた。

 

 それでも退く訳にはいかない。勇ましく声を上げる。

 

「な、何がおかしい!?」

「いえ、失礼… ですが、そうですか。『洗脳』ときましたか… フフッ」

 

「そうだ、それを使い貴様は両国を傀儡にしたのだ。大人しく白状を…」

「いえ、使えませんけどね。そんな便利な魔法」

 

「………」

 

 一刀両断であった。

 

「というか、そもそも『傀儡』ってなんですか? 不敬極まりないですよね」

「い、いやしかしだね…」

 

「『しかし』も『案山子(かかし)』もないですよ。マルクトはまぁ百歩譲っていいとしましょうか」

「う、うん…」

 

「でもキムラスカにそれは不味いですよね? ダアトの宗主国ですよ」

「そ、そういえばそうだったね…」

 

「それを『傀儡にされる程度の王』なんて口にしちゃって… 知りませんよ?」

「いや、そこまでは…」

 

「言ったも同然ですよね? 国家舐めてるんですか?」

 

 彼女はやや砕けた口調で、しかしジト目で機関銃のように言葉を紡ぎ続ける。

 反論が全て封殺され、気勢を削がれた役者の男はやがてガックリ項垂れた。

 

 自分のことは棚に上げつつ相手を一方的に攻める手腕は、流石の一言といえる。

 ……人間的にどうかと思わないでもないが。

 

「す、すみませんでした…」

「まぁ、分かっていただければいいんですよ。……私も少し言い過ぎちゃいましたし」

 

「うん、それは本当に」

「え? 『おかわり』をご希望ってことですか?」

 

「すみませんでした!」

 

 もはや観客が見ていようとお構いなしである。先程までの険は収めている。

 それは、無理やり役を降ろされた彼にとっても同様であった。

 

 互いに素の表情で言葉を交わし合っている。

 慌てて下げられた青年の頭に、ややゲンナリとしながら少女が返答する。

 

「いや、冗談ですから… そんなに怯えないでください。地味に傷つきます」

 

「……あ、うん。ごめんなさい」

「いえ、こちらこそ。それじゃ私はコレで… お陰様で色々とスッキリしました」

 

「あ、その!」

 

 清々しい表情で立ち去ろうとする少女の背中に、男は反射的に声をかけていた。

 立ち止まり振り返りながら小首を傾げる少女の姿に、先程までのオーラの影はない。

 

 そんな彼女の様子に彼は少し安堵し、そして疑問に思っていたことを口に出した。

 

「その… 君は、一体何者なんだい?」

「……は?」

 

「君は… あまりにも事情に詳しすぎる。まるで見てきたかのように…」

「………」

 

「ひょっとして、君は…」

 

 ある種の確信めいた考えを言葉に出そうとした時、少女がニヤリと笑って口を開いた。

 

「……私はセレニィ」

「や、やはり…」

 

「先程も言ったとおり… ただの一般人です。『モース様』もよくご存知でしょう?」

 

 冗談めかした所作で微笑む。

 殊更に作り物めいた表情と仕草で、これが舞台の第二幕であることを強調している。

 

 その雰囲気に呑まれそうになりながらも、彼は口を開く。

 

「! し、しかし… 君が為したことは」

「本当ですよ」

 

 一拍区り、芝居がかった仕草で彼女は『セレニィ』という存在を謳い上げる。

 曖昧な微笑を浮かべながら。

 

「何も特別な存在などではありません。……誰もがセレニィに成り得るのです」

「誰もが…」

 

「えぇ。死霊使い(ネクロマンサー)のような知恵もなければ、モース様のような指導力もない」

死霊使い(ネクロマンサー)… マルクトの、あの…」

 

「尊き方々のような(くらい)もなければ、イオン様のようなカリスマもない」

「………」

 

「どこにでもいて、誰でもない… そんな無力なただの『石ころ』。それが(セレニィ)です」

 

 そう言い切って控えめに微笑む。

 

「特別な誰かである必然性がない以上、誰もがセレニィに成り得ます」

「誰もが…」

 

「第二第三のセレニィは、ひょっとしたらあなた方の中から出るかもしれませんね?」

 

 クスクスクス… と微笑んで、彼女は今度こそ舞台から降りた。

 それを止められる者はいなかった。

 

 誰もが彼女の残した言葉を反芻していたのだ。

 そう… 『誰もがセレニィに成り得る』という言葉を。

 

 セレニィが齎してきたとされる数々の災厄は、これまで預言(スコア)には詠まれなかった。

 もし『何処にでもいて誰でもない』という彼女の言葉が真実だったら?

 

 導師が不在であることに加え、各国との関係も今や危ういものになっている。

 そんな現実を否応なく突き付けられたのだ。

 

 預言(スコア)を遵守してきた敬虔な信者たちにとって、それは未知の世界と言える。

 信じるべき預言(スコア)はもはや絶対のものではないかもしれない。……ならば、どうする?

 

 彼らは一人の少女の適当な弁論により、かつてない岐路に立たされるのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

 礼拝堂を後にしたセレニィは、大きく息を吐いた。

 

「ふぅ… ついカッとなってやっちゃいましたけど、なんとか逃げ切りましたか」

 

 額には冷や汗が一筋。

 

 苛々がピークに達したせいとはいえ、無関係な人に八つ当たりをしてしまった。

 改めて自分の性格の悪さを自覚し、ちょっぴり自己嫌悪に陥りそうになる。

 

 とはいえ、冷や汗の原因はそればかりではない。

 

「(モースさんの排除… 企てました。教団の破滅… あわよくば狙ってました)」

 

 あの時のことを思い出すと、改めてどっと汗が噴き出してくる。

 アレが口から出任せなのかなんらかの確信があったのか… 神ならぬ身には測れぬこと。

 

 怒りの後押しがあったとはいえ、場の空気を完全に整えた自分へのカウンター一閃。

 モースの排除は絶対条件であったし、あわよくば教団の力を削げればとも思っていた。

 

 そして各国の要人を『洗脳』はしていないが、『誘導』したのは紛れも無い事実。

 

「アレがプロの役者の勘、というものなんですかね? ……はぁ、おっかない」

 

 つまるところ、彼の指摘は大凡正解ではあったのだ。説得力に欠けていただけで。

 動揺を表情に出すことなく、笑い飛ばせていただろうか? ……出来ていたと思いたい。

 

 やはり感情に身を任せるとろくなことがない。調子に乗るのも程々にしないと。

 未だうるさいくらいに動悸を響かせる心臓を服の上から抑えて、そっと溜息を吐く。

 

 しかし、続いて不敵な笑みを浮かべた。

 

「フッ… 手強い相手でしたが、見事逃げ切りましたよ」

 

 最後の最後の追撃も、なんとか煙に巻いて曖昧な文句でふわっと誤魔化した。

 

 ダアトからの仕打ちに苛立ってたのも遠い昔のこと。

 今は心もスッキリ爽やかに晴れ渡っている。

 

 やはりこまめなガス抜きは健康のための必須項目だろう。是非取り入れていきたい。

 ……問題は仲間と旅をしていると、加速度的にストレスが溜まりそうな点だが。

 

「ま、なんとかなるでしょう。うん! がんばろう!」

「あー… ちょっと、そこの君。少しだけ、いいだろうか?」

 

「……あ、はい?」

 

 未来の展望を胸に秘め、一つ気合を入れ直したところで背後から声を掛けられた。

 

 振り返ったセレニィの瞳に映ったのは、数名の神託の盾騎士団の姿。

 いずれも屈強な男性である。

 

 思わず硬直するセレニィに、恐らくリーダー格であろう壮年の男性が語りかけてくる。

 

「我々は神託の盾(オラクル)騎士団だ。大礼拝堂に『セレニィ』が出たと聞いて出動した」

「……アッハイ。御役目、お疲れ様です」

 

「疑うわけではないが、少しだけ詰め所で話を聞かせていただけないだろうか?」

 

 穏やかな口調ではあるものの、その瞳は拒否を許さぬようにセレニィには見えた。

 かくしてセレニィは、神託の盾(オラクル)騎士団の詰め所へと連行されることになった。

 

「私、悪くないもん!」

 

 セレニィは泣いた。

 悲しいかな、この世に邪悪の栄えたためしなし。因果応報。諸行無常。





【挿絵表示】


無月緋乃さん(pixiv id=1277419)からのいただきものイラストです。
ありがとうございました!


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96.焦燥

「はぁ、はぁ… はぁっ!」

 

 セレニィは焦燥していた。

 

 これは教団のいかついお兄さんたちに連行されたことによるものなのか?

 いやいや、然に非ず。

 

 彼女にとって、捕まって拘束されることはもはや特筆するに値しない日常。

 慣れたものなのである。全く、これっぽっちも自慢にならないのだが。

 

 捕まった瞬間こそ頭が真っ白になってしまい、泣き言の一つ二つは叫びはした。

 しかし立ち直るのも一瞬のこと。

 

 この切り替えこそが彼女の長所でもあり短所でもあるのだが、さておき。

 彼女はすぐさまあれこれと思案を巡らし始めた。

 

 セレニィの懸案事項… それは、この一件が終わった後の仲間の反応である。

 

『やれやれ… 貴女という存在は、ちょっと目を離すとすぐに(さら)われますねぇ?』

『ぐぬぬ…』

 

『いくら(さら)われることが貴女のライフワークにせよ、(いささ)か度が過ぎてませんか?』

 

 眼鏡の軍人の発する嫌味に、歯を食いしばって耐えることしか出来ない自分。

 

『まぁ、アレだよな。その、なんつーか… ちょっと攫われ過ぎだよな?』

『いや、すまない。ちょっと、俺もフォローできないかな』

 

『今度から勝手にどこか行かないように首輪をつけるのはどうかしら?』

『まぁ、素敵ですわ! おはようからおやすみまでしっかり見守るのですわね!』

 

『あれあれ? セレニィさんの基本的人権は何処にフェードアウトしちゃったのかな?』

『そうと決まれば早速鍵付きの立派な首輪を買いに行きましょう! ね?』

 

『もしもーし? ちょっと誰か助けてくださいよプリーズヘルプミー… おーい…』

 

 良識派で常識人の赤毛の青年や金髪の青年もフォローに苦しむ始末。

 そうこうしているうちに巨乳ゴリラがトンデモ提案を吐き出し、王族がそれに賛同する。

 

 他の面々は立場上、引き摺られていく自分を気の毒そうに見守ることしか出来ない。

 ドナドナ… もといゲームオーバーである。彼女の冒険はここで終わってしまうのか?

 

 ……否、断じて斯様(かよう)な未来を迎える訳にはいかない。

 逆転の発想をしろ。死中にこそ活路はあるはず。あると良いな、うん。

 

 この逆境を逆手に取って、教団の情報をすっぱ抜くのだ!

 そうして自分の存在意義を示し、セレニィを捨てるのは間違いだと彼らに再認識させる。

 

『おやおや… これだけの情報を取ってくるとは。流石ですねぇ、セレニィ』

『フフン、分かれば良いんですよジェイドさん。いえ、眼鏡掛けさん』

 

『はっはっはっ… あまり調子に乗っていると、その愉快な頭に風穴を開けますよ?』

 

 いやいや、なんで楽しい想像の中でデスフラグを踏み抜かないといけないのだ。

 頭を振りつつ、彼女は再び楽しい想像を試みる。

 

『流石セレニィ! さすセレ!』

『セレニィ最高!』

 

『やっぱりセレニィがナンバーワン!』

 

 うん、なんか急に語彙が貧困になったがまぁ上出来だろう。彼女は一つ頷いた。

 

「(そう、これです! これしかない…っ!)」

 

 そう決意してからの彼女の動きは素早く、まさに見事の一言であっただろう。

 

 自身の体躯の矮小さを逆手に取り、巧みに視界から外れ気配を殺してそっと離れる。

 そして充分に間を取ったと見るやいなやバッとその身を翻して、駆け出したのだ。

 

 彼女の目論見は成功し、教団のいかついお兄さんたちは止める暇もあればこそ。

 セレニィの小さな背中をあっという間に見失ってしまい、今に至るというわけである。

 

 拘束は既になく、ミュウと二人で追手も物の見事に()いているこの状況。

 なのに何故彼女は焦燥しているのか?

 

 彼女の表情を見るに見かねてミュウが口を開く。

 

「セレニィさん、ひょっとして…」

「……うん。その、迷っちゃったかも?」

 

「みゅう…」

「いや、だって仕方ないじゃないですか。……ここが広すぎるのが悪いんです!」

 

「お、落ち着いて欲しいですの! 静かにしないと見つかっちゃうですの!」

 

 そう… 彼女たちは実にしょうもない理由で自ら窮地に陥っていたのである。

 

 とはいえ世界唯一の宗教組織の総本山。その象徴たる大教会である。

 初めて訪れたこの場所を迷わず進めという方が無理がある。

 

 ミュウに指摘されて、セレニィもしまったという表情を浮かべて口を噤む。

 静かに耳を澄ますこと暫し… 辺りに騒ぎに対する反応はないようだ。

 

 周囲に人の気配がないとみるや溜め息を吐いて、潜めた声とともに言葉を紡ぎ始めた。

 

「……すみません。私の判断ミスのせいでミュウさんまで巻き込んでしまって」

「ボクのことはいいですの。でもピンチの時こそ落ち着いて欲しいですの」

 

「(ミュウさんマジ天使! そう、ピンチの時こそ落ち着いて… 落ち着いて…)」

 

 彼女は努めて冷静になろうと試みる。

 試みるのだが… 彼女が冷静さを失い焦燥しているのには、もう一つ理由があった。

 

「(落ち着いて、トイレに行きたい…っ!)」

 

 セレニィ、半泣きである。

 

 ダアトに到着してすぐに妙ちくりんな張り紙に踊らされ、案内されるまま舞台出演。

 それが終われば直でいかついお兄さんたちに連行されてしまったのだ。

 

 ちょっとばかり休憩して用を足す暇などありはしない。

 彼女は迫りくる尿意を自覚してからは、必死にそれに抗っていた。

 

 そのへんで適当に垂れ流すのには流石に抵抗がある。旅途中の野宿とは違うのだ。

 まして、小用の痕跡で隠れているところを発見されたら間抜けにも程がある。

 

 万が一にもそれを仲間たちに知られてしまった日には、一生立ち直ることは出来ない。

 それを防ぐためには…。

 

「是が非でも、見つけ出さねばならない…!」

「セレニィさん、燃えているですの…!」

 

「ええい、クソ。忌々しい、トイレ以外の全てを燃やし尽くしてやろうか…!」

 

 邪悪なことを口走りながら彼女は走る。楽園(トイレ)を求めて。

 

 果たして、いくつの階段を昇って降りたのか。

 彼女自身も分からなくなる頃、漸く彼女たちは生活臭の漂うエリアへと到着した。

 

 そして目の前に見えるはトイレのマーク。

 セレニィにはそれが神々しく輝いて見えた。あれこそ楽園の入り口なのだと。

 

「ありがとう、神様!」

「よいしょ、と」

 

「セレニィさん、前っ! 前ですのっ!」

 

 喜び勇んで駆け込もうとする彼女の前に、曲がり角からひょっこりと人影が現れた。

 

 人影は何やら書類の束を抱えていて前方不注意な様子。

 セレニィは無論、この状況でトイレ以外のことに目が入るわけもなく。

 

 当然の帰結として… 二人と一匹は正面衝突する羽目と相成った。

 

「わひゃあっ!?」

「きゃっ!」

 

「みゅみゅうっ!?」

 

 互いに尻餅をつく形で向かい合う。

 

 人影の正体はといえば、やや吊り目がちではあるが顔立ちの整った美人。

 とはいえ今は予想もしない衝撃を受けて、痛みに眉を顰めているが。

 

 他方、セレニィは普段ならば目を奪われるであろう美人さんを前にしても無言を貫く。

 そして一条の涙を零して、蚊の鳴くような小さな声でこう呟いた。

 

「……神は死んだ。死んだのだ」

 

 

 

 ――

 

 

 

 一方その頃、教団の外では旅の仲間たちが額を寄せ合い思案していた。

 ジェイド、トニー、ルーク、ガイ、ティア、ナタリア、イオン、アリエッタ。

 

 旅の面々の中で今この場にいないのはアニスだけである。

 残った面々はそれぞれ表情の差異はあれど、皆一様に口をキュッと結んでいた。

 

 そこにアニスが戻ってくる。とはいえ彼女に期待した明るい表情はない。

 ダメだったかと内心で落胆するものの、確認しないわけにはいかない。

 

 ジェイドはアニスに向かって口を開いた。

 

「働きかけの方はどうでしたか? アニス」

「……ごめんなさい。パパやママの口添えでも無理だった」

 

「ふぅむ… やれやれ、困りましたね」

「でも、その… なんか変だったの」

 

「変? アニス、そりゃ一体どういうことだ」

 

 腑に落ちない表情を浮かべながら付け加えるアニスに、ルークが問いを重ねる。

 アニスもルークを見つめ返しながら、考えが纏まらないまま自身の違和感を口にする。

 

「その、なんというか… 衛兵さんは知ってる人なんだけど様子が違ったっていうか」

「何か怪しげな術にかかっているとか、そういうものですの?」

 

「じゃなくて、なんていうのかな。普段だったらある程度は融通きかせてくれるんです」

「ふぅん… つまり、アニスやご両親は彼らにも顔が利くってことかい?」

 

「そう、そうなのガイ。パパとママは騙され易い借金持ちだけど信心深さも有名なの」

 

 なるほど。

 一介の村落ならいざ知らず、この宗教都市で名が知れ渡るほどの信心深さだ。

 

 なのにけんもほろろというのは、確かに少々腑に落ちないものがある。

 普段から顔見知り、かつある程度の気安さを持った仲であるならば尚更だ。

 

 ジェイドは眼鏡を持ち上げ深呼吸をし、思考をクリアにしてからアニスに声をかける。

 

「アニス、もう一度詳しく断られた時の状況を教えてもらえませんか?」

「あっ、はい。えっと『彼女は急に逃げ出してしまったので見つけ次第お返しする』」

 

「ふむ… 続けて」

「それで、だったら中に入ってこっちも探すってパパが言うと『今は通せない』」

 

「理由は尋ねましたか?」

「勿論。ママが聞いても『理由は言えません。後ほどご説明します』の一点張り!」

 

「……なるほど」

 

 そこまで聞いてジェイドにも、ひょっとしたら… と思い当たったことがある。

 なるべくなら当たって欲しくはない、と彼自身も思っているが。

 

「ジェイド。これは、ひょっとして…」

 

 だが、トニーも同様のことに思い至ったのか顔色を悪くしてジェイドに話し掛ける。

 彼の視線を受け止め、ジェイドは一つ頷いた。

 

「どういうことですか? 大佐、トニー。聞かせてください」

「セレニィに関係あることなんだろ。隠し事は抜きにしてくれ」

 

「お願い! セレニィのこと教えて、ジェイド!」

 

 ジェイドの推理が固まった気配を感じてかティアやルーク、アリエッタらが詰め寄る。

 

「(こと此処に至っては下手に隠す方が危ういですかね…)」

 

 そう判断して、ジェイドは口を開く。

 

「教団内部に何らかの危険が入り込んでいる、と判断されている可能性が高いです」

「えぇっ!? そ、それってセレニィの正体がバレたんじゃ…」

 

「落ち着いて、アニス。それにしては騒ぎが小さ過ぎる。自分は違う何かだと思います」

「トニーの言うとおりだと思いますよ。まだ彼女の正体がバレたとは思いません」

 

「じゃ、じゃあセレニィは大丈夫なの? ちゃんと帰ってくるの?」

 

 涙目で見上げるアリエッタの問いかけに言葉が詰まる。

 セレニィの正体がバレてないのは確実だろうが、彼女が逃げ出したのも同様だろう。

 

 つまり、セレニィは何らかの危険が潜む教団内部に迷い込んだということになる。

 ジェイドの沈黙をどう受け取ったのか、アリエッタが無言で人形を抱き締める。

 

 今この状況で、教団と揉め事を起こすわけにはいかない。

 ただでさえ綱渡りの外交を繰り返してきて、事態は逼迫した状況を迎えている。

 

 この外殻大地の存亡の瀬戸際なのだ。余計な火種を付けて回っては大事を為せない。

 それが理性的な判断であろう。

 

 そんな彼らの心の中を読み取ったイオンが決意を秘めた面持ちで口を開く。

 

「では、僕が…」

「ここは私の出番のようね!」

 

 しかし、ティアさんに遮られた。満を持した発言の機会が遮られてしまった。

 

「………」

 

 その場が居心地の悪い沈黙に彩られた。

 ドヤ顔をしているのはティアさんのみという状況である。

 

 彼女は再び口を開こうとする

 

「ここは私の」

「おまえじゃねぇ。座ってろ」

 

「私の出番なの!」

 

 彼女の肩を抑えてなんとか座らせようとするルークとそれに抵抗するティア。

 そんな珍妙な光景により、その場の緊張感は雲散霧消するのであった。

 

 肩の力が抜けてしまったジェイドは、苦笑いとともにルークを窘める声を上げる。

 

「まぁまぁ、ルーク。ここはティアの言い分を聞いてみませんか?」

「ありがとうございます、大佐!」

 

「……良いのかよ、ジェイド」

「えぇ。こんな時セレニィなら、きっとより多くの意見を集めようとしたはずです」

 

「ははっ、違いないな。……イオンもそれでいいよな?」

 

 ガイにウィンクとともに水を向けられれば、イオンもそれに頷くしかない。

 そしてポンと肩を叩かれ「その決意は次に取っておけ」と耳元で囁かれては是非もない。

 

 残る面々にもこの決定に異論があるはずもなく。

 かくして、ここに『セレニィ救出作戦』が本格的に始動しようとしていた。

 

 常にパーティの足を引っ張ることに定評がある主人公である。



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97.再会

「なんで… なんで、こんなことに…」

 

 絶望と苦悩に満ちた少女の声が静かな部屋に響き渡る。

 

 ここはローレライ教団は本拠地ダアトの中心部にある大教会内部、大詠師用の執務室。

 限られた人間しか足を踏み入れることが許されない、教団の機密の巣窟でもある。

 

 少女の付近には飛び散った陶器の破片と、その本体であろう大きな花瓶が転がっている。

 そこには頭から血を流してピクリとも動かない、やや肥満気味な男も倒れ伏している。

 

「どうしてこうなったし…」

 

 少女―セレニィ―は両手で顔を覆いながら、こんな事態に陥った経緯を振り返るのだった。

 

 

 ――

 

 

「くすん… くすん…」

「あー、その… しっかりおしよ? ね、誰にも言わないからさ。そんな日もあるよ」

 

「ぐすっ… はい、ごめんなさい…」

 

 あれからセレニィは、自分がぶつかってしまった美人さんの世話を受けていた。

 教団員の一人であろう彼女は、セレニィを見捨てることなく慰めの声を掛けてくれている。

 

 泣きじゃくる少女とそれを優しく慰める教団員。ハートフルな光景である。

 そんな光景の前には、何故かセレニィの下履きが先程まで履いていたはずのそれとは別のものに変わっていることなど存在するかどうかわからない主席総長のカリスマ程度に些細な問題だろう。

 

「(死にたい…)」

 

 しかも書類を運んでいたことから仕事中だったのだろうが、邪魔をしてしまった。

 そればかりか彼女の優しさに甘えて、現在進行形で時間を奪う形になってしまっている。

 

 恥ずかしさのあまり穴があったら入って埋まってしまいたい気分だ。引き篭もりたい。

 

「しかし、困ったねぇ。アタシは事情があって衛兵のところまで連れていけないし」

「あ、いえ… お仕事中だったでしょうに、そこまでお世話になるわけには」

 

「悪いね。ま、さっきのことはしょうがないよ! ここ、入り組んでて分かり難いしね!」

「あはは… 教団員の方にとってもそうなんですか?」

 

「おっと、これは他の教団員には内緒だよ? あんまりボロ出すと仕事がやり難くなる」

 

 女性の気っ風の良さを感じさせる明け透けな言い回しに、セレニィも思わず苦笑を浮かべる。

 

「そうそう、女は笑ってナンボ。男ってのは単純だからそれだけでイチコロさ」

「まるで悪女みたいですね」

 

「あっはっは! 悪女は嫌いかい?」

「まさか。……そういえばお礼がまだ言えてませんでしたね。ありがとうございます、えと」

 

「ノワ… じゃなかった、えーとノイエ。うん、アタシはノイエ。礼なんて要らないよ」

 

 デキる美人悪女は大好物ですという言葉を飲み込みつつ、お礼の言葉を告げるセレニィ。

 そんな彼女に対してノイエと名乗った女性は、ヒラヒラと手を振って応えとした。

 

 細かいことをあまり気にしないサッパリした性分なのだろう。

 もとより美人との楽しい会話であることも手伝い、セレニィの気分も幾分持ち直してくる。

 

 まるで何処かで会ったことあるような美貌で、聞き覚えのあるハスキーボイスに感じてくる。

 きっとそう感じるほどに親近感を覚えているのだろう。

 

 ノイエの方も「どっかで会ったことあるような…?」と首を傾げているが偶然に違いない。

 しかし、そんな(セレニィにとっての)幸せな時間は長くは続かなかった。

 

「不審なやつは見つかったか?」

「いや、まだだ!」

 

「おのれ、賊め… 一体どこに逃げ込んだ!?」

 

 部屋の外… その遠くから大きな複数の声が響き渡ってくる。

 間違いなく賊の侵入に気付いた衛兵たちであろう。

 

 そして『賊』という言葉に身体が反応してしまい、思わず身を縮こまらせるセレニィ。

 ダアトの街での扱いが記憶に新しい。恐らく捕まったら碌な事にはならない。

 

 そう判断し、どうしたものかと思案を巡らせているとノイエがため息を吐いた。

 

「はぁ… ま、しゃーないわね。私が話をつけてくるから此処で待ってなさい」

「え? でも、その…」

 

「そっちも、いつまでも迷子のままってワケにもいかないでしょ。すぐに戻るから」

 

 そう言い残すと返事も待たずに、ガシガシと自らの赤毛髪を掻きながら退室する。

 一人部屋に残されてセレニィは呆然とする。

 

 このまま衛兵が部屋に雪崩れ込んでくればあっさり捕まってしまうことは想像に難くない。

 モース様大勝利。希望の未来(消滅預言並感)へレディ・ゴー! となる。絶対に嫌だ。

 

 ならば、どうするか?

 

「逃げましょう、ミュウさん」

「……いいんですの?」

 

「いいんです」

 

 彼女の決断はいつだって保身に全力疾走だ。

 迷いなきその瞳から決意の程を読み取り、反対意見を引っ込める聖獣(ミュウ)

 

 セレニィはドアをこっそり開けて部屋の外の様子をうかがう。

 

 耳をすませば右曲がり角の向こうから声が聞こえてくる。

 恐らくは先程出ていったノイエと衛兵たちが話をしているのだろう。

 

 それを確認すると、セレニィはミュウと頷きあう。

 一呼吸の後、彼女は通路の反対側に向かって可能な限り音を殺しつつ駆け出した。

 

 ……そうして、右も左も分からぬままに走ることしばし。

 

「うん! なんかさらに迷っちゃいましたね!」

「ですの!」

 

「どこが出口でしたっけ…」

「ごめんなさいですの。ボクもわからないですの… 役立たずでごめんなさいですの…」

 

「あぁ、いえ。それはお互い様ですし… むしろ私の方が罪が重いというか…」

 

 分かりきっていたはずの結末を迎えて頭を抱えている。

 ダメだこのセレニィ、早くなんとかしないと。

 

「と、とにかく今後のことを考えるためにも適当な部屋に入りましょうか」

「はいですの。ひょっとしたら地図とか見つかるかもしれないですの!」

 

「お、ナイスアイデアですよミュウさん。二人で協力して頑張りましょうね」

 

 部屋の中に窓があれば外の様子だってある程度は把握できるだろう。

 そうすれば出口方面についても多少なり分かるかもしれない。

 

 そうでなくともミュウが言ったとおり地図が発見できれば解決だ。

 ついでとばかりに教団の情報をすっぱ抜ければ仲間たちにだって貢献できるかもしれない。

 

 足掻き切る前に諦めてしまうなんて全くもって“らしくない”考えだった。

 

「(うんうん… 逆境を力に変える。セレニィさんの冒険はこれからですよ!)」

 

 希望を胸にいだきつつ、セレニィは目の前にあったちょっと豪華な扉を開いた。

 

「何者だ? ノックもなしとは非礼な… 此処を大詠師の聖務室と知っての狼藉か」

 

 中にいた人物から声がかけられる。

 それもそうだ。この大教会の中には無数の部屋がある。

 

 中で仕事をしている人だっているだろう。

 

「これは大変失礼をしました。少々道に迷ってしまっていたもので」

「フン… 素直な謝罪に免じて一度は許そう。以後、気をつけるように」

 

「はい、この度は大変ご迷惑をばお掛けしました」

 

 声の主はその言葉に対し、軽く鼻を鳴らして手を振る仕草で応えとする。

 

 窓から覗く陽の光が逆光となり、中にいるはずの人物の姿がよく見えない。

 目を細めつつ徐々に瞳孔が景色に焦点を合わせ始める。

 

 声からすると壮年の男性のようだが、どうにも聞き覚えがある気がしてならない。

 そして思い出そうとすると、何故か動悸と息切れが激しく襲ってくる。

 

 何故だか急に胃が痛くなってくる。無理やり舞台に上げられた時の比ではない。

 明らかにおかしい。早く立ち去らないと… そう考えた時に視界がクリアに戻った。

 

 焦点が合った視線の先には、絶望(モース)が待ち受けていた。

 

「……アカン」

 

 思わず白目をむいて硬直してしまうセレニィ。

 その一瞬の間が命取りとなった。

 

 そして侵入者を不審げな目付きで眺めていたモースの表情が、一転、驚愕に彩られる。

 

「き、貴様はセレニィ!?」

「ば、バレたぁー!?」

 

「やはり生きていたか、貴様は! 何故ここに来た!? 今度は何を企んでいる!?」

 

 机に両手を叩きつけるかのような勢いで立ち上がると、恐ろしい勢いで詰め寄ってくる。

 憤怒の表情を浮かべているモースに怯えてしまい、ガクブル震えることしかできない。

 

 半泣きの表情でチーグルを抱き上げ震えているセレニィ相手に、モースは怒りをぶつける。

 

「まさか厳重に守られた大教会内部まで侵入するとは相変わらず恐ろしいやつだ…!」

「あ、あのですね… 侵入したっていうか連れてこられたっていうか…」

 

「しかし運がなかったな! 私がベルケンドから帰還したその日に此処に潜り込むなど!」

 

 マジでツイてねぇ!?

 

 モースさんの的確な指摘に図星を指されたセレニィは内心で泣き喚く。

 神様はそんなに自分のことが嫌いなのかと恨みたくなる。

 

 そうして今までのデッドリーなイベントの数々を振り返った。

 うん、間違いなく嫌いですよね。……知ってた。

 

 虚ろな表情になったセレニィの襟首を掴み、モースは彼女を軽々と捻り上げた。

 武官ではないとはいえ、モースは巨漢と言っても差し支えない程の体躯の持ち主である。

 

 目方の軽いセレニィに為す術などあろうはずもない。

 振り落とされたミュウがモースの足に体当たりを繰り返し、小さな抵抗を試みる。

 

 すべてを諦めたセレニィの表情から勝利を確信したモースが高らかに凱歌をあげる。

 

「音譜帯におわすユリアが貴様の悪行を見逃すはずがない。さぁ、覚悟を決めて大人しく」

「えいっ」

 

「ぐ、が… お…」

 

 ゴスッと鈍い音が響き渡ると、モースが頭を抑えて目を見開く。

 セレニィの手の中に割れた花瓶があることに気付く。

 

 邪悪なる犯行の全てを理解したが時既に遅し。

 モースはセレニィを取り落とし、白目を剥いてドサリと床に倒れ伏すのであった。

 

「あ、やべ…」

 

 尻餅をつきながら、蒼白な表情を浮かべてポロッと手から花瓶を取り落とすセレニィ。

 

 ――私は追い詰められた獣だったのよ!

 いつぞやそう誇らしげに供述していた巨乳の姿が、何故か脳裏に浮かぶのであった。

 

 

 ――

 

 

 悲しい事件であった。

 

「私はちょっとトイレにいきたかっただけなのに…」

 

 尿意を催したセレニィが勝手を知らぬまま大教会内部を徘徊した結果、なんやかんやあってこんな悲しい事件が引き起こされてしまった。

 

「これからどうしよう…」

「ですの…」

 

 ほんのり涙目になりながら一人と一匹は途方に暮れるのであった。

 しかし落ち込む暇などありはしない。

 

「モース様! 何か物音がしたようですが大丈夫ですか? モース様!」

 

 ドンドンドン! と、ドアが激しくノックされる。

 一難去ってまた一難。どうやらモースの部下が異変を察知してやってきてしまったようだ。

 

「(か、考えろ… 考えろ私…)」

「衛兵の話によると賊が大教会内部に侵入した疑いがあるとのこと! どうかお返事を!」

 

「(この局面を切り抜ける“たったひとつの冴えたやりかた”を…!)」

 

 なんとかこの最大限の窮地をフワッと誤魔化して乗り切ってみせる!

 生きるため・保身のためにセレニィの悪知恵が、今徐々に回転し始めようとしていた。




モース「ぐわぁああああああああああああああ!?」
セレニィ「モ、モースダィーーーン!」(他人事)


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98.同化

「ふぅ… む。最近は書類を隅々まで確認するのも億劫になってきたな」

 

 世界で唯一公認された宗教組織ローレライ教団の総本山ダアト、その中心に位置する大教会。

 その内部… 厳重に守られたエリアであるはずの大詠師用の執務室で男は(ひと)()ちた。

 

 年齢は四十を過ぎた頃だろうか? 法衣をキッチリと身に纏い、書類を睨みつけている。

 長旅を終えて帰還したばかりにもかかわらず、彼は、熱心に貯まった執務に取り組んでいた。

 

 落ち着いても良いだろう年齢の割りに良きにつけ悪しきにつけ精力的に働くのがこの男だ。

 

「歳を言い訳にはしたくないものだが… いや、ここが頑張りどころであろう」

 

 チェックを終わらせた書類を机の上に置き、眉間を揉み解しながら大きく溜息を吐いた。

 

 かつてキムラスカにて政治顧問として辣腕を振るっていた大詠師モースその人である。

 とはいえ、それも今は昔の話。

 

 ここダアトではその影響力はまだまだ残っているとは言え、決して軽くない痛手を被った。

 

「フン… 返す返すも忌々しい小娘よ」

 

 ふとキムラスカで起こった“あの日”のことを思い出し、憎々しげに言葉をこぼした。

 

 甘言を弄し国王を取り込み、居並ぶ重臣一同も意のままに操り舞台装置としてみせた弁舌。

 暗部の手を巧みに逃れ、六神将と敵対する立場でありながら彼らの元に身を寄せる胆力。

 

 邪悪、狡猾、悪辣… それら全てが凝縮された存在。それが彼にとってのセレニィであった。

 

 ――故に。

 

 彼女の動きを逆手に取り、預言(スコア)に詠まれていたアクゼリュスの崩落に巻き込ませたのだ。

 その底が瘴気渦巻く奈落… 魔界(クリフォト)と呼ばれる死地へと通じていると知っていたが為に。

 

 万が一、億が一生き延びたとして… 身動きの取れない瘴気の海の中では長くは保たない。

 かつて崩落したホドのようにユリアシティに近い位置にあるならば生存の可能性はある。

 

 しかし、アクゼリュスの位置からはどのように崩落したとしてもユリアシティには届くまい。

 

 暗部の報告を受けながら時間の許す限りモースは計画を練り続け、ついには実行に移した。

 そして連中の裏をかき計画通りに事が運んだ。

 

 無論、残念な点はいくつかある。

 預言にある通り『聖なる焔の光』を使いたかったのだが、果たせなかったのもその一つ。

 

 備えとして試作品の擬似超振動発生機関と導師のレプリカを持たせていて幸いだった。

 預言通り『聖なる焔の光がアクゼリュスにいる』状況で『其の力を災いに』することに成功。

 

 そして預言に逆らおうとする不心得者どもを纏めて崩落により葬ることに成功した。

 

「いざ終わるとなると呆気ないものであったがな… いや、そんなものか」

 

 其のために、敬虔なる暗部たちや擬似超振動発生機関を喪ったのは慙愧(ざんき)(ねん)に耐えないが…

 その犠牲はこれまでも続いてきたのだ。連綿と続く世界(オールドラント)の二千年の歴史の中で。

 

 あとはユリアが詠まれた『未曾有の繁栄』を為すために、我々一同がより一層励むのみ。

 今までの努力が報われ全ての障害は取り除かれた。もう誰も邪魔をする者はいないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――それは本当に真実なのか?

 

「………」

 

 そんな愚にもつかぬ戯言が脳裏を掠め、モースの背筋をゾワリと震えさせた。

 

「フッ、それこそまさか」

 

 それでもヤツ等は… いや、“ヤツ”めは死んでいないのではないか?

 一瞬浮かんだ懸念を一笑に付す。馬鹿馬鹿しい。ありえない。

 

 確かに自分は稀代の知将でもなければ預言を超えた未来予知を出来る器でもない。

 だが、だからこそ自身を決して過信はしないし計画は綿密に練る。

 

 ダアトでは運営を統括できる大詠師という役にあるものの他国から見れば導師の部下の一人。

 政治顧問にでもならなければ真の意味で国政に口を出すことなど夢のまた夢である。

 

 出来ることは限られる。どうしても不足はあるかもしれない。その中で最善は尽くした。

 だが、それでも… それこそ那由多のうちに一つでもアレが生還するようなことがあれば…

 

 そこまで想像してから、モースは忌々しげに拳を握り締めた。

 

「(……アクゼリュスの崩落に巻き込ませたのは失敗であったか?)」

 

 モースは今度こそ、自身の手がジットリと汗ばんでいる事実から目を逸らせないでいる。

 

 ヤツを悪しざまに貶めるよう部下たちに命じ情報操作をダアトの教区内で徹底させた。

 確かに、教団の威信にかけてその影響力を破壊しようという狙いがあったことは否めない。

 

 ……ならばその根底にある感情は?

 

「ふぅ… いかんな。少し、休憩をするか」

 

 だが、敢えてそこに踏み込まずに気持ちを切り替える道をモースは選択した。

 伸びをしながら立ち上がり背後のカーテンを掴むと、サッと手を引いた。

 

 暖かな日差しが部屋の中に差し込む。

 朝方に帰還したばかりと思っていたが、陽は既に中天に達していているようであった。

 

 彼は窓の外にある景色… ダアトの街並みを視界に収める。

 始祖ユリアの慈愛に包まれ、多くの信仰心に守られた美しい街並みだ。

 

 思わず表情を緩める。

 

「……あぁ、美しいな」

 

 彼は多くの醜いものを見続けることで、ついにはこの地位に上り詰めることができた。

 世界には、このオールドラントには醜いものがそれこそ数え切れないほど存在する。

 

 預言を便利な道具のように扱い、自身の栄達のために利用することしか考えない王侯貴族。

 神聖なる教団内部ですら公然と蔓延らんとする不正や腐敗。

 

 同じ庶民でありながら自身より力の弱いものを虐げようとする愚物。

 彼らは預言を食い物にしておきながら、いざ自分の破滅が詠まれれば醜く足掻き始める。

 

 そのようなことが赦される筈がないではないか。

 薄汚い不心得者どもに人類全ての繁栄のための二千年の犠牲の重み以上の価値があるとでも?

 

 失笑モノとしか言いようがない。だが、何よりも笑えるのは他でもない。

 

「私自身、連中と同じ穴の狢でしかない… ということか」

 

 この地位に来るまでに綺麗なままでいられたか? 無論、非才の身で出来ようはずもない。

 

 多くの腐敗に関わり不正も行った。

 唾棄すべき佞臣(ねいしん)たちに()(へつら)い預言を代価に権益を譲り受けたことなど数知れず。

 

 時には明らかなる正義の徒を罠に嵌めて陥れたことすらある。

 

「フン… それでも私は、今は死ぬわけにはいかぬ」

 

 叶うことならばいつまでも遠目に、眩しげにこの美しい景色を眺めることができればいい。

 繁栄の(もたら)された美しい世界は敬虔な信者たちにこそ相応しい。心からそう思う。

 

 新しい世界に醜い存在は不要だ。言うまでもなく己などその不要な存在の筆頭であろう。

 だが、自分は今死ぬわけにはいかない。まだやらねばならないことがあるのだから。

 

 その姿は、破滅を前に怯えていたあの不心得者どもとどう違う? 何も変わりはしないのだ。

 しかし、それでも… 自らの度し難いまでの醜さを自覚してなお、譲れないものがある。

 

「ユリアよ… 御心あらば、どうか私がこの大事業を成し遂げられるよう見守りください」

 

 縋り付くしかない。それが自分に残された最後の価値であるのだから。

 

 決意を新たにして気分転換は為った。さて、聖務の続きを再開するとしよう。

 そう考えて席についた彼の前で、ノックすらなく扉が開かれる。

 

 水を差されたような気分でモースはこの無粋なる侵入者に声をかけるのであった。

 

 

 ――

 

 

 お分かりいただけただろうか?

 

 真面目に(一部の)人々のために(ちょっぴり悪どい)お仕事をしようとしていた大詠師様。

 そんな彼を花瓶でぶん殴って昏倒させるという、神をも恐れぬ所業を成し遂げた邪悪の化身がこの部屋にいるらしい。

 

 さて、その噂の邪悪の化身(セレニィ)はと言えば…

 

「ミュウさん! ちょっとそっち持ってください!」

「はいですの!」

 

「急いで! 鍵をこじ開けられて部屋の中に雪崩れ込まれる前に!」

 

 可能な限り声を潜ませつつ、意識のないモースの身体を移動させようとしていた。

 ミュウも手伝ってはいるものの生物としての大きさが違う。作業は遅々として進まない。

 

 扉のノックの音がいつしか体当たりの音に変わっている。後は時間との戦いだ。

 

「(たったひとつの冴えたやりかた… それは…)」

 

 モースを背負い、なんとか目的地までたどり着いて作業をすすめる。

 そして作業がなんとか整い、準備を終わらせた刹那…

 

 執務室の扉が荒々しく開かれた。

 

 教団員である男性が見たのは、逆光を背負い奥の執務用の席に掛けている大詠師の姿。

 その姿勢は机に両肘を立てて寄りかかり、両手を口元の前で組む威圧感を感じさせるもの。

 

 そして重々しい、くぐもった声が無礼な闖入者に向かって発せられる。

 

「何事だ、騒々しい。……此処を大詠師の聖務室と知っての狼藉か?」

「ハッ! いえ、賊が侵入したとの話を聞いて… お声もないようでしたので不安になり」

 

「狼狽えるな。たかだか賊の一人で何が出来る? このとおり私は一切何も問題はない」

 

 男性が居住まいを正して危険を報告をすれば一蹴される。そして妙に無事を強調された。

 侵入したと目される賊はかの有名な『漆黒の翼』。三人組であることは間違いないのだが。

 

 とはいえ、今は安全であってもいつまでもそうであるとは限らない。

 気難しいことで知られる大詠師に、どのようなやり方で避難行動を注進すべきだろうか?

 

 そんなことを考えている教団員の男性… その向かいにある執務机の影で。

 

「用がそれだけならばさっさと帰るべきではないかな。午後からは休みにしてあげるし、うん」

「え? いえ、しかし! 先程も申し上げたとおり賊の侵入によりここは決して安全とは」

 

「愚か者! 信仰心が足りんぞ! 信仰心があればなんでも出来る! 公爵家襲撃とかネ!」

 

 小さくまさに隠れるように膝を畳み、口元に手をやっているセレニィの姿があった。

 彼女の膝の上のミュウも口元に手をやるポーズで真似をしている。

 

 そしてセレニィが口を開けばくぐもった声となって、部屋にいる男性には聞こえるだろう。

 つまり、彼女の導き出した“たったひとつの冴えたやりかた”とは…

 

「(それは、私自身がモースさんになることだ…!)」

 

 胸中でそう叫んで、小さくガッツポーズを決める。

 そんなセレニィさんの瞳は極度の不安と緊張からぐるぐる回っていた。

 

 悲しいことに、デッドリーなイベントの連続でセレニィは追い詰められた獣になっていた。

 果たして彼女はティアさんの経験を活かしてこの窮地を乗り越えられるのだろうか?

 

 なお、ティアさんはどこかの小市民が庇わなければ死刑相当の罪を払拭できなかった模様。




ひっそりといただきものをUPします。
きれいな せれにぃ


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【挿絵表示】



無月緋乃さん(pixiv id=1277419)からのいただきものイラストです。
ありがとうございました!


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99.平常心

 大詠師用の聖務室。

 

 ここで、一人の青年がその表情に緊張の色を滲ませつつ大詠師モースと相対していた。

 青年の名はライナー。教団では最下級に位置する先兵という地位にある。

 

 短く刈り揃えられた黒髪の上に制帽を被り、地位に基づいた制服を着こなしている。

 清潔で実直そうな印象を与える、二十代前半の好青年といった容貌である。

 

 無論、額面通りの一般兵ではない。

 ディストの付き人として第2師団に所属しており、日々彼の言動に振り回されているようだ。

 

 更には、何かと単独行動しがちな六神将と教団の橋渡し役のようなものをこなしている。

 なお、第2師団師団長ディストとは線引きをしてビジネスライクな関係を築いている模様。

 

 その性質上、それとなく六神将の内情を探るなどスパイの真似事のようなこともする。

 とはいえほとんどの日々は、上役から与えられた雑務をこなすだけの毎日を送っていた。

 

 有り体に言ってしまえば、便利屋にして雑用係。それが彼ライナーのポジションであった。

 

「………」

 

 故に、現在のモースの異様な雰囲気に心を呑まれていた。

 

 何度か雑務を命じられたこともあるし、今も与えられている仕事がある。

 とはいえそれだけの関係だ。

 

 相手は大詠師。

 もともと雲の上の地位に当たる相手であり近寄り難い存在ではあった。

 

 しかし、それを差し引いてもモースの今の威圧感はどうだ。

 机に両肘を立てて寄りかかり、表情を隠すように両手を口元の前で組む姿勢は微動だにせず。

 

 開け放たれたカーテンから差し込む陽光すら、まるで後光のように彼に降り注ぐ。

 ライナーは得も言えぬ畏れのような感情を改めて眼前の大詠師に対して抱く。

 

 妙な真似をすれば切り捨てると言わんばかりの威圧感に、身じろぎも出来ず立ち尽くした。

 

「(旅からご帰還されたモース様は、一味違う…)」

 

 そして彼は人知れず唾をゴクリと飲み込むのであった。

 

 

 ――

 

 

 一方、現在進行形でモース様の中の人になっているセレニィはとても迷惑をしていた。

 

「(……さっさと帰ってくれないかな、この人)」

 

 一向に帰る気配を見せない青年に恐怖と不安の感情を抱きはじめる。

 帰ってくれという命令をスルーされるとはモースさんも尊敬されていないのだろうか?

 

 配下のはずの六神将に何度も襲撃される主席総長の姿を目撃していた彼女はそう判断した。

 恐らく教団は無法地帯なのだろう。あのティアさんですら野放し状態だし。

 

 イオン様やアリエッタさんの可愛さとかカリスマで保たせるのは限界があったのだろう。

 みんながみんな、自分のように「可愛ければいいじゃん」でスルー出来る変態ではないのだ。

 

 いくら可愛かろうとスルーできない・してはいけない問題はあるのだ。

 そう、あのティアさんのように。

 

 そんなことを考えていると、青年から改めて声を掛けられた。

 

「しかしモース様… 御身に危険が迫る事態を看過できません。どうかこの場を」

「くどいぞ、トーマスくん!」

 

「ライナーです…」

「ごめんね、ライナーくん!」

 

「いえ…」

 

 ふざけるなよ… この場を移動しろとかなんて無茶なことを言いやがるんだ。

 この体重3桁はありそうなモースさんを支えて二人羽織とか普通に死んでしまうだろうが。

 

 そもそも移動の途中で普通にバレるだろうが。

 バレたら死んじゃうだろうが、私が。空気読めよ。

 

 セレニィは青年の空気を読めない提案に対して歯ぎしりする。逆ギレである。

 

「私ごときが大変差し出がましいことを申し上げました。……ん? これは」

 

 怒りの色を滲ませての一喝であるにもかかわらず表情は微動だにしないモース。

 そんな彼の底知れなさに思わず顔を伏せてしまったライナーは床に転がるある物を発見する。

 

 身をかがめて赤い絨毯の上に散らばるそれらを手に取り、注意深く観察する。

 

「コレは… 陶器の欠片? それに、調度品の陰に転がっているのは割れた花瓶か」

「げげっ」

 

「モース様?」

「いや、なにも」

 

「………」

 

 先程までの杜撰な証拠隠滅作業は瞬時に打破されてしまった。セレニィさん涙目である。

 一方でライナーは考える。

 

 この割れた花瓶がまるで隠すかのように調度品の陰に置かれていたこと。

 これは賊の侵入と決して無関係ではないのではないか?

 

 ならば、先程までのモースの威圧感と不審な態度は何を意味するのか? 理解してしまった。

 

「(モース様は私を巻き込まぬよう、たったお一人で賊と対峙しようとなされている…!)」

 

 推理が明後日の方向に飛んでいった瞬間である。

 

 ライナーは割れた花瓶の欠片を掲げつつ、モース(の中の人)に向かって語りかける。

 いくら最下級の先兵とはいえ、上の地位の人間にただ守られるままではいられない。

 

「モース様… この花瓶は何故割れていたのでしょうか?」

「えっ、さあ… その、勝手に割れたんじゃないかな…」

 

「バカげたことを仰らないでください。花瓶がひとりでに割れるはずなどないでしょう!」

「ひっ」

 

「どうか本当のことをおっしゃってください… モース様!」

 

 困ったのはセレニィである。本当のことを言ったら死んでしまう。

 しかし花瓶のことがバレてしまった以上、もはや知らぬ存ぜぬは通らない。

 

 胃がキリキリと痛みを訴えてくる。どうする? 本当のことを喋るか?

 

「(いや、無理だ無理。でも、しかし、うーん…)」

 

 かように悩みに悩んだ末にセレニィは…

 

「落ち着くのだ、ランナーくん。それは別に賊とは一切なんの関係もないのだ」

「ライナーです… お言葉ですが、大詠師! ならばこれらは一体なんだと言うのです!?」

 

「うぐっ! そ、それは…」

 

 その言葉の続きを、大詠師を見詰めたまま固唾を呑んで待ち受けるライナー。

 

 まさに凪すらない湖面のごとく落ち着いた表情。

 その内心は自分ごときでは一切読み取れない。まるで意識すら存在していないかのようだ。

 

 これが三十代の若さで教団の実質的最高権力者の地位にまで上り詰めた男の(かお)なのか。

 戦慄の予感とともに、大詠師の言葉を静かに待ち続ける。

 

 

 

 

 そして漸く、彼が焦れ始める頃にあのくぐもった声が響き始めた。

 

「し、信仰心を高めて花瓶の前でグッとガッツポーズをしたら弾け飛んじゃったのだ」

 

「………」

「………」

 

 ライナーの瞳が驚愕に見開かれ、周囲に沈黙の帳が落ちる。

 セレニィの心臓が早鐘を打つ。

 

「(しょうがないでしょ! 良い言い訳が思いつかなかったんですよ!)」

 

 半泣きである。ミュウがよしよしと頭を撫でて慰めている。

 ついにはチーグルにまで同情されるようになっていた。

 

「(私は悪くない! 私は悪くない! ただトイレにいきたかっただけなのに!)」

 

 さらには全泣きに移る。

 声を押し殺して泣いていると、思わずといった風にライナーがゆっくりと口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マジかよ… モース様、パネェ…」

「(と、通ったぁーーーー!)」

 

「いえ、失礼! そうだったんですか… てっきり私は賊と関わりがあるのかと…」

 

 セレニィは全泣きから一転、花も綻ぶような笑顔を浮かべてガッツポーズを決めた。

 ライナーさんのたゆまぬ信仰心に、思わずセレニィもニッコリ。

 

「うむ! 取り越し苦労だったとはいえ、その気遣いはありがたく受け取っておこう」

「いえ、そんな… 私など」

 

「なぁに、謙遜することはない。仕事熱心なのはいいことだよ、うん」

 

 さあ最大の山場は乗り越えた。

 あとはライナーさんを追い出してから、時間を置いて自分もこっそりと逃げ出すのみ。

 

 そう思って口を開く。

 

「というわけで私は大丈夫だから君は退室しなさい。ね?」

「いえ、何度も申し上げております通り賊が侵入しているためここは危険です。避難を」

 

「真面目かよっ!?」

 

 乗り越えてなかった。むしろループしていた。

 厳しすぎる現実に若干絶望しつつも、モース様の中の人は言葉を紡いだ。

 

「ランチャーくん」

「ライナーです」

 

「君は我々教団員にとって大切なものはなんだと思うかね?」

 

 名前を間違えられたがライナーは感動していた。

 この御方は『我々教団員』とそう言った。地位の区別なく対等に扱ってくれているのだ。

 

 さきほどまでの会話の端々からそういった気配は感じられていたが。

 

「ハッ! 預言(スコア)の成就であります!」

 

 誇らしげな気持ちを胸に抱きながら、彼は大詠師の問い掛けに対して答えを返す。

 

「なるほど。別にどうでもいい… もとい、それも大切だね」

「はい!」

 

「だが、他にもあるだろう?」

 

 そう言われて考える。

 一つ一つを指折り数えて挙げてみる。

 

「導師も世界にとって欠かせない大切な存在です。それに我々が守るべき人々も」

「うむうむ、そうだね。ならばそれらを支えるために我々に求められるものは」

 

「ハッ! 信仰心であります」

「ちげーよ」

 

「はい?」

「コホン… いや、それは当たり前のことだからね。敢えて殊更(ことさら)に語るのもどうかなと」

 

「なるほど… さすがはモース様です!」

 

 確かに信仰心のみで花瓶をも粉砕できる男モース様にとっては至極当然な話であった。

 敢えて語るまでもないと言われればそのとおり。己の不明さにライナーは思わず赤面する。

 

 咳払いを一つしてから、モース様の中の人は改めて語りだす。

 

「答えは『平常心』だよ、ランダくん」

「平常心… ですか? あとライナーです」

 

「うむ。我々が常に平常心を抱いていることで当たり前のことを当たり前にこなせるのだ」

「なるほど…」

 

「平常心があればティア=グランツも追い詰められた獣にならない… はず、多分」

「なるほど…」

 

「平常心があればジェイド=カーティスの譜術が飛び交う戦場でも平然としていられるといいな」

「なるほど!」

 

 次々と挙げられる具体的すぎる例の数々に、ライナーは大詠師が言わんとする所を理解した。

 そしてその意図するであろうところを述べてみせる。

 

「つまり… 賊が侵入している今だからこそ我々の平常心が試されるということですね?」

「そのとおりだよ、ラタトスクくん。果たして賊に惑わされる必要などあるのかな」

 

「ライナーです。……浮き足立って避難を強くご注進するなど私は分かってはいませんでした」

「気にすることはありませんよ。私もモース様の立場なら真っ先に避難してましたしね」

 

「はい?」

「ウォッホン! まぁ、そういうわけなので私は執務を行うから君は」

 

「はい! ではこのままここで任せられていた仕事の報告を行いますね。いつもどおりに!」

 

 セレニィは執務机の陰から苦虫を噛み潰したような表情で「いや、帰れよ…」と呟いた。

 

 

 ――

 

 

 一方その頃。

 

 賊の侵入という異常事態のために、一時的に一般人の出入りを制限されている大教会前。

 出口を固める衛兵たちの前に一人の女性が姿を見せた。

 

 艶やかなロングヘアを片目を隠すような形にまとめ、風の任せるままに靡かせている。

 出るところは出て締まるところは締まる年齢離れした抜群のスタイルである。

 

 神聖なる神託の盾(オラクル)騎士団の制服に包まれている筈のそれらは、かえって強調するかのよう。

 

 (見た目だけならば)完璧な美少女、我らがティアさんである。

 

「すまない、今現在ここダアト本部大教会は封鎖されている」

「えぇ、知っているわ。だけど私はこの先に用があるの」

 

「そちらにも事情があるかもしれないが安全のためだ。解決するまで待っていて欲しい」

 

 ティアさんにも紳士的に対応する衛兵さんたちの言葉に彼女は足を止めた。

 左右それぞれの衛兵を確認するが、どうにも通してくれる兆しは見えそうにない。

 

 しかし諦めることなく更に言葉を続ける。

 

「……どうしても?」

「どうしても、だ」

 

「そう、あなた達の気持ちは分かったわ」

 

 かなり食い下がってきたが、ようやく分かってくれたかと彼らは安堵の息を漏らす。

 叶うことならば、か弱い少女に手荒な真似はしたくなかったのだから。

 

 ドンッ! と地面が揺れるような音を響く。

 すると、ティアと話をしていた衛兵のうちの一人が腹を抑えたままゆっくり崩れ落ちた。

 

 ティアさんは右の拳を突き出したままのポーズをしている。

 リグレット教官の許可により解き放たれたティアさんの拳より放たれる必殺技。

 

 その名もナイトメア(物理)である。

 

「私の気持ちはこうよ。……通して」

 

 目を見開いて硬直する残る衛兵の腹にも速やかにナイトメア(物理)が叩き込まれた。

 

 譜歌のナイトメアとの違いは抵抗力に関係なく意識を飛ばせる点。

 そして目覚めてもしばらく動けないままである点。何よりTPを消費しないのが素晴らしい。

 

 欠点としては拳が届く範囲の単体にしか効果が発現しない点である。

 状況によって使い分けていこうと思いつつ、彼女は大教会の中に足を踏み入れた。

 

「(公爵家を突破できたのだから、成長した今ならば教会だって突破してみせる…!)」

 

 なんということであろう。

 ティア=グランツことナチュラルボーンテロリストがダアト本部に解き放たれてしまった。

 

 逃げて、ローレライ教団。超逃げて。

 

 

 ――

 

 

「あ、あー… なんてことー。まさか衛兵さんたちが倒されているなんてー」

 

 程なく、そこに若干棒読み気味の台詞を吐きながらアニスが通り掛かる。

 

 衛兵たちの手を取り脈があるかを確認する。

 ……良かった、生きている。というか、これで死んでたら後味悪いってレベルじゃない。

 

 この程度ならば、後は偶然通りがかった(・・・・・・・・)第七音素術士(ナタリア)に回復を任せればいい。

 安堵しつつ大きく息を吐くと、そのまま立ち上がってティアの後を追う。

 

導師守護役(フォンマスターガーディアン)としてー、追いかけないとー。後は任せてねー、衛兵さんたちー」

 

 胸中で衛兵たちに詫びながらも、彼女は仲間たちとの筋書き通りにティアを追うのであった。




いつも誤字指摘をしてくださっている方、ありがとうございます。
感謝の気持ちでいっぱいです。


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100.陰謀

 荒ぶるティアさん(ゴリラ)の拳によって、罪もない衛兵さんは倒されてしまった。

 

 そして、微塵の躊躇も見せずに大教会内部に侵入するティアさん。

 そんな彼女の後を三文芝居をしながら追いかけていくアニス。

 

 こんな二人の様子を、不敵な笑みを浮かべつつ物陰から見守る人物がいる。

 

「ふむ、まずは第一段階突破… といったところですか」

 

 マルクト軍にその人ありと恐れられた“死霊術士(ネクロマンサー)”ジェイド=カーティス大佐である。

 そんな彼の横に怯えたような様子で立ち尽くしている二人の男がいる。

 

「つ、罪もない衛兵さんを瞬殺しやがった…」

「コイツら俺ら以上に外道すぎる…」

 

「いやぁ、ははは… ご謙遜を。世界各国に名を轟かせる漆黒の翼の足元にも及びませんよ」

 

 そんなジェイドのおためごかしを、男たちは引き攣った笑みで受け止めるしかない。

 彼らこそ漆黒の翼… 世界各国に名を轟かせる盗賊団、その構成メンバーなのだ。

 

 男たち… ウルシーとヨークはジェイドに関わってしまったことを早くも後悔し始めていた。

 逃げ出そうにもその背後にはトニーとガイが立っており、隙など全く見出せないのだが。

 

 ガックリと肩を落とした二人に、ジェイドが優しいトーンで話しかける。

 

「まぁまぁ、そんなに落ち込まずに。今の私たちは良き協力者同士ではありませんか」

 

「いきなり脅迫してきやがった癖にどの口で…」

「よせ、ウルシー… 胡散臭い連中だが力は確かだ。……姐さんを助け出すまでの辛抱だ」

 

 果たして彼らはどのようにして出会い、そして協力するに至ったのか?

 それを確かめるために、作戦のおさらいを兼ねて時計の針を少しばかり戻すとしよう。

 

 

 ――

 

 

「というわけで、私が正面から潜入してセレニィを救ってくればいいと思います!」

 

 ティアさんがさもナイスアイディアとばかりに満面の笑顔でそう言い切った。

 眠りの譜歌、ナイトメアの効果で彼女がファブレ公爵邸を襲撃した事件は記憶に新しい。

 

「いや、なんだよ正面から潜入って。それ、ただの強行突破じゃねーか…」

「そうとも言うわね!」

 

「あ、いえ、その。胸を張らないでいただきたいのですが…」

 

 ルークとトニー、パーティが誇る屈指の常識人が頭を抱えながらツッコミを入れる。

 しかしナチュラルボーンテロリストの彼女にはその意図するところは伝わらない。

 

 むしろ褒められたと思ってますます増長してしまう結果となった。

 ティアさん、増長せずに自重して? このやり取りには流石のナタリア殿下も苦笑い。

 

 それらを見守っていたジェイドが一つ頷くと、言葉を発した。

 

「いえ、ティアの発案は悪くないかもしれませんね」

「ちょっとちょっと! 大佐、本気なの~!?」

 

「えぇ、彼女は神託の盾騎士団の制服を着用しています。一度入り込めさえすれば…」

「なるほど。もともと内部の人間である以上、誤魔化しは利きますわね」

 

「内部の人間となると、僕やアニスもそうなりますね」

 

 イオンの言葉に同意してから、ジェイドはアニスを見る。

 

「どうでしょうか、アニス。恐らくティアと貴女がこの作戦の鍵となります」

「……ッ! わ、わかったよ。セレニィのためなら、私、やるよ!」

 

「結構。……いやぁ、愛されていますねぇ彼女は」

「ハハッ、そういう旦那だって放り投げもせずにこんな面倒なことに付き合ってるじゃないか」

 

「いえいえ、彼女が捕まって我々の内情をペラペラ喋られたら都合が悪いだけですよ」

 

 軽く肩をすくめてから眼鏡のブリッジを持ち上げると、場が朗らかな笑いに包まれる。

 

「しかし、正面から当たってはダアトに大義名分を与えてしまうことになりますね」

「イオン様…」

 

「いえ、それこそ僕がみなに話を説いて頑張るべき場面。そういうことですね? ジェイド」

「確かに、そうですね。制服のおかげで多少の時間は稼げるでしょうが、疑いの目は…」

 

「そこも大丈夫です。疑いの目がゼロとまで行かずとも可能な限り軽減してみせましょう」

 

 不敵な笑みを浮かべたジェイドに、みなが驚きの視線を送る。

 この状況で救出作戦を実行して疑いの目が向かない… そんな魔法のような一手があるのか?

 

 視線で言葉を促されて、ジェイドは人差し指を立てながら言葉を続ける。

 

「……いるではありませんか。このダアトで現在進行形で騒ぎを起こしている盗賊団が」

「なるほど! あたしたち、『謎の盗賊団』としてセレニィを助ければいいんだね!」

 

「お宝盗んでダアトから退散ってわけか。そりゃいい、悔しそうなモースの顔が目に浮かぶぜ」

 

 彼はダアトで暗躍する謎の盗賊団に全ての泥をかぶってもらう作戦を明かした。

 まさに外道。鬼畜眼鏡の本領発揮といったところである。

 

 アニスとガイは手を叩いて楽しそうに同意する。

 イオンはそれしかないならしょうがありませんねというスタンスで見送った。

 

 ティアは、セレニィを助けられれば後のことは比較的どうでもいいので黙っている。

 ルークとトニーは複雑そうな表情を浮かべるも代案もないためにスルーを決めた。

 

 状況がよく分かっていないアリエッタは首を傾げている。

 

 これに待ったをかけたのがナタリア殿下。

 決して周囲に流されることなく、ダメなことにストップと言える王家の鑑である。

 

「お待ちになって、ジェイド」

「おや? ナタリア殿下はこの作戦に反対でしょうか」

 

「いいえ。ですが、ここはいっそ『本物の盗賊団を使う』というのは、いかがですこと?」

「しかし、今からでは探している時間も…」

 

「盗賊ならば脱出経路を担当する者がいます。周囲を探せば見つかるかもしれません」

「ふむ。そこまでして探す価値があるのですか?」

 

「この作戦が終わった後に恐らく私たちはダアトを脱出することになるでしょう?」

「違いありませんね」

 

「ですが、作戦の要となったティアとアニス… それにセレニィは顔も認識されているはず」

「なるほど。協力を持ちかけ、互いが互いを隠れ蓑にするわけですね」

 

「えぇ、それに大教会に入り込むほどの盗賊団。情報を持っている可能性は高いですわ」

 

 確かにここダアトに潜入した第一目的は、アニスの両親のこともあるが情報収集のためだ。

 ナタリアの言うことも無理がなく、状況からの両取りを狙う程度ならば筋が通っている。

 

 そもそも状況が落ち着いてしまえば盗賊団とて何処かに身を隠してしまうことだろう。

 となれば接触を図るとしたら今のこの機会をおいて他にはない。

 

 あまり時間は掛けられない状況ではあるものの、一度くらいは試してみる価値はあるだろう。

 

「……ふむ。確かに、やってみる価値はありそうですね」

 

 なんということであろう。ジェイドの悪辣な作戦はナタリアによって補完されてしまった。

 一刻を争う状況である。トニーが勢いよく進み出る。

 

「ならば自分が! 第三師団所属前は首都駐在員でした。犯罪者の情報は頭に入っています」

「お願いします。ガイとティアはトニーのサポートを」

 

「任されたぜ、旦那。怪しいやつは決して見逃さない! 行こう、ティア!」

「そうね。私たち3人ならどんな相手でも逃がすことはないわ」

 

「ははははは… もしナタリア殿下の言う通りに残っていたら盗賊こそご愁傷様ですねぇ」

 

 そんな駆け出していく三人を頼もしく見送ったジェイドにイオンが話しかける。

 

「しかし、ジェイド… あなたがこんな作戦を考えつくとは」

「……私らしくない、と?」

 

「えぇ、失礼ながら。どちらかというと、こういうことを考えてくれるのは…」

「お察しの通り、『セレニィならばどうするか』と考えた結果ですよ」

 

「……あはっ!」

 

 肩をすくめながらウィンクを一つこぼすジェイドの姿にアリエッタが微笑む。

 

 パーティメンバーの中で、悪辣な作戦を考えつくド外道との共通認識が芽生えつつある状況。

 隠しきれない邪悪の片鱗が認知され始めたのだろう。セレニィのメッキはボロボロだ。

 

「だったらジェイド。セレニィのやりそうなことをちゃんとやってやらねぇと」

「おや、ルーク。まだまだ私に手抜かりがありましたかね?」

 

「アニスの両親のことだよ。ちゃんと保護しといてやらねぇと… こんな作戦なら尚更だろ?」

「る、ルーク様! 私は、そんな別に…」

 

「確かにルークの言うとおりでしたね。私の失念です。アニス、申し訳ありませんでした」

「も、もー! 大佐まで! 別に私は…」

 

「アニス、パパとママは… 『家族』はだいじなもの… だよ? ね?」

 

 照れから否定しようとするアニスを、ちょっと背伸びして“よしよし”と撫でるアリエッタ。

 そんなアリエッタの手を真っ赤になって振り払おうとするアニス。

 

 そんな微笑ましい光景に、一刻を争う状況にもかかわらず誰からともなく笑みが溢れる。

 いい感じに肩の力が抜けたところで導師であるイオンが一歩前に歩み出る。

 

「彼らの説得には僕とアニス、アリエッタで向かいましょう。構いませんね?」

「えぇ、よろしくお願いします。イオン様」

 

「その… ご、ごめんね。みんな。私やパパとママのことで迷惑を」

「おいおい、今更何言ってやがるんだよ」

 

「で、でも…」

「仲間なら当然のことだろ。それに、俺たちは世界をまるごとを救うつもりなんだぜ?」

 

「それにアリエッタのママを救ってくれたセレニィだったら、きっと見捨てないもん」

 

 セレニィは自分がピンチになったらあっさり逃げそうな気もするがそれはさておき。

 アニスは真っ赤になりながら、小さな声で「あ、ありがと…」とだけ呟いて駆け出した。

 

 

 

 

 

 ほどなくティアさんの勘とトニーの記憶により、不審な男性二人組が捕らえられた。

 逃げ出そうにもガイがさり気なく逃走の気配を察しては邪魔をするので、何もできない。

 

 かくして男たちはガックリと肩を落としてジェイド達の前に連行されるのであった。

 

「さて、私たちからあなたに一つお願いがあるのですが…」

 

「お、俺たちを利用しようってのか!?」

「痩せても枯れてもこの『漆黒の翼』、権力の犬の思い通りになんざなるもんかよ!」

 

 手配書を熟知していたトニーが漆黒の翼の構成員ウルシーとヨークであると断定。

 そう、バチカルの王城からセレニィを攫ったともっぱらの噂になっている彼らである。

 

 ならばある程度は腕は確かなのだろう。作戦の成立のためには申し分ない。

 とはいえ、反抗的な態度はいただけない。

 

 トニーが威圧的に槍の石突きを床で鳴らせば怯えを見せるものの、所詮一過性に過ぎない。

 さて、どうしたものかとジェイドが考えているとティアが一歩前に進み出る。

 

 そして荷物袋から林檎を取り出して、差し出すかのように男たちに掲げてみせる。

 

「あなたたち、ここに美味しそうな林檎があるわね?」

 

「そ、それがどうしたってんだ…」

「林檎一個如きで俺たちがホイホイ言うことを聞くとでも」

 

 パァン! と音がして、林檎が弾け飛んだ。

 

 林檎『だったもの』は握り締められたティアの拳の中で消滅していることだろう。

 林檎の果肉が顔にへばりつくことも忘れて、呆然とその様子を見つめる二人組。

 

 ゆっくりと、指を一本ずつ立てて手を広げていくティアの姿を戦慄とともに見送る。

 開いた手のひらから種が二つ地面にこぼれ落ちると、ティアさんはそれを靴で踏み砕いた。

 

 そしてニッコリと、とてもとても美しい微笑を浮かべる。

 

「これが5秒後のあなたたちの姿よ」

 

「………」

「………」

 

「……さて、協力してくれるわよね?」

 

 男たちは震えながら互いに抱き合い、首を大きく縦に振るのであった。

 何度でも、何度でも…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして『快く』協力を得られたジェイドは衛兵を助け起こすと、こう語りかける。

 

「いきなり襲われてしまうとは災難でしたね。まさか漆黒の翼に襲われるなんて」

 

「えぇ、彼らは漆黒の翼ですよ。マルクト軍に所属している私には分かります」

 

神託の盾(オラクル)騎士団の制服を着用していた? おや、まさか彼らが変装の達人とご存じない?」

 

 怪我の手当をしてくれた善意の協力者の言葉を、衛兵さんたちは信じてしまった。

 

「おのれ、漆黒の翼!」

 

 そんな声を複雑そうな表情で見つめるウルシーとヨークの背中からは哀愁が漂っていた。

 

「セレニィを助けるためとはいえ、なんだかめっちゃ心が痛いな…」

「えぇ、ルーク。あなたのその感性は大事にしてください」

 

「まぁその… なんだ。ジェイドの旦那だって好き好んでこんな手を使いはしないさ、多分」

 

 密かに落ち込むルークを慰めるトニーとガイ。常識人三人衆である。

 噂のジェイドはというと、眼鏡のブリッジを持ち上げつつ邪悪な笑みを浮かべていた。

 

 どこかの誰かの悪い影響を受けてしまったようである。

 

 

 ――

 

 

 その頃、どこかの誰かはと言うと…

 

「つまりランドリーくん。導師守護役は暇を持て余していると、そういうことなのかな」

「はい、仰るとおりですモース様。……あと、ライナーです」

 

「確か導師守護役といえば美女や美少女ばかりで構成されているという、あの…?」

「はい。導師のお側に侍る以上、見目は勿論のこと教養や戦闘力も一流どころで揃えています」

 

「なるほどな…」

 

 しばしの間、モース様の中の人が沈思黙考する。

 ライナーは急かすこともなく言葉の続きをじっと待つ。

 

 この短期間のやり取りで旅から帰還されたモース様は一味違うことを彼は強く実感していた。

 でなければ信仰心のみで花瓶を粉砕することなど出来ようはずがないではないか。

 

 そしてついに沈黙を破って言葉を発する。

 

「よし、アイドルさせようぜ!」

 

 段々と調子に乗って欲望を優先させていた。いつものドツボにはまるパターンである。

 一方、耳慣れない単語をぶつけられたライナー君は「なぜ偶像(アイドル)!?」と暫し悩んだという。



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101.啓蒙

生存報告がてら…。
状況あまり進んでない…。

粗くて申し訳ありません。後で書き直したり消したりするかもです(汗)。


 ティアさんとアニスの二人は無事、厳重に守られたローレライ教団内部への侵入に成功した。

 さて、話の流れでモース様の中の人に緊急抜擢されたセレニィはその頃何をしていたのか?

 

 ここで教団本部最奥に位置する大詠師専用執務室に視点を移し、時計の針を少し戻してみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……わかった、わかりました。ここにいても良いですから」

 

 大きな溜め息とともに言葉を絞り出し、セレニィは白旗を()げた。

 相手は言わずもがな、モース様を思うあまりにちょっぴり融通が利かない男ライナー君である。

 

 極めて危険な場所に、尊敬する上司を一人残しておめおめと引き下がれるだろうか?

 否… 断じて否である。有り得ない。選択肢に置くことすら烏滸がましい。

 

 溢れんばかりの信仰心に芽生え始めた忠誠心、オマケに自覚させられた責任感。

 それらをいい感じに配合した結果、上司命令に真っ向からNOと言える部下が爆誕してしまった。

 

 その頑迷なる信念は、ついには絶対保身するマン・セレニィをも折れさせるに至る。

 

「お聞き届けいただきましてありがとうございます」

「……覚えてろよコンチクショウめ」

 

「? すみません、お声がよく聞き取れず。今、なにかおっしゃいましたでしょうか」

「いや、何も?」

 

 小声の悪態を聞き咎められたセレニィはすっとぼけてみせる。

 そのまま無言を貫く。……室内に沈黙の帳が降りた。

 

 その沈黙をどのように受け止めたのか、ライナーは咳払いを一つ行って朗々と言葉を紡ぐ。

 

「大丈夫ですよ、モース様。我々の信仰心ならばいかな漆黒の翼と言えど物の数ではありません」

 

 心なしか胸を張ってそう言ってのけるライナー。

 机の影に隠れているセレニィからは見えないが、その様子は彼女にとっても想像に難くはない。

 

 再度漏れ出そうになる溜め息を喉の中に飲み込んで、彼女はなんとか声を絞り出した。

 

「……そうだといいですね。それじゃあ仕事、しましょうか」

 

 満面の笑みを浮かべて頷くライナーと疲れ果てた仕草で両目を覆うセレニィ。

 重たそうな執務机を隔てた両者の表情は、まるで正反対だったという。

 

 いそいそと書類をめくり始めたライナーを尻目に、セレニィは暗澹(あんたん)たる心持ちに支配される。

 穏便にこの場から脱出するという試みは失敗に終わった。

 

 であれば、どうなるか? ……仲間からの救出を待つしかないだろう。

 

「(パーティの頭脳は人の心を持たないことに定評のあるドS… 私なぞ秒で見捨てるに違いない)」

 

 後ろ向きに全力疾走な思考回路からドSことジェイド・カーティスの行動を分析する。

 しかしパーティはジェイドのみで構成されているわけではない。ポンコツは思考を続ける。

 

「(ルーク様、トニーさん、ガイさんの常識人三銃士が取りなしてくれる… と良いなぁ)」

 

 思わず漏れ出る乾いた忍び笑い。希望的観測に縋るしかない八方塞がりな状況。

 そのことは他の誰でもない、セレニィ自身が一番自覚している。

 

 しかしそのまま座して死を待つほどセレニィは潔くもなければ仲間を過小評価もしていない。

 

 果たして、世界唯一にして二千年以上の歴史を誇る教団の奥深くに侵入できる者などいるのか?

 しかも普段ならばいざ知らず、何らかの非常事態により警戒が強まっているこの状況で。

 

 ……出来る。出来るのだ。

 

「(あの面子を舐めていたら命が幾つあっても足りないってモンですよ… 主に私のね!)」

 

 セレニィは誰に向けるともなく渾身(こんしん)のドヤ顔を決めてみせる。

 そして特に印象深い二人について思いを馳せた。

 

 オールドラントにて長い歴史を誇るキムラスカ・ランバルディア連合王国の国王の義弟であり軍を率いて数々の武勲を立てた元帥の私宅に単身乗り込み、預言(スコア)に言及されているが故に厳重に警護されていた筈の子息をピンポイントで掻っ攫って見事に姿を眩ましたナチュラルボーン・テロリストことティア・グランツ。

 和平のため導師に同行を願うという普通の目的遂行のために罪もないダアト市民にデマを吹き込み、挙げ句ローレライ教団内部で暴動騒ぎを引き起こして導師を回収した後は知らんぷりでダアトを去っていった人の心を明後日の方向に全力で投げ捨てている普通じゃない和平の使者ことネクロマンサーことジェイド・カーティス。

 

 ……お分かりいただけただろうか?

 ただ能力のみに優れるばかりでなく積み重ねてきた実績も抜群の二人である。面構えが違う。

 

 何故こんな歴史的事件の数々が惑星預言(プラネット・スコア)に示されなかったのか理解に苦しむ。

 それは飽くまで精神的には余所の世界の人間に過ぎないセレニィにとっては知る術もない。

 

 きっと始祖ユリアにもうっかりはあるのだろう。そう考えるしかない。

 ただ一つ言えることは、教団内部侵入は彼らにとっての不可能案件に該当しないであろうこと。

 

 憂慮すべきは「気分が乗らない」「面倒くせぇ」などの内的要因だ。能力的には充分すぎる。

 ……セレニィの胃とか周囲の被害さえ考慮しなければ。

 

 

 

 

 

 

 セレニィの胃とか周囲の被害さえ考慮しなければ! である。

 

「(……アカン)」

 

 来て欲しいけれど来て欲しくない。

 せめぎ合う感情。二律背反する強い思いからセレニィは涙目になって頭を抱える。

 

 ミュウがそんなセレニィの背中をよしよしと擦っている。

 そのおかげかセレニィも多少心持ちが楽なものになる。

 

 そして静かに、だが、深く息を吸い込むとそっと瞳を閉じた。

 

「(来てくれるならガイさんやアニスさんが来てくれますように… お願いします、神様)」

 

 脳裏に浮かんだ巨乳やドSの影を振り払い、セレニィは両手を合わせて真摯に神に祈る。

 一方その頃、ティアさんは衛兵をナイトメア(物理)してまんまと教団内部に侵入していた。

 

 現実は非情である。恐らく神はちょうど居眠りをしていたのであろう。

 

 

 

 ――

 

 

 

 セレニィの背筋を猛烈な寒気が襲う。いわゆる虫の知らせ、第六感というものであろう。

 

「さ、仕事仕事… と」

「はい、モース様!」

 

「お、良い返事ですねー。期待してますよー… もとい、期待しているぞー」

 

 彼女は猛烈に迫りくる嫌な予感から全力で目を逸らし、眼の前の仕事に心を切り替えた。

 何もできることがない以上はそれについて考えるべきではない。人は災害の前に無力なのだ。

 

 とはいえライナーの手から書類を受け取って、目を通したりするわけにはいかない。

 

 忘れられているかも知れないが、モース様(外の人)は暴漢(セレニィ)の一撃により昏倒中である。

 気絶している彼が動けるはずもない。それどころか下手に刺激を与えれば目覚めかねない。

 

 セレニィにとって今も昔も色々な意味でアンタッチャブルな存在、それが大詠師モースである。

 かといって中の人になっているセレニィが姿を見せて書類仕事を代行するなど以ての外だ。

 

 ならばどうするか?

 

「では書類を読み上げて、君自身の所感と意見を述べて貰えますか… 貰えるかね?」

「え? いやしかし、私の地位ではそのような権限は…」

 

「ランチタイム君も上の仕事を覚えても良い頃合いだ。まぁ、あまり深く考えずに気軽にね?」

「そこまで私のことを… 分かりました! ご期待に添えるように全力で取り組みます!」

 

「う、うん… 気楽にね? 気楽に」

 

 適当なおべんちゃらで持ち上げて、都合の良いようにその行動を誘導する。

 

 果たして狙い通りにはいったものの、どうやら薬が効き過ぎたようだ。

 若干引き気味になりながらも、ライナーの熱意に任せる形でセレニィは頷いた。

 

 セレニィにとってコレは仲間が来るまでの時間を稼げばそれでいいだけの話。

 ライナー自身が突っ走って話を続けてくれるならばそれに越したことはないと考えている。

 

 思わぬ効果が出てしまったが、これ幸いと乗っかりつつ適当に聞き流そうと心に決める。

 

「では、第八十九回セレニィ案件の報告についてですが」

「なんでさ!?」

 

「……はい? あ、あの今の声は」

 

 セレニィは思わず素の声で叫んでしまう。

 

 ミュウが慌てて口を塞ごうとするも、タッチの差で間に合わず。

 自分で掲げた順調な計画を自分の手で破壊する。……それは悲しいオウンゴールであった。

 

 しかし止めようとしてくれたミュウの存在で冷静さを取り戻せたのは大きい。

 彼(?)は遅かったかも知れない。間に合わなかったかも知れない。だが遅過ぎはしなかった。

 

 拳をキュッと握り締め、セレニィはリカバリーを試みる。

 

「あー… いや、うん。報告を続けてくれたまえよ」

「いやしかし… まるで女の子みたいな声が聞こえてきたような。それも机の影から」

 

「いいから。私だってそんな声を出してみたい時もあるんだ、多分ね」

 

 ライナー視点で無言で見詰め合うことしばし… 自分の心音がやけに大きく聞こえるセレニィ。

 そして一方でライナーは何を考えていたかと言うと。

 

「(……モース様の表情が読めねぇ! 今の一連の言動には一体どういう意図が!?)」

 

 さっきの“アレ”が、大詠師モース一流の質の悪いジョークであった可能性は否定しきれない。

 もはや声帯に喧嘩を売ってると言っても過言でない離れ業であったが、不可能と断定はできない。

 

 何故なら眼の前のこの男は持ち前の信仰心のみで花瓶を破砕せしめた男。

 不可能を可能にしてみせるとっておきの切り札を、1枚や2枚用意していてもおかしくはない。

 

 結果、彼は無難な選択をすることになる。

 

「えー… では、報告の続きをさせていただきますね」

 

「(よっしゃ、セーフ!)」

「(ですのー!)」

 

 即ち、見なかったこと・聞かなかったことにして話を続けることにしたのである。

 

 これにはセレニィも思わずガッツポーズ。

 ミュウと二人で小さくハイタッチをする運びとなった。

 

 そんな執務机の影で行われている二人のやり取りに気付くことなく、ライナーは報告を進める。

 

「出立前に申し付けられておりましたセレニィに関する啓蒙活動は順調に進んでおります」

「はて、啓蒙活動とな?」

 

「……モース様?」

「あぁ、いや。うん。その… 君の理解度を図るためのちょっとした確認のようなものだよ?」

 

「なるほど。そのような深謀遠慮が… 分かりました! ではご説明させていただきます!」

 

 張り切り「そもそも啓蒙活動とは」と一席持とうとしたライナーを「そこじゃねぇ」と誘導する。

 そして、相槌を打ったり細かい部分に質問を挟んだりして話を聞くことしばし。

 

 以下の点が判明するに至った。

 

 ・モース様はキムラスカで恐るべき邪悪の化身セレニィと対峙した! なんかもうヤバかった!

 ・ヤツによってキムラスカ貴族は洗脳されモース様は政治顧問の座を失う羽目になったよ!

 ・このままでは世界は邪悪の意のままにされてしまう! 善良なダアト市民だけでも守らねば!

 ・だから特殊機関を創設して日々セレニィの邪悪さを市民に啓蒙して回っているよ! やったね!

 

「(バカなの? 死ぬの? なんでこんなことに国家予算を注ぎ込んでるの?)」

 

 ダアトは金が余り過ぎた結果、日々金銭をドブに捨てる研究でもしているのではないだろうか?

 逆錬金術師じゃねーか。と、そんな益体もないことを考えつつセレニィは頭を抱える。

 

 ちょっとした悪戯程度だと思っていたが、その割りには市民の常識に浸透する期間が短かった。

 キムラスカでの謁見の間での出来事からの経過時間はオールドラント換算で一月も経っていない。

 

 ならばその無茶の帳尻合わせはどのようにして行ったのか?

 

「(ちょうどここにありましたね… うまい具合に金と人を持て余した世界一暇な組織が…)」

 

 泣きたい。笑うしかない。そして胃が痛い。

 

 イメージ戦略、情報戦… 古今東西様々な表現があるソレを否定するつもりはセレニィにもない。

 だが、国家プロジェクトでやることが、まさかのピンポイントでクソ雑魚の狙い撃ちである。

 

 無駄である。果てしなく無駄極まる国家予算の使い道である。そう、セレニィは強く確信した。

 自分が住んでる国家でこんなアホな税金の使い方をされたらエンドレスデモ行為も辞さない。

 

 敬虔なるダアト市民といえど、これをスルーするのはちょっと敬虔さが過ぎるというものだろう。

 

「(なんだってモースさんはこんなクソ雑魚なんかを過剰に憎んでやがるんですか。ちょっと自分が死にたくないからローレライ教団のやらかし一切合切全てをほんのり悪印象マシマシでモースさん個人に押し付けただけなのに! モースさんがそれらに慌てている隙にずっと私のターン発動してルーク様やイオン様という錦の御旗を利用しつつキムラスカ貴族の皆さんの印象操作をして破滅に追い込んだだけなのに! 子煩悩って情報のあった王様のパーソナリティを利用しつつ公私両面で揺さぶりつつあることないこと吹き込んでモースさんという存在に激怒させただけなのに! むしろ失脚で済んだことを感謝してくださいよ! 出来れば止めを刺したかったのに、クソがぁ! なのに何も悪いことしてない私個人を逆恨みしやがって… 畜生、なんて大詠師だ!)」

 

 恨まれて当然、殺されて当然の何処に出しても恥ずかしい鬼畜行為のオンパレードである。

 こんなことを初対面の人間に出会い頭に仕掛けられれば聖人だって助走つけてぶん殴るだろう。

 

 むしろ顔を合わせた瞬間、即座に光り物を抜き放たなかっただけモース様有情まで有り得る。

 悲しいかな、捕らえようとしたところを花瓶で頭をぶっ叩かれ昏倒する羽目に相成ったが。

 

 セレニィは逆ギレによる怒りとストレス、そして胃痛から目を逸らすため自らの親指の爪をガジガジ噛み続けている。

 そんな彼女の様子を心配そうに見詰めながらオロオロしているミュウの存在はこの場における一服の清涼剤と言えるだろう。

 

 しかし、微動だにしないモース様(外の人)の表情が読めないライナーは更に燃料を投下する。

 

「さらなる活動継続と活動範囲の拡大のために追加予算の申請をしているようですが…」

「ほほう… ほう、ほうほう。君の意見は? ライナー君」

 

「そうですね… 彼らは充分以上に任務をこなしています。私の中ではアリなのではないかと」

 

 プツリと頭の中で何かがキレる音がする。セレニィは花も綻ぶような極上の笑顔を浮かべる。

 そして不安に表情を青褪めるミュウの姿を視界の隅に捉えつつ、大きく息を吸い込んだ。

 

 一瞬の後に蓄積された不安とストレス、怒りやその他諸々の感情を解き放つように彼女は叫ぶ。

 

「アホですか! 即刻潰してください!」

 

 まるで予想外の言葉を聞いたとばかりにライナーの表情が驚愕に彩られた。



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102.足跡

大変長らくお待たせして申し訳ありません。
そして短くて申し訳ありません。

ティアさんヒロイン(?)回+総集編みたいな…?


「盗賊団が更に入り込んだらしいぞ! 大事を起こされる前に急いで見つけ出せ!」

「ぬぅ… 神聖なる教団本部を土足で踏み荒らすとは、始祖をも恐れぬ犯行!」

 

「幸い土地勘は我等にある。漆黒の翼なる賊は一人残らず捕まえて裁判にかけてやろう!!」

 

 その言葉に“応ッ!”と気勢を揃え、ローレライ教団総本部の警備兵が二人一組で散開した。

 

 各人が呼び笛を持ち、緊急時には即座に異常を仲間に向けて発信する。

 また、相棒(バディ)をフォローし合うことで僅かな異変も取り零さぬよう油断なく周辺を捜索する。

 

 迷路のような内部構造の教団本部では、如何に手練の賊と言えど思うように動けない。

 徐々に行動範囲を狭められ、自棄っぱちの行動とて数の力で容易に押し潰すことが可能である。

 

 これこそローレライ教団の動員力とたゆまぬ訓練が生んだ必勝の包囲網である。

 教団の力は六神将のみに非ず。如何なる賊相手でも程なく捕縛という結果に落ち着くだろう。

 

 

 

 

 

 ……そう、内部を知り尽くした者が賊の側にでも回らない限りは。

 

「……行ったみたいね」

 

 物陰から顔を出し静かに呟くのは片目を隠すように伸ばした亜麻色の髪を(なび)かせた女性。

 ティアである。

 

 彼女の呟きに二つの声が追随する。

 片方は不気味な人形(パペット)トクナガを背負った導師守護役(フォンマスターガーディアン)の制服に身を包む少女ことアニス。

 

 そして今一人は…

 

「ふぃ~… 肝が冷えたねぇ。流石に腐ってもローレライ教団総本山ってワケかい?」

「ま、確かに普段は目立たないけどね。本部の警備を任されてるのは伊達じゃないってコト」

 

「いや、まったく恐れ入ったよ。あれよあれよという間に追い詰められていったからさ」

 

 カラカラと笑いながら「や、決して舐めてるつもりはなかったんだけどねぇ」と続ける女性。

 整った容貌に色気溢れる豊満な肢体。陽の当たり方によってピンクにも見える明るい赤毛。

 

 先刻セレニィとぶつかったこの女性こそ誰あろう、今を騒がす漆黒の翼の頭目ノワールである。

 彼女らはキムラスカでの一連の騒ぎの主犯と見做され教団主導による全国指名手配を受けた。

 

 その意趣返しとして教団本部に忍び込み、様々な重要情報を抜いてみせたのだ。

 まさに今最も有名な盗賊団・漆黒の翼の面目躍如と言ったところか。……そこまでは良かった。

 

 ハァ、とため息を吐いてアニスがジト目でノワールを見遣る。

 

「まさか上手く行き過ぎて欲をかいた結果、出口を封鎖されて右往左往してたなんて…」

「あっはははは! 返す言葉もないとはこのことだね。……いや、面目ない」

 

 頭を掻きながら呵々大笑する女性に「声が大きい!」と小声で器用に怒鳴るアニス。

 こんなの拾わず見捨ておけば良かったんじゃないか? そう考え再度ため息を吐き出す。

 

 無論、ノワールを救出することがダアト脱出の際に漆黒の翼と協力する際の絶対条件である。

 考えても詮無いこととは言え寄り道する寸刻すら惜しい状況なのだ。

 

 繰り返されてはたまったものではない。苦言の一つ二つは呈して然るべきだろう。

 そうやって口を開こうとした彼女を、周囲を油断なく警戒していたティアがやんわりと嗜めた。

 

「そう責めるものではないわ、アニス」

「むぅ… なんでよー?」

 

「彼女、仲間を逃がすためにわざと囮になったのよ」

 

 端的に過ぎるティアの言葉に対して怪訝な表情を浮かべるアニス。

 自身の言葉の足りなさを理解したティアは続けて言葉を紡ぐ。

 

「彼女はこの窮地でも活路を見出そうとしてみせる胆力があるわ。体捌きも申し分ない」

「……まぁ、そうだね」

 

「対して外の部下二人は贔屓目に見てもイマイチ。取り残されるならあの二人だったはず」

 

 そこまで言われればアニスにだって分かる。

 

 何故あの二人は無事だったのか。

 何故漆黒の翼は本部の中に閉じ込められているという情報が流れていたのか?

 

 チラッと視線をやれば、ノワールが照れくさそうにそっぽを向いて頬を掻いている。

 もとよりこの不自由な状況における八つ当たりだったのだ。

 

 三度生まれそうにため息を飲み込みつつも、不承不承押し黙るしかない。

 

「……それが一団の長として正しい判断かどうか私には測りかねる問題だけど」

 

 小さく笑みを浮かべて、「でも、個人としては好ましく感じるわね」とティアは締め括った。

 

 思い浮かべるのはキムラスカで襲撃のあったあの晩の出来事。

 人一倍臆病で優しい気性のはずなのに、迷わず自らをイオンの身代わりとしたセレニィの姿。

 

 誰にも何も告げることなく、けれど仲間を信じて、相手の思惑と運命を乗り越えたのだ。

 そして今、キムラスカやマルクトだけでなく六神将すら垣根を超え手を取り合おうとしている。

 

 進んで危険に身を投じる彼女の在り方にヤキモキすることなど今後も数え切れないだろう。

 だけど今一度これまでの旅の足跡を振り返ってみれば、そこから見える景色はどうだろうか。

 

「(冷たい使命に縛られているはずの私が… ううん、私だけじゃない。みんなが笑顔で)」

 

 何かといがみ合ってしまうルークと自分の間に入ってくれた彼女のおかげで、旅は楽しかった。

 彼女の決死の説得によりライガクイーンと和解は成立し、アリエッタは心強い協力者となった。

 

 導師イオンやアニス、ジェイドらともすぐに打ち解け様々な窮地を協力して乗り越えてこれた。

 危険な研究者の名で知られていた死神ディストは、彼女の人柄に触れて友好的な存在となった。

 

 それだけではない。

 

 世界の破滅を願った兄ヴァンやリグレット教官らと再び同じ道を歩めるようになったのも。

 危険なテロリストに過ぎなかった六神将たちが、世界を守るためにその道を選び直したことも。

 

 あるいは、きっと…――

 

「(誰も傷付けたくない。誰かと手を取り合いたい。そんな彼女(セレニィ)の想いが生んだ奇跡…)」

 

 無論、勘違いである。

 

 ――

 

 物思いに耽っているとアニスが声をかけてきた。

 

「どうしたの、ティア? 疲れたのなら先に脱出する?」

 

 彼女の問いかけにかぶりを振ると、凛とした表情でティアは言葉を返した。

 

「いいえ、大丈夫よ。アニスこそ、先にノワールと脱出しておいた方がいいんじゃないかしら」

「じょーだんっ! こっからが楽しくなってきたところでしょーに。ね、ノワール?」

 

「当然さ。知らない仲じゃないし、なにより乗りかかった船だろ? 降りるって手はないね」

 

 胸を張って応えるアニスと、元気よくそれに同調するノワール。

 輝かしい何かに触れたかのような心持ちで、ティアは微笑み、そして前を向く。

 

「(セレニィ、幾らあなたが先を見通して一人で進んだとしても私は追い付いてみせるわ)」

 

 今回の彼女の行動にもきっと後々に繋がる深い意味があるはずだ。

 それは今の自分には分からない。だがそれで構わない。ティアは、彼女はそう笑う。

 

 何故ならば… 小さな決意をそっと声音に乗せる。

 

「ずっと… いつまでだって追いかけ続けて、私はいつかあなたに並んでみせるもの」

 

「ティア、何か言った?」

「いいえ、なにも」

 

「ふぅん? ……ま、いい顔してるからいっか!」

 

 ちょっとでも目を離すとすぐに無茶をしてしまう大事な存在にいつか並ぶことを夢見て。

 彼女は花も綻ぶような美しい笑顔でストーカー宣言をぶちかますのであった。

 

 繰り返すが、勘違いである。

 



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103.ターニング・ポイント

 一方その頃、モース様に(ふん)したセレニィとライナー君はどう過ごしていたかと言うと…――

 

「というわけで、アクゼリュスの地盤崩落の件での救助活動の再開をするように」

「はい! 仰せのままに、モース様」

 

「可能な限り速やかにね。えっと、滞っている… んですよね? 多分」

「えぇ、まぁ… 崩落以降は新たな動きもなく」

 

「救助活動の状況に関しては、被災者のプライバシーには極力触れない範囲で逐一ダアト市民にも情報公開していく流れでお願いしますねー。……今度は途中で投げるなよ、絶対にだ」

 

 ……意外と真面目に仕事をこなしていた。

 

 なにせモース様(中の人)ことセレニィは、執務机の影に身を隠している状況。

 つまり、書類に目を通すことは出来ない。流石のセレニィさんも透視能力は使えないのだ。

 

 使えたら使えたで頻繁に悪用を試みてはしっぺ返しを食らっていそうではあるが。

 ともあれ、現状ライナー君から書類を受け取って読み解く手段がないのは確かである。

 

 手鏡でも持っていればまた話は別だろうが、肝心要の荷物一式は舞台参加時に置いてきている。

 かといって、迂闊に近付かれてモース様(外の人)の状態に気づかれでもしたら一発アウト。

 

 ――ならば、どうするか?

 

「(決して近付かせないよう、めちゃくちゃ頑張って仕事を(さば)くしかないッ!)」

 

 つまり、口頭指示一択である。瀬戸際すぎる防衛戦術ですらない何かのスタートであった。

 

「(あとはなんかこう、ふわっといい感じに解釈したラン… ラン…? そう、ランランルー君がなんとかしてくれる。ヘルプミー!)」

 

 薄々これがただの遅滞戦術に過ぎない、ということを理解しながらも必死に舌を回すセレニィ。

 

「なるほど。実際に動くさまを見せつつ民衆も味方にしていくというわけですね?」

「……うむ、そのとおりだ。よく分かったね」

 

「民意を(あお)ることで後々に義捐金(ぎえんきん)なども(つの)れますしね。流石モース様、抜け目のない手腕です」

 

 実際には今度は途中で止めさせないように、と外部から監視させようと思っただけである。

 とはいえ、彼の微妙な勘違いを正す余裕などタイトロープ上で踊るセレニィにある筈もない。

 

 遅滞を試みる部隊“自分”、救援の当て“未来の自分”というオールキャストセレニィ状態。

 彼女は、常に未来の自分に負債を押し付けることでしか生きられない脆弱な生命体なのだ。

 

 そんな内心の(ある意味)お祭り状態を知る由もないライナー君は、書類を捲りつつ口を開く。

 

「となると情報部のメインの活動拠点がここダアトから、アクゼリュス方面に移ってしまうことになりますが? つまり現在の活動内容については継続困難と言わざるを得なくなり…」

「やむを得まいね! 彼らも世界にとって必要なことだと理解してくれるはずだよ、君ぃ」

 

「なるほど… セレニィという些事(さじ)にこだわり真に我等が為すべき大義を見落とすべきではない、とそう仰るのですね? 流石はモース様です」

「えぇ、そんな感じです。よく分かりま… 分かったね」

 

「やっぱりモース様はすげぇや…」

 

 すると思わぬ方向からいい感じに話が転がってくれた。

 

 思わず「それ採用!」と叫びそうになった衝動を抑えつつ、彼女なりに重々しく頷いてみせる。

 無論、モース様(外の人)は微動だにしないままであるのだが。

 

「(フフ… 人類も捨てたものじゃないかもしれませんね。ありがとう… ありがとう! ライ… ライ… ライなんとかさん!)」

 

 溢れんばかりの感謝の想いが熱い(しずく)となって零れ落ちそうになる。

 

 優しい笑顔を浮かべつつ、(まなじり)を指先でそっと拭いながらも暖かな気持ちに包まれるセレニィ。

 ミュウも笑顔でそんな彼女の様子を見守っている。

 

 この溢れてくる穏やかな感情… コレこそが愛。恐らく人類愛的なサムシングである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ですので、後任に導師守護役(フォンマスターガーディアン)を据えて引き続きセレニィを社会的に抹殺し続けましょう」

「どうしてそんなこというの?」

 

 やっぱり人類ってクソだな、セレニィは心からそう思った。

 

 持ち上げられたメンタルが高いところから叩きつけられ、瞳から輝きを喪ってしまったのだ。

 目が死んでしまった彼女を、その体毛をより青くしながら震えつつ見守るミュウ。

 

 もとより優しくない世界だと分かっていたはずだった。

 勝手にぬか喜びをして一人芝居に踊りくれていたセレニィサイドにも問題はなかっただろうか?

 

 しかし、それでも、その表情は悲し過ぎてかける言葉さえも見つからない有様であった。

 

「ご安心ください。確かに一部を除いてエリート意識が強く扱いにくい連中ですが、もとより仕事を求めていたのは彼女たち自身。どのような仕事だろうと文句を言える道理はありません」

 

 一方、説明を求められたと解釈したライナー君は自信満々に言葉を紡ぎ始める。

 

 ちょっと黙ってろよオメー、と思いつつ口を開く気力すら根こそぎ持ってかれた形のセレニィ。

 どこか投げやりな気持ちで彼の薀蓄(うんちく)を右から左へ聞き流す構えを見せる。

 

「そもそも、1月(レムデーカン)の折の事件でむざむざと導師イオンを誘拐させてしまったのは彼女たちです。アレでどれだけ市民が動揺し、また救助の任に当たった人材が損なわれたか…」

「……?」

 

「導師を守護するという唯一にして最大の任務すら果たせなかったのです。そんな彼女たちに任せられる仕事などあるはずもなく、冷や飯食いに身を(やつ)すのも(むべ)なるかなといったところでしょう」

 

 聞くとはなしに聞き流してみれば、その内容にはどことなく覚えのある話であった。

 か細い糸を手繰り寄せるようにポクポクチーンと脳の記憶野を引っ掻き回し、はたと思い出す。

 

「(それ、ジェイドさんがわざわざ暴動引き起こしてイオン様を(さら)ってきた事件じゃねーか!)」

 

 謎の居心地の悪さがセレニィを襲う。仮にも仲間のやったことである。

 あの一件にセレニィは関与していないとはいえ、気不味さや後ろめたさは若干覚えようものだ。

 

 そもそも誰が悪いかと問われればジェイドS・カーティスとかいう畜生眼鏡が一番悪いのだ。

 アニスさん? 可愛いから無罪! 以上、解散!

 

 そんな脳内会議を開いて現実逃避に(いそ)しむモース様(中の人)にライナー君が声を掛けてくる。

 

「そうは思いませんか? モース様」

「え? あ、うん… でも、ホラ、相手が相手だから仕方ない部分もあるんじゃないかなって」

 

「なんとお優しい!」

 

 優しいも優しくもないもない。セレニィは基本自分が何よりも大事な保身主義者である。

 確かに後々の流れを見れば、イオン様を連れ出すべきだったことも理解を示せる。

 

 しかし暴動を引き起こした挙げ句、無断で導師を()(さら)うのはいくらなんでもやり過ぎである。

 それは例えるならば、焚き火を(おこ)すための着火剤としてミサイルをぶっ放したような暴挙。

 

 かてて加えて、その割りを喰う形になったのがアニスの同僚である導師守護役(フォンマスターガーディアン)の人々だ。

 

「(ティアさん情報によれば見目麗しい若い女性で構成されたメンバーだったはず…)」

 

 別に見目麗しいとまでは言っていないが、概ねそのとおりである。

 そんな彼女たちを、美人や美少女に弱いセレニィが果たして見捨てることが出来るのだろうか?

 

 ――否! 断じて否である。

 かような決意を固めたセレニィの耳にライナー君の紡いだ言葉が届けられる。

 

「だからこその任務です。……成果次第では彼女たちの汚名返上にも(つな)がることでしょう」

 

 些事(さじ)と切り捨てられるような汚れ仕事で回復するような名誉などたかが知れている。

 

 そんなことは、他ならぬライナー自身が誰よりも正しく認識している。

 内偵の真似事を押し付けられ、(てい)よく便利使いされている現状が何より雄弁に物語っている。

 

 けれど、それが一体どうしたというのか。そんな想いを胸に秘め、彼は笑った。

 

「(モース様の理想のため、ローレライ教団のためならば道化にでもなんでもなってやるさ)」

 

 しかし、そんな彼に返されたモースの言葉は無情溢れるものであった。

 

 

 

 

 

 

 

「ランパード君… 君には失望したよ」

「……なっ」

 

 予想だにしない返答にライナーは思わず絶句する。名前を訂正することも忘れて。

 それさえ忘れなければ「むしろおまえに失望したんだが?」と切り返せたかもしれないのに。

 

 ともあれ、その言葉が意味するものを理解した彼は足元が崩れ去るような感覚に陥った。

 

 所詮出すぎた行為だったのか? 自らの矮小さはよく心得ている。

 それでも、僅かなりとも力になりたいと思うことすらも高望みだったのだろうか?

 

 暗い思考が頭の中を駆け巡っている彼に、モース様(中の人)は言葉を続けた。

 

「そもそも… 誰か一人弱いものを作り、犠牲にしようという考えが私には受け入れ難い」

 

 言わずもがな、モース様(中の人)の中で弱いもの=セレニィ(自分)である。

 彼女は、何かあったら常に自分が皺寄(しわよ)せが来るオールドラントの現状を心から憂えていた。

 

 デッドリー過ぎる世界観に心から物申したい。

 危機的状況に(おちい)った際の原因は、半分は自業自得だったりするのだがそんなことは関係ない。

 

 何故ならば自分にとって都合の悪い現実は、全力で記憶の彼方に投げ()てているからだ。

 とにかくマジで辛い。そろそろなんとかして欲しい。

 

 そんな万感の想いが込められた言葉であった。

 そしてその想いはライナー君に伝わることとなる。……斜め上の方向で。

 

「(そうだったのか… モース様は既に決めておられるのか。誰一人犠牲にはしない、と)」

 

 勘違いである。

 

 確かにセレニィは言った。弱いものを犠牲にするのは間違っているんじゃないか的なことを。

 だが、『誰一人犠牲にしない』とは言っていないのだ。

 

「だから導師守護役(フォンマスターガーディアン)の彼女たちには、彼女たちに相応しい輝ける場所を任せたいと思う」

「……なるほど」

 

「なにか懸念材料でも?」

「いえ、素晴らしいお考えかと」

 

「その割りには歯切れが悪いようだが… 何か気付いたことがあれば遠慮なく言って欲しい」

「では、僭越(せんえつ)ながら…」

 

「うむ」

 

 出来ればモース様のお考えを否定したくない。しかし求められた以上は仕方がない。

 促されたライナー君は不承不承(ふしょうぶしょう)といった具合に口を開く。

 

 汚れ仕事を()けるとあらば現状、教団内部で余っている仕事はないこと。

 よしんば人手(ひとで)が足りない部署があったとして、部外者を受け入れる余裕はないであろうこと。

 そして、それらに依らず新たな部署を新設するならばそれ相応の手間と予算がかかること。

 

 これらのことを懇々(こんこん)と説明した。

 

「(モース様は残念がるだろうか? 表情を曇らせるだろうか? ……いや)」

 

 ライナー君は確信する。祈りを込めてモース様(外の人)を真正面から見詰める。

 それでもモース様なら… モース様なら、きっとなんとかしてくれると。

 

 そんな彼の願いに快く応えるようにモース様は…

 微動だにせぬまま悠然とした佇まいでライナー君を見詰め返してきた(気がする)のであった。

 

 そして、その期待は正しく叶えられる。

 

「なんだ、そんなことかね。大丈夫だ、私にいいアイディアがある」

「本当ですか! 流石はモース様!」

 

「我が名の下に全てを許可しよう。何かあった場合の責任は全てモース様… もとい私が取る」

 

 全力でモース様(外の人)に負債をおっ被せることにした。

 世界が全力でセレニィを殺しに来るならば… 道連れを増やせば良いのだ。

 

 繰り返すが、セレニィは『誰一人犠牲にしない』とは言っていない。

 むしろ人一倍性悪な彼女は一度受けた恨みは決して忘れない。逆恨みもする。そして時に自爆する。

 

 しかも、これだけモース様が落ち目になっている状況などそうそうあるものではない。

 むしろここで油断して、ちょっと目を離した隙に復活でもされればどうなることか。

 

 再び暗殺者が送られたり、アクゼリュスの時のような陰謀に陥れられたりするかもしれない。

 そうなったらどうなるのか? 死ぬ。完膚なきまでに死ぬ。主にセレニィが。

 

 むしろセレニィだけが死ぬ。

 色んな意味で(たくま)しすぎる他の仲間たちが死ぬ未来が見えない。マジで。

 

 仲間たちにとっては、ほんのり悲しい出来事として記憶に刻まれるのが精々だろう。

 なんやかやで彼らはその後も順調に旅を続け、やがて世界を救うのだろう。

 

 そしてセレニィは思い出になるのだ。無様な脱落者として。

 

『セレニィ、そっちの居心地はどうだ。……元気してるか?』

『……いいヤツだったよな、セレニィは』

 

『でも死んじゃった。やっぱりこの世界はさ、平等じゃないってことなんだよ』

『いやぁ、悲しいですねぇ。悲しみのあまり涙が止まりませんねぇ… ははははは!』

 

『ほら見て、セレニィ。みんなあんなに悲しんでるのよ? なのに貴女は…』

 

 とかそんな感じで命日とかに仲間たちからお墓なんかに語りかけられるのだ。

 そこに私はいないと霊体のまま主張しても決して顧みられることなく。

 

「(冗談じゃない! ならばモースさん… 貴様も道連れだ! あと眼鏡ぇ! この野郎!)」

 

 まるっきり悪役である。しかし、だからこそこういう時のセレニィは止まらない。

 モース様が完全に失墜してこそ彼女も枕を高くして眠れるというものなのだ。

 

 溺れる者の足を積極的に引っ張り更に溺れさせることで、二度と浮かび上がれないようにする。

 それが今、彼女が全力で成し遂げようとしている計画である。

 

「(人道支援継続やら導師守護役の人々に仕事と予算を割り当てるのは無理がある? 実に結構! それをゴリ押しすればするほどモース様の立場は悪化するんですからねぇ? あっはっはー!)」

 

 ……という、この思考。まさに外道!

 

「し、しかしそれでは余りにモース様が…」

「くどい! むしろそれが目的… もとい私のことなどどうでもいいのだ!」

 

「! ですが」

「被災者の方々は今も苦しんでいるのだ。時には拙速が尊ばれることもある… 今この時こそが、まさにその時だとは思わないかね?」

 

「それは…」

「予算のことなら心配しなくても良い。そも教団が蔵に金を積んできたのはこのような日のため。使わぬまま、ただ積み上げられることを目的とされる財貨ほど無意味なモノはない」

 

「なっ! し、しかし! それでは他の詠師の方々の反発は免れませんし教団にも混乱が…」

「一向に構わんよ。“ソレ”こそが私の真の狙いなのだから… と、そう言ったらどうするかね?」

 

「どういう… 意味でしょうか…」

 

 己の喉がカラカラに乾いていくのを自覚しつつ、ライナー君は言葉を振り絞る。

 視線の先にあるモース様の隠れた口元が笑った… 気がした。

 

 確かに中の人になっているセレニィはノリノリであった。

 自分がどれだけヤバい橋を渡っているかキッチリ自覚しており、断続的に胃痛に苛まれている。

 

 しかし、これだけノリノリで口を回しているのは一体いつ以来だろうか?

 なんだか船の上でヴァンを丸め込んだ日のことを思い出してしまう。

 

「(アレは楽しい記憶だった… 楽しかったんだよね、アレ? なんか胃痛の記憶しかない)」

 

 セレニィにもちょっぴり錯乱の傾向が見られる。

 悲しいことにメンタルケアの発展が芳しくないオールドラントでは自己責任で治療して欲しい。

 

 そしてセレニィは「もうどうとでもなーれ♪」とばかりに大風呂敷を口にする。

 

「このローレライ教団を、一度ぶち壊してやるのさ」

「な…っ!?」

 

「無論、そのための出血は惜しまんとも。自身の“ソレ”も含めてね」

「モース様! 今、ご自分がなんと仰ったか…」

 

「理解している。理解しているさ。あぁ、理解しているとも。だが逆に問うがね、ライム君」

「……ライナーです」

 

「君はいいのかね? 救うべき者を救わず、弱き者の頭を押し付ける今の在り方のままで」

 

 真っ直ぐ見詰められた(錯覚です)上での問いかけに、しかし、ライナーは即答できなかった。

 思うところがない、といえば嘘になる。だが、しかし… それはあまりにも。

 

 そんな彼の内心の葛藤を見透かしたように、笑いをこらえた声音でモースは言葉を続けた。

 

「なに… 私もすぐにどうこう、とは思っていないとも。悲しいことだがね」

「モース様…」

 

「だけど次代を担う若人たちのきっかけの一つになれればと、そう思ってもいるわけだ」

「………」

 

「そして… そのためならばこのモース、いくらでも捨て石になってみせる覚悟だよ」

 

 思ってもないことをいけしゃあしゃあと言ってのける。

 そんな吐き気を催す邪悪がそこには存在した。

 

「(……よし、ここまでやればモースさんは完全に終わるだろう。グッバイ、モースさん)」

 

 セレニィは内心ガッツポーズを決める。勝手にモースさんの成仏を祈る悪辣外道ぶりである。

 

 勝手に新たな部署を創設して導師を差し置いて導師守護役に仕事を与える。

 凍結していたアクゼリュスの支援計画を独断で再開させる。

 そしてそれらの予算には教団の金庫を(勝手に!)フル解放して当たらせるというのだ。

 

 問題にならないはずがない。どれか一つでも大問題なのに3つもやってのけるのだ。

 その際に少なからず発生するであろう教団内の混乱に手を取られる、というオマケ付きで。

 

 その結果、モースは完全に失脚する(おちてゆく)だろう。……二度と浮かび上がれぬ奈落の底まで。

 

 教団支給の制服着用で他国の公爵家に眠りの譜歌(ナイトメア)使用の上で押し入り秘預言(クローズドスコア)に詠まれた公爵子息の目前で己の肉親を殺そうとした人はクビにもならず許されているが、きっと失脚するだろう。

 

「(いや、ここまでやれば流石にするよね? 失脚。……す、するよね?)」

 

 バチカル王城の会見終盤での出来事… 身内にダダ甘な温情判決を思い出してしまう。

 一抹(いちまつ)の不安が脳裏をかすめるが、しかし、もう止まることはできない。(さい)は投げられたのだ。

 

 とはいえ、一応念には念を入れて止めを刺しておこう。

 

「不退転の決意の証として、私の有する全ての財産を優先的に提供することとしよう」

「ハッ!? ど、どうかお考え直しを! モース様こそ次代に必要な方なのです!」

 

「自ら血を流す覚悟なくどうして変革がなせようか? 耳を傾けて貰うのに必要な措置だよ」

「それは、確かに… 詠師の方々の弾劾の矛先も鈍るかもしれませんが…」

 

「そのとおりだ。だから後からモースさ… 私が『そんなこと言ってない』とかほざいても断固として執り行うように」

「そこまでのお覚悟で… 分かりました。不詳このライナー、しかと使命を果たします!」

 

「うむ、男と男の約束だ。マジで頼んだからね」

 

 しつこいくらいに念を押すと、やり遂げた表情でセレニィは汗を拭った。

 その表情は晴れ晴れとしている。

 

 淡い期待だが、モースさんが沈めば自分を殺そうとするどころではなくなるかもしれない。

 そして教団がぶっ壊れようが改革に成功しようが、それはもっとどうでもいい。

 

 前者ならイオン様を中心に別教団を作り直し、後者ならイオン様が戻って返り咲けばいいのだ。

 そんなことを考えつつ、彼女は達成感と疲労に身を委ねつつ大きなため息を吐いた。

 

「しかし、そうなると導師守護役(フォンマスターガーディアン)の彼女たちにはどういった仕事を割り振るべきか…」

 

 セレニィのため息に被さるように弱った声をあげたのは、誰あろうライナー君であった。

 なにせ潤沢(じゅんたく)、という言葉ではとても表現が足りないほどの莫大な予算を獲得したのだ。

 

 それを活かせるだけの仕事があるかというと、彼自身にもパッと思いつくことはなかった。

 

「つまりランドリーくん。導師守護役(フォンマスターガーディアン)は暇を持て余していると、そういうことなのかな」

「はい、仰るとおりですモース様。……あと、ライナーです」

 

「確か導師守護役(フォンマスターガーディアン)といえば美女や美少女ばかりで構成されているという、あの…?」

「はい。導師のお側に侍る以上、見目は勿論のこと教養や戦闘力も一流どころで揃えています」

 

「なるほどな…」

 

 その言葉を拾い上げたモース様の現在の中の人ことセレニィは一つ一つ確認していく。

 

 取り敢えず、予想通りに美女や美少女たちで構成されているということは改めて確認できた。

 では、彼女たちにどういった仕事を割り振るべきであろうか?

 

 しばらく考える。

 出涸らしの脳味噌でもがんばって絞り出せばちょっぴり名案も湧いてくるかもしれない。

 

「(うーん…)」

 

 しかし、先程までのやり取りで疲れ果てていた彼女の脳はカラカラ乾いた音を出すばかり。

 回し車で走り続けるハムスターのように一歩も進まぬ空回りを続ける状況に陥っていた。

 

「(いかん… もう何も思いつかない…!)」

 

 疲れてきた。甘いものが食べたい。

 このままではキラキラしたステージで活躍させてあげると約束した(※してない)彼女たちに申し訳が立たない。

 

 そう思った時、自然と口から言葉が漏れていた。

 

「よし、アイドルさせようぜ!」

 

 聞き慣れない言葉に目を白黒させるライナー君を尻目に、やっちまったと頭を抱えるセレニィ。

 

 ……しかし、しかしである。いかなる偶然であろうか?

 今まさにこの時こそが、この世界(オールドラント)に『アイドル』という文化が萌芽した瞬間なのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――

 

 後世の歴史学者が書に記して(いわ)く。

 

『大詠師であり後の新生ローレライ教団の代表となったモースは不思議な二面性を有していた』

『保身に長けた老獪な政治家として、政敵を追い落とし自らの権勢を高めてきた慎重な一面』

『そして改革のためには、それら全てを(なげう)ってでも止まらぬ果断に満ちた闘争者としての一面』

毀誉褒貶(きよほうへん)定かならぬ身ながら新時代を作る一因となった重要人物であることは疑いようがない』

 

 後にモースを中心に結成されることになる新生ローレライ教団の草案。

 そして大きな教訓として歴史に刻まれるレプリカ戦争のきっかけ。

 

 そのほぼ全てが、腹心のライナーと行った密室での話し合いの中で生まれたものとされている。

 

 しかしそれらは幾星霜の時を経ようとも謎のヴェールに包まれている。

 この密室内の出来事についてはモースが生涯語ることはなかったし、主を(おもんばか)ったライナーもまた同様の態度に終始したからだ。

 

 ……その歴史的事件の真相は、恐らくこれからも明かされることはないだろう。



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104.義賊

ダアト脱出済み
時間が飛んで申し訳ありません…


 何処かしら暖かさを含んだ穏やかな風が丘陵地帯に吹き抜け、草木を揺らす。

 時刻は朝を幾らか過ぎた頃で、柔らかな陽光が惜しみ無く降り注いでいる。

 空は突き抜けるような快晴。その下に走る街道を馬車が二台、連なって進んでいる。

 

 前方には古めかしいが豪奢な造りの、大人五~六名は優に乗れるであろう二頭仕立ての箱型。

 それに続くのは幌が付いており中には雑多な品々が積まれた、いかにもな荷馬車。

 見る者にチグハグな印象を与えるが、大きな取引を抱えた商家ならばありえなくもない。

 

 ……と、そう言われれば思わず納得してしまいかねない。

 

 そんな冷徹な計算すらどこか見え隠れする絶妙な塩梅(あんばい)の馬車列。

 御者台に腰掛けて、先頭を進む馬を操っている二人の男がしきりに汗を拭っている。

 

 一人は親しみやすさを通り越して軽薄そうな空気を纏った背高ノッポの眼帯男。

 もう一人は実直さを通り越して頑固そうな空気を纏ったヒゲモジャの小男。

 

 確かに陽気ではあるが、大の男が二人揃ってここまで汗を吹き出すには些か及ばぬ気候だろう。

 よく見れば目の下にはほんのりと隈がたまっており、睡眠不足から疲労の線が濃厚だろうか?

 

「ふぃー… つ、疲れたなぁ?」

「で、ガスね…」

 

「こんなの予定になかった。なぁ、ウルシーもそう思うよな?」

「で、ガスねぇヨーク。ぐふぅー… 仕方ないこととは言え、疲れるモンは疲れるでガスよ…」

 

「そのとおりだ、ウルシーよ! ふぃー… あぁ、風が気持ちいい」

 

 ついに我慢の限界を迎えたのかノッポが帽子を外し、パタパタ揺らしながら言葉を発した。

 ヒゲモジャも首元のスカーフで顔やヒゲについた不快な汗を拭いながら、相槌を打つ。

 

 そうして男たち… ノッポのヨークとヒゲモジャのウルシーは、めいめいに愚痴を(こぼ)し始める。

 吹き抜ける優しい風を可能な限り全身で受け止めようとする工夫も、当然のように忘れない。

 

「……なに勝手に緊張を解いているんだい?」

「ひぃっ!?」

 

 しかし、そんな二人の心潤す時間は絶対零度もかくやという冷たい声音に遮られる。

 果たして悲鳴を上げたのはどちらであったのか。

 

 揃ってビクリと身体を大きく震わせた後、二人はそうっと連絡窓の方を振り返る。

 そこには氷の、という表現ですら生温く感じる視線があった。……視線の主は妙齢の女性。

 

 年齢は二十代半ばから後半だろうか?

 怯える男二人よりは若く感じさせる、しかし、同時に大人の色気が溢れる整った顔立ち。

 

 ピンクがかった朱色の髪に、男を惑わすような豊満な肢体。

 気怠げな表情の奥には、全てを見通すような知性の(きら)めきを感じさせる青い瞳がある。

 

「ここから国境を超えるまでが勝負だ。気を抜いて仕事を疎かにしたら容赦しないよ」

「す、すいません… 姐御ぉ」

 

「謝るくらいなら最初からシャンとしてな。……次やったら張っ倒すからね」

「わ、わかったでガス…」

 

「あと当然だけど帽子を脱ぐのも厳禁… 顔は割れてないと思うけど、一応、念のためね」

 

 女性の言葉にガックリと項垂れつつも、微塵(みじん)も反抗の気配も見せずに粛々(しゅくしゅく)と男二人が従う。

 この女性こそ誰あろう、世界を股にかける盗賊団“漆黒の翼”の首魁・ノワールである。

 

 子分二人に任せるような言葉と裏腹に連絡窓の縁に身体を預け、油断なく周囲に視線を向ける。

 美貌に似つかわしくない鋭いその瞳は、むしろ睥睨(へいげい)するという表現こそしっくり来るだろう。

 

 三大陸で名を馳せた、今最も勢いがあると言っても過言ではない盗賊団“漆黒の翼”の首魁。

 しかもこの若さでそれだけの知名度と、それを支えるに足る様々な暗躍を繰り返した。

 

 当然その道程は決して平坦なものではなかった。

 命の危険を背負うことや予定通りに物事が進まなかったハプニングなどは枚挙にいとまがない。

 

 ジェイド率いる陸上装甲戦艦に追われたこととて、彼女にとっては日常の一コマに過ぎない。

 幾度(いくたび)窮地(きゅうち)を乗り越えて、なお不敗… それが漆黒の翼である。

 

 世界に(とどろ)かせるその名に恥じぬだけの技量と冷静さを、ノワールは持ち合わせていた。

 その覇気は物理的圧力を伴っていると錯覚させるほどのプレッシャーを相手にもたらす。

 

 そんな彼女に凄まれてしまっては身を竦めない男の方こそ少数派かもしれない。

 すっかり萎縮(いしゅく)してしまった様子の二人の姿を見て、舌打ちを一つ。眉間を揉みほぐす。

 

 張り詰めていた空気をフッと緩め、ガチガチに固まっている男二人に柔らかく声を掛ける。

 

「……ま、国境を超えるまでの辛抱さ。アタシたちは世界最高の義賊… 軽いモンだろ?」

 

「そ、そうでガスね…!」

「そうとも! 俺たちゃ世界最高だッ!」

 

「そうそう、その意気。キッチリと仕事を片付けてこそ後の酒も旨くなるってモンさ」

 

 俄然張り切りだす(簡単な性格の)男連中に気取られぬよう、小さくため息を吐く。

 そんな彼女の耳朶(じだ)によく通る低い笑い声が届いてくる。

 

 無言で睨むと、笑い声の主… ジェイドは笑みを堪えながらもなんとか謝意を絞り出す。

 

「いえ、すみません。どうにも舵取りに苦労されている様子が微笑ましく感じましてね」

「……フン」

 

「気に触ったのでしたら失礼。改めてお詫び申し上げましょう」

 

 ノワールはその言葉に鼻白む。「喧嘩を売ってるのかい?」と返したくもなった。

 しかし、その手の発言はこの手の相手を喜ばせるだけと判断して鼻を鳴らすに留め受け流す。

 

 その後もなにやら言葉を続けているが、手をヒラヒラと振って応えとする。

 聞いているという合図とも取れるし、失せろという意思表示にも取れる絶妙な塩梅だ。

 

 ジェイドはその後も何が楽しいのかニコニコと微笑みながら、言葉を続けている。

 そして最後に…

 

「ところで」

「………」

 

「後方の荷馬車の方で少し面白いゴホン… 妙な事態になっているようでして」

「……あん?」

 

「フフ… よろしければ貴女にも見ていただいた上で判断を仰げれば、と」

 

 反応してしまったのは癪だが、異常事態が起きているとあれば捨て置くわけにもいかない。

 もし余りにふざけた狂言であればこの眼鏡の男を締め上げてやらねばなるまいが。

 

 そんな内心をおくびにも出さず、天窓から身を乗り出すようにして後方に目を向ける。

 異常はすぐに見つかった。

 

 呆然としながらも、思わずノワールは呟いてしまった。

 

「なんだい、ありゃ…」

 

 後方を進む荷馬車の中で、不気味な人形がヨタヨタとふらつく奇妙な踊りを踊っていたのだ。

 見守るはミュウ、ティア、アニス、イオン、アリエッタ、タトリン夫妻ら荷馬車側の人員。

 

 紛うことなき異常事態であった。むしろ異常しかない事態であった。

 

 小柄な人間ほどのサイズの人形が馬車の揺れに翻弄されつつ踊っている姿はホラーでしかない。

 なのに荷馬車側の人間は興味深そうに… というより、微笑ましそうに見守っている。

 

 何アレ怖い。思わず喉元まで出かかった言葉を飲み込み、ジェイドを睨みつけるノワール。

 当のジェイドは異常を伝えた言葉と裏腹に、自らの眼鏡の拭き作業に取り掛かり始める始末。

 

 その眼鏡、奪い取って叩き壊してやろうか? そう思いつつ、深呼吸の後に言葉を紡ぐ。

 

「……あの人形の中にヒトが?」

「ほう、さすがの慧眼ですね… えぇ、仲間が一人」

 

「……何故あの中に?」

「彼女は、貴女方と違ってダアトで顔が割れていましてねぇ… その対策というわけですよ」

 

 震えないように注意しながら絞り出した質問に、ジェイドはどこか誇らしげに回答する。

 心なしか磨き直された眼鏡も輝いて見える。

 

 だが、そんな些細なことはノワールにとってはどうでも良くなっていた。再度、声を振り絞る。

 

「ど…」

「ど?」

 

「どう見ても苦しがってるだろうがぁ!?」

 

 人の心を親の胎内に捨ててきたとしか思えない眼鏡の軍人の襟首を掴み、目一杯怒鳴った。

 

 漆黒の翼は盗賊だ。間違いなく犯罪行為はしているし、彼女らのせいで苦しむ者もいる。

 ローテルロー橋を破壊して物流にダメージを与えたことは、その最たる例であると言えよう。

 

 しかし、弱き人々の涙を止めるために立ち上がり不器用ながら世を変えようと藻掻(もが)いてもいる。

 ゴロツキではあるもののその行動理念は義に因るもの。そして狙うのは悪党と金持ちだけ。

 

 故に、世の人々は誰からともなく彼女たちをこう呼んだ。――義賊、と。

 

「この脱出計画の責任者は貴女… 黙って従うよう事前に強く念押しされていましたので」

「アンタ、本当に性根が腐りきってるねぇ!?」

 

「はっはっはっ… そんなに褒められると照れますねぇ。で、この場合はどうしましょうか?」

「あぁもう、聞かれるまでもない! ウルシー! ヨーク! ストップだ! 休憩に入る!」

 

「へ、へいっ!」

 

 そして今また、彼女たちの義が苦しむ弱者(セレニィ)を確かに救ったのである。……多分。

 

 

 ――

 

 

「ぜはー… ぜはー… 空気が、美味しい…!」

 

 きぐるみ、もといトクナガの身体に包まれていたセレニィ。春といえど中はサウナ状態。

 彼女は今その背中から頭だけ出して、ぐったり横たわりつつ空気の美味しさを満喫している。

 

 半死半生のまま浅く息を繰り返し、汗で濡れた前髪がべっとり額に張り付いている。

 ティアに膝枕をされているとはいえ、代わってくれとは中々言えぬ立場である。

 

 トクナガにそれなりの通気性が確保されており、窒息状態に陥らなかったのが不幸中の幸いか。

 とはいえ、密閉状態に近かったことは否定できず居住性は最悪の一言であった。

(そもそも人が中に入るということを想定されていないのだから、仕方ないのであるが…)

 

 ちょっとばかりの疲労で不満を垂れていたウルシーとヨークとしては居心地の悪い空気だ。

 

「ご、ごめんね… あたし、セレニィの出したSOSサインにまったく気付かなくて…」

「ボクが『踊ってるに違いないですの! 素敵ですの!』って言ったばかりに…」

 

「アリエッタも分からなくてごめんなさいです… 一緒に踊ろうかな、とか思ったりして」

「良いんですよ、アニスさん。アリエッタさんも。……ミュウさんはちょっと反省してね?」

 

「みゅう…」

「……それはそれとしてアリエッタさん。後でダンスは見せてくださいね? 是非!」

 

「ん! 分かった」

 

 アニスとアリエッタを皮切りにセレニィの異常に気付かなかった仲間たちが口々に謝罪をする。

 とはいえ別の馬車に乗っていたルークやガイ、ナタリアにトニーにまで責任は求められない。

 

 そもセレニィとしても不幸な行き違いの結果であり、彼らを責めるつもりはあんまりない。

 ……少しはあるが。

 

 気付いて欲しかった。仕方ない事態だが、出来れば一刻も早く気付いて欲しかったのだ。

 なんとか後ろのチャックを開けようと珍妙なダンスを踊る羽目になっていたが必死だったのだ。

 

 とはいえ、仕方ないものは仕方ない。責めたところで時間は巻き戻らないのだから。

 極度の疲弊(ひへい)から若干おざなりな言葉にはなっているが謝罪を一つ一つ受け取り、そして許す。

 

 ただ一人を除いて。

 

「かくして仲間が互いに許し合うことで絆は深まる。めでたしめでたし、ですねぇ」

「貴様だけは許さんぞ、ファッキン眼鏡…!」

 

「おや、(はぐく)んだ絆にヒビを入れるとはいつからそんな悪い子になったのですか? セレニィ」

 

 仲間たちはハラハラとした表情ながらコトの趨勢(すうせい)を見守っている。

 すっとぼけて見せるジェイドに、青筋を浮かべながら言葉を続けるセレニィ。

 

「……私、検問を抜けたら教えてくださいって言いましたよね?」

「えぇ、確かに。キチンと声はかけたつもりですが?」

 

「聞こえるかボケェ! こっちは荷馬車でガタガタ揺られてオマケにヌイグルミの中だぞ!?」

「ふむ。伝達ミスは軍の常とはいえ反省ですね… 以後、心に刻み再発を防ぎましょう」

 

「コレを脱がせろとも言いましたよねぇ? ていうか、ソレが着込む条件だっただろ!?」

 

 全く心の籠もらない反省の言葉に疲労の極致にあることも忘れて声を荒げるセレニィ。

 死霊使い(ネクロマンサー)に人の心は分からない。

 

 状況が状況故に他の仲間にも伝える時間がなかったことが心の底から悔やまれる。

 怒りの余りなおも言い募ろうとした彼女の言葉を、しかし、ジェイドは笑顔で押し止める。

 

 そして口を開いた。

 

「確かにそうでしたね。えぇ、えぇ… 確かに覚えていますとも」

「だったら…!」

 

「ですが申し訳ありません。上位指揮官より緊張を解くな、と厳命されましたので」

「……上位指揮官?」

 

「えぇ、彼女です」

「ちょっ!?」

 

「……はぁ?」

 

 ジェイドは怪訝な表情を浮かべるセレニィにも分かるよう、ノワールを指差した。

 

 たまらないのはノワールの方だ。

 慌てて掴みかかろうとしたものの、いつの間にか距離を取られており歯ぎしりする羽目となる。

 

 一方セレニィはといえば少しの間ノワールを胡乱げに眺めていたが、それだけ。

 ややあって、納得したように手を打つ。INトクナガ状態なのでポフンと音がしただけだが。

 

「あぁ… あなたはあのクソでかい教会の中でお世話になったヒト! その節はどうも!」

「……ん? あぁ、そんなこともあったね。改めて、すまなかったね。今回のことも含めてさ」

 

「気にしないでくださいよ。どうせ大体そこのファッキン眼鏡のせいでしょ?」

「いやまぁ、そうといえばそうなんだけどね… それでも負い目はあるってモンさ」

 

「筋としてはそうかも知れませんが、ソレがヤツの手口ですから。騙されちゃダメですよ!」

 

 何故か逆に励まされる羽目になってしまい、ノワールとしては苦笑をするしかない。

 チラリと元凶(ジェイド)に視線をやればウィンクをお見舞いされてしまった。殴りたい。

 

 なんだかなぁ、と思いつつ頭を掻くノワール。自然、冷たい視線はジェイドに集中する。

 

「おや、この状況… 私だけが悪者というわけですか? なんとも悲しいですねぇ」

「ジェイド、ちょっとやり過ぎです。ちゃんとセレニィに謝ってくださいね?」

 

「イオン様にまでそう言われては私の負けですね。……申し訳ありませんでした、セレニィ」

「分かれば良いんですよ! 毎日朝晩私に向けて限りない反省の意を示し続けてくださいね?」

 

「……ほう?」

「な、なんですかその態度はっ! あー、傷付いたなー! めっちゃ傷付いたなー!」

 

「セレニィさん、可哀想ですの…」

 

 冷笑を浮かべるジェイドに若干ビビりつつも偉そうな態度を崩そうとしないセレニィ。

 ルークやガイ、トニーなどは表情が苦笑いに変化しているがまだ嗜める気配はない。

 

 彼女こそ調子に乗れそうな時にはトコトンまで乗り続ける、悲しいほどに生き急ぐ生命体。

 そんな彼女に束の間であろうと夢を見せてあげようとするのは、仲間としての友情故だろうか?

 

 調子に乗れる時にトコトン乗り倒そうとするセレニィに、ジェイドが笑顔のまま言葉を紡ぐ。

 

「お漏らし」

 

 時が止まる。

 

 ギギギ… と立て付けの悪くなった扉のような動きで、ノワールに顔を向けるセレニィ。

 慌てて、かつ全力で首を左右に振るノワール。そのまま思わず声を上げる。

 

「言ってないよ! アンタがアタシにぶつかって漏らしたことは言ってな… あ」

「………」

 

「はっはっはっ… いや、服装が変わっていたのでかる~くカマをかけたのですがねぇ?」

 

 世界に沈黙の帳が降りる。

 ……しかし、それはやがて来る終局の序曲に過ぎないことを誰もが知っていることだろう。

 

 顔を真っ赤に染め涙目の状態でプルプル震えていたセレニィが、やおら大声を上げる。

 

「殺せー! いっそ殺せー! うわぁあああああああああああんっ!!!」

 

 地面に寝転がってジタバタ暴れるその姿は微笑ましいが、本人の気持ちを考えれば悲惨の一言。

 どうしたものかとオロオロするノワールの肩にそっと手が置かれる。ティアさんである。

 

「あぁ、すまないね。アンタ、悪いけどフォローを」

「……しく」

 

「あん?」

「その時の話、詳しく…!」

 

「あいたたたたたぁ…! 肩、肩ぁ! めりこんでるからぁっ!?」

「いけません! ティアがまた暴走を! ルーク、助力を!」

 

「任せろっ! おい、ジェイド! テメーも見てないで手伝え! 誰のせいだと思ってんだ!」

 

 暴走したティアさんを止めようと奔走するトニーとルーク。

 ある種お決まりとなった地獄絵図に付いていけない様子のタトリン夫妻をフォローするアニス。

 

「(どうして… どうして、こうなった…?)」

 

 セレニィは地面に突っ伏しながらも、死んだ瞳でコレまでの出来事を振り返るのであった。




次回、説明回と方針決定
ぶつ切りになって申し訳ありません…!

Twitter(@ seleny_ts)はじめました
なにかありましたらお気軽にメッセージどうぞです…!





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105.声西撃東

 もはやお馴染みとなった大詠師モースの執務室で激論が繰り広げられている。

 

「バカな! そのようなことが出来るはずがありません!」

 

 ライナーは詰め寄り、思わずモースの執務机を叩き叫んだ。

 

 ここ数十分のやり取りで以前にも増して敬愛の念を抱くようになった大詠師への無礼。

 それに対する慙愧の念がないと言えば嘘になるが、当惑の感情がそれを上回った。

 

 一体モース様は何をお考えなのか? それが偽らざる彼の胸の内の思いである。

 

 モースはそんな彼の言葉をその眉一つ動かさず…

 いや、その眉ピクピク動き始めている様子だがおくびにも出さず穏やかに受け流す。

 

「落ち着き給えよ、ランマ君」

「ライナーです」

 

「それな」

 

 この状況が何を意味するのか賢明な読者諸氏にはもうお分かりであるかも知れない。

 

 そう、モース様(外の人)が怒声と机に響く衝撃で目覚めつつあるのだ。

 中の人を演じているセレニィにとっては大ピンチな状況である。

 

 しかし彼女がソレに気付く由もない。

 何故なら彼女は今、美女・美少女揃いの導師守護役アイドル化計画に夢中なのだから。

 

 この期に及んで後退の二字はない。

 今が押し時とあらば、全力で(口先で)押すのがセレニィの信条である。

 

 その際に足元がお留守になるのはもはやお約束であるとすら言えた。

 

「なるほど。君の言い分から前例がそう多くない考えであることは理解したよ」

「ならば…!」

 

「だがね、先程も言っただろう? ……私はこのローレライ教団を破壊する、と」

 

 底知れぬなにかを秘めた、しかし、本気と伝わる本気の言葉にライナーは絶句する。

 その胸中を掠めるは、その敬愛の念に劣らぬ形で生み出された彼に対する確かな畏れ。

 

 ゴクリと我知らず湧き出た唾を嚥下させる。

 

「(一体何だ、このモース様の自信に満ちた佇まいは… とても正気とは思えん…)」

 

 まるでモース自身ではなく、何者かがその口を借りて好き放題に喋っているような…

 そういえばモース様先程から口が動いていないし、声も机の裏から響いてくるような…

 

 そんな埒も無い妄想すら現実味を帯びてくるようですらある。

 

「(フッ、まさかな…)」

 

 ライナーは失笑とともに頭を振り、その思考を切り替えることを選択した。

 そしてクリアな思考でモースとアイドルについての話を継続する。

 

 もし大した見通しもないまま戯れで口にされているのであれば全力で止めてみせる。

 そんな確固たる決意を秘めて。

 

 ……ともあれ、結論から言うとモース様(中の人)は結構真面目に考えていた。

 いや、むしろこのオールドラントに来てから一二を争う真面目さで考え抜いていた。

 

 なんか良く分からないがアイドルという概念はここでは異端らしい。

 受け入れられず破綻してしまう未来とてあるかも知れない。

 

 いや、ランなんとか君の言い分ではそうなる可能性が極めて濃厚であるとのこと。

 だがしかし、それがどうしたというのだ。

 

 執務机の後ろに隠れているセレニィがニヤリと口角を上げる。

 ミュウもひそかに真似をする。

 

「(私は、なにも、困らない)」

「(ですのー!)」

 

「(いぇーっはっはっはー!!!)」

 

 屑である。

 

 そもそもセレニィとしては美女や美少女に心ゆくまでキュンキュン出来ればいいのだ。

 それだけでほんのり幸せであり、だからこそアイドルに夢を求めたいのである。

 

 その結果、ローレライ教団やモースがピンチになろうが知ったことではない。

 それどころか大歓迎である。倦厭する要素がビックリするほどに皆無なのだ。

 

 この世界に来てからこっち、ローレライ教団にはろくな目に合わされていない。

 というより、セレニィ視点では隙を見せれば襲いかかってくる危険集団でしかない。

 

 このデッドリーな世界観の原因の3割は担っていると言っても過言ではない。

 ローレライ教団をブッ潰したいというのは割りとマジな本心なのである。

 

 そうなるというのであれば、一石二鳥どころか一石三鳥のハッピー要素しかない。

 

「(アイドルも組織化する、ローレライ教団も潰す、どっちもやれるなんて最高!)」

 

 むしろ彼女を張り切らせてしまう羽目になったのは、皮肉としか言いようがなかった。

 

 かくしていつ終わるとも知れぬ激論の末に…──

 ライナー君もその熱意の前に折れて、ここにローレライ教団アイドル部が誕生した。

 

 これにはセレニィとついでにミュウも思わずニッコリ。

 まさに幸せの絶頂であった。

 

 しかし、禍福はあざなえる縄の如し。

 突如響き渡る轟音とともに、頑丈なはずの執務室の扉が揺れる。

 

「……ここからセレニィの匂いがするわ」

 

 ナチュラルボーンテロリストが現れる。

 それは、蜜月の時が儚くも終わりの時を迎えようとしていることを意味していた。

 

「ぎゃあああああああああああああッ! 出たぁあああああああああああああッ!?」

 

 セレニィは泣いた。

 

 

 ──

 

 

 ライナーは激怒した。

 

 ライナーはディストの副官とはいえ、その実態は内偵を請け負う便利屋に過ぎない。

 大した実権があるわけでもなく、出世の展望など見えはしない。

 

 それでも自分を見出し、様々な改革案を語ってくれたモースへの敬愛の念は強かった。

 そんなモースがまるで女の子のような悲鳴を上げさせられている。

 

 そうさせた恐るべきテロリストの存在を断固として許すわけには行かなかった。

 机などを運びバリケードにしようとするも、その眼前で扉が物理で破壊されてしまう。

 

 立ち尽くすライナーの前に歩み出るは、片目を隠すような長髪をなびかせる美女。

 

「(間違いない。コイツが、漆黒の翼の首魁ノワールか…!)」 ※違います

 

 部屋の中をまるで物色するかのようにゆっくりと睥睨するその余裕が癇に障る。

 

 彼女の奥には良くは見えないが二人分の人影。

 間違いない、3つの大陸に名を馳せる大怪盗・漆黒の翼だ(違います)。

 

 震えそうになる自らの足を叱咤して、その前に立ちはだかる。

 大詠師モースは己の信仰心を高めることで高価そうな花瓶を粉砕することに成功した。

 

 それに及ばぬまでも自分だって… ライナーはなけなしの勇気を振り絞り宣言した。

 

「ここは一歩も通さないッ!」

 

 瞳に強い力を込めて睨み据える。

 侵入者の女性、教団の制服を何処からか調達した漆黒の翼のノワールを(違います)。

 

 女性… ティアさんはようやくライナーを認識すると、おもむろに言葉を紡いだ。

 

「邪魔よ。ナイトメア(物理)」

「ドゥブッハァッ!?」

 

 現実は非情であった。主にティアさんが非情であった。

 ちょっとした思い付きで王族に連なる公爵家を正面突破しようとした女は格が違った。

 

 一方ライナー君は命に別条はないものの洒落にならない痛みを味わっていた。

 ティアさん必殺のナイトメア(物理)を鳩尾に受け内部にダメージが浸透していく。

 

 身体は動けない。徐々に薄れゆくそんな意識の中で彼は思う。

 

「(これ絶対ナイトメアじゃない。モース様、お逃げを… コイツ人類の常識が…)」

 

 ティアさんという人類の例外へのツッコミとモースの身を案じる忠誠心。

 それらを抱きながらついにはライナーは膝をつき、そして倒れ伏すのであった。

 

 一連の動きを察したのか、セレニィが恐る恐る執務机の陰から顔を覗かせる。

 胸元にはミュウも抱きしめている。

 

 不安で心細かったのだろう、彼女の眼尻には涙が溜まっていた。

 そんなセレニィに向かってティアさんは中腰になって両腕を広げる。

 

 そして、優しい笑顔を浮かべてこう言うのであった。

 

「迎えに来たわよ、セレニィ」

 

 暖かい言葉に、弾かれるように駆け出すセレニィ。

 そして両腕を広げているティアさんの… 横をすり抜けてアニスの胸へと飛び込んだ。

 

「わぷっ! っと、もうダメじゃないのセレニィ。勝手に誘拐されちゃ」

 

 小柄な少女とはいえ、若年ながら導師守護役に抜擢されたアニスである。

 身じろぎもせずに軽々と1人と1匹の突撃を受け止めて、優しくその頭を撫でる。

 

 アニスに抱き締められたセレニィは満面の笑顔でお礼の言葉を述べる。

 

「助けに来てくれてありがとうございます。流石に今回はちょっと不安でした」

「仲間を見捨てるワケないでしょー、まったくもー。……ま、無事で良かったじゃん」

 

「ですのー!」

 

 真っ直ぐな感謝が気恥ずかしいのか、視線を逸らしながらアニスはそう応えた。

 

 一方で中腰の姿勢のまま固まっているティアさんである。

 不審がったミュウが突いたりしているが反応する様子がない。

 

 ようやく、建て付けの悪いドアのような音を『ギギギ…』と出しながら首を動かす。

 そしてアニスと話しているセレニィの姿を見て、そっと笑顔を浮かべて見せた。

 

 その目にはほんのりと涙が浮かんでいる。

 

「……いいの。私は、セレニィが笑顔なら」

 

 悲惨。その一言に尽きる。

 

 常日頃から明後日の方向性に全力疾走する傍迷惑な彼女だが、その善意は本物だ。

 特に今回は割りと真面目にがんばっていたのである。流石にこの仕打ちは酷い。

 

 セレニィもソレを自覚したのか、アニスに促される前にそっと彼女の傍に近寄った。

 クイクイと彼女の袖を引き、先のアニスのソレの如くそっぽを向きながら小声で囁く。

 

「えっと、ティアさんも… その、助けに来てくれてありがとうございました…」

「セレニィ!」

 

「のぅわッ!?」

 

 感極まって抱き締めてこようとするティアさんの動きを回避する。

 躱し、避ける。都合三度。

 

 白熱する攻防は、ミュウを彼女の顔面に押し付けることでお開きと相成った。

 どっと疲れて汗を拭うセレニィに向けて満面の笑顔でティアさんが声を掛けてくる。

 

「セレニィは私のことが一番大好きだものねー?」

「えっ? まぁ、その、なんといいますか…」

 

「……仲良く歓談しているところ悪いけれど、どうやら嗅ぎつけられたみたいね」

 

 しかし、そのじゃれ合いを怜悧な色を乗せた声が制する。

 ティアさんとアニスに同行していた、本物のノワールである。

 

 耳を澄ませば、確かに大勢の人が集まってくる気配が響いてくる。

 このままでは袋の鼠となってしまうことは想像に難くない。

 

 セレニィは表情を青褪めさせ小刻みに震えだす。

 

「あわわわ… ど、どうしよどうしよ…」

「モタモタしてたから逃げる時間がなくなっちゃったんですのー?」

 

「ミュウさん言い方ぁ!? そのとおりだけど言い方ぁ!?」

 

 しまいにはグルグルその場を回り始めるセレニィとミュウ。

 そんな1人と1匹を尻目に残る3人は着々とバリケードを築いていく。

 

「う、うーん… 一体何が… ぬっ! 貴様はセレニィ」

 

 その時、騒ぎに乗じて大詠師モースがついに目覚める! 

 

 まさに前門の虎、後門の狼。

 合流を果たしたものの、一行は一転して窮地に陥るしかないのだろうか? 

 

 信頼している教団直属の衛兵が駆け付ける気配がもはやモースの耳にすら届く状況。

 そんな彼の視点が突如、比喩的表現抜きに持ち上げられる。

 

 自らを見上げたまま固まっているセレニィ。無論、今度こそ逃がすつもりはない。

 フフフ、果たしてどのような罰をくれてやるべきか。

 

 起き抜けながらそんな思考を巡らせていた彼の耳朶に、ティアさんの声が届く。

 

「奥の重そうな机もバリケードに、そぉい!」

「ぐわぁあああああああああッ!?」

 

「……あら、よく見ず投げちゃったけど何かいたかしら?」

「も、モースさーんッ! ……フッ、迷わず成仏してくださいね」

 

 手を合わせながらも爽やかな笑顔でそれを見送るセレニィ。

 大詠師モース、短くも儚い目覚めの時であった。

 

 現在は大詠師兼バリケードの一部として新たな活躍が期待されている模様である。

 ちなみにライナー君は流石に危険なのでセレニィが部屋の隅に避難させている。

 

 扱いに若干の差が見られることに他意はないはずである。恐らく、多分、メイビー。

 

 

 ──

 

 

「ふぅ… なかなか良い具合に仕上がったわね」

 

 上気した肌と額に浮かぶ汗を拭うその仕草には仄かな色気が見え隠れする。

 汗を拭いながらティアさんは、満足そうにそう呟いた。

 

 大詠師という御利益半端なさそうな人柱の協力も得て無事にバリケードは竣工された。

 しかし、いくら頑丈な扉といえど先程ティアさんが叩き壊してしまったモノである。

 

 駆け付けた教団の本部直属の衛兵を長く足止めできるほどの代物ではないだろう。

 いや、そもそも脱出する目処が立たぬ以上はどんなに頑丈であろうと意味がないのだ。

 

 不安気な様子で表情を曇らせているセレニィの肩を、アニスが元気よく叩く。

 

「だ~いじょうぶ! ここまでは予定通りだから。というわけでティア、おねがい」

「えぇ、わかったわ。アニス」

 

 アニスの合図にティアは頷き、硝子張りの窓の前に立つ。

 そして深く腰を落とし…

 

「え、ちょっとちょっと…」

「ハァッ!」

 

 窓を豪快に叩き壊した。

 

「えぇえええええええええええええええッ!?」

 

 かなり高い階層に位置する部屋である。

 当然、一気に強い風が入ってくる。

 

 なにがなんだか分からないと言った表情で呆然と立ち尽くすセレニィ。

 そんな彼女を見て微笑むと、アニスは懐から取り出した小笛を向かって吹き鳴らした。

 

「じゃ、いこうか」

「……本当に大丈夫なんだろうね?」

 

 事も無げに言ってのけるアニス。

 それに対し、ここまで沈黙を守ってきたノワールは半信半疑と言った表情で呟く。

 

「もっちろん! 疑ってもいいけど、ここまで来たら乗るしかないんじゃないの~?」

「……やれやれ」

 

「あの、詳しく説明を…」

 

 アニスの言葉に反論もできず、苦虫を噛み潰した表情で渋々と同意するノワール。

 一方でセレニィは状況がつかめないままである。

 

 流石にこの階層から飛び降りたら死んでしまうことは間違いない。

 ロープか何かで降りるにしても、下の階にだって人は集まりつつあるだろう。

 

 果たして、コレを逃げ切れるかどうかは運次第になるのではなかろうか。

 

「ソレはねぇ… おっと、お客さんが大勢おこしみたいだねっ!」

「ひぃいいいいいいいいいいいいいいっ!?」

 

 アニスがセレニィの求めに応じて説明しようとしたその時のこと。

 執務室の扉がドン、と強めにノックされた。

 

 駆け付けた衛兵たちが体当たりを試みているのであろう。

 一撃ごとにドアやバリケードの軋む音、モースの呻き声などが聞こえてくる。

 

 アニスはその様子にやれやれと肩をすくめた。

 

「……仕方ないね。説明は後にしよっか! ティアはミュウをちゃんと持った?」

「勿論よ。言われるまでもないわ」

 

「おっけーおっけー。じゃあ、セレニィは私が担当するねー」

 

 アニスは嬉しそうにセレニィの手を取る。

 そしてまるでステップを踏むかのような軽やかな動作で窓際へ向かって歩み出る。

 

 引っ張られるように彼女についていくセレニィ。

 とはいえ流されるばかりではいられない。ことは命に関わるのだ。

 

 時間がないならないなりに説明を求めなければ。そう決意して口を開く。

 

「いや、あの、ですから説明を…」

「ね、セレニィ」

 

「はい」

 

 しかし、美少女の言葉を遮ることはポリシーが許さず話の主導権を譲ってしまう。

 弱い。しかしそれこそがセレニィなのである。

 

 囁くように耳元で美少女に語りかけられれば聞かぬという選択肢は存在しない。

 相も変わらずハニートラップ系への対応に驚異の紙装甲ぶりを披露する生命体である。

 

 密かに落ち込むセレニィの内心を知ってか知らずかアニスは言葉を続ける。

 

「パパやママに会いたいって思った時に背中押してくれたよね? 私、嬉しかった」

「それはまぁ… アニスさんのこと好きですから。私にとって当然のことです」

 

「……ふぅん。恥ずかしいこと、平気で言うんだね?」

「まぁ恥ずかしいと言えば其処までがんばったのに今こんな状況で迷惑かけてたり…」

 

「フフッ、ホントにね。……でも、それがセレニィだし」

 

 穴があったら入りたいとはこのことか。

 

 アニスのためにがんばってお膳立てしたのに自分のヘマでアニスに迷惑をかけている。

 死にたい。恥ずかしくて死にそうである。

 

「私はね、セレニィ、私の人生の足を引っ張る無能のことが嫌い」

「……あはは」

 

「今まさにこんなに私たちに迷惑をかけまくってるセレニィとか、その筆頭だよね?」

「ですよねー!? ……泣きたい」

 

「なのに、なんでかな… 嫌いになれないんだ。だから、こんな私も無能で大嫌い」

 

 そうして空の世界へと続く即席のタラップとなった窓縁に、アニスは足をかける。

 

 風の音が聞こえる。

 身体に吹き付けられる風が、体表の熱ばかりか心胆までをも急速に冷やす錯覚に陥る。

 

 震えるセレニィを見て、アニスは頬を薔薇色に染めて悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「ね、セレニィ。無能同士、一緒に死のっか」

 

 そんな花咲くような微笑みを向けられ、セレニィは一瞬だが言葉もなく見惚れて。

 だからこそ、ロクに抵抗もできないままに彼女に引っ張られて空へと投げ出された。

 

「ぎゃああああああああああッ! 死ぬ、死ぬぅううううううううううううッ!?」

 

 大音量で泣き叫ぶセレニィ。

 しかし直後、思ったより近い地面の感触に恐る恐る目を開くと。

 

「セレニィ、大丈夫? ……もう、アニスは驚かせすぎ」

 

 怪鳥フレースベルグを操るアリエッタの姿。

 

「あっはははははは! ごめんごめん。面白くてついついからかっちゃった」

 

 セレニィを抱えながら大笑いをしているアニス。

 

「まったく… 趣味が悪いわよ、アニス」

「……こっちは外様なんだからね。あんまりからかわないでおくれよ、心臓に悪い」

 

 ティアとミュウ、ノワールも彼女たちに続くフレースベルグにそれぞれ騎乗している。

 

 執務室に雪崩込んだ教団の衛兵たちが、地面で待ち構えていた衛兵たちが。

 全て背後の景色へと遠ざかっていく。

 

 セレニィたちは怪鳥フレースベルグの背に乗り、空からまんまと逃げおおせたのだ。

 

「し、死ぬかと思ったぁ… アニスさん! ホントに怖かったんですからね!?」

「ごめんって。夕飯のおかずオマケするし、大佐の嫌味からも庇ってあげるからさぁ」

 

「つーん!」

 

 茜色に染まる空の上に、複数の和やかな笑い声が響き渡ったという。

 

 

 ──

 

 

「えぇ、はい。確かに見ました。3匹の怪鳥が群れをなし西の空に飛んでゆくのを」

 

「人を乗せていたかどうか、ですか? ふむ、言われてみれば確かに…」

 

「国際犯罪者となれば我が国も協力を惜しみませんとも。陛下にはしかと上奏します」

 

「それでは、追跡調査の成功をお祈り申し上げます。どうかご武運のほどを…」

 

 たまたまダアトに任務で来ていた“善意の情報提供者”が詰め所から姿を見せる。

 この世で善意から最も程遠い人物ジェイド=カーティスである。

 

 ルークとナタリアが詰め所から出てきたジェイドのもとへと駆け寄る。

 

「どうだった、ジェイド?」

「こちらの仕込みは完了しました。中々に善意に溢れた良い街ですね、ここは」

 

「まったく… あまり嬉しそうに振る舞っていては品性の底が知れましてよ、大佐」

「おっと、これは失礼。ところで、そちらの首尾はいかがでしょうか?」

 

「ガイもトニーも問題なく調達できた。後はセレ… ゴホン、合流するだけだな」

 

 うっかり名前を口に出しそうになったルークをナタリアが制する。

 結果、ルークはなんとか咳払いで誤魔化した。

 

 声は潜めているものの何処に目があるか分かったものではない。

 幸い、ジェイドが観察した限りでは周囲に監視の目はない。安心してもよいだろうが。

 

「では、予定通り明朝まで時間を置いて東門から悠々と出ましょうか」

 

「分かった。じゃあ、えっと俺は…」

「ちょっとルーク。あの子の無事な姿を確認したいのはわたくしも一緒ですわよ?」

 

「まぁまぁ、お二人とも。トニーたちのところには私が向かいますから」

 

 言い争いが始まりそうになった気配を察して、馬車担当への連絡役を請け負う。

 そんなジェイドに二人は礼を言うが早いか駆け出していく。

 

 彼らの背を見送り、くつくつと笑いながら誰にともない独り言をつぶやく。

 

「まったく… 我ながら丸くなったものですねぇ。一体誰の影響を受けたのやら」

 

 馬車担当メンバーのもとに向かいながら、今回の『策』について脳内で思考に耽る。

 

 アニスやティア、アリエッタらには所定の場所で待機するよう言い含めている。

 敢えて目立つ怪鳥で救出を行わせて、派手な形で西に向かわせたのもそのためだ。

 

 例えジェイドの通報がなかったとしても他の市民からの声も集まることだろう。

 しかも相手は三大陸に名を轟かせる大怪盗『漆黒の翼』である。

 

 そこらの木っ端盗賊ならいざ知らず、彼ら相手には追跡調査隊を編成せざるを得ない。

 ダアトの警備はある程度緩くなってしまうことは否めないだろう。

 

 ……特に、そう、逃げ出したと思われる西側の『反対方向』である東門の警備は。

 

「『声西撃東の計』とでも名付けましょうかね」

 

 まずはダアトからの安全な脱出。

 続いて可能ならばアクゼリュス方面より進行中のヴァンたち六神将たちとの情報交換。

 

 眼鏡のブリッジを持ち上げながら、ジェイドの冴え渡る頭脳がその回転を早める。

 

「やれやれ、まったく… 退屈だけはしませんねぇ。このメンバーは」

 

 そんな彼は一人苦笑いをしながら、夕焼け空を見上げながら肩を竦めるのであった。









      最近少しいじめたい(好き)
        → → → → →
    アニス           セレニィ
        ← ← ← ← ←
      好き(最近たまに冗談が怖い)


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106.出立

『世に遍く信仰を集めるローレライ教団の本部たる大神殿に賊が侵入し大暴れをした。

 その衝撃的なニュースは、瞬く間にダアトを飛び越え天下諸国に広まりつつある。

 

 誰もが目を逸らしていたまやかしの安寧。そこに現実の牙は容赦なく突き立てられた。

 本当は分かっていた筈なのに。この世界に迫る危機と無関係でいられるはずもないのに。

 

 賢明なる読者諸兄は漆黒の翼という賊をご存知だろうか? 

 巷では義賊と騒がれている彼らだが、ついに本性を明らかにしてセレニィと結託した模様。

 

 そう。諸兄の記憶にも新しいであろう、数々の悪行を為してきた『あの』セレニィだ。

 或いはそもそも漆黒の翼の義賊活動がセレニィの手による狂言だったのかもしれないが。

 

 邪悪なるセレニィは地の底から蘇り、今また敬虔なる信徒の血を(すす)らんと舞い戻った。

 折しも帰還されていた大詠師モースが偉大なる信仰心を発揮して辛くもコレを撃退。

 

 ……しかし、その代償は大きかった。

 大詠師を以てしてもセレニィの邪智暴虐さには苦しめられ、重傷を負ってしまったのだ。

 

 大詠師は導師守護役に新たな使命を課し、被災者の支援に私財を投じることを取り決められた。

 これらは全てセレニィの襲撃前に決定されたことだと腹心のライナー氏が証言されている。

 

 大詠師はかかる苦難を予め見据えた上でこれらの動きを決定されていたのだろう。

 困難の中でこそ、彼の抱く信仰心はなお喪われず燦然と輝き続けている。

 

 諸兄、逆境のさなかにこそ敬虔なる信徒が宿すべき真の信仰心は試されるものである。

 導師イオンのご帰還まで、我らは一致団結しこの難局を乗り越えるべきではないだろうか』

 

 号外と見出しに大きく書かれたソレはダアトで発行されている新聞記事とのこと。

 江戸時代風に言い換えれば瓦版と言う。中には黒船来航もかくやという内容が記されている。

 

 情報収集がてら外回りをしていたトニーが持ち帰ってきたものである。

 棚に目をやれば割りと当たり前のように書籍が転がっているこのオールドラントである。

 

 活版印刷技術などお手の物である。水陸両用の大型装甲戦艦とか造っている世界だ。

 生物学的にちょっと無理のあるサイズの魔物とか出るこの世界で深く物事を考えてはいけない。

 

 些事に囚われたものから死んでいく。そう、主にセレニィとかが死んでしまいかねない。

 

 

 

 

「……はっ倒すぞ、こんにゃろう。……ダアトきらい」

 

 とうのセレニィは記事を読み終えると、くしゃくしゃに手で丸め涙目でそうつぶやいた。

 ちょっぴり声が震えていたことには触れないであげるのが優しさというものであろう。

 

 邪悪じゃないもん…、などと未だ恨みがましくぼやいているセレニィのことはさておいて。

 

 ルーク、ガイ、イオン、アニス、ティア、ジェイド、トニー、アリエッタ、そしてセレニィ。

 それに加えてミュウに漆黒の翼の構成員である、ノワール、ウルシー、ヨークの3名。

 

 彼等一行は大捕物の様相を呈しているダアト市街、その片隅でひっそり身を隠していた。

 

 幸いと言うべきか指名手配されているのはセレニィと面相すら割れていない漆黒の翼のみ。

 ならば如何様にでも立ち回りようというものがある。

 

 そうしたジェイドの発案で捜索部隊が街を出るまで敢えて敵地で身を潜めることにしたのだ。

 転がり込んだ先はアニスからの申し出もあり、タトリン夫妻宅。……彼女の実家でもある。

 

 幾ら実の娘からGOサインが出ていたとは言え常識的に考えれば迷惑極まりない行動だ。

 快く受け入れてくれたタトリン夫妻に恐縮し、謝罪の言葉が漏れ出るのは当然だとも言えた。

 

「なんか、その… すみませんでした。こんな大勢でいきなり転がり込んでしまって…」

 

「あらあら、そんなこと気にしないでいいのよ。困った時は助け合いだもの」

「うむ、そうとも。こちらこそ君を無理に劇に誘ったことで迷惑をかけた。すまなかったね」

 

 いい人たちである。いい人たち過ぎて居心地が悪い。

 それがセレニィの偽らざる心情であった。

 

 少し気疲れをしているセレニィを見かねてかアニスが声をかける。

 

「本当に気にしないでよ、セレニィ。どうせ見知らぬ人を泊めるなんて日常茶飯事だから」

 

「あらあら、アニスちゃんには私たちのことお見通しなのねぇ。嬉しいわぁ」

「うんうん、アニスが私たちを褒めてくれるなんて。良い子に育ってくれたものだ」

 

「……褒めてないんだけど。まぁ、今回は良い方向に働きそうだから黙っておくけどさ」

 

 若干頭を抱えながら今度はアニスの方が気疲れをしたような溜め息を絞り出した。

 フォローをされた側のはずのセレニィが申し訳無さそうな表情で彼女の背をさすっている。

 

「普段から見慣れぬ人々が寝泊まりしていたのであればますます好都合。感謝しますよ」

 

 一方、人の心を胎内に置き忘れてきたことに定評のあるドSは眼鏡を光らせ喜びを表現する。

 小声で注意をしているトニーの言葉など何処吹く風といった様子ですらある。

 

 これくらい図太くなければオールドラントではのびのびと生きられないのかも知れない。

 

 若干遠い目をしながら、セレニィは内心でそんなことを考える。

 本人も主にヴァンやモース相手に割りと好き放題をしているのだが自覚に乏しい様子である。

 

「なんにせよセレニィは無事助けられたし上手く俺たちも隠れられた。アニスに感謝だ」

「うぅ~… ありがとうございますぅ、ルークさん」

 

「気にしないで、セレニィ。私たち、親友でしょう? むしろ親友以上の関係でしょう?」

「え? ただの仲間ですよね。……何言ってるんだろう、この人」

 

「セレニィが冷たい…」

 

 若干落ち込んでいるティアさんをナタリアとイオンが慰めている。

 

 しかし「冷たいセレニィもイイかも…」とつぶやくティアさんに困惑の色を浮かべている。

 非常にどうでもいいことだが彼女は新たな扉を開きつつあった。

 

 そんな空気が弛緩した頃合いを見計らい、ガイが今後の話し合いについての口火を切る。

 

「ルークの言うとおりだ。仲間を見捨てちゃ俺たちの気持ちが落ち込むってもんだ」

「ですのー! やっぱりみんないっしょがいいとボクも思いますのー!」

 

 ミュウの言葉にウンウン頷きながら、ガイは言葉を続ける。

 

「セレニィも加わったことだし折角だから今度のことについて一つおさらいをしてみないか」

 

 その言葉に否やはないのであろう、他の面々も居住まいを正し首肯を以て応えとする。

 タトリン夫妻も場の空気の変化を読んで、お茶の用意をするために席を立つのであった。

 

 かくして今後についてのおさらいを兼ねた作戦会議が、ここタトリン夫妻宅で展開される。

 トップバッターに立つのはナタリアである。

 

「当面は脱出についてですけれど、これは漆黒の翼と協力ということでよろしくて?」

「こっちに異存なんてあるわけないさ。持ちつ持たれつが世の常… ま、よろしく頼むよ」

 

「思うところがないではありませんが… えぇ、今はこの窮地からの脱出こそ肝要かと」

 

 ノワールが、そしてトニーがそれぞれ考えを述べる。

 そこにのっぽの男… 漆黒の翼の構成員ヨークが割り込む。

 

「まぁ… こっちゃ男女三人組ってことが広く知れ渡ってる分、助かるよなぁ」

「なるほど、目立つ要素を敢えて喧伝してこそ対応できる場面も増えるというわけですか」

 

「あぁ、人数を誤魔化すために行商やらに混じったりしたことも… あいたたた!」

 

 ジェイドに乗せられて口を軽くしようとしていたヨークの耳をノワールがつねり上げる。

 相棒のウルシーは「いたそ~…」と震え上がっている。

 

「いきなり何するんスか、姐さん!?」

「今は手を組んでるけど完全な味方ってわけじゃないんだ。……言ってる意味、わかるね?」

 

「うっ… す、すいやせん…」

「ったく」

 

「ははは、中々に手厳しい。いや、失敬… 見事な『愛の鞭』と言うべきでしょうかねえ」

 

 漆黒の翼首魁ノワールは、やたら口の減らない元凶(ジェイド)を前に深くため息を吐くのであった。

 

 

 

 

 さて、その後もあれやこれやと話し合いが続いた結果。

 

 トニーとガイが調達してきた馬車で数名ずつに別れての脱出という形で詳細が詰められた。

(資金に関してはナタリアからの多大な貢献があったことをここに追記しておく…)

 

 この脱出計画において矢面に立ち、主軸として活躍が見込まれるのは漆黒の翼となる。

 よって、指揮系統も同様に漆黒の翼… その首魁のノワールに預けられることとなった。

 

 そうなると議論の焦点となるのが…──

 

「ふむ。グランツ謡将と情報交換をするにせよ何処でどのように渡りをつけるか、ですね」

「バチカルやグランコクマに向かうことがハッキリしている他の艦と違って…」

 

「えぇ、動きは読み難い。不測の事態を恐れて自由裁量権に委ねたのが仇になりましたわね」

 

 ジェイドの言葉にトニーとナタリアがそれぞれ懸念を漏らす。

 ルークがそんな二人に意見を申し出る。

 

「常識的に考えればケセドニアじゃねーか? あそこ、各国の中継点でもあるんだろ」

「そりゃそうなんだが、ルーク。地理的にダアトから遠い。下手すりゃ入れ違いだ」

 

「あ、そうか。向かった時に師匠(せんせい)がいなかったら二度手間だもんな…」

「えぇ。それに普通の足でタルタロスに追い付くことはほぼ不可能よ、良く考えないと」

 

「ちぇー、なかなか難しいもんだな…」

 

 ガイとティアの指摘にルークは地図を眺めつつ頭をガシガシと掻いて考え込む。

 そこにパメラ夫人に渡されたホットミルクをちびちび飲みながらセレニィが口を挟んだ。

 

 

 

「通信連絡を取れば良いんじゃないですかね」

 

 一同、思わずセレニィを見詰めてしまう。

 いきなり注目を集めてしまったとうのセレニィはと言えば、思わず赤面して俯いてしまう。

 

「あれ? わ、私ってばまたなんか変なこと言っちゃいましたかね…」

「確かにそれが出来れば理想ですが、何か当てでも?」

 

「あ、はい。そちらの漆黒の翼さんに攫われた時に通信機器を使って… いましたよね…?」

 

 その言葉を受けてジェイドがノワールに目線を向ける。

 降参とばかりにため息を吐いて、彼女も白状する。

 

「どっかで見た顔だと思ってたらあの時の… あぁ、確かに通信器は持たされてるよ」

 

「なるほど。ディストならば携行型通信機の開発に成功していてもおかしくはない」

「マジか… 口で言うほど簡単じゃないぞ。軍でも通信機械は大型なのが常識だってのに」

 

「腐っても天才ですからねぇ、アレは。……しかし、黙っているとは貴女方も人が悪い」

 

 音素機械に詳しいからこそ分かる常識外の天才の所業にガイは思わず感嘆の声を漏らす。

 その一方でドSの嫌味を受け止めながら、額を抑えつつノワールは弁解の言葉を口にした。

 

「他でもないコイツを導師と誤認して攫ったせいでケチがついて契約を打ち切られてさ」

「あ、はい… なんというか、その節はご迷惑を…」

 

「嫌味かい? ったく、この漆黒の翼のノワール様をあんな手で出し抜いてくれるとはね」

 

 気不味そうな様子のセレニィの頭をノワールは腹立ち紛れにウリウリと乱暴に撫で回す。

 セレニィはちょっぴり嬉しそうだ。そしてティアさんはハンカチを噛んで悔しそうだ。

 

 変わらない残念さを見せるセレニィとティアの姿に仲間たちの表情も思わず綻んだ。

 そんな仲間たちの心温まる交流シーンの影で、ジェイドは己が顎に手を当て思考を巡らせる。

 

 現状、自分たちにはあまりにも手札が少ない。

 恐らくは敵が油断して先手を撃てる状況。

 

 それを考慮しても、他に有効打となる手立てがそうそう思い浮かぶとも思えない。

 結局のところ、自分たちの本番はグランコクマに到着してからなのだ。

 

 ダアトのことはヴァンに任せるしかない。

 そう理解しつつままならない現状に、ともすれば我知らず歯噛みしそうになる。

 

 ……我ながら妙に人間臭くなったものだ。内心、苦笑しながら声をかける。

 

「それで今でも連絡に応じてくれるか分からないし、不手際の恥を晒すことになると…」

「否定はしないさ。意気揚々と申し出てハズレだったらそれこそ恥の上塗りだからね」

 

「ノワール、失敗しても誰も貴女方を軽んじたりはしません。人の悪い私が保証しましょう」

「……うわ、こうも信用できない言葉ってあったものなのねぇ」

 

「そう仰らず。どうか通信機を使わせていただけませんか? このとおり、お願いします」

 

 マルクト軍の大佐であるジェイド・カーティスが盗賊に頭を下げる。

 その事実に誰よりも驚愕を示したのはノワール本人であった。

 

 ノワールとて彼の指揮する装甲戦艦に己が乗る馬車を追い回されたことは記憶に新しい。

 利害の一致で手を組んでいる状況だが恨みがないと言えば嘘になる。

 

 さりとて、誇り高い軍人が頭まで下げているのに無下に扱っても良いものか。

 暫しの沈思黙考に頭が囚われてしまう。

 

 時間が切り取られたかのような、刹那の空白。

 期せずして睨み合いのような形になってしまったジェイドとノワール。

 

 凍結した時間を動かすきっかけとなった言葉は…

 ジェイドの、ましてやノワールのそのどちらの言葉でもなかった。

 

 彼女らに攫われかけた導師イオンが一歩前に進み出て、言葉を紡ぐ。

 

「僕からもお願いします。教団のことである以上、僕が頭を下げるのは当然でしょう」

 

「あ、アリエッタも! お願いします!」

「ちょ、ちょっと… イオン様もアリエッタも。もう! アニスちゃんからもお願いします!」

 

 ジェイドに続き、イオンが、アリエッタが、アニスまでもが頭を下げる。

 流石に想像だにしなかった光景にノワールの表情がポカンと口を開けたものとなる。

 

 しかしそれはジェイドにとっても一緒だったようで。

 一瞬だけ虚を突かれた表情を浮かべてしまう。

 

 そんな自分の姿を晒したくなくて、思わず眼鏡のブリッジを上げる仕草で誤魔化した。

 それを見逃さなかった者が一人近付いて声を掛けてきた。

 

「な? 旦那。仲間ってのも、そう悪いモンじゃあないだろう」

 

 ガイである。

 

「一体なんのことやら。あまり年寄りをからかうものではありませんよ、ガイ」

「ハハッ! ま、そういうことにしておくか。素直になれないウチはまだまだ子供だけどな」

 

「……やれやれ。この私が子供扱いですか」

 

 珍しくも言い負かされてしまい、思わずため息が漏れてしまう。

 

 しかし、まぁ、たまにはこういう気分になるのも悪くはない。

 そう感じながら、ジェイドは人知れず苦笑を浮かべるのであった。

 

 一方で導師、導師守護役に加え六神将にまで頭を下げられたノワールはといえば。

 キムラスカの王族まで参戦しそうになった段階で早々に白旗を上げ了承の意を示すのであった。

 

 

 

 

 

 そして翌朝。

 

 オリバー、パメラのタトリン夫妻もイオンの説得により旅に同行することになった。

 セレニィが「常識的に考えればモース様に人質にされません?」と突っ込んだためである。

 

 彼女の中でモースといえばこのファッキンに満ちた悪逆非道都市ダアトの総元締め。

 ちょっとでも目を離せばどんな悪辣な罠を仕掛けてくるか分かったものではないのだ。

 

 ちなみにモースから見てもセレニィは邪悪の化身なのである意味で相思相愛である。

 互いに互いの評価が一致している。とても素晴らしいことですね。

 

 きっと出会う場所が違えば二人は莫逆の友にでもなり得たかも知れない。

 だが、このデッドリー極まりないクソゲー世界オールドラントは二人を敵味方に分けたのだ。

 

 そんな悲しい出来事はさておき、一同は各々出立の準備を進めている。……一人を除いて。

 

「……おい」

 

 ヌイグルミ… もとい、トクナガが威圧感を伴いつつ喋った。

 セレニィの声で。

 

 一部を除く仲間がビクリと身体を震わせ、そのまま何事もなかったかのように準備を進める。

 

「聞けよ、おい」

 

 ガイにアニスが、小刻みに肩を震わせている。

 笑いを堪えていることは確定的に明らか。

 

 この怪異なる現象、その下手人はこの中に混じっている。

 

「……無視しないでください、泣きますよ?」

 

 (すが)るような心細そうな声音。

 

 その声を聞いて、妹想いのアリエッタは思わず涙ぐんでしまい手を伸ばそうとする。

 しかしその手はトニーに止められ、彼も沈痛そうな面持ちで首を左右に振るのであった。

 

 もはやタネは明かすまでもない。

 このアニスのヌイグルミことトクナガの中には、セレニィが詰め込まれている…! 

 

 そんな彼女(ヌイグルミ)の肩に手を掛けてジェイドが微笑む。

 

「セレニィ… 一つだけ貴女に言っておきたいことがあります」

「うぅ、ジェイドさん…」

 

「ヌイグルミが喋らないでください。人に怪しまれますので」

「カッチーン! もう泣いた! 今泣きましたよ、私! ヌイグルミの中で涙の嵐ですよ!」

 

「仕方ないんですよ。だって貴女、指名手配をされているではありませんか?」

 

 ……残念ながらそのとおりであった。

 

 構成人数以外にほとんどバレていない漆黒の翼ならいざ知らず、セレニィはそうはいかない。

 なんせモースによってその風貌はバチカル王城謁見の間にて(つまび)らかに記憶されている。

 

 漆黒の翼主導で変装を施すにせよ、少しでも怪しまれればリスクが伴うのだ。

 非戦闘要員のタトリン夫妻を連れ歩く以上、避けられるのなら避けるに越したことはない。

 

 (ひるがえ)って、『ただのヌイグルミ』として運搬するならばどうなるだろうか? 

 荷馬車と主張したところで積み荷の確認くらいはされるかもしれない。

 

 しかし、わざわざヌイグルミの腹を割いてまで確認する物好きはそうはいないであろう。

 

「これは必要な犠牲なのです。セレニィ、貴女にしてもこれ以上の案はないでしょう?」

 

 ジェイドは懇切丁寧に説明してセレニィに理解を求める。

 ……唇の端が若干痙攣しているが。

 

「えぇ、非常にいいアイディアですね。私一人が割り食いまくってることに目をつぶればねぇ!」

 

 地団駄を踏んで憤慨を顕にするセレニィ。

 しかし傍から見ればヌイグルミが奇妙なダンスを踊っているようにしか見えない。

 

 微笑ましいモノを見詰めるような表情。それを理解してセレニィは泣いた。

 

「大佐、あんまりです。……セレニィの気持ちを何も分かってあげていないんですね」

 

 しかし救いの手は差し伸べられる。

 

「おやおや… ティアに苦言を呈されてしまいましたね」

「ティアさん…!」

 

 普段は残念の極みだがここぞという場面では自分の心を慮ってくれるのか。

 セレニィは救いの主を見るような面持ちで熱い視線をティアに注ぐ。

 

 肩をすくめるジェイドには目もくれずにティアは親指を立てながらセレニィにこう言った。

 

「大丈夫よ、セレニィ。とっても似合ってて可愛いわ」

「………」

 

 言葉を失うとはこのことか。

 やっぱり人生ってクソゲーだな。セレニィはそう強く実感した。

 

 ティアの勇気ある発言を皮切りに、仲間たちもそれに続く。

 

「そ、そうだな。俺も可愛いと思うぜ? ……うん、よく似合ってるよ」

「あぁ。俺も女の子がおめかししたのに褒めるのを忘れてたなんて、とんだ失態だったよ」

 

「だいじょぶ、だいじょぶ… だよ? セレニィはいつも可愛い、から。えへへ」

 

 ルークが、ガイが、アリエッタがセレニィのことを褒めてくる。嬉しくない。

 

(はぁん!? むしろアリエッタさんが可愛いんですけれどぉ!?)

 

 頭がパンクして思考が妙な方向にずれ始めようとしているセレニィ。

 そんな彼女の隙を見逃さず、頼れる仲間たちが畳み掛けてくる。

 

「僕もとっても可愛らしいと思いますよ、セレニィ。自信を持ってください」

「ま、アニスちゃんのトクナガの中だもん! トーゼンだよねー!」

 

「そうですわ! 城に持ち帰ってお部屋の中に飾りたいくらいですわ! 幾らですの?」

 

 イオンが、アニスが、ナタリアがフォローを重ねる。……若干ナタリアが怖い。

 

「……えっと、心中お察しします。故郷の婚約者の次くらいに愛らしいかと、はい」

「セレニィさん、その格好だとおっきなチーグルになってくれたみたいで嬉しいですの!」

 

 トニーとミュウがそう締めくくってくれた。

 

 胸の奥から暖かい何かがこみ上げてくるのを感じる。きっとこれが友情パワーなんだ。

 セレニィはそう感じながら、そう自分に言い聞かせながら、口を開いた。

 

「違う、そうじゃない」

 

 トニーさん以外、全員心の底から反省して欲しい。

 そんなことを考えながら、セレニィは泣いた。

 

 ダアト脱出の日の朝、出立の準備の中の出来事であった。



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107.逆襲

 マルクト帝国の首都… 通称・『水の都グランコクマ』。

 一行は今、その地に立っている。

 

 随所に歴史を感じさせる造りながらも芸術的な区画整理を施された美しい街並み。

 そしていたる所に紋様の如く走る水路が見事な調和を奏でる風光明媚な都市である。

 

 初めて訪れるものは一様に感嘆のため息を漏らすという。

 無論、それはいささか誇張された表現ではあるだろう。

 

 しかしルークやイオンと言った旅慣れぬ面々にとっては正しくそう映った。

 

「へぇ… ここがグランコクマか! すっげぇなぁ!」

「えぇ。『水の都』という異名に違わぬとても美しい街並みですね」

 

 

 目を輝かせるルークに並んで風でなびく髪を抑えながら、弾む言葉を紡ぐイオン。

 

 

「あぁ。……あの時エンゲーブで降りなけりゃ一度ここに来てたかもなんだよな」

 

 

 少し感慨深げにつぶやくルーク。

 旅の日々を脳裏で振り返りつつ確認するようにガイが尋ねた。

 

 

「確か、辻馬車で『首都まで』って頼んだらここに送られそうになったんだったか?」

「そうね。あの時まではキムラスカのどこかだと思っていたから…」

 

「ハハッ。それで途中で気付いて慌てて降りた、と」

「外交問題を考えれば陛下もルークに無体を働くことはなかったでしょうが警戒は当然かと」

 

 

 多少の責任は感じているのか気まずげに俯くティアをフォローするトニー。

 一方ルークは苦い思い出であった様子を隠そうともせず言葉を重ねる。

 

 

「降りてみりゃジェイドに絡まれるしチーグルの問題に巻き込まれるしで災難だったぜ」

「こっちが災難だったわよ。出店では窃盗未遂をするし勝手に危ない事件に首を突っ込むし」

 

「んだとぉ!?」

「なにかしら!?」

 

「ま、まぁまぁ。そのお陰で今こうして旅の仲間に恵まれてるんだって思おうよ? ね?」

 

 

 恒例行事となった睨み合いを始めるルークとティア。

 そんな二人の間に立って愛想混じりの苦笑いを浮かべつつ(なだ)めに入るアニス。

 

 

「――まったく嘆かわしいですねぇ」

 

 

 そこにカラカラ笑みを零しながら割って入る声が一つ。

 ジェイドである。

 

 

「口を開けばいがみ合いばかり… 信頼の文字は果たして何処へやら。虚しい限りです」

 

 

 言っていることはごもっとも。重々しく肯かれて然るべきである。

 にもかかわらず、その声音は返す者なく虚しく響き渡るばかり。

 

 さりとて気にした様子も見せず彼… ジェイド・カーティスは視線を横に移し口を開いた。

 

 

「貴女もそうは思いませんか? セレニィ」

 

 

 

 

 

「……あぁ。まぁ、そっすね」

 

 

 自分の長い銀髪をいじりながら至極どうでも良さそうな反応を返すセレニィ。

 

 

(髪、伸びてきたなぁ… あ、枝毛できてますね。ストレスかな? 色々あったし…)

 

 

 実際どうでも良いのだろう。それ以上特には返答を返さない。

 

 ここグランコクマでは、これから大事な会談が行われる予定だ。

 それはダアト・マルクトの二国間のみならず世界の行く末を左右する会談となるだろう。

 

 当然、キムラスカを除け者にすることは許されない。

 ダアト(導師イオン派)、マルクト、キムラスカの三国の協調関係が求められる。

 

 言うは易しであるが、そも国家間の外交など足の引っ張り合いが定石である。

 結果を勝ち取った者が総取りである以上は、騙され足元をすくわれる方が悪となる。

 

 本来は騙す方も後々の信用の喪失など相応のデメリットを被るのが常である。

 しかしこのオールドラントには国家が3つしか存在しない。

 

 一国家を丸め込み、残るもう一国家を滅ぼせば覇権を手にしてもおかしくはないのだ。

 こんな状況下で悪どいことを企む人間が一人もいないとは断言できまい。

 

 世界のためとお題目を掲げていても中々一つにまとまれないのが人類の悲しさだ。

 いやまぁ案外まとまれるかも知れないが、何事にも備えは大事だろう。

 

 だからこそ、『それを踏まえた上で』しっかり話し合って対策することが望まれるのだ。

 

 魔界(クリフォト)より帰還したアスラン・フリングス少将がマルクト帝国皇帝に報告し前準備を整える。

 

 そして親善大使であるルーク、その補佐であるナタリア王女がキムラスカ代表として。

 導師守護役であるアニスを補佐に導師イオンがダアト代表として、それぞれが会談に臨む。

 

 マルクトでの会談とは斯様な体制で挑むほどの重要な意味を帯びているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長々と説明してしまったが、要はこれが一体何を意味するのか結論を述べよう。

 

 

(そう、つまるところあとは雲の上の人々のやる仕事ってワケなのですよねー…)

 

 

 セレニィは『他人事だ(じぶんにはかんけいない)』と思っているのだ。

 

 

(グランコクマでどうしてましょうかね。観光でもしながらまったり過ごそうかな…)

 

 

 もはやみんなが会談でがんばってる間、どう時間を潰そうかしか考えていない。

 

 自分は流れでついてきただけで無関係な一般人。あとは偉い方々の仕事なのだから。

 心の底からセレニィはそう思っている。

 

 

(会談の間くらいの宿代は出してくれますよね? 無理ならどこかで仕事探そうかな…)

 

 

 だからというわけでもないだろうが。

 

 

(職が見つかれば定住も悪くないかも… あぁ、そういえば)

 

 

 風に吹かれながら、ふと気の置けない『共犯者』のことを思い出す。

 

 

 

 

 

 

(ヴァンさんは『うまくやれている』でしょうかね。……まぁ、どーでもいいですけど)

 

 

 彼女は欠伸を噛み殺しながら、タルタロスの作戦会議室での出来事について振り返っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 漆黒の翼が所持していた通信装置は無事にその役割を果たしヴァンとの連絡が取れた。

 

 トントン拍子にヴァンの一団との合流が実現し、話し合いの場が持たれることと相成った。

 場所はヴァンが借り受けている陸上装甲戦艦タルタロス内部の作戦会議室である。

 

 

 一方でヴァンの一団の方もその成果は順調に進んでおり、既にラルゴとも合流済みとのこと。

 この場にはいないがシンクやディストも無論健在とのことである。

 

 ルークたち一行は胸を撫で下ろし、アッシュとナタリアは密かに再会を喜びあった。

 アリエッタもリグレットやラルゴと歓談を交わしており確かな絆の存在がうかがえた。

 

 またヴァンもダアト内部の情報について殊の外喜び、会議は極めて順調に進められたのだ。

 無論、情報提供者として一役買った漆黒の翼にも謝礼が支払われたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 その矢先の出来事であった。

 

 

「『ベルケンドから帰還した』… 確かにそう言ったのか、モースめは」

 

 

 別れ際に思い出したことがあって、ヴァンを呼び止めた。

 一応モース関連の情報だからと告げてみたのだが。

 

 唸るような声を一つあげ、それきり黙りこくって何やら考え始めてしまったのだ。

 

 

「……あの、なにか心当たりでも?」

「む? あぁ、少しな。……ベルケンドがキムラスカ王国領ということは知っているか?」

 

「? えぇ、はい。より具体的に言うならばキムラスカ王国ファブレ公爵領ですよね」

「そのとおりだ」

 

「……ホント領地広いですよねぇ、ファブレ公爵閣下」

 

 

 あんな大貴族の一人息子に無礼の限りを尽くしたティアさんとは一体何者なのか? 

 

 彼女の蛮勇は歴史の(ミステリー)として後世語り継がれることになるのかも知れない。

 ちょっと遠い目をしてそんな取り留めのない物思いに耽りそうになる。

 

 

(オメーの妹だからな? 海より深く天より高く反省せいよ?)

 

 

 気を取り直して、セレニィはティアさんの兄をジト目で睨みつつその言葉の続きを促した。

 

 

「うむ。私はルーク様の剣術師範としてファブレ公爵家に雇われているのだが…」

「ほうほう」

 

「その縁からファブレ公爵領ベルケンドに私邸を用意していただいているのだ」

「ふむふむ」

 

「そしてベルケンドこそは名高き音機関都市。その縁でほんの少しばかり研究に関わりを」

 

 

「おい」

 

 

 サラッと特大級の地雷を落としていくの止めてもらえませんかね? 

 どーせ『少し』って言うけどロクでもないコト企ててたんだろ? 

 

 そう考えるが早いか、セレニィはドスの聞いた声音とともにヴァンの襟首を掴んだ。

 

 笑顔を作ってはいるがそのこめかみには血管を浮かび上がらせている。

 笑顔とは本来攻撃的な云々、を地で行く迫力である。

 

 

「本当にあなたたち兄妹は… そんなに私の胃を痛め付けて楽しいですか? ん?」

 

 

 これまでに散っていった胃薬の錠剤瓶の数は10から先は数えていない。

 セレニィはじんわり溢れてくる涙をそっと拭うとヴァンを睨みつけた。

 

 おまえら兄妹は世界に甚大な被害を与えないと生きている実感を得られないのか? 

 ナチュラルボーンテロリストなの? ナチュラルボーンテロリストファミリーなの? 

 

 

「ま、待て! おまえは誤解をしている! 今の私にそんなつもりは…」

「『今』!? 今、『今』って言いやがりましたかこのヒゲ親父!」

 

「だ、誰がヒゲ親父だ! 私はまだ二十七歳だ!」

「大嘘こくな、このテロリスト野郎! みなさーん! このヒゲ親父はですねもがもが!?」

 

「わー! やめろ! 貴様、セレニィ! 私がせっかく世界のために心を入れ替えて…」

「罪はなかったことにならないんですけどぉ!? おとなしく独房で反省してろや!」

 

 

 わちゃわちゃ騒ぎ立てる二人の前に解散したはずの面々も何事かと駆け付けてくる。

 しかしその(いさか)いを止めるはずの人間が最悪の人選だったりすることもままあることで。

 

 

「まぁまぁ。お二人とも、落ち着いてください… 一体何があったのですか?」

 

 

 そこに笑顔で声を掛けたのは本来もっとも(なだ)めるという行為が相応しくない人間であった。

 

 趣味は火に油を注ぐこと。人の嫌がることを進んでします。

 ドS星のドS中年の異名をほしいままにするジェイド・カーティスその人である。

 

 

「ぐぬっ!? ネ、死霊使い(ネクロマンサー)…」

 

 

 思わぬ乱入者にうめき声を上げて硬直してしまうヴァン。

 脳裏にはかつての連絡船で味わった拭い去れぬ汚名の場面がリフレインされている。

 

 その瞬間を見逃すセレニィではなかった。

 

 

(ちゃーんす…!)

 

 

 一瞬の隙を突いてドジョウめいた滑らかな動きでヴァンの拘束から巧みにすり抜ける。

 

 

「うぇーん! 聞いてくださいよ、ジェイドさん! この加齢臭漂う残念ヒゲ野郎がー!」

 

「誰が加齢臭漂う残念ヒゲ野郎だ貴様ー! コラ、逃げるなー!?」

 

 

 そして一目散にジェイドのもとに駆け付けると、そそくさとその背に隠れた。

 鮮やか過ぎる一連の動き。伊達に捕まり慣れていない。

 

 

「怖かったですねぇ、セレニィ。さぁ、事情を聞かせていただきますか?」

「はいはい。えっとですねー…」

 

 

 若干かがみ気味のジェイドの耳元に爪先立ちになりながら唇を近付ける。

 そしてヒソヒソと何事かをささやき始めた。

 

 ジェイドは「ほう…」「なるほど…」と時折相槌を打ってヴァンを怯えさせている。

 そして一連の報告が終わったのか笑顔でヴァンに向き合った。

 

 

「な、なんだ死霊使い(ネクロマンサー)? 私はなにもやましいことは…」

「まぁまぁそう怯えずとも… ゆっくり話し合いをしましょう。グランツ謡将」

 

「お、おい…」

 

 

 そのまま多くの者が見守る中、ヴァンの肩に腕を回して滾々(こんこん)と小声で言い聞かせる。

 ジェイドの態度に当初は慌てた様子のヴァンであったが話を聞くにつれて顔色が変化する。

 

 そして表情は激怒のそれに固定されると怒声を発したのであった。

 

 

「セレニィ、貴様! 言うに事欠いて、ここまでのことをコイツに吹き込んだか!?」

「はぁん!? 逆切れですか、みっともなーい!」

 

「な、なんだと貴様! ここで素っ首()ねてやろうか!?」

 

 

 鞘に手をやったまま大股でツカツカ近付いてくるヴァンに怯えて逃げ惑うセレニィ。

 

 

「ちょ、ちょっと! なにがあったか知らないけれど仲間割れはおよしよ!」

 

「閣下、落ち着いてください! 所詮はセレニィの(たわむ)(ごと)鷹揚(おうよう)な姿勢で受け流しを…」

 

「ええい! そこをどけ、リグレット!」

 

「あっかんべー!」

 

「セレニィは挑発を重ねるな! あんまグランツ謡将を怒らせるなって、な!?」

 

「ひとまずアニス、二人を引き離してください!」

 

「は、はい! イオン様ぁ!」

 

「……セレニィ、喧嘩しちゃ『めっ!』だよ?」

 

「はぁい、アリエッタさん。そうですよねー、ヒゲの相手なんて時間の無駄ですよねー」

 

「よし、殺す!」

 

「ねぇ、やっぱりセレニィを害そうとするヴァンは殺すしか無いと思うの!」

 

「おい、ヴァン! テメェの妹まで暴走を始めやがったぞ! なんとかしやがれ!」

 

 

 それを見るにつれ遠巻きに事態を見守るだけだった周囲の者たちも慌てて止めに入る。

 最終的に抑え込む形で双方は無理やり引き離されることと相成った。

 

 結局火に油を注ぐだけ注いで事態を引っ掻き回したジェイドには冷たい視線が注がれた。

 ……無論、少数ながら例外も存在したわけだが。

 

 

 

 

 

 

 さておきルーク一行は居辛くなり追い出されるような形でヴァンの一団と別行動に。

 その原因を作ってしまったセレニィやジェイドはといえば。

 

 特に気にした様子を見せることもなくどこ吹く風とマイペースに旅を続けていた。

 

 

 

 

 それはヴァンの一団の方も同様である。

 彼らはセレニィとの決裂を非公式に表明し、独自の動きで世界のために動くと宣言。

 

 モースの真意を探るためとしてカンタビレが赴任中のロニール雪山方面より目的地を変更。

 音機関都市ベルケンドへと向けることを告げたのであった。

 

 ただそこに向かうのだと一口に言って準備が全て万端に整うわけではない。

 北部雪山のロニールと温暖な南部に位置するベルケンドでは気候すら全く異なるのだ。

 

 神託の盾騎士団の人員はその準備に追われることとなり、部隊には混乱が生じてしまう。

 当然、ヴァンはそれを言い出した者として責任持って事務作業に当たらねばならない。

 

 

 

 

 

 

 その矢先の出来事であった。

 タルタロス内部に設けられた執務室でペンを走らせながら事務作業に励むヴァン。

 

 そこにノックの音が響き渡る。

 

 

「……む、誰だ?」

「―――」

 

「あぁ、おまえか。すぐに開けよう。……どうした? こんな時間に」

「―――」

 

「ふむ、なるほどな。確かに先の騒動は私らしくもなかったな」

 

 

 セレニィに対して激昂(げきこう)した振る舞いを揶揄(やゆ)されればヴァンも苦笑を浮かべるしか無い。

 訪問客を招き入れると、書類の山で荒れ果てた室内の様子を探る。

 

 

「今後の予定を話し合うにしても少し散らかっているがな」

「―――」

 

「はは、おまえに言われては私も形無しだな。……少し片付けて茶でも出そう」

 

 

 そうして笑いながら背を見せたその時、訪問客が素早く懐に手を忍ばせる。

 取り出したるは球状の物体。

 

 

「………」

 

 

 ソレを無防備なヴァンの背中に向けて投げつけようとして…――

 

 

 

 

 

 

 

 室内に銃声と閃光が(ほとばし)り、手元からソレが弾き飛ばされた。

 

 

「そこまでだ」

 

 

 執務室の死角より影をまとって姿を現したのは譜銃を構えたリグレットであった。

 同時に彼女の麾下である直属の神託の盾兵も得物を構えて訪問者の周囲を取り囲む。

 

 ヴァンは今や先程までの表情とは打って変わって冷徹な色を顔に浮かべている。

 そして一毫(いちごう)たりの油断も見せぬままに床に転がっている球状の物体を拾い上げた。

 

 

「譜術兵器『封印術(アンチフォンスロット)』、か。……フン、確かにこんなものも用意していたな」

「―――」

 

 

 

 

 

 

 

 封印術(アンチフォンスロット)。対象の経絡(けいらく)とも言えるフォンスロットを封じることが出来る譜術兵器である。

 

 製作に莫大なコストがかかるためおいそれと使えるものではないが、そこは襲撃者の慧眼か。

 使うべき時と相手は見誤らなかったということであろう。

 

 これが使われてしまえばヴァンとてろくな抵抗もできぬまま制圧されていたに違いない。

 

 

「さて、どういうことか話を聞かせてもらおうか。……ラルゴよ」

 

 

 神託の盾騎士団主席総長ヴァンは、その威厳を些かも損なわせぬまま襲撃者(ラルゴ)を睥睨した。

 

 

「なるほど… 全てお見通しだった、というわけか」

「それは一体何のことを言っている? 貴様の裏切りか?」

 

「………」

「――それとも貴様がモースとつながっていることか?」

 

 

 無言こそ肯定の証左(しょうさ)

 冷たい雨に打たれるような心持ちでヴァンは淡々と語り始める。

 

 

「……おまえがモースとつながっていてもなんら不思議ではない」

 

「むしろそれ以外の手段でどうやって病に苦しむアクゼリュスの民を守れようか」

 

「親善大使一行もキムラスカやマルクトからの応援部隊も地の底に消えた」

 

「そんな状況の中で生き残りを率いてきたおまえの苦難、察するに余りある」

 

「……許してくれとは言わぬよ。叛逆者は捕らえ、裁かねばならない」

 

「ただ、一人の男としておまえの今日までの奮闘に敬意を払う」

 

「そしてヴァン・グランツ個人として礼を言わせてもらいたい。……ありがとう」

 

 

 ヴァンは頭を下げて、そう告げた。

 

 そんな彼の仕草に少なくない動揺がリグレットや兵士たちにも広がる。

 しかしそれを咎め立てする声を発する者はついぞ現れなかった。

 

 一連の言葉の数々にラルゴの諦めとは無縁の瞳から剣呑な光が消え、ガックリと頭を垂れる。

 頭を上げたヴァンは最後にただ「捕らえろ」と言葉少なにリグレットたちに命じるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場面をグランコクマへと移そう。

 

 

「うーん… やっぱり変だよなぁ。セレニィも、ジェイドも」

 

 

 そこでは先の騒動で数少ない『例外』であったルークが首を傾げて唸っていた。

 彼は慌ててこそいたものの、セレニィもヴァンも止めようとせず終始見守っていたのだ。

 

 普段の彼らしくない行動であったと言えるであろう。

 そこにナタリアが声を掛けてくる。

 

 

「あら、どうしましたの? ルーク」

「ん? ……あぁ、いや。あのタルタロスでの大喧嘩のことでちょっとな」

 

「そういえば貴方はあの騒動に介入していませんでしたわね?」

 

 

 そんな彼の様子をつぶさに観察していたナタリアもまた、少数派と言えるだろう。

 

 

「どうにも『らしくねぇな』って。なんつーの? 違和感ってヤツ?」

「ふぅん…」

 

「セレニィもジェイドもあんなベタベタする関係じゃねぇし師匠(せんせい)も怒り過ぎっていうか…」

「あらあら、嫉妬ですの?」

 

「そ、そんなんじゃねーよ! ただ…」

 

 

 コロコロと微笑みながらからかうナタリアに慌てて反駁(はんばく)するルーク。

 

 

「分かってますわよ。冗談ですわ。それで? 『ただ』、なんですの?」

「ただ三人とも本当に仲が悪いわけじゃなくて、感情を胸に秘めるタイプっていうか…」

 

「………」

「きっとあの三人のやることなら意味があることなんだって思う。これまでもそうだったし」

 

「フフッ」

「だから、俺はそれを信じて見守りたいなって… あぁもう! 笑うんじゃね―よ!」

 

 

 ついには堪えきれずナタリアは声を上げて笑い出した。

 

 行儀指導の先生に見付かったらこっぴどく叱られてしまうことは間違いないだろう。

 でも、それでも、今のこの喜びは声に出して表現したかった。

 

 

(……ルークはもはやわたくしの補助の必要がないほどに成長していますわ)

 

(勿論危なっかしいところもありますけれど、導師イオンをはじめ心強い仲間がいますわ)

 

 

 それはほんの少しの寂しさとその何倍もの誇らしさ。

 

 だから大丈夫。きっと大丈夫。

 困難ばかりが続くであろうこれからの『難題』に立ち向かう力が幾らでも湧いてくる。

 

 

「あのね、ルーク」

「んだよ?」

 

「わたくしね…」

 

 

 まだ拗ねている可愛らしい『弟分』に苦笑いを浮かべつつ言葉を続けようとして。

 ピピピッと鳴り響く音がそれを中断させる。

 

 

「おっと、失礼。……フムフム、それで? ほう、ほほう。それはなによりです」

 

 

 漆黒の翼から莫大な褒賞と引き換えに『快く譲ってもらえた』通信装置である。

 通信越しの会話を受け取ったジェイドは朗らかな笑みを浮かべた。

 

 

「おめでとうございます、セレニィ。作戦は無事に成功したようですよ」

「マジですか… 『ひょっとしたらやるかも知れない』程度の備えだったんですが」

 

「ご謙遜を。貴女がラルゴの存在に気付いて懸念を示してくれたお陰でしょう?」

「そりゃまぁ… ダアトでもアクゼリュスへの偏見ってホントすごい有り様でしたし」

 

「確かに。それで元住民を一人も連れずに無事合流できたとなれば奇妙な話です」

「住民の方々を『処理』して『身軽』になっての合流なら不可能な話ではありませんが…」

 

「音に聞こえし武人ラルゴはそのような手段を採れる男ではありませんからねぇ」

「えぇ、はい。だから誰でも気付くようなことだったんですよ。たまたま私だっただけで…」

 

「はっはっは! 柄にもなく照れているのですか、セレニィ?」

「だー! もう! この中年の絡み、超うぜぇえええええええ!!!」

 

 

 したり顔のまま話し出すジェイドと、うんざりした表情のまま受け流すセレニィ。

 しかしついには捌き切れなくなり頭を抱えて絶叫する。

 

 その様子を見てとった仲間たちが一人また一人と近寄ってきて声を掛けてくる。

 

 

「おいおい、旦那もセレニィも『作戦』ってなんのことだ? 話が見えないぜ」

「どうか僕たちにも聞かせてくれませんか。ジェイド、セレニィ」

 

「そーだよ! 可愛いアニスちゃんたちを除け者にしての内緒話なんて許されないよっ!」

「嗚呼、今日のセレニィも可愛らしいわ。きっと明日も可愛らしいに違いないわ」

 

「ね、教えて? セレニィ」

「自分は予め聞かされてはいましたが、セレニィ、皆が貴女からの説明を待っています」

 

 

 トニーの言葉に「うぐっ…」と言葉を詰まらせながら、セレニィは口を開いた。

 

 

「ま、まぁこの世界は大体『都合の悪いこと』が起きますからね。主に私に」

 

 

 観念したように渋々と。しかし、僅かながらの敵愾心(てきがいしん)(にじ)ませつつ。

 

 

「……それにあのビヤ樽(モースさん)に二度も『一杯食わされる』なんて、悔しいじゃないですか」

 

 

 合流した時に違和感を覚えた。

 ラルゴの佇まいに。『いつもどおり』のその佇まいに。

 

 だって、そんなはずないのだから。

 自分だったら無理だ。

 

 故郷が消えて不安になっている病人たちを、数千人規模で抱えて守り抜くなんて。

 よしんばそれが出来たとして『いつもどおり』でいるなんて。

 

 だから、ほんの少しの疑念を抱いたのだ。

 

 外れればいいなと思いつつ。

 自分すら信じられないその少女は当たり前のように一人の男を疑った。

 

 ジェイドに軽く話を持ちかければ物は試しと拍子抜けなほどあっさりと乗ってきた。

 これは困った。却下されれば「仕方ない」とやらない言い訳が出来たものを。

 

 それでもまだ(くすぶ)っていた。

 

 本当にこの藪をつついても良いのか? つつくのがよりにもよって自分で良いのか? 

 なんてことはない、それは『自分がやりたくない』だけのただの言い訳探しに過ぎない。

 

 それでも気が進まぬままにヴァンに話を持ち込んでみれば。

 

 

「あのヒゲ野郎の態度に割りと本気でイラッとしまして。気付けば素で罵ってましたね」

 

 

 同族嫌悪、ここに極まれり。

 

 ジェイドとの一連の振る舞いは芝居だが、ヴァンとの仲違いは演技ではなかったのか。

 そう理解した仲間たちが苦笑いを浮かべる。

 

 事前に台本を聞かされていたトニーですら騙されかけたのだ。

 他の面々たるや推して知るべし、であろう。

 

 だからこそ、とナタリアは思う。

 

 

(……えぇ、だからこそ。ルークの思いの丈はわたくしを喜ばせましたわ)

 

 

 そこに違和感を抱きつつ、それでも仲間を信じようとしたルークの決断はきっと尊い。

 それは正しくはないかも知れない。それはただの盲信なのかも知れない。

 

 それでもナタリアはその振る舞いを『()し』として、笑顔とともに受け入れた。

 

 これはきっとただそれだけの話。

 彼女にとっては最後のほんのひと仕事でしかない些細な幕間の物語。

 

 

「……語ることなんてそれくらいです。さ、早く入りましょうよ。グランコクマへ」

 

 

 そう言って話を打ち切ると、セレニィは先頭を切って歩を進め始めた。

 

 仲間たちからの少なくない称賛に赤らんだ頬を隠すように。

 褒められ慣れていないのか口角をあげようとするのを必死で堪えているのはご愛嬌か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場面は再び移り変わってタルタロス内部。

 

 

「まったく… 恐ろしい連中だ」

 

 

 執務机に肘を付きながら、ヴァンは独りごちる。

 

 

「えぇ、モースの手はこちらの想像以上に深いところまで伸びているようですね」

 

「いや、リグレット。確かにモースも厄介だが私が言ったのは『あの二人』のことだ」

「あの二人… と、仰られますとセレニィと死霊使い(ネクロマンサー)のことですか?」

 

「うむ。かたや自分の力を微塵も信じず他者の顔色を伺い僅かな違和感も見逃さぬ策士」

「かたや人の感情の機微に揺らがずひたすら効率的に相手を追い詰める知恵者… なるほど」

 

「そうだ。噛み合ってないようで噛み合っている、恐るべき存在だよ」

「ですが喜ばしいことでは? 今の彼女たちは我らの味方なのですから」

 

 

 

 

 

 その言葉に真意の見えぬ笑みを浮かべると、ヴァンはこう締め括るのであった。

 

 

「フッ、この私が世界の命運を託すのだ。……それくらいでいてもらわねばな」



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108.絶叫

 ここはマルクト帝国は水上の都グランコクマ。その美しい市街である。

 

「……はて?」

 

 そこでセレニィはふと、記憶に掠める何かが目に入ったような気がして足を止める。

 表通りから脇に逸れたいわゆる裏路地に向けて、その視線は固定されていた。

 

 ジェイドやトニー、ルークにナタリアやイオンにアニスといった面々はこの場にはいない。

 彼等は事の報告と皇帝ピオニーへの謁見のために皇城に向かっているためである。

 

 なので、時間を持て余したその他の面々がこの帝都の散策をしているという次第だ。

 街には活気が満ち行き交う人々の顔には笑顔が見える。善政が行われているのであろう。

 

 半ば無理矢理にダアトから引っ張り出してきた一般人のタトリン夫妻のこともある。

 当面の脅威は去ったと考えて、少しばかり羽を伸ばそうと考えるのは必然とも言えた。

 

 ……そんな矢先、セレニィの記憶に引っ掛かる何かが目に入ったのであった。

 

「むむ… セレニィメモリー、サーチ!」

「ですのっ!」

 

 己のこめかみをぐりぐりしながらセレニィは必殺のセレニィメモリーサーチを宣言。

 それを彼女の肩に乗ったミュウが承認した。

 

 説明しよう。

 

 セレニィメモリーサーチとはセレニィのイマイチ信用ならない記憶の海にダイブ! 

 後に、該当の記憶をサルベージして引き摺り出すという脅威の必殺技である。

 

 ただがんばって思い出しているだけとも言う。

 

 なお、時と場合によってしばしばセレニィに都合よい形で改竄(かいざん)されてしまうのはご愛嬌。

 

 ともあれ…──

 

(そう、これは… まだルークさんたちと出会って間もないの時期の記憶だったような…)

 

 着々と記憶の海にて該当する何かがないか照合を開始するセレニィ。

 それを見守るミュウ。

 

「あっ!」

 

 やがて行き当たる。

 

(アレって、ティアさんが辻馬車に代金代わりに支払ったペンダントじゃあないですかね…)

 

 裏路地の露店に並べられたうちの一品の正体にようやく行き着く。

 あの独特ながら美しい意匠は、セレニィの記憶にも微かに残っていたのである。

 

「ねぇ、ティアさんティアさん… あれ?」

 

 同行者の服の裾を引こうとして、その手が空を切る。

 顔を上げると隣りにいたはずのティアの姿はなかった。

 

 いや、ティアだけでなくガイやアリエッタにタトリン夫妻もである。

 

「みなさん、先に進んじゃったですの!」

 

「えっ、なにそれ知らない。……教えて下さいよ、ミュウさん」

「ごめんなさいですの!」

 

 元気良く謝られてはセレニィとしても怒る気も失せてしまう。

 もとより自分が記憶探しに没頭していたのが悪いのだから。

 

 セレニィメモリーサーチ。

 ……その唯一の弱点は、効果発動中に極めて長い硬直時間が発生してしまうことであった。

 

 とにもかくにも、仲間は自分を置いて何処かへ立ち去っているという状況は認識した。

 

「まぁ、幸いにしてお金はそれなりに持ち合わせていたはずですし…」

 

 ため息を一つ。

 

 セレニィは自身の財布を取り出し、そこそこの金銭が収まっていることを確認する。

 

 いつパーティを放逐(ほうちく)されるか分からぬ無力な身の上である。

 身の安泰のためにも金は持っておくに越したことはない。

 

 確かあのペンダントのことをティアは母親の形見だと言っていたはずだ。

 ……かなり以前のことにつき、うろ覚えのために絶対の自信はないが。

 

 もしペンダントが全く関係のない別物だった場合は完全に無駄金になってしまう。

 そのため出来ればティアに確認してもらいたかったが。

 

 しかし、今この場を逃せば次の機会は永遠に訪れないかもしれない。

 ほんの少しの逡巡の後、いよいよもって諦めたかのようにセレニィはため息を吐き出した。

 

 もとより結論は出ていたのだ。

 

(……しゃーなしですね。流石にお母さんの形見を手放させたままじゃ寝覚め悪いですし)

 

 超が付くほどの問題児であるティアさんだが、それなりの時間を共に過ごしてきた。

 セレニィの中でいずれ別れる運命だったとしても、仲間としての愛着も多少は存在する。

 

 それ以上の損害を被ることしばしばと言えど護ってもらった記憶もある。

 ならばいかに絶対保身するマンであるセレニィといえど、やることなど一つであろう。

 

「……すみません、ちょっと良いですか?」

 

 セレニィは露店の主人に声を掛けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁ、結構散財しちまったですねー。……とほほ」

 

 ペンダントは明らかにティアが辻馬車の料金を立て替えた時以上の値が付けられていた。

 これまでコツコツと貯め続けていた小銭がなければきっと足りなかったであろう。

 

 ……まぁ、仲間が魔物を蹴散らした後に何故か落ちている小銭を拾い続けただけであるが。

 言うほど苦労はしてなかったかもしれない。

 

 とはいえ痛いものは痛い。主に懐が。

 これで夢の楽隠居生活からまた遠のいたのだ。例えそれが画餅(がべい)に過ぎなかったとしても。

 

 若干肩を落としながら表通りに戻ろうとしたセレニィを、しかし、複数の影が遮る。

 

「む?」

「へっへっへっ…」

 

「………」

 

 明らかに人相のよろしくないお兄さん方、それが三名も現れたのだ。

 三者三様に笑顔を浮かべているものの、歓迎し難い用件があることは容易に想像できる。

 

 引き()った笑みを浮かべながらも、セレニィは努めて震えぬよう抑えた声音を発した。

 

「一体、何の用でしょうか?」

 

「なぁ~に、こんなところで大金見せびらかしちゃ危ないよって忠告してあげようとねぇ」

「ついでに表通りまで用心棒もやってやろうじゃない。俺たち、と~っても優しいんだよぉ?」

 

(……やっぱりボラれていたんですか、ちくせう)

 

 セレニィはよく分からないうちにこのオールドラントに叩き込まれた異分子である。

 礼法は突貫工事で叩き込まれたものの、この世界の相場についてまだまだ不慣れな身なのだ。

 

 果たして、そんなセレニィを買い物慣れしていないお嬢様とでも受け取ったのか。

 いずれにせよ、こういった彼等にとっては絶好の獲物に映ってしまったという次第である。

 

 そもそも用心棒もなにも、ここから表通りまで100mどころか10mも離れていない。

 

「なるほどー。(しか)るに用心棒代を支払え、と」

「ぎゃはは! 随分と話が早いじゃないのぉ。聞き分けの良いガキは嫌いじゃないぜぇ?」

 

「あははは、そんなぁ! お()めにあずかり恐悦(きょうえつ)至極(しごく)ですよぉ!」

 

 互いに声を上げて笑い合う。

 その一瞬の間…

 

 そこでセレニィは、その間隙(かんげき)を見逃すことなくそろりと己の腰へと手を伸ばす。

 ディストによって与えられた通称・セレ棒の力を駆使すれば突破は容易いであろう。

 

 もっともその攻撃力はディスト謹製と言えど程々でしかない。

 しかしミュウのソーサラーリングと連動させた炎を出せば脅しにはなる。

 

 その隙をあやまたず突けば表通りまでならなんとか逃げられるはず。

 彼等は魔物でもなければジェイドや六神将といった化け物クラスの存在でもない。

 

 追い回されて何度も命の危機に見舞われてきたセレニィは修羅場にもある程度慣れている。

 伊達に死亡フラグを乱立させてないのだ。セレニィ的には全く嬉しくないことであるが。

 

 そもそも相手は油断しきっている。不意を打てばなんとでもなるはずだ。

 

(──よし、ここですね! 悪く思わないでくださいよ、チンピラのみなさん!)

 

 男は度胸! とばかりに気合を込めて腰からセレ棒を抜き放とうとして…──

 

「おろ?」

 

 その手は空を切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ****************************************

 

 その頃、表通りをそのまま歩いていた面々はと言うと。

 

「はぁ… セレニィのぬくもりを感じるわ」

 

 恍惚な表情を浮かべつつ、異常な頻度で謎の棒に頬擦りをし続けている謎の美少女。

 ロン毛片目隠し巨乳ナチュラルボーンテロリストことティアさんである。

 

 今なお歩きながら器用に頬擦りを続けておりそんな彼女に周囲から向けられる視線は冷たい。

 

 アリエッタはタトリン夫妻に猫可愛がりされながら、我関せずとばかり観光を続けている。

 完全に他人事である。護身が完成している。

 

「……なぁ、ティア。あぁ、その、さっきからなんで謎の棒に頬擦りしてるのかなぁって」

 

 やむにやまれず、といった調子で乾いた声音でガイが尋ねた。

 ここで変態(ティアさん)を切り捨てられないのがガイの長所であり短所である。

 

「よくぞ聞いてくれたわね! これはセレニィが持っている棒… 通称・セレ棒よ!」

「いや、名前を聞きたかったわけじゃ… って、それ、セレニィの棒だったのか」

 

「えぇ、手を繋ごうとしても最近スルーされるのでこれでセレニィ分を補充してたのよ!」

 

 胸を張って説明するティアに別の意味で頭が痛くなる。

 

 あれで身内に甘いところがあるから、セレニィも本気で怒りはしないだろうがそれはそれ。

 仲間内であっても、いや、たとえ仲間内でなくともそういうことは許容すべきではない。

 

「なんで自信満々なんだか。……さっさと返して謝るようにな。それ確か護身用だろ?」

 

 ルーク相手に喧嘩をする時と違って頭から怒鳴りつけられることもなく冷静に諭される。

 そうされれば、ティアとて常識が分からない人間ではない。

 

「……うっ」

 

 自覚があった故であろうが、彼女は気まずげに視線を逸らす。

 

 繰り返すが、ティアは常識が分からない人間ではないのだ。

 分かった上で『常識に縛られるのはナンセンス』と踏み潰すこともあるに過ぎないのだ。

 

 え? だいたい常に踏み潰してないかって? ……まぁ、それは、うん。

 

 さておき。

 彼女のこういった部分が、ガイがティアに厳しくなり切れない要因でもあった。

 

(要は倫理観が無垢な子供なんだよな。ヴァンデスデルカは一体どんな教育を施したんだか…)

 

 元家臣にして友人である人物のいかめしい髭面を思いながらため息を吐く。

 

 今までの騒動を振り返ってみてもティアの側に何かしら特別な悪意があったわけではない。

 むしろ彼女が暴走する時にこそ彼女なりの善意が存在する場合がほとんどであった。

 

 彼女のやり方は酷く分かり難い上に、容易に人との軋轢(あつれき)を招いてしまう。

 

(ったく、周囲の人間とのトラブルなんてしょっちゅうだったんだろうなぁ)

 

 超が付くほど真面目で潔癖で不器用すぎる。

 それがガイの抱いているティアさんへの印象である。

 

 普通の人間であったなら何度と無く心が折れて現実というものに迎合するものだろうに。

 

 しかしティアさんは持ち前の鋼メンタルでむしろ周囲を捻じ伏せながら今日まで来た。

 来れてしまったのである。

 

(なまじっか頭が良くて腕が立つってのも、やれやれ、良し悪しだよなぁ…)

 

 自分のように譜術の素養もなく、多少の腕っ節と小器用さしかない人間だったなら。

 アイツみたいに、御大層な預言に詠まれるような人間でさえなければ。

 

 彼女の不器用な(おさ)()っぷりがどうにも彼にとっての主人兼親友と重なって見えてしまう。

 

(……いよいよもって、まぁ俺も重症だな)

 

 そう内心で自嘲しつつ、ガイはティアさんの分析を続ける。

 

 彼女はセレニィが好きだ。

 きっと大好きだ。

 

 好きだからこそもっと触れ合いたいし、時にセレニィの物も手に取りたくなるのだろう。

 

 犯罪だが。

 ……犯罪だが。

 

「えぇと、その… ね。悪いことだとは私も理解しているの。本当よ? でも、その… ね」

 

 頬を紅く染め、己の髪をいじりつつ、もじもじしながら誰にともなく言い訳を始める。

 本当に見た目だけはパーフェクトだから始末に負えないのだ。

 

「でも、その! なんかいつの間にか私の手の中にあったの!」

「いや、なんでだよ…」

 

「つまり、私は追い詰められた獣だったの! だから、仕方なぃ… かなぁ、なんて…」

 

 セレニィ分不足状態での無意識下の犯行であることを強く主張するティアさん。

 しかしガイとアリエッタから注がれる冷たい視線によりその言葉は尻すぼみとなった。

 

 そこで、これまで我関せずと距離を取っていたアリエッタが口を開く。

 

「あのね、ティア?」

「はい」

 

「気持ち悪いから、そういうのやめた方がいいと思うの」

「うぐっ!」

 

「あとね、人の物を取るのは悪いことだって聞いたよ? だからいっぱい反省して。ね?」

「……はい」

 

 幼女にガチ説教されたティアさんは崩れ落ち、グランコクマの美しい煉瓦道に手をついた。

 

「ぷっ、ははははははははっ!」

 

 ティアさんのあまりの反応に思わず吹き出してしまうガイ。

 ルーク相手にはやや頑迷になるところも見られるが、それ以外では概ね素直なのだ。

 

 ルークに抱いている感情がライバル意識なのか別のなにかなのかは分からないが。

 ともあれガイが見る限り悪い人間ではないのは確かで、だからこそ幾らでも変わっていける。

 

 そんな確信めいた予感を秘めつつ、崩れ落ちたティアさんにガイは語り掛ける。

 

「ま、俺も一緒にセレニィに謝ってやるからさ。今後はこういう真似は控えるようにな?」

「うぅ、面目次第もないわ…」

 

「そう落ち込むなって。たまにはティアとも手を繋いでやるよう俺からも頼んでおくよ」

「……い、いいの?」

 

「おっと、無理強いは出来ないから過度の期待は禁物だぜ? ……ま、俺の出来る範囲でな」

 

 そういって格好つけてウィンクを一つ。

 

「うんうん、仲が良いことは素晴らしいねぇ」

「本当に。とっても素敵だわぁ」

 

「まったく… ガイもみんなもティアに甘すぎ。セレニィを困らせちゃダメなんだから」

 

 暖かくなった空気にタトリン夫妻も優しい笑顔を浮かべている。

 アリエッタも「しょうがないなぁ…」という表情ながら小さな笑みを浮かべている。

 

 なんかよく分からないが通行人たちも拍手を送っていた。

 多分演劇かなにかと勘違いしてくれたのだろう。うん。

 

 そんな『みんな』に対してティアさんは少しばかり照れつつ、けれども、満面の笑顔で。

 

「……みんな、ありがとう!」

 

 と、応えたのであった。

 

 微笑ましく思いつつも締めるところはしっかり締めるべく、ガイは咳払いして言葉を続ける。

 

「ま、ちゃんとセレニィに謝って許してもらうことが条件だけどな。なぁ、セレニィ?」

 

 これまで一度も口を開いてなかったセレニィの発言を促しつつ視線をやるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………………………………………………………あれ?」

 

 そこにセレニィはいなかった。

 

 ****************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うにゃあああああああああああああああああああああああっ!!!」

「うにゃー、ですのー!」

 

 その頃セレニィとミュウは悲鳴(?)を上げながら路地裏を全力疾走していた。

 

「追えっ! あっちだ!」

「畜生! なんて逃げ足がはえぇんだ! 全力逃走に微塵も迷いがねぇ!?」

 

「ゲホッ、ゴホッ! まだ目と喉が染みやがる… ぜってぇ殺すッ!」

 

 しかも逃げる時に胡椒爆弾を投げ付けてしまったせいで無駄に怒りを買っている。

 

 これではチンピ…

 もとい、強面のお兄さんたちもそう簡単には諦めてくれないであろう。

 

(クソがっ! あの巨乳ロン毛片目隠しテロリスト、絶対許さねぇ! 絶対にだ!)

 

 こんな時でも… むしろこんな時だからこそ下手人(断定)に八つ当たりする。

 

 自分で失くした可能性をまったく考慮せずティアさんによる犯行と決めつけている。

 そういった部分がマジセレニィである。まぁ今回は当たっているので問題ないが。

 

(あ、今から謝ったら許してもらえないかな? そう、誠心誠意土下座して謝れば…)

 

 そんな淡い期待を込めて背後をチラッと振り返る。

 

「待てやコラー! 金と命置いてけやー!」

「クソが! 逃げながらゴミ箱ぶちまけやがって! もう容赦しねぇ! ぜってぇ()ねぇ!」

 

「……あ、これは無理そうですね」

 

 頭にバナナの皮などのゴミを乗っけたチンピラさん方の殺意が尋常ではなかった件。

 

 心の中で吐血する。もはや笑うしかねぇ状態である。

 ことここに至っては対話による相互理解が極めて困難だという事実を再認識する他ない。

 

 背後からビンビンと迫りくる殺意への恐怖を動力源にギアをあげる。

 

「わぁ、スピードアップですのー!」

「あっははははー! ……ぐすん」

 

 楽しいアトラクションとでも思っているのか、キャッキャッとはしゃぐミュウ。

 セレニィは哄笑を上げ、どこか煤けた背中を見せつつ裏路地を疾走する。

 

「こんなことなら最初から素直に財布差し出してれば良かったですよ、コンチクショー!」

 

 彼女は絶叫とともにただひたすらに足を動かすのであった。ミュウを小脇に抱えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……んー? なんだありゃ。小さな女の子(レディ)が追われてるじゃないか」

 

 そんな騒動を見下ろす影が一つ。

 声の主の『男』は、手にした林檎を一齧りしてやれやれとばかりに腰を上げるのであった。




(飽くまで拙作における私の解釈ですが…)

Q.なんでティアさんあんな問題行動の数々を起こしたの?
A.しょうがねぇだろ! 倫理観赤ちゃんなんだから!



【ティアさんが近付いた時の幼女組(仮)の反応】

アニスの場合:
(イオン様を連れて)そっと離れる。
追われないよう誰かに押し付ける場合もある(大体セレニィ)。

アリエッタの場合:
無言で警戒態勢を取る。
レッサーパンダの威嚇みがある。かわいい(かわいい)。
なおそれでも近付いた場合は躊躇なく攻撃する。

セレニィの場合:
諦めて死んだ目で受け入れている。
ただし頬擦りとかされそうになると全力で腕をつっかえ棒にして抵抗する。


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109.世界

 マルクト帝国首都・グランコクマの裏路地。

 

 懸命な逃走劇の結果、セレニィはいよいよ行き止まりへと追い詰められていました。

 

「……くっ! なんてことでしょう、追い詰められるなんて!」

 

「ぜはー、ぜはー…」

「こひゅー、こひゅー…」

 

 チンピラのお兄さん方は息も絶え絶えながら油断なくセレニィの動向を見据えています。

 当然です。このチビガキはちょっとでも目を離すと即座に逃走するからです。

 

 目を離さなくても全力で逃走しますがそこはご愛嬌というものでしょう。

 それはさておき、ここまでのチンピラさん方の冒険譚は察するに余りあるというもの。

 

 逃げる途中でゴミを散々にぶち撒けられたり、なんていうのはまだまだ序の口。

 行き止まりに追い詰めたと思えばゴミ箱を踏み台に壁を飛び越えてなんて当たり前。

 

 時にはもっとヤバそうなイカついお兄さんを盾にして逃げたりとやりたい放題でした。

 チンピラたちは全力疾走の疲労のみならず数多の擦過傷を拵えておりました。

 

 図らずも、仲間(主にジェイド)によって魔物の群れに叩き込まれていた日常が功を奏した形となります。

 

 まさに芸は身を助ける。……半強制的に仕込まれた芸であることは否定できませんが。

 ですが今のセレニィの逃走能力はそこいらの人間のソレを遥かに凌駕して余りあります。

 

 戦闘能力? ……まぁ、それは、うん。

 

 それでもチンピラたちは、満身創痍になりながらも、諦めずセレニィを追い続けたのです。

 彼等が走り続ける理由とは一体何だったのでしょう? 

 

 通行料(笑)を支払わせる、という観点からすればもはや大赤字以外の何物でもありません。

 ならば一体、何故なのか? 

 

「か、覚悟しやがれ… このガキぃ、げほっごほっ!」

「うぅ… よ、横っ腹がいてぇ…」

 

 ……きっと彼等にも安いプライド・譲れない意地というものがあったに違いありません。

 

「みゅうみゅうみゅう!」

 

 ミュウも(多分)「そうだそうだ」と言っています。

 しかし、その追走劇もいよいよ終盤。年貢の納め時がやってきたようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……チンピラのみなさんの、ですが。

 

「おまえさんら、そこまでにしときな」

 

 軽いながらも何処か芯を感じさせる、そんな飄々とした声音が裏路地に響き渡りました。

 

「なっ! い、一体ナニモンだ!?」

「出てきやがれッ!」

 

 お約束を外さないチンピラのみなさんは、声の主が出て来やすいよう声を掛けてくれます。

 それに応えて、というわけではないでしょうが一人の男が暗がりから姿を現しました。

 

「思わず見入っちまうほどに見事なデッドレースだったが、もう充分だろう?」

 

 声の主は、小麦色の肌に見事な金髪を持つ見た目二十代ほどの長身の男性でした。

 無造作に髪を束ね、ラフに着崩した格好すら様になっている紛うことなきイケメンでした。

 

 当然その場にいた4人の男(約一名は『元』男の模様)はそんな彼に反感を抱きます。

 何故なら彼はイケメンだからです。

 

 出てきた瞬間から彼を中心に世界が回り始めたことを肌で感じます。

 なんならコレがゲームであったならばBGMが変わった感覚をすら覚えたことでしょう。

 

 しかしそんな世界の理に全力でノーを突き付けられる、それがチンピラ道なのです。

 

「誰だオメーは! 横からやってきて好き勝手言ってんじゃねーぞ!」

「そーだそーだー!」

 

「俺ァ顔の良い男が大っ嫌いなんだよ! うぅ、メアリー… どうして俺を捨てたんだぁ…」

 

 世の理不尽に対して抗議の声を上げるチンピラたち。そんな彼等に追従するセレニィ。

 彼等のライブ感に満ちた生き様のほどが伝わってきますね。

 

 勝手にダメージを受けて、泣き崩れたチンピラBの背中をセレニィは優しくさすります。

 

「そーだそーだー! ……いや、あの、元気出してくださいねチンピラBさん」

「うぅ、オメェ優しいなぁ。なぁ、もしオメェさえ良かったら俺と付き合って…」

 

「それは絶対にノーサンキュー」

 

 この申し出にセレニィ、素敵な笑顔を浮かべて胸の前で大きくバツ印。

 

 残念ながら彼女が好きなのは女性なのです。

 美女とか美少女とかが大好きなのです(ティアさんを除く)。

 

 なので断るにあたって微塵も迷いがありません。

 哀れチンピラBさんは止まりかけた滂沱の涙を再び垂れ流し始めました。

 

 しかし今度はそのまま泣き崩れることはなく、その2つの足で見事に立ち上がったのです。

 

「畜生ぉおおおお! それもこれもこの社会とイケメン野郎のせいだー! 許すまーじ!」

「そーだそーだー!」

 

「え、えーと…」

 

 そして世の理不尽は全てイケメンがいるせいだと脳内解釈をしてしまったのです。

 

 きっとこの色々と小ぶりな少女は目の前のイケメンに惚れてしまったのだ。

 ならば自分がこのイケメンを倒せば少女も惚れ直してくれるに違いない。

 

 よしんばそうでなかったとしても自分はスッキリするのでそれでいい。それがいい。

 別にセレニィはイケメンが好きとは一言も言っていませんがそういうことになりました。

 

 なってしまいました。

 

 困ったのはイケメンさんです。

 彼はか弱い少女(仮)が襲われてると見て、助けに駆け付けた正義のイケメンさんです。

 

 しかし、なんということでしょう。

 

 蓋を開ければ、か弱い少女(仮)はチンピラと一緒になって彼を糾弾し始めたのです。

 勝手に迷子になった挙げ句にいたずらに被害を拡大させる。

 

 まさに天性の問題児にして扇動者(アジテーター)と言えるでしょう。

 その面の皮の分厚さのほどがうかがい知れますね。

 

「やるんだな、チンピラB! 今、ここで!」

「やらいでか! ……あとおまえまでチンピラBって言うな」

 

「おまえらだけに良い格好はさせねぇ。チンピラの意地、見せてやろうじゃないの…!」

 

 チンピラBの魂の咆哮に心震わせられたのでしょう。

 チンピラAとCも覚悟を決めます。

 

 チンピラだってやる時はやるのでしょう。それが今なのかどうかは定かではありませんが。

 

「うぉおおおおお! やぁーってやるぜぇええええええッ!!!」

 

 そうして3つの心が一つとなってイケメンに襲いかかりました。熱い友情です。

 やっていることはイケメンへの嫉妬と逆ギレと八つ当たりですが。

 

「そーだそーだー!」

「みゅうみゅうみゅうー!」

 

 護身棒をティアさんに無断で持ち出されているセレニィには応援をすることしか出来ません。

 果たして彼女がどちらを応援したのかは言うまでもないでしょう。

 

 そして、奇跡が起きました…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──などということもなく。

 

「ぐえっ」

「ぎゃぼー」

「へなっぷ」

 

 チンピラさんたちは普通に敗北し、揃って地べたに這いつくばることと相成りました。

 世は無情です。

 

「ですよねー」

 

 セレニィも分かってましたよという表情で腕を組みながらしきりに肯いています。

 彼女の頭の上でミュウも同じ表情ポーズで肯いています。こちらは分かってないでしょうが。

 

 きっとチンピラさんたちは追いかけっこの疲労で力を出しきれなかったのでしょう。

 そういうことにしておきましょう。

 

 いずれにせよチンピラさんたちも痛みというより疲れて動きたくない雰囲気です。

 ならばこの場における勝者はイケメンさんで間違いないでしょう。

 

(……これまでの人生で経験した中でこの上なく不毛な戦闘だった気がする)

 

 そんな内心を抱きつつひたすら困惑しているイケメンさんにセレニィは頭を下げます。

 

「あの、助けていただいてありがとうございました」

「え? ……あ、うん。助けた、でいいんだよな? うん、俺は君を助けたんだよな?」

 

「いいと思います! だって助けられた私がそう言ってるんですから! はい!」

 

 イカれたヤツが急にマトモな発言をしだしたのでイケメンさんは更に困惑を深めます。

 しかし身振り手振りで力説され、仕舞いにはいい笑顔でお礼まで言われてしまいました。

 

 もっともらしい屁理屈とノリや勢いで誤魔化そうとしている態度が透けて見えます。

 

(……まったく、サフィールのヤツを言い(くる)めていた頃のジェイドみたいな子だな)

 

 なんとなく幼少期をともにした幼馴染の一人なら騙されそうだな、と感じてしまいます。

 なお実際にサフィールことセレニィの心友・ディストさんは騙されている模様。

 

 彼にとって雪降りしきるケテルブルグでの思い出は今なお色褪せない大切な宝物です。

 勿論楽しい記憶ばかりではありません。苦い失敗がありました。悲しい別離がありました。

 

 ですが、あの時期があればこそ彼は今もこうして『人間』で在り続けられるのでしょう。

 

「ち、畜生…」

 

「う、うぅ…」

「いってて…」

 

 ふと見遣ればチンピラたちがうめき声をあげながら立ち上がろうとしています。

 油断なく構えを取ろうとしたイケメンさんですが、それより先にセレニィが動きました。

 

「ふははははー! 大・勝・利! ですともー!」

「みゅうみゅうみゅう!」

 

 ちゃっかり勝利をかすめ取りチンピラたちにアップルグミを恵んでいきます。

 雑魚は常に生命の危機にひんしているため回復アイテムの補充に余念がありません。

 

 さっきまで全力でガチ逃げしていたのに今では偉そうにふんぞり返っています。

 

「コレに懲りたら金輪際善良な一般人をいじめないように、ですともっ!」

「みゅうみゅうみゅう!」

 

「ですよね! 相棒!」

「え、相棒ってオレのことかい? ……参ったな」

 

 勝手に相棒にされていました。これにはイケメンさんも頬をかいて困惑顔です。

 

 ですが、この件を憲兵に持ち込まずに収めようという少女なりの優しさと受け取りました。

 イケメンさん自身、ちょっと公的機関に顔を出しにくい事情もあったので渡りに船です。

 

 根っからの悪党ならもう少し懲らしめても良かったのですがそういうわけでもないでしょう。

 ならばここは少女の話に乗っかっても良いかも知れません。

 

 勿論セレニィはそんなに深いことを考えずにただ調子に乗っているだけなのですが。

 

 さておき、イケメンは大きく息を吐くと緊張を解いてチンピラたちに語りかけました。

 

「見た目ほど大した怪我じゃないはずだ。ほれ、見逃してやるから散った散った」

 

 

 

 もともと好奇心で首を突っ込んだまでのこと。

 

 見たところ異国人である少女が『この時期』に何故かこんなところで騒ぎを起こしている。

 そういったことが気にならないと言えば嘘になりますが、見たところ邪悪でもない様子です。

 

 何処か幼馴染の面影を感じさせ、懐かしい記憶を想起させてくれたこともあります。

 これ以上突っ込むのも野暮か、と数々の疑問を一旦引っ込めることを彼は決意しました。

 

 イケメンさんは心までイケメンのようです。

 

「では、改めてありがとうございました。私はコレで…」

「ありがとですのー!」

 

「……はい、ちょっと待った」

 

 イケメンさんの脇をすり抜けて立ち去ろうとするセレニィ。

 そんな彼女の道筋をイケメンさんはその逞しい左腕で塞ぎます。

 

 別にしゃがめば通り抜けられるだろうとは思うものの何か用があって呼び止めたのは明白。

 加えて、それをすれば自分が小柄だと認めるようで色々と癪に障るので選択できません。

 

 困惑した表情で見上げるセレニィ。ニヤリと笑みを浮かべるイケメンさん。

 

(……今は何も聞かず見逃すとはいえ、このまま「ハイ、サヨナラ」ってのもな)

 

 自らそれを呑み込むと決めたとは言え、いいように利用されたのも事実。

 ちょっとした意趣返しくらいしてやっても構わないでしょう。

 

 なにより、このまま何事も無く別れるのは刺激を求める彼にとって些か『味気ない』のです。

 だからこそ、その笑みにほんの少しの悪戯心を乗せて彼は行動を起こすことにしました。

 

「え? あ、あの…」

 

 一方、図らずも壁ドンの体勢に囚われてしまったセレニィは困惑継続中のまま。

 しかも嫌な予感がビンビンに伝わってくるではありませんが。

 

 自衛用の棒が手元にないのが悔やまれます。

 ……棒一つで何処まで出来るかは定かではありませんが少なくとも安心感は違います。

 

 身長(タッパ)体重(ウェート)も不利過ぎる相手にはあの頼りない棒きれでも千の味方に等しいのです。

 

(あ、あれ? もしかしなくても私ピンチですか? 穏便にフェードアウト失敗?)

 

 考えてみれば不慣れな見知らぬ土地で迷子になっていた現状は何も変わっていません。

 それどころか目の前のイケメンが果たして真実良い人かどうかすら定かではないのです。

 

 もし彼が悪人であったならば。

 先程チンピラを畳んだ見事な手際から考えるに逃走は絶望的なものとなるでしょう。

 

「……小さなお嬢さん(レディ)、ちょっとばかりオイタが過ぎたようだな?」

「ひっ!」

 

 無遠慮に伸ばされる手に、セレニィはギュッと目をつぶって硬直してしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……しかし、彼女の予期した痛みや衝撃はいつまで経っても訪れることはなく。

 恐る恐る目を開けると、イケメンさんの笑顔が目の前にあり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──チュッ…

 

 優しい仕草で白銀の髪を一房持ち上げられ、それに口付けを落とされるのでした。

 

「火遊びはほどほどに。……今日みたいに怖い思いをしたくなかったら、ね?」

 

 そして、うっとりするほど甘く蕩ける声とともにウィンクを一つ。

 

 紳士です。イケメンにしか許されない所業です。

 ノー資格であろうチンピラのみなさん方も口をあんぐりと開けその光景に魅入っています。

 

 こんなことをされてしまっては年頃の少女ならば誰でも…

 いえ、年頃でなかったとしても心臓が早鐘を打ち赤面する事態は免れなかったことでしょう。

 

 それほどの破壊力を秘めていました。

 

 しかし…──

 

 

 

 

 

「………………………………………………………………………………………………ぎょ」

 

 誰にとっても不幸なことに、この場にいる少女は『普通の』少女ではありませんでした。

 

「ぎょ?」

 

 想定したどの反応とも違っていたイケメンさんは訝しげにその言葉を反芻します。

 彼の中では赤面されることは勿論、叱られ平手打ちを受けることすら想定の範囲内でした。

 

 その予測能力はイケメンは頭脳までも優れていることの証左にも繋がったでしょう。

 ですが、それでもどうやって予想できたでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぎょええええええええええええええええええええええッ!!!」

 

 セレニィが壊れ、怪鳥じみた悲鳴をグランコクマ中に響き渡らせてしまうことになるなど。

 

 それを至近距離で聞かされる側はたまったものではありません。

 イケメンさんもチンピラーずも各々思わず耳を抑えてうずくまってしまいます。

 

 ……それが致命的な隙に繋がることを理解しないままに。

 

 そう、彼等の不運は壊れたセレニィの絶叫を至近距離で浴びただけでは終わりませんでした。

 むしろそれは序の口。

 

 真の不運は空より降ってきます。……裏路地に林立する数々の建物の壁を蹴りながら。

 

「セレニィいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッ!!!」

 

「げぇっ! ティアさん!?」

 

 はい、ティアさんです。

 

 建物の壁を蹴りながら滑るように空を舞い、そのまま一回転して地面に降り立ちます。

 まるでどこぞのヒーローのようですね。

 

 そこで彼女は目にしてしまいます。

 まるで壁に追い詰めてセレニィに覆いかぶさるようにしている一人の男の姿を。

 

 悲しい(かな)、原因はセレニィなのですが事情を知らなければ事案の現場にしか見えません。

 

 これを見てティアさんがどのように行動するかなど火を見るより明らかです。

 

「ティアさん! ステイ! ステイッ!?」

 

 壊れていたはずのセレニィも思わず正気にかえって必死に暴走を抑制しようと呼びかけます。

 しかしティアさんの耳になんとやらです。結果は芳しくないようです。

 

 暴走トラックとティアさんは急に止まれません。交通事故には努々(ゆめゆめ)気を付けましょう。

 

「ユリアチョップ!」

「ぐわー!」

 

 ユリアチョップは破壊力。

 手刀一閃、哀れチンピラAは儚くも倒れ伏すこととなります。

 

 続いてティアさんは腰を深く落とし、拳を突き出しました。

 

「ユリアパンチ!」

「ぐふっ!」

 

 必殺のユリアパンチです。

 またの名をナイトメア(物理)。ティアさんが編み出したTPを使わない謎の譜術です。

 

 まるでナイトメアを食らったかのようにチンピラBは深い眠りに落ちました。

 

「ユリアキック!」

「ぎゃーす!」

 

 ユリアキックはティアさんの脚線美から放たれる驚異のハイキックです。

 あいてはしぬ(死なない)。

 

「ユリア式バックドロップ!」

「え? ちょ、オレはちがァッ!?」

 

 美しい放物線を描いて最後の一人の脳天がグランコクマの裏路地に突き刺さります。

 へそで投げるという基本に忠実かつ実に見事なバックドロップでした。

 

 イケメンは動かなくなりました。

 

「……ミッションコンプリート」

 

 ()くして(ティアさん目線で)悪は滅びました。正義は勝つ。めでたしめでたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なにやってんだぁああああああああああああああああ!?」

 

 セレニィ、鮮やかな四連撃に思わずツッコミを入れつつティアさんの頭をはたきます。

 

 まるで満足行く仕事をこなしたかのように腕を組んでウンウンと肯いていたティアさん。

 この一撃をまともに頂戴してしまいます。

 

「……いたいわ、セレニィ」

 

 あんまり痛くなさそうな声音で、しかし、ティアさんは冷静に抗議します。

 助けにきたつもりがはたかれたのです。ある意味で彼女の抗議は当然と言えたでしょう。

 

 可愛い仲間の茶目っ気に思わずほっぺたを膨らませてしまいます。

 相変わらず見た目だけなら完璧な美少女です。

 

(でも、私もセレニィとこうしてじゃれ合える程度に仲を深められたのね… 凄くいいわ…)

 

 軍学校時代に受けたイジメの数々に比べればこの程度、なんてことはありません。

 

 ティアさんにとっては乙女のじゃれ合いと呼んでまったく差し支えないイベントでしょう。

 こういった積み重ねを経て二人の友情は深まっていくのだと信じて疑いません。

 

 このロン毛片目隠し巨乳テロリストさん、無敵ですね。

 

 反省の色が欠片も見えないティアさんにセレニィは腰に手を当て怒りのおキモチを示します。

 頭の上でミュウも同じポーズを取っているためイマイチしまらないのですが、さておき。

 

「チンピラさんたちはともかく、このイケメンさんは助けてくれたんですよ! 多分!」

「……多分?」

 

「き、きっと!」

 

 助けてくれたことは事実は事実。その後に起こったことは、こう、不幸な事故なのです。

 

 さきほどのイケメン無罪なチャラい行動を思い返し、赤面しつつセレニィは言い切りました。

 ちょっとドキドキしてしまったのは気の迷いに過ぎないと、自分に言い聞かせながら。

 

(そう、私の心の中にはイオン様がいる… だから私はホモじゃない! 正常なんだ!)

 

 賢明な読者諸氏の中には既にイオン様が男性であることを御存知の方も多いことでしょう。

 というよりセレニィを除いた旅の仲間たちはみんなソレを把握しておりますが。

 

 ……ですがそれはまだ明かされていない残酷な真実。

 今はセレニィの心の安寧のため、その真実はそっと胸の(うち)に秘されておくべきでしょう。

 

 ちなみに他の女性陣(?)についてセレニィがどう思っているかと申し上げますと。

 

 アリエッタさんは精神が童女過ぎて罪悪感を覚えるため恋愛面では意図的に避けており。

 アニスさんは素敵なのですがなんというか気心が知れた同僚という感覚が先に来ます。

 

 ナタリアさんやリグレットさんは既にお相手がいるために考慮の範囲外となっております。

 言うまでもなくティアさんは論外です。

 

 だからセレニィは密かにイオン様に萌えていたというわけです。

 彼女(?)からの当たりもそう悪いものではないですし、服も交換したことのある仲ですし。

 

 とはいえイオン様はローレライ教団という巨大宗教組織のトップでおわします。

 そんな彼女(?)と(ねんご)ろになろうなどというだいそれた野心は抱けません。

 

 精々が憧れと呼べる程度の淡い感情。本来ならばそれで終わるはずだったのですが…──

 

 

 閑話休題。

 

 セレニィの態度から確実に『なにかがあった』とティアさんは感じ取りました。

 乙女の勘? いいえ、野生の勘です。

 

 ティアさんの追い詰められた獣センサーが火を噴いたのです。

 上手く発動すればキムラスカ王国公爵家の屋根の上の単独登頂すら果たせる特異能力です。

 

 擬態が下手っぴなセレニィことバレバレニィの裏を察するなどお茶の子さいさいでした。

 

「助けてくれた? セレニィのあの姿勢、あの悲鳴でそれは無理がないかしら…」

「え、えーと… それは、その…」

 

「それは?」

 

 どうする? 言ってしまいます? 傷(?)は浅いうちに塞ぐべきなのでは? 

 そんな葛藤がセレニィの脳内を駆け巡ります。

 

 冷静に考えれば事情を説明する一択です。

 別にやましいことをしてしまったわけではなく、セレニィが大袈裟に騒いでしまっただけ。

 

 本来ならばちょっとした笑い話で収まる範疇の話のはずです。

 無論チンピラやイケメンさんたちにとっては災難でしたがそれはそれ。

 

 しかし、彼女の逡巡は未だ収まりません。

 それでは自身が乙女のような悲鳴を上げてしまったことを認めることに繋がります。

 

 しかもイケメンによるチャラい行動によって、です。それは男のプライドが許しません。

 実際には乙女というより怪鳥のような奇声であり、セレニィは今紛れもなく少女なのですが。

 

 とはいえいつまでも悩んでいるわけにはいきません。

 時間を掛ければ掛けるほどティアさんの疑念は膨らむばかりなのですから。

 

 そう判断したセレニィは意を決して口を開こうとしました。

 

「えぇ、と、それは…」

 

 ……開こうと、しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「キスされたからですのー!」

 

 しかし、主人(仮)が言い淀んでいると感じたチーグルがその言葉を発したのでした。

 

 理由は分からないが主が困っている。ならば自分が手助けをしなければ。

 主人とともに行動して、その全てを見聞きしてきた自分ならばきっとお役に立てるだろう。

 

 そういった忠誠心の発露でありました。実に感心な心がけと言えるでしょう。

 ……セレニィ以外にとっては。

 

「ちょ、まっ! ミュウさん!? されてない、されてないからッ!?」

 

「よし、殺しましょう」

 

 慌てるセレニィを後目(しりめ)にティアさんは光の速さで行動に移ろうとします。

 いついかなる時も即断即決、ライブ感溢れる刹那の生き様こそがティアさんの魅力です。

 

「ティアさん、すと──────────っぷ! すと──────────っぷ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……その後、多大な労力を費やして。

 

 キスといっても髪を一房ばかり手に取られて、それに口付けを落とされた程度であり。

 到底キスと呼べるものではないことだと延々と説明した結果。

 

 なんとかティアさんに無事抹殺を思い止まらせることに成功したのでした。

 

 チンピラさんたちのこと? 

 下手に触れたらティアさんが更に殴りかかってしまいそうなので敢えて黙っ(スルーし)ておきました。

 

 平和的解決につながったもののセレニィの精神的・身体的負担は如何ばかりでしょうか。

 犠牲なき平和はありえないという格好の見本として取り扱えるのかも知れませんね。

 

「ぜぇ、はぁ… くっ、めっちゃ疲れました…」

「お疲れ様、セレニィ」

 

 ティアさんが移動屋台から買ってきたジュースをセレニィに渡し、労をねぎらいます。

 セレニィはジト目でティアさんを見詰めたまま渋々ソレを受け取ります。

 

 そしてジュースをストローで一口嚥下してから、大きなため息とともに口を開きました。

 

「……私の疲労の原因の99%はティアさんによるものなんですけどねぇ?」

「寝ても覚めても私のことばかり、ということね。えぇ、私たち二人の友情は永遠に不滅よ」

 

「ガッデム! この巨乳、イヤミが全然通じねーですよ!」

 

 ティアさんはセレニィとこうして会話ができるだけ嬉しいのです。

 

 なんの気遣いも忌避感もなく、期待や嫉妬も滲ませない女の子同士での明るく楽しい会話。

 かつてティアさんが望んでも得られなかったそれが、今この場にはあるのでした。

 

「でも、この男まで連れてくるなんて…」

「いやいや、助けてくれた人なのはさっきティアさんも納得してくれたでしょう?」

 

「そうだけど。……せっかくのセレニィとの公園での思い出が」

 

 夕暮れ時の水の都・グランコクマの中央公園。

 

 そこには夕陽の輝きが水に煌めき幻想的な光景が醸し出されていました。

 一生思い出に残る光景と言えるでしょう。

 

 確かに、こんな素晴らしい光景ならば余人を交えず大切な人とだけで共有したい。

 そう思ってしまうのも無理はないのかも知れません。

 

 たとえそれが大切な人の恩人で、公園のベンチで寝そべっているだけだったとしても。

 患部である頭には濡らしたハンカチを当てられています。

 

 規則正しく呼吸はしているため、命に別条はないと信じます。

 念のためにティアさんに回復の譜歌を使わせましたので大事はないでしょう。

 

 セレニィは若干面倒くさいなぁと思いつつティアさんに向かって口を開きます。

 

「……別に公園なんてまたいつでも来ればいいじゃないですか」

「! そう、そうよね。またいつでも来れるわよね。……私たち二人なら」

 

「はいはい、お付き合いしますよー。……ティアさんの奢りならね」

 

 にししっ、と笑いながら余計な一言を付け加えるセレニィにティアさんも苦笑いです。

 

(もう、セレニィったらつれないわね。……けれど、これでいい。ううん、これ『が』いい)

 

 きっと、そう。この距離感こそが心地よい。

 そう、ティアさんは感じます。

 

 やがて時間となり、宿へと帰ろうとする頃合いとなりました。

 二人はどちらからともなくベンチを立ちます。

 

「結局目覚めませんでしたねぇ、この人。……どうしましょうか?」

「……このまま置いていっても大丈夫だと思うわ」

 

「え? 宿とかに連れて行ってあげないと危ないんじゃ…」

「ううん、きっと大丈夫。護衛の方がそろそろ来ているみたいだから」

 

「護衛の方? ……豪商の放蕩息子さんとかその辺りですかねぇ」

 

 チラッと周囲を見渡しティアさんがそうつぶやくと、セレニィも顎を撫でつつ納得しました。

 セレニィにはまるで感じ取れませんが、確かに視線の先には誰かが潜んでいるようです。

 

「だから、行きましょう。私たちがいつまでもいたら護衛の方も気兼ねしてしまうわ」

「わ、っとと。そんな引っ張らなくてもいきますって。……ほら、ミュウさんもこっちに」

 

「みゅうみゅうみゅうー!」

 

 ミュウもセレニィの頭に飛び乗り、それぞれが帰路につくこととなります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その帰り道。

 

「……まったく、今日はとんだ目に遭いました」

「フフッ、改めてお疲れ様。セレニィ」

 

 そもそもセレニィが迂闊に迷子になったからこういった事態が起きたのはさておき。

 

「そもそもティアさんのせいでもあるんですよ?」

「あら、そうなの?」

 

 セレニィの若干理不尽な言葉にもティアさんは笑顔で相槌を打ってくれます。

 これが例えばルーク相手だったりしたらそのままバトルが勃発していたことでしょう。

 

 ティアさんの世界では男は自分を舐め腐って下に見てセクハラをしてくる存在ばかりでした。

 今の仲間はそんなことはないと理性では分かっていますが、ティアさんの理性は水物です。

 

 人生経験を通じて得た戦訓というものはそう簡単に捨て去ることは出来ません。

 彼女は実利のために半ば以上周囲の理解を得ることを諦め去っている節があります。

 

 それは最適解を直感で掴み取る彼女が導き出した悲しい結論とも言えるでしょう。

 頼れる者なくば一人で動くしかありません。唯一の肉親(ヴァンさん)は破滅思想をキメてしまいましたし。

 

 だからこそ、時に暴走とも呼べる極端な行動を繰り返し引き起こしていたのでした。

 特に兄が目を掛けている同年代のルークには負ける訳には、と対抗心ばかりが先走ります。

 

 そんな彼女の背景を薄っすら理解できる程度にはセレニィも人の心の機微に通じていました。

 それを受けてセレニィはどう行動したのか? 

 

 結論から言うと特別なことは何一つ為しませんでした。

 

 一人の人間として当たり前のように頼り、怒り、叱り、突っ込み、胃を痛め、頭を抱え。

 しかし、彼女を拒絶することは一度としてありませんでした。

 

 彼女に出来る範囲内で仲間を助けるために動き、無理なく周囲をだまくらかしました。

 

 確かにある意味でそれは偉業と呼べるのかも知れません。

 

 ですが、彼女は彼女にとって特別なことは何一つやっていません。やれていません。

 ただ能力以上の無茶振りをされて、これは無理だと周囲を巻き込んだだけに過ぎません。

 

 それは自己犠牲によるそれではなく、ひとえに自分のための行動です。

 そのためならローレライ教団の権威が失墜しようとお構いなしです。

 

 ……そんなセレニィだからこそ。

 徹頭徹尾自分のために動き、『自分を大切に出来る』セレニィだからこそ。

 

 ティアさんは、自分は勿論のことヴァンのかたくなな心をも動かしたのだと感じています。

 それは理屈ではなく、彼女らしい直感で。故に説明のしようもなく。

 

 彼女にとってセレニィは文字通り『世界を変えてくれた存在』なのです。

 それを彼女に面と向かって言うことは、ほんの少し照れくさくて、できませんが。

 

「……セレニィが云うのなら、きっと、そうかもしれないわね」

 

 そんなティアさんの内心など知る由もないセレニィはと言えば…──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宿の前で、ますます大きなため息を吐いてから、ティアさんにあるものを差し出しました。

 

「これは…」

「お母さんの形見、なんですよね? 見付けたから確保してきました。合ってますよね?」

 

 視線を逸らしながらぶっきらぼうにペンダントを突き出す少女の気遣いが嬉しくて。

 

「セレニィ! 愛してるわ!」

 

 ティアさんは万感の想いを込めて、セレニィを抱きしめます。

 百合の花が舞い散る美しい光景かと言えば()(あら)ず。そこには…──

 

「ぐえー! しぬー! は、はなせー!」

 

 潰れたカエルのような悲鳴を上げ全力でタップする小柄な少女の姿がありました。

 

 言うまでもなく宿の前でのことです。

 命の危機を感じさせる悲鳴により、先に戻っていた仲間たちが続々と表にやってきます。

 

 そんな彼等が強制的に引き離すまでティアさんの熱烈な抱擁&頬擦りは続きました。

 

「……一度手放したはずのお母さんの形見が戻ってきたことは勿論嬉しいわ」

「わかった、わかりましたから! とりあえずはなして、プリーズ!」

 

「でもそのことをセレニィが覚えていて、取り戻してくれたことの方が何倍も嬉しいの!」

 

 果たしてティアさんの熱烈な告白は届いたのか届かなかったのか。

 

「……きゅう」

 

 急にセレニィの力が抜けたかと思うと、ガックリと動かなくなってしまいました。

 どうやらゴリラ並の腕力を誇るティアさんの締め付けに耐えきれなかったようです。

 

 その意識は遥か彼方の音譜帯まで飛ばされてしまった模様。悲しい事故ですね。

 

「なにやってんだ、てめぇー!」

「あいたー!」

 

 ルークが全力でティアさんの頭をしばき倒します。

 流石にこの状況でやらかしてしまった以上、ルーク相手でもティアさんは反抗できません。

 

 アニスやアリエッタにも叱られてしまいます。

 それでもティアさんはペンダントを握り締めながら満面の笑みを浮かべるのでした。

 

 ともあれ。

 

 ティアさんはお母さんの形見を取り戻すことができました。

 しかも、より深くなったセレニィとの絆と思い出というオマケ付きで。

 

 ガイに説教されていたこともありティアさんは丁寧に謝罪して棒を返却します。

 こうしてセレニィの迷子から始まったグランコクマでの小さな物語は終りを迎えました。

 

「あの、なんだかこの棒ベタベタしてるんですけど…」

「そ、そうかしら? ……き、気のせいじゃないかしら?」

 

「そっかなぁ… 私の手汗かなぁ…?」

「あ、そうそう。セレニィ、ちょっと良いですか?」

 

「はいはい、なんでしょジェイドさん。皇帝陛下との会談の件でなにか?」

「おや、鋭いですねぇ。えぇ、実は本日陛下御不在で会談が叶わなかったのですが…」

 

「あらら、残念でしたね。それでは明日も登城をされるということで?」

「えぇ、はい。なので明日は貴女も同行してくださいね」

 

「……え?」

 

 一つの物語の終わりは、別の物語の新たな始まりを意味します。

 

「確かに伝えましたからね。よろしくお願いしますね。では、私はこれで」

 

 いい笑顔のジェイドと申し訳無さそうに会釈を一つするトニーがその場を後にしました。

 

 

 

「………え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、めかし込んだ格好で引っ立てられたセレニィは未だぶすくれておりました。

 他の仲間たちは我関せずか若干責めるような視線でジェイドを見遣ります。

 

 一晩経ってもまだ膨れているセレニィに流石のジェイドも思わず苦笑いを浮かべます。

 

「おやおや、セレニィ。まだご機嫌斜めなのですか?」

 

「誰のせいだと思ってやがるんですかっ!? 胃薬キメてやりますよ、畜生っ!!」

「みゅうみゅうみゅう!」

 

 ことのきっかけは彼がセレニィを『セレニィ=バルフォア』と記したことに起因します。

 バルフォア家の名はマルクト帝国内で少しばかり特別な意味を持っています。

 

 それはそうでしょう。

 誰もが扱いに困る、しかし、誰もが認める『天才』たるジェイドの生家なのですから。

 

 その書類が目に留まりその結果こうして登城を命じられることになったのです。

 セレニィならずとも困惑し時に怒りを示すのも無理からぬ反応と言えるでしょう。

 

 というよりこの場で理解していないのは、ことの原因であるジェイドだけでしょう。

 そもそも理解していたら登城を了承するまでもなくその場で事情を説明したでしょうから。

 

 この悪びれない笑顔こそがジェイドさんの善意の証と言えるかも知れません。

 彼は善意から皇帝とのコネをセレニィに作ってあげようとしているのです。

 

 その過程でなんらかの化学反応が生じたら面白いという気持ちも無きにしも非ずですが。

 

「ははは、大袈裟な。ちょっと皇帝にお会いするだけではありませんか」

「そいつは素敵だ! 胃が痛くなってきました!」

 

 確かにキムラスカ=ランバルディア連合王国の国王陛下とも謁見したことはあります。

 その中で言葉だって交わしました。……しかしあの時とは何もかも状況が違います。

 

 モースさんの息の根を止めなければ死んでしまう状況だからこそ必死で牙を剥いたのです。

 

 ただそんなことを言ったところでこのドSの化身には到底理解を得られないでしょう。

 ティアさんとはまた別の意味で自身と他者の認識の相違に無頓着な面があるのですから。

 

 そう考えたセレニィは続く言葉を呑み込み跪きながら皇帝陛下の到着を待つことにしました。

 

 自分は背景にただ存在するだけの置き物になっていればいいのだと開き直ります。

 

 そもそもキムラスカの時とは異なり会談における主役はイオン様でありルーク様なのです。

 

 自分は赤ベコ人形のように背景でウンウンとただ肯いていればいいのだ。

 そう解釈すれば途端楽な心持ちとなります。現金なもので胃の痛みも遠のいていきます。

 

 

 

 

 

 

 

「皇帝陛下の御成りィ!」

 

 その時、儀仗兵が皇帝陛下の到着を告げてくれました。ベストなタイミングです。

 

 そうと決まれば頭を深く下げて物理的に存在感を消してしまいましょう。

 ファブレ家の使用人にすぎないガイさんの影あたりが狙い目です。

 

 大きさだけならジェイドやトニーなのですが彼等はマルクト兵士として注目を集める立場。

 なので、女性恐怖症の彼が悲鳴を上げないギリギリを見極めて近付く必要があるのです。

 

 普段はともかくこういう時に小さいというのは便利ですね。

 ……いえ、周囲が大き過ぎるだけなのですが。

 

「マルクト帝国まで遠路遥々(はるばる)ようこそ。そして先日はお会い出来ず大変失礼した」

 

(……なんだか、すっごく見られているような?)

 

 セレニィはなにやら強い視線を感じてしまいますが、おそらくは気の所為でしょう。

 偉大なる陛下は使者への観察を怠らないというだけのこと。きっとそうに違いありません。

 

「私がピオニー・ウパラ・マルクト9世である。……皆、(おもて)を上げてくれ」

 

 何故か、皇帝陛下から発せられる声は何処かで聞いたことのある声のように感じます。

 

 なんということでしょう。嫌な予感しかしない状況ではありませんか。

 胃がキリキリと痛みを訴えてきます。すごく顔を上げたくなくなってきます。

 

 しかし皇帝陛下の命令は絶対。観念しながらゆっくりと顔を上げると…──

 

 

 

 

 

 

 

「やぁ、昨日振りだな… 小さなお嬢さん(レディ)?」

 

 そこには予想通り、昨日のイケメンさんが笑顔で玉座に腰掛けており。

 そして昨日セレニィが置いていったハンカチを手にヒラヒラと振っているのでした。

 

(あばー!? どうしてこうなった!? どうしてこうなった!?)

 

 セレニィが半狂乱&半泣きになってしまうのも無理はありません。

 

 なんせ昨日散々無礼を働いてしまった親切なイケメンが皇帝陛下だったのですから。

 良くて無礼討ち、最悪の場合は拷問がそれに追加されることでしょう。

 

 ちなみにティアさんは彼の顔を確認する前に攻撃したので昨日の人物とは気付いていません。

 

 精々が「なんでセレニィのハンカチを持っているのかしら?」程度です。

 そして届けにきてくれた親切な人だとすら思っています。

 

 基本的に狂犬な彼女ですが、セレニィに親切な人には態度を軟化させるのです。

 

「おや、お知り合いだったのですか? ピオニー」

「よう、ジェイド。そうとも。昨日あつーいひと時を共に過ごさせてもらったのさ」

 

「……やれやれ、まったく相変わらずですねぇ。貴方は」

 

 おまえなんだ、皇帝陛下に対してまるで幼馴染みたいなその気さくな態度は。

 無礼ってレベルじゃねーですよ! 

 

 ……と、セレニィが正気であったならば思わずそう突っ込んでしまったであろうやり取り。

 しかし今の彼女はそれどころではありません。

 

 それを知ってか知らずか、皇帝ピオニーは優雅な笑みとともに言葉を紡いでゆきます。

 

「よろしくお願いします。導師イオン、親善大使ルーク・フォン・ファブレ殿」

 

 イオンにもルークにも、そして名を呼ばれなかった者たちに対しても。

 一人ひとり視線を交わして言葉を掛けられます。皇帝陛下の威厳とともに。

 

 そして…──

 

「『使者』セレニィ=バルフォア殿。……実りある会談となることを切に願おう」

 

 

 

 

 

 

 

 その言葉にセレニィは小刻みに身体を震わしながら涙目で何度もコクコクと頷くのでした。

 





なお、他の面々からセレニィへの恋愛面の評価:
(ほぼ)全員「いや、流石に小さ過ぎてちょっと…」
ティアさん「どんなセレニィであっても私は全てを受け容れるわ。……えぇ、総てを」
アリエッタ「セレニィはアリエッタの妹、です! 面倒見てあげる、です!」 むふー!

※セレニィの身長は推定142cm(推定なのは採寸を抵抗するため)
※参考までに原作メンバーでダントツで小柄なアニスで152cm
※人間キャラで(おそらく)一番小柄なアリエッタで148cmです

なお一番避けたいはずのティアさんルートに向かって爆進している模様


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