新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~ (ぬえぬえ)
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episode1 着任 唐突な言葉

「明原くん、君には明日から提督をやってもらうよ」

 

「はぁ」

 

 埃一つ見受けられない部屋で、冗談の通じない厳格な上官が言い放った冗談みたいな言葉に、思わず変な声が出てしまった。

 

 館内放送による名指しの呼び出しを喰らい、何かしでかしたか? と首を捻りながら上官の部屋へ駆け付けたらこの言葉だ。こんな反応になるのも許してほしい。

 

「……聞いているのか?」

 

 状況が理解できていないのが顔に出ていたのか、煙草を吹かした上官が不機嫌そうに睨んでくる。

 

「は、はっ。しかと聞いておりましたが、何分内容が理解しがたきこと故、頭が追い付きませんでした」

 

「まぁ、無理もない。つい先日卒業したばかりのひよっこが最前線を指揮する提督に抜擢されたんだ。驚くのも無理はないだろ」

 

 そう吐き捨てた上官は不服そうに手元の資料に目をやっている。ひよっこ呼ばわりされて少しいらっときたが、ここは我慢するしかないな。

 

「何故、私のような若輩がいきなり提督等という重要な役職に配属されたのでしょうか?」

 

「詳しくは教えられん。まぁ、君の類稀なる器量と采配を大いに振るうには、提督しかないだろう、という大本営(うえ)の見解と受け取ればいい」

 

 またとんでもない理由付けしてきたな。類稀なる器量と采配って、それ確実に嘘だろ。なぜなら、俺は卒業ギリギリの成績だったんだからな。

 

「自慢できることでもないだろ」

 

 心を見透かしたらしき上官のごもっともな言葉にぐうの音も出ない。そんな俺を見てか、上官は呆れて溜め息をこぼした。まぁ、そこまで俺を買ってくれるのは正直嬉しいけどよ。ここまで過大評価されると見る目がないんじゃね? って思えてくるよな。理由もアホだし。

 

 まぁ、本当の理由は大体分かってるんだけどな。

 

「その采配、朽木中将が言い出したのですか?」

 

 俺の言葉に、上官はビクッと身を震わして睨んでくる。ビンゴか。

 

「……なるほど、朽木の野郎が裏で手回しをしたと」

 

「朽木中将のご子息を愚弄するとは何事だ!!」

 

 吐き捨てた言葉に上官は顔を真っ赤にさせて殴り飛ばしてきた。それを避けることなく真正面から受け、吹き飛ぶ。

 

 吹き飛ばされてドア近くのクローゼットに背中から突っ込んだ。肺を圧迫されて、空気が無理矢理吐き出される。衝撃と痛みにしばし咳き込みたいのだが、早く立たないと更に拳が飛んでくるので無理して立ち上がる。

 

「ともかく、君は明日よりこの鎮守府に向かってもらう。とっとと荷物をまとめて準備してこい!! 以上だ!!」

 

 上官はそう吐き捨てると、即刻俺を部屋から叩き出した。叩き出した後に、ご丁寧に配属される鎮守府の資料を投げつけてくれたのはせめてもの温情なのかもな。

 

「何で俺みたいなのが提督なのかね……」

 

 痛む背中を擦りながら資料に目を通す。資料の枚数は少ないながらも、そこには配属される鎮守府の戦果や所属する戦闘員、その規模などびっしりと鎮守府の詳細が書かれていた。

 

「ほぉ……わりと戦果を出している鎮守府だな」

 

 廊下を歩きながらそこが出した戦果を見ていると、裏面に赤で強調された一文があるのに気付いた。

 

「えっと、何々……」

 

 その文を見るため裏返し、赤い文を読んだ。

 

 

「『なお、この鎮守府は過去に何人もの提督が失踪しているとの報告がある。心して任務にあたられよ』」



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待ち構える者

 最初に深海棲艦が現れたのは、今から4年前だ。

 

 その年、人類は突如として襲ってきた深海棲艦に対処すべく前線基地である鎮守府を建て、最新鋭の兵器を配備して奴等の侵攻に対抗した。しかし軍は深海棲艦に大敗、全ての制海権を奪われ、更には陸の侵攻をも許した。

 

 兵器が充実しているこの時代に何故ここまで壊滅的な大敗を喫したか、最新鋭の兵器を配備した軍は何をやっていたのか、と言われるかもしれない。が、奴等に人類の兵器が一切効かなかったのだ。こればかりは許してほしい。

 

 まぁ、そんなわけで人類は一時、滅亡の危機に陥った。しかし、突然うちの国のとある鎮守府から深海棲艦撃滅という報が軍部に伝わった。

 

 

 一人の少女が何処からともなく砲門を具現化し、最新鋭の兵器で傷一つ付かなかった深海棲艦を撃滅した、と。

 

 当時の軍部はこの報を戦意向上のデマだと処理したが、それから次々と砲門を具現化した少女たちによる深海棲艦撃滅の報が至るところから上がり始める。これら全てをデマと処理していた軍部も、深海棲艦を撃滅したとされる少女が面会を求めてきたことによって、それを認識することとなった。

 

 軍部を訪れた少女は自身を太平洋戦争で沈没した戦艦の生まれ代わりであると発言。その発言に難色を示した軍部であったが、彼女が具現化した砲門が生まれ変わりだと称した戦艦に搭載されていた砲門そのものであったことによって、否が応にも認めざるを得なくなったとか。

 

 少女の出生を調べると、深海棲艦に襲われるまでは何のへんてつもないただの少女であったが、彼女の街が襲われた際に突然砲門を具現化してこれを撃破。戦闘後から彼女は人が変わったように言動や振る舞いが古風化、自身を戦艦だと言うようになったのだとか。その後、彼女は周りの反対を振り切って鎮守府へ戦闘員として志願し、襲ってきた深海棲艦を撃破、更には陸に駐屯していた敵を撃滅してしまったのだ。

 

 兵士のような振る舞いと気迫、そして深海棲艦を撃滅する火砲と戦闘力を持つ少女たち。軍部は、深海棲艦を退けるには彼女たちの力を使うしかないと言う意見に満場一致し、彼女たちに協力を仰いだ。

 

 その後、軍部は彼女たちを戦艦の生まれ変わりの娘―――――艦娘と名付け、深海棲艦との戦闘における主力として各鎮守府に配備、その侵攻に備えた。また、艦娘の素質を持つ少女たちを厚待遇で召集し、戦力強化に心血を注ぐこととなる。

 

 

「っと、それから4年も過ぎたんだよな……」

 

 一人しか客がいないバスの中、そんなぼやきをこぼしながら艦娘の戦果がデカデカと載せられた雑誌を閉じた。

 

 俺は今、配属された鎮守府へと向かっている。

 

 上官から配属通知を受け取ったその日。部屋に押し寄せた憲兵から即刻配属される鎮守府へと移動せよとの旨を受け、そのまま吐き出されるように寮を追い出されたのは記憶に新しい。

 

 寮を追い出された俺は最低限の荷物を持ってそのまま軍が用意したホテルに一泊、今こうして鎮守府へと向かっているわけだ。因みに、手持ちで持っていけないものは宅配で送ってくれるとのこと。

 

 とまぁ、割と長い時間の暇潰しに購入した雑誌を読んだのが、殆ど学校で教えられた事ばかりだから暇潰しにもならなかったな。戦果報告も、侵攻してきた敵艦隊を撃滅したって記事ばかりで、制海権を奪い返したって言うのは何処にもない。

 

 まぁ、奪ったところですぐさま奪い返されるのが関の山と言うものか。と言うのも、深海棲艦はその強さは去ることながら、もっとも驚異なのはその物量にあるからだ。

 

 全ての源である海を支配するんだ。海には人類が手を付けていない豊富な地下資源を有しているのは明白。それを使い放題なのだから、あちら側が圧倒的物量を誇るのは想像するに易い。やろうと思えば、奴らはいつでも人類を滅ぼせる、と言うのは分かり切っている。

 

 では、何故深海棲艦が大挙として襲ってこないのかと言えば、数年前に艦娘という天敵が突如出現したためだ。

 

 突如現れ、多くの仲間が彼女たちによって撃破されたのだ。あちらも慎重にならざるをえないのであろう。無駄に侵攻したら彼女たちに返り討ちに遭う、最悪捕まりでもしたら俺たちによって研究されてしまう恐れもある。深海棲艦がどんな弱点を有しているかは知らんが、それが俺達に知られたらあちら側としては致命的だろうな。

 

 まぁ、人類もやつらにとって脅威みたいに言っているけど、実際は艦娘さえいなけりゃ今ごろ人類は全滅していると言っても過言じゃねぇけど。

 

「お客さん、着きましたぜ」

 

 そんなことを考えている間に、目的地に着いた。結局、雑誌の内容を思案している内に時間を潰してしまった。暇潰しになったお礼に購読でもしてやろうかな。

 

「ありがと」

 

「あいよ」

 

 運転手に料金を渡してお礼を告げると、運転手は被っていた帽子を胸に当てて頭を下げてきた。昔、紳士のお礼の仕方だって何かで見たな。

 

 まぁ、帽子の下に隠れていたサバンナが御開帳されて雰囲気も全部ぶっ壊しだったけどよ。

 

 俺を下ろしたバスは茶色い煙を上げながら走り去っていく。それを見送りながら、上官から投げつけられた地図を広げて現在位置を確認した。

 

 今いるのは、配属された鎮守府から数㎞程離れた丘だ。ここから海沿いに山道を下っていくと鎮守府に1番近い街があって、その先に目的の鎮守府があるみたいだな。

 

 時間は午後3時を回っている。この分なら、今日は鎮守府に着いて軽く挨拶回りをして終わりそうか。

 

 とにかく、善は急げだ。左遷に近い着任だし、赤字で書かれたあの文の真相を知るのも早いに越したことはない。

 

 そう思い、荷物を肩にかけて気持ち早足で山道へと足を踏み入れた。

 

 

◇◇◇

 

 

 

「旗艦吹雪、及び第3艦隊、無事帰投しました」

 

 資料の山の隙間から見える場所で、自身を吹雪と名乗るセーラー服に身を包んだ中学生ぐらいの少女が軍人顔負けの綺麗な動作で敬礼した。

 

 それを敬礼を返し、戦果の報告を促す。

 

「第3艦隊はバシー沖海域で発見した補給艦3隻を含む敵艦隊と交戦、これを全て撃沈しました。被害は敵護衛艦の砲撃により、駆逐艦曙が中破、並びに潮が小破。他の艦は多少の損傷を受けるも大事には至らず、です。補給艦から奪取した資材は、鈴谷によって倉庫に運び込まれております」

 

 まずまずの戦果、と言ったところか。しかし、資材が枯渇気味のうちにとっては補給艦の物資を手に入れたことは大きい。

 

 取り敢えず、損傷の激しい者をドックに、そうでない者は応急措置を受けてそのまま補給に行くよう指示を出した。

 

「はっ。では、失礼します」

 

 そう言って再び敬礼をして出ていく吹雪を敬礼で見送る。彼女が出ていくのを確認してから、思わず溜め息をこぼして椅子に座った。

 

「少しは休んだらどうですか?」

 

 座ったとき、そんな声と共に横から湯気を上げるティーカップが差し出される。声の方を見ると、先程とまた違ったセーラー服に身を包み、利発的な眼鏡をかける高校生ぐらいの少女が心配そうな表情を向けていた。

 

 それに大丈夫だ、と言いながら差し出されたティーカップを傾ける。

 

 最初は紅茶の入れかたさえも分からなかった彼女が、今では誰もが旨いと言わせるほどの腕前になってくれてうれしいことだ。まぁ、しつこく美味しい紅茶が飲みたいとせがんだおかげかもしれない。

 

「まぁ、貴女が大丈夫と言うのであれば止めはしません。でも、こちらに関してはそうも言ってられないですよ 」

 

 諦めたような口ぶりの彼女であったが、すぐさま目つきを鋭くさせて分厚い茶封筒を差し出してきた。

 

 差出人は大本営。またいつもの招集命令か、と思いながら茶封筒を開ける。中には写真が貼り付けられた履歴書と、当鎮守府に新たな提督が着任するという報告書が入っていた。

 

 それを見た瞬間思わず立ち上がってしまい、その拍子に資料の山を崩してしまった。辺り一面に資料が飛び散るも、そんなことなど眼中にない。

 

「……また、やるんですか?」

 

 飛び散った資料をかき集めながら、少女―――――――大淀は悲しげな目を向けてくる。その視線を真っ正面から受け止め、にっこりと笑顔を返す。そして、履歴書に貼られている写真を剥がし、そこに写っている男をじっくりと眺める。

 

 

「もちろんデース」

 

 不意に自らの口から言葉が漏れ、それと同時に写真をグシャリと躊躇なく握り潰した。

 

 

「彼には、早々に退場してもらいマース」



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言動の不一致

 大分傾いている夕日をバックに、ほぉーっと口を開ける俺の前には古ぼけた門が鎮座していた。

 

 俺は今、鎮守府の門の前に立っている。

 

上が寄こした地図が何分曖昧だったために道に迷ってしまい、日が暮れる前に何とか鎮守府に着くことが出来た。左遷と言ってもこれは酷いぞ。軍部にはこれを餌に揺さぶりでもかけてやろうか。

 

 と、馬鹿なことは置いておいて、目の前にある門を見て思ったんだが、随分年期の入った鎮守府だな~。

 

 鎮守府の名前が書かれているであろう鉄のプレートは、長年海風に晒されてか錆び付いてよく読めない。その向こうには雑木林が広がっている。軍事機密故、人工的に植えられたのかもしれない。

 

 しかし、鎮守府の看板とも言える門をここまで蔑ろにしてる辺り、問題と言われる臭いを感じるな。

 

 まぁ、それもここの艦娘に聞けば分かるか。そんなことを思いながら古ぼけた門をくぐり、雑木林の中をのんびり歩く。少し歩くと、開けた場所が見える。

 

 それを目指して雑木林を抜けると、古ぼけながらも重厚感溢れるレンガ造りの建物、懐かしい暖かみを感じる木造の建物などが悠然と佇んでいる鎮守府が広がっていた。

 

 海に近いこともあり、空気には磯の香りが混じっている。田舎の鎮守府だからか、敷地内に探検するには持ってこいの森が広がっており、建物の近くには人工的ではない小川が流れている。普通の鎮守府は入り口から閉塞感が漂ってくるものだと言われるが、ここはそのようなものが一切感じられない。

 

 ここが前線なのかと疑問に思うほど、粛々とした雰囲気が辺りを包んでいた。

 

「―――は、―――――せよ」

 

 遠くの方から人の声が聞こえる。一人の声と後に続く複数の声から察するに、今艦娘たちは訓練中なのかもしれない。レンガ造りの建物からは金属音が絶え間なく聞こえているし、あそこは工厰なのかもしれないな。

 

 何だろ、軍内では黒い噂が絶えない鎮守府と聞いていたせいか、ここまで戦争を感じさせない空気に拍子抜け、と言うのが正直な感想だ。

 

 まぁ、俺自身かたっくるしいのは嫌いだし、ちょうどいいか。っと、こんなところで呆けてる場合じゃねぇ。早く荷物を執務室に持っていかないと。

 

 そう頭の中を切り替えて中へ足を踏み入れた。

 

 門を抜けて一番近くにあった工厰らしき建物の脇を通り、学校のグラウンドのような広場を横目に本部らしき木造の建物へと向かう。

 

 途中、遠目に艦娘らしき少女たちを見つけたが、訓練中に話しかけるのも邪魔だと思い遠巻きに見るだけで留めた。その中に、小学生ぐらいの少女たちが隊列を組んでランニングしているのを目にすると、一瞬ここが学校なのかと錯覚しちまったけど。

 

 別に他意があって見ていた訳じゃないからな。俺はノーマルだ。

 

 しかし、本当に小学生ぐらいの子まで軍人として配属されているんだな。しかも、俺より年下の子でも実際に戦場に出て命のやり取りをしていると考えると、年上として、男として申し訳なくなる。

 

「あっ」

 

 そんな艦娘たちの訓練を眺めながら歩いていると、目的の建物から良く在りそうなセーラー服に身を包み、長い髪を花の形をした髪留めで横に垂らした一人の少女が出てきた。彼女は俺に気づいたのか、信じられないようなものを見る目て、固まってしまった。

 

「こんにちは。執務室はこの建物にあるかな?」

 

 なるべく怖がられないよう、柔らかい物腰で話し掛ける。しかし、声をかけられた少女はビクッと身を震わして後退りする。怯えているのがまる分かりだな。

 

「……俺、今日から――」

 

「ち、近寄んな!! このクソ提督!!」

 

 再度話し掛けようと目線を同じぐらいにした瞬間、少女の口からとんでもない言葉が飛び出してきた。

 

「へっ?」

 

「に、二度と近づくなァァァ!!」

 

 突然の言葉に反応できないでいると、少女は鬼の形相で更なる暴言を叫びながら 一目散に何処かへ走り去ってしまった。

 

 ……あ、ありのまま今起こったことを話すぜ。

 

 鎮守府に到着して、その戦争を感じさせない空気に驚きを隠せないでいたら艦娘らしき少女と遭遇。

 

 彼女に執務室の場所を聞いたらいきなり罵倒され、突然のことに固まっていたら更なる罵倒を喰らって逃げられたんだぜ。

 

 ……うん、突然のことに気が動転しちまったな。取り敢えず落ち着こう、俺。

 

 少女が出てきた建物の前で軽く深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。よし、だいぶ落ち着いたか。

 

 にしても、開口一番に罵倒されるとは思わなかった。

 

 まぁ問題ありと聞いているし、他の鎮守府ではこれが日常茶飯事かもしれないしな。一々小学生に罵倒されたくらいで騒いでも大人げないだけだな。

 

 そう割りきって、地面に落とした荷物を拾い上げる。あの子が出てきたってことは、他の艦娘もここにいるということだよな。

 

 そう頭で結論付け、目の前の本部らしき建物に入っていった。

 

 中は、随分年季が入っているものの掃除が行き届いているせいか埃っぽさは一切感じなかった。軍学校は掃除なんて概念がなかったようなモノなので、わりと驚いていたりする。まぁここに配属された人員の殆どが女性だし、当たり前と言えば当たり前か。

 

 そんな若干失礼なことを思いながら、執務室を探して建物内をうろつく。途中、艦娘らしき少女たちに出会うも、話し掛ける前に脱兎のごとく逃げられてしまうので、見つけても気付かないフリに徹した。

 

 いや、目があった瞬間逃げられるってけっこう心にくるんだぜ。そんなことを繰り返されたらこっちのメンタルが持ったものじゃない。

 

 そんなことを繰り返しながら建物内をうろついていると、ようやく執務室と書かれた部屋にたどり着いた。

 

 しかし、その部屋に続く扉のノブが、所々凹んでいるのが気になる。

 

 相当な握力で掴まれたのか? 人間じゃねぇな。多分艦娘だろう。

 

 あれか? 他の鎮守府では、艦娘に好意を持たれたせいで日々襲われる恐怖と戦っていると聞く。前任もそれに耐え兼ねて逃げ出した、なんて感じか。

 

 そんな風にならないよう、気を付けないとな。そう心の中で決意しながら、凹んだドアノブを回して執務室に入った。

 

 

 

 

「はぁ?」

 

 執務室を見回した感想がこれだ。

 

 というのも、そこは執務室と呼ぶには難色を示すほど荒れに荒れていたのだ。

 

 重要な書物が収まっていたであろう本棚は全て倒れており、床一面に書物がぶちまけられている。その中には、焼け焦げたものまである始末。砲撃でも行ったのか?

 

 提督が常に座っていただろう机は乱暴に押し倒され、その上にまとまって置かれていた羽ペンやこの地域の海図、コンパス等は本棚に押し潰されて粉々になっていた。インクが辺りに飛び散っているのが、その壮絶さを物語っている。

 

 窓も全て割れており、カーテンも引き裂かれているものや焼け焦げているものが痛々しく残されている。

 

 取り敢えずまとめると、到底執務室とは呼べない状況であった。

 

「んだよ、この有り様は……」

 

 部屋に入ると、埃っぽい匂いが鼻をくすぐる。この状況で大分放置されてるな。飛び散った書類やインクも変色している辺り、数ヶ月じゃ短すぎるか。

 

 そんな中、ぶちまけられた書類の中に写真が貼り付けられたモノがあるのを見つけた。

 

 周りのガラクタを崩さないよう、その書類だけを引き抜いて読みやすいよう皺を伸ばした。

 

「駆逐艦、電……?」

 

 どうやら配属された艦娘の資料みたいだな。写真は緊張で顔がカチコチの少女が写っている。この子が電か。

 

 お、戦果も書いてあるじゃん。どれどれ……。

 

「fire!!」

 

 突如、後ろから怒号が聞こえてきた。思わず振り返ろうとした瞬間、埃の中に微かに混じる火薬の匂いを感じた。それを感知したら、軍学校時代に鍛え上げられた身体が反射的に横に飛んでいた。

 

 ドゴン!! と言う腹の底から響く音と、つま先の近くを熱いものが通りすぎるのを感じた。次の瞬間、後ろの机が爆発。その破片が咄嗟に頭を庇った俺の身体を容赦なく叩く。

 

「んだ!? 敵襲か!?」

 

 突然のことにパニックになるが、危機察知に特化した身体は身を守ろうと、埃で視界が塞がれた場所から這い出し、近くにあった本棚の後ろに転がり込んだ。

 

「そこにいるのは分かってマース。出てこなければ、執務室ごと粉々に吹き飛ばしますヨ?」

 

 扉の方からドスの効いた声が聞こえてきた。声色と先ほどの凄い音から察するに、俺を不審者と勘違いした艦娘が砲撃してきたってことだよな。

 

 ……って、冷静に分析してるけどここ建物内だぞ!! 何砲撃してんだよ!!

 

「たた、建物内で砲撃してくるんじゃねぇ!!」

 

「shut up!! 駆逐艦の子から怪しい人物が居るとの報告があるネ!! 機密保護により排除しマース!!」

 

 敵国のスパイとでも思われてんのか!? 不審者を即刻排除しようと言うその姿勢は認めるが、勘違いだった場合にどうすんだよ!!

 

「お、俺は本日付けでこの鎮守府に着任した明原だ!! ほ、ほら!! 証拠もあるぞ!!」

 

 そう叫びながら鞄の中を引っ掻き回し、上官から貰った報告書と資料を扉の方に投げつける。本当は姿を見せて手で渡したかったんだが、見せた瞬間砲撃されるなんてまっぴらごめんだ!!

 

「……そうでしたカ」

 

 声色が若干和らいだ。どうやら勘違いだと分かってくれたようだ。とはいってもまだ怖いから、警戒を解く気はない。本棚の陰からソロリソロリと立ち上がり、声の主を見据えた。

 

 声の主は和服姿の女性であった。

 

 頭に特殊な形のカチューシャらしきものを付け、和服としては少々露出度の高い服を着ている。その隙間から見える脇や妙に短いスカートなどが、割と出るとこ出た彼女の姿は魅力的だなと思う。

 

 ただ、こちらを見つめる目に一切の感情が籠っていないのと、頑なに向けられる砲門が無ければ……な。

 

 そんな歓迎ムードを一切感じられない彼女は、砲門を向けたまま口角だけを上げてこう言った。

 

 

「Hey、テートク。ワタシ、この鎮守府でテートク代理をしている金剛デース。よろしくお願いしマース」



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不安の始まり

「……歓迎しているのか?」

 

「ハイ、もちろんデース」

 

 俺の問いに金剛は朗らかな笑顔で返すも、砲門はしっかり俺に向けたままだ。いや、明らかに歓迎してないだろ。

 

「あいさつ代わりに砲撃とは、随分過激な歓迎方法だこと」

 

「それはテートクが紛らわしかっただけデース」

 

 正論過ぎて何も言えないぜ。まぁ、今まで提督が居なかった鎮守府に見知らぬ男が歩き回っていたら不審にもなるか。

 

 それに、問題ありと聞いていたんだ。これもまた許容範囲と言うものだ。

 

「まぁいい。じゃあ、今後ともよろしく頼む」

 

 そう言いながら手を差し出す。先程の少女のことも考えてこちらから友好的に接しない方がいいかもしれないけど今後世話になってくるんだし、そんなことも言ってられなくなるなら早めに打ち解けた方がいい。

 

「では、部屋に案内しマース」

 

 しかし、金剛は俺が差し出した手を見向きもせずにくるりと背を向け、先に執務室を出ていってしまった。

 

 無視デスカ。スガスガシクテ逆二怒ル気モ失セマシタヨ……。

 

 一人残された俺は差し出した手を引っ込め、熱くなる目頭を押さえて彼女の後を追った。

 

 振り向きもしない金剛の1歩後ろ。その距離を保ちながら黙って後を追う中、様々な艦娘たちを目にした。

 

 入った当初も何人か見たが、その時よりも人数が増えているな。不審者が現れたって騒いでたし、それを聞き付けて集まったってのが妥当か。

 

 にしても、学生服っぽいのから女性用海兵服、OLような制服、割烹着、海軍のお偉いさんが着ているような服、弓道の道着に胴当て、某時空警察っぽい戦闘員服、本当にいろんな艦娘たちがいるんだな。

 

 まぁ、彼女達が向ける目に友好的な雰囲気はないのが玉にキズか。多分失踪する原因はここに配属する艦娘たちの提督に対する態度かもな。

 

 鎮守府の問題点を垣間見ていると前方の金剛が立ち止まり、こちらを振り向きながら横の扉を指差した。

 

「ここがテートクの部屋デース。必要なモノや本部からの荷物は昨日のうちに届いてるので、確認お願いしマース」

 

「おっ、ちょ、待って!!」

 

 金剛はそれだけ言うとさっさと帰ろうとする。それに思わず引き留めると、明らかに嫌そうな顔をこちらに向けてきた。少しは隠そうとしろよ。

 

「こ、ここの説明とかそう言うのは無いのか? 何分、初めてで左も右も分からないんだが……」

 

「その資料も中にありマスので読んでくださいネ。では、ワタシは用があるので失礼しマース」

 

 俺の問いに金剛はそれだけ言うと俺の手を振り払って行ってしまった。冷たすぎやしませんか? 軽く泣きそうなんだけど……。

 

 ……まぁいいや、新任で頼りにならないって思われているのは事実だし。取り敢えず今日は出来ることをやるだけやっておこう。

 

 そんな風に自らを落ち着けながら、俺は自室のドアを開けた。

 

 その瞬間、俺の身体は一人でに部屋に走り込んでいた。

 

 

「んだよこれ!!」

 

 部屋に入った俺は真っ先に中央へと走って座り込んだ。

 

 

 その前には泥や土、木葉などでぐちゃぐちゃになった茶色い塊――――俺が本部に届けさせた荷物が散在していたからだ。

 

 近くにあった本を手に取り汚れを落とすも、中のページまで泥水が染み込んでいて使い物にならない。俺が持ってきた本全てがそんな状態だ。

 

 本を放り出し側にあった茶色い塊――衣類が入っている鞄を開けると、そこには大量の泥が詰まっていた。しかも、ご丁寧に下着に至るまで泥を塗り付けてある。

 

 鞄の表面や本の表紙に靴底の跡痕が残っているのを見るに、人為的にやられたものと見て間違いないだろう。

 

「っ!! 金剛!!」

 

 俺は真っ先に頭に浮かんだ人物の名前を叫びながら荷物を引っ付かんで外に飛び出す。

 

 

 

「待てよ」

 

 しかし、出ていこうとした扉には二人の艦娘が立ち塞がっていた。

 

「誰だ」

 

「天龍型軽巡洋艦、一番艦の天龍」

 

「同じく、二番艦の龍田でーすぅ」

 

 自分なりに低い声で脅すように問い掛けたが、天龍はびくともせずに冷たい目を向けてくる。傍らの龍田は笑顔を浮かべているものの、その目は笑っていなかった。

 

「退いてくれないか?」

 

「今から金剛の所に行くなら尚更退けねぇな」

 

「はぁ?」

 

 天龍の目が冷めたものから刃物のような鋭いものに変わる。なんだ。俺の荷物があんな状態にしてあるのに、提督代理のアイツが気付かないハズないだろ。

 

 平然と案内してた辺り、アイツも一枚噛んでいるのは分かってんだよ。

 

「提督命令だ、そこを退いてくれ」

 

「俺らはあんたを提督なんぞと思っちゃいねぇ。だから、その懇願(・・)を受ける気はねぇ」

 

 命令って言ったハズだが。提督と思っていないヤツに従う義理は無いってか。

 

「お前がそう思わなくても、俺がお前の上司であることは事実だ。従ってもら――」

 

「てーとくぅ」

 

 俺の言葉は、龍田の甘ったるい声によって掻き消された。いや、正確には目の前に鋏の刃が掠めたからだ。

 

「あんまり我が儘言ってると、その舌切り落としますよぉ?」

 

 先程の笑顔から考えられないほど冷えきった表情の龍田が低い声で囁いてきた。その低さに、口からこぼれる息が白く見えたのは見間違いだと思いたい。

 

「……ね?」

 

 最後にそう言い残した龍田は壁に突き刺さる鋏を更に捩じ込みながら笑顔を向けてくる。先程の表情からコロッと変えれる辺り、慣れている。

 

 だが、

 

「……我が儘言ってるのはどっちだ? もう一度言う、そこを退け」

 

 壁に突き刺さる鋏を掴みながらそう凄む。伊達に軍学校で叩き上げられた訳じゃねぇ。その手(・・・)の脅しには慣れてんだよ。

 

「っ!? てめぇ龍田を――――」

 

「やめるんだ」

 

 俺の言葉に激昂した天龍が胸ぐらを掴んでくるが、その後ろから鋭い声が飛んできた。

 

 天龍は胸ぐらを掴みながらゆっくりと振り返る。そこには、白いベレー帽を深々と被った白髪の駆逐艦が立っていた。

 

「響、何のようだ?」

 

 天龍は舌打ちをしながら響に問う。天龍の向ける剣幕に同じ年頃の子なら泣いてそうだが、響は臆することなく無言のまま俺たちの元に近付き、一枚の写真を見せてきた。

 

 響が見せた写真には、天龍と龍田、そして名前が分からない駆逐艦らしき少女が俺の鞄に泥水をぶっかけている姿が写されていた。

 

「響っ!!」

 

「これをやったのは天龍たちだ。金剛は関係ないよ」

 

 天龍が写真を奪おうと手を伸ばすも、響はスルリと避ける。そのまま彼女は俺の手に写真を握らせると、風のように去っていった。

 

「……で、これをお前らがやったと言う証拠だが?」

 

「行くぞ、龍田」

 

 俺が写真を見せながら再度問おうとするが、それよりも前に天龍が俺の胸ぐらを離し、背を向け歩き始める。それを追おうとするも鋏を向けてくる龍田によって防がれてしまう。

 

 そのまま、二人は廊下の向こうに消えてしまった。消えた瞬間、安堵にも似た溜め息がこぼれたのは言うまでもない。

 

 

 ……なかなか壮絶な対応だったこと。これを着任初日にやられたら、そりゃ逃げ出したくなるわけか。上が左遷場所として選ぶのも頷けるな。

 

 取り敢えず、この事は上に報告しとこう。ついでに、とんでもない場所に飛ばしたってことで融通の利くよう揺さぶりかけておくのもいいな。

 

 そんなことを考えながら部屋のベットに腰を落ち着ける。しかし、次の瞬間身体の力が一気に抜けてベットに倒れ込んでしまう。

 

 流石に疲れが溜まってたか? 少し寝てから飯食う………………かぁ……………。

 

 なんて思案する暇もなく、俺の意識は深い眠りへと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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episode2 把握 些細なモノ

「うぁ……」

 

 顔に降りかかる窓から陽射しに、俺は目を覚ました。

 

 まだぼーっとしている頭のまま起き上がり、はっきりしない視界のまま自分が寝ていた部屋を見回す。

 

 机に椅子、分厚い本が綺麗に並べられている本棚、そして、部屋の中央で散在している俺の私物たち。

 

 そう言えば、天龍達が行っちまった後に一息つこうとベットに座ったら力が抜けて倒れ込んだっけ。んで、風呂も入ず飯も喰わずにそのまま眠っちまったんだな。

 

 そう理解が追い付いた瞬間、急に腹の虫が大きな音を上げた。昨日の朝にホテルの飯を食って以来何も食ってなかったし、当たり前か。

 

「取り敢えず飯を……の前に、まずは風呂か」

 

 服は天龍達によって泥だらけになっちまったから、今日はこの服で過ごすしかないな。風呂入るついでに手洗いで泥を落とせば一石二鳥だな。

 

 そうと決まれば善は急げだ。泥だらけの鞄を引っ提げ、風呂場を目指す。

 

 昨日金剛が用意してくれた地図によれば、風呂場は大体執務室の反対側に位置している。ここからならそう遠くないな。

 

 しっかし、地図を見た限りだけどここは俺がいた軍学校並みに広いな。

 

 執務室がある本館を中心に艦娘の宿舎が4つ、その近くに大きな食堂、さらに風呂場は1つの独立した建物の中に4つもある。宿舎から離れた場所に射撃演習場、トレーニング室、温水プール、巨大な工厰、更に複数の甘味処を完備している等々。

 

 軍学校時代には考えられないほど異常な厚待遇だと言えるが、艦娘達の戦意向上のためと言われれば納得だわ。こんな好条件下の職場に周りは女性ばかりなら、仕官先で鎮守府が人気だったのかも何となく分かるな。

 

 そんなことを思いながら歩いていると、バケツのような模様の暖簾の架かった部屋にたどり着いた。

 

「ここか」

 

 地図で確認したら、ここが風呂場みたいだ。風呂場って言ったらおなじみのあのマークだが、ここはちがうのか。まぁいいや、とにかく入ろう。

 

 暖簾をくぐると、高級な旅館の脱衣場と見間違うほど立派な脱衣所が広がっていた。

 

 艦娘の要望か、バスタオルや普通のタオル、ウォーターサーバー、ドライヤーやヘアアイロンまで完備してある。軍学校のカビが生えた風呂場で過ごしていたせいか、何となく気が引けてしまう。

 

 まぁ、どうせこの環境に慣れてしまうのだ、遠慮する必要もない。ともあれ、早速入らせてもらおう。

 

「ん?」

 

 服を脱ごうとしたとき、ズボンの裾を引っ張られるのを感じた。反射的に下を見ると、足首ぐらいの背丈の小人みたいなのが必死の形相でズボンの裾を引っ張っていた。

 

「確か……『妖精』だっけか」

 

 『妖精』――――艦娘の登場と同時期に各地で現れるようになった小さな小人のような生き物だ。艦娘の資質を持つ人間の周りに現れて身の回りの世話をする習性があり、資質を持つ人間の選考基準として公式に認められている。

 

 彼らは、艦娘の身の回りの世話に加え、装備の生産、改修、空母の放つ艦載機の搭乗員、主砲などの指揮官、見張り員など、艦娘の補助として幅広い分野で活躍しており、艦娘の所に妖精ありと言われるほど、その関係性は色濃いものだと教わったっけ。

 

「―――! ―――――!」

 

 妖精は良く分からない言葉を叫びながら裾を力一杯引っ張るも、人間と妖精の大きさになすすべもないという感じ。力で勝てないと分かったのか、妖精は引っ張る代わりに殴ったり蹴飛ばしたりし始めた。

 

「どうしたよ?」

 

 そんな妖精をひょいっとつまみ上げ、同じ目線で問いかけてみる。しかし、妖精は尚も訳の分からない言葉を叫びながら足をジタバタさせるだけであった。

 

「なぁ? どうし―――」

 

「うるさいわね……どうしたのよ?」

 

 何処かで聞いたことのある声が聞こえ、後ろの扉――浴槽へと続く扉が開いた。それに反応して俺も振り返る。

 

 そこには、昨日出会った花の髪留めの艦娘が、タオル1枚の姿で固まっていた。

 

 一応タオルで身体をかくしているものの、水を吸ったタオルが身体に張り付いてそのラインが浮き出ているのであまり意味をなしていない。むしろ、タオル越しに見える金剛程ではない無いが程よく引き締まった身体のラインが妙に艶かしく見えた。

 

「何してんだこのクソ提督ゥゥゥウウウウウウウ!!!!」

 

 しかし、それを見た瞬間俺の顔面にプラスチックの風呂桶が突き刺さったのは言うまでもない。

 

 

◇◇◇

 

 

 軍学校で習った艦娘の整備方法――――深海棲艦との戦闘で傷付いた艦娘は、傷を癒すためにドックに入渠しなければならない、だったか。

 

 ただ、戦艦なら工厰のようなドックでいいのだが、艦娘は人間の姿であるため従来の形では修復が不可能であったため、艦娘用のドックは俺たち人間と何ら変わらない浴槽の形を模したものをしていた。

 

 しかも、修復する際には特殊な薬を溶かしたお湯で浴槽を満たせばいいだけで、本来の入浴にも使用できると言うことだから、入浴専用の施設を併設する必要はない。

 

 つまり、必然的に風呂場とドックは同一と言うのが当たり前になるんだよな。

 

 そんなことを考える俺の視線には、古ぼけた床に仁王立ちで立っている金剛らしき脚、その奥にドッグで鉢合わせした艦娘とそれを庇うように囲んでいる他の艦娘達がいた。

 

 顔面に風呂桶がクリティカルヒットした俺は気絶したらしく、騒ぎを聞き付けた艦娘達によって縛り上げられ金剛の前に差し出された、と言う感じか。

 

「まさか早くも本性を現すとは……呆れを通り越して幻滅しましたヨ」

 

 頭上から金剛の呆れたような声が聞こえ、それと同時に腹の辺りに鈍い衝撃が突き刺さる。腹の空気が無理吐き出され、思わず咳き込む。

 

「まさか着任2日目で艦娘に、しかも駆逐艦に手を出す……。テートク、いえ、大人としてあるまじき行為デース」

 

 低い声の金剛の言葉とともに腹や背中に突き刺さる鈍い衝撃。それに俺は反抗することなくされるがままだ。

 

「……どうしたんデス? 何か弁免があれば聞きマスガ?」

 

「ねぇよ、そんなもん」

 

 素直に蹴られることに疑問に思った金剛の言葉に、俺は床を見ながら吐き捨てるようにそう言ってやる。その瞬間、今までで一番重い衝撃が突き刺さった。

 

「自分の(シン)を素直に認める、と言うことデスカ?」

 

「あれは事故だ。他意があって入渠のドックに入ったわけじゃねぇよ。ただ俺に非がある、それだけだ」

 

 よく考えれば、艦娘しかいない鎮守府で風呂場と言えばドックだ。それを軍学校で習いながらも頭から抜け落ちていたのは俺の落ち度だ。ドックに掛かっていた暖簾の模様も、あれは艦娘を修復する際にお湯に溶かす薬を表していたんだろう。それを見ていたのだから、多少は察することも出来たはずだ。

 

 極め付きは脱衣所にいた妖精。彼らは艦娘の周りに現れる習性があり、そんな妖精が脱衣所に居ればそこに艦娘が居る、と言うことでもある。

 

 つまり、俺は自身が今いる鎮守府の常識を考えられなかったんだ。

 

「……だから、(ペナルティー)を受けるのは道理だ、と言うことデスカ?」

 

「そういうことだ。それに……」

 

 金剛の言葉を肯定しながら、俺は床からドッグで鉢合わせした駆逐艦に目を向ける。俺の視線に気づいたその子は、睨み返すこともなくぷいっと顔を背けた。

 

 でも、一瞬だけ見えた彼女の目には、『恐怖』と言う感情が浮かんでいた。

 

「あの子に怖い思いをさせてしまったことが、一番の俺の非だ。それに関しては本当にすまないと思っている」

 

 それだけ言ってその子に頭を下げた。まぁ、下げたと言っても床のせいでそこまで下げれなかったんだけど。頭を下げた瞬間、上から息を呑む音が聞こえた気がした。

 

 

「……なるほど、分かりマーシタ。曙」

 

「っ!?」

 

 金剛があの子に声をかけると、鉢合わせした駆逐艦である曙が小さく声を上げる。自身に振られることを予想していなかったのだろう。てか、当たり前だが俺に対する低い声から何処か柔らかい感じになっているな。

 

「今回の件、貴女に一任しマース」

 

「はぁ!? な、何であたしが!!」

 

 金剛の言葉に曙はすっとんきょな声を上げ、抗議するように金剛に詰め寄る。

 

「今回の件は許しがたいこと、しかし、テートクも他意があったわけでもないみたいデース。それに、テートクは貴女に謝罪していマース。貴女に判断を委ねるのは道理だと思うのデスガ?」

 

「そ、そんな……あたしは……」

 

「駄目だよ、曙ちゃん!!」

 

 金剛の言葉に口ごもる曙に、先ほど彼女の隣に立っていた艦娘がいきなり叫ぶ。

 

 背丈や顔だち、曙と同じ制服を身にまっていることから恐らく駆逐艦だと思うが、金剛に引けを取らないレベルの胸部装甲がその判断に待ったをかけた。

 

 そんな駆逐艦らしき艦娘は、曙に詰め寄ってその肩を掴み、必死の形相を向ける。

 

「アイツはあんなこと言ってたけど、どうせ全部嘘!! 初めから曙ちゃんの身体目当てに決まっている!! 男の人なんて所詮そのことしか頭にないの!! 本能の赴くままに女の子を襲う醜い獣なんだからぁ!!」

 

「潮、落ち着くデース」

 

 金剛がそう言いながら曙に詰め寄る艦娘を引き剥がす。潮と呼ばれた子は金剛に引き剥がされても、なお口々に男性に対する暴言を吐き続けた。そのため、金剛は曙を囲んでいた艦娘に潮を落ち着かせるよう言い、彼女たちを部屋から退出させた。

 

「さて、曙。どうしマスカ?」

 

 俺と金剛、曙の3人となった部屋で、金剛は改めて曙に問いかける。その言葉を恐れる様に曙はビクッと身を震わせ、俺と金剛を交互に見ながら俯いてしまった。

 

「……曙?」

 

「……ク、クソ提督!!」

 

 金剛はそう問いかけると、曙はそう声を荒げながらキィッと俺を睨み付けてくる。そして、大股で近づいてきて、手を振り上げた。

 

 

 

 パァン―――と、乾いた音が部屋に響く。

 

 それと同時に俺の頬に鋭い痛みが走り、頬は熱を帯び始める。曙は痛みに顔をしかめたが、すぐさま顔を戻し、赤くなった手で俺を指さしてきた。

 

「今後、こんなことをしたら容赦なく砲撃するから覚悟しなさい!!」

 

 それだけ吐き捨てると、曙は逃げる様に部屋を飛び出した。彼女の足音らしき音が聞こえ、それが段々と遠退いていく。やがて聞こえなくなった時、俺は無意識のうちに安堵の息を零していた。

 

 

「……曙に感謝することデース」

 

 金剛はそれだけ言うと、俺を縛っていた縄を解いて部屋を出て行った。一人残された俺は縛られていた身体を伸ばし、服に着いた埃を叩きながら立ち上がる。

 

 

「……さっさと風呂入って飯にしよう」

 

 人知れずそれだけ零すと、俺は荷物を回収しにドックへと向かった。



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過去の歪み

「申し訳ないですが、貴方にお出し出来るモノはありません」

 

 言葉自体はへりくだっているが、頭を一切下げずにブスッとした顔のままそう言ってのける割烹着姿の女性。割烹着の胸の辺りに『間宮』と刺繍が施されているのを見るに、彼女の名前だろうか。

 

 そんな一向に態度を変えない間宮を前に、俺は頭を掻きながら溜め息をこぼすしかなかった。

 

 ドックにある荷物を回収しがてら風呂に入ると同時に洗濯もすませて適当に干した後、いい加減何か食わせろとうるさい腹の虫を落ち着かせるために食堂に足を運んだ。

 

 ちなみに地図を見た限り提督用の風呂場がなかったので、仕方がなくドックで入浴を済ませておいた。

 

 もちろん、艦娘がいないことを確認して、なおかつ間違って誰も入ってこないよう貼り紙をするなどの対策をしておいた。そのため、今朝みたいな事はなく終わったのはどうでもいい話か。

 

 しかし、まさかの食堂で門前払いを喰らうとは思わなかった。

 

「あ……食材とかもないのか?」

 

「はい、貴方のような方が食べられるものは何1つ取り揃えていません」

 

 食材さえあれば何か作ろうと思ったのだが、それすらも無いとは。艦娘たちは一体何を食べてんだよ。

 

「あの子達は燃料や弾薬等が食事と同じですから、食事を用意せずとも何も問題ないです」

 

 そう聞いたら、ものすごい剣幕で間宮に睨み返された。言葉の節々に若干怒気が感じられる。地雷でも踏んだか。

 

「そんなにご飯が食べたければ街にでも繰り出したらどうですか? 少なくとも、ここよりも美味しいものが食べられますよ」

 

 怒気が籠った声でそう言い放ち、間宮は奥へと引っ込んでいった。それに声をかけようとしたが、忘れるなよとでも言いたげに腹の虫が唸り声をあげる。

 

 ……こんな状態じゃ説得するのも難しいな。今は腹を満たすことを考えよう。

 

 そう思って食堂の扉へと歩き出す。

 

 

「……どうせ、鎮守府のお金でしょうね」

 

 出ていく寸前に奥から間宮の小さな声が聞こえたが、騒ぎ出す腹の虫に気がとられて反応することが出来なかった。

 

 

◇◇◇

 

 

 と、言うわけで飯を食うために街に繰り出した。

 

 昨日訪れたときにも思ったが、この街は海に面しているにも関わらず割と活気に溢れている方だな。

 

 深海棲艦が出現したことにより海はおろか陸にも侵攻を許したために、海に近かった街などが襲われて甚大な被害を被ったと聞く。なので、艦娘の登場した今でも海辺から内陸の方に居住を変える人々が後をたたないのだ。

 

 その現象に大本営は頭を抱えるどころか守る対象が減るので好都合だ、と言う見解で人々の引っ越しを奨励、それにより住民流失に拍車をかけたのだ。

 

 しかし、そんな中でも生まれ育った土地を捨てきれずに留まることを選択した人々も居た。

 

 だが、その生活振りはお世辞にもいいとは言えず、戦闘地帯と言うことで生活の糧を手に入れるのは難しいために殆どは留まることを良しとしない軍が支給する限りある物資に頼らざるを得えない。また、深海棲艦に襲われる恐怖が常に付きまとっているなど、心身ともに休まれない場所であった。

 

 これらから見るに、海辺の街は寂れたモノとイメージしていた。

 

 しかし、この街はそこまで物資に困っている様子はなく、深海棲艦の驚異も感じられない。そして驚くのが、そこに住む人々の殆どがうちの鎮守府に所属する艦娘たちに友好的な態度だったことだ。

 

 鎮守府でのあの対応から見るに、地域の人々とは険悪な関係だと思っていたので少し拍子抜けだったが、貴重な鎮守府の情報なので敢えて身分を偽って情報を収集に徹した。

 

 話を聞く限り、一番上げられる理由としては鎮守府の近くに住むことによってそこに配属している艦娘に守ってもらえると言うことだった。

 

 確かに、戦場でもここは鎮守府という本陣に近い場所。本陣を守るために戦う艦娘達に、間接的にも守ってもらえるのだとか。

 

 戦場であるという欠点を逆手にとった発想だ。まさに、灯台もと暗しって訳だ。

 

 あとは、頼りになる、格好いい、強い、可愛い、結婚してほしい等と言う意見がちらほら上がっていた。最後のやつ、後に絶対後悔するからな。

 

 そして次に驚いたのは、提督の方が蔑まれていたことだ。

 

 というのも、とある民家で話していた際、艦娘が疎まれていないのを良いことに思わず自らの身分を明かしてしまったことが失敗だった。

 

 明かした瞬間、今まで温厚な対応をしていたのが嘘のように変わってしまい、それを弁明する暇もなく追い出されてしまったのだ。

 

 幸いその時に周りに人が居なかったので俺が提督だと言うことがバレずに済んだが、いずれ広まることになるだろうな。今後は街に来ない方がいいかも。

 

 と、そんなことを経験したので今度は身分を明かさずに過去の提督が何をしでかしたのかを聞いてみたら、尽きることがないの? と言うほどその悪行がさらけ出された。

 

 恫喝、搾取、権力をかさにきた横暴な態度、等々の中で特に多かったのが、酒癖の悪さだ。

 

 毎日のように街に現れては、提督と言う身分を良いことに好き勝手に酒を飲んでは店内で暴れる、他の客との喧嘩、店内の破壊を繰り返し、止めようと近付くものには軍学校で習った武術を駆使してボコボコにしていたらしい。

 

 悪いときには、止めに入った人の骨を折るなどの重傷を負わせたりもしたようだ。

 

 この横暴な行為に人々は反感を募らせたが、暴れるのを諌める度に『鎮守府ごと内地に引き上げる』『艦娘を率いて街を襲う』等と脅されたために強く言い出せなかったとか。

 

 また、泥酔の提督を迎えに来た艦娘が謝罪をして回っていたそうだが、彼女の姿が気に入らなかったのか、人々の目の前で提督による艦娘の暴行が行われることも少なくなかったようで。

 

 しかも、その際暴行を加えられる艦娘は決まって小学生ぐらいの少女だったとか。

 

 提督が脅す際の道具に艦娘を用いているせいで、人々は艦娘と言う存在を脅威として恐れていただろう。しかし、そんな横暴な提督のふるまいの尻拭いに奔走する艦娘の姿を見たら、友好的になってもおかしくはないか。

 

「……っと、悪いな兄ちゃん。こんな話に付き合わせちまってよ」

 

「いえ、貴重な話が聞けて良かったです。ありがとうございました」

 

 過去の提督の話をしてくれたオッサンに頭を下げ、早々とその場を後にする。語る口調も、怒気を孕んだものが多かったな。もし俺が提督だって知ったら、どんな顔をするだろうか。

 

 とまぁ、そんな感じで話を聞きながら飯を済ませたが、やはり活気があるとは言っても戦場だと言うことで物価が異様に高い。鎮守府の外で食事を続けたら俺の財布が空っぽになっちまうし、何より人々の対応を予想すると余計行きたくないな。

 

 ならば、何とか食い扶持を捜さなければいけない。

 

 間宮の食堂には一応コンロや冷蔵庫があったはずだ。艦娘の食事は燃料や弾丸だって言ってたから調理せずにそのまま出しているだろう。なら、器具はないモノと見ていいな。食材は論外だ。

 

 取り敢えず、調理器具と食器、そして買える分だけの食材を買っておこう。食材に関しては軍に要請して提供させればいい。どうせ大量に備蓄してるし、問題はないだろう。

 

 そうと決まれば早速大本営に要請しなければ。そんな事を思いながら購入したモノを引っ提げて鎮守府へと戻った。

 

 

◇◇◇

 

 

「その前に、まずは執務室の掃除からか」

 

 モップを担いで水の入ったバケツを持った俺は、執務室の前で溜め息をこぼした。

 

 早速大本営に書類を飛ばそうと意気込んだのだが、それが置いてある執務室が荒廃状態なのを思い出したので、買ってきたものを食堂の厨房に放り込んで急遽、執務室の掃除に切り替えたのだ。

 

 とは言っても、何ヵ月――いや、1年近く放置された無駄に広い場所の掃除だ。物置小屋を掃除するものと同レベルと見ていい。それを一人でやるのだから、骨が折れると言うものだ。

 

「まぁ、四の五の言ってる場合じゃねぇな」

 

 ここを掃除しないと、大本営に送る書類を見つけることも提督として任務にあたることも出来ない。どんな理由をつけるにしろ、やらなければならないことなのだ。

 

 そんな訳で、掃除開始だ。

 

「おい」

 

 意気揚々と執務室に入っていこうとしたとき、横から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「何のようだ? 天龍」

 

 俺は声の方を振り向かずにそう吐き捨てる。俺の言葉に天龍は「んだと」と俺に詰め寄ろうとするも、後ろに控えていた龍田によって引き留められる。

 

「金剛から、てめぇの手伝いをしろって命令を受けた」

 

「はぁ?」

 

 天龍の口から出た言葉に思わず耳を疑った。お前が俺の手伝いをする? しかも金剛がそう命令したって?

 

「昨日のことがアイツにバレたんだよ。それで、そのお詫びとしててめぇの手伝いをしてこいって言われたんだよ」

 

「はぁ……」

 

 昨日のことってのは、恐らく天龍達が俺の荷物をメチャクチャにしたことか。あの後、響って駆逐艦が金剛に報告したんだろう。しかし、上の命令とは言えお詫びに来るような玉じゃないだろお前。

 

「まぁ、今朝の事件のことを考えると、悪いことしちまったしな……」

 

 そう言いながらも何処か不服そうにそう説明する天龍と、その後ろでつまらなさそうに外へ目を向けている龍田。てか、それって俺よりも曙の方が大きくない? まぁ予想はしてたけども。

 

 まぁ、いいや。この執務室の掃除を手伝ってくれるのはありがたい。しかし、何分今までのことがあるのでマジで信じられない自分がいるのも事実だ。

 

「今から執務室を掃除するんだが、邪魔しにきたんじゃないよな?」

 

「手伝いに来たって言ってんだろが!!」

 

「事故に見せかけて俺を消すとか、そんな命令じゃないよな?」

 

「だから手伝えって命令されたんだよ!!」

 

「そんなこと言って、俺が背中を見せた瞬間砲撃とかしないよな?」

 

「そんなことしなくても正面から砲撃してやるよ!!」

 

 おい、最後否定するのはそこじゃねぇよ。と、言ってやりたかったが、それは天龍の後ろで鋏を構えている龍田によって黙らされた。

 

「それに、執務室(ここ)を消せるいい機会だしな……」

 

 執務室を眺めながらそう呟く天龍。その顔には、一言では表しきれない表情が浮かんでいた。

 

 様々な感情が混ざりあったそれを敢えて一言で言うなら、『哀愁』だと思う。

 

「何ボケッとしてるんですぅ? さっさと終わらせましょ~」

 

 天龍の表情をボケッと見ていた俺に、背後から龍田が声をかける。何故か、背中に鋏を当ててだが。

 

「何でもない。じゃあ、やるぞ」

 

 俺はそれだけ言うと、軍服の袖を捲ってモップを掴んだ。



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今の差異

「まぁ、こんなものか」

 

 額に浮かぶ汗を拭い、俺はあらかた片付いた執務室を見回しながら一息ついた。金剛の命令によりしぶしぶ手伝いに来た天龍達と共に掃除を始めて大体3時間ぐらいか。

 

 壊れた家具の撤去から始まった掃除は、俺の部屋から必要な家具の持ってくることでなんとか部屋と呼べるまでにはこぎつけるとこまで来た。執務室に机や椅子、本棚を持って行ってしまったから俺の部屋はベットのみと言う寂しい状態だ。もういっそのことここにベットも持ってきちゃったほうがいいかもしれんな。

 

 でもまぁ、ガラスが用意できないために窓は割れたガラスを取り除くだけにとどめたり、カーペットに付いた汚れは拭き取れるものは拭き取るだけと割と簡易に済ませているところもある。吹きさらしの部屋で寝るのは避けたいな。

 

「天龍、龍田。読めなさそうな本や資料も念のため残しておいてくれ」

 

「うぃ~す」

 

 執務室に散在していたモノを取り敢えずまとめておいた場所に居座っている二人のそう声をかける。天龍は気の抜けた声で応え、龍田は声を出す代わりに手をヒラヒラさせる。金剛の命令や曙のためとか言って理由付けていたけど、ちゃんと手伝ってくれるのはうれしいな。

 

「ん?」

 

 と、資料を片付けていたら細長い紙の束が出てきた。見た感じ、何かの引換券か? 色あせとシミで文字が読めない。軽く見まわしてみるが、有効期限は何処にもない。つまり無しか、あるいは読めなくなったか……。

 

 

「天龍」

 

「あ? っと」

 

 天龍に声をかけながらその束を投げる。天龍は振り向きざまに投げつけた束をキャッチ。キャッチしたものを訝し気に眺めてると、急に血相を変えて束を握りしめた。

 

「お、おい!! ここ、これって……」

 

「何か出てきた。掃除終わったらそれ持って行っていいぞ」

 

「マジかよ!?」

 

「まぁ……」

 

 俺の言葉に天龍は吠える様に叫び、龍田は柄にもなく目を見開いて驚いている。そんなにスゴいものか? 俺にはゴミにしか見えないんだが。まぁ、取り敢えず終わらせるぞ。

 

「…………………」

 

「天龍ちゃん……」

 

 尚も天龍たちは握り締めた束を穴が空くほど見つめている。固まっている暇があるなら手を動かせよ、って言いたかったけど、二人の究極の選択みたいな表情を見たらかける言葉も無くなっちまうよ。

 

「……い、嫌なら別に――」

 

「ほ、ほらよ!!」

 

 そんなに考え込む代物なら返してもらおうと手の伸ばすと、それよりも先に天龍が束から2枚ほど引き抜いて俺に押し付けてくる。押し付けた束を握りながら、天龍は鬼のような形相を向けてきた。

 

「いいか!! それはメチャクチャ大事なものだ!! 絶対になくすんじゃねぇぞ!! あと、そんな軽々しく束で寄越すな!! もっと丁重に扱いやがれ!!」

 

 状況が読めないけど非難されたのは理解できた。天龍は其だけ言うと引き抜いた紙を大事そうにポケットにしまい、執務室に放置されていたガラクタの入っていた袋を引っ付かんで勢いよく立ち上がる。

 

「おい!! あとはこれを持っていけばいいんだな!!」

 

「お、おう」

 

 食いかかる勢いで聞いてくる天龍に生返事を返すと、ヤツは袋を肩にかけて勢いよく執務室を飛び出しいった。飛び出す際に一瞬だけ見えた天龍の顔が、何故か満面の笑みだったのは気のせいか。

 

「何だ? アイツ」

 

「何でしょうねぇ~」

 

 俺の呟きにとぼけるような声色で答えた龍田はクスクスと笑いながら同じように袋を持って執務室を出ていった。心なしか、この足取りが軽いのは気のせいか。

 

 

「一体何なんだよ……」

 

 そんな二人の姿にため息を漏らして、あの束を引っ張り出してよく見てみる。端の方に小さな文字が書かれているな。何々……。

 

 

 

 

 

『間宮アイス引換券』

 

 ……ガキか、アイツ。と心の中で呟いて、さっさと掃除を終わらせるために側にあった袋を引っ付かんだ。

 

 

◇◇◇

 

 

 ガラクタが詰め込まれた袋を全てゴミ捨て場に運び、掃除は完了となった。俺が最後の1つを置いた瞬間、天龍は風のように走り去っていった。どれだけアイスが食いたいんだよ。

 

 残された龍田は俺に手を振ってその跡を追っていった。その時浮かべていた笑みから何か黒いものが見えた気がしたけどまぁいいか。

 

 さて、掃除も終わって時間も6時か。そろそろ飯の時間だな。

 

 昼買ってきたやつは厨房に放り込んでおいたんだが、間宮が居なかったからアイツに聞かずにやっちゃったんだよな。小言とか言われそう。

 

 そんなことを思いながら、ゴミ捨て場から食堂へと足を運ぶ。てか時間帯的に他の艦娘も食べてる頃か。鉢合わせするのは気まずいな。

 

 まぁ、これからのことを考えるとそんなこと言ってられないか。支障をきたしたら上に何言われるか分かんないしな。

 

 お、食堂が見えてきた。常に戦場にいてピリピリしてるんだから、食事時ぐらいはみんな楽しそうにしてるんだろうな。俺が入ってきたら静まり返るんだろうけど。

 

 自分で言ってて悲しくなってきた。取り敢えず、俺が居ない時の艦娘たちの空気はどんなものだろうか、気になるな。そうとなれば、食堂の入り口壁に沿って少し迂回。近くにあった窓に近づき、中を覗き込んだ。

 

 そこには、大勢の艦娘たちが各々に別れてスペースを作り、グループで固まって食事をしていると言う普通の風景だった。

 

 

 

 

 食事をする全員が無表情なのを除けば、だが。

 

「えっ……」

 

 想像とあまりに違いすぎて、思わず声が出てしまう。

 

 厨房からトレイを持ってくるのも、机について手を合わせるのも、食べ終わって手を合わせるのも、空の食器を持っていくのも、その全てにおいて彼女たちが浮かべる表情には感情がなかった。

 

 しかも、よく見たら器に乗せられているのは光沢のある茶色い固まりと、同じく光沢のある鉄のようなモノ、そして、明らかに食卓の場には相応しくない重々しい雰囲気を醸し出す黄土色の細長く先が尖ったモノ。

 

 ボーキサイトと鋼材、そして弾薬だ。

 

 それら乗せられている皿の横に、到底食べ物とは思えない色をしたスープのようなものが深めの皿を満たしている。

 

 あれは恐らく、燃料だ。

 

 それらの味は俺には分からん。もしかしたら旨いかもしれないが、その考えだけは艦娘たちの表情から見てあり得ないだろう。

 

 そんな旨くもないモノを、艦娘たちは箸やスプーン、中には手掴みで口に運んでいるヤツもいる。食べ方は人によって様々だが、共通して言えることは誰一人として無表情を崩さず、かつ一言も喋ることなく食べていることだ。

 

 これは食事じゃない。ただの『作業』だ。

 

 確かに、昼に間宮から艦娘たちは燃料や弾薬等を食事の代わりとしているとは聞いていた。しかし、改めて現実を目の当たりにして、しかも和気あいあいとしている様子を想像していたために精神に来るダメージがデカイ。

 

 その時、駆逐艦の一団が食堂に入ってきた。厨房に近づく彼女たちも、例外なく無表情を浮かべていた。

 

「間宮さん、『補給』お願いします」

 

「あたしも『補給』お願いします」

 

「こっちも『補給』頼みまーす」

 

 厨房に近付いた彼女たちは口々にそう告げ、厨房から出されたトレイを受け取って無表情のまま席へとつく。そんな光景が何回も繰り返される。

 

 そうか、彼女たちにとってこれは食事じゃない。出撃する際に必要とする燃料や弾薬を取り入れる『補給』なんだ。

 

 

 それが、この鎮守府の食堂の光景だった。

 

 

「……ひでぇ」

 

 俺は無意識のうちにそう溢していた。何故その言葉が出たから分からない。しかし、無表情のまま黙々と『補給』を続ける艦娘たちを見ていたら、自然とそんなことを思っちまった。

 

 そして、次に浮かんだのは俺が今からしようとしていることだ。それをすることが、どれだけ酷いことか理解するのにそう時間が掛からなかった。

 

 俺は今、食事をしようとしている。旨くもないモノを事務的に取り入れる『補給』しか出来ない彼女たちの前で、味もあって温かい『食事』をしようとしているのだ。

 

「……誰もいなくなってからにするか」

 

 そう呟いて、逃げるように食堂を後にしようとする。

 

 

「しれぇ、そこで何してるですか?」

 

 不意に後ろから声をかけられ反射的に振り向くと、一人の駆逐艦らしき女の子が首をかしげていた。

 

 黄色いスカーフを揺らし、肩からお尻までスッポリ入るワンピース型のセーラー服。頭には測量計とその両脇に髪留めのようなパーツが付いている。

 

「だ、誰だ」

 

 俺が聞こえるか聞こえないかの小さな声で問う。それに駆逐艦らしき少女は一瞬驚いた顔をするも、すぐに笑顔を浮かべて背筋を伸ばし、ビシッと敬礼して見せた。

 

「陽炎型8番艦の雪風です!! どうぞよろしくお願いします!!」



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一抹の油断(挿絵アリ)

3/20 記
今回、ものもの様から挿し絵を頂きました。
本当にありがとうございます!!

ものもの様のユーザーページ↓
http://touch.pixiv.net/member.php?id=10591772


「雪風……か」

 

「はい!! 雪風ですよ!!」

 

 俺が名前を繰り返しと、雪風は嬉しそうに笑顔を浮かべる。その顔には、他の艦娘が醸し出す嫌悪感は一切感じなかった。

 

 が、俺はそこに言い知れぬ不信感を覚えた。

 

 何せ、俺はこの鎮守府の艦娘に嫌われている。今まで出会った艦娘たちから避けられ、その殆どから敵対する目を向けられていたのだ。中には金剛や天龍、そして曙を庇った潮って言う駆逐艦みたいな過激なヤツもいる。

 

 特筆すべき対象を上げただけで全ての艦娘に会ったこともないが、少なくとも友好的ではないのは確かだ。そんなやつらしか居ない中で、初対面でいきなりフレンドリーに話しかけられれば否が応にも警戒しちまうってものだ。

 

「しれぇ? どうしたんですか?」

 

 雪風は何も言わずにただ己を見つめる俺を見て、不思議そうに首をかしげている。これが天龍なら「何見てんだ!!」って言いながら胸元を鷲掴みしてくるだろうな。

 

「―――!」

 

 黙って雪風の様子をうかがっていたら、彼女の髪から妖精が這い出してきた。妖精は肩に移動すると俺の方を向いて笑顔でビシッと敬礼をしてきた。艦娘の態度が違えばその周りの妖精も変わってくるのか。

 

「しれぇ?」

 

「……いや、気にするな。それよりもお前は何してたんだ?」

 

 いつまでも黙っている俺に心配になった雪風が問いかけてくるので、何とか誤魔化しながら話を変える。俺の質問に、一瞬キョトンとした雪風であったが、それはすぐさま笑顔に変わった。

 

「はい!! 食堂に行く途中にしれぇの姿が見えたので、声をかけました!!」

 

 どうやら興味本意で声をかけたみたいだな。てか、割りと声が大きい。これじゃあ食堂の中にまで聞こえちまう。

 

「そうか、じゃあな」

 

「待ってください!!」

 

 それだけ言ってさっさと逃げようとするも、雪風に手をガッチリ掴まれて逃れられない。そんな俺の手を掴む雪風はキラキラした目を向けて顔をずいっと近付けてきた。

 

「もしかして、ご飯を食べに来たんですか!!」

 

 いや、確かにそうだけども。でもあの空気を更に悪くしたくないから帰ろうとしてたんだよ。何でそんな嬉しそうな顔を向けてくるんですかね。

 

「そういうつも――」

 

「では早速行きましょう!!」

 

 俺の言葉を掻き消すように大声を出した雪風は、掴んだ手をグイグイ引っ張りながら食堂に向かって歩いていく。それに抵抗しようとするも、ちょうど足元に小石や木の根で転ぶのを恐れたりでタイミングを逃し、そのままズルズル引きずられていってしまう。

 

 雪風は躊躇なく食堂のドアを勢いよく開けた。その音は食堂に響き、中にいた艦娘たちの視線が一気に集まる。その中に、友好的なモノは1つもなくむしろ殺気みたいなのもある。

 

 これはマズイ、と本能的に悟った。

 

「お、おい!! 雪か――」

 

「こっちですよ!!」

 

 悲痛の叫びも虚しく、雪風はその場の空気お構い無しにズルズルと厨房へと進んでいく。何とか手を振りほどこうとするも、何故か運悪く(・・・)机や椅子の脚に引っ掛かりそうになって振りほどくタイミングが掴めず、雪風の為すがままに引きずられていくことしか出来ない。

 

 厨房へ向かう道中、数多の艦娘の横を通ったが、予想通り俺の登場で表情を曇らせている者が殆んどだ。中には俺を見た瞬間、食べるスピードを早めるヤツもいる。どれだけ俺と同じ空間に居たくないのか、と悲しくなる。

 

「間宮さん!! ご飯お願いします!!」

 

 俺を引きずりながら厨房に到着した雪風は、手を振り上げて元気よく厨房に呼び掛ける。それに答えるように、トレイを持った間宮がやれやれと言いたげな表情を浮かべながら出てきた。

 

 しかし、それも俺を見た瞬間憤怒に満ちたモノに変わったがな。

 

「提督!! 貴方は本当に――」

 

「間宮さん? 何怒ってるですか?」

 

 間宮が厨房と食堂を繋ぐ机に身を乗り出さんばかりに俺に詰め寄ろうとするのを、横の雪風が首をかしげて問いかける。それに間宮はピタッと動きを止めて表情を歪ませた。

 

 恐らく俺が無断で食材や調理器具を放り込んだことを問い詰めようとしたが、雪風が居る手前分が悪いと判断したのだろう。確かに、艦娘の前で食材の話をするのは酷と言うものだ。

 

「すまん、俺が軽率だった」

 

 これ以上間宮に迷惑をかけるのも申し訳ないので、何か言われる前に先に頭を下げる。これなら、俺と彼女以外事情が察せないから大丈夫だろう。俺が頭を下げると目の前で息を呑むのが聞こえ、次に唸るような声が聞こえる。

 

「……以後、気を付けてください」

 

 しばらく続いたうなり声が小さくなり、何か諦めたような声色の間宮の声が聞こえた。それを受けて顔を上げると、甚だ遺憾である、と言いたげな間宮がいたので、改めて頭を下げておいた。

 

「それと、すまんが厨房を貸してくれないか? もちろん、ここに居る艦娘が帰った後だが」

 

 そう言いながら間宮にもう一度頭を下げる。理由は簡単、俺が食べる飯を作るためだ。

 

 しかし、間宮の対応を見る限り、『補給』しか出来ない艦娘の前でこの話はタブーに近い。故に敢えて伏せておいたが、昼間放り込んだモノを知っている間宮なら察しがつくだろう。

 

「…………分かりました。では、中にどうぞ」

 

 俺の隠語を察してくれたらしく、間宮はそう言うと蝶番が付いた机を上げて厨房と食堂を繋ぐ通路を作ってくれる。間宮に促されてそこから厨房に入り、早足に奥へと引っ込んだ。

 

「しれぇは何してるんです?」

 

「雪風ちゃんには関係ないことよ。ほら、早く食べちゃいなさい」

 

 後ろで不思議そうな雪風の声とそれをかわす間宮の声が聞こえたが、周りの艦娘たちの視線が怖くてそれを振り返ってみることは出来なかった。

 

 

◇◇◇

 

 

 厨房に引っ込んでから一時間ほど。夕食のピークは大体過ぎたみたいで、食堂にいる艦娘たちは殆どいなくなっいた。これなら調理を始めてもいいかもな。

 

「んで、何でお前はそこにいるんだよ?」

 

「どうぞお構いなくです!!」

 

 俺が包丁片手にそう問いかけると、笑顔で答えになってないことをのたまう雪風。彼女は厨房と食堂を繋ぐ机に身を乗り出してこちらを覗き込んでいる。お前もう『補給』済ませただろう、なんてこと言えるはずもない。

 

 そして、先ほど現れた妖精も興味津々と言った感じで俺を見てくる。

 

「そいつ、いつも一緒なのか?」

 

「はい!! この子は雪風がここに来た時からずっと一緒にいますよ!! 鎮守府で一番の仲良しちゃんです!!」

 

 俺の問いに雪風はパァッと顔を綻ばせながら妖精を掴んで頬ずりを始めた。いきなり掴まれて驚くかと思われたが、妖精は動揺することなくキャーと言いたげな顔で雪風のほっぺに抱き付いている。いつもやられているのかもな。

 

 仲がよろしいことで……。てか、あんな光景を見た後だ、あまり艦娘に料理してることを見せたくないんだよな。なんとか帰ってくれないか……。

 

「今からすることはべつに面白いことでもないぞ? それに演習で疲れてるなら早めに休んだ方がいい」

 

「雪風は丈夫ですから問題ないです!! それに、しれぇが何食べるのか気になります!!」

 

 そんなキラキラした目で興味津々!! って言われたら無理に追い返せないじゃねぇか。まぁ、これで明日寝坊でもしても責任取らないからな。

 

「明日寝坊しても知らないからな?」

 

「雪風は雪風ですから、大丈夫です!!」

 

 いや、理由になってないからな。ともあれ、さっさと作って食って帰らせればいいか。

 

「じゃあ、そこで大人しくしてろ」

 

 俺の言葉に雪風と妖精は揃ってビシッと敬礼をしてくる。……さっさとやってしまおう。

 

 

 その後、厨房は包丁の音、肉の焼ける音、ぐつぐつ煮える音だけが響くだけの空間となった。

 

 俺が淡々と調理を進めていくのを、雪風は黙って見つめている。その眼差しは、先ほど天然そうな笑顔を浮かべていたとは思えないほど、鋭いものがあった。

 

 そんな眼差しをさらされながら、俺は調理を進めて行ってあとは鍋で煮込む段階となった。

 

「よし、あとは待つだけか」

 

「しれぇ、随分手慣れてますね? ここに来る前はお店みたいなものはやってたんですか?」

 

 グツグツと煮える鍋の火を弱火にしてタイマーをセット。あとは任せるだけとなったので一息つくと、今まで黙っていた雪風がそんなことを聞いてくる。

 

「やってねぇよ。軍学校時代、なし崩しにうまくなっただけだ」

 

 俺が所属していた軍学校は食事を作るのも士官の役目、って名目で全生徒を10人1班に分け、三つの班をその日の飯を作る当番制だった。だが、今まで包丁すら握ってこなかった奴らが集まる学校だ、そこの飯のレベルなんて「悲惨」だ。

 

 そんな悲惨な食事状況の中で、数人のまともなものを作れる奴が重宝されるのは当然と言うか。その数人にいた俺は、その日の当番の奴に飯を作るのを頼まれることが多かった。しかも、軍学校全員と言う大量のモノを時間までに作らないといけないから、嫌がおうにも慣れるしかなかった。

 

「ま、そのせいで成績がギリギリになったんだけど」

 

「なるほど!! しれぇは料理の腕はピカイチだけど頭はバカだったんですね!!」

 

 ハッキリ言うなハッキリ。面と向かって言われると割とくるんだぞ。しかも、いい笑顔で言い切ったのを見るに、コイツ悪びれもなく言ってやがるな。

 

「しれぇ!! 鍋から白い煙が噴き出してます!!」

 

 少しは自重するよう雪風に言おうとしたら、それを遮る様な雪風の声、そしてタイミングよく(・・・・・・・)タイマーが鳴る。……示し合わせてない?

 

「しれぇ!! しれぇ!! 遂にできたんですか!! 完成ですか!!」

 

 タイマーが鳴って完成した、と言うのを察した雪風が顔を綻ばせながら机の上でバタバタ騒ぎ出す。危ないから少し黙ってろ、と言って大人しくさせ、白い煙――――湯気を噴き出す鍋の蓋を取る。

 

 

 今回作ったのは、ぐつぐつと煮える茶色いルーとその中に大きめの具材がゴロゴロとしているカレーだ。

 

「うわぁ……」

 

 机の上から鍋の中身が見えたのか、雪風が感嘆を漏らす。それが聞こえると同時に湯気が顔にぶつかり、スパイシーな香りが鼻をくすぐった。香りから見るに、完成とみていいだろう。

 

 ジャガイモの具合を確認するために傍のお玉を手に取って鍋に入れ、茶色いルーを纏ったジャガイモをとりだして箸で刺してみる。手ごたえなく入っていくから、火は十分通っているな。

 

「しれぇ!! しれぇ!! すごいです!! すごく美味しそうです!! 見てるだけでお腹が減っちゃいます!!」

 

 カレーを見た雪風が先ほどよりも大げさに騒ぎ出す。宥めようにも興奮していて無理だな。取り敢えず、先に炊いておいたご飯を器によそってそこにカレーを流し込む。……カレー食わせれば落ち着くか?

 

 そう思って余分に買っておいた食器を出して、同じようにご飯とカレーをよそう。2人分のカレーライスを食堂の方に持っていくと、待ってましたと言わんばかりに雪風が近づいてきた。しかし、2人分のカレーライスを見て眉を潜める。

 

「しれぇ、何で2人分もあるんですか?」

 

「お前の分だ。別にいらないなら戻すが」

 

「いえ下さい!! むしろ食べさせてくださいお願いします!!」

 

 俺の言葉に雪風は必死の形相で詰め寄ってくるので、言葉で返す代わりにカレーライスを渡してやる。カレーライスを笑顔で受け取った雪風は小躍りしながら近くの机に持っていき、何故か戻ってきて俺の袖を引っ張ってきた。

 

「しれぇも一緒に食べましょ!!」

 

 笑顔でそう言いながら袖を引っ張ってくる雪風。周りには俺と雪風以外は食堂を後にしている。これなら食堂で食べても問題ないか。

 

「分かったから引っ張るな」

 

 そう言ってやると雪風は更に顔を綻ばせ、先にカレーライスのもとに走っていった。その後ろ姿を見ながら、俺は自分のカレーライスをもって彼女の向かい側に座った。

 

「では、さっそくいただきます!!」

 

 俺が座ると同時に雪風はスプーンを握りしめてカレーをすくい、すぐに口に運ぶ。

 

「あふぃれふぅ!?」

 

 カレーを口に入れた瞬間飛び上がった雪風は、水を求めて厨房に走りこんでいった。熱々のカレーを冷まさずに口に含めばそりゃ熱いわ。そんなことを思いながらちゃんと冷まして口に運ぶ。

 

 うん、自分で言うのも何だが旨い。最後に煮込んだおかげで水分が飛んでトロッとしたルーに、口の中で解ける玉ねぎ、噛むとほろほろと解けていくジャガイモとニンジンが絡み合っていい感じだ。米もなるべく研ぐ回数を減らし研ぐときも優しくしたため、米本来の甘さが感じれる。トロッとしたカレーとの互いの良いところを引き出しているな。

 

「いや~、まさかあれ程熱いとは思いませんでしたよ。」

 

 水で冷ましてきたらしき雪風が、舌を出してもうこりごりと言いたげな顔で席に着く。その時、俺の分の水も持ってきてくれた。

 

「では、もう一度いきますよ!!」

 

 水を飲んで落ち着いた雪風は仕切り直し!! と言いたげにスプーンを取ってカレーに挑む。今度はちゃんと冷ましてから口に運んだ。

 

「んん~!!」

 

 口に含んだ瞬間、雪風は恍惚の表情を浮かべる。しかし、すぐさまスプーンを動かして第2、第3とどんどん口に運んでいく。その度に、彼女は同じような表情を浮かべた。ちょっとリアクションがオーバー過ぎないか。

 

「たかが市販のルーを使ったカレーだぞ。大げさすぎないか?」

 

「いえ、すごく美味しいですよ!! これなら何杯でも食べちゃいます!!」

 

 俺の言葉に雪風は嬉しそうな顔を向けてくる。しかしそれはちょっと驚いた顔に変わり、そして子供を見るような優しい笑顔になった。

 

 

 

「しれぇも、スゴイ嬉しそうですしね!!」

 

 雪風の言葉に、俺は思わずそっぽを向いて手で顔を確認する。……いつの間にそんな顔していたのか。失敗だ。以後、気を付けないと。てか、そんな面と向かって言われると恥ずかしいわ。

 

「さぁしれぇ!! お代わりお願いします!!」

 

 そんな俺をお構いなしに、雪風は空っぽになった器を差し出してくる。これ、俺の飯なんだけどな。まぁ、そんな笑顔を向けられたら断れるはずもないか。

 

 

 その日、2日間に分けて食べようと作ったカレーの殆どは雪風の胃袋に収まることとなった。

 

 

 

―――『とある駆逐艦の自室より』―――

 

      

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深淵との対峙

「ではしれぇ!! おやすみなさいです!!」

 

 扉の前でクルリとこちらを振り向いた雪風が、元気よく敬礼をするとそれに合わせて頭の上の妖精も敬礼する。何か仲の良い姉妹みたいで面白いな。

 

「おう、じゃあな」

 

 俺が軽く手を振ると、雪風は笑顔のまま扉に向き直って小走りで中に入っていく。それを見送りながらドアを閉めると、全身にドッと疲れが込み上げてきた。

 

 ここは艦娘たちの宿舎の1つ、主に駆逐艦たちの建物だ。駆逐艦の宿舎なので当然雪風の部屋があるわけで、食堂を出た時に雪風が部屋まで送れと駄々を捏ねたので、仕方がなく送ってやったところだ。

 

 無論、他の駆逐艦たちもいるので、道中名前の知らない艦娘に出くわしてはすぐに逃げられると言うのを繰り返す嵌めになった。お陰で俺のメンタルは割りとボロボロだ。まぁ、雪風に引っ張られながら宿舎を歩く俺を見た駆逐艦たちの方が戦々恐々しているかもしれないがな。

 

 取り敢えず、これ以上互いに精神をすり減らす必要はない。早く出てしまおう。

 

「このっ!!」

 

 ふと、いきなり後ろから怒声を浴びせられる。振り返ると、見たことのある女の子がこちらに向かって拳を振りかぶっていた。

 

「うおっ!?」

 

「獣め!!」

 

 咄嗟の判断で横に飛んで拳を避ける。拳を避けられたその子は勢いで壁に激突しかけるも寸でのところで踏みとどまり、体勢を立て直すとすぐさまこちらに向き直った。

 

「潮……だっけ?」

 

「気安く呼ばないで!!」

 

 殴りかかってきた女の子―――昨日、曙を庇っていた潮だったか。彼女は俺の言葉を掻き消すようにヒステリックな声を上げ、まるで穢らわしいものでも見るような目を向けてくる。

 

「雪風ちゃんに一体何をした!!」

 

「へ? カレーを食べさせただけだ――」

 

「嘘をつくな!!」

 

 俺の言葉を怒号で遮った潮は、犬歯剥き出しで血が出るかと思うほどの深いシワを眉間に浮かべながら指差してくる。

 

「そんな嘘、絶対に騙されない!! どうせ雪風ちゃんの弱味でも握って無理矢理従わせているんでしょ!! そうに違いないわ!!」

 

「はぁ?」

 

 俺はただカレーを食べさせただけで雪風の弱味なんか握ってねぇわ。むしろ、アイツの態度からして食事の度にやって来て飯をたかる勢いだぞ。

 

「おい、弱味なんか―――」

 

「黙れ獣!! 今さら嘘をついたって私には全部お見通しなんだから!! これ以上、あんたの好きになんか絶対にさせない!! 雪風ちゃんや曙ちゃん、そして他の子には手出しさせないんだから!!」

 

 だめだ、潮のやつ頭に血が上ってやがる。血気盛んで喧嘩の耐えなかった軍学校時代の経験上、この場合何言っても無駄だ。

 

 それに駆逐艦たちの年齢的にもう就寝時間に近い。こんなところで騒いだら周りの部屋の子達に迷惑だ。眠れなくて明日の出撃や演習に支障が出るのは避けたいところ。

 

「なぁ潮、一旦落ち着け?」

 

「ここにきて罪を認めるのね!! やっぱり雪風ちゃんを無理矢理従わせてたんだわ!!」

 

 少しでもいいから話を聞いてくれよ言いたいが、この際どっちでもいい。とにかく落ち着いてくれ。にしても、この頃の女の子って思い込みが激しいとはよく聞くがここまで激しいものなのか? トラウマでもあるかのような勢いだぞ。

 

「最っ低よ!! あんたなんかこんご―――」

 

「何を騒いでいるんですか?」

 

 なおも喚き散らず潮の言葉と重なるように、俺の後ろから声が聞こえる。それにいち早く反応した潮は俺の後ろに目を向け、パアッと顔を綻ばせた。

 

 

「榛名さん!!」

 

 俺の横を通りすぎてそう言った潮は声の主らしき艦娘に勢いよく抱き着く。潮をしっかり抱き止めた艦娘は、潮をぎゅっと抱き締めながらその頭を撫でて落ち着かせ始めた。

 

 服装は金剛と同じ露出度の高い和服だか、黒のスカートではなく赤のもっと丈の短いスカートを穿いている。黒髪ロングに穏やかそうな顔、それと裏腹に出るとこでた身体。服装と顔立ちから、金剛に通ずるものがあるな。

 

「榛名さん!! また獣が本性を現しました!! 早く鎮守府(ここ)から追い出しましょう!!」

 

「潮ちゃん、分かっているから少し落ち着いてください。他の駆逐艦()たちが起きちゃいますよ?」

 

 スカートを掴みながら叫ぶ潮に榛名と呼ばれた艦娘は潮と同じ目線になって、優しく語りかけながらその頭を撫でる。榛名の言葉に潮は周りの状況を悟り、ようやく大人しくなった。

 

 それを確認した榛名は一瞬こちらを見て、すぐに潮に向き直りニッコリと笑いかける。

 

「提督に関しては私から金剛お姉様に伝えますから、もう寝てくださいね?」

 

 榛名がそう優しく語りかけると、潮は心配そうに榛名を、そしてゴミでも見るような眼で俺を睨み付けた後、ゆっくりと頷く。そして榛名のもとを離れて俺の横を素通り、そのまま廊下の方に消えていった。

 

「……さて、提督」

 

「俺はなにもしてないぞ」

 

 榛名の言葉にそう返すと、榛名は何故か苦笑いを浮かべてきた。

 

「雪風ちゃんをここまで送ってきただけなんですよね? 食堂でお見かけしたので分かっていますよ」

 

 予想外の反応に狼狽えてしまった。予想だと潮の言葉を鵜呑みにして責めてくると思っていたんだがどうやら榛名は俺のことを信じてくれるみたいだ。

 

 榛名の対応に反応できないでいると、彼女は何故か背筋を伸ばして改まった様子で頭を下げてきた。

 

「改めまして、金剛型戦艦3番艦の榛名です。今後とも、よろしくお願いします」

 

 金剛をお姉様と呼んでる辺り、妹と見ていいだろう。しかし、金剛の態度からは想像もできないほど礼儀正しい子、というのが第一印象だ。

 

「そして先ほどの潮ちゃんの無礼、代わりに謝罪しますので許してくれませんか?」

 

「別に気にしてないからいい」

 

 俺の言葉に榛名は深々と頭を下げてくる。曙の件で見てたし、初めてじゃないからそこまで気にしてない。むしろ、あそこまで潮が俺を毛嫌いする理由が知りたい。まぁ、それはおいおい聞いていくか。

 

「それよりも、俺がここにいることで駆逐艦の子達が落ち着かないみたいだし。早めに部屋に戻らせてもらうわ」

 

「そうですか。では、お供させていただきますね」

 

 俺の言葉に榛名はそう言いながら先導をかって出てくる。潮の件でも引きずっているのか? 別に部屋に帰るだけだから付いてこなくてもいいんだが。

 

「ここからご自身のお部屋まで、迷わずに行けますか?」

 

 俺の問いに榛名はどこか試す様な表情でそう聞いてくる。それに、俺はすぐに反応できなかった。

 

 確かに、まだ鎮守府に来て日も浅く鎮守府の地図も把握しているわけではない。更に、食堂から雪風に引っ張ってこられたためここが鎮守府のどこなのか知らない。

 

 それに駆逐艦のみならず他の艦娘の気分を害すかもしれないしな。ここは、大人しく榛名の言葉に甘えさせてもらうのが一番か。

 

「……なら、よろしく頼む」

 

「分かりました。では、ついてきてくださいね」

 

 俺の言葉に榛名は微笑むとクルリと後ろを向いて歩きはじめる。その後を追って、俺も同じように歩きはじめた。

 

 榛名の案内で宿舎を後にした俺たちは、月明かりで照らされた夜道を並んで歩く。道中艦娘に会わない辺り、俺の意図を汲んでくれたのかもな。

 

 そんな榛名は、時折こちらをうかがう様に覗き込んできて、ふと目が合うと必ず微笑みかけてくる。無言の中でこれをされたらむずがゆいな。

 

「榛名、聞いていいか?」

 

「何でしょう?」

 

 むずがゆさに耐えかねた俺はそんなことを榛名に振ると、彼女はそう答えながらこちらを覗き込んできる。むずがゆいのを悟られなくないので、なるべく目を合わせないように帽子を深くかぶって誤魔化した。

 

「潮もだが、ここの艦娘は明らかに俺のことを嫌っているよな?」

 

「……提督自身がそう感じるのならそうかもしれませんね」

 

 俺の問いに、榛名は歯切れの悪い答えを返す。まぁ、あれだけ分かりやすいのを見れば嫌でも分かるわな。それに、理由も大体予想はついているし。

 

 

「俺が来る前は、一体どんな提督(やつ)だったんだ?」

 

「それは……」

 

 俺の言葉に榛名はそうこぼすと、今まで覗き込んできた顔をぷいっと背けて黙り込んでしまう。ビンゴか。いや、むしろそれ以外ないわな。

 

 金剛や潮、天龍等を筆頭とした艦娘たちの態度、そして街で聞いた前任の悪行の数々……それを加味してもこの状況を作り出したのは前任のクズだとみて間違いないだろう。

 

「食堂のあれも、ソイツが考えたのか?」

 

 俺の問いに、榛名は何も言わずに頷いた。出撃に必要な資材のみを摂取させる体制を敷いたのもソイツがどういう思惑で考案したか知らんが、艦娘たちのあんな光景をよく平気で見れたものだな。

 

 だって、艦娘って―――。

 

「提督? こちらですよ?」

 

 不意に榛名に呼び掛けられて我に帰る。周りを見ると、俺が3つに別れた道の1つに立っていて、榛名は別の道の中腹にてこちらを心配そうに眺めている。

 

 どうやら、考えすぎて違った道に行きそうになったみたいだ。それに気づいてすぐに榛名の元に走り、俺が追い付くと彼女は再び歩き出した。しかし、歩き出したことにと寄って俺はまた思考の海に沈んでいった。

 

 ん? 待てよ? 食堂の件はソイツが考えたんだよな? なら、居なくなった後なのに何で同じ体制を敷いてるんだ?あの表情から見るに、艦娘たちもあれに満足してるはずはないし。雪風の反応を見るに俺たちが普通に食う物を食ってもなんら問題はないはずなのに……。

 

 艦娘たちが文句も言わずに従っている辺り、今でも誰かがそれを強制しているってことだよな?

 

「榛名、何でソイツが居なくなっても何も変わ――」

 

「提督、こちらです」

 

 いつの間にか俺のそばを離れていた榛名は部屋がある建物を指差してそう言い、そのまま入っていってしまった。慌ててその後を追うも、明らかに先程より歩くスピードが上がっていてなかなか追い付けない。

 

 地雷でも踏んだのか? でも、それならなんでこの話題が地雷なんだ? 

 

「提督、着きましたよ」

 

 沸き上がる疑問を整理していたら、とうとう俺の部屋までついてしまった。榛名はドアを開けて、中へどうぞ、とでも言いたげに手を向けてくる。その顔には、先ほどの柔らかい微笑みではなく、何処か悲し気な、悲痛に満ちた表情があった。

 

 

 これ以上、聞くな―――と言うことか。

 

 俺はまだ着任して2日目。ここの空気になじんだとは言えない。俺よりも前からここにいる榛名たちにとっては新参者もいいとこだ。そんな新参者、ましてや今日顔を合わせたばかりの奴に色々と話せるわけないか。

 

 それに、この件に関しては艦娘たちのデリケートな部分も含む。もうちょっと、互いに落ち着いてから聞くことにした方がいいな。

 

「分かった、送ってくれてありがとうな」

 

 俺の言葉に、榛名は深々とお辞儀をしてくる。無理に声をかける必要もないか。なら、ここは早めにお暇させてもらおう。そう思って、ねぎらいの意味も込めて榛名の肩をポンと叩く。

 

「ッ!?」

 

 叩いた瞬間榛名がいきなりビクッと身を震わせる。その反応に思わず彼女を見るも、それ以降一言も発せずにただ頭を下げるだけだ。肩を叩いたのはちょっといきなり過ぎたか。今後は自重しよう。

 

 これ以上声をかけるのも気を使わせることになりそうだし、さっさと部屋に入ってしまおう。頭を下げ続ける榛名の脇を通り、部屋に入る。脇を通る際も、榛名は頑なに頭を上げようとはしなかった。

 

 肩を触ったことを金剛に報告されかねないかな。また曙みたいな目に遭うのは懲り懲りだぞ。と言うか、そうならないためにも一応謝っておこう。

 

「榛名、さっきはすま―――」

 

 そこで、俺の言葉は途切れた。振り返った瞬間、光に照らされてキラキラ光る美しい黒髪が目の前にあったからだ。

 

 次に、胸の辺りに強い衝撃を受ける。不意打ち気味の衝撃になすすべもなく、俺は簡単に押し倒されてしまった。その際、後頭部を強打した。

 

 鈍い痛みに耐えながら胸のあたりを見ると、榛名が俺の背中に手を回し、胸に顔を埋める様に抱き付いている。たぶん、先ほどの衝撃は榛名が抱き付いてきたのだろう。

 

「榛名!! どういう―――」

 

「提督」

 

 俺の言葉を榛名の声が遮る。その声は先ほどの柔らかな物腰とは比べ物にならないほど低い。鎮守府の件を聞いてた時の声よりも更に低く、憤怒や悲痛などの感情が全て欠落してしまったような。

 

 まさに『無』感情―――そんな声だ。

 

 先ほどとの変わりように反応出来ないでいると、俺の胸から顔を上げた榛名はゆっくりと上体を起こす。そして、いきなり和服を襟に手をかけ、ゆっくりとはだけさせ始めた。

 

「ちょ!?」

 

「金剛型戦艦三番艦、榛名」

 

 感情が一切感じられない声でそう零した榛名は、ハイライトが消えた目を俺に向けてこう言った。

 

 

 

「今宵の伽、務めさせていただきます」



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決して埋まることない溝

「提督は、何もなさらないでくださいね?」

 

 榛名が抑揚のない声でそう言う。その言葉は確実の俺の鼓膜を揺らし、彼女がなんと発したのかまでは分かった。しかし、俺は何も発せない。

 

 頭で理解できていなかったからだ。

 

 榛名にいきなり抱きつかれ、押し倒された。そして、馬乗りの状態の榛名がいきなり服を脱ぎ始め、こう言った。

 

 

『今宵の伽、務めさせていただきます』

 

 伽――随分昔の言い方だが、要するに夜の営みをすること。正確に言えば、女が男に奉仕することだ。

 

 そして、榛名はこう言った。

 

『今宵の伽』と。

 

 

 

「提督、何がご所望でしょうか?」

 

 不意に榛名の声が間近で聞こえ、それと同時に胸の辺りに柔らかくて暖かいものがあたる。声の方を見ると、上半身を露にした榛名が俺の身体にピッタリと寄り添いながら、見上げるように覗き込んでいた。

 

 黒髪と対称的な白く透き通った肌、そんな白い肌の中で映える赤く控えめな唇。白く透き通った肌に、深海棲艦を一撃で沈めると言われる戦艦なのかと疑問に思うほど細く華奢な肩や腕。

 

 そして華奢な肩や腕と対称的な、俺の彼女の身体の間でふっくらと盛り上がる2つの胸部装甲。

 

 どれをとっても、女性として非常に魅力的な姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その目に、涙さえ浮かんでいなければ。

 

 

 

「提督?」

 

 俺が何も言わないことを不審に思ったのか、榛名は小さく呟く。先程の抑揚のない声ではなく、少し震えた、明らかに恐怖を孕む声だ。

 

 その様子に、俺は無意識のうちに榛名の手をとった。その瞬間、榛名はビクッと身を震わせてからギュッと目を閉じる。

 

 とった手は震えている。手だけでなく、彼女の身体全体が震えていた。あれほど艶っぽく見えた唇や白く透き通った肌に、若干青みがかかる。

 

 言葉の意味を履き違えない。まさに『伽』がそこにあった。

 

 

「誰の命令だ?」

 

 無意識のうちに、そう声が漏れていた。それに、榛名はビクッと反応し、恐る恐る目を開けて俺を凝視する。

 

「誰だ?」

 

 再度、同じ質問を投げ掛ける。たいして、榛名は俺の顔を凝視しながら呆けた顔を向けている。言っている意味が分からない、といった感じだ。

 

 その姿を見ていると、不意に胸の中から何かたぎるものが込み上げてくる。この感覚を、俺は知っている。前に、天龍に荷物をめちゃくちゃにされたときに近い。

 

 しかし、それはあのときと比べ物にならないほど熱く、今にも噴き出しそうなほど煮えたぎったどす黒い感情であった。

 

 それはどんどん大きくなっていき、手、足、頭を満たしていく。同時に身体全体が熱を帯び始めた。いつ暴発しても可笑しくないそれは、やがて噴き出される先を探せと叫ぶように頭の中でぐるぐると回り始める。

 

「これを指示したのは誰だ」

 

 もう一度、榛名に問い掛ける。頭の中で徐々に増えながら回るそれを向ける先を。恐らく、一度暴発すれば人を殺しかねないほど溜まりに溜まったそれを向ける先を。

 

 榛名は俺を凝視しながら、フルフルと顔を横に振った。その際、涙が四方に飛び散り、俺の服を濡らす。しかし、今の俺にはなおも増え続けるそれの望むことに従うしか出来ない。

 

「前任か?」

 

 俺の問いに、榛名の目に更に恐怖が映る。ビンゴと見ていいだろう。しかし、そいつは今ここにいない。つまり、今現在鎮守府に所属している誰かが彼女に命令したことになる。

 

「お前に命令したのは誰だ?」

 

 再度、同じ質問を投げ掛ける。しかし、榛名はまたもや首を横に振るだけであった。このままでは埒があかない、そう判断した。

 

 その瞬間、1つの仮説が頭の中に浮かんできた。

 

 榛名の様子を見るに、伽の件や食堂の件は前任が強いた体制である。それを強いた前任はとうの昔に消え去っているのに、今現在でもそれが続けられている。つまり、前任と同じ権力をもった人間がこの体制を強いているのだ。

 

 では、今現在前任ほどの権力をもった人間は誰か。いや、人間ではない何か。ましてや、ここにいるのは艦娘ばかり。つまり、艦娘の中にいる。

 

 

『Hey、テートク。ワタシ、この鎮守府でテートク代理をしている金剛デース。よろしくお願いしマース』

 

 ふと、頭の中に過った言葉。その瞬間、回り続けていたそれが爆発的に膨れ上がった。

 

 

 

「金剛ォォォォォオオオオオオ!!」

 

 俺の部屋に、俺自身の絶叫がこだまする。榛名はそれに驚いて俺の身体から離れた。動けるようになった俺はすぐさま飛び起きて廊下へ続くドアに近づき、勢いよく足を振り上げる。

 

「ざっけんなァ!!」

 

 怒号と共にドアを蹴破る。固定するものを失ったドアは吸い込まれるように反対側の壁に叩きつけられ、盛大な音をあげながら廊下に弾けとんだ。

 

 それに見向きもせず、俺は廊下に飛び出して目的の者を探して歩き出す。

 

 頭に浮かぶのは金剛の顔。その瞬間、それは噴火した火山のように噴き出し、その熱が俺の身体、脳、思考回路を蝕み始める。

 

「て、提督!!」

 

 後ろから榛名の声が聞こえ、右腕に抱き着かれる。しかし、今そんなことに気を配っている暇はない。そう判断し、無意識のうちに榛名を振り払った。

 

「金剛ォ!! 何処にいる!!」

 

 夜がふけた鎮守府、寝静まっている艦娘もいるだろう。しかし、それに気を配っている余裕はない。早く、煮えたぎるこれをぶつけなければ。

 

 

「静かにするネ!!」

 

 不意に横から怒号が聞こえ、振り返るとそこに目的の人物が立っていた。

 

 朝見た時と変わらず、露出の激しい和服にカチューシャ、丈の短いスカート。榛名と肩を並べられるほど透き通った白い肌に浮かぶ目に深い隈が刻まれていること以外、全て同じだった。

 

「もう就寝している子たちの迷惑を考えてくだサイ!!」

 

 顔に深いシワを刻み込みながら、金剛は凄味を効かせてくる。今までの見せてきたことないその顔に、大概の人なら怖気づいてしまうだろう。

 

 でも―――――

 

 

「金剛ォォォォ!!」

 

 今の俺にそんなものは通用しない。噴き出したそれをぶつけるためなら、砲門で腹をぶち抜かれるぐらい造作のないことのように思えた。そう叫びながら金剛に詰め寄る。

 

 金剛は近づいてくる俺を見て顔を引きつらせ、一歩ずつ後退りを始めた。遠い昔、世界が大規模な戦乱に見舞われた際に、最古参のブランクをものとのしない怒涛の活躍で名を馳せた戦艦、あの金剛を後退りさせる。そんなことが自分にできるなんて思いもしなかった。だが、今回はこれに便乗させてもらう。

 

 金剛は一歩後ずさるのを、俺は二歩歩いて距離を詰めていく。俺が近づくのに対して、金剛は引きつらせた顔を何とか持ち直し、戦艦金剛の名にふさわしい殺気染みた視線を向けてくる。それにさらされても、俺は止まることはなかった。

 

 どんどん距離を詰めていく。後退りしていた金剛はやがて顔を背けた。それにより、彼女の殺気染みた視線が消え、ここぞとばかりに一気に距離を詰める。

 

 そして、金剛の腕を捉えた。

 

「ッ」

 

 金剛の小さな声が聞こえるのも構わず、捉えた腕を力任せにこちらに引っ張る。金剛は引っ張られる腕に抵抗することはなくこちらに引き寄せられ、俺は俯いたまま沈黙しているその襟首を掴んで捻り上げた。

 

 捻り上げると同時に片手は拳を握りしめ、金剛の顔があらわになったらそこに叩き込む準備を整えた。捻り上げて顔を上げさせ、その表情を見るためにズイッと顔を近づける。

 

 そして、握りしめた拳を勢いよく振り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 捻り上げた手の甲に、ポトリ、と何かが落ちてきた。

 

 それを感じた瞬間、俺の振り上げた拳は止まる。いや、正確には目の前にある金剛を見たからだ。

 

 

 

「ひぐッ……うッ……うぅ……」

 

 

 金剛は泣いていた。

 

 固く目を瞑り、血が出るほど唇を噛み締め、これから来るであろう激痛に耐えるかのように、彼女は泣いていた。そこに、さっきまで俺を睨み付けてきた、数々の戦いを切り抜け、帝国史上最も活躍した戦艦『金剛』の姿ではなかった。

 

 ただの、一人の少女がいた。

 

 

「ていとくぅ……」

 

 榛名の声が聞こえ、足に抱き付かれる。足元を見下ろすと、涙でぐちゃぐちゃになった顔の榛名が必死に俺の足に縋り付いていた。

 

「こんごうおねぇさまはかんけぃありません……すべて、はるながわるいんですぅ……ゆるしてくださぃ……」

 

 嗚咽交じりのか細い声でそう懇願する榛名。捻り上げられて何も抵抗することなく込み上げる嗚咽をかみ殺す金剛。

 

 そこに、金剛型戦艦姉妹、いや、深海棲艦を一撃で沈める戦艦の姿を、微塵も感じることはできなかった。

 

「……すまん」

 

 俺は無意識のうちにそう零し、金剛の襟首を離した。解放された金剛はそのまま床にへたり込み、涙にぬれた顔を必死に拭う。それを確認した榛名は小さな鳴き声を漏らしながら俺の足を離れ、金剛に近付いた。

 

 肩に手を置かれた金剛は拭っていた手を止め、いきなり立ち上がる。それに一瞬驚いた榛名であったが、すぐに顔を曇らせて俯いた。

 

「……榛名、『伽』はするなとあれ程言ったはずネ。これに関しての処遇を決めますカラ、この後すぐにワタシの部屋に来てくだサイ」

 

「……はい」

 

「では、これにて失礼しマース」

 

 先ほどよりも低い金剛の言葉に榛名は小さく呟く。それを確認した金剛は、何事もなかったかのようにそう言って歩き出す。って待てよ!! 勝手に帰ろうとするんじゃねぇよ!!

 

「待てよ金剛!!」

 

「何ですカ」

 

 俺の言葉に、金剛は立ち止まるもこちらを一切振り向かずに答えた。横に付き添う榛名は俯きながらも金剛と俺を交互に見ている。

 

「『伽』ってのは、お前が命令したことか?」

 

「……違いマース。榛名が勝手にしでかしたことデース。まったく、困ったものですヨ」

 

 金剛はこちらを振り返ることもなく砕けた口調でそう言い、肩をすくめるジェスチャーをする。榛名に目を向けると、俺を見て申し訳なさそうに頭を下げてきた。

 

 どちらの言葉を信じるのかは難しい。だが、先ほどの反応から榛名が独断で行ったと言う線が濃厚か。

 

「もう一つ、食堂のあれはお前が指示したことか?」

 

「ハイ、そうですヨ」

 

 その答えに、一気に頭に血が上るのを感じた。

 

「何でだ!! あれは前任の奴が考えた体制だろ!! そいつが居なくなった後も何で続けてるんだよ!!」

 

「簡単デース。ワタシたちは、『兵器』だからデース」

 

 激昂した俺の言葉に、金剛は全く動じることもそうのたまいやがる。それを聞いた瞬間、頭の血管が弾け飛ぶ音がした。

 

「ふざけんな!! あんな地獄みたいな状況を強いる必要あるのかよ!! 戦場の食事によって自軍の士気を容易く変えられる!! それがどれほど重要なことか分かってるのか!!」

 

 俺の怒号に、金剛は一切反応しない。一切微動だにせず、彼女は俺の言葉を背中で受け止めるだけであった。

 

「大体、お前らはただの兵器じゃねぇ!! 元は人間の、ちゃんと意思を持って動く人間と同じ『艦娘』なんだよ!! だから――――」

 

「テートク」

 

 俺の怒号は、金剛がこちらを振り返った際に発した一言によって掻き消された。正確には振り返り様に具現化した砲門を俺に向けてきたかもしれない。

 

 

 いや、俺を見つめる目に一切の生気が感じられなかったからだ。 

 

 

「ッ」

 

 その冷たい氷のような目つきに、黒く光る砲門を前に、俺は動けなくなった。先ほどは腹をぶち抜かれようが造作もない、などとのたまった。しかし、いざ冷静になると人間とは臆病なもので、身の危険を感じると動けなくなってしまうとよく聞くが、まさかここまでとは……。

 

 

「貴方たちは、このように手から砲門を出せますカ?」

 

 砲門をむけられたことによって動けない俺に、金剛は抑揚のない声でそう問いかけてきた。それに反応できずにいる俺を、金剛は更に冷たい目で見据えてくる。

 

「貴方たちは、艤装を付けることが出来ますカ? 海の上を自由に走れますカ? 深海棲艦に傷を付けられますカ? 奴らの攻撃を喰らっても生きていられますカ? 手足を吹き飛ばされても砲撃を続けられますカ? 手足を吹き飛ばされるなどの大怪我をしても入渠すれば傷は癒えますカ? 燃料や弾薬を補給出来ますカ? それさえ摂取すれば普通に食事をしなくても生きていけますカ?」

 

 立て続けに放たれた質問。

 

 俺は艤装を付けることも出来ないし、船に乗らなければ海の上を自由に走れない。

 

 深海棲艦に傷も付けられないし、奴らの攻撃を喰らったら死ぬ自信しかない。

 

 手足を吹き飛ばされても砲撃できる気はしないし、第一に砲撃する砲門を出せない。

 

 入渠してもかすり傷すら治らないし、燃料や弾薬も喰えない。また、普通の食事をしなければ生きていけない。

 

 どれもこれも、俺には『不可能』と答えるしかできなかった。

 

「……ホラ、ワタシたちと貴方はこれだけ違うんですヨ」

 

 そう呟いた金剛は向けてきた砲門を下げ、小さく息を吐く。そして、生気の感じられなかった目を再び俺に向け、こう呟いた。

 

 

 

 

 

「たかが『人間』風情と、艦娘(ワタシ)たちを一緒にするんじゃねぇヨ」

 

 

 その言葉に、俺は背筋に凄まじい寒気を感じた。蛇に睨まれた蛙、と言うのか。喉元にナイフを突きつけられた、銃を突き付けられたような。そんな寒気だ。

 

「あ、テートク。明日、合同演習を行うから、工廠近くの港に来てくださいネー。では、失礼しマース」

 

 何も言わない俺に、思い出したかのようにそう言った金剛は、クルリとあちらを振り向いて速足に去っていった。その後を追う榛名は俺と金剛を交互に見ながら、俺に一礼だけして廊下の向こうに消えていった。

 

 

 一人残された俺はしばらくそこで立ち尽く、ようやく思い出したように重い足を引きずって自分の部屋に戻り始める。

 

 部屋に着いてベットに身を預けるその瞬間まで、先ほど感じた寒気が消えることはなかった。



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『兵器』の喜怒哀楽

「たかが『人間』風情と、艦娘(ワタシ)たちを一緒にするんじゃねぇヨ」

 

 フワフワと身体が漂うような真っ暗な空間の中、俺の目の前に金剛の言葉が現れてはすぐに消えていくのを幾度となく繰り返した。それに、あのときの金剛の顔も浮かんでくる。

 

 しかし、どれだけ頭を捻ろうが前任が強いた所業、食堂の件を彼女が引き継いでいるのかが一向に分からない。あれを敷く上で、彼女にメリットがあるとは到底思えないからだ。

 

 しかし、彼女は現にそれを強いている。その理由に、俺が見つけてないようなメリットがあるのか、それともメリットよりも優先すべき事柄を孕んでいるのか。いくら考えても、俺の矮小な頭では何一つ捻り出せずにいた。

 

 そして、あの言葉を言った瞬間の彼女の顔。それは、今まで向けられたことのないような、純粋な殺意に満ち溢れた代物だった。まるで親の仇を見るような、そんな風に思えた。

 

「しれぇ!! 起きてください!!」

 

 フワフワと身体が漂う空間に、突然怒号が飛び込んできて、その後身体を思いっきり揺らされる。突然のことに俺は何がなんだか分からないままに真っ暗な空間に光が差し込み、それに引っ張られるように真っ暗な空間が後ろに過ぎ去っていく。

 

 

「うぁ……」

 

 

 ゆっくり目を開けると、俺の部屋の天井が見える。夢……だったのか。何と言うか、まるで示し合わせたようなタイミングだこと。

 

「しれぇ!! ようやく起きましたね!!」

 

 まだ完全に起きていない脳をぶん殴られるように大声が鼓膜に突き刺さる。思わず耳を押さえて声を方を見ると、目をキラキラさせた雪風が俺の顔を覗き込んでいた。

 

「雪風……」

 

「おはようございます!!」

 

 寝惚けて若干霞む視界の中で、雪風は素早く笑顔で敬礼する。その肩にはいつもの妖精が、彼女と同じように敬礼していた。何時なんどき見ても、本当に姉妹みたいだな……。

 

「あぁ、おは……って、お前どうやって入ってきた?」

 

「普通に入り口からですよ? ドアが吹き飛んでて有りませんでしたし。何かあったんですか?」

 

 首をかしげる雪風の言葉に、俺は昨晩勢いでドアを蹴破ったことを思い出した。こりゃ、修理しないとな……。

 

「いや、大したことじゃねぇよ。それより、お前は何でここにいるんだ?」

 

「はい!! しれぇの朝食に同席させていただきたく、馳せ参じました!!」

 

 俺の問いに清々しい笑顔でそうのたまう雪風。うん、完全に朝飯タカる気満々じゃねぇかこのやろう。あれ俺の実費なんだけど。

 

 なんて、面と向かって言える言葉さえ、俺は喉に詰まらせた。

 

 

 こいつも、金剛のように思っているのか……。そう、頭の中に過ったからだ。

 

「しれぇ?」

 

 黙って見つめられたためか、雪風は首をかしげて覗き込んでくる。その透き通った目には、金剛が浮かべていたあの色はなかった。しかし、何時なんどきその目にあの色が浮かぶのか、と考えてしまう。

 

 あの目をした雪風が、無表情のまま俺に砲門を向けてくる。そんな光景が頭を過った。

 

 

 

「しーれーぇー!! 何ボケッとしてるんですか!!」

 

 そんな薄暗い思考は、目の前から飛んでくる雪風の大声と、いきなり腕を掴まれる感覚によって断ち切られる。声の方には、ご立腹と言いたげに頬を膨らませる雪風。

 

「行きましょーよぉー!!」

 

「うぉ!? ちょっ!?」

 

 いつまでも動かない俺に痺れを切らした雪風に腕をグイッと引かれ、俺は無理矢理ベットから引きずり下ろされる。素早く足を出しすことで体勢を保ち、何とか転ばずに済んだ。もし勢いに負けていたら顔面から床に落ちていただろう。

 

「……雪風、あぶね――」

 

「さぁしれぇ!! 張り切って行きましょう!!」

 

 転びそうになったことを咎めようとするも、先程よりも大きな声を上げた雪風によって防がれ、引っ張られる形で廊下に引きずり出される。おい、人の話を聞けよ。そう言おうとした。

 

 しかし、歩きながら何かを思案し、その度に笑みを浮かべる雪風の姿を見て、その言葉は引っ込んでしまった。

 

 朝、俺が目覚めたことで目を輝かせる顔、名前を呼ばれて嬉しそうに敬礼する顔。

 

 俺の言葉に不思議そうに首をかしげる顔、ボケッとしている俺をベットから引きずり下ろそうと頬を膨らませる顔。

 

 そして、今目の前にある、どんなものが食べれるのかと期待に胸を膨らませる顔。

 

 それは全て、目の前にいる艦娘と言う『兵器』が見せたものだ。そしてその全てに作り物感は一切感じず、人間が浮かべる『喜』と『楽』そのものであった。

 

 

 

 やっぱり、『兵器』には思えないんだよな。

 

 目の前で俺の腕を引く小さな女の子を見て、何となく思ってしまった。

 

 そうこうしている内に、食堂に辿り着いた。

 

 時間帯的にピークは過ぎ去ったみたいだが、まだ割りと残っているな。早すぎたか。相変わらず俺を見るとほぼ全員の食べるスピードが上がるのは結構メンタルに来るからやめてもらいたい。

 

 ん? あれは確か……。

 

「曙さん!! 潮さん!! おはようございます!!」

 

 食堂に入って早々、雪風がとあるテーブルに近付きながらそう声を張り上げる。彼女が近付くテーブルには、弾薬を口に運んでいる曙と潮が座っていた。

 

 名前を呼ばれた曙と潮は顔を上げて雪風を、そして俺を見た。無論、俺を見た瞬間二人の表情が歪んだのは言うまでもないか。

 

「獣!! また雪風ちゃんを!!」

 

「潮、他の子に迷惑よ」

 

 早速俺に突っかかろうとする潮を、横の曙が冷静に嗜める。曙の言葉に潮は開きかけた口をぐぐっと押さえ込み、目だけで俺を睨み付けながらゆっくりと席に座る。

 

「……何であんたがここに居るのよ?」

 

「……飯を食いに来た」

 

 そんな潮を尻目に、曙は心底嫌そうな顔で問い掛けてくる。俺はなるべく顔を見ないよう背けながら答えた。背けた後に息を呑む声と、小さな嘲笑が聞こえてくる。

 

「あんたが? ここで? なに? 弾薬でも食べるつもり?」

 

「違いますよ? しれぇは自分でご飯を作るんです」

 

「はぁ!?」

 

 嘲るような曙の言葉に雪風が応えると、曙はそう叫びながら机を叩く。その勢いで立ち上がり、深いシワを刻んだ顔で俺に詰め寄ってきた。

 

「なに!? 艦娘(あたし)たちへの当て付け!? 自分だけ美味しいもの食べて、それをわざわざ見せつけに来たの!? 最っ低!! ふざけんじゃないわよこのクソ提督!!」

 

 先程潮に回りに迷惑だから落ち着け、と言ったヤツとは思えないほど声を張り上げて突っかかってくる。まぁ、これに関しては弁論の余地もないな。

 

「まったく何考えてるの!? 少しはあたしたちのこと考えて行動しなさいよね!! 大体――」

 

「曙ちゃん」

 

 顔を真っ赤にしながら俺に詰め寄る曙に、いつのまにか立ち上がっていた潮がそう言いながら肩を置く。それに曙は歯向かおうと顔を向けると、何故か顔を強張らせて押し黙ってしまった。

 

「行こう」

 

 潮はそう言いながら大人しくなった曙の手をとり、俺の横を抜けて食堂の入り口へと歩き出してしまう。彼女が俺の横を通る瞬間、背筋に寒気を感じた。

 

「お、おい!!」

 

 突然のことに思わず潮に声をかける。声をかけられた潮はピタリと立ち止まり、首だけを動かして俺を見てきた。

 

「何ですか?」

 

 そう問いかけた潮の目には、あの色が浮かんでいた。昨日襲われた際には浮かべていなかった、昨日金剛が向けてきた生気を感じられないあの目。

 

 何の感情も持たない『兵器』の目だ。

 

 

「……何でもない」

 

 潮の問いに、俺はそう答えるしかなかった。そんな俺を言葉を受け、潮は曙を引き連れて食堂を出ていった。彼女たちが出ていった後、俺は金縛りにあったように身体が硬直し、その周りは沈黙が支配した。

 

「……残念でしたね」

 

 それを破ったのは、そう声を漏らしながら肩を落とした雪風であった。その言葉と共に動けるようになり、肩を落とす傍らの雪風と、そして彼女が溢した言葉の意味を考える。

 

 こいつ、もしかしたら俺が他の艦娘たちと打ち解ける場を作ろうとしていたのか?

 

 ただ飯を食いに来たのなら、真っ先に厨房の間宮に声をかけるハズだ。しかし、彼女は厨房に行かずに近くのテーブルに居た曙たちに声をかけた。何故、飯を食うのに厨房に行く前に他の艦娘に声をかける必要がある? 何かしらの意図があったと見ていいだろう。

 

 

 恐らく、俺と自分以外の艦娘と話せる場を作るっていう意図があって声をかけたんだろう。俺が勝手に思い込んでいるだけともとれるが、さっきの言動から見ても多分あってると思う。まぁ、半分ぐらいは俺の思い込みでもあるがな。

 

「まぁその、なんだ。ありがとな」

 

 そう言いながら、雪風の頭を撫でる。突然頭を撫でられた雪風は驚いた顔を俺に向け、すぐに悪戯っぽい笑顔に変わった。

 

「しれぇの初デレ、雪風が頂きました!!」

 

 おい、誰が初デレじゃ。そんなつもりは毛頭ないぞこの野郎。てか、上司に向かって言う言葉か。

 

「バカなこと言ってないで、とっとと飯食うぞ」

 

「あうっ」

 

 そんなことをのたまう雪風に軽くチョップを入れ、それを喰らって頭を押さえる雪風を置いて先に厨房へと向かう。突然のチョップに驚いた雪風であったが、すぐさま我に返ると、曙たちが残していったトレイを引っ付かんで小走りで追ってきた。

 

 追い付いてきた雪風からトレイを受け取り、彼女と一緒に厨房に近付くと、案の定渋い顔をした間宮が出迎えてくれた。

 

「提督……もう少し時間を考えてくれませんか?」

 

「文句ならそこの雪風(ちっこいの)に言ってくれ。俺は無理矢理引っ張られただけだ」

 

「ちっこいのじゃありません!! 雪風ですよ!!」

 

 返却口にトレイを置きながら間宮の言葉にそう返すと、傍らの雪風が頬を膨らませて抗議してくる。初デレとか大声で叫んだ罰だ。

 

「さっきチョップしたじゃないですか!!」

 

「あれは『指導』だ。ノーカンだよノーカン」

 

 「おーぼーですよ!!」と憤慨する雪風を片手であしらいながら、間宮に視線を飛ばす。それを受けた間宮は盛大な溜め息をこぼして、厨房へと続く道を開けてくれる。

 

「すまん」

 

 そう間宮に頭を下げて、素早く厨房に滑り込んだ。標的が自分が立ち入れない範囲に逃げられた雪風は、厨房と食堂を繋ぐ机に乗り出し、今まで見たことないほど大きく頬を膨らませて睨み付けてくる。まるで、ヒマワリの種を頬張ったハムスターみたいだな。

 

「雪風ちゃん、今日は演習だったわよね?」

 

「……そーですよ」

 

 間宮の問いに、雪風は俺を睨み付けながら不貞腐れ気味にそう答える。演習がどういうものかは知らないが、艦娘同士の模擬戦と考えればいいか。でも、演習に実弾を使っていいのか? 演習で大破とか洒落にならないぞ。

 

「演習で使うのは実弾ではなく、被弾した箇所によって色が変わる特殊なペイント弾です。被弾したペイント弾の色によって、小破、中破、大破の3段階で判定するんですよーだ」

 

 俺の疑問に答えながらも机に頬っぺたを着けて拗ねる雪風。割りとご立腹なご様子で。からかい過ぎたか。

 

 しかし、演習とは言えどもなるべくベストコンディションで挑んでもらいたいってのは俺の我が儘かな。このまま演習に行って実力を出し切らずに終わっちゃいそうだし、艦娘のコンディションも保つのも提督の仕事って言うし。

 

 ここは、この手がいくか。

 

「雪風、今日の演習で活躍したら美味いもん食わせてやるよ」

 

「本当ですか!!」

 

 俺の言葉に、雪風はガバッと飛び起き、机の上で声を張り上げる。飯1つでここまで変わるのか。もうちょっと良い条件でやる気を出してほしいものだ。まぁ、単純なのかバカなのか、扱いやすいことには変わりないから良いけど。

 

「こうしちゃいれません!! 間宮さん!! 早くご飯お願いします!!」

 

 俄然やる気を出した雪風は机から飛び降りて、間宮にキラキラとした目を向ける。その姿に苦笑いを浮かべた間宮は奥に引っ込み、燃料と先端が丸い弾薬――恐らくペイント弾であろうものをトレイに乗せて持ってきた。

 

「しれぇ!! 必ずですよ!!」

 

 間宮からトレイを受け取った雪風は念を押すようにそう言うと、すぐさま近くのテーブルに飛んでいった。手早く補給を済ませて艤装の手入れでもする気か。

 

 まぁ、やる気を出したんだから気にすることねぇか。取り敢えず、自分の飯を作ろう。

 

 その後、俺が作った朝食たちを前に手を合わせる横に、同じように手を合わせる雪風が居たのは言うまでもない。



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『兵器』への試み

 今日行われる演習は、海上に設置されたコースを艦娘たち疾走し途中に設けられた深海棲艦を模した的を狙撃、その際のタイムと命中率を競うスコアアタックと、艦隊同士の模擬戦闘の二つが行われる。

 

 スコアアタックのコースは海上に浮きと浮きをロープを括り付けて作られた簡易なものだが、幾重にも張り巡らせたロープ、そして緩急を考えられたコースの幅を見るに、小回りの利く艦娘ではないと完走すら難しそうなコースだ。

 

 ロープに触れたり、転倒した場合に応じてタイムを加算されると考えると、高度な旋回技術とバランス感覚を要求される。そこに射撃技術も要求される、か。過酷なスコアアタックだこと。

 

 模擬戦闘に関しては文字通り、艦隊同士の砲雷撃戦だ。実際の戦闘に少しでも近づけるため、また様々な戦略を各艦隊が研究するために参加する艦娘は回によって多種多様を極め、演習において同じ艦隊が出てきたことは少ないらしい。その数少ない艦隊たちは、現在の主力に抜擢されているのだけど。

 

 また、その際使われる弾薬は先端が丸くなっており、そこに被弾した時の衝撃に応じて変色する特殊な塗料が練りこまれているらしい。色に応じて判定が決まっており、黄色は小破、オレンジは中破、赤は大破だ。大破判定を受けた艦娘は戦闘続行不可能となり、即座に砲撃を中止して陸に帰投、戦闘が終わるのを待っているらしい。

 

 勝敗は両艦隊の被害で決まる。僚艦よりも旗艦が大破するとほぼ負け確定らしいので、旗艦となる艦娘はスコアアタックに要求される技術の他に、目まぐるしく変わる戦況と僚艦の状態を掌握する広い視野と即決能力、卓越した指揮能力が要求される。

 

 勿論、旗艦の被害を最小限に抑えるために僚艦たちにも同じ能力を要求されるわけだから、僚艦と言えども簡単なわけじゃない。それをそこまで歳のいっていない女の子たちがやる、と。本当に艦娘ってのはハイスペックなんだな。

 

 まぁ、これが演習の主な流れだ。これの他に、上空に浮かぶ気球を打ったり、水面に浮かぶ的に魚雷を放つ射撃訓練や、その時の波や潮の流れを利用した操舵訓練もあるとか。演習の内容は日によって変わるようで、四季によって様々な戦況を疑似出来る日本ならではの方法ってか。

 

 てか、スコアアタックの方はいいが、後者の模擬戦闘に関しては普通他の鎮守府とやるものだろ。大方、金剛が良しとしなかったんだろうけど。

 

「提督、こちらになります」

 

 ボケっと眼下に広がる海を眺めていると、後ろから声を掛けられた。振り返ると、眼鏡をかけたセーラー服姿の艦娘が書類の束をこちらに差し出していた。

 

「お、ありがと。えっと、大淀だっけ?」

 

 お礼を述べながら書類を受け取ると、彼女は無言のまま一歩下がり、軽く頭を下げた。その際、胸元の花をあしらった厨子飾りがその動きの合わせてゆっくりと垂れる。

 

「はい、大淀型軽巡洋艦1番艦、大淀です」 

 

「俺は先日着任したばかりの明原だ。よろしく」

 

 頭を上げながら自己紹介をした大淀に、俺も軽く頭を下げて自己紹介をする。頭を上げた際、大淀と目が合ったが、彼女がすぐさま逸らして手に持つ資料に目を落とした。やっぱり、そう簡単に距離を詰められないか。

 

 まぁそんなわけで、俺は今、演習が行われる工廠近くの海岸にある見張り台にいる。雪風と別れた後フラっと横に彼女が現れてここに案内され、演習の内容を彼女の説明と手元の資料で教わったわけだ。演習を教わってから居座っているこの見張り台は、眼下に広がる広大な海を一望でき、艦娘たちが行う演習を隅々まで見渡すことが出来る場所だ。まぁ、見張り台だから当たり前だけど。

 

 ちなみに雪風とは海に着いたときに艤装の最終点検をしてくるとのこのことで別れた際、朝の約束を念押しされたのはどうでもいいことか。これから事あるごとに飯を要求してくると考えると、割とめんどくさいな。まぁ、それでモチベーションを上がってくれるなら安いものか。

 

 そんなことを考えながら、眼下で行われている駆逐艦たちのスコアアタックを見つめる。

 

 今まで挑戦した駆逐艦の殆どは複雑に入り組むコースを難なく突破、道中にある的にもほぼ全て当たっている。勿論複雑なコースに悪戦苦闘したり射撃が得意でない子もいるが、そういう子に限って最速のタイムを叩きだしたりすべての的を当てるなど、得意不得意に関わらずなかなかの練度を誇っている。

 

 しかし、ゴールした駆逐艦たちの顔には嬉しそうな顔が一切浮かんでいないのが玉に瑕か。こんなもん、朝飯前ってか。

 

「大淀、この演習で優秀な成績だった奴に何かあげるとかしているのか?」

 

「私たちは戦うために生まれた『兵器』です。褒美(そんなもの)、いりませんよ」

 

 俺の問いに、大淀は俺を見ることすら億劫なのか、資料から一切目を離さずにそう言ってくる。そんなさらっと『兵器』とか言わないでくれよ。昨日のことで軽く意識しちまう言葉なんだからさ。

 

 しかし、あれだけの練度から、彼女たちが積み上げてきた努力は並大抵の事じゃないだろう。それをさも当たり前の様に扱うのは、少々気が引けると言うもの。また、その驕り高ぶったものがいつ慢心に変わるかもしれない。それだけは避けなければならない。

 

 常に高いパフォーマンスとモチベーションを維持するためにも、何かしら考えた方がよさそうだ。

 

 そんなことを考えていると、次は駆逐艦よりも少し背の高い艦娘がスタートラインに立った。駆逐艦以外なら、軽巡洋艦か。こちらも駆逐艦ほどではないが割と若いな。

 

 黒髪のおさげが海風で軽く揺れ、腰に大きなポケットの付いた濃い目の緑色のセーラー服を着ている。両腕には主砲と副砲がそれぞれ、日差しを浴びて黒く光っていた。そんな海の上に佇む姿は、先ほどまでの駆逐艦と比べると幾分か様になっているといえよう。

 

 しかし、彼女も駆逐艦たちと同じように無表情のまま前方を向き、スタートの合図を待っているのが残念なところか。やがてスタートの合図が放たれ、彼女は勢いよくスタートを切る。

 

 最初の難関である縦に並んだ浮きの間をジグザグに進むのを難なく突破し、最後の浮き近くにある的を通り過ぎ様に副砲で当てた。そのままスピードを上げ、次の急カーブに差し掛かる。彼女は身体の重心移動を利用してほぼスピードを落とさずにカーブを突破、的も副砲で難なく当てる。しかし、彼女は無表情のまま更にスピードを上げ、コースを疾走していく。

 

 今まで見てきた駆逐艦とは一線を引く、極限に無駄を省いたその速さと的を射抜く正確さ。これが、旗艦を担う軽巡洋艦か。演習といえども、やっぱりその練度の高さを垣間見えることが出来る。

 

 しかし、逆に極限に無駄を省いた旋回技術とどんな体勢からも正確に射貫く射撃技術からは人間味が一切感じられない。やはり、『兵器』として生きてきた賜物なのか、と思うと寂しくなる。

 

 そんな恐ろしいほど正確にコースを走り抜けた彼女は、ゴールした後も何事もなかったかのように陸へと向かう。それとすれ違うように、次の軽巡洋艦がスタートラインに向かっていた。

 

「あれ、天龍じゃん」

 

 そう言葉を漏らす俺の視線には、先ほどの少女とすれ違ってスタートラインに向かう天龍が写っていた。砲門を引っ提げていく彼女の腕には、何故か独特の形をした刀のようなものが握られている。これって砲撃で的を射抜くんだよな。あれで切っても加算されるんだろうか……。

 

 ん? あれが使えるかもしれんな……。

 

「どうしました?」

 

 ふいに声をかけられ、横を見るといぶかしげな顔の大淀が覗き込んでいた。ふいに頭の中に浮かんだ考えに、無意識のうちに声を出していたようだ。しかし、これは使えるぞ。

 

「大淀、今から演習場まで連れて行ってくれないか?」

 

 

◇◇◇

 

 

「こちらです」

 

 なおも訝しげな顔の大淀に案内され、見張り台からスコアアタックが行われている艦娘が待機している簡易テントにたどり着いた。中には演習が終わったもの、これからのものでごった返している。そんな中を入っていくのは割と度胸がいるな。

 

「よぉ、天龍」

 

 その中で、唯一顔見知りである天龍と龍田を見つけ、さっそく声をかける。今まで楽しそうに会話をしていた二人は俺のほうを振り向くと、同時にその表情をしかめっ面に変えた。相変わらず歓迎されてないな。

 

「……なんでここにいるんだ? 金剛の話では見張り台から見てるんじゃなかったのかよ」

 

 金剛のやつ、そんなこと言いふらしているのかよ。てか、それって俺が見張り台にいることを演習に参加している艦娘たちは知ってるってことだよな。仮にとある艦娘の手元がくるって見張り台を砲撃しちまう、ってことになったかもしれないのか? んなことありえないわ、って断言できないのが地味に辛い。

 

「まぁ、こうして自分からノコノコ来てくれたからいいか。見張り台を砲撃する手間も省けたってわけだし」

 

 そんなことを言いながら、天龍は薄笑いを浮かべて近づいてくる。っておい、今ボソっとやばいこと言わなかったか? 早めにこっち来て正解だったわ。なんて呑気な考えは、突然手を振り上げてきた天龍によって断ち切られた。

 

 ダァン!! と、俺の顔のすぐ横の壁に彼女の腕がたたきつけられる。割と強かったためか、発せられた音によって周りで騒いでいた艦娘たちの視線が集まる。

 

「んで? なんでてめぇはわざわざこんなところに来やがった? (これ)の錆にでもなりに来たのか?」

 

 凄みを聞かせた声と鋭い目つきを向け、携える刀を口元に持っていってその先をペロリと舐める。厨二病全開のしぐさが、その表情、短い黒髪に武骨な眼帯、切れ長の目つきなど、本来彼女が持つ容姿も合い余ってなかなかに様になっているのがなんか癪だ。しかし、こうして周りの目を集められたのはありがたい。

 

「そんなんじゃねぇよ。ちょいと、思いついたことがあって来ただけだ」

 

 そう言って、天龍の腕をスルリと抜けて他の艦娘たちの視線の中を歩く。俺の反応が面白くなかったのか、天龍はつまらなさそうに頭を掻き、近づいてきた龍田ともども俺を訝しげな目で見てくる。

 

 そんな友好的ではない視線にさらされながら歩き、ステージのような場所を見つけてそこに上がる。上がって改めて艦娘たちを見回すと、予想通りといっていいか見渡す限りの彼女たちの顔には訝しげな表情が浮かんでいた。いきなり俺が現れて、勝手に注目を集めているんだ、仕方がないか。

 

 

「えぇ、あぁ……先ほどまでの演習、遠くからだが見させてもらった。着任したばかりでほとんど目の肥えていない俺が言うのもなんだが、素人の俺から見ても素晴らしい練度だと思う」

 

 ……ヤバい、こうも友好的でない視線に晒されながらしゃべるのがここまでつらいモノとは思わなかった。俺が発するごとに、艦娘たちの顔に不満の色が募っていくのが怖い。ビビりまくりの俺を見てか、天龍がニヤニヤ笑っていやがる。でも、今はそんなこと気にしている暇じゃねぇ。

 

「しかし、練度が高いからと言って日々の訓練や出撃で気の抜くのは絶対にダメだ。それが慢心を生み、自分たちを傷付ける、最悪の場合轟沈しちまうかもしれない。それだけは絶対に避けなければならない。これは、常に肝に銘じてほしい」

 

 言葉の一つ一つを言うたびに艦娘たちの顔に皺が刻み込まれていく。そんなことお前に言われなくても分かってるわ、とでも言いたげだな。しかし、本題はここからだ。

 

「……なんて、俺が言ったところであんまり意味がないのは分かってる。そんなこたぁお前らが一番分かってることだ。でもな? 今日の演習を見る限り、誰一人としてそんなことを念頭に置いてやっている奴は一人も見受けられなかったんだよ。だから、俺が改めて言っているわけ。お分かり?」

 

 突然砕けた口調になったせいか、殆どの艦娘が驚いている。しかし、それは次第に先ほどよりも敵意がにじみ出ているものに変わっていく。ちょっと砕け過ぎたか。まぁ、反応としては上々だろ。

 

「まぁ、常にそんなことを考えるなんて難しいわな。偉そうに言っている俺だってずっと続けられる自信はねぇよ。そんなの続けたら肩凝っちまうしな。見返りでもあれば別だけどよ」

 

 言葉と共に肩をぐるぐる回してめんどくさいアピールを加える。それに、何人かの艦娘が同感するように頷き始めた。これはいけそうか。

 

「んで、ここで1つ提案だ」

 

 そこで言葉を切って、目の前にいる艦娘一人一人の表情を見る。全員、俺が次に続ける言葉に興味津々のようだな。さっきまで敵意がにじみ出ていた視線も少なくなってる。

 

 

 

「今日の演習から、各艦種で一番の成績を残した奴に間宮アイス券を進呈する」

 

 そう言い放った瞬間、艦娘たちの顔から表情が消えた。おそらく、俺が発した言葉の意味を理解しているんだろう。そして、言葉の意味を理解した各所から驚きの声が上がり始める。

 

「もちろん、これは演習に限らずこの鎮守府で行われる戦果に応じて進呈するつもりだ。しかし、何分思いつきだから今すぐ全てのことに反映させるのは難しい。取り敢えず、まずは演習の最優秀者にアイス券を進呈する。演習が終わり次第、成績を確認してそいつを何らかの方法で呼び出すから来るよ―――」

 

「ま、待ってよ!!」

 

 俺の声を遮ったのは天龍であった。先ほどの涼しげな顔から一変、真っ赤になりながら噛み付かんばかりに睨み付けてくる。

 

「え、演習は各艦娘の正確な練度を確かめて向上させていくものだ!! さっきの演習、あれは本気の半分も出してねぇから正確な成績じゃねぇ!! 俺の練度ならもっとすげぇ成績を叩きだしてやる!! だから……だからもう一回演習をさせろ!! な!! 良いだろ!!」

 

 真っ赤な顔を上げながらそんなことをのたまう天龍。大方、さっきの成績で一番になるのは不可能と判断して、もう一回演習をして一番を狙いに行く算段だろう。

 

「それに関しては、手を抜いた(・・・・・)お前が悪い。今後の教訓にするんだな」

 

「で、でも!!」

 

「それに、お前には昨日渡したばかりだろうが。少しは自重しろ」

 

 最後の一言が効いたのか、天龍は押し黙る―――――いや、その言葉に周りの艦娘がどういうことなのかと天龍を問い詰めてくるから突っかかれなくなっているだけか。まぁ、自業自得と言うものか。

 

「提督ぅ。昨日食べたアイスでお腹を壊したから部屋に帰るわねぇ~」

 

「おう、気を付けてな」

 

「なぁ、龍田てめぇ!? 一人だけ逃げんな―――」

 

「逃がしませんよ天龍さん!! 先ほどの提督の言葉はどういうことですか!!」

 

 クスクスと笑いながら龍田がそう言ってきて、俺の横をスルリと抜ける。裏切られた天龍は龍田の後を追おうとするが、周りを他の艦娘たちにがっちり固められているため動けず、一人走り去っていく相方を恨みがまし気に見つめることしか出来ないようだな。

 

 さて、俺もここに居たら天龍の二の舞になりそうだし。今のうちにずらかるか。

 

「提督……」

 

 天龍と他の艦娘がギャーギャーと騒ぐテントを抜け出すと、訝し気な顔をした大淀が迎えてくれた。

 

「悪い大淀、次は模擬戦闘組の待機所まで案内してもらえるか?」

 

 苦笑いを浮かべながらそう言うと、大淀は訝しげな顔のまま溜め息をついてクルリとあちらを向いて歩き出す。連れて行ってくれるんだろうか。ならいいや。

 

「……貴方が最初だったら良かったのに」

 

「ん? 何か言ったか?」

 

「何でもありませんよ」

 

 ボソリと聞こえた大淀の言葉がよく聞き取れなかったので問いかけてみるも、その答えが返ってくることはなかった。



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『兵器』の心情

 スコアアタック組の怒号にも似たばか騒ぎを背に受けながら大淀の後を追い、そこから数分ほど歩いたところにある模擬戦闘組の簡易テントにたどり着いた。

 

 しっかし、見つけたときに思ったが、スコアアタック組のテントよりも一回り大きなテントだ。手元の資料を見る限りここには12人の艦娘しか居ない筈だが、戦艦や空母とか艤装の大きな艦種が揃っている、また最終メンテナンスを行うために広く作られているわけか。

 

「こちらです」

 

 模擬戦闘組のテントをボケッと眺めていたら、入り口に立っていた大淀が声をかけてくる。それに手を上げ、彼女に従ってテントに入った。

 

 中は、正面に工厰前の海の地図が貼られた大きな黒板がある広間、そして各艦隊毎に区切られた広いスペースがあり、そこで模擬戦闘を行う艦娘達が艤装のメンテナンスを行っていた。

 

 俺たちが入ってきた瞬間、その場にいた全ての艦娘がこちらを向き、一様に呆けた顔になる。こんなところに俺が来るなんて思ってもみなかったんだろうな。普通、演習前の控え室に提督来ないし。

 

「しれぇじゃないですか!!」

 

 そんな呆けた顔の艦娘の中で黒板と向かい合って海図を睨んでいた雪風がこちらを振り向き、パアッと顔を綻ばせて歩み寄ってきた。そう言えばこいつ今日の演習に参加するんだったな。

 

「どうされたんです? こんなところに」

 

「いや、演習前に様子が見たくなってな。んで……」

 

 近付いてきた雪風の頭を撫でながら固まっている艦娘たちを見回し、手元の資料で名前と顔を当て嵌めていく。……確認のために名前を呼んでいけばいいか。

 

「えっと……まず長門は?」

 

「……私だ」

 

 俺の言葉に、一番手前で腕を組んでブスッとした顔で佇んでいた艦娘――――長門が声を出す。某時空警察みたいな格好が長門か。うん、失礼な覚え方だと自負はしてる。

 

「次、扶桑」

 

「……はい」

 

 次に声を出したのは、長門の後ろで椅子に腰掛けていた艦娘――――扶桑だ。見た目は大和撫子と言われそうな肌の白さに端正な顔立ちをしているが、どうも彼女がまとっている空気に薄暗さを感じるのが勿体無い。俺に名前を呼ばれた後、「不幸だわ」って聞こえた気がするけど気のせいだよな。

 

「えー、日向」

 

 今度は声ではなく、扶桑の反対側で艤装のメンテナンスをしているおかっぱヘアーの艦娘―――日向が軽く手を上げる。彼女は上げた手をすぐ下ろし、目の前に置かれた偵察機のメンテナンスにをし始める。……一機一機愛おしそうに眺めながら丁寧にメンテナンスするその姿に危険な臭いがしたのは気のせいでありたい。

 

「次は、龍驤」

 

「はいよ~」

 

 今度は日向の横から演習前とは思えない間の抜けた声が上がった。そこには陰陽師のような紅と黒の和洋折衷衣装を身にまとい、頭にはサンバイザーを着けた小柄な少女が手をヒラヒラとさせていた。

 

 ……『軽』とはいえ本当に空母か? 見るからに駆逐か―――

 

「何考えとるか知らんけど、モノによっては爆撃するで?」

 

 自分を見て黙りこんだ俺に不適な笑みを浮かべてそう言ってくる龍驤。その手には艦載機の形を模したお札が握られている。左手に持つ飛行甲板が書き込まれた巻物を見るに、巻物が飛行甲板でお札が艦載機ってわけか。てか、これ以上黙ると勘違いされかねないから次にいこう。

 

「次は……隼鷹」

 

「はい」

 

 不敵な笑みを向けてくる龍驤の後ろ、何故か畳が敷かれている上で正座している艦娘――――隼鷹が静かに声を上げる。演習前の精神統一かな。薄紫色の奇抜な髪形に龍驤と同じ陰陽師のような紅と白の和洋折衷衣装を身にまとい、それを押し上げる金剛にも引けを取らない立派な胸部装甲を有している。

 

 やっぱりさっきの子は駆逐か―――――

 

「どうやら爆撃をご所望らしいなぁ? いてこましたろか?」

 

 いつの間にか真横に来ていた龍驤がすがすがしい笑みを浮かべて俺の袖口を握ってくる。自重した方がよさそうだな。てか、何でお前俺の考えてること分かるんだよ。

 

「ただの勘や」

 

「あっそ」

 

 何故か自慢げに胸を張る龍驤は置いといて、手元の資料に目を落とす。えっと、次は――――

 

 

「司令官」

 

 不意に横から声を掛けられて振り向くと、黒髪セミショートに何処にでもありそうなセーラー服を身にまとった艦娘が立っていた。顔は俯いているため見えないが、腰のあたりで固く握りしめられた拳がブルブルと震えている。

 

「どうした? ええっと……」

 

「特Ⅰ型駆逐艦……吹雪型、1番艦の吹雪です」

 

 手元の資料と照らし合わせようとしたらその艦娘――――――吹雪が絞り出すような声で自らの名前を告げる。彼女はなおも俯き続け、握りしめる拳は血がめぐっていないのか白くなっている。

 

「昨晩、司令官が部屋のドアを蹴破って出て行くところをお見掛けしました。……その後出てきた半裸の榛名さんも」

 

 吹雪の言葉に、テント内の空気が一瞬で凍り付く。周りの艦娘達の顔から表情が消えさり、ゆっくりとこちらに視線が集まる。視線の中の一つであった長門と目が合った瞬間、全身の血の気が引くのが分かった。

 

 金剛や潮が向けてきたものとは違う、純粋な『殺意』の目だ。

 

「ま、待ってくれ!! それは誤解だ!!」

 

「分かっています、榛名さんに迫られたんですよね? それが金剛さんの命令だと勘違いされたのも知っています。全部分かってます。怒りに任せて金剛さんを問い詰めたことも……分かっています。分かっています……」

 

 俺に、と言うより自分に言い聞かせているようにつぶやき続ける吹雪は、あれだけ固く握りしめていた拳を解いた。一気に血がめぐってきた手は赤く紅潮し、所々血管が浮き出ている。

 

 

「ただ、一つお願いがあります」

 

 消え入りそうな声でそう言った吹雪。不意に、その身体が上下に揺れた。彼女の身体は先ほどよりも半分程度の高さになり、やがてその頭が重力に従う様にゆっくりと前に倒れる。下がり切った頭の前に、未だに赤い両手が添えられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早い話、土下座されたのだ。

 

 

「吹雪!! 何をやって―――」

 

「お願いです!! どうか……どうか金剛さんを責めないでください!! これ以上!! あの人を追い込まないでください!!」

 

 長門の声をかき消すように発せられた吹雪の悲痛な叫びに、俺を含めた周りの艦娘たちの動きが止まる。遠い昔、連合艦隊の旗艦を務め、世界にその名を知らしめた戦艦長門を、火力、装甲共に足元にも及ばない駆逐艦吹雪が、言葉(・・)で抑え込んだのだ。

 

「枯渇した資材は私が死に物狂いで働いて貯めます!! どんな危険な偵察も私が必ず成し遂げてみせます!! 弾や燃料が尽きようが補給はいりません!! どれだけ傷つこうが入渠もいりません!! ずっと……ずっと最前線で戦い続けます!! あの人の足りないところは全て私が補います!! ご希望なら伽のお相手も致します!! どのような命令にも必ず従います!! ……どうか、どうかあの人を責めないでくださいぃ……」

 

 怒号にも似た吹雪の言葉は、やがて嗚咽交じりの泣き声に変わった。必死に床に頭をこすりつける吹雪。その顔がどのようになってるか、見るまでもないだろう。

 

「お願いします……お願いします……どうか、どうかあの人を……。そのためなら……そのためならご――」

 

「吹雪ッ!!」

 

 吹雪が言いかけた言葉を、今まで聞いたことのないような怒号が掻き消す。それは、先ほど吹雪に遮られた長門が発したものであった。怒号によって吹雪の言葉が断ち切られるとすぐさま長門が彼女に歩み寄り、その襟を掴んで無理やり立たせ、ズイッと顔を近づける。

 

 

 

「その言葉、二度と言うな」

 

 横顔だけで背筋が冷たくなる剣幕と、腹の底にズシリと響く長門の低い声。それを目前で受けた吹雪は、小さな嗚咽を漏らしながら頷いた。それに長門は掴んでいた襟を離し、子供をあやす様に吹雪の身体を抱きしめる。

 

 しばらく、テント内は吹雪の漏らす嗚咽とそれに優しい言葉を掛ける長門の声が響くだけであった。

 

 

 

 

「提督よ」

 

 その沈黙を破ったのは、吹雪を抱きしめる長門だった。

 

「もうすぐ演習が始まる時間だ。私たちも準備があるから、そろそろ出て行ってもらえないだろうか?」

 

「や、でもよ……」

 

 長門の言葉に反論を述べながら、俺の視線は彼女の胸の中にいる吹雪に注がれる。そんな状態で、演習なんか出来るのか。へんに怪我されたら元も子もないし。

 

「安心しろ、この子には(ビック7)がついている。僚艦に下手な被害を被らせないよう動くことなど、造作もないことだ」

 

「だ、だけど……」

 

「話の通じない人やな~」

 

 長門の言葉に渋る俺に呆れた表情で肩をすくめる龍驤が間に入ってきた。そして、その表情が解ける様に消え去る。

 

 

「要するに、『今ここできみが出来ることなんて一つもあらへん。だからとっとと失せろ』ってことや」

 

 抑揚のない声でそう言われ、同時に氷のような冷え切った視線を向けられる。……確かに、今ここで俺が渋ったところで出来ることなんてないし、そのせいで演習開始時間が遅れるのは避けたい。ここは、長門達に任せた方がいいか。

 

「……分かった。頼んだぞ」

 

「話の分かる人で助かるわぁ~」

 

 俺の言葉に、龍驤はそう言いながら表情を緩めた。そして、少し移動してテントの出口を指さす。早く出て行けってことだな。これ以上ここにいても意味はないし、行かせてもらおう。

 

「しれぇ……」

 

 出口へと向かう途中、心配そうな表情の雪風が声をかけてきた。……そう言えば、ここに来た目的を言い忘れていたな。

 

「雪風、出来たらでいいから演習で成績が良かった奴に間宮アイス引換券を渡す、ってのを伝えておいてくれないか?」

 

「……了解しました」

 

 俺の言葉に、雪風は渋い顔で承諾してくれた。いつもなら手を叩いて喜びそうな雪風だが、やはり周りの空気を察したのか。取り敢えず、これでここに来た目的は果たしたな。

 

「じゃあ、また」

 

 俺はそう言い残してテントを出た。それに今まで黙っていた大淀が慌ててテントから出てきて、俺に追いつくと並ぶように歩き始める。

 

「提督……」

 

「そろそろ演習が始まる。見張り台へ戻るぞ」

 

 何か言いたげな表情の大淀にそれだけ言うと、歩くスピードを上げた。悪いが、今誰かと話をする気はない。俺の心情を読み取ったらしき大淀は小さくため息を零し、それに追いつこうと大淀もスピードを上げた。

 

 そのまま、俺たちは一言もしゃべることはなく見張り台へと向かう。その道中、多くの艦娘たちが海岸へと向かって歩いていく姿を見た。模擬戦闘の観戦でも行くのであろう。普段、訓練ばかりの艦娘たちにとっては一種の娯楽なのかもしれないな。

 

 その中に曙と潮の姿を見かけたが、彼女たちは俺に気付くとすぐさま走り去って行ってしまった。割とメンタルに響くからやめてもらいたい。

 

 そんな艦娘たちを尻目に見張り台に辿り付いたとき、ちょうど演習が始まる直前だったらしく、模擬戦闘組が海を移動している姿が見える。

 

 先ほど顔を合わせたメンツが海面を滑る様に移動している中、主砲である連装砲を携えた吹雪が見えた。時折袖で顔を拭っている辺り、まだ万全と言った感じではないみたい。時折、長門が近づいては離れてを繰り返しているし。

 

 そこに、今まで傍に控えていた雪風が吹雪ではなく長門に近づいていき、何か耳打ちした。それを受けた長門はすぐさま吹雪に近付き、同じように耳打ちする。その瞬間、吹雪の顔が目に見えて明るくなった。

 

 アイスの件を伝えたのか? それ以降、長門も近づかなくなったし、袖で顔を拭うこともなくなった……何とか演習は大丈夫そうだな。

 

 そして、海上を移動していた艦娘たちはやがて6人に分かれ、それぞれ対峙するように陣形を整えていく。模擬戦闘とは言えども、いよいよ艦娘たちの戦闘が見られるのか。

 

 深海棲艦に唯一対抗できる存在―――――『艦娘』。先の大戦で沈んだ戦艦たちの魂が乗り移ったと言われている彼女たちであるが、その姿形は俺たち人間とそこまで変わらない。しかし金剛が言ってたように、彼女たちには深海棲艦を屠り去る砲門があり、海の上を滑る様に走る艤装がある。それは、深海棲艦に歯が立たない俺たち人類の最後の希望と言ってもいいだろう。

 

 そんな彼女たちがどのように戦場を駆け巡るのか、誰しもが一度は見てみたいと思うモノだろう。

 

 

 やがて、隊列が整った艦娘たちは海の上で静かに佇む。もうすぐされるであろう、演習の合図を待っているのだ。

 

「そろそろですかね」

 

 海上に揃った艦隊を見て、大淀がそう声を漏らす。そして、手に持っていた書類を足元に置き、砲門を具現化させて頭上に向けた。どうやら、彼女の砲撃が開始の合図のようだ。てか、こんな近くで砲撃されたら俺危なくね?

 

「提督、危ないですから少し離れていてください」

 

 俺の心を読んだ大淀にそう諭され、彼女から一定の距離を開ける。それを確認した大淀は俺から頭上に向ける砲門に視線を移し、空いた手で砲門を具現化する腕を押さえる。そして、大淀は力むように一瞬顔をしかめた。

 

 次の瞬間、ズドン!! と腹の底に響き渡る音が聞こえた。しかし、音とは裏腹に砲撃の衝撃は一向に俺に襲ってこない。衝撃が襲ってこない理由は簡単だ。

 

 

 

 

 

 すぐそばで、砲撃がされていない(・・・・・・)からだ。

 

 何事かと目を向けると、そこには飛び降りんばかりに見張り台から身を乗り出している大淀。身を乗り出している彼女は顔を真っ青にさせながら倒れるのかと思うほど勢いよく仰け反り、次の瞬間耳をつんざくような声を上げた。

 

 

 

 

 

「て、敵機襲来!! 総員、建物内に避難してくださぁぁぁぁいっ!!!!」



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『提督』としての采配

「キャ!?」

 

 大淀の悲痛の叫びは、無数の爆発によって掻き消され、同時に突風が襲ってくる。それに押された大淀はよろめきながら後ろに倒れた。

 

「大淀!」

 

 すぐさま倒れた大淀に駆け寄り助け起こす。痛みに顔をしかめているものの、動けないほどではないようだ。手を貸して大淀を立ち上がらせ、俺は見張り台から身を乗り出して眼下を見る。

 

 

 そこには、恐怖の色を浮かべて逃げ惑う駆逐艦、軽巡洋艦たちの頭上を無数の黒くいびつな形をした飛行物体――――深海艦載機がハエの様に飛び回っていた。

 

 見渡す限り、艦載機以外に敵の姿は確認できない。おそらく襲ってきたの艦載機のみか。だが、海上に浮かぶ駆逐艦や演習の的と違って、空を自由に飛び回る艦載機を狙撃するのは難しい。駆逐艦や軽巡洋艦には不得手な相手だ。

 

 しかも、今眼下の艦娘たちは実弾ではなくペイント弾しか撃つことが出来ない。飛び回る艦載機の機体が赤や黄色に染まっているのを見る限り、ペイント弾では艦載機を打ち落とせず、彼女たちは逃げ回ることしか出来ないみたいだ。大淀が総員避難を呼びかけたのも頷ける。

 

 しかし、深海艦載機は眼下を逃げ惑う艦娘たちをあざ笑うかのように機銃の一斉掃射を浴びせ掛ける。それに被弾して倒れる者、何とか掻い潜り被弾した艦娘を担いで引きずりながら逃げる者、被弾した者を目の前にして腰が抜けている者、歯を食いしばりながら砲門を艦載機に向けて砲撃する者など、時間稼ぎのために砲撃をしながら逃げ回る者の姿が見えた。

 

 そんな三者三様の反応を見せる艦娘たちに、今までいたずらに弾をばら撒いていた艦載機は一人一人を集中的に狙うことに切り替え、狙った艦娘を確実に無力化させていく。まるで、蟻を踏み潰す子供の様に、だ。艦載機に集中的に狙われた艦娘は呻き声を上げながら地面に這いつくばる。その身体からは少なからず赤い液体が流れ出していた。

 

 ……考えろ、今ここで最優先にすべきことは何だ? 

 

 まず、負傷した艦娘の保護だろ? そして艦娘たちの早期避難か。そのためには敵艦載機の目を艦娘から遠ざけねぇと……。

 

 同じような艦載機がいれば多少目を引きつけられるか? 今、ここに艦載機を発艦できるヤツは龍驤や隼鷹ぐらいしか知らねぇし……鎮守府内にいる空母たちから艦載機を発艦させればいけるか? 

 

 時間がかかるがこれしかない。

 

「大淀!! 今すぐ鎮守府にいる艦娘に応援要請を!! 特に空母だ、奴らの艦載機をすぐさまここに向かわせろ!!」

 

 横にいる大淀に怒号を飛ばすと、彼女は一瞬呆けた顔になるもすぐさま顔を引き締め耳に手を当てる。たぶん、無線機か何かで応援要請をしているのだろう。

 

 これで逃げ惑う艦娘たちの援護は出来る。あとは応援が来るまで眼下で反抗している奴らに持ちこたえてもらうしかないか。早くしなければ。

 

 ……ん? まてよ。襲ってきたのが艦載機なら、発艦した空母が近くにいるはずだ。これだけの艦載機だ、今ここにいるのが全てと考えにくい。艦載機を全て叩き落すよりも母艦である空母を叩いた方が後顧の憂いを絶てる。

 

「何処かに敵空母が潜んでいるはずだ!! 別動隊を組織し、鎮守府近海付近の哨戒にあたらせろ!!」

 

「すでに要請しました!! 提督も早く避難の方を!!」

 

 俺の言葉に大淀は力強く答え、同時に俺の腕を掴んでくる。一瞬その言葉の意味が分からなかったが、血相を変えて「早く!!」と叫ぶ大淀の顔を見てようやく理解できた。

 

 眼下の艦娘たちを見て分かる様に、彼女たちは被弾してもそこまで大きな外傷を負うこともなく、仮に大破などの大怪我をしようともドックに入れば時間はかかるも確実に治る。しかし、人間の俺は一発でも被弾すれば死ぬかもしれないし、ドックに放り込まれても彼女たちの様に治らない。

 

 この中で、一番死のリスクが高いのは提督である俺だ。

 

 本来、指揮を取る奴は身の安全が確保されたところで的確な指示を飛ばすものである。卒業直後のひよっこで的確な指示を飛ばす自信がないが、曲がりなりにも提督と言う立場だ。真っ先に避難するのが道理だ。

 

 でもな――――。

 

 

 

「悪い、敵前逃亡は性に合わないんでな」

 

 俺はそう言うと腕を掴む大淀の手を振り払う。再び腕を掴もうとする大淀の手を逃れ、俺は階段へと走り出した。

 

「ちょ!?」

 

「小言は後で聞くから許してくれ!! んで、大淀は応援の指揮と避難してくる艦娘の誘導を頼む!!」

 

 それだけ言い残し、俺は見張り台を飛び出して演習場へと走り出した。

 

 

◇◇◇

 

 

 

 見張り台を飛び出して演習場へと走る道中、避難してくる艦娘たちの一団と遭遇する。声をかける間もなくその横を走り去ったが、パッと見ただけでほとんどの艦娘が負傷していた。それだけ、演習場での戦闘が激しかったのだろう。

 

 艦娘ですら逃げる場所に向かっているんだ、傍から見たらただの自殺行為だよな。まぁ、俺みたいなのが一人消えたところで何の支障もないだろうよ。

 

 そんな感想を抱きながら走り続け、遂に演習所へとたどり着く。

 

 目の前には、爆撃や掃射によって破壊されたテントや物資が詰まった木箱が散乱しており、今だに火を燻らせる残骸や硝煙で見えないが、何処からともなく被弾した艦娘たちの呻き声が聞こえてくる。否が応にも漂ってくる硝煙の匂いと、そこに微かに混ざる鉄の匂い。それが、ここが戦場であることを物語っていた。

 

「てめぇ!? 何でこんなところにいやがる!!」

 

 そんな光景に言葉を失っていると、横から怒号が飛んできた。振り向くと、ボロボロの服を纏って鬼のような形相を浮かべた天龍が刀を携えて近づいてきていた。艦載機の掃射で被弾したのか、その肩と足は真っ赤に染まり足は引きずっている。

 

「天龍!! 無事だったか」

 

「んなことはどうでもいい!! 何でこんなところに居やがんだよ!! 死にてぇのか!!」

 

 近づいてきた天龍に肩を貸そうと駆け寄ったら、胸倉を掴まれて顔をズイッと近づけられる。顔を近づけられる際に肩の傷口が見え、割と激しい出血をしているのを確認できた。

 

「天龍、その傷じゃ満足に動けねぇだろ。動けるやつ連れて早く避難しろ」

 

「はぁ!? てめぇが言えることかよ!!」

 

 天龍にそう言ったら、当然のツッコミが返ってきた。まぁ、この中で一番死ぬリスクが大きい俺がそんなこと言っても説得力皆無だわな。

 

「てめぇが深海棲艦(やつら)に歯が立つかよ!! 人間風情が調子に乗ってんじゃねぇ!! 深海棲艦を殺るの『兵器』である俺の役目だ!! 人間(てめぇ)は動けるやつ集めて動けないやつに肩貸して避難してろ!!」

 

「なら、避難途中に敵に襲われたら誰がそいつらを守る? 人間(おれ)じゃあ歯が立たねぇから無理だぞ?」

 

 俺の言葉に天龍は顔を歪ませながら言いよどんだ。たった今、自分が言い放ったことをそのまま返されたんだ。こんな顔になるのも無理はない。

 

「なら、俺一人だけ逃げろってか? 艦娘の一人や二人運べる奴がいるのに一人も被弾した奴を助けずに逃げろって言うのかよ? それこそ助かるもんも助からねぇよ!!」

 

「だったら何で来やがった!! 足手まといにしかならねぇだろ!!」

 

 更なる追い打ちにかけると天龍は胸倉をつかむ力を強めながらそう吐き捨ててきた。確かに、俺が今ここで出来ることなんて何もないに等しい。だが、そんな俺でも出来ることはある。

 

 

「もうすぐ、うちの空母が出した艦載機が到着する。そうすれば、敵はそっちに気を取られてこっちの攻撃が緩くなるはずだ。その隙を狙って随時、避難だ。だから、それまで何とか耐えてくれ」

 

 俺がそう言うと、天龍は呆けた顔になる。言葉の意味が理解できない、とでも言いたげだ。俺の胸倉を掴む力が段々抜けていき、俺はそれを見計らって奴の手から逃れる。俺が自分の手から逃れたことでようやく気付いた天龍は、呆けた顔を俺に向け、次の瞬間噴き出した。

 

「っ……つまり、お前はそれだけを言うためにここに来たってことか?」

 

「ああ、その通りだ」

 

 そう言った瞬間、天龍は先ほどよりも盛大に噴き出し、腹を抱えて笑い始めた。んだよ、俺に艦娘たちと連絡を取る手段がねぇからこうして現場まで走って来たのに。それを笑うとはどういうことだ。

 

「何笑ってんだ。窮地にいる今なら士気うなぎ上り間違いなしの情報だぞ?」

 

「……っ、は……そ、それ、さっき大淀が無線で言ってたぞ?」

 

 え、マジで? 伝わってたの?

 

「大淀が全艦娘共有の無線で応援要請を飛ばしていたからな。残念だが、今ここにいる艦娘は全員知ってるだろうよ」

 

 嘘だろ……俺がここに来た意味よ。って、それなら俺ただの足手まといじゃん!! どうしよ、自ら死地に飛び込んじまったよ!!

 

「っ!? 退いてろ!!」

 

 不意に天龍が鋭い声を上げて俺を横に蹴飛ばし、それと同時に天龍自身も真横に飛ぶ。次の瞬間、機銃の発砲音が聞こえ、今まで俺たちが立っていた場所に無数の弾痕が穿たれる。

 

 敵艦載機に見つかっちまった!!

 

「天龍!! 大丈―――」

 

「頭下げてろ!!」

 

 俺の言葉は天竜の怒号で掻き消され、視界も天龍に頭を踏み付けられたことで塞がれてしまう。しかし、頭にのせられた彼女の足はすぐに離れ、同時に地面を蹴る音が聞こえた。

 

 顔を上げると、天龍が傍にあったテントの残骸を踏み台に大きく跳躍し刀を振り上げていた。その先に方向転換を行う艦載機の姿がある。

 

「おらァ!!」

 

 腹の底から吠える様に声を出し、天龍は艦載機目掛けて刀を振り下ろす。刀を振り下ろされた艦載機は綺麗に真っ二つに割れ、次の瞬間爆発を起こした。

 

「天龍!!」

 

 空中で爆風を諸に喰らった天龍は勢いよく吹き飛ばされる。空中を飛ぶ彼女を追いかけ、何とか地面に叩き付けられる瞬間に飛び出してその身体を抱きとめた。

 

「天龍!! 大丈夫か!!」

 

「っ……し、心配ねぇよ……」

 

 俺の言葉に天龍は強がってみせるがその言葉とは裏腹に両腕は爆風による火傷が痛々しく刻まれ、肩口の傷は先ほどよりも出血量が増したように見える。このまま放置すれば命の危険に関わるのは明白であった。

 

 抱き留めた天龍を地面に横たえた俺はすぐさま服の裾を破り、肩と足の傷口よりも心臓に近いところに固く結びつけて止血を行う。辺りを見回した際に水が漏れていたタンクを見つけ、それを持ってきて火傷の箇所にゆっくりとかける。大方かけ終わったら、服から破った布きれに水を含ませて患部に優しく巻き付ける。

 

「随分……手慣れてやがる……」

 

「喧嘩の絶えない学校時代だったから、応急処置はお手の物だ。だが、本当に応急処置だから早くちゃんとした治療をしてもらえよ」

 

 取り敢えず応急処置は済んだ。あとは、コイツを鎮守府まで運ばなくちゃいけねぇんだが……。

 

「天龍ちゃん!!」

 

 そんなことを思案していたら後ろから天龍の名前を呼ぶ声が聞こえ、振り向くと複数の駆逐艦を連れた龍田がこちらに走ってきているのが見えた。それと同時に、頭上からブーンと言う羽音が聞こえ始めた。

 

 

 ようやく艦載機が到着したようだ。これで、動きやすくなったな。

 

「提督、何でこんなところに……」

 

「話は後だ。龍田、天龍を任せてもいいか? 俺は他に動けるやつを集めて避難を呼びかけてくる」

 

 俺の言葉に龍田は一瞬驚いた顔をするも、すぐさま顔を引き締めて力強く頷いてくれた。それを見た周りの駆逐艦は天龍に駆け寄り、肩を回して何とか立ち上がらせる。任せても大丈夫そうだな。

 

「すまん、よろしく頼んだぞ」

 

「ま、まてよ……」

 

 そう言って駆け出そうとした時、天龍が声をかけてきた。振り返ると黒っぽい何かを投げ渡される。小さい割にズッシリと重いそれから、微かに人の声のようなものが聞こえてくる。

 

 

「俺の……無線機だ。そいつを使えば……指示が出せる……」

 

 天龍がか細い声でそう言うと、周りの艦娘たちは驚いたような顔になる。天龍が俺に無線を渡したのがそんなに驚くことなのか。

 

「いいのか?」

 

「むしろ……てめぇが欲しいだろ? 俺が持っててもしょうがねぇし……役立ててくれ。だからよ……」

 

 そう声を漏らした天龍は痛々しいやけどが刻まれた腕をあげ、握りしめた拳を向けてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「頼むぜ……『提督』……よ……」

 

「天龍!!」

 

 それだけ零すと、天龍の腕が糸が切れた人形のようにダランと垂れる。それに思わず駆け寄ろうとしたら、龍田に遮られた。俺を止めた龍田は天龍に近付いて様子を確かめ、やがて安心した様に一息ついてこちらを振り返った。

 

「気を失っただけみたいですから、安心してください」

 

「そ、そうか……」

 

 龍田の言葉に安堵の息を漏らす。いかにもな発言だったからまさか、って身構えた俺が馬鹿だったよ。艦娘の生命力を舐めてたわ。

 

「では、提督。よろしくお願いしますね」

 

 龍田はそれだけ言うと、天龍を抱えた艦娘たちを引き連れ足早に去っていった。さて、こっちもやることやらねぇとな。そう頭を切り替えながら、天龍から預かった無線機を耳に付ける。

 

『敵艦載機が予想以上に多く、海上に回せる数が足りません!! 更に増援をお願いします!!』

 

『無茶言わないで。主力が出撃していてただでさえ数が足りないのよ? こっちの守りも考えると、これ以上数を割けれないわ。それに避難している子がいる以上下手に攻撃も出来ない。だから、早く避難を終わらせてちょうだい』

 

 無線では悲痛な声の大淀と淡々とした口調の艦娘が言い争いをしているのが聞こえる。主力が出払っていて艦載機の数が足りないのか。まぁ、取り残された艦娘たちが居る以上、普通に戦えば誤って被弾するかもしれないから攻勢に出れない状況ってか。とにかく、艦娘が避難出来てないから自由に動けずに戦況が膠着しているわけか。

 

 なら、することは一つ。

 

「あーあ、言い争いに割り込んですまん。提督の明原だ」

 

 無線に割り込んで声を出すと、二つの息を呑む声が聞こえた。たぶん、大淀と先ほどの艦娘だろうな。

 

「返答を待ってる暇はねぇから手短に言うわ。艦娘の避難は俺が引き受ける。今、この無線を聞いていて演習場にいる奴は自分の居場所を伝えろ。そして、動けるやつはその情報を元に探し出してくれ。見つけ次第、または避難が完了したら無線で報告、大淀は避難してきた奴の確認を頼む。全員避難が完了したら改めて教えてくれ」

 

『情報量が多すぎるわ。発見、避難完了の報告は大淀か私への個人無線に回しなさい。その情報が入り次第、逐一報告すれば情報を整理しやすいでしょ。提督たちは場所の情報だけ頭に叩き込んでちょうだい』

 

 俺の言葉に、名前の知らない艦娘が助言を加えてくれる。確かに、場所の情報と発見、避難完了の報告を同じ回線でやったらパンクしそうだ。それなら、彼女が提案した案に沿った方が情報の錯綜は防げるな。

 

「よし、その案で頼む」

 

『……貴方を信じていいのね?』

 

 無線の先から、先ほどよりも温度の低い声が聞こえる。まぁ、いきなり無線に割り込んできた奴が勝手に指示を出しまくったら不審に思うか。しかも、彼女たちが嫌っている提督その人なら尚更だな。

 

「信じるか信じないかはこの際どうでもいい。今はこの状況を打破するのが先決だと思うが?」

 

『……そうね、この采配は良い判断ね』

 

 俺の言葉に、名も知らない艦娘はそうこぼした。先ほどの低い声より幾分か高い、そして安堵の息のような、そんな声色だった。

 

「と、いうわけだ。皆、頼むぞ」

 

『了解しました。提督もご武運を』

 

『それなりに期待してるわ』

 

 2つの返答を受け、俺は傷ついている艦娘たちを探すために硝煙が立ち込める演習場へと走り出した。



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『艦娘』と言う存在

『こちら大淀。負傷した駆逐艦の初雪、深雪、白雪3名の避難が完了しました』

 

「了解、あと何人残っているか報告を頼む」

 

 無線から聞こえてくる大淀の言葉にそう返しながら、俺は手元にある救助すべき艦娘の名前が書かれたメモから彼女らの名前にバツ印を付ける。今把握している限りの艦娘は救助できたみたいだな。そう思ったら、人知れず安堵の息を漏れた。

 

 そんな俺の傍らでは、倒れている駆逐艦を手早く介抱する数人の艦娘たち。介抱する彼女たちの身体には少なからず傷が目立つが痛みに顔をしかめることはなく、真剣な顔つきでてきぱきと応急処置を行っていた。

 

 俺が演習場を駆けずり回る間に遭遇した比較的傷が浅い艦娘は、俺の指揮下で艦娘たちの救助に一役買ってもらっている。勿論彼女たちも救助対象なのだが状況が状況な故、動けない艦娘を出来うる限り伴って避難することを強いているわけだ。立案したのが俺が言うのもなんだが、それによる彼女たちの負担が計り知れないほど大きいだろう。

 

 しかし、そんな過酷な状況下で介抱を続ける彼女たちの誰一人として弱音を吐くことはなかった。被弾して動けない艦娘を安全な場所に移動させ、手早く応急措置を済ませる。痛みに呻く艦娘の手を握り、やさしい言葉をかけて安心させる。自らの身体に近い、またはそれ以上の艦娘を背負って避難する。その際に彼女たちが浮かべる表情に、苦悶の色は無い。

 

 そこには、痛みや精神的重圧に押しつぶされそうなか弱い少女たちの姿はなく、過酷な状況下でも負傷した仲間を助けることに全力を尽くす一人の軍人の姿があった。

 

「司令、応急処置が終わりました」

 

 辺りを警戒しながら大淀の報告を待っていると、横の艦娘達から力強い声が上がる。救助した艦娘は駆逐艦1人と軽巡洋艦1人、対して彼女たちは駆逐艦3人。軽巡洋艦の体躯が割と大きいのを考えると、ここで避難させた方がいいな。

 

「よし、ならそいつらを連れて避難してくれ。報告に関しては俺からやっておく」

 

「了解しました!!」

 

 俺の言葉に駆逐艦たちは力強く応え、すぐさま動けない艦娘たちに肩を貸したり背負ったりと移動する準備を始める。こっちも報告しないと。

 

「こちら明原。駆逐艦、軽巡洋艦それぞれ1人ずつ確保した。名前は知らんが、場所は前の報告から少し北上した辺りだ」

 

『提督、その報告は大淀か私に個人でお願いって言ったわよね?』

 

 俺が無線に吠えると、無線の回線について進言した艦娘の若干イラついた声が返ってきた。

 

 確かに、彼女は情報の錯綜を防ぐために発見、避難の報告は自分か大淀の個人に報告しろと進言していた。しかし、今の報告は個人ではなく全体向けて発したものだ。彼女の進言が無碍にしているようなものだから、そんな反応が返ってきても無理はないか。

 

 

「悪いな加賀。回線の変え方が分かんねぇから全体で言うことしか出来ないんだよ。諦めてくれや」

 

『なら貴方に随伴する子たちに任せればいいでしょう。その子達の報告なら保護した子の名前や正確な座標が把握出来て、こちらとしてはものすごくやりやすいんだけど?』

 

 俺の言葉に、進言した艦娘―――――加賀が呆れた様な声を上げる。切り替え方を教えるって言う選択肢はないのね。まぁ、教えられたところでやるかどうかは分かんないけどよ。てか、他の艦娘達は座標で場所を報告しているのか。だが、この辺の地理を把握してねぇからそれは無理だ、諦めてくれ。

 

「着任したての新米提督だ。至らない点があるのは当然だろ? それに、提督の声を聞いて安心するってこともあるかもしれないし」

 

『貴方にまともな会話を求めた私が馬鹿だったわ。大淀、避難ルートに変更はないわ。護衛部隊をお願い』

 

『了解しました』

 

 おい、まともな会話出来てたろうが。そう文句を言おうとした、一方的に話を断ち切られてしまった。別に文句を言おうと思えば言えるが、それで情報の更新が遅れたら厄介だ。取り敢えず、避難に関しては大丈夫そうかな。

 

 俺が無線で指示を飛ばしてから、まだ1時間も経ってないか。今までの報告を聞く通り、逃げ遅れた艦娘たちの避難はあらかた終わったとみていいだろう。

 

 しかし、こうも短時間で避難が終わるとは思わなかったな。ぶっちゃけ、あの時勢いで言っちまったから後々穴が出てきた訳で、恐らく俺の立案だけではここまで事がトントン拍子で運ばなかっただろうな。

 

 俺の作戦は、被弾して動けない艦娘の早期発見を第一としたものであった。そのため、発見後の避難における対応が当事者任せという欠点があった。しかも、当事者自身も少なからず被弾した身だったため、避難における安全性がほぼ皆無という最大の痛手に繋がることとなり、早急にその対応を迫られた。

 

 しかし、その穴を埋めてくれたのが、加賀による艦載機を用いた避難ルートの確保、そして大淀による護衛部隊の組織である。

 

 加賀の進言は、敵艦載機を迎撃している艦載機に敵機がいないルートを割り出してもらい、または無理やりルートをこじ開けてもらうことで、安全な避難ルートを確保すると言うものだ。無論、同じルートばかりを使っていては敵機が狙ってくるので、艦載機部隊を統括する加賀の采配で頻繁にルートを変えて対応をしていた。これにより、襲われるリスクが低い避難が可能となった。

 

 それを補強する形をとる大淀の進言は、加賀によって確保された避難ルートを通る際のリスクを下げるために護衛部隊を組織、避難する艦娘を護衛させることで安全に避難できる体制を作り上げた。

 

 これにより、俺が立案した避難作戦は確実に機能することとなった。しかし、この作戦では膨大な情報量を扱うため、それを捌く役への負担が尋常じゃないぐらい大きいものとなる。が、加賀及び大淀の卓越した情報処理能力と指揮能力によってカバーするという荒業で何とか機能しているという状況だ。

 

 計画性がないと言われればそうだ。でも、これで回っている以上今はこれでやるしかない。破綻したらその時また考えればいいさ。馬鹿だけどよ。

 

 まぁ、加賀があれだけ軽口が叩けるし、大淀の声色に焦りは感じられなかったから問題ないっぽいし。大丈夫だろ。

 

『避難していないのは、軽巡洋艦の北上、そして駆逐艦の曙と潮です。なお、曙と潮に関しては海岸の方に走っていくのを目撃したとの報告がありました』

 

『それだけ避難できれば十分かしら。艦載機達には敵機撃破を命じます。全て撃破次第、海上に向かわせるわ』

 

 残り3人か。演習前に見た一団から考えると、割りとスムーズに避難できた方だろう。しかしまだ3人、しかも顔見知りの曙や潮も残ってるならなおさら急がないと。

 

「了解、俺は3人の捜索にあたるわ」

 

 俺の言葉に2つの『了解しました』という報告を受け、取り敢えず曙と潮が目撃された海岸に向かう。

 

 頭上ではうちの艦載機による本気の掃討が始まっているためか、艦載機の羽音や機銃による発砲音、そして天龍が艦載機をぶった切った時の同じような爆発音があちこちから聞こえ始めた。

 

 ……流れ弾に当たらないようにしないとな。味方の流れ弾に当たって行動不能とか洒落にならないぞ。

 

 そんなことを思いながら走っていると、倒壊したテントの隙間から一人の少女がこちらに背を向けて立っているのが見えた。すぐさま立ち止まって彼女の方に向かう。

 

 テントの残骸の脇を抜けて彼女に近付くと、そこは一直線に海岸に面しており、そこから工厰近くの海が一望出来る小高い丘であった。しかし、一望出来るゆえに敵から狙われやすい場所でもある。

 

 そんな見晴らしの良すぎる場所で、演習の時に見た腰に大きなポケットの付いた濃い目の緑色のセーラー服を着た黒髪おさげの艦娘がボケッと海を眺めていた。おそらく彼女が北上だろう。

 

「お前、北上か?」

 

「おっ、提督じゃん。やっほ~」

 

 俺の問いに艦娘――――北上は呑気な声色で手をヒラヒラとさせる。緊張感がまるで感じられないな。今がどういう状況が分かってんのか? まぁいい、さっさと避難させよう。

 

「取り敢えず、俺が今からいうルートを使って避難しろ。分かったな?」

 

「えっ? やだよそんなの~。今良いところなんだからさぁ~」

 

 ……おい、本気で分かってんのか? 今敵艦載機に襲撃受けてんだぞ? 流石に危機感足りなさすぎだろ。

 

「ふざけたことぬかしてんじゃねぇ。ほら、さっさと―――」

 

「提督も見たら? あんまり見れるもんじゃないよ?」

 

 さっさと避難させようとした俺の手をすり抜け、北上は意地悪っぽく笑みを浮かべながら海を指差した。それにつられて俺も海に視線を向ける。

 

 

 

「『死神』の本気(マジ)戦闘」

 

 そう漏らす北上が指さす先、広大な海の上を疾走する駆逐艦――――雪風が、そしてそれを追尾する無数の敵艦載機の姿があった。

 

「雪風!?」

 

「ここからじゃ聞こえないよ?」

 

 俺の悲痛の叫びに、北上は一寸も同情の色を見せることなく冷静なツッコミを入れてくる。なに呑気なこと言ってんだ。駆逐艦が艦載機相手じゃ不得手なのは知ってるだろ。そんな駆逐艦にあれだけの艦載機が襲ってきたらひとたまりもねぇだろうが!! とにかく無線で呼びかけを……。

 

「今、『死神』に無線を飛ばしちゃだめだよ。それに気を取られて集中放火されちゃひとたまりもないからね」

 

 北上の鋭い言葉に、口元に近付けていた無線が止まる。確かに、今の雪風は敵の弾を回避することで手いっぱいのハズ。ここで無線を飛ばして変に動揺させちまったら、それだけ被弾のリスクが高くなる。それに海上だ、被弾した後すぐさま助けに行ける人員もいない。

 

 

 

 いや待てよ。アイツらは何処に行った?

 

「長門……長門たちはどこに行った!?」

 

「最初にあった爆撃、それを受けたのが長門。敵艦載機の爆弾から駆逐艦を守って大破さ。その後、追い打ち気味に現れる艦載機に迎撃を行うも、長門以下模擬戦闘組も中破以上に追い込まれたんだよ。そして、唯一無傷の『死神』を殿に撤退ってわけさ。まぁ、『死神』自身撤退する気はないみたいだけどね」

 

 旗艦大破及び僚艦に深刻な損害で戦闘続行不可能、唯一無傷の雪風を殿に撤退か。駆逐艦1人を残して撤退って何考えてやがる。いくら援軍が来るとは言っても雪風に艦載機の餌食に成れと言っているようなものだ。

 

「いやー……だって『死神』だよ? 心配をする必要ないよ~」

 

「……さっきから『死神』『死神』って言うのは雪風で合ってるか?」

 

 俺の問いに北上は少しも悪びれもなく頷く。仲間のことを『死神』なんてあだ名で呼ぶのはどういうことだよ。仲間意識の欠片も感じられないし。そう漏らすと、何故か北上はため息をつき、再び海上を指さす。

 

 北上の指の先に視線を向けると、敵の掃射を紙一重で躱す雪風の姿。避けた弾が無数の水柱を上げて彼女の視界を遮り、そこに無慈悲と言える機銃の掃射、及び爆撃が行われる。しかし、そんな回避不可能といえる弾幕の中を雪風は踊る様に身を翻し、それを避けていく。よく見ると、彼女の服には一つの弾痕も、汚れもついていない。

 

 あれだけの艦載機を相手にして、一発も被弾していない。対空特化でもないただの駆逐艦が、だ。

 

 そんな異常と言える回避で敵の攻撃を全て避け切った雪風は、上空の敵目掛けて砲門を向ける。しかし、彼女は演習用のペイント弾しか撃てない筈。おそらく牽制のための射撃だろう。そう思っていると、雪風の砲門からペイント弾が放たれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、彼女の頭上に飛んでいた敵艦載機の一つが爆散した。

 

 

「はぁ!?」

 

 予想外のことに思わず叫んでしまい、横の北上はうるさそうに耳に栓をしながら顔をしかめる。しかし、そんなことなど気にも止められない。

 

 なにせ、雪風の砲門が火を噴くたびに敵艦載機が一つ一つと爆散して墜落していくのだからだ。

 

 軽巡洋艦でさえ敵機をカラフルに染め上げることしか出来なかったペイント弾で、それよりも火力が劣る駆逐艦が敵機を撃墜しているなど、想像できるだろうか。いや、出来るわけがない。

 

「あれ、単純に敵の爆弾に当ててるだけだよ」 

 

「て、敵の爆弾?」

 

 自らの言葉に俺が首をかしげるのを見て、北上はまたもや溜め息を漏らした。

 

「さっき、長門が爆撃で大破って言ったでしょ? その爆撃に使われた爆弾が艦載機の両脇にあって、『死神』はそれを狙って狙撃、ペイント弾が被弾する衝撃で爆発させてるんだよ。例えば……」

 

 そう説明しながら不意に北上が片腕を上げ砲門を具現化、そして俺の後方に向けた。それと一緒に後ろを振り向くと、ちょうどこちらに向かって機銃を向ける敵艦載機が迫ってきていた。

 

「ちょ!?」

 

「ほッ!!」

 

 目の前に敵が迫っているにしては気の抜けた声と共に彼女の砲門が火を噴き、同時に迫ってくる艦載機の左脇に一瞬火花が見えたかと思うと次の瞬間艦載機は跡形もなく爆散した。

 

 爆散によって突風が俺の顔を叩く。突風によりおさげが激しく揺れる北上はそんなもの慣れた、と言いたげに溜め息を漏らしながら砲門を下げる。そして、にへらっとした顔を向けてきた。

 

「ねぇ? 出来たでしょ?」

 

 軽い口調でそんなことをのたまってくる北上。いや、確かに装甲を貫けないなら敵が持つ爆弾を誘爆させて撃破するのは分かった。でも、動く艦載機を打ち落とすのも難しいのになんでそれよりも小さい爆弾をやすやすと打ち抜けるんだよ。雪風もそうだが、精密射撃が得意にしても限度があるだろ。

 

「まぁ『艦娘』だからね~」

 

「その一言で済ますな!!」

 

 そう突っ込んだら、遠くの方からブーンと言う音が聞こえてくる。音の方を見ると、海上にいた敵艦載機たちが何故かこっちを近づいてくる……へぇ?

 

「ありゃりゃ、バレちったか~」

 

 目の前の光景に、北上はなおも緊張感のない声を上げる。って、ふざけんな!! さっきの爆発で敵に気付かれたんだぞ!! 何のほほんとしてやがる!!

 

「北上!! さっきみたいに狙撃できるか!?」

 

「さっきのはまぐれだよ? そんな何発も出来るわけないじゃ~ん」

 

 ふっざけんな!! ここまできてその発言はねぇだろ!! もういい!! こいつを背負って早く避難しねぇと本当に手遅れになる!!

 

「すまん!!」

 

「へぇ? ふわわぁ~」

 

 間抜けな声を上げる北上を抱き上げ、演習場の方に向き直って急いで駆け出そうとする。しかし、一歩踏みだそうとした瞬間、発砲音と共に目の前に弾痕が穿たれる。

 

 

 咄嗟に顔を上げると、演習場への道をふさぐように敵艦載機が漂っていた。その黒く光る機体に取り付けられた機銃が、次は確実に俺を仕留めようと照準を俺に向けてきた。

 

「万事休すだね~」

 

「呑気な事言ってる場合か!!」

 

 肩の上でのほほんとのたまう北上を叱責する。しかし、敵艦載機はその暇すら与えてくれないのか、機銃は無慈悲にも俺に標準を合わせ、次の瞬間無数の発砲音が鳴り響く。

 

 しかし、俺の元に一発も銃弾は飛んでこなかった。

 

 

 

 

 俺に標準を向けていた敵艦載機の装甲を、無数の銃弾が貫いたからだ。

 

 装甲を貫かれた敵艦載機は火花を散らしながら俺の頭上を越えて海上に踊り出て、次の瞬間爆散した。またもや俺の顔を突風が叩くも、それと同時に力強い風が後方から吹き初め、同時に羽音が聞こえた。

 

 

『こちら加賀、演習場上空の艦載機を撃滅。すぐさま海上に向かわせるわ』

 

『こちら大淀、哨戒隊から入電。鎮守府近海で艦載機を発艦する空母を発見、これを撃沈しました』

 

 耳の無線から聞こえてくる加賀と大淀の声。それとと同時に後方から無数の艦載機が現れ、海上へと殺到していく。やがて、海上は逃げ回る敵艦載機と。それを追い詰めて確実に撃墜していく味方の艦載機たちで溢れかえった。

 

「間一髪だったねぇ~提督ぅ~」

 

「もう少し緊張感ってものを持ってくれ……」

 

 ついさきほどまで命の危機に瀕した状況に立たされた者とは思えない発言に、怒りを通り越して呆れ声を上げてしまう。海上の敵は加賀達の艦載機で一掃されるか。取り敢えず、残っている艦娘の保護をしねぇと。

 

 

「しれぇ!!」

 

 そんなことを考えていると、遠くの方から声が聞こえる。振り向くと、こちらに近付きながら手を振る雪風の姿があった。味方の艦載機が到着したことで避難してきたのだろう。

 

「雪風頑張りましたよー!! ご褒美くださーい!!」

 

 両手をメガホンの様にして大声を出す笑顔の雪風。何だろう……ついさっきまで無数の艦載機を相手取っていた奴とは思えない発言だな。北上と言い雪風と言い、手練れほど緊張感のないヤツばかりなのかね。

 

「アホなこと言ってないで早く帰って来ーい。さっさと避難――――」

 

 そこで、俺の言葉は途切れた。笑顔の雪風の後方、ちょうど味方の艦載機が敵を爆散させて黒い煙が上がる中。そこから一機の艦載機が飛び出し、雪風目掛けて猛スピードで突っ込んでくるのが見えたからだ。

 

「雪風!! 後ろ!!」

 

 咄嗟に声を上げると、その声に雪風は弾ける様に後ろを振り向いて突っ込んでくる艦載機に砲門を向けた。しかし、次に聞こえたのは砲撃音ではなく、カチッと言う軽い音。それを聞いた瞬間、雪風は砲門を見つめながら驚愕の表情を浮かべる。それを見て、すぐさま悟った。

 

 

 

 放てる弾薬が尽きているのだ、と。

 

 

 

 

「雪風ェェェェ!!」

 

 そう悟った瞬間、俺は絶叫しながら雪風目掛けて走りだしていた。



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『提督』としての判断

後半に人体破損描写があります、ご注意ください。


『帰還する母艦を失った艦載機程、怖いモノは無い』

 

 走り出した瞬間、俺の頭には軍学校で教えられていた言葉が浮かんでいた。

 

 先の大戦は今までの常識をひっくり返す特別な戦争であった。当時、海戦は戦艦同士の砲雷撃戦が主流であり、砲門の大きさ、射程、威力が勝敗の行方を左右する大鑑巨砲主義であったが、その大戦では戦艦同士の砲雷撃戦よりも艦載機による戦艦への爆撃、艦載機同士の航空戦を主流とする航空主兵主義へと切り替わった時代でもあった。つまり砲門の大きさや威力ではなく、どれだけ多くの艦載機を保有、運用できるかによってその国の戦力が計られることとなったのだ。

 

 そんな艦載機としては華々しい時代において、海戦の勝敗を決する要となった艦載機の横には必ず自身を発艦する母艦の存在がある。艦載機を搭載して海戦においてそれらを発艦させる母艦は主に空母であり、艦載機にとって出撃するためのモノでありながら、生きて帰るには必要不可欠なモノでもあった。

 

 

 それはつまり、母艦の撃沈=自身の死を意味する。

 

 

 その言葉通り、先の大戦で母艦が敵によって沈められた際、帰る場所を失った多くの艦載機が敵戦艦に突っ込んで果てることが多々あった。それは、生きて帰れないのならせめて敵に一矢報いてやる、と言う艦載機乗りの執念の行動であったと言えよう。その執念によって少なからず戦艦が沈められ、それによって多くの命が失われることとなった。

 

 そして今、その執念にも似た何かが再び牙を剥いた。それは、雪風に迫る敵艦載機。

 

 母艦であった空母を撃沈され、味方は次々と敵の攻撃によって撃墜されていく。雪風や艦載機たちの攻撃を掻い潜ったのだ、あの艦載機も弾薬すら残ってはいまい。あるのは己の身と、両脇に吊るされた爆弾のみ。それを放ったところで、雪風の類稀なる回避術の前では当てるは愚か掠ることさえ難しいだろう。

 

 そして、目の前にはその類稀なる回避術ではなく砲撃によって自らを落とそうとした彼女が、弾切れによってその場で硬直している。今なら、爆弾を落とせば当たるであろう。しかし、どうせ爆弾を落としたところで自らは打ち抜かれて果てるのみ。

 

 ならば、目の前にいる艦娘を道連れにして果てようではないか―――敵艦載機の動きから、そんな執念にも似たものを感じた。その執念に、俺はただ歯を食いしばって走ることしか出来ない。弾切れを起こして砲撃出来ない雪風と、執念の塊となって迫る艦載機の間に割って入るために走るしかないのだ。

 

 今から走ったところで間に合わないのは分かっている。仮に間に合ったとしても、人間の俺じゃ艦載機の突撃から雪風を守ることさえ出来ない。よくて、直撃を避ける程度だ。しかし、それも爆風によって帳消しにされる。俺が今ここで走ったところで、何もかも無駄なのは分かっている。

 

 

 でも、もう見たくないのだ。目の前で誰かが傷つくのを。

 

 

 もう目の前にいたくないのだ。傷つく人に手を差し伸べられず、ただ茫然とすることしか出来ない自分を。

 

 

 もうやめたいのだ。目の前で消えゆく命すら救えなかった、あの時の弱い自分を。

 

 

 だから俺は間に合わなくても、勝算が無くても、死ぬかもしれなくても、ただ走り、助けたいと思う人の名前、喉を震わせて、心臓を潰してでも叫ぶしかないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「雪か――――」

 

「らぁァァァアアア!!」

 

 突然、何処からともなく聞こえてくる絶叫と、腹の底に響き渡る鈍い砲撃の音が俺の鼓膜を叩く。それと同時に、雪風に迫る敵艦載機に横なぐりに黒いモノが、その装甲ごと機体の半分を食い破る。

 

 機体の半分を失った艦載機はそのまま雪風から軌道を逸れて進んだ瞬間、轟音を立てて爆散していった。

 

 突風が俺の顔を叩く。倒れないよう無意識のうちに踏ん張ったことで足が止まるも、目だけは閉じることなく、縫い付けられたように艦載機が飛んでいた場所を凝視していた。その視線には、同じように砲門を向けたまま雪風が固まっている。

 

 そして、俺の視線の中で砲門を下ろした雪風が艦載機を食い破った黒いモノが飛んできた方向に目を向ける。それにつられて、俺の視線もそちらに注がれた。

 

 

 雪風が立っている場所から十数m先、波打ち際で砲門を頭上に向けている艦娘が立っていた。

 

 

 その艦娘の身体は敵の攻撃を喰らったのか、服は焼け焦げを残してボロボロで腕や足には火傷の痕が見受けられる。砲門を掲げる腕、及びその身体を支える足は小刻みに震えており、触れただけで壊れてしまいそうなほど実に弱弱しい。

 

 トレードマークでもあったピンクの髪留めは爆風によって吹き飛ばされ、無造作に解き放たれた薄紫色の長髪が海風に揺れる。その隙間から覗く、苦痛に歪む顔。やがて、その艦娘は掲げていた砲門を下げ、糸が切れた人形の様に後ろに倒れた。

 

 

「曙!?」

 

 咄嗟にその名を呼ぶと、すぐさま曙の後ろから同じ柄のセーラー服を纏った駆逐艦が飛び出してきて後ろに倒れる曙の身体を抱き留めた。倒れなかったことに安堵の息を漏らしていると、雪風が弾ける様に飛び上がって曙に駆け寄っていくのが見える。取り敢えず、まずは彼女の容体を見ないと。

 

「潮ちゃん!! 曙ちゃんは大丈夫ですか!?」

 

「先ほど敵の爆撃を喰らっていますが……い、命に別状はないですぅ」 

 

 先に駆け寄った雪風が曙の容体を尋ねると、彼女を抱き留めた艦娘――――潮が弱弱しい声で応えた。潮自身、今にも泣きそうなほど顔をグシャグシャにするも、俺が近づいてくるとその顔から目つきを鋭くさせ、曙をぎゅっと抱きしめながら俺から少し離す。俺に触らせたくない感じだ。

 

「潮、曙を診せてくれ。容態によっては応急処置をしなくちゃいけない」

 

「貴方に診てもらわなくても曙ちゃんは大丈夫です。私たち艦娘はドックに入りさえすれば怪我なんて治りますから」

 

 俺の言葉に潮は目も合わさずにそう応えた。その腕の中で曙は痛みに呻き声を上げている。怪我が治ると言ってもドックに入るまでは痛みと戦わなくちゃいけないわけだし、それを少しでも軽減するために応急処置があるんじゃねぇか。そう言っても、潮は頑なに首を縦に振らない。そうしている間にも、彼女の腕の中では曙の呻き声が聞こえる。

 

 ……もう見てられるか。

 

「雪風、手伝え」

 

「いやぁ!! 曙ちゃんに触れるなぁ!!」

 

 俺の言葉に雪風は無言で後ろから潮を羽交い絞めし、その手から解放された曙を抱き寄せて怪我の具合を確かめる。横で曙を奪われたことに暴れる潮であったが、やがて暴れるのをやめて嗚咽を漏らし始めた。その目だけは、曙の身体を触れる俺を睨み続けていたが。

 

 そんな視線に晒されながら曙の怪我を診ていく。殆どは爆撃による火傷、そして腕や足に浮かぶ青あざは激しく身体を叩きつけられたみたいだな。天龍の肩や足のように被弾したような痕は見られない。取り敢えず、火傷の患部を水で冷やして、濡らした布を当てればいけそうか。

 

「北上、演習場から給水タンクを持ってきてくれ。あと、大淀に連絡を」

 

「あいよー」

 

 いつの間にか傍にいた北上にそう指示を出すと、彼女は軽いノリで快諾して演習場へと消えていった。それを見送った後、不意に大淀の言葉を思い出した。

 

「曙、何で避難しろって言われていたのにわざわざ海岸に行ったんだ? 敵の懐に飛び込むようなもんじゃねぇか」

 

 俺は当初、演習場にいる艦娘全員に鎮守府内に避難するよう指示を飛ばした。勿論、彼女たちも演習場にいたため、避難の対象になっていた。しかし大淀の報告によれば曙たちは鎮守府内ではなく、敵艦載機が飛び交っている海岸に向かって走って行ったのだ。そして、今こうしてボロボロになりながらも海岸にいたことを見るに、彼女たちは自らの意思でここに移動したということになる。

 

「あ、あたしたちは実弾を撃てるから……少しでも敵機を落として安全を確保しようとしたの……」

 

 俺の問いに、曙は苦しそうに息を吐きながらそう応える。その言葉に、彼女たちと出会った食堂での光景を思い出した。

 

 

 朝食堂にいた時、曙たちは演習用のペイント弾ではなく実戦用の実弾を補給していた。おそらく、彼女たちは演習ではなく他の任務に就いていて、それが終わって物見がてらに演習を観戦しに来ていたのだろう。そして敵襲が起こり、演習場にいる艦娘の殆どはペイント弾しか撃つことが出来ずに逃げる中、実弾を撃てる曙たちは避難する艦娘たちの安全を確保しようと敵艦載機迎撃に向かった、と言ったところか。

 

「曙、それはめい――――」

 

「ほい、提督。これでいい?」

 

 俺の言葉を遮るように、北上が間の抜けた声を上げて給水タンクを見せてきた。今はそんなことを言ってる場合じゃない。曙の応急処置が最優先だ。

 

「助かる」

 

 そう言って北上から給水タンクを受け取り、火傷の患部に水をかけて冷やす。痛みに呻き声を上げる曙であったが、濡れた布を患部に巻き付けた時にはその顔から苦痛の色が薄まったような気がした。

 

「雪風、北上、曙を背負うから手伝ってくれ」

 

「ほいさー」

 

「了解しました!!」

 

 俺の言葉に北上と雪風が元気良く応え、雪風が羽交い絞めしていた潮の身体を離す。二人の手を借りて曙を慎重に俺の背中に乗せ、動けるようになるまで、潮は足元を見つめたまま動こうとはしなかった。

 

「んじゃ、とっとと鎮守府に帰るぞ」

 

 そう号令をかけて歩を進める。後ろから同じように海岸を踏みしめる音が聞こえるも、明らかに1人の足音が足りない。それが誰だかは、想像するに易い。

 

「潮、突っ立ってないでさっさと……」

 

 振り返りながらそう声をかける。しかし、その言葉も最後まで続かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 潮が、こちらに砲門を向けていたからだ。

 

「……どういうつもりですか」

 

 突然の光景に何も言えないでいると、傍らの雪風が低い声を漏らしながら俺の前に立ち塞がる。その声色に俺の背筋に寒気が走る。いつもの明るい雪風しか見てこなかったためか、その雰囲気の落差にすぐ身体が順応しなかったのだ。

 

「あんまりやんちゃするもんじゃないよ?」

 

 同じく北上も低い声で潮に語り掛ける。そんな二人の言葉を受けてか、潮は今まで下げていた顔を上げた。その瞬間、今まで感じたことのないような寒気が体中を駆け巡った。

 

 

 そこに、今朝彼女に向けられた『あの目』があったからだ。

 

 

「……あんたなんでしょ?」

 

 その目を向けながら、潮は雪風や北上よりも低い声でそう語り掛けてきた。

 

「……な、何が」

 

「あんたが深海棲艦を招き入れたんでしょ!!」

 

 俺の言葉をかき消すように潮が絶叫染みた声を上げる。その言葉の意味を理解する前に、潮は怒りくるった顔のまま犬歯をむき出しに吠える。

 

「あんたがこの演習場にいるって聞いたときからおかしいと思ってた!! 着任してから一回も出撃時や遠征部隊の出航時に顔を見せなかったあんたが、何故か演習にひょっこり顔を出した!! ……おかしいとは思わない? 今まで提督業務を放棄していた奴がいきなり顔を出して、そして待ってましたと言わんばかりに深海棲艦が襲ってきて、たくさんの艦娘が……曙ちゃんが大怪我を負った!! どう見ても、深海棲艦と示し合わせていたとしか考えられない!!」

 

 潮は一言一言恨みをぶつける様に叫んでくる。それを受ける俺は、ただただこの場の状況が分からなかった。いきなり砲門を向けられ、そして深海棲艦と繋がっていると叫ばれる。砲門を向けられる筋合いもないし、ましてその理由にある深海棲艦と繋がっているなんて身に覚えがない。

 

 どこをどのように繋げれば俺が深海棲艦と手を結んでいた、なんて発想に至るのかがまるで分らない。

 

「……潮さん、冷静に考えてください。仮にしれぇが深海棲艦と繋がっていたとしましょう。では、何故しれぇは私たちを避難させるよう指示を出したのですか? 深海棲艦側なら、指示を出さずに放っておくか、もしくは支離滅裂な指示を連発して私たちの指揮系統を混乱させるでしょ? その方が被害は甚大になりますし、当時演習場にいた艦娘は実弾を撃てないのですから容易く制圧できるでしょうし」

 

「でも、そいつが出した指示は穴だらけだったじゃない!! きっと私たちを貶めるための罠だったのよ!!」

 

 雪風は淡々とした言葉に、潮は噛み付く勢いで叫ぶ。その姿に北上ははぁっと溜め息を漏らした。

 

「それも、加賀や大淀の進言を採用して通用するものになったじゃん。もし敵さん側なら、穴を埋めるような進言は退けるはずだよ?」

 

「っ……じ、じゃあそいつは深海棲艦が襲撃した時、異常なぐらい冷静だった!! 実戦経験のない新任が不意打ち気味に攻めてきた敵をそんな冷静に迎撃するなんて不可能よ!! 奴らが攻めてくることを事前に知っていたに違いないわ!!」

 

「それこそ、しれぇが優秀だったってことじゃないですか。雪風はそんなしれぇがここに着任してくれてうれしいですよぉ」

 

 潮の言葉を切り返す形でそう言った雪風は、俺の腰のあたりに抱き付いてくる。あまりベタベタくっつかないでもらいたい。こういう状況で、それは火に油を注ぐことにしかならないから。

 

「っ!! ならそいつは深海棲艦側の斥候よ!! この襲撃で私たちの信頼を得るために深海棲艦と示し合わせて的確な指示を出した!! 信頼を得てからゆっくりと深海棲艦側に情報を流す算段なんだわ!!」

 

「……いい加減にしなさいよ」

 

 ああ言えばこう言う、を体現させながらのたまってくる潮に、俺の後ろからそんな言葉が飛んでくる。そう言ったのは曙。彼女が発した言葉は雪風や北上が発したものとは比べ物にならないほど低く、口答えを許さないという裏の意味を孕んでいるように思えた。

 

「……曙?」

 

「……降ろしなさい」

 

 背中の曙にそう問いかけると、同じような声色でそう返って来た。それを受けて、俺は口答えすることもなくゆっくりとしゃがみ、曙を降ろした。地面に足を付けた曙は痛みに顔をしかめるも、すぐさま目つきを鋭くさせて潮を睨み付けた。

 

 

「潮、あんた自分が今言ったこと覚えてる? あたしの耳には、ただガキが我が儘を言ってるだけにしか聞こえなかったわ」

 

「っ」

 

 曙の挑発的な態度に潮の顔が歪む。そんな表情を向けられた曙は、少しも動じることなく真っ直ぐ見つめ返した。

 

「あんたがクソ提督を毛嫌いしている理由は分かってるわ。でも、コイツはあんたに何かしたの? コイツのせいであんたは何か被害を被ったの? 違うでしょ? コイツはあんたに何もやっていない。なのに、あんたはありもしない理由を付けて糾弾している。お門違いだとは思わない?」

 

「でも!! そいつは曙ちゃんの入渠するドックに押し入ろうとしたじゃない!!」

 

 潮の言葉に、俺の傍らに控える雪風と北上が一斉にこっちを振り向く。目を合わせないよう視線を外したが、明らかに友好的な視線ではないのは分かった。

 

「あれに関しては、あたしの平手打ちで済ませたわ。てか、当事者でもないあんたがそれを理由にあげるのはおかしいわよ」

 

 曙の言葉に潮は言い返せないのか、俺に向けた砲門を下げて不満ありげの顔のままぐぐっと口を噤んでしまった。たぶん、曙からあの件について片がついたことを知らされていなかったのだろうな。まぁ、曙自身思い出したくもない記憶を周りに言うとは思えないし。

 

「……あんた、あたしがこの手のことが大っ嫌いなのは知っているわよね? ありもしない罪を擦り付けて、それで責められるのを見るのが死ぬほど嫌いなのをあんたは知っているわよね? それを知ってる上で、見せているわけ?」

 

 急に、曙の声色が変わった。今まで言い聞かせるようなものだったのが、導火線に火が付いた爆弾の様にどんどん語気が荒くなっていく。その顔も、無表情からだんだんと怒気が滲み始めていた。

 

「ようするに、今回のことはあたしへの当てつけ? そうなんでしょ? 大っ嫌いなことをわざわざ見せるためにクソ提督を陥れようとしたの? あたしを苦しめるためにそう仕向けたんでしょ?」

 

「ち、違うよ!!」

 

 曙の言葉に潮が弾かれた様に顔を上げてそう叫ぶ。その顔には『あの目』は浮かんでおらず、代わりに大粒の涙が浮かんでいた。

 

「今更弁面しよったってそうはいかないわ。分かってるわよ、あたしはあんたの身代わりだったもんね。いつもあんたばっか褒められて、チヤホヤされて、優越感に浸っていたんでしょうね。その陰で尻拭いをするのがあたしの役目だったもんね」

 

 曙の言葉に、潮は何も言い返せずに俯いて唇を噛み締める。その目から大粒の涙をこぼしながら、噛み締めた唇から血を流しながら。そして、その口が小さく動き始める。

 

「……のせいだ」

 

「はぁ? 何て言ったの? 全然聞こえないわよ?」

 

 潮の呟きに曙がわざとらしく大声を出す。それを聞いた瞬間、潮は顔を上げると同時に砲門を俺に向ける。その行動にすぐに反応出来なかった俺に向けて、潮は血が流れる唇も構わず大きく口を開いた。

 

 

 

「お前のせいだァァァァアアアア!!!!」

 

 その言葉と共に、腹の底に響く鈍い砲撃の音。それを聞いた瞬間、俺は傍らの二人を抱きかかえて地面に倒れ伏す。そして、襲ってくるだろう砲弾から守るために二人の上に覆いかぶさった。凄まじい突風が俺の顔を叩き、次に来るであろう衝撃と爆風に備える。

 

 

 

 

 

 しかし、それ以降何もやってくることはなかった。何も来ないことに不思議に思い、俺は思わず顔を上げて前方を見る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこには、黒い煙を上げながら後方に吹き飛ぶ潮の姿があった。

 

 

「潮!?」

 

 当然のことに一瞬固まるも、すぐさま飛び起きて吹き飛ぶ潮目掛けて走り出す。そして、地面に激突する擦れ擦れでその身体をキャッチした。しかし、キャッチした後に俺の目にとんでもないモノが映る

 

 

 

 先ほど彼女が砲門を向けていた腕、その手首から先が無い(・・)のだ。

 

 余りにも酷い光景に目を背けたくなるも、身体に鞭打って彼女の身体を地面に横たえてすぐに服を破り、それで手首より少し上の方を力の限り締め付ける。しかし、それをしても手首からは血がにじみ出てくる。次に上着を脱いでそれを彼女の手首に巻き付け、傷口からの止血を施した。

 

「しれぇ!!」

 

 潮の止血を施した後に切羽詰まった雪風の声が聞こえ、振り返ると担架を携えた複数の艦娘を伴った雪風が近づいてきていた。彼女たちは潮の腕を見て一瞬目を見開くも、すぐさま表情を戻して担架を広げ始める。

 

「雪風は潮さんをドックに入渠してきます!! 皆さん、行きますよ!!」

 

 雪風の怒号に似た言葉に無言で頷く。それを受けた雪風は潮を担架に横たえて、風の様に鎮守府へと走っていった。潮が運ばれていく後ろ姿を見ていると、ふと周りにたくさんの艦娘達が居ることに気付いた。

 

 そして、彼女たちの視線はとある艦娘に注がれていた。

 

「……曙」

 

「ク、クソ提督……」

 

 そう声を掛けながらその艦娘―――――曙に近付くと、彼女は今にも泣きそうな顔を向けてきた。しかし、彼女の腕には砲門があり、砲口からは微かに煙が立ち上っていた。

 

 

 

 そう、彼女が潮を砲撃したのだ。

 

 

「あたし……あたし……」

 

「曙」

 

 俺は助けを請う様に手を伸ばしてくる曙の手を払いのけ(・・・・)、冷たい視線を向けてこう言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

「上官の命令違反、及び味方を砲撃し甚大な被害を与えたとして、1週間の営倉行きを命ずる」



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『人』としての行動

 営倉――――現在の刑務所でいうところの懲罰房だ。そこには、軍規を犯した者や敵に内通していた者、捕虜などを逃げられないよう閉じ込めておく場所。また、場合によっては内通者、捕虜から情報を聞き出すための拷問に使われることもある。

 

 営倉は軍事施設なら必ずあると言ってよく、この鎮守府も例外に漏れない。しかし、人間の軍隊と違って拷問等に用いられることはなく、主に軍規を犯した艦娘を一時的に隔離する場所と言う意味合いの方が強い。故に、軍独特の血なまぐさい匂いがしないのが唯一の救いだ、と感じた。

 

 そんな営倉へと続く階段を、俺は下りている。

 

 コンクリート製の階段を踏み締める毎にカツーンと言う乾いた音が鳴り、それは波紋のようにゆっくりと反響を繰り返す。壁にかかる電灯がか細い光を放つだけで、それ以外の光源が存在しない。罰を犯した者を収容する場所故、そこに温かみと言うものは一切感じなかった。

 

 不意に足元に違和感を感じた。すぐに見下ろして目を凝らすと、靴と階段の間に血で汚れた布切れが挟まっていた。屈んでそれを摘まみ、じっくりと眺めてみる。まだ血が乾ききっていないのを見るに、つい先ほど引き剥がされて捨てられたものとみていいだろう。よく見ると、血で黒く染まった皮膚のようなものまでこびり付いている。傷口に構わず思いっきり掴んで、無理やり引き剥がしたのだろうか。

 

「おっと……」

 

 手の布きれ―――とある艦娘の応急処置に使ったそれに気を取られていて、脇に抱えるモノを取り落しそうになった。ここでこれを落とせば中身がぶちまけられて拾うのが面倒になる。その一心で何とか抱えなおし、そして人知れず安堵の息を漏らした。

 

 

 『持ってきてよかった』――――思わず漏れた息には、落とさずに済んだと言うことよりもその想いの方が強かったような気がする。まぁいいだろ、と気を取り直して再び階段を下り始める。

 

 

 何故、提督とあろう俺が営倉なんぞに向かっているのかと言われれば、そこに目的の人物がいるから、と答える。

 

 つい先程、上官である俺の命令を無視して単独行動を行い、味方の艦娘を砲撃して甚大な被害を引き起こした艦娘――――――曙に会いに来たのだ。

 

 階段がようやく終わり少々低い通路を通り抜けると、そこには無骨な鉄格子が壁に取り付けられた、営倉と言うよりは牢屋と言うべき空間が広がっていた。

 

 営倉は分厚いコンクリートの壁を挟んで2部屋に分かれており、どちらも頑丈な鉄格子と大きな錠前が取り付けられている。鉄格子の隙間から見える中は打ちっぱなしのコンクリートの床が広がっており、簡素なベッドと机、椅子、本棚、洗面台、その奥には個室トイレがあった。

 

 

 そんな冷たい牢屋の主は、簡素なベットの上で頭から毛布を被って寝ころんでいた。心なしか、その身体が微か震えている。毛布の隙間から見える白かったであろうシーツはうっすらと赤みを帯びており、時折血だまりのような赤いシミが見受けられた。

 

 なによりも、毛布の隙間から微かに聞こえるすすり泣く声。本人は必死に堪えているのだろうが、それが止むことはない。そう確信が持てた。

 

 

「曙」

 

 静まり返る営倉で、その名を呼んだ。俺の声に震えていた毛布の塊がビクッと大きく動いてそのまま固まる。次の瞬間、その毛布は宙を舞っていた。

 

 

 

「潮は!? あの子は大丈夫なの!?」

 

 毛布がフワリと床に落ちた時、俺の目の前には鉄格子に食いつかんばかりに顔を近づけてそう吠える曙の姿があった。

 

 営倉行きを言い渡したときと同じボロボロのセーラー服のまま。その間から見える火傷の傷口からは血がにじみ、青アザが痛々しく刻まれた腕。その腕で鉄格子を掴み、今にも飛び掛かろうとしているのではないかと錯覚しそうなほど気迫のこもった視線を向けてきた。

 

「……命に別状はない。ただ、腕を再生させるには時間がかかるそうだ」

 

「今後の生活に支障は!? 不自由になるとかは無いのね!?」

 

「再生後に少しリハビリが必要らしいが、それが終わればいつもの生活に戻れる」

 

「……そう、そっか……」

 

 俺の言葉に、今にも飛び掛かる勢いだった曙の表情が緩む。彼女は小さく呟きながら鉄格子から手を離し、足元に落ちた毛布を掴んでベットに向けて歩を進める。

 

「…あけ――」

 

「帰って」

 

 その後ろ姿に思わず声を掛けようとしたが、それは抑揚のない彼女の言葉によって掻き消される。一切こちらを見ずにそう言い放った曙は何事もなかったかのようにベットに戻り、再び毛布に包まった。

 

 

「あんたに話すことなんてない、帰って」

 

 またもや、こちらを見ずにそう言い放つ曙。その言葉に先ほどの弱弱しさはなくむしろ人を寄せ付けない刺々しさがあった。

 

 

「お前になくても、俺にはあるんだよ」

 

 その言葉にそう返しながら、俺はポケットから鍵を取り出した。それはここに来る前に大淀から拝借した営倉の鍵。それを、先ほど彼女が掴んでいた鉄格子の扉を施錠する錠前に突っ込む。

 

 カチリ、と言う音と共に錠前が外れ、キィーッと言う金属音を発しながら扉が開かれる。その音に曙は微かに反応するも、その顔がこちらに向けられることはない。明らかに歓迎されていないムードの中、鉄格子の向こう側に足を踏み入れる。

 

 

「入ってこないで」

 

 一歩、中に踏み入れた時に曙からそう声が飛んでくる。しかしそれに俺の足が止まるわけもなく、再びもう一歩、もう一歩と踏み出す。その一言以降曙が声を発することはなかったが、代わりに自身を包む毛布を掴む手に力が込められたのが見えた。

 

 カツカツ、と言う軽い音が営倉に響く。それを響かせながら俺は曙が寝ころぶベットの脇に近付き、そこに腰を下ろした。同時に、固い金属音と複数の物がぶつかる音が聞こえる。その音を聞いても、曙は振り返ることはなかった。

 

 

「……謝りに来たの?」

 

「……い―――」

 

「いいのよ、別に」

 

 俺が腰を落ち着けて一息ついたとき、曙が小さな声で問いかけてきた。その言葉にどう答えようか考えていたら、曙自身がその問いに答えを返してしまう。

 

 

「大方、あの時周りにいた艦娘たちの信頼を得ようとしたんでしょ? あたしが潮の言動を糾弾している辺りから艦娘たち、北上が呼んだ護衛部隊が集まっていたのに気付いたわ。あの時の場面だけ見れば、あたしが潮を罵っているようにしか見えなかったでしょうね。そして、そのままあたしがあの子を砲撃した。どこからどう見ても、悪者はあたしよね?」

 

 そうつらつらと語られる曙の声は抑揚のない平坦なものであった。しかし、先ほど俺に向けられた刺々しさの代わりに、自嘲を含んだ暗さがあった。

 

「あの場面であの子への応急処置して、そしてあたしを糾弾すればさぞ周りからの評価はうなぎ上りでしょうね? 大怪我を負った潮を助けて、そしてあの子を罵った挙句砲撃したあたしを罰したんだから。あんたの判断は正しいって、素晴らしい提督様が来てくれたって思われるでしょうね……成り上がるには最高の舞台だと思わない?」

 

 曙は最後に俺に問いかけてくる。その問い、いやそこに至るまでの間に、彼女の声色は自嘲から震え声へと変わっていた。そして、ここまで自身を蔑み、糾弾されること望んでいるのかと、自らが言った言葉を肯定してほしいのかと言う思いを感じ取れた。

 

 そうでなくては、彼女自身が納得できない、と言うように。

 

 

 

 

「思わねぇよ、んなこと」

 

 だからこそ、その言葉を否定した。それが、彼女の琴線に触れることだとを分かっていながらだ。

 

 

 

「……なんでよ」

 

 俺の言葉に、曙が呟く。先ほどと同じ震え声ではあるが、明らかに怒気が孕んでいるのが分かった。

 

「……そうなんでしょ? 自分を持ち上げるためにあたしを利用したんでしょ? だからあの時あたしを糾弾したんでしょ? そうでしょ!! 違うの!? そうだって言いなさいよ!! 認めなさいよ!!」

 

 曙の呟きが、叫び声へと変わっていく。いや、叫び声と言うか、悲鳴と言った方が正しいかもしれない。自らが納得した理由を否定され、それにより今まで堪っていたモノが溢れ出してきたのだろう。

 

「……取り敢えず―――」

 

「今更綺麗事を言いに来たの!? 言い訳を並べに来たの!? そんな言葉なんかいらない!! いいから早くかえ……」

 

 俺の言葉をかき消すように叫びながら曙は飛び起きて俺に掴みかかる。しかし、その勢いは俺の横に鎮座しているモノを目にすることで急速に弱まった。

 

 

 

 

「……救急箱?」

 

「ほら、とっとと患部を診せろ」

 

 傍らの救急箱を見つめながら小さな声で呟く曙、俺は掴みかかってきた彼女の腕を取る。

 

 先ほどの布きれを引き剥がした際に水ぶくれが破れたのか、傷口は赤い皮膚が見えていて血がにじんでいる箇所も見受けられる。青アザは前よりも青みが広がっている。そして、新たに切り傷や擦り傷が至る所に刻まれている。それらを確認して、傍らの救急箱を引き寄せる。

 

 まず、火傷部分を水分を含ませたガーゼで血を、それ以外を消毒液を含ませたガーゼで血や汚れを拭きとる。その後、火傷部分には水分の蒸発を防ぐ特殊なフィルムを優しく貼り付ける。次に切り傷や擦り傷には絆創膏を、青アザにはちょうどいい大きさに切った湿布を貼る。最後に包帯を使って全体を覆い、包帯が取れないようにテープで止めた。

 

 片腕の治療が終わったので今度はもう片方の腕を取り上げて、同じような処置を施す。その間、曙は呆けた顔のまま俺が進める治療を眺めていた。

 

 

「なんで……」

 

 片腕が終わり、次に両脚に処置を施している最中、曙が口を開いた。それに、俺は手を休めることなく耳を傾ける。

 

「なんで治療しているのよ……? こんな傷、ドックに入れば治るわよ……」

 

「そのドックに入れてやれないから、代わりに出来ることとして治療してるんだよ」

 

 曙の言葉に、俺は包帯を巻きながらそう返してやる。その言葉に曙はまたもや呆けた顔を向けてくるだけだった。まぁ、腕が吹き飛ぼうがドックに入ってしまえば治るんだ。彼女の傷ぐらい、どうってことないだろうよ。

 

 でも、俺は曙に一週間の営倉行きを命じた。その際、ドックに入ってからと言いたかったのだが、あいにく今は深海棲艦の襲撃により怪我人で溢れかえり、ドックもフル稼働している状態だ。そこに懲罰を受けた曙が優先的にドックに入れるとなると、少なからず他の艦娘から不満が出るかもしれない。それに曙に腕を吹き飛ばされた潮がドックに入っていることも考えると、あまり一緒にさせるのは良くないだろう。

 

 足の包帯を結び終え、取り敢えず一息つく。本来なら全ての傷を診たいのだが、見知らぬ男に体の隅々まで見られるのは嫌だろうから止めておいた。あとで大淀辺りに頼んでおくか。

 

「申し訳ないが、ドックが空くまでは応急処置(これ)で我慢してくれ。他の傷は大淀辺りに頼んでおくわ。んで、たぶん色々と貼ったから傷口周りが痒くなると思うが、あまり掻き毟るなよ。特に火傷の部分は絶対だ。服は後で雪風辺りに持ってこさせるとして……そんな汚れたシーツじゃ嫌だろ。毛布と一緒に新しいのを持ってくるわ。それと……」

 

「ねぇ……」

 

 救急箱を片付けながら次にすることを考えていると曙から声がかかる。先ほどの呆けた顔から、何故か不安げな顔に変わっていた。

 

 

「何で……あたしを営倉送りにしたの?」

 

「逆に聞くぞ。お前は今、他の奴らと一緒に居たいか?」

 

 俺の切り返しに、曙は俺から目を逸らして床を見る。その横顔に、ありありとした恐怖が浮かんでいるのを見逃さなかった。

 

「さっき、お前自身が言ったよな? 自分は周りから見たら潮を罵った上に砲撃した”悪役‟だって。でも、何で潮が運ばれていった時、縋る様な目で俺を見た? か細い声で『クソ提督』って言いながら手を伸ばしてきた? あれ、誤って引き金を引いちまっただけで本当は撃つ気なんて更々なかったんだろ。それとも撃つつもりだったか?」

 

 俺の言葉に曙は弾けたように顔を上げ、すぐさまブンブンと首を横に振った。

 

「撃つ気が無かったのに誤って撃っちまった。でもそれが周りにどんな風に映ったかは、さっきお前が言った通りかもしれねぇ。そんな風に勘違いされた奴らと一緒に居れるか? どうせ、居た堪れなくなるのがオチだ。それに、あの時のお前の立ち位置も悪かったしな」

 

 その言葉に、曙は一瞬呆けた顔をして、すぐに理由が分からないと眉を潜めて首をかしげる。

 

「あの時、お前は俺の前に、潮からしたら俺を狙おうとするのを遮る様に立っていた。ここの艦娘だ、潮みたいに的確な指示を出せたのが深海棲艦と繋がっていた、なんてとんでもない発想に至る奴もいる。そういう偏見を持った奴の目から見たら、お前は潮から俺を守ろうとしているように見えただろうよ。するとどうだ? 偏見によってどんどん話が膨らんでいくのは目に見えてるだろ。たぶん、お前まで深海棲艦側の斥候だ!! なんて根も葉もない噂を流されるかもしれない。だから―――」

 

「少なくともクソ提督側ではない、って印象付けるためにわざと……?」

 

 俺の言葉が終わる前に、曙が問いかける様に声を漏らした。本当は『深海棲艦側ではない』って言おうとしたんだが……まぁいいや。

 

「まぁ、そんなところだ。本当ならもっといい方法があったと思うんだが、馬鹿だから咄嗟にこれしか思いつかなかった。それでお前をそこまで追い込んじまうとは……本当にすまないと思ってる」

 

 そう言って、曙に頭を下げる。彼女のことを助けようとしてやったことが、逆に自暴自棄に追い込んでしまうこととなった。新任とは言え一軍を預かる身として部下の気持ちをくみ取ることが出来なかったのは、単に俺の力不足による部分が大きい。上官……と言うか人として、至らない点で負担を掛けたことを謝るのは当然だろう。

 

 深海棲艦との戦闘を艦娘たちに依存している提督(おれ)からすれば、尚更のことだ。

 

「……あんたはそれでいいの? その話が本当だとしたら……」

 

「元々、俺への信頼なんて底辺みたいなもんだろ? 今更下がったところで変わらんさ。むしろ、曙の信頼が下がって深海棲艦との戦闘で支障が出る方が避けたい。それに――――」

 

 俺はそこで言葉を切って背筋を伸ばして曙に向き直り、その目を見据えた。突然態度が変わったことに、曙はキョトンとした顔になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「雪風を救ってくれて、本当にありがとう」

 

 そう言って、俺は先ほどよりも深く曙に頭を下げた。下げてから大体3秒ほど、曙からの反応がない。不思議に思って頭を上げると、今日一番の呆けた顔で固まっている曙。その顔に、思わず吹き出してしまった。

 

「な、なに笑ってるのよ!!」

 

「す、すまんすまん。曙が見たことない顔してたから……つい」

 

 そう言ったら、曙は不満げに頬を膨らませて横を向いてしまった。そんな子供っぽい姿に苦笑しながら、改めて表情を正して曙に向き直る。

 

「あの時、俺の足では絶対に間に合わなかった。仮に間に合ったとしても人間の俺だ、雪風を守り切ることはできなかった。最悪沈んでしまう可能性もあった。でも、あの場にお前がいて、砲撃してくれたことで雪風は被害を受けずに、まぁ仮に間に合っていたら確実に死んでいた俺も無事にここにいる。恩着せがましいかもしれないが、曙は雪風と俺の二人を救ってくれた。だから、本当に感謝している」

 

「べ、別に感謝されるようなことでも……」

 

 もう一度、深々と頭を下げる。すると、目の前にいるであろう曙から焦ったような声が聞こえ、それはブツブツと言う呟きに変わる。頭を上げると、そっぽを向きながら顔を赤くさせている曙の姿があった。

 

 

 

 

 

 その姿に、もう一度噴き出してしまったのは許してほしい。

 

「1度ならず2度も噴き出すとはどういうことよ!!」

 

「悪い……悪いって……」

 

「仲がよろしいようですねぇ」

 

「「いッ!?」」

 

 いきなり横から声がして俺と曙はその場で飛び上がる。すぐさま声の方を見ると、ニヤニヤと笑っている雪風が立っていた。

 

「おまっ!? いつの間に!!」

 

「しれぇの信頼が底辺だ……のところからです。しかし、しれぇがそんなにも雪風のことを想っていてくれたとは知りませんでしたよぉ~」

 

 俺の問いにそう応えながらニヤニヤとした顔を向けてくる雪風。めっちゃ前じゃん!! しかも一番こいつに聞かれたくなかったところをバッチリ聞いてるじゃねぇかぁ!! 

 

「てててて、てかあんたは何しに来たのよ!?」

 

「まぁまぁ曙さん、落ち着いてくださいよぉ。雪風はしれぇを探していたんですから」

 

 雪風の言葉に悶絶していた俺であったが、俺を探していたと言う彼女の発言に応えるために何とか気持ちを落ち着かせて雪風に目を向ける。

 

 ん? よく見たら何か持って…………鍋?

 

「先日、しれぇが作った『かれぇ』を雪風なりに作ってみました!! 味見をお願いします!!」

 

 そう言って、雪風は鍋を置くと何処からか食器を取り出して見せてくる。てか、『かれぇ』ってカレーのことか? 確かに雪風に作っているところを見られたが、まさかあれだけで作り方を覚えたわけじゃねぇよな。

 

 と言うか、何で雪風はわざわざ鍋を持ってきたんだ? 俺を探すのに鍋を持ち歩く必要はないし、ご丁寧に食器を3人分(・・・)も…………。

 

「おっと、雪風としたことがスプーンを忘れてしまいました!! しれぇ、大至急取ってきます!!」

 

「ちょっと待て! ちょうど雪風に頼もうとしていた所だ。スプーンのついででいいから曙の部屋に行って服を持ってきてくれ」

 

「そんなのお安い御用ですよ!! では、しれぇはシーツと毛布ですか?」

 

「…………ああ、そんなところだ。何処にあるか分かるか?」

 

「ドックの横に新しいシーツと毛布が置いてある部屋があります。そこに行けばもらえますよ!!」

 

「ドック横だな、分かった。曙、悪いが少し待っていてくれ」

 

「え、あ、わ、分かった!」

 

 突然振られて驚きのあまり言葉足らずになる曙を置いて、俺と雪風は営倉を後にする。階段を上りきって廊下に出た時、俺は雪風に問いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前、本当はもっと前から居たんじゃねぇ?」

 

「さぁ? どうでしょうねぇ?」

 

 俺の問いに、雪風はイタズラっぽい笑みを浮かべてそう答えた。



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『提督』のやり方

「ふぅ……」

 

 ガス灯の柔らかな光が優しく照らす執務室。そこで、俺は椅子に腰かけて一息ついた。

 

 今日は色々とあったために瞼は重く腕や足は棒のよう。こんな日は湯船に浸かってゆっくりしたいのだが、ドックはフル稼働中のため今日は湯船に浸かれそうにない。後でタオルでも持ってきて身体を拭くとしよう。

 

「で? 何でお前がここにいるんだよ」

 

「良いじゃないですかぁ~。減るものでもありませんしぃ~」

 

 椅子に腰掛ける俺の足の間にスッポリハマるように腰掛け、そんな言葉を返すのは雪風。

 

 営倉でカレー試食会を終わらせて後片付けをした後、何故かこいつは自室に帰らずに此処に屯している。こちとら色々と走り回って疲れていたのだが、鼻歌まじりに足をブラブラさせている雪風を見るに、簡単には帰ってくれなさそうだ。

 

 因みに、自信満々に持ってきた雪風のカレーは不味くはなかったが、火が通りきっていない野菜と変に水っぽいルーと言う少々残念なモノだった。雪風自身、俺の作ったやつとの余りの違いに「雪風でも再現できないのですかっ……」って項垂れていたし、本人的にはもうちょっと美味しいはずだったんだろう。

 

 でも、そんな中で1人貪るように食べていた曙には好評だったことが唯一の救いだったみたいで、ちょっとは機嫌が良くなったんだがな。まぁ、曙もこれより美味しいと雪風が太鼓判を押した俺のカレーを言葉では軽んじていたけど、期待に膨らむ目を俺に向けていたことはどうでもいい話か。そう遠くない未来、もう1人分の飯を作ることが確定したようです。

 

 まぁいい、今さら1人2人増えたところで手間は変わらん。食材についても大本営に手紙を出して回してもらうよう手配すればいいか。

 

「雪風、手紙書くから退いてくれ」

 

「まさか昔のガールフレンド!? しれぇにもそんな時期が!?」

 

「アホ」

 

 期待の眼差しを向けてくる雪風の頭を軽くチョップし、痛みに頭を抱える雪風の脇に手を入れ持ち上げて立たせる。無理矢理立たされた雪風が不満げな顔で睨み付けてくるのを見ないフリして、机の引き出しから便箋とペンを取り出した。

 

「誰に書くんですかぁ?」

 

「大本営だよ。色々な物資をあっちから手配してもらえるよう交渉する」

 

 そう言いながらペンを走らせる俺を雪風は何故か不思議そうに見つめてきたが、すぐさま走らせるペンに意識を集中させた。

 

 今日の吹雪の言葉から見るに、この鎮守府は慢性的な資材不足に陥っている。まぁ、出撃や演習で燃料や弾薬を使うし、更には食事にも使うんだから相当量の資材が要るわけだしな。そして、今回の件で入渠で更に資材が飛ぶとなると運営すら危うくなるかもしれないし。大本営から最低限の資材を支給されるのが普通って学校で習ったから、今回のような緊急時におけるフォローもやってくれるだろう。

 

 もし首を縦に振らなかったら、何の説明もなしにこんなところに左遷(とば)したことを餌にパワハラだって揺さぶってやろうか? 軍にパワハラが使えるか知らんが。

 

 まぁ、他に手紙を書く目的はある。それは、今回の襲撃事件の処理だ。

 

 今回の件で轟沈、死亡者は出なかったものの、各艦隊所属と鎮守府防衛戦力以外に出撃不可能な負傷者が多数、という甚大な被害をもたらしたことへの責任を取らされるのは目に見えているからだ。

 

 更には、鎮守府内に深海棲艦を侵入させたこと、今回は鎮守府のみだったが近隣の住民にも被害が及ぶ可能性もあったわけでそのリスクを回避できなかったこと等、呼び出される理由には十分すぎる材料が揃っている。そこをつつかれることは間違いないだろう。

 

 新米だってことと着任して間もないことを全面に押し出せば見逃してもらえねぇかな。……下手したら責任をとらされて腹切らさせられるんじゃねぇだろうな? 頭の固い奴等だ、そんなことを言ってきそうな節もある。それに、その件を罰として資材の追加提供を拒否されたらどうするか……。

 

 それを考え出すと、まだそうなると決まった訳じゃねぇのに胃の辺りがキリキリしてくる。あぁ、しんどいなぁ……。

 

 そんなことを思いながら腹をさすっていると、コンコン、とドアがノックされた。

 

「どーぞー」

 

「お前が答えるのかよ」

 

 部屋の主である俺を差し置いて返事する雪風にそう突っ込みを入れるが、返事は開かれたドアから入ってきた人物によって返ってこなかった。

 

 

「榛名さん!!」

 

「失礼します」

 

 雪風の声に入ってきた艦娘――――榛名は手を振りながら笑いかけ、すぐさま顔を引き締めると俺に向かって頭を下げる。しかし、俺はすぐに反応できなかった。

 

「榛名……無事だったのか」

 

「榛名は昨日の件で罰として資材を集める艦隊に配属されて鎮守府に居なかったために被害を受けることはありませんでしたので……そして、これは金剛お姉さまからです」

 

 俺の問いに申し訳なさそうに頭を下げる榛名。まぁ、あの件で出撃組に入っていたために難を逃れたのはこっちとしても万々歳だが……なんか複雑だわ。そんなことを思っていると、軽く頭を下げた榛名は脇に挟んでいたファイルを差し出してきた。

 

「今回の件の被害状況と消費した資材、その残量です」

 

 一番考えたくない話題がやってきやがったか。思わず顔を覆いたくなるのを堪えて差し出されたファイルを受け取り、中を見る。

 

「やっぱりか……」

 

 予想通り、そこに書かれていた数字はお世辞にも良いとは言えないモノばかり。所属する艦娘たちの大半は負傷、出撃不可能な者には赤字でチェックが付けられ、それがページの大半を占めるところも見受けられる。負傷者の治療についてはドックをフル稼働すれば1週間程度で何とかできるっぽいのが救いか。しかし、それに対して消費する資材が備蓄の殆どを喰い破っており、残りの燃料や弾薬は8000、鋼材やボーキサイトも5000を下回っている有り様だ。

 

 消費した資材の大半は入渠によるモノで、他には出撃に遠征、演習、食事である補給か。入渠分を除いた消費量は約2000ほど。残量と見比べても確実に2、3日で資材が枯渇するのは目に見えているな。首がどうとか言ってられない状況だ。

 

「すぐに金剛お姉さまの指示で遠征部隊を複数編成させ、出てもらいました。また、潜水艦隊をオリョール海に出撃、資材の確保に向かわせました。あとは、しばらくの間補給を切り詰めれば、何とか凌げるかと思います。しかし、入渠する艦娘たちの治療が……」

 

 鎮守府における全ての行動に資材が必要となれば、今は遠征部を駆使して資材をかき集めるしかないか。しかし、同じ人員がずっと遠征に行くのもしんどいだろう。まずは、動ける人員の確保だな。

 

「榛名、動ける人員を確保するために入渠は軽傷者を最優先に、命に関わるほどの重傷者は例外で先に入渠させるようにしてほしい。入渠出来ない奴は応急処置で何とか凌ぎきってもらうが、その代わり自然治癒力を高めるために『補給』を最優先。入渠し終えた者から遠征部隊を組み、帰ってくる部隊と入れ替わりに出てもらうのを繰り返す。ローテーションは任せていいか?」

 

 艦娘に自然治癒力が備わっているかは知らないが、入渠の際にそれなりの資材を消費する。だから、その資材を食べれば多少なりとも自然治癒力が促進するんじゃないか、と言う淡い期待に賭けたわけだ。もし違っていたら全員に土下座でもするか。

 

 それに、遠征部隊に関しても艦娘たちの特徴は榛名や金剛の方がより理解しているし、俺が指示出すよりも言うことを聞いてくれるだろう。最高指揮官なんて肩書きを持っているわけだが、ここは現場監督である彼女たちの采配に任せた方が上手くいくはずだ。仕事をぶん投げている訳じゃねぇ、適材適所だよ。

 

「今日の哨戒は潜水艦隊でしたよねぇ? 鎮守府近海の哨戒は大丈夫なんですかぁ?」

 

 そこまで指示を終えると、間で黙り込んでいた雪風がそんな質問を榛名にぶつけた。って、今日の哨戒が潜水艦隊ってことは、ある意味今日の襲撃事件を引き起こした奴等ってことじゃねえか。

 

「現在、鎮守府防衛戦力から割いて充てていますが、何分艦娘が足りずに少々穴があります。警備する場所を変えながらそれを補っている状況です」

 

 穴がある時点で哨戒とは言えんだろ。しかし、人員ばかりはどうにもならんか。なら、今鎮守府を離れている艦娘たちに頼むのはどうか。

 

「入渠が終わった奴等は遠征部隊よりも哨戒隊に向かわせることを優先的にしてくれ。んで、哨戒隊の人員が集まるまでは遠征部隊に索敵範囲を拡大させることで対応出来ないか? そうすれば哨戒の穴も小さくなると思うんだが」

 

「無理に索敵を広げると遠征部隊の負担が増しますよぉ? 夜間は駆逐艦や軽巡洋艦等の夜間に強く且つ入渠が早く済む艦娘を多めに配置して、昼間はいつも通りの人員に加賀さんたちの艦載機と連携させて哨戒を行ってもらえれば良いと思います」

 

 俺の発言に雪風がそんな提案をしてくる。確かに、最優先に確保すべき資材を集める遠征部隊に索敵範囲を無理に広げさせて負担が増し、失敗でもしたら元も子もないか。夜は多数の夜間哨戒、昼は艦載機を交えた哨戒……上空からの方が見えやすいし雲などに隠れれば見つかる心配はない。明日の昼はこれでいくか。

 

 今日の夜に哨戒に出る奴等には負担をかけて申し訳ないが、それは間宮アイス券を進呈することで対応しよう。演習の時あれだけ騒いでたんだし、飛び付いてくるだろう。

 

「雪風は今日の夜間哨戒に参加する奴には特別手当てとして間宮アイス券を進呈するよう伝えてきてくれるか? あと、言い出しっぺだからそのまま哨戒部隊を率いてくれ」

 

「りょーかいしましたぁ」

 

 そう言って雪風は椅子から立ち上がると、入り口のところでビシッと敬礼し、小走りに執務室を出ていった。それを見送り、俺は再度ファイルに目を移して不足している資材量をみる。どれだけの資材があれば安心するのかな?

 

「榛名、資材ってどのぐらい備蓄しておけば安心できるんだ?」

 

 ファイルから視線を外さずにそう問いかける。しかし、すぐに返答がこない。ファイルから視線を外して榛名を見ると、何故か肩をすくめて縮こまっていた。その視線は空中を忙しなく右往左往し、時おり目がこちらを向いてはすぐさま視線を外すことを繰り返した。

 

「……榛名?」

 

「提督は……榛名を罰しないんですか?」

 

 俺の問いに、榛名は答えではなく質問をぶつけてきた。彼女が発した言葉の意味が分からず、首をかしげると、榛名は視線を下に向けながら拳を固く握った。

 

「榛名は『戦艦』です。戦艦は敵を倒すことが役目であり、存在意義であり、それが出来なければただの役立たずです。そして、その敵が鎮守府を襲撃していた時、榛名は遠い海の向こうで資材を集めていました。金剛お姉さまの命令とはいえ、榛名は自身の役目を全う出来ませんでした……だから……」

 

 最後の言葉を発すると同時に、榛名は握りしめた拳を自らの太ももに振り下ろした。それは、震える身体に活を入れるためのものだったのかもしれない。しかし、身体の震えは止まらず、何度も何度も振り下ろされる拳の音が響くだけで何も変わらない。まして、彼女の目から涙が滲んでいた。

 

 

「……前任か?」

 

 俺がそう問いかけるも、榛名はただ震えを止めるために拳を振り下ろすだけであった。しかし、それが答えだと言うのは嫌でも分かる。

 

「ふざけたことを……」

 

 無意識のうちに、俺はそうこぼしていた。それに身体を震わせる榛名は拳を振り下ろすのをやめ、固く目を瞑った。まるで、次に来るであろう激痛に耐えるかのように。

 

 その姿に、俺は椅子から立ち上がってゆっくりと榛名に近付くために歩を進めた。絨毯を踏みしめる音が微かに響き、その足音が鳴る度に榛名の目尻に力が入り、歯を食い縛り始める。

 

 やがて、彼女の前で立ち止まる。その時、榛名が目を瞑り歯を食い縛りながら顔を上げ、頬を差し出してきた。叩いてください、と言わんばかりに。

 

「榛名……」

 

 そう声をかけると彼女の身体はビクッと揺れ、やがてそれは凄まじい震えとなる。それを前にして、俺は手を上げた。

 

 その手が、彼女の頬に触れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やわらかいなぁ」

 

「ふぇ?」

 

 思わず率直な感想を述べると、榛名がそんな声を上げながら目を開き、自らの頬を触る俺を凝視してくる。

 

「はい、罰終わり」

 

 それを受けて、俺はそう言いながら彼女の頬から手を離し、その頭に手を強めに置いて下を向かせてクシャリと撫でた。

 

 急に頭を撫でられた榛名は「わわっ」と小さな声を上げながらも抵抗することなく、撫でられるがままに。やがて撫でる手を離すと、榛名は不思議そうな目を向けてきた。

 

「……何ですか? 今の……」

 

「罰」

 

 榛名の問いに素っ気なく返し、俺は椅子に座ってペンを握る。そのまま便箋にペンを走らせる俺を、榛名は穴が開くほど見つめてきた。

 

「……罰? あれがですか?」

 

「男に頬を撫でられるの嫌だろ? 罰って嫌なことをするもんだし、それでいいだろよ。それに――――」

 

 そこで言葉を切って、俺はペンを止めて傍らのファイルを取り上げる。そこに書かれている金剛と榛名が指示した遠征部隊の名簿と潜水艦隊の名簿を指差す。

 

「榛名たちは資材を集めるために遠征部隊と潜水艦隊を出した、今出来ることをやってるんだからそれで十分さ」

 

 俺の言葉に、なおも分からないと言いたげに首をかしげる榛名。失敗したときは罰を受けるのが当たり前、って思っている感じか。まぁ間違ってないけどさ。

 

「過ぎたことを今さらグダグダ言ってその結果が変わるか? 変わらねぇだろ。どうせ変わらねぇんだ、その時間を今出来ることを考えることに回せ。時間は有限なんだ、もっと効率よく使えよ。そしてこの報告を見るに、榛名たちは今の状況を打開するために遠征部隊、潜水艦隊、更には哨戒部隊を編成して、資材の確保と鎮守府の安全を図っている。今、お前らが出来る最善策をやってるってことだろ? それで十分じゃねぇか」

 

 出来ないことを無理にする必要はない。出来ることをやればいい。余裕があれば出来ることを増やしていけばいい。

 

 それが俺のやり方であり、生き方だ。

 

「……提督は優しいのですね」

 

「受け売りだけどな。さぁ榛名、大体どのくらい備蓄があれば安心できる?」

 

 優しげな笑みを浮かべる榛名の言葉にそう返しながら問い掛けると、榛名は顎に手を当てて考え始める。その姿を見ながら、俺は内心冷や汗をかいていた。

 

 

 

 言えない……頬を撫でた時に向けられた視線に耐えきれなくなって、視線を外すために頭に変えたなんて……恥ずかしすぎて言えない。

 

 

 軍学校と言う男ばかりのところで数年生活してきたんだ、女と言うものに触れ合う機会なんて皆無に等しかったわ。それが、まだ会って2回目ぐらいの子にあんな顔で見つめられたらむず痒くなるのは当然だろ? 頭に変えて撫でた後にすぐに机に座ったのも、あの視線を見ないようにするためだし。

 

 俺のやり方で言うなら、頬と頭を撫でて(出来ることを増やそうとして)手紙を書いた(出来ることをやった)わけ。

 

 要するに、自他共に認める『ヘタレ』ですわ。

 

「大体、全20000ほどあれば有事の際でも安心できますね」

 

「20000……ね、了解」

 

 榛名の言葉を手紙とはまた違う紙にメモとして書いておく。大体、各資材が10000ほどもらえばいい感じか。遠征部隊や資材集めの分を考慮すれば8000ぐらいでもいい感じだが、多めに貰えるに越したことはない。出来る限り搾り取らせていただきましょう。

 

「さて、後はこれを大本営に送ればいいか」

 

「榛名がお出ししておきますよ」

 

 書き終えた手紙を封筒にしまうと、榛名が柔らかな笑顔を向けて手を差し出してくる。たかだか手紙を出すだけにそんな気遣い必要はないのにな……。

 

「じゃあ、頼めるか」

 

「お任せください」

 

 差し出した手紙を受け取った榛名は頭を軽く下げ、小走りでドアへと向かう。が、途中で何かを思い出したようにこちらを振りむいて微笑みかけてきた。

 

 

 

「私、『月次(つきなみ) 遥南(はるな)』って言います」

 

 

 へ? 『月次 遥南』? 誰の名前? 『榛名』は『榛名』だろ?

 

「私の『真名』ですよ。艦娘になる前の―――人間の頃の名前です」

 

 『真名』って、艦娘になる前の名前……要するに榛名の本名ってところか。でも、何でこのタイミングでそれを教えたんだ? そっちで呼んでほしいってことか?

 

「えっと……これからは『月次』って呼べばいいのか?」

 

「いえ、普通に自己紹介をしてもらえれば結構です」

 

 尚も柔らかな笑顔を浮かべる榛名。ま、まぁ本名を名乗られたら名乗るのが礼儀ってものか。

 

「改めまして、明原 楓と言います。よろしくお願いします」

 

「よろしくお願いいたします。では、榛名は失礼しますね」

 

 俺の自己紹介に満足げな顔のまま、榛名はそれだけ言うと執務室を出ていった。結局、何故急に『真名』を名乗ったのかは分からないままだが、そう気にするものでもないだろう。

 

 そう頭を切り替え、俺も自室へ戻るために執務室を後にした。

 

 

 

 その後、大本営から召集令状が届いたのは数日後のことであった。



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提督の『お守り』

「……で、ありますから、テートクは大本営まで行ってもらいマース。すぐに出立するので、準備を整えておいてくださいネ」

 

 夥しい書類の山で埋まる机。その書類の間から伸びる白い腕から召集令状を受け取り、軽く目を通してから書類の山―――の隙間から見えるブラウン色のお団子に特殊な形のカチューシャに視線を向ける。

 

「……何ですカ?」

 

「え、いや……」

 

 俺の視線に気付いたのか、カチューシャとブラウン色のお団子がゆっくりと持ち上げられ、その下から青みがかった白い肌にくすんだ灰色の瞳の下には濃い隈が刻まれる顔を上げた艦娘―――金剛が抑揚のない声で問いかけてきた。

 

 その言葉に慌てて金剛から視線を外しながら頬を掻く。行き場を失った視線を彼女の傍らに佇む大淀に向け、あまり出来の良くない頭は胸中に秘めた言葉を言おうか言うまいかを思案するために回転させる。

 

 その間、俺から目を離した金剛は擦りきれた羽ペンを掴んで手元の資料に走らせる。書き終えた資料が彼女の脇の山に積まれ、その反対側に積まれた山から新たな資料を引っ張りだす金剛を見て、改めて大きく息を吸った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何か……場所違うくね?」

 

「ハァ?」

 

「いや、その……金剛と俺の立ち位置が反対じゃないか~、って思って……」

 

 喉の奥から絞り出した俺の言葉に金剛は走らせていた羽ペンを止め、訝しげな表情を向けてくる。青白い肌に濃い隈が刻まれた顔を向けられ思わず顔を背けるも 、何とか言いたいことを言えたことに安堵の息を漏らす。

 

 と、言うのも、今現在の俺は金剛の部屋にいる。そこで、大本営からの召集令状を金剛(・・)から受け取ったのだ。

 

 ……いや、俺提督よ? 普通、大本営からの手紙とかって第一に俺の手元に来るはずよ。それが、何故1艦娘である金剛の元に届けられるんですかね? 大淀さん、そこで目線を反らさないで下さいよ。

 

 それに次はこの部屋だ。

 

 金剛の私室であるここは何故か俺の自室よりも広く、かつ扉から入ってすぐの大きな机―――執務室にあるであろう机が鎮座しており、その脇には来客用のソファーが2組、机と一緒に置いてある。ここは執務室ですか? と言いたくなるほどの家具の充実度よ。大淀さん、思い出したように眼鏡を拭き始めるのやめてください。

 

 そして極め付きはその机に積まれた夥しい量の書類だ。

 

 横目でチラッと見えた限り、どれもこれも入渠に関するモノばかり。恐らく、入渠する艦娘の名前と所要時間、そして消費する資材の量等が書かれているのだろう。そして、後は備蓄資材の量や遠征、出撃、哨戒部隊の詳細、ローテ表など、様々な資料が見受けられた。こういう資料って、提督である俺が捌くもんじゃないのか? ねぇ?

 

「大淀さ―――」

 

「大淀に何かしたら吹き飛ばしますヨ?」

 

 わざとらしく靴紐を結び直す大淀にジト目を向けたら、資料の隙間から金剛から低い声が飛んでくる。その声と共に深海棲艦を殺せそうなほど鋭い視線に晒され、大淀への追求をやめた俺は標的を金剛に変える。

 

「何でお前が書類捌いているんだ? それは提督(おれ)の役割だろ。それにこの部屋の設備はなんだ? まるで執務室じゃねぇか」

 

「その執務室がつい最近まで使えなかったから、ワタシの自室(ここ)を執務室代わりにしてるだけネ。テートクに関しても、つい先日まで居られなかったからデース」

 

 俺の問いに、金剛はペンを走らせる書類から一切目を外さずにそう言ってのける。いや、提督に関しては仕方がないにしても、執務室ぐらいは片付けておけよ。あそこには貴重な資料とかあるんだからさぁ。

 

「それも、全て(ここ)に入っているのでno problemネ。と言うよりむしろ、これだけの量を新任の(・・・)貴方が捌けますカ?」

 

 指で頭をトントン叩く仕草をした金剛、今度は表情を軽く歪ませながらそう問いかけてくる。その表情と言葉に腹の虫が騒ぎかけたが、その問いに真っ向から肯定できる程の器量も無いのは俺自身が一番知っているため、何も言わずに押し黙った。

 

「こちらとしても、テートクに書類整理を教えながらワタシの分も捌ける自信はないネ。なおかつ、深海棲艦の襲撃によってドックの状況から資材の備蓄、遠征、出撃、哨戒部隊の詳細やテートクが命じた(・・・・・・・・)ローテ表の更新等々、見ての通り尋常じゃない書類デース。それを処理するには、テートクよりもワタシの方がスムーズに終わると思いますが……違いますカ?」

 

 さりげに俺の指示が負担になりました、ってアピールしてきやがったな。しかし、今まで書類整理なんかせずに生きてきたのは事実。金剛の言葉通り、今ここで俺が入っても彼女の負担になるだけか。なら、無理して入る必要はない。

 

 ならば、今出来ることをやるしかないか。

 

「分かった、悪いが俺が留守の間のことは全て任せる……っても、元々丸投げしてたモンか。なら、無理しない程度に頼む」

 

「『兵器』に無理もくそもありませんヨ。それに、ワタシを心配する前にまず自身の心配をしたらどうですカ?」

 

 そう素直に頼むも、金剛は一切顔を上げずにペンを走らせながら皮肉を浴びせてくる。今から大本営に頭を下げに行くんだ。それ相応の覚悟は出来ているさ。しかし、一々癪に障ることばかり言ってきやがるな……。

 

 何か言い返したい衝動に駆られて辺りを見回したら、山積みの資料の脇に置かれているティーカップが目についた。ほほう、これは見過ごせないな。

 

 

 

「んだよ。他の奴等には資材を食わせて、自分は紅茶なんか飲んでやがるのか」

 

 

「ッ!?」

 

 そう皮肉を言った瞬間、今まで静かに控えていた大淀が突然顔を真っ赤に染めて俺の胸ぐらを掴んできた。突然のことに反応できないのを他所に、大淀は力任せに俺を引き寄せ、今まで見たことのないような形相を近付けてくる。

 

「提督!! 貴方は――!!」

 

「大淀」

 

 噛み付かんばかりに吠える大淀を、金剛の静かな声が止める。その物静かな声には、相手を従わせるのに必要な重みが備わっていた。その言葉に吠えるのをやめた大淀であったが、俺を引き寄せたままその形相を金剛に向ける。

 

「で、でも金剛―――」

 

「いいんデース」

 

 なおも食い下がろうとする大淀に、金剛は再度同じ重みの言葉を投げ掛ける。それに大淀は牙を抜かれたのか、渋々と言った表情のまま俺の胸ぐらを離した。その瞬間、欲した空気を一気に吸い込んだために激しく咳き込む。

 

 

「テートク」

 

 咳で回りの音があまり聞こえない中、金剛の囁くような声だけが異様に響いてくる。それは、先ほど大淀を止めた声色よりも幾分か軽い、しかし遮るのを躊躇させるほどの十分な重みを孕んでいた。

 

「紅茶はワタシにとって燃料と同じデース。ワタシ(兵器)紅茶(燃料)飲む(補給する)のは当たり前だと思いマース。それにこれは大淀が淹れてくれたモノ、人間(テートク)たちが触れたモノでもありませんシ……」

 

 そうのたまう金剛は羽ペンを置いてティーカップを手に取りゆっくりと傾ける。……どう考えても屁理屈にしか聞こえないが、それはつまりこういうことだよな?

 

「それって――――」

 

「提督、大本営からの車が着いたようです。すぐに支度をお願いします」

 

 金剛に問いかけようとした瞬間、無線を受けたらしき大淀が俺たちの間に割り込むようにそう言ってきた。金剛は話は終わりだと言いたげに再びペンを掴んで書類と格闘し始め、割り込んできた大淀は鋭い目付きのまま早く準備してこいと背中を押してくる。

 

 結局、そのまま部屋から摘まみ出されてしまった。

 

「聞きそびれちまったな……」

 

「しれぇ」

 

 金剛の部屋のドアの前で溜め息交じりにそう言うと、不意に横から声をかけられる。振り返ると、不安そうな表情の雪風が近付いてきていた。

 

「どうした?」

 

「先ほど到着した車、しれぇを大本営まで連れていくんですよね?」

 

 そんな言葉を呟きながら、雪風はゆっくりと近付いてきて、着ている制服の裾を掴んでくる。いつもの明るい様子からは想像も出来ないほどの意気消沈っぷりに、俺は膝を折って雪風と同じ目線になり、少しでも安心させようとその頭をクシャリと撫でた。

 

「前に大本営に手紙出しただろ? その返答で召集されただけだ。何、数日もすれば帰ってこれるし、お土産にたんまり資材を持って帰ってくるさ」

 

「……ホントですか? 必ず帰ってきてくださいよぉ……?」

 

 俺の言葉に尚も不安げな声を上げる雪風。その表情は不安と悲壮、そして恐怖がありありと浮かんでいる。頭を撫でただけでは決して拭いきれない、そう確信するのに時間はかからなかった。

 

 それを例えるなら、戦地に向かう父親を引き留める幼子のような、親との決別を前にした子供のような小さく弱々しい、触れただけで崩れてしまいそうと思ってしまうほど、脆いもののように見えた。

 

 

 

 

 

 

『俺も、こんな風だったのかな』―――――ふと、そんなことを思った。しかし、その思考は彼女の頭を撫でていた腕を掴まれ、ぐいっと引き寄せられたことによって停止する。

 

 

「では、しれぇが無事帰ってこれるように――」

 

 そう近くで聞こえた雪風の声。視線の横を雪風の横顔が通りすぎ、そして頬に感じる小さくも暖かな感触。

 

 それは一瞬にして現れ、一瞬にして消え去った。それと同時に、離れていく雪風の横顔。

 

 瞳を閉じられたそれは離れていくと同時に開かれ、やがて柔らかな笑顔に変わった。そして、その口がゆっくりと動き出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「幸運の女神ではないですが…………『幸運艦のキス』です」

 

 それだけ言うと、雪風はクルリと向きを変えて走っていってしまう。廊下の突き当たりにある階段の前で再度こちらを向き、ペコリと頭を下げた雪風はすぐさま階段を降りていってしまった。

 

 一人呆然と立ち尽くす俺。

 

 雪風の頭を撫でていた手は、先ほど小さな温もりを感じた頬に触れていた。雪風が残した言葉、そして頬に微かに残るしっとりとした感触。それらが意味することを理解するのにそう時間はかからなかった。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 鎮守府から大本営に向かう車に乗って、指定されたホテルで一泊を挟んで、俺は大本営へと到着した。

 

 到着早々、黒塗りの軍服に凝った装飾が施された刀を引っ提げた青年が現れ、俺の案内役であることを伝えてきた。こちらも簡単な自己紹介をした後、彼に連れられて本館内を歩いていく。

 

 時おり、すれ違う黒塗りの軍服、俺と同じ提督用の白い制服を身にまとう奴らから、あまり友好的ではない視線を向けられた。どうやら、着任早々鎮守府に敵を侵入させたと言うことが本営内で広まっているようで、近隣住民を危険に晒したと言うことで白い目で見られているようだ。

 

 新米なんだから&着任した鎮守府があんな状態、ってことで少しは多目に見てほしいもんだな。まぁ、そこまで期待してないけどよ。

 

「こちらになります」

 

 そんな視線を掻い潜りながら青年の後をついていき、とある扉の前で立ち止まった彼がそう言いながら扉を開けてくる。ここまで案内してくれた彼にお礼を言い、中に入って近くにあったソファーに身を預けて一息ついた。

 

 

 先ほどの青年――――憲兵の話を聞くに、うちの鎮守府での襲撃事件は起きたその日に大本営の耳に入っていたようで、それが入った瞬間俺の召集が決められたらしい。まるで、始めから(・・・・)召集するようであったかのようにトントン拍子で話は進み、今に至るのだとか。

 

 しかも、ちょうどお偉いさん方が本営におり、そいつらから会議に出席したいとの旨を送ってきたのだとか。そんなアホみたいな早さで行われる俺の尋問会は現在、出席するお偉いさん方の到着を待つだけとか。

 

 ほんと、示し合わしてるんじゃねぇか? って思うほど事が上手く運びすぎな感じはあるが、たかだか一人の提督が口を出して良いもんじゃない。ここは大人しく従うしかないか。

 

 そんなことを思っていると、不意にドアをノックされる。そして、ドアは返事を待たずに勢い良く開かれた。

 

「よぉ、明原。久しぶりだなぁ」

 

 入ってきたのは、先ほどの憲兵と同じ制服を身にまとった男。しかし、その制服は所々おかしな刺繍や明らかに規定にそぐわない着崩れ方が目立つ。上官に出会えば怒鳴られることは必至であるのに、その男は何故か平然としていた。

 

 己の階級が高いことを鼻にかけているのか――――いや、そうじゃない。

 

 

 

 

「朽木……お前、憲兵隊に入ったのか」

 

「あぁ、父上(・・)の熱烈な要望を受けて、だ。お前がなにかやらかしたら真っ先に確保してやるから覚悟しとけよ」

 

 俺の言葉に、憲兵の男――――朽木はニヤニヤとした笑いを浮かべながらそう言ってきた。

 

 朽木(くちき) 林道(りんどう)――――俺がまだ軍学校に居たときの同じ期生だ。いつも自分の親父の事を自慢げに語り、その息子である自分は特別な存在なのだと日々のたまりながら粗暴な振る舞いを起こす迷惑なヤツ。そんな虎の威を借る狐状態のヤツは何故か俺に突っ掛かってきて、その度に衝突を繰り返した。

 

 そして、こいつの親父は朽木(くちき) 昌弘(まさひろ)中将。

 

 深海棲艦が現れて人類を攻撃し始めた4年前、まだ艦娘の存在が発覚していないために最新鋭の兵器を引っ提げた軍がなすすべもなく大敗していく中、唯一最後まで崩されなかった師団隊を指揮した名将だ。また、いち早く艦娘の存在を見つけ、上層部に艦娘を軍に組み込むよう進言したのも彼であり、現在の軍の体制を作り上げた一人と言える。

 

 現在は第一線を退き、辺境の鎮守府に赴任して新人艦娘たちの訓練を行っていると聞いているが、時おり大本営にも顔を出しているらしい。

 

「しっかし、まさか着任早々深海棲艦の襲撃を受けるとは不運だったなぁ。ま、沈んだ者が居なかったのは幸いと言えるが、周りにいた艦娘たちが何とかしてくれたんだろ? どうせ、お前はそんな艦娘たちに守られただけなんだろうがな」

 

 俺を見下すような視線でそう挑発してくる朽木。色々と言い返したい事はあったが、それを始めると終わりが見えないことは昔から知っているわけで。大人しくした方が余計な体力を使わなくて済む。

 

「まぁ、やはり無理があったんだな。お前みたいなヤツがいきなり提督になるなんて……全く、父上も何処で見間違えられたのやら」

 

 今の発言で、こいつの親父が俺を提督にさせたことが判明した。たぶん、こいつから俺の事をさんざん聞かされたんだろうな。んで、それに腹を立ててか俺をあんな所に着任させた、って訳だろ。

 

 大事な息子に楯突くヤツがいる、そう聞いたら親と言うものは盲目になるわけで。それが歴戦の猛者であろうと、そんなアホみたいな事を考えちまうのか。ホント、子煩悩って恐ろしいわぁ。

 

「てか、なんで憲兵隊にいるんだ? お前、提督志望だっただろ?」

 

「父上に憲兵隊に志願するよう言われたのだ。海は父上が守られる、ならその息子である俺は内地(りく)を守るのが当然だろ?」

 

 俺の言葉に自信たっぷりに胸を張る朽木。それは在学時代に自分の親父を語る際の仕草にそっくりだ。こういうところは、変わらないんだな。

 

 しかし、何で提督志望だった息子を憲兵隊なんかに志願させたんだろうな。ただ単純に自分の苦労を息子にしてほしくなかったためか、それとも自分の息子を憲兵隊に送り影響力を増やしたかったのか。色々と理由はあるだろうが、俺には関係のないことか。

 

「そんなことよりも、もうすぐ会議が始まる。さっさと準備しろ」

 

 そう言って、朽木は早く動けとばかりに俺が身を預けていたソファーを蹴飛ばしてくる。それに反論するよりも、会議と言う名の尋問会に放り込まれるという現実を突き付けられた衝撃の方が強かった。

 

 あぁ、雪風の前では大見得きったけど、いざ目の前にすると怖じけづいてしまう。小心者の証拠か。

 

 

 

 

 

『幸運の女神ではないですが……『幸運艦のキス』です』

 

 

 ふと、いきなり頭の中に蘇った雪風の言葉。

 

 その言葉を思い出したとき、自らの頬――――雪風にキスをされた頬に仄かな暖かみ感じた。そして、無意識のうちに手がその暖かみを確かめるように頬に触れる。

 

 

 

 

 

「『幸運艦のキス』……か」

 

「何をしてる? 早く来い」

 

 ぼそりと呟くと、既にドアノブを掴んでいる朽木の言葉が飛んでくる。それを受けて、俺は頬から手を離してヤツの後を追った。

 



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『大本営』のやり方

「ここだ」

 

 朽木に案内されて辿り着いたのは、年期を感じさせる黒く変色した樫に扉。その前で道を開けた朽木は、目で中には入れと合図を送ってくる。

 

 それに従い、樫の扉を軽くノックした。

 

「……入りなさい」

 

 ノックのすぐ後に聞こえてきたのは、もの静かな男の声。しかし、それは異様に良く通り、なおかつ口を挟んではいけない、と思わせる重圧があった。

 

「失礼します」

 

 それを受け、俺は扉のドアノブをゆっくりと回す。うちの鎮守府の扉よりも重厚な音をたてながら扉を開き、空いた隙間に滑り込むように中に入った。

 

 そこは会議室、と言うよりも応接間と言った方が良いのではないか、と思うほど立派な部屋だった。

 

 大理石に細やかな装飾が施された壁のガス灯が暖かな光を放ち、それに照らされた床は赤の絨毯が敷き詰められている。入ってきた入り口の前に一脚の椅子があり、それを取り囲むように漆塗りの立派な机が『コ』の字型で置かれていた。

 

 その机に、胸の辺りにきらびやかな勲章を着けた白い軍服の4人の男たちが座り、その脇に物静かに佇む女性――――艦娘が立っていた。

 

 ピンクのセミロングを後ろで束ね、鼠色のブレザーベストに赤い紐リボンの駆逐艦らしき少女。

 

 膝まであろう長い黒髪を後ろで束ねて垂らし、肩だしセーラー服に紅のスカートを履いた少女。軽巡洋艦だろうか。

 

 短い黒髪の上に特殊なカチューシャを付け、金剛や榛名と同じ露出度の高い服の眼鏡をかけた少女。服装的に、二人の姉妹艦だろう。

 

 そして、一際目を引く高身長の女性。膝まである栗色の長髪を艤装のような髪留めで束ね、先程の軽巡洋艦らしき艦娘のセーラー服をより一層身体にフィットさせたモノに、首には桜の形を模した絞章が刻まれた太い金属輪が光っている。

 

 

「座りなさい」

 

 見たこともない艦娘たちに釘付けになっている俺を、一番近くに座っていた男が淡々とした口調で促してきた。先程の声よりは幾分か軽いが、それでもなかなかの重圧感を孕む声色だ。

 

「君は、ここに呼ばれた理由が分かるかね?」

 

「はっ。深海棲艦による当鎮守府の襲撃について、と把握しております」

 

 促されて着席した早々、そんな質問が投げ掛けられる。相手は上官なので失礼のないように返すと、質問した男は満足げに頷いた。あれだけ大本営内で噂になってたんだ、分からないわけがない。

 

「では、襲撃による被害は?」

 

 やはり、今回の襲撃による責任を取らせにきてるな。ここは、新米ってことを強調しないと……。

 

「はっ。まず、私が新任であった故、突然の来襲に満足な対応が出来ず、貴重な艦娘たちに重軽傷者、中には出撃困難な者を多く出してしまいましたこと、お詫び申し上げます。そして―――」

 

「言い訳はいい、被害を報告しなさい」

 

 言い訳をして不利な状況から少しでも軌道修正しようと思ったが、流石に無理だったか。これで、あとは淡々と被害だけ報告して、監督不行き届き及び、貴重な戦力を失うリスクを犯したとかで厳罰にでもされるんだろうか。むしろ、着任早々の襲撃で轟沈者を出さなかったことを評価してもらいたい。

 

「失礼しました。では、報告させていただきます。まず、負傷者が当鎮守府に所属する艦娘の6割。内、2割が出撃困難な者です。また、被害による艦娘たちの入渠により全ての資材が既に底をつきかけています。更に――」

 

「轟沈は……轟沈者はいるのか!」

 

 淡々と報告していく俺の言葉を、質問してきた男の隣に座る黒ひげを蓄えたふくよかな男の大声が遮った。いきなりのことに咄嗟に周りを見回すも、誰一人として彼の行動を咎める者はいない。つまり、周りも男と同じ想いなのであろう。

 

 最後の切り札として残していた轟沈者なし(カード)を台無しにされたことに思わずその男を睨むも、男は下官である俺の視線を気にする様子はなく、むしろ何故か期待に満ちた(・・・・・・)目を向けてきていた。何だよ、轟沈者が居たら厳罰にでもするつもりか?

 

「……失礼しました。当鎮守府では負傷者多数でありますが、幸いなことに轟沈者は1人も出していません」

 

 俺がそういった瞬間、部屋の空気が一変した。それは今まで流れていたモノとは比べ物にならないほど重く、息苦しく、そして冷たい。

 

 しかも、その空気は一人の男、俺が居るところの反対側に座る深く帽子を被り顔が見えない男から、そしてその横に佇む高身長の艦娘から感じられた。

 

「そうか……轟沈者はなしか」

 

 質問してきた男をはじめ、殆どは皆一様に頭を抱えて溜め息をついていた。何だよ、俺を断罪出来る口実が減ったのがそんなに残念かよ。

 

 

「……よろしい、この件は不問とする」

 

「はぁ!? やっ……す、すみません」

 

 今まで質問してきた男の言葉に思わず声を上げてしまった。突然声を上げたことに男たちの視線が一斉に集まるので、すぐに謝罪をいれて頭を下げた。

 

 おいおいどうなってやがる。これは襲撃についての尋問だろ? 何で被害を聞いて、しかも轟沈者なしの報告だけで不問になるんだ? いや、別に俺としては願ったり叶ったりなんだけどさ。駄目だ、あっち側の考えが全く読めん。

 

「では、本題(・・)に入ろう。君は、あそこをどう思った?」

 

「は?」

 

 今度の質問には、本気で素の声が出てしまった。俺の反応に殆どの男たちの顔が歪むも、それに反応する余裕なんてない。

 

「聞いているのか?」

 

「はっ、やっ、その……き、聞いていました」

 

「なら、早く言いなさい」

 

 男は少しイラついた声色を上げる。しまった、相手は上官。ここで機嫌を損ねさせたらせっかく不問になった責任を改めて持ち出されるかもしれない。早く答えないと……。

 

 とは言っても、うちの鎮守府の状況か……。まだ、着任して1週間位しか経ってないから何とも言えないけど。

 

 

 えっと……まず着任早々砲撃される。次に私物を滅茶苦茶にされる、ドックを覗いた罰で吊し上げられる、飯の提供を拒否される、一方的に殴りかけられる、伽をやられかける(榛名の誤解であるが)、刃物を喉元に押し付けられて脅迫される、深海棲艦のスパイと言われ砲撃される……。

 

 あれ? 何この豊富なネタ。まだ着任して1週間だよな?  てか、むしろよく俺生きていたわ。

 

「自分が無知なのかもしれませんが、想像とは逸脱した鎮守府であると感じております。特に、所属する艦娘たちの態度が著しく悪いかと。着任初日の砲撃から始まり、暴言、暴行、私物棄損、脅迫、食事提供の拒否、言いがかりなど、様々な扱いを受けました」

 

「そうかそうか。では――――」

 

「でも」

 

 何故か嬉しそうに頷く男の話を、無意識の内に飛び出した言葉が遮った。遮ってしまったことに気付いて周りを見回すと、男たちの顔に深いシワが刻まれている。不満と言う感情がありありと伝わってきた。

 

「す、すみません。何でもな――」

 

「続けたまえ」

 

 即座に謝罪をした俺に質問した男の隣、金剛の姉妹艦が側に控える老練な男が遮った。思わずその男を見ると、彼は柔らかい笑みを浮かべて手で続きをと促してくる。そのしぐさに、質問してきた男も不服そうな顔で促してくる。

 

「し、失礼します……しかし、彼女たちにはそうなってしまった『理由』がある、とも感じました。彼女たちが過去に――私の前任の者から暴行や粗暴な扱いを受けたことを、内容は分かりませんがその事実は把握しています。ですから、私はその『理由』を知らなければなりませんし、それを知らない状態で彼女たちを糾弾するのはお門違いかと。そして、それを知るためにはまず彼女たちの信頼を得なければならない、と考えます」

 

 俺はまだ着任して1週間。うちの鎮守府の艦娘からしたらまだまだ余所者も良いところ、それに前任がやらかしたことで『提督』と言う者を嫌悪、場合によっては殺意を向けてくる者もいる。

 

 そんな状況で、彼女たちが受けたモノを聞けると思うか?

 

 ただでさえ思い出したくない出来事、モノによってはトラウマを、何処ぞの馬の骨とも分からないヤツに話と思うか?

 

 前任の代わりに新しく着任してきた俺を、艦娘たちはどうせ前任と同じような振る舞いをすると考えるだろう。俺ならそう考える。そして、前任とは違う、ちゃんと信頼できるかを見極めてから、初めて声をかける。そして、話していく内にソイツの人柄を知っていき、信頼できる、と太鼓判を押してからじゃないとトラウマなんか話さない。

 

 提督である俺でさえこんなに用心するんだ。常に深海棲艦と命の駆け引きをする艦娘なら尚更だろう…… そう考えると、雪風はよく俺に話しかけれたものだな。

 

「そして、彼女たちは――――」

 

「もうよい」

 

 更に続けようとした俺の言葉を、入ってきたときに聞こえたあの声が――――高身長の艦娘の側にいる深く帽子を被った男が遮った。入ってきたときと同じ口を挟ませない重圧。それによって、次に言おうとした言葉が奥に引っ込んでしまった。

 

「ワシは夢見心地で語る若造の妄言(・・)を聞くためにここに来たわけじゃない。君に任務を授けるためにはるばるここまで来たのだ」

 

 そう溜め息漏らしながら首を振ったその男は、ゆっくりとした動作で俺を指差し、口を開いた。

 

「君の鎮守府の艦娘を、全員沈めてほしい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はっ?」

 

「おっと、もちろん『全員』とは言わない。出来うる限りでいい。その数に合わせて報酬も弾もう」

 

 理解し切れていない俺を他所に、老練な男は軽い口調でそんなことを言ってくる。いや、そんなことはどうでもいい。俺は今、なんて言われた? 艦娘たち(あいつら)を、『沈めろ』?

 

「お、おっしゃっている意味が分かりません」

 

「言葉通りだ、君の部下を沈めろ(ころせ)と言っている」

 

 聞き違いであってほしかった。深海棲艦を全て沈めろとでも言われていたらよかった。しかし、その幻想は脆くも崩れ去った。

 

「……何故、艦娘たちを沈めるんですか? 彼女たちは深海棲艦に対抗できる唯一の存在、彼女たちを沈める意味が分からない。その行為は俺たちにとって貴重な戦力が減るだけ、それに喜ぶのは深海棲艦だ!! 自分がやろうとしてる意味が分かってんのか!?」

 

「貴様!! 照嶺元帥に何と言う口を!?」

 

 淡々としていた口調が、内から沸々と沸き上がってくる感情に押し流されて素に戻る。俺の暴言に先程質問してきた男が顔を真っ赤にして叫ぶのを、老練な男が手で遮る。てか、照嶺元帥って。

 

 

 

「『隻眼の照嶺』……」

 

「ほう、その名で呼ばれるのも久しいな」

 

 俺の言葉に、照嶺と呼ばれた老練な男はカラカラと笑い声を上げ、被っていた帽子をとった。

 

 白髪混じりの短い黒髪に年相応のシワと歴戦を匂わせる傷跡が刻まれた顔、白髪混じりの髭。そこに、左目を覆う黒い眼帯とそれと対をなす刃物のように鋭い右目が獰猛さを醸し出しながら光っていた。

 

 照嶺元帥――本名、照嶺(てるみね) (はじめ)

 

 深海棲艦が現れた際、朽木中将が取り入れた艦娘を率いて地上を侵していた深海棲艦を尽く撃滅させた名司令官だ。深海棲艦との戦闘では常に前線に立って艦娘たちを指揮、鼓舞を行い数々の戦いで勝利を納め、深海棲艦に襲われて左目を失いながらも決して後方に退かずに前線に立ち続けた叩き上げの軍人である。現在は大本営のトップとして軍人への教育をメインに行っていると言われていたが……。

 

 そんな稀代の名司令官、亡国の危機を救った英雄が、今目の前に立ち、俺に艦娘を沈めろと言ってきた。

 

 

「……元帥、先程のご無礼をお許しください。しかし、私には彼女たちを沈める理由が分かりません。詳しく、教えていただけませんか?」

 

「……よかろう」

 

 俺の言葉に、照嶺元帥は軽く笑いながらもたれ掛かっていた身体を起こし、手を組んでその上に顎をのせる。

 

「まず、君が言っていた前任――――正確には一番最初に着任させた者だな。彼は優秀な男であった。着任後は逐一戦況報告を大本営に飛ばしてきてな、報告される戦果も目まぐるしいものがあり、期待の新人として注目されていたのだ。大本営としては、彼のような人材が増えることを願っていたよ」

 

 どうやら、前任――一番最初に着任した提督だから初代提督でいいか。ソイツは鎮守府内ではクソみたいなことをやりつつも大本営側には良い面をしてた訳か。当たり前か、艦娘への仕打ちを馬鹿正直に報告したら批判殺到で下手したら軍法会議モノだ。

 

「しかし、沖ノ島海域を牛耳る深海棲艦を撃破する、と言う報告を境に、彼からの連絡が途絶えてしまったのだ。我々も連絡を試みるも繋がらず、部下を派遣させて様子を見に行かせた。そしたら、派遣させた部下が深海棲艦に襲撃されたようなボロボロの身体で帰ってきたのだ。そして、彼の口からとんでもない言葉が飛び出した」

 

 そこで言葉を切った元帥は一呼吸おいて、口を開いた。

 

 

 

「『艦娘たちから砲撃を受けた』と」

 

 その瞬間、俺の頭の中で着任した初日のことが過った。あのとき、金剛に砲撃されたのは単に勘違いではなく、俺を殺そうとしていたのかもしれない。そんな考えが浮かんでくるも、頭を振ってそれを消し去る。

 

「彼を砲撃した中から一人の艦娘が近付いてきて、『自分たちは人間(あなた)たちに協力する気も関わる気もない。鎮守府は自分たちだけで運営するから、必要以上に手を出すな。また、少しでも不穏な動きを見せたらどうなるか、分かるよな?』と、言われたそうだ。確か、カタコトを使う艦娘だったと聞いている」

 

「あいつ……」

 

 うちの鎮守府でカタコトを言う艦娘ときたら、アイツしか思い浮かばない。

 

「深海棲艦に唯一対抗できる存在である艦娘の人間に向けた宣戦布告、笑える話であろう? もちろん、我々もすぐさま対策会議を開き此度の件に関して協議を重ね、まとまった案を艦娘達に提案して和睦を求めたが、奴等は頑として首を縦に振らなかったのだ。そのまま状況は平行の一途をたどり、我々の中にも奴等への不満が高まってきてな。なかなかに過激な案を上げる者も出てきたが、それで奴等が反旗を翻す、またはそれによって他の艦娘も同調する可能性も加味して動くに動けなかったのだ。しかし、1つの策が上がる」

 

 そこで、照嶺元帥は俺を指差す。そして、不気味な笑みを浮かべた。

 

「新米の軍人を提督として着任させ、ソイツに艦娘達を轟沈させるよう仕向けさせる」

 

 その言葉を聞いた瞬間、体温が急激に下がるのを感じた。同時に、目の前にいる全ての男達に強烈な嫌悪感を抱いた。

 

「幸い、艦娘達は鎮守府と言う運営体型を持続させており、奴等が居る海域は最前線に近く、熟練の司令官ではなければ苦しいところがあった。更に、鎮守府には司令官となる提督が必要であるため、こちらとしても鎮守府の運営、本土防衛のために着任させるのは造作もない。あとは、着任させた新任が采配を振るえば自ずと轟沈者が出る。新たに艦娘を着任させるのを控えれば、そのまま反乱分子だけを減らしていけると言う寸法だ」

 

 照嶺元帥は終わりとばかりに長い溜め息を吐いた。あの量を話したのだ、ご老体には些か堪えただろう。しかし、そんなことを気にしている余裕はない。

 

 

「つまり……俺はアイツらを守るのではなく、沈めるために着任したのですか?」

 

「そうだ。そして、君が守るべきモノは国民だ。『兵器』ではない」

 

「アイツらは人間です!!」

 

 照嶺元帥の言葉に思わず声を荒げながら立ち上がる。その際、座っていた椅子を蹴倒しまったがそんなことなど気にならない。

 

「艦娘たちはそう成りうる素質を持った人間――――我々が『守るべき国民』ではありませんか!! そして、現状唯一の深海棲艦に対抗できる存在です!! 我々は彼女たちの力無くしては深海棲艦を倒すどころか、既に滅亡していたかもしれません!! なのに――――」

 

「君は、1丁の『銃』にそこまで情を移せるか?」

 

 俺の言葉を遮るように照嶺元帥が質問を投げ掛けてくる。その言葉に、更に俺の中で血が沸騰するのを感じた。

 

「だから!! 彼女たちは『兵器』じゃねぇ!!」

 

「では、奴等の手から具現化される砲門はなんだ? あれが、人間の行える所業かね?」

 

 照嶺元帥の言葉と共に、あの日に金剛に言われた言葉が、そしてあの時向けられた『目』を――――『兵器の目』を思い出す。

 

「ワシらは艦娘のように艤装を付けることが出来るか? 海の上を自由に走れるか? 深海棲艦に傷を付けられるか? 奴らの攻撃を喰らっても生きていられるか? 手足を吹き飛ばされるなどの大怪我をしても艦娘のように風呂に入れば完治するか? 燃料や弾薬を食べれるか? 普通の食事をしなくても生きていけるか? どれか1つでも出来ると言うのなら、今ここで見せてほしいものだのぅ」

 

 そこまで言うと、照嶺元帥は何処か試すような視線を向けてくる。まるで、自身の言っていることが正しいとでも言うように。

 

 その姿が、あのときの金剛と重なった。

 

 

 

 

 

「『兵器』は泣くのか?」

 

「……何だと」

 

 俺の突然の問いに、照嶺元帥を含めた男たちの顔が歪むが、そんなことなどどうでもいいように思えた。何故なら、先程あれほど上っていた血が一気に下がり、頭が異様に冴えている。

 

 そして、何故こんな状況でこうも落ち着いていられるのかが分かるからだ。

 

 

「『兵器』は泣くことが出来る(・・・)か? 恐怖で身体を震わせることが出来る(・・・)か? 嬉しそうな、悲しそうな、不満そうな、心配そうな、楽しそうな表情を浮かべることが出来る(・・・)か? 旨そうに飯を食うことが出来る(・・・)か? 他人を気遣うことが出来る(・・・)か? 他人のために怒ることが出来る(・・・)か? 他人のために動くことが出来る(・・・)か? 他人のために頭を下げることが出来る(・・・)か? 他人のために懇願することが出来る(・・・)か? 他人のために身を挺して守ることが出来る(・・・)か? 他人のために自身を追い込むことが出来る(・・・)か? そして――――」

 

 そこで言葉を切り、真っ直ぐ元帥を―――その後ろに映るあのときの金剛を見据える。そして、頬に手を当てる。

 

 

 

「たかが『兵器』が、人間の幸運を願うことが出来る(・・・)か?」

 

 そこまで言い終えた時、目の前に座る照嶺元帥の顔を改めて見据える。彼は何事もなかったかのように座っているも、その目からは明らかな敵意を感じた。

 

 そして、微かにその口許が緩む。

 

 

「君は、どうやら奴等に懐柔されたようだな。そんな盲目な君に『感情を持つ兵器』とはなんなのか教えてやろう」

 

 そこで言葉を切った照嶺元帥は、緩めた口許を更に歪ませ、不気味な笑みを作り上げた。

 

 

 

「ただの『化け物』だ」

 

 照嶺元帥の口からそれが発せられた瞬間、俺の身体は既に動いていた。倒れていた椅子を蹴飛ばし、全力で照嶺元帥に詰める。その襟首を掴むで引き寄せ、片方の拳を大きく振り上げた。

 

 

 

「やめろ」

 

 照嶺元帥の一言に、俺の身体は一瞬で硬直した。それは彼の言葉ではなく、目の前に黒く光る筒上のモノを突き付けられた――――いや。

 

 

 純粋な殺意でもなく、嫌悪でもない。全くの無表情で、感情のない目を――――本当の『兵器』の目を向けられたからだ。

 

 

 

「砲門を下げろ、大和」

 

 照嶺元帥は静かな声で呟き、手を横に立つ高身長の艦娘――――大和の前に翳す。それを受けた大和は無言のまま俺に向けた砲門を下げ、何事もなかったかのように静かになった。

 

 しかし、俺の身体はまだあの目に見られた感覚が残っている。

 

「分かっただろう。感情がなく、ただ淡々と上官の命令に従い、我々のために使われる。これが『兵器』だ。しかし、奴等は感情があり、上官である君を筵に扱い、ただ自分達のために勝手に動く……どこが『兵器』と言えるか? ましてや、我々に宣戦布告をしている()だ。和解の余地がないのなら、殲滅するしかあるまい」

 

 そこまで言った照嶺元帥は溜め息をついて背もたれに身体を預け、内面まで透けて見ているかのような目を向けてくる。

 

 何か言いたいことがあるのか、と。

 

「さっき、艦娘たちが初期の提督から様々な虐待を受けたと言ったよな。それはどうな……どうなんですか?」

 

「『兵器』の所有者は上官である提督だ。その扱い方にとやかく文句を言うつもりはない。また、大本営としては戦果さえ上げればそれでいい」

 

「なら――――」

 

 その考えに至ったとき、今まで固まっていた身体が動けるようになっていた。俺はゆっくりと胸に手を当て、真っ直ぐ元帥を見据えた。

 

 

 

「『艦娘たちを沈めず』に戦果を上げれば、文句はねぇってことだよな?」

 

 俺の言葉に、周りから息を飲むのが聞こえる。そして、今まで動揺の色さえ見せなかった元帥の顔に、それが現れた。

 

 

「最前線に近いところの艦娘だ。練度は高く、大本営としても失いたくない戦力だろ? しかも、同時に反旗を翻すような厄介者でもある。なら、アイツらをまとめれば貴重な戦力を失うこともなく、かつ反乱分子を潰せる、まさに一石二鳥で済む話じゃねぇか」

 

「そんなこと、出来るわけがないだろう!!」

 

 俺の提案に、一番最初に質問してきた男が立ち上がったが、俺の一睨みで黙らせる。

 

 

「あんたらがアイツらをどう言おうがなんかどうでもいい。そんなクソみたいな策とは言え、俺がアイツらの提督だ。アイツらの『所有権』は俺にある。なら、アイツらをどうしようが俺の勝手だろ?」

 

「そんな大口、戦果の1つも上げてから叩け若造が!! そのような無謀なことを我々が許可すると――――」

 

 はち切れんばかりに血管を浮き出して怒鳴り散らす男の言葉を、隣に座っていた老練な男が手で遮る。先程、鎮守府の様子を聞かれたさいに続けて言うよう促した人だ。

 

「彼の言葉、私は面白いと思いますよ」

 

「なあっ!?」

 

「ほぉう、彼の肩を持つ気か?」

 

 老練な男の口から飛び出した言葉に、隣の男は驚愕の声を、照嶺元帥は薄く笑いながら彼に鋭い目を向ける。しかし、老練な男はその視線に怖じ気づく様子はない。

 

「確かに彼の言葉は危険極まりない無謀なことです。しかし、それがもし上手くいったら我々は主力級の艦娘を一人も損なうことがないので、得るモノは非常に大きなものとなりましょう。仮に失敗したとしても当初の予定通りですし、何ら支障はないかと思います。彼がどっちに転ぼうが我々にかかるデメリットに大差はありませんし、逆にメリットを優先するなら彼の言葉を飲んだ方がいいと、私は思いますよ」

 

 そこで言葉を切った老練な男は、柔和な笑みを浮かべたまま静まり返った周りを見渡す。

 

「もし、彼の意見に賛同できないならばそれはそれで構いません。彼の支援は私が行いますので、皆さんに支障をきたすことはありませんからね」

 

 再び、老練な男が周りを見渡し始める。ふと、その目があったとき、一瞬だけだが悲しそうな色が見えたような気がした。

 

 

「同族擁護か?」

 

 静まり返った部屋の中で、照嶺元帥の言葉が響く、それを受けた老練な男は、ゆっくりと彼の方を向いた。

 

「いえいえ、そのようなことは。私が彼を推薦した理由は、学校で矯正できなかった軍人としてあるまじき思想、行動を叩き直すためでもあり、成績がすこぶる悪かった彼なら我々の思惑を遂行してくれるだろう、と言う期待ですよ。私はただ軍人として、大本営を担う柱として、少しでも結果が良いものを選びたいだけです」

 

「ふん……まぁ、今回はお前の顔に免じてやるか」

 

「元帥まで!?」

 

 老練な男の言葉に照嶺元帥は鼻で笑いながらそんなことを言うと、残り二人が驚いて立ち上がる。

 

「ワシは戦果さえ上げれば良いと言った、そして彼は戦果を上げると豪語したのだ。最近の若造は何も考えなしに口走ることもある、いいお灸を据えるチャンスではないか。それに、仮に失敗した時にこれを公表すれば周りの奴等にもいい刺激になる。違うかね?」

 

 照嶺元帥の言葉、そしてその鋭い目によって二人は黙ってしまった。それを見た照嶺元帥は満足げに笑うと、改めて俺に向き直る。

 

「では、君の言葉に乗せてもらうことになった。後のことは支援を一手に引き受けた者とよく相談の上、決めるように。あまり期待はしていないが、吉報を待っている」

 

 それだけ告げた照嶺元帥は席を立ち、側に控えていた大和を引き連れて部屋を出ていく。それに固まっていた二人の男は慌てるように席を立ち、嶺元帥の後を追っていった。

 

 そして、部屋は俺と老練な男だけが残された。

 

「さて、我々だけになってしまったか」

 

 老練な男はそう言いながら頬を掻く。その姿を一瞥して、俺は慌てて頭を下げた。

 

「あ、ありがとうございます!! 俺の無謀とも言える言葉を信じていただいて……本当に感謝しております!!」

 

「いやいい、元々(・・)こうするつもりだったしな」

 

「はっ? 元々?」

 

「それも、場所を変えてからで良いだろう」

 

 男の言葉に顔を上げて問い掛けるも、男は答えになっていないような事を言ってきた。てか、場所を変えるのか? 他の男たちが席を外したからここで相談すればいいのに。

 

「こんな硬っ苦しいところでは話も進まない。自室に案内しよう。ついてきたまえ」

 

「あの!? そ、その前にお名前を聞かせてもらってもよろしいでしょうか?」

 

 部屋を出ていこうとする男を引き留める。経緯はどうあれ、これからうちの鎮守府を支援してくださる人の名前を知らないのはどうかと思うし、早めに知っておくのに越したことはない。

 

「あ、私、明原 楓と申します」

 

「おや、息子(・・)から聞いていると思っていたが、そうではなかったか」

 

 ん? 今『息子』って言った? え、俺の知っているヤツを『息子』って言うことは……。

 

 

 

 

 

「初めまして、朽木昌弘だ。林道がお世話になったようで」

 

 老練な男――――朽木中将はそう言いながら笑みを溢した。



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『中将』のやり方

「さぁ、遠慮せず座りたまえ。飲み物は紅茶でいいかね?」

 

「い、いえ……大丈夫です」

 

 俺が待つように言いつけられた部屋よりも一回り広い部屋。そんなVIP御用達の部屋で柔和な笑みを浮かべてマグカップを差し出す朽木中将。それをやんわり断りつつ、俺はソファーに腰を下ろした。無論、その間彼からは目を離さないわけだが。

 

 

 上層部との衝突の後、俺は朽木中将と今後のことを話し合うために彼の自室に案内されていた。

 

 『勢い』とは言いたくないが、まぁそれで上層部に盾突いたことで俺が予定していた支援の取り付けは絶望的になるかと思われた。が、今俺の目の前で艦娘に紅茶を淹れさせる男の発言によって彼からの支援だけではあるが取り付け自体はなんとかこぎ着ける。それに関しては、非常に感謝している。

 

 だが、着任を言い渡してきた上官や林道の発言から、彼があの鎮守府に俺を寄越したのは事実だ。それが後ろ髪を引っ張り、なかなか彼を信頼することが出来ない。それに元帥らと同じ軍上層部があのような考えなら、彼も少なからずそれに染まっていると見た方がいい。この支援を取り付けたのも、裏があるとみていいだろう。

 

 しかし、あの部屋で元帥たちから聞かされた自身が提督に抜擢された本当の理由、そして彼らとの艦娘の価値観の違い等々。本当、軍部はどうなっていやがるんだ。

 

 あっちの言い分も分からないわけではない。反乱分子がいるのなら、それを早めに潰すのは国民を守る軍として当然のことだ。まして、艦娘たちが反乱分子でうかつに手を出せないのであれば、非常にムカつくが俺みたいな新米を着任させて内部から戦力を削ぐのは理に適っている。

 

 しかし、それは初代提督がしでかしたこと、つまり軍部の人間が金剛たちに非道な行いをしたせいであって、彼女たちはいわば被害者だ。それを『反旗を翻す兵器』だから、という理由だけで潰すのはおかしい。

 

 それに、艦娘はたまたまその素質を持って生まれてきた人。それを軍部が召集令状で集めて訓練により艦娘としての意識が開花し、身体から砲門を具現化したり艤装を身に着けられるようになっただけで、姿かたちは人であったころと一切変わっていない。それを、もう『人』ではなく『兵器』となるのはあまりにも横暴過ぎないか。

 

 更に、彼女たちが居なければ人類は今頃滅んでいるのは確実、俺たちは艦娘に生かされていると言っても過言ではない。なのに、そんな彼女たちにあのような仕打ちをするのは戦略的にも道徳的にも間違っている。それこそ、金剛たちの様に他の艦娘たちが大本営に反旗を翻すリスクを生んでいるようなもの。

 

 上層部がやっていることは、ただ自らの首を絞めているだけだ。

 

「林道、これから彼と今後について話し合う必要があるから、すまんが席を外してくれないか?」

 

「父上……」

 

 紅茶が入ったマグカップを持ちながら、中将は扉の横に佇む憲兵――――自身の息子である林道にそう声をかける。その言葉を受けた林道は中将の名を零すも、口から出る言葉を堪えるように口元を引き締め、何故か恨みがまし気に俺を睨んできた。

 

 あの部屋からここまで移動する中で林道は一言も発せずについてきたが、代わりにずっと俺のことを睨んでくるんだよな。中将を護衛するから同伴するのは分かるが、俺を睨んでくる理由がまったく分からない。一つ分かるとすれば、軍学校時代に向けられていた視線と同じものだってことぐらいか。ホント、良く分からないところで突っかかってくるのは昔も変わらないのか。

 

「……失礼します」

 

 暫し俺を睨み付けてきた林道はそれだけ言うと、そそくさと部屋を出て行った。奴によって閉められた扉の音が異様に大きかったのは怒っていたからだろうか。こう、感情が行動に出やすいところも昔と変わらんな。

 

「聞いていた通り、君とはウマが合わないみたいだな……さて、そろそろ本題に入ろう」

 

 出て行った息子を姿に苦笑いを浮かべた中将はそう言いながらソファーに腰を下ろして、マグカップを机に置いて俺に向き直る。

 

「まずは資材に関してだ。襲撃で資材は枯渇気味であろう? どのくらい用意すればいいかね?」

 

「で、出来れば各10000ほど」

 

「10000だな。すぐに手配しよう」

 

 各資材10000がそうやすやすと用意できるものではないのは新米の俺でも分かる。それをポケットマネー感覚で用意する辺り、流石歴戦の名将と言うところか。

 

 その後、彼から次々と飛んでくる質問に俺は四苦八苦しながらも答えていった。各資材の状況から高速修復材―――所謂『バケツ』の数、襲撃を受けた敵、被害を受けた艦娘などの鎮守府のことから、着任から今までどんなことがあったか、艦娘の様子、自らに対する対応など、俺自身が実際に経験してきたものなど多岐に渡る。

 

 ……肉体関係を持ったか、と言う質問には思わず「なわけあるか!?」叫んだけどよ。それに詫びを入れているのだが、それを聞くと言うことはそれを艦娘に強要した初代提督がやらかしたことを把握しているってことだよな。

 

 

「中将は……初代が行った所業は把握しているのですか?」

 

「……ああ、彼女から少々聞いた」

 

 俺の質問に渋い顔で応えた中将は、自らの傍に佇む艦娘に目を向ける。視線を感じた彼女は中将を、そして俺を見つめて何も言わずに顔を背けた。

 

「彼女は金剛型戦艦4番艦の霧島――――君の知っている艦娘の姉妹艦だ」

 

 中将の言葉に、俺は改めて俯く艦娘――――金剛の姉妹艦である霧島を見つめる。彼女は俺と視線を交えることなく無言のまま俯くだけであった。

 

「先ほど、派遣した者が砲撃を受けて帰って来たと聞いたと思う。その後、鎮守府(あちら)から一人の艦娘がやってきた。それが彼女だ」

 

 決別した大本営に鎮守府から艦娘がやってきただと? 大本営とは敵対関係だろ? そこに艦娘を、まして金剛の姉妹艦である霧島がやってくるとはどういう了見だ? あの金剛なら確実に阻止するだろう。

 

「何でも、引き留める鎮守府の仲間を振り切ってやってきたらしく、大本営の近くで倒れていたのを憲兵が発見した次第だ。当時、彼女はかなり衰弱していたためすぐさま医務室に運び込まれ、何とか一命は取り留めることができた。その時に世話を受け持った流れで私の秘書官をしてもらっているわけだ。彼女が淹れる紅茶は格別でな、おかげで私は紅茶を飲まないと仕事が進まない身体になってしまったよ」

 

 そこで言葉を切った中将はカラカラと笑いながらマグカップの紅茶を飲み干し、それを霧島に差し出す。すると、霧島は無言のままポットを手に取って紅茶を注ぐ。紅茶が美味しいのは、金剛の影響か。

 

「まぁ、そんなことはどうでもいい。彼女が大本営に来た理由は、君の鎮守府の状況と初代が彼女たちに課した数々の蛮行を我々に伝えるためだった。それで、少なからず霧島を含めあの鎮守府の艦娘たちが受けた蛮行は知っている。しかし、それもあちらが一切の介入を拒否したことで手が出せず、状況が好転することはなかった。むしろ、目上である我々を格下である彼女たちの頑なに受け入れない姿勢と『兵器』として有るまじき理由によって反感を買う者も現れ、殲滅させると言う意見が出始めたのもその時期だ」

 

 そうこぼす中将の顔は苦渋に満ちていた。彼自身も、この判断に思うところもあるのだろうか。少なくとも、他の上層部とは違った見解であることは分かった。

 

「初代が行った蛮行は食事と『伽』の件、と把握しておりますが、現在でもそれを続けている理由は把握しておりません。何かご存知でしょうか?」

 

「いや、すまんがそこまでは分からない。前者の詳細なことは分かるが……聞くか?」

 

 中将の言葉に、俺は暫し考えた。個人としては、それを金剛や榛名たちの口から聞くのが普通だと思っている。しかしそれを聞き出せるほどの信頼を築けているとは言えないし、何よりアレ(・・)を頼む手前、その辺は把握しておかないと不味い。

 

「差し支えなければ、お願いします」

 

 俺の言葉に中将は一つ息を吐き、ゆっくりと語りだす。彼の口から紡がれた初代提督の所業は、耳を覆いたくなるものであった。

 

 初代が行った蛮行は主に食事と『伽』の2つだ。

 

 食事に関しては鎮守府で見た通り、艦娘たちに燃料や弾薬等の資材以外の食事を禁止したことである。その理由は、彼女たちが『兵器』であると言う意識を統一し、劣勢に立たされた時や味方が沈むなどで影響を受けない屈強な士気を得るため、なんて言う言葉は仰々しいモノだ。

 

 そして、食事として出されていた資材の殆どは出撃や遠征でかき集めた資材だったようで、艦娘たちは戦果の他に自身の食い扶持を得るために幾度となく出撃や遠征を繰り返した。しかし、何故か大本営からの支援の中には、ちゃんと艦娘たちの食事も予算の中に組み込まれていたのだ。

 

 では、艦娘の食事として割り振られた予算は何処にいったかは…………想像するに易いだろう。事実、街の人から毎夜のように街へ繰り出しては豪遊の限りを尽くしていたって聞いた手前、確実だと言える。

 

 間宮のあの態度もこれが理由だろう。まぁ、彼女は駆逐艦や戦艦のように海上に繰り出して戦わず、艦娘たちの食事面でサポートを主する給糧艦だ。食事面でしか艦娘たちをサポート出来ない手前、この待遇でそれすらも出来なくなってしまえば、あんな態度をとるのも頷けるか。

 

 そして、次は『伽』だ。

 

 この理由は艦娘の細部に渡るメンテナンス……とは言ったものの、蓋を開ければ只の娼婦制度だ。初代は日によって相手を取っ替え引っ替えしており、戦艦、空母から軽視巡洋艦、駆逐艦までと多岐に渡り、時には複数で相手をさせる事もあったとか。

 

 また、『伽』は暴力ありきが前提で、それによってトラウマを植え付けられる駆逐艦や軽巡洋艦が続出することを見かねた戦艦や空母が嘆願し、『伽』の対象から駆逐艦、軽巡洋艦、一部の重巡洋艦を外すこととなった。その中心となったのが金剛を筆頭とした金剛型戦艦姉妹であり、文字通り身を削る(・・・・)交渉の末だったらしい。

 

 今、金剛が鎮守府を回しているのはそれが理由だと思う。 いくら自身を兵器と呼んでいても、初代の魔の手から身を削ってまで逃がしてくれた金剛を悪く言えるはずはない。少なくと感謝の心はあるだろう。吹雪みたいなヤツも他にいるかもしれないと考えると、案外潮もその部類に入るのかもな。

 

 そしてそれらの前提にあって最も許しがたいのが、金剛ら艦娘たちへの『兵器』としての対応だ。

 

 休息無しの出撃は当たり前。出撃によって艦娘が傷ついても、資材がもったいないと言う理由で中破までは入渠もさせずに出撃に駆り出していた。酷い時には戦果優先で無理な進撃を行い艦娘を轟沈させることもしばしばあり、少なくはない数の艦娘が沈んでいったらしい。

 

 そして無事に帰ってきても、待っているのは満足のいく戦果を挙げられなかった、敵の討ち漏らした、資材を無駄に消費した等の理不尽な理由による罵声と暴力。酷い時には『海軍魂を叩き込む』との名目で営倉に叩き込まれ、身をもって(・・・・・)責任を取らされることもあったのだとか。

 

 『兵器』としての艦娘たちへの非人道的行為、食事とは名だけの『補給』の強制と毎夜の豪遊、そして全艦娘への『伽』―――。

 

 よくもまぁそれだけのことを出来たのだと感心してしまうほどの蛮行っぷりに、聞いてるこっちが耳をふさぎたくなった。それを語る中将の横に佇む霧島は微動だにしないながらもその顔には苦渋の色、唇は血が出るほど噛み締めており、下に向けられた拳は固く握りしめられていた。

 

 今でもそんな表情になってしまうのだ。保護された時はもっと酷かったのだろう。

 

 それに、彼女たちは訓練を受ける前までは普通の人間だった。それが、艦娘として配属された瞬間『兵器』と言うレッテルを押し付けられ、レッテル通りに扱われたのだ。その衝撃と心に受けた傷は尋常じゃなく深く、完全に癒えるとは言い難いモノだろう。

 

 しかし、やはり次は何故その体制を続けているのか、と言う疑問が沸き上がってくる。そして、『伽』の相手を買って出るなどの身を削りながら艦娘たちを守った金剛がそれを受け継いでいるのか、だ。その体制だと鎮守府経営が上手く言っていたのか? それともそれをしなくてはならない理由があるのか? 考えれば考えるほど分からなくなってくる。

 

 

 まぁ、それについては金剛自身から聞かなくちゃダメだな。

 

「……さて、この話は終わって支援に戻ろうか。資材についてはこれでいいとして、新たな戦力として艦娘を手配した方がいいかね?」

 

 初代の蛮行によって重くなった空気を払拭するために中将が話題を変えてくれた。新たな戦力か……負傷者の治療が完治していない今、襲撃を受けた時のリスクを考えると触れることは喜ばしいな。

 

 でも―――――。

 

 

「いえ、大丈夫です」

 

「本当かね? 鎮守府の状況を考えると戦力増強はメリットしかないと思うが?」

 

 俺の返答に、中将は目を丸くしながらそう問いかけてくる。それは分かっているんだ。でも、それを上回ることがあった。

 

 

「新たに配属された艦娘とうちの艦娘たちが、衝突もせずに上手くやっていける自信がありません。配属された艦娘に心労を負わせるわけにもいきませんし、出来れば……彼女たちと、真正面から向き合って話したいんです」

 

 軍から配属される艦娘は、恐らく大本営への忠誠心に満ち溢れている。それが、大本営と手切れを言い渡したうちの艦娘と上手く折り合いをつけてやっていけるはずがない。配属された方が心労でぶっ倒れるかこちら側に染まるか、下手したら金剛たちの蜂起に繋がるかもしれない。それほどのリスクを背負ってまで戦力増強を進めたいとは思わない。

 

 それに大本営の駒として送り込まれた俺だが、一応金剛たちの提督だ。彼女たちをまとめ上げ、出来うる限り守る責任、そして彼女たちと向き合う義務がある。と言うか、まとめ上げることも守ることも出来ない今の俺が出来ることは、彼女たちと向き合うことぐらいしかない。

 

「……やはり、君を選んで正解だった」

 

 俺の言葉に中将は満足げに鼻を鳴らし、その傍らに立つ霧島は顔を上げて驚いた表情を向けてくる。まぁ、彼らからすれば『兵器』にそこまで感情を傾けることが出来ること自体がおかしいのかもしれない。

 

 だが生憎、俺は『兵器』なんてこれっぽっちも思ってないわけで。そんな目を向けられるのは昔から慣れているさ。

 

 

 

「さて、では本題(・・)に行こうか」

 

 不意にソファーから立ち上がってそう呟く中将。その言葉に思わず身構えた。あの部屋で飛び出した言葉が脳裏に過る。そうだ、この人も軍の上層部。先ほどの表情で惑わされかけたが、あの集団に居ると言うことはその考え方も持っていることになる。

 

 次に飛び出す言葉に期待なんかしない。もう挙げられてから落とされるのはコリゴリだ。

 

 全神経を集中させて睨み付ける中将は制服のポケットに手を入れ、しばしガサゴソした後に一枚の紙――――いや、写真を取り出して机に置いた。

 

 

 

 

 そこに写っていたのは歳はかといかない少女。

 

 茶色い長髪に青い水玉ワンピースを翻し、水が迸るホースを手に取って年相応の満面の笑みを浮かべてはしゃいでいる。水遊び真っ最中の一幕、と言った感じか。そして、肩のところに小さな小人――――妖精が立っていた。

 

 妖精が写真に写ることが出来たのかと感心したが、それよりも胸の中に燻るものがある。何だろう……。

 

「どっかで見たことあるよ―――」

 

「本当か!?」

 

 無意識のうちに呟いた言葉に中将が大声をあげ、いきなり大声を出したせいか激しく咳き込み始めた。それに慌てた霧島が近づき、その背中を優しくさする。その間、部屋は中将の咳だけが響き渡った。

 

 咳き込む中将の背中を見つめていた俺の脳裏には、彼が大声を上げた時に一瞬見えた表情が焼き付いていた。先ほどの飄々とした貫禄はなく、顔を真っ赤に紅潮させ、目には『獲物』を見つけた獣のような鋭い眼光が光っていたからだ。

 

「……すまん、取り乱してしまったな。」

 

 咳が落ち着いた中将はそう言いながら、先ほど机に置いた写真を手に取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この子は、私の娘だ。そして大日本帝国海軍に所属する艦娘であり、君の鎮守府の初代提督の初期艦だ。そして――――」

 

 中将の口から零れた言葉。彼の言葉に反応しようと口を開くも、重々しい空気を孕んで吐き出されたそれが俺の身体にすぅっと入り込み、かかってきた重みが黙らせてきた。

 

「君をあそこに送り込んだのは、娘の安否を確かめてもらいたいからだ」

 

 その言葉を吐き出す中将に先ほどの飄々とした顔でもなく、獣のような荒々しさもなく、場の空気を一瞬で張りつめさせることの出来る空気を纏った、歴戦の軍人の顔であった。

 

 

「うちの家系は、代々軍に属する者が当主を務める風習でね。それに応じて、一族も軍事に就く者も多い。そして4年前、深海棲艦が現れて全ての制空権や制海権を奪われて領土まで侵攻を許すこととなる。それは、既存する軍隊の全滅を意味しており、一族の中にも少なからず犠牲者を出した。そのことに、娘は人一倍涙を流していたよ」

 

 不意に語り出した中将。それを語る表情と感情の読めない目に、その話を制することは憚られた。

 

「そして、妖精と艦娘の登場で陸より深海棲艦を駆逐することができ、唯一対抗出来る戦力として艦娘を軍に組み込むことが決定された。それに伴い、軍部は全国から艦娘の素質を持つ者を集め始めた。そして、うちの娘に召集令状が届いた。娘には艦娘になる素質―――妖精を目視でき、言葉を交わすことが出来た…………君も、写真の妖精が見えただろう?」

 

 不意に問いかけられた言葉に、声を出すことが出来ずに頷くことで返答した。

 

「深海棲艦に対抗できる艦娘に娘が選ばれたことに、一族は諸手を上げて喜んだ。代々恩を受けた軍に報いることが出来る、そして深海棲艦との戦闘で散っていった一族の仇討ちが出来る、とね。ただ、私はそれを歳はかといかない娘に背負わせるのは大きすぎだと思った。が、娘は泣き言1つ吐かずに務めを果たすと笑顔を浮かべて行った。出征した後も、他の艦娘の様子や訓練の内容、友達が出来たこと、喧嘩をしたこと、演習中に他の子とぶつかってしまったことなどを手紙で欠かさず送って来たよ。そこに、弱音の1つも書かずにね。本当に、私には出来過ぎた娘だ、そう思った。そして艦娘としての訓練を終え、君の鎮守府―――――初代の初期艦として配属された。その日以降、手紙が途切れた」

 

 そこで言葉を切った中将は写真をしまい、窓に近付いて煙草を取り出して火をつけた。

 

「心配になって何度も手紙を送ったが、それが返ってくることはなかった。一度は視察と評して鎮守府に向かおうとしたが、深海棲艦の目と鼻の先に私が赴くことを上層部が良しとしなかった。だから、初代が提出してくる報告書と、たまに大本営にやってくる彼に娘の安否を聞くことしか出来なかった。彼は、すこぶる元気でやっている、先日大戦果を挙げた、などと笑顔で言ってくれた。それがお世辞だとは分かっていたが、それでも娘のことを聞けるだけで胸のつっかえが消える。愚かな私はそれに甘んじて詳しいことは聞かなかった。だが、ほどなくして彼との連絡が途絶え、大本営から派遣した者の報告、そして霧島による鎮守府の本当の実態を知ることになる」

 

 その言葉を聞いたとき、霧島の肩がビクッと震える。自分の存在が彼を茨の道に突き落としてしまった、そんな想いが伝わって来た。

 

「至急、娘と連絡を取ろうとしても艦娘たちはこちら側の干渉を拒否されたために叶わなかった。また、新たに着任させる提督に聞こうも君が受けた様な扱いのために長く続く者はおらず、況してや先ほどの会議で提案された条件を呑む者も居た。艦娘を沈めようとする者に、艦娘の安否を確かめるよう頼むわけにもいかない。そんな状況で娘の安否を模索していた時、息子から君のことを聞いた」

 

 なおも、中将は窓の外を見つめて煙草を吹かす。

 

「軍学校は上層部の思想に則って教育を行っているため、艦娘を『兵器』として扱っている。勿論、息子もその考え方はおかしいと言っていたが、軍の考え方だと言って納得はしていた。しかし、そこに真っ向から噛み付く君がいて、いつも上官と口論になると聞かされれば興味が湧いてくるのは必然であろう? それを聞いてすぐに君の経歴を調べさせてもらった。更に君は軍学校の成績も悪く、軍人としては半人前とすら言えないという烙印を押されていた。それは上層部が求める、そして私が(・・)求める人材としてはこれ以上適任の者が居ないとなり、君を推薦したのだ」

 

 そこで話が終わったのか、中将は長いため息と共に白い煙を吐いた。その姿を、そして今までの話を聞く限り、彼が俺を推薦した理由、俺が大本営に召集されるところから今こうして俺に頼み事をしている状況と、全て読み切った上で動いていたのだ。

 

 

「中将は俺のことを調べたと言っていましたよね? 何処まで調べたんですか?」

 

「君の出自から軍学校に入る経緯や成績、そして軍学校内での評判などとほぼ全てだ。そして―――――」

 

 そこで言葉を切った中将は煙草を口から離し、遠くを見つめながらポツリと呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君が私と同じ道を――――いや、君が通った道(・・・・)を私が通るかもしれない、と言ったところまでだ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、全身の体温が一気に下がるのを感じた。そして、元帥を含めた上層部に抱いたものより遥かに大きくどす黒い嫌悪感を抱いた。

 

 

「妖精が見えるのは何も艦娘だけではない。その周辺の人にも意思疎通は出来ないが見えることがある。私と君(・・・)のようにな」

 

 そこで言葉を切った中将は窓から離れ、近くにあった灰皿に煙草を押し付けて消す。それを灰皿に投げ捨てると、真っ直ぐ俺の元に近付いてきて勢いよく頭を下げた。

 

 

 

「どうか娘の様子を……安否だけでもいいから確かめてきてくれ。頼む」

 

 上官である、それも名将と謳われる歴戦の猛者であるあの朽木中将が、ひよっこもひよっこの俺に対して頭を下げている。いや、上官だとかそんなものは関係ないのだろう。彼は軍人としてではなく、一人の父親として頭を下げている。

 

 そして、先ほど彼が言った『君が通った道を私が通るかもしれない』と言う言葉。それはつまり、彼の娘がどのような状況であっても受け入れると言う覚悟。一人の軍人としての覚悟を持っているということだ。

 

 

 つまり、彼は軍人として覚悟し、一人の父親として俺に頭を下げているのだ。それも、たちの悪いことに俺が承諾する(・・・・)ところまでを見越して、だ。

 

 

 

「……最初から、俺が断るなんて考えていませんよね?」

 

「あぁ、だから君を選んだんだ。貴い君なら、境遇が酷似している私の頼みを断れないだろ?」

 

 俺の言葉に、中将は頭を上げてそう応える。その言葉に、自嘲が含まれてるのは言うまでもないだろう。

 

「私は名将などど謳われるが、たまたま運良く(・・・)戦場で生き残って、運良く(・・・)艦娘を見つけ、運良く(・・・)彼女たちが深海棲艦を駆逐した現場で一番高い地位だっただけだ。本来の私は君の様に貴くもない、自身の欲に忠実で、そのためならどんなことでもやる汚い人間だ。そんな汚い人間であるからこそ、敢えて貴い君に頼んだのだ。そして、今回は君が承諾してくれた。私は本当に運が良い(・・・・)よ」

 

 どの口が言っているんだ、そう言ってやりたかった。しかし、ここで彼を突き放したら支援自体が立ち消えになるかもしれない。それは、うちの鎮守府を潰すも同然だ。それが分かった上で、どうしてそれを拒否できようか。こんなもん、出来レース以外の何物でもない。

 

 現在の俺を、そして過去の俺も利用する――――文字通り利用できるものは全て利用する、確かに名将らしいクソみたいな考え方だ。

 

「もちろん、ただでとは言わない。君が望むものは出来うる限り用意しよう。資材に戦力、情報、人員、資金は難しいかもしれないが出来うる限り融通は利かせよう。悪くはない話だとは思うが?」

 

 そこで言葉を切った中将は柔和な笑みを向けてくる。これで逃げ道は全て塞いだぞ、とでも言いたげな表情に吐き気を催した。だが、利用されるだけでは癪に障る。そんな反骨精神のようなものが沸き上がるのも、全て彼の手の上で踊らされているのだろうか。

 

「……分かりました。では、先ほどの支援の他に2つほどお願いがあります」

 

 俺の言葉に中将は予想通りと言いたげに頷く。その一挙手一投足に激しい嫌悪感が沸き上がるが、何とか表に出さずに抑え込む。

 

「まず、これに書かれているモノを鎮守府に送ってください」

 

 そう言って俺はポケットからメモ帳を取り出して1枚千切り、そこに必要なものと量、送ってくる周期を書いて中将に手渡す。それを受け取った彼はメモに目を通し、何故か満足げに頷いた。

 

「なるほど、まずはここから変えていくと言うわけか。まぁ、ゆくゆくは君にも返ってくるものだし妥当と言える。あい分かった、すぐに手配しよう」

 

「ありがとうございます。では次に、先ほど新たな艦娘を着任させると言っていましたよね? それについてです」

 

 俺の言葉に中将は少し驚いた顔をした。まぁ、さっき新しい艦娘はいらないと言っていたから当たり前か。でも、その言葉を撤回する気はない。

 

 

 

 

 

 

 

「うちの鎮守府に、軽空母『鳳翔』を絶対に配属させないでください」

 

 その言葉に、余裕を浮かべていた中将の表情が凍った。予想外だ、と言ったところか。それを見た瞬間、うれしさが込み上げてきた。

 

 ようやく彼の手の上から逃れ、その横顔に渾身の一撃を喰らわせた、そんな爽快感があったからだ。

 

「こりゃ一本取られたな…………あい分かったよ」

 

「ありがとうございます」

 

 乾いた笑いを上げる朽木中将に俺はお礼を述べる。そして、中将が手を差し出してきた。しばしそれを見た後、ゆっくりとした動作でその手を掴んだ。

 

「では、よろしく頼むよ」

 

 

 

 こうして、俺は当初の目的であった支援の取り付けに成功した。



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episode3 開始 提督の『隠し事』

 青々とした空が広がる鎮守府への道を、黒塗りの車がひた走る。その中で、俺はボケっと外を眺めていた。

 

 そんな俺を載せて走る運転手は軍から派遣された憲兵。その表情には早く帰りたい、と言う思いがヒシヒシと伝わってくる。まぁ、噂の鎮守府へと近づいているわけだから当たり前か。だが、仕事だからあきらめてくれ。

 

 とまぁ、そんなこんなで朽木中将の支援を取り付けた俺は彼が用意したホテルで一泊した後、この車で鎮守府へと向かっているところだ。本来、召集された提督は上層部の指令を受けるまで滞在しないといけないのだが、あの時に言い渡されたもんだ。居ようが居まいが関係ない。

 

 それに、中将に頼んだ資材が翌日辺りに鎮守府に届けられるそうだからその受け取りもしないといけない。下手に金剛に受け取らせようとして拒否でもされたら面倒だし、俺が頼んだモノも同じぐらいに届くらしいからなお俺が受け取らないと不味いことになる。

 

 更に、中将は資材の輸送と俺との連絡役として憲兵を一人派遣してくるらしい。個人的にはそれで更に金剛たちとこじれそうで怖いが、いざと言うときに素早く中将と連絡できるパイプ役が来るのはデカい。

 

 しかし、大本営と言い中将と言い召集や支援の準備など異様に早い。どちらも確実に準備していたとみていいだろうな。そんなことを中将に言ったら、「伊達に軍部の上層部に居座ってないからね」と鼻で笑われた。

 

 どうせ、提督志望だった林道を憲兵として配属させた裏にも一枚噛んでいるんだろうな。まぁ、それは別の理由だったけど。

 

 

 

 

『君は、自分の息子に同じ苦痛を味わってほしいかね?』

 

 林道の件について聞いたときに、中将の口から飛び出した言葉。それを吐いたときに浮かんでいた表情は、完全に「父親」だった。

 

 

 つまり林道を憲兵にさせたのは、内地へ配属させてこちら側の情報を、特に妹のことを把握できない状況にさせるため、自らと同じ道を辿らせないため、だ。

 

 ホント、つくづくあの人は『汚い』人間だよ。

 

 

「つ、着きましたよ!」

 

 そんなことを考えていたら運転手の上擦った声と共に車が止まる。外を見ると、数日前に見た錆びた門があった。考え事をしている間に着いたみたいだ。

 

「ありがとう」

 

 それだけ言ってさっさと車から降りる。運転手はトランクから俺の荷物を引っ張り出すとぶっきらぼうに俺の手に押し付けて車に乗り込み、逃げる様に走り去った。どんだけ怖いんだよ、いや砲撃されたって聞いてりゃ普通逃げるか。俺なんか、砲門を何度も向けられたからあんまり動揺しなくなっちまったよ。慣れって怖い。

 

 とまぁ、そんなことをぼやきながら門を潜り抜ける。

 

 初めて来たときと同じような光景を眺めながら歩いていき、やがて執務室がある建物の前にやって来た。

 

「しれぇ!!」

 

 その時、横から数日ぶりに聞いた声と駆け寄ってくる足音が聞こえる。声の方を振り向くと、ワンピース調のセーラー服と黒い物体を翻し、とびっきりの笑顔を浮かべた一人の駆逐艦が俺目掛けて手を広げて宙を舞っていた。

 

「雪かぶっ!?」

 

「おかえりなさいですぅ!!」

 

 俺の胸に抱き付く駆逐艦―――――――――雪風。彼女は笑顔で俺の背中に手を回してぎゅっと抱き締めてくる。一通り頬ずりした彼女は俺を見上げ、そして不思議そうに首を傾げた。

 

「しれぇ、なんで顔を押さえているんですか?」

 

「……いや、何でもない」

 

 雪風の言葉に、俺は顔を手で押さえながらそう返す。いや、顔を手で押さえているのは目の前にパンツだとかそんな理由ではない。まぁ鼻血は垂れているけども邪な感情は無い。断じてない。って、んなことはどうでもいい。

 

「……それよりも、俺が居ない間何か変わったことあったか?」

 

「特にはありません!! 潜水艦組が金剛さんに待遇改善を訴えて、つい先ほどオリョール海に放り込まれたぐらいです!!」

 

 俺から離れて敬礼をしながらそう応える雪風。いや、それ深刻な問題が起きているように見えるんですがそれは。潜水艦とは会ったことは無いが不憫すぎるだろ。まぁ哨戒を怠った責任もあるし、資材集めに潜水艦組を出撃させたみたいだから止むを得ない状況なんだろう。まだ見ぬ彼女たちに合掌を送ろう。

 

「そうか。負傷者や資材は?」

 

「怪我をしていた人たちの大半は入渠を終えて復帰していますが、やはり資材のやりくりに頭を悩ませているところです。金剛さんの手配で補給は切り詰められていますので、雪風もここ数日満足にご飯も食べれていないですし……」

 

 そう言いながら雪風は自らのお腹を摩る。厨房の食材を使って何か作ればよかったのに、と言おうとしたが、周りが切り詰められた『補給』で凌いでいる中で雪風だけ食事を作って食べる、なんてことは出来ないか。

 

 まぁ、明日には資材や頼んでおいたモノが届くからこれから食事に心配することもない。ただ、これを定着させるのに骨が折れそうかな。まぁ、どうせ俺に返ってくるもんだし手を抜くつもりは無いさ。

 

 

「しれぇは大丈夫でしたか?」

 

 ふと、俺の袖を掴みながらそんなことを聞いてくる雪風。その表情に先ほどの明るさはなく、不安と悲壮で覆われていた。それに、俺は言葉に詰まってしまう。

 

 俺が大本営に召集されることを一番心配してくれたのが雪風。それに、いつからかは分からないが彼女もこの鎮守府に居る、つまり金剛が大本営から決別しているのは知っているはずだ。そんなところに一人だけ放り込まれたら心配にもなるか。今、俺はこうして何事もなく振る舞っているわけだが、やはり何かあったのかもしれないと思うのも無理はない。

 

 ……まぁ実際あったわけだが、絶対に言えない。俺も『隠し事』が出来ちまったか。

 

 

 さて、どんな言葉を掛けよう……違う。どう誤魔化そう(・・・・・)か、か。存外、俺も中将と変わらない、所詮同じ人間ってか。

 

 それに苦笑しつつも思案していると、一つの言葉が浮かんできた。俺は見上げてくる雪風に笑い掛けながら片手を彼女の頭を、もう片方は自身の頬を触れる。

 

 

「おうよ。何せ、俺には『幸運艦のキス』があったからな」

 

 そう言って、雪風の頭に置いた手で彼女を撫でる。撫でられた雪風は驚いたように俺の顔を見て下を向いた。次に聞こえてきたのは、ホッ、と言う安堵の息。

 

「なら、良かったです……」

 

 そう零す雪風の頭を撫でる。その資格があるのかすら分からないが、多分ないんだろうな。

 

 

 今は誤魔化すしかない。でも、いつかこの『隠し事』を言えるようになりたい。それが、俺と上層部との違いを決定付けるからだ。

 

 でも、これを言った時、そしてこれを隠してきた俺を彼女たちはどう見るのか。怒るだろうか、悲しむだろうか、軽蔑するだろうか……最悪、殺そうとするかもな。まぁ、それに関しては今とあんまり変わらないだろうけどよ。

 

 

 ―――――雪風も、『あの目』を向けてくるのかな。

 

 

 

 

 

「しれぇ!!」

 

 突然の大声といきなり手を掴まれたことに無理やり思考が断ち切られた。突然のことに目を白黒させている俺を尻目に、俺の手を掴んだ雪風はいつもの笑顔を向けてくる。

 

「雪風、まだあの時の約束忘れていませんからね? さぁさぁ、早く荷物を置いてきちゃいましょう!!」

 

 俺の手をグイグイ引っ張りながら元気よく声を張り上げる雪風。約束って、演習で活躍したらうまいもん食わしてやるってやつか? 資材が届くのが明日だからその日以降になっちまうが……どうせ今日の俺の飯も半分ぐらい食われるから変わらんか。

 

「まぁ、いいか」

 

「何か言いましたかぁ?」

 

「なんでもねぇよ」

 

 不思議そうな表情の雪風が首をかしげてくるので、そう答えながらその頭を撫でる。撫でられた雪風は首を傾げながらも、すぐにいつもの笑顔を浮かべて歩き出した。

 

 

 

 

 『いつもの笑顔(それ)』が見れるなら―――――なんて、馬鹿らしいな。

 

 

「そう言えば雪風、昨日出撃した時に補給艦を沈めましたよ!! この双眼鏡で発見したのも雪風です!! 褒めてください!!」

 

 そう言いながら雪風は自らの首にかかる双眼鏡を手に取り見せつけてくる。ほぉ、その双眼鏡が役立ったのか。しかも補給艦を沈めたってことは資材も確保したってことだよな。

 

 雪風の言葉に俺は「よくやった」と言いながらその頭を撫で、雪風は更に顔を綻ばせて嬉しそうにピョンピョン飛び跳ねる。

 

 

 

 まぁ、その双眼鏡がさっき顔面にクリティカルヒットしたんだがな……なんて、口が裂けても言えなかった。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

「……と、こんな感じだ」

 

「……ありがとうございマース」

 

 雪風に引き連れられて部屋に荷物を放り込んだ後、雪風を残して俺は支援の詳細について金剛に報告しに行った。立場が逆じゃね? とか言われてもスルーするのであしからず。

 

「これで、資材については何とかなりそうデスネ」

 

 俺の報告を聞きながら書き終えた書類を山に戻し、金剛はそう言いつつ伸びをする。それの呼応するように、パキポキと軽快な音が彼女の腰や背中から聞こえた。相当に腰や背中がまいっているみたいだな。提督代理としてずっと書類とにらめっこしていたのだから無理もないか。

 

 

 ……まぁ、(ていとく)いるんだけどね。

 

「その…………少しくらい俺に回してもいいんだぞ?」

 

「捌き方も知らないあなたが何言ってるんですカ」

 

 あ、はい、すいませんでした。正論過ぎて何も言い返せねぇ……でも、どうせ捌ける様にならなくちゃいけないんだし、少しくらい回してくれてもよくない?

 

「そう言って資材をちょろまかされたら堪ったもんじゃありませんから大丈夫デース」

 

 金剛からの信頼度が0だった模様。ひでぇな、おい。少しは信頼してくださいよ。

 

 ……まぁ、初代が彼女たちの食費をちょろまかしていたのだから無理もないか。それにあの話に乗った奴らが同じようなことをしでかしたのかもしれないし。

 

 って、そう考えると俺ってもの凄い微妙な位置に居ない?

 

 中将の話を信じるなら、少なくとも一人は上層部の提案を呑んだ奴もいるわけで。そいつが同じように帰って来て何事もなかったように振る舞いながら、提案を実行に移していったのなら……考えたくないな。

 

 そいつがいた手前、俺も同じではないかと警戒されるのは必至だろう。更に肩身が狭くなるのか……まぁ、警戒されているのは今更か。

 

 

 

「そう言えばテートク、霧島には会いましたカ?」

 

 そんなことを考えていると、不意に金剛からそんな問いが飛んでくる。思わず彼女の方を振り向くもその視線はペンを走らせる書類に注がれており、俺の様子までは見ていなかった。

 

 

「いや、知らない」

 

 咄嗟に答えると金剛はペンを走らせていた手を止め、ゆっくりと顔を上げて俺を見つめてくる。その目には、明らかに友好的ではない色が浮かんでいた。

 

「本当ですカ?」

 

「あぁ」

 

 金剛の念押しに、俺は向けられた目をまっすぐ見ながらそう言った。目を逸らしたら嘘であることがバレてしまう。ここが正念場であることは、バカな俺でも分かった。

 

 中将の物言いから察するに、恐らく彼はあの話を俺以外にはしていないだろう。あの会議が終わったらそのまま鎮守府に帰されるか、はたまた上層部との今後の話し合いが行われるだけで、そこにあの中将(タヌキ)が積極的に口を出す筈もない。それはつまり、提督と霧島の接触が不可能であることを示していた。過去の奴らも、同じ質問をされたなら間違いなく『会っていない』と答えただろう。

 

 それに、俺が金剛の立場だったら霧島をこちらの情報を売った裏切り者ととらえる。俺が彼女と接触したのなら何らかの不都合な情報を得ているかもしれない、と考えても不思議ではない。もし、霧島に会ったことを認めたら、更に警戒されるのは目に見えている。これからいろいろとしようと言う矢先に警戒を強められて動ける範囲を制限されたくなかった。

 

 

 故に、『嘘』をついた。

 

 

「なら、別にいいデース」

 

 しばらく見つめあった俺たちであったが、そう声を上げた金剛が目線を逸らして再び手元の書類に目を落とす。何とか誤魔化せたか? でも、何だろう。心なしか、書類にペンを走らせる金剛の表情に暗い影が落ちた様に見えた。

 

 

 ―――――金剛は、霧島のことをどう思っているんだ?

 

 

「霧島って誰だ?」

 

「どうでもいいことですから忘れてくだサーイ」

 

 ふと浮かんだ疑問を口にするも、金剛はまるで興味などないかのようにペンを止めずに応える。これ以上の追及を拒む、と見た。口を割らせるのは無理だな。このまま押し通して無駄に警戒されるのは勘弁だし、大人しく引き下がるか。

 

「分かった。なら、ちょっくら鎮守府を見回ってくるわ」

 

「了解デース」

 

 それだけ言って俺はクルリと振り返って廊下へと続く扉に近付く。彼女自身も、これ以上俺と話す必要もないと判断したんのだろう。

 

 

「まぁ」

 

 扉のノブを回しながら、俺は独り言のように呟いた。それに応える声はなく、代わりにカリカリと言う音だけが絶え間なく聞こえるだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうでもいいことなんて、普通気にしないんだけどな」

 

 

 それだけ言って、俺は扉を開ける。廊下へ出て扉を閉めると、人知れずため息が零れた。呟きから廊下に出て扉を閉めるまで、金剛は一言も声を上げなかった。

 

 

 しかし、代わりに俺の呟きと同時にカリカリと言う音が途絶えたのは分かった。

 

 

「警戒されないように、って言ったのはどこの誰だったかねぇ……?」

 

 廊下を歩きながらそんなことを呟いて苦笑いを浮かべる。俺ってこんなにも反骨精神剥き出しだったっけ? 割と頭に血が上りやすい方だとは思うが……なぁ?

 

 これも中将(タヌキ親父)のせい……なわけないか、自重しよう。

 

 

「クソ提督」

 

 そんなことを考えていたら、横から声を掛けられる。振り向くと、いつものセーラー服を纏って神妙な顔つきをした曙が立っていた。あの襲撃事件から一週間営倉で謹慎していたハズだったが、よく考えると昨日で解かれたんだな。最後に見た数多あった傷も癒えてるのを見るに、入渠も済ませたのか。

 

 

「おぉ曙、久しぶり。しかし、本当に傷跡が無いなぁ……これも入渠のおか―――」

 

「そんなことはどうでもいい。あんたに話があるからついてきて」

 

 久しぶりに顔を合わせたことで思わず話し込もうとしたが、曙はその空気を撥ね退けてそう言い放つ。途中で話を断ち切られたことで何も言い出せない俺を尻目に、曙はそれだけ言うと俺の手を取り、反対側に向き直って歩き出した。

 

 誰もいない廊下を歩く無言のまま引っ張る曙と、無言のまま引っ張られる俺。引っ張られる時にたまに見える曙の横顔に俺は既視感を覚えた。しかし、それがどこであったかが思い出せない。

 

 

「着いた」

 

 何処で見たのかを考えている間に、曙の声と共に手が離れた。それを受けて、俺は彼女が連れてきた場所を見回す。

 

 

 そこは執務室だった。

 

「曙? いったいどうい―――」

 

「入って」

 

 執務室に引っ張ってきた理由を聞こうとするもそれを遮る様に曙が声を出て、執務室への扉を開ける。状況が読めず扉を見て固まっていると再び手を握られ、思わず振り向くと彼女と目が合う。そこで、既視感の正体が分かった。

 

 

 

 

 営倉だ。応急処置を施しているときに向けられた、自身が営倉に送られた理由を問いかけたときに浮かべていた表情だ。

 

 それが分かった瞬間、俺は彼女の言葉に従わなければいけないと思った。再度、手を引っ張る曙に従い中に入る。曙は執務室の机まで俺を引っ張っていきそこに俺を座らせ、自身は机の反対側に移動して俺と対峙した。

 

 

 しばし、沈黙が流れる。

 

 俺は無言のまま曙を見つめ、対する曙は無言のままあちこちへと視線を飛ばしながら時折こちらに向けて目が合うとすぐさま逸らす、のを繰り返していた。彼女が俺をここに引っ張ってきた意味は分からない。しかし、あちこちに視線を飛ばす曙は、あと一歩を踏み出せずに足踏みしているように見えた。

 

「曙?」

 

 そう声をかけた。その言葉に、曙はあちこちに飛ばしていた視線を俺に向ける。しばし目が合うも、それが逸らされることはなかった。

 

 

「よし」

 

 ふと、何かを決した様に曙が呟き、スカートのポケットから封筒を取り出して机の上に置いた。俺は差し出された封筒を手に取り、そこに書かれていた文字に目を通す。

 

 そこには、こう書かれていた。

 

 

 

 

 

 

『解体申請書 駆逐艦 曙』



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『艦娘(仮)』の出来ること

「解体……申請書……?」

 

 無意識のうちにそう零した俺は机に置かれたそれを手に取り、穴が開くほど見つめた。何度も何度も読み直しても、書かれている文字が変わることはない。俺の目が狂ったのか? いや、むしろそれならどんなに良かったことか。

 

 『解体』―――――それは軍規を犯した艦娘に言い渡される極刑、『艦娘』と言う存在の剥奪だ。無論、兵士の自決のように命を差し出すモノではなく、ただ単に艤装の所有権を破棄することを指すのだが。

 

 しかし、艦娘にとって艤装は海上へ出るための装備であると同時に自己の存在を示すモノだ。故に、所有権を破棄した場合は妖精と意思疎通や砲門の具現化などの『艦娘』としての能力を、そして『艦娘』であったことの記憶を全て失ってしまうのだ。それはつまり、艦娘としての『死』を意味している。因みに破棄された艤装は次の適合者が現れるまで厳重に保管されることとなるらしいから、艤装自体が失われるわけではないらしい。

 

 傍から見れば『兵器』として海上に出る必要がなくなり、一般人として世間に戻れることだから喜ばしいことと思うだろう。しかし、実際は軍の機密漏えいを防ぐために解体された者は一生軍の管理下に置かれることとなる。勿論、管理下に置かれるだけで何不自由なく暮らせると言うわけではなく、多くは鎮守府に派遣されて艦娘や提督たちの食事や身の回りの世話をすることとなると言われている。中には黒い噂もあるが、当の本人たちも分からないために確かめようがない。

 

 まぁ端的に言うと、『艦娘』として召集されたら最後、艦娘だろうが()艦娘だろうが軍と切り離されることはなく、その一生を軍のために捧げることを強いられるわけだ。

 

 その事実を、提督の俺ですら習った。当事者である曙がこれを知らない筈はない。しかも、大本営に対して決別した彼女たちが、唯一の武器である『艦娘』の能力を失ってまで軍の管理下に収まるわけがない。

 

 金剛の差し金……いや、艤装の所有権を破棄する時点で記憶を失うからそれはない。じゃあ何だ? 艦娘として生きるのに嫌気がさしたのか? まさか俺がいない間に他の奴らに嫌がらせでもされたのか?

 

「クソ提督?」

 

 頭の中でことの原因を考えていると、曙の不安そうな声が聞こえる。ふと視線を上げると、こちらを覗き込む曙と目が合う。その瞬間、バッと目を逸らされたのは言うまでもない。

 

 逸らされた視線は忙しなく動き、何かを我慢するようにキュッと下唇を噛み締めている。その表情のまま、曙は片腕を忙しなくさすっていて、その腕や肩、身体全体が小刻みに震えていた。

 

 あの攻撃的な視線と歯に衣着せぬ物言いからは想像も出来ないほど挙動不審な曙。ここまで委縮しているのは営倉以来か。取り敢えず、何故解体を申し出た理由を聞かないとな。

 

 

「……何でこれを?」

 

「それは……」

 

 なるべく警戒されないように、苦笑いを浮かべて曙に問いかける。それに曙は逸らしていた視線を上げ、俺を見据える。そして、自嘲染みた笑みを浮かべてそう零し、視線を下げる。

 

 

 

 と同時に、片腕を上げて俺に向けてきた。

 

「ッ!?」

 

 すぐさまで机の裏に身を隠し、条件反射で頭と耳を覆った。固く目を瞑って迫りくる爆風を……って、この反応も板についてきたな。案の定、爆風も轟音も来ない。曙にしてやられたか。

 

「い、いきなり砲門を向けてくるなよ」

 

 そう愚痴をこぼしながら机の裏から這い出して曙を見て、思わず眉を潜めた。

 

 

「……何してるんだ?」

 

 そう声を零す俺の目の前には俯きながら俺に腕を向ける曙、その腕に艦娘の代名詞とも言える砲門が無いのだ。俺の問いに、曙は何も答えずただ腕を向けるだけであった。

 

 

「……ないの」

 

 不意に、曙が口を開いた。あまりに小さな声で、初めの方が良く聞こえなかった。

 

「曙?」

 

「出せないの」

 

 再び問いかけた時、今度ははっきりとそう言いながら曙は顔を上げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「砲門が……出せないの」

 

 笑みを浮かべてそう言い切った曙。それと同時にその目から一筋の涙がこぼれた。その言葉の意味をすぐには理解できなかったが、理解した意味の重みを知るのにそう時間はかからなかった。

 

 

 砲門を出せない―――それはつまり『艦娘としての能力を失った』と言うことだ。

 

 

「……出せないのか? 砲門が……艤装は!! 他の艤装は大丈夫なのか!?」 

 

 食いつく勢いで発してしまった俺の言葉に曙は何も言わず、上げていた腕が糸が切れる様にダラリと垂れた。それは、『肯定』を表しているように見えた。

 

「……無理なのか?」

 

「他の艤装は大丈夫よ」

 

 曙の言葉に、俺は安堵の息を漏らした。艤装を付けられると言うことは艦娘そのものの能力を失ったわけではない。ただ、攻撃手段である砲門の具現化が出来なくなっただけ。

 

 では、何故砲門を出せなくなったのか。思い当たる節と言えばあの件――――――潮を砲撃して営倉に叩き込んだ件か。

 

「俺のせい……か」

 

 潮を砲撃した時、俺は曙を守るためとは言え自身を助けてくれた艦娘を営倉に叩き込んだ。勿論、命令違反と仲間への砲撃っていう罪状はあったが、俺や彼女たちの命と天秤にかけたらどっちが重いかなんて決まっている。それを分かっていながら、それを自身の浅はかな考えで捻じ曲げた。

 

 曙はあの状況下で被害を最小限に抑えた。それは褒められるべきことだが、俺はそれを評価することなく切り捨てた。営倉で色々と言ったが、結局は自身の行動を正当化するだけの言い訳。そこに、曙の気持ちを汲み取ってやることが出来なった。それが彼女のトラウマになる可能性も加味せずに。

 

 提督である俺が、唯一の戦力である艦娘の砲門(きば)を抜いてしまったのだ。まとめ上げる、なんて言った矢先にこれだよ。提督失格だな。

 

 

 

「それはないわ」

 

 不意に飛んできた言葉に、俺は思わず頭を上げた。そこには、涙の痕を残しつつも真顔でこちらを見つめる曙の姿。彼女はその顔で俺を一瞥し、一つ溜め息を零して肩をすくめた。

 

「あの時、あんたが叩き込んでくれたおかげで今は他の子とも普通に喋れるし、目の敵にされるようなことはないわ。上司としては私情挟みまくりのクソ采配だけど、少なくともあたしは周りから浮くことはなかった。結果が目論見通りになったからそれでいいじゃない。あと、仮にそうなら今ここで大人しくしていると思う?」

 

「……確かに、お前なら問答無用で殴りかかってきそうだ」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべた曙のたしなめるような言い草に、場違いだとは思いつつも俺は軽口を返す。それは、思わず出そうになった安堵の息を隠すためだ。

 

 人間とは現金なもので、責任を被ることを恐れ、逃げようとし、逃げ切ったり、第一にそれがないと分かると、真っ先に安心してしまう生き物だ。俺も例外に漏れず、俺が原因と言うことを真っ向から否定してくれて安心してしまった。それを隠そうとするのも、俺が汚い人間なのだと言う証拠だろうな。

 

 そんな俺の軽口を受けた曙は意地悪っぽい笑みを浮かべたまま「お望み通りにしてあげようか?」なんて言って指を鳴らし始める。自分から振っておいて、なんてことは流石に言えなかった。

 

 話を戻そう。営倉に叩き込まれたことが原因ではない、他にあるとすれば……。

 

 

 

「潮か?」

 

「……さぁね」

 

 俺の問いに、曙は笑みを崩さないまま顔を逸らしてそう答える。しかし、『潮』と言う言葉を聞いたとき、その顔に一瞬深いシワが刻まれるのを見逃さなかった。

 

「大丈夫、あの子の吹き飛んだ手も綺麗に治ったわ。とはいっても、新しい手に慣れるまで出撃に出ずにリハビリに専念してるみたいだけどね」

 

 俺から視線を外し何処か遠くを、正確には遠くでリハビリに励む妹を見るような目をする曙。リハビリについて断言していないのを見るに、あれ以降顔を合わせてないのだろう。

 

 まぁ……当たり前か。リハビリが必要なほどの重傷を、自らが負わせてしまったのだから。

 

「あんたを助けるため……じゃなくて、あたしの危険を回避するためって言う理由はどうあれ、あたしは潮を――――自分の姉妹を撃った。それは、どれだけ理屈や屁理屈を並べようと決して覆ることは無い。勿論、あんたを助けることや危険を回避するためにあの子を撃ったことが間違いなんて思ってないわ。でも、『正しいことをした』と言う理由で頭が正当化しても、『姉妹を殺しかけた』と言う理由で心が正当化しないの……何でかしらね?」

 

 そう語る曙の肩は小刻みに震えている。その一言一言を吐き出す際に、どんな心情であるのかは分からない。しかし、それは彼女の苦渋に満ちた表情が物語っているような気がした。

 

 頭が正当化しても、心が正当化しない、か。今考えると、艦娘としての素質は妖精と言葉を交わすことが、つまり妖精と心を通わせることが出来ること、そして訓練を受けることで艦娘としての意識が開花する、これもつまりは戦艦と心を通わすことだ。

 

 それって、艦娘の素質は能力とか思想とかじゃなくて『心』が一番重要であることを示しているのかもしれない。故に、姉妹を殺しかけたって言う罪悪感が『心』に響き、砲門が具現化できなくなった。

 

 

 ……何だよ。艦娘って、人間(おれら)よりもよっぽど『心』を持っているじゃねぇか。

 

 

「……話が逸れたわ」

 

 呟くように零した曙は机の上に置かれている解体申請書を掴み、俺に見せびらかす様にヒラヒラさせる。

 

「私たち、艦娘は深海棲艦から海を奪還し最終的には全て駆逐することが役目。そのためには、奴らを砲撃する砲門が必要不可欠。でも、あたしはそれを出せなくなった、『艦娘』としての存在意義を失ったの。砲撃も出来ない艦娘なんかただの穀潰し、うちの場合はその重さもデカいわ。なら使えない艦娘は解体する、これが相応の対応でしょ?」

 

 そこで曙は言葉を切り、真っ直ぐ俺を見つめてくる。その目は、俺の腹の中まで見透かされているようだった。

 

「もちろん、解体された後に何が待っているのか理解しているわ。何処かの鎮守府で家政婦みたいなことをしているのかもしれないし、大本営で秘書艦みたいなことをしているのかもしれない。最悪の場合も覚悟の上よ。まぁ、あんたが艦娘(あたしたち)をどう思っているかなんて分からないわ。でも、艦娘(じぶん)のことは一番分かっている。使えない道具はさっさと処理するのが一番だってこともね。それが何よりも正しいことだって、思っていたわ」

 

 曙の言葉に、俺は言い返す言葉が思い浮かばなかった。砲撃の出来ない艦娘、それは艦娘としての意味を失った存在。そんな彼女に、このまま艦娘として鎮守府で過ごしていくのを強要できるのか?

 

 周りからはどんな目で見られると思う? 周りは轟沈と隣り合わせの戦場で戦っているのに、彼女はのほほんと鎮守府で暮らしている。その罪悪感と艦娘であるがゆえに仲間と同じ土俵で戦えない劣等感に押しつぶされてしまうのではないか?

 

 それなら、このまま解体して軍の管理下の中で暮らしていく方が幸せなのかもしれない。周りは同じような境遇ばかりだし、何より記憶が消されることで罪悪感から逃れられる。そう考えると、解体が一番いいのかもしれない。

 

 

 ……いや、待て。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思っていた(・・・・・)?」

 

 曙の言葉の中で引っかかった一言。それを口にした時、曙の顔が不敵な笑み(・・・・・)に変わる。

 

「ええ、そう思っていた(・・・・・)わ。あの時――――営倉に叩き込まれる前までは、ね」

 

 その言葉に意味を、俺は一切理解できなかった。そんな顔をしていたのか、曙は呆れた顔で肩をすくめる。

 

「あの時、あんたは敵の攻撃で傷だらけだったあたしを治療したわよね。入渠すればすぐに治るからそんなもの必要ないって言ったのに。その時、あんたなんて言ったか覚えている?」

 

 突然の曙の問いに、俺は暫し考え込んだ。

 

 

「……入渠するまで痛むから?」

 

「……そこは当てるところじゃないの?」

 

 絞り出した答えに曙は低い声でそう言いながら睨み付けてくる。いや、何かすいません。

 

 

「あの時、あんたは『そのドックに入れてやれないから、代わりに出来ることとして治療してるんだよ』って言ったのよ。思い出した?」

 

 曙の言葉に俺はあの時のことを思い出す。確か曙を営倉送りにしてしまった手前入渠させられなかったから、せめて傷の痛みを少しでも抑えるために治療しに行ったんだっけ。案の上、曙は応急処置で使った布を剥いでいたからちょうどいいみたいなことを思ってたな。

 

「そして、営倉にカレーを持ってきた雪風が言っていた『あんたがカレーを作った』ってのも。あれってつまり、あの子にカレーを食べさせていたのよね? 傷ついた艦娘の治療にお腹を空かせた艦娘にご飯を作るとか、提督とは思えない行動よね」

 

「仕方ないだろ、あの時はあれしか出来なかったんだし……」

 

「そう、それよそれ」

 

 曙の小馬鹿にするような言葉に、俺は思わず口をとがらせてそう返す。その言葉に曙は俺を指さしながらそう言ってくる。

 

「『あれしか出来なかった』――――それってつまり、出来ることをしたってことよね? それがたまたまご飯を作ったり治療をすることだったってだけで、他にもたくさんあるんでしょ? そして、それはあんたじゃなくて他の人でも出来ること。つまり、砲門を出せない艦娘(・・・・・・・・)でも出来るわよね?」

 

 その言葉に俺は思わず曙の顔を見る。そこには、金剛に決断を迫られて困惑した顔でも、潮を砲撃してしまった時の助けを乞う顔でも、営倉で理不尽を押し付けられた理由を問う顔でもない。

 

 

 

「だから、あんたに……いえ、提督(・・)に質問させていただきます」

 

 そう言った曙はピシッと姿勢を正し、申請書を持つ手を後ろにして片手を額の前に持って行って敬礼のポーズをとる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今、自分に出来ることは何なのでしょうか? お手数ですが教えていただきたいです」

 

 そう宣言する曙の顔には、一片の曇りもない。表情から迷いを感じさせない、己の行動が正しいと確信している、立派な軍人の顔だった。

 

 

「自分は、『敵を倒す』と言う艦娘の役割以外のことは何も分かりません。しかしそれが出来なくなった今、自分は仲間や鎮守府のために出来ることを少しでもやりたいのです。そんな望みを持つ、敵を倒せない自分でも出来ることがあるのでしょうか? あるのであれば、僭越ながら教えていただきたいです。仮にないのであれば、ここで解体の旨を。貴方は提督、我らの提督です。この艦娘――――いえ、『艦娘だった』自分に何が出来るのか、教えていただきたいのです」

 

 そう言いながら、彼女は後ろに隠していた解体申請書を前に掲げ、その両端を掴む。その行動が、曙の力強い言葉が、決意の炎に燃える目が。そのすべてが、彼女の覚悟を表していた。

 

 ここで解体を申し付ければ、彼女は進んで解体されるだろう。恐らく、笑顔を浮かべて解体される。それで終わりだ。尾を引くものもない。しかし、曙はここまで覚悟を見せてくれた。それに応えない、と言う選択肢を選べるのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

「結構しんどいが、それでもいいのなら」

 

「望むところよ」

 

 俺の言葉に、すぐさま曙の声と紙が引き裂かれる音が同時に響いた。幾重にも響く紙を引き裂く音。やがてそれは鳴り止み、曙の足元には無数の紙きれがヒラヒラと舞い落ちた。そこに外から風が舞い込み、紙切れは舞い上がる。

 

 舞い上がった紙から曙へと視線を戻す。決意に満ちた顔を向けてくる曙は、次にかけられるであろう言葉を今か今かと待ち構えているようであった。それを察して、俺は初めて指示を出す――――

 

 

 

 

 

 

 

「前に、まずは破り捨てた紙を片付けないとな」

 

「締まり悪いわぁ……」

 

 俺の言葉に、そう愚痴をこぼしながら執務室を箒で掃く曙。いや、破り捨てたのお前だから。それが風に乗って執務室中に散らばったわけだし。

 

「と言うか、曙ってどういう立ち位置なんだ? 『艦娘』なのか?」

 

「あぁ……どうなんだろ。解体されてないから一応『艦娘』なのかしら? でも、砲撃も出来ないから『艦娘』とは言い難いし……面倒くさいから『艦娘(仮)』でいいんじゃない?」

 

 いや、そっちの方がよっぽど面倒くさいわ。なんだよ『艦娘(仮)』って。正規版とは違います、ってか? いや、待てよ? 『艦娘』ではないのなら、『曙』って名前ではなくなるんだよな? だったら、他の名前を考えた方がいいよな。

 

 

 

「曙、お前の真名ってなんだ?」

 

「へ?」

 

 俺の問いに、曙はそんな声を上げながら固まってしまった。

 

「いや、艦娘って真名っていう名前があるんだろ? 『艦娘(仮)』なんだし、艦名以外で呼んだ方が区別がつくかなって思ったんだけど……」

 

 そう言葉をつづけるも、曙は一切反応せずに固まったまま微動だにしない。あれ、どうしたの? てか、心なしか身体中が赤くなっていくような……。

 

 

「い、いきなり何言ってんのよォォォォ!!!!」

 

「うおっ!?」

 

 突然叫び声を上げた曙は顔を真っ赤にしながら手にした箒を俺目掛けて振り下ろしてくる。それを間一髪のところで避ける。目標を逃した箒は床に叩き付けられた。凄まじい音と共にバキッと言う音が。それに背筋に寒気が走る。

 

「ストップ!! 曙さんストップ!! い、一旦落ち着こうぜ?」

 

「うっさい!! このクソ提督がァァァ!!!!」

 

 俺の言葉に耳を貸さない曙は先が折れた箒、要するにただの棒を振り回して俺に迫ってくる。いや、いくら女の子でもそんな物騒なもん振り回されちゃ逃げるしかないでしょ!! 誰か、助け―――。

 

 

 

「しーれーぇ!!」

 

 そう叫ぼうとしたら、元気な声と共に突然ドアから雪風が飛び込んでくる。突然のことに俺と曙は固まり、飛び込んできた雪風はすぐさま起き上がると俺に近寄ってきて袖を掴んできた。

 

「やっと見つけましたよぉ。しれぇ、金剛さんに報告しに行ってからいつまで経っても帰ってこないんですもん。雪風、待ちきれなくなって探したんですよぉ? さぁ、早く食堂に行きましょう!!」

 

 袖を引っ張りながらそう言ってくる雪風。いや、どんだけ食い意地張ってるんですかねこの子。そんなことを考えていると、雪風は俺や曙、そして暴れたせいで荒れ放題の執務室を見回して首を傾げた。

 

「と言うか、お二人は何をしてるんですか?」

 

「え、いや、その」

 

「くくく、クソ提督ぅ!! おおおおお、覚えてらっしゃい!!!!」

 

 俺が言い淀んでいると、顔を真っ赤にした曙がそう叫びながら逃げる様に執務室を出て行った。ご丁寧に箒の残骸を残してだ。おい、片付けていけよ。

 

「しれぇ?」

 

「何でもない、ちょっと話をしていただけだ」

 

 更に問いかけてくる雪風にそう言って、俺は放置された箒の残骸を回収する。こりゃ、新しく買わないとな。

 

 

「痛ぇ!?」

 

 そんなことを考えていると、不意に足を蹴りつけられた。割と強めに蹴られて痛むも、すぐさま蹴りの犯人の方を振り向いて睨み付ける。

 

 

「雪風!! いきなり何するんだ!!」

 

「さて、何のことですかぁ? 雪風は知りませんよぉ?」

 

 俺の言葉に雪風は頭の後ろで腕を組みながらそんなことを言ってきやがる。何だ? 反抗期かこの野郎?

 

「では、雪風は先に食堂に行って席を取ってきます。しれぇも早く来てくださいねぇ」

 

 そう言って、雪風は風の様に執務室から出て行ってしまった。いや、片付けるの手伝ってくださいよ。何で逃げるんですか? 

 

 そんなことを零しながら、一人残された俺は寂しく執務室を片付けるのであった。



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『兵器』の定義

「あぁ~疲れた……」

 

 そんな溜め息とも似つかない声を漏らしながら、俺は袋を携えて廊下を歩いている。

 

 曙の『艦娘(仮)』宣言からその暴走、雪風の足蹴を喰らった後、俺は一人いそいそと散らかった執務室の掃除をすること少し。部屋の片づけは大方終わり、後は肩に担いでいるゴミ袋を廃棄場に放り込めば掃除完了だ。

 

 まぁその後(雪風の)飯を作りにいくんだがな。帰ってきて早々この扱いとは泣けるねぇ。今の姿を見てここの最高権力者だ、なんて微塵も思われないよな。

 

 しかし、真名を聞いただけで殴りかかられるとは思わなかったな。まぁ、いきなり聞いた俺も悪かったんだろうし、真名は艦娘になる前の名前だ。それを教えたり聞いたりすることには何か大きな意味があるのかもな。

 

 まぁ、それもおいおい聞いていこう。

 

 

「お、いたいた~」

 

 そんなことを考えていると、後ろから声をかけられた。声の方を見ると、ダルそうに手を振る北上が近づいてくる。なんだ、北上から声をかけてくるとは珍しいな。

 

「なんか用か?」

 

「なんの用って、もしかして忘れちゃったの? 提督、前に約束してたじゃーん」

 

 俺の問いに北上はそう言いながらわざとらしく頬を膨らませる。はて、北上と約束した覚えはないぞ? 他に約束事言えば……。

 

 

「この前の演習だよー。1番になったら間宮アイス券くれるって話だったでしょ?」

 

 あぁ、あの襲撃された日に艦娘たちの控え室で言ってたことか。あれ、敵襲でうやむやになったと思ったんだが、正式な結果が出せたんだ。たぶん、大淀辺りの采配かね。

 

「ほらっ、これ証拠ー」

 

 そう言いながら1枚の紙を取り出す北上。その紙にはこの前の演習の結果が書かれており、北上は軽巡洋艦のグループで各項目の評価では常に上位に食い込み、総合評価は堂々の1位だった。正式な書類を表す印が押されているから、本物だろうな。

 

「ほぉー、ほとんど上位かぁ。スゲェな」

 

「へへ~ん、スーパー北上様を舐めないでよねぇー?」

 

 成績表に目を通しながら感嘆すると、北上は満足そうに胸を張る。本人は軽い口調だが、演習での無駄のない動きからまぐれ当たり(自称)で敵機の爆弾を狙撃するその腕前は確かなものだ。うちの主力と言っても過言ではないだろうな。

 

「渡したいのは山々なんだが、あれ執務室にあるんだよなぁ」

 

「えぇ~なんでよー。あの時の采配が出来たのなら北上様と廊下で出くわすかも、って分かるでしょー?」

 

「いや、無理言うなよ」

 

 ジト目を向ける俺を他所に、北上は頬を膨らませながら俺の足を小突いてくる。あの、俺ここの最高権力者なんだけど。なんで部下である北上に足蹴されているんでしょうね。

 

 しかし、雪風を待たせている食堂と執務室だと食堂の方が近いから1回戻るのが面ど……ん? ならこうすればいいじゃん。

 

 

「北上、今回は俺の飯で我慢してくれないか?」

 

「提督のご飯ー?」

 

 俺の提案に、北上は間の抜けた声を上げながら首をかしげる。反応的に悪くはない、か。このまま押し通せるか?

 

「百歩譲って俺が券を持ち合わせてなかったのが悪いとしよう。確か、あの券って間宮に渡すんだろ? ここから執務室に戻って券を取ってきて食堂に行くのと、このまま食堂に行って飯を食うのと、どっちがいい?」

 

 うちの執務室は誰の采配か分からないがこの建物の末端にあり、ドックや食堂などの艦娘が集う場所からは離れている。ここから食堂と執務室のどちらが近いと言われれば確実に食堂と言える。わざわざ遠い執務室に戻ってまた食堂に行くのははっきり言って手間だ。それなら後日渡した方がまだいい。

 

 だが、ここから食堂に真っ直ぐ行けば執務室に行くと言う手間が省け、更に雪風の飯と一緒に作ればいいと言う一石二鳥状態。ほぼ俺が得をしているのだが、北上も補給ばかりで食事に飽き飽きしてるだろうから悪くはないはずだ。それに、今後のために味を知ってもらうのもいい。

 

 まぁ、アイスが俺の飯に変わるからそれが彼女にとってメリットかデメリットかは分からないが。

 

「んー別にいいけどー何作るのぉ?」

 

 ぁー……そう言えば何作るか考えてなかったな。パッと思い付いたのがカレーなんだが、流石にそればかりだと雪風も飽きてくるよな。かといって他に作れるものは……。

 

「んー……カレーは雪風がなんて言うか……」

 

「あ、ならパスで」

 

 あ、やっぱりカレーはいやか。だよな~何度も食ってるもんな~…………へ?

 

 

 突然言い渡された拒否にすぐに北上を見る。当の北上は興味を失ったように頭を掻きながらさっさとあっちへ行こうとするので、思わずその腕を掴んだ。

 

「ちょ、何でパスするんだよ!! 悪くは無いだろ?」

 

「まぁ~悪くはないけどさぁ……」

 

 引き留めた北上にそう問いかけながら詰め寄る。北上はそう呟きながら面倒くさそうに頭を掻く。悪くないなら何で断るんだよ!! 理由を教えろ!!

 

 

 

 しかし、その言葉は北上の感情のない表情を向けられて即座に引っ込んだ。

 

「『死神』と一緒なんて御免だね」

 

 

 無表情のままに吐き出された言葉。その返答として一番適切なものが瞬時に浮かばない。故に、俺は何も言えなかった。

 

 当の北上はすました顔で俺と反対側の方を向き、何も言わずに歩き出した。しかしすぐにその足は止まり、そして何処か不満げな顔をこちらに向けてきた。

 

 

「……離してくれない?」

 

 北上はそう言いながら腕を―――――俺に掴まれた腕を見せる。

 

 

 北上の腕を掴む手の甲には筋や血管が浮き出ている。恐らく、彼女に少なくない痛みを与えているだろう。しかし、当の本人はそんなものなどみじんも感じていない。いや、感じていないフリをしているのかもしれない。

 

 いつまでも黙っている俺を見ながら、北上は掴まれた手を振りほどこうと力を入れる。それに呼応するように俺の手にも力が加わる。そのため、俺の手が彼女の腕を離れることは無い。

 

 暫し、互いの離す離されまいの駆け引きが続くも、それはため息を零した北上によって終止符を打つこととなった。

 

 

「……何? 何が言いたいのさ?」

 

 やれやれと肩をすくめながらそう問いかけてくる北上。その声色に敵意は無く、まるで駄々をこねる子供をあやす母親の様な温かさがあった。その温かみに触れ、今まで動かなかった俺の口が動いた。

 

 

 

 

「何で、『雪風』って呼ばない?」

 

「『死神』だから」

 

 恐る恐ると言った俺の問いに、北上は即答する。無表情のまま、俺の目をまっすぐ見据えて。一遍も迷いもなく、確信をもって、そう言ってのけた。

 

 

 

 

 それが、何故かむしゃくしゃした。

 

 

「……何でだよ? お前ら、初代の所業を、クソみたいな状況下を乗り越えてきた……仲間だろ?」

 

「残念、あたしは『死神』を仲間なんて思ってないよ」

 

「何でだよ!!」

 

 思わず怒鳴った。北上の襟を掴んで、壁に無理やり押し付ける。今まで飄々としていた北上の顔が歪む。しかし、それも一瞬で無表情に戻った。

 

「何で仲間じゃないんだよ!! アイツはあの時の襲撃で艦載機の群れを海上にくぎ付けにした!! たった一人(・・・・・)でだ!! アイツがいなかったら更に被害が出ていたかもしれねぇ!! あの時近くにいたお前も無事じゃ済まなかったかもしれねぇんだぞ!! アイツはお前を、俺たちを、お前たちの鎮守府を救った!! なのに……なのにお前はなんてこと言いやがる!!」

 

 雪風はあの襲撃の際、大破した長門を始め戦闘続行が不可能になった艦娘たちの殿として海上に残り、空を飛び交う無数の艦載機を海上にくぎ付けにした。勿論全ての艦載機をくぎ付けにしたわけではないし、少なくはない人数の艦娘がその凶刃に倒れたのは事実だ。

 

 しかし、仮に雪風があの場に残らずに長門と共に撤退していたら―――――それは海上の艦載機も演習場に向かっており、今以上の被害を被ったのは想像するに易い。恐らく、何人かの死者を出していたかもしれない。それが、彼女が海上で奮戦したことによって死者が出ることは無かった。

 

 もっと言えば、あの時あんなところで呑気に見物していた目の前の艦娘も艦載機の凶刃に倒れていたのかもしれない。勿論、あんな状況下で人間のくせに走り回っていた俺も含めてだ。直接的ではないにしろ、雪風のお蔭で俺たちは傷つくことは無かった。

 

 

 

 なのに、何で北上(おまえ)はそんな言葉を吐けるんだよ。

 

 

「……じゃあ、仮にあの時あたしが負傷したとして。『死神』は泣いたと思う?」

 

 いきなり怒鳴った俺を冷めた目(・・・・)で見つめてきた北上は、ため息と共に呟くような声でそんなことを問いかけてくる。その問いに、俺は更に頭に血が上るのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「んなこと当た――――」

 

 

「ありえない!!」

 

 俺の言葉は、北上の怒号にかき消された。突然のことに固まる俺を他所に、北上は怒鳴ったことで乱れた呼吸を整えている。俯きながら肩で息をする北上の表情は見えない。しかしさっきまでの飄々とした雰囲気は消え去り、代わりに煮えたぎるマグマのような熱気を感じた。

 

 

 

 己の考えが正しい――――とでも言うような、そんな熱気だ。

 

「……提督の言う通り、あたしはここに配属されてから――――初代の頃からずっと『死神』と一緒だよ。一緒に出撃や演習、遠征も行った。罵声を浴びせ掛けられたり、殴られたりした時もあった。つい先日やってきたばかりの提督と比べ物にならないほど、あたしは『死神』と時間を共にしてきた。だからこそ、断言できる。『死神』は泣かないって」

 

 北上はそこで言葉を切ると、ゆっくりと顔を上げて俺を見据えてくる。その顔はいつもの飄々とした雰囲気であったが、言い知れぬ違和感があったのは言うまでもない。

 

「『死神』はどんな時でも泣かないよ。単艦で敵の砲撃に晒されても、それによって中破や大破しても、轟沈しかけても、帰還してから初代提督に叱責されても、理不尽な理由で殴られても、存在そのものを否定されるほどの罵詈雑言を浴びせ掛けられても、罰として営倉に引っ張っていかれても、他の艦娘が同じような目に遭っても、そして……」

 

 その言葉と共に俺の袖を掴み、あらん限りの力で握りしめる北上。その表情は袖を掴むと同時に下を向き、次に聞こえたのは腹の底から絞り出すような声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分のせいで他の艦娘が沈んでも、さ」

 

 

 

 それを発した時、北上の身体が一瞬震えた。その理由は分からない。しかし、俺の袖を掴む手に加わる力が、それが悲壮感から来るものではない、と言うことを物語っていた。

 

「……提督はさぁ? 仲間が沈んだのに……それを悲しまない奴を『仲間』って呼べる?」

 

 最後の追い打ちとばかりに投げかけられた問いに、俺は答えることが出来なかった。俺の返答を待っていたのか、北上は自らを落ち着ける様に肩で大きく息をした。

 

 

「……だから、断言できるんだよ」

 

 それだけ言った北上は掴んでいた袖を離すとすぐさま俺から離れる。その顔は、違和感を感じないいつもののんびりとした表情が浮かんでいた。

 

 

 

 その表情を見て、俺は背筋に寒気が走るのを感じた。

 

 

 

「と、言うわけで。ご褒美はまた今度貰いに行くねぇ~」

 

 何も言わない俺を尻目に、北上はそう言ってクルリとあちらを向いて歩き出した。今度は途中で止まることなく、彼女との距離がどんどん広がっていく。どんどん小さくなっていく後ろ姿を、俺はただ黙って見つめるしかなかった。

 

 

「あぁ、そうそう」

 

 思いついたようにそう声を漏らした北上はクルリとこちらを振り返る。その姿を穴が開くほど見つめる俺に、北上は特に気にする様子もなく口を開いた。

 

 

「多分、この鎮守府内で一番『兵器』なのは『死神(アイツ)』だから、提督も気を付けてねぇ~」

 

 それだけ言うと北上は前に向き直って歩き出し、こちらを一切見ることなく廊下の向こうに消えて行った。その後も、俺は廊下の向こうを見つめることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「しれぇ!!」

 

 不意に後ろから声を掛けられる。振り返ると、腰に手を当てて仁王立ちする雪風が。その表情はご立腹と言いたげだ。

 

「遅いですよしれぇ!! いつまで待たせるんですか!! ほらほら、早くしないと他の人たちが来ちゃいますよ!!」

 

 そう言って雪風は俺の腕に絡みつき、グイグイと引っ張ってくる。しかし彼女は引っ張るのを止め、腕に絡みついた状態で俺を見上げてくる。

 

「しれぇ? どうしました?」

 

 不思議そうに首をかしげる雪風。いつもなら大人しく引っ張られる俺が、地面にくっついているかのように動かないからだ。

 

 

「雪風」

 

「なんでしょ?」

 

 不思議そうに見つめてくる雪風に、俺は問いかけていた。雪風は俺の言葉に絡みついていた腕から離れ、俺の正面に立ちながらそう答える。その姿を前にして、俺は喉の手前まで込み上げてきた言葉を吐きだす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、何でもない。大丈夫だ」

 

「そーですか? なら早く行きましょう!!」

 

 俺の言葉に雪風は再度首をかしげるも、すぐさまいつもの笑顔に戻って俺の腕を引っ張り始める。今度は抵抗することなく俺の身体は引っ張られるので、彼女がこちらを振り向くことは無かった。

 

 その後ろ姿を見つめながら、俺はつい先ほど喉まで出掛かった言葉を思い浮かべる。

 

 

 雪風と初めて出会った時、彼女は他の艦娘たちと違って俺に敵意を向けてくることはなく、むしろ友好的に接してきた。北上と同じ、初代提督の時代から居るのにも関わらずだ。それは、俺が上官である『提督』だからそう接してきたのだろう。

 

 また、襲撃の際、自らの危険を顧みずに艦載機を相手取り、無傷で生還。更には敵機の爆弾を誘爆させると言う離れ業で何機かを撃墜した。それほどまでに『人間』離れした戦闘力だ。

 

 そして、砲門を向けてきた潮に向けた低い声と物言い。あれは潮を『敵』と認識していたのだろう。一歩間違えれば、雪風が潮を砲撃していたのかもしれない。いや、確実に砲撃していただろう。

 

 

 最後に北上が語った、どんな状況でも雪風は泣かないと言うこと。榛名や吹雪、曙、そして自らを『兵器』と豪語する金剛でさえも涙を流した。なのに、雪風は涙を流したことが無い。それが彼女の称した、一番『兵器』に近い存在、と言う言葉を嫌でも引き立ててきた。

 

 

 今まで上げたそれらは俺の中で一つの問いかけを生み出し、それは危うく喉元まで出掛かった。引っ込められた理由は簡単、その返答が怖かったからだ。

 

 

 

 

 

 「お前は『兵器』なのか?」――――なんて、そんな問いかけだったのだから。



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提督の『計画』

「さぁしれぇ!! 着きましたよ!!」

 

 そう言いながら元気よく食堂の扉を開け放つ雪風に引っ張られ、俺は食堂に入った。

 

 時間も昼を大分回っているためか、中にいる艦娘たちはまばらだった。まぁ、そのまばらな彼女たちも俺の姿を見つめた瞬間帰り支度を始めたんだがな。もう少しで俺たち以外いなくなるだろうよ。

 

 そんな周りの空気をモノともせず、雪風はズンズンと厨房の方へと進んでいく。その後ろ姿を、俺は複雑な思いで見つめていた。

 

 

 北上の話を聞いて、俺の中で雪風と言う存在がフワフワとしたモノになった。

 

 それは、いつもの笑顔や今までの言動、そして今こうして俺の手を引っ張る彼女が、全て取り繕われたものではないだろうか、と言う不安からだ。

 

 雪風はどんな時でも笑顔を絶やさない。聞こえはいいが、裏を返せばどんな辛い状況でも同じように笑顔を浮かべていると言うことだ。仲間が轟沈した時も笑顔を浮かべている訳ではないが、自身に降りかかる理不尽な罵声や暴力、そして仲間か傷付き、轟沈していく姿を見ても、涙1つ流さないのは異常だ。

 

 

 それはまるで、感情を持たない『兵器』そのものではないか。

 

 

 しかし、その思考に待ったをかけてくるのが今まで彼女と接してきた経験だ。

 

 俺は、雪風が笑ったり、怒ったり、しょんぼりしたり、不安げに見つめたり、優しく微笑んだりする姿を見てきた。それが、取り繕っているようにはどうも思えないんだ。あれは、紛れもなく人間(おれたち)と同じものだった。そう断言していい。

 

 しかし、それも全て取り繕っているものであるかもしれない、と言う考えも無きにしもあらずな訳で。その悶々としたモノが不安となっているのだ。

 

 

 まぁ、その不安の根元である雪風は俺に屈託のない笑顔を向けてくるんだがな。

 

 

「……ご無事で何よりです」

 

 そんな俺たちを出迎えてくれたのが、低い声でそう言いながら頭を下げる間宮。彼女の纏う空気は相変わらず刺々しい。いつかその空気も変わってくれませんかねぇ。

 

「どうぞ」

 

 そんなことを考えていると、頭を上げた間宮が呟くようにそう言ってカウンターの端を上げて厨房へと続く通路を作ってくれる。まだ何も言ってないんだが、雪風を連れている時点で分かり切ってるか。

 

「サンキューな」

 

 短くそう言ってすぐさま通路から厨房に入ろうとするが、何故か間宮が素早く机を下げて通路を塞いでしまった。

 

 いや、俺の前に雪風が何食わぬ顔で厨房に入ろうとしたことが原因なのだろうが。

 

「なんで雪風はダメなんですか!! しれぇに幸運艦の実力を見せつけるチャンスなんですよ!!」

 

「そう意気込んで、この前に汚れ一つない真っ白な厨房を黄色に染め上げたのは誰だったかしら? それも後片付けもせずにどこかに行っちゃうし……あれ、私一人で掃除したんですよ? ただでさえ落ちにくいあの色をシミ一つなく落とすの本当に大変だったんですからね。そんな雪風ちゃんは当分厨房に出入り禁止です」

 

「そ、そんなぁ……」

 

 おい、聞き捨てならないことが聞こえたぞ。あの日、妙に食材が減っているような気がしたんだが、雪風のせいだったか……てか、この真っ白な厨房を黄色に染め上げたって何をどうしたらそうなるんだよ。カレーでも壁にぶちまけでもしない限りそんな状況に出来ないぞこれ。

 

 つうか、そんな奴に飯を作ってもいいのか……?

 

 しかもカレーのあの色は落ちにくいことで有名だし……いや、むしろそれをここまで綺麗にした間宮さんすげぇな。流石、補給艦。家事スキルの高さは伊達じゃないってか。

 

 そんな思考をしている俺の目の前では、間宮の出禁令を喰らった雪風がカウンターをよじ登って厨房へと侵入を図っている。無論、間宮がそれを見逃すはずはなく、呆れ顔で雪風を撃退する光景が目の前で繰り広げられるわけだが。

 

 しかし、それも不意に投げかけられた言葉によって終わりを告げる。

 

 

 

「……『補給』、お願いしてもいいかしら?」

 

 何処か疲れた声色に俺たちはその方を振り向く。そこには、膝まである赤い髪をポニーテールを憂鬱そうに揺らし、疲れが見え隠れする表情の少女が立っていた。

 

 

 ポニーテールと同じ色のアホ毛に半目開きの緋色の瞳。その瞳から――――いや、ダランと垂れた両腕やちょっと前のめりの姿勢から疲労の匂いを漂わせている。そんな彼女の服装は異様で、上は他の艦娘たちが着ているようなセーラー服の上着。なのだが、下はゴム製の黒スパッツのような……いや、これ明らかにスクール水着だよな?

 

 

 まぁ簡単に言うと、スクール水着の上にセーラー服の上着だけを着ているのだ。

 

 何? これも初代の趣味なの? 初代ってやっぱり変態だったの?

 

 

「イムヤちゃん、オリョクルお疲れさまね。この後はお休み?」

 

「残念だけど今はゴーヤの入渠待ちよ。ゴーヤの入渠と『補給』を終わらせたらまた出撃するわ。だから、4人分(・・・)お願いね」

 

 間宮の問いにイムヤと呼ばれた艦娘はため息交じりにそう応えながら後ろに目を向ける。その視線の先には、イムヤよりも疲れ切った顔で椅子に座っている少女が二人。

 

 一人は金髪碧眼、頭に水兵帽、顔に赤渕の眼鏡をかけておりその奥の瞳には疲労の色が見える。もう一人は青紫色の髪を何か説明できないような結び方でまとめており、金髪の艦娘同様その赤い瞳には疲労の色が浮かんでいる。

 

 

 そして、その二人はイムヤのスクール水着にセーラー服ではなくただのスクール水着だ。因みに金髪の子に関しては白いニーソックスを履いているし。なんだこの男の欲望をこれでもかって詰め込んだトンデモ衣装。

 

 

 やはり初代は変態だったんだな。

 

 

「潜水艦隊さん、お疲れ様です!!」

 

 今までカウンターによじ登っていた雪風は手早く降り、イムヤの元に駆け寄って満面の笑みを浮かべて敬礼する。それを受けたイムヤは疲れた苦笑を返す。何か姉妹みたいに見えなくもないな。

 

 

 ん? 潜水艦隊って確か……。

 

 

 

「襲撃の時、哨戒を怠った奴らか?」

 

 

 それが思いついたようにそう言った瞬間、その場の空気が凍る。いや、正確にはイムヤが俺に視線を向けた。

 

 

 先ほどの疲労を感じさせない、殺気に満ち満ちたを視線を。

 

 

「……あんた、新しい司令官?」

 

 先ほど話していた人と同一人物とは思えないほど冷え切った声色で、イムヤは俺に問いかけてくる。それと共に向けられる視線に、背中に冷たいモノを入れられたような寒気を感じる。そのせいで言葉を発せずに、俺はただ頷くしかなかった。

 

 

「……そう」

 

 それだけ呟いたイムヤはそれ以降黙り込んでしまう。ただ、その視線は俺に向けられたままだった。そのため、思わずイムヤから視線を外す。

 

 

 その視線は、イムヤの向こう側に座っていた青紫色の髪の艦娘の目と合った。

 

 

 

 

「ごごごご、ごめんなさいなのね!!」

 

 

 その瞬間、彼女はそう叫びながら椅子から転げ落ち、俺に向かって土下座した。突然のことに目を丸くする一同―――いや、その中でイムヤはその姿を悲し気な目で見つめていた。

 

 

「イク達が哨戒を怠ったのは事実なの!! で、でもあの時は連日のオリョクルだったの!! 寝不足で仕方がなかったの!! だから今回は許してほしいの!! お願い……お願いしますなの!! 今後、こんなことが無いようにするの!! だ、だから今回は……今回だけは許してなのぉ!!!!」

 

 そう言って何度も何度も土下座を繰り返す青紫色の艦娘――――イク。彼女が頭を下げる度にゴンッ、と言う鈍い音が響き、その度に彼女の額は赤く染まっていく。

 

「ハチからも……お願いします」

 

 そう声を漏らしたのはいつの間にかイクの隣でへたり込んでいる金髪の艦娘―――ハチだ。彼女は土下座をしない。その代わり、その顔には彼女ぐらいの年頃の子が絶対に浮かべることが出来ない悲痛に満ちた表情を浮かべている。

 

 

「こんなことをお願いするのはお門違いだって分かってます。他の皆からすれば都合が良すぎることも、無責任であることも重々分かってます。……でも、でも今回だけは……今回だけは見逃してもらえませんかぁ? ハチ達はもう……」

 

 

 そこで言葉を切ったハチの瞳から、大粒の涙が零れた。

 

 

 

「痛いのはもう……嫌なんです……」

 

 

 その次に聞こえたのは小さな嗚咽だった。ハチは顔を下に向け、必死に手の甲で涙を拭い始める。横のイクもいつの間にか額を床に着け、小さな嗚咽と共に身体を震わせていた。

 

 彼女たちが今までどのような()を受けたのか想像するに易い。ましてや、それが彼女たちに深い傷を負わせたと言うことも痛いほど分かった。しかし、これから更に彼女達を傷付けることになるかもしれない、と言う不安もあった。

 

 だがしなければならない、と決意し声を掛けようとした時、俺の視線にフワリと揺れる赤い髪が映った。

 

 

 

「……罰ならイムヤが受ける。だから、この子達には手を出さないで」

 

 

 そう言って、床に崩れる二人を守る様に立ちはだかるイムヤ。その顔には他の二人のような悲痛の色は浮かんでいない。

 

 

 ただ、純粋な殺気を、俺に向けてくるだけであった。

 

 

 

「残念だが、それは出来ない」

 

 

 そんな三人の様子に、俺はそう言葉を吐きだした。その瞬間、イムヤ達の動きが一瞬止まる。そして、次に聞こえたのは2つの泣き声。

 

 

「……二人に手を出さないで」

 

 

 唯一、言葉を発したのはイムヤ。その目には先ほどよりも強い殺気が窺える。

 

 

「確かにお前たちは連日の……オリョクル? まぁ、たぶん出撃で疲労が溜まっていたのは分かる。それで敵空母を見逃してしまったのも仕方がないと言える。が、そのせいでうちの鎮守府は甚大な被害を受けた。その大きさはこの後も駆り出されるお前らが一番分かっているはずだよな? それに曲がりなりにも俺はここの提督。俺はこの鎮守府とここに所属する艦娘、及び周辺住民の安全を確保する義務がある。だから、今回他の艦娘や周辺住民を危険に晒したお前らを罰しなくちゃならない。そうしないと俺も納得しないし、周りも納得しない。分かるな?」

 

 

 そこで言葉を切って問いかけるも、それに応える者はいなかった。相変わらず殺気を惜しげもなく向けてくるイムヤを尻目に、俺は更に口を開いた。

 

 

「それに、今回お前らは潜水艦隊として動いていた上で敵を見逃した。これは一人の責任ではなく、艦隊全員の責任だ。一人安全地帯でのほほんとしている俺が言うのも何だが、お前たちは命を張り合う戦闘を主にしている、そこで1人のミスが艦隊全体に影響を及ぼすほどの甚大な被害に繋がるか分かるな? 些細なミスが艦隊の全滅をも引き起こす、それを心得させるために連帯責任だ。だから、お前だけ罰を受けるのは無しだ。お前ら全員、同等の罰を受けてもらう。そして―――」

 

 

「そんなことは分かっているわ!! さっさと……さっさと言いなさいよ!! 今度は何をさせるつもり!? モノによっては容赦しないわよ!!」

 

 俺の言葉を遮ったのは犬歯を剥き出しにして吠えるイムヤ。しかし、その言葉とは裏腹にその目から先ほどの殺気は消え失せ、代わりにイクやハチよりも悲痛に満ちた表情を浮かべていた。唇から血が流れているのは、歯を食いしばった際に噛み破ったのだろうか。それほど、彼女にのしかかってくるものだったのだろう。

 

 その姿を前にして、俺は大きく息を吸った。

 

 

 

 

 

 

「明日の朝、食堂に集合してくれ」

 

 

 

 俺の言葉にイムヤの表情が崩れる。目尻に刻まれたしわ、固く結ばれた口許が僅かに緩み、悲痛に満ちた表情から鳩が豆鉄砲を食らったような顔に変わる。

 

 

「は?」

 

「聞こえなかったか? 明日の朝、食堂に集合だ」

 

 何秒か遅れたイムヤの呆けた声。その様子に改めて同じこと告げるも反応はさほど変わらない。ただ呆けた表情のまま首をかしげるぐらいだ。

 

「お前らは哨戒任務を怠り大勢を危険に晒した。その罰として、明日の朝食堂に集合するように」

 

「……何するの?」

 

 俺の言葉にイムヤが声を漏らす。先程までの呆けた表情から不安げに上目遣いで見つめてくる。

 

「悪いんだが、秘密事項だから詳細までは言えない。取り敢えず、今言えるのは人手が欲しいって事だけだ。詳細は明日の朝、集合したときに必ず話す」

 

 そう言うと今まで上目遣いだったイムヤの目から光が消え、疑心に満ちたモノに変わる。信用できない、と言う気持ちが痛いほど分かった。

 

「ただ1つ、言えることがある」

 

 その視線を受けた俺はそう言って膝を折り、イムヤと同じ目線になる。突然のことに動揺する彼女を真っ直ぐ見つめ、口を開いた。

 

 

 

「初代がお前らに課したことは、絶対にしない」

 

 

 俺の言葉を聞いたイムヤの目が大きく見開いた。そして、彼女の口許が微かに緩む。

 

 

 しかし、次の瞬間イムヤは弾かれたように立ち上がる。いきなりのことに驚いて何も言えなかったが、立ち上がった時に彼女の緩んでいたその口許が固く結ばれたのは見えた。

 

「間宮さん、『補給』を」

 

 俺を一瞥することもなくそう言ったイムヤは後ろで泣き崩れているイクとハチに駆け寄り、二人を立たせたる。イムヤによって何とか立てた二人だったが、嗚咽を漏らしながら手の甲で何度も顔を擦っている。

 

「ほら、もうすぐゴーヤの入渠が終わるわ。3人で出迎えてあげましょ? ね?」

 

 子供をあやすような優しい声色のイムヤに背中を押され、二人は間宮が用意したトレイを受け取る。それを見届けてイムヤは残った二人分のトレイを受け取り、間宮に頭を下げて食堂の出口に向けて歩き出した。

 

「お、おい」

 

「大丈夫」

 

 思わず声をかけると、有無も言わさないと言いたげな声色のイムヤが遮ってくる。その言葉と共に、彼女は初めて見たときの疲れた表情を向けてきた。

 

 

「明日の朝、食堂に集合でしょ? 分かってるわ。命令だし、すっぽかすようなことはしないわ」

 

 それだけ言うと、イムヤはイクとハチを引き連れ食堂を後にした。その姿が見えなくなったから、俺は思わず大きな溜め息をこぼした。

 

「ちゃんと来てくれるかね……」

 

「大丈夫です!! イムヤさんは来てくれますよ!!」

 

 独り言に元気よく答えてくれる雪風。その頭を軽く撫でる。ふとその視線の先に、机を上げて厨房へと続く通路を作って待っている間宮が見えた。

 

「ナイス!!」

 

「えっ!? ああっ!!」

 

 そう言いながら雪風の頭から手を離した俺は素早く厨房へと続く通路に滑り込む。数秒遅れて雪風が走り込んでくるも、間宮によって既に通路は塞がれてしまっていた。

 

「酷いですよしれぇ!! 雪風を一人除け者にして!! 入れてください!! 雪風もそっちでお手伝いしたいですぅ!!」

 

「恨むんなら、あの時後片付けをしなかった自分を恨むんだな。あと、それ以上ごねると飯無しにするぞ?」

 

 その言葉を言った瞬間、あれだけ騒いでいた雪風の叫び声がピタリと止んだ。その代わり、雪風はカウンターに顎をついて頬を盛大に膨らませていた。

 

 

「しれぇのために作ったカレーだったんですよ……」

 

「なら、作ってやるから大人しく待ってろ」

 

 雪風の言葉にそう軽口を叩く。それに雪風は益々ご立腹の表情を向けてきたが、知らないフリ知らないフリ。

 

 

「では、あとはお願いします」

 

「あ、ちょっと待ってくれ」

 

 それを見届けた間宮がそう言ってそそくさと奥に引っ込もうとするのを呼び止める。間宮は俺の言葉に足を止め、クルリと振り向いて不機嫌な顔を向けてきた。

 

「何ですか?」

 

「悪いんだけど、ちょいと知恵を貸してほしい」

 

 不機嫌な顔の間宮にそう言いながら、俺はポケットから封筒を取り出して彼女に差し出す。それを受け取った間宮はブスッとした顔で封筒を開け、中の資料を取り出して目を通し始めた。

 

 無言のまま目を通す間宮。しかし、目が進むごとに彼女の表情が不機嫌から驚愕へと変わっていく。

 

「て、提督!! こ、これは!!」

 

「すまんな、俺の頭じゃ良い案が浮かばなくてよ……それ(・・)の扱いなら間宮の方が慣れているからな。頼めるか?」

 

 資料を手にそう声を漏らす間宮。その顔には驚愕の表情を浮かべており、資料を掴む手は心なしか震えている。まぁ、今まで微塵も考えていなかったことをいきなり頼まれちゃ驚くのも無理ないか。下手したら拒否されるかもしれないし。まぁ、もし断られても土下座して頼み込むつもりだから彼女に拒否権はほぼ無い。

 

 理不尽だと罵られても仕方がないだろう。だが、今回の件はどうしても彼女の手が、この鎮守府で食事の一切を任された彼女だからこそ必要なのだ。そのためなら多少の条件なら何でも呑むつもりだし、最悪俺も手伝うつもりだ。

 

 

 

 あれ、提督の仕事って飯作ることだっけ?

 

 ってか間宮からの反応が一切無いんだけど。そんな衝撃的でした? それとも不本意過ぎて言葉が出ないとか? どちらにしても土下座かな。

 

「あの、間宮……」

 

 恐る恐る間宮の方を振り向いた俺はそこで言葉を失った。

 

 

 

 間宮の目から涙がこぼれていたからだ。

 

 

「ちょっ、間宮さん!?」

 

「提督……」

 

 予想外のことに慌てて駆け寄ろうとするも、間宮の絞る出すような声と、その姿に足が止まってしまった。

 

 目の前の間宮は資料に顔を埋めており、隙間から見える口元は歯を血が出るのではないかと心配になるほど食い縛っている。顔を埋める資料は有らん限りの力で握り締められためにクシャクシャになっており、それを握り締める手や肩、身体全体が時おり聞こえる嗚咽と共に震えているのだ。

 

 先程までのふてぶてしい態度からの変わりように何も言えないでいると、資料から顔を上げた間宮がいつになく真剣な顔つきで見つめてくる。その頬には筋のようなものが幾つも刻まれていた。

 

「これはいつまでにお渡しすればよいのでしょうか?」

 

「え、あ、き、今日中に頼めるか?」

 

 淡々とした口調で投げ掛けられた質問にたどたどしく答えると、間宮は「分かりました」と短く呟くとすぐさま踵を返して歩き出してしまった。

 

 あまりの変わりようにボケッとその姿を見つめる俺を尻目に、間宮は時おり袖で顔を拭う仕草をしながら進んでいく。しかし、奥の部屋へと続くドアの前で立ち止まる。

 

 何事かと思って身構える俺に、間宮はクルリとこちらを振り向いて姿勢を正した。

 

 

 

 

「ありがとうございます」

 

 そう言って、間宮は満面の笑みを浮かべながら頭を下げる。彼女はすぐさま顔を上げ、ドアに向き直ってその奥に消えていく。

 

 

 頭を上げてから消えていくまで、その顔に浮かんでいた満面の笑みが崩れることはなかった。

 

 

「……作るか」

 

 そう言って、俺は包丁を握った。



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提督代理の『矛盾』

「やっぱりしれぇのカレーが1番です!!」

 

「そいつはどうも」

 

 スプーンを握りながらにこやかな笑顔を向けてくる雪風。真っ正面から称賛の言葉を聞かされるのはむず痒いものなんだが……そんなカレーまみれの顔を向けられてもねぇ。

 

「ほれ」

 

 溜め息を付きながら紙ナプキンを雪風に投げ渡す。紙ナプキンを受け取った雪風は不思議そうな目を向けてきたので、俺は無言のまま自分の口許を差した。

 

 ジェスチャーから惨状に気づき、彼女は急いで口許を拭うも広範囲だったためにナプキンはすぐさま黄色に染まってしまう。その様子にすぐさま追加の紙ナプキンを手に取った。

 

「ここに……いらしたんですねぇ……」

 

 一生懸命拭う雪風に残りのナプキンを押し付けた時に後ろから声を掛けられた。振り返ると、膝に手を置いて肩で息をする和服姿の艦娘が一人。

 

 

「榛名か、どうした?」

 

「……お久しぶりです」

 

 俺の言葉に榛名は大きく数回深呼吸をして乱れた息を整えながら笑顔を向けてきた。しかし、その額に汗が浮かんでおり、まだ肩で息をしている。緊急の用か?

 

「先ほど、吹雪ちゃんが提督を探していましたよ」

 

「吹雪が?」

 

 吹雪って、あの演習の時に土下座して懇願してきた艦娘だよな。

 

 初対面の上にいきなり土下座をされたからよく覚えているが、まともに言葉を交わせずにそのまま別れてそれ以降顔を合わせたことは無い。まともに会話したとは言い難く、ハッキリ言ってしまえばそこまで接点は無いのだ。そんな接点のない俺を走り回って探しているってのは、一体何事か?

 

 

「何でも、急ぎの用でお話したいことがあるらしいですよ。提督がお帰りになったと聞いて真っ先に執務室に向かったらしいですが、ちょうどいらっしゃらなかったようで……その後、ずっと鎮守府内を探し回っていたみたいです。先ほど会った時に提督の自室に行くよう勧めたので、恐らく今はそこに居ると思います」

 

 俺が帰ってきてからずっと探し回っていたとは……吹雪には悪いことをしちまったなぁ。しっかし、鎮守府内を探し回るほどの火急の用ってなんだ? まぁ、ともかく今は彼女と話をすることが先決だな。

 

「雪風ちゃんにも言伝を預かっていますよ。工廠の妖精から『艤装ノ整備デ相談アリ。至急、工廠二参ラレタシ』、です」

 

「艤装の整備ですかぁ? 雪風はいつも通りでいいんですがねぇ……?」

 

 榛名が受け取った工廠の妖精からの言伝に雪風は若干面倒くさそうな顔になる。いや、面倒くさがっちゃいけないだろ。そんな理由で整備を怠って、いざ戦場で不調起こして大破、なんて目も当てられない。装備の手入れは自身の身を守ることだ、絶対に手を抜くもんじゃねえだろう。

 

「艤装はお前の身を守るもんだろ? 馬鹿なこと言ってないでさっさと行ってこい」

 

「……しれぇに言われちゃ行くしかないですねぇ……では、行ってきまーす」

 

 雪風の手から汚れたナプキンを受け取り工厰に行くよう促す。それに雪風はばつの悪そうな顔を浮かべるも、そう言いながら敬礼をして食堂を出ていった。

 

 ……ちゃんと工厰行くかねぇ? 後でちゃんと行ったか確かめておこう。

 

「では、早く行きましょうか」

 

「そうだな……ん? 榛名もついてくるのか?」

 

 いつの間にか腕を掴んでグイクイ引っ張ってくる榛名の言葉に、俺は流されそうになりながら問いかけた。初めて会った時はまだ鎮守府内を把握してなかったし、初めて来た駆逐艦の宿舎だったからお願いしたが、流石にもう食堂から自室までなら一人で行けるぞ。ここで榛名がついてくる理由が分からん。

 

「実は、私も提督にお話があって探していたんです。そしたら吹雪ちゃんも探していたので出直そうかと思ったのですが、このまま提督のお部屋で二人まとめてお話すればそこまでお時間も取られないかと思いまして……駄目でしょうか?」

 

 何故か上目遣いで首をかしげてくる榛名から俺は思わず視線を外す。そんな間近で見つめられると気恥ずかしくなるから仕方がないだろう。

 

 しかも榛名は顔が整っている分その振る舞いも絵になるわけで、ついこの間まで男ばかりの軍学校に居た手前そう言うのには慣れていないんだよ。

 

 って、そんなことはどうでもいい。榛名も用があるのなら後でまた時間を見つけて話すよりもこのまま部屋に行って二人の話を聞いた方が良いな。

 

「では、早速行きましょう!!」

 

 俺が納得するのを見届けた榛名は顔を綻ばせて元気な声を上げる。やけにテンションが高いな、なんて感想を抱きながら俺は彼女に引っ張られながら食堂を後にした。

 

 

 自室に向かう途中、榛名は俺が大本営に出頭している間の鎮守府の出来事を話してくれた。

 

 襲撃による資材確保で奔走したこと、傷付いて動けない艦娘の世話をしたこと、『補給』される資材が切り詰められて満腹にならなかったこと、それによって空腹で眠れない駆逐艦を寝かしつけたこと、時には自分の『補給』分を分け与えたりしたことなどなど、聞いていて心が痛むものばかり。

 

 

 そんな胃がキリキリする話の中で特に驚いたのが、吹雪が金剛に噛み付いたことだ。

 

 

 俺の記憶が正しければ、あの時の吹雪は金剛を責めないようにと懇願してきた。そのためならどんな無茶なことでもすると豪語したあの吹雪が、自らの身を削ってまで守ろうとした金剛に噛み付いたのだ。これは驚かずにはいられないだろう。

 

 主に遠征と哨戒組の吹雪と別だった榛名はそこまで詳しいことは分からないのが、遠征組や哨戒組の艦娘の伝聞、そして先程本人に出会った際に聞いたらしいから信憑性は高い。

 

 そんな信じられないような話の発端は、金剛が組んだ遠征や出撃、哨戒のローテから始まる。

 

 当時、金剛が組んだローテーションは鎮守府に所属している全艦娘が1日2回ほど何らかの任務を行うように、任務の合間には十分な休息を取れるように出来るだけ時間を離すなどの配慮がされていた。更には、バケツなどの資材以外のモノを見つけてきた者には次の日のローテーションに口を挟めるなどの優遇処置をしたそうだ。その分『補給』は切り詰められていたが、報酬などで艦娘たちの中から不満の声を上げる者はいなかった。

 

 しかし、その中で吹雪は、無断でローテーション以上の出撃や遠征、哨戒を行っていたらしいのだ。しかし無断で任務をこなすのはまだ可愛い方で、時には無理言ってローテーションを変えてもらうことすらあったのだとか。そして、遠征に行ってバケツを持ち帰る度に金剛に出撃回数を増やすように進言していたらしい。

 

 更に、彼女は『補給』や休息すらも必要最低限をギリギリ超えるか超えないかのラインまで削っており、時には『補給』せずに任務にあたることもあったそうだ。只でさえ少ない『補給』を更に減らし、『補給』が少ない分重要になる休息を十分に取らず遠征や哨戒を行っていたのだ。そんな無茶をしても倒れなかったのは艦娘であるが故か。しかし、それを何日も続けるといくら艦娘と言えども倒れるのは必須だ。

 

 事実、吹雪はここ何日もの凄く疲れ切った顔だったようで、それを見た他の艦娘たちが休息をするよう促すも彼女はそれを聞き入れることはなかった。

 

 

 

 その時、口にした言葉が、「私は『兵器』だから」―――だとか。

 

 

 勿論、そんな疲れ切った吹雪の姿を黙っているわけもなくすぐさま金剛に報告。報告を受けた金剛によって、今日のローテーションから吹雪を外されることとなった。それに憤慨した吹雪は自ら金剛に直談判し、そこで口論になったらしい。

 

 まぁ、結局は金剛に言い含められて鎮守府待機を受け入れたようで。納得の行かない様子だった吹雪は俺が帰って来たことを知り、現在に至るのだとか。

 

 

「そんなことがねぇ……」

 

「まぁ、吹雪ちゃんが遠征の度に見つけてきてくれたバケツのお蔭で、傷付いた子達の入渠が予定より早く済んで本当に助かったんですけどね」

 

 吹雪の話を聞き終え俺はため息をつく。横の榛名も内容が内容だった手前、苦虫を噛み潰したような顔になっている。吹雪の言動には賛同出来ないが、そのお陰で入渠のスピードが上がったのだから一概に吹雪を責められない、ってことか。

 

 

 だけど、一つ気になるのが、吹雪と口論になった金剛の方だ。

 

 

 金剛は自らを含め、艦娘を『兵器』だと言い張っている。その根底にあるのは、入渠無しの連続出撃、『補給』と言う名の食事制限、難癖による暴行や伽、そして過度な進撃による轟沈などの初代が彼女や他の艦娘に行った蛮行だ。そんな扱いしか受けていないために、彼女はそれが当たり前だと思っているのかもしれない。むしろ、潜水艦の出撃を見るに、根底には初代の扱いが少なからず染み付いているのだろう。

 

 そして、吹雪は出撃ローテから外されたことに、自分の疲労なんか考えずに出撃させろと抗議した。それはつまり、自らを『兵器』として扱うよう金剛に言ったのだ。『兵器』の扱いが初代のモノと近い金剛からすれば、その発言は非常に都合がよかっただろう。何せ、疲労や損傷を考えずに出撃させてもいい、自らをこき使えと言っているのだから。

 

 

 しかし、金剛はそれを拒否した。『兵器』としての扱いを望まれたのに、だ。

 

 

 何故、彼女が拒否したのかは分からない。彼女の『兵器』の考え方が、吹雪の望んだことと違っていたのは十分あり得る。それにあれだけの扱いを受けてきたのだから、彼女の『兵器』の考え方は初代の扱いを真っ向から否定しているのかもしれない。しかし、なら何故初代が強制した『補給』を続けているのか、と言う疑問が出てくる。

 

 金剛が飲んでいた紅茶に関してもそうだ。他の艦娘は弾薬や鋼材などの資材の食事を強制しているのに、彼女だけは紅茶を飲んでいる。それはつまり、資材の食事を強制されて自らは夜な夜な街へ繰り出して豪遊の限りを尽くした初代と同じことをしていると言える。それならば初代のやり方を継承しているとしよう。しかし、今度は疲労や損傷を考慮したローテーション組み、そして伽の廃止などが上がってくるのだ。これをどう説明しよう。

 

 

 つまるところ、金剛の言動には一貫性がなく、矛盾が多いのだ。

 

 

 今の体制は、初代が敷いたものから必要ないモノを選んで廃止にしただけであろう。つまり、今も続けられている物は何らかの理由があるものと言える。その理由は運営する上で必要不可欠なモノ、『補給』に関しては大本営との交流が途絶えているために資材以外の食い扶持が無いためと考えられる。疲労や損傷を考慮したローテーションも貴重な資材をおさえるためと言えよう。運営的な面から見れば少なからず矛盾の説明がつこう。

 

 しかし、それでも説明できない矛盾もあるわけで、それについては金剛や他の艦娘たちの個人的な見解が根底にあるのだと思う。それがどれだけ重要なモノなのかは分からない。まぁ、傍から見ればどんなに理不尽な我が儘であっても、当人にとっては非常に重要なことであるのは違いない。

 

 こればっかりは、本人たちと話さなければならない。差し詰め、今回はその第一回目と言えるか。

 

 そんなことを考えていたら自室へと続く廊下に差し掛かる。ここからならもう部屋の扉を目視出来る距離だ。そうして自室の方に目を向けるも、そこに吹雪の姿は無かった。

 

「あれ、吹雪は?」

 

「おかしいですね……また探しに行ったのでしょうか?」

 

 部屋へと近づいていく中で榛名に問いかけるも、彼女も不思議そうに首をかしげるだけであった。まぁ、いないのなら仕方がないか。先に榛名の方を済ませてしまおう。

 

 そう結論付けた俺は部屋の鍵を開ける。因みにこのドアはあの時に蹴り破ったモノだが、次の日の内に元通りに直っていたっけ。雪風曰く、『うちの妖精さんは優秀なんです!!』とか。

 

「さ、入ってくれ」

 

「いえいえ、提督より先に入るなんて出来ませんよ!! ドアは榛名が閉めますから先に入ってください!!」

 

 ドアを開けて中に入るように促すも、何故か慌てたように榛名がそう言って逆に促してきた。いやいや、普通上官に入るよう促されたら従うもんだろよ。そう諭しても頑なに入ろうとしない榛名。

 

 いい加減に……って、なんか部屋の中が散らかってるな。いや、俺の部屋は執務室に家具を回したせいでベッドしかないんだけど、そのベッドが何かすごいことになってるんだよ。

 

 シーツはベッドの上で盛大にめくれ上がっており、枕はカバーを剥がされてベッドの下に転がっている。毛布に至っては、粗大ごみにでも出すかのように丸められてフローリングの上に転がっている始末。何これ新手の嫌がらせですか? 『お前のベッドねぇから!!』とでも言いたいの?

 

 

「……榛名、ベッドがすごいことになっているから掃除してもいいか?」

 

「え? ……あ、はい!! 榛名は大丈夫です!! おおおお、お手伝いします!!」

 

 俺の言葉に榛名は部屋の中を見ると何故か小さく息を呑み、そう言いながら慌てて部屋に走りこんだ。頑なに拒んでいたのにどうしたんだ? まぁいい、早くやっちまおう。

 

 

 

「忘れてたぁ……」

 

 ん? 何か今スゴイ不穏な言葉が聞こえてきたんだけど気のせい?

 

 

「榛名、『忘れてた』ってどういうことだ?」

 

「へ!? なななな何でもありませんよぉ!!」

 

 シーツを直しながら俺が問いかけると、何故か引くほど狼狽える榛名。視線は宙を右往左往しており、額からは大量の汗が滲んできている。明らかに何かを隠している……って言うか、もうこの時点でビンゴだろ。

 

 

「ここで何をしていた?」

 

「それは……その……」

 

 再び問いかけると言葉を濁しながら視線を逸らす榛名。否定しないってことは、この惨状を作り出したのは榛名とみていいだろう。一体何が理由だ?

 

「理由は何だ? 金剛にでもそそのかされたか? それともまた―――――」

 

 そこで、俺の言葉は途切れた。

 

 

 

 後ろから強烈な衝撃を受けたからだ。

 

 

 いきなりのことに対応できず頭からベッドに倒れこみ、ベッドの縁に額をぶつけた。脳に直接響く衝撃と激痛、そして背中から軽快な音が聞こえ、一瞬意識が飛びかけるのを何とか堪える。そして、片手で額を押さえながらもう片方の手を背中に伸ばす。

 

 背後からの衝撃、そして今なお背中にかかる重み。明らかに何者かがぶつかり、そのまま倒れこんできたのだ。そんなことが出来るのは現状、一人しか居ない。

 

 

 

 

「榛名……何のつもりだ?」

 

 首を限界まで背中の方に回しながら低い声を出す。その言葉を投げかけた当の本人は、俺の背中に身を預けながら顔を埋めるだけでうんともすんとも言わない。むしろ、何故か背中に顔を摺り寄せてくる。

 

「おい! はる――」

 

「ようやく二人っきりになれましたね……楓さん(・・・)

 

 俺の言葉は呟くような榛名の言葉に遮られた。いや、正確には彼女がいきなり下の名前で呼んできたのに驚いたのだ。

 

「榛名は……榛名はこの時をずっと待っていました……」

 

 そんな言葉と共にもたれ掛かっていた榛名の身体が背中から離れた。しかし、腰の辺りで馬乗りされているため、動くに動けない。

 

 次に聞こえたのはスルスルと布が擦れ合う音。それと共に背中に軽い布のようなものが触れる感触が。

 

 

 

 

 

 

 それらから連想されるもの――――『伽』。

 

 

 

 

「え!? ちょっ、ま!? まままま、また金剛にどやされるぞ!!」

 

「別に構いませんよ? お姉様も、きっと分かってもらえますから」

 

 『伽』と認識した俺は力任せに身体を動かして背中に乗る榛名から逃げようとする。しかし、腰に体重を乗せられている、且つ絶妙な体重移動でことごとく俺の動きを抑制する榛名によってその拘束から逃れられない。

 

 焦る俺の耳にそんな涼し気な榛名の声が、そして布がこすれる音が聞こえる。それを聞くたびに、下手に後ろを振り返れなくなって俺の可動範囲(主に首の)が制限されていく。そんな俺も思いも裏腹に、積み重なる布のような感触は重量を増していた。

 

 

 てか、このままいったらまた変な誤解を生むじゃねぇか!! これ以上、死亡フラグを立てるのは御免だぞ!!

 

 

「待って榛名!! 待ってくれ!! お、俺は『伽』なんか望んじゃいねぇんだよ!!」

 

「……何を言っているのですか? これは『伽』ではありませんよ?」

 

「押し倒されて服を肌蹴させ始めている時点で『伽』以外に何があるんだよぉ!!」

 

 榛名の疑問に叫ぶようにそう応えた。すると、後ろから息を呑むような声が聞こえ、同時に背中にのしかかっていた重みが消える。これぞ好機、ととらえた俺はガバっとベッドから飛び退いてドアへと走り出す。

 

 

 

 しかし、その瞬間、首根っこを掴まれて襟が勢いよく喉仏に食い込んだ。一種の呼吸困難に陥り、激しくせき込む。その余波で全身の力が抜けた俺の身体は真後ろに引っ張られ、背中から勢いよく柔らかいモノに突っ込む。

 

 それが毛布、先ほど紐で縛られていた毛布だと理解する前に、前方に黒い影が掛かる。それが何かと認識する前に、俺は本能的に顔を手で覆った。

 

 

「『伽』と勘違いするなんて、楓さんは酷い人ですね」

 

 次に聞こえたのは榛名の声。気のせいか、いつもより上擦っているような、そして荒い息遣いが微かに聞こえてくる。

 

 

「金剛型戦艦三番艦、榛名」

 

 その言葉に俺は背筋に寒気が走った。その言葉は、前に榛名に『伽』を迫られた時の言葉と同じだったからだ。思わず起き上がって彼女を止めようとした時、その顔が目に入った。

 

 

 

 目を半開きにさせて顔を上気させた彼女が、目の前に放り込まれた餌を見つめる獣のような表情をしている。色々と突っ込みたいところはあったのだが、そこに悲壮感はない。あの時とは比べ物にならないほど魅力的な表情の榛名がそこにいた。

 

 

 思わず見惚れていると、彼女はその表情のまま口をゆっくり動かした。

 

 

 

 

 

「提督との『初夜』、参ります」



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艦娘たちの『お願い』

「しょ……や?」

 

「あ、初夜の場合は『遥南(はるな)』でしたね。間違えてしまいました」

 

 俺の呟きに、榛名……いや、遥南? どっちだ? ……もうどっちでもいいや。ともかく彼女は申し訳なさそうに肩をすくめながらそう言ってくる。しかしそんな言葉と裏腹に彼女は既に上着を脱ぎ終え、その豊かな胸部装甲を覆うサラシへと手が掛かっていた。

 

 これをどう表現していいのか。取り敢えず、思い浮かんだのが『やる気満々』だ。

 

 

 ……ウン、待ッテ。ヨーク考エルンダ。『初夜』ノ意味ヲ、モウ一度考エテミヨウ。

 

 

 「初夜」―――――夫婦となった男女が過ごす初めての夜。或るいは戌の刻。現在の午後8時ごろ。宵の口。また、その時刻に行う読経、等々。

 

 その中でこの状況に合う意味は何だろう。いや、間違いなく一番初めのヤツだ。それしか考えられない。では、今度はそれについて考えてみよう。

 

 「夫婦となった男女が過ごす初めての夜」――――

 

 まず、親類に8帖間ぐらいのダブルサイズの布団と2組の枕、そしてティッシュが置かれた部屋に肌着で放り込まれる。放り込まれた二人はしばらく布団の上で向かい合って正座し、視線を逸らしながらしばらく無言でいるしかない。

 

 長くはない時間が経つと、やがてどちらかが意を決した様に己の肌着を肌蹴させて生まれたままの姿となり、いそいそと布団に入る。片方は相方の行動、そして生まれたままの姿を前に頬を赤らめて視線を逸らすも恥じらいながらも同じような姿になって布団に入り込む。

 

 

 そして、そのまま……

 

 

 

 

 

 

 

「二人仲良く寝落ちするんですね、分かります」

 

「私は昨日たっぷり寝たので大丈夫です!!」

 

 必死の現実逃避の末導き出した答えは、目を輝かせた遥南(そう名乗っているから)の力強い一言によって粉砕されてしまう。いや、むしろそんな時間からことに及ぼうとしていること自体がおかしいんですがそれは。

 

 しかも時間帯的に誰かが通るかもしれないじゃん!! この光景見られたら俺の提督人生は愚か社会的生命が絶たれる!!

 

「たとえ楓さんが社会的に落ちぶれようとも、この私が御支さえするので安心してください!!」

 

「いやそう言う問題じゃないからこれ!!」

 

 俺の言葉に遥南は更に目を輝かせてそんなことをのたまってくる。いや、何でさっきよりも目の輝きが増してるんだよ!! あとその発言やめて!! 何か怖いからやめて!!

 

「てか、まず何で俺とお前が夫婦になってんだよ!! そんなこと決めた身に覚えはねぇぞ!!」

 

「何言ってるんですか? つい先日、契りを交わしたばかりではないですかぁ」

 

 俺の疑問に遥南はおかしそうに笑う。そして、彼女はその笑顔のまま自らの胸部装甲を守っていたサラシを一気に解き放った。その瞬間、俺の目の前に彼女の豊かな胸部装甲が――――――

 

 

 

「見てない!! 俺は何も見てないぞォォ!!」

 

 とっさに両手で顔を覆い、目を固く瞑ることで何とか直視を避けることに成功した。よし、このまま何も見ずに説得すれば切り抜けられるぞ!!

 

「楓さん」

 

 しかし、次に聞こえたのは冷え切った遥南の声。その瞬間、両手首を掴まれて力任せに横にずらされる。突然のことに思わず目を開くと、目の前には無表情で見つめ返してくる彼女の顔があった。

 

 

 

 

 

 

 

「女性の身体を目の前にして、顔を覆うのは失礼じゃありませんか?」

 

 囁くように吐き出された言葉。その言葉と感情が読めない表情に背筋に寒気が走るのを感じた。このまま反抗したらただでは済まない、そう本能が察知した。

 

「流石の私でも傷付きますよ?」

 

「あ、はい。すみません」

 

 念を押す様な彼女の言葉に、俺はそう言いながら素直に頷く。それに遥南は満足そうに笑みを浮かべて頷いた。

 

「ようやく、ちゃんと目を見て話してくれましたね」

 

 俺が真正面に向き合ったことがそんなに嬉しいのか、先ほどよりも遥南の声色が若干高い。いや、真正面に向き合ったと言うか、そこしか見れないと言うか……もし視線を外せば俺の中で何かが壊れる気がして視線を外せないだけなんだが。

 

 

「では、まず定番の口づけですね」

 

 そう呟いた遥南は目を閉じた。そして、少し唇を尖らせて、ゆっくりと近づいてくる。抵抗しようにも先ほどの視線で牙を抜かれて出来ず、尚且つ視線が彼女の顔以外に向けられない俺はだんだん近づいてくる彼女の顔を見ることしか出来ない。ヤバい……このままじゃ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あの~」

 

 そんな危機的状況の中で、か細い声が聞こえた。俺と遥南は咄嗟に声の聞こえた方―――扉の方に目を向ける。

 

 

 そこにはドアの陰から半身を出してこちらを覗き込む割烹着姿の艦娘―――――間宮だ。

 

 

 その顔やドアを掴む手は真っ赤に染まり、直視できないとばかりに半分だけ開いた目をあちらこちらに飛び交わせている。ドアの陰から紙の束が入ったファイルが見える。多分、さっき頼んだモノを渡しに来たのだろう。そして、この光景に遭遇してしまったのだ。

 

 

 

 同時に、俺の社会的生命が失われた瞬間でもあった。

 

 

 

「な、何をして……いるの?」

 

「見ての通り、楓さんとの『初夜』ですよ」

 

「ま、まだお昼間なんだけど……」

 

 精一杯絞り出した間宮の言葉に、遥南は何故か自慢げにそう応える。そして、若干論点が外れたツッコミをかます間宮。違う間宮、そこじゃないんだツッコむのは。

 

「楓さんとの私の間に、時間など関係ないのです!!」

 

「せ、せめてドアに鍵ぐらい閉めてやってくださいよぉ……」

 

「むしろ間宮さんはノックをして開けて下さいよ」

 

「そ、それは……」

 

 遥南の鋭いツッコミに、更に顔を赤らめて口ごもる間宮。あぁ、そう言えば鍵閉めてなかったわ。でも当然だよ、だってこんなことになるなんて思わなかったんだからな!!

 

 

「と、ともかく!! そ、その……提督と榛名さんは……『そう言う関係』?」

 

「はい、私と楓さんは『真名を交わし合った仲』です」

 

 間宮の問いに、遥南は自信たっぷりと言った表情でそう返す。てか、『真名を交換し合った仲』? それに一体何の関係が?

 

 

「そ、そうなの……なら、し、仕方がないわね……」

 

 遥南の言葉に間宮は手に持ったファイルで顔を覆い、そのまま俺の方を向き直った。と言うか仕方がないって何? この状況を容認しちゃったの?

 

「そ、その……頼まれていたモノが出来たので持ってきたのですが……で、出直してきますね……ご、ごゆっくり!!」

 

 叫ぶようにそう言い放った間宮はドアの陰に引っ込む。そのまま廊下を走る音が聞こえ、やがて消えてしまった。残された俺と遥南はしばし間宮が消えて行ったドアに視線を注ぐ。

 

 

 と言うか、ようやくこの状況に至った経緯が分かった。

 

 

 

 

 

「『真名を伝える』ことに、『夫婦になる』って意味があるのか」

 

「本当に知らなかったんですか? これ、必須な知識ですよ?」

 

 俺の問いに、遥南は少し残念そうに呟く。うん、本当に知らなかった。でも必須ってことは学校で教えられたのかもしれない。そんな記憶、これっぽっちもないけどな。

 

「私でよろしければお教えしましょうか?」

 

 ようやく頭が追い付いたことに若干の達成感を感じていると、残念そうな表情の遥南がそう問いかけてきた。このまま『真名』の持つ意味を知らずに艦娘たちと接していくのは危険だ。まして、今回みたいなことがあるかもしれないし、そのリスクを摘み取れるのであればここで聞いた方がいいな。

 

「頼む」

 

「……分かりました」

 

 俺の言葉に遥南は拘束していた俺の両手首を開放し、溜め息をこぼしながら語り出した。

 

 

 『真名』とは、遥南たちが艦娘になる前の名前、つまり人間時代の名前のことを指す。そして、この真名は艦艇時代の記憶を受け継いだ度合いに限らず、艦娘全員が覚えており、そして共通の認識を持っているのが特徴だ。その理由は確かではないが、解体された際に後の生活に支障が起きないように覚えているのではないか、と言う見解が通説となっている。

 

 その中で一番重要なのが、真名を口にするケースだ。普段俺が見ているように、艦娘たちは真名ではなく艦艇の名前で呼び合っている。つまり、普段は艦艇の名前で呼び合い、真名を呼ぶのは極めて特別な事でない限りは呼ぶことはないのだ。そのため、姉妹艦ですら互いの真名を知っているのは珍しいことだとか。それほど、真名は他者に認知されることがないらしい。

 

 しかし、それは裏を返せば真名を知ることや聞くこと、教えることには多大なる意味があることを示している。

 

 真名を知ることはその艦娘の全てを知っていると言っても過言ではないらしく、艦娘にとって自身が特別な存在であると言う証になるのだとか。そして、聞くこと、教えることは相手に対して絶対的な信頼、または忠誠を寄せていることを伝えることであり、更にはこんな意味も含まれている。

 

 

 

「プロポーズ?」

 

「はい、『ケッコンカッコカリ』のです」

 

 俺が首をかしげるのを見て、遥南は頭を抱えながら話を続けた。

 

 

 『ケッコンカッコカリ』とは、提督と練度が最大までなった艦娘との間に交わす特別な契約みたいなモノで、そこで固く結ばれた絆が艦娘に更なる力を与えるのだとか。その効果は艦娘の更なる練度や火力や回避などなど身体能力の著しい向上、そして何よりも艦娘自身のモチベーションの向上が期待できる。

 

 しかし、やはり一番はカッコカリと謂えども提督と言う大切な人と結ばれたと言う事実であろうか。

 

 

 そんな艦娘にとって己の力、そして大切な人と絆を示す『ケッコンカッコカリ』の条件が、提督が大本営から送られてくる指輪を送ること、そして提督との間に絶対の信頼を向けることを示す『真名』を交わすことなのだ。

 

 つまり、艦娘に『真名』を聞いたり教えたりすることは、その子にプロポーズをしていることと同義なのだとか。そして、そこで『真名』を、提督の場合は本名を伝えるのは、プロポーズを受ける事になるらしい。

 

 

 ……いや、何でこんなこと知らなかったの俺。めちゃくちゃ重要事項じゃねぇか。

 

 

「因みに、『ケッコン』後は互いを『真名』、もしくは本名で呼び合うのが普通だったりします。これは他の艦娘に『ケッコン』していると言う事実をそれとなく伝えるためです」

 

 最後にサラリとすごいことを囁いた遥南。さっき、間宮が狼狽えていたのはこれが原因だったって訳か。

 

「そっか、ありがとう」

 

「いえ……大丈夫です」

 

 長々と説明してくれた遥南――いや、榛名か。ともかく彼女にお礼を述べると、彼女は苦笑いを浮かべていた。肩を竦めている辺り、よほど俺が『真名』の意味を知らなかったことがショックだったのだろう。

 

 当たり前か、俺は『真名』の意味を知らずに本名を伝える、つまり榛名のプロポーズを受けちまったわけだ。これは互いのすれ違いが産み出した状況であり、俺にその意志が無かったことを表している。ある意味、この状況を抜け出せる糸口を見つけたことになるからなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

「まぁ、別に良いんですけどね」

 

 え、なんて? って問い掛ける前に榛名が再び両手首を拘束して顔を近づけてくる。待て!! この話は互いのすれ違いで終わったハズだろ!!

 

「うぉい!! 今回はお前の勘違いだって分かっただろうが!!」

 

「そんなもの、後回しで構いません!! 楓さんとの絆を育めばどうとでもなりますから!! 今は『絆』と言う種を芽吹かせることが大事なんです!!」

 

 艦娘にとって『真名』の重要性を話した後になんてこと言いやがる!! さっきまでのしんみりとした雰囲気を返せ!!

 

 

 榛名の暴挙に抵抗しようといた時、何かを思いっきり叩き付けた様な凄まじい音が鼓膜を叩いた。突然のことに俺や榛名は動きを止め、同時に音の方を向く。

 

 

 

 

「お楽しみ中のところ悪いんだけど、ちょ~っといいかしらぁ?」

 

 そんな甘ったるい声色で問いかけてきたのは、完璧な笑顔を浮かべて扉の前で仁王立ちしている曙。いや、完璧な笑顔なんだけど、その後ろに般若っぽいモノが見えたのは気のせいかな?

 

 そしてよく見ると、彼女の足元のカーペットに靴底の痕がくっきりと見える。恐らく、曙がその場で足を振り下ろした際に出来た痕だろう。さっきの音もその時のものと思われる。そんな明らかにご機嫌斜めな曙に、榛名は何事もなかったかのように涼しい顔を向けた。

 

 

「曙ちゃん、どうかしたの?」

 

「いやぁね? 吹雪にそこのクソ提督を探してほしいって頼まれたのよ。何処かの誰かさんに執務室(・・・)に行くよう言われたらしいけど、一向に来ないからってね。そして見つけたらこの光景よ。地団太も踏みたくなるわよね?」

 

 榛名の問いに曙は柔和な口調で応えるも、やはり言葉の節々に棘、と言うか黒い何かを感じる。てか、何処かの誰かさんに執務室に行くよう言われたってのは……。

 

 

「榛名―――」

 

「今日は来客が多くて大変ですね~。『初夜』はまた今度にしましょうか」

 

 俺がジト目を向けるよりも前に立ち上がった榛名は散らばっていた衣類を素早く回収して、そそくさと出て行こうとする。しかし、その前に曙が立ち塞がった。

 

「待ちなさい、『初夜』ってどういう意味よ」

 

「文字通りの意味ですよ? 榛名と提督はそう言う関係です」

 

「違う!!」

 

 榛名の爆弾発言にすぐさま反論するも、当の曙は般若を従えた視線を榛名から俺へと移す。明らかに疑っているな。でも、俺と榛名には何もないぞ!! それを証明する何かを見せないと……。と、そんなことを考えていると、不意に榛名が曙にズイッと近づき、その耳元で何かを囁いた。

 

 

 

「ッ!? ば、バカなこ―――」

 

「では、失礼しますね~」

 

 榛名が囁いた瞬間、曙が弾かれた様に後ろに飛び退き、悪態をつこうとする。そこに出来た一瞬の隙を突いて、榛名は曙の脇をすり抜けて廊下に躍り出た。彼女はすぐさま捕まえようとする曙の手を余裕の笑みで躱すと、手をヒラヒラとさせながら歩いて行ってしまった。

 

 残されたのは突然のことについていけてない俺と、真っ赤な顔で榛名が消えた廊下を睨み付ける曙。やがて、廊下に向けられていた視線が動き、俺に注がれる。

 

 

「違う!!」

 

「まだ何も言ってないんだけど」

 

 向けられた視線の鋭さに思わず叫んでしまった。いや、確かに何も言ってないけど目が語ってるんだもの。『本当に榛名とは何もないんだろうね?』って。取り敢えずここで変に目を逸らすと疑われかねないから逸らさないでおく。

 

 

「……まぁいいわ」

 

 俺と曙の無言の見つめ合いは、そう言って視線を逸らした曙によって終わりを告げた。何とか、信じてもらったみたいだな。

 

 

「で、榛名さんとは本当にそう言う仲じゃないのね?」

 

 と思ったら払拭できていなかったようだ。くそ、榛名のヤツ……とんでもない爆弾を投下していきやがって。

 

「あれは榛名の勘違いだ。そんな仲じゃねぇよ」

 

「そ、そう……」

 

 改めて否定すると、曙はそう呟いてプイッと視線を逸らしてしまう。あれ、さっきまで背後に般若を従えていたあの勢いは何処に行ったんだ? それに心なしか顔が赤い気が。

 

「顔赤いぞ? どうした?」

 

「え!? い、いや、その……さ、さっきのことなんだけど……」

 

 俺の問いに明らかに狼狽える曙。さっきのこと? はて、何かあった……。

 

 

 

 

 

 

 ―――――「曙、お前の真名ってなんだ?」――――――

 

 

 頭の中にこの言葉が浮かんだ瞬間、俺の前身と言う全身から血の気が引いた。

 

 そう言えばついさっき曙に『真名』を聞いたんだった。それってつまり曙にプロポーズしたってことじゃねぇか!! ヤベェよ!! 色々とヤバい!! 何んとなく思い付きで聞いちまったからそんな深いことまで考えてねぇよ!!

 

 てか、これって倫理的にもヤバい!! 曙みたいな子供にプロポーズとかヤバいだろ!! 確実に憲兵にしょっ引かれる!! 俺はロリコンじゃねぇ!!

 

「え、えっと……その……」

 

 頭の中で憲兵の魔の手から逃れる方法を模索している前で、曙は身体をモジモジトさせながら視線を泳がせている。

 

 てか、これって曙さんに素直に言えばいいのか? 俺が無知でした、そう言う意味で言ったわけではありません、って。そうすれば曙に他意が無くて純粋に名前を聞いただけだってことも伝わるし、曙の証言で憲兵にしょっ引かれることもない。これだ、これしかねぇ!!

 

 

 

「わ、私の真―――」

 

「すいませんでしたァァァァ!!!!!」

 

 

 意を決した様な曙の言葉を遮るために吠える様に声を上げ、その場に土下座する。

 

 

「あの時調子乗って真名を聞いたんだけど、実はその意味を知らなかったんだ!! ただ、純粋に『曙』以外の名前が無いのかって思っただけで、決してプロポーズとかが目的で聞いたわけじゃないから!! 曙をからかおうなんてことも考えてない!! でも、今回の行動は軽率、お前の提督として有るまじき行動だった。本当に申し訳ない!! もし、これで嫌な想いをしたなら謝る、提督とかそんなの関係なしに全力で謝る!! 今、俺はどんな暴言だって受け入れる覚悟だ!! 今ここで気の済むまで暴言や罵倒を吐いてくれてもいい!! だから、本当に何も他意はなかったんだ!! 信じてくれ!!」

 

 

 口に任せてそこまで言い切って、俺は額をカーペットにこれでもかと擦り付けながら曙に頭を下げる。頭を下げる俺の頭上では息を呑むのが聞こえ、しばし無言が続いた。

 

 そして、次に聞こえたのは呆れた様な溜め息であった。

 

 

「……分かった、信じる」

 

「ほ、本と―――」

 

「顔上げたら許さないわよ」

 

 曙の言葉思わず顔を上げそうになるも、次に降り注いだ冷え切った言葉にすぐさま額を床に擦り付ける作業に戻る。そんな俺の姿を見てか、またもや頭上からため息が聞こえた。

 

 

「一つ、約束よ。今後、こういう軽はずみな言動はしないこと。分かった?」

 

 何処か疲れた様な声色の曙。今回の件で、大分考えさせてしまったか。今後、気を付けないと。

 

 

「あぁ、分かった……ありがとうな」

 

「べ、別に良いわよ……たいしたことでもないし。私が出るまで顔上げちゃダメだからね」

 

 俺の言葉に口ごもった曙の声が聞こえ、それはカーペットを踏みしめる足音に変わる。多分曙が部屋から出て行こうとしているのだろうが、出るまで顔を上げるなって言われている手前それを確認することはできない。

 

 

「あ、曙ちゃん?」

 

「ふ、吹雪!?」

 

 突然聞こえた第三者、と言うか吹雪の登場に思わず顔を上げそうになるも、曙の言葉を思い出して何とか堪える。吹雪の声色から察するに、ドアの陰にでも隠れていたのだろうか?

 

「い、いつからそこに……」

 

「えっと、曙ちゃんが顔を上げるなって言ったところから……と言うか大丈夫? 顔、耳まで真っ赤だよ?」

 

「ッ!? だ、大丈夫よ!!」

 

 吹雪の指摘に曙の叫び声、そしてドタドタと走っていく足音。それはどんどん遠ざかり、やがて聞こえなくなった。

 

「あの、司令官?」

 

「曙は行ったか?」

 

「あ、はい。大丈夫ですよ」

 

 吹雪の言葉を受けて、俺はようやく顔を上げる。そこには苦笑いを浮かべている吹雪だけで、曙の姿は何処にもなかった。やはり走っていったのは曙だったか。

 

「えっと、何があったんですか?」

 

「俺の軽率な行動で曙に迷惑をかけちまってな。頭下げてたんだよ」

 

「……司令官が艦娘相手に頭を下げるなんて聞いたことないですよ」

 

 俺の言葉に苦笑いを浮かべながらそう呟く吹雪。いや、上官だろうとも非があることは謝るのが筋だろう。まぁ、目的は曙の誤解を解くためと憲兵にしょっ引かれた時の対策だけどよ。

 

「それよりも、俺を探して走り回っていたんだっけ? 手間かけさせて悪かったな」

 

「いえ、いきなり訪ねたのは私の方ですし」

 

 苦笑いを浮かべてそう言った吹雪は、すぐさま表情を引き締めて背筋を伸ばし、足を揃えて直立して軍人らしくビシッとした敬礼をする。

 

「特Ⅰ型駆逐艦、吹雪型1番艦の吹雪です。今回、司令官にお話があり、訪ねさせていただきました」

 

「あぁ、榛名と曙から聞いている。まぁ、その内の一人にかどわかされたけどな」

 

 俺の言葉に敬礼しながらも表情を崩す吹雪。しかし、すぐさま表情を引き締めて俺を見つめ返した。冗談を言ってる余裕はないってことか。

 

「で、話ってなんだ?」

 

 そんなピリッとした空気を感じて表情を引き締めた俺が問いかける。吹雪は俺の問いを受けて一つ深呼吸し、意を決した様に口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「現在、秘書艦兼提督代理を務めている金剛型戦艦1番艦、金剛。彼女を、その座から引きずり降ろしていただきたいのです」

 



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旗艦の『苦悩』

「ん……」

 

 目に強い光が照らす不愉快さを覚え、私はゆっくりと目を開いた。

 

 強い光の中にボンヤリと見えたのは少し染みが付いた布で覆われた四角いモノ――――2段ベッドの上段にあるマットレスだ。未だ冴えてない頭を振って、窓から降り注ぐ朝日に目を向ける。

 

 まだ太陽が山裾にある。夜が明けて間もないのか、小鳥のさえずりもそこまで聞こえてこない。それ以外に音は無く、まだみんな寝静まった時間帯だ。なんでこんな時間に起きちゃったのかな。

 

 そんなことを思いながら、私――――伊168、イムヤは上体を起こし、両手をゆっくり上げて伸びをする。ボサボサの赤髪が顔にかかるが、未だにぼーっとしている頭には括ろうと言う選択肢は浮かんでこなかった。

 

 

 ようやく血が巡ってきたことで徐々に覚醒していく脳に、真っ先に浮かんだのは昨日の一幕だ。

 

 

 昨日、資材確保のために幾度となく駆り出されたオリョクル――――オリョールクルージングの合間、食堂で『補給』を受けた時に出会った新しい提督。大本営から新たに提督が着任したのは聞いていたが、実際に会って話すのは初めてだ。しかも、開口一番に言われたのが『あの日』のことだったから、思わず睨み付けたんだっけ。

 

 

 あの日―――鎮守府に敵艦載機が襲撃して甚大な被害を被った時、私たちは鎮守府近海の哨戒任務に就いていた。

 

 

 私たち潜水艦は、常に水中に留まる且つそのまま移動できることで敵の索敵に引っかかりにくい、戦闘時に水中に潜ることで戦艦や空母の攻撃を受けない、『補給』や入渠時の燃料や弾薬の消費が著しく少ない等の特性を持つ艦娘。故に、私たちはその特性を生かした偵察や奇襲、製油所地帯沿岸やバシー島沖、東部オリョール海などの資材が手に入る海域での資材確保が主な役割だ。特にうちの鎮守府は資材が食料になるためにその重要性は高く、1日に幾度となく駆り出されている。

 

 ともかく、これだけのことを私と伊19、伊8、伊58―――イク、ハチ、ゴーヤの4人でほぼ毎日回してきたのだ。それがどれほどの負担になるのかは、簡単に想像できるわよね。まぁ、初代(あいつ)が居た頃はこれに罵声や暴力もあったから、それに比べれば幾分かはマシだと言えるか。笑えないけど。

 

 そんな激務の中の哨戒任務―――これは私たちに金剛さんが配慮してくれたモノで、午前中に哨戒任務があってそれが終わればその日の任務は終了、つまり午後は非番となる。これは鎮守府に所属する艦娘たちの中で唯一の非番を与えられたことになり、少なからず反感を買うかと思っていたのだがその声は聞いたことはなかった。

 

 まあ、どうせ陰で言われていたんだろうけどさ……。

 

 そんな貴重な休みがもらえる日。その日に、私たちは近海に侵入した敵空母を見落とすと言う失態をやらかし、それが甚大な被害を引き起こしたのだ。いや、正確には様々な要因が重なってこれほどの被害を出したって言えるかな。

 

 連日のオリョクルで疲労が溜まっていた、普段目撃されるはずのない敵空母がその日に限って鎮守府近海に入り込んでいた、練度向上のために主力艦隊が遠洋海域に出撃していた、合同演習の開催によって鎮守府にいる実質的な戦力が低下していた等々、ここまでの被害が出た要因はいくらでも挙げられる。

 

 それがただの言い訳(・・・)だってのは分かってる。一番初めのヤツなんて、まさに言い訳だ。

 

 それに、他の艦娘()たちからすればここまでの被害を出したのは『潜水艦たちが哨戒を怠った』ことが原因だって思うだろう。勿論、私たちが哨戒を怠ったことは事実で、ここまでの被害を出したのは他にも要因があったのも事実だ。でも、どれだけ理由を並べようが『私たちが哨戒を怠らなければ被害は無かった』って言われたらそれで終わりだもん。

 

 

 反論する余地もない。だって、それが『正解』なのだから。

 

 

 別にこのことを直接言われたわけではない。あの日以降、出会った子たちからは「お疲れさま」や「大変だったね」等の労いの言葉が殆どで、非難を受けたことは一度も無い。でも、昨日出撃の回数を減らそうとゴーヤが金剛さんに直談判したのを聞き入られなかったのを見るに、陰で色々と言われていることは間違いない。金剛さんは気を使って教えてくれなかったのかもしれないけど、隠さなくちゃいけないほどたくさん言われているのかなって思っちゃった。捻くれているのは自負してる。

 

 

 そんな心境の中で、司令官が言い渡してきた『罰』

 

 

 『明日の朝、食堂に集合』なんて良く分かんない内容ではあるけど、彼は『私たちに責任がある』とハッキリ言った、いや言ってくれた。責任があるって言う現実を突き付けられたことは辛かったけど、それが分かっている上で周りから何も言われない方が余計辛かったから、逆に有り難かった。

 

 

 それにこうも言った。『初代がお前らに課したことは、絶対にしない』と。

 

 

 その言葉が真実かどうかは分からない。もしかしたら人目もつかない食堂で伽を要求されるかもしれない、それよりももっと酷いことをやらされるかもしれない。でもあの時、司令官は私の目を真っ直ぐ見てそう言ってきた。その真っ直ぐさに気圧され、承諾してしまったのだ。

 

 今思っても、大分軽率だったと思う。食堂に集合する理由も濁されて教えてもらってないし、何より初めて出会ったのに開口一番でトラウマを抉ってくる男だ。艦隊の指揮を執る提督としては些か配慮に欠けてるし、話によるとあんまり優秀な人じゃないみたいだし。

 

 

 でも、あの時向けられた目は嘘をついているようには見えなかった。それにあんなに真っ直ぐ目を見て話してくれる人はそういない。だから、深く考えずに承諾してしまったのかもしれない。

 

 

 それに他の子達と違ってまだ眼中にないと言うか、思うところも無いし気を遣うこともないから楽ではあるか。特に他の潜水艦たちには……――――。

 

 

 

 

 

 

 その瞬間、言い知れぬ違和感を覚えた。

 

 先ほど、鳥のさえずり以外の音は無いと言った。しかし、ここには私の他にイク、ハチ、ゴーヤの3人が居る。つまり鳥のさえずりと共に3人の寝息、もしくはそれに近い音がする筈だ。

 

 もう一度耳を澄ましてみるも、やはり鳥のさえずり以外に音は無い。すぐさまベットから飛び出し、3人が寝ている筈であろうベットを確認する。

 

 

 しかし、どのベットももぬけの殻であった。

 

 それを見た瞬間、心臓が一際大きくドクンと音を立てる。同時に、あらん限りの力で拳を握りしめ、折れんばかりの力で歯を食いしばっていた。

 

「クソッ!!」

 

 そう吐き捨てた私は自分のベットに潜りこみ、いつもの水着を引っ張り出して手早く着替える。それが終わると髪を纏めるリボンを手にして部屋を飛び出した。

 

 誰も居ない薄暗く静かな廊下を全力で走る。同時にボサボサの髪を無理やりまとめてリボンで括った。微かに痛みを感じ、ブツブツと言う音が聞こえたが気にしない。

 

 明け方であるため周りは寝ている中でドタドタと大きな音を出して走るのは迷惑であることは分かっている。しかし、それに気を使っている余裕はない。今は、目的の場所に一秒でも早くたどり着くことしか考えられなかった。

 

 

 しずかな廊下を全力疾走で駆け抜けていると、目的の場所へと続く扉が見える。それを捉えた私は更にスピードを上げて扉に向かい、そのスピードのまま扉に手を掛けた。

 

 

 

 ダァン!! と言う大きな音がその場所――――食堂に響き渡る。

 

 

 扉の先にいた3人は揃ってこちらを振り向き、そしてその顔に影を落とした。

 

 

 1人は不服そうに、1人は申し訳なさそうに、1人は焦りながら他の2人を交互に目を向けている。反応は三者三様であったが、強いて言えば誰も私に目を向けようともしない。

 

 

 それが、無性に腹立たしかった。

 

 

「イムヤ?」

 

 そんな3人の中の2人を交互に見ていた1人―――――――ハチが苦笑いを浮かべてそう声をかけてくる。しかし、私はそれに応えることなくズンズンと歩を進め、申し訳なさそうに立っている1人――――――イクの目の前に立ち塞がった。

 

 

「何で起こしてくれなかったの?」

 

 怒気を孕んでいるのが自分でも分かった。顔に感じる熱の量、荒くなる息、固く握りしめた拳の震え。全てが全て、私の怒りをこれでもかと表していた。なのに、目の前のイクはこちらを一瞥もせず、何も言葉を発せず、ただ力なく笑みを零した。

 

 

 その瞬間、私の手は彼女のスク水の襟を握りしめていた。

 

 

それ(・・)が、寝坊した奴の態度でちか?」

 

 イクを引き寄せて怒鳴ろうとした時、横から冷たい声が聞こえる。イクからその声の方に目を向けると、先ほど不服そうな顔をしていた一人―――――ゴーヤが冷ややかな視線を向けてきていた。

 

「もう一度言う、『寝坊した』奴が取る態度でちか? あと、先に行ったのはゴーヤの判断でち。イクやハチを責めるのは筋違いでちよ」

 

 

 淡々とした口調で言葉を零すゴーヤ。『寝坊した』……ですって? 『寝坊させた』の間違いじゃないの?

 

 

 同じ部屋に居て、あんたたちは寝ていた私を置いて先に食堂に行った。一言も断りすら入れず、起こそうともせずに黙って行ったのだ。なのに『寝坊した』なんて……あんたたちが『寝坊』させたのと同じじゃないの。

 

 

「何で起こさなかったの?」

 

 そんな不満を胸に募らせ、イクの襟から手を離した私は鋭い視線をゴーヤに向ける。一瞬だけ目が合ったが、すぐさまゴーヤが視線を逸らして小馬鹿にするような笑みを浮かべて肩をすくめた。

 

「そりゃあ、気持ち良さそうに寝息を立てていたからでち」

 

「理由になってない!!」

 

 ゴーヤの発言に思わず怒鳴り声を上げる。しかし、ゴーヤはどこ吹く風と言った感じで聞き耳を持っていない。その態度にますます頭に血が昇った。

 

「私は潜水艦隊の旗艦、あんたたちのリーダーなのよ!! 私の指示の元に動く、何かあれば相談するのが普通でしょうが!? 何でそれが出来ないの!?」

 

「じゃあ、今日の件はゴーヤたちの誰かに相談して決めたことでちか?」

 

 喉を潰さんばかりに絞り出した私の言葉に、ゴーヤは呟くような大きさの声でそう言って私に鋭い視線を向けてくる。その言葉とその視線に思わず言い淀んででしまったが、頭の中ではそれに対する反論が浮かんでいた。

 

 確かに今日の件は私が返事をした。その場にいたイクやハチに相談もせず、だ。しかし、あれは『命令』、私たちは従う義務がある。他の艦娘からの『お願い』ならまだしも、上司である司令官からの『命令』を受けないわけにはいかない。

 

 それも、私は旗艦、そしてゴーヤたちは旗艦下にある部下だ。上司である司令官からの命令を受け、それを部下であるゴーヤに伝えて実行させる。何処に矛盾があるの?

 

「今日の件は『命令』よ。拒否権なんてないし、私たちはそれに従う義務がある。相談するまでもないわ。それに、それは私を『寝坊させる』理由にはならない」

 

「話をしようとしたゴーヤが馬鹿だったでち」

 

 私の言葉を遮る様にそう吐き捨てたゴーヤは私に向けていた身体を横に逸らし、わざとらしくため息を溢す。その後ろ姿を見て、私は腹の底で煮えたぎる怒りを抑え込むのに必死だった。

 

 

 ゴーヤはうちの艦隊でも問題児だ。常に私の指示を聞かず、独断で行動することが多い。昨日は特に酷く、オリョクルから帰投すると有無の言わせず金剛さんの元に向かい、オリョクルの負担軽減を訴えた。そしてそれが叶わぬと、今度はオリョクルで敵に無理な特攻をしかけ、自身を大破に追い込む被害を出したのだ。

 

 ハッキリ言って、ゴーヤが私に周りと相談云々を言う資格は無い。旗艦である私の指示に従わず、それを問いただしても自分に都合が悪くなると今の様に話を中断させるのだからなお性質が悪い。旗艦と言う立場でなければ、取っ組み合いの喧嘩をしているところだ。

 

 それほどまで、自分勝手で自己中心的な考えで、不満アリアリの態度を示すもそれを口に出すことはない。旗艦の立場から言わせてもらうと、本当に扱いにくいったらありゃしない。そんな艦娘だ。それはつまり、私を旗艦にしたくない、認めたくないってことよね?

 

 

 

 

「……じゃあ何? あんたは私を旗艦から引きずり下ろしたいわけね」

 

 

 そんな感情と葛藤していると、ポツリと私の口からそんな言葉が漏れた。その瞬間、視界の端で振り返るゴーヤが見えた

 

 

「そうなんでしょ? あたしが旗艦にいるのが不満なんでしょ? だから問題を起こして私を引きずり降ろそうって魂胆なんでしょ? 引きずり降ろしてその座に居座る、もしくは自分の都合のいいのに挿げ替えるってことね。なるほど、それならあんたの思い通りになるし、私なんかよりももっと都合のいいリーダーになるってわけか」

 

「止めるでち」

 

 私の言葉を遮る様に、今まで聞いたことのない低いゴーヤの声。その温度は冷ややかで、それは私の言葉を断ち切らせようとしている意図を感じた。しかし、それで立ち止まるほど私の感情は穏やかではなかった。

 

 

「元々、私を旗艦なんて認めてないんでしょ? そうよね、そりゃそうだわ。だって、私はあんたたちの苦しみを味わってないんだもん。この艦隊の中で一人だけそれを経験してないんだもん。そりゃ、その時からずっと旗艦を務める私を恨まないわけないもんね。むしろ、私の存在自体(・・・・)が負担や妬み、苦しみになっていたんでしょうね。そうなんでしょ? 私の身代わりにされ―――」

 

 

「止めるでち!!」

 

 

 私に言葉をかき消す様な怒号を発したゴーヤはいつの間に私の前に居て、スク水の襟を掴んで締め上げてきた。喉を締め付けられ顔をしかめると同時にゴーヤは限界まで目を見開き、血が出るのではないかと思うほど唇を噛み締めた――――憤怒の表情をした顔をズイッと近づけてくる。それを見て、私は思わず目を見開いた。

 

 

 限界まで見開かれたゴーヤに瞳が、何故か潤んでいたからだ。

 

 

 

「お前は―――」

 

「何してる?」

 

 

 不意に飛んできた声。それに私とゴーヤは同時に声の方を向いた。

 

 

 そこには、昨日初めて出会い、トラウマを抉り、そして今日ここに来るように命令した司令官が居た。

 

 

 しかしその風貌は異様で、白い軍服の上着を脱いで腰の辺りに巻き付け、シャツの襟を肘の上あたりまで捲り上げている。そして何より、自身の視界を塞ぐほどに積み上がった段ボールを抱えていたのだ。

 

 

「何でもないでち」

 

 そんな異様な風貌の司令官にゴーヤはそれだけ言うと振り払う様に私の襟を離して彼に近付き、積み上がった段ボールの1つを抱える。そのままこちらを一瞥することなく小走りで食堂の奥にある厨房へと走っていった。

 

「イクも行くのー」

 

「ハチも」

 

 その姿を一言も発せずに見つめていると、そんな声と共にいつの間にか横に居たイクやハチが司令官に近付き、同じように段ボールを抱えて厨房へと走っていった。その姿を見つめていると、ふとこちらを一瞥したイクと目が合う。

 

 

 イクは私と目が合うとあの笑みを溢し、すぐさま踵を返して逃げる様に厨房へと消えて行った。

 

 

「どうした?」

 

 再び聞こえた司令官の声、彼はいつの間にか近づいて段ボールを抱えてこちらを覗き込んでいた。その真っ直ぐな視線に、私は思わず視線を逸らした。

 

 

 彼はこの問題に関係ない。これは私たちの問題だ、ここで彼を巻き込んで下手に話を拗れさせるのは後々面倒になる。ゴーヤやイクたちも、そう読んだに違いない。なら、私もそれに続くしかないわ。

 

 

「ごめんなさい、集合時間に間に合わなくて……」

 

 ゴーヤにハメられたとしても、私が寝坊で遅れてきたのは事実。そして話を逸らすことも出来る。自分から傷を抉るようなものだけど、命令違反は命令違反だ。罰を受ける義務はある。故に自分から謝った。

 

 

「そこまで遅くないから気にしねぇよ。それに、俺も『朝、集合』とは言ったけど具体的な時間を言い忘れてたし、それで何時に集まればいいか分からないって言われたしな。ここはお互い様ってことで、な?」

 

 私の言葉に苦笑いを浮かべ司令官は頭を下げた。その言葉に、私は思わず彼を凝視してしまった。

 

 

 今まで何かしらにつけて罵声や暴力を浴びせられていた。それが、気にしていないと言ってからむしろ自分が悪かったと頭を下げられたのだ。同じ立場の人間から受けたモノとの天と地ほどの違いに、反応出来なかった。

 

 

「大丈夫か?」

 

 再び覗き込みながら、今度は心配そうな表情を浮かべている。その表情もまた、今まで向けられたことのないモノだった。

 

「あ、え、う――」

 

「ならいいけど……とりあえずこれ運んでくれ」

 

 その言葉に数秒遅れて言葉にならない声を上げる。それを受けた司令官は心配そうな表情のままそう言い、抱えていた段ボールの1つを渡してくる。

 

 それを受け取った瞬間、ズシリした重みが身体にかかり、同時に鼻をくすぐる土の香り。匂いや味がしない資材ばかりの生活ではまず感じられないそれに、思わず眉を潜めた。

 

 

 抱えた段ボールの蓋を顎で開けて中を確認する。そこには土にまみれた握り拳大のゴツゴツした黄土色の塊がギッシリ詰まっていた。

 

 その物体は何なのか……いや、知っている。知識としても頭にあるし、何よりだいぶ昔―――艦艇になる前の頃からよく知っていたからだ。

 

 

「これ、ジャガイモ?」

 

「そう、こっちはタマネギだ」

 

 ポツリと呟いた言葉に司令官は自慢げにそう言って自分が抱えている段ボールの中身を見せる。そこには、ジャガイモ同様土にまみれた赤茶色の球根の形をしたモノ、タマネギがギッシリ詰まっていた。

 

 でも、何で野菜がここにあるの? 私たち艦娘は資材があればそんなもの必要ないし、人間である司令官だけのものと考えても手に余るだろう。

 

 明らかに、一人ではない大多数を対象とした量だ。しかし、司令官以外にこれを必要とするモノが思い浮かばなかった。

 

 

「これだけの量、司令官が食べるの?」

 

「いや無理言うなよ。一応俺の分も入ってはいるが、ほとんどはお前たちの分だ」

 

 

 

 今、何て言った? 『お前たち』の分? それってつまり……。

 

 

「そうだ。これは、お前たちの『食事』だよ」 



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司令官の『口車』

「私たちの食事って、一体どういう……」

 

「ほら、さっさと行くぞ」

 

 そう言葉を漏らすのは私を他所に、司令官はそう言って厨房へと歩き出した。数秒遅れて、私も手に持つ段ボールを抱えて彼の後を追った。

 

 司令官の背中にくっついて厨房に進んでいると、ふと視界の端に机に身を預けている艦娘が見えた。顔を反対側に向けているためその表情は見えないが、握り拳で軽く机を叩きながらブツブツと小さな声で呟いているのを見るに、ご機嫌斜め、と言ったところか。

 

「ねぇ、司令官」

 

「ほっといて大丈夫だ。それにアイツには他にやってもらいたいことがある」 

 

 私の言葉に司令官は疲れた様な声で返してきた。すると、その言葉を聞いた件の艦娘は顔をこちらに向け、不満そうに顔を歪めながら司令官を見つめ始める。しかし、それに彼は特に反応することなくまた歩き出したので、私も彼と彼を睨み付ける艦娘を交互に見ながらその後を追った。

 

 

 司令官の後に続いて足を踏み入れた厨房には、数人の先客が慌ただしく走り回っていた。

 

 

「吹雪ちゃん、その段ボールはそっちに……曙ちゃんのはあっちに置いておいて。イクちゃんたちはそっちの段ボールの中にあるお野菜を洗ってちょうだい。榛名さん、イクちゃんたちの近くにざるとボウルを。それから――――」

 

 そう早口に指示を飛ばすのはいつもの割烹着を翻す間宮さん。

 

 その指示に従って、山の様に積まれた段ボールを慌ただしくあちこちに運ぶセーラー服の艦娘――――吹雪と曙。

 

 大きめのボウルやざる、食器類を抱えてイクの周りや吹雪ちゃんたちが運んだ段ボールの横に置いていく露出度の高い和服に独特のカチューシャを付けた艦娘―――榛名さん。

 

 吹雪ちゃんたちが運んだ段ボールから中身を取り出して水で土汚れを落とす潜水艦――――イクにハチ、そしてゴーヤ。

 

 

 いつも『補給』を――――燃料で満たされた深めの皿と、弾薬、ボーキサイトが乗った皿をもらうだけだった厨房。それだけの場所だったのが、今では大量の段ボールやざるやボウル、包丁やまな板などの調理器具、そしてそれらの間を縫う様に走り回る間宮たち。

 

 

 私が見てきた中で、これほどまでに厨房が慌ただしかったのは初めてだった。

 

 

「間宮ー、これ何処に置けばいい?」

 

「あ、提督さんのはこちらに、イムヤちゃんのはイクちゃんたちの近くです。そしてイムヤちゃんは榛名さんのお手伝いをお願い。提督、少々お話がありますのでこちらに……」

 

「OK、分かった」

 

 司令官の声に間宮さんは迅速に指示を出す。それに従って私たちは段ボールを置き、司令官は間宮さんの元に、私は榛名さんの後を追って厨房の奥に向かう。

 

 調理器具がある奥の部屋、そこでこれでもかと言うほど大量のざるとボウル、まな板を両手いっぱいに抱える榛名さんがいた。彼女は私の顔を見て、ニッコリと微笑んでくる。あれだけのモノを抱えながら顔色一つ変えないとは流石戦艦、と言いたいところだけど無理をさせるわけにはいかないよね。

 

「榛名さん、手伝いますから半分ください」

 

「いえ、榛名は大丈夫です。イムヤちゃんはそっちの箱に入っている刃物系を、危険ですからそれだけ持っていって下さい」

 

 そう言われて榛名さんは視線で傍の机に置かれた箱を指す。そこには様々な大きさの包丁、皮むき器、おろし金などが入っている。量としては大したことは無いが、万が一取り落した場合が怖い。

 

「分かりました」

 

 そう言って箱を持って厨房に向かう。間宮さんは司令官と話し込んでいるため何処に置くかの指示をもらえなかったから、近くの机にそれを置いて素早く榛名さんの元に走った。

 

 そこには決して広くはない道を通ろうと苦戦している榛名さんが。その姿を見て、彼女の脇に近付いてその脇に抱えられたボウルたちを掴み、彼女の手からゆっくりと引っ張った。彼女は一瞬驚いた顔をしたもののすぐに苦笑いを浮かべて頭を下げ、抱えていたボウルを渡してくれた。

 

 手渡されたボウルを抱え直す。それと一緒に反対側に抱えていたまな板を抱え直した榛名さんを待って、二人一緒に厨房へと向かい、各所にボウルとざる、まな板を一セットずつ置いていく。

 

 と言うか、何で榛名さんがここにいるのかしら? 吹雪や曙、さっき机で不貞腐れていたあの子もそうだけど。呼ばれたのは私たちだけじゃないのかしら。

 

 

「そう言えば、何で榛名さんたちはここにいるんですか? 司令官からは私たち潜水艦しか呼ばれてないと思うんですけど」

 

「昨日、部屋に来た吹雪ちゃんに頼まれたんですよ。曙ちゃんも同じだと思います。雪風ちゃんに関しては……まぁいつも提督と一緒に居ますからねぇ」

 

 私の問いにそう答えながら、榛名さんは厨房と食堂とを繋ぐカウンターに、その先で不貞腐れている艦娘――――雪風に目を向けた。目を向けられている雪風は机に身を預けてピクリとも動かない。多分、さっきみたいにブツブツと何かつぶやいているのだろう。

 

 いつもの天真爛漫な笑顔と元気ハツラツとした物腰からは想像出来ないほどの意気消沈っぷりである。

 

 雪風とは長い付き合いだけど、いつもニコニコ笑っていて何を考えているか分からないから割と苦手な部類でもある。そんな子が、ここまで感情を露わにするのも珍しいことだ。まぁ、さっきのやり取りからして、この原因は司令官で間違いないと思うんだけど。

 

 

「あの子があんな状態なのは?」

 

「何でも、厨房を黄色に染めたとか何とかで出入りを禁止されたらしいです。それでもお手伝いがしたい、と言うことで昨日の夜に厨房に入れるよう提督と間宮さんに直談判したんですけど、二人……と言うか提督が頑なに突っぱねたらしくて。それで夜遅くまで議論を交わしていたようです。そして今日の朝、無理矢理厨房に押し入ろうとしたところを提督に見つかって長いお説教を受けたとか。それからずっとあの状態ですね」

 

「押し入ろうとしたって……」

 

 苦笑いを浮かべながらご立腹状態の原因を離してくれる榛名さん。と言うか、押し入ろうとしたって物騒な物言いだけど、あの子ならやりかねないって思ったら負けかな。

 

 

「皆、一旦手を止めてくれ」

 

 そんなことを思っていると、横からそんな言葉と共に手を叩く音が聞こえ、その方を見ると間宮さんを従えた司令官が立っていた。その言葉に、私を含めてその場にいた殆どの艦娘は手の止めて彼に視線を向ける。

 

 

 一人を除いて。

 

 

「……おーい、雪風ぇー?」

 

 遠くを見る様に手の平を目の上にかざして、司令官は声をかける。その視線の先で尚も机に身を預けている雪風は、その声に反応することは無い。顔をこちらに向けず、ただ黙っているだけであった。その姿に、司令官はため息を漏らしてその場から動こうとする。

 

 

「あ、私が見てきます」

 

 そう名乗りを上げたのは先ほどまで段ボールを運んでいた吹雪だ。吹雪は司令官の返答を聞く前に動き出しており、彼が手を伸ばしたときには厨房から食堂へと続く道を抜けていた。もう、彼女に任せた方がいいと判断した提督は「すまない」と小さく言葉を零した。

 

 そんな吹雪が近づいていくが、雪風はピクリとも動かない。司令官の言葉に反応せず、頑なにこちらに顔を向けようとしない。相当にご機嫌斜めらしい。そんなに厨房に入れないのが悔しいのかしら?

 

「雪風ちゃん? そろそろ機嫌直し……」

 

 そう呟きながら雪風に近づく吹雪。しかし、その顔は雪風が顔を向ける方に回り込んだ瞬間、呆けた表情に変わった。その様子に何事かとみんなが身構える。当然その中に私も入っているわけで、目を鋭くさせて雪風を凝視した。

 

 頑なにこちらに向けられない顔はなおも動かず、机に預けられた上体はピクリとも動かな……あれ、何か背中の辺りが僅かに上下しているような。

 

 

 

 

 

「……寝ちゃってます」

 

「ゆきかぜはぁ……だいじょ~ぶ、れふぅ……」

 

 そう苦笑いを溢しながら、吹雪は人差し指を立てて口に当てる。それと同時に雪風が寝言を呟きながらもぞもぞと動きだし、やがて止まった。

 

 

 その結果、彼女は幸せそうな顔で涎を垂らしながら眠る寝顔を曝け出されることとなった。

 

 

「……寝かしとけ」

 

 そんな寝顔を見た司令官は今日一番のため息を吐いてそう言う。その言葉に吹雪は音を立てない様慎重に雪風の傍を離れ、ある程度距離を取ってから小走りで戻ってくる。そして、吹雪が戻って来たのを確認した司令官はコホン、と小さく咳ばらいをした。

 

「一人眠りこけちまってるが、まぁいいや。今日は陽の昇る前に集まってくれて本当にありがとう」

 

 その言葉に私を含め艦娘たちは即座に背筋を伸ばし、敬礼をする。その姿に彼は何故か苦笑いを溢すも、すぐに表情を引き締めて言葉を続けた。

 

 

「既に察している奴もいると思うが改めて……今日お前たちを呼んだのは、この鎮守府に所属する艦娘たちの『食事』を作るのを手伝って欲しいからだ」

 

 何処か上擦った声色の彼の言葉に艦娘たちがザワザワと騒ぐことは無かった。全員、察していたのだろう。しかし、その表情は各々違っていた。

 

 訝し気に顔を歪める者、心配そうに目を視線を他の艦娘に向ける者、無表情でただ司令官を見つめる者、満面の笑みを浮かべて小さく頷く者、口に手を当てて何か思案に明け暮れる者等。因みに、私は訝し気に顔を歪めていた。

 

「まぁ、食事を作るって言っても飲食店よろしく艦娘たちの注文を受けて作るわけじゃない。今回は彼女たちに今後の食堂のメニューとして扱うための試作品を食べてもらって、それを今後の食堂のメニューとして採用するかどうかを判断してもらう。所謂、メニュー開発のための試食会ってヤツだな」

 

 そこで言葉を切った司令官は傍の机に置かれた分厚い封筒からホッチキスで留められた複数枚の紙の束を取り出し、各自に手渡していく。それに目を通してみると、事細かに記された料理のレシピだった。

 

「これが、今から作ってもらう料理だ。作るのは全部間宮と俺で考えたから味は保証するし、比較的簡単なモノばかりだから誰でも作れる。調理で心配する必要はないハズだ。今日はこのレシピを使って調理を進める」

 

「ちょっ、ちょっと……いい?」

 

 司令官の言葉を遮ったのは、レシピを凝視して困惑した表情の曙であった。彼女はレシピから視線を外して司令官に向け、指でレシピの下の方を指さしながらこう言った。

 

 

「これ……本当に出来るの?」

 

「あぁ、問題ないのは確認済みだ」

 

 曙の問いに司令官は素っ気無く応えた。それを受けた曙は首を傾げながらも、自分に言い聞かせるように何度も頷いて引き下がった。何をそんなに気になったのか、私も曙が指した場所に目を向ける。

 

 

 

 そこは今から作るであろう料理で用いる材料が羅列しており、その一番下に普通の料理なら絶対に存在しない言葉―――――『ボーキサイト』が書かれていた。

 

 その言葉を見た瞬間、すぐさま別のレシピを見る。次のレシピには、『弾薬』が、次には『燃料』が、次の奴には『ボーキサイト』が。手早く確認しただけでも、全てのレシピに何らかの資材が材料として書かれていた。

 

 

「すまん、それに関しては間宮にも突っ込まれたが、改めて弁解させてくれ。お前たちは今まで、長い奴は着任してから昨日まで資材だけを口にしてきた。そこに、いきなり普通の食事を食べてみろ。軽自動車にガソリンではなく軽油を入れたら壊れる、それと同じでお前たちに何か体調に変化が起きるかも、最悪倒れるかもしれない。それを防ぐために、いつも口にしている資材を料理に入れて、少しでもそのリスクを抑えようと思ったんだ」

 

 司令官は何故か早口でそう説明してきた。何故早口なのかは引っかかるが、まぁ確かに言われてしまえばそうかもしれないかな。

 

 

 先の大戦よりも更に昔、まだこの国が一つにまとまっていない時代。

 

 

 かつての勢いを失い敵方の攻勢に圧されていたある勢力が、堪らず味方の城に逃げ込んで守りを固めて籠城戦を仕掛けた時のことだ。

 

 敵方は勢いに乗って城へ攻め寄せるが、城を攻め落とすには相手の3倍の兵力が必要であるとされる攻城戦で思う様に攻め切れずに悪戯に被害を出す。そこで、敵方は一寸の隙間もないほどの堅固な包囲陣を敷き城内から外へと続く全ての道を閉ざした。城内へ運び込まれる物資を止め、城内方の士気低下を狙ったのだ。

 

 所謂、兵糧攻めと言うヤツだ。

 

 敵の徹底した兵糧攻めに城方は日を追うごとに士気が低下していき、やがて城内で暴動が起き始める様になると堪らず敵方に降伏、開城に至った。

 

 敵方は降伏した城方の人間に食べ物を振る舞った。その心遣いに城方は感激、または極限の飢餓状態のために形振り構わずそれを大量に食べた。しかし、食べた殆どの人間が食べている途中で死んでしまったのだ。

 

 死因は大量の食べ物を体内に入れたことで身体に過剰反応が起き、それに耐えきれずに死んでしまったのだとか。つまるところ、極限の飢餓状態で大量の食べ物を食べるとショック死してしまうと言うことだ。

 

 そして、私たち艦娘たちはここに着任してから今まで資材しか口にしてこなかった。それは今の今まで食べ物を一切口にしていないということ、つまり普通の食べ物に関してだけ言えば極限の飢餓状態と言える。そんな中で食べ物を食べた際、身体にどんな悪影響が起こるか分からない。

 

 だから、今まで口にしてきた資材を料理に加え、少しでもそのリスクを下げようと言うことか。

 

 

 

「私が食べたカレー、あれ資材なんか入ってないでしょ? それで私は何も起きなかったわよ?」

 

 しかし、それに切り返したのは先ほど自ら納得させようとした曙であった。

 

「そ、それはあれだ。偶々、曙に異常が起きなかっただけかもしれないだろ。俺は、少しでもそれが起きるリスクを減らしたいんだよ」

 

「私よりも遥かに食べている雪風はどうなるの? そんな様子、見たことないわよ?」

 

「それこそ、幸運の女神の加護ってヤツじゃないのか?」

 

 曙の切り返しに司令官はそう返す。しかし、その口調は先ほどよりもハキハキとしておらず、視線も何処かあらぬ方向を向いてる。

 

 

 何か隠している――――そんな印象を抱いた。

 

 

「クソ提督、あんた何隠し――――」

 

「まぁまぁ曙ちゃん。落ち着いてよ」

 

 その様子を見て更に目つきを鋭くさせた曙が司令官に詰め寄るよりも先に、その間に入って曙を制止させたのは吹雪で合った。突然間に割り込まれ、そして自分の行動を制止させようとする吹雪に鋭い視線を投げかける曙。しかし、それを受けても一向に満面の笑みを崩さない吹雪は、曙でも司令官でもない方向に指を向ける。

 

 

 その先には時計があり、時間は午前6時に差し掛かろうとしていた。

 

 

「みんなが集まってくるのは大体8時。それまでにこれだけのモノを作らないといけないんだよ? もう時間が無いから、早く始めちゃいましょう」

 

 吹雪はそう言い、曙の手首を掴んでグイグイと引っ張っていく。曙はその手から逃れようと足掻くも、ガッチリと掴まれているためかその手が離れることはなく、彼女は吹雪に無理やり引っ張っていかれた。

 

 

「よし、じゃあ始めよう。潜水艦たちは洗った野菜の皮むきを、榛名は吹雪たちと一緒に野菜を切ってくれ。間宮は各種鍋の準備を、俺は肉の下ごしらえだ」

 

 そんな二人の様子を見ていた一同に、司令官は手を叩きながらそう言った。その様子に殆どの艦娘たちは一瞬彼を見つめたが、吹雪の言葉通り時間がないことを念頭に置いて各々の持ち場へと向かった。

 

 

 私たち潜水艦は、先ほど途中で止まっていた汚れ落としと皮むきを二人ずつで分かれて作業することとなり、私とハチは皮むきを担当することとなった。

 

「ハチ、皮むきなんて初めてだよ……」

 

 大きなボウルの前に立って皮むき器を手にしたハチがそう呟く。その意味が、生まれて初めてなのか、艦娘になってからなのかは分からないが、まぁ、長い間やってこなかったことに代わりは無いわけだ。かく言う私だって艦娘となってからは初めてだし、まさかこの鎮守府で料理をするなんて思ってもみなかったな。

 

 

 でも、これから私たちが食べる料理に資材が含まれているってことは、結局は司令官も私たちのことを……。

 

 

 いつの間にか浮かんでいた言葉を振り払う様に頭を振る。そして、気を引き締めるために頬を強めに叩いた。

 

 考えるな、私たちは艦娘であり、これは司令官が下した私たちへの『罰』だ。上官である彼からの『命令』だ。それにいくら疑問を抱こうとも、私たちはそれを遂行させる義務がある。

 

 その言葉を噛み締め、私は手に持ったジャガイモに皮むき器を押し当てた。



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司令官の『我が儘』

「これで終わりっと」

 

 そう言って、私は一息つくために手首を掴んで左右に揺れるように大きく伸びをする。肩や背中周りの筋肉を十分に伸ばし、ポキポキと言う軽快な音が鳴らなくなるまでそれを続け、一気に脱力する。

 

 こうすると使う使わないに限らず肩や背中周り全ての筋肉や関節を解すことが出来る。毎日のように資材取集で身体を酷使しているため、こういう体操やストレッチは慣れたモノだ。まぁ、今回はオリョクルでも出撃でもないんだけどさ。

 

 

 そんなことをぼやく私の前には、ボウルの中で小山のように鎮座している粗めに潰れたジャガイモ。大体10分ぐらい、ひたすらゆで上がったジャガイモをマッシャーで潰した成果だ。

 

 

 司令官の号令によって始まった試食会に向けての調理。

 

 

 私たち潜水艦は、二手に分かれて野菜の水洗いとジャガイモの皮むきに始まり、人参、玉ねぎ、茄子、蓮根、牛蒡、アスパラガス等の皮をひたすら剥き、或る程度溜まったらそれを切る担当である吹雪たちの元に持っていく、これを野菜がなくなるまで何度も繰り返した。

 

 それが終わると、次は間宮さんから受け取った茹でたジャガイモをひたすらマッシャーで潰す作業、そして切る担当への応援を申し付けられた。私とハチはジャガイモを潰す作業を担当し、今の今までひたすらジャガイモを潰していたわけだ。量が量だったため、ここまでで大体一時間ぐらいかかったかしら。

 

 

「さ~て、続けますよぉ」

 

 同じように伸びをしていたハチは何処か気の抜けた声色でそう言い、再びマッシャーを手に取りジャガイモを潰し始めた。彼女も私と同じぐらい潰し終えているが、それでも作業を続けるには理由がある。

 

 潰す作業を申し付けられた際、司令官にジャガイモの形が残るモノと残らないモノの2種類を作って自分の所に持ってくるように言われた。それを受けて私たちは分担して作ることにしたのだが、彼女が形が残らない方をやると言いだしたのだ。私もそこまで拘りもなかったので了承し、私は形が残る方を、彼女は形が残らない方をやることとなった。

 

 しかし、やはり残らない分時間も労力も必要になるわけで、彼女よりも先に作業を終えてしまうと何処か申し訳ない気持ちが芽生えてくる。

 

「手伝おうか?」

 

「ううん、大丈夫」

 

 そんな罪悪感からハチに手助けを申し出るも、笑顔で断られてしまった。その言葉に何も言えない私を尻目に、ハチは鼻歌を歌いながらそれに合わせてジャガイモを潰していく。リズミカルにジャガイモを潰していくハチを見て、私は思わず口を開いた。

 

 

 

 

 

「楽しいの?」

 

「うん、と~っても」

 

 訝し気な私の言葉に、ハチは気の抜けた声で答えた。その際に向けられた顔には、ここ最近見られなかった満面の笑みが浮かんでいた。

 

 

「ここ最近……と言うか、配属されてから殆どオリョクル漬けの毎日だったからさ。金剛さんのおかげで非番を貰ってはいるけど、寝る以外に何をしたらいいのか分からなくて正直若干持て余していた所なんだよね。だから、久しぶりにいつもと違うことが出来て、ハチは楽しんだよぉ」

 

 笑顔でそう応えるハチの言葉に、私はボウル一杯のジャガイモ、そして所々潰れたジャガイモが付いているマッシャーに目を落とした。

 

 

 金剛さんから貰った非番の日、私はその時間を自室で休むか工廠に赴いて艤装の整備に費やしていた。最も、整備をするのは出撃の際に不具合を感じた時ぐらいで、殆どは自室で休んでいたんだけど。しかし寝付けない時もあるわけで、私の場合は外に出れば出撃を控えている艦娘に嫌味を言われるかもしれないと思いひたすらベットに寝転がってボーっとしていた。

 

 確かにあの眠るに眠れない時間は案外と辛い。贅沢な悩みだとは思うが必要ないと言うわけでもなく、一度眠ったら朝までなんてザラだ。何より他の艦娘は出撃していると考える分、罪悪感がのしかかってくる。私以外は部屋で休む他は外に出るのだが、やはり感じることは同じだったようで。そう言う時間をどう過ごすか苦心していたのだ。

 

 それにハチは無類の読書家である。ここに配属された時も両手いっぱいに本を抱えていたし、時間があれば何処からともなく本を取り出して読みふける、何処でも読書をする姿を指摘された際に「読書は大人の嗜みだよ?」と満面の笑みで相手を嗜めたほどだ。本の虫なんて可愛いもので、活字中毒ならぬ読書中毒と言っても良いだろう。

 

 しかし、それが初代に見つかった際『兵器が読書とは生意気だ』なんて理由で殴られて、持っていた本を全て没収されてしまったのだ。

 

 大好きな読書を、そして鎮守府に持ち込むほど大好きな本を奪われ、取り返そうとすれば怒鳴られ、殴られる。営倉に引っ張っていかれそうになったのを必死に止めた時の表情は忘れたくても忘れられない。初代が居なくなってから没収された本を探したのだけど処分されていたようで、その日以降彼女が本を手にすることは無かった。同時に彼女の笑顔も減った。

 

 そしてようやく手に入れた時間も、本が無ければ意味がない。これは彼女にとって死活問題だっただろう。

 

 

 そんなハチが『楽しい』と言って、笑顔を浮かべた。読書以外で、ここまでの笑顔を見せたのは少なくとも私の記憶にはない。むしろ、読書よりもいい笑顔かもしれない。

 

 

 

 

 

「イムヤも、楽しいでしょ?」

 

 その笑顔のまま、ハチはそう問いかけてくる。首を傾げて覗き込むように見つめてくるその顔に、私の口許は自然と綻んでいた。

 

「ま、暇つぶしにはちょうどいいかもね。じゃ、これ持っていくわ」

 

 そう言ってハチに笑いかけ、私はボウルを手に取って彼女の横を離れる。そして、私たちから少し離れた流し台に立つ司令官に目を向けた。

 

 

 司令官は額に汗を浮かべながらも真剣な顔つきで、胴体はあるであろう大きな肉の塊に包丁を入れている最中だ。その周りには大小様々な肉の塊、薄切りやブロック状などのカットされた精肉、そして所どころ肉片が残る骨が転がっている。肉の下ごしらえと言っていたが、傍から見れば肉の解体、成形に近い。そして彼がどれだけ肉を捌いたのか、付けている白い手袋やエプロンの染まり具合が物語っていた。

 

 そんな汗みずくになりながら作業をする司令官の元に、粗目に潰したジャガイモを持っていこうと足を踏み出した。

 

 

 

「イムヤさ~ん」

 

 その瞬間、背後から名前を呼ばれる。振り返ると、厨房と食堂を繋ぐカウンターに身を乗り出している雪風。先ほど涎を垂らしながら眠りこけていた駆逐艦様は、今度は性懲りもなく厨房にでも入り込もうとしているのかしら。

 

 

 

 なんて、冗談めいた言葉は口に出ることなく引っ込んだ。

 

「ちょっと、しれぇの様子を見てきてくれませんかぁ?」

 

 普段の彼女の口調とそう変わらない。だが、その表情は違う。いつも能天気にニコニコ浮かべている笑顔でも、不満げに眉を潜めて頬を膨らませる顔でも、涎を垂らしながら幸せそうに寝息を立てる寝顔でもない。

 

 

 

 

 

 

 真顔――――――何の感情も感じない、完璧な真顔。『無』表情と言ってもいいかもしれない。その顔で、じっと司令官を見つめているのだ。

 

 

 喜怒哀楽を感じない、まるでそれらの感情を欠落してしまったかのような表情。それでじっと司令官を、釘を刺されたかのように視線を動かさず、ただただ司令官を見続けてる。

 

 その表情を見た瞬間、私の背筋に冷たいモノが走った。

 

 

「雪風の勘違いかもしれないのですが、朝お説教を受けた時と今のしれぇの顔が違うんですよねぇ」

 

 固まっている私を尻目に、雪風はその表情のまま首を捻る。無表情のまま首をかしげるその姿は違和感しか感じられなかった。

 

 

「朝はスゴい自信満々だったのに、今は何処か思い詰めているような……迷っているような……そんな気がします。本当は雪風が行きたいのですが出入り禁止を言い渡されているので、代わりに行ってきてもらえませんか?」

 

「わ、分かったわ」

 

 雪風の言葉に、私は自分でも驚くほど上擦った声で了承した。背筋の冷たいモノはすでに消えたのだが、その感覚がいつまで経っても消えずに私の精神を締め付けてくる。それほどまでに、彼女の表情は異常だった。

 

 

 そんな雪風から逃げるように急ぎ足で司令官の元に向かう。その途中、雪風から少し離れた瞬間に両手に鋭い痛みを感じた。

 

 見ると、異様に紅潮した手とそこに深々と刻まれたボウルの淵の痕。恐らく、無意識のうちにボウルを握りしめてしまったのだろう。痛みを伴うほど握りしめたのに、それを忘れるほど雪風の表情が衝撃だったのだろうか。それを悟った時、無意識のうちに震えた。

 

 

 

「大丈夫か?」

 

 ふと、前から声が聞こえ、反射的に頭を上げると心配そうにこちらを覗き込んでくる司令官。彼と目が合った瞬間、一瞬頭の中が真っ白になった。しかし、すぐさま記憶の中から彼への用事を掘り起こす。

 

 

「何でもない。それより、潰し終わったから確認お願い」

 

 勘付かれないようなるべく平静を装ってそう言い、顔を隠す様に手に持ったボウルを司令官に突き付ける。いきなり突き付けられた司令官は「うぉ」っと声を出すも、何も言わずにボウルの中身をチェックし始めた。

 

 チェックしている司令官になるべく気付かれない様、ボウルの端から見えるその顔を観察してみる。

 

 目を細めてボウルの中身に目を走らせる司令官。そこに先ほど雪風が言っていた、思い詰めているような、迷っているような感じは無い。至って普通の表情だ。彼女の言葉通り、勘違いだろう。

 

 

「……俺の顔を見つめてどうした?」

 

 そんなことを思いながら見ていると、司令官がそう言って困惑した顔になる。って言うか、バレた!? あんなに視界に注意したのに……。ともかく何とか誤魔化さなくっちゃ。

 

「え、あ、その、な、何か司令官の顔がおかしいなぁって思って……」

 

 咄嗟に頭に浮かんだ言葉をよく考えもせずに口に出す。今、勘違いだろうと結論付けた言葉を思わず吐きだしてしまい、しまった、と心の中で舌打ちをする。しかし、その感情はすぐさま消え去った。

 

 

 

 目の前にある司令官の顔がガラリと変わったからだ。

 

 

 普通の表情が一瞬強張り、すぐさま取り繕ろう(・・・・・)と引きつったような笑みに変わり、やがてその笑みも消えて疲れたような表情になる。そして、その表情のまま力ない目を私に向けてきたのだ。そこで、私は感じた。

 

 

 

 

 『思い詰めているような』、『迷っているような』表情だ、と。

 

 

「聞いていいか?」

 

 ふと、呟くように発せられた司令官の声。私は目の前の人物の変わりように状況が掴み切れず、考える間もなく首を縦に振った。

 

 

「資材以外の食事を禁止された時、なんて言われたんだ?」

 

 司令官の口から発せられた言葉。一瞬、私はその言葉の意味が理解できなかった。しかし聞こえてはいたので、聞き取れたその言葉を自分の中で咀嚼していく。その意味を理解出来た時、私の胸は腹の底から湧き出てくる嫌悪感で一杯だった。

 

 

 彼……いや、司令官はまたもやトラウマを抉ってきたのだ。それも潜水艦だけでなく、鎮守府に居る全ての艦娘がトラウマであると答えるであろうその質問を。

 

 

「……何で教えなきゃいけないの?」

 

「教えたくないのは重々承知している。でも、どうしても聞いておきたいんだ」

 

 嫌悪感を微塵も隠さない私の問いかけに、司令官は申し訳なさそうに肩を竦めるも引き下がる様子はない。むしろ、言い終わるとこれが誠意だと言いたげに頭を下げてきた。下げる際に見えた彼の表情は、『不安』そのものだ。

 

 

 彼は分かった上で聞いているのか。その言葉の意味を、重みを、そして私たちが抱えている問題を。いや、分かっていない(・・・・・・・)からこそ、聞いているのか。

 

 

 今の私のように、ここの艦娘は初代の蛮行を話すことを嫌う。そして今までの噂や昨今の行動を見る限り、彼はこの鎮守府のことをそこまで把握していないだろう。せいぜいこんなことがあったようだ、みたいなことぐらいしか知らず、その時一体どんな言葉を投げつけられ、どんな仕打ちを受け、それで私たちがどんな感情を持った、なんてことまでは知らない筈だ。

 

 

 当たり前だ。それを知ってるのは艦娘(わたし)たちだけであり、それをつい先日着任したばかりの彼に話す筈がない。まして、トラウマを植え付けた初代、そしてその後着任する度に雲隠れした今までの司令官たちの後続なんかに、だ。

 

 

 しかも、司令官は着任翌日に入渠ドックに押し入ったと聞いた。それ以降も、雪風の弱みを握った、榛名さんに伽を強要した、そして金剛さんを脅迫した等々と、彼がここに着任してから様々な事件を起こしたことが、そこからあの男は大本営の命令で私たちを沈めに来た、大本営ではなく深海棲艦からのスパイだ、なんて根も葉もない噂が、そしてそれを鵜呑みにした潮が彼を砲撃し、曙の誤射で傷ついたことも聞いていた。

 

 それに、私たちは落ち込みも怒りもしなかった。どうせ今までと同様すぐに雲隠れするだろう、そう結論付けていた。期待なんて以ての外、落胆も絶望も、彼に噛み付いた潮のように憤怒するのも無駄。

 

 

 ただ新しい『人間』がやってきて、同じように勝手に消えるのだろう、ぐらいにしか思っていなかった。

 

 

 しかし、彼は今、目の前で料理を――――艦娘たちの『食事』を作っている。いや、今目の前にある食材は全て彼が大本営に召集された際に取り付けた支援によるもの。更に、あまり思い出したくはないが演習時に襲撃された時も生身のまま戦場に飛び込み、文字通り最前線で負傷した艦娘たちの避難を買って出たらしい。

 

 そして何よりも、昨日初めて会った私の目を真っ直ぐ見て、初代が行った蛮行は絶対にしないと言い切ったこと。

 

 

 今まで周りから協力もされず、慣れ合いすらなく、むしろ今までの後続と言うだけの理由で目の敵にされながらも、彼はここまでのことをしたのだ。

 

 

 着任して間もない、更にどの艦娘からも歓迎されない。むしろ潮のように噛み付かれた、敵意を向けられたこともあるだろう。その理由を聞こうにも、ここの艦娘は誰も教えてくれない。ここがどのような状況であったのかを把握しても、彼が向き合わなければならないのはその状況の中で傷つき、心身ともにボロボロにされた艦娘たち。いくら状況を知ってもそれは外聞なわけで、そんな前提条件(・・・・)だけではあまり意味を成さない。

 

 

 彼が必要としているのは、その状況を過ごし、傷付き、打ちのめされ、絶望する気力すら失った艦娘たちの感情だ。

 

 

 それを手に入れるために、彼はこうして料理をしているのだろうか。いや、そうなのだろう。そうでなければ、誰一人協力者がいない状況でここまでのことをするハズがない。むしろ、ここまでやっている彼を見て見ぬフリをしている私たちは何なのだろか。

 

 今までの後続だから、なんて理由で彼を今までと同じだと勝手に決めつけ、協力は疎かロクに会話すらせず、同じ空間に居ることさえ避け続けている。彼の悪い話だけに焦点を当てて、彼がやってきてくれたことには目も暮れず、挙句の果てには根も葉もない噂を立て、それを理由に砲門を向ける始末。

 

 彼は司令官であり、艦娘を束ねる存在だ。私たちは彼に従う義務があるのに、私たちは従わない。明確な理由があるわけでもなく、ただ今までの奴らと同じだろう、と言う推測だけで従わないのだ。明確な理由もない理不尽を強いられながらもこちらを理解しようと手を伸ばす彼を、私たちは掴める距離にあるのにも関わらず掴もうとしない。

 

 そんなの、ただの我が儘だ。そして、そんな我が儘に振り回され、それを一人で耐えている司令官。彼は簡単には掴まれないと分かっていながらも、今も必死に手を伸ばし続けている。昨日会った私に限らず、1mmでも掴んでくれる可能性があるのなら、彼は全力で手を伸ばすだろう。

 

 

 そんなの、まるで私…………いや、私以上(・・)じゃないか。

 

 

 

「今後、こういうことは私以外の子に聞かないで。それが守れるのなら教える」

 

 絞り出すようにそう言葉を吐き出す。それに司令官はパッと顔を上げ、マジマジと私の顔を見つめてくる。

 

 見つめてくるその表情は歓喜でも悲壮でも困惑でも驚愕でもない、言ってしまえば今まであげた感情全てが混ざり合った、とでも言えよう。それほどまでに、彼は複雑な表情をしていた。その表情から目を逸らし、私は目を閉じて記憶を掘り起こしにかかる。

 

 司令官が求めた記憶は大分昔、ここに配属された当初の頃だ。しかし、記憶と言うモノは強い印象を受ける以外は段々と遡っていくことでしか思い出すことはなく、從って配属されてから今までの出来事を総ざらいしなくてはならない。故に、配属された頃にたどり着くまで思い出したくもない過去を見続けることになるのだ。まぁ、ぼやけている記憶もあるから全てを見ずに済むのは有り難いことかもしれない。

 

 

 そんなことを考えながら、記憶を遡り続けること少し。ようやく目的の記憶にたどり着いた。昔だったせいでぼんやりしているところがあるから、一つ一つゆっくり確認していこう。

 

 

「えっと、禁止された時……と言うか、私が配属された時は既に禁止されていたわね。確か、教えられたのは執務室で初めて司令官に挨拶をした時……だったかしら」

 

 頭の中で整理された記憶を繋ぎ合わせるように言葉を紡ぐ。朧げなところは前後の会話を元に再現しているため状況がちょっと違うかもしれないが、そこは気にしない。そして、初代が言い放った言葉を一つ一つ繋ぎ合わせていく。

 

 

「確か、初めは歓迎するみたいなことを言われて、その後は鎮守府の説明と担当する任務の大まかな内容を教えられて……鎮守府の説明の中に『補給』以外を食事を禁止することを言われたわ。そして、粗方の説明が終わってから質問があるか聞かれて、食事の禁止について理由を聞いたら初代は高笑いしながら答えたの。確か……」

 

 そこで言葉を切った。頭の中でその言葉を思い出した際に激しい嫌悪感を覚えたからだ。それを、1、2回深呼吸をすることで何とか沈める。そして、目を開いて司令官を真っ直ぐ見据え、口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『兵器が生きる(・・・)必要はない。ただ、俺の命令に従って動けば(・・・)それでいい』」

 

 

 兵器は生きているのではない。ただ『動いている』、何の感情も思考も持たず、ただ敵である深海棲艦を撃滅する兵器。使い手(・・・)である俺の命令を忠実に守り、死ね(すてる)と言われればその場で果てるのみ。ただそれだけの存在。

 

 そして、艦娘は資材を食べれば生きられる……いや、それを『生きられる』なんて言えるのか?

 

 燃料や弾薬だけを補給すれば、それで『動ける』のだ。致命傷を負おうが、手足をもがれようが、入渠ドックに入ってしまえば以前と変わりなく『動ける』のだ。そんなお前たちが『生きている』、なんて言えるのか?

 

 

 

 ―――ただの『兵器』が、軽々しく『生きる』と言う言葉を使うな。―――

 

 

 

「『故に、資材以外の食事を禁止する』……って」

 

 

 そう言い切った時、私は目の前にある司令官の表情が一気に変わるのを見た。

 

 

 不安げだった表情は解けるように消え去った。そして一瞬だけ現れた憤怒。それ以降は司令官が顔を背けたことで見ることは叶わなかった。

 

「そっか、ありがとう」

 

 それだけ言うと司令官は軽く頭を下げ、踵を返して離れて行ってしまう。って言うか……それだけ? こっちはトラウマを抉り倒したと言うのに、それを「ありがとう」の一言で済ますの?

 

 あまりにも素っ気無い反応に、私は呆けた顔でその後ろ姿を眺めることしか出来ない。そんな私を尻目に、彼は今まで作業をしていた流し台を離れ、同じように作業をしている他の艦娘たちに近付いていった。それに気付いた彼女たちはやっている作業を中止して司令官に向き直る。

 

 

 そして、皆一様に顔を強張らせた。

 

 

「あの……どうされました?」

 

 顔を強張らせた一人――――吹雪がおずおずと言った感じで司令官に問いかけた。しかし、彼はそれに応えることはなく、その場で大きく深呼吸をし始める。1回、2回と、回数はどんどん続き、比例するようにその音が大きくなる。吸い込み、吐き出す空気の量が増えていってるのだろうか。その様子に吹雪は疎か他の艦娘たちも何も言えずにただその様子を見守っていた。

 

 

 やがて、呼吸が段々と小さくなっていき、微かに聞こえるまでの大きさになる。その時、司令官はゆっくりと顔を上げ、目の前で固まっている吹雪たちを見回す。

 

 

 

 

「すまないが、今からレシピを変更する」

 

「はぁ!?」

 

 司令官の一言。それにいち早く反応したのは曙であった。

 

「く、クソ提督!! ここまで作っておいて今更レシピを変えるなんてどういうつもり!? まさか一から作り直しとか言わないわよね!?」

 

「大丈夫。変えるのはこれからの工程だから、安心してくれ」

 

 血相変えて詰め寄る曙を司令官は宥めるようにそう言う。しかしこれからの工程と言っても、何処を変えるのだろうか。そう思って、私は近くにあった司令官のレシピと今現在の進み具合を比べてみる。

 

 ほとんどの料理は既に下ごしらえが済んでおり、あとは鍋やフライパンで火を通すために焼くか煮込むか、火を通さないものは盛り付けるところまできている。ここから変えることが出来るのって、せいぜい火を通す具材ぐらいだけど。

 

 

 

「レシピに書かれている資材だが、全て無しにする」

 

 

 そう、司令官が言葉を発した。同時に、その場にいた全ての艦娘たちの目が彼に注がれる。その視線を受けても、彼は微動だにしなかった。

 

 

「ちょっと待ちなさいよ」

 

 次に声を出したのは曙。彼女は、訳が分からないと言いたげな顔で司令官を見つめていた。

 

「さっき、あんたはいきなり食事が変わることで起こる身体への影響を考慮して資材を入れるって言ったわよね? なのに、なんで土壇場になって入れないなんて言い出すの? その言葉、言い換えれば私たちの身体への影響なんてどうでもよくなったって、ことになるわよ? そうなの?」

 

「違う」

 

 曙の言葉に、司令官は低い声で即答する。それを受けた曙の眉が若干緩み、何処か心配そうな表情へと変わった。

 

「じゃあ、何でいきなり変えるの? それを教えてくれないと、私たちは分からないわ」

 

 子供に話しかけるような優しい声色で、曙は問いかける。それに、先ほどは即答した司令官であったが今度は何も言わずに顔を背けた。彼女たちから顔を背けることは彼の後ろに立つ私の方に顔を向けるのと同じことで、私からは苦渋に満ちた表情が見えた。

 

「言えないようなこと?」

 

 その様子に、曙は先ほどよりも優しい声色で再度問いかける。それに司令官はビクッと身体を震わせ、そして目線を下に向ける。その顔にはあの『迷っているような』表情が浮かんでいた。

 

 

提督(・・)?」

 

 再び、曙が口を開いた。今度は声色だけでなく、言葉さえも変えている。そして、声色は微かにだが震えているような気がした。

 

 

「俺の……」

 

 司令官が小さく声を発した。か細く、今にも消え入りそうな声。それと同時に彼はゆっくりと顔を曙たちに向ける。あの表情のままだ。

 

 

 

 

 

 

 

「我が儘だ」

 

 

 喉から絞り出すように、司令官がその言葉を吐いた。先ほどよりもさらにか細く、一つでも音を立てればそれで掻き消されそうなほど、小さな言葉。その声色は、今まで聞いたことのないほど弱弱しく、少しでも反論すれば泣き出してしまいそうなほど弱く、そして脆い。

 

 

 それを聞いた誰もが何も言わないでおこう、そう思ったに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 一人を除いて。

 

 

「我が儘……ですか?」

 

 そう声を発したのは、先ほどからずっと黙っていた吹雪であった。その言葉は何故か重く、そして明らかな怒気を孕んでいた。

 

 

「今まで一緒に(・・・)決めてきたことを、ここで引っくり返しちゃうんですか? それも貴方の『我が儘』で、いともたやすく白紙に戻しちゃうんですか? その程度のことだったんですか? 提督、言ってましたよねぇ? これしか方法がないって、言ってましたよねぇ? やるしかないって、言ってましたよねぇ!!」

 

 語気がどんどん荒くなっていき、最後にそう叫んだ吹雪は突然走り出した。向かうは司令官、彼に向ける顔には明らかな憤怒が、そして後ろに振り上げられた手は拳を作っている。

 

 吹雪の行動に数秒遅れて曙や榛名さんたちが吹雪の取り押さえようと手を伸ばすも、数秒のブランクは吹雪と彼女たちに手を伸ばすだけでは間に合わない距離を生み、吹雪を取り押さえることは出来ない。その手を振り切った吹雪は司令官目掛けて拳を振り上げ、そのまま突進する。

 

 

 猛然と距離を詰める吹雪に、司令官は石のようにその場から動かない。殴られることを覚悟したのか、はたまた目の前に向けられた憤怒で足が竦み上がているのか分からない。ただ、このままでは確実に吹雪の拳を受けるだろう、と言うことは確信できた。

 

 

 

 

 

「止めてください」

 

 司令官に拳が届く寸前、今まで聞いたことのないような冷え切った声が聞こえてきた。同時に今まさに拳を振り下ろそうとしていた吹雪の動きが止まる。そして、またもや私の背筋に冷たいモノが走った。

 

 

「雪風……ちゃん」

 

「それ以上近づくと、身の保証(・・・・)はありません」

 

 憤怒の表情のまま、吹雪は忌々し気に言葉を零す。すると、今度は名前を呼ばれた雪風の声が聞こえ、同時に司令官の陰から飛び出て、吹雪に向けられる黒い砲身が見えた。司令官と吹雪の間に雪風が割り込んで、そして吹雪に砲門を向けているのだろう。

 

 

「そこ、退いてくれない? これは、私と提督の問題なの」

 

「お二人の問題を雪風は知りません。でも、しれぇに危害を加えようとするなら別です」

 

 言葉の節々に棘を抱えた吹雪の言葉に、雪風は一切動じずに返事をする。いや、動じていないのだろうか? そして、今あの子はどんな表情をしているのだろうか?

 

 声色だけを聞くと、『感情』が一切感じられない。そして憤怒の表情で若干尻込みしている吹雪の顔を見るに、恐らく『あの表情』なのかもしれない。

 

 

「それに雪風は言いましたよ? 『それ以上近づくと、身の保証はありません』、と」

 

「語尾が疑問形でない辺り、本気なんだろうね……」

 

 雪風の『最後通告』とでもいう言葉に、吹雪は顔を引きつらせながらも軽口を叩く。そして、彼女は今まで浮かべていた憤怒の表情を消し、握っていた拳はゆっくり解けてダラリと力なく垂れた。

 

 

「提督、一つ聞いてもいいですか?」

 

 不意に吹雪がそう言って、司令官に顔を向ける。そこには先ほどの憤怒の表情は無く、真面目な話をする際に彼女が浮かべる真剣な表情であった。

 

 

 

 

「その判断は、私のお願い(・・・)を叶えてくれますか?」

 

 そう、吹雪は司令官に問いかける。その言葉の意味を理解できた者はいない。ただ、吹雪は今回の試食会に一枚噛んでいると言うことは分かった。そして、何かとても大事なお願いを司令官に頼んでいるのだろう、と言うことも。

 

 

「あぁ、大丈夫だ」

 

 その言葉に数秒遅れて、司令官は声を漏らした。まだ弱弱しくはあるが、それでも先ほどとは比べ物にならないほど芯の通った言葉だった。それを受けた、吹雪は苦笑いを浮かべた。

 

 

「そうですか」

 

 それだけ言って吹雪は司令官に頭を下げると、クルリと踵を返して他の艦娘たちの方を向き直る。そして、手を上げてパンパン、と軽く叩いた。

 

 

「はい、皆さん動いてくださいねー!! もう時間もありませんから、ほら早く早く!! ラストスパートですよー!!」

 

 先ほどとは打って変わって明るい声でそう呼びかける。その変わりように目を丸くする一同であったが、時間がないと執拗に急かしてくる吹雪に圧し負けて、それぞれ自分の作業に戻っていった。

 

「イムヤ」

 

「ひゃい!?」

 

 突然名前を呼ばれて飛び上がる。急いで声の方に顔を向けると、驚いた顔の司令官が立っていた。私が顔を向けたのを見て、その顔を苦笑に変えて小さなザルを手渡してきた。そのザルの中には、均一の大きさに切られた細かいハム。

 

「それと輪切りにして水気を切った胡瓜をボウルに入れてあえてくれ。味付けはマヨネーズと塩コショウで量はレシピに書いてあるが、お前の好みで調整してくれ」

 

「あ、はい」

 

 いきなり手渡されたハムを受け取り、上の空で聞いていた司令官の指示に反射的に答える。それを受けた司令官はすぐに踵を返し、自身の作業に戻っていく。その後ろ姿、そしてついさっき誰にも見せようとしなかったあの表情が頭に浮かび、思わず駆け寄ろうとした。

 

 

「待ってください」

 

 そんな私を止めたのは、そう言って私の肩を掴んだ雪風だ。また無表情かと思って恐る恐る顔を向けるも、その予想に反して彼女は苦笑いを浮かべた。

 

 

「今は、そっとしておいてもらえませんか?」

 

 その表情とは裏腹に、その言葉には重みがあった。理由もない者を文句も言わせずに従わせるほどの、重みを。その表情、そしてその重みに私は声を出せずにただ頷いた。それを見た雪風は肩から手を離し、苦笑いのまま頭を下げた。

 

 

「さて、では雪風もそろそろ他の艦娘(みなさん)を起こさないと行けませんね。しれぇに断りもなく厨房に入ってしまいましたし、これは是が非でも全員引っ張ってこなくてはいけませんよ!!」

 

 そう言って、雪風はいつもの笑顔(・・・・・・)を浮かべて食堂へと続く道へと向かって歩き始めた。その後ろ姿に、私は思わず手を伸ばした。

 

 

 しかし、その手は雪風に届かなかった。後ろで私が手を伸ばしたことに彼女が気付く様子はなく、そのまま鼻歌交じりで食堂へと続く通路に消えて行った。

 

 段々と小さくなっていくその姿を見て、いつの間にか口が動いていた。

 

 

 

「雪風にとって、司令官ってどんな存在なのかしら?」

 

「イムヤー」

 

 そう呟いた時に後ろから名前を呼ばれ、振り返るとボウルを抱えてこちらに手を振るハチ。彼女の抱えるボウルには潰したジャガイモとあめ色になるまで炒めた玉ねぎとひき肉。かく言う私も、司令官から頼まれたモノがある。時間的にも余裕はない。このことは、聞こうと思えばいつでも聞けるから今はいいか。

 

「時間ないよー? 早くやろー」

 

「分かったわー」

 

 声を上げるハチにそう返し、私もボウルを手に取って彼女の元に向かった。



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艦娘たちの『当たり前』

「これで……」

 

 囁くような声と共にフワリと立ち上った白い湯気が視界一杯に広がる。それと同時に傍らから生唾を飲み込む音が。先ほどの言葉は、そして生唾を飲み込んだのかは分からない。

 

 

「ついに……出来たのね」

 

 今度は先ほどよりも若干大きな声。声からして曙だろうか。いや、今そんなことを気にしている暇などない。司令官を含めた殆どの艦娘が固唾を飲み、厨房で一番大きな机、正確にはその上に置かれた大皿に向けているからだ。

 

 そこには、濃い黄色とオレンジ色になったジャガイモと人参、側面から肉汁が溢れ出ている角切りの牛肉、そしてそれらを包み込むトロリとした黄金色の出汁。白い湯気からは、しっかりした鰹出汁とそれを引き締める醤油の香ばしい香りが「美味しい」と言う事実を訴えかけてくる。

 

 

 そんな、ジャガイモと人参と牛肉の煮物―――――肉じゃがが鎮座している。私たちは、肉じゃがの大皿を囲むように立ち、その殺人染みた姿と香りを感じ、一言も発することもなく見つめているのだ。

 

 

 ふと肉じゃがから視線を外すと、肉じゃがの横にある大皿に山のように積み上がった小判型の揚げ物が目に入る。表面からはうっすらと湯気が立ち上っており、綺麗なきつね色をした衣は見ただけで噛めばサクッと軽快な音がしそうなカリカリ感とパン粉の香ばしい香りが鼻をくすぐる――――コロッケ。

 

 

 その横には、ゴロゴロとした形を残しながらも適度に潰されたジャガイモと薄切りのハムと胡瓜、それらが薄黄色いマヨネーズと粗目に削られた黒コショウを纏う――――ポテトサラダ。

 

 

 コロッケ同様山盛りに積まれた鶏のから揚げ、油をたっぷりと吸った茄子とひき肉の味噌炒め、トロリとした出し汁の牛蒡と蓮根のごった煮、茶色く煮込まれた大根とホロホロに溶ける豚バラの煮物、その中で一際存在感を表す葉野菜とトマトの色鮮やかなサラダ等々。

 

 

 大小様々な皿に盛りつけられた数々の一品たち。全て、私たちが作り上げたモノだ。

 

 

 

「こっちも完成ですよー」

 

 

 不意に飛んできたのは間宮さんの声。振り向いた先には味見用の小皿を手に満面の笑みを浮かべている間宮さん。そんな彼女の前には、いくつかの巨大な寸胴鍋が火にかかっており、その一つにはスパイシーな香りを放つカレーがグツグツと音を立てている。

 

 

 私たちの視線が集まる中、間宮さんは思い出したように手にしていた小皿を傍に置いて寸胴鍋の火を止め、別のコンロにある巨大な羽釜に近付いた。これまたグツグツと音を立てる羽釜。中から込み上げる湯気に押されて微かに揺れる木蓋が、間宮さんの手によって開かれる。

 

 

 その瞬間、巨大な湯気の波が彼女の上半身を包み込み、同時に今までの香ばしい香りを押しのけてふんわりとしたお米の強い香りが鼻の中一杯に広がる。遠目から見える羽釜の中は、もうもうと湯気を立ち上らせる純白のお米がギッシリと詰まっていた。

 

 

「蒸らしも問題ないですね」

 

 そう呟いた間宮さんは自らの腕はあろう大きなしゃもじで羽釜の中のご飯を解していく。彼女の腕が羽釜の中を掻きまわすごとにお米の香りは強くなっていき、それを眺める何人かが生唾を呑むのが聞こえる。

 

 

 香ばしい、甘い、油っぽい等の様々な匂いをこれでもかと凝縮したような香りに私たちの意識はノックアウトされ、しゃもじを振るう間宮さん以外、金縛りにあっているが如く誰も微動だにしなかった。

 

 

 

「さぁ皆さん!! もうすぐ出てきますよー!!」

 

 そんな金縛りは厨房の向こう、食堂から聞こえる雪風の声によって解かれた。声の方を振り向くと、雪風に連れられた艦娘たちが入ってきている。その殆どは怪訝な表情をしているが、中には厨房から漂ってくる香りを感じ取って鼻をヒクヒクさせている者もいた。

 

 

 

「いよいよだ」

 

 そう声を漏らしたのは私たちと同じように食堂に目を向けている司令官。これからが勝負だと言わんばかりに笑っているが、若干引きつった笑いに見えるのは気のせいだろうか。

 

 

 

「じゃあ、これをあっちに持っていきましょう!」

 

 次に声を上げたのは吹雪。彼女はそう言って近くにあった大皿の一つを手に持つと、溢さない様小走りで食堂へと続く通路に向かって行ってしまう。その姿を呆けた顔で見ていた一同であったが、一人また一人と手近な大皿に手を伸ばし、彼女の後を追って動き出した。

 

 そんな中、私は榛名さんと一緒に取り皿や箸、フォークなどの食器を取りに奥に引っ込んだ。目的のモノ、私は箸やフォークなどが入ったケース、榛名さんは取り皿を抱えて、食堂へと向かっていく。そんな中、ふと横を司令官が通り過ぎた。恐らくは残っているモノを取りに帰って来たのだろう。

 

 

 

 しかし、何故かその顔に明らかな恐怖の色が浮かんでいた。

 

 

 彼の後に同じように帰ってくる艦娘たちが横を通り過ぎて行ったが、彼と同じ表情をしている子はいない。彼だけが何かに怯えていた。他の子には見えないモノが見えているのか、それとも彼以外気にも留めていないのか。そのどちらかに気付くよりも前に、私は食堂へと足を踏み入れてしまう。

 

 

 

 しかし皮肉にも、踏み入れた瞬間に彼が何に怯えているのかが理解出来た。

 

 

 

 

 

 それは視線―――――雪風に連れられてやって来た、大勢の艦娘たちの視線。先ほど、厨房から遠目に見えた表情は何処にも見えない。代わりにあったのは、惜しげもなく向けられる強烈な『殺気』。

 

 

 食堂を出て行く際に漏らした雪風の言葉通り、彼女はこの鎮守府に居る全ての艦娘たちを引っ張ってきたのだろう。いや、金剛さんが見当たらないから全てではないが、それを抜きにしても駆逐艦から戦艦、軽空母等とかなりの数が揃っている。

 

 

 そして、その全員が一様に同じ顔をしている。目を刃物の様に鋭くさせ、歯をこれでもかと食い縛り、身体中から溢れ出る『殺気』を惜しげもなく晒し、駆逐艦に至っては涙を浮かべて、まるで親の仇を見るような表情で睨み付けてくるのだ。

 

 

 他の艦娘たちが気にしないのは『殺気』を向けられることに慣れているからだ。深海棲艦との戦闘、そして初代の所業を受けてきた私たちからすればこの程度の『殺気』なんて屁でもない。しかし、彼は違う。

 

 

 彼は着任してからまだ1週間から2週間の新米。更に、その間に周りの艦娘から偏見による様々な扱いを受けてきただろう。更に、この前の襲撃で戦場を走り回るような豪胆さはあろうとも、彼は現場の空気に触れる機会が少ない司令官。さっき曙や吹雪に詰め寄られた時のように、これだけの『殺意』に晒されれば気圧されるのは仕方がないことだ。彼が恐怖を覚えるのも無理はない。

 

 

「イムヤちゃん? 大丈夫ですか?」

 

 不意に横から声を掛けられ、振り向くと皿を抱えながらこちらを覗き込んでくる榛名さん。その顔には心配そうな表情が浮かんでいた。

 

「だ、大丈夫ですよ」

 

「本当ですか? すごい汗ですよ?」

 

 

 唐突に投げかけられた榛名さんの言葉。それを聞いた瞬間、ゾワリ、と言う虫唾が襲い掛かってくる。

 

 

 突然、心臓が狂ったように暴れ出す。それと同時に冷凍庫にでも叩き込まれた様な寒さと震え、そして背中や額などがじんわりと湿り気を感じた。突然のことに思わず手のケースを取り落しそうになるのを寸でのところで押しとどめ、榛名さんに笑顔を向ける。

 

 

「大丈夫ですよ」

 

 その言葉は震えていた。笑顔も取り繕えていたかは分からない。自分からしても取り繕っているのがまる分かりだ。そんな虚勢を張っている私の言葉に、榛名さんは表情を引き締めるとクルリと前に向き直った。

 

 

「周りを見ない様、私の背中だけ(・・)を見てくださいね」

 

 

 そう語り掛ける様に言葉を吐き、榛名さんは先ほどよりも少しだけ速足で歩き出す。それに一秒遅れて私は彼女の背中に視線をくぎ付けにし、ぴったり張り付くようにその後を追った。

 

 

 榛名さんの後を追っている間も心臓は暴れ続け、湿り気は大粒の水玉となって背中や額を伝っていく。それに比例するかのように頭が熱を帯び、意識が微かに薄れ視界もぼやけてくる。手足の感覚も徐々に薄れていくのが分かる。

 

 

 しかし、何故こんな症状になっているのか皆目見当が付かない。

 

 

 

「イムヤたち……」

 

 

 横からそんな言葉。それを聞いた瞬間、今まで感じていた全ての症状が重くなった。思わずよろけそうになるも何とか踏みとどまり、榛名さんの後を追う。まだ取り繕えるが、症状は目に見えて悪くなっている。

 

 

 

「何してる……」

 

 

 またもやそんな言葉。それと同時に身体が軋むかと思うほどの重圧がのしかかった。心臓が破裂しそうなほど暴れ回って――――いや、力任せに握り絞められている感覚が襲ってくる。それは呼吸の乱れとして外に現れ、同時に榛名さんがスピードを上げたのが分かった。

 

 

 そんな謎の症状に押しつぶされそうになりながらも、榛名さんの後に続いてテーブルにケースを置いて回る。その間にも、周りの声――――ヒソヒソ声やぼやくような声が聞こえる度に症状が酷くなっていく。そんな中、ふと視界の中に居た司令官に目が映る。

 

 彼は先ほど同様その顔に恐怖の色を浮かべていた。周りに視線を向けず、ずっと手に持った皿を見続けてながら速足で歩いている。

 

 

 そんな姿に、一瞬だけ自分自身に重なって見えた。そしてそれは、私が探し求めていた答えだった。

 

 

 

 

 私は怯えているのだ。周りの艦娘から向けられる『殺気』に。

 

 

 

『今更、媚び売ろうとでも思ってるのかしら?』

 

 

 答えが出た瞬間、そんな言葉が聞こえてきたような気がした。

 

 

 

『うわっ、提督に尻尾振ってるよ』

『あれ、ご機嫌伺いよね?』

『やっぱり潜水艦はずるい』

『すぐに手の平返しとは……さすが潜水艦様ね』

『これだから潜水艦は』

『これであの件がチャラになるとでも思ってるの?』

『有り得ない』

『信用ならない』

『裏切り者』

『あんなのが仲間なんて信じられない』

 

 

 

 そんな言葉が聞こえてくる――――いや、聞こえてはこない。全て私の幻聴。そうだ幻聴だ、そうに違いない。周りはそんなこと言ってない。言うはずがない。

 

 しかし、聞こえてくるのは確かに艦娘たちの声。そんな心無い言葉が、全て艦娘たちの声で聞こえてくるのだ。それが幻聴だと分かっていても、それを聞くたびに私の症状は重くなっていく。先ほどとは比にならないスピードで。

 

 

 『いや、本当にそう言われているのかもしれない』――――唐突にそんな考えが浮かんだ。

 

 

 私たちは彼女たちと違って半日だけだが休みをもらっている。他の人たちにはない特別待遇を受けている。それを周りがどう思っているか、少なくともその分の役割がハードなことを知らない子は好意的ではないだろう。むしろ、私たちだけ休みをもらっていることに不満を持っているのは確実だ。

 

 そして、休みをもらっている私たちがやらかしたミスによる鎮守府への被害。それで不満を爆発させた子がいないわけがない。金剛さんが待遇改善を一蹴したように、司令官が言ったように、周りの艦娘たちは私たちのことをよく思ってないだろう。

 

 そんな私たちが今目の前で料理を運んでいる。目の敵にしている司令官と一緒に、傍から見れば尻尾を振っているように見える。ここまで条件が揃っているのだ、そんなことを思われていてもしょうがない。いや、そう思っているに違いない(・・・・)

 

 

「戻りましょう」

 

 前から榛名さんの焦った声が聞こえ、同時に手を握られる。そのまま彼女に引っ張られるように食堂の中を歩いていく。その間も、周りのヒソヒソ声――――侮蔑(・・)の言葉は止むことなく聞こえてくる。

 

 

 やっぱり、周りからはそんな風にみられているのか。こんなところで改めて再確認させられるとは思わなかったけど、予想通りと言えば予想通りね。分かり切っていたことだ。だからショックも受けないし、悲しくもならない。

 

 

 どうせその程度だ、私なんか。

 

 

 

 

 

「どうしたでちか?」

 

 

 不意に投げかけられた言葉。それと同時に榛名さんが止まった。声からして、問いかけたのはゴーヤ。私にいつも盾突いてくる、私を旗艦だとも思っちゃいない、隙があれば引きずり降ろそうと画策する。周りと同じ思いを、人一倍抱えているゴーヤだ。

 

 どうせ、周りと同じことを言ってくるのだろう。そうに違いない。そう諦めをつけ、私は視線を上げた。

 

 そこにはいつもの冷ややかな視線を向けてくるゴーヤ。いつもと同じように、口を開けば悪態を付きそうな、そんな表情だ。

 

 

 しかし、その表情は私と目が合った瞬間に変わった。冷ややかな視線から、驚愕の表情へ。

 

 

 次に現れたのは真顔。しかし、その口周りは歯を食いしばっているかのように少し強張っている。そんな表情のまま、私から視線を外したゴーヤは歩き出した。一言も発せず、私を一瞥することなく、私を視界に入れないように、ただ真っ直ぐ前を見て。

 

 

 失望させちゃった? いや、元々失望していたか……なら、呆れかえった? ……そうね、そうに違いないわ。

 

 

 そんな結論を腹の中に落とし込むように下を向いた時、ポンと肩を叩かれた。

 

 

 

「大丈夫でち」

 

 

 次にゴーヤの声。その声と共に肩の感触は消える。思わず振り返ると、何事もなかったかのように皿を運んでいくゴーヤの後ろ姿。その姿、そして触れられた感触が残る肩を交互に見る。

 

 

 

「イームーヤー」

 

 不意に後ろから声を掛けられ、同時に榛名さんとは逆の手を握られる感覚が。そちらの方に振り返ると、柔らかい笑みを浮かべたイクが、両手を包み込むように私の手を握っていた。

 

 

「榛名さん、後はイクに任せるのー」

 

 私の顔を見たイクはその表情のまま榛名さんに言う。それを受けた榛名さんはイクと私を交互に見つめ、そして一つ息を吐いて掴んでいた私の手を離した。

 

「では、よろしくお願いします」

 

「りょーかいなのー」

 

 榛名さんの言葉にイクは緩い口調でそう言って敬礼をする。それを受けた榛名さんは慌ただしく厨房の方へと向かっていった。

 

 

「さーて。イク、行くのー」

 

 榛名さんの後ろ姿を見送ったイクはそう言うと私の手を引っ張って歩き出す。向かう先は厨房と反対側の、正確には私に心無い言葉を投げかけてくる艦娘たちの元。そうと分かった瞬間、身体中の体温が一気に下がった。

 

 

 

「ちょ、ちょっ」

 

「大丈夫」

 

 思わず足を止める私に語り掛ける様にそう言って、イクはこちらを振り向き優しく微笑みかけてきた。

 

 

 

「怖がらなくても、イクがついてるの」

 

 

 その言葉と共に、私の手を掴むイクの手に力が籠る。力が入り過ぎて、痛みを感じた。しかし、その痛みは一瞬にして消え、同時に今まで私の身体を蝕んでいたモノも消えてしまった。

 

 

「無理に周りを見なくていい、怖かったら下を向いてイクの手を握るね。そしたら必ず握り返してあげるの。だから、怖がらなくても大丈夫ね」

 

 そう言ってイクは私の頭に手を置き、クシャクシャと撫でながら下を向かせる。そしてまたもや力強く握りしめてくれた。今度は痛みを感じず、代わりに体温を伝えようとするかのように優しく揉んできた。それに私は抵抗することなく、為すがままにされる。

 

 

 

 イクに揉まれるごとに、彼女の体温が手を伝って私の身体にじんわりと広がっていくような心地よさがあったからだ。それと一緒に、強張っていた顔が緩んでいく。そんな視界の中に、こちらを覗き込んでくるイクが見える。彼女は柔らかい笑みをこぼして、ゆっくりと私の手を引いて歩き出した。

 

 

 嫌と言うほど聞こえていた心無い言葉は一つも綺麗さっぱり消え去っていた。やはり、あれは幻聴だったのだろうか。しかし、声に出していないだけで思っているかもしれない。そう思うと、怖くて顔を上げられない。視界に映るのは、イクの足と彼女に握られた私の手。それを見た時、私は確かめるようにイクの手を握った。

 

 

 すると、イクは一拍置いて握り返してくれた。

 

 こちらを振り返ることは無かったが、握り返してくれると同時に歩くスピードを速めてくれたのが分かる。何故そうしてくれたのかは分からない。でも、そんな理由がどうでもいいと思う。

 

 

 それほどまでに、私は身も心もイクの体温で温められていたのだ。

 

 

 唐突にイクの足が止まり、同時に私の足も止まる。そうすると、今まで気にならなかった周りの喧騒が徐々に聞こえ始める。その中に、私やイク、ゴーヤ、ハチたちに限らず、今日の朝食堂に集まった艦娘たちの名前が飛び交うことがあった。

 

 

 それが聞こえる度に、私はイクの手を握った。何度も、何度も。そこに居るのを確かめるように。

 

 

 それに、イクは必ず握り返してくれた。何度も、何度も。傍に居るから、と伝えるように。

 

 

 

 

 

 やがて、あれだけ聞こえていた喧騒は段々小さくなっていき、いつしか食堂は静まりかえった。

 

 

 次に聞こえたのは、コホン、と言う咳払い。頭を上げると、食堂に集まった艦娘たちの前に立つ司令官の姿が見えた。

 

 

 

「えーっ、まず、今日は食堂に集まってくれてありがとう」

 

 

 そこで言葉を切った司令官は艦娘たちに向かって軽く頭を下げた。予想通りと言うか、若干声が上擦っている。さっきの準備の時でさえあのような様子だったのだ。こうして、一同の視線が集まる場で話すのがたどたどしくなるのは仕方がないことだろう。

 

「多分、いきなり呼ばれて来たらびっくりしているかもしれない。ただ、今日はみんなに―――――」

 

 

 

「嫌がらせかい?」

 

 たどたどしい司令官の言葉を遮る様に声が上がった。その声に、司令官を含めた周りの視線がその声の主に集まる。その声の主を見て、司令官は眉を潜めた。

 

「どういう意味だ?」

 

「言葉通り、うちらに嫌がらせでもするんか?」

 

 

 司令官にそう返したのは、軽空母の龍驤さん。彼女は手をヒラヒラさせながらニヒルな笑みを浮かべているも、その目は笑っていなかった。

 

 

「うちらみたいな『兵器』が資材以外のモン食えへんのは知ってるやろ? そんで今日、雪風に呼ばれてきてみれば目の前では『人間』が食うようなモンを持って走り回る君たちや。これはあれか? うちらが食えへんモンを敢えて作って、目の前で君が食べるのを見せつけられるんか?」

 

 そこで言葉を切った龍驤さんは何処か試す様な視線を司令官に向ける。そして、そんな龍驤さんの言葉に押されるように周りの艦娘の中から喧騒が上がり始めた。

 

 

「……確かに、これは俺も食うヤツだ」

 

 喧騒の中で、司令官がポツリと呟く。それと同時に喧騒は少し収まるも、代わりに先ほどよりも強い殺意を感じた。

 

「でも、これは俺だけじゃない。これは俺を……俺を含めた鎮守府全員が食うモン、『食事』だ」

 

 

 先ほどのたどたどしさはあるものの、司令官は力強くそう言い切る。それと同時に時が止まったように喧騒が止み、微かに聞こえたのは無数の息を呑む声。周りが息を呑む中、龍驤さんだけは目を細め、小さく笑みを溢した。

 

 

「つまり、これは君を含めたうちらの食事であると。なら『補給』はどうするん? 流石にそれ食うだけじゃ出撃も何も出来へんで?」

 

「勿論、補給とは別モンだ。補給は出撃を控えている奴だけで、出撃が終わった奴は『食事』を食うことになる」

 

「食事は誰が作るん? まさか、間宮に全部丸投げかい?」

 

「週ごとに何人かのグループを組んでそれを回していけたら、って考えている。勿論、間宮は毎日担当してもらうことになるが、それは本人も了承済みだ」

 

 そう言う司令官の言葉と共に、彼の傍に居た間宮さんが満面の笑みを浮かべてぺこりと頭を下げる。私たちのような深海棲艦と戦うことが出来ない彼女からすれば、日々私たちに皿に盛りつけただけの資材を渡す毎日よりも汗水垂らして食事を作る方がうれしいのだろう。

 

 

「待ってくれ」

 

 そんな中で声を上げたのは、戦艦の長門さん。彼女は手を上げているも、その顔には不安そうな表情が浮かんでいる。

 

 

「提督、まず私たちが貴方の言う『食事』をとるメリットを教えてくれないか?」

 

「単純に、資材の消費を抑えられることだな。今まで朝昼晩と資材を食っていたんだろう? それの晩、または昼を『食事(こっち)』に差し替えればそれだけ資材の消費量も少なくなるし、状況によっては一日の出撃回数を減らせるかもしれない」

 

 司令官の言葉に、にわかに湧きたつ艦娘たち。出撃回数が減るとなれば、それだけ日々の負担が減ることとなる。上手くいけば出撃のない日、私たちで言うところの完全な非番になる日が出来るかもしれない。

 

 

 自らの言葉に沸き立つ艦娘たちを前に手ごたえを感じたのか、司令官の顔に光が宿った。

 

 

 

 

「でも、私たち『兵器』には関係ありませんよね」

 

 

 しかし、その光も唐突に上がった言葉によって消え去ってしまった。

 

 

 その言葉を上げたのは、今まで龍驤さんの横で静かに佇んでいた艦娘―――隼鷹さん。薄紫の髪を揺らして、真っ直ぐ見開かれた瞳を真っ直ぐ司令官に向けていた。

 

 

「それは、あくまであなたたち人間の話ですよね? 先ほど龍驤先生が言った通り、私たち艦娘は『兵器』。『兵器』が資材以外のモノを口にすることは出来ない、これはこの鎮守府の決まりです。皆さん、お忘れですか?」

 

 隼鷹さんの言葉に、今まで沸き立っていた艦娘たちの顔は一気に花がしおれる様に笑顔が消えた。それを前にして、司令官は怒りの表情を浮かべて隼鷹さんに向き直る。

 

 

「それを決めたのは初代だろ? そいつはもういなくなった。既に消えちまったヤツ、しかもお前らに酷いことをしたヤツの言いつけをずっと守る必要があるのか?」

 

「はい、確かに彼はいません。でも、今までそれが撤回されたことも、況してやこの件に触れられたこともありません。今まで触れられてこなかった、それはつまり続けるにあたって何も問題が無かったと言えませんか? 何も問題が無いのに、それを変えようとする意味が分かりません」

 

 司令官の言葉に、隼鷹さんはまるでナレーションを読むように淡々と言葉を吐く。そこに一切の表情は見えない。

 

「なら、さっき上げたメリットはどうだ? 置き換えれば資材の消費量は減る。そうすればお前たちの負担も減るんだぞ」

 

「確かに『補給』だったものを置き換えれば負担は減りましょう。しかし、私たちの負担が減る、それはつまり自由な時間が出来ると言うことですが、その時間をどう使えばいいのでしょうか? 私たちはここに配属されてから娯楽と言うものに触れていません。今考えられるのは寝ることだけです。しかし、寝られないときはどうします? 『寝れない時ほど辛い非番はない』と、ゴーヤさんたちがぼやいているのを聞きましたが」

 

 隼鷹さんの言葉に司令官がチラリとゴーヤを見る。本当か、と問いかけるような視線に、ゴーヤはブスッとした顔で頷いた。

 

「で、でも、それはゴーヤたちだけが非番だったせいだろ? 周りの奴も非番になれば話したりするだろ?」

 

「娯楽皆無の、ただ淡々と出撃と『補給』と休息だけを続けてきた私たちに、話の種になるものがあるとでも?」

 

 司令官の言葉に隼鷹さんが間髪入れずにそう突っ込む。その言葉に司令官は口を開いたが、言い返す言葉が見つからなかったのか言いたげな表情をしながらも押し黙ってしまった。その姿に、隼鷹さんは冷たい視線を向ける。

 

「仮にその制度を実施した時、それがこの先ずっと続く保証がありますか? 食材を何処から調達してきたのかは知れませんが、それ続くと言う確証は?」

 

「そ、それは大丈夫だ。この食材は大本営から送られてきているからな」

 

 隼鷹さんの言葉に、司令官がそう答える。その瞬間、周りの艦娘たちから表情が消えた。それと同時に、周りの空気が一気に下がるのを感じた。

 

 

 

 

「なら、話になりません」

 

 

 そう吐き捨てた隼鷹さんは踵を返して食堂を出て行こうとする。すると、それに続くかのように何人かの艦娘たちが同じように出口へと向かい出した。その様子に、一瞬ポカンとしていた司令官は我に返ると慌ててその後を追った。

 

 

「ま、待ってくれ!! 何でそれだけで話にならないんだ!!」

 

「簡単です。大本営が関わっているからです」

 

「な、何でそれだけで―――」

 

「それだけ?」

 

 司令官の言葉を隼鷹さんはただ返しただけ。『それだけ』で、白い息が出そうなほど食堂の空気は凍り付いた。

 

 

「それだけ……ええ、貴方にとってはそれだけです。しかし、私たちにとってその言葉の重みは段違いなんですよ。適性がどうこうで無理矢理召集されて、訳の分からない訓練が終わって配属された先の上司が最悪で、いなくなったと思えば資材などの支援が止められ、訳の分からない上司が新しくやってきてはすぐに消える……全部、大本営が私たちに課したことですよ? 今までデメリットしか生まなかった存在を好意的に捉えろ、何の疑いもなく信用しろって方がおかしいですよ」

 

 一言一言を噛み締めるように言葉を漏らした隼鷹は追いかけてきた司令官に向き直り、ズイッと顔を近づけた。

 

 

「そんな信用出来ない大本営からやってきた、『訳の分からない上司』を、その言葉を、好意的に捉えられると、何の疑いもなく信用出来ると、そう言い切れますか?」

 

 

 司令官を真っ直ぐ見据えて、そう言い切った隼鷹さん。その言葉、表情、目に映るもの、全てが何かを物語っている。その何かを理解することは出来ない。しかし彼女の思いを、少なくとも彼女の後について食堂を去ろうとした何人かは抱いている、と言うことは分かった。

 

 

 目の前でそう言い切られた司令官は一歩後退りする。その顔に宿っていた光などとうに消え失せ、代わりにあるのは光を宿す前の、料理を運んでいた時よりも前、私の話を聞いてメニューを変更すると言い出すよりも前。

 

 

 雪風が指摘したあの顔。『何処か思い詰めたような』、『迷っているような』そんな表情。それに加えて、『諦めたような』表情も混ざっていた。

 

 

 

 

 しかし、その表情は突如としてしかめっ面に変わる。

 

 

 

「いつまで怖気づいてんのよ!!」

 

 そんな怒号にも似た声と共に、司令官のお尻に蹴りが入ったからだ。よほど痛かったのか、彼は小さな呻き声を上げて飛び上がり、お尻に手を回しながら涙を浮かべるしかめっ面を真後ろに向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、何しやがんだ……曙ぉ」

 

 

 そう声を漏らす彼の視線の先に立っているのは曙。眉間にしわを寄せ、口を尖らせている。腕組みするその手の指は何度も腕を叩き、同じように片足は床を何度も叩いてた。傍から見ても分かる通り、不機嫌だった。それも、今まで見たことがないほどに。

 

 司令官を見ていた曙であったが、すぐに司令官に向けられていた刃物のような鋭い眼光を隼鷹さんに浴びせ、無言のまま足を踏み出してその距離を詰めた。途中、「邪魔」と言って痛みに呻く司令官を押しのけたが、とにかく曙は隼鷹さん前に立つとその顔を見上げる。

 

 

 

「何か、言いたいことでも?」

 

 隼鷹さんが淡々とした口調で問いかける。対して曙はそれに応えることなく、一度目を閉じて大きく息を吸った。その行動に周りの艦娘が首をかしげるも、彼女は気にすることなく吸った息を吐き終え、そして改めて隼鷹さんに向き直る。

 

 

 

「いつまでも、ガキ(・・)みたいなこと言ってんじゃないわよ」

 

 隼鷹さんの目を真っ直ぐ見据えながら、曙はそう吐き捨てた。その言葉が予想外だったのか、今までポーカーフェイスだった隼鷹さんの顔が呆けたものになる。

 

 

「何が今まで問題が無かったから変える必要が無い、よ。そんなのただ屁理屈ゴネてるだけでしょ。『兵器』が資材以外を食べちゃいけないって何? あの初代(クソ)が押し付けてきただけで、私たちは食べられないわけじゃない。初代が消えてからは資材が比較的安定して供給できるから食べていただけで、やろうと思えば海で漁業とか出来たわ。そして時間の潰し方なんて、そんなもん教えられることじゃなくて各々が勝手に考えてやっていくものでしょ? 少なくとも、その方法をクソ提督が提示する必要はないわ……これで、満足かしら?」

 

 そこで言葉を切った曙は、わざとらしく首をかしげて隼鷹さんに問いかける。彼女の口から流れる様に出てきたのは今まで隼鷹さんが司令官を言い負かしたこと、その全てを曙が言い負かしたのだ。言い負かされた事実、そして挑発的な態度に隼鷹さんの眉がピクっと動く。

 

 

「で、では大本営からの支援は? それがこれからも続くと言う保証がないですが、どうするんです?」

 

「そんなの、一番簡単(・・・・)よ」

 

 

 隼鷹さんの言葉に曙は猫なで声でそう返し、かしげていた首を戻すと目を閉じた。その行動に周りが首をかしげると、次の瞬間大きく目を見開くと同時に息を吸った。

 

 

 

 

 

「それがどうした!!」

 

 

 雷鳴の様に食堂に轟く曙の声。それに周りが飛び上がり、彼女の目の前に居た隼鷹さんもポーカーフェイスを崩してビクッと身を震わせる。そして、呆けた顔のまま目の前で仁王立ちする曙を見据えた。

 

 

 

「支援が続く確証? そんなもん、今分かることじゃないでしょ!! 今あるのはクソ提督が大本営に行って、支援を取り付けたって言う『事実』だけでしょ!! それ以外に判断材料なんて無い!! なのに、現実に存在しない『今後の確証』なんて甘々な未来予想図、さっさと捨てろ!! そんなものに現を抜かす暇があるならしっかりと現実を見据えろ!! 甘ったれたこと言ってんじゃないわよ!!」

 

 

 食堂中に轟く曙の怒号。それは彼女が叫ぶ言葉の意味を、その場に居た全員の鼓膜を嫌と言うほど震わせ、その骨の髄まで染み渡らせた。

 

 

「あん……隼鷹さんがどんな経緯でここに配属されたかは知らないけど、その経緯とコイツは一切関係ないわ。なのに、隼鷹さんはそれを理由にコイツを信頼できないって吐き捨てた。無理矢理だとは思わない? こじつけだとは思わない? じゃあ聞くけど、コイツは一体何をした? どんなデメリットを押し付けた? コイツのせいでどんな被害を被ったの? そんな経緯の押し付け(くだらない)もの以外にあるのなら、すぐに言えるわよね? 胸張って、こんなことをされたって言えるわよね? どうなの!!」

 

 怒鳴りつけるような曙の問いに、隼鷹さんは何も言えずに黙り込んでしまう。何も言ってこない彼女を前に、曙は小さなため息をついた。

 

「勿論、隼鷹さんや皆がクソ提督を信用できないってのは分かるわ。私自身も、あの日のことが無ければここまでしていなかった。でも、私は今こうしてコイツの前に立っている、庇っている。あの日―――――――――深海棲艦の襲撃を受けたあの時と同じように、私はこいつを庇っているわ」

 

 

 そう言い切る曙の言葉に反応したのは、痛みに顔をしかめていた司令官だった。彼は慌てた様に口を開くも、曙から向けられた剣幕に気圧されて口を閉じてしまう。

 

 

「その日、コイツは営倉に来たわ。自分でたたき込んでおきながら、どの面下げてきたのかと思った。でも、コイツは救急箱を持ってきて、傷を手当してくれた。ドックに入ればすぐ直るって分かっているのに、『ドックにいれてやれないから』って理由で必要もない手当をしてくれたの。そして、今度は頭を下げてきた。叩き込んだことへの謝罪ではなく、命を救ってくれたことのお礼だって。雪風だけじゃなく、自分の命も救ってくれたって。恩着せがましいにもほどがあるけど、コイツは私がやったことを褒めて、認めてくれた。普通なら見逃す様な事をコイツは見逃さず、あまつさえお礼と言って頭を下げた」

 

 先ほどまでの喧嘩口調から、曙は話を読み聞かせるような柔らかい雰囲気で語る。それに隼鷹さんや司令官、周りの艦娘たちは一言も発せず、ただその話に耳を傾けた。

 

「部下である艦娘に頭を下げるなんてありえないけど、コイツは下げた。それも2回。1回目は皆知っている通り、間違えて(・・・・)ドックに入った時だけど、それも全面的に自分が悪いって頭を下げてき……あ、も、もう1回あったけど……」

 

 そこで言葉を切った曙は何故かそっぽを向く。わずかに見える顔が若干赤くなっているが、わざとらしく咳をした時には普通の顔色に戻っていた。

 

「ともかく、私はそのことがあったから今、信じている。多分、私と同じようにクソ提督の手伝いをした子達は少なからずそんな経験を持っていると思うわ。そんな私たちと、隼鷹さんたちを同じに見ることはで出来ない。でも、今この状況は? 今こうしてクソ提督が真正面から向き合っている。今こそ、その経験(・・)にならない?」

 

 そう力強く問いかける曙。その言葉と真っ直ぐな目を向けられ、隼鷹さんを含めた周りの艦娘の視線が彼女の後ろで呆けた顔を浮かべている司令官に集まる。

 

「でも隼鷹さんは真正面で向き合ってきたクソ提督から目を逸らし、今まで自分が受けてきたことを理由にこじつけで突き放した。コイツが向き合おうと必死に手を伸ばしたのを、貴女はガキみたいなこじつけを正当化するために一瞥もせずに払いのけたのよ。今まで避け続けてきたように、そのくせコイツのことはお見通しだと言わんばかりに理屈をこねて。そこが、ガキっぽいのよ」

 

 そう吐き捨てた曙は両手を握りしめ、大きく息を吸った。

 

「何も知らない、向き合ったこともないくせにコイツのことを分かり切ったようなこと言ってんじゃないわよ!! あんたなんかよりも、私の方が数倍も、数十倍もコイツのことを知っている!! なのに私を差し置いて勝手にコイツを語るな!! 勝手にこじつけるな!! そんなに語りたいならちゃんとクソ提督と向き合え!! 外聞じゃない、誰のフィルターも通さないあんた自身の目で見て!! ちゃんとあんた自身の言葉でぶつかれ!! それだけ……それだけやってから好きに語りなさいよぉ!!」

 

 

 喉が張り裂けんばかりに曙の叫びが木霊し、やがて聞こえるのは彼女の荒い息遣いだけになる。しかし、すぐに別の声が上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に……食べていいっぽい?」

 

 

 その声は曙でも隼鷹さんでも、まして彼女の後を追って出て行こうした者でもない。今まで一言も発さなかった艦娘たちの中から聞こえた。次に聞こえたのは数人の小声、やがて他の駆逐艦に引かれる手を振り払ったらしき一人が一歩一歩とフラフラと進み出てきた。

 

 

 背中までスラリと伸びた金髪、そして斜めに軽く揃えられて黒い細身のリボンで結ばれている前髪を揺らし、綺麗に澄んだ曇りのない緑色の大きな瞳には大粒の涙が浮かんでいる。この駆逐艦は、先ほど司令官がこの鎮守府全員が食べる食事だと言った時にその大きな瞳からポロリと涙を溢していたのを見えた。

 

 

 

「本当に……本当に食べていいっぽい? ゆ、ゆうだ、ゆうだちはぁ……」

 

 涙声になりながら、そう言葉を吐きだす駆逐艦――――――夕立。彼女が一歩一歩進むと、それを見ていた司令官がゆっくりと立ち上がり、彼女に近付いていく。

 

 

「本当に……本当にぃ……」

 

 司令官が少し離れたところで膝を折って夕立と同じ目線になった時、彼女の顔が一気に崩れた。

 

 

 

 

「食べて…………い、『生きて』いいっぽい?」

 

 

 

 

 『生きていいの?』―――――それは、私たち艦娘がここに配属されてから心の隅に抱えていた疑問。

 

 

 国のために艦娘となり、訓練をしていく中で自身とは違う記憶と艤装と言う唯一深海棲艦に対抗できる装備を手に入れた。訓練を終え、いざ鎮守府に配属された最初の日、執務室に座っていた男から言われた言葉。

 

 

 「『兵器』如きが、軽々しく『生きる』と言う言葉を使うな」―――――と言う暴言のような命令。

 

 それは、ついこの間まで人間として暮らしていた私たちに突き付けられた、その瞬間から人間ではない、況して『生きる』ことさえも許されない、『人間』や『生き物』と言うアイデンティティーを否定された、本当の『兵器』にならなければならないと言う現実だった。

 

 

 それを突き付けられた時、誰しもが思った。艦娘(今の自分)は、『人間』はおろか『生き物』ですらないのか、と。

 

 

 そしてそれはその日から始まる地獄のような日々によって徐々に薄れていく。やがて、元々自分は『人間』であったことさえも忘れてしまう、もしくは『人間』であったことに拒否反応を示すようになる頃には、そんな疑問など消え去っていた。

 

 

 

 そんな、今まで誰しもが忘れていた疑問を口にした夕立は、言葉にならない声を上げて司令官の胸に寄り掛かる。そして、今まで押し殺していたように声を上げて泣き始めた。彼はあやす様にその震える背中、そして彼女の頭を優しく撫でる。

 

 

「夕立……だっけか? お前は一つ、間違えてるぞ」

 

 子供をあやす様な声でそう語り掛け、泣きじゃくる夕立の肩を掴んで立たせる。そこには涙でぐちゃぐちゃになった夕立。その頭を撫で、その顔を真っ直ぐ見据え、彼は笑いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「『生きていい』んじゃない。『もう生きている』んだよ、お前らは」

 

 そこで言葉を切った司令官は不意に夕立の背中に腕を回し、その華奢な身体を抱きしめる。いきなり抱きしめられて固まる夕立に、司令官はふたたび語りかけた。

 

 

「飯を食べるから『生きている』んじゃない、『生きていい』から飯を食べる訳じゃない。『生きている』から飯を食べる、そんな当たり前のことだよ」

 

 そう言って、司令官は優しく夕立の頭を撫でる。語りかけられ、そして頭を撫でられた夕立は再び泣き出した。そんな彼女の身体を、司令官はぎゅっと抱き締めてその頭を撫で続ける。

 

 

 彼は言った、私たちは『生きている』と。ただの兵器だと、ただ動けばいいと言われ、今まで人間はおろか『生き物』でさえ否定され、『生きる』ことさえも許されなかった艦娘(わたしたち)に。

 

 こうも言った、『生きている』から食事する、それが『当たり前』だと。たった数ヵ月でかなぐり捨てられた、それまで当たり前であった『事実』を、『事実』を否定されて身も心もただの兵器に成り下がった艦娘(わたしたち)を。

 

 こちらからは一歩も歩み寄ろうとしてこなかった私たちを、司令官は真っ正面に立って、そして認めてくれたのだ。

 

 

 

 

 

「本当に、いいのかい?」

 

 次に声を上げたのは、夕立と同じ駆逐艦。彼女も夕立同様、目に大粒の涙を浮かべて、余計な声を出さない様歯を食いしばっていた。

 

 

「あぁ、いいぞ」

 

「……本当かい?」

 

「当たり前のことだ、許可なんていらねぇよ」

 

 再び問いかけた駆逐艦に、司令官は同じように返す。しかし、とうの駆逐艦は何故か動こうとせず、忙しなく周りに視線を向けていた。周りの目を気にしているのか、そう思った時、一人の艦娘が動いた。

 

 

 

 

「行かないんなら、先に行かせてもらうよー?」

 

 

 そう言って艦娘たちの集団から抜け出したのは龍驤さん。彼女はいまだに動こうとしない駆逐艦そして司令官とその胸で泣きじゃくる夕立の横を通り過ぎ、料理が置いてあるテーブルに近付いた。テーブルの近くで止まった彼女は、一切の躊躇もなく大皿に山のように積まれていたコロッケを一つ手に取り、一気に半分ほどかぶり付いた。

 

 

 彼女がかぶり付いた瞬間、周りの艦娘たちから息を呑む声が聞こえる。しかし、そんなことなどお構いなしに龍驤さんはゆっくりとコロッケを咀嚼しながら、うっとりと顔を綻ばせた。

 

 

「おー、美味いやん」

 

 かぶり付いたコロッケを飲み込んだ龍驤さんは呑気な声を上げる。その姿を口をパクパクさせながら見ていた駆逐艦、それを見つけた龍驤さんはイタズラっぽい笑みを浮かべ、食べかけのコロッケを周りに見える様に軽く上げる。

 

 

 

「皆、何してんの? 司令官の許可貰ったんや。食べへんと損やで? それとも、このままうちがぜーんぶ平らげるのを指を咥えて見てるつもり?」

 

 

 そう挑発的な発言を残し、すぐさま近くにあった取り皿を取るとコロッケの近くにあったポテトサラダを盛り付け始めた。周りが微動だにしない中で、一人嬉々としてはしゃぎ回る龍驤さん。ポテトサラダを頬張っていたとき、ふと彼女は視線だけを先程の駆逐艦に向けた。

 

 

「『生きたい』んやろー? 自分?」

 

 

 そう語りかける。その言葉を聞き、その意味を周りが理解する。その極僅かな間に、駆逐艦は涙を溢しながら龍驤の横に走り込んでいた。

 

 

 

「来おったか。ほな、2人でぜーんぶ平らげちゃおうや!!」

 

「う、うん!!」

 

 龍驤さんの言葉に駆逐艦が涙を浮かべながら元気よく返事をする。その姿に周りの駆逐艦たちは唖然としているも、やがて1人、1人と前に歩き出し、彼女たちの周りにどんどん集まっていき、賑やかになっていく。その中に、抱きしめられていた司令官に押されて輪に入っていく夕立の姿があった。

 

 

 

「長門。君もこっち()いやぁ」

 

 そんな中、頭ひとつ飛び抜けた龍驤さんが呑気な声を上げる。名前を呼ばれた長門さんは、ハッと我に返ってそんな彼女を見つめた。

 

「このままやと、うちら提督代理さんに大目玉喰らうこと必至やん? だから、長門も一緒やと心強いなぁーと思って」

 

 呑気な声でそう語る龍驤さんであるが、その周りで食事を口に運んでいた駆逐艦たちの動きが止まる。止まった手は微かに震えはじめ、ハツラツと輝いていた瞳に恐怖の色が映る。

 

「要するに、道連れになれと言うことか?」

 

「ええやん? 大好きな駆逐艦に囲まれるんやで? 悪い話では無いやろ」

 

「誤解を生む言い方はやめろ。しかし、魅力的な条件ではあるな」

 

「長門さん!?」

 

 長門さんの言葉に周りの艦娘から驚きの声が上がるも、彼女は何か問題があるのか、と言いたげに首を傾げた。

 

「提督が、我々の上司が良いと言ったのだぞ? 何処に問題がある? それに、すでに駆逐艦たちが手を付けてしまっている。龍驤の言葉通り、この後大目玉を喰らうだろうよ。そんな姿を、ビックセブンともあろう私に指を咥えて見ていろと? 冗談じゃないな」

 

 そこで言葉を切った長門さんは駆逐艦たちに向かって歩き出し、取り皿を抱えて固まっている駆逐艦の頭に手を置いた。

 

 

「この長門も輪に入れてくれないか? なぁに、心配するな。お前たちにはこのビックセブンがついている。大船に乗ったつもりでいるがいいさ」

 

 そう自信満々に胸を張って長門さんが言い切った。すると、今まで恐怖を浮かべていた駆逐艦たちの顔に光が宿り、再び楽しそうな声が聞こえ始めた。

 

 

「だが、やはり私だけではどうも不安だ。お前たちも、一枚噛んではくれないか?」

 

 目の前でわいわい騒ぐ駆逐艦たちの前で呟くようにそんな言葉を吐いた長門さんは、今なお微動だにしない艦娘たちにイタズラっぽい笑みを向ける。その表情を見た艦娘たちは更に顔を強張らせるだけで、動こうとはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 数人を除いて。

 

 

 

 

「フフ、流石のビックセブン様もあの人が怖いか。なら、仕方がないよなぁ」

 

 そう言って前に進み出たのは、軽巡洋艦の天龍。おかしそうに顔を綻ばせながら歩を進める、その後ろには不安な表情を浮かべながらも彼女の後についていく姉妹艦の龍田さんの姿が。

 

 

「まぁ、仕方がないよねぇ」

 

 次に進み出てきたのは、同じく軽巡洋艦の北上。眠そうに欠伸を溢しながらも力強い足取りで進み出ている。しかし、途中で立ち止まった彼女はクルリと後ろを振り返り、今なお動こうとしない艦娘たちに向けて冷ややかな視線を浴びせかけた。

 

 

「まぁ、気持ちは分かるけどぉ? 今回ぐらいは、曙の顔に免じて信じてやってもいいんじゃないの? そんなとこ突っ立って、そんなみっともない顔(・・・・・・・)するくらいならさぁ」

 

 そう言葉を残して、北上は駆逐艦たちの元へと向かっていく。そんな後ろ姿を、みっともない顔の艦娘たちが見つめていた。涙でぐちゃぐちゃになって溢れ出る鼻水を幾度となく啜る、そんなみっともない顔で。

 

 

 やがて、その中から一人がフラリと前に進み出た。その足取りはフラフラとしていたが進むごとにしっかりとしていき、それと一緒に歩幅がだんだん広くなる。いつしか、その足はドタドタと言う音を響かせた。

 

 それを皮切りに、隼鷹さんや彼女に続いて出て行こうとした艦娘以外、いや、その中の何人かを含めた殆どの艦娘たちがフラリと歩き出し、やがて脇目も振らずにテーブル目掛けて走り出す。そして奪い合う様に取り皿を手に取る、その上に料理を乗せ、震える手でそれを口に運んだ。

 

 

 それが何度も何度も繰り返され、終いにはその口から嗚咽が漏れ始める。同様に、その瞳から大粒の涙がぽろぽろと零れ始めた。

 

 

 そうして、食堂は料理を口にして顔を綻ばせてキャッキャと騒ぐ駆逐艦たちの楽しそうな声、そして涙や鼻水を拭って料理を口に運ぶ軽巡洋艦以上の艦娘たちの嗚咽交じりの声で一杯になった。

 

 

「こちら、カレーですよー」

 

「ご飯はこっちでーす」

 

 そんな中で響くのは巨大な寸胴とこれまた巨大な羽釜の横に立っている間宮と吹雪の声。彼女たちの言葉に、周りの艦娘たちは一斉に声の方を向き、弾かれた様に2人の元へと押し寄せて行った。そんな光景を前にして、私は何処か懐かしい感覚を覚えた。

 

 

 それはここに配属される前。まだ訓練のとき、一緒だった艦娘たちと揃って食堂に行き、そこで出される決して美味しいとは言えない食事。それでも、周りと一緒に食べるときは決まって笑顔があった。

 

 そしてそれよりももっと前。まだ艦娘の適性があると分かる前、夕暮れ時に泥だらけになって家に帰った時、食卓に置かれた、温かくて美味しいご飯。この世で最も安心できる人が作った、この世でもっとも美味しいモノ。

 

 

 今、目の前にあるのはそれではない。しかし、それではないにしても、こうして目の前で涙を流して嬉しそうに食べている子、美味しいと顔を綻ばせてキャッキャと騒ぐ子がいる。

 

 つい数年前までは当たり前だった光景が目の前に、それも今まで食事とも言えないモノを無表情で一言も発せず、ただ作業の様にそれを口に運ぶだけだった場所。そこに、当たり前だった光景が広がっている。

 

 

 ただそれだけなのに、その懐かしさは温かさに変わり、じんわりと広がっていった。

 

 

「隼鷹ー。そんなとこ突っ立ってないで、君も来たらどうや? それとも、うちの言葉に従わないつもりかい?」

 

「そ、そんなことは……」

 

 

 またもや龍驤さんが今なお動こうとしない隼鷹さんに向けて声をかける。その口調は砕けてはいたモノの、有無も言わせぬ威圧感があった。それに気圧された隼鷹さんは小さく声を漏らした後しばらく何かを呟くも、観念した様にため息を吐いて龍驤さんの元に歩き出した。それに触発され、出て行こうとした艦娘たちも同じようにワイワイ騒ぐ輪へと入っていく。

 

 

 これで、食堂に居た全ての艦娘たちが輪に入った。

 

 

 

 

「あんなに美味しそうに食べられたら、イクもお腹空いちゃうのー」

 

 そんな光景を前に、ポツリと呟くように横のイクが声を漏らし、お腹の辺りを撫でる。それを見た瞬間、ぐおーっとだらしない音が聞こえた。それは私にも良く聞こえた、私のお腹の音だった。

 

 咄嗟にお腹を抑える。それでも収まらず私のお腹はゴロゴロという低い音を上げ、いつの間にかこちらを振り向いていたイクは、小悪魔のような笑みを浮かべていた。

 

「ほほ~う、これはいけないのねー」

 

「ち、違う!? こ、これはそんなんじゃあ!!」

 

 お腹を抑えて抗議するも、それに聞く耳を持たないイクはクックックと笑いを溢して私の手を引っ張ってくる。それに必死に抵抗するが何処にそんな力があるのかと叫びたくなるほど強い力で引っ張られてしまう。

 

 

「提督ー、イムヤがお腹減ったって言ってるから、イク達も食べに行っても良いのー?」

 

「イムヤが? そうか、お前らは作るだけ作って何も食ってないもんな」

 

「イクはそうなの。でも、イムヤは摘まみ食いしていたからイクより減ってないハズなの。イムヤは卑しん坊なのー」

 

 わざとらしく肩を竦めるイクと、それを間に受けて申し訳なさそうな顔を向けてくる司令官。待って、まず何処から突っ込めば良いか分からないわ。

 

 

「まぁ、イムヤが卑しい卑しくないは置いといて、イク達も食べて良いのー?」

 

「ちょっと!! 勝手に片付けないで!! 後、私は卑しくない!!」

 

 舌をペロリと出して小馬鹿にしたような物言いのイクに思わず声を上げて噛みつく。取り敢えず『卑しい』なんて不名誉な肩書きを否定できた。まだまだ突っ込みどころはあるのだが、それを言う前に司令官が顔を背け、ワイワイと騒いでいる艦娘たちを見据えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「因みに、今回の試食会はイムヤたち潜水艦たちの助力が有ってのモノだ。皆、彼女たちにお礼を言うように」

 

 

 突然飛び出したとんでも発言。私の目はそれを吐き出した司令官に釘付けになる。なにせ、その言葉が嘘っぱちだったからだ。

 

 

「ま、待って!! 私たちは司令官に呼ばれて……そう、この前の襲撃の罰としてやっただけ!! そんな率先して手伝いを申し出た訳じゃないわ!!」

 

「それでも、手伝ってくれた半数はイムヤたちだろ? 経緯がどうであろうと、人数面で貢献してくれたことには代わりない」

 

「そ、それは……そうだけど。で、でも私たちはそんな」

 

 

 

 『立派じゃない』、そう言おうとした。しかし、その言葉は突然何かを口の中に突っ込まれたことで途切れてしまう。

 

 

「司令官の言う通り、経緯がどうとかそんなんは関係あらへんよ。けどさぁ?」

 

 そう言葉を溢したのは、山盛りのポテトサラダが乗っている取り皿を手に取り、彼女が使っていたであろうスプーンを私の口に突っ込んでいる龍驤さん。口の中に広がる味、それは先ほどつまみ食い――――――ではなく、味見をしながら作ったポテトサラダだ、そう理解すると同時に龍驤さんは小さく笑みを向けてきた。

 

「少なくとも、うちは知っとるよ。あの日、君たちが敵を見逃したせいでみんなが傷ついたこと――――――の、前にオリョクルで頑張っていたこと。その前の日も、その前も、その前の前の前のもーっと前から、君たちが頑張っていることを。君達の、そしてうちらの食い扶持を確保するために身を粉にして資材をかき集めてくれたことも。ちゃーんと、知っとるよ」

 

 そんな言葉と共にねじ込まれたスプーンを引き抜かれ、優しく微笑みかけてくれる龍驤さん。それを前にした瞬間、手の甲に何かが落ちた。ゆっくり手の甲に目を向けると、一つの水滴の痕。更に2つ3つと痕が増える。

 

 

「あれ?」

 

「イムヤさん、泣いてるのー?」

 

 

 思わず漏れた声、それは横から飛んできた無邪気な声と心配そうに除き込んでくる駆逐艦が。涙を見られたと悟った瞬間、先ほどよりも大きなお腹の音が。いきなりのことに口をポカンと開ける駆逐艦と私。

 

 

「イムヤは今、すごくお腹が空いてる(・・・・・・)から、ポテトサラダが泣いちゃうほど美味しかったのよねー」

 

「ち、ちが――」

 

「そうなの!!」

 

 不意に両肩を掴まれて乗りかかってくるイクがそんなことをのたまってくる。それを否定しようと声を上げるも、それすらも横から飛んできた駆逐艦の声によって遮られてしまう。訂正しようと振り向くと、そこにはカレーライスが乗ったスプーンを手に、キラキラとした目を向けてくる駆逐艦が。

 

 

「それなら、あたしのあげる!! いつも(・・・)頑張ってくれているお礼!!」

 

 そう言って、駆逐艦は笑顔でスプーンを突き出してくる。突き出されたスプーン、そして駆逐艦を交互に見ていると、別の場所から違うスプーンが突き出された。

 

 

「私もあげるよー!!」

 

「私もー!!」

 

「あげるー!!」

 

 

 そんな声と共にいつの間にか周りは様々な料理が乗せられたスプーン、そして駆逐艦たちの笑顔に囲まれていた。その光景にポカンと口を開けていると、最後にスプーンを向けてきた駆逐艦が、満面の笑みを向けてきた。

 

 

 

 

 

 

「イムヤさん、いつもありがとう!!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、私の中でピシリと言う音が聞こえた。それと同時に目頭が熱くなり、段々目がぼやけてくる。それが涙だと察し、見られないよう誤魔化すために一番近くのスプーン目掛けて口を開いた。

 

 

 

 

 

 その瞬間、ダァン!! と言う音が食堂に響き渡った。

 

 

 今までワイワイ騒いでいた艦娘たちの動きが止まり、その視線が音の方―――――限界まで開かれた扉、その真ん中に立っている一人の艦娘に注がれる。そして、皆一様に顔色を青くした。

 

 

 

「何をやってるデース?」

 

 

 ポツリと声が聞こえた。たった一言、呟くような大きさのそれに、この場に居た殆どの艦娘たちがビクッと身を震わせた。そんな言葉を零した艦娘は返答など端から期待していなかったのか、おもむろに歩き出す。

 

 

 カツ、カツと言う音が食堂に響く。その音が鳴る度に艦娘たちは身を震わせるも、司令官は少しも動じる様子もなくただ近づいてくるその音の主に顔を向けていた。段々と近づいてくる足音の主は、司令官から少し離れた所で止まった。

 

 

 一瞬の沈黙、それは何処か軽い口調の司令官の言葉によって破られた。

 

 

「やっときたか、金剛」



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提督代理の『理由』

「やっときたか、金剛」

 

 

 その言葉に、ワタシ――――――金剛は身体中の血が一気に沸き立つのを感じた。しかし、周りの艦娘の目がある手前ここで下手に感情を出すのは良くないと訴えかけた自制心によって、高ぶる感情を何とか抑え込んだ。その代わりに、ワタシはテートクから周りに居る艦娘たちに視線を向けた。

 

 

 

「貴女たちは、今自分が何をしているのか分かっていますカ?」

 

 

 そう問いかける。その瞬間、周りの艦娘たちの血の気が一気に引くのを、駆逐艦たちは涙を浮かべるのが見えた。それが示すのは、彼女たちは己が犯したことの意味を理解していると言うことだ。しかし、それも一歩前に進み出たテートクの一言によって覆られた。

 

 

「俺が勝手に飯を作って薦めただけだ。艦娘たち(こいつら)に非は無い」

 

 その言葉を受け、周りの艦娘たちはテートクに驚いたような、ワタシは込み上げる感情をぶつけるような、そんな視線を浴びせ掛けた。しかし、その視線に彼が怖気づくことは無い。ただ、憮然とした態度でワタシを見るだけであった。

 

 

「では、この状況はテートクが彼女たちを誑かしたために出来たモノであると、そういうことで良いデスカ?」

 

「あぁ、そうだ」

 

 ワタシの問いに、テートクは臆することなくそう言ってのけた。その言葉に周りの艦娘は一様に息を呑む。その様子から彼の言葉が本当かどうかは分からないが、そんなことはどうでもいい。ワタシはただ、目の前に佇む人間(・・)しか見えていなかった。

 

 

「……まぁ、今回はテートクの言葉を信じまショウ……何故このようなことをしたんデスカ?」

 

「んなもん決まってる。この状況を打開するためだ」

 

 ワタシの目を見据えて、テートクはしっかりとした口調で答えた。それと同時にワタシは眉を潜め、そしてしかめっ面を彼に向けた。

 

 

 彼が言った『この状況』、それは何なのか。まぁ部屋にあった走り書き、そして今なお皿を手に固まっている艦娘たちを見て察しは付いている。大方、艦娘(ワタシ)たちの『補給』についてだろう。しかし、それを打開すると言う彼の言葉が引っかかった。

 

 

「その言い草、まるで今までの状況がおかしいとでも言いたげデスネ」

 

「あぁ、おかしいって思っているからな。当たり前だ」

 

 少し窘めるようなワタシの言葉に、テートクは迷いなく淡々とした口調で答えた。それが何故か癪に障ったが、感情を出したら負けであると自らを言い含めて、すました顔を繕った。

 

人間(テートク)にはおかしいかもしれませんが、艦娘(ワタシ)たちにとっては当たり前のことデース。勝手に決め付けないでくだサーイ」

 

「……まぁ、他に食うモンが無かったから仕方がなかったんだろ。初代の時は横領されて、その後はこっちから支援を打ち切ったんだ。そうなると、唯一自給できる資材を『食事』代わりにするしかないしな」

 

「食事ではなく『補給』デス」

 

 肩を竦めながらのたまうテートクの間違い(・・・)を訂正する。艦娘に必要なのは資材などを『補給』することであり、『食事』など必要ない。まして、人間が食べられるモノなどもってのほかだ。

 

 

「でも、それは『食材』が無かったからだろ? それさえ確保すれば、別に『食事』しても問題ないだろ?」

 

「食材ではなく、『資材』デス。……わざと間違えてマス?」

 

「それはお前だろうが」

 

 ワタシの訂正に、人間(・・)は渋い顔で戯言を溢した。何を言っているのだ、この人間は。艦娘に『食材』や『食事』などの言葉を使うなんて、それこそワタシたちを愚弄していると言うものだ。

 

 

 特に、存在そのものを全否定した大本営(おまえら)なんかに、そんなことを言う資格なんて無い。

 

 

 と、熱くなってしまった。そう自分に言い聞かせ、胸の奥から込み上げる熱を無理やり飲み込む。何度か息を吐いたところで、ワタシは更に引っかかった言葉に疑問を投げかけた。

 

 

「『確保した』と言うことは、何か伝手を利用したってことデスカ?」

 

「……資材と同じで、上層部のお偉いさんから支援を取り付けてきた」

 

 ワタシの言葉に、人間はこの日初めて視線を逸らした。口調も若干上擦っている。ここがウィークポイントだろう。しかし、それよりも引っかかるモノがあったためそちらから問いただす事にしよう。

 

 

「昨日、受けた報告にはそのことについて一言も聞いていまセーン。それは、何故デスカ?」

 

 

 昨日、ワタシは人間から大本営に出頭してどんなことがあったかを聞いた。その時、彼は襲撃に関することを問いただされたこと、中将と呼ばれる男に庇われたこと、庇われた理由が新人であったこと、そして資材(・・)の支援を取り付けたことを報告するだけだ。

 

 食材(そんなもの)が送られてくるなんて、一言も聞いていない。これはどういうことか。

 

 

「言ったら真っ先に潰されるのが目に見えていたから、隠させてもらった。それについては本当に申し訳ない」

 

 

 ワタシの問いに人間は申し訳なさそうな表情でそう答え、言い終わると同時に頭を下げる。その光景に周りの艦娘は再び息を呑むも、同時にワタシは抑え込んだ熱が再び沸き上がるのを感じた。

 

 

 昨日の報告された時点で疑問ではあった。何故、ただの新米の人間に中将とやらが上層部の追及を庇い、そして資材や食材の支援を買って出たのか。そして今、人間が食材の件を隠していたことが発覚したのを踏まえて、疑問は確信へと変わった。

 

 

 恐らく、人間と中将は個人的に繋がっている。そしてそのことを隠していたことから、その条件の中にワタシたちが含まれていることも確実だろう。

 

 

 そして、今回はその条件を達成する上での第一歩だ。

 

 

 何を企んでいる? ワタシたちを懐柔して何をさせる気だ? どんな目に遭わせる気か? 意図的に被害を出す気か? いっそ、全員沈める(ころす)気か? 

 

 

 いや、そんなことはどうでもいい。今重要なのは、人間がこんなことをした理由を隠しているという事実だ。それだけでコイツの真価も分かる、今までと同じ(・・)だと。

 

 

「潰されるとマズイ理由が少々気になりますガ、ワタシを騙したのは事実デース。そして、そのお偉いさんとやらと共謀し支援と(かこ)つけた甘い言葉でこの子達を懐柔して……大方、この子達にも本当の目的を教えてないんでショウ? ホント、つくづく最低なクズ野郎デース」

 

「……隠していた手前何も言えないが、流石にちょっと言い過ぎだろ」

 

「どうでもいいデース」

 

 

 反論がない=確定事項。そう結論付けた瞬間、ワタシの関心は人間から周りの艦娘へと移った。

 

 

 コイツは大本営の人間と共謀してワタシたちを騙していたことが露見した。これで艦娘たちは、コイツがワタシたちを騙し、酷使し、使えなくなったら捨てる。そんな使い捨ての兵器であるワタシたちに真実を教えなくていい、そう考えているのが分かっただろう。

 

 コイツがどんな手を使ったのかは分からないが、ともかく皆コイツの甘い言葉に騙されている。何としても打開させねばなるまい。

 

 

「皆さん、よく考えてくだサイ。初代の蛮行を見過ごし、頼みもしてないのに勝手に人間を押し付け、しかもその全員が役立たずばかり……そんな大本営が、たかが一人の言葉で支援を再開すると思いますカ? それもまだ着任して間もない、実績も名声もない、ただの新米のために支援をすると思いますカ? その間に何かしらの取引が交わされているのは明白デース。そして見落としているかもしれませんが、先ほど人間は私が『本当の目的を教えてない』と言った時に否定してまセン。つまり、貴女たちにも『本当の理由』を隠していマース。それは何故か、何故隠す必要があるのか……これでもまだ、この人間の言葉を信じますか?」

 

 ワタシの問いに今しがたそのことに気付いたのか、その場に居た殆どの艦娘の顔が強張る。そしてそれは猜疑心を孕んだモノへと変わり、一人一人の視線が人間へと注がれる。

 

 その視線に晒された人間はそれらと相対するようにゆっくりと周りを見渡した。その横顔には、何故か恐怖が浮かんでいない。少しも変わらない、真剣な表情が浮かぶだけだった。

 

 

 何故だ、何故少しも動じない。ワタシの言葉で再び艦娘たちは猜疑心を芽生えさせ、その目を向けている。状況は明らかに不利だ。なのに、何故人間は平然としていられるのだ。

 

 

 ふと、ゆっくりと動いていた人間の顔が止まり、次の瞬間頷いた。その視線の先に目を向けると、周りと同じように人間を見つめる吹雪。

 

 

 しかしその顔に猜疑心はなく、人間と同じ(・・)真剣な表情が浮かんでいた。

 

 

 

「さて、金剛。実は俺もお前に聞きたいことがある」

 

 

 ふと投げかけられた人間の言葉に振り返ると、人間は真剣な表情をこちらに向けていた。

 

 

 

「……何でショウ?」

 

「お前がそこまで『資材』と『補給』にこだわる理由はなんだ?」

 

 何を聞いてくるかと思えばそんなことか。そんなの先ほどから、出会って二日目の夜に言った筈だ。何度も聞かれようが、答えは同じだ。

 

 

「ワタシたちが食事(そんなこと)を必要としない『兵器』だからデス。何度も言わせないでくだサーイ」

 

「それは、『兵器だから資材以外口にするな』って初代が言い出したことだろ。強制していた奴が消えた今、どうしてそれを続けているんだ?」

 

「さっき貴方も言ってたでショウ? それしか自給出来なかった、その通りデース」

 

「当時はそうだ。でも今は食材があって、安定した供給が出来る。それなのに、どうして『補給』にこだわる?」

 

大本営(おまえら)が信用できないからデース」

 

 淡々とした口調の問いに、ワタシは詰まることなくスパッと言い切る。それを受けた人間は、何故か小さくため息を吐いた。何だ、何か不満でもあるのか。

 

 

 

 

 

「何度も言うが、艦娘(おまえ)たちは俺たちと同じ存在だ」

 

 

 不意に人間の口から飛び出した言葉。それは抑揚もなく、必要最低限の感情すらも籠っていない淡々とした口調であった。

 

 

 なのに、それはワタシの中の感情を大きく揺さぶってきた。

 

 

「お前も知っている通り、艦娘は妖精を目視、意思疎通できる『人間』が、特殊な訓練を経ることで誕生する存在。その過程の中で身体を改造するなんてこともなく、ただ艤装を装備でき、砲門を具現化し、艦艇の記憶と意識を宿しただけの、そんな特殊な能力を持った『人間』なんだ」

 

 淡々と続くその言葉。それを遮る言葉はいくつでも見つかった。しかし、それを口にする余裕はない。間欠泉のように噴き出してくる熱と感情を抑え込むのに必死だったからだ。

 

 

「勿論、『人間』と艦娘とじゃ違うところはある。でもそれと同等、もしくはそれ以上に同じところもある。『食事』をとれるし、食事や資材を食べなければ腹が減る。出撃をすれば疲労が溜まるし、睡眠や『食事』をすれば疲労もとれる。怪我をすれば痛いし、血も出る。まぁ、そんなもん入渠すればすぐに治っちまうが、人間が受ける応急処置や治療も効く。そして―――――」

 

 

 

「shut up!!」

 

 

 人間の言葉をかき消す様に、いや掻き消すために大声を上げる。突然大声を上げたことに周りの艦娘たちはビクッと身を震わせ、人間も口を閉じた。そして、周りの視線がワタシに集まってくる。

 

 

 腕から具現化した巨大な砲門を、人間に向けていたからだ。

 

 

「ワタシ……ワタシたち艦娘は『兵器』!! 『人間』ではなく『兵器』!! 人間(おまえら)なんかとは違うんデス!! これ以上……これ以上『同じ』なんて言ってみるネ!! 二度と減らず口を叩けない様、その身体もろとも消し炭にするデース!!」

 

 

 そう言い切ると、砲身からガコンと言う音が聞こえた。それは砲弾が装填された音、いつでも砲撃できると言う合図だ。引き金を引けばその瞬間目の前に居る存在全てを消し去れると言う、向けられた者への最後通告。

 

 

 しかし、最後通告を突きつけられてなお、砲門の前にいる人間が動じることはなかった。目の前で砲門を向けるワタシを、どこか憐れむような目で見てくる。それが、何よりも腹立たしかった。

 

 

「……つまり、お前は人間(おれたち)と一緒にされるのが嫌で、『食事』を拒んだってことか?」

 

「そうデース!! 人間と同じ存在、なんて考えるだけで虫唾が走り、吐き気を催しマース!! ワタシは艦娘が人間と同じ存在でないのなら、後はどうでもいいネ!! それが『兵器』でも『化け物』でも、『人間(おまえら)』と違う存在であればそれでいいんデース!!」

 

 

 ワタシは『人間』が嫌いだ。特にこの鎮守府にクソみたいな体制を作り、それを強要しほしいままに権力を振った初代が世界で一番嫌いだ。

 

 そんな初代を送り込んできた大本営が嫌いだ。その後、大本営から送り込まれてきた無能で使えない提督が嫌いだ。

 

 

 そして、今目の前で『人間』と同じだと言い張る、『共通点』と言うただのこじつけを片っ端からほじくり返すコイツが嫌いだ。大っ嫌いだ。

 

 

 ワタシはコイツなんかとは違う。艦娘たちのことを第一に考え、そして動いてきた。だから――――

 

 

 

 

 

 

 

 

「なら、お前は初代(・・)と同じだな」

 

 

 ポツリ、と呟くように聞こえた人間の声。それはちょっとした音で掻き消されてしまいそうだったが、どうしてか、ワタシの耳にははっきりと聞こえた。

 

 

 

「……what?」

 

「だって、お前は『人間』と一緒にされたくないから食事を拒んだんだろ? それは艦娘全体じゃなくて、お前だけの個人的な(・・・・)理由だ。なのに、お前はそれを理由に他の艦娘たちの食事さえも否定した。個人的な理由を周りに押し付けたってことだ。それって、周りからの評価や欲望のために無理な出撃や食事制限、伽をお前たちに強要した初代と何が違うんだ?」

 

 ワタシの問いに人間は淡々とした口調で、あたかも事実を語る様に答えてくる。しかし、その言葉の殆どを理解することは出来なかった。今、頭の中にあるのは「初代と同じ」と言う言葉のみ。それを何度も繰り返し思い浮かべ、その意味を理解しようと噛み砕くのに必死だったからだ。

 

 

「勿論、他の艦娘たちも始めは食事を拒んだよ。初代が戒めた……金剛(・・)が戒めたようにな。でも、コイツ等は『人間と一緒にされたくない』なんて一言も言わなかったよ。ただ『生きていいのか』って、そう聞かれた。お前らがここに配属された時、『人間』の前にある大前提『生きている』ことを否定された、『生きていない』から食事を取ってはいけない、そう言ったよ。だから俺は言った。ここに配属されてからずっと『生きている』って、生きているから食事をする、そんな『当たり前』のことだって。そうしたら、皆食い始めた。笑ったり、泣いたりしながら食ってたよ。そこに『人間と一緒にされたくない』なんて理由は無かった」

 

 何を言っているんだ。人間と一緒にされたくない、これは皆思ってることだ。もし人間と一緒にされれば、大本営はおろかあの初代と同じになってしまう。そんなこと、誰が望むものか。どうして、進んでアイツらと同じ存在になろうとするんだ。あんな仕打ちをしてきたやつだぞ、そんなヤツと同列なんて死んでもごめんだ。

 

 

「そんなこいつらに、お前は『人間と一緒にされたくない』って言う個人的な理由を押し付けた。押し付け、従うよう強要したんだ。しかも、食事をさせないと同時に『生きる』ことを否定したんだ」

 

「違う!!」

 

 

 再び、大声を上げて人間を黙らせる。しかしその声には先ほどまでの勢いはなく、弱弱しい。人間に向けている砲門は小刻みに震え、同時に全身も震えている。込み上げてきた熱は目の辺りに集まり、熱い雫となって頬を伝っていった。

 

 熱が引いていくことで頭が冴えてくる。しかし、それはワタシに思考する余裕を与えることはなく、人間の言葉を用いて自問自答する時間のみを与えてきた。

 

 全力で否定したい。全部違う、そんなことない。ありえない、そんなつもりはないと。しかし、人間に言われた言葉を思い浮かべる度に、今までやってきたことに疑惑の目を向けてしまい、やがてその言葉通りに見えてくるのだ。それと同時に、今度は自責の念が込み上げてくる。

 

 

 どうして……どうしてワタシが初代と同じことをしたのだ。一番嫌いで一番憎い、今目の前に現れたら問答無用で消し炭にするほどなのに、どうしてワタシは初代と同じことをやってしまったのか。なんでそうなってしまったのか。なんでこんなことをしてしまったのか。ワタシはただ……―――――

 

 

 

「『あの子』に……」

 

「金剛さん」

 

 

 不意に聞こえた人間ではない声。振り向くと、真剣な表情の吹雪が立っていた。その手に料理が盛られた皿を携え、それをワタシに差し出しながら。

 

 

 

「これ、ワタシが作ったんですよ。食べてみてください」

 

 笑顔を浮かべて、吹雪はそう言いながらワタシの手に皿を押し付けてくる。突然横に現れた吹雪、そしていきなり皿を押し付けてくることに頭が回らなかったが、その皿を受け取ることは無かった。

 

 

 笑顔で皿を差し出してくる吹雪でさえも、人間と同じように見えたから。

 

 

 貴女もワタシを否定するのか。今までやってきたことを、初代と同じだと言うのか。今まで艦娘たちのことをかんがえてやってきたことを、全て否定するのか。そうなのか、否定するのか。

 

 

 お前も、ワタシを『初代』だと言うのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう思った瞬間、ワタシは片手を大きく振りかぶっていた。

 

 

 パァン!! と、乾いた音が食堂に響き渡る。その次に聞こえたのは食器が割れる音、次に何か重いモノが床にぶつかる音。

 

 掌に集まる熱と鋭い痛み。激しく乱れた息と滝のように落ちる汗。そして目の前に見える、粉々に割れた皿とグチャリと床に落ちる料理。

 

 

 

 そして、その横で寝そべる様に倒れ伏す吹雪の姿。

 

 

 その姿が、一瞬『あの子』に見えた。

 

 

 

「いn―――」

 

「吹雪!!」

 

 

不意に出たワタシの言葉をかき消したのは、叫ぶようにそう言って吹雪に駆け寄ったテートク(・・・・)であった。彼はピクリとも動かない吹雪を助け起こし、介抱を始める。その姿にワタシは駆け寄ることも忘れ、無意識の内に視線を上げた。

 

 

 見えたのはワタシや吹雪たちの周りを取り囲む艦娘たち。誰一人として状況を把握していないためか、全員が目を見開いて固まっていた。その中で、ふと一人の駆逐艦と目が合う。

 

 その駆逐艦は目が合った瞬間、その顔を強張らせた。思わず一歩引いたのが分かる。そして、強張らせた顔に既視感を覚えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今よりも昔に見た、『初代』を見る時の顔だ。

 

 

 それだと分かった瞬間、ワタシの身体は走り出していた。

 

 

「金剛!!」

 

 

 背後からテートクの声が聞こえる。しかし、その時に既にワタシは食堂の出口へと走り、扉に体当たりをかまして外に飛び出したところであった。

 

 飛び出した反動で上手く着地できずに転んでしまうも、すぐに立ち上がって再び走りだす。後ろから再びテートクの声が聞こえるも、振り返ることは出来なかった。今は一刻も早くあの場から離れることだけしか考えられなかった。

 

 全力で廊下を駆け抜け、転がる様に階段を下りる。途中、転んだリぶつかったりしたが、それでも足が止まることは無い。とにかく離れたい一心でがむしゃらに走った。

 

 

 

 

 どれぐらい走ったであろう。後ろから声も聞こえない。少なくとも、食堂からは離れることが出来た。追ってくる子もいない。

 

 それが分かった瞬間、心臓を握り潰されそうな痛みが襲ってきた。同時に肺から空気が込み上げ、次の瞬間激しく咳き込む。咳をするごとに涎や鼻水が飛び散り、視界は涙で霞んで良く見えない。

 

 

 そう思った立ち止まった瞬間、足の力が一気に抜けた。次に全身の力が抜け、そのまま床に倒れ伏した。傍から見れば、その姿は糸が切れた人形みたいだったかもしれない。しかし、そう思う間もなく視界が一気に暗くなり、同時に全身の感覚が遠退いていく。

 

 

「……!!」

 

 

 遠くの方で声が聞こえ、同時にバタバタと足音が聞こえる。一体、誰だろうか。いや、この声は聴いたことがある。誰だったか、よく聞いた声だ。そして、何故か懐かしい。

 

 

 誰だ?

 

 しかし、その答えにたどり着く前にワタシの意識は途切れた。



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軽空母の『嗅覚』

『もう……ダメ……みた……す』

 

 私の腕の中で、『彼女』は苦笑いを浮かべて呻き声を上げた。

 

 その顔、そして全身には無数の火傷に大小様々な裂傷が刻まれ、そこから血が止めどなく溢れ出ている。その背中に背負う艤装からは甲高い金属音と共に無数の煙と火花が飛び散り、艤装としての機能が完全に失われていた。艤装がただの重しとなった『彼女』の身体は、まるで引き込まれるように(した)へと沈んでいこうとしている。

 

 『彼女』を抱きかかえるワタシ、苦渋に満ちた表情でそれを見据える艦娘たち。ワタシたち、そして敵であっても、助かる見込みはないと判断するだろう。それほどまで、『彼女』はボロボロだった。

 

 それでも、ワタシは沈めまいと『彼女』を抱き抱える腕に力を入れる。ワタシも助かる見込みが無いと判断している。恐らく、『彼女』も助からないと諦めているだろう。それでも、ワタシはその身体を離さなかった。頭では助からないと分かっていても、別の何か(・・)が決して諦めることが出来なかった。

 

 突然、ワタシは側の艦娘()に向けて喉がはち切れんばかりに声を上げる。自分が何を言おうとしたのか、何故かワタシの耳には聞こえなかった。それでも、その艦娘は歯を食い縛りながら力強く頷いた。

 

 

 それと同時に周りの艦娘達が一斉に動く。

 

 

 ある者は無線を駆使して通信を試み、ある者は腕のカタパルトから偵察機を発艦させ、ある者は砲門を構えながら周りに鋭い目線を走らせた。各々が安全の確保に全勢力を注いでくれる。今、新手の深海棲艦が現れてもある程度の対処は可能、これで周りの安全は確保された。

 

 

 後は、ワタシが『彼女』を連れて帰ればいい。ただ、それだけだ。

 

 

『金……ごぅ……さ……』

 

 不意に、腕の中で『彼女』が声を出した。すぐさま『彼女』の方を見る。『彼女』はおもむろに手を伸ばして私の頬に触れ、口を開いた。

 

 

 

『     』

 

 

 

 

 

 彼女が何と言ったのか理解できなかった、いや理解する()がなかった。何故なら、その瞬間に彼女が(・・・)ワタシの胸をおもいっきり突き飛ばしたからだ。

 

 

 

 突然の衝撃にワタシの体勢が崩れ、彼女の身体から腕が離れてしまう。何とか倒れないよう体勢を立て直すワタシの耳に、重たいモノ(・・)が水に落ちる音。

 

 すぐさま視線を上げると、目の前には大きな水柱――――の影に見えた、小さな手のひら。

 

 

 それを見た瞬間に喉元まで込み上げてくる言葉。それを抑え込む術も余裕も、今のワタシには無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気付いたら、ボンヤリと霞む視界に白い天井が映った。そして何かを掴もうと天井に伸びる白く細長い腕、ワタシの腕。

 

 あまりの状況の変化に戸惑っているワタシの視界に人影が映った。

 

 

「お目覚めかい?」

 

 

 ポツリと聞こえた声。それは何処か聞き覚えのある、目まぐるしく変わる状況に対応できない頭でも、その声が誰か把握できるほど、馴染み深い声。

 

 

 

「……響デスカ?」

 

「ご名答。響だよ」

 

 ワタシの言葉に、響はそう返す。その飄々とした口調、そしてボンヤリと映る視界の中で彼女の癖である帽子の唾を掴んで下げることで、彼女であると分かった。

 

 

「ここは……何処デスカ」

 

「君の部屋だよ。昨日の朝、雪風に食堂に来るよう誘われたんだけど、前日に残しておいた艤装の整備があったからそれが終わり次第向かうことにしたんだ。そして整備も終わっていざ食堂に向かおうとしたら、廊下で君が倒れているのを見つけてね。すぐに皆を呼んで此処まで運んで、その後は皆で交代しながら番をしてたのさ。それで今、ちょうど私の時に目を覚ましたってわけ」

 

 淡々とした口調の説明は、廊下で倒れてから途切れた記憶と合致した。彼女の言葉通り、ワタシは廊下で倒れてから今まで意識を失っていたのだろう。それよりも、昨日の朝と言うことは……。

 

「……どのくらい経ちましたカ?」

 

「丸1日と半日ぐらいかな。因みに、今は2回目の番だよ」

 

 1日と半日、それだけ意識を失っていた。我ながら長過ぎだと思うし、それだけ意識を失っていたとなると執務も溜まっているだろう。今からそれを片付けると思うと……これもテートクが原因だ。

 

 

「北上の検診によると、疲労の蓄積による心身の衰弱が主な原因。そこに高ぶった感情と形振り構わない衝動が加わって倒れたらしいよ。ここ数日、ちゃんと休んでいたかい?」

 

 ワタシの考えを見透かしたのか、響はカルテらしい書類がまとめられたボードを手に呆れた顔を向けてきた。テートクも原因であると言い張ろうと思ったが、その鋭い視線にいたたまれなくなって黙って視線を逸らしながら身体を起こす。その視界の外で彼女の溜め息、そしてが何かを机に置く音が聞こえた。

 

 それを確認して、ワタシはどうしても聞きたかったことを口にした。

 

 

 

「響は……食堂のことを聞きましたカ?」

 

「聞いたよ。君が吹雪を殴ったことも」

 

 

 響の返答に、ワタシは身体中の血の気が引いていくのを感じる。しかし、頭では自分に対する非難の言葉が浮かんでいた。

 

 当たり前だ、あの時から1日以上経っているのだ。知らない方がおかしい。よくよく考えれば分かっていたことではないか。何でこんなバカな質問をしたのだろう。

 

 それと同時に、そんな質問をした理由も浮かんでいた。ワタシは、単に『味方』が欲しかったのだ。テートクの言葉に惑わされない、ワタシの傍に居てくれる艦娘を。

 

 

 しかし、それは彼女の言葉で脆くも崩れ去った。鎮守府(ここ)に、ワタシの味方はいないと、そう悟ったからだ。

 

 

 

 

「でも、君は『初代』と同じなんかじゃない」

 

 

 不意に聞こえた響の言葉。その言葉に、ワタシは顔を上げて彼女の顔をマジマジと見つめた。

 

 

 

「確かに、艦娘(わたし)たちは『人間』との決別なんて望んでないし、君はそれを目的に色々なことを強要した。でも、それはただ『人間との決別を図りたい』と言う願い(・・)であって、初代のような小汚い欲望や野望なんかとはまるで違う。あの時司令官が言ったのはそんな見方も出来るよ、ってだけ。言ってしまえば、ただの『屁理屈』さ。まぁ、君が彼に今まで言い続けてきたことも、そして私のこれも『屁理屈』と言われればそれで終わりだけどさ」

 

 響の淡々とした言葉。それは小さいながらも、しっかりと通る声で、ワタシの耳に届いてきた。その言葉はワタシにのしかかる重みを解く半面、別の重圧をかけてきた。

 

 

 何故なら、彼女はワタシの味方でもテートクの味方でもない。どちらにも加担しない、第三者目線の言葉だからだ。

 

 

「今回の……と言うよりも、今までの君と司令官の争いは、もう『理屈』ではどうにもならないんだ。『理屈』でどうにもならない状況だ。だから、互いに正論の皮を被った『屁理屈』をこね続け、それに押し負けた君が感情を爆発してしまったんだよ。知ってるかい? 水掛け論の必勝法は、いかに相手の感情(ボロ)を引き出せるか…………そら、ボロが出た」

 

 

 響は途中で言葉を切り、窘めるような表情でワタシの顔を覗き込んでくる。それに思わず顔を背けると、彼女そう言って苦笑いを浮かべた。

 

 

「まぁ、感情を露にすることが全て悪手って訳じゃないよ。理屈や屁理屈は楽に片が付く反面、使える場面は限られるから万能ではない。逆に、感情は理屈や屁理屈の前では悪手になってしまう反面、それらが通じない場合は非常に強力な理由となる。感情は使いようによっては自爆材にも、強力な理由(ぶき)にもなるのさ」

 

 そう言って肩を竦める響を、ワタシは黙って見つめ続けた。

 

「でも、私からすれば今回は司令官の方が酷いと思うよ。何故なら、彼は『鎮守府(ここ)のことをよく知らない』ことを武器にしたんだから。過去にここで何があったか、それが私たちにどれだけ傷を負わせたのか、君が今までどんな思い(・・・・・)で司令官代理をしてきたのか、司令官はそのほとんどを知らない。でも、彼はそれを逆手にとって、『無知』という免罪符で君にあんな酷いことを言ったんだ。たぶん、彼は自分の言葉で君が傷つくことを知って、それが免罪符になると踏んでいた(・・・・・)と思うよ。誰かの入れ知恵かもしれないけど」

 

 

 つまり、響の言葉はこうだ。彼は傍から見ても相当酷い言葉を投げかけた。しかし、それは彼が着任して間もないために『よく知らなかった』から、誤って(・・・)そんな言葉を投げかけてしまった。これは一概に彼を責められない、もしくは仕方がない(・・・・・)ことなのだ。

 

 

 そう、傍から映るかもしれない。テートクはそうなると分かっていた上で、敢えてその間違いを犯したのだと、彼女は言っているのだ。

 

 やはり人間は汚い。だが、周りの艦娘たちが彼の思惑をそこまで理解しているのかは分からないし、何よりその術中に嵌ってしまったのは紛れもなくワタシの過失だ。ワタシ自身にも責任がある。

 

 それに、皆の前で『感情』に突き動かされて吹雪を殴ってしまった。これはワタシでも弁論の仕様もなく、艦娘たちに最悪の印象を与えてしまった。恐らく、彼女たちの目には初代の再来として映っただろう。

 

 

 これらを踏まえて、改めてワタシは味方がもう居ないことを再確認できてしまった。それはつまり、こういうことを表している。

 

 

 

「ワタシの居場所、もう無いんデスネ」

 

 

 ポツリと漏れた言葉。それは小さな小さな呟きであった。しかし、ワタシはそう呟いた後、響は帽子の唾を下げながらこう言った。

 

 

「なら、確かめてみるかい?」

 

 

 響の消え入りそうな小さな問いかけ。その瞬間、コンコンとドアがノックされた。

 

 

「いいよ」

 

 部屋の主であるワタシを差し置いて響が許可を下す。それを受けて、ノックした人物がドアを開けて入ってきた。

 

 

 

 

 ワタシを術中に嵌め、鎮守府から全ての居場所を奪った男―――テートクだ。

 

 

 部屋に入ってきた彼はワタシを見て一瞬表情が強ばるも、すぐに表情を引き締めて近付いてきた。

 

 

「いつ起きたんだ?」

 

「ついさっきだよ」

 

 テートクが響に問いかけ、彼女は何事もないように返す。それを受けたテートクは、響からワタシに視線を変えた。彼と目が合うと思った瞬間、ワタシの視線は彼から外れ、シーツを握り締める己の手に注がれた。

 

 

 

「気分はどうだ?」

 

 

 遠慮気味にテートクが問い掛けてくる。しかし、ワタシは答えなかった。いや、正確には答えられなかったのだ。

 

「まだ、優れないみたいだな」

 

 頭上からテートクの声が聞こえる。少しの凄味も威圧するような重厚感もない、普通の声色だ。でも、ワタシの耳には、この世で最も恐ろしい言葉のように聞こえた。

 

 

「響、席を外してくれるか?」

 

一向に応えないワタシを尻目に、テートクは響にそう言った。その瞬間、ワタシは視線をそう言われた響に向ける。テートクとワタシ、二つの視線に晒された彼女は少しも考えることなくこう答えた。

 

 

「分かったよ」

 

「ひびッ!?」

 

 予想外の答えに思わず声が出るも、彼女はまるで聞こえてないかのように反応しない。テートクに向けて敬礼をし、ワタシを一瞥することなく部屋から出て行こうとする。

 

「金剛」

 

 その後ろ姿をワタシが呆然と見つめる中、彼女はドアノブに手を掛けた時に思い出したように声を上げた。

 

 

 

「さっきまで私が言っていたことは信じなくていい。だけど司令官の言葉は、今だけ(・・・)は、どうか信じてほしい」

 

 

 こちらを振り返すことなくそう言い残し、響は部屋から出て行った。あとに残されたワタシ、そしてテートクは一言も発することなく、彼女が出て行った扉を見続けため、しばらく部屋は沈黙に包まれた。

 

 

「金剛」

 

 その沈黙を破ったのは、テートクだった。その言葉にワタシはビクッと身を震わせ、彼と目を合わせない様、視線を自分のシーツに移した。

 

 

「こっちを向いてくれないと、話が出来ないんだが」

 

 頭上から、彼の声が聞こえる。しかし、それでもワタシは顔を上げることが出来なかった。現実では昨日のことだが、ワタシの意識ではつい先ほど激しい言い争うを演じながらその術中に嵌め、1日にしてワタシの立場を陥れた人間の顔を、どうして見れるだろうか。絶対、見れるわけがない。

 

 

「まぁいい。正確には話じゃなく、事後報告(・・・・)だからな」

 

 いつまでも経っても反応しないワタシに、テートクはそんな言葉をかけてくる。話ではなく事後報告、と言うよりも、私への断罪と言った方が正しいだろう。あれだけのことをやらかしたのだ、何も罪に問われない方がおかしい。

 

 

 

「先ず、昨日付けでお前を秘書官の任から解いた。これからは俺と秘書艦に志願した日替わりの艦娘、そして補助の大淀で執務を行うことになった」

 

 

 テートクの口から零れた言葉。妥当な判断だ。なにせワタシは秘書官に任命されただけ、それだけの艦娘だ。『テートク代理』なんて言い張ったが、そんな役職はない。勝手に言い張って、勝手に鎮守府を運営していただけだ。それ以下は無数に存在するだろうが、それ以上は絶対にない。

 

 秘書艦を日替わり制にしたのは、恐らく今後ワタシのような艦娘を出さないための対策だろう。大淀は主にテートクが執務をこなせるようになるまで補助に就かせ、彼が執務に慣れてくれば別のことをさせる。最終的には彼の一本化にするのが目的だろう。

 

 最終的には鎮守府の全てのことを彼が掌握することになる。本来、それが普通なのだ。しかし、ワタシには今目の前でそう話すテートクが、何故か初代(あのおとこ)と重なって見えた。でも、今のワタシではどうすることも出来ない。

 

 

「そして、今後は他の鎮守府や大本営とも連携を取る予定だ。あくまで予定だから今後色々と混乱するかもしれない、そこから正式な支援を取り付けられるかは分からないが、今後のことを考えてもここで関係を修復する。状況的に安全であると判断すればだが、あちらから送られる人員も受け入れるつもりだ」

 

 

 大本営との関係修復。いつものワタシなら、この言葉を聞いた瞬間彼を殴り飛ばしていただろう。しかし、今はそんな気持ちが一切湧いてこない。むしろ興味が湧かない、今まで散々食い下がったモノがどうでもいいように感じていた。

 

 

 そんな気持ちになっているワタシに、彼は今後の鎮守府の体制で変わった点を教えてくれた。

 

 

 先ず、出撃について。これは艦娘たちの希望を元にスケジュールを組み、月の8日は半日、その内4日は終日の休暇を設けることとなった。まだ調整中ではあるが、これが安定すれば艦娘一人一人にかかる負担を抑えた上で、全艦娘が十分な休息をとれるようになるのだとか。

 

 次に、食事について。これは出撃を控えた者のみが燃料と弾薬を補給、その日出撃がない者や出撃を終えた者、そして夕食は全艦娘が食堂で出される食事をとることになった。これも調整中ではあるが、安定すれば資材の消費を抑えることが可能となり、艦娘たちの士気も維持が出来るだとか。因みに、艦娘たちが食べる食事は、間宮と10人程度の週替わり当番制を設けて対応するらしい。

 

 そして、先ほど述べた秘書艦の交代制。その内容は先ほど彼が言っていた通りなのだが、他の二つとはある点で違っていることにワタシは気付いた。

 

 

 それは、既に施行(・・)されていること。他の二つは調整中にあるにもかかわらず、何故かこれだけは今、現在進行形で機能しているということだ。

 

 

「何故、秘書艦だけは既に動いているのデスカ?」

 

 無意識の内にポツリと零れた言葉。それによって、テートクの話は途切れた。話を途中で途切れさせられた彼であったが、その顔に不満げな表情を浮かべることはなく、淡々とした口調でこう言った。

 

 

 

「艦娘たちが、お前を秘書艦の座から降ろして欲しい。そう言ったからだ」

 

 

 その言葉を聞いて、ワタシは少しも驚かなかった。だって、今まで散々思い知らされてきたことではないか。ワタシの味方は、居場所はもう存在しない。分かっていたことだ、今更絶望なんてしない。ただの事実として受け入れられ、何かが吹っ切れた。

 

 

 そして、それは同時に鎮守府への『存在意義』が消えたことを表していた。

 

 

 

 

 

「解体してくだサーイ」

 

 

 ポツリと、ワタシは呟いた。普段よりも少しトーンが低いがそれ以外は普段と変わらない、いつも通りの口調で。

 

 返答はない。ワタシはいつも通りの顔でテートクを見上げる。先ほどまでは絶対に見られないと思っていたのに、吹っ切れたせいかその感情すら感じなくなっていた。その日、ワタシは初めてテートクと視線を交わした。

 

 

 彼は食堂と同じように憮然とした表情をしていた。しかし、その唇は固く結ばれ、その目に焦りが見えた。

 

 

「解体してくだサイ、テートク。ワタシは上司である貴方に逆らったんデスヨ? 上司への反抗は軍規違反、そして今までワタシが犯してきた罪は山よりも高く海よりも深いはずデース。だから極刑に、あなた達で言う死刑にしてくだサイ。解体が生ぬるいなら、今から単艦で出撃してきましょうカ? 装備も全て降ろして、必要最低限の燃料だけ補給して、深海棲艦の餌食になってきましょうカ?」

 

 

 再び、ワタシはそう言った。しかし、彼は一言も発しない。

 

 

「どうしました、何故何も言わないんデス? あなたはこれが目的なんでショ? ワタシを陥れて鎮守府を掌握する、それは達成したんデスヨ。あとはどうするか、邪魔な奴を始末すればいいんデス。ほら、何か言ったらどうデス? 何で何も言わないんデスカ? 何で黙っているんデスカ? 何で何も言い返さないんダヨ? 言いたいことがないんデスカ? 何か言ってみろヨ……言えヨ、言えって言ってるダロ!! ナァ!! 言え―――」

 

 

 いつの間にか怒号に変わっていたワタシの言葉が途切れる。それは、テートクがおもむろにポケットに手を突っ込み、折りたたまれた紙を差し出してきたからだ。

 

 

「What?」

 

 ワタシは差し出された紙、そして差し出してきたテートクを一瞥しそう言った。しかし、彼は頑なに口を開こうとせず、ただ紙を差し出すだけ。彼が何も言うつもりは無いと判断し、ワタシは差し出してきた紙を受け取って中を開いた。

 

 

 それは手紙だった。それも、書いては消してを繰り返したのかその紙は所々黒く汚れており、水滴が落ちたかのように灰色の斑点が付いている。そんな紙の中央に、こう書かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『金剛さんを解体しないでください』

 

 

 その一文を読んで、ワタシの思考は停止した。

 

 

「それ、ついさっき駆逐艦から貰った嘆願書だ。それだけじゃない。執務室に行けば、それと同じものが山ほどある」

 

 ふと聞こえたテートクの言葉。それに思わず彼を見る。そこには先ほどの憮然とした表情ではなく、力無い苦笑いが浮かんでいた。

 

 

「確かに、艦娘たちはお前を秘書艦から降ろすよう言った。でも、それと同時に解体処分にしないことも言ってきた。そして、ついさっきをもってお前以外の艦娘全員が嘆願書(これ)を渡してきた。この意味、分かるか?」

 

 テートクが問い掛けてきた。しかし、ワタシは頷くことが出来ない。嘆願書が示す意味の前に、まずこれの存在自体が理解出来ないから、その意味まで考える余裕がないのだ。

 

艦娘たち(あいつら)は、お前のことを少しも恨んでない。これ以上負担をかけないために秘書艦を降ろさせ、軍規違反で解体されないように、こうして嘆願書を持ってきた。つまり、金剛を助けようとしているんだよ。だから解体しないし、俺も元々解体する気もない。まぁ、俺が言っても説得力ないかもしれないけどさ。でも――――」

 

 

 そこで言葉を切ったテートクはその場で膝を折って座ってるワタシと同じ目線になり、シーツを握るワタシの手に触れ、こう言った。

 

 

 

 

「俺のことは信じなくてもいい。でも、艦娘たち(あいつら)のことを、あいつらがやってきたことを、信じてやってほしい」

 

 

 真っ直ぐ、片時も目線を外すことなく彼はワタシを見据えてそう言い切った。その言葉、その表情、その視線に、止まっていた思考が動き出す。そして、たどり着いた言葉を吐いた。

 

 

 

 

 

「どう信じればいいんデスカ?」

 

 

 その言葉が零れた瞬間、テートクの表情から光が消えた。そして何か言いたげに口をモゴモゴしているのを尻目に、ワタシは淡々と言葉を吐き出す。

 

 

「響はテートクを、テートクは艦娘を信じろと、そして互いに自分のことは信じなくてもいい、と言いましタ。響の言葉を信じるならあなたを、あなたの言葉を信じるなら艦娘たちを信じることになりマス。でも、あなたの言う艦娘たちには響も含まれていますが、あの子には自分の言葉を信じる必要はないと言われましタ。でも、あなたの言葉を信じるにはあの子を信じなければならないんデス。あなたたちのどちらを信じても、どちらも信じることが出来ないんデス。どうすれば……どうすればいいんデスカ?」

 

 

 テートクと響は、互いに自分を信じなくてもいいから艦娘を、テートクを信じろと言っている。どちらか片方を信じても、どちらも信じても、結果はどちらも信じるな、と言うことになる。つまり、二人が言っていることは矛盾している。それは答えがない問題を渡されて答えを導き出せと言われていることと同じ、不可能(・・・)なのだ。

 

 

 だから、ワタシはテートクに問いかけた。この答えのない問題を解く方法を、テートクや艦娘たち両方を(・・・)信じることが出来る方法を知っているのであれば。

 

 

 

「……残念だが、それに答えることは出来ない。問いかけておいた手前、すまなかった」

 

 

 しかし、彼はその問いに答えず、代わりに謝ってきた。その姿を見たワタシは、彼から手にある嘆願書に視線を落とした。

 

 

「最後に、お前の処分についてだ。合議の結果、無期限の謹慎処分だ。それが解けるまで、出撃や演習に参加すること、そして鎮守府の敷地外に出ることは禁止だ。取り消しのタイミングについては、客観的に可能でないと判断しない限り、お前の意見を尊重した上で決める。だから……」

 

 

 そこで、テートクは何故か言葉を切った。ほんの一瞬沈黙が生まれるも、それは彼がいきなり立ち上がったことで破られ、嘆願書に移っていたワタシの視線が再び彼に注がれる。

 

 

「十分に頭が冷えて、通常の任務に就いても何ら支障がないと判断したら、傍にいた艦娘にでも言ってくれ」

 

 

 それだけ言って、彼はクルリと背を向けてドアに近付いていく。その後ろ姿をワタシはずっと見つめていたが、やがて視界は薄い膜でも張られてしまったかのようにぼやけてしまう。

 

 そして、ドアが閉まった。その瞬間、ワタシの口から小さな泣き声が漏れる。一度漏れた泣き声は洪水のように止めどなく溢れていき、視界をぼやかしていたものは無数の涙となり、頬を伝って嘆願書に落ち始めた。

 

 

 

 溢れてくる涙が枯れ切った時、手にあった嘆願書は黒ずみと灰色の斑点で文字が滲んで読めなくなっていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「『休んでくれ』なんて、俺の口から言えねぇよな」

 

 金剛の部屋を出て執務室に向かう途中、俺はそうため息を溢した。

 

 

 大淀や今日の秘書艦である榛名と一緒にある程度書類を捌いたとき、気分転換がてらに金剛の様子を見に行ったら目を覚ましててびっくりしちまったよ。なんとか表面上は取り繕ったけども、バレていたんだろうなぁ。

 

 そして、番をしていた響に席を外させて金剛に今の鎮守府の現状、そして彼女の処分を言い渡した。現状について話しているとき、彼女はあまり聞いていなかったんだろうな。無理ないよな、今まで自分が敷いてきた体制をまるっと変えてしまったんだから、面白いわけがない。

 

 

 それにアイツ(・・・)の予想通り、金剛は解体を申し出てきた。たぶん、この状況の鎮守府で過ごす自分が耐えられなかったと思うが、その前に聞いてきた質問から見るに自分以外の艦娘たちが俺側についてしまったと勘違いしたんだろう。打つ手が思い付かずに一言も発せなかった俺に怒号を浴びせたのも、俺がそのことを隠しているとでも思ったんだろうな。実際は違ったんだが、あの時は本当に危なかった。部屋に行く前に嘆願書を受け取らなかったらどうなっていたか……。

 

 と言うか嘆願書、この嘆願書だ。

 

 会ってきて分かったが、今、金剛に必要なのは十分な休息と一人になるための時間だ。一応、禁止しているのは鎮守府の敷地外ってだけで鎮守府内は自由に歩けるものの、他の艦娘と顔を会わせることを避けるだろう。そこに無理に艦娘たちが会いに行けば、それが今の精神状態の金剛にどんな影響を及ぼすか分からない。恐らく、良い影響を与えないのは確かだ。

 

 でも、嘆願書なら直接会わなくても言葉が伝わるし、金剛が処分しない限りはずっと残るため彼女に時間的余裕を与えられる。そして書かれている言葉が変わらないから、さっきの俺と響のようにどちらの言葉が本当か嘘か分からなくなることはない。つまり、金剛のペースで艦娘たちの言葉と向き合うことが出来るのだ。

 

 

 初めて持ってこられた時は驚いたが、ここまで読んだのは流石第3艦隊旗艦(・・・・・・)と言うべきか。

 

 

 

「司令官?」

 

 

 そんなことを思っていると、後ろから声を掛けられた。振り返ると、小さな土鍋とお椀を乗せた盆を持った吹雪が立っていた。しかし、その背中には華奢な彼女には不釣り合いな武骨い艤装を背負っている。

 

 

「ご苦労さん、吹雪。それは金剛の分か?」

 

「お疲れ様です。はい、帰投した時に響ちゃんから金剛さんが目を覚ましたと聞いたので、艤装も外さずに来ちゃいました。あ、第3艦隊(・・・・)の戦果報告は後で必ず行くので、今は見逃してもらえませんか?」

 

 そう言って、吹雪は苦笑いを浮かべる。しかし、俺は苦笑いを浮かべる彼女の目が、赤く充血しているのを見逃さなかった。

 

「構わない。別に吹雪じゃなくても他の奴に報告させていいんだぞ?」

 

「いいえ、大丈夫です。報告も私の役目ですし、あまり長居をするのもあの人に悪いですから。では、失礼します」

 

 そう言って吹雪はクルリと背を向けると、逃げるように走り出した。しかし、その足は俺が彼女の腕を掴んだことによって止まる。

 

 

「……俺が言うのもなんだが、お前だけが背負う必要は無い。俺だけじゃない、皆背負う覚悟だ。だから――――」

 

 

「司令官」

 

 

 俺の言葉は、吹雪の一言によって遮られてしまう。俺が黙ったのを確認して彼女は再びこちらに向き直り、涙が浮かぶ顔のままこう言った。

 

 

 

 

 

「覚悟じゃないんです。背負いたい(・・・・・)んですよ。私は、あの人を」

 

 

 それだけ言うと、吹雪は一礼をして今度こそ走っていった。その後ろ姿を、俺はただ見つめることしか出来ない。やがて彼女の後ろ姿が見えなくなる。それを確認してから、俺は執務室へと歩き出した。

 

 

 

「司令官」

 

 

 再び声を掛けられる。それは先ほどの吹雪の同じ言葉であったが、関西訛り(・・・・)の効いた独特なイントネーションで発せられたため、振り返るよりも前に誰であるかが分かった。

 

 

「龍驤か」

 

「そうやで」

 

 振り返った先には、少し離れた場所からいつもの柔和な笑みを浮かべた龍驤が手招きしていた。なんだろ、口調も相まってきな臭さが尋常じゃないんだが。

 

 

 

 

「何か用か?」

 

 

「急ぎの話があるんや。付き合ってくれへん?」

 

 そう言って、再び笑みをこぼす龍驤。しかし、その笑みにはいつもと違い言い知れぬ威圧感があり、思わず腰が引けてしまった。その様子を見てか、龍驤はクルリと背を向けると、手でついてこいと合図をしながら歩き出してしまう。

 

 

 その後ろ姿、そして言葉の重圧に無視できないと判断し、俺はその後を追った。



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新米提督の『胸中』

「とうちゃーく」

 

 間の抜けた声と共に目の前の龍驤が足を止める。それに一瞬遅れて止まる俺に、彼女はクルリとこちらに向き直り、とあるものを指さした。その顔にはいつもの笑みが浮かんでおり、片方の腕は後ろに回している。見た感じ、飛び掛かられる様子はない。それを確認して、俺は指差す方に目を向けた。

 

 

 それは古めかしい樫の木で出来た扉。ボンヤリした光が点々と奥へと続く長い廊下にポツンと浮かぶ、そんな何の変哲もない只の扉であった。

 

 年期を感じられるも扉自体は傷んでいる様子はなく、隅々まで手入れが行き届いている。埃が積もっていないのを見るに、今でも使われるのだろう。なら此処は何だ? 資料室なら執務室の横にあるから、倉庫辺りだろうか。

 

「入りますよー」

 

 此処がどのような場所であるかを熟考している俺を尻目に、龍驤は間の抜けた声を上げながら扉を開けて中に入る。それに気付いて俺は慌ててその後を追って中に入った。

 

 

 中に入って最初に感じたのは、鼻を刺すような金属と油の匂いだ。あまりに強烈な匂いに鼻を摘まみたくなるが、前の龍驤は慣れているのか特に気にすることなく悠々と進んでいく。その姿を見ている内に目が暗闇に慣れ、其処は俺の背丈を優に越える棚で囲まれているのが分かった。

 

 

 暗闇で何が置かれているかは分からないが、やはり倉庫だろう。でも、たかが倉庫に頻繁に出入りするのか? なら、何か特別なモノがあるとか。

 

 

「此処はウチら空母が乗せる艦載機を作り出す……『儀式場』って言えばウチ的にしっくりくる。ま、謂わば空母専用の工厰みたいなもんや」

 

 

 暗闇の中で龍驤の声が響き、同時にボンヤリと光が現れる。それは天井の光ではなく、壁に掛けられたガス灯でもなく、龍驤の指先から発せられる小さな光だった。光によってぼんやりと照らされる彼女の片手には、不思議な模様が書かれたお札。

 

 その光景に首をかしげる俺を尻目に、龍驤は笑みを浮かべながらお札に光を近付けた。

 

 

 その瞬間、お札は光の中に吸い込まれてしまう。突然の光景に俺は声を上げようとするも、口から出たのは息を呑む音だけ。

 

 何故なら、次の瞬間に鋭い羽音と共に光から一回り小さい艦載機が飛び出し、彼女の掌に降り立ったからだ。

 

 羽音は掌に降り立つと同時に止む。その後、艦載機は沈黙を保っていたが、その操縦席らしき場所から戦闘服に身を包んだ妖精がひょこっと顔を出した。

 

「ウチは(これ)が、他の空母は矢が艦載機になるのは知ってるよな? 艦載機を作り出すカラクリはちょいと奇っ怪やけど、簡単に言えば資材で作った特殊な塗料で専用の呪詛を札や矢に刻む。すると、刻まれた札や矢に艦載機と操縦士が宿るっちゅう寸法や。せやけど、これがくじ引きみたいなモンで何が出るかはウチらでも分からんのが痛いな。何でも、先の大戦で艦艇(じぶん)が乗っけてた艦載機が宿ることが多いらしいって話や」

 

 そう言いながら、彼女は掌の妖精の頭を軽く撫でる。撫でられた妖精はくすぐったそうに頬を綻ばせるも、龍驤の手が離れると名残惜しそうにいそいそと操縦席に帰っていった。

 

 てか艦載機ってそんな生まれ方なのかよ。世の科学者もビックリのトンデモ現象過ぎるわ。でも妖精なんてファンタジーな存在も居るわけだし、気にしない方がいいか。

 

「でも、なんで工厰と別になってるんだ? メンテナンスとか大変だろ?」

 

「それは単にスペースの問題っていうのもあるけど、一番は塗料、特にこの強烈な臭いやなぁ」

 

 そう言いながら、龍驤は光が灯る手で傍の『艦載機用』と書かれた大きな箱を叩く。あぁ、この匂いって塗料なのか。なら別にするのも頷ける。駆逐艦とか、身体の小さな艦娘とかは敏感そうだし。

 

 

 と、そんな空母専用工廠の話は置いておいて、もう本題に移ろう。

 

 

「それで? 話って?」

 

「そんな急かさんでもええやん。もうちょい、雑談しようや」

 

 俺の言葉にわざとらしく頬を膨らませる龍驤。いや、『急ぎの話』って言ったのお前じゃねぇか。何で雑談するんだよ。それにこっちも暇じゃない、その辺の一般人が見ても少なくないと感じるぐらいは書類が溜まってるんだよこんちくしょう。

 

 

「急がなくていいなら俺は戻るぞ」

 

「ごめんごめん、冗談や」

 

 そう言いながらドアの方を振り返って帰ろうとした時、後ろから龍驤の声と共に羽音が聞こえる。その直後、俺の真横を何かが通り過ぎた。ちらりと見えた黒いボディから、多分艦載機だ。

 

「なら、雑談(・・・)はここまでや」

 

 

 再び後ろから龍驤の声が。それに振り返ろうとした瞬間、俺の視界は突然強烈な光に包まれた。

 

 

「ッ!?」

 

「電気を付けただけやで?」

 

 突然の光に声を上げて目を庇う俺の耳に龍驤の呆れた声が聞こえる。その言葉、そしてそれ以後何も身体に変化がないことで、自身に危険がないのは分かった。でも、やはりここにいると、反射的に身を守ってしまうのは仕方がないことだろ。

 

 取り敢えず顔を庇っていた手を下し、目を開けてみる。真っ暗な空間でいきなり電気を付けられたため、目が光に慣れてないのかぼんやりとしている。しかし、それも徐々にハッキリとしていき、改めてこの部屋の全体像が見えてきた。

 

 

 俺が立っている場所の周りには入った時に微かに見えた大きな棚で囲まれており、その棚には艦載機の工廠らしく大小様々な艦載機が鎮座している。そして、その艦載機の横にはその操縦士らしき妖精たちが立っていたり、座っていたり、寝そべっていたり、2、3人で寄り添ったりしながら、俺に視線を注いでいる。

 

 

 傍から見れば、とてもほのぼのとした光景に見えただろう。でも、その光景に俺はほのぼのどころか壮絶な悪寒を感じた。いや、感じざるを得なかった(・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 何故なら、その全員の手に鈍く光る銃火器。それは彼らの視線と同じように、その黒光りする銃口の全てが俺に注がれていたからだ。

 

 

 

 

「ここからは曙が言った通り、『お話』といこうや」

 

 

 そんな光景の中、ふと投げかけられた龍驤の声。振り向くと、何処からか持ってきた丸椅子に腰を下ろし、足を開いてその膝に肘を置いて頬杖を突く彼女。サンバイザーでその殆どが隠れた顔から覗く二つの瞳を、真っ直ぐ俺に向けている。

 

 

 その瞳と視線を合わせた瞬間、心臓を握りしめられるような圧迫感、そして全身にのしかかる重圧が襲い掛かってきた。口を動かすこと、唾を呑み込みこと、呼吸するだけでも辛い。まるで、重力負荷の大きい場所に放り込まれたような感覚だ。

 

「お前は……」

 

「見ての通り、その辺にいる極々普通(・・)の軽空母やで? まぁ、強いて言うなら―――――」

 

 思わず漏れた俺の言葉に、龍驤はそこで言葉を切ると『完璧』な笑顔を向けてきた。

 

 

 

 

 

 

鎮守府(ここ)に必要ない、あってはならない『ゴミ』を処理する……『ゴミ処理係』ってとこか」

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、凄まじい寒気と強烈なプレッシャーが襲ってきた。それを発しているのは龍驤。しかし、彼女は笑顔は変わっていない。

 

 

 否、1つだけ変わった場所がある。

 

 

 それは『目』。笑顔で細めていた目を開き、俺を見据えているのだ。

 

 しかも、何故か俺は龍驤の目に既視感を覚えた。その目は金剛や潮の『兵器』(あの)目ではない。

 

 

 あれは……そう。大本営に出頭して、上層部と顔を会わせたときに向けられた。

 

 

 照峰元帥(・・・・)が向けてきた目にそっくりだ。

 

 

「と、言うわけで、これから司令官にはウチと質疑応答をしてもらう」

 

「質疑応答? なん―――」

 

 先ほどの間の抜けた声とは一変して、低い声色で淡々と話し出す龍驤。その言葉に疑問を溢すも、次に聞こえた弾を込めるらしき金属音に、俺はそれ以上言葉を続けることが出来なかった。

 

 

「質問の内容、対する答えの形は基本自由。イエスかノーでもいいし、ちゃんとした言葉で答えるのもアリや。ただ、どんな質問でも絶対に答えてもらうのが条件な。勿論、ウチだけじゃなくて君からの質問もOKや。ただ、公平を期すために質問出来る数が同じになるよう、交代で質問していく形を取らせてもらう。簡単やろ?」

 

 何が公平だ。周りを武装した妖精に取り囲まれている時点で俺が不利だろ。なんて、口にしたらヤバい言葉を飲み込んで、代わりに頷いた。そんな俺を見て龍驤は満足そうに笑みを浮かべ、頬から手を離して前かがみの姿勢になる。

 

 

 その間、その瞳は絶えず俺を捉え続けていたが。

 

 

「ほな、先ず君が鎮守府に来た理由は?」

 

 いつもと寸分狂わず同じトーンで、同じ口調で問いかけられた質問。しかし、それが『いつも』と変わらないことに一番の恐怖を覚えた。

 

 

「……上層部の判断だ。『類稀なる器量と采配を振るえるには提督しかない』って名目らしい。俺には体のいい左遷にしか思えないが」

 

「……今までのと同じってわけか。あの髭親父共、もっとマシな…………話が脱線したわ。ほな、次は君の番やで」

 

 頬を掻きながらそう促してくる龍驤。彼女が簡単に質問権を回してきたことに面を喰らうも、何とか頭を働かせて質問を捻り出す。そして、一つの疑問が浮かんだ。

 

 

「……さっき言った『今まで』と同じってのは、俺が来る前に着任した提督たちのことか?」

 

「そうや」

 

 俺の問いに龍驤は何の悪びれもなくそう答える。しかし、その答えに俺の体温がさらに下がった。

 

 

 『今までと同じ』、そしてその『今まで』が初代以降から俺直前までの提督たちのことを指している。普通に考えれば矛盾もない普通の答えだ。でも、更に踏み込んでみるとどうだろうか。

 

 

 まず、何故彼女は『今まで』の提督たちの着任理由を知っている? それは今、俺にしているような質疑応答と言う名の尋問をしたからだろう。

 

 次に、何故彼女はそんなことをする? それは、彼女がこの鎮守府の『ゴミ処理係』だからだ。

 

 では、彼女が処理する『ゴミ』とは何か? それは鎮守府に必要ないモノ、あってはならないモノのことを指す。否、そうではない。

 

 

 彼女の呼ぶ『ゴミ』とは提督(・・)。つまり俺を含めた大本営から派遣された人間のことを指すのだ。

 

 

 そして、彼女は言った。提督(ゴミ)処理係と。

 

 

 

「今までの提と―――」

 

「質問者は交代する(・・・・)って言ったハズや。忘れたんか?」

 

 俺の問いを掻き消すように龍驤が言葉を吐く。それは先程よりも低く、語気も強い。同時に頭上で無数の金属音。今動けば確実にハチの巣にされる――――その言葉が本能的に動きを止め、俺の口から言葉を吐きださせた。

 

 

「……すまん」

 

「分かってるならええで」

 

 直前の氷点下の語気から打って変わり、いつもの笑みを浮かべる龍驤。何だろ、『切り替えが上手い』とかいうレベルじゃない、人格が変わっているかと思う程コロコロ変わる口調と語気。それが重鎮が纏う雰囲気のようなモノを醸し出している。

 

 

「ほな、大本営に召集された時、アイツらから何言われたん?」

 

 

 そんな不気味な程自然体な口調で龍驤はそう問いかけてくる。その様子に背筋に冷たいモノを感じるも、何とか喉から声を絞り出した。

 

 

「この前の襲撃に関する被害報告、その責任追及で上層部と少し口論になった。その後、その中の一人である中将に庇われ、その人と個人的に資材と食材の支援を取り付けるように言われた」

 

 

「それだけ?」

 

 

 俺の返答に、柔和な笑みを浮かべた龍驤が問いかける。特に語気が強いわけでもなく、口調も普通のその一言。それが俺の身体中の体温を奪うのに、そう時間がかからなかった。それに拍車をかける様に、笑顔の中に生えるあの目。

 

 まるで俺が何か隠しているのを見透かしているような、そんな気がしてならない。しかし、その言葉は俺に少しだけ余裕を与えた。

 

 

 

「質問者は交代するって言った筈だぞ。忘れたか(・・・・)?」

 

 

「……ホンマや、すまんかったな」

 

 

 先ほど、彼女が言った言葉をそっくりそのまま返してやる。その言葉に一瞬目を丸くした龍驤であったが、笑いをかみ殺す様な声を上げながらそう言った。質問の上乗せはさっきに咎められたばかりだからな、これで少しは流れをこっちに持っていきたい。

 

 

「なら、改めて……今までの提督たちはどうなった? まだ生きている(・・・・・)のか?」

 

 

「君は今まで捨てたゴミのことを覚えているんか?」

 

 

 笑みを浮かべながらそうのたまう龍驤。その言葉を聞いた瞬間、全身の筋肉が強張るのを感じた。

 

 

「冗談や、冗談。確かにウチは捨て(・・)はしたけど壊した(・・・)ことは無いで? だから、そんな怖い顔しんといてや」

 

 感情が顔に出ていたのか、動物を落ち着かせるようなしぐさをしながら龍驤がそう言ってくる。その言葉、そしてまたもや聞こえた無数の金属音に本能的に身に危険を感じ、ギリギリのところで理性と思考を繋ぎ止めた。

 

 彼女が何度も口にした『捨てる』と今初めて口にした『壊す』。これが隠喩であること、そしてその意味が何なのか、言われなくても分かった。

 

 

「ほな気を取り直して、昨日の食事―――君で言うところの『試食会』……か? あれをやった理由は?」

 

 次の質問は昨日の試食会について。これに関しては昨日の時点で既に話したんだが、まぁもう一度話すことになんら問題はない。

 

 

「あれは昨日言った通り、『補給』を『本当の食事』に切り替えるためだ。でも、一昼一夜で何の前触れも無しに切り替えるのは確実に反発を招くだろ? だから、先ずは『試食会』と称して食事に触れてもらおうと思って―――」

 

 

「違う、そうやない」

 

 

 俺の言葉を掻き消す様に鋭い声を上げる龍驤。その言葉に思わず彼女を方を見る。彼女は頬杖をついていた手を前で組み、少し前傾姿勢になっていた。

 

 

 その顔には先ほど浮かべていた笑顔はなく、代わりに今まで見たことが無い程真剣な表情がある。

 

 

 

「ウチが聞きたいのは、『本当の理由』や」

 

 

 真剣な面持ちの龍驤から零れた言葉。それに俺は反応することが出来ず、ただポカンと口を開けた。『本当の理由』?

 

 

「昨日、食堂で金剛が言ってたやろ? その理由以外(・・)にもある、そしてそれを隠しているって。それが知りたいんや」

 

 真剣な顔、そして今日一番の低い声で龍驤は問いかけてくる。隠したらどうなるか分かるか? と、暗示しているような、そんな言葉だ。

 

 

 確かに、あのとき全ての理由を話していない。だが、それはあの場(・・・)だったからこそで、今この場なら別に言えないわけではない。

 

 しかし、その理由は先ず信じてもらえないだろうし、それに下手したら俺は愚かアイツ(・・・)の立場も悪くなってしまう。何としてもそれだけは阻止しなければ。

 

 そんな思いから、俺はあの時を含め今も口を割らなかった。

 

 

「……だんまりか? なら、答えやすいようにイイコト(・・・・)教えたるわ」

 

 黙っている俺にしびれを切らしたのか、龍驤は立ち上がって俺に近寄り耳元で囁いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「知ってるで? 君が、大本営(アイツら)から艦娘(ウチら)を沈める様に言われているの」

 

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、思考や身体機能を含めた俺の時間が止まった。直接脳にフックを喰らったような、そんな衝撃に近いショックがそれら全てを停止させたのだ。

 

 その視界の中で離れていく龍驤の顔にはあの笑顔を浮かんでいる。その目は一切笑っていない。

 

「ウチは『ゴミ処理係』やで? 今の君と同じように、提督の(その)数だけこれをやってきて、そして君以外は全て『捨てた』んや。その中で、このことを漏らさないのが居らんと思ったか? まぁ、その殆どはウチからネタバラシをした形になるんやけど……今の君、ネタバラシ組と同じ顔やで?」

 

 

 こちらを覗き込む龍驤。彼女の目に映る俺の顔がどうなっているか、なんて考える余裕はない。他のことを考えていたわけでもなく、まだ思考が停止していたわけではない。ただ、龍驤の言葉を必死に咀嚼していた。その意味を落とし込み、なんと言おうかを。

 

「改めて言うで。君が試食会を開いた理由は何や? 敢えて言い直すなら、君が試食会を開いたのは金剛が言った通り、ウチらをどうにかするための、沈ませるための下準備か?」

 

 念押しとばかりに発せられた問い掛け。それと同時に、龍驤は片手を上げる。次に聞こえたのは今まで聞いたことのない数の金属音。それは、俺の周りから聞こえた。

 

 

 そんな状況の中、とある一つの言葉が思い浮かんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そっち?」

 

 

「は?」

 

 

 意識とは無関係にポロリと漏れた言葉。次に聞こえたのは今まで聞いた中で最も間抜けな声と、それを発したであろう面を喰らった顔の龍驤。その顔を、同じように呆けた顔で見つめる俺。

 

 

 しばらくの間、部屋は沈黙に包まれた。

 

 

「……ってことはあれか?」

 

 その沈黙を破ったのは、未だに呆けた顔でいる龍驤だ。その片手はいつでも合図が出させるように上げてはいるが、それ以外は完全に警戒心が解けていた。

 

「大本営の密命を遂行する以外に理由があるってことか?」

 

「や、ち、違う違う!!」

 

 龍驤の言葉に思わず大声を上げて否定する。そんな俺の姿に、龍驤は呆けた顔のまま口を開いた。

 

 

「……ほな、それ以外に理由は無いってことか?」

 

「それも違う!!」

 

「ならどういうことや?」

 

 龍驤の言葉に食い気味に否定する。すると、彼女は呆けた顔から訝し気な顔に変えさらに問いかけてきた。声色も若干イラついている。矛盾したことを言う俺にイラついているのだろう。しかし、当の俺はこの状況で最も安全な方法を見つけようと頭をフル回転させていた。

 

 とは言っても、既に俺の中で答えは出ている。

 

 龍驤は今、大本営の密命以外に理由があることに勘付いている。ここで変に隠したところで不信感を抱かせるだけだ。なら、もういっそのこと全て(・・)話してしまおう。

 

 

 後は、全てを話した際に被るデメリットをどうフォローするかだ。

 

 

「龍驤」

 

 しばらくの間、唸り声を上げていた俺はそれを止めると同時にそう言いながら彼女の方を向いた。そこには、待ちくたびれたと言いたげな顔の龍驤が立っている。

 

 

「今から洗い浚い全て話す。そして、今を持って俺はお前への質問権を放棄する。だから、今から話すことは絶対に口外しないでくれ。それが守れないなら俺は何も話さない」

 

「……話さない場合、ハチの巣になることは承知の上か?」

 

「あぁ、承知の上だ。だから、頼む。約束してくれ」

 

 脅しとも言える龍驤の言葉に俺は力強く言い切り、彼女に向かって頭を下げる。暫しの沈黙、それは深い溜め息によって破られた。

 

 

「……分かった、口外せんって約束するわ」

 

「すまん」

 

 そう言いながら顔を上げると、いつの間にか椅子に腰かけている龍驤。その顔には訝しげな顔が浮かんでいる。

 

 取り敢えず話を聞こう、とでも言いたげに顎で合図をしてきた。

 

「先ずは訂正から。確かに俺は大本営からお前らを沈めるよう命令された。だが、俺は端からお前らを沈める気なんて毛頭無い。絶対とまでは言えないが、少なくとも俺の意思(・・・・)では絶対に沈ませない。勿論、お前らを懐柔しようとも思っちゃいない。まぁ、早い話、昨日の試食会に関して大本営の密命は一切関係ない。多分信じられないかもしれないが、それだけは念頭に置いてくれ」

 

 先ずは先ほどのやり取りで誤解を生んだところの訂正から。そこで言葉を切り、龍驤を見る。彼女は訝し気な顔のまま俺を見つめ、顎で続きを話せと促してくる。

 

 

「んで、試食会の理由か。主なものは2つ。先ずはさっき言った通り、『補給』を『本当の食事』に切り替えるため……それじゃ納得しないか。なら、『食事』が必要だって思ったからだな」

 

 

 艦娘たちは資材があれば食事をとらなくても高いパフォーマンスを実現できる。それはただ知識としてあるだけで、実際に艦娘たちは食事もとれるし元々人間だったこともあって『補給』よりも『食事』の方が受け入れやすいだろう。しかし、ここの艦娘たちは『補給のみでいい』と言う事実を、そして文字通りそれをやってのけてしまった。出来ると証明してしまったのだ。

 

 だから、初代は食事の予算を横領するため彼女たちに資材のみの『補給』を強要することが、そんな初代と同じ存在である人間と自分たちを決別させるために金剛がそれを受け継ぐことが出来た。出来てしまったのだ。

 

 そこにやってきた俺は、その事実があること、そして文字通りの様を目の当たりにした。

 

 その事実を、そして金剛をはじめとした艦娘たちの言葉を浴びながらも、俺は『食事』が必要だって思った。思わざるを得なかった。

 

 

 間宮アイス券を渡したときに見た天龍の嬉しそうな顔。今思うと、あれが初めて艦娘の柔らかい表情を見た時だろうか。

 

 

 その後、食堂で無表情のまま資材を口に運ぶ艦娘たち、対照的に俺が作ったカレーを美味しいと言いながら食べる雪風。

 

 

 その翌日、好きなモノを作ってやると言われて喜ぶ雪風。演習場で成績優秀者に間宮アイス券を進呈すると言った時に沸いた艦娘たち。

 

 

 営倉で雪風のカレーに毒づきながらもがっつくように掻き込む曙。その横でカレーの完成度の低さに落ち込む雪風。

 

 

 そんな姿を見てきたのだ。雪風や天龍、曙の姿、そして『補給』の時は無表情だった他の艦娘たちが、三人と同じように顔を綻ばせる姿を見てきたのだ。

 

 食事とは、本来空腹を満たすためのものであるが、同時に満足感を得たりストレス緩和の効果がある。つまり、食事は『身』だけではなく『心』にも影響を与える、『心身』を満たしてくれるモノ。

 

 そして、この鎮守府は『心』をずっと無視し続けてきた。後に判明したことだが、曙のように『心』のせいで身体に支障をきたすこともある。それ程までに、艦娘にとって『心』は重要なのだ。なのにそれを無視し続けてきた。いや、彼女たちからすれば無視せざるを得なかったのだろう。

 

 

 だからこそ、それを受け止める場所が必要だと感じた。

 

 

 ただ空腹を満たすだけの『補給』じゃない成し得ない、空腹と同時に『心』も受け止め、十分に満たしてくれる『食事(ばしょ)』が必要だと。

 

 

「だから、安定した供給を得るために大本営に資材と一緒に食材の支援を頼んだ。勿論、俺の食い扶持確保のためもあったけどな。ただその時(・・・)は料理に資材を入れようと考えていた。それは――」

 

「艦娘たちの反発を少しでも緩和するため、ってところか? これは『食事』じゃなくて、あくまで『補給』だからって言い張るためにって具合に」

 

 

 俺の言葉に直ぐ様答えを返してくる龍驤。それに思わず面を食らった顔になる。

 

 

「ちゃうんか? ウチらは資材以外を口にすることを拒否していたけど、資材が入った食い物なら嫌々ながらも食べるだろうって見越してたんやろ?」

 

「ま……全く持ってその通りだよ」

 

 

 艦娘たちは初代から今まで資材だけしか口に出来ない状態。そして何故か艦娘たちはそれに反発せずに黙って従っていた。本来なら思うところがある筈なのに誰も何もしなかった。更に言えば、昨日の隼鷹の様に今の体制のままでいいと言い張る者も居たほどだ。

 

 恐らく、ここの艦娘たちには何か従うべき理由があったのだろう。案の定、それは初代に存在そのものを否定されたことだったが、当時の俺はそれを知らなかった。知っていたのは、彼女たちは『人間』と言う存在を、そして提督と言う存在を極端に嫌っているということだ。

 

 そんな彼女たちに、先日着任してきたばかりの(ていとく)がいきなり『補給』じゃなくて『食事』を食え!! なんて言っても、先ず受け入れられる訳がない。更に言えば、「提督憎し」の思想がまかり通る鎮守府で、周りが『補給』を続けている中で自分だけ『食事』を取ろうと考える奴が居るだろうか? 提督の言葉に従うこと、それはつまり『裏切り』に等しい、なんて思われていそうな中で。 

 

 

 ……あ、雪風(ひとり)居たわ。

 

 まぁ、アイツは俺が居るときしか食ってないから似たようなもんか。ともかく、鎮守府という集団の中で長年暮らしてきた彼女たちが何の前触れもなく違うことを、しかも周りが誰もやっていないようなことを積極的にやるハズがない。

 

 だから、彼女たちが料理を食べるための『理由』として資材を入れようと考えた。資材が入っているから、人間は食べることが出来ないから、これは『補給』だって言い張れる。そんな苦し紛れの理由を掲げて、少しでも受け入れてもらうようにするためだ。

 

 まぁ、雪風や曙は普通に食べていたから全員が反発することは考えておらず、主に警戒していたのは金剛だったが。それでも少なくない反発を考慮した安全策を打ちたかったのだ。

 

 

 っと、話が脱線したな。

 

 

「話を戻すぞ。えっと、試食会を開いた理由だな。もう1つはその反発するであろうと思っていた『金剛』、アイツを『提督代理』から解任するためだ」

 

 

 そう言った途端、今まで怪訝な顔だった龍驤の目が鋭く光る。俺が今言ったのは現トップを失脚させると言っているようなモノ、いわば下剋上だ。まぁ、本来俺がトップなんだけどさ。

 

 

「勘違いしないでくれ。これは俺が発案じゃなくて、アイツ――――『吹雪』に頼まれたんだよ」

 

「吹雪が?」

 

 

 俺の言葉に龍驤は先ほどみたいな間抜けな声を上げる。それもそうか。何せ、彼女は俺と初めて出会った時に吹雪の土下座を目の当たりにしているのだ。多分、それ以前にも金剛を庇うことをしていたのかもしれない。

 

 そんな彼女が、今まで必死に守ろうとしていた金剛を『提督代理』から解任させる、彼女の言葉をそっくりそのまま使えばその地位から『引きずり降ろそう』としている、なんて言われればそんな顔にもなるだろう。

 

 

「……理由はなんや? ウチにはあの子がそんなことを言うとは思えんのやけど」

 

「『自分は金剛が敷いてる体制に心底辟易している。でも、ただの駆逐艦である自分じゃ周りを動かす発言力も、考えを改めさせる影響力も無い。俺は今までとは違う、きっとより良い体制を作り上げると信じている。だから、事実上のトップである俺が金剛に取って代わり、新しくもっと生活しやすい体制を作り上げて欲しい』だとさ」

 

 

 龍驤の問いに、俺は吹雪に言われた言葉を殆ど言い換えることなく伝える。それを聞いた彼女はますます顔をしかめて考え込む。まぁ、今までの吹雪を見てきたのなら想像もつかないだろうな。でも、俺は嘘をついていない。本当に彼女はそう言ったのだ。

 

 

 

 

 

 

「今にも泣きそうな顔で、そう言ったよ」

 

 

 それはあの日、自室で榛名に『初夜』と言う名目で襲われそうになったところを曙に助けられ、吹雪と入れ替わりに彼女が出て行った後。敬礼を崩さずに力強い口調で金剛の失脚を願い出た時だ。

 

 

『……ごめん、なんて言った?』

 

『ですから、金剛さんを失脚させて欲しいんですよ』

 

 

 はじめ、俺は自分の耳を疑い間違いかと思って吹雪に聞き返した。しかし帰ってきたのは同じ言葉、幾分か乱暴な言い方に変わっていたが、それでもその意味は少しも違えていなかった。だから、俺はそれを認識した上でその理由を聞いた。

 

 

『私、金剛さんが敷いている鎮守府の体制に心底辟易してるんですよ。休みもありませんし、ご飯も『補給』だけ、それすらも無い時もあります。せっかく初代司令官が居なくなって自由に出来るのに、昔と変わらないなんておかしいです。だから、私は今の体制を変えたいです、変えるために金剛さんを失脚させたいんです。でも、私には周りを動かす発言力も、考え方を変える影響力もありません。だから司令官、金剛さんととってかわって下さい。司令官は今までの人とは違う、きっと金剛さんとは違う体制を敷いてくれるって信じています。だからお願いします、金剛さんを失脚させ、新しい体制を敷いてください』

 

 

 そう言って、吹雪は頭を下げてきた。今にも泣きそうな顔で。勿論、初めから泣きそうだった訳じゃない。最初は真剣な顔であったが、金剛の名前を溢口にする毎に表情が崩れ、頭を下げる頃には泣きそうな顔になっていった。

 

 

 その言葉が『本心』ではないことは分かり切っていた。

 

 

 でも、それを指摘すれば吹雪はどうなる。必死に取り繕っている、触れただけで壊れてしまいそうなほど脆い虚勢を必死に張っている。頬を引きつらせて、瞬きで涙を消そうとしながら、へたくそな作り笑いを浮かべて。

 

 艦娘と言えども、年齢的には見た目通り。本来なら、安全な場所で平和に暮らしている歳だ。なのに彼女は戦場に立ち、一回りも歳の違うであろう金剛を己の身と引き換えに庇おうとした。そして今度は陥れようとしているのだ。

 

 その心中は如何なモノか。

 

 少なくとも、それは彼女が抱えるには大き過ぎる、そして一度決壊してしまえば元には戻れないことが分かった。だから、理由について追及することが出来なかった。

 

 

「それで、君はその提案を受け入れたと」

 

「……正直、今でもその選択が合っていたかどうか不安だが」

 

 俺の言葉に、龍驤は何か言いたげに顔を向けて口を開く。しかし、彼女はすぐ口を噤み、代わりに眉を潜めた。

 

 

 

 

「……そう言えば、試食会(あの)の料理には『資材』が入ってなかったなぁ?」

 

「あぁ、それか」

 

 

 ポツリと漏れた龍驤の言葉。何の変哲もない、今までの話と彼女が現場で見たモノを比べれば出てくる疑問だ。しかし、それを聞いた瞬間、俺の中の体温が一気に下がるのを感じた。龍驤に睨まれた時よりも、更に低く、更に重く。

 

 

 しかし、俺はその理由は知っている。

 

 

 話を戻そう。俺は当初、料理に資材を入れようとしていた。その理由は、艦娘たちが口にしてくれる可能性を少しでも上げるためだ。

 

 そのことで、この計画を練っていた間宮、そして金剛の失脚を提案した吹雪、そして渡したレシピを見た曙の口から否定的な言葉が出てきた。資材を料理に入れるなんてことして本当に大丈夫なのか、明らかに必要でもないのに何故資材を入れるのか、その理由を問い詰められた。

 

 曙の時、俺はそれっぽい理由と吹雪のアシストで抑え込んだ。その吹雪を含めた間宮たちに関しては理由が思いつかず、『艦娘たちが食べてくれるにはそれしか方法がない』と力説……もとい、頼み込む形で何とか納得してもらえた。吹雪に関しては、彼女のお願いを達成するためには必要不可欠であると。それを人質(・・)に。

 

 あの時、俺はただ艦娘たちが食事を『口にする』ことだけを考えていた。それが到底『食事』とは呼べない補給擬き(・・・・)だったとしても、先ずは資材以外のものを口にすることが大事だと思っていた。

 

 

「君……」

 

 不意に龍驤の声色が変わる。重圧を与えてくる低いモノから、予想外のことを目の当たりにしたような上擦ったモノに。今、龍驤の顔に浮かんでいるのはどんな表情か。いや、先ずは話さなければいけない。

 

 

「途中で気が変わったんだ。最初は曙に問い詰められた時、そしてイムヤに『補給』以外の食事を禁止された理由を聞いたのを皮切りに、180°変わったんだよ」

 

 

 さっきも言った通り、艦娘たちが『補給』を続けている理由は初代に人間として、『生き物』として否定されたからだ。艦娘は『生き物』ではなく『兵器』、『生きる』のではなく『動く』のだ。『兵器』は資材さえあれば『動ける』が、『生き物』は食べなければ『生きられない』。

 

 それはつまり、艦娘は『生き物』ですらない。だから、彼女たちに『食事』や『生きる』と言う言葉は必要ない。そう、初代は彼女たちに言い放った。

 

 

 もう一度言おう。

 

 

 初代は資材だけあれば『動ける』艦娘は、『生き物』ではなく『兵器』。裏を返せば、艦娘が『兵器』である条件は資材だけあれば、もっと言えば資材を食べる(・・・・・・)ことが出来る、だ。

 

 そして、当初俺は何をしようとしていた。『食事』を受け入れてもらうために料理に『資材』を入れようとした。艦娘が口にする(・・・・)であろう、料理にだ。

 

 

 

 

 

 

 

「それってよ、俺も初代と同じ(・・)をすることになるよな?」

 

 

 目的がどうあれ、当初の俺は艦娘たちに『資材』を食べさせようとしていた。つまり、結果的に俺も『資材を口にすること』を強要(・・)していたことになる。「艦娘は『人間』だ!!」って言い張った俺が、初代と同じように艦娘たちを『兵器』扱いしていた。彼女たちを『兵器』として見ていたことになるんだよ。

 

 

 だから、資材の使用を取り止めた。初代と同じことをしようとしていることに気が付いたから慌てて止めた。理由は単純、初代と『同等』になりたくなかったから。この鎮守府をここまで陥れ、艦娘たちに深い傷を負わせた、クソ初代と同じ轍を踏むことを避けたからだ。

 

 

 だから、これは『我が儘』だ。俺が、『初代』との決別(・・)を示すための、本当の『我が儘』。

 

 

 それを口走った時、吹雪はどう思っただろうか。あれだけ頑なに譲らなかったことを、しかも直前に撤回したことを。彼女の願いをかなえるために必要不可欠だと言ったものを撤回した、それはつまり彼女の提案を叶えることを放棄したのだ。

 

 

『今まで一緒に(・・・)決めてきたことを、ここで引っくり返しちゃうんですか? それも貴方の『我が儘』で、いともたやすく白紙に戻しちゃうんですか? その程度のことだったんですか? 提督、言ってましたよねぇ? 『これしか方法がない』って、言ってましたよねぇ? やるしかないって、言ってましたよねぇ!!』

 

 

 それは、彼女の『本心』だっただろう。怒りで紅潮した頬も、勢いよく殴りかかってきた拳も、雪風に阻まれてから向けてきた『失望』の目も。全部、彼女の『本心』だったのだろう。

 

 

「そんな奴が昨日説教染みたこと言ったんだぜ? 自分も同じ()を犯したばかりなのに、それを棚に上げて偉そうにさ……笑えるよな?」

 

 

 俺の問いかけに応える声は無かった。何となく視線を上げると眉間にシワを寄せる龍驤。恐らく、俺の話がアホらしくて呆れているのだろう。当たり前か、俺だってこんな話を聞かされたらそんな顔になるわ。

 

 

「それに、昨日はお前や曙のお蔭で乗り切ったものだ。お前らがいなければあそこで終わっていたよ」

 

 

 昨日、吹雪の怒りを目の当たりにしてから、俺は胸を締め付けられるような圧迫感、足は鉛のように重く、腕は棒のように固く、頭は重油が詰まる圧迫を感じた。その胸中にあったのは一つ、沸々とした自責の念だった。

 

 

 何故、資材を入れようとしたのか。何故、周りの意見に耳を傾けなかったのか。何故、自身の意見を押し付けてしまったのか。何故、吹雪や艦娘たちを傷付けてしまったのか。何故、もっといい方法を考え付かなかったのか。そんな後悔と罪悪感が胸にのしかかり、それは艦娘たちの前を行き来するうちにどんどん大きくなっていった。

 

 

 

 そして、艦娘を前にして話し始めた時、それはピークに達した。

 

 

 すぐにでも逃げたかった。彼女たちの前で無様に泣き叫びたかった。周りに見境なく当たり散らしたかった。胸の内のモノを全て吐き出したかった。すぐにでも楽になりたかった。

 

 

 何処かで、終わって欲しい(・・・・・・・)と思っていたのだ。

 

 

 それを堪えながら話を続けたが、途中で隼鷹が出て行こうとしてしまう。傍から見れば計画が破綻する一歩手前だったのに、その時俺は肩の荷が降りるのを、そのせいで顔が緩むのを感じた。これで終わった、楽になると、そんな思いと共にホッとしてしまったのだ。

 

 

 でも、その後に進み出た曙が、大声を上げて俺を擁護してくれた。

 

 

 そして、泣きながらも夕立が前に進み出てきてくれた。

 

 

 次に、龍驤が進み出て、料理を食べてくれた。

 

 

 それに続くように長門、天龍、龍田、北上が前に進み出てきてくれた。

 

 

 あの場で、前に進み出るのにどれほどの勇気が必要だっただろうか。それも、まだ出会って一週間ほどしかたってない、夕立に関しては初めて言葉を交わす場で、どれほどの勇気が必要だっただろうか。

 

 

 その姿を見て、俺は何とか踏みとどまれた。喉元まで出掛かった胸のモノを飲み込み、鉛のように重い足を前に踏み出し、棒のように固まった腕で彼女を抱きしめ、重油の詰まった頭がひねり出した言葉を零した。

 

 

 

 艦娘は『動いている』のではなく、『生きている』と。それは今も昔も、そしてこれからも変わらない『事実』、そんな当たり前のことだと。それに彼女たちを『人間』か『兵器』と決めつけることはない。

 

 

 何故なら、艦娘は『生き物』だ。『人間』でも『兵器』でもない、『艦娘』と言う名の生き物であると。それでいいじゃないか。彼女たちと言う存在を表すなら、『艦娘』と言う言葉だけでいい。少なくとも、今はそれで十分だ。

 

 

 そして、それを決めるのは人間(おれたち)じゃない、艦娘(かのじょたち)だ。

 

 

 なのに、俺はそれを棚に上げて彼女たちに価値観を押し付けた。無理矢理、自分の思想の枠組みに入れようとした。自分の我が儘で周りを振り回し、結局尻拭いをさせてしまった。なのに、そんな俺にたくさんの艦娘が手を差し伸べてくれた。

 

 計画に乗ってくれた吹雪や間宮、手伝いをしてくれた榛名や潜水艦たち、俺の考えを真っ向から批判し、責められた時に庇ってくれた曙や雪風、前に進み出てくれた夕立や龍驤、長門、天龍、龍田、北上。

 

 

 

 だから思う。俺は、彼女たちが手を差し伸べてくれるほどの価値(・・)があるのか。

 

 

 

「何で俺は――――」

 

 

「アカン」

 

 

 

 次の言葉を、龍驤が遮った。同時に両肩を掴まれ、目線を無理やり上げられる。そこには、真剣な表情で俺を見つめる彼女の顔が。しかし、俺はそれを前にしても動く口を止められなかった。

 

 

 

 今までずっと溜め込んでいた胸の内にあるモノ(・・・・・・・・)を、全て吐き出したかったからだ。

 

 

 

 

「俺なんか――――」

 

 

「それ以上はアカン」

 

 

 目線を逸らし再度口を動かすと、先ほどよりも強い語気で龍驤が言ってくる。同時に肩を強く握りしめられ、痛みに顔をしかめるも、口は吐き出そうとした。しかし、それも次に聞こえた龍驤の言葉によって掻き消された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それ以上言うと、ウチは君を『捨てる』ことになる」

 

 

 温度を感じさせない、淡々とした龍驤の言葉。それを聞いて、俺は吐き出そうとした言葉を飲み込んで視線を上げた。

 

 

 そこに、何故か悲痛な顔の龍驤がいた。

 

 

 

 

 

「君が何を言おうとしたのかは分かってる。言いたくて言いたくてたまらないことも、我慢するのがしんどいことも痛いほど分かる。でも、それを言ってしまうと君は同じになってまう、『今まで』のと同じになってまうんや。だから、言わんといてくれ」

 

 

 絞り出す様な龍驤の声に、俺はその姿をただ目を丸くして見つめることしか出来なかった。胸の内にあるモノが相変わらず渦巻いているも、不思議と抑え込むことが出来た。

 

 

「3つ、君に言っておかなアカンことがある。ええか?」

 

 

 ポツリ、と龍驤が言う。俺はその言葉に特に考えもせず頷いた。

 

 

 

「1つ、新米だろうがなんだろうが君は提督、ウチら(・・・)の提督や。提督の役目は、部下の統括、鎮守府の運営、戦線指揮、海域の防衛、維持、って具合にたくさんあるけど、一番大切なのは『責任を負う』ことや。部下の失敗だろうが赤の他人の失敗だろうが、ここで起きたことは全部君に降りかかってくる。大本営に召集されたのがその証拠や。だから、君には責任を負うこと、正確には責任を負う『覚悟』を持って欲しいんや。例えそれがどんな些細なことでも、誰かが傷つくことになろうとも、誰かを斬り捨てることになろうとも、それを背負う『覚悟』を持って欲しいんや。『責任の放棄』、『押し付け』は絶対にやめてや」

 

 

 そこで言葉を切った龍驤は確かめるようにこちらを覗き込んでくる。一瞬目が合うも、すぐに逸らされた。

 

 

「2つ、君は確かに色々と足りない部分、未熟な部分が多々ある。でも、今君には何人かの艦娘たちが慕っている。提督としてまだまだ未熟な君に、ついてきてくれる子達がちゃんとおるんや。自分自身を卑下することは、同時に君を慕ってついてきてくれる子達を馬鹿にしていることになる。だから、君が君自身を卑下すること、そしてあの子達を馬鹿にするのはやめてや」

 

 

 再び沈黙、それに何となく顔を上げる。そこには笑みを浮かべた龍驤。柔和で小馬鹿にしたような、人を試す様な笑みではなく、穏やかな、安心感を与えてくれる笑みを浮かべて。

 

 

「最後、君はこれから目一杯考えて、たくさんの判断や決断をしていかなくちゃアカン。多分、君は自分の判断があっているかどうか不安になるやろう。だからこそ、君は君自身の判断に自信を持って欲しいんや。君が自信を持って判断してくれるだけで、ウチらは安心して動ける。ウチらは提督(きみ)と言う道しるべがいるからこそ、安心して前に進めるんや。だから、君は自らの判断に、君自身に自信を持って欲しいんや」

 

 

 そこで話を切った龍驤は、掴んでいた俺の肩から手を離す。未だに痛みが感じるも、それが気にならない程俺の目は龍驤に釘付けであった。

 

 

 

「多分、今も潰れそうな程しんどいやろう。なのに、更に今言ったことをやれってのは酷やと思う。でも、そうしないと君は『今まで』と同じになってしまうんや。だから、しんどいかもしれんが我慢してやって欲しい。こればかりはウチや他の子も手を差し伸べることが出来へん、君だけで立ち向かわなくちゃいけない。それがどれだけしんどいかは正直分からん。でも君が進む後ろには、必ずあの子たちがついてくる。進めば進むほどその数は増えていく筈や。それは分かる。だから、やって欲しいんや」

 

「……あぁ、分かった」

 

 俺の返答に、笑みを浮かべた龍驤は俺から視線を外し、周りを見渡しながら手を上げる。その瞬間、複数の金属音が鳴り響く。咄嗟に身構えるも、一向に銃声は聞こえてこない。

 

 恐る恐る周りを見まわすと、銃火器を手にしていた妖精がそれらを担ぎ、あるいは片付けていそいそと艦載機に戻っていくのが見えた。

 

 

 

「……助かったのか?」

 

「なんや言い方が気になるなぁ……まぁそんなところや」

 

 

 ポツリと漏れた言葉に、少し不満げな龍驤の声が聞こえる。彼女は服に付いた埃を払い落とすと、クルリとドアの方を向いて歩き出した。

 

 

「これで、ウチの話はお終いや。執務中に付き合わせて悪かったな。お詫びになんか一つ、質問に答えるで。さっきの質疑応答とは関係なしや。何でも言ってみ」

 

 ドアノブに手を掛けた時、龍驤がそんなことを言ってくる。さっきに質疑応答で質問権を放棄したのに気を使ってくれたのか。その言葉を受けて、俺は口に手を当てて考える。

 

 

 そして、思いついた疑問を口に出した。

 

 

 

 

 

 

「何か、困っていることとか、変えて欲しいこととかあるか?」

 

 

「ないな」

 

 

 いろいろ考えて絞った質問を、龍驤はあっさり返してきた。あまりのことに目を丸くする俺を尻目に、彼女は顎に手を当てて考える。

 

 

「不満って言っても、『出撃』や『補給』ぐらいやったからな。それも君のお蔭で改善されたし、他にこれと言って不満かぁ……。まぁ、そんなところや」

 

 

 ぼやくようにつぶやく龍驤に、思わずため息が零れる。先ほどまで、空気を張りつめさせていた人物とは思えない能天気な顔で彼女はドアを開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まぁ、強いて言えば、『何もないから』こそ、『周りがよう見えてしまう』ことやな」

 

 

 ポツリと聞こえた龍驤の声。その方を振り向くも、見えたのはドアの向こうに消える赤装束の袖。それも、一瞬にして消えてしまった。

 

 

 一人、残された俺は、龍驤が消えていったドアをずっと見つめる。訝し気に見つめる妖精たちの視線をひしひし感じながら見続けていたが、遂に一つ溜め息を溢した。

 

 

「帰るか」

 

 

 そう呟いて部屋を出た。いや、正確には出ようとした。何故なら、俺はドアに近付く途中でその前に誰かがいることに気が付いたからだ。

 

 

 

 

 

「雪風?」

 

「お疲れ様です!!」

 

 俺が声をかけるドアの陰に隠れるように立っている雪風。彼女は俺の声を聞くと、こっちを振り向いて元気よく挨拶をしてきた。

 

 

 

 ただ、俺が声をかける前、一瞬だけ見えた彼女の顔は、一切の『感情』が抜け落ちていたような気がした。

 

 

 

「何してるんだ?」

 

 

「いえ、たまたまここを通りかかっただけです。そしたらここからいきなり龍驤さんが出てきて走っていくもんですから、誰かいるのか気になって……そしたらしれぇが出てきたんです。ちょっとびっくりしましたよぉ」

 

 

 俺の問いに、ちょっと頬を膨らませる雪風。なるほど、たまたま通りがかっただけか。まぁ、近づいたドアがいきなり開いたらびっくりするよな。何か、悪いことをしたな。

 

 

「びっくりさせて悪かったな」

 

「まぁ、今回は許してあげます。では、雪風は失礼しますね」

 

 

 雪風はそう言ってぺこりと頭を下げた後、クルリと向きを慌ただしく走って行く。方向的に工廠だろうか、装備の手入れでもしにいくのかな。

 

 

 でも、雪風がクルリと向きを変えた時、一瞬見えたその顔から『表情』が抜け落ちていたのは気のせいだろうか。



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提督の『理由』

『まぁ、強いて言えば、『何もないから』こそ、『周りがよう見えてしまう』ことやな』

 

 

 真っ暗な空間の中で聞こえたのは、龍驤の言葉。それと同時に浮かぶのは彼女の顔。

 

 

 その顔は笑っている。『苦笑い』と言う顔だが、確かに笑っている。だが、その笑顔の中にある目は、笑っていない。

 

 

 その目は何処か遠くを見つめる様な、何かから目を背けるような、そんな虚ろな目をしている。その視線の先に何があるのかは分からない。もしくは、その視線以外の場所に何があるかも分からない。

 

 

 次の瞬間、その姿は溶ける様に消えてしまう。それが綺麗さっぱり消え去った後、何かが浮かんでくる。

 

 

 それは笑みを浮かべる吹雪。下手くそな笑みだ。頬が引きつっている。無理をしているのが丸分かりだ。それもすぐに消えてしまい、また新しいのが浮かんでくる。

 

 

 今度は金剛だ。ベットから上半身を起こし、手元を凝視している。その手には俺が渡した駆逐艦の嘆願書が。それを穴が開くほど見つめている。そこでその姿も消えてしまい、またもや新しいのが浮かんでくる。

 

 

 それは雪風。直立不動のまま、黙って俺を見据えてくる。その顔に表情はない、まるで龍驤と別れた後に会った時、一瞬だけ見たあの表情だ。

 

 

 いや、それか。俺は以前にも同じ表情を見た。それは何時だ。着任してからか? それとも大本営から帰って来てからか?

 

 

 否、その時じゃない。

 

 

 あれは、確か大本営。元帥の言葉を聞いて、思わず身体が動いたとき。元帥の横に控えていた艦娘――――大和が向けてきたものにそっくりだ。

 

 

 

 本当の『兵器』の目に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「楓さん!!」

 

 

 雷の様に響き渡る大声。それによって真っ黒だった空間は溶ける様に消えていき、やがてそれはぼんやりと霞む天井に変わった。

 

 

 何が起こったのか―――そんな言葉が頭の中一杯に広がり、思考回路をせき止める。鼓膜を直接叩かれたような感覚と痛み、そして服を掴まれる感覚。

 

 

「大丈夫ですか?」

 

 

 再び、声が聞こえた。霞む視界のまま声の方を見ると、ぼんやりとした輪郭しか見えないが、誰かがこちらを見つめている。

 

 右に七三分けされた黒髪と金の留め具、こちらを見つめる大きな橙色の瞳。それらの特徴、そして時間と共にはっきりしていく視界によって、落ち着き始めた頭の中に一人の艦娘の名前が浮かんだ。

 

 

 

「榛名……?」

 

 

「はい、『遥南』は此処に」

 

 

 そう問いかけると、柔らかい声色で声の主は返してくる。やがて、霞んでいた視界はクリアになり、声の主―――――柔らかい笑みを浮かべた榛名が見えた。それと同時に、見慣れた天井と窓から差し込む日差し。

 

 

 ここは間違えなく俺の部屋だ。でも、何でいきなりここに? まだ執務室にいるはずじゃ……。

 

 

 ……そうだ、龍驤と話した後、俺は榛名の勧めで寝たんだった。

 

 雪風と別れた後、執務室に戻った俺に榛名が顔色が悪いって言われて、すぐに休むよう言われたんだ。その時は龍驤との話で時間を食った分を取り戻そうと、大丈夫だ、って言ったんだが、断固として引かない榛名に押し負け、渋々飯と風呂を済ませて寝たんだよな。

 

 まぁ、確かに龍驤との話でちょっと気分が悪かったのは認めるけど、個人的にはとっとと休めなんて言われるほどでもなかったんだけどなぁ……まぁ押し負けた手前何言っても遅いんだけどさ。

 

 てか、窓から日差しが入るってことは今は朝か。寝たのは8時前だったから大体……どんだけ寝てたんだよ、俺。

 

 

「それより大丈夫ですか? 随分うなされていましたし……汗、凄いですよ?」

 

 

 現在の状況を確認する俺に、榛名はそう問いかけながら表情を曇らせた。そして、いつもの服の袖を掴んだ手を伸ばして俺の額に触れる。彼女の言葉から察するに、汗を拭っているのだろう。そして、どうやら俺はうなされていたらしい。

 

 

 多分、あの夢のせいだろうな。でも、所詮は夢。気にする必要もないし、たかが夢で榛名を心配させるのも提督(・・)としてマズイ。

 

 

「変な夢を見ただけだ。心配ないよ」

 

「本当ですか? 何かあったら遠慮なく『遥南』に言ってくださいね」

 

 視線を外しながら答えると、榛名は少し明るい声色でそう言った。追及しないでくれるのは有り難いな。それに何かあったら遠慮なく言ってくれとは、頼もしいことを言ってくれる。なら、さっそく(・・・・)その言葉に甘えさせてもらおう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんでそんなところにいるんだ?」

 

 

 そう、彼女に問いかける。すると榛名は答えることなく、ただニッコリと微笑みかけてきた。おい、何か言えよ。

 

 

 そして、俺の言うそんなところ――――――一人用のベットの上、正確にはその上の掛布団の下。ベットの端と寝間着の俺の間に入り込み、そして抱き枕の如く俺に抱き付いているこの状況を。キッチリ説明しろ。

 

 

 

「起床時間になっても楓さんが起きてこないので、『遥南』が起こしに来ました」

 

 微笑んだまま、しれっと言ってのける榛名。彼女の言葉に時計を見ると、確かに起床時間を過ぎていた。起こしに来た、というのは本当だろう。てか、なんで『遥南』の方で呼ばせようとしてくるんだ。

 

 

「起こしに来たなら普通(・・)に起こせばいいだろ? なんでわざわざベットに潜りこんで、添い寝する必要がある?」

 

「それこそ、楓さんがうなされていたからですよ。『遥南』に何か出来ることはないかと考えた結果、楓さんを抱きしめるという方法にたどり着きました」

 

 俺の問いに、微笑む榛名は俺の身体に回している腕に力を入れて更に身体を密着させてくる。ほう、うなされていたから心配になって添い寝した、と。俺のことを思っての行動か、それなら有り難いな。

 

 

 

 

 

 

 

「あわよくばそのまま既成事実を――――」

 

 

「そっちが目的だろうがぁ!!」

 

 

 大声と共に柔らかい微笑みから怪しい(・・・)笑みに変わった榛名をベットから叩きだそうとする。しかし、ガッチリと俺の身体に密着しているためにビクともしない。

 

「甘いですよ楓さん。貴方が遥南を叩きだそうとすることは昨日の時点から予測済みです!!」

 

「んなこと誇らしげに言ってんじゃねぇ!! てか離れろ!! 誰かに見られたらまた誤解される!!」

 

「既に知れ渡っていますから大丈夫です。だ・か・ら、安心してしましょう(・・・・・)!!」

 

 

 得意満面の笑みでそう宣言する榛名。いや、それのどこが安心できるんですか!! てか知れ渡ってるって、榛名との『ケッコンカッコカリ』のことか、それが誤解だってことかどっちだ? いや、もう榛名の行動から前者だろう。

 

 もうその時点で既に誤解されてるんですがそれは!!

 

 

「朝からお熱いことで……」

 

 ふと、ドアの方から呆れた声が聞こえてくる。抱き付く榛名を引き剥がしながらその方を見ると、そこに居たのはドアにもたれかかりながらこちらを見つめる北上。気だるげな表情ではあるが、その目はいつもよりも冷めているような気がした。

 

 

「違う!! 誤解だ!!」

 

「あぁ、いいよいいよ。別に提督と榛名さんが『そういう関係』でも、あたしは気にしないよ~」

 

 

 俺の悲痛の叫びを適当にあしらう北上。しかし、何故かその言葉を聞いた瞬間、胸の奥がざわつくのを感じた。突然のことに身体が一瞬強張る俺を尻目に、北上はいやらしい笑みを向けてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「夕べはお楽しみでしたね?」

 

「やめろォ!!」

 

 確実に誤解しているであろう……てか、誤解だって分かった(・・・・)上での言葉に、間髪入れずに大声で否定する。寝起きで大声を上げたため、少し痛んだ。てか、さっき身体が強張ったのは……って、今はどうでもいいんだよ。

 

 

 北上の言葉に榛名は榛名で否定もせずに「キャッ」と言って紅潮させた頬に手を当ててやがるし……お前さっき『起こしに来た』って言ったよな? さっさと否定しろよ!!

 

 

「榛名は起こしに来ただけだ!! 『そんなこと』は一切やってない!!」

 

「そんな隠さなくてもいいってぇ……周りにはあたしから言っておくからさぁ? あ、これ今日のヤツね。じゃあ、後はごゆっくりどーぞ」

 

 必死の弁論にも北上はいやらしい笑みを浮かべて何処からか取り出したファイルを床に置き、ドアの向こうに消えてしまう。何のファイル……今日の予定か、今日は北上が秘書艦だったな。

 

 って、待て。周りになんて言うつもりだ? いや、もうそのいやらしい笑みで絶対ロクなこと言わないってのは分かってるんだけどさ!!

 

 

「待―――」

 

 

「夕べはお楽しみ……へぇ~?」

 

 

 出て行った北上に声を掛けようとした言葉は、ドアの向こうから返ってくる北上ではない声にかき消されてします。同時に、背筋に寒気が走った。そして、俺の目は北上と入れ替わる様に入ってきた、その声を発したであろう人物に注がれる。

 

 

 

 

 

「あ、曙……」

 

 

「これは一体、どういうことかしらぁ?」

 

 そこにいたのは、素敵な笑みを浮かべる曙。そう、笑みを浮かべてはいるのだ。だが、その周りからはどす黒いオーラのようなものが漂ってるような気がする。一瞬、その背後に般若が見えたのは気のせいか、気のせいだと信じたい。

 

 

「榛名さん? 私はクソ提督を起こしてくるように(・・・・・・・・・)、って頼んだんだけど?」

 

 

 般若を従えているであろう笑顔の曙はそんな言葉を零す。そして、その言葉に何故か胸の奥がざわつく。何だ、この感覚は……。しかし、その思考も引き剥がされまいと力を込めてくる榛名の迎撃で消え去った。

 

 

「楓さんがうなされていたので、起こすよりも先ずこっちが必要かなと思いまして」

 

「……なら、もううなされていないから離れても大丈夫よね?」

 

 

 何とか引き剥がそうと躍起になる俺を尻目に、榛名は完璧な笑顔で答える。彼女の言葉に眉を歪めながら笑顔を崩さない曙はベットに近付き、俺から榛名を引き剥がそうとする。しかし、ぴったりとくっついている……と言うか、徐々に俺を抱きしめる力を強くする榛名は一向に離れない。

 

 

「すみません、引っ張るの止めてくれませんかぁぁぁぁああ?」

 

「コイツにくっつく必要はもうないでしょぉぉぉおお? だから、とっとと離れなぁさぁぁいぃぃよぉぉぉおお」

 

「まだです、『遥南』のお役目はまだ終わっていません。だから、引っ張らないで下さぁぁぁいぃぃぃぃよぉぉぉおお」

 

 

 顔を赤くさせながら引きつった笑顔で榛名を引っ張る曙、そしてその手に落ちまいと更に抱きしめる力を強める榛名。それを目の前で見せつけられながら、榛名を引き剥がそうと躍起になる俺。

 

 

 なんだこの光景。なんだこの状況。まったく、何なんだよ一体。そう心の中で愚痴を溢しながら、顔を背けて溜め息を溢した。

 

 

 

 

「『提督』?」

 

 

 ふと、榛名の声が聞こえる。その瞬間、またもや胸の奥がざわつく。そして、ようやくその原因に気付いた。

 

 

 俺は『提督』と言う言葉に反応しているのだ。

 

 

「クソ『提督』?」

 

 

 次に聞こえるのは曙の声。ざわつきのためワンテンポ遅れた後、声の方を振り向く。そこには、今まで剥がす剥がされまいとしていた二人が、キョトンとした顔で俺を見つめていた。

 

 

 しかし、次の瞬間その二つの表情は、不満げなモノと満足げな笑顔に変わった。

 

 

 

「何わ――――」

 

お役目(・・・)が終わったみたいですね」

 

 不満げな曙の言葉を、満足げな笑顔の榛名が遮る。そう言って、彼女は断固として動かなかったベットから這い出し、いまだ固まっている曙を脇を抜けてドアの方に近付く。

 

 

「ちょ!?」

 

「では、失礼します」

 

 

 硬直から解放された曙が声を上げるも、榛名は含んだ笑みを残して出て行ってしまった。俺の部屋に残されたのは、榛名が出て行ったドアを見つめて固まる俺と曙。

 

 

 しばし、沈黙が流れる。

 

 

「……そういうことか」

 

「何が?」

 

 沈黙を破ったのは、何故かそんな言葉を零しながら疲れた様に頭を抱える曙。その言葉に未だ追いついていない俺は疑問を投げかけるも、彼女はただ黙って俺の顔を見つめるだけで何も返してくれない。

 

 

 またもや、沈黙が流れる。

 

 

「……あんたは知らなくていいわ」

 

 それも、ため息と共に零れた曙の言葉によって破られる。そう零した曙は俺の傍から離れ、北上が置いていったファイルを手に取り、差し出してきた。

 

 

「取り敢えず、寝坊してるんだからさっさと準備しなさい。待ってるから(・・・・・・)

 

 

 差し出されたファイルを受け取ると、そう言い残して曙は慌ただしく出て行ってしまった。一人残された俺はファイルを片手にボケっと曙が出て行ったドアを見つめる。

 

 

 そして、その視線は手にあるファイル。正確にはそこに表記された『提督用』の二文字に注がれた。

 

 

 

 

『新米だろうがなんだろうが君は提督、ウチら(・・・)の提督や』

 

 

 ふと、昨日の龍驤の言葉が浮かんだ。その瞬間、胸を握り潰される圧迫感が襲ってきた。

 

 

 

 そうだ、俺は提督だ。ここの鎮守府の、ここの艦娘たちの提督。『新米』だろうが、提督は提督だ。『新米』なんて理由はもう通用しない。

 

 それに今までは金剛と言う『提督代理』がいた。が、今はいない。昨日、俺の手で解任した。今、此処に俺と同階級のヤツはいない。

 

 

 当たり前のことだ、俺が『提督』なのだから。

 

 

 『提督の役目は、部下の統括、鎮守府の運営、戦線指揮、海域の防衛、維持、って具合にたくさんあるけど、一番大切なのは『責任を負う』ことや』

 

 

 再び浮かんだ龍驤の言葉。それが、提督の役割。

 

 この鎮守府を運営、管理し、部下である艦娘たちの統括、戦闘指揮、海域の防衛、維持、そして近隣住民の安全を確保、強いては鎮守府の安全の確保等々、その数は多い。

 

 そんな提督の役割で、一番大切なのは『責任を負う』こと。ここの鎮守府で起こる全てのことに、例えそれがどんな些細なことでも、誰かが傷つくことでも、誰かを斬り捨てることになろうとも、その全てを背負わなくてはならない。

 

 

 当たり前のことだ、俺が『提督』なのだから。

 

 

 

 今更、気付かされた。『提督(その言葉)』の重みに。そして、もう逃げられないことに。

 

 

 もし逃げれば龍驤の言葉通り、『捨てられる』だろう。そしてそれは、今まで失踪してしまった提督、強いては初代と同等と言うことになる。

 

 失踪してしまった提督たちはまだ良い。だが、初代と同等なんて死んでもごめんだ。吹雪を傷付けてまで守り抜こうとしたんだ、こんなところで諦めて堪るか。

 

 

 しかし、そのために俺はそれだけのことをやらなければならない。『初代と同等にならない』ために、それだけのことをしなくちゃならない。昨日、今日のことでいっぱいいっぱいの俺が、更にそれらのことをやらなければならない。

 

 

 

 龍驤(おまえ)の言った通り、しんどいよ。今にも潰れそうだ。酷だよ。

 

 

 

「何考えてんだ」

 

 

 口から飛び出した言葉。それは怒鳴り声に近かった。それも、頭の中にあった思考を無理やり断ち切るため。それでも、まだ思考は拭い切れなかった。それを考えないように、ベッドにファイルを放り出して手早く着替え始めた。

 

 着替えている間、何も考えなかった。しかし、時折視界に入るファイルがその感情を無理やり掘り起こしてくる。だから、着替え終わった瞬間、ファイルを引っ掴んでドアを開けた。

 

 

 廊下には誰もいなかった。それを確認し、俺は部屋を後にした。

 

 

 今、艦娘に会うのは不味い。と言うか、単純に艦娘と会いたくない。その理由は何となく分かる。

 

 

 『怖い』のだ。『提督』として彼女たちと向き合うのが。『初代と同等になりなくたい』なんて、吹雪を傷付けた理由で『提督』の役割を背負い込むことが。

 

 

 そんな『我が儘』で、彼女たちの前に『提督』として出て行くのが、たまらなく怖いのだ。

 

 

 そんな感情を持ったまま、廊下を進んでいく。幸いなことに、誰ともすれ違わない。俺の部屋が建物の隅の方であることに加え、出撃や演習などの準備で工廠や演習場に出払っているためだろう。普通なら不満の一つでも出るところだが、今は有り難かった。

 

 

 やがて、目的の場所――――食堂が見えてくる。それを見つけた瞬間、無意識に早歩きになる。早く、あそこに入りたい。そんな言葉が頭を過り、俺の手は扉に触れた。

 

 

 

 

 

 

 ――――『食堂』に艦娘はいないのか?―――――

 

 

 扉に触れた瞬間、そんな言葉が頭を過った。同時に、扉を開けようとした手が止まる。

 

 

 よくよく考えれば分かったことだ。昨日からの新体制で艦娘全員が出撃や演習などに駆り出されず、少なくはない人数が非番になっている。そんな彼女たちが朝食の後すぐに部屋に帰るだろうか? 何人かは食堂に留まらないだろうか?

 

 隼鷹の言葉通り、ここには娯楽がない。なら、何人かは多分……いや、確実にいるだろう。

 

 

 そんな中に入るのか? こんな感情(この)まま入るのか? それを見せない様、勘付かれない様に、取り繕って入るのか? 出来るのか(・・・・・)? 俺に。

 

 

 

 『提督』としての価値(・・)が無い、俺なんかに。

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫です」

 

 

 ふと、後ろから声が聞こえた。同時に、扉に触れる手の上に誰かの手が重なる。その手は俺よりも一回りも小さいながらも、俺の手を優しく包み込んでくる。

 

 

 

 

「しれぇ」

 

 

 再び同じ声。その言葉に、俺の首はゆっくりと動かす。自分の手を包み込んでくる手から腕、肩、そして顔に。手の、声の主の顔に視線を向ける。

 

 

 

 そこには、今まで見たことのないような柔らかい表情で佇む雪風。

 

 まるで、赤ん坊を見つめる母のような、子供を見つめる父のような、大切なモノを見つめるような。それらの言葉では全てを表現できないほど、本当に柔らかい表情を浮かべていたのだ。

 

 

 

「大丈夫です」

 

 

 再び、雪風の口が動く。呟くように言葉を零した彼女は目を閉じ、同時に俺の手を包み込む手に力を入れる。

 

 

 俺の半分ほどの、包み込むというよりも添えられたと言った方が正しいほど、本当に小さな手だ。でも、感じるのは手全体を包み込まれているような温かさ。まるで彼女の手で包み込めない部分を、その温かさが補っているような、そんな感じだ。

 

 

 閉じられていた雪風の目が開かれる。その目は呆然と彼女を見つめる俺の視線と重なり、やがて笑みに変わった。

 

 

 その瞬間、彼女の手は俺の手を()に押し出していた。

 

 

 

 

「おっはようございまーす!!」

 

 

 扉が開かれた食堂に雪風の声が響き渡る。同時に、俺の手を包み込んでいた彼女の手が離れ、そしてその身体も俺の横を通り抜ける。目の前の扉が開かれたことに頭が追い付いた頃に見えたのは、カウンターに向かうその後ろ姿だけであった。

 

 

 

 それと同時に、食堂に居た艦娘たちの視線が俺に注がれるのも見えた。

 

 

 

 中に居たのは、天龍と長門だ。皆が皆、唖然とした表情で俺を、正確には飛び込んできた雪風、そして扉の前でボケっと突っ立っている俺へと視線が動いたのだ。雪風が向かったカウンターの奥でも、彼女たちと同じような顔の間宮が見える。

 

 

 

 今、俺は一身に艦娘たちの視線を浴びている。その事実を落とし込んだ瞬間、あの圧迫感が襲ってきた。

 

 

 同時にそれを悟られない様、視線を下げる。そして、いつまでも食堂の前に突っ立っているわけにもいかないため、そのまま歩き出した。

 

 

 少しの間、食堂は俺と雪風の足音しか聞こえなかった。しかし、それもすぐに別の音、俺を呼ぶ声によって破られる。

 

 

 

「『提督』よォ」

 

 

 またあの言葉にざわつく。声からして、天龍だろうか。そう思って視線を上げると、天龍が近づいて来るのが見えた。その顔には、少し不満そうな表情。それを見た瞬間、圧迫感が強くなった。

 

 

 

「どうした?」

 

「それ、今日のだろ? 見せてくれよ」

 

 なるべく心中を悟られない様、取り繕う俺に、天龍がそう言って手を差し出してくる。彼女が言っているのは、俺の手にあるファイルだ。そう理解して、俺は特に何も考えずにファイルを手渡す。

 

 

 天龍は手渡したファイルを開き、中をパラパラとめくる。それはとあるページで止まり、何故か彼女は溜め息を溢した。

 

 

「また遠征かよ……」

 

 

「え?」

 

 不満げな天龍の呟きに、思わず声が出る。それを受けた天龍の顔は不満げなモノから意地悪いモノに変わり、何故か詰め寄ってきた。

 

 

「なぁ~、たまには出撃させてくれよぉ。資材が無いのは分かってっけど……それも昨日届いたんだろ? なら、少しぐらい遠征が減っても問題ないよな? 遠征ばっかじゃ腕がなまっちまうからさぁ? な、な? たまには良いだろ?」

 

 

「我が儘は慎め、天龍」

 

 

 言葉を捲し立てて詰め寄る天龍に思わず後ずさると、彼女の背後から鋭い声が聞こえる。すると、天龍はまた不満げな顔を浮かべ、後ろを振り返った。

 

 

「んだよ長門ォ、別に良いだろ?」

 

「『良くない』から、口を挟んでいるのだ。それは艦娘(わたし)たちの意見を元に提督たちが組んだモノ、お前の一人の言葉で変えられたら堪ったもんじゃない。それでも強行するのであれば、不満の鎮静化に走り回ることになるぞ? あと―――」

 

 

 天龍の言葉に呆れた様に返すのは、いつの間にか近づいてきた長門だった。彼女は困ったように頭を抱え、そしてあの言葉を零す。

 

 それによる圧迫感を感じるよりも前に、前触れもなく鋭くなった長門の視線に身が強張った。

 

 

ファイル(それ)は本来、提督と秘書艦しか触れられない重要な書類だ。今回は天龍だから良かったが、もしそれが艦娘に擬態した深海棲艦だったとしたらどうする? それだけで私たちは劣勢に立たされていただろう。今回は頼み込んだ天龍が悪いが、安易に手渡した『提督』も駄目だぞ。今後は謹んでくれ」

 

 

 長門の言葉、その意味に俺は更に圧迫感を覚える。そして、それはすぐに羞恥心へと変わった。

 

 

 俺の手にあるファイルは艦娘たちの予定、つまり今日一日の行動パターンが記されている。もし、これが敵の手に渡ったら、それこそ攻め込まれるチャンスを与えてしまう。深海棲艦が擬態するのかは分からないが、最悪のケースを想定するのは当たり前のことだ。それなのに、俺はたった今その危険を犯してしまった。

 

 

「……すまん」

 

「いや、今後気を付けてくれるのならいい。それとは別で、一つ進言しよう」

 

 

 俺が頭を下げると長門はそう言って表情を和らげ、次に真剣な顔を向けてくる。

 

 

「現在、我が鎮守府は電波探信儀―――所謂『電探』が不足している。なので、今後の装備開発は電探を優先的に開発してみてはどうだろうか? 勿論、言い出した私が細かい指示は出そう、君や秘書艦に負担はかけないさ。どうだろうか?」

 

「それは我が儘に入らないんですかぁ? 長門さーん?」

 

 

 長門の言葉に、天龍が嫌味ったらしくそう問いかける。それに長門は小さく笑い、小馬鹿にしたような顔を天龍に向けた。

 

「言っただろ? これは『進言』だと。私は鎮守府のためを思って進言したのだ。私利私欲に走ったお前と一緒にしないでもらいたいな」

 

「ほぉ、言ってくれるじゃねぇか?」

 

 

 長門の言葉に、天龍は楽しそうに笑みを浮かべる。そのまま、二人の応酬が始まるかと思ったが、それは一つの大きな咳払いによって阻まれた。

 

 

 

 

「いい加減、そいつ放してもらって良いかしら? そいつが食べ終わらないと、私たちが終われないんだけど?」

 

 

 その声を発したのは、カウンターから身を乗り出して不満げな顔を見せつけてくる曙。何故かカウンターの向こう側―――厨房に居て、何故かいつもの制服の上にはエプロンを纏っている。

 

 

「わりぃわりぃ」

 

「すまなかったな」

 

 

 曙の言葉に、長門と天龍はそう言って俺の前から退き、カウンターへの道を作る。二人があっさりと引いたことに若干驚きつつも、何故かもの凄い剣幕でこちらを睨んでくる曙の視線に狼狽えながらも進んでいく。

 

 

 

「……おー怖い怖い。流石、あの時啖呵を切っただけあるなぁ……な? 長門さんよ」

 

 

「そうだな。今日の朝もソワソワして落ち着きがなかったし、食堂から飛び出した時の顔と言ったら……まぁ、エプロンを置きに帰ってきた時が一番笑ったが」

 

 

「そこの二人!! うるさいわよ!!」

 

 

 背後でボソボソと喋る長門と天龍。そこに曙の怒号が飛ぶ。それに二人は飛び上がるどころか、更に声を押し殺して笑っている。何だこれ、なんて思いながらカウンターの前に立った。

 

 

「いつまで待たせる(・・・・)のよ、全く」

 

 

 カウンターに立った俺に、エプロン姿の曙がふくれっ面を向けてくる。それを前にして、俺は頭に浮かんだ疑問を口にした。

 

 

 

「なんでエプロン着てんだ?」

 

 

「はぁ?」

 

 

 俺の疑問に、曙は一瞬唖然とした顔を浮かべ、次に頭を抱えながら溜め息を溢した。

 

 

 

 

「間宮さんの手伝いをするって、一昨日言ったじゃでしょ? まさか、もう忘れたの?」

 

 

 曙の言葉に、一昨日の記憶が蘇る。

 

 

 それは、倒れた金剛を部屋に運び終わってからのこと。食堂で宣言していた通り、今後の体制へと移行するために金剛を除いた全艦娘に希望を取って、出撃や遠征、非番、食堂当番の人員振り分けをしていた時だ。

 

 

『間宮さんだけ毎日食堂じゃ大変でしょ? どうせ出撃できないんだし、私は間宮さんの手伝いをするわ』

 

 

 そう言って、曙は全ての日程に食堂当番のチェックを入れた希望書を持ってきたのだ。

 

 確かに、食堂では間宮と何人かの人員で回すと、後に人数も10人程度と決まった。しかし、今まで料理はおろか食事に触れてこなかった艦娘たちにいきなり調理をしろ、って言ってもそう簡単に出来る訳もない。少なくとも、彼女たちが慣れるまでは間宮に負担がかかるだろう。

 

 一応、間宮本人は大丈夫だと言ってはいたが、それでも心配なモノは心配である。せめて間宮の補佐役が一人いれば……と思っていた所の提案だったので、渡りに船と言わんばかりにそれを呑んだ。まぁ、流石に非番の日を作らせたが。

 

 そんな感じで曙は間宮と同じ調理当番に配属された。しかし、昨日は一昨日の試食会で作ったおかずが余っており、ご飯を炊くだけで調理らしい調理は無かった。

 

 

 そして、そのおかずもご飯も、昨日の内に綺麗さっぱり無くなり、調理当番制は今日から本格的に始まるんだったよな。

 

 

「『やっと役に立てる』なんて言って、凄く張り切ってましたからねぇ」

 

「間宮さん!!」

 

 いつの間にやら曙の横に立っていた間宮が可笑しそうに笑みを浮かべ、それに顔を赤くした曙が噛み付く。しかし、俺は噛み付かれた間宮の言葉に疑問を持った。

 

 

 

「『役に立てる』? 誰の?」

 

「誰って、それは……」

 

「そんなの『提督』に決まってるじゃないですか」

 

 

 俺の疑問に言いよどむ曙の代わりと言いたげに、間宮が即答する。その言葉に更に顔を真っ赤にした曙が間宮に詰めよるも、彼女は涼しい笑顔でそれをあしらう。

 

 

 しかし、俺はそれよりも間宮が発したあの言葉による圧迫感を堪えるのに必死だった。

 

 

 

「だ、だって……クソ提督のおかげだし」

 

 

 ボソリと漏らした曙の言葉。その言葉に、俺は今日一番のざわつきを感じた。しかし、そこに圧迫感は無かった。何故なら、それよりも引っかかった言葉があったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クソ提督の『おかげ』?」

 

 

 無意識の内に漏れた言葉。それは、曙や間宮に聞こえていたのだろう。何故なら、彼女たちがキョトンとした顔を向けてきたからだ。そこでも、二人の表情は分かれた。

 

 

 困惑した表情と、真剣な表情に。

 

 

 

 

 

「まさか、提督はご自分の選択が間違っていると思っていますか?」

 

 

 訝し気な顔で問いかけられた間宮の言葉。ぶっちゃけ、図星だった。俺がここに着任して、今の今まで胸中に秘めていたこと。まさに、心のうちに秘めていた不安を的中されたと言っていいだろう。そんな疑問、もとい不安を、間宮によって暴露されたのだ。

 

 

 思わず彼女の顔を見る。そこには真剣な表情が。しかし、その表情は何処か寂しげであった。

 

 

 

「提督は、食堂(ここ)でのあの子達の顔を見ましたか?」

 

 

 続けて投げかけられた問い。それは普段よりも低い声色だった。発したのは、やはり真剣な表情の間宮。横の曙は困惑した顔で俺や間宮を交互に見る。

 

 

「もし、そこまで注意して見ていないのなら、今日の昼、もしくは夜の時にしっかり見て下さい。そこに、貴方がやってきたことの『結果』があります。そこに、貴方の求める答え(もの)が、きっとある筈です」

 

 

 間宮の言葉。その意味は分かった。

 

 

 俺が精力的にやったこと、特に『食事の改善』については、食堂に顔を出す艦娘の顔を見れば一目瞭然だ。そこで見せる艦娘たちの表情が、そっくりそのまま俺が今までやってきたことの結果に繋がる。

 

 

 でも、そう理解しただけ(・・)だ。それを信じようと、彼女の言葉をそっくりそのまま信じようという気持ちを、何故か持てなかった。彼女の言葉を、そして今の今まで食堂(ここ)で見た光景を信じられないわけではない。いや、信じたい(・・・・)のだ。

 

 

 でも、信じられないのだ。それを確定付ける、確固たる証拠が無いから。

 

 

「……もし、『それ』が信じられないのなら、言わせていただきます」

 

 

 不意にそう言葉を零した間宮。そう零した彼女は俺に頭を下げていた。横に立っていた曙も驚いた顔をしている。そんな俺たちを尻目に、間宮は力強く言い切った。

 

 

 

 

 

 

「『ありがとうございます』」

 

 

 

 それだけ。間宮の口から零れたのは、その一言だけであった。しかし、それを聞いた俺の胸中から、今まで俺を苦しめてきた圧迫感が、すっと消えるのを感じた。

 

 

 

「提督の『おかげ』で、私は自らの役割を全うすることが出来るようになりました。『給糧艦』と言う、『戦闘面以外で艦娘(あの子)たちを支える』役割を、ようやく全うすることが出来るようになったんです。それがあの子達にどんな影響を与えることになるのであろうと、少なくとも(・・・・・)、私は貴方に救われました。貴方の行いで、給糧艦である私は、役立たずだった(・・・・・・・)私は救われました。最低でも、貴方は『私を救ってくれた』という結果があります。それだけは、覚えておいてください」

 

 

 そこで言葉を切る間宮。彼女は笑みを浮かべていた。今まで見たことのない、満足げな笑みを。

 

 

「私も一緒よ」

 

 

 次に聞こえたのは、曙の声。その方を向くと、彼女は苦笑いを浮かべていた。

 

 

「私も、艦娘としての力を失いながらも、こうして皆の役に立とうと動いている。でも、それって提督(あんた)の許可を得ないと出来ないことよ。でも、あんたがここに置いてくれた。それはつまり、あんたが居てくれた(・・・・・)から、私はこうして動けるのよ」

 

 

 そう言って、曙は苦笑いを浮かべる。その顔に悲壮感はない。代わりに何があるのかは分からなかったが、少なくとも悲壮感(それ)は無かった。

 

 

 

「んなこと悩んでたのかよ?」

 

 

 次に聞こえたのは、天龍の声。振り向くと、彼女と長門は呆れたような表情を浮かべている。

 

 

「お前、俺が何処ぞの馬の骨とも分からない奴に、あんなこと頼むと思うか?」

 

「少なくとも、私は提督『だから』電探について進言したんだ。そうでなければ、相談せずに勝手に開発していた所だぞ」

 

「長門さん、それ立派な軍規違反よ?」

 

 

 天龍と長門、そして長門の発言に突っ込む曙。そんなやり取りが目の前で繰り広げられる。その光景に、俺は一言も発せずに、ただ茫然と見つめるしか出来なかった。

 

 

 

 

『提督としてまだまだ未熟な君に、ついてきてくれる子達がちゃんとおるんや』

 

 

 ふと、浮かんだ龍驤の言葉。その言葉が指す存在を、俺は信じられなかった。いや、存在すること自体は信じてはいた。が、それに見合うだけの価値が自分にあると、到底思えなかったのだ。

 

 

 でも、今こうして目の前にその存在がいる。いてくれる。俺を『提督』と呼んでくれる。こんな未熟で優柔不断で、結局のところ我が儘でしか動けない俺についてきてくれる。

 

 

 そして、あの時の様に、俺が立ち止まった時は誰かが後ろから押してくれる。今、目の前にいる。ちゃんといる。いてくれる(・・・・・)んだ。

 

 

 

 

 

 

「言ったでしょう?」

 

 

 不意に聞こえた言葉。その方を振り向くと、あの柔らかい笑みを浮かべた雪風が立っていた。

 

 

 

 

「『大丈夫だ』、って」

 

 

 雪風のその言葉。それを聞いた瞬間、顔の筋肉が緩まるのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

また(・・)、笑ってるの?」

 

 

 不意に聞こえた曙の言葉。その方を見ると、そこに居た艦娘たちの殆どがキョトンとした顔をしている。唯一、その中で一人だけ、曙だけは苦笑いを浮かべていた。

 

 

 

「提督の笑顔……初めて見ましたね」

 

「そうなんですか? 私は2回目だけど」

 

「それよりもどうしたのだ? 私のジョークがそんなに面白かったか?」

 

「いや、それは有り得ねぇから」

 

 

 俺の顔を見ながらそんなことを話し始める間宮に曙、長門、天龍。その言葉に、思わず顔に手を当てる。手で触って分かる通り、顔が緩んでいた。そうと分かった瞬間、何とか取り繕おうと手で顔の筋肉を引き上げる。

 

 

 しかし、それも次の瞬間には俺の顔を離れ、笑みを浮かべたまま頬を掻いていた。

 

 

 

 

「と言うか、皆さん時間は大丈夫なんですか?」 

 

 

 ポツリと聞こえた雪風の一言。その言葉に、全員の視線が食堂の時計に注がれる。そして、それを見た何人かの顔色が一気に変わる。勿論、その中に俺もいる。

 

 

 

「ヤベェ!? もうこんな時間かよ!! あ、近いうちにちゃんと出撃させてくれよな!!」

 

「くっ、長居しすぎたな……提督、取り敢えず電探の件は任せておけ」

 

 

 そう言って、天龍と長門は慌ただしく食堂から出て行く。そう声を掛けられた俺も、彼女たちと同じように食堂の外へと続く扉に駆け出した。

 

 

「ちょ!? 朝ご飯はどうするのよ!!」

 

「時間ないから昼にまとめて食べるわ!! だから、ちょっと多めにしてくれると助かる!!」

 

 

 後ろから聞こえる曙の言葉に、振り向かずにそう答える。振り向かなかった理由は、単に時間がなかったことに加え、自分が浮かべている顔を見られたくなかったからだ。

 

 

 何せ、緩んだ顔が一向に戻ってくれないんだ。多分、今の俺は今までで一番だらしなく弛んでいるだろう。そんな顔を、そう易々と人に見せるわけにはいかない。今はまだ未熟だからと理由を付けても、これからのことを考えると、そうも言ってられないんだよ。

 

 

 それに何となくと言うか。ようやくと言うか、俺がここの提督をやる『理由』みたいなモンが出来た。

 

 

 今の俺は未熟だ。『提督』なんて肩書を背負うほど、立派な人間じゃねぇ。多分、運営面的に言えば、金剛や大淀の方が適任だろう。俺はせいぜい、飯作りが上手いことが取り柄ってだけ。

 

 でも、そんな俺を『提督』と呼んでくれる奴らがいる。そう言って、ついてきて、時には押してくれる、正確にはケツを蹴り飛ばされるが、とにかくそんな奴らが居るんだ。数は少なくても、ちゃんとそこに居る、居てくれる。

 

 

 

 そんな奴らに、俺は応えなくちゃならない。いや、応えたい、応えたいんだ。

 

 

 周りから見たら、どう見えるだろうか。我が儘に見えるだろうか? しょうもないだろうか? いや、そんなことはどうでもいいんだよ。

 

 

 これは艦娘が『人間』か『兵器』かを決めるのと同じ、周りがどうこう言おうが、結局それを決めるのは艦娘自身だ。それと同じで、結局決めるのは自分自身だ。

 

 

 

 だから、俺は決めた。『アイツらに応える』ことが、俺の『理由』だと。



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episode4 変化 提督の『相談事』

 目の前、正確には視界の左右に見えるのは白い山。その形は縦長の長方形をしているものが殆どで、その中のいくつかは蛇行し若干傾いている。何故その形を保っていられるのか疑問に思うほどの傾き具合のモノもある。

 

 もし仮にそれに触れようものなら、その瞬間それは白い濁流となって襲ってくること間違い無しだ。

 

「ここ、間違ってますよ」

 

 そんな何処ぞの斜塔よろしく素晴らしきバランス感覚でそびえ立つ山を両脇に抱える俺に、そんな言葉と共に横から一枚の紙が置かれる。

 

 それは俺がさっき確認した書類。書き殴りに近い俺の文字の上、誰がどう見ても『綺麗』と思うであろう綺麗な文字が淡々と羅列してあった。その文字が赤ペンで、そして資料がテストであれば、目も当てられない点数だっただろうな。

 

 そんなどうでもいい考えを溜め息共に吐き出す。そして、その書類から両脇の山―――もとい書類の山を見て、更に深い溜め息を吐いた。

 

 

 

「多すぎね?」

 

「この程度で何言ってるんですか……」

 

 そう漏らす俺の前、書類を差し出す黒髪に眼鏡をかけた少女―――大淀は、『何言ってるんだこいつ……』と言いたげな目を向けてくる。その視線に晒されながら彼女から書類を受け取り、脇にあるペンを手に取ってお手本を見てなぞる様にその指示に従って書類を直していく。

 

 

「まだまだあるんですから、頑張ってくださいよ、提督(・・)?」

 

 

 そんな俺の姿を見て、大淀は呆れた声でそう言うと自身も目の前の書類にペンを走らせる。このやり取りも、何度目だろうか。少なくとも、『数えることを放棄した』程だけは言っておこう。

 

 

 つい先日、龍驤が言った『提督』の役割。それは、『部下の統括』、『鎮守府の運営』、『戦線指揮』、『海域の防衛、維持』等だ。 しかし、学校卒業後すぐにここに放り込まれた俺にそれら全てをこなせる力量も器量もなく、やろうとすれば数日でパンクすることは目に見えていた。

 

 故に、後者の『戦線指揮』と『海域の防衛、維持』に関しては各艦隊の旗艦に一任し、その報告を上げさせることで俺を頂点とした情報の一本化体制……と、言う名の半ば丸投げ状態とし、俺自身は前者である『部下の統括』と『鎮守府の運営』を大淀のフォローを受けながら担う体制を作り出した。

 

 その中で、俺がメインで担当するのは『鎮守府の運営』、具体的に言えば『必要物資』を申請する書類の製作と、『部下の統括』、こちらも具体的に言えば艦娘たちのスケジュール組みと各艦隊への大まかな指示だ。

 

 今、俺が書いている書類はまさに前者。各艦隊の旗艦からの戦果及び消費資材の報告書、そして間宮からの食材に関する補充物資の報告書から資材やバケツ、食材などのその他必要物資の数を算出し、大本営、主に朽木中将宛てに送る用の書類を製作している最中だ。

 

 最も、必要物資の算出自体は大淀が担当し、俺は彼女が出した物資数を元に書類を製作して正式な書類の証である印を押すだけ。しかも、それを大淀がチェックしてミスがあれば訂正する。二度手間ではあるが、書類の不備で資材が来ない事態になるよりかはマシだと言う大淀の提案でこうなった。

 

 そして、それを書く俺の横に積み上がっている書類の山は後者、艦娘たちから集めた出撃や非番、食事当番などの希望を取った書類だ。それを元にここ数日の出撃記録と戦果、そして入渠頻度を参照しつつ人員編成を組む。それを配布し何か問題があった場合はそれを考慮しつつ再編成、再配布。なるべく艦娘たちの希望通りの組み合わせを作る様心がけるのが大事だ。勿論、全てが上手くいく筈もなく、誰かに負担が偏る場合は希望の優先や間宮アイス券の配布などで不満を和らげるなど、絶妙なバランスを維持する必要がある。

 

 更に、出撃している各艦隊への指示――――と言うよりも、実際の戦闘指揮は各旗艦に一任しているため、俺が出すのは被害報告を考慮して『進撃』するか『撤退』するかの判断のみだ。それを秘書艦を介した無線通信で行っている。本来、艦隊との通信に関しては大淀の役割なのだが、物資算出と書類チェックのため俺と共に執務室に缶詰、代わりに秘書艦が各艦隊とのパイプ役を担っている状態だ。

 

 そのため、今執務室に俺と大淀しかいない。今日の秘書艦である榛名は、恐らく先ほど帰投した第2艦隊の被害報告を受けるために母港にいる。傷ついた艦娘の入渠を優先させるための措置だが、パイプ役である彼女が執務室を離れるのはそれだけ俺からの指示が遅れることになる。仮に指示が飛ばせない時は、必ず撤退するよう旗艦に言ってあるため無理に被害を出すことはないと思う。

 

 

 まぁ、ぶっちゃけこれらは今のところ机上の空論に近い。『言うは易し』と言う言葉もあるように、これだけ明確に問題が見えても対処するには俺自身のスペックが足りない、こうして大淀からミスの指摘を連発するなどの失態を犯しているし、何より各艦隊にリスクを背負わせている。足を引っ張っていると分かっている手前、非常に申し訳なく思う。

 

 

 だが、この件に関して大淀から『今はとにかく執務に慣れて下さい』と言われた。下手に背伸びして大きなミスをするよりも、今はとにかく慣れるまで『経験』積むことがを大事である、と。甘えだってのは分かってるし、いつまでも甘えていられるほど呑気なつもりは無い。早急に執務をこなせるようにならなければ。

 

 

 

 と、気持ちを新たにした時、執務室の扉をノックする音が聞こえた。

 

 

「どうぞ」

 

「失礼します」

 

 そう言って扉を開けたのは榛名。その手には第2艦隊の被害報告が記されたファイルを持っている。彼女は一礼して部屋に入り、扉を閉めるとこちらに振り向いて敬礼する。

 

 

「秘書艦榛名、母港より戻りました。こちら、第2艦隊の被害報告です。そして第2艦隊旗艦龍田より、軽巡洋艦天龍が大破のため高速修復材の使用を希望しています。如何されますか?」

 

「すぐに手配してくれ!!」

 

 俺が思わず叫ぶと榛名は驚いた顔をするも一礼して執務室を出て行った。それよりも天龍の容態だ。まさか敵艦に単騎突入したんじゃないだろうな。いや、そんな死に急ぐヤツじゃない筈だ。急いでファイルを開け、戦果を確かめる。

 

 どうやら天龍は戦艦の砲撃から龍田を庇って大破したようだった。そのおかげで天龍以外に被害は無し……か。それを知るとともに安堵の息が零れた。因みに、後に提出された報告書では天龍大破後に戦艦以下残っていた敵艦を悉く沈めた龍田がMVPだったのは関係ない話だ。

 

 

 

「なんでバケツ使ったんですか?」

 

 

 ふと、そんな声が聞こえてきた。ファイルから視線を上げると、書類に走らせていたペンを止めた大淀が半眼で見つめてきていた。眉をひそめ、口は口角が下がっているのを見るにご立腹そうだ。

 

 

「第2艦隊の帰投をもって本日の出撃は終わりましたから、天龍さん以後入渠する子はいませんし増えることもありません。ドックを開ける必要が無い以上、バケツを使うことはないと思うのですが?」

 

「え、いや……き、旗艦を守って大破だ。失態による大破なら長時間入渠だが、旗艦庇保の大破なら名誉モンだ」

 

「被害報告見る前に許可出してましたけど」

 

 

 俺の言葉に大淀は白い眼と共にそんなことを言ってくる。そ、そう言うこと突っ込まないでくれるかな? 結果的にはそうなったんだから良いだろ。

 

 

「そうですか。なら、それで誰か(・・)がまた一から算出結果を出すハメになったのは、別によろしいんですね?」

 

「……すみませんでした」

 

 大淀の嫌味ったらしい言葉に、俺はぐうの音も出ずすぐさま額を床に擦り付ける作業に移る。これはもう謝罪するしかないですよ、もう……ん? それってもれなく製作した書類(・・・・・・)も書き直しになるんですよね?

 

 

「以後、気を付けます」

 

「別にいいですよ。そろそろ、『一休み』しましょうか」

 

 

 自らにも降りかかる事実を噛み締めた上でもう一度頭を下げると、そんな言葉と共に椅子が床を引きずる音が。その言葉に思わず頭を上げると、執務室にある戸棚に近付く大淀の後ろ姿が見えた。

 

 彼女は今まで何があるか知らないために近付かなかった戸棚に勝手知ったる顔で開け、中からティーセットを取り出し始める。その姿を見て、思わず口が動いた。

 

 

「紅茶じゃなくていいぞ?」

 

「何で貴方に出さなきゃいけないんですか?」

 

「え、あ、はい……」

 

 大淀の鋭い言葉と視線に引き下がる。って、そうじゃねぇよ。何でいきなりそんなこと言い出したんだよ。執務を始めて数週間だぞ? んなこと、今まで一度も言わなかったじゃねぇか。

 

 

「私がやりたくなったんですよ。今まで(・・・)、ずっとやっていましたから」

 

 

 俺の言葉に、大淀はこちらを振り向きもせずそんなことを言った。彼女の言葉、正確には『今まで』と言う言葉に、俺は思わず押し黙ってしまう。その言葉に中にある、一人の存在が見えたからだ。

 

 そんな俺を尻目に大淀は手早くカップの準備を整え、ポットを抱えて部屋を出て行く。お湯を沸かしに食堂辺りにでも行ったのだろうか。ここから食堂って無駄に遠いし、執務室に『一休み』用の設備でも整えた方がいいかな。

 

 ふとこれも検討しながら、大淀が帰ってくる間に出来る限りの書類を片付ける。少しして、ノックとともに開けられた扉から大淀が入ってきた。

 

 

「先ほど、食堂に行ったら間宮さんから言伝を預かりました。何でも提督に相談したいことがあるので、今日の執務後に食堂に来て欲しいそうです」

 

「あ……あぁ、分かった」

 

 入ってきて早々そんな言葉を大淀が言うので、特に考えもせずそう答えた。それを受けた彼女は俺に一礼し、先ほど用意したカップに向かい手早く用意を始める。

 

 

 やがて、執務室は香ばしい香りが漂い始めた。

 

 

「どうぞ」

 

「ありがとう」

 

 大淀がそう言ってカップを差し出してくる。宣言通り紅茶ではなく、真っ黒に染まるブラックコーヒー。それを受け取り、少し冷ましてから一口飲んだ。

 

 

「美味い」

 

 

 一口飲んで、素直に感想……と言うか独り言を溢す。いや、コーヒーの良し悪しなんて分からないんだが、取り敢えず美味い。それしか言えない。香りが良いとか、コクがあるとか、そんなボキャブラリー持ってねぇよ。

 

 

「そうですか」

 

 大淀が溢したのはそれだけ。カップを傾けながら横目で彼女を見ると、澄ました顔で同じようにカップを傾けている。しかし、その顔にほんの少しだけ、ほんの少しだけ柔らかな表情が見えた。

 

 

「何で今までやってきたんだ?」

 

 

 その表情に思わずそう問いかけた、いや、かけてしまったと言った方が正しい、行ってしまえばそれは失態だ。何故なら、彼女の動きが止まり、その顔に暗い影が掛かったからだ。

 

 

「すまん、忘れてくれ」

 

 

 

 地雷を踏んだことを察して、すぐさま謝罪と共に質問を撤回する。しかし、大淀はそれに応えることなく、ただ手に持つカップを見つめている。その横顔に掛かる影はドンドン暗くなっていく。

 

 

「……大よ――」

 

 

 

「『代わり』に……なりたかったから」

 

 

 俺の言葉を遮る様に、大淀はゆっくりと声を漏らした。彼女は俺を見ていない。ただカップを、カップを握る自身の手に視線を落としている。しかし、その顔が弾かれた様に僅かに上がる。

 

 

「いえ、違います。ただ、あの人を休ませるための口実です。周りには十分な休息を取らせるよう配慮しているくせに自分は一向に休もうとしないし食事もまともに取らなかったので、その時間を確保するために私が言い出したんです。自分が休まないのに、疲労が駄々漏れで、なのに虚勢を張って、限界など当の昔に越えているのが誰でも分かる顔なのに、そんな人から休め休めと言われても説得力がないから――そんな理由で無理矢理休ませました。それだけです」

 

 流水のようにペラペラと言葉を吐きだした大淀。その声は抑揚がなく、淡々と語られるものの、何処か『焦り』を感じさせた。まるで、ポロリと溢した言葉を別の言葉で取り繕ろうとしているように。

 

 

 大淀はそのままカップの残りを一息に飲み干す。飲み干すその顔には深いシワが刻まれており、俺に聞こえるほど喉を鳴らして飲み干した。まるで、飲み干すと同時に喉の奥からあるモノを無理矢理流し込んだように。

 

 

 

空のカップを両手に、一息ついた大淀は視線をカップから窓から見える青い空に向ける。

 

 

 

「それが、あの顔が緩まる唯一の時間でしたから」

 

 

 ポツリと零れた言葉。念を押すような、その言葉が本当であると俺に、自分に言い聞かせるような、そんな言葉だ。

 

 

 大淀は立ち上がってポットに駆け寄り残ったお湯でカップを濯ぎ始める。俺に背を向けたことが、これ以上の追求を拒むことを示していた。

 

 

 彼女の表情は見えない。しかし、そこにどのような感情が浮かんでいるのか、何となく想像がついた。それと同時に、とある言葉(・・・・・)が込み上げてくる。

 

 

 俺はそれを飲み込むように、大淀と同じようにコーヒーを飲み干した。その言葉が、今この場において不適切であり、その言葉だけ(・・)ではただ彼女を傷付けるだけだと悟ったからだ。

 

 

 それ以降、俺たちの間に会話は交わされることなく、互いのカップを片付けた後はただ黙って執務に戻った。

 

 少しして、バケツの手配を終えた榛名が執務室に帰ってきた。彼女は入るなり部屋の空気を感じ取ったのか一瞬顔を強張らせるも、すぐに表情を戻して何事も無かったかのように報告を上げてくれた。正直、この状況の説明を求められても絶対に出来なかったので、その対応は有り難い。

 

 そんな重い空気のまま時は進み、時計の短針が「6」を過ぎ、窓から差し込んでいた夕日が徐々に消えていく。やがて、俺が書き上げた書類に目を走らせていた大淀が小さなため息と共にそれを傍の山に重ねた。

 

 

「はい、OKです。これで、本日の執務は終わりました。お疲れ様です」

 

「お疲れさん」

 

「お疲れ様です」

 

 

 大淀の言葉に、俺と榛名は伸びをしながら口々にねぎらいの言葉を述べる。大きく伸びをする俺の背中や腰は、ポキポキと軽快な音を立てる。

 

 

「提督、ご飯に行きましょう」

 

 そんな言葉と共に、榛名が俺の腕を掴んでグイグイ引っ張ってくる。大体、執務が終わるのは夕食の時間帯になることが多いため、執務後はその日の秘書艦と一緒に飯を食いに行くことが多い。そのため、このお誘いは慣れたモノだ。しかし、俺はその言葉に応える前に、別の場所に顔を向けた。

 

 

 

「大淀、一緒に来ないか?」

 

 

「は?」

 

 

 俺の言葉に、大淀は書類の後片付けをしながら訝し気な顔を向けてくる。予想通りの反応か……前触れも無しに言われれば無理もないか。

 

 と言うのも、これまで俺は大淀と夕食を食べに行ったことが無い、正確に言えば食べる時間が一緒になったことすらないのだ。日替わりの秘書艦とは違い毎日のように顔を会わせて執務をしているのに何故そのようになるのかは、『明日の執務の準備』にある。

 

 明日に向けた準備とは、主に本日の進捗状況と各艦隊から上がった報告書をまとめ、そして明日行う執務内容の大まかな目安を立てることだ。とは言っても、これは提督(おれ)と秘書艦が行うことであり、鎮守府の経理を担う大淀は違った内容を纏めているだろう。しかし、内容に違いはあれどそれに費やされる時間はほぼ同じと言って良い。

 

 俺の場合は割と時間かかるため、先に飯と風呂を済ませて後は寝るだけってなった時にそれを行っている。対して大淀は俺と逆で、執務終了直後にそれらを片付けてしまうのだ。そのタイミングのズレが、夕食時間が一緒にならない要因となっているわけ。

 

 

 以前その理由を本人に聞いたら、ご飯を食べた後にまた執務室に戻ってくるのが面倒くさい、との事だった。面倒なことは先にやるタイプか、それで執務に支障がないなら別に問題ない。しかし、この前俺が飯より先に片付けようとしたらその日に限って先に食堂に行ってしまったのは何故なのか。偶々だろうか?

 

 ……もしかしたら、大淀は俺と飯を食うのが嫌だから敢えて時間をずらしているんじゃないか……なんて、被害妄想みたいなことを思ったが杞憂であって欲しい。そう願ってのお誘いでもある。

 

 

「何故ですか?」

 

「『何となく』だ。それに雪風から聞いたけど、お前いつも一人で食ってんだろ? たまには誰かと食うのも悪くないぞ」

 

「……そうですよ。良い気分転換になりますし、榛名もご一緒したいです」

 

「榛名さんは言葉と表情を一致させて下さい」

 

 心底残念そうな顔でお誘いの言葉を吐きだす榛名に、呆れ顔の大淀が突っ込む。榛名、誘うならもっと明るい顔をしろよ。てか、お前秘書艦の時いつも一緒に食ってるだろ、むしろ秘書艦でない時も殆ど一緒だろうが。少しぐらい自重してくれませんかね。

 

 

「すぐに慣れますから、大丈夫です」

 

「いや、そういう問題じゃないですから」

 

 

 何故か胸を張ってそう宣言する榛名に、大淀が突っ込む。大淀が言いたいことを言ってくれたので、俺は榛名に白い眼を向ける。しかし、彼女は俺に視線に気付かず(多分フリ)、俺の腕から手を離すとすぐに大淀の腕を掴んだ。

 

 

「ちょっと、私はまだ行くとは――」

 

「細かいことは良いですから、さっそく行きましょう!!」

 

 いきなり腕を掴まれた大淀は抗議の声を上げるも、それを遮る様に元気よく声を上げた榛名は大淀と俺を引っ張りながら執務室を出て行く。大淀は何度も抗議の声を上げながら抵抗するも、戦艦である榛名の腕力に勝つことは出来ずズルズルと引き摺られていく。因みに、俺は初めから勝てないと分かっているので引っ張られるがままだ。

 

 

「悪い、何か奢るからさ」

 

 尚も抵抗を続ける大淀に俺はこっそり声をかけた。その言葉に大淀は抵抗を続けながらムスッとした顔を俺に向けてくる。不満を隠そうともしない彼女に、俺は小さく苦笑いを浮かべて軽く頭を下げる代わりに会釈をする。