こうして、私達は出会う(完結) (珍明)
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賢者の石
序章


閲覧ありがとうございます。
主人公の簡単な説明です。また、彼女は特徴的な喋り方をします。人によっては引っかかると思いますが、ストーリー上変更しません。ご覧くださる際にはご注意下さい。
英語を基本とし、外国語は〔〕と表記します。

追記:16年5月24日、9月22日、誤字報告により修正しました




 私は小学校を卒業した。その私は現在、父と共にイギリスにいる。

 テレビ番組でしか、見たことのない古風な雰囲気を持つホテルの一室に押し込められるように独りぼっちにされた。荷物を解く気にもなれず、私は寝台に倒れこみ、布団の感触に癒されながら、これまでの出来事を思い返した。

 小学校の卒業証書を手に、帰宅した私を父が一言だけ、告げる。

「イギリスへ発つ、荷物を纏めなさい」

 鈍器に頭を殴られたような気分になり、私は駄々をこねて抵抗した。友人たちと公立中学に入学するものとばかり思っていたのだから、当然の行動だ。

 だが、父は満面の笑みで私の頭を鷲掴みにし、居間へと連行して無理やり正座させられた。祖父と母まで私を説得しに現れた。

 11歳になれば、イギリスの寮学校へ入学するはずだった。しかし、祖父は日本の小学校を最後まで通学させるため、入学を遅らせるように校長先生に懇願したのだ。寛大な校長先生は、快く受け入れ、今年まで入学を引き延ばしてくれた。しかも、7年制であるため、私は同年齢の子より、2年長く学校に通わなければならない。

「おまえが入学することは、生まれた時から決まっていたんだよ。日本の教育制は面倒だね」

 父の面倒など、知らない。だが、父が私に物心ついたときからイギリス英語を仕込んでいた理由を理解した。

 予想していなかった拒否できない決定に、私は悲しみのあまり号泣した。見知らぬ土地に家族と引き離され、友達にも会えなくなるのが、淋しい。泣きじゃくる私を母が慰めてくれたが、父は何も言わず、何もしなかった。

 友達は突然の知らせに、驚きを通り越して呆れていた。しかし、友達の親たちは、母から話を聞いていたらしく、知らぬは子供達だけだった。

 空港で祖父と母、友達と別れを惜しみながら見送られ、13時間の初飛行に尻と太ももが痛くなった。この苦痛に飛行を楽しんだ反面、2度と乗りたくないというのが、感想だ。

 しかし、痛みを乗り越えた私は初めての海外に浮かれ、カメラでひたすら周辺の写真を撮りまくった。そんな私を尻目に、父は警告した。

「何があろうと、口を開いてはいけない」

 高揚していた気分は冷め、私は問い返さず頷いた。

 

 その町は、子供の私にも理解できる程、寂れていた。

 荒れ果てたレンガ造りの家が模型のように並び、汚れた川との境は錆びた鉄柵のみ。工場の名残である巨大な煙突は、不気味に私を怯えさせる。父から離れぬよう、手を掴んだ。にも、関わらず父は足早に進み、私は小走りでそれに着いて行かなければならなかった。

 腐った川の臭いに吐き気を覚える私と違い、父は涼しい顔でスピナーズ・エンドの袋小路に入り、奥へと進んだ。廃墟としか捉えようのない建物を過ぎ、父は唐突に足を止めた。

 周囲と変わらない建物。しかし、一階の部屋だけカーテンが敷かれており、微かな生活感を匂わせた。

 腐臭に耐え切れず、私は両手で鼻を押さえた。手を離した私に構わず、父はノックもなしに戸を開き中に入っていった。施錠していないなど、無用心にも程があるが、父がしていることは立派な不法侵入だ。

 焦った私は、警告を無視して父を呼ぼうとした。その前に、父は何食わぬ顔で出てきた。一瞬でも一人にされ、心細かった私は父の手に飛びついた。微かに書物の埃の匂いがする父は目配りで元来た道を示し、私の歩調に合わせて歩き出した。

 私は首だけ振り返る。

 ここは父の家だったのかもしれない。思えば、私は父がどんな場所で暮らしていたのか、知らない。母との出会いも何も知らない。憶測を確認するように、私は父を見上げた。父は私の視線に気づいていたが、何も言わなかった。

 問いかけることなく、私が視線を下ろした時、父の腕時計が目に入り、首を傾げる。空港を出るときは正確に時間を報せていたはずの時計の針が、10分も進んでいた。

 

 ホテルに到着した際、ロビーの時計を読んだが、やはり父の時計は十分進んでいた。

 時計のことを考えたため、私は日本時間が気になり、荷物から腕時計を取り出した。入学祝だと、友達の田崎がくれた腕時計だ。革製ベルトで文字盤が小さく、大人が着けそうな物だ。スーパーのバーゲンセールで買ったらしいが、私には十分すぎる贈り物だ。

(これの時間は、このまましておくさ)

 日本に電話するときに必要になる。

 それから、私は父に命じられるままに、中学漢字、日本語から英語への翻訳と、ひたすら勉強に打ち込む毎日が続いた。イギリスのTV番組に馴染みない私の唯一の楽しみは、日本に電話することだけだった。同級生達は、とっくに新学期が始まっているというのに、私の学校は9月から新学期だというのが、いい加減な気がした。父は父で勝手に出かけることがあり、私の話し相手はホテル従業員だ。特にフィンチさんというオジサンは、外国人の私に親切だった。

 もっと深刻なことは、食事だ。私の口にホテルの料理は合わない。食事を残すなど無礼にあたると思い必死に食べる毎日に、私は胃薬が手放せなくなってしまった。見かねた父が週一程、カップラーメンを用意してくれたのは、本当に救いだった。

 

 ホテルでの缶詰生活が終わったのは、7月に入った頃。

 夜の街を散々歩き、連れてこられたのは、看板に『漏れ鍋』と表示された周りと明らかに違う雰囲気の店だった。薄暗い明かりで、ホテルより貧相だったが、温かみを感じる内装に私は安心感を覚えた。客は大人ばかりでアルコールの匂いもした。すぐに、私は居酒屋と判断した。

 客の何人かが私達に気づき、視線を向けるので私は、父の裾を強く掴んで後ろに隠れた。

 亭主らしき中年の男が、父の姿を確認し、顎で2階の階段を指した。父は柔らかい笑顔で返すと、私の腕を引く。階段を上がるとき、亭主が私を怪訝そうに見つめているのが視界に入った。

 それもそうだ。父と私は、親子だといわれなければ気づかない程、全く似ていない。

 父は英国人特有の鼻筋の通った顔立ち、その容貌に合わせたが如く、柔らかい髪質の金髪、紫の瞳が父の壮麗さに拍車をかけていた。娘の私がいうのもなんだが、これほど見目の良い男はそういない。

 一方、私は丸みを帯びた日本人顔。容姿も完全母譲りの黒髪(しかも短髪で一見すれば男子と見間違う)、赤みを帯びた茶色だ。しかし、背だけは同級生の中で一番高い。それだけは父の血に違いないと踏んでいたが、祖父に言わせれば運動しているから背が伸びやすかっただけだそうだ。

 『8』と表札された戸を開けると、ホテルとは違う雰囲気の古風さを醸し出した部屋だった。洋箪笥の上にある置かれた暖炉を見上げ、首を傾げながらも私は度肝を抜かれた。

〔暖炉って、箪笥の上にあるさ?〕

 いまは火が着けられていないが、寒くなれば確実に危ない。例え、イギリスに家を構えることになっても、こんな暖炉は作らないと決めた。

「日本語で話すのは、やめなさい」

 荷物を寝台の脇に置いた父は、私を咎めた。郷に入っては郷に従えということだ。しかし、父が日本で日本語を話している姿は、数える程しか聞いていない気がする。

 

 どのくらい眠ったのか、私は自然と目を覚ました。

 天井を見つめながら、ここが[漏れ鍋]だと思い返した。

 寝台から起き上った私は、眼前に見知らぬ老女が立っていた。

 吃驚した。そして、焦った。しかも、お伽噺に出てくる魔女の雰囲気を感じさせる。箒もなければ、トンガリ帽子も被っていない。驚きすぎた私は、声を上げることも忘れ、老女を凝視する。

「おはよう」

 微笑する老女の瞳は、父と同じ紫である。

「起きなさい」

 振り向くと、父がカーテンを開いて手摺に腰をつけて身体を預けている。

「こちらは、ドリス=クロックフォード。私の母だよ。挨拶なさい」

 父の言葉に私は、また驚いて跳ね起きた。この老女は私の祖母であった。寝癖のついた髪を手くしで適当に梳き、背筋を伸ばして腰を折って頭を下げる。

「は、初めまして!」

 緊張して声が若干、高くなったが、激しくなった動悸を押さえるのに夢中でそれどころではなかった。

 父方の家族に会うのは、これが初めてなのだ。無理もないと自分に言い聞かせた。

「まあ、なんて礼儀正しいお嬢ちゃんなのでしょう」

 祖母は、緊張を含ませた穏やかな声で両手を広げ、私の肩に手を置く。そのままゆっくりと抱きしめてきた。

 母や祖父とは違う感触と匂いに緊張したが、私は抵抗しなかった。

「コンラッドったら、10年以上も連絡をくれなかったのですよ」

 感激の対面が終わり、私は普段着に着替えて、祖母と紅茶を飲んでいる。

 しかし、紅茶自体を飲みなれておらず、すごく甘さのキツイ紅茶であったため、私は吐き出すのを我慢しながら飲むという重労働を強いられた。

 肝心の父は、私が着替える前に部屋を出て行ってしまい、助け舟がない。緊張している私は、一層身を引き締めて、背筋を伸ばして椅子に固まった。

「マグル育ちだから、わからないことはなんでも聞いて頂戴」

 早速、マグルの意味を聞きたかったが、日本人のことだろうと勝手に解釈して頷いた。

 祖母の話では、父は学校を卒業してから雲隠れしてしまい、昨日という日まで便りひとつ寄越さなかった。そのため、知人の間で死亡説が流れた程になった。

 しかも、突然の手紙で呼び出されてみれば、結婚の報せ、孫の出現。祖母は、父との再会を喜びはするも憤慨もしていた。

 憤慨どころか、縁切られてもおかしくない。

「おまえを責めてはいませんよ。悪いのは、コンラッドなのですからね」

 呆れて言葉が出ない私を祖母は、慰めてくれた。しかし、祖母はやたらと肩に触れてくる。孫馬鹿の祖父でも、ここまで触れてこなかった。これがスキンシップなのかもしれないが、少し嫌だ。

 しかし、折角出会えた祖母に嫌な顔を見せないように笑顔を作った。

 不意にノックの音と同時に、父が部屋に入ってきた。父は含みのある笑みを私に向けてくるので、嫌な予感がした。日本を発つときもこの笑顔だったからだ。

「話が弾んでいるところ悪いね。さあ、来たよ」

 そういって父が分厚い黄色みがかった羊皮紙の封筒を私に差し出してきた。

 封筒を見て、祖母は椅子から立ち上がり、両手を天井高く上げて奇声を上げた。

「ついに! なんておめでたいのでしょう!」

 あまりの奇声に、私は封筒を受け取らずに両手で耳を塞いでしまった。父が祖母をたしなめたが、祖母は興奮を抑えきれずに、幸せを込めた笑顔を私に向ける。

 奇声が止んだので、私は改めて父と封筒を交互に見やる。父から封筒を受け取り、重みのある感触を確かめながら、綺麗な碧の宛名を読み上げる。

「ロンドンの『漏れ鍋8号室』クローディア=クロックフォード様」

 映画でしか見たことない紋章入りの紫の蝋の封印を破り、厚手の羊皮紙を広げようとするが、私の手には大きすぎて手紙が広げにくかった。

 見かねた祖母が封筒を預かってくれた。私は礼を述べ、手紙を広げて内容を確認する。

「親愛なるクロックフォード殿。このたびホグワーツ魔法魔術学校……(以下省略)……」

 思考停止。状況を理解。

〔はあ! 魔法学校!? 手品師にでもするつもりさ!?〕

 悪質なイタズラ、そう捉える他なかった。全身の血が脳天から蒸発し、頭が真っ白になり、日本語で悪態をついてしまった。

「日本語は駄目だよ。それに、これは手品じゃない。魔法だ」

「おまえは、魔女なのよ」

 2人の言葉に、私は人生で初めて「開いた口が塞がらない」を顔で表現した。

 

 私は断固として手紙の内容を認めず、どうやったかは忘れたが、父と祖母を部屋から追い出して布団の中に潜り込んだ。

(きっと、壮大なドッキリに違いないさ)

 魔法使いになる夢など、小学校に入る前に諦めた幼稚な妄想しすぎない。

 戸の向こうから、祖母が心配そうに話しかけてくるが、私は一切返答せず、耳を塞いで強く目を瞑った。

 瞼の裏には、日本の風景や、祖父と母の姿がありありと浮かんでくる。日本に帰国したいという気持ちだけが私の胸を支配し、自然に涙が零れていた。

 やがて、諦めたのか、足音が遠ざかって行くのを感じて、私を布団から顔を出した。 乾いた涙のあとを拭い、手グシで髪を整えて戸まで歩く。戸に耳をつけると外の声が聞こえてきた。

「どうして、ちゃんと説明していないのです?」

 祖母の怒りに満ちた声に対し、父の声はいつものように穏やかで機械的だ。

「入学することは、ちゃんと説明したよ」

「あの様子ではマグルの学校だと思っていたようですわよ! あなたはいつも言葉が足りないのです!」

「あの子には、私と同じ血が流れている。すぐに受け入れるさ。私も受け入れているよ、今の私をね」

 早口でほとんど、聞き取れなかったが、父は私を日本に返す気はないらしい。それよりも折角の再会を果たした親子が私のせいで揉めることに、耐えられなくなった。

 私は自分に喝を入れるため、両頬を力の限り叩いた。部屋に乾いた手のひらの音が響くと少しだけ胸がすっきりした。

 戸を開いて、2人の前に顔を出すと、父の納得した笑顔と安心しきった祖母の笑顔が私を待っていた。

 こうして、私、クローディア=クロックフォードはホグワーツ入学を受け入れたのだ。

 




閲覧ありがとうございました。

●ドリス=クロックフォード。
原作一巻、漏れ鍋にてハリーと握手した魔女。
物語に一切、関与していないので、彼女の苗字を拝借しました。


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1.杖選び

閲覧ありがとうございます。
お馴染みの杖選びです。ちょこちょこウィズリー達がいます。
電話やラジオの表現を<>とします。

追記:17年3月4日、誤字報告により修正しました。


 クローディアは、魔女のドリスから魔法界の一般常識を学んだ。

 魔法界唯一のグリンゴッツ銀行、魔法界の通貨、ホグワーツ魔法魔術学校、その現校長にして偉大なる魔法使いアルバス=ダンブルドア。

 そして、『例のあの人』を打ち破り、『生き残った男の子』ハリー=ポッター。

 勉強漬けの毎日に追い打ちをかけたのが、日本への電話だ。『漏れ鍋』には電話がなく、外に出かけなければならず、夜は危険であるため、昼間しかない。しかし、時差がある。イギリスの昼は日本では深夜だ。流石に何度も深夜にかけては迷惑になるため、週一程度しか、連絡取れないのだ。

〔私が魔女だって知っていたさ?〕

<〔当り前さ。お母さんがお父さんと結婚したときに教えてくれたさ〕>

 日本を発つ前に、何故、説明しない。

 母の反応に、本気で苛立った。

 息詰まるような日々にも、クローディアに救いはあった。

 食事は、コンラッドが店主に厨房を借りて用意してくれるのだ。店主のトムは、彼が食材まで持ち込んで作る日本料理を怪訝した。ドリスは息子の手料理を口にしたとき、感涙していた。

「幼い頃から家事はやっていましたが、ここまで美味しい物を作れるなんて……」

 クローディアとしては、実家でもコンラッドが作ることが多かったので、涙するには至らない。しかし、山芋の煮っ転がしを食せるため、感謝している。

 

 7月が終わる頃、爆睡していたクローディアはコンラッドに叩き起こされた。

 しかも、早朝だ。

 ダイアゴン横丁に、クローディアの学用品を買い出しに行くためだ。眠い顔を擦りながら、コンラッドとドリスに着いていく。

 しかし、案内されたのは、居酒屋を抜けた壁に囲まれた小さな中庭だ。正直、ゴミ箱が並べられている時点で、庭ですらない。

 怪訝そうにして、ドリスを覗き見る。すると、彼女は長袖から、指揮者棒のような…おそらくは杖を取り出す。質量と大きさから、絶対、裾に入りきらない杖が出てきたことに驚く。

 そんなクローディアを余所に、ドリスは壁のレンガを三度叩く。叩かれたレンガが小刻みに震えだし、壁全体が積み木のように積みなおされ、どんな長身も通れる大きさの入り口が出来上がった。

 レンガの動きは一瞬に過ぎなかったが、少なくとも、クローディアの目はそう捉えた。

 脳髄の奥が感動に沁みこまれるには十分だ。

 入り口の向こう側には、石畳の通りが続き、更なる高揚感が胸中を駆け巡る。

「ここが、ダイアゴン横丁よ」

 得意げな言葉の主がドリスだと気づき、クローディアは我に返る。小さく微笑んだコンラッドが先導し、一向は進んだ。

 近所にある町内の商店街など、目ではない。まさに魔法使いの為の横丁だった。

 日本やイギリスとは違う造りの看板や建物、魔法の品物が何処を見ても視界に入ってくる。

(カメラ持って来れば、良かったさ~♪)

 両手でカメラを持つフリをするクローディアは、口でシャッター音を口ずさんだ。それは傍見ると不審人物に見えるのだが、興奮して全く気づかない。

 完全にドリスも引いてしまう。肩を竦めたコンラッドがクローディアの頭にチョップしたので、妄想カメラは終了した。

「では、役割分担をしよう。私はグリンゴッツ銀行に行く。その間に、ドリスとクローディアは買い物を済ませておきなさい」

 返事も聞かず、コンラッドは歩を速めて人ごみに消えて行った。彼の背を見送ったドリスは、クローディアに微笑んだ。

「さあ、クローディア。制服を見に行きましょうね」

 それよりも、少年の一団が杖を見せびらかしている姿に釘付けになる。

「杖がいいさ! お祖母ちゃん、杖は何処で売っているさ!?」

 前を見ずに走り出そうとしたクローディアをドリスが止めようとしたが、その前に彼女は前方に立っていた赤髪の少年にぶつかった。

「ご、ごめんなさいさ!」

 慌てて頭を下げて謝罪するクローディアを赤髪の少年は、活発な笑みを返した。

「俺は平気だ。ただちょっと、問題が」

 自分の顎を押さえる赤髪の少年の向こう側から、瓜二つの少年がひょっこり現れた。

「「ぶつかった衝撃で二つに割れちゃった♪」」

 そばかすの数さえ同じ顔がクローディアに笑いかけてきた。

 驚愕した。声を上げることさえ忘れ、目を見開き、限界まで口を開ける。腕を震わせながら、2人の少年を指差した。

「「あれ? 反応が薄いな? そんなに驚かなかった?」」

 2人の疑問に、クローディアは勢いよく首を横に振る。

「クローディア、その子達は双子よ。そうでしょう?」

 ドリスの手が優しく肩に乗せられたクローディアは、気づく。

「双子さ!?」

「「正解~♪我々はホグワーツのウィーズリー兄弟、以後お見知りおきを」」

 悪戯が成功したと言わんばかりに、親しみのある意地悪な笑みが降りかかった。

 考えなくても理解できたことだ。クローディアは恥ずかしさで耳まで赤くし、両手で顔を隠す。

 騙された悔しさで、赤髪の双子に文句を言おうとした。だが、自分の手を顔から離した時、既に赤髪の双子はいなくなっていた。

「ちょっと、むかつくさ。本当にちょっとだけさ」

「はいはい、わかりました。杖を先に見に来ますから、ついてらっしゃい」

 案内されたのは、輝きを持たない暗い店だった。言葉を選ばなくてよいのならば、ボロい。

「本当にここで魔法の杖が売ってるさ?創業が紀元前とか、老舗もいいとこさ」

 『オリバンダーの店』を見上げたクローディアは、怪訝する。

「私はここでしか杖を買ったことがありませんよ。私は、教科書を買ってきますから、中で杖を選んでいなさい。人によってはすごく時間がかかりますからね」

 ドリスに従い、クローディアは扉を押した。

 奥のほうで来客を知らせるベルが鳴ったのが聞こえた。店内を物色するが、天井近くまで整然と積み重ねられた何千という細長い箱の山しかない。

(これが全部、杖さ?)

 見上げて足を進めたクローディアは、つま先に物がぶつかった感触がする。見下ろすと、その山から弾き出されたような箱がひとつ無造作に置かれている。何気なく、その箱に手を伸ばそうとする。

「いらっしゃいませ」

 背後から声をかけられ、吃驚した。悪さをしようとしたわけでもないのに焦ってしまい、跳ねるように振り返る。

「すみません、こんにちは」

 取り繕う笑顔を向けるクローディアに店主オリバンダーは、銀色の瞳を細める。湿った視線で彼女を見つめた後、口を開く。

「どちらが杖腕ですかな?」

「え~と、右です」

 右腕を出すと、いつの間にか取り出した巻尺が勝手に、クローディアの全身の細かい箇所を測りだした。

 感嘆したクローディアは、巻尺の動きを見逃さないように凝視する。視線が煩わしいのか、巻尺は視界に入らないように計りだした。

 その間にオリバンダーは、先ほどクローディアが拾うとしていた箱を手にしていた。巻尺を目で追いつつ、尋ねる。

「それも杖ですか?」

 少し間を置き、オリバンダーは重く口を開く。

「どの棚から、これを見つけなさった?」

「いえ、そこに置いてありました」

 クローディアの答えが意外だったのか、オリバンダーは箱をじっと見つめる。

「この杖は以前、スクイブが買っていたのじゃよ。どうしてもと頼み込むので。いまより青かったワシはつい売ってしもうたのじゃ」

(スクイブ?)

 知らない単語に目を丸くする。箱を手にしたままオリバンダーが、指を弾くと巻尺が丸まって床に落ちた。

「しかし、可哀想なことに一度も使われることなく、持ち主が死に、またここに帰ってきたが……」

 オリバンダーは慎重に箱を開く。そして、期待を込めた眼差しで、クローディアに箱から出した杖を差し出した。

「柳にグリフォンの羽、24cmじゃ」

 落さないように両手で杖を受け取る。クローディアは杖の感触に興奮しつつ、何気なく振ってみた。すると、冷たかった杖の感触が命を込められたかのように鼓動を上げ、杖自体が淡い光を放つ。その光に、彼女の全身が良い意味で粟立った。

(これが……私の杖さ……)

「なるほど! そうか、よかった」

 機嫌の良い口調でオリバンダーは杖を箱に戻し、赤紙で包みだした。

「おいくらですか?」

「いらん」

 即答したオリバンダーは、尚も続ける。

「よいかな、杖は持ち主を選ぶ。それを無視してわしはこれを売った。これで、ワシの心配がひとつ減ったのじゃ」

 包装された箱を受け取り、クローディアは胸に暖かいモノで満たされていく感覚に襲われた。それは、念願の杖を手に入れたというよりも、重要な役目に選ばれた喜びに似ていた。

 箱をしっかり握り、何度もお辞儀してクローディアは店を出た。

 

 外では、ドリスが教科書、コンラッドが大鍋などの学用品を手に提げていた。

 2人に、オリバンダーとのやりとりを話して聞かせた。ドリスは店主が無料で杖を渡したことを気味悪がったが、クローディアの手前、良いことだと喜んだ。怪訝な表情で丸分かりだ。

 コンラッドは一瞬、眉を寄せる。しかし、すぐにいつもの笑顔に戻った。

 

 『漏れ鍋』に戻り、部屋の寝台に倒れるように飛び込んだ。学用品は買い揃えたのだ。多くのモノを見すぎて、目が疲れたのか、乾燥している気がする。

 クローディアが全身で欠伸をすると、視界の隅で赤いものが動いた。

 いや、蠢いていた。

 思わず、飛び起き、弾みで寝台が大きく揺れ、赤いものは寝台の下へと引っ込んだ。得体の知れない恐怖に、寝台の縁に手を置いて、恐る恐る下を覗き込む。

 ガーネットのような光沢を放つ、円らな瞳と目が合った。燃えるような真っ赤な鱗を持ち、2メートルはある大きさを持つ。

 蛇だ。

 気づいたとき、クローディアは恐怖に駆られて悲鳴を上げていた。人生でここまで悲鳴を上げたことは恐らくない。そんなことを頭の隅で考えていた。

 駆けつけたコンラッドが蛇を自分に首に巻き、珍しく愉快げに喉を鳴らして笑っている。

「この子は、ベッロ。学校に連れて行く使い魔だよ」

 愉快そうに笑うドリスの後ろに隠れながら、クローディアはベッロを注意深く観察する。

 直視するのは難しく、恐怖で動悸が激しい。

「フクロウと猫とヒキガエルと鼠しか、項目になかったさ!」

 精一杯、声を出そうとするが擦れてほとんど出ていない。

「項目に書かれていない動物を持って来てはいけないとは、書かれていなかっただろう? 学徒の折、私はこの子を連れて行ったが、何も言われなかったよ。心配せずとも、ダンブルドア校長先生に許可は貰っているよ。安心して連れて行きなさい」

 ベッロの顎を人差し指で優しく撫でるコンラッドの説得は諦め、ドリスに助けを求める視線を送る。彼女は笑いを堪えているのか、唇を噛み締めている。

「私、下で飲み物を頂いてきますね」

 そう言ってドリスは笑いを堪えた笑顔のまま、部屋を出て行った。いや、逃げていった。

「大丈夫、ベッロは誰も襲わないよ。私が命じない限りね。勿論、クローディアも」

「私、命令できるさ?」

 コンラッドの頷きは肯定を意味している。

(つまり、命令があれば、襲うさ)

 クローディアはコンラッドから顔を背け、胸中で悪態を付く。

「命じなければいい、それだけのことだよ」

(心読まれたさ!?)

 的確な助言に、クローディアの肩は震えた。その震えを納得したものと受け取ったコンラッドは、ベッロを肩に巻いたまま手近な椅子に座る。

「日本が恋しいか?」

 急な問いかけに、クローディアは心臓を鷲摑みされた気がした。突きつけられた現実に引き戻され、動揺する。

「ホグワーツには電話がない。代わりにフクロウ便で手紙を送ることになるよ。ドリスがカサブランカを持っているから、借りて手紙を書きなさい」

「日本に手紙が出せるさ?」

「出せるさ、フクロウ便は何処にでも届けられる」

 なら、クローディアにもフクロウを買って欲しい。だが、疑問もある。

「疲れないさ? 飛行機でも時間がかかるのに、何か可哀想さ」

 ここ何日かでコンラッドがフクロウで手紙を届けているのを見ている。しかし、イギリスと日本の距離を考えれば、易々と使えるモノではない。

 クローディアの言葉が、意外だったのかコンラッドが大きく目を見開いている。

「ああ、そういう考え方もあるのか…。いや、大丈夫だよ。彼らの翼はヤワじゃない」

 いまいち、納得仕切れなかったが、日本との連絡手段がそれしかないなら承諾せざる終えまい。

 唐突に、コンラッドの雰囲気が厳しい物に変わった。

「これから言うことをよく聞きなさい」

 笑顔のままだが、何処か緊張感を与える表情だった。その表情に応えるように、クローディアも椅子に座り、向かい合わせになった。

「ホグワーツで、聞かれない限り、私の名は出さないように、また私のことを聞いてくる者がいたら、マグルの母に育てられた為、私のことは知らないと答えなさい」

「はい、お父さん」

 疑問はある。しかし、コンラッドはその疑問に答えることはない。アメジストを連想させる紫の瞳は、彼の思考を読み取らせない。

「よろしい、他に私に聞きたいことはあるかな?」

「……マグルって何さ?」

 これにコンラッドは笑みのまま口を開いて固まっていた。しかも、彼の首でウネウネと動いていたベッロの硬直したように動かなくなった。

(拙いこと言ったさ?)

 沈黙は、ドリスが勢いよく戸を開く音によって破られた。

 ドリスは満面の笑みに肩を大きく揺らして呼吸し、何か興奮したように、体を躍らせながら、コンラッドに歩みよりその頬にキスをした。

 家族間のキスを目の当たりにしたクローディアは驚いて目を丸くする。ドリスは彼女の額にも嬉しそうにキスを落とした。

「いま! 誰に会ったと思い!?」

 興奮冷め止まぬドリスは嬉々として、息子と孫を交互に見つめる。

 コンラッドが口を開く前に、ドリスの甲高い声が部屋いっぱいに響いた。

「今、私はハリー=ポッターにお会いしたのです! 握手して下さいましたわ!」

 ハリー=ポッター。

 その名が出た瞬間、コンラッドから笑みが消え、男にしては麗しさもある顔が怒りと嫌悪で歪められた。

 初めて目にするコンラッドの表情に、クローディアは鳥肌が総立ちする。

 興奮したドリスはコンラッドの変化に気づかない。あまりに正反対の反応に、クローディアは『生き残った男の子』の人間性に疑問を抱く。

 そして、その名をコンラッドの前で言うまいと強く心に誓った。

 

 入学日までの残りをクローディアは、ドリスと『漏れ鍋』で過ごした。

 その間は、勉強は勿論のこと、フクロウ便で早速、日本の母に手紙を書いてみた。すると、2日後には母から返事が来た。電話が使えないことが残念だが、手紙を貰えて嬉しいという内容だった。母の文字が妙に懐かしく、クローディアは嬉しさで手紙を抱きしめていた。

 そして、ドリスから生身のハリー=ポッターの印象を何度も聞かされた。同時に『例のあの人』が如何に恐ろしく偉大だったかという話も繋がる。だが、いくら説明されても『例のあの人』という何とも呼びにくい響きが、クローディアには納得できない。

「『例のあの人』って本名ないさ?」

「ですから『名前を言ってはいけない』のです! いいですか? ホグワーツで『例にあの人』の名前を聞かない!」

 これに関して、ドリスは頑として譲らなかった。冗談でパブの客に聞こうものなら、酷く叱られた。

 しかも、ハリー=ポッターの偉大さを理解すべしと【近代魔法史】【黒魔術の栄枯盛衰】【二十世紀の魔法大事件】を熟読するよう命じられた。

 昼食を摂る際も読まされ、正直、クローディアはうんざりしてきた。読み飛ばそうとすれば、ドリスの厳しい視線がそれを許さない。

(どんだけ、ポッターが好きなんだろうさ?)

 食事を済ませ、食器を店主のトムに返すために、クローディアはパブへと階段を下りる。昼食目当てに訪れる客人の姿がある。

「まさか、グリンゴッツが襲われるなんてな。本当に何も盗られていないのかい?」

「ゴブリン達が入念に調べたから、そのはずだ。それでも、一番厳重にしていた713番を狙うなんて尋常じゃないよ」

 隅の席で赤髪の2人組の男がグリンゴッツ銀行の話題をしていた。

(いま、ゴブリンって言ったさ?)

 ゲームの序盤で必ず登場するゴブリン。

 何故、銀行にいるのかとクローディアは首を傾げる。馴染みになったトムに、食器を返す際、尋ねてみる。

「グリンゴッツ銀行に、どうしてゴブリンがいるんですか?」

 トムは不可解に眉を寄せ、食器を片づける。食器は誰の手にも触れず、勝手に動いている。

「そりゃあ、ゴブリンどもが管理しているからに決まっているからだろ。あいつらは、取引に関して最も徹底した種族だ。融通が利かないことが玉に瑕だが、世界一安全を誇れるのは、ゴブリン族だからこそできることだ」

 まさかゴブリンが銀行員をしているなど、クローディアには思いつきもしない。ゲームや映画のせいで、寧ろ銀行強盗をしている印象が強い。

 不意にトムは、クローディアの耳元まで顔を寄せる。

「だが、ここだけの話……。最近、盗みに入られたらしいぞ。だが、何も盗られてないそうだ。そこに銀行で働いている奴がいるから、聞いてみるといい」

 指差して教えられたのは、先ほど通りすぎた赤髪の2人組だ。トムに礼を述べてから、クローディアは2人組に近寄ってみる。

「グリンゴッツ銀行で、何か盗まれたのですか?」

 突然、声をかけてきたにも関わらず、年配の額が広い男が優しく微笑み返した。

「何も盗られていないよ。皆が話しているのは、グリンゴッツ銀行に侵入したってことに驚いているんだ。坊やはまだ小さいから、わからないかもしれないけど、とっても危険なことなんだよ」

 誰が坊やだ。

 否定するのも面倒なので、クローディアは礼だけ述べて2階へと上がっていった。

「アーサー、あれは女の子だぞ」

「え? そうなのかい?」

 トムが赤髪の男性にそう告げるのが聞こえたが、クローディアは振り返らなかった。それよりも、グリンゴッツ銀行に侵入できたのに、何も盗まずに帰った泥棒が気になる。

 問いかけに困惑しつつも、クローディアは必死で考えを巡らせる。

([世界一安全な銀行]から、何も盗らなかったさ?それとも、盗りたいものがなかったさ?)

 考え込んでいると背後からコンラッドが肩を叩く。

「グリンゴッツ銀行の話を聞いたのかい?」

「うん……、どうして銀行から何も盗らなかったさ?」

 唐突な質問に、コンラッドは指先で己の顎を触って、機械的に笑う。

「危険を冒してまで、盗みに入ったことよりも、そっちが気になるのかい?」

「だって、銀行はお金がいっぱいあるさ。もし、お金が目当てじゃなくても、本命を誤魔化すために盗んでもいいさ」

 興味深そうにコンラッドが頷く。

「なら、犯人は金銭には何の価値も見出さなく、尚且つ、わざわざ侵入した痕跡を残していく余裕があったということだね?」

「侵入の痕跡を残す余裕さ?」

 コンラッドの解釈にクローディアは、困惑で目を丸くする。余裕がないから、痕跡が残ってしまうのが常識だ。

「そうだね。例えば、誰かを挑発するために貸金庫に侵入したとも考えられるね。おまえなら、誰を挑発していると思う?」

「……銀行員……」

 それがクローディアは精一杯の答えだった。そう答えたとき、コンラッドは嘲笑するように目を細めた。

 

 ホグワーツ出発の朝。

 目を覚ました視界にベッロがトグロを巻いているに驚かされる以外は、快適に目覚めることが出来た。

 普段着に着替え、学用品に抜かりがないか入念に確認し、ドリスがベッロを専用の檻籠に入れた。その檻籠は一見すると昆虫用の虫籠に見えるが、中を覗くとベッロが大人しくトグロを巻いている。

〔すごいさ〕

 感心して虫籠を乱暴に振るう。ベッロが怒って顔を出したので、思わず寝台に投げてしまった。クローディアは、校内を撮影するためカメラを持って行こうとしたが、コンラッドに取り上げられた。

「入学式の予行練習とか、しなくていいさ?」

「ホグワーツは、基本、ぶっつけ本番だよ」

 最終確認を終え、コンラッドからホグワーツ行きの切符入り封筒を受け取る。

(駅か、汽車か電車かな?日本にいるときもよく乗ったさ)

 荷物を手に戸に向かおうとすると、コンラッドが呼び止める。

「私はここまでだ、ドリスが駅まで見送る」

「お父さんはどうするさ?」

 それには答えず、コンラッドは続ける。

「クローディア、あそこにセブルス=スネイプっていう先生がいるはずだけど、その人の機嫌は損なわないほうがいい。おまえの為にね」

「はい、わかりました」

 返答しながらも、コンラッドにしては珍しい助言を胸中で繰り返す。

(私のためか……)

 コンラッドの口からそんなこと言葉が出たのは、クローディアが覚えている限りでは初めてだった。心配されている気がして妙に嬉しかった。

 今ので、完全に話が終わったとばかりにコンラッドは椅子に座って寛いでいた。

「行ってきます、お父さん」

 クローディアはそう言ってドリスと共に部屋を後にした。




閲覧ありがとうございました。
いきなり、2メートルの蛇をペットにしろ言われた主人公。余程の爬虫類好きでないと、厳しいですね。
赤髪の2人は、アーサー=ウィズリーとビル=ウィズリーです。ビルは、この時期はエジプト勤務でしょうが、ま、いっか!
●コンラッド=クロックフォード。
親世代と言えば、やっぱりスネイプと同窓ですよね!


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2.汽車から城へ

閲覧ありがとうございます。
ハリー達との対面です。

追記:2月18日、ハグリッドが「ト」になっている指摘を受け、この話から修正しました。
追記:3月3日、ロングボトムが「ル」になっていると指摘を受け、修正しました。


 近代的な造りをしたキングズ・クロス駅は、隅々まで清掃が行き届いている。それよりも、この駅を利用している客数の多さに、クローディアは驚かされた。

(ホグワーツに入学する子は、他にもいるさ)

 魔法学校の入学生を探すべく、クローディアは周囲を見回す。

 9番線プラットホームにそれらしき黒髪の少年を見つける。白いフクロウの鳥籠を乗せた荷物カートが目印だ。

(発見! 私と同じ入学生さ!)

 急いでクローディアは、ドリスの服を引っ張る。

「お祖母ちゃん、あの子もホグワーツさ?」

 少年に気づいたドリスは、猛ダッシュで彼へ駆け寄った。

「早っ、待ってさ!」

 吃驚したクローディアも置いて行かれないようにカートを押す。

「ハリー=ポッター!」

 興奮したドリスが叫ぶ。少年は驚いて振り返った。

(あれがハリー=ポッターさ?)

 『生き残った男の子』の代名詞を持つ少年は、凡そ似つかわしくない風貌の持ち主だった。

 真っ黒い短髪に割れかけた眼鏡、古くて裾が痛んだ挙句にダボダボの服。クローディアよりも小さく痩せている。しかも、彼女より頭一つ分低い。額に[例のあの人]から受けたと言われる、切り裂けたような傷がなければ、この少年をハリー=ポッターとは誰も思わない。

 ドリスはハリーと無理やり握手していた。

「『漏れ鍋』でお会いした……ドリスさんですよね?」

「まあ! 覚えていてくださいましたのね。クローディア、聞いた!? ハリー=ポッターが私の名を覚えていて下さりましたわ」

 至上の喜びと両腕を組んで空を仰ぐドリスを周囲の冷たい視線が刺さる。恥ずかしさのあまりクローディアは、彼女を宥める。

「うちの孫娘です。今年からホグワーツですので、仲よくなれれば良いのですが」

 肩を押すようにクローディアは、ハリーの前に出された。

 ここまで近いと、有名人が目の前にいるという感動が起こらないはずはない。

「はじめまして、クローディア=クロックフォードです」

「よろしく。あの、僕、9と3/4番線への行き方がわからないのですが、教えてもらえませんか?」

 緊張を含ませた丁寧な姿勢を見せるハリーをドリスは、感嘆する。

「クローディアが手本を見せますので、それに続いてください」

「え? 手本って何さ? そのホームに行けばいいんじゃないさ?」

 疑問を口にしたクローディアを見て、ハリーは安心したように表情を綻ばせた。反対にドリスは焦るように瞬きをする。

「説明していませんでしたね。9番と10番の柵に真っ直ぐ向かうのです。走るのが怖ければ、小走りで構いませんよ」

 簡単に説明されたが、柵に向かって突っ走るなどただの暴走ではないかとクローディアは首を傾げる。

 しかし、ダイアゴン横丁の例もある。クローディアは、カートを押して柵へと方向を構える。そして、勢いよくカートを押し、走る。衝突するという脳髄の信号があったが、ドリスを信じて足を更に速めた。カートが柵に触れそうになる瞬間、突き抜ける感触が全身を駆け抜ける。

 それと同時に、視界も開けた。

 年代的価値を匂わせる紅色の蒸気機関車。それに群がるような人々に埋もれたプラットホームに来ている。乗客や見送り客は、魔法使いやマグルの服装と様々だ。

 『ホグワーツ行き特急11時発』と改札口の『9と3/4』を目にし、ここが隠された魔法使いの駅なのだと理解する。

 その感動に打ち震えたクローディアは、思わず万歳して吼えた。

 

 ――ドンッ。 

 

 次の瞬間、油断し切った背中に衝撃が走った。衝撃は痛みに変わり、クローディアは小さく悲鳴を上げて振り返る。

 後からやってきたハリーのカートがクローディアの背に激突したのだ。

「ごめんなさい!」

 上擦った声でハリーがすぐにクローディアの背を擦り、必死に謝る。先に謝られたので、もう怒れない。痛みに顔を歪めたまま、無理やり笑顔を作る。

「ううん、あんたが後から来るの。忘れていたさ」

 颯爽とドリスも柵から姿を現し、クローディアは痛みに悶えるのをやめた。

「ありがとうございました」

 ハリーがドリスに律儀に御礼を言ってから、お互い席取りのために離れた。

「お行儀の良い子ですわね。流石は、ハリー=ポッター」

 酔いしれたようにウットリしているドリスを放置し、クローディアは開いている席を探した。まだ20分前だが、来るのが遅かった。先頭は人でごった返している。最後尾付近まで行くしかない。

 思わず、嘆息した。

「ねえ、あなた」

 上から、気取る口調の高い声がしたので見上げる。

 汽車の窓から人形のように綺麗にふんわりと盛り上がった栗色の髪をした少女が顔を出していた。少し前歯が出ているが、健康的に白い丸みを帯びた顔にはよく似合っている。

 クローディアは周りを見渡し、自分が話しかけられたのだと確認する。

「まだ座れるわよ。ここに来ない?」

「はい、お願いします」

 迷わず、即答した。

 ハリーと会ったときとは違う興奮で胸が躍っていることにクローディアは不思議に思う。大人たちが騒ぐ有名人より、目の前の少女にこれ程気持ちが揺れるのは何故なのか、今はまだ、それに言葉を付けられなかった。

 招かれたコンパートメントには、少女以外の荷物も置かれていた。

「私、クローディア=クロックフォードです。今年で入学します」

「私はハーマイオニー=グレンジャーよ。私も今年で入学よ。後から、男の子が来るから」

 ハーマイオニーが自分の隣を叩いて、座るように促してくれた。それだけなのに、胸の高鳴りは一層大きくなった。

 荷物を部屋の隅に追いやり、ハーマイオニーに会釈して、窓からドリスを探す。

「お祖母ちゃん! 席見つかったさ」

 人ごみの中から、ドリスが手を振って窓に歩み寄った。

「こちらのグレンジャーさんが声をかけてくれたさ」

 ドリスに、ハーマイオニーを紹介するときもクローディアの興奮は治まらなかった。 ハーマイオニーも窓から顔を出し、ドリスに挨拶する。

 コンパートメントに三つ編みが縮んだ髪の男の子が半泣きの表情で入ってくると、出発の笛が鳴った。

 思わず、少年も窓から顔を出す。少年は家族らしき人々から顔中にキスの嵐を受け、ハーマイオニーも両親から頬にキスを受けた。

「クローディア、手紙頂戴ね」

 不意にドリスの唇がクローディアの頬に触れた。キスにはまだ慣れないので口元を引き締めて頷く。

「お祖母ちゃんも、お元気でさ」

 動き出す汽車に大勢の見送りの家族が手を振っている。その中に、何故、己の父が来てくれないのかと思うと、少し淋しかった。

 

 ホームを離れ、見送り集団が見えなくなると、自然と皆は席に着く。

 正面に座る少年が緊張しているのか、俯き加減で呟いてくる。耳を傾けると、どうやら自己紹介しているらしい。

 声が小さくて聞き取りにくい。

「僕、ネビル=ロングボトム。よろしく」

「私は、クローディア=クロックフォードさ。よろしくさ、あんたも1年生?」

 頷くネビルとハーマイオニーが口を開いた。

「私は、マグル生まれだけど、クローディアは?」

 これにまた心臓が高鳴った。ハーマイオニーの言動ひとつひとつに律儀に反応する自分が恥ずかしく感じた。

「お父さんが魔法使いさ。でも、いままで魔女だって知らなかったから、マグル生まれと変わらないさ」

「え、魔女? 君、女の子なの?」

 悪気はないのだろうがネビルの言葉に、クローディアは少し気に障る。だが、そのお陰で興奮が治まってきたので、胸中で彼に感謝した。

「そういえば、ホームでハリー=ポッターに会ったさ」

「ええ!? ハリー=ポッターに!!??」

 ネビルが驚きあまり、座ったまま飛び跳ねる勢いで両手を挙げた。ハーマイオニーも感心したように頷いている。やはり、ハリーは有名なのだと再確認できた。

「ハリー=ポッターが【近代魔法史】【黒魔術の栄枯盛衰】【二十世紀の魔法大事件】にも載っているのに、同級生って不思議さ」

「あなたも読んだのね? 私も読んだわ」

 食いついてきたハーマイオニーに、クローディアは読んだ内容を必死に思い返し、話題を繋げる。すると、自然に話は『例のあの人』へと変わる。

「ハーマイオニーは『例のあの人』の名前知っているさ?」

 ハーマイオニーは意外そうに瞬きをするだけだったが、ネビルは今度こそ席から飛び上がり、コンパートメントの戸を開く。

「僕、トレバー探してくる」

 ネビルの慌て振りに、クローディアはドリスからの厳重注意を思い出した。

「ごめんさ。お祖母ちゃんから『例のあの人』の名前を聞くなって……。すっかり忘れていたさ」

「謝らなくていいわ。私だって気になるもの。……気になると言えば、あなた……顔つきが東洋系だけど、何処の国の人?」

 不思議そうに見つけてくるハーマイオニーの視線に、クローディアの心臓が火照りすぎて痛い。

「日本さ。お母さんが日本人だけど、お父さんが英国人さ」

「日本……、地理の授業で習ったわ。中国と海を挟んだお隣さんよね? ロシアと北方領土で揉めているみたいだけど、まだ続いているのかしら?」

 まさか北方領土問題が出てくるとは、予想外すぎる。

「解決はしてないさ。私が出国してからは、わからないけどさ」

「新聞はちゃんと読まないといけないわ。情勢ってすぐに変わるもの」

 最もな意見に、クローディアは畏まるしかない

 ネビルが居ぬ間に、2人は制服に着替えることにした。お互い自分の荷物から、卸したてお制服とローブを取り出す。制服に袖を通すのは、実はこれが初めてなので少し緊張した。

 着替えながらも会話は続く。

「『例のあの人』のことだけど、ネビルが紙に名前を書いてくれたわ。口には出せないからって」

「ああ、そういう手があったさ」

 ハーマイオニーが何処からともなく、紙切れを取り出して開いて見せた。

 しかし、ネビルの字は達筆すぎて読みにくい。ハーマイオニーもなかなか読めなくて困っていたそうだ。

「ヴォ……これは、Rさ? なら、ヴォルデモートさ?」

「ヴォルデモート……、ふうん。何だが、悪役みたいな名前ね」

 紙を丸めたハーマイオニーは、口の中でもう一度ヴォルデモートと呟いた。

「ダースベーダーとどっちが強いさ?」

 クローディアの問いに、ハーマイオニーが興味深そうに笑う。

「そうねえ。ライトセイバーの分だけ、ダースベーダーが有利だわ」

「似たような面、被っていたりして、『ルーク、私がおまえの父親だー』」

 想像した2人は、腹を抱えて笑った。

 そろりと戻ってきたネビルは、悶絶しながら笑っている2人を見て呆然としていた。

 

 一通り笑い終えたクローディアとハーマイオニーに、ネビルがヒキガエルのトレバーが見つからないとグズリだした。

「ネビル、トレバーは人間にしてくれる女の子を探しに旅に出たさ」

「嫌だよ。そんなの! キュルルル……」

 泣き叫ぼうとしたネビルの腹が豪快に鳴った。恥ずかしそうに彼は腹を擦っている。

「もうお昼さ。ご飯どうするんだろさ?」

 苦笑いしながら、クローディアは窓を見るとはなしに見る。窓の外には、牧場や野原が雄大に広がっている。

 美しい景色にクローディアは、胸中で感動した。突然、戸が開いたので、思わず3人は振り返る。

「車内販売はいかが?」

 気の良さそうなお婆さんがお菓子を積んだカートを押して、現れた。

 腹を空かせていたネビルがすぐに飛びついた。クローディアも通路に出るが、お菓子のみで昼ご飯になるものがなかった。適当にかぼちゃパイと杖型甘草あめを買い、席に戻った。

 ネビルは蛙チョコレートを大量に手にしている。

(カエル好きすぎさ……)

 少し呆れて見ていると、ネビルは包みを開けてカードを取り出した。

「またダンブルドアか……。もう8枚も持っているよ。アグリッパが欲しいのに」

 残念そうに呻くネビルから、ハーマイオニーがカードを借りる。

「本でしか読んだことないけど、この人がダンブルドアね」

 クローディアも横からカードを見つめる。半月型の眼鏡に高い鉤鼻、長い銀髪と顎鬚と口髭、いかにも魔法使いといった容姿だった。

「アーサー王伝説のマーリンみたいさ」

「うまいこと言うわね」

 お互い顔を見合わせて笑うと、カードからダンブルドアの顔が消えていた。驚いたクローディアはハーマイオニーと顔を見合わせる。

「ネビル、絵が消えたさ!」

「当たり前だよ。忙しい人なんだから、いつまでもいないよ」

 当然だと言い張るネビルに、クローディアとハーマイオニーは一瞬だけ苛立つ。

 

 適度に腹を満たすとハーマイオニーは身なりを正し、ネビルも慌てながら制服に着替え終えた。

「じゃあ、ネビルのカエルを探してくるから、クローディアはここに残って、もしかしたらカエルがやってくるかもしれないから」

 承認の意味で頷くと、ハーマイオニーは早々と通路を歩いていき、ネビルもすぐに反対方向の通路へと消えて行った。

 1人になると荷物の虫籠が暴れているような気がして、虫籠の蓋を開ける。待ち焦がれたとばかりにベッロが顔を出すと、ネビルの食べかけの蛙チョコレートを平らげた。

「ごめん、あんたのこと、すっかり忘れてたさ」

 詫びて、自分の食べかけのかぼちゃパイを差し出すと、容赦なくベッロは飲み込んだ。そして、ベッロは何故か荷物の網に向かって軽く吼えるような仕草をした。

 ベッロを席に置き、クローディアが荷物の隙間を見てみる。

 どっしりと構えたヒキガエルが口を開いて「ゲコッ」と鳴いた。

「なんだ、ずっとここにいたさ。灯台下暮らしじゃないさ…」

 滑稽に思えて乾いた笑い声が部屋に響く。

 通路のほうから人が争うような騒がしい声がした。

「もう一度言ってみろ!」

「へえ、僕たちとやるつもりかい?」

 耳を澄ましてみると何人か少年たちが口論しているように聞こえる。

(見に行くのは、失礼さ)

 クローディアは通路に顔を出すと、鈍いような悲鳴が通路に響き渡ったので、驚いて部屋に引っ込んだ。騒々しく乱暴な足音と共に、金髪で青白い顔の少年と体格の良い少年・2人が嵐のように走り去って行った。

(男子は何処の世界でも騒がしいさ)

 やれやれと、クローディアは呆れる。

 手にしたトレバーを撫でているとネビルが戻ってきた。

 ネビルはクローディアの手の中のトレバーを見て、大げさに喜びの表情を浮かべた。しかし、瞬間の早さで彼の顔色が青くなる。

 その視線の先では、ベッロがカボチャパイの残りを頬張っている。クローディアは、ネビルがベッロに怯えているのだと理解した。

 戻ってきたハーマイオニーもベッロを見て、短く小さい悲鳴を上げた。しかし、目を細めて恐る恐るベッロに顔を近づけてくる。

「この子は、ベッロさ。2人がいなくなってから、ベッロがトレバーを見つけたさ」

 クローディアがベッロを紹介しても、ネビルは部屋の隅で身を捩じらせている。ハーマイオニーは、更に蛇へ近づき、注意深く観察する。

「私、写真つきの図鑑とか、動物園で蛇をたくさん知っているわ。でも、こんなに紅い色をした蛇は初めてだわ。種類は何?」

「多分、シマヘビさ。でも、紅いヤツはいないから突然変異さ」

 蛇を見つめて話す少女2人の光景に耐えられなくなったのか、ネビルが悲痛な声を上げる。

「はやく、しまってよ」

 悲鳴に似た訴えに、2人はネビルの存在を思い出す。クローディアは、トレバーをネビルに渡すと虫籠をベッロに向ける。面倒そうにベッロは、引き込まれるように虫籠に入っていった。

「こんなに小さい籠なのに、きっと魔法の籠なのね」

 感心したようにハーマイオニーは頷く。ネビルは緊張が解けてその場に座り込んでいた。

「クローディアは、魔法使える?」

 虫籠を慎重に見つめるハーマイオニーに、クローディアは呻く。

「お祖母ちゃんにひとつだけ教えてもらったさ。まだ、何も試してないさ」

「やってみせて」

 期待の篭った瞳にクローディアは緊張し、ローブから杖を取り出した。

 ネビルも姿勢を正してクローディアに注目する。

 クローディアはネビルが無造作に脱いだ私服を目にする。チョコのせいで裾が汚れていた。杖を服の裾に向けて唱える。

「スコージファイ(清めよ)」

 途端に、チョコの汚れは蒸発したように消え去った。成功したことにクローディア自身が驚いた。

 杖を見つめるクローディアにハーマイオニーは、拍手する。

「ハーマイオニーも、いくつか魔法が使えるんだ。もしかしたら、君たちはレイブンクローになるかも。あそこは賢い子が入るって、お祖母ちゃんが言ってた」

 汚れが取れ去った自分の服を見つめて感激するネビルの言葉に、ハーマイオニーは小さく頷く。

「悪くないかもね」

 微笑む彼女を目にし、クローディアは是が非でもレイブンクローに入りたいと強く願った。

 

 汽車が完全に停車したとき、明かりはあるにせよ、外は暗く夜になっていた。まだ、9月だというのに、空気は冷たく下車した生徒の中には震えている子もいる。

「イッチ年生! イッチ年生はこっちだ! ハリー、元気か?」

「ハグリッド!」

 野太い声に振り返ると、見たこともない高さの身長で横に広い巨体な大髭の大男が、ランプを片手に立っていた。生徒達で見えないがハリーらしき声が大男の名を呼んでいるのが聞こえた。

(デッカイ!)

 あまりの巨体にクローディアは自然に口を開けて、ハグリッドを見上げる。

 生徒達が彼に続いて歩き出したので、クローディアも慌てて追いかけた。

 大河を連想させる巨大な湖の畔に着くと、向こう岸に壮大な中世の古城が夜空に描きこまれた如く、その存在感を見せ付けた。

 現実味のない程に、美しい古城を月が更に美しく見せる。

 歓声が湧き上がる中、ハグリッドが生徒達を小船に乗るように促す。

 いつの間にか、横にいたハーマイオニーがクローディアの手を引いて、小船に乗った。そこには、既に少年2人が乗っている。

 1人は言わずと知れたハリーだ。赤毛の少年がハーマイオニーを見て、少し不快そうに眉を曲げた。ハリーもクローディアに気づいて会釈する。

「やあ、クローディア。君達、友達だったの?」

 ハリーが少し詰め、クローディアとハーマイオニーに場所を空けた。

 クローディアはハリーに礼を述べ、ハーマイオニーを先に座らせる。

「汽車で友達になったさ。そちらは?」

「ロン=ウィーズリー。ハリー、知り合いかい?」

「うん、ホームで親切にしてもらったんだ」

 自己紹介している間に小船船団が湖を進みだし、生徒は皆、近づく古城に視界を奪われ誰一人口を開くものはなかった。

〔こりゃあ、私のカメラじゃ、おさまりきらないさ……〕

 ふと、クローディアはそんな感想を漏らした。

 




閲覧ありがとうざいました。
ネビルの為に、トレバーを探しに行くハーマイオニーは優しいなあ。彼女は「XXの国」って聞いたら、国勢とか聞いてきそう。


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3.不可解な言葉

閲覧ありがとうございます。
帽子に話しかけられてみたいです。
回想台詞は〝〟、大音声は《》と表記します。

追記:2月29日にラベンダーが組分けで2回呼ばれているという指摘を受け、修正しました。
追記:9月12日パーバティがレイブンクローになっているという指摘を受け、修正しました。


 古城の真下に位置する船着場に着き、ハグリッドは生徒たちが欠けていないかを確認する。そして、巨体を揺らしながら、生徒達を先導した。

 駅からの長い道のりが終わり、古城への入り口と思われる巨大ながらも上等な樫の木の扉に集まる。ハグリッドが扉を3回叩くと、音もなく自然に開いた。

 待っていたのは、美しい緑のローブを優雅に纏った厳格な魔女であった。

「マクゴナガル教授、イッチ年生の皆さんです」

「ご苦労様、ハグリッド。ここからは私が預かりましょう」

 マクゴナガルと呼ばれた魔女は、口調にも厳格さが備わっている。

 クローディアの脳裏にコンラッドの言葉が過ぎる。

〝あそこにセブルス=スネイプっていう先生がいるはずだけど、その人の機嫌は損なわないほうがいい。おまえの為にね〟

 目の前に居る魔女でさえ、威圧感で緊張する。尚且つ、機嫌を損なってはいけない教員も存在するのだ。バスケの試合より緊張して胃が痛い。

 マクゴナガルに案内されたのは、小さな部屋だ。詰め寄らなければ全員入りきれないため、息苦しさを感じる。

「ホグワーツ入学おめでとう」

 よく通る高い声に反射して、クローディアは背筋を伸ばす。

 寮の組分けの説明、得点制度、今までにないことが待っている。

(凄まじい連帯責任さ)

 これが生徒の成長を促す仕組みなのだろう。

「静かに、待って居てください」

 マクゴナガルが部屋を出ると、生徒は皆、不安を隠しきれず口を硬く閉ざしていた。ハーマイオニーだけが何か呟いているが、それに構っている余裕はなかった。

 突如として生徒達の間で悲鳴が上がった。

 何事かと部屋中を見回す。壁から煙が形になったように白く、存在感が薄いモノが壁を通り抜けて部屋の中に入ってきたのだ。

〔オバケ!〕

 日本語で悲鳴を上げたクローディアは、恐怖に慄く。

 幽霊が何か話しかけてきたても、皆、怯えて口を開く者はなかった。幽霊は気を悪くせず、壁の向こうへ去った。

 マクゴナガルの姿を目にしたときは、全員、安心した。

「一列になって、着いてきてください」

 自然と皆が列を作り始め、クローディアは困惑する暇さえない。

(出席番号とか、いいのさ?)

 クローディアの後ろにハーマイオニーが着き、歩みの波へと流されていった。

 

 ――小学校の体育館など、ここに比べれば物置小屋同然だろう。

 

 比較する対照にすらならないが、クローディアの大広間に対する感想を言葉にするなら、そうなる。

 数え切れない蝋燭が宙を浮かび、天井がないかのように、星の輝きを映している。

 かつてこれ程、広大かつ美しい大広間を見たことは一度としてない。世界を探してもここだけしかないと断言できる。

「本当の夜空に見えるだけ、魔法がかけらてるのよ。【ホグワーツの歴史】に書いてあったわ」

 ハーマイオニーの言葉に、クローディアも思い出した。しかし、魔法だとわかっていても素晴らしいものは素晴らしい。 

〔すげえさあ〕

 口に出来る精一杯の賛辞だ。

 マクゴナガルは教員席と生徒席の間に1年生を一列に並ばせ、その前に上品な印象を与える椅子を置いた。椅子の上には、如何にも魔法使いの帽子が置かれた。

(年季が入った帽子さ)

 1年生全員が帽子を胡散臭そうに見つめていると、帽子が視線に反応するように動き出した。しかも、歌まで歌ったのだ。

 各寮に関する歌のようだ。

 歌い終わると教員、生徒ともに拍手が巻き起こり、帽子はお辞儀までしたのだ。

 いよいよ、組分けが始まる。

 クローディアは、横に居るハーマイオニーを盗み見る。

 彼女と同じ寮になりたい。それだけが胸を支配していく。

「名前を呼ばれたら、帽子を被り椅子へ、組分けを受けてください」

 それを合図に、1年生全員が背筋を正した。

「ハンナ=アボット!」

《ハッフルパフ!》

「サリー=アン・パークス!」

《レイブンクロー!》

「スーザン=ボーンズ!」

《ハッフルパフ!》

「テリー=ブート!」

《レイブンクロー!》

「マンディ=ブロックルハースト!」

《レイブンクロー!》

「ラベンダー=ブラウン!」

《グリフィンドール!》

「ミリセント=ブルストロード!」

《スリザリン!》

 次々と組み分けられ、クローディアは不安に襲われる。

 同期と2歳も年上。魔法学校、しかもこれ程までに素晴らしい場所だと知れば、日本の小学校を放り、すぐにでも入学しただろう。

 何故、2年前に一言も相談しなかったのか、勝手な配慮に段々と腹が立ってくる。

「クローディア=クロックフォード!」

 自分の番だ。

 条件反射で、ハーマイオニーを振り返る。彼女はクローディアに片目を閉じてウィンクした。

 不安や緊張で縮んでいた心臓が温かいお湯をかけられたように広がっていく。クローディアは、唇の隙間から息を吐き、椅子に座る。

 帽子の中は暗かったが、暖かい感じがした。

「こんなことが続くとは……」

 耳元で歌うときとは違う低い声がした。

「困ったのお、実に困った……、以前と同じにすべきか、しかし、この子にはない」

 前と同じとは、何のことだがわからない。

 咄嗟に、これは組分け儀式の一部なのだと考えた。クローディアは目を瞑って、必死に頭を廻らせる。何処の寮に入りたいか、入るべきかを自身に問いかけた。

 だが、考える必要はなかったと思い立つ。

「レイブンクローにして下さい」

 懇願して、呟く。

「ふむ、なるほど、それならレイブンクロー!」

 確信的な叫びが広間に響くと同時に、左から2番目のレイブンクロー席から拍手が湧いた。帽子を取り、小走りで席へ行く。男女混合で席に着くことがなく、しかも出席番号もない。不安な気持ちのまま、先に座っていた強い茶色の金髪の少女マンディ=ブロックルハーストに会釈してから座った。

「ディーン=トーマス!」

《グリフィンドール!》

「ジャスティン=フィンチ‐フレッチリー!」

《ハッフルパフ!》

「シェーマス=フィネガン!」

《…………グリフィンドール!》

「ハーマイオニー=グレンジャー!」

 待ち遠しかったクローディアは席に座り直し、ハーマイオニーの顔がよく見えるように首を上げた。彼女は笑顔で椅子に座り、自ら帽子を強く掴んだ。

 クローディアはローブの裾を掴み、自分の時よりも緊張して、帽子の言葉を待った。

《グリフィンドール!》

 帽子の叫びはクローディアの耳で何十という木霊を作り、反響した。

〔そんな……〕

 深く残念に思い、重く肩を落とした。今すぐ帽子の元へ行き、組分けの訂正をしてもらいたかった。ハーマイオニーは、今までと違う眩い笑顔でグリフィンドール席に座った。

「ダフネ=グリーングラス!」

《スリザリン!》

「ネビル=ロングボトム!」

《…………グリフィンドール!!》

 ネビルは嬉しさのあまり、帽子を被ったまま席に走ってしまった。その様子にクローディアも腹を抱えて、爆笑した。

 恥ずかしそうに、ネビルは帽子をモラグ=マクドゥガルに渡した。渡されたモラグはレイブンクローになった。

「ドラコ=マルフォイ!」

《スリザリン!》

「エロイーズ=ミジョン!」

《ハッフルパフ!》

「セシル=ムーン!」

《レインブンクロー!》

「セオドール=ノット!」

《スリザリン!》

「パーバティー=パチル!」

《グリフィンドール!》

「パドマ=パチル!」

《レイブンクロー!》

 そして、遂に彼の番になった。

「ハリー=ポッター!」

 彼の名が出た瞬間、それまで黙っていた上級生や1年生が思い思いに囁きあった。

「あれがハリー=ポッターよ」

 向かいに座る白に近い金髪の少女サリーが口元尾を押さえ、目だけ笑っている。

「レイブンクローになったら、どうしよう? 私、ちゃんと勉強できるかしら?」

「静かにっ」

 健康的な小麦色の肌をした少女パドマ=パチルがサリー=アン・パークスに耳打ちして黙らせる。

(有名人だからこその反応さ)

 クローディアがハリーを哀れに思うと、彼は帽子を被って椅子の縁を握り締めている。

《グリフィンドール!!》

 帽子の叫びが広間に伝わり、グリフィンドール席だけでなく、ハッフルパフ、レインブンクローも盛大な拍手喝采を巻き起こした。スリザリン席だけが不快げに沈黙していたのが、不気味だ。

 ハリーは覚束ない足取りでグリフィンドール席に辿り着くと上級生と握手していた。見覚えのある赤髪の双子が息の合ったハモリで叫んでいる。

「「ポッターを取った!」」

 双子の言葉に、クローディアはある疑問が浮かんだ。

(自分で寮を選んではいないさ?)

 しかし、帽子はクローディアに意見を聞いてきたのだ。

「ザカリアス=スミス」

《ハッフルパフ!》

「リサ=ターピン!」

《レイブンクロー!》

「ロナルド=ウィーズリー!」

《グリフィンドール!》

「ブレーズ=ザビニ!」

《スリザリン!》

 クローディアが考え込んでいる内に、組分けは終わり、マクゴナガルは帽子を片付けていた。

 上座の中心にある凝った装飾が施された金色の椅子に座っている柔らかな大きな髭を持ち、穏和と威厳を兼ね備えた風貌のアルバス=ダンブルドア校長が腰を上げた。両手を大きく広げ、家族を迎え入れるような優しい声で歓迎の挨拶を述べた。

(本当に魔法使いさ、あの人)

 クローディアが胸中で呟いている内に目の前にあった大皿が料理で埋めつくされている。感動することだらけで、腹が鳴るまで料理を見つめていた。

 皆が食事をしていると幽霊達が新入生への挨拶だと、料理から顔を出し、生徒の体を通り抜けていくなどの行為に、悲鳴を上げる生徒もいた。

〔味が濃いさ……〕

 これまで食べたこの国の料理で比較的食べやすいが、やはり、量が多い。 

 生徒全員が腹を満たした頃、皿に残った料理は消え、代わりにデザートが現れた。何故か、クローディアの前には好物のプリンが添えられている。別腹というのは、存在するもので、まだ食べられる気がした。

「私もパーバティと一緒になりたかった。まあでも、私のほうが賢いかもって思っていたのよね。ほら、レイブンクローは賢い子が選ばれるっていうでしょ?」

 パドマは、隣に座る灰色に近い黒髪の色白肌の少女リサに自慢げに話していた。それを聞いてクローディアの予想は確信に変わる。

(やっぱり、帽子が選んでいるさ。なら、どうして、私の時は聞いてきたさ? こんなことが続く?)

 プリンを口に頬張りながら、クローディアが考え込む。

「そのデザート、私にも分けられる?」

 少し離れた位置にいる銀髪赤目の少女セシル=ムーンがクローディアのプリンを指差すと、彼女の前にも同じプリンが現れた。

 面白い仕組みだ。

 気持に余裕ができ、クローディアは上座に目をやる。ダンブルドアやマクゴナガル、ハグリッドが見える。他は当たり前だが、全然、知らない教員ばかりだった。

 適当な上級生にクローディアは尋ねた。

「セブルス=スネイプ先生ってご存知ですか?」

 急に上級生だけがざわめきをやめて口ごもった。その反応で、どれだけ脅威か推し量れた。

「『魔法薬学』の先生よ。あそこで、紫のターバン巻いた先生の隣にいる黒髪の先生」

 東洋系の顔つきをした上級生がおそるおそる上座を示した。

 視線の先には、ねっとりとした黒髪に土気色の顔をした黒衣の男性が隣の紫ターバンで青白い顔の男性と話している。

(あれがセブルス=スネイプ先生)

 雰囲気から、マクゴナガルとは違う厳格さを感じ取れる。

「ありがとうございます。先輩」

「チョウ=チャンよ。チョウでいいから、ねえ、どうしてスネイプ先生が気になるの?」

 チョウの質問に他の上級生も聞き耳を立てている。

「機嫌を損ねないほうがいいって忠告されたから、どんな先生かと思いまして」

 クローディアの返答に上級生たちは納得した。

「わかるけど、諦めたほうがいいわ」

 別の上級生が哀れそうに呟いた。彼女はマリエッタ=エッジコムと名乗った。

「教授は、スリザリンの寮監ですごく、贔屓するの。スリザリン以外で教授の機嫌を取るのは無理よ」

 チョウが付け加える。

 冗談ではないと悟ったクローディアはもう一度、上座のスネイプを見やった。彼がこちらを見ることはなかったので、幸いした。

 デザートが消えるとダンブルドアが再び立ち上がり、注意事項を告げた。

「最後に、今年いっぱいは4階の右側の廊下に入ってはいけません。苦しい死に方をしますよ」

 簡単に死ぬなどと口にされたので、クローディアは少し驚いた。これが校長ならではの冗談なのだと解釈するが、監督生が小さく緊張のある声で1年生に告げる。

「冗談で済まないのが、ホグワーツだ。油断すると死ぬぞ」

 軽く笑っていた金髪碧眼の少年テリーが青ざめた顔をして口元を引き締めた。

「では、寝る前に校歌を歌いましょう」

 当たり前のように声を張り上げるダンブルドアに、クローディアは焦った。ホグワーツの校歌など知りもしないし、一度も練習していない。

 ダンブルドアが杖をマイストロの如く振り上げると生徒全員がバラバラの音程と音調で歌いだした。クローディアも適当に歌った。

 グリフィンドールの双子を最後に歌が終わると、ダンブルドアは何に感動したのか、涙を流して拍手していた。

(よくわかんない人さ)

 宴は終わり、1年生は監督生に続いて広間を出た。

 クローディアはハーマイオニーに声をかけようとした。階段の所で、双方の向かう方角が違ってしまった。彼女はすぐに見えなくなった。少し寂しい気もしたが、寮が違うので仕方ない。

「ホグワーツにようこそ」

 壁にかけられた絵たちが微笑みながら、挨拶してきた。絵が喋ると思わなかったクローディアは思わず、仰け反った。

 

 細い螺旋階段を下りると、行き止まりになっていた。1年生が辺りを見回すと、監督生の前の壁に鷲型で銅製のドアノッカーが扉もないのに着けられている。

 鷲型のドアノッカーが生きているように口を開いた。

「あらゆる国に住んでいて、あらゆる人の友達で、自分と同等の者を我慢できないもの」

「太陽だ」

 監督生が答えると、壁だと思っていた場所が開けた。それはダイアゴン横丁の仕組みを髣髴させた。1年生は声を出さずに感嘆した。

「談話室に入るためには、入り口で謎かけに答えないといけない、覚えておくんだ」

 通された談話室は広い円形になっており、カーテンも絨毯も青一色だった。天井はプラネットドームのように星が描かれていた。隅に何故か大理石の女像が置かれ、その像が見えるようにソファーや肘掛椅子が配置してある。その女像につけられた髪飾りには、小さな文字が刻まれていた。

【計り知れぬ英知こそ、我らが最大の宝なり】

(え、偉そうさ)

 何処となく、女像の表情も威圧的に感じた。

 椅子には、既に腰掛けた先客がいた。細身で何処となく憂いを帯びた女性の幽霊だ。大広間にも現れたレイブンクロー憑き幽霊『灰色のレディ』であった。 

「女の子はあっちよ」

 『灰色のレディ』は女生徒に向かって、扉を指差した。

 ここから男女が別れ、それぞれの寮の戸を開けるとまた螺旋階段があり、その途中、途中に部屋があり、扉には名札が掲げられていた。

 ようやく、クローディアは自分の名のある部屋に辿り着いた。疲労で重くなった足取りで入ると、天蓋付き寝台が3つあり、その中心に円形のテーブルが置かれていた。やはり、カーテンは青かった。

 寝巻きに着替え終えた頃には、眠気に襲われた。同室となったパドマとリサに簡単な自己紹介を済ませて、3人とも寝台に倒れこんだ。

 意識が遠のく前に、これが夢ではないことを願った。

 




閲覧ありがとうぎざいました。
主人公は、レイブンクローです。
●パドマ=パチル、リサ=ターピンの2人が同室です。
●セシル=ムーン
 原作一巻にて、苗字のみ。
●テリー=ブート
 多分、アメリカ人じゃないかと勝手に思う。
●マンディ=ブロックルハースト
 原作一巻にて、苗字のみ。
●モラグ=マクドゥガル
 原作一巻にて、姓名のみ。
●サリー=アン・パークス
 原作一巻にて、苗字のみ。ミーハーだと思う。
●マリエッタ=エッジコム
 原作五巻にて、登場。母親が魔法省役人。
●チョウ=チャン
 原作三巻から、登場。


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4.授業開始

閲覧ありがとうございます
タイトル通りの授業です。

追記:16年9月22日、17年9月29日、18年9月20日、誤字報告により修正しました。


 監督生から1年生用時間割表が配られる。期待に胸を膨らませクローディアは目を通す。

 日本では馴染みのない週休2日制、全教科移動教室、一番驚いたのは固定の教室がないことだ。

(ロッカーがないのに、何処に荷物置くさ? あ、寮に置けばいいさ)

 学校生活に慣れるまでクローディアは、城で右往左往するのが目に見えている。だが、不安に駆られているのは、他の1年生も同様だ。1年生全員を見渡した監督生が咳払いする。

「学校生活に慣れるまで時間がかかるだろう。わからないことがあったら、恥ずかしがらずに先輩達に聞きなさい」

 自然と1年生は監督生に返事をする。他に問題があるクローディアは、もう一度、時間割表を見る。どう見ても、他寮との合同授業がハッフルパフしかない。

(ハーマイオニーと全然会えないさ)

 酷く残念に思ったクローディアは、誰にも気づかれないように、小さく嘆息する。

「パーバティと授業が重ならないわね。別にいいけど」

 隣にいたパドマも、少し残念そうに項垂れていた。

 ベッロを虫籠に放置し、クローディアは寮生活初の朝食を楽しみに、螺旋階段を上がる。動く階段の向こうから、ハーマイオニーが降りてくるのが見えた。

 ハーマイオニーも気づき、上品に手を振り挨拶を交わす。2人で大広間を目指し、お互いの寮の内装について話し出す。

「寮に入るには、ドアノッカーの謎かけね。おもしろそうだわ。こっちは『太った婦人』の肖像画が決めた合言葉よ。女子寮が3人部屋なのは、変わらないか」

「ハーマイオニーも、こっちに来ればよかったさ」

 意味深ではないように口調に気を遣い、何気なくクローディアは言い放った。ハーマイオニーは、口元を緩めて胸を張る。

「組分け帽子がね、グリフィンドールかレイブンクローのどちらにすべきか悩んでいたの。でも、最終的にグリフィンドールにしたわ。あなたと離れたのは残念だけど、嬉しいの。校長先生もグリフィンドールだったから、この寮に入りたいなって思っていたの」

 誇るハーマイオニーに、クローディアは祝福の笑みを向ける。その内心は正直、穏やかではない。

(そういうことは、先に言って欲しかったさ)

 それならば、昨晩は組分け帽子にグリフィンドールにしてくれと懇願したことだ。しかし、それで配される保証はない。クローディアが懇願せずとも、レイブンクローになったかもしれない。あるいは、懇願しなければ、グリフィンドールだったのかも…など、そんな憶測が出てくる。

 いつまでも不満を感じてはいけない。同じ学校内にいるのだから、ハーマイオニーと過ごせる時間を自分で作ればよいのだ。そう自らに言い聞かせる。

「昼食の後、図書館に行くけど、一緒にどう?」

「もちろん行くさ、何か調べ物?」

「ううん、本がどれだけあるか確認するの」

 ハーマイオニーからの申し出に、クローディアは心を弾ませた。ついに大広間に着いてしまい、2人はそれぞれの寮の席に着いた。

 寮席には、ベーコンや焼き立てのパン、フルーツの盛り付け皿が並べられていたが、バイキング方式らしく、わざわざ取り皿に寄せなければならないらしい。

(パンよりも米食べたいさ。コックさんに頼めないさ?)

 コッペパンにジャムを塗りたくり、クローディアはそんな贅沢なことを考えた。

「料理の注文は出来ないね。食べたい物があったら、家族から送ってもらいな」

 2年生・ミム=フォーセットがそんな助言をくれた。

 生徒達が談話しながら食事をしていると、突然、数え切れないフクロウが大広間に乱入してきた。4つの寮のテーブルを旋回しながら、手紙や小包を生徒の膝や目の前に置いていくという光景に圧倒される。驚いて口からパンを溢してしまった。

 勿論、クローディアの膝にも手紙と小包が落ちてきた。ドリスのフクロウ・カサブランカだった。

「ありがとさ」

 お礼を述べてから、パンの残りをカサブランカの口に投げると美味しそうに平らげ、すぐに大広間から飛び去ってしまった。

【愛しの孫娘クローディアへ

 学校はどうですか? 組分けは何処になりましたか、お祖母ちゃんとしてはハリー=ポッターと同じが好ましいです。もし、別の寮になってしまってもハリー=ポッターとは仲良くなって下さい。それから、お祖母ちゃんは日本にいるおまえのお母さんとも手紙をやりとりすることになりました。とても嬉しいです。

 追伸、コンラッドに手紙を送りたい場合は私宛にしてください。 ドリスより】

 ドリスのハリーへの熱意ぶりに呆れたが、追伸の部分に密かに眉を顰めた。

(お父さんは、何をそんなにコソコソしているさ? まさか、校長先生に借金でもしているさ?)

 ここに理由を書いていないということは、聞いても答えないということ。ならば、何も聞かない。

 小包を開けると、小さな写真入れだ。母と祖父で撮った家族写真が填め込まれていた。

【入学おめでとう 勉強は大切だけど、元気でいることが一番よ  かしこ】

 短い文面だったが、クローディアの胸は母のへの感謝の気持ちで溢れた。

「見てみて、ハリー=ポッターよ」

 何処からか聞こえた声に、クローディアは大広間にハリーがロンと共に現れたのだと知る。何人かが、遠目でハリーを盗み見ている。注目され、彼はその視線を快く思っていないように見受けた。

(仲良くしろって言われてもさ……)

 クローディアとしては、寮が違う分、手厳しい相手だった。

 

 『魔法史』の授業は、ただの歴史だった。幽霊が弁を取っているということで、大変面白みがある。だが、幽霊のカスバート=ビンズはただ教科書を壊れかけのテープレコーダーのように雑音混じり読み上げ、自分が何故、幽霊になってしまったのかを2回も説明してくれた。

 しかも、年号や人名を取り違え、見るに見かねたアンソニー=ゴールドスタインが訂正した。

「よかろう、君の指摘は正しい。ミスタ・ゴルンド」

「ゴールドスタインです!」

 色白の顔を苛立ちで真っ赤にしてアンソニーは何度も名乗ったが、ビンズは何もなかったように講義を続けた。

 1年生、誰もが待ち望んでいる『闇の魔術への防衛術』は全くの肩透かしであった。

「クィレル先生は、ゾンビを倒したと聞き及んでおります。どのように成し遂げられたのですか?」

 サリーが期待に胸を膨らませて、質問する。しかし、クィレルはターバンの裾を手で弄びながら、頬を染めて恥ずかしそうに身体を揺らすだけで、結局、説明されなかった。しかも、教室がニンニク臭で充満し、生徒全員その臭いで強い吐き気に襲われた。

 授業が終わった瞬間、我先にと全員が新鮮な空気を求めて廊下に飛び出した。

 

 昼食を手早く済ませ、クローディアとハーマイオニーは図書館に足を運んだ。

 司書マダム・ピンスことイルマ=ピンスに挨拶して辺りを見回し、その貯蔵量に圧倒された。まるで世界の英知がこの場所に集中しているのではないかと錯覚し、クローディアは興奮する。思わず、身体を大きく揺らした。

 ハーマイオニーは宝石を見るが如く、舞い上がる。本を手にして早速、読み始めていた。何度も話しかけたが、集中しすぎて無反応だ。

 仕方ないので、その間、クローディアはドリスと母に手紙の返事を書くしかなかった。

「ねえ、『魔法史』と『闇の魔術への防衛術』の授業どうだった?」

 何冊か本を読み終えて満足したハーマイオニーが口を開いてくれた。クローディアは忘れられていなかったことを確認でき、安堵した。

「ビンズ先生は見かけ通りのおじいちゃんだったし、クィレル先生は授業する気があるのかさえ、わかんないさ」

 午前の二科目がマトモな授業ではなかったことを報告する。ハーマイオニーは気の毒そうにクローディアを慰めた後、『薬草学』と『呪文学』の充実した授業を聞かせてくれた。

「それで、フリットウィック先生ったら、ハリーの名前を言った途端、可愛い悲鳴を上げちゃって、本から転んじゃったのよ」

「フリットウィック先生は、ポッターにお熱さ」 

 ハーマイオニーが話す授業の内容に、笑いのツボを押され腹を抱える。

「ちょっと、あなた」

 不意に声をかけられたので、騒ぎすぎたと慌てて振り返る。だが、背後にいたのはマダム・ピンスではなく、レイブンクローの3年生の女子生徒3人組であった。何故か含み笑いを浮かべ、クローディアを見ていた。

 赤毛で青い瞳の女子生徒が嘲るように目を細めて、口を開く。

「次の授業は外よ、早く行きましょうよ」

 クローディアが面を食らっていると、白金の女子生徒がクスクスと喉を鳴らして笑う。

「ダメよ、この子。まだ、1年生だもん」

 急にクローディアの心臓が耳元で大きく鳴った気がした。

「そうだっけ? この子、私たちと同い年だから、忘れていたわ♪」

 木霊する3人の嘲笑に、クローディアは呆れて言葉が出なかった。

 ハーマイオニーが手にしていた本を乱暴な音を立てて机に叩きつける。マダム・ピンスの目が鋭く光ったが彼女は気にせず、3人を睨んだ。

「だーれだ♪」

 赤毛の女子生徒の背後から手が伸び、両目を覆っている。3人組は一瞬、沈黙したが、すぐに微笑んだ。

「今度は、外さないわ。フレッドよ」

「ぶぶ~、ジョージでした」

 赤毛の女子生徒の背後から、生えるように現れたのは、誰もが知るこの学校の有名人・グリフィンドールのフレッド=ウィーズリーとジョージ=ウィーズリーだ。双子は、溌剌とした笑みで赤毛の女生徒の両肩に立った。

「珍しいわね、フレッドとジョージが図書館なんてどうしたの?」

 先ほどとは打って変わり、しなった仕草を見せる。明らかな猫かぶりだ。

(気持ち悪いさ)

 胸中で毒づき、クローディアはハーマイオニーと目配りでお互いの意見が合わさったことを感じた。

「「ん~、用はないよ。ただ、北の塔はすごく遠いから、もう行かないと3人とも、午後の授業に間に合わないと思ってさ」」

 完全にハモる双子に、3人組はお互いの顔を見合わせる。

「わざわざ、それを言いに来てくれたのね。ありがとう、フレッド、ジョージ」

 赤毛の女子生徒が双子の頬にキスをし、3人組はクローディアとハーマイオニーを振り返らずに図書館を後にした。その後ろを双子が付き添う。一瞬だけ、フレッドとジョージは、クローディアに片目を閉じてウインクした。

 完全に置いてきぼりを食らった2人は、ただ肩を竦めた。

(もしかして、助けてくれたさ?)

 ただの憶測かもしれない。5人と入れ違いに、胸に監督生のバッチを付けた赤毛のグリフィンドール生がクローディアを見つけて近寄ってきた。

「ロンのお兄さん、パーシーよ」

 ハーマイオニーが耳打ちした。

「君がクロックフォードだね。ネビル=ロングボトムから、君の話を聞いている。監督生として言っておくが、年齢のことで君をからかう上級生がいるだろう。それは自分で解決するしかない。わかるね?」

 いかにも模範生らしい口調に、クローディアは承諾の意味で相槌を打った。日本にいた時も父親のことでからかわれた経験があるため、この程度では動じない。

 

 フクロウ小屋でクローディアは、母に手紙を運ばせる手ごろなフクロウを物色する。ハーマイオニーとのささやかな時間に、乱入した3人組に腹を立てる。

(ハーマイオニーに、みっともないとこ見せたさ)

 クローディアも、形は違うが寮内で注目を受けている。

 まずは同期より年上ということ、ホグワーツでは重大な事情があっても1年遅れがせいぜいで2年というのは、極めて異例の処置だ。異例な人間は(特にレイブンクロー)受け入れにくいため、嫌な思いをすると監督生から警告を貰っていた。

 軽く見ていた分、少し反省する。

 だが、何より問題なのはベッロだ。蛇は闇の魔術の象徴。ホグワーツ創設者の1人、サラザール=スリザリンも闇の魔術に精通し、『例のあの人』の信奉者も全てスリザリン出の魔法使いや魔女だ。故に蛇は『例のあの人』を髣髴させるというほとんど偏見に近い理由で、ベッロは疎まれている。

 リサはベッロが虫籠から顔を出せば、恐怖で部屋から逃げ出してしまう有様。しかし、パドマは故郷のインドで蛇と遊ぶことが多かったため、免疫がある。それだけが救いだ。

 使い魔は、出来るだけ授業に付き添わせるのが義務らしい。クローディアは学校に慣れるまではと、ベッロは部屋に置いてきたのだ。

(まだ1日も経ってないのに、この調子で大丈夫さ?)

 胸中で嘆息しながら、白いフクロウを撫でる。

「クローディア」

 少々暗い思考を脳内で巡らせていると、ハーマイオニーの優しい声がした。

「そのフクロウは、他の学生のよ。借りられるのはこっち」

 撫でていた白いフクロウは、ハリーのヘドウィグであった。しかも、眠っていたところを起こされた為、ヘドウィグは機嫌を悪くし嘴で突いてきた。

「あ~、ごめんさ、ごめんさ~」

 ハーマイオニーと一緒にヘドウィグを宥めてみたが、クローディアの手は嘴跡が無数に残ってしまった。血が出なかっただけでも幸いだ。

「ハーマイオニー、ありがとうさ」

「どういたしまして、大丈夫? 痛そう…」

 クローディアの手をハーマイオニーが心配そうに撫でる。

 柔らかい手の感触に、クローディアの怒りは浄化されたように消え去った。

 

 木曜日となり、朝食の席でクローディアに、フクロウ便が届いた。

【レイブンクローに決まっておめでとう。

 スリザリンでなかったことにお祖母ちゃんは安心しています。ハリー=ポッターとは離れてしまいましたが、前にも言った通り、ちゃんと仲良くして下さい。『例のあの人』のことで変に注目されていることでしょう。あなたはお姉さんですから、守ってあげなさい。

 追伸、コンラッドから言付けです。『魔法薬学』の授業、頑張ってね。 ドリス】

 読み終えてから、クローディアは苦悩する。眉間を指で摘んで、解した。

(どんだけ、ポッターファンさ? 確かに、ポッターは注目されてるけどさ。……私だって、いろいろ注目されてるのにさ)

 グリフィンドール席のハリーを盗み見る。トーストを齧りながら、何も運んでこないヘドウィックと戯れていた。

 その様を何人かの生徒たちが観察するように見ている。

「ハリー=ポッターに興味があるの?」

 わざとらしく嫌味の含んだ3年生の声に、振り返る気も起こらない。クローディアは食パンに目玉焼きを乗せ、口に含んだ。

 反応しない苛立ちに、3年生は吐き捨てた。

「確か、1年生は『魔法薬学』よね。せいぜい、機嫌を取って来なさい」

「ジュリア=ブッシュマン」

 別の高い声で、この3年生がジュリアだと分かった。クローディアも振り返る。

 巻き毛の強い4年生の女子生徒が、杖を振ろうとするジュリアに厳しい視線を送る。ジュリアは舌打ちして、杖をしまった。

「苗字で呼ばないで、嫌なの知っているでしょう? ペネロピー=クリアウォーター」

 構わず、ペネロピーはジュリアを見下す。

「ジュリア=ブッシュマン。スネイプ先生から伝言。あなただけがレポートの提出がないから、今日中に出しなさいということ」

「待って! 締め切りは来週の月曜のはずだわ? クララ、そうでしょう?」

 ジュリアの向かいに座り、傍観していたクララは突然の質問に目を泳がせる。

「クララ=オグデンはとっくに提出済み。他人をからかう暇があるなら、さっさとしなさい」

 怒りにジュリアの顔が歪み、ペネロピーを睨む。

「命令しないで、もう監督生のつもり!」

 乱暴に席を立ち、ジュリアは紅茶を飲もうとしたクローディアにわざとブツかる。おかげで、残りの紅茶がローブを濡らした。

 詫びることなく、ジュリアは大広間を後にする。

「ごめんなさい、大丈夫?」

 心配したペネロピーが魔法で汚れを落とそうと、クローディアに杖を向ける。手振りで断り、クローディアは自分の杖で唱えた。

「スコージファイ!(清めよ)」

 唱えるとローブを濡らした紅茶が消えた。その腕前に何人かが感心の声を上げる。

「必要なかったみたい」

 満足げに笑い、ペネロピーは杖をしまう。

 グリフィンドール席で、事を見ていたハーマイオニーも力強く頷いた。

(魔法って素晴らしいさ)

 心躍らせ、クローディアは空になったカップに、リサが紅茶を注いでくれた。感謝して、彼女と紅茶で乾杯した。

 教室に向かおうと大広間を出た瞬間、クローディアとリサは珍しいモノを目にした。パドマがベッロを首に巻いて、楽しそうに足を弾ませて歩いてくる。

「どうしたさ?」

「この子が談話室にいてね。上級生がびびっちゃってさ。おかしいったらないのよ。だから、私が連れ出したの。この子、一度も外に出してないでしょう?」

 優しい手つきでベッロの鱗を撫でるパドマを見て、クローディアとリサは笑みが凍りついた。

 リサは、さっさとベッロから距離を取るため、後ずさる。彼女を見ていたクローディアの首に、ベッロが巻きついた。鱗の感触に吃驚した。

 

 人生初の地下牢で授業を行うのは、正直、不気味だった。しかも、今まで授業を受けたどの教室より、寒気が強く、壁にはアルコール漬けの動物が詰められたガラス瓶が整然と並んでいる。

(こいつらも薬になるさ?)

 爬虫類が薬として用いられるのは、知っている。ならば、ベッロも薬にしてやればよいではとクローディアは思う。

 後から、教室に入ってきたハッフルパフ生がベッロを見て、軽く悲鳴を上げる。彼らはクローディアを遠ざけるように座っていく。蛇嫌いのリサも距離を置いて座るしかなく、傍にはパドマしか寄り付かなかった。

「どいつもこいつも度胸がないわね」

 せせら笑うパドマが異常に逞しく見える。

「パドマの家って、蛇は何匹飼ってるさ?」

「家では飼ってないわ。蛇使いの魔法使いが住み込みで働いているの」

 パドマの実家がそれなりに裕福だと思い知らされただけだった。

 全員が教室に揃うのを見計らったように、黒衣の教授セブルス=スネイプが教壇に現れた。自然と沈黙をもたらす雰囲気に全員、姿勢を整えた。驚いたことにクローディアの首にいたベッロも席にトグロを巻いて動かなくなった。

 スネイプは出席を取る姿に、クローディアは緊張する。

(機嫌を取るって、言われてもさ)

 しかし、コンラッドからは機嫌を損ねるなと言われているので、授業で失敗しなければいい。それが甘すぎた考えだったことをすぐに思い知らされることになる。

 出席を取り終えると、スネイプは教室を見渡した。睨まれているわけどもないのに、誰の口も開かせない威圧感が教室を支配している。

「このクラスでは、杖を振ったり、馬鹿げた魔法を唱えたりはしない。魔法薬の微妙な科学と厳密な芸術を諸君らが理解できるとは期待していない」

 呟くような口調に、一言も聞き漏らさないように聴覚を働かした。

 演説じみた話が終わると、スネイプが教壇から一歩、踏み出す。足音が地下牢に響いた。

「クロックフォード!」

 呼ばれたクローディアの頭の天辺から爪の先まで、痙攣したようにビクッと震えた。

「聞けば、日本教育の都合上、入学を遅らせることになったらしいな。本来なら、受諾か拒否のどらかだ。君に施された処置は贔屓目に見ても特例だ。我輩が校長なら君の入学は、白紙に戻して終わりだ」

 クローディアは緊張で震え、動悸が耳の奥で鳴りつづける。口が存在を忘れたように動かない。スネイプの黒真珠のような瞳が光の届かない深海よりも更に深く重く濁っている。その視線は、敵意とは違う威圧的なモノを感じる。

 一歩、足音が重く響く。

「1年ばかりか、2年も遅らせての入学。余程、日本の環境が心地よかったのでしょうな」

「いえ……、2年前に手紙が来たことも教えてもらってま……」

 必死に言葉を紡ぎ、絞りだすような声が終わるのを待たずに、スネイプは鼻で笑う。

「自らの無知をご両親のせいにするつもりか! もしや、自分1人の力でホグワーツに入学できたと考えているのではあるまいな! だとすれば、なんという傲慢、滑稽して愚像だ」

 一歩、一歩、スネイプが声を荒げながらも、重く吐き捨て近づいてくる。

「挙句に、持込事項にない動物を堂々と授業に連れてくるとは」

 スネイプはベッロに見向きもしない。

「校長先生より、許可は頂いております」

 今度は綺麗に言葉に出来たが、スネイプの雰囲気に変化はない。

「ご両親の次は校長か、日本人は責任転嫁がお好きなようだ」

 胸に太い杭が突き刺さったように、身体が重い。クローディアは瞬きも忘れてスネイプを見上げる。涙腺が弱まり、目頭が熱くなっていく。

「『ポリジュース薬』の調合には、どのくらいかかる?」

 急に質問に変わり、クローディアは思わずパドマを見た。しかし、彼女は首を横に振る。

「では、『縮み薬』の効能は?」

「わかりません」

「モンクスフードとウルフスベーンの違いは?」

 これには、テリーやリサも挙手したが、無視された。しかし、クローディアもこれは知っていた。

「ふたつともトリカブトの別名です」

 声は震えていたが、ハッキリと答えた。

 スネイプは嘆息して、踵を返し、教壇まで戻る。背を向けられたことに安心して、クローディアは気を抜いた。

「安心したぞ、ミス・クロックフォード」

 全く変わらない口調で、スネイプは生徒全員を見渡す。

「それだけの知識では、3年生では到底、授業に追いつけまい。編入ではなく、入学扱いで正解だったわけだ。校長の判断に感謝するがいい! ちなみに、『ポリジュース薬』は2年、『縮み薬』は3年にならねば、諸君らが耳にすることはない。どうした? 諸君、何故今のを全部ノートに書き取らんのだ?」

 合図といわんばかりに全員、一斉に動き出した。

「クロックフォードの勉強不足にレイブンクロー、2点減点」

 止めを刺された気分になり、クローディアは頭を抱えた。

 その後、無気力に黙々と調合する。作業中、あちこちでスネイプが注意しているのが聞こえる。せめて、これ以上の減点を免れるため、手早く大鍋に山嵐の針を入れようとした。パドマが気づいて、クローディアの手をとめた。

「火から鍋を下ろして」

 忠告に感謝し、山嵐の針を手にしたまま、大鍋を火から下ろした瞬間。薄い緑の煙が上がり、蒸発の音が辺りに広がったと思えば、大鍋の中身が消え去っていた。スネイプが即座に苦々しく顔を歪めて駆け寄った。

「火から下ろさない内に、山嵐の針を入れたな?」

 しかし、クローディアの手には針が握られている。

「材料を持ったまま、鍋を持ち上げるヤツがあるか! 針の欠片が入ってしまうと思わなかったのか!? レイブンクロー更に3点減点!」

 確実にクローディアに責任がある。理解はしているが、初授業で5点も減点されたことにうな垂れた。涙する余裕すらない。

(お父さん、私、ダメな子さ)

 脳裏に満面の笑顔を向けるコンラッドが手を振っている姿が浮かんだ。

 初の合同授業で、全員が精神力を大量に消費した。レイブンクローは次の授業が『魔法史』であったことに深く感謝し、地下牢を早々に退散した。

「パドマ、怪我ないさ?」

「全くないわ。それにしても、どうして中身が消えたのかしら?」

 『魔法史』の教室を目指しながら、クローディアはパドマの安否を気遣う。授業を終えたハーマイオニーが歩いてくるのが見えた。

 ハーマイオニーもクローディアがベッロを首に巻いていることに驚いていたが、すぐに駆け寄ってくれた。

「夕食の後に図書館に行きましょう。明日の授業の予習をしたいの」

「わかった、夕食後さ」

 約束を取り付け、互いの授業の教室を目指して別れた。パドマが不思議そうにハーマイオニーの後姿を見つめる。

「ベッロを恐がらないのね。あの子」

 パドマの指摘は最もだ。こうして廊下を歩くとベッロを目にした生徒達が引いた表情で、クローディア達を避けていく。興味深そうな視線を向けるのは、スリザリン生だけだ。

 だが、スリザリン生の視線にベッロは不快そうに身じろぐ。

「うん、それどころかベッロのこと綺麗だってさ」

「確かにそうだわ。ここまで赤いのは、見たことないわ。日本の特色かしら?」

 パドマはベッロの頭を撫でようとするので、クローディアはそれを止めた。

「ベッロは顎を撫でられるのが、好きさ」

 承認の意味で頷いてから、パドマはベッロの顎を撫でた。ベッロは心地よいのか、瞼を下ろして舌を出し入れしている。

「良かったじゃない、ベッロを怖がらない子が他にもいて」

「最初は、恐いさ。私も恐かったもん。実を言うと、今も少し」

 クローディアの小さな告白に受けたのか、パドマは口元を押さえて肩を震わせた。目が笑っていた。自分で言っておいて、クローディアも可笑しくなり、声を抑えて笑った。それで、少しだけ元気が出た。

 

 午後の『変身術』の授業でクローディアは意外な才能を発見した。

 マクゴナガルから授業に対する姿勢について、警告のような忠告を受け、複雑なノートを取り終えた後、マッチ棒を針に変える練習をしている時だった。

 クローディアが杖を振るった、瞬きの合間にマッチ棒はミシン針に変わっていたのだ。

 何かの間違いかと、辺りを見回す。机の上や、床にマッチ棒は落ちていない。パドマやリサ、テリーやアンソニーも自分のマッチ棒に向かって何度も杖を振るっていたが、変化はなかった。

 クローディアの挙動不審な態度にマクゴガナルの細い目が鋭く光り、彼女の前に立つ。いきなりマクゴナガルが目の前にいたので、クローディアは反射で背筋を伸ばした。

「ミス・クロックフォード、何を……、もう針に変えてしまったのですか?」

 マクゴナガルの驚きの声に、全員がクローディアを振り返る。

「はい。多分、何処にもマッチ棒がないので、針に変わったと思います」

 上擦った声で報告すると、マクゴナガルは丁寧にミシン針を品定めした。

「これは、見たことあります。マグルがよく使うミシン針ですね」

「はい、母がよくミシンを使うので、針と聞いて、その針を連想してしまいました」

 全身が緊張に震える。

 マクゴナガルはマッチ棒をもう一本、その細い手に摘んでクローディアに差し出した。

「このマッチ棒を縫い針に変えてごらんなさい」

 聡明な雰囲気から放たれる威圧感に命じられる。緊張した手を落ち着かせるため、深く息を吐いた。皆が自分の作業の手を止め、クローディアに集中した。

 注目の的になりながら、クローディアは杖を構える。頭に母が使う縫い針を思い浮かべて、杖を振るった。皆が瞬きを忘れる中、マクゴナガルの手には、マッチ棒ではなく、細く尖った銀の縫い針が摘まれていた。

 クローディアは安堵の息を吐く。

「素晴らしいわ。皆さん、よくご覧になって」

 マクゴナガルは教室の生徒全員に縫い針を見せ、滅多に見せない柔らかく暖かいな笑顔を浮かべた。

「見事です。2回も出来たので、レイブンクローに20点、差し上げましょう」

 その言葉に、クローディアは有頂天になり、満面の笑みで万歳していた。

 

 授業が終わり、クローディアはこれまでにない興奮を胸に秘め、パドマやリサと『変身術』について話しながら、廊下を歩いた。

「初めて、褒められたさ♪」

「羨ましいですわ。私なんて、少しも変化できなくて恥ずかしいですわ」

 リサが嘆息するとパドマが何かを思い出した。

「パーバティから聞いたけど、グリフィンドールでも、針に変えたの、ハーマイオニー=グレンジャーだけなんですって」

「安心しました。他の寮の方もそうはいらっしゃらないんですね」

 リサが胸を撫で下ろしていると、クローディアの肩に後ろから誰かが力強くブツかってきた。

「マイケル!」

 リサが声を荒げると、浅黒い肌の少年マイケル=コーナーが細い目でクローディアを振り返る。

「2歳も上だ。アレぐらい出来て当然だろ」

 低く、怒りを混ぜた言葉にクローディアの口元が怒りで痙攣し、マイケルを睨んだ。

「まずはブツかったことを謝るもんさ、OK!?」

 反論に驚いたマイケルは、逃げるように走っていった。怒鳴りはしたクローディアだったが、胸の辺りに塊のようなモノがつっかえている感触がした。

 リサが感心したように頷く。パドマがイタズラっぽく、片目を閉じてウインクした。

「あなた、ちゃんと怒れるのね。そうよ、ちゃんと怒らないと」

 クローディアは深く息を吐いてから、2人に自信を持って笑いかけた。だが、気分の悪い怒り方をしたので、胸中は不満だった。

 

 図書館は夕食後だというのに、上級生でごった返していた。

(ベッロをパドマに任せて、正解さ)

 クローディアとハーマイオニーは図書館中を歩き回り、奥のほうに空いている席を見つけて、腰を落ち着けた。

「明日の授業は、何さ?」

「『闇の魔術への防衛術』と『魔法薬学』よ」

 クローディアは今日の授業のことを思い出し、陰鬱な気分になった。ハーマイオニーはそんな様子に気づいたが、構わずに授業の内容の説明を求めた。

 渋々、スネイプから受けた洗礼と調合中での失敗を話して聞かせた。思い出すのは、正直、辛かったが、クローディアは悔しさを声に含ませながらも、話し終えることができた。

「私、スネイプ先生に嫌われているみたいさ」

 ハーマイオニーは、自分の唇に手を当てながら考え込む仕草をした。

「でも、それって当たりよね?本来なら、あなた3年生よ。それなのに、自主的に勉強しなかったのよ。1年生であることに甘えすぎじゃない?」

 ハーマイオニーの表情に笑みはない。真剣に彼女は考え、クローディアに説教している。

(甘えすぎ……)

 これまでで一番、深く頭に響いた。

 確かに甘えがあったのは、事実だ。それを2歳年下のハーマイオニーに諭されなければ、気づけない自分に絶望した。急に彼女の真っ直ぐな瞳を見ているのが、恥ずかしくなり、クローディアは視線を泳がせていた。

 ハーマイオニーは何も言い返さないクローディアに嘆息し、教科書を開いた。

 マダム・ピンスが閉館を告げたので、2人は図書館を出た。

 寮への分かれ道まで、2人と口を利かなかった。ハーマイオニーが別れの挨拶をしたが、クローディアは会釈だけして返した。

 

 自室に戻り、クローディアは宿題と日本語の勉強を黙々とこなしながら、スネイプとハーマイオニーの言葉を思い返していた。

 スネイプの授業は週一しかないので、そのときを耐えればいい。しかし、明日からハーマイオニーにどんな顔をして会えばいいのか、何を話せばいいのか、そればかり考えていた。

 不意に家族の写真を手にし、コンラッドに今日の授業でスネイプから受けたことを手紙に書くことに決めた。体裁を整えるため、直接的な言葉は控えたが、罵倒されたことをさりげなく、したためた。一気に書き終え、文書を読み直して自己満足に浸るとパドマとリサが既に就寝していることに気づいた。時計を見ると、日が変わっていたので慌てて布団に潜り込んだ。

 

 午前が終わり、昼食になると1年生は1週間の行程が終わったことを素直に喜んだ。

 クローディアも自分の得意科目を見つけて喜んだが、昨日の『魔法薬学』だけは好きになれないという確信を持った。

「ここの食生活をどうにかできないものかしらね……。ママの料理が恋しいわ」

 パドマがサンドイッチを頬張り、ため息をつく。

「確かに、すっごく米が食べたいさ」

 パドマに同意し、クローディアは紅茶に牛乳をたっぷり入れて飲み干す。そこにマイケルが遠慮がちに、声をかけてきた。

「さっき、グリフィンドールのディーンってヤツから聞いた。ハリー=ポッターもスネイプ先生に相当、絞られて減点されたらしいぞ」

 何処からともなく、サリーが現れて話に入り込む。

「スリザリンと合同だもの。可哀想だな~、私に何かできるかな? それで、何かしてハリーに気に入られたら、きゃ~♪」

 サリーの妄想劇場が始まったので、セシルが彼女の口をサンドイッチで塞ぐ。

「わざわざ、教えてくれて、ありがとさ。コーナー」

 特に知りたかったわけでもないが、折角、教えてくれたのでクローディアは紅茶のカップを掲げて礼をいう。マイケルは満足したように胸を張った。

「なんで、お礼なんか、マイケルってあなたに意地悪よ?」

 パドマが不思議そうに耳打ちしてきた。

「礼儀を忘れるのは、よくないさ。どんな相手でも、礼儀を欠けば、自分の質を落とすことになるって、お祖父ちゃんの受け売りだけどさ」

「それ、お人好しって言うのよ。そのうち、悪い魔法使いに騙されても、知らないから」

 呆れるパドマに、クローディアは困った表情を浮かべつつも笑顔を見せた。

 見るとはなしにグリフィンドール席を見つめていると、ハーマイオニーが視界に映った。彼女はレイブンクロー席に背中を向けるように座っているので、表情はわからない。

 昨日の今日で、クローディアはハーマイオニーに何を言えばいいのか思いつかなかった。彼女の背を見つめていると、視界をリサが遮った。

「私、午後からハッフルパフの子と課題を致しますので、図書館に参ります」

「私もパーバティにグリフィンドール寮に招かれているの。クローディアも一緒に行かない?」

「いや、ベッロの散歩に行くさ。昨日しか、寮から出してやれてないからさ」

 3人はそれぞれの場所に向かい、大広間を出た。

 寮からベッロを連れ出し、湖にでも連れて行こうと螺旋階段を登る。動く階段に悪戦苦闘しながら、階段を下りてくるハーマイオニーとクローディアは視線が合う。

「ハーマイオニー、また図書館に行くさ?」

 自分で思ったより自然に言葉を出せたので、安堵の息を吐く。

「いいえ、医務室よ。ネビルに午前の授業のノートを見せにね」

 ネビルが医務室と聞いてクローディアは驚いた。症状が心配になり、お見舞いに行くことにした。

「ネビルの鍋が爆発したのよ。火を下ろさずに山嵐の針を入れたからね。中身が飛び散って、ネビルが火傷したの」

 ハーマイオニーから『魔法薬学』の時間で起こったことを聞かされ、クローディアは寒気がした。

「幸いっていうのも変だけど、ネビルだけよ。もう、スリザリンとの合同はちょっと嫌だわ。スネイプ先生ったら、本当に贔屓するし」

 そこで区切ってから、ハーマイオニーは胸を張り、意気込んだ。

「絶対、私が理解してやるわ、微妙な科学と厳密な芸術を完璧にね」

「出来るさ、ハーマイオニーなら」

 彼女なら可能だと、クローディアは思う。

 応援の意味を込めてハーマイオニーの肩に手を置く。何故かベッロが、クローディアの手から彼女の首に巻きつく。突然の鱗の感触に、彼女は短い悲鳴を上げた。

 焦ったクローディアが無理やりベッロを引き剥がして、何度も頭を下げて謝罪した。ハーマイオニーは首筋を押さえ、引きつった笑顔を見せて許してくれた。

 

 クローディアはマダム・ポンフリーから門前払いを受け、廊下で待機させられている。

 理由は勿論、ベッロ。

 ネビルが寝台からベッロの姿に気づき、怯えて甲高い悲鳴を上げた。そのせいでマダム・ポンフリーから、患者が安静にできないと追い出された。

 ハーマイオニーは好きな場所に行くことを薦めたが、折角、医務室まで来たので待つことにした。

(ネビルの奴、びびりすぎさ)

 医務室に置かれていた【日刊予言者新聞】を拝借し、適当に流し読みながら時間を潰す。

 ベッロはクローディアの心情を察することなく、床にとぐろを巻いて窓から降り注ぐ日光を満喫している。冷ややかな視線で、ベッロを一瞥する。

(いっそ、スリザリンの誰かに献上したいさ。スネイプ先生にあげようさ?)

 そんなことをしたら、コンラッドに手痛いお仕置きを食らうだけなので、やめておく。

 新聞をめくっていると、『グリンゴッツ』の文字が見え、その記事を目で追う。

(狙われた713番金庫は、事件の前日に空だったさ。こうして堂々と記事になったら、713番を借りていた人は危険を感じるさ)

 胸中で呟いて気づく。

(そうか、強盗が挑発しているのは713番の借主さ! つまり、他のどんなものより、ここにあったモノに価値があると…、中身は何処に行ったさ?)

 想像を膨らませていると、新聞しかないはずの視界にクローディアより大きな手が現れた。顔を上げると、悪戯双子の片割れが怪訝そうに立っている。

「なんで、医務室の外で新聞読んでんだ?」

「……ちょっとした事情でさ……。あんたは、どっちさ? フレッド? ジョージ?」

 質問を適当に返したクローディアが聞くと、双子の片割れは親しみのある意地悪な笑みを見せる。そして、無防備なクローディアの頬を指先で摘まんだ。

 これが地味に痛い。

「聞いちゃ駄目だよ。わからなくても、答えてくんないとさ。さ、どっちかな?」

 わからない。パドマとパーバティは、双子だが若干の違いがわかる。しかし、赤髪双子は全く同じだ。本当に見分けがつかない。

「……実は、3つ子の3人目とかさ!?」

 人差し指を立てて言い放ったクローディアを小馬鹿にしたような視線が降り注ぐ。

「その発想はなかったわ~。でも、いいね。実は3つ子か……。そのネタ、何かのときに使わせてもらうよ」

 豪快に笑いながら、双子の片割れはクローディアの肩をバンバン叩く。叩かれた箇所が痛くて、その部分を擦る。

「それで、あんたは誰さ?」

「俺に呼び名があるなら、それはジョージ=ウィーズリーだと思う」

 思うだけなのかとツッコミを入れたかったが、クローディアは敢えて流した。

「私は……」

「クロックフォードだろ? その蛇のご主人さま」

 クローディアが名乗る前に、ジョージの親指がベッロを示す。

「見事な蛇だな。ジュリアの言っていた通りだ」

 ジュリアの名を出され、クローディアの眉が不快に痙攣する。

「そんな顔するなって、ジュリアと仲良くしておいて、損はないぜ。人望厚いからな、ジュリアは」

 丁度よくハーマイオニーが医務室から出てきたので、クローディアはジョージに新聞を押し付ける。

「ネビルの具合どうだったさ?」

「消灯時間までには、戻れるみたい」

 クローディアはジョージを振り返らず、ハーマイオニーと廊下を歩いていく。

 新聞を棒に丸めたジョージは、普段の親しみある笑みを消して冷たく笑う。

「ジュリアの言うとおり、俺が好きになれない性格だ」

 クローディアの背に向けられた呟きは、日光を浴びていたベッロだけが聞いていた。

 

 2人と湖の畔でベッロを十分に遊ばせた(遊んだのは、クローディアだけで、ハーマイオニーは読書のみ)。夕食の時間が迫っていたので急いで城へと駆け出す。

 別方向から、ハリーとロンが歩いてきた。ハーマイオニーが驚いたように足を止め、冷たい視線を2人に向ける。

「あなた達、まさか、『暗黒の森』に入ったの!?」 

「違うよ、ハグリッドのところでお茶してたんだ」

 不快そうにロンは返したが、ベッロを見るなり引いた顔をして一歩下がった。そのベッロは何故か、クローディアのローブのフードに顔を突っ込んでしまった。

「珍しいさ、ベッロがこんな態度とるのはさ」

 クローディアがハーマイオニーと顔を合わせて肩を竦める。

 方向が同じ4人と1匹は、自然と一緒に大広間を目指す。ハリーは思い出したようにクローディアにスネイプの話題を振った。

「レイブンクローの子から聞いたよ。君もスネイプにひどい目に合わされたってね」

 弱弱しく微笑んだハリーに、クローディアは曖昧に頷く。スネイプを餌に仲間意識とは、若干、複雑な気分だ。

「ハグリッドは生徒を嫌ってるって、でも絶対違うよ。僕と君は憎まれてるんだ!」

 突拍子もない発言に、思わずクローディアは笑みを浮かべた。

「憎まれる? 私たちが? ポッター、それは飛躍しすぎさ。スネイプ先生だけじゃないと思うさ。私の入学に不満があるのはさ。他の先生も態度には出さないだけさ。上級生には実際いるしさ」

 出来る限り笑顔を見せたが内心、ハリーの言葉は的外れではないと思う。スネイプの視線の正体が『憎悪』なら、見事に当てはまる。

 だが、クローディアはハリーを窘めるために、その考えを頭の隅に押しやった。

「ポッターの有名人ぶりもそうさ、不満を持っているヤツは態度に出さなくても必ずいる。スネイプ先生はそれを目の当たりにさせてくれたのさ」

 ハリーは納得いかない表情を見せたが、大広間に着いたので、寮の席に行くため別れた。ベッロは寮に帰るまで、クローディアのローブに顔を突っ込んだままであった。

 




閲覧ありがとうございました。
●アンソニー=ゴールドスタイン
 多分、同級生で一番正義感がある。
●マイケル=コーナー
 現実主義だと思う
●ペネロピー=クリアウォーター
 原作二巻からの監督生。
●クララ=オグデン、ジュリア=ブッシュマン
 同年代が欲しいオリキャラ。
●ミム=フォーセット
 原作四巻にて、苗字のみ。


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5.決闘の申し込み

閲覧ありがとうございます。
決闘を申し込まれるのは、…勿論、ハリーです。
☈は視点変更に使います。

追記:2月25日マダム・ポンフリーが「プ」になっていたという指摘を受けました。ここから、修正しています。
追記:ミス・アン‐パークスをミス・パークスに修正しました。


 医務室の天井は白いのがお決まりだ。

 しかし、ホグワーツの医務室は城の一室を利用しているので、天井は遠く白くもない。

 首にギブスを付けられたクローディアは寝台に寝かしつけられ、見舞いに来てくれたハーマイオニーやパドマ、リサに視線しか向けられない。

 ハッフルパフとの2度目の合同授業『飛行訓練』。

 マダム・フーチの愛称で親しまれるロランダ=フーチの指導の元。クローディアは箒を誰よりも先に呼び寄せたことに喜んだ。いよいよ箒に跨り、笛の合図で皆が地面を強く蹴ると身体が浮かび上がった。

「お見事です。ミス・パークス」

 一番高く上がったサリーが、マダム・フーチに賞賛される。サリーは優雅に皆を見下ろしていた。それを見たマンディは興奮し、両手離しで地上へ綺麗な線を作って降りた。

 その時、クローディアは地上が遠いことを認識してしまい、急に身体が竦み、視界が歪んでいた。力の均衡を保てなくなり、気がついたら身体が箒から離れて、地面に真っ逆さまになって落ちた。

 肩で着地した際に、脱臼する始末であった。

「毎年、この時期は箒から落ちる生徒が来るものです」

 校医マダム・ポンフリーが慣れた手つきで、骨と筋肉に効く薬を飲ませてくれた。完治に2・3時間要するので、ギブスで安静している。

「私は明日だけど、本当に危ないわね。しっかり予習しないと!」

 パドマとリサがハーマイオニーの発言に驚いていた。彼女は気にせずブツブツと何かを呟いていた。実際にケガ人を見て、明日の我が身を案じているのはわかる。

しかし、実地訓練をどう予習するというのだろうかとクローディアも苦笑した。

 

『飛行訓練』での怪我をドリスと母に報告すれば、翌日の昼食に返事が来た。

 だが、手紙を広げると筆跡がドリスのモノではなく、コンラッドであった。生まれて初めて父から手紙を貰ったことに驚きながらも興奮し、一文字一文字を丁寧に読んでいく。

【学校で、人に言えない傷を受けるかもしれないから、私が調合した塗り薬を送るよ

 足りなくなったら、ドリスに手紙を送りなさい  コンラッド】

 内容を読み終え、封筒の中を探る。しかし、この手紙が1枚以外の物は何もない。

(入れ忘れさ?)

 仮にそうならば、コンラッドは間抜けだ。

「クローディア」

 聞きなれた声に、反射的に振り返る。ハーマイオニーがネビルを連れてレイブンクロー席まで尋ねてきた。

 ネビルは昨日のクローディアが箒からの墜落したことを聞き、真顔で参考にしたいと述べた。呆れる。

「落ちたこと参考にしてどうするのさ! 大事なのは、箒から手を……アイタッ!」

 痛みで悲鳴を上げるとネビルが驚いて身を引いた。クローディアの頭に、硬い物が落ちてきたのだ。頭上にはカサブランカが飛び回り、机に黒塗り藤の模様が施された丸い薬入れがある。

〔薬ってこれさ?〕

 日本語で悪態付きながら、痛みで頭を撫でる。クローディアが薬入れを手にすると、ハーマイオニーが珍しそうに眺めてくる。

「コンパクト? でも、小さいわね」

「薬入れさ、お……お祖父ちゃんが怪我によく効くからって送ってくれたのさ」

 コンラッドのことは伏せておいた。ハーマイオニーに隠し事をするのは嫌だが、手紙は読み終わると同時に灰になって消えた。それ程、徹底しているのだと悟った。

 祖父の話題になり、ネビルが喰い尽きてきた。

「僕も今朝、お祖母ちゃんから『思い出し玉』を送ってくれたんだ。ねえ、次の授業で怪我したら、僕に使わせてくれない?」

「医務室、行けさ」

 クローディアが冷たくあしらうと、ネビルは傷ついた表情を浮かべてハーマイオニーに助けを求める。

 もちろん、ハーマイオニーはクローディアに賛成であった。

 

 クローディア達の様子を見ながら、ハリーは今しがた届いたドリスの手紙を読んでいた。

 先週、ハグリッドから一度、手紙が来ただけなのでとても嬉しい。ドラコ=マルフォイがスリザリン席から青白い顔を怪訝そうに歪めながら、ハリーの様子を窺っているので、更に気分が良かった。

【勇敢なるハリー=ポッター様

 このような手紙を送りましたご無礼をお許し下さい。先日、孫のクローディアが授業で怪我をしたと知らされまして、ハリー=ポッター様もくれぐれも御身に気をつけられるようお願いいたします。もし、ハリー=ポッター様に誰かが、危害を加えるようなら、孫が微力ながら、お守りできると思いますので、遠慮なく御用を言いつけてください。

 どうか、健やかに  ドリスより】

 過保護な感じが否めない文章だ。でも、自分をこんなに心配してくれる大人がいることを知れた。喜びで胸が温かくなる。ハリーはドリスに手短に感謝の手紙を書いて、ヘドウィックに持たせた。

 

 ハーマイオニー達の『飛行訓練』も心配だったが、クローディアは『変身術』の授業が始まるとそれどころではなかった。

 今日の課題は親指程の石を水晶に変えるというモノで、これが思いのほか難しい。

 パドマやリサも、お手上げ状態で、クローディアも水晶よりも硝子にしか変身しなかった。これでも変身が上手くいったのは、彼女だけだ。マイケルは石に杖を振り下ろしたと思ったら、石はテリーの頭に直撃した。その反動で集中力を欠いたテリーは、自分の石を粉々に砕いてしまった。

 瞬間、マクゴナガルが短い悲鳴を上げた。

 緊張して、皆がマクゴナガルに振り返るが、先生の視線は窓に向けられていた。

「今から、自習にします! 皆さんは終了の鐘が鳴ったら帰ってよろしい!」

 見たこともない剣幕で告げると、荒々しくも品のある足取りでマクゴナガルは教室を去っていった。扉が閉まったのを確認してから、皆、一斉に窓に群がる。騒音にベッロや、リサの猫・キュリーが迷惑そうに威嚇した。

 窓から遠くに校庭が見え、『飛行訓練』の授業をしているグリフィンドールとスリザリンの生徒たちが箒を手にしている。

 グリフィンドール生が両手を広げて騒ぎ、何故か、ハリーが草の上に転がっている。

 直後に、教頭が現れ、ハリーは恐怖に震えながら立ち上がっていた。

 パーバティやロンがマクゴナガルに何か訴えるように叫んでいた。それを拒むようにマクゴナガルは歩き出し、絶望した表情のハリーが無気力な足取りで着いていった。スリザリン生は嘲笑うようにお互いの顔を見合っている。

「ハリー=ポッターが何かやらかしたぞ!」

 何がおもしろいのか、興奮したアンソニーが窓を開けようとした。視線に気づいたのか、マクゴナガルはこちらを一瞥した。

 潮が引くように全員、席に座り、石ころと睨み合った。

「ハリー=ポッター、退学になるのかしら?」

「ただ注意しに行っただけかもしれないさ」

 リサが本気で心配し、機嫌を悪くしたキュリーを撫でる。クローディアもベッロを肩に抱いて考え込むが、悪い予感しかしない。結局、終了の鐘が鳴るまで、自習はマトモに行われず、ハリーのことで大いに盛り上がった。

 

 事情を聞こうとクローディアとパドマ、リサの3人と1匹は玄関ホールでハーマイオニーを待っていると、先にスリザリンが意気揚々と戻ってきた。

「ハリー=ポッターはお終いだ!」

 オールバックで金髪の少年ドラコが、わざわざクローディア達も前で足を止め、丁寧に宣言して行った。他のスリザリン生も何人か笑っている。

 その後をグリフィンドールが重い空気を背負いながら、戻ってきた。中でも、ハーマイオニーは可愛らしい顔が台無しに成るほど憤り、唇を震わせている。

 パドマとリサはハーマイオニーのあまりの形相にパーバティから事情を聞くと言って逃げたが、賢明な判断と思う。

(聞くのが恐いさ)

 嫌な予感は当たり、クローディアはハーマイオニーに捕まった。激しい剣幕で『飛行訓練』での出来事を延々と聞かされた。

 箒から落ちたネビルがマダム・フーチに連れて行かれた。その後、ネビルが落とした『思い出し玉』を巡って、ハリーとドラコが無断で箒に乗って追いかけっこした。ハリーは無事に『思い出し玉』を取り戻したが、箒に乗っている姿をマクゴガナルに見られてしまった。

「退学になっても文句は言えないわ!」

 ハーマイオニーは話の最後にそう締め括った頃には、夕食の時間が迫っていった。

 2人が大広間に着くと、既にハリーがグリフィンドール席にいる。彼は緊張しているが嬉しそうに笑っている様子だった。

 少なくとも、退学を言い渡されていないことがわかる。

「何なの、あの態度は?」

 反省が見当たらないハリーをハーマイオニーは癇癪を起こすように、悪態をつく。

「カリカリすることないさ」

 クローディアが宥めても、ハーマイオニーの機嫌は直らない。

「「や! ハーマイオニー=グレンジャー!」」

 油断した背後から、フレッドとジョージが大声をあげる。突然、耳元で叫ばれたので、彼女らは、ただ驚く。心臓の脈が速くなった気がして、自分の胸元を押さえた。

「聞いたか、ハリーがシーカーになった。最年少記録の更新だぜ」

 秘密の会話だと示すために、双子は声を押さえてハーマイオニーだけ教えようとしている。しかし、目の前にクローディアがいるのだから意味はない。

「マクゴガナル先生が推薦したんだってさ! これ、内緒だぜ」

 それが一番の衝撃だったらしく、ハーマイオニーは眼を見開いて指先を震わせる。

(シーカーって、なんだってろうさ? ハーマイオニーがこれだけ怒るってことは、何かの代表さ?)

 考え込むクローディアの視線が双子とぶつかる。すると、双子は初めて彼女に気づいたように、おどけるように驚いて見せた。

「「盗み聞きはよくないぞ、クロックフォード」」

 イタズラな笑みで、同じ顔が迫る。そもそも、盗み聞きなど、聞こえが悪い。

「諜報活動と言って欲しいさ」

「「結局、盗み聞きだよ」」

 双子が飛びかかるようにクローディアの両肩へ片肘を乗せる。途端、クローディアの両足に電撃が走り、思わず双子の腕を肩から払いのけた。

「「あれ? あんまり痛くない? おかしいな、ひょっとして我慢強い?」」

 再度、クローディアに近づこうとする双子から守るように、ベッロが牽制してきた。双子は、わざとらしく怯んだ姿を見せて逃げていく。

(なんだろうさ。すげえ、ムカつくさ)

 逃げていく双子を見送るクローディアの服をハーマイオニーが掴む。

「ねえ、そっちの寮席に座っていいかしら? いま、ハリーの顔は見たくないわ」

 仏頂面なハーマイオニーに、クローディアは喜んでレインブンクロー席に導く。ハリーとは背を向ける体勢で座った。

 ハーマイオニーは怒りが治まらないのか、乱暴にパンを食いちぎった

(シーカーのこと聞きたいけど、無理さ)

 着席している面子にチョウがいたので、クローディアは身を乗り出した。

「チョウ、シーカーって何さ?」

「クィディッチの選手のことよ。……クィディッチは知っているわよね?」

 意外そうに答えるチョウに、クローディアは曖昧に返事した。魔法界の競技だと認識しているが、目にしたことないので反応しにくかった。チョウは丁寧にシーカーが7人の選手の中で、かなり重要な役目を担っているのかを力説してくれた。

「うちのシーカーは誰さ」

 この時、チョウは背筋を伸ばし、今まで見たこともない自信に溢れた笑顔を向けた。

「今年から、私よ。前のシーカーが卒業してしまったから、マダム・フーチに薦められてね」

 得意気に話すチョウを見て、クローディアは胃が捻れる気分に襲われた。

(ポッターのことは言えないさ)

 どの道、フレッドとジョージが秘密に触れ回っているので、嫌でも耳に入ることになる。

「スゴイさ、チョウ! カッコいい!」

 褒めちぎるクローディアが余程、嬉しかったチョウは照れくさそうに笑みを浮かべた。

 マダム・フーチの名前で、クローディアはネビルのことを思い出す。隣のハーマイオニーに振り返ると彼女は、席から消えていた。代わりにベッロが、ステーキ・キドニーパイを平らげていた。

「全く、ここじゃ落ち着いて食べることもできないんですかね?」

 突っぱねる口調のロンの声が耳に入る。もしやとクローディアが振り返れば、グリフィンドール席でハーマイオニーがハリーやロンの後ろに立っていた。

 悪さを発見した教師のようなハーマイオニーの元へ急ごうと、クローディアは食事中のベッロを掴んで席を立った。

「全く、大きなお世話だよ」

「ハーマイオニー。何があったさ」

 ハリーの文句を遮ると、不機嫌に顔を顰めたハーマイオニーが彼を指差し、クローディアに訴える。

「ハリーがマルフォイと夜中に決闘……」

「バラすなよ」

 今度は、ロンがハーマイオニーの訴えを遮った。

 少し黙っていてもらうため、ロンの肩にベッロを丁寧に巻きつけてあげた。蛇は彼の制服の下に、頭を突っ込む。肌に鱗の冷たい感触を直接味わい、ロンは引きつった悲鳴を上げる。そのまま恐怖で全身を竦ませ、口を閉じた。

「ポッター、あんたはただでさえ、スネイプ先生に目を付けられてるさ。マルフォイは先生のお気に入りさ、そいつに怪我させたことがバレたら、どうなるさ?」

「魔法使いの決闘するんだ。マルフォイには触れないよ」

 ハリーも不愉快そうにクローディアから顔を逸らす。その態度が癇に障る。

「そうはいかないさ、明日は『魔法薬学』の授業があるさ。夜中にどっちが勝とうと、あんたらの変化にスネイプ先生は必ず気づくさ」

「君も大きなお世話だよ! これ以上、何か言ったら、ドリスさんに言いつけるよ」

 最後の手だと言わんばかりに、ハリーがクローディアを睨む。

 何故、ドリスの名が出るのかわからなかったが、よい意味ではないと理解した。沸々と怒りが湧き上がり、クローディアは冷静さを欠いて大声を上げる。

「お祖母ちゃんもこんなわからず屋の味方をする程、お人好しじゃないさ。マルフォイが決闘? そんなの罠に決まっているさ! 明日の手紙の内容はハリー=ポッターの退学、これで決まりさ!」

 嫌味を込めた笑顔を向け、ハーマイオニーの腕を引っ張り、レイブンクロー席に戻った。

 席に座って紅茶を何杯も飲むと、クローディアの頭が冴えてきた。柄にもなく、年下のハリーと張り合うような言い方をしてしまったことを後悔した。

「ちょっとハリーに言い過ぎたさ」

「どうかしらね。あれ、見てよ」

 眉間に皺を寄せたハーマイオニーの指先には、杖を睨むハリーがいる。先程のやりとりがなかったように、ハリーは脳内で決闘している様子だ。ロンはベッロを首に巻かれたまま、固まっている。

 後悔したことを更に後悔し、クローディアは諦めて両手をあげる。

「こうなったら、放っておくといいさ。私らじゃ止められないさ」

「深夜に寮を抜け出したら、減点物よ」

 不安と苛立ちでハーマイオニーは、何度もハリーを振りかえる。

(そんなに心配なら、パーシーにでも教えてとめて貰えばいいのにさ。ロンのお兄ちゃんだしさ)

 だが、スリザリン生であるドラコの挑戦をグリフィンドール生のハリーが無視など出来ない。この2つの寮は、何かと張り合っていることは周知の事実だ。

「管理人のフィルチさんに見つかる覚悟で、夜中うろつく度胸がマルフォイにあるとは思えないさ。ちょっとお灸を吸える意味でも、ポッターとロンには、痛い思いをしてもらうさ」

 学校の用務員ことホグワーツ城の管理人アーガス=フィルチは、生徒への規則が徹底している。しかも、愛猫のミセス・ノリスが規則破りをしていないか常に目を光らせているのだ。

「そんなの可哀そうだわ」

 本当に気の毒そうな声でハーマイオニーが淋しそうに呟く。彼女の表情に、クローディアは罪悪感が胸を走る。

「ハーマイオニー、あんまり……あの2人に優しくしないほうがいいさ」

 クローディアは思いついた言葉を適当に口走ったが、ハーマイオニーは答えなかった。

 

 鷲型ドアノッカーの謎かけに答え、クローディアがベッロを連れて談話室に戻る。目に入ったのは、暖炉の傍で友人達とハリーの話題で盛り上がるジュリアだ。

 目敏いジュリアは、クローディアと目が合い悪意に満ちた意地悪な笑みを向ける。

「誰かさんとは、大違いね。箒から落ちるなんて」

 談話室にいた他の生徒もクローディアに注目し、からかうように笑う。クローディアは彼女を無視して自室への階段を上がろうとした。

「あら、スリザリン生がどなたのお部屋に行こうとしているのかしら?」

 ジュリアの一言で、談話室に嘲笑が起こる。確かに、ある意味でジュリアは人望があると感じた。

「言いすぎよ、ジュリア。それはいけないわ。そろそろ明日の『魔法薬学』予習しましょう」

「え? ……うん、わかったわよ。クララ」

 ジュリアとクララの小声を聞き取り、クローディアは構わず彼女ら背を向ける。途端に風を切る雰囲気を感じ取り、振り向かず後頭部に裏手を当てる。

 すると、掌に紙屑の塊が舞い込み、クローディアはそれを握りつぶした。

 談話室に紙の音が不気味に響く。

「明日は、多分、『縮み薬』の調合になりますよ。ブッシュマン先輩」

 低音に呟き、クローディアはゴミ箱に振り返ることなく投げ入れた。

 




閲覧ありがとうざいました。
そういえば、学園モノで決闘は絶対。


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6.ハリーの箒

閲覧ありがとうございます。
男子が箒に乗ると、痛そう。
原作では『禁じられた森』ですが、映画版の『暗黒の森』にしています。

追記:16年9月22日、17年3月4日、誤字報告により修正しました。


 クローディアの言うとおり、彼らを放って置けばよかった。

 ハーマイオニーは痛感した。

 決闘の時間が迫り、ハリーとロンは寮を抜け出した。最後に引き留めようとハーマイオニーは、2人を追いかけた。しかし、2人はハーマイオニーを無視するので、怒った彼女は寮に戻ろうとした。途端、『太った婦人』の外出で寮から締め出された。

 しかも、廊下には何故かネビルがいた。なんでも、彼は合言葉を忘れたせいで『太った婦人』に入れてもらえず、寮生の誰かが来てくれるのを待っていたらしい。

 結局、4人でトロフィー室に向かい、ドラコを待ち構えた。しかし、決闘は奴の罠だった。タレこみでフィルチが現れて見つかりそうになり、4人は逃げ回った。挙句に『禁じられた廊下』に入り、三頭犬に襲われかけた。

 命からがら、4人は寮に戻ることが出来た。

 

 朝になっても、ハーマイオニーは疲れが取れずにいた。挨拶してきたクローディアの腕を掴み、レイブンクロー席に同席させてもらった。

 ぐったりと寮席に顔を埋めているハーマイオニーの口に、クローディアはトーストやベーコンを運ぶ。食事によって活力を得て、昨夜の決闘について報告した。

 全てを聞いたクローディアは、三頭犬の存在に驚いていた。

「それってケルベロスじゃないさ? 地獄の番犬とかいう奴さ」

「まさにそうよ。本当に恐かったわ。あの人たちに関わっていたら、命を落としかねないわ。もっと悪くすれば退学ね」

 憤りを吐き捨てたハーマイオニーは、一呼吸置く。

「それは、違う」

 瞬間、ハーマイオニーの背筋が凍るような低音が耳に入る。

 その低音がクローディアの口から発せられたとは、思えない。躊躇いがちにハーマイオニーは、彼女の表情を盗み見た。

 彼女は瞬きをせずに、手元にあるフォークを見つめている。否、見つめているではなく、何かを思い返しているのかもしれない。

 クローディアを取り巻いている雰囲気に壁を感じ、ハーマイオニーは彼女に声をかけられなかった。

「マルフォイさ、自分の計画が頓挫して、残念がってるだろうさ」

 ようやく、クローディアの口から出た意見が普通だったので、ハーマイオニーは安堵の息を吐く。

(もしかして、死ぬより退学のほうが悪いって言った事が嫌だったのかしら)

 胸中で反省したハーマイオニーは、クローディアと授業や呪文の話で盛り上がった。

 

 午後の授業が終わり、クローディアは手洗いに向かう。しかし、授業後なので手洗い場は混雑していた。仕方なく、他の階に行くことにした。しかし、【故障中】の張り紙があり、入れなかった。この場所はいつ訪れても【故障中】である。

(ここのトイレは、いつになったら直るさ)

 何処からともなく、嫌な笑い声がした。周囲を見渡すと、頭上に小太りの男の姿をしたポルターガイスト・ピーブズが見下ろしていた。悪戯好きのピーブズに出くわしてしまい、走ろうとした。

「マートル! おまえをイジメに生徒が来たぞ!」

 如何にも楽しそうな声を張り上げ、ピーブズが宙を回っている。

「マートルって……?」

 誰か来るのかと、辺りを見回している。手洗いの扉が乱暴に開き、中から大量の水が襲い掛かってきた。避ける間もなく、水を頭から被り、全身が浸み込むように濡れた。その様にピーブズの笑い声が響き、クローディアはカチンッと怒りの音がした。

「ピーブズ!! 降りて来いさ! 男爵に言いつけてやるさ!」

 怒鳴る姿を満足げに笑い転げながらピーブズは、壁をすり抜けて去っていった。

 ずぶ濡れの状態で残され、ローブから杖を取り出す。服を乾かし、廊下の水も消した。

 自分の身体を見回し、異常がないか確かめる。

「き……、きみはミス・クロックフォード」

 背後から途切れ途切れの声に降り返ると、クィレルが数本の書物を抱えていた。

「い……、いま、ろ……廊下で魔法を使った……使ったね」

「気のせいです」

 内心焦りながら、クローディアは平静を装う。ピーブズが原因だが、言い訳したところで魔法を使ったことに変わりない。

 首を傾げるクィレルは、もう一度、クローディアの手にある杖を見る。

「そ、そうかね、気のせい……、な、ならいいんだ」

 追求してこないクィレルに、拍子抜けした。彼が書物を落とさないように歩きだしたので、クローディアもその場を離れようとした。

「ひゃあああああああああ!」

 怯えきったクィレルの悲鳴が響く。反射的に、振り返る。壁からピーブズの腕が現れ、彼の書物を宙に投げてしまっていた。

 クィレルは悲鳴を上げた拍子に自分のローブの裾を踏んでしまい、そのまま前に倒れそうになった。

「危ないさ、先生!」

 クローディアは、クィレルに杖を向けて叫んだ。

「アレスト・モメンタム!(動きよ止まれ)」

 唱えるのが速かった。クィレルの身体は転ぶのを止め、書物も宙で浮かんでいる。それを見てピーブズが不機嫌に舌を出すと廊下の向こうに消えていった。

「先生、大丈夫さ?」

 クィレルに駆け寄り、杖を振って立たせた。彼は痙攣したように瞬きを繰り返し、ターバンに触れ、取れていないか慎重な手つきで確認する。

 自身よりも真っ先にターバンの安否を気遣うクィレルに、クローディアはある意味で感心した。

「先生。ターバンより、自分の身を心配して下さい」

「え、ええ、ま、まあ。こ、これは、私にとって、だ、大切なモノですから」

 ターバンの位置に満足したクィレルは、宙に浮かんだままの書物を集めだした。

「確か、ゾンビを倒したときに王子様から下賜されたのですよね?」

 改めてターバンを見る。クローディアには、ただのターバンにしか見えないが、思い出深い品に違いない。しかし、それにニンニク臭を纏わせるのは、一種の矛盾を感じさせた。

 書物を拾い終えたクィレルは、引きつったような笑顔を見せた。

「お、おかげで、転ばずに済みました。あ、ありがとう、う。ミス・クロックフォード」

 クローディアはイタズラっぽい笑みを浮かべ、杖を唇に当てる。

「先生って、良い人ですね」

「え! わ、私が……ですか?」

 クィレルは哀れな程、狼狽しながら後退りしていく。

「ここは、魔法を使うなって怒るところですよ」

「さ、さあ、な、なんのことかな。き、気のせいじゃないかな」

 目線を逸らし、クィレルが早足で去っていくのを見送る。

「気をつけてくださいね」

 クィレルに声をかけてから、クローディアは彼とは反対の方向に歩いていった。その後も、遠くの廊下から、クィレルの悲鳴が何度も聞こえた。

 相当、ピーブズはクィレルの反応を気に入ったようだ。その後、彼はスリザリン憑き幽霊『血みどろ男爵』に助けを請うたらしい。

 

 昼食の席で、クローディアはペネロピーにピーブズの悪行を報告する。

「あのトイレには、『嘆きのマートル』が住んでいるのよ」

「トイレに住みついた幽霊ってことさ?」

 『嘆きのマートル』。癇癪持ちの被害妄想の強い幽霊、侮蔑ではなく、警告的な意味合いで女生徒の間で有名な幽霊。

「時々、他の女子トイレにも顔を出しにくるのよねえ。目を合わせる前に逃げることを薦めるわ。1年生はそれを知らずにマートルから被害を受けるの。見つかったのが、クィレル先生で良かったわよ。これでフィルチだったら、どんな目に合ったかしら」

 確かに、フィルチは懲罰係のような人だ。どのような些細なことで、すぐに罰則対象にしてしまう。

 クローディアも、何度もフィルチに言いがかりをつけられそうになった。

「クィレル先生って、いつもビクビクしていますけど、ここはホグワーツですよ。吸血鬼に襲われるなんてことあるのですか?」

「『暗黒の森』になら、吸血鬼がいるかもしれないわね。それに、スネイプ先生がクィレル先生の席を狙っているから、それで怯えているのよ」

 慎重に話すペネロピーに、クローディアは何となく納得した。スネイプが闇の魔術に詳しく、クィレルが担当する『闇の魔術への防衛術』を何年も逃している。クィレルのような気が細く頼りない性格では、蛇に睨まれる蛙の如く、毎日、怯えていてもおかしくない。

「もし、スネイプ先生が『闇の魔術への防衛術』に就任にしたら……」

 何気なく呟くと、ペネロピーは恐怖に青ざめていた。

「興味はあるけど、それは私が卒業してからがいい」

「でも、クィレル先生よりは中身があると思うわ」

 急に話に入ってきたのは、ハーマイオニーだった。

 クローディアは教員席のスネイプとクィレルに目をやった。2人は生徒の会話に気づくことなく、黙々と食事をしていた。

 ハーマイオニーはクローディアの隣に座り、話を続けた。

「クィレル先生は、授業をする気がないと思います」

 大胆なハーマイオニーの発言に、クローディアとペネロピーは呆気に取られる。

「それは言いすぎよ。いくら肩透かしクィレルでも、ダンブルドア校長が認めた教師なんですから」

 ペネロピーは慌てていたが、クローディアはこれまでクィレルの授業に違和感を覚えていた。そのせいか、ハーマイオニーの解釈に不思議と納得していた。

 

 土曜日は休日のはずなのだが、朝食から皆、何処か落ち着きがなかった。祭りの前の準備をしているように、心と体を弾ませているようだ。

 クローディアがチョウに聞くと、彼女は興奮したように説明する。

「今日から、クィディッチの予選よ。うう、燃える。どのチームに当たろうと負けはしないわ」

 意気込むチョウの高揚が段々とこちらにも移ってくる。クローディアもバスケに取り組んでいた選手だ。スポーツマンシップは十分、理解できる。 

(楽しみさ、どんなスポーツなんだろうさ?)

 想像しているクローディアの背後から、突然ジュリアが乱暴に抱きしめてきた。そのままジュリアは、のしかかる。

「助かったわ」

 前置詞もなく、ジュリアは素っ気無く告げた。

「あなたの言うとおり、昨日の授業は『縮み薬』の調合だったから」

 早口で言い切るとジュリアは、クローディアを突き飛ばすように離す。振り返れば、彼女は小走りで大広間を後にしていた。

 クローディアは聞き取れた単語を頭で整頓する。

(予習のおかげで、スネイプに怒られずに調合できたってわけさ)

 役立てたこともあるが、ジュリアが嫌味以外で話しかけてくれたことも嬉しかった。

 

 午前中に今週の宿題を終わらせ、午後はハーマイオニー、パーバティ=パチルを部屋に呼んで、月曜の授業の予習を行う。リサもハッフルパフのハンナ=アボットを呼んでいるので、大勢での勉強になった。

 クローディアとパドマ、パーバティは母国語の勉強もあり、リサとハンナの勉強はハーマイオニーが見ていた。

 勉強をしながら気づいたが、ハーマイオニーの勉学はレイブンクローの生徒の気質を見事に表していた。

「それなのに、グリフィンドールさ……」

 クローディアは呟き、余計に虚しくなった。

 勉強に区切りをつけ、全員で休憩をとる。すると、虫籠からベッロが顔を出した。ハンナが恐怖に顔を引きつらせて、リサの後ろに隠れる。

「ダメさ、夕食まで入ってるさ」

 クローディアは慌ててベッロを虫籠に引っ込め、蓋が開かないように重しを乗せた。

「可哀想よ、ハンナ。ベッロは噛んだりしないわ。私が保証するから」

 パドマが自分の胸に手を当てて、ハンナに宣言する。だからといって、ハンナが蛇を怖がらなくなるはずもない。

「まだ、慣れないと思います。ですが……」

 リサがハンナの手を掴み、クローディアにか細い声で告げた。

「ベッロでしたら、大丈夫だと確信します。とてもお綺麗ですし」

 蛇嫌いのリサから出た意外な言葉に、クローディアは感動の意味で驚いた。

「確かに綺麗よね。爬虫類館に寄付したら、絶対人気者よ」

「そんなことしたら、お祖母ちゃんに怒られるさ」

 ハーマイオニーの冗談にも聞こえる提案に、リサが首を傾げた。

「爬虫類館って何?」

「動物園みたいなところさ」

 クローディアの返しに、ハンナも首を傾げる。

「動物園?」

 この部屋でマグル育ちは、2人だけだと気づいた。話題は変わり、マグル世界で魔女だと気づいた要因について説明する羽目になった。

「私は、感情の変化で物が動いたり、消えたりするのを察していたわ。ママやパパは偶然だと片付けていたけど、入学の手紙で私が魔女だって、認めたわ」

 ハーマイオニーが幸せそうに話すのを皆、真剣に聞き入っていた。

「確実に魔女だってわかったら、普通、お祝いするものよ」

 パドマが呆れながらも感心したような口ぶりで呟く。クローディア以外は、頷いた。

「でも、魔法族は魔法を使えるものでしょう? どうしてお祝いするの?」

 ハーマイオニーの疑問に、またもクローディア以外が視線を絡める。

 ハンナが思い切って口を開く。

「あのね、マグルから魔女が生まれるように、魔法族からもマグルが生まれるの」

 意外な言葉に、クローディアとハーマイオニーは納得する。ある意味、自然の原理だ。

「魔法族のマグルを……スクイブっていうんだけど、スクイブは魔法界じゃ生きずらいから……その……」

 スクイブという単語に、クローディアは覚えがあった。

「スクイブは、魔法が使えない……」

 クローディアが何気なく、呟く。それでハーマイオニーは祝うことの意味を察した。

 話題を変えようと、クローディアは自分の話すをする。

「私は、そういうのはなかったさ。手紙もらうまで、魔法界のことも、自分が魔女だって、知らなかったさ。最初はドッキリかと思ったさ」

 乾いた笑い声を上げると、今度は全員が奇異の目でクローディアを見ていた。

「疑うことなどありえません。マグル育ちの方はおもしろい発想をお持ちですのね。お父さまが魔法使いなのでしょ? 何も教えてはくださらなかったのですか?」

 リサが遠慮がちに聞いてくるので、クローディアは肩を竦めた。

「全然、お父さんは……入学が決まるまで会ったこともなかったさ。ずっと、お母さんとお祖父ちゃんが育ててくれたからさ」

 クローディアはスカートのポケットに入れた薬入れを握る。

 コンラッドの話になると、必ず嘘を付かなければならない。心苦しかったが、祖父や母に関して嘘をついている訳ではない。それにコンラッドは家庭的な父親ではなく、放任主義だ。

 皆の話題は両親に変わっていた。お互いに家族の写真を見せあい、クローディアも祖父と母の写真を見せた。ここでも、マグルの写真が動いていないと物珍しげに観察された。

 クローディアとハーマイオニーにとっては、当たり前の写真なのだから、皆の反応がおもしろかった。

 

 

 ハリー=ポッターは、つくづくハーマイオニーの機嫌を悪化させる要因だ。

 金曜日、フクロウ便が大広間で飛び回り、クローディアにもドリスから写真が送られてきた。入学前にダイアゴン横丁での記念写真だ。2人だけだが、写真の2人はテレビカメラのように動き、手を振っている。

 入学前の興奮が甦り、クローディアが思わず表情を緩ませていた。

 急に周囲の生徒達が、天井を指して騒いでいる。

 クローディアも何気なく顔を上げれば、6羽の大コノハズクが細長い包みを銜えてやってきたのだ。流石に珍しい光景であり、誰もが釘付けになっていると、包みはハリーの前に落とされた。

「へえ、ポッターの荷物さ。なんだろさ、あれ?」

「こっちが知りたいわ」

「大きなものですわね」

 クローディアの質問に、リサもパドマも首を傾げる。

 グリフィンドール席にいるハーマイオニーが忌々しげにハリーとロンを見つめ、スリザリン席のドラコも疑わしそうに眺めていた。

 

 『呪文学』でテリーがフリットウィックに興味本位で尋ねた。フリットウィックは自分のことのように、皆を見渡して自慢げに答えた。

「先生、ハリーと話していましたよね?荷物の中身って何ですか?」

「驚くことなかれ、『ニンバス2000』だよ」

 『ニンバス2000』とは、大手箒製作メーカーの今年度の新作だ。一学生が持つには、高級すぎる箒なのだ。これには、全員、絶句した。

「1年生は箒を持っちゃいけないはずでしょ」

「心配無用、ミスタ・マクドゥガル。マクゴナガル先生が特別措置してね。教員には、皆、報告されている」

 穏やかに述べるフリットウィックに、モラグは不満そうだ。

 魔法使いにとって、箒は杖の次に大切な物である。だが、1年生は自分の箒が持てない。皆より先に自分の箒を手にしたハリーが羨ましいのだ。

(羨ましがるといえば……)

 1人の生徒をクローディアは、思いつく。

「それは、マルフォイもご存知ですか?」

「勿論、ポッターはマルフォイのお陰で入手できたと自慢していたよ。彼の前でね」

 フリットウィックは含みのある笑みをしていた。つまり、ハリーの発言はすぐにでもスネイプの耳に入り、次の授業はいつもより機嫌が悪いことを意味している。今週の『魔法薬学』の授業が終わっていることに深く感謝した。

 

 午前の授業が終わると、ハーマイオニーが大広間の前で仁王立ちしてクローディアを待ち構えていた。通りすぎる生徒が彼女を避けていく。パドマとリサは、クローディアを彼女に差し出し、さっさと大広間へ行ってしまった。

 入学から一月も経たないうちに、1年生の女生徒の間では、機嫌を損ねたハーマイオニー=グレンジャーをクローディア=クロックフォードが窘めるのが暗黙の了解となっていた。

「不公平だわ! 規則を破ったのに!」

 レイブンクロー席では、物凄い剣幕でハーマイオニーがクローディアに怒りをぶちまけた。

 『ニンバス2000』は誰でも欲しい。マダム・フーチでさえ例外ではない。それを1年生のハリーにマクゴナガルが送った。しかも、『飛行訓練』で言いつけを破ったのが原因とあってはハーマイオニーの機嫌はしばらく治らない。

 クローディアは彼女が満足するまで何度も相槌を打ち、時には賛同の意を示した。

 胸中を晒すことで、ハーマイオニーの気分は落ち着いていく。やがて空腹を思い出し、彼女が適当に食事を始めれば、クローディアは開放されたことになる。

(今回はキツかったさ)

 安堵の息を吐き、机に顔を埋める。視界の隅に席を立つジュリアが見える。咄嗟にクローディアはジュリアを追いかけた。

「ブッシュマン先輩」

 呼び止められて、不愉快を露にジュリアは足を止めた。

「ブッシュマン先輩、次の授業、スネイプ先生でしょうさ?多分、先生の機嫌がかなり悪いから気をつけるさ」

 クローディアの説明が理解しきれないのか、ジュリアは怪訝な顔をする。

「スネイプの機嫌が悪いって、あなた何をしたの?」

「私じゃなくて、ハリー=ポッターさ。彼がマクゴナガル先生から特別措置してもらって、『ニンバス2000』を手に入れたさ。しかもそれがマルフォイのお陰だって吹聴してるさ」

 信じがたい話に、ジュリアは口元を押さえて驚く。

「何よ、それ。こっちはとばっちりだわ。……ありがとう。教えてくれて」

「お役に立てて、光栄さ」

 目を合わさず、ジュリアが精一杯の感謝の言葉を述べる。クローディアが気取って頭を下げた途端、フレッドとジョージが乱入してきた。

「お嬢ちゃんたちで秘密の会話?」

「俺らも混ぜてよ」

 彼らの登場と共に、ジュリアの態度が豹変した。まるでリサのように内気で清楚な印象を与える仕草を繰り返している。切り替えが早い点に置いては、クローディアも感心する。

「ハリー=ポッターの話よ。『ニンバス2000』を貰ったんですって」

 ジュリアの言葉に双子は珍しく、言葉を失い固まっている。

「「『ニンバス2000』! すげえ!我らのチームに!!」」

 喜びのあまり、双子はお互いの両手を叩きあうだけでなく、たまたま通りがかったクィレルの背中を思い切り叩く。良い音が彼の背から響いた。

 色々、吃驚したクィレルは短い悲鳴を上げて教員席に走って行った。あまりに双子が騒ぐので、段々と注目の的になっていく。

 そろそろ危険を感じたクローディアは、双子を窘める。

「やめるさ、2人とも。先生に咎められるさ」

 双子はクローディアを見るなり、動きを止めて後ずさりし出す。何故だが、ジュリアまで双子の後に隠れてしまった。

「そこまでしなくてもいいさ」

 不貞腐れたクローディアは、3人に向かって「あかんべえ」と舌を出す。

「ご機嫌だな、ミス・クロックフォード」

 闇色の声が降り注ぎ、クローディアは血の気が引いた。そして、ぎこちない動作で後ろを振り返る。

 腕組みしたスネイプが愉快そうに微笑んでいる。しかし、黒真珠の瞳は、いつもより暗く沈んでいるように輝きがない。

 これが愛想笑いだと学んだ。

「ここは、はしたなく騒ぎ立てる場所ではないのではないかな?」

「いえ、これは、その、皆と大事な話を……」

 弁解に同意してもらおうと、ジュリア達を振りかえる。だが、そこに3人の姿はなかった。

(ちょっと、薄情すぎさ!)

 悲鳴を口の中で殺し、覚悟を決めたクローディアはスネイプに頭を下げる。

「すみません、気をつけます」

「反省する態度ではないな。レイブンクロー2点減点」

 横暴だと訴えたかったが、クローディアが口を開く前にスネイプは続けた。

「更に昨日の授業で、君だけが調合に失敗し、我輩の手間を取らせた。故に罰則だ」

「昨日のことをいま……いえ、はい、わかりました」

 反論すれば減点される。視界の隅に映るハーマイオニーが反論を諦めるように頭を振っていた。クローディアは相槌を打って、抗議を中断した。

 

 同情的な視線を受けながら、クローディアはスネイプに地下室へと連行された。

 地下室の隅には、大小さまざまな鍋が5つ、乱雑に置かれている。いつもは整然に並べられているはずなので、妙な感じがした。

 スネイプは鍋を指差して、冷淡に告げる。

「そこにある鍋を全て持って来い。杖を使うな」

 背負えば持てないこともない。クローディアはローブの袖を捲り、気合を入れて一番、小さい鍋を抱えた。だが、見かけとは裏腹に重量があった。反対に一番大きい鍋は軽かった。

「早くしろ、次の授業が始まってしまうではないか」

 急かすスネイプの口調にクローディアは、怒りが募る。それでも、逆らわず五つの鍋を抱えた。しかし、階段を上がるのは一苦労であった。登り終えると、スネイプは長い足で早々と歩いていく。

 置いて行かれないようにクローディアは小走りで追いかけ、スネイプは職員室の前で足を止めた。怪訝そうに眉を顰めて、吐き捨てた。

「何を着いて来ている?」

「鍋を運んでいます」

 息を切らして肩で呼吸するクローディアを心配する様子もなく、スネイプは外を指差した。

「森番のハグリッドの所に持って行けと言ったはずだ」

「聞いていません」

「人の話をちゃんと聞かんか」

(いやいや、絶対言ってないさ)

 反論する気力もなく、徐々に落ちていく鍋を抱えなおして行こうとすれば、スネイプが呼び止めた。

「ハグリッドから、硝子瓶を10本もらえ。今度は職員室に運べ」

 捨て台詞と共に、扉が閉められた。

(こういうのって、体罰っていうんじゃないさ)

 嘆いている場合ではない。ハーマイオニーとの約束がある。それを励みにクローディアはハグリッドの家に急いだ。

 

 『暗黒の森』の前に立てられた小屋が、ハグリッドの家だ。小屋といっても、物語の住人が暮らしていそうな暖かい雰囲気を持つ家である。

 城から大した距離ではないのに、永遠に着かないのではないと錯覚した。気力を振り絞って家に着くと、ハグリッドが思わぬ来客に驚いていた。

「おめえさん、これを持ってきたのか? 重かったろうに、なんで魔法を使わねえんだ。フィルチが廊下で魔法を使うなとかいうの、守っているヤツなんざいねえぞ」

 極度の筋肉疲労で痙攣しているクローディアの両腕をハグリットの大きな手が撫でてくれた。

「スネイプ先生が魔法を使わずに運びなさいって言ったさ」

 スネイプの罰則だと理解したハグリッドは一瞬、顔を顰める。

「おめえさん、大したヤツだな。……名前は、クローディアでよかったか?」

「うん、そうさ。私、ハグリッドさんに名乗ったさ?」

 敬称をつけて呼ばれたことがくすぐったいらしく、ハグリッドはかゆそうに身を捩じらせた。

「よせやい、俺のことはハグリッドでいいぞ」

「わかったさ、ハグリッド。硝子瓶を10本、貰うように言われたさ。どれを運べばいいさ?」

 ハグリッドは小屋の扉に置いてある硝子瓶を示した。そこにはクローディアの腕程の大きさのものが10本もある。いくらなんでも嫌な気分になり、頭を押さえて溜息をつく。

「どうやって運べ……と?」

 口に出してから、クローディアはあることを閃く。スネイプはハグリッドから瓶を受け取って運べと命じた。しかし、小屋で瓶を受け取れとは言っていなかった。

「ハグリッド、手を借りていいさ?」

「勿論だ」

 1本の瓶をクローディアが持ち、残り9本をハグリッドが持って城へ運んだ。

 何故だが、ミセス・ノリスがハグリッドの後ろをついてきた。職員室前まで来ると、瓶をクローディアの足元に置く。

「ありがとうさ、ハグリッド」

 クローディアが礼を述べると、ハグリッドは照れ臭そうに笑いながら、歩いて行った。その後ろを何故かミセス・ノリスも着いていく。

 ハグリッドがいなくなると、スネイプが職員室から出てきた。

「遅い、我輩は授業の準備があるのだ。さっさとせんか」

 出来るだけ急いで戻ってきたにも関わらず、スネイプは待ちぼうけを受けたと文句だけ述べた。

「ミス・クロックフォード、何故、貴女がその瓶を!?」

 スネイプの腰にも満たないフリットウィックが硝子瓶を抱えたクローディアを目にし、跳ね上がった。

「配達が彼女の趣味のようですな」

 罰則の張本人・スネイプも意外そうな口調で、クローディアの手にある1本の瓶を取り上げた。

 スネイプは顎で去るように命じた。労いの言葉ひとつも貰えない。大いに不満を抱いたが、減点を回避するため黙って従った。

 

 湖の畔で、ベッロは水面を優雅に這う。腕が痛いクローディアは、ローブの汚れも気にせず地面に横たわった。その傍らでハーマイオニーは【ホグワーツの歴史】を読み耽っている。

「疲れが吹っ飛ぶくらい、気持ちいいさ」

「本当、天気も良いから読書も出来るわ」

 この場にいるのは、2人だけではない。ネビルもシェーマスやディーンとどれだけ湖に手を入れられるか、度胸試ししている。彼らは楽しそうだが、ネビルは嫌々参加していると一目でわかる。

 ブナの木周辺には、フレッドとジョージが冗談を言い、魔法を見せて観客の生徒を湧かせた。女子男子問わず、双子は本当に人気者だ。生徒の中にグリフィンドールのアンジェリーナ=ジョンソンもいれば、ジュリアやクララもいる。

 クローディアが1人で罰則を受けたというのに、彼らは暢気なものである。

 ベッロが水面から上がってきたので、クローディアは鱗を拭いてあげようとローブを脱いだ。突然、ハーマイオニーが不安そうになる。

「ねえ、それ血かしら?」

 指摘され、クローディアは腕を見る。制服の白いシャツに赤い染みがあった。シャツを捲ると、二の腕に薄い筋があり、そこから血がジワジワと滲み出ている。鍋を運んでいる時に切っていたらしい。傷があると自覚してしまうと、急に痛みも襲ってきた。

「医務室に行きましょうよ、薬を塗らないと」

「薬、あ、薬あるさ」

 すっかり忘れていたが、クローディアはコンラッドから薬を貰っていた。スカートのポケットから薬入れを取り出し、片手で蓋を開ける。薬は澄んだ緑の軟膏薬だ。

 ハーマイオニーに手伝って貰いながら、傷口に薬を塗る。冷たい薬の感触が皮膚に宿ったことを認めると、痛みが消えていった。

「傷が消えたわ」

 ハーマイオニーは腕を凝視して確かめる。クローディアも傷の部分に触れてみたが、痛みはない。流石は魔法使いのコンラッドが調合した薬である。

「へえ、お……お祖父ちゃん、すごいさ」

「ひょっとしたら、お祖父様も魔法使いかもしれないわね」

 そう思われるのは、いた仕方ない。

「お祖父ちゃん、医者だけどさ。もしかしたら。そうかもさ」

「お祖父様、医師なの? うちの両親は歯科医よ」

「うぎゃああ! 助けてええええ!!」

 ネビルの雄叫びに誰もが注目した。巨大な大イカが湖に現れ、その触手でネビルを拉致されてしまったのだ。その光景に一年生達は、悲鳴を上げて逃げる。しかし、上級生達は動じた様子はない。3年生のリー=ジョーダンが悠長に「ハグリッド、呼んでくる~」と言っただけだ。

 特撮映画に出てくるような巨大生物に、ハーマイオニーも逃げようとした。しかし、クローディアが腰を抜かして動けない。

 焦りながらもハーマイオニーは、クローディアのローブを引っ張って連れ出そうと必死になる。彼女も地面を這い、懸命に湖からは逃げる。

「意外と度胸がないんだな」

 愉快に笑う声がクローディアにかけられた。見分けのつかない双子の片割れが腕を引っ張り、無理やり立ちあがらせた。

「ほら、さっさと逃げろ逃げろ」

 全く危機感のない口調で双子の片割れはクローディアとハーマイオニーの背を押し、1年生が固まって逃げた場所へと連れてきた。

「あれな、この湖の主みたいな奴なんだ。どうやら、誰かが怒らせたみたいだぜ」

「ジョージ、こっちこっち!」

 ジョージと呼ばれた片割れは、ジュリアに手を振る。クローディアの頭をからかうように撫でてから、ジョージは仲間も元へ走って行った。

 1年生が騒がしくも遠巻きに湖を眺める。やがて、ハグリッドが駆けつけ、ネビルを大イカから無事に出した。

 歓声と冷やかしの声が湧く中、ネビルは羞恥心でハグリッドにしがみついていた。

 皆の視線がネビルに集まる中、クローディアはジョージに掴まれた感触が残る腕を見ていた。

(強い力だったさ……)

 自分を立たせてくれた力のはずなのに、何故だが、悔しい気持ちがクローディアの胸に宿った。

 




閲覧ありがとうございました。
大イカの出番が少ない。
●アンジェリーナ=ジョンソン
 グリフィンドール・クィディッチ選手。リー曰く、魅力的な女の子。
●リー=ジョーダン
 クィディッチ戦の実況。フレッド・ジョージの悪友。
●パーバティ=パチル
 パドマの双子・姉。
●ハンナ=アボット
 公式でよくスーザン=ボーンズとごっちゃにされる。


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7.ハロウィンの騒動

閲覧ありがとうございます。
学校全体がハロウィン祭りって、割には仮装はしない不思議。

追記:17年9月29日、誤字報告により修正しました。


 待ち遠しかったハロウィンの朝。生徒は何処からともなく漂うパンプキンパイの香ばしさに夜が待ちきれない様子であった。

 3年生からの上級生は授業が潰れ、『ホグズミード村』への外出日だ。滅多にない外出は、恋愛発生率が高なる時期らしい。ジュリアは、ロジャー=デイビースからのデートの誘いを受けていた。それをネタに、クローディアに自慢しにきた。

「どうして、貴女はホグズミードに行かないの? ごめんなさい、行けないのよね?」

 そんなことは些細で、クローディアの気分は憂鬱にして最悪であった。月のモノで体調を崩していた。普段より、腰が重く、貧血で脳内の巡りが悪い。

 だが、授業を休むわけにはいかない。『薬草学』はクローディアの苦手科目のひとつ。ポモーナ=スプラウトは温厚で欠席を許すから、休むようにリサは勧めた。しかし、意地を張り授業に出席した。

 無理が祟り、終業の鐘が鳴る頃。クローディアは身体の不快が最高潮に達し、片付けどころではなかった。パドマとリサも彼女の状態を察し、片づけを引き受けてくれた。2人に甘えて一番近いお手洗いに駆け込んだ。

 まるでクローディアの体調を理解しているように、お手洗いは空いていた。適当な場所に座り込み、身体が落ち着くのを待つ。不快さは消えたが、極度の貧血で立ち上がれなかった。

(次の授業が、『呪文学』が始まるさ)

 血の足りない頭で思考するが、身体が動かない。ただ、深呼吸を繰り返す。徐々に体力が戻ってきたのを確認してから、クローディアは身体を動かした。

 よろめきながらもお手洗いの扉まで歩き、渾身の力を振り絞り、開けようとした。

 しかし、扉は外から開けられた。その拍子に扉がクローディアの顔面に激突、反動に逆らえず床に仰向けとなって倒れた。

 

 今夜が待ち遠しかったのは、ハーマイオニーも同じだ。それ故に上機嫌である。

 そして、『呪文学』でハーマイオニーだけが、羽を浮かせることに成功した。フリットウィックからも賞賛され、彼女はこれまでにない程、愉快であった。それどころか、ロンは発音や杖の振り方がお粗末だった。そこを指摘しれやれば、彼は不貞腐れるだけで言い返しもしなかった。

(これで、ロンも私の実力がわかったでしょ)

 ハーマイオニーは廊下の人ごみの中で、前方にハリーとロンを見かけた。特に用はなかったので、すぐに通り過ぎようとした。

「聞いたかよ、ハーマイオニーの奴。全く、悪夢みたいな奴さ。だから、あの蛇女しか友達がいないんだよ」

 辺りの声が消えていった。心臓の音だけが耳に木霊し、ハーマイオニーの指先が怒りで痙攣していた。ロンの言葉は続いている。

「あの蛇女だって、他に友達がいないんだ。でないと、アイツに我慢できるわけがない」

 咄嗟にハーマイオニーは走り出した。ハリーと肩がぶつかったが、気に留める余裕はなかった。

 怒りは消えたが、代わりに悔しさがこみ上げている。悔しさは、涙となって頬を流れた。

 寮の部屋に戻り、ハーマイオニーは寝台に泣き顔を埋めた。

 ロンの指摘通り、入学してから2月近く経つが、ハーマイオニーは同じ寮の1年生の誰とも馴染めていなかった。女子生徒だけでなく、男子生徒とも見えない壁と距離があることは感じていた。

 入学の手紙が来るまで、知ることもできなかった魔法界の存在。その世界に入れたという喜びと、飽きることのない毎日の授業に負われ、自分が孤独であることなど気にしていなかった。

 だが、レイブンクロー寮での勉強会に誘ってくれるのは、毎回クローディアであって、同室のパーバティではない。パーバティから何かに誘われたことは一度もない。ラベンダーもハーマイオニーとは、挨拶するだけで仲良くもない。

 クローディア程の友達がハーマイオニーにいてくれたことはない。

 暗い考えがハーマイオニーの頭を過ぎる。クローディアも友達が出来ないため、仕方なく自分と付き合っているだけかもしれない。

(ち、違うわ。そんなわけないもの!)

 必死に頭を振って否定した。

 入学式の日、汽車の中で知り合っただけの間柄。寮も歳さえ違う彼女は、時間があれば一緒に過ごしてくれた。ハーマイオニーが失言しても、離れて行かなかった。仕方なく付き合うだけで、そこまで出来るはずがない。

 実際、クローディアはハーマイオニーとの約束を優先しているとパドマが教えてくれた。

 悪い思考を振り払い、次の教科書を手に急いで寮を出た。

 『変身術』はハーマイオニーのお気に入りのひとつでもある。それで気分は変わるはずだが、教室の中にロンがいることを思い、急に涙がとめどなく溢れてきた。教室の全員が自分を嘲笑っている気がして、足は教室に行くことを拒んだ。

 方向を変えて、廊下を進んだ。涙を流せる場所なら何処でもいい。

 視界にお手洗いが見えた。迷うことなく扉を押した。

 

 ――ゴンッ。

 

 中で何かに当たる感触と鈍い音がしたかと思えば、何かが床に倒れる音もした。

 涙で視界が歪んでいるため、手で拭う。改めて中を見ると、驚愕のあまり身体が跳ね上がった。

「クローディア!」

 お手洗いの床でクローディアが力なく両腕を広げ、仰向けに倒れていた。顔色は血色の悪く真っ青で、額は扉でぶつけたせいで少し赤かった。

 ハーマイオニーは教科書を落としたことも気にせず、乱暴にクローディアを揺さぶった。声をかけては頬を何度も叩くが、彼女は軽い呻き声を上げるだけで目を開けようとしない。

「い……医務室!」

 ハーマイオニーはクローディアを肩で支えて、廊下に出た。生徒や教員の姿はなく、代わりに、『ほとんど首なしニック』が廊下で歌を口ずさみながら彷徨っていた。

「サー・ニコラス!」

「おやおや、ミス・グレンジャー。何をしているのです? 授業が始まってしまいますぞ」

 呑気な口調で『ほとんど首なしニック』が告げると同時に始業の鐘が鳴った。ハーマイオニーはそれに構わず声を荒げた。

「先生、呼んできて! 私1人じゃ医務室に運べないの。急いで!」

 2人を見比べ、事態を察した『ほとんど首なしニック』は風のような動きで廊下を抜けていった。

 その間、少しでも医務室に近づくために、クローディアを落とさないよう慎重に足を進めた。

「こっちですよ、先生! 早く!」

 廊下の曲がり角から、『ほとんど首なしニック』の声がした。先生を呼んできてくれたのだとハーマイオニーは安堵した。

 しかし、現れたのは、黒衣の教員スネイプだった。

 スネイプはクローディアの様子を見るなり、流石に焦り出す。彼女を慎重に両手に抱えたスネイプは、ハーマイオニーから事情を聴きながら、早足で医務室に担ぎ込んだ。

 マダム・ポンフリーは、授業の時間にスネイプが女子生徒を抱えてきたことに、まず驚いた。しかし、クローディアの容態を一見し、保健医としての対応を行う。スネイプがマダム・ポンフリーに指示されながら、丁寧に寝台へ置く。彼女は、枕を足に乗せて寝かせられるという見慣れない体勢にさせられていた。

「どうして、枕を足に?」

「彼女は貧血です。こうやって、頭に血液を送っているのですよ」

 マダム・ポンフリーの言葉通り、真っ青だったクローディアの顔色に赤みが増していく。

「ミス・グレンジャー、授業に戻りたまえ」

 冷淡に言い放つスネイプに、ハーマイオニーは首を横に振るう。

「クローディアの傍にいたいんです」

「減点されたいのか、戻れ」

 減点など意も返さず、ハーマイオニーは懇願を繰り返した。

「お願いします!」

 遂にスネイプは、わざとらしく嘆息しながらも折れた。

「グリフィンドールは5点減点だ、好きなだけいるがいい」

 いつもの口調で宣言し、スネイプは医務室を後にした。マダム・ポンフリーとしては、患者以外は退室して貰いたかったが、減点されてもクローディアの傍にいたいハーマイオニーの気持を汲み取った。

 

 まどろんだ意識が冴えていき、目を開ければ医務室の天井が見えた。

「あれ? え? ここって……」

 思わず呟く。すると、マダム・ポンフリーとハーマイオニーがクローディアの顔を覗き込んできた。医務室にいることは理解できたが、如何なる方法で辿りついたのか検討もつかない。

「良かった」

 ハーマイオニーの安心した声に、クローディアは無意識に頷く。

「お薬飲めますか? 血液を増加させる薬ですよ」

 マダム・ポンプリーから差し出されたコップを手にし、口にした薬は例えようのない味だった。出来れば、吐き出したかったが良薬は口に苦いが当然。嫌な汗を掻きつつ、クローディアは飲み干した。

 ハーマイオニーから経緯を聞かされ、恥ずかしさで体温が上昇してしまう。

「スネイプ先生が私をお姫様抱っこ……ってさ。ハーマイオニーに迷惑かけたさ、ゴメンさ」

 毛布で顔を隠しながら、クローディアはハーマイオニーに礼を述べる。しかし、ハーマイオニーは何の反応もしない。

 毛布を外し、ハーマイオニーの顔を見る。彼女は顔に皺を作って泣きだした。

「私、迷惑じゃない? 私、嫌いじゃない?」

 ハーマイオニーにしては、文章に脈絡がない。

「どうしたさ!? 何処か痛いさ?」

 狼狽するクローディアにハーマイオニーは必死に被りを振る。理由は定かではないが、涙を流したい状態にある。ここまで弱った彼女を知らないし、こちらまで悲しくなる。

「ハーマイオニー、何があったか言いたいさ?」

 クローディアは出来るだけ優しく、ハーマイオニーの手に触れた。

「……みんな、わたしが……きらいで、がまんできないって」

「言いたい奴には、言わせればいいさ! 私は我慢なんかしてないさ」

 嗚咽しながらも言葉を紡ぐハーマイオニーは爪を立てていたが、物ともせずクローディアは断言する。

「うそよ! だれがわたしみたいな……がり勉を……」

 ハーマイオニーは、何もかも否定した。

 クローディアは手を掴んだままハーマイオニーの栗色の柔らかな髪に手を置き、彼女を胸元に引き寄せた。

 暴れようとしたハーマイオニーだが、クローディアの手に自分がつけた爪痕を見つける。こんなことをされても自分を慰めようとする彼女に、ハーマイオニーは懺悔するように泣き縋った。

 ハーマイオニーの涙が治まり、ロンとのやり取りを話した。涙の理由がロンであることに、クローディアは激怒して興奮し、頭に血が上った。貧血が再発し、マダム・ポンフリーに注意を受けるはめになった。

「クローディア、話を聞いてくれてありがとう」

 まだ、気分は晴れていなかったが、ハーマイオニーは精一杯の笑顔を見せて礼を述べた。彼女の無理した笑顔に、クローディアは困った笑みを浮かべた。

「悲しいなら、笑わなくていいさ。どんな顔のハーマイオニーも大好きさ」

 まるで、男子から口説くような口ぶりだ。嬉しいのやら、気恥しいやらでハーマイオニーは噴出して笑った。今度こそ、本当の笑顔だったのでクローディアもつられて笑った。

 泣いたり怒ったり笑ったりと騒がしい2人は、マダム・ポンフリーに追い出されるように医務室を後にした。程良く、午前の授業の終わりを告げる鐘が鳴り響いていた。

「マクゴナガル先生に謝りに行くわ、クローディアは?」

「フリットウィック先生さ、後で謝るさ。一緒に行くさ」

 淑女をエスコートする紳士のように、クローディアはハーマイオニーに手を差し出す。彼女は快く、その手を握った。

 

 『変身術』の教室に行くと、既に生徒の姿はなく、マクゴナガルも片づけを終えたところであった。

「先ほどの授業、無断で休みました。ごめんなさい」

 マクゴガナルに向かい、ハーマイオニーが先行して謝り、クローディアも背筋を整えて頭を下げた。

 2人を見比べたマクゴガナルは、厳格さを残しながらも表情を綻ばせた。

「スネイプ先生から、ご報告は受けておりますよ。ミス・クロックフォード、大変だったそうですね。勉強も大事ですが、身体を休めることも大切ですよ。ミス・グレンジャーも友達を思いやることは教科書を見るだけでは学び取れません。よってグリフィンドールに5点差し上げます」

 思ってもいないことに、2人は顔を合わせた。何より、スネイプがマクゴナガルに事情を説明してくれていたなど驚くしかない。

「ミス・クロックフォード、次の授業で期待していますよ。さあ、もう食事です。お行きなさい」

「はい、マクゴナガル先生」

 2人は、喜び勇んで大広間に向かった。

 

 パンプキンの芳しい香りが鼻につく。夜までの辛抱とはいえ、早く昼食にありつきたい。そう考えた生徒がほとんどだが、上級生が外出中のおかげで混みずに済みそうだ。

 教員席にスネイプがおらず、礼が言いたかったクローディアは残念に思った。

「ハーマイオニー、スネイプ先生にお姫様抱っこされたことは、内緒さ」

 承諾の意味で、ハーマイオニーはウィンクした。

 グリフィンドール席にハリーとロンを見かけた。ハーマイオニーは毅然とした態度で、2人から離れて座った。

 

 彼らの席からもハーマイオニーの姿は見えた。『呪文学』の授業後から、ロンの悪態は彼女を傷つけていた。やりすぎだと感じたハリーは、ロンの腕を突く。

「ほら、謝ろうよ」

 ハリーの促しをロンは素知らぬ顔でそっぽ向いた。

「言った通りだろ、蛇女しか友達がいないんだ。ほっとけよ」

「謝るべきだよ。ロン、女の子を泣かせたんだから」

 ハリーが何を言ってもロンは頑なに拒んだ。ハーマイオニーも2人を徹底的に無視していた。クローディアも2人に会釈するだけで、さっさとレイブンクロー席に行ってしまった。

 ハリーは、2人の間を取り持つのを諦めた。

 

 クローディアがレイブンクロー席に着けば、パドマに詰問された。何でも『呪文学』の授業中に、スネイプが現れて彼女が医務室で休んでいることをわざわざ伝えに来たらしい。

「いきなり、スネイプ先生が入って来たときは驚いたわ」

「だろうさ、私も驚いてるさ。意外に、いい先生さ」

 戸惑う笑顔を浮かべるクローディアに、パドマも同意する。

「スリザリン生でもないし、いつもいびっているあなたなのにね」

 クローディアがハーマイオニーを振り返る。彼女はネビルやパーバティと話していた。

 まだ、本調子でない様子のハーマイオニーがクローディアは心配だった。

 

 午後になって体調は安定した。しかし、フリットウィックから報告を受けていたマダム・フーチはクローディアを見学させた。箒に上手く乗れた試しがないので、残念なフリをし、内心喜んだ。それが表情に出ていたのか後日、補習すると言い渡された。

 終業の鐘を合図に、全員教室から飛び出した。寮の部屋に教科書を放り投げ、急いで大広間に向かう。

「ハロウィンパーティーなんて、初めてさ。TVでは見たことあるけどさ」

 クローディアがベッロを乱暴に掴んで走りながら、リサに話す。

「何ですの、TVって?」

 リサに説明しようとしたが、それより先に大広間の飾りが視界に映り込んだ。最早、感嘆の声しか出ない。

 数え切れない蝙蝠が規則正しく羽ばたき、くり抜かれたカボチャの中の蝋燭が炎をチラつかせ、教員席の前には、以前、クローディアが運んでいた硝子瓶が整然と並べられていた。

 しかし、喜んでいたのも束の間、クローディアの体調が最悪となる。身体が重くなり、不快さが襲ってきた。ベッロをパドマに預けて、廊下の人ごみを掻き分けて、お手洗いへと進んだ。

 途中でハーマイオニーが手を振っていたが、会釈だけして過ぎ去った。

 ハーマイオニーはクローディアを追おうとしたが、流れる人の群れに大広間に行くしかない。

 そして、大広間の飾り付けを目にし、感動のあまりクローディアのことを忘れた。

 金色の食器に豪華な料理が出現し、皆が我先にご馳走に手を伸ばす。楽しい雰囲気を壊すように、クィレルが駆け込んできた。ターバンを乱し、恐怖に青ざめながらダンブルドアの前へと縋りつく。

「トロールです! トロールが城内に侵入し……侵入しました!」

 

 お手洗いの中は、大広間と違い、静寂そのものでクローディアの喘ぎ声しか聞こえない。

(気持ち悪い)

 口に出すのも億劫であり、よろめきながら立ち上がる。

(地面が揺れてるさ)

 足元はふらついていたが、壁に手を当てると揺れは本当に起こっていた。思考する気力のないまま、廊下に出る。

 そこには、唸り声を出す岩石が立っていた。岩石は長い耳を生やし、円らながらも可愛さの欠片もない濁った目をし、全身から異臭を放っていた

(……なんだ、これ? 何かゲームに出てくるトロールのようなオーガのような……)

 

 ――多分、トロールだ。

 

 初めて目にするトロールに恐怖で背筋が粟立った。ハロウィンの催しかと思ったが、周囲には人はおろか幽霊さえいない。気づかれないように扉を閉めようとしたが、手が緊張して震える。閉まる瞬間、大きな音が廊下に響いた。

 その音を察して、トロールが叫び声を上げ、棍棒で扉を打ち破った。

 気分の悪さを忘れて、クローディアは今まで出したこともない声量で悲鳴を上げ、一番奥に逃げる。それが逆に追いつめられるなど、考える余裕すらない。

 迫ってくるトロールに冷静さを失い、クローディアは壁に張り付いて助けを求めた。

〔お父さん、お母さん! お祖父ちゃん! せんせ~い! スネイプ先生!〕

 浮かび上がった人々の顔を呼んだ。

「お~い、ノロマ!」

 甲高くも若い声を耳にし、恐怖に震えた全身が消えた。トロールの背後から、ロンがパイプを投げ、ハリーが蛇口を投げ付ける。トロールはパイプに気を取られて、クローディアから目を離した。ハーマイオニーが身体を大きく振り、彼女を呼ぶ。

「こっち、こっちよ!」

 躊躇わず、クローディアはハーマイオニーに向かって走り出した。肝心のトロールは、方向をロンに変えて突進した。

 それを目にし、クローディアは我知らずと杖を取り出した。

「アレスト・モメンタム!(動きよ止まれ)」

 白い閃光が杖より発せられ、トロールは静止した。だが、一時しのぎに過ぎない。

 魔法は効いているが、標的が大きすぎた。トロールは身体が動かないことに苛立ち、自分の身体を揺さぶって、クローディアの魔法に抗おうとしている。ロンは後退りしながら、トロールの気を逸らそうと自分の靴を投げた。それがトロールを逆上させた。棍棒が高々と上げられる。

 咄嗟にハーマイオニーは、庇うようにロンに覆いかぶさった。それを見たハリーは杖を構えて迷わず叫んだ。

「ウィンガーディアム レビオーサ(浮遊せよ)!」

 棍棒はトロールの手を離れて浮上した。トロールは手から棍棒がなくなったことを不思議に思う。その間に棍棒は宙を一回転し、トロールの硬い頭に落下した。

 非常に鈍く嫌な音がすると、トロールは舌を出し、白目を剥いていた。意識をなくしたのだと判断したクローディアが杖を下ろすと魔法が解け、トロールはうつ伏せに倒れた。倒れた衝撃で部屋が揺さぶられた。

 その揺れで、4人は我に返る。自分達は助かった。

 クローディアは脱力感に襲われ、その場に座り込んだ。心臓がはち切れんばかりに脈を打つ。

 ハリーは杖とトロールを交互に眺め、深呼吸を繰り返す。ハーマイオニーはロンと身体を密着させていることに気づき、慌てて離れた。咳払いしながら、ロンも床に転がった靴を履いた。

「これ……死んだの?」

 慎重にハーマイオニーは、トロールを見つめる。

「気絶してるだけだよ」

 落ち着きを取り戻したハリーは、クローディアに向かって空いた手を差し出した。自分より小さい手を見つめ、クローディアは迷いながらも彼の手を掴んだ。

「ありがとうさ」

「こっちも、君のおかげでロンが助かった」

 ハリーの手を借りて立ち上がり、クローディアはお手洗いの惨状を見回す。

 個室の戸は勿論のこと、水道管は破壊されて床は水浸しだ。タイルもところどころ壊れており、おまけに気絶中のトロールだ。

「さて、どうやって言い訳しようさ?」

 クローディアの呟きに答える者はいない。

 静かになった場に慌しい足音が3人分、こちらに向かっていた。4人は半壊したと扉に視線を集中させた。

 マクゴナガル、スネイプ、クィレルが使い物にならない扉を押しのけて入ってきた。クィレルはトロールを目にし、小さく悲鳴を上げて胸を押さえて壁伝いに座り込んだ。スネイプはトロールを一瞥しながら、周囲を見渡す。マクゴナガルの目は、4人を凝視している。

(怒られる!)

 4人の考えは一致していた。

 マクゴナガルの表情は、憤怒を通り越していた。蒼白な唇が小刻みに震え、噛み千切らんばかりだった。

「いったい、どういうことなのですか!? 説明なさい!!」

 かろうじて冷静さを残した教頭の怒声に、スネイプはハリーに鋭い視線を投げかけ、次いでクローディアを凄んだ。

 ハーマイオニーが拳を握り締めてから、前に出ようとした。クローディアが止めるより先に、ロンが目を強く瞑り、天井に届かんばかりに手を伸ばした。

「僕の、せいです! トロールを一目、見たくて! 3人は、僕を探しに来てくれたんです!」

 ロンの顔は髪の色に負けないほど、耳まで真っ赤に染まっている。クローディアとハーマイオニーは彼の発言に驚いて、目を見開く。ハリーはロンの意図を察したように口元を引き締めた。

「3人が来てくれなかったら、死んで……ました」

 精一杯、声を振り絞りロンは力尽きた。荒い呼吸を繰り返し、おずおずと目が開く。

「ミスタ・ウィーズリー、あなたは何をしているのですか! 下手をしたら死んでいたんですよ! あなたには幻滅です! グリフィンドールより5点減点です!」

 怒り狂った声に怯えたロンの身体は跳ね、項垂れるように目を瞑る。次いで、マクゴナガルの強烈な視線が3人に向けられ、反射的に背筋を伸ばした。

「貴方たちも助けに来たのだとしても、とても愚かな行いです! 成人した野生のトロールと闘って生き残れる1年生はそういないでしょう! ……よって、5点ずつ。3人に与えることにします」

 急に穏やかさの含まれたマクゴガナルの声に、ハリーとハーマイオニーの表情が明るくなった。クローディアは体調の悪さが戻ってきたため、目を丸くするしかなかった。

「怪我がないようなら、寮にお戻りなさい。生徒たちが中断したパーティーの続きをやっています。ミス・クロックフォード、あなたは私と医務室へ来なさい」

「はい、お願いします……」

 弱弱しく答えるクローディアをハーマイオニーが心配そうに見ていた。クローディアは手ぶりで、寮へ戻るように伝える。彼女は渋々、ハリーとロンに着いて去っていった。

 3人の姿が廊下の向こうに消えた直後、入れ替わるようにダンブルドアとスプラウトが姿を見せた。

 ダンブルドアはお手洗いの惨状を一瞥し、スプラウトは半壊した扉を凝視している。

「ミネルバ、これは一体?」

「校長先生、事情はスネイプ先生とクィレル先生より、お聞き下さい。私はこの子を医務室に連れて行きます」

 ダンブルドアは、優しさのある温かい眼差しで半月眼鏡からクローディアの表情を覗き込んだ。空のように爽快で海のように広大な蒼い瞳と目を合わせた。

 思えば、校長とここまで距離を詰めたのは、初めてのことだ。緊張で胃が捩れそうな感覚に襲われた。

「確かに、顔色が良くないのお。ここはわしらに任せておいき」

 誰よりも安心できる声に、クローディアは畏まって頭を下げた。マクゴナガルに押されるまま、扉の破片に注意しながら、お手洗いを後にした。

 段々とクローディアは自分が情けなくなった。本来なら3人を守るはずが、逆に助けて貰った。

(もっと、力があれば……)

 知らずに溜息が漏れる。

「誰だって、不調はあるものですよ。女子なら尚更です」

 マクゴナガルの声が胸に響く。それで、クローディアの憂鬱は少し晴れた。

 マダム・ポンフリーは、医務室でトロールによる負傷者に備えて待機していた。来客が貧血のクローディアだけで複雑そうに安心していた。昼間と同じ薬を飲み、マダム・ポンプリーがハロウィンパーティーに気を使って、早々に帰らせてもらった。

 

 寮の談話室では、運ばれてきた料理を皆が分け合っていた。

「何処に行っていたの。心配したんだからね」

 チキンに齧り付いているパドマが説得力のないことを述べる。

「はい、あなたは全然食べていませんもの。一通り、取り分けておきましたわ」

 皿に盛りつけた料理をリサが手渡してくれる。

 楽しそうにしている皆の顔を見た瞬間、クローディアの緊張が解け、顔の筋肉が緩む。自然に腹を抱えて大声で笑った。

 突如、笑い出したクローディアに最初は不審がったが、やがてつられてパドマやリサも笑い出した。そのまま笑いは談話室に伝染し、生徒だけでなく、壁にかけられた絵、幽霊たちも笑い出した。

 談話室は愉快な笑い声に満たされた夜を送った。

 




閲覧ありがとうございました。
ダンブルドアに見つめられたら、何でも見抜かれそうです。
●ロジャー=ディビーズ
 原作三巻の「ディビィズ」は彼のことだと思う。四巻にて、フラー=デラクールの魅力にとりつかれた男子生徒。


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8.足の傷

閲覧ありがとうございます。
ほっかいろ、最強。

追記:16年3月11日、17年3月4日、誤字報告により修正入りました。


 11月に入り、クローディアの周囲は極僅かに変化した。まずは気温が急激に下がり、城の周囲が寒気に見舞われた。城を囲んでいた緑は灰色に変わり果て、湖は鋼より頑丈に凍りついていた。

 ハーマイオニーの話では、イギリスの冬季では珍しくない光景だと説明してくれた。クローディアやパドマのような温暖な気候で育った人間には、堪える寒さだ。母がホッカイロを何枚も送ってくれたので、パドマやリサと共に、深く感謝した。

 しかし、チョウやフレッド、ジョージ達は興奮を極め、寒さなど凌いでいた。

 クィディッチ・シーズンが到来したからだ。今月はグリフィンドール対スリザリンの試合が行われることもあり、初試合のハリーは自然に緊張していた。しかも、期待の新シーカーであることは極秘に触れ回っているため、激励と罵倒の両方がハリーに降り注いだ。

 クローディアに絡んでいたジュリア達は、挨拶程度しかしてこなくなった。何故か彼女がトロールを倒したことで、点を稼いだことを耳にしたようだ。下手に諍いが起きる要因がなくなったことを素直に喜んだ。

 硝子瓶の件で、ハグリッドはクローディアが罰則を受けて運んでいたことを教員達に話した。それを耳にしたフリットウィックは癇癪を起して、スネイプに抗議した。

「彼女の寮監は私です。私抜きに勝手に罰則を与えないで下さい」

 そのお陰かは定かではないが、スネイプは不用意に罰則を与えないと約束したらしい。代わりに授業での態度が一層厳しい視線で見られることになった。

 それよりも、クローディアにとって衝撃だったのは、ハーマイオニーの行動だ。

「ハリーの宿題、手伝わないといけないから」

 これまで、クローディアの誘いを一度も断らなかったハーマイオニーがハリーの為に、誘いを受けなくなった。

 彼女たちが仲良くなってくれたことは勿論、嬉しかった。ハリーとロンも前より、クローディアと温かい態度で接し、ベッロのことも距離はあるが恐がらなくなった。

 だが、寮の部屋で行う勉強会や、ベッロの散歩にハーマイオニーがいないことが心に穴が空いて二度と埋まらないのではないかと嘆いた。

 

 明日の寮対抗試合でグリフィンドールとスリザリンの間が、通常より空気が張り詰めていた。

 この学校に運動会がない分、盛り上がりも相当なのだ。

「明日は斥侯よ、クローディア。絶対、見に行きましょう」

 チョウがクローディアの手を握り締め、力強く何度も頷いてきた。

 思えば、明日の試合観戦もハーマイオニーからの誘いはない。

 淋しい気持ちに駆られたクローディアの頭に、何かが落ちてきた。肩に爪の感触がして振り返ると、シマフクロウが銀色に近い灰色の羽を治めながら、金色の瞳で瞬きしていた。

(誰のフクロウさ?)

 痛みを感じた箇所を撫でながら、クローディアはシマフクロウが運んできた藍色の包みを開く。布を解けば、無印の紅い印籠が漆の光沢を放ち、和紙の手紙が添えられていた。手紙を読んで、座ったまま跳ねた。

 太く威厳と整然さがある筆の文字は、祖父の物に間違いない。

【魔女の卵へ

 怪物との戦闘、勝利を治めたことに賞賛すべしことなり

 さて、堅苦しいのは一行で十分じゃ。怪我はないそうじゃが、無理はいかん。おまえはまだ、ヒヨッコなんじゃ。だが、よくやった。褒美をやろう。

 これは、貴重な『呪解薬』じゃ、ネーミングセンスは悪いが、読んで字の如くどんな呪いも解くことが出来る。もし、誰かに呪いをかけられたら、それを飲めば解決じゃ、ふふふ。

 追伸 数に限りがあるので考えて使うのじゃぞ。草々】

 手紙を何度も読み直したクローディアは、胡散臭そうに印籠を物色する。

(お祖父ちゃんって医者じゃなかったさ?)

 冗談だとは、思えない。

 頭を過ぎったのは、スネイプの初授業での言葉だった。

〝微妙な科学と厳密な芸術〟

 薬剤師の資格もある祖父なら、魔法薬に近いモノを作り出せるかもしれない。きっと、病気に効く万能薬だと理解した。クローディアは即座に返事を書き、シマフクロウに持たせて返した。

(そういえば、シマフクロウって、絶滅危惧種さ?)

 如何にして捕縛したのか、気にかけはしたが絶対に知りたくなかった。

 

 授業に向けて歩く廊下も冷たい風が吹いて寒かった。絵たちは感覚がないが、生徒達が寒がる様子に、気分が寒いとボヤいている。

 ホッカイロをローブの下で擦りながら、クローディアは寒さを誤魔化した。

 何気なく中庭を視界に入れると、見慣れた人物達を発見する。ハーマイオニー、ハリー、ロンの3人組が、何故か凍りつくような寒い中庭に出て寄り添っていた。

(仲が宜しいことでさ)

 嫉妬に似た思いを抱くも、スカートのポケットに手をいれた。まだ未使用のホッカイロを3人に分けることにした。

「ハーマイオニー、ポッター、ウィーズリー」

 声をかけられて驚いた3人は、思わず肩を跳ねる。すぐにジャム瓶を背中に隠した。しかし、相手がクローディアとわかれば、すぐに緊張を解いて挨拶を返した。

「何してるさ? こんなところで寒いさ」

「平気よ、イイモノがあるから」

 ハーマイオニーは背中に隠したジャム瓶を見せた。瓶の中で炎が揺らめいている。その炎が瓶を暖かくしているようだ。クローディアはイタズラっぽい笑みを浮かべて、未使用のホッカイロを3人に見せ付けた。

「お母さんから、イイモノ貰ってたさ。これ、温かいさ♪」

 何故だが、ハーマイオニーはジャム瓶を後ろに隠した。ハリーも慌てたような表情で、クローディアの後ろを目配りしている。 

「ほお、それはイイモノのようだ。ミス・クロックフォード」

 影がクローディアを包んだと思えば、闇色の声が4人に降り注ぐ。焦燥の意味で身体が火照ってきた。

「寄越しなさい。レイブンクロー3点減点」

 振り向く前に、手にしていた未使用のホッカイロがスネイプに取り上げられた。

「スネイプ先生、それは防寒具です。マフラーと変わりません」

 スネイプに向き直り、クローディアは胃が引きつった状態で抗議した。黒曜石の瞳は冬のせいで更に冷たく感じる。

 スネイプはホッカイロを物色し、鼻を鳴らした。

「それだけ、脂肪があれば問題あるまい」

 雷を打たれたのと同じ衝撃で、絶句した。

 なんとスネイプは、太っていると指摘した。確かに、イギリスに来てから食生活に変化で体重の増加は二桁に達してしまったが、それでも日本の平均体重を極かしか越えてはいない。確認していないが、そうだと思いたい。

 すっかり落ち込んだクローディアは、両手で顔を覆う。そんな彼女を余所に、スネイプはハリーを見回して、何か小言になる口実を探していた。

「ポッター、その手にしているのは何かね?」

 渋々だがハリーは、素直に【クィディッチ今昔】を差し出した。

「図書館の本を郊外に持ち出してはならん。寄越しなさい。グリフィンドール5点減点」

 スネイプはクローディアとハリーから没収し、片脚を庇うような歩き方で去って行った。

 スネイプが去り、ハリーは怒りを露わにした。

「規則をでっち上げたんだ。絶対、僕らが憎いんだ。クローディア、これでわかったろ?」

 ハリーが質問を投げかける。そんなことより、クローディアは自分の腹を触り、悲痛な溜息をつく。その表情はとても暗い。

 あまりに落ち込むクローディアをハーマイオニーとロンが慰める。

「元気出せよ。全然、太ってないって、クラップとゴイルに比べれば」

「ロン、それじゃ元気になれないわ」

 明るく言い放つロンに、ハーマイオニーがツッコミを入れる。

 クローディアに苦笑し、ハリーは何気なくスネイプが去った後を見つめた。

「だけど、あの脚はどうしたんだろう? 引きずってたけど、怪我でもしたのかな?」

 重症でなければ、引きずるまで至らない。いくら、嫌いなスネイプであってもハリーは心配になった。

「知るもんか、でもものすごく痛いといいよな」

 良い気味だとロンが吐き捨てる。クローディアは、暗い表情のままハリーを振り返る。

「脚って、何さ?」

「気づかなかった? スネイプの片脚、引きずってたよ」

 被りを振るクローディアは、ハリーの言葉を注意する。

「ちゃんと先生をつけるさ。スネイプ先生が足を引きずるなんて、なんで医務室!」

 更に電撃が走ったように、クローディアは叫んだ。

「医務室……、スネイプ先生にお礼言ってないさ」

 残念そうに呟くクローディアに、ロンが首を横に振るう。

「なんだか、知らないけど。スネイプに礼なんていらないって」

「ちゃんと先生をつけるさ」

 クローディアは無気力に言い返しただけで、悔しそうに項垂れた。

 

 宿題を済ませたクローディアは、家族の写真を眺める。

(今更、ハロウィンの話をしてもさ)

 まだスネイプの事を考えている自分が、馬鹿馬鹿しい。しかし、ハーマイオニーとの時間が減ったことにばかり気を取られ、スネイプに礼を言いそびれていた。それすらも、昼間の時まで忘れていた。そのまま忘れていれば良かったが、思い出すと考えてしまう。

(今から、言えば)

 昼にホッカイロを没収されているため、媚を売りにきたと誤解されるに違いない。

 写真を手に呻くクローディアの首に、ベッロが巻きついてきた。冷たい鱗の感触が肌に触れるのは、もう慣れてしまえば驚かない。

「ベッロ、起きてたさ?」

 気温が下がり、ベッロは木曜以外を冬眠状態で食事も取らず虫籠に籠る。週一とはいえ、冬に起きてくるなど、それだけでも通常の蛇とは違う。ベッロの鼻先をクローディアの指が触れて、観察する。

 ベッロは細く素早い舌で、クローディアの頬を撫でた。

「先生に会いに行けってさ?」

 冗談で尋ねると、ベッロが頷く仕草を見せた。目の錯覚かと疑いクローディアは、ベッロを凝視した。鱗と同じ真っ赤な瞳が不思議な魅力を感じさせる。

「一緒なら行けるさ」

 力強く頷き、善は急げと寒気に満ちた城へと出向いた。

 薄暗いが、まだ消灯時間ではない。その証拠に、生徒が何人も廊下や中庭にいる。空き教室では、ロジャーがグリフィンドールのアリシア=スピネットを口説いていた。

 職員室前にも、生徒の姿があった。

 ハリーだ。

「やあ、クローディア。ベッロも一緒? こんばんは」

 ハリーもクローディアに気づき、愛想よく挨拶を交わした。ベッロは相変わらず彼から目を背けて、ローブに顔を突っ込んだ。

「ちょうど良かった。僕、スネイプ……先生に本を返してもらおうってね」

 助っ人が来たと喜ぶハリーと違い、クローディアは間の悪さに顔を顰めた。これでは、更に媚を売りに来たという印象を強くする。

(まいっか、言えたもん勝ちさ)

 媚でもいいから、とにかく礼を言おうと腹を括ったクローディアは、職員室の扉をノックした。間を置いたが、中から返事がない。

「誰もいないさ?」

「誰かはいるはずだけど」

 今度はハリーがノックしたが、やはり何も返ってこない。

「覗いてみる?」

「そうさねえ。魔法学校の職員室って、すご~く興味あるさ」

 小声で2人は顔を見合わせ、意見が一致したことを確認しあう。

 クローディアがノブに手をかけ、隙間を開けてハリーが中を覗く。

 すぐに目にしたのは、椅子に座っているスネイプと包帯を手にしたフィルチがその前に屈んでいる。

「スネイプ先生さ」

 クローディアが確認で呟くと、ハリーは鋭く咎めた。

 その理由は、すぐに知れた。

 スネイプがガウンを膝までたくし上げ、片方の脚を晒している。その脚は皮膚が深く裂け、赤い身を露にし、新たに流れる血で赤くなっていた。

 怪我から血が流れている。出血の度合いによって、人は死ぬ。

 死を連鎖してしまい、クローディアは眩暈に襲われた。自然と扉から離れた彼女に、ハリーは気付かない。

「忌々しいヤツだ。3つの頭に同時に注意するなんてできるか?」

 会話が気になるハリーは、中の様子をよく見ようと扉の隙間を広げた。

「ポッター!」

 静けさを裂く怒声に、クローディアは思わず廊下に倒れ込んだ。怒鳴られたハリーは、自分の胸元を掴み、緊張に負けぬよう声を出した。

「本を返してもらえたらと思って」

 応えるようにスネイプは、ハリーに没収した本を投げつけた。

「出て行け、失せろ!」

 言われるまでもない。

 急いで扉を閉め、ハリーはクローディアの腕を掴んで全速力で廊下を走りぬけた。

 階段まで来ると、安全圏に入った気がしてハリーは壁にもたれた。まだ緊張が解けず、肩を上下させて荒く深呼吸した。壁の絵の住人が注意していたが無視した。

 目に焼きついた鮮血に、クローディアは怯えた。

「ポッター、先生の怪我……、先生が血を……」

 クローディアはか細い声で繰り返す。彼女の動揺をハリーは、違う意味で受け取った。

「スネイプだ。ハロウィンのとき、トロールを入れたのは」

 確信のあるハリーに同意できず、寧ろ困惑したクローディアは喘ぐ。

「血を流して怪我していた! なんで、すぐに手当て……。マダム・ポンフリーに」

 血相を変えたクローディアから、尋常ではないと感じたハリーは言葉を探す。

「クローディア……。スネイプは医務室に行けないんだよ、きっと。三頭犬に噛まれたなんて、人に言えないんだから」

「人に言えない……傷」

 スカートのポケットに手を入れたクローディアは、閃く。ハリーを階段に残して、クローディアは職員室へと走り戻った。

 職員室前まで来ると、クローディアは薬入れを確かめるように握り締める。コンラッドが[人に言えない傷]を受けた時に使えと寄越した。今がまさにその時だ。

 自分で渡しに行けば、スネイプは逆上する。ベッロに薬を銜えさせ、スネイプの椅子まで運ばせることにした。

 職員室の扉を少し開け、覗くと誰もおらず静まり返っていた。

 ベッロを職員室に入れようとした瞬間。扉が中に引き込まれた。反動でクローディアも中に足を踏み入れた。

(あれえ、魔法のドアさ?)

 それは甘い考えだとすぐに気づいた。

 扉の向こうの影に一体となってスネイプが幽鬼の如く仁王立ちしていた。黒真珠の瞳が細く鋭い刃のように磨かれ、クローディアに突き刺さった。味わったことのない威圧感に、身体が強張った。

「あ……、失礼しま……」

「何だ?」

 深淵から響く怒りの声がクローディアの思考を鈍らせる。

「えと……、薬を」

 唇が震えても、クローディアは紡ぎだした言葉を示すようにベッロを抱えた。ベッロはスネイプに怯まず、銜えた薬入れを差し出した。

 沈黙したまスネイプは、ベッロの口にある薬入れを手にした。

「使ってください!」

 叫んだクローディアは、脱兎の如く職員室を後にした。

 

 明日はクィディッチの試合観戦のため、皆、早めに就寝した。

 クローディアは布団に潜り、何時間も寝付けないでいた。パドマとリサの健やかな寝息だけが部屋を満たす。

 不眠の原因は、活性化した思考にある。

 冷静にハリーの言葉を思い返せば、大事件だ。

〝スネイプだ。ハロウィンのとき、トロールを入れたのは〟

〝三頭犬に噛まれたなんて、人に言えないんだから〟

 ケルベロス(仮)は、『禁じられた廊下』にいるはずだ。そこにスネイプは近づいたことになる。だが、それはトロールを入れた証拠にはならない。しかし、入れていない証拠にもならない。

 トロールの件を省いたとしても、何故、『禁じられた廊下』に近寄ったのかが問題だ。しかも、トロール騒動が起こった時を狙っていくなど、不審すぎる。

(お父さんなら、どうしたさ?)

 自分で考えても仕方ない。クィディッチの試合の後にでも、コンラッドに相談することにした。結論を出すと、睡魔は早く訪れるものだ。

 




閲覧ありがとうございました。
スネイプはやせ我慢せず、医務室行きなさいよ。痛々しいわい。
●アリシア=スピネット
 グリフィンドール・クィディッチチーム。なのに、映画で出番ほとんどない。


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9.クィディッチ戦

閲覧ありがとうございます。
箒でのスポーツで、本当に凄いですね。

追記:17年3月4日、誤字報告により修正しました。


 何だが、耳元でけたたましく甲高い喚き声がする。クローディアの意識が覚醒して瞼を開く。チョウが憤怒の形相で睨んでいた。

「試合が始まるわ! 先に行くわよ!」

 捨て台詞を吐いてチョウは、乱暴に扉を閉めて行った。部屋を見渡すと、パドマとリサもいない。寝惚けた頭で、クローディアは時計を見やる。その針は11時半を指している。

 試合は正午。

 寝坊を認め、慌てて着替える。

「マフラー! マフラー!」

 クローゼットを掻き回しても、クローディアのマフラーが見当たらない。こういうときの為に、以前ペネロピーから教わった魔法を試みる。

「アクシオ!(来い)」

 叫ぶと、虫籠からベッロを巻き込んでマフラーが手に飛び込んできた。熟睡していたベッロは突然の事態に困惑し、右往左往している。

 魔法が成功をしたのを喜ぶ暇はなく、クローディアはベッロもマフラーと共に首に巻いて寮を出た。

 

 競技場では既に試合が行われ、歓声や嬌声、怒声が飛び交っていた。

「スリザリンの攻撃です」

 リーの実況放送が競技場の外まで響いている。

「え~と、生徒席さ……」

 観客席の入り口まで来れたはいいが、何処に誰がいるのか全然わからない。完全に途方に暮れたクローディアは、見知った人間を目敏く見つけた。

 息を切らしたハーマイオニーがクローディアの所に走ってきた。走ることに夢中だったせいか、お互いにぶつかりそうになった。

「ハーマイオニー、良かったさ。ねえ、パドマ達知らないさ?」

「ごめん、それどころじゃないの!」

 押しのけられたクローディアは、手近な柱に背中をぶつけた。

「きゃあああああ!!!!」

 何の前触れもなく、貴賓席から特徴のある間抜けな悲鳴が聞こえてきた。

 クィレルの悲鳴だ。

 何事かとクローディアは、ハーマイオニーとお互いの顔を見合わせた。そして、首に巻きつけていたはずのベッロがいなくなっていた。

「蛇があああ!!」

 2度目のクィレルの悲鳴に、クローディアは青ざめる。ハーマイオニーが大急ぎで貴賓席の階段を駆け上がるので、彼女も後を追った。

 そこでの光景にクローディアは戦慄が走り、青ざめて口元を押さえた。

 クィレルと周囲の教師陣が突然のベッロの来訪に退いていた。ベッロが蛇としての獰猛性を露にし、彼を獲物と定めて威嚇する。

 堪ったもんじゃないクィレルは、恐怖で痙攣し、観客席の壁をよじ登る。ベッロはそれを許さず、クィレルのターバンに飛びかかって噛み付いた。

「あ~! やめて! 助けて!」

 助けを求めながら、クィレルはターバンを押さえる。片手で壁にしがみ付くのは、危険だ。

「ベッロ、何やってんの!? やめるさ!」

 この事態に焦るしかないクローディアはベッロの身体を掴み、クィレルから引き剥がそうとした。しかし、ベッロの頑丈な顎がターバンを離さない。ハーマイオニーもベッロを掴み、引っ張る。

「先生、ターバン離して!」

 ハーマイオニーがクィレルに叫ぶが、彼は否定の声を上げた。

「ベッロ」

 落ち着いた闇色の声がベッロを呼ぶ。クローディアの肩に手を置いたスネイプがベッロに向かい、空いた手を差し出している。

 途端にベッロは顎の力を抜き、スネイプの腕に馴染むように絡みつく。気を抜いたクィレルはターバンを乱しても手で押さえつけ、壁から滑り降りた。

 命拾いしたクィレルの荒い息が教員席を騒がせる。

 クローディアとハーマイオニー、教師陣も元凶のベッロに視線を向ける。注目の的だというのに、ベッロは物ともせずにスネイプの頭に顎を乗せた。

 会場から歓声が沸き起こり、誰もがそちらに目を向けた。

「スニッチを取ったぞ!」

 頭上高くスニッチを振りかざしたハリーの雄姿が輝く。彼に向かって、スリザリン以外の観客が拍手喝采で祝福していた。

 スネイプとクィレル以外の教師陣もハリーに満面の笑みを向けて拍手している。

 クローディアとハーマイオニーもいつのまにか、お互いの手を叩いて喜びを分かち合った。

「グリフィンドール、170対60で勝ちました!」

 実況役のリー=ジョーダンが歓声を更に盛り上げた。

 興奮したクローディアは、ハーマイオニーと階段を降りようした。

 だが、クローディアのローブを力強い腕が引き止め、一瞬、首が絞められた。

「ミス・クロックフォード、君はこっちだぞ」

 自身の監督するスリザリンの敗北に、スネイプの表情が不機嫌を通り越して愉悦に満ちていた。

 人は頂点まで怒ると笑みを浮かべるものだと、クローディアは思い知った。

 

 興奮冷めやまぬ競技場の外で、クローディアは縮こまっていた。ベッロを腕に巻いたスネイプと怯えるクィレル、状況が掴めないフリットウィックの視線が痛い。

 スネイプから事情を聞き、フリットウィックは憤慨した。

「一体、どういうことかね! ミス・クロックフォード! クィレル先生を襲わせるとは!」

 クローディアの膝の位置で、フリットウィックは金切り声を上げる。すぐにクローディアは全力で否定した。

「私はそんなこと……させておりません」

「ともあれ、この子がクィレル教授を襲ったのは事実。それ相応の減点と罰則は覚悟でしょうな。ミス・クロックフォード?」

 スネイプはベッロの喉を指先で撫でながら、口元に笑みを浮かべていた。ベッロは、彼の指を堪能するように、機嫌が良かった。

(なんで、こんなことに……)

 飼い蛇の失態は、飼い主の責任。

 脳内で様々な思考が走り回るクローディアは、言葉を発することも出来ない。視界の隅に入れたベッロを睨むが、気休めにもならない。

「別に、私は……、罰則は、必要ないかと、お、思います」

 クィレルのか細い声で聞き逃す所であった。驚いたスネイプとフリットウィックは、すぐに彼に視線を向けた。

「だ、誰だって、き、機嫌が、悪いとき、は……、あるでしょう。そ、それに、ケガ人は、出ていないわけだし……」

「クィレル先生」

 クローディアが感嘆の声を上げると、スネイプの鋭い視線がこちらに刺さった。

「それでは、示しがつかん。無差別に人を襲う蛇がいたのでは、レイブンクローとしても厄介でしょう?」

「そうですな、これまでは運がよかっただけかもしれませんし」

 スネイプの考えを肯定するフリットウィックに、クローディアは狼狽した。

「では、こ、こうしては、……どうでしょう?」

 静かにクィレルがクローディアの前に立った。まるで、スネイプの視線から彼女を守るような位置だ。

「こ、この蛇をご家族の下に返して、ク……クリスマス休暇が……あ、あけるまで謹慎と、いうのは?」

「ミス・クロックフォードではなく、この子に罰則を与えると?」

 スネイプの眉間に深くシワが刻まれた。

「そ、それで、よろしい、ですね? ……フリットウィック先生?」

「まあ、襲われたクィレル先生がそうおっしゃるなら」

 クィレルが一瞬、クローディアを振り返りウィンクをしたのを見逃さなかった。感謝の意味を込め、深く頭を下げた。

「ありがとうございます」

 不満げに、スネイプがベッロをクローディアに返した。

「使い魔を見捨てるとはな」

 侮蔑を込めた視線と言葉を吐き捨て、顎で去るように指示した。クローディアはクィレルとフリットウィックに頭を下げ、小走りで城へと戻った。

 廊下では、『ほとんど首なしニック』がグリフィンドールの勝利を自慢して回っていた。

「ハリー=ポッターがやりましたぞ! あの子ならやると思っていました!」

 スリザリン生たちは絵の住人や幽霊に悪態付き、乱暴な足取り廊下を突き進んでいた。そんなスリザリン生をグリフィンドール生が笑いかける。

 チョウの姿を見つけて、クローディアは呼びとめた。

「チョウ、ごめんさ。寝坊してさ」

「いいのよ。それよりも、ハリーよ。スニッチを口で受け止めるなんて、あんなプレー初めて、来月は私の番よ。特訓だわ。来週は予約しないと。クローディア。私、キャプテンと相談があるから先に行くわ」

 ハリーの試合を見て触発されたチョウは、遅刻を気にしていなかった。興奮を抑えきれず、ブツブツ呟きながら廊下を走り去った。

 

 談話室も生徒たちは試合の名残で、興奮していた。

 ただ1人、クローディアは憂鬱な気分で部屋に戻る。虫籠にベッロを押し込もうとすると、抵抗された。どうやら、ベッロは虫籠に入れられたくないらしい。そんなベッロの意見を聞く気もなく、無理やり、詰め込んだ。虫籠の蓋が開かないように、紐で縛る。

「ごめんさ、しょうがないさ。退学にならないだけいいさ」

 ドリスに事態の詳細を手紙に記していると、息を切らしたリサが部屋に入ってきた。

「クローディア、チョウ知りません? キャプテンが探していますの」

「チョウなら、キャプテンを探してるさ」

 リサは呼吸を整え、口を開く。

「そうでしたの。チョウが戻りましたら、キャプテンは『呪文学』の教室にいるとお伝え下さい」

 それだけ告げると、リサは再び慌てふためいた様子で出て行った。

 談話室に降りてみれば、ロジャーが深呼吸しながら、椅子に腰をかけた。

「誰かキャプテン、見なかったか?」

 皆、知らない様子だった。

 クローディアがリサからの情報を伝え、ロジャーは感謝の意味で手を振る。

「ありがとう、クロックフォード。そうだ、外に出るなら、ウッドとフリントが揉めているから気をつけろよ」

 疲労した表情を隠さずに、ロジャーは覚束ない足取りを整えて走り去った。

「ウッドとフリントって、誰さ?」

「試合見てないの?」

 椅子に座っていたジュリアが怪訝そうに吐き捨てた。

「寝坊して、ちゃんと見てないさ」

「しょうがないわね、オリバー=ウッドはグリフィンドールのキャプテンで、マーカス=フリントはスリザリンのキャプテン。多分、さっきの試合に文句つけているわけ」

 面倒そうに口に開いたが、ジュリアは丁寧に説明してくれた。

「ありがとさ、ジュリア」

 素直に礼が返ってきただけでなく、名前を呼ばれた。いつも名字呼びだったため、ジュリアは驚いて、クローディアから視線を逸らした。

 虫籠を抱えて、螺旋階段を登る。廊下を進んでいるとロジャーの忠告通り、マーカスの怒声が廊下に響き、絵たちが野次馬となって声のほうに集まっていた。

 グリフィンドール寮に通じる階段でオリバーとマーカスを取り囲むように生徒達も遠巻きに観戦している。

 その中には、フレッドとジョージや、ドラコ、クラップとゴイルもいる。

「あんなの卑怯だろ!」

「勝負は決した! マクゴナガル先生も認めた! これ以上の抗議は見苦しいぞ!」

 オリバーも負けじと 声を張り上げている。

 見物する気はない。しかし、クローディアがフクロウ小屋に通じる最短の廊下を行くには、喧騒を通り過ぎていくしかない。

「やあ、クロックフォード。さっきの試合見た? 俺、カッコ良かった?」

 フレッドの後ろを通り抜けようとしたクローディアは、その先でジョージに捕まった。

「えと、ごめんさ。私、寝坊して、ポッターがスニッチ取ったことしか知らないさ」

「そりゃザンネーン♪」

 大袈裟に肩を落として項垂れるジョージに手を振り、クローディアはその場を去ろうとした。2人の会話を聞きつけたフレッドが彼女の背を押し、騒動の向こうに連れ出してくれた。

「そんなに急がないでよ。もっと、僕らと話しようよ」

 フレッドの言葉にジョージも賛同して頷く。

「嬉しいさ、でも急ぎの用があるさ」

 ドリスにフクロウ便を出さなければならない。出来るだけ、クローディアは穏やかな口調で断りを入れる。しかし、2人の顔はより迫ってきた。

「もしかして、まだ根に持ってる?」

「ハリーに箒が来た日、俺らが君を置いてったこと」

 的外れの指摘だ。クローディアは既に忘れ去っていたことだ。

「今のいままで忘れてたさ」

「「我々との会話を忘れたの!?」」

 違う意味で受け止めた双子は、大袈裟に廊下に座り込む。その場で世の終わりを嘆くように、乱暴に手を付いた。

(う……うぜえさ)

 本音を隠し、クローディアが頭を押さえて去ろうとすると、フレッドが腕を掴んで引き止めた。

「待ってよ。せめて、トロールを倒した話を聞かせてくれ~」

 驚いたクローディアは、フレッドを振りかえる。

「な……、なんでさ? 誰から?」

「ロンからだよ。君が大活躍したって」

 ジョージがクローディアの両肩に手を置いてウィンクする。

 それを聞いて、別のことでも納得した。ロンと双子を通じて、ジュリア達にトロールの話が広まった。考え込む仕草をしてから、クローディアは双子を交互に見やる。

「つまりさ、フレッドとジョージは、弟のロンを助けてくれて、ありがとうって言いたいさ?」

「「少し、違う。でも、間違ってない」」

 合わせ鏡のように同じ動きをする双子が笑いのツボになり、クローディアは腹を抱えて笑った。笑うとクローディアに纏わりついていた憂鬱が消えて行った。双子はお互いの顔を見やり、大袈裟におどけて肩を竦める。

「ごめんごめん、あんたらが優しいお兄ちゃんでロンが羨ましいなって思ってさ」

「あらやだ、この人。僕らが優しいだって」

「もっと、褒めてくれて構わないぜ」

 笑いが治まったクローディアは、人差し指を立てる。

「ひとつ、言うさ。あの場で助けてくれたのは、ロンさ。ロンが頑張ってくれたから、皆助かったさ。ロンは本当に勇敢さ」

「「だってさ! ロン!」」

 双子がクローディアの背後に向かって叫んだ。

 振り返ると、ハーマイオニー、ハリー、ロンが並んで歩いていた。照れているのか、ロンは耳まで真っ赤に染まっていた。ハリーがからかうように、ロンに肘打ちしていた。

 ハーマイオニーはクローディアの手を取り、フレッドとジョージを見上げた。

「クローディアに話があるの、いいかしら?」

「「どうぞ、グレンジャー♪」」

 クローディアはフレッドとジョージに手を振り、騒動から離れさせるためにフクロウ小屋まで付き添わせた。

「私、一人っ子だから、兄弟とかわからないけど、いいお兄ちゃんさ」

 クローディアの言葉に、更に照れたロンはトマトのように真紅だ。表現ではなく、本当に耳から湯気まで出している。

「そうよ。あの2人は、クローディアにお礼が言いたかったのね、ずっと。でも、クローディアったら、2人を避けてたんですもの」

「私がさ?」

 意外なハーマイオニーの言葉に、クローディアは目を丸くした。

「そうだよ。ハロウィンの日から、2人とも、君に話しかけていたのに、全然気づいてなかったから、避けてるもんだとばかり」

 ハリーも後を続けた。

 思い返してみれば、そういう場があったかもしれない。ハーマイオニーとの距離を感じて卑屈になり、気づかなかったなどとは、絶対知られたくない。

(器が小さいさ、お礼を言おうとしてのにさ)

 故にスネイプへの礼も言い損なった。自身の行いを恥じたクローディアは、もっと周囲に目を向けるよう己に言い聞かせた。

 

 フクロウ小屋に着き、ハーマイオニーが慎重に誰もいないことを確認した。不思議に思いながら、クローディアはフクロウを眺める。緊張を含ませた声でハリーが問いかけた。

「スネイプの様子、どうだった?」

「普段通り、私に罰則を与えようとしたさ。けど、クィレル先生が取り成してくれたおかげで、ベッロを家に帰すだけで済んださ」

 縛られた虫籠を3人に見せつける。

 悲しげに虫籠を見つめたハーマイオニーは、口を開く。

「ベッロが騒ぎを起こしてくれなかったら、ハリーが殺されてたの」

 脳の奥が熱くなった。眩暈よりも深く重いモノがクローディアの思考を浸食していく。

 黙っているクローディアに構わず、3人は試合中にスネイプがハリーの箒に呪いをかけ、箒が不自然に暴れてハリーを落とそうとした。それを阻止するためにハーマイオニーが貴賓席を目指していたことを説明した。

〔そんな馬鹿な〕

 戦慄が走り、思わず日本語を口走った。

 あの時、スネイプがハリーを殺すために呪文をかけていた。ベッロがクィレルを襲った騒動のお陰でスネイプが呪文を中断した。それで、ハリーは助かり、試合に勝利した。

 スネイプがハリーを殺す。人が人を殺そうとした。

「いくらなんでも、大袈裟さ。スリザリンを勝たせたかっただけさ」

 必死に笑みを作り、クローディアは3人の仮説を否定した。

 これにハリーが遠慮がちに答えた。

「傷だよ、昨日の……、君も見たろ?僕があの傷をフラッフィーに噛まれたことに気づいたからだ!」

「フラッフィーって誰さ?」

 興奮して口走るハリーを尻目に、ハーマイオニーがハグリッドの犬だと補足した。フラッフィーが仕掛け扉の番犬をし、扉の向こうで守っているものをスネイプが狙っていると確信していた。

 あまりにも大それた推測、クローディアは呆れつつも感心した。

「それさ、状況証拠だけさ。ハーマイオニー、もう少し考えるさ。スネイプ先生は教師さ。トロールなんて仕向けなくても、いくらでも口実を作って4階に行けるさ。最初から盗む気なら、誰にも疑われずにやるさ! 怪盗ルパンじゃあるまいしさ」

 これにハーマイオニーが反論した。

「先生だろうと、怪盗だろうと呪いをかけたのよ」

 クローディアは深呼吸し、腰に手を当てた。ハリーやロンだけならまだしも、賢明たるハーマイオニーまで、学校の教員に嫌疑をかけるなどあってはならない。

「だからさ、ちょっと自分のチームを勝たせたかっただけさ。本当に殺す気なら、ベッロがスネイプ先生を襲うさ。ポッターの危険を察したのなら、なんでクィレル先生に飛び掛ったさ?」

 ロンが自信満々に即答した。

「ターバンのニンニクの匂いが嫌いだからだろ? ベッロは本当に機嫌を悪くしただけ、スネイプにしてみれば、ベッロを始末する絶好の機会だっただろうさ」

「違う!!」

 自分でも信じられない程の大声をあげた。

「教師なんだ! 人の命が重いことがわかっているはずだ! そんな人が生徒を殺そうとするものか!」

 クローディアは切羽詰まった口調で怒鳴る。彼女の口から吐き出されているのに、まるで別人の言葉に聞こえた。

 クローディアもこれは自分の言葉か疑問に思う。

「そこにいたのか!?」

 来訪者オリバーの嬌声に、ハリーが引きつった悲鳴を上げる。

「主役が何してる! 今から作戦会議だぞ! 次はハッフルパフが……君は誰だ?」

 警戒の眼差しでオリバーは、クローディアを眺める。

「レイブンクローの子だな。ハリーを引き抜こうとしても無駄だぞ」

「お祝いの言葉を述べただけです」

 愛想良く微笑んだクローディアはオリバーに会釈する。適当にフクロウを掴み、手紙と虫籠を括りつけて放った。

 

 夜になってもグリフィンドールの談話室では、勝利に酔い騒いでいた。

 しかし、ハーマイオニー、ハリー、ロンは騒ぎに参加せず、窓際に座る。

 結局、クローディアを説得出来なかった。彼女なら、自分達の言い分を信じてくれると期待していた。だが、ハグリッドと同じ反応された。

 それどころか、普段のクローディアとは違う一面を見た気がした。

「ねえ、クローディアに『ニコラス=フラメル』のこと……」

 ロンが遠慮がちに口を開くと、ハーマイオニーが悲しそうに目を伏せる。

仕掛け扉に隠された物。それを知る手掛かりは、ハグリッドがうっかり口を滑らせた『ニコラス=フラメル』という魔法使い。だが、3人はその人物が何者なのか知らない。

「それは私たちで調べましょう。彼女、多分……スネイプを疑いたくないのよ」

「どうして? クローディアは僕と脚の傷を見たんだ。今日のことも完全にスネイプが怪しいじゃないか」

 歯がゆい思いでハリーが呟く。

「ハグリッドと同じ理由よ。ホグワーツの先生が……人の命を狙うなんて信じたくないじゃない」

 ハーマイオニーの言葉が終わると共に、上機嫌のオリバーがハリーを連れて行く。皆に囲まれて胴上げされる主役へ2人は、生暖かい視線で見送った。

 




閲覧ありがとうございました。
蛇におそわれても、とれないターバン。


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10.クリスマス休暇

閲覧ありがとうございます。
休暇は、お家に帰ります。


 いざ、ベッロがいなくなればクローディアは予想以上の寂しさに見舞われた。

 ドリスは手紙を読んで了解してくれたが、コンラッドからは痛烈な皮肉の伝言を貰った。

 同級生にもベッロのことを話すと、賛否両論が返ってきた。

「蛇は危険だもの、これを機会に別の使い魔にしたら?」

 手にハムスターの乗せたマンディが、何処からともなくハムスター図鑑を渡す。選べと言われている気がする。

「ハリーってかっこいいわね。だって、上等な箒を持っているんですもの」

 ハリーの話ばかりで、サリーは少しも使い魔のことに触れてこない。

「あの蛇が死んだら、死骸は私に頂戴」

 セシルに至っては、ベッロを殺す気だ。

〔あんなターバン、つけるほうが悪い!!〕

 パドマはヒンディー語でクィレルを罵り、抗議すると暴れだした。リサと共に宥めるのが一苦労であった。 

 『魔法薬学』では、今までクローディアを避けていたハッフルパフ生が気軽に話しかけるようになった。

「僕はジャスティン=フィンチ‐フレッチリーだ。隣いいかな?」

 クローディアは愛想よく席を譲ったが、そこにベッロがいないことに酷く違和感を覚えた。

 

 12月に入れば、ドリスからクリスマス休暇に帰省することを頼まれた。学校のクリスマスパーティーも気になったが、承諾の返事を送った。

 寒さは更に増し、吹雪の影響で日本に手紙を出せない日が続いた。

 ハッフルパフ対レイブンクローのクィディッチ寮対抗試合は、同点状態の中、レイブンクロー・新シーカーのチョウとハッフルパフ・シーカーのセドリック=ディゴリーとのスニッチの追跡が2時間も続き、僅差でチョウがスニッチを掴み、レイブンクローはハッフルパフに勝利した。

 寮に戻ったチョウは、初陣の活躍の仕方が納得できないと文句を垂れていた。誰もスニッチを口で取れなんて期待していない。

 クリスマス休暇が近づくに連れて、クローディアも友達が増えた。エロイーズ=ミジョンが話かけてくるようになった。ジャスティンは『魔法薬学』の度に、クローディアの隣に座るようになった。

 それについて、クローディアは直感が働く。

「パドマが目当てさ」

 リサとハンナも同じ意見だった。パドマが自分で気づくまで秘密にすることにした。

 城で最も寒い地下牢教室を一目散で退散し、廊下に出るとフレッドとジョージが大量の丸い瓶を抱えてクィレルに付き従う。クィレルにしては、珍しく憤慨を露わにしていた。

 フレッドとジョージがクローディアを発見し、丸い瓶を溢さないように慎重に歩み寄ってきた。

「「クリスマス、どうするの? 我々は学校に残るよ」」

「私は、お祖母ちゃん家に帰るさ。なんか、クィレル先生の機嫌悪いけど、2人が何かしたさ?」

 反省している様子はなく、双子は企みを含めた笑みを向けた。

「「クィレルに軽くイタズラしたら、罰則だって。やだよねえ、カリカリしちゃって」」

「ウィーズリー!!」

 双子が着いてきていないことに気づいたクィレルの金切り声が廊下に響いた。わざとらしく大袈裟に慌てた双子は、急いでクィレルを追いかけた。

 罰則さえも彼らには、笑いの道具だ。思わず笑い出したクローディアにつられ、パドマ達も忍び笑う。

「ミス・クロックフォード」

 気温を感じさせない闇色の声に、笑いが凍りつく。

 クローディアは目配りで皆は先に帰るように指示する。リサが神妙な顔つきで頷き、他の者を押すように廊下を進んでいく。

 残ったクローディアは、ゆっくりと振り返りスネイプを見上げる。

「人の罰則を笑うとは、どういうつもりかね? レイブンクロー3点減点!」

 予感的中。だが、『変身術』や『呪文学』で点数を取り戻せる。度重なる理不尽さにクローディアは抗議する気もなかった。

「スネイプ先生、脚の傷は大丈夫ですか?」

 声を潜めて脚に視線を向けると、スネイプの口元で嘲笑に似た笑みが浮かんだ。

「おかげ様でな。クロックフォードは人に媚を売るのが、お上手だな。そうやって信頼を掴み、弄ぶのは血筋かもしれん」

 周囲に誰もいないとはいえ、スネイプはクローディアの家系を中傷した。

 これには、怒らずにおれない。

「私は媚びてないさ! 誰もあんたに媚びてないさ!? 私しか知らないさ! それなのにお父さんとお母さんを侮辱するさ?」

 啖呵を切って、言い放ちクローディアはスネイプを睨んだ。減点など知らない。罰則も頭になかった。

 スネイプの笑みは消えない。

「ご両親を侮辱など、とんでもない。我輩は『血筋かもしれん』と申し上げたまで、それともミス・クロックフォードは自らの両親がそのような人物とお考えかな?なんとも嘆かわしいですな」

 嘲笑の混じった口上を遮ろうにもクローディアは言葉が出ず、憎憎しさで唇を噛んだ。

 気が付いたら、その場を駆け出していた。

 廊下で何人もの生徒の肩にブツかったが、気にせず走り続けた。お手洗いに行き、洗面所で頭から水を被った。寒さで冷たさを増した水が黒髪を濡らしていく。

 目尻から零れそうに落ちそうになっていた涙が、急激な水の冷たさで止まった。

(嫌いさ、あんな人……。嫌い、嫌い、大嫌い)

 ハロウィンの日、倒れた自分を運び、ハーマイオニーの授業欠席の事情をマクゴガナルに報告してくれた。ただの教員としても義務的処置でも、クローディアは心から感謝していた。

 クィディッチの前日、脚の怪我を本気で心配したから、薬を渡した。

 スネイプがハリーを殺そうとするなど、ありえない。

 試合の日、スネイプを疑うハーマイオニー達の推測が違うと思ったから反論した。今日まで。反論に足る証拠がないか、自分なりに調べていた。

(もう、もう知らないさ! 勝手に疑われればいいさ!)

 胸中で叫び、ローブに水道の水が染み込んだ。

 

 クリスマス休暇の初日。玄関ホールは、朝から帰省する生徒たちでごった返していた。駅まで馬車を利用するので、皆、雪の積もった景色を見、寒さに凍えながら順番を待つ。

 見送りに幽霊達がクリスマスの賛美歌を合唱していたのが、とても滑稽だ。

 ホグワーツ特急に乗り込めば、自宅まであと僅かである。

 入学の時より、人数が少ないため、コンパートメントは余裕があった。広く場所を取りたい気分に駆られ、ひとつのコンパートメントを1人が独占する生徒が多い。

 クローディアもパドマ達と分かれ、独占しようとしていた。覗いた部屋には、既にハーマイオニーがいる。

 ハーマイオニーとは、クィディッチの日から全く口を利いていなかった。

 嫌いになったわけでも、話したくなかったのではない。クローディアがグリフィンドール寮を訪ねても、ハーマイオニーに会えなかった。週末にハグリッドの家を訪ねても同様だった。いつも彼女らは何処かに行ってしまい、話せる機会を失っていた。

「そっちに行っていいさ?」「こっちに来て」

 同時に喋った言葉は、同じ意味。お互い了承し合い、クローディアはハーマイオニーの向かいに座る。

 こうして、汽車に揺られたのは、2度目。まるで、昨日のことのように感覚が蘇る。ホグワーツ城という学び舎での一日一日が確かな経験としてこの身に刻まれている。

「ハリーとロンは、学校に残るんですって。大広間の飾りつけ、すごかったわね」

 他愛ない会話に、クローディアも返す。

「マクゴガナル先生もフリットウィック先生も楽しそうに飾りつけてたさ。私もやりたいって言ったらさ、『これは先生の楽しみです』って断られたさ」

 クローディアが残念そうに肩を竦める。

「学校のクリスマスパーティーも気になる……」

「ねえ、ひとつだけ聞かせて」

 ハーマイオニーの問いが雑談を遮った。勿論、クローディアの気分は害されない。彼女としては、ようやく本題に入った心地なのだ。

 淡くも暖かい口調に、クローディアはいくらでも答えられる。

「スネイプが校長先生の守っているモノを狙ってないって言い切れる?」

「私は、否定も肯定もしないさ。私にとっては、どうでもいいことさ。大事なのは、ハーマイオニーと一緒にいられることさ」

 嘘偽りない回答。クローディアの最優先は、ハーマイオニーと過ごす時間だ。ハリーやロン、ましてやスネイプの為にあるのではない。

 クローディアの回答を受けて、ハーマイオニーは改めて彼女の友情に感じ入った。

「そっか、クローディアは私の友達だもの。ごめんね」

 詫びと共に、これからの友情を確かめる握手をハーマイオニーは求めた。一瞬の間さえ置かず、クローディアは彼女の手を取った。

 車内販売のお菓子を食し、ハーマイオニーは自分達が何をしていたのかを話した。ハグリッドがうっかり洩らした『仕掛け扉に隠された物』に関係する人物を調べていた。図書館にある最近の魔法使いについての本を一通り探したが、今日まで見つけられなかった。

「私達は、ニコラス=フラメルのことを調べていたの」

 問題が解けない解答用紙を睨むようにハーマイオニーが顔を顰める。

 クローディアには、馴染みのある名前だった。

「ああ、あの有名な錬金術師さ」

「……え……?」

 カボチャパイを頬張ったクローディアが簡単に思いついたので、ハーマイオニーは面を食らってしまった。口の中のお菓子を飲み込みクローディアは、数え指を折る。

「ファンタジーには、よく出てくる名前さ。小説とか、漫画とかゲームでも普通にあるさ。私の中じゃ、マーリンの次に有名な人って感じさ」

 更に驚愕したハーマイオニーは、極寒に放り出されたように凍りついていた。そして、両手で頭を押さえて項垂れる。あれだけの時間を費やしても探し出せなかった魔法使いを目の前のクローディアが知っていた。

 否、名前だけかもしれない。

「それでどういう魔法使いなの?」

 ハーマイオニーは動揺をひた隠しにしているが、クローディアには完全にバレバレだ。動揺を見抜いていることを知らせず、当たり前のように話す。

「どういうって……、『賢者の石』や『ホムンクルス』、『不死の妙薬』の精製に成功したとか……、……500年以上前の人間なのに、今も何処かで生きているとかさ」

 歳月の点に、ハーマイオニーは食いついてきた。

「500年前の魔法使い!! そうよ。だから、最近の魔法使いとして紹介されないんだわ……」

 思えば自分達は【20世紀の偉大な魔法使い】【現代の著名な魔法使い】【近代魔法界の主要な発見】など、近年に関する書物しか調べていなかった。

 ただ、それだけがハーマイオニーに悔しさを与える。クローディアがニコラス=フラメルに詳しかったことが羨ましいなど、そんなことは断じてない。

(なんか、いまのハーマイオニー、マルフォイみたいに変な笑顔になってるさ)

 眉を寄せて半笑いながら、唇を噛んだハーマイオニーはカボチャジュースを飲み干す。

「ありがとう、これでクリスマスを楽しめるわ♪」

 万歳するハーマイオニーを余所に、クローディアはTVゲームがやりたくなってきた。ドリスの家にそんな物があるはずないので、早々に諦めた。

 

 キングズ・クロス駅に到着した頃。プラットホームには、出迎えをする家族の姿が多くあった。

 この人混みから家族を見つけ出すのは、少々難儀する。

 ハーマイオニーは両親の姿を見たらしく、手を振っている。

「じゃあね、クローディアに新学期に会いましょう。メリークリスマス」

「メリークリスマスさ、ハーマイオニー」

 ハーマイオニーがトランクを引きずり、人を上手に避けて進んだ。それを見送る視界に、荷物カートを押すドリスの姿を発見した。

「お祖母ちゃん」

「あら……、まあクローディア。随分、……変わったこと。健康的になったわねえ。嬉しいわ」

 瞬きするドリスは口元を押さえ、クローディアを観察するように眺めた。

 確かに、入学してから髪を切っていない。それに認めたくないが、体重が増えて体型が丸くなった。

「うん、健康的になったさ」

 空しい気持ちが溢れても、嘆かないと決めた。

 マグルの領域にある駅もクリスマスの飾り付けで彩られていた。駅だけではない。道路へ行けば、他の建物にもクリスマスに関する装飾が施されている。

「『姿現し』をしたいところだけど、途中で買い物があるからマグル式で帰りましょう。大丈夫、コンラッドと練習したから、地下鉄の乗り方はわかりますよ」

 『姿現し』が何のことか自分なりに予想しようとクローディアが不意に足をとめる。ドリスが道路に飛び出してタクシーを拾おうとしたので、クローディアは冷や汗を掻いた。

 家に着くまで、ドリスから目を離してはいけない。しかし、クローディアもイギリスの常識に疎い。一抹の不安を抱えて、タクシーに乗車した。

〈それでは、次のリクエスト。皆さんご存知のベンジャミン=アロンダイトの交響曲をお送りします〉

 ラジオが、妙に気持ちを優しくさせる曲を流していた。

 駅で一番近いデパートで降りる。中世と近代が混ざり合う建物は、日本のデパートと比較にならない程、魅惑的である。更にクリスマスの装飾が美しい。

 店内の中央ホールでは『サンタクロースの家』が設置され、椅子に座ったサンタが幼い子供を膝に乗せて話をしていた。しかも、子供の大行列だ。

〔もしかして、クリスマスって一大イベントさ!?〕

 ここまで来て、ようやくクローディアは認識した。日本にいた頃は、商店街やデパートにクリスマスツリーが置かれ、ケーキやプレゼントの販売が活性化する時期としか思っていなかった。クリスマスプレゼントなど、町内会で大人達が作ったクッキーのみ。後は、学校の音楽時間で讃美歌を歌ったくらいだ。

「デニス、駄目だよ。ママはこっち!」

「コリン待ってよ~」

 妖精みたいな格好をした男の子が2人走り抜けていく。

 成程、これなら魔女の格好をしたドリスも目立たない。子供服売り場を物色し、ドリスは男子向けのシャツを手に取った。

「誰が着るさ?」

「ハリー=ポッターですよ。以前、お会いしたとき、サイズが合っていない服を着ていましたもの。誕生日は遠いですから、クリスマスにお洋服でも贈れば喜んで下さるでしょう」

 クローディアは周囲を見渡す。クリスマス用の包装した箱をカートに山積みにして運ぶ店員、大きな箱を持つ父親と手に袋を持つ母親。遠くでは恋人達が毛皮のコートを店員に包装させていた。

(クリスマスプレゼントって、子供だけじゃないんですか!)

 カルチャーショックが激しくて、クローディアは叫びたい衝動を我慢した。

 その後は、友達にクリスマスプレゼントを選ぶことになったが、全然、判断出来ない。だが、偶然にもジャスティンと出くわした。天の助けと彼に助言を求めると、快く贈り物を勧めてくれた。

 

 買い物を済ませ地下鉄を乗り継ぎ、辿り着いたのは意外と閑散とした町並みであった。

(あれ? ここにお祖母ちゃんの家があるさ?)

 イギリスに来た当初の町とは、全然違う。疑問はあったが、ロンドンとは味の違う雰囲気は心弾ませる。車や自転車が行きかう道路を見やり、クローディアよりも小さい子供が公園で遊んでいる姿が見受けられる。

 それらを過ぎて連れてこられたのは、年季の入りすぎた石造りのアパートだった。地震でも起きれば一発で崩壊するだろう。

 物珍しく眺めるクローディアの腕を引き、ドリスはアパートの裏手に回る。裏手には向こうの大通りに出る路地しかない。路地は薄暗く、1人がようやく通れる程度の幅だ。

 近道なのかと思いながら、クローディアは路地を抜けた。

 

 ――はずなのに、大通りに出なかった。

 

 緑の茂った芝生が広がる敷地に通じていた。芝生の上に建てられた一軒家は、巨大な岩を家の型に削り上げていた。

「わあ」

 心が感動するよりも身体が芝生へと駆け込んだ。

「我が家にようこそ。クローディア、お帰りなさい」

「お邪魔し……、ただいま」

 居間の真ん中には、クローディアと同じ背丈のクリスマスツリーがある。脚のない丸い食卓には、七色の灯を輝かせる蝋燭が1本、浮いている。火が轟々と燃える暖炉の前に敷かれた黄色い絨毯上で、ベッロがトグロを巻いて眠っている。

 ベッロの姿が奇妙に懐かしく感じ、その頭を撫でた。

「クローディアのお部屋は、こっちよ」

 階段を上がれば、2階そのものがひとつの部屋になっていた。勉強机は勿論、話しかけてくる洋箪笥、バスケットボールもある。驚くことに四畳半の畳がある。畳には敷布団が置かれ、ご丁寧に布団を片付ける為の棚が用意されている。布団の上にはゲームボーイがソフトと一緒に乗せられていた。

〔やったさ、テトリスとカービィが出来るさ!〕

 予期していなかったご褒美を喜んでいたクローディアに、ドリスが深刻そうに問いかける。

「あの薄い板みたいな上で寝るって本当なのですか? あれじゃあ、床で寝るのと変わらないんじゃない? コンラッドはこれでいいって言うんだけど」

 実際、日本ではコンラッドも畳に敷布団で寝ていた。

「大丈夫さ、家ではこれが習慣さ。いろいろありがとうさ!」

 目を輝かせて快活に笑ったクローディアは、布団に飛び込んだ。布団の感触を楽しんでいる彼女を眺め、疑念が晴らせない様子でドリスは渋々と納得した。

 日が暮れて外は真っ暗になったが、居間は暖炉と蝋燭のお陰で十分明るい。

「ここは、私の親戚から形見分けで頂いたのよ。少し狭いけど、我慢してね」

「すっごく素敵さ。皆に自慢したいさ」

 狭いとは、社交辞令だと思う。

 日本の実家は、純和風の平屋。部屋は押入れがあるとはいえ、四畳。勉強用の座机があるので、寝台など置けるわけもない。学校の寮部屋も広いが相部屋で、自分に許されたのは僅かな領域だ。

 それに比べたら、ここは広い。

 しかし、押入れに片付けていた布団一式やゲームがここにある。つまりは、押入れに隠してあったアレやコレが見られたということだ。そう考えると、恥ずかしくなる。

 感傷にひたり、クローディアは改めて居間を眺める。

「お父さんもここで育ったさ?」

「いいえ、前の家は古かったので、処分しました」

 サラダを盛った皿を置き、取り皿にドリスが配る。 コップに飲み物を注ぎながら、クローディアは何気なく尋ねる。

「その家って、スピナーズ・エンドにあるさ?」

 フォークを手にしたドリスの手が不自然に止まった。

「そこに行ったのですか?」

「お父さんが私を連れて行ったさ。てっきりお父さんの家って、あそこかと思ったさ」

 考え込むドリスは、ベッロを一瞥してからクローディアに微笑みかけた。

「あそこは、違います。ええ、違います」

 ドリスが意味深な否定する意味は、特に知りたいものでもない。追求せずに、クローディアは2人だけの夕食を楽しんだ。寝惚けてベッロがカサブランカに噛みつく以外、何の問題もなかった。

 

 クリスマスの朝だろうと、クローディアは惰眠を貪りたい。ベッロが起こしに来なければ、まだ眠れていた。最初は追い払っていたが、ベッロの容赦のない尻尾が攻撃してきた。終いには、布団と毛布を剥がされて窓まで開けられた。

(こいつ、冬眠とかしないさ?)

 着替えるのも億劫になり、クローディアは寝巻きのまま居間に下りる。既に朝食が用意された食卓を見て、我が目を疑う。

 味噌汁と白米ご飯があるのだ。ネギの入った納豆も添えられている。これをドリスが料理したなど、信じ難い。

「おはようクローディア、メリークリスマス」

 台所から顔を出したのは、いつもの笑みを浮かべるコンラッドであった。白いセーターと白いズボンの上に、茶色のエプロンを着けている。この朝食は、彼の手腕によるものだと理解した。

「あ、お父さん。メリークリスマス」

 久方の再会を喜んだクローディアは、コンラッドに体当たりして抱きついた。コンラッドは抱き返してこず、彼女の頭を撫でるだけだ。頭に触れる大きな手さえも懐かしく喜ばしい。

「学校は楽しいかな? おまえのスネイプ先生の評論は、実に興味深いよ」

「だって、スネイプ先生は、すぐにレイブンクロー減点! っていうさ。お父さん、あの先生の機嫌を損ねるななんて無理さ!」

 泣き言に、コンラッドは苦笑を返す。

 これ以上話せば、スネイプを罵る恐れがある為、話題を打ち切った。ただの勘だが、コンラッドの前で、彼の悪口は言ってはならない。

 クリスマスツリーの根元には、届けられたクリスマスプレゼントがいくつも置かれていた。ハーマイオニーから白く気品のあるヘアバンド、パドマから蛇の鱗を磨く薬、リサから桃色の手櫛を貰った。ドリスからも黒い靴、コンラッドからはフリルの付いた黒いワンピースを貰った。

「嬉しいさ、ありがとう♪私、お祖母ちゃんとお父さんに何も用意してないさ」

「子供がそんなこと気にしてはいけませんよ」

 早速、クローディアはワンピースに袖を通す。何故か、サイズが今のクローディアに合っている。何時の間にコンラッドがサイズを知ったのか、謎だ。

「可愛らしいわ。サイズもぴったりねえ」

「ベッロから、おまえのサイズを大まかに聞いていたが、着れたようだね」

 犯人は、ベッロだ。

 食後の運動をしようと、クローディアはボールを片手に庭へ飛び出す。雪が積もった状態でボールが跳ねるわけもなく、早々に断念した。

 雪が積もったならば、雪ダルマを作るしかない。全身ジャージ、手袋とマフラーを装備したクローディアは1人黙々と雪だるまを作る。寒さに負けず、ベッロも長い身体で器用に雪を集め、立派な雪ダルマを積み上げてしまう。

「あんた、本当に蛇さ?」

 ベッロの近くに寄ろうと、クローディアは中腰になる。

 その体勢を計ったように、フクロウが体当たりしてきた。逆らえない弾みで、自分が作った雪ダルマに倒れ伏す。

 見慣れないフクロウは気にする素振りも見せず、小包をクローディアの頭に乗せた。

「一体……何処の誰さ?」

 小包の中身は、スネイプに渡した薬入れがあるだけで、手紙も何もない。薬入れの蓋を開くと、見事に使い切られていた。

(先生の脚は、もう大丈夫ということさ)

 別に感謝が欲しかったわけではない。それでも、何か言葉をくれてもよかった。休暇前にスネイプから受けた侮辱以外の言葉を期待しても、贅沢に値しないはずだ。段々と腹が立ってきたクローディアは、雪を蹴り払って起き上る。

「見慣れないフクロウが来たものだ」

 丁度良く、コンラッドが窓から庭に下りてきた。

「スネイプ先生のフクロウだと思うさ」

「どうしてそう思うんだい?」

 不機嫌に唇を尖らせたクローディアは、薬入れをコンラッドに突き出して渡す。

「スネイプ先生が怪我をしたから、薬を貸してたさ。全部、使われちゃったさ。あの先生、ありがとうの一言もなかったさ」

 嫌味を含めて言い放ったクローディアの頭に、コンラッドは手を置く。一瞬、叩かれるかと思った。しかし、その手は、我が子を賞賛するように柔らかく撫でる。

 戸惑うクローディアがコンラッドを見上げれば、珍しく彼は嬉しそうに笑っている。

「そうか、セブ……いや、スネイプ先生に貸していたのだね。偉いぞ」

 コンラッドはスコーンをフクロウに食べさせ、何の返事も持たせずに飛び立たせた。

(いま、偉いってさ……。お父さんが私を……)

 偉い。

 ただの褒め言葉を父が娘に言うのは当然だが、これまでクローディアは一度もコンラッドから言われたことがなかった。

 苛立ちが消え去り、喜びが胸の中で大きくなる。

 スネイプから貰ったクリスマスプレゼントに、感極まる。眼を伏せて、この場にいない彼に感謝した。

 

 年が明け、祖父と母から年賀状とイギリス紙幣の入ったお年玉が送られた。お年玉が珍しかったドリスは、日本の正月について色々と質問してきた。クローディアが一通り説明をすると、納得したドリスは手を叩く。

「クリスマスに贈り物がないのは、そのせいなのね」

 何処をどうして、そんな解釈になる。

 コンラッドが付け加えて説明しても、ドリスの誤解は解けなかった。彼も訂正が面倒になり、放っておくことにした。

 年賀状が近所に売っているはずもなく、風景画の絵葉書を年賀状代わりに母へ返した。

 




閲覧ありがとうございました。
外国のクリスマスは、国全体で祭り。
●ジャスティン=フィンチ‐フレッチリー
 原作二巻から登場。他の巻で全然、目立たない気がする(失礼)。
●セドリック=ディゴリー
 名前だけなら、原作三巻から登場。映画の俳優さん、イケメンだった!
●エロイーズ=ミジョン
 原作では、寮学年不明。多分、上級生だが、ま、いっか!
 語尾に「にえ」をつけて喋る設定を勝手につけている。
 


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11.賢者の石

閲覧ありがとうございます。
賢者の石ってどうやって使うんでしょう。

追記:17年3月4日、誤字報告により修正しました。


 クリスマス休暇が明ける1日前、クローディアはホグワーツ城へ戻った。学校にいるはずなのに、我が家に帰ってきたような感覚だ。帰れる家が3つもあるなど、贅沢者と謗られても満面の笑みで返せる。

 荷が解け終わると、職員室へ向かう。教職員への新年の挨拶をする為だ。

 絵の埃を掃除するフィルチを見つけ、丁寧に挨拶する。フィルチは煩わしそうに「ああ」と返した。

 

 職員室は、机がなかった。語弊でも揶揄でもなく、椅子しかなかった。外套を掛ける為の洋箪笥が置いてはいる。

 よくよく考えれば、教師はそれぞれ事務所兼個室がある。

 茫然としているクローディアは、足元にいたフリットウィックに気付くのが遅れた。

「ミス・クロックフォード、どうしたかね?」

「フリットウィック先生、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

 腰を折って頭を下げ、フリットウィックは驚くように笑う。

「ごりゃあ、御丁寧に。君の使い魔は、連れてきたかな?」

「はい、部屋で寝ています。昨年は、御迷惑をおかけいたしました。クィレル先生にも、挨拶をしたいのですが」

 他の教師は何人もいたが、クィレルの姿はない。ついでに、スネイプもいない。

「クィレル先生は、事務所にいるとも。この寒さで、体調が芳しくなくてな」

「わかりました。訪ねてみます」

 職員室を後にして、クィレルの事務所に向かう。その途中で、スネイプと出くわした。クローディアが挨拶する前に、彼は辛辣に吐き捨てる。

「ベッロは連れて来ているだろう? 君の使い魔になりたいものなど、そうはいまい。見限られないようにしたまえ」

 気分を害され、挨拶する気力も失せた。

 

 授業以外で『闇の魔術への防衛術』を訪れたのは、初めてだ。昼間だというのに、閑散とした教室は薄暗い。全ての窓を黒い布で塞ぎ、香料を焚いていれば当然であろう。しかし、白い煙が立ち込めて目と鼻を刺激する。思わず、クローディアは咳き込んでしまう。

「だ、誰か、い、いるの、かな?」

 恐る恐る事務所の扉が少し開き、隙間からクィレルがこちらを確認してくる。

「クィレル……先生。ゴホッ、クロックフォードです、ゴホッ」

 クローディアだと知り、クィレルは安堵の息を吐く。彼は杖を一振りして、香料の煙を消し去った。お陰で、咽びは止まる。

 周囲を警戒する歩き方で、クィレルは事務所から出てきた。藍色のニット帽を深く被り、深緑のガウンコートを巻いている。いかにも今まで寝ていましたと言わんばかりの風貌がおもしろい。

「え~と、な、何の、用かな?」

「はい、ゴホッ。新年明けまして、おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

 丁寧に頭を下げる彼女を不思議そうに見つめたクィレルは首を傾げる。

「き、君は、たった、そ……それだけを言う為に……」

「ベッロを学校に連れてきましたので、お報せしようと思いまして」

 納得したクィレルは、震える手で自身の口元を触る。

「よ、良ければ、あ、あの蛇は、私が、ひ、引き取ろうか? お、同じことが、起こったら、こ、困るだろう? い、いつも私が庇えるわけじゃないし、ど、どうかな? 悪い提案ではないよ」

 ベッロを誰かに引き渡す。

 非常に魅力的な誘惑が胸を躍らせる。皆が蛇のことで自分を嘲笑う度、その考えが脳裏を掠めた。蛇を手放してしまえば、自分は楽になれる。確かに、悪い提案ではない。

 故に、乗るわけには行かない。

「私は魔女ですから、使い魔を手放せません」

「――残念だ――」

 口元を隠すクィレルは、ただそれだけ呟いた。

 

 グリフィンドール寮内は真紅であり、深紅だ。カーテンも絨毯も赤い。壁にかけられた絵の住人達は、 何処なく勇敢な印象を受ける人々ばかりだ。

 初めて他寮に足を踏み入れた。何度も訪れてはいるが、『太った婦人』の前で中を見ていただけだ。僅かな高揚と緊張で落ちつかないクローディアは、談話室の絨毯に腰を下ろして息を吐く。ソファーでは、ハーマイオニーが分厚い本のページを捲り、考え込んでいる。

「ごめん、遅くなった」

 ようやく、男子寮からハリーとロンが下りてきた。ハリーは、新品のシャツに『H』の文字が編み込まれたセーターを着ていた。ロンも『R』の文字入りセーターを着ている。

「そのセーターって、お揃いさ?」

「そうだよ。ロンのママが僕に編んでくれたんだ。それに、このシャツはドリスさんがくれたんだ」

 笑顔を取り繕うハリーの口調に、勢いがない。今にも、消えてしまいそうな儚い雰囲気が彼を取り巻いている。簡単に言うなら、心此処に在らずだ。ハリーが興味を示す物がここにはない。

「ハリー、どうしたの? 元気がないわ」

 心配したハーマイオニーがハリーの額に手を当てて熱を計る仕草をする。

「実は、変な鏡を見つけて、ハリーはそれに夢中なんだ」

「鏡さ? 世界一、美しいのは誰って聞いたら、答えてくれるとかさ?」

 クローディアが軽い冗談で尋ねると、少し悩んでからロンは人差し指を立てる。

「多分、それに近いと思う。『みぞの鏡』って言って、よくわかんないけど、望んだモノが見えるらしいんだ。気味が悪いから、やめろって言っても聞かないんだ。3日続けて、夜に抜け出す程なんだぜ」

「まあ! 3晩も深夜をウロウロして、フィルチに見つかったらどうするの?」

 呆れたハーマイオニーが腕組みをしてハリーを叱る。しかし、ハリーは茫然と絨毯を見つめている。彼女がハリーの額にデコピンし、彼は痛みに反応した。

「だって、鏡の中のことが、忘れられないんだ。パパとママが僕に笑いかけてくれるんだ」

 苦悩するハリーは、無意識に額の傷を手で押さえる。ハリーは、たった1人の『生き残った男の子』であり、彼の両親は『例のあの人』に殺された。

 それを思い返し、怯えのあまりクローディアの手が震えた。

 天井を煽ったハリーは嘆息する。

「でも、校長先生が僕の知らないところに鏡を移しちゃったから、もう見に行けないよ」

 活力を奪われたと言わんばかりに、ハリーは悲しげに唇を噛む。

「見に行かなかったら、勝手に忘れるさ」

「校長先生に見つかったのに、鏡が移動させられただけで済んで良かったじゃない。まったく、そういうことするなら、『ニコラス=フラメル』について見つけてくれればよかったのに」

「ちゃんと『閲覧禁止の棚』には行ったよ。どの本がわからかったし、フィルチに見つかりかけるし、大変だったんだよ」

 億劫そうにハリーは項垂れる。

 『閲覧禁止の棚』とは、その内容故に閲覧出来ない書物が保管されている場所だ。上級生の出入りは自由だが、下級生は教師の許可がなければならない。よしんば、書物を読めたとしても理解は出来ない程、高度な知識があるとされる。

「気のせいかもしれないけどさ。あんたら、規則破りすぎじゃないさ?」

「何を今更」

 クローディアの素朴な疑問に対し、ハーマイオニーは完全に開き直っていた。

「ハーマイオニーのほうは『ニコラス=フラメル』のこと何かわかった? 歯医者のパパとママは何か知ってた?」

 そちらに何の期待もしていない。ロンの質問には、そんな思いがありありと込められていた。

 得意げに胸を張るハーマイオニーは、わざとらしく上品に咳払いする。

「もっと身近な人が知ってたわよ。ね? クローディア」

 話を振られたクローディアは、肯定する。『ニコラス=フラメル』が500年前の錬金術師だと説明すれば、ハリーとロンは何時ぞやの誰かさんと同じように面を食らっている。

「なんだよ! 最初から君に聞けばよかったんだ。100回も図書館を調べたのに!」

「僕なんか、『閲覧禁止の棚』まで行ったのに……」 

 ロンは髪を掻いて悔しがり、ハリーは苦労が徒労に終わり嘆く。文句を垂れる2人を無視し、ハーマイオニーは抱えていた本のページを捲り、錬金術の項目を指でなぞる。

「問題は、どれかよね。『賢者の石』、『ホムンクルス』、『不死の妙薬』の3つ」

「「何それ?」」

 ハリーとロンは、クローディアに疑問の視線を送る。

「錬金術の代表的な技術さ。それは大まかに3つに分けられるさ。金の作製、不老不死の薬の精製、無生物から人間の創造。それぞれに『賢者の石』、『不死の妙薬』、『ホムンクルス』と研究の到達点さ。ただし、『賢者の石』と『不死の妙薬』は同じ意味として、使われることがあるさ。しかも、この石は『哲学者の石』とも呼ばれていて、所有者に無限の知識を与えるらしいさ」

 発展した国や宗教によって錬金術の研究は細かく分かれるが、そこまでクローディアも詳しくない。

「奥が深いんだねえ。錬金術って」

 興味津々でロンが感動の息を吐く。

「もう! クローディアが説明したら、私の調べる意味なくなるじゃない!」

 別のページを開いたハーマイオニーが声を上げる。

「『賢者の石』は、いかなる金属をも黄金に変え、また飲めば不老不死になる『命の水』の源でもある。従って、仕掛け扉の中にあるのは、『賢者の石』よ」

「金を作る石、決して死なないようにする石! おまけに無限の知識! スネイプが狙うのも無理ないよ。誰だって欲しいもの。そうか、グリンゴッツで見た大きさを考えるとそうだよ」

 確信を確実にしたとハリーは、生き生きと拳を握りしめる。

 気がかりな点があり、クローディアは呻く。その呻きを聞き、誤解したハリーは急いで「スネイプ先生」と訂正した。

「スネイプ先生は、こっちに置いて。グリンゴッツ銀行がどう関係してくるさ?」

「話してなかったね。えと、ハグリッドとグリンゴッツに行った時なんだけど、713番の金庫から何かを持って行ったんだ。それが僕でも持てそうなこのくらいの小さな包みだった。ハグリッドは校長先生からの大事な用事だって言ってた」 

 興奮して早口になるハリーの熱弁とは反対に、彼女の表情は冷めていく。

 コンラッドの問いが蘇る。ゴブリンの警護を掻い潜り、厳重な金庫を解いたにも関わらず、侵入の痕跡をわざと残していった犯人の狙いは何だ。

〝おまえなら、誰を挑発していると思う?〟

 本当に『賢者の石』がこの学校にあるならば、その相手はただ1人。アルバス=ダンブルドアしかいない。

 自分なりの答えを口開く前に、パーシーがクローディアに声をかけてきた。

「そろそろ寮に戻らないといけない時間だよ。休暇中でも規則だからね」

「お泊りを希望しま~す!」

 希望したのに、パーシーは容赦なく放り出した。

 

 新学期に入り、ハリーにはクィディッチの練習でほとんど時間が取れなくなった。練習日程をハリーに教えてもらい、クローディアはオリバーをただの鬼畜だと思った。そして、ハーマイオニーは時間のない彼の宿題を手伝うことで忙しい。

 グリフィンドール寮にクローディアが泊り込もうにも、パーシーから猛反対された。それどころか、学年末試験が終わるまで、グリフィンドール寮への立ち入りを禁じた。

 激怒したロンがパーシーに反論したが、無視された。

「君は、まず自分の寮生との絆を深めるべきだ」

 模範生らしい意見だが、クローディアは他にも理由があると踏んだ。

 

 図書館でクローディアとロンは勉強する振りをしながら、これまでのことを纏める。羊皮紙に要点を書き込む彼女を見つめ、彼は冒険心を募らせていく。

「僕らがスネイプ……先生のやろうとしていることを阻止したら、皆、驚くかな?」

「うんうん、驚くさ」

 賛同するように頷くのとは、裏腹にクローディアはロンとの時間が辛い。別にスネイプが『賢者の石』を狙おうが、心底どうでもいい。ハーマイオニーが彼と出来るだけのことをして欲しいと頼まなければ、好き好んでやっていない。

「ハリー、まだ練習してるぜ」

 窓の外を見やったロンがげんなりする。豪雨が降る悪天候の中でも、ハリー達の猛練習は休まない。びしょ濡れの姿で必死に箒を掴むハリーがクローディアにも視認できる。

 ハリーが気の毒に思えてならない。

「閉館の時間が近づいています。本の貸出、また返却の人は早くなさい」

 有無を言わさないマダム・ピンスに従い、2人は手早く図書館を出る。

「ネビルとマルフォイだ。何してんだ?」

 足を止めるロンにつられ、クローディアも珍しい組み合わせを視界に映す。愉快そうなドラコ(クラップとゴイル付)がネビルに杖を向けている。

「ロコモーターモルティス!」

 ドラコが『足縛りの呪い』を唱えた瞬間、ネビルの両足が磁石のように繋がった。足の異常に気付いたネビルが足を離れさせようともがく。その様を通りすがる上級生も忍び笑う。

「マルフォイ! ネビルに何しやがんだ!」

 怒鳴ったロンがネビルに駆け寄り、ドラコを睨む。

「おやおや、ロングボトムにお友達が来たぞ。なっさけない、1人で僕に立ち向かえないのかよ」

 わざとらしくドラコが笑い声を上げ、クラップとゴイルも意味はわからないが取りあえず声を出して笑った。

 クローディアはドラコを相手にせず、ロンと一緒にネビルに肩を貸して歩く。2人に運ばれている姿を羞恥に感じたネビルは耳まで真っ赤に染める。

「医務室に連れて行くか?」

「そっちの寮に行くさ。『足縛りの呪い』は、簡単な魔法だから生徒でも解けるさ」

「じゃあ、今、解いてよ!」

 懇願するネビルに、クローディアは頭を横に振るう。

「後ろからミセス・ノリスが着いてくるさ」

「げえっ、ホントだ」

 目を見開くミセス・ノリスが一挙一動を見逃さないように、てこてこと着いてくる。

 

 『太った婦人』の前で、クローディアはネビルをロンに託して別れた。そうすると、違反を目に出来なかった猫は、詰まらなそうに何処かへ向かった。

 2人で運んだとは言え、ネビルは意外と重かった。一安心し、クローディアはスカートのポケットに手を入れる。ポケットの中で薬入れと印籠が指に当たる。今更、クローディアは印籠の存在を思い出した。印籠を指先で玩び、物思いに耽る。

(お祖父ちゃんは呪いが解けるっていうけどさ)

 階段の手すりにもたれていたクローディアは、気まぐれに動く階段の赴くままに何処かの廊下へ着いてしまった。『禁じられた廊下』ではないので、安心して階段に戻ろうとした。

「助けて……くれ」

 地を這う声が廊下の隅から聞こえてきた。幽霊の悪戯かと思い、クローディアは用心に杖を構えておく。慎重に様子を窺い、声のするほうへ近寄る。

 オリバーが身体を「く」の字に曲げ、壁に張り付いていた。よく見れば、身体の一部が壁の色に染まっている。おそらく、変身術の魔法だ。相手の身体を既にある壁と同化させる高度な魔法は、クローディアの手に負えない。

「何しているんですか?」

「フリントが俺に魔法をかけやがったんだ。言っとくけど、相手は3人だぞ。くそっ、ピーブズに先生を呼んでくるように頼んだけど、ダメだったか」

 しゃがれた声で、オリバーは息を荒くする。先程まで、彼はクィディッチの練習に励んでいた。その帰りを襲われたなら、疲労は凄まじい物に違いない。

「すまないが、先生かマダム・ポンフリーを呼んでくれ」

 彼の唯一動く目がクローディアに乞う。不意に彼は、印籠を眺める。印籠から、1粒の丸薬を取り出してオリバーに見せる。

「ウッド、気休めにしかならないかもしれないけどさ。これ飲んでみるさ」

「お菓子か、ありがたい」

 オリバーの勘違いを幸いに、クローディアは丸薬を浮かせる。半分しか開かない彼の口に、放りこんだ。

 余程、空腹だったのかオリバーは丸薬を噛み砕いて飲み込んだ。

 吐き気に襲われたオリバーが嗚咽した瞬間、彼の身体は壁から離れて床に崩れ落ちた。予想しなかった結果に、クローディアは戸惑う。

「……大丈夫さ?」

「う……、トイレ!」

 蒼白な顔色でオリバーは口を押さえ、お手洗いに向けて大急ぎで走り去った。

 1人残されたクローディアは、胸元を掴んで息を吐く。胸中の熱い滾りが全身を巡って興奮を促してしまう。『解呪薬』の効用を目の当たりにしては、同然だ。

(本当に、呪いを解いたさ?)

 慌てて、印籠の中身を確認する。同じ大きさの丸薬が4つある。貴重な1粒を使ってしまったことに、少なからず後悔した。後、たった4粒しかない。これから先は、慎重に使わないといけない。自らに言い聞かせ、印籠を大切に握りしめた。

 その後、オリバーは原因不明の腹痛で2日間、医務室に入院した。

 

 土曜日の正午。

 前回のような寝坊もなく、クローディアは競技場に到着した。レイブンクロー観客席で最前列を占領し、パドマ達に囲まれる。

「おい! ダンブルドアがいるぞ」

 後ろの席にいた4年生のバーナード=マンチが貴賓席に双眼鏡を向けて叫ぶ。双眼鏡を持たない生徒も、貴賓席に注目してダンブルドアの姿を確認した。貴賓席の隣には、フリットウィックが生徒に楽器を持たせて指揮を取っている。

「校長先生が見に来ることがそんなに珍しいさ?」

「ええ、校長はお忙しいんだもの。去年は一度も観戦に来られなかったわ。校長もハリーの活躍を期待してるのよ。これに勝ったら、スリザリンを……ふふふ」

 不適な笑みを浮かべるペネロピーが怖い。

「あら?」

 双眼鏡を覗くマリエッタが何かに気付いた声を上げる。

「実況席にマダム・フーチがいるわよ」

「え!? あ、ほんと!」

 驚いたチョウがマリエッタの双眼鏡を奪い、実況席を見る。確かにマクゴガナルの後ろでマダム・フーチが腰を下ろしている。

「ええ? 今日の審判、誰がやるの? クローディア、何か聞いてない?」

 不愉快と言わんばかりにジュリアは顔を顰める。何も知らないクローディアは、思わずパドマを振りかえる。パドマも何もわからず、頭を振るう。

 競技場の真ん中に全員がよく知る人物が姿を見せた。

「スネイプ先生……だね。あれ……」

 下を覗いたミムが怪訝した。

 周囲に動揺が走る。

「どういうつもりだ? もしかして、グリフィンドールを勝たせないつもりじゃ?」

「でも、ダンブルドアがいるんだ。そんな不正は許されないぞ」

「成程、スネイプの贔屓を妨げるために校長先生は観戦に来たんだ」

「そうまでして、グリフィンドールが憎いかね」

「ハリー=ポッターがいるからな」

 勝手なことを口走る言葉を耳にいれながら、クローディアは別のことに着眼点を置く。仮にスネイプがハリーを狙うなら、今日の試合はまさに絶好の機会だ。選手である彼は、事前にこの事を知っているだろう。ハーマイオニーとロンも同寮なのだから、すぐに話は伝わるはずだ。

(もしかして、ハーマイオニーは対策に夢中で私に言い忘れたさ)

 ありそうだ。

「それにしても、スネイプ先生。もやしっ子さ? なんか、箒に慣れてないさ。ふらふらしているように見えるし、落ちたら痛いさ」

 深い意味もなく、クローディアは呟く。たまたま聞こえたリサは、笑いのツボに入ったらしく肩を震わせて堪えた。

「クローディア、言いすぎですわ……」

 グリフィンドールとハッフルパフの選手が入場し、ざわめきは声援が変わった。スネイプがブラッジャーを放ち、試合は開始された。

 試合が始まるとクローディアも興奮し、瞬きを忘れてハリーの動きに集中する。練習の成果が出ているのか、彼が箒を乗りこなす姿は迫力がある。

 レイブンクロー席では、全員が椅子から立ちハリーの名を叫んでいた。

 途端にハリーがスネイプの耳元を電光石火の如く飛び去ったかと思えば、彼は箒を持ち直し、意気揚々と金のスニッチを見せ付けた。

 5分も立たない試合時間。ハリーの作り上げた新記録は、ある席に勝利の陶酔を与え、ある席に敗北感を叩きつけ、ある席を驚嘆させた。

 感動したクローディアは、誰にでも抱きついて喜びを分かち合った。

 ダンブルドアもわざわざ貴賓席から下り、ハリーの元へ足を運んだ。緊張したハリーの肩に触れた校長は、彼に何か囁いていた。彼が殊更嬉しそうに笑うので、称賛を受けたのだとクローディアは思った。

 苦々しく地面に唾を吐き捨てたスネイプは、大勢の生徒を笑わせた。

 

 試合の興奮が冷めやまぬ内に、クローディアはハーマイオニーを探しに城を歩き回る。

「ハリー=ポッター万歳!」

 更衣室、箒置き場を、大広間、何処に行っても、ハリーを称える声が終わらない。試合の相手だったハッフルパフまでハリーを褒めちぎっている。それを悔しそうに睨むスリザリン生も度々、見かけた。

「クローディア、今日の試合、すごかったにえ」

 廊下で顔を合わせたエロイーズがクローディアと勝利の合いの手を求めてきた。応じて手を叩き合い、歓声を上げる。

「なんでエロイーズが喜んでいるさ。あんたらのチーム負けたのにさ」

「だってにえ、楽しかったんだもん。ハリー=ポッターがすごいプレイを見せてくれたから、皆嬉しかったよ。チームキャプテンが一番喜んでたにえ」

 屈託のない無邪気な笑顔でエロイーズは手を握り、ハリーに祈るような仕草を見せる。

「負けた試合が……楽しいさ」

 クローディアは小さな衝撃を受け入れ、破顔した。

「楽しめて良かったさ。エロイーズ」

「うん」

 途端にクローディアの腹から、豪快な空腹音が鳴りだした。

 腹を満たすのが先。

 大広間で自寮の席についたクローディアは、取り皿にスパゲティを盛りつける。その隣にジュリアが乱暴な態度で座り込んだ。

「ちょっと、クローディア。今日の試合でスネイプ先生が審判するって本当に知らなかったわけ?」

「知らないさ。そっちこそ、仲良しのフレッドとジョージに教えてもらわなかったさ?」

 口に麺を含ませてクローディアが言い返すと、ジュリアはバツが悪そうに押し黙る。気まずそうに頭を掻き、ジュリアは彼女の皿からスパゲティをひとつまみ味見した。

「ジョージったら、練習ばっかりで、全然、私と話してくれないし。私と仲が良いアリシアに聞いたけど、授業中もほとんど寝てるんですって。まっ、あなたが知らないんじゃ、仕方ないわね」」

 不貞腐れたジュリアは、自らに言い聞かせるように額を押さえてもたれかかる。何故だが、クローディアの食事が終わるまで離れようとしなかった。

 

 夕食を済ませたクローディアが大広間を出た時、廊下の向こうからハーマイオニーとロンが走ってきた。2人は彼女を見つけ、上機嫌に手を振る。

「あんたら、ご飯も食べずに何してたさ?」

「ハリーを探しているんだ。談話室でパーティーをしようって皆、大盛り上がりだぜ」

 待ちきれない様子で、ロンはその場をピョンピョン跳ねる。

「ところでさ。スネイプ先生が審判になったこと、いつ決まったさ?」

 その話題を振られ、ハーマイオニーはビクッと肩を痙攣させる。ロンは笑っていたが、やがてクローディアに教え抜かったと気付いたらしい。

「あの、ほら。オリバーが腹壊して入院したことがあったろ? その間に、フレッドとジョージがマダム・フーチから聞いたんだよ」

「それで、私達、スネイプ……先生がハリーに何もできないように『足縛りの呪文』の練習をしていたの」

「まあ、そんなとこだろうと思ったさ。怒ってないから、そんな悲しそうな顔をしないで欲しいさ。ロンは別さ、しっかり反省しろさ」

 ハーマイオニーとの扱いの差に抗議の姿勢を見せたロンだったが、急に笑顔を見せる。

「ハリー、何処にいたんだ!」

 待ち焦がれたロンは、両手を広げてハリーへ駆けだした。

 試合の勝利に浮かれても良いはずのハリーは、死刑を待つ囚人のように沈んでいた。

 そんなハリーの様子に何の疑問も抱かず、ロンは彼を誉め称えた。

「大事な話があるんだ」

 ロンの言葉を遮ったハリーは、重苦しく告げる。尋常ではないと感じたクローディアは、よくロジャーが女子生徒をナンパする時に使う教室に皆を案内した。此処には、幽霊おらず絵も飾られていない。

 扉がしっかりと閉まっていることを確認し、ハリーは3人を見渡した。

「僕らは正しかった。仕掛け扉にあるのは、『賢者の石』だったんだ。それを手に入れるのを手伝えって、スネイプがクィレルを脅していたんだ。フラッフィーを出し抜く方法は見つけたのかと、クィレルが『おかしなまやかし』をしたらしくて、それはどういうことかとか、誰の側につくのが賢明か考えろとか、クィレルは何のことかわからないって、協力を拒んでたよ」

 流石のロンも事の重大さに気付き、驚きのあまり悲鳴を上げそうになったのを堪えた。深刻さを十分理解しているハーマイオニーは既に恐怖しており、クローディアのローブを掴んでいる。

「本当にスネイプ先生なんださ」

 僅かに戦慄し、クローディアは腕組みをする。

「よし、校長先生に言うさ」

「え! なんで、そうなるの!?」

 信じられないとロンは声を上げる。

「スネイプ先生が石を狙うなら、私ら4人ではどうにもできないさ」

「前に君が言ったろ、状況証拠しかないんだ。相手にしてもらえないよ。それに僕らは石のことを知っちゃいけないんだ」

 引きつった声を上げ、ハリーは悲痛な顔で唇を噛む。ハーマイオニーも状況証拠という点が気がかりらしく、視線で彼に同意していた。自分達で解決したかったロンは、必死に知恵を絞っている。

 不意にクローディアは疑問が浮かぶ。

「そもそも、どうして石をこの学校に保管しようと思ったさ?」

「そりゃ、ホグワーツが一番、安全だからだよ。当たり前だろ!?」

 何に驚くべきかわからないロンは、眩暈を起こしそうにフラフラしている。

「けどさ、ここには、千人近くの生徒がいるさ。私達みたいに石に気づく生徒も出てくるさ。マルフォイが石のこと知ってみろさ。絶対、欲しがるさ」 

「そうか、そうよ、そこだわ。学校で保管するのは危険だって証明できれば、校長先生も私達の話を聞いてくれるはずよ」

「確かに、スネイプ……先生が狙っているって言っても、信じてくれる人は少ないだろうし。うん、ハグリッドに聞いてみよう」

「えと…よし! 時間を見つけてハグリッドに会おうってことでいいのかな?」

 それぞれが提案を口にし、よく理解していないロンは取りあえず賛成した。

「でも、クィレル先生がスネイプ……先生の脅しに屈したら、石が取られちゃうぜ。それまで持つかな?」

「そりゃあ、3日も持たないかもしれないけど、こっちも計画を練らないといけないわ」

 ロンとハーマイオニーの会話から、クローディアは奇妙な点を見つける。

「計画が……ない……」

 グリンゴッツ銀行の件、ハロウィンのトロールの件。この2つは同じ人物の仕業だと納得できる。それは、何処か行き当たりばったりで計画性に欠けているからだ。本当にスネイプならば、『魔法薬学』の授業のように綿密な計画を練り、時を計らって実行に移す。

〝おまえなら、誰を挑発していると思う?〟

 もう一度、コンラッドの言葉を思い返す。

 そして、新たな疑問が浮かぶ。もしも、スネイプが犯人でないなら、クィレルに対して何の協力を頼む必要があるのだろうかということだ。

(一度に考えるのは、やめようさ。何も全部が知りたいんじゃないんだからさ)

 クローディアの葛藤に似た自問は、誰にも気づかれることなく片付けられた。

 




閲覧ありがとうございました。
スネイプの箒姿は、きっとフラフラ。
●バーナード=マンチ
 ペネロピーと同級生がいればいいなあというオリキャラ。


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12.束の間

閲覧ありがとうございます。
小声は「()」で表記します。

追記:17年3月4日、18年12月26日、誤字報告により修正しました。


 試合の後は日曜日。

 情報を得るなら早い方が良い。善は急げとクローディアとハーマイオニーはハグリッドの家へ向かった。ハリーとロンも来るはずだったが、夜更かしが祟って起きてくる気配すらなかった。

 仕方なく、ハーマイオニーは2人に伝言メモを残してきた。

 寒さ対策としてクローディアはホッカイロを揉みだす。温かくなったカイロをハーマイオニーに渡し、ポケットからもう1枚取りだす。

 ハグリッドの家が視界に入るとハーマイオニーが気付く。

「煙突に煙が上がってないわ。お留守かも」

「行くとしても、無駄足になりそうさ。間が悪いさ」

 白い息を吐き、クローディアは忙しなくカイロを揉んだ。

 用がないのに凍える外にいたくない。彼女らは、城の中に逃げ込んだ。

「どうするさ?」

「そうね、図書館に行きましょう。あそこなら、マダム・ピンスが温かくしてくれてるし」

 間が悪いことは続くもので、図書館に珍しく閉館の文字が宙に浮かぶ。クローディアが無理に入ろうとすれば、鋭い動きの文字から制裁を食らった。

 

 結局、行ける場所は大広間のみ。まばらな上級生の中には課題に勤しみ、昨日の試合を話しあっている。教職員席もスネイプと『天文学』のオーロラ=シニストラを始めとした数人しか座っていない。

 スネイプの姿を視界に入れ、クローディアはハーマイオニーと寄り添いながら座る。

「(誰かにハグリッドが何処に行ったか聞いてみるさ?)」

「(スネイプ……先生が見ている前ではやめましょう。ハリー同様、あなたも目の敵にされているんだから)」

 不意に聞きなれた重い足音が大広間にやってきた。ハグリッドは自分の身体に匹敵する大きさの木箱を抱えていた。その木箱をシニストラの元に運んで行く。

 シニストラが席を立ち、ハグリッドと大広間を後にした。

「ハグリッド、忙しそうさ」

「午後になってから、もう一度、会いに行きましょう。そのくらいになれば、ハリー達も起きているわ」

「ミス・クロックフォード」

 闇色の声がかけられ、2人の体温が一気に下がる。先入観はあるのもので、その黒真珠の瞳は、より狡猾な牙に感じられた。

「おはようございます。スネイプ先生」

「手に持っている物を出しなさい」

 無駄な抵抗をせず、クローディアはカイロをスネイプに差し出した。

「またこういうものを学校に持ち込むとは、懲りないものだ。レイブンクロー5点減点、明日より週末までの早朝に罰則を言い渡す」

「……はい、わかりました」

 異論を口の中で殺し、それが表情に出ないように目を伏せて承諾する。

 反論どころか、目も合わせないクローディアを怪訝してから、スネイプは大広間を去った。いなくなったと確信してから、彼女は深く溜息を付き、肩を落とす。

「私も持っていると気付いていたくせに、貴女だけなんて酷いわ」

 憤慨したハーマイオニーが扉に向かて「べ~っ」と舌を出す。

 間が悪く、クィレルが現れてしまう。ハーマイオニーの舌を見て、彼はひょっとんと目を丸くした。慌てふためいた彼女は素直に謝った。

「ごめんなさい、違うんです。こ、これはスネイプ先生にやっていたんです」

「あ……、ああ。な、なるほど。ま、また、減点でも、されたのかな?」

 痙攣したような笑い方で、クィレルは寒そうに自分の腕を擦る。それを見てハーマイオニーはカイロを差し出した。

「これ、マグルの道具ですけど、すごく温かくなります」

「そ、それは、君が使い、たまえ。ミス・グレンジャー」

 必死に断るクィレルの手を取り、ハーマイオニーはカイロを握らせた。

 カイロの温度に驚きながらも、クィレルの表情に感嘆が浮かぶ。その反応にハーマイオニーは満足そうに、クローディアを振り返る。

「これ、クローディアのご実家から送られてきたんです。ホッカイロというものなんですよ」

「す、すごいな。わ……、私もマグルの防寒具はいくつか知っているが、こ、これは初めてだ。おもしろいっ」

 語尾に含まれた穏やかな声を耳にし、クローディアは気付く。

 極僅かだが、クィレルから普段の緊張した笑みが消えている。例えるなら、これが自然な笑顔だという印象を受けた。

 もしかすると、普段は神経質な態度を演じている役者かもしれない。確か、彼には『おかしなまやかし』が使えるはずだ。それは、絶対に話さないゾンビの撃退法にあるのではないか?うかつに広めては、スネイプのような闇の魔術に興味がある者に悪用されるのを防ぐ為ではないか?そこまでの算段があるなら、成程、防衛術の教授に相応しい限りだ。

(ちょっと考え過ぎたさ)

 これでは、クィレルを過大評価しすぎている。

 さっきから何も言わずに凝視してくるクローディアから、クィレルは顔を逸らす。顔を背けられ、無駄に見つめてしまったと反省した。

「クィレル先生。ゾンビの倒し方について、ヒントを下さい。有効な魔法で倒したのか、物理的な方法で倒したのか、それだけ教えてください」

 クローディアは礼儀正しく頭を下げる。

「私も知りたいです。全部が無理なら、クローディアの言うとおりヒントだけ、お願いします」

 クローディアに倣い、ハーマイオニーも頭を下げる。

 いきなり頭を下げる2人を交互に見つめ、遂にクィレルは観念した。震える指先で口元を押さえながら、彼は2人の耳元に囁く。

「(物理的にゾンビを押しつぶしたんだ)」

 か細くて聞き取りづらいが、確かに聞こえた。

「「ありがとうございます」」

 クローディアとハーマイオニーが礼を述べ、クィレルは照れ臭そうに笑う。カイロを持ったまま彼は、教職員席へ座った。

 得した気分で微笑んだ2人はこの場だけの秘密にしようと誓った。

 

 昼が過ぎた頃、ハリーは起き上る。メモに気付き、ロンを叩き起して大広間に急いだ。本当は、すぐにでもハグリッドの元へ行きたかったが、空腹には勝てない。渡ろうとした階段が動き出したので、2人は向こう側へと跨ぎ飛んだ。

 薄暗い廊下を突き抜けようとした時、ハリーは何かを踏んだ。砂のような感触に気付き、足元を見下ろす。誰かが廊下に砂をぶちまけたらしい。よく周囲を見れば、紙も細かく破かれて捨てられていた。

「フィルチの奴、ちゃんと掃除しろよな」

 ロンはそう呟き、ハリーも特に気にすることもなく、その場を後にした。

 

 ハグリッドの家に4人で訪ねたのは結局、日が傾きかけた時になった。家の前でファングに櫛を入れていた彼は、突然の来訪を喜んでくれた。

 『赤ずきん』に出てくる狩人の家という印象を受け、クローディアは物色する。ボーガンや桑などの道具や立派な角の飾りが雑然と置かれていた。どれもこれも、ハグリッドの持ち物なので、デカイ。彼が客人用として出した椅子は、ひとつだ。クローディア、ハーマイオニー、ハリー、ロンが座っても余る。

「4人だから、これを4つと……ん? 4人!?」

 茶の用意をしていたハグリッドは、口にしてから驚く。手にあるコップを落としかけ、勢いよくクローディアとハリーの2人を交互に凝視した。

 ハグリッドの目が飛び出そうな程、見開く。

「おめえさんたち、知り合いなのか?」

 不躾な質問を受けたが、ハグリッドは4人が集まった時を今日、初めて見た。クローディアとハリーはお互いを見てから肯定する。

「そうだよ、ハグリッド。僕と彼女は友達なんだ。寮が違うけど」

「そうじゃなかったら、ここにいないさ」

 ハリーが答えると、ハグリッドは柔らかく目を細めて髭の中で口元に孤を描く。今まで見た中で、一番暖かい笑顔だった。機嫌良く彼は机に分厚いサンドイッチを取り出した。

「そうか、そうか、それならええ。俺は嬉しい。ほれ、イタチサンドがあるぞ」

 お言葉に甘えてひとつクローディアは貰おうとしたが、ハーマイオニーに阻止された。

 わざとしく咳き込んだロンは3人に視線を送る。ロンはすぐにでも、本題に入ろうとしていた。クローディアが頷くと、ハリーが深呼吸してから口を開く。

「僕達、仕掛け扉に『賢者の石』があることを知ったんだ」

「なんだと!? なんで、そのことを!?」

 ハグリッドは驚いた拍子にヤカンのお茶を自分の足にかけてしまった。熱くないらしく、そこには動じない。

「それで、クローディアがどうして石を学校で守るのかって不思議に思っているんだ」

「ホグワーツが一番安全だからって、言ったんだけど。クローディアったら、全然納得してくれないの。だから、ハグリッドが教えてあげて。どれだけ安全な方法で守られているのか」

 ロンとハーマイオニーを一瞥し、ハグリッドはクローディアに信じられないという眼差しを向けた。彼女は少々、意地悪い笑みを見せてひと押しする。

「グリンゴッツのような万が一ってことも、有り得るさ」

 それが効いたらしく、ハグリッドは髭の中で低く呻き声を上げた。

「万が一なんてねえ。何人も先生が魔法の罠をかけてんだ。……スプラウト先生、フリットウィック先生、クィレル先生、マクゴナガル先生、スネイプ先生……」

「スネイプだって?」

 思わず、ハリーは不信な声を上げる。クローディアを見てからハリーは、先生」と付け加えた。

 そんなハリーに気付かず、彼女は物思いに耽る。何故、誰でも欲しがる『賢者の石』をそこまでして、学校で守るのか理解できない。仮に侵入された場合、厳重な警護が仇になる。

 好奇心に目を輝かせたハーマイオニーが机に身を乗り出す。

「どんな罠をかけてるの?」

「そこまでは知らねえが、ま、フラッフィーがいれば十分だな。あいつの宥め方は俺とダンブルドアしか知らねえ。……いけね。これも内緒だった」

 嘆息してから、ハグリッドはクローディアに警告するような視線を向ける。

「クローディア、わかったか? ちゃんと先生達で守ってんだ。何の心配もいらねえぞ。だから、この件にはもう関わるな」

「それだけ厳重だと私は絶対、行かないさ」

 観念したと両手を上げる姿をハグリッドは何の疑いもなく、満足した。

(スネイプ先生が脅していたのは、こういうことさ)

 つまり、それぞれの教師はお互いが如何なる罠を用意したのか知らない。だから、スネイプはクィレルに協力を求めた。午前中にクィレルを過大評価しすぎていた。ゾンビを倒す術を隠匿しているのは、ただの彼の性だ。

 最早、クィレルにそれ以上の力はないとクローディアは判断した。

 

 ――もっと注意深く……否、真っ向からクィレルと対峙していたなら、その判断を下すべきではなかった。そんな後悔に打ちひしがれる日が来るなど、今のクローディアに知る由もない。

 

 何故だが、この日を境に4人が集まれる機会を失ってしまう。理由は、罰則や試合の練習と様々だ。クローディアとハーマイオニーが『賢者の石』を移動させる言い訳を考えたが、どれも説得力がないものばかりだ。

 だからといって、クローディアは焦らなかった。じっくりと考えを纏め、ダンブルドアを説得するべきだ。

 根を上げたのは、ハーマイオニーのほうだ。寧ろ、教師達の罠があるから『賢者の石』は安全であり、自分達は手を引くべきだと言いだした。その意見が浸透していくように、授業や勉強を言い訳にして滅多なことがない限り、『賢者の石』について話さなくなった。

 

 スリザリン対レイブンクローとの寮対抗戦。卑劣極まりないスリザリンの戦法により、レイブンクローは抵抗空しく敗北した。

 選手達は意気消沈していたが、それを回復させる出来事が待ち受けていた。

 

 2月14日。

 起床したクローディアが談話室に下りると、そこは異様な雰囲気に包まれている。男女ともに奇妙に恥じらいを見せ、何処となく落ち着かない。しかも、談話室だけでなく、廊下や大広間でも、その雰囲気は付きまとっていた。

 フクロウ便の時間になると、普段以上にフクロウ達がせっせと大量の手紙や包みを運んでいる。大方はクィディッチの選手達に配られる。パドマにも手紙が贈られ、照れくさそうにしていた。ハリーも手紙に埋もれて苦しそうにしていたが、機嫌が良さそうだ。それをロンが羨ましそうに眺めた。

 その状況が気にいらないのは、ハーマイオニーも同じだ。レイブンクロー席でクローディアの隣を占領し、彼女は不機嫌にパンを齧る。

「今日は随分と手紙が多いさ。手紙を出さないといけない日さ?」

 純粋な疑問を述べるクローディアを見て、ハーマイオニーはつまらなそうな口調で返してきた。

「わかってるくせに、今日はセントバレンタインデーよ。私、この日は喪に伏せるべきだと思うわ。バレンタイン司教が亡くなった日なんですから」

 後半は無視し、クローディアに思い出す。小学校の頃、社会の授業で都市伝説を集めた。その中に、『バレンタインデーには女子が好きな男子にチョコを上げる』という項目が確かにあった。

「バレンタインデーって、魔法界の行事だったさ」

 納得して呟いたクローディアをハーマイオニーは勢いよく振り返る。凄い形相で凝視され、逆に驚いてしまう。

「何か、おかしいこと言ったさ?」

「マグルにも、バレンタインデーはあるわよ。日本にバレンタインはないの!? うそでしょう!?」

 吃驚仰天とハーマイオニーは自分の口元を塞いでから、クローディアの頬を引っ張る。動揺しているのはわかるが、地味に痛い。

「知ってはいたさ。女子が好きな男子にチョコをあげる日だってさ。でも、それって都市伝説でしょうさ? 実際、うちの学校では誰もそんなことしてないさ」

 隠す必要もないので、クローディアは正直に話す。

 理解しがたいハーマイオニーは、それでも無理やり納得してクローディアから手を離した。

「いいこと、バレンタインデーっていうのは男女関係なく、親しい人や恋人に贈り物を渡すの。チョコレートを贈るという習慣については……ちょっと聞いてるの!?」

「聞いてます。聞いてます」

 椅子に正座してクローディアは、ハーマイオニーの講義を受ける。

 バレンタインデーの由来を聞けば聞くほど、クローディアにはお歳暮やお中元の印象しか受けない。そんなことを言えるはずもなく、ハーマイオニーの話を授業が始まるギリギリまで真面目に聞き入った。

 

 『魔法薬学』には習慣日など関係ない。生徒は全員、普段のまま緊張した。調合が1人だけ成功しなかったクローディアはスネイプから罰則を申し渡された。

「ある意味、スネイプ先生からのバレンタインプレゼントですね」

 リサの冗談に、クローディアはげんなりした。

 罰則の時間が迫り、地下教室を目指すと空き教室から話し声が聞こえた。

 どうせ、ロジャーの仕業かと思いながらも、教室の扉を見やったと同時に扉が開いた。現れたのは幸せそうなに笑うパーシーと優位な笑みを見せるペネロピーだ。

 ペネロピーが桃色の包みを手にしていた。パーシーから彼女へのバレンタインプレゼントだと、すぐに察した。

 クローディアとペネロピーの目が合い、人差し指を唇に当て口外無用を訴えてきた。承諾の意味で、親指を立てた。

 睨みつける監視の元、クローディアはようやく罰則を終えた。重い荷物を運ばされ、手や肩が痛い。早く部屋で休みたかったにも関わらず、螺旋階段の手前でフレッドとジョージが待ちかまえていた。

 気力と体力が疲弊したクローディアは、双子から逃げだせず、呆気なく捕まった。

「「なあ、誰かにバレンタインカードを上げたか? 誰かに貰ったか?」」

 何の期待をしているのか、双子はすごく目を輝かせている。

「ハーマイオニーに書いて渡したさ、ハーマイオニーも私にくれたさ」

 解放されたいクローディアは、面倒そうに答える。回答が気に入らなかったらしく、双子は期待外れだと鼻で笑った。

「おまえ、本当。つまんねえな」

 吐き捨てたジョージの足を蹴ろうとしたら、避けられた。

 

 

 甘い男女の祭りが終わると、レイブンクロー生には厳しい現実が待ち構えていた。学年末試験に向けての勉強に取り組むことになったからだ。

 この時期は、復活祭の休暇までに6年生が監督する模擬試験を行うのが、レイブンクロー特色の行事である。唐突な説明をされ、多くの1年生は悲鳴を上げた。

 6年生がこれまで実際に出された試験を羊皮紙に綴り、7・5年生以外の学年それぞれに配られ、毎週末には『呪文学』の教室を借り、学年別で本番さながらの試験を行う。

 実技などは呪文の詠唱、杖の振り方を注意され、筆記試験は自分の答えをメモし、学年別に自己採点する。総合点の低い生徒は、7年生が監督する補習試験を受けるはめになる。7年生は卒業を控えた『N・E・W・T試験』があり、殊更、神経質で恐ろしく誰も受けたくない。

 模擬試験の話を聞きつけたハーマイオニーは、熱意に参加を希望した。クローディアが監督生に相談すると希望者は他寮でも受け入れると、喜ばしい返答を貰った

 ハーマイオニーがハリーとロンにも参加を勧めたが、彼らは矢の如くに逃げ去ってしまった。

 模擬試験の結果、クローディアの実技は良いが、筆記がボロボロだ。よって、7年生が神経を張り詰めた教室で補習試験を受けてしまった。

「どうして『動物もどき』と『人狼』の特徴が混じっている! 書き直せ!」

 補習を受けた顔触れに、ジュリアもいた。何度も7年生に注意され、彼女は半泣き状態だった。

 ハーマイオニーは見事、模擬試験を通ることに成功していた。監督生は、彼女がレイブンクローでないことを非常に残念がっていた。

 褒美として、監督生はハーマイオニーに上級生の試験範囲を教えた。これを彼女は非常に喜んだ。

「呪文への反対呪文があるのね。すごいわ。これは何年生になったら、学ぶの?」

「最低でも、4年生になってからだ」

 まだ学期末試験も終わっていないにも、関わらず、ハーマイオニーは4年生の授業が今から待ち遠しかった。

 




閲覧ありがとうございました。
バレンタインにチョコを渡すのは、チョコレート会社の陰謀だと教わりました。
模擬試験は、勤勉な寮ならやりそうだと思ってつけました。


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13.ノーバート

閲覧ありがとうございます。
ドラゴンをペットにしたら、必要なのは餌と土地。

追記:17年3月4日、誤字報告により修正しました。


 無事に迎えたかと思われた復活祭の休暇は、これまで見たことない量の宿題が出された。

 食事以外は談話室、図書館で勉強三昧になり、クローディアはハーマイオニーとの時間が完全に断たれた。

 クィディッチ選手は練習もあるため、チョウやロジャーは更に時間を削られている。

 今日は今日とて、図書館に入り浸りクローディアはパドマ、リサと宿題をひとつずつ片付けていく。しかし、宿題の数に目を向ければ終わる気がしない。それに、この時期は図書館が凄まじく混む。長時間の利用は出来ない。参考書や辞典も重要な書物は数があるので、貸出争奪戦だ。

 今日の分に目途を立て、クローディアは各棚から拝借した本を返しに行く。パドマとリサも急いで机の筆記用具を片付けた。

 魔法生物の棚を通る時、ハグリッドがクローディアに声をかけてきた。何故か彼は【ドラゴンの基本飼育】などの本を数冊抱えていた。

「ちょいと、頼みがあるんだが。ベッロを虫籠ごと貸しちゃくれねえか?」

「ベッロを預かりたいさ?」

 ハグリッドからの珍しい頼み事に一瞬、クローディアは思案する。この頃、ベッロを散歩にも碌に行かせていない。そのせいで、ベッロが勝手に抜け出して何処かに行ってしまうことが相次いだ。酷い時は、クィレルの事務所に侵入しようとしたところをスネイプに見られ、罰則を受けるはめになった。

 別に引き渡すのでなく、一時的に預けるだけなら、問題はない。

「うん、ハグリッド。ベッロと遊んであげて欲しいさ」

「よっしゃ。後で俺んところ、来い」

 浮かれた足取りでハグリッドが去る姿を偶然、勉強していたハリーとロンが見ていた。

 寮への帰り道、パドマとリサにハグリッドの提案を伝えた。パドマはすごく嫌そうな顔をしたが、リサに説得されて仕方なく納得した。

 

 ベッロを虫籠に入れたクローディアは、ハグリッドの家を訪れてみて驚く。夜でもないのにカーテンが締め切られていた。約束を間違えたかと考え込んでいると誰かに肩を叩かれた。

「クローディア、僕たちだよ」

 突然、後ろからハリーの声がした。しかし、クローディアが振り返っても姿がない。気のせいかと思った時、ハーマイオニー、ハリー、ロンが布を捲ったように現れた。見えない布の裏面は、色彩の良い銀色で毛布のように大きい。

「もしかしなくて、それって布さ? それで隠れてたさ?」

「そうだよ。これ『透明マント』っていうんだよ。クリスマスの時に貰ったんだ」

「すげえ珍しいものなんだぜ」

 ハリーの代わりにロンが『透明マント』を自慢した。誰だか知らないが、随分と良い物を贈られたものだ。『ニンバス2000』の時といい、大人はハリーに甘過ぎる。

 しかし、『透明マント』を彼に与えては危険だ。微かな胸騒ぎが起こり、クローディアはハリーを睨まない程度に見つめる。

「次から私の了解を得てから、そのマントを使って欲しいさ」

「ハリーのマントなのに、なんで君の許可がいるの?」

 文句を言うロンにクローディアは説明しようとした。しかし、家の前が騒がし過ぎたのかハグリッドは慌てて、4人を引き込んだ。

 この国では、初夏の季節に入ろうという時期に暖炉に薪が焚かれ、室内はサウナのように蒸されていた。あまりの空気に4人は、ローブを脱いだ。耐えられないのは、ベッロも同じなのか虫籠が揺れている。

 ハグリッドなど髭や髪が、汗で一回り縮んでいた。普段と違い森番は、ハリーをあしらうような態度で叱った。

「俺はクローディアに用があったんだぞ。なんで着いてきた? さあ、帰れ」

「どうしたの、ハグリッド? そんなに怒ることなの?」

 切なげに眉を寄せるハリーが疑問を小さく口にする。ハーマイオニーも知りたそうに首を伸ばしてハグリッドを見上げた。

「ベッロを預けるだけなんだからさ。皆で来てもいいさ」

 クローディアに窘められ、不服そうにハグリットは髭の中で溜息をつく。

「仕方ねえ。本当はクローディアにだけ教えるつもりだったが……」

 ハグリッドが暖炉に火をくべた時、ロンが炎の中にある黒い卵に気付いた。

「ハグリッド……それ……、まさか……」

 まるでこれから誰かに叱られそうな表情でロンが呻く。反対にハグリッドは満面の笑みで頷いた。

「こいつは、パブで旅人から貰ったドラゴンの卵だ」

「「「えええええええええ!!」」」

 仰天した3人は、ドラゴンの卵を近くで見ようと暖炉に近寄る。

「本で見る限りじゃ、この卵はノルウェー・リッジバックという種類らしい。この種は特に珍しいだ」

 ダチョウの卵より大きく、ガラスよりも光沢のある殻。この中に雄々しくも猛々しいことで有名なドラゴンの生命が宿っている。

 感動する3人と違い、ロンは激しく首を横に振る。

「ドラゴンを飼っちゃいけないんだ! 見つかったら、学校を辞めさせられちゃうぞ!」

「見つかんねえよ。その為のあの虫籠だ」

 クローディアの手にある虫籠をハグリッドが指差した時、暑さに耐えかねたベッロが飛びだした。吐き気を抑え込むようなベッロは、涼しさを求めて戸口の外へと逃げて行った。

 ハーマイオニーが顔を顰めた。

「あの虫籠にドラゴンを隠す気なの?」

「ドラゴンって、すぐ大きくなるよ。あんな虫籠じゃ無理だよ」

 ロンが呟くと、ハグリッドが得意げに虫籠を手にした。おもむろに虫籠の蓋を開き、ハグリッドの巨体がすっぽりと納まり、内側から蓋をした。勿論、虫籠は壊れるどころか、当たり前のようにそこにある。

〔ありゃりゃ〕

 4人とも、驚きすぎて反応で出来ない。

 やがて、虫籠から物音がする。蓋が開き、ハグリッドがさも当然と出てきた。

「その様子じゃ、誰も知らんかったのか? こいつの中は入る奴の大きさに合わせられるっていう代物だ」

 珍しく悪戯っぽく笑うハグリッドにクローディアは、苦笑を返す以外思いつかなかった。

 

 心痛のあまりロンは、中庭のベンチに座り込んだ。

「石といいドラゴンといい、規則破りなことばっかりだ」

 魔法界において、個人によるドラゴンの飼育は法律違反である。彼らの気性は荒く、巨大な体躯に成長する。ひとつの家庭では確実に手に負えなくなる。そして、そんなドラゴンがマグルの目から隠しきれるはずもない。

「ハグリッドは、前々からドラゴンを飼いたいって言ってたもん。後は僕らで上手く隠すしかないね」

 優しくハリーがロンの肩を撫でる。

「あの虫籠って蛇用じゃなかったのね」

「入学のときにも、何も言われなかったさ」

 ハーマイオニーに答えてから、クローディアは空を見上げる。

 短い春が終わり、初夏の訪れを報せるために雲を晴らせていた。

(日本だと、入学とかなんだろうさ)

 不意に去年の小学校の卒業式が脳裏を掠める。懐かしく、恋しい気持ちが胸に湧く。

 小学校の頃。バスケ大好き人間のクローディアは、放課後に日が暮れても男友達を巻き込んで試合していた。その度に、帰宅が遅いと叱責を受けた。どれだけ責められてもその習慣は抜けなかった。努力の甲斐あって、小学校生の地区大会では、常連で優勝した。

 その活躍で、男友達の何人かは中学のバスケ部でレギュラーに選抜され、それに見合う活躍をしていると、母から知らされている。

(バスケもやめたから、髪も切ってないさ)

 肩に流れる髪に触り、長さを確かめる。

(この学校にも、バスケ部があればいいさ。そうすれば、もっと勉強頑張れるさ)

 元々、勤勉ではないクローディアはこの環境に疲労の色が見えてきた。楽しい反面、辛いこともある。『魔法薬学』の授業が最もそうだ。スネイプの態度は日を増す毎に厳しくなっていく。

「髪がどうかしたの?」

 心配そうに覗きこんでくるハーマイオニーを見た途端、クローディアは安らかな気持ちになる。彼女と一緒ならば、頑張れる。

「髪切ろうかと思っただけさ」

「勿体な~い。伸ばせばいいのに」

 そんな他愛ない会話をしている間、ロンの体調が僅かに良くなった。

「いざとなれば、チャーリー兄さんに頼もうかな? ルーマニアでドラゴンの研究をしているから」

 きっと、ハグリッドは承知しないと誰もが思った。

 

 

 休暇を終えても容赦なく出される宿題と、試験の勉強を繰り返す。

 スネイプの脅迫を退けてきたクィレルは、日に日に体調を崩していく。授業中も、ほとんど自習にして椅子に座るだけだ。

 事情を知るクローディア達以外の生徒はただでさえ肩透かしの授業が更に面白みをなくしたとしか思っていなかった。ハリーとロンは授業の度にクィレルを励ます言葉を送っているらしい。

 授業の後、クローディアは生徒が帰ったにも関わらず、椅子から離れないクィレルを眺める。色白い肌は、血色が悪く青ざめていた。

「クィレル先生。ちゃんとご飯、食べてます?」

 クローディアが不安げに問いかける。頭を押さえたクィレルは、無気力な笑みを返した。

「クィレル先生。誰かに相談しては、どうですか? 悩みが……あるなら」

 危うくスネイプのことを口走りそうになり、クローディアはさし触りのない程度に提案する。

「……だ、大丈夫だとも、も、もう行きたまえ」

 眉が僅かに下がったクィレルは、絞るように声を出した。

 それ以上、かけられる言葉が見つからない。クローディアは憐れむ視線を送り、会釈して教室を出ていく。もしも、振り返っていたならば、クィレルが別人の表情で彼女を睨んでいることに気付けただろう。

 

 昼食前のお手洗いに向かうと、浮かない顔をしたハーマイオニーがいた。

「さっき、卵が孵ったわ」

「うそ、マジさ! 見たかったさ!」

 期待に胸を躍らせるクローディアの耳元にハーマイオニーが囁いた。

「ドラゴンが生まれるところ、マルフォイに見られちゃったの」

 ハリー達をこっそり尾行し、ドラコは窓から様子を見ていた。ハグリットが気付いた時、彼は逃げ去った後だという。誕生を喜ぶ気持ちが消え、一気に不安が募る。あのドラコに知られたなら、周囲にバレるのは時間の問題だ。

「いざとなればさ、虫籠、私が預かるさ。小屋を調べられても大丈夫さ」

「でも、ドラゴンは火を噴くのよ。虫籠を燃やされたら、一貫の終わりよ」

 意外な反論に、クローディアは言葉が詰まった。

 クィレルの容態より、目の前のドラゴンを解決しなければならない。ようやくロンの気持を理解したクローディアは、溜息を口の中で殺した。

「なあ、誰にも言わないから教えてくれ。クロックフォードはクィレルが好きか?」

 昼から豪勢にビーフシチューを食べようとしたクローディアは、興味津々の双子の片割れを睨む。

「お~、こわ。なんで俺に対して、そんなに冷たいかねえ」

 苦悩するクィレル、ハグリットのドラゴン、いつ告げ口するかわからないドラコ、次々と問題が起こり、解決の糸口さえ見えない。

 そんな時に聞きたくない質問をされては、愛想も忘れる。

「その前に、どっちか名乗って欲しいさ。フレッド? ジョージ?」

「ジョージだよ。それで? クィレルのこと、どう思っているんだ?」

 クローディアの隣に座り、ジョージの顔が近くなる。

「どうってただの先生さ。優しいところはあるけどさ。『好き』じゃないさ」

 まさか、スネイプに脅されているクィレルが可哀そうだから気にかけているなど言えない。

 煮え切らない答えに、真意を探ろうとジョージはクローディアの顔を覗き込んでくる。負けまいとは彼女、彼とメンチを切りあう。

「クィレルのこと好きだろ? 吐いちまえよ」

「なんで、私がクィレル先生みたいなオジサンを好きになるさ。歳を考えるさ。歳を」

 笑うように鼻から息を吐いたジョージは、舌を鳴らす。

「オジサンは酷いな。俺らと一回りしか変わらねえよ。あの教授」

「一回りも離れたら、立派なオッサンさ。……ん、一回り?」

 きょとんと声をとめたクローディアに、ジョージは頷く。

「そお、俺が4月で14歳だから、そこから考えて28くらい」

 驚いたクローディアは、口の中で噛んでいた肉を吐きそうになった。

(クィレル先生のこと……35前後だと思ってたさ)

 思えば、幼馴染の田沢がクローディアに『おまえの父ちゃん、老け顔!』と喧嘩を売ってきたことがある。欧州人は、アジア系と比べて成長が早いと祖父が教えてくれた。

 まだ同級生や上級生は、個々に成長の差があるので驚かない。しかし、大人の年齢を考えていなかった。

 不意に恐ろしい考えがクローディアの脳裏で主張してくる。

「スネイプ先生って、いくつか知ってるさ?」

「う~ん、確か今年で32歳くらいだったと思うけどな」

 聞いてしまった瞬間、血の気を失いクローディアはスプーンを落とした。

(お父さんと変わんないさ! てっきり40歳ぐらいだと思ってたさ)

 今だけは、とてつもなくスネイプに申し訳ない気持ちで胸がいっぱいだ。

「お~い、平気か? もしも~し」

 声をかけてもクローディアは返事をしない。ジョージは溜息をつき、机の向かいに隠れている連中を呼んだ。ひょっこと顔を出したフレッドやリー、グリフィンドール3年生ジャック=スローパーが手を振る。

「とりあえず、『嫌い』ってことにしとく?」

「いやいや、優しい人って言ってるから、『好き』だろ?」

「オッサン呼ばわりしてるから、『嫌い』だって」

「『好き』ではないは、『好き』ってことじゃん」

 色々落胆しているクローディアの頭上で、男子達が口論を始めた。聞くとはなしに聞いていると、彼女がクィレルに好意か嫌悪かで賭けをしている様子だ。

「あんたら、言いたいことはそれだけさ?」

 ドスの効いた低い声を発し、クローディアは杖から火花を散らせる。

 その後、この忙しい時期に4人の男子生徒が医務室に入院した。

 

 クローディアはドラゴンを見るため、時間を無理やり作り、ハグリッドの小屋を訪れるようにした。

 生まれたドラゴンは、ノーバートと名付けられた。コウモリの翼とトカゲに骨が付いたような形で、ミセス・ノリスに負けない出目金だ。ハリーは可愛くないと感想を述べたが、クローディアは心から美しいと思った。

 しかし、それは最初。一週間しか経たないうちに、ノーバートは3倍に成長していた。しかも、ハグリッドはドラゴンに感けて、家畜の面倒を怠りだした。

「ノーバート。よちよち、良い子だなあ」

 初めてペットを飼い、浮かれ喜ぶ子供がそこにいる。三頭犬のフラッフィーと番犬のファングを飼っているはずだし、ハグリッドは十分大人だ。

 小屋の中の片づけは、ベッロがしていた。身体を器用に動かし、散乱した空き瓶を整然と並べ、手箒を銜え、尻尾の先で塵取りを掴んでは、鶏の羽を集める姿は家政婦そのものである。

 知能が発達した蛇だと、改めて感心させられた。

「こいつ、うちのママに送ってもいい? 絶対、喜ぶよ」

 かなり本気の目で、ロンは冗談を言った。

 小屋の掃除や家畜の世話は別として、ノーバートを飼い続ける危険性を4人はハグリッドに訴えた。

 誤って火を噴いて虫籠を燃やしてしまえば、隠す手段は何もなくなる。しかも、何故だがまだ黙っているドラコが公表してしまえば、ハグリッドの身の上さえ危うくなる。

「だけんど、ほっぽり出すなんてことはできん。どうしてもできん。なあノーバート」

 ノーバートを抱きしめているハグリッドに、ロンは呆れた。

「ほっぽりださないよ。僕の兄貴がルーマニアでドラゴンの研究をしているんだ。そこなら安心できるって」

「そうよ。仲間のドラゴンもいるわ」

「だけど、ルーマニアの水が合わなかったら? 仲間に苛められたらどうするんだ?」

 親バカ状態のハグリッドは、嫌々と首を横に振り続ける。

 構わず、ハリーはクローディアに提案した。

「クローディア、この虫籠と同じものを用意できないかな? これなら、すぐに運べるよ」

「ハグリッドが承知したら、すぐにでもお祖母ちゃんに頼むさ」

 うんざりとクローディアはハグリッドを眺め、ハリーは何度目かわからない溜息をついた。

「チャーリーは、ドラゴンに優しいし、世話もしっかりしてくれよ。ノーバートのことも守ってくれるから」

「チャーリーがドラゴン好きなのは、俺もしっちょるが嫌だ!」

 ロンの必死の説得をハグリッドが拒み続けるので、そろそろクローディアの苛立ちが限界を迎える。

 誰もハグリッドを悲しませたいはずもない。寧ろ、助けたい。それだけのことが、今の彼は理解してくれない。

「そういえばさ、マルフォイが前にドラゴンの皮で出来た鞄が欲しいって言ってたさ。もし、ノーバートをマルフォイの自由にしていいってことになったら、とんでもないことになるさ。スネイプ先生は、マルフォイも味方だから、きっと要望を聞くだろうさ」

 不気味に沈黙した後、ハグリッドはノーバートをじっくりと愛おしく眺める。

「……わかった。皆の言うとおりにする。ノーバート、ルーマニアで生きような~」

 やっと同意を口にし、4人は安堵した。

 含み笑いを見せたハリーがクローディアに囁く。

「(ねえ、マルフォイ。本当にそんなこと言ってたの?)」

「(まさか、私、アイツと話さないさ)」

 そもそもの原因は、ドラコの覗きだ。故にこのくらいの汚名は被っても罰は当たらない。しばらく、ハグリッドがドラコを見かける度に鋭い視線を向けるのも、自業自得というものだ。

 

 ハリーが虫籠を欲しがっている。そんな内容の手紙をドリスに出せば、2日もかからない内に、カサブランカが同じ虫籠を運んできた。ハリーのファンであったことに、この時だけは深く感謝した。

 チャーリーも快くノーバートを引き取ってくれる。直接、ルーマニアにではなく、土曜の真夜中に天文台へ彼の友達2人が出向いてくれることになった。

 つまり、夜中に天文台に赴かなければならないという危険があった。ハリーは『透明マント』で身を隠せる。この時までは何の心配はなかった。

 まさかロンがノーバートを撫でようとして、指を噛まれるなど、誰も想定できない。しかも、その傷が元で一晩の内に彼の手は2倍に膨れ上がり、医務室で療養することになった。しかも、チャーリーの手紙を挟んだ本をドラコに貸してしまい、計画が漏れた恐れまで出た。

「マルフォイの奴さ、こっちのやることを勘づいているさ」

 ハグリットの元へ急ぎながら、ハリーがクローディアとハーマイオニーに小声で話す。

「計画を変えてる暇はない。マルフォイは『透明マント』と虫籠のことをまだ知らないし、危険でもやってみなくちゃ」

「なら、私がやるさ。マルフォイはポッターにしか注意がないさ。もうひとつの虫籠に私が入るさ。ふたつの虫籠はベッロに運んでもらうさ。使い魔なら、フィルチに見つかっても問題ないさ。天文台で私が渡して、虫籠に入って寮に帰るさ。どうさ、これならバッチリさ」

「いいわ、それ! 卵が孵ったとき、クローディアはいなかったから、マルフォイも油断しているわ」

 クローディアの提案にハーマイオニーは賛成したが、ハリーは何処となく難色を示した。

 ノーバートを見納めようと思ったが、家の外でベッロがファングの尻尾に包帯を巻いていた。ベッロの鱗も火傷に近い痕があちこちにある。もう見に行くのは、遠慮した。

 

 待ちに待った土曜日。

 別れを惜しむハグリッドを哀れむ余裕はない。クローディアはノーバートの入った虫籠を確認し、急いで自らも虫籠に入った。ベッロが普段使い、最近はノーバートが使うせいか、異臭が立ち込めていた。

 吐き気に襲われながら、クローディアとノーバートの虫籠は、ベッロによって運ばれていく。

「ママは、決してお前を忘れないよ」

 誰がママだ。

 涙で声を曇らせたハグリッドが遠くなるのが、わかる。

 虫籠での移動は、快適にほど遠い。揺れが激しく、クローディアは酔ってしまった。

 揺れが納まったので、蓋を開いて外を見やる。見慣れた天文台に着いていた。残った精神力を振り絞って虫籠から這い出た。

 ノーバートは虫籠で暴れているが、ハグリッドが頑丈に固定してくれたので心配はない。

 授業以外で、天文台に来たことはないが、興奮している場合ではなかった。全身神経を研ぎ澄ませ、階段から物音が聞こえれば、虫籠に逃げ込んだ。

「罰則です!」

 階段の下からマクゴナガルの大声が響く。一瞬、自分のことだと感じたクローディアの全身が恐怖で痙攣した。

「さらに、スリザリンから20点減点!」

「違うんです! ポッターがドラゴンを連れて来るんです!」

 マクゴナガルはドラコを発見したとわかり、クローディアは安心して力が抜ける。彼の釈明が滑稽に思えた。

(なるほど、現場を押さえようと思ったさ。マルフォイ)

 胸中で嘲笑し、クローディアは虫籠から這い出る。

 今度は、少し晴れた気分で待つことが出来た。こうして眺める夜空は、なんと美しい。

 10分も経った頃。

 夜の闇から、2人分の箒が現れる。チャーリーの友人達は、年下のクローディアに陽気且つ丁寧な物腰で接してくれた。しかも、ベッロを目にしても怯えることなく珍しく美しい蛇だと賞賛してくれた。

「虫籠は、皆さんでお使い下さい」

 ノーバートの入った虫籠を渡すと、どっちが虫籠を持つかで少し揉めた。2人はクローディアと握手し、再び夜の闇へと飛び去った。

 夜に慣れた視界に、2人の姿が見えなくなる。誰もいなくなり、クローディアは胸に溜まった息を吐いた。そして、虫籠に入り込んだ。虫籠を銜えたベッロは何を思ったのか、階段に行かず、壁を下りるように這入っていく。異常な浮遊感に気絶した。

 気がつけば、自室の寝台に倒れていた。

 




閲覧ありがとうございました。
春は、日本では卒業と入学、イギリスでは期末試験。
クィレルの年齢については、ハリーの目から見て「若い男」と表現されているので、推測しました。
●ジャック=スパロー
 原作五巻にて登場。多分、本当は2年生でしょうが、ま、いっか!


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14.期末試験

閲覧ありがとうございます。
学生の本分は、勉強。勉強の結果を見るのが、試験。言葉ではわかっているんです。

追記:16年9月22日、誤字報告により修正しました。


 夜更かしは健康の天敵、クローディアは昼まで熟睡した。

 重い瞼を開いた時、布団の上で仏頂面のハーマイオニーが座っていたなど露も知らない。

 眠気は吹っ飛び、思わず部屋を見渡す。間違いなく、クローディアの自室だ。誰もないのは、ハーマイオニーが追い払ったか、彼女から逃げ出したかのどちらかだ。

「おはよう」

 暗い声のハーマイオニーは、目の下にクマが出来ている。昨晩の件が気がかりで眠れなかったのかもしれない。

「おはようさ。昨日のことは、上手く行ったさ」

 ノーバートは無事に引き渡し、問題がひとつ解決した。しかし、ハーマイオニーは喜びもしない。失態を犯したと反省している様子だ。

「何か……あったさ?」

 躊躇いつつも質問してみれば、肯定の反応が返ってきた。順調に事は運ばないと思い知ったクローディアは、これから知る事態に備えて胸中で溜息を付いた。

 

 ハグリッドの家は、まるで通夜の晩だ。

 哀惜のあまり、一晩中泣き腫らしたハグリッド。たった一晩でげっそりとしたハリー。退院したのに、元気がないロン。

 安息を取り戻したファングが寝台に寝転び、ベッロが4人に茶とイタチサンドを差し出してくれた。

「ハグリッド、成功したさ。ノーバートのこと大事にするってさ」

 異様に重い空気でも、これだけは朗報を齎す。そんな甘い考えは、捨てておくべきだった。

「うん、知ってるよ。見てたからね」

 重苦しい口を開いたハリーが昨晩の出来事を話し出した。

 ハーマイオニーはハリーが大人しく事が終わるのを待つはずがないと思い、談話室を見張っていた。案の定、ハリーは『透明マント』を持って現れた。

〝ダメよ、クローディアから無暗に『透明マント』を使っちゃいけないって言われたでしょう?〟

〝これは僕のマントだ。それにハグリッドの問題は僕の問題でもあるんだ。クローディアに任せっきりに出来ないよ〟

 説得しきれず、ハーマイオニーとハリーは『透明マント』で身を隠し、天文台を訪れた。クローディアが虫籠をチャーリーの友人達に引渡す所を見届け、2人は浮かれすぎた。拍子に『透明マント』を脱げてしまい、フィルチに発見された。それどころか、ドラコがハリーを陥れようとしていると忠告にきたネビルまで現れてしまった。

 3人はマクゴナガルから、グリフィンドールは150点も減点された。

 聞き終えたクローディアは、絶句した。しかし、ベッロが階段を使わなかった理由は知れた。フィルチが待ち構えていることに気づいたからだ。念入りの逃走経路として、わざわざ塔から飛び降りたのだ。

「僕がマルフォイに本を貸さなければ……チャーリーからの手紙を挟まなければ……」

 自責の念に駆られたロンが後悔を口にした。

「違うよ。僕が『透明マント』があるから、見つかりっこないって思いこんだのがいけないんだ」

 絞り出した声は涙で潤んでいた。それでも、ハリーは涙を溢さないように堪えた。

 ドラゴンを飼う夢を叶え、有頂天だったハグリッドは、ようやく事の重大さが身に沁みた。自分の身勝手な行いが、目の前の子供達に多大な迷惑を被らせた。

「すまねえ、俺のせいだ。何度も、おめえさんたちは危ないって言ってくれたのに。これからは馬鹿なことはしねえ。おめえさんたち、本当にありがとう。俺には、これしか言えねえ」

 詫びるハグリッドは、大きな身体で頭を下げた。

 唯一、被害を免れたクローディアは居た堪れない気持ちでハーマイオニーの肩を撫でる。言葉では慰められない程、この場は悲嘆に満ちていた。

 

 ハリーが有名人であることを最も悔いる時が来た。一日が終わる前に、彼らが減点したという噂が城中に広まったのだ。

 グリフィンドール生は勿論のこと、先日のクィディッチでスリザリンに惨敗したハッフルパフ、レイブンクローの寮生からもハリーは『嫌われ者』となってしまった。スリザリン生からは嘲りの感謝を貰い、侮辱された。

 あのフレッドとジョージでさえ、ハリーを「シーカー」と呼んで距離を取った。最も近くにいるロンがハリーの味方なのは、極僅かな救いと言えよう。

 それは、クローディアの周囲でも同じだ。

 ハリーファンのサリーも、彼の名を口にしなくなった。良き先輩のペネロピーでさえ、ハーマイオニーとの接触を断たせようとした。

 ちょっとでもクローディアがハーマイオニーと雑談していれば、横入りして引き離した。

 ジュリア達は、わざわざクローディアの傍を通る度にハリーを中傷した。

 ネビルはおまけ程度の扱いだったが、勇気を振り絞った行為が寮に迷惑をかけた。それが惨めで堪らず、精神的にボロボロとなって泣き崩れる日々が続いた。

 クローディアはハーマイオニーとの交流をやめなかったし、ネビルの勉強を見るようにした。

 但し、クローディアとネビルの学力は、どんぐりの背比べ程度の差しかない。結局、ハーマイオニーが2人の勉強を見るしかなかった。

 それを憐れんだペネロピーが試験勉強ならば、ハーマイオニーとの関わりを許してくれた。

 

 トロフィー室は、創設されてから今日に至るまでの栄光の軌跡。試験が迫る時期は、特に用がなく無人に等しい。だから、クローディアとはハリーを連れてきた。人の目を気にする彼が、気を休めるには丁度良い場所だ。

 初めて足を踏み入れた場所は、クローディアも俄かに興奮する。金銀に輝く、カップ、盾、賞杯、像は手入れを怠らず輝きを忘れない。

 対照的に、ハリーは見るとはなしにカップを見つめるだけだ。

「ねえねえ、ポッター。これ、見るさ。ポッターのお父さんさ?」

 金の盾を指差したクローディアは心躍らせる。返事もせず、ハリーは彼女が指した方角を見やる。

【グリフィンドール  チェイサー ジェームズ=ポッター】

 ハリーの目から称賛の色が浮かび、感嘆の息が漏れる。

「パパだよ。間違いない。僕のパパとママはグリフィンドールだもん。パパがクィディッチ選手だって聞いてたけど、盾まで貰ってたんだ」

「あんたもシーカーだしさ、才能は父親譲りさ」

 我が事のように喜ぶクローディアは叫んだ。やっとハリーは笑顔見せた。

「僕ね、選手から外して貰えるようにウッドに頼んだよ。でも、ウッドは責任を感じるなら、クィディッチで優勝杯を取れって言うんだ。その……、ごめん。次ってレイブンクローだよね。」

「勝負はベストを尽くしてなんぼさ。ポッターが全力でやってくれたら、嬉しいさ」

 試合は真剣勝負。クローディアは十分承知している。建て前ではなく本音と理解し、ハリーは気持ちが軽くなった。

もう一度、父親の盾を見た時、ハリーが何かに気付いたように呻く。

「君のパパって、コンラッド?」

「そうだけどさ、なんでさ?」

 疑問してクローディアは、ハリーの視線を追う。ジェームズ=ポッターの名が刻まれた盾の後ろに、負けずと光り輝く金の盾が視界に入る。

【スリザリン  ビーター コンラッド=クロックフォード】

 コンラッドの名が 此処にある。

 一瞬、クローディアは我が目を疑う。驚愕したこともあるが、言い知れぬ感覚が喉に詰まる。決して、良い兆候ではない。寧ろ、知るべきではない警告に似ている。

「スリザリンだったんだ」「ホグワーツだったさ」

 2人の声は同時だった。発言の内容にお互いを見やる。

「知らなかったの? 自分のパパなのに?」

 そちらが驚きだと、ハリーは怪訝した。

「寧ろ、お父さんについて知らないことのほうが多いさ。うちのお祖母ちゃんに会ったのだって、入学する前さ。そういえば、お祖母ちゃんがスリザリンじゃなくて安心したって……、う~ん、こういうことだったかもしれないさ」

 顎を押さえて唸るクローディアを見て、笑いのツボにハマったハリーは喉を鳴らして笑う。

 クローディアの内心は、焦燥に襲われて混乱している。何故、コンラッドがホグワーツでスリザリン寮生だったことを教えなかったのだろう。こちらが聞かなかった為、失念したかもしれない。思い返せば、コンラッドが学徒の頃ベッロが使い魔だったと話した。過去にベッロがこの学校にいたなら、教師の誰かが口にしても良いはずだ。

〝これまでは運がよかっただけかもしれませんし〟

〝こいつの中は入る奴の大きさに合わせられるっていう代物だ〟

 フリットウィックのこれまでとは、そういう意味も含めていた。ハグリッドが虫籠の使い方を熟知していたのは、使っている所を誰かが見せたからだ。

 コンラッドの怒りと嫌悪に満ちた表情が脳裏を掠める。あの表情はハリーに向けられたものだ。

 コンラッドは、ハリーを嫌悪……否、憎悪している。

 その原因は、ジェームズ=ポッターとの因果関係かもしれない。実際、スリザリンとグリフィンドールはお互いを宿敵としている。

 それならば、ハグリッドがクローディアとハリーの友情を異常に喜んでいた理由も納得できる。

「今度、君のパパに会わせてね」

「OKさ。お父さんに言っとくさ」

 嬉しそうなハリーの声で我に返ったクローディアは、咄嗟に承諾してしまう。

(まあ、知らなくても不便じゃなかったさ。放っておくさ)

 いくつも生まれた疑問をそのままに、思考をやめる。教えられないことを無理に知る必要ない。それが一番良いのだと、自らに言い聞かせた。

 晴れやかな気持ちでいるハリーと違い、若干、表情を暗くしたクローディアはトロフィー室を後にした。

 

 カリカリと羊皮紙にペンを走らせる音が談話室に響く。図書館並みに生徒が教科書や参考書を広げ、勉強に励んでいた。出来るだけ音を立てないように、クローディアが抜け去ろうとする。

「よくも、ハリー=ポッターとデートできる余裕があるわね」

 聞きなれた嫌味がクローディアの足を止めさせる。窓際を占領したジュリアが盗み見るように睨んでいた。

「やっぱり、会ってきたんだ。いい気なものよねえ。可哀想な奴を相手して、さぞご満悦でしょう」

「私のことよりも、その教科書の内容を覚えるほうが先さ。『動物もどき』と『人狼』の区別もつかないブッシュマン先輩?」

 激怒したジュリアは、手にしていた教科書をクローディアに投げつけた。真正面から、教科書を受け止める。

 勉強の手がとまり、談話室の全員が2人に注目する。試験勉強中に騒ぐなという批難と日常的な2人のいがみ合いに、うんざりする視線が混ざっていた。

「ジュリア、やめて。あなたが悪いのよ」

「クローディア、皆、ちょっと神経質になっているだけよ。聞き流さなきゃ」

 クララがジュリアの腕を掴んで座らせる。パドマが急いでクローディアの背を押し、談話室から遠ざけた。

 

 部屋に戻されたクローディアは、不愉快さを起こして寝台に座る。ジュリアの教科書が手にあり、適当にページを捲ると『動物もどき』の項目が開けた。

 ジュリアの走り書きのメモもある。

 自らが動物に変身する魔法。種類を選べず、本人の生まれ持った資質がその形態を決める。他者を変身させるより困難であり、動物の本能に人格を浸食させる恐れもある。また、『動物もどき』の能力が犯罪に利用されないように、習得者は魔法省への登録を義務付けられる。今世紀において、登録されている魔法使い・魔女は、7人である。

(杖を使用せずに形態を変化させられる。へえ、ニンジャみたいさ。……あれは、巻物くわえているさ)

 興味深くなり、教科書を閉じる。

「クローディア、またジュリアと揉めたんですって?」

「何にも揉めてないさ」

 不機嫌なペネロピーがノックもせずに入ってきた。寝台から起きあがり、クローディアは教科書を彼女に差し出す。

「これジュリアに返しておいて欲しいさ。私じゃ、何が起こるかわからないさ」

 両手を合わせ、クローディアは頭を下げる。

「もう、人をパシリみたいに! 全く、試験が終わるまで喧嘩しないこと!」

 不承不承と教科書を受け取り、ペネロピーは文句を言いながら出て行った。

 今度はパドマとリサが大量の本を抱えて戻って来た。

「クローディアが勉強に集中できるように、先輩達が使っていた教科書を借りてきたわ」

「これで、余計なことは考えられませんよ」

 天使の微笑を浮かべた2人がクローディアには、小悪魔に見えたがこれも自業自得と諦めた。

 

 

 そうしている間にも、試験が一週間を切った。

 調合薬を蒸発させたクローディアは、スネイプから罰則を受ける事態になった。

「私、今日までレイブンクロー生であったけど、これ程スネイプから罰則を受けた生徒は貴女が初めてよ」

 ペネロピーの嘆きがクローディアの胸に深く突き刺さった。

 絶望した気持ちを抱えてクローディアは、地下教室を訪れた。スネイプは教卓に立ち、調合の機材が用意をしていた。薬草もこれまでの授業で使ったものばかりが並べられている。

「ミス・クロックフォード。ここにある物で、『忘れ薬』を調合したまえ。時間がかかっても構わん」

「あの……罰則は……、いえ、はい。わかりました」

 脳内で『忘れ薬』の調合法を思い返し、クローディアは慌てず慎重に作業を行った。傍らにいるスネイプは、授業の時同様に厳しく監視していた。しかし、その目つきはパドマやリサ達、他の生徒を見る時と変わらない。憎しみが抜け落ち厳格さだけを残している。

 不気味だと感じながら、クローディアはテキパキと調合を済ませた。

 1時間もかかり、『忘れ薬』は完成した。1ミリの失敗もなく、仕上げることが出来た。ここまで完璧に調合できたことが嬉しくて、地味に感動が胸を締め付ける。

 それも一瞬、スネイプが『忘れ薬』を物色しだした。緊張して待つクローディアを彼は、普段の口調で評価した。

「よろしい。片づけを済ませたら、帰りたまえ」

「はい、わかりました」

 片付けの間も、スネイプの監視は終わらなかった。やはり黒真珠の瞳は、鋭さが微塵も感じられなかった。まるで、クローディアには憎むべき価値を失ったと教えられた気がする。

(どういう心境の変化さ?)

 寂しいわけではないが、嬉しくもない。

 この曖昧な感情にクローディアはヤキモキして、罰則を終えた。

 後は寮に帰るだけではずだが、廊下で蹲っているハリーを目撃してはそれもまだ後になりそうだ。

「ポッター、医務室行くさ?」

 陽気に声をかけたクローディアをハリーは、必死の形相で振り返った。あまりの切羽詰まった表情に、心臓に冷水を浴びせられた感覚が襲う。

 尋常でない心情を察し、クローディアはハリーに顔を寄せる。

「聞いちゃった……。たったいま、クィレル先生がスネイプ……先生に屈したのを」

 絶望して喘ぐハリーは、縋るようにクローディアの腕を掴んだ。その手は焦燥のあまり汗で濡れている。自然と焦燥は伝わるが、解せない点がひとつある。

「スネイプ先生なら、ついさっきまで私と一緒にいたさ」

「そんなはずない!! さっきいたんだ!」

 否定を叫ぶハリーの口をクローディアは押さえた。突然のことで、彼の眼鏡がずり落ちる。

「し~、聞かれちゃうさ」

目配せで頷いたハリーは、沈黙を約束する。

「またクィレル先生とスネイプ先生が一緒にいたのを見たさ?」

「クィレル先生の声を聞いただけ、でも、相手はスネイプだ。間違いない」

 眼鏡をかけ直しハリーは、ハッキリと断言した。彼から、スネイプに立ち向かう決意を感じ取った。

 クィレルが籠絡されたのは、残念だが、今日まで耐えきったと称賛すべきかもしれない。

 それを抜きにしても、ハリーがここまで『賢者の石』に拘るのは、正義感か、あるいは義務感か、どっちにしてもクローディアは面倒事を避けたい。ノーバートの件で懲りた。

「クィレル先生が落ちたとしても、まだフラッフィーがいるけどさ。それでも、この件に関わるつもりさ?」

 責める口調で確認してみれば、ハリーは迷いのない眼差しを返した。

 つまりは、ハーマイオニーとロンもハリーに協力を惜しまないだろう。

「何をすればいいさ? 調べ物さ?」

 クローディアの発言が意外だとハリーは驚きつつも、頭を振るう。

「スネイプ……先生は、必ず行動に出る。それまで、僕らは素知らぬ振りをするんだ」

 それしかない。クローディアは、手振りで承諾を示した。

 

 日曜日でも勉強をしなければ、試験はすぐそこだ。

 それなのに、ハーマイオニーはクローディアをトロフィー室に連れ込んだ。本当に誰もいないか警戒し、物陰に潜んでいないか確認した。こういう時、非常に危険なことを知らされると予感した。

「昨日の夜。私達は、罰則で『暗黒の森』に行ったの。ハグリッドに連れられてね。森では一角獣が何者かに襲われる事件が続出していたから、その調査も兼ねて……。それで大変なことが起こったわ」

 予感でなく、前触れだ。

「『例のあの人』が『暗黒の森』にいたの。一角獣の血を吸っているところをハリーが見たんですって。ハリーも襲われかけたけど、ケンタウルスのフィレンツェが助けてくれたわ」

 赤ん坊のハリーが倒したはずの『例のあの人』。

 脳内で理解するのに、数秒かかった。理解してから、クローディアは恐れ慄いた。絶句する以外、驚きを現わせない。

「まさか、……死んだ人間が蘇った……ってこと……?」

 それだけは違うと哀願し、問うた。

「いいえ。『例のあの人』は元々滅んでなかったのよ。弱くなって生き延びていただけ。一角獣の血は死にかけた命を長引かせる効果があるから、それで襲われていたの。でもね、一角獣の血を口にしたら、死ぬより惨い呪いを受けるって、フィレンツェは言っているらしいの」

 『例のあの人』は、力をなくして生き延びていた。それも驚くべき事実だが、死んで蘇生したのではない分、救いを感じて安堵する。

「でも、夜の森でよく相手の顔が見えたさ」

「額の傷が痛んだそうよ。あの傷は、ハリーに『例のあの人』を教えるみたい。それで、ハリーがね。スネイプ先生が石を狙う理由は『例のあの人』の為なんじゃないかって。そう考えるとスネイプ先生がハリーを恨む理由が納得できるって、『例のあの人』を倒したのはハリーだから」

 『賢者の石』を狙う明確な理由は、それにより得られる『命の水』。成程、『例のあの人』を復活させる手段に用いるなら、納得がいく。

「ということは……、グリンゴッツに侵入したのも、トロールを仕掛けたのも、『例のあの人』自身ってことさ? そのほうが何処となくしっくり来るような気がするさ」

「しっくり来る? スネイプ先生の仕業じゃないってこと?」

 興味深そうにハーマイオニーは、クローディアに聞き返す。

「うん。前々からスネイプ先生がやるにしては、ちょっと穴だらけな気がしてたさ。でも、『例のあの人』なら、無謀って感じが合うさ」

「見かねて、スネイプ先生は『例のあの人』を手伝おうとしていると?」

 急にクローディア思いつく。

「ポッターがさ、クィレル先生がスネイプ先生に降参したのを聞いたと言ってたさ。もしかしたら、そこにいたのは、『例のあの人』だったんじゃないさ? ほとんど同じ時間に私はスネイプ先生と一緒にいたさ」

「まさか、ここには『例のあの人』が最も恐れたダンブルドア先生がいるのよ……。あ、でも、そうね。だから、協力者がいるんだわ。『例のあの人』はダンブルドア先生に見つかりたくないんだから……」

 ハーマイオニーは白紙の回答欄を埋めた達成感を得る。

「私、ハリーにもこの事を話してくる」

 大忙しでハーマイオニーはトロフィー室に、クローディアを置き去りにした。

 『例のあの人』、否、闇の帝王ヴォルデモートが『賢者の石』を求めている。いきなり、ラスボス的存在が登場するなど、ゲーム上でも勘弁してもらいたい。

 そして、これは現実だ。

 所詮は、1年生の子供4人が挑戦して勝てる気がしない。

「私が校長先生に話してくるさ」

 呟いた瞬間。頭上から、洪水がクローディアを襲う。頭からモロに水を被り、全身ずぶ濡れにされた。おまけに頭へバケツが落ちた。

「ひゃははは! 良い様だぜえ!」 

 腹を押さえて爆笑するビーブスが宙で浮かんでいる。

「ピーブズ!」

 激昂して怒鳴るが、ピーブズは物ともしない。それどころか、クローディアの周囲をクルクルと回り、小馬鹿に舌を出した。完全にからかっていると判断し、濡れたまま彼女はピーブズを追い回した。

 

 ――それから、奇妙なことが起こり始めた。

 

 クローディアが校長室に行こうとする度、ピーブズが邪魔をしてくる。教室や大広間には現れないが、機密事項をおいそれと話せない。廊下ですれ違わないかと期待しても無駄だ。これまでダンブルドアを廊下で見かけたことはない。

 仕方なく、ダンブルドアへの報告を諦めると、ピーブズの悪戯はピタリと止んだ。

 

 6月は日本では梅雨の季節で、空気が湿気に満ち、学校では運動場が使えず体育館で授業することが多かった。

(そういえば、なんで、この学校に水泳ないさ。寧ろ、プールもないさ)

 プールが駄目なら湖に飛び込みたい。実家から扇風機を持ってきたい。百歩譲って団扇が欲しい。

 クローディアの心情を察した祖父がシマフクロウに団扇を運ばせてくれた。それを見て、パドマも実家から魔法の扇子を貰った。負けずとリサは暑さと戦った。

 猛暑の中で受ける筆記試験は、クローディアを現実逃避させるのに十分だ。それでも、模擬試験の体験が実を結び、レイブンクロー1年生の緊張を解させた。

 クローディアにとって嬉しいことに『魔法薬学』の実技試験は『忘れ薬』だ。1年生の誰もが、スネイプの監視に緊張して怯える中、順調に調合した。

 最後の『魔法史』の筆記試験で、ビンズがカンニング防止用の羽ペンを置いて答案羊皮紙を巻くよう指示したとき、全ての試験が終了した。

 

 ――生徒は、万歳して歓声を上げる。

 

 レイブンクロー生は、寮での自己採点があるのでまだまだ終わらない。

 クローディアの自己採点は度重なる勉強が身に入り、模擬試練より良好だ。だが、パドマとリサの3人の中では最下位にいた。

 ペネロピーは聞くまでもなく、満足していた。ロジャーやクララは良い結果を得たが、ジュリアだけ真剣に悩んでいた。

「皆、お疲れ様。試験結果までの一週間は、自由だ!!」

 普段、厳格な監督生が弾けた声を張り上げ、解散を告げた。全員、嬌声と歓声を上げて寮を出て行った。明後日に試合を控えたクィディッチ選手は、心置きなく競技場に向かっていた。

(あ~、やっとハーマイオニーと遊べるさ)

 その前に、ベッロをハグリッドから受け取らなければいけない。

 軽い足取りでハグリッドの家に向かう。机に3つのコップが置いてあり、来客の後が見えた。

「ほい、ベッロをあんがとな。ちょうど、ハリー達も来てたんだが、行き違いになっちまったな」

「急いでくれば良かったさ」

 虫籠を受け取った時、ハグリッドが深刻そうにクローディアを眺めた。

「ハリーがな。俺がノーバートの卵を貰ったときの話を聞いてきた。それで、俺はありのままを話した。そしたら、あいつら血相を変えて行っちまった」

「それは……、パブで旅人から貰って話さ?」

 肯定したハグリッドの顔色が青ざめていく。

「相手はフードを深く被ってたから、顔はわからなかった。だが、俺がどんな生き物を飼っているのか興味を持ってた。だから、俺は……フラッフィーのことを話しちまってた。アイツは音楽させ聞かせりゃ、すぐに大人しくなるってな。おまえは知らんだろうが、ここんところ『暗黒の森』で、一角獣が襲われることが多かった。段々とベッロの機嫌が悪くなって、それでハリーと話して俺はもしかしたら、とんでもねえ失態を……」

「ちょっちょ、ハグリッド。え~とさ、一角獣のことはハーマイオニーから聞いてたさ。でも、ベッロの機嫌が悪いのとどういう関係があるさ?」

 自分の気を持ち直すために、ハグリッドは虫籠を撫でた。

「ベッロはな、危険が迫ると機嫌を悪くすんだ。いいか、ベッロは無意味な行動は絶対しねえ。こいつに変化があるときは。必ず何かあるときだ。親父さんから、聞いとるだろうがな」

「……ハーマイオニーを探しに行くさ」

 絞る声を出しクローディアは、深々とお辞する。

「いいか、危険なことに首を突っ込むなよ!」

 心配するハグリッドに手を振って答えるだけで、精一杯だ。

「ベッロ、先に部屋へ戻っているさ」

 虫籠を地面に置くと、ベッロは解放感を得て出てきた。頭で虫籠を支え、ゆっくりと這って行った。口に銜えるならまだしも、頭に乗せるとは予想外だ。

(ハグリッドは、お父さんのこと知っていたさ)

 やはり、コンラッドはこの学校に在籍していた。何故だが、不安は募るばかりで晴れた気がしない。

 

 玄関ホールまで歩き、クローディアは溜息をつく。

「諸君、こんな日には室内にいるもんじゃない」

 誰の声かと顔を上げれば、スネイプが見せたことない愛想のいい笑みを浮かべていた。クローディアは驚いたが、彼の前にはハーマイオニーとハリー、ロンが見下ろされている。

「ごめんさ! 待たせたさ!!」

 クローディアの叫び声に、3人は反射的に振り返った。スネイプは笑みを消さず、眉を顰めた。異様な緊張が包む空気を誤魔化すために、ジュリアの猫かぶりを思い出す。

「スネイプ先生、こんにちは。これから採点ですか? 生徒が多いから大変ですねえ。もしかして、もう済んだんですか? 私、悪かったですか? 私、どうも調合とか苦手で、今日も先生のあつ~い視線に手がガタガタ震えちゃって♪あらヤダ、私ったら❤キャハ♪」

 自分で口走ってから、寒気がした。顔や腕にジンマシンに近いサブイボが立つ。

 本人でさえ、ドン引きなのだ。ハーマイオニーは勿論、ハリーとロンも唖然と馬鹿を見る目つきを返した。鳥肌を立ててまで、媚びる態度の意味を問うている。

「もう、何してるさ。はやく行くさ、折角のいいお天気さ♪」

 寒気が治まらないままクローディアは、3人の背中を無理やり押していく。

「ポッター、警告しておくぞ」

 4人の背に、愛想を無くした闇色の声がかけられる。

「これ以上、夜中にうろついているのを見かけたら、我輩が自ら君を退学にしてくれる」

 スネイプはその長い足を大股に歩き、職員室の方角へと消えた。

 一気に緊張が4人は溜息をつく。

「ハグリッドから、フラッフィーの話を聞いて探したさ。ハグリッドが危険なことするなってさ」

「そんなこと言っている場合じゃない。君の言うとおり、学校に『例のあの人』がいるかもしれないんだ。その……傷がずっと痛むんだ……。『暗黒の森』でヴォルデモートに会ってから」

 恥辱を覚悟でハリーは告白した。罰則を受けた晩から、今日までハリーは額の傷が痛み続けていた。痛みは危険を知らせる警報だ。それなのに、黙っていた。

 そのことがクローディアを憤慨させた。

「ポッターさ、石のこと抜きにしても、痛むことは校長先生に相談するべきさ」

「駄目なの。マクゴガナガル先生が校長先生はロンドンに出かけちゃっていて、今夜は戻れないって」

 世の終わりと悲観するハーマイオニーの叫びに、クローディアは頭を抱えた。

「ともかくさ、そのダースベーダーの為に、『賢者の石』がスネイプ先生を突破して、フラッフィーを奪いに来るさ?」

 支離滅裂のクローディアをハリーが哀れんだ。

「ダースベーダーって何?」

 聞きなれない響きに、ロンが首を傾げる。面倒で誰も答えない。

 本題に戻りたいハリーは、ハーマイオニーに振り返る。

「ハーマイオニー、君がスネイプを見張るんだ。職員室の外で待ち伏……」

「ちょっと待つさ!」

 鬼気迫る口調で声を張り上げ、クローディアはハリーを遮る。

「校長先生がいない状態でやるつもりさ!? 相手は『例のあの人』さ! もし、石を守りきれても死んでしまったらどうするさ!! 誰も褒めてくれないさ!! すぐに校長先生に手紙を出して、戻ってきてもらうさ! そのほうが安全さ!」

 クローディアに断言され、ハーマイオニーとロンは反論できずに項垂れた。しかし、ハリーは怒りとは違う感情の籠もった視線で、クローディアを見つめてきた。

「褒められることが問題じゃない! あいつが復活したら、また大勢殺されるんだ! 僕のパパとママみたいに! そうなる前にどうにかしないといけないんだ! わかるだろ!」

「あんたが殺されるぞ!」

 2人のギラギラとした視線がぶつかり合う。悲劇を繰り返させぬ為の阻止と我が身を守る為の保身。どちらの意見も正しい。それはどちらも間違っていると言っても過言ではない。

 永遠に続くかと思われた睨みあいは、時で言えば一瞬のこと。

 先に動いたのは、クローディアだ。小さく息を吐き、親指で自らを指す。

「なら、仕掛け扉には私が1人で行くさ」

「ええ!?」

 驚愕したハーマイオニーが反論する前に、クローディアは手で制した。

「何も石を守りきろうとなんかしないさ。あんたらは、すぐにフクロウを飛ばして、校長先生を呼び戻すさ。その間の時間稼ぎをするさ。大丈夫さ、死ぬなんてことはしないさ。だから、今夜は、寮にいること! わかったさ!?」

 何か言いたそうな3人に背を向け、クローディアは全速力で走り去った。

 

 トロフィー室に駆け込んだクローディアは、愕然と床に膝を付く。

(言ってもた~! かっこつけて何を言ったさ!)

 出来るなら、取り消したいが無理だ。

 クローディアはバスケに関しては挑戦的だが、こんな危険を伴うことは避けたい。

 退学よりも命が惜しい。それなのに、勢いだけで『例のあの人』に挑むことになってしまった。

(どうしようさ、校長先生もいないしさ。フリットウィック先生? なんでポッターは、早めに校長先生に言わなかったさ。痛みが危険を教えていたのにさ)

 胸中で嘆いてから、強い違和感がクローディアを襲う。例えるなら、問題用紙の間違いを見つけたような引っかかりだ。

(なんか、忘れているさ)

 この状況を脱する方法でないなら、どうでもいい。逃げられないなら、もう覚悟を決めるしか道はない。床に手を付き、orz体勢で全身を走り抜ける葛藤と闘う。

「外に出ず、こんなところで何をしているのだね?」

 闇色の声が呆れている。

 顔を上げれば、スネイプの黒真珠の瞳がクローディアを見下ろす。

 この教師と対峙しなければならなくなる。バスケの試合ならば高揚もしようが、今は全然違う。不思議と恐怖さえも湧いてこない。

 現実感のない視界は、金の盾を見る。

「私の父の名前を見つけたんです。あそこにあるコンラッド=クロックフォードです。あれは、私の父のことです」

 四つんば状態でクローディアは、金の盾を指差す。

 何度もこの身を襲った悪寒の中でも、最大級の感覚が血管さえも支配する。

 スネイプの土気色の肌が灰色に変わり、口元には裂かれたような笑みが浮かんでいた。ねっとりとした髪の隙間から、黒真珠の瞳がクローディアを捉えている。

 憎むべき意味を見出し、歓喜の色が見えた。

 直感的に、危険信号が頭の中で鳴り響く。

〝聞かれない限り、私の名を出さないこと〟

 今更、彼の警告が脳裏を掠める。

 絶対に出してはいけない名前だと、気付くには遅すぎた。

 悲鳴も上げられぬ程、喉が引き攣った。指先が微かに動き、それを頼りに床を這いつくばる。追われているかなど、知ったことではない。とにかくクローディアは全神経に命令して、逃げ切った。

 談話室には、誰もいない。幽霊や絵の住人達も出かけている。まさに1人きりであった。

 治まらない動悸を抱えてクローディアは、ソファーにもたれた。

(お父さんは、あの人に恨まれているさ)

 最早、疑いようがない。スネイプはコンラッドを憎んでいる。

〝クロックフォードは人に媚を売るのが、お上手だな。そうやって信頼を掴み、弄ぶのは血筋かもしれん〟

 あの罵声は、コンラッドを指していた。

 しかし、矛盾も生まれる。

 先程のスネイプは、クローディアをコンラッドの娘だと知りえたばかりの態度だった。ならば、これまで憎まれていた原因は何かわからない。

 ハグリッドは、最初から知っていた。スネイプは、最初は知らなかった。同じ学校にいる者同士に差があるのは何故だ?

 疑念と疑問が、脳内と胸中で繰り返される。

 回答と憶測もままならず、呻いたクローディアは無理やり今夜の行動を考えた。今は、『例のあの人』から『賢者の石』を守ることを優先すべきだと言い聞かせた。理解できない因果関係よりも皆を危険から助けることこそ意味があるのだ。

 見たこともない『賢者の石』がこんな形でクローディアを苦悩から救えるなど、思いもよらなかった。

 




閲覧ありがとうございました。
スネイプに睨まれたくないです。


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15.対峙

閲覧ありがとうございます。
切りの良いところがなく、長文になっています。

追記:18年8月12日、誤字報告により修正しました。


 比喩でなく、これが最後の晩餐かもしれない。そんな考えを抱いているつもりはないが、夕食の料理はどれも味がしない。

「ベッロ、これ美味しいわよ。はい、どうぞ♪」

 上機嫌なパドマがベッロに食事を与える。リサがセシルと濁ったスープを飲み比べる。ロジャーがミムを口説く。アンソニーの飲み物にモラグが何か仕込んでいた。

 マクゴナガルの鋭い目つきがハリー達を監視していた。

 皆の顔が1人1人、脳裏に焼き付いていく。

 教員席にスネイプの姿はない。既に仕掛け扉へ向かったかもしれない。そう思う瞬間、怖れで手が震える。恐れてなどいられぬはずもない。自分がやらなければ、ここにいる全員が死ぬ。

 自分を追い込めば、気が楽になる。

 誰よりも早く自室に戻り、クローディアは支度する。寝台には適当に物を詰め込み、人が眠っているように見せかけた。

 動きやすいジーンズとワイシャツに着替える。ウェストポーチの中に杖、印籠、薬入れがあるのかを確認し、早くなる鼓動を鎮めようと深呼吸した。

 足元に擦り寄ってきたベッロが、虫籠を頭に乗せていた。

「一緒にきてくれるさ? ありがとう」

 ベッロの顎を撫で、クローディアは虫籠に入る。

 以前とは違い、中は清潔であった。おそらく、ハグリッドが掃除してくれたのだ。悪臭に悩まされないことを感謝し、クローディアは虫籠を内側から叩く。ベッロがすぐに虫籠を抱えて床を這い出した。

「おい! 蛇だ、蛇! こっちおいで!」

 無邪気な声を張り上げ、ドラコが夢中でベッロを追い回したのは誤算だった。だが、ベッロは慣れたように彼らの追跡を振り切った。

 

 4階の廊下に辿り着いたらしく、動きが止まる。

 確かめる為にも、クローディアは虫籠から出て廊下を見渡す。最低限の灯りが足元を照らし、奥には頑丈な木で作られた扉が固定されている。

(この中さ)

 ケルベロスならぬフラッフィーが番犬だ。

 襲われる事態を考慮し、片手で虫籠を構える。右手で杖を持ち、扉に開錠の呪文をかける。鍵の回る音がして、扉が開いた。

 ノーバートより確実にデカイ。人を丸のみ出来る大きさの犬がいた。しかも本当に首が3つある。ハグリッドと比べれば、ただの大型犬だろう。あくまでもハグリッドと比べたらの話だ。

 フラッフィーは寝息を立てて眠っていた。しかも、傍には自動の竪琴が音色を聞かせている。

(スネイプ先生さ?)

 誰がやったにせよ有り難い。

 フラッフィーの巨体に怯えながら、クローディアは虫籠を振り下ろした。巨体はすっぽりと虫籠に治まり、柱につけられた首輪の鎖だけが出ていた。その鎖を外し、虫籠を念入りに縛り上げた。

 一先ず安心したクローディアは息を吐く。戸口から物音が聞こえ、反射的に杖を向けた。

「私達よ!」

 布が落ちる音がしたかと思えば、私服のハーマイオニー、ハリー、ロンが現れた。床に落ちた銀色のマントは『透明マント』に間違いない。

「あんたら……」

 来てしまった落胆よりも、来てくれた安心が大きく勝る。否、きっと彼らは来てくれると確信していた。

「帰れなんて、言わないでよね」

 ロンが胸を張り、断言する。

「これは、3人で話し合って決めたんだから」

 ハーマイオニーが両腰に手をあて、にっこりと微笑んだ。

「年上だからって、1人で頑張らないでよ。僕達は友達なんだ」

 ハリーの言葉が心臓に、良い意味で突き刺さる。

 確かに自分は3人より年上である。ならば、年上として彼らの手本とならねばならない。それが先に生まれた者の義務だと何処かで思っていた。

 所詮は、ただの慢心でしかない。現に、クローディアは年上としての威厳を彼らに示したことはない。

 何故なら、目の前の友達は年上としての働きをクローディアに要求したことは、一度もないからだ。

 

 ――何を躍起になる必要があった?

 

 ただ一言。一緒に頑張ろうと言えば、きっと乗り越えられるはずだ。

 感傷に浸るクローディアの雰囲気を虫籠に閉じ込められたフラッフィーがぶち壊した。竪琴の音色が止まり、彼らが起きてしまった。

 盛大に暴れる虫籠を見て、ロンが不安がる。

「このままだと、朝までに虫籠を壊されるんじゃない?」

「待って、これがある」

 閃いたハリーが懐からフクロウの形を模した横笛を取り出し、唇をあてて吹き始めた。フクロウの鳴き声のような音程に虫籠の音が止んだ。

「ここで誰かが残って吹くしかないさ。……ベッロ、吹けるさ?」

 躊躇いながらもクローディアがベッロに問うと、ロンが鼻で笑う。

「おいおい、ベッロは蛇だよ。音がわかるの?」

 ロンがベッロの顔を屈めて覗き込む。侮辱を理解し、ベッロは尻尾で乱暴にハリーから横笛を奪う。小さな口で横笛を吹き出した。しかも、音色になっている。笛を吹く蛇など、見たことない。

「すご~い……」

「もう蛇じゃないね、ベッロは」

「もしも『動物もどき』だとしても、私は驚かないさ」

「それ、何?」

 3年生になれば授業で習うとだけ教え、クローディアは床にある仕掛け扉の引き手を引く。あっさりと簡単に扉が開いた。

 覗く必要もない。そこは暗く、井戸のように風が微かに吹いてきた。手を入れるが、梯子らしき物はない。ロープを吊るせばよいが、代わりになる鎖は使用済だ。

「一応聞くけどさ。校長先生に手紙だしたさ?」

「うん、夕食前にヘドウィグに行かせたよ。間に合うといいけど」

 もしもの時の対策は万全。

 クローディアは『透明マント』を振り返る。

「誰にも気づかれてないさ?」

「ネビルに談話室で止められたけど、朝まで硬直する魔法をかけておいたから大丈夫よ」

 それはネビルが大丈夫じゃない。彼を不憫に思い、クローディアは胸中で合掌した。

「私が先に行くさ。私が確認したら呼ぶから待っててさ」

 底の見えない穴を一瞥し、クローディアは深呼吸する。思い返すは、小学校の避難訓練の経験。緊急脱出ロを使った時、滑り台のようで楽しかった。

 これも同じだ。胸中で叫び、暗い穴に飛び込んだ。冷静な動悸が夢の中にいる気分させる。落下は腰と背中を柔らかい感触で受け止められた。

 クローディアは杖を掲げ、唱えた。

「ルーモス!(光よ)」

 杖の先が強い光を放ち、辺りを照らした。植物のツルがクッションの役目を果たしたのだ。クローディアが見上げ、手で掴めそうな大きさに見える入り口に向かい杖を振る。

 それを合図と察したハリーが飛び降り、ハーマイオニーとロンも続いてクローディアの傍に着地した。

 ハーマイオニーはツルの感触を確かめ、慌てて飛び起きた。

「クローディア! 明かりを消さないで!」

 ハーマイオニーが悲鳴を上げ、クローディアの傍に寄ってきた。

「これ、『悪魔の罠』だわ! ……ええと、確か……暗闇と湿気を好むって……」

 ハリーが叫んだ。

「だったら、火だ!」

 言葉通り、ツルは明かりの届かない場所から4人に迫ってきた。

「ぎゃああ! 早くなんとかしてくれ!」

 錯乱したロンは、クローディアの首にしがみ付く。ロンの腕が首を絞める位置にあり、彼女は声も上げられなくなった。

 必死にロンを剥がそうとするが、先に呼吸が苦しくなり杖を落としてしまう。光が消え、一斉にツルが襲いかかってきた。

「ああ、どうしましょう……。火が必要なの! こんなときに薪がないわ!」

 狼狽したハーマイオニーに、ロンは呆れたように叫んだ。

「君は、それでも魔女か!」

 当然の指摘にハーマイオニーは、自分が杖を持っていることに気づく。

「ラカーナム・インフラマレイ(燃え上がれ)」

 ハーマイオニーが杖をツルに向けて唱えると、いつかで見たジャム瓶の炎が植物めがけて噴射された。炎は襲い来るツルを燃やし、危険を感じた『悪魔の罠』は4人から遠く離れた。自分達の周囲からツルが消え、安堵したロンはクローディアの首を離した。

 呼吸を取り戻したクローディアは、酸素を求めて喘いだ。

「……ウィーズリーに殺されるかと思ったさ。でも、流石は、ハーマイオニーさ」

「全くだ。ハーマイオニーがしっかり勉強しててくれたから助かったよ。ロン、そう思うだろ?」

 額の汗を拭うハリーがロンに同意を求める。その事実を受け入れることがロンには、数秒の時間とそれなりの覚悟が必要だった。

「うん、ハーマイオニー。ありがとう」

 消えてしまいそうな声でロンはハーマイオニーに心から感謝した。気のせいかもしれないが、ロンが彼女に礼を述べる姿は初めて見た。

「どういたしまして」

 尊大な態度もなく、ハーマイオニーは感謝を受け入れた。

「それにしても、薪がないなんて」

 だが、それでも失言を繰り返す。そんなロンの口をクローディアは塞ぐ。恥辱に感じたハーマイオニーは耳まで真っ赤に染まっていた。

「さあ、こっちだ。扉がある」

 ハリーが奥に続く一本道を指した。

 鍵が空を飛んでいる光景は何処に行けば見える。

 それは、この場所だ。

 数えるのも面倒な数の鍵が飛びまわる中、用意された一本の箒。その向こうに鍵穴のついた扉があった。

「アナホモラ!」

 ロンが開錠呪文を唱えたが、ビクともしない。

「蹴破ったほうが早くないさ?」

 試しにクローディアが足へ全力を込め、扉を蹴る。足が先に駄目になる程、痛い。足首を押さえて蹲った。

「きっと、この箒が関係しているんだ」

 確かめる手つきで箒に触れ、ハリーは鍵達を眺める。

「この中から探せって? 1個1個やっていたら間に合わないぜ」

 ハリーを真似てロンも鍵を見上げる。

 2人の会話を聞きながら、足首がまだ痛むクローディアは適当な壁にもたれかかった。

 瞬間、もたれた壁をなくしたクローディアの身体は向こう側に倒れ込む。そこは滑り台のように斜めになっていた。

 何かに縋る手は虚しく宙を掴んで、クローディアを助けられない。

「クローディア!」

 ハーマイオニーが気付いた時、開いた壁は塞がれて見えなくなっていた。

 

 何もわからず、何処かに流されていく。目隠しをして滑り台に挑戦すれば、こんな気分になる。

(怖い!)

 言葉が胸に刻まれた時、滑りが止まった。

 着いた先は、月の光が入り込んで明るい。岩を切り取り作られた空間にクローディアは寝ころんでいる。

 自分の呼吸を聞き、激しい動悸が治まるのを待つ。手で身体を探り、四肢の無事を確認してから起きあがった。 滑り台を上っても、あの壁を通れるとは限らない。滑り台以外、ここから出られる物を探す。

 ひとつは、天井からぶら下がったロープ、暗くて何処に繋がっているか見えない。ひとつは、作られたばかりの頑丈な梯子、光を取り入れる円形の穴に繋がっている。

 梯子は、外に通じているだろう。誰かに助けを求めることも可能だ。呼び戻したダンブルドアを真っ先に案内も出来る。

(ハーマイオニー達は、次に行ったさ?)

 彼女達ならば、既に謎かけを解いて進んでいるに違いない。

 これを使うしかない。

 腹を括り、杖に灯りをともして口に銜える。袖を捲り深呼吸してから、ぶら下がったロープに掴まった。腕で身体を持ち上げるように、ロープを上っていく。

 段々とロープに掌が擦れ、痛みだす。身体は重く、腕だけで支えるのもキツくなってきた。手を離したくない。皆と合流したい。それだけを励みに痛む手を叱咤して進んだ。

 やがて、口に銜えた杖の光がロープの先を教える。四角い穴を通り抜け、廊下へと登りきった。ロープから手を離し、廊下の床に足をつける。途端に、ロープと四角い穴は消えて廊下が一列に光をともす。廊下の端と端には扉があるがどちらか何処に行けるかわからない。

 クローディアの手は擦り切れて血を流していた。体力を失い、強張った指で薬入れを使う。冷たい薬が気持ちよく、痛みと傷を癒す。比例して荒い呼吸も整っていくのを感じた。

 片方の扉が開いた。

 そこにはハーマイオニーとハリーが立っていた。

「クローディア! 無事だったのね」

「どうにかさ」

 お互いの無事を確認し合い、クローディアはハーマイオニーを抱きしめる。次いで、ハリーに抱きついた。そこで、ロンの姿ないことに気付く。

「ウィーズリーはさ?」

 笑みを消し、真摯な態度でハリーは胸元に手を当てる。

「ロンは、僕の為に勇敢に戦ったよ」

 鍵の部屋の次、部屋全体がチェス盤となった魔法がかけられていた。チェスの得意なロンが挑戦し、王手を決める為に犠牲となった。彼はあの部屋で気絶しているという。

「怪我人を置いていけないさ」

「駄目だよ。ロンは僕達を進ませる為にやってくれたんだ。誰かが残っていたんじゃ、ロンの気持が無駄になる」

 ハリーとしても苦渋の決断だと、悲痛な表情が教える。それはハーマイオニーも同じ気持ちだ。

 だから、クローディアの無事が本当に2人を安心させた。役に立てない自分を歯がゆく思い、薬入れを握りしめ、ポーチに収めた。

 次の扉を見つめ、クローディアは2人を振り返る。ハリーが頷いたので、彼女は扉を勢いよく開けた。

 

 ――襲ってきたのは、強烈な悪臭。

 

 思わず口元を押さえ、杖を構えたまま3人は部屋を進む。

 中央には三頭犬を遥かに上回る巨大なトロールが血だらけの頭で倒れていた。成程、以前のトロールが成人前だと納得した。

「なんで、トロールが倒れてるさ?」

「スネイプが倒したんだろ。こんな大きなトロールと戦わずに済んで、良かった」

 微かな安堵を口にし、ハリーは次の扉を開いた。

 その部屋はこれまでと違い、静寂であった。テーブルの上に形に違う瓶が7つ一列に並ぶ。近くで見ようと3人が扉を通り抜ける。同時に紫の炎が戸口を塞いだ。テーブルの向こうにある扉も黒い炎で塞がれた。

 瓶の横に置かれた巻紙には、この場を打破する謎かけが書かれていた。

「これ、絶対スネイプの仕業だ」

 ハリーが悪態つく中、ハーマイオニーは急に顔が綻び感嘆の声を上げる。

「これ論理よ、パズルだわ……」

 炎に囲まれた状況で、酔いしれた笑顔を見せるハーマイオニーが強い。彼女は謎かけを解くことに集中し、ぶつぶつと呟きだした。

 ただ、クローディアは2人と全く別のことを考え、これまで思いつきもしなかった結論に行きついた。

 自らの答えに驚愕したクローディアは眼を見開き、怯えた手で口元を押さえる。

「クィレル先生さ」

 呟きは、ハリーの耳に聞こえた。

「え? この仕掛けはどう考えてスネイプ…先生だよ」

「違うさ。一連の犯人がクィレル先生さ」

 一瞬の沈黙と思考の停止。

「何を言って……この後に及んでスネイプを庇うの?」

 信じられないハリーは思わず、引き攣って笑う。何故、そんなことを口走るのかも理解できない。彼の動揺はわかる。クローディアも同じ気持ちで胸が苦しい。

「クィレル先生はゾンビを物理的な力で倒したと言っていたさ。それはトロールを操って倒させたってことじゃないさ? だから、誰にも言えなかったさ。自分がトロールを従わせられるなんて知れたら、ハロウィンの時に利用できないからさ。スネイプ先生が言っていた『おかしなまやかし』は、そのことだとしたら……?」

「でもそれだけじゃ……それだけで……」

 クローディアは眼を見開いたまま、混乱したハリーを見やる。

「ベッロは危険を察知できるとハグリッドが教えてくれたさ。あの試合の日、クィレル先生を襲ったのは危険を感じたとかさ。例えば、ポッターを殺そうとしたとかさ」

「それはスネイプのはずだ!」

「……間違ってないかも」

 謎かけを解いたハーマイオニーがハリーに振り向く。

「反対呪文というものがあるのよ。呪いに対抗したね。上級生に教えてもらったわ。あの時、スネイプ先生は反対呪文を唱えてあなたを守っていたのかも」

「そんな……違うよ! だって……それは」

「スネイプ先生が『どちらの味方になるか』って脅したのは、ダンブルドア先生と『例のあの人』を指していたんじゃないさ?」

 2人の推理がハリーを悩ませる。

「クィレルにそんなこと出来るもんか、いっつもびくびくしている奴がダンブルドアを裏切れるはずないよ」

「誰も信じないさ。だから、スネイプ先生は誰にも言わず、クィレル先生を説得するしかなかったさ」

 こうして考えてみれば、スネイプの行動に説明がつく。だが、クィレルが犯人であることは、ずっと彼を励まし続けたハリーには残酷な真実でしかない。

「ここでこうしていても、仕方ないさ。あそこで待っているさ。スネイプ先生かクィレル先生のどちらかがさ」

「でもね。残念なんだけど、ここを抜けられるのは2人だけなの。しかも、片方の扉ひとつずつ」

 一番右端の丸い瓶が戻る薬。一番小さな瓶が進む薬。誰かが此処に残らなければならない。

「虫籠を持ってくれば良かったさ。もしくはベッロなら抱えて……」

 1人の人間しか飲めないなら、別のモノに変われば良い。

 頭に浮かんだのは、壁に貼り付けられたオリバーとジュリアの教科書に書かれた『動物もどき』だ。

「ハーマイオニー、君はロンの元に行ってくれ。クローディアはここに……」

「私は、他のモノに変身していく」

 突拍子のない閃きにハーマイオニーが叫ぶ。

「変身!? 自分を変身させるなんて! 誰が元に戻すの! ハリーには……」

 1年生であるクローディアが動物に変身する可能性は低い。だから、生き物ではないモノに変わる。自分には『変身術』の才能がある。これはマクゴガナルも高く評価していたから間違いない。

 きっと、出来る。

「ポッター。よく聞いてさ」

 緊張で震えたクローディアが、印籠を取りだして黒い粒をハリーに渡す。

「私がポッターの影に変身するさ。この炎を越えたら、この薬を影に落とすさ。それで、私は元の姿に戻れるさ」

「影に変身?」

 クローディアは強く頷き、次に薬入れをハーマイオニーに渡す。

「ハーマイオニー、この薬でロンの手当てをするさ」

 ハーマイオニーも不安で表情が強張っていた。

「相手が誰だとしても、『例のあの人』と一緒だったらどうするの?」

「尚のこと、私は行くさ。1人より2人さ」

「僕はね、2度も幸運はあると思っている」

 揺るぎない意志を見たハーマイオニーは、恐怖とは違う震えを持って叫んだ。

「あなた達は、偉大な魔法使いよ」

 最高の称賛を受け、ハリーは微笑んだ。

「ここの謎かけを解いたのは、君だよ」

「ううん、私はただのガリ勉だもん。大事なのは、勇気とか友情よ」

「だったら、皆が偉大さ。勿論、私もさ」

 クローディアがイタズラっぽく笑い、ハーマイオニーも笑い返した。

「どうか、お願い、気をつけてね!!」

 ハーマイオニーは列の端にある大きな丸い瓶を飲み干し、紫の炎の中を進んでいった。

 そして、緊張した面持ちでクローディアは自分に杖を向ける。

「ポッター、薬を忘れないで欲しいさ」

「わかってる。ちゃんと落とすよ」

 クローディアは今まで変身呪文をかけるときに、脳内で想像力を働かせた。自分の身体がハリーの影と同化している姿を思い浮かべる。杖を自分に振るった。

 視界は急激に遠くなっていく。

 

 ハリーは、目の前にいるクローディアの身体が床に吸い込まれている様を凝視した。そして床に黒い影が残り、影はハリーの足元に寄ってきた。本当に彼女は影になった。

 気持ちを落ち着かせるために、ハリーは息を吐く。

 クローディアの杖を拾い、手に中の黒い粒を見た。これで彼女が戻れるのは半信半疑であったが、信じる他はない。小さな瓶を一気に飲み干し、ハリーは黒い炎の中を突っ込んでいった。

 黒い炎の中を進むと、向こう側に出た。

 ハリーは、薬を落とした。

 目の前にある状況に愕然とし、薬を落としてしまった。

 落ちた薬は影に転がり、飲みこまれた。

 

 瞬間、クローディアが影から姿を現した。空気を求めて深呼吸を繰り返し、肩で息をした。

「あつ……火がアツ……」

 身体は焼けなかったが、クローディアは熱風を感じていた。影にも温度を感じられるのかと疑問する前に、彼女も部屋の中を見渡す。

 ハリーが唖然としている訳がわかった。彼の推理は外れていた。

 正しかったのは、クローディアだ。

「クィレル……先生」

 失望と落胆の混ざった声で呼ばれた男は、見たことのない冷酷な笑みを浮かべていた。

「ポッター、君に会えるとは思っていたが、まさかクロックフォードまで来るとな」

 上等な拵えの全身鏡の前で立つクィレルは、面倒そうにクローディアを睨んだ。

「どうして、スネイプじゃないんだ」

 受け入れがたい現実をハリーは嘆く。

「セブルスか? 確かに、セブルスはまさにそんなタイプだ。彼がいれば、誰が、クィ……クィレル……を疑いはしないだろう?」

 一切の淀みのない口調、別人としてか思えない。しかし、これがクィレルの本性だ。

 恐怖に心臓の鼓動が早まりつつも、クローディアはハリーの前に立った。そうして、少しでもハリーに気持ちの整理をつけさせたかった。彼女の背中越しにハリーはクィレルを目にする。

「試合のとき……僕を殺そうとしたのは、スネイプじゃないんですか?」

「違う! 私が殺そうとしたんだ! その小娘の蛇が邪魔さえしなければ、うまくいっていたのに! 君を救おうとしてセブルスは反対呪文を唱えていたのだよ」

 確認の意味でハリーは問うたが、クィレルは勘違いしていると思い憤慨した。

 憤慨しているのは、クローディアのほうだ。クィレルにではなく、少しも疑わなかった自分自身が許せない。

「謝って下さい」

 怒りに震えた唇は、クィレルに命じた。

 呆気にとられたクィレルは、冷酷さを残して皮肉っぽく口元を曲げる。

「謝る? 君達に? 何を謝るんだい? 勝手に騙されていた君が悪いんだろう? 私はいつ、信じてくれなんて言ったかな? 君らが私を励ます姿は見物だったよ! 私は全てヴォルデモート卿の為にやってきた! それを私に守られていると勘違いした! 何度も殺したくなったね!」

 氷の如く冷たい笑い声が部屋中に響く。

 怯むことなくクローディアは、クィレルを見据えた。

「私のことはいいんです。ベッロがあなたを襲った時に気付くべきだった。……そう、スネイプ先生は遠巻きに、私にあなたが危険だと教えてくれていた。あの先生が嫌いだったから、私は少しもわかってあげられなかった……。……だから、せめて、スネイプ先生に謝って下さい」

「クローディア……」

 心から憐れむハリーの声を聞き、クローディアは湧き起こる感情を理解した。

 憤慨ではない。これは慟哭である。

 だが、クローディアの訴えは、クィレルにとって蚊が鳴く程度の物にしか感じない。

「……セブルスか……。セブルスは最初から私を疑っていた。アイツは次の試合で私が何かしないように審判を買って出た。まあ、他の連中は気付かなかったがな。おまけにダンブルドアまで観戦していては、私でもポッターに何もできん。その次は私を脅してきた。私にはヴォルデモート卿がついているというのに……それでも脅せると思っていたんだろうかね。全く、忌々しい男だよ」

 悔しさで唇を噛みクィレルは、吐き捨てる。

 どんな感情が湧いたか、頭で理解する前にクローディアはクィレルに殴りかかっていた。

 素知らぬ顔でクィレルはクローディアの拳を避け、指を鳴らして縄を出現させた。縄は、身体を縛りあげた。手足の自由を奪われ、顔面から床に倒れ込んだ。

 抵抗できないクローディアの頭をクィレルは踏みつける。

「やめて!」

 クローディアを助けんとハリーは杖を向ける。何故だが、ハリーの杖が弾かれて壁に飛んだ。

「動けば小娘を殺すぞ! 君らはハロウィンのときから目障りだった! セブルスがいなければ、とっくに始末してやれたんだ! クロックフォードもだ! 下手な真似をすれば! ポッターを殺すぞ!」

 踏みつける足に力を入れられ、クローディアは苦痛に呻く。

(……誰も生かして返すつもりはないさ)

 クローディアは縄と格闘しながら、胸中で毒付く。

 無力な子供達を眺め、クィレルは満足そうに微笑んだ。クローディアの頭から足を退け、その腹を蹴って転がす。鏡に向かい、独り言を呟きだした。

「『石』が見える……あの方に石を差し出している……でも石そのものは……」

 クィレルが背を向けている隙に、クローディアは歩ふく前進でハリーに近寄る。屈んだハリーは、彼女の杖を縄の間にある手に渡した。

 杖を隠すため、クローディアは仰向けに転がった。

「(あの鏡が校長先生の仕掛けさ?)」

「(うん、僕が前に見た『みぞの鏡』だ)」

 望みを映し出す鏡。それなら、体験したことがあるハリーしか本当に使えない。

「(話をして校長が戻るまで時間を稼ぐさ)」

 クローディアの囁きをどうにか聞き取り、ハリーは頷く。

「スネイプは僕のことを憎んでいた! それは『あの人』が関係しているんじゃないんですか!?」

 クィレルが鏡の裏側に回りこみながら、事も無げに返した。

「違うな。セブルスがおまえを憎いのは、おまえの父親と彼がホグワーツの同窓で、お互いを毛嫌いしていたからだ。知らなかったか? だが、おまえを殺そうなんて思わないさ」

「スネイプ先生がホグワーツ!? うわ~、吃驚さ! 私らの大先輩さ!」

 わざとらしくクローディアは、大声を張り上げる。

「でも、あなたが泣いているのを聞きました。スネイプが脅しているんだと思った」

 クィレルの顔に初めて恐怖が過ぎり、鏡を探っていた動きが止まる。

「……弱い私では、ご主人様の命令に従うのが難しいこともある……あの方は偉大すぎる。それに私などでは答えきれぬ……」

「それじゃ、あの教室にいたのは……本当に『あの人』だったんですか!?」

 思わず、ハリーは唾を飲み込んだ。

「何も理解していなかった愚かな私に、あの方は魔法の本当の素晴らしさを教えて下さった。あの方に出会わなければ、私は間違った考えを今も抱き続けていただろう」

 神に祈る信者のように天へ縋るクィレルは、恍惚に満ちた笑顔で回想に耽る。そうなったかと思えば、突然、この世の罪を懺悔し出す。

「私はあの方の忠実な下僕でありながら、何度も失望させてしまった。そう……グリンゴッツの失敗を……お許しにならなかった。……そして、もっと間近で見張らないといけないと決心さなった」

 そこでクィレルの声は震えと共に止まった。

 グリンゴッツさえもクィレルの仕業だとは、クローディアも思いつかなかった。あの銀行に侵入する者は、命知らずだと誰もが口にする。そんな場所へ侵入しただけでも、クィレルはある意味、称賛されても良いはずだ。金庫が空だったのは、行き違いにすぎない。クィレルには何の落ち度もない。

 そんなこともわからないヴォルデモートが不快だ。否、奴はクィレルを仲間と思っていない。捨て駒なのだ。

「そんなダースベーダーもどきの何処が偉大さ! もっと偉大な人がいるさ!」

「そんなものいない!」

 クローディアの叫びが癪に触ったのか、クィレルは恐怖を消し怒りの表情で睨んできた。クローディアも不快さが勝ってクィレルに怯まなかった。

「いるさ! 私の前にさ! それはあんたさ、クィリナス=クィレル教授!」

 意外な名にハリー、クィレルが驚いて目を丸くする。

「私が偉大?」

「そうさ! 石が欲しいのは誰のためさ? 自分のためじゃないさ、ダースベーダーのためさ! その為だけに危険なグリンゴッツに侵入したし、恐いスネイプ先生の脅しにも屈しなかったさ! そんなに痩せてまで苦しんださ! ダースベーダーを助けたいっていう気持ちだけさ! それが偉大じゃないなら、誰も偉大じゃないさ!」

 クィレルは自分の手を凝視したが、直に考えを打ち消すように頭を振る。

「何も知らない小娘が勝手なことをほざくな!」

「捨て置け……それより石だ」

 この場にいる3人とは、全く違う別の低い声がした。何故だが、その声はクィレルから出ている。クィレルに動じた様子はなく、クローディアを睨んでから再び鏡を探りだした。

 不気味な気配を感じ、2人の背筋に寒気が走る。

「その子を使え……」

 目だけ動かしクィレルは、ハリーを凄んだ。

「ポッター、ここに来い! 来るんだ!」

 クローディアが視線で従うように促し、ハリーも視線で頷く。クローディアの傍に杖を置き、ハリーは何も持っていないことを知らしめるために両手を挙げて、クィレルの隣に立った。

 漸くクローディアは縄を解くことが出来た。転がっていたハリーの杖を拾い、いつでも動けるように走り出す体勢になる。

「僕がダンブルドアと握手しているのが見える。僕のおかげでグリフィンドールが寮杯を獲得したんだ」

「嘘をつくな! 本当のことを言え!!」

 怒鳴ったクィレルは、ハリーの胸倉を掴んだ。

「嘘をついておる……俺様が……直に話す……」

 また、低い声が響いた。

「それだけの力がございますか?」

「かまわん……」

 誰にするわけでもなく畏まったクィレルは、ハリーをクローディアの所に突き飛ばした。最早、彼女の縄が解けているなど、眼中にない様子だ。

 クィレルは2人を見るとはなしに見つめながら、紫のターバンを解きだした。

「(石、今は僕が持っている。あの声は気付いているんだ)」

 ハリーの囁きに驚くが、疑う暇はない。

 身構えたクローディアとハリーは、お互いの手を握り合う。ターバンが解き終えた時、目にした現実は受け入れ難く、2人は反射的に強張った笑みを浮かべてしまう。

 鏡はクィレルの後頭部を映していた。その頭には、蛇と人の顔が合わさった人面相が彫り込まれていた。決して、刺青や絵でもない。人面相は糸のように細い目を開き、金魚のような口を動かした。

「ハリー=ポッター……」

 ターバンが取れたせいで、声が正確に響く。

「このありさまを見ろ、誰かの体を借りて初めて形になることができる……寄生虫のようにな。だが、俺様はその『石』があれば再び俺様の肉体を手に入れる……さあ、寄こして貰おう」

 何がおかしいのか、ヴォルデモートは嗤っている。

 その嗤いは、クローディアを恐れさせるどころか激怒の感情以外何も与えなかった。

「それが理由か! 先生を見張るなど大嘘だ! 最初から体が欲しかっただけだ! あんたは、偉大でもなんでもない! あんたを恐れる理由なんかない! あんたに比べたら、アルマジロのほうがまだマシだ! 先生から出て行け!!」

 クィレルに杖を向け、クローディアはハリーを扉の方へ押す。

「ポッター、逃げろ!」

 ほとんど反射的に、ハリーは炎の燃え盛る扉へ走った。

「アレスト・モメンタム!(動きよ止まれ)」

 唱えるのはクローディアが早かったが、クィレルの体は見えない力で守られ、その場の空気が弾けただけであった。しかも、その衝撃で彼女の体が吹き飛ばれ、逃げていたハリーの背に倒れこんでしまった。

「その様、思い出す」

 クィレルが近寄りながら、ヴォルデモートは嘲笑する。ハリーの両親を殺害したときのことを思い出話のように語り出した。

「小僧、おまえの両親も、おまえを守ろうとした。そこの小娘のように……、まずは父親を殺した。その次に母親をな……。おまえの母親は死ぬ必要はなかったというのに、おまえを守ろうとしたため殺してやったのだ……。さあ小娘を殺されたくなければ『石』を寄越せ」

「「嫌だ!!」」

 叫んだ2人は、起き上がろうとした。その前にクィレルの手がクローディアの髪を乱暴に掴んだ。

「目を覚ませ! あんたは利用されてるだけだ!」

「ご主人様にならかまわない!」

「やめろ! 離せ! 離せ!」

 ハリーがクローディアを助けようとクィレルの手首を掴んだ。しかし、クィレルに触れた途端ハリーは悲鳴を上げ、額の傷を押さえ込んだ。悲鳴を上げたのは、クィレルも同じだった。彼女の髪から手を離し、自分の手首を苦痛に満ちた表情に歪ませて、見つめている。

 クローディアはクィレルの手首が強い炎に焼かれたように、ただれているのを目にした。

「何をしている! 捕まえろ!」

 癇癪を起こすヴォルデモートに応じようと痛みを堪えながら、クィレルはハリーに飛び掛ろうとした。クローディアはクィレルの片足を掴んで、抵抗した。

 すぐにクィレルはクローディアを振り払い、腹を強く蹴った。

「小娘は構わん、先に殺してしまえ!」

 即座にクィレルの手がクローディアの首を絞める。だが、手首が痛いせいかクィレルの手に力が入らない。

 額を押さえながらハリーは、クィレルの足を掴んだ。瞬間、クィレルは足の痛みで悲鳴を上げた。

(口が開いた!)

 

 ――今しかない。

 

 その衝動だけで、クローディアは印籠から黒い丸薬を取り出した。迷わず、それをクィレルの口に放り込んだ。

 突然の異物をクィレルは瞬きを繰り替えし、抵抗せずに喉を鳴らして飲み込んだ。

「な……なんだ、貴様、何を飲ませた……うう」

 ヴォルデモートが喘ぎ出し、クィレルがその場に蹲って嘔吐した。

 口からは泥のような真っ黒い塊が、洪水のように止めどなく溢れ出る。その泥に比例して、後頭部のヴォルデモートの顔が断末魔の叫びを残して消えていった。

 やがて、クィレルの嘔吐が終わる。黒い泥は砂のように霧散し、跡形もなくなった。

 無意識にクローディアとハリーは何度も互いの体に触れ合い、無事を確認しながら微笑みあう。

「やった……やったさ」

 それでも安心は出来ず、荒い息だけが部屋中に満たされる。

 ヴォルデモートが体から離れたクィレルは衰弱し、床に倒れ伏して気を失っていた。

「出よう……、クィレルが起きる前に……」

 クィレルを見下ろしながら、ハリーが扉に歩こうとする。

「待つさ、先生を連れて行くさ。2人なら運べるさ」

 クローディアがクィレルの首筋に手をあて、ハリーを引き止める。驚いて振り返るハリーは甲高い声で叫んだ。

「クローディア、正気!? 僕達を殺そうとしたんだよ!」

「この人を見捨てたら、私らもヴォルデモートと同じさ」

 クィレルに肩を貸しながら、クローディアはハリーを見上げる。

「お人よしだよ。君……」

 肩を大きく竦めて、ハリーはクィレルに触れようとしたが、急に思いとどまった。

「僕が触ったら……、さっきみたいになるんじゃない?」

 指摘されてクローディアは納得した。

「あ~、そうかもさ……。なら、ポッターは先に戻って誰か呼んで……」

 言い終わる前に、ハリーは糸が切れたようにその場に倒れこんだ。倒れたハリーとクィレルを交互に見つめ、クローディアは焦燥に駆られた。

〔うそん〕

 どちらも早急に治療の必要があり、放置できない。

 クローディアはクィレルの体を浮遊魔法で浮かばせ、ハリーを背負った。

 これが想像以上に体力がいる。片手は浮遊魔法の為に上げて置かねばならない。倒れそうな自分に鞭を打って、クローディアは足を動かす。

 何度も膝の力が抜けて倒れかけるが、その度に胸中でハーマイオニーとロンを想う。2人が自分の持てる力を出し切ったのに、クローディアがここで諦める訳には行かない。

 

 ――自分は無力などではない。

 

 ハリーとクィレルをどちらも死なせはしない。だが、早く適切な治療をしなければ2人は間に合わない。特にクィレルは『解呪薬』を飲んだ。あれを飲んだ者は身体に変化をもたらす。オリバーの時は腹痛で済んだ。だが、身体に寄生した物をはぎ取ったのだ。その反動も大きいに違いない。

 絶対に足を休めない。

 段々と視界が霞み、自分の喘ぎ声が耳障りな程に五月蠅い。

「もうよい、頑張ったの。ありがとう」

 白い布が視界を覆ったかと思えば、穏やかで全てを安心させる声色が耳の奥に届く。

 意識して眼前を見据えれば、待ち焦がれた人物が微笑んでいた。

「校長先生……」

 敬意と安堵を込めて彼の名を呼ぶクローディアの頭に、歳月の重ねたシワの刻まれた手が置かれた。その重みが嬉しくて、限界まで張り詰めいていた緊張の糸が柔らかくなる。

 それと共にクローディアの瞳から涙が溢れた。

 




閲覧ありがとうございました。
クィレルは生存です。ヴォルデモートが剝がれる薬…。恐ろしい。
ハーマイオニーの「薪がないわ!」は原作の名言だと思います。


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16.寮杯

閲覧ありがとうございます。
締めです。

追記:2月23日・誤字報告にて修正入りました。


 4階の廊下で待っていたのは、ハーマイオニーとロンだけではなかった。2人の後ろには、マクゴナガルとスネイプ、フリットウィックが待ち構えていた。2人は逃げられないように肩をしっかり掴まれていた。

 逃げ足の速いベッロは、とっくにいなくなっていた。

 ロンは無事だった。

 それを認めた瞬間、クローディアは背負っていたハリー諸共、床に倒れ込んだ。

 悲鳴を上げたハーマイオニーとロンが駆け寄り、クローディアとハリーを呼び続けた。

 フリットウィックが2人を引き離し、マクゴナガルがハリーを抱えた。クローディアは、スネイプに抱えられた。

「ポピーを起こしておくれ。生徒達を……クィリナスを診てもらわねばならん」

 ダンブルドアの背後で浮いているクィレルを見て、マクゴナガルが小さく悲鳴を上げる。

「生徒達とは別の場所で治療させる。まだ彼は、安全ではない」

 クローディアは朦朧とした意識の中で、ダンブルドアがクィレルの処置について話していた。

 

 目覚めれば、当然、医務室にいた。

 ハーマイオニーは軽い擦り傷しかなく、ロンも塗り薬のお陰ですぐに退院した。

「一体、何をしたらこういうことになるのですか!」

 何故だが、クローディアはマダム・ポンフリーから散々絞られた。

 意識を取り戻さないハリーは、絶対安静が必要とされた。

 クローディアが医務室から開放された頃には、城中でハリーの活躍が『秘密』に広まっていた。

 ハリーの枕元には、お見舞いの品が山のように積まれた。フレッドとジョージが便器を贈ろうとしたが、不衛生を理由にマダム・ポンフリーが撤去した。

 生徒の誰もがこぞってクローディアから真相を聞きだそうとした。寮や自室、お手洗い、何処に行っても付きまとわれた。

「ねえ、教えてよ」

「俺らの仲だろ、『賢者の石』は何処にあったの?」

 一番粘りを見せたのは、勿論フレッドとジョージであった。2人は寮とお手洗い以外の如何なる場所も着いて回った。しかも、ジュリアが2人にクローディアの居場所を教えるので、彼女からも逃げなければならなかった。

 ペネロピーから質問ではなく、叱責のビンタを貰った。『秘密』を耳にした時、彼女は心配のあまり多泣きしたとパドマが教えてくれた。ペネロピーの心配を頬に受け、クローディアは素直に謝った。

 

 しかし、翌日になればグリフィンドール対レイブンクローとの寮対抗試合。今学期最後の催しは、クローディアを質問の嵐から助けた。

 試合の最中、競技場の外にクローディアはいた。ハーマイオニーとロン、そしてベッロが傍にいる。3人と一匹はチョコで出来た紙を使い、折鶴を作っていた。

 その間、クローディアは最後の部屋での出来事について話した。

「ターバンには、そんな秘密があったんだ。うわ~、僕らの授業が『例のあの人』に聞かれてたなんて、やだなあ」

「『暗黒の森』にいたのも、クィレル先生なのね。校長先生は本当に気付いてなかったのかしら?」

 最高の冒険談に感動しつつも、微かな恐怖も2人を興奮させた。

 高揚した口調でロンが、興味本位に呟く。

「でも、ハリーはどうやって石を手に入れたんだろう? それにどうなるのかな?」

「さあ? 私は結局、鏡を覗かなかったらさ」

「元気になったら、教えてもらいましょう。はい、出来た」

 ハーマイオニーの手で、折り鶴が一羽完成した。これで4羽仕上がった。本当は千羽鶴を用意したいが、マダム・ポンフリーから「見舞いの品は1人ひとつまで」と御触れが出てしまっている。

 自分達3人と1匹からのハリーへの想いだ。

「そういえばさ、ウィーズリー。あんたがチェス得意だったなんて知らなかったさ。ハーマイオニーなら、ともかくさ」

「一言多いな。僕はチェスでハーマイオニーに負けたことないぞ」

 頬を含ませるロンがハーマイオニーに同意を求めたが、悔しそうに彼女はそっぽ向いた。

 競技場から歓声が沸き起こった。3人がこっそり覗いてみると、チョウがスニッチを手にし、魅力ある笑顔を振りまいていた。

 レイブンクローが勝利したのだ。

 その後、敗北したフレッド・ジョージは八つ当たりの如く執拗に、クローディアを追い回した。

 

 

 あの事件から3日過ぎた。

 今日もハリーの様子を見る為に、クローディアはハーマイオニー、ロンと医務室へ向かう。絶対安静の為に面会謝絶だが、扉の外で様子が窺える。

 すると、医務室からダンブルドアが出てくるのを目撃した。

「ハリーの意識が戻ったんだわ」

 喜び勇んだハーマイオニーが駆け込む。寸前でマダム・ポンフリーが仁王立ちして遮断した。

「面会謝絶です!」

 ロンがこっそり入ろうとしたが、マダム・ポンフリーは見逃さない。

「校長先生は、ハリーに面会しました」

「校長は特別です!」

「顔を見るだけでも、良いのでお願いします」

 クローディアとハーマイオニーが懇願したが、駄目だ。

「5分でいいんです。お願いします。マダム・ポンフリー」

 ハリーがマダム・ポンフリーを説得し、5分だけ面会を許された。

 漸く3人は医務室に入ることが出来た。寝台で横になるハリーは、寝巻き姿で弱弱しく3人を迎えてくれた。その様子から、まだ起き上がれるまで体力が戻っていない。

「皆、元気?」

「見ての通りさ」「ええ、元気よ」「まあまあかな?」

 それぞれの反応見て、安心したハリーは微笑んだ。

「大体のことはクローディアが教えてくれたけど、君はどうやって石を手に入れたんだい?」

 目を輝かせたロンにハリーは頷く。

「『みぞの鏡』に隠されたよ。僕が鏡を見た時、『鏡に映った僕』が石を渡してくれた。あの鏡には、石を『見つけたい人』に手に入るようにダンブルドアが細工してあった。但し、見つけるだけで、『使いたい人』には決して触れられなかったんだ」

「だから、クィレル先生は取り出せずに困ってたさ。私が鏡を見ても、取れなかったろうさ。石を見つけたいなんて思ってなかったからさ」

 『みぞの鏡』を見たいなど、露も思わなかった。

「触れられないといえばさ。ポッターがクィレル先生に触ったときに、火傷したように見えたのは、何だったさ?」

「ママの力だよ。ママが僕を守ろうとした力が、僕の肌に残っているんだ。クィレルのようにヴォルデモートと魂を分け合う奴には、痛みでしかないって……教えてくれた」

 殊更、嬉しそうにハリーは自分の手に触れる。

「それで、石はどうなるの?」

「壊してしまったよ。誰にも悪用されないように、ダンブルドアがニコラス=フラメルと相談してね。フラメル氏は身辺をきちんと整理したら、逝くだろうって」

『ニコラス=フラメル』がこの世を去る。ロンは深く衝撃を受けていた。

「偶然でも、ハリーが『みぞの鏡』を知っていて良かったわね」

 ゆっくりとハリーは頭を振るう。

「『透明マント』を僕に送ってくれたのは、ダンブルドアだった。パパから預かっていたって、僕が興味を持つだろうから渡してくれたんだ。ダンブルドアは最初から全部知っていたんだと思う。クィレルがヴォルデモートの為に石を狙っていたこと……そして……僕達がやろうとしていたことすらも。僕らをとめず、むしろ、僕らの役に立つように、必要なことだけを教えてくれた。鏡の存在を知ったのも、偶然じゃない」

「……校長先生は『賢者の石』を使って、ヴォムヴォムを学校に誘い出したさ? ポッターと引き合わせる為にさ? ……もしかして、私が校長先生に報せようとする度にピーブズが邪魔してたのも、そのせいさ?」

「可能性はあると思うわ。思うけど……、そんなこと……」

 段々とハーマイオニーが怒りで震える。

「ひどいじゃない……。……2人とも殺されていたかもしれないのに……」

「ひどくないよ。ダンブルドアはね、僕がヴォルデモートと対決する権利があると思ったんだ。そして、僕にそのつもりがあるのか試した……かもしれない……」

「……権利ってさ、あんた。ヴォムヴォムに会いたかったさ?」

 クローディアの皮肉に、ハリーは深刻な表情を見せる。

「多分、会いたかったんだ。いや、僕は会わなきゃいけなかったんだ。ダンブルドアはそれをわかってくれていた」

「本当、ダンブルドアは変わってるよなあ」

 ダンブルドアに尊敬と敬意を込めて、ロンは笑う。

 己の命を賭けてまで、両親の仇と対決する感情はクローディアに理解しにくい。ハーマイオニーも同意見だと感じた。

 ヴォルデモートをその目で見、声を聞き、存在を記憶した。噂でしか知らなかった相手を知り、ハリーはより強い意思を持てるだろう。

 ただ、同じことは起きて欲しくないとクローディアは願わずにおれない。

「さて、ポッター。元気になったらさ、一緒にスネイプ先生に謝りに行くさ」

「「「なんで?」」」

 3人のツッコミにクローディアは首を傾げる。

「誤解したんだから、謝るのは当然さ。違うさ?」

「それはやめたほうがいい」

 ハリーが初めて不機嫌な顔つきになった。

「ダンブルドアが話してくれた。スネイプ、先生は、本当に僕のパパと嫌い合ってた。僕とマルフォイみたいにだ。だから、僕が憎いんだ」

「お父さん達に何があろうとさ。私達は守られてたさ。それに対してお礼は言うさ」

 これだけは、ハリーは頑として譲らなかった。

「もう15分経ちましたよ。さあ、出なさい」

 約束された時間は過ぎていた。マダム・ポンフリーに追い出されたのは、仕方ない。

「私はスネイプ先生に会ってくるさ。2人も一緒に……」

 ハーマイオニーとロンは柱の陰に隠れ、断固拒否を訴えた。

 無理強いせず、クローディアは1人で地下室に行くことにした。正直、スネイプに会うのは怖い。勝手に嫌疑をかけた罪悪感はあるが、何よりコンラッドを知った時の態度が問題だ。

 手早く謝って逃げよう。

 そんな気持ちでクローディアは階段を下りた。

 

 空気の冷たい地下室。

 そこにいたのは、場にそぐわないダンブルドアであった。意外な人物だが、クローディアを安心させるには十分な御仁だ。

「来ると思ったよ」

 優しく微笑むダンブルドアに、クローディアは良い意味で緊張し畏まる。

「……スネイプ先生はどちらに?」

「ここには、おらんよ。少し用事をしておられる」

 折角、覚悟を決めたが無駄足だ。落胆と安堵が複雑に絡み合う。

 だが、それならダンブルドアは何故ここにいるのか推測する。

「……私にお話があるのですか?」

 何気なく尋ねるとダンブルドアは、肯定する。

 『解呪薬』、突発的な影への変身、どれを聞かれるのか?若干の冷や汗に襲われながら、クローディアは息を吐く。

「君は、何故、クィレル先生を助けようとしたのか、聞かせて貰えるか?」

 優しい声は、質問でなく確認の意味を込めて問うてきた。

 クローディアにとっては、意表をつかれた質問だ。何故なら、明確な理由などない。『賢者の石』に関与していたのも、石そのものを守りたいなどという殊勝な気持ちはなかった。あくまでハーマイオニーと一緒にいたいという感情が働いたからだ。

 だが、仕掛け扉に挑んだことにハーマイオニーは関係ない。まして、クィレルを助ける理由にすらならない。

 一瞬の思考で、クローディアは胸中で「ああ、そうか」と呟く。

「私、こういうセリフを言う日が来るとは思っていませんでした。人を助けるのに、理由はありません」

 ダンブルドアは微笑みを消さない。

「クィレル先生は、どうしていますか?」

「休んでおられるよ。ヴォルデモートが引きはがされたこともあるが、どういうわけか一角獣の血による呪いさえもクィレル先生から消えておった。全く、不思議なこともあるもんじゃ」

 何故だろうか、蒼い瞳が悪戯小僧のように笑っている気がする。

 苦笑してクローディアはポケットから折り鶴ひとつを取りだし、ダンブルドアに差し出す。

「これ、クィレル先生に渡して下さい。早く、元気になれますようにっていうマグルのまじないです」

「よかろう、渡しておこう。君はクィレル先生をどうすべきだと思うね?」

 質問の意図がわからず、クローディアは首を傾げる。

「どうとは……また授業をしてもらうしかないと思いますが」

 それ以外思いつかないが、ダンブルドアはキョトンと目を丸くさせた。その回答が信じられない様子だ。

「そこまで元気になれないのですか?」

 優しく眼を細めたダンブルドアは、クローディアの頭にそっと手を置く。

「何年も先になるやもしれんが、可能じゃろう」

「では、待っています」

 ダンブルドアは満足そうに微笑んだ。

「他に君から聞きたいことはあるか?」

 脳裏に浮かんだのは、コンラッドとスネイプだ。2人の関係をダンブルドアなら何か知っているかもしれない。だが、知るのも恐い。

 急にダンブルドアが喉を鳴らして微笑んだ。

「君は、コンラッドのことで悩んでいたのではないのかね?」

(心読まれたさ!)

 胸中を当てられて驚くクローディアに、ダンブルドアは続ける。

「おそらく君は、こう思っておる。スネイプ先生が学徒の折、君の父上を嫌い、そして憎んでいる」

 そうでなければ、クローディアは憎まれたりしない。肯定を恐れ、次第にクローディアの動悸を激しくなっていく。

「それは違うぞ。むしろ、逆であった。君とハーマイオニー=グレンジャーのように仲睦まじかった。レモン・キャンディーに誓おう」

 反対の回答は、クローディアの動悸を穏やかな心音に変えた。暗くて眩暈が起こりそうな暗闇に光が見えた気がする。

「それだけ、わかれば十分です」

 クローディアでさえ自分の落ち着き払った声に驚く。

 ダンブルドアもそれ以上何も言わず、柔らかな動きでクローディアの頭を撫でただけだった。

 

 階段を登り去っていくクローディアを見送り、ダンブルドアは振り返る。扉が開き、黒衣の教員スネイプが幽鬼の如く姿を見せた。

「人が悪いですな。校長、クィリナスはアズカバンに送られるのですぞ。そんな人間が再び教鞭をとれると本気でお考えなのですか?」

 苦々しく言い放つスネイプに、ダンブルドアは小さく頭を振るう。

「それは、クィリナスが決めることじゃ」

 ダンブルドアはスネイプを伴い、地下牢の突き当たりにある壁を叩いた。壁はなかったように消え去り、奥に続く廊下が現れた。奥には鉄格子でできた本物の牢屋がひとつだけ存在した。

 その牢屋には、簡素だが清潔な寝台が置かれ、クィレルが蹲っている。まだ衰弱から回復できず、弱弱しい呼吸を繰り返す。また、彼はヴォルデモートが離れたことで精神的に病んでいた。

 昨晩、目を覚ましたクィレルはうわ言で「ご主人様、ご主人様」と呟き、ダンブルドアの質問に一切答えなかった。

 人の気配を感じたクィレルは、視線だけを鉄格子の向こうに送る。

 ダンブルドアは鉄格子をすり抜けて、牢屋に入り込んだ。

「クィリナス……、大分顔色が良くなったの」

 微笑むダンブルドアに対して、クィレルは無表情に視線を外した。構わず、ダンブルドアはクローディアから預かった折紙をクィレルの枕元に置き、次いで彼女の言葉を伝える。それにもクィレルは、反応を示さない。

「何かして欲しいことはないか?」

 クィレルは身動きひとつせず、瞼を閉じた。

「校長、参りましょう。ここにいても時間の無駄です」

 スネイプが苛立ち、ダンブルドアを外に出るよう催促する。残念がるダンブルドアは、クィレルに背を向けた。

「……校長……、……ひとつだけ……お願いがあります……」

 消えてしまいそうな小さな声が静かに響いた。

 

 大広間に入ると、スリザリンの象徴である蛇を描いた巨大な横断幕が壁一面に飾られていた。緑と銀の配色が視界に入るのを不愉快に感じたのは、クローディアにとって今夜が初めてだ。

 無論、スリザリン以外の寮生全員が同じ気持ちであった。

(そういえば、7年連続だっけさ。そう考えるとすごいさ)

 但し、称賛はしない。

 周囲は先日のクィディッチの試合に話題に入る。 

「ハリー=ポッターがいなかったから、勝つのは当然だろう」

 マイケルの余計な一言で、場の空気が悪くなる。たまたま隣に座っていたアンソニーが彼の頭を叩いていた。それに何人かが、笑いを噴出した。

 二重扉が開き、ハリーが姿を現した。全員がハリーに気づき、声を止めた。しかし、すぐに雑談に戻った。気に留めずハリーは、グリフィンドール席でハーマイオニーとロンの間に腰をつけた。

 頃合を計ったように、ダンブルドアが教員席に現れた。

 皆、自然に口を閉じた。

「また1年が過ぎた! 一同がご馳走にかぶりつく前に、寮対抗杯の表彰を行うことになっておる。点数は次の通りじゃ」

 ダンブルドアが朗らかに挨拶を述べ、寮の得点を発表した。

 グリフィンドール、312点。ハッフルパフ、364点。レイブンクロー、432点。スリザリン、472点。

 スリザリン生から歓声と拍手の嵐が湧き起こり、クローディアの癪に障る。

(来年こそ、負けないさ)

 クローディアが密かな闘志を燃やしていると、ダンブルドアがわざとらしく咳き込んだ。

「よしよし、スリザリン。よくやった。しかし、ここでいくつのかの駆け込み点を勘定にいれなければならない」

 その発言にスリザリン生から、笑みが消え、疑念が浮かぶ。

「……まず、最初はロナルド=ウィーズリー。久しぶりに素晴らしいチェス・ゲームを披露してくれたことを称え、50点」

 グリフィンドール席から、歓声が沸いた。パーシーが他の監督生に、ロンを自慢しているのが聞こえた。肝心のロンは、緊張で固まり耳まで真っ赤になった。

「次にハーマイオニー=グレンジャー、火に囲まれながら、冷静に論理を用いて対処したことを称え、50点」

 更なる歓声がハーマイオニーを称えた。感涙したハーマイオニーは、涙を隠すために自らの腕に顔を埋めた。

 100点の増加は、グリフィンドール生は優勝したような騒ぎを見せる。

「3番目はハリー=ポッター、その完璧な精神力と並外れた勇気を称え、60点」

 今度はレイブンクロー、ハッフルパフも混ざった歓声が起こる。何故なら、これでグリフィンドールとスリザリンは同点となったのだ。

 実に惜しいという声が何処からか聞こえた。

 ダンブルドアが手を上げ、静粛を求める。

「勇気にもいろいろある。敵に立ち向かうのにも大いなる勇気がいる。しかし、味方に立ち向かうもの大切な勇気じゃ。よって、ネビル=ロングボトムに10点を与える」

 つまりは、グリフィンドールの勝利。席では誰もが立ち上がり、雄叫びを上げた。ネビルは驚きのあまり青白くなり、彼の周りに集まる人々で埋もれてしまった。

「更に!!」

 一喝に似た声に全員、制止した。これ以上、何があるのか?皆の視線がアルバス=ダンブルドアに釘付けだ。

「人は行動に理由をつけたがる。だが、理由は問題ではない。要はそれがどんな結果を齎すかじゃ。人を助けることに理由などいらぬ。それは論理でも勇気でも不可能じゃ、故にクローディア=クロックフォードに50点、与える!」

 

 ――一瞬、大広間に沈黙が走る。

 

 そして、レイブンクロー席で歓声の嵐が巻き起こった。

 クローディアは事態が理解できず、唖然とする。両側にいたリサとパドマが抱きついてこなければ、状況を飲み込めなかった程に信じられない。

 向かいの席にいたペネロピーが発狂しながらテーブルをよじ登り、クローディアにしがみついた。女生徒はとにかく彼女に抱きついて、頬に唇を落とした。

 名も知らない7年生の男子達がクローディアを抱き上げ、皆に見せるように高く掲げた。貴賓溢れる『灰色のレディ』が狂喜のあまりに何度も喚いた。

 グリフィンドール席とレイブンクロー席が自らの勝利を称えあい、ハッフルパフはスリザリンが寮杯を手放したことを喜んで、拍手喝采を送っていた。

 スリザリンだけが、明かりを消したように静かになった。

「したがって、飾りを変えねば」

 ダンブルドアが指を鳴らすと、スリザリンの蛇の絵が、グリフィンドールの獅子とレイブンクローの大鷲に変わり、大広間に真紅と金、青と銅の配色が並んだ。

 スネイプが見たこともない作り笑顔で、マクゴナガルとフリットウィックに握手していた。

 漸く高揚感が全身を駆け巡ったクローディアは、喜びの咆哮に変えた。それを真似して、レイブンクロー席の皆も咆哮した。

 豪華な料理が今日ほど、美味であったことはない。皆が空腹を満たすために、文字通りかぶりついた。

 クローディアも食欲が出て、色々口に含んでいると職員席を目にした。いつもクィレルが座っていた席が空席のままだ。

 思い返すのは、いつも何かに怯えるクィレルの姿だ。あの部屋で見たクィレルは、実は夢だったかもしれない。ぼんやりとそんな考えが浮かぶ。

 視界の隅でダンブルドアがクローディアを見ていた。何かを報せたい眼差しを感じ取った。ナプキンで口元を拭き取ってから、彼女は校長の前に進み出る。

 ダンブルドアは待ち焦がれたように、微笑んで迎えてくれた。

「是非とも、聞いて貰いたいことがある。君に得点を与えたのは、わしではない。……思わぬ人物が君に得点を与えたのじゃ」

 クローディアはスネイプの姿を思い浮かべたが、彼のほうは絶対見ないことにした。あの作り笑顔で、それはないと踏んだ。

 ダンブルドアがクローディアの耳元に囁く。

「クィレル教授じゃよ。彼が君に得点を与えたんじゃ」

 驚愕にクローディアの体が張り付いた。

「君は本当の意味で、クィレル先生を救った。彼は君に感謝の気持ちをこめたのじゃ」

 命だけでなく、クィレルの心さえも救えた。

 これを感涙せずにはいられない。涙腺が潤みクローディアは、ダンブルドアに深く頭を下げた。ただ、ただ、深く、深く、頭を下げて嬉し涙を隠した。

 

 翌日、クローディアはハーマイオニー、ハリー、ロン、ネビルの活躍による寮対抗杯の結果をドリスに報告した。ドリスは、祝いにと様々な花の花吹雪をハリーに贈りつけた。おかげでハリーは花びらに埋もれ、窒息寸前にまで追い込まれた。

 日本の祖父は薬が活躍したことを聞き、満足であった。母はヴォルデモートとの対峙はよく理解されなかったが、命を粗末にしていると叱った。

 待ちに待った試験結果の発表。

 クローディアは我が目を覆う。成績自体は良好なのだ。しかし、『魔法薬学』の成績だけがネビルと競って悪かった。ハーマイオニーは勿論、全科目が学年トップである。それがクローディアは自分のことのように誇らしく思った。

 成績結果を母に送ろうと、フクロウ小屋に向かう。フクロウを物色しているジュリアと鉢合わせた。

 ジュリアはクローディアに気付き、一瞬、怪訝そうに顔を顰めた。だが、急に猫を被った表情を見せる。これまでジュリアからそんな笑顔を向けられたことはない。

「最後に寮杯を獲ってくれてありがとう。クローディア」

 ますますおかしい。

 入学してから、ジュリアは一度も彼女を名前で呼んだことはない。あくまで、クローディアの記憶の限りではある。

「最後って何さ?」

 ジュリアは勿体ぶるような笑顔でクローディアの隣に立った。

「私ね、落第したの。フリットウィック先生は、もう一度3年生をやればいいっていってくれたけど、やめることにしたわ」

 淡々と笑顔で語るジュリアに、クローディアは驚きを通り越して言葉を失う。

「元々、私は魔女に向いていなかったのよ。少し魔法が使えるだけの一般人なの。3年生でそれがよくわかったわ。これ以上、私の魔法は伸びないって」

 その瞳は物悲しそうに揺らいでいる。

「辞めてどうするさ?」

「魔法使いにも、私塾があるの。そこでとりあえず魔法の勉強は続けるわ。後は、マグルの学校に通うだけね。将来の為に」

 言葉を切るジュリアは俯いて、適当なフクロウを撫でる。

「楽しかったわ……、すごく……。ああ、ホグワーツに来られて良かった……」

 思い出に耽るジュリアの姿は、クローディアの心に淋しさを与える。特に仲が良かったはずがない。寧ろ、彼女は意地悪であった。

 それも振り返れば、クローディアに気を遣った意地悪ではないのかと思えてしまう。

 不意にクローディアは、ジョージの顔を思い浮かべる。ジュリアとジョージはとても親しい。

「ジュリア……。ジョージにそのこと……」

 ジュリアの手が、クローディアの口を塞ぐ。

「皆とのことは、卒業するの。だから、私に手紙なんて送らないでよ。さようなら、クローディア」

 涙を堪えているジュリアの声は、震えている。

 何を思ってか、クローディアはジュリアに手を伸ばそうとした。手が届く前に、彼女は一目散にフクロウ小屋を後にした。

 虚空を掴みながら、ジュリアに何を言うべきだったのかを模索した。しかし、言葉は見つからない。慰めや励みは、彼女の役に立たないとわかっていた。

 ただ、自らの意思でホグワーツを去る者がいる。それだけを深く心に刻んだ。

 

 帰省が迫り、クローディアはトランクに荷物を詰めていた。全てを片付け終えた時、何故かベッロがいなくなっていた。『呼び寄せ呪文』を試してみたが、上手く発動しない。

 仕方なく、クローディアは足で探しに行く。

 空き教室を探していると、パーシーがペネロピーに交際を申し込み、彼女が承諾しているのを目撃した。クローディアは、声に出さず2人を祝福した。雰囲気の邪魔にならないように足音を立てずに去った。

 城の中のほとんどを探したが、ベッロはいない。

「お~い、ベッロ。帰るさ」

 クローディアは中庭で草むらを這いながら、ベッロを呼んでいた。

「みっともないと、思わないのかね?」

 背中に闇色の声がかけられた。条件反射で跳ねるように立ち上がり、クローディアは背筋を伸ばす。

 スネイプが眉間にシワを寄せて、怪訝そうに見下ろしてくる。こうして相対するのは、『賢者の石』の日以来だ。

「あ……すみません。ベッロを探していて、その……」

 深呼吸し、動悸を抑えながらスネイプを見上げる。すると、彼の表情がいつもと違っていることに気づいた。黒真珠の瞳は、何処か憂いを帯びている。

 

 ――パシャッ。

 

 突然、2人を包むシャッター音。同時に2人は振り返る。木の枝に体を絡めながら、ベッロがカメラを抱えていた。入学前にカメラを持ち込もうとしたが、止められたはずだ。

〔嘘……、いま撮ったさ?〕

 日本語が出ていたが気にせず、クローディアはベッロを掴もうと手を伸ばす。

「「捕まえた!」」

 ベッロが絡まっている枝の上から手が伸びて、クローディアの腕を掴んだ。手の出現に驚いたが、見上げるとフレッドとジョージがイタズラ丸出しで笑っていた。

「あんたか、いま撮ったさ?」

 呆れたクローディアは、力なく2人を指差す。

「せいかーい♪リーから借りたんだ。スネイプ教授との密会シーン。バッチリ」

「バラされたくなかったら、俺らと写真撮ってよ」

 流石に苛立ちを感じ、クローディアはフレッドの腕を力の限り引っ張った。

 引力に逆らえず、フレッドの足を掴もうとしたジョージも巻き込んで、2人は地面に落下した。2人は乾いた笑みを見せて、間髪入れずに校舎に全速力で駆け込んだ。クローディアも我を忘れて2人の後を追う。

 残されたスネイプは、木に絡んでいるベッロを自分の腕に招く。大人しくベッロはその腕へと絡み、喉を撫でて貰う。クローディアに伝えようとしていた言葉が口から漏れる。

「クィレルは、アズカバンに送られた」

 スネイプの呟きは、ベッロがしっかりと聞いた。

 聞かせるはずだったクローディアは時間が許す限り、フレッドとジョージを追い回した。

 

 汽車に荷物が積みこまれていく中、クローディアはハグリッドに挨拶をしに行く。丁度、ハリーも彼に挨拶していた。

「ハグリッド、色々とお世話になったさ。ありがとうさ」

「おう、クローディアも良い休暇にな」

 ハグリッドは、クローディアとハリーを繁々と眺めて微笑む。

「本当におまえらは、いい友達だ。俺はそれがすごく嬉しい」

 口下手なハグリッドの最上級の称賛と知れる。照れくさくなったクローディアは、ハリーの頭を撫でた。

 ハリーは複雑そうに笑いながら、クローディアの手を失礼のないように払った。

 

 生徒全員はホグワーツ特急に乗り込んだ。

 クローディアは、ハーマイオニー、ハリー、ロンとコンパートメントを独占した。

 夏の休暇に、クローディアはハーマイオニーをドリスの家に招待することを約束した。何処から聞きつけたのか、フレッドとジョージも招待を受けたいと騒ぎ立てた。ロンと共に彼らを招待すると嫌々ながら約束を交わした。

 当然、ハリーも招くことになった。しかし、ハリーは特急に乗る前にドリスから招待の手紙を貰っていたらしく、その熱愛振りにクローディアは頭を抱えた。

 汽車の中は、最後に魔法を使う生徒の姿があちこちで見られた。【休暇中魔法を使わないように】という注意書き用紙が跳ねまわり、生徒を追いかけていた。

 何の問題もなく、汽車はキングズ・クロス駅のホームに着いた。

 下車する生徒の中から、クローディアはジュリアを見つけた。

 電撃が走るように、ジュリアにかけるべき言葉が浮かんできた。迷わず、叫んだ。

「ジュリア! ありがとう!」

 クローディアの声は、ジュリアに届いた。驚いた彼女は振り返り、普段の意地悪そうな笑顔を見せる。その言葉を待っていた態度だと、わかった。

 ジュリアは何も言わず、マグルの世界に続く柵に消えていった。

 不意にクローディアが振り返ると、ハリーと握手しているドリスを見つけた。

「お祖母ちゃん、何してるさ?」

「クローディア! ああ、ハリーと友達であることでさえ素晴らしいのに! まさか、寮杯まで勝ち取るなんて!」

 感謝感激と今にも泣き出しそうなドリスは、クローディアを抱きしめる。

「僕らはいい友達ですよ。ドリスさん」

 ハリーの言葉がトドメとなり、遂にドリスは泣きだした。ドリスにハンカチを渡しながら、クローディアはジュリアのことを想う。

(ジュリアは良い……悪友さ)

 その確信にクローディアは満足した。

 




閲覧ありがとうございました。
寮杯は、グリフィンドールとレイブンクローの引き分け。
地味ですが、クローディアの活躍です。
これにて、賢者の石編終了します。


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秘密の部屋
二巻・序章


閲覧ありがとうございます。
夏休み中の様子です。
日本語などの外国語を〔〕と表記します。

追記:16年9月24日、誤字報告により修正しました。


 自転車を漕ぐのは、箒に乗るより楽だと私は思う。

 歩道に自転車を走らせながら、私は郵便ポストを目にし、ブレーキをかけてウエストポーチから一通の手紙を取り出した。手紙の宛名は別々で、住所に間違いがないか最終確認をする。

【リトル・ウインジング プリベット通り4番地、ハリー=ポッター様】

 切手の抜かりもないことに安堵し、私はポストに投函した。

 自転車を勢いよく漕ぎ、年季の入ったアパートの裏路地を抜けて住み馴染んできた我が家の敷地に突入した。芝生でのんびりと昼寝をしていたベッロが、突然乱入してきた自転車に飛び起きた。睡眠を妨害されたベッロは、私へ不機嫌に威嚇する。

 居間の窓から祖母が顔を出したので、手紙を投函できたことを教えた。

「届くといいわね」

 落ち着かない様子で祖母は、自分の手を擦るが無理もない。

(今度こそポッター、返事よこせさ)

 休暇が始まってから、毎日のように祖母は手紙を送った。しかし、これまでハリーは一度も返事を返さなかった。私がこうして郵便で手紙を出しているが、やはり彼は返事をくれない。

 明日はこの家で、私の誕生日とペネロピーの監督生就任祝いを兼ねた食事会を開くことになっている。是が非でもハリーを招待したい祖母は、今日だけで何通もの手紙をカサブランカに運ばせた。

 可哀そうなカサブランカは疲労のあまり、道端で倒れているのを近所の住むマグルに見つかってしまった。

 父が『忘却術』でマグルの記憶を誤魔化したが、流石に懲りた祖母はカサブランカを寝床で休ませている。

「ポッターの話じゃ、叔母さんは極端な魔法族嫌いさ。それで、手紙の返事が出来ないのさ」

 ダーズリー家の事情をそれとなく聞いていた私が簡単に説明した。これで祖母が落ち着かと思いきや、逆効果に終わってしまった。

「尚のこと魔法族の誰かが、連絡を怠ってはいけません。お祖母ちゃんはそう思いますよ」

 意気込む祖母を窘めてもらおうと、父に視線を送った。父は極力ハリーの話題に混ざりたくないらしく、【日刊預言者新聞】で自分の顔を隠していた。

 

 翌日、私が目を覚ました時には、父は行き先を告げず外出していた。気にはなったが、祖母と食事会の支度に追われてそれどころではなかった。

 時間が迫り、ネビルが一番乗りに現れたことに、私は少なからず驚いた。もっと驚いたのは、彼の祖母であるオーガスタ=ロングボトムの風貌である。剥製ハゲタカを取り付けた帽子に、緑の長いドレスは奇怪だ。

 私はいつも祖母の服装が変だと思っていた。しかし、至極マトモな趣味だと理解した。

 それから、ペネロピー、ハーマイオニー、パドマ、パーバティ、リサ、パーシー、ロン、フレッドとジョージ、チョウと招待した友人達が訪れてくれた。祖母は私に大勢の友達が出来たと喜んでくれた。

 だが、ハリーだけは時間を過ぎても現れなかった。祖母が異常に粘ったが、夜が更けてしまうため、仕方なく彼を欠いたまま、食事会は行われた。

 ハリーが不在なことを祖母だけでなく、ハーマイオニーとロンも気落ちしていた。

 しかし、生涯初の刺激的な贈り物をフレッドとジョージが用意してくれたおかげで、胆を潰された祖母が心臓麻痺になりかけた。重くなりかけた空気が微妙な緊張と笑いで満たされた。

 私は誕生日早々、フレッドとジョージを怒鳴り散らした。双子は反省を見せず、真剣に怒る私を指差し、腹を抱えて笑っていた。癪に障った私は、2人にプロレス技をかけて黙らせた。背高い2人に技をかけるのは、容易なことではなかった。しかし、マグルの格闘技を知らない2人は抵抗するすべもなく、もがき苦しんでいた。

 ロンが狼狽する素振りを見せるが、顔は満面の笑みを浮かべていた。パーシーは私を注意しようとしたが、ペネロピーが爆笑しているのを見て一緒に笑っていた。笑いのツボを押されたネビルが腹を抱えて椅子から転げ落ちた。

 しかも、床で寝転がっていたベッロの胴体に落ちたのでネビルは、震え上がって机によじ登った。

 充実した時間がお開きを迎え、既に夜遅い時間になった。自宅が一番近いリサは両親が箒で迎えに来たので、彼女も箒に跨り、夜空に文字通り飛び去った。

 外国に住むパドマ、パーバティ、チョウ、何故かネビルは『煙突飛行術』を使い、碧の炎と共に消えていった。フレッドとジョージは泊まりたい駄々を捏ねたが、車で迎えに来た父親のアーサー=ウィーズリーが断固として反対した。パーシーとロンに連行され、今にも壊れそうなトルコ石色の中古車で帰っていった。

 ハーマイオニーとペネロピーは方角が同じなので、私と祖母でバス停まで2人を見送った。祖母は地下鉄しか乗車したことがない。マグルのバスを凝視し、運転手に不審がられた。

 バスを食い入るように見つめる祖母を無理やり引っ張り、家に帰る。

 散らかった食器やゴミ屑を、ベッロと自ら動く塵取りや箒と協力しながら片付けていた。私も食器を片付けていると、祖母はハリーが時間を間違えたのではないかと扉をひたすら見つめ続けた。そこまでくると我が祖母とはいえ、かなり不気味であった。

 夜も更け、自室の畳に寝転がり、私は眠りに付く前に今日の出来事を手紙に綴った。

 母と祖父、ハリー、そしてクィレル教授宛の手紙だ。

 休暇に入ってから、私は校長先生には内緒で何度もクィレル教授に手紙を出している。ハリー同様、返事が来たことはない。何処の病院で療養しているか聞かされていない。ただ、手紙は届いている。クィレル教授の容態が安定すれば、返事が必ず来ると私は信じている。

 書き終えた書面を3つの封筒に入れ、居間のカサブランカを借りようと階段を下りた。

 祖母は肘掛椅子に腰かけたまま、静かに寝息を立てていた。いつ帰宅していたのか、父が祖母の眠りを妨げないように、毛布をかけていた。

〔お帰りなさい〕

「日本語はダメだよ」

 間髪入れず父は、声を潜めて言語を注意する。階段を下りた私の手にある手紙を一瞥した。

「手紙かい?」

「うん、お母さん……達にさ」

 ハリーの名を伏せたが、察したのか父は皮肉っぽく口元を曲げた。それだけで父の不機嫌さを感じ取った私は、気を逸らさせるために食事会のことを話題にした。

 フレッドとジョージからの贈り物の話になると父は、喉を鳴らして愉快そうに笑う。一通り説明し、私は、その席でフレッドとジョージから、贈り物とは別に渡された写真のいくつか父に見せた。

 机に広げた写真を見渡し、父は少し首を傾げる。

「これ、隠し撮りじゃないかな? おまえがカメラ目線なのは、これ一枚だけだよ?」

 指摘通り、帰りの列車内でリー=ジョーダンにシャッターを押してもらい、フレッドとジョージ無理やり一緒に撮った写真以外は、何処で撮られたのか私にはまるで皆目見当がつかない。

 中には、授業中の写真まである。ご丁寧に、スネイプから注意を受けている場面だ。

 夏休暇前、ベッロを探している時にスネイプ先生とたまたま出くわしたときのモノもある。魔法の写真は、撮られた瞬間の感情が反映されるらしい。スネイプ先生の顰め面はいいとしても、私まで頬を膨らませ、下唇を捲らせるなど、不機嫌さを露にしている。

 その写真を目にした父は笑みを消し、目を見開いていた。そして割れ物に触れるかのような繊細な指の動きで写真を手にした。

 笑みが消えたはずの父の表情から、私は直感的に喜んでいるのではないかと予想した。

「お父さん……、スネイプ先生を知ってるさ?」

 何気なく言葉にしてから、父は私がこの場にいることを思い出したように、いつもの笑みを向けた。

「ありがとう。もういいよ、今日は疲れただろ? もう寝なさい」

 父は机に広げていた写真を束ねて、私に差し出す。写真を受け取りながら、私は必死に言葉を繋げる。

「学校でさ。お父さんの名前、見つけたさ。スリザリンで、ビーターだったさ。ほら、金の盾がトロフィー室にあったさ」

 興味なさげに父は、機械的に呟く。

「昔、スラグホーン先生が校長に頼んで作られたのだよ。私はいらないと言ったのだがね」

 知らない名前が出た。

「スラグホーン先生って誰さ……?」

 父の目つきに思わず、私は口を噤んだ。

 機械的な笑顔に、はめ込まれた紫の瞳が私の存在をまるで硝子の向こうに映る影のように見据えていた。非常に嫌な気持ちにさせる目つきだ。

「おまえが聞きたいのは、スラグホーン先生はおろか、クィディッチのことでもないだろ? クローディア、おまえは私のことより、自分の勉強姿勢を見直しなさい。特に『魔法薬学』をね」

 話は終わったといわんばかりに、父は居間を後にした。

 残った私の胸中に奇妙なシコリが出来た。それでも確認は取れた。

(あれは、本当にお父さんのトロフィーだったさ)

「いらっしゃい、ハリー……」

 いきなり祖母が寝言でハリーを呼んでいるのを耳にした。せめて、夢でハリーに会えることを祈り、私は階段を上がった。居間の明かりを灯していた蝋燭が自然に消えた。

 

「ハリー=ポッターに会いに行きましょう! それしかありません」

 朝から祖母の第一声は、これだった。

 寝ぼけながらトーストを齧っていた私は勿論のこと、カサブランカとベッロに餌を与えていた父も面を食らい、唖然としていた。

 私が窘めるのも聞かず、祖母は瞬時に余所行きに着替えて家を後にした。乱暴に扉を閉めた衝撃で大きな音が響き、カサブランカが宿り木から落ちた。

 残された私は、父に視線を送る。父はベッロを撫でて、笑みのまま嘆息する。

「クローディア、お祖母ちゃんに着いて行ってあげなさい。どうせ、マグル通貨を忘れているよ」

 諦めたように父は、疲れた笑みを見せて私に促した。

(お父さんは、着いてくる気ないさ)

 不満げに頷き、私は黒いワンピースに着替えて髪を結う。英国通貨と魔法通貨を入れたウエストポーチを巻きつけ、祖母を追いかけた。

 案の定、文無し祖母は、地下鉄の駅で立ち往生していた。お陰で私は簡単に追いつくことが出来た。勢いよく飛び出した手前、祖母は恥ずかしそうに私に礼を述べた。

 

 地下鉄を乗り継ぎ、タクシーに乗り込む。そうして、私達はハリーの住むプリベット通りに辿り着いた。

 整然とした住宅地に、私は奇妙な違和感を覚えた。

 悪意や敵意ではない、それ以外の意識を本能的に感じて、気持ち悪さに舌がザラザラした。

「なんか、変な感じするさ」

 タクシー運転手に代金を払いながら、私は祖母に振り返る。既に玄関の前に立っていた。あまりの気の早さに嘆息し、私は周囲を見回した。全く同じ家が並び、扉に数字がなければ見分けることが出来ない。

〔社宅さ?〕

 呟くと玄関の扉が開き、現れたのは祖母が待ち焦がれたハリーだった。ハリーは、来客が祖母であったことが、余程、意外か鳩が豆鉄砲食らったように瞬きを繰り返している。

「ハリー=ポッター、お元気そうで何よりです」

 興奮を押さえながら、祖母はハリーの手を強く握り何度も振り回した。私は祖母を宥めて、ハリーに挨拶した。

 ハリーは歓喜に震え、目を輝かせて何度も頷いた。

「元気さ、ポッター。昨日どうしたさ? 手紙……」

「ハリー=ポッター!!!」

 私が言い終わる前に居間から、野太い叫び声が耳に響いた。その声に、ハリーが失態を犯したように悔しさを込めて顔を歪ませる。

 奥を見ると祖母よりも横に広く大きい口髭の男、ハリーの叔父・バーノン=ダーズリーがトマトの如く顔を真っ赤に染め、私達を睨んでいた。床を乱暴に走ってきたかと思えば、ハリーを階段の手摺りに突き飛ばした。

 挙句、いきなり祖母を怒鳴り散らした。だが、祖母は怯まずに子供をあやす様な口調で私が学校の同窓だと説明した。

 しかし、ダーズリーおじさんの機嫌は更に悪化した。

「イカれた貴様らと、この家は関係ない! すぐに去れ! 警察を呼ぶぞ!」

 理不尽に怒鳴られた祖母は、気味の悪い笑みを浮かべて杖をダーズリーおじさんに向けた。ハリーと私は驚いて、互いの顔を見合す。

 ダーズリーおじさんは杖を向けられる意味を知っているのか、狼狽しながら口を噤んだ。居間から夫人が大袈裟に悲鳴を上げ、丸々と太い少年を抱きしめていた。

「よくお聞き下さい、バーノン=ダーズリーさん。私は今月から何通もハリー=ポッターにお手紙を出しているにも関わらず、返事が来ないのです。諍いを起こすつもりはありませんとも、ただ、返事が欲しいだけです。明日になっても手紙が来なければ、私は何をするか、わかりませんよ?」

 囁くような祖母に私は嫌な予感がし、ハリーも絶望したように頭を抱えていた。

「わかった、手紙は出させる。それでいいだろ。さあ、帰れ」

 震える声を出すダーズリーおじさんに、祖母は満足げに頷いた。ハリーに微笑みかけ、もう一度、握手した。

 祖母は一切気づいていない。ハリーは処刑を待つ罪人のように緊張しており、私は慰めの意味で握手した。予想通り、彼の手は異様に冷たく汗ばんでいた。

 

 タクシーを拾いプリベット通りを後にすると、ザラザラしていた舌の感触が漸く取れた。代わりにハリーの緊張が伝染したのか、私は動悸が治まらなかった。

 私の様子に気づかない祖母は、一番近いデパートで降りる。さっさと男子の衣服を物色し始めた。今月末にハリーの誕生日、また洋服を買おうとしているのは、すぐに理解出来た。

 ハリーの黒髪に見合う黒いズボンを買い終え、昼食を済ませた祖母は提案した。

「折角です。『姿現し』をして帰りましょう」

 クリスマス休暇の時に、耳にした単語だと覚えていた私は興味を持った。デパートを出た私達は、建物の物陰に入る。祖母は、ハリーへの贈り物を軽く杖で叩き、瞬時に消してしまった。私が感激するのも束の間、祖母は私の右の腕に自分の腕を絡ませて、手をしっかりと握り締めた。

「決して、私の手を離さないで頂戴」

 

 ――瞬間、視界が吸い込まれた。

 

 いや、風景が目に映らない程、急激に加速しているのだ。箒に乗る浮遊感はなく、私の肉体は加速していく風景を突き抜けていく。これが光速というものなのだろうかと私は自身に問いかけた。

 

 風景が動くのを止めた。

 私の視界には、見慣れた一戸建てが現れていた。しかし、以前より大きくなっている気がした。原因は、私が地面に尻餅をつくように座っていたからである。

「何処か悪いところはある?」

 祖母は私を起こし、五体満足かを確かめてきた。私は手足を動かし、四肢の感覚を取り戻す。

「うん、大丈夫さ」

 その場を跳ねる私に、祖母は感心していた。

「私が初めて『姿現わし』したときは、しばらく立てませんでした。あなたには才能があるのね」

 祖母の言葉はほとんど耳に入らない。『姿現わし』が瞬間移動のことだと理解でき、超能力者になれた気分で心が踊った。

 瞬間に、私の頭に、ハリーへの贈り物が落ちてきた。

 夕食の支度をしていた父に、事の次第を説明した。居間で上機嫌に食卓を綺麗にしている祖母に聞かれないように、父は私に耳打ちした。

「連れ出さなかっただけ、良かったと思うよ。どうも、母はハリー=ポッターに関して盲目的のようだからね」

 もし、ハリーを連れ出せば、誘拐罪にかけられている所だったのだ。背筋に寒気が走った。残してきたハリーの悲痛な表情を思い返し、私は後味の悪さと一日中格闘した。

 

 だが、翌日になってもハリーからの手紙は来なかった。

 挑戦と受け取った祖母がダーズリー家に奇襲をかけようとした。我慢の限界がきたのは、父も同じだった。私を庭に出してから、父は祖母を一時間近く説得しだした。

 庭で独りバスケットボールを弾ませ遊んではいたが、何故か家の中から物音ひとつしない。非常に異常な不気味さを醸し出していた。

 説得後、これまた異常に冷静になった祖母は、ハリーから手紙が来るまで事を起こさないと固く誓ってくれた。

 

 8月に入っても、変わらずハリーから手紙が来ないことに祖母は目に見えて不機嫌になっていく。だが、父の手前か文句は言わなかった。

 そんな中、カサブランカがジョージからの思いも寄らない手紙を運んできた。

【クローディアへ

 俺にしてはナイスなことを閃いた。それでハリーを助けに行く

 成功したら、なんかくれ♪  フレッド、ジョージ、ロンより】

 突発的なことに驚いた私は、手紙を祖母と父に見せた。

「これが失敗したら、私はもう我慢しませんよ!」

 否定か賛美か判断しにくい叫びを上げる祖母は、ジョージに返事を書き、カサブランカに持たせた。今夜のことに、不安に駆られる私に父は哀れむように笑いかけた。

 

 公衆電話から、日本に電話をかける私は日常を母に話して聞かせた。受話器の向こうで母は私の言葉を聞き逃さないように、一々応じる声を出す。それが私にはたまらなく嬉しい。

 母も周囲で起こることを私に話してくれた。

〈〔田沢くん、覚えてるさ? あの子、今年のインターハイに出場さ。3年生が引退したら、部長になるそうさ〕〉

 意外な報告に、私は驚いて呻く。田沢は、元同級生の男子だ。バスケをする際は、必ず私の相手チームに入っては、私と腕を競い合った。無論、毎回私が勝利を治めていた。

 英国の学校に入学が決まったと知った田沢が、友達の中で一番気落ちしていた。それでも、初めての外国に気をつけるように、励ましもしてくれた。

〔田沢はいい部長になるさ。田沢に会ったら、おめでとうって言ってさ〕

 私は傍にいる父に、受話器を渡した。流暢な日本語で父は母と簡単に言葉を交わすと、受話器を下ろした。

「どうかしたかい、クローディア? 不満そうだよ」

 父に声をかけられたが、私は俯いて足元を見やった。

 田沢の部長昇進を心から祝福できていない。それどころが、少し嫉妬している部分がある。心の狭い自分に、私は嫌気がした。

 

 考えることはあったが、意外に熟睡できた。私は気持ちよく目覚めて、窓を開け放つ。

 開いた瞬間、カサブランカが私の顔面に激突した。

 唐突に視界を奪われ、羽根の感触に驚いた私は布団の上で悶絶した。それを2度寝と受け取った動く洗面器が水をかけてきた。急いで私はカサブランカの足を掴み、階段を下りた。

 居間には誰もおらず、朝一番のドリスは庭に出て魔法で芝生に水をやっている。窓に背を向けているので、私に気づいていない。

 カサブランカは手紙を2通持ってきた。

「ハーマイオニーさ! ……ジョージさ、朝から早いさ」

 早速、ハーマイオニーからの手紙を開く。

【クローディアへ

 ロンからの手紙来た? ハリーを助けに行くんですって、止めても無駄よね。やると言ったら聞かないんだから、警察沙汰にならないことを祈りましょう。あなたのお祖母さんは参加してないわよね? それが一番心配です  ハーマイオニーより】

 祈っても無駄な気がする。それに、ドリスも犯罪の一歩手前だった。

 ジョージからの手紙を開くと、そこには私の心情を察した文面が綴られている。

【寝坊なクローディアへ

 成功した。

 ハリーを我が家の賓客として向かい入れている、心配無用。徹夜したのがママにバレて、罰を受けないと行けないから、また今度  超イケテル俺達より】

 文面のせいで折角の吉報が、雰囲気ぶち壊しであった。

 それでも私はすぐに祖母に報せた。喜びのあまり発狂した祖母が庭を洪水の如く水浸しにしてくれたのは、お約束だと言っておこう。

 




閲覧ありがとうございました。
ウィズリー家の車は、一度乗ってみたいです。
●オーガスタ=ロングボトム
 ネビルのお祖母ちゃん、映画で出番なかったなあ。


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1.不思議

閲覧ありがとうございます。
ちらりと、原作キャラが出てきます。
回想台詞は〝〟と表記します。

追記:17年9月29日、18年9月20日、誤字報告により修正しました。


 ハリーからこれまで手紙を出さなかった非礼を詫びる手紙が届いた。

「『屋敷しもべ妖精』の仕業ですって! 妖精が手紙を邪魔していたなんて、可哀そうなハリー! さぞ心細い思いをしたことでしょう……」

 憤慨したドリスは、興奮して手紙を破きそうな勢いだ。

「『屋敷しもべ妖精』って何さ?」

「読んで字のごとくだよ。彼らは屋敷に住みつき、その住人のしもべになる。彼らの強大な魔力を用いて魔法族に奉仕している素晴らしい種族だね」

 コンラッドの説明を聞き、『屋敷しもべ妖精』という種族がクローディアは腑に落ちない。

「強大な魔力があるならさ、なんで魔法族に仕えるさ? 自分達の為に使えばいいさ」

「それが彼らの悲しい性なんだよ。自分の幸せではなく、他人の幸せを望んでいる。奉仕し尽くすことが種族の誇りと思っているね。だが、全ての『屋敷しもべ妖精』がそうではない。中には、主人に不満を覚えている者もいる。だけど、一度主人になった相手を変えることは出来ない。主人が死ぬか自分が死ぬか……または着る物を与えられない限り、自由はない」

 一瞬、コンラッドの瞳に深い憐れみを感じた。相手は誰かわからないが、確かに彼は誰かを憐れんだ。それが『屋敷しもべ妖精』全体なのか、それとも1人の妖精に対してかどうかはわからない。

「でも、なんで妖精さんがそんなことしたさ? 誰かの命令さ?」

 クローディアの素朴な疑問をドリスは否定する。

「自分の意思でやったそうよ。なんでも、これから学校で良くないことから、ハリーを行かせたくないとか。このドビーという妖精は詳しいことは教えてくれなかったみたい」

「騒がしい新学期になりそうだね」

 煩わしそうにコンラッドは呟く。

「新学期と言えば、宿題終わったかしら?」

 唐突なドリスの質問に、クローディアは素早く目を逸らした。

 

 学校から黄色味がかった羊皮紙が送られてきた。新学期用の新しい教科書の一覧を目にし、クローディアは本の多さに驚きを隠せなかった。

 ドリスに教科書の一覧を渡すと、嫌そうに顔を顰める。

「……きっと、『闇の魔術への防衛術』の新しい担当の方は、ロックハートのファンなのでしょうね」

 ドリスにしては珍しく、ゴキブリを見るような目つきでその名を口にする。

 先日、ダーズリー家を訪問(奇襲)したときでさえ、ここまで悪態付いていなかった。

「評判の悪い人さ?」

 ベーコンエッグを口に含みながら、何気なくクローディアが問う。眉間にシワを寄せたドリスは、口元を引き締め、首を横に振る。

「とても良い方ですよ。ハンサムで、紳士的、ファンサービスは折り紙つきです。ロックハートは自身の体験さなった冒険を出版しておられるのよ。これが、爆発的に人気でね。老若男女問わず! すばらしいんじゃありませんこと?」

 称賛が嫌味に聞こえる。寧ろ、罵倒に近い。

 クローディアは曖昧に返事をしながら、コンラッドに目をやる。学校からの手紙に抜かりがないか確認するフリをし、ドリスの話に加わらないようにしている。

「お祖母ちゃん、このロブハーツが嫌いさ?」

「とんでもない! 自意識過剰、大いに結構! ええ、いいですとも! でもね、クローディア。ハリー=ポッターを見て御覧なさい。有名を鼻にかけずに、礼儀を忘れていません。それに比べてこのロックハートは全く! ハリーの爪の垢でも煎じて飲めばよろしい!!」

 本音を曝したドリスに代わり、コンラッドが説明してくれた。

 以前、ドリスも熱狂的なファンの1人であり、ロックハートの出版物は全て揃えていた。

 ある日、サイン会が催され、意気揚々とドリスも参加した。

 長い行列を並び、ドリスがサインを貰おうとした。偶々、前に並んでいた魔女はドリスの家庭事情を知っていた。その魔女はあろうことか、ロックハートにコンラッドが行方知れず、死亡説が囁かれているので慰めてやって欲しいと申し出た。

 大勢の人の前で息子に死亡説がるなどと触れ回られて、喜ぶ人などいない。ドリスは熱が冷めて蒼白になった。しかも、これにロックハートは止めを刺した。

〝素行の悪い息子さんを持つと、さぞお困りでしょう。しかし、ご安心を、私がサインを書いたと知れば、すぐに戻ってきますよ〟

 たった一言、されど一言。

 ドリスはロックハートの存在そのものを嫌悪した。所持していた書物は、灰も残さず焼き捨てた。

 粗方説明したコンラッドの口を閉じ、クローディアは目頭を押さえる。

 多少主観的要素はあるが、ロックハートから相当無神経な印象を受けた。クローディアは出来れば、そんな人物とは絶対に関わりたくない。そう願っていた。

 

 ――巡り合わせは否が応でもある。

 

 何故なら、ハーマイオニーからの手紙にこう書かれていた。

【クローディアへ

 教科書のリスト見ましたか?

 この前の食事会でクリアウォーター先輩に、この人の本を借りたの。とってもおもしろかったわ。是非、あなたにも薦めるからね。

 それでね、水曜にフローリシュ・アンド・ブロッツ書店でサイン会が行われるんですって! 新しい教科書も買えて、ロックハートの顔も見られるわ

 一緒に行きましょう  ハーマイオニー】

 クローディアにとって、重要なのはハーマイオニーと同じ時間を過ごすことに他ならない。どれだけロックハートが場の空気も読めない愚か者だとしても、些細なことだ。 ドリスは頑として同行を拒否し、その手紙を読んだコンラッドが提案した。

「前日にダイアゴン横丁に行くとしよう、そうすればクローディア1人でも大丈夫だよ」

「いいわね。頑張りなさい」

 即決でドリスは同意し、水曜はクローディアだけで行くことになった。

(お父さんが着いてくるっていう発想はないさ)

 視線で訴えると、コンラッドはロックハートに興味がないと嘲笑した。

 しかし、月曜の朝に届いたハリーの手紙がドリスを悩ませた。

【クローディア、ドリスさんへ

 僕達、水曜に新しい教科書を買いにロンドンに行くことになりました。よろしければ、ご一緒しませんか?

 追伸、頂きましたズボン、とても穿き心地が良くて、気に入っています ハリー】

 悩みに悩んで、ドリスは書店にさえ行かなければ良いのだと結論に至った。火曜に教科書を揃え、水曜にハーマイオニー達と合流する形を貫くことになった。

 

 初めての『煙突飛行術』、移動酔いに陥った。

 ダイアゴン横丁に優美に聳え立つ大理石のグリンゴッツ銀行。その階段に腰掛けて、クローディアは酔いが醒めるのを待つ。その間、コンラッドは教科書を購入しに行き、ドリスは冷たい飲み物を探しに行った。

 お気に入りの黒のワンピースに砂埃がついても、気にする余裕がない程に億劫だ。

 銀行に出入りする魔法使いや魔女達が、石階段に座り込むクローディアを怪訝そうに見つめながら通り過ぎていった。

 新入生らしき男の子は、マグル生まれなのか子犬よりも甲高い声を上げ、銀行を指差した。

 徐々に気分を取り戻したクローディアは、起き上がる。錆びることを知らない銅製の扉を見上げながら、ワンピースについた土埃を手で叩き落としていた。その土埃を不快に感じた守衛のゴブリンが睨んできた。

 気分の悪さでゴブリン族を初めてみる感動が浮かばない。クローディアは守衛の視線に従い、一先ず、階段を下りようと身体の向きを変えた。

 何故か、クローディアのすぐ後ろに気配もなく少女が立っている。全く気付かなかった。驚いて、悲鳴を上げそうになり口元を押さえた。

 しかし、声を抑える必要がない。何故なら、クローディアは唖然としすぎて声を忘れたからだ。

 金髪に少し濁りがかった少女が瞬きを一切せず、凝視してくる。眉毛の薄いその表情から、少女の感情を読み取ることはできない。

 それは些細なことであった。問題は、少女の恰好にあった。

 髪をまるで「サザ○さん」の如く、頭に三つの団子を作り、耳には本物の葡萄を飾り、首にはタンポポの綿を繋げた首飾りを下げていた。

(スゴイ恰好さ!)

 これまで見た魔法使いや魔女の服装がマトモに見えた。

 何の遠慮もなく、少女を穴が空くほど見つめた。傍から見れば、少女2人がお互いを凝視し合っているなど、意味不明である。通行人の嘲笑めいた笑い声を耳にし、クローディアは漸く我に返った。

「すみませんでした」

 クローディアは非礼を詫び、少女に深く頭を下げた。少女の返事を待たずに、慌てて階段を下りていく。少女は通り過ぎようとする動きを一挙一動、見逃さないようにしている。

「あんた、さっき蛇、持って歩いてた」

 寝言のように浮ついた声で話しかけられる。現実味を帯びない少女の口調に、独り言を呟いている気がした。

 段の上にいる少女を見上げ、クローディアは自身を指差す。

「私に言ったさ?」

 途端に少女は、クローディアの元まで段を飛び降りた。しかも、耳を近づけて何度も首を傾げる。聞き取れなかったのかと思い、同じ言葉を繰り返す。

「そのしゃべり方、直したほうがいいよ」

 浮つきの消えたハッキリとした言葉がクローディアの耳を走り去った。頭を鈍器に殴られたのと同じ衝撃が走り、脳内が真っ白になる。

「いま、なんてさ?」

 確認ではなく、ただ呻いて呟く。

 半眼にした少女は、クローディアに哀れむような視線を向けて言い放つ。

「ダサい」

 まさにグサッと心臓に槍が刺さる。

 

 ――――我が人生、口癖を罵倒されたのは、初体験である。

 

 一気に落ち込み、階段の隅に座り込んだ。少女は、沈みきったクローディアに興味を無くしたらしく、片足で階段を登りながら去っていった。

「まだ具合が悪いの?」

 戻ってきたドリスが心配そうにクローディアの背を優しく擦った。酔いは醒めていますと言いたいが、今は口を開きたくない。

 起きあがり、ドリスが教科書を抱えていることに気付く。

「お父さんは、どうしたさ?」

「あの子ねえ、ちょっと人助けに行ったわ」

 『魔法動物ペットショップ』に搬入された大量の蛇が手違いで逃げ出した。その捕り物を手伝いの為、コンラッドは何処かへ消えたらしい。

「大量の蛇ってさ! それ、いつのことさ?」

「ついさっきです。コンラッドがいるからすぐに片付くでしょう。私達は先に家に帰りましょう。この本、重くてしょうがありません」

 忌々しくロックハートの本を睨みながら、ドリスは進む。いくらなんでも、本に罪はない。溜め息をつきつつも、歩く。

 突如、クローディアの背に強い視線を感じ、歩きながら振り返る。

 遠くなったグリンゴッツ銀行の扉から、あの少女が綺麗な銀色の瞳を見開いてこちらを見続けていた。振り返ってしまったので、しっかりと視線が合う。

 敵意や悪意を感じないが、好意的な視線でもない。

(……怖いさ。なんというかさ、本当に妙な子さ)

 出来れば、あの少女がホグワーツの生徒でないことを密かに祈った。

 

 クローディアは『煙突飛行術』で家に戻り、再び酔いと格闘した。

(虫籠のときも、すごく酔ったさ。乗り物酔い……、煙突って乗り物さ?)

 疑問に思いながら、氷で冷やしたタオルで額を拭う。

 体調が万全になり、教科書を整頓した。噂のロックハートの本を睨み、予習を兼ねて読み漁る。内容は想像していたものより、しっかりと書き込まれていた。展開も良く、冒険心を掻き立てられる。怪物達との遭遇や、その対処法は感心させられるものばかりであった。段々と明日のサイン会が楽しみになった。

 そう考えると、表紙のロックハートがウィンクしてくるのも愛嬌だ。

(この人……、全部の教科書に自分の写真があるさ。ちょっと気持ち悪いさ)

 写真という単語に、思いつく。

〔ペネロピーがくれたアルバムに、写真を貼っとくさ〕

 クローディアは、空のアルバムに1年生時の写真(フレッド、ジョージのも含む)を差し込んでいく。何故か写真の人物達は、配置によって文句を述べる仕草を見せた。全ての写真を整え、懐かしむ気持ちでページを捲る。

(スネイプ先生との写真が、ないさ?)

 コンラッドに見せた後、写真は全て机の引き出しに入れたままにしていた。クローディアはドリスに呼ばれるまで、机の中を隈なく捜した。結局、写真は見つからなかった。

 

 夕食時に、コンラッドは帰ってきた。

「何処かの屋敷で何種類も蛇を買い込んだそうだよ。しかし、どの蛇もお気に召さなかったようでね。返品だってさ」

 ベッロの顎を撫でながら、コンラッドは興味なさげに報せた。迅速な対応でケガ人は出ずに済んだことにドリスは安堵していた。

「あれ……? 蛇は『闇の魔術の象徴』じゃなかったさ? 飼えるさ?」

 お茶漬けを平らげたクローディアは、ベッロに視線を向ける。ベッロを撫でる手を休めたコンラッドが、口元に小さく弧を描いた。

「大分、慣れただろう? クィレル教授の時は、おまえにベッロを任せて大丈夫かと思ったが、それ以外はちゃんと面倒見ていたようだしね。ベッロは並みの蛇より賢いから、それ程扱いには困らなかったはずだ」

 クローディアの肩がビクッと痙攣する。

 確かに、ベッロは賢い。何度も、その細い体に助けられた。

 しかし、寮生活を難なくこなせたかといえば、そうではない。入学したての頃は、パドマ以外はベッロに触れようともしなかった。あのハーマイオニーも称賛こそすれ、態度そのものは他の生徒と変わらなかった。理由があったにせよ、クィレルを襲ったことでフリットウィックは、ベッロを獰猛で危険だと誤解した。

 スネイプの姿が脳裏を掠めたが、無視した。

「そうそうさ。試験勉強の時、ハグリッドに預けてたさ。ハグリッドが預かりたいからってさ」

 まさか、虫籠にドラゴンのノーバートを隠すためだったとは言えない。

 興味深そうにコンラッドは頷く。

「ハグリッドが……そんなことを。それは良い判断だね。彼はおまえに良くしてくれたかな?」

「うん、すっごく良い人さ。ベッロは危険が迫ると機嫌が悪いって教えてくれたさ」

 微かにコンラッドの眉が跳ねる。

「ああ、言い忘れていたね。まあ、知らせなくて良かったかもしれない」

 男にしては華奢でそれでも逞しさもあるコンラッドの指が、ベッロの喉を這う。ベッロはその指の動きに、何か信頼を寄せている表情だった。

 今のクローディアには、ベッロにそんな表情をさせられない。

 当然だ。ベッロのことを疎ましいと感じ、その行動の意味も考えなかった。今では、自分には勿体ない使い魔だと十分、承知している。

(本当に『動物もどき』とかじゃないさ?)

 寧ろ、そちらの疑いが今は強い。

 クローディアの心情を読み取ったのか、ベッロがくすりと笑った。

 




閲覧ありがとうございました。
金髪に少し濁りがかった少女は、誰か、おわかり頂けたでしょうか?
はい、ルーナ=ラブグッドです。彼女に「ダサい」なんて言われたら、いろんな意味でへこみます。


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2.サイン会

閲覧ありがとうございます。
本屋でのサイン会は、宣伝にもなるけど、営業が…営業があ…。



 念入りに支度を整えたドリスは、自らに言い聞かせた。

「ハリー=ポッターに挨拶したら、私はすぐに帰りますよ」

 何度もその言葉を繰り返すので、少し鬱陶しい。

(無理に来なくていいさ)

 今日は、ハーマイオニーとの約束でもある。

 彼女に恥をかかせないために、クローディアは身だしなみを十二分に気遣う。誕生日にペネロピーから貰った純白のワンピース、ハーマイオニーがくれた白いリボンで髪を自分にしては上出来なおさげを作り上げることが出来た。

「よく似合っているよ。クローディア」

 コンラッドに褒められ、気分が良い。

 何故か、ドリスも普段より少しお洒落な余所行きを着ていた。クローディアとコンラッドは敢えて触れないことにした。しかし、彼は出かける支度もせずに机で書類と向き合う。

「お父さんは、来ないさ?」

「私が? 何しに行くんだい?」

 即答され、何も言えなくなった。

 

 待ち合わせ場所はグリンゴッツ銀行。

 早くハーマイオニーに会いたい気持ちが募りながら、クローディアは昨日の少女がいないことを切に願った。

 純白の建物が近づくにつれ、階段の一番上に数人の人影が見える。

 ドリスはその人影をハリーと認識したのか、大股で人ごみを抜けて階段を登っていった。その動きは、まるで階段を滑り上がっていくようであった。

(置いてかれたさ)

 人々を避けながら歩くと、クローディアの後ろから聞き覚えのある野太い声がした。

「腐れマグルめ。俺がそのことを知っとったらなあ」

 急いで振り返る。案の定、大男のハグリッドが威風堂々と歩いてきた。彼に駆け寄り、嬉しさでその場を跳ね上がった。

「ハグリッド! おはようさ!」

「おお! クローディアか! すっかり女らしくなっちまって、一瞬、誰だがわからんかった」

 コンラッドだけでなく、ハグリッドにまで褒められた。

「ほ、本当さ? ……ありがとうさ」

 急に気恥ずかしくなりクローディアは、ハグリッドから視線を下げる。驚いたことに、埃まみれで眼鏡の割れたハリーが微笑んでいた。

「おはようさ、ハリー。元気さ?」

「うん、クローディアも元気そうだね。よく似合うよ」

 ハリーの視線がクローディアの後ろに向けられた。つられて振り返ると、待ち望んでいたハーマイオニーが階段を駆け下りてくる。自然と頬が緩む。

「おはようさ、ハーマイオニー!」

「おはよう、クローディア。あら、そのリボン、着けてくれたのね。嬉しい、あなたの髪によく似合っているわ」

 微笑んでくるハーマイオニーに、胸中に気恥ずかしさとは違う感情が湧き起こる。急に顔が熱くなり、返事をしたくても口が上手く動かなくなってしまった。

(えとさ、なんかさ、言わないとさ……)

 その間、ハーマイオニーはハリーとハグリッドに向かって交互に笑いかける。

「ハリー、ハグリッド、こんにちは。また会えて嬉しいわ」

「「こんにちは、ハーマイオニー」」

 2人がほぼ同時に答えると、ドリスが階段を物凄い勢いで降りてくる。勢いをそのままにドリスがハリーに差し迫った。その迫力に押されたハグリッドが思わず、身を引いていた。

「ハリー=ポッター! お元気そうで! 先日はとんだご無礼を致しました!」

「……ドリスさん。こんにちは、ええ、本当に、もう大丈夫です」

 少々、引き攣った笑みでハリーはドリスから引くように一歩下がる。

 その時、ドリスはハリーの眼鏡が割れていることに気づいた。彼女が杖を振ると、彼の眼鏡は直り、服に付着していた埃は綺麗に取り払われた。

 ハリーは自分の眼鏡を見つめて感動し、ドリスに感謝した。

「ハリー、もう大丈夫じゃぞ」

 優しい口調で告げるハグリッドの視線の先には、ウィーズリー家の男性陣が駆け寄ってくるのが見えた。

 漸く熱が治まったクローディアは、ハリーとハグリッドを見比べて疑問が浮かんだ。

「あれ? ウィーズリーの家でお世話になってるんじゃなかったさ?」

「うん、そうなんだけど、『煙突飛行術』で来ようとしたら失敗しちゃって……、『ダイアゴン横丁』って言わなきゃいけないのに、『だいにゃご横丁』ってなって」

 正しい発音を告げなければ、近いが別の場所に飛ばされる。ちなみにハリーは、『夜の闇横丁』の『ボージン・アンド・バークス』の暖炉に辿り着いたらしい。

「まあ、あんな場所でよく無事でしたね」

「俺がちょうど肉食ナメクジの駆除剤を探しに寄っていてな。ハリーは運が良いぞ」

 満面の笑みでドリスは、ハグリッドの手を取り、何度も礼を述べていた。

 その隙にハリーは、ロン達にも『夜の闇横丁』へ行っていたことを説明した。

「いいなあ、ハリー。くそ、僕も着いて行けば良かった」

「危険な香りがするぜ」

「こらこら、子供の遊び場じゃねえぞ。行くなよ、絶対行くなよ」

 フレッドとジョージはイタズラ心満載の笑みを隠す様子もなく、感嘆の声を上げていた。その2人をハグリッドが鋭く注意した。

「治安の悪い所さ?」

「そうよ、名前からしてね……。あれ、誰かしら?」

 ハーマイオニーが少し驚いたように人ごみに目を向けるので、クローディアも同じ方向に目をやる。

 赤毛でふくよかな体形の女性が片手で少女を引っ張りながら、こちらに突進してきた。鬼気迫る雰囲気に圧倒されて、クローディアはハーマイオニーと顔を見合わせた。

「……僕のママだよ」

 恥ずかしそうにロンが声を落とし、遠慮がちに紹介してくれた。

 何の疑いもなく、2人は納得した。

「ハリー! 遠くに行っていたらどうしようかと!」

 当の本人は彼女らが眼中にない。ハリーの顔を何度も触り、五体満足か確かめている。

 その様子は、ドリスと酷似している。きっと気が合うだろう。

「こいつは妹のジニーだ、今年からホグワーツに入るんだぜ」

 ロンに紹介されて、少し髪が乱れた赤毛の少女が笑みを見せて挨拶した。

「こっちは、僕たちと同じ寮のハーマイオニー=グレンジャー」

「こっちは、レイブンクローのクローディア=クロックフォード」

 口を開こうとしたクローディアとハーマイオニーより先に、フレッドとジョージが親切に紹介してくれたので、手間が省けた。

「しかし、ウィーズリーに妹がいたとは思わなかったさ」

 思えば、クローディアはロンに興味がなさすぎる。

「……なんかさ、ウィーズリーって変さ。いっぱいいるしさ、ええと、ロナル……」

「ロン! 僕のことはロンでいい!!」

 本名を口にしようとしたクローディアをロンが大声で遮る。あまりの必死ぶりにハーマイオニーとジニーが顔を見合わせて笑いあった。

「じゃ、俺は行くからな」

 ハグリッドは学校での再会を約束して、その巨体を揺らして人ごみへと進んでいった。

 銀行の階段を登りながら、ハリーは『ボージン・アンド・バークス』でマルフォイ親子を目撃したことを話した。店の道具に身を隠し、様子を窺ったらしい。

「マルフォイですって!」

 突然、ドリスが悲鳴を上げたので、その場に居た全員が面を食らった。

「もう帰られたかしら?」

 唇に手を当てて、不安そうに呟くドリスにハリーが困ったように首を横に振る。

「箒を買うとか言っていましたから、まだいると思います」

 更に不安が増したのかドリスは目を泳がせながら、クローディアを一瞥する。ここまで動揺する様は珍しい。

「お祖母ちゃん、マルフォイがどうかしたさ?」

 心配になり声をかけると。ドリスは周囲を見渡して自分に視線が集まっていることに気づいた。

「さあ、銀行に参りましょう」

 笑顔を取り繕い、ドリスは階段を先に登っていった。

「マルフォイって、そんなに評判悪いさ?」

 歩きながら、ロンに尋ねる。フレッドが大袈裟に肩を竦め、クローディアに耳打ちする。

「父親のルシウス=マルフォイは『例のあの人』の腹心の部下だったヤツだ」

 代わってジョージが反対側の耳元に顔を寄せる。

「『例のあの人』がハリーに倒されて、真っ先に戻ってきたんだ。本心じゃなかったって、嘘をついて罪を逃れたんだ」

 2人の説明を受け、クローディアの脳裏に『賢者の石』を安置していた最後の部屋での出来事が甦る。クィレルの後頭部に寄生していた人面相が嗤う。あの時の異様な感覚に寒気が走った。

「だから、君のお祖母さんが恐がるのも無理ないんじゃないかな」

 ロンが最後に付け加えて、クローディアは相槌を打つ。

 守衛からお辞儀され、銅製の扉を抜けて壮大な大理石のホールに入る。美術館のように装飾され、清潔感が行き届いたホールには、忙しなく働くゴブリンがテキパキと行動している。

(なんか、こんなのゴブリンじゃないさ)

 失礼と思いながら、クローディアは気落ちした。

 ハーマイオニーは受付の傍で不安そうに佇んでいる夫婦に向かって大きく手を振る。その夫婦は、魔法族とは違う雰囲気を持っており、マグルであることが一目で知れた。 クローディアもキングズ・クロス駅で何度も目にしているハーマイオニーの両親だ。

 夫妻は、先に着いたドリスと挨拶していた。

「なんと、マグルのお2人がここに!」

 珍しいモノを発見した子供のように浮かれた声を出したアーサーがグレンジャー夫妻に嬉しそうに詰め寄り、昼食に誘ったかと思えば英国紙幣を指差して興奮している。

「モリー、見てごらん!」

 アーサーは嬉しそうに、はしゃいでいる。

「うちのパパはマグルに超興味があるんだ。ママはそれをちょっと嫌がっているけどね」

 フレッドがわざとらしく嘆息する。

「魔法界だけでなく、他にも視野を広げる意味では、父のなさっていることはもっと評価されるべきだ」

 不満そうにパーシーが声を上げる。

「パーシー、フレッド、ジョージ、ロン、ジニー、お父さんは放って置きなさい」

 モリーが呆れたように自らの子供達に声をかけた。ロンがクローディアとハーマイオニーに呼びかけた。

「あとで、ここで会おう」

 ハリーとウィーズリー家がゴブリンに連れられて奥に進んでいくのを見送っても、アーサーはグレンジャー夫妻を放さなかった。

 困り果てた両親を見て、ハーマイオニーがクローディアに微笑みかける。

「クローディアも外国のマグルに育てられたのよね?」

 耳敏く聞き取ったアーサーは、目標を切り替える。

「何処の国だね? そこにも魔法使いはいるのかな? そこのマグルは、この国とはどう違うのかね?」

 次々と質問され、クローディアは胸中で悲鳴を殺す。

(生贄にされたさ)

 恨めしくハーマイオニーに視線を向けると、彼女はご両親と共に申し訳なさそうに生暖かい目で微笑んでいた。

 粗方、アーサーの質問に答え終わると、クローディアは息が切れていた。満足したアーサーは、彼女を確かめるように眺めて、小さく唸る。

「君は、去年の夏に『漏れ鍋』に滞在していなかったかい?」

「はい、入学の準備で『漏れ鍋』に泊まっていました」

 自分の考えが当たっていたことに、アーサーは嬉しそうに微笑んだ。

 クローディアの背中を擦っていたドリスが、彼女に耳打ちする。

「お友達とも十分、話せたのです。そろそろ帰りましょう」

「嫌さ嫌さ! まだ、ハーマイオニーと全然話してないさ!!」

 帰宅宣言され、抗議すれば、ドリスは厳しい顔つきで頭を振る。

「新学期でも、会えます」

 強引に予定を繰り上げるのは、あまりにも不自然であった。こうして、話しているときもドリスは周囲を警戒している雰囲気を醸し出している。

 このような態度になったのは、先ほどルシウス=マルフォイの名を聞いてからだ。

「お祖母ちゃん、マルフォイが恐いさ?」

「……恐くなどありません。関わり合いにならないことが優先なのです。さあ、帰……」

「大丈夫ですよ! お孫さんは必ずヤツの手から守ります! 勿論、マダムあなたのことも!」

 意気込んだアーサーが大声で宣言するので、係りのゴブリンに厳しく注意された。それでも彼の勢いは治まらず、ドリスに無理やり硬い握手をした。

 戸惑うドリスは曖昧に頷く。

「大丈夫よ、クローディアのお祖母ちゃん。私もいるわ。それに、ロンもハリーも」

 ハーマイオニーが告げると、金庫から戻ったハリー達の姿にドリスは優しく微笑んだ。

「クローディアには、良いお友達がいるのですね」

 穏やかな声とは裏腹にドリスの手が若干、震えている。

(マルフォイのお父さんが……ヴォービートの腹心だったのと関係があるさ?)

 理由が何であれ、ドリスがここまで怯える相手ならば、要注意人物だ。クローディアは、しっかりとルシウス=マルフォイの名を胸に刻んだ。

 

 1時間後に『フローリシュ・アンド・ブロッツ書店』へ集合となり、一旦は解散した。

 クローディアはハーマイオニー、ハリー、ロンの4人でお菓子を買い食いし、『高級クィディッチ用具店』、『ギャンボル・アンド・ジェイズいたずら専門店』を見て回った。

 雑貨を見回り、ハーマイオニーは『現れ消しゴム』などの魔法の文具を真剣に物色する。

「ハーマイオニー、それが欲しいさ?」

 問うと、ハーマイオニーは曖昧に頷く。閃いたクローディアは、すぐに彼女が手にしていた文具を会計し、簡易包装して貰う。

「はい、早めの誕生日おめでとうさ」

 少し緊張しながら、クローディアは文具を入れた袋をハーマイオニーに手渡した。彼女は満面の笑みで感嘆の声をあげ、袋を優しく抱きしめた。

「ありがとう、クローディア。すごく、嬉しい」

 微笑むハーマイオニーに、クローディアは胸の辺りが花開いた感触で満たされる。今日一番の幸福を味わった気分だ。

「クロックフォード?」

 気分の良かったクローディアは微笑んだまま、その声に振り返る。

 統一感のある服装をしたロジャーが小洒落た服装のクララと腕を組んでいた。明らかにデート中だ。

「寮杯を勝ち取った仲間同士でデートかしら?」

「違います!」

 クララの軽口に、ハーマイオニーが声を荒げて否定した。

「てっきり、ハリー=ポッターとは、そういう関係だと思っていたけど、へえ、付き合ってないのか……」

 ロジャーは興味深そうにクローディアを見つめてきた。その視線にから逃れるため、たまたま通りかかったジョージの背中に隠れた。

「なんだよ? クロックフォード」

 怪訝するジョージに言い訳しようと、クローディアは思いつく。

「ポッターを連れ出す作戦が成功したら、なんか欲しいって言ってたさ? それ買いに行こうさ」

「おっ、マジか。それじゃあ、『ギャンボル・アンド・ジェイズいたずら専門店』で新作のヤツを頼むぜ」

 上機嫌にジョージはクローディアの手を握り、店を目指した。

 色々買わされると予想していた。しかし、彼は新作の玩具をひとつだけ選んだ。

(意外と謙虚な奴さ)

 フレッドと玩具を品定めするジョージを見つめ、クローディアは奇妙に感心した。

 

 約束の時間。

 書店は、ロックハートの横断幕に吸い寄せられたような人で溢れていた。ハーマイオニーが黄色い声で浮かれている姿に、クローディアは不愉快に思えた。

 折角、来たが、中に入ることを強く拒んだ。ハーマイオニーはそれに構わず、ハリーとロンを連れ、人垣を押しのけながら、中に入っていった。

 残ったクローディアは、横断幕の横でドリスが不愉快そうに立ち尽くしているのを見つけた。

〔なんかさ、バーゲンセールみたいさ〕

 日本語で誰に言うわけでなく呟く。

 隣にいるドリスはと周囲を見渡し、常に何かを警戒していた。

「ドリス=クロックフォード?」

 馴れ馴れしい口調で魔女がドリスを呼んだ。ビクッと肩を痙攣させた彼女は、その魔女を煩わしそうに睨んだ。

「ご機嫌麗しゅう。バーサ=ジョーキンズ」

 ドリスに煙たがられていると知りながら、バーサ=ジョーキンズという魔女はゆっくりと瞬きをして笑みを崩さない。

「あらあら、あなたがこんなところにいるなんて、ロックハートにはもう興味がなかったと思っていたわ。それとも、気が変わったのかい?」

 ジョーキンズは親切そうな雰囲気だが、大きめの口がおしゃべりな印象を受ける。確実に噂好きだろう。この魔女に秘密の相談などしたら、皆に喋ってくれと言っているようなものだ。

 初対面のクローディアでさえ、あまり話をしたくない。

「お祖母ちゃん、向こうに行こうさ」

 この場を逃げようとクローディアがドリスの服を掴んだ。

 突然、ジョーキンズは目を輝かせてクローディアを凝視した。興味津々に彼女を眺めた後、その視線をドリスに向ける。

「お祖母ちゃん? まさか、このお嬢ちゃんがあなたの孫だって言うの? それって息子が無事だったってこと? ねえ、ドリス。そうなの?」

「あなたには関係ないでしょう。ほらっ、最後尾にでも並んでらっしゃい」

 しっしっと手で払うドリスにジョーキンズは含みのある笑みを見せた。嬉しそうに足を弾ませジョーキンズは、列の最後のほうへ向かった。

 不審そうに眉を寄せたドリスは、クローディアの肩を掴む。

「ああいう人とは、大事な話をしてはいけませんよ」

「はいさ、お祖母ちゃん」

 おそらく、ジョーキンズがドリスをロックハート嫌いにさせた原因となった知人の魔女だろう。

 ロックハートが現れたのだろうか、書店の中から拍手が沸き起こっていた。拍手の音が耳に障り、クローディアは深い溜息をつく。

 心地よい地響きと共に、見慣れた巨体がこちらに向かって歩いてきた。それだけでクローディアの気持が安心させられた。

「ハグリッドもサイン会さ?」

「俺にはそんなもん必要じゃねえ、『漏れ鍋』に行くにはこっちしかねえからな。おめえさん達はいいのか? ……こりゃあ、通るのも一苦労だな」

 ロックハートのファン行列を一瞥し、ハグリッドが頭を掻いた。

「ハグリッド!」

 小さい悲鳴を上げたドリスが、急にハグリッドの巨体を引き寄せる。まるで周囲から自分達2人を隠しているようだ。

「お祖母ちゃん?」

 クローディアが声を出すと、ドリスが鋭く咎めた。

 何故だが、黄色い声援の魔女達が水を打ったように静かになった。

 何事かと、クローディアがハグリッドの陰から行列を必死に見やる。魔女達は、2人の親子連れに道を譲っていた。子供のほうはよく見えないが、父親らしき男の姿は見えた。銀髪を背中に流し、貴賓に溢れた上等な衣服を身に纏った魔法使い。まるで、物語に出て来る吸血鬼の印象を受けた。

「おっととい、ありゃあ、マルフォイだ」

「マルフォイのお父さんさ?」

 呻くハグリッドにクローディアが驚く。肝心のルシウス=マルフォイは誰にも目もくれず、書店へ入っていく。

「ふう、良かったな。おまえは、鉢合わせなくて済むぞ」

 優しい声でハグリッドにかけられ、ドリスが安心したのも束の間、一気に青ざめた。

「ウィーズリー氏が中におられます」

「へ!?」

 素っ頓狂な声で上げるハグリッドをクローディアが見上げた瞬間。

 書店から、金属音が鳴り響き渡る。次いで、本棚がぶつかり崩れる音がした。

「「やっつけろ、パパ!」」

 合わさったフレッドとジョージの叫びが外まで飛び、女性の悲鳴が上がる。人垣が騒動を避けようと後ずさりしたので、また本が崩れる音がした。

「一大事だ!」

 ハグリッドが慌てて、書店に飛び込んだ。皆が心配になったドリスとクローディアもそれに続いた。

「やめんかい、おっさん達、やめんかい」

 いい歳をして本気で取っ組み合いをする中年2人を、ハグリッドが強引に引き離した。

 騒動よりもクローディアは、ハーマイオニーの安否が心配だった。彼女は自分の両親の前で大きく手を広げて騒動に巻き込まれないように庇っている。

 すぐさまハーマイオニーに駆け寄り、グレンジャー夫妻の背を押すように書店の外に出た。夫妻は騒動を目の当たりにして、すっかり怯えている。

「大丈夫さ?」

「ええ、平気よ。私はね」

 唇を震わせたハーマイオニーは、深呼吸して両親の腕を掴んでいた。

「一体、何事さ? いきなり、喧嘩になったように思えたさ」

「マルフォイが悪いんだよ」

 眉を寄せたハリーがウィーズリー一家と共に書店から出てきた。

 『漏れ鍋』を目指す道、クローディアはハーマイオニーから書店での騒動について説明を受けた。

 マルフォイがアーサーの魔法省での仕事を貶し、マグル生まれのハーマイオニーを蔑んだ。それに我慢の限界だと言わんばかりにアーサーがマルフォイに掴みかかったのだ。

「ウィーズリー氏とマルフォイ氏との対立は、私の耳にも届いています。寧ろ、知らぬ者はほとんどいないでしょう」

 耳打ちするドリスが締めくくりとなり、クローディアはげんなりした。

「もしかしなくても、お父さん達もホグワーツの同窓さ?」

「勿論、そうだぜ。学生時代から、あのマルフォイは親父とよく衝突してたってよ」

 ジョージがさも当然に答える。

 それがクローディアの胸で煙が立ち込めたようにもやもやした。

(もし、ポッターのお父さんが生きていたら、うちのお父さんともそんな風になっていたかもしれないさ?)

 コンラッドはハリーとの交友を快く思っていないが、付き合いをやめろとは言ってこない。だが、『仮に』両親の諍いが原因で友情が結べないのは、正直に嫌だ。

 そういう意味では、ロンとドラコが友人でないのは、ある意味救いかもしれない。彼らは遠慮なく、互いを憎みあえるのだ。

 急にロンとドラコが仲良く手を繋ぐ様子を想像してしまい、クローディアは笑いを必死に堪えた。

「また、新学期に会いましょう」

 グレンジャー一家は、『漏れ鍋』の扉からマグルの世界へと帰っていった。

「今日はお世話になりました」

「いえいえ、こちらこそ」

 ドリスとモリーはハリーのことですっかり意気投合し、仲睦まじく手を取り合った。

「このままじゃ、ハリーもロックハートのようにサイン会しなきゃな」

 からかうフレッドにハリーは、疲れ切った溜息をついた。

 




閲覧ありがとうございました。
本屋での乱闘はお控えください。
●バーサ=ジョーキンズ
 知りたがりの魔女、学習しない困った人。


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3.新学期早々

閲覧ありがとうございます。
ウィズリーの家に、行かせてあげたい!そんな気持ちで書きました。

追記:16年9月24日、誤字報告により修正しました。


 叩き起こしてくる動く洗面器を封じ込めることに成功し、昼近くまで熟睡することができた。

 遅い朝食、早い昼食を摂っていたクローディアを行儀が悪いとドリスは小さく非難した。

 そして、今夜の予定を告げる。

「今日は、ウィーズリー家の夕食に招かれています。さあ、支度なさい」

 昨日の今日で、ハリー達に会うことになるのは、嬉しい。その反面、ハーマイオニーとは会えないことを残念に思えた。

 お気に入りの黒のワンピースに着替え、髪を整える。ドリスも昨日程ではないが、お洒落に着込んだ。しかし、コンラッドは準備など一切せず、白い部屋着のままだった。

「私自身が招かれたわけじゃないからね。遠慮するよ」

 相変わらずの笑顔で、コンラッドは拒んだ。

「ポッターは、会いたがってるさ」

 ハリーの名を聞き、コンラッドの口元が一瞬、嫌そうに痙攣した。

「会わなければならない理由もないだろう? さあ、お友達と楽しんでおいで」

 ゆったりとした動きで椅子に腰掛けたコンラッドは、窓の外を見やる。これで話は終わったという合図だ。胸中で嘆息し、視線でドリスに伝えた。

 既に承知しているドリスは困ったように微笑み、クローディアを暖炉の前に立たせた。

「ハリーは、コンラッドをご存知なの?」

 暖炉に置いてある鉢から、煙突飛行粉を摘んだドリスが問いかけた。隠すこともないので、素直に頷く。

「学校のトロフィー室にお父さんの名前が彫られた盾を見つけたさ。それでポッターと少し話したさ」

「あの盾を見つけましたのね。納得しました」

 何故かクローディアと目を合わせず、ドリスは用意された台詞を口にするように淡々と述べた。

 

☈☈ 

 『隠れ穴』では、朝からモリーが子供達(パーシー、ハリーを除く)を叩き起こし居間の掃除を入念にやらせた。

 掃除をしている様子を見たハリーが、ロンを手伝いながら、何事かと尋ねた。

「ママの友達が来るんだって、夕食まで時間があるのに」

 文句を垂れるロンに、モリーが一喝した。

「今度は自分達のお部屋ですよ!」

 夕食より早い時間に、モリーは全員の服装を厳しく確認した。普段の服なのだから何を確認するのかとフレッドとジョージが呆れ果て、わざと服装を乱して何度もモリーに注意を受けた。

 ハリーは持ち物の衣服の中で、ドリスから贈られた服を着ることにした。後はダドリーからのお下がりで古臭くブカブカだからだ。

 モリーが床を指差し、フレッドを怒鳴っていた。

「フレッド! どうして片付けたはずのあなたのパンツがここにあるの!」

 モリーが金切り声を上げるのを合図にしたかのように、居間の暖炉から緑の炎が燃え上がった。『煙突飛行術』の炎だと知る全員の視線が、暖炉に向けられた。

「ドリス!」

 モリーが炎に呼びかけると、少し着飾ったドリスが帽子を押さえながら現れた。来客にハリーは少なからず、驚いた。

「ドリスさん?」

 ハリーに気づいたドリスは、丁寧に会釈し微笑んだ。

「まあ、ハリー。こんにちは、ああモリーさん、本日はお招き下さり、ありがとうございます」

 続いて緑の炎から姿を現したのは、真っ黒いワンピースに身を包み、黒髪をポニーテールにした東洋人特有の丸みのある整った顔立ちを持つ、クローディアであった。

「クローディア?」

「昨日ぶりさ、ポッター」

 丁寧に挨拶してくるクローディアに、ハリーは困惑した。彼女はハリー達を一瞥し、居間を見渡して感嘆の声を上げる。

「あの時計、なにさ? ん……。時計?」

 居間に掛けられた9本の針を見つめ、クローディアは百面相を繰り返す。一見すれば時計だが、時間の代わりに家族全員の居場所が書かれている。はじめて見れば、誰でも不思議に思う。

 クローディアの当たり前の反応がハリーには嬉しかった。

 その隙にフレッドが、そっと床にあった自分の下着を回収した。

「なんだよ! お客さんってクロックフォードのことだったんだ」

「それなら言ってくれれば、もっと派手にお出迎えできたのに!」

 ブーイングする双子にロンは呆れる。モリーはドリスの前であることを意識して、怒りを含めた笑みを見せた。

「そうでしょうから、黙っていたんです。クローディア、よく来てくれたわね。歓迎するわ」

 惚けていたクローディアは、モリーに優しい声をかけられて我に返った。

「お招きくださりまして、ありがとうございます。素敵なお家ですね」

 お辞儀するクローディアにモリーは感心しながら、双子に厳しい視線を送る。

「フレッドとジョージにも見習わせたいものです」

 視線を無視し、双子はわざとらしく口笛を吹く。そしてクローディアのワンピースを何度も見つめて、わざとらしく声を上げて抗議した。

「僕らがあげた服はいつ着てくれるんだ!」

「2人で必死に作ったのに!」

 クローディアは笑みを崩さず、双子の頬を小さく摘んで捻った。

「あんな恥ずかしい服、着れないさ!」

 流石に痛がる双子を助けるために、ロンが仲裁に入るまでクローディアは捻る手を一切緩めなかった。

 モリーとドリスが協力して夕食作りに励み、クローディアとジニーがそれを手伝い、料理が出来た頃を見計らってアーサーが帰宅した。

 

☈☈

 居間にはアーサー、モリー、パーシー、フレッド、ジョージ、ロン、ジニー、ハリー、ドリス、そしてクローディアという顔ぶれでテーブルを囲んでいた。狭苦しいせいで何処を見ても誰かの顔があった。

 だが、狭さなどは関係なく、この家は暖かい雰囲気に満ち足りていた。

 テーブルに座るクローディアの両脇を双子に固められたのが、息苦しさの原因だ。

「さあ、食べて食べて♪」

 モリーが皿にサラダやスパゲティを盛りつけて寄越した。

 しばらく食事を楽しむために黙っていたが、ドリスとモリーがお互いの家庭魔法について話し出し、アーサーがクローディアとハリーにマグルについていくつも質問してきた。

 アーサーのマグルに対する的確な疑問は、答えずらいものも多い。

「そういえば、クローディアのパパは来れないの?」

 ハリーの呟きを聞き取ったドリスが驚きのあまり、口に含んでいた飲み物を噴出しそうになった。

「……いえ、お気になさらず……」

 すぐにドリスは、モリーと人気歌手の魔女について話し出した。

 ハリーの視線を受け、クローディアは苦笑する。

「お父さんはベッロとカサブランカの面倒見るからって、留守番さ」

 ロンが納得したように頷く。

「僕は大丈夫だけど、ジニーがベッロを見たら、逃げ出すもんな」

 意地悪そうに笑うロンに、ジニーは髪の色のように顔が真っ赤に染まる。

「ロン、ちゃんと説明するんだ。ジニー、ベッロはね、蛇なんだ。おまえは蛇が苦手だろ?」

 パーシーが窘めるとジニーはきょとんと目を丸くし、クローディアを不思議そうに見つめた。

「蛇を飼ってるの?」

「正確には、お父さんのお下がりさ。大丈夫、すごく聞き分けのいい子さ」

 素直に答えると、ジニーは益々顔を顰めた。

「ああ、それは僕も保証するよ。ベッロはただの蛇じゃない。すごく賢いんだ」

 ハリーに声をかけられたジニーは、手にしていた取り分け皿をひっくり返してしまう。

(そんなに驚くことないさ)

 ジニーの様子にベッロを留守番させたのが正解、当然といえば当然だ。しかし、会わせてもいない相手にここまで驚かれたのは、クローディアにも予想外であった。

 夕食が終わり、食器の片づけを自主的に手伝っているクローディアを他所に男性陣は、満腹だと階段を登り自室に引きこもった。ハリーは手伝おうとしたが、ドリスとモリーに部屋に戻された。

 片付けの最中、クローディアは痛々しい視線を受け続けた。食器を運ぶジニーからだ。本当に、彼女はただ黙って見続けた。

 既視感を覚える視線に耐え切れなくなり、クローディアは愛想良く微笑み返す。しかし、ジニーは素っ気なく顔を背けるだけであった。

 食器の片づけが終わり、お暇しようとすると、男性陣が部屋から現れた。またもやフレッドとジョージがわざとらしく喚きだした。

「泊まって行けよ~」

「僕らの部屋で寝ればいいから」

 クローディアの肩に顎を乗せる双子を、モリーは荒々しい手つきで引き離した。

「いい加減にしなさい! 年頃のお嬢さんをあんたたちの部屋で寝させるなんて、お母さんは許しませんよ!」

 わざとらしく拗ねた双子の姿に、クローディアは笑いを堪える。ジニーと視線を合うが、やはり目を逸らされた。

 

 家に帰ってみれば、コンラッドがクローディアの知らぬ客人と話をしていた。歳の頃はドリスと変わらぬ老人ながら、生き生きとした表情で「老人」と呼ばせぬ雰囲気を纏っている。

 手にある紫のシルクハットが如何にも、英国紳士らしい。

「こんばんは、お邪魔しているよ。お嬢ちゃん、わしはディーダラス=ディグルというもんだ。ドリスの友達だよ」

「はじめまして、クローディアです。祖母がいつもお世話になっています」

 背を九の字に折り、クローディアは頭を下げて挨拶した。

「こんな時間にどうしたの? ディーダラス」

 怪訝するドリスは、クローディアを一瞥する。込み入った話が始まると予感し、2階に上がろうと皆に背を向けた。

「クローディアも聞いておきなさい」

 驚いたことにコンラッドがクローディアを呼びとめた。こういう時、コンラッドは彼女に話すら聞かせない。珍しい状況に目を丸くする。ドリスも動揺して一瞬だけ、目を見開いた。

 椅子が勝手に動き、クローディアに座るよう促す。躊躇いつつも素直に、座る。椅子が動き出し、コンラッドの隣に移動した。

 どんな話になるのか、クローディアは緊張しつつも胸の鼓動が高鳴る。

 ディグルはシルクハットを玩ぶような手つきで、神妙にドリスを見やる。何かに気付いて、彼女も黙って椅子に腰かける。

「バーサ=ジョーキンズが色々と嗅ぎまわっておるぞ。ドリスに孫がいるとか」

「ああ、やっぱり! もう私に聞かず他を当たろうとしたのね!」

 嫌悪丸出しでドリスは、悪態付いた。

 昨日、偶々出会った魔女を思い返し、クローディアは胸中で溜息をつく。

「わしのように事情を知る者は、おらんから良かったが……。魔法省のマッジコムがホグワーツでの出来事をジョーキンズに話してしまったようだ。お嬢ちゃんがハリー=ポッターと『例のあの人』から『賢者の石』を守り、寮対抗をレイブンクローとグリフィンドールで引き分けたとかな」

「やはり、あれが目立ってしまったか」

 機械的な笑みを浮かべたままコンラッドの口から、溜息が吐かれる。

 その溜息にクローディアは少々イラッときた。寮対抗の結果は、クィレルの感謝によって齎されたものだ。まるで、コンラッドは彼女の行動を否定しているかのように感じ取れた。

 文句を口で殺しても、不満がクローディアの顔に出ている。彼女の心情を読み取ったコンラッドは、やんわりと否定した。

「クローディアのしたことを責めているんじゃないよ。バーサ=ジョーキンズの行動に困っているんだ。あの魔女は、私の学生時代からゴシップが好物でね。人の秘密を嗅ぎまわっていたが、その分、しっぺ返しも受けていた。それなのに、その性格は相変わらずだ。このままでは、いつか命を落とすだろうね」

「危険も顧みない方ですからね。度胸があるんでしょうが、道徳や危機感が足りないんです。相手のことを重んじれば、それが知られたくない情報だと察することもできるでしょうに」

 ジョーキンズを非難しながら、ドリスは彼女の身を案じていた。

「ルシウス=マルフォイの耳に入るのも時間の問題だが、どうするね? 学校には、奴の息子がいるはずだ。何か探ってくるかもしれん」

「放っておけばいい。学校には……スネイプ教授がいらっしゃる。クローディアのことは彼の教授がマルフォイ氏から必ず守ってくれる」

 信頼し切った声でコンラッドは、ティグルに微笑み返した。

 スネイプへの信頼はさて置くとして、コンラッドはあまりにもマルフォイを恐れていない。その態度は、ドリスがジョーキンズを嫌悪するそれと同じだ。

 ドリスはマルフォイの名を聞くだけで、不安を露わにしている。

「マルフォイのお父さんも……スリザリンの人さ? もしかして、お父さんの友達だった人さ?」

 何気なくクローディアが呟くと、コンラッドが苦虫を噛み潰したように口元を歪ませる。それでも、目元は笑ったままだ。ドリスとティグルは露骨に嫌そうな顔を見せた。

 コンラッドは一呼吸、間を置いてから口を動かした。

「偶然、同じ国に生まれ、偶然、同じ学校に通い、偶然、同じ寮だった。赤の他人だ」

 少なくとも、友好的ではないことがハッキリと理解できた。何故だが、クローディアは近い将来、この名台詞を知る予感がした。

 必死に笑いを堪えるティグルが咳き込んで誤魔化す。

「赤の他人は……ともかく。マルフォイは、ホグワーツの理事を務めておる。その地位を利用して来ないとも限らないから、お嬢ちゃん、くれぐれも気をつけるんだよ」

 衝撃の事実を知り、クローディアはげんなりした。理事会は学校運営に意見する機関だ。つまり、マルフォイはホグワーツに干渉できる権限を持っている。

 そんなマルフォイから、一介の教師に過ぎないスネイプがただの生徒を守りきれるか不安だ。

「何も恐れることはない。スネイプ教授を信じていればいい」

「……はい、お父さん」

 クローディアは、マルフォイを面倒な相手だと思っているが、恐れてはいない。ただ、コンラッドが自分を気にかけ、安心できるように言葉をくれることが嬉しい。

 それを想えば、スネイプからの憎悪も耐えられるのだ。

 

 残りの夏休みは、新学期の授業範囲を予習する日々に追われた。特に『魔法薬学』をコンラッドが講義の元、4年生の範囲まで念入りに勉強した。しかし、クローディアに知識を詰め込もうとしても、頭がそれを拒絶し、大切な休暇の最終日は熱に浮かされて倒れた。

「成績発表が待ち遠しいね」

 家を出る前にコンラッドに向けられた笑顔が異様に殺伐としていた。クローディアは敢えて、それを無視してドリスとキングズ・クロス駅を目指した。

 

 去年のことを踏まえ、早めに出発したため、9と3/4番線に1時間前に到着した。

 時間が時間なだけに、プラネットホームにいる人たちは疎らで、紅の機関車ホグワーツ特急も駅員達が清掃の最終確認を終えた所である。

 カートを押しながらプラネットホームを見渡す。監督生の威厳を持とうとするペネロピーを発見したので、クローディアはすぐに駆け寄って挨拶した。

「おはようさ、ペネロピー!」

「あら、おはよう。私達が一番乗りよ。……あそこのスリザリン生もだけど」

 ペネロピーの視線の先には、見覚えのある男子生徒が退屈そうに汽車に乗れるのを待っていた。

「……マーカス=フリントさ?」

「そうよ。もう少し人が集まってからウッドが来て欲しいわよ。去年もこの時間で、スゴイ気まずかったんだから」

 だが、ペネロピーが言い終えた瞬間、願い空しく柵の向こうからカートを押したオリバーが両親と共に姿を現した。宿敵を発見し合ったオリバーとマーカスはお互いの両親がいる手前、何もしなかったが視線を絡め、見えない火花を散らせて睨み合っていた。

(今年のクィディッチも楽しそうさ)

 クローディアが胸中で皮肉を込める。そうこうしている内に、漸く駅員が汽車を開放した。待ち惚けをくらっていた生徒達は、さっさとコンパートメントに乗り込んだ。

「私は監督生の車両に行くから、ここでね」

 胸に『監督生』のバッチを付けたペネロピーが監督生専用のコンパートメントに向かうと、同じように進むバーナードと遭遇していた。彼の胸にも『監督生』のバッチがある。

「……あら、マンチ。あなたが監督生なのね。きっとあなただと思っていたわ」

「俺もなんとなく、クリアウォーターが監督生だと予感したな」

 クローディアは運転席に近い車両で適当なコンパートメントを見つけ、トランクや虫籠を荷物棚に詰め込んだ。窓から身を乗り出してドリスに席が取れたことを報告しようとした。そのドリスは、クリアウォーター夫妻と監督生制度について話していた。

「クローディア!」

 視界の隅に綺麗な栗色の髪が映り、聞きなれた高く声が耳に入る。ハーマイオニーがカートを押しながら、クローディアに手を振ってくる。

 夏の休暇で何度も顔を合わせたというのに、新鮮な気持ちで胸が高鳴りだした。

「ここは、僕が先に目をつけたんだぞ!」

「荷物を置いたのは、こっちが先だ!」

 クローディアの胸中を暖かいモノで満たされていたが、通路からオリバーとマーカスの怒鳴り声のせいで雰囲気が壊された。

 ハーマイオニーはすぐにクローディアのいるコンパートメントに現れて、荷物棚にトランクを詰めた。

「ハーマイオニーはいつもこの時間さ?」

「いいえ、去年は後尾のほうだったから、前のほうに座りたくてね」

 残りの休暇をどのように過ごしたのかを話しているうちにホームは大勢の人で溢れ返り、騒がしくなってきた。パドマ、パーバティー、リサ、ハンナを見かけ、ハーマイオニーがコンパートメントに招いたので、2人だけでなくなったことをクローディアは少し残念に思いながらも、皆に挨拶した。

 

 時計の針が11時になり、汽車は煙を吐き上げて出発した。

 生徒全員が窓から顔を出し、見送りの家族に暫しの別れを告げる。

 クローディアもドリスに手を振り合った。ウィーズリー夫妻とグレンジャー夫妻がいて同じように手を振っている。

「「グレンジャー、クロックフォード! ここにいたのか!?」」

 汽車がホームを離れた頃、コンパートメントにフレッドとジョージが息を切らして乱入してきたので、リサが驚いて軽く悲鳴を上げた。

「ロンを見てないか?」

「ハリーもいないんだ」

「ここには、来てないわ。ジニーと一緒じゃないの?」

 頭を振りながらハーマイオニーが答えた。しかし、同じようにフレッドとジョージは首を横に振る。その場にいた全員が、お互いの顔を見合わせた。

 事態を重く見たクローディアは、ハーマイオニーと手分けして汽車の車両という車両を調べた。荷台や椅子の下を探してもハリーとロンの姿は何処にもなく、焦りは募っていく。

 ハリーの不在はすぐに汽車中に知れ渡り、ドラコが意気揚々と通路を闊歩した。

「ハリー=ポッターは退学になった! 間抜けなウィーズリーも一緒だ!」

 事態が掴めない他の生徒も口々に勝手な憶測を飛ばしていた。

「いい加減なことを言わない!」

 ペネロピーが早速、監督生として憶測を口にする生徒を厳しく注意していた。

 そんな様子を尻目に、クローディアは最後尾の車両を念入りに探した。

 覗いたコンパートメントに数人の新入生がいた。ハリーとロンのことを聞こうと、挨拶してから戸を開いた。しかし、そこにいる1人の少女を見て、クローディアは思わず表情を引きつらせた。

 グリンゴッツ銀行の階段でクローディアの口癖を「ダサい」と告げた少女だ。あの日とは違い、髪を下ろしていたが、耳には本物のスモモを付け、首には何故かビール瓶の蓋を繋げた首飾りをつけていた。

 しかも、窓のほうを食い入るように見つめ、ブツブツと呟いている。

「車が飛んでる」

 注意深く聞き取ると少女が空を車が飛んでいるのだと主張した。

(どうするさ、ここはなんていうさ?)

 焦りのあまり、クローディアは目を泳がせて悩んだ。

「あ、車が飛んでるよ! ほらほら!」

 薄茶色の髪をした男の子が窓の外を指さした。

 通路からジョージがおおげさに喚いて、コンパーメントに乱入してきた。

「うちの車が空を飛んでる! クロックフォード、見てみろ!」

 ジョージに腕を掴まれ、クローディアは新入生を押すような形で窓から外を見やる。

 太陽と雲の横にトルコ色の車がふらふらと右往左往しながら、確かに飛んでいる。しかし、車の下しか見えないので、誰が乗っているのかはわからない。

「箒だけじゃなくて、車でも飛べるんだ! すごい、すごい!」

 男の子が椅子の上で弾けながら、叫んでいた。

 すぐにクローディアはコンパートメントに戻り、ハーマイオニーに車のことを報せた。

「まさか、それにハリーとロンが乗っているとでも言うのかしら?」

「きっと、ウィーズリーおじさんが飛ばしているさ。あの2人が汽車に乗り遅れたとかでさ」

 パドマ達も窓から車を見上げたが、場所が悪いらしく見えなかった。

 

 全員が制服に着替え終えた頃には、汽車が速度を落とし暗闇に包まれた駅に到着した。クローディアは、遊んでいたベッロを虫籠に戻し、荷物を置いて下車する。

「ハグリッドさ!」

 森番が愛犬のファングと生徒達を見回している。喜んだクローディアは、ハーマイオニーと一緒に駆け寄った。

「よお、クローディア。ハーマイオニー、……ハリーはどうした?」

「それが汽車に乗っていなかったの。ロンも一緒よ」

 ハーマイオニーが遠慮がちに説明すると、ハグリッドは潰れた悲鳴を上げて慄いた。その悲鳴に周囲の生徒は驚いて、森番を振り返った。

 生徒の視線を浴び、ハグリッドは狼狽しながらも自身の役目を思い出す。

「イッチ年生! イッチ年生はこっちだ!」

 ランタンを片手にハグリッドは、新入生を引率しだした。興奮と期待と緊張に胸を躍らせた新入生は、カモの子供のように森番に着いて行く。

「じゃあな、ジニー、後でな」

「ロンは大丈夫だよ」

 フレッドとジョージがジニーに優しく声をかけて、ハグリットの元へと送り出した。

 あの濁った金髪の少女は、真っ先にハグリットに張り付くように着いて行った。ただ、彼の呼びかけがあるまで、やはりクローディアを凝視してきていた。

 あの少女に対する苦手意識が益々、酷くなった。

 冷たい空気の中、生徒達は互いに身を寄せ合いながら駅の外まで歩く。100台近くの馬なし馬車が並ぶ所に出た。。

 適当に順番待ちをしていると、ネビルが深刻な表情で馬車を見つめている。体調が悪いのかと心配したクローディアが何気なくネビルに声をかけた。

「ネビル、どうしたさ?」

「やあ、クローディア。ううん、なんでもないよ。ハリーとロンは、やっぱりいないみたいだね」

 ネビルにしては、動揺をうまく隠していた。普段の彼なら、自らが感じた恐怖や動揺を正直に話すはずだ。

「この辺は、寒いさ。早く城に行きたいさ」

「うん、本当に楽しみだね」

 クローディアが深く質問しないことを彼は、喜んでいた。やがて、順番の来たネビルはシューマスやディーンと同じ馬車に乗り込んだ。

 順番を待とうと周囲を見渡したクローディアは、スリザリン生セオドール=ノットもネビルと同じような顔つきで馬車を凝視していることに気付いた。

「セオドール、行くぞ」

 ドラコに声をかけられ、セオドールも馬車に乗り込んだ。

 その直後、クローディアの順番が回ってきた。4人乗りのため、クローディア、ハーマイオニー、ハンナ、スーザンで馬車に乗り込み、戸を閉めると独りでに走り出したのだ。

 馬車からは微かな藁の匂いが充満している。

「きっと、透明にされた馬がいるんだわ」

「どうして、透明にするのかしらねえ」

 ハンナとスーザンが馬車の仕組みについて話し、ハーマイオニーはロックハートの自伝【私はマジックだ!】を読み耽っていた。

 馬車は雄大な鋳鉄の門を緩やかに抜けて、長い上り坂で速度を上げて登っていった。揺れの感触に酔い始めたクローディアはハンナの意見通り、馬を透明にしていることに賛成した。

 

 ホグワーツ城への石段の手前で馬車は止まり、4人は譲り合いながら降りた。

 既に到着している生徒達に続いて石段を登り、正面玄関の巨大で頑丈な印象を受ける樫の扉を通り過ぎ、松明に照らされた玄関ホールに入った。

 生徒達は大広間へと流れ、クローディア達も自然に足を向ける。

 広間は去年と同様に、神秘さを醸し出した雰囲気。新鮮な気持ちで興奮した。各寮の席では、着席した寮生が雑談をしているため、賑わっていた。

 クローディアは、寮の違うハーマイオニー、ハンナ、スーザンと別れた。適当な席に座ると、向かいに座っていたサリーは黄緑の瞳を輝かせていた。

「あれって、ロックハートよね?」

 隠す気もなく、サリーは上座の教員席を堂々と指差している。彼女の言葉通り、スリザリン寮監のスネイプの隣に、上等な淡い水色のローブを優雅に着こなしたギルテロイ=ロックハートが満面の笑みで座っている。

 スネイプは、ロックハートをガン無視している。

「教科書通りの笑顔さ」

「でしょう! 素敵よねえ!」

 クローディアの皮肉は、サリーに効果がない。

 もしやと、グリフィンドール席にいるハーマイオニーを見やる。彼女は嬌声を抑えることに必死になり、笑顔で悶えていた。

 途端に、クローディアの胸の奥底からドス黒い渦が起こり、ロックハートに対する感情は嫌悪以外なくなった。元々ドリスの影響で多少の先入観は持っていたが、最早、関係ない。こんな話を他人に聞かせれば、「醜い嫉妬」と呼ばれようとも厭わない。

「まあ! ロックハートですわ」

 リサは教員席に目をやった瞬間、興奮のあまり隣にいたマンディの肩を思いっきり叩いていた。

「見ればわかるから、やめて!」

 カンカンになったマンディに、リサは非礼を詫びた。

「あの人、雪男の毛皮とか持ってないかな?」

「気前良さそうだし、聞いてみればいいわ」

 声だけ弾ませたセシルがパドマに相談していた。

「絶対、『闇の魔術への防衛術』の先生だよな?」

「それしかないって、ママが喜ぶよ」

 テリーとアンソニーが手を叩き合い、喜びを分かち合った。

「どうりで教科書がアイツの本のはずだぜ。すっげえ高かったから、お袋が親父の小遣い減らすって。親父が悲鳴を上げてたわ」

「こっちは、クリスマスのプレゼントなしにされた」

 マイケルとモラグがぶつぶつと文句を述べた。

 確かに、ロックハートの書物は通常の教科書より格段に高い。

(絶対、印税だけで暮らしているさ)

 恨みがましくクローディアが教員席を視界に映すと、先ほどまで座っていたスネイプの姿が消えていた。

「クララ、スネイプ先生はどうしたさ?」

 クローディアの隣にいたクララは、ロックハートに向けていた熱い視線を消し、瞬きを繰りかえす。

「後ろの戸から出て行ったわ。お手洗いかしら?」

 簡単に答え、クララは再びロックハートに夢中の視線を向ける。

(もしかして、スネイプ先生……。ポッターとロンを探しに行ったさ?)

 クローディアが空席を見つめているうちに、大広間の二重扉が開く。途端に、全員の口は一斉に閉じられた。

 教頭マクゴナガルの後ろを一列に並んだ1年生が、緊張と期待を胸に入場する。誰もが懐かしい気持ちに駆られる。

(そういえば、この学校で何の練習もしないさ。ある意味行き当たりバッタリさ?)

 呟きを口にせず、クローディアは新入生を見つめる。

 マクゴナガルは去年と同じように教員席と生徒席の間に、1年生を一列に並ばせた。

 組分け帽子が登場すれば、全員が新たな新学期を目の当たりにし胸が高鳴る。視線を受け、帽子は生命を与えられたように、去年と一切違う歌詞を歌いだした。歌い終わると、緊張の1年生以外は理解不可能な感動で拍手を送った。

「去年と歌が違うさ?」

「そのようですね」

 拍手しながら、クローディアはリサと確認の意味で笑いあった。

「エドマンド=ハーパー!」

《スリザリン!》

 マクゴナガルに順番に呼ばれ、1年生達が緊張な面持ちで帽子を被り、各寮に組分けされていく。

「コリン=クリービー!」

 薄茶色の髪をした男子生徒が強張った表情で、椅子に座り帽子を被る。汽車ではしゃいでいた男の子だと、クローディアはわかった。

 見るとはなしに、クローディアは教員席を見やった。奥にある戸が少し開いている気がした。コリンはグリフィンドールに配され、喜びのあまり何度も万歳していた。

「シーサー=ディビーズ!」

「(あの子、ロジャーの弟よ)」

 嬉しそうにクララが、クローディアに耳打ちする。

 椅子に座る男子生徒は、何処となくロジャーの面影がある。正直、クローディアには興味がない話だ。そして彼は、レイブンクローになった。

「ルーナ=ラブグッド!」

 その名で呼ばれた女子生徒に、クローディアの背筋が粟立った。

 あの濁りみの金髪少女だ。大切な組分け儀式だというのに、彼女の意識は他にある気がする。

(せめて、違う寮に行って欲しいさ)

 帽子がクローディアの心を察するはずもなく、彼女はレイブンクローに配された。

「デメルザ=ロビンズ!」

《グリフィンドール!》

 組分けの後は、豪華な食事だ。

 クローディアがステーキを平らげるため、フォークとナイフで格闘する。急にスネイプが教員席の奥の戸から姿を現し、ダンブルドアとマクゴナガルに耳打ちした。

 マクゴナガルはすぐに席を立った。ダンブルドアは、全員に食事を続けるように指示し、スネイプと戸の向こうに消えた。

「なんだろうさ?」

 ステーキを頬張り、クローディアが呟く。

「ハリーのことでしょうか?」

 リサが口を開くと、皆も次々と話題をハリーに切り替える。

「やっぱり、汽車から見えた車に乗ってたんだ」

「墜落したのかも」

 大広間は、この話題で持ちきりになり、しばらくしてダンブルドア、マクゴナガル、スネイプの3人が戻ってきた。

 憶測は終わることを知らず、スリザリン席からは嘲笑が小鳥の囀りのように起こる。それを快く思わないグリフィンドール生との間で微妙な睨み合いが続いた。

 しかし、クローディアはそれどころではなかった。

 監督生の向こうから、ルーナの視線を絶えず感じ取っていた。一度は気になり、ルーナに視線を返すと、彼女は一切瞬きをしていなかった。

 視線を忘れるために、クローディアは夢中でデザートに食らいついた。

 ダンブルドアから1年生への注意事項と『闇の魔術への防衛術』にロックハートが就任したこと告げる。大多数の女子生徒から黄色い声援と拍手が送られた。最後の歌唱バラバラの校歌斉唱をもって、宴は終わった。

 各寮の1年生は監督生に導かれて先に大広間を出る。1年生が出終わってから、クローディア達も寮を目指して大広間を出ようした。

 十二分に腹が満たされて完全に油断した腕をハーマイオニーが乱暴に掴んだ。

「一緒にハリーとロンを探しに行きましょう!」

「了解さ」

 反論なく、クローディアはハーマイオニーと生徒の流れを無視して進んだ。

「最初は医務室さ?」

「そうね。そこにいなかったら、職員室に行きましょう」

 医務室の様子を探ろうとした2人は、若干、不機嫌なマクゴナガルに見つかった。

「ハリー=ポッターとロナルド=ウィーズリーの無事は確認しました!あなた達も寮へお帰りなさい」

 折角のハーマイオニーとのささやかな時間が終わってしまい、クローディアは嘆く。螺旋階段を下り、壁に取り付けられた胴製の鷲型ドアノッカーの前に立つ。

 彼女の存在を察知したように、ドアノッカーの鷲の口が開かれた。

「絶えず変わるがいつも存在し、今日与えられても明日は禁じられ、初めは皆が従うがすぐに嘲笑されるもの」

 合言葉代わりの謎かけに、クローディアは呻く。

(存在して、与えられる?)

「……富?」

 静寂で微かに風の音が耳に入る。

「……法律? 名誉? 命? 校則? ……習慣?」

「答えを吟味してから口にしろ」

 鷲の口が皮肉っぽく曲がり、壁が開けた。

(習慣さ……)

 組分け帽子やドアノッカーは、何処から知識を搾り出しているのかとクローディアは首を傾げる。

 談話室に足を踏み入れると、人影はなく暖炉の火が燻っていた。久しぶりの談話室の空気に安心すると、急に眠気がクローディアを襲う。自分の部屋に向かって、女子寮の戸に手をかけて開いた。

 何故か、ルーナが螺旋階段に腰掛けていた。吃驚して、悲鳴を上げかけた。代わりに、音程のズレた呻き声が出た。

「え……と、ラブグッドさ? 入学おめでとうさ」

 クローディアが必死に笑顔を取り繕う。しかし、ルーナは答えない。

 沈黙が続き、暖炉の音が消えてルーナの唇が動く。

「ダサい」

 以前よりも重く、クローディアの胸に突き刺さった。

 理由がわからぬ苛立ちに頭を掻いていると、ルーナは夢遊病を思わせる足取りで階段を登っていった。

 




閲覧ありがとうございました。
コンラッドが言っていた「偶然、同じ国…」の下りは、少女漫画のフルー○バスケッ○にあります。本当に名言だと思います。
●ディーダラス=ディグル
 原作にて幼かったハリーに手を振ったり、『漏れ鍋』で握手したり、ちらちらと出てくる魔法使い。
●セオドール=ノット
 原作六巻にて、いつの間にか登場していたスリザリン生。あんまりドラコとつるんでないよね。


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4.血筋

閲覧ありがとうございます。
ようやく、新学期です。

追記:16年9月28日、18年9月21日、誤字報告により修正しました。


 昨晩にハリー達を捜索したことが堪え、クローディアは普段より遅く目が覚めた。

 ベッロを連れて談話室に下りると、事情を知らない1年生の何人かが、短い悲鳴を上げて逃げ惑う。上級生達は去年の自分達がそこにいると腹を抱えて笑いあった。

 ロジャーは自らの弟シーサーが、ベッロに怯える様子を見て腹を抱えて笑っていた。ペネロピーら監督生が説明してくれたお陰で、その場は収められた。

 リサとパドマがベッロを抱き上げ、苦笑する。

「ベッロは、こんなにいいコなのにねえ。よしよし」

「闇の魔術の象徴とか、ベッロには何の関係ありませんわ」

 寝ぼけた頭でクローディアが2人に挨拶する。

「クローディア、ちょっといいかしら?」

 先に朝食を摂りに行ったはずのサリーが、困惑した様子で談話室に戻ってきた。彼女はクローディアの背を押し、談話室の外に出した。

 まだ眠気が取りきれなかったクローディアは、怒りを露に口元を歪めたハーマイオニーが待ち構えていたので、すぐに目が覚めた。

 

 そして、大広間までの道のり、ハーマイオニーの壮絶な愚痴で埋められた。ハリーとロンが車で文字通り飛んできたこと、それに対してグリフィンドール生(パーシーを除く)から英雄扱いされ、本人達は一向に反省していないことを延々と語った。

「貴重な『暴れ柳』に車で突っ込んだのよ! しかも、車は何処かに逃げたとかいうし!」

 空を映した大広間の天井は、クローディアの心情を映したか如く、曇りのため灰色に染まっていた。席に着いても、ハーマイオニーは治まらなかった。

 不満を口にしてせいか、段々と気持ちが軽くなったハーマイオニーは、クローディアの隣で【ヴァンパイアとバッチリ船旅】を読み耽ける。

 その本に、敵意を向けてしまうので、二重扉に目を向けた。

 大広間に来たチョウが、レイブンクロー席に座るハーマイオニーを目にし、クローディアに耳打つ。

「ハリー=ポッターのことでしょう? 新学期早々、ご機嫌斜めね。頑張って」

「これ以上は勘弁さ」

 気持ちを察したチョウは、クローディアの肩を軽く叩いて労ってくれた。

 噂のハリーとロンが大広間に入ってきたので、クローディアは手を上げて彼らに挨拶する。気づいた彼らはレイブンクロー席まで足を運び、挨拶を返した。

 ロンは何処となく有頂天になっている様子を見せる。皆から賞賛され、浮かれているのが知れる。

「おはよう」

 ハーマイオニーは棘を含めた挨拶で、2人を一瞥しただけで終わる。

「まさか、車の運転なんて無茶するさ。その様子じゃ、怪我はないようさ。それで、どうして車で来たさ?」

「うん、そのことなんだけど……。僕達は9と3/4番線に入れなかったんだ。それで、汽車に乗り遅れてロンの家の車で行こうと思ったんだ」

「僕が運転したんだ」

 それが誇りとロンは胸を張る。

「スネイプ……先生が僕らは目立ちたくてやったんだと思ってたよ。退学にしようとしたけど、校長先生が取り成してくれたんだ。マクゴナガル先生が罰則を受けるだけでいいって」

 それが難点と言わんばかりに、ハリーは眉を寄せた。ロンがわざとらしく、クローディアに耳打つ。

「僕らを退学に出来ないこと、スネイプがすご~くガッカリしてたよ」

 せせら笑うロンの額に、クローディアは人差し指を付きたてる。

「あんたらのことスネイプ先生は、心配だったさ。そうじゃなかったら、わざわざ組分けの最中に抜け出したりしないさ」

「とんでもない! 絶対、僕らを学校から追い出そうとしたんだ。あの顔、君にも見せてやりたかったよ」

 クローディアに反論しながら、ロンがその時のスネイプの声真似をして状況を再現した。やはり、彼らに反省の色がない。

「新学期早々、スネイプ先生に迷惑かけてるさ。もちろん、ハーマイオニーが一番、心配したさ。反省するさ」

「パーシーみたいなこと言うなよ」

 ロンはわざと耳を塞ぎ、クローディアの言葉を遮った。ハリーもロンに賛成らしく、聞く耳を持たない。2人が英雄面だと、ハーマイオニーが腹を立てる理由がよく理解出来た。『賢者の石』の時もここまで酷くなかった。

 寧ろ、ハリーは慎み深く、正義感と責任感があった。周囲の称賛など眼中になかったはずだ。

(やっぱり、男の子さ)

 ハリーとロンの背後から、頬を痙攣させたペネロピーがわざとらしく咳き込んだ。彼女は親指でグリフィンドール席を指差した。

「ミスタ・ポッター、ミスタ・ウィーズリー、ここに座るのはレイブンクロー生と招かれた方のみ! お2人はどうぞ、あちらでお話下さい」

 不快さを隠す様子もないペネロピーに、2人は渋々とグリフィンドール席に向かった。

「クローディア、甘やかさないで頂戴。あの2人は貴重な『暴れ柳』にまで、被害を出したのよ!」

 低い声で眉を顰めるペネロピーもハーマイオニー同様、ハリーとロンが車で到着したことにご立腹なのだと悟れた。

「そういえばさ、私達……スネイプ先生に謝らなかったさ。『賢者の石』のこと……」

「スネイプ先生なら、きっと、気にしてないわ。それに今は絶対、機嫌悪いし」

 事もなげにハーマイオニーは、本を読み続けた。

 幾分か腹が満たされ、眠気が再発したクローディアはコーヒーに何も入れず、苦味を堪えながら飲み干す。

 フクロウ便が大広間に突入し、あちこちに荷物や手紙を運ぶ。クローディアにも、名前を知らないシマフクロウが日本の母からの手紙を携えてきた。

【新学期が始まったそうですね、危ないことがないようにして下さい  かしこ】

 手短だが、母の気持ちを汲み取った。

 

 ――その瞬間。

 

《ロナルド=ウィーズリー!!》

 大広間の隅から隅まで轟く怒号。驚いたクローディアは、反射で口に含んだコーヒーを噴出した。ハーマイオニーは読んでいた本を床に落とし、パドマから餌を与えられていたベッロは食パンを喉に詰まらせて悶えた。

《ウチの車を盗むとはなんてことです! 私とお父さんがどんな思いだったか、おまえはちょっとでも考えたのですか!!》

 テーブルの食器が叫び声の振動で音を立てて揺れ、壁に反響して音量は更に増していく。ベッロは怒号から逃げるようにパドマのローブに身を隠し、配達に来たフクロウ達も急いで大広間を飛び立っていく。

 全員の視線がグリフィンドール席のロンに集中する。

 ロンは様々な感情で顔を真っ赤に染め、額だけテーブルの上に出ていた。その場所で、真紅の封筒が口を開いたように裂けていた。

《昨夜、校長先生から手紙が来て、お父さんは恥ずかしさのあまり死んでしまいそうでしたよ! こんなことする子に育てた覚えはありません。おまえにはもうほとほと愛想が尽きました。お父さんはずっと役所で尋問を受けていますよ。勝手に空飛ぶ車を作っただけでも問題なのに! 息子に車を盗まれた挙句にマグルに見られましたなんて! これを大恥と言わずなんでしょう! それもこれも全部、おまえのせいです。今度ちょっとでも規則を破ってごらん。家に引っ張って帰りますからね!》

《あら、ジニーちゃん、グリフィンドールに決まっておめでとう、パパもママも鼻が高いわ》

 最後だけ優しいモリーの口調を残し、赤い封筒はロンに舌を弾ませる仕草をすると自らを破り捨てて治まった。

 嵐の後のように大広間は静まり返り、スリザリン席ではドラコを始めとした生徒が爆笑していた。

「あれ、何さ?」

 漸く耳元の反響が消え、完全に目の覚めたクローディアが誰にいうわけでもなく問う。チョウの隣で耳元を押さえていたマリエッタが答えた。

「『吼えメール』よ。見ての通りの恐ろしい手紙……。ウィーズリーさん大変だろうなあ、あのマルフォイが黙ってないもの、絶対」

 気の毒そうにマリエッタは、ロンに哀れみの視線を送った。

 すっかり意気消沈したロンは、自分の行動が家族を巻き込んだことを思い知った。ハリーも深刻な表情で項垂れている。完全に反省していた。

 ちなみに、ジニーは『吼えメール』で名前を呼ばれたことに羞恥心のあまり青ざめていた。

 ジニーには悪いが『吼えメール』はロンに良い薬となった。

「こういうのってさ。お母さんに叱ってもらうのが一番なんだろうさ」

「ええ、全くもってその通りだわ」

 満足そうに微笑みながら、ハーマイオニーは床に落ちた本を丁寧に叩いた。後から大広間に来たパーシーが、『吼えメール』の残骸に絶句していた。

 今年度の2年生の時間割が配布され、目を通すと『薬草学』がスリザリンとの合同授業だ。大半の2年生は気分が滅入った。

 しかも、本日の1時限目は『闇の魔術への防衛術』であり、反ロックハート派は更に憂鬱となる。

 クローディアはハーマイオニーと時間割を見せ合い、案の定、彼女は羨ましそうに1時限目を代えて欲しいと訴えてきた。

 ロックハートに対する敵意が増大した。

 

 始業の鐘は既に鳴り終えているというのに、『闇の魔術への防衛術』の教室にロックハートの姿はない。クローディアだけでなく、男子生徒はもとより、女子生徒も苛立ちが募ってきた。

 連れてきたベッロは退屈になり、机に体を伸ばして楽な姿勢を取っている。

「やあ、諸君! 待ち焦がれただろうが、何の心配もいらない。私が来たからにはね」

 初授業に堂々と遅刻した教師の台詞ではない。

 教室にいる生徒の大半から、白い目で見られていることに気づかず、ロックハートは笑顔を振りまく。そして、学力を知るためだと問題用紙を全員に配りだした。

 教壇まで歩き、教室を見渡すロックハートはベッロの存在に気づく。ビクッと肩を痙攣させ、大袈裟に驚いた素振りを見せた。

「おやまあ、皆さんが静かだと思ったら、こんなに大きな蛇が迷い込んでいたんですね。誰か、外に出してあげなさい」

 ベッロを不躾に指差すロックハートにクローディアは不快だ。彼女が口を開く前に、モラグが面倒そうに答えた。

「コイツはちゃんとした使い魔です」

「からかってはいけないよ、ミスタ・マクドゥガル。こんな大きな蛇を誰が……」

 ロックハートの言葉が終わる前に、クローディアは挙手した。

「私です、ロックハート先生。校長先生から、ご説明がいっていると思いますが、まさか聞き漏らしたなんてことありませんよね?」

 ベッロの主人が女子生徒であることが意外だったのか、ロックハートは哀れんだ様子を見せた。クローディアは、更に苛立ちを募らせる。

「それでは、授業のほうに戻りましょう。まずは小テストを行います。皆さんが私の本についてどれ程、勉強しているのかを確かめます。制限時間は30分ですよ」

 高々と腕を掲げてロックハートは指を鳴らした。

 小テストの内容は、ロックハートの趣味趣向に関している。こんなくだらないことをテストにするなど、クローディアは呆れ果てて絶句した。それでも、時間内に答案を埋めて提出した。

 ロックハートはその場で答案用紙を捲り、残念そうに舌打ちする。

「レイブンクロー生は勤勉がモットーだと聞いていますが、全問正解者が半数だけでは、それもたかが知れています。特に、ミスタ・マクドゥガル、ミス・ムーン、ただ答えを書けばいいというわけではありません」

 名指しで注意されたモラグは、屈辱のあまり唇を噛み締めた。セシルは俄かだがロックハートファンのため、悔しさで涙を堪えていた。

(うわあ、悲惨さ……)

 教室の全員が2人に心底同情し、溜息をつく。しかし、何を勘違いしたのかロックハートは快晴な声を張り上げて授業を続けた。

(何処が授業さ。ちっとも楽しくないさ。サイン会と勘違いしてるさ)

 胸中で悪態を付き、クローディアは終業の鐘が待ち遠しくて仕方なかった。出版された書物の内容は、素晴らしいと評価した。何故だが、目の前のロックハートと本の登場人物は一致しない気がする。この違和感の理由を知る気も起きない。

 

 『呪文学』の授業中も、セシルはロックハートに叱責されたことを根に持ち、フリットウィックに隠れて【雪男とゆっくり一年】を読み直していた。

 フリットウィックはその行為に気づいていたが、パドマがこっそり事情を説明していたので、何も言わずに置いてくれた。

 

 昼食では、ロンの機嫌が最悪であった。

 『暴れ柳』に衝突した際に、ロンの杖が折れたのでテープで応急処置をした。しかし、ほとんど使い物にならなくなっていた。元々がチャーリーからのお下がりで古かった。恨めしそうに杖を見つめ、彼は項垂れる。

「売店で買いなおせばいいんじゃないさ?」

 何故、そこまで落ち込むのかとクローディアは疑問しながら、ロンに告げる。素っ気ない態度に、彼は驚いた。

「簡単に杖が買えるわけないだろ? そもそも、売店って何だよ」

 強く否定され、クローディアはハーマイオニーに尋ねる。

「この学校って、売店ないさ?」

 表情を強張らせたハーマイオニーは、必死に答えを探そうと頭を働かせている。

「ないと思うわ……。あるって話聞かないし……」

 自信無げに答えるハーマイオニーに代わり、偶然通りすぎようとしたペネロピーに声をかける。

「学校には、売店はないわ。必要な物は新学期が始まる前に揃えるし、足りなくなったらフクロウ便で送ってもらうものよ」

 いくらなんでも不便すぎる。

「杖は、魔法で直せないさ?」

 ペネロピーは、ロンの杖を見て残念そうに首を横に振るう。

「卓越した魔法使いなら、直せるかもしれない。この学校だと、校長先生ぐらいだわ」

 それを聞いたロンは、杖を直すことを諦めた。

 グリフィンドール席で、クローディアはハーマイオニーと午前中の授業の成果を報告し合った。

 ハーマイオニーから『変身術』で魔法をかけた完璧なボタンを見せてもらい、クローディアは彼女の腕に感心したが、ロンはそれを疎んでいた。

「あ、ハリー!」

 甲高い声がしたかと思うとハリーに向けて眩しい光が浴びせられ、シャッター音に驚いた生徒の何人かが振り返った。

「僕、コリン=クリービーっていいます。グリフィンドールです」

 突然、フラッシュを焚かれたハリーは眩しそうに瞬きを繰りかえし、適当にコリンに挨拶を返した。

「額の傷! 本当だ! 『例のあの人』につけられた傷がある! じゃあ、『賢者の石』を守ったというのも本当ですか! 教えてください!」

 その後、コリンに質問攻めされたハリーは、挙句にサインを求められて追いかけ回された。

 午後が『闇の魔術への防衛術』であるハーマイオニーは、頭に花が咲いた様子でクローディアと廊下で別れた。足元を弾ませる彼女の後姿に、苛立ち、奥歯に力を入れた。思った以上に、歯が音を立てる。

 偶然、傍に来たペネロピーが歯音に驚いた。

「クローディア、大丈夫?」

「へ? うん、大丈夫さ。ポッターがちょっと可哀想だなって思ってさ」

 慌てて取り繕うが、ペネロピーは親しみの籠もった意地悪な笑みを見せる。

「私には、ハーマイオニーがロックハートに夢中なのが、気に入らないように見えるわよ?」

 胸中を当てられ、クローディアはペネロピーから目を逸らした。話題を変えようと、脳内を巡らせた。すぐにパーシーの横顔が浮かぶ。

「パーシーのこと、誰かに教えたさ?」

 今度はペネロピーが硬直し、わざとらしく目を逸らした。照れた様子で彼女は、クローディアの耳元に唇を寄せ、声を細める。

「なんでわかったの?」

「夏の休暇前に、告白しているのを見たさ」

 ペネロピーに倣って、クローディアも声を細めて答える。

「それに、家に来たときのパーシーの態度を見れば、わかるさ」

 まんざらでもない笑みでペネロピーは、クローディアの肩を撫でる。クローディアは、その手に小さな焦りを感じ取った。再び、ペネロピーは、耳元に唇を寄せる。

「フレッド、ジョージに知られると、いろいろ厄介だから、内緒よ」

(ああ、そういうことさ)

 あの双子が、パーシーとペネロピーの関係を知れば、それなりにちょっかいを出してくる。しかも、執拗に巧妙な嫌がらせをする。パーシーはそれを嫌い、誰にも教えたくないのだ。

 納得したクローディアは、内密だと親指を立てた。

「内緒は、秘密と違うんだもン」

 突然、囁かれた声に、クローディアとペネロピーの背筋に寒気が走った。ゆっくりと振り返ると、髪を天に尖らせたルーナがいた。やはり、瞬きをしていない。

「こんにちは……、ラブグッド。どうしたさ?」

「『呪文学』の教室に置いていかれたんだ」

 道に迷ったのだと察したクローディアは、ルーナを教室に案内した。

 

 翌日、『魔法薬学』。

 クローディアはベッロを自室に置いてこようとした。だが、ベッロは無理やり部屋から脱出し、1年生が恐怖で混乱した。嘆息し、仕方なく虫籠に入れた状態で地下教室に連れてきた。

 ジャスティンは虫籠なら平気だと、クローディアの横に腰掛けた。しかし、彼の手先が震えているのを見逃さなかった。

(無理して座らなくてもいいさ)

 少しでもパドマの傍にいたい。苦手なベッロを克服しようとしている。僅かな勇気を示そうとしているジャスティンをクローディアは応援したくなった。

「パドマの隣に座るさ、いいさ?」

「ええ、いいわよ」

 クローディアに薦められ、パドマも承諾した。ジャスティンは、予想外の展開に赤面しながらもパドマの隣に腰掛けた。

 その様子をジャスティンの心情を理解しているリサ達が微笑ましく見守っている。

 授業が始まれば、その雰囲気に構ってはいられない。スネイプの視線は、変わらず他者を硬直させる。

 夏の休暇中に予習をした範囲の調合にも関わらず、またしてもクローディアだけが調合を完成させられなかった。

「どうやら、休暇中は、勉強そっちのけで、お楽しみであったようですな。ミス・クロックフォード?」

 ハリーとロンの1件に納得出来ていないスネイプは、容赦なく夕食後に罰則を与えると宣言した。

(なんで、私にお鉢が回ってくるさ?)

 地下の階段を登りながら、クローディアが罰則を嘆いていた。セシルが優しく背中を撫でてくれた。

「教科書を読んでも、上手く行かないことはある。元気出して」

 慰めを素直に感謝した。

 廊下を歩くと、ジャスティンは仲間から手厚く激励されていた。

「いいぞ、大進歩だ。ジャスティン!」

「やめろよ、アーニー、わかったから、やめろ」

「真面目に相手にされるといいな、ジャスティン」

「ザカリアス、応援してくれないのか?」

 男子生徒の様子に、エロイーズが喉を鳴らして笑う。

「男子っておもしろいにえ。スーザンもそう思うでしょ?」

「あんなに分かりやすいのに、パドマは気づかないのかな?」

 スーザンに話を振られ、クローディアは首を傾げる。

「周囲しか気づけないってことさ」

 肝心のパドマは、ベッロの入った籠を大事そうに抱えていた。

 ジャスティンとパドマの進展で一部、盛り上がりを見せたが『薬草学』でスリザリンと合同であることを思い出し、気分は一転して陰鬱なモノとなった。

 一旦、自室に教材や教科書を置きに来ると、ベッロは急に大人しく自室の寝台で寛ぎだした。クローディアはそのままベッロを放置し、温室に向かった。

 

 温室前では、ふくよかで髪がふわふわしたスプラウトが温厚な雰囲気で生徒達が集まるのを待っていた。

「皆さんは、本日より3号温室で授業を行います。着いて来なさい」

 初めての3号温室に全員、期待を膨らませ歓声を上げる。スプラウトが温室の鍵を開き、生徒達を中へと導く。

「おい」

 尊大な態度で声をかけてきたドラコに、クローディアは自分が呼ばれていることに気づかず温室に入ろうとした。

「クロックフォード、聞いてるのか!?」

 乱暴に呼ばれ、クローディアはドラコを振り返る。仏頂面のドラコとその取り巻き達が、彼女と周辺を見回した。

「蛇はどうした?」

「部屋に置いてきたさ」

 クローディアが素直に答えた。気に入らないドラコは、頬を真っ赤にする。

「なんでだ? 僕は、おまえの蛇を間近で見られるのを楽しみにしてたんだぞ」

 抗議するドラコに、寄り添う女子生徒・パンジー=パーキンソンが賛成の意を表明した。

「じゃないと、レイブンクローとの授業の楽しみがないわ」

 これにレイブンクロー生は全員、足を止め、パンジーを睨んだ。

「行きましょう!」

 パドマがクローディアの背を押して温室に入り、そっと耳打ちする。

「あいつ、知ってる! パンジー=パーキンソン。パーバティが嫌なヤツだって」

 聞こえていたマンディが、静かに話しに加わる。

「スリザリンに、いいヤツなんていないわよ。マルフォイの家なんて、いっつも偉そうにしてるんだから」

 寮生で性格を決めつけるのは好きではないが、パンジーの態度では仕方ない。しかし、ドラコは純粋にベッロのことを楽しみにしていた様子であった。何故だか、クローディアに罪悪感が芽生える。

(温室に連れてくるわけに行かないさ)

 温室の真ん中に立ったスプラウトは、授業でマンドレイクの成長を学ぶことを告げた。セシルがマンドレイクの特徴を淀みなく説明したので、レイブンクローに得点が与えられた。

(ゲームでは、死人の血から生えてくるっていうさ。それは、違うみたいさ)

 胸中で呟きながらも、スプラウトの言葉を聞き漏らさない。

「この子たちは、まだ苗なので泣き声を聞いても死にはしませんが、数時間は気絶するでしょう。安全のために耳当てを配ります」

 生徒達の手に耳宛が配布され、指示通りに耳当てで耳を覆った。すると、誰の声も聞こえなくなった。無音の中で、スプラウトがマンドレイクの苗を植え替える手本を見せた。

「ひとつの苗床に4人です。ああそれと、『毒触手草』に気をつけること、歯が生えていますので、かなり痛いですよ」

 一通りの説明と注意を受け、生徒は思い思いに4人1組になり、分厚い手袋を嵌めて作業に取り掛かる。何故か、ドラコ、クラッブ、ゴイル、セオドールの4人組がクローディア組の隣で作業に取り掛かりだした。

「あの蛇を僕に売れ」

 命令してくるドラコをクローディアは無視した。構わず、ドラコは勝手に喋り続ける。

「父上なら、僕の為に金は惜しまない。遠慮せずに好きな金額を言え」

 土の音でドラコの声は、ほとんど聞き取れなかったが、内容は大体把握出来た。漫画などで登場する金持ちキャラは読むには楽しいが、現実には目障りだと深く理解した。 クローディアは何気なくドラコを見やる。何を勘違いしたのか、彼は語調を強めた。

「嘘じゃないぞ。休暇中にダイアゴン横丁で蛇をあるだけ買ったんだ。でも、あの蛇に勝るものはなかったから、返品してやった」

「私、知っているわ。『魔法動物ペットショップ』で大量に蛇が買われていったって話。あれって、ドラコだったのね。すごいわ」

 酔いしれるパンジーの称賛に、ドラコは鼻を高くする。

(どっかの屋敷って、あんたの家さ! しかも、全部返品って、お店の人に大迷惑さ)

 呆れたクローディアは、嘆息するのも面倒なので作業に集中した。

 マンドレイクに集中し、耳当てをつけたせいか、誰もが自然と無口となる。

 しかも、あまりに暴れる苗に誰もが手古摺り、ドラコは冗談半分でマンドレイクの口に手袋ごと指を突っ込んだため、噛まれて狼狽していた。

 

 泥だらけの体で温室を後にし、皆は疲労困憊で城を目指す。何故か体力の有り余ったドラコがベッロのことで尚、クローディアに言い寄ってきた。口を動かすのも億劫だったため、返事をせずにいる。

 完全に無視されたドラコは、奥歯を噛み締め音を鳴らした。

「『穢れた血』が僕を無視するな!」

 嘲りの言葉が発せられた。途端に、リサ、パドマ、セシルは金きり声を上げ、サリーは慄いて口元を覆い、マンディの顔色が青ざめていた。

「謝れよ、マルフォイ!」

 怒り心頭のアンソニーがクローディアの前に立ち、ドラコを怒鳴りつける。すぐにドラコの前をクラッブとゴイルが壁になった。

 騒然の中、クローディアはドラコの発した言葉の意味が罵倒だと理解は出来たが、周囲が先に怒りを露にしたので、反撃の機会を逃した。

「こらこら、何を騒いでいるんですか? 後がつかえます。早く、城に戻りなさい」

 片付け終えたスプラウトが、温室からゆっくりとした歩調で現れる。穏やかな口調に、厳しさが含まれていた。

 すぐにアンソニーとパドマが甲高い声で、スプラウトに言いつけた。

「マルフォイがクロックフォードを侮辱したんです!」

「最も酷い言葉で罵りました!」

 それに続き、マンディもドラコを強く指差す。スプラウトは、皆の剣幕を落ち着いた様子で受け入れ、クローディアとドラコを見比べる。

「ミスタ・マルフォイ。何を言ったのか、私に教えてくれますか?」

「僕は本当のことしか、言ってません」

 素っ気無く、ドラコはスプラウトから目を逸らす。嘆息する先生に、クローディアは答える。

「毛がどうとか、よく聞き取れませんでした」

「違う!! 『穢れた血』だ! 馬鹿か!」

 反射的に大声を上げたドラコに、スプラウトは息を飲んで慄いた。

「それが、教養のある人は口にしないとわかっているのですか? ミスタ・マルフォイ! スリザリン10点減点! もういいでしょう! さあ、お帰りなさい!」

 普段の態度から、想像も出来ない程、激怒したスプラウトに全員、身を竦めた。レイブンクロー生は、スリザリン生の思わぬ減点に、胸中でガッツポーズをしていた。

 

 夕食後、暗く寒気の篭った地下教室。

 クローディアがたった1人でスネイプからの罰則で、教卓や椅子を整頓していた。床に机の脚を引きずらせてはならないため、腕だけでなく、体を使って机を持ち上げなければならなかった。しかも、机や椅子には誰の仕業か、ガムがつけられ、それをそぎ落とすもの大変であった。

 罰則の監視に来たスネイプは、微妙に机の位置がズレていると指摘し、何度もやり直しをさせた。

 漸く罰則が終えたことが認められ、クローディアは筋肉が強張った腕を解しながら、スネイプにお辞儀する。

 それに、スネイプは反応しない。

(無愛想さ)

 教室を出ようとしたクローディアを闇色の声が呼び止める。

「ミスタ・マルフォイが訴えを起こしてきた。ミス・クロックフォードのせいで我が寮が10点も減点されたとな。どういうことか、説明してもらいたいのだか?」

 思わぬ事態に、焦ったクローディアの肩がビクッと跳ねた。

(マルフォイ……、告げ口はやめて欲しいさ)

 渋々、クローディアはスネイプの前に(距離を取って)立つ。

「スプラウト先生の前で、私を侮辱したんです。私の知らない言葉でしたが、スプラウト先生は、大変お怒りになって減点したんです」

 淀みなく言いえたクローディアをスネイプの黒真珠の瞳は何の反応を示さない。おそらく、どのように侮辱されたのかを聞いているのだと、直感した。一呼吸置き、スネイプの足元に視線を向け、口を開く。

「マルフォイくんは、私を『穢れた血』だと罵りました」

 降りかかってくる言葉に備え、クローディアは拳に力を入れ、待った。

 沈黙。

「よくわかった。帰りたまえ」

 あっさりとスネイプは、クローディアを手で追い払う仕草をする。

 安堵と共に、拍子抜けした。スネイプの足からゆっくりと顔を上げた。

「ミス・クロックフォード。君には関係ないかもしれんが、その言葉は両親とも魔法族ではない……マグル生まれを蔑む呼び方だ。血が穢れているということだ。覚えておきたまえ」

 憂鬱よりも深い沈みを言葉に乗せ、スネイプはクローディアに背を向ける。

 呆然としていたクローディアはスネイプの背にお辞儀し、地下教室を後にした。

 『穢れた血』。

 何とも形容しがたい不快感が込められている。

 人が何処で生まれようと、どのように育つかが重要だとクローディアは考えている。日本で生まれ、育った。何の恥もない。

 しかし、クローディアは自分を顧みる。それは、4つの寮でも当てはまることではないかと自問する。現にスリザリン生は性格が悪いなどと強い偏見を持たれている。

 結局、『穢れた血』と呼ぶ者も、寮で性格を判断することも同じだ。

(ハーマイオニー)

 マグル生まれの生徒は、ホグワーツに何人もいる。クローディアの大切な友達のハーマイオニーも、その1人だ。

 そして、クローディア自身もマグル生まれと変わらない。

 こんな残酷な言葉が存在することが、堪らなく悲しかった。

 




閲覧ありがとうございました。
モリーさんは車を盗んだ事は怒っても、勝手に運転したことは怒らない。寛大、なのかな?
このお城は、売店が欲しいです。
●コリン=クリービー
 映画の俳優可愛かったなあ
●アーミー=マクミラン
 結構、重要な役なのに
●ザカリアス・スミス
 映画に一切、出番なかったなあ
●パンジー=パーキンソン
 ドラコに惚れ込みすぎだよ。純粋な子や(涙


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5.現れた敵

閲覧ありがとうございます。

追記:16年9月28日、18年9月20日、誤字報告により修正しました。


 今学期最初の週末の土曜。

 クローディアは、ハーマイオニー達とハグリッドに会う約束があり、早めに目を覚まして私服に着替えた。就寝中のパドマとリサを起こさぬよう、慎重に虫籠を抱えて部屋を出た。

「あんた、起きたんだ」

 談話室でルーナが暖炉の前に座り込んでいたので、クローディアは簡単に挨拶する。ルーナも挨拶以上の会話を望まず、瞬きをせず見送ってくれた。

 大広間では、休日と朝方のせいか、疎らな生徒が朝食を摂っていた。クローディアが適当にベーコンを齧っていると、ハーマイオニーとロンが私服姿で現れる。

「ハリーが競技場に行っちゃった。朝から特訓らしいよ」

「朝御飯も食べずさ?」

「そうみたいよ、何か摘めるモノを持っていってあげましょう」

 早々に朝食を済ませた3人と1匹は、ハリーにママレード・トーストと牛乳瓶を手に競技場へと赴いた。

 

 しかし、観客席にハリーファンのコリンが1人で座るだけで、競技場に選手の姿はなかった。コリンはクローディア達を目にすると、足を弾ませて近寄ってきた。

「あの、あなたが蛇女のクローディア=クロックフォード? 僕、コリン=グリーピーです。それで、あなたがハリーと『例のあの人』から学校を守ったときの話を聞かせてください」

 色々と突っ込み所の多いコリンに、クローディアは呆れた。

「グリーピー、誰が蛇女なわけさ? それに学校は先生達も含めて皆で守ったさ」

 意外な反論に、コリンはきょとんとする。

「でも、あなたの寮のシーサー=ディビーズが話してくれました。あ! ハリー!!」

 話の途中だというにも構わず、コリンは黄色い声を上げた。更衣室からユニフォームを着込んだ選手が不満げに歩いてくる。キャプテンのオリバーだけが意気揚々である。

「まだ終わってないのかい?」

「始まってすらないよ」

 怪訝そうに声を上げるロンに、ハリーはトーストを物欲しそうに見つめる。

「飲むだけでもしたら、どうさ?」

 クローディアがハリーに牛乳瓶を差し出した。彼が手を伸ばす前に、余程喉が渇いていたのか、オリバーが横から手に取り飲み干した。

「おまえが飲むんかい」

 思わず、ロンがツッコんだ。

 練習を開始すると眠そうな選手の目が覚め、活き活きと箒に跨り、空中を飛び回った。

 適当な観客席で腰を据え、クローディア達は選手達の練習を見学する。

「楽しそうさ」

「なんだかんだで、皆さんクィディッチが大好きですもの」

 苦々しく呟くハーマイオニーは、息を吐く。

「クローディアは、選手にならないのかい?」

 ロンがシャッターを押し捲るコリンを尻目に、尋ねてくる。クローディアは顔を顰め、否定する。

「うう~、嫌さ。箒に乗るもの恐いさ、自転車でバスケならやれるさ」

「一輪車でバスケのほうが安全じゃない?」

自転車と一輪車で行うバスケについて、クローディアとハーマイオニーが論議を交わす。話についていけないロンが怪訝そうに目を泳がせる。

「バスケって何?」

 しばらくすると、競技場にスリザリン・ユニフォームを着込んだ選手が現れ、ハリー達と揉めていた。

「ゲッ、マルフォイだ!」

 見慣れた金髪に気持ち悪そうに顔を歪め、ロンが立ち上がった。それに続いてクローディアとハーマイオニーも芝生に下りた。

 何故か、コリンも急いで着いてくる。

「おはようさ、マルフォイ。それに選手の皆さん」

 愛想よくクローディアが会釈するが、スリザリン生は誰も返さない。ロンが不快そうにハリーに事情を尋ねるが、それより先にドラコが尊大な態度で自慢する。

「僕は新しいシーカーだ。父上がチーム全員に箒を贈ってね。……おや、クロックフォード、蛇を連れてきたな。なんなら、君にも贈ろうか? その蛇と引き換えにね」

 クローディアの首に寄り添うベッロを指差しながら、ドラコは『ニンバス2001』の銘書かれた箒を見せ付ける。

「いらねえさ」

 ぶっきらぼうに呟くクローディアに、大した反応が来ないことを不満に感じたドラコは、ハリー達を見渡した。

「皆さんも資金集めして新品を買ってはどうですか? クリーンスイープ5号を慈善事業の競売にかければ、博物館が買い入れるだろうよ」

「グリフィンドールの選手はお金じゃなく、純粋に才能で選ばれているわ」

 自身の誇りを宣言するかのように胸を張るハーマイオニーに、クローディアは満足げに微笑みかける。

「レイブンクローもそれに同意するさ」

 ドラコの笑顔が崩れ、クローディアを無視し、ハーマイオニーを睨む。

「おまえの意見なんか聞いてない! 生まれそこないの『穢れた……」

 ドラコは最後まで言い切れず、突然、転倒した。

 それもそのはず、ハーマイオニーとドラコに皆の視線が集中していた。故に、彼のユニフォームをベッロが強く引いたところを誰も見ていない。

 無様に芝生に仰向けになったドラコをハリー達は喉を鳴らして笑い、クローディアも笑いを堪えようと顔を背ける。

 激怒したドラコは、仲間に起こされながら、そのままの体勢で喉が裂けんばかりの大声を張り上げた。

「グリフィンドールもレイブンクローも『穢れた血』の味方か!!」

 ハリー達から、笑顔が消える。

「よくも言ったな、マルフォイ! なめくじ食らえ!」

 杖を取り出したロンがドラコに向けて叫ぶ。しかし閃光は逆噴射を起こし、ロンが芝生に尻餅をついた。しかも、口から見事なナメクジが吐き出される。

 慌てながら、ハーマイオニーとハリーが即座に駆け寄り、ロンの腕を掴んで起こした。

 その様子にドラコ達は腹を抱えて笑ったが、急にドラコの視界だけが空に向けられた。

 クローディアがドラコに馬乗りになり、地面に押し付けたのだ。

 ドラコやスリザリン生が口を開く前に、彼女は無表情に胸ぐらを掴んで、渾身の力を込めて限り振り下ろした。

 

 ――ガツッ。

 

 地面を殴る鈍い音がした。

 クローディアの拳は、ドラコの顔面から逸れて芝生に叩きつけられていた。

 完全に殴られることを予期していたドラコは破裂するような激しい動悸を全身で感じ、目の前のクローディアを凝視する。彼女の茶色い瞳が、炎を燃やすように赤い印象を受けた。

 クローディアは彼の耳元に深く重い声で囁く。

「次は、当てる」

 恐怖とは、違う畏怖がドラコを襲い、既にクローディアは体を離して去っていたにも関わらず、耳に入るのは仲間の声ではなく、自身の呼吸のみであった。

 

 ハグリッドの家で、ロンは水汲みバケツを借り、即座に顔を突っ込んだ。彼の口からナメクジが吐きだされ続けた。

「こういうのは、自然にとまるのを待つしかねえからな。遠慮せずに出しちまえ」

 まるで車酔いをした子供を慰めるように簡単な対応だ。だが、ハグリッドの態度から、ロンの症状は重症ではないと判断できた。クローディアとハーマイオニー、ハリーは胸を撫で下ろした。

 勝手知ったる他人の家で、ベッロは茶の用意をする。

「全く、あのロックハート。俺の家に来て、あ~だこ~だと言いやがって」

 ハグリッドは迷惑そうに、この小屋を訪れたロックハートを批判する。

 教師ならば、スネイプのような依怙贔屓でも批判しないハグリッドが珍しい。クローディアとハリーは少なからず驚いた。勿論、2人はロックハートを擁護する気はまるでない。

「あの人は、親切なのよ」

 ハーマイオニーだけがハグリッドに反論するが、彼は聞く耳を持たない。糖蜜ヌガーを4人に勧めながら、話題を変えた。

「それで、誰を呪うつもりだった?」

「マルフォイだよ。あいつハーマイオニーを……わからないけど、酷い呼び方してた」

 ハリーがロンの背を撫でながら答えると、ハーマイオニーも頷いた。先ほどから、一切怒りが治まらないクローディアは腕組みをし、窓辺まで歩いて吐き捨てる。

「『穢れた血』さ」

 ハグリットは大きく目を見開き、咄嗟にハーマイオニーを見やる。

「どういう意味、クローディア?」

 深刻な顔つきでハーマイオニーに尋ねられ、クローディアは間を置いて口を開く。

「血が穢れてるってさ、マグル生まれの魔法使いを蔑む呼び方さ! 両親とも魔法族じゃないってさ!」

 興奮が増すクローディアは、自身を諌めるために、口を噤んだ。

「教養のあるヤツなら、絶対口にしないよ」

 ナメクジを吐きながら、ロンは呟く。

「つまりな。マルフォイ一家みたいに、自分達は純潔だから偉いって思っとる連中がいるってことだ」

 諭すような厳しい口調でハグリッドは、ハーマイオニーとハリーを交互に見つめた。

「反吐が出るよ」

 またナメクジを吐いたロンが弱弱しく言葉を紡いだ。

「全く、くだらねえ、何が血だ! 今時の魔法使いは、ほとんどマグルの血がはいっちょる! 大体、俺達のハーマイオニーに使えない魔法はひとつもねえ!」

「そうさ、本当に許せないさ。スプラウト先生に、減点されてたのに懲りてないさ!」

「どうして、スプラウト先生が減点したの?」

 ハグリットの怒りに乗ったクローディアに、ハリーが気付く。

「ああ、『薬草学』の授業の後、マルフォイは私をそうやって罵ったさ。スプラウト先生は超怒っていたさ。その時は、意味はわからなかったけどさ。その後にスネイプ先生の罰則を受けた時に教えてもらったさ。スネイプ先生もその言葉は好きそうじゃなかったさ」

「そうだろうとも、先生方もそんな言葉を嫌っているとも。な、ハーマイオニー。だから、そんな顔をするな」

 ハグリッドの優しい口調に、クローディアは慌てて窓からハーマイオニーに視線を戻す。彼女は傷ついた表情で、唇を震わせていた。

 ハグリッドがハーマイオニーを優しく抱きしめ、励ましてくれた。お陰で、彼女は自然に笑うことが出来た。

 誰の口からも『穢れた血』など、言わせたくない。

 クローディアはハリーと視線が絡む。彼も同じ気持ちを抱いている様子だった。

 

 ロンのナメクジが一通り治まった頃、陽は傾いていた。

 城に向けて歩くクローディアは、ロンに魔法族でマルフォイ一族のような名家がどれほど存在しているのかも尋ねた。そういった名家が純血主義の可能性は高い。しかし、偏見を持つためではなく、知識として知っておくべきだと考えた。

「そうだな。有名なのは、嫌だけどマルフォイ家だよ。ブラック家に、レストレンジ家……ネビルの家もそうだよ。これはパーシーが言ってたけど、うちのウィーズリー家だって、マルフォイ家に負けない歴代の純血らしいよ」

(前に見たアニメで、ウィーズリーって苗字が合った気がするさ)

 思い返そうとするクローディアをハーマイオニーは見つめる。

「私の近所にもクロックフォードって家族がいるけど、よくなる苗字なのかしら?」

 ハーマイオニーに話を振られ、ロンは頷く。

「うん、クロックフォードは一般的だよ。魔法省にも、クロックフォードって人はいるぜ。パパと部署は違うけど」

(田中とか、佐藤みたいなもんさ?)

 自分の家系に興味はないが、クローディアは納得した。スネイプがコンラッドと親子であることに気づけなかったのは、よくある姓だったからだ。

「ミスタ・ポッター、ミスタ・ウィーズリー、何処に行っていたのです?」

 玄関ホールで偶然出くわしたマクゴナガルにハリーとロンは、罰則内容を告げられた。罰則があることを忘れていた彼らは、呻いてから気を落とした。ハーマイオニーは自業自得だと頷き、クローディアは他人事として応援だけして見せた。

 

 夕食を終え、クローディアとハーマイオニーは寮への分かれ道で、ジニーがルーナと話をしているのを目撃する。

「それは、捨てたほうがいいよ。危ないもン」

 ルーナはジニーが抱えるいくつかの書物を指差し、浮ついた足取りで階段を下りていく。ジニーは深刻な表情で自分の口元を押さえ、動く階段を四苦八苦しながら、登っていった。

「ジニーも友達が出来たみたい、あの子レイブンクローよね。まるで、私達みたい」

 微笑ましく見守るハーマイオニーに、クローディアは同意したように頷いた。しかし、ルーナはジニーに交流よりも警告を発しているように見えた。

(ジニー、お兄ちゃんたちが多いから学校に慣れないさ?)

 兄弟のいないクローディアには、わからない。それに、ジニー自身の問題だ。きっと、時が解決してくれると思っていた。

 

 談話室では、チョウがクィディッチチーム・キャプテンと話し込んでいた。

「スリザリンの新しいシーカーは、マルフォイだったさ。それにチーム全員『ニンバス2001』の箒だったさ」

 クローディアが教えた情報を重く見たキャプテンは、クィディッチ選手を集合させ、スリザリンに対する小さな作戦会議を行い出した。

 我関せずと、クローディアは談話室を後にする。自室に入れば、リサが動く譜面の楽譜と格闘しながら、フルートの練習をしていた。聞けば、フリットウィックが顧問の『楽団部』に入部し、寮対抗試合やクリスマスの演奏に向けて特訓していることを説明してくれた。

(……ああ、試合で先生が指揮してるのは、応援団じゃなくて……『楽団部』さ)

 1年生の頃は、環境と文化の違い、授業の把握に追われて、部活動など眼中になかった。

 だが、クローディアの得意なバスケ部が存在しない。そんな魔法学校で、部活動に取り組むつもりは毛頭ない。勉強以外に興味を見つけたリサを応援した。

 日付が変わるまで後僅かになる頃、クローディアは既に就寝していた。しかし、急に意識が覚醒し、頭を振って起き上がり部屋を見渡す。パドマとリサが穏やかな寝息を立てている。

 不意に扉が開いていることに気づいた。まどろんだ意識のまま、クローディアは扉を閉めるため、ノブに手をかける。談話室に続く階段をベッロが這い下りていく姿を目にする。

(珍しいさ……)

 虫籠に戻そうとクローディアは、追いかける。

 談話室には誰もおらず、ベッロはひたすら何かに向かい、威嚇していた。

「危ないことがある」

 急に後ろから声がしたので、クローディアは反射的に肩をビクッと揺らした。

「ラブグッド……、夜更かしさ」

 人の気配を感じ、談話室の暖炉に勝手に火がついた。

「アイツは、危ないことから守ってるもン」

 ゆったりとした動作でルーナは興奮するベッロに歩み寄り、手を伸ばした。クローディアは彼女を引きとめようとした。

 なんと、ベッロはルーナの手を見て威嚇をやめたのだ。細く小さい指が、ベッロの頭をなぞる様に撫でる。

 クローディアの記憶が確かなら、その撫で方はベッロが最も不快に感じるはずである。しかし、ベッロは瞼を閉じ、指の感触を味わっている。

 暖炉の炎が、紅い蛇と戯れる少女を照らす。

 巨匠が描いた絵画を思わせる光景。神秘的な印象を受けさせられたクローディアは、感嘆の息を吐く。

 

 ――ルーナ。その名は、夜空に淡い光を放つ月を意味している。

 

(なんて……綺麗)

 声には出さず、クローディアは唇だけ動かす。ルーナは口元に弧を描いた。それは、初めて目にする彼女の笑顔であった。

「これは、ナーグルの仕業じゃないよ」

「ナーグルって?」

 自然と問い返すクローディアに、ルーナは人差し指で口を押さえる。

「駄目、ナーグルに聞かれるもン」

「そう、わかったさ」

 魅入られたクローディアは、ゆっくりとルーナの頭に手を乗せる。何故、そうしたのかわからない。

 ルーナは驚いたように、口を開く。しかし、安心したように瞼と口を閉じ、クローディアの手の感触を味わっていた。

 気が付けば、何故かクローディアは自室の床で大の字になり、朝を迎えた。ベッロも虫籠でトグロを巻き、普段と変わりはない。

 ルーナに昨晩のことを聞こうにも、彼女は変わらずクローディアを瞬きせずに凝視するだけなので、夢を見たのだと結論づけた。

 しかし、クローディアの中で、ルーナに対する苦手意識が緩和されていることに、この時は気づけずにいた。

 

☈☈

【クィレル教授へ

 ごきげんいかがですか?

 夏も終わり、紅葉の季節となって参りました。

 お陰さまで私は無事に2年生になりました。

 このたび、新学期から『闇の魔術への防衛術』の教授はギルテロイ=ロックハート氏が勤めておりますが、正直、おもしろくありません。

 クィレル先生の授業が待ち遠しいです。

 追伸、ハリー=ポッターは新学期早々、スネイプ先生に叱られました。 クローディアより】

 手紙を読み終えた男は、口元で小さく弧を描いた。

 

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 10月に入れば、急激な気温の変化で城中に風邪が蔓延し、校医のマダム・ポンフリーは多忙を極めた。

 クローディアも風邪に倒れ、『元気爆発薬』によって数時間は耳から煙を出すはめになった。その場に同じく風邪を引いたフレッドとジョージが居合わせ、無理やり汽車ゴッコに付き合わされた。

 ただでさえ、多忙なマダム・ポンフリーは、悪ふざけに激怒した。クローディアは双子共々、医務室から追い出された。

 双子から逃げる意味でも、クローディアは自室に引きこもった。

 しばらくの間、廊下で耳から煙りだした生徒が汽車ゴッコするのが流行となった。

 だが、風邪を引いている状態で身体に無理をさせたので、医務室に運び込まれる生徒は後を絶たなかった。

 勿論、フレッド、ジョージも廊下で高熱に倒れているのを発見された。

「自業自得さ」

 悪ふざけに付き合わされたクローディアも風邪が再発し、フレッド、ジョージと並んで入院した。その間、彼女は双子と一切口を利かなかった。

 

 ハロウィンの朝。

 ダンブルドアが余興として『骸骨舞踏団』を招いたという噂で、期待に胸を躍らせた生徒達は朝から落ち着きがなかった。

 『ホグズミード村』に外出する3年生からの上級生も上機嫌で、気前良く土産を買ってきた程であり、ペネロピー、チョウがクローディアに『三本箒』の定番バター・ビールという飲み物を持ち帰ってくれた。

 甘さを抑えられていると前置きはあったが、クローディアには甘すぎであり、吐くのを堪えながら飲み干した。

 時間になり、生徒達は興奮を抑えきれず早足で大広間に向かう。

 だが、そこにハーマイオニー、ハリー、ロンの姿はない。

(絶命日パーティー、行ってみたかったさ)

 ハリーが『ほとんど首なしニック』と約束し、死者を祝う宴に赴くことになったのだ。クローディアは宴に興味はないが、ハーマイオニーが一緒だと知り行こうとした。

 しかし、何処から聞きつけたのか、ペネロピーに止められてしまった。

「あなたは去年、ハロウィンを見てないじゃない!」

 渋々ハーマイオニー達と別行動になり、クローディアは気分が滅入った。

 しかし、皆が待ち焦がれた『骸骨舞踏団』が大広間へ入場し、演奏が始まるとクローディアは他の生徒同様、大いに胸を弾ませ高揚した。

 パーティーが終われば、不思議な満足感を得て、生徒達は大広間を後にした。

「素晴らしい……の一言ですわ……」

 夢見心地のリサが惚けて自分の頬を押さえる。

「カッコいいよなあ……」

 テリーが感動で震える手を握り締める。

「早く、進めよ」

「前がつかえてんだよ」

 前方を歩く生徒が足を止めたせいで、後方にいるクローディア達は動けなくなった。前にいたサリーが差し迫った顔つきで人を掻き分けてくる。

「ミセス・ノリスが……、そこに……ハリーが…」

 焦燥し耳を疑うが、すぐにクローディアは乱暴に人を押しのけて前に進む。

 床には水溜りがあり、ミセス・ノリスが恐怖に目を見開いて硬直していた。しかも、松明の腕木に尻尾を絡ませてぶら下がっている。

 傍には、小刻みに頭を振るハーマイオニー、目を泳がすハリー、真っ青に唇を噛み締めるロンにミセス・ノリスを凝視するベッロの姿があり、壁には鮮血で文字が塗りつけられていた。

 【秘密の部屋は暴かれた! 継承者の敵よ、気を付けよ!】

「継承者の敵よ、気をつけよ! 次はおまえたちの番だぞ、『穢れ……」

 その場の沈黙を破ったドラコは、クローディアを目にし、慌てて口を閉じた。

「なんだ、この騒ぎは、どけどけ!」

 フィルチが人垣を掻き分けて現れたので、何人かは息を呑んだ。

「ポッター、おまえ何を……」

 変わり果てた愛猫を目にしたフィルチは恐怖と焦燥で、全身を震わせた。

「ミセス・ノリス……。貴様……私の猫を殺したな……」

 押し殺した声でハリーに殺意を持って睨んだ。

「殺してやる……」

 張り叫ぶ声が廊下に反響し、フィルチの手がハリーに伸びた。

「アーガス! 何事じゃ?」

 マクゴガナルとスネイプを従えたダンブルドアが窘めるように制した。

「監督生の諸君、皆を連れてすぐに寮に戻りなさい」

 クローディアは咄嗟にハーマイオニー達の背を押して人垣に紛れようとしたが、その前にダンブルドアが引きとめる。

「その3人は残りなさい……それとミス・クロックフォード。ベッロと共に一緒に来なさい」

 指されたベッロは興奮しているのか、鼻息を荒くし同じ場所を何度も回っていた。 

 生徒達は4人を残して自分達の寮を目指した。

「私の部屋が近いです。どうぞ、お使い下さい」

 残された一行は、しゃしゃり出たロックハートに勧められ、彼の部屋に連行される。 ロックハートの部屋は彼の写真だらけで、クローディアは別の意味で気分が悪くなった。

 ダンブルドア、マクゴナガル、スネイプは硬直したミセス・ノリスを慎重に机の上に置き、調べ始めた。ただ、ロックハートだけはフィルチを慰めるつもりか、自らの冒険を自慢したいだけなのか、喋り続けた。

 フィルチの泣き顔がクローディアの胸を苦しくさせた。大切なミセス・ノリスが無残な姿になったのだ。悲しむなと言う方が無理だ。

 検分が済み、ダンブルドアは優しい口調でフィルチに告げる。

「ミセス・ノリスは死んでおらん。石になっとるだけじゃ。ただ……どうして石になったのかはわからん」

「思ったとおり! 私が居れば、反対呪文で助けられましたのに!」

 空気を読まないロックハートに、ダンブルドアが視線で注意する。

 だが、今度はフィルチが涙ながらに喚く。

「あいつです! あいつがやったんです。ヤツの文字をお読みでしょう! あいつは、わたしが出来損ないの『スクイブ』だって知ってるんだ!」

 スクイブ、その単語にクローディアとハーマイオニーは真っ青になる。フィルチがスクイブだとは、勿論、知らなかった。

 興奮したフィルチは呼吸を荒くし、ハリーを只すら睨む。

「僕……誓って、ミセス・ノリスには触っていません!」

 ハリーは、声を震わせながら訴える。

「校長、一言よろしいですかな?」

 闇色の声でハリーの緊張は、強い焦燥に変わる。

「彼らは偶然、その場に居合わせただけかもしれません。とはいえ、実に疑わしい。3人とも何故、パーティーの席にいなかったのかね?」

「僕達、サー・ニコラスに誘われて『絶命日パーティー』に出席していました。皆に聞いてみてください。証言してくれます」

 反論の好機とし、3人は『絶命日パーティー』の説明をした。

「それでは、何故あそこに? デザートだけも取りにくれば良かったものを、わざわざ行く必要があったのかね?」

 嫌味を込めたスネイプの笑みに、呼吸を整えたクローディアは真っ直ぐ挙手する。

「何かね? ミス・クロックフォード」

 迷惑そうに視線を投げかけるスネイプに、クローディアは意を決し、口を開いた。

「パーティーの前に、ベッロが部屋からいなくなりました。それで、3人にはベッロを見かけたら、捕まえるようにお願いしていたんです」

 瞬間に、ロンの腹から空腹の音色が奏でられ、ハーマイオニーは頭を抱える。クローディアは構わず続ける。

「あの場には、ベッロがいました。おそらく、ベッロを追いかけて、居合わせたのだと思います」

 無論、全て嘘である。

 ベッロは部屋を出る前は、確かに虫籠にいたのを確認した。しかし、実際ベッロは部屋を抜け出して廊下にいたので、辻褄は合う。

 だが、スネイプは納得しない。

「友情ごっこも大概にしたまえ、ミス・クロックフォード。君はそうやって、使い魔にいらぬ罪を着せて、彼らの関心を得るのがそんなに楽しいのかね? ならば、君に罰則を受けさせるとしようかな?」

 黒真珠の瞳が暗く揺れ、口元が薄ら笑いを浮かべるスネイプに、クローディアは心臓を鷲掴みにされたような戦慄を覚えた。

「疑わしきは罰せずじゃよ、セブルス」

 穏やかな声に、張り詰めた空気が少しだけ和らいだ。

「私の猫が石にされたんだ! 罰を与えなきゃおさまらん!」

 ハリーへの殺意を緩ませないフィルチをダンブルドアが窘める。

「君の猫は治せますぞ。ちょうど、ポモーナがマンドレイクをお持ちじゃ、成長すれば、蘇生させる薬を作ることができる。それまでの辛抱じゃ」

「私がそれをお作りしましょう。なーに、目を瞑っても作れますよ」

〔ウザイさ〕

 自己主張するロックハートに、思わずクローディアは日本語で悪態を付く。

 スネイプもロックハートを一瞥し、冷たく吐き捨てる。

「この学校では、我輩が『魔法薬学』の教授のはずですぞ」

 流石に失言を感じたロックハートが沈黙したせいで、嫌な空気になってしまった。

「蘇生薬が出来るまで、君たち……、くれぐれも用心することじゃ」

 警告を受けた後、4人と1匹は解放された。

 

 階段を登り、4人は誰もいない部屋に入る。暗がりの中、状況を説明し合う。

 『絶命日パーティー』は幽霊の為の宴であり、料理も満足に用意されていなかった。空腹のあまり宴を去った後、ハリーが2つの声を耳にし、その声を追いかけた先であの場所に辿り着いた。その時点でミセス・ノリスは石にされ、ベッロがそれを見上げていたという。

「ポッターにしか、聞こえない声さ?」

「うん、『殺してやる』と『あいつが来た』って……、なんか……声が声を追いかけてる感じだった」

 声だけしか聞こえないなら、姿を隠している可能性がある。しかし、ハリーだけにしか聞こえなかったというのは解せない。

「そういう声って、これまで聞いたことあるさ?」

「……罰則でロックハートのサインを手伝っていた晩にも、似たような声を聞いたかもしれないんだ。僕には聞こえてて、ロックハートには聞こえなかったみたい。そういう声が聞こえていたこと校長先生に言うべきかな?」

 深刻そうなハリーに、ロン焦りの声を上げる。

「おい、馬鹿言うなよ!」

「ダメよ、ハリー。ロックハート先生にも聞こえない声が聞こえるなんて、魔法界でも変よ」

 言葉通り、魔法族はマグルから見れば、異常である。その魔法族も特殊な魔法使いは更なる偏見と差別の対象になって冷遇される。

「変と言えばさ、……スネイプ先生もそうだけどさ。校長先生もフィルチもベッロを疑わなかったさ。なんでさ?」

 4人の視線がベッロに集まる。肝心のベッロは、クローディアのローブに顔を突っ込んでいた。

「そりゃあ、ベッロは蛇だぜ。蛇は文字が書けないもの……」

「そんな簡単な理由かしら?」

 能天気に答えるロンに、クローディアとハーマイオニーは納得しなかった。

(お父さんの蛇だからさ?)

 だが、ハリーはベッロよりも気になる疑問を口にする。

「フィルチと言えば……、出来損ないの『スクイブ』って何?」

「魔法族から生まれたマグルのことをそう呼ぶのよ」

 ハリーの問いに、ハーマイオニーが簡潔に答える。クローディアは杖の前の持ち主が『スクイブ』であり、一度も使わずにこの世を去ったことを思い出した。

 何故か、ロンが嘲笑を噛み殺していた。

「笑い事じゃないけど……相手がフィルチだから……、滅多にいないんだけどな。あいつ自分が『スクイブ』だから、僕らが妬ましいんだ」

 フィルチが魔法を使う様子を一度も見ていない。それを疑問にも思わなかった。

「……つまり、フィルチさんのようなスクイブが継承者の敵ってことなのかな? ミセス・ノリスが狙われたのは、自分のせいみたいにフィルチさん言っていたし」

 ハリーがフィルチを憐れむように口開く。

「ん~、でも、マルフォイの奴がなんかほざいてたしなあ」

「ということは、マルフォイは継承者に心当たりがあるってことさ」

「もう図書館、閉まっているから調べられないわ」

 ハーマイオニーの発言に、ハリーは目を丸くする。

「え? 開いてたら、調べるの? 今から?」

 鐘の音が静かに響く。消灯時間が迫っていると知り、4人は急ぎ自分の寮に戻った。

 




閲覧ありがとうございました。
幽霊のパーティなんて、怖くて行けないです。


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6.生徒の不安

閲覧ありがとうございます。
長文です。

追記:16年4月11日、9月28日、誤字報告により修正しました


 ミセス・ノリス襲撃事件後以来。

 レイブンクロー生は図書館からあるだけの【ホグワーツの歴史】を借り、親族にOBがいればフクロウを飛ばし、『秘密の部屋』に関しての情報収集に明け暮れた。

 クローディアもコンラッドに手紙を出したが、警告めいた返事が来ただけで、『秘密の部屋』については触れられていなかった。

【蜘蛛が逃げ去った場所に近づいてはならない。

 ベッロは決して手放してはいけない。どの授業でも連れて行きなさい。 コンラッド】

(蜘蛛さ……?)

 首を傾げるクローディアは、ドリスからの警告として、ベッロを他の授業にも連れ込むことを皆に説明すると、珍しくパドマまで露骨に嫌な顔をした。

 意外な反応に驚くと、リサが躊躇いながら説明してくれた。

 『秘密の部屋』の伝説では、学校の創始者の1人、サラザール=スリザリンが自らの認めぬ者を葬り去る恐怖を封印しているという。つまり『継承者』とは、彼の意志を継ぐ者であること告げた。そのことで、ベッロが蛇であるという恐怖が学年を問わず震え上がらせた。

「私たち、ハリー=ポッターがそうじゃないかと、疑っておりまして、それで……あなたは彼と仲がよろしいでしょう? 色々なことに皆、怯えているんですの」

 意図を理解し、クローディアは嘆息し頭を抱える。

「あの状況を見て、ポッターが継承者だと思っているなら、それは逆さ。『継承者』は何故、壁に文字を書いたさ? 自分の敵に、正体を知られたくないからさ。だから、あの場に居たら、台無しさ」

「逃げ遅れただけかもしれないぞ」

 テリーの批判に、大半が同意する。

 クローディアは、同級生を見渡し、頭を振る。

「あの場には、ハーマイオニーがいたさ。サラザール=スリザリンはマグル出身者を認めない魔法使いさ。彼女がいたことが、ポッターがやっていない一番の証拠さ」

「でも、グレンジャーのいないときに書いたなら……」

 モラグが怯えた声で尋ねる。

「ピーブズの証言で、彼が最後にあの場を通ったときには、何も書かれていなかったさ。その後、『絶命日パーティー』で3人の姿を目撃してるさ」

「ピーブズが嘘をついてるのかも……」

 サリーが不安げに声を出す。

「あいつは人を馬鹿にし、からかい、イタズラはするさ。でも、嘘はつかないさ」

 言い切ったクローディアに、同級生達はお互いの顔を見合わせる。ピーブズに隠し事を露見された生徒の何人かが、曖昧に頷いた。

「でも、疑うなとは言わないさ。ただ、ちゃんと自分で考えて欲しいさ。ポッターが『継承者』であるかどうか、レイブンクローが得意とする知識でさ」

 クローディアは自分のこめかみに、人差し指を押し当てる。それを見た『灰色のレディ』が小さく拍手してきた。拍手の音は、パドマからリサ、アンソニー、やがて同級生全員に伝わった。

 胸中に抱えたハリーへの疑念を晒したことと、クローディアが主観的ではなく、客観的事実に基づいて、彼を弁護したことでレイブンクロー内では完全ではないが、落ち着きを見せていた。

 だが、ハッフルパフとグリフィンドールはハリーが『継承者』だという噂は消えず、その疑いはベッロにまで及んだ。

 その為、フクロウ便でクローディアにベッロの処分を望む嘆願書が届くようになった。無論、遠慮なく嘆願書を焼却処分した。

『魔法薬学』では、ベッロを恐れ、以前のようにパドマ以外はクローディアに近づかなくなる。『薬草学』では、ドラコ達が隙を見てベッロを取り上げようとするのを防ぐのに、一苦労であった。

 

 水曜日。

 スネイプが生徒を見渡し、チョークで書かれた黒板の文字を叩く。

「『ポリジュース薬』は変身術を用いずに、自らを他人に変身させる薬である。だが、この授業でその調合法を教えることは出来ん。興味のある者は、図書館の『閲覧禁止』の棚に行くがよい」

 それは教師から許可証にサインを貰うか、上級生に進級しろという意味だ。

 気の重い『魔法薬学』を終えたクローディアは虫籠を抱え、ハーマイオニーと待ち合わせている襲撃現場に向かった。

 既に3人が到着していた。お互いの情報交換に役立つ場所があると、得意げなハーマイオニーにお手洗いへと連れ込まれた。

 そこは『嘆きのマートル』の住処で知られる場所だ。去年クローディアは、濡れ鼠にされるという嫌な思い出がある。その時、クィレルの前で魔法を使ったのもこの場所だ。感傷に浸る間もなく、ハーマイオニーは遠慮せずにお手洗いに入る。

「こんにちは、マートル。お元気?」

 静かに親しみを込めるハーマイオニーは上を仰ぐ。空中を浮かぶおさげで眼鏡をかけたマートルが横目で睨んできた。

「この人たち、女じゃないわ」

 睨まれたハリーとロンは反射的に、ビクッと肩を痙攣させる。

「それは、そうさ」

 クローディアも『嘆きのマートル』の機嫌を取るために、愛想よく相槌を打つ。

「ねえ、『絶命パーティー』の時のことを聞きたいんだけど」

「嫌なことを思い出させないで!」

 マートルは癇癪を起こし、便器へと逃げ込んだ。

「あれでも機嫌のいいほうよ」

「あれでかよ」

 ハーマイオニーは肩を竦め、ロンは吐くフリをした。漸く、数日間で集めた情報を交換しあった。

「蜘蛛が逃げる場所か……、あの夜も蜘蛛が逃げてたわね」

「やめてよ。僕、蜘蛛が嫌いなんだ」

 大の蜘蛛嫌いなロンが身震いした。

「それよりも、継承者が誰か僕は絶対、マルフォイだと思う。言ってたろ? 『次はおまえたちだ!』って」

「いや……ないと思うさ」

「マルフォイなんかが継承者?」

 意気込むロンを失礼ながらもクローディアは否定し、ハーマイオニーはドラコを小馬鹿にした。ただ、ハリーだけはロンに賛成した。

「そうかもしれない。マルフォイ一族は代々、スリザリン出身だ。あいつの父親も何処から見ても悪玉だよ。ありえない話じゃない」

 同意して頷くロンは、小さく唸る。

「クラッブとゴイルを騙して何か聞き出せないかな?」

「それよりも良い方法があるわ。ただし、学校の規則を50も破ることになるし、おまけに危険なの、とってもね」

 じれったく話すハーマイオニーは、突然クローディアに熱い視線を向ける。急にそんな視線を向けられ、心臓が温かい意味で跳ねた。

「あなたのお祖父さま、魔法薬に詳しいわよね? 『ポリジュース薬』についてご存知か、聞いてもらえない? それと、よければ材料の調達もお願いしたいわ」

「ああ……スネイプ先生が今日の授業で話してたさ。なるほど、それならいけそうさ」

 跳ねる心臓の動悸に気づかれないように、クローディアが曖昧に頷く。しかし、ハリーとロンが目を丸くして『ポリジュース薬』について尋ねてきたので、ハーマイオニーは嘆く。

 クローディアは眉間のシワを指で解し、簡単に説明した。

「調合法は『閲覧禁止の棚』にあるからさ、先生の許可がいるさ。だから、お祖父ちゃんに先に聞くさ。日本にいるから時間かかるけどさ」

 急にハリーは自分の顎に手を当て、瞬きを繰り返す。

「スリザリンの談話室の場所……、クローディアのパパから聞けないかな?」

「どうして、クローディアのお父様に聞くの?」

「うちのお父さんがスリザリン生のOBだからさ」

「え、嘘!?」

 衝撃の事実だと、ハーマイオニーとロンは目を丸くした。

「その辺は、ハグリットが詳しいと思うさ」

 敢えて、スネイプのことは口にしない。話がややこしくなるし、今は関係ない。

 納得したロンが自らの肩を抱いて、身震いする。

「君のお祖母さん、マルフォイが苦手だろ? きっと、君のお父さんから、いろんな悪事を聞かされたからなんだ」

 その後、簡単に話を纏め、お手洗いを後にする。

「ロン! どうして女子トイレから出て来るんだ!」

 だが、運悪くパーシーと鉢合わせしてしまい、口論となったロンは、減点されてしまった。

 

 金曜の昼食中に、カサブランカが祖父とコンラッドからの返事を携えてきた。

 手紙の内容には祖父がドリスの家に滞在していることが書かれていた。何でも、病院の院長から働き過ぎの為、休みを押しつけられたらしい。

 他にも、大広間からスリザリン寮への明確な地図と、意外にも『ポリジュース薬』の調合手順の詳細、しかも材料は後日にでも配達することを約束されていた。

 癇癪を起こす『嘆きのマートル』を無視し、4人はお手洗いで手紙を広げる。

「スリザリンは、壁に向かって合言葉を言うさ。お父さんの頃は7年間、ずっと『純血』だったらしいさ。これって合言葉って言うさ?」

 予想より事態が順調に進み、ハリーとロンは冒険心が芽生えて興奮していた。クローディアは、順調すぎて不気味に感じた。

「難しそう、こんな複雑な薬、見たことないわ。あ、注意があるわ。……『動物の変身には決して使わないこと』……。へえ……」

 ハーマイオニーは丁寧に調合法を読み直し、歳月の部分に注目した。

「一ヶ月か……。この手順なら妥当ね」

「一ヶ月!! そんな悠長にしていたら、マグル生まれの半分がやられちゃうよ!」

 憤慨したハリーが、乱暴に怒鳴った。クローディアは、彼の肩に顎を乗せて頭を叩く。

「大声出したら、聞かれるさ。それに、他に方法がないさ。スリザリン生の誰かが『継承者』である確率は高いさ。なら、どうするさ?」

 叩かれた箇所を擦り、ハリーは渋々承諾した。

 

 土曜の朝は、グリフィンドール対スリザリンの寮対抗戦の為か、この日ばかりはハリーが『継承者』だと口にする者はいなかった。

 大広間で、サラダを平らげていたクローディアは、勝利したわけでもないのに、誇らしげなドラコが目に止まった。それにチョウが悪態を付く。

「もう勝った気かしら? 『ニンバス2001』を持っているからって」

 マリエッタが苦虫を噛み潰したように、顔を顰めて教えてくれた。

「さっき、廊下でマルフォイの父上がスネイプ先生と挨拶しているのを見かけたわ。きっと、そのせいよ。うう……嫌だわ。魔法省でも、評判悪いのよ」

「そうそう、うちの両親もルシウス=マルフォイをアズカバンに収容できなくて残念がってるわ」

 怯えるマリエッタに、クララも同意する。チョウが2人の親が魔法省に勤めていると教えてくれた。

(ロンのお父さんも魔法省さ。もしかして、大半の人って魔法省勤めさ?)

 つまりは役所関係、または公務員ということだ。政治関連の知り合いなどいないクローディアは、突然、胃が緊張してきた。

(私は、マルフォイパパに会わないようにするさ。色々と面倒さ)

 牛乳を飲み干し、クローディアは自身に喝をいれるために頬を叩いた。

 

 競技場を目指すと、ルーナとジニーが一緒に歩くのを見かける。気落ちした様子でジニーは歩き、ルーナはそんな彼女へ必死に話しかけている。

「ナーグルはあんたのせいじゃない、今日は楽しまないといけないもン」

 クローディアには、理解不能な会話であった。だが、ジニーは少し笑顔でルーナに感謝の言葉を述べていた。

 曇り空が少しずつ晴れる中、ほぼ満員の観客席で、クローディアはパドマと後方に席を取り、持ち込んだ双眼鏡で貴賓席を見渡す。

 フリットウィックが指揮する『楽団部』の部員が緊張の面持ちで楽器を握り、その中には硬直したリサもいた。

 不意に視線を変えると、普段の黒衣を纏ったスネイプを双眼鏡で捉えた。その隣には、目立つ銀髪に尊大な風貌をしたルシウス=マルフォイが堂々と腰掛けている。

「あら~、こわ~い、おっさんがいるさ」

「距離があってよかった……」

 安堵するパドマは、座りなおして試合開始を待った。

 ハリー達が入場すると、グリフィンドールへの声援が競技場を包んだ。

 マダム・フーチの合図で試合が開始される。

 正攻法とは言い難いが、状況はスリザリンに優位であった。スリザリンが点を入れる度に、貴賓席のスネイプが上機嫌に微笑み、ミスタ・マルフォイが満足そうに頷く。

(箒の力も、あるだろうけどさ。もう少し、マトモな試合して欲しいさ)

 コンラッドも元スリザリンのビーターだったことを思い、クローディアは複雑な気分に駆られた。

 スリザリンチームに優位な状態が続く中、観客席にいる何人かが、試合の異常さに気づいた。ブラッジャーがハリーのみを狙い続けているのだ。

「おかしい! あんな動き見たことない」

 3年生エディー=カーマイケルが叫ぶとレイブンクローの選手も口々に叫んだ。

「誰かが細工したんだ!」

 ブラッジャーを凝視する全員の前で、恐れていた事態が起こった。突進するブラッジャーがハリーの肘を強打し、彼は箒の上で悶え、何故か地面に突っ込んでいった。

 クローディアは軽い悲鳴をあげ、パドマも思わず手で顔を覆った。

 ハリーは体を回転させながら、芝生に倒れこんだ。その手には、金のスニッチが握られていた。

「ハリー=ポッターがスニッチを掴んだ! グリフィンドールの勝利!」

 実況のリーが興奮して、勝利を叫ぶ。しかし、ブラッジャーの動きは止まらず、地面のハリーを狙って何度も襲ってきた。

 すぐにマダム・フーチがブラッジャーに杖を向ける。

「フィニート・インカンターテム(呪文よ終われ)!」

 空中でブラッジャーは粉々になり、ハリーは折れた腕を押さえながら、安堵の息を吐く。クローディアも安心のあまり、力が抜けてその場に座り込んだ。

「私が治してあげよう!」

 だが、愚かなロックハートが呪文に失敗した。ハリーの骨を抜いてしまい、医務室に担ぎ込まれた。

 

ハリーはマダム・ポンフリーから散々、叱責された。

「癒術を甘く見て、全くロックハートったら」

 マダム・ポンフリーは、ひたすらロックハートを批判した。それを聞き、ハーマイオニーは不機嫌になっていた。見舞いに来たフレッド、ジョージは夜通しで騒ごうとしたが、校医に追い出された。

「折角、厨房から失敬してきたのに…」

 フレッドが手にしたポテトサラダを見て、わざとらしくため息をつく。

「ハリーが退院してから騒げばいいだろ」

 リーが身体を弾ませて廊下を突っ切る。

「クロックフォード、グリフィンドール寮に来ないか? 勝利の杯を共に交わそう!」

 ジョージが、クローディアの肩を抱いて勧めてきた。ハーマイオニーの自室に宿泊できる絶好の機会だ。

 クローディアは快く承諾しようとした。しかし、ジョージは突然、顔色を真っ青する。

「小娘、こちらを見よ」

 低いしわがれ声が頭上から降り注ぐ。嫌な予感がしても、ゆっくりとは彼女後ろを振り返る。

 虚ろな瞳に銀色の血を滴らせた『血みどろ男爵』がクローディアを眺めていた。他の幽霊は何処となく陽気な一面もある。しかし、この『血みどろ男爵』は違う。おそらく、自分が死した姿のままなのだ。

 この学校一の恐怖すべき風貌であるスリザリンの幽霊に、悲鳴を上げかけた。

「用件がある。着いてまいれ」

 こちらは用などない。

 無視して逃げようとすれば、『血みどろ男爵』はクローディアの身体に纏わりついた。氷が全身を駆け抜ける感覚に、寒気が走る。

「わかったさ。はい、行きます。行かせて頂きます」

 震える身体を撫でながら、クローディアは『血みどろ男爵』に着いて行った。

「えらいこっちゃ」

 すぐに、ジョージは『ほとんど首なしニック』を探しに走った。

 

 連れて来られたのは、スネイプの研究室。ここは教室とは違い、スネイプ自身の研究のために用いられる部屋らしい。一度も足を踏み入れたことのないクローディアには未知の領域だ。

 ただ、ここに来たということは、用件があるのはスネイプだ。非常に安心したクローディアは、胸を撫で下ろす。

 それは、一瞬のぬか喜び。本日のクィディッチ試合を考えると、今のスネイプは猛烈に機嫌が悪いに違いない。

「入るがよい」

 扉の前で『血みどろ男爵』が見下して命じた。ここで逃げても追いかけて来るだろうし、下手をすればピーブズまで襲ってくる。

 覚悟を決め、扉をノックした。聞きなれた闇色の返事が、入室を認める。

「クロックフォードです。失礼いたします」

 壁に直接設けられた棚には、瓶が整頓されて並んでいた。灯りがあるはずなのに、教室よりも更に暗い部屋だ。魔法使いの研究室と呼ぶには打ってつけである。

 部屋の中心に、スネイプとマルフォイが円卓を挟んでお茶会をしていなければの話だ。

 ほとんど勢いで扉を閉めようとしたクローディアは、背中から強烈な蹴りを食らって部屋に放り込まれた。ピーブズの笑い声が聞こえた。ご丁寧に、扉が勝手に閉まる。

 背中の痛みに耐え、クローディアは行儀よく背筋を伸ばす。

 マルフォイの見下し切った視線が、突き刺さった。同じ部屋にいるだけでも、緊張で手が汗ばむ。その上、全く好意を感じぬ瞳が捕食する蛇のように鋭い。同じ尊大な態度でも、ドラコとは格が違い過ぎる。他者に対して、有無を言わせぬ迫力が醸し出されている。

 スネイプとは別の意味で、恐怖を覚えた。

「こちらはホグワーツの理事をしておられるルシウス=マルフォイ氏である。挨拶をしたまえ」

「はじめまして、クロックフォードです」

 腰を折って挨拶するクローディアに、マルフォイは何も返さない。

 十分に眺めてから、マルフォイは蛇の頭を模した杖の柄で彼女の顎をしゃくり上げる。金属の冷たい感触が下斜めから押しつけられ、寒気がする。

「頭を下げるとは、良い心がけだ。君のことは、ドラコからよく聞いているよ。なんでも素晴らしい蛇を飼っているそうだね。名前は……そうベッロ。昔、私がこのホグワーツに在籍していた折にも、同じ名前の蛇がいたよ。まるで宝石のように美しく赤い鱗を持った蛇だった。飼い主だった生徒の名は、コンラッド=クロックフォード。おや? 偶然にも同じ姓だね」

 コンラッドの名に、クローディアは瞼が痙攣した。視界の隅にスネイプを入れる。どうやら、コンラッドとの親子関係をマルフォイに話していない様子だ。

『何も恐れることはない。スネイプ教授を信じていればいい』

 こんな場面でスネイプを信頼し切る余裕はない。

「本当に偶然ですね。でも、よくある名前です」

 音程がズレたのが、恥ずかしかったが構っていられない。

「君は外国から来ているそうだが、どうして、ドリス=クロックフォードが君の後見人なのかな?」

 柄を押しつける力が込められ、痛い。

「祖父が……、仕事でイギリスに来ることができません。それで、ドリスさんに後見人を頼みました」

 半分は嘘ではない。医者として開業している祖父は、おいそれと国を離れられなかった。コンラッドが表立った行動を取らないならば、自分にもしものことが起きれば、真っ先に対応できるのはドリスだけだ。

 マルフォイは冷笑し、スネイプを振り返る。意味を悟った教授は、ゆっくりと頷く。やっと、マルフォイの杖が離れた。

「どうやら、君は私の知人とは関係がないようだ。いや、失敬」

 詫びている様子は、まるでない。

「もうよい、下がれ」

 スネイプに命じられ、クローディアはお辞儀する。若干、痛む顎を撫でながら扉を開く。

「私の寮生を連れて行ったとは! どういうことなの! 男爵!!」

「……そんな、誤解だ! ヘレナ……」

 廊下で『灰色のレディ』が『血みどろ男爵』を凄まじい剣幕で怒鳴りつけていた。怒り心頭の『灰色のレディ』も珍しいが、狼狽して許しを請う『血みどろ男爵』はもっと貴重だ。

「レディ、レディ、落ち着いて。男爵が生徒に危害を加えたりしません」

 『ほとんど首なしニック』が仲裁に入るが、『灰色のレディ』が彼の首を弾いたので、ぼとりと落ちかけた。1枚の皮で繋がれた首がクローディアを見る。陽気に笑う彼の姿が、返って気色悪い。

「ほら、来ましたよ。あの子、え~と」

「クローディア=クロックフォード!」

 『灰色のレディ』はクローディアの姿を確認し、触れられないのに背を押すような仕草で急かしてきた。

「レディ、男爵はスネイプ先生の使い走りをしただけさ」

「いいえ、一切油断してはいけないわ」

 『灰色のレディ』が『血みどろ男爵』に構わず、クローディアと階段を上がった。階段近くの柱でジョージがこそこそと様子を窺っていた。

「大丈夫か?」

「うん、ちょっとスネイプ先生に呼ばれただけさ」

 そのままジョージとグリフィンドール寮に行こうとしたが、『血みどろ男爵』に連れて行かれたことを心配したペネロピーに見つかり、連れ戻された。

 

 深夜にベッロが騒ぎ出した。クローディアは安眠妨害だと虫籠に押し込み、縄で括りつけた。しかし、虫籠が激しく騒ぐので、魔法で硬直させ一晩放置した。

 朝になると完全にへそを曲げたベッロは虫籠から、出てこなくなった。

 大広間で寝ぼけながら、食事をしているとカサブランカが小包を運んできた。祖父から『ポリジュース薬』の材料が届けられたのだ。しかし、最も入手困難なニ角獣の角が仕入れられなかった。添えられた手紙にも、祖父の謝罪が綴られていた。

 クローディアはハーマイオニーと手紙と読み、お互いの顔を見合わせる。

「少し私に考えがあるわ。あなたはハリーを呼んできて、私とロンは、先にあそこにいるから」

 耳打ちに頷き、医務室を目指して先に大広間を出た。

「おい」

 尊大なドラコが呼びとめた。珍しく取り巻きを連れていない。用件もないので、無視して行こうとしたクローディアの髪をドラコが掴んだ。

「おまえは何なんだ?」

「髪を離すさ。マルフォイ。意味もわかんないさ」

 クローディアがドラコの手を弾くと、彼は不貞腐れたように下唇を出した。

「スネイプ先生まで、ベッロを諦めろと僕を諌めた。前は欲しければ、奪っても構わないと言っていたのに、どうしてスネイプ先生がおまえを庇うんだ? それだけじゃない。父上がおまえに構う必要はないと言ってきた。それに対して理由を教えてくれない。父上は僕に何でも話して下さるのに」

 屈辱を受けたと言わんばかりに、ドラコはクローディアを睨む。幼稚な彼の視線は、怯えるに値しない。

「親だからって何でも話してくれるわけないさ。ちょっと、教えて貰えなかったからってへこんじゃってさ。あんた、そんなに自分のお父さんが信じられないさ?」

「失礼なことを言うな! この『穢れた……」

「「はい、クロックフォード。おはよう♪」」

 突然、現れたフレッド、ジョージの片手がドラコの口を塞いだ。ドラコは嫌悪を剥き出しにして暴れるが、双子は決して離さない。

 大袈裟に双子は、喉を鳴らして笑う。

「昨日の試合、すごかったなあ。だって相手は全員『ニンバス2001』に乗ってもんな。でも、勝てなかったねえ。俺達に」

「シーカーの腕が悪いんだよ」

 それから飛び切りの意地悪な笑顔で言い放つ。

「「あれ? シーカーって誰だっけ?」」

 完全に喧嘩越しの双子をドラコの顔色が段々と赤くなる。そして双子の足を思いっきり蹴った。痛がる素振りを見せ、双子はドラコを離す。

「父上に言うからな!」

 憤慨するドラコは、双子を強く指差す。

「父上だってよ」

「わざわざ試合まで観に来たけど、昨日の試合はがっかりしただろうな」

 せせら笑う双子に、ドラコの顔がトマトのようになる。最後にウィーズリー家は貧困だとか喚きながら、大広間に向かった。

 もしも、ドラコがあのまま『穢れた血』と口にしていれば、クローディアは迷うことなく彼を殴っていた。そうなれば、スネイプとマルフォイは絶対に黙っていない。

「あんたら、私のこと助けてくれたさ?」

「さあ、どうだか?」

「ちょっと、マルフォイをいじりたかっただけって考えもあるぜ」

 ウィンクするフレッドとジョージに、クローディアは噴き出して笑った。

 

 医務室に行くと、運良くハリーが退院してきた。

 そのままクローディアはハリーを連れ、ハーマイオニーと待ち合わせた『嘆きのマートル』のお手洗いに直行した。

 ハーマイオニーとロンは小部屋で鍋を焚き、薬を煎じていた。鍋の中は、かなり怪しい色をしていた。まだ完成していないが、これを飲むことを遠慮したくなった。

「僕が眠ってたら、ドビーに起こされて警告していったよ。僕は学校から去るべきだって。しかも、9と3/4番線を通れなくして、ブラッジャーに細工をしたのも、ドビーだった。僕がドビーを問いつめようとしたら、逃げられちゃった」

「学校で良くないことが起きるだったけさ? もしかして、継承者がそれさ?」

 確認するクローディアにハリーは頷く。

「それにね、悪いことも起こった。コリンが石にされたんだ。校長先生とマクゴガナル先生が医務室に運んできて、そして、言ったんだ。「再び、『秘密の部屋』が暴かれた」って」

「コリンが襲われた……。可哀想ね。でも、再び開かれたってことは」

「ルシウス=マルフォイが学生だった時だよ。絶対。そして、ドラコに開け方を教えた」

 腕を組んだロンが、自信満々に頷く。

 クローディアは、先程のマルフォイよりも当てはまる人物が浮かんだ。

「ヴォービートの手口に似てる気がするさ。なんか、挑発するようなあの壁の文字とか」

「ヴォルデモートはホグワーツでスリザリン生だった。前にハグリッドが教えてくれたよ。だから、最初は僕もそうだと思ったんだけど。ドビーがヴォルデモートは関係ないって言ってた」

 『例のあの人』の名を聞き、ロンが青ざめて小部屋の壁に張り付いた。

「ハリー、やめてくれよ。『例のあの人』の名前を呼ぶのは……」

 ロンを無視して、クローディアは項垂れる。

「そう何度も、ヴォービートが学校でもめ事起こすのも嫌さ。前みたいに餌もないしさ。というか、あいつが学生やっている姿なんて想像できないさ」

 4人の思考は、取りあえず制服を着込んだ『例のあの人』を思い浮かべる。

 クローディアとハリーはクィレルに寄生していた時の姿が印象強く、顔が2つある生徒になった。

 ハーマイオニーはドラコなどのスリザリン生を一緒くたにした風貌で、かなりやぼったくなった。

 ロンは想像するのも恐ろしいと震え上がった。

「ヴォービートの若い頃を想像するなんて、ダースベーダーの若い頃を想像するようなもんさ」

「確かに難しいわね。私みたいな子供の頃があったなんて不思議だわ」

 それから2人は、例のマスクをつけた少年ダースベーダーを思い浮かべて笑う。数年後、ダースベーダーの若き日の物語が放映されるが、それはまた別の話だ。

「だから、ダースベーダーって何だよ」

「マグルの物語に出て来る悪役だよ」

 不貞腐れたロンの為に、ハリーは簡潔に告げる。

「それよりも薬はどうするんだい? 材料が一個足りないよ」

 話題を変えたロンに、ハーマイオニーは自信を込めて微笑む。

「スネイプ……先生の薬棚にあるじゃない。場合が場合だし、分けてもらいましょう♪」

 ハーマイオニーのあまりに大胆な発言が聞き違いかと、3人は耳を疑う。

「まさか、盗むさ? どうやるさ? ポッターの『透明マント』でも使うさ?」

「その手があったわね。仕掛けるとしたら、クローディアが授業中…水曜日がいいわ。私達は『魔法史』だし、適当に言い訳すればいいわ」

「容赦ないねえ、ハーマイオニー」

 更に大胆なハーマイオニーをロンは感心を通り越して、呆れた。

「それと、頂いた材料が3人分しかないの。クローディアは影に変身して欲しいの」

「へ……。ん。ああ、影。そうさ。そうするさ」

 今日まで、クローディアは影に変身していた事実をすっかり忘れていた。

「お! あの部屋の時以来だけど、大丈夫かよ?」

 ロンは興味津々にクローディアを見つめた。

「あれから、一回も変身してないさ」

「練習すればいいわ。大丈夫、一度、変身出来たなら、また出来るわ」

 絶対の確信を持つハーマイオニーにそこまで言われては、クローディアは断る理由を探す気にもならない。それに『ポリジュース薬』を飲まずに済むのも有り難かった。

 

 コリン=クリービー襲撃は瞬く間に広がり、1年生は襲撃を恐れ、集団で移動した。教員の目の届かぬ所で、魔除けの防犯グッズが流行りだした。

 レイブンクロー内では、蛇のベッロが逆に魔除けになると吹聴され、学年を問わず脱皮した殻を求めてきた。何故か、ネビルの耳にも入り、彼が一番しつこく殻を求めてきた。

「あんたは、マグルじゃないさ」

 呆れて呟くクローディアに、ネビルは半泣きで述べた。

「だって、僕が『スクイブもどき』だって皆知ってる。絶対、狙われるよ」

 怯え切ったネビルを哀れに感じた。そして、ベッロの脱皮した殻を分けると彼は喜びのあまり激しく踊りまくった。

 その状況が幸いしたのか、ベッロが『秘密の部屋』に関与の疑いは霞のように消えていった。

 そして、ハーマイオニーは『ポリジュース薬』の調合の傍ら、クローディアを影への変身を成すための特訓を指導した。

 クローディアは徐々にだが、影になる感覚を物にしていった。お手洗いに2人だけになれる時間が出来たことを不謹慎だが、少しだけ『継承者』に感謝した。

 

 特訓を終えたクローディアとハーマイオニーは、周囲を十分に警戒し、お手洗いを後にする。消灯時間が近いので小走りで廊下を突っ切っていく。

 寮の別れ道で、ジニーが階段の手摺りにもたれていた。

 ジニーは、コリンと仲が良い。彼が石化されてから、笑顔が完全に消えていた。フレッドとジョージが必死に励まそうとしているが、まるで効果がない。挙句に、双子の悪ふざけにパーシーが堪忍袋の緒が切れたとペネロピーが話していた。

「ジニー、1人でいたら危ないさ」

「そうよ。私と寮に帰りましょう」

 ハーマイオニーが優しい口調で、ジニーの手を引く。ジニーは小さく頷き、ハーマイオニーの手を取った。すると、動く階段の向こうから、ハリーとロンが降りてきた。

「ジニー、何処にいたんだ。心配したんだぞ」

 眉を寄せたロンがジニーに駆け寄り、ハリーがクローディアに気づいて声をかける。

「クローディア、1人で寮に帰るの? 僕が送るよ」

「いや、大丈夫さ。ありがとうさ」

 即答したクローディアの前に、『灰色のレディ』がスカートを翻す。

「グリフィンドールの皆さん、御機嫌よう。クローディア、戻ってない生徒は、あなただけよ」

 心配で迎えに来てくれたことに、感謝した。4人に手を振り、クローディアは『灰色のレディ』と自寮を目指して歩いた。

「どうして……、あんな……」

 怨めそうにジニーがか細い声で呟く。誰にも聞きとられることはなかった。

 

 12月の最初の土曜。

 レイブンクロー対ハッフルパフとの寮対抗試合は、例年よりも観戦する生徒が増加していた。少しの娯楽を味わい、襲撃事件を忘れようとしているのだ。

 クローディアもパドマ、セシル、サリー、マンディと観戦のために競技場を目指す。

 ハーマイオニーは試合よりも調合の見張りが優先した。ハリーとロンはネビルやシェーマスと約束があるので、クローディアとは別行動になる。

 競技場の手前で、フレッドとジョージ、リーと寄り添い、試合の勝敗を賭けているのを発見した。

「クロックフォードも賭けないかい? 自分の寮にいくら、賭ける?」

 ジョージが手招きし、賭けに誘ってきた。

「嫌さ」

 賭博に興味のないクローディアは、適当に流そうとした。

 急にパドマ達が忍び笑う。

「俺達の試合を賭けているのか?」

 クローディアの背後に、イタズラっぽい笑みを浮かべたロジャーが仁王立ちしていた。

「ディビーズ、私はしてないさ!」

「そうだよな、俺達が勝つに決まっている。賭けにならない」

 胸を張るロジャーに、フレッドが大袈裟に肩を竦める。

「なら、僕はハッフルパフに有り金全部♪」

 ロジャーは自分の唇に手を当て、閃いたように唇に弧を描く。

「俺も賭けよう。うちのチームが勝ったら、クロックフォードと付き合う。これでどうだ?」

 慣れた手つきで、クローディアの肩に手を置くロジャーに、彼女は変な音程で返した。その反応を見たサリーが綺麗な口笛を吹く。

「いやいや、クララと付き合ってるんじゃないさ?」

「彼女との関係は、休暇と共に終わっているから、問題ない。クロックフォード、試合が終わったら、更衣室で待っててくれ」

 反論も聞かず、上機嫌にロジャーは更衣室に入ってしまった。

「良かったじゃない、クローディア! 男の子から誘いよ!」

 嬉しそうなマンディがクローディアの腕を小突く。にんまりと笑うセシルが拍手した。

「クロックフォードは、ああいうのが趣味なのかい?」

「手が早いから、お勧めは出来ないよ」

 からかうフレッドとジョージがクローディアの頬に指で突く。

「アイツ、ホグズミードに行くとき、アンジェリーナを誘ってたらしいぜ。振られたけど」

 リーの言葉を受け、クローディアは横目で威嚇するが如く男性陣を睨む。

「勝っても断るさ!」

「ええ! 勿体ない」

 パドマが文句を言っていた。

 天が不遜な賭けを罰したのか、試合はハッフルパフが勝利した。フレッドは臨時収入を得たと満足していた。

 

 フリットウィックがクリスマス休暇中に居残る生徒を確認に来た。早速、クローディアは名簿に自分の名を記した。ドリスは残念がっていたが、ハリーが詫びの手紙を送ったことで承知してくれた。

 事情があるにせよ、学校のクリスマスパーティーに参加できる。それに胸躍らせた。

 

 水曜日。『魔法薬学』の授業中、クローディアは普段より派手に調合に失敗し、鍋が天井に吹っ飛んだ。スネイプに烈火の如く罵られた。その間、自らの授業を抜け出したハーマイオニーは『透明マント』を纏い、スネイプ個人保管室から二角獣の角を見事に盗み出した。

 代償として、レイブンクローは10点も減点され、クローディアは罰則を言い渡された。

 調合はハーマイオニー達に任せ、夕食後に重い足取りで地下教室を目指した。

(あんなに飛ばせるはずじゃなかったさ)

 せいぜい正体不明の煙が上がる程度で済ませるつもりだったが、クローディアはわざと失敗することも出来なかった。

 失敗の現場に着くと、そこには他の生徒の姿も見受けられた。

 珍しく片割れと離されたジョージ、ハッフルパフ4年生セドリック=ディゴリーだ。3人は、それぞれ調合中に爆破を起こして床や壁、天井を焦がした。

「我輩は貴様らを見る時間が惜しい、戻るまでに全て終わらせろ。でなければ減点だ」

 3人を残し、スネイプは教室を去った。

 各自、雑巾やモップを手にし、作業に取り掛かる。

「最近の罰則でも、生徒を1人に出来ない。だから、こうして集められたんだよ」

 丁寧な口調でセドリックは、クローディアに教えた。

「僕はロジャーと友達だ。君の話もよく聞くよ。彼は君を魅力的な子だって言っていた」

「ディゴリー、スネイプ先生に聞かれたら怒られるさ」

 素っ気なく、クローディアがモップで天井を磨く。

 無駄口を叩いていると、スネイプの足音が廊下から聞こえてくるのだ。

 1時間後、教室にスネイプが戻る頃には、3人の作業は終了していた。退室を命じられ、3人は我先にと階段を上がる。ジョージは1段飛ばしで走って行った。

「ロジャーのことなんだけど、彼を許してあげて欲しいんだ」

 クローディアをセドリックが呼び止めた。ロジャーの名に、悪態を付く。

「怒ってないさ。ただ、賭けにされたことが嫌なだけさ」

「君は頭が固い。そういうことを賭けにするのは、よくあることだよ。これはきっかけなんだ。彼が自分に合わないかどうか、付き合ってみてから決めればいいじゃないか?」

 背筋に寒気が走る。好意のない相手と交際するなど、考えられない。

「ディビーズのことは好きじゃないさ」

「他に好きな男がいるのかい?」

「いないさ!」

 詰問され、クローディアは声を荒げた。しかし、セドリックは噴出して笑う。

「怒ることないだろ? いないなら、尚の事、誰かと交際したらいい。まあ、ロジャーは少し遊びすぎだけどね」

「必要ないさ」

 これに意外そうに、セドリックは首を傾げる。

「君は恋をしないのか?」

 悲しそうな視線に、言葉を失う。傍から見れば、クローディアがセドリックを攻め立てているように見える。

「お取り込み中に悪いが、ここでそういった話はゴメンこうむる」

 闇色の声に、クローディアとセドリックは急いで階段を上りきった。

 別れ際に、セドリックは念を押す。

「ロジャーは悪いヤツじゃない。彼にチャンスを与えてあげて欲しいんだ」

 返答せず、会釈だけしてクローディアは自分の寮を目指した。

 螺旋階段の手前で、ジョージが壁にもたれていた。壁の絵が睡眠妨害を訴えているが、ジョージはそれを無視している。

「ディゴリーのヤツ、なんだって?」

「ロジャーをよろしくってさ」

「付き合うのか?」

 先程の会話の続きかと思い、クローディアは再び嘆息する。

「違うさ……。もうやめて欲しいさ、おやすみジョージ」

「僕はフレッドだよ」

 苦笑する赤髪の男をクローディアは不傾げに見つめる。

「いいんだ。ママだって、僕らの区別がつかない。僕らを見分けられるのは、僕らだけさ」

 俯き顔を隠す仕草に、クローディアは胸が締め付けられる。

 パチル姉妹と違い、赤毛の双子は一緒にいないとクローディアも見分けられない。本人達はそれを利用し、周囲を和ませているがその心情は穏やかではないのだと悟った。

「ごめんさ」 

 呻くと、急に含み笑いが降り注ぐ。

「じょーだんだよ♪本当は俺がジョージ!」

 活発な声を上げるジョージに、クローディアは呆気に取られて口を開ける。

「さっきのは、嘘さ?」

「ママは俺達を見分けられないのは、本当だって。もしかして、それを俺とフレッドが悲観してると本気で思った?」

 イタズラっぽく笑うジョージの脇に、クローディアは拳を叩きつけた。痛みで彼は腹を押さえて悶絶する。

「悲観したことはないさ?」

「ないよ。これは俺達の最大の利点なんだ。最高だよ」

 不快か安心か判断出来ない。そんな複雑な気分でジョージと別れた。

 

 談話室には、宙を漂う『灰色のレディ』がいる。クローディアを見るなり、『灰色のレディ』は興味深そうに首を傾げる。

「男のことで悩んでいるわね?」

「……顔に書いているさ?」

 心を見抜かれたようで恥ずかしい。『灰色のレディ』は、くすりと気取った笑みを見せた。

「経験よ。あなたの場合は、興味のない男に言い寄られて困っているってところかしら?」

 またも当てられ、クローディアはビクッと肩を跳ねる。

「気をつけなさい。蔑ろにされた男は何をするか、わからないわ」

 深刻な口調で『灰色のレディ』は警告してきた。心に留めておくとクローディアはお辞儀した。

 自室では、パドマとリサが宿題をせっせと仕上げていた。クローディアも教科書を取り出して、宿題に取りかかる。

 ロジャーに肩入れするセドリックの言葉が脳裏を掠める。

〝恋をしないのか?〟

 その刹那の間、真っ先にハーマイオニーを連想した。

(彼女に相談したいから……?)

 それが理由だと結論づけた。

 だが、こんな色恋沙汰を相談する気になれない。それよりも知られたくないという気持ちが強かった。

 




閲覧ありがとうございました。
『灰色のレディ』、すごく優しいです(勝手な妄想)。
スネイプとマルフォイパパの茶会は、個人的には萌えます。
●エディー=カーマイケル
 原作五巻にて、下級生にインチキ薬を売って小銭を稼いだ。


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7.決闘クラブ

閲覧ありがとうございました。
なんでフリットウィック先生がやってくれなかったんでしょう。不思議。
蛇語などの人外語は[]と表記します。

追記:16年10月2日、17年3月5日、18年9月20日、誤字報告により修正しました。


 玄関ホールの掲示板に、新しい告知が貼られていた。この掲示板は重要なことにしか、使用されない。大方の連絡事項は、各寮の寮監、もしくは監督生が口頭で報せる。

 つまり、この告知は全校生徒への最新の御触れということだ。

 誰もが、告知の内容を知りたがり、群れとなって掲示板に押し寄せた。

「夕食の後に、『決闘クラブ』を開催します? 場所は大広間、参加は自由ってさ」

 読み上げたクローディアの隣で、パドマが首を傾げる。

「『闇の魔術への防衛術』があるのに、こんなことしていいのかしら?」

「実際、あの授業で学ぶことなんて、あんまりないしねえ」

 後にいたマンディが呟く。確かに、あれは授業と呼ぶよりもロックハート自慢大会になっている。彼女のように、ロックハートに幻滅し出す生徒もチラホラと現れ出す始末だ。

「私は『楽団部』の練習がありますので、残念ですが参加できませんわ」

 残念とリサは肩を落とす。 

「ハーマイオニーはどうするさ?」

「勿論、行くわ。おもしろそうだし♪あなたも行くでしょう?」

 当然と笑うハーマイオニーが、クローディアの腕を掴んだ。

「ハーマイオニーと一緒なら、何処までもさ」

 『決闘クラブ』にクローディアだけでなく、他の生徒も期待に胸を躍らせた。

 

 余分な荷物を置きに、自室へ戻る。ベッロを虫籠に戻そうとすると、強い力で抵抗された。余分な荷物扱いしたことが気に入らないのか、ベッロはクローディアの腕に絡みついてくる。

「着いてくるさ?」

 ベッロの顎を撫でながら、談話室に下りる。炎が燃える暖炉の傍で、ルーナは教科書を読み耽っていた。

「ラブグッドは、『決闘クラブ』に行かないさ?」

「今読まないと、ナーグルが隠すから」

 勉強に集中したい。そういう意味だと捉え、ルーナに「頑張れさ」と声をかけた。

 

 午後8時前、大広間は生徒でごった返した。寮のテーブルは取り払われ、代わりに趣味の悪い金色の舞台が用意されていた。

(嫌な予感がするさ)

 遠巻きに見学しようと、クローディアは壁際に寄る。だが、ハーマイオニーに腕を引かれて舞台の傍に連れて来られた。ベッロのお陰か、周囲は自然と2人に場所を空けた。

「誰が教えるのかしら? フリットウィック先生が決闘の達人だって聞いたことあるけど」

「フリットウィック先生は、『楽団部』で来れないさ」

 クローディア達に追いついたハリーが耳聡く話題に入る。

「誰だっていいよ。あいつでなければ」

 アイツとは、ロックハートのことだ。

「それだと、後はスネイプ先生しかいないさ」

「それも嫌だ」

 ロンが吐くフリをする。ハリーの願い空しく、蝋燭の光の反射を強く受ける深紫のローブを自意識過剰に纏うロックハートが優雅に舞台に現れた。

 クローディアは心の底から、ガッカリした。

「さあ、集まって、集まって! 皆さん私がよーく見えますか? 声はよーく聞こえますか?」

 舞台に生徒が集まるのを確認したロックハートは、選挙演説を行う政治家のように大きく両手を広げる。

「最近は物騒な事件が続いていますので、校長にお許しを頂き、『決闘クラブ』を開くことになりました。万が一に備えて皆さんを鍛えます。私も何度か危険な目に合ってきました。詳しくは私の著書を読んでください」

 結局、本の宣伝をした。

 気取ったロックハートはローブを脱ぎ、適当に生徒の群れに投げる。喜んだ女子生徒がローブを取り合った。

「私の助手を紹介しましょう。スネイプ先生です!」

 紹介と同時に、スネイプが舞台に足を踏み入れる。満面の笑みのロックハートと対照的に、スネイプの表情は不機嫌よりも不快に満ちている。授業の時よりも、確実に恐ろしい事が起きると大半の生徒は予感した。

「勇敢にも模範演技を手伝って下さるそうです。ご心配なく、『魔法薬学』の教授を消したりなどしませんから、ご安心を」

 寧ろ、ロックハートがスネイプに消されそうである。

「相討ちで、両方やられっちまえばいいと思わないか?」

 ロンがハリーに囁くのが聞こえた。

「んじゃ、ロンは相討ちに1ガリオンさ? 私はスネイプ先生が圧勝に1ガリオンさ」

 冗談を口にするクローディアに、ロンは噴出して笑った。

「良いですか、決闘において礼儀は重要です。まずは、お辞儀をする。決闘の相手に敬意を込めてね」

 ロックハートとスネイプは向き合い、一礼する。

「そして、3つ数えてから、お互いの魔法を放つ。3、2、1」

 ロックハートが余裕綽々で数え終えた瞬間。

「エクスペリアームズ!(武器よ去れ)」

 スネイプの詠唱に合わせ、杖から紅の閃光がロックハートに直撃した。気が付けば、ロックハートは壁際に衝突し、無様な姿で床に倒れていた。ドラコ周辺のスリザリン生と何人かの男子生徒が歓声を上げた。ハーマイオニーは不安で震える。

「先生、大丈夫かしら?」

「知るもんか」

 ロンは笑みを隠さずに声を上げた。ロックハートの哀れな姿に笑いを抑えきれないクローディアは、ロンに手を差し出す。

「ロン、1ガリオンさ」

「げっ!?」

 冗談とクローディアが返すと、ロンは安心した。

 ロックハートは平静を装い、覚束ない足取りで舞台に上がり直す。

「今のは、『武装解除の術』ですね。思った通りです! 生徒にあの技を見せたのは、素晴らしい思い付きです! あまりにも、初歩的過ぎたので、私はわざと術を受けました。それが生徒の為にもなります!」

「流石は、ロックハート先生! 身を犠牲にして手本になったのね!」

 サリーが黄色い声で叫んだ。

「それよりも、魔法の凌ぎ方を教えることが先ではありませんかな?」

 皮肉っぽく口元を曲げるスネイプに吐き捨てられ、ロックハートは口を噤んで生徒達に振り返る。

「では、誰かにやってもらいましょう! 挑戦者はいますか!?」

「はい! 僕たちです!」

 突然、クローディアの腕が上がった。いつの間にか、傍にいたフレッドに腕を掴まれていた。

「よろしい! ミスタ・ウィーズリー、ミス・クロックフォード、前へ」

「頑張ってね」

 ハーマイオニーに応援され、クローディアは渋々、ベッロをパドマに預けた。フレッドに引きずられるように舞台に上がった。

「我輩からも、生徒を選ぼう。ミスタ・ポッター。ミスタ・マルフォイのお相手はいかがかな?」

 意地悪く笑うスネイプの挑戦を受け、ハリーは舞台に上がる。指名されたドラコは、意気揚々と乗り込んだ。

(バスケの試合の時を思い出すさ。大丈夫さ)

 観衆の目に晒されたクローディアは、激しくなる鼓動を宥める。完全に悪戯を企むフレッドと向かい合い、礼儀に倣って一礼した。

「恐いか、ポッター?」

「そっちこそ」

 その後ろでハリーとドラコは睨み合い、乱暴に一礼した。

「杖を構えて、私が3つ数えたら、『武装解除の術』をかけなさい。いいですか? 取り上げるだけです」

 ロックハートが数え終える前に、フレッドは叫んで杖を振り上げる。

 瞬間、クローディアの足元から風が起こり、ローブとスカートが捲れ上がった。彼女の下着が丸見え……になることはなかった。日頃から、スカートの下にはブルマを穿いている。

「何それ!? カボチャパンツ!?」

「違うさ! ブルマ! 短パンみたいなもんさ!」

 急に男性陣からブーイングが起こり、不謹慎だと女性陣が騒いだ。

「男子のスケベ!」

「事故だよ。事故!」

 スカートを押さえたクローディアは油断したフレッドを抱き上げ、有無を言わさずバックドロップで舞台に叩きつけた。

 フレッドは急な衝撃で脱力し、目を泳がせている。

「かっこいい! やっちゃえ~!」

 女子生徒から歓声が上がり、ジョージと数人の男子生徒がフレッドに駆け寄る。

「しっかりしろ、傷は浅いぞ」

 怪我などしていない。

 クローディアが嘆息すると、フレッドは仲間にしか聞こえないように呟いた。しかし彼女には、はっきりと聞き取れた。

「Bだ……去年より大きくなっている……。体重も」

「てめえの○○○ちょん切って! フライにしてやんさ!」

 我を忘れたクローディアは、フレッドに飛びかかろうとした。その前に、スネイプが彼女のローブを強く掴んだので、身構えていたフレッドは助かった。

「なんという下品な言葉を、恥を知りたまえ! レイブンクロー5点減点!」

「ウィーズリーが、失礼なことをしたんですよ!?」

 ロジャーが周囲の生徒と抗議するが、無視された。クローディアは投げ捨てられるように舞台から下ろされた。

 ロックハートはわざとらしく咳き込み、周囲を注目させる。

「では、ミスタ・ポッター、ミスタ・マルフォイ。真面目にお願いしますよ」

 呆然と成り行きを見守っていた2人は、我に返りお互いを睨みなおす。

 スネイプはドラコに近づき、屈みこむように彼の耳元で何かを囁いた。クローディアが声を顰めてハリーに呼びかける。

「マルフォイの杖の動きをよく見るさ。危なくなったら、避けるさ!」

 不安そうにハリーは曖昧に頷く。

 ロックハートが号令しようと口を開く。その前にドラコは、意気揚々と杖を振り上げる。

「サーペンソーティア!(ヘビ出でよ)」

 杖から光と共に、黒く太いコブラが床に参上した。

 生徒は悲鳴を上げ、クローディアも息を呑んだ。ベッロと違い、野生の本能丸出しのコブラは殺気立っている。

「動くな、ポッター。追い払ってやる」

 コブラを目にし、硬直したハリーを嘲笑するスネイプが前に出ようとした。何故だが、ロックハートがスネイプを引きとめた。

「ここは、私にお任せあれ! ヴォラーテ・アセンデリ(蛇よ踊れ)!」

 コブラは音を立てて跳ねるだけで、床に戻ってきた。しかも、挑発され怒り狂ってしまった。コブラは近くにいたジャスティンに向かって威嚇する。

 コブラの興奮に煽られたのか、ベッロはパドマの手から離れ、恐怖で体を竦めるジャスティンの前に飛び出した。

 2匹の蛇が舞台で睨み合う。大きさは、ほぼ互角。互いを牽制し、隙あらば食らい付こう。命を賭けた彼らの姿に、皆、恐怖を覚えた。

 興奮したベッロは、クローディアの命令など利かない。かといって、明確な命令が浮かばない。

[何もせずに去れ!]

 途端にハリーが叫んだ。

 それはクローディアがこれまで耳にしたことのない不思議な響きであった。しかも2匹の蛇は、急に気を静める。主の機嫌を伺う下僕のように、蛇達はハリーを見上げる。

(なんて言ったさ?)

 ベッロだけでなく、この場に現れただけの蛇までハリーに従ったのだろう。

 困惑するクローディアを余所に、スネイプがコブラに杖を向ける。

「ヴィぺラ・イヴァネスカ(蛇よ去れ)」

 杖から軽い閃光が放たれ、コブラは塵と化してこの場から消えた。

 コブラが消え、安堵したクローディアは、ベッロを抱きかかえた。スネイプは不機嫌さや嘲りを消し、黒真珠の瞳はハリーを鋭く探っている。

 その表情に見覚えがあった。クローディアの脳裏に回想が浮かびかける。必死に頭を振り、拒絶した。

 代わりに、クローディアはスネイプに叫んだ。

「そんな目で見ないでください!」

 敵意とは違う目で、スネイプはクローディアを見据えた。

 生徒の誰もが、ハリーに対する不穏の声を口走りだした。機転を利かせたハーマイオニーがハリーの腕を掴んで、大広間から走り去った。

 クローディアとロンもそれに続いた。誰1人、止める者はいなかった。

 

 誰もいないグリフィンドール寮の談話室。

「あなた、蛇と話せるの!?」

 ハーマイオニーに問いつめられ、ハリーは目を丸くする。

「何言っているんだ。蛇となんて、誰でも話せるだろ? だって、僕が魔法使いだって知る前に従兄のダドリーに蛇を嗾けたことあるよ。クローディアだって、ベッロを連れてるじゃないか。話せるでしょう?」

 当たり前だと、ハリーはクローディアに同意を求めた。残念だが、首を横に振るしかない。

「ベッロが賢いだけで、うちの家族では誰も蛇と話せたりしないさ」

「じゃあ、あの蛇も賢いんだよ。だって僕が『何もせずにされ』って言ったら、大人しくなったし」

「ハリー、君は人の言葉を喋ってなかったよ。あれは『蛇語』だった!」

 『蛇語(パーセルタング)』。

 それを駆使した魔法使いを『パーセルマウス』と呼ぶ。ホグワーツ創始者であるサラザール=スリザリンが最も有名であり、彼の特異体質だった。魔法界で『パーセルマウス』とは、彼の血族であるという認識が強い。

 つまり、ハリーはサラザール=スリザリンの末裔であると思われてもおかしくない。

 ようやく状況を理解したハリーは、真っ青になり絶句した。

「そんな……、だって、僕は知らなかったんだ。『蛇語』という言葉だって、本当に知らなかったんだ」

「スリザリンは、千年以上前の人よ。だから、あなたが末裔だとしても、ありえないことじゃないわ」

 現実を突きつけられたハリーは、弱弱しくソファーに座りこんだ。

「まあまあ、ポッター。そう落ち込むなさ。あんたの言うとおり、ただの偶然かもしれないさ」

「暢気だな、クローディア。ただの偶然で『蛇語』が喋れると思うのか?」

 厳しい口調でロンが迫ると、あっけらかんと答えた。

「そりゃあ、そうさ」

 まるで、今日の天気は晴れだというような簡単な口ぶりに、ロンは呆気に取られた。

「だってさ。ハーマイオニーみたいにマグル出身の魔女がいるし、フィルチのような魔法族生まれのマグルがいるさ。それなら、ひょいっと『パーセルマウス』が生まれても、何の不思議もないさ。私がバスケ好きなのだって、私自身の趣味だしさ」

 弱気だったハリーに、微かな喜びが浮かんだ。

「クローディアは、僕がスリザリンと関係ないと思う?」

「ポッターが関係ないって言うんなら、私はそれを信じるさ。そうだろうさ?」

 クローディアがハーマイオニーとロンに声をかける。2人は、戸惑う仕草を見せたがハリーの味方だ。

「蛇といえば、……ベッロは何処に行った?」

 ロンに言われて、周囲を見渡す。確かにベッロの姿はなかった。

 

 レイブンクロー寮の談話室にベッロはいた。しかも、ルーナの膝で寛いでいた。

「ただいまさ、ラブグッド。ベッロと遊んでくれたさ?」

 声をかけ、ルーナの隣に座り込む。

「『決闘クラブ』は、おもしろくなかったさ。スネイプ先生が『武装解除の術』を披露したぐらいしか、身に着いたことはないさ」

 話しかけられたことが意外だったらしく、ルーナは瞬きした。

「スネイプ先生が教えた?」

「いいや、ロックハートさ。あの人、本に書いてある通りの人物とは思えないさ。やることなすこと適当だしさ」

 気の毒そうにルーナは頷く。

「あたしもね、ロックハート先生は本の通りの活躍はしてないと思うもン」

「へえ、ラブグッドもそう思うさ? 人を見る目があるさ」

 クローディアが笑いかけ、ルーナは瞬きせず笑顔を浮かべる。口を月のように曲げて笑う表情は、少し不気味だ。それでも、何処となく愛嬌を感じた。

 

 大吹雪で窓の外は完全に白さで消されていた。

 廊下より比較的、暖房の効いた教室でも若干寒気が漂い、クローディアは寒さに震えた。ベッロは虫籠の中で蹲り、出てくる気配はない。

「では、皆さんには、自分の使い魔をゴブレッドに変えてもらいます」

 マクゴナガルが寒気を物ともせずに、教室全員に指示する。

 リサはキュリーに向けて、杖を振るうと細長い尻尾をつけたグラスに変身した。パドマは、フクロウのシヴァを見事なゴブレッドに変身させたので、マクゴナガルを喜ばせていた。

 しかし、セシルの使い魔は手の平の大きさもあるタランチュラで、冬眠に入ってしまったのだ。半透明の巣箱から、使い魔が起きてくる気配がない。セシルは気が滅入っていた。

「ベッロは、起きているのに……」

 羨ましそうに、セシルがベッロを眺めてくる。

 クローディアの後ろの席で、テリーが寒さで震えだした。隣にいるアンソニーが彼を摩擦で暖めようと背中を擦っていた。それを見ていたマイケルがイタズラ心を芽生えさす。

「なら、毛深くなればいいんじゃね?」

 アンソニーが止めるのも聞かず、マイケルはテリーに杖を振るった。瞬間にテリーは、白と黒の縞模様で中途半端な形態のアナグマとなってしまった。

「ミスタ・コーナー! 何をしているんですか!」

 気づいたマクゴガナルが激怒し、マイケルを頭から怒鳴りつける。剣幕に竦んだ彼は、すっかり項垂れた。

 横目で見ながら、クローディアは十分体を暖めたベッロを虫籠から取り出す。

「さあさ、あんたをゴブレッドにするさ」

 クローディアが杖を振り上げようとすると、突然ベッロは開眼した。そして、素早い動きで教室の扉を器用に開けて教室を出て行ってしまった。

「何さ、あれ?」

 呆然するクローディアはパドマと顔を見合わせたが、彼女も肩を竦めるだけであった。

「ミス・クロックフォード。本日の課題をお忘れですか?」

 当然、授業中に使い魔を逃がしたと、マクゴナガルに責められた。

「襲われた! お~そわれた! 生徒がまたポッターに襲われたぞ!」

 愉快げなビーブズの叫び声が教室にまで響いた。一気に教室内は騒然となる。

「お待ちなさい! ミス・クロックフォード!」

 瞬時にクローディアは、マクゴナガルが制するのも聞かず、乱暴に扉を開けて廊下に飛び出した。

 クローディアの瞳に映ったのは、恐怖に強張り虚ろな目で倒れたジャスティン、煙が固まったように浮かぶ『ほとんど首なしニック』だ。その2人を焦燥し激しく頭を振るうハリーが立ち尽くしていた。

「ちがう……、僕じゃない! 僕が来た時には、もうこうなっていた!」

 クローディアが駆け寄る前に、マクゴナガルが押しのけて廊下に出た。他の教室から生徒が溢れ出そうになるのを防ぐためだ。

「誰も教室を出てはなりません!」

 反論を許さぬ厳格な声に、生徒は全員足を止めた。代わりにフリットウィックとシニストラが廊下に現れた。

「ミス・クロックフォードも教室へ、はやく!」

 生徒達は廊下に出ないように扉から、犠牲者2人を目にした。

「ベッロ! 何処に行ったさ! ベッロ!」

 廊下の何処にも、ベッロの姿はない。教室からマンディが引っ張り込むまで、クローディアはベッロを呼び続けた。

 

「ハリー=ポッターがまた犠牲者を出した。今度は2人もだ」

「あいつは、『パーセルマウス』だ。継承者はハリー=ポッターで確定だ」

 襲撃事件の噂が飛び交う昼食中、クローディアはベッロの身を案じた。勿論、ジャスティンのことも心配だ。彼はパドマと仲が良かった。そのパドマは、襲撃を知って医務室に走って行った。

 グリフィンドール席にいるジニーと目が合う。彼女の顔色も青く、今にも泣き出しそうだ。コリンの時に受けた恐怖が蘇ったのだろう。

 不意に足が何かも触れた。見下ろすと、ベッロがいた。一安心したクローディアは、心配と喜びで軽くベッロを叩いた。

 昼食を手早く済まし、ハーマイオニーとの待ち合わせに急ごうとした。しかし、ペネロピーが深刻な表情で呼び止められる。

「先生から大切な話があるわ。その子も一緒に来て頂戴」

 ペネロピーからただ事ではない雰囲気を感じた。クローディアは慎重に頷き、虫籠を下げながら、ペネロピーに付き従った。

 

 案内されたのは、職員室だ。

 ここには、良い思い出はない。回想を停止し、気を引き締める意味でクローディアは背筋を伸ばす。ペネロピーが緊張な面持ちで職員室の扉をノックする。中からフリットウィックが現れ、中へと誘導した。

 室内には、フリットウィック、マクゴナガル、そしてスネイプが複雑な表情で立つ。3人が取り囲む中心に、硝子で出来た透明の箱が置いてあった。

「ミス・クロックフォード、一連の襲撃事件で皆が蛇を恐がっているのは、ご存知ですね。その為、ベッロはしばらくの間、スネイプ先生が預かることになります」

 理解の及ばぬ感覚に、全身の毛穴が粟立った。

「ベッロは誰も襲いません! 襲っていません!」

「わかっております。一時的な処置です」

 マクゴナガルの厳格な物言いの中に、悲痛さが含まれていた。安易に決定したことではないと悟れたが、首を縦に振れない。

 脳内で弁明を模索する内、事情を悟ったようにベッロが虫籠から身を乗り出し、硝子箱へと体を吸い込ませる。自らの尻尾で、硝子箱の蓋を閉じた。

 

 ――ガタンッ。

 

 その音がこれまで聞いた中で最も、重くクローディアの胸に響いた。

「ベッロ……」

 硝子箱に駆け寄るクローディアを尻目に、スネイプは硝子箱を持ち上げる。

「我輩の研究室なら、スリザリンの生徒達も喜びましょう。皆、こやつを気に入っておりますのでな」

 スネイプの口元は、一切笑っていなかった。

 

 思い返せば、ベッロは時折、警戒の叫びを上げていた。ベッロにしか、感じ取れぬ危険を教えていたに違いない。それに気付かず、再び、ベッロを失う事態を招いてしまった。

 自分は何も成長していない。自責の念に駆られた。

 午後の授業中、クローディアは上の空で過ごした。だから、ジャスティンのことで憔悴したパドマに声をかける余裕などなかった。

 

 一ヶ月の間に、4人にとって馴染みとなったお手洗いに集合した。

 襲撃の後、ハリーは校長室でダンブルドアに詰問されていた。

「校長先生は、僕を疑ってすらいなかったよ。でも、僕も流石に退学させられるんじゃないかと思った。ハグリッドなんて、駆けつけて来て『ハリーはそんなことはしない! 魔法省に証言する』って言ってくれた」

 クローディアは、職員室でベッロを奪われたことを報告しあった。

「ベッロが没収されただって? しかも……スネイプ先生に、不味いな」

「なんかあんの?」

 悩むハリーに、ロンは怪訝する。

「僕らの『薬草学』はこの吹雪で温室が使えなかった。それで、図書館で自習をしていたんだけど……僕はちょっと外に出たくなって、そしたら、ベッロを見かけたんだ。それで、僕は聞いたんだ。……ベッロの声を」

 3人は口を開かず、ハリーの話を聞き入る。

「『あいつがいる、そこにいる』って、ベッロは確かに言ったんだ。それで、そのまま何処かを目指してた……。ハロウィンの夜に、僕2つの声を聞いたって言ったよね?その内のひとつはベッロだった! ベッロは怪物の正体を知ってるんだ」

 興奮したハリーは呼吸を乱す。ロンが彼を宥めるため、背を擦る。

 クローディアは、知りうる限りの知識を検索する。

「なら、怪物は……、蛇に属するモノ……メドーサ? 神話だと、相手を石化させる力があるさ」

 嫌そうな顔つきでハーマイオニーが呻く。

「神話の怪物がホグワーツにいるの?」

「三頭犬がいるんだよ、ないとは言えないぜ」

 ロンがフラッフィーを思い出し、身震いする。この魔法界なら、マグルが存在を否定する生物が闊歩している。メドーサがいてもおかしくはない。

「ちょっと待って……、なら『継承者』は『蛇語』が話せるってことよね? そうよ! だから、スリザリンの『継承者』なんだわ!」

 明るくハーマイオニーがクローディアの手を叩く。

「怪物関係なら、ハグリッドに聞くとかさ? もしくは、『魔法生物学』のケトルバーン先生とかさ?」

「そうか、ハグリッドがいたね。もしかしたら、ハグリッドが学生だった頃に『継承者』は現れたかもしれない」

 ハリーが呻く。ハグリッドの学生服姿を想像し、ロンは爆笑した。

「ハグリッドって、ここの学生だったさ。知らなかったさ」

「うん、3年生の時に退学になっちゃったんだって。でもダンブルドアが森番として教育してくれたらしいよ。ハグリッドもグリフィンドール生なんだよ」

 クローディアは、ハグリッドはハッフルパフ生の印象があった。三頭犬やドラゴンをペットにしたいという器のデカさは、ハッフルパフの性質に近い。

(そういうのは、偏見になるかもしれないさ)

 個人の性格が寮に関係するという考えは、捨てよう。

「知ってたとしても、ハグリッドも他の先生達同様に話してくれるもんか」

 ロンが正論だ。

「だったら、私が図書館で調べておくさ。ハーマイオニーは『ポリジュース薬』の調合があるしさ。ポッターは、逆に普段どおりに何もしないほうがいいさ。ロンも同じさ。ポッターについてて欲しいさ」

 今後の方針が固まり、クローディアは女子トイレを出た。

(そうさ。ベッロがいないからって、何もしないわけにいかないさ)

「クロックフォード、そこは壁だぞ」

 呼ばれた声にクローディアは、視界を確認すると目の前に壁があった。そのまま進んでいれば、確実に激突していた。

「一応、聞くけど。何処に行くつもりだったんだ?」

 声に振り返ると、赤髪双子の片割れが壁にもたれていた。

「フレッド?」

「ジョージだけど、お、ちょっと動くな」

 指先に赤い液体を付けたジョージは、それをクローディアの頬に塗りつけた。

「何これさ?」

「唐辛子をすり潰したヤツ、スプラウト先生が栽培してたのを拝借した」

 驚いて、急いでローブで顔を拭う。

「阿呆さ! 唐辛子を皮膚につけたら、痛いでしょうが!!」

 そうこうしている間に、沁みこんだ唐辛子の成分が皮膚を刺激し、痛みを伝える。目に近い部分を塗られたので、涙腺が刺激され涙が溢れてきた。

「痛い痛いさ! ジョージの馬鹿さ!」

 抗議のあまり、ジョージの足に蹴りを入れようとするが、避けられた。

「これで思いっきり、泣けるだろ? 我慢すんなよ」

「ジョージ、お待たせ」

 扉から出てきたフレッドがクローディアの泣き腫らした顔を見て、唐辛子水の効果を確認した。

「「いい顔だ。クロックフォード。医務室、行っとけよ」」

 青春を満喫する笑みで双子は、去って行った。

 悪戯されたクローディアは、本来なら激怒するところだが、涙を流せる理由が出来たことを胸中でジョージに礼を述べた。図に乗りそうなので、絶対に口にはしないが。




閲覧ありがとうございました。
ルーナは、ロックハートの詐欺を一番に見抜いていたと思います。
唐辛子を皮膚に塗る行為は、大変危険です。絶対に真似しないでください。
「てめえの○○○ちょん切って、フライにして食ってやる」は90年代の洋画でよく使われた言葉です。今も言うのかなあ?


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8.クリスマス

閲覧ありがとうございます。
ホグワーツのクリスマス行ってみたいです。

追記:16年4月11日、17年3月5日、18年5月16日、誤字報告により修正入りました。


 ジャスティン=フィンチ‐フレッチリーと『ほとんど首なしニック』の襲撃事件が知れ渡り、幽霊でさえ被害に遭う事態は尋常ではない。誰もが、『継承者』や『秘密の部屋の怪物』を詮索する余裕をなくしていた。

 少しでもホグワーツを離れたい。クリスマスに居残るはずだったレイブンクロー生の何人かは、予定を変えて帰宅を選ぶ始末だ。

 リサも帰ろうとしたが、『楽団部』の部員が減りすぎてしまい、フリットウィックに残るように頼まれた。ロジャーやチョウのクィディッチ選手は寮対抗試合の練習をして不安を消すと意気込んだ。

 だからといって、ハリーの疑いが晴れるはずはない。

 生徒達は廊下でハリーを見かければ、物陰に隠れてやり過ごし、声を顰めて何かを話している。彼が睨むと生徒達は慌てて逃げていく。

「そこのけ~そこのけ~」

「『継承者』様のおでましだぞ~」

 フレッド、ジョージが遊び半分でハリーを『継承者』扱いした為、流石のジニーも号泣した。

「やめて、やめて、そんなことしないで」

「大丈夫だよ、ジニー。2人は本気じゃないって」

 泣き喚くジニーをロンは必死に慰めた。

 段々、ハリーは本当に自分がサラザール=スリザリンの末裔であり、自分でも気が付かない内に人を襲ったのではないかと悩み始めてしまった。

「そんなに気になるなら、家系図を調べてもらえばいいさ。魔法省とかに置いてないさ? そういう戸籍みたいものさ」

「千年も前だと、遡り切れないんじゃないかしら?」

 クローディアとハーマイオニー、ロンの3人がどれだけハリーを慰めたところで、彼の気鬱な状態は休暇に入っても続いた。 

 クローディアにも問題は起こった。仲の良い友達であるパドマと衝突してしまったのだ。

 ジャスティンと『魔法薬学』で隣同士だったパドマは酷く憔悴し、ベッロが再び没収されたことに憤慨した。憂さを晴らすようにクローディアを責め立てた。

「これでも、ハリー=ポッターが『継承者』じゃないなんて言える!? 結局、あいつが悪いんだわ!」

 リサが仲介し、何時間も話し合った。だが和解できず、パドマはパーバティと帰郷した。

「パドマは貴女と少し距離を置いて、考えたいのですわ」

「うん、そうだろうさ」

 パドマはベッロを恐れず親しくしてくれた最初の友達だといっても良い。

 亀裂の修復に、クローディアは思い悩んだ。

 

 休暇に入り、少数の生徒しか残らないホグワーツ城は賛美歌を合唱する幽霊達と絵画達の囁きのほうが騒がしかった。

 チョウは次こそ勝利を掴むとクィディッチの練習に励み、リサは間近に迫ったクリスマスパーティーに緊張し、ペネロピーは監督生として城を見回る名目で談話室に残らなかった。

 図書館でクローディアが『石化』と『蛇』に関する怪物の本を探している時、3年生マーカス=ベルヴィが興味津々に近寄って来た。

「さっきから、怪物の本ばかり探しているだろ? もしかして『秘密の部屋』の怪物を調べているのか?」

「いいえ、ちょっと『蛇』に関する怪物を調べているんです。ただし趣味です」

 期待外れだと、マーカス=ベルヴィは溜息をつく。

「それなら、バジリスクなんてどうだ? この本に書いてあるぜ」

 本棚から【幻の動物とその生息地】を渡され、クローディアは礼を述べた。

(バジリスクって、トカゲじゃないのさ?)

 机に座ったクローディアはバジリスクの項目を見つけ出す。

 『毒蛇の王』バジリスク。

 緑色の大蛇にして、牙の猛毒は死に到る。また黄色の眼を直視した者は即死する。闇の魔法により鶏の卵から孵化する創造魔法生物。蜘蛛種族の天敵であり、蜘蛛が逃げるのはその前触れである。また鶏の卵から孵った影響か雄鶏が時をつくる声からは逃げ出す習性を持つ。

 『腐ったハーポ』が創造したバジリスクは、900年生き続けたのを最後に近年でも目撃例はない。

(トカゲじゃないさ。しかも、即死の眼とか恐……。でも、死んでないし……)

 蜘蛛が逃げる場所に近づかない。そんな警告がコンラッドから来ていたことを思い返す。

(こいつかもしれないさ)

 マダム・ピンスに【幻の動物とその生息地】を貸出してもらい、クローディアは急いでハーマイオニーに合流した。

 

 普段通り、薬を調合していたハーマイオニーはバジリスクなる怪物に強く関心を示した。

「その可能性は十分、ありえるわ。いえ、ほとんど、状況に合っているわ。いつも蜘蛛は現場から逃げていたし、ここ最近、雄鶏が殺されるってハグリッドも言っていたらしいわ」

「誰も死んでいない理由がわかれば、怪物はバジリスクで確定ってことさ?」

 すぐにハリーとロンに知らせた。

 ロンは怪物の正体に驚いていたが、創造魔法生物の存在に興奮もしていた。

「これで、『継承者』がわかれば、解決したのも同じだよ!」

「もうすぐわかるよ。そうだろハーマイオニー?」

 嬉しそうな声でハリーは『ポリジュース薬』を指差す。3人は彼の笑顔が何より嬉しかった。

 

 クリスマス。

 寒さで目が覚め、クローディアは枕元に積まれた贈り物を確認する。ハーマイオニー、ハリー、ロン、リサ、チョウ、ペネロピーへの包みを見つけ出す。

 クリスマスプレゼント交換の為、チョウとペネロピーを部屋に招く。リサとの4人で贈り物を交換し、自分達に贈られた品を開封し、喜び合った。

 コンラッドは黒いシックなワンピース、ドリスから手袋、モリーは手編みのマフラー、パドマはインドに伝わる魔除け人形だった。まだ2人の関係は壊れていないことを確認し、クローディアは思わず表情を綻ばせた。

 最後の包みは、なんと祖父からだ。中身は進学するはずであった公立中学の制服であった。

〔お祖父ちゃん?〕

 祖父の趣味にクローディアは苦笑し、私服にも着ようと決めた。

 リサとペネロピー、チョウは日本の学校制服に興味をもち、しばらく2人に観察された。

「なんでセーラー服が元なのよ。普通はブレザーでしょうよ?」

 ペネロピーはカルチャーショックを受けていた。

 『楽団部』本番前の予行練習に向かうリサを見送りにクローディアは寮を出る。そのついでに、ハーマイオニーに贈り物を渡すことにした。

 螺旋階段を登りきると、ハーマイオニーがクローディアとリサへのお贈り物を携えていた。

 リサを見送った後。周囲に幽霊がいないか警戒し、2人は顔を寄せ合う。

「やっと、完成したわ。今夜に行動から、私が声をかけるまで、普通に過ごしていて」

 『ポリジュース薬』を確認し、頷く。満足したハーマイオニーは自寮に戻った。クローディアは贈り物くれた人々に感謝の手紙を出しに、フクロウ小屋へ向かった。

 

 フクロウ小屋の前で、ハグリッドは階段の手摺りに凍りついた氷を削げ落していた。クリスマスの日はフクロウを休ませたいとして、使用を断られた。

「皆、寒さでまいっちょる。この時期は、フクロウ便は大忙しでな」

 城に着くまでクローディアはハグリッドと雑談した。彼が今、愛用している雪落しの道具は今朝、ドリスが贈ってきたもので、とても使い心地が良いという。

「お祖母ちゃんと仲良いさ、ハグリッド?」

 急にハグリットは咳き込み、空を指差して天候の話に移した。その態度にクローディアは悪戯心が芽生え、口元が緩む。

「話逸らせてないさ、私はハグリッドがお祖母ちゃんと仲良いのは嬉しいさ。ハグリッドのことお祖父ちゃんって呼んでいいさ?」

「大人をからかうな!」

 ハグリッドは顔を真っ赤に染め、激しく首を横に振る。

「だいたい、俺とドリスはそんなんじゃねえ! ボニフェースに悪い!」

 聞き覚えのない名に首を傾げるクローディアに、ハグリッドは肩を揺らして口を噤んだ。

「いけね、言っちゃいかんかった」

 全身から息を抜くようなため息をついたハグリットは、少し萎んで見える。慰めには、相手の肩が一番良い表現だが、必死に手を伸ばしてもクローディアの手が届くはずがない。

 仕方なく、クローディアはハグリッドの足に手を当てる。

「聞かなかったことにするさ」

 余程意外だったのか、ハグリッドはその場を跳ねた。着地の瞬間、反動で地面が揺れたので、クローディアは倒れそうになった。

「気にならねえのか? おまえの祖父さんだぞ!?」

「私のお祖父ちゃんさ?」

「ああ、そうだとも。ドリスには、時が来るまで黙っていろって言われた。いけね、これも内緒だった」

 失態を責め、ハグリッドは自身の頬を叩いた。それを見たクローディアは笑いが込み上げ、思わず噴出した。

「だから、聞かなかったことにするさ」

 ハグリッドの先を弾ませて歩くクローディアは、足跡のない雪の塊を必死に踏みつける。

「本当にいいのか? ボニフェースの話、聞かんでも」

「いいさ。お祖母ちゃんが私に教えてくれるまで、そうするさ」

 納得いかないように、ハグリッドは髭の中で唸った。

 興味がないのではなく、実感がないからだ。祖父は、母の父親のみ。これまで、クローディアはコンラッドにも父なる存在がいたことを気にしたことはない。

 理由などない。

 周囲の新鮮な雪の塊を踏み終え、クローディアは満足げに胸を張った。

「ボニフェースは俺が学生だったときの友達だ」

 クローディアがハグリッドを振り返る。彼は、昔を懐かしむように空を仰いでいた。

「すげえ、面倒見のいいヤツでな、監督生にも選ばれたんだぞ。ただ、成績は悪くてな。よく補習を受けてやがった。いろんなヤツがアイツの勉強をみてやってた。俺は見てもらうほうだった。俺が…退学になっても友達でいてくれた。アイツはよく俺を褒めてくれた。俺がいろんな動物と仲良くなれるのは、才能だって……。アイツは俺がトロールと相撲して勝ったと知ったら、自分もやると言い出して……トロールに半殺しにされた。あの時は、俺も流石に焦った。けど、ボニフェースのヤツ、俺の心配を余所に『コツを掴んだ、次は負けない』って笑いやがった。そしたら、次は本当に勝っちまった」

 過ぎ去った思い出、ハグリッドの口から漏れてくる。

「その人も、グリフィンドール生だった?」

 ただの問いかけに、ハグリッドはクローディアと視線を合わせるために屈んだ。

「アイツはハッフルパフだった。寮が違うが、ボニフェースは俺の大事な友達だった。もしかしたら、俺はアイツを親父のように感じてたのかもしれねえ。俺だけじゃねえ、アイツを知る奴は、きっとそう思っただろうな」

 クローディアは、ハグリッドが全て過去形で話していることに気づいた。

「良い人だったさ、その人」

 遠慮がちに声を出すクローディアの頭に、ハグリッドの優しく大きな掌が乗せられた。

「こんなに気持ちよく、アイツの話をしたのは、初めてだ。コンラッドは、アイツに瓜二つだ。生き写しといっていい。コンラッドが入学した日、顔を見てすぐにわかった。ただ、目だけは違ってたな。目なら、クローディアのほうが似てる」

 ハグリッドの眼差しはとても暖かく、クローディアは少し安心した。

「アイツの瞳は赤かった。そんでもって火のように暖かだった。ボニフェース=アロンダイト、それがおまえの祖父さんだ」

 立ち上がったハグリッドは、クローディアに背を向けて自分の家に急ぐ。

「歳をとるとな。独り言が多くなるんだ! すまねえ」

 背を向けたまま、ハグリッドはクローディアに軽く手を振る。彼女はその巨大な背中へ向かって大きく手を振った。

 

 大広間の魔法による装飾に感激し、『楽団部』による演奏は素晴らしかった。教職員と生徒達は襲撃の恐怖も忘れてクリスマスパーティーを大いに味わった。演奏を終えて、全神経の集中力を使い切ったリサがレイブンクロー席に倒れこんできた。クローディア達は労いと称賛で彼女を迎えた。

 食事が終わると数少ない女性陣で校庭に走り、雪と戯れた。

「あの演奏、誰が選曲したのかしら?」

 雪だるまを作っていたハーマイオニーがリサに問いかけると、彼女はダンブルドアだと答えた。

「校長先生のお気に入りだそうです。私は知りませんが、マグルの曲らしいですよ」

 ハーマイオニーは自信満々に納得する。

「聞いたことある曲だと思ったもの、英国でも有名よ。いえ、ヨーロッパかしら? うちのパパとママも好きなのよ」

 女性陣の近くで雪合戦していたハリーがハーマイオニーの言葉を聞き取り、苦虫を噛み潰した顔で舌を出した。

「思い出した。あの曲……バーノン叔父さんとペチュニア叔母さんの結婚記念日に必ず流す曲だった……。どおりで寒気がすると思った」

 体を震わせるハリーの油断した背にへフレッドが雪玉を投げつけたので、彼はそのままの体勢で雪の地面に倒れた。

 自分の雪だるまを完成させたクローディアは話し続けるハーマイオニーの言葉を漏らさず、聞いていた。

「ベンジャミン=アロンダイト、無名でアマチュアだったオーケストラ楽団を自らが作曲したその一曲だけでのし上がらせた天才よ。驚くべきことに彼の楽器は、ハーモニカ。その優雅にして繊細な指使いによって奏でられる調べは、まさに神の使者。彼が路上ライブを行おうものなら、車も止めて大渋滞が起こる程、聞き惚れるそうよ」

 酔いしれて淡いため息をつくハーマイオニーを目にし、クローディアは胸の中で煙が立ち込めるように息苦しく不快になった。

「あの曲だけさ? 他に曲は?」

「勿論あるわ。彼が作曲を手掛けたのは、たったの4つ! でもね、天才であるが故の苦悩なの。彼はそれ以上の新曲を書き上げられずに、30代という若さで銃によって自殺したそうよ」

「じゅう?」

 疑問するリサやチョウ、ハンナ、ジニーの為、ハーマイオニーは丁寧に銃の解説を行った。

 作曲家などに一切興味のないクローディアは不意に何かがひっかかった。

(ベンジャミン=アロンダイト? アロンダイト。ああ、お祖父ちゃんと同じ姓さ。これで、兄弟だったらおもしろいさ)

 自分の思いつきに勝手に笑うクローディアは口元を緩ませる。雪だるまを見つめてニヤけている姿、傍から見れば、なんとも不気味だ。

「そんなに雪だるまが好きかい?」

 雪だるまの向こうから、ロジャーが満面の笑顔で顔を出す。しかも、雪だるまに触れるクローディアの手にわざとらしく手を重ね、反射的に彼女は手を引っ込めた。

 ロジャーは残念そうに口を八の字にし、肩を竦める。

「手ぐらいいいだろ? あんまり堅いと……俺、強硬手段に出ちゃうよ?」

 意味深な笑みに、クローディアの全身に雪の寒さとは違う寒気が走り去る。沈黙している彼女に代わり、ジョージがロジャーの後頭部に雪玉(石入り)を乱暴に投げつけた。

 痛みに悶えたロジャーは仕返しとジョージの周囲を猛吹雪にする魔法をかけ、ジョージがロジャーに抱きつき、猛吹雪に巻き込んだ。暴れて、必死にしがみ付く。そんな2人に全員、腹を抱えて笑った。

 

 夕食前に服を着替えようと各々、自室に帰ろうとした。

 地下教室への階段から、ドラコがクラッブ、ゴイル、セオドールを連れて現れた。諍いを避ける為、クローディア達は小走りで廊下を進んでいく。

 だが、ドラコはクローディアを見つけて意地悪な声を出す。

「良いご身分だな。クロックフォード、ベッロを放って皆と仲良く雪遊びか?」

「あんたも引きこもってないで、外で遊ぶさ」

 適当に返事をするクローディアにドラコは不愉快そうに「べ~」っと舌を出す。そのまま、彼らは大広間へと歩いていった。

「余裕ぶっていられるのも、今のうちだわ」

 ドラコを背にハーマイオニーも負けずと「べ~」っと舌を出した。

 

 シックのワンピースに着替え、クローディアは鏡の前で髪を梳く。その後ろで、上品且つ清楚な印象を与える衣服に着替えたリサが手を振った。

「もうお腹、ペコペコですわ。私、先に行っていますね」

「すぐに追いかけるさ」

 リボンで髪を縛り、クローディアは鏡越しにリサを見送った。

 髪を整えても、鏡に映る自身の姿に納得できず唸る。

(もうちょい、セーラームーンみたいなお団子にしたいさ。難しいさ)

 突然、腹から豪快な音がしたので、髪型のことは諦めた。

 大広間を目指し、廊下を小走りで歩く。絵画の住人達は既に酔っ払い、何処が自分の絵か迷う者もいた。

「ミス・クロックフォード」

 背後からかかる闇色の声、クローディアは硬直したように足を止める。ゆっくりと振り返ると、スネイプが怪訝そうに見下ろしてきた。

「1人で出歩くのは、いささか無用心ではないか? 君の大事な使い魔は、傍におらんのだぞ?」

 確かにそうだ。昼間が楽しすぎたクローディアは警戒心が薄れていた。素直に反省し、スネイプに頭を下げる。

「すみません、以後気をつけます。ご心配頂き、ありがとうございます。スネイプ先生」

「以後ではない。すぐに気をつけたまえ」

 仏頂面のスネイプが乱暴に吐き捨てたので、クローディアは竦んだ。

(この怒られる感じ、何かに似てるさ)

 当てはめる前に、スネイプが歩くように促す。クローディアは沈黙したまま、彼と大広間までの道のりを共にした。

 緊張しすぎたのと空腹で胃が痛かった。

 

 クリスマス・ディナーは昼間に負けず劣らず、生徒達を楽しませた。

 パーシーの『監督生』バッジをフレッドのイタズラで『劣等生』に変えられていることも笑いのひとつの理由であった。全く気付かぬ本人に、教えに行くものはいない。

「全然、おまえに似合わないな。みっともない」

 ドラコがクローディアとハリーの服装を指差し、不似合いだと罵ってきた。ロンが不機嫌に睨んだが、これから『ポリジュース薬』で真相を暴くことを思えば、普段より比較的大人しくなれた。

「クローディアのその服、大人ぽい。もっと、そういう服着ればいいのに」

 ハーマイオニーがクローディアの服装を褒めたので、ドラコのことなど眼中になかった。

「ジニーもそう思わない?」

 ハーマイオニーが隣に座るジニーにも声をかけた。彼女はクローディアをじっくり見つめた後、素っ気なくするだけで服の感想はくれなかった。

「「その服だと、体の曲線が丸分かりだぞ」」

 聞いてもいないのに、フレッドとジョージが感想をくれた。勿論、クローディアは喜ばなかった。

 満腹になるまでデザートを平らげた所で、クローディアはハーマイオニーがハリーとロンを連れて大広間を出るのを見かけた。周囲に適当な言い訳をして彼女達の後を追った。

 

 首尾は上々。

 ハーマイオニーは洗濯置場からクラッブ、ゴイル、ミリセント=ブルストロードの制服を拝借した。

 ハリーとロンは彼らの髪を抜き、眠り薬で眠らせて物置に閉じ込めてきた。

 クローディアは鍋に煮込まれた黒に近い泥を3つのタンブラー・グラスに注ぐ。各々制服に着替え終え、3人はブカブカ姿であった。

 グラスを受け取ったハーマイオニーは、ハリーとロンに念を押す。

「きっかり1時間で元に戻ってしまうわ。クローディアは、私が戻すから心配しないで」

「大丈夫さ。ちゃんと3人の影についてくさ」

 3人は自分のグラスに変身する相手の髪を入れる。飲んでもいない状態で、ロンが吐き気を訴えた。

「うえークラップのエキスだ……」

 そのせいで、場の空気が嫌な意味で重くなり、飲むのを躊躇いだした。

「乾杯」

 気力のないハーマイオニーの合図で、3人は一気に飲み干す。顔を歪めて泥を飲む様子に、クローディアは合掌した。

「なんだか、僕、吐きそう!」

「私も!」

 ハーマイオニーとロンは本気の吐き気を訴え、グラスを放り投げて個室に飛び込む。クローディアはグラスが床に下りる前に受け止めた。

 吐き気に悶えるハリーは、蛇口にもたれた。クローディアが彼の背を擦ろうとした。しかし、その皮膚が膨張し、岩のようにボコボコになったかと思えば、その体は一回り大きくなった。

 特撮モノで怪物が変身する場を目撃する気分だと、クローディアは思う。

「ポッター?」

 ゴイルの姿になったハリーは、自身の体に触れ感嘆の息を吐く。

「どう? 僕、ちゃんと変わってる」

「ゴイルの声、初めて聞いたさ」

 ゴイルの姿のハリーが噴出す。普段のゴイルでは、不可能な愛嬌がある。

「ハリー……」

 個室から、唸る低音のクラッブの声がした。戸が開くと、変身に驚き口を開いたクラッブ姿のロンが出てきた。ハリーとロンはお互いを見やり、瞬きを繰り返した。

「おっどろいたあ」

 2人を余所に、クローディアはハーマイオニーのいる個室をノックする。

「ハーマイオニーはどうさ?」

 個室からは普段のハーマイオニーの甲高い声がした。

「私行けそうにないわ、行って! 時間がなくなっちゃう!」

 3人で顔を見合わせ、肩を竦める。

 いよいよ、自分の番だ。深呼吸したクローディアは自分に杖を向け、2人を見やる。

「一応、合言葉で『純血』って言ってみてさ。まあ、変わってたら、おしまいさ」

「大丈夫。その時は忘れたフリをするよ」

 眼鏡を外し、淀みなく答えるゴイルは貴重だ。いっそ、ビデオカメラで撮影してやりたい。クローディアとクラッブ姿のロンは、呆気にとられた。

 すぐに気を取り直したクローディアが影に変身し、ハリーの影へと寄り添った。周囲を確認し、ハーマイオニーを残した2人はお手洗いを出る。

 

 大広間へ戻り、そこからスリザリン寮を目指した。

「スリザリンの談話室はこっちだ」

 地下への石段を降り、角を曲がり、太陽が当たらず湿り剥き出しの石壁の前で立ち止まる。

 ハリーとロンはお互いを見やり、目的の場所に着いたことをクローディアに報せる。ハリーは自分の影を軽く蹴る。すると、腕を引っ張られた感触がした。

 クローディアがハリーの影を引っ張ったのだ。感覚の確認も終え、合言葉を叫んだ。

「純血!」

 壁の石が扉のように開く。安堵した2人は緊張しつつスリザリンの談話室へと足を踏み入れた。

 談話室は、細長く何処か高貴な印象を受ける造りだった。天井にかかっているのは、シャンデリアではなく、丸いランプで異様に部屋を明るくしている。

「見ろよ!」

 ロンが前方の壮大な暖炉の前にある嫌味な程、上等な机を指差した。そこには、ベッロの入った硝子箱が置かれていた。

「ベッロ……」

 驚いたハリーとロンは硝子箱に駆け寄る。ハリーが小声でベッロに声をかけ、眠っていた瞼は開眼して周囲を見渡した。

「僕だよ」

 声を顰めるとハリーを目にし、ベッロは不思議そうに首を傾げた。

「皆、蛇が起きてるわ!」

 ダフネ=グリーングラスが歓声を上げて駆け寄ってきた。

「本当だ。珍しい!」

 男子女子問わず、生徒は硝子箱に張り付く。自分達が変身していることを気づかれないように、ハリーとロンは硝子箱から遠退いた。

 適当な場所でドラコを待とうとした。すぐに談話室の扉から、【日刊予言者新聞】を握り締めた目的が入ってきた。

「クラッブ、ゴイル! いつの間に戻ってきたんだ。……自分で合言葉を言えたのか?」

 信じられないとドラコはハリーを凝視し、引き攣ったように頷くと、彼は怪しまずに感心した。一体、普段のゴイルはどれだけ、頼りないのか想像も出来ない。

 ドラコは談話室を見渡し、ベッロが生徒達に囲まれていることに気付く。

「なんだ、ベッロが起きてるじゃないか」

 無邪気な声を出し、ドラコもベッロに駆け寄る。視線が集中し、煙たそうに体を動かして胴体で頭を隠した。途端に生徒達は残念がった。

「ちぇ、スネイプ先生が今日だけ置かしてくれるっていうから、いまのうちに僕に懐かせようと思ったのに、手堅いな。まあ、そこが可愛いんだけど」

 愛らしい生物がそこにいるようにドラコは、ベッロを眺めた。その姿だけ見れば、年相応の純粋な少年に思える。

「ほら、父上がおもしろい記事をくれたぞ。読んで聞かせてやろう」

 途端に意地悪っぽく、ドラコはハリーとロンを空いた席に座らせる。

 【日刊予言者新聞】の切り抜き、ロンが車を乗り回したことについてマルフォイが熱弁する記事があった。アーサーのようなマグル賛成派は魔法界に相応しくないと中傷もしている。

「親子揃って、魔法界の恥さらしだ」

 ロンがキレそうになったが、自分の力で堪えた。

 突然、ドラコはコリンの物まねを繰り返す。しかし、ハリーとロンが反応しないので怪訝そうにした。慌てて2人が引き攣って笑うと、満足した。

 普段からこれがお互いの日常らしい。

「大体、ダンブルドアもダンブルドアだ。これまでの事件も表ざたに出来ないように隠している。父上がいつも、おっしゃっていた。ダンブルドアはこれまでで最悪の校長だって!」

「それは違う!」

 堪り兼ねたハリーが反論し、場の空気が凍った。

「なんだ、ダンブルドアより悪い奴がいるっていうのか?」

 鋭く睨むドラコに詰め寄られ、ハリーは目を泳がせながらも口を開いた。

「ハリー=ポッター」

 その通りだと、ロンも頷く。

「なるほどな」

 上機嫌になったドラコはほくそ笑んだ。ハリーとロンは気づかれないように小さく安堵した。

「良いこと言うじゃないか。お偉いポッター、皆、奴がスリザリンの『継承者』だと思っている。『パーセルマウス』だからとか、それがなんだって言うんだ! 偶々、『蛇語』に似た発音で喋っただけだろう。ちょっと考えれば、ポッターなんかが『継承者』じゃないってなんでわからないんだか、どいつもこいつも何処に頭をつけている」

 驚いたことに、ドラコはハリーが『パーセルマウス』どころか『継承者』ではないという確信を持っている。尚の事、真犯人に心当たりがありそうだ。

「誰が糸を引いているか、知ってるんだろ?」

 ハリーが尋ねると、ドラコは面倒に手を振る。

「昨日も言っただろ。僕は知らないったら、何度も同じこと言わせるな」

 クッションの効いた椅子に腰掛けたドラコは【日刊予言者新聞】の切り抜きを机に投げた。

「父上の話では、『秘密の部屋』が開かれたのは50年前。そのときにも『穢れた血』が1人死んだそうだ。だから、今度もあいつらの中の誰かが殺される。僕としては、グレンジャーかクロックフォードがいいな。そしたら、ベッロを僕のモノにしてやる」

 喉を鳴らして笑うドラコに、怒ったロンは椅子から跳ね上がろうとした。クローディアは必死に彼の影を押さえた。

「『秘密の部屋』の怪物って何だと思う?」

「そんなの知るもんか、父上だってご存じじゃない。それも何度も言っただろ」

 即座にハリーは次の質問をする。

「50年前の『継承者』は、どうなったんだろう?」

「あ……、それは」

 どうやら、初めてされた質問らしい。ドラコは思い返すように天井へ視線を向ける。

「公表はされてないが、追放はされたそうだ。多分、まだアズカバンにいるんじゃないか?」

「アズカバン?」

 キョトンとハリーが問い返す。すると、驚いたドラコは飛び上がるようにソファーから立ちあがった。

「おいおい、ゴイル。アズカバンが監獄だって忘れたとか言うなよ。こりゃあ、常識から教え直したほうがいいな。全く」

 何に驚けばよいのかと、ドラコは動揺する。

「今回の『継承者』は、君の予想では誰だい?」

 ロンが的を射た質問をした。

「……予想か……、そうだな。……50年前に追放された犯人を父上は惜しがっておられなかった。もしかしたら『継承者』自身もこの学校に相応しくないのかもしれないな……。理由はなんであれ、人が死ねば、アズカバン行きは決定だ。これで本当にポッターが『継承者』なら、あいつはアズカバン行きだ」

 それが本望とドラコは薄ら笑う。

「君の父上は、犯人を知らないのか?」

 ハリーの質問にドラコは唸る。

「可能性はあるな。そうだ。父上は『継承者』のやりたいようにさせておけとおっしゃられた。父上もお忙しいからな。あのウィーズリーのくそ親父が館を家宅捜索だとかで、押し寄せて来たことがあった。まあ、何も見つけられなかったよ。だって大切な品は広間の隠し扉に保管してある」

「ほ~、広間に隠し扉」

 ロンが嬉しそうに声を上げたとき、ドラコは硝子箱に触れるセオドールに気づいた。

「セオドール! 箱を開けるな」

 驚いたセオドールは、反射的に硝子箱から手を離す。ドラコはハリーとロンを放り、硝子箱に駆け寄った。

「スネイプ先生から開けないように言われたろ? 阿呆のロックハートがしゃしゃりでないように入れてるんだ。授業でも始末し損ねたとか自慢してたろ?」

「あのスクイブもどきが、始末するとか騒いでくれたおかげで、こうして近くで見れるんだ。一応は感謝してやるか?」

 皮肉っぽく笑うセオドールに、ドラコはわざとらしく肩を竦める。

「クロックフォードにはベッロの素晴らしさがわかっていない。手に余っているんだ! 年上なだけの『穢れた血』め! 僕がベッロの主人なら絶対守りきってやるのに! こんな狭いところに入れられて、可哀そうだ。なあ、ベッロ。僕のところに来いよ」

 硝子箱を見つめるドラコとセオドールを尻目に、ハリーとロンは慎重に談話室を後にした。

 

 お手洗いに戻った所で、薬の効果は切れた。

「まあ、まったく時間の無駄にはならなかったよな。明日はパパに手紙を書こう。絶対、喜ぶぞ」

 機嫌良く微笑むロンとハリーは、ハーマイオニーのいる個室をノックした。

「ハーマイオニー、話があるんだ。クローディアも元に戻さないと」

「あっちへ行って……」

 気の沈んだ声が響き、焦ったハリーは激しく戸を叩いた。

 急に足元が盛り上がってくる違和感を覚えた。確かめる前に、ハリーの視界は反転した。体がお手洗いの床に倒れ伏したからだ。

「ハーマイオニー、どうしたさ!」

 代わりに影から元の姿に変じたクローディアが個室の戸を激しく叩いていた。

「どうやって戻ったの?」

「戻りたいって思ったら、できたさ」

 起き上がるハリーをクローディアは適当に流した。

 有頂天になって飛び回る『嘆きのマートル』が機嫌良く笑い出す。

「見てごらん、酷いから♪」

 戸が自然に開き、現れたのは二本足で立つ服を着た猫であった。クローディアがこれまでに見た特撮や映画に現れる猫人間のほうがマシだ。それだけ、目の前の猫には、何の愛嬌もない。ある意味、珍しい猫だ。

「手紙に書いてあったわ。動物の変身に使っちゃいけないって、ミリセントのローブに着いていたのは猫の毛だったの…」

 すすり泣きながら、ハーマイオニーはローブで顔を覆った。

(おもしろいから、写真に取りたいさ)

 胸中で呟いたクローディアは、しばらくローブ越しにハーマイオニーを見つめる。

「クローディア、あの薬持ってない? あれなら、ハーマイオニーの変身が解けるかもしれない」

 ハリーの声で我に返ったクローディアは、慌てて服のポケットに手を入れる。念のために入れていた印籠を取り出し、掌に丸薬を一粒溢す。

「ハーマイオニー、これ飲んでみるさ」

 肉球のついた手を取り、クローディアは丸薬を渡す。

「これ、クローディアを影の変身から解いた薬だよ。クィレルからヴォルデモートを引き剥がすことも出来たんだよ」

「それが、あの薬!?」

 ロンは驚いて薬を見つめる。ハーマイオニーはローブの隙間から丸薬を目にすると、躊躇いもせずに飲み込んだ。

 5分近く、ハーマイオニーは便座に顔を突っ込んで嘔吐した。やがて、猫の要素を全てなくし、元の姿を取り戻した。少し、頬がこけている気がした。

 『嘆きのマートル』が残念そうに舌打ちし、ロンは仏頂面で不満を口にする。

「その薬で僕のナメクジも治ったんじゃない?」

 突き刺さる視線に、クローディアはわざとらしく肩を竦める。

「勿体なかったからさ」

 ブチ切れたロンの拳がクローディアを襲った。

 




閲覧ありがとうございました。
なんだが、ドラコが蛇フェチになってしまいました。決して後悔はしてません。
●マーカス=ベルヴィ
 原作六巻にて、登場。
●ダフネ=グリーングラス
 スリザリン生の同級生なのに、名前しか出番のない。惜しい!
●ボニフェース=アロンダイト
 やっぱり、祖父世代が欲しいですよね。
●ベンジャミン=アロンダイト
 こういうキャラがいればいいというだけのオリキャラ。


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9.トムの日記

閲覧ありがとうございます。
やっと、トムの日記です。

追記:16年10月3日、17年3月5日、誤字報告により修正しました。


 怪物の候補としてバジリスクを調べ上げたが、『継承者』は誰だがわからずじまいで終わった。しかも、クローディアとハーマイオニーの身体に問題が起きた。

 1時間近く、影に変身していたせいか、クローディアの体が様々な影に粘着する体質に変化していた。『解呪薬』を飲もうにも、印籠には最後の一粒しかない。これを使うわけには行かない。

 ハーマイオニーは嘔吐により体力を失い、その場で倒れてしまった。

 クローディアはロン、ハーマイオニーはハリーの背におぶされ、医務室に運ばれた。追求しないが愕然としたマダム・ポンフリーに2人は長期入院を言い渡された。

 自分達がいない間もハリーとロンは、『継承者』の手掛かりを探すか話しあった。これに関し頼れるのはハリーの『蛇語』のみである。

「耳を澄ませるさ、ポッター。蛇語を聞き分けて『継承者』を探すさ」

「でも、蛇語との区別がつかないよ」

 結局、本当にバジリスクが怪物か調べてもらうことになった。

 

 

 年を越え、新学期を迎える前に生徒達は学校に戻ってきた。

 クローディアの入院を知ったパドマは彼女が怪物に襲撃されたと誤解した。激しく狼狽しながら見舞いに来たので、マダム・ポンフリーに叱られた。

「ちょっと、魔法に失敗しただけさ、心配かけてゴメンさ」

 心配をかけたことに深く反省したクローディアは寝台の上で正座し、泣き腫らした顔でパドマは許してくれた。

 新学期が始まり、クローディアとハーマイオニーに、パドマとパーバティが宿題を届けてくれたので、授業を遅れずに済んだ。

「『魔法薬学』の授業、スネイプ先生がいつ怒るかわかんなくて、皆びくびくしてるの」

「うわあ、退院するのが怖いさ」

 パドマが授業での細かい点を説明している中、パーバティが小さく悲鳴を上げた。

「あの子……、何してるの?」

 表情を引き攣らせたパーバティが扉を指差す。クローディアとパドマ、ハーマイオニーの視線が震える指先に集まる。扉には、白いシーツを半分被り床に這いつくばったルーナがこちらに忍び寄っていた。

 一瞬、驚いたクローディアは肩をビクッと揺らした。ハーマイオニーは言葉をなくして呆然とし、パドマは呆気にとられていた。

 ルーナは寝台の脚を伝って這い、クローディアの元へと辿り着いた。

「ラブグッド、どうしたさ?」

 躊躇いながら、クローディアはルーナに声をかけた。

 ルーナはシーツの中から、茨で編んだ輪を取り出し、クローディアの頭に乗せた。乗せられた瞬間、ちょうど良い角度のトゲが頭に軽く刺さった。

「あんた、ナーグルだらけだもン。こうすると、少しはマシになるよ」

 どこぞの聖人の真似事に思える。

「あ、これ王冠みたいさ。ラブグッドが作ったさ? ありがとう」

 トゲに当たらないように注意し、クローディアは当たり障りのない言葉でルーナに礼を述べた。

 ルーナは大きく頷き、再び地面を這って医務室を去っていった。一安心したクローディアは茨の冠をとり、枕元に置いた。頭に触ると指に血が付着した。

「ねえ、ナーグルって何?」

 ハーマイオニーの問いかけに、答えられる者はいない。

 だが、茨の冠は思いの他、役に立った。

「うわ、本当にくっついてる♪」

「影のように従うってヤツ?」

 ハリーとロンも毎日見舞いに来てくれたが、その度にフレッドとジョージが同行し、クローディアを自分に影に着けて遊んだ。苛立って、毎回、茨の冠で双子を追い払った。あまりにも騒ぐため、マダム・ポンフリーは彼らを出入り禁止にしてくれた。

 

 一難去るとまた一難、ロックハートが大袈裟な笑顔と趣味の悪い派手な花束を抱えて見舞いに訪れ、ご丁寧に見舞いカードを置いていった。

 目を輝かせたハーマイオニーがそれを枕の下に敷いて眠った。不愉快極まったクローディアは自分に贈られたカードを破り捨てた。

 

 次に見舞いに来たハリーとロンは、朗報をもたらした。

「気付いたんだけど、バジリスクの可能性は強くなったよ。これまで襲われた人は直接、怪物の目を見ていないんだ。ミセス・ノリスは廊下に撒かれた水に映ったのを見た。ジャスティンは半透明の幽霊を通して見た。サー・ニコラスは幽霊だから二度も死ねないんだよ」

「すごいじゃない、ハリー。そこまで推理するなんて」

 ハリーはローブから黒い手帳……日記帳のような物を取り出した。

「これがマートルのお手洗いに落ちてたんだ。それで、マートルが床を水浸しにして、気付いたんだ」

「マートルのヤツ、僕らがこれを捨てたみたいに言うんだぜ」

 クローディアはハリーから日記帳を手渡された。

「トム=マルヴォーロ=リドルさ。何も書いてないさ」

「きっと、他人に読まれないような魔法が施されているんだわ」

 目を輝かせるハーマイオニーと違い、クローディアは日記から言いようのない不安を覚えた。

「仮にバジリスクが怪物だとしても、そんなでかい蛇がうろついてたら、いくらなんでも気付くだろ?」

「その辺も調べてくれたら、嬉しいわ」

 的の射たハーマイオニーの発言に、ロンは口を噤んだ。

 

 今年最初の寮対抗試合、スリザリン対ハッフルパフは『ニンバス2001』と汚い戦法によって、スリザリンが勝利した。

 足に包帯を巻いたセドリックが、ドラコの反則紛いの行為に怒り心頭となり罵詈雑言をぶちまけた。普段は物静かな彼がこれ程、切れたことはないとロジャーは苦笑していた。

 

 

 丸々一月もの入院を終え、クローディアとハーマイオニーは寝台生活から解放された。

「なんで治しちゃうの?」

「いいこと思いついたのに」

 廊下で、偶然すれ違う双子が異様に残念がる。クローディアは癪に障り、御礼の拳を双子の腹に贈った。加減を間違えたのか、フレッドとジョージは気絶し、そのまま医務室に運ばれた。

 数々の賞を保管するトロフィー室。その壁にもたれ、クローディアはリドルの日記帳を胡散臭そうに見つめる。

 『現れ消しゴム』などの魔法で日記帳を探ったが、文字が浮かぶことはない。それで彼を調査する方針になり、今に到る。

「何にも書かれてないわねえ」

 トム=リドルの名を刻んだ盾を繁々と見つ、ハーマイオニーは残念そうに呟く。

「なんか書いてあったら、盾がもっと大きくなるから、きっと僕は今でもこれを磨いてただろうよ」

 ロンは盾に向かって悪態を付く。罰則の際、彼はトロフィー室の飾りを全て磨かされたことを根に持っている。調べれば調べる程、トム=リドルが成績優秀な監督生であることが知れる。しかも、首席だ。

 ロンはそれも気に入らないのだ。

「マグル生まれで、トムって名前は五万といるさ。アニメの猫もそうだし『漏れ鍋』の主人さんもトムさ。せめて、何処の寮か書いてあれば探しやすいさ」

「首席名簿には寮までは書かないもんね」

 ハリーは首席名簿を何度も確認したが、やはり寮名はない。

 お手上げ状態の4人は深くため息を付き、嘆きはトロフィー室に小さく木霊した。唸るだけでは事は進まない。クローディアはスカートのポケットからボールペンを取り出し、日記帳の最初のページを開く。

「とりあえずさ、これまでわかったことを纏めるさ」

 徐にボールペンを走らせ、黄ばんだページに書き込んだ。しかし、ペン先で書かれた文字が紙に吸収され、再び白紙に戻ったのだ。

 その光景を見た4人に驚き、お互いの顔を見合わせる。

「もっと、書いてみて」

 興味が膨らみ声を弾ませるハーマイオニーは、日記帳を食い入るように見つめる。クローディアは、イタズラ心で日本語を綴る。

【ロックハートの阿呆】

 その文字も紙に吸い込まれた。

 代わりに、4人の筆跡ではない文章が浮かび上がる。

【君は誰だ?】

 得体の知れない恐怖にクローディアは思わず、日記帳を床に叩きつけた

「なんてことするの!?」

 魔法の反応にハーマイオニーは歓喜に包まれ、ハリーも興奮した。しかし、ロンは戦慄して声を荒げた。

「これは危ない! 捨てよう!」

「ロンに同意さ。何か、すごく嫌な感じがするさ!」

 慌てたハリーは日記帳を拾い上げ、奪われないように抱きしめた。

「待って! もしかしたら、50年前のことを知ってるかもしれないんだ!」

「物は試しよ。そうでしょう?」

 青ざめたロンは激しく頭を振り、日記帳から遠ざかる。納得のいかないクローディアは、ハーマイオニーの縋る視線に心が折れた。

 ハリーがクローディアからボールペンを借り、日記帳に文字を綴る。

【僕は、ハリー=ポッターです。貴方は誰ですか?】

 返事が来た。

【こんにちは、僕はトム=リドルです】

 そのままハリーはトム=リドルと綴りあい、50年前に開かれた『秘密の部屋』の怪物によって女子生徒が死に、犯人は追放されたが投獄されなかった。いつの日か、事件は繰り返されることを予期し、日記を特殊な方法で記録しておいたと説明した。

 しかも、犯人を逮捕した光景を見せるという内容の文章に、4人は困惑する。

「なら、私さ! これに文字書いたのは私さ」

「待って、僕も見たい」

「私もよ。どうやって見れるのか、興味……いいえ、犯人が気になるし」

「ちょっと待って! 3人ともいなくなったら、僕1人だぞ。勘弁してよ」

 揉めた結果、クローディアとロンが残ることになった。

「見張りをよろしくね」

「大丈夫よ。文面を見る限り、この人は親切だわ」

 ハリーがリドルに了解の返事を書き込む。瞬間、勝手に6月13日と書かれたページが捲られた。淡い光沢はハリーとハーマイオニーを包み込んだ。

 

☈☈

 視界の色彩が霞んだ世界。ハリーとハーマイオニーは記憶のリドルが当時の校長アーマンド=ディペットと会話し、50年若いダンブルドアと挨拶するのを見届けた。

「すごいわ、これって」

 過去を視る魔法にハーマイオニーは興奮し、その場で跳ねた。ハリーは感激よりも真相を知るべく、周囲を警戒した。

 リドルが地下牢への階段を降りると、1人の男子生徒が廊下で蹲っていた。

「まさか、彼が犯人?」

 流石のハーマイオニーも笑みを消し、ハリーの肩に手を添える。緊張に2人は、思わず唇を噛み締める。しかし、リドルは男子生徒の背に優しく声をかける。

「ボニフェース、もうやめるんだ」

 呼ばれた男子生徒は、鈍い動作で立ち上がり、ゆっくりと振り返る。柔らかな髪、端正でいて愛想の良い印象を与える顔立ち、色の確かでない世界でボニフェースの瞳は炎のように赤い。

「トム……、彼女が……彼女が……俺はどうすればいいんだ……?」

 哀惜と怒りでボニフェースの声は震えている。

「こんな時間に、ここにいたら行けない。もう君は十分やったんだ。さあ寮に戻るんだ」

 リドルはボニフェースの背を押し、地下牢の階段を登らせた。

 

☈☈

 日記帳に顔を突っ込んだ状態でハリーとハーマイオニーは身動ぎせず、クローディアとロンは不安に駆られた。

 どう考えても、2人分の顔もない日記帳が光に吸い込まれたように嵌められている。何が見えているのか見当もつかず、1分、2分程度の経過が重苦しく感じても待った。

 ハリーとハーマイオニーは平然と顔を上げ、日記帳の光は消えた。

 安心したクローディアはハーマイオニーに駆け寄る。ハリーとハーマイオニーは動悸を激しくし、荒い呼吸を繰り返した。

「ハグリッドだ……。継承者はハグリッドだった!」

 ハリーの悲痛な叫びにハーマイオニーは涙した。

 クローディアとロンは顔を見合わせ、同じ疑問を抱いていることを確認し合う。

「「ハグリッドに『蛇語』がわかる?」」

 語尾は違っていた。

 すっかり動揺したハリーとハーマイオニーの為に、時間を置くことにした。

 

 

 翌日。

 午前の授業を終え、4人は再びトロフィー室を目指す。それでも廊下で声を抑え真偽を討論しあう。ハーマイオニーは、ハグリッドが犯人などと信じたくない。しかし、日記の出来事を否定できない。

 ハグリッドが箱に隠していた何か、ハリー曰く、毛が生えていたらしい。

「ハグリッドに直接聞きに行きましょうよ。そのほうが早いわ」

「そりゃあ、楽しいお客様だろうね。やあハグリッド、教えてくれる? 最近、毛むくじゃらの大きい奴を嗾けなかったって?」

 ロンが大袈裟に肩を竦める。急に4人の周囲が陰った。

「毛むくじゃらだと?」

 太い声が降り注ぎ、4人の背筋が粟立った。

「俺のことじゃなかろうな?」

「「「「違う!」」」」

 全力で否定する4人をハグリッドは、困惑して見下ろした。言葉に詰まった4人は、話題を探す。そこで、クローディアは不意に思いついた。

「ベッロはいつ返してもらえるか、知らないさ? スネイプ先生に聞きたいけど、恐くてさ」

「あ~そりゃあ、俺にもわからん。ロックハートの奴がまだ騒ぎよる。スリザリンの『継承者』なら怪物も蛇で、ベッロだろうって言い出しやがって」

 憤慨するハグリッドは、息を荒くする。クローディアも相槌を打つ。

「ロックハート先生がベッロを処分しようとしたって聞いたさ」

「そうとも、スネイプ先生が監視するって言い出さなきゃ。あのロックハートのことだ、やりかねえぞ」

 必死に首を振り、クローディアは少し俯き加減で気落ちしたフリをする。

「クローディア、淋しいからって妙な気を起こすなよ?おまえさんたちもだぞ」

 簡単に警告し、ハグリッドは廊下を突き進んで行った。その背を4人は、居た堪れない気持ちで見送った。

 

 トロフィー室。4人以外誰もいないことを確認し、ハーマイオニーは日記帳が見せた記憶を詳細に説明した。その中で、クローディアはボニフェースの存在に着目する。

「ボニフェースってさ、ボニフェース=アロンダイト?」

「知り合い?」

 ハリーが食いつくように反応する。

「ハグリッドの友達だってさ、すごく……仲が良かったらしいさ。ハグリッドが退学されてからも友達だったってさ」

 クローディアの父方の祖父であることは伏せた。十分、意外だったのか、ハリーは目を丸くする。

「きっと、ハグリットが犯人だと知らないんだよ」

 ハリーは自分で結論づけたが、クローディアは疑問点を上げる。

「でもさ、怪物は蛇さ。でもポッター達の見たのは毛むくじゃらさ。蛇に毛が生えるなんて、うう……怖いさ」

「僕もリドルはやな感じがする」

 ロンが口を尖らせ、何故かパーシーの物まねをする。

 沈黙していたハーマイオニーが突如、奇声を上げた。

「ベンジャミン! ベンジャミン=アロンダイト! 同じ姓だわ、何か繋がりがあるかもしれない! アロンダイトなんて、そうそういないもの!」

 ハーマイオニーの肩を押さえ、クローディアは尋ねる。

「アロンダイトって珍しいさ? というか、その人……随分前に亡くなったさ?」

「だから、これに聞くのよ」

 ハーマイオニーは日記帳を指差す。

「リドルをこれなんて、言わないでくれよ」

 不満そうにハリーは、クローディアからボールペンを借り適当なページに質問を綴る。

「ボニフェース=アロンダイトとベンジャミン=アロンダイトを知っていますか?」

 文字は吸収され、別の文章が浮かぶ。

【勿論です。ボニフェースは僕の無二の親友です。ベンジャミンはボニフェースの歳離れた兄です。ベンジャミンはスクイブで、ボニフェースが幼い頃に家を飛び出したそうです。ボニフェースはいつか兄弟の再会を果たすことを夢見ていました。しかし僕たちが在学中に、ベンジャミンはマグルの世界で有名人になりました。ボニフェースは兄の成功を喜ぶ反面、二度と会えない、会ってはいけないと自分を戒めていました】

 文章はそこで終わり、ページは白紙に戻った。

「素晴らしい発見だわ、ベンジャミンに兄弟がいたなんて、パパとママに教えなきゃ」

 体を弾ませ喜ぶハーマイオニーはすぐに冷静さを取り戻し、疑問を口にする。

「でも変だわ。ハグリッドもボニフェースを友達だって、いうなら、この人…」

 ロンが噛み付くように、言葉を出す。

「友達を密告したも同じだよ、信じられない! 嫌な奴だよ」

 白紙になったページを指先で軽く叩き、ハリーは思考する。

「このボニフェースって人に会えれば、何かわかるかもしれない。けど……ハグリッドに聞くわけにも……」

 項垂れるハリーに、クローディアは不意に閃き、拳で自らの手の平を強いた。少し強めだったため、乾いた音がトロフィー室に響いた。

「ボニフェースはハッフルパフ生さ。なら、もっといい人がいるさ」

「まさか、スプラウト先生? 50年前はいないよ。いくらなんでも」

 否定の意味で、ロンは苦虫を噛み潰したように、顔を顰める。

「もっと、適した人さ」

 自信満々のクローディアは、イタズラっぽくウィンクした。

 トロフィー室を出たクローディアは、天井を注意深く見上げながら廊下を進んだ。その後ろを理解不可能といわんばかりの3人は、ひたすら着いていく。

 

 突然、クローディアは足を止めた。足を止めそこなったハリーがその背中にモロに顔面をブツける。すぐにハリーは彼女へ謝罪した。当の本人は3人を振り向き、にんまりと口を綻ばせた。

 クローディアが見上げる天井付近には、幽霊達が寄り集まり、談笑していた。その内の1人、修道服のふくよかな体形の男へ彼女は呼びかける。

「『太った修道士』、お時間よろしいでしょうか?」

 ハッフパフ憑き幽霊『太った修道士』。

 そこでハーマイオニーは、クローディアの言葉を理解した。何百年とこの城に住まう幽霊。しかもハッフルパフ憑きなら、ボニフェースのことを訊ねるのに、最も適任だ。

 『太った修道士』は他の幽霊に会釈し、4人の元へと舞い降りた。穏やかな微笑で4人を見渡す。

「迷える生徒達、懺悔かね?」

「いいえ、修道士。お聞きしたことがあります。これまでのハッフルパフ生をどれだけ、覚えていますか?」

 出来るだけ丁寧に質問するクローディアに『太った修道士』は眉を寄せる。悲哀を込めた表情を見せる。

「長い歳月、わしはここにおるのでのう。印象のある生徒しか思い出せんのだ」

 クローディアは一旦、3人を振り返る。ハーマイオニーが先を促す意味で頷いた。彼女も頷き返し『太った修道士』を見上げる。

「ボニフェース=アロンダイトという生徒をご存知ありませんか?」

 これに『太った修道士』は瞑想するように瞼を閉じる。目を伏したまま、彼は答えた。

「何か特徴はないかの? どの時代、どのような品性、どのような使い魔だったか…」

 クローディアは素直に話した。

「彼は、50年前の生徒です。監督生で、トロールと相撲をして半殺しにあったそうです」

 内容に、ハリーとロンは寒気のようなモノを覚えた。1年生の折にトロールと対峙したときのことを思い出したのだ。あの時は、魔法で気絶させることに成功した。それでも、命からがらだった。そのトロールと相撲の相手など、正気ではない。

 ハリーは日記で見たボニフェースの姿と話の内容に、衝撃を覚えた。

「思い出したぞ! トロールと格闘し生徒で監督生になったのは、後にも先にもあの子だけじゃろう。おうおう、懐かしい。あの子は、成績が最悪。落第しないのが不思議であったとも」

 開眼した『太った修道士』は、天井を仰いだ。少し安心したクローディアは、脳内で質問を選ぶ。何故なら、この質問が『秘密の部屋』に関することに繋がると知れば、幽霊達は口を閉ざしてしまう。レイブンクローの監督生が『灰色のレディ』に伝説の真偽を問おうとすれば、しばらく雲隠れしてしまった。

「どのような生徒……」

「わしが知る限りでは、ヘルガ=ハッフルパフにもっとも近い生徒であった。あの全てを分け隔てなく包み込む優しさ……、いや、そんな簡単な言葉では表しきれん。ハッフルパフの生徒としては、まさに最高であった」

 思い出に浸る『太った修道士』は、クローディアが訊ね終わる前にべらべらと喋りだした。しかも、段々と話の方向性がズレていく。

 堪り兼ねたハリーが声を出した。

「では、トム=マルヴォーロ=リドルという生徒については、知りませんか?何処の寮かはわかりませんが、彼も監督生でした」

 急に『太った修道士』は、酔いが醒めたようにハリーを見下ろす。

「わしは、これから用があるので失礼するとしよう。死んだ身でも予定はあるのでのう」

 『太った修道士』の態度に、ハリーは自らの失言を認める。クローディアは背を向けて去ろうとする『太った修道士』に慌てて声をかける。

「最後に、ひとつ。ボニフェース=アロンダイトが卒業した後のことを知りませんか?」

 緊張を含ませるクローディアの声に、『太った修道士』は首だけ振り返る。

「わしよりも詳しいものに聞くとよい。そうハリー=ポッター。噂が本当なら、彼の者が全てを語るだろう」

 謎かけの一種に思える。クローディアが追求しようとした。

 瞬間に、ロンの腹から豪快な音が発せられた。羞恥のあまり、耳まで赤くなったロンは自らの腹を撫でる。

「若者よ。生あるものには、食すことが必要じゃよ」

 『太った修道士』は廊下を漂い、壁の向こうへとすり抜けていった。

 残った4人は、お互いの顔を見合わせ、『太った修道士』から得た情報を推測する。

「ハリーの噂って、『継承者』かな? だとしたら、ダンブルドアが教えてくれるってこと?」

「だとしても、ボニフェースのことをどうやって聞き出すの?」

 ロンがハリーに肩を寄せ、出来るだけ言葉を選んで口にした。しかし、ハリーは校長室でのやりとりを思い出し、気鬱な表情を見せた。

 クローディアは、大した情報が得られなかったことに、ため息をつく。

「あんまり、わかんなかったさ」

「ひとつだけね。成績が悪くても、素行の善し悪しで監督生が決まるってこと」

(そこ……?)

 活き活きとした表情で、ハーマイオニーは気取ったように胸を張った。クローディアは、彼女らしい感想だと、苦笑いした。それに、ロンは噛み付く。

「なら、僕にも可能性はあるな。……言っとくけど、なりたいわけじゃないからな」

 日記帳を眺め、ハリーは呻く。

「ハグリッドのこと、どうしよう?」

「次の犠牲者が出るまで、聞かないってことにしましょう。例え、ハグリッドが犯人じゃなくても何か知っているはずだわ」

「『継承者』の件は保留さ。怪物はどうするさ? いくら、ハグリッドでもバジリスクをペットにしようとなんてしないさ」

 クローディアは、何処かの姫様のようにハグリッドがバジリスクを庇い「何にもいないったら」と叫んでいる様子が目に浮かんだ。その姿がよく似合っている。

「ほとんどバジリスクが怪物といっていいわ。だから、対処法として手鏡を持ちましょう。危ない気配を感じたら、鏡で周囲を見るのよ」

「鏡に呪いが反射してバジリスク自身が石化しないさ?」

 まさか、この部分を物陰にいたフレッドとジョージが聞いていたなど、4人は気付かなかった。

 

 その日のうちに、怪物が鏡に封印できる。怪物は鏡を嫌う。とにかく、鏡が怪物に効果的だと言う噂が城中に広まった。結果、生徒の間でも手鏡が大流行した。絵の住人でさえ、額縁の中で鏡を構えていた。とくに、ネビルは手鏡を繋ぎ合わせてベストを作った。鏡に光が反射し、ネビルは違う意味で輝いていた。

「いっそのこと、全身鏡を背負ったらどうさ?」

 冗談半分でクローディアが提案し、ネビルは本当に全身鏡を身に着けていた。恥ずかしさのあまり、ハリーとロンが必死に彼をとめた。

 




閲覧ありがとうございました。

『太った修道士』は良いキャラだと思うのに出番ないですね。
日記帳の記憶の見せ方は『憂いの篩』の仕様を参考にしました。つまり、トム=リドルは学生の身で『憂いの篩』が作れたということ…(絶句)。


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10.バレンタイン

閲覧ありがとうございます。

追記:16年10月3日、誤字報告により修正しました。


 レイブンクロー対スリザリンの寮対抗試合。

 寝坊したクローディアは、必死の形相で廊下を駆け抜けた。

 城から闘技場への道で、既にユニフォームに着替えたロジャーがいつになく深刻な表情で仁王立ちしている。適当に会釈し、彼を通り過ぎようとした。

「クロックフォード、ちょっといいかな?」

 肩を掴まれ、クローディアは強制的に足を止めさせられた。急いでいたが、仕方なく深呼吸して息を整える。ロジャーは、ユニフォームの上に手を置き、紳士的な雰囲気で頭を下げる。

「この試合に勝ったら、僕と付き合ってくれ」

 また、その話。

「賭けじゃない、僕は真剣に君と付き合いたい! どれだけ僕の気持ちが真剣か、この試合で証明したい」

 笑みのない真摯な態度に、クローディアは急に気恥ずかしくなり目を背ける。

「でも私さ、あんたにそういう気持ちはないしさ」

 ロジャーは、クローディアの手を握る。緊張なのか、彼の手は汗ばんでいる。

「好きでなくていい、それでも僕は構わない。試合が終わったら、更衣室で待っててくれ」

 囁くロジャーの声は、震えていた。

 闘技場に走り去るロジャーを見送ると、クローディアは両肩に重みを感じる。

「あ~らら、ありゃ本気だわ」

「どうすんだ? クロックフォード、あいつ孔雀の姿で塔から飛び降りる覚悟で告白してきたよ?」

 フレッドとジョージからも笑顔はない。ロジャーの真剣さを感じ取っているのだ。

「そんなさ、だってさ……」

 しどろもどろのクローディアに、双子は容赦ない。

「勝敗関係なく、付き合えばいいんじゃね?」

「そうそう、そしたら俺達、毎日歓迎会してやるぜ?」

 冗談を含めた口調だが、何処か冷淡さを感じる。まるでロジャーの想いに答えないクローディアを責めている気がした。この空気に、我慢できない。

「放っておいてさ!」

 双子を払いのけ、クローディアは闘技場に突進した。

「「出ないと、ジニーのもやもやが晴れないんだよねえ」」

 双子の呟きは、クローディアの耳に届かず風に攫われた。

 

 結果は、ドラコの妨害に合いながらも、チョウが寸でのところでスニッチを掴みレイブンクローが勝利を治めた。スリザリンのまさかの2敗に観客席は大歓声が湧き起こった。

 クローディアはチョウの活躍を喜ぶ反面、ロジャーへの返事が迫っていることに憂鬱であった。

 しかし、胸中は以前のような怒りはなく、淡く暖かい。

「マルフォイの顔見た?」

「超悔しそうだったよねえ」

「後は、グリフィンドールのみ!」

 周囲でパドマとサリー、マンディ、セシルが試合内容に盛り上がるのも、クローディアには聞こえない。

 友人達に適当に言い訳し、クローディアは更衣室の前まで来た。落ち着つけないので手櫛で髪を溶き、衣服に乱れがないか確認した。躊躇いながら、更衣室を覗く。着替えてないロジャーと目が合う。彼は花が開いた笑顔を見せ、すぐに歩み寄ってきた。

「ちょっと、外出ようか?」

 闘技場の裏付近まで、連れて来られクローディアは胸中に不安が過ぎる。

(ドッキリさ? そのほうがいいさ?)

「もう一度、言うよ。僕と交際してくれ」

 揺ぎ無い眼差しに、クローディアは戸惑い、手先を弄りだした。

 全身が温かい汗を掻く。場の空気が断ることを許さない。

「ほう、これはこれは、泣かせますなあ」

 空気を壊す闇色の声に、2人は調子を完全に崩され、肩を落とす。

「勝利を手にし、愛する者さえ、手にいれる。いや、結構結構」

 歓迎どころか、明らかな嫌味だ。毅然とロジャーは、スネイプの前に立つ。

「それが何か? 男女のことは生徒の自主性に任せるべきであり、スネイプ先生の関与されることはありませんが?」

「勿論だとも、ミスタ・ディビーズ。故に我輩は、2人を讃えよう。但し、ミス・クロックフォード。君には色恋沙汰に興じる前に、自身の惰弱ぶりを矯正してはどうかな? 大事な使い魔も守れず、我輩の授業ではマトモに調合を成功させた試しもない。英知を誇るレイブンクロー生が聞いて呆れる。それに、ミスタ・ディビーズ。そこにいる君のお仲間がこの件について賭博に興じているようだ。彼らは君の発案と供述しているが?」

 スネイプが指差し物陰に、何人かの男子生徒が何度も必死に頭を下げる。

 クローディアは鋭い目つきで、ロジャーを睨む。

「賭けさ! 私が交際を受けるか、賭けたさ?」

「誤解しないでくれ、君と付き合いたいのは本当だ! 去年の学年末のパーティーから、君のことが気になってた! こんな気持ちは初めてなんだ」

 うろたえるロジャーに、クローディアは暖かな気持ちが冷めていくのを実感した。

「あんたなんか、お断りさ!」

 怒声を返しクローディアは、ロジャーを横切り走る。スネイプがせせら笑うのが聞こえた。

 

 

 誰もいない地下教室で、クローディアは暗くも冷たい空気を肌で堪能していた。スネイプから罰則のため、ここにいる。それは1時間も前に済んだ。

 自寮の談話室に戻りたくないのだ。

 あの試合の日から、クローディアの周囲は異常にロジャーとの関係について迫ってきた。談話室でペネロピーやチョウと話し込んでいると、気がつけば彼と2人にされた。大広間で食事を摂ろうとすれば、隣や正面にロジャーが座ってくる。

 酷いときは、女子のお手洗いから出てきたクローディアをロジャーが待ち伏せていた。

 どういうわけかクローディアが向かうところに、ロジャーが現れる。情報源は、フレッド、ジョージだ。

 原因は、誰が言い出したか知れない話が広まったからだ。

『クローディア=クロックフォードとロジャー=ディビーズの仲を取り持ってやろう』

 これに賛同した生徒(主にロジャーの友人)達が、異常な統率力を見せつけてきた。それだけの能力を授業や試合で発揮すればよいものを、無駄なことに尽力している。

 正に、少女漫画な展開だ。

 最悪なことにクローディアが落ち着ける場所は、地下教室だけとなった。ベッロがいる研究室はスネイプによって施錠されているので入れない。貴重な二角獣の角が盗難に遭ってから、警備を厳しくしたのだ。

 椅子に腰掛け、ため息を付く。腕時計を見れば、もう消灯時間が迫っている。

(帰らないと、減点くらうさ)

 重い身体をゆっくりと立ち上がらせる。

「まだ、いたのか?」

 教室を出ようとしたクローディアに、闇色の声が嗤う。

「いまから、寮に戻ります」

「ミスタ・ディビーズは人望が厚い。大変であろうな、ミス・クロックフォード」

 黒真珠の瞳を細め、弧を描いた口元は皮肉っぽく笑う。会釈だけして、さっさと階段を上がろうとしたが、声は続く。

「ここを休憩所に使うのは、これっきりにしたまえ。今度、見かければ減点だ」

 事情を知らないはずのないスネイプは、逃げ場所を奪う。

 振り返ったクローディアは、睨まない程度にスネイプを見据えた。やはり、彼は上機嫌に嗤っている。

 正直な気持ち、腹が立つ。

「何もしていません。ただ、いるだけです」

 不機嫌さを露にしたクローディアは、吐き捨てる。

「その理論で行くなら、ミスタ・ディビーズもいるだけではないか? そう煙たがる必要もあるまい?」

 珍しく柔らかい黒真珠に、クローディアは胸中で嘆息する。

 この人に何を期待しても無駄だ。

 苦悩するクローディアを見て楽しんでいると感じた。憎むべき相手が苦しむ姿を喜ぶとか、どんな性癖だ。結局、彼が憎むのは、十中八九、コンラッドが原因だ。その理由を彼女は知らないが、憎悪を向けて来るのは全くのお門違いだ。

 スネイプとコンラッドは学生時代は仲睦まじかったとダンブルドアは語った。コンラッドは今でも、スネイプを信頼している。それなのに、この男の態度は何なのだろう。理由など絶対、知りたくない。

「以後、気をつけます。おやすみなさい。スネイプ先生」

 嫌味を込めた口調で、クローディアは階段を登った。その後を闇色の声が負け犬を嘲るように追いかけてくる。

「君の周囲で起こる流行は、すぐに去るとも。それまで楽しむがいい」

 返事は、しなかった。

 

 逃げ場をなくしたクローディアは、ハーマイオニーの案でハグリッドの小屋に身を寄せた。ハーマイオニー、ハリー、ロンも一緒に小屋で、ひと時の平穏を堪能する。

 この時はハグリッドへの疑いを完全に忘れた。勿論、ハーマイオニーは宿題の持込を忘れない。

「やあ! ミス・クロックフォード! ミスタ・ロジャーとのことは私に任せておきたまえ!」

 いきなりロックハートが乱入してきたが、ハグリッドによって追い払われた。

 急にハグリッドは愉快そうに肩を揺らす。それを見たクローディアは仏頂面で彼を見上げた。

「何がおもしろいさ? ハグリッド」

「いや、すまねえ。こうやってクローディアが逃げてくるのが、懐かしくてな」

「つまり、前にもあったの?」

 何気なく、ハリーが問いかける。それがボニフェースのことだと、僅かに期待してのことだ。

「ああ、クローディアの親父さんだ。あいつもよくここに来て、女子生徒から隠れてたもんだ」

 密かに落胆したハリーを尻目に、クローディアは意外なことに少し驚いた。

「お父さんが、ここに逃げてきたさ?」

「そうとも、コンラッドは美人だったからな。女どもが放っておかなかった。あの虫籠もな。実はコンラッドが女どもから、隠れるために作ったらしいんだ。いけね、これも内緒だった」

 衝撃の事実に、4人は笑いが込み上げて噴出した。

「そういえば、おめえさん達はクローディアの親父をしっとるのか?」

 素朴な疑問に、クローディアが答える。

「うん、そうさ。3人とも、お父さんがスリザリン生だったこと知ってるさ」

 ハグリッドが柔らかく目を細めた。

「おっと、そろそろ時間だ。名残惜しいが、おめえさん達を城に送らねえとな」

 残念そうなハグリッドの声に、ロンが腕時計を確認する。

「本当だ。もうこんな時間になってんの……」

 渋々、4人は席を立つ。ハグリッドがファングを連れ、4人を城まで同行した。

「やあ、クロックフォード! 今から帰り? 僕もだ」

 玄関ホールで、ロジャーが偶然を装って待ち構えていた。心底、呆れたクローディアは、完全無視を決め込み、乱暴な足取りで寮を目指した。その後を彼は必死に声をかけて着いていく。

 他人事であるハーマイオニー達は、失礼を承知で腹を抱えて笑った。

 

 

 2月14日。

 大広間を訪れた生徒、教職員一同は我が目を疑う光景に唖然となる。

 ド派手なピンクの花で覆われた壁、朝を告げる青い空を映した天井からハート型の紙吹雪が無限に舞い降ちる風景、呆れるなと言うほうが無理だ。

〔なんじゃこりゃ〕

 日本語が炸裂するクローディアの横で、ハーマイオニーを初めとしたロックハートファンは口元に手を置き、必死に笑いを噛み殺している。

 教職員席では、ド派手なピンク一色のロックハートが満面の笑顔で堂々と座っている。マクゴナガルは頬が痙攣し、スネイプは苦渋に満ちた表情を浮かべている。

 生徒が全員、大広間に入ったのを確認したロックハートは優雅に立ち上がり、注目を集める。

「ハッピーバレンタイン! 46人の皆さんが私にカードを下さいました。ありがとう!」

 溌剌と手を叩き、二重扉から可哀想な衣装を着付けた小人が12人、入ってきた。

 あれが愛のキューピッドだとすれば、まさに冒涜である。

 しかも、ロックハートはスネイプに『愛の妙薬』の調合を勧めた。彼は憤怒を通り越した表情で大広間を見渡した。

 挙句、フリットウィックが『魅惑の呪文』の達人であると公言した。恥辱を感じた彼は、青ざめた表情を隠すように両手で顔を覆う。

 度は越えているが、一応楽しい催しだ。

(まあ、これで多少は気分も変わるさ……)

 甘かった。

 『薬草学』の為、温室に篭る生徒にも容赦なく小人は乱入し、パドマやドラコにバレンタインカードを届けた。気を悪くした『毒触手草』が小人をなぎ払う光景を見逃したことを、スプラウトは残念がっていた。

 

 昼食中、小人は大広間に手紙を運びまくった。それを嫌う生徒や教員は、何処かに隠れてしまった。だが、小人は執拗に追い回して手紙を届けた。

 クローディアは1人で『魔法史』の教室を目指す。過ぎ去ろうとした廊下で、ハリーが小人に捕まり鞄を引っ張り合っていた。その様子を1年生が何事かと、遠巻きに見学している。1年生の中にはジニーの姿も見える。

(ありゃりゃ)

 ハリーに加勢しようと、クローディアは小人を上から押さえ込んだ。しかし、寸でのところで間に合わず、彼の鞄が破れ、裂け目から筆記用具が零れ落ちた。

 その中には、なんと黒い日記帳も含まれていた。

「ポッター、これは持ち歩いたらダメさ。部屋に置いとくさ」

 クローディアの腕で暴れる小人を無視し、日記帳を拾い上げる。

「僕が行くまで、そいつを押さえてて」

「わかったさ」

 ハリーは鞄の裂けた部分を手で押さえる。必死の形相で鞄を抱え、彼は早足で階段を駆け上っていった。

「待て!」

 小人はしゃがれた声を出し、クローディアを振り払おうと小人は手に噛み付いた。痛みで手の力を緩めた隙に、小人は彼女の腕からすり抜け、ハリーを追いかけた。

 噛まれた箇所を撫で、クローディアは見学していた生徒達に振り返る。

「ほら、見世物は終わったさ。教室に行くさ。後、5分さ」

 その声に1年生は蜘蛛の子を散らすように廊下を駆けていった。

(あ、日記……)

 手にある日記帳を見つめ、取りあえず鞄に入れた。ジニーはクローディアの行動を見逃さないように凝視していた。

「ジニー、どうしたさ? ああ、あんたは、そこの教室さ」

 見上げてくるジニーに、優しく微笑みかける。しかし、彼女はクローディアを怪訝そうに見つめる。

「あなたもハリーに出した? バレンタインのカード……」

「出さないさ、ポッターはただの友達さ」

 安心したように、ジニーは頷いた。

「そうよね。あなたには、ロジャー=ディビーズがいるもの」

 無邪気なジニーに、クローディアの頬が痙攣した。

「私、2人なら、うまく行くと思うわ。だって、お似合いだもの。皆、言ってる。だから……」

「ジニー、それは私が考えることさ。あんたじゃないさ」

 大人気なく、クローディアは冷たく言い放った。笑みを消したジニーは乱暴に教室へ飛び込んだ。

「クローディア=クロックフォードですね?」

 だが、今度は別の小人がクローディアの前に現れる。悪寒の走り、脱兎の如くその場を離れた。

 しかし、小人は授業をものともせずに教室に入り、クローディアの前でハープを奏でた。 

《愚かな自分を許しておくれ

 美しき大和撫子の君

 太陽が昇るように、君は僕の心を照らしている》

 羞恥で頭を抱え、教科書で小人を薙ぎ払った。良い音が教室に響く。

「ミス・クロックフォード、暴力はいけませんが、5点差し上げましょう」

 フリットウィックが小さくガッツポーズをしているのを誰もが目にし、賛成の声を上げた。

「多分、ロジャー=ディビーズからよ。あなたが無視しているから強行策に出たのね」

 朝からバレンタインカードを大量に貰ったパドマが同情し、嘆息する。

 

 夕食になっても小人の乱入は治まらず、悪戯の名人・フレッドとジョージも悪態付いていた。

「僕達のイタズラもこれには、遠く及ばないな」

「全くだ。ピーブズも逃げちまう。ある意味、最強だな。ロックハートは」

 賞賛に程遠い2人の会話、クローディアも賛同した。何故、双子が彼女の傍にいるのかといえば、バレンタインチョコを強請っているからだ。

 去年までクローディアは、バレンタインを都市伝説だと思っていた。それはマグルの行事でもあり、日本では好意のある異性にチョコを贈る。

 それを知った双子は食事中のクローディアの両隣を占拠し、チョコを求めている。勿論、チョコなど用意していない。

「それで? ロジャー=ディビーズはどうするんだ?」

 フレッドは付きまとう小人を追い払いながら、尋ねる。

「お断りさ」

 即答、双子は大袈裟に肩を竦める。

「「ほんと、クロックフォードはお堅いこと」」

 堪忍袋の緒が切れ、乱暴に机を叩いた。衝撃で周囲の食器が揺れる。

「私は他人に決め付けられたくないだけさ! もしかしたら、あんたら双子のどっちかと、恋人になるかもしれないでしょうが! 私としては、そのほうが嬉しいけどさ!」

 喚いたクローディアは乱れた髪を靡かせ、怒りに顔を顰めて大広間を後にした。

 残された双子は呆気にとられ、お互いの顔を見やる。

「あいつ、僕達となんだって?」

「全く、的外れもいいところだよ。クロックフォードと俺たちが恋人なんて」

 口に出したジョージは、皿に盛られたサンドイッチを手に取った。必死に噛むが全然、切れない。よく見ると、手にしていたのはテーブルナプキンだった。

「何をわかりやすい動揺してんだよ。ジョージ」

「ここは空気を読んで動揺するところだ」

 言い張ったジョージは、そのままテーブルナプキンを噛み続けた。

 

 悪態付きながら、クローディアは寝台に飛び込んだ。

「もう! あの双子は何なのさ!」

 フクロウの鳴き声に顔を上げ、窓の向こうにいる見慣れないフクロウを目にした。

 怒りを治め、窓を開けてフクロウを招き入れた。フクロウにクッキーを与え、四角い封筒を受け取る。封筒には差出人の名はなく、中には1枚のカードがあった。

 白くて何の装飾もないカードだが、クローディアの心を感嘆に満たすには十分だ。

【クローディア=クロックフォード様へ

 ハッピーバレンタイン  クィリナス=クィレルより】

 これまで来なかった返事がやっと来た。手紙が書けるまでに、クィレルは回復したのだ。よく見れば、字が微かに歪んでいる。きっと、気力を込めて書いたに違いない。

(先生……、よかったさ。先生)

 嬉しさで目に涙を浮かべ、クローディアは急いで返事を書いた。見慣れないフクロウは、返事の手紙を受け取り、空へと飛び去った。

 クローディアにとって、人生最高のバレンタインだ。

 

 ハーマイオニーに報せるべく、クローディアは急ぎ足で寮を飛び出す。足元で妖精を蹴りそうになった。

「そこのレイブンクロー生」

 突然、絵の住人が呼びとめる。そこには、数人の魔女・魔法使いがいた。

「こっちへ、はやく」

 緊迫した雰囲気にクローディアは従う。絵の住人に導かれ、ひとつの空教室に辿り着いた。教室の中で、シーサーと他3人の男子生徒がルーナを囲んでいた。

「このルーニー! どの口が言うんだ!」

 シーサーがルーナの髪を掴もうと手を伸ばす。その光景を目にした途端、全身の血が熱くなった。

「何している」

 低い声が教室によく通る。

 驚いたシーサーがクローディアを振り返った。動揺した男子生徒は、ルーナから離れていく。

 手招きでルーナを呼べば、するりとクローディアの後に隠れた。

「こいつがロックハート先生の悪口を言ったんだ」

 シーサーはルーナを指差し、必死に弁解した。

「ロックハート先生の本の内容はでたらめだって! 先生は嘘つきだと、このルーニーは言ったんだ!」

「それは、私が言いだしたことだ!」

 拳を振り上げてクローディアは、1年生を見渡す。彼らは信じられないと仰天していた。

「この子は、私が言った事を鵜呑みにしただけ。ロックハートにチクりたいなら、そうしろ! ただ! この子に手を出すことは絶対に許さん! わかったら、行け!」

 感情が爆発したクローディアの怒声は、シーサー達を震え上がらせるのに十分だった。半泣き状態で彼らは教室から走り去った。

 荒くなった呼吸を整え、クローディアはルーナを見やる。

「もし、ロックハート先生に責められたらさ。私が言いだしたと言って欲しいさ。他の人に言われても同じさ」

 ルーナの瞳が瞬いた。

「そんなことしたら、嫌われるよ?」

「いくら、鈍感なロックハートでもさ。私が嫌っていることくらい、勘づいているさ。構わないさ」

 当然と、クローディアは微笑んだ。

 俯いたルーナは、遠慮するように手つきでクローディアの服の裾を掴んできた。その仕草を可愛らしく思え、ルーナの頭を撫でる。一瞬、身構えた彼女は、すぐに緊張を解いて手の感触を味わった。




閲覧ありがとうございました。
ロックハートは、ある意味・最強。


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11.石化

閲覧ありがとうございます。


 あれから、ロジャーがクローディアを追い回さなくなった。強引な手段は反感を買うと理解したらしい。理由はどうあれ、クローディアには好ましい状況だ。

 それだけでなく、ジャスティン=フィンチ‐フレッチリーと『ほとんど首なしニック』の襲撃事件から怪物の犠牲者はない。怪物は、再び永い眠りについたという噂が広まり始めていた。よって、ハリーを『継承者』と疑う者達は自然といなくなった。

 スネイプの言葉を借りるならば、流行は去ったということだ。

 模擬試験の日、クローディアは合格点ギリギリで補習試験を退き、安堵した。

 ルーナは、合格点を余裕で突破していた。同じ1年生のシーサー達は偶然だとぼやいていたが、ペネロピー曰く、ルーナは非常に優秀らしい。

 

 夕食前。『呪文学』の教室に呼び出され、フリットウィックから吉報が寄せられた。

「先日、行われた職員会議で怪物の脅威は去ったものと判断しました。つまり、ベッロを君に返すことになった。明日、私とスネイプ先生のところに行きましょう」

 歓喜に体が打ち震えたクローディアは、フリットウィックを抱き上げその場を回転した。覚束ない足取りの寮監に何度も頭を下げ、体を弾ませながら教室を出た。

「クローディア、どうしたの? すごく機嫌良いわね?」

 大広間前でハーマイオニー、ハリー、ロンに会い、ベッロのことを報せる。3人も喜びを分かち合い、一緒に万歳する。

「良いこと尽くめだね!」

 はしゃぎすぎたハリーは、ズレた眼鏡を指差しで直した。

 肩で息をするクローディアはハリーの顔を目にし、不意に思いつく。

「日記帳をベッロに見せるさ。それで、もしベッロが怒ったりしたら、処分するさ」

 突然、その話を振られたハリーとロンはお互いの顔を見る。しばらく目を合わせて、納得して頷いた。

「……そうだね。ベッロが戻れば怪物のことが何もかもわかるんだ」

 急にハーマイオニーは声を落とす。

「それなら私ね。思いついたの! ここだと誰かに聞かれるから、例の場所に行きましょう」

 少しロンが嫌そうに顔を顰めた。

「一緒に行ったら、怪しまれるぜ。皆、別々に行こう」

 4人は頷き合った。

「クローディア、日記帳は僕が明日まで預かるよ」

「わかったさ、例の場所に行く時に持って行くさ」

 夕食中、クローディアはパドマとリサにベッロのことを報せる。リサは歓喜で目を潤ませ、パドマは待ちきれない様子で体を弾ませていた。

 

 自室から日記帳を取りに戻り、クローディアは足早に廊下を歩く。

「戻ってきたの?」

 背後からかかる夢見心地な声、一瞬、驚いて振り返る。

「ラブグッド。ベッロの話を聞いたさ?」

 出来るだけ優しい声で、ルーナに返す。しかし、彼女は否定の意味で首を横に振る。細く幼い指は、クローディアの手元にある黒い日記帳を指差した。

「それ、危ないよ。捨てないといけないもン」

 浮つきの消えたハッキリとした口調は、深く胸に届く。クローディアは手にある日記帳をルーナに見せつけた。

「これが何かわかるさ?」

 視線を日記帳からクローディアに転じたルーナは、神託を告げるように慎重な頷きを見せる。

「あの子が持ってたよ。それ、危ないから捨てるように言ってたんだもン。あの子、捨てたから安心してた」

 心臓が大きく脈打った。

 ルーナの視線、クローディアの後ろを見ている。勢いをつけて振り返った。

 曲がり角から、こちらを見ていたジニーと目が合う。焦った彼女はその場から駆けだした。

「あの子って……ジニーがこれを?」

 確認してくるクローディアに、ルーナはゆっくり頷いた。

「ありがとう」

 急いでジニーを追いかけた。

 

 曲がり角の向こうにジニーの姿はなかった。空き教室や女子トイレを覗いて、クローディアはジニーを探した。

 一度、グリフィンドール寮に向かおうと決めた。

「ミス・クロックフォード、少しお時間を頂きたい」

 いきなりロックハートが声をかけてきた。無視しようとしたが、クローディアの腕を掴み、彼は空き教室に連れ込んだ。何故だが、彼は焦るような笑みを浮かべていた。

「私は急いでいます。後にして下さい」

「小耳に挟んだんだが、君は私の本に不満があるそうじゃないか? まるで私が書いていないみたいに他の生徒に吹聴していると聞いたよ」

 くだらない話題だと、クローディアは舌打ちする。

「そんなどうでもいいことに私を引き止めないで下さい。ええ、言いましたよ。だって、その通りじゃないですか? どの本もまるで他人の体験談を書いているようにしか思えないんです! だって、あなた自身が魔法を成功させるところは、一度も見ていないのですよ。あなたに教わるくらいなら、フィルチさんが先生をしてくれたほうがいいです。あの人なら、魔法を使わずに闇の魔法使いと相対できるでしょうからね!」

 これだけの罵詈雑言を受ければ、ロックハートは怒りを通り越して呆れると考えた。実際、彼は黙りこくっていた。

 さっさと、クローディアは空き教室を出ようした。乱暴に出ようしたので肩が扉にぶつかり、ローブから手鏡や日記帳が落ちる。拾おうとした一瞬、動きをとめた。手鏡に映るロックハートが杖を構えていた。

 身の危険を感じたクローディアは、反射的に杖をロックハートに突きつけて唱えた。

「エクスペリアームズ!(武器よ去れ)」

 クローディアの行動が早く、ロックハートの杖は弾かれた。そのまま杖は教室の奥へと飛んで行った。

 襲われかけた焦燥感の中、頭は不思議に冴えていた。

「まさか……本当に他人の話をでっちあげたんですか?」

 ロックハートは引き攣った笑みを返した。まるで、罪を暴かれた罪人のような笑い方だった。

「じゃあ、あんたから手柄を取られた人達は……どうした?」

 ロックハートの喉から唾を飲み込む音がした。それだけで、何らかの形で本当の英雄達は始末されたのだと悟った。それどころか、真実に気付いたクローディアを口封じの為に、杖を向けた。

「……最低……」

 後ずさりしながら、ロックハートから距離を取り続けた。

「校長先生に話す。あんたなんか、学校から追い出してやる! そうさ、アズカバンにでも行くさ! そこで罪を償え!」

 魔法使いの監獄、アズカバン。

 その名を聞き、ロックハートは息苦しそうに喘ぎ出した。そして、奥にある自分の杖を取りに走りだした。

 背を向けられた隙を突き、クローディアは空き教室を飛び出した。床に落ちていたはずの日記帳と手鏡がなくなっていることに気付かずにいた。

 

 誰でも良いので人を見つけようとした。そういう時に限り、誰にも遭遇しない。フィルチでも幽霊でも、この際ならピーブスでも構わない。激しい動悸のままに、クローディアは疾走した。そのせいで曲がり角の向こうにいたハーマイオニーとぶつかった。

「クローディア、何処に行っていたの? 探したのよ」

 心配そうなハーマイオニーを目にした途端、脈が穏やかな心音に変わっていく。全身が安心しているのだとクローディアは、深呼吸する。

「日記帳は持ってきた?」

 指摘されて、気付く。

「あ、鏡と一緒に落としたさ」

「まあ、駄目よ。鏡はちゃんと持ってないといけないわ」

 そういってハーマイオニーはポケットから手鏡を取りだした。何気なく、2人は手鏡を覗きこんだ。

 瞬間に2人は震え上がった。背後に巨大な鱗を持った蛇の顔が蠢き、金色の瞳が鏡を通じてクローディアとハーマイオニーを見ていた。

 悲鳴を上げる間もなく、2人の思考は途絶えた。

 

☈☈

 その頃、ハリーとロンは周囲を警戒しながら約束の場所を目指していた。ハーマイオニーはクローディアを迎えに行ってしまったので、男の子だけでお手洗いに行くことが恥ずかしいからだ。いくら、何度も利用したといっても彼女達がいたからに過ぎない。

 何の前触れもなく、ハリーは氷のような冷たい声が這いずるのを聞いた。

[今度は……殺す……引き裂いて……八つ裂きにして]

 恐怖で慄き、ハリーは叫ぶ。

「あの声だ!」

「え! じゃあ、怪物が近くに!?」

 ロンは狼狽し、咄嗟に折れた杖を構えた。

「とにかく、約束の場所に行こう。2人ともいるはずだ!」

 誰に見られるのも構わず、ハリーとロンは急いだ。

 しかし、お手洗いの前にはモップを手にしたフィルチが床を磨いていた。

「なんで、こんな時に」

 歯噛みするロンをハリーは叱った。

「あそこにフィルチがいるなら、2人もいないよ。僕らもレイブンクロー寮に、行けないね。場所知らないから」

 行き詰ったハリーが右往左往している。

「あ、ハリー! ロン! 良かった!」

 喜んだ声でネビルが2人の後ろから声をかけてきた。フィルチから隠れていたため、思わずロンがネビルの口を塞いだ。

「なんだよ、ネビル!」

「大変だよ! とにかく来て! 本当に」

 理由も話さず、ネビルはハリーとロンの腕を引っ張った。あまりにも強い力に、2人は抗えなかった。引きずって連れられたのは、医務室だ。

 医務室の前にいたマクゴナガルが凄まじい形相で、ハリーとロンを見た。叱責を受ける気がし、反射的に2人は背筋を伸ばした。

「御苦労さま。ミスタ・ロングボトム。もうお行きなさい」

 ネビルは医務室を一瞥し、黙ってマクゴナガルに従った。

 ネビルがいなくなると、マクゴナガルから厳格さが消えて憐れんだ瞳でハリーとロンを見下ろした。こんなにしおらしい教頭は、初めて見た。

「2人に見せたいものがあります、少しショックかもしれません」

 椅子にフリットウィックが座っていた。彼はハリーとロンを見て、マクゴナガル同様に憐れんだ眼差しを向けてきた。

 その理由がすぐにわかった。寝台に、クローディアとハーマイオニーが横たわっていた。生き生きとしていた2人の姿が彫像のように変わり果てた。

「ハーマイオニー……、クローディア……」

 ハリーの体中にある臓物が大きく痙攣した。驚くことも忘れたロンは、力なく口を開くしかない。

「廊下で倒れているところをロックハート先生が発見しました。最近、生徒の間で鏡が流行っているそうですが、それも2人と一緒に落ちていたそうです」

 マクゴガナルの説明が、ハリーの耳には他人事のように聞こえる。それでも頭は、状況を整理していた。

「先生、鏡の他に何か落ちていませんでしたか?」

「いいえ、何も」

 クローディアはトム=リドルの日記を持っていたはずだ。それが彼女の傍にないなら、誰かが持って行ったに違いない。もしかすると、日記帳を取り戻す為にクローディアは襲われた可能性がある。

 次に耳を直撃したのは、廊下から医務室に近づく声であった。

[あいつだ、現れた。近い]

「ベッロ?」

 ハリーが振り返れば、スネイプが血まみれのベッロを抱えて入ってきた。すぐにマダム・ポンフリーが空いた寝台を勧めた。スネイプは割れ物に触るような繊細な手つきで、ベッロを寝台に寝かせた。

「スネイプ先生、何があったのです?」

 血に汚れたベッロを目に、マクゴナガルが不安そうに口元を押さえる。

「我輩にも、検討がつかん。突然暴れだし、硝子を突き破ったのです。破片で体が傷ついたのも構わず何処かに向かおうとしておりました」

 スネイプは、興奮したベッロに手をやり、落ち着かせようとする。 

 ハリーには検討がついていた。先程の声を聞いたベッロが、居ても立ってもおれず行動に出ようとしたのだ。やはり、怪物はバジリスクかもしれない。だが、巨大な蛇が城を闊歩する方法だけが思いつかない。それについて、ハーマイオニーが何かに気付いていた。

 厳しい表情でスネイプは、クローディアが横たわる寝台を一瞥する。

「マダム・ポンフリー、すぐにミス・クロックフォードを囲んで頂きたい。いまのベッロには見せられん」

 カーテンがクローディアを囲った。

「さあ、もう行きましょう」

 マクゴナガルも重苦しく告げ、ハリーとロンの背中を押す。

[あいつが、誰かを襲う。あのときのように]

 ベッロは、ただ叫ぶ。その度に傷口から血が溢れてくる。

(もう襲われた……、襲われたんだよ……)

 クローディアが襲われたなどと、言えるわけがない。胸が苦しくなり、ハリーは耳を塞いでベッロの声を遮断する。

 グリフィンドール寮の談話室までマクゴナガルに送ってもらったが、激昂したベッロの声が、ハリーの耳元を付き纏っていた。

 

☈☈

 職員室に集合した教職員一同は、ダンブルドアから新たな犠牲者2人の報せに言葉を失った。

「そんな、あんまりだ! ドリスが不憫すぎる!」

 沈黙の後、ハグリッドは巨体を濡らして泣き喚く。

「落ち着くのじゃ、ハグリッド」

 ダンブルドアが優しく窘める。

「もうすぐ、マンドレイクが成熟します。そうなれば、ミス・クロックフォードも他の子も…ミセス・ノリスも元通りですよ」

 スプラウトがフィルチを一瞥してから、温厚な声でハグリッドの大きな背を撫でる。

「グレンジャーとクロックフォードのご家族には、どのように?」

 マダム・フーチが震える手を握り締める。

「真実を報せるのじゃ。『蘇生薬』の件も含めてな。さて、こうなってしまっては、理事会が干渉してくるじゃろう。皆、どんなことがあっても、動じてはならん」

 見透かした蒼い瞳が職員室を見渡した。誰もがその瞳を真っ向から、受け止めた。フィルチさえもダンブルドアと目を合わす中、ロックハートは俯き加減で口元を隠していた。薄く笑う唇を隠すためだと、誰も気づかない。

 ただ1人、ダンブルドアだけがロックハートの様子に勘付いていた。

 

☈☈

 ハグリッドは、重く寝台に腰掛ける。

(アラゴグが怪物のことを話してくれりゃ……、いや、ダメだ……。魔法省はアラゴグを信じてくれねえ)

 見るとはなしに、食卓を見つめる。そこでクローディアとハーマイオニーの談話している姿が浮かんだ。

 最後に話をした時、クローディアはクィレルから手紙の返事が来たと喜んでいた。ハリーとロンは彼女がクィレルと手紙のやりとりをしていることに驚いていた。

 無邪気なクローディアの笑顔がかつての親友ボニフェースと何度も重なった。

(やはり、アラゴグがあの時、恐れてたヤツと同じなのか?)

 嘆息するハグリッドを心配したファングが、小さく鳴き声を上げる。ファングの頭を撫でながら、遠い昔の日々を思い返す。

 ホグワーツに入学して間もない頃から、同級生からの小さな嫌がらせを受けることが度々あった。ハグリッド自身は、それを気に留めてなどいなかった。

 魔法学校の魅力や、『暗黒の森』の住人達との関わり合いが楽しかった。

 ある日、ハグリッドの教材が湖に投げ捨てられていた。巨大イカに食われる前に、教材を回収しようとした。しかし、巨大イカは思いのほか邪魔してきたので、少し時間をかけて格闘した。

 奮闘の末、巨大イカはハグリッドに服従の意を示した。

〝すごいじゃないか!〟

 木々の陰から、ハグリッドには劣るがそれなりに長身の上級生が興奮したように弾ませながら、姿を見せた。

 その足元には一メートルにも満たない紅い蛇が寄り添っていた。

〝どうやって手懐けたんだ? カッコイイな!〟

 駆け寄ってくる上級生の瞳は、炎のような温かさを持った赤だ。

〝俺、ボニフェース=アロンダイトだ! ハッフルパフだ! おまえはルビウス=ハグリッドだろ! 知っているぞ!〟

 屈託のない笑みに、ハグリッドの胸中は不思議な安堵感に包まれた。

〝……そうだ。俺は、ルビウス=ハグリッドだ〟

 出来るだけ胸を張ったが、緊張して声は震えていた。

 構わず、ボニフェースは紅い蛇を抱き上げた。蛇は鎌首をもたげて、ゆっくりお辞儀した。

〝こいつは、アグリッパだ。カッコイイだろ? 俺がつけた名前だからな〟

 歳も寮も違うというのに、ボニフェースは生徒の中で最もハグリッドを対等に扱った。そして、退学が決まった日、悲しみ惜しんだのも彼だけだ。

〝ルビウス……、ごめんな。俺、何の力にもなれなくて……〟

 我が事のように涙してくれるだけで、ハグリッドは十分だった。

 ファングの呻き声で、我に返ったハグリッドは頭を振る。

(蘇生薬が出来るまで、医務室だけでも守らねえとな)

 深呼吸をし、ハグリッドはボーガンの手入れを開始した。

 

☈☈

 レイブンクロー寮の談話室は生徒で犇めき合い、幽霊も壁の絵もフリットウィックからの決定事項に耳を傾ける。

「全校生徒は夕方6時までに、各寮の談話室に戻ること、例外はありません。授業は全て必ず先生1人が引率します。食事は談話室で行います。今後、如何なる部活動も休止と致します」

 『灰色のレディ』がフリットウィックの頭上で浮かぶ。

「それはいつまでなの?」

「一連の事件の犯人が捕まるまでです。それが成されない場合、学校の閉鎖もありえます」

 項垂れるフリットウィックに誰も何も返さなかった。

 フリットウィックが談話室を去ってから、しばらく沈黙が続いた。

 ロジャーは、クローディアの襲撃を知らされてから真っ青な顔色で壁にもたれ続けていた。これ程まで落ち込んだ彼に、相応しい慰めの言葉が思いつく者などない。ペネロピーは他の監督生と目を合わせ頷きあう。

 7年生の監督生が立ち上がる。

「大体の人間が、ハリー=ポッターを犯人と決め付けていたことは知っている。俺もそうだ。だが、クロックフォードは、去年、彼と共に『例のあの人』に立ち向かった、いわば戦友だ。故にハリー=ポッターは犯人ではない。いま最も怪しいのは、スリザリン生だが、こんな時だからこそ、スリザリン生との揉め事は起こさないようにするんだ。先生達も気を張り詰めているので、余計な諍いは迷惑になる。最低でも、スプラウト先生のマンドレイク薬が出来るまでだ!」

 監督生の演説に、疎らな拍手が起こった。

 だが、ルーナは手が取れるのではないかと思う程、激しく拍手する。それに対し、1年生は奇異の目で、ルーナを軽視する視線を送っていた。

 

 その日の内に、理事会の申し出でダンブルドアが学校を不在になった。ハグリッドも過去の件から魔法省に容疑をかけられ、アズカバンに送られた。

 復活祭の休暇は、休暇とは言えなかった。寮と図書館以外は何処にも行けず、2年生は3年生の選択科目を決める時期だが、学校が閉鎖の危機に立たされた状態でハリーはマトモに選ぶ気にもなれなかった。休暇中にハグリッドがくれた蜘蛛のヒントを辿ろうにも、今は身動きが十分に取れない。碌に探すことも出来なかった。

 新学期になり、教職員の引率がしやすくするため、全校生徒の授業の時間割が大幅に変更された。

 『魔法薬学』の授業は不気味な程、静まり返っている。

 ハッフルパフはジャスティン=フィンチ‐フレッチリー、レイブンクローはクローディア=クロックフォードの2人を欠き、教室にいる生徒達の気分が沈んでいるのもある。

 一番の理由をパドマは、クローディアを叱咤するスネイプの声がないことだと踏んだ。

 スネイプの授業は緊張するが、ほとんどはクローディアに注意が行くので多少は気が楽だった。

 今は違う。いつ誰がスネイプの逆鱗に触れるのか、わからない。

 これは一種の精神的拷問でもある。

 エロイーズが粉の分量を間違えていることに気づき、急いで測り直していた。だが、スネイプは獲物を見つけた獣のように、間髪いれずに注意した。

 その様子に竦んだサリーが火の加減を強くしたので、大鍋から焦げた匂いが教室に充満した。

 授業後、全員集中力を使い果たしていた。重い足を引きずりながら、スネイプの引率で地下教室を出る。

「クロックフォードがどれだけ必要かよくわかったよ」

 スネイプに聞こえないように、ザカリアスがアーニーに耳打ちする。

「そういう問題か? 必要とか、そういうことは関係なく、元気になって欲しいと思うけど?」

 悪態付くアーニーに、ザカリアスは肩を竦める。

「それよりも、僕はハリーに次に会うときは、謝らないといけない。彼がハーマイオニー=グレンジャーを襲うなんてことはない」

「やっと、わかったにえ?」

 エロイーズが嘆息する。

「ハリーはクローディアの言うとおり、犯人じゃなかったのよ。やっぱり、……ドラコ=マルフォイかしら? 彼はベッロを執拗に狙ってたし」

 慌ててスーザンが、ハンナの口を塞ぐ。

 瞬間にスネイプの視線が振り返ったので、全員素知らぬ顔で口を閉ざした。

 

☈☈

 午前の授業を終えたスネイプは医務室へと赴く。扉を叩けば、マダム・ポンフリーが緊張した声で相手を確認する。校医は慎重に周囲を警戒し、スネイプを招き入れた。

「ベッロの具合はどうなっておりますかな?」

「傷は全て消えました。もう大丈夫でしょう。もともと、鱗が一枚切れた程度だったのが幸いです」

 肝心のベッロは、用意された寝台にいない。クローディアの寝台に目をやれば、その下でトグロを巻いている。

「確かに、問題はないようですな」

 寝台の下を覗き込むスネイプは、小さく息を吐いた。ベッロに手を伸ばすが、無視された。

「もうしばらく、安静にしておればよいものを」

「傷が治ってから、ずっとこの調子です。余程、悔しかったんでしょうねえ」

 哀れむマダム・ポンフリーは、ベッロの餌皿を寝台の下に置いた。皿には、ベッロの好物のネズミのから揚げだ。目を輝かせたベッロは、一口で平らげた。

「本当に、問題ないようだ」

 起き上がったスネイプは、石化したクローディアを一瞥する。生気なく硬直した少女は動き出す気配もない。ベッロはこれを守っている。

(……ポッターなどと、関わるからだ。愚か者め、コンラッドの娘なのだぞ……もっと慎重にせんか)

 スネイプは目を閉じる。瞼の裏にはコンラッドの姿が浮かんだ。彼が歩くと、その後ろをベッロが着いて行く。それが当たり前の光景だった。

〝セブルス、知っているかい? こいつはね、敵味方の判断が付くんだ。僕らの敵をベッロは判別できるんだよ。だから、こいつが危険を感じるところには絶対に行っちゃいけない。命の保証はできない。だから、あのルーピンが月に1度、何処に行こうとしているかなんて、気にしちゃダメだ〟

 思わず顔を顰めるスネイプは、瞼を開く。マダム・ポンフリーに声をかけられるまでクローディアをただ見つめ続けた。

 

☈☈

 パドマがリサ、サリー、マンディ、セシルと図書室で試験勉強に勤しんでいた。ハンナが周囲を警戒しながら、パドマ達の席に腰掛けた。

「『薬草学』のときに、ハリーがロナルド=ウィーズリーと相談しているのを聞いちゃったの。彼ら、何か探ってるみたいよ」

 声を顰めるハンナに、パドマは真剣な表情で宙を見やる。

「多分、ハグリッドの無実を証明しようとしてるんだわ。私もハグリッドは違うと思う。あの人、ベッロがとても懐いていたから」

 急にリサが体を跳ねらせる。

「ベッロは犯人に心当たりがあるのでは、ありませんか? クローディアが襲われた日、箱を壊すほど、暴れたと申されていました」

「そうよ、ジャスティンが襲われたときも教室から抜け出した! きっと、犯人が近くにいたから」

 声が大きくなったサリーは、マダム・ピンズの視線に口ごもる。

「でも、私に何が出来る? マンドレイクの成長促進させる? 蘇生薬を作る? 蛇と話す?」

 マンディの言葉に、4人は勢いよく振り返る。

「ハリー=ポッター」

 セシルの呟きに、5人の考えは一致した。

 




閲覧ありがとうございました。
主人公がログアウトしました。次回から、ハリー視点でお送りします。


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12.秘密の部屋

閲覧ありがとうございます。
ハリーと蛇の冒険が始まります!

追記:17年3月5日、誤字報告により修正しました。


 子蜘蛛の群れを追い、『暗黒の森』でハリーとロンは老蜘蛛アラゴグと遭遇した。アラゴグは、50年前に殺された女子生徒はお手洗いで発見されたと教えてくれた。そして、容疑がかかる前にハグリッドがこの森にアラゴグを隠したらしい。

「怪物の正体は、バジリスクですか?」

 そうハリーが尋ねた途端、アラゴグは子供達に襲うよう命じた。2人は死に物狂いで逃走した。途中で行方不明のロンの車がなければ、逃げ切れなかっただろう。

 

 命からがらハリーとロンは、自室の寝台に倒れこんだ。

 ロンは最も苦手な蜘蛛に囲まれ、疲労困憊し眠りに落ちそうになった。しかし、寸でのところでハリーの小さい声が、ロンを叩き起こした。

「殺された子はトイレで発見された。いまもそこにいるとしたら?」

「まさか……『嘆きのマートル』?」

 暗闇でハリーは、慎重に頷く。

「いまはあのトイレに行くのは危険すぎる。先生の警戒の目もある。だから、ベッロに会おう」

「でも、相手は蛇の王だろ? ベッロは同じ蛇だぜ。立ち向かえるかな?」

 素朴なロンの問いに、ハリーは気付く。

〝あいつが来た〟〝あいつが、誰かを襲う。あのときのように〟

(50年前……ベッロはこの学校にいて……殺されるところ見た。もしかして、ベッロはマートルの使い魔だった?)

 突然、脳裏に『太った修道士』がくれた言葉が甦る。

〝噂が本当なら、彼の者が全てを語るだろう〟

 ハリーの噂には『パーセルマウス』のことも含まれている。つまり、『太った修道士』はベッロから事の詳細を説明してもらうように示していた。

(簡単なことだ!)

 興奮して、ハリーは寝台から起き上がる。床に投げ捨てていた『透明マント』を被ろうとしたが、体は重石をつけたように鈍くなり、再び寝台に倒れた。

 

 

 談話室で朝食と摂りながら、ハリーとロンは窓際で声を顰め、医務室に忍び込む時間を相談した。

「夜はもう無理だ。マダム・ポンフリーが医務室を施錠している」

「今日はロックハートの授業がある。適当に言い訳してサボろうか?」

 ロンの提案に呻いていると、ジニーが落ち着かない様子で2人に歩み寄ってきた。

「な……なんの話してるの?」

「ハーマイオニーとクローディアのお見舞いの話、全然行けないから、どうしようかなって」

 誤魔化すためロンが答えると、ジニーの頬が怒ったように紅潮する。

「そう、うんわかった。ゴメンなさい。邪魔して」

 全身を小刻みに震わせ、ジニーは乱暴に女子寮の階段を登って行った。

「なんだ、あいつ?」

 呆れるロンに、ハリーは肩を竦める。

「おい、ハリー」

 今度はフレッドとジョージが、珍しく緊張を含めた表情でハリーとロンの傍に寄ってきた。

「さっき、トイレでレイブンクローの2年生から預かった。ハリーに渡せって」

 フレッドがローブから見慣れた虫籠を取り出す。その中には、ハリーとロンが待ち望んだベッロがトグロを巻いている。

 歓声が出そうになり、ジョージが2人を咎める。

「これを渡してくれたマイケル=コーナーから、伝言。『僕らはハグリッドが犯人だと思ってない』だと、そいつ朝からグリフィンドール生が来るのをトイレで待ってたんだぜ」

 フレッドがイタズラっぽくウィンクする。

 ハリーは虫籠を手にし、嬉しさで目頭が熱くなるのを感じた。

 ネビルとシェーマスに『闇の魔術への防衛術』を欠席する旨を伝え、ハリーとロンは自室に戻る。聴覚を働かせ、寮から生徒の気配が完全に消えるのをひたすら待つ。やがて、物音ひとつしなくなり、ロンが誰もいなくなったことを確認した。

 虫籠の蓋を開けるとベッロが周囲を見渡し、警戒なく体を出してきた。

「ベッロ。僕達、君に聞きたいことがあるんだ」

 怯むようにベッロは身体を竦めた。

[なんだ?]

「君は最初から、怪物がバジリスクだと知ってたんだね? なら何故、僕に教えてくれなかったの? 僕が話せること、知ってたはずだろ?」

 詰め寄られたベッロは、項垂れる。

[約束があった。言葉のわかる人間と口を利かない。約束は守る。いまは、事態がそれを許さない。奴のことを話していればよかったと思っている]

ハリーはベッロの喉を撫でながら、質問した。

「誰と約束したの?」

[主人の友達、主人はあいつを友達としていた。なのに、主人は殺された]

 あいつとは、おそらく『継承者』のことだ。

「僕らはアラゴグに会いに行って、50年前の話を聞いた。殺された女子生徒の名はマートルで間違いない?」

[そう、主人は彼女の死を悼んでいた。昨日ように思い出す]

 鎌首をもたげるベッロに、ハリーは眉を寄せる。

「マートルは君の主じゃない? じゃあ、誰なの?」

[主人は主人]

 首を傾げる動作をするベッロに、ハリーは頭を抱えた。ベッロには名を呼び合う概念がないことに気づいたからだ。これでは人の確認が出来ない。仕方なく質問を変えた。

「『秘密の部屋』の場所は知ってる?」

[わからない、でもあの場所でいつも気配が消える。おまえたちが薬作っていた場所だ。あいつはそこからパイプを使っていた]

 ロンは蛇語で会話するハリーとベッロを交互に見やる。人語ではない会話はロンに焦燥を煽り、寝台に腰掛けて会話が終わるのをただ待った。

 突然、ハリーはロンに向かって叫んだ。

「パイプだよ! バジリスクは、パイプの中を移動していたんだ。これで全ての辻褄が合う! マクゴナガル先生に教えよう! きっとわかってくれる!」

 ベッロを虫籠に入れ、2人は急いで談話室を出た。

 

 授業中のせいか、廊下で誰とも擦れ違うことなく、職員室に着いた。

「誰もいないな」

 ロンが職員室を見渡した瞬間、マクゴナガルの拡声が城中に響き渡った。

《生徒は速やかに寮に戻りない。先生達は大至急職員室にお集まり下さい》

 見つかれば、寮に戻されると悟った2人は洋服箪笥に隠れた。

 騒音がしばらく続き、職員室に教員が集合し、マクゴガナルが扉を閉めた。

「恐れていた事態です。『継承者』がまた伝言を残しました。生徒が攫われたのです」

 恐怖でフリットウィックは小さく悲鳴を上げ、スプラウトは口元を覆う。

「生徒達を家に帰しましょう。ホグワーツはもうお終いです」

 今まで見たこともない程、憂いの帯びたマクゴナガルに誰もが口を閉ざしていた。それなのに、空気の読まないロックハートが遅刻してきたので、全員の白い目が集中した。

「怪物に生徒が攫われました。あなたの出番ですぞ」

 冷たくスネイプに吐き捨てられ、ロックハートは狼狽した。

「わ……、私の出番?」

「昨夜、おっしゃいましたな。『秘密の部屋』の入り口はとうに知っていると?」

 急にロックハートの表情は、蒼白になった。

「決まりです。伝説的な貴方の力に期待しましょう。ギルテロイ」

 全然、期待をかけていない口調でマクゴガナルも告げる。

 ロックハートは笑みを浮かべて、宙を見やる。

「それでは、支度します」

 いつもの優雅な態度で職員室を去り、マクゴナガルは鼻を鳴らす。

「これで厄介払いができました。寮監の先生方は寮に戻り、生徒に荷物を纏めさせてください」

 椅子に腰掛けていたマダム・フーチが手を上げる。

「攫われた生徒は誰なんです?」

 その名をマクゴナガルは、重く告げる。

「ジニー=ウィーズリーです」

 洋服箪笥にいたハリーとロンは思考が停止した。

 職員室に誰もいなくなり、ハリーは絶望し打ちひしがれるロンを適当な椅子に座らせた。

[どうした? 行かないのか?]

 虫籠からベッロが顔を出す。

「ベッロ、『継承者』は誰なんだ? 君は知ってるだろ? 相手は僕のように蛇語が話せる!」

 ベッロを間近で見据えるハリーは、出来るだけ声を抑えた。

[あいつだ。でも、あいつは姿を見せない。だが、いる] 

「それじゃあ、わかんないよ! アラゴグのほうがまだマシだ! ちゃんと話せた!」

 不意にベッロは口ごもり、虫籠から這い出た。尻尾で職員室の扉を開く。

[では、そこにいろ。あいつを倒す。あの場所に必ず、あいつは現れる。二度と主人は奪わせない]

「待って! 僕も」

 行こうとしたハリーの服をロンが掴んだ。

「行こう、ハリー。ジニーを助けるんだ」

 歯を食いしばったロンは、我先にと職員室を飛び出した。

「ロックハートは役立たずだけれども、『秘密の部屋』を探すはずだ。僕らの知っていることを教えよう」

 意気込んでロックハートの部屋に乱入した。部屋は物が散乱し、旅行鞄には服や本が乱暴に詰め込められていた。

「どこに行くつもりです」

 呆然とするハリーに、ロックハートは笑顔を取り繕う。

「あの子から、聞いているだろ? 無理なんだ……私には」

 笑顔のまま狼狽するロックハートを見て、ハリーは怪訝する。

「あの子って誰ですか?」

「ミス・クロックフォードのことに決まっているじゃないか? あの子が君達に言ってしまったんだろ? だけど、君達は誰にも言わずにいてくれたじゃないか……」

 意味がわからず、ハリーはロンと顔を見合わせる。

「私が人の手柄を自分のモノにしていたことだよ! だって、そうしないと本は売れないんだ。わかるだろ?」

 信じたくない事実を聞いてしまい、ハリーとロンは絶句した。

「まさか、クローディアを襲ったのは、あなたなんですか!?」

 軽蔑の眼差しでハリーはロックハートを睨んだ。

「違う、あれは……あれは、私じゃない! ジニーだ。ジニー=ウィーズリーがやったんだ! 嘘じゃない! あの日、クロックフォードは校長に言いつけると言うので止めようとした。私は、追いかけた。そしたら、ジニーが……私に「もう大丈夫ですよ。あの人は口が利けなくなりました」と言ってくれて……。その後、2人の哀れな姿を発見したんだ。私はピンと来たね。『継承者』はジニーだと」

「嘘だ! 僕の妹だぞ!」

 青ざめたロンはロックハートに掴みかかろうとした。ロックハートが杖をロンに向けた瞬間、ハリーが唱えた。

「エクスペリアームズ!(武器よ去れ)」

 ロックハートの弾かれた杖をベッロが銜えた。そのままベッロは、虫籠に戻った。杖を失ったロックハートは、旅行鞄にしがみ付いてハリーとロンを視界に入れる。

「ジニーは連れ去られたんだ! 一緒に来て貰いますよ。先生?」

 ハリーはロックハートに杖を突きたて、ロンは虫籠を持ち、廊下を進んだ。

 

 ミセス・ノリスが襲撃された現場の壁に文字が書き足されていた。

「彼女の白骨は永遠に秘密の部屋に横たわるであろう……」

 読み終えたロンは、半泣きになったが堪えた。2人は急いでロックハートを『嘆きのマートル』のお手洗いに押し込んだ。

 『嘆きのマートル』は、普段通り宙をさ迷い呻いていた。ハリーを見た瞬間、彼女は嬉しそうに表情を綻ばせた。

「あら、ハリー。何の用?」

 虫籠から這い出てきたベッロを目にし、『嘆きのマートル』は慌てて個室に逃げ込み、泣き出した。

「どっかにやってよ!」

「君はベッロを知らないの?」

 ハリーの問いかけに『嘆きのマートル』は悲鳴を上げる。

「知らないわよ!」

 個室から甲高い泣き声が響き、ロンとロックハートは騒音に耳を塞いだ。

[放っておけ。あいつは、主人のことを覚えていないのだ。いや、知らなかったというべきか]

 『嘆きのマートル』を余所に、ベッロは洗面台の蛇口を這い出した。

 ハリーは目でベッロを追いかけている内に、銅製の蛇口の脇に小さな蛇が彫られているのを認識した。

「そこは壊れてるわよ」

 何故か、機嫌を直した『嘆きのマートル』は自身の死亡原因の詳細を語った。

「私、友達に眼鏡のことでからかわれて、ここで泣いてたの。そしたら、誰かが入ってきたの。その人、そこでよくわかんない言葉で喋ってた。だから、私、出てって叫んだの。……そしたら、死んでた」

「ハリー、蛇語で何か言ってみて」

 提案したロンは虫籠を戸の隅に置き、折れ掛けた杖をロックハートに向けた。

 深呼吸し、ハリーはベッロを見やり呟く。

[開け]

 

 ――ガコン。

 

 作動音が部屋中に響き、洗面台が動き出した。ベッロは思わず、ハリーに絡まった。底の見えない空洞が現れ、ロックハートは緊張し息を吐く。

「素晴らしいよくやった」

 引きつった笑いを見せて立ち去ろうとするので、ハリーは容赦なく穴に蹴り落した。

 低い悲鳴が続いたと思うと、重く鈍い音が木霊した。

「実に酷い、汚い」

 悪態を付くロックハートの感想を聞き、ハリーとロンもそれに続こうとした。

「ハリー、もし死んじゃったら、私のトイレに住まわせてあげる」

 奇妙に上機嫌な『嘆きのマートル』の誘いに、ハリーは苦笑した。

 

 湿気に満ちた石のトンネルを進み、巨大な蛇の抜け殻を目にした。

「うげえ、でっか……。これじゃあ、ベッロなんてミミズだよ」

 ハリーとロンは気を取られた。

 その隙をついてロックハートは、ロンから杖を奪った。杖を手にした途端、ロックハートは優位に立ったように胸を張る。

「さて、英雄ごっこはここまでにしてもらおう。私がこれまでどうやって、証人を消したと思う? 私は『忘却術』だけが得意中の得意なんだ。忘れてもらうよ。何もかもね」

 『忘却術』をかけようとしたが、折れた杖は逆噴射を起こした。しかも強力な術をかけようとしたせいで、その分も衝撃となりロックハートは壁に衝突した。

 古い石のトンネルでそんな風に暴れれば、周囲は崩れ出す。天井から岩が降り注ぎ、ハリーとロンとの間が塞がれてしまった。

[何処までも役立たずだ]

 ハリーの傍に居たベッロが嘆息する。

「僕、この岩を崩してみるよ」

 ロンは崩れた岩を退ける作業に専念することになった。

「僕らは行こう。おいで、ベッロ」

 ベッロは素早く地面を這い進む。遅れないため、ハリーは足元に気をつけながら小走りで追いかけた。

 

 進んだ先には、蛇の彫刻を模した扉がはめ込まれていた。ベッロが警戒するように扉を威嚇している。ここが『秘密の部屋』への入り口だと感じ取った。

(この先か……)

 緊張と恐怖で、杖を持つ手が震えた。震える手を押さえ、ハリーは屈んだ。

 去年は最後までクローディアがいてくれた。だが、ここにはハリーとベッロのみ。バジリスクの大きさに比べれば、ベッロは小さすぎる。そして、もしかしたら『継承者』はジニーかもしれない。そうなれば、ジニーと相対しなければならないのだ。

 かつて、クローディアは突然変異で『パーセルマウス』が生まれても何の不思議はないと話した。僅かな可能性に不安さえも募る。

[怖いか?]

 問いでも責めでもない優しい声が、ハリーの耳に届く。いつの間にか、ベッロがハリーと同じ目の高さにいた。紅い瞳の眼差しが心を落ち着かせていく。暗闇で、ハリーの杖の明かりしかない場所で、ベッロの赤は強く強調される。

 ハリーはベッロを初めて美しいと感じた。

 グリフィンドールの寮色は赤と金だ。ベッロの赤は、勇敢であり勇猛さを表している。

「大丈夫だよ」

 微笑むハリーの手の震えは、止まっていた。

 

 扉の向こうは湖の底であることを忘れさせる壮大な下水路であった。何処からともなく光を貰っているため、明かりは十分である。ハリーは杖の明かりを消した。

「ノックス(消えよ)」

 石造りの床は湿っており、ベッロはその身を滑らせて進んでいく。左右対称の蛇の柱を見たベッロは、気持ち悪さに吐く真似をした。

「バジリスクはいる?」

 周囲の不気味さに、身を竦めるハリーはベッロに尋ねる。

[いる。何処からでも現れる。気を張り詰めろ]

 ハリーは杖を構えたまま、ベッロの後ろを歩く。

「あれは……、ジニー?」

 下水路の奥に巨大な石の顔像がある。その手前でジニーが黒い日記帳を手に床に伏していた。

 小さく悲鳴をあげハリーは、急いでジニーに駆け寄った。その頬に触れてみれば、彼女は血の気も無く、氷のように冷たい。

[気をつけろ、あいつだ!]

 全身を大きく唸らせたベッロは、顔像の更に奥に向かって威嚇する。

 唾を飲み込んだハリーは、片手でジニーを抱きあげる。ベッロの威嚇する方角に向かい、ハリーは杖を突きつけた。

「そうか、アグリッパ。君か……、名前が変わっていたから気づかなかったよ」

 丁寧で冷静な声が、暗闇から発せられる。

 現れたのは、日記帳の記憶に登場したトム=リドルであった。

「トム=リドル?」

 ハリーは気が抜けて杖を下ろすが、ベッロはより一層牙を剥き出しにした。

[よくも、現れた! 主人を殺した! 殺させた!]

 いきり立つベッロに、リドルは落ち着いた口調で返した。

「残念だが、僕はただの記憶でね。誰かが書き込んでくれないと新しい情報は得られないんだ。その点、ジニーは役に立ってくれたよ。色々な情報をくれた」

 世間話をする軽い口調に、ベッロは獰猛を露にする。蚊帳の外であるハリーは困惑し、リドルとベッロを交互に見つめた。だが、激昂したベッロを見れば、理解は出来た。

「まさか、君が『継承者』……? でも、君は学校を閉鎖から守るために、間違っていたけど……ハグリッドを捕まえたじゃないか……」

 ベッロとリドル。どちらも疑いたくなかった。

 突然、リドルの足がハリーの手を蹴り上げた。油断したハリーの手から杖が離れ、リドルはそれを奪い取った。

「何するんだ!」

「君にはもう必要じゃない」

 冷淡に告げたリドルは、杖をベッロに向ける。慌てたハリーは、ジニーを抱えたまま必死に声を上げる。

「やめろ!」

 ハリーを一瞥し、リドルは冷笑する。

「殺さないよ。アグリッパは、これから僕のモノになるんだ。ずっと、君が欲しかった」

 恋焦がれる眼差しを向けられ、嫌悪したベッロはハリーの後ろに隠れた。このやりとりでハッキリした。『継承者』はリドルだ。ハグリッドは嵌められたのだ。だが、まだわからない部分もある。ロックハートの言葉だ。

「ただの記憶である君が彼女に何をさせたんだ? どうして、ジニーはこんな……」

「至極簡単なことだよ、ハリー=ポッター。ジニーが弱まれば、僕が強くなる。ジニーは日記に、いや僕にいろいろな相談をし、心を開いた。それによって僕に魂を注ぎ込んでいるとも知らずにね」

 端整な顔立ちに似合わない歪んだ笑顔がハリーの背に寒気を走らせる。

「まさか……ジニーを操っていた?」

 慄いたハリーは、呻く。

 更に笑顔を歪ませたリドルは、軽く拍手した。

「正解だ、ハリー=ポッター。『スクイブ』の猫、3人の『穢れた血』、それにあの小娘にバジリスクを嗾けたのは、そのジニーだ。憑依ついたといえば、わかりやすいかな? ジニーは自分が知らない間に人を襲っていると気付いた。その原因が日記にあるんじゃないかと勘付き始めて、女子トイレに捨てようとした。そこに君が現れた! 最も会いたいと思っていた君に!」

 息苦しくなったハリーは、一歩、後退する。

「どうして僕に会いたかったの? ベッロの主人はクローディアなのに」

 リドルの視線はハリーの額の傷に釘付けになった。

「無能な小娘など、どうでもいい。僕の興味は君だよ、ハリー=ポッター。闇の帝王を赤子だったにも関わらずに退けた英雄くん?」

 小馬鹿にした口調だ。

「是非、君にも心を開いてもらおうと思って、間抜けなハグリッドの逮捕の場面を見せ付けてやったのに……君は僕の思い通りにならなかった」

「ハグリッドは友達だ! 君は彼を陥れた!」

 ハリーの口から、精一杯の声が飛び出した。

「あんな一週間に一回は問題を起こすヤツ、いなくなって当然さ。教師どもも手を焼いていた。そんな奴が『秘密の部屋』を暴いたなんて、そんな馬鹿げた話があるわけないだろう? それを優等生の僕が「あいつが犯人です」と言えば、ディペットじいさんを始め、誰も全く疑わなかった。どいつもこいつも、考えが足りないのさ」

 リドルは嗤いながら事件当時のことを語り、ハグリッドを嘲笑った。

「でも、『変身術』のダンブルドアだけは違った。ハグリッドを退学させたが、森番として教育させるようにディペットじいさんを説得した。それから、僕を監視するようになった。奴のせいで、僕は在学中に『秘密の部屋』を開く機会を逃してしまった……。だから、日記を用意するしかなくなったわけだが……」

 忌々しげに吐き捨てるリドルに、ハリーは笑みを溢す。

「先生は、君のことをお見通しだった。……ベッロも君が犯人だと知っていた。バジリスクと同じ蛇だから……でも、君以外に『蛇語』が話せる人がいないから、誰にも伝えられなかったんだ……」

 すると、リドルは口を「ちっち」と鳴らして人差し指を左右に動かす。

「君はアグリッパが如何に優れているか、全く、理解していない。『蛇語』を使わずとも、アグリッパはあいつと意思の疎通を完璧にこなしていた。……アグリッパは、あいつに僕が犯人だと伝えようとしていた。それを僕が口止めしたんだ。あいつの命が惜しければ、黙っていろとね。本当は僕の物になるように脅しても良かったが、……それじゃあ、アグリッパの信頼は得られないからね」

 喉を鳴らして笑うリドルは、ベッロに再び熱い視線を送る。

[貴様と約束したのは、主人と友達だったからだ! それを忘れるな]

 ベッロは吼えたが、リドルは頭を押さえ、狂い笑いを起こした。

「友達? 純血の誇りを捨てた愚かな男が、サラザール=スリザリンの末裔である僕の友達だと? 笑わせるな! 僕がヤツに付き合ってやったのは、アグリッパがいたからだ。僕に譲らせるように手を尽くしたが、それに気づきもしなかった鈍感だ! いつもヘラヘラ笑って僕が勉強を見てやらなかったら、ヤツはとっくに落第していた!」

 ハリーは目を見張った。

 先程までのリドルと雰囲気が異なっているからだ。

「なのに、僕の忠告を無視し、ハグリッドに感けだした。『暗闇の森』でハグリッドの真似をしてトロールと相撲をとって死に掛けるわ、ハグリッドと問題を起こしすぎてクィディッチの選手から外されるわ、『魔法薬学』では必ず爆発を起こしすぎて教師達から嫌われるわ、挙句に『穢れた血』を愛するわ。ついでに言おう、アグリッパの名前を決めた理由だ。単にカッコいいからだというくだらない感性だ!」

 その様子をハリーは何故か、年相応な少年と感じてしまった。

「純血のくせに、愚鈍のくせに彼は僕の思い通りにはならなかった! それが、ボニフェース=アロンダイトという男だ!」

 吐き捨てられた名は、用水路の壁に反響した。

 その名はハリーも知っている。日記帳に現れた男子生徒、ハグリッドの友達だ。

「あの人が、ベッロの主だった人……?」

 ベッロの言葉が確かなら、既にこの世にいない。

「しかし、死んだのか。いいぞ、僕はいつヤツが死ぬのか、楽しみで仕方なかった」

 ベッロに視線を送り、リドルは続けた。

「どうやって、死んだ? 僕に助けを乞うたか? 最後になんて言った? 君はその時、何をしていた?」

 裂けたように口を開くリドルに、ハリーは胸中が騒いだ。

 嗤っているはずのリドルの焦げ茶色の瞳から、一滴の涙が頬を伝って零れ落ちた。自らの頬を伝う水滴を理解できず、リドルは困惑した。

「なんだ、これは?」

 笑みが消え、リドルは頬を拭う。ようやく、それが涙だと気付いた。その涙はいくら拭っても、頬を濡らし続けた。

「友達だったんだ」

 ハリーは、決して同情などしない。

「君はボニフェースを友達だと思ってた。そうでないなら、涙は出ない! 愚かなのは、君だ! 友達を殺してしまったんだ!」

 今度は、ハリーの声が反響した。

 怒りに顔を歪ませ、リドルは杖を振るい出した。

「僕は偉大な魔法使いだ! その僕が人の死を哀れむものか! 悼むものか!」

 乱暴に杖を振るい、空中に言葉が書き込まれる。

   TOM MARVOLO RIDDLE(トム=マールヴォロ=リドル)

 その綴りは、並びを変えある名前に変わった。

   I AM LORD VOLDEMORT(私はヴォルデモート卿だ)

 その名を目にしたハリーの全身に電撃が走った。目の前のリドルが『例の人』と呼ばれて恐怖される闇の魔法使いになり果ててしまう。これで、リドルがハリーに興味を抱いた理由がわかった。未来の自分を凋落させるのだ。知りたくもなる。

「ベッロ……、君はリドルがヴォルデモートだと知っていたの?」

 詰め寄るハリーに、ベッロは目線を逸らす。

[ああ、知っていた……。気付いたのは、主人が死んで、ずっと後だ]

「この名は、僕がそれと相応しい学友達のみに教えていた。無論、ボニフェースなどには教えていない。同然だ。世界一偉大な魔法使いである名をあんな愚鈍に教えてなるものか!」

 高笑いするリドルをハリーは睨んだ。

「違う」

 地の底から這い出すハリーの声に、トム=リドルは顔を顰める。

「世界一の魔法使いはアルバス=ダンブルドアだ! 僕は知っている。おまえは僕に滅ぼされかけて、寄生虫のようになっていた!」

「そのダンブルドアは記憶に過ぎない僕によって、追放された!」

 否定するリドルの言葉を遮るように、ハリーは恐怖を消し去り、力の限り叫んだ。

「彼は君の思っているほど、遠くに行っていない!」

 瞬間、羽ばたきが起る。

 その場に、炎を翼に変えた如く深紅の不死鳥が飛び込んできた。

「フォークス……」

 歓喜で呻くハリーの手に、古い『組分け帽子』が落される。

「ダンブルドアが味方に送ってきたのは、そんなものか!」

 せせら笑うリドルにベッロが吼える。

[ハリーは独りではない!]

 瞬間、リドルの顔は落胆に満ちていた。

 その理由をハリーは、気づいていた。初めて、ベッロが人の名を呼んだのだ。

[ハリーは、ここまでくるのに、多くの仲間達から想いを託されているのだ! 貴様にはないものをハリーは持っている]

 確かにそうだ。一緒に『秘密の部屋』と『継承者』を調べてくれたクローディアとハーマイオニー。アラゴグのことを教えてくれたハグリッド。ベッロを託してくれたレイブンクロー生。それを運んだフレッド、ジョージ。ハリーとジニーの帰りを信じ、この瞬間も岩を削っているロン。フォークスを遣わしたダンブルドア。

 そして、ここまで着いてきたベッロ。

 それらがハリーの脳裏で通り過ぎる。自らの体の内から、湧き上がる感覚が手の先まで浸透する。恐怖が消えただけでなく、勇気が全身を支配している。

 ハリーは、ジニーを床に寝かせて『組分け帽子』を両手で握った。『組分け帽子』に入れていた手が硬い何かを掴んでいた。迷わず引き抜くと、邪を払いきらんばかりに美しい銀の剣が光を放つ。

「いいだろう、有名なハリー=ポッターと『継承者』たるヴォルデモート卿の決闘だ!」

 壊れたように笑い出すリドルがバジリスクを呼び出し、ハリーは真正面から相対した。

「ベッロは、ジニーの傍にいて!」

 ベッロはジニーの体に置かれている日記を銜え、リドルを見やった。恋人を見るような目つきでリドルはベッロと視線を絡ませた。

「ようやく、話せるね。アグリッパ」

 傍では、ハリーがバジリスクの牙を紙一重でかわし、フォークスがそれを手伝っている。

「ひとつ言い忘れていた。何故、あの小娘にバジリスクを嗾けたと思う? ジニーが、それを望んだんだ。去年の夏から、ジニーは彼女が大嫌いだった。ハリー=ポッターの傍にいることが煩わしいと、1日に1回は日記に書いていたさ。そして、ハリーから日記を受け取っている彼女を見てジニーは動揺と同時に激しく怒った。おまけにジニーの大好きな先生を学校から追放しようとした。『トム。あの女は寮も違うのに、どうしてハリーと友達面するの? ロンまで一緒よ。フレッドもジョージもあの女が好きみたい。私にはわかるわ』。まだあるよ。『あの女は、ハリーだけじゃない。あなたまで奪うつもりよ。それだけでも許せないのに、ロックハート先生を追い出そうとしていたわ。いっそ、あの女がいなくなればいいのに』とね。小娘が襲われたのは、紛れもないジニーの意思だ。『穢れた血』がいたのは、偶然だよ」

 ベッロはジニーを一瞥する。幼い少女の顔色から生気が抜けて青ざめていく。

「小娘は、もうすぐ薬で蘇生できる。でも、ジニーがいたら、いつか同じことが起こるかもしれない。違うかい? 未来の僕がボニフェースを死なせてしまったようだけど、今度は違う。君が僕の元にいてくれるなら、小娘の命は保障するよ」

 穏やかな笑みを浮かべ、リドルはベッロに触れようと屈みこむ。ベッロの紅い瞳から激昂は消えない。

[二度も騙されんぞ]

 ベッロは銜えていた日記をバジリスクに目がけて、放り投げた。

「やめろ!」

 それは命令ではなく、悲鳴であった。

 黒い日記帳は宙を舞い、ハリーに襲いかかるバジリスクの牙に貫かれた。日記帳は猛毒の牙による、穴から出血の如くインクがほとばしった。リドルは胸に光の穴が開いたと思うと、全身が光に飲まれた。断末魔の悲鳴と共に、その姿は跡形もなく消え去った。

 同時にハリーの銀の剣は、バジリスクの口蓋に突き立て、顔面を貫いた。バジリスクはしばらく、壁にぶつかり床でのたうちまわり、下水路は激しい振動を繰り返した。やがて、蛇の王は絶命した。

 ハリーは腕に猛毒の牙により、深い傷を負う。全身を巡る猛毒にハリーは、死の恐怖に震えた。しかし、その傷はフォークスの癒しの涙のお陰で完治した。

[良かった、ハリーは死なない。あいつは死んだ]

 寄り添うベッロに、ハリーはその喉を優しく撫でる。

「君が約束した相手って、トムのことだったんだ」

[そう、あいつ以外に話せる人間を見つけても話さない。約束のせいもあるが、ハリーがあいつと同じかもしれないと思ったこともある。それは間違いだった。すまない]

 ベッロの謝罪をハリーは受け入れた。

 立ちあがろうとしたハリーは、怪我は癒えても満身創痍である。すぐに足の力が抜けて座りこんだ。仕方なく、気力の回復を待とうとした。

「ハリー!」

 代わるようにジニーが起き上がり、小刻みに痙攣しながら涙を流した。

「ごめんなさい。謝って済むことじゃないけど、私、クローディアが襲われてしまえばいいって考えてたの。そしたら、本当に、ごめんなさい」

 そのまま、ジニーはリドルに操られていたことを滝のように吐き出して説明した。

「いいんだよ。ジニー、もう終わったことだ」

 どうにか起き上がったハリーは、ジニーに優しく手を差し伸べた。

 




閲覧ありがとうございました。
トム=リドルまで、蛇フェチになってしまいました。ベッロはヒロインではありません。
トムの台詞を映画版吹き替えの石田さんボイスで再生すると、気持ち良いです。


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13.補習

閲覧ありがとうございます。

追記:16年3月7日、16年10月3日、誤字報告にて修正しました。


 日付が変わろうとする時間。

 『変身術』の教室、ドリスはいた。傍には娘・ジニーの誘拐を知り、悲しみに打ちひしがれるモリー、それを宥めるアーサーだ。

 マクゴナガルに勧められ、3人は魔法で用意されたソファーに腰掛けている。

 ジニーが誘拐されたという報せが『隠れ穴』に届けられたとき、ドリスはモリーに昼食に招待されていた。

 報せに狼狽したモリーはそれでも冷静にアーサーを帰宅させた。ホグワーツに向かおうとしたので、ドリスも同行させてもらった。

 出迎えてくれたのは、なんと理事会により強制退職させられたはずのダンブルドアであった。

 それから時間が過ぎ、誰も口を開かない。

「そろそろかのう」

 暖炉前に立つダンブルドアが誰にいうわけでもなく、呟いた。

 教室の扉が開かれ、泥だらけのハリーとロン、ジニーにロックハートが入ってきた。

「「まあ、ハリー! どうして!?」」

 嬉しさと驚きの混ざり、ドリスとモリーがハモってハリーに詰め寄る。アーサーが2人を押しのけて説明を求めた。順序だててハリーが『秘密の部屋』での出来事を話した。

「学校の教科書と……一緒に……これがあって……」

 ジニーが半泣きになりながら、その場にいる全員に黒い日記帳の説明をした。

 目尻を痙攣させ、アーサーはジニーの行為を激しく叱咤する。

「脳みそが何処にあるのか見えないのに、1人で勝手に考えることができるものは信用してはいけないと、パパは口を酸っぱくして教えたはずだよ!」

 叱責を食らい、堪らずジニーは泣き出す。嗚咽を繰り返しながらも、ドリスに向かい、深く頭を下げた。

「ごめんなさい、ごめんなさい。私、クローディアが……」

 続きを言おうとしたジニーの口へドリスは人差し指で止めた。

「誰にでも、人の不幸を思う気持ちはありますとも。表に出さないだけでね。貴女は、ヴォルデモートに感化されすぎて、その感情が強くなってしまっただけですよ。どんな些細な羨みさえ、利用するのがヴォルデモートなのです」

 ハリーは驚いて口を開けた。ジニーのクローディアに対する行いを許した言葉でなく、ドリスは簡単に『例のあの人』の名を呼んだからだ。

 モリーも色々なことに驚いてアーサーと目を合わせた。

「ドリス……いま……。いえ、それよりも校長先生。ジニーは罪に問われるのでしょうか?」

 不安に駆られるモリーへダンブルドアは優しく頭を振った。

「この場に罪に問うべき者はおらん。卓越した魔法使いでさえ、ヴォルデモートに惑わされたのだからのう。ミネルバ、お2人と共にジニーを医務室に連れて行っておくれ。それと、ドリス。すまんが、アズカバンに手紙を出してきておくれ。森番を呼び戻してもらわねばならん」

 蝋付けされた手紙を差し出され、ドリスは神妙な顔つきで受け取った。

(いつの間に用意したんだろ?)

 ダンブルドアは全てを見通している。ハリーは、思わず表情を綻ばせた。

 そして、ロックハートの異常に気づいたダンブルドアはロンに医務室へ連れて行くよう命じた。

 この場にはハリー、ダンブルドア、ベッロだけとなった。

「さて、ハリー。わしの考えが正しければ、君は何か思い詰めておる。違うか?」

 それさえも見通されていた。今なら、全て話すことが出来る。

 暖かな火を焚いた暖炉の前で、この数ヶ月間、心に押し込んでいた不安をハリーはダンブルドアに打ち明けた。

「僕の『蛇語』は遺伝でしょうか? それとも突然変異でしょうか?」

 それらを聞き、ダンブルドアはハリーの『蛇語』は『例のあの人』から受けた傷によって分けられた能力だと教えてくれた。ならば、ハリーはスリザリン寮に入るべきだったと絶望した。

「『組分け帽子』は僕をスリザリンに入れようとしました。でも、僕はグリフィンドールに入れてくれるように頼みました」

「それで良いのじゃ。ハリー、それが大切なのじゃよ。自分で選択した。それこそがヴォルデモートと君の大きな違いじゃ」

 そして、ダンブルドアは銀の剣に刻まれた『ゴドリック=グリフィンドール』の名を見せ、ハリーが真のグリフィンドール生であることを示した。

 ハリーの心が強く高鳴った。

[嬉しそうだな。いいことか?]

 傍らにいるベッロが、ハリーを見上げる。

「校長先生、あのもうひとついいですか? ボニフェース=アロンダイトという人のことなんですけど」

 ダンブルドアが白い髭の中で弧を描き、丁寧に頷く。

「トムは、ボニフェースのことを何か言ったのかね?」

「はい……。その……酷く罵ってました。純血の誇りを捨てたとか、……でも……、ベッロから死んだと聞いたとき……。笑って嗤って……そして、泣いてました」

 呼吸を整えるため、ハリーは口を閉ざして深呼吸した。

 ダンブルドアは確かめるように虚空に目を向け、瞼を下ろす。暖炉の傍にある椅子に腰掛け、小さく息を吐く。

「こういうのもなんじゃが……、わしは嬉しく思う」

 言葉の意図が理解できず、ハリーの肩がビクッと痙攣した。

「トムは決して認めんじゃろうが、その涙はボニフェースへの友愛の証じゃ。あやつは、たった1人でも心の底から人を愛したのだ。それがわかって、わしは嬉しいのじゃ。だが、悲しくもある。大切な人を失う痛みを知りながら、変わることはできなかった……」

 そして、大勢の人から大切な人を奪った。ハリーもその内の1人だ。

「でも、トム=リドルがボニフェースと友達だったのは、ベッロがいたからだと……」

「そうじゃろうとも、トムはアグリッパという言い訳を作り、ボニフェースと交友を持とうとした。そうでもなければ、ボニフェースに関心を持たぬと思い込みたかったのじゃ。魔法族としてでなく、ただの人間としてのボニフェースに惹かれていた己を誤魔化すためにのう」

 その通りだとハリーも思う。ボニフェースの話をするリドルは、ただの16歳の少年だった。

「だったら……ボニフェースは、どうして殺されてしまったのでしょうか?」

 問うハリーの裾が、引っ張られた。見やるとベッロが口で裾を銜えていた。

[それ以上、聞くな。こいつは、よくやっている]

 ハリーの裾から口を離したベッロは、ダンブルドアの膝に首を乗せ懐くように摺り寄せる。

「おお、わしを許してくれるか、アグリッパ……いや、ベッロ」

 歳月を刻んだシワのある手が、ベッロの喉元を優しく撫でた。

 

☈☈

 月の淡い光の中、ドリスは手紙を括りつけたカサブランカを空に放つ。羽ばたきが暗闇に消えていき、医務室を目指して廊下を歩く。

 ジニーのことを気に病んでいたモリーの心配がなくなり、後は石化された生徒達の回復だけだ。『蘇生薬』の調合には、まだ日数がかかる。それも、すぐのことだ。

 ダンブルドアも校長として復帰し、ハグリッドも釈放される。

(それにしても、クローディアが妬まれるとは……)

 夏の休暇中に夕食を共にしたとき、ジニーはクローディアに何かしらの感情を抱いている様子だった。

 不意にベッロの姿が脳裏に浮かぶ。

(あら、いけない。ハリーのところだわ)

 廊下に飾られた絵の住人達の睡眠を妨害されないように、小走りで廊下を進む。

 『変身術』の教室まで、曲がり角を進むだけであった。というところで、人の気配を察したドリスは本能的に足を止めた。

「いけない! ハリー=ポッターに近寄るな!!」

 甲高くも敵意の籠もった叫び声と共に、轟音が廊下に響く。瞬間、ドリスの目の前に黒い塊が吹っ飛ばされてきた。あのまま廊下に出ていれば、塊と衝突するところであった。

 大の字で床に倒れたんだ様子から、黒衣に身を包んだ男だと認識した。

 何事かと、ドリスは廊下を覗き込む。呆然と立ち尽くしたハリーが腕組みをして威張った仕草の汚い小人と一緒にいた。

「ハリー? これは、一体……何が起こったのですか?」

 ハリーを一瞥し、ドリスは倒れた男に視線を移す。憤怒に顔を歪ませ、口元を痙攣させ、青筋さえ立てた男を知っている。

 コンラッドから決して接触せぬように言い含められていたと思い返した時には、相手にドリスの存在が気付かれた後だった。

 羞恥で更に顔のシワを深くした男に睨みつけられ、ドリスは悲鳴を飲み込んだ。

「ルシウス=マルフォイ……、どうして…床に寝転んでいるのですか?」

 指摘されたマルフォイは乱暴に起き上がり、恥辱に震えながら必死な笑顔を保ち、ドリスを見下ろす。

「ようやく会えたな、ドリス……。コンラッドは何処にいる? 知らないなどとは言わせんぞ!」

 怒声に竦んだドリスは唇を小刻みに震わせ、不安そうに眉を寄せる。

「私……は……何も……あなたに話さなければ…ならないことなんて」

 慄きながら、ドリスは両手で顔を覆う。

「ドリスさんに手を出さないで下さい!」

 横からハリーが声を上げ、マルフォイを睨みつける。

「黙っていたまえ、ハリー=ポッター! 私はドリスと話しているのだ! いいか、ドリス! コンラッドが消えたと聞いたとき、私や妻は死ぬほど心配したんだぞ!」

 マルフォイは怒鳴りと共に、ドリスの腕を乱暴に掴む。

「マルフォイさん! やめて下さい!」

 堪らずハリーはドリスの前に立つ。マルフォイの後ろに小人が構える。

「その手を離せ」

 小人を睨み、マルフォイは投げるようにドリスの手を離した。

「ドリス、コンラッドに伝えたまえ。逃げられはしないとな」

 恨みを籠めた視線をハリーに向け、高貴なマントを翻したマルフォイは去っていった。

「ドリスさん、大丈夫ですか?」

 心配したハリーは顔を伏せたドリスの肩に手を伸ばす。幼い手の感触にゆっくりと手を離し、優しく微笑んだ。

「ありがとうハリー。ところで、そちらはどなた?」

 足元で2人を見上げる小人は『屋敷しもべ妖精』ドビーと名乗った。

 生まれて初めて『屋敷しもべ妖精』を目にし、ドリスの感想はなんとも可愛くない生物であった。やせ細った身体にとってつけたような頭、見開かれた瞳の色は美しく輝いているが、それが返って不気味だ。

 ハリーは日記帳と靴下を使い、ドビーをマルフォイ家から開放したと説明した。

 解放されたトビーはハリーに恩返しを申し出た。これに対し、彼はたった一言、告げる。

「僕を助けようとしないで」

 複雑な笑みを見せるドビーは靴下を片手に、全身で喜びを表現する。

「ハリー=ポッターはドビーが考える以上に、偉大でした!」

 これ以上にない感謝の言葉を述べ、光のように消え去った。

「嵐のような方でしたねえ」

 ドビーが消え去った場所を見つめ、ドリスは小さく微笑んだ。それから彼女はハリーの背を押し、医務室に連れて行こうとした。

「さあ、ハリー。あなたも医務室に行きましょう」

「僕は怪我をしてません。不死鳥のフォークスが傷を癒してくれたので……。あのっ、スプラウト先生がもうすぐマンドレイクが採れるから、『蘇生薬』はもうすぐです」

 クローディアのことでドリスが気落ちしていると考えたハリーは、必死に励ました。

「ありがとう、ハリー。クローディアなら、大丈夫ですよ。スネイプ先生がすぐに薬を調合して下さりますから」

 ドリスの口から意外な名前が出たので、ハリーは目を丸くした。

「スネイプ……先生をご存知なんですか?」

 ハリーの態度にドリスは自分の口から出た名前に気づく。自身の口元を軽く押さえてから、開き直ったように肩を竦めた。

「ええ。私に息子がいることはご存知でしょう? スネイプ先生は息子の友達なんです」

「えええ!!!」

 衝撃の告白に、ハリーは音程のズレた声を上げた。それが廊下に反響し、飾られた絵の住人たちが、騒音を訴えた。

 予想以上のハリーの反応に、ドリスは苦笑する。

「息子はね、人馴れする子ではなかったんです。人見知りというより……人を避けていました。そんなあの子が、私に紹介してくれた友達がスネイプ先生なんですよ」

 我が子を愛おしむ母親の表情を浮かべるドリスに、ハリーの胸中が淋しさに襲われる。どんなにドリスがハリーに優しくしようと、彼女は彼の祖母ではなく、ましてや母親でもないのだ。

「1年生の時、ハグリッドが僕とクローディアが友達で嬉しいって言ってました。それは、その僕の父さんとコンラッドさんが……その」

 言い終える前にハリーは口を閉ざす。ドリスもまた淋しそうに眉を寄せたからだ。ドリスは一旦、ハリーから視線を外す。窓の向こうにある月を見上げてから、視線を戻した。

「ハリー、貴方がスネイプ先生をよく思っていないことは知っています」

 反射的にハリーの肩がビクッと痙攣し、嫌な汗が頬を流れる。

「好きになれとは言いません。もし逆の立場なら、私もクローディアにそういうでしょう。ですが、スネイプ先生は表立って優しさを見せない方だということだけは、覚えて置いてください」

 暗がりでドリスの表情はわかりなくいが、口元は普段のように弧を描いている。

 正直、ハリーはスネイプのことなどどうでもよかった。なんといわれようと嫌悪感が消えるはずがない。優しさとやらが表立っても、同じだ。

 そんなことが口に出せるはずもなく、ハリーは去年のクローディアに倣う。

「パパ達の間に何があろうと、僕とクローディアは友達ですから」

 ハリーの精一杯の笑顔に、感極まったドリスは震えだした。

「まあ、ハリー。なんとお優しい。クローディアのことを友達と思ってくれるのね……」

 微笑んだドリスは感涙した。その涙にハリーの胸がチクチクと痛んだ。

 日が昇る頃、ハグリッドはホグワーツ城に帰ってきた。入れ違うように、ドリスは全ての処理をダンブルドアに託しアーサー、モリーと共に城を後にした。

 

☈☈

 『蘇生薬』が完成し、スネイプ、スプラウト、マダム・ポンフリー、フィルチは寝台にいる石化した生徒達に順番に飲ませた。無論、フィルチは愛猫ミセス・ノリスだけだ。

 ミセス・ノリス、コリン、ジャスティン、『ほとんど首無しニック』、ハーマイオニーは薬の効果で早々に意識を取り戻した。そして、バジリスクに襲撃されたときの現状を慄きながら説明した。

 しかし、薬を飲ませてから半時間経っても、クローディアの石化が解けない。

 襲撃の恐怖がようやく解されたハーマイオニーは、無残に横たわるクローディアを見つめて不安になる。コリンやジャスティンも落ち着きを取り戻し、彼女の回復を祈りながら待った。

 

 ――最後の記憶は、鏡に巨大な蛇の金色の瞳。

 

 だが、瞬きしただけの刹那の間、クローディアの視界は激変した。手鏡が医務室の天井に変わった。

「バジリスク!!」

 声を張り上げ、クローディアは勢いをつけて起き上がった。背中に柔らかい感触がしたので、寝台に横になっていたのだと気づく。

 周囲には石化されていたはずのコリン、ジャスティン、『ほとんど首なしニック』、そしてハーマイオニーがクローディアに釘付けになっていた。

 ミセス・ノリスはフィルチから熱い抱擁を受け、出目金の目を半眼させ迷惑そうに顔を顰めていた。

「クロックフォード、目が覚めたのですね! 良かった、貴女だけ回復が遅くて心配していたんですよ」

 慌てたマダム・ポンフリーが呆然とするクローディアの額に手をあて、異常がないかを簡単に診察した。校医の後ろでスプラウトは胸を撫で下ろし、スネイプは素っ気無く顔を背けた。

 横の寝台にいたハーマイオニーが嬌声を上げ、クローディアに抱きついた。

「良かった! クローディア、もう大丈夫なのよ、私達!」

 ハーマイオニーの腕がクローディアの首に回り、耳元で少し震える声が囁かれた。

 そこで、クローディアはハーマイオニー共々、石化していたことを悟った。最悪の失態に、悔しさが込み上げた。

 眉を寄せたクローディアは、ハーマイオニーの背に手を回す。彼女の鼓動する体温を全身で確認した。柔らかな感触に、独特な匂いが生存を伝える。この命を危なく失いかけたのだ。

(そうさ、ロックハートのことを校長先生に言うさ)

 生還を喜び合う医務室に、カサブランカが翼を広げ舞い込んできた。

 気づいたクローディアは名残惜しくもハーマイオニーから身を離す。瞬間、その手に赤い封筒が落された。

 その封筒を見た全員が一斉にクローディアから離れた。

 封筒の正体を知る故に、恐怖のあまり、絶句する。誰が宛てたのか、想像したくない。

「開けて……いいから……」

 寝台の向こうに逃げ込んだハーマイオニーが開封を促す。

 力強く頷くクローディアは深呼吸する。手を震わせつつも、慎重に封を剥がした瞬間。

《〔この大馬鹿者が!!〕》

 野太くも高さを持つ声が医務室中に反響した。

 クローディアは手近な布に頭を突っ込み、ハーマイオニーは寝台の下に隠れ、コリンとジャスティンは耳を塞ぎ、マダム・ポンフリーとスプラウトは壁まで遠のいた。フィルチはミセス・ノリスを抱えて医務室を飛び出し、『ほとんど首なしニック』は壁の向こうをすり抜けて消えた。ベッロは慣れたように寝台の下でトグロを巻いたまま、悠然と構えていた。

〔この声はお祖父ちゃんさ〕

 クローディアがその声を懐かしむ余裕なく、怒号は続く。

《〔石にされとったとはどういう了見じゃ! なんのために薬を渡したと思っとるんじゃ! そういう事態を避けるためじゃろうが! 去年に続いて学校の先生様方に多大なる迷惑をおかけして、恥を知れ! ワシの目が届かん所で好き放題にしよって、日本に連れて帰るからな! その根性を叩きなおしたる! 覚悟しとけよ!〕》

 急に赤い封筒は医務室を見渡す。

《こんなヒヨッコですが、皆様どうぞ、これからも宜しくお願いします》

 淀みのない英語で深く頭を下げ、封筒は自らを破り去る。

 沈黙を取り戻した医務室で、誰かが安堵の息を吐いた。

(なんでお祖父ちゃん、『吠えメール』の使い方知っているさ?)

 深くため息を付いたクローディアはやけに厚く暗い布から顔を出した。見上げると、スネイプの顰め面が見下ろしてきた。掴んでいる布は彼のローブである。

「すみません!」

 焦燥と驚きでクローディアはローブから手を離した。

「クローディア、『吼えメール』はなんて言ったの?」

 耳に反響が残るハーマイオニーが瞬きしながら、寝台を這い上がる。 

「お祖父ちゃんが、夏は日本で過ごすようにってさ」

 反響を振り払う為、頭を振るクローディアにハーマイオニーは苦笑した。

「そのまま帰ってこないほうが、身の為ではないか?」

 闇色の声が放つ痛烈な皮肉に、反論の材料がないクローディアは口を噤んだ。

 

 蘇生した生徒4人と幽霊1人、マダム・ポンフリーの最終検査の為、一晩入院した。

 城中(マートルを除く)の幽霊が『ほとんど首なしニック』の復活を喜び、見舞いに訪れ、『血みどろ男爵』でさえ、『ほとんど首なしニック』を訪れた。

 それどころか、両名は親しげに会話を弾ませていた。

 ダンブルドアから、4人はこれまでの経緯を説明された。1週間前に犯人も怪物も倒され、事件は完全に解決した。

 吉報は続き、事件解決の祝いとして、学期試験が取りやめられた。そしてロックハートは記憶喪失に陥り、学校を去ることになった。

 ハーマイオニーは試験取りやめと、ロックハートの辞任を深く残念がった。

 落ち込んだハーマイオニーを見て、クローディアは胸が痛んだ。少しもロックハートを哀れだと思わない。しかし、決闘クラブで防衛術を教えようとしたり、自分達が入院した時、彼は見舞いに来てくれた。学校中の気分を盛り上げる為に、馬鹿みたいなバレンタインイベントを行った。

 彼は空気を読めないのではなく、あえて読まなかったのかもしれない。それは時として必要な事だと今なら思う。

 栄光や名誉に囚われなければ、もっと適切な人生があっただろう。あくまでも仮の話だ。

(記憶喪失で、これまでの罪を贖うがいいさ)

 誰に言うわけでもなく、クローディアは胸中で呟いた。

 

 退院した4人はマクゴナガルに連れられ、既に全校生徒が犇く、大広間に通された。生還した4人に拍手が送られる中、ジャスティンはすぐにハリーに飛びつき、猜疑心に駆られたことを心の底から詫びた。

 クローディアとハーマイオニーはハリーとロンに駆け寄り、背中や顔を叩きまくった。

「やったさ、カッコイイさ!」

「事件を解決したのね、おめでとう!」

 ハリーは痛い称賛に堪えながら、頭を振る。

「2人がヒントを残してくれたからだよ。ベッロも助けてくれたし」

 グリフィンドール席に堂々とベッロがトグロを巻いて座り込んでいた。

 複雑に呆れたクローディアはベッロを連れてレイブンクロー席に戻る。嬌声を上げ、ロジャーが抱きついてきた。

 それに便乗した何人かが抱きついてきたので、クローディアは窒息しかけた。ベッロが威嚇しても、なかなか離れてもらえなかった。

「心配させないでって、言っているでしょう!」

 去年と同じようにペネロピーから、ビンタを一発貰った。

 事件を解決したハリーとロンの活躍により、グリフィンドールは2年連続寮対抗優勝杯を獲得した。

 

 だが、4人には皆からの祝福だけではなく、大量の補習授業が待ち構えていた。

 クローディアとハーマイオニーは復活祭休暇前であったことは、不幸中の幸いだ。何故なら、ジャスティンとコリンは石化している間に年を越えてしまい、分刻みの時間割を与えられ、死に物狂いで講義を受けるはめになったからだ。

 パーシーは親身にコリンの勉強を見ていた。

 クローディアにとって、ハーマイオニーとの合同授業は寧ろ、褒美であった。隣同士の席に座って講義を受ける。最高の補習授業だ。

 やがて、図書室でジャスティンがパドマから勉強を見てもらっている姿が当たり前になり、2人の仲は交際まで発展した。

 補習の合間、クローディアとハーマイオニーはハリーとロンから『秘密の部屋』で起こったことを聞いた。リドルが後のヴォルデモートであり、ジニーを操ってバジリスクで皆を襲わせた。

 真実を聞き、ハーマイオニーは驚きを通り越していた。ロンがジニーはリドルに利用されていただけだと、強く主張した。実際、ダンブルドアの考えも同じであり、校内では『例のあの人』が怪物を解き放ったと公表した。

「あのトムくんがヴォービートとは、畏れ入ったさ。しかも、自分の名前を文字って付けたとか……女優みたいさ」

「ええ、見事に騙されたわ。本当に名役者ですこと!」

 日記の内容を半分でも信じていたハーマイオニーは怒り心頭だ。

「なあ、ハリー。ドビーは今回の件には『例のあの人』は関係ないって、そんなこと言わなかったか?」

 ロンの質問にハリーは苦笑する。

「ドビーなりのヒントだったらしいよ。ヴォルデモートの名に変わる前の彼の仕業だって」

「すっくないヒントさ。ジニーも不憫な目に遭ったもんさ」

「酷いのはルシウス=マルフォイよ。ロックハートのサイン会の時、トム=リドルの日記をジニーの学用品に紛らせておいたなんて!」

 その責任をマルフォイは理事会追放という形で償った。ドラコはそれをハリーのせいだと逆恨みしているのが現状だ。

(そりゃあ、お父さんも赤の他人になりたいだろうさ)

 親子揃って面倒だ。

 クローディア、ハーマイオニー、ジャスティンの2年生は3年生から始まる選択科目を決めなければならなかった。ジャスティンはスプラウトとパドマに相談し、ほとんど彼女と同じ科目を選んだ。

 レイブンクローは『数占い』が必須科目になるといわれ、クローディアは落ち込んだ。残りはドリスやコンラッドに相談の手紙を出し、『古代ルーン文字学』、『魔法生物飼育学』の2科目を登録した。

 ハーマイオニーは誰にも相談せずに、全科目を登録していた。

 




閲覧ありがとうございました。

10代の男の子が二年連続で死にかける学校ってそうはないと信じたい。
主人公がログインしました。


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14.また逢う日まで

閲覧ありがとうございます。
これにて、締めです。
追記:16年3月7日、17年3月5日、18年1月7日、誤字報告にて修正入りました。


 夕食を終え、クローディアはパドマ、リサと談話室に帰ろうと廊下を歩いていた。

「ごめん、クローディア。話があるんだ」

 ロジャーは返答を待たず、クローディアの腕を掴んで強引に廊下を連れまわした。呆れたクローディアは、パドマとリサに助けを求めたが、2人は満面の笑顔で見送ってくれた。

 生徒、幽霊、絵さえない空き教室に連れ込まれたクローディアは、仏頂面でロジャーを軽く睨んだ。普段の気取った笑顔のロジャーは、優雅に一礼した。

「僕は、君が襲われてひとつのことに気づいた」

 まるで舞台の上に立つ役者のように、大袈裟な雰囲気でロジャーは打ちひしがれた。

「僕は魔法使いとして、あまりにも未熟だ」

〔そりゃあ、そうでしょうさ〕

 日本語で呟くクローディアを無視し、ロジャーは何も持っていないはずの手から一輪のバラを取り出した。手品か魔法か判断できない程、見事な出し方であった。感心した彼女は、小さく頷く。

「僕は、男として魔法使いとして、磨きをかける。それまで、君の隣を誰にも渡さないでくれ」

「へ? あの、それは……」

 確認しよとしたクローディアの口に、バラの花を押し当てられる。

「クローディア。僕はこれから様々な女子と関係を持つ。でも、最後は必ず、君の元へ来る。誓うよ」

 酔いしれた瞳で見つめてくるロジャーに、クローディアは羞恥心に駆られて赤面する。それを照れと認識したロジャーは、幸せ者だ。

 だが、それを許してしまえる程、ロジャーは見目が良く、それを十二分に発揮できる性格の持ち主だ。好意を持てないクローディアさえ認める程、彼はカッコイイ。

「先に談話室に戻るよ」

 しなった仕草で、ロジャーはクローディアの髪にバラを挿し込む。硬直して動けず、彼が去り際にウィンクしてくるのを、TV画面を見る感覚で見送った。

 教室に残り、現実的な感覚を取り戻したクローディアは、全身に滞った息を力いっぱい吐き出した。彼女の呼吸だけが教室に響く。

「「愛されてるねえ、羨ましいよ」」

 愛嬌のある意地悪な言い方をしてきたのは、イタズラ笑顔のフレッド、ジョージだった。双子は扉にもたれてクローディアをただ見ている。

「気が変わるさ。そのうち……」

 己を磨いている間に、ロジャーに素敵な出会いがあることをクローディアは祈った。

 胸を大きく動かして深呼吸するクローディアは、髪にあるバラに指差しで触れる。途端に、バラは泡のように消えた。

「それで、フレッドとジョージは何のようさ?」

「「用があるのは、ジニーだよ」」

 双子の間から、躊躇いがちにジニーが教室に入ってきた。

 全ての事情は、ハリーから聞かされているクローディアは、僅かに心臓が緊張して跳ねた。リドルに操られていたジニーは、彼女達が回復しても重く責任を感じているのか、ここ最近も元気がなかった。

 両手を祈るように組んだジニーは、唇を震わせる。

「あの、私、もし、あなたが、ハリーを、好きなら、その」

「……ジニー? 何の話さ?」

 石化の話だと考えていたクローディアは、疑問する。耳まで真っ赤になったジニーは、必死に言葉を紡ぎだす。

「あなたなら、ハリーとのこと認めるわ!」

 甲高い声がクローディアの耳を貫いた。一瞬、目眩がし、双子を見やる。双子は肩を竦めるだけで何も言わない。

 ジニーは、口をしっかりと引き締め、真剣な表情で瞳を潤わせている。

 そこで、クローディアはジニーの本意に気づいた。

(ジニーは、ポッターが好きさ……)

 これまでのジニーの態度に、クローディアは納得した。ジニーは嫉妬していた。気づいてしまえば、本当に簡単なことだ。石化は行き過ぎているが、触れないでおく。

「ポッターとは、ただの友達さ。これは、絶対さ」

 ジニーまで目線を合わせ、笑みを消し真摯な顔つきでクローディアは応えた。ジニーの顔から、緊張の赤が消えていく。

「本当に、そうなのね。私、馬鹿みたい」

 安堵と自嘲を含めた笑い声。ジニーは腹の底から笑った。クローディアもつられて笑った。

 不意にクローディアは、ある事が浮かんだ。

「友達といえばさ。うちの寮のルーナ=ラブグッドとは、友達さ?」

 何度も首を傾げジニーは、横に首を振った。

「あんたのこと、すごく心配してたさ。日記帳のことも、危ないモノだって、気づいてたさ。何度も、あんたに捨てるように言った子さ」

 すごく曖昧ではあるが、ジニーは頷いた。

「よく私に話しかけてきたわ。あの子、ルーナ=ラブグッドね。覚えたわ。ありがとう、クローディア」

 話し込む少女2人を余所に、フレッドは背中に回した手でジョージから硬貨を貰っていた。ジョージは悔しそうに、なけなしの小遣いを手放した。

「(次は、ディビーズがクロックフォードを落すほうに賭ける?)」

「(俺は、ハリーに賭ける)」

 こうしてフレッドは、ロジャー。ジョージは、ハリーに賭けた。

 そんな会話がなされているなど、クローディアとジニーは露とも知らない。

 

 6月が終わる前、補習の全日程をやり終えたクローディアは開放感に浸る。ハーマイオニーは、試験がなくなったことをまだ根に持っていた。

 久方ぶりにハグリッドの家を訪れた。ハグリッドは、ハリーとロンのホグワーツ特別功労賞のお祝いとして特大ケーキを用意してくれた。

 一時的にも、ハグリッドを疑ったというのに、彼は全く気にしていなかった。それどころか、真犯人を見つけ出して無実を証明したと感謝した。

 ケーキを平らげ満腹となると、ハリーがベッロに必死に話しかけていた。何とも奇妙な光景に思えて仕方ない。ロンの話では、ベッロは呼称する概念がない。故にハリーは話し方を訓練しているらしい。

 ハリーは、それに夢中なのだ。

「人が勉強している間、そんなことしたさ?」

 ハグリッドから紅茶を貰ったクローディアは、ハリーとベッロのやり取りを眺める。

 人語ではない響きは聞き慣れすれば、確かに会話になっている気がする。無論、何を言っているのは、全くわからない。

「それで、何処まで言えるようになったの?」

 目を輝かせるハーマイオニーに、ハリーは嘆息する。

「全然。たまに『ハリー』って呼んでくれる。後は全部、アイツとか、コイツ……」

「私よりもポッターの名前さ?」

 不服なクローディアは、ハリーの真似をして『蛇語』を話そうとしたが、ただの呻き声になった。

「ポッターに主人の座とられたさ!」

 わざとらしくさめざめと泣くフリをするクローディアに、ロンも大袈裟に肩を竦める。

「でも、意思の疎通はとれてるじゃない。ね? ベッロ」

 ハーマイオニーは、ベッロの顎を撫でた。ベッロは気持ちよさそうに瞼を閉じて感触を楽しんでいる。疎通も大事だが、クローディアもベッロに名前で呼ばれたかった。

「そうだ、クローディア。いいもんやる」

 暖かく見守っていただけのハグリッドが、寝台の奥を探り始めた。

 机の上に置かれたのは、古い箱であった。瞬間、箱から1枚の写真が勝手に飛び出してきた。ハグリッドは、その写真をクローディアに手渡した。

 白黒写真には、クィディッチ選手のユニフォームを着込んだ7人の選手と、その後ろに選手を遥かに凌ぐ大柄の少年、周囲にも大勢の少年少女がクローディアに手を振っている。

「これ、ハグリッド?」

 興味津々のハーマイオニーが覗き込む。ロンも必死に見ようとする。

「ああ、俺が2年生のときに、ハッフルパフがクィディッチ優勝杯を獲得してな。ボニフェースはそのときのキャプテンで、キーパーじゃった。真ん中で箒を振り回しているのが、そうだ」

 確かに写真の中心で長身(ハグリットより小さい)の少年が歌舞伎の真似事のように箒を振り、他の選手が笑いながらそれを避けている。

 その顔は、クローディアが誰よりもよく知る父・コンラッドに瓜二つであった。この人物がボニフェースだと教えられなければ、コンラッドと見間違えてしまう程だ。

 コンラッドとの相違点といえば、ボニフェースは快活な印象を与える雰囲気を持っていることぐらいだ。

「そうよ、この人だわ」

 ハーマイオニーが嬉しそうに写真を凝視する。

「ドリスがな。もうボニフェースのことを話してもかまわねえって言ってくれた。ほらな、コンラッドにソックリだろ? 違うのは、瞳だけ。コンラッドの瞳はドリスのと同じだ」

 それを聞き、驚いたハーマイオニー、ハリー、ロンは咄嗟にクローディアを見やった。

「え? もしかして、ボニフェースって、クローディアのお祖父ちゃん?」

「つまり、あなたはベンジャミン=アロンダイトの親戚!?」

「おっどろいたあ」

 吃驚仰天している3人に、クローディアはたじろいだ。

「でも、会ったことないさ。顔だって、この写真で始めて見たさ」

「そりゃあ、そうだろう。ボニフェースはクローディアが生まれるずっと前に、死じまったんだ。遺体だってまだ見つかってねえ」

 切なげにハリーは眉を寄せた。

「ベッロはヴォルデモートが殺したと言っていた。でも、トム=リドルは……ただの記憶だけど、ボニフェースの死を悲しんでいたよ」

「『例のあの人』が悲しんでいた!?」

 思わずロンは机から、ずり落ちた。

「うちのお祖父ちゃんがヴォービートと友達なんて、超意外さ」

 自分の家族の友人関係には、毎回、驚かれる。去年のコンラッドとスネイプもそうだが、今回は特大ものだ。

「今、考えてみりゃあ。俺がボニフェースと仲良くしていると、奴はいつも反対してきたな。奴はボニフェースを独り占めしちまいたかったかもしんねえ」

 髭の中でハグリッドは小さく唸る。

「ボニフェースは『嘆きのマートル』に片想いしてたの?」 

 確認してくるハリーの疑問を聞き、動揺したハグリッドは椅子ごと飛び跳ねた。

「だ、誰がそのことを!」

「何となくだよ。ボニフェースはマートルの死を悼んで立って聞いたし、でも、マートルはボニフェースを知らなかったって言うし、それにトム=リドルが彼はマグル生まれの子を愛してたって」

 クローディアとハーマイオニー、ロンは何に驚けば良いのか、わからない。失礼ながら、『嘆きのマートル』がボニフェースを惚れ込ませるほど、魅力的に思えなかった。

「た、確かにボニフェースはマートルを好きじゃった。ただ、ボニフェースは……その恋愛が滅法弱かった。どうやって交際を求めるべきか、悩んでじょったよ」

 ハグリッドは、もじもじと両手の指先をくるくる回して口ごもった。

「けど、日記帳はクローディアが持っていたけど、よく惑わされなかったな」

「ああ、男子の日記を読む趣味はないからトランクに突っ込んでいたさ」

 ロンの質問に対し、クローディアは日記帳をトランクに放り込む仕草をした。今思えば、勝手に開いたりしなくて、本当に良かった。

「『例のあの人』の持ち物を粗雑に扱うなんて、あなたくらいよ」

 にっこりと微笑んだハーマイオニーがボニフェースの写真を見つめる。

「ねえねえ、ハグリッドはベンジャミンに会ったことないの? 彼のお兄さんよ」

「いや、ねえな。写真は見たことあるが、もう覚えてねえ。ボニフェースがいうには、大事な兄貴だったらしいな。いつも話しとった。悲しそうにな。俺は、ボニフェースが悲しそうな顔をするのが嫌だった」

 急にハグリッドの空気が哀愁を漂わせた。それで、4人は自然に笑みを消す。

「『太った修道士』から、良い生徒だって聞いたさ」

 写真を見つめ、クローディアは呟く。写真の奥のほうで小さく写った『太った修道士』が手を振っている。生まれて初めて心霊写真を見た。

「ハリーの『蛇語』は、『例のあの人』の力の一部だって言ったよな?」

「うん、……そうだよ」

 不思議そうにロンは、ハリーとベッロを交互に見やる。

「去年、『例のあの人』は……クィレル先生の後頭部にいたのに、ベッロがアグリッパだって気がつかなかったのかな? なんというか、『太った修道士』もベッロのことを知っていたみたいだし…」

 ロンの素朴な疑問に、全員の視線がベッロに向けられる。

「どうなの、ベッロ? ヴォルデモートは、君に気付いていた?」

[勿論、気付いていたとも。馴れ馴れしく話しかけてきたから、噛みついてやろうとしたが邪魔された。隙を見て、何度も挑戦したが無駄だった。口は利いてない。約束は破ってない。小僧だった奴との約束だ。誰が相手でも口は利かなかった]

 くすりと笑うベッロの言葉をハリーは皆に伝えた。

「ベッロは『例のあの人』なんぞ、恐れちゃあいねえ。全く、大した肝っ玉だ」

 感心したハグリッドがベッロを優しく抱き上げた。

 

 最期の日、荷支度が整う。

「7年生は『N・E・W・T試験』が取りやめになって、ラッキーだったな」

「俺らの時もそうならねえかな。癒者(ヒーラー)になるのに、『N・E・W・T試験』で上位の成績収めないといけないって聞いたしよ」

 ロジャーと4年生ザヴィアー=ステビンスがそんな話をしていた。

「『秘密の部屋』が本当にあったんだから、髪飾りもあるかもしれない」

「ああ、ロウェナ=レイブンクローの髪飾りね。でも、フリットウィック先生が一度、探したけど見つからなかったって」

 目を輝かせるセシルの呟きに、マンディが望み薄だと返す。

 レイブンクロー生なら、一度は耳にする『失われた髪飾り』。身につける者に知恵、もしくは計りしれぬ英知を与える代物。某RPGゲームでいうところの誰かさんのリボンみたいだ。頭装備に知力増加は、何処の世界も同じらしい。

 ハリーがバジリスクを倒した時に用いた『グリフィンドールの剣』と同様、創設者の遺品のひとつである。残念ながら、その名の通り所在不明だ。

「諦めなさい。決して、手に入ることはありません」

 『灰色のレディ』に冷たく諭され、セシルは落胆した。『灰色のレディ』は、毎年のように誰かが髪飾りについて尋ねて来るので、うんざりしているそうだ。

 

 フリットウィックから注意事項の用紙を配布され、後はホグワーツ特急に乗り込むだけだ。

 玄関ホールに向かう生徒の流れの中で、クローディアは誰かに腕を掴まれた。振り返ると、それはルーナだ。彼女の頭には、何故か本物の葡萄が乗っていた。

「あんた、あたしのことジニーに話してくれたんだって? ジニーがあたしにありがとうって言ってくれたよ。友達が出来たみたいで嬉しかった。だから、ありがとう」

 寝言のような口調は、何処か喜びが込められている。

「どういたしまして、ルーナ」

 微笑んだクローディアは、ルーナの頭(葡萄を避けた)を撫でた。ルーナは、見開いた目を更に大きくする。一瞬、触れられるのを拒まれたのかと考えた。

 クローディアが口を開く前に、ルーナは浮つきの消えた口調で見上げてきた。

「いま? あんた、あたしのことルーナって言った?」

 歓喜に震えたルーナに、クローディアは頷く。

「そうさ、私のこともクローディアでいいさ」

 突然、痙攣したようにルーナは顔を揺らした。

「いいよ。うん、クローディア。あたし、あんたのその喋り方、ガサツでダサいって思ってたもン」

 いきなり悪態かと、クローディアは苦笑した。しかし、ルーナは自らの名前とは反対の太陽のように明るい笑顔を見せた。花が咲いた笑顔は、妙に心を安心させる。

「でも、もうダサくないよ。すごくあんたに合っているもン」

「ありがとうさ」

 ぴょんっと跳ねたルーナは、生徒の間を走り去ってしまった。人が混雑した廊下で誰ともブツからない彼女に、クローディアは違う意味で感心した。

「ミス・クロックフォード」

 背後からかけられた闇色の声に、クローディアは寒気が走る。振り返れば、案の定、スネイプが不機嫌に見下ろしてくる。

 急に周囲がクローディアとスネイプから離れていく。

「6月に入ってから、ミスタ・マルフォイが異常な痒みに襲われるそうなのだが、何か心当たりはないか?」

 質問ではなく、尋問に近い厳しい口調であった。

「マルフォイのお父上が理事職を降りられたことで、落ち込んでるのだと思います」

 自然な笑顔を取り繕う。しかし、ドラコの沈黙の原因は、クローディアにある。

 ドラコはクローディア達が石化している間に、ハーマイオニーを『穢れた血』と罵り、ダンブルドアをこれみよがしに批判していた。ご丁寧にフレッド、ジョージ達が教えてくれた。その御礼として、ささやかなお仕置きをしたのだ。

 以前、ドラコを殴りかけたときに『次は当てる』と約束していた。その為、クローディアは魔法を当ててやった。無論、ドラコはそのことを知らない。痒みは不定期に突然、全身を襲ってくる。地味だが、これは非常に効果的だ。

「スネイプ先生。『蘇生薬』では、お世話になりました。ありがとうございます」

 去年は、礼も謝罪も言えなかった。そんなヘマは二度としない。しかし、不思議と去年程の感謝の気持ちは、湧かなかった。理由は簡単だ。スネイプの態度に問題がある。それでも、礼儀を欠いてはいけない。

「ミス・クロックフォード」

 闇色の声が、一段と深くなり、クローディアはビクッと肩を跳ねる。

 スネイプが耳元まで顔を寄せる。

「組分け帽子は、君に何処の寮に入りたいか、聞いてきたかね?」

 囁かれた言葉に、クローディアは恐怖とは違う感覚で、血の気が引いた。それは本当に誰にも話していない。

 絶対、クローディアしか知らないはずだ。

 表情が固まるクローディアを見下ろすスネイプは、口元を歪ませた。そのまま、何も言わずに黒いローブを翻し立ち去った。

 

 ホグワーツ特急に乗り込んでからも、クローディアの耳は動悸の音に支配された。何処も見ず、口も開かず、騒がしい動悸が治まるのを、ひたすら待った。

 コンパートメントに同席しているパドマが何度も心配してくれたが、曖昧に返事をするしかなかった。

 漸く、クローディアの動悸が治まる頃を狙ったように、フレッドとジョージがコンパートメントに『花火』を放り込んでくれた。

 おかげで、リサとハンナは半狂乱になり、クローディアは双子を怒鳴りつけた。

「僕らを置いて日本に帰るのが悪い」

「そうそう、俺達、クロックフォードの誕生日にお祝いしたかったのに……痛い!」

 口を尖らせ文句を垂れるフレッド、ジョージをパーシーが耳を掴んで連れて行ってくれたので、4人は感謝した。

 騒がしい生徒を乗せた汽車は、無事キングズ・クロス駅に停車した。荷物を持って下車しようとしたクローディアをハリーが呼び止めた。そして、握手をするように羊皮紙の紙切れを渡してきた。

「これ、電話番号。日本にいても電話出来るだろ? だから、あげる」

 他者から電話番号を教わるのが久しぶりすぎたのか、クローディアは奇妙な感じがした。だが、決して断りはしない。

「国際電話は高くつくさ」

 力強く頷くクローディアは、紙切れを受け取った。

 汽車を降り、真っ先にドリスを見つけることが出来た。しかし、駆け寄るのを躊躇った。否、他人のフリをしたかった。

 困ったように微笑むドリスの隣にいる日本人のせいだ。ドリスよりも小柄な老人の男は、物々しい雰囲気で仁王立ちしている。まるで、獲物を待ち伏せる獣を思わせる。無論、周囲の人々はその日本人から遠のいて歩いている。

「ねえ、あのお爺さん。もしかして、クローディアの?」

 遠慮がちに尋ねてくるハーマイオニーに、項垂れたクローディアは諦めたように頷く。

 勇気を振り絞ったクローディアは、己の祖父に向かって手を振る。途端に祖父は彼女の傍までその厳つい顔を近づけた。

〔ただいまさ……〕

 苦笑するクローディアに、祖父はわざとらしく鼻を鳴らす。

〔ぶくぶく太りおって、怠け者が〕

 容赦ない悪態に、クローディアは話を逸らそうとハーマイオニーを紹介した。話を遮られたことに、祖父は不機嫌であった。それでも、彼女に笑顔を向けてくれた。

「いつも、孫が世話になっております」

 丁寧に挨拶してくる祖父に、ハーマイオニーも倣う。

「クローディアから、医師だと聞いていますが、専門は何をなさっているのですか?」

 質問に答えようとした祖父の言葉がドリスの上擦った悲鳴で掻き消された。彼女はドン引きしたように眉を痙攣させ、祖父を見やる。

「医者(ドクター)でいらしたの? 刃物や針で身体を傷つけたりするという? てっきり、私と同じ癒者だとばかり……」

「患者に治療を施す点では、同じですぞ」

 辛辣な態度で祖父は、ドリスに吐き捨てた。

 この2人の奇妙な雰囲気を目の当たりにし、クローディアとハーマイオニーは狼狽した。

 しかし、ハリーがドリスに気付いて挨拶に来たので助かった。

 クローディアは、ハリーに耳打ちで祖父を紹介した。背筋を伸ばし、彼は祖父の前に出て挨拶する。ハーマイオニーと変わらない態度で祖父は、彼と簡単に握手する。

「ドリスから、よく聞いておる。これからも孫をよろしく」

「はい。あ、あのポリジュース薬の材料のことでは、本当にお世話になりました」

 周囲に聞こえぬように、ハリーは祖父に小声で礼を述べた。祖父も小さく頷く。

「持っておったモノしか、渡せんかったからのう。あまり、役立てたとは思えんがの。ハリー=ポッター、お主は中々に礼儀正しい子じゃ」

「そういえば、なんで持ってたさ。魔法使いじゃあるまいさ」

 含みのある言い方をする祖父に、クローディアは首を傾げる。すると、祖父は険しく目を細め、苦虫を噛み潰す。

「わしは、魔法使いじゃよ」

 適当に、言い放たれた告白。

 クローディアは、驚愕を通り越して完全に硬直した。その反応に、流石のハーマイオニーも呆れ顔で深くため息をつく。

「気づいてなかったの? じゃなきや、私が材料を下さいなんて言わないわよ」

 正論に止めを刺されたクローディアは、ハーマイオニーの顔がマトモに見られなくなり、自らの顔を両手で覆い隠した。

〔落ち込むのは、後にせい。明日の始発で日本に帰るんじゃ、さっさと行くぞ〕

 慰める様子もなく、祖父はクローディアの服の襟を引っ張り、ホームを進んだ。

「またね。ハリー」

 荷物を乗せたカートを押しながら、ドリスも慌ててクローディアの後を追う。

 駅までタクシーを拾い、後部座席に3人で乗り込んだ。滅多に乗らないタクシーにドリスは緊張する。その時、祖父はクローディアの手にある紙切れに気付いた。

〔その紙はなんじゃ?〕

〔ポッターの家の電話番号さ……〕

 怪訝した祖父は紙を見やる。

〔ハリー=ポッターは、ダーズリー家で暮らしていると聞いたぞ?〕

〔だから、そこの電話番号さ〕

 羞恥心でクローディアはあまり話したくない。急に祖父はタクシーの窓から外を見た。隣の車線にハリーを乗せたダーズリー家の車が見えた。向こうはこちらに気付いていない。

〔ハリーの学校の友達から電話がきたなど、受け入れてもらえんじゃろ。わしが取り成してやろう。ダーズリー氏には、マグル側からツテがあるのでな〕

 意外な提案にクローディアは、顔を上げて祖父を凝視した。

〔いや……なんだ。その2年間、頑張ったしのお。そのハリーも友達と電話したいじゃろう〕

 口ごもる祖父は咳払いした。そういえば、なんだかんだと祖父はクローディアに甘いのだ。

〔ありがとうさ〕

 ここは素直に喜び、クローディアは祖父に感謝した。

 

☈☈

 客間の家具は、どれも貴賓を重視した造りである。

 スネイプが腰かける黒革のソファーも同じだ。

 飲みかけのラム酒が入ったグラスを手に、スネイプはマルフォイを失礼のないように見据えた。理事会を解任されたにも関わらず、彼の余裕は崩れることはない。

 バーサ=ジョーキンズが魔法省全職員に、マルフォイの醜聞を飛び火のように広めたことなど、痛くもない。

 多少の強がりをスネイプは見抜いているが、マルフォイに同意しておく。

「ドリスと話をした」

「彼女が何か?」

 動揺を面に出さず、スネイプが聞き返す。

「私は、ひとつの確信を持った。コンラッドは生きている。そして、ドリスもそれを知っている」

「何故です?」

 マルフォイはグラスのラム酒を舌で転がし、飲み干す。

「ドリスは私に「あなたに言わなければならないことはない」と言ったのだよ。もし、コンラッドから何の音沙汰もないのであれば、「何も連絡はない」と答えればいいだろ? 確実にコンラッドは戻ってきている。漏洩を恐れ、君にさえ連絡しない程、徹底している。ドリスも我々が考える以上に狡猾かもしれない。あの異国の小娘を使い、さも孤独な老人を演じているように思えてならないね」

 クローディアはコンラッドの娘だ。本人がそう公言している。これをマルフォイに伝えるのは、危険すぎる。おそらく、彼女を拷問にかけてでも、コンラッドの居場所を吐かせようとするに違いない。

 あるいは、娘を餌に父親を誘き出す手段も取りかねない。それだけ、マルフォイはコンラッドの失踪を怒っている。

「コンラッドを見つけた場合、どうされます?」

「勿論、それ相応の罰は受けて貰うつもりだ」

 マルフォイの唇が薄く引き延ばされて、嗤う。

「私の方からも、あの小娘にそれとなく聞いておきましょう。何も知らないでしょうが」

「頼りにしているよ。セブルス」

 マルフォイがグラスを掲げたので、スネイプも掲げた。

 カチンッ。

 グラスが交友の音を奏でた。

 




閲覧ありがとうございました。
これにて、『秘密の部屋』を終わります。
●ザヴィアー=ステビンス
 原作四巻にて、苗字のみ登場。


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アズカバンの囚人
三巻・序章


閲覧ありがとうございます。
長いので序章を二つに分けました。
日本での暮らしです。

追記:16年9月1日、18年9月30日、誤字報告により修正しました


 慣れ親しんだ風、湿ったようなそれでも懐かしい空気、日本語ばかりの看板、母が運転する車のラジオから流れる小泉京子の『優しい雨』。

 2年ぶりの日本を私は、ずっとこの国にいたかのように受け入れることが出来た。それでも、我が家に着けば懐かしさで感傷に浸る。

 しかし、私を待っていたのは暖かな生家だけはない。母からの説教もあった。私が学校でバジリスクに襲われ、2ヶ月半も石化していた事が母にバレてしまったのだ。バラしたのは、他の誰でもない父だ。

 母の本気の説教は、短いが深く心に突き刺さるので怖ろしい。帰宅した晩は、母からの説教の名残で胸の動悸が治まらず、よく眠れなかった。

 

 帰国した最初の日曜。

 私は、小学校の頃の同級生達と再会した。幼馴染の藍子、瑠璃、佐川。バスケ仲間の田沢、木本、木下の6人。藍子と佐川以外は同じ公立中学生、ちなみに2人は私立中学生だ。

 懐かしい顔ぶれが言い放った言葉は、全員一致していた。

「「「「「「来織(くおり)、太ったなあ」」」」」」

 友達から来織と呼ばれる響きに懐かしむ気は失せ、私は烈火の如く全員を追い回した。鬼ゴッコをしている気分になり、私はそれなりに楽しかった。

 黄金を連想させる田園風景を見渡し、私は皆と久々に小道を歩いた。

「ああ、全国模試メンドイ……」

 おさげをいじりながら藍子が何気なく呟く。藍子の前を歩く木下が困ったように肩を竦める。

「塾行ってるから、平気だろ」

「俺、推薦入学確定だって、担任が喜んでたぜ」

 現在、バスケ部の部長をこなす田沢は誇らしげに胸を叩く。

「耳にタコができるほど、聞いたぜ。うぜえ」

 志望校が全て、担任に無理だと宣言されている佐川が忌々しげに悪態を付く。受験を控えた同級生達の会話がギスギスしているせいか、私は居た堪れない。沈黙している私を気遣うように、瑠璃は話をずらしてきた。

「来織の学校って7年生まで?」

「そうさ、毎年学年末試験があって、クリアできないと落第か退学さ。先輩が1人それで自主退学したさ」

「げえ、毎年が受験ってこと?」

 呻き声を上げる木本は、吐く真似をする。

「イギリスね、あたしも留学しようかなあ。ねえ、ロンドン橋見に行った? エリザベス女王は? 路上で平気にキスするって本当?」

 質問攻めをする藍子に、私は返答に迷う。

 英国で観光らしい観光をしていない。

 ホグワーツ城にいる間は、何処にも外出できない。去年の夏の休暇も祖母の住む街から出ていない。

「バスケは続けてるか? 来織の腕なら、すぐにレギュラーだろ? 大会は出た?」

 横から話を変える田沢に、私は苦虫を噛み潰した表情で首を横に振る。

「バスケ部がないさ、……その学校の意向でさ」

「え、なんだそれ!? じゃあ、何のために学校に行くんだ? ありえねえ」

 驚いた田沢が足を踏み外し、溝に足を突っ込んだ。木本が腹を抱えて笑う。

(魔女になったとかは言えないさ)

 ゲームか漫画の話だと馬鹿にされるか、外国帰りで頭が沸いたと思われる。

「夕方に小学校の体育館に行くか? 俺の親父が友達とバスケしてんだ。行こうぜ」

 小学校の方向を指差しながら、活発な態度で木下は提案する。

「やめとく、あたし。これから塾なの」

 瑠璃は面倒そうだ。藍子も同じ態度を返した。

「夏休みに入れば、塾ばっかりだ。下手をすりゃあ、家庭教師もついちまうかも」

 仕方ないと佐川は、嘆いた。

「俺、推薦組♪8月には、大会出るから県外に行くんだぜ♪」

 片足を泥に塗れた田沢に、全員、苦笑する。藍子、瑠璃、佐川の塾組はそのまま別れた。

 懐かしい小学校の体育館では、知っている顔触ればかりだ。木下のお父さんや藍子のお母さんもいた。そして、小学校6年生の時の担任・玉城先生もいた。玉城先生は、私を見て仰天していた。

「日無斐(ひむかい)……、おまえ、……すっかり大きくなって」

 私の体型を見て、玉城先生は必死に笑いを堪えていた。

 日無斐とは、祖父の姓だ。幼稚園から、私は『日無斐 来織』の名で通っていた。日本にいる間、クローディアと呼んでいたのは、実は父だけなのだ。しかし、今ではその反対の生活である。懐かしさよりも、羞恥心が湧く。

「ああ、お祖父ちゃんにも叱られたさ」

「そう落ち込まずに、日無斐先生は来織ちゃんがいなくて淋しかったのよ。きっと、八つ当たりね」

 藍子のお母さんが周囲の人に同意を求める。皆、肯定の意味で頷き返す。

「日無斐先生があんまり淋しがるから、院長先生が休みを言い渡したとか聞いたよな」

 祖父から聞いた話と随分、違う。私が驚くと田沢は思い出し笑いで噴き出した。

「伯父さんが話してくれたぜ。日無斐先生、休憩時間で仮眠とっている時、寝言で「来織~、来織~」って呼んでたとか」

「その話、お祖父ちゃんにしていいさ?」

 満面の笑みで私が田沢に聞くと、彼は怯えて嫌がった。それを玉城先生達は可笑しそうにケラケラ笑う。ここにいる誰もが祖父を知り、また敬愛している。それだけ、祖父は医師としてまた1人の人間として人望がある。

 バスケを堪能し、帰路に着く頃には日が暮れていた。

「来織、読書課題でおまえん家の本、借りていいか?」

「木本が読書さ!? うう、天変地異の前触れさ!」

 木本は教科書と漫画以外は一切、読まない男子のはずだ。私が吃驚すると、木下が腹を抱えてゲラゲラと笑い出しだ。

「中学に入ってからは、真面目に読んでんだよ!」

「ごめんごめんさ。それなら、フランケンシュタインはどうさ? ちょっとマニアックな内容だけどさ」

 木本は怪訝そうに眉を寄せるが、了解した。

 木本と木下は方向が違うので、隣同士の田沢が私を家まで送ることになった。

「全然、腕が衰えてないな。なんで、バスケ部のない学校にしたんだ?」

「お父さんの母校でさ。私に通わせたかったらしいさ」

 間違ってない。それでも、全てが本当ではない。

「もったいねえ、来織のお父さんって本当酷い……わりい」

「いいさ、あんたは、どうするさ? プロ目指すさ?」

 自前のバスケボールを転がせる田沢は、冗談を消した真摯な態度で頷く。

「8月に入ったらゲーセン行こうぜ。K・O・Fの新機が出るんだ。強化合宿前だから、ちょっとだけ遊べるんだ」

「K・O・F? 新しいゲームさ?」

 聞き返す私に、田沢は項垂れる。

「英国には、ゲーセンはねえのかよ」

 それからは他愛無い話で盛り上がる内に、私の家に辿り着いた。

「マジな話、バスケはやめるなよ。俺がバスケ始めたのは、おまえに勝ちたかったんだからな」

 念を押す強い口調に、私は頷くことも出来なかった。

 

 玄関の引き戸を開け、私はいるはずの両親に帰宅を報せた。書斎から、母が顔を出して出迎えてくれた。私と瓜二つの母。髪も目も顔つきも、全く同じだ。違いは私より背が高く、胸が大きく、大人であることのみ。

「お帰りなさいさ。お風呂のお湯沸いてるさ。先に入っていいさ」

「ありがとうさ。お母さん」

 私は靴を脱ぎ、一直線に脱衣所へ向かった。汗だらけの服を洗濯籠に入れる私の後ろに、母が着替えを持って現れる。

「お母さんは、町内会で話し合いがあるさ。ご飯はあるから、適当に食べるさ」

「はいさ、お母さん」

 私は去ろうとする母に、急に問いかけてみたくなった。

「お母さんは、魔女じゃないさ?」

「はあ?」

 間延びした口調は、不信が籠もっている。まるで私が失言したような気分になり、焦りが胸を支配する。

「だって、お父さんもお祖父ちゃんも魔法使いだしさ。お母さんもそうかなって……」

 慌てて説明する私に、母は納得したように頷く。

「そうさ。この家で一番の魔女さ。チチンプイプイ、来織はお風呂で綺麗になるさ♪」

 指先をクルクル回す母は、にこやかに微笑んだ。子供じみた母に、私は苦笑した。そんな呪文を口にしている時点で、母は魔女ではないと、簡単に察することが出来た。

 照れ笑いを浮かべる母は、布製の手提げ鞄を手にして出かけていった。

(そういえば、チチンプイプイなんて呪文なかったさ)

 今度、口にしてみようと決めた。

 バスケで疲労した体を湯船に沈め、私は心地よさに息を吐く。

 久方に集まった友人達とのやり取りを十分に楽しんだ。としてしかし、やはり2年前との違いも感じる(背が伸びたなどのことは抜きする)。

(高校さ……)

 その単語を私は他人事のように繰り返す。

 小学校の頃、バスケが大好きで得意だった。玉城先生にもバスケの強い中学に進学してはと薦められた。私は受けたかったが、父がそれを拒んだ。

 ホグワーツに入学し、バスケの出来る環境は失われたに等しいが、それとは違う大切なモノを得られたことに満足している。

 だが、今日のことで私は体がバスケを諦められないのだと実感させられた。

(クィディッチ……)

 私は箒を上手く乗りこなせないし、バスケとは全くの別物だ。

(バスケ……、続けたいさ……)

 湯に体を浸からせ、私はため息を付いた。

 

 お風呂でさっぱりとした私は、タオルで髪を拭く。居間でTVを見ようと、私が座布団に腰かけた時、玄関が開く音がした。

「いま、帰った」

「おかえりさ」

 居間から顔を出す私に祖父は、不機嫌さを隠す様子もなく、乱暴に草鞋を脱ぎ捨てる。

「祈沙(きさ)とコンラッドは、どうした?」

「お母さんは、町内会の集まり。お父さんは書斎で締め切りに追われている」

 私が言い終えると、奥の書斎の扉が開く音がした。

「お帰りなさい」

 分厚い本を抱えた父がいつもの笑顔で、祖父を迎えた。

 2人は居間の奥の部屋で、襖を閉める。私がTVを見ているにも関わらず話始めた。しかも、私の知らない国の言葉だった。

〔話はつけられました?〕

〔まあな、今更すぎるんじゃよ。ワシは当時から、あれは他殺だと進言しておったのに、何が特番じゃ〕

 祖父と父が、日本語と英語以外の言葉で話すのが珍しい。興味に駆られた私は、体重をかけない程度に、襖に耳を当てる。

〔アルバニアは、叩かんのだな?〕

〔はい、先に討っては流れが狂います。ここは、順当に行かせるべきでしょう。布石を置くことも今のところ抜かりありません〕

(何言ってるさ? わかんないさ)

 深刻なことは察しがつく。私はせめてどの国の言葉か突き止めようとした。

〔祈沙には、どう伝える?〕

〔包み隠さず、トム=マルヴォーロ=リドルの日記に関しても、同じです〕

 聞き取った単語に私は、首を傾げる。

(トム=マルヴォーロ=リドル? 『例のあの人』の昔の名前……)

 この2年間で起こった出来事には、全て『例のあの人』が関与している。その事について話している。私に気を遣い、別に国の言葉で話しているのだ。居た堪れない気持ちになり、私は襖に当てていた耳を離した。

 TV番組は、曜日の関係で私の見たいモノがなかった。

(ビデオ屋で『無責任艦長タイラー』でも、借りて来ようさ)

 襖が開き、祖父が私を一瞥する。

「教えておきたい場所がある。着いて来い」

 神妙な顔つきに、私はすぐにTVの電源を切る。廊下から外に出る祖父に続き、私も庭に出た。庭には、車が2台余裕で置ける広さを持つが、あるのは古めかしい雰囲気を漂わせる蔵だけだ。私が小学校を終えるまで、幼馴染の藍子や瑠璃と、よくかくれんぼをして馴染んだ場所だ。

 施錠もしていない分厚い扉に、祖父は手を当てる。私を振り返り、イタズラっぽく笑う。

「開けゴマ」

 笑い所がわからず、私は硬直する。それに構わず、扉が勝手に開いた。

 祖父が趣味の収集物。町内会で預かった品物。そういった物が乱雑ながらも整頓され、歴史のあるカビ臭さが2階建ての高さに染み渡っている。

 

 ――はずであった。

 

 奥行きと天井の高さは、小学校の体育館に匹敵する。窓のない木の床と壁から道場を思わせた。目の錯覚かと疑った私は、瞬きを繰り返した。扉の中を目にしてから、私は蔵の周囲を見渡す。そして、外見と中身の構図が一致していないことに気づいた。

 驚きと感動で私の胸は高鳴り、肩を大きく揺らした。

「魔法みたいさ」

「いやいや、魔法じゃよ」

 祖父に促されて蔵の中に入った私は、床の上で飛び跳ねた。

「喜んでもらえて何よりじゃ。ドリスから聞いたが、『付き添い姿現わし』をしたそうじゃな?」

 生真面目な口調に、飛び跳ねるのをやめた。まだ、私の胸は高鳴っていた。それでも、冷静に『付き添い姿現わし』について思い返す。そのままの意味で、自分ではなく他人の『姿現わし』に付き添うことだ。確かに私は、1年前の夏に祖母と『姿現わし』した。その状況を説明した私に、祖父は確かめるように頷く。

「ここでは、本格的に『姿現わし』の訓練をしてもらう。ついでに、箒の訓練もしておこう」

 箒という単語に、私は思わず顔を顰めた。

「瞬間移動の練習をするのに、箒に乗る必要があるさ?」

「飛行術は、覚えて損はない。そのまま飛んだほうが楽じゃが、おまえにはまだ無理だ」

 奇妙な含みに、私は飛びついた。

「お祖父ちゃん、箒がなくても飛べるさ?」

「当たり前じゃ、おまえにもいずれはそうなってもらう。しかし、飛ぶ感覚を身につけるには、箒が一番じゃ」

 そこまで力説する祖父に、私は断れない。しかし、ある問題点に気づいた。

「17歳未満の魔女が、学校以外で魔法を使ったらいけないさ」

 言い終えた私に、祖父は目を細めてニンマリと笑う。イタズラ心満載の笑顔だった。

「そういう法には、抜け道という者があってな。成人した魔法使いの傍で、未成年の魔法使いが魔法を使っても、バレんのじゃよ」

 犯罪の片棒を担がされている気がした。だが、学校の規則も『ポリジュース薬』を無断で調合するという経験があるせいか、私は不思議と恐くなかった。

 承知の意味で頷いた私に、祖父は続けた。

「では本題に入ろう。この課外授業の他に、並行してワシとコンラッドが考案したダイエットを始める。先に言っとくが、キツいぞ?」

 『姿現わし』や『飛行術』よりも過酷な宣言に、私は絶句した。

「お祖父ちゃん、病院勤務はどうしたさ!?」

「最近、院長が変わってな。ワシのような老いぼれは非常勤で十分と言ってきおったわい!」

 

 ――何故ですか、院長先生。

 

 しかし、他の疑問も浮かんだ。あの病院は、田沢の親戚が代々院長を勤めているはずだ。今日、彼はそんな話をしなかった。

「新しい院長って誰さ?」

「お隣の田沢さんのお兄さんじゃよ」

 つまり、田沢の伯父さんだ。

「うん、よくわかったさ」

 深くツッコミを入れるのはやめることにした。

 

 宣言通り、ダイエットは正に過酷を極めた。バスケの猛特訓や『賢者の石』を取りに行ったときのほうが生易しいというのは、決して大袈裟ではない。

 だが、その成果は確実なものとして、私の身体に現れていった。

 翌週、地獄のダイエットメニューをこなし、心身共に疲労した私は居間に倒れこんだ。畳の感触に体力を取り戻していく中、カサブランカがハーマイオニーの手紙を運んできた。

 嬉しさが勝った私は、疲労を忘れて手紙を開封した。

【クローディア、日本はどうですか?

 私はこれからフランスに行くところです。今から、とても楽しみにしています。

 以前、ベンジャミン=アロンダイトについて話したことを覚えていますか? こちらで彼の生誕80年を記念した展覧会がロンドンで催されました。

 公開された写真の中に、彼の友人と一緒に映っているモノがありました。

 白黒だったから、分かりにくいけど、きっとあなたのお祖父さんよ。

 パンフレットを同封します。

 追伸、ロンから手紙が届いて、ハリーに電話をしたら彼の叔父さんに叱られたんですって、あなたも電話をするなら、気をつけたほうがいいわ。  ハーマイオニーより】

 封筒からパンフレットを取り出した私は、ハーマイオニーが赤ペンで印をつけた写真を見やる。

 古い白黒写真には、何処かの建物前でスーツを着込んだ英国人特有の男性と頭二つ分近く背の低い日本人の男が握手を交わしている様子が写されていた。背丈ならば祖父と同じといえばそうだが、真っ黒な髪にシワひとつない顔は白く若々しい。

「わっかんないさ」

 畳に寝そべりながら、パンフレットを注意深く読み上げていく私に低い声が降り注ぐ。

「何をしとる?」

 祖父はぶっきらぼうに口元を曲げ、私からパンフレットを取り上げる。

「ほお、盛況のようじゃな」

「その写真って、お祖父ちゃんさ?」

 私の問いに、祖父は私を一瞥する。

「そうじゃ、ワシが今より若い頃の者じゃ」

 しかし、パンフレットに祖父の名は記されていない。だが、この写真の日本人が祖父であるという確認がとれたので、私はそれで満足した。年齢を刻むシワが精悍さを際立たせるが、肩までの灰色の髪と晒された口元が父とは違う若さを印象付ける。その歳月に、私が知らない経験も多くあるのだ。

 パンフレットを逆さに見つめ、私は物思いに耽る。もう1人の祖父・ボニフェース=アロンダイトの兄ベンジャミン=アロンダイト。祖父はそのことを知っているのか、わからない。特に確かめる気も起きないので、私は口を開かなかった。

「なんじゃ、ワシの顔に何かついとるか?」

 瞬きする祖父に、私は咄嗟に頭を振る。

「違うさ、……ベンジャミンには弟がいたさ! 学校で知ったさ!」

 私の言葉に祖父は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに目を伏せる。

「ああ、その話か……。そうじゃよ、ベンジャミンにはボニフェースという弟がおった」

 予想以上に動じない祖父の態度に、拍子抜けした私は適当に流そうとした。

「会ったことあるさ?」

「ワシが今より若い頃にな」

 独り言同然に呟く祖父の表情は、ハグリッドと同じ哀愁を窺わせていた。祖父の雰囲気に私はそれ以上何も質問しなかった。

 

 祖父と父のお陰で、私が15の誕生日を迎えるまでに体重は入学前まで戻り、身長も伸びた。『姿現し』も上手くなり、箒も自由に飛びまわれるようになった。

 記念写真を撮ろうと私達は、庭に出た。父がカメラを持とうとしたが、祖父が三脚を持ってきたので、4人で写真に納まった。父に頼んで、私1人だけで写真を撮る。私1人が映る写真を現像し、名も知らぬシマフクロウにハーマイオニーとクィレル教授へと運ばせた。

 カサブランカが魔法界の友人達からのお祝いを運んできたせいか、疲労困憊でぐったりと座布団に寝転んだ。

 魔法界の品物に母は興奮し、物珍しげに手に取っている。

「ほう、随分たくさん友達がおるそうじゃな」

 卓袱台に誕生日カードを並べて祖父が嬉しそうに見渡す。

【クローディアへ誕生日おめでとう

 カサブランカが僕のところに紙とペンを持って来てくれたので、急いで手紙を書いています。

 電話をくれて、ありがとう。君のお祖父さんが取り成してくれたから、バーノン伯父さんも機嫌が良くなったよ。

 いつまで続くかわからないけどね。  ハリーより】

【クローディアへ

 今、何処にいると思う? エジプトだよ。

 パパが賞金を当てたんだ。それで、エジプトで君に合う服を見つけたので、是非、着てください。  ロン、フレッド、ジョージより】

 不吉な予感を駆られながら、私はウィーズリー兄弟からの包みを開く。

「来織、それも魔法の何かさ?」

 横で見ていた母が包みの中身に絶句し、父は腹を押さえ笑いを堪えた。私は三兄弟に再会したら、蹴るべきか殴るべきかを模索した。

 日本時間の真夜中は、英国では朝方付近。

 手紙のお礼をハリーするため、私は受話器を手にとる。回線を国際に切り替え、私は祖父に受話器をもたせた。

 

☈☈☈

 台所で食器を洗っていた僕は、電話が鳴り響くのを聞いた。

 この場所に、僕しかいない。ダーズリー親子は車の洗車で庭に出ている。蛇口を捻って水を止め、急いで受話器を取った。

 出来れば、先週のようにクローディアがかけてきてくれないかと願う。

「もしもし、ダーズリーです」

〈その声はハリーじゃな。わしじゃ、……クローディアの祖父じゃ〉

 途端に僕は心を弾ませ、声を低くした。

「お世話になっています。クローディアがそこに?」

〈おるよ、そっちのダーズリー氏が現れたら、すぐに報せろ〉

 一旦、声は止まり低い声が、高い少女の声になる。

〈ポッター? おはようさ? こっちは夜さ。いまから寝るさ〉

「おはよう、えと、お誕生日おめでとう。手紙届いた?」

〈うん、ありがとさ。ねえ、ポッターは誕生日に欲しいものってあるさ?〉

 クローディアにしてみれば、何気ない問いかけだったに違いない。けど、僕にしてみれば、嬉しさで発狂したかった。これまでの人生で僕に『誕生日に何が欲しい』と尋ねてきた人間など1人もいない。学校に通えるようになってから、貰えるだけでも嬉しさで涙が出る。

 故に、すぐに思いつかない。

「そうだな。君が持ってたボールペンがいいな。あれって、羽ペンより書くのが楽なんだよね」

 精一杯の願い。受話器の向こうから承諾の声がした。

〈ロンとフレッドとジョージがまた変なものくれたさ、殴るのと蹴るの、どっちがいいさ?〉

「両方やったら? でも、加減を間違えないでね」

 急に僕の後ろから手が伸び、受話器を取り上げられた。

「叔父さん!」

 僕はわざとらしく大声を上げた。

「誰じゃ! またいかれた連中か!」

 叔父さんは受話器に耳を当て、乱暴に問いかける。

〈これは、バーノン=ダーズリー氏。先日、お電話したものです〉

 受話器からの低い声に、叔父さんは慌てて取り繕った。

「おお、テムカーさん。庭に出ていたものですから、気が付きませんで」

〈いえ、ハリーくんが丁寧に応対してくれました。ダーズリー氏の教育が行き届いているのでしょう。とても礼儀正しいので、私はダーズリー氏を尊敬していたところです〉

 叔父さんが上機嫌に口元を痙攣させる。

 ちなみに「テムカー」とは、クローディアの日本の名字らしい。何度も発音を教えて貰ったが、僕らには「テムカー」にしか聞こえない。面倒になったクローディアは、「テムカー」を許した。

 その後、30分近く電話し、叔父さんは受話器を置いた。

「いいか、電話の相手がテムカーさんだったら、わしをすぐに呼べ、いいな?」

 簡単に告げた叔父さんは上機嫌にソファーに腰掛けた。

 普段なら、僕が電話に出ただけで怒鳴り散らすのが、この様だ。もし、相手が僕と同じ魔法使いだと知れば、ロンと同じ対応で終わりだ。

 これで、しばらく機嫌が良いだろうと思い、僕はクローディアに感謝した。

 




閲覧ありがとうございました。
『K・O・F』と『無責任艦長タイラー』がわからない方は、ググってみて下さい。私的におすすめ作品です。
国際電話をするときは、時差に気をつけましょう。


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三巻・序章2

閲覧ありがとうございます。
再び、日本の暮らしです。

追記:16年10月23日、18年9月30日、誤字報告により修正しました。


 田沢と木下に連れられ、久々のゲーセンを堪能した大いに私は、満足な気分で家に帰った。

 居間では、祖父が厳しい顔つきで卓袱台に【日刊預言者新聞】を広げていた。

「お祖父ちゃん、新聞とってるさ?」

「いや、ドリスが送ってくれたもんじゃよ」

 祖父は日付の違う新聞を私に見せた。

 片方はロンの家族が賞金でエジプトに旅行したことが記されていた。動く写真には、夫婦と7人の子供達が元気良く手を振っている。ロンが手にしている鼠は確か、彼の使い魔のスキャバーズだ。

 初めて目にした。

「ああ、賞金へえ! すごいさ」

 ロンのことを賞賛した私は、もう一枚に目をやり、恐怖で固まった。

 一面に張られた写真には、骸骨に肉が付いたと表現するしかない男が音もなく吼えていた。

「誰さ、これ?」

【シリウス=ブラック脱獄!】

 見出しの文面に書かれた文字を読んだだけで、これが囚人の写真だと理解した。

「アズカバンから脱獄したさ? あそこって凄く恐ろしいところさ、お祖父ちゃんは知ってるさ? 魔法使いの監獄なんだってさ」

「ワシは世話になったことはないからのう。噂程度に知っておるくらいじゃ。しかし、脱獄したのはヤツが初めてじゃ、……嫌な感じがするの。これが嵐を呼ぶ波紋にならねば良いが……」

 重苦しい祖父の言葉に、強い警戒心を感じ取る私は唇を噛み締めた。シリウス=ブラックの記事には、『例のあの人』の信奉者であり、マグルと魔法使いを合わせて13人を殺害したことが記載されている。

 つまり、あのルシウス=マルフォイのお仲間だ。

(脱獄したってことは、ポッター……狙われるさ?)

 卓状台に手をついた私は、祖父の向かいに座る。

「向こうに戻るさ」

「ダメじゃ、この事態に戻るとは許さん。予定は変えん」

 否定され、私の頭に血が昇っていくのがわかる。

「でもさ、ポッターが危ないさ。それにダーズリーさん達はどうするさ? 殺されるかもしれないさ」

「おまえに何が出来る!? もう石化されておったことを忘れたか!」

 大声ではない一喝に、私は咄嗟に口を噤んだ。睨むわけではないが、私は祖父から決して目を離さなかった。

「お祖父ちゃん、来織。何をうるさくしてるさ。玄関まで聞こえたさ」

 空気を壊す和やかな母の呼びかけに、私は飛びついた。

「お母さん、アズカバンから脱獄した魔法使いがいるさ」

「それ、漫画の話?」

 夕食の材料が入った買い物籠を渡す母は、簡単に返した。籠を受け取った私は、説明が面倒であったが、何も知らない母のために補足した。

「お母さん、その脱獄囚がさ。私の友達を狙うみたいさ。だから、急いで英国に戻りたいさ。そしたら、お祖父ちゃんが駄目だってさ」

 急に母は手を止め、不安げに眉を寄せる。

「まさか、その囚人を捕まえるつもりさ?」

 緊迫した母の雰囲気に押され私は、退いた。

「違うさ、私は友達が心配さ」

 母は今にも泣き出しそうに、目が潤んでくる。こうなると、母は涙を堪えられない。慌てふためく私に、米袋を提げた父がいつもの笑顔で問いかける。

「誰が脱獄したんだい?」

 米袋を玄関に置き、父は私に背を向けて靴を脱ぐ。その背に私はハッキリと答えた。

「シリウス=ブラックさ」

 一瞬、父の動きが止まった。振り返らず、父は頷く。

「今日は、友達の家に泊まるはずだったね?」

 ようやく振り返った父の笑顔に変化は見られない。私は、確かに藍子の家に宿泊する約束をしている。確認で頷く私に、父は部屋に戻るように促した。買い物籠を台所に置いた私は、祖父の顔も見ず自室に飛び込み戸を閉めた。

 その晩、藍子の家に泊まりに行った私は、父達の間でどのような会話なされたのかを知らない。

 

 翌日の昼に帰宅した時、父は詳細を把握するためと1人で英国に発ってしまった。

 母は『仕方ない』と微笑んでいたが、その目は充血し、声は枯れていた。一晩中、泣いていたに違いない。私も休暇が終われば学校に戻る。祖父もきっと、私のために英国に着いてくる。そうなれば、母は1人で家族の安否を祈るしかない。

「私、危ないことしないさ。先生のいうことも聞いて、安全にしてるさ」

 私が母に言えたのは、それだけだった。母は私の心情を察したのか、抱きしめてくれた。

 

 カサブランカが学校からの通達の羊皮紙を運んできた。ホグズミード村への許可証だ。

「やっと、ホグズミード村さ」

 3学年になる楽しみのひとつだ。

 この2年間、上級生によく自慢されていたが、今年から私も堂々と行くことが出来る。

 他には祖母から手紙が入っており、教科書を揃えておいてくれるという簡単な文章だけだった。

(サインって、お祖父ちゃんでいいさ?)

 居間に行き、新聞を読んでいた祖父に相談すると快く許可証にサインしてくれた。

「3年生か、思えば順当に通っておれば、5年生になるはずじゃな」

 急に祖父は、深刻な表情で私を見つめる。

「私いまの学年でよかったさ。友達もたくさん出来たしさ。本当、逆に良かったさ」

 ハーマイオニーと親しくなれたのも、パドマとリサと同室になれたのも今の学年にいるお陰だと、私は本気で思っている。

「そうか、それならいいんじゃが……」

 祖父の歯切れが悪い。躊躇う仕草に私は不安になる。

「その……恨んでおらんか?」

 それは今の学年を指していない。私は祖父がバスケのことを問うているのだと察した。

「最初は、考える暇ないさ。学校は楽しいさ。恐い先生もいるさ。でも、こうして日本に帰るとさ。バスケしたいなって思うさ」

 正直に、休暇に入ってからの胸の内を晒した。

 祖父は腕を組み、真摯に頷く。

「やめてもかまんぞ。ホグワーツに行かんでも、おまえがバスケをする傍ら、ワシが魔術の講師をしてやろう。ワシとてダームストロングを退学してからのほうが、勉強になったからのう」

「は?」

 簡単に告げる祖父に私は一瞬、混乱する。そして、祖父の言葉を私なりに解釈し、色々突っ込みを入れたいところであったが、最も着目した点のみ反応した。

「お祖父ちゃんが、ダームストロングさ?」

「そうじゃ。しかし、割りにあわんでの。卒業を目前にやめてやったわい」

 懐かしむ祖父は、自慢するように笑う。

 私はその学校名に覚えがあった。【ヨーロッパにおける魔法教育の一考察】において最低と評価された学校だ。理由は『闇の魔術』必須科目とし、現校長イゴール=カルカロフは純血主義者でマグル出身者の入学を拒絶していると遠巻きに明記していた。祖父の母校を貶す気はないので、その点に触れずに置く。

「もしかして安陪清明みたいにそういう家系さ? 薬もその証さ?」

 祖父は笑みを消し、真っ直ぐ私を見据える。

「いや、ワシはただの百姓のマグル生まれじゃ。ワシが口減らしで山に捨てられたところを、魔法使いに拾われたんじゃ」

 淡々と語る祖父に、私は背筋が凍った。口減らしなど時代劇でしか見たことも聞いたこともない表現だ。

「ワシは物心ついた頃から、村の連中とは違うことが出来た。ワシの感情に任せで地震も起こり、物もよく壊した。おかげで、鬼子と虐げられておったから、いつかは捨てられると思っとったとも」

 気にかけていない様子だが、私は急に胸が息苦しくなった。

「すごいさ、お祖父ちゃん。ダームストロング学校ってその校長先生が純血主義者なのに、よく入学できたさ」

 漸く出した私の声は沈んでいた。

「わしの後見人がそこのOBで首席じゃった。わしの入学は、その推薦によるもんじゃよ。どんな風に評価されようとも、あそこは夢のような世界じゃった」

 口元を緩ませる祖父の表情に、私は強張っていた体が解けていく。

「『闇の魔術』って、ゲームでいうところの闇属性の魔法さ?」

「否、そうじゃなあ、あれは人に害を成す魔法の総称というべきじゃなかろうかな? この歳になっても、その辺りがワシにもわからんのでな」

「人に害をなす……呪いさ?」

 祖父は急に生真面目な態度で私に問いかける。

「そもそも『闇の魔術』とは、なんじゃ?」

「ヴォルデモートみたいに、他人を蹂躪する魔法さ」

 即答する私に、祖父は右手の人差し指を天井に向ける。

「ヴォルデモートが生まれる前から、既に魔法は存在しておる。従って、ヤツ自身を喩えに出すのは、正しくはない」

 突然、祖父の指先から炎が燃え上がり、私は軽く悲鳴を上げた。しかし、炎は祖父の指からただ燃えているだけで、大きくならない。祖父も熱さを感じる様子はない。

「仮に『闇の魔術』を蛇と喩えよう。じゃが、仏教において白蛇は観音の化身として重宝される。赤蛇は幸福の象徴じゃが、陰陽道における赤蛇は騰蛇を示し、凶を現す。ヤマタノオロチは自然の驚異を具現化させたもの、神話においては若い娘を食らう邪悪な存在として描かれておる。わしが言いたいことはわかるか?」

 私は自然と背筋を伸ばし、天井に目をやる。

「『闇の魔術』は存在しない?」

「飛躍しすぎじゃが、まあ合格点じゃ。『闇の魔術』はそれと認める者と恐れる者がおらなければ、成立せん。これは、魔法にもいえることじゃ。マグルが魔法を否定する時点でマグルの世界に魔法は存在せん」

 突然、卓袱台の上にバチルダ=バグショット著【魔法史】が降って来た。勝手に『魔女狩り』のページを開いた。

「見よ。ここにはマグルが行った『魔女狩り』が如何に本物の魔法使いにとって無益であったかを語るだけじゃ。拷問によって多くの人々が冤罪に陥り、火刑に処されたことに霞みも触れておらん。これが魔法界と人間界の差を如実に表しておるわい」

 祖父の人差し指から、炎が消える。指には燃えた痕がない。同時に【魔法史】も卓袱台から消えた。

「もう一度言うぞ。『闇の魔術』とはなんじゃ?」

 改めて問われ、私は自問する。

 太陽に物を当てるが如く、判断できるものか、されるものか?

「答えが出んのなら、それでよい。それとこの話は余所でせんほうがいい。頭がおかしいと思われるぞ」

 空気を一気に変える豪快な笑いが起こる。

 私も一緒になって笑った。笑いながら、私は頭の隅で冷静になる。

「じゃあ、……あの薬は……お祖父ちゃんが作ったさ?」

 急に祖父は座布団の上で座りなおした。

「半分正解じゃ。あれはな、ワシの師と共同して作り上げたモノじゃ。その師自身、長い歳月の間、強力な呪いに蝕まれておった。それから解放するために作っていたら、出来たもんじゃ。効力は抜群じゃろ? ワシ、1人ではあそこまでのモノは作れん」

 威張る祖父に、私は苦笑する。

「師匠さんって、後見人の人さ?」

「いやいや、別人じゃよ。ワシを魔法界に導いてくれた後見人と学校を去ったワシを弟子にした師……この人は戸籍上でワシの父親になる。その2人がいてこそ、いまのワシがある」

 師であり、曾祖父の存在に私は吃驚した。

「私にも曾祖父ちゃんがいたさ。今はどうしているさ? 私、会ったことあるさ?」

「いいや、もうおらんよ。……そうじゃな、確か……写真があったはずじゃ」

 祖父が閃いた瞬間、年代を帯びた黒い手帳が机の上に降って来た。懐かしむ手つきで祖父が手帳を開く。そこには、いくつもの写真が貼られている。これはアルバムなのだ。

「この人が師匠の幻三蝋(げんさぶろう)じゃ」

 白黒の写真に映る2人の日本人。片方は祖父、もう1人が師匠にして曾祖父の幻三蝋という。シワだらけで髪の毛がひとつもなく、まさに老獪。白と黒の和服が何故だが、和尚様の印象を与えた。

「へえ、これが曾祖父ちゃんさ。お祖父ちゃんも若いさ」

 湧き起こる高揚に従い、私は祖父からアルバムを借りて捲る。見慣れない服装をした人々が笑いかけて来る。おそらく、ダームストラングの生徒だ。彼らの中で、一番幼く背の低い男子生徒が祖父だろう。

「後見人さんは、どの人さ?」

「ない。あの人は、写真を嫌っておったからのお。……探せばあるかもしれんが……」

 重苦しく語る祖父は、急に話すのをやめた。

 素知らぬ振りをし、私はアルバムを捲り続ける。前半は学生時代だが、後半は曾祖父と映る写真しかない。背景からして、それぞれ国が違う。

「随分、いろんなところに行ったもんさ。あ、自由の女神……」

「旅は良いもんじゃよ。まあ、この歳では落ちつきたいもんじゃがな」

 祖父が笑いかけられた時、私は最後のページを捲る。これまでと違う写真があった。否、新聞の切り抜きだ。痩せた少女は、おそらく私と歳が変わらないだろう。神経質そうに顔を顰めていた。

 写真の下には、文章が一行だけある。しかし、私は読み切れなかった。読む前に、アルバムそのものが音もなく、消えてしまったからだ。

 驚いた私は、祖父に疑問の視線を投げかける。祖父は何の動揺も見せずに、卓袱台を支えに立ち上がった。

「さて、そろそろ運動の時間だ」

 祖父は、そそくさと居間を後にする。しかも途中で襖にブツかった。ポーカーフェイスを気取っても、態度では隠せずに丸分かりだ。

(今の写真って……誰さ?)

 わざわざお茶を濁したのだから、答えないだろう。私でも理解できるのは、あの少女は祖父にとって特別な人ということだけだ。しかも、写真ではなく、記事の切り抜きならば、相当な片想いだ。そんな時期が祖父にもあったのだと考えると、私は思わず和んでしまった。

 

 日本にいる最後の1日。

 昼間は友人達とカラオケで盛り上がった。田沢のチームが全国大会で優勝したことが拍車をかけた。これで、田沢の高校推薦は確実になった。皆はそれを心から祝福した。

「来織、本あんがとな。フランケンシュタインって奥が深いわ」

 感嘆したように言いながら、木本が【フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス】を返してくれた。これを貸したのは、彼が夏休みに入る前である。

「随分、じっくり読んだもんさ」

 含みを込める私に、木下はわざとらしく咳き込む。

「そりゃあ、コルネリウス=アグリッパなんて知らねえ名前とか、時代背景を調べるのに時間かかったんだよ。とにかく、おもしろかった! それでいいだろ」

 世界史に興味でもなければ、魔法使いとして讃えられた軍師アグリッパを知る機会は少ないだろう。

「お役に立てて良かったさ」

 不貞腐れる木下の頬を私は指先で突いて、からかう。歌っていたはずの田沢が突然、マイクに向かって怒鳴りだす。とても楽しい時間だった。

 夜は家族3人で夏だというのに、鍋で盛り上がった。

「しかし、来織。この1年でよく考えておけよ。魔法界だけが世界ではないからな」

 酒で酔った祖父が、上機嫌に私に擦り寄ってきた。酒気に堪らず、私は母に逃げた。

 眠る前に、私は蔵の中に入った。ヒノキの匂いが私の脳内を心地よくさせる。

「何してるさ?」

 なかなか出てこない私を心配し、柿色の寝巻き姿の母が入ってくる。

「最後に、ちょっとだけさ」

 床に寝そべる私に、母も倣う。

「また帰ってくるさ。最後なんて、違うさ」

「そりゃあ、そうさ」

 生返事する私の腹を母はくすぐった。手の感触に私は笑いが抑えられず、口から笑い声が放たれる。床を回転し、私は隅に集められた箒を目にする。

「お母さん、私、箒に上手く乗れるようになったさ。後ろに乗るさ?」

 箒に跨る私に、母も喜んで後ろに跨った。2人も乗ったせいか、箒は人1人分の高さ以上にならなかった。正直、私は自分の腕に落ち込んだ。

「お父さんに比べたら、まだまださ」

 励ます母に、私は項垂れて振り返る。

「お母さん、お父さんが箒に乗ったところ見たことあるさ?」

「勿論さ」

 床に足を着け、箒から下りる。私から箒を受け取った母は、窓のない壁を見つめる。

「来織が赤ちゃんのときさ。お母さん、育児ノイローゼになったことがあるさ。それを見かねたお祖父ちゃんが、お父さんと遊園地でデートするように言ったさ。平日でさ、遊園地は家族連ればっかりさ。お父さん目立ったさ。外国人だし、いい男だしさ。ジェットコースターが一番楽しかったさ。そしたら、お父さんったら乗り物酔いで吐いたさ。お母さん、それがおもしろくって、『いい男が台無し』って言ったさ」

 区切るように母は言葉を切った。箒を愛おしそうに抱きしめる。

「お父さんは、悔しそうに私を睨んださ。負け惜しみみたいに『箒なら負けない』って怒ったさ」

「お父さんが怒ったさ?」

 私の言葉が聞こえないのか、母は続けた。

「その夜、あの人は私を庭に連れ出して箒に乗ったさ。私はちょっと怖かったけど、なんとか乗ったさ。あの人は箒で私を空まで運んでくれたさ。家が遠くなって、町が遠くなって、雲のほうが近かったさ。そこから見た町の明かり今でも忘れないさ」

 その光景を思い出す母は、私の母ではなく1人の女だった。

「思わず、魔法使いみたいって言ったさ。そしたら、あの人、すごく嬉しそうに笑ったさ」

 瞼を閉じる私には、普段の笑顔でいる父しか想像できない。思えば、両親の昔話を聞くのはこれが初めてあった。2人しか知らない過去、それがあることを私はつい忘れてしまう。

「どうやって、お父さんと出会ったさ?」

「う~ん、忘れたさ。お隣の田沢さんなら、覚えていると思うさ」

 田沢さんは、一家そろって我が家の友人だ。

 急に母の顔つきが普段のものに変わった。

「来織、お祖父ちゃんに乗せられて学校をやめることないさ。そもそもな話、ホグワーツに行くか行かないかの選択肢もくれなかったさ。来織は、文句言わずにこれまでちゃんとやれたさ」

 その話に、私の心臓は急に跳ねた。

「そ、それはさ。ちょっとバスケのことでさ。続けたいなあってさ。でも、学校にバスケがなくてさ」

「なら、学校で部活を作るさ。あんたが部長して先導するさ」

 意気込む母に、私は目を丸くする。自分で部活を興すなど、考えたこともなかったからだ。意外に簡単な答えだった。

「ありがとう、お母さん」

 思わず私は、母を抱きしめる。

「どういたしましてさ、来織」

 来織は母が付けてくれた。クローディアは父が付けてくれた。どちらの名も、私には大切な名前だ。

 日本と英国が私の居場所なのだ。

 私と母は、そのまま蔵で眠り込んでしまった。

 




閲覧ありがとうございました。
日本での日常は、終わります。次から、イギリスです。
●日無斐 幻三蝋
 オリキャラ爺。この人の事を語れる日が来るかな…。阿倍さん家の陰陽師でないことは確かです。


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1.鉢合わせ

閲覧ありがとうございます。
主人公、おやすみ回です。

追記:16年9月1日、誤字報告により修正しました


 年季のこもるアパートの裏手に回り、マグルには決して発見されない庭付き一戸建ての敷地にコンラッドは足を踏み入れる。

 庭ではベッロが芝生に体を伸ばし、日光浴を楽しんでいる。

「ベッロ、ドリスはいるかな?」

 コンラッドに気づいたベッロは、鎌首をもたげて口に銜えた手紙を差し出す。

【コンラッドへ

 ハリーが家出し、魔法省の計らいで残りの日数を『漏れ鍋』で過ごすことになりました。私はハリーにご指名を頂き、面倒を見ることになりましたので、しばらく留守にします。

 クローディアが戻る前には必ず帰ります。  母より】

 内容にコンラッドは笑みを消し、忌々しく舌打ちする。

(ダーズリー家が最も安全だというのに、愚かなだな。所詮は、あの2人の子供というわけか)

 脳裏を過ぎったポッター夫妻の顔に悪態を付き、勝手に開かれた扉から誰もいない居間へと入り込む。

 3年生からの教科書が整頓された机に、手提げ鞄を置く。暖炉の前にある肘掛け椅子に座れば、組んだ足にベッロが這い上がった。そのまま膝でトグロを巻く。ベッロの顎を指で這わせ、机に置かれた【日刊預言者新聞】を見やる。

 一面に載せられたブラックの吼える姿に、コンラッドは皮肉っぽく口元を曲げる。

(悲しいね、シリウス=ブラック。君のお粗末な友情ごっこの結果がその様なのにね。今度は浅ましい復讐を遂げるつもりかい? レギュラスが生きていたら、なんていうだろうね)

 胸中で呟くコンラッドは、机に置かれたクローディアの教科書の一覧に目を通した。1冊だけ本が足りないことに気づく。

(【怪物的な怪物の本】? 私が行こうか、『漏れ鍋』にいるなら、母さんとも会えるだろう)

 ベッロを膝から下ろし、コンラッドは旅路で汚れた衣服を脱ぐ。適当な外着に着替え直した。

 

☈☈☈

 カフェ・テラスで昼食を摂るドリスの向かいで、ハリーは宿題と向き合っていた。一番厄介な『魔法薬学』の宿題を見てもらっているのだ。

 ドリスが見てくれるおかげで、簡単ではないが宿題は思いのほか順調に進んだ。『縮み薬』のレポートを書き終え、ハリーは達成感で体を伸ばす。

「ハリー、私はマグルの世界に出かけてきます。陽が暮れるまでには戻りますので、自由になさって下さい」 

 被る帽子を整え、ドリスは微笑む。

「うん、ドリスさんも気をつけて」

 ドリスの背を見送りながら、ハリーは呻く。

 『漏れ鍋』に来てから、ハリーはドリスによくしてもらうばかりで逆に申し訳なかった。何か恩返しが出来ないかと、ダイアゴン横丁を歩いて見回る。

「本かな? 服? 何が好きなんだろ?」

 思えば、ハリーは誰かに贈り物をしたことがないので、何をあげればいいのか見当がつかない。中年の魔女が集まる店を覗いてみたが、理解できないものばかりが並べられていた。

 『フローリシュ・アンド・ブロッツ書店』の前を通った時、ハリーは驚いた。ショーウィンドーに鉄檻ごと飾られている【怪物的な怪物の本】が、ただの本のようにじっとしているのだ。先日、この本を見た時、檻の中で本同士の乱闘が絶えず行われていた。 『漏れ鍋』の部屋に置いてある本も一向に大人しくならないので、ハリーは紐で縛っている。

 店内に入り、ハリーは店主に事情を聞こうとした。

「暴れる素振りを見せたら、必ず背表紙を撫でて下さい」

「本当にありがとうございます。もうこの本をどうすればよいのか、困り果てていました」

 店主が金髪の男性の手を握り、感謝していた。その男性の脇にも【怪物的な怪物の本】が身動きせずに挟まっていた。

「そうですか? 私はユーモアがあって好きですよ」

 そう言った男性は、丁寧に店主へ挨拶した。戸口にいるハリーとすれ違い、ようやく相手の顔が見えた。その顔をハリーは知っている。

「ボニフェース」

 驚愕に見開かれた瞳は、ハリーが日記の記憶で見た赤とは違う。ドリスと同じ紫であった。ハリーは自らの呟きを否定し、慌てて男性に非礼を詫びる。

「ごめんなさい。知り合いと間違えました!」

 羞恥で顔が熱くなるのを自覚し、ハリーは思わず目を瞑る。

(うわ、かっこ悪い……)

 片目だけ開き、ハリーは様子を窺う。

 愛想の良い印象を与える風貌だが、男性は無表情にハリーを見下ろしてくるので、逆に緊張した。段々と羞恥心は増大し、何処かに消えてしまいたかった。

「君は、ドリスと一緒ではないのかな?」

 頭上に降り注ぐ機械的な声に、ハリーは顔を上げる。

 男は無表情を崩さない。

 目が泳ぎつつも、6月にハグリットが語ったボニフェースのことを思い返した。彼に瓜二つの人間、コンラッド=クロックフォードという息子の存在だ。ハリーがよく知るクローディアの実の父親でもある。

「あ、あのもしかして、クローディアのお父さんですか? は、はじめまして、僕は……ハリー=ポッターです」

 戸惑いながらハリーは、必死に挨拶した。コンラッドはそれを返すことなく、機械的に唇を動かす。

「ドリスは、何処かにでかけたかい?」

「は……はい、マグルの世界に……買い物があるからと」

 コンラッドは小さく頷き、そのまま歩き去ろうとした。

「あの、ちょっとお話いいですか? ドリスさんのことで相談したいことがあります」

 慌てて呼び止めるハリーを無視し、コンラッドは歩くのをやめない。ハリーはコンラッドに付かず離れずと声をかける。

「僕、ドリスさんにお世話になりっぱなしで、御礼がしたいんですけど、何をすればいいのわからないんです。それで、ドリスさんは何が好きですか?」

 諦めたようにコンラッドは足を止め、ハリーを一瞥し、億劫そうに口を開く。

「肩でも叩いたらどうかな? 肩揉みもいいと思うよ。君がやるなら、母も喜ぶだろ」

 得策だとハリーは納得し、コンラッドに礼を述べる。

「ありがとうございます。早速、やってみます」

「君は、ドリスから私の話を聞いているんじゃないのかい?」

 冷徹な言葉に、ハリーは心当たりがある。目の前のコンラッドとあのスネイプが友人関係にあり、ハリーの父ジェームス=ポッターとは不仲だ。

「聞いています。でも、ドリスさんは僕に親切にしてくれます。クローディアもきっとそのことを知っています。それでも、僕とは友達でいてくれます。だから……」

 ハリーは、ほとんど無意識で言葉を紡ぐ。

「だから? 私が君にジェームス=ポッターの輝かしい学生時代を語って聞かせるとでも?」

 それを嘲笑うようにコンラッドの眉が痙攣し、口元が弧を描く。機械的で何の温かみも冷たさもない微笑みだ。ハリーは怒りが湧くどころか、寒気が走ってしまう。

「私が君の父親像を話したところで、信じないと思うよ」

 まるで呪文でもかけられたようにコンラッドの言葉が、耳で反響した。ハリーの反応に構わず、彼は先々と進んでいく。

 ハリーは小走りで追いかけ続けた。

「あの、ベッロはどうしてます?」

「家に置いてきたよ。ベッロは目立つからね。そんなわけで、私はもう帰らなければならない。では、ハリー=ポッター。さようなら」

 コンラッドはハリーに振り返ることなく、路地を曲がっていった。

 すぐにハリーが路地を覗いたときには、既にコンラッドの姿はなかった。

 

☈☈☈

 ――バンッ。

 

 分厚い教科書が床へ投げ捨てられた。

 感情を押さえ込むように、コンラッドは手で髪を掻き上げる。今し方、言葉を交わした少年の姿を思い返し、忌々しさで唇を噛んだ。普段の壮麗さが完全に消えた表情は、憎悪に歪んでいる。

(あの女と同じ瞳を抉ってやりたい! あの男と同じ顔を裂いてやりたい!! おのれ、おのれ! リリー=エバンズの亡霊め!)

 最早、殺意と変わらぬ衝動が湧き起こる。自らの身体を抱き、爪が服越しに腕の皮膚へと食い込んだ。服が血で滲み、唇からは血が流れた時、ようやく治まりが効いてきた。

 遠巻きに様子を見ていたベッロが、恐る恐るコンラッドに近寄る。視界にベッロを確認し、荒い呼吸を整えた。

「大丈夫だよ、ベッロ。そう、耐えなければ……いけない。そうだろ? セブルス」

 この場にいない人物に問いかけ、コンラッドは唇を舐めた。口の中で血の味がする。この血と同様に顔の造形さえも、今は亡きボニフェースと同じだ。よりにもよって、ハリー=ポッターなどに再認識させられるとは思わなかった。

「なあ、ベッロ。私とボニフェースは同じに見えるかい?」

 何気ない問いかけに、ベッロは否定の仕草をする。ボニフェースならば、そんな問いかけをしないと言いたいのだろう。苦笑してから、コンラッドは衣服を脱ぎ、痛々しい爪痕が残る腕を擦る。最初から何もなかったように、傷は消えた。

 

 ――急に玄関の扉がノックされた。

 

 咄嗟にベッロは扉に向かい、威嚇の姿勢を取る。コンラッドも身構えて、扉を見据えた。この敷地には住人と招待客しか出入りできない。

 今宵、コンラッドは誰も招いていない。後ろ手に杖を構え、扉のノブに手をかける。

 扉の向こうには、白髪混じりの鳶色の髪に、不健康に青白い顔色の男が立ち尽くしていた。コンラッドは失礼ながら浮浪者が迷い込んだと錯覚するほど、男の身なりが悪かったので表情が固まった。

 男もコンラッドを凝視し、目を丸くしている。

「……コンラッドか?」

 掠れる声で呼ばれた。コンラッドは笑顔を取り繕いながら、相手を観察する。脳内でこの浮浪者に当てはまる人物を検索するが、無理だった。

「私だ、わかるかな? ルーピンだ」

 

 ――リーマス=J=ルーピン。

 

 名乗られた瞬間、コンラッドは反射的に扉を閉めようとした。ルーピンの鞄が扉の間に飛び込み、それを遮った。

「私はドリスに招かれている。開けて欲しいな」

 コンラッドに負けない愛想の良い笑顔でルーピンは、扉をこじ開けようとする。

「悪いが、私は聞いていない。お引取り願おうか?」

 コンラッドも負けずと笑顔で応対する。見えない火花を散らせる2人を恐れたベッロは、思わず部屋の隅に逃げ込んだ。

「そうか。なら、私はドリスにあげてもらえるまでここにいるとしよう」

 あっさりルーピンは鞄を外し、扉の前に座り込んだ。

 その内、諦めるとコンラッドはルーピンを放置した。窓から、ベッロと教科書を見られないようにする為、それらを2階に運び込んだ。階段を消して2階の存在をなくしてから、扉の向こうを確認する。

 まだルーピンは、扉にもたれていた。

 コンラッドは忌々しく舌打ちし、扉越しにルーピンへ声をかける。

「母さんは、しばらく戻られない。何日も呑まず食わずでいるつもりかい?」

「慣れてるから、問題ないよ。でも、おかしいね。今晩の夕食に呼んでくれたはずなんだけど、手紙にもそう書いてあるし」

 首を傾げるルーピンにコンラッドは扉を少し開け、手紙を取り上げる。

「……確かに、これは母さんの字に間違いない。だが……」

 言い終える前に、ルーピンの腹から聞いたことのない音程が鳴り出す。

「白状するよ。もう3日も何も食べてないんだ」

 困ったように肩を竦めて笑うルーピンに、コンラッドは絶句して頭を抱える。

「君……図太くなったかな?」

 家の前で飢え死にされては、困る。そんな気持ちで、コンラッドは簡単な夕食でルーピンを持て成した。

 三十路過ぎた男2人が食卓を囲む姿に、コンラッドは苦笑し嘆息する。

「全く、滑稽だな」

「いやあ、おいしい。君が、料理が得意とは、知らなかったよ。ありがとう」

 コンラッドの皮肉を軽く受け流し、ルーピンは皿の料理を平らげ、満腹感を味わっていた。

 食器を片付けるコンラッドにルーピンは遠慮せず、暖炉の上にある棚に並べられた酒瓶を指差した。

「ドリスは、いつもそこから選んでくれるよ」

 台所で食器を流しに浸けたコンラッドは、思考する。ドリスは自分が留守の間に何度もルーピンを招いていた。

 ドリスとルーピンの両親との諍いを知るコンラッドにとって、俄かに信じがたい話だ。

「ひとつ、誤解しないで欲しい」

 コンラッドの心情を察したルーピンが笑みを消し、口を開く。

「ドリスが私を食事に招いてくれるのは、ただの同情だ。決して、全てを許してはいないよ」

「いちいち弁明しないでくれ。必要ないことだからね」

 水を入れたグラスをルーピンに乱暴に差し出した。コンラッドは、棚からウィスキーを取り出しグラスに注ぐ。

「相変わらずで嬉しいよ」

 わざとらしく肩を竦めるルーピンは、冷たい水を飲み干す。

「しかし、驚いた。元気かい? いままで何処に……いや、詮索するつもりはない」

 目を合わせないコンラッドに、ルーピンは水のお代わりを要求する。

 コンラッドが指を鳴らすと、ルーピンのグラスに水が注がれた。

「ドリスには、全てを話している。余計なお節介はやめたまえ。それより、景気のよい話でもしたら、どうだ?」

「あるよ。来月から就職が決まってね。そのお祝いを兼ねて、今週いっぱい、私に夕食をご馳走してくれるはずだったんだけど、何処に行ったんだろうね?」

 コンラッドは、ウィスキーを一気に飲み干す。

「それは、おめでとう」

 素っ気無いコンラッドに、ルーピンは笑顔を崩さない。その笑顔にコンラッドの胸中は、苛立ちに支配される。この世で自分を不愉快にさせられるのは、このルーピンだけだ。

「まさか、母さんに『脱狼薬』を調合させるつもりじゃないだろうね?」

 癒者(ヒーラー)であるドリスは、近年、開発された『脱狼薬』を調合できる数少ない魔女だ。ドリスが非常勤で勤める聖マンゴ魔法疾患傷害病院内でも、彼女程、効力の高い『脱狼薬』は調合出来ない。

「心配してくれてありがとう、その点に問題はないよ。職場に『脱狼薬』を調合してくれる魔法使いがいるから」

 言葉を重くして話すルーピンに、コンラッドは思考する。

 聖マンゴ魔法疾患傷害病院以外で、『脱狼薬』の調合が可能。加えて人狼を雇用する職場に見当が付かない。

 否、たった一箇所だけしか思いつかない。

「まさか……」

 グラスを握る手に力を入れすぎ、ヒビが入る。

 自然と横目でルーピンを視界に入れる。彼は眉を寄せ、悲哀を込めてコンラッドを見つめた。

「察しがいいね。そう、ホグワーツの教職に勤めることになったんだ」

 瞬間、コンラッドの手にあった硝子のグラスは粉々に砕け散った。

 

☈☈☈

 新品のシャツやズボンを着込んだハリーは、感激のあまり何度もドリスに感謝した。

「本当に嬉しいです。ありがとうございます」

「成長期ですもの、男の子は特にね」

 ハリーの喜ぶ姿に満足するドリスは、小さく手を叩いて満足した。

 御礼にハリーは、ドリスを椅子に座らせ、その肩を揉んだ。その行為に感激したドリスは、嬉しさで泣き始めた。

「なんたる光栄でしょう。お優しいのですね、ハリー……。息子もハリーくらいの歳には、よく私をこうして労わってくれました」

 涙を拭うドリスに、ハリーはコンラッドの言葉を思い出す。

(それで、こうしろっていったんだ)

 納得するハリーは、ダイアンゴン横丁でコンラッドと鉢合わせたことを話した。急にドリスの肩が強張る。

「そうでしたか、それでコンラッドは、何か失礼なことを?」

 不安そうな口ぶりに、ハリーは否定する。

「いいえ、とても、礼儀正しい人でしたよ」

(口調はね)

 ドリスはハリーの返答に、曖昧に頷く。

(愛想だけは、いい子ですから)

 不意に沈黙が訪れたので、ドリスは室内を見渡した。机に置かれた手紙にホグズミードの許可証が混ざっている。しかし、署名欄は白紙であった。

「ハリー、これはホグズミード村の許可証でしょう。サインがありませんが、どうされたんです?」

 今度はハリーの体が強張った。

「……僕の叔母さんと叔父さんがサインをくれなかったんです。ファッジ大臣にも頼んだんですが、保護者じゃないからと断られました」

 残念そうに項垂れるハリーに、ドリスは憤慨した。幼いハリーは、その身で『例のあの人』から学校を2度も救ったのだ。ロンと共に、魔法省から『特別功労賞』を授与されたハリーが、3年生からの唯一の娯楽『ホグズミード村』に行くことが出来ない。

 そんな馬鹿な話をドリスは決して納得できない。

「よろしければ、私がサインいたします。さしでがましいとは……思いますが」

 思ってもいない申し出に、ハリーは表情を輝かせた。

「よければなんて、とんでもない! 是非、お願いします」

 安堵したドリスは、許可証に『ペチュニア=ダーズリー』と書き込んだ。

 綴られたサインを見つめ、ハリーは慎重に許可証を抱きしめる。一層、新学期が楽しみになった。これ以上の喜びはないと、眼鏡がずれ落ちるまで蹲る。

 ドリスはハリーの心情を察して、彼の背を優しく撫でた。

 




閲覧ありがとうございました。
ルーピンは、理不尽な要求をされない限り、ご飯につられて着いて行きそうで心配です。
ハリーはサイン入りの許可証を手に入れた!


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2.ダイアゴン横丁

閲覧ありがとうございます。
服のサイズが変わったら、買いなおすのは大変ですね。
ここから英語を基本とし、それ以外の言語を〔〕と表記します。


 地下鉄を乗り終えるまでに、TVや新聞を通じてブラックのニュースを何度も目にした。

〔マグルにも情報公開してるさ? 不安を煽るみたいで、よくないさ〕

 トランクを抱えて駅を出るクローディアは、日本語で呟く。

〔ブラックは見境がないらしいからな。マグルの犠牲者が出ては魔法省も後始末に困るでの。早々に捕まればよいな〕

 隣を歩く祖父がぶっきらぼうに返し、露天売りされる新聞を一瞥する。

 

 既に慣れた道のりで英国の我が家に辿り着いたクローディアは、帰宅した喜びで庭の芝生に倒れこんだ。

〔行儀が悪いぞ!〕

 笑顔で一喝する祖父も同じように芝生に倒れこんだ。窓からコンラッドが2人に気づき、苦笑しながら声をかける。

 コンラッドに気づいた祖父が、慌てて飛び起きた。

「まあ、クローディア!? すっかり細くなって、背も伸びましたねえ」

 クローディアの服に付着した草を払い除けるドリスは、感嘆の声を上げる。

「でも、女の子はもう少し身があったほうが良いのではなくて?」

「心配せんでも、学校の飯を食っとれば、また肥えるじゃろ」

 イタズラっぽく笑う祖父に、クローディアは羞恥で赤面する。

〔お祖父ちゃん!〕

 堪らず日本語で悪態を付くクローディアに、祖父は素知らぬ顔で口笛を吹く。その口笛にベッロは愉快そうに体をくねらせた。

「クローディア、制服の予備を買ったほうがいいだろうから、明日はダイアゴン横丁だよ。もう休みなさい」

 いつもの笑顔のコンラッドはそれだけ告げると、扉の向こうに消えた。

 その態度に、クローディアは奇妙な違和感を覚える。

「お父さん、なんかあったさ? いつもなら、『日本語』はダメだって、言うさ?」

 問いかけられたドリスは、気まずそうに視線を逸らす。

「教科書を揃えて置きましたので、間違いがないか確認なさい」

 ドリスに急かされ、クローディアはトランクを2階の自室に運んだ。勉強机に詰まれた本と教科書の一覧を照らし合わせる。

(3つも教科が増えるから多いさ)

 その中の1冊だけが緑色の革で作られ、小さいベルトで縛られていた。本より鞄という印象を受けた。

「【怪物的な怪物の本】さ?」

 興味に駆られ、クローディアは本を持ち上げ、ベルトを解いた。

 瞬間に本は勝手に身震いし、口のようにページを開いてクローディアに飛び掛ってきた。

「うひゃあ!」

 強襲を予想していなかったクローディアは、反射的に本を床に落した。しかし、本は脚があるように床を滑り歩いて、迫ってきた。

「これが教科書さ!?」

 青ざめたクローディアが咄嗟に杖を構えようとした。

「言い忘れたけど、【怪物的な怪物な本】は背表紙を撫でないと、襲ってくるよ」

 階段を登ってきたコンラッドから、遅い忠告を受けた。クローディアは本に噛まれないように注意を払い、数分奮闘の末、背表紙を撫でた。

 忠告通り、本は撫で方を心地よく受け止め静まり返った。

 格闘したために荒れた部屋について、洋箪笥が文句をたれた。クローディアは深いため息のみ返した。

「見てないで、助けて欲しかったさ」

 始終傍観していたコンラッドは、口元を押さえ笑いを噛み締めていた。

 

 洋箪笥に片付けていたお気に入りのワンピースを着込んだ。以前着ていたときより、若干の余裕があることに気づき、嬉しさのあまり悶える。

(本当に細くなってるさ~♪)

 髪をおさげに結び、準備を整えたクローディアが居間に下りる。椅子に腰掛ける祖父がワンピースを感心するように見つめる。

「ほお、良いモノを着ておるな。ドリスさんが繕ったのか?」

「いいえ、コンラッドですよ」

 慣れない急須でお茶を用意するドリスの言葉に、祖父は意外そうにワンピースを凝視する。

「コンラッドが……そうか、良いモノくれたの」

 口元を緩める祖父に、クローディアは閃きで答える。

「壺より良いモノさ?」

 満面の笑顔で問うクローディアに、祖父は乾いた笑いで硬直した。

〔そのネタ……、知らん奴に言うなよ。本気で恥ずかしいぞ〕

 湯のみに注がれた茶を口にした祖父は、温度が適切ではないとドリスを注意した。

 その間、クローディアは先ほどの台詞をハーマイオニーに投げかけたときの反応を予想してみる。意味不明と返されるか詳しく質問攻めにされてしまうだろう。

 羞恥心で頬が赤く染まった。

 

 朝食も摂り終え、『煙突飛行術』を用いてダイアゴン横丁にクローディアは到着した。『漏れ鍋』でハリーに会おうとしたが、間が悪く部屋を空けていた。

 残念に思いながら、クローディアはドリスと『マダム・マルキンの洋装店』へ向かう。店の前で、おそらく新入生であろう少年と少女が期待に胸を躍らせて話しこんでいた。

「僕はペロプス。ペロプス=サマービー、君は?」

「ロミルダ=ベインよ」

 楽しげな2人組の邪魔をしないように、クローディアとドリスは店の中へ入る。マダム・マルキンが来客に気付き、親しみやすい挨拶をしてきた。

「ホグワーツの制服を新調しに来ました」

「では、こちらに。もう2人程、いますからね」

 クローディアは、店の奥にある試着室に通される。そこにいたのは、バーナードと何処かで見た男子生徒だ。2人にはそれぞれ魔女が付き、ローブの丈を計っていた。

「『闇払い』は、ブラックの捜索に関与しないらしいぜ」

「ファッジが局長のスクリムジョールに捜査権限を渡したがらないとか」

 真剣に話し合う2人に簡単な挨拶をしたが、愛想良く返されただけでクローディアだと気付いてくれなかった。

(そんなにわかんないもんさ?)

 納得しがたい気分で、クローディアはマダム・マルキン自らの手で丈を計って貰った。

 制服が終わり、二手に別れた。人の多いダイアゴン横丁では、そのほうが手っ取り早い。

「早く、皆に会いたいさ♪」

 再会を待ち焦がれるクローディアはスカートを翻して周囲を見渡す。視線の先に最も会いたくない金髪の少年と目が合い、思わず硬直した。

(マルフォイ……。ああ、最悪さ)

 胸中で呟き、嘆息する。視線を外さないドラコは、口元を痙攣させ皮肉っぽく息を吐く。

「お可哀想なクロックフォードは、食うにもお困りのようだな」

「素直に痩せたねって言えないさ?」

 苦笑するクローディアは、わざとらしく肩を竦める。

「痩せた? やつれたんだろ?」

 クローディアは頭を押さえ、話を逸らすことにする。

「マルフォイも背が伸びたさ、……まだ私のほうが上さ」

 手で身長を測るクローディアにドラコは口元を強張らせ、噛み付くように反論する。

「今年中に追い抜いてみせる!」

「はいはい、期待しないで応援するさ」

 軽くあしらわれたドラコは、頬を真っ赤に染めて小刻みに震える。彼に構わず、クローディアは周囲を見回す。

「それよりさ、ポッター知らないさ?」

「知るわけないだろ!」

 自分を無視するクローディアに、侮辱されたと感じたドラコが怒鳴った。周囲を歩く通行人の何人かドラコを振り返る。

「ドラコ、何を騒いでいるのですか?」

 小鳥の囀りのようなか細くも貴賓に溢れた声がした。クローディアはドラコの背後を見やる。

 絹糸のように繊細な金髪を丁寧に纏め、クローディアよりも長身で細身の女性が、ドラコの肩に優しく手を添える。

「母上、こいつが僕を怒らせるんだ!」

 唇を尖らせるドラコがクローディアに指を突きつけてくるが、気にせず彼の母を見上げる。

(綺麗な人さ……)

 マルフォイ夫人が物静かな眼差しでクローディアを見下ろしてくる。緊張し、背筋を伸ばし、お辞儀する

「はじめまして、マルフォイくんの同級生のクローディア=クロックフォードです」

「こいつは、レイブンクローだ。友達なんかじゃない」

 母親の前で態度を更に大きくしたドラコが、悪態を付く。

 クローディアの目の前には、象牙色の肌を持つ手が差し出された。

「ナルシッサ=マルフォイです。お見知りおきを」

 握手を求められると予期していなかったクローディアは戸惑いながらも、マルフォイ夫人の手を握る。陶器のように滑りのある手の感触に同性でも十分に魅了される。

「失礼」

 ドラコの肩に添えられていた手が、クローディアの頬をしゃくりあげる。

(なんか既視感さ)

 水晶を思わせる輝きを見せる瞳に凝視され、緊張して強張った。

「確かにコンラッドとは、似ていないようね」

「その……マルフォイさんからも聞きましたが、コンラッドという人は、どういう人なんですか?」

 嫌味とは違う穏やかな言葉と共に、マルフォイ夫人の手が離れた。優しい雰囲気につられ、危うくコンラッドが父親だと言いかけた。

「ドリスは、コンラッドの話をしないのね」

 誤魔化しは効いたようで、マルフォイ夫人は憐れむような視線を向けてきた。

「こんなヤツ、放っておきましょう。学校でな、クロックフォード」

 話題に置いていかれたドラコが、マルフォイ夫人の服の裾を掴む。乱暴な足取りでドラコは『フローリシュ・アンド・ブロッツ書店』に入る。

 マルフォイ夫人はクローディアに会釈し、ドラコに続いた。

 育ちの良さを窺わせる歩き方をするマルフォイ夫人を見送り、クローディアは腕組をする。

(あんな綺麗な人が知り合いさ、お父さんも隅に置けないさ)

 ハグリッドの話では、学生時代のコンラッドは、その容貌であるが故に女子に追い回されたことがある。マルフォイ夫人もその1人かもしれない。

 胸中で呟き、思わず頬が緩む口元を手で覆う。

 不意に、背後を通り抜けようとする人の気配を察したクローディアは、振り返ることなく避けた。案の定、惚けている様子のハリーが通り過ぎていった。

「ポッター、見つけたさ」

 偶然の巡り会わせに、ハリーを呼び止めた。彼は声をかけられたことで我に返り、クローディアを振り返った。

 しかし、ハリーは見知らぬ他人を見る目つきを返した。

「君は、誰……?」

「おいおいさ、ポッター。私の顔を忘れたとは言わせないさ」

 クローディアだと名乗っても、ハリーは不審な目つきを緩めない。『高級クィディッチ用具店』からドリスが出てこなければ、永遠に納得してもらえなかったかもしれない。

「変わりすぎだよ。逞しくなったね」

 期待外れの言葉をかけられ、クローディアはがっかりする。

「……綺麗じゃないさ?」

「クローディアは、綺麗とは遠いよ」

 悪意のないハリーの笑顔が眩しい。反射的にクローディアは彼の腹に拳を叩きつけようとしたが、ドリスに制しされた。

 不満げに、クローディアは呟く。

「マルフォイでさえ、私のことわかったさ。酷いさ、ポッター」

 ドラコの名に、ハリーは言葉を詰まらせる。

(マルフォイにわかったなんて、ありえない。あいつ、ひょっとして観察力ある?)

 胸中で呟くハリーの心情を察したクローディアは、口元押さえ、笑いを噛み締める。

 

 3人はカフェ・テラスで昼食を摂りながら、休暇中の出来事を説明しあった。

「誕生日の贈り物、ありがとう。僕、三色ボールペンなんて初めて見たよ」

「そういえばさ……、なんで『漏れ鍋』に?」

 何気なく問いかけると、ハリーはビクッと肩を痙攣させる。渋々、彼は事情を説明した。

 バーノン=ダドリーの妹マージの暴虐に堪えかね、ハリーは学校の外で魔法を使った。マージは風船のように膨らみ、空を飛んで行った。『魔法省事故リセット部隊』により保護され、記憶も修正された。

 まさかの事態にクローディアは、呆気に取られる。

「親戚のおばさんを膨らませたさ? それで、家出さ? ポッターは自重するさ」

「わかってるよ、本当は退学モノだってことは」

 少し緊迫感を見せる表情でハリーは、小さく頷く。

「本当、なんで魔法省は見逃してくれたんだろ?」

「そりゃあさ、シリ……おが!」

 クローディアはハリーがブラックに狙われる可能性を口にしようとした。机の下でドリスが彼女の足の脛に蹴りを入れ、会話を中断させた。

 そのせいで、クローディアは低い音程の悲鳴をあげる。ドリスは厳格な視線を送ってきた。

 視線の意味を察したクローディアは、わざとらしく咳き込み話題を変える。

「『高級クィディッチ用具店』に行こうとしたさ?」

 質問にハリーは、戸惑うようにドリスを見やる。

「また、『ファイアボルト』の見学をなさっていたんですね?」

 微笑むドリスに、ハリーは頬を赤らめて頷く。

 

 ――現存する箒で、最高峰の一品『ファイアボルト』。

 

 ダイアモンド級硬度の研磨仕上げ、最高級トネリコ材の柄、手作業で刻印された固有の登録番号、厳選されたシラカラバの小枝、箒製造の上で最先端技術が注がれている世界一最高の箒である。

 興奮するハリーから、説明を受けてもクローディアは箒に興味がない。反応が乏しい彼女に、彼は軽く唇を噛む。

「つまり、バスケットシューズの大手メーカーが出した最新作だよ」

「それは欲しいさ!」

 今度は、バスケットシューズを知らないドリスが困惑する。構わずに、クローディアは話題を思いつく。

「そうさ、ポッター。私さ、今度、バスケ部を立ち上げようと思うさ」

「バスケ部か……。ホグワーツにマグルの競技はないから、すごく素敵だと思うよ」

「そのバス、ケって、マグルの遊びなの?」

 賛成するハリーに、ドリスは首を傾げる。彼は大まかなバスケの説明をしたので、彼女は納得した。

「それでさ、ポッター。もちろん入部してくれるさ? バスケ部」

 クローディアは猫を被る笑顔で、ハリーに熱い視線を送る。

「いや、僕……クィディッチあるし」

 軽く拒否するハリーの態度に、クローディアは更に媚びる視線を送る。

「大丈夫さ、ポッターなら掛け持ちはバッチこいさ」

「なんで君が、バッチこい、なの?」

 デザートのアイスを口に含み、ハリーは話題を変えるために考え込み、宙を見やる。

「そうだ、コンラッドさんに会ったよ」

 意外な言葉にクローディアは、ハリーを見やる。ドリスは何故か紅茶を噴出し、咽ていた。

「すごく綺麗な人だった。勿論、男の人としてだけど。【怪物的な怪物の本】を買ってたよ」

 本に被害に遭ったクローディアは、苦々しく笑う。

「あれさ、危ないさ。お父さんったら、使い方知ってたのに、わざわざ私が困ってから教えてたさ」

「それって、背表紙を撫でることだろ?」

 確かめるハリーに、クローディアは頷く。納得したように彼は、眼鏡の縁を押さえた。

「コンラッドさんがお店の人に教えるのを聞いたんだ。コンラッドさん、「この本はユーモアがある」って言っていたよ」

「……ユーモアってさ……」

 噛みついてくる本など、喜ぶのはハグリッドくらいだ。後は、同級生のセシルだろう。彼女は魔法界でも珍品を収集したがる。同級生という単語で、クローディアは思いつく。

「マルフォイのお母さんもホグワーツさ? お父さんのこと知ってたみたいさ」

 一瞬、ドリスの表情が強張る。

「あいつの母親か……、あんまり想像できないなあ」

 確かに、ドラコの見目は完全に父親似だ。

「あ、……でも、髪の感じが似てたさ。なんというか、柔らかなそうな感じさ。だって、マルフォイパパって、絶対、髪質やばいさ」

「髪質がヤバいってなんだよ」

 同意したようにハリーは、にやりと笑う。わざとらしく、ドリスが咳払いした。

「ナルシッサ=マルフォイはホグワーツでしたよ。学年は違いますが、コンラッドは良くしてもらったそうです。ただ、それは友達というより、愛玩動物のような扱いだったと……」

((愛玩動物は嫌だなあ……))

 クローディアとハリーは、そんな感想を胸中で呟く。

「ドリスさんもホグワーツですか?」

「いいえ、私は私塾に通っていました。どうしても、家計を助ける為に働かねばならなくて。ホグワーツのような学校に通う余裕など、到底、無理な話でした。幸いといっては変ですが、入学許可証も来ませんでしたし」

 深すぎる事情にクローディアは、目が点になる。そして、ドリスは癒者だと改めて認識した。

「お祖母ちゃん、それで『N・E・W・T試験』に合格したさ?」

「ええ、当時の会場に集まった受験者の中で、私は一番の成績を収めましたとも」

 得意げにドリスは微笑んだ。

「どうやって、ボニフェースと知り合ったんですか?」

 ハリーの素朴な質問に、ドリスの表情が一瞬、強張る。しかし、すぐにいつもの笑顔を見せた。

「ボニフェースが私の両親を訪ねて、家に来ました。歳も近く、それに彼はとても、広い心の持ち主で……、この話はまた今度ね」

 照れるような仕草でドリスは言葉を切った。

「ポッターのアイス、美味しそうさ」

 ハリーの手にあるアイスが溶けかけていたので、クローディアは噛み付いた。味の違うアイスが口の中に広がる。

 突然、アイスを奪われたハリーは、仕返しとクローディアのアイスを狙った。食べかけのアイスを彼女は、死守しようと攻防する。

「ズルイよ。クローディア」

 口を開きながら、ハリーはアイスを諦めない。クローディアのほうが握力で勝り、アイスを彼から守りきる。

 アイスを奪い合う2人の様子を、ドリスは微笑ましく見つめる。だが、胸中には拭いきれない不安を抱え、空を仰ぐ。

(願わくは……、この時間がこれから先も当たり前であらんことを……。あなたもそう思われるでしょう? ボニフェース)

 胸中の問いかけに答えるものは、誰もいない。

 

 昼間にも関わらず、酒場の『漏れ鍋』は客が溢れ、酒の臭いに満ちている。

「パーシーがペネロピーと付き合っているって話、聞いた?」

「あれ? あんた、まだ知らなかったさ?」

 ドリスが簡単な用事を済ませるまで、クローディアとハリーは隅のほうで空いた席に座る。アルコールのない飲み物を注文し、2人は会話を弾ませる。

「ハーマイオニーが手紙で、ベンジャミン=アロンダイトの展覧会を教えてくれたさ。ポッターは行ったさ?」

「僕はご近所さん家で留守番……、叔父さん達だけが行ったよ。TVの特番なら、見たよ。日本では、なかったの?」

「全然。ハーマイオニーからパンフレット貰っただけさ」

 不意にクローディアは、祖父とベンジャミンが顔見知りであることを告げるべきか悩んだ。そんな胸中を余所に、ハリーは続ける。

「叔父さん達が、ベンジャミンが魔法族だって知ったら、どんな顔をするのか想像するだけで楽しかったよ」

「それ言ったら、ハリーの人生一貫の終わりさ」

 笑いのツボを突かれたハリーは、噴出した。

 展覧会の話から、自然とボニフェースの話に移る。

「ハグリッドから、貰った写真どうしたの?」

「アルバムに保管してるさ。そういえば、まだ誰にも見せてないさ」

 夏の休暇に入り、すぐに日本に帰国し、友人と遊び、魔法の特訓、地獄のダイエットの日々。写真のことは忙殺していた。

「どうして、ボニフェースとドリスさんは、名字が違うんだろう?」

 随分と込み入った質問だが、クローディアは事情を知らない。

「……お祖母ちゃんが再婚したとか、そんなんじゃないさ? 教えてもらえる機会があったら、聞いておくさ」

「うん、そうしてくれる? 僕からじゃ……、ちょっと無神経な質問だと思うし」

 ハリーは恥ずかしそうに頼んできた。だが、彼の言葉通りだろう。その質問はクローディアでも、口に出しにくい。

「それじゃあ、そのどんなダイエットしたの?」

「まずは……」

 2人は、話題を夏のダイエットに変える。クローディアは祖父とコンラッドが提案し、実行された内容を事細かに説明する。

 笑顔で体験を語るクローディアとは対照に、聞き手のハリーの表情は青ざめていった。

 




閲覧ありがとうございました。
ハリーは親しい人間程、辛口なお世辞をいいます。
●ペロプス=サマービー
 原作五巻にて、苗字のみ登場。
●ロミルダ=ベイン
 原作六巻にて、登場。ハリーを誘惑する。


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3.夜

閲覧ありがとうございます。
親と子の会話です。


 日差しが窓から入り込み、廊下は淡くも十分な明かりを保っている。

 見慣れた廊下に不思議な違和感を覚えた。壁にかけられた絵から、住人達が消え、いつも天井付近に漂うはずの幽霊達もいない。

 自分は重いローブを引きずりながら、ひたすら廊下を進んでいるだけだ。

 しかし、何処に向かっているのかを思い出せない。

 自分の前を紅い紐、否、蛇が先行している。

 

 ――ベッロ。

 

 呼べば、ベッロは自分を振り返る。

 何処へ行くのかと問えども、ベッロは答えず、再び床を這う。

 ベッロは校舎から中庭に出る。ベンチに見知った生徒が書物を手に座っている。ベッロは生徒の元まで這っていく。

 自分もそれに続こうとするが、足が進まない。足元を見るとローブが廊下に溶け、一体化していく。ローブを脱ごうとするが、ローブは自分の体を飲み込もうとする。

 ベンチに座る生徒は、自分に気づかず、ベッロを抱き上げて校舎の向こうに歩き出した。

 

 ―――待ってくれ。

 

 必死に叫ぶ自分の声に、生徒は反応せず、校舎の影に消えようとしている。

 

 ―――行かないでくれ、セブルス!

 

 反響する自分の声が木霊し、影の中で生徒は足を止める。

 生徒は、影から顔を出した。

 それは、歳を重ねた今のセブルス=スネイプの姿をしている。

 その腕に抱いているのは、ベッロではなく、燃えるような赤髪のリリー=エバンズ。

 生の温かみのない青ざめた血色で、瞼を閉じ、力なくセブルス=スネイプの手に抱かれている。

「貴様のせいだ!」

 憎悪の込められた唸り声に、自分は激しく否定する。

 

 ――違う、違うんだ。

 

「嘘を付くな! クローディア=クロックフォード!」

 呼ばれ、狼狽する。

 

 ――それは違う。そんな名前ではない。

 

 セブルス=スネイプが自分に迫ってきた。あらゆる負の感情が込められた黒真珠の瞳に映るのは、黒髪で赤茶色の瞳を持つ自分の姿だった。

 絶望に酷似する悲鳴が空を裂いた。

 

☈☈☈

 夜も更け、日付も変わる時間。

 部屋を灯す蝋燭の光で手紙を綴っていたクローディアは、重くなる瞼を堪えて封筒に手紙を入れていく。

(えーと、これがお母さん宛、これがクィレル先生宛、これがリサ宛さ)

 

 ――ガシャン。

 

 階段の下から響く硝子の破損音に、一気に目が覚める。

(お父さんさ?)

 糊付けした封筒を机に置き、クローディアは少し乱れた髪を適当に手櫛で解く。警戒しながら、忍び足で階段を下りた。

 暖炉傍にある肘掛け椅子、前かがみに頭を押さえるコンラッドが肩で息をしている。暗がりで表情を窺えないが、雰囲気から焦燥感を感じ取れる。

「お父さん?」

 躊躇いがちにクローディアは声をかける。

 返答のないコンラッドの足元に、半壊したグラスが転がっている。

 再び声をかけようとしたが、コンラッドは勢いよく椅子から立ち上がる。

「明日はホグワーツだよ、もう寝なさい」

 その声に、普段の愛想がない。ひたすら暗く重く冷たい。

 手で頭を押さえたまま、コンラッドは空いた手で指を鳴らし割れたグラスを直した。グラスを机に置く間も彼は、クローディアを振り返らない。

「大丈夫さ? ……その飲みすぎ?」

 上目遣いで見上げるクローディアに、コンラッドは答えない。

 沈黙する雰囲気に、言葉を発すること躊躇う。代わりに思いつく。コンラッドの腕を強引に掴み、椅子へと腰掛けさせる。

「お父さん、座るさ」

 抵抗見せないコンラッドは、不気味に大人しく従う。彼の背に回り、クローディアはその肩に拳を軽く乗せる。徐々に拳の威力を上げながら、肩を叩く。

「お父さん、気持ちいいトコロいうさ」

 声を抑え、クローディアは出来るだけ優しい声色ではコンラッドの背に問いかける。

 

 数分後。

 叩き続けるクローディアに、コンラッドは何の反応も示さない。完全に無視され、少々苛立ちが募る。小さく嘆息し、改めて彼の背を眺める。

 思えば、コンラッドの肩を叩くのは初めてであった。

 幼い頃から、祖父にせがまれて肩たたきをしたことはあるが、コンラッドはクローディアにそれを求めたことはない。

 そのせいか、父子の間に理解不能な距離を感じていた。母に叱責され泣き喚くクローディアを慰め、父兄参観日に出席するのも全て祖父であった。

 それでも、同時にこの背中に確かな信頼を寄せていた。コンラッドが自分の過去を何も話さないのは、クローディアが知らなくても良いことなのだと思えるのは、そのせいだ。

「お父さん、何があったか聞かないさ。でも……ちゃんと休むさ。私も、こうやって肩叩けるさ。たまにだけど」

 口に力を入れ、言葉を紡ぐ。

 刹那の沈黙後。

「学校は楽しいかい?」

 いつものコンラッドの口調がクローディアの耳に届く。しかも、普段より穏やかな印象を受ける。戸惑っても、ひたすら縦に首を振る。

「友達も増えたようだね」

「うん、お父さん。後輩にも友達が出来たさ」

 表情を輝かせたクローディアは、声を弾ませジニーとルーナのことを話す。一通り説明が終わるとコンラッドは軽く微笑する声が響く。

「私は人と馴れ合うのが苦手でね、友達が少なかった。セブルスは私の大切な……、親友だった」

 意外な言葉にクローディアは、肩を叩く手を止める。

「最初に話をしたのもセブルスだった。でも、部屋割りが別々でね。どうしてもセブルスと同じ部屋が良かった私は、校長に直訴して2年に上がる頃、部屋を変えてもらった」

 内容に衝撃を受けたが、クローディアの脳内で冷静な箇所が働く。

(なんでさ、親友だった?)

 過去形である。

「蘇生薬はよく効いたろ? おまえが石にされたと知らされた時、必ずセブルスが助けると信じていたよ……。セブルスは誰も見捨てない……。自分が傷つこうとも、誰も見捨てられないんだ……」

 うわ言のように呟くコンラッドは、ほとんど浮ついていた。

 休暇前にスネイプが尋ねてきた言葉を思い返す。軽く唇を噛み、意を決したクローディアは言葉にする。

「お父さん、……お父さんも寮を自分で選んでさ?」

 項垂れていたコンラッドは、初めてクローディアは肩越しに振り返る。暗闇に慣れてきた視界に、彼の表情がハッキリと視認できる。

 いつもの機械的な笑み。

「セブルスは、蝶だ」

 耳にした言葉に、クローディアの周囲は空気が固まり時間が止まる。

(これはさ、何の冗談さ? 笑うところさ?)

 脳内でスネイプに蝶の羽が生えた姿が過ぎっていった。

 笑うことも出来ず、痙攣する唇を噛み締める。代わりにコンラッドが快活な笑い声を上げる。突然、彼の声量が上がりクローディアは困惑した。

「お父さんさ?」

 クローディアが遠慮がちに声をかけるのを合図に、コンラッドはピタリと笑いを消す。椅子に深くもたれ、彼は静かに天井を見つめる。

「私を変えた蝶、決して私に捕まらない、何処までも飛んで行く。私を置いて……」

 コンラッドの呟きは、クローディアにかけられている様子はない。

 完全な独り言だ。

 慎重な足取りで、クローディアがコンラッドに近寄る。微かな寝息を聞き取り、寝入っていることを確信する。

(もしかして、酔ってたさ?)

 嘆息し、クローディアは机に丁寧に置かれたコンラッドの外套を見つけた。それを眠る彼に被せる。

「おやすみさ」

 コンラッドの耳元で囁き、生まれて初めて、父親の寝顔を目にした。閉じられた瞼には細い睫毛がよく映え、息が抜ける程度の呼吸が寝顔を崩さない。

 クローディアは愉快さで口元が緩む。

(寝顔まで綺麗さ。考えたら、お母さん。よくこんな美人をゲットしたさ。ていうか、スネイプ先生が蝶さ……)

 様々な笑い要素が脳内を巡り、静寂な場で噴出しそうになり、クローディアは慌てて口元を押さえる。肩を痙攣させたまま、足音を忍ばせるように2階へと駆け上った。

 クローディアが2階に上がった後、机の下でベッロが這い出て来る。コンラッドの寝室へと入り込み、毛布を一枚銜えて戻ってきた。その毛布を起こさぬように慎重に、外套の上に被せる。

「すまんの、気を遣わせて」

 台所から一部始終、目にしていた祖父がベッロに労いの言葉をかけた。

 

 勝手に動く洗面器に起こされた。

 寝ぼけ眼でまどろんだ頭のクローディアは寝巻き姿のまま、食卓に降りる。案の定、朝から祖父に服装の乱れを指摘された。

 間抜けな態度で頷き返したので、後頭部を叩かれた。

 朝食を摂る内に、クローディアは、目が覚めた。食卓の席にコンラッドの姿がないことに気づく。

「お父さんは、どうしたさ? また、お出かけさ?」

 パンにバターを塗る祖父が、口を八の字に紡ぐ。

「ただの二日酔いじゃ、酒が弱いくせにボトルを3本も開けよって……」

 昨夜を知るクローディアは、完全に納得し苦笑する。

 瞬間、窓からウィーズリー家のフクロウ・エローズが突入してきた。間一髪、クローディアはエローズを避けた。

 ドリスがフラフラのエローズを捕まえ、カサブランカの止まり木に乗せた。

「モリーからだわ。きっと、ハリーのことね」

 僅かな緊迫感を漂わせ、ドリスは台所の奥へと向かう。その後姿を見送り終えたとき、入れ違いでコンラッドが部屋から顔を出した。

 髪は乱れ、目元は細く、普段の優美さが何処にもない。完全な不調を訴えていた。頭痛がするのか、コンラッドは顔を顰め片手で頭を押さえている。

 その姿にクローディアは、呆気に取られた。

「『闇の魔術への防衛術』に新任する教員のことだが」

 億劫に開かれる口から掠れた低音を聞き漏らすまいと、クローディアは耳を澄ませる。

「臆病な態度を示したとしても、責めてはいけない。ただし、庇う必要もない」

 その言葉には、俄かに敵意が込められている。

 クローディアが敵意の意味を問おうと口を開く前に、コンラッドは扉の向こうに身を潜めた。扉は音もなく閉まり、消化しきれない空気が場を包んだ。

〔ようは、無視しろってことさ?〕

 行き場を無くした質問を、祖父に投げかける。

〔ワシに聞くな。それより、時間はよいのか?〕

 祖父が顎で示す時計は、午前9時を指していた。

 余裕を持ち、朝食を済ませた。クローディアは早々に着替え、荷物の最終確認をする。3年生の教科書、参考書、着替え一式、バスケ部立ちあげの為の資料、胃薬、『解呪薬』、印籠、杖、腕時計、小説と漫画も少々。

 机の上に置いた写真立てとクローディアの手にあるアルバムを見比べる。

(アルバムさ、う~ん。ボニフェースの写真だけ持って行くさ)

 クローディアとドリスの写真を入れた写真立ての後ろに、ボニフェースの写真を差し込んだ。写真の住人達は、不満そうにしていた。

 トランクを引っ張り、クローディアは扉越しにコンラッドに別れの挨拶をする。やはり、返事はない。

「お祖母ちゃん、ウィーズリーさんからの手紙なんだったさ?」

「ええ、ウィーズリー一家が『漏れ鍋』でお泊りして、今朝は魔法省の計らいで車が手配されたそうですよ」

 魔法省の車と聞き、クローディアは驚く。

「え? また、学校に車でさ? また、スネイプ先生に怒られるさ」

「いいえ、駅までですよ」

 困り顔でドリスが笑う。一応、クローディアは納得した。

「やっぱり、シリウス=ブラックに狙われてるさ? ポッター」

 その名を口にしたクローディアをドリスは顔色を青くして凄んだ。

「お祖母ちゃんさ、隠しても分かる人には分かるさ。シリウス=ブラックが『例のあの人』の信奉者だったなら、尚更さ」

 淀みないクローディアの発言に、ドリスは感心するように口元を引き締め頷く。

「なら、学校でのハリーは、あなたに任せますね。しかし、石化のようなことはくれぐれも避けなさい」

「う……! 善処します…」

 蘇生薬の効能で回復してから3ヶ月近く経っているが、祖父から『吼えメール』を送られたときのことを思い返し、身震いする。痛い処を突かれたクローディアは、背筋を伸ばして頷く。

(あれは、不可抗力なのにさ。お母さんにも散々怒られたさ)

 胸中で涙し、クローディアは嘆息した。そして、昨夜のコンラッドの言葉が脳裏に甦る。

(スネイプ先生は、誰も見捨てないさ……)

 確かにその通りだ。

 クローディアは身を持って、それを体験している。しかし、彼の辛辣かつ冷徹な態度が、その評価を受け入れるのを拒んでしまう。

(いつまでも、そんなんじゃいけないさ……)

 コンラッドの大切な親友であるスネイプを嫌うことは、ボニフェースの親友ハグリッドを嫌うことと同義だ。

 思えば、コンラッドはドリスにも行方を告げずに10年以上姿を晦ましていた。もしかしたら、スネイプが彼を憎むのは、そこに関係しているのかもしれない。

 やっと、そう思えるようになったと自覚した。

 学校の荷物を点検していた祖父が印籠の中を見た途端、硬直した。

〔来織、『解呪薬』が一粒しか残っておらんのは、どういうことじゃ〕

 祖父は、怒り心頭だ。例えるなら、地の底から噴火する溶岩の如く。正に恐ろしい祖父に詰め寄られ、クローディアの背に冷たい感覚が走り抜ける。

 出発前ということもあり、祖父は短時間だけクローディアに説教した。

〔いいか、これは最後のオリジナルだ。わしには、効力の薄いモノしか作れん。考えて、使えよ〕

 短時間とはいえ、クローディアは十二分に反省した。

〔はい、わかりました〕

 何故だが、ベッロまで反省の意を示して震えていた。

「ワシは、コンラッドの看病があるのでな。ドリスさん、このバカタレを頼みましたぞ」

 ぺしぺしっと、祖父はクローディアの頭を叩く。

「それ以上、乱暴はおやめになって」

 ドリスはトランクを持ち、クローディアはベッロの虫籠を持つ。

「行ってきますさ」

 クローディアは笑顔で祖父に手を振る。祖父は素っ気ないが、手を振り返した。

 祖父の顰めっ面は、クローディアが見えなくなるまで崩れなかった。

 




閲覧ありがとうございました。
蝶のスネイプ、黒アゲハなイメージ。
祖父のように、怒ると恐い人になりたいです。


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4.汽車

閲覧ありがとうございます。
やっと、皆との再会です。

追記:17年9月29日、誤字報告により修正しました。


 時間に余裕がありすぎたのか、キングズ・クロス駅9と4/3番線に到着したのは、去年と同じ1時間前になった。

 紅の機関車ホグワーツ特急は、例年通りに新車の間違う程の輝きを見せる。その輝きは清掃員と駅員によって守られている。

「クローディア?」

 呼ばれて振り返ると、同じ寮の監督生ペネロピーが感心するように頷いていた。

「あっ、ペネロピーさ。おはようさ!」

「おはよう、随分と細くなったじゃない。人違いかと思ったけど、その虫籠はあなたしかいないわ。……羨ましい」

 イタズラっぽく笑うペネロピーは、クローディアの荷物にある虫籠を指差した。

 そして、プラネットホームには新学期早々、激しくも目に見えない火花を散らすオリバーとマーカスが睨み合う。

「グリフィンドールとスリザリンは、クィディッチがなくても激しいわ」

 それを目にしたペネロピーは、クローディアの隣で嘆息する。

「でも、あの睨み合いも今年で見納めね」

 吐き出すように呟くペネロピーに、クローディアは頷く。

「そうさ、2人は7年生さ……。となると…今年は盛大な試合になりそうさ」

 その時、クローディアはホームの隅に1人の男を発見する。

 継ぎ接ぎの目立つローブを身に纏い、鳶色の髪をしている。遠目から見ても、男はやつれた印象を受ける程、頬がこけている。誰かの見送りに来た魔法使いかもしれないとクローディアは思った。

「パーシーの話、聞いたわよ」

 ペネロピーに話しかけられ、クローディアは男の存在を気にかけるのをやめた。

「私もロンから手紙が来たさ。パーシーが首席になったって聞いたさ」

「当然。寧ろ、なれなかったら、落ち込むどころじゃないわ。パーシーのことだから」

 困ったように笑うペネロピーとクローディアは、落ち込むパーシーを想像した。その姿が哀れで、2人は噴き出して笑う。

「落ち込んでも、汽車は走るよ」

 無防備だったクローディアとペネロピーの背後から、気配なく夢見がちで浮ついた声がかけられた。2人は思わず、その場を跳ねる。

 振り返ると、同じ寮の後輩ルーナが顎を出すように肩を竦め、濁りのかかる金髪は頭の真上に巨大な団子を作っている。ゆっくりと首を傾げる動作を繰り返しているせいか、団子もつられて揺れている。

(今日は、ひとつ結びさ)

 軽く観察し終わったクローディアは、親しみを込めルーナに挨拶する。

「久しぶりさ。ルーナ、休暇は楽しかったさ?」

「うん、石にされなかったよ」

 ルーナに悪意がない分、クローディアはこれまでにない自嘲を込めて、嘆息する。

(誰もそんなこと聞いてないさ)

 言い出したルーナはクローディアの反応を無視し、ペネロピーに向かい揺さぶられるように何度も頭を下げる。

 それに対し、ペネロピーは落ち着き払った態度で挨拶を返した。

 駅員に汽車を開放され、待ちわびた生徒達はコンパートメントに乗り込み、ペネロピーは監督生の車両に向かう。

「ハーマイオニーとジニーに、先に席を取るように言われたさ。ここでいいさ?」

 お互いに確認し、クローディアはルーナと監督生の車両に近いコンパートメントに荷物を置く。

 瞬間、ルーナは通路を駆け出しホームに飛び出した。

 突然すぎる動作に、呆気に取られたクローディアは窓からホームを見やる。突進するようにホームを突っ切るルーナは、綿菓子のように長く白い髭の魔法使いに抱きついた。おそらく、ルーナの父親だ。

(ビックリしたさ)

 内心の焦りを消したクローディアは、窓からルーナに向かい軽く微笑んだ。虫籠にいるベッロが熟睡していることを確認した。そして、ドリスに声をかけようと汽車を降りた。

「お祖母ちゃん、この子はルーナさ。前に話した子さ」

「ねえパパ、もうダサくないでしょ?」

 ホームでクローディアとルーナはお互いの家族を紹介し、挨拶を交わす。ルーナの父親ゼノフィリウス=ラブグッドは、物珍しげにクローディアを見つめた。

 クローディアには、警戒されている気がした。

「君がバジリスクに石にされた子だね? うん、確かにそんな顔をしている」

 胸中で悪態つき、クローディアは笑顔でその場を退いた。

(どんな顔さ?)

 時間が経つ毎に、柵から次々と生徒達が現れ、ホームは魔法使いと魔女で埋め尽くされた。

 生徒の中から、同室のであるパドマを見かけ、クローディアは声をかける。パドマは一瞬、不思議そうにしていたが、すぐに気づいてくれた。

「へえ、どんなダイエットしたの? 教えてね」

 人ごみから避けようと、クローディアはコンパートメントにパドマを連れて行こうとしたが、何故か拒否された。

 サリーやマンディ、セシル、ハンナ、スーザン、エロイーズにもクローディアの変貌に驚きの様子を見せた。そして誰1人、コンパートメントを一緒にしようとしなかった。

「ロンドンでマグルの展覧があって、ジャスティンに誘われて行って来たの。楽しかった……。マグルって魔法がないけど、便利なものが多かったわ」

 パドマが展覧会の半券を見せた。半券を魔法で固め、本の栞にする為だ。

「リサから、手紙来たさ?」

「ええ、『楽団部』で合唱でしょう? 予行演習で昨日にはホグワーツなんて、頑張るわね」

「私には無理よ」

 サリーとマンディが笑い、クローディアも笑い返す。

「【怪物的な怪物の本】……って、あなたも『魔法生物飼育学』取ってた?」

「これは、保存用」

 ハンナがセシルの抱きしめている【怪物的な怪物の本】を怪訝する。

「この本、大人しいわね。私が教科書、見に行った時、すごかったわ」

「そうにえ?」

 スーザンとエロイーズも【怪物的な怪物の本】を眺めた。

 他愛無い話をしているうちに、部活の話になり、クローディアは『バスケ部』の立ち上げについて相談する。マグルの競技に興味を持ち、皆は快く意見を述べる。

「寮監はフリットウィック先生だから、相談するならそっちじゃないかしら?」

「マグルの競技だから、『マグル学』の……」

 不意に、隣にいるペネロピーがクローディアの肩を叩く。

「パーシーよ、ハリーもいるわよ」

 ペネロピーにつられて振り返る。何故か地面から起き上がるハリーをジニーが助けている。自身の髪を撫でパーシーが『首席バッチ』を着け、誇らしげに立っていた。

 その後ろに柵を越えてきたハーマイオニーが姿を現す。

 日焼けしているのか、少し肌が小麦色に染まっている。胸に迫る衝動は、以前と寸分の変わりもなくクローディアに淡い気持ちを抱かせる。

 胸を弾ませたクローディアは大袈裟に手を振り、彼女に駆け寄る。

「ハーマイオニー! おはようさ」

 威勢よく挨拶するクローディアに、ハーマイオニーは両手を振って挨拶を返した。

 ジニーは、初めて会う人を見るような目で怪訝している。勿論、ロンも首を傾げてクローディアを眺めた。

「……ハーマイオニー、この人、誰?」

 ロンとジニーの反応を見て、ハーマイオニーとハリーは愉快そうに口元を押さえて肩を痙攣させる。クローディアの周囲にいたパドマとサリー、セシルも集まり喉を鳴らして笑う。

 それをジニーは、不快そうに唇を尖らせる。

「ハリー、この人は誰なの?」

 眉を寄せるジニーが吐き捨て、ハリーは堪らず噴出した。それを合図にパドマとサリーも爆笑した。セシルだけが顔を逸らし、笑いを必死に堪えている。

「何を言ってるんだい。クローディアだよ」

 ハリーの答えを聞き、ロンとジニーは愕然とした。皆から笑われることよりも、クローディアの姿が衝撃的だったらしい。

「君、誰かに変身してるのか!?」

「どういう意味さ?」

 ロンの失礼な発言は一気に周囲を湧かせた。

「私は休暇中にクローディアから写真を貰ったから、知っていたけど、本当に綺麗になったわ」

 この一言で、クローディアはロンを許した。

 

 既に占領していたコンパートメントに、ハーマイオニー、ハリー、ロン、ジニーの荷物やトランクを積み込んだ。

 ハーマイオニーの荷物に動物入れの編み籠を目にしたクローディアは、彼女を見やる。

「このコ? クルックシャンクスよ。昨日ね、ダイアゴン横丁で買ったの。可愛いでしょう?」

「ここで開けるな!!」

 表情を綻ばせたハーマイオニーが編み籠の紐を解こうとしたが、横からロンが激しく制止させる。それに対し、彼女も冷たい態度で反論する。

「どうしたさ?」

「スキャバーズがね、クルックシャンクスに狙われるんだ。猫と鼠だからしょうがないんだけど」

 ロンのネズミだ。写真でしか見たことないクローディアは、ハリーにスキャバーズが何処にいるのかと訊ねた。

 ロンを捕まえたハリーは、彼の上着ポケットを軽く捲る。捲られたポケットを、クローディアは興味津々で覗き込んだ。

 暗がりの中に、両手に収まる大きさの鼠がもぞもぞと動いていた。みすぼらしい印象を受ける程、毛がばさつき、やつれている。失礼ながら、写真のほうが見栄えが良かった。

(か……可愛くないさ)

 胸中の呟きを悟られないように、当たり障りのない言葉をロンにかけた。

「鼠って感じさ」

「そりゃあ、鼠だし……そうだ! クローディア、見てくれ! 新しい杖! お下がりじゃない新品だ。33㎝の柳の木、ユニコーンの尻尾の毛!」

 声を弾ませたロンは鞄から杖入れ箱を取り出し、開けて見せた。

「ウィーズリーおじさんとおばさんに、挨拶に降りよう」

 ハリーの提案にロンは賛成した。急いでクローディアとハーマイオニーは、ホームでドリスと厳しい表情をしているアーサーとモリーに挨拶する。

 途端に、3人の大人は柔らかな笑顔を見せる。

「クローディア。おばさんとしては前のほうが健康的で素敵だったわ」

 諭すような口調で、モリーがクローディアの肩を抱く。

「クロックフォードだって!?」

 大袈裟に甲高い声がクローディアとモリーにかけられ、鬱陶しい表情で振り返る。何故か全身を痙攣させるフレッドとジョージが驚愕に口を細め、お互いを抱きしめあう。

「なんたることだ、ジョージ!」

「どうしたんだい? フレッド!」

「彼女は、変身に薬を飲んだようだ!」

「おおおおおお、それはいけない! すぐに魔法を解かないと! 誰か!」

 2人の寸劇に、クローディアは自身の誕生日の事を思い返し、フレッドの顔面を拳で殴り、ジョージの腹に蹴りを入れた。

 そして、大袈裟にフレッドとジョージが地面に伏せる。何人かが、眉を顰め双子を横目で冷ややかな視線を送る。

「無視しなさい」

 呆れたモリーが、クローディアを双子から遠ざけるように汽車に戻す。コンパートメントの窓から顔を出すと、ドリスが手を伸ばす。

「手紙を忘れないで、何があっても学校が一番安全よ。ハリーを守って」

「ポッターは、大丈夫さ。私もハーマイオニーもロン、先生もいるさ」

 クローディアはドリスの手を握ると同時に、汽車が汽笛を鳴らす。

「アーサー!」

 モリーが金きり声を上げ、生徒達は吸い込まれるように汽車に乗り込んだ。

 コンパートメントに舞い込んだハーマイオニー、ジニー、ルーナも窓から顔を出し、自身の家族に別れの握手やキスを交わす。

 不意に、クローディアはコンパートメントにいないハリーとロンに気づく。

「あれ? ポッターとロンはさ?」

 クローディアが窓からホームを見やると、走り始めた汽車の戸にハリーが必死の形相で引っ付いていた。

 

 見送りの家族が遠くなり、駅が見えなくなるとクローディア達は窓から離れる。一安心したジニーは椅子に持たれこみ、ルーナは突然、自身のトランクを開き荷物を探り出した。

「ハリーとロンを連れてくるさ」

 クローディアが戸を開くと、虫籠で寝入っていたはずのベッロが起き上がり、首に巻きついてきた。ベッロを巻いたまま、通路を歩くわけには行かず、虫籠に入れて運ぶことにした。

「私も行くわ」

 荷物棚から編み籠を下ろし、ハーマイオニーも通路に出る。

「ルーナ、ジニーをナーグルから守るさ」

 クローディアが声をかけると、ルーナは激しく頷き、ジニーの腕を掴んでいた。力が強いのか、ジニーは少し眉を顰めていた。

 コンパートメントの戸を閉め、通路を歩こうとしたクローディアの肩が叩かれた。振り返ると、ロジャーが愛想のいい笑顔で挨拶してきた。その隣に、マリエッタが彼の腕を添えるように絡めている。

「やっぱり、クローディアか」

 明るく声をかけてくるロジャーに、ハーマイオニーは感心する。

「これだけ変わったのに、よくわかったわね」

「俺の目は、クローディのことを見通しているからな。美しい花は蕾の頃から、わかるもんだよ」

 威張るロジャーに、マリエッタが喉を鳴らして笑う。

「ディビーズ、マリエッタ、おはようさ。へえ、2人とも付き合ってるさ?」

 ロジャーの言葉を無視し、マリエッタに挨拶するクローディアは、ニヤついた笑みを見せる。照れた笑みを浮かべるマリエッタは、ロジャーの腕にもたれかかる。

「先週からね」

 不可解に眉を寄せるハーマイオニーがロジャーを見上げ、遠慮がちに尋ねる。

「休暇前にハッフルパフの子と付き合って……なかったっけ?」

「先月に終わったけど?」

 何の未練もなく答えるロジャーに、不思議な圧倒感を覚えた。クローディアとハーマイオニーは、口元を痙攣させる。

 何気なくクローディアは、ロジャーの胸元に注目する。

「もしかして、監督生にならなかったさ?」

 その質問をした瞬間、ロジャーの笑顔が固まった。

((ああ、選ばれなかったんだ……))

 クローディアとハーマイオニーは、無意識に哀れみの視線をロジャーに向ける。

「大丈夫よ、フレッドとジョージも選ばれなかったから」

「あいつらが選ばれたら、マジでヘコむわ。つーか、一緒にしないでくれ」

 ロジャーの陰鬱な口調は珍しい。

「じゃあ、誰か選ばれたさ?」

「ザヴィアーだよ、ザヴィアー=ステビンズ。アイツの性格なら、監督生でいいと思う……」

 項垂れるクローディアは、サヴィアーがクィディッチのビーターであること以外何も知らない。

「もう1人は、クララ=オグデンだ。クローディアは知っているだろ?」

 これはクローディアには意外だった。かつての同級生ジュリアの罵りから、助けてくれたことはない。しかし、煽ったこともない。

「クララは、物事を止めない性格なんだ。だけど、加減を弁えているんだ」

 クローディアの疑問を察したように、ロジャーは説明する。

「ちょっといい?」

 ロジャーとマリエッタの背後から、ハリーが何処か引き締まった態度で声をかけてきた。承諾したクローディアはすぐに、2人に適当に挨拶し、ハーマイオニーと通路を進んだ。

「君たちだけに、話したいことがあるんだ」

 クローディア、ハーマイオニー、ロンに向かい、ハリーが慎重に囁いてくる。

「空いている席あるさ?」

「これから、探すんだよ」

 ロンがハーマイオニーの編み籠を警戒しながら、億劫そうに呟いた。

 

「何処もいっぱいさ」 

 空きのコンパートメントを求め、4人はついに最後尾車両まで進んだ。ここで、漸く空いた部屋に辿り着いた。

「ここしか、空いてないわね」

 半開きの戸から中を覗くと、鳶色の髪の男が窓際に寄りかかり、足の先から顔までローブで覆おう恰好をして眠り込んでいる。髪の色に見覚えのあるクローディアは、不意に思い返す、

「この人、駅にいたさ」

 ハーマイオニーに耳打ちし、クローディアは慎重に男の向かいに座る。ハーマイオニーも隣に座り、ハリーも男の隣に腰掛ける。音を立てないように、ロンが戸を閉める。

「この人誰だと思う?」

「R=J=ルーピン先生よ」

 即答するハーマイオニーに、ロンが驚愕する。

「どうして、なんでも知ってるんだ!」

「鞄に名前が書いてあるもの」

 細くも少し日に焼けた指先が指す荷物棚に置かれた使い古した鞄に、剥がれかけた名札がある。

「もしかしてさ、『闇の魔術への防衛術』の先生さ?」

 ローブを被る姿を凝視し、クローディアは自身の唇に手を当てる。

「それしかないでしょう。空きがあるのは」

「ま、この人がちゃんと教えられるならいいけどね」

 期待しない口調で、ロンが嘆息する。前任のロックハートは、確かに酷かった。しかし、その後任がこのルーピンなる人物であるなら、今回もクィレルは戻らないということだ。

「クィレル先生……、今学期にも間に合わなかったさ」

 残念がるクローディアの手をハーマイオニーが撫でた。

「それよりも、本当に眠ってるさ?」

 ハリーが繁々とルーピンを眺めた。

 ゆっくりとローブに手を伸ばし、クローディアは軽く手を叩くフリを繰り返す。起きているなら、この仕草を感じ取るはずだ。熟睡していることを確認し、3人の視線がハリーに集中する。

「それで、話って何?」

「これはウィーズリーおじさんとおばさんの話を聞いてしまったんだけど、シリウス=ブラックは僕を狙っているんだ。ブラックは、僕が死ねばヴォルデモートに力が戻ると信じている。ファッジ大臣がアズカバンを視察した時、看守からブラックがこのところ『あいつがホグワーツにいる』っていう寝言を聞いたって報告を受けたんだって」

 一度、ハリーは言葉を切った。

「さっき、おじさんが僕に警告してきたよ。何があってもブラックを探すなって」

 ドリスから確信を得ていたクローディアは、動じず軽く口元を噛んだ。ハーマイオニーとロンは恐怖に愕然としている。戸惑いながら確認するように、ロンが問いかける。

「え……じゃ、つまりシリウス=ブラックが脱獄したのは君を狙うためってこと? そんなの正気じゃない」

「そうだよ、ブラックは狂っているっておじさんは言ってた」

 ハーマイオニーは不安のあまり、口元を手で覆う。

「本当に気をつけなきゃ、もう絶対、危険なことしないで……」

 2人の反応を見た後ハリーは、盗み見るようにクローディアを見やる。

「驚かないの?」

「ダーピートの信奉者が脱獄したなら、真っ先にポッターを狙うのは同然さ。寧ろ、それ以外に脱走する理由が……」

 口にしてから、クローディアは疑問が浮かぶ。

(脱獄できたから狙うんじゃなく、狙うために脱獄したさ?)

 似ているようで非なる理由。

 沈黙するクローディアを差し置き、落ち着けないロンが言葉を吐く。

「ブラックがどうやってアズカバンから逃げたのか、誰にもわからない。脱獄者は初めてだし、しかもブラックは一番厳しい監視を受けていたんだ」

 ハーマイオニーが宥める口調でロンに確認する。

「でも、直に捕まるでしょ? マグルまで探してるんだから」

「ポッターを狙うことがわかってるなら、魔法省から護衛が何かを寄越すさ」

「ああ、それはあるかも……。そんな警護がなくても、学校は十分安全だよ」

 少し不安を消すロンに、クローディアは納得しない。

「これまでで一番、危険な体験をしたのは何処だったさ? 学校に着いても、油断しちゃ駄目さ」

 クローディアが厳しい口調で言い放つ。ロンは反論できず、黙り込む。ハーマイオニーも、彼女に同意し、ハリーを睨まないように見据えた。

 沈黙したため、虫籠が盛大に騒いでいる音が耳に付く。

「なんだって?」

 突然、怪訝そうにハリーが呟く。

「どうしたの?」

「ベッロが興奮してるみたい」

 ハーマイオニーに答え、ハリーはクローディアから虫籠を借り、蓋を開ける。待ち構えていたように、ベッロは虫籠から飛び出した。

 ロンの膝にトグロを巻き、探るようにポケットを這う。

[殺せ、こいつを殺せ]

 殺気立ちながら唸るベッロに、ロンは恐怖に駆られ全身が竦む。

「コイツもスキャバーズを狙ってるんだ! クローディア、コイツをどけてくれ!」

 ここまで興奮したベッロを見たことがある。

「待つさ、ロン。ポッター、ベッロはなんて言ってるさ?」

 困惑する目つきでハリーは、ロンに遠慮がちの視線を送りながらも、答える。

「殺せって……スキャバーズを……」

 顔色を青くしたロンは勢いよくベッロを払いのけようとしたが、腕に絡まってきたので声を出さずに悲鳴をあげる。

 狼狽するロンに構わず、クローディアは考え込む。

「変さ……」

「何が変なの! 蛇が鼠を狙うなんてよくあることだよ!」

 厳しい顔つきでクローディアは、ロンを窘める。

「そうじゃないさ。食べたいじゃなくて、殺せってさ……変さ」

 しっかりとロンに腕に絡みつくベッロをクローディアは外す。礼もなく、ロンは目をつり上げる。

「殺してから、食べるつもりだろ」

 嫌悪を込めたロンに、ハーマイオニーが間に入る。

「もしかしたら、酷く悪い鼠かもしれないわ」

 ロンのポケットを睨むハーマイオニーに、彼も彼女の編み籠を睨み返す。

「その猫まで、放すなよ」

 ぶっきらぼうに言い放ったとき、ルーピンがローブの下で身じろいだ。

 一気に緊張が高まり、4人の視線はルーピンに集中する。彼は寝返りを打っただけらしく、また静かに寝息がローブから零れる。

 安心した4人は、胸を撫で下ろす。

「私、ジニー達のところに戻るさ」

 ルーピンの様子を窺いながら、慎重にベッロを虫籠に戻そうとする。しかし、ロンのポケットに向かい威嚇の姿勢を崩さない。仕方なく、ハリーが蛇語でベッロを静めた。

 ベッロが入り込んだ虫籠を抱えハリーは、ベッロの様子を重く受け止め眉を顰める。

「スキャバーズが弱ってることと関係あるかな?」

 虫籠を受け取ったクローディアが聞き返す。

「弱ってるさ?」

「うん、エジプトから帰ってから元気ないんだって」

 話し込むクローディアとハリーに、ロンが冷たく吐き捨てる。

「出るなら、早く出てよ」

 ハーマイオニーも編み籠を抱えた。

「私も行くわ。ロン! スキャバーズのこと、もっとよく考えるのね」

 剣呑な態度でロンに吐き捨てるハーマイオニーを宥め、クローディアはコンパートメントの戸を開く。忠告の意味を込め、クローディアはロンを振り返る。

「ロンには悪いけどさ。スキャバーズはベッロが殺したい程、危険ってことさ」

 怒りでロンは、唇を震わせ素っ気無く顔を逸らした。

 




閲覧ありがとうございました。
ベッロとスキャバーズは、これまで会う事もなかった不思議。
●ゼノフィリス=ラブグッド
 映画の俳優は、吃驚するほど、イケメンだった。


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5.吸魂鬼

閲覧ありがとうございます。
ディメンターを吸鬼魂と訳した松岡先生は偉大です。



 車窓から見える景色、空を埋め尽くす雲が雨を予期させる。

 走り回る新入生との接触を避けながら、クローディアとハーマイオニーはコンパートメントに戻る通路を歩く。

 ハーマイオニーは、休暇中の展覧会での出来事を事細かに説明する。

「ジャスティンがパドマと来ていたし、リサも見かけたわ。意外とホグワーツの生徒が多かったのよ。そうそう、受付していたの、誰だと思う? 以前、あなたの寮にいた、あのジュリアよ」

 意外な名前に、クローディアは足を止める。

「え、なんでさ? ジュリアがそんなところに?」

「展覧会を後援している団体に、ジュリアのご両親が所属しているそうよ」

 初耳にクローディアは感嘆する。

「世間は狭いさ……あれ? ベンジャミンが所属してたっていう楽団とは違うさ?」

「構成員は同じだけど、ベンジャミンが亡くなってから、音楽活動に限界が生まれて、遺された曲でビジネスに専念するしかなくなったんですって、ジュリアが教えてくれたわ」

 生々しい事実、クローディアは苦虫を噛み潰したように顔を顰める。

「うわ……、なんか大人の事情さ」

 ジュリアは3年生で魔女としての限界を感じ、ホグワーツを去った。生半可な気持ちで決意出来ることではない。それでも、彼女は将来のことも見据えた上で決断を下した。

(学校を辞める……)

 祖父の提案が脳裏を掠める。それはハーマイオニーとの別れも意味しているだろう。

いくら、友達と言っても住む世界が完全に違ってしまえば、心は離れて行く。日本に帰国した際、幼馴染達が高校進学に苦悩する姿がクローディアに遠く感じた。

 学校を辞めたい理由もないし、ハーマイオニーと離れたくない。クローディアは無意識に彼女の手を握っていた。

 過ぎ去ろうとしたコンパートメントの戸から偶然にもチョウが顔を出し、クローディアと目が合う。

「チョウ、久しぶりさ」

 確認するような視線を向けるチョウは感心し、深く頷く。

「クローディア? へえ、痩せたのね。スゴイじゃない。ねえ、こっちに来て何をしたのか教えてよ!」

 嬉々としたチョウはクローディアを引き込もうとした。

「ごめんさ、また今度さ」

 丁重に断ると、チョウは残念そうに諦める。彼女の奥から、ミムが憧憬の眼差しでクローディアを眺めてきた。

「うそ! 全然、違うじゃん! 何の魔法を使った?」

「使ってないってばさ」

 若干、苛立ったクローディアは愛想笑いでミムを退けた。

 次の車両から、ペネロピーが見知った男子生徒と共に現れる。『マダム・マルキンの洋装店』でバーナードと話しこんでいた男子生徒だ。しかし、クローディアは名前が出てこない。

 胸元に監督バッチを付けていたので、ペネロピーに耳打ちする。

「(誰だっけさ?)」 

「(ハッフルパフのセドリック=ディゴリーよ)」

 名前を聞き、ロジャーと仲が良い生徒だと思い出した。

「おはようさ、ディゴリー。ディビーズは監督生になれなかったのに、あんたはスゴイさ♪」

 打って変わった態度の変化に、セドリックは目を丸くした。クローディアに困ったように微笑み、軽く首を傾げる。

「えと……、ごめん誰だっけ?」

 半分、予想していた反応にクローディアは慣れてきた。

「クローディア=クロックフォード」

 名乗った瞬間、セドリックは吃驚仰天とその場を跳ねる。

「へえ……。なるほど、ロジャーが夢中になるわけだ。君は素晴らしい原石だ。これ以上、輝いたら、ロジャーが苦労するね。恋敵が増えるから」

 素で恥ずかしい台詞を放つセドリックに、クローディアは照れてしまった。

「僕は前のほうが健康的で良かったと思うけどな」

 セドリックの背後から、フレッドが呑気な声で言葉を遮る。彼の気配に気づけなかったペネロピーは軽い悲鳴を上げた。

 イタズラっぽくウィンクし、フレッドは監督生2人へ詫びた。

「クロックフォード、グレンジャー。何処にいたんだ? なかなか戻ってこないから、ジニーが新入生に席を譲ってしまったよ?」

 想定外な出来事にハーマイオニーは驚き、仕方ないとクローディアは肩を落とす。

「しょうがないさ、ポッターの所に戻るさ」

 方向転換するクローディアの肩をフレッドが軽く指で突く。

「それなら、僕らのコンパートメントに来いよ。まだ余裕あるぜ」

「そうね。そうしましょうよ」

 ハーマイオニーが賛同したので、クローディアは断る理由ない。喜んでフレッドの招きに応じた。

 案内されたコンパートメントにはジョージとリーがいた。ジョージはクローディアとハーマイオニーの為に、席を寄ってくれた。遠慮なく、2人は腰かける。

「お昼を摂ってから、制服取りに行きましょう」

「「それには及ばない。見よ、2人の荷物だ!!」」

 大袈裟にハモる双子は荷物棚を指差し、クローディアとハーマイオニーのトランクの存在を示した。何故か、クローディアは感謝の気持ちよりも疑念が浮かぶ。

「あんたら、人の荷物を勝手に運んださ?」

「「怒っちゃやーよー♪いいじゃないか、運んでくる手間が省けただろ?」」

 大袈裟にしなる双子が癪に触る。思わずクローディアは拳を振り上げようとしたが、ハーマイオニーに止められた。

「クロックフォード、暴力は良くないぞ」

「そうそう、お目当ての男の子に嫌われちゃうぜ?」

 意地悪な笑み、クローディアは億劫そうに答える。

「いないさ、そんな男子」

 これまた意外そうに双子は顔を見合わせる。

「女子が綺麗になるのって、好きな男のためじゃないんだ?」

「皆そういうもんだと、思ってたけど」

 首を傾げるクローディアは自身の体を見下ろす。

「私の場合は入学してから太りすぎて……お祖父ちゃんが怒っちゃってさ。たるんでいるってことでさ、休暇中はしごかれまくったさ。まあ、おかげで、この体形さ。お祖父ちゃんに感謝さ♪」

 腰に両手を当て、クローディアは胸を張って威張る。

「どんなダイエットなの?」

 興味津々のハーマイオニーに問われ、クローディアは祖父から命じられたダイエットメニューを事細かに説明する。

 最初、驚くだけだった4人の顔色が次第に青ざめて行く。気付かないクローディアは、次々と話し続けた。

 一気に説明終えたクローディアは、空気を求めて深呼吸する。4人を見渡すと、全員、陰鬱な表情で席にもたれていたので、逆に驚かされた。

「……どうしたさ?」

 遠慮がちにハーマイオニーに声をかけると、彼女は気力のない笑顔で軽く手を振る。

「女の子はそこまで過酷なことをしてまで、痩せたいんだ。知らなかった」

 ジョージの視線は明後日を見ていた。

「オリバーにその話するなよ。真似されたら僕らが死ぬ……」

 彼らのクィディッチキャプテン・オリバー=ウッドも訓練には、相当のしごきを課す。想像したフレッドは口元を押さえた。

「でも、やり遂げたらカッコイイんじゃないか?」

 選手ではないリーも吐きそうな顔で項垂れた。

「きっと、お祖父さまはあなたに強くなってもらいたいのよ」

 ようやくハーマイオニーは声を出した。

 暗い雰囲気を見渡した後、クローディアは気付く。夏のダイエットは魔法使いさえも恐れるメニューであったのだ。メニューのひとつ、逆立ちした状態で床に撒かれた無数の画鋲を避けて進むなど、やはり普通ではない。

「車内販売はいかが~?」

 昼過ぎになり、ふくよかな体形の魔女が車内販売にコンパートメントを巡る。

 空腹になりかけていたクローディア、リーは適当にお菓子を買い、ハーマイオニー、フレッドとジョージはモリーの手作りサンドイッチを平らげていた。

「ハーマイオニー、こっちのパイあげるさ。サンドイッチと換えてさ」

「2つあるから、ひとつね」

 カボチャパイとサンドイッチを交換しようとしたが、ジョージがその手で遮る。

「俺はサンドイッチ3つだから、俺のと換えよう」

「パイまだあるから、そんなに慌てないで欲しいさ…」

 ハーマイオニーとジョージのサンドイッチとカボチャパイを交換し、クローディアはサンドイッチを頬張る。暖かい味が口の中に、広がる。

 ベッロにも食事を与えていると、リーが思いつく。

「クロックフォードはロジャー=ディビーズをフったんだろ?」

 クローディアは口元を曲げる。リーはイタズラっぽく、フレッドに視線を向ける。

「なら、フレッドはどうだ? こいつはいい奴だぞ、俺が保障する」

「「なんでだよ!!」」

 フレッドとジョージの突っ込みを受け、吃驚したリーは窓際に退く。

「じょ……冗談だってば、そんなに怒るなよ。あ、雨だ」

 リーは降り出した雨を防ぐために窓の戸を閉めた。

「この中でいい話があるのはジョージだけね。私、ロンドンでジュリアと会ったわ。元気そうよ」

 ハーマイオニーに話を振られ、ジョージは目を丸くした。瞬きを繰り返し、空を仰ぐように背もたれに深くもたれかかる。

「俺らはエジプトに行くことになってたから、展覧会に行けなかったんだよな」

 何故か視線を泳がせ、ジョージは言葉を控える。

「へえ、ジョージはジュリアがそういう関係さ。仲が良きことは善いことかなさ」

 途端にジョージの肩がビクッと痙攣し、決してクローディアと目を合わさない。

(あれ? なんか、ノリが悪いさ?)

 雨音が激しくなり、会話が掠れていく。怪訝そうに窓の外を見やると、景色に霞がかかり大雑把な形しか見えない。まだ日が暮れてもいないにも関わらず、空は暗くなる。車内のランプに明かりが灯り始めた。

「制服に着替えたいから、ちょっと出てて欲しいさ」

「ああ、俺らも隣の連中んとこで着替えて来るわ」

 制服を持ち、男子生徒3人をコンパートメントから出てくれた。いそいそとクローディアとハーマイオニーは制服に着替え、卸したての服が肌に冷たく触れた。

ローブを纏った瞬間、汽車が急停止する。勢いのある停車の仕方で、車体全体が大きく揺れ動いた。

「あれ? まだ着かないさ?」

「故障じゃない?」

 途端に、明かりという明かりが消え去った。コンパートメントの戸が開き、フレッドとジョージ、リーが3人を見渡す。

「大丈夫か?」

 頷きながら、クローディアは窓に張り付くように外を凝視する。窓から、雨による振動が手の平に伝わってくる。

 通路から、他の部屋の戸が次々と開く音が木霊する。しかし、汽車全体が何者かによって激しく揺さぶられ、荷物棚のトランクが零れ落ちる。ベッロは落下した荷物を避けるために、クローディアの肩に巻きつき、不安に駆られたハーマイオニーもクルックシャンクスを抱き上げた。揺れの反動で、リーは座席に倒れこみ、フレッドとジョージは戸にしがみつく。

 雨により視界が悪いが、窓の向こうで何かが動いているのが確認できた。

「誰かが乗ってくるさ」

「こんな場所から?ルーモス(光よ)」

 ローブから杖を取り出し、ハーマイオニーが杖の先で室内を照らす。

「僕、ジニーの様子を見てくる」

 フレッドが手繰り寄せるように通路を出た。

「私、運転手のところに行ってくるわ。クローディア、ハリーとロンをお願いしていい?」

「暗いから気をつけてさ」

 ベッロを座席に置き、クローディアはハーマイオニーと分かれてコンパートメントを出ようとした。だが、通路に出た瞬間、2人は喩えようのない寒気に襲われ、足を止める。

 ハーマイオニーの灯してくれた光が微かに通路を照らし、怯えた生徒達の顔が見える。

 否、そんなモノは眼中にない。

 隣の車両から、揺らめく影が迫ってきた。天井に伸びる影は床に足をつけることなく、進んでくる。クローディアの目の前を過ぎ去ろうとしたとき、初めてそれがローブを被っているのだと理解した。影のローブが頬を掠めたとき、呼吸を忘れたように息苦しく、全身から活力が奪われていく。ハーマイオニーの杖から灯が消え、暗がりが戻る。

 だというのに誰も影のローブから、目を離すことが出来ない。

 微かにベッロの吼える声が聞こえる。

 クローディアの胴体に誰かが抱きついてきた。相手は背に顔を埋めて全身を震わせている。

(怖がっているさ)

 顔の見えない相手を元気付けるために、クローディアは優しい手つきで相手の背を撫でる。一瞬、相手は警戒してビクッと跳ねた。

「大丈夫、怖くない」

 視線を影のローブに向けたまま、クローディアは呟く。

「大丈夫……」

 再び呟き、相手は震えを止めた。安心した息が背中に伝わった。

 影が車両の向こうに過ぎ去っても、誰も口を開かない。深い沈黙と暗闇が長く続く感触に襲われる。時間にしてみれば、5分もない。

 車両の向こうから、銀色の光が視界の隅に映った後、車内が明かりを取り戻した。

 しかし、明かりが戻っても全員、胸に不安とは違う焦燥が募ったままだ。

「大丈夫さ、もう安心さ」

 クローディアは、背中を振り返る。

 胴体に抱きついていたのは、輝く金髪を乱したドラコであった。

 ドラコも見上げた相手を確認し、呆然と口を開く。クローディアも予想もしない相手に、硬直してしまう。

「あ……あれ? あ、あ、あ!」

 慄き口を細めて目を見開いたドラコは奇声を上げ、クローディアから飛び退いた。

「いや、違う!」

 完全に狼狽したドラコは言葉を切った。いや、ローブを引っ張られて口を止めるしかなかった。いつの間にかロジャーがドラコの背後に立ち、憤怒に顔を歪めて唇を震わせる。

「何してんだ……おまえ!?」

「僕は、間違えたんだ!」

 ドラコの首を揺さぶり、ロジャーは吼える。

「おまえの取り巻きとどうしたら、間違えるんだ!」

 ロジャーの剣幕に珍しくドラコはたじろぐ。他のコンパートメントから、ゴイルとクラップがゆっくりとした動作で現れたので、彼は助けを求めるように命令する。

 すると、ジョージがロジャーを助けるように加わり、徐々に男子生徒が増える。

 喧騒のおかげで周囲は少しずつ気力を取り戻し、乾いた笑い声が車内を満たした。

 ゆっくりと汽車は進みだした。喧騒の原因ともいえるクローディアは完全に置き去りになったまま、事は収拾を見せない。

 嘆息したハーマイオニーがクローディアの肩を叩く。

「ハリーとロンのところに行きましょうか?」

 クローディアはハーマイオニーと共に、そそくさと隣の車両に移動する。

「何を騒いでるんだい?」

 車両を越えた途端、熟睡していたはずのルーピンが立っていたので驚く。疲れた笑顔に似合わず、穏やかな声色だった。

 大人を目にしたクローディアとハーマイオニーは、あの影のローブによって曇りがかっていた胸の内が少し晴れた。

 何処から説明すればよいのか、クローディアが脳内で文章を纏めようとした。

「男子が先程の影に怯えたか、どうかで揉めています」

 先にハーマイオニーが毅然とした態度で説明する。

 大方の説明を受けたルーピンは笑顔で頷く喧騒の車両に入っていった。あっという間に、聞こえていた喧騒が消え去った。

 

 コンパートメントには、ハリーとロンの無事な姿がある。そして、怯えきったネビルが座席に体育座りで縮こまっている。ネビルだけでなく、ロンは血の気のない顔色をし、ハリーも気分の悪い汗を流している。

 何故か、3人ともチョコレートを手にしていた。

「皆、大丈夫さ?」

「怖かったよお、それにすごく寒かった」

 普段より一層震える声で、ネビルが答える。ロンも口元をもぞもぞと動かし、俯き加減に座席にもたれる。ロンは話す気力がない様子だ。

「誰か座席から落ちた?」

 遠慮したようにハリーが尋ねてきたので、クローディアは横に頭を振る。それを見て、気まずそうに彼は顔を背けた。

「ハリーがね、倒れたんだ。こう硬直して、床に倒れたんだ」

 ネビルが震える手で大雑把に状況を話す。醜態を明かされたハリーは焦心に駆られて項垂れる。

 ネビルはハリーを心配して話しているかもしれないが、有難迷惑である。

「ハリー、大丈夫なの?」

 不安そうなハーマイオニーがハリーの隣に腰掛け、親身になり慰める。

 ハーマイオニーに心配されるハリーが羨ましい。不謹慎だと自分を戒め、クローディアは彼女の隣に座る。正面にいるネビルと目が合う。

「クローディア、怖くなかったの?」

 ネビルの目には、クローディアが平気そうに映っているらしい。

「怖いとか、そんな余裕なかったさ。ビビったら負けかなって感じさ。……ところで、あれって何さ? 怨霊?」

「『吸魂鬼(ディメンター)』だよ、アズカバンの看守……。シリウス=ブラックを探してるんだ」

 無気力にロンが答えた瞬間、クローディアとハーマイオニーはそれを目にした時の感覚を思い出し、悪寒が全身を駆け巡る。

「あれが看守ですって……、信じられない」

 ハーマイオニーの動揺もわかる。あれが看守などという生易しい単語は決して当てはならない。最も恐れられる監獄所の意味が『吸魂鬼』ならば、完全に納得できる。

「じゃあさ、そのチョコは?」

 クローディアはネビルの手にあるチョコを指差す。

「ルーピン先生がくれたんだ。食べろって」

「え? あの人、先生なの? ルーピンって言うんだね」

 答えるロンにネビルは初めて嬉しそうな声を出す。

「ルーピン先生は、すごいよ。気絶したハリーを跨いで『吸魂鬼』に立ち向かったんだ。杖を取り出して、『シリウス=ブラックを匿う者はいない。去れ』って言ったんだ。でも、あいつは何の反応もしなくて、そしたら先生が何か魔法を使って銀色の物を飛ばしたんだ。どうなったと思う? 逃げたんだよ。『吸魂鬼』が!」

 ネビルが両手を上げた瞬間、コンパートメントの戸が開く。ルーピンが戻って来たのだ。彼は3人の手元のチョコレートを目にし、穏やかな笑みを向ける。

「おやおや、チョコレートに毒なんか入れてないよ」

「誰もそんなこと疑ってないさ」

 クローディアの返事をハーマイオニーが咎めた。だが、ルーピンの笑みは崩れなかった。それどころか、納得したように頷き返した。

 ネビルがチョコレートに齧りついた。見る見る内に、彼の顔色に活力が戻っていく。それを見て、すぐにハリーとロンもチョコレートを頬張る。2人の顔色にも、同じことが起こった。

(魔法のチョコさ?)

 耳元で、パキンッと割れる音がした。クローディアが振り返ると、ルーピンが同じチョコレートを差し出していた。

「食べるといい、元気が出る」

「はい……、ありがとうございます」

 割ったチョコレートをクローディアとハーマイオニーに手渡したルーピンは、ネビルの隣に腰掛ける。

 クローディアが口にチョコを入れた途端、全身に張り巡らされた寒気が溶けていく。

「あと10分でホグワーツに着く。ハリー、大丈夫かい?」

「……はい」

 ルーピンに対し、ハリーはバツが悪そうに答える。

 チョコレートを食べ終えたクローディアは、ネビルが視界に映ってから気がついた。

「ネビル、よく私がクローディアだってわかったさ」

「そうね、スゴイわ。ネビル、どうしてわかったの?」

 ハーマイオニーも混ざり、ネビルに尋ねる。しかし、彼はきょとんとしている。

「え? 何、クローディア。何か変わったの? えと、……待ってね。……髪型かな?」

「ああ、人生最高記録まで髪が伸びたさ」

 突っ込む気力もなく、クローディアは胸中で嘆息する。

「何、どうしたの? 教えてよ」

 追求してくるネビルを手で制したクローディアは、ハリーとロンを交互に見やる。

「あんたら、着替えなくていいさ?」

 言われて気づいたハリーとロンは、トランクを別のコンパートメントに置きっぱなしにしていたことを思い出す。気を利かせたフレッドがトランクを運んできてくれたので、2人は急いで着替えることが出来た。

 

 雨が降り注ぐ駅に到着した。生徒達が下車しようする中、ネビルが突然大声を張り上げる。

「わかった! クローディア、痩せたんだ!! 前は僕と変わらないくらいぽっちゃりだったのに!」

 声量に驚いた何人かの生徒が、クローディアを振り返る。興味津々の眼差し受けてしまう。悪意がないのは、理解できる。

「痛い、イタイ! ごめん、御免!」

 それでも恥ずかしいものは、恥ずかしい。クローディアはネビルの頬を手で摘んだ。

 




閲覧ありがとうございました。
グラップとゴイルにに間違われたくない。
停電って不安よりも、ワクワクとした好奇心が湧きますね。


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6.儀式の夜

閲覧ありがとうございます。
やっと、学校に着きました。
回想台詞は〝〟と表記します。


「イッチ年生はこっちだ!」

 雨音を割く野太い声に、クローディア、ハーマイオニー、ハリー、ロンは振り向く。寒気と緊張に怯える新入生をハグリッドが手招きしている。

「4人とも、元気か?」

 呼びかけに答え、2人は背伸びして手を振る。生徒の流れに逆らえなかったため、ハグリッドにマトモに挨拶できなかった。それでも、彼は4人の手が見えたので、満足そうに微笑んでいた。

 駅の外に並んだ馬車を雨に打たれながら、順番待ちをしているクローディアのローブが引っ張られた。振り返ると心配そうなジニーと髪に杖を挿したルーナが見上げてくる。

「ジョージから聞いたわ。マルフォイに変なことされたって?」

「ハリー=ポッターが倒れたって!」

 口を窄めるルーナに、ジニーは小さく肘打つ。

「ポッターは、置いといて。マルフォイに変なことされてないさ。クラップ、ゴイルと間違えて私を掴んだだけさ」

 朗らかなクローディアに、ジニーは強く否定する。

「苦しい言い訳ね。絶対、わざとだわ」

 これ以上の説明は無意味と判断し、クローディアは吸魂鬼との遭遇中に異常はなかったか尋ねた。『吸魂鬼』を思い返したジニーは恐怖に肩を竦ませる。ルーナは何故か口を開けて降りしきる雨を飲んでいた。

「ルーナがね、私を守ってくれたから……そんなに怖くなかったわ」

「へえ、ルーナも怖かったろうに、偉いさ」

 感心したクローディアは、ルーナの頭のお団子を崩さない程度に撫でる。照れているのか、彼女は肩を激しく動かした。

 それを順番待ちしている生徒の何人かが奇異の目を向けてきたの、クローディアとジニーでルーナの肩を押さえた。

 ハーマイオニーに呼ばれ、クローディアはハリー、ロンと馬車に乗り込む。独りでに馬車が動き出したとき、雨の勢いが薄れてきた。そして、ほとんど止んできた。

「雨も空気読んでほしいさ」

 『吸魂鬼』の影響が抜け切れていないせいか、4人に会話はない。車窓の向こうの景色を見るとはないしに見つめる。ハーマイオニーとロンはハリーが再び気絶するのではないかと心配し、横目で彼の様子を何度も窺う。

 ハリーはその視線に気が滅入っているらしく、必死に顔を背けていた。

 

 雄大な鋳鉄の門を馬車が走り抜けるとき、クローディアは門の両脇に吸魂鬼が2人も浮かんでいるのが、見えた。

(魔法省が寄越した警備って……あれさ?)

 ハーマイオニーと目を合わせ、口に出さずともお互いの意見が一致した。どうやら、ブラック以外でも、息苦しい新学期が待ちうけている。

 ハリーは座席に深くもたれ、馬車が止まるまで瞑想していた。

 馬車を降りた途端、機嫌の良いドラコがハリーに声をかけてきた。汽車のときと違い、ドラコは普段の意地悪さ全快であった。

「ポッター、気絶したんだって? ロングボトムは本当のことを言ってるのかな?」

 ドラコがガサツにハーマイオニーを肘で押しのけようとした。咄嗟に、クローディアがハーマイオニーの前に立つ。

「私も『吸魂鬼』は、怖かったさ」

 一瞬、ドラコはクローディアの前で竦んだが、すぐにハリーに詰め寄ってきた。対抗してロンが彼に吐き捨てる。

「うせろ、マルフォイ」

「ウィーズリー、君も気絶したのかい?」

 気取ったドラコが大声を上げようとした。

「マルフォイがまたクロックフォードに助けを求めてるぞ」

 次の到着した馬車から降りてきたマイケルがドラコを指差す。アンソニーもクローディアとドラコを目にし、珍しく意地悪く笑う。

「門のところにいたもんな『吸魂鬼』」

「クロックフォード、マルフォイに構うなよ」

 最後に降りたモラグがドラコを横目で見やる。3人の話を聞いたロンは今日、初めて輝いた笑顔を見せる。

「なんだって? マルフォイ、クローディアに助けを求めたの? 『吸魂鬼』が怖くて?」

 羞恥と憤怒にドラコの顔が真っ赤に染まっていく。呆れてクローディアは平手で激しく音を立てた。

「やめるさ。皆、怖かったさ、おあいこさ」

 新学期、早々の諍いにうんざりしたクローディアが事態を収束しようとした。しかし、それはドラコの自尊心を傷つけただけらしい。屈辱感に唇をわなわなと震わせた彼は、クラッブとゴイルを引き連れ、城への石段を乱暴な足取りで登っていった。

「マルフォイを助けたの?」

 少し機嫌を良くしたハリーに問われ、返答に困るクローディアは頬を掻いた。

「どうしたんだい?」

 新たに着いた馬車から、下車したルーピンのお陰で全員急ぎ石段を登る。

 4人は離れないように注意しながら、威厳ある樫の扉を通る。懐かしくもあり、馴染み深い雰囲気にクローディアの口元が緩む。

 大広間の前では、生徒が犇めき合っていた。寮が違う為、クローディアはハーマイオニー、ハリー、ロンと分かれて自身の寮の席へと足を向ける。

「ポッター、ロングボトム! 2人とも私のところにおいでなさい!」

 教頭のマクゴナガルが2人を呼ぶ。その迫力は関係ない生徒まで叱責を恐れて竦ませた。偶々ロンの近くにいたネビルは引き攣った悲鳴を上げ、反射的に怯えたハリーは寮監へ着いて行った。

「なんだろうさ?」

「きっと『吸魂鬼』のことよ」

「ハリーが倒れた時、僕も一緒だったのに……」

 クローディアとハーマイオニー、ロンは2人が見えなくなるまで見送った。

 

 自分の寮席に腰掛けたクローディアの隣をルーナが飛び込むように座った。生徒達の話題は『吸魂鬼』とハリー、そしてドラコのことでもちきりであった。

 興味津々の生徒達が詳細を聞こうとクローディアに詰め寄ろうとした。しかし、何故か隣のルーナと目が合うと全員、口ごもった。

 説明を面倒がったクローディアはルーナに感謝した。

 大広間の二重扉が開き、ざわめきはピタリと消える。

 新入生を率いていたのは厳格なマクゴナガルではなく、レイブンクロー寮監のフリットウィックであった。

(あれ?)

 動揺した生徒は何人もいたが、口を閉じて成り行きを見守る。

 組分け帽子が歌い終れば、例年通りの拍手が大広間を包み、普段のホグワーツの雰囲気を見せてきたので、クローディアは安堵の息を吐く。

 フリットウィックが自分よりも長い羊皮紙を少し気取った様子で読み上げる姿は新鮮ではあった。緊張に凝り固まった新入生が組分け帽子によって組分けされていく。

「ロミルダ=ベイン!」

《グリフィンドール!》

「ネイサン=ブラッドリー!」

《レイブンクロー!》

「デレク=ガーション!」

《ハッフルパフ!》

「ペロプス=サマービー!」

《ハッフルパフ!》

「リッチー=クート !」

《グリフィンドール!》

 儀式を終え、フリットウィックが組分け帽子と椅子を片付けているときに、大広間にマクゴナガルがハリーとネビルを連れて入ってきた。

「(マクゴナガル先生、ハリーに何だったのかしら?)」

 クローディアの隣に座るマンディが耳打ちしてきたので、小さく首を横に振る。

 マクゴナガルが上座の教員席に腰掛け、ハリーはハーマイオニーとロンの間に座る。ネビルはシェーマスとディーンの間だ。

 それを合図とばかりに、上座の後ろの戸から一糸乱れぬ行進で『楽団部』の生徒達が入場し、教員席と寮席の間に、整列する。

 顧問のフリットウィックが生徒の前で一礼し、部員達に向けて指揮棒を掲げた。楽器を手にしたリサ達が構える。指揮棒が振るわれ、繊細かつ美しい音色が奏でられ大広間に広がる。

 部員達の唇が緊張を含めて開かれる。

《大釜でグツグツ煮よう  沼地の蛇の ぶった切り  

 竜の鱗と狼の牙  魔女のミイラ 人食い鮫のノド  

 増えろ 膨れろ 苦しみに 苛まれ  火よ 燃え盛れ

 大釜よ グツグツ煮えろ  増えろ 膨れろ 苦しみに 苛まれ

 大釜でグツグツ煮よう  増えろ 膨れろ 苦しみに 苛まれ

 災難がやってくる!》

 生徒の歌が新鮮と初々しさで微笑ましい気持ちになり、『楽団部』に盛大な拍手が送られる。

 自寮に戻る部員達の表情は皆、達成感に満ちていた。

 緊張を残した笑顔のリサはクローディアの隣に腰掛けた。

「(お疲れさま、素敵さ)」

 耳打つクローディアに、リサは頬を赤く染めていた。

 全員の着席を見届け、厳格にして尊敬の的である校長ダンブルドアが立ち上がる。暖かな笑顔で両手を広げる仕草に、クローディアは自然と微笑み返してしまう。

「新学期、並びに新入生の諸君、おめでとう! 皆にいくつかお知らせがある。宴の席でボーッとなる前に片付けてしまおう」

 一旦、ダンブルドアは白い髭の中で咳払いし、魔法省の要望で城への入り口は『吸魂鬼』が警備することになると説明した。

 その口調に何故か棘を感じる。

「あの者達が皆に危害を加えるような口実を与えるでないぞ。『吸魂鬼』に許しを乞うても、出来ぬ相談じゃ」

 心臓が少し重くなる感覚がした。それはクローディアだけではなく、ルーナでさえも緊張で口元を引き締めていた。全校生徒の沈黙による承諾を見届けたダンブルドアは、再び微笑む。

「楽しい話に移ろうかの、今学期から『闇の魔術への防衛術』の担当なさってくれるR=J=ルーピン先生じゃ」

 古ぼけた一張羅を着込んだルーピンが会釈する。汽車に乗り合わせた生徒だけが、歓迎の拍手を起こした。

「あれが、新しい先生ですの?」

 怪訝そうにリサが呟く。リサだけの不満ではないことは、わかる。

「スッゴイ、厳しい人だよ」

 突然、ルーナが声を上げたので、一瞬だけ寮席の視線が釘付けになった。

 だが、クローディアはルーナではなく、教員席のスネイプが気にかかった。ルーピンの隣にいる彼の表情が不機嫌を通り越している。

 それは自分が狙う担当を得られなかった悔しさというよりは、ハリーとクローディアに向ける憎悪と同じだ。

 不意にクローディアの脳裏に、コンラッドの忠告が浮かぶ。

〝臆病な態度を示したとしても、責めてはいけない。ただし、庇う必要もない〟

 ネビルの話では汽車に現れた『吸魂鬼』を追い払ったのは、ルーピンだ。それだけで、ロックハートとはまるで違う。何処が臆病なのか、クローディアには見当がつかない。

「『魔法生物学』のケルトバーン教授が前年度をもって退職される。手足が残っているうちに余生を楽しまれたいとのことじゃ。後任として、嬉しいことに皆がよく知っている方が引き受けてくださった。ルビウス=ハグリッドじゃ。勿論、森番も兼任してくださるぞ」

 紹介されたハグリッドは思わず、立ち上がった。そのせいで教員席が傾き、机の食器が滑り落ちた。

 グリフィンドールとレイブンクローから強い拍手が送られた。ハッフルパフは困惑を隠しきれず、スリザリンは気力のない拍手というより、ただ手を叩いているだけだった。

 拍手が終わるとき、ハグリッドは嬉しさで目に涙を浮かべ、そっと拭っているのが見えた。

「ハグリッドが教員免許を持っているとは思わなかったさ」

「何、それ?」

 パドマが怪訝したので、クローディアは首を傾げた。

「学校の教師になるには教員免許がいるさ。ほら、この人には教師をする資格がありますよっていう証明書さ」

「それって、マグルの方針なの? 人を教えるのに証明書が必要なんて不便だわ。魔法界じゃありえない。普通は魔法使いや魔女に弟子が頼み込んで、初めて師事されるものよ」

 マーリンやニコラス=フラメルが弟子を希望する魔法使いや魔女が「資格免許」がないので、教えられませんなどと言って断りはしないだろう。

 魔法界の教師は、講師の扱いに近い。

 あのロックハートが教授として招かれた理由が初めて納得できた。

 ご馳走を平らげ、5年生の監督生に率いられ新入生が大広間を去っていく。ハリー達が教員席のハグリッドに駆け寄る姿を見て、クローディアもそれに続く。

「おめでとう、ハグリッド!」

「ハグリッド先生さ!先生!」

 クローディアとハーマイオニーが黄色い声をあげ、ハグリッドが震える声で答えた。

「信じられねえ、偉いお方だ……ダンブルドアは。ケルトバーン先生がもうたくさんだって言いなすってから、まっすぐ俺の小屋に来なさった。俺はずっと、この職に就きたかった」

 感無量とハグリッドが涙を隠すように、ナプキンに顔を埋める。彼を気遣ったマクゴナガルが4人に目で去るように命じた。

 教員席に背を向けるとき、クローディアは視界の隅にスネイプの姿を映す。こちらに目を向けることなく、彼はルーピンに憎悪の視線を向け続けていた。

(このことお父さんに教えたほうがいいさ?)

 少なくとも、コンラッドはルーピンについて何かを知っている。

 大広間の二重扉で、就寝の挨拶を交わしたクローディアとハーマイオニーは自寮の方向へと歩く。レイブンクローの集団に追いつき、ルーナの声を耳にした。

「ナーグルの次は『吸魂鬼』。クローディアは気をつけないと」

 いつの間にか、ルーナがクローディアの後ろを歩いていた。すっかり慣れ、ルーナと歩く速度を合わせる。

「ありがとうさ。ルーナは『吸魂鬼』がどういうものか知ってるさ?」

「とっても、危険だよ。パパが『しわしわ角スノーカック』のことを調べるついでに、吸魂鬼のことを雑誌に載せたんだ」

 雑誌という言葉に、クローディアはひっかかりを覚えた。

「小説でも書いてるさ?」

「違うよ。編集してるの。編集長っていうのが役職なんだもン」

 簡単に告げるルーナに、クローディアは驚くべきか悩んだ。駅で見たあのラブグッド氏が編集長だと思いもよらなかった。

 眉間のシワを解したクローディアは、『しわしわ角スノーカック』について、ルーナに質問した。

 興味をもたれたことが嬉しいルーナは、談話室に着くまで『しわしわ角スノーカック』の文献を事細かに話して聞かせた。途中で飽きたクローディアは、不意に思いつく。

「ナーグルと『吸魂鬼』が出会ったらどうなるさ?」

 何気なく問いかけると、ルーナは激しく身震いしただけで答えなかった。

 

☈☈☈

 生徒達が寝静まり、日付が変わる時間。

 魔法界でも珍しい調度品、額の中で眠る歴代の校長が壁に掛けられた校長室。

 黒い戸棚を開き、ダンブルドアはルーン文字が彫られた浅い石の水盆『憂いの篩』に手を置く。

 水盆を揺らめく銀色の輝きをダンブルドアは見つめた。そこには、柔らかな金髪に愛想の良い印象を与える17歳の少年が映る。紫の瞳はダンブルドアを嗤っている。

 銀色の輝きから、少年の顔を消したダンブルドアは胸中で嘆息する。

 校長室の扉に通じる螺旋階段が動く音に顔を上げ、不機嫌に顔を顰めたスネイプと困り顔のルーピンが入室してきた。

「茶を入れよう」

 戸棚を閉め、ダンブルドアは杖を振るい円形の小さな机と椅子を4つ用意した。校長に勧められ、スネイプとルーピンは腰掛ける。

「誰を招かれるのですかな?」

 剣呑なスネイプの態度に、ダンブルドアは穏やかに微笑み返す。

「ちょっとした客人じゃよ。もう見えられるはずじゃが……、おかしいのお……5分も遅刻じゃ」

 わざとらしく、ダンブルドアは懐中時計を見やる。

 

 ――コンコンッ。

 

 何の前触れもなく、窓が外から叩かれた。

 スネイプは咄嗟に杖を身構えたが、ダンブルドアが優しく制す。

 窓の外には人影がないにも関わらず、ダンブルドアは無防備に窓を開いた。姿がなくとも、足音が絨毯に重く響く。丁寧な足音から、敵意や悪意は感じられない。

 お互いを見やったスネイプとルーピンは自然と腰を上げる。

「遠いところ、よくぞ参ってくださった」

 暖かく迎え入れるダンブルドアに答えるかの如く、視界に現れる。

 真っ黒い髪を肩まで伸ばし、灰色のスーツを着込んだ東洋系の男だった。身の丈は3人よりも低く、歳の頃はスネイプとルーピンと差ほど変わらない。しかし、精悍な顔つきが見た目よりも確実な歳月を生きていることを告げていた。

「窓からの入室いたしました。ご無礼をお許し下さい」

 スネイプとルーピンよりも若い声で、男は3人に深々と頭を下げる。

「初めまして、十悟人と申します。呼びにくければ、トトで結構」

 スネイプは怪訝そうに十悟人を眺め、ルーピンは会釈する。

「初めまして、わしはアルバス=ダンブルドア。こちらは『魔法薬学』教授のセブルス=スネイプ。こちらは『闇の魔術への防衛術』教授のR=J=ルーピン」

 ダンブルドアに紹介され、スネイプは渋々会釈する。

「宜しく」

 愛想よくルーピンは手を差し出し、握手を求める。それに答えようとした十悟人が初めて相手の顔を見た。

 突如として、彼は驚愕に目を見開きルーピンを凝視した。

 まるで、その存在がありえないと語る。異様な視線には、流石のルーピンもたじろぐ。

「トト?」

 優しくダンブルドアに声をかけられ、我に帰る十悟人はルーピンの手を握り返した。

「それで? 仲良く茶を飲む為に、我輩まで呼ばれたのですかな?」

 明らかな皮肉に、十悟人はわざとらしく咳き込んだ。スーツの袖から頭部程の大きさもある黒い鞄を取り出し、円形の机に置く。

「早速、本題に入りましょう。とある知人の頼みで、ルーピン殿に薬を処方することになりました。そちらのスネイプ殿への説明と、ルーピン殿の診察と採血をしに参りました」

 スネイプの態度は一変し、冷たい視線を十悟人に向ける。

「我輩の薬では、不足だと?」

 冷静に淡々と十悟人は述べる。

「『脱狼薬』だけでは、万全とは言えません。……生徒達の安全をより万全にしたいというのが、知人の考えとだけ、申し上げておきます。さて、ルーピン殿、そこにお座り下さい」

 促されたルーピンは腰掛ける。迎え合わせるように、十悟人は椅子を合わせて座る。鞄の中から、聴診器を取り出す。

「はい、前を開いて」

 大人しく従うルーピンを診察する十悟人は、すぐ傍でダンブルドアに抗議するスネイプに耳を傾けていた。

「どういうことですかな?」

「見ての通りの診察じゃよ」

 睨まない程度にダンブルドアを見やるスネイプは、一挙一動を見逃さず十悟人への警戒を解かない。

「それなら、マダム・ポンフリーで十分ではありませんか?」

 穏やかながらもダンブルドアはスネイプに真摯な態度で応じていた。

 十悟人はルーピンに基本的な診察を行った。栄養と睡眠の不足、異常な筋力の発達以外は、気に留める部分がないことが判明した。カルテを書き終え、鞄から注射器を取り出し、針を構える。

 好奇心で注射器を見ていたルーピンは問いかける。

「何をするんです?」

「ああ、注射器は初めてですか? これを腕に刺して血を抜きます。ご安心を私はマグルの医師の資格を取得しております」

 ルーピンの笑顔のまま硬直する。

 その後、注射を拒むルーピンが逃走しようとした。十悟人はスネイプに手を借り、数分手間取ったが、無事に採血を終えた。

 打たれた腕を薬用綿で押さえるルーピンは、一層痩せて見える。小さな抵抗に余分な体力を消耗した十悟人は血の入った注射器を慎重に扱い、鞄に仕舞う。更に鞄を袖へ戻した。

「1月後にフクロウ便で届けましょう。それと半年分しか処方しません。また半年後、採血に来ます」

 無気力に頷くルーピンにスネイプはせせら笑った。

「『解呪薬』を人狼に服用させるのは、初めての試みなので『脱狼薬』と併用させて頂きます。効用の結果を纏めて頂ければ幸いかと」

 スネイプは一層、顔を顰める。

「その魔法薬に聞き覚えがありませんが? しかも、初めてですと?」

 ダンブルドアがスネイプを宥め、一先ず承知させた。

「あの、大量に処方できませんか?」

 遠慮がちにルーピンが尋ねる。採血を拒否している様子が窺える。

「薬が古くなると効果が薄れます。駄目です」

 断言され、ルーピンは肩を落とした。

 簡単に茶を飲んだ十悟人は、3人に礼を述べ窓から校長室を去ろうとする。

「長々とお邪魔いたしました。おやすみなさい」

 最後に、十悟人はルーピンを振り返る。視線と感じたルーピンは、丁寧に会釈した。

〔お大事に〕

 外国語で呟き、十悟人は3人の魔法使いの視界から消え去った。

 安堵したダンブルドアが指を鳴らすと机と椅子は消えた。

「セブルス、不満はあろうが、あの方は一大決心をしてここに参られたのじゃ。それだけもわかってやっておくれ」

「校長が申されるなら、我輩は何も言いません。ただ、ひとつ」

 不意にスネイプの表情がより厳しく変わる。

「あの男に頼んだのは誰です?」

「しらん」

 即答され、不快にスネイプの口元が痙攣した。

「匿名の手紙が来てのお。彼の腕を借りるとよいとな。おそらく、リーマスの事情を知るものじゃろう」

 これにもスネイプは不愉快に眉を寄せる。

「トトも承諾してくれてるんじゃ、甘えるとしよう」

 こうなれば、誰も意見も聞き入れない。

 それを知るスネイプは八つ当たりでルーピンの頭を叩いた。

 

☈☈☈

 誰の視界に認識されない十悟人は静寂なホグズミード村にその姿を晒した。

 だが、ホグワーツ城の校長室にいたときと異なり、黒髪は白髪に、中年程の顔には老人の領域に達するシワが刻まれていた。

 同一の人間とは、誰も思わない。

 城の方角を見やり、十悟人は思いに耽る。

 ルーピンの体質を聞き、『解呪薬』の処方を頼まれたとき、頑として反対した。人狼が教鞭を取ることに我慢できないというのに、何故自分が関わらねばならないのかと詰め寄った。

 すると相手は機械的な笑みで、こう返してきた。

〝彼に会ってから、決めるといい。それでも嫌なら、諦めよう〟

 そして、その意味を理解した。校長室でルーピンを目にし、十悟人は絶対に断れない。歯噛みし、この場にいない相手を睨む。

(わしの……罪悪感を二度も利用するとは、やってくれるな。コンラッド)

 全てを見通す紫の瞳に嗤われている気がした。

 




閲覧ありがとうございました。
映画版の合唱、物語の雰囲気がそのまま歌詞になっていて、すごく好きです。
そう、教育免許、魔法の師は免許なんていらない!
注射はいくつになっても、嫌です。


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7.そして事件は起こる

閲覧ありがとうございます。
事件は、現場で起こっている!


 談話室で、ベッロの事情を知らない1年生が悲鳴を上げ、上級生がそれを笑う風景は馴染みのものとなった。此処までくると、最早、慣例である。

 『灰色のレディ』と監督生達の説明によって、混乱は治められた。朝から余分な体力を消耗したとペネロピーが、文句を述べていた。

「でも、ああいう1年生を見ると新学期が始まったって思うわ」

 最後にそう締めくくったペネロピーに、クローディアはノドを鳴らして笑う。制服に着替え、同室のリサとパドマと共に大広間を目指す。

廊下の窓から見える空は、昨日の雨が嘘のように、快晴を伝える青空を見せていた。珍しく気持ちの良い目覚めもあり、クローディアは清々しい気分に浸れた。

 

 大広間に着くと、その気分は虚しく消え去った。

 まずは、スリザリン席でドラコが気絶するハリーの物まねをして取り巻き達を湧かせ、グリフィンドール席ではシェーマスやディーンが怯えて人に抱きつくドラコの物まねをすることで対抗している。

(泥沼さ……)

 クローディアは肩を落とす。彼女に気づいたドラコはわざとらしく用事を思い出したと主張し、取り巻きを引き連れて大広間を後にした。

 入れ違いにハーマイオニーがハリー、ロンと現れた。

「おはようさ、ハーマイオニー」

「おはよう、クローディア」

 機嫌良くクローディアは、ハーマイオニーと挨拶した。

「あ~ら、ポッター。吸魂鬼が来るわよ。ほら、ポッター、ううううううう!」

 甲高い声でパンジーが、ハリーを侮辱してきた。ハーマイオニー達は、それを無視するように早々とグリフィンドール席に向かってしまった。

 ハーマイオニーとの爽快な時間を邪魔されたクローディアは、大人気ないと知りながらも、パンジーに横目で睨みつける。

 意地悪な笑みを見せていたパンジーは、すぐに竦んで口を噤んだ。

 苛立ったクローディアは、レイブンクロー席に乱暴に腰掛ける。

「ミス・クロックフォード」

 聞き慣れたフリットウィックの声に振り返りながら、クローディアは席から立つ。

「おはようございます。フリットウィック先生」

「おはよう。休暇はどうじゃったかね?」

 フリットウィックは、僅かな躊躇いを見せて問うてきた。それを疑問せず、クローディアは普段のまま快活の笑みを見せる。

「はい、充実した夏を過ごしました」

「それならいいんです。しかし、ご家族の方は『吼えメール』を送って来る程のお怒りだったようですから、肩身の狭い思いをしたのではありませんか? 学校では気兼ねなく、栄養を摂るのですよ? 気分が悪ければ、すぐにマダム・ポンフリーに言いなさい」

 不安そうな視線で心配された。どうやら、フリットウィックは体型の変化を重い病か栄養不足と勘違いしている。

 クローディアが夏のダイエットに励んだと説明すれば、フリットウィックは胸を撫で下ろしていた。

「いやあ、取り越し苦労で良かった。昨日の宴から、少し心配していたんです。マクゴナガル先生もダイエットが成功したのではと推測をして下さいましたよ」

 流石、教頭先生。女子生徒のご理解が深い。

 手早く朝食を済ませた頃、お決まりのフクロウ便が大広間に突入する。彼らは忙しなく、寮席に荷物や手紙を運んできた。

 その中から、見慣れたシマフクロウが母からの手紙を携える。

(あ……、このフクロウのこと……聞くの、忘れてたさ……)

 シマフクロウから手紙を受け取り、適当なバターロールを与えて内容を読む。

【新学期こそ、危ない目に合わないで下さい かしこ】

 深い警告が込められた手紙を読み終えて、クローディアは重苦しく息を吐く。ブラックや吸魂鬼の件を思えば、その願いは叶わない気がした。

 ペネロピーから、今年度の時間割を配布してもらい、クローディアは不機嫌さを露にする。隣にいたサリーも酷似した表情で、時間割を見つめていた。

「一時限目から……スリザリンと『薬草学』さ」

 嘆息しつつも、新科目が始まることも喜んだ。

「『マグル学』はスリザリンと合同ね、選んだ人は少なそう」

「『魔法生物飼育学』取らなかったの?」

 皆で時間割を見せ合い、クローディアは皆と授業が分かれることに少々の不安を覚える。

 意気揚々とハグリッドが大広間に入り、ハリー達と軽く会話していた。

「私もハグリットの授業が受けたいです。でも、『占い学』も捨てがたいですし……」

「いっそのこと分身でもしたら、どうさ?」

 何気なく、クローディアはリサに提案した。

「そんなことしたら、宿題も増えるぞ……」

 聞こえていたモラグが青ざめている。

(グリフィンドールとの合同授業は『数占い』だけさ。良かったさ。ハーマイオニーは、全科目選んでたから、きっと一緒さ)

 クローディアがハーマイオニーと時間割を見比べようとしたが、何故か強く拒まれた。

 そして、ハーマイオニー達は、『占い学』のために大広間を後にしていく。

「クロックフォードも『魔法生物飼育学』をとったのか?」

 油断していた背後から、フレッドがクローディアの時間割表を覗き込む。

「ハグリッドが講師のときとは、運がいいな。ハリーとロンもとっていた。ハグリッドの最初の授業を受けるんだと」

 ジョージがクローディアの時間割表を軽く取り上げる。

「ああ、やっぱり『数占い』があるな。ジュリアに教科書見せてもらったことあるけど、俺には無縁だな」

 わざとらしく肩を竦めるジョージに、クローディアは目を細める。

「あんた、それで『O・W・L試験』どうするさ……?」

 『普通魔法レベル試験』であり、6年生からの進路を決定する重要な試験だ。5年生はこれに向けて本格的に取り組む授業内容になると、ペネロピーは教えてくれた。

「いいか、自分にとって必要な教科が合格出来ればいいんだよ」

 満面の笑顔で親指を立てるジョージに、クローディアは嘲笑めいた声を上げる。それを見たジョージが大袈裟に泣きマネをし、机を叩いた。

「必要な教科って、将来に何になるか決めてるさ?」

「そりゃあ、勿論! 店を開くことだ!」

 あっさり、泣き真似をやめたジョージは両手を広げて主張した。快活な笑みの中に真摯な態度を見たクローディアは、ジョージの本気を感じ取る。

「店を持つさ?」

「そう、その名もWWW(ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ)だ。簡単に開業できるなんて、思ってないぜ。だから、今から準備しておかないといけないんだ。客層を見極めるのは、勿論だけど。在学中に俺達の顧客を持っておきたい。そのくらいしないと『ギャンボル・アンド・ジェイズいたずら専門店』や『ゾンゴのいたずら専門店』に勝てないからな」

 素直に驚いた。双子は、悪戯ばかりして将来など後回しにしていると思っていた。それが既に将来の夢に向け、今から取り組んでいるのだ。意外過ぎる一面は、クローディアにジョージへの感心と応援を湧きおこらせた。

 同時に自身への不安も過る。

 同じ年代の子供達は、既に自分の将来を考え始めている。それなのに、クローディアは3年生という立場に甘えている。本来なら、自分も彼らのように進路を定めなければいけない。

「なあ、俺ばっかり喋ってないで、クロックフォードの夢を教えてくれよ。暫定でいいから」

 いきなり、隣に座ったジョージの質問にクローディアは言葉が出ない。

 

 ――かつて、夢は持っていた。

 

 中学・高校では、女子バスケットボールチームによる大会優勝。大学は関東を選び、某有名リーグ戦に出場。行く行くは、アジア大会から世界大会への進出。そんな話を友達にすれば、田沢ぐらいしか応援してくれなかった。今考えても、かなり夢見がちだと自覚はある。

 今から、日本に帰れば間に合うのではないか? ここでなくとも、魔法を学ぶことは出来る。

 まるで、得体の知れないモノの誘いに思えて不気味に感じた。

「夢は……ないさ」

 ようやく絞り出した声は、素っ気ない。

「それなら……、クロックフォード。俺達の店で働かないか? 絶対、繁盛すること間違いないし……」

「ジョージ、そろそろ行こうぜ」

 リーに呼ばれ、ジョージは渋々言葉を切った。蠢くあやふやな感情を制御しきれないクローディアは、彼のほうを見なかった。

 一時限目の時間が迫ってきたので生徒達は次々と大広間を後にする。教材を取りに寮に向かうクローディアにリサが提案してきた。

「ベッロを連れて頂けませんか? 吸魂鬼のこともありますし、もしシリウス=ブラックが近くに来ても、ベッロならわかるのではないでしょうか?」

 要望通り、クローディアは寮の自室からベッロを入れた虫籠を抱えて温室を目指した。

 フレッドとリーの後を着いて行くジョージに、ジャックは下卑た笑みを浮かべる。

「なあ、ジョージ。あんな可愛い奴と知り合いか?」

「知り合いって、おまえも知ってんじゃん。クロックフォードだよ」

 素っ気ないジョージの返事を聞き、ジャックの笑みは驚愕に引き攣った。

 

 温室内は生徒達の異様な沈黙で、スプラウトの穏やかな声が行渡った。

「『花咲か豆』は、ちょっとした衝撃で花を咲かせてしまいます。土に埋めていないと急速に枯れてしまいますので、絶対に落さないように」

 説明が終わり、皆は黙々と作業を行う。

 順調なはずが、空気は重かった。それもそのはず、ドラコ連中が黙りこくっているからだ。作業に集中したかと思ったが、クローディアと目が合えば、彼は驚いて桶を落したり『毒触手草』に噛まれたりした。

「(どうしたさ……あいつ)」

「(知らない、無視よ)」

 パドマは順調に豆の木から、熟れた莢を毟り取り桶に入れる。

 温室の窓の空、遠くに見える城門に吸魂鬼がいる。それはクローディアだけでなく、他の生徒の視力でも十分、捉えられた。彼女以外の生徒は吸魂鬼を視界に入れた後、自然とドラコへと視線が移す。彼の汽車での行動が原因だろう。

(ああ、成程さ)

 何となくではあるが、クローディアは温室の空気を理解した。ドラコが彼女にやたらと構えば、吸魂鬼への恐怖を誤魔化していると思われる。そんな誤解を生まない為に、彼は大人しく作業に没頭するのだ。

(いつまで持つか、わからないけどさ)

 寧ろ、その分、ハリーが被害を受けそうだ。

 無意識にクローディアは、深く溜息をつく。

 そんな授業に構わず、ベッロは暢気に『毒触手草』と格闘していた。

 

 終業の鐘が鳴り響き、バスシバ=バブリングの『古代ルーン文字学』の教室から這い出るように現れたクローディアは、精根尽き果てていた。寮に戻らず、大広間でレイブンクロー席に倒れこんだ。

「あったま痛いさ……」

 肩を揺らして笑うリサが労わるように、クローディアの肩を擦る。マンディはまだ教科書を睨んでいた。あれは文字ではない。きっと、誰かのイタズラ書きだと信じたかった。

 大広間に『マグル学』を選択していたパドマ、サリー、セシルが入ってきた。3人は笑顔を輝かせてクローディアの元に歩み寄る。

「スリザリン生は、ブレーズ=ザビニとダフネ=グリーングラスしかいなかったわ! あいつら、罰ゲームで選択させられたんですってよ!」

「そこじゃないでしょ! クローディア、あなたがバスケ部を作りたいってこと『マグル学』のバーベッジ先生に相談したら、顧問をして下さるって!」

 軽くコントをするパドマとサリーは、両手を広げた。

「え!? 本当にさ?」

 思わぬ吉報に、クローディアは疲労感が吹き飛んだ。校内でバスケ部を発足する。この目論見が早くも叶いつつあった。喜んだクローディアは、勢いよく顔をあげる。我がことのように喜んだセシルが、拍手した。

「昼の間に職員室に来て欲しいって」

 3人に深く感謝したクローディアは、善は急げと適当に昼を摂った。口に食べ物を残したままクローディアは、勇み足でグリフィンドール席を横切ろうとした。

「あの授業は『数占い』に比べたら、まったくのクズよ!」

 聞き慣れた喚き声に、クローディアは足を止めて振り返る。癇癪を起こしたハーマイオニーが手提げ鞄を乱暴に掴み、クローディアのほうへと迫ってきた。

 これが何を意味するのか、クローディアにはわかっていた。

(おお……、お約束さ)

 案の定、ハーマイオニーは『占い学』の授業そのものと、その教授シビル=トレローニーを徹底的に批判した。

「たかが紅茶の葉が形を成したからって、何でもかんでも不幸の前兆ですって! ハリーなんてグリムが取り憑くだとか! ロンまでビクビクしちゃって!」

 『死神犬(グリム)』。墓場に住まう巨大な亡霊犬、最も不吉なことの前触れらしい。

「魔法界は、神秘的なことが実際起こるからさ。その分、怖いことも起こりやすいさ」

 不満そうに睨んでくるハーマイオニーに、クローディアは苦笑する。

「あなたは取ってないのよね? 『占い学』。とても賢明だわ! そういえば『古代ルーン文字学』の授業どうだった?」

「楽しかったさ、暗号みたいで」

 目を逸らすクローディアに、察したハーマイオニーは苦笑する。

「あ、バーベッジ先生よ。『マグル学』の教授!」

 職員室前に長い黒髪を編みこんだ魔女がいた。チャリティ=バーベッジだ。ハーマイオニーは、すぐに彼女を呼び止める。

「クローディア=クロックフォードです。バーベッジ先生」

 丁寧に頭を下げるクローディアに、バーベッジは気づいたように頷く。

「ミス・パチルから話は聞いているとも、マグルのスポーツで部を興したいそうですね。私のところへそれに関する資料をもって来なさい」

 週末に適度な教室を使用し、クローディアが実技を見せることを約束した。

 意気揚々と廊下を歩くクローディアは、体を弾ませる。機嫌を直したハーマイオニーが微笑んでくる。

「嬉しそうね、そういえばクローディアがバスケしているところ見たことない。私も見に行っていい?」

「勿論さ♪」

 上機嫌にクローディアは、廊下に飾られた絵たちに手を振る。

「授業が増えても、部活が出来るなら……ん?」

 不意に疑問が浮かぶクローディアは、足を止めてハーマイオニーを振り返る。

「さっき『数占い学』がどうのってどういう意味さ? 午前中の選択科目は『占い学』だったのにさ」

「私、次は外だから急ぐわね」

 小走りでハーマイオニーは、廊下を突っ切って行った。

(……まさか……分身の術でも使っているさ?)

 自身の考えに、クローディアは頭を振って否定した。

 

 『変身術』の授業で『動物もどき』の説明をし、マクゴナガルは縞トラ猫に変身する。感激した教室の生徒達は歓喜の拍手を起こした。影への変身が可能なクローディアは、複雑な気分に駆られながらも拍手を送る。

「他者を変身させることは、自分を変身させることに比べると簡単なものです。つまり、自身の姿を変じることは容易ではないということです」

 少し得意げなマクゴナガルが教室を回り、魔法でチョークを操り黒板に文字を書き込む。

「では、もし自分が動物に変じるなら何になりたいかを、1人1人、発表なさい」

 モラグが挙手し「鳥」と答えた。

「先生、ファイアボルトになりたいです」

 勢いよく答えるマイケルに、マクゴナガルが指摘する。

「いま、ミスタ・コーナーが言ったように動物以外のものに変じることが『動物もどき』として認められるか……、答えは否です。理由はいくつかありますが、一番は身の危険性が最も高いからです。もし、ミスタ・コーナーが古本に変身したとしましょう。それに気づかず、暖炉に放り込まれたら、彼は終わりです。もうひとつは利点がないことです。本には、目も耳もありませんので見ることも聞くことも歩くこともできません」

 クローディアは自身の足元にある影を見つめる。

(……影になっても、視覚は狂うけど、聴覚はちゃんと働いているし、影は物じゃないということさ……。でも……、影は生物とは程、遠いし……)

「ミス・クロックフォード、質問ですか?」

 呼ばれ、クローディアは席を立つ。

「では、植物はどうなりますか? 生物ですが、除外されるのでしょうか?」

「いい質問です。これまで完璧に植物へと変じた魔法使いはいません。これも危険性と利点の有無にあります」

 一先ず、納得しクローディアは着席する。次にサリーが発言を許された。

「2年生のとき、『魔法薬学』で『ポリジュース薬』について簡単に習いました。他人に変じることは『動物もどき』には当たらないのですか?」

「その通りです」

 サリーが座り、アンソニーが挙手する。

「マクゴナガル先生は、猫以外の動物には他に何に変身できますか?」

 急にマクゴナガルは、教室を見渡す。

「注目ですよ。『動物もどき』が変身できるのは、ひとつだけです。例外として『七変化』があります。これは生まれ乍らの特異体質でまさに変幻自在です。こればかりは熟練の魔法使いでもなることは出来ません」

 アンソニーが座ると、マンディが挙手する。

「先生は杖を使わずに猫に変身しましたが、杖がなくても変身できるようになるのですか?」

「正しくは、杖なしで完璧に変身を遂げ、解く。これが最低条件です。大方の魔法使いは、杖で自分を変身させるところで、挫折してしまいます。以上のことを踏まえて『動物もどき』のレポートを金曜までに提出なさい」

 マンディが座り、リサが挙手する。

「分身することは出来ないのでしょうか?」

 そのときのマクゴナガルの崩れた表情を教室の誰もが脳内から消し去ることを決めた。

 

 教室を出るリサは、少し表情が暗かった。

「私、そんなに変なことを言いましたか?」

 それを尻目に、クローディアは今まで読んだ漫画の内容を思い返す。

(……忍者ハットリくんって、スゴイさ。蛙になれるし……『七変化』って、あれは……変装さ)

 寮を目指すクローディアは、螺旋階段の所でパドマに呼び止められる。

「クローディア、お客様よ」

 困り笑顔のパドマが教えた先には、不安そうに眉を寄せるハーマイオニーであった。 さっさと寮の自室に教科書を置き、ベッロを首に巻く。ハーマイオニーと共に大広間を目指した。

 『魔法生物飼育学』でドラコがハグリッドの忠告を無視し、ヒッポグリフのバックビークを罵倒したため、襲撃された。それをスリザリン生が大袈裟に騒いでいるという。

「マルフォイが怪我って、大丈夫さ?」

「ええ……、マダム・ポンフリーが治してくれるはずだから……。でも、これをマルフォイが利用してハグリッドをクビにしたらどうしよう……」

 滅多にドラコを心配しないハーマイオニーは、真剣に彼の怪我とハグリッドのことを案じている。

「自業自得って言いたいけどさ、痛いんだろうさ……」

 クローディアもドラコの身を案じ、医務室の方角を見やる。

 大広間に着くと、パンジーが目に涙を浮かべてクローディアに迫る。

「あなたのお友達のハグリッドが! ドラコに怪我させたのよ! あら、グレンジャーいたの」

 おまけ程度にパンジーは、ハーマイオニーを睨んだ。

「それで、マルフォイはどうだったの? 医務室に行ったんでしょ?」

「すごく痛そうにして、死んじゃうって泣いてたわ。可哀想なドラコ……」

 口元に手をやり、俯くパンジーにクローディアは励まそうと手を伸ばした。

 しかし、即座にパンジーに弾かれた。代わりに、ベッロがパンジーの目元の涙を拭うと急に笑顔になった。

「ありがとう、ベッロ。誰かさんと違って、あなたはとても優しいのね」

 明らかに侮辱する態度に、クローディアは小さく嘆息した。パンジーを無視すると決め込み、夕食の為に自寮の席に座った。

 夕食の間に『魔法生物飼育学』の出来事が広まっていったが、何故かドラコがハグリッドの尻を触ったとか、吸魂鬼に驚いてバックビークに抱きついたなどの尾ひれが付いていた。

 そんな噂を不愉快に思うのは、スリザリン生だけではない。

「御機嫌よう、ミス・クロックフォード」

 黒真珠の瞳を細くし、皮肉っぽく口元を曲げたスネイプがクローディアの背に声をかけた。

 ぎこちなく振り返ったクローディアは、必死に笑顔を取り繕う。

「見違えましたな、ミス・クロックフォード。我輩としましては、以前の御姿のほうが健康的かつ防寒にも優れていたと考えておりましたが、いやいやいや、まさに残念としか言いようがない。今年の冬は例年より寒さが堪えるでしょうな。言っておくが、またくだらぬモノを学校に持ち込まぬように……」

 減点や罰則はなかったが、ネタが尽きるまでクローディアは延々と罵られた。昨日、スネイプを少しでも理解しようとした自分を撤回したかった。

 

 図書室で明日の授業に関し予習するクローディアとパドマ、リサの3人は、窓から城の周囲を徘徊する吸魂鬼を目にする。

「吸魂鬼って、いつ寝るさ?」

「さあ、私も吸魂鬼に詳しいわけではありませんけど、年中アズカバンを監視しているのですから、睡眠は取らないのではないでしょうか?」

「クローディアって変なこと気にするわね……。この本に載ってるんじゃない?」

 パドマが本棚から適当な本を取り出し、吸魂鬼の項目を読む。しかし、基本的なことのみで生態系などは一切記載されていない。

「閉館ですよ。本を戻しなさい。貸出と返却はお早めに」

 他に参考になる書物を探そうとしたが、マダム・ピンスが閉館を告げ、生徒達の追い出しにかかった。3人も急いで図書館を後にした。

 寮に戻るため、玄関ホール付近を通りかかる。何処からか、乱暴な地響きが床に伝わってくる。

「変な音するさ……」

 周囲を見渡し、クローディアは震源地を探す。音は段々と迫ってくる。

「何かしら?」

 パドマとリサも足を止め、玄関ホールの向こうを見やる。

 珍しく目つきを厳しくしたハグリッドが、ハリーを抱えて走ってきていた。こちらに失態はないが、3人はハグリッドに叱責をもらうのではないかと焦る。

「おお、クローディア。ハリーを寮まで送ってくれ、絶対に目を離すなよ!」

 投げ渡されたハリーをクローディアは全身で受け取った。意外に彼が軽いことに気づく。ハグリッドの後ろから、全速力で走ってきたハーマイオニーとロンが疲労感のあまり肩で息をする。

「それから、暗くなって城をうろつくなら、ベッロを連れておけ! ベッロが近づくなという場所にも行くな! 絶対だぞ!」

 鬼気迫る勢いに、クローディアはドラコのことを聞きそびれた。

 ハグリッドに押され、6人は自寮を目指す。

「ハグリッドったら、マルフォイの怪我は自分のせいだって言うのよ。ヒッポグリフを教えるのは、早すぎたって!」

 ドラコの為に、ハグリッドが心を痛めている。そのことをハーマイオニーから説明され、パドマが憤慨する。

「新学期から、ウザイ。マルフォイったら、呪いかけてやろうかしら」

 杖を振り回すパドマは、本気だ。

「後からスネイプ先生がお仕置きしてくるさ。バレないようにこっそりやるさ」

 クローディアは、愉快そうにパドマへ耳打ちした。

「同感だな。ひっどい呪いをかけてやる」

「駄目だよ、ロン。いまは一刻も早くマルフォイが回復してくれないと、ハグリッドが悲しむよ」

 窘めるハリーをクローディアは苦笑する。

「元気になってからのほうが、マルフォイは大変さ」

 6人は、これからドラコが仕掛けるであろう悪だくみを想定して、溜息をついた。

 




閲覧ありがとうございました。
ハーマイオニーの時間割りは原作を読んでも、全然わかりません!
●ブレーズ=ザビニ
 原作六巻にて、いきなり出てきた男子生徒。いい性格していると思う。


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8.コワイココロ

閲覧ありがとうございます。
心を読む妖怪は、何処の国にもいるようです。

追記:16年9月1日、17年3月5日、18年1月7日、誤字報告により修正しました


 翌日の一時限目は『魔法生物飼育学』は、ドラコが負傷したことで安全面を危惧する何人かの生徒が授業を不安がった。

 クローディア達がハグリッドを励まそうと必死に盛り上げる。

「教科書は、どのページさ?」

 クローディアが【怪物的な怪物な本】の背表紙を撫で、適当に開く。それを見た他の生徒は驚き、急いで本の背表紙を撫でる。

「おまえ、何処でそれを知った?」

 テリーが【怪物的な怪物の本】を縛っていた紐を解く。

「書店で教えてもらったわ」

 パドマが答えると、ハンナが反応する。

「え? 私は教えてもらってない。書店の人も扱いに困っていたわ……」

「俺も教えてもらってない」

「僕は教えてもらったけど」

 ザカリアスにジャスティンが答える。

「なんで、こんなにバラつきが出るんだ? 昨日もハリー達は知っとたのに、その他の生徒は全く知らんかった」

 ハグリッドの疑問も当然だ。コンラッドが書店の店主に教えたのだから、その前に買いに行った生徒が使い方を知るわけがない。

「なあなあ、昨日のヒッポグリフはいないのか?」

 テリーの質問に、ハグリッドは表情を暗くした。

「駄目だ……。バックビークは人前に出さねえ」

 大方の生徒が残念がり、何人かが安堵した。

 その後のハグリッドは、無気力にレタス喰い虫(フロバーワーム)の飼育について説明して終わった。餌と勘違いしたベッロがレタス喰い虫を食べようとした。我が身を守ろうとレタス喰い虫は、ベッロと戦った。そのお陰で、少しだけ授業は賑わった。

 授業を終えて皆が城に戻る中、クローディアはハグリッドの元に少しだけ残る。

「ハグリッド、今度でいいからバックビークを見せて欲しいさ。ハーマイオニーから聞いたけど、すごく綺麗な子だったらしいさ?」

 ほんの少し気分を良くしたハグリッドは、髭の中で穏やかに微笑んだ。

 

 大広間で昼食を摂っているクローディアは、スリザリン席でパンジーがドラコの身を案じていた。ドラコは今だ医務室から退院していない。それでも、あまりにも大げさなパンジーに苛立ってしまう。

(なんか、鬱陶しくて心配する気がなくなるさ)

「飛んでくる!」

 完全に油断した背中にルーナが体当たりしてきたので、口に含んだサンドイッチが喉に詰まる。一気に飲み込んだクローディアは、牛乳で喉を潤わせた後、恨めしそうにルーナを振り返る。

「何が飛んださ?」

「靴が飛んでくる。ルーピン先生の授業が終わったら、この靴が目の前に飛んできた」

 必死に今履いている靴を指差すルーナに、クローディアは相槌を打つ。

「ルーピン先生の授業どうだったさ? 私、午後に『闇の魔術への防衛術』があるさ」

「あの先生はナーグルを追い払えるもン」

 言い切るルーナに、クローディアはルーピンが高く評価されていると感じた。汽車の件もあり、授業が待ち遠しくなった。

「よっぽど楽しかったさ、良かったさ」

 ルーナの頭を撫でると、彼女は顔をシワだらけにして笑う。

 自室で教科書を確認し、寝台に横になっていたベッロを虫籠に入れようとした。しかし、ベッロは寝台と壁の隙間に入り込んだ。

「ちょっと、ベッロさ。授業始まるさ。来るさ」

 指を鳴らすなどし、ベッロを誘うが無反応で寝台の奥から出てくる気配がない。時間が迫ってきたので、クローディアは諦めた。

 

 『闇の魔術への防衛術』の教室は、これまでと違いその分野の道具が飾られている。得体の知れない動物の標本、角、干し首を珍しくクローディアは食い入るように見つめる。

(これとか、エイリアンに出てきそうさ……。あれ? こっちはプレデター?)

 始業の鐘が鳴り、自然と着席する。

 教科書や羊皮紙を構え、準備を終えるのを見計らいルーピンが姿を見せる。リサなどの汽車を共にしなかった面子は、怪訝そうに彼を見つめた。

 視線の意味を理解しているのか、ルーピンは教室を見渡して微笑む。

「皆、杖だけ持って、後は片付けてくれるかな?」

 指示された通りにし片付け終わると、ルーピンは全員に声をかける。従い、生徒は教室を出る。廊下を歩きながら、リサがクローディアに耳打ちする。

「(あの人……、何処かで見たことありません?)」

「(いや、ないさ。もしかして親戚さ?)」

「(いいえ、でも何か、見覚えがあるのですが……。何処かしら?)」

 リサが呻いている内に、ルーピンが導いたのは職員室であった。

 扉を開け、中に招くルーピンに応じて全員が一列になる。そのまま奥に誘導された。そこには、古い洋箪笥が淋しく置かれていた。

 しかし、ルーピンが脇に立つと音を上げて暴れだした。慄いた何人かは、ビクッと肩を揺らし洋箪笥から離れる。

「怖がらなくていいよ。中に何がいるか、当てられるかな?」

 静かな口調に、アンソニーが前に出る。

「真似妖怪、ボガートです」

「その通りだ、ありがとうアンソニー」

 アンソニーの後ろに、皆が集まり不安そうに洋箪笥を見つめる。

 突然、職員室の扉が開く。入って来たのは、スネイプだ。鋭い目つきが生徒を見渡している。思わぬ人物に、全員反射的に背筋を伸ばす。

「やあ、これから授業をするところなんだ」

 にっこりとルーピンはスネイプに笑いかけた。返事もなく、スネイプは肘掛け椅子に腰掛ける。まるで、授業を見学するような態度から、全員、冷や汗が流れた。

(((なんでいるんだろ……?)))

 緊張した生徒に構わず、ルーピンは洋箪笥へ注目させた。

「では、ボガートはどんな姿をしているでしょう?」

 これにリサが挙手する。

「誰も知りません。形態模写妖怪で、出会った相手が一番恐れるモノに姿を変えることができます。故にとても恐ろしい生物です」

 満足そうにルーピンは、頷いた。

「その通り、幸いボガートを退散させる呪文がある。杖なしでいいよ。まずは練習だ。私に続いて、リディクラス(ばかばかしい)」

「リディクラス(ばかばかしい)」

 復唱する生徒達の後ろで、スネイプがせせら笑う。

(まだいたさ……。つーか、授業どうしたさ?)

 スネイプを振り返らず、クローディアは胸中で悪態付く。

「いい発音だ。だが、呪文だけでは足りない。ボガートをやっつけるには、笑いが必要なんだ。それには精神力が関係してくる」

 呪文の説明をし、ルーピンはマイケルを指名する。彼は猪が恐ろしいと答えた。幼い頃に猪に追いかけられたトラウマだ。

「では、何が一番怖いかを考えくれるかな? そして、それを滑稽な姿に変えるんだ」

 思考の為に、誰もが沈黙する。

(うーん、アルマジロ……さ?)

 実はクローディアは生まれてこの方、アルマジロを見たことがない。もしも、ボガートは姿も知らないモノを恐れていたら、どんな姿に変身するのか、微かな興味が湧いた。

 笑顔を隠すために、クローディアは手で顔を覆う。

「では行くよ。マイケル、杖を構えて」

 マイケルは頷き、洋箪笥に向かい杖を向ける。ルーピンが洋箪笥を叩くと、自然に取っ手が回り、ゆっくりと開いた。

 暗闇から、巨体な猪が威勢の良く現れる。

「リディクラス(ばかばかしい)」

 淀みなく唱えるマイケルに合わせ、猪の姿が毛深い豚に切り替わった。その醜態に、全員が腹を抱えて笑う。

「いいぞ、最高だ! 次、パドマ!」

 マイケルが下がり、パドマが前に出る。困惑した毛深い豚は、皮膚がただれたゾンビに切り替わる。

 パドマが唱えると、ゾンビは腰を振って踊りだした。

(スリラー?)

「モラグ!」

 パドマが下がり、モラグが前に出る。ゾンビから鱗に覆われた半漁人が牙を向く。モラグが唱えると、半漁人干乾び干物になった。滑稽すぎた姿に、モラグは半笑いになる。

「クローディア!」

 自分の番になりクローディアは、モラグと代わり前に出る。緊張で心臓が速く脈打っていた。深呼吸してボガートと対峙する。

 半漁人の干物は、クローディアを凝視し、凄まじく回転する。

(アルマジロ、アルマジロ、アルマジロ、アルマジロ)

 覚悟を決めて胸を張るクローディアは、口元を緩める。

 ついに、ボガートは姿を決めて変じた。

 その姿にクローディアは目を見開き、顔色が蒼白になる。それは、アルマジロであるはずがなかった。床を這い蹲り喘ぐ、着物を着込んだ白髪の老女。老女は、助けを請うように腕をクローディアに伸ばす。

〔来織ちゃん……、助けておくれ〕

 慣れ親しんだ日本語で声をかけられた。これが誰なのか、クローディアはすぐに見当がつく。

 自分は、これを恐れている。あの頃から、ずっと恐れていた。

 引き攣るような声をあげ、胸で呼吸した。全神経に命令して、老女から後ずさりする。しかし、老女はクローディアを逃がすまいと足を掴んだ。

「杖を構えて、呪文を唱えるんだ。クローディア」

 声援を送るルーピンの声が、遠かった。

 

☈☈☈

 クローディアは、一向にボガートに杖を向けなかった。これにリサは彼女の後ろから杖を伸ばし、呪文を唱える。老女は白い布に絡まり、小さくなった。

 すぐにリサはクローディアを後ろに下がらせ、彼女が前に出る。布からトロールに姿を変えたので、呪文を唱える。鼠の姿になったボガートは逃げるように洋箪笥に入り、乱暴に戸が閉まった。

「よくやった! 今日はここまでだ。リサ、友達を助けるのは素敵なことだよ」

 微笑かけられ、リサは頬を赤く染める。

 リサがクローディアを振り返ると、彼女は壁に向かって俯き、片手で顔を覆っていた。

「クローディア、唱えられないことは恥ずかしいことじゃないよ、気を落さないで」

 優しい言葉をかけられたクローディアは、ルーピンに愉快な笑顔で振り返る。

「いやあ、すみません。小さいときに、お祖父ちゃんが物語に話してくれた鬼婆だったんです。実際、目にすると怖くて♪リサ、ありがとう。おかげで助かったさ」

 照れ笑いを浮かべるクローディアに、リサは安心する。

「実に良いクラスだ。ボガートに関する章を読んで、レポートをまとめなさい。月曜までに提出だ」

 宣言されたとき、終業の鐘が鳴る。慌ててクローディアが、挙手する。

「ルーピン先生、最後に質問いいですか?」

「なんだい?」

「吸魂鬼がボガートと出会ったら、どうなりますか?」

 興奮して盛り上がっていた生徒達は、一斉に口を紡ぐ。

「それも加えてレポートにしてくれるかな?」

(うまくかわした……)

 胸中で感心する生徒達と違い、クローディアは口を尖らせて不満そうにしていた。

スネイプがいるにも関わらず、生徒達は和気藹々と職員室を去っていく。リサは扉をくぐる前にルーピンを振り返る。

(やっぱり、何処かで見たことがあります)

 呻きながら、リサが出て行くのにクローディアも続く。その前に、クローディアは笑顔でスネイプに振り返る。

「スネイプ先生、授業でお会いしましょう」

 陽気に手を振るクローディアに、スネイプは答えなかった。

 生徒が去った後の扉を見つめ、スネイプは腰を上げる。

「ボガートも満足に追い払えんとはな」

 嘲るスネイプに、ルーピンは頭を振る。

「いや、上出来だよ。ボガートが消えるのを恐れて隠れるまで追い込んだ。優秀だよ。それに、セブルスがスリザリン生以外にも好かれているとは思わなかったよ」

 微笑むルーピンに、スネイプは一層険しい顔つきで返した。

 

☈☈☈

 夕食を摂るため、ジニーはルーナと大広間を目指す。

 2人は今年度から『薬草学』が合同授業なので、より距離が近くなった。

「クローディア!」

 ルーナが声を上げる。中庭の向こうの廊下に、友人に囲まれたクローディアが普段よりも上機嫌な笑顔で歩いていた。その笑顔にジニーは、奇妙な違和感を覚える。

「すごく機嫌いいわね、何か良いことでもあったのかしら?」

 同意を求めようとルーナを振り返るが、ジニーは狼狽した。

瞬きもせずにルーナはクローディアを凝視している。水晶の如く潤う銀色の瞳から、大粒の涙が零れていた。戸惑いながらジニーは、ルーナに声をかける。

「どうしたの? 目にゴミでも入った……?」

 目を見開いたまま、ルーナは首を横に振る。

「痛そう、苦しそう、悲しそう……」

 涙を拭うことなくルーナは、浮ついた口調で繰り返した。

 

 大広間に入る前に、ルーナの涙が止まった。ジニーは胸を撫で下ろした。レイブンクロー席では、クローディアが上機嫌なまま周囲の生徒と話し笑っている。ルーナを席に送るついでに、ジニーはクローディアに声をかける。

「こ、こんにちはクローディア」

「はい! ジニーさ!」

 勢い良く挙手するクローディアは、満面の笑顔ではしゃいでいる。

「機嫌がいいけど、何かあった?」

 躊躇いながらも尋ねるジニーに、クローディアはにんまりと口元を歪め、手を口元に当てる。

「今日の『数占い』の授業でハーマイオニーと一緒だったさ」

「そう、それは、良かったわね」

 クローディアとハーマイオニーは親しく、これまでレイブンクローとグリフィンドールの合同授業はないので上機嫌な理由に確実に当てはまる。だというのに、ルーナはこの笑顔に辛さを感じるという。

「他に、何か変わったことなかった?」

「ないよ、普段通りさ! あ~、あそこでパーキンソンが煩い以外は、超良好さ」

 スリザリン席を指差すクローディアに、周囲の生徒も同意する。

「本当、ハグリッドが可哀想」

 他の上級生を無視し、ジニーはクローディアを怪訝する。

「ルーナ、お腹空いたさ? こっち来て食べるさ。このスパゲティ美味しいさ」

 ルーナを手招きし、クローディアは隣に座らせた。ルーナは沈黙し、大皿の豪華なスパゲティを小皿に盛り付ける。

 グリフィンドール席にハーマイオニーがいることを確認し、ジニーはその隣に腰掛ける。

 ハーマイオニーはスパゲティを口にしながら、『天文学』の教科書を読んでいた。

「ねえ、ハーマイオニー。クローディアと授業一緒だったのよね? そのときからあんなに機嫌良かった?」

 教科書から顔を上げ、ハーマイオニーは宙を見やる。

「変わった様子はなかったわね、授業中もサクサクと問題解いてたし……。うん」

 気に留めることなく、ハーマイオニーは再び教科書に目線を戻す。

(ハーマイオニーもわからないなら、本当に何もないのかしら。でも、ルーナは的外れなことを言ったりするような子じゃないし……。ルーナの為にも、クローディアに何か出来ないかな?)

 レイブンクロー席を見やる。突然、ジニーの視界にフレッドとジョージの顔が現れた。

「「どうしたジニー、元気ないぞ」」

 陽気な双子の兄を見比べ、ジニーは閃いた。

 

☈☈☈

 翌日の昼食。

【怪物的な怪物の本】を読むクローディアの隣で、ハーマイオニーから『魔法薬学』での出来事を愚痴りつづけた。ドラコが怪我を利用してロンを扱き使い、スネイプがネビルに意地悪をした。ネビル1人に『縮み薬』の調合をさせ、トレバーをその実験台にしたのだ。

 ハーマイオニーがこっそり調合を手伝い、トレバーは助かったがグリフィンドールは減点された。

 やはり、ドラコは全く大人しくしなかった。

「それなら、ずっと医務室にこもってくれたらいいさ」

「全くだわ」

 気分が落ち着いたハーマイオニーは、ミムが読んでいた【日刊預言者新聞】を借りる。

「あ、シェーマスが授業中に言ってけど、ブラックが学校近くで姿を見られたんですって、この記事のことだわ」

 ハーマイオニーは【日刊預言者新聞】を指差す。ブラックがマグルの女性に目撃されたという記事があった。

「次の授業『闇の魔術への防衛術』なんだけど、昨日はどうだったの?」

 クローディアはページを捲る手を止め、ハーマイオニーに微笑む。

「真似妖怪のことを習ったさ」

「そうなの、ありがとう。私、職員室に用があるの。一緒に行きましょう」

「いいね、行くさ」

 上機嫌で頷きクローディアは、本を閉じコーヒーを飲み干す。ハーマイオニーが重量のある鞄を肩に担いで立ち上がる。

「ハーマイオニー。その鞄、破れそうさ」

「うん、でもこれしか鞄ないから」

 ハーマイオニーは、さっさと大広間を出ようとする。

(どこぞの猫型ロボットのポケットとはいかないけど、ベッロの虫籠のような鞄が欲しいさ)

 限界まで張り付けた鞄を見ながら、クローディアはハーマイオニーに続く。

 グニャ。

 廊下に出た途端、クローディアは踏みつける床に、違和感を覚える。恐る恐る視線を足元に移すと、床にうつ伏せたフレッドの背を踏んづけていた。

「うわお! フレッド、何してるさ!」

 慌てたクローディアは屈み、床に膝を付いてフレッドの背を撫でる。フレッドの顔色は青ざめ、虚ろな目で宙を見ている。

「う……、クロックフォード……、頼む……僕を医務室に……」

「わかったさ」

 フレッドの腕を持ち上げ、肩に担ごうとした。

「おお! なんたることだ!」

「どうしたさ!?」

 突然、フレッドは空いた手で自らの顔を覆い、深刻な表情でクローディアを見つめる。

「下がってる……。BからAに……」

「成績が……上がってるんじゃなくてさ?」

「ちーがーうー」

 フレッドの視線が徐々に下がっていく。クローディアも視線に倣い、自分の体を見下ろす。その視線の先は、彼女の胸元。クローディアの肩に回されたフレッドの手が、触れている。

 脳内の血の気が失せ、無意識にクローディアはそのままフレッドに一本背負いを仕掛けた。衝撃音が廊下に響き、驚いた生徒が何人か振り返る。

 フレッドが大の字で呆然としている。

〔馬鹿!〕

 日本語で罵り、クローディアは乱暴な足取りで職員室の方角に向かった。通りすがりの生徒達は倒れたフレッドに嘲笑と冷ややかな視線を送りながら、避けていく。

 柱の物陰に隠れていたジョージとジニーが嘆息しながら現れる。

「なあ、フレッド。本当にAだったか?」

 目を輝かせて尋ねるジョージに、力を無くしたフレッドは真に虚ろな目で視線を返す。

「確かに、Aだった……。でも、ジョージ。……本当に力が入らない。この役回りは遠慮したい」

 その視線は廊下の天井に向けられる。

「いつも思うけど、あなたたち、励ますとか……向いてないと思うわ」

 フレッドを覗き込むジニーは、眉間に指を当てため息をついた。

 

 職員室での用を終え、クローディアとハーマイオニーは廊下を歩く。ブラックの目撃情報についての話題になった。

「やっぱり、ホグワーツに来るのかしら?」

 不安げに呟くハーマイオニーに、クローディアは呻く。

「なんか、自殺行為なことするさ。ここには、吸魂鬼がいるし、先生たちもいるさ。何よりも校長先生さ。マルフォイ辺りを勘違いして襲ったら、おもしろいさ」

 大胆な言葉に、ハーマイオニーは目を丸くする。

「クローディア、何かあったの?」

 自身の髪を撫でるクローディアは、明るい笑みをハーマイオニーに向ける。

「何もないよ?」

 確かにハーマイオニーの目から見て、クローディアは普段と変わらない。

「ううん、人が襲われろなんて言うから、ちょっとだけ……あなたらしくないと思って」

 わざとらしく首を傾げるクローディアは、呻く。

「いいや、私だって、人の不幸を願うことはあるさ。ハーマイオニーはそんな事、考えないから優しいさ」

「そう言ってくれるのは、あなただけよ」

 嬉しさで口元が緩み、ハーマイオニーは少し頬を赤らめる。

(本当、あなたが友達で良かった……)

 照れ笑いを浮かべるハーマイオニーが下を向いた一瞬、クローディアの顔から笑みが消えていた。代わりに彼女は眉を顰め、自嘲を込めて口元を曲げた。

 その表情に、ハーマイオニーが気づくことはなかった。

 

☈☈☈

 温室の中は、レイブンクロー生に一層不愉快な気分にさせた。

 腕の負傷を理由に、ドラコがわざとらしく痛がってはパンジーの心配を煽った。それどころか、スプラウトに作業が出来ないと訴えた。

 人の良いスプラウトもドラコを労わり、簡単な作業だけで許した。

 贔屓目に見ても、大根芝居なドラコに苛立ちを募らせたレイブンクロー生は作業に集中する。作業中も彼は、簡単なことも出来ないと動作で訴えてくる。堪り兼ねたパンジーが、クローディアに詰め寄る。

「ドラコが可哀想だわ。ベッロを寄越して作業させるべきよ」

 作業の邪魔にならない場所で、ベッロは大きく口を開け欠伸する。

「だから、スプラウト先生も簡単な作業にしてあげているじゃない?」

 噛み付くパドマをパンジーは睨む。

「あんたなんかに聞いてないわ。どうなの? クロックフォード! ドラコに貸すの貸さないの? 貸さないなら、ドラコのお父様にお報せしないといけなくなるわ」

「よせよ、パンジー。困っているだろ?」

 威勢の良いパンジーに、意地悪な笑みで声をかけるドラコがクローディアに歩み寄る。

「君のお友達に、こんなに酷い怪我をさせられたんだ。すごく怖かったよ。あのチキン野狼は、いきなり僕に……」

 

 ――バン。

 

 クローディアが作業していた『花咲か豆』の鉢がドラコの足元に投げつけられた。鉢の音に驚いたスプラウトが声をかける。

「どうしました?」

「マルフォイくんが、作業を妨害してきました」

 唇を尖らせ、わざと大声をあげるクローディアに周囲は唖然となる。反論しようとドラコが口を開く前に、耳打ちする。

「なら、その包帯の下を見せてみろ。傷があるならね」

 高音や低音とも違う声色で耳元に囁かれ、ドラコの全身が凍りつく。脳内から言葉が消えたように真っ白になり、脈拍が異常に脈打つ。

「スプラウト先生、マルフォイくんが具合悪いって言ってます」

 暢気に手を上げるクローディアに、スプラウトはドラコを見やる。

「まあ、ミスタ・マルフォイ。そんなに青ざめて、ミス・パーキンソン。医務室まで付き添ってあげなさい」

 同じように青ざめた表情のパンジーは、ドラコの背を押し温室を後にした。

 クローディアは懐から杖を出し、割れた鉢を元に戻して作業を再開だ。その後の授業でドラコとパンジーは戻らず、平穏無事に終えることが出来た。

 

 クローディア達がお手洗いを出たところに、偶然ネビルが通りかかる。彼は満面の笑みを浮かべて鼻歌を歌っていた。

「あ、クローディア、聞いてよ。僕ね、ルーピン先生に褒められたんだ」

 『薬草学』以外の授業でネビルの顔が輝いているのを見たのは、クローディアも始めてだ。

 しかも、聞きもしないのにネビルは授業の内容を滝のように話し出した。

「箪笥から出てきたボガートが、スネイプ先生になったから、僕が魔法をかけたら、祖母ちゃんと同じ服になったんだよ。てっぺんにハゲタカの剥製がついてて、ながーいドレスで狐の毛皮を着てるんだ」

 説明終えたネビルは、息を求めて深呼吸する。

「それって、スネイプ先生を女装させたってこと?」

 サリーの一言に、クローディア以外の女生徒は腹を抱えて笑い出した。

「ロングボトム。もう一回、言って! どんな恰好になったの?」

 肩で息をし、ネビルは手でスネイプにさせた恰好を表現する。益々笑い声が大きくなった。その笑い声に周囲の生徒達が集まり、ネビルの話に聞き入り笑い出す。自分が話の中心になったことのないネビルは完全に酔いしれ、何度もスネイプにさせた恰好を説明した。

「スネイプ先生、こんにちは!」

 クローディアの快活な声に、笑い声が凍りつく。一斉に、視線がクローディアと同じ方向になる。地下教室の階段から、唇を痙攣させたスネイプが立ち尽くしていた。

 蜘蛛の子を散らすように生徒達は逃げ出した。話すことに夢中になったネビルだけが、その場に残る。

「それで、最後にレースの服を着てたんだ。もうおかしくって」

 ネビルが瞼を開いたとき、本物のスネイプだけが見下ろしてくる。瞬間にネビルは恐怖に引きつった。

 廊下の曲がり角に隠れたクローディアは、パドマ達とネビルに合掌した。

 

☈☈☈

 シェーマスやディーンがネビルの話題で盛り上がる中、ジニーはフレッドとジョージを頼れないと悟った。目の前のポテトフライを盛り付けた皿を睨み、その向こうのレイブンクロー席で雑談するクローディアを視界に入れる。

 その隣で、静かなルーナはビーカーに魔法の火を通して何かを煮込んでいる。

(どうしてルーナが心配していることがわからないの。というか、なんで私がこんなに必死になってるのよ。もう駄目、文句言ってやる!)

 乱暴に立ち上がり、ジニーは生徒を押しのけてクローディアに迫る。

「あれ、ジニー。どうしたさ」

 暢気に笑うクローディアに、ジニーは苛立つ。

「出来た!」

 ジニーが口を開く前に、ルーナが飛び上がる。沸騰した液体が黒に近い緑で、虫の羽が浮かんでいる。明らかに熱さを感じ散れるビーカーを素手で掴み、クローディアに差し出す。

 ビーカーからの熱気に、ジニーは思わず引く。クローディアの隣にいるパドマも顔を顰め、ビーカーから離れる。

「ちょっと、ラブグッド。それ、何よ」

 文句を垂れるパドマに構わず、クローディアはビーカーを受け取り、迷わず飲み込んだ。

 喉を鳴らして謎の液体を飲み干すクローディアに、周囲は息を飲む。ルーナだけが、瞬きせず目を見開く。

 飲み干したクローディアは、ビーカーをルーナに返した。

 遠慮がちにパドマが声をかける。

「ちょっと、クローディア。大丈夫なの?」

「勿論、カボチャジュースの味がしてとっても美味さ!」

 親指を立てるクローディアに、空気が固まりルーナ以外は絶句する。

「え~と……。あ、パーバティだ。私、今日の授業のことで聞きたいことあるのよ」

 取り繕う笑顔で、パドマは席を立った。手を振り見送ったクローディアは、真摯な態度でルーナに向き合う。

「ありがとう、ルーナ。私は、もう大丈夫さ」

 ルーナの髪に手を置き、クローディアは口元に弧を描く。手の温もりに、ルーナは目を閉じて手に体重を預ける。

 自然な2人の様子を目にし、ジニーから苛立ちが泡のように消え去った。

(クローディアは、ルーナのことわかってたんだ。私、心配して損じゃない)

 思わず笑い出すジニーに、ルーナが顔を上げる。

「ルーナ、図書館行きましょう。今日の授業でわからないことがあるの」

「わかった」

 クローディアの手が離れた。ジニーとルーナは陽気に手をとり、大広間を後にする。

 

☈☈☈

 残ったクローディアは、机に置かれたビーカーを魔法で消した。胃に多少の違和感を覚え、腹を擦る。

「あら、クローディア。顔色いいわよ、もう大丈夫?」

 隣に座ろうとしたペネロピーが、クローディアの顔色を覗き込み、安心したように頷く。ペネロピーに紅茶を勧め、クローディアは含んだ笑みを見せる。

「そんなに私ってさ、顔に出てたさ?」

 紅茶で喉を潤わせたペネロピーは、小さく微笑む。

「わかりやすいからね、あなたって、……ねえ、ひとつだけ聞いていい?」

「答えられるならさ」

「……、やっぱり聞かないわよ」

 親しみのある意地悪な笑みに、クローディアは噴出した。

 自分をわかってくれる人がいる。それだけで、クローディアの胸に黒く渦を巻いていたモノが洗い流された気がした。

「ありがとう、ペネロピー」

 唇だけ動かす。その動きを読み取ったペネロピーも唇の動きだけで「どういたしまして」と返した。

 




閲覧ありがとうございました。
親身になって心配してくれる友達っていいなあ。


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9.バスケ部

閲覧ありがとうございます。
部活がなければ、作ればいいじゃない!

追記:16年2月13日・ご指摘を受けて、コートをゴールに訂正しました。
追記:16年4月26日、17年3月5日、誤字報告により修正しました


 土曜日。

 極度の緊張に、クローディアは早々に目を覚ました。ベッロは布団の上でトグロを巻き、静かに寝息を立てている。外を見やれば、まだ夜明け前であった。

 Tシャツと短パンに着替え、髪を纏め上げ、運動性の良いポニーテールを作る。鏡に映る自分を勇気づけていると、夜が明けた。

 淡い日光が朝を告げる。空気は潤いのあり、瑞々しい。地面や草木も、朝露で仄かに濡れている。

 小鳥の囀りの中には、『暴れ柳』に近づきすぎて消えるモノもあった。

 競技場から城まで往復するジョギングを終えたクローディアの息遣いと、スニーカーが地面を蹴る音が聴覚を支配する。首に巻いたタオルで顔を拭くと、背中に人の気配を感じて振り返る。

 箒を手にし、赤いユニフォームを着込んだオリバーだった。おそらく、クィディッチの練習をするためだ。しかし、何故か彼1人だ。

 意外な場面に出くわしたクローディアとオリバーは、挨拶だけ交わす。

「おはよう……」

「おはようさ。クィディッチの練習するさ? 1人でさ?」

 急にオリバーは気を引き締め、背筋を伸ばした。

「俺がどんな特訓をしているのか、探るように言われたのか? そうは問屋が卸さないぞ!」

(ということは、1人で特訓さ)

 簡単にボロを出すオリバーに、クローディアは小さく頷く。

「君もクィディッチの特訓か?」

「違うさ、ちょっと運動したくて走ってたさ」

 警戒するオリバーをクローディアは、バスケの実技見学に誘った。バスケを知らないので、大まかに話した。

「クィディッチがあるさ。それに、箒がなく、ブラッジャーもなく、スニッチもなく、地上でボールを奪いあって、ゴールに入れるさ」

 大体の競技内容を把握したオリバーは、箒ごと腕を組み、首を捻った。

「それって、おもしろいのか?」

 

 ――カチン。

 

 脳内を走った効果音と共に、クローディアはオリバーに食って掛かった。

「見てもないのに、そういうことを平気でいうのはやめるさ! 絶対、来るさ! 後悔させないさ!」

 クローディアの剣幕に、オリバーは引いていく。

「わ……わかった。時間があったら行くよ」

 勢いに任せて宣言したため、クローディアの緊張は更に激しくなる。

 朝も昼も、食事がほとんど摂れなかった。

「クローディア、部室に施す魔法のリストだけど、『防音の術』と『割れない呪文』の他に『魔法封じ』も入れておくべきだわ。どっかの双子がボールに悪戯するかもしれないし……、ただ、結構難しい魔法だから、バーベッジ先生に……聞いてる?」

 聴覚は動いているので、ペネロピーの有り難い助言は耳に入る。

 

 バーベッジに案内され連れてこられた空き教室は、不要な椅子や机が部屋の隅に寄せられていた。バスケをするには、絶対向かない。

 バーベッジが杖を振るうと、教室が4倍まで広がった。

「頂いた資料だと、このくらいが妥当でしょう」

 確かに十分な広さだ。今度は物が邪魔だ。

 今度はクローディアが杖を振る。椅子や机をバスケットボールやコート、バックボードに変じさせた。どんな生徒にも対応できるように、ボールは7号・6号・5号と三種類、ゴールの高さも二種類を用意した。床にライン線を引き、色分けする。

 見慣れた光景がクローディアの胸を弾ませた。変わっていく内装に、バーベッジは感心する。

「マクゴガナル先生が、君を褒めるのがよくわかったわ」

「ありがとうございます」

 次いで、教室全体へ向かって杖を振る。『防音の術』と『割れない呪文』の効果を確かめる為に、窓ガラスに向けてボールを投げつけた。硝子はピクリともせず、壁のように跳ね返る。一度、バーベッジに教室の外に出てもらい、中で大きな音を立てたが、廊下には漏れなかった。

 仕上げにバーベッジがもう一度、杖を振るう。

「何か魔法をやって御覧なさい」

 言われるまま、クローディアは『ルーモス』と唱える。しかし、魔法が一切発動しない。

「これが『魔法封じ』です。魔法を解くこともかけることもできない状態なっています。ですが、『魔法封じ』そのものは解くことが可能です」

 一瞬、矛盾していると感じた。

「『魔法封じ』も魔法ですよね? それを解くとは……」

 悪戯っぽく、バーベッジが笑う。

「魔法でかかったものを魔法で解けないということはないのですよ。ただ、魔法をかけた者と解く者の能力にも関係してきますがね」

 正論のようで、謎かけのような言い回しだ。頭を働かせて、クローディアは結論を纏める。

「つまり、レッツ力押しですね」

「まあ、力強い発言です」

 バーベッジが皮肉を言い終えた頃、見物する生徒が続々と現れる。勿論ハーマイオニー、ハリー、ロンもいる。

 途端に、クローディアの緊張が一気に高まる。

「クローディア、遅くなってゴメン。手当たり次第に声かけたわ。フレッドとジョージが」

 ハーマイオニーの後ろで、双子は自慢げに胸を張る。

「うん、ありがとうさ」

 緊張の動悸が襲ってくるので、クローディアは双子にそれだけ告げるのが、精一杯だ。バーベッジに促され、実技を披露することにした。バスケットボールを手にし、初心者にもわかるように説明した。

 見本としてクローディアがボールをゴールに入れると、何人かが興味深そうに歓声を上げた。

「やってみたい人いるさ?」

 案の定、魔法族出身の生徒が挙手する。手前にいたグリフィンドール生4年生コーマック=マクラーゲンにボールを手渡した。彼は余裕綽々で前に出る。

「こんなの簡単だ」

 適当にコーマックが投げつけたボールはゴールを大きく外れ、壁に激突した。しかも、反動でボールは彼の顔面目掛けて戻ってきた。

 事態を飲み込めないコーマックの顔面、スレスレでクローディアはボールを受け止めた。

「次の人、誰さ?」

 ボールの弾力に驚いた生徒達は、急に手を引っ込めた。すると、ここぞとばかりにロジャーが前に出た。

「こういうのは、チェイサーの僕の出番だ」

 クローディアからボールを受け取ったロジャーは、狙いを定めてゴールにボールを投げ込んだ。軌道は綺麗な弧を描き、見事ゴールへと吸い込まれた。

 ロジャーに気がある女子生徒が歓声を上げた。

 ロジャーは気取った視線で、クローディアにウィンクした。それを無視し、床を跳ねるボールを受け取り、見物人に振り返る。

「いきなりゴールに入れるのは、無理さ。まずはボールになれることが大事さ」

 見学者にも2人一組になってもらい、いくつも用意したボールを回していく。

 ハリーはロン、ネビルはディーン、ハーマイオニーはパドマ、パーバティーはラベンダー、コーマックはグリフィンドール4年生アンドリュー=カーク、リーはジャック、オリバーはアンジェリーナ、フレッドは何故かセドリック、ジョージは何故かロジャー、チョウはミム、モラグはテリー、アーミーはジャスティンなど等。教室の隅で傍観していたルーナへ、ジニーが声をかけた。リサとペネロピー達のように、壁の花になる生徒もいた。こうして見渡すと、物の見事にスリザリン生が1人もいない。

 指導係のクローディアは、注意事項を述べる。

「教室には、『防音の呪文』と『割れない呪文』をかけているので、騒いでも大丈夫さ。ちなみにさ、『魔法封じ』もしてあるさ。ボールに変なことしようとしても無駄さ」

「「ちっ」」

 わざとらしく舌打ちするフレッドとジョージに、クローディアは肩を竦める。各々が戸惑いながらボールと遊びだす。

 バーベッジも生徒に混ぜてもらい、簡単なパス練習を体験した。

「顔を狙うな! 顔を!」

「手が滑るんだ。しょうがないだろ♪」

 狙っているとしか思えない手つきでジョージは、ロジャーにボールを投げつける。必死にロジャーは、見事な動きでボールから顔面を守った。

 パスに慣れてきたところで、クローディアは全員にゴールの前で整列させた。順番に狙わせ、いかに姿勢が大事であるかを教えた。

 クィディッチでチェイサーをしている面々は、飲み込みが早かった。

 クローディアの実技体験は、バーベッジを十分満足させ、生徒にも好評で終わった。

「あれ、ウッドはどうしたさ? 感想、聞きたかったさ」

 皆を解散させたクローディアは、教室を出て行く生徒からオリバーを探したが見当たらない。

「オリバーなら、新しいクィディッチの練習方法を思いついたって、走って行ったよ」

 嫌そうに顔を歪めたハリーが、扉を指差した。オリバーには、クィディッチ魂に油を注いだようなモノであった。これには、クローディアは少しだけ気落ちした。

(まあ、いいさ)

 バーベッジが魔法を解き、クローディアは用具達を元の机と椅子に戻した。片付けを確認したバーベッジは、強い口調で確かめる。

「君のこの競技に対する熱意は、よくわかりました。しかし、この学校ではあくまでもお遊び止まりになるでしょう。クィディッチのように、定例試合もない。それでも、構わないのですね?」

 その言葉に、空しさを感じなかったわけではない。だが、もう一度バスケットボールに触れられる機会を逃したくない。

「むしろ、この学校のメイン競技にしてみせますよ」

 バーベッジは、少し憂いを含めて微笑んだ。

「君が『マグル学』を取らなかったのは、本当に残念です。ですが、レイブンクローに5点差し上げます」

 クローディアは、小さな罪悪感に苦笑いした。

「それから、本格的な部員の確保はクィディッチの選考が終わるまで待つとよいでしょう。それまでは、体験学習と勧誘で宣伝なさい」

「わかりました」

 適切な助言を受け、クローディアはメモを取る。

「それと、これはお願いなんですが、他のマグルの競技を教えて頂けますか?」

 興味津々にバーベッジは目を輝かせる。不意にクローディアは思いつく。

「折角ですから。授業で生徒達にレポートを書かせるというのは、どうでしょう?」

「素晴らしい名案です! そうすれば、生徒達もより興味を持つでしょう。レイブンクローに10点です!」

 余程、嬉しいのかバーベッジはクローディアの頬にキスを落とした。驚きと恥ずかしさで赤面した。

 

 夕食の時間まで余裕があり、クローディアはベッロを連れてフクロウ小屋へと向かう。母とドリス、そしてクィレルに手紙を出すためだ。フクロウの匂いが充満する小屋を嫌い、ベッロは外の手摺りでトグロを巻く。ベッロを置いて、小屋に入ろうとすると、先客がいることに気づく。

 ジョージが、貸し出し用のフクロウに手紙を括りつけていた。

「クロックフォードも手紙かい?」

「主にお母さん宛さ、そっちは?」

「内緒」

 適当に頷き、クローディアは目のあったフクロウに手紙を括りつけようとした。その時、ジョージの目に手紙が見るとはなしに見えたらしい。

「クィレル? おまえ、クィレルに手紙を出してんの?」

 深刻な声でジョージは呻く。そこまで驚かれるとは、クローディアも思っていなかったため、少々動揺した。

「うん、そうさ。このことは、ハーマイオニー達しか知らないさ。後は、ハグリッドもさ。校長先生にも教えてないさ」

「おまえ、でも……、クィレルから返事来ないだろ?」

 驚きをそのままにジョージは、躊躇うように聞いてきた。

「そんなことないさ。バレンタインの時に、初めて返事が来たさ。きっと、クィレル先生の具合は良くなっているさ」

 バレンタインの時の感動が蘇り、クローディアは興奮気味になった。何故だか、ジョージの表情は更に青白くなっていく。

「え? クロックフォード、まさか……知らないのか?」

 緊迫したジョージにクローディアは聞き返そうとした。

「ミス・クロックフォード!」

 闇色の怒声が2人を怯ませるに十分であった。

 居る。

 ベッロを腕に巻いたスネイプが、幽鬼の如く立ち尽くしていた。

「スネイプ先生もフクロウ小屋を利用されるんですね。あっ、私たち、手紙出し終えていますので、お構いなく……」

「ルーピン教授が君をお呼びだ」

 会釈したクローディアは、ジョージの腕を掴んで去ろうとした。

「まて、ミスタ・ウィーズリー。君に用があるのは、我輩だ」

 ジョージは襟を掴まれ、スネイプが強引に引き止めた。

「貴様が提出したレポートだが、あれはどういうつもりだ?」

 早速スネイプの説教が始まり、クローディアはジョージに生温かい視線を送る。彼は何の反応もせず、スネイプの話に耳を傾けていた。

 ルーピンの事務所を目指すクローディアは、フレッドとすれ違う。バスケ部のことで2人に感謝すべきことを思い出し、フレッドに声をかけた。

「フレッド、ありがとさ。フレッドとジョージが宣伝してくれたおかげで、人が多かったさ。これで、興味持ってくれる人が増えるさ」

「いいって、僕達も興味あったし、それなりに楽しかったぜ。フクロウ小屋に行っていたよな? ジョージを見なかったか?」

 曖昧な笑みを浮かべたクローディアは、肩を落とす。

「そこでスネイプ先生に怒られてるさ。よくわかんないけど、レポートの内容がどうだってさ」

「げ、アンジェリーナのレポートを丸写ししたのが、バレたか」

 わざとらしく、それでいて大げさにフレッドは、舌打ちした。全く反省している様子はない。

「レポートはちゃんとやらないと、身に付かないさ」

「身に付けば、レポートはしなくていいと思うけどな」

 くるりっとその場で回転したフレッドは、フクロウ小屋へと走って行った。

 

 ルーピンの事務所に着いてから、まさか双子と同じ理由で叱責を受けるとは思っていなかった。

「クローディア、君のボガートと吸魂鬼との対決に関する見解は、実におもしろかった。でもね、このレポートを見る限り、君はボガートに関する章を一切読まずに書いている。私は教科書を読むように言ったはずだよね?」

 穏やかな笑みのままルーピンは、クローディアにレポートを差し出した。

「月曜まで時間があるから、書き直して欲しい。君は、ボガートを通して『恐怖』を避けている。あの授業で、私は『恐怖』に立ち向かうことを学んで欲しかった。よく考えて書き直しておいで、待っているよ」

 一瞬、クローディアの心臓が跳ねる。何に対しての反応か、考えることを拒絶した。ルーピンからレポートを受け取り、深く頭を下げた。

 

 そのままの足で、クローディアは図書館に向かう。ハーマイオニーが場所を陣取って、宿題と挌闘していた。声をかけたが、集中しているせいで彼女は素っ気なく返した。邪魔にならないように、ハーマイオニーに背を向ける席に座る。

 『闇の魔術への防衛術』のレポートを見直し、クローディアは瞑想する。

 ボールがブツかり、床に跳ねる様子が浮かんだ。このレポートもそれと同じように当てはまらないと、クローディアは感じた。

 ハーマイオニーからペンを借り、1行分を横線で削除し、別の文章を書き足した。

 もう一度、瞑想する。瞼の裏でゴールリングをぐるぐる回りながらボールが入る様子が浮かんだ。

 たったそれだけ修正し、クローディアはルーピンに提出した。彼は削除された項目を目にし、困ったように笑う。

「君は、あくまで『恐怖』を避けるんだね。良いよ、レイブンクローに2点上げよう」

「それだけの評価がありますか?」

 驚いたクローディアは、思わず聞き返した。

「あるよ。君はちゃんとよく考えた。それがこのレポートだというなら、評価すべきだ」

 優しい物言いのはずなのに、クローディアには不愉快に感じてしまう。

 勿論、ルーピンがロックハートよりも、確実に優れた教授だと断言できる。しかし、心を見透かしたような態度に比べれば、人の気持ちがわからないロックハートがマシかもしれない。そんな失礼なことを考えてしまった。

 ただ、ルーピンは『不愉快な男』だという感情が芽生えた。

 

☈☈☈

 兄の部屋は、実家の『隠れ穴』と変わらず物が雑然と置いてある。これで本人達は整理整頓が完璧というから、絶対おかしい。そもそも、ここは相部屋のはずだ。悪戯道具は、ルームメイトの領域まで確実に侵略している。よく揉め事にならないものだ。

 ロンは胸中で呆れた。この部屋に呼び出したジョージは、さっきからロンに背を向けて作業に没頭している。携帯用釜に魔法の火を通し、中身をかき混ぜている。段々、部屋に緑色の煙が充満すると、慣れたように窓を開けて換気した。

「おかしいな、失敗だ」

 釜の中は蒸発し、残ったのはゴツゴツした赤っぽい石ころのみ。ジョージは赤い石ころを布で包み、『失敗』と書かれた箱に放りこんだ。何を作ろうとしたか、ロンは聞かずに置くことにした。

「悪い、悪い。いま終わった」

「それで、わざわざ僕に話って何?」

 待たされた分、ロンは剣呑な態度を見せた。

「クロックフォードのことなんだけど」

 普段の明るさが消えたジョージは、まるでアーサーのように厳しい目でロンを見つめた。そんな視線にロンはビクッと肩が跳ねた。

「クィレルに手紙を出していたことは、知っているか?」

「ああ、その話か。勿論、知っているよ。僕も驚いた。クィレルがアズカバンにいることを彼女は知らないんだ」

 アズカバンにおいて、囚人への荷物の配送は固く禁じられている。そもそも、収容された罪人に手紙を送る者などいないというのが正しい。重罪人の流刑の地であり、魔法省でも高官しか訪問は許されない。それ故に面会者も滅多にいないと聞く。ファッジ大臣も視察の任がなければ、近づかない場所だ。あの勇敢なハグリッドでさえ、名を聞くだけで震えあがっていた。

「僕もクローディアに教えようと思ったけど、ハグリッドが絶対に話すなって」

 あの日、ロンはハグリッドに相談した。ロンなりに、クローディアを思ってのことだ。しかし、ハグリッドは首を横に振った。

〝そんな残酷なことを教えないでやってくれ。このまま、あの子は何も知らねえほうがいい〟

 反論はあったが、ロンは渋々、承諾した。確かに、クィレルの真実はクローディアを悲しませると納得できた。

「同感だな、俺もクロックフォードには黙っておくべきだと思う」

 悲痛に眉を寄せたジョージは、ロンの頭に手を置いた。

「もし、クロックフォードが知ってしまったら、ロン達で励ましてやってくれよ」

 その手の重みから、ジョージの深い感情が読みとれた。だが、感情に対する意味まではわからない。ただ、とても重要なことを任されたとだけ理解した。

 




閲覧ありがとうございました。
双子の部屋は、ものでいっぱいだと思います。
●コーマック=マクラーゲン
 原作六巻にて、登場。叔父が魔法省に顔が効くと、ドラコといい感じの立ち位置だったなあ。
●アンドリュー=カーク
 原作五巻にて、登場。アンジェリーナ曰く、クィディッチの腕は下手だけど、度胸があるらしい。
 


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10.部活動の結果

閲覧ありがとうございます。

追記:16年3月7日、18年9月2日、誤字報告にて修正しました。


 バスケ部が成立し、クローディアに僅かながらも変化が起こった。

 『魔法薬学』の授業でマトモに調合が出来た試しがなかったにも関わらず、完璧にこなせるようになった。

 部活動が勉学に影響するとは、正にこの事。

「マグルの競技に専念する暇があるなら、君への宿題もその分、増やしてしんぜよう。それに通常の調合では、満足できなくっているようだ。今後は特別に条件を厳しくし、精進するといい。嬉しかろう?」

 だが、スネイプは不服な態度で、より厳しくクローディアを責め立てた。

 

 ――原因は、勿論ネビルにある。

 

 ボガートの件、瞬く間に全校生徒へ広がり、話題を独占している。その為、元々スネイプに目をつけられていた生徒達にも、とばっちり食らう羽目になったのだ。

 元凶である『闇の魔術への防衛術』はドラコ達以外の生徒に大人気である。男女問わず、ルーピンは名教師として尊敬された。

 クローディアは授業を受ける毎に、ルーピンが嫌になってきた。

 3度目の授業、題材は本物の河童。

 生まれてから、初めて河童を見たクローディアは興奮した。同時に日本では、河童は清浄な水場の守り神として教わってきた。勿論、悪さをする者もいるが、それは極一部に過ぎない。人間に捕縛された河童が哀れに見えた。

「ルーピン先生、住処に帰してあげてください! 罰当たりです!」

「罰当たり……?」

 涙ながらに訴えたが、授業で使用するためと拒否された。その後、授業を受けたチョウもクローディアと同じ反応で河童の解放を求めた。

「河童を生け捕るなんて、祟られても知らないから」

「そうさ、しかも授業で殺人狂みたいな言い方は頂けないさ」

 夕食の際、クローディアはチョウと協力し、河童を解放しようとした。ペネロピーに止められた。それどころか、ハーマイオニーからも説教を受けた。

「あんなに良い先生は、他にいないわ。河童のことはあなたが妥協してあげるべきだわ」

 『占い学』を棚に上げたハーマイオニーに言われたくない。しかし、トレローニーのせいで、パーバティやラベンダーと見解と才能の違いで酷く揉めたらしい。

 確かにルーピンの授業は講義として良好だ。それだけは、認めることにした。

 

 バーベッジが本当にマグルの競技を宿題にし、パドマとサリー、セシルは随分と悩まされた。図書館にはマグルに関する参考書などないに等しい。

 故にマグル出身者に聞くしかない。ジャスティンはパドマから色々と質問攻めにあった。

「アーミーにも、同じこと聞かれたよ」

 ジャスティンは疲れた顔で笑っていた。

「この卓球とビリヤードって、どう違うの? この競技台って、暴れたりしない?」

 レポートを書きながら、サリーは何度もクローディアに質問した。

「……プロレス? ……相撲? ……ムエタイ? ……テコンドー?」

 ほとんど格闘技系にばかり、セシルは興味を持ったらしい。しかし、彼女は資料を読み漁るだけで、誰にも質問しなかった。

 気付けば、談話室の本棚にはマグルのスポーツ競技に関する本がずらりと並べられていた。それに便乗してか、小説や漫画も増えていた。

「『銀河鉄道の夜』って、日本人が書いたとは思えないわ。素敵な話ね」

 ハーマイオニーはそんな感想を述べた。

「『ゼンダ城の虜』とか、下級生には早いわ。年齢別にしておきましょう」

 監督生らしく、ペネロピーが本棚に魔法をかけた。これで、下級生は上級生向けの本に触れることは出来ない。ついでに、本棚に相応しくない書物も置けぬらしい。モラグが悪戯で官能小説を置くと、本棚は官能小説を吐きだした。

 

 9月15日、ハーマイオニーの誕生日。

 クローディアは彼女への贈り物として手製の鞄を渡した。現在、ハーマイオニーが使用する鞄は新学期早々に、痛み出している。彼女の髪と同じ栗色の布に、藤の模様を刺繍した鞄を用意したのだ。

「ありがとう、すごく嬉しい。可愛くて使うの、勿体ないかも」

 鞄を肩にかけ、ハーマイオニーは嬉々として表情を綻ばせる。

「それさ、ハーマイオニーが喜ぶ仕掛けがあるさ」

 自信満々にクローディアは、寮席になる食器を手当たり次第放り込んだ。しかし、鞄は一向に膨らまず、重さもない。仕掛けに気づいたハーマイオニーが感嘆する。

「すごーい、ベッロの虫籠がヒントよね? これを作ったの?」

「作ると意外に簡単さ、無限にいれるんじゃなく、ある程度制限するとすんなりさ。というわけで、物は入れられるけど。生物は入れられないさ」

 見本としてベッロを鞄に入れようとしたが、鞄の口で壁が存在するかのように入れない。

「なら、このフォークが変身させられたカエルとか、そういうのを見分けられるってことよね?」

 意外な活用法に、クローディアは納得して頷く。

「大切に使うね」

 ハーマイオニーは鞄を抱きしめ、安心したような笑顔を見せる。微笑ましい光景を目にするだけで、クローディアの心臓は優しい日差しを浴び、そよ風に煽られる。

 しかし、傍に居たベッロとクルックシャンクスが、スキャバーズに襲いかかった。ロンが憤怒して、2人に怒鳴ってきたので雰囲気をブチ壊された。

 大広間で朝食を摂っていたクローディアに、母から段ボール一箱分の板チョコが送られてきた。

【商店街の福引で当てました。食べきって下さい。 かしこ】

(それだけさ……)

 吸魂鬼のことが関与しているのだろうかと、クローディアは段ボールを睨んだ。

「日本のチョコだわ。ひとつ頂戴♪」

 段ボールを覗き込むハーマイオニーが、チョコを手にする。

 突然、クローディアの肩が重くなる。背後から、ジョージが体重をかけてきたのだ。

「うわお、これは多すぎだ」

 期待に満ちた眼差しでジョージは、クローディアを見つめた。

「良かったら、食べるさ?」

「おお、なんとお優しいクロックフォード」

 両手で一掴みし、ジョージは暖かい笑顔でフレッドにも板チョコを分け与えた。便乗し、クローディアも板チョコを配りにグリフィンドール席へと赴く。ハリーは喜んで受け取ったが、ロンは受け取らず不機嫌に顔を背けた。

「気にしないで、クルックシャンクスがスキャバーズを追い回すことを根に持ってるの」

「ベッロがスキャバーズを悪く言うこともあるぞ」

 説明するハーマイオニーの言葉を遮り、ロンが悪態付く。出来るだけ諭す口調で、クローディアはロンに促す。

「ベッロの行動に意味があるって、わかんないさ?」

「だから、なんだって言うんだ! 僕はスキャバーズの味方だ!」

 不快に顔を顰め、怒鳴るロンにハリーも肩を竦める。

「ご立派な精神さ……」

 嘆息したクローディアは、板チョコをロンに投げ渡した。

 大広間にいる大方の生徒にチョコを配ったが、それでも段ボールの中に余りができる。後は、時間をかけて平らげるしかない。段ボールを抱え、大広間を出ようとした。そこに、パンジーが横切った。

「パンキーソン」

 クローディアに呼ばれ、パンジーはビクッと肩を痙攣させて恐る恐る振り返った。

「チョコ、あげるさ」

 無理やりクローディアが手渡したチョコをパンジーは怪訝そうに見つめる。

「どうして、私にもくれるの?」

「できれば、これをそっちで配って欲しいさ」

 意外な言葉に、パンジーは奇妙に眉を寄せる。

「私にチョコを配れですって? あなたよくもそんな……」

 困り果てたパンジーは、焦り声を出す。彼女の後ろから、褐色の肌をした少し高貴な印象を受けさせるブレーズ=ザビニが、失礼のないように割って入ってきた。

「僕の聞き違いでなければ、このチョコを配れと聞こえただけど」

 確認してくるブレーズに、クローディアは頷く。気取った笑顔で彼は、段ボールから両腕に抱えきれるだけのチョコを掴んだ。そのまま、スリザリン席で女子生徒にだけ、チョコを配っていた。

「あ~、ザビニってさ……。もしかして女の子好きさ?」

 何気なく問いかけるクローディアに、パンジーは深く息を吐いた。

「女子に人気あるわよ。他の寮の女子からも受けがいいわ」

 つまらなそうにパンジーは、説明した。彼女はドラコ以外の男子には、とことん冷たい。一体、あの御坊っちゃんの何処が良いのか、ホグワーツの七不思議だ。

(そういえば、この学校にも七不思議とかってあるさ?)

 何気なく、周囲を見渡すクローディアの視界にダフネが入って来た。彼女は段ボールを見て、露骨に嫌そうな顔になる。

「また、何かしでかしているの?」

 ダフネは『マグル学』のレポートで相当苦労した為、クローディアの行動を警戒しているのだ。

「チョコ、配っているだけさ。スリザリンには、ザビニが配っているさ」

 素直に答えるクローディアに、ダフネは胡散臭そうな視線を返した。そして、何事もなかったようにパンジーと寮席へ向かう。

 食事を終えたリサが、クローディアを引き止めに来た。

「ルーピン先生にも、お渡ししてはどうでしょうか? 甘いものもお好きなようですし」

 朝から聞きたくない名前。複雑な笑顔のクローディアに、リサは吃驚する。

「そうでした。クローディアはルーピン先生が苦手でしたわね。でも、私達が入学してから一番良い『闇の魔術への防衛術』の教授ですわ」

「それは、ちゃんと認めているさ。よし、残ったチョコを全部、渡しに行くさ」

 意気揚々とクローディアは教員席に目をやるが、ルーピンの姿はなかった。

「朝からルーピン先生見てないさ」

「そういえば、そうですね」

「お腹にナーグルが来たんだ」

 リサの背後に現れたルーナが両手を大きく広げる。三つ編みで三つ編みを結び、髪が絡まっている。

「ルーナ、髪が痛むさ。解いて結びなおすさ」

「大丈夫だよ、こうするとひっかかるもン」

 他愛なく話すクローディアとルーナに、リサは一歩下がる。

「ルーナも板チョコ食べるさ、美味しいさ」

「ありがとう、嬉しいな」

 チョコを受け取ったルーナは、銀紙ごと食べようとした。慌てて、彼女に正しいチョコの食べ方を教えた。

 ルーナには銀紙も食べられそうに見えたそうだ。

 

 既に教室には生徒が集まり、始業の鐘が鳴るのを待つ。

 クローディアはパドマやリサと予習がてらにと、適当に教科書を開きそのページに記載された生態を読み上げ、生物を当てる遊びをした。

「わかったさ、狼男さ!」

 パドマが人差し指を動かし、舌を鳴らす。

「惜しい、人狼よ。男だけじゃなく、女性もいるから狼男は違うわ」

「雌の狼男……、毛深いさ。大変そうさ」

「着目するのが、そこなんですか?」

 何の前触れのなく、教室の扉が力強く開かれた。そこには何故かスネイプが普段の表情で立ち、乱暴な足取りで教室に入る。生徒は即座に口を閉じ、彼に視線が集中する。

 スネイプは、杖で教室にスクリーンを用意した後、生徒を見渡す。

「教科書、394ページを開け」

 反論を許さない強い口調に、全員大人しく従う。パドマは偶然、そのページを開いていたので幸いした。生徒の動きを見張りながら、スネイプは教壇まで歩く。挙手したクローディアは身を乗り出した。

「スネイプ先生、ルーピン先生はどうしました?」

「君が気にすることかね? 諸君らのルーピン先生は、授業の出来ぬ状態にあるのだ」

 冷徹な返しに、クローディアは頷く。

「394ページは、人狼に関することです。夜行性はまだ先です。いまは……」

「黙れ、ミス・クロックフォード」

 咎められ、クローディアは口を閉じる。スネイプは教壇に杖で映写機を用意し、作動させる。スクリーンには人狼の人体構図、抽象画のような絵柄が映される。

「人狼と『動物もどき』の違いが分かるものはいるか?」

 早速、パドマが挙手するが、スネイプは無視する。教室を見渡しせせら笑う。

「わからんか、嘆かわしいな」

 反論しようと、クローディアが手を上げようとしたが、リサが止める。余計な発言は減点にされるからだ。

「何かね? ミス・クロックフォード。我輩の授業に不服でもあるのかな?」

 クローディアとリサの様子に気づいたスネイプが、意地悪な笑顔を見せる。

 一斉に視線がクローディアに集中する。スネイプは顎で起立を促した。

(文句を言わなければいいさ……質問を……)

 視界に入る人狼の挿絵。

「質問があります」

 丁寧に腰を上げるクローディアに、周囲は緊張する。

「もし、私が人狼であった場合。リサは私とどう接すればよいのでしょうか?」

 何処からともなく、唾を飲み込む音が聞こえる。しかし、スネイプは小さく頷き、少し機嫌の良い笑みを見せた。

「成程、君にしては良い質問だ。座りたまえ」

 促され、クローディアは腰を下ろす。リサと目配りで安堵する。

「教えてやろう。人狼は、卑怯な性格をしている。保身に走り、他人を恥じなく見捨てる。もし、君らが人狼に出くわしたなら、近づくな! その牙の餌食になることは、2つ。命を落とすことと、人狼にされるということだ。どちらの目にも遭いたくなければ、親しくなろうとなど、するな。もう一度、言うぞ。決して、近づくな」

 普段とは違う迫力が胸に伝わる。恐怖とは違う感情で、教室の生徒はスネイプに視線が釘付けになる。

「先生、質問よろしいですか?」

 熱の篭った声で、アンソニーが挙手し、スネイプはそれを許した。勢いで何人もスネイプに質問し、小気味よく返した。『魔法薬学』と違い、皆の視線は尊敬に満ちていた。

 終業の鐘が鳴り、皆は有意義な時間を堪能した満足感で教室を去る。皆が去っていく中、クローディアはロープのポケットに入れた板チョコを思い出す。

「スネイプ先生、うちの母が送ってくれたチョコのお裾分けです。美味しいですよ」

「我輩は、甘いものは好かん」

 差し出したチョコに見向きもせず、スネイプは足早に教室を出て行った。残ったクローディアに、リサが苦笑する。

「相変わらず、馴れ合う気はないようですね」

 クローディアは、授業中のスネイプと拒否された言動を脳内で再生する。

「もしかして、自分のことは気にせず、吸魂鬼に備えろってことさ?」

「そうでしょうか? もし、今のがスリザリン生だったら、受け取っていると思いますよ」

 否定されたが、クローディアは自身の言葉に強い確信を持てた。何故なら、人狼の話をしているスネイプの姿が、危険なことを警告するときの母と重なったのだ。

 これまで叱る時のスネイプが誰かに似ていると感じていた。それは、クローディアの母で間違いない。

〝セブルスは誰も見捨てない〟

 コンラッドの言葉が頭を過ぎる。

 その言葉の真の意味をたった今、理解した。きっと、これからはスネイプを信じることが出来る。そんな確証に満足していた。

 

 図書館で教科書を広げるクローディアは快調に羽根ペンを動かし、レポートを埋めていく。その正面に座るハーマイオニーは呻いた。

 『闇の魔術への防衛術』をスネイプが代講した。そのことを耳にしたハーマイオニーは、授業内容よりも、珍しく彼の機嫌が良かったことを信じ難い。

「『魔法薬学』もあれぐらい、楽しいと嬉しいさ」

「全然想像できないわ」

 ハーマイオニーの呟きをクローディアは苦笑する。再び羽根ペンを走らせ、レポートを書き上げた。

 ハーマイオニーも急ぎ、羽根ペンを動かす。机を見渡し、クローディアは彼女の隣に重ねられたレポートの数に圧倒された。

「月曜日なのにさ、その宿題の量はおかしいさ……。時間、大丈夫さ?」

「ええ、問題ないわ。これまでもちゃんと出来たもの」

 一心不乱に書き続けるハーマイオニーは自身へ言い聞かせた。

「それならいいけどさ」

 納得できないが、代わりに宿題をやるわけにも行かない。せめて、傍で待とうとクローディアはハーマイオニーを眺めた。

 

 スネイプの代講で人狼を学んだ。それが思いの外、楽しかったとコンラッドへの手紙に書く。書き終えたクローディアを見計らって、クララが部屋に入ってきた。

「クローディア、チェイサーやるわよね? やるでしょう?」

 いきなり詰め寄ってくるクララに、顔を顰めたクローディアは両手で制す。

「ちょっと、待つさ。選手は、もう締め切ってるはずさ! 第一、私にはバスケ部があるさ」

 抵抗するクローディアに、クララの口元が曲がる。

「そこよ。あなたのバッケだか、なんだかのマグルの競技! バーベッジ先生はすっかり気にいっていたわ。今日の授業でロジャーに話していたわ。『お互い、素晴らしい人材を逃しましたね』って!」

 ロジャーが『マグル学』を選択していたとは、クローディアには意外だ。構わず、クララは切羽詰まったように目を見開いて、迫って来た。緊迫した顔が怖い。

「だからチェイサーよ。やるわよね!?」

「だが、断るさ」

 即決するクローディアの肩を掴み、クララは縋る。

「お~ね~が~い~」

「クララ! 普段の冷静かつ物静かな態度は、何処に行ったさ!」

「捨てた」

 執拗にクローディアへ抱きついてくるクララをリサが哀れんだ。

「一試合だけというのは、どうでしょう? それで、クローディアに見込みがあるのかを判断すれば……」

「一試合でも、大事な試合さ。誰かが、怪我して代わりが欲しいなら受けてもいいさ」

 眠気が襲ってきたクローディアは、クララを追い返すために適当なことを言い放つ。すると、目を輝かせて彼女は両手を広げた。

「代理ならやってくれるのね! 聞いたわね? 聞いたわよ!」

 大袈裟なクララはリサにも念を押す。勢いのあまり、頷き返した。

 はしゃいだクララは風のように部屋を飛び出した。

「代理なら、やるって!」

 半開きの扉の向こうから、クララの奇声が聞こえた。

 クローディアはリサと顔を合わせ、呆然とした。

「もしかして、私、とんでもないこと言ったさ?」

 発言を後悔したが、後の祭りである。

 

 10月に入り、クィディッチの選考から漏れた生徒が自然とバスケ部を訪れた。

 モラグは【バスケ入門】を読みながら、ボールをゴールに入れた。

「ああ、呪文よりずっと簡単だ」

 フリースローの体勢が気に行ったらしく、モラグは1人でゴールに入れ続けた。しかし、対戦となると彼は非常に弱い。ゴールに意識しすぎて、守り切れない。しかし、シュートさせ出来れば、必ず入った。

 マンディも挑戦しようとしたが、ボールが爪に当たってすぐに挫けた。それでも、見学だけはしてくれた。

 アーミーは少しでも『マグル学』を理解しようと通い出した。彼はチームへのフォローが上手い。仲間の窮地を敏感に察知する。故に、モラグとの連携が良い。

 エロイーズは、クローディアが劇的なダイエットに成功したのはバスケのお陰だと誤解した。訂正が面倒なので、そのまま部員として捕縛する。彼女は撹乱と妨害工作(ルール範囲内)が上手い。ボールも狙いさえ決めなければ、ゴールによく入った。ただし、狙いを定めると絶対、入らないので、ここは指導するしかない。

 ジニーは時間がある時、必ず部活に顔を出してくれた。勧誘も手伝い、グリフィンドール2年生デメルザ=ロビンズが来てくれるようになった。

 彼女は最初こそ、ただボールを入れる行為を疑問する。しかし、これが思いの外に楽しいと理解し出した。誰よりも熱心に励んでくれた。

「オリバー=ウッドは選考試験をやらない。今のチームに満足しているんだ。本人に聞いたからな。全く、不公平だと思わないか?」

 傲慢な態度で、コーマックはオリバーの愚痴を溢す。肩幅も広く、体格の良い長身だ。一度、マンツーマンでボールの奪い合いをした。彼はディフェンスが非常に上手く、クローディアは何度もボールを取られた。反対にシュートは苦手のようだ。一度もゴールにボールが入らない。

 ジャックとアンドリューは度胸は非常に良い。怪我を恐れず勇敢に挑戦する。好戦的で、行動派だ。だた、残念なことに下手だった。元気が空回りする性格らしい。実に、教え甲斐のある2人だ。

 ハッフルパフの4年生クレメンス=サマーズも、クィディッチの選考から漏れて部活に顔を出し始めた。飲み込みが非常に良く、ルールとプレー技術もすぐに覚えた。しかし、ボールを怖がった。元がビーター志望だったらしく、パスされたボールを彼は器用に避けた。

「キャプテンのセドリックから、ここを勧められた。クィディッチの補欠が集まる場所なのか?」

 全然違う解釈に、クローディアは苦笑以外返せなかった。

 一番困ったのはコリンの扱いだ。最初の部活にハリーが来ていたと知り、文句を述べた。

「わざわざ魔法学校に来てまで、バスケなんて……。どうして、ハリーは誘ってくれなかったんで?」

 それこそは、ハリーに理由を聞けばいい。

 コリンはいつもハリー目当てに見学しに来ては、文句を述べて帰る。うんざりしたジニーが彼を叱りつけた。そして、強制的に入部させた。

 ルーナも楽しんでくれるが、チームプレイには不向きだった。よく仲間に体当たりし、仲良く床に転んだ。ゴールにボールを入れるように指示しても、天井目がけて投げつけていた。

 危ない。

 クローディアを含めても13人が実質な部員となり、戦力配分を組んで試合をさせた。5対5の時もあれば、3対3でリーグ戦もやった。

 ロジャーもセドリックを無理やり連れて、参加してくれた。

 クレメンスは必死にセドリックへ自分をアピールした。力み過ぎらしく、ダンクシュートの際にコートをバックボードこそ倒す事態を招いた。

「緊張を解いてご覧、大丈夫だよ。君は勇気がある」

 セドリックは優しく、クレメンスを宥めた。

 楽しい時間は過ぎ、解散が迫った。皆を帰し、クローディアはバーベッジと部室を施錠する。しかし、コーマックは作業が終わるのを待っていた。

 縁談の仲介人のように、バーベッジは含み笑いを見せて行ってしまう。

「ホグズミードでデートしよう」

 受けるのが当然の態度でコーマックは誘ってきた。ロジャーと違い、彼はクローディアを完全に見下していた。性格に難はあるが、彼は大事な部員だ。

「ごめんさ、ハーマイオニーと約束があるさ」

 丁寧に断ると、不満そうにコーマックはクローディアの瞳を覗きこむ。観察する目つきで眺めてから、急に納得した。

「そういうことか、なら、仕方ない。諦めるか」

 残念そうにコーマックは、わざとらしく溜息をつく。去ろうとしたクローディアの頭を包み込むように抱き寄せた。彼の吐息が頭の皮膚で感じ取れた。

 ぞっとする寒気がクローディアを襲い、硬直した。

「気が変わったら、いつでも相手してやるからな」

 熱っぽい声で告げ、コーマックはクローディアの頭にキスを落とす。首筋の後が嫌悪で逆立った。思わず、クローディアの拳が振り上がる。

「手が滑った!!」

 廊下の向こうから、大声を張り上げたジョージが『クソ爆弾』を投げつけてきた。吃驚したコーマックは、急いで廊下を走るが間に合わずに『クソ爆弾』の犠牲になった。

「ごめん、ごめん。手が滑っちまった。大丈夫か?」

 いつもの快活な笑みでジョージは、コーマックを一切無視し、クローディアを気遣う。上げかけた拳を引っ込め、神妙に頷く。

「さ、フィルチに見つかる前に行こうぜ」

 周囲を警戒し、ジョージはクローディアの背を押す。

 背に触れたジョージの手は少しも嫌ではない。廊下に倒れ伏したコーマックを視界に入れ、クローディアは彼のスキンシップが急過ぎたせいだと判断した。

 決して、異性を恐れたのではない。そう、自分に言い聞かせた。

 




閲覧ありがとうございました。

河童は何処から連れてきた!
●デメルザ=ロビンズ
 原作六巻にて、登場。
●クレメンス=サマーズ
 原作四巻にて、苗字のみ登場


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11.大広間

閲覧ありがとうございます。
ハリーよ、世の中そんなに甘くない!

追記:16年3月12日、誤字報告にて修正入りました。


 入学以来、最悪の気分。

 スキャバーズを庇うロンがベッロやクルックシャンクスを蹴ろうとすること、ドラコがスプラウトの人の良い性格を利用していること、『魔法薬学』の授業に一切の変化がないこと、それらなど霞んでしまう事態が起きた。

 

 ハロウィーン当日。

 3年生は待ちに待った『ホグズミード村』への初外出だ。特にクローディアは1年生の頃からジュリアにからかわれたせいもあり、一層待ち遠しかった。

 だが、クローディアは『ホグズミード村』に行くことは出来ない。

 許可証には、親権者・保護者の署名が絶対不可欠。だが、ハリーの許可証の署名は、ドリスによるニセモノであった。無論、クローディアはそんなこと知らなかった。知っていたのは、ロンだけだ。

 ロンはドリスを称賛し、ハリーも署名入りの許可証を堂々とマクゴナガルに提出した。当然の事ながら、教頭に見抜かれてしまった。

「前代未聞です! グリフィンドール20点減点します!」

 激怒したマクゴナガルは、ハリーにホグズミード外出を禁じた。ドリスにも抗議の手紙を送りつけた。

 それだけなら、自業自得と思いつつもクローディアは、落胆したハリーを慰めたかもしれない。しかし、ドリスへの戒めにと矛先は彼女にも向けられた。彼と共に、居残りを命じられたのだ。

 ハリーは心から謝罪し何度も詫びた。ドリスもお詫びの品に、運動服を贈ってくれた。謝罪は受け入れるが、怒りは治まらない。日本の中学に進学出来ないと知った時でさえ、こんなに機嫌が悪くなかったと断言できる。

 スキャバーズの件で神経を尖らせていたロンも諍いを水に流す程、クローディアとハリーに同情した。

「まさか、保護者のサインを誤魔化そうとするなんてねえ。先生達に筆跡が見抜けないと思ったのかしら?」

「筆跡鑑定なら、私でも容易ですわよ」

 クローディアの外出が取り消された理由をパドマとリサは嘆いた。

 

 『ホグズミード村』に胸躍らせる生徒達が集まる玄関ホールでフィルチは最終確認を行う。壁際では、不機嫌さを全開にしたクローディアが元凶のハリーと共に友人達を見送る。

「居残りか? ポッター、クロックフォード。まさか吸魂鬼の傍を通るのが恐いのか?」

「ああ? 何か用さ?」

 上機嫌なドラコが包帯を巻いた腕で2人を指差してくる。クローディアが睨めば、彼は脱兎の如く逃げ出した。それをパドマやリサ達が嘲笑う。

「お土産買ってくるからね」

「本当に、ごめんな」

 ハーマイオニーとロンが皆と共に、行ってしまった。見送りを終え、クローディアはハリーの肩を叩くように掴む。

「ポッター、図書館でレポートやるさ」

 不機嫌さを隠さない声で囁くクローディアとハリーは、目を合わさない。『ホグズミード村』に行けぬ歯痒さと、人を巻き込んだという責任感で、意気消沈しているからだ。

「いや、いいよ。そんな気分じゃないから」

 ハリーの言い分を通さず、クローディアは図書館に連れて行こうとした。焦ったハリーは、寮から教材を取ってくると言い訳し、彼女の手から逃れた。

 苛立ちに支配された感情は、ハリーを逃すまいと『太った婦人』の肖像画の前で待った。割とすぐに出てきたが、手ぶらであった。

「レポートはしないさ?」

「ねえ、クローディア。ベッロはどうしたの?」

 話を逸らすため、ハリーは周囲を見渡しベッロを探す。わざとらしく嘆息するクローディアは冷たく返した。

「それなら、2年生の子と一緒さ。それより、レポート……」

「そんなに勉強したいなら、1人で行ってよ!」

 我慢の糸が切れたようにハリーは、怒鳴る。反論されクローディアは、怒り心頭で震えた。

「何さ、その態度! ああ、そうですか、じゃあ勝手にしてください! 後からハーマイオニーに頼るのが見え見えさ!」

 吐き捨てたクローディアは、図書室を目指す。

「勝手にするよ! そうだ、僕は城の中なら自由なんだ!」

 売り言葉に買い言葉で返したハリーは、クローディアと別の方角へと歩いた。

 

 図書室に向かう途中、クローディアは徐々に冷静さを取り戻す。城の中なら、自由だと叫んだハリーの気持が胸を打った。思えば、ハグリッドからも陽が暮れれば、城から出るなと言われている。今回の件を知ったハーマイオニーは、安全の為に城にいるべきだと話していた。

(なんで、私が悪いみたいな気持になるさ)

 実際、少々大人げなかった。

「あら? クローディア、ホグズミードに行かないの?」

 後ろから、マリエッタがエディーと腕を組んで現れた。その手には、いくつもの書物が重ねられていた。

「ちょっと、事情で行かないさ。2人は行かないさ?」

「今回は遠慮しようかなって、思ったの。こういう時にしか行けない場所があるから、ね? エディー」

 マリエッタにウィンクされ、エディーは書物で顔を隠した。

「……あれ? マリエッタ、カーマイケルと仲良いさ?」

 尋ねられマリエッタは、人差し指で自らの唇を軽く叩く。

「言ってなかったわね、ロジャーとは別れて、今はエディーと付き合ってるの。ロジャーも、確かグリフィンドールの子とデートするって言ってたわ」

 衝撃だ。

(流石さ? なんか、こう別れたりくっついたり……、少女漫画みたいさ)

 理解しづらい現状に、クローディアは嘆息する。

「つまり、2人はお城でデートさ。その本はどうするさ?」

「これから、読むためよ。そうだ、ねえ、ルーピン先生に本を返してきて貰えないかしら?」

 エディーが抱えている本の山から、マリエッタは一冊の本を取りだした。

「いいけどさ、この貸しは高くつくさ」

「いいわよ、必ず返すから」

 取引成立。クローディアはマリエッタから本を受け取り、廊下を進んだ。

 途中でミセス・ノリスを踏みかけたが、それ以外は順調にルーピンの事務所に到着する。丁寧に扉を叩き、挨拶する。

「ルーピン先生。お借りしていた本をお返しに上がりました」

「どうぞ」

 愛想の良い声が返り、クローディアは遠慮なく扉を開く。物が多くても整然とした部屋に、何故かハリーが椅子に座っている。その手には、紅茶だ。

 ハリーもクローディアに驚き、気まずそうに視線を逸らす。

「あんた、何してるさ?」

「ルーピン先生に呼ばれたんだ」

 ぶっきらぼうに返すハリーを見たルーピンは、首を傾げる。

「クローディアは、ホグズミードに行かないのかい?」

 触れて欲しくない点に切り込まれ、ハリーの肩がビクッと震える。そこまで動揺する姿が哀れに思えた。胸中で苦笑したクローディアは、本をルーピンに差し出した。

「今日は朝から体調が悪くかったので、遠慮したんです」

 短文のみで、ルーピンは追求せず頷く。

「そうか、残念だね。君も座りなさい。紅茶があるよ」

「いいえ、男同士でないと話せないことってありますから、失礼します」

「大丈夫です」

 普段より高いハリーの声に、クローディアは目を丸くする。

「クローディアに聞かれて困ることじゃないから、一緒に紅茶を飲もうよ」

 ハリーにも勧められたクローディアは、仕方ないと微笑んで見せた。ルーピンに会釈してから、彼の隣に腰掛ける。ハリーに会釈したとき、彼の唇が「ごめん」と動いたのを見逃さなかった。

 水槽の中で百面相する水魔(グリンデロー)を観察するクローディアを余所に、ハリーは緊張した声を出す。

「ルーピン先生、聞きたいことがあります」

「何故、ボガートとの戦いを止めさせたか。だね?」

 水槽を見ていたクローディアは、一瞬、眉を顰める。水槽の硝子に映されるハリーとルーピンの姿を認識した。

「ヴォルデモートの姿になると思ったからだよ」

 意外な答えに、二重に驚いたハリーは目を見開いた。クローディアも思わず振り返った。『例のあの人』の名を口にしても、ルーピンの表情に怖れはない。それが知人の名前か、はたまた書物にある名を読むように当たり前の顔をしていた。

「ルーピン先生、いま、ダービートの名前を呼びました?」

「ダーなんだって?」

「クローディアは、ヴォルデモートの名前をうまく言えないんです」

 目を見開いたままハリーの説明を受け、ルーピンは曖昧に納得する。

「そういう人には、初めてあったよ」

「言いにくい名前だと思います。ダービートって響きは」

 おおげさに肩を竦めるクローディアに、ルーピンは怒ることなく笑いかけた。

「皆の前でヴォルデモートの姿を見せるのは、良くないと思ったんだ」

「確かに、最初はヴォルデモートを思い浮かべました。でも、僕は汽車でのことを思い出しました。吸魂鬼を……だから、僕がボガートと対面してもヴォルデモートにはならなかったと思います」

 何の迷いなくハリーは言い終えた。ルーピンは安堵の笑みを向け、ハリーのカップに紅茶を足した。

「安心したよ。君が恐れるのは恐怖そのもの、ハリー、それはとても賢明なことだ」

 賢明などと褒められ、ハリーは返答に戸惑う。だが、クローディアはルーピンのいうことは最もだと感じていた。

(何かを恐れるじゃなく……、恐怖……そのものを恐れる)

 何より、ハリーはブラックを恐れていない。元々、『例のあの人』から、皆より恐怖を感じていないのかもしれない。1年生の頃にも、ハリーは『例のあの人』に挑んだ。2年生でも結果的に『例のあの人』と相対した。

 クローディアよりも、小さな身体でハリーは3度も『例のあの人』を退けたのだ。

「それじゃ、私が君にはボガートと戦う能力がないと思った。そんなふうに考えていたのかい?」

「あの、はい」

 素直なハリーは、何処か表情が明るい。

「そういえば、クローディアは何になったの?」

 突然、話を振られたクローディアは、カップを落しそうになった。空になったカップを見つめ、唇を軽く噛む。

「さ、最初は、あ……アルマジロを……思い浮かべたさ」

「アルマジロ? そういえば……、君はヴォルデモートに向かって、アルマジロのほうが恐いって言ってたね」

 そんな昔話もあった。

 クローディアが反応に困ると、ルーピンは紅茶を噴き出しそうになって咽ていた。

 

 ――コンコン。

 

 扉が叩かれた。ルーピンが応じると、ゴブレットを手にしたスネイプが現れた。スネイプは2人の先客を怪訝とは違う意味で、黒真珠の瞳を細める。

「ああ、セブルス。どうも、ありがとう。そこに置いていってくれないか?」

 親しみのある口調と笑顔でルーピンは、スネイプに礼を述べた。

 何も喋らず、スネイプは机にゴブレットを置く。その目は、警戒のように室内の3人を見ていた。

「ちょうど、ハリーとクローディアに水魔を見せていたところだ」

「そうか」

 楽しそうに水槽を指差すルーピンと違い、スネイプは素っ気ない。しかも、水魔を見ようともしなかった。

「お薬ですか?」

 何気なく、クローディアがスネイプに聞く。

「君が理解するには、まだ早いものだ」

 急にスネイプの目がクローディアの周囲を探りだした。

「ミス・クロックフォード。……使い魔はどうしたかね?」

「2年生のルーナ=ラブグッドと一緒です」

 今度は眉間にシワを入れ、スネイプは溜息をつく。

「不用意に使い魔を手放すでない。レイブンクロー3点減点」

「僕らはルーピン先生と一緒です」

 反論するハリーは、反射的にスネイプを睨んだ。ハリーの肩に手を置き、クローディアは彼を窘めた。

「注意が足りませんでした。すみません、スネイプ先生」

 反抗的や無視でもない。誠実な態度でクローディアはスネイプの注意を受け止めた。

 意外そうに、ハリーは目を見開いた。意外に感じたのは、スネイプも同じだ。一瞬だけ、バツが悪そうに顔を顰めた。

「反省しているなら、良い」

 それだけ告げ、スネイプは3人を見据えたまま部屋を去った。

「スネイプ先生が私の為に、わざわざ調合して下さったんだ。私は魔法薬が苦手でね、特にこれは複雑な薬なんだよ」

 興味に駆られたクローディアは、微かな煙を上げるゴブレットを落ち着きなく見つめる。反対に、ハリーは警戒の眼差しを向けた。正反対の視線を受けるゴブレットを手に、ルーピンは微笑んだ。

「砂糖を入れると効き目が無くなるのは、残念だ。これは苦いなんてもんじゃないから」

「良薬、口に苦しですよ」

 クローディアに応援され、ルーピンは薬を飲みだした。余程、苦いのか、ゆっくりと一口ずつ含んでいく。

「どうして、お薬がいるんですか?」

「私の体調の問題なんだ。この薬しか効き目がない。スネイプ先生と同じ職場に付けて、私は本当に幸運だ」

 一切の皮肉がない。ルーピンは本当にスネイプに感謝している。

「クローディアは、魔法薬に興味があるのかい?」

「スネイプ先生が調合する薬に、とても関心があります。私もお世話になりましたから」

 一口飲んだルーピンは、意外な言葉に驚いた。

「君が、スネイプ先生にかい?」

「以前、バジリスクに石化されたことがありまして、そのときスネイプ先生が蘇生薬を調合して下さったんです」

 バジリスクという単語にルーピンは、吃驚していた。その辺を徘徊する怪物ではないから、当然の反応だ。

「でも、それは校長先生が命じたからです」

 言い切るハリーに、クローディアは気分を害された。

「命令がなくても、スネイプ先生は、きっと蘇生薬を煎じたさ。スネイプ先生は、誰も見捨てたりしないさ。誰が一番、お世話になったさ」

 1年生の頃を遠巻きに指摘され、ハリーは口ごもる。

「君は、スネイプ先生が好きなんだね」

 優しい口調の指摘を受け、クローディアは急に戸惑う。別にスネイプが好きなのではない。ただ、コンラッド同様に信頼しているだけだ。

(こういうのって、好きっていうんだろうさ?)

 薬を飲みきったルーピンは、苦さで顔を顰めて机にゴブレットを置く。

「2人とも、私は仕事を続けることにしよう。宴会で会おう」

 ハリーは空になったゴブレッドをいつまでも睨んでいた。

 それからクローディアは、ハリーを図書館に連行した。今度こそ、レポートを仕上げさせる為だ。

「あれは、本当に薬かな?」

「そうでしょうさ」

 ハリーは小声で真剣に尋ねるが、クローディアは関心なく適当に返事する。

「もし、毒だったら」

「スネイプ先生は、そんな手は使わないさ。1年生のときも、クィレル先生がどんなに怪しくても、それだけはしなかったさ」

 言葉を遮られたハリーは、渋々納得し頷いた。

 

 『ホグズミード村』に行けなかったクローディアは、パドマ達からのお土産とハロウィンパーティーによって、心地よい気分に浸れた。

 談話室でパーティーの余韻で盛り上がる中、突然『灰色のレディ』が乱入した。

「校長からの命令よ、いますぐ大広間に戻りなさい!」

 普段の貴賓さはなく、焦燥する『灰色のレディ』に生徒達は呆然としていた。視線を受けた『灰色のレディ』が癇癪を起こし、我に返った監督生達が足早に大広間へと誘導する。

 全校生徒が集結したのを確認し、ダンブルドアが簡単に事情を説明する。

「シリウス=ブラックが侵入した恐れがある。先生たち全員で、城の中を隈なく捜索せねばならん。ということは、気の毒じゃが、皆はこことに泊まることになろうの。安全の為じゃ」

 ダンブルドアが杖を振るうと、寮席が払われたと思えば大広間は紫の寝袋に敷きつけられた。

「ぐっすりおやすみ」

 監督生を連れて大広間を出たダンブルドアの笑顔に、皆の不安は消えた。

 大広間で就寝。滅多にない機会に、興奮した生徒達は眠ることなど出来ず、盛り上がる。

 グリフィンドール生は、『太った婦人』が襲撃されたことを自慢げに語っていた。

「不謹慎だわ、監督生として減点してやろうかな?」

 ハップルパフ5年生ベストラ=フォーセットが呟いていた。

「大丈夫だよ、ここは先生達がいるからね」

 セドリックがブラックの侵入に怯える下級生を宥めた。

「みんな寝袋に、入りなさい」

 威張り切ったパーシーが指示し、皆は思い思いに寝袋を選ぶ。クローディアは真っ先にハーマイオニーのところに向かう。彼女と始めて夜を共にする嬉しさで胸が高鳴る。

 しかし、数人の女子生徒の手がクローディアの腕を掴む。

「クローディア、待って。一緒に寝ましょう」

「すみません、行かないで下さい」

「ねえ、ベッロは? ベッロを枕にしていいかしら?」

 クローディアの視線を感じたハーマイオニーが、ロンやネビルにハリーを任せてこちらに来てくれた。周囲を見渡せば、仲の良い男女が寄り添って寝袋に入っている。

 ブラックについて、憶測を口にする生徒達の戯言を耳にしたハーマイオニーが呆れていた。

「ここでは『姿現し』はできないわ。防衛呪文が施されているんですから、【ホグワーツの歴史】に書いてあるでしょう。それに、吸魂鬼の裏をかくような変装があったら拝見したいものだわ。彼らには『透明マント』も通じないのに。秘密の抜け道はフィルチが全部知ってるから、そこも吸魂鬼が見逃してはいないはず」

 律儀に頷くクローディアは、疑念が浮かぶ。

 吸魂鬼を出し抜いてまでブラックは、脱獄した。しかし、ハリーが何処の寮かも確認せずに、真っ先にグリフィンドール寮に向かった。

 これは、あまりにも要領が悪い。まるで、目的はハリーではなく、あの寮の城にあると言いたげだ。そもそも、ブラックはアズカバンにいながら、ハリーがホグワーツにいると確信を持っていた。

(魔法学校は、ここだけじゃないさ。どうしてホグワーツだと思ったさ?)

 パーシーが消灯を告げる。大広間に浮かぶ蝋燭の火が消えていく。天井は満天の星空を映し、思わず見とれる者も現れる。

 隣同士で横になる状態で眠るのが惜しく、クローディアの目は完全に覚めている。暗闇の中でハーマイオニーも目を開いている。

 首を動かし、ベッロの位置を確認する。4・5人の生徒の枕にされ、恨みがましく舌を出し入れしている。

「暑い、何故こんな目に」

 ベッロの嘆きは、ハリーの耳に届いていた。

 皆が寝静まった頃、まどろんだ意識でクローディアは、ダンブルドアが大広間に現れたのを認識した。

「4階は隈なく捜しました。ヤツはおりません」

「フクロウ小屋にもいません」

「地下牢にもヤツの姿はありません」

 スネイプとフリットウィック、フィルチが報告する。

「グズグズ残っているとは思わん」

「見事ですな。誰にも気づかれずに入り込むとは、どんな手を使ったのでしょう?」

「どれもありえんことじゃ」

 声の位置は、ハリーの眠っている場所に近づいている。

「我輩、しかとご忠告もうしあげたはずですぞ。校長が新しく任命…」

「城の内の者が手引きしたとは、思っておらん」

 反論を許さない断言。

「ポッターには、何か警告でも?」

「いまは、眠らせておやり。夢の世界は、自分だけのものじゃ、大空を羽ばたき、深海を自由に泳ぎまわることができる」

 子守唄の口調に近いダンブルドアの言葉通り、クローディアは瞼の裏に青く広がる景色を見た。

 

 翌日から、ハリーは執拗な監視を受けだした。教師(スネイプ以外)は理由をつけては廊下でハリーに張り付き、パーシーは犬のように着いて回った。彼らの心配は、クローディアも理解している。

 だが、鬱陶しい。

 ベッロをハリーの護衛にと提案したが、スキャバーズを理由に断られた。

 『太った婦人』に代わり『カドガン卿』がグリフィンドール寮の守りを担った。『占い学』の塔に飾られている絵らしく、クローディアは見たことがない。

「『カドガン卿』ですか、お気の毒ですわ。あの方は、騒ぐだけですもの」

 リサ曰く、護衛に向かないらしい。

 その呟きは現実になり、コロコロと合言葉を変える『カドガン卿』は、グリフィンドール生に不評であった。一番の被害者はネビルだ。ただでさえ、合言葉を覚えるのが苦手なのに、再々、変えられては覚えようがなかった。そこでネビルは、毎週合言葉をメモに書いてポケットに忍ばせることにした。

「ネビル、なくしたら、わからなくなるさ。気を付けるさ」

「いやだな。クローディアったら、いくら僕でもメモをなくしたりしないよ」

 自信満々にネビルは言ってのけた。

 




閲覧ありがとうございました。
映画版の校長先生の言葉は、すっごく好きです。
●ベストラ=フォーセット
 原作四巻にて、苗字のみ登場。


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12.クィディッチ

閲覧ありがとうございます。
折角、ホグワーツに来たんだから、クィディッチしようぜ!


 明日は、グリフィンドールとハッフルパフの寮試合があるため、早々に宿題を片付けたい。クローディア、パドマ、リサ、セシル、マンディ、サリー、ハンナ、スーザン、エロイーズ、ハーマイオニーの10人で勉強会をすることになった。寮の部屋に入りきらないため、図書館に集まる。

「クローディア、人狼の特徴はこれで間違ってない?」

 ハーマイオニーがレポートを見せて、意見を求めてきた。クローディアは丁寧に目を通し、頷く。

「そっちは、もう人狼に入ったの?」

 ハンナの疑問に、ハーマイオニーが億劫そうに頭を振る。

「違うわ。今日の授業はスネイプ……先生が代講したの」

「あら? でも、私達の時には、宿題は出なかったわよ」

 羽根ペンの手を止め、マンディが瞬きを繰り返す。

「スネイプ先生は、グリフィンドールを目の敵にしてるからじゃない?」

 スーザンが冗談を含めるが、ハーマイオニーは沈んだ様子でレポートを片付ける。彼女はクローディアを見やる。

「クローディア、河童って蒙古(モンゴル)に住んでるの?」

「なんで? 蒙古には河童が住める十分な水がないさ。いるわけないさ?」

 何故か元気を取り戻したハーマイオニーは、『数占い』の教科書を開いた。

「ううん、確認したかっただけよ」

 粗方、宿題が終えると自然に明日の試合について、出来るだけ小声で話し出す。図書室の窓から外を見やるリサは、ため息をつく。

「明日の試合、少し不安ですね」

「ハリーと、セドリック=ディゴリーなら大丈夫よ。マルフォイって本当にむかつく。シーカーが怪我したなら、代理を立てればいいのに……」

 パドマの声量に、マダム・ピンスが睨みを利かせる。

「そういえば、ディゴリーはキャプテンもやっているって聞いたさ。監督生もやって、大変さ。女子にも人気ありそうさ」

 急に皆の視線が集まる。奇異な発言をしたのかと、クローディアは視線に驚く。

「クローディア、セドリック=ディゴリーとロジャー=ディビーズは女子の人気を二分しているのよ」

 ハーマイオニーは、躊躇いがちに口を開く。

「セドリック、ハンサムで背が高いし、無駄なおしゃべりをしないの」

 我が事のように照れながら、ハンナが得意げになる。

「ロジャー=ディビーズもハンサムよ。それに、とても賢いし、女子の扱いが上手なんですって。それにレイブンクローチームのキャプテンになったわ。監督生のザヴィアー=ステビンズを押しのけてね」

 パドマがハッキリとした口調で強気に言い放つ。一度に説明されたクローディアは、呆然としつつ頷いた。

「ディビーズは、確かにカッコイイさ。認めるさ。でも、女子をとっかえひっかえしてるさ」

 ついでに、クローディアに告白する誓いを立てている。そのことをここにいる面子は誰も知らないのが、幸いだった。

「う~ん、なんというか、そのプレイボーイぶりがいいってことよ。次は自分に来るかもっていうドキドキがね」

 難題の数式を如何にして、幼い子供に教えるかのような口調でサリーは言い放つ。それのどこに女子を惹きつける要素がるのか、益々、理解出来なくなった。

 

 豪雨で視界が霞む中、試合は為された。そして、吸魂鬼が競技場に乱入し、シーカーのハリーが襲われた。箒から落下したハリーはダンブルドアに助けられたが、試合はハッフパフに勝ち取られた。

 とても複雑な勝利に、湧く者はいない。

 それだけではなく、これまでハリーを助けてきた『ニンバス2000』が暴れ柳に修復不可能なまでに折られてしまった。彼は、完全に塞ぎこんだ。医務室に訪れる来客がどんなに励まそうと曖昧に頷き、寝台から起き上がることなく、『ニンバス2000』の残骸を包んだ布を抱きしめていた。

 クローディアとハーマイオニー、ロンの3人は許される時間の限り、医務室にいた。ハリーの憔悴ぶりは、試合の敗北感や箒の喪失感とは、違う気がした。

 何故か、クローディアにはそれを感じ取れたが、口を開かないハリーに追求する気は起きない。

 出来ることは、ベッロを医務室に残すことだけだ。そうすれば、夜もハリーは1人にならないのだ。

 

 朝食を摂りに大広間に来てみれば、休日だというのにスリザリン生が集まっていた。包帯を取ったドラコが喜劇の真似事のようにハリーの醜態を繰り返し、生徒達を湧かせている。

 他の席には、疎らな生徒しかおらず、生気をなくしたオリバーが空のカップを握り俯いている。グリフィンドール生達が声をかけずに励ましていた。

〔うざい〕

 日本語で悪態を付き、クローディアはドラコを横目で睨んだ。視線を感じたドラコが、悪寒に襲われ身震いした。

 自寮の席には、リサが『楽団部』の生徒達と集まっていた。離れた席でルーナが【ザ・クィブラー】と書かれた雑誌を逆さまにして読んでいる。

「おはようさ、ルーナ」

「うん、おはよう。今日もハリー=ポッターのお見舞いに行くんだ? ジニーが先に行ったよ」

「だろ!? 哀れなポッター!」

 途端にスリザリン生の嘲笑が大きくなり、他寮生徒の会話が遮られる。

 不愉快な気分が最高潮に達し、クローディアはルーナの雑誌を借り、杖を隠した状態で構えた。その様子を見たルーナは、即座に二重扉に向かい、身体を大きく跳ねらせる。

 何事かと、ドラコ達の視線がルーナに集中する。その瞬間、クローディアの杖から微かな光が飛び、ドラコに命中した。

「ルーナ、この雑誌読んでいいさ?」

 何事もないようにクローディアが、雑誌をルーナに見せる。それを合図としたルーナは、跳ねるのをやめてクローディアの隣に座った。

 ドラコがおそるおそるクローディアを一瞥した。

 特に気に留めず喜劇の続きを行おうとしたが、声が発せられない。パンジーが声をかけると、普通に声が出た。しかし、ドラコの喉は壊れたテープレコーダーのように途切れては出るのを繰り返した。

(ただ、声を出さないより、辛いだろうさ)

 ドラコを見ずに、クローディアは感謝の意味でルーナの頭を撫でた。雑誌の拝見するため、表紙の掲載記事に目を通す。ある一文に背筋が奇妙な感覚で粟立つ。

【アロンダイト家の悲劇

 マグルに愛された男ベンジャミン=アロンダイトは何故、死んだのか?】

 緊張した手つきでページを捲り、一字一句見逃さない。

【スクイブである己を乗り越え、僅かな歳月でマグルの著名人となったベンジャミン=アロンダイトがこの世を去り、三十余り過ぎた。

 彼の遺体が発見された際、マグル警察はマグルの道具で自殺と判断した。彼の死によって、両親も後を追うように死を迎え、弟ボニフェースも行方不明となってしまった。

 自殺の原因は先を憂いたと、マグル警察は結論づけた。しかし、彼を知る友人はこれを否定する】

 そこまで読み、クローディアは胸に痞えた息を吐き出す。

 この記事通りなら、クローディアの曾祖父母はもういない。ベンジャミンの死がそれを招いたと書かれているが、それを確かめる術はない。そして、この記事によれば、ボニフェースは消息不明扱い。

(そういえば、遺体も見つかってないさ)

 だが、ベッロがボニフェースの死を確認している。ハグリッドもクローディアが生まれる前に、彼が死んだと言っていた。

(公にされてないさ? お祖父ちゃんが死んだこと……)

 『例のあの人』に殺害された人の中には、未だに遺体が発見されない人もいる。ボニフェースもその類かと、推測した。

 楽団部の話し合いを終えたリサが、クローディアの後ろを通りかかる。見るとはなしに、リサが【ザ・クィブラー】に気づく。途端に、リサは閃いた。

「そうですわ。ベンジャミン=アロンダイトです」

 小さく呻くリサに、クローディアは振り返る。

「ルーピン先生、誰かに似ていると思っていましたわ。ベンジャミン=アロンダイトです。私、展覧会に行ったでしょう? そのときのマグルのパンフレットに、彼の顔写真がありましたわ」

 興奮したリサが、自信を落ち着かせるように両手を合わせ、深呼吸する。彼女を余所に、クローディアの脳内に祖父の言葉が過ぎる。

〝今よりも若い頃にな〟

 祖父の哀愁に満ちた表情。溶け切れない塊が胸中で詰まりこむ感覚に襲われた。もしも、祖父とルーピンと出会ったなら、心痛に苛まれてしまうだろう。

 記事の文面は終わっていないが読む気力を無くした。クローディアは礼を述べて雑誌をルーナに返す。彼女は何も聞かず、また雑誌を逆さまにして読み耽る。

 リサは己の発見に満足し、展覧会のことを話しだした。ほとんど聞き流し、クローディアは曖昧に相槌を打った。

 

 ハーマイオニー、ロンと合流したクローディアは、医務室を訪れた。ハリーは変わらず『ニンバス2000』を包んだ布を抱きしめ、寝台の下にはベッロがトグロを巻いている。

 他にもルーピンが口元にタオルをあてがい、寝台で蹲っていた。

 慎重な目つきで、クローディアはルーピンを眺め、マダム・ポンフリーに尋ねる。

「ルーピン先生、何処か悪いんですか?」

「ご心配なく、今日のはただの食あたりですよ」

 皮肉めいたマダム・ポンフリーは、わざとらしく肩を竦める。ロンが心配そうにルーピンを見やる。

「でも、昨日も寝てたのに、腹痛ってそこまで続くものなんだ?」

「昨日? ハリーが運ばれたときもいたの?」

 強く確認してくるハーマイオニーに、ロンはたじろぐ。

「その時は、もういなかったよ。ほら、僕、スネイプ……先生からの罰則で医務室のオマルを磨いてたんだ。その時は、今みたいに寝てたよ」

 ロンから聞き終わったハーマイオニーは、観察する目つきでルーピンを凝視した。まるで、回答が抜かった答案用紙を見ている印象を受けた。彼女の雰囲気が訊ねることを拒んでいたので、クローディアは何も聞かなかった。

 

☈☈☈

 暗闇の中、叫ぶ母の声がハリーの耳に纏わりつく。目覚めても、眠っても母が自分を呼ぶ声だけが脳内で反響する。大切な母の声が、やっと知れることが出来た母の声が、苦悩を与えた。それに試合中、『死神犬』をこの目で見た。その後、吸魂鬼は自分を襲ってきた。プリベット通りでも、あの黒犬は現れたのだ。決して偶然ではない。生きる苦しみ、死への怯え。誰にも、この気持ちは理解できない。

[ハリー、眠れないのか?]

 首筋に冷たい鱗の感触がする。それがとても心地よい。

「あまり……君もかい、ベッロ?」

 首筋の鱗が動くのを感じた。天井への視線を横に向ける。暗闇に慣れた目が枕元のベッロを視認する。ベッロは、ハリーの額に顎を置く。

[うなされている。思い詰めている。箒のことではない。試合のことでもない。あれらか? ハリーを襲ったあれが原因か?]

 半分以上も自身の胸中を当てられ、ハリーの全身がざわめいた。それ以上、自分の心情に踏み込まれるのを恐れた。

[あれに影響されない。故に理解できない。しかし、あれが傍にくると生理的に受けつけない]

 小さく息を吐き、ベッロはハリーの首に鱗を這わせる。

「ベッロは、吸魂鬼に影響されないの?」

 確認すると、ベッロは頷く。自分もベッロやヘドウィックと同じ動物になりたくなった。『動物もどき』を取得できれば、吸魂鬼から回避できる。吸魂鬼を思えば、再び、脳裏に母の声が木霊する。

「ベッロの家族って、やっぱり赤いの?」

[知らない、気がつけば主人といた。傍にいるのが家族なら、主人が家族だ]

 理に適っている。ハリーは、ベッロの顎に指を這わせて撫でた。

[ハリー、ネズミは殺したか? あれは、必ずハリーに害をなすぞ。そうなる前に、殺せ]

 誰のことはすぐに検討がつき、ハリーは頭を横に振る。ベッロの言葉を信じたい。でも、ロンが大切にしているスキャバーズを失わせることはできない。

[いざとなれば、殺してやろう。そのときは止めるなよ]

 言い終えたベッロは眠りについたのか、静かに鼓動する。

 変わらず気分は重く、感触の悪いモノがハリーの中で湿った空気のように張り付いていた。

 

☈☈☈

 気落ちしたハーマイオニーがクローディアの隣で愚痴をこぼす姿を目にすれば、2人に干渉しないのが賢明だ。皆がルーピンに抗議したせいで、宿題が取り消されたらしい。

 これをハーマイオニー以外は大いに喜んだ。

「『魔法薬学』ではマルフォイのせいでスネイプ先生から、減点されるし……、厄日だわ。マルフォイったら、風邪かしら? 声が出せないからって、パントマイムまでしてハリーをからかうのよ」

 ため息をつくハーマイオニーは、机に頭を乗せる。折角、魔法でドラコの声を封じたが効果はなかったようだ。多少、落胆したが不可解な点もある。

「宿題が取り消されるのって、変じゃないさ? 代講でも、宿題は宿題さ。なんで、真面目にやったハーマイオニーが損するさ? 私、ルーピン先生に抗議してくるさ。レポートを評価してくれるようにさ」

「そこまで気にかけてくれて、ありがとう。気持ちだけでいいわ」

 励まされたと誤解したハーマイオニーは嬉しそうに微笑んだ。クローディアは本気だが、彼女が乗り気ではないのでやめることにした。

 不満を吐き出したハーマイオニーが夕食に手をつければ、役目は終わる。

 それを見計らっていたミムがクローディアに声をかけてきた。

「私、チェイサーだったけど、次の試合に出ないよ。だから、代わりに出て頂戴」

「何を言っているさ?」

 困惑したクローディアにミムは額が触れる程、迫って来た。

「代理なら、出てくれるって話よね? クララから聞いているよ。ね? ね? ね?」

「いやいや、ちょっと待つさ。どうしてそこまで私さ?」

 頬を膨らませたミムは、クローディアの腕を掴み強引に連れだした。連れて来られたのは、マダム・フーチの事務所だ。

 マダム・フーチは、ミムに拉致られたクローディアを見て怪訝した。

「マダム・フーチ。私の代わりにこの子がチェイサーを代役します」

「ええ!?」

 何という強硬手段。

「よろしい、許可しましょう。ミス・クロックフォード、バーベッジ先生から貴女の腕は聞いています。良いプレーを期待していますよ」

 クローディアの意見も聞かず、マダム・フーチは了承してしまった。

「(これで、やるでしょ?)」

 承諾する以外道はなくなった。

 ミムは目的の為なら、案外、手段を選ばない生徒だと、深く認識した。

 

 チームキャプテンのロジャーは、万歳三唱だ。早速、今月の練習日を教えてくれた。バスケ部の活動日と被らないように組まれていることから、絶対、計画的犯行だ。

 チェイサーの件をハーマイオニーは、我がことのように喜び、祝福してくれた。

 ドリスにも手紙で報せた。激励の言葉と共に、生産が中止された箒『銀の矢64』を贈られた。竹箒とは雲澱の差がある触り心地に、性能の良い箒だと理解できた。

 ロンがすごい勢いで『銀の矢64』に食いついてきた。

「こいつは、耐久性に優れているし、この柄の部分見て、これが乗りやすくって評判だった。ただ、すごく乗り手を選ぶんだ。試合中に何度も選手が叩き落とされたって話を聞いたことあるよ。でも、こいつは『ファイアボルト』と『ニンバス』シリーズの次に優れた箒だよ!」

 骨董品ではなく、貴重な高級品だとロンは付け加えた。

 この箒を一番喜んだのは、マダム・フーチだ。

「ああ、懐かしい。この柄の部分を見てごらんなさい。しかも、僅か70本しか製作されなかった『銀の矢64』だなんて! これは、マニアの間でも高く評価されています! 何故なら、従来の『銀の矢』とは、規格を一新した製法にとって作られたそうです。勿論、当時では最高級の箒でした。ですが、その分、コストがかかりすぎており、値段も『ファイアボルト』と同じでした。結局、その後の『銀の矢』は従来の製法に戻りました。もう『銀の矢』は、製造中止……」

「そろそろ、箒を返して差し上げなさい」

 途中でフリットウィックが止めなれば、マダム・フーチは延々と喋り続けていただろう。

「今の学生達で『銀の矢64』を知る者は少ないでしょうが、どうです? 授業中は私に預けてみませんか?」

 職権乱用だと思ったが、ここまで頼むマダム・フーチを無碍には出来ない。クローディアは、渋々、箒を預かって貰うことにした。

 『飛行術』の授業がない時間、『銀の矢』に跨り、空を飛びまわるマダム・フーチが大勢の生徒に目撃された。

 

 練習の初日、クローディアはチームにいるバーナードを見て疑問に思う。

「なんで上級生のマンチがキャプテンじゃないさ?」

「俺が今年初めて、チームに入るからだよ。ずっと補欠だったが、今回の選抜でやっと選手になれたんだ」

 恥ずかしそうにバーナードは答えた。

 雨の中の練習は厳しかった。箒の制御が難しく、何度もロジャーから叱責を受けた。だが、防水の魔法を全身にかければ雨は凌げたし、祖父とコンラッドのしごきに比べれば軽い気がした。  

 夏の地獄が、こんなところで役に立つとは思わなかったもので、深く感謝した。

 練習中に気付いたが、スニッチの動きがクローディアの目に捉えられた。試しに、クワッフルでスニッチを当てようとしたら、見事に命中した。繊細なスニッチに乱暴するなとロジャーから怒られた。

 だが、ロジャーは、クローディアの動体視力を活用した作戦を練ることにした。

 秘密裏に練習していたのだが、レイブンクローではクローディアがチェイサーの代理をすることが何故か広まっていた。そのお陰で、バスケ部も見学者が増えた。ルーナはナーグルに襲われないようにと配色のおかしい薬を作ってくれたので、ありがたく飲み干した。

 その日一日、腹の調子がおかしかった。

 試合の日が近づくと、コンラッドが食事バランスを整えたお弁当を送ってくれるようになった。弁当箱が物珍しげに眺められた。特にフレッド、ジョージが隙を突いて出汁巻き卵を狙ってきた。

「良いなあ、私も家に頼んでみよう!」

 パドマの実家から、カレーが鍋ごと運ばれてきた。カレーの香ばしい匂いが大広間に充満する事態になった。スパイスの効いた香りに、慣れない生徒は驚いていた。彼女は気にせず、上機嫌にカレーを食していた。

「ミス・クロックフォード。お友達が愉快なことをしているな」

 何故だが、クローディアがスネイプに叱られた。

 

 

 先日の試合に比べれば、天気は改善していた。雷もなく、小雨程度であった。

 しかし、クローディアの心情は決して穏やかではい。

 緊張で夜明け前に目を覚まし、全身を駆け巡る血液の感覚に敏感になり、落ち着かない。興奮を抑えるため、ほぼ習慣となったジョギングを行う。それでも普段の調子が戻らず、バスケ部の教室でフリースローを繰り返す。

 

 ――午前10時。

 

 競技場に向かうクローディアをハーマイオニーが激励してくれた。緊張のあまり、返事ができなかった。

 更衣室で青いユニフォームを着込み、緊張は一気に増した。バスケの試合で、こういう場所には慣れているはずだと自身に言い聞かせる。

 キャプテン・チェイサーのロジャー、ビーターのザヴィアーとテリー、キーパーのバーナード、シーカーのチョウ、そしてチェイサーのエディーとクローディア。

 全員、杖を振るって自らに防水の魔法をかけた。

「僕から言えるのは、一言だ。無事にな」

 それだけ言い終え、選手はロジャーに付き従い、競技場に入場する。観客席から声援が湧き出す。ハッフルパフの選手が入場すると、女子生徒の声援が激しくなる。

 ほとんどがロジャーとセドリックへのものだ。

 キャプテン2人が握手を交わすと、更に黄色い声援が飛び交った。

 それで少し緊張が解れた。

 マダム・フーチが試合開始を告げる。選手は全身、箒に跨って空へと駆け登った。競技場全体を見渡せる位置まで上昇したクローディアの身体が浮遊感に満たされる。

 瞬間、クローディアの真横にブラッジャーが過ぎ去った。

(クァッフルは、ロジャーが持ってるさ。チョウは、何処に……)

 思考すると、実況のリーが試合の詳細を伝える。

「レイブンクローのリード。どうしたんでしょうディゴリー選手? ハリー=ポッターを負かせた切れの良い動きがない。やはり、シーカーが女性相手では紳士的になってしまうのかもしれませんね」

 ブラッジャーがチョウを狙ってきたので、ザヴィアーが棍棒で打ち返す。その間にセドリックがスニッチを追いかけるが、寸でのところで逃した。

「じっとするな! 動いて相手を霍乱しろ!」

 クァッフルを手にしたロジャーが、クローディアに指示する。そのままロジャーは、ゴールめがけてクァッフルを投げ込んだ。

「ゴール! レイブンクローのリード、これで100対0です。このままではハッフルパフの負けは確実、ディゴリー選手、あの試合はただの偶然かい?」

 ハッフルパフの生徒から抗議の声が上がる。

 セドリックは途端に、急旋回し空に突進する。クローディアの目には彼がスニッチを追うのがわかる。気づいたテリーが、ブラッジャーで妨害した。

 チョウが急いでスニッチを追うが、その後ろにセドリックから跳ね返ったブラッジャーが襲ってくる。

「チョウ、上!」

 ブラッジャーがチョウに届く前に、クローディアは箒を旋回させた。太ももで箒をしっかり掴み、両手を伸ばしてブラッジャーを掴んだ。手の中でブラッジャーが激しく暴れる。

「おお! なんということでしょう! クロックフォード選手! ブラッジャーを押さえ込んでいます! 前代未聞です!」

 実況に、歓声と驚きが激しくなる。

「馬鹿か、ブラッジャーは放っておけ! 相手からクァッフルを奪え!」

 承諾したクローディアは、手にしたブラッジャーを投げ放つ。ハッフルパフのビーター・アルフォンス=オーブリーは、棍棒でブラッジャーを打ち返した。しかし、チェイサーのローレンス=キャッドワラダーが持っていたクァッフルに当たってしまった。反動で、彼はクァッフルを手放した。即座にテリーは手にし、クァッフルを肩の力で投げ、ゴールを通り抜けた。

「またまたレイブンクローのゴール!」

 周囲を確認し、クローディアはチョウを見る。チョウはセドリックの前に出て、動きを牽制している。その周囲で、スニッチが飛び回っているが、睨み合って気づいていない。

「チョウ! 手を挙げろ!」

 クローディアの突然の声に、チョウは反射的に両手を上げた。

 

 ――パシッ。

 

 手の中に飛び込んできた感触に、チョウは驚いて瞬きした。見つめると、手に金のスニッチが掴まれていた。驚いたセドリックも呆然としつつも、スニッチを凝視した。

 慌ててチョウは、観衆にスニッチを見せ付ける。

 確認したマダム・フーチがホイッスルを鳴らす。

「レイブンクローの勝利!」

 レインブンクロー席から、勝利の歓喜と共に拍手喝采が湧き起こる。選手達は、チョウの周囲に集まった。1人、クローディアは強張り全身が痙攣し、弱弱しく地上に降り立った。地面に足が着いたと同時、仰向けに倒れた。

 芝生の感触で、高揚を実感した。

 

 更衣室に戻ったクローディアに、勝利に舞うチョウが抱きついてきた。

「ブラッジャーを掴むなんて! 信じられない! 最高だわ!」

「手は大丈夫か? 見せてくれ」

 チョウに抱きつかれたまま、クローディアの腕をロジャーに掴まれた。装着していたグローブが、ブラッジャーの摩擦で削れていた。

 逆にクローディアが驚いた。

「最高に回転している状態だったんだ。それなのに、よくも捕まえれたな。素手だったら、今頃、血まみれだぞ」

 嘆息するロジャーは、クローディアの手を心配する手つきで撫でた。

(普通のボールじゃないもんさ)

 今更、ブラッジャーの危険性を理解し、指を動かし異常がないかを確かめる。少し、間接の筋肉が強張っていた。

「次の試合が楽しみだわ」

「あれえ? 私は代理……」

 言い終える前に、選手達の顔がクローディアに満面の笑みを見せた。

「わかってるわよ。次もその可能性がないとは、言い切れないでしょ?」

 無邪気でいて企みを匂わせるチョウの笑みに、クローディアは彼女たちの策に嵌ってしまった感が否めない。

 着替え終え、早々に更衣室を後にした。城の前で待っていたハーマイオニーから、称賛と叱責を受けた。

「ブラッジャーを素手で受け止めるなんて、怪我したらどうするの?」

 眉を寄せたハーマイオニーに、クローディアは困り顔で頬を掻く。

「飛んできたボールって、受け止めたくならないさ?」

「キーパーかよ」

 ロンが呆れて笑った。そこでクローディアは、もうひとつ声がないことに気づく。

「あれ? ポッターはどうしたさ?」

「ウッドが……、いい作戦があるって……、連れて行った」

 何処か明後日の方角を見つめ、ロンは呟いた。クローディアは、胸中でハリーに合掌した。

「クローディア!!」

 廊下の向こうから、大声が張り上げられた。その為、廊下が地響きに襲われ、生徒や絵の住人達が慄いた。予想通り、喜びに打ち震えたハグリッドが駆け足してくる。

(((こわ!)))

 完全に引いたクローディアは、逃げ道を探そうとした。その前に、ハーマイオニーとロンは適当な教室に逃げ込んだ。意外な裏切りに、狼狽した。

「よくやった! すごかったぞ!」

 両手を広げたハグリッドが、クローディアに飛び掛ってきた。巨体を受け止めるには、疲労した身体では無理だ。

 そう判断し、間一髪で避ける。

 勢いの消えないハグリッドは、柱に激突した。地震を思わせる揺れが、廊下に伝わってくる。巨体は柱を伝わり、床に大の字に寝ころんだ。勝手に目を回し、気絶していた。

 原因を探りに来た生徒と教員で、クローディアの周囲に集まってきた。思わぬ注目に、現場を去るべきか悩んだ。しかし、人が集まりすぎたため、逃げられなくなった。

マクゴガナルとフリットウィックが、ハグリッドの容態を確かめる。

「ミス・クロックフォード……。ハグリッドに何が……?」

 唖然としたバーベッジが、遠慮がちにクローディアに訊ねる。

「きっと、嬉しかったんだと思います」

 それ以外、言葉が出なかった。

 その後、ハグリッドはルーピン達、男性陣によって医務室に運ばれた。

 『変身術』の教室でオリバーによる強化作戦会議を行っていたハリー、フレッド、ジョージ、アンジェリーナ、アリシア、ケイティは眠気と闘っていた。しかし、奇妙な地響きのお陰で目を覚ました。

 

 クィディッチはバスケ部の宣伝として大いに役立った。だが、クローディアが選手である為、完全にクィディッチの補欠が集まる部としての認識が広がってしまった。それでも、皆がバスケを好きになるキッカケになればと願う。

 そして、ミムが部員になってくれた。しかし、彼女はコーマックが部にいる危険性を訴えてきた。

「私、ハッフルパフのローレンスと親しい。彼から、マクラーゲンの話をよく聞くわ。合同授業で、よくローレンスを馬鹿にしてくるって! それにとっても仕切りたがりだ!」

 今のところ、コーマックがチームを先導する様子はない。だが、防衛のやり方について、クローディアにも度々、意見してくる。反面、シュートなどの不得意な部分には決して口を出さない。

「わかったさ、気をつけておくさ」

 クローディアの返事にミムは満足した。

 肝心のコーマックは、気に行った女子生徒には気持ち悪い程、紳士的に指導していた。彼はデートを申し込まれた日から、クローディアに全く何もして来なかった。しかし、囁かれた時を思い返すと、やはり嫌悪が蘇ってしまう。

 しかし、それはクローディアだけではなかった。どうやら、コーマックが惹かれる女子生徒のほとんどが、彼に嫌悪感を抱くらしい。温度差の問題だ。自分1人の感覚でなかったことに安心した。

 




閲覧ありがとうございました。
クィディッチのルール、よくわかっていないので、ブラッジャーを掴む行為がルール違反だったら、すみません。

声を出さず、ハリーにパントマイムで嫌がらせするドラコ。可愛い。

●アルフォンス=オーブリー
 穴埋めオリキャラ。
●ローレンス=キャッドワラダー
 原作六巻にて、苗字のみ登場。


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13.クリスマス

閲覧ありがとうございます。
あの大広間を数人で独占だと! 羨ましい!

追記:18年10月1日の誤字報告にて修正しました。


 クリスマス休暇で学校に残るレイブンクロー生は、クローディアただ1人だ。

 ブラックと吸魂鬼で、『楽団部』も演奏どころではない。彼女も帰宅を選ぶつもりだったが、ドリスの意向で残ることになった。ハーマイオニーも理事会がハグリッドの件に対応した結果を知るために残るらしい。

 学期最後の週末、吉報が舞い込む。マクゴナガルがクローディアの『ホグズミード村』行きを許したのだ。

 私服に着替えた生徒達と共に、喜び勇んだクローディアは吹雪の中を突き進む。

 茅葺屋根の小さな家、同じ材質の店が点々としつつも、クリスマスの雰囲気に飲まれた村。それが『ホグズミード村』の全景だ。

 映画や絵本の舞台に招かれた高揚感に、クローディアの頬が赤く染まる。

〔可愛いさ〕

 感嘆してクローディアは村を見入る。ハーマイオニーが背中を押してきたので前に進んだ。

「ハリー、1人で大丈夫かしら?」

「ベッロを残してきたし、話し相手には不自由しないさ」

「今度のお土産どれだろ?」

 ハーマイオニーとロンに案内され、クローディアは一番の人気店『ハニーデュークス』や郵便局、イタズラ専門店『ゾンコ』を巡る。

「向こうに行くと『マダム・パディフット』っていう喫茶店があるの。そこはね……その恋人達のための喫茶店なのよ」

 その瞬間、ハーマイオニーがロンに視線を送った気がしたが、クローディアは無視した。

 『叫びの屋敷』に向かおうとした3人は、村の喧騒から外れる。英国一、恐怖の館と呼ばれる屋敷。誰も入れないように内側から、窓という窓を塞がれているという。双子が何度も侵入を試みたが、無駄に終わったらしい。

「ジェイソンとか住んでないさ?」

「クローディア、キャンプ場じゃないわよ」

「ジェイソンって誰?」

 不意にクローディアは、背後に雪を這いずる音と1人分の足音に気づき、振り返る。

「何してるさ?」

 クローディアの声に、ハーマイオニーとロンも振り返る。ベッロが当たり前のように着いてきていた。

「ハリー」

 ハーマイオニーに呼ばれ、『透明マント』を脱ぎ捨てたハリーがイタズラっぽい笑顔で現れる。

「「なにやってんの!!」」

 クローディアとハーマイオニーに詰め寄られ、ハリーはロンの後ろに隠れた。

「どうやって抜け出してきたの!? 『透明マント』だって、『吸魂鬼』には見抜かれるはずよ!」

「フレッドとジョージが、早めのクリスマスプレゼントだってくれたんだ。『忍びの地図』をね。それには、城の抜け道が記されていたんだ。フィルチが知らない道だよ。『吸魂鬼』だって、わかりっこない」

 『忍びの地図』の説明を受けたクローディアは、フレッドとジョージに憤慨した。

「あの2人は状況をわかって……、ハリー! 地図を寄越すさ! 校長先生に渡してやるさ!」

 吼えるクローディアに、ハリーとロンは慄いた。ハーマイオニーは彼女に賛成し、付け加える。

「許可証に署名をもらってないんだから、誰かに見つかったら、それこそ大変よ!」

「この吹雪だよ。いちいち、生徒の顔なんて見えやしないって?」

 吹雪を見やり、ロンが余裕の笑みを見せる。

「つーか、ベッロ! なんで連れてきたさ! 一緒に留守してろって言ったさ!」

 責められるベッロをハリーは抱き上げ、媚びる。

「ブラックが出たら、ベッロが報せてくれるよ。だから、僕は来ようと思ったんだ」

「ほお、それが最後の言葉になりたいさ?」

 怒りを通り越した笑み、ハリーとロンは震え上がる。急いで、2人は走り出す。追いかけようとしたクローディアの足をベッロが絡まり、邪魔をした。ベッロを引き剥がしに、彼女とハーマイオニーは苦戦する。

「ほら、ベッロも僕に味方してくれるんだよ」

 彼らは勝ち誇った。

「こら! 大人しく帰らないと、絶対後悔するさ!」

 クローディアは拳を振り上げ、金きり声で叫ぶ。ハリーとロンは笑顔のまま、村の方角へ走って行った。

 

 『三本の箒』でハリーとロンに追いついたが、2人は暢気にバタービールを飲む。怒るのも疲れたクローディアとハーマイオニーも同じ席に座った。

 ロンは2人が追い付いてくることを見越して、その分のバタービールも注文してくれていた。わざわざ、ベッロの為にカエルの唐揚げまで用意していた。机の下で、蛇は美味しそうに食べ始めた。

 出入りする客の中、マクゴナガルとフリットウィックを見つけた。ハグリッドが細縞マントの魔法使いと入って来た。焦ったクローディアは自分の上着、ロンは『透明マント』をハリーへ被せた。

 二重に布を被せられ、ハリーは呻いた。

 人が多いせいか、4人に気付く者はいなかった。

「(マクゴナガル先生の傍にいるのは、誰さ?)」

「(コーネリアス=ファッジ大臣だよ。パパの上司)」

 ロンの小声で聞き、納得した。

 あれがコーネリウス=ファッジ魔法省大臣。しかし、政治家の雰囲気を感じなかった。何処となく、気の弱そうなお爺ちゃんに失礼ながら思えた。

「大臣、魔法省が吸魂鬼を村に警護してくれたお陰で、商売は上がったりですわ」

 麗しい店主マダム・ロスメルダはファッジに臆することなく、文句を言い放った。

「仕方ないんだ。私だって、やりたくない。だが、シリウス=ブラックが捕まれば、元通りだ、今少し、我慢しておくれ。奴は本当に普通ではない。私が視察に訪れた時、ブラックは正気を保っていた。おそろしいよ、他の囚人はブツブツと独り言を言うだけなのに。私を見てブラックは読み終わった新聞を寄こせと言ってきた! 信じられるかい?」

 口に出したファッジ自身、それが信じられない様子だ。

「シリウス=ブラックは、ジェームズの親友だった。本当にあいつらは兄弟のようだと俺は何度も思った。ジェームズは他の誰よりもブラックを信用していた。だから、リリーとの結婚式で新郎の付添役を任せた。2人を『例のあの人』から守る為に『秘密の守り人』の役目さえも!」

「ハグリッド、声が大きい」

 マクゴナガルが窘めた。

「それなのに、……奴は裏切った。ハリーは、ジェームズとリリーから離されちまった」

 ハグリッドは啜り泣いた。

「まさにイカれているとも。腰巾着だったピーター=ペティグリュー! 覚えているかい? 勇敢なピーターはブラックに仇打ちを挑んだ。それをブラックは、ピーターの小指一本だけ残して吹き飛ばした!」

 激高したフリットウィックは甲高い声を上げ、マクゴナガルは悲しげな口調で語った。

「ハリーにとってシリウス=ブラックは後にも先にも、名付け親なのです」

 途端、場の空気が重くなった。

(それは……ブラックがハリーの名前を付けたって事さ?)

 父親の親友にして、名前を付けてくれた相手が仇など惨過ぎる。

 大人達がいなくなってから、クローディア達も外に出た。

 ベッロが明後日の方角に進みだしたので、ハリーが歩き出したのだと気付く。クローディアが声をかけようとしたが、ロンに止められた。

「やめてやれよ。名付け親が……仇なんだぞ」

 絶望的に青褪めるロンは怯え、クローディアは疑問してしまう。

「クローディア……、名付け親の意味わかる?」

「いいや、あーもしかして、イギリスの常識さ?」

 唇まで真っ青なハーマイオニーに問われ、素直に否と答えた。

「そう……だから、平然としていられるのね。……名付け親はもう一人の親なのよ……。血の繋がりとは別の……そうね、代父という言い方もあるわ」

 今にも泣きそうな程、追い詰められ尚もハーマイオニーは淡々と説明される。ヴォルデモートに家族を殺され、叔母夫婦に育てられたハリーにとって、この真実がどれだけ残酷なのか嫌と言う程、伝わった。

 脳髄が吐き気に襲われ、クローディアは怒りが込み上げた。

 ハリーの身だけでなく、その心を守ろうと必死になってくれた大人達の気持を踏み躙る行いをした未熟さに――。

 

☈☈☈

 城に戻る抜け道の中で、ハリーは首に巻いたベッロが謝罪してくるのが聞こえる。

[行かせるべきではなかった、すまない。本当にすまない]

 一言も答えず、ハリーはただ歩いた。

 そして思い出す。浮かぶのは『秘密の部屋』で出会ったトム=マルヴォーロ=リドル。ボニフェースの死を知った彼でさえ、哀悼の涙を流した。それでも、親友を死に追いやったのだ。シリウス=ブラックがヴォルデモートの腹心中の腹心であることに妙に納得した。

 

☈☈☈

 クローディアは走り出す。ハーマイオニーとロンが必死に止めるのも聞かず、フレッドとジョージを探し村中を走り回った。『ゾンコ』店を満喫していた双子を発見し、とにかく、その笑顔に拳を叩きつけた。

 手にしていたイタズラ道具が、床にばら撒かれフレッドはその上に倒れこむ。ジョージは手近な棚で身体を支えた。

「見損なった!」

 他の生徒が悲鳴を上げるにも構わず、クローディアは声を張り上げる。

「おもしろければ、何がどうなろうといいというわけか! そんなことがおもしろいか!」

 口の中が切れたフレッドは、リーの手を借り起き上がる。

「いきなり、殴るなよ。説明してくれよ」

「そうそう、ただの癇癪野郎になってるぜ」

 普段の余裕を崩さない双子に、無意識に力が入った口から歯が軋む音が鳴る。

「馬鹿!!」

 飛び掛ろうとしたクローディアの身体が、背後から伸びた手に制される。睨みつけると、ロジャーだった。暴れる彼女を店から引きずり出す。抵抗して、ロジャーを殴り、引っかいたが動じない。それどころか締め付ける力は増していく。

 路地に引き込んだところで、ロジャーはクローディアを離した。

「問題を起こしたら、罰則になるんだぞ」

 丁寧な口調だが、クローディアは苛立ちが募る。

「あいつらがやったせいで……」

 『忍びの地図』さえなければハリーはここに来ることなく、残酷な真実を知ることはなかった。それに口に出さないように、歯を喰いしばる。

「あいつらのせいで……」

 目頭から零れる涙が、寒気に凍る。

 見下ろすロジャーは、何も聞かない。触れることもなく泣き止むまで、クローディアの傍を離れなかった。知らずと、彼に感謝の言葉を吐いた。

 双子に向けた暴力は、問題だ。マクゴナガルに知られかけたが、マリエッタが状況を誤魔化してくれた。そのお陰で、クローディアにお咎めがない。

「借りは返したわよ」

 マリエッタは事情を聞かず、それだけ言った。

 

 大勢の生徒にとって、この学校では今年最後の夕食になる。

 クローディアは大広間でフレッド、ジョージと顔を合わせても、お互い自然に避け合う。ハリーは言葉をなくしたように黙り、周囲の喧騒をただ見つめていた。

 クローディアがお手洗いに行く際、不安を隠さないハーマイオニーが震えていた。

「ハリーが……ブラックを探しに行ったら、どうしよう」

「行かせなければいいさ。私達でさ、そうしないといけないさ」

 『例のあの人』と対峙した時、ハリーは『賢者の石』を守る使命感があった。親の仇を討つという復讐心を微塵も持ち合わせていなかった。そんな彼が両親を裏切ったブラックを討とうするかもしれない。別の意味でも、ハリーを見張る必要がある。

 

 休暇初日の朝。

 帰宅する生徒が我先にと玄関ホールに集まり、馬なし馬車に乗り込む。それを見送るクローディアに、ドラコが極上に意地悪な笑みを浮かべる。

「おお、とうとう帰る家もなくしたか? クロックフォード」

 ドラコを横目で見、クローディアは不意に思いついた。

「あんたのお父さんは、ヴォルデモートの腹心だったさ?」

 その名に、ドラコの表情が恐怖に強張る。

「なのにシリウス=ブラックは、どうしてそっちに助けを求めに行かないさ? これって、妙だと思うさ。まるで、最初から当てにしていないみたいさ」

「馬鹿な……、ブラックが僕の家に来るわけがない。そこまで愚か者ではないはずだ。ブラックは確かに闇の帝王の為にポッターの両親を売った。だが、結果的に闇の帝王はポッターに滅ぼされたんだ。奴の裏切りは、何の役にも立たなかったと父上が……」

 震えるドラコの声は怯えを隠せない。話の内容から察するに、マルフォイはブラックがポッター夫妻の無二の親友であり、同時に最悪の裏切り者だと知っていた。つまり、奴の裏切りはハリーが『生き残った男の子』と同様に知れ渡っている。

 当時の後に生まれた子供達は、ブラックのことを知らないのだろう。ロンも知らない様子だった。

 言葉を交わす意味をなくしたクローディアは、嘆息する。

「腕が治ってよかったさ、休暇中に怪我しないように祈ってあげるさ」

 心にもない言葉を吐き、クローディアはドラコに背を向ける。

 無防備な背。

 今なら、魔法は確実にあたる。その衝動がドラコの中で湧き起こる。杖を向けようとしたが、手は凍りついたように動かなかった。きっと、その背に自分の魔法は届かないという奇妙な確信が生まれていた。

 

 マラソンの如く、校内を駆け足で廻る。

 身体を動かせば、思考する必要がない。ただ、走るだけを楽しむのは久しぶりだ。

 玄関ホールの所で、速度を落としたクローディアは、足を止める。深呼吸を繰り返し、肩で息をする。寒気が嘘のように、全身が汗だくになる。

 息が白い。それだけが、寒さを教えてくれる。

 見るとはなしに城門を見やると、吸魂鬼が映る。幸福を吸い取り、活力を奪い取る生物。それは、人の心の恐怖を写す『真似妖怪(ボガート)』と大差ない。

 脳裏に浮かんだ『闇の魔術への防衛術』の授業、職員室の洋箪笥。

(やめて……)

 強制的に回想を拒絶する。

 代わりに『三本箒』で名付け親の存在を知ったハリーの姿が浮かぶ。次には、憤慨する大人達その中にいるハグリッド。彼の親友ボニフェース。展覧会のパンフレットに写るベンジャミンと祖父。【ザ・クィブラー】に掲載された記事。リサが告げた一言。

〝ルーピン先生、誰かに似ていると思っていましたわ。ベンジャミン=アロンダイトです〟

 思考がクローディアの意思とは関係なく、巡ってくる。

(何も、考えたくないさ)

 もう一周、城を走ろうと空を仰いで深呼吸した。

「クローディア」

 防寒着を着込んだハーマイオニー、ハリー、ロンに声をかけられた。3人は一瞬、クローディアの半袖半ズボンと汗だくの姿に躊躇う。

 昨日と変わらず、ハリーは暗い表情で物々しい雰囲気を纏っていた。憤怒と憎悪、強い殺意が窺い知れる。やはり、彼は仇討を決意している。

「ハグリッドのところに行くの、貴女も来て」

 都合よく、水筒を銜えたベッロが現れた。クローディアは水分補給しながら、美しい雪景色の一部になった小屋を訪れた。

 室内はハグリッドの泣き声で充満していた。人の声に聞こえない音程に、獣が泣いていると思ってしまった。

「バックビークのことを聞いたのか!」

 ハグリッドは、滝の涙を流した。理事会から、バックビークの処遇に関する報せの用紙が机に置かれていた。彼の講義には、何の落ち度もないと判断された。しかし、バックビークだけは『危険生物処理委員会』にその采配が委ねられた。

 これに対し、ハグリッドはバックビークが確実に殺されえると嘆いた。

「だけど、ハグリッド。バックビークは悪いピッポグリフじゃないって、言ってたじゃないか。大丈夫だよ。きっと……」

「おまえさんは『危険生物処理委員会』ちゅうとこの怪物どもを知らんのだ!」

 ロンの慰め空しく、ハグリッドは嗚咽する。

 肝心のバックビークは、小屋の隅で床を血まみれにしていた。クローディアは、初めて目にするヒッポグリフに、一瞬見とれた。ただ、この生き物はゲームでも悪役として登場することが多かった気がする。

 無論、ハグリッドにそんなことを教えるつもりはない。

「こいつを雪ン中に繋いで放っておけねえ。クリスマスなのに!」

 しかし、部屋が尋常なく汚れてしまう。 

「ハグリッド。しっかりとした強い弁護を打ち出さないと、バッグビークは助からないのよ。そうだわ、私、ヒッポグリフの裁判の記事を読んだことあるわ。探してきてみる」

「そうだよ。僕らも裁判を手伝う。証人に呼んでくれていいよ」

 ハーマイオニーとハリーの発言が嬉しかったらしく、ハグリッドは感動で更に泣きだした。

「お茶を入れるよ。気が動転している人は、これが一番だって、ママがよくお茶を入れるんだ」

 ロンが入れたお茶の効果は、思ったより泣き虫に効果を見せた。主の様子を窺っていたファングが机の下から、顔を出す。ベッロと顔を見せ合い、意思の疎通を行っている。

「俺がしっかりせんと、いかんな。いつまでも、めそめそしてられん」

 ようやくハグリッドは、我に返ったらしい。

「バックビークの心配ばかりして、授業を適当にやりすぎた。いけねえことだ。皆、俺の授業を好きじゃねえ」

「それはマルフォイが悪いさ。ハグリッドは自分らしく、授業してくれればいいさ。ハグリッドが素晴らしいと思う動物達を教えて欲しいさ」

 クローディアの素直な気持ちに、またハグリッドは感涙し出した。

「この冬、ベッロの面倒見てほしいさ。ファングとも仲良いし、そのほうが良いさ」

「そうしてくれるか?」

 クローディアの提案をハグリッドは、喜んで受け入れた。ロンは殊更嬉しそうに、賛成した。少しだけベッロが嫌そうに身を捩じらせていた。

 城に帰る途中、クローディアは門を見張る吸魂鬼を見上げた。

「ハグリッドってさ、しばらくアズカバンにいたさ?」

「うん、ちょっとだけね。それがどうかしたの?」

 ハーマイオニーもつられて、吸魂鬼を見上げた。

「吸魂鬼がここにいると、アズカバンであった嫌な気持ちを思い出すだろうと思ったさ」

「そうだね。囚人になったら、四六時中、あいつらがいるんだ」

 ロンが怯えて身を震わせた。

「そんな状況でブラックは、正気だった」

 憎々しげにハリーは、吐き捨てた。

 

 

 翌日から、4人はバックビークの弁護をするため、図書館から大量の書物を借りた。誰もいないグリフィンドールの談話室で、ひたすら記事や書類を読み漁った。まずは、弁護か否かを分ける必要があった。

「これはどうかな……、あ、有罪だ」

 目を凝らしたロンは、必死に文章を読んだ。ハリーも記事を読むことに専念し、ブラックの話題を決して口に出さなかった。

 

 足早に迎えたクリスマス。

 布団の上に積もれた贈り物の重みで、クローディアは目を覚ました。友人達からの贈り物は、チョコを使用したお菓子ばかりだった。

 この時だけは、吸魂鬼の存在を強く疎ましく思った。

 コンラッドは珍しく白いフリルのワンピース、ドリスは箒の手入れ道具だ。祖父からは、何故か男物の着物が入っていた。

【その恰好で、明後日の午後。『ホグズミード村』に来ると良い。わし特性の課外授業をしてやる。寮監のフリットウィック先生には許可を得ておる。連れには、ハグリットが良いじゃろう。  草々】

 手紙を読んだクローディアは、嘆息する。

(課外授業ってさ……)

 きっと、鍛錬を怠っていないか試すつもりだ。陰鬱になりつつも、クローディアは『ホグズミード村』で用意していた3人への贈り物を抱えて談話室を下りた。

「おはよう、クローディア。メリークリスマス」

 不機嫌な顔つきが、祝いの言葉を台無しにしている。それでも、ハーマイオニーの手には、クローディアへの贈り物が握られていた。彼女の足元には、クルックシャンクスが座っている。

「謎かけが簡単だったから、勝手に入ってきたわ」

 笑顔でお互いの贈り物を交換する。途端にハーマイオニーは、緊迫した。

「ハリーに『ファイアボルト』が贈られてきたの。しかも、誰がくれたかわからない」

 高級な箒が差出人不明で、ハリーに届いた。彼とロンは、それに何の警戒心も持っていない。それどころか、クルックシャンクスがスキャバーズを襲おうとしたので、ロンが箒の話題を打ち切らせた。

 クローディアは緊張で我知らずと髪を指先で弄んだ。暖炉の火に目を向けてから、ハーマイオニーに視線を返す。

「……ハーマイオニーは、それを誰かの罠と考えてるさ? 例えば、シリウス=ブラックとかさ?」

 言い当てられたハーマイオニーは、何度も頷く。

「確認するけど、あなたのお祖母さんではないわね?」

「いくら、お祖母ちゃんでも、ポッターより私にくれるさ」

 おどけて肩を竦める仕草に、ハーマイオニーは納得する。おどけた表情をなくし、クローディアは声を低くする。

「呪いがあるなら、調べたほうがいいさ。でも、強い魔法だったら……私達に負えないさ」

「そうね、こればっかりは私たちじゃ無理ね」

 確認しあう2人の頭上で、『灰色のレディ』がクリスマスの賛美歌を披露していた。

 ハーマイオニーを帰したクローディアは、ハグリッドに『ホグズミード村』への引率を頼んだ。彼は夜通し、飲み明かしたらしい。室内には散乱した酒瓶、薬品めいたアルコール臭が満ちていた。ベッロも酔っ払いのように、いびきを掻いている。

 寝不足状態のハグリッドは、引率を承諾してくれた。

 クローディアは逃げるように、城へ舞い戻った。

 

 フリルワンピースに着替え、おさげを白いリボンで結んだ。漆黒の髪に、白い服装はとても映える。

 最後に『灰色のレディ』が、身だしなみを確認して満足そうに頷く。

「私、他の方々と集まるから今夜は帰らないわ。1人が怖くなったら、他の寮に泊まりに行きなさい」

 上機嫌な『灰色のレディ』は、壁の向こうに消えた。

(幽霊だけのクリスマス会さ?)

 去年のハロウィンの日、ハリー達は『絶命パーティー』に参加し、散々な目に合ったと聞く。故に、この城の幽霊達のクリスマスパーティーには興味を持たないほうが賢明だ。

 柊と宿り木を丁寧に編みこんだ植物のリボンが廊下中に張り巡らされ、絵の住人達も蝋燭で神秘的な雰囲気作りを手伝っている。

 それらの美しさがクローディアから、裁判や吸魂鬼、脱獄囚のことを忘れさせた。胸を躍らせ、絵の住人達と挨拶を交わし、彼女は大広間へ辿り着いた。

 大広間は各寮席が壁に立てかけられ、中央に長くも細工の利いた食卓がひとつだけ置かれていた。そこには、14人分の食器が用意されていた。

 校長、4人の寮監、ルーピンが並び、礼儀用・燕尾服のフィルチが座る。その向かいに、緊張に震え上がったハッフルパフ1年生デレク=ガーションとペロプス=サマービー、不機嫌に天井を見やるスリザリン5年生グラハム=モンタギュー、そして、ハーマイオニー、ハリー、ロンのグリフィンドール生だ。

(少ないさ……)

 去年に比べるとあまりにも少ない人数に、一瞬、拍子抜けした。考えを変えれば、この状況は貸し切りなのだ。特別な待遇だと、胸が高鳴る。

「メリークリスマス!」

 朗らかに挨拶してくるダンブルドアに、クローディアも反射して挨拶した。

「これだけの人数じゃ、寮席を使うのは贅沢じゃよ。さあ、お座り!」

 勧めてくるダンブルドアに、クローディアは必死に頷く。食卓の隅には、ハリー、ロン、ハーマイオニーが座っていた。ヘンリーとハリーの間の席が空いていたので、そこに座る。向かいのルーピンに会釈した。

 すぐにハーマイオニーがクローディアの隣に移ってきた。

「クラッカーを!」

 陽気な態度でダンブルドアは、何処からともなく銀色のクラッカーを取り出す。クラッカーの紐をスネイプに差し出した。口元を歪め、彼は渋々受け取り紐を引っ張った。大砲を思わせる派手な音と共にクラッカーが弾ける。消えたかと思えば、ハゲタカの剥製を載せた三角帽子に姿を変えた。

(……ネビルの……お祖母ちゃんの帽子さ)

 ハリーとロンは、目配りして口元をいやらしく歪めた。2人の心情を察したクローディアは、ハーマイオニーの背を越え、ハリーの腹を摘まんだ。油断した彼は、悲鳴を上げないように身悶えた。

「なあ、クローディア。河童はモンゴルにいるって本当かよ?」

 妙に口調を弾ませたロンに、クローディアは煙たそうに首を振る。前にハーマイオニーも同じことを聞いてきた。

「モンゴルは中国の隣だよ? 河童はいても、おかしくないんじゃないかな?」

 ルーピンの穏やかそうな笑みに企みが見える。授業でも彼は、そんなことを言っていなかった。当然だ。チョウが中国で最も生息できる地域を事細かに教えたからだ。

「河童は、湖や河を住処にします。モンゴルは草原地帯です。河童が生息できるような水場はありません。どうやって暮らすさ?」

 真剣に説明するクローディアに対し、ハリーとロンは口を押さえた。どうやら、2人は必死に笑いを堪えている。その態度が彼女の気に障る。

「本当さ! 大体、河童がモンゴルにいるなんて、誰がそんなこと『馬鹿なこと』言い出したさ!」

 小馬鹿にする口調で、吐き捨てた。途端に、ハーマイオニーが慌ててクローディアの口を塞いだ。ハリーとロンは肩を揺らし、それでも口から笑いを出さないようにした。

 3人の様子に、クローディアは奇妙な感覚に襲われる。ルーピンの隣から、殺気とは違う異様な視線が送られてきた。そこに座るのは、スネイプだ。

 ぎこちない動きで、クローディアはスネイプを振り返る。彼は己の理論を侮辱されたことに不快に感じていた。

 その表情から全てを悟り、己の失言を認めた。

「まあ、夢があっていいさ。考えたら、河童が水辺にいるなんて……、人間の勝手な想像さ」

 嫌な汗を流し、クローディアは必死に取り繕う。その姿に、ついにハリーとロンは耐えられなくなり、腹を抱えて笑い出した。

「さあて、もう良いかの? ドンドン食べましょうぞ!」

 ダンブルドアの促しに、各々が応じた。

 見えない力で、湯気を上げる七面鳥が切り分けられ、生徒達に配られていく。豪華なご馳走に、クローディアは早速、齧り付いた。柔らかな歯ごたえ、舌を満足させる味を堪能する。

「誰のフクロウだろ?」

 天井を見やるハリーの声に、クローディアもつられる。

 黒いフクロウが大広間へ舞い込んできた。そのまま、フクロウはクローディアへ1枚の黒い封筒を落とし、翼を翻して大広間を去っていった。

「誰から?」

 興味に駆られたハーマイオニーが首を伸ばす。クローディアは、テーブルナプキンで口元を拭いてから、黒い封筒を手にした。赤い封蝋に押された紋章は何処か尊大な印象を与え、差出人には金色の文字でイニシャルだけが綴られている。

(N・Mさ?)

 封蝋を剥がそうと手をかける。何気なく周囲を見やると、ハーマイオニー達は警戒する顔つきで、少し離れていた。

 理由は、簡単に想像がつく。

「『吼えメール』は、赤い封筒さ」

「そ、そうだよね?」

 ハーマイオニーの背後で口ごもるハリーに呆れながら、クローディアは封筒を開いた。

 異常な反応はなく、封筒の中には黒いクリスマスカードと写真が1枚ずつ入っているだけであった。カードの文字も金色だ。

【メリークリスマス これは、貴女のモノ】

 しかも、短い。筆跡はクローディアには、全く覚えがない。首を傾げつつも、写真を手にする。

 クィディッチ選手のユニフォームを着込んだ7人の選手。その7人の真ん中に、アザラシ……いやセイウチを思わせる風貌の魔法使い(おそらく教員)が上機嫌に手を振ってくる。背景には、スリザリンの紋章が横断幕となって掲げられ、6人の選手は何処か緊張する面持ちでそれでも笑顔であった。しかし、教員に肩を掴まれた生徒だけは、映ることを拒む手つきで自身の顔を隠している。教員と他の選手が、その生徒の腕を押さえつけ、前を見るように促していた。仕方なく、生徒は愛想の良い笑みで正面を向く。

 その顔は、他の誰でもないコンラッドその人であった。ボニフェースの写真と比べれば、同一人物だと錯覚する程、まさに瓜二つだ。

「これって、もしかしてクローディアのお父さん?」

 耳打ちするハーマイオニーに、クローディアは小さく頷く。

 ハーマイオニーは興味津々であったが、クローディアの胸中は複雑になる。何故なら、コンラッドの学生時代の写真を目にしたのは、これが初めてだからだ。

 それも、『N・M』という見知らぬ人からの手紙。

 何気なく、視界の縁でスネイプを見やる。彼でないことは確かだ。まずイニシャルが合わない。従ってダンブルドアとハグリッドも除外される。そもそも、2人なら手渡しする。

「僕も見てもいい?」

 頼んでくるハリーに、写真を渡そうとした。

 突然、大広間の扉が開いたので、自然と全員の目がそちらに向く。 

 細身でひ弱そうな目よりも大きいレンズの拵えた眼鏡をかけた魔女であった。スパンコールで飾られた碧のドレスが、占い師を連想させる。寧ろ、それ以外を許さない雰囲気を持っている。

「(誰さ?)」

 目にしたことのない来客に、クローディアはハーマイオニーに耳打ちする。彼女は、口元を歪めて耳打ち返した。

「(『占い学』のトレローニー先生よ)」

 『占い学』シビル=トレローニー。ハーマイオニー曰く、インチキ科目。レイブンクローでも、彼女の授業は悪評ではないにしろ、好評でもない。胡散臭い雰囲気に、クローディアは科目を取らなかったことを良い選択と判断した。

 ダンブルドアが席から立ち、トレローニーを歓迎した。

「シビル、これはお珍しい!」

「校長先生。あたくし水晶玉を見ておりまして、皆さんと昼食を共にする様子が見えましたの」

 小さくて聞き取りにくい声は、重要な未来を告げている気がするが、ようは宴に参加したいのだ。

「椅子を用意いたさねばのう」

 表情を輝かせたダンブルドアが、杖を振るう。マクゴナガルとスネイプの間に椅子が瞬時に現れた。勧められるままに、トレローニーは腰掛ける。途端に、彼女の前に食器が用意された。

 座席がズレたので、クローディアの正面がスネイプになってしまった。河童のことを根に持っている様子で、敵意に似た視線が襲う。

(罰ゲームさ)

 視線に堪えられないクローディアは、マクゴナガルから臓物スープを受け取るトレローニーに質問した。

「トレローニー先生がわかるのは、未来だけですか?」

 ピタッとマクゴナガルの動きがとまり、不愉快そうに眉が痙攣した。スープにスプーンを入れたトレローニーは、初めてクローディアの存在に気がついたような仕草で凝視してきた。

「あなたは私の授業をとってらっしゃらないのですね。よいですか、『占い学』はあなたが知る魔法の中でも、最も難しい学問なのです。それは『眼力』……『天分』が与えられた者のみが理解し、会得するのです。従って、初歩的なことですが、占いは俗世の彼方を見るのです。それは未来にしかありません。ええ、ありませんとも」

 冷ややかな態度に、クローディアは疑念する。下手に反論しては、折角のクリスマスの雰囲気が悪くなる。適当に聞き流そうとした。

 トレローニーは眼鏡の縁を押さえて、凝視してくる。

「しかし、あなたは存在していることが、まず間違いです。何処にも存在してはいけません」

 突然の存在否定発言に、呆気に取られた。

(こういうのは、電波? いや、不思議ちゃんさ?)

 返答に困るクローディアに構わず、トレローニーは断言する。

「あなたがここいることは、死者が甦るに等しい程、ありえないのです」

「もうよいでしょう、シビル! 七面鳥が冷めます!」

 我慢の限界が来たとマクゴナガルは叫んだ。これにより強制的に、会話は終了した。

 僅かに苛々したハーマイオニーは、安堵の息を吐く。対話を聞くとはなしに聞いていたハリーとロンも、食事に手をつける。

「デレク、チポラータ・ソーセージを食べてみたかね?」

 ダンブルドアに声をかけられたデレクが緊張に手を震わせ、皿のソーセージを受けとける。

 

 クリスマスにしては、静か過ぎる昼食はただ過ぎていく。

 その中で、ロースト・ポテトを取り分けていたハーマイオニーは、クローディアの皿が空であることに気づく。それどころか、彼女はまるで葬儀の場であるかのように、不気味に静まり返り、手にある写真を見つめていた。

(きっと、トレローニー先生のせいだわ。存在していないなんて、デタラメをいうから)

 ワインを口にするトレローニーを視界の隅で睨んだハーマイオニーは、クローディアの皿にロースト・ポテトを盛りつける。

「たくさん、食べましょう」

 返事がない。

 それほどまで重症だと解釈したハーマイオニーは、クローディアに優しく耳打ちする。

「(トレローニー先生のいうことなんて、気にしちゃダメ。あてずっぽうより酷いんだから)」

 途端に、クローディアの肩が痙攣する。  

「そうだよね……」

 聞き逃してしまう程、か細い声がクローディアの口から漏れる。その声からハーマイオニーには、普段の彼女よりも冷淡な気がした。

「死んだ人間が、甦る……なんてこと……そんな……おぞましい魔法があるわけない」

 この上ない至福の微笑み。

 ハーマイオニーは、その表情に言い知れぬ戦慄を覚えた。

「クローディア、このカボチャジュースは、いかがかね?」

 声をかけることを躊躇うハーマイオニーに代わり、ダンブルドアが普段の口調でクローディアにグラスを勧める。写真を握ったままだと気づいた彼女は、急いで写真をスカートのポケットに仕舞い込んだ。

「はい、頂きます」

 背筋を伸ばしたクローディアは、失礼のないようにダンブルドアからグラスを受け取る。

(カボチャジュースって、いままでグラスに入れてたさ?)

 素朴な疑問を後回しにし、クローディアはグラスの中の液体を一気に飲み干した。

 これまで口にしたカボチャジュースとは、比べ物にならない舌触りが美味を伝える。少し重い感触が、食道を通り抜ける感覚が終わると、あっさりと後味が残る。

「美味しいです!」

 反射的に叫ぶと、満足げなダンブルドアが指を鳴らし、空になったグラスに同じ色の液体を注いだ。それと同じように、心が満たされる。

 それが最後の記憶だった。

 

 後頭部を襲う激痛と共に、視界に飛び込んできたのは、何故か逆さまになった医務室。

 否、クローディアが寝台から上半身を床につけている。

正しくは、寝台から落ちたのだ。窓から差し込まれる光の加減が朝を教えてくれる。状況を冷静に分析し、奇妙に目が覚めていた。鈍い痛みを発する箇所に手をあて、足に力を入れて寝台へと起き戻った。

「おはよう、クローディア」

 医務室の扉で、洗面器を抱えたハーマイオニーとクローディアは目が合った。彼女は毅然とした態度で、それでも困り顔を見せる。

「おはようさ……。ハーマイオニー…」

 手を振ろうとしたクローディアの頭が、鉛が詰まったように重く痛みとは違う感覚が脳内を侵食していた。頭の重さに堪えられなくなり、両手で額を支えた。

「あまり良くなさそうね。横になって頂戴」

 分厚い本が詰まれた机に、洗面器を置いたハーマイオニーが、気遣うようにクローディアに手を添える。改めて、自身を見下ろすと、自室にあるはずの寝巻き姿だった。

 浮かぶのは、疑問のみ。

 クローディアの最後の記憶は、非常に曖昧であった。ダンブルドアにカボチャジュースを勧められ、何度もおかわりした。

 思考を巡らせていると、頭の重さが増していく。

 ハーマイオニーに手伝ってもらい、クローディアは枕に頭を預けた。彼女は作業をひとつひとつ確認し、クローディアに布団を被せ、その額に冷たいタオルを置いた。

「私、風邪引いたさ? あれ? マダム・ポンフリーはさ?」

 弱弱しく開く口をハーマイオニーは、諭すように黙らせる。

「マダム・ポンフリーは休暇中よ。それにあなたは風邪じゃないわ。二日酔いよ」

「……え?」

 我が耳を疑えば、ハーマイオニーはイタズラっぽい笑みを浮かべて椅子に腰掛ける。

「校長先生が、うっかり間違えてあなたに飲ませてしまったのよ。カボチャ味のお酒をね」

 絶対、うっかりではない。ある種の確信犯だ。

「見事にあなたは酔いつぶれたわ。魔法で花びらを出したり、フランシュタインを力説したり、挙句に吸魂鬼とダンスするって言い出して、……流石に校長先生がとめたけど。とにかく、凄まじかったわ。昼食の後に、ルーピン先生が運んでくれたのよ。あなたを捕まえるのに、本当に苦労したわ」

 目を伏せるハーマイオニーの頬が、段々と痙攣してきた。怒りと呆れによるものだ。しかし、原因がダンブルドアにあるので、クローディアを叱ることが出来ない悔しさを訴えているのかもしれない。

 アルコールかも判断できない己に、クローディアは失態を恥じる。

「そういえばさ、ポッターとロンはさ?」

 何気ない問いかけに、ハーマイオニーは引き攣る。彼女は口元に力を入れ、間を置いてから、目を泳がせ眉を寄せる。そして、意を決したように昨晩のことを話しだした。

 クローディアが医務室に運ばれた後。ハーマイオニーは、マクゴナガルにハリーが『ファイアボルト』が無記名で贈られたことを報せた。事の重大さを察した教頭は、箒に異常がないかを徹底的に調査するため、没収した。

 ハリーとロンは、烈火の如く腹を立てた。

 事情を一通り脳内で整理したクローディアは、労いの意味でハーマイオニーの頭に手を置く。

「ありがとう、ハーマイオニー。本当なら、私がマクゴナガル先生にいうべきことだったさ」

「いいのよ……。クローディアがわかってくれるから、だから……全然」

 力をなくしたようにハーマイオニーの声が、小さくなっていく。彼女は自然に震える手でスカートを握り、涙を堪えるため口を閉ざした。

 ハリーの身を案じるためとはいえ、折角、手に入れた箒を一時的にでも手放す羽目になった彼の心情を汲んでいるのだ。そのことで、彼らが彼女を突き放すことになっても、当然の感情と理解している。

 それが、ハーマイオニーなのだ。何処までも聡く賢い。

 だが、友達に嫌われることを平気とする子ではない。それほどの覚悟で、ハーマイオニーはマクゴガナルに報せたのだ。

 頭に二日酔いの重さが残っていたが、クローディアはそれを無視してハーマイオニーを抱きしめる。逆らわず、彼女も胸に頭を預けた。

 不意に、机に置かれた本を目にする。どれも、魔法生物の裁判の記録だ。

「ハーマイオニー、もしかして、ずっとバックビークの裁判を調べたさ?」

 胸の中で頷くハーマイオニーに、クローディアは嘆息する。

「さきに異常に多いレポートを片付けるさ。書類とかは私が調べるさ」

「駄目よ! あなたまで、私を遠ざけるの?」

 勢いよく顔を上げたハーマイオニーは、苦渋に満ちた顔つきで訴えてきた。

「裁判はレポートが終わるまでおやすみするさ。それに私は調べるだけさ。弁論のまとめは一緒にやるさ」

 おどけて微笑んだ瞬間、クローディアの頭の重みが増した。眩みで、寝台に倒れこむ。

 ハーマイオニーは、涙を堪えて胸を張る。

「ダメよ、あなたこそ、やすまないと……」

 無礼を承知でクローディアは、ハーマイオニーの言葉を遮った。

「なら、ひとつだけ答えて欲しいさ。あんたの時間割さ」

 青ざめたハーマイオニーは、口を噤んで不安そうに口元を押さえた。

「言えないさ?」

 イタズラっぽく笑い、クローディアは寝台の上であぐらを掻く。

「誰にも、言わないっていう約束なの。ごめんなさい」

 震えた声でハーマイオニーは詫びる。それだけでも、クローディアは彼女の状況を大凡ではあるが推測できる。彼女の時間割は、寮監にして教頭のマクゴナガルが作成している。約束の相手は、十中八九、あの方だ。

「成程さ。わかったさ」

「私は、言えないのよ?」

 目を見開いてハーマイオニーは驚く。

「ハーマイオニーは、時間割のことを『誰にも言わない約束がある』って教えてくれたさ」

「それだけ? それだけでいいの?」

 驚愕したハーマイオニーの瞳に、嬉しさで涙が溢れる。それだけ、クローディアは彼女を信頼していると理解できたからだ。

「ハーマイオニー、ハグリッドみたいさ」

 快活な笑顔でクローディアは、ハーマイオニーに濡れたタオルを差し出した。遠慮なく、タオルを受け取り、顔を拭く。

 彼女の顔を見ながら、クローディアは不意に昨日のことを考える。

「私を捕まえるのに、苦労したってどういうことさ?」

「それは知らない方が良いわ」

 やっと、ハーマイオニーは素直な笑顔を見せた。

 




閲覧ありがとうございました。

クローディアの名付け親に対する反応を変えました。バレンタインデーを都市伝説程度にしか知らないのに名付け親の風習を知っているのは、不自然に感じましたので。

生徒がいるなら、マダム・ポンフリーは休まないと思いますが、まあいっか!
●デレク=ガーション
 原作三巻にて、名前のみ登場。寮不明生
●ペロプス=サマービー
 原作五巻にて、苗字のみ登場。
●グラハム=モンタギュー
 原作にて、マーカス=フリントの後任キャプテン、歳も合うので、ここに登場。


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14.余計な事を知る

閲覧ありがとうございます。
マダム・ピンスも生徒がいるなら休まないでしょうけど、ま、いっか!

追記:16年3月7日、誤字報告にて修正入りました。


 マダム・ピンスのいない図書館は、それだけ使用する生徒がいないことを示している。棚に陳列された書物を見上げ、クローディアはそんなことを思い浮かべた。

 机にただ1人座るハーマイオニーは、必死に頭を働かせレポートを片付けていく。

 宿題が完了するまでバックビークの裁判を手伝わせないことになっているが、大量のレポートを見る限りでは、今年中には終わらない。

(これ以上の記録はないさ、後は記事でも見るさ)

 【日刊予言社新聞】などの雑誌を収めた棚を見やり、これまで調べた魔法生物の裁判が行われた日付を書き込んだメモを見比べる。

(ルーナがいつも読んでる【ザ・クィブラー】は……置いてないないさ。ルーナに頼んで裁判に関する記事をもらうさ)

 順番に新聞を読み漁り、目に着いた記事をメモに取る。その作業を繰り返していくと、いつの間にか40年近く前の新聞にまで行き着いた。

 正午の鐘が、城中に鳴り響いた。

(もう4時間もいるさ……。この新聞読んだら、お開きさ)

 疲労感に襲われる自身に喝を入れ、クローディアは適当なページを何気ない気持ちで開いた。

 灰色の変色した写真を我知らずと凝視する。それは、夏の休暇中。祖父のアルバムに貼られていた記事と同じだったからだ。

【アイリーン=プリンス。ホグワーツ・ゴブストーンチームのキャプテン】

 美人とは程遠く、神経質そうな少女の写真。一行だけの紹介分を今度はしっかりと読みとった。

(この学校の卒業生さ)

 新聞を元に戻し、自然と口元に笑みを浮かべる。

(後でお祖父ちゃんに教えるさ)

 足を弾ませてハーマイオニーの元に戻ると、彼女は片づけを終えて待っていた。

「嬉しそうね。進展あったの?」

「裁判のこととは別だけどさ」

 意味がわからず、ハーマイオニーは首を傾げた。

 

☈☈☈

 大広間は変わらず、中央に食卓が用意されていた。

 ハリーとロンも食事を摂っていた。

 他に、スネイプとグラハムは『魔法薬学』の教科書を読んでいた。ルーピンはスプラウトとトリカブトの成長過程について話していた。デレクとペロプスはバックギャモンをしながら、サンドイッチを齧っていた。

 クローディアとハーマイオニーが現れ、ハリーは思わず顔を背けた。心情を察した2人も挨拶を控えた。そのまま、2人はハリー達から離れたデレクとナイジェルの隣に座る。

 ゲームの手を止めたデレクは、躊躇うような視線を彼女達に向ける。

「あの……、クロックフォードさん?」

 おそるおそるデレクがクローディアに声をかけてきた。ハリーは知らずと、聞き耳を立てる。

「おい、デレク」

「だって、ペロプスだって気になるだろ?」

 ペロプスがデレクを窘める。ハーマイオニーは優しい顔つきで、疑問の視線を2人に向けた。意を決したデレクは、クローディアに問うた。

「フランケンシュタインを見たことあるんですか?」

 一瞬、クローディアの空気が硬直した。

「あなたの話を聞いた後、ルーピン先生に質問してみました。そしたら、ゾンビのようなものだと教えてくれました。ただ、ゾンビと違って存在した実例はないに等しいと…」

「そもそも、フランケンシュタインはゾンビじゃないわ。怪物を生み出した学生の名前よ。ヴィクター=フランケンシュタインは、コルネリウス=アグリッパを通じて魔術に興味を抱き、錬金術を独学で学ぼうとした。でも、彼の育った環境ではそれは叶わなかった。科学者を志した彼は、次第に『完璧な人間』を創造しようという狂気に駆られた。墓場から、死体を選りすぐりって繋ぎ合わせて、一体の怪物が誕生した。その怪物は、知性や教養を持っていたの。でも、あまりにも醜い姿だったから、彼は初めて作ってはならないモノを作ったと後悔した。この怪物に名はなく、後世の人は生みの親である学生の名を取り、『フランケンシュタインの怪物』と呼ぶようにしたのよ」

 捲し立てるハーマイオニーの説明を聞き、デレクはきょとんとした。ペロプスも理解に苦しそうにしていた。

 当然だとハリーは思う。そもそも怪物は、マグルの作り話に過ぎない。幼い頃、学校の催しでそれのホラー映画を見た。頭にボルトが刺さった姿を当時は恐がった。ダドリーがフランケンシュタインの真似をしてハリーを追い回したこともある。

 ハリーにしてみれば、ゾンビと変わらない存在だ。

「つまり、ヴィクター=フランケンシュタインは死霊術師(ネクロマンサー)ということですか? 学生の身で!?」

 恐れを抱きつつ、デレクは興味津々にハーマイオニーに聞き返した。

「違うわ、彼はマグルよ。科学者を目指した学生だったわ。怪物も魔法ではなく、科学力を用いて作りだしたのよ」

「マグルが怪物を作った!?」

 今度はペロプスが叫んだ。大声を出したので、ルーピンとスプラウトが注目した。スネイプとグラハムは一瞥だけし、教科書の討論に戻った。マグルの話なのに、ロンは完全に無視し、スキャバーズにパンを与えていた。

「でも、それとクロックフォードさんが『死んだ人は生き返ったりしない、それはフランケンシュタインが証明している』っていうことと、どう関係してくるんですか?」

 デレクの純粋な問いかけに、クローディアの眉が痙攣した。

「それは……」

 ハーマイオニーを遮り、クローディアは口を開く。

「フランケンシュタインは、腐っていない死体の四肢、頭部、心臓、臓物、神経をチグハグにして1人分の人間を形にしたさ。きっと、その身体の一部一部、元の人間の人生はあったさ。でも、生み出された人間は、生前の記憶をひとつも持っていなかったさ」

 それが幸いだとクローディアは、少々の笑みを浮かべていた。その笑みを見たデレクは、バツが悪そうにしていた。そんな質問をしたことに罪悪感を覚えているようだった。

「あんたの名前は……」

「デレク=ガージョンです」

「ガージョン。仮にあんたが本当に蘇生法を知ったとしても、それは使ってはいけないさ。死んだ人間は、死者になるんじゃないさ、死体になるさ。生き返った人も必ず、後悔するさ」

 最後の警告と言わんばかりに、クローディアの瞳がデレクを捉えた。彼に怯えた様子もなく、それどころか尊敬に近い眼差しを彼女に向けていた。

「もし、フランケンシュタインの怪物に出会ってしまったら、僕はどうすればいいですか?」

 それは、興味よりも確認の口調だ。その質問にクローディアは、初めて沈痛の表情で目を伏せる。

「ガージョン、それは彼に優しくしてあげることさ」

「怪物に優しくする……?」

 突拍子もない意見に、ハリーは噴き出しかけた。フランケンシュタインは、ハグリッドが可愛がる三頭犬フラッフィーや巨大蜘蛛アラゴグとは別格の怪物だ。きっと、彼でさえ遠慮するだろう。クローディアの意見は、あまりにも馬鹿げている。

「彼は、口にも出来ない程、醜かったさ。最悪なのは、彼が善良な心を持ちすぎたことさ。彼は、自分が死体から蘇ったことを恥じたさ。そして、醜すぎる容姿に生まれたことを悔やんださ。そんな彼は、自分の生みの親にたったひとつだけ、願ったことがあるさ。それは、花嫁さ。自分と同じような花嫁が欲しいとさ。これがどういうことかわかるさ? 彼は愛が欲しかっただけさ」

 衝撃のあまりデレクは、思わず「はい」と答えた。それなのに、クローディアは消化不良な顔つきで「そうか」とだけ返した。

 そこで話は終わったと、クローディアは食事を始めた。いつの間にか、ハーマイオニーは彼女が口に出した言葉を羊皮紙に書きこんでいた。

「クローディア、良ければフランケンシュタインに関する本を貸してもらえないかな?私も人から聞いた程度しか知らないんだ」

「わかりました。家にありますので、頼んでみます」

 ルーピンに頼まれたクローディアは、元気がなかった。

(あれって、そこまで奥深い話だったけ?)

 ハーマイオニーに聞こうにも、今は無理だ。彼女の口から、何も聞きたくない。

 ハリーの身を案じていることは理解していても、やはり、怒りは治まらないのだ。

 

☈☈☈

 日差しが入るレイブンクローの談話室。絵の住人達がチェスを楽しむ声を聞きながら、ハーマイオニーは1人、アルバムを眺める。

 彼女のモノではない。クローディアのアルバムだ。勿論、了承は得ている。

 勉強だけでは目が疲労するので、休憩するように言われた。友達のお陰で、ハーマイオニーは順調に宿題を片付けられる。

 クローディアは、ハグリッドとホグズミードに外出している。彼女の祖父に面会するためだ。その祖父が外国の川原、素手に魚をとり、満面の笑みを向けている写真がある。他の写真にも幼い彼女と母、彼女の友人。天真爛漫な思い出に、ハーマイオニーは気分が高揚する。

(『マグル学』の宿題が終わったら、ハグリッドの小屋で待っていこう。このアルバムもハグリッドに見せたいし)

 鞄からレポートを取り出す際に、ハーマイオニーは中にあるパンフレットの切れ端を見つける。

(あ、展示会のパンフレット。そうよ。お祖父さんが、この写真の人か聞こうと思っていれたままだったんだわ)

 再び忘れることのないように、クローディアのアルバムにパンフレットを挟んだ。満足したハーマイオニーは『マグル学』のレポートにとりかかった。

 

☈☈☈

 吸魂鬼の巡回により、客入りが少なくなったはずの『三本の箒』は、日が暮れる前の客入りが増えたので、それなりに商売は成り立っている。

 祖父との課外授業を終えたクローディアは、ハグリッドと店の隅に座り込んだ。

 巨体な森番の前では、着物姿のクローディアと祖父は大して目立たない。奇抜な恰好をした客人達では、地味なほうかもしれない。

 ぼんやりと考え、クローディアは温めてもらった牛乳を口に含んだ。しかし、口の中で切れた箇所に沁みるため、血生臭かった。カップを持つ手も、寒さと打ち身による痛みでぎこちない。

 その様子に、ハグリッドは小さく嘆息する。

「痛むか? ひでえことしやがるぜ」

 クローディアを気遣いながら、ハグリッドは祖父を軽く睨む。

「馬鹿を申されるな。これでも、加減をしたつもりですぞ」

 祖父はハグリッドの視線を受けても、平然とバタービールを飲み干していた。

「ここにいろ。マダムに頼んで、暖かけえタオル貰ってくる。じいさん。これ以上、何もしねえでくれ」

 祖父に強く警告し、ハグリッドは席を外した。

(聞くなら、いまさ)

 この機会を逃すまいと、クローディアは口を開く。

「アイリーン=プリンスのこと、【日刊予言社新聞】で見つけたさ」

 深いシワがより険しくなる。神妙な顔つきの祖父に対し、クローディアは笑いを堪えるように唇に力を入れた。そのせいで、口の中の傷が痛んだ。

「どの記事を読んだ?」

 周囲を軽く見回した祖父は、苦虫を噛み潰した顔で呟く。予想より困惑めいた反応する祖父が、クローディアには愉快であった。

「ホグワーツの代表生徒として、紹介されてたさ」

 痛みに耐え、牛乳を飲み干す。カップを握っていた手も暖かくなっている。

〔来織。それ以上、アイリーンのことを詮索するのは、やめるんじゃ〕

〔してないさ。裁判の資料を探していたら、記事を見つけただけさ〕

 イタズラっぽく笑うと、祖父の表情が僅かに険しくなる。

〔……裁判じゃと? 確か、ヒッポグリフの件は『危険生物処理委員会』に託されたはずじゃ。おまえが首を突っ込むところではないぞ〕

 非難めいた口調の祖父に、クローディアは嘆息する。

〔弁護の文面作りを手伝ってるさ。それに、私だけじゃないさ。ハーマイオニー、ハリー、ロンの4人さ〕

 聞きなれた名を耳にした祖父は、わざとらしく舌打ちする。

〔……今回は、手を貸さんぞ。こればかりは、ハグリッド殿が自ら解決せねばならんことだ〕

 何も要求してないクローディアに、祖父は冷徹に振舞う。その態度も踏まえて、疑問する。

〔というか、お祖父ちゃん。バックビークが『危険生物処理委員会』に任されたこと、なんで知ってるさ?〕

 問い終えたとき、ハグリッドが豪快な湯気を立てた白いタオルを手に戻ってきた。

「少し熱いが、消毒にはええじゃろ。さあ、これで傷を拭け」

 得意げな笑みを向けるハグリッドへ、曖昧に笑う。

(火傷しそうさ)

 手に触れるだけで高温を感じるタオルを傷口に押し当てる。一種の拷問だったが、ハグリッドの笑顔に応えるために、クローディアは強張った笑顔で苦痛を耐え凌いだ。

 急に祖父は、目だけが忙しなく動いていた。

 

「本のこと、よろしくさ」

「うむ、息災でな」

 貴重な面会時間を終え、クローディアは早めの新年の挨拶をし、ハグリッドと城に帰った。

 積もった雪を必死に歩きながら、祖父の言葉を思い返す。祖父はアイリーンに好意的だ。しかも異性としての感情を含んでいる。そして、それは今も続いている。

(なら、お祖母ちゃんは……。そういえば、お祖母ちゃんってどんな人だろう?)

 父方の両親は、確認している。母方の祖母について何も知らない。今まで、疑問にしてこなかった。意識さえしていなかった。

 突然、興味が湧いた祖父の妻で、母の母。そして、思考はあらぬ方向へと突き進む。

(もしかして、アイリーンって人が私のお祖母ちゃん?)

 体中が高揚する。思わず跳ねてみたくなったが、雪に足を取られるのがオチなのでやめておいた。

(もしも、そうなら……私は日本人のクオーターになるさ?)

 思考に気を取られ、結局、クローディアは雪に足を取られて転んだ。

 

 吸魂鬼が見張る門を越え、そのまま城に帰ろうとした。家の煙突から煙が上がり、ベッロが暖炉を使っていると知れた。

「俺の家で少し休んで行け。ベッロの入れてくれる茶は、最高だぞ」

〔完全に、こき使ってるさ〕

 城のほうから見知った人物が2人、家に向かってやってきた。

 1人はハーマイオニーだ。クローディアは迎えに来てくれたことに喜んだ。もう1人に向かって、ハグリッドが手を振った。

「リーマス! 体調はいいのか?」

 睡眠不足に見える顔色だが、ルーピンは笑顔で手を振り返した。

「セブルスの薬のおかげでね。やあ、クローディア……。おもしろい恰好だね」

 着物服に、ルーピンは少し間を置いた。

「お褒めの言葉、ありがとうございます。ルーピン先生」

 硬い表情でクローディアは、小さく礼をする。

 2人のやりとりに少し困り顔のハーマイオニーが、アルバムをクローディアに突き出した。

「1人でここまで来るのは危ないって、ルーピン先生が着いてきてくれたのよ。あなたのアルバム、ハグリットにも見せようと思って、持ってきたの」

「それはいい考えさ。(……で、なんでルーピン先生?)」

 笑わない目がハーマイオニーに詰め寄る。彼女はクローディアがルーピンに苦手意識があることを知っていた。

 ここまで露骨に嫌がれるとは思っておらず、咄嗟にハグリッドへ話題を振る。

「ファングは一緒じゃないのね?」

「ああ、今日は冷えるから、あいつはベッロと留守番だ。さあ、入ってくれ。今なら、ベッロの茶が飲めるぞ」

 鼻歌を混じらせて、ハグリッドは小屋の戸を開く。彼の背を見つめ、ルーピンは2人に軽く尋ねる。

「ベッロというのは、ハグリッドの恋人か何か……かな?」

「「違います」」

 否定する2人を見比べ、ルーピンは愛想よく声を上げて笑った。ハーマイオニーも反射的に微笑んだが、クローディアは彼に奇妙な苛立ちを持つ。室内が十分に暖かくなっていることを確認したハグリッドは、3人を招き入れた。

 

 中は暖炉のおかげで十分、暖かい。ファングが挨拶のように何度も吠え、寝台からおりてくる。桶の隙間から、ベッロが床を這いながら現れた。

 ベッロの姿を目にしたルーピンは、目を見開き小さく息を飲む。

「ベッロ……? 驚いた! ベッロとは、おまえか! まさか……、ハグリッドが引き取っていたとは……」

 予想外の反応に、クローディアとハーマイオニーが呆気に取られた。てっきり受け流すか、警戒をする程度だと、2人は思っていた。何があろうと穏やかな笑顔で動じない普段のルーピンから、想像も出来ない困惑ぶりだ。

「ルーピン先生、ベッロをご存知なんですか?」

 躊躇いながら尋ねるハーマイオニーに、ルーピンは生徒が目の前に居ることを思い出したように、普段の笑みを見せた。

「少しだけど、知ってるよ」

 ベッロはルーピンを見るなり、警戒心剥き出しの気配を見せていた。だが、威嚇も何もせず、ただ睨んでいるだけだ。

「俺じゃねえよ。クローディアのだ。俺はちょいと、借りてるだけだ。ほれ、座れ。ベッロ、すまんが4人分の茶を入れてくれ」

 勧められるまま、クローディアは羽織を脱いで椅子に腰掛ける。ルーピンは怪訝そうに彼女とベッロを視線だけで見比べていた。しかし、何も聞こうとしないので、無視した。

 クローディアは、慣れた動きで食器やヤカンを用意するベッロを見つめる。棚から蜂蜜ヌガーを取り出したハグリッドは、椅子に腰掛けた。それを計ったように、ベッロは机に紅茶を入れたティーカップを並べた。暖かい紅茶に、体が芯から火照っていく。

 早々に飲み終えたハーマイオニーが、アルバムを机に広げる。

「じゃーん、クローディアのアルバムよ」

「この学校に入るまでだから、日本にいるときのさ。……マグル式の写真さ」

 クローディアが付け加えると、ハグリッドは目を輝かせてアルバムの表紙に見入る。

「ほお! 見ていいのか?」

 クローディアが頷く前に、ハグリッドはアルバムを壊さないように加減しながらページを捲り始めた。アルバムの中で一番大きい型のはずが、彼が持つと手帳のように錯覚してしまう。

「ちっせえな……。お、これがクローディアのお袋さんか……、そっくりだな。おお、これなんか、男の子みてえだ」

 川辺で幼馴染と泥だらけになっているクローディアの写真をハグリッドは指差した。小学生に上がる前とはいえ、半裸状態は気恥ずかしく思えた。

 空になったカップに、ベッロがお茶を注いでくれた。クローディアは遠慮なく飲み干し、これ以上の辱めを避けようと目を瞑った。

 アルバムのページを捲る音を聞く内に、ハグリッドが疑問の声を上げる。

「こりゃなんだ? リーマスか?」

 ルーピンの写真がアルバムにあるはずない。確認しようとクローディアは、ハグリッドの指先を見やる。アルバムに挿まれていたのは、ベンジャミンの展覧会のパンフレット、祖父とベンジャミンが映った写真が掲載された部分であった。

 一瞬だけ、クローディアの脈が焦燥を込めて高鳴る。

「違うわ。ハグリッド。その人は、ベンジャミン=アロンダイトよ。でも、言われてみたら、ルーピン先生に似てるのかしら? ルーピン先生、どう思う?」

 首を傾げるハーマイオニーは、何気なくルーピンに声をかけた。瞬きを繰り返す彼は、考え込むように口元を手で覆っていた。

「一見すれば、私でも間違えるかもしれないね。しかし、……隣の人は誰かわかるかな?」

 ルーピンの指が祖父をなぞると、ハーマイオニーは思い出したように手を叩く。

「私、クローディアに聞きたかったの。この人、あなたのお祖父さまなの?」

 予感はあたり、話を降られたクローディアは、祖父の憂いを込めた表情を一瞬だけ思い浮かべた。そして、口元だけ笑みを浮かべ、視線だけはパンフレットに向けたまま答えた。

「そうさ。お祖父ちゃんの若い頃さ」

 新たな発見に満足したハーマイオニーは、何度も頷いた。ハグリッドは、気難しく眉間にシワを寄せる。

「クローディアの祖父さんも魔法使いだったな。なんて言ったけな? ツート?」

 祖父の発音は英国では不慣れな物なので、仕方ない。苦笑したクローディアは、唇を大きく動かし、発音を強めた。

「違うさ。十悟人さ。私やお母さんは平気だけど、お父さんとお祖母ちゃんは発音しにくいから、トトって呼ばれてるさ」

 納得して頷くハグリッドが、アルバムに視線を戻そうとした。

 

 ――ガチャン。

 

 破損音に驚いたクローディアとハーマイオニーは、思わず振り返った。

 ルーピンが手にしていたカップが、突然、握りつぶされたように割れた。カップが割れたことよりも、彼の顔色が青ざめていくほうが問題であった。

「ルーピン先生?」

 ハーマイオニーに声をかけられ、ルーピンは我に返る。

「すまない、少しボーッとしてしまったようだ」

 ルーピンは懐から杖を出し、割れたコップを元に戻す。

「おお、大丈夫か? 具合が悪いなら、ちゃんと言えよ」

 心配そうに声をかけたハグリッドは、ルーピンのコップにお茶を注ぐ。

「お祖父さまは、お医者様なのよ」

「医者? 患者に針を刺しまくるっていう? うへえ、あのジジイならやりそうだ」

 ハーマイオニーの言葉に、ハグリッドは渋い顔をする。

 2人のやりとりを聞きながら、クローディアもお茶のお代わりを貰った。この食卓にあるカップは、ハグリッドのお手製である。彼の握力と筋力に合わせ、重く硬い材質で出来ている。

(そう簡単には壊せないはずなのに、スゴイ力持ちさ)

 病弱で体調不良を起こしやすい体質のルーピンにしては、ありえない筋力だ。これが指し示す先がひとつの推測へと行きつこうとしたが、寸前で脳内の警鐘が鳴り響いた。

(やめようさ。きっと、そういう体質なんだろうさ)

 胸中で呟き、クローディアはコップに口付ける。肝心のルーピンは体調が悪いらしく、手で顔を覆っていた。

 

 家を後にしようとした時、ハーマイオニーがアルバムを開いたまま眠り込んでしまった。余程、疲れていたのだ。仕方なく、ルーピンが彼女を背負う。

 ハグリッドに見送られ、クローディアはルーピンと城を目指す。しかし、気まずい。間に入ってくれるハーマイオニーが寝ているので、喋る気も起きない。

 沈黙を破ったのは、ルーピンだ。

「聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

 クローディアが頷き、ルーピンは普段の穏やかな雰囲気のまま問うた。

「『解呪薬』という単語に聞き覚えはあるかい?」

「……何処でそれを知ったんですか?」

 衝撃を受け、質問を質問で返してしまう。『解呪薬』は祖父の十悟人しか、その製法を知らない。しかも、本来の効用まで至ることは出来ず、幾分か質が落ちるらしい。仮に全く同じ効用の魔法薬が存在しても、名前まで同じはずがないのだ。

「偶然、その薬の存在を知ったんだ。君は『解呪薬』を調合出来る魔法使いに心当たりがあるんだね?」

「はい、そうです。『解呪薬』は祖父以外、作り出せません。祖父は誰にも、作り方を教えていない様子でした」

 だが、それはクローディアが知っている限りだ。

 動揺で心拍が上がりつつも、裾の下にある印籠に触れた。最早、最後の一粒となったオリジナル。この薬は、ハーマイオニー達にしか話していない。ダンブルドアやハグリッドにさえもだ。それなのに、何故、ルーピンは知り得たというのだろうと疑問する。

「さあ、クローディア。着いたよ」

 呼びかけられ、我に返る。いつの間にか、レイブンクロー寮の前にいた。ドアノッカーの謎かけに答え、ルーピンも談話室に招く。

「へえ、こんな風になっているのか。知らなかったな」

 感嘆でいて、感心する口調でルーピンは感想を述べた。談話室のソファーにハーマイオニーを寝かせて貰い、クローディアは深々と頭を下げる。

「それじゃあ、夕食でね」

 愛想良く笑い返したルーピンをクローディアは呼びとめる。念の為に、知っておきたいことがひとつだけあったからだ。

「ルーピン先生、私もつかぬ事をお伺いしても宜しいでしょうか?」

「なんだい?」

 若干、ルーピンの声が上擦っている。気に留めず、緊張する心音を抑え込んで続けた。

「ベンジャミン=アロンダイトは、先生のご家族ですか?」

「あの写真の人だね。いいや、私の親戚ではない。私に似ていたのは、ただの偶然だよ」

 何の動揺も見られない。寧ろ、安堵の雰囲気を感じ取った。クローディアにしては、かなり勇気を絞った質問なのだが、ルーピンには講義中の質問と変わらない様子だ。

「そうですか、呼びとめてすみませんでした。色々とありがとうございます」

 正直、ルーピンがベンジャミンの息子ではないかと推測していた。それでは、コンラッドの従兄弟となり、彼女にも新たな血縁となる。数少ない親戚を不愉快に思いたくなどない。だが、ただの他人の空似だ。

 本当に安心した。

 ハーマイオニーは爆睡し、揺さぶっても起きない。仕方なく『灰色のレディ』に彼女の警護を頼み、クローディアは夕食に向かう。大広間は相変わらず貸し切り状態だ。

 クローディアが1人で現れ、ハリーは少し心配するような視線を送ってきた。しかし、絶対に話しかけて来なかった。

 フリットウィックの承諾を得て、クローディアは杖を振るい食器をタッパーに変える。いくつかの食事をタッパーに詰めた。スネイプは視線で「意地汚い」と罵っていたが、気付かないフリをした。詰め込み作業のせいで、大広間には彼女とフリットウィックしか残っていなかった。

 

 帰り道は、『ほとんど首なしニック』が付き添ってくれた。その途中で見慣れないフクロウが小包を運んできた。添えられた手紙は祖父からだ。昼間に頼んだ本が早速、届けられたのだ。

「超早いさ。どんな魔法を使ったさ」

「ホグズミードから、送ったのではありませんかな? あそこからなら、すぐに届きますよ」

 『ほとんど首なしニック』の指摘に納得した。ホグズミードまで『姿現し』し、村の郵便局を使えば城まで幾分も関わらない。

「ルーピン先生のところに寄りたいさ」

 クローディアの提案に『ほとんど首なしニック』は快く了承してくれた。

 誰もいない教室、その奥にある事務所。クローディアは一声かけてから、教室に足を踏み入れる。しかし、ルーピンは事務所から出て来ない。だが、微かに開いている扉から、灯りが漏れている。

「ここで待っていて欲しいさ。ピーブズが来ないように」

「難しいですが、やってみましょう」

 『ほとんど首なしニック』は苦笑し、扉を前で浮遊する。クローディアは小包とタッパーを抱え直して、事務所の扉に近づいた。

 僅かに開いた隙間を確認の意味で覗く。ルーピンとスネイプ、しかも『血みどろ男爵』までいた。彼らはか細くも消えそうな小声で話しあっていた。

「クローディアは、コンラッドの娘だ。これを疑う余地はない」

「ありえぬ」

 緊迫したルーピンの断言を闇色の声が否定していた。否定された部分をクローディアは、理解したくなかった。身体は金縛りにあったように動かなくなり、聴覚は一層過敏に会話を聞きとりだした。

「男爵、コンラッドが行方を眩ました日を覚えていますかな?」

「……教授達が卒業して、すぐのことだろう。歳月で言うなら……15年前の6月だ」

 抑揚ない声で『血みどろ男爵』は、答える。それにスネイプは続けた。

「ミス・クロックフォードが生まれたのは、その年の7月。1月も経たない間に子供とは、生まれるものではない。従って、コンラッドの娘であろうはずがない」

「在学中に出会った可能性もある。コンラッドが消えたのも、こうして考えれば辻褄が合う」

 狼狽することなく、ルーピンは堂々と言ってのける。代わりにスネイプが歯噛みした。

「知った風な口を聞くな! 例え、どこぞの女にひかかったとしても、コンラッドが子供を作れるわけがないのだ!!」

 訴えかける叫び声がクローディアの脳髄に直撃した。

 視界と肉体の感覚が切り離された。そんな心境だ。

 クローディアは声一つ上げず、小包を扉の前に置く。足音を立てないように離れた。『ほとんど首なしニック』に声をかけ、寮まで送ってもらった。

 

 ハーマイオニーは起きていた。タッパーの夕食を有り難く平らげ、宿題に勤しみだした。そんな彼女を見習うように、クローディアも裁判の弁論文の下書きを行った。それが終われば、漫画を適当に読み漁り、バスケ部の練習案を作成とひたすら何かをし続けた。

 宿題に一段落着いたハーマイオニーは、すぐに眠りに入った。クローディアも眠ろうとしたが、無理だった。

 静かな寝息を聞きながら、アルバムの写真を整頓する。クリスマスに『N・M』から贈られたコンラッドの写真、夏の休暇前にハグリッドから受け取ったボニフェースの写真を照らし合わせた。

 何もかもが瓜二つだ。違いは、ボニフェースのほうが長身であることぐらい。その違いを考えれば、さして似ていないといえなくもない。

 しかし、親子であることを疑問視する者などいない。

 ならば、クローディアに置き換えてみた。確かに、コンラッドに似たところはない。寧ろ、英国人と日本人の間に生まれたにしては、あまりにも日本人の血が濃すぎる。日本にいた頃、TVに出てくる外国人との混血は、大方は人目で外国の血があるとわかる風貌だ。

 クローディアが育った環境には、他に混血がおらず、比べることもできなかった。

〝コンラッドが子供を作れるわけがないのだ!〟

 思い返したわけではないが、自然と脳裏に言葉が浮かんできた。クローディアの頬が温かい感触に濡れた。視界が歪んでいたので、涙と理解した。

〝あの子には、私と同じ血が流れている〟

 不意に甦ったコンラッドの言葉、それは入学前にドリスを宥めているときの事だ。

(お父さん……。私に言って欲しいさ……。私にそう言って……いますぐ……)

 込み上げてくる感情に答えを出さず、クローディアは2枚の写真を力強く握った。それによって、両親を求める衝動を押さえ込んだ。

 結局、一睡も出来ずに朝を迎えた。

 




閲覧ありがとうございました。
フランケンシュタインって、本当に奥深いです。


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15.追われた鼠

閲覧ありがとうございます。
悩んでも、年は明けて新学期は来ます。


 年明けと共に、ハーマイオニーは宿題を完了させた。

 約束通り、クローディアと弁論文を仕上げた。毎日のようにハグリッドの家を訪れ、何度も裁判の練習を行う。子供2人を相手に、彼は緊張でガチガチに固まり、上擦った声で何度も台詞を噛んだ。

 

 ロジャーやチョウが学校に戻り、クローディアは新学期早々に行われる試合に向けて特訓に参加すると言いだした。しかも、彼女はパドマやリサ、ルーナに裁判の練習に加わるように頼んだのだ。

最初、ハーマイオニーは3人が加わることを反対した。ハグリッドを助けるのは、自分達だけだという自尊心が合った。何処から、聞きつけたかペネロピーやジニー、パーシーまで参加してきた。ハグリッドが協力してくれる生徒が増えたことを喜んだため、渋々納得した。

 特訓と裁判を両立させるだけでなく、時間の隙を見つければバスケ部の勧誘を行う。とにかく、忙しない行動をクローディアは取り続けた。

そんな彼女を見て、ハーマイオニーは不安を覚え出す。

不安が的中したのは、ハグリッドの家で裁判の練習をして時のことだ。

裁判官役のクローディアとマルフォイ役のパーシーに、ハグリッドはタジタジになっていた。ペネロピーとジニーが彼の態度を事細かく注意し、パドマとリサは陪審員役で意見を述べた。ハーマイオニーがルーナと椅子を並べ、彼らを見ていた。

「クローディアは、潰れそうだね」

 耳元で囁かれ、ハーマイオニーはビクッと肩を震わせ、ルーナに振り向く。

「クローディアが潰れるって?」

 訝しげに眉を寄せるハーマイオニーに、ルーナはゆっくりと首を傾げる。

「前にもあったんだ。苦しくて悲しいことに、クローディアは本当に包まれてた。完全に治ってなかったけど、少し治ってたんだ。でも、いまは比べ物にならないよ。立っているのが、やっとなんだ」

 ルーナを不信に思いつつ、ハーマイオニーは適当に頷く。

「じゃあ、クローディアに言えばいいじゃない。そのままじゃ潰れるわよって」

「根本的なことが解決しないから、言えないんだ。トドメになるかもしれないもン。私じゃ、駄目なんだと思う」

 口元を自らの手で覆いルーナは、クローディアを瞬きせずに見つめる。ルーナの言葉を半分も理解できないが、彼女の身に何かが起こっていることは確かだ。

 

 練習を終え、ハグリッドの引率で皆は城へ帰った。夕食目当てに皆が大広間へ向かう中、ハーマイオニーは図書館に本を返却するといって、クローディアを連れ出した。そして、無理やり空き教室に連れ込んだ。

「あなた、何処かおかしいわ」

 困惑したクローディアは、両手を広げ狼狽する。

「ハーマイオニー、どうしたさ? おかしくなんかないさ」

「クィディッチに積極的だし、裁判に他の人も混ぜるし、狂ったようにバスケ部に勧誘するし、変じゃないっていうほうが変!」

 断言してクローディアを睨み付けた後、淋しげに微笑んだ。

「あなたが誰にも言わないと決めたなら、聞かないわ?」

 2人はお互い見つめあい、沈黙を起こした。廊下を行きかう生徒の足音が聞こえる。

 クローディアは自分の髪を撫で、意を決したように深呼吸する。

「用があってルーピン先生の事務所に行ったさ。そこにはスネイプ先生がいて……、よくわからないけど、私のお父さんの話をしてたさ」

 一旦、躊躇ってから、クローディアは続けた。

「……スネイプ先生は、私がお父さんの子じゃないって言ってたさ」

 衝撃の言葉を聞き、ハーマイオニーは慄き両手で口を覆う。クローディアを凝視する栗色の瞳が恐怖で潤み出す。

 苦悶に眉を寄せたクローディアは、ハーマイオニーの肩に弱弱しく手を置く。

「このことを……お父さんに聞く気はないさ。誰にも……聞かないさ。でもさ、もしも……、スネイプ先生の言うことが……本当だったら……、どうしようって……、どうしたらいいんだろうって」

 肩に置いた手が、徐々に震えるのがわかる。

「ゴメンなさい……。ええ、誰だって不安になるわ。私が同じ立場でも……怖いもの。それは、当然のことだわ」

 怯える声でハーマイオニーは、クローディアを抱きしめた。

「ハーマイオニー、聞いてくれてありがとうさ。うん、話すって大事さ」

「こちらこそ、ありがとう」

 ああ、彼女が傍にいてくれて、良かった。

 2人は同じ思いに駆られた。

 

☈☈☈

「殴ったことは謝るさ。ゴメンなさい」

 いきなり、クローディアは頭を下げてくる。流石に驚きを隠せず、フレッドとジョージは目を丸くした。彼女の態度もそうだが、わざわざ男子のお手洗いに張り込み、双子が出てくるのを待ち構えていた。それを驚くなというほうが無理だ。

「じゃ、そういうことさ」

 まるで挨拶のような軽さでクローディアは、廊下を歩いていってしまった。

 フレッドは頭を掻き、ジョージは頬を掻いた。

「ジョージ、日本人はいちいち過ぎたことを掘り返してまで謝罪するものなのかい?」

「全くだ。俺らはもう気にしていないというのに」

 棒読みする双子は、お互いの顔を見やった。

 

☈☈☈

 廊下を過ぎ、階段を降りると、レイブンクロー寮の入り口のドアノッカーがある。周囲に誰もいないことを確認し、クローディアは腹から息を吐き出した。双子への謝罪で緊張していた糸がようやく緩んだ。

「真面目に謝るのって、いつ振りさ」

 自分がしたいことを成した達成感で、クローディアは少し気が楽になった。ドアノッカーに近寄ろうとしたが、肩を掴まれた。振り返ると赤毛の双子が1人だけいた。

「……、ジョージ?」

「正解……」

 困り顔の笑みでジョージは、階段に腰掛ける。

「こっちの話がまだだ。勝手に帰るな」

「あ……そうでしょうさ。聞くさ」

 如何なる罵倒も覚悟し、クローディアはジョージと向き合う。彼は咳払いしてから、胸を張って背筋を伸ばす。

「俺、ジュリアと付き合ってる」

「……へえ?」

 これまでの話と一変している。唐突な告白をされ、クローディアは目が点だ。反応に構わず、ジョージは続ける。

「クリスマスのとき、家に呼んだ。ジュリアと色んな話をした。君に、殴られたことも話した。そしたら、ジュリアから怒られた」

「ジュリアが? 私じゃなくて、あんたをさ?」

 意外だ。ジュリアはジョージの味方だと思っていた。

「俺が……俺達が喜ばせようとしていることが、本当に誰かを悲しませることもあるんだぞって。君がそこまで怒ったのは、我慢ならない程、悲しませたからだって。俺達の精進が足りないともな」

 意外な人物からの弁護に、クローディアは反応に困る。

 これまで、ジュリアに一度も手紙を出したことなどない。それなのに、クローディアは彼女にそれだけ理解されている。

 ジュリアは、聡明だ。それは人として優れているに他ならない。

 急に、己の存在が小さく思えた。ジュリアは目の前ではなく、もっと遠い先のことを重んじている。

「それと、ジュリアから伝言。『魔法薬学』の貸しは、これで返した。だと」

「貸し?」

 記憶を辿るが、クローディアがジュリアに貸しを作った件が思いつかない。

「覚えてないさ」

 正直に吐くクローディアに、ジョージはイタズラっぽく笑う。

「あいつ、意外と記憶力いいんだ。人から、受けた恩に関してはな。この辺でいうのも、なんだけど……。俺達、君に何したんだ?」

 クローディアは、もう一度周囲に人がいないことを確認した。ジョージに『忍びの地図』の件を耳打ちした。ブラックがハリーの名付け親であることは、伏せた。ただ、ブラックが両親を死に追いやったきっかけだと知ってしまったことをそれとなく伝えた。

 緊迫した表情でジョージは、唾を飲み込んだ。

「通りでハリーが、アレの感想をくれないと思ったぜ。……じゃ、改めて……。ゴメンな」

 真剣なジョージの謝罪に対し、クローディアは真摯な態度で頷き返した。

「それで、クローディア。あの地図のこと、誰にも言うなよ?」

 ジョージは念を押した。クローディアとしては、悩みどころであった。またあの地図を使い、ハリーは城を抜け出すかもしれない。

「殴った貸しあるよな」

 普段の笑みでジョージは、更に念を押した。その手で来るとは思わず、クローディアは悔しそうに唇を尖らせる。

「うう、卑怯さ。わかったさ」

 安心したジョージは、わざとらしく息を吐いた。

「そろそろ、謎かけを出しても良いでしょうか?」

 ドアノッカーの不機嫌な口調に、クローディアとジョージは心臓が跳ねる程、驚いた。

 

 

 新学期は始まった。土曜の試合に向け、時間は容赦なく過ぎていく。宿題と特訓と裁判、無論すべきことはそれだけではない。故に、時間を一切持て余せない。

 ハグリッドは授業への取り組みが変わり、寒い時期に相応しい『火トカゲ』を教えた。これが予想以上に好評で、クローディアは「その調子だ」と彼にウィンクした。

 木曜日の夕食時、ハグリッドからベッロを返してもらった。いつまでもベッロに甘えるわけには行かないと、彼は気合を入れなおしたのだ。ベッロは家事から解放されたと喜んでいるように、見えた。

 普段より激しい特訓が終わり、着替え終えた選手達は覚束ない足取りで寮を目指した。流石のクローディアも疲労していたが、勝手にベッロが廊下を突き進むのを無視することは出来なかった。チョウに声をかけ、急いでベッロを追いかけた。

 ベッロはある教室に滑り込むように入っていった。『魔法史』の教室だ。時間が時間なだけに誰もいないはずだ。

「ベッロ、そこに誰かいるさ?」

 小声でクローディアは足を忍ばせる。教室から、僅かな灯りと人の気配がした。誰かが補習を受けているかもしれない。

(ベッロを迎えに来ただけだし、堂々と行くさ)

 咳払いしクローディアは、弾みよく扉を開ける。

「ちゃんら~ん♪」

 チョコレートを口にしたハリーがきょとんと、クローディアを見た。傍では、ルーピンが旅行鞄を無理やり閉じようとしていた。ベッロはハリーの足元で、くすりと笑う仕草をした。

 2人の視線を受け、恥ずかしい気持ちを誤魔化す為に咳き込んだ。

「お邪魔して、すみません。ベッロがこちらに来たので……、すぐ帰ります」

 ベッロを呼ぶが、ハリーの足元から離れようとしない。仕方なく、クローディアはハリーに近寄った。

 薄暗い中でも、ハリーの目が泣いたように充血しているとわかる。

「いつも、妙なとことで出くわすね」

 若干、ハリーは迷惑そうにしていた。『ファイアボルト』のことで、クローディアとも距離を置いている状態だったことを思い出す。聞き流して、ベッロを持ち上げようとしたが、何故だがテコでも動こうとしない。

「こら~、ベッロ~っ」

「その子は、ハリーを待っているんだと思うよ」

 ルーピンが優しい口調でベッロを眺める。彼はルーピンに見られることを嫌がっていた。仕方なく、クローディアはハリーの用事が終わるのを待とうとした。

「後で君のところに帰るように言うから、先に帰ってなよ」

 チョコレートを齧り、ハリーは煙たそうにした。

「ハリー、君達は友達だろ? そんな言い方は感心しないな」

 ルーピンに窘められ、ハリーはバツが悪そうに「はい」と答えた。

「クローディア。君の貸してくれた本、とても興味深かったよ。ありがとう」

「はい、ありがとうございます」

 【フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス】。あの本を届けに行った晩のことを思い返しそうになり、クローディアはわざとらしく明るい声で返事する。

「河童の時も思ったけど、君は妖怪や魔物に詳しいのかな?」

「興味があった頃に、いろいろと調べたこともあります。何より、祖父が寝物語で聞かせてくれたんです。3歳の私に『3枚のお札』の話をしたんですよ。怖くて、夜トイレに行けなくなりましたよ」

 『3枚のお札』を知らないハリーとルーピンは、曖昧な反応をした。大まかに、鬼婆に襲われた少年が3枚のお札を使い、難を逃れようとする話だと説明した。

「寝物語で、フランケンシュタインの話なんてするの?」

 ようやくチョコレートを食べ終えたハリーが何気なく聞いてきた。

「それは……、お父さんが翻訳した本を読んだから知ったのさ。ああ、お父さんは翻訳家の仕事をしているさ」

「え? 君のお父さんは、魔法使いでしょう?」

 目を丸くしたハリーに、クローディアは苦笑する。

「魔法使いだからって、魔法界の仕事をするってことないさ。お祖父ちゃんも医者だしさ」

「トトさんって医者だったの?」

 そういえば、ハリーは祖父の職業を知らなかった。

 急にルーピンが腰かけていた旅行鞄が音を立てて、僅かに暴れ出した。

「気にしないで、ただの真似妖怪だ」

 気にしないはずがない。旅行鞄から、更に離れた。

「僕が特訓するから、ここに閉じ込めているんだ」

「真似妖怪を使った……特訓さ?」

 ここに来て、クローディアは初めて寒気に襲われた。自分の恐怖を使う特訓を想像するだけで、嫌だ。以前、ハリーとボガートが相対すれば、吸魂鬼に変身するかもしれないと話していたことを思い返した。クィディッチの試合中、奴らはハリーを襲ってきた。ならば、彼の特訓は吸魂鬼対策だと納得した。

「無理だけはしないで欲しいさ」

「うん、ありがとう」

 普段の親しげな雰囲気で、ハリーは無理やり笑みを作った。

 ルーピンと就寝の挨拶を交わし、クローディアはハリーと寮に向かう。

 静かな廊下は、ひんやりと冷たい空気で不気味だが、もう慣れた気分だ。ベッロの舌を出し入れする音が一定の音調で音楽に聞こえてくる。

「クローディア」

 寮への分かれ道で、ハリーが絞るように声を出した。

「さっきは、冷たくしてゴメンね。おやすみ」

 ハリーは就寝の挨拶をして寮へと帰っていった。

(情けない……)

 ハリーは恐怖を克服しようと頑張っている。自らに失望したクローディアは、腕に痛みを感じた。無意識に爪を立てて、腕を引っ掻いていた。

 

 レイブンクロー対スリザリン戦は、圧倒的な点差でレイブンクローが勝利した。最早、今年度のクィディッチの優勝杯はレイブンクローに決まったのも当然であった。

「油断はいけません。まだ、グリフィンドールが残っていますよ」

 フリットウィックは忠告したが、顔が笑っていたので説得力がない。

 廊下を歩く度、クローディアは対抗心に満ちたオリバーの視線を終始感じるようになった。

 無論、敗北したドラコからは憎悪の視線が送られてきた。スリザリンの女生徒から分かりやすい嫌がらせを受けるようになり、そのせいでチョウが足に怪我をするという事態が起きた。

「軽く捻っただけよ。すぐにマダム・ポンフリーに治してもらえるわ」

 チョウは冷静に振舞ったが、納得できない。即刻、犯人の女生徒を見つけ出し、深く警告しておいた。それから、嫌がらせがピタリと止んだ。

 

 クローディアの活躍は、ハグリッドにも良い影響を与えた。

 裁判の練習中、毅然とした態度でハグリッドはメモを読むようになった。ハーマイオニーがメモなしで読めるように訓練すべきと指摘した。これを彼は快く受けた。

 

 

 ハグリッドが素晴らしいと思う生物達を授業と言う形で教えて欲しい。かつて、クローディアは彼にお願いした。ほとんど、勇気づける為の建て前だった。

 目の前にいる三頭犬を見上げ、前言撤回したかった。一度だけ、目にした経験はあるが、恐すぎる。

「どうだ、すげえだろ! こいつは三頭犬のフラッフィーだ」

 フラッフィーは生徒に届かないように頑丈な首輪と鎖で、太い幹の木に括られていた。

「首がみっつある……」

「……でか……」

 唖然と生徒達はフラッフィーを見上げた。あまりの巨体に恐怖したザカリアスは、その場に倒れ込んだ。

「三頭犬は、警戒心が強くて飼い主以外には決して懐かねえ。3つも首があるから、ひとつを手名付けても他のふたつが襲いかかってくる。だから、大きな屋敷などで番犬として活用されることが多い。撫でてみたい奴いるか?」

 おそるおそるテリーだけが、挙手した。

 

 この騒動とは関係ないが、エロイーズがマダム・ポンフリーの世話になる羽目になった。原因は顔のニキビを魔法で消そうとしたが、顔の皮膚そのものを削る大惨事を招いたからだ。

 スプラウトは勿論、マダム・ポンフリーはエロイーズの行動に激怒した。女子の間でこの事は笑い話にされたが、クローディアは全く笑えない。

「私だって、クローディアみたいに綺麗になりたかったにえ。前に先輩がそうやって顔の気に入らないホクロとかニキビを消しているのを見たことあったにえ」

 マダム・ポンフリーの治療で、傷は癒えた。しかし、相当の激痛を味わったらしく、エロイーズは意気消沈していた。

「それで鼻を失ったら、元も子もないさ」

「うん、二度としないにえ」

 顔に魔法をかける行為には、懲りたらしい。しかし、エロイーズは【週刊魔女】の掲載されている通販項目を熱心に読み耽っていた。それを知ったスプラウトは、彼女に美容に関する魔法・道具を一切禁じた。

「あなた達は成長期です。自然の流れに任せなさい」

 寮監命令にエロイーズは、従うしかなかった。

 

 

 次なる試合に向けて、ロジャーは勢いが増す。

「いいか、向こうは死に物狂いで俺達から得点を奪おうとする。だから、試合開始と同時にスニッチを取る! 決して、奴らに点数を与えない! その為に、次はスニッチをチョウに追い込む作戦で行く!」

 口で言うのは容易いが、実戦は難い。

 グリフィンドールとの試合に備え、濃厚かつ壮絶な特訓をやり遂げた。選手は、談話室へ流れ込むように戻った。誰も部屋に行く気力もなく、適温な暖炉の前に寝転がる。7人が無様に倒れている姿に、通りすがる生徒は驚いていた。

「クローディア!!」

 金切り声を上げたハーマイオニーが乱入してきたが、クローディアに顔をあげる力はない。

 構わずにハーマイオニーは涙を流しながら、クローディアを揺さぶった。

「ハリーと話して! お願い! ベッロとハリーを話させて!」

 しゃくり上げるハーマイオニーに、クローディアの意識は覚醒した。

「ロンのシーツに、スキャバーズの血が、クルックシャンクスの毛が!」

 ロンの寝台のシーツに血とオレンジ色の毛が落ちていた。それを発見したロンは、とうとうスキャバーズがクルックシャンクスに食い殺されたと言い張った。いつかは起こりうる事態を目の当たりにし、ハーマイオニーは咄嗟に否定した。

 故に、ベッロに彼らの部屋を調べてもらいハリーを通じ、クルックシャンクスは無罪であり、スキャバーズは死んでいないと証明したいのだ。

 行動あるのみ。

 クローディアは自室からベッロを虫籠ごと連れ出し、ハーマイオニーと寮を目指そうとした。深刻なペネロピーに呼び止められた。

「私も行くわ。こんな時間だし、監督生の私がいれば、文句は言ってこないわよ」

 心強かった。

 

☈☈☈

 ロン達を談話室に無理やり追い出し、ハリーはクルックシャンクスを抱きしめる。そして、ベッロをただ見つめる。蛇語を話すところを出来るだけ見られないようにするためだ。それにロンが邪魔をしないとも限らない。

 シーツに鼻を押し付け、ベッロは匂いを確かめる。

[これは、ネズミの匂い……。だが、コイツからヤツの匂いがしない。逃げたぞ。ヤツは逃げた!]

 クルックシャンクスの口元を嗅ぎ、激昂したベッロは窓に向かって吼えた。

「つまり、スキャバーズは無事なんだね?」

[探さねば、害にならぬうちに]

 殺意の籠もるベッロの気迫に、ハリーは首を横に振る。

「ダメだ。見つけたら、僕に言うんだ。絶対、殺しちゃダメ!」

 強く命じられ、ベッロは忌々しげに体をくねらせる。

[わかった。しかし、コイツも殺す気はない。なら、誰がヤツを殺すのだ?]

 意外な言葉にハリーは驚いた。

「クルックシャンクスは、スキャバーズを殺す気がない?」

[そうだ。コイツは捕らえるだけだ]

 これにハリーは、少し安心した。もしかして、クルックシャンクスはスキャバーズにじゃれているだけだったかもしれない。

 ベッロとクルックシャンクスを抱え、ハリーは談話室に下りた。

 ロンが飛び掛るように説明を求めてきたので、ハリーはベッロの言葉を正確に伝えた。冷静になれないロンは、食って掛かった。

「ベッロはクルックシャンクスを庇ってんだよ! 狙ってたんだから!!」

 激しい剣幕のロンをハリーは窘めようとしたが、彼はそれを振り払った。

「君がベッロに、そう言えって命令したんだ! ファイアボルトのときもハーマイオニーにマクゴナガルにチクるように言ったんだろ! そうすれば、君のチームに有利になる! そういう計算なんだろ!」

 人差し指を眼前に押し付けられ、流石の彼女も狼狽した。

「君の顔なんか見たくない! 消えろ! レイブンクローの間諜! ハーマイオニーにも近づくな!」

 吐き捨てた言葉と共に、ロンはクローディアを突き飛ばした。彼女は抵抗もせず、絨毯の上に尻餅をついた。

 ペネロピーが軽く悲鳴を上げ、クローディアに駆け寄った。

「ロン、酷いわ! 私達は、ずっと友達よ!」

 ハーマイオニーがロンに噛みつかんばかりの勢いだったが、それより先にパーシーが止めに入った。

「ロン! いい加減にしろ! これ以上は、この話をしたら減点だ! さあ、時間だ。皆、部屋に戻って、ほら!早く!」

 一喝。パーシーに急かされるように各々が無理やり部屋に戻された。ロンもハリー、ネビルに引き摺られるように部屋に連れて行かれた。ハーマイオニーは、クローディアに駆け寄ろうとしたが、パーバティーやケイティに連行された。

「ロンはスキャバーズがいなくなって、気が動転しているんだ。代わりに僕が謝るよ。ごめんね」

 残ったパーシーは、ペネロピーにロンが情緒不安定だと説明した。それにペネロピーは答えず、クローディアを連れてレイブンクロー寮に帰っていった。

 談話室が静かになり、忘れ去られたようなベッロはクルックシャンクスと向き合う。

[ヤツはハリーに引き渡さなければならない。早い者勝ちだ]

 クルックシャンクスは、挑戦的な視線で鼻を鳴らした。

 




閲覧ありがとうございました。
タイトルをネズミにした割に、最後の出番になった。
そういえば、原作のフラッフィー何処行ったんでしょう?


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16.本気の敗北

閲覧ありがとうございます。。
タイトルで内容がバレる危険。


 土曜日は節分の日。クローディア宛に日本から大量の豆が送られた。

(鬼を祓うからってさ……、この量はないさ)

 この豆を吸魂鬼に当てればどうなるか、想像に難い。

 必勝祈願も込めて、クローディアは豆を選手全員に配る。

「うわあ、お豆なんて久しぶり♪」

 チョウが喜んで、年の数だけ頬張った。

 バーナードはフォークで豆を刺そうと必死だったので、ロジャーが素手で彼の口に放り込んでいた。テリーは豆の味がお気に召さず、牛乳と一緒に飲んでいた。

(ファイアボルトが相手さ)

 昨日、裁判の練習中にハーマイオニーが教えてくれた。ハリーは彼女に仲直りを求めてきたが、ロンは猛烈に反対した。

 ハリーの仲裁でロンは条件を付けた。クローディアとの縁を切るように要求してきたらしい。

〝私、ロンと口利かないわ。ロンが謝らないなら、ずっとね〟

 ベッロはスキャバーズを殺したい程、危険だと教えた。それは承知している。だからといって、ロンの鼠を大切に想う気持ちを蔑ろにし過ぎた。だが、どんなに説得しても、彼はベッロの意見を取り入れなかっただろう。

(どうしたもんさ……)

 豆を奥歯で砕きながら、クローディアは深く溜息をつく。豆を食べてから、コンラッドの特製弁当に手をつけた。カツ丼の上に海苔がふりかけられ、【打倒、ハリー=ポッター】という文字を綴っていた。ここまで来ると呪いだ。

 しかし、今日でレイブンクローの試合は終了する。こうして、父親の弁当を食べるのも最後だ。感慨深くなり、じっくりと味わって食した。

 大広間にハリーが大勢の生徒に護衛されながら現れると、皆も注目の的であった。それもそのはず、最高峰の箒が彼の手にあるのだ。一介の生徒が持つには、高級すぎる箒だ。

「マジかよ。あれは、本物の『ファイアボルト』?」

 エディーが食い入るように、ハリーの箒を見つめる。ザヴィアーは衝撃のあまり豆を口から溢した。セドリック達は、ハリーに祝福と声援を送った。スリザリンの選手は『ファイアボルト』の登場に吃驚仰天していた。

「先に更衣室に行って、作戦会議だ」

 興奮したロジャーが瞳を輝かせて、選手達を立たせた。

「おっしゃ、行くぜ!」

「打倒! 『ファイアボルト』!」

 バーナードとテリーが気合いを入れ、最後まで呆けていたザヴィアーの肩を叩く。エディーはさっさと廊下に走り出していた。

「行きましょう」

「ちょっと、お手洗い行くさ」

 チョウに断り、クローディアは別方向を目指す。

「頑張ってね」

 ハーマイオニーの声援が今だけ、クローディアには心苦しかった。

 勿論、お手洗いには行かず、バスケ部の部室と化した教室に足を運んだ。ここに来ると、精神集中が出来る。しかし、本日の試合は、あまりにも気が重い。寮の皆の期待に応え、負けたくない。でも、必死に吸魂鬼対策を練っていたハリーや傷心のロンを思えば、勝ちたくない。

 矛盾した想いがクローディアの内側で暴れ出した。神聖な試合に自分のような中途半端な考えを持つ選手は、不相応すぎる。それが段々、この学校そのものに相応しくない生徒ではないかと飛躍してしまった。

 そもそも、自分はバスケが好きではなかっただろうか?

 ハリーやロジャーのようにクィディッチに思い入れがあっただろうか?

 苦悩していく内に、身体がその場に蹲った。

「クローディア」

 降り注いだのは、優しい声だ。

「ジョージ」

 振り返れば、彼は慰めるようにクローディアに微笑んでいた。そんな笑みを向けられ、ごちゃごちゃになっていた悩みが馬鹿馬鹿しく思えた。

 クローディアはジョージに安心させられたと自覚する。傍にいるだけで、こんな気持ちにさせられる。不思議な男だと、自然に笑う。

「どうしたさ?」

 クローディアの頭上に顎を乗せたジョージが、口元を厭らしく曲げて口を開く。

「いいこと教えてあげようか? 君が選手に引き入れられた理由だよ」

 囁くようなジョージの声は、何処か無邪気な悪魔を連想させた。

「バーベッジ先生が、ディビーズと賭けをしたんだ。君が選手になれば、20点、寮に点数を与える。更に優勝すれば、50点。そういう、おいしい話なわけよ」

 絶句した。

 頭上の重みがなくなり、クローディアは目を見開いて彼を見た。この上なく、愉快げなジョージは舞台で踊る道化師のように溌剌としている。

「君の腕が欲しかったわけじゃない。点が欲しかっただけだよ。じゃあ、俺はオリバーと最後の打ち合わせがあるから、今日はお手柔らかに」

 指先を動かし手を振り、ジョージはクローディアに背を向けて行く。彼が去った扉を見つめ、誰もいない部室を見渡す。

 唇が震えて呟いた。

「許せない……」

 

☈☈☈

 ハリーが食事する中、ロンは『ファイアボルト』を見張る。はずだったが、パーシーに邪魔された。パーシーはハリーを選手に預け、ロンを寮席の隅に座らせる。厳格な態度で兄は弟に詰め寄った。

「この試合が終わったら、グレンジャーやクロックフォードと仲直りするんだ」

「クローディアは、敵チームの選手だ! それにハーマイオニーは、スキャバーズが死んだことを謝らない!」

 反論するロンにパーシーの目つきは、更にキツくなる。

「おまえは自分のことしか、考えていない。恥じるべきだ!」

「パースは、スキャバーズのことが悲しくないんだ」

 席を立とうとするロンをパーシーは引き止める。

「ペットを大事に想うなら、どうして、ハグリッドを助けない! ハグリッドがヒッポグリフの裁判の準備をしているのに、おまえは手伝おうともしないだろ!」

 クリスマス休暇の時、ロンはハグリッドに約束した。今日まで、綺麗さっぱり忘れていた。青ざめたロンは、焦燥で全身の血が騒ぎ出す。体内外の温度差に眩暈がした。

「おまえがハリーを応援し、スキャバーズを大切に思うことは兄として誇りに思う。だが、その思いやりを他に分ける余裕が、おまえにはあったはずだ」

 心の余裕。

 言われてみれば、ハリーの多忙さに比べれば、ロンは忙しくなどなかった。『ファイアボルト』やスキャバーズのことは心配していたが、時間的も有り余っていた。

「どうして、ハグリッドの裁判のこと、知っているの?」

 呻いたロンにパーシーは、不甲斐ない弟を見る目で返した。

「ペニーに誘われたからだ。グレンジャーとクロックフォードがハグリッドを手伝っているから、一緒にどうかとね」

「パースもハグリッドを手伝っているの?」

 勝手に口走った質問をパーシーは肯定した。

「よくわからないが、スキャバーズは何処かに逃げただけなんだろう? あいつは、もう歳だ。もしかしたら、最後ぐらいは仲間の鼠と過ごしに行ったかもしれない」

 若干、パーシーは淋しそうに告げる。それで、ロンはようやく彼もそれなりにスキャバーズの身を案じていると気付いた。

 

☈☈☈

 更衣室の黒板に、ロジャーが最終作戦を書き終えた。途端に、物々しい気配を隠そうともしないクローディアが入ってきた。纏う気配とは反対に、更衣室の扉が静かに開かれた。不気味さが一層、増している。

 重く静かな足取りでクローディアは、両手を広げて腹に力を入れて叫んだ。

「勝ちに行くぞ!」

 覇気の籠もった一声。

 驚きに言葉を失った全員に構わず、クローディアは物々しさを消さずに拳を上げる。

「全ての賞杯をレイブンクローが取ろう!」

 猛々しいクローディアは、闘いに赴く戦士そのものだ。彼女の口から、勝利を獲るという発想はこれまでなかった。言われるがままに選手をやっている節があった。それが確固たる意志で勝利を望んだ。

「よしっ! 獲ろう!」

 ロジャーは勢いに乗った。思わず、チョウが拍手する。つられて他の選手も拍手した。

 作戦会議の中、チョウが『銀の矢64』を使うことになった。『ファイアボルト』には劣るが、チョウの『コメット260号』よりは芯が強く、耐久力がある。普段より、速度が出せる。

 時間が迫り、皆はユニフォームに着替え始めた。クローディアは、グローブをはめる前に髪をダンゴの形に纏め上げた。その隣で同じく髪を纏めるチョウが自らの緊張を和らげるために、声をかけてきた。

「どうしたの? 今日のあなたは、とっても素敵よ」

「バーベッジ先生の話を聞いた」

 それにチョウの背筋が粟立つ。チョウも賭けの事は知っていた。そして、クローディアは試合による賭博を嫌う。

「それを教えた相手をどうしても、叩き潰したい」

 グローブを念入りに縛るクローディアは、静かに確かな怒りを持って答えた。

「自分のために」

 凛とした横顔には、勇ましさも含まれている。きっと、これが彼女の本気だとチョウは直感した。何処までも、頼もしく逞しい。

 着替え終えた選手に、ロジャーはキャプテンとして告げる。

「勝とう!」

 

☈☈☈

 入場すると観戦席から、拍手が起こる。マダム・フーチが立つ中央に並び、クローディアは不思議に冷静であった。

 快晴の空の下、声援よりも自らの心音が耳につく。

 試合前の瞑想を行う。バスケットボールがゴールに吸い込まれるように入っていく。瞑想から瞼を開くと、グリフィンドールの選手が並んでいた。目の前のケイティも緊張し、手が震えているのがわかる。

 何故か、ハリーはチョウに見惚れるように頬を赤くしていた。

「ウッド、ディビーズ、握手して」

 マダム・フーチの指示で、オリバーとロジャーはキャプテンの握手を交わす。勝利を狙う両キャプテンから火花が散る。

 ブラッジャーが放たれ、試合は始まった。

 最速でハリーが高い位置に上昇した。ハリーと距離を保ち、クローディアは即座に、スニッチ、クワッフル、ブラッジャーを視認した。それぞれの位置を自分達の合図でチョウとロジャー、ザヴィアー、テリーに伝達する。

 合図を受け取ったチョウは、ハリーに付きまとうような動きを見せながら、スニッチを追いかける。ザヴィアーはアンジェリーナを狙うフリをし、ケイティに向けてブラッジャーを打ち込んだ。ブラッジャーはケイティに命中し、彼女から跳ね返ったブラッジャーが、クワッフルを持っていたアリシアに命中した。アリシアは思わずクワッフルを落とし、それをクローディアが受け取り、ゴール目掛けて投げた。しかし、オリバーが頭突きで阻止した。オリバーの頭から、跳ねたクワッフルをロジャーが受け取り、ゴールを決めた。

〈今回の目玉は、何といってもグリフィンドールのハリー=ポッターが乗るところの『ファイアボルト』……ちょ、何す、マイク返して〉

 実況席では、試合解説のリーが『ファイアボルト』の説明をしだした。しかし、マクゴナガルを押しのけてまで乗りこんできたクララ達がリーからマイクを奪おうとした。

〈真面目にやんなさいよ!〉

〈わかった! ちゃんと解説するって〉

 焦ったリーは、真面目な実況を約束した。満足げにクララ達は、実況席から離れて行った。

〈またまたレイブンクローのリード! 50対0〉

 チョウがスニッチを手にしようとした瞬間、フレッドがブラッジャーを放ったため、彼女はスニッチを見失った。しかし、クローディアの視界にはスニッチが見える。すぐにスニッチの位置をチョウに合図で報せようとしたが、ジョージがブラッジャーを叩きつけようした。

 難なくブラッジャーを避けたが、ジョージは体当たりするようにクローディアの真横を横切っていった。

(向こうも必死だ)

 胸中で呟き、クローディアはフレッドが叩きつけてきたブラッジャーを拳で弾いて返した。そのまま、ブラッジャーはハリーの背に強打した。

〈またレイブンクローのリード! 80対0。ハリー!! 『ファイアボルト』に乗っているんだぞ! 気合いを見せろ!〉

 試合は激しい攻防が続き、最初の作戦である『スニッチ追いこみ』がなかなか実現できない。そうなれば、『点差ひらき』で時間を稼ぐしかない。テリーに合図し、クローディアはケイティの持つクワッフルを奪うために速度を上げた。

「やめろ! 箒が危ない!」

 不意に聞こえたのは、聞き違いでなければジョージだ。クローディアは思わず振り返ろうとしたが、その前に轟音が手元から発せられた。

 

 ―――バキイ。

 

 箒の柄が折れた。細かい柄の破片が散らばってしまう。

 箒の飛行力を失い、クローディアは甲高い誰かの悲鳴を聞きながら、地面に落下した。しかし、冷静に受身の体勢で芝生の上に転がった。高度が低めであったことが幸いした。一呼吸おき、自分の状況を確認する。

 ものの見事に、箒は真っ二つに折れていた。クローディアが求める速度に、箒が耐え切れなかった。

 頭上では、試合が続き、リーの実況が全てを教える。

「またまたゴール! グリフィンドールのリード!70対80」

 クローディアは、折れた箒の箇所を見つめた。ただ、じっと見つめた。

「グリフィンドールのリード! 100対80!」

 このままでは、勝てない。

 それが脳内を支配したとき、クローディアはグローブを縛った紐を解き、折れた箇所を補強した。縛りが弱いので、髪を纏めた紐を更に結んだ。箒は、安定は悪いが形になった。迷わずそれに跨った。地面を蹴るが、空に上がれない。

「やめなさい、クロックフォード! もうそれはもう飛べません!」

 マダム・フーチが制しようとする。

「アイツ、おかしくなったんじゃない?」

 スリザリンから、指差しで嘲笑する生徒がいた。

 クローディアは、誰にいうわけでもなく叫んだ。

「折れたから、飛べないことなどない!」

 祖父は箒がなくとも、空を飛べると話した。いずれは、クローディアもそうさせる。ならば、今こそそうなるのだ。

 空に飛び立つ感覚を呼び覚まし、クローディアは力の限り地面を蹴った。

 瞬間、身体は箒と共に天高く跳ね上がった。浮遊感と視界を確かめた。競技場内を見渡せる高度。

〈なんということでしょう! クロックフォード選手! 折れた箒で復帰しました!〉

 驚愕に震えたリーが、慄いて叫んだ。

「クローディア、危険だ! 下がってろ」

 不安げにロジャーが引くように勧めたが、クローディアは拳を差し出した。

「勝つと言った」

 溢れ出る衰えない闘志。ロジャーは唇を噛み、一瞬だけ瞼を閉じた。

「チョウを援護してくれ」

 それだけ告げ、ロジャーはクワッフルを持つアンジェリーナに突進した。

「あ!」

 突如、チョウが観客席を指差し叫んだ。そこには3人の黒い頭巾の影が立っていた。

 それを目にしたハリーは、迷いなく杖を取り出し叫んだ。

「エクスペクト・パトローナム(守護霊よ来たれ)!」

 銀色よりも美しい白銀の光が、ハリーの杖から放たれた。白銀の光は、優雅で雄雄しい鹿の形をしていた。白銀の鹿が3人の黒い頭巾を覆っていく。何故だが、黒い頭巾は観客席に倒れこんだ。

「グリフィンドールの勝利!!」

 マダム・フーチのホイッスルで、クローディアは我に返った。

 ハリーが歓声を上げた仲間達に抱きしめられ、称賛されている。スニッチは彼が取ってしまったのだと理解した。

 友を祝福する気持ちは湧かない。クローディアの胸中にあるのは、完全なる敗北感のみ。

 

 着替えた後もクローディアは、更衣室で呆然としていた。そして、悔しさが込み上げ涙が頬を伝い落ちていくのを肌で感じた。

 そこで、自分が泣いていることに気づき、嗚咽が止まらなくなった。

 敗けた。

 勝ちたかった試合で、敗けた。

 これまで負けを経験したことはある。しかし、それは勝ち負けを気にしない試合ばかりだった。本気で勝ちを望んだ試合は全て勝ってきた。それにおいて、負けたことなどないと自負している。

 手で顔を覆い、クローディアは泣き続けた。チョウが必死に励まそうと背中を擦り、試合後のことを話して聞かせた。

「吸魂鬼ね、マルフォイ達が変装しただけのイタズラだったの。マクゴガナル先生もカンカンで、50点も減点したのよ。『コメット260号』のことは気にしないで、型も古くて嫌だったの」

 クローディアは、ひたすら頷き返した。

 寮に帰った7人は、試合の奮闘を褒め称えられた。チョウは、『ファイアボルト』相手によく接戦したとマリエッタやミムに励まされた。

「折れた箒で飛ぶなんてすごいじゃない」

 同級生達が無謀ながらも、立派だと褒めた。

「箒は関係ないよ。だって、見せ掛けだったもン」

 ルーナの真面目な言い分に、目が腫れたクローディアも思わず、笑った。

 ペネロピーは慰めているはずが、パーシーとの賭けに負けたと悔しがっていた。

 

☈☈☈

 更衣室を覗いた時、クローディアは泣いていた。

 その姿が酷く弱弱しくて、ハーマイオニーはとても声をかけられなかった。げっそりとしたロジャーに話しかけられた。

「いまは、そっとして置いてやってくれ。君はハリー=ポッターのところに行くといい」

 ハリーが勝った。

 それなのに、ハーマイオニーはとても理不尽な気持ちに襲われた。年明けから、クローディアは誰よりも努力したに違いないと思う。父親に抱いた疑問、クィディッチの特訓、裁判の練習と彼女は戦った。

 その結果が今日のような敗北を与えるなど、不憫である。

 グリフィンドールの勝利を心から、祝えなかった。

 談話室はまるで優勝を祝うようにお祭り騒ぎだった。喧騒を余所に『マグル学』の宿題である一冊分の読書に取りかかる。これを月曜までに読まねばならない。今週の宿題は、これで終わるのだ。

「ハーマイオニーもこっち来いよ」

 真っ赤に顔を染めたロンは、ハーマイオニーを見ないようにしていた。その手のハエ型ヌガーを必死に差し出している。

 これは、一緒に祝宴へ参加しろと誘っている様子だ。だが、ロンはクローディアを怒ったままだ。ハーマイオニーはハエ型ヌガーを無視しようとした。

「明日……、クローディアに謝りに行こうと思ってる……。だから、今日は一緒に食べようよ」

 我が耳を疑ったハーマイオニーは、思わず本を落とした。ロンは顔を背けていたが、視線は合う。その目が『ごめんね』と語っている。

 何に変えても、嬉しい。感極まったハーマイオニーは、ロンの首に手を回して抱きついた。驚いたロンは、表情を強張らせながら彼女の髪を撫でる。

「ごめんなさい、ロン。スキャバーズのこと、本当にごめんなさい」

 胸に痞えていた想いをハーマイオニーは、口にした。それで、彼女の心が晴れた気分になる。

 ハリーが表情を綻ばせて2人を眺めた。

 今日の勝利よりも、友達の和解がハリーを喜ばせた。

 

☈☈☈

 翌日、十分に睡眠を取ったクローディアは快適に目覚めることが出来た。裁判の練習があるため、ハグリットの家に向かおうと支度する。突然、ペネロピーが寮生徒全員、談話室に集合するように呼びかけた。

 昨晩の深夜。グリフィンドール寮にブラックが現れたという報せだった。何故だが、ロンがハリーと間違えて襲われかけたらしい。 

 大広間には、昨日の試合の勝利が嘘のように意気消沈したグリフィンドール生がいた。徹夜明けの寝不足を訴え、無気力に朝食にありついていた。

 駆け込む勢いでクローディアは、大広間に突入した。真っ先に、ロンの元へと駆け寄った。クローディアは緊迫した自身を抑えることなく、詰め寄った。

「何処を怪我したさ! 何があったさ! どうしてそうなったさ!」

 ロンの両肩を激しく揺らし、クローディアはまくし立てて問い詰めた。

「落ち着いてクローディア、誰も怪我なんてしてないわ」

「そうだよ。ね? ほら、ロンがビックリしてるよ」

 ハーマイオニーとハリーに宥められ、クローディアはロンから手を離し深呼吸した。 吃驚したロンは、躊躇うようにそれでもしっかりと、クローディアと向き合った。

「心配かけて、ごめん。僕は、この通り。大丈夫だ。それに、スキャバーズのことでクローディアを責めたのは、間違いだった。いまでも、スキャバーズが危険だなんて、僕は思わないぜ。けど、クルックシャンクスが殺してないって言葉を信じようともしなかった」

「ありがとうさ、ロン。私もスキャバーズをただ悪者にして……酷いこと言ったさ。ごめんさ。本当に、無事で良かったさ」

 感謝の意味を込めてクローディアがロンを抱きしめる。ロンは身体を強張らせても、逆らわなかった。

「あの……それで、昨日。箒から落ちて、大丈夫だった?」

「見ての通りさ。私は、平気さ」

 クローディアがロンに抱きついた姿を見て、ロジャーが騒ごうとした。ペネロピーがロジャーに事情を説明し、彼は羨ましそうな視線をロンに向けていた。

 

 ハグリッドの家では、ペネロピーが裁判官役、ルーナとパドマが陪審員の役、リサがマルフォイの役で裁判の練習をする。ハーマイオニー達は、昨日の騒ぎで貫徹だ。それ故に今、グリフィンドール塔で眠っている。

 ハグリットは、頭に詰め込んだ文章を淀みなく言えるようになっていた。

(……でも、何故? ロンの寝台に現れたさ? 間違えたというには……)

 世界にいくつもある魔法学校の中から、ホグワーツにハリーが在学し、そして4つある寮からグリフィンドールに配されたことを見事に当てた男にしては、今回は間抜けすぎる。

「クローディア、次はあなたがマルフォイ役をなさってください」

 リサに声をかけられ、クローディアは違和感を頭の隅に寄せた。

 いまは、裁判のことだけに集中しなければならない。

 

 2度目のブラック侵入の報せは、瞬く間に学校中に広まった。城中の到るところにブラックの手配写真が貼られた。仕事を全うしなかった『カドガン卿』はクビになり、『太った婦人』が復帰した。その代わり、『太った婦人』はトロールの警備隊に守られることになった。

 日が暮れてから生徒が学校を出ることが許されなくなり、ハグリッドの家に行けるのは、朝か昼のみ。しかも、ハグリッドも授業を請け負っているため、滅多に時間が取れない。裁判は金曜に迫っている。クローディアは練習を続けたかった。折角、ハリーとロンも参加することになったのだ。

「ロンが襲われたことで、わかったろう? ブラックは本当に見境ねえんだ。駄目だ」

 ハグリッドは皆の安全を優先し、家を訪れることさえも拒んだ。

 一方、目撃者のロンは注目の的となった。しかも、ロンはこれを喜んでいる。現場の出来事を質問攻めにされ、意気揚々と説明するロンの姿が目立つ。

 逆に、ネビルは哀れなほどに落ち込んでいた。彼が合言葉を書いた用紙を落とし、それをブラックが拾い、寮に侵入した。面目丸つぶれどころの話ではない。

 朝食を摂りにクローディアが大広間に向かおうとすると、血相を変えたネビルが飛び出してきた。途端にネビルの懐にあった赤い封筒……『吼えメール』が爆発した。

《なんたる恥さらし!! 一族の恥!!》

 甲高く喧しい声が廊下に響き、生徒に悪戯を仕掛けようとしたピーブズも逃げ出した。

「ネビル、大丈夫さ?」

 声をかけてきたクローディアに、ネビルはげっそりとした表情で項垂れた。

「僕はもう駄目だ……。僕のせいでロンが危ない目になった。……もう、情けないよ。なんで、メモがなくなったんだろう」

 最後の部分にクローディアは、強いひっかかりを覚えた。

「いま、ネビルが気付いた時にはメモがなくなったと言ったさ?」

「うん、部屋の机に置いてたと思ったけど、なかったんだ。それで、教室かと思って探しにも行ったけど、結局、見つからなかったんだ」

 部屋に置いたのを最後に、それから見なくなった。メモは、ブラックの手に落ちていた。

(誰かが、部屋から持ち出したさ?)

 そんな推理にクローディアは、妙な納得を感じた。

「ネビル、ロンは見ての通り無事さ。それどころか、ブラックに襲われて楽しそうさ。気に病むことは……」

「負け犬に慰められて満足か? ロングボトム!」

 わざとらしく嘲笑うドラコに、パンジーが口元を押さえて肩を揺らす。それに合わせてクラップ、ゴイルも堅苦しく大声で笑った。

「マルフォイ、ブラックがあんたの家に行かなくて残念だったさ!」

 ブラックの名に、嘲笑さえも凍りついた。

 

 生徒がブラックに怯えても、授業は通常通りに行われる。

 『魔法史』の授業中、クローディアはこの教室でハリーとルーピンが特訓していたことを思い出した。その成果が、クィディッチの試合で披露された銀色に輝く雄雄しい鹿の魔法だと推測できる。ただの灯りの魔法とは段違いだ。半透明ビンズが教科書を読み上げる場所で、ハリーは強大な魔法を学んでいた。

(余裕がある時にも、教えてもらうさ)

 『魔法薬学』の授業は、スネイプの言いがかりから始まった。

「ミス・クロックフォード。我がスリザリンの寮生をシリウス=ブラックの名で脅して遊んでいるそうだな。賢明さがレイブンクロー寮の特色であろうに、なんとも幼稚だな。レイブンクロー10点減点。ミス・クロックフォード、罰則だ。『ポリジュース薬』についてのレポートを羊皮紙3巻き、金曜までに提出したまえ、簡単であろう。君ならばな」

 敵意に睨まれ、クローディアは2年生の頃にハーマイオニー達と調合していたことを思い出した。

(もしかして、バレてるさ?)

 全身に冷や汗が流れたまま、授業が終わるのをひたすら待った。

 

 重い授業が終わり、廊下を歩くクローディアをクレメンスが大はしゃぎで呼びとめた。

「聞いてくれ、セドリックが次の試合に僕を出すって! アルフォンスが授業の補習で、練習に出られなくなったんだ! それで、ビーターに欠員が出来て、僕が代理なんだよ! 君のお陰だ、クロックフォード! ありがとう!」

「お、おめでとうさ」

 クローディアは何もしていない。代理でも、クレメンスが選ばれたのは実力があるからだ。バスケ部でも、彼はボールを恐れずに立ち向かうようになっていた。セドリックもそこを見込んだのだろう。

 歓喜に打ち震えたクレメンスは、クローディアの腕をしっかり掴んで何度も揺さぶった。

 

 夕食を済ませたクローディアは、ペネロピーに頼み図書館の『閲覧禁止の棚』から『最も強力な薬』を貸し出してもらった。早速、自室で宿題にとりかかったクローディアに、パドマは不意に気づく。

「最近のスネイプ先生、クローディアを呼び出したりしないのね」

「そうですわ。以前は、地下教室への呼び出しが主でしたわ。いまは、こうしてレポートを増やすだけですわ」

 指摘されたクローディアは気付く。新学期になってから、スネイプは彼女を呼び出さない。不意に掠めたのは、休暇中の出来事だ。否、盗み聞きしていたことは気付かれていないはずだ。

「ブラックのことがあるからさ。罰則の帰りに襲われたなんてことになったら、ただじゃ済まないさ」

 気の毒そうに、パドマは考え込む。

「前に新聞で読んだけど、魔法省が『吸魂鬼の接吻』を許可したそうよ。どういうものか先生に聞いてみたわ。とても恐ろしくて刑罰なんてものじゃないって。最初はブラックが可哀想って思ったけど、生徒を襲うなら当然の報いかもしれないわね」

 『吸魂鬼の接吻』は、対象者の記憶・感情を喰らい尽くす行為だ。喰らい尽くされた対象者は、『自己』を失い、やがて『吸魂鬼』と同じ存在になる。

 俗に言う『死の接吻』という対象者を殺す誓いが、生易しく思えてしまう。

 虫籠に入っていたベッロが突然、顔を出し扉の方向を見つめる。それと同時に扉が叩かれ、マンディが上機嫌に現れた。

「談話室の掲示板に、ホグズミードの外出について書いてたわ。今週の土曜日ですってよ」

 吉報にパドマ、リサは表情を輝かせ両手を挙げて喜んだ。しかし、クローディアは前日の金曜日が裁判であるため、とても楽しめる気分になれない。

 不意に嫌な予感がした。

(まさか、ポッター。また抜け出すつもりさ?)

 翌日にでも、クローディアはハリーを問いただすことにした。

「クローディア! ハリーったらねえ! ロンまで、それとこれとは別だって!」

 早朝。クローディアが熟睡する布団の上に、ハーマイオニーが飛び込んできた。ハリーの脱走計画は確定であった。

 『忍びの地図』をハリーから取り上げるべく、クローディアは彼らを探し回った。しかし、行動を予期したハリーとロンは、彼女から逃げ回った。多少事情のわかるフレッド、ジョージに2人の捕獲を依頼しようとしたが、双子も何処かに逃走した。

 クローディアは、ベッロにハリーを強く見張りを命じた。聞き入れたベッロは、授業、寮、大広間、お手洗い、ハリーの行くところ何処にでも着いて回った。

 

 『魔法生物飼育学』の授業が終わり、クローディア達はハグリッドに声援を贈った。

「頑張ってね、ハグリッド!」

「マルフォイに負けちゃ駄目よ」

「ヒッポグリフの授業、楽しみにしてるぜ!」

 生徒達が味方であることに感激したハグリッドは、必死で涙を堪えた。

 城に戻ろうとしたクローディアをハグリッドが呼び止める。裁判の件かと思い、皆を先に帰した。

「ハーマイオニーから聞いたが、ホグズミードに行かんつもりだそうだな?」

「気分が乗らないだけさ。それに、私は休暇中に行ったさ」

 しかし、ハグリッドは否定の舌を鳴らした。

「おまえさんは、気を張りすぎちょる。俺は、皆が協力してくれたお陰で勝てる自信がついた。良い報せを必ず送る。だから、ハーマイオニーと楽しんで来い。約束だぞ」

 クローディアと目線を合わせるため、ハグリッドは身を屈んでくる。その眼差しは、真剣であった。そこまで言われて、断れない。

「わかったさ。ハグリッドもロンドン、楽しんでくるさ」

「勿論だ」

 安心したようにハグリッドは、クローディアの肩に手を置く。僅かに震えた彼の手が、緊張を伝えてくる。やはり、若干ではあるが、ハグリッドは裁判に緊張していた。

 そんな中で、彼女達のことを気にかけてくれたことが、申し訳なく思いつつ、嬉しかった。

 




閲覧ありがとうございました。
ネビルのメモ消失・フラグ回収完了。
大事にしていたネズミを殺せなんて言われたら、普通キレますね。


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17.暴かれる

閲覧ありがとうございます。
ゆっくりな展開で、すみません。暴かれるのは、別の事柄です。


 寒気が治まらない土曜日。

 午前中の『ホグズミード村』は、視界が霞む程の猛吹雪に襲われた。そんな状態にも関わらず、生徒達は、吹雪に負けぬ活気で貴重な外出時間を堪能する。

 『ハニーデュークス』で十分な御土産を手にした。クローディアはハーマイオニーと城に戻ることにした。

「量は持てても、手持ちが問題さ。お小遣いがスッカラカンさ」

「この鞄に入っちゃうから、つい買いすぎちゃうわね」

 ハーマイオニーが鞄を撫でる。

 店を出た2人に、入れ違いのドラコがわざと肩をぶつけてようとした。その前に、クローディアは彼の肩を手で受け止める。

「負け犬が僕に触れるな」

 悪態付くドラコをクローディアは聞き流す。一瞥もせず、さっさと歩きだす。

 それを無視と受け取ったドラコは、忌々しく舌打ちする。後から続く取り巻きに聞かせるように、彼は腹の底から叫んだ。

「どうせ、レイブンクローは今年も寮対抗杯の優勝を逃したんだ。レイブンクローが寮対抗杯を得たのは、クィレルをアズカバンにぶち込んだ時だけだもんな」

 耳に入った言葉にクローディアの首の後ろが熱い。自然と足がとまり、ドラコを振り返る。

「気に障ったか? 本当のことだろう! おまえ達は、アズカバンに囚人を入れた手柄で寮対抗杯を勝ち取ったんだぞ!」

 嘲笑ったドラコは、彼女達を指差した。

 笑い声など、クローディアには聞こえない。信じたくない情報が脳内で繰り返された。

『クィレルは、アズカバン』

 喉の奥が痙攣する。痙攣ではなく、嗚咽だ。吐き気を認識し、クローディアは口元を手袋越しの手で覆う。

「でたらめを言わないで!」

 憤怒の形相でハーマイオニーが怒鳴る。言葉を失くしたクローディアは、城に向けて一直線に走り出した。慌ててハーマイオニーもそれを追う。

 ドラコは何か言いかけたが、その前に雪玉が放り投げられた。一か所からではなく、四方だ。

「マルフォイ! 雪合戦はいかが?」

「こっちこもだ!」

 フレッドとジョージ、リー、ロジャーやクララ、マリエッタ達がドラコ達に向けて雪玉を投げて付けていた。多勢に無勢と彼らは、散りじりに逃げた。

 

(嘘だ!)

 身体は走る。ただ、走る。

(クィレル先生がアズカバンのはずがない!)

 荒い呼吸と共に、心拍も速くなる。だが、息苦しさはない。もっと早く、足は進められる。

 城門の吸魂鬼を抜け、玄関ホールに着く。廊下の左右から、下級生達が騒いでいる。天井を見上げれば、幽霊が優雅に漂い笑いあう。

 向かうのは、職員室だ。誰かを捕まえて問いただすしかない。思えば、クィレルが何処にいるか聞いていない。

 問うたことはない。一度もない。

 問うべきではないと、考えていた。勝手に考えていた。必要なことは、向こうから話してくれる。話すべきときに話してくれる。

 本当のことを答えるだろうか?

 誰も本当に知らなかったら、どうする?

 真実だったら、どうする?

 脳髄から囁く疑問の声がクローディアの足を止める。足が止まれば、身体の痙攣を感じる。痙攣に耐えられず、柱にもたれた。肩で息をしても、激しい動悸が煩い。

「クローディア、どうしたの?」

 ネビルが心配そうに声をかけてくる。

「顔色、悪いよ。医務室に行こうか?」

「具合が……悪いんじゃないさ」

 絞り出した声は、震えている。これでは、説得力がない。

「いた!」

 疲労困憊のハーマイオニーに発見し、安堵の息を吐く。ネビルは怒られる予感でもしたらしく、柱の陰に隠れた。

「心配したわ」

「うん、ごめんさ」

「2人とも、大丈夫?」

 おそるおそるネビルが2人を心配する。走り疲れたハーマイオニーは、手振りで返す。

「クローディア、ハーマイオニー、ネビル」

 穏やかな声に振り返れば、ルーピンだ。

「ルーピン先生、僕、吸血鬼のレポートでわからないことがあります」

 絶好の機会とネビルは、ルーピンに質問した。呼吸を整えたハーマイオニーも閃いた表情で、鞄を漁る。

「ルーピン先生、吸血鬼のレポートを提出します」

「ああ、受け取るよ。ハーマイオニー」

 ハーマイオニーが鞄からレポートを取り出した。まさにその瞬間、玄関から血相を変えたマルフォイが走り去った。

 その勢いでハーマイオニーのレポートが何枚か宙を舞う。冷静にルーピンがレポートを回収した。

「吃驚した……。あれって、マルフォイだよね?」

 ネビルが瞬きを繰り返す。

 今は、ドラコを話題にしたくないクローディアは、頑なに口を閉じた。代わりにハーマイオニーが悪態をつく。

「幽霊でも見たんじゃない?」

 思わず、クローディアは噴き出す。幽霊達もドラコの行動が気になり、首を傾げている。

「おもしろい冗談だね。冴えているよハーマイオニー」

 微笑むルーピンに、ハーマイオニーは誇らしげに照れた。気分を良くした彼女は鞄からいくつかお菓子箱を取り出し、ルーピンに差し出した。

「ルーピン先生、『ハニーデュークス』の新作です。どうぞ」

「ありがとう、ハーマイオニー」

 遠慮なく、ルーピンはお菓子箱を受け取った。ネビルが物欲しそうに眺めてきたので、ハーマイオニーは彼にも分け与えた。

「ありがとう!ねえ、ハーマイオニー。僕の吸血鬼のレポート、見てくれる?」

 堂々とルーピンの前で、ネビルは宿題を手伝えと言ってのけた。この鈍感じみた勇敢さに時々、呆れを通り越して感動すら覚える。

「ええ、いいわ。クローディアもレポートするでしょう?」

 ハーマイオニーの視線が「今は、クィレルのことを忘れろ」と語る。無論、クローディアは真実を知る勇気がない。

 そして、知ってしまった場合、どうすればよいのかもわからない。

 クローディアが小さく頷き、ハーマイオニーは安心した。

「2人には、今日中に出させますので、お待ちください」

「頼もしいね、ハーマイオニー」

 愉快そうにルーピンは微笑んだ。

 

 図書室の席を確保したクローディアは、さっさと吸血鬼のレポートを仕上げる。はずだが、頭を過るのは、やはりクィレルのことばかりだ。間の悪いことに、このレポートが彼を思い出せる。よく吸血鬼について、授業していたものだ。

 ハーマイオニーは、丁寧にネビルのレポートを見ている。彼は、ニンニクの使い方に細かく疑問を何度もぶつけた。

「本当はね、ハリーとやるはずだったんだけど。寮に行ったきり、戻ってこないんだ」

 半開きの窓からフクロウが突入し、ハーマイオニーの眼前を横切った。羽ばたきと共に、レポートの上に封筒が置かれる。2人はハグリットからだと直感した。吃驚するネビルを余所に、急いで封を切る。文字が殴り書きされた羊皮紙が入っていた。

【クローディア、ハーマイオニーへ

 俺達の勝ちだ。バックビークが危険じゃないと認められた。

 ロンドンも楽しめた。おめえさんたちのお陰だ。感謝しても、し足りねえ。

 本当にありがとう  ハグリッドより】

 激震が走り、クローディアとハーマイオニーはお互いを見つめ合う。そして、図書館にいることも忘れて力の限り嬌声を上げ、喜びを分かち合った。必死にネビルが2人を宥めたが、無駄だ。

 ネビル共々、マダム・ピンスに図書館を追い出された。

「なんで、僕まで……」

 落ち込むネビルを見ても、2人の興奮は冷めない。

「皆に報せて祝うさ!」

「ええ、そうよ。とっても、おめでたいわ!」

「一体、何の話なの?」

 困惑したネビルに、ハーマイオニーは手紙を見せつけた。彼は瞬きし、じっくり手紙を読み返す。そして、気付いた。

「ハグリッドが勝ったんだね。じゃあ、マルフォイは負けたんだ」

「その通りさ! ネビル、皆に教えるさ。ほら、走ってさ!」

 クローディアに言われるがまま、ネビルは走る。一度、曲がり角を曲がってから、戻ってきた。

「何処に行けばいいの?」

「談話室よ!」

 ハーマイオニーに言われ、納得したネビルは再び走り出した。

「私達は、大広間に行きましょう!」

 廊下で2人は手を取り、ひたすら円を描いて廻る。回転によって、少し気分が悪くなったが気にならない。回転する力は弱めながら、彼女達は廊下を進む。腹から笑い声を上げ、足元がふらつく。

 ミセス・ノリスが迷惑そうに逃げ去った。

 大広間の傍まで来ると、ハリーとロンがとぼとぼと歩いてくるのが見えた。2人とも、絶望した表情で落ち込んでいる。

 ハリーは彼女達の姿を目にし、怯えたように肩をビクッと揺らした。

 構わず、クローディアはハリーとロンに飛びついた。

「ポッター、ロン! ハグリッドが勝訴したさ! バックビークは無罪放免さ!」

 一瞬、理解するまでにハリーとロンは黙り込んだ。情報が脳髄まで行き渡り、2人は我が事のように手放しで喜んだ。

「すごいよ、ハグリッド! わあ、嬉しいな!」

「遂にやったんだ! すげえ!」

 感動を分かち合う為、ハリーとロンはお互いの手を叩き合う。

「マルフォイも、ざまあないわね。ところで、ハリー? ネビルが探してたわよ」

 笑顔のままハーマイオニーは強い口調で、ハリーを睨む。

「そうだね。僕もネビルとレポートをすべきだった。実は、……その……。マルフォイが、ホグズミードで妙なモノを見たらしいんだ。僕の生首が宙に浮く姿を……」

 一気に場の空気が凍る。

「それで、さっきスネイプ……先生に呼び出されて、どういうことかって……。スネイプ先生は、僕のポケットに入っていた羊皮紙に興味を抱いて、魔法で羊皮紙の正体を暴こうとしたんだ。でも、羊皮紙はスネイプ先生を馬鹿にした言葉だけ返したよ。その後、ルーピン先生とロンが『ゾンゴ』の玩具だって言って助けてくれた。羊皮紙は、ルーピン先生に没収されたよ」

「ルーピン先生は、すごく僕らに失望してた。本当、僕らは馬鹿なことした」

 しゅんっとロンは項垂れる。心から反省し、2度と過ちを犯さないと誓う意思を感じ取れた。

 眉を痙攣させたハーマイオニーは、腕組みをする。

「あなた達にも、困ったものだわ。でも、マルフォイったら……。本当に、あいつはどうしようもないわね」

 怒りに震えるハーマイオニーの姿に怯えたロンは、そそくさとクローディアの後に隠れる。

「何? マルフォイと何かあったの?」

「いや、別に……」

 クローディアははぐらかそうとしたが、耳ざとく聞き取ったハーマイオニーがロンを凄む。

「マルフォイったら、クィレル先生がアズカバンにいるなんて、でたらめを言ったのよ。クローディアが傷つくだろうと思って!」

 クローディアの胸の奥が重く沈む。そんな感触がする。

「クィレル先生がアズカバンって、それは酷いね」

 ハリーは、ドラコに純粋な怒りを持って答える。

「マルフォイは、クィディッチの試合で僕を驚かせようとしたけど、駄目だった。腹いせでクローディアに八つ当たりしたんだ」

「全く、言っていい嘘と悪い嘘があるわ」

 頬を膨らませたハーマイオニーに、ハリーは同意した。しかし、ロンだけ顔色を青くして黙り込んでいる。

「クローディアは、クィレルから手紙が来たんだよね?」

 おそるおそるロンは、確認してきた。

「バレンタインの時だけだけど、来たさ」

「それなら、クィレルはアズカバンにはいないよ。あそこは、囚人宛に手紙を送れない規則がある。クィレルが手紙を受け取って、返事を出したなら、そういうことだよ」

 ロンの声は上ずり、手は震えている。何故だが、焦りがみえる。

「マルフォイの言うことなんて、信じちゃ駄目だ。さあ、皆にハグリッドのことを教えに行こう」

「そうだね、パーシーも喜ぶぞ!」

 ロンはハリーと肩を組み、大広間に入って行った。

「行きましょう」

 ハーマイオニーの背を見つめ、クローディアは納得し切れない部分を考え込む。ドラコは話を誇張する癖はあるが、根拠のない嘘はつかない。必ず、事実を元にした虚実を生み出す。それがドラコの陰湿かつ狡猾な部分だ。

 全速力で駆けてきたネビルが肩で息をし、クローディアを呼びとめる。

「吸、吸血、鬼のレポート……、一緒に出しに行こう」

「おお」

 ハグリッドのことで有頂天になり、すっかり忘れていた。

 

 夕食の大広間は、ハグリッドを欠いたまま軽く勝訴祝いが行われた。

 フレッド、ジョージが軽く改造した『唸る花火』が星空の見える天井に『ハグリッド勝訴』の文字を書き込んだ。その文字に、ドラコは悔しそうに睨んでいた。

「見て、マルフォイの顔」

「お家の力が及ばなかったのでしょうね」

 パドマとリサが、ドラコを尻目に嘲笑する。

「クローディア、これ食べると熟睡できるから夢遊病も安心だよ」

 コーヒープリンを勧めるルーナに、クローディアは遠慮する。残念そうに彼女はコーヒープリンを向かいに座るシーサーに押し付けた。彼が嫌そうな顔をしたので、ベッロがコーヒープリンを一飲みする。

 今度は、クリームを大量に盛り込んだケーキを勧めてきた。二度も断れず、クローディアはルーナからケーキを受け取る。

「ねえ、ジョージ=ウィーズリーから何か言ってきた?」

 ケーキを頬張り、クローディアは首を横に振る。

「いいや、どうしてさ?」

「クローディアが箒から落ちたとき、すごく心配してたもン。でも、オリバー=ウッドが敵のことは放っておけって怒鳴って、放ってたんだもン。少しだけ、辛そうだったもン」

 試合を回想すれば、『コメット260号』が折れる直前に、ジョージは確かに危険を報せてきた。

 当の本人は、マクゴガナルから『唸る花火』を取り上げられていた。

「試合中は、誰が倒れても続行するのが決まりさ。それに勝ったのは、向こうだし、忘れてるさ」

「クローディアは泣いたから、もう大丈夫だもンね」

 ルーナは、紙の皿で作った冠をクローディアの頭に乗せる。

「勝ちに酔ってるときは、忘れるよ。ナーグルの常套手段だもン。でも、酔いから覚めたら、忘れてたことも思い出すよ」 

 忘れていたことで思いついたのは、試合前のジョージの態度だ。仲間割れを狙う言い草で、クローディアを責め立てた。脳裏に甦った感情で、胸中に沸々と怒りが湧く。

「ちょっと、話してくるさ」

 不機嫌に席を立ち、クローディアはジョージに迫ろうとした。しかし、双子はクローディアが席を立つより先に大広間を出た。追いかけて、廊下に出る。

「ミス・クロックフォード。バスケ部の今後の活動のことでお話がある」

 真剣な口調でバーベッジに声をかけられた。

 

 バーベッジが報せた内容に、クローディアは大いに不満である。ブラックの襲撃により、平日の部活動が禁止されたのだ。休日の昼間のみだ。しかも、顧問のバーベッジが見張りとして必ずつかなければならない。だが、彼女にも生徒のレポート、授業の下準備があるため毎週同じ時間に開ける余裕はない。

 寝台に寝転がり、ため息をつく。

「聞いて下さい。フリットウィック先生ったら、『楽団部』の活動を控えるんですって」

 半泣き状態でリサが扉を開き、寝台に飛び込んだ。

 何処の部も同じ目に合っている。

「クィディッチは、どうするさ? 週末の練習だけじゃ間に合わないさ」

「それでしたら、先生が2人つくそうですわ。マダム・フーチと寮監」

 枕に顔を埋めたままリサが、投げやりに答えた。

「ああもう、どれもこれもシリウス=ブラックが悪いさ! 部活の計画表は何処さ」

 写真立ての傍に、置いていた計画表を取りだす。乱暴に引っ張ったせいで、写真立てが倒れた。その衝撃で、1枚のカードがひらりと宙を舞ってしまう。クィレルからのバレンタインカードだ。クローディアは慌てて拾おうとしたが、カードは手をすり抜けてリサの上に落ちる。

「なんですの?」

 カードを目にし、リサは目を丸くする。

「それは……」

「へえ、スネイプ先生も粋なことをなさいますわ」

 感激したリサの言葉は、クローディアには意味不明だ。

「それはスネイプ先生じゃないさ」

「いいえ、これはスネイプ先生の字ですわ。おそらく、利き手とは逆で書いたのだと思います。だから、字が歪んでおられるの」

 脳内が真っ白になる。

 嬉しそうに、リサはカードを返してくる。反射的にクローディアはカードを受け取った。

 カードに書かれた文字を読み返すが、クローディアにはこれを彼の筆跡だと判断出来ない。

 もしも、本当にリサの言葉通りならば、クィレルは一度も返事を寄こさなかったことになる。それはアズカバンの牢獄にいると証明している。

(違う!)

 浮かぶ答えを否定し、クローディアはカードを握りしめる。リサに適当な言い訳をし、飛び出した。

 

 走らずに、ただ歩く。

 今度はスネイプの研究室だ。きっと、様々なことで機嫌が悪い。だが、今のクローディアには心底、どうでもいい。避けてきた真実を聞かねばならない。

 研究室の扉を叩き、クローディアは返事も待たずに押し入った。

 紅茶を飲もうとするドラコがいた。スネイプは菓子を差し出していた。2人は乱入者に驚き、一瞬、目を丸くした。しかし、相手がクローディアとわかり、スネイプは溜息をつく。

「入室を許可していない……」

「お話があります!」

 スネイプの言葉を遮り、クローディアは怒鳴り声に近い口調で言い放つ。

「ミスタ・マルフォイ。行きたまえ。これは、持って行くがよい」

「ありがとうございます」

 スネイプはいくつかの菓子をドラコに握らせた。嬉しそうにドラコは、クローディアに自慢しようとした。しかし、彼女から放たれる迫力に恐れをなす。関わりになるまいと、彼は研究室を去る。丁寧に扉を閉めて行った。

 クローディアは、勢いをつけてバレンタインカードを机に叩きつけた。反動で、カップが揺れる。気にせず、スネイプを凄む。

 全く臆せず、黒真珠の瞳はクローディアを見返す。

「マルフォイくんが御親切に、クィレル先生はアズカバンにいると教えてくれました」

 僅かにスネイプの眉が痙攣する。

「そして、友人がこのカードの筆跡はスネイプ先生のモノだと鑑定してくれました。何故、こんなことをしたんですか? それに! どうして、私がクィレル先生に手紙を出していることを知っていたんですか? クィレル先生は、本当にアズカバンなのですか!? あそこは手紙を受け取れないはずです!」

「くだらん」

 一蹴したスネイプは、カードを手に取る。

「アズカバンにいる囚人に手紙が届けられんというのは、方便だ。受け取る意思があるならば、囚人は手紙を受け取れる。だが、貴様の手紙は最初の一通から、校長に送り返されていた。クィリナスが手紙を拒み、校長に処分を頼んだからだ! 何故だが、わかるか? 監獄所は外界から隔離され、吸魂鬼により活力を奪われる。手紙などというものは、囚人に活気を呼び起こし、更なる吸魂鬼の犠牲となるのだ! 貴様が自分勝手に行ったことは、クィリナスを苦しめていた!」

 受け入れたくない事実を耳にし、クローディアの焦燥が強くなる。これ以上、何も聞きたくない。しかし、両手は硬直して動かない。

「何故、我輩がこんなくだらん真似をしたか? 校長がやろうとしたからだ。校長の手を煩わせるわけにいかず、不本意ながら我輩が書くしかなかった。認めよう、我輩はこんなくだらんことをすべきではなかった」

 カードがスネイプの手の中で、くしゃりと音を立てる。

「あ……」

 縋るようにクローディアは、スネイプの手からカードを取ろうとした。しかし、無情にも紙くずとなったカードは、暖炉へ放り投げられる。彼女が手を伸ばしたが、間に合わなかった。

 これまでクィレルからの返事と信じていたモノが燃えて行く。

「あ……、あ……」

 クローディアの中で、積み重ねてきた我慢や辛抱も消える。堪えてきた感情が全身を走り、制御が効かない。混濁とした感情に脳髄が付いていけず、自然と口を閉じる。

「何も知らずにおれば良かったものを……まあ良い。これも持って帰りたまえ」

 クローディアの足元に乱暴な音で木箱が落ちてきた。両手に収まる大きさの粗雑な木箱。落ちた拍子に箱の蓋が外れて中が見えた。中には、封筒が敷き詰められている。その封筒には、見覚えがある。当然だ。これは全て、彼女が出したものだ。

 咄嗟に、箱の中の封筒をぶちまけた。手紙の封は、どれも切れていない。

「それと、その中に入っていない分は、不本意ながら我輩が読ませて頂いた。あまりにも、稚拙すぎて読むのを飽きたがね」

 授業中に出来の悪い生徒を教える口調でスネイプは、せせら笑う。

 クローディアの全身が痙攣し始める。混ざり合った感情がひとつ、ひとつ、バラバラになり、身体を走り回る。激昂、悲哀、失望、絶望が自らを主張する。それを受け入れ、目を見開く。小刻みに震える両手は、ゆっくりと我が身を抱きしめる。

「嘘吐き……」

 痙攣するクローディアの唇が紡ぐ。不快げにスネイプは眉を寄せるが、彼女は気にしない。

 気にかける余裕などない。

「あなたはクィレル先生を見捨てた。お父さんは……あなたは誰も見捨てないと言っていたのに! あなたは、お父さんに嘘をつかせた!」

 悲痛な響きは、スネイプの表情を怒りへと変えた。

「貴様の父親が、だと……。……揃いも揃って、気色が悪い! 我輩がどんな人間か勝手に決め付けるな! あんな裏切り者に我輩の何がわかるというのだ!」

 胸に湧き起こる怒りを以てクローディアは、スネイプを睨んだ。

「私を憎むのは、構わない! けど、お父さんを裏切り者呼ばわりするな! あなたはお父さんの親友はずだ! どうして、そこまで親友を憎める! 私は何があってもハーマイオニーを恨んだりしない! どんなに長い歳月、連絡が取れなくても!」

「例え、知らぬ異国で家庭を築いていたとしてもか? しかも、誰にも知らせず黙って姿を消されてもか?」

 幽鬼の如く、冷淡な声に寒気を感じる。

 そうだ。目の前の教授は、クローディアとコンラッドは親子ではないと確信を持っている。臆してはならない。決して、スネイプは正しくないのだ。

「お父さんは、私にも同じ血が流れていると言った!!」

 絶対の宣言が齎したのは、憤怒を超える否定。

「ありえん……。その肉体にコンラッドの血があるなど、断じて認めん! 奴は……女を愛せない男だった! どんな女に迫られても、奴は見向きもしなかった。奴には、子種がなかった!女を愛したところで、子供が作れぬ身体だったのだ!」

 耳にしたくない闇色の声は、拒絶するには脳裏に焼きつきすぎた。

「あ、あ、ああ、あああ、ああああ!」

 耳を塞いでも意味はなく、それでも耳を塞いでクローディアは絶叫する。苦悩と拒絶と失望を吐き出すため、ただ叫んだ。

 叫びながら、クローディアはスネイプを突き飛ばした。彼は押された箇所が悪かったため、そのまま床に倒れこんだ。

 勢いでクローディアは、スネイプに馬乗りになる。無意識に彼女は、相手の首に手をかけた。

「取り消して、取り消して、取り消してええええ!」

 怯むことなくスネイプは、口を開く。

「我輩が取り消したところで、真実は変わらん! 大方、貴様の祖父がコンラッドに『愛の妙薬』か『魅惑の呪文』を仕掛けたのだろう? 父親のいない貴様への贈り物としてな! そうでもなければ、ヤツが我輩を裏切るものか!」

「取り消せぇぇぇ!!!!」

 教室に絶叫が反響した。クローディアの痙攣は激しくなり、その振動でスネイプの首にかけられた手に力が籠もらない。

「ならば、コンラッドがいかに貴様の母を愛したか、我輩に証明してみせろ!」

 黒真珠の瞳が、赤茶色の瞳と重なった。

 

 思考が急速に何処かへと引き込まれていく。視界にある教室の風景が消える。代わりにこれまでの出来事が多数のTV画面となって並んだ。

 

 ――――それは、五歳。

 ――――母の泣き声に私は目を覚ました。隣で寝ていたはずの母は、庭で父に抱きしめられていた。父は母の髪を優しく撫でて、「大丈夫だよ」と慰めていた。

 ――――それは、××。

 ――――××が川原に蹲っている。××の葬儀に、父が私に××と言った。

 ――――それは、七歳。

 ――――学校で田沢と喧嘩した私を母が宥めている。それを父が遠巻きに見ている。父は私に「喧嘩しても仲良くしたいなら、それは友達だ」と諭した。父を父らしいと思ったのは、これが初めてだった。

 ――――それは、十二歳。

 ――――空港に向かうため、私は車に荷物を積んでいた。居間を覗くと、父と母が口付けていた。祖父がまだ早いと私の目を両手で隠した。

 ――――スピナーズ・エンドの札が着いた路地を父と歩いた。

 ――――それは、十五歳。

 ――――酔っぱらった父がスネイプ先生のことを「大切な親友」と語っている。

 

(もう、やめて!)

 拒絶して叫ぶとTV画面は、消えて行った。

 

 意識を覚醒させたクローディアは、周囲を認識する。地下教室の天井、床から起き上がろうとするスネイプ、散らばった封筒を視認した。

 ようやく、クローディアは仰向けに倒れていると自覚した。

「いまのは……?」

 強制的な回想。夢のように曖昧ではなく、実際の記憶を辿らされていた。覚えていることもあったが、完全に忘れ去っていたことも含まれている。

「記憶を視たんですか? 私の……?」

 スネイプは何も答えず、封筒を木箱に集め直している。

 追求せずにクローディアは起きあがる。勝手に記憶を掘り返されたというのに、不思議と怒りが湧かない。それどころか、先程のまでの感情さえも空虚なまでに消え去っている。

「ミス・クロックフォード」

 呼ばれ、スネイプを睨むわけでもなく見上げる。彼が木箱を突き出していたので、彼女は黙って受け取る。見た目よりも軽いはずの木箱が今のクローディアには、鉛のように重い。

 スネイプの杖が振るわれ、扉が開く。退室を命じていると察し、クローディアは会釈もせずに研究室を出ていった。

 

☈☈☈

 杖を振るい、スネイプは扉を閉める。何気なく、暖炉を視界に入れた。脳裏を掠めるのは、手紙の返事についてダンブルドアと口論した時だ。囚人が外界に手紙を出すなぞ、前例にない。

〝前例がないなら、今から作ればよいだけの話じゃ。わしがアズカバンに赴き、クィリナスに事情を説明しよう。少々、彼には酷じゃろうがな〟

〝なれば、我輩が書きます!〟

 ただの衝動だ。誰の為でもない。偽物だとしれても、恨まれる覚悟ぐらいはしていた。しかし、コンラッドの名を出されたことは誤算だった。感情に任せて『開心術』を使ってしまった。

 先程の言葉ではないが、偽の手紙は用意すべきではなかったと後悔した。

 燻った火に、もう紙切れの姿はない。

 

☈☈☈

 木箱を抱きしめたクローディアは、バスケ部の部室にいた。ここにいると、随分と気持ちが安らかになる。

 床に寝ころび、研究室でのやりとりを冷静に纏める。

 クィレルは本当にアズカバンだ。手紙はひとつも読まれていなかった。それどころか、手紙を送る行為そのものが、吸魂鬼からの拷問に拍車をかけていた。何も知らず、クローディアは手紙を出し続け、偽の返事を出させるはめになった。

(ごめんなさい)

 スネイプはクローディアを憎んでいる。彼に憎まれるのは、コンラッドとの諍いか何かが原因と勘違いしていた。親友を奪った女の娘だから、恨んでいたのだ。親友を裏切り者と呼んだのは、決して本意ではない。

(ごめんなさい)

 コンラッドは確かにクローディアの父親だ。あの回想の記憶にいるコンラッドは、父親の顔をしている。娘が悲しめば父として慰め、時には激励し、応援もした。ずっと、放任主義だと思い込んでいた。理由はわからないが、父から離れていたのは自分だ。

(ごめんなさい)

 クローディアは涙を流さない分、木箱を抱きしめる。

「よく、そんなところで眠れるな」

 覗きこんできた双子の片割れが感心して、クローディアを眺めてくる。返事する気力もなく、腕で顔を隠す。

「クローディア、消灯時間はとっくに過ぎてるぞ。フィルチに見つかっても知らねえからな」

「あんたは、ジョージさ?」

 ジョージは、にんまりと笑う。

「ハグリッドが勝ったっていうのに、浮かない顔してどうした?」

 クローディアの隣に寝転がり、ジョージは天井を見やる。横目で彼を見つめ、思いつく。ハーマイオニーとハリー、リサはクィレルの件を知らない。なら、ドラコの情報源は、おそらく父親だ。マルフォイは魔法省にコネがある。つまり、魔法省勤めのアーサーも知っているはずだ。動揺したロンの態度に納得した。

 ロンはクローディアに知られまいと嘘をついたか、励まそうとしたのだ。

「ジョージ、私さ。……クィレル先生のことを聞いたさ」

 ジョージの肩がビクッと痙攣する。

「皆が私に黙っていたのは、気を遣ってくれていたんだと思うさ。何も知らない方が幸せってこともあるさ」

 ブラックがハリーの両親を裏切った。その真実から、周囲はハリーを守ろうとした。彼は必ず両親の仇を討とうとする。その命を賭しても、成そうとするだろう。

「わかっているさ、でもさ……。どうして、教えてくれなかったのって、考えてしまうさ。私、おかしいと思うさ?」

「おかしくない」

 ジョージは片腕に身を預け、クローディアと視線を絡ませる。一切の笑みはなく、軽蔑もない。それなのに、優しく慰められている気分になる。

「どうして、クィレル先生はアズカバンに行っちゃったさ?」

「わからない。ただ、自分の意思で行ったんだと思うな。ダンブルドアの考えじゃない。ジニーを罪に問わなかった人だから、俺はそう思うよ」

 かつて、ダンブルドアはクィレルの処遇について意見を求めた。あの時、然るべき病院に入れて欲しいと願い出れば良かったかもしれない。だが、ハグリッドは短い期間でもアズカバンに収容され、無事に学校へ帰って来た。

 クィレルも思うところがあって、アズカバンを望んだかもしれない。

 全てはただの憶測だ。

「話を聞いてくれて、ありがとうさ」

 クローディアの視線は、天井に向けられる。

「もう少ししたら、部屋に帰るさ」

「付き合うよ。勝手にな」

 仰向けになったジョージの視線も天井を見る。

「何しているんだい?」

 いきなり、ルーピンが部室に入って来た時は本当に吃驚した。

「こんな時間にいちゃいけないよ。寮まで送ろう。今回だけだからね」

 本来なら、寮監に突き出されて罰則と減点モノだ。ルーピンに感謝しつつ、ジョージは渋々、起きあがる。次いで、クローディアの手を引いて起こした。彼の手の感触に逞しさを覚える。以前もこの手を羨ましがったことがある。

 いつだったかは忘れた。

「ルーピン先生が巡回ですか?」

「いいや、私は探し物をしていたんだよ。生徒から没収したはずの代物なんだけど、事務所の何処にも見当たらなくてね」

 ルーピンとジョージの他愛ない会話を聞き、クローディアは非常に嫌な予感がした。そういう予感は当たりやすいので、無視を決め込んだ。

 

☈☈☈

 強い力で頬を引っ叩かれた。感触からして、鱗だ。

 朦朧とした意識でハリーは、眼鏡を探す。月明かりだけで室内を確認すれば、ベッロが古い羊皮紙を銜えている。驚いて目を見開く。それはルーピンに没収されたはずだ。

「まさか、盗んできたの?」

[必要だろう? それに、これでネズミが城にいるとわかるはずだ。もっと早く思い付けばよかった]

 素晴らしい思い付きだとハリーも納得した。ルーピンへの罪悪感はあるが、スキャバーズの為だと言い訳した。

 杖を取りだし、先端を羊皮紙に軽く触れさせる。

「――我、ここに誓う。我、よからぬことを企む者なり――」

 無地の羊皮紙に線が広がり、それは繋がり地図の形を取った。しかも、ただの地図ではない。足跡のような点には、それぞれ名前が表示されている。まるでスパイ映画に出てくる発信機を彷彿させる。

 廊下を歩くフィルチ、教室を浮遊するピーブズ、玄関ホールにいるミセス・ノリス。何故だが、ルーピンとジョージ、クローディアが廊下を歩いている。

 視界に入り込んだ名に、我が目を疑う。

 死んだはずのピーター=ペティグリューの名が大広間を徘徊しているのだ。

「どうして?」

 彼は、小指だけ残して死んだ。ブラックに殺された。

[ほら、見ろ。ネズミは生きているぞ]

 意気揚々とベッロの尾がペティグリューを指した。その行動が理解できず、ハリーは絶句する。

「え? 何を言っているの? これは殺されたはずのピーター=ペティグリューでしょ?」

[そうだとも。あのネズミは、コイツだ]

 ベッロの言葉を理解するまで、ハリーは一瞬の時間を要した。彼の反応から察したベッロは、首を傾げる。いびきを掻くロンを振り返り、ベッロは溜息をつく。

[ハリー、まさか。鼠が人間の化けた姿だと気付かなかったのか? 知らずに、あいつと一緒に寝させていたのか?]

 脳髄の奥に電撃が走ったハリーは、思わず杖を落とした。

 ほとんど衝動で、眠っているロンを叩き起こす。眠りを妨げられた彼は、狼狽するハリーの説明を鼻で笑い返した。

「ピーター=ペティグリューが『動物もどき』でスキャバーズだった? おいおい、ハリー。エイプリルフールには、まだ早いって」

 侮辱されたと感じたベッロが、尾でロンの頭を叩く。

「嘘じゃないって、ベッロがスキャバーズはペティグリューだって言うんだ。だから、危険だと僕らに教えていたんだ。だって、普通の人は変身したままペットになったりしないだろ? ペティグリューは小指を残して死んだじゃなく、小指を切って生き延びたんだ。スキャバーズに小指はなかっただろう? それに鼠にしては、長生きしすぎだって」

「スキャバーズは、僕らがちゃんと世話したから長生きなんだ。それに元々パーシーのだ。指だって、仲間の鼠に苛められたに違いないよ」

 ぶっきらぼうにロンは、ハリーから顔を逸らす。緊張が解けないハリーは、震える手を握りしめる。

「ロン。ベッロは、危険がわかるんだよ。ヴォルデモートや蛇の王バジリスクも、ベッロには敵なんだ。だって、ベッロの味方は僕らなんだから! そのベッロがスキャバーズを危険だという理由は、他に何があると思う?」

 事の重大さを理解したロンは、真っ青になる。大切にしていたスキャバーズが自分達の敵かもしれないなど、受け入れがたい真実だ。

「でも……そうだ! そのペティグリューを捕まえよう! そいつが本当にスキャバーズの姿をしていたら、信じる」

 ロンにしては、最大の譲歩だ。

 ハリーは再度、ベッロにスキャバーズを連行するように強く頼んだ。

 

 レポートの手伝いと称し、ハリーはクローディアとハーマイオニーを図書館に連れ込んだ。その時、彼らは、まだ吸血鬼のレポートが終わらせていないと気付いた。本当にレポートを見てもらいながら、ハリーはスキャバーズのことを包み隠さず話した。

「「ペティグリューが『動物もどき』?」」

 案の定、彼女らは怪訝した。 

「ハリー、あなたちゃんと『動物もどき』のレポートをやったの? 『動物もどき』は魔法省に変身の特徴を登録する義務があるのよ。私、登録簿を調べたわ。勿論、マクゴナガル先生は登録されていたわ。けど、ペティグリューの名前はない。今世紀の『動物もどき』は7人しかいないはずよ」

 胸を張るハーマイオニーと違い、クローディアは深刻に受け止めている。

「法の抜け道があるのかもしれないさ。例えば、登録を怠った『動物もどき』さ」

「そんな、ホグワーツの生徒が魔法省の登録を……怠る……」

 ハーマイオニーは、口を噤んだ。その態度に、彼らは思いだした。『動物もどき』ではないが、クローディアも影に変身が可能なのだ。

「最近、変身してないけどさ。ペティグリュー探しに夜を闊歩してみるさ」

「でも、最後に変身したのは一昨年のクリスマスよ。危険じゃないかしら?」

 1年分の空きがあるにも関わらず、クローディアは自信に溢れている。

「今の私なら、平気だって確信がするさ」

「ならいいけど、毎晩は駄目よ。お勉強があるんだから」

 ハーマイオニーは心配そうだが、自信満々のクローディアに賛成した。

「そうだ。これ、クローディアが持っててよ。僕が持っているところをルーピン先生に見られると不味いんだ」

 周囲を警戒し、ハリーは懐から羊皮紙を取りだす。一瞬、ハーマイオニーの視線が厳しくなる。しかし、緊急事態と自分を諌めた。興味深そうにクローディアは羊皮紙を眺めて、慎重に触れる。

「一応、使い方を教えておくね」

 レポートの余った紙にハリーは、『忍びの地図』の使い方を書き込んだ。

「なんで、クローディアに預けるんだ?」

「ルーピン先生に僕らの部屋を探されたら、厄介だろ? ハーマイオニーは、耐えられずにマクゴナガル先生に提出しちゃうかもしれない。クローディアはそんなことしないもんね?」

 ハリーの指摘に、ハーマイオニーは咳払いする。

「ジョージとの約束もあるからさ。大事に預かるさ」

 説明の紙と羊皮紙をクローディアは懐に入れ、優しい手つきで叩く。

「くれぐれもハリーとロンは、スキャバーズを探しに行っちゃ駄目よ。特にハリーには、クィディッチの練習に専念してもらうわ。スリザリンを負かせてもらわないと困るわ。いいこと? 絶対、ボコボコにしてやるのよ」

 殺気立ったハーマイオニーに念を押され、唾を飲み込んだハリーは必死に頷いた。

 無事に吸血鬼のレポートを仕上げた彼らは、ルーピンに提出する。レポートを受け取るルーピンの目つきが2人を疑っていたと、ロンは感じた。

 




閲覧ありがとうございました。
たくさんの生徒から、応援され勇気を得たハグリッドは勝訴しました。一人の力ではなく、大勢の力がバックビークを救う。この辺りは、自分でも気に入っています。
ペットが実は人間なんて言われて、即決で信じたら、怖い。


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18.彼女の周り

閲覧ありがとうございます。



 生徒達の密かな娯楽にして、祭りであるバレンタインデー。

 毎年、ロジャーは女子からバレンタインカードを大量に貰う。時には、お菓子なども含まれる。彼には、呼吸をするが如く当然の出来事だ。

 しかし、綺麗に包装されたチョコレートを手渡ししてくるクローディアに、ロジャーの心は大いに弾んだ。

「言っとくけど、これは義理チョコさ」

 念を押すクローディアを余所にロジャーは感激に浸る。義理だろうが何だろうが、クローディアから贈られたということが重要である。

 赤毛の双子が叫びながら、クローディアに飛びついてきた。

「「ズルーイ!! 我々には、くれないくせに!」」

「わかっているさ。ほら、これでいいさ」

 呆れた口調でクローディアは、スカートのポケットから2枚の包装されたチョコを取り出し、フレッドとジョージに差し出す。驚きながらも、双子はチョコを引っ手繰った。

「「わ~い、日本のチョコ! サンキュー! 愛してるぜ!」」

 双子を無視してクローディアは、ハーマイオニーとハリー、ロンにチョコを手渡した。

「絶対、これ差別だよ」

 ロンは、ハーマイオニーのチョコが大きいと不満を漏らす。

「文句を言わないの。嬉しい、日本のチョコって味が違うのよねえ」

「本当だ。なんだろう。あんまり甘くないけど、それが美味しい」

 早速、ハリーはチョコを齧る。

「喜んで貰えて良かったさ」

 クローディアが快活に笑う。

 友人達と談笑するクローディアをルーナは眺める。【ザ・クィブラー】を閉じ、彼女がくれたバレンタインチョコを食べる。以前のチョコと違い、優しい味がする。家族が作ってくれた味だ。

 口の中をチョコで満たし、ルーナは嘆息する。

 ここのところ、クローディアは夜中に寮を抜け出している。昨晩、ルーナは談話室で彼女が戻るのを待ったが、朝方になりペネロピーに起こされた。

 クローディアのローブを被されていたので、その前に帰ってきていた。

(何かを探しているんだ。好きにさせてあげよう)

 ルーナに出来るクローディアへの最大の思いやりにして、精一杯のことだ。それが淋しい気持ちを与えた。だが、それしか出来ないと納得もしていた。

 

☈☈☈

 本日の授業を終え、スネイプは研究室に入る。机には、生徒のレポートが山積みだ。これからひとつひとつ確認せねばならない。その前に、引出しを開けて包装されたチョコを手に取った。

 今朝方、クローディアがわざわざ研究室に届けたモノだ。あんな目に合っておきながら、彼女は誰にも訴えを起こさなかった。だからといって、無かったことにはしていない。常にスネイプと対峙する時、嫌味な程の上機嫌な笑みを絶やさないようにしていた。

〝私からじゃありません。お父さんからです。スネイプ先生に記憶を視られたことを教えたら、これを渡すように言われました〟

 満面の笑顔でクローディアは、しれっと言い放った。

 包装の折り目に従い、慎重に解いて行く。開けば、若草のような緑の箱と手紙が出てきた。まごうことなきコンラッドの筆跡で文章が綴られている。

【セブルス=スネイプ教授へ

 まだ寒さが残る季節を無事に過ごしているかい?

 君がクローディアに『開心術』を用いるとは、恐れ入ったよ。

 私が生きていると君は知ってしまったようだから、隠すことをやめよう。私はこの通り、生きている。君が何度も、あの子を助けてくれたことをこの場を借りて、感謝の言葉を述べよう。

 ありがとう、セブルス。

 あの子のことは、君に任せるよ。  コンラッド=クロックフォードより】

 差し障りのない表面だけ取り繕われた文章だが、これがコンラッドの特徴だ。何処となく、機械的で感情が籠らず淡々としている。

(本当に生きていたのか)

 ルーピンの体調に変化がないか確認しに行った晩、彼はあろうことかコンラッドの話を持ち出してきた。夏にドリスの家を訪問した際、コンラッドに会ったという。それだけに留まらず、十悟人と彼は、舅と婿の関係だと言いだした。あの若者が孫を持つ祖父であるはずない。最初は、一蹴した。

〝あの薬の製法は、彼女の祖父以外誰も知らない。そして、彼女の祖父の名は十悟人だ。偶然じゃない。私はコンラッドに、ホグワーツで働く話をしたんだ。彼は娘の為に、薬を頼んだんだ。コンラッドの名前を出さなかったのは、君に気を遣ったんだよ〟

 ただの戯言だ。戯言と思いたかった。

 コンラッドという存在をスネイプは、正直、忘却していた。

 クローディア=クロックフォード。その名が新入生リストに名を連ねても、全く気にしなかった。ハリー=ポッターを意識していたこともあったが、そもそも気にかける要素がなかった。しかし、授業でベッロを目にした時、久しくコンラッドを思い出した。その瞬間、彼女の後見人がドリス=クロックフォードだと強く認識した。

 己の家族を異国に置き、コンラッドの家族を我が物顔で扱うクローディアが憎かった。ドリスが淋しさで養子を迎えたかもしれないと考えもした。その分、彼女に厳しく接した。彼の代わりであるならば、より厳格な教育を施すべきだと自分に言い訳した。

 そんなことを繰り返しても、コンラッドは戻らない。1年が終わりかけ、クローディアへの憎しみは薄れて行った。彼女は他の生徒と変わらない。ただの生徒である。

 だが、クローディアは自分がコンラッドの娘であると告白した。

 何処の誰とも知れぬ女と関係を持ったなど、ありえない。否定しても、無駄だとわかっていた。その顔つきに、コンラッドの面影はひとつもない。どう見ても母親の家系だ。

 コンラッドを誑かした女の顔だと意識した時、再び憎悪が燃え上がった。

 ハリーとクローディアの友人関係も、快く思えなかった。コンラッドにしたように、今度はリリー=ポッターの息子を籠絡する気だと感じた。

 母と子、揃って気味が悪い。

 そして、十悟人という異国の魔法使い。スネイプの知らぬ魔法薬を用いて、ルーピンの人狼化を完璧に防いだのだ。あれ程の魔法使いなら、コンラッドを操るのも容易いだろう。間違った憶測と知りながら、それで辻褄を合わせようとした。

 だが、『開心術』を用いて、クローディアの記憶から垣間見たコンラッドは、スネイプの知る彼そのものだ。信じられない程、彼は妻の夫であり、娘の父であった。

「……父と娘か……」

 緑の箱を開け、丁寧に並べられたチョコの列を見る。学徒の頃、コンラッドはスネイプに料理を振舞ってくれた。欠片をひとつ、口に含む。甘味を押さえ、それでも舌にチョコの味が広がる。

 何年ぶりかの友の手作りをひとつ、ひとつ、じっくりと味わった。

 

☈☈☈

 絵画でしか見たことない生物が目の前にいる。

 感動のあまり、クローディアは瞬きも忘れた。パドマやテリー達、ハンナやジャスティン、ザカリアス達も同じだ。魔法族も早々にお目にかかれない種族だとパドマは耳打ちした。

「いいか、今日は特別に来てくれたんだ。皆、感謝してお辞儀!」

 ハグリッドの号令で、咄嗟に皆は頭を下げる。

 馬の蹄の音が生徒に近寄って来た。短くも美しい金髪、白銀色の胴体、淡い金茶色のバロミノのケンタウルスは、優雅な足取りで生徒を見回す。

「ありがとう、ハグリッド。諸君、今日和。私の名はフィレンツェだ」

 尊大な態度に優しさを含ませ、フィレンツェは挨拶した。

(確か……、前にハリーを助けてくれたケンタウルスさ?)

 罰則で『暗黒の森』にハリー達が行った時だと思い返す。同時にクィレルを思い返しそうになるので、拒んだ。

「ケンタウルスは、『暗黒の森』が大切な家だ。森の奥に行けば、彼らの一族と出くわすだろう。彼らは非常に気高い、絶対に礼儀を欠いちゃいけねえ。その礼儀も彼らの基準に乗っ取らなければならない。そして、自分達の考えを種族に教えようとしない。これは、秘密の漏えいを恐れてのことだ。勿論、中にはフィレンツェのように協力的な奴もいる。しかし、それを期待しちゃいけねえ。いいか? 絶対に森の奥に行かねえことだ。仮に、行くような奴は、彼らから厳しいお仕置きを受ける羽目になるぞ」

 真摯に受け止めた生徒は、急いで羊皮紙に書き込んでいく。ハンナのようにフィレンツェの姿に目を奪われている生徒もいたが、ハグリッドが注意した。

 授業が終わる頃、皆はフィレンツェとの別れを惜しんだ。彼は丁寧に1人1人と握手を交わす。

「君がクロックフォードだね。惑星の輝きを変えた」

「星はわかりませんが、はい。私はクローディア=クロックフォードです」

 フィレンツェが顔を近づけ、クローディアの瞳を覗きこんでくる。たじろがない様に背筋をしっかりと伸ばし、彼女は彼を見返す。

「気を付けたほうがいい。輝きをいくら変えたところで、惑星の秘密までも変えられはしない」

 突然、クローディアの心臓が不安で委縮する。フィレンツェの声は優しいが、深い警告に聞こえた。

 その後もフィレンツェは生徒と握手した。握手が終わると、同時に彼は森に向けて走り去る。彼の見事な脚の動きに、生徒は感嘆の声を上げた。

 クローディアだけは、心臓の動悸が静まるのを待った。その様子を察したハグリッドが彼女の肩に慎重に手を置く。

「ケンタウルスの表現は、遠まわしすぎて俺らには理解しがたい。深く考えることはねえぞ。ただ、心に留めておく程度でいい」

「……わかったさ」

 『魔法生物飼育学』でのケンタウルス登場は、クローディア達のあの時間だけ行われた。同じ日の他の学年や別の日のハーマイオニー達は、アクロマンチュラの子蜘蛛を紹介された。子蜘蛛と言っても、生徒を丸のみするには十分の大きさだ。

 この話に、セシルは大いに食いついてきた。ケンタウルスもそうだが、アクロマンチュラを授業で見ると知っていれば『魔法生物飼育学』を選択していたと嘆いた。

「貴重なアクロマンチュラ……、特に唾液は希少」

 興奮したセシルが『暗黒の森』に行こうとしたので、必死で止めた。

「いいなあ、ケンタウルス。僕らなんて、蜘蛛だよ! 誰があんな蜘蛛を飼育するんだ!」

 ロンは半べそで蜘蛛を恐がった。

「マルフォイは悪さしなかったさ?」

「そんな度胸ないわよ。見た瞬間に、悲鳴を上げて逃げて行ったわ」

 ハーマイオニーは愉快そうに微笑んだ。

 他の授業内容を聞き、クローディアは疑問する。ケンタウルスを飼育することなどない。ハグリッドは特別に来てくれたと説明していた。フィレンツェは、用件があって森から出てきた。用件は彼女への警告だ。普段なら、森番の家に呼べばよい。しかし、ブラックへの警戒で生徒の行動は制限されている。

 だから、授業中にフィレンツェはクローディアに会うしかなかった。

(もしもそうなら、惑星の輝き? 秘密って何さ? もしかして占星術のようなもんでも、見てるさ?)

 だからといって『占い学』のトレローニーには、相談したくない。

 故に『天文学』のシニストラが適切といえる。

「惑星に秘密などありません。我々が解き明かせない謎があるだけです。ケンタウルスは、それを秘密と解釈しています。あの種族の言い分を本気にするのは、賢明とは言えませんよ」

 不愉快と言わんばかりに返され、更にクローディアは太陽系に関するレポートを言い渡されてしまった。

 

 模擬試験を終え、クローディアの採点結果は良好だ。今年度、部活動が勉学への取り組みを励ませたからだ。

 ペネロピーが我が事のように満足していた。そのご褒美として、クローディアとハーマイオニーに6年生の予想試験範囲を享受した。2人とも、喜んでペネロピーの講座を受け入れた。

 ほとんどハーマイオニーが強引に進めたようなものだが、クローディアも6年生の試験範囲には興味があった。

「頑張るねえ、よくやるよ」

 バーナードが愉快そうにペネロピーの講座を見学する。

「『真実薬(べリタセラム)』は、無味無臭で不透明。『魅惑万能薬(アモルテンシア)』は、その人が最も魅かれる匂いになるそうよ。『生ける屍の水薬』は、強力な眠り薬で下手をすれば、一生眠りつづけることになるわ」

「つまり、自白剤と惚れ薬と睡眠薬さ」

 クローディアの見解に、バーナードは不思議そうな顔をしていた。

「なんで、クローディアはペネロピーと同じことを言うんだ?」

「五月蠅いわね、バーナード。余計なこと言わないで」

 恥ずかしそうにペネロピーは、バーナードを睨む。注意され、やれやれと彼は肩を竦めた。

「杖なしでも、呪文を唱えれば魔法が発動することは基本よね。でも、この無言呪文はそうはいかないわ。成人した魔法使いでも無言呪文まで至る人は、そんなに多くはないの」

「そういえば、時々、先生達が呪文を唱えずに魔法を使っているところを見たことあるわ。あれは、無言呪文なのね」

 感心したハーマイオニーは急いで、羊皮紙にメモを取る。しかし、クローディアは深刻そうに【基本呪文集6学年用】にある無言呪文の項目を眺めた。

(……無言呪文……)

 思い返すのは、クィレルが魔法を使った場面だ。彼は杖も使わず、呪文も唱えていなかった。それなのに、縄を出現させたり、魔法を弾いたり、杖を吹きとばしたりしていた。あれも無言呪文に相当するに違いない。

「クィレル先生は……、杖も呪文もなく、魔法を使っていたさ」

 誰に言うわけでもなく、クローディアは暗い声で呟く。耳敏くバーナードが聞き取り、驚くような声を上げる。

「クィレル? ……ああ、クィレルはそうだろうな。あいつは優秀だったらしいからな」

「あのクィレル先生が優秀? 冗談でしょう?」

 胡散臭そうにペネロピーが怪訝する。苛立ったようにバーナードは返す。

「『マグル学』の教授だった頃は、絵に描いたように優秀だったんだ」

「『マグル学』ですって?」

 驚いたハーマイオニーは咄嗟にクローディアは見やる。

 クィレルが『マグル学』だったという事実に、クローディアは若干困惑する。それよりもハーマイオニーの心配する眼差しが痛い。

「講義を受けたのは、俺じゃなく兄貴達の世代だ。俺達が2年生まで、クィレルは『マグル学』の教授だったんだ。兄貴は君達が入学するのと入れ違いに卒業しちまったから、あの事件を知って、しょげてたぜ……」

 一瞬、バーナードは悲しげな表情を見せた。

 場の空気が重くなり、ペネロピーはそれを誤魔化すように勉強を再開した。羊皮紙に試験の重点をメモしながら、クローディアはクィレルが『マグル学』の教授であったことがまだ信じられなかった。

 

 部室の準備中、クローディアはバーベッジから『検知不可能拡大呪文』と『魔法封じ』を実践させられた。以前作った手提げ鞄は、条件付きで上手く出来た。しかし、教室そのものの拡大は難しかった。壁がへこんだり、天井が落ちてきたりと何度も失敗した。

(違う……、難しく考えなるな……、蔵にかけられた魔法と同じ)

 フリースローで、ゴールにボールを投げ込む感覚を杖の先に集中させる。10回目の正直、教室は通常の4倍に広がった。何処にも破損はなく、正常に魔法は発動したのだ。

 バーベッジは厳しい目つきを変えず、次は『魔法封じ』を要求した。頬を濡らす汗を拭い、クローディアは深呼吸する。

(他人に魔法をかけさせない……、ここは自分だけの領域……)

 例えるなら、自分が影になる時だ。影となった自分には、暗闇全てが領域である。

 その感覚のまま、クローディアは杖を振るった。『検知不可能拡大呪文』の上に『魔法封じ』が覆いかぶさった。発動を認識し、バーベッジを振り返る。

 バーベッジが杖を振るうが、魔法は何も起こらなかった。

 ようやく、バーベッジは感激の笑みを浮かべる。

「なんと、まあ! 素晴らしい! 在学中にここまでやり遂げた生徒は私が知る限り、君が初めてです!」

「私が出来るなら、きっと、ハーマイオニーにも出来ます」

 確信を込めて言い放つクローディアをバーベッジは謙遜と受け取った。

「いいえ、このふたつが完璧にこなせる魔法使いは、限られています。それ故に、重要な場所にしか使われていません。このホグワーツにも、いくつか『魔法封じ』が施されています。『姿現わし』並びに『姿くらまし』がその例です」

 延々とバーベッジの講釈が続きそうだ。クローディアは集中力を使い過ぎ、疲労感に襲われる。無礼を承知で座り込んだ。

「あら、ごめんなさい。そうね、疲れているわね」

 目を丸くしたバーベッジは、ローブを下敷きにして床に腰かける。クローディアが持って来た荷物から、水筒を取り出して渡してくれた。

 クローディアは、水筒の紅茶を飲んで一息つく。上機嫌なバーベッジが今の『マグル学』の教授だと強く認識してしまう。

「バーベッジ先生、『マグル学』の前任がクィレル先生だったと聞きました」

 我知らずと口走る。

「そうですよ。クィレル先生が休職された時期がありましてね。代わりに私が呼ばれたんです」

 世間話のように気軽に教えてくれた。最近、クィレルの名を出すだけで皆、深刻になる。バーベッジの態度は嬉しかった。

「どんな先生でしたか?」

 これに、バーベッジは考え込んだ。

「彼個人についての質問でしたら、私よりもフリットウィック先生にお聞きなさい」

「校長先生ではなく……フリットウィック先生ですか?」

 素朴な疑問を口にすると、バーベッジは頷き返す。

「クィレル先生がレイブンクロー生だったからです。フリットウィック先生から聞いた話ですが、彼は学徒の頃、『O・W・L試験』を12科目合格したそうです。監督生にはなれませんでしたが、首席です。ここだけの話ですが、フリットウィック先生は自分が引退する時には、寮監の後任をクィレル先生にするおつもりだったようです」

 頭から電撃が走りぬける衝撃を味わった。そして、今更ながら気付いた。クィレルは、スネイプとジェームズ=ポッターの諍いを知っていた。その目で見てきたから、言えたのだ。ジョージから聞いたクィレルとスネイプの年齢を考えれば、十分、在学中に顔を合わせられる。

 全く気付かなかった自分が悔しい。

「……クィレル先生は……」

 戻ってくるでしょうか?

 しかし、その質問を口中で殺す。

 バーベッジはクローディアがクィレルの復職を望んでいることを知らない。だから、何の気兼ねもなく話してくれたのだ。

「クィレル先生のターバンは、派手でした」

 咄嗟に言い換えた言葉に、バーベッジは曖昧な笑みを返した。

 折角、教えて貰ったが、フリットウィックに訊ねる事はないだろう。

 そんな勇気はない。

 




閲覧ありがとうございました。
フィレンツェはイケメンらしいけど、想像できないです。
アクロマンチュラは、多分、六年生向きの魔法生物でしょうけど、ま、いっか!


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19.試合が終わると試験

閲覧ありがとうございます。
よくよく考えると、オリバー=ウッドとマーカス=フリントは、卒業試験も控えているんだなあ、すごいなあ

追記:16年3月7日、18年1月7日、18年8月12日、誤字報告にて修正しました。


 ハッフルパフ対スリザリンは、接戦の末、ハッフルパフの勝利に終わった。スリザリンは完全に優勝から遠退いた。しかし、グリフィンドールとスリザリンの勝敗が、レイブンクローの優勝に深く関わる。非常に強力な博打だ。誰もが休暇明けの試合が待ち遠しかった。

「あんな授業! こっちから願い下げよ!」

 我慢の限界が来たハーマイオニーは、遂に『占い学』を辞めた。3年の初授業からの不満を延々とクローディアは聞かされ続けた。

「私も『占い学』を辞めたいものですわ……」

 リサがポツリと呟いた。

 

 

 迎えた復活祭の休暇、3年生にとって見たこともない大量の課題が言い渡された。

 いくら勤勉なレイブンクロー生といっても、限度がある。マイケルは頭を働かせすぎて熱を出し、セシルはノイローゼ気味になり、サリーは発狂して倒れた。

 課題と共に休暇が終われば、今度はグリフィンドールとスリザリンの小競り合いが始まる。段々と激しさを増し、上級生の間で耳からネギを生やす事件が発生。他の寮生は巻き添いを恐れて逃げ回った。

 クローディアがハーマイオニーと話をしている最中も例外ではない。

 パンジーが『クソ爆弾』を投げつけてきたので、クローディアは偶々居合わせたフィルチのブラシを拝借し、彼女に打ち返した。その後、3人とも管理人に散々叱られた。

 

 母から手紙が届き、クローディアの友人たちが皆、高校に進学したことを知った。日本がその時期であることをホグワーツでは忘れてしまう。

 

 

 明日の試合を楽しみに消灯を迎える前、皆は早々に寝静まった。談話室を占領したクローディアと泊まりを決めたハーマイオニーは暖炉の前にいる。2人は暖かい炎を頼りに『忍びの地図』を眺めている。

 ムーニー、ワームテール、パッドフット、ブロングズ。4人の『魔法悪戯仕掛け人』によるご自慢の品、それが『忍びの地図』。

 トム=リドルの日記に近い性質を持っている。彼はたった1人で、日記帳に人格そのものを植えつけた。『例のあの人』は、確かに優れた魔法使いだ。4人とはいえ、これ程のモノを製作した魔法使いも尊敬に値する。

 初めて目にする『忍びの地図』、ハーマイオニーは好奇心に悶えている。

 見つめるのは一点、ペティグリューの名のみ。

 これまで、クローディアは何度も夜中を抜け出して探した。見つけることは出来なかった。ベッロは今も、探しに城中を徘徊している。

 

 ――何故、生存を隠す必要がある?

 

 マグルの目撃者の証言が確かなら、ペティグリューはポッター夫妻の仇を討とうとし、返り討ちにあったとされる。アズカバンにいるブラックが逆恨みし、彼の命を狙いに来ることを恐れていたからにしても、辻褄が合わない。

 何故なら、アズカバンは脱獄者がいない刑務所だったからだ。わざわざ脱獄を予知していたとは、考えにくい。

 地図ではベッロがペティグリューを追いかけている。だが、段々と距離が開きペティグリューは逃げ切った。

 残念そうにハーマイオニーは息を吐く。

「影への変身で身体に影響はないかしら?」

「今のところは、何もないさ」

 以前は、一時間の変身で影が大変な事態に陥った。しかし、現在のところ後遺症はない。変身の際に杖はいるが、解くだけなら杖もいらない。

「そうさ、影を操れる程度にはなったさ」

 クローディアは手と杖を使わず、影を伸ばしてソファーを動かす。これは、ソファーの影を動かしただけだ。影の力は、本人の筋力に比例している。一度、『隻眼の魔女像』を動かそうとしたが、ビクともしなかった。

「まあ! クローディア。これってすごいことよ。あなたはまだ3年生で『動物もどき』を会得したも同然だわ」

「し~!! 聞かれるさ!」

 気付いたハーマイオニーは自分の口を塞ぐ。それから、声を押さえて口を開く。

「私、このペティグリューは『動物もどき』じゃなくて、誰かに鼠に変えられたんじゃないかと思うの。それなら、ずっと鼠のままだった理由も納得が行くでしょう?」

「そうなると、誰が、いつ、変身させたかってことになるさ。ペティグリューがブラックに殺される姿は大勢のマグルに目撃されてるさ……」

 口に出してから、クローディアは疑問点を見つけた。

「なんで、マグルの目撃証言しかないんだろうさ?」

「それはマグルしか目撃者がいないからでしょう? ペティグリューは親友の仇を討とうと、1人でブラックに立ち向かったのよ。大勢のマグルの前で……?」

 ハーマイオニーも疑問を感じ、口ごもる。

「……ねえ、お父様かドリスさんに相談しましょう。お2人なら、ペティグリューが『動物もどき』である可能性とブラックが捕まった時の詳しい証言を教えて下さるわ」

「でも……、それは……、……巻き込むのは悪いさ」

 難色を示すクローディアに、ハーマイオニーは毅然とする。

「先生達には聞けないわ。ブラックに関することに口を閉ざしているし……!!」

 急にハーマイオニーは短い悲鳴を上げ、青ざめる。視線の先を目にし、『暗黒の森』付近にいる名前に寒気が走った。

 クルックシャンクスとブラックだ。

「クルックシャンクスが……危ない」

 悲痛なハーマイオニーは、震えた手でクローディアの腕を掴んだ。

 自然と息を潜め、地図を凝視した。ブラックはそのまま森に入ったのか、地図から消えた。クルックシャンクスは城に戻り、玄関ホールでベッロと出くわしていた。

 ブラックも猫には手を出さない。安堵の息が漏れる。

「ブラックは、まだ学校の敷地にいるんだわ。どうして誰にも発見されないの? 吸魂鬼だって、全然、見つけられてないじゃない」

「……『動物もどき』で変身していたりしてさ」

 不安がるハーマイオニーを笑わせようと半分本気、半分冗談で口にした。小馬鹿にしたように彼女は笑う。

「まさか、何人も非登録の『動物もどき』がいて堪るもんですか」

「だろうさ」

 悪戯っぽく笑い、クローディアは地図に視線を落とす。グリフィンドールの談話室を視界に入れ、ある名前に気付く。

「このジネブラ=ウィーズリーって、ロン達の親戚さ?」

 素朴な疑問にハーマイオニーは目を丸くし、瞬きを繰り返す。

「……それ、ジニーのことよ。ああ、そうね。ジニーって、ジネブラの愛称なの」

 衝撃の事実にクローディアは、表情が強張った。確か、教師も彼女を『ジニー=ウィーズリー』と呼んでいる記憶がある。ロンも教師から本名の『ロナルド=ウィーズリー』で呼ばれているはずだ。

「ジニーの組分けの時、マクゴナガル先生もそう呼んでいたでしょう?」

 覚えてなどいない。家族や友達ならまだしも、教師まで愛称で呼ぶことが驚きだ。

「紛らわしいさ。けど、これで地図は本人の名前を表記するってわかったさ」

 動揺した声で咳払いし、クローディアは地図を杖で叩く。

「――イタズラ完了――」

 インクは消え去り、地図は白紙の羊皮紙となった。

 

 競技場は歓声と拍手喝采で爆発した。

 結果、グリフィンドールの勝利だ。そして、レンブンクローの合計点と比較し、僅か20点差でグリフィンドールがクィディッチ優勝杯を獲得した。スリザリンの完全敗北に、ハッフルパフは狂喜乱舞で抱きしめ合う。優勝を逃したレイブンクローは複雑な心境だが、彼らの勝利を祝福した。

 感涙の号泣がハリー達を包んだ。滝の涙を流したオリバーは、ダンブルドアから優勝杯を受け取る。オリバーは涙で嗚咽しながら、チーム最高のシーカーであるハリーに優勝杯を手渡した。

 ハリーは皆に見えるように優勝杯を掲げ、喜びを表現しきれない表情で笑った。

「ハリー=ポッター! おめでとうさ!!」

 クローディアの歓声を聞き、周囲も真似して叫んだ。その胸中には、友への祝福と優勝を逃した残念さがある。これが普通だ。ふたつの感情を受け入れ、拍手を大きくする。

 ロジャーも拍手していた。拍手というよりも、怒りを両手に叩き込んでいる。

「スリザリンは惨敗だ! これを喜ぼう!!」

 引き攣った笑みで叫ぶロジャーが少し不気味だ。

 それでも悔しさでのあまり、スネイプにしがみ付いて泣いているドラコよりはマシだろう。

「ハリー、ハリー、素敵だ!」

 コリンがジニーと抱き合いながら、歓声を上げていた。

 感激感動の嵐が冷めやまぬ内、誰もが城へ帰る。既にグリフィンドール優勝は広まっており、『ほとんど首なしニック』が『血みどろ男爵』と『太った修道士』から祝われていた。その分、『灰色のレディ』の機嫌がすこぶる悪い。ピーブズに八つ当たりしている姿を見かけ、生徒は震えあがった。

「そんなことしたら、男爵に怒られるさ」

「あの男爵の了解は得ております」

 クローディアに品良く返答した『灰色のレディ』は、再びピーブズに八つ当たりを開始する。哀れなピーブズに向け、胸中で合掌した。

 寮に行こうとしたクローディアをフリットウィックが呼びとめる。

「ミス・クロックフォード、少々、お話があります」

「はい、フリットウィック先生」

 『呪文学』の教室で、勧められるままクローディアは椅子に腰かける。フリットウィックは自分の監督する寮が優勝を逃し、少し残念そうにしていた。

「以前、グリフィンドールとの試合であなたは折れた箒で飛びましたね。このことについてですが、私達は職員会議を開きました。悪い意味ではありません。寧ろ、名誉と思ってくれて構いません。あなたは、箒なしで空を飛んだ可能性があるのです! 僅か3年生の身で! マダム・フーチは折れた『コメット260号』を調べました。そして、こっそりと『飛行術』の授業中にミス・クロックフォードの飛行能力を確認させて頂きました」

 恐るべき事実にクローディアの肝が冷える。『飛行術』の折、マダム・フーチはそんな素振りを少しも見せなかった。

 段々と興奮してきた寮監は椅子から落ちぬように、手すりを掴む。

「やはり、あなたは箒なしで飛んでいました! これは『O・W・L試験』、または『N・E・W・T試験』を遥かに上回る高度な魔法をやってのけたのです」

 遂に金切り声を上げたフリットウィックは椅子から、転げ落ちた。色々と吃驚したクローディアは、一先ず、彼を起こす。

「ありがとう、ミス・クロックフォード。それで、職員会議の結果、レイブンクロー50点差し上げることになりました。本来なら、100点でも少ないと思っています。それもこれもスネイプ先生が……げふんげふん」

 語尾だけわざとらしく、咳き込む。

 50点という高得点にクローディアは胸が奮えた。それと同時に疑問も浮かんだ。感激を押さえ、質問する。

「質問があります。私のしたことは、そんなに珍しいのですか?」

「入学前の幼い頃ならば、むしろ普通です。勿論、箒を使わず飛行する魔法使いはいます。ですが、それは稀です」

 クローディアは祖父との会話を思い返す。祖父は、身一つによる飛行術を当たり前のように語っていた。てっきり、熟練の魔法使いや魔女はピーターパンのような飛行をするのだと思い込んでいた。

(もしかしなくて、お祖父ちゃんってすごいさ?)

 ここに来て、今更ながら祖父の偉大さが身に沁みた。

「あなたのような生徒を持てて、私は幸せです」

 感極まったフリットウィックは、それでも涙を堪える。クローディアには、寮点より寮監の言葉が胸を打つ。最高の賛辞を受けたのだ。嬉しさで彼女は、まるでハリーのように表現しきれない笑顔を作った。

「私もフリットウィック先生が寮監で嬉しいです」

 2人の頭上をピーブズが泣きながら、飛んで去る。その後を『灰色のレディ』が追いかけた。感動に浸っていたが一気に台無しとなった。

 

 

 試合の興奮に浸るのは、短い。

 誰もが学期末試験に向け、取り組んだ。『O・W・L試験』のあるフレッド、ジョージでさえ勉強で悪戯がピタリと止んだ。ハーマイオニーは『占い学』をやめたが、誰よりも科目が多いので殺気立っていた。しまいには、グリフィンドール寮は落ち着かないといってレイブンクロー寮に入り浸った。

 

 城の廊下、暖かい日差しに包まれている。人を探すには絶好の日和だとクローディアが思う。だが、誰を探していたかを思い出せない。

 それでも、足は歩いている。きっと、探し人の元へ向かっていると確信があった。『禁じられた廊下』を抜け、隠し扉を下りる。鍵の鳥がいなくなった部屋を通りすぎ、チェスが片付けられた部屋についた頃、クローディアは焦燥感に襲われる。

 

 ――嫌だ。行きたくない。

 

 足は止まらない。

 

 ――そっちは、駄目だ。

 

 叫んでも、足は廊下を進む。トロールのいない部屋、薬瓶のなくなった部屋も難なく通る。

 行きついたのは、鏡のなくなった最後の部屋だ。

 そこに探している人がいた。馬鹿馬鹿しいターバンを着けたクィレルがクローディアに笑いかける。

 

 ――クィレル先生!

 

 再会を喜んだクローディアは、クィレルに飛びつく。

 

 ――会いたかった。ずっと、会いたかった。

 

 涙するクローディアはクィレルの胸元に縋りつく。彼は笑ったまま、両手で彼女の首を絞めた。息苦しさで顔を上げる。そこには、手配書のブラックがいた。

 

 ――何故?

 

 疑問した瞬間、ブラックはスネイプに変わった。

 

 ――先生、やめて。

 

 叫んでから、クローディアは瞬いた。首を絞めているのはコンラッドだ。

「MURDER」

 軽蔑の眼差しでコンラッドは吐き捨てた。

 

 意識が覚醒し、荒い呼吸が耳に入る。全身の肌は汗にまみれ、首筋に痛みが走っている。確かめるように触れ、鏡を覗きこんだ。クローディアの首に引っ掻かれた爪痕がある。自分の爪が赤く滲んでいた。首を絞める手を振りほどこうとして抵抗した跡だ。

 夢だと理解できても、動悸は更に激しくなる。

「大丈夫?」

 寝惚けた表情でパドマが聞いてきた。

「うん、大丈夫さ」

 クローディアの返事を聞き、再びパドマは布団に倒れる。リサも静かな寝息を立てて起きる気配がない。時間を見ると、日を跨いだだけだ。

 今日から学期末試験だ。

 『賢者の石』の事件は、確か最終試験の日だった。どうやら、心の何処かで意識する自分がいたようだ。そうでなければ、クィレルの夢を見るはずもない。ブラックが現れたのは、アズカバン関連だ。スネイプは手紙の件がある。だが、コンラッドが出てきた理由はわからない。

(クィレル先生……)

 夢の中の彼が思い出せない。おおまかな風貌はわかるが、肝心の顔が霞んでいる。そして、記憶の中のクィレルでさえ、顔が思い返せない。悔しさと情けなさで、髪を乱暴に掻いた。

 

 月曜から始まった試験をクローディアは順調にこなした。『魔法生物飼育学』の監督たるハグリッドは、試験内容を寮で区別した。レイブンクローとハッフルパフは、バックビークへ礼儀正しく挨拶し、翼に触れるというものだ。これは面白みがあり、生徒は喜んだ。反対にグリフィンドールとスリザリンは、アクロマンチュラの子蜘蛛への餌やりだ。

 ロンやドラコが悲鳴をあげ試験会場から逃げ去ったが、すぐハグリッドに連れ戻された。

 木曜の『闇の魔術への防衛術』は実技試験だ。戸外にわざわざお化け屋敷のような会場を作り、生徒を1人1人、中へ招いた。最初に入ったアンソニーは、全身ずぶ濡れで出てきた。次のセシルは、髪が泥だらけだ。試験内容に大いに期待し、皆は順番を待つ。

 クローディアの順番になり、お化け屋敷へと足を踏み入れた。水魔が泳ぐ水槽プールの上に細い板張りがある。水魔に足を取られそうになったが、板張りを無事に渡る。赤帽が潜む穴倉を進み、それらを警戒した。ヒンキーパンクがカンテラを持ち、沼地を案内しようとした。

 その後には、ガタガタと揺れるトランクだ。ボガートが閉じ込められているとわかる。

 緊張と恐怖で心拍数が早くなる。

(恐怖に立ち向かう)

 胸中で呟いて、クローディアは深呼吸する。震える手でトランクを開き、躊躇いながらも中へ顔を突っ込んだ。暗いトランクの中にいたのは、囚人服を着た男だ。だが、ブラックではない。その顔が懐かしく、今のクローディアには最も恐ろしい。

「ミス・クロックフォード、許してくれ」

 やつれ果てたクィレルの顔をしたボガートは、死にそうな声で訴えかけた。

「――――!!」

 試験中など忘れ、クローディアは絶叫が弾けた。あまりの叫びにヒンキーパンクが逃げ出すのが見えた。駆け付けたルーピンに何度も呼ばれ、ようやく我に返る。

 痙攣する手足に力を入れ、クローディアはルーピンにしがみ付いた。

「……無理でした」

「いいんだよ。君は恐怖に立ち向かおうとした。随分、成長したね。さあ、もう終わりだ。行きなさい」

 慰めでなく、真剣にルーピンはクローディアを褒めた。彼は最初の授業を覚えていた。あの頃なら、トランクを無視したに違いない。

「ありがとうございます」

 胸の息苦しさが抜けず、冷淡な声で返事してしまう。ルーピンは全く気にしていない。居た堪れない気持ちで、クローディアは城へ帰る。

 昼食が終えるまで、ボガートが見せたクィレルの姿が網膜に焼き付いていた。

 

 全科目の試験が終わり、レイブンクロー寮では自己採点が行われた。採点が確かなら、クローディアは同級生で一番になっている。結果を知るのが楽しみで仕方ない。

「我々は、自由だ!!」

 7年生の監督生の叫びと共に、学期末試験は終了した。

 解放感で校庭に向かう。クローディアも談話室を出ようとしたが、窓から現れたカサブランカから手紙を受け取る。もう1枚、カサブランカは手紙を持っていた。失礼ながら、宛名が見えてしまった。

「またお祖母ちゃんがポッターに手紙さ。ヘドウィックよりも、カサブランカのほうがポッターの為に働いているさ。もうカサブランカがヘドウィグの代わりでも、いいさ」

 深い意味はなく、冗談で呟く。それを称賛と受け取ったカサブランカは上機嫌に飛び去る。

 

 カサブランカがハリーに手紙を届けようしたが、ヘドウィグの妨害にあったなど、クローディアは知らない。

 

 クローディアは差出人を確認し、眉を寄せる。

 コンラッドだ。

 緊急事態を察し、自室にて開封する。ベッロが興味深そうに見上げてきた。

【あのピーター=ペティグリューが『動物もどき』の可能性は低い。何故、おまえがそこに気にかけるのか知りたい。今夜、8時に校長室で会おう。ダンブルドア校長の許可は得ている。本当は早くに返事をしたかったが、試験のことを踏まえて遅らせた

                追伸 夏は予定を入れないこと コンラッド】

 読み終えると手紙は、勝手に燃え出した。

 燃えカスを見つめ、クローディアは深呼吸する。ダンブルドアとコンラッドへ個人的に面会が可能になった。

 それは、戦慄ともいえる緊張が内臓を刺激した。スネイプの真偽とクィレルの処遇の件で、真実を問いたい。その衝動を抑制しきれる保障がない。それと同時に、知りたくもない。矛盾した葛藤を寝台の下に詰め込んだ木箱の如く、蓋をしてきた。決して開かせないため、『施錠呪文』まで仕掛けた。

(どうしたもんさ)

 『忍びの地図』を誤魔化して説明するより、そのことだけが気がかりでならない。

「クローディア! 良かった。ちょっと来て!」

 ハーマイオニーに急かされ、グリフィンドールの談話室に招かれた。ハリーとロン以外、誰もいない。試験が終わったというのに彼はクローディアより顔色が悪い。

「さっきの試験のとき……トレローニー先生の……様子がおかしかった……」

 ハリーの口は、その時の言葉を神託のように告げる。

〝闇の帝王は、朋輩に打ち棄てられている。だが、12年間の鎖から、解き放たれた召使がご主人を助けるだろう。今夜だ。真夜中になる前、召使は自由の身となり、ご主人のもとに馳せ参ずるであろう。それにより、闇の帝王は、更なる力を手にいれる〟

 これまで聞いてきたインチキ臭い印象はなく、逃れられない予言に思えた。

「その後、先生に話しかけたけど、何のことかわからないって言われた」

「つまり、トレローニー先生はトランス状態だったってことさ?」

 口寄せの霊媒師は、霊を憑依させるとその間の記憶がないらしい。トレローニーの『予言』も本人の意思とは関係なく行われるかもしれない。

 普段はインチキだと罵るロンも『例のあの人』に関する内容なので、寒気に身震いしている。

「その予言が本当なら、今夜、ブラックが自由になって……『例のあの人』の下に?」

「でも、ひとつだけ変さ」

「私もそう思うわ」

 クローディアとハーマイオニーの疑問は一致している。

「ブラックは夏の時点で脱獄していたわ。それが今夜だなんて、今更すぎるわよ。そうでしょう、クローディア?」

 これに、ハリーが殺意に満ちた声を放つ。

「僕を殺して自由になるってことかもしれない」

 殺すという単語にクローディアは、一瞬、背筋が凍る。

「その予言を校長先生に話すさ。私が今夜8時に会う約束があるさ」

「え! なんで?」

 ロンが過剰な反応で聞き返す。

「お父さんがペティグリューについて、聞きたいから学校に来るってさ。校長室が待ち合わせさ」

「僕も行きたい!」

 背筋良くハリーは、挙手する。すると、虫籠にいたベッロが顔を出した。彼はベッロと目を合わせ、『蛇語』で会話する。急に彼は手を下ろす。

「コンラッドさんは、僕に会いたくてくるわけじゃないから駄目だって」

「でも、校長先生に大事な話さ。そのくらい考慮してくれるさ」

 クローディアの意見をベッロは頭を横に振り、否定した。

(そこまでポッターに会いたくないもんさ?)

 それとも、ハリーに聞かれなくない話をするつもりかもしれない。

「僕もコンラッドさんに会いたい! 校長先生の話が聞きたい!」

 癇癪を起こすハリーは、絨毯に寝転がり大の字になる。

「駄目よ。勝手に付いていったら、クローディアがお父様に叱られてしまうわ」

 ハーマイオニーの言葉を無視し、ロンは呟く。

「『透明マント』さえ、あれば……着いていけるのに……」

「まさか、無くしたさ?」

 大事態を想定し、クローディアはロンに凄んだ。慌ててロンは首を横に振り、代わりにハリーが答えた。

「『隻眼の魔女像』に隠したんだ。ホグズミードに行って、マルフォイに見られた日にね。いま、僕があそこに行くところをスネイプ……先生に見られるわけには行かないんだ。スネイプ先生もあの像に仕掛けがあるって勘付いているから」

 罪悪感かそれとも羞恥心か、ハリーは段々と口ごもる。呆れたクローディアは、溜息をつく。ローブから杖を取り出し、唱える。

「アクシオ!(来い)」

 杖に引き寄せられ銀色のマントがクローディアの手に、飛び込んできた。

「言ってくれれば良かったさ」

 クローディアは『透明マント』をハリーに投げ渡す。魔法に吃驚した彼は、唖然と呆然しながらも『透明マント』を受け取った。

 ハーマイオニーは、感心の意味で驚いていた。

「クローディア、それ……『呼び寄せ呪文』よね……?確か、4年生からの……。それを使えばハリーから、簡単に地図を取り上げたわ」

 思いも寄らない発案に、絶句する。こういう発想が抜けていることが多い。不意に思いつき、ポケットから『忍びの地図』を取り出す。

「この地図は、ポッターが持つさ。これで、ブラックとペティグリューの動きを見張るさ」

「え、いいの? でも、これを僕が持っているところをルーピン先生に見られたら」

 不安がるハリーの口をクローディアの人差し指が止める。

「我が身第一さ。ルーピン先生に見つかったら、私のせいにしていいさ」

 ウィンクし、『忍びの地図』をハリーに渡した。

 『忍びの地図』と『透明マント』を交互に眺め、ハリーは表情を輝かせる。だが、微かな緊張も感じ取れた。彼はふたつの魔法の品が戻った事を深刻に受け止めている。

「僕らは8時になったら、校長室の前にいるよ。もちろん『透明マント』を被ってね」

「OKさ、ベッロも護衛で着いてくるさ?」

 問われたベッロは尻尾を拳のように使い、空を切る。護衛の任を引き受けたと解釈し、クローディアはベッロを抱き上げた。

 ロンが震える手つきでベッロを撫でる。彼なりにベッロを信頼しているからだ。

「『透明マント』は私が預かるわ」

 承諾したハリーは『透明マント』をハーマイオニーに渡す。受け取った『透明マント』は、彼女の鞄に片付けられた。

 3人の友人を眺め、クローディアは心が安定する自分を自覚する。

(皆がいるなら、私も大丈夫さ)

 後は時間を待つだけだ。

 




閲覧ありがとうございました。
ウィーズリー家は、普段は愛称で呼ぶけど、本名で呼ぶのは怒ったときだけ。区別しているのかな?
ハリーはふたつの魔法アイテムを手に入れた!


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20.叫びの屋敷

閲覧ありがとうございます。
ここから怪我の描写が強くなるので、R15を付けることにしました。


 夕食の最中、クローディアは何度も教員席のダンブルドアを見やった。時間になれば、校長が声をかけてくるのか、それとも自分で訊ねに行くのか、確認していない。緊張が全身に行渡り、鶏の唐揚げが喉を通らない。

 しかも、試験から解放された気分でフレッドがクローディアの飲み物にイタズラしたため、腹を下した。

 お手洗いに駆け込み、30分近く閉じこもり闘った。げっそりとしたクローディアが廊下に出る際、腕時計を目にする。既に7時半を廻っていた。

「……フレッド、覚えてろ……」

 恨めしく吐き捨てると、ベッロが小馬鹿にして笑う。フレッドに文句を述べるため、大広間を目指す。

 玄関ホールを抜けようとしたが、背後から風を切る音に気付く。咄嗟に避けると、背後から石が飛んできた。クローディアが避けたせいで、ベッロに命中した。

 怒り狂ったベッロは、石の飛んできた方角に突き進んだ。

「石って、誰さ?」

 廊下に落ちた石を拾うと屈んだ瞬間、もう一度石が飛んできた。石の軌道は玄関ホールからだ。すぐにクローディアが『隻眼の魔女像』に駆け寄り、周囲を確認する。

 校庭に続く石段、栗色の鞄が落ちていた。藤の模様が入った布鞄は、ハーマイオニーの大切な代物だ。この鞄には『透明マント』が入っていたはずだ。

 脳髄で危険信号が鳴り響く。ブラックが現れたのかもしれない。身を隠す為、『透明マント』を使った可能性がある。

「ハーマイオニー……」

 焦燥と不安で恐れ慄いた手が震える。鞄を握り締め、クローディアは校庭に駆け出す。薄暗い校庭に向かって叫んだ。

「ハーマイオニー!!」

 返事はなく、再び石が飛んでくる音がした。

「誰だ!」

 石を避けて振り返ると、芝生を這っていくベッロが『暴れ柳』に真っ直ぐ進んでいくのがわかった。そこにハーマイオニーがいると直感して突進する。

「ハーマイオニー!! 何処!?」

 『暴れ柳』はクローディアの接近を察知し、胴体より太い幹を振り回した。襲ってくる幹を避けながら、ハーマイオニーを呼ぶ。ベッロが木の根元を這い、人が入れる大きさの隙間に突っ込んでいった。

 前、後ろ、空を切る幹の動きを把握しながら、刹那の隙を見つける。邪魔なローブを脱ぎ去り、鞄と共に適当な場所に放り投げた。目を瞑り、音と気配だけで幹の動きを肌で感じ取る。

(いま!)

 視認できない隙を捉え、クローディアは根元の隙間に頭から飛び込んだ。隙間の向こうには人1人分が通れるだけの土の穴があり、滑るように底へと降り立った。

 ベッロの舌を動かす音がする。

 この向こうにハーマイオニーがいる。それだけが動力源となり、クローディアはポケットから杖を手にし、警戒しながら急ぐ。何処までも長い通路は、上り坂となり、捻り曲がった先に小さな穴を見つけた。これも人が1人通れる大きさだ。既にベッロは穴の向こうに行ったらしく、姿がない。

 深呼吸し、クローディアは服の袖を捲り上げた。

 

 穴を潜り抜けると、急に空気が広くなった。そして、埃の匂いが鼻につく。杖に明かりを灯すと全ての窓に板が打ち付けられた部屋だった。無残に破壊された家具が散らばっている。朽ち果てているにしては、元の壊され方が尋常ではない。

 窓が全て塞がれた建物といえば、『ホグズミード村』近くにある『叫びの屋敷』だ。英国一恐ろしい屋敷の中にいるとわかり、呼吸が苦しくなる。

 頭上、上の階から軋む音と話し声が聞こえてきた。

 きっと、ハーマイオニーだ。急いで壊れかけた階段を登り、埃を被った床に残った跡を辿る。閉じた扉を蹴破り、駆け込んだ。

「おまえがやったんだ!」

 崩れかけた天蓋付きの寝台の傍、殺意に満ちた表情でハリーが手配写真通りのブラックを押し倒していた。その手にある杖を脱獄犯に突きつけていた。

 今にも殺人を実行しそうなハリーに、クローディアは慄く。

「エクスペリアームズ!(武器よ去れ)」

 クローディアの叫びと共に、ハリーの杖が手から離れた。その杖をベッロが捕らえた。

「クローディア! スキャバーズは本当にペティグリューだったのよ! ハリーが地図を見たとき、ブラックがペティグリューに近づいていた! 傍にクルックシャンクスもいたから、私達……クルックシャンクスを助けようと思って、……そしたら、スキャバーズがいて、でも地図にはペティグリューって書いてあったの!」

 壊れた棚の傍にいたハーマイオニーが、クルックシャンクスが口に銜えたスキャバーズを指差した。何故かロンは、片脚があってはならない方向に折れていた。

「僕、ペティグリューを捕まえたんだ! そしたら、ブラックも『動物もどき』で犬だった! 僕をペティグリューごと! ここまで引き摺って連れてきた!」

 ロンはひたすら叫ぶ。

「それがどうしたって言うんだ。ペティグリューが『動物もどき』だろうと、僕の両親を裏切ったのは、コイツなんだ!」

 睨んだハリーは、ブラックに指を突きつけた。今優先すべきは、彼を落ちつかせることだ。

「ポッター、そこどくさ。私が話を聞くさ」

 心臓は脈を速めていた鼓動を打っていたが、クローディアはただの緊張だ。ハリーよりは冷静になれた。荒い呼吸を治めたハリーは頷き、ゆっくりとブラックから離れた。

 クローディアはブラックに杖を突きつけ、観察する。骸骨に肉と髪が生えたと表現できる程、やつれている。脱獄囚の瞳が出方を窺う。

 マグルを12人殺害した大量殺人犯を目にし、恐怖で手先が微かに震えるが無視した。

「あんたは、ハリーを殺したいさ?」

「違う。俺が殺したいのは、ヤツだ!」

 緊迫した声で、ブラックはスキャバーズを指差した。

「ベッロがスキャバーズを危険だと私達に教えていたことと関係があるさ?」

「その通りだ……。ベッロ、いまの俺には、貴様すら懐かしい。君らはベッロの言っている意味がわかるのか?」

 敵意に満ちた視線でブラックは、ベッロを一瞥する。

「質問しているのは、こっちさ。聞かれたこと以外で、喋らないでさ」

 承諾の意味でブラックは、ゆっくりと頷いた。意外と、彼は理性的な態度を示す。クローディアは、余計に緊張を強くする。この男は監獄所でもただ1人、正気を保っていたのだ。尋常ではない精神力を持ちえている。

 だが、会話が可能ならば、質問に答えるだろう。

(冷静に……情報を整頓……、……分からない箇所を埋める…)

 クローディアは深呼吸し、ハーマイオニーと視線を合わせる。いつか、2人で抱いた疑問がある。

「『秘密の守人』は、本当にあんたさ?」

「いいや、俺は……愚かにもピーターにそれを任せてしまったんだ! ヤツが『例のあの人』に通じているとも知らずに!」

 悔恨の念を込め、ブラックは悲痛に叫んだ。その痩せた肉体からは、信じられない程の声量が溢れ出た。

 全員の視線が、スキャバーズ改め、ペティグリューに注がれる。クルックシャンクスの口で、鼠は必死に悶えた。ハリーはブラックを睨み、喚く。

「嘘だ! 言い逃れだ! こいつが僕の両親を殺したんだ!」

「つまり!」

 ハーマイオニーがハリーの言葉を遮る。

「皆はブラックを『秘密の守人』だと思い込んでいた。ペティグリューは、ハリーのご両親を裏切った挙句に、失敗したときのためにブラックに罪を着せる手筈も考えていた?」

 クローディアも言葉を繋ぐ。

「現場を証言したのは、マグルだけさ。なら、……『錯乱の呪文』で正常な判断をなくさせたさ?」

 スキャバーズの小指が欠けた手を見つめ、ロンも気づく。

「そうか、だから自分の指を千切って、鼠になって逃げた。『動物もどき』だと知られてないから、誰も生死を疑わなかった。ハリー! 君が言ったろう! ベッロはペティグリューが敵だとわかってたんだ!」

 3人が己の推測を口々に述べる。ブラックは、理解者を得たと微笑んでいた。

「その通りだ。俺がピーターを信じたばかりにジェームズとリリーは死んだ。だから、ハリー、俺が殺したも同然だ。それでも俺を殺したいなら、気の済むようにすればいい」

 ブラックと視線が合い、ハリーの拳に力が籠もる。

「質問の答え以外は、喋るなって言ったさ。それにポッターに人殺しなんてさせないさ。あんたが自己満足の為に、そんなことを言うなら、いますぐアズカバンに送り返すさ!」

 ブラックはスキャバーズに視線を移し、小さく息を吐く。彼自身も強い感情に押されているのだと感じた。

 冷淡に吐き捨てたクローディアは、杖を決して緩めない。

「あんた達は『動物もどき』さ。でも、どうして登録を怠ったさ? それがあれば、ペティグリューが鼠になって逃げたかもしれないって考えた人もいただろうさ」

「それは……」

「それは私のせいだ」

 唐突に現れた声に、全員が驚いて扉を見やった。

 蒼白な顔色のルーピンがクローディアに杖を向ける。ブラックに気を取られすぎ、背後の警戒を怠っていた。ブラックに杖を向けたまま、彼女はルーピンを凝視する。

「クローディア、杖を下ろすんだ。わかるね?」

 授業中の態度を注意する口調で、ルーピンはクローディアに命じる。ブラックを一瞥してから、素直に杖を下ろす。

「いつから、いらっしゃったんですか?」

 少し緊張が解れたハーマイオニーが口を開く。

「クローディアが『秘密の守人』のことをブラックに聞いた辺りだよ。ダンブルドアに頼まれて、彼女を探していたんだ。『暴れ柳』に向かって、走っていくのが見えたから追いかけてきた。君は私が思うより足が速いね」

 ルーピンは杖を下げ、複雑な表情でブラックを見下ろした。

「さっきの言葉は本当か? 『秘密の守人』のことも、その鼠も?」

 声は震えて感情を押し殺していたが、疑念はなかった。ただ、確認しているだけだ。ブラックはルーピンをじっくり見つめ、ゆっくりと頷いた。

 一度、目を閉じたルーピンは天井を仰いだ。そして、ブラックに手を差し伸べて助け起こし、再会を喜ぶように抱きしめあった。

「すまなかった、シリウス」

「いいんだ……リーマス」

 その行動が理解できず、クローディアは胃が痙攣する。ハリーは絶望したように目を見開いていた。ハーマイオニーは胸を撫で下ろし、ロンも複雑そうだが安堵した。

「ルーピン先生……、その人を信じるんですか?」

 ハリーの呻き声が全員の耳を打つ。

「リーマス、奴はそこだ! 殺すなら今しかない!」

「待つんだ! まずは、ちゃんとこの子たちに説明しなければ」

 血気に逸るブラックを宥め、ルーピンは彼を古びた寝台に座らせる。そして、クローディア、ハーマイオニー、ハリー、ロン、そしてベッロを順番に見つめた後、授業中の講義のような口調で話しだした。

「ハリーには、もう話したね。私は学生時代、ホグワーツにいた。……そして、このシリウス=ブラックと友人だった。ジェームズ=ポッター、そこのピーター=ペティグリューともだ。彼ら3人は満月の夜になると、それぞれの動物に変身し、私と夜を過ごした」

「3人?」

 ハーマイオニーの顔色が段々と青ざめていく。

「それは、人狼である私と夜を共に過ごし、遊ぶためだった」

 人狼。

 この単語に真っ先に反応したのは、クローディアとハーマイオニーだ。

「それは、嘘です。ルーピン先生は、人狼の特徴に当てはまりません」

「私も最初は疑いました! でも、満月の日もちゃんと私達の前にいました!」

 ハリーはロンと目配りでお互いが困惑していることを伝える。そして、ハリーは不意に気づく。

「スネイプ先生の薬」

「その通りだ、ハリー。私は、2つの薬によって満月の夜、完全に己を失わずに済んだ。変身もなく、誰も襲わない。ただの人として生徒に講義が出来る。私は、己が人狼であることさえ……忘れそうになる……夢のような日々だ。けど、私が学生時代、その2つの薬はなかった。私は、月に一度、完全に成熟した怪物に成り果てた。学校に入学するなんて不可能だと思われていた。しかし、ダンブルドアが校長になり、私に同情して下さった。きちんと予防措置を取りさえすれば、私が学校に来てはいけない理由などないと、おっしゃってくれた。その為にこの『叫びの屋敷』は用意され、入り口には『暴れ柳』を植えたんだ」

「正気かよ……」

 驚きすぎて思わず呟くロンをハーマイオニーが咎める。

「確かに正気じゃない」

 暖かい笑みでルーピンもロンに答えた。

「リーマス、その話はもういい。俺は我慢できない」

「もう少しだ。耐えてくれ。この子達は、ちゃんと私の話を聞いている」

 段々と殺意の衝動を抑えきれなくなったブラックがスキャバーズを、殺さんばかりの勢いで睨む。反対にルーピンは穏やかな表情で、昔話を聞かせた。

 ハリーもルーピンの昔話に聞き入っていた。学徒の頃の父親の姿がハリーから、憎しみを消し去って行った。

「3年かかり、ジェームズとシリウスは完全に変身できるようになった。ピーターはどうにか変身したが、2人ほどじゃなかった。それでも私達は満月の夜、屋敷を抜け出して校庭や村を徘徊して遊んだ。その経験から、私達は『忍びの地図』を作成したんだ。それぞれのニックネームを地図にサインしたよ。私はムーニー、シリウスはパッドフット、ピーターはワームテール、ジェームズはブロングズだ」

 その光景を浮かべ、ハーマイオニーは恐れをなした。

「危険すぎるわ……。それで犠牲者が出たらどうなっていたか…」

「そうだね、今思えば本当にぞっとするよ。でも、当時の私達にそんな心配はなかった。才能に酔っていたのもあるし、私は友達を失いたくなかった。勿論、ダンブルドアへの罪悪感はあった。約束を破っただけでなく、友人3人を非公式の『動物もどき』にしたなど、ダンブルドアは知らない」

 友人との最高の時間、『忍びの地図』の作成、ダンブルドアへの敬意。そして、ルーピンは己の卑屈さを嘆いた。

「この一年、私はシリウスが『動物もどき』だとダンブルドアに告げるべきか迷い、ずっと闘ってきた。告げれば、学徒の頃からダンブルドアの信頼を裏切り、ジェームズ達を巻き込んだことを告白することになる。そうやって理由をつけては、今日まで私は何も言わなかった。……ダンブルドアの信頼が私とっては全てだったのに……」

 クローディアの脳裏を掠めたのは、コンラッドの言葉だ。

〝臆病な態度を示したとしても、責めてはいけない。ただし、庇う必要もない〟

 やはり、コンラッドとルーピンは顔見知りだった。何故かはわからないが、コンラッドはルーピンの体質を知りえていた。その為の助言だ。

 唐突にハーマイオニーは叫んだ。

「新聞! ロン、新聞よ! ファッジ大臣がアズカバンを訪問した時、この人は新聞を要求してたわ! 偶々、あなた達がエジプトに行った写真が載っていたんだわ! スキャバーズも一緒に! その記事を見て、気付いたんだわ! ペティグリューが生きていることに!」

 難問の解答を見つけた時と同じ反応でハーマイオニーは、ブラックに同意を求める。純粋な眼差しに圧倒され、彼はたじろいながらも肯定した。

「何度も変身した姿を見ているなら、他の鼠と見分けはつくだろうさ」

 問題の解説を付け足すようにクローディアが呟く。

「でも、どうしてアズカバンにいたのに正気を保っていられたんだ? それにどうやって脱獄をやってのけたんだ?」

 納得できないロンは、問題の答えを求めるようにブラックに問うた。ブラックはロンを一瞥し、不意に天井を見やる。

「おそらく、私が自分を無実だと知っていたからだ。故に私の心は、絶望や失望という感情しかなかった。吸魂鬼にはその感情を吸い取ることはできない。どうしても、心が折れそうになった時は犬になって奴らを誤魔化した。奴らは目が見えない。私が犬になったなど気付かず、弱ったとしか思わなかったのだろう」

「……動物は、吸魂鬼の影響を受けないから……」

 ハリーがベッロを見やる。ベッロが語りかけるような仕草をした。

「あなたは……、クルックシャンクスにペティグリューを捕まえるように協力を頼んだんですね」

 緊張で震えた声だが、ハリーは落ち着いていた。ブラックの協力者がクルックシャンクスだと、ハーマイオニーとロンは驚いた。

「その……通りだ。その猫……クルックシャンクスは、……私が普通の犬ではないと見抜いていた。やがて、私を信用し、寮に入る為の合言葉を書いたメモを持ってきてくれた。ペティグリューを捕えようともしてくれた……」

 ブラックはハリーの発言に驚いていた。

「つまり、隙を見て……犬に変身し、脱獄したってわけさ。それで、吸魂鬼が何処を探しても、捕まえられなかった理由がわかったさ」

 悠長な口調でクローディアは、ハーマイオニーに微笑んだ。非登録の『動物もどき』が多い。

「でも、ルーピン先生。前に『スネイプ先生の調合してくれる薬しか効かない』って言ってましたよね? 薬は2つあったというのは?」

 ハリーの素朴な問いを授業中の質問のようにルーピンは答える。

「2つの薬の話……ひとつは『脱狼薬』、これはスネイプ先生が毎月調合してくれた。近年開発されたばかりの薬で、調合が非常に難しい。これによって、狼の性が抑制できる。もうひとつは『解呪薬』、これによって変身そのものを押さえつける」

「え?」

 ハーマイオニー、ハリー、ロンの視線がクローディアに向けられた。困惑して彼女はルーピンと目を合わせる。彼は、感謝を込めた眼差しを送ってきた。

「『解呪薬』は、世に知られていない……ある魔法使いだけが調合できる。クローディア、そう君のお祖父さん……トトだ。わざわざ人狼に効くよう改良してね」

 祖父の関与は信じ難いが、これでルーピンが『解呪薬』を知っていた理由がわかった。

「あの薬はどんな呪いも解いてしまうはずです。先生の人狼もきっと…」

「ハーマイオニー、……それは……オリジナルではないからさ」

 ハーマイオニーの疑問をクローディアは遮る。

「オリジナル? あの薬はトトさんが作ったんじゃないの?」

 不思議そうにハリーは、問いかけてきた。クローディアは気まずそうに頬を掻く。

「元々、曾祖父ちゃんとお祖父ちゃんが共同して作った薬らしいさ。曾祖父ちゃんが亡くなって、完璧なオリジナルを作りだすことは出来なくなったさ。曾祖父ちゃんの遺した薬は、私が持っているアレだけさ。それももう一粒しかないさ。最後の一粒になったって知った時のお祖父ちゃんを見せてやりたいさ。すっごい剣幕だったさ」

 ポケットの中を探ったが、印籠がない。あるのは薬入れだけだ。こんな時に印籠は部屋へ置いてきていた。

「でも、何度も薬を飲んで大丈夫なんですか? あの薬は反動が強いと思いますが」

 話を逸らしたクローディアに、ルーピンは満足げに頷く。

「最初に薬を飲んだ日は、あまりの不味さに体調を崩してしまった。二度目からは、気絶する程度だ」

((((それは、大丈夫なんだろうか?))))

 更に話を続けるため、ルーピンは深呼吸する。

「トトがクローディアのお祖父さんと気づいた後、一度だけお会いした。その時、私の態度から自分の素性を知られていると見抜いていた。どうしたと思う? トトは『孫をお願いします』と私に頭まで下げてくれた。人狼である私を彼は信頼してくれた。その時の私の気持ちがわかるかい?」

 急に尋ねられたクローディアは、何も思いつかず首を横に振る。

「私を信じないで欲しいと、私は信じるに値しないと……言いたかった。そう、セブルスの言う事は、ある意味では正しかったわけだ」

 懺悔のように悲痛な表情でルーピンは、吐き出した。

「私はルーピン先生のこと、苦手です」

 水を差すようなクローディアの一言に、ハリーは吃驚する。

「でも、授業は嫌いじゃありません」

 照れくさそうに呟くクローディアは、耳まで真っ赤に染まっていた。それを見たルーピンは、安心したように表情を綻ばせた。

「セブルスの『脱狼薬』だけでも、世の人狼には救いなのに、私は本当に運がいい。セブルスとコンラッドには、本当に感謝しているんだ」

「コンラッド=クロックフォードだと!?」

 ブラックが感情的な大声を上げ、ルーピンを見上げた。あまりにも素っ頓狂な発音で叫ばれ、クローディアは驚いて肩をビクッと跳ねらせた。

「ちょっと待て、なんでさっきから、スネイプとクロックフォードが関係してくる?」

 不満そうにブラックは問う。表情を曇らせたルーピンは、言葉を重くした。

「セブルスもホグワーツで教鞭を取っている。そして、このクローディアはコンラッドの娘だ。彼女がここにいるからこそ、コンラッドは『解呪薬』をトトに頼んだんだ」

 初めてブラックは、クローディアに気がついた視線を向ける。思わず、ルーピンの背後に身を引っ込めた。

「ヤツが子育てだと? しかも女の子を?」

 不信そうにするブラックを余所に、ルーピンはクローディア、ハリーへと視線を転じた。

「2人と私たちは、同期なんだ。セブルスは、私が教職に就くことを強硬に反対し、ダンブルドアに信用できないと訴え続けた。彼には、彼なりの理由があった。…このシリウスが仕掛けた悪戯でセブルスが危うく死に掛けたんだ。その悪戯には私も関係していた」

「……悪戯で……死にかけた……」

 クローディアの背筋が寒気に襲われる。

 急にブラックは悪意に満ちた笑顔で、肩を揺らす。まるでドラコのようにだ。否、それよりも残虐性を露にしていた。

「当然の見せしめだったよ。こそこそ嗅ぎまわって、我々を退学に追い込もうとしていた」

 せせら笑うブラックは武勇伝として発言し、クローディアの心臓が冷徹に脈打つ。

 脳髄の奥が、じわじわと騒がしくなっていく。やがて、眩暈を起こすような熱さが神経を通じて全身に行きかう。

「セブルスは、私が月に一度、何処に行くのか非常に興味を持った。コンラッドが私に関わらないように、セブルスを引き止めてくれたのも無視する程にね」

「なんだと?」

 初耳だと言いたげに、ブラックは眉を寄せる。

「その頃のコンラッドは、私の正体を知らなかったが、ベッロは異常に私を警戒していた。そのせいだろう」

 ルーピンはハリーに杖を渡すベッロを見やった。

 誰もがルーピンに話を聞き入っていた。異様に静まり返ったクローディアがゆっくりとブラックへ近寄る姿に誰も気づかない。

「セブルスはある晩、私がマダム・ポンフリーに『暴れ柳』に引率されているのを見つけた。シリウスが……からかってやろうと思って……」

 ルーピンもクローディアに気に掛ける余裕なく、その時の状況を話し続けた。

「ジェームズが危険を顧みず、セブルスを引き戻した。しかし、その時、セブルスは変身していた私の姿を見てしまっていた。ダンブルドアが決して他言せぬようにセブルスに口止めした」

「だから、スネイプ、先生はあなたが嫌いなんだ。でも、コンラッドさんはどうしてあなたの正体を知ったのですか? スネイプ先生が教えた?」

 素朴な疑問にルーピンは今までで一番、苦渋に満ちた表情で目を閉じた。

「セブルス以外の人が……コンラッドに教えたんだ。その悪戯の後に……。その人はダンブルドア程ではないが、私に親切だった……。私は大人がダンブルドアのように寛容ではないことを忘れていた」

「その通り」

 闇色の声が、ルーピンの背後から発せられた。

 誰もいないはずのそこから『透明マント』を脱ぎ捨て、スネイプがルーピンへ杖を向けていた。

「『暴れ柳』の根元にこれが落ちていましてね。ポッター、なかなか便利なものだ。役に立ったよ」

 ハーマイオニーは驚いてロンから手を離し、ブラックは敵意の目で立ち上がる。ハリーも思わず後ろに一歩下がった。

「ルーピン、やはりブラックを手引きしていたか……」

 勝利を確信し、スネイプは恍惚な表情を浮かべる。咄嗟にハーマイオニーが叫んだ。

「スネイプ先生、待って下さい! シリウス=ブラックは犯人じゃありません。ピーター=ペティグリューです!」

「生徒達に何を吹き込んでいる? 全く、くだらん戯言だ」

 スネイプはルーピンだけを仕留めるように睨んだ。

 足の痛みに耐えながら、ロンも必死に何度もスキャバーズを指差した。

「先生、コイツです。この鼠がペティグリューなんです! 『動物もどき』です!」

「いちいち鵜呑みにするな。馬鹿どもが!!」

 怒鳴り声を上げたスネイプの杖が一瞬、激しく火花を散らした。

 ハリーは震える己に喝を入れ、口を開く。

「何処まで聞いていたんですか? ちゃんと聞けば、ブラックが濡れ衣だったと……クローディア?」

 ブラックへ視線を向けたハリーが目にした光景に、絶句した。

 

☈☈☈

 ハリーの声に気づいたハーマイオニー、ロン、ルーピン、スネイプの視線がブラックの背後に集中する。彼は皆の視線を受け、首筋に杖の感触があることを確認した。

 絶対なる殺意を込めた眼差しをブラックに向け、クローディアは彼の背後から首筋に杖を突き立てていたからだ。

 心臓を鷲掴みされた気分に駆られたブラックは両手を上げ、背後の彼女に呻く。

「待て、君は話を聞いていたはずだ」

「聞いた。一字一句、聞き逃さなかった」

 彼女の口から放たれているとは思えない声は、侮蔑が込められている。

「全部、聞いて信用できないと判断した」

「犯人はペティグリューよ! 何処に疑う余地があるの?」

 悲痛な声を上げるハーマイオニーに、クローディアは冷静に頭を振るう。

「そのことじゃない」

 スネイプに杖を突きつけられたまま、ルーピンが諭すように話しかける。

「クローディア、やめるんだ。杖を下ろして……」

「誰も動くな」

 暗い底から吐き出た言葉が命じる。

 突然、ロンを除いた全員が金縛りにあったように動けなくなった。口さえも動けず、何かが邪魔をしている感覚が全身に行渡る。クルックシャンクスとベッロも硬直し、抗えない力に身を捩じらせる。

 驚いたロンがクローディアに声をかける。

「何をしたんだ?」

「少しじっとしてもらう。私がコイツをどう殺すか思いつくまで」

 揺るぎない殺意は、本物だ。ロンにも感じ取れた。

「なんでだ?」

 クローディアは横目でロンを一瞥し、ルーピンに視線を向けた。

「コイツは、ルーピン先生を裏切った」

 反応できないルーピンが目だけを見開いて、驚きの感情を伝える。

「コイツはルーピン先生にスネイプ先生を殺させようとした。誰も襲いたくないルーピン先生に、人殺しをさせようとしたんだ!」

 腹から吐き出された喚き、ハリーは初めて悪戯の重大さと悪意に気づく。それは、ハーマイオニーとロンも同じだった。それでも、ロンは必死に言葉を探す。

「でも……、その後もルーピン先生はブラックと友達だったわけだし……」

「許せない……」

 クローディアの歯の奥で音が鳴った。あまりの気迫に、ロンは口を閉じる。

「それを嗤って、当然のことだなんて! よくもそんなことが言える!! 殺意を抱くことは誰だってある! でも、よりによって友達に殺させようとした! 誰も責めなかったから、それを少しも反省していない! 罪と思ってすらいない! あんたなんか、友達じゃない!」

 何か言いたげに、ルーピンの口が動こうとしている。

 ロンは解決の糸口を探して周囲を見渡す。室内を見渡し、異様さに気づいた。窓から光が差し込まないはずが、皆の足元にある影がクローディアの足元から伸びている。

(影が? クローディアが影を操っている?)

 突拍子もない閃きだったが、ロンにそれに賭けるしかない。自分の杖はハーマイオニーの手にある。

 折れていない脚に力を入れ、ロンはクローディアに気づかれないよう、ゆっくりとハーマイオニーに手を伸ばした。

「心臓の動きを止めれば……死ぬかもしれない」

 誰に言うわけでもなく、クローディアは呟く。ブラックを床に蹴り倒し、再び蹴って仰向けにした。抵抗できぬ彼は、ただ目を見開いていた。

 迷わず、クローディアの杖はブラックの胸に突きつけられた。

「吸魂鬼に引き渡すのは、死体になったあんただ!」

 床を這いずり、ロンの手はハーマイオニーの手にある杖を掴み、乱暴に引き抜いて天井に向ける。

「アレスト・モメンタム!(動きよ止まれ)」「ルーモス!(光よ)」

 唱えるのは同時。

 しかし、ロンのほうが短い分、早く効果が現れた。杖に灯された光がハーマイオニーとハリーを縛っていた影を消し去った。

 解放されたハーマイオニーは、すぐにクローディアに抱きつくように飛び掛った。

 ハーマイオニーに腕を掴まれたクローディアの杖は、向きがずれて床に命中した。ハリーも杖を構える。

「エクスペリアームズ! (武器よ去れ)」

 杖がクローディアの手から離れて、床に飛んだ。杖がなくとも、ブラックに迫ろうとしたので、ハーマイオニーが羽交い絞めにして留める。

「やめて、クローディア! お願い!」

「どうしてだ!? こんなヤツの勝手な悪戯のせいで、スネイプ先生は殺されかけた!ルーピン先生は殺しかけた! 誰も死んで言い訳がない!」

 喚き散らしたクローディアは、ハーマイオニーを振りほどこうとする。まさに鬼のような形相だ。それに近い表情なら、ハリーも見たことがある。クィレルに憑依ついた『例のあの人』を批判したが、正直、比べ物にならない迫力がある。

 ロンは杖の灯りを強くし、他の者も影から解放した。呪縛が解けた大人達はすぐに行動した。

 ブラックは背で床を這いずりながらクローディアから遠退く。複雑に眉を寄せ、何かを言おうにも言葉が出ない。

 ルーピンはクローディアに駆け寄り、両肩を掴んだ。スネイプはブラックに杖を向け、その視線は彼女へと向けられた。

「私はシリウスを恨んだことはない、本当だ!」

「嘘だ! お父さんは理解してくれなかった!! お父さんは私を……私を軽蔑した! 何度も泣いた! そして、後悔した! 私は、ずっと苦しんできた! あんなことすべきじゃなかったと何度も思った! それなのに、こいつはどうしてそんなに平気なんだ!」

 噛み付く勢いで、ルーピンを怒鳴りつけた。

「クローディア……何の話をしているの?」

 ハーマイオニーはクローディアを抱きしめ、必死に諌めようとする。

「馬鹿馬鹿しい。結局は、貴様の自己満足ではないか」

 軽蔑したスネイプが吐き捨てる。闇色の声が届いたクローディアは硬直したように動きをとめた。ルーピンは彼を咎めた。

「セブルス!」

「黙れ、人狼! そこの馬鹿者に話している」

 一喝し、スネイプはクローディアを目の端で捉えた。彼女は静かに動揺している。

「貴様はブラックにあの時の自分を見ておる。貴様が殺したいのは、ブラックでない。あの時の自分だ。そうすることで、あの時のことをなかったことにしたいだけだ」

 親が子を叱るような口調、スネイプは言葉の端々に重みをつける。

 クローディアの身体が痙攣し、震えだす。

 唐突すぎるスネイプの話はハリーには全く検討がつかない。ロンとハーマイオニーも頭を振るう。

 皆の反応を無視し、スネイプはより一層重い声を出した。

「コンラッドは、人殺しを嫌悪していただろう? 己が真にコンラッドの娘だと信じているならば、それを貶めるような真似をするな」

 全員、呪文がかかったように沈黙する。呼吸音だけが部屋を満たした。

 痙攣していたクローディアは両手を組んだ姿勢になる。それで、痙攣がようやく治まった。代わりに日本語だろうか、何か呟いている。

 部屋を見渡し、スネイプはブラックの眉間に杖を突きつける。

「では、諸君。いま重要なのは、このブラックを吸魂鬼に引き渡すこと……」

 ルーピンが止めに入ろうとする前に、スネイプが手で制した。

 この場所に辿り着いた時、スネイプもブラックへの殺意の衝動を押さえ込むのに精一杯であった。故にクローディアを軽蔑しない。

「だが……、ミス・クロックフォードに免じて話ぐらいは聞いてやろう」

 狂気じみた怒りを抑える口調で、スネイプは深呼吸する。

 意外な言葉に、ブラックが驚いて音程のずれた声を上げる。ハリーとロンもだ。ルーピンは安堵の息を吐き、クローディアをハーマイオニーに任せてスネイプと向き合う。

 スネイプは杖をブラックに向けたまま、ベッロに視線を向ける。

「ベッロ、その鼠はピーター=ペティグリューか?」

 問いかけに、ベッロは頷くような動きを見せる。

 スキャバーズを一瞥し、スネイプはルーピンに視線を送る。

 視線の意味を理解した彼は杖をスキャバーズに向ける。察したクルックシャンクスが鼠を離した。

 ルーピンの杖から、青白い光が迸りスキャバーズに命中する。鼠は、宙に浮くと激しく捩れた。その光景にロンが堪らず叫んだ。

 そして、鼠は瞬時に小柄な小太りの男の姿へと変貌した。色あせた髪はてっぺんに禿げを作っている。鼠に相応しく何処かパサパサしていた。

「おお、リーマス。懐かしの友……」

 震えた声で再会を喜ぶペティグリューより先に、ベッロがその身体に巻きつき鋭い牙を首筋に当てた。冷たい鱗の感触に、彼は恐怖に慄き、ガタガタと音を鳴らして震えた。

「どうやら、我輩よりもベッロのほうが貴様を殺したいようだ」

 唇を噛み締めたスネイプの手が、確かな憤怒で震えている。

「待ってくれ! 話す、全部話すから、この蛇に殺させないでくれ! ああ、ハリー! 君はお父さんにソックリだ! 私が蛇に襲われそうになったら、いつも助けてくれた」

 動揺を隠せないハリーにペティグリューは縋ろうとする。それ見て全身に怒りが巡ったブラックが怒鳴った。

「この子の前で、よくもジェームズの名が出せるものだ! 貴様がジェームズとリリーを売ったせいで、死んだんだぞ!」

「仕方なかった! 闇の帝王には逆らえなかった……恐ろしいまでに強大な力に抗えなかったんだ……。シリウス、君だってそうだろ?」

 自身を哀れむペティグリューに、ブラックが飛び掛る。咄嗟にベッロがペティグリューから離れた。

「2人を裏切るぐらいなら、俺は死んでいた! 貴様もそうするべきだったんだ! そうだ、この場で殺して……」

 ブラックの両手がペティグリューの首にかかろうとした。しかし、クローディアを意識したとき、手が自然と止まった。

「殺していいわけがない。いま、このお嬢ちゃんが言ったじゃないか。この娘さんは、良いことをいうじゃないか。私が殺されていいはずがない」

 クローディアの言葉を自分の都合よく使うペティグリューの首をブラックは、迷いを捨てて掴みかかった。

 その光景にハーマイオニーが悲鳴を上げ、クローディアの肩に顔を埋めた。

「やめて、殺さないで!」

 制したのは、ハリーだ。ブラックは驚いてハリーを見やる。ペティグリューは歓喜に震える。

「おまえを吸魂鬼に引き渡す! アズカバンに行くんだ!」

 憎悪の感情を剥き出したハリーは、ペティグリューに死刑を宣告するより重く吐き捨てた。

 ルーピンもブラックのように驚いていたが、ハリーの決定に従う意思を見せた。

「しかしハリー、変身するようなことがあれば、殺すよ。いいね?」

 これに対し、ハリーは頷いた。

 スネイプは難色を示していたが、杖をペティグリューに向け、魔法で出した縄で縛り上げた。そして、骨折しているロンの脚に杖をあて、骨が見えていた傷を癒した。

「応急処置だ。後は、マダム・ポンフリーに任せる」

 不機嫌にスネイプは、ロンを無理やり立たせた。

 

 誰かがこの集団を目にすれば、奇怪な印象を受ける。

 少なくともハーマイオニーは確実に怪訝する。クルックシャンクスとベッロが先頭し、ロンに肩を貸すシリウスとハリー、ピーターを引きずるスネイプ、ルーピンの後ろを歩くクローディアとハーマイオニーが殿だ。

「噛んで悪かったね。痛かったろ?」

「もげるかと思ったよ」

 文句を述べるロンに、シリウスは機嫌が良い。

 ひたすら歩く中で、クローディアは『叫びの屋敷』から口を開かない。ずっと、何かを考えるように目を細めている。沈黙に耐えかねたハーマイオニーは、声をかけた。

「そういえば、クローディアはどうしてここに来れたの?」

「……玄関ホールの階段に鞄が落ちてたさ。『暴れ柳』にベッロが向かっていったから、そこにハーマイオニーがいると思ったさ」

 普段の口調に戻っている。しかし、何処か重い雰囲気が込められている気がした。先ほどのことがクローディアに暗い影となっているからだと、ハーマイオニーには推測できる。

 おそらく、クローディアはシリウスのような事態を招いたことがあるのだ。詳細はわからないが、何故か、スネイプはそれを知っていた。結果として彼の言葉が引き止めたのだから、感謝しなればならない。

「ハーマイオニー」

 考えに耽っているハーマイオニーは、クローディアの呼びかけに慌てて振り返る。

「ごめんさ、みっともないところ見せてさ。本当に、顔向けできなくなるところだったさ。……そうさ、誰かを身代わりにしても私のしたことは……取り消せないのに……」

 表情がなく、口調も淡々としている。

「みっともなくてもいいわ。クローディア、貴女がどんな人間でも私達は友達よ」

 当然のことを口にするハーマイオニーに、クローディアは驚愕に目を見開く。そして、憑き物が落ちたように柔らかい表情になり、嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとう……」

 まるで何年も口にしたことがないように緊張した言い方だった。ハーマイオニーはクローディアの手を取り、友情を態度で示した。

 




閲覧ありがとうございました。
シリウスの悪戯は、どう考えてもルーピンが傷つくのに、当時のシリウスにはわからなかったんでしょうね。


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21.時間

閲覧ありがとうございます。
また、長文です。

ハーマイオニーとハリーの視点になります。

追記:18年10月1日の誤字報告にて修正しました。


 出口はクルックシャンクスが『暴れ柳』の幹を押し、皆が通れる隙間を作った。

 ハリーが先に這い上がり、ロンに手を貸す。シリウスはマゴマゴしているペティグリューを引っ張り、スネイプはその足を押し出す。

 殿のルーピンを残し、クローディアは外に出る。肌寒さに身震いすれば、先に出ていたハーマイオニーが投げ捨てていたローブを拾い渡した。

「私は大人しい従順な鼠だっただろう? 頼む! 私を吸魂鬼に引き渡したりしないでくれ!」

 必死にロンから情けを受けんとするペティグリューをスネイプが引き離す。ハリーとシリウスは、遠巻きに裏切り者を見下していた。

 ローブを纏ったクローディアは何気なく夜空を仰ぎ、雲から見事に丸い月が地上を照らしていた。

 

 ――満月だ。

 

 途端にスネイプが土気色の顔色を更に悪くして、叫んだ。

「いかん! ルーピンから離れろ! 奴は、今夜の分の薬を飲んでいない!」

 その場にいる誰もが緊張のあまり、硬直した。

 ルーピンの一番近くにいたクローディアとハーマイオニーは、勢いよく『暴れ柳』を振り返る。幹の隙間から這い出てきた彼が唸り声を上げた。

 ルーピンは俯き、全身を小刻みに震わせている。

「ルーピン先生!」

「ハーマイオニー!!」

 ハーマイオニーがルーピンに駆け寄ろうとしたので、クローディアは彼女の腕を引き後ろに無理やり下がらせた。

 その時、クローディアはルーピンに背を向けていた。そして、ハーマイオニーしか見ていなかった。

 傍から見れば、瞬間の出来事。

 クローディアの背から、強い力で肩を押さえられ、首筋に噛まれた感触が襲ってきたのは同時。噛まれたと認識した時、息苦しさと声に出せない激痛に身動きすら取れなかった。

 ハーマイオニーの瞳に映るのは、人の姿を保った狼人間ルーピンの獰猛。

「きゃああああ!」

 恐怖に満ちた悲鳴が夜空に渡った。

 スネイプは真っ先にルーピンの顎に掴みかかり、シリウスもペティグリューを放置してまで親友の胴体に抱きついた。

「リーマス、しっかりしろ! 自分を見失うな!」

 2人がかりでの死に物狂いの力にて、クローディアの首筋から引き離した。

 泣きながら、ハーマイオニーは倒れてくるクローディアを抱きとめる。首筋から迸る血が衣服を濡らしていく。

 比例して血の気がなくなり、クローディアは脈打つごとに青白く染まる。荒い呼吸を繰り返し、瞬きを忘れたように瞼は下りない。ハーマイオニーは彼女の負担を減らすため、ゆっくり地面に寝そべらせる。

「クローディア、しっかりして、薬……薬は何処にあるの?」

 力のない手つきでクローディアはローブを弄り、薬入れを地面に落した。

「エクスペリアームズ!(武器よ去れ)」

 ハリーの叫び声に、ハーマイオニーは振り返る。気絶したロンの杖が宙を舞い、ペティグリューが鼠に変身してしまう。暗闇に消える鼠をクルックシャンクスとベッロが追いかけた。

「シリウス! あいつが逃げた! 変身した!」

 ハリーの声に一瞬だけ、スネイプとシリウスの気が逸れた。

 その瞬間、ルーピンがスネイプを『暴れ柳』に吹き飛ばし、シリウスを天高く蹴り飛ばした。

 飛ばされている間、シリウスは黒い犬に変身して軽やかに受け流すが、スネイプは木にぶつかった衝撃で気絶していた。

 ハーマイオニーは出来るだけ乱闘から離れ、クローディアの首筋に薬を塗る。傷は消えていくだけで、素人でもわかる程に血が足りない。

「ハリー! クローディアが!」

 凄まじい形相のハリーは何処から持ってきたのか、虫籠をルーピンに押し付けた。

 納まったルーピンは虫籠が壊れんばかりの勢いで暴れ続ける。ハーマイオニーがすぐに『施錠呪文』をかけた。

 シリウスは人の姿に戻り、息をつかせぬ間にハーマイオニーの足元に屈む。意識が朦朧としているクローディアを見つめ、シリウスは彼女に問う。

「ピーターは変身したのか? どっちへ行った?」

 震える手でハーマイオニーはペティグリューが逃げた方向を指差す。唇を噛み、シリウスも暗闇へ走り去った。

 息絶え絶えのクローディア、気絶したスネイプとロン、半人狼化したルーピン。

「ペティグリューはロンに何をしたのかしら?」

「わからないよ。僕らがルーピンに気を取られている時に、あいつ、ロンから杖を奪い取ったんだ」

 歯噛みしたハリーとハーマイオニーはお互いを見合わせ、これからすべきことを模索する。

「ハーマイオニーはここにいて、クローディアを眠らせちゃダメだ。僕が城に…」

 ハリーが言い終える前に、暗闇から犬の悲鳴が聞こえた。それはシリウスが危機に陥っていることを報せている。

 不安と恐怖が2人の胸を通過する。ハリーは右往左往しながら、嫌な汗を掻く。シリウスを心配する心情を察したハーマイオニーはクローディアを抱きしめる。

「ハリー、行ってきて」

「ゴメン……」

 切なそうにハリーは拳を握り締め、悲鳴に向かって突進した。

 1人となったハーマイオニーの耳に聞こえるのは、己の息遣い。虫籠の暴れる音と不気味に吹く風の音だ。

「しっかりして、私の手を握ってクローディア……」

 声をかけ続けるハーマイオニーに対し、返事のないクローディアの握力はほとんどなく手に添えている状態だ。

 助けを呼ばなければ、ならない。しかし、独りではどうしようもない。

 何処からか不思議な気配を感じ、視界の隅に光が見えた。

 ハーマイオニーが急いで振り返るが、その光が近づいてくることはない。やがてその光も消えた。

「誰か……誰か助けて!」

 堪らず、夜空に向かって叫んだ。

「お願い……、助けて……」

 犬の鳴き声がした。暖かく逞しい野太いファングの声だ。

 顔を上げたハーマイオニーは目を凝らす。城から、ランタンの光がこちらに近づいてくる。

 まさに希望の光だ。

「ハグリッド!!」

 喉が裂けんばかりに声を張り上げた。

 地面を揺らす足音より先に、ファングが現れた。そして、頼りになる森番だ。

「誰だ!」

 警戒する声がランタンの光をハーマイオニーに突き出す。

「ハーマイオニー! クローディア! ……スネイプ先生? 一体、何が起こったんだ?」

 ハグリッドは惨状を見て、動揺する。

 救援が来たという喜びに号泣が止まらない。それが更に森番を混乱させた。

 

☈☈☈

 胸騒ぎを覚えるルーナは談話室の窓から外を眺める。

「クローディア、何処に行ったのよ」

 火のない暖炉の前で、苛々したペネロピーは貧乏ゆすりを繰り返す。

「またハーマイオニーの所でしょう。試験も終わったし、泊まってくるんじゃないの?」

 小説を読み終えたクララが欠伸をひとつする。気温の高い室内で、ペネロピーは妙な寒気に震える。これは不安以外の何物でもない。

 ルーナの隣に立ち、ペネロピーも窓の向こうを見やる。

「危険な目に遭ってないといいけど……」

 ペネロピーに呟きに、言い知れぬ不安に駆られたルーナは胸中で答える。

(……きっと、もう遅いんだ……)

 

☈☈☈

 意識のないハリー、ロン、スネイプは医務室。クローディアは何故か別室に運ばれる。会話もできないルーピンは虫籠状態でハグリッドの家に押し込められ、シリウスはフリットウィックの事務所に軟禁された。ハーマイオニーがハグリッドに事の顛末を説明しても、理解を得られなかった。

 恐怖に頭が混乱していると判断され、ハーマイオニーも医務室行きとなった。

 シリウスを捕縛し、教職員達は魔法省に報告すべきとダンブルドアに訴えたが、彼はそれを抑えている。

 だが、シリウスの存在を察した『吸魂鬼』が限界だ。『吸魂鬼の接吻』の許可が出された獲物が傍にいるのだ。無理もない。以前の競技場の例があり、学校の敷地内に侵入する可能性がある。そうなれば、寮の生徒にまで襲ってくる危険が生まれる。

 目を覚ましたハリーにハーマイオニーは事態を説明する。驚いた彼はすぐに寝台から飛び起きた。

「シリウスは無実だって、校長に言おう!」

「校長先生は信じてるわ。だから、魔法省への連絡を遅らせてくれてる」

 不安げに眉を寄せるハーマイオニーにハリーは苛立った。

「じゃあ、何が問題? スネイプが起きたら証言するし、ルーピン先生だっている!」

 声を荒げるハリーの口をハーマイオニーは押さえる。

「クローディアが……もし、死んだりしたら……全てにおいて取り返しがつかないわ。魔法省はシリウスがルーピン先生に彼女を襲わせたと判断するかも。スネイプはシリウスを弁護しないでしょうね」

 口に出せば、現実になってしまいそうで恐ろしい。しかし、ハリーに如何に最悪な状況か理解してもらう為、ハーマイオニーは涙を堪えて説明した。

 クローディアの死、それは絶対に避けたい。大切な友達を失いたくない。

「魔法省への連絡は後にすればいい! その前に彼女の治療が……」

「『吸魂鬼』は待ってくれないわ! 我慢が出来なくなれば、あいつらはダンブルドアでさえ! 押さえつけられないのよ!!」

 クィディッチの試合のとき、ハリーは我慢の限界だった『吸魂鬼』に襲われた経験がある。悔しさで口を噤んだ。

 医務室の扉が突然開かれた。

「「校長先生!!」」

 期待を込めた2人はダンブルドアに駆け寄った。

「クローディアじゃが、容態が回復せん。マダム・ポンフリーも手を焼いておる」

「それなら、お祖父さまのトトに連絡してみてはどうでしょう?」

 ハーマイオニーにダンブルドアは既に連絡したと返した。

「トトが来るまで、コンラッドに診てもらいたいのじゃが、クローディアを探しに行ったきり未だ戻ってこん。わしらが今から探しに行っても、とても間に合わんじゃろ。仮にペティグリューを見つけ出せたとしても、彼女が助からん限り、シリウスの無実は証明し難い。かといって、全てを揃えるにはあまりにも、時間が足りんのじゃ」

 断言され、ハリーは最後の頼みの綱を失う。しかし、ダンブルドアは何故か笑みを見せる。

「良いか? 誰にも見られんようにな。そうじゃな、3回ひっくり返せば良いじゃろう」

 扉を閉める寸前、ダンブルドアはハーマイオニーにウィンクした。

「煮詰まれば、最初からやり直せばよい。幸運を」

 

 ――バタン。

 

 言葉の真意を汲み取れないハリーを余所に、ハーマイオニーは襟を探り丸い砂時計をつけた鎖を取り出す。その鎖を2人の首にかけ、砂時計を3回ひっくり返した。

 

 前触れなく視界が流れていく。その流れがハリーは逆だと視認した。

 しかし、感覚は普段のままだ。まるで、魔法のリモコンで全てが『逆再生』となったと錯覚する。

 流れに反する体験を終えると、2人は誰もいない医務室にいた。鎖を外して彼女は急いで時間を確認する。ハリーは周囲を見渡し、暗かった外が明るいことに、目が眩しさを覚えた。

「3時間前……私たち何してた?」

 理解不能のままハリーは取りあえず、思い返す。

「確か……、夕食前に『忍びの地図』を見ていたと思う」

「ということは、私達は外に行くわ。これからよ!」

 戸惑いながら答えるハリーの腕を引き、ハーマイオニーは玄関ホールまで走る。フィルチの掃除道具入れ棚へと、2人は飛び込む。

「ちょっと、どうして……ハーマイオニー」

「静かに!」

 戸の向こうから、3人分の足音が聞こえてきた。

「ハリー、待って! 危険だわ」

「でも、クルックシャンクスとペティグリューが危ないよ!」

「せめて『透明マント』を被れよ」

 聞きなれた3人分の声を聞き、ハリーの困惑は更に大きくなる。

「いま、君の声がした……?」

「ええ、そうよ。3時間前の私達よ」

 慎重に声を押さえたハーマイオニーは神経を尖らせ、戸の向こうに聞き耳を立てる。

「私達は階段を下りて行ったわ」

 戸の隙間を開け、ハーマイオニーは外を見る。

「ハーマイオニー、何が起きたの?」

「これ『逆転時計』よ。今学期の始まり、マクゴナガル先生に頂いたわ。私が全部の授業を受ける為に必要だったの。先生は私が模範生で、勉強以外に『逆転時計』を使用しないという手紙を魔法省に送り、やっとひとつだけ入手してくださったの。これで授業の掛け持ちをしていたの」

 ハーマイオニーの首にかけられた砂時計をハリーは不思議そうに見つめる。すぐに彼女は懐に『逆転時計』を仕舞いこんだ。

「時間を戻すことで授業を……それであんな時間割に……」

 確認に頷きを返す。そして、掃除道具入れから出て周囲を確認する。

「校長先生はここまで遡れば、クローディアを助けられると考えているけど……、でも」

 遠くにある『暴れ柳』にハリーとハーマイオニーが弄ばれていた。自分が殴られている姿は色々と衝撃だ。

「僕が殴られている……」

 周囲を見渡したハーマイオニーは不安そうにウロウロする。

「ないわ、私の鞄が……。あれがないと、クローディアは気付いてくれないのに」

「僕らが『暴れ柳』の穴に入った時、枝にひっかかって外れたんだ。破れたらどうしようって言ってたろ?」

 ハリーに指摘され、閃いたハーマイオニーは杖を出して唱えた。

「アクシオ! (来い!)」

 ハーマイオニーの手に鞄が吸い込まれるように現れた。

「『忍びの地図』と『透明マント』は……、あるわね。『透明マント』で身体を隠しましょう」

 鞄から『透明マント』を取りだした瞬間、ハリーの後頭部にカサブランカとヘドウィックが激突した。

 カサブランカの脚にはドリスからの手紙が括りつけられていた。何故だか、ヘドウィックはカサブランカが気に入らず、喧嘩を仕掛けている。

「こんな時に、なんだい!」

 苛立ったハリーはヘドウィックを出来るだけ優しく掴む。代わりにハーマイオニーが手紙を受け取る。内容はコンラッドが学校に訪問する旨を伝えるものだ。

「ハリー、ナイス! カサブランカに手紙を運ばせて、お祖父さまを呼ぶのよ」

 ハーマイオニーは鞄を探り、筆記用具を取り出す。ハリーは緊急を報せる内容にし、カサブランカに持たせた。

「3時間以内にトトさんに届けてくれ! クローディアが危ないんだ!」

 一瞬、カサブランカは驚く表情を見せた。しかし、ハリーの懇願を聞き入れる。翼を広げて大急ぎで飛び去った。すると、ヘドウィックは大人しくなり、フクロウ小屋に向けて飛んで行った。

「何なんだろう?」

 ヘドウィックの行動がわからず、ハリーは首を傾げる。構わず、2人は『透明マント』を被り、鞄を石階段に放置した。

 その状態で『隻眼の魔女像』の物陰に隠れる。

「……フレッド、覚えてろ……」

 忌々しく吐き捨てるクローディアがベッロと玄関ホールを過ぎ去っていく。

「(どうやって、気づかせるんだ?)」

 耳打ちするハリーに、ハーマイオニーは手近な小石を握り締める。そして、クローディアに向かって投げつけた。石は避けられ、ベッロに命中した。吼えるベッロがハリー達の下に向かってくる。

 ハリーは『透明マント』越しにベッロへ命じた。

[『暴れ柳』に行け。僕らを追いかけろ]

 一瞬、疑問したベッロだが、すぐにそれに従う。

 その間に、もう一度ハーマイオニーはクローディアに石を投げつける。また石は当たらなかったが、怪訝そうに彼女は『隻眼の魔女像』まで足を運ぶ。

 その足音に合わせて2人はクローディアから距離を取っていく。そして、彼女は周囲を確認していくうちに石段の鞄に気づいた。

 血相変えたクローディアは校庭に飛び出し、ハーマイオニーを呼ぶ。2人は、自分達に気付かれないように石を投げつける。

 クローディアは振り向いた先で『暴れ柳』に向かうベッロを捉え、『暴れ柳』に向かう彼女を2人は追いかけた。

 『暴れ柳』はクローディアにだけ反応を示して、攻撃した。その間、2人は『暴れ柳』が見える位置まで下がり、岩陰に隠れた。

 鞄とローブを打ち捨て、クローディアは軽々とした身のこなしで『暴れ柳』の根元の隙間に飛び込んだ。

「すごいなあ……。あんな動き僕には無理だよ」

 感心し、ハリーは思わず呟く。神経を尖らせたハーマイオニーは『透明マント』を脱いで丸め、『暴れ柳』の根元へ放り投げた。

 ハリーが咎めようとしたが、ハーマイオニーは沈黙を要求した。

 その後、ルーピンが杖を振るい『暴れ柳』の動きをとめ、隙間に入る。そして。スネイプが根元にあった『透明マント』を被り、穴へと入り込んだ

「スネイプに『透明マント』を使わせたの!?」

「馬鹿ね。スネイプが来ないとクローディアを止められないわ。……本当に危なかった」

 吐き捨てるハーマイオニーにハリーは屋敷での状況を思い返す。シリウスを責め立てる剣幕に、両方を想って胸が痛んだ。

「クローディアは……僕らに何を隠しているんだろう?」

 触れられた点にハーマイオニーの肩がビクッと痙攣した。

「……それは、わからないわ。でも、きっと私達と出会う前の話よ」

「うん、そうだけど……」

 話題を変えるため、ハーマイオニーは吸魂鬼がシリウスを捕らえなかった理由をハリーに尋ねた。彼は湖の向こうから神々しいまでの銀色の何かが、吸魂鬼を追い払ってくれたと説明した。

 衝撃を受け、ハーマイオニーはぎこちなく口を開ける。

「そんなことが、でも、それは何?」

「吸魂鬼を追い払うものは、たった一つ。本物の守護霊だ。しかも、強力な……。あれは父さんだ」

 強い確信を持つハリーは真摯な物言いだった。

 しかし、既にこの世にない彼の父が『守護霊の呪文』で吸魂鬼を追い払ったなど、ハーマイオニーには信じがたい話だ。

「ハリー、死んだ人間は蘇らないのよ!」

「わかっている。でも、ペティグリューは死んだと思われていたけど、生きていた。もしかしたら……」

 それ以上言わず、ハリーの口は閉じる。

 30分以上が立ち、陽が落ちた校庭は暗く、肌寒さが2人を襲った。その校庭にハグリッドの巨体が誰かを伴って、現れた。

「ハグリッド?」

「ハリー、し~!」

 地面を這うように2人は『暴れ柳』の向こう側まで移動した。

「私は湖のほうを探すとしよう。1時間後、『暴れ柳』で落ち合おう」

「俺は城の周辺を探してみる。いいか? 気をつけて行けよ」

 渋った様子でハグリッドは城へと歩いていく。暗闇でも何処となく壮麗さを漂わせる男が『暴れ柳』を遠巻きに、湖へと向かっていった。

「アレがクローディアのお父様ね。暗くてよく見えないわ」

「……いまから、城に戻るように言えないかな?」

 追おうとしたハリーをハーマイオニーが引き止める。耳元で強く念を押す。

「私達は『叫びの屋敷』にいるのよ。下手に会ったら、どうやって説明するの? 呼び止めるなら、私達が出てきてからにしないと」

「それまで湖に居てくれるか、わからない! 僕らはクローディアを助けないと行けないんだ!」

 ハーマイオニーの手を振り払うハリーは、走ろうとした。彼女が胴体に抱きつく。

「だから、慎重に時間をいじるの! 順序良く、救う為に……」

 深呼吸を繰り返し、ハリーは熱くなる自分を抑えた。それから、ハーマイオニーの手を握る。

「……その通りだ、ゴメン……」

 頷いたハーマイオニーは、杖を構えて唱える。

「アクシオ!(来い)」

 吸い付くようにハーマイオニーの手に虫籠が現れ、『暴れ柳』の根元から少し離して置く。

「貴方はこの辺に立ってたわ。きっと、気づいてくれる」

「確かに、僕もそこにあったのを見つけた」

 確認しあった2人はペティグリューの逃亡経路を待ち構える為、『暴れ柳』から遠ざかる。

 湖付近に身を潜め、時を待つ。

 

 雲にかかっていた満月が校庭を照らし、『暴れ柳』から出てくる人影が8人と2匹だ。これから起こる事に、ハーマイオニーは怖れのあまりハリーの腕を掴んだ。

 そして、ルーピンがクローディアに噛み付き、ハーマイオニーが悲鳴を上げる。シリウスとスネイプがペティグリューから離れた。

 隙を見たペティグリューはロンから杖を奪い取り魔法で気絶させた後、自らに杖を向けた。ハリーが彼から杖を取り上げたが、遅かった。

 ペティグリューは変身し、ハリーとハーマイオニーが待ち構える場所に走ってくる。

「来るわ!」

「よし!」

 暗闇で鼠を捕まえるという難関に、2人の胸は緊張で一杯だ。二手に別れ、僅かに聞こえる鼠の足音に全神経を集中し、杖を構える。

「何をしているんだい?」

 低く侮蔑した冷たい声、ハリーは悲鳴を上げそうになり、口を押さえる。振り返るといつの間に立っていたのか、コンラッドが見下ろしている。

「ペティグリューが鼠の姿でここに来ます! ベッロとクルックシャンクスが追いかけてきます! 捕まえるんです!」

 早口で大雑把な説明にコンラッドは顔を顰めるが、その口元は弧を描いた。

「成程ね。どうやら、本当だったらしい」

 ハーマイオニーのいる方角で杖が光を放つ。ペティグリューが近づいてきた。その証拠として、目の前をベッロとクルックシャンクスが走り去っていく。逃げられてしまう焦りが全身を粟立たせ、ハリーは杖を構えて手当たり次第魔法を唱えようとした。

「ベッロ、戻れ」

 たった一言。

 ベッロは追撃をやめ、普段の動きでコンラッドとハリーの前へやってきた。見事なまでの恭順さに、ハリーは目を丸くした。

「この域、全ての蛇に探させろ。出来るなら、猫にも頼みこめ。行け」

 ベッロが鎌首をもたげ、空を仰いで吼えた。その言葉はハリーには理解できる。

[指の欠けた鼠を探して捕らえろ! 抵抗すれば、殺せ!]

 合図のように周囲の草が騒然となり、地面に蛇という蛇が一斉に動き出す。その異様な光景に、流石のハリーも慄く。ハーマイオニーが悲鳴を上げながら、逃げ戻った。

 平然としたコンラッドは2人を蛇の群れに覆われていない場所まで導いた。

「君達は城に戻れ。私はペティグリューを探す」

「待ってください! クローディアが危ないんです! トトさんが来るまで、貴方がいてくれないと死んでしまう!」

 呼びとめるハリーにコンラッドは一度だけ振り返り、すぐさま足を蛇の群れ共に行ってしまった。

 ハリーはコンラッドを追おうとしたが、その前に湖の畔でシリウスと自分が百匹の吸魂鬼に襲われ始めた。魂からの苦痛に呻く様は、絶望だ。

「父さんが来てくれるはずだ」

 己の鼓動の音を耳で感じながら、ハリーは期待した。

 だが、シリウスが動かなくなり、自分も地面に倒れ伏しても、誰も現れない。

「このままだと……2人は……」

 諦めたようなハーマイオニーの声を聞き、耐え切れなくなったハリーは湖の傍へと飛び出し、父親を求めて『守護霊の呪文』を放つ。

「エクスペクト・パトローナム!(守護霊よ来たれ)」

 眩い光は形になり、美しく雄雄しい鹿の姿をしていた。

 鹿は吸魂鬼へと疾走し、シリウスと自分を囲んでいた者達を払い退けた。守護霊は、吸魂鬼がいなくなるとハリーへと近寄り、頭を垂れた。

「ブロングズ」

 我知らずと呟いたハリーは牡鹿に触れようとしたが、その前に霧のように消え去ってしまった。

「僕だったんだ……。でも、僕は父さんと見たと思った」

 何という巡り合せかと、ハリーは興奮し笑った。

 

 自分達が城に運ばれたところを確認し、ハリーとハーマイオニーも城に戻る。玄関ホールに着くと、『隻眼の魔女像』にマクゴナガルがおり、灰色のスーツを着込んだトトと緊迫した雰囲気で話していた。

「なんと、お早いお着きで……お待ちしておりました。こんなことになって、申し訳ございません」

「謝罪は受けておくが、案内をお願いいたします」

 トトの静かな声は怒りに満ち、2人は医務室とは反対方向へと歩いていく。その背に注意し、ハリーとハーマイオニーは医務室に急いだ。

「これでクローディアは大丈夫だ」

 周囲を警戒し、半開きになった医務室に身を屈めながら入り込む。

「君らが何かせぬように、閉じ込めておかねばらん。良いか? 誰にも見られんようにな。3回ひっくり返せば良いじゃろう」

 寝台の裏に回り、ハリーとハーマイオニーは扉が閉まるのを見た。その瞬間、ダンブルドアは寝台裏の2人に対して、ウィンクした。

 2人の目の前で、自分たちが『逆転時計』によって消える。ようやく緊張の糸が切れた。成し遂げた達成感もあるが、疲労によって力をなくす。地面に倒れて、安堵の息が医務室に響いた。

 急に呻き声がする。スネイプが起き上がろうとしているのがわかる。2人は急いで寝台に飛びのり、狸寝入りを決め込んだ。

 起き上がったスネイプはすぐに状況を把握し、乱暴に医務室を出て行った。

 

☈☈☈

 医務室の外には懐中時計を見つめるダンブルドアがいた。スネイプがズカズカと歩み寄ると、校長は懐中時計を懐にしまう。

「体調は良さそうじゃな、セブルス」

「校長、クローディアは? 医務室に姿がありませんが、まさか……」

 顔を顰めるスネイプに対し、ダンブルドアは緩やかな笑みで小さく頷く。

「今宵は、随分と素直じゃなセブルス」

 己の口から出た言葉に気付き、スネイプは一瞬だけ目を泳がせた。

「アルバス。ミス・クロックフォードのご家族が見えられました。ご指示通り、お部屋にお通ししました」

「これで、ひとつじゃな」

 報告に来たマクゴナガルはスネイプに経緯を説明する。粗方、事情を飲み込んでダンブルドアに断言する。

「我輩、この目でしかとピーター=ペティグリューを目撃しました。奴はシリウス=ブラックに罪を着せ逃げ延びていたのです。魔法省の前で、我輩は証言いたします」

 衝撃の真実、マクゴナガルは口元を手で押さえて慄いた。

「では、ミス・グレンジャーの証言通り……なんということでしょう。アルバス、こうなれば魔法省に報せるべきです。窓の外を見れば、吸魂鬼がじっとこちらを睨んでくるのですよ」

 癇癪を抑え込むマクゴナガル自身も、神経をすり減らしているのがわかる。

 ダンブルドアは窓の外を眺め、簡単だが強く頷いた。

「ちょうど、揃ったところじゃ。魔法省も納得するじゃろ」

 呟いたダンブルドアは突然に廊下を小走りで歩き出し、一瞬、驚いたスネイプとマクゴナガルは黙って校長の後に続いた。

 

 満月に照らされた玄関ホールにはベッロとクルックシャンクスが疲労困憊のあまり、毛布の上でぐったりしていた。

 そして、縄に縛られ猿轡を噛まされたペティグリューが地面に顔面を擦り付ける。ダンブルドア達の姿を目にし、小刻みに震え呻き声を上げて哀れに振舞おうとした。

 『隻眼の魔女像』の物陰から、現れたコンラッドの足がその頭を踏みつける。

「静かにしたまえ、君の声は耳障りだ」

 機械的な笑みを崩さないコンラッドはペティグリューを踏みつけたまま、3人に礼儀正しく頭を下げる。

 月明かりのみ、薄暗い景色でもスネイプには十分、コンラッドの姿を捉えた。お互い歳月の経過を物語っているが、それでも懐かしき頃の面影は十分にある。

「申し訳ありません。これを生け捕りにするのに時間を取られてしまいしました」

「君の助力には感謝するが、足を下ろしなさい。窒息しては元も子もないぞ。コンラッド」

 素直にコンラッドは足を地面に下ろす。

 視界に映るスネイプへコンラッドは視線で笑いかける。視線を感じ取り、反射的に睨んだ。

「クローディアの容態についてお聞きしても、よろしいでしょうか?」

「いいとも、君の舅殿が治療にあたられたばかりじゃ、後を頼みたい」

 ダンブルドアに従い、コンラッドはお辞儀する。その前に、ペティグリューの腹に蹴りを入れた。痛みで、裏切り者は悲痛に喘ぐ。

「では、ここで失礼いたします。マクゴナガル先生、案内をお願いします」

 ペティグリューの姿に少なからず動揺していたマクゴナガルは承諾し、コンラッドを部屋へと案内した。

 コンラッドとスネイプはお互いが擦れ違う瞬間にさえ、決して言葉を交わさない。去っていく足音を耳にしながら、教授は胸中で旧友の名を呼んだ。

 誰にも聞こえぬ声を耳にしたように、コンラッドは一瞬だけ懐かしさで微笑んだ。

 

☈☈☈

 満月が恐かった。

 月が満ちていく度、凶暴な獣へと変貌する日が迫るのだ。

 『脱狼薬』で理性を保った日、人狼の姿を鏡に映した。

 その醜悪さを嗤った。嗤う以外、反応できなかった。こんな姿をジェームス達に晒していたのだと思うと、余計に笑いが込み上げてきた。

 『解呪薬』を服用した時、その日が満月であることすら忘れた。忘れられる程、身体に異常がなかった。ただの人間と変わらない正常そのものだ。ただ、『解呪薬』の味に気絶しただけだ。

 満月の夜を変身なく、歩く。それだけで、言葉で言い尽くせない感動があった。

 獣の性も変身もなく、リーマス=J=ルーピンとして過ごせる。これを幸福と言わずして、何というのだろうか?

 ダンブルドア、スネイプ……そして、トトには本当に感謝という言葉では足りない恩を感じた。

 クローディアがトトの身内と知り、『解呪薬』は彼女の安全の為にもたらされたと推測した。何度も、彼女に礼を述べようと思った。柔らかな手を握りしめ、声が嗄れるまで感謝を口にしたかった。そんな考えを持ちながら、一切、行動しなかった。

 これもダンブルドアにシリウスが『動物もどき』と伝えなかったことと同じ理由だ。感謝を伝えれば、人狼のことも話さなければならないからだ。それは知られるべきではない。彼女も知りたくはないだろうと思い、黙っていた。

 

 2月の日付が月変わり、3月に入った深夜。

 こんな時間にも関わらず、ルーピンは自分の事務所で起きていた。黒髪でシワひとつない若々しい姿をしたトトから診察を受ける為にだ。

 彼はクローディアの祖父だ。同姓同名ではない。同一人物だと、理由のない確信を持っていた。

 カルテを書き終えたトトは採血の為、注射器を用意する。

「私が誰か、お気づきになられていますね?」

 注射針を構えながら、トトは事もなげにルーピンに問うた。注射針に身構えていたので、変な声を上げて返した。

「あの子が話したとは、考えられませんな。あの子は、私がこうして薬を作っていることなど、知りもしない。無論、貴方の正体も存じ上げないはずだ」

 腕に刺さる針の感触にルーピンは竦んでいた。前回より、痛い気がする。

「何故、知りえたのか、詮索しませんので、ご安心下さい。ただ、この事で孫への態度を変えないで頂きたい」

 採血した容器を慎重に鞄に片づけながら、トトは眉を顰める。薬用綿で針後を押さえたルーピンは少し考えてから、言葉を選んで答えた。

「クローディアは良い生徒です。他の子と何も変わりません。ただ、私は好かれていないようです。時々、私の講義中に『その見解は間違っています』とヤジを飛ばされます」

 鞄の口を閉じ、トトはルーピンと向かい合わせて座った。

「孫は気づいておらんかもしれませんが、それは貴方が気に入っているという証拠なのです」

 心臓が大きく跳ねる。ルーピンとて、そのようなに解釈したこともある。しかし、他者から改めて言われると、罪悪感のような感情が動いた。

「孫に男友達がいるのですが、彼ともそうでした。最初は、いがみ合い喧嘩ばかりしていましたが、今では気を許しあう親友同士です。それにマグルの学校におられるときも担任の先生に最初はつっかかっていました。理由を聞いたら、『苦手だから』と言っておりましたが、今では信頼を置いています」

 ルーピンは半分聞き流すような感覚だった。突然、こんな話をしてどうするつもりか、漠然と考えていた。

 すると、トトの容貌が突然、変貌した。黒かった髪は白髪になり、シワは老人の域まで達した。変身術の一種だろうが、目にしたのは初めてだ。

 少なからず、動揺したルーピンに対してトトは椅子に座ったまま深く頭を下げた。

「これからも、孫を宜しくお願いします」

 目の前の老人は人狼である相手に孫を任せると言い放ったのだ。託された言葉の重さに、ルーピンは動揺することも忘れた。

 故に、伝えるはずだった感謝の言葉が頭から消えた。

 

 小屋の天井が視界に入り、ルーピンは巨大な寝台で寝かされていることに気づく。

 そして、体のあちこちが痛い。

「起きたな。リーマス」

 ハグリッドが確かめるように声をかけ、冷たいタオルを投げて寄越した。ルーピンはまだ頭が呆然としていた。何か大切な夢を見た気がするが、内容を思い返せない。

「顔を拭いて、すぐに城へ行くんだ。ダンブルドアが待ってるぞ。ピーター=ペティグリューを捕まえた経緯について、話を聞きてえそうだ」

 意識が完全に覚醒したルーピンは急いで起き上ろうとして、立ちくらみで寝台に倒れこんだ。

「私は昨晩……、ハリーは……」

「聞いとる。聞いとるとも、ハリーは無事だ。ロンがちょいと怪我しちまったが、すぐに治る。……クローディアも……おっと」

 突然、ハグリッドは言葉を切った。その切り方にルーピンは恐怖めいた感覚に襲われる。

「ハグリッド、はっきり言ってくれ。……クローディアがどうしたんだ?」

 ルーピンに迫られ、ハグリッドは躊躇うように口を開く。

「リーマスは悪くねえ。それだけはわかってくれ。トトとコンラッドも、リーマスを責める気はねえそうだ。スネイプ先生も薬を渡し忘れたのは、自分の失態だと言っとった」

 ルーピンは愕然とした。理性をなくした我が身はクローディアを襲ったのだと理解した。

 もうここには、いられない。

 決意したルーピンはすぐに起き上り、冷たいタオルで顔を拭いた。

 

 ダンブルドアはルーピンを待ち構えていた。そして、昨晩の出来事を包み隠さず話してくれた。シリウスの無実は証明され、ペティグリューは正当な裁きを受ける。心の底から喜び、辞職の意を伝える。

「私は、してはならないことをしました。こんなことが二度と起こらない為、学校を辞めます」

 無言のダンブルドアへ視線を向け時、先客の存在に気付く。

 校長の椅子の向こうにコンラッドがいる。機械的な瞳はルーピンに軽蔑の眼差しを向け、両腕に包帯を巻き、何処か疲労している様子だ。

 彼に驚いたルーピンは咄嗟にトトの姿も探す。罵りを覚悟しても、心は怯えていた。

「クローディアなら、人狼化の心配はないよ。辞める理由にはならないな」

 その口ぶりから、コンラッドはルーピンを引き留めようとしている意思を窺える。

「私はここに来てから、人の信頼を裏切っています。セブルスの言うとおりなんです。私を信用してはならない」

 ルーピンはダンブルドアだけに訴えた。彼は暖かく微笑むだけで、言葉をくれない。

「どうしても辞めるなら、私はその事情をクローディアに話さなければいけないね」

 機械的に微笑んだコンラッドが残酷な口調で言い放つ。ルーピンでさえ、寒気がした。

「動じることはない。私はありのままをクローディアに話すだけだよ。そう、クローディアを探しに行き、スネイプ先生から薬を貰い損なったルーピン先生が人狼化したせいで学校を辞めるとね」

 絶句した。

 それはルーピンの辞職をクローディアの責任にしているに他ならない。よりにもよって、父親であるコンラッドがそれをすると言い出したのだ。

「あの子は残念がるだろうね。そして、君に対して一生の負い目を感じて生きることになるだろう。自分のせいで君を学校から、追い出したと……」

「もう良いじゃろう」

 厳かな声がコンラッドを黙らせた。

「リーマスよ。君の気持ちを汲んで、ここを去ることをわしは許そう。しかし、その決断を自身に下す前に、クローディアに会ってはどうかの? あの子が君を拒むというなら、何の憂いもなく去れるであろうて」

 ルーピンは何も返さなかった。言葉が浮かばなかった。ただ、自らが犯した行動をこの目で見なければならないと自分に言い聞かせた。

 コンラッドは何も言わなかった。ただ、責め立てるような視線だけを常に感じた。

 

☈☈☈

 夜明け頃、クローディアは医務室に運び込まれた。

 睡魔に勝てなかったハリー達は昼近くに目を覚ましてから、そのことを知った。彼女は長期入院が予想され、風邪で寝込んでいるという設定を組んでいる。

 見舞いに来ていたトトが術後の容態を掻い摘んで話した。

「噛みつかれた箇所が頸動脈からズレておったし、塗り薬が早めに傷を塞いだお陰で出血も致死量まで達しておらん。てこずったのは傷を塞がれたことで体内に流れた人狼の呪いじゃ。呪いは人狼の唾液が対象の血流に乗って全身に巡りて脳にも到達……うむ、つまりは、あの子は人狼にならんし、一週間もせずに起き上れるじゃろう」

 キョトンとしたハリーとロンを見て、トトは咳払いした。

「でも、ルーピン先生は変身していませんでした」

「肉体の変身がなくとも、強烈な性により、呪いは広がる可能性はあるものじゃ。体内の血を増血させるのでなく、輸血によっ……つまりは、血が足りんのでコンラッドの血を輸血したということだ」

 ハーマイオニーに答え、たトトはクローディアの額を慎重に撫でる。ロンが思わず輸血の意味を聞こうとしたので、ハリーが止めた。

 輸血の説明よりも聞きたいことがあったハリーは躊躇いながら、尋ねる。

「トトさん、あの、シリウスは、いつ……」

「シリウス=ブラックはダンブルドア校長の計らいで『闇払い』の保護観察を受けることにあいなった」

 全く配慮がない口調、ハリーは驚きと不満を抱く。

 そして、『闇払い』という知らない単語を問い返す隙間すら見当たらない。

「不服じゃろう? じゃがな、ブラックがした行動を考えるがよい。いくら、真犯人を捕まえる為とはいえ、被害者を出したのじゃ。それ相応の報いは受けねばならん」

 言い放つトトがハリーには冷たく感じられた。

「それ以上、お喋りを続けるなら、退室して頂きますよ。ドクター?」

 嫌味を込めたマダム・ポンフリーによってトトは医務室から追い出された。

 トトがいなくなり、ハリーはマダム・ポンフリーの診断を受けている時も不機嫌を露にした。

「トトさんのおっしゃる通りよ。心配ないわ。すぐに保護観察は解かれるわよ」

 ハーマイオニーが宥めようとするが、ハリーは気分が変わらない。

「保護観察中だって、会おうと思えば会えるだろ? 手紙だって出せるじゃん。良かったな、ハリー」

 素直に喜ぶロンにハリーは気付かされる。

 そう、シリウスに手紙も出せるし、会えないこともない。これからに胸躍らせ、ハリーは自然と微笑んだ。

 

 検査が終わると、ハリー達は午後には退院することになった。

「クローディアが出て来るまで待とうよ」

 今だ目を覚まさないクローディアを待つ為、3人は医務室の前で待ち構えた。だが、そんな行動を取れば城中に知れ渡る。下手に事を大きくすれば、ルーピンの正体を感づく生徒が出ると、スネイプがハリー達を追い払った。

「スネイプのヤツ、ルーピン先生に恩着せがましいんだ」

 寮の談話室でロンがブツブツと文句を述べる。ハーマイオニーが厳しくロンを咎める。

「スネイプ先生よ、ロン。それにルーピン先生の為じゃなく、きっとクローディアの為よ。スネイプ先生とクローディアのお父様はお友達ですもの」

「それが吃驚だよな。まさか、スネイプ……先生に友達がいたなんて、っぷ」

 噴き出して笑うロンの頭をハーマイオニーの平手が飛んできた。

「コンラッドさんとスネイプ、先生が友達だって、知っていたけど。……あれはどういう意味だろう?」

「あれって? クローディアが自分のパパの為にしたって奴?」

 叩かれた部分が痛いロンは、頭を撫でる。

「ううん。スネイプ、先生が言ってたろ? 『コンラッドの娘だと信じているならば』って。まるで、クローディアがコンラッドさんとは……」

「ハリー! コリンよ。こんにちは、コリン!!」

 ハーマイオニーの視線の先に、爽やかな笑顔でコリンが現れる。質問の嵐を恐れ、ハリーは急いで自室に逃げ込んだ。

 

 翌日の早朝、ハリーはマクゴナガルの呼び出しでロンに叩き起こされた。

 早朝どころか、夜明け直前で薄暗かった。

 連れ出されたのは、玄関ホール。そこには多少身なりを整えたシリウスがトトとコンラッドに間を挟まれて立っていた。

 嬉しさで心臓が湧くハリーは反射的に足が竦む。行かないでと叫びそうになる感情を抑える。見送りに来ていたダンブルドアが優しくハリーの背を押し、シリウスの前に立たせた。

 一日しか、会えなかっただけなのに、ハリーには久方ぶりの再会に思えた。それはシリウスも同じだ。

「シリウス、僕、絶対、手紙を書くから」

 話したいこと、聞きたいことは山のようにある。別れを言う時間は、短い。

「ハリー、私は君の名付け親だ」

「うん」

 緊張するシリウスの声にハリーは頷く。

「君の両親は、自分達の身に何かあればと、私を君の後見人に決めていた。それで、……君さえよければ、私と暮らさないか?」

「僕が貴方と……暮らしてもいいの?」

 お互いの言葉は、お互いを喜ばせた。

「ハリー、君はお父さんソックリだ。でも、その瞳はお母さんのものだ」

 シリウスはハリーの顔をよく見る為、両手で彼の顔を優しく掴んだ。

 自分に最も近い存在、名付け親。そんな人に会えるなど考えもしなかった。こうして、優しく触れてくれる事さえ、夢のようだ。 

 ハリーは知らずとシリウスの手に自分の手を重ね、ゆっくりと頷く。

 馬のない馬車が玄関ホールに到着した。

 コンラッドがハリーからシリウスを引きはがし、強引に馬車の戸を開いて放り込む。別れを惜しんで、手を伸ばそうとした。

 それをコンラッドの冷たい視線が咎めた。

「ハリー、学校で嫌なことがあったら、私に言うんだ。私がソイツを懲らしめてやる」

「シリウス、シリウスおじさん!」

 ただ名前を呼んだハリーにシリウスは微笑んだ。両親の結婚式の写真にて仲人を務めた時と同じ快活な笑顔となった。

 2人の視界は馬車の戸にとって遮られる。それでも、シリウスは馬車の窓に張り付いてハリーを見つめた。

 ハリーも馬車が進みだし、完全に見えなくなるまで見送った。

 名付け親と暮らす日が近い。それまでの別れと思えば、ハリーは淋しくなかった。

「ミスタ・ポッター、良き名付け親を持ちましたね」

 毅然としたマクゴナガルが一瞬だけ、優しそうにハリーに微笑んだ。

「ミネルバ、わしがハリーを送ろう」

 ダンブルドアに押され、ハリーは歩き出す。

「君は見事、名付け親を恐ろしい運命から救ったのじゃ。誇ってよいぞ」

 運命という単語がトレローニーの予言を思い返させた。ダンブルドアならば、あの『予言』に耳を傾けてくれる。そんな確信からハリーは彼を見上げる。

「校長先生、試験の……『占い学』でトレローニー先生が、妙でした」

 ハリーはトレローニーの様子と予言の内容を告げる。

「あれは12年も鼠をしていたペティグリューのことだったんです。きっと、そうです」

 必死なハリーと違い、ダンブルドアは本当に世間話のような態度で返した。

「これでふたつ目か、トレローニー先生の給料を上げることを考えねばならんかのお」

「予言の通りならば、もう心配はありませんね? だって、ペティグリューはアズカバンに送られた! ヴォルデモートを助ける者はいないということですね?」

 目を輝かすハリーはダンブルドアへ確かめるように言い放つ。浮かれていた為、校長が返事をしないことに何の疑問も抱かなかった。

 

 寮への階段でダンブルドアに礼を言って別れた。『太った婦人』の肖像画の手前で、ベッロが銀色のマントを銜えていた。

[忘れ物だ]

 『叫びの屋敷』に置きっぱなしにしていた『透明マント』だ。

「わざわざ持ってきてくれたの?」

 感謝を込め、ハリーはベッロの顎を撫でていた。

 親の仇を捕らえ、名付け親を救いだし、予言をも覆した。ハリーは自らのしがらみから、解放された気分に浸れた。

 




閲覧ありがとうございました。
映画の逆転時計の描写は大好きです。
馬車の窓にはりつくシリウス、想像したらシャイニングっぽい。


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22.伝えられること

閲覧ありがとうございます。

追記:18年1月7日、誤字報告により修正しました。


 死は痛み、安らぎなどない。

 まさに死ぬほど痛かった。この痛みは、きっとあの時のXXの痛みそのものだ。

 閉じた蓋が開き、私に教える。

 己の所業、目を逸らすことなかれ。

 

 視界が暗いのは、瞼を閉じているからだ。

 開けば、見慣れた医務室の天井。明るい光加減が昼間を教える。

 大体の状況を確認し、クローディアは勢いをつけて起き上がろうとした。全身が鉛のように重く脳髄が呆けている感覚だ。

 頭を抱える手が自然と首筋をなぞる。

 そして、脳裏に甦ったのは意識をなくす前の出来事。満月、人狼の本能を押さえ切れなかったルーピンに噛まれた。

 背筋を襲う寒気、手が痙攣する。

「ハーマイオニー?」

 思わず口にし、他の寝台を見るが誰もいない。

「ああ、ようやく起きられたのですね」

 マダム・ポンフリーがクローディアの額に手をあて、診る。

「マダム・ポンフリー、ハーマイオニーは?」

「3日前に退院しました。でも、まだ面会できません。マグル式の癒術ですから、より慎重に検査しませんと」

 不機嫌なマダム・ポンフリーに、無理やり横にされ、布団を被せられる。

「マグル式……癒術って、医術のことですか? マダム・ポンフリーが?」

「いいえ。不本意ですが、あなたのお祖父さまの手をお借りしたんです。ずっと見ていましたが……うう! マグルがあのように治療しているのかと思うと……信じられません。よりにもよって刃物で身体を傷つけて、縫うだなんて!」

 マグルでは当たり前の医療行為、マダム・ポンフリーは怯えている。クローディアは困惑しつつ、首筋をもう一度触る。縫われた痕がわからない。

「ご安心なさい。傷ひとつなく治っています」

「ハーマイオニーに会いたいです」

 開いた口から、自然と漏れる。マダム・ポンフリーは却下した。

 クローディアは天井を見つめたまま、瞼を閉じる。暗闇に浮かぶ顔があった。

「ルーピン先生に会いたいです」

 マダム・ポンフリーは動揺し、目を見開く。クローディアの額に触れ「少しお待ちなさい」と告げてから、いそいそと廊下へ飛び出した。足音が去れば、代わりに入ってくる気配がある。

「クローディア、起きたのね」

 『透明マント』を脱いだハーマイオニーが安心して、抱きついた。

 クローディアもハーマイオニーの背に手を回し、この感触が嘘でないことを確かめる。ロンが扉で周囲を警戒し、ハリーは『忍びの地図』を見張っている。

「無事でよかったさ」

「私もよ……。お祖父さま達が救ってくださった」

 抱きしめたままクローディアはバツが悪そうに口元を曲げる。

「それがよくわかんないさ、なんでうちのお祖父ちゃんさ?」

「マダム・ポンフリーの手に負えなかったのよ。それで校長先生が呼んでくださった。本当に危なかった……、本当に……。血が全然足りなくて……あなたのお父様が輸血したわ。それで助かったようなモノだって……」

 色々と驚くが、黙ってハーマイオニーの話を聞き続ける。

「お父様はペティグリューを捕まえて、城に戻ってきたの。校長先生は全ての事情を魔法省に話したわ。ペティグリューは吸魂鬼とアズカバンに送られたわ! シリウスは……無罪放免とは行かなった。『太った婦人』を襲ったし、ロンにナイフを向けたし、あなたは怪我をしたから……しばらくは『闇払い』の監視下で保護観察になるそうよ」

 一気に話し終えたハーマイオニーは息苦しさで深呼吸する。

 『闇払い(オーラー)』、『闇の魔法使い捕獲人』。『魔法警察庁』以上に闇の魔法使いへの逮捕・捜査権限を持つ。それは『魔法警察庁』の手に余る事態が起きた場合によるからだ。今回のシリウス捜索に彼らが表立って動かなかったのは吸魂鬼が積極的な捜査をしていたためだろう。それでも奴らよりは慈悲深い。

「つまりは、めでたしめでたしってさ?」

 締めくくったクローディアは複雑な気持ちだった。己が確かな殺意を抱いたとはいえ、シリウスはハリーの名付け親だ。それが保護観察など、まるで仮出訴の重罪人扱い。

 当然の報いと嘲笑する自分にクローディアは胸中で舌打ちした。

「お祖父ちゃんとお父さんは? まだ学校さ?」

「シリウスを『闇払い』に引き渡す手続するために帰られたわ。昨日のことよ」

「ハーマイオニー、先生達が戻るぞ!」

 ハリーとロンがハーマイオニーに『透明マント』を被せ、気配を遠ざけていく。

 ルーピンを伴ったマダム・ポンフリーが現れた。

 最後に記憶した瞬間もあってか、ルーピンを目にした途端、クローディアの身体が反射的にビクンッと跳ねた。その反応の意味を察し、彼は一歩手前で足を止める。

「15分だけ、面会を許します」

 躊躇いながらマダム・ポンフリーは席を外した。

 2人だけになり、ルーピンは隣の寝台に腰をかけ居心地悪そうに唇を動かしている。クローディアは上体を起こし、彼と向き合う姿勢を取る。

「おはようございます、ルーピン先生。私、もう起き上がれます。傷ひとつありません」

「でも、私が恐いはずだ。手が震えている」

 指摘通りクローディアは微かに震えている。それを隠さず、ルーピンに震えを見せ付けた。

「恐かったです。これは恐怖による震えです。でも、ルーピン先生も私が恐いでしょう?」

 的を射た発言。ルーピンは眉を寄せて小さく頷く。

「だから、おアイコです」

「いいや、違う」

 両手を膝に置き、ルーピンは真摯にそれでいて強い姿勢で否定した。

「君は恵まれていたにすぎない。君の家族が適切な処置をしてくれたお陰だ。しかし、他の生徒だったら間違いなく死んでいた」

「わかりますよ。襲った相手が目の前にいることが、どれだけ恐ろしくて、辛いか……わかります」

 一度目を伏せ、両手を膝に添えてルーピンと目を合わせる。

「私は人を殺しました」

 笑みはなく、それでも力強い口調のままクローディアは言葉を紡ぐ。

「その人は近所に住むオバサンです。名前は知りません。オバサンは私が嫌いで憎んでいました。私が外国人の子だからです。オバサンは外国人が嫌いなんです。勿論、父も嫌いです。私と父は皆の知らないところで、オバサンから嫌がらせされていました。階段から突き飛ばされて怪我をするなんて頻繁でした。父なんて、包丁で切り付けられたこともあります。そんなオバサンが嫌いでした。死んでしまえばいいと何度も思いました」

 嘲笑のあまり、口元が歪む。それでも目線だけはルーピンから外さない。

「6歳になる前でした。私は友達の家から、帰り道に川原を通るんですが……。オバサンが岸辺に座って眠っていました。オバサンの鞄から薬が零れて落ちていました。心臓が悪いのでその薬です。私はその薬を川に投げました。オバサンは気が付かず、寝ていました。私は逃げました。家まで必死に逃げました。ただの悪戯のつもりでした。少しくらい、苦しませてやりたかったんです。その晩、普段の時間になってもオバサンは帰ってきませんでした。大人達が探しに行きました。そして、川原で発見されたとき、事切れていたそうです。どうして薬が川に落ちていたのか……、大人達は不思議がっていました。私のせいです。時々、オバサンは実は生きていて、また私の前に現れるんじゃないかと思うと、すごく恐いです」

 自然と口元が緩み、笑みが出来る。

「真似妖怪が見せたのはそのオバサンです。私が恐れるのは死者の復活というわけです」

 罪状の告白を終えたクローディアから、顔を背けたルーピンは項垂れる。幼い頃とはいえ、人を殺した事実に流石のルーピンも衝撃を受けたのだと解釈した。

「……クローディア。残念だが、その見解には間違いがある」

 普段の口調のルーピンは顔を上げると淋しそうに眉を寄せ、笑顔を取り繕っている。

 予想外の反応だ。

 笑みを崩さず、ルーピンは触れるか触れないかの距離に座る。

「君が恐れているのは、死そのものだ。誰にも死んで欲しくない。故に死を恐れている。君が言ったオバサンは、死の象徴なんだよ。君はあの授業で、魔法を使えなかった。いや、使わなかったんだ。誰かの死を笑いに変えられない。それが君の本心だ」

 ルーピンの手が肩を抱く。暖かく、優しく安心させる重みがクローディアの全身に伝わってくる。

 そんな優しさを受ける資格はない。

「父は……、私のしたことに気付きました。理由を聞かれて、私は咄嗟に父の為だと…言いました。ええ、父の為だと私自身も思いたかった。だって、父が一番傷つけられていましたから。……それを聞いて、父は私を……」

〝MURDER〟

 思い返す記憶のコンラッドが侮蔑と軽蔑の視線を向けた。

 まだ知らない言葉だった。幼かったクローディアが成長し、その言葉を理解した。恐怖からコンラッドとの間に溝を作り上げた。その頃から他人に深く介入や追求をしないと決めた。

 他人の為ではない、己の心を守らんが為の防衛手段。

 悪寒が全身を駆け、クローディアは痙攣する。ルーピンの手に力が籠もると痙攣が治まった。

「私のただの憶測に過ぎないが……、コンラッドは君に死が如何に重いのか、理解してもらいたかったんじゃないかな?」

「死の重さを……ですか?」

 確認の為に問い返す。

「私はそう思うよ。本当に勝手な憶測だけどね」

 穏やかな口調が脳髄に浸透し、クローディアは瞼を閉じる。閉じた瞬間、ルーピンの胸元に頭を寄せた。逞しく頼りがいのある広い胸板は、少し硬い。

「ルーピン先生、私……父は父親として振舞ってくれないと思ってました……。抱っこ、おんぶもしてくれない。父のすべきことは祖父がやってきました。……でも、それは私の思い違いだったんです。スネイプ先生のおかげで、思い出が甦りました。その思い出の父は確かに父親なんです」

 最早、コンラッドとの血筋などクローディアには関係ない。彼が己の父である証拠など、共に過ごした歳月のみで事足りるのだ。

 ルーピンの胸板に体重を預けたクローディアは素直にそう思いつける。

「君は本当にお父さんの子だね」

 頭上に降り注ぐルーピンの声と共にぎこちない手つきが、クローディアの頭を撫でた。

 

 午後になり、クローディアは退院した。

 退院を待ちわびたハーマイオニー、ハリー、ロンと4人で校庭に向かう。遠めに『暴れ柳』を見ながら『逆転時計』と『守護霊の呪文』の話をした。時間を遡る魔法に、クローディアは大きく興味を注がれた。

 そして、ハーマイオニーの時間割にも納得した。

「それを使えば、幕末の頃とか体験できるさ」

「クローディア、歴史体験は無理よ。その時代から、帰ってこれないんだから」

 ガッカリしたクローディアは如何にタイムマシンの性能が優れているか理解した。

「でも、ホグワーツが出来る頃って見てみたいよな?」

「僕はもうこりごりだよ。あれは、すごく神経使う」

 冗談を口にしあい、4人は笑いあう。

 ひとしきり笑った後、ハリーはクローディアを見つめる。

「ねえ、クローディア。君に聞きたいことがあるんだ。君は僕らと会う前に、シリウスのような悪戯を誰かに仕掛けたことあるの?」

 場の空気が凍りついた。ロンは気にしてはいたが、聞くつもりは毛頭なかった。ハーマイオニーは責めるような目つきで、ハリーを睨んだ。

「ある」

 クローディアは毅然とハリーを見返した。一度、目を伏せた彼は小さく頷く。

「うん、わかった。ありがとう。ごめんね。二度とこの話はしないよ」

 意外な返答にクローディアは拍子抜けだ。だが、あの告白をもう一度せずともよいという安心も生まれた。

「もうひとつあるんだけど……」

「ハリー、女の子になんでもかんでも聞くもんじゃないわ」

 厳しい口調でハーマイオイーがハリーの言葉を遮った。嫌な汗を掻いた彼はわざとらしく咳払いする。

「また今度にするよ」

 クローディアは苦笑した。

「聞きたいことか……」

 思い付くのは城の何処かにある校長室。

「ポッター、校長室って何処さ?」

「……どうして、校長先生に会うの?」

 ハリーを見ず、クローディアは答える。

「クィレル先生のことを聞きたいさ。あの人はアズカバンにいたさ。手紙も届いていなかったさ。あの返事は……違う人が書いたさ」

 淡々と語るクローディアに、ロンは電撃を走らせる。

「そんな……クィレル先生が……」

 ハーマイオニーは衝撃で泣き出しそうになる。

 それなりに衝撃を受けたハリーはクローディアと同じ方向を見上げる。そして、彼女の手を引いて案内した。

 廊下の天井まで届く勢いを持つガーゴイル像に連れて来られた。この像に何か仕掛けがあるのかと、クローディアはハリーに視線で問いかける。

「この像に合言葉を言えば、通してもらえるんだ。僕のときはレモン・キャンディーだったけど」

 躊躇いながらハリーは「レモン・キャンディー」と呼びかけた。

 やはり、像は動かない。

「他のお菓子の名前かしら?」

 ハーマイオニーとロンも適当に菓子類の名前をあげるが、ガーゴイル像の反応はない。

「ダメだ。誰か先生を呼んで来よう」

 ハリーが嘆息したとき、クローディアは不意に思い付く。

〔チチンプイプイ〕

 

 ――ガコンッ。

 

 ガーゴイル像は音を立てて回転し、目の前に螺旋階段が現れた。これにハーマイオニーは歓声し、ロンは感心した。ハリーはクローディアの肩を叩き、喜んだ。

(開いちゃったさ……)

 日本お決まりの魔法の言葉。

 構わず、ハーマイオニーは無邪気に問いかけてきた。

「いまの日本語? なんて言ったの?」

 恥ずかしくて絶対、言えない。

「僕らは、ここで待ってようか?」

 ロンがクローディアの背を押し、石の螺旋階段に踏み入らせた。途端に螺旋階段は再び動き出した。彼女は狼狽し、ハリーが簡単に叫ぶ。

「階段が止まったら、そのまま部屋だからね」

 振り返ったときには、ハリー達の姿は見えなくなっていた。

 

 螺旋階段が動きを止めた先、古めかしくも繊細な拵えの扉がある。クローディアが扉のノブに触れる前に勝手に開く。

 曲線の美しい円形の部屋。均衡を保つ間合いで置かれた古風な家具、初めて目にする調度品は室内の神秘さを際立たせている。飾られた写真や肖像画は、おそらく歴代校長に違いない。

 生徒の来客に微笑む者もいれば怪訝そうにする者もいた。

 校長室よりも、学者の部屋と呼ぶべきだ。

 純粋な興味が湧き、クローディアは室内を見渡す。扉の脇には金の止まり木が設置されている。しかも、その木には真紅と金色の翼を持った鳥がいた。鷲よりも確実に大きい鳥が以前、ハリーが話してくれた不死鳥のフォークスだと推測する。

 フォークスはクローディアをじっと見つめ、高くもない鳴き声を出す。猫のように人懐っこいが雉の声にも近い。

 クローディアの背後へ近寄る気配に気づき、振り返る。

 両手を後ろに組み、まるで孫が到着したように親しげな笑みを向けるダンブルドアだ。

「トトの予想では一週間は寝込むと判断しておった。君はいつも良い方向に意外じゃ」

 天気の話をするような口調は信頼を意味している。

「はい、この通りです」

 微笑み返したクローディアは自然とお辞儀する。躊躇わず、それでも悲痛な声で問いかけた。

「校長先生、お聞きしたことがあります。クィレル先生のことについてです」

 眉ひとつ動かさず、ダンブルドアは杖を振るい、円形の椅子を2つ用意した。クローディアに椅子を勧める。彼と椅子を交互に見つめ、彼女は椅子に腰掛けた。

 ダンブルドアが座ると無礼を承知で口を開く。

「何故? クィレル先生はアズカバンに行ってしまったのですか?」

「クィレル先生たっての頼みじゃ。彼は自分を罪人と呼んでおった。その罪を贖うべきだとものお。ヴォルデモートとの関わりを白状する代わりに、君へ寮点を与えたいと提案された時、わしはクィレル先生に罪はないと考えたが……彼はそうではなかった」

 蒼い瞳に淋しさが窺えた。おそらく、ダンブルドアはクィレルを説得し切れなかったのだろう。

「まだクィレル先生はアズカバンにいるのですか?」

「もうおらんよ。先日、わしが出所届けを出した。最初の試験の日にな。そして、試験の最後の日にクィレル先生はアズカバンを去ったと報告があった」

 それを聞き、クローディアの表情が明るくなる。クィレルはアズカバンから解放された。近いうちに再会できるという期待をもてる。

 突然、ダンブルドアは椅子から立ち上がり、窓の外を見る。

「いずれわかるじゃろうから、話しておこう」

 深刻な口調と雰囲気に、クローディアも椅子から立ち上がる。

「出所した際はクィレル先生にここへ来るように手紙を書いていた。しかし、今日まで彼は来なかった。今日も彼にフクロウ便を送ったが、何故か手紙が届かん」

 不穏な予感。

「クィレル先生の身に何が……」

 脳裏に、トレローニーの予言が浮かび上がる。

「鎖から解き放たれた召使は、……主人のもとに馳せ参じる……」

「ハリーから聞いたのじゃな? じゃが、それだと辻褄があわんの」

 突然、世間話のような口調に変わるダンブルドア、クローディアは何処を驚けばいいのかわからない。偉大な魔法使いは自分とは器が違いすぎるのだ。

 だが、指摘通り辻褄が合わない。クィレルは2年間アズカバンにいた。12年も鼠をやっていたペティグリューとは違う。

 そのペティグリューもアズカバンだ。あの予言は彼を指していた。

 突然、フィレンツェの警告を思い返す。

〝惑星の輝きを変えても、惑星の秘密は変わらない〟

 あれは予言の一部を変えても、予言そのものは変わらないという意味に捉えられる。

「もしかしたら、元は……ペティグリューを指していたのかもしれません。でも、あの夜……それがクィレル先生に変わってしまったのでは?」

「おもしろい思い付きじゃ」

 優しく返すダンブルドアは全く気にした様子はない。反対にクローディアは焦燥に心臓が暴れだす。息苦しくなり、部屋を出ようと背を向ける。

「クローディア。仮にクィレル先生がヴォルデモートの下へ行ったとしても、それは君が追うべきことではない。よいな? 間違っても、探そうとするでない」

 深刻ながらも穏やかさが含まれる。

 ダンブルドアの言葉でクローディアは息苦しさが楽になる。更に焦燥を落ち着かせるため、拳を握り深呼吸する。勝手に口が質問を喋る。

「校長先生は、クィレル先生がヴォルデモートの復活に手を貸すとお考えですか?」

 校長の口から、否定が欲しい。例え、この場の慰みでも構わない。

「それは、わしらで計れることではない」

「では! 何故……、出所させたのですか? ……クィレル先生が……ヴォルデモートなどに二度と与しないと判断したからではないのですか!?」

 懇願するようにダンブルドアを責め立てる。そうしてから、気付く。彼は手紙の件を知っていた。それなのにクィレルについて詰問しても動揺しない。

 つまり、クローディアが真実を知ったと察した…あるいは、スネイプが報告した。

 ダンブルドアはクローディアの心情を汲み取ろうとしたかもしれない。

「まさか、私に……会わせる為に、クィレル先生を出したのですか?」

 初めてダンブルドアは目を伏せる。その仕草だけで十分、理解した。

 眩暈に襲われ、無意識に頭を押さえる。

 脳裏に浮かぶクィレルの顔はボガートが見せた偽物だ。その姿を二度と恐れることはない。寧ろ、闘うべき相手として迎え討つ覚悟が湧き起こる。思えば、ハリーとヴォルデモートの因縁をゲームプレイヤーのような感覚で眺めていた。

 所詮は他人事である……と。

 ハーマイオニー……、否、ハリーに協力すると決めた時から、その覚悟を決めるべきだったのだ。

「校長先生。去年の夏、祖父に『闇の魔術』とは何かについて、論議しました。私はヴォルデモートのように人を陥れるモノと答えました」

「いまは、違うのかね?」

 確認してくるダンブルドアをクローディアは振り返り、頷く。

「私の答えは悪意そのものです。『闇の魔術』を使う人はいます。恐れる人も軽蔑する人も、その他の全ての人も、悪意に満ちています。幼稚でしょうが、これ以上の答えはありません」

 まさにフランケンシュタイン。

 名も無き怪物を生み出した男、自らを嘆いた怪物、その怪物の醜さを恐れ迫害した人々は同じ悪意の中にいたのだ。クローディアもその悪意へ飛び込むだろう。遠巻きに眺めていても、怪物に優しくすることは出来ない。

「私は、私のやり方でクィレル先生と決着をつけます。探しには行きません。ヴォルデモートが復活するならば、クィレル先生は必ずハリーの前にあらわれるでしょうから」

 ダンブルドアは無反応である。その態度がクローディアの言葉を重く受け止めているのだと察することが出来た。

「校長先生。いま、私に話さなければならないことは、もうありませんか?」

 これに対してもダンブルドアは無言を貫いた。

 意味は悟れなかった。

 

☈☈☈

 校長室の前でクローディアを待つ。

 ハーマイオニー、ハリー、ロンは何とも言えない緊張感を味わう。ロンは特に落ち着きがなく、ガーゴイル像の前を右往左往した。

「クローディア、まさか校長先生を怒鳴ったりとかしてないよな?」

「そんなわけないでしょう。少しは落ち着きなさいよ、ロン」

 ハーマイオニーに注意され、ロンは罪悪感に襲われたように足を止める。

「僕はクィレルのことを知ってた。パパから聞いた。知ってて黙ってた」

 ハーマイオニーとハリーは少し驚いた表情をロンに向けた。

「僕は皆も知っているもんだと思ってた。だから、去年のバレンタインは驚いた。教えるべきかなって……思ったけど」

「いいえ、仮に私が知っていたとしても教えなかったと思うわ。だって、あまりにも残酷ですもの」

 ハーマイオニーは、悲痛に眉を寄せる。

「僕も……言えたかどうか、わからない……。きっと、言わなかったと思うよ」

 ハリーが慰めるようにロンの肩を叩く。励まされた彼は元気のない笑みを浮かべた。

 ガーゴイル像が動き出し、クローディアは戻って来た。彼女の様子を窺おうと、3人は観察する視線を向けた。怒り狂うことなく、また、悲観に暮れた様子もない。

「ハリー、今のうちに謝っておきたいことがあるさ」

 呼ばれたハリーは一瞬、自分が呼ばれていると気づかなかった。クローディアはこれまで、ハリーを「ポッター」と呼んでいたのだから、少々、戸惑う。

「ヴォルデモートが復活するなら、それは私の責任さ」

 『例のあの人』に名を聞いて、ロンは震えあがる。反対にハーマイオニーは驚く。

「クローディア、ちゃんと『例のあの人』の名前が言えるのね。もしかして、いままでわざと言い間違えていたの?」

「さあ? わからないさ」

 はぐらかしたクローディアは、彼らにクィレルの事を包み隠さず話す。

 予言にあったペティグリューの立ち位置がクィレルに挿げ変わる。つまり、近々ヴォルデモートは蘇ってしまう。これ程の絶望があろうはずもない。ハリーは見る見る真っ青になり、口元を手で覆った。

「待ってよ。あのトレローニーの言葉だもの。当てにならないわ」

 批判しながら、ハーマイオニーは焦りを誤魔化しきれずにいる。

「僕もハーマイオニーに同意見だな。だって、所詮は予言だもん。しかも、インチキの!」

 ロンは『例のあの人』が復活する可能性を否定しても、手足は怯えて震えている。

 口元を覆ったままハリーはクローディアを見る。彼女の表情から、クィレルに対する敵意を感じ取れた。

 以前、クィレルの話をしたときは朗らかな笑顔であった。それだけ傷ついている。

「君のせいじゃないよ」

 ハリーに言えるのは、これだけだ。

 意外そうにクローディアは目を丸くする。きっと、責められるのを覚悟していたのだろう。もしも、ペティグリューを逃がしていたならば、ハリーは奴に情けをかけたことを後悔していたに違いない。彼女も同じ気持ちなのだ。

「ありがとさ、ハリー」

 クローディアは笑顔を見せなかった。それでも、ハリーに対する感謝は十分伝わった。

 




閲覧ありがとうございました。
ボガートが見せていたのはクローディアの「死者の復活」か、ルーピンの「死そのもの」。どちらの解釈を好むのかは、あなた次第です。
次で最後になります。


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23.動き出す者

閲覧ありがとうございます。
これで、長かったアズカバン編は終了です。

追記:17年9月29日、誤字報告により修正しました。


 ピーター=ペティグリューの逮捕は【日刊預言者新聞】により大々的に報じられ、生徒も教師も巻き込んだ話題となった。

 ペティグリューが如何に卑劣な手段を用いて周囲を欺いたかを重点視されていた。シリウスの冤罪は四面記事に小さく『無罪』と載る程度だ。これまで散々不名誉を背負わされ、被らされたにも関わらず、シリウスの扱いが雑すぎる。

「このほうがシリウスも静かに暮らせるよ」

 ハリーは微笑ましいくらい、喜んでいた。

 しかし、いくらなんでも不憫すぎる。クローディアは【ザ・クィブラー】にシリウスの監獄生活が記事に出来ないか、ルーナに相談してみた。是非ともと、彼女は話に食いついてきた。

「パパもシリウス=ブラックに興味があるんだもン。休暇中には載せられるかな」

 【ザ・クィブラー】でクローディアはベンジャミンの記事を思い返す。その記事が掲載された号を取り寄せて貰えるように頼んだ。

 

 学期最後の日。発表された試験結果、クローディアは学年2位だ。学年1位は変わらずハーマイオニーだ。だが、何の悔しさもない。寧ろ、以前よりも親友が誇らしい。

「パーシーったら『N・E・W・T試験』を全科目1位なんですって。その話しかしないわ」

 ペネロピーはご機嫌斜めに、クローディアを軽く小突く。ただの八つ当たりかと思いきや、入院中で心配させた罰も含まれていた。

「でも、私は『姿現わし』のテストを一回で合格したわ。彼はまだテストに受かってすらいないのよ。そこだけは絶対に私が優れているもの」

 得意げにペネロピーは威張る。『姿現わし』にテストがあるなど、クローディアは初耳だ。

「なんでテストをやるさ?」

「資格を得る為よ。『姿現わし』は無言呪文を遥かに上回る高度な魔法なの。一度、出来たからと言って、二度目もうまく行くとは限らない。もし、失敗したら身体が『バラけ』てしまうの」

 一旦、ペネロピーは言葉を切る。

「いいこと? 『バラけ』るは文字通り身体を引き裂く副作用よ。魔法で元に戻してもらえるけど激痛を伴うわ。テストで合格した者だけに資格を与えるのは、その危険から守る為よ。覚えておいて」

 真剣なペネロピーの態度から、クローディアは肝に銘じた。しかし、そんな危険度の高い魔法を祖父は教え込んでいた。

(どういうつもりだろうさ?)

 だが、理由を聞くことは避けよう。ただでさえ、今回は多大に迷惑と心配をかけてしまった。

 学年末の宴会、全生徒を驚かせた。

 誰もがクィディッチの優勝杯を手にしたグリフィンドール寮が寮杯も取ると考えていた。だが、大広間で生徒を迎えた寮旗は大鷲で青と白銀の飾りだ。そう、レイブンクローが寮杯を獲得したのだ。クィディッチ優勝杯を逃したロジャー達が喜びのあまり吼えまくり、フリットウィックは7年生に胴上げされていた。

「試合に負けて、勝負に勝ったってことさ?」

「ええ、きっとそういうことなんでしょう」

 クローディアはチョウと確認しながら、微笑みあう。

 何気なく、クローディアの視界にスリザリン席が映る。ドラコが殊更、悔しそうな表情で彼女を睨んでいた。彼に向かい、勝利を喜ぶ満面の笑みを返す。

 心底からの笑顔を贈ってやった。

 

☈☈☈

 今日、ダーズリー家に帰る。

 それなのにハリーは普段より早く目が覚めてしまう。ロン、ネビル、シェーマス、ディーンもまだ豪快ないびきを掻いて寝ている。布団を被っても、完全に目が覚めている。仕方なく、起きあがり『忍びの地図』を眺めることにした。

 フィルチは玄関ホール、ダンブルドアとマクゴナガルは天文台、マダム・ピンスは早朝から図書館だ。ルーピンが廊下を歩いていた。

(今のうちに挨拶しておこう)

 ぶかぶかの上着を羽織り、ハリーは寮を出た。

「おはよう、ハリー。随分、早いね」

「眠れなくて、それで……ルーピン先生は何をしているんですか?」

 職員室に入ろうとしたルーピンを呼びとめ、危うく『忍びの地図』を使っていたと暴露しそうになった。彼はハリーの手に地図が戻ったことを知らないはずなのだ。

「目が覚めてしまったから、散歩かな? ちょうどいい、聞きたいことがあったんだ。おいで」

 ルーピンに誘われ、事務所へ着いて行った。湧き起る期待と詰問への警戒でハリーは緊張した。

「あの日のことは校長先生から全て聞いた。君の守護霊のことを話して欲しい」

「僕が守護霊で吸魂鬼を追い払って、ご存じなのですか?」

 『忍びの地図』でないと安心しながら、疑問する。ダンブルドアにも守護霊の話はしていない。

「校長先生は私達が考える以上に色々ご存じなんだよ」

 当然のように信頼を込め、ルーピンは微笑んだ。それがハリーの緊張を解し、守護霊が見せた姿を語った。

「ブロングズ……。そう、君のお父さんは牡鹿の『動物もどき』だった。そして、君はお父さんに生き写しだ……その目はお母さんに似ている。君のお父さんは自分の中で生きている。守護霊がその証拠だよ。それは『透明マント』より、価値がある」

「……父さんが『透明マント』を持っていたことを知っているんですか?」

 質問してから、気付く。親友なら知っていて当然だ。

 不意にハリーは別の疑問が浮かぶ。

「コンラッドさんにルーピン先生の……体質を教えたのは誰なんですか?」

 途端にルーピンから笑みが消えた。

「……それは、ドリスだ。コンラッドの母上だよ」

 重苦しく告げられた名、ハリーは衝撃を受けた。何故、教えたというより、何故、知っていたのかという疑問が強い。

「ドリスは幼い私が人狼に噛まれた時に処置してくれた癒者だ。といっても、当時に人狼に対する治療なんてなかったが、……他に比べたら私に親切だった。両親が仕事で忙しく私に構えない時、夕食に招待してくれたこともある。けど、コンラッドとは会わせないようにしていたし、息子がいるなんて知らなかった。きっと、警戒していたんだろうね。コンラッドがドリスの息子だと知ったのは……、悪戯の後だった。満月の日の悪戯に私が関与していると知り、ドリスは怒った。二度と私達家族と関わらないと言われたよ」

「そんな……あの優しいドリスさんが……」

 信じられないとハリーは胃が刺激されて痛む。

「いいんだ、ハリー。当然のことだ。私は調子に乗りすぎていた。思い知らされたよ。人の信頼を裏切った報いを受けたんだ。それでも、私という人間は変われなかったがね」

「ルーピン先生は素晴らしい人です! クローディアだって、授業が好きだって言ったじゃないですか!」

 クローディアの名を口にし、ハリーは羞恥心に襲われた。自分の父親の親友が殺されかけたと知り、彼女はシリウスに怒り狂った。ドリスも同じか、あるいはそれ以上の気持ちだったのだろう。

 そして、スネイプがあの晩『透明マント』を脱いででも、ルーピンの話を遮ったのはドリスの名を明かさせない為だったのだ。

「僕、スネイプに父さんの仕掛けた悪戯で死にかけたって聞かされたのに、おおげさだなって思いました。ルーピン先生から説明されたのに、ちょっとしたからかう程度としか感じていませんでした。僕、すごく恥ずかしいです」

 惨めな気持ちになり、ハリーは俯く。ルーピンは慰めるように背を撫でてくれた。

「恥ずかしいのは、私達だ。君は、それを学んでくれた。誇りに思うよ、ハリー。きっとジェームズも私と同じ気持ちだ」

「……はい」

 ほとんど反射的に答えた。そして、気付く。父・ジェームズはスネイプの命の他に、ルーピンの心さえも助けていたのだ。つまり、シリウスはそのふたつを奪いかけた。

 それをただの悪戯と受け止めていた自分をもう一度、恥じた。

 

☈☈☈

 同じ時間、クローディアもハグリッドの家を訪れる。ルーナから購入した【ザ・クィブラー】を机に広げ、例の記事のページを開いた。

【ベンジャミンが所属していた楽団の構成員のマグル・ヴァルター=ブッシュマン氏(83)から、当時の話を聞くことに成功した。

「彼は突然、2・3日練習に出られないと連絡して来ました。理由を聞いたら、弟に会うとしか言ってくれませんでした。彼に弟がいるなど露知らず、正直、戸惑いました。何か事情があると思い、私は聞けませんでした。しかし、今考えると聞いておけば良かったと思います。結局、彼は戻りませんでした。警察にも弟の話はしましたが無視されました。私は今でも、ベンジャミンが自殺したなどと思っていません。きっと、殺されたのです」

 ヴァルター=ブッシュマン氏は悲しみの涙を見せ訴えてきた。ベンジャミンの死の真相が明かれるのを祈るばかりだ】

 読み終えたハグリッドは苦しげに眉を寄せる。

「ハグリッド、この記事のことは本当さ? お祖母ちゃんに聞く前に教えて欲しいさ」

 詰め寄るクローディアに対し、ハグリッドは困ったように息を吐く。

「クローディア。前にも言ったが、俺はベンジャミンと面識がねえ。あのパンフレットを見せて貰うまで、本当に顔も覚えておらんかった。俺にわかるのはボニフェースの親父さんは確かにベンジャミンの悲報を聞いて倒れた。だが、お袋さんが亡くなったのは最近だ。おめえさんの入学より……1年くらい前だ」

 本当に最近のことだ。一目、会ってみたかったとクローディアは悔やんだ。そして、胸中で名も知らぬ曾祖母への冥福を祈る。

「クローディア、その……出来ればでいいんだが、ドリスが自分から話したくなるまで待ってやってくれねえか? 俺はドリスには考えがあると思っちょる。必ず教えるべき時になれば話してくれるはずだ」

 クローディアはこれまで、ずっとそれで通してきた。それは知りたくない情報から逃げる為の方便にすぎなかった。騒がしい胸中と違い、脳髄は冷静だ。聞きだそうとしても、はぐらかされるだろう。それどころか、固く口を閉ざして語らなくなるかもしれない。ならば、待つべきだと判断した。

「わかったさ、お祖母ちゃんがその気になるのを待つさ」

 ハグリッドは安堵の息を吐く。

「最後にひとつ、アズカバンに行った時、クィレル先生に会ったさ?」

 怯えたようにハグリッドの身体が痙攣した。しかし、動揺ではない。クィレルの件をクローディアが聞いたことを知っているのだ。

「残念だが……房が遠くて会えんかった」

 躊躇う口調が洩らした返事を聞き、クローディアは素っ気なく頷くのみである。

 

 城に帰れば、玄関ホールにハーマイオニーがいた。クルックシャンクスを抱き上げ、足元にはベッロがいる。

「おはようさ、ハーマイオニー。ちょっとハグリッドと話してたさ」

「そうなの? ベッロがクルックシャンクスを呼びに来たから、何事かと思ったわ」

 安心したハーマイオニーはクローディアと腕を組んで歩く。

「私、お父さんのことで悩むのはやめにしたさ。スネイプ先生がなんと言おうと、私のお父さんはコンラッド=クロックフォードだって、自信を持てるさ」

 今日の天気が快晴を喜ぶような口調で、クローディアはハーマイオニーに報せた。緩やかな笑みと共に彼女の瞳に安堵の涙が浮かぶ。

「良かった」

 それはクローディアの言葉でもあった。コンラッドとの関係でハーマイオニーには随分と心配をかけてきた。彼女が苦しむことはもうない。

 ああ、本当に今日は快晴である。

 

 荷物を纏めた生徒が、汽車に乗り込む時間を待つのみ。

 クローディアもベッロを虫籠に閉じ込め、アルバムも荷物に詰め込んだ。ただひとつ、木箱だけが手に余った。

 木箱を手にしたまま、地下教室を訪れる。教室の扉は硬く閉ざされていた。スネイプ個人の研究室も同様だ。ノックをしても返事はない。だが、部屋の中に人の気配を感じる。ため息をつき、クローディアは木箱を研究室の前に置く。

「これはクィレル先生に渡したものです。代わりに受け取ってくれていたスネイプ先生が捨ててください」

 扉に向かって頭を下げ、クローディアは地下を後にした。

 

 走り出した汽車。

 コンパートメントを独占したクローディア、ハリー、ロンにハーマイオニーは『マグル学』をやめたことを告げた。

 『逆転時計』での授業を掛け持ちは神経をすり減らす。それにハーマイオニーは耐えられなくなった。

「『占い学』と『マグル学』を落とせば、通常の時間割に戻れるわ。それにね『数占い』もレイブンクローとの合同以外でも、別の時間で受けていたの。そうしないと範囲が間に合わなくて。マクゴナガル先生から、同じ時間は二度までって決められてたしね」

 そこまでして、全てを学ぼうとしたハーマイオニーが凄い。

「じゃあ『逆転時計』はマクゴナガル先生に返したさ」

「ええ、今朝ね。あれは魔法省に返却されるわ」

 持っていたとしても、使い道に困る代物だ。正直、タイムマシンより使い勝手が悪いと思う。それだけ、時の流れは魔法界でも左右出来ない因果の積み重ねなのだろう。

 トレローニーの『予言』やフィレンツェ達の惑星の読みは、不確かな未来を知りたいと願う人々の為に存在しているのかもしれない。

「ハーマイオニー、次に同じようなことがあったら、せめて相談ぐらいしてくれよ。僕らだって力になれるんだから」

 不貞腐れたようにロンは頬を膨らませる。

「誰にも言わないって約束してたんだもの。……まあ、そうね。次があったら、相談ぐらいはするわ」

 最大の譲歩だとハーマイオニーはロンに言い返す。その後、2人はお互いの顔をみて、くすりと笑う。

 途端、窓にフクロウが体当たりしてきた。しかも、小鳥のように小さい。

 何事かとハリーが窓を開き、フクロウを招き入れる。フクロウが携えていた手紙は、シリウスからのハリー宛だ。驚きながら喜び、早速開封する。

【ハリー、元気かね?

 ようやく、君に手紙を出す許可が下りたんだ。君がおじさんやおばさんのところに着く前にこの手紙が届きますよう。おじさん達がフクロウ便になれているかどうかわからないしね】

 『ファイアボルト』を贈ったのはシリウスであることが明かされ、名付け親として『ホグズミード村』への許可証を同封していた。

 小さなフクロウは鼠の代わりとしてロンに与えられた。

「わ~い、僕にもフクロウが来たぞ! やった! 僕もシリウスにお礼の手紙出すよ!」

 はしゃいだロンは小さなフクロウを優しく撫でた。

 最後の文章をハリーは読み上げる。

【君の友人クローディアが無事に回復したことをダンブルドアから知らされたよ。クローディアは嫌がるかもしれないが、心配だった。元気になってくれて本当に良かった】

 クローディアは聞かなかった素振りで、ハーマイオニーに微笑む。

「ブラックが箒を贈ったのは間違いじゃなかったさ」

「本当ね」

 話し込むクローディアとハーマイオニーを余所に、ハリーは何度も手紙を読み返した。

 ロンはしばらく小さなフクロウを楽しんでいたが、急に思い出す。

「ハリー! 今年の夏はクィディッチのワールド・カップなんだ! パパが君の分も用意してくれるよ! うちに泊って、一緒に行こうぜ!」

 手紙に釘付けだったハリーは、ようやく顔を上げた。

「ドリスさんから、そのことで手紙が来てたよ。席の都合で僕たちとは一緒に行けないんだって」

「ワールド・カップ?」

 まさかクィディッチにオリンピックがあるなど、知らなかった。しかも、それが今年の夏など尚更だ。

「私はお祖母ちゃんから何も聞いて……。あ、お父さんが夏に用を入れるなってさ……。もしかして……」

 クローディアが呟き終えた頃、キングズ・クロス駅に到着した。

 オリバーとマーカスが最後の睨み合いをしながら、汽車を降りていく。あの2人は仲が悪かったが、それでも宿敵としてお互いを認めていたことだろう。

 我先にと降りていく生徒を分けながら、クローディアも降りる。その後ろからジョージが引っ付くように降りてきた。

「ワールド・カップ。君も行くだろ? お袋の手紙じゃ、席の都合が悪いらしくて、君の家族まで誘えないらしんだ。でも、良かったら君だけでも」

「クローディアは僕達とワールド・カップを見に行くことになってる」

 ジョージが言い終える前にロジャーが割り込む。胡散臭そうに彼は眉を寄せる。

「嘘じゃない。僕の母とクローディアの祖母が君の母より先に約束していたんだ」

 断言するロジャーにクローディアは驚いた。

「それは……初耳さ」

「だから、どうしたってんだ? クローディアがおまえと約束したわけじゃないだろ?」

 剣呑なジョージをロジャーは平然と笑う。

「君が決めることじゃないぞ。じゃあな、クローディア。手紙書くよ」

 クローディアの手を取り、ロジャーは甲に唇を落とす。唇の感触に驚きと焦燥が脳内で競争した。シーサーに呼ばれ、彼はウィンクして家族の元へと行ってしまった。

「断れよ。馬鹿」

 不機嫌に吐き捨てジョージはクローディアの頭を小突く。地味に痛い。仕返しに彼女の拳は、彼の腹を抉った。

 人ごみを掻き分け、ハリーがクローディアの肩を掴む。その手にはシリウスからの手紙が握り締められていた。

「クローディア、また電話してね」

「勿論さ、ハリー」

 親指を立てるクローディアに、上機嫌な笑みでハリーは頷く。

 腹を押さえ込んで座り込むジョージが異様に目立つ。少し反省したクローディアは、彼に肩を貸し、アーサーとモリーの元まで引きずる。夫妻は息子を不思議そうに見つめた。

 人混みの中にハリーとドリスが握手を交わしているのが見えた。トトも待ち構えている。

 ドリスはクローディアを見た途端、目に涙を浮かべた。折れんばかりに彼女を抱きしめる。

「ああ、良かった。本当に! ホグズミードの郵便局から、速達フクロウ便が届いた時は、もう駄目かと思ったわ!」

「速達フクロウ便さ? カサブランカが届けたんじゃないさ?」

「カサブランカがその村の郵便局を利用したんじゃよ。どうも局員と揉めたらしくてな。いろんな請求書がこっちへきたわい。カサブランカも焦っておったんじゃろうて」

 段々と首が息苦しい。それでも、クローディアはドリスを全身で受け止める。

「もうよさんか、周りがみておる」

 トトがドリスを諌めて引き離す。解放されたクローディアは、空気を求めて深呼吸した。

〔それで、どうするか決めたかの?〕

 唐突だが、クローディアには察しがつく。迷いなく、即答した。

〔ホグワーツに残るさ。誰かの為じゃないさ。私がそうしたいから、やるだけさ〕

〔そうか、そうれなら良いんじゃ〕

 少し残念そうにトトは、苦笑を返す。

 トトの顔を見て、クローディアは質問を思いつく。今こそ、はっきりさせたて置きたい衝動に駆られた。

〔お祖父ちゃん、以前話した魔女のことをひとつだけ聞きたいさ〕

 名を伏せたが、トトは誰のことか検討が付いている。彼は露骨に嫌そうな顔で、質問を受け付けた。怯むことなく、クローディアは臨んだ。

〔その魔女は私のお祖母ちゃんだったりするさ? つまり、お母さん側の……〕

 瞬間にも満たぬ刹那、トトの目が悲しげに潤んだ。だが、すぐに消えたので気のせいかもしれない。もしくは、悲しみ以外の感情が潤ませたとも取れる。

〔いいや、ワシが勝手に恋い焦がれた女性じゃよ。あの人はワシのことは友達とも思っていなかったじゃろうて。遠い昔のことじゃよ〕

 懐かしさも惜しみもなく、トトは普段の口調のままだ。

〔それだけ、わかれば十分さ。もうこの話はしないさ〕

 ボニフェースがマートルを愛したように、トトもアイリーン=プリンスに恋心を抱いていた。それ以上、知る必要はない。

 そう、結論付けた。

 

☈☈☈

 誰も自分を探しに来ない。誰もここを訪れない。

 傍にいるのは、一匹の蛇だけだ。

 朽ちかけ、命尽きるのは時間の問題。否、生死の判断も出来ぬ程に脆弱となるのだ。

 分霊箱が新たな肉体を得て、自分を迎えに来るなど望み薄すぎる。よしんば、蘇っても自己を失っている可能性もある。『亡者』や『吸魂鬼』のようにだ。

 せめて『賢者の石』を手に入れていれば、ここまで疲弊はしなかったといえる。

 小僧を守護する力、あれを見くびりすぎていた。それ故、2度も滅ばされかけた。

〝あんたに比べたら、アルマジロのほうがまだマシだ!〟

 あの小娘さえいなければ『石』は目の前だった。あの小娘さえ、あの小娘さえ、あの小娘さえ、あの小娘さえ、あの小娘さえ、あの小娘さえ、あの小娘さえ、あの小娘さえいなければ!!!

「ご主人様!」

 声がする。遂に幻聴が聞こえ始めたと落胆した。

[人間が来る]

 ナギニが教えた。

 信じられず、必死に視界を広げる。

「ご主人様!! ああ! やはり、このようなところに!?」

 そいつは視界に現れた。

 幻覚かと目を見張る。そいつが生きているはずがない。肉体を差し出しただけでなく、一角獣の血の呪いに身を蝕まれていた。その男が地面に身を伏せ、最高の幸福を見つけ出したように涙する。

「クィリナス……か?」

 呼ばれた男は更に破顔した。

「はい、ご主人様。私です。貴方様の下僕です。ここまで来るのに、時間がかかってしまいました。申し訳ありません。ああ、再びこのような御姿になって……」

 愛する人の病を悼むようにクィリナスは嘆き、魔法で柔らかい毛布を用意した。生まれたばかりの新生児を扱うように慎重な手つきで抱き上げた。

 クィリナスは森近くの民宿に部屋を取り、寝台へ優しく横にさせた。

「また、私の御身体をお使いになられますか?」

 駄目だ。クィリナスの身体は一度、憑依ついた。如何にして無事だったかはわからぬが、二度は危険すぎる。

「クィリナス、よくぞ、戻った。ヴォルデモート卿はおまえを称賛する」

「……身に余る光栄にございます……」

 神から直々に神託を受けた信者のように、クィリナスは跪く。だが、その瞳は恍惚に歪んでいる。穢れを知らぬ信者の皮を被りながら、その本質は快楽を貪る獣と同じだ。

 

 ――最高の配下が馳せ参じた!!

 




閲覧ありがとうございました。
学期末の寮杯はレイブンクローです。成績も上位に食い込み、一年間の成果が出ました。
クィレルの改心を期待していた方へ、すみません。改心していませんでした。
次回から、炎のゴブレット編です。
よろしくお願いします。


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炎のゴブレッド
序章


閲覧ありがとうございます。
夏休みといえば、ダイエットですね!

追記:16年3月7日、18年10月1日、誤字報告により修正しました。


 強い日差しに照らされた午後。

 暑さに耐えながら、私は公衆電話からハリーに連絡を入れる。フクロウ便でも彼への手紙はかかさない。それでもダーズリー家でマトモな話し相手のいない彼と時々、こうして電話でやりとりをするのだ。

 ハリーの近況は今のところ良好だ。指名手配されていたシリウス=ブラックが名付け親だと知ったダーズリー夫妻は態度を一変させたらしい。マグルのニュースでも、ブラックの無実は報道され、指名手配は解けていた。

 しかし一度、逃亡犯の肩がきを持つブラックにダーズリー夫妻は恐れ慄いていた。ハリーはその事を利用し、必要な時には『シリウスに手紙を書く』と口に出す。そうすれば、夫妻は大人しくなるそうだ。

 そのお陰でハリーは私の誕生日を祝う食事会に来られた。祖母が一番、喜んでいた。父はハリーを家にあげるという行為そのものが許せないらしく、口元が痙攣していた。

 当日、ハーマイオニー、ハリー、ロン、パドマ、パーバティ、リサ、チョウ、ネビルと招待に応じてくれた友人達と愉快で騒がしい時間を過ごした。

 折角来られたハリーはチョウの隣で顔を真っ赤にし、硬直していた。

 その時のことを口にする私にハリーは受話器の向こうで口ごもる。話題を逸らす為、彼は従兄のダドリーが強制的にやらされているダイエットが上手く行かないと告げた。

 しかもストレスのあまり、ダドリーはPSを窓から投げ捨てたらしい。

 

 ――なんと、勿体ない。

 

「なんならさ。お祖父ちゃんがコーチするさ? 効果は私で実証済みさ」

〈僕はいいけど、ダドリーは嫌がるね。クローディアはいまでも運動とかしてるわけ?〉

 ハリーの問いかけの答えは正解だ。

 休暇に入り、英国に残った祖父は容赦なく私を扱いてくれる。体形を維持するためだが、去年よりも濃い内容だ。

 しかも、私が箒なしで飛んだことを何処から知ったか、その訓練も行う羽目になった。疲労困憊の私を見兼ねて、祖母が祖父に抗議した。父も加わった話し合いで、祖母は泣く泣く祖父のシゴキを承諾してしまった。

 私の苦労は絶えない。

〈ゴメン、クローディア。そろそろ切るね。じゃあ、また〉

 突然、ハリーの声が小さくなり受話器が置かれた。おそらく、ダーズリーおばさんに睨まれたのだと推測した。長電話をしないように気を使っているつもりだが、話が弾むとつい話し込んでしまう。

 なればこそ、私はダーズリーおじさんがいない隙を狙って電話をするのだ。

「話は終わったようじゃな」

 公衆電話の前で待ちくたびれ、祖父は皮肉を込めた眼差しで欠伸をひとつした。

 ダドリーの食事制限ダイエットの話を聞かせると、祖父はダーズリー家に失礼のない程度で助言を行った。

 それが効いたらしく、ダドリーは以前より苛立たなくなったとハリーから手紙が来た。

 だが、ハリーも食事制限ダイエットに付き合う羽目になり、悲鳴を上げていた。それを聞きつけた祖母は彼にクッキーを贈っていた。

 

 この家の客人に、いつも私は驚かされる。

 祖父と祖母が揃って、家を空けた夜。

 お風呂上がりの私は寝巻を着込み、居間へと足を踏み入れる。ベッロがカサブランカの止まり木に絡まっていると思いきや、セイウチのように太い猫背の老人から逃げていた。

 セイウチ老人はシワだらけの顔で無邪気にベッロを捕まえようとしている。

「誰……ですか?」

 だが、何処かで見覚えがある。ソファーにいる父に手招きされ、私は思い返した。

(お父さんと一緒に映っていた人さ)

 去年のクリスマスに見知らぬ人『N・M』から贈られた写真にいた。

「あちらはホラス=スラグホーン。私の恩師でスリザリン寮監の前任者だ。スラグホーン先生、クローディアが来ました」

 ホラス=スラグホーンは私に気付いて嬉しそうな声を上げる。

「こりゃあ、魂消た(たまげた)! この子が件の娘かね!」

 両手で私の顔を触り、確かめるように眺めて来る。その目つきに嫌な感じがする。敵意や悪意はないけど、私を人間として見ていない気がするのだ。

「バジリスクの魔眼で、石になったと……。2ヶ月半だったかな?」

「はい、お話した通りです。スネイプ教授の『蘇生薬』で元に戻りました」

 父との会話を聞き、私は納得する。スラグホーン先生は物珍しいものを見ている。確かにバジリスクに石化させられた人間は少ないだろう。

 じっくりと私の全身を見渡し、スラグホーン先生は懐から試験管とピンを取り出す。

「髪の毛を一本貰えるかな? 一番、長いところがいい」

「髪の毛ですか?」

 藁人形にでも巻きつけられるのかと、私は不安になる。父はお構いなく、私から髪の毛を一本、毟り取る。地味に痛い。その髪をスラグホーン先生は慎重にピンで受け取り、試験管に収めた。

「学校はどうだね? 君はレイブンクローだと聞いているが?」

「はい、4年生に進級します」

 私の返事を聞き、スラグホーン先生は興味深そうに目を輝かせる。

「ボニフェースはハッフルパフ。コンラッドはスリザリン。そして、今回はレイブンクロー。魂消た。実に……いやはや」

 スラグホーン先生の口から、もう1人の祖父の名が呟かれた。

「スラグホーン先生、お祖父ちゃんを知っているんですか?」

 私の質問に驚いたスラグホーン先生は意外そうに父を見つめ、私へ視線を返した。

「ああ、ボニフェースを忘れられるはずがないわい。私の授業を悉く、台無しにしてくれた。あんな生徒は後にも先にも奴だけだ」

「では、トム……むぐ」

 更に続けようと私の口を父は塞ぐ。それでも、お構いなくスラグホーン先生は話を続ける。

「だが、コンラッドは実に優秀な生徒だった。覚えているかね? 君が7年生の時、クィディッチ優勝杯を掴んだ時のことを! レギュラスとのコンビーネーションは素晴らしいの言葉に尽きる!」

「お恥ずかしい限りです」

 機械的な笑みで、父は常套文句を返した。

 クィディッチの名から、私は父の盾を思い出す。私の口を塞ぐ父の手を失礼のないように解いた。

「お父さんにビーターの盾を用意してくれたと聞きました」

「ほっほお! そうとも、あれを用意させるのにアルバスを随分と説得したもんだ。レギュラスの分も用意したかったが、残念だ」

 あまり、残念そうに見えない。

「レギュラスというのは……?」

「レギュラス=ブラックだよ。数週間前に無罪が証明されたシリウス=ブラックの弟だ」

 聞かなきゃ良かった。

 というか、あのブラックが兄とは思わなかった。寧ろ、家庭を顧みない一人っ子といっても過言ではない。きっと、レギュラス=ブラックは苦労症だろう。

「ブラック家は皆、私の寮だったのにシリウスだけはグリフィンドールだった。惜しいものだ。どうせなら、揃えたかったのに」

 まるで、ネビルが魔法使いのカードを収集するのと同じような口調で言い放つ。どうやら、他人を物のように見るのはこの人の癖らしい。

 そして、ブラックがグリフィンドールとは初耳だ。だが、兄弟で寮が分かれることはよくある。パドマもパーバティと別の寮だ。ブラックの弟の顔が知りたくなり、私は急いで部屋から写真を持ってきた。

 写真を目にした父は笑顔のまま硬直していたが、無視した。

「どの人がブラックですか?」

 スラグホーン先生は懐かしそうに写真を見つめ、1人の男子生徒を指差す。目を凝らし、注意深く見てようやく気付いた。兄に似た顔の弟がいる。ただ、私には言われなければわからない。

「レギュラスは兄よりも人間的に優れていたよ。……死んだのは本当に惜しかった」

 写真を覗きこんだ父は声を低くして呟く。レギュラスという人物の死にも驚いたが、父は本当に彼の死を惜しんでいる。露骨なまでの雰囲気に私は父がレギュラス=ブラックに好意的だったのだと悟った。

「死んだ……って、この人が?」

 確認に答えず、父は無言で写真を取り上げた。

「さて、目的も果たしたし、私はこれにて失礼しよう。これをすぐに調べたい」

「何のお構いもしませんで」

 試験管を振るい、スラグホーン先生はせっせと暖炉に立つ。突然の帰宅宣言に私は驚いたが、父は慣れたように別れの挨拶を交わす。急いで私も就寝の挨拶をする。

「おやすみなさい。スラグホーン先生」

 スラグホーン先生は私達を振り返ってから、『煙突飛行術』で帰って行った。

 騒がしい客人がいなくなり、ベッロは止まり木から下りて来る。自分の定位置でトグロを巻き、一息ついた。

 ベッロに倣い、私も安堵の息を吐く。

「お客さんが来るなら言って欲しいさ。いくらなんでも寝巻きは失礼さ」

「すまなかったね、クローディア。スラグホーン先生はとても自由気ままな方だ。なかなか捕まらないんだよ」

 機械的な笑みのまま父はソファーへ座る。私はさっさと布団に入ろうとしたが、引きとめられた。

「この写真はどうしたんだい?」

 普段の口調だが、答えを出さなければならない脅迫的な物を感じた。

 仕方なく、私は素直に入手経路を話す。父は写真を眺めて、皮肉っぽく口元を曲げる。

「『N・M』ねえ、……わかったよ。写真は持っていなさい」

「『N・M』って、誰かのことか知っているさ?」

 写真を受け取り、おそるおそる私は聞いてみる。

「心当たりはある。おまえは知らなくていい。代わりに別の質問に答えてあげよう。何がいいかな?」

 突然、質問する権利を与えられた。否、質問に確実に答えると言われたのだ。この父は質問しても返さないことが多い。しかも、たったひとつに絞るのは難しい。

(お母さんとの馴れ初め……は、今じゃなくても……、けど……)

 脳裏を掠めたのはルーピン先生だ。質問が浮かんだ私は父の隣に腰掛ける。

「あのさ、ルーピン先生に『解呪薬』の調合をお祖父ちゃんに頼んだのは、お父さんだって言ってたさ。ルーピン先生は私の為だってさ。本当?」

 父の顔から笑みが消えた。

「……ルーピンの解釈を信じるのかい?」

「質問に答えて欲しいさ」

 出来るだけ笑顔で私は追求する。面倒そうに父は息を吐く。

「じゃあ、これは私の解釈さ。お父さんはスネイプ先生の為に『解呪薬』を頼んださ。本当に私の為なら、理由を言わずにルーピン先生に近づくなって言うさ。でも言わなかったさ。お父さんはスネイプ先生を守りたかったんじゃないさ?」

 父はスネイプ先生を信頼している。私の身は彼が必ず守ってくれる。それなのに、ルーピン先生の人狼を警戒して『解呪薬』を用意した。私ではない人の身を案じた。前歴があるのならば、尚更だ。

「鋭い解釈だね。その質問になら「YES」と答えて置こう」

 機械的に微笑んだ父は、私の頭を撫でる。この手で撫でられるなど、久しぶりだ。少し恥ずかしいが、嫌ではない。私は嬉しさで破顔した。

 

 箒なしの『飛行術』は私が想像したより、段違いで体力を消耗する。いわば、自転車に乗らずにそれだけの速度を足に要求するのと同じだ。自らを飛ばせる集中と周囲に気を配る注意力、そして状態を維持する気力が必要だ。それを全て我が身ひとつで行わなければならない。

「む……り……」

 屋根の高さまで身体を浮かせ、力が抜けていく感覚に襲われる。しかし、ここで気を抜いたら、地面に激突だ。

「もうよい、降りてまいれ」

 祖父の許可を得て、私は地面に降り立つ。着地の瞬間、足の力が抜けて芝生に倒れ込む。

「だいぶ、自分の限界がわかってきたろう。次は自分で何処までいけるか、試してみよ。落ちるか、降りるかは、おぬしの采配ひとつじゃ」

 厳格な口調で祖父は言い放つ。

「……お祖父ちゃん……、ピーターパンみたいに空を飛んでいる魔法使いとか、魔女とか、滅多にいないって聞いたさ。……前に飛ぶのが当たり前みたいに言ってなかったさ?」

「当たり前じゃよ。決して特別ではないぞ。前に話した後見人は勿論、師匠も飛べたわい」

 それは祖父の環境が特別だと言いたい。

「そうさな、お前にわかりやすく言うなら、ダンクシュートを打てるか打てないかの差じゃろう」

 その例え、この上なく納得させられた。ダンクシュートは決して簡単に打てない。歴戦の選手でも、失敗する技だ。そして、どんなに練習しても打てない選手もいる。

 それだけの魔法を教え込まれているという興奮が湧き起る。

〔ちなみにコンラッドも飛べるぞ〕

〔うそ!〕

 見てみたいので今度、頼もう。

 だが、この訓練は祖母には不評であった。魔女が箒を使わないことが許せないらしく、絨毯で飛ぶより酷い……などと文句を呟いていた。『空飛ぶ絨毯』について詳しく聞きたいが、祖母の苛立ちを募らせるだけだ。私は何も聞き返さなかった。

 

 休暇の宿題を全てやり終えた。

 ルーナが誕生日プレゼントとして贈ってくれた【ザ・クィブラー】、ブラックの監獄生活の特集が掲載された。添えられた彼女の手紙には売上が普段の倍になったと喜んでいた。

 【ザ・クィブラー】を読み耽っていた私にカサブランカが2通の手紙を運んできた。一通はハーマイオニーだが、もう一通はロジャーからだ。

 ロジャーは休暇前の宣言通り、本当に手紙を書いてくれる。私の誕生日にも、ルーン文字を刺繍した青いリボンを贈ってくれた。可愛いリボンは正直、嬉しかった。しかし、異様にハートマークが鏤められた手紙が余計だった。その手紙は運悪く祖父に見つかり、私は延々と祖父にロジャーとの関係を追及された。

 そんなロジャーの手紙を後回しにし、ハーマイオニーからの手紙を開く。

【親愛なるクローディアへ

 いよいよワールド・カップですね。

 私は、明日からロンの家にお泊りすることになりました。ロンはハリーも誘っているそうです。クローディアは、他の方と行くのでしたね。会場で会えることを楽しみにしています。  ハーマイオニーより】

 素直にロンが羨ましい。

 煮え切らない想いを抱え、ロジャーからの手紙を開く。

【愛しのクローディアへ

 明後日、ダイアゴン横丁に教材を買いに行きます。一緒に行きましょう。午後十二時に、『漏れ鍋』にて待っています。僕が贈ったリボンを着けてくれたら、すごく嬉しいです。  君の愛しいロジャーより】

 唐突で強引で強制すぎる。

(私……、教材買い終わったさ……どうするさ?)

 断りの手紙を書こうと、私はペンを手にする。しかし、ペンを持つ私の手をロジャーからの手紙が叩くように攻撃してきた。彼の意思に沿わない返事を書かせまいとしている。

「……なんという抵抗さ……」

 手紙を振り払おうとすると、私の指が紙で切れた。鬱陶しくなった手紙を燃やしてやろうと一階に下りて暖炉に放り込んだ。手紙は悲鳴を上げ、燃えていく。ちょっと可哀想なことをした。

 居間で作業していた祖父と父は暖炉から聞こえる悲鳴に振り返る。父が作業の手をとめ、暖炉を覗き込む。

「『吼えメール』かい?」

「違うさ。同じ寮の男子がダイアゴン横丁に行こうって誘って来たから断ろうとしたさ。そしたら、手紙が私を叩いてきたから燃やしてやったさ」

 忌々しく吐き捨て、私は口元を膨らませる。その頬を父が指先で突いた。

「デートなんぞ、ワシは許さんぞ。そんな手紙はどんどん燃やせ」

 祖父にデートと口にされ、私は慌てて首を横に振る。

「そんなんじゃないさ。ディビーズはただの先輩さ。教材を一緒に買おうって話さ。でも、私……買い終わってるからさ。それで断ろうとさ」

 食卓に夕飯を運んでいたドリスが反応する。

「ディビーズというと……ロジャー=ディビーズのことなの? ワールド・カップには、彼の家族にお世話になるのですよ。親しくしておいて損はありません。行って来なさい」

「……え?」「デートなんぞ、百年早いわい!!」

 困惑する私より、祖父が喚く。

「お黙りなさい、トト! クローディアは休暇らしい休暇を過ごせていないのですよ! ロジャーは、マデリーンの話では女性の扱いに長けてらっしゃいます。何の心配もいりません」

「余計、心配じゃ!!」

 マデリーンという人物について聞こうにも、2人の雰囲気に口を開けない。此処のところ、2人は些細なことでもいがみ合う。それだけ、お互いが不満を言い合える仲になったと喜ぶべき……ではない。2人が揉める姿は私の気分を落していく。

「クローディア」

 私の両肩へ父が優しく手を置いた。

「もしかしたら、向こうが誰か連れてくるかもしれないよ。行くだけ行っておいで」

 落ち着いた父が私に耳打ちしてきたので、少しだけ気分が軽くなった。更に父は続ける。

〔おまえが考えるように、喧嘩するほど仲がいいんだよ〕

 日本語で話してれくれた言葉が、笑いのツボに嵌った私は噴出して笑う。いがみ合っている2人を視界に入れたが、胸を掠めていた苦しさは、もうない。

 

 翌日、私は公衆電話からハリーに連絡を取る。私の話す内容に、彼は一々相槌を打っている。

〈ロンから、手紙が来たんだ。フクロウ便じゃないよ。郵便を使ったんだ。切手をたくさん貼ってあって、叔父さんがすごくピリピリしてたよ。郵便屋さんに変に思われるってさ。うん、大丈夫だよ。ワールド・カップには、ちゃんと行ける。明日、ロンが迎えに来てくれるんだ〉

 ハリーの声は上機嫌だ。しかし、ロンが郵便配達を使う姿が想像に難い。

〈そうそう、ダドリーのダイエット。今月に入ってから、5キロ痩せたんだ。そしたら、叔母さんが油断して食べさせすぎたから、リバウンドしちゃって、増えちゃったよ〉

 受話器の向こうでハリーが肩を竦めているのが見える。

「あ~あ、リバウンドしちゃったさ……。そこから減らすのって難しいさ」

 それを思えば、私は祖父の監督振りに救われている。

〈やっぱり、そうなんだ。全く、ダイエットするのは構わないけど、僕にまで波風立てないで欲しいよ〉

 受話器越しに私達は笑いあう。ワールド・カップ会場での再会を約束し、私は受話器を置いた。置いた受話器を見つめながら、私は嘆息する。

(こんなことなら、ジョージの誘い受けておけば良かったさ)

 そうすれば、ハーマイオニーとお泊り会が出来た。考えれば考えるほど、腹の奥底から沸々と怒りが湧き上がってくる。受話器を握り締め、奥歯を歯噛みする私の姿が不気味だったのだろうか、道を行き交う人々の視線を感じた。恥ずかしさで祖父が、公衆電話から私を連れ出した。

 

 約束の日曜日。朝食を終え、私は藍色のジーパンと白のカジュアルシャツに着替える。髪を三つ編みにし、青いリボンで纏めた。魔法硬貨を財布に入れ、ウエストポーチにしまう。

 準備万端を確認し、私は『煙突飛行術』を使用するため暖炉の前に立った。

「お待ちなさい。なんですか? その格好は」

 祖母に引き止められた。男子と出かけるにしては、私の服装がお粗末だという理由だ。私としては、適度な服装だ。祖母は断として着替えを要求してきた。祖父がいれば口論するところだが、出かけていたのが幸いだ。

 渋々、私は部屋で戻る。服を手当たり次第漁り、カジュアルシャツの下に袖なしワンピースを着込んだ。ジーパンをスパッツに穿きなおし、スニーカーをサンダルに履き替える。この恰好で、ようやく祖母から承諾を得られた。

 暖炉の傍で、気持ちよく寝ているベッロが羨ましい。

「ベッロも連れて行っ……」「ダメです」

 私が言い終える前に、祖母は強く断言した。

 

 『漏れ鍋』は普段よりも人が多く、英語ではない発音が酒場を飛び交っていた。周囲を見渡し、私は人混みから逃げようとした。

「クローディア、こっちだよ」

 酒場の隅にいたロジャーが、朗らかな笑みを向け、手を振ってくる。制服とは違うが、ワイシャツにネクタイを締めていた。

(これは、ただのお買い物さ)

 胸中で呟き、私はロジャーに笑顔を返した。

「ディビーズだけさ? 他に誰かいないさ?」

「誘ったけど、誰も来れないんだ。君も誰か誘った?」

 人為的策略を感じ、私はわざとらしく嘆息した。

「外国人の魔法使いが多くて、吃驚しただろ? 僕も人の多さに驚いたよ」

 『フローリシュ・アンド・ブロッツ書店』にて参考書を揃え、ロジャーは上機嫌に色々なことを私に語りかける。明日からのワールド・カップの切符は、完売してからが売れ時になるらしい。ロジャーの家にも、親戚から切符を譲って欲しいという手紙が何通も来て、両親は対応に一苦労したそうだ。

 4年に一度の最高の催しだ。クィディッチ好きには堪らない。

 私はそれらを脳内でバスケットボールの世界大会に置き換えて考えた。もしも、マイケル=ジョーダンを生でしかも間近で見られるとしたら、私は一生分のお小遣いを費やすかもしれない。

「お待たせ。時間もあるし、色々と見て回ろうよ。はぐれないように手を繋いで」

 私の手を握ってくるロジャーの手を失礼にならない程度に、払う。

「謹んで遠慮さ」

 残念そうにロジャーは微笑む。それでも彼は私を様々な店へと連れ歩いた。魔法界でも珍品を飾る喫茶店で、セシルがその店の主人と口論していた。胡散臭い薬草店から、エディーが身の丈ほどの巨大な袋を抱えて出てきた。魔女だけが集まる店に、アンジェリーナなどの上級生が入って行くのを目撃した。

 私の興味をそそる店が多くあり、段々と楽しくなっていく。

 途端にロジャーが足を止める。私の肩を抱き寄せ『マダム・マルキンの洋装店』を指差した。

「あれはシリウス=ブラックじゃないか?」

 耳障りな名が響く。

 ロジャーが正確に指差す方向へと、目を向ける。店の前にいるのは確かにシリウス=ブラックだ。『叫びの屋敷』で私が目にしたときは髑髏に皮がつき、もじゃもじゃに伸びきった髪と髭、如何にも脱獄囚の身なりをしていた。

 それが2月近く見ない間、健康的に丸くなり、髪と髭も綺麗に整えられている。黒い革製で全身を身に纏い、胸を肌蹴ていた。晒された胸には刺青が施されている。魔法使いよりもバイク乗りの印象が強い。

 一見すれば、手配写真だった男と一致しない。

 しかも、連れがいた。逞しい岩に顔を掘り込んだような男。片脚は義足を露にし、地面を突くための杖で身体を支えて居る。何より印象的だったのは、その義眼。剥き出しの青い眼球が忙しなく周囲を警戒している。それが全てを見通しているような嫌な感じがする。おそらく、シリウスを保護観察している『闇払い』だと私は踏んだ。

「ディビーズ、あっちに行くさ」

「え? でも、シリウス=ブラックだよ? 話を聞きたいと思わない?」

 ロジャーの瞳は好奇心に輝いている。まるで、英雄を目にした少年の瞳だ。そこで、シリウスが一部に英雄視されているのだと知った。

 苛立ちが募り、私はロジャーの手を払った。

「ご自由にどうぞさ! 私は帰るさ!」

 背を向ける私にロジャーは焦りだした。

「帰らないで! そうだね、向こうに行こう! あの店、新作のアイスがすごく美味しいんだ」

 必死にロジャーは私の腕を掴み小走りでその場を離れた。不意に視線を感じて首だけ振り返る。

 『闇払い』の青い義眼だけが、私を睨んでいた。

 『フローリアン・ファーテスキュー・アイスクリーム・パーラー』テラスで食べた新作のアイスは確かに私の舌を満足させた。ロジャーは私の好みをある程度把握している。先ほどのシリウスの件で、私の機嫌を損ねたことを心の底から詫びている。本当に彼は紳士的だ。

「今日はありがとさ。色々とダイアゴン横丁を案内してくれて、すごいさ。知らない店があんなにあったなんて、もう井の中の蛙さ」

「なら、僕のお願いをひとつだけ聞いてくれるかい?」

 アイスを口に運び、私は戸惑うように頷く。正直、交際を申し込まれるのだけは、勘弁だ。

「僕のことをロジャーと呼んで欲しい。いつまでも、ディビーズっていうのは淋しいよ」

 満面の笑みが私に迫る。ロジャーの唇が近かったため、私はそっちに驚いた。

「ロジャー、わかったさ。ロジャー、顔が近いさ!」

「近すぎたら、クローディアの顔が見えないね」

 素直にロジャーの顔が離れたので、私は小さく安堵する。しかし、彼の願いは、とても欲がない。私は色々と良い方向に見直した。

 アイスを食べ終えた私とロジャーは『漏れ鍋』へ直行する。より密度の濃い酒場は、酒気も強くなっている。

 暖炉まで行く私を守るようにロジャーは、客との間に立ってくれた。

「ワールド・カップでね。クローディア」

「うん、今日はありがとうさ。ロジャー」

 簡単に挨拶を済ませた私は『煙突飛行術』を使った。

 

 自宅の暖炉に着き、私は居間の絨毯に倒れ込んだ。短時間で色々なモノを目にした疲労感だ。ベッロが私の目元を冷たい鱗で覆う。

「あ~、気持ちいいさ」

 ベッロに感謝し、私は瞼に迫る冷たさを堪能していた。

〔お帰りなさいさ〕

 聞きなれた日本語と声。だが、その声の主はこの家にいるはずはない。私はベッロを目から離して瞼を開ける。私に瓜二つの母がイタズラっぽく笑いながら、見下ろしてくる。

〔お母さん? いつの間にこっちに? 私、もしかして日本に帰ってきたさ?〕

 周囲を注意深く見渡すが、ここは英国の自宅に間違いない。

〔英国に着いたのは昨日さ。ロンドンのホテルに泊まってから、ここに来たさ〕

 そんな話は聞いていない。だが、今年は母に会えないものだと思っていた私には嬉しい驚きだ。すっかり気分が高揚し、寝転んだまま母に抱きついた。母も嬉しそうに私の髪をクシャクシャに掻いた。

〔お祖母ちゃんには、もう挨拶したさ?〕

〔当たり前さ。あんたがいない間に、色んな話をしたさ〕

 台所から漂ってくる香ばしい匂いに、私は覚えがある。私が匂いを嗅ぐ仕草に母は台所を見つめる。

〔お祖父ちゃんがどうしても、タコ焼き食べたいって作ってるさ〕

 確かにタコ焼きの匂いに間違いない。私と母が台所を見つめていると、祖母が宙に5枚の皿を浮かべてこちらへと歩いてくる。その皿にはパスタが盛られている。

「あら、帰ったのね。手を洗って、すぐに夕飯ですよ」

 盛られたパスタを落さないように、祖母は食卓に並べる。その姿を母は目を輝かせて見つめていた。私が知る限り、祖母はそんなことをして食器を運ぶ人ではない。きっと、母を楽しませる為だと理解した。

 

☈☈☈☈

 ダーズリー家から離れた僕はロンの家たる『隠れ穴』にいる。客人は僕だけでなく、ハーマイオニーともう1人、ジョージの恋人ジュリア=ブッシュマンだ。彼の話では、僕らが1年生の学年末に自首退学したレイブンクロー生らしいが、全く知らない。

 そんな僕の内心を読んだように、ジュリアは微笑んでいた。

「寮も学年も違うのだから、仕方ないことよ。あなたの活躍はいつもジョージの手紙と【日刊預言者新聞】で拝見させてもらっているわ。『ホグワーツ特別功労賞』貰ったんでしょ? それにシリウス=ブラックだっけ? 彼の無実の証明にあなたが関わっているって本当なの?」

 遠慮のない質問に僕は困ってしまう。脳裏を横切ったのは『叫びの屋敷』でクローディアが見せた表情、そしてルーピンが彼女を噛んだ光景だったからだ。

 あの夜の出来事を話す事は、クローディアがシリウスを殺そうとし、ルーピンが人狼であることまで話す羽目になる。

「無理には聞かないけどね」

 あっさりとジュリアは引いてくれる。僕の表情から、何かを感じ取ったらしい。

 紺碧の空の下、『隠れ穴』の庭に全員(パーシー抜き)が協力して用意した二卓のテーブルを囲んで夕食を楽しんだ。その光景を眺め、ハーマイオニーが残念そうに呟いていた。

「クローディアも来れば良かったのに……今日のロジャー=ディビーズとデートするとか、うまく行ったかしら?」

「へ? クローディア、デートかよ!? しかも、あのロジャー=ディビーズと!」

 ロンが素っ頓狂な声をあげる。彼の隣にいたジュリアが意外そうに微笑んでいた。

「へえ、クローディア。ロジャーとそんなことになってたのねえ。すごく意外。ねえ、フレッドもそう思うでしょう?」

 僕の隣にいたフレッドは少し唸る。

「ディビーズがクロックフォードに惚れてるのは、知ってるぜ。彼女、頑なに拒否してたもんだ。でも……そうだな。クィディッチの選手同士だし、そうなってもおかしくは……」

「アイルランドチームが優勝するんじゃないか? なあ、チャーリーそう思うだろ!!」

 黙々と食事していたジョージが突然、大声を張り上げる。驚いたチャーリーも負けじと声を上げた。

「そうだな! 準決勝でペルーをペチャンコにしたんだから!」

「でもブルガリアにはビクトール=クラムがいるぞ!」

 フレッドも叫んだ。

「あんた達、うるさいわよ! そんなに叫ばなくても聞こえています!」

 モリーさんが癇癪を起こし、騒音合戦に終止符を打った。

 僕はこっそりとジョージを盗み見る。彼はわざと大声を出し、話を逸らしたではないかと推測した。フレッドの服を引っ張り、耳打ちする。

「(ジョージは、クローディアが嫌い?)」

「(いいや、ちょっとした賭けをしているんだ。僕はディビーズとクロックフォードが付き合う。あいつは違うヤツと付き合う。そういうこと)」

 悪戯っぽく笑うフレッドへ僕はそう反応すればよいのかわからず、半笑いで納得した。そして、クローディアに絶対、秘密にしなければならないと悟った。

 楽しい団欒の中、僕はクローディアを想う。休暇の前、彼女はヴォルデモートが復活するのは、自分の責任だと言っていた。その理由をあのクィレルだと述べた。

 

 ――それは実現するかもしれない。

 

 僕が先日見た奇妙な……それでいて強い現実感のある夢、クィレルが人の姿をしていないヴォルデモートに跪いていたのだ。

〝俺様は、ここまで力を取り戻した。クィリナスよ、あの小僧を捕らえる支度を慎重に行わねばならん。これまで以上にだ。だから、どうしても忠実な下僕がもう1人、必要なのだ。決して、おまえが力不足なのではない〟

〝はい、ご主人様。私は受け入れます。全てはご主人様の為に〟

 クィレルは『もう1人の下僕』を渋っていた。それを嫉妬と理解したヴォルデモートは宥めた。言葉をかけられただけで、彼は奴に酔いしれていた。

 『賢者の石』を奪い合った頃から、クィレルは少しも変わっていなかった。

 ただの夢だと思いたい。でも、目が覚めた時、額の傷が痛んだのだ。

「ハリーは、どのチームだと思っているの?」

 ジニーの声で僕は我に返る。

「さあ、僕チームとかよく知らないから」

 いずれ、クローディアに話さなければならない。それが酷く、僕を沈ませた。

 時間が経ち、モリーさんが僕達を寝かせようとした。食器や食卓を全員で協力して家の中に運び込み、僕達は明日に備えて眠ろうとした。アーサーさんが僕を捕まえ、居間の隅に引き寄せた。

「ハリー。シリウス=ブラックから手紙は来るのかね?」

「はい、来ます」

 少しだけ驚いた様子を見せるアーサーさんは勝手に頷く。シリウスの無罪は魔法界でも、衝撃だ。彼のように困惑している者も少なくないのだと、僕は理解した。

「それでだ、ハリー……。シリウスは手紙に自分の居場所を明かしたかね?」

「いいえ、まだです」

 アーサーさんは少し困った表情で僕を見下ろした。

「それについて、誤解しないで欲しい。シリウスは居場所を君に伝えたいのだが、彼を保護観察している『闇払い』がとても、用心深い。手紙が君以外の手に渡り、情報が漏洩することを極端に恐れている。だから、教えたくても、教えられないんだ」

 そんな事情があったなど、僕は考えつかなかった。そういえば、シリウスからの手紙は日常でも、場所や時間を報せる内容はなく、当たり障りもない。きっと、手紙を何度も点検されて出しているのだ。そんな中、シリウスが手紙を出してきてくれることを僕は嬉しく思う。

「でも、おじさんがどうしてそれを?」

「シリウスの居所は極少数しか知らない。私も君に親しい人間だから、特別に教えてもらったんだ。いいかい? ここだけの話だ」

 僕はアーサーさんが教えようとしていることを焦らず、辛抱強く待った。

「シリウス=ブラックは、アラスター=ムーディの監視下にある。とても頼りがいのある元『闇払い』だ。用心過ぎるのが玉に瑕だが、優秀で有能な男だ。彼の元にいる限り、何の心配はいらない」

「誰ですか、それ?」

 率直な僕の質問にアーサーさんは答える前、モリーさんが僕を寝室に追いやってしまったので、詳しい話は聞けずじまいだった。

 




閲覧ありがとうございました。
ムーディと暮らすなんて、シリウスのストレス半端ない。可哀相になあ(棒読み)

●ホラス=スラグホーン
 原作六巻にて登場、重要人物。
●レギュラス=ブラック
 セリフすらないのに、ファンに大人気のシリウスの弟。


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1.キャンプ場

閲覧ありがとうございます。
原作のキャンプ場シーン、大好きです。

追記:17年3月7日、誤字報告により修正しました。


 夜が明ける前。

 心地よい眠りを堪能していたクローディアはドリスに叩き起こされ、仕方なく朝食の為に居間へ下りる。そこにコンラッドの姿がないことに気づく。

 4つのリュックサックに荷物を詰め、トトが簡単に説明する。

「コンラッドはベッロと出かけておる。ああ、ヤツは見に行かんから気にせんでくれ」

 普段の行動なのでクローディアは納得する。ただ、せっかくの家族が揃って出かけられない。それが残念だ。

 

 ――本日はクィディッチ・ワールドカップの観戦。

 

 その場に相応しい服装とは如何なるモノか悩みどころだ。クローディアは箪笥にある服を全て広げて眺めた。出来れば、普段とは違う服にしたい。

「これって、何で買ったさ? あ、あいつらがくれた服、これと重ねすれば着れないことないさ。ちょうどいいから、これにするさ」

 14歳と15歳の誕生日にウィーズリー兄弟から貰った服がある。14歳の時は黒い長袖シャツ。シャツは当時、ぶかぶかで肩が丸出しだった。しかも、袖を通した途端、肌の色と同じになる。裸同然だ。歳月が経ったせいか、今、袖を通しても灰色に色落ちするだけである。15歳の時は、ほとんど紐に近い細い襟のワンピースだ。全く破廉恥極まりない。

 しかし、シャツの上にワンピースを着れば何の問題もない。念の為、ワンピースの下にスパッツを穿いておく。

(杖は置いて行くさ。未成年は外で魔法を使えないしさ)

 クローディアは杖を机の中へと丁寧に片付けた。

 支度を済ませ、トトからリュックを手渡された。

 ワールド・カップの試合が長引いた時に備え、会場付近にキャンプ用のテントを用意しておく。テントでの寝泊りなど、幼い頃以来だ。

 実に楽しみである。

「ところで……ロジャー達とどうやって行くさ? うちのお母さんの車さ?」

 何気なく口にしたとき、居間の煙突から碧の炎が上がった。

 現れたのは3人。ロジャー、シーサー、2人の母マデリーン=ディビーズだ。3人ともマグルの家族がキャンプに行く恰好をしていた。

 ドリスが両手を広げて歓迎する。

「マデリーン、おはよう。あなたにしては珍しく時間より早いこと」

「ええ、ロジャーが女性を待たせちゃいけないっていうものだから」

 ドリスと親しげに抱き合ったマデリーンはロジャーによく似た容貌だ。何処か高飛車な雰囲気を醸し出している。

「クローディア、こちらはマデリーン。私と同じ聖マンゴ魔法疾患傷害病院に勤めているのよ」

 クローディアはいつものように、くの字に頭を下げて挨拶する。急いで母も頭を下げる。

「あなたがクローディアのお母さま……キーサさんですか? キンサ?」

 全然違う名前だが、言いたい事はわかる。

 お互いの家族の紹介を終え、トトが時計を目にする。

「では、そろそろ会場に行くとしよう」

 瞬時に全員の視線がトトに集まる。彼は視線を気にせず、荷物を背負う。何故かコンラッドの自室の扉をノックする。

「用意は良いな。〔開け、ゴマ〕」

 日本語がわかるクローディアと母はズッコケそうになった。途端、見慣れた扉の形が音を立てて変形した。

 

 ――ガタガタガタ。

 

 扉は両扉になり、ゆっくりと開いた。その向こうから、新鮮な風が吹き込んできた。風だけでなく、夜明けの光を浴びる草むらが視界を埋め尽くしていた。

 皆、感嘆の声を上げる。母は興奮しすぎて無邪気に跳ねていた。

「先に行け。ワシは閉めねばならん」

 トトの声でクローディアは我に返る。荷物をしっかり背負い、母の手を引く。思い切って扉の外へと飛び出した。

 何もない広野。崖の向こうには薄暗くも海が見える。潮の香りが鼻についた。

 クローディアは背後を振り返る。空間が切り取られたように自宅の居間が見える。そこから、ロジャー達の家族が続き、ドリスとトトが草むらに足を踏み入れた。

 確認したトトが空間に呟く。

〔閉じろ、ゴマ〕

 空間は扉が閉まるような音を立てて、消えていった。

(……何処でもドアみたいなもんさ?)

 高揚したロジャーがクローディアの傍で目を輝かせている。

「すごい魔法だね。僕はきっと『移動キー』を使うと思ってたから、驚いた。こんな手段があるなんて素晴らしいよ」

 『移動キー』。指定された場所に設置され、指定された場所に移動する鍵。書物で知るだけだったクローディアは現物を見損ねた残念さがある。だが、この何処でもドアもどきも素晴らしい。

「さあ、こっちよ」

 さっさと歩くマデリーンに遅れぬよう着いて行く。盛り上がった丘の先、無数のテントがびっしり敷き詰められていた。更にその向こうには巨大ながら近代的な構造しつつも、太陽の光に反射して美しい輝きを放つ硝子のスタジアムの一部が見えた。

 キャンプ場は様々なテントが張られていた。寧ろ、テントではない建造物まであった。何処も朝食中で微かに美味しそうな香りが漂う。テントの傍で火を焚いている集団もいれば、テントの中から煙が立ち込めていた。

「パパだ!」

 シーサーが嬉しそうにはしゃいで、走り出す。テントを必死に張っている父親ディヴィ=ディビーズに飛び付く。ディヴィはロジャーより低いが、それでも頑丈な肉体をしていた。

「はじめまして、息子達がお世話になっています」

 丁寧な物腰でディヴィは母の甲にキスを落とす。突然の行動に母は驚いたが、クローディアが挨拶だと説明して納得する。

「ちょうど、出来あがったところだ」

 そういって、ディヴィは円形のテントを見せる。しかし、ひとつしかない。それに3人が寝る程度の大きさだ。ディヴィがレディーファーストだと、マデリーンと母を先に入れる。その後、クローディアも怪訝しながら、テントに足を踏み入れる。

 そこは古めかしくも趣のある部屋の中だ。居間、寝室、お手洗い、台所、風呂場まである。外見と中身が完全に違っている。日本の実家にある蔵と同じ仕組みだ。

(これは魔法さ。そうベッロの虫籠さ)

 ツッコんだら負け、クローディアは自分に言い聞かせた。

〔外と中、全然違うさ! 魔法みたいさ!〕

 感激した母は大声でツッコんだ。

 昼食の時間までクローディアは仮眠を取ろうと寝台に向かえば、早速トトに首根っこを掴まれた。

「おまえは水を汲んで来い」

 金具バケツを持たされ、クローディアは渋々目を擦りながらテントを出る。テントの中から、微かにロジャーとシーザーが囁きあう声を聞き逃さなかった。

「ロジャーはクロックフォードといたいのでしょう? 僕が母さん達を手伝いますよ。せいぜい、遠回りしてくれば?」

「それでこそ、俺の弟。この前、俺の洗顔クリームを勝手に使ったことはチャラにしてやる」

 呆れたクローディアは早足で歩き出した。しかし、すぐにロジャーに追いつかれた。

 

 幼い子供が玩具の箒で遊んでいたり、外国語で試合について大論争する大人達もいる。

 途中で顔見知りにも出会った。ピラミッドを彷彿させるテントから、パドマとパーバティが出てきたときは文化の違いを指摘したかった。アンソニーとマンディの家族がトランプを重ねたようなテントから顔を出し、クローディアに挨拶してきた。クララが家族とジャージ姿でテントを組み立てている姿は、すごく奇妙だった。バケツに水を汲み終わったチョウと擦れ違う。

「他に誰かと会ったさ?」

「ハリーを見かけたわね。後はいるかもしれないけど、見つけられないわ。でも、マリエッタとミムの家族はチケットが取れなかったそうよ」

 クローディアとチョウはお互いの運を良しとした。

 風車のついたテントの上、空を見上げるルーナが立ち尽くしていた。クローディアが挨拶を交わそうとすると、気づいた彼女はテントから見事、地面に着地した。

「おはようさ、ルーナ。私は今朝、ここに来たさ」

「遅かったね。あたしはパパと一週間前から、ここを守ってたんだもン。残念、パパはいないよ。他のテントに危ないことがないか探りに行ってるから」

 隠密行動を取るには、ラブグッドは目立つ。クローディアは決して口にしない。

「私はお母さんとお祖父ちゃん、お祖母ちゃん。ディ……ロジャーの家族と一緒さ。あそこのテント……こっからじゃ見えないさ」

 ロジャーを振り返ると、彼は苦笑している。

「じゃあ、シーサー=ディビーズもいるんだね。そうだ。向こうのほうにジニー達が歩いていくのが見えたもン。多分、他の人も一緒」

 ルーナが指先方向にはテント群れしか見えない。

「挨拶しに行かないさ?」

「ここを守ってないといけないから、駄目なんだもン。クローディアも水汲み、急いだ方が良いよ」

 ルーナに言われ、クローディアはロジャーと水道に急いだ。

 

 言われた通り、キャンプ場の水道には見事な列が出来ている。そこにも見知った顔を見つけた。ハーマイオニー、ハリー、ロンだ。

「ハーマイオニー! おはようさ」

 バケツを手にしたハーマイオニー、ハリーとロンもクローディアを振り返る。傍にいるロジャーを目にし、お互いの顔を見合わせた。

「おはよう、クローディア。おはよう、ディビーズ。えと……2人のデートは上手く行ったのね?」

 ハーマイオニーの口から発せられた言葉にクローディアは血の気が引いていく。ただ一緒に歩いているだけで、ロジャーと交際しているように思われた。それが衝撃的だからだ。

「僕達は、まだそんな関係じゃないよ」

 穏やかな口調でロジャーが答えた。ハーマイオニーとハリー、ロンは少し納得し難い表情だ。だが、クローディアの蒼白な顔色に嫌でも納得させられた。

「私達はセドリック=ディゴリーのご家族と一緒に『移動キー』で、ここに来たの」

 列に並び、クローディアとハーマイオニーはお互いの移動手段について説明した。

 クローディアは古びた靴に見せかけた『移動キー』に興味を抱く。ハーマイオニーとハリーもトトが用意した扉に興味津々だ。ロンが一番、扉の話題に食いついてきた。

「帰りはそれにしようぜ。だって扉を通るだけだ!」

 是非とも一緒にと、ロンの目が訴えかける。『移動キー』はそこまで嫌なのかと疑う。

「お祖父ちゃんに聞いてみるさ。聞けたら、そっちのテントに行くさ」

 バケツに水を汲み終え、クローディアはロジャーとテントに戻る。母とカレーを作っていたトトに早速、皆の要望を伝える。

「帰りはハリーと一緒ね」

 サンドイッチを作っていたドリスは勿論、賛成した。しかし、トトは返答を渋る。

「アーサー=ウィーズリー氏は魔法省の役人じゃ。ワシのやり方に文句をつけられたら、ちょいと厄介になるやもしれん」

「いいえ、そんなはずはありませんよ。あれは私も是非、多用すべき魔法と思いますよ」

 マデリーンの言葉にもトトは難色を崩さない。仕方なく、クローディアはロンの申し出を断ることにした。ハリーと帰宅できる機会を逃したドリスが一番、残念がる。

「どんな方法でここに来たんだ?」

 ディヴィの質問に、シーサーが説明する。

〔林檎がないさ〕

 母は暢気に荷物から、林檎を探していた。

「うわ~、こんなに美味しいカレーは初めてだ」

「甘~い!」

 ロジャーとシーサーはカレーをいたく気に入り、何度もおかわりした。日本製のルーを使用したカレーはクローディアも久しぶりだ。やはり、キャンプといえばカレーに勝る物はない。

(甘口より、辛口が良かったさ)

 がっつりと昼食を済ませたロジャーとシーサーは寝台に倒れ、そのままイビキを掻いて、眠りだした。

「私はハーマイオニーのテントに行ってくるさ。ウィーズリーさんに挨拶もしたいからさ」

 テントを出ようとしたクローディアを母が引き止める。

〔来織ばっかり、楽しんでズルイさ。私も行くさ〕

 母の手にはしっかりとカメラが握られている。クローディアがトトに視線を送ると、強く頷き返された。

 

 外に出た母は本当にはしゃぎたい放題だ。用意周到にカメラを構え、あちこちを取りまわる。完全に観光客気分の母は周囲にも奇異に映ったらしく、微かな注目を集めた。

 豪華絢爛なテントの入り口に繋がれた孔雀を触ろうとして、母は威嚇される。それでも母は威嚇してくる孔雀をカメラに写し、満足そうにしていた。

〔孔雀を飼っている人なんか、いるさ?〕

〔金持ちの道楽さ。きっと〕

 クローディアが母と孔雀を十分に眺め、テントに背を向けようとした。テントの中から、ドラコが現れた。

 予想にもしない人物にクローディアは露骨に嫌そうな顔をする。

「げ、マルフォイ」

「貴様、父上の大切な孔雀に何をするつもりだ」

 ドラコはしっしっと手を振り、クローディア達を追い払おうとする。

「この孔雀って、あんたのペットさ?」

「父上のだと言ったろ。ほら、さっさと行け」

 まさか、あのマルフォイに孔雀を飼う趣味があったとは、意外過ぎる。ある種の感動を覚えたクローディアは、もう一度孔雀を眺める。

「いま、この瞬間だけ、あんたのお父さんを尊敬するさ」

「どういう風の吹きまわしだ?」

 満面の笑顔で言い放たれ、ドラコは反応に困る。蚊帳の外の母が淋しそうに娘の肩に顎を乗せる。

〔この子は誰さ?〕

〔学校の同級生さ〕

 それを聞き、母はドラコに挨拶する。しかし、彼は怪訝するだけで挨拶を返さない。

「まさか、クロックフォードに姉がいるとは思わなかったな。魔女ですらないマグルめ」

「お母さんです」

 どうやら、ドラコは母をクローディアの姉と勘違いした様子だ。すぐに訂正すると、彼は驚愕の表情で固まった。

 

 その後も母のお守は大変だ。物珍しさで他人のテントを勝手に覗き込もうとしたり、知らない魔法使い達に誘われて何処かへ行こうとしたり、気が気ではない。

 

 キャンプ場の一番奥、やっとウィーズリー家のテントを見つけた。もうクローディアは体力をほとんど使い切った。母はまだ見物足りない様子でカメラのフィルムを交換している。

〔お母さん、友達紹介するさ。だから、カメラをしまうさ〕

〔確かに試合を撮る分がなくなるさ〕

 安堵の息を吐いたクローディアは母の手を引いてテントに近づく。テントの前で鉄板に火を通して卵とウィンナーを調理するアーサーがいる。その周囲でハーマイオニー、ハリー、ロン、ジニー、フレッド、ジョージ、パーシー、見知らぬ人間が3人、皿に焼けたウィンナーを配っていた。

「パパ、クローディアだよ。家族と一緒だ」

 ロンに声をかけられ、アーサーはマグルを大歓迎だと飛びつくように挨拶してきた。

 あまりの気迫に吃驚し、母はクローディアを自分の背に隠す。それを挨拶する態度と受け取ったアーサーは母と無理やり握手した。

「ようこそ、マグルの奥様。私はアーサー=ウィーズリー、この子達はえ~と、赤毛の子……、この子は違いますが、私の子供達です。皆、ちゃんと立って紹介するから」

 全員、渋々とアーサーの傍に集まってきた。ジニーとは違う赤毛の少女、クローディアは何処かで見た覚えがあった。記憶を辿るが思い出せない。

 アーサーが順番に紹介しようとしたので、クローディアは母の耳元で翻訳を開始する。

「長男のビルです。『グリンゴッツ銀行』に勤めています」

 長身で長髪の赤毛をポニーテールにし、片耳に牙型の耳飾りをしていた。しかも、服装は魔法族よりもロック歌手の印象を受ける。それに見合う整った顔つきがカッコ良さを際立たせる。これが銀行員だと信じられない。アーサーに紹介され、母に手を差し出して優しく握手した。

「次男のチャーリーです。ルーマニアのドラゴンの研究をしております」

 男達で背が低く(ハリーより高い)逞しい体格のソバカスだらけだったが、力仕事の似合う風貌だ。それでも、ロンの兄らしく優しい顔立ちだ。チャーリーも母の手をとって握手した。

 パーシー、フレッド、ジョージ、ロン、ジニーと紹介し、それぞれが母と握手した。

「それから息子の友人達です。ジュリア=ブッシュマン、ハーマイオニー=グレンジャー、ハリー=ポッター」

 意外な名前にクローディアは驚く。

(ジュリア? え? うそ、全然、雰囲気違うさ)

 困惑するクローディアの視線にジュリアは意地悪っぽく微笑んだ。それがとても魅力的に感じる。記憶の隅にある彼女と大分、印象が違う。これが歳月の力かと奇妙に感心してしまった。

 しかし、ジョージとの交際は既に承知しているが、まさかワールド・カップを観に来るとは予想外だ。

 何気なくジョージに視線を向け、彼はすぐにクローディアから目を逸らした。

「それで奥様のお名前は? あなたのお名前ですよ」

 声を弾ませるアーサーは母に伝わるように、ゆっくりとした口調で訊ねる。聞き取った母は緊張した笑顔で深呼吸する。

「はじぃめましちぇて、わたしぃの名前は祈沙です。い~つも、娘がお世話にぃなってましゅう」

 舌たらずの発音、クローディアは恥ずかしくて赤面した。

 だが、アーサーは全く気にせず、満面の笑みで母ともう一度握手する。

「いやあ、しかしお若い。ビルと比べると同じ年頃に見えますよ。ハハハハハハ、ところで、それはまさかカメラですか? その型は初めて見ました。ちょっとだけ、触らせてもらえませんか? 私はマグルの道具に非常に興味がありまして」

 興奮を抑えられず、アーサーは早口になる。母は瞬きを繰り返し、クローディアを見つめる。

〔おじさんはその型のカメラを見たことがないから、貸して欲しいってさ〕

 納得した母はカメラをアーサーに手渡す。慎重な手つきで受け取り、彼は世紀の発見を遂げた学者と新しい玩具を手に入れた子供が入り混じった表情で、眺めていた。

「親父、卵が焦げてるよ」

 ビルが親指で鉄板を指差し、事も無げに呟く。しかし、アーサーには聞こえていない。事態を察した母が代わり鉄板でウィンナーを焼き始めた。

「ゴメンね。パパ、一度熱が入るとママじゃないと止められないんだ」

「こっちがカメラを持ってきたのがいけないさ」

 チャーリーが申し訳なさそうに、クローディアに小さく詫びる。

「それにしても、君のお袋さん若いな。本当にビルと変わんなく見えるぜ」

「あれでもお母さんは姉さん女房さ。お父さんより年上さ」

 フレッドにクローディアが答えると、ハーマイオニーとハリーの表情が凍りついた。コンラッドより年上=スネイプより年上という公式を受け入れまいとする防衛本能だろう。ちなみに話を聞いていなかったロンは思いついたように明るい声を出した。

「クローディア、聞いてくれよ。ノーバートは雌だったんだ!」

 衝撃の事実にクローディアはロンを見つめる。それから、確認するようにチャーリーへ視線を転じる。

「ああ、君達が譲ってくれたドラゴンは雌だよ。ノーバートじゃ男っぽいから、ノーベルタって呼んでる」

 ドラゴンにも雌雄があるとは驚きだ。

 食事中であった皆がそれぞれの皿に盛ったウィンナーや卵を食べ始める。

「そういえば扉のこと。まだパパに話せてないけど、君のお祖父さんは何だって?」

「駄目だってさ」

 期待を込めるロンに即答した。がっかりして、残念そうに項垂れる。

「クローディア、ロジャー=ディビーズとデートしたのよね? どうだったの?」

 横から問いかけてきたジュリアをクローディアは反射的に睨む。睨みに凄みがあったのか、彼女の肩がビクッと痙攣した。

「デートなんかしてないさ。ただの買い物さ! ちょっとダイアゴン横丁を歩いただけさ!」

 強く反論されたことにジュリアはたじろぐ。

「世間ではそれをデートっていうのよ。それにあなたは前よりずっと女の子っぽくなっているから、てっきりロジャーが原因かと……。じゃあ、誰と付き合うの? まさか、ハリー=ポッター?」

 己の名前が出たハリーは口にしていた飲み水を勢いよく吐き出した。

「「おやおや、ハリー。いつの間にそういうことになってるんだ? 我々にも詳細を寄越してくれ」」

 フレッド、ジョージがハリーの両肩に重り、意地悪な笑みを見せる。

〔来織そろそろ、お暇するさ〕

 ウィンナーを全て焼き終えた母が暢気な口調でクローディアに声をかけた。フレッドとジョージを殴ろうと拳を振り上げていたので、わざと咳払いする。

 母が上機嫌な笑顔で皆に挨拶し、クローディアは強張った笑みでフレッド、ジョージを睨む。

「親父、2人が帰るって。カメラ返してやれよ」

 ビルに声をかけられ、ようやくアーサーは我に返った。

 

 テントに戻ると何故かトトの姿がない。2人の帰りが遅いので心配して探しに向かったそうだ。完全な行き違いだ。

「ハリーにお会いできまして?」

「元気そうだったさ」

 それだけでドリスは嬉しそうだ。

「夜からが本番よ。今のうちにお眠りなさい」

 ドリスに従い、クローディアは空いた寝台に横になる。疲れが溜まっていたらしく、すぐに眠りに落ちた。

 夢か現実か、ドリスとマデリーンの会話が聴覚を刺激する。

「バーサ=ジョーキンズが旅行に行ったきり、帰って来ないそうよ。連絡も取れないんですって」

「変なことに首を突っ込んでないといいけどね……」

 その続きは聞き取れなかった。

 

 日が暮れて夕食の準備が整った頃、クローディアは起こされた。ロジャーとシーサーの顔がアイルランドの国旗を思わせる配色の化粧を施されているように見える。

 クローディアが熟睡している間に、ロジャーはザヴィアーのテントに行き、兄弟もろとも塗ってもらったらしい。彼女も誘われたが、母が嫌がったので断った。

 夕食を食べ終えた頃を見計らい、行商人達がキャンプ場に次々と『姿現わし』した。珍品名物が荷台に山積みされ、老若男女問わず客が集う。

 子供達もお土産巡りにテントの外へと飛び出した。試合を見に来られなかったコンラッド、ペネロピー達に試合のプログラムを購入する。文字が紙の上を躍りながら、写真の選手達を説明していた。

 他の品を物色すると真鍮製の双眼鏡も売り出されていた。荷台の前で行商人が熱心に双眼鏡を売り込んでくる。『万眼鏡』と呼ばれる双眼鏡の説明を聞き、購入に悩む。

(ビデオカメラの双眼鏡さ、お母さん絶対これ欲しがるさ)

 小さな子供が買っていく姿を見ながら、クローディアは決めかねていた。誰かが肩を叩いてきたので振り返ると、ジニーとジュリアだ。2人とも胸元に緑のロゼットを着けている。

「2人ともそれ買ったさ」

「クローディアはどうしてそんなにパンフレットを持っているの?」

 ジニーは手にした数冊のパンフレットを指差す。

「お土産さ。ペネロピーとか、ネビルとかさ」

「私もジョージとフレッドにロゼットを買ったわ」

 ジュリアは自分の手にある2つのロゼットを見せる。

「あの2人、バグマンさんに乗せられて所持金全部賭けに回したのよ。パパがとめたのに!」

 怒りに頬を膨らませ、ジニーは今回の試合を解説するルード=バグマンが勝敗で賭けをしていると説明した。クローディアにしてみれば、あの双子らしい行動だ。しかし、クィディッチ好きの双子がロゼットだけで満足するとは考えにくい。

 『万眼鏡』を一瞥して、決意した。商人から『万眼鏡』を2つ購入し、ひとつをジュリアに手渡した。

 渡されたジュリアは驚いて『万眼鏡』とクローディアを交互に見つめた。

「それをフレッド、ジョージに渡しといてさ。ジュリアとジニーからだってさ」

 怪訝そうにジニーは、クローディアを探る。

「……どうして? あなたからでも問題はないでしょう?」

 クローディアはジュリアの目の前に人差し指を突き出し、チッチッチと動かした。

「2人がスッカラカンなこと、私は知らないさ」

 ジニーとジュリアは、お互いの顔を見やり頷きあう。

「ありがとう、クローディア。きっと、2人は喜ぶわ」

 嬉しそうに微笑むジニーは、クローディアの頬にキスを落した。

 これに驚いたクローディアは反射的に顔を真っ赤に染め上げる。反応が愉しいジュリアは意地悪そうに笑い、同じく頬にキスしてきた。更に真っ赤になり、小走りでテントに戻った。

 テントに戻れば、中で『ファイアボルト』のミニチュア模型が飛び回っていた。シーサーの仕業だ。クローディアは緑のロゼットをつけた母に『万眼鏡』を渡す。喜んだ母はお礼にと自分の緑のロゼットを渡してきた。

 それから数分後、ようやくトトが戻ってきた。疲労困憊の表情で絨毯に座り込み、ジョッキ分の水を一に飲み干した。

 心配そうに見つめるドリスに、トトは手振りで大丈夫だと伝えた。

〔どうしたさ? 疲れた顔してさ〕

 クローディアに声をかけられ、トトは息を吐く。

〔学生時代の友人達に会っての。質問攻めにされるわ、酒は飲まされるわ、なかなか離してもらえんかったわい。驚いたわい。皆がわしを覚えておるとはな〕

 困ったように笑うトトは、旧友との再会を喜んでいた。彼がダームストラング専門学校を中退したことをクローディアは知っている。彼の喜びも測れるというものだ。

〔良かったさ、楽しめてさ〕

〔そうじゃな〕

 クローディアが微笑むと、トトはまんざらでもない笑みを返した。

 母が『万眼鏡』の使用方法を会得したとき、何処からともなく銅鑼よりも深く大きな音がキャンプ場に響き渡った。

「いよいよだわ!」「いよいよだ!」

 ディビーズ夫妻が興奮して叫んだ。

 




閲覧ありがとうございました。
●マデリーン=ディビーズ
 勝手に妄想したロジャーのおかん。
●ディヴィ=ディビーズ
 勝手に妄想したロジャーのおとん。原作三巻にて、紹介されたディヴィ=ガーションの存在を拝借。


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2.ワールドカップ

閲覧ありがとうございます。
映画のスタジアムシーン、よく見るとオリバー=ウッドが映っているので、探してみてください。

追記:16年3月8日、18年9月2日、誤字報告により修正しました。


 深紫色の絨毯が敷かれた階段を上り、大勢の人々が己の席へと足を進める。

 切符に記された番号席に到着したクローディアは、感嘆の声を上げる。銀色の輝きを照らす椅子、目の前には事故防止の透明の壁が張られている。何の障害もない場所で、壮大な競技場や十万人の人々を一望できるのだ。他の席は、席というより立ち見する場所が設けられているだけだ。より多くの人々に試合を観戦させるためだ。

 

 ――とにかく絶景。

 

 興奮したクローディアは席に着かず、落ちない位置まで身を乗り出す。その光景を目に焼き付けている。その隣に立ったロジャーが呟く。

「この上は最上階貴賓席なんだ。ここはいわば2番目に良い席ってこと」

 上の階を見上げ、ロジャーが珍しく笑みのなく淡白だ。彼の口調の変化を気に留めることなく、クローディアは胸を躍らせ続ける。

「すっごく素敵さ。ありがとうさ、誘ってくれてさ」

「そういってもらえるなら、この席は最高の席だ」

 安心した表情で微笑んだロジャーはクローディアの肩に手を添えようとした。

「うぉっほん」 

 真後ろから発せられたわざとらしい咳き込み、ロジャーは手を引っ込める。

〔ワシは祈沙とウィーズリー氏に挨拶してくる。おまえはここでドリスから絶対離れるな。そこの若造と2人きりになることも許さん〕

 日本語が理解できないロジャーはクローディアに視線を投げかける。視線に答え、簡単に訳した。

「ロジャーと2人きりになるなってさ」

 思わず噴出したロジャーをトトは仏頂面で睨む。鼻を鳴らし、『万眼鏡』越しに周囲を眺めていた母を連れ、更に階段を上っていった。

「この上って、最上階貴賓席って言ったさ?」

「ああ、ウィーズリー達は……上の階か?」

 意外な事実に2人は呆気に取られた。

(この上にハーマイオニーがいるさ)

 観戦中にハーマイオニーの声が聞こえるかもしれない。そんな考えに耽っているクローディアはロジャーが悔しそうに唇を噛み締め、上の階を睨んでいることに気づけずにいた。

 

☈☈☈☈

 紫に金箔拵えという豪奢な椅子に腰掛けたジョージは背筋に悪寒が走り身震いした。

「寒くないか? フレッド」

「寒い? ジョージ、それは僕たちが熱くなっているだけだ」

 フレッドに背を叩かれても、ジョージは悪寒が消えない。隣に座るジュリアが彼の腕を擦り、暖めようとしていた。

 魔法省の重役と思われる魔法使い達と頻繁に握手を交わすアーサーとパーシー、ハリーは2人を見るとはなしに見つめる。大勢が押し寄せて来る階段から、トトと祈沙が現れる。

 それを見つけたハリー、ロン、ハーマイオニーは急いで席を立ち、2人に挨拶した。

「パパ、この人はクローディアのお祖父ちゃんだ」

 ロンにトトを紹介されたアーサーは喜んで握手した。

「ロンから話は聞いておりますとも。外国の魔法使いでいらっしゃるとか」

「ドリスから、あなた方ご夫妻の話を伺っております。お会いできて光栄です。息子さん達にも孫が大変お世話になっております」

 丁寧な物腰はトトをより壮齢な印象を与えた。その隣で祈沙は貴賓席の豪華さに見惚れている。飲み物を売り歩く小人を見つけ、てくてくと着いて行く。

「トトさん達もここの席なんですか?」

 ハリーの問いかけにトトは頭を振るう。

「残念ながら、下の階じゃ。ウィーズリー氏に挨拶をと思い、参った次第。それでは、わしらはこれにて失礼いたします……。……奴め、どこ行った?」

 ようやく隣にいたはずの人がいないとトトは気付く。

「さっき、ジュース売りを追いかけて行きました」

 ハリー、ハーマイオニー、ロンも周囲を見渡し、祈沙を探す。その間、アーサーは次から次へと現れる役人達と挨拶していた。

「いけません。あたくしは受け取れません」

 真後ろの後列から、『屋敷しもべ妖精』ウィンキーの甲高い声がした。何事かと、ハリーは思わず覗き込む。席にちょこんと座るウィンキーと目線を合わせるために身を屈めた祈沙がいた。彼女の手にはジュースが2つあり、それをウィンキーに差し出している。

「ハリー=ポッターさま、あたくしは頂けないのです。それでも、この方は差し出してくるのです」

 困り果てたウィンキーは小さな手で自分の顔を覆う。恥辱といわんばかりに震えていた。理解不能と祈沙も困惑している。彼女にとって、珍しい生物に餌を与えてみたいという衝動だろうとハリーは解釈した。

「この人は僕の友達のお母さんなんだ。君にジュースをあげたいだけなんだよ」

「いけません。あたくしは勝手なことをしてはいけないのです」

 必死にジュースから目を逸らすウィンキーは微かに指先から見ている。

 ハリーは『屋敷しもべ妖精』の食生活を知らないが、ウィンキーはジュースに興味を抱いている。

 ハリーは祈沙と視線を合わせ、小さく頷く。

「ねえ、ウィンキー。君のご主人様がここに来たとき、飲み物があったらすごく喜ぶと思うよ。ウィンキーが安全な飲み物だって確認したものなら、尚更だ」

 指の隙間から、ウィンキーは空いている隣の席を一瞥する。それからハリーを見つめて、ジュースを凝視した。決意したらしく、躊躇いながらも祈沙からジュースを受け取る。

「ふたりぃで、どうぞ」

 安心した祈沙が微笑む。畏まったウィンキーは、震えた手つきで頭を垂れた。

「トトさん、ここにいましたよ」

 祈沙を前列まで導き、ハリーはトトに声をかけた。

「ハリー、元気かね?」

 いつの間にか現れていたコーネリアス=ファッジ魔法省大臣がハリーを我が子のように親しげに握手してきた。祈沙は目に入らないのか、ほとんど無視された。彼女は気にせず、トトに軽く叱られていた。

「こちらは外国の魔法省大臣だよ」

 ファッジは両脇に連れたブルガリアとアイルランドの魔法省大臣をハリーに紹介した。アイルランド魔法省大臣はハリーを対し物珍しげな視線を向けつつ、ぎこちなく挨拶する。

 それよりも、ハリーはブルガリア魔法省大臣が気になった。決して金の縁取りをした豪華な黒ビロードのローブを纏った姿ではない。

 何故なら、ファッジがハリーを紹介していることを無視し、トトと外国語で和気藹々と話し込んでいたからだ。祈沙を紹介され、興奮した様子で慄いている。苦笑いを浮かべるトトはハリーの視線に気づく。

〔こらこら、仕事しろ、仕事。見られてるぞ〕

〔残念だ。だが、そうだな。懐かしい顔が見れて良かった。今度は孫娘も紹介してくれ〕

 親しみを込めてトトはブルガリア魔法省大臣と握手を交わした。

 それからトトは、ハリー達に視線を向けて丁寧にお辞儀する。離れないように祈沙の腕を掴み、階段を降りて行った。

「え~と、今の方はお知り合いですか? 大臣?」

 必死に聞くファッジにブルガリア大臣はただ瞬きを繰り返す。突然、ハリーの額の傷痕を指差して喚きだした。

「なかなか通じないものだ」

 うんざりした表情で、ファッジはハリーにだけ聞こえるように囁いた。

 

☈☈☈☈

 ほぼ同時刻。

 クローディアとロジャーは試練を受けていた。2人の後席はオリバーの家族だった。クィディッチをこよなく愛する元キャプテンに興味本位でブルガリアとアイルランドの勝敗を訪ねた。

 それがいけなかった。

 20分近く、オリバーは自身が分析した両チームの戦力を語り続けた。

「私、ちょっとお手洗いさ」

 耐え切れなくなったクローディアはロジャーを置いて席を立つ。彼も席を立とうとしたが、オリバーに肩を押さえつけられて身動きが出来ない。

 オリバーの熱弁にシーサーも興味を持ち、ドリスとマデリーンも真剣に話を聞きだした。

 階段付近まで逃げ込み、安心して何気なく振り返る。最上階に上がろうと階段に足をかけたドラコと目が合う。よりにもよって、マルフォイ夫妻も一緒だ。2人もクローディアに気づき、足をとめた。

 勝ち誇った笑みでドラコは自慢する。

「この先は特等席だ。僕らはファッジ大臣の直々のご招待でね。君には決して縁のない席だ」

「自慢するな、ドラコ。相手にする価値はない」

 冷徹に吐き捨てるマルフォイはクローディアに不愉快な視線を向ける。マルフォイ夫人は、夫と息子を止める様子もなく服の裾で口元を覆う。

 しかし、取り巻き扱いしているクラッブ、ゴイルがいない。ドラコと最も親しい女子パンジーの姿もない。

「パンキーソンはどうしたさ?」

「さあね。何処かの席にいるんじゃないか? 僕は会ってないね」

 興味なく答えるドラコは確実にパンジーを誘っていない事が窺える。普段から仲の良い2人なだけにクローディアには意外だ。

「なんで、パンキーソンを誘わなかったさ?」

「どうして僕が、パンジーを誘うんだ?」

 キョトンとした顔つきでドラコは驚いていた。

 その態度に驚く。パンジーはドラコに好意を寄せている。寮も違い、交流もほとんどないクローディアでさえ、承知している。だが、一番近くにいるドラコはパンジーの心情に完全に気づいていない。

 驚愕を超え呆れ、この場に居ないパンジーに心底同情する。胸中でため息をつき、クローディアはドラコを責める眼差しを向けた。気に障った彼は、彼女を指差し何かを叫ぼうとした。

「何を見つめあっとるか!!」

 電光石火の如くトトが高角度でクローディアとドラコの間に、踵落としをお見舞いした。衝撃でその場が一瞬だけ、揺れたが床は無傷だ。

 クローディアは周囲を見渡すが、誰も気にした者がいないことに安堵する。

「お祖父ちゃん、狙うならアイツにだけやってさ。他の人前は巻き込んじゃだめさ」

「おい、それは諌めているつもりか?」

 不満を口にするドラコは、マルフォイ夫人に抱き寄せられた。マルフォイは2人の前に立ち、不審者を見る眼差しでトトを睨む。

 睨まれたトトは、わざとらしく鼻を鳴らす。

「誰じゃ、この粗忽者は?」

 敵意を示しあう大人達にクローディアは嘆息する。しかも、この親子の紹介は非常に面倒くさい。コンラッドに倣い、単刀直入に述べた。

「偶然、同じ国にいて、偶然、同じ学校に通い、偶然、寮の違う、赤の他人さ」

 それを聞いたトトは安堵の表情を浮かべて頷く。

「なんじゃ、赤の他人か。なら、仕方ないのお」

「どういう紹介の仕方だ! 他に言いようがあるだろう!」

 案の定、文句を叫ぶドラコをクローディアは横目で見る。

「実際、私達、仲良くないさ。友達にクラスチェンジしたかったら、それ相応の態度にするさ」

「おまえが僕を敬えよ!」

 己の母親の腕の中で喚くドラコを見て、母が困惑する。

〔あの子、どうしたさ? 喧嘩でもしたさ?〕

〔思春期の男子はあんなもんさ〕

 日本語で会話しているにも関わらず、ドラコはより不満を言い放とうとした。

「ドラコ、戯れはそのくらいにしておけ。所詮は辺境のマグルなのだからな」

 侮蔑する言い草でマルフォイはクローディアの家族を見下す。どういうわけか、母はそれを挨拶と受け取る。

「こんにぃちは、はじめまして」

 愛想が良く活発な笑みで挨拶する母をマルフォイ夫人は、品定めするような眼差しを向ける。そして、母の薬指に嵌めている銀の指輪を指差した。

「ご結婚なさっておられるのですね? 相手はどなた?」

 ほとんど興味のない口調だった。これにトトが仏頂面で答える。

「ワシの娘婿は後にも先にも、コンラッド1人だけじゃ」

 その発言にクローディアは一気に青ざめる。コンラッドはマルフォイから身を隠していたというのに、トトは遠慮なくバラしおった。

「コンラッドが結婚していた!?」

 マルフォイ夫婦は驚愕に目を見開いて呆然と口を開く。あり得ない事態に遭遇し、困惑しているようにも見える。

「では、そちらのお嬢様は……本当にコンラッドの娘?」

 呂律が廻らなくなったマルフォイ夫人は額に手を当てて、青ざめる。マルフォイは己が妻の肩を抱き、全身を駆ける動揺を抑えようとした。

「父上? 母上?」

 事態が飲み込めないドラコはただ狼狽する。息子が傍にいることを思い出したマルフォイは毅然とし、妻と息子を連れて階段を上がった。

 一度もクローディアを振り返らなかった。

〔なんじゃ、アイツら。挨拶もせんとは〕

 礼儀を欠いた部分だけ、トトは厳しい表情を見せる。こちらの態度も非礼はあったので引き分けだ。しかし、クローディアはそれどころではない。

〔お祖父ちゃん! どうしてお父さんのことを言っちゃったさ! マルフォイにお父さんは自分のことを知られないようにしていたさ〕

〔……何? あいつらがマルフォイじゃと!? おお、いかん!〕

 失態に気付き、トトは自らの額を叩く。そういえば、ちゃんとマルフォイ一家を紹介していなかった。クローディアにも非があると認める。

〔妖精がいたさ。ちょこんと座ってたさ。来織も見に行くといいさ〕

 脈略のない話をしてきたので、クローディアはそのまま母の話に耳を傾けた。そうすることで、焦燥のあまり激しくなる動悸が治まる気がした。

 クローディア達が席に戻れば、ロジャーとシーサーは疲労困憊と座り込んでいた。語り尽くしたオリバーは満足げだ。逃走したことは間違いではなかった。

《レディース・アンド・ジェントルメン、ようこそ! 第422回、クィディッチ・ワールドカップ決勝戦を開催いたします!》

 『魔法ゲーム・スパーツ部』部長ルード=バクマンによる開幕宣言がなされた。会場中の観衆が雄叫びを上げ、拍手が湧き起こる。音程と歌詞がバラバラな国家合唱が流れた。両チームのマスコットキャラクター、ブルガリアのヴィーラが男性陣を虜にし、アイルランドのレプラコーンが金貨の大雨を観客席に撒き散らした。

 闘技場に現れた選手たちが紹介されていく中、世界最高のシーカー・ビクトール=クラムが箒の上で一回転していた。選手の紹介だけでも、会場は充分に湧いた。

 ロジャーとオリバーは、お互いの肩を組み何度も吼えた。試合が始まれば、何処のチームを応援するなど、関係なくなる。

 試合は奮闘の末、アイルランドの勝利で幕を下ろした。

 

 興奮冷めやらぬ観衆は騒ぎながら、階段を下りていく。

 いつの間にか意気投合したロジャーとオリバーはデタラメな歌詞を合唱しながら歩く。見事なプロの試合にクローディアも心が躍る。油断していた背中を勢いよく叩かれた。

「よお。クロックフォード! アイルランドの勝利に乾杯!」

「俺たちの計画に乾杯!」

 これまで見た中で最高に上機嫌なフレッド、ジョージは肩を組みあう。双子はクローディアの両耳に息を吹きかける。背筋が粟立つ。

「「『万眼鏡』、ありがとうな。本当に嬉しかったぜ」」

 無邪気に笑い双子はクローディアにウィンクする。結局、ジニーとジュリアは正直に話したのだと察して片手を上げて微笑んだ。

「喜んで貰えて良かったさ」

 途端に、双子は意地悪な笑みでクローディアの両肩へ顎を乗せる。

「「な~んだ。やっぱり、クロックフォードだったんだ」」

 カマをかけられただけだった。

「まあ、あれさ。今までの誕生日プレゼントのお返しってことでさ」

「クローディア、その服って。俺達がプレゼントした服だよな?」

 ジョージはクローディアの服を指差す。

「そうさ、こっちは14歳のと、これは去年のさ。ひとつだけなら、恥ずかしいけどさ。こうして重ねれば着れたさ」

「似合っているよ。すごくな」

 クローディアの説明を受け、ジョージは目を細めて微笑んだ。

 

 キャンプ場でも騒音は終わらない。テントの中でも、興奮が治まらないロジャーとシーサーは寝台の上で飛び跳ねている。クローディアも試合の興奮で眠れない。ドリス達も興奮して、パンフレットを眺めてお喋りしている。トトとディヴィはテントの外で、他の大人と騒いでいる。

 母だけが疲れて眠っていた。

 寝台に腰掛けたクローディアは手元に転がるレプラコーンの金貨を目にした。寝台だけでなく、絨毯にも金貨がばら撒かれている。1枚の金貨を手にし、指先で転がす。

(これって、確か……朝には消えるんじゃなかったさ?)

 それまでは大金を手にした高揚感に浸れる。まさに一晩限りの夢だ。そうと知りつつも、クローディアは指先で金貨を弾いて遊んだ。

「レプラコーンの金貨にはね、幻の金貨があるんだよ」

 はしゃぎ疲れたロジャーがクローディアの隣に腰かける。シーサーは万歳の体勢で絨毯に寝転び、いびきを掻いていた。

「150年くらい前のワールド・カップ、アイルランドとペルーの決勝戦でレプラコーンの金貨が今夜のように撒かれた。朝になり、金貨は全て消えているはずだった。でも1人のブルガリア人の手に1枚だけ残っていた。その魔法使いは次のワールド・カップでクィディッチ選手として決勝戦に参加し、見事優勝を果たしたんだ」

 手の中で金貨を転がし、ロジャーは浪漫を語る。

「聞いたことないさ。作り話さ?」

 意地悪に微笑むクローディアに、ロジャーは微笑み返す。

「オリバー=ウッドから聞いたんだ。アイツも選手仲間から聞いたんだって。ちなみに、その金貨はグリンゴッツ銀行に今でも保管されているんだと」

 オリバーはプロチームの2軍入りの契約を交わしていると付け加えた。選手の間に広まる伝説は何処にでもある。ホグワーツの伝説も実際に存在した。なら、幻の金貨もありえる。

 仮にこの手にある金貨が明日の朝にも残ったなら、クローディアはハーマイオニーに渡すと決めた。

「もし、僕がその金貨を手にしたら……」

 熱を込めたロジャーが言い終わる前に、テントの中に冷たい風が入り込んだ。

「皆、起きろ!!」

 緊迫したトトがよく通る声で一喝。すぐにシーサーは飛び起きる。ドリスとマデリーンもお喋りをやめ、トトに注目する。彼の雰囲気から、ただ事ではない。

 耳を澄ませたクローディアは外の状況を把握する。騒がしかったのは宴を賑わう声でない。恐怖に駆られた叫び声だ。

 嫌な感覚、トトに視線をぶつける。

「皆は森に身を潜めておれ! ワシらは魔法省に加勢にし行く!」

「私も行きます」

 すぐにドリスは杖を振るい、寝巻きから普段の服へと一瞬で着替えた。マデリーンは上着を羽織っただけで、ロジャーとシーサーの肩を抱く。完全に寝ぼけた母は半目で億劫そうに起き上がる。悠長な母の腕を引っ張り、クローディアはテントの外に出た。

 

 テントが燃え上がり、人々は悲鳴を上げながら、逃げ惑う。

 炎に照らされたキャンプ場を悠然と歩く一団、クローディアの視界に映る。黒い頭巾に奇怪な仮面を被り、杖から光線を出してテントを燃やし、適当な人を宙吊りにしては、地面に叩き落している。しかも、それを嘲笑しながら、近くにいる魔法使い達が加わり、一団は膨らんでいく。逃げ行く誰かが叫んだ。

「『死喰い人』だ!」

 『死喰い人(デスイータ)』、ヴォルデモートを『闇の帝王』と崇め奉った支持者達の自称。ヴォルデモートが倒されてから、『死喰い人』の容疑をかけられた魔法使いは、有罪を認めアズカバン行きか、無罪を主張し堂々と娑婆に残っている。

 あそこにいるのは後者だ。

 皆がキャンプ場から、少し離れた森へと走り出していく。誰も彼も混乱し、肩がぶつかっただけで錯乱に陥る人もいた。

「あいつら、追いかけて来ないか!?」

 振り返りながら走るロジャーが叫ぶ。クローディアも首だけ振り返ると、『死喰い人』の服装をした何人かがこちらへ走ってくる。それに周囲の人も気づいて怯えた。

「固まってちゃ駄目さ。バラバラに逃げるさ!」

 クローディアは母の手を引き、ロジャー達と別れて逃げた。

 森に逃げることはわかっている。クローディアはテントを物陰にしながら、避難所を目指す。クローディアが先導するので母が何度も後ろを確認した。

〔あの人達、こっちに来るさ〕

 母の言葉にクローディアは、振り返ろうとした。

「クルーシオ! (苦しめ)」

 何処からか、放たれた光を察知しクローディアは難なく避ける。突然、母が悲鳴を上げた。破壊されたテントの陰から、『死喰い人』が手を伸ばして母の腕を掴んでいる。

「お母さんから、離れろ!」

 落ちていた箒を力の限り、『死喰い人』に投げつけた。驚いた『死喰い人』の顔面に箒は命中し、倒れた。しかし、他の『死喰い人』が母の髪を掴んだ。すぐにクローディアは、落ちていた鍋で応戦する。

 2人の『死喰い人』が倒れ伏した時、突然、母がクローディアを背に隠すような態度を取る。

 気付けば、クローディアと母は『死喰い人』に囲まれていた。倒れた『死喰い人』もすぐに起きあがった。これで相手は5人になる。流石に分が悪い。

「そのマグルの女だ。娘ともども、捕えろ」

 また別の『死喰い人』が命令を叫ぶ。仮面越しでくぐもっていたがクローディアには相手がわかる。

「マルフォイ!」

 クローディアは怒鳴り声を張り上げた。返答はなく、『死喰い人』達の杖が2人に向けられた。

(影を使えばいい!)

 胸中で叫んだのは、刹那。

「優しい奥様に近寄ってはなりません!!」

 甲高い声と共に、『死喰い人』の1人が明後日の方向に吹き飛ばされた。誰もが動揺したが、母だけが何かに気付いて笑顔になった。

〔妖精さんさ!〕

 母の声と共に、再び『死喰い人』が飛ばされた。事態が飲み込めず、『死喰い人』は周囲を警戒する。それ隙と見た母はクローディアの手を引き走り出す。

「モースドール!(闇の印を!)」

 何処からともなく、地上から緑の光が放たれた。

「――――ああああ!」

 急に3人の『死喰い人』が恐怖に駆られて叫んだ。

 叫び声につられ、走りながらクローディアは空を見上げる。緑の煙が巨大な髑髏を空に描く。しかも、髑髏から舌ではなく蛇が這い出していた。

 『闇の印』。【闇の魔術の興亡】にも記載されている。『死喰い人』が己の所業を他者に恐怖させるための証。それがクローディア達の頭上に浮かんでいる。

「優しい奥様! こちらです!」

 甲高い声に導かれ、テントの影へと母とクローディアは身を潜めた。

「闇の印……が……、どうして……誰が出した?」

 微かに聞こえる彼らの声は動揺していた。馬鹿騒ぎを起こしておいて、ヴォルデモートの印が現れた瞬間、怯えだす。

 何の前触れもなく、『姿現し』の音が次々と弾ける。20人の魔法使い魔女が『死喰い人』を囲む。

「ステューピファイ!(麻痺せよ)」

 呪文と共に『死喰い人』が倒れ込んだ。応戦が起こり、呪文の光が周囲を飛び回った。

「頭を低くなさって下さい!」

 近距離から甲高い声が聞こえても姿が見えない。伏せた状態でクローディアは首だけ動かし、周囲を見回す。

 母の傍に何かがいた。

 フリットウィックより小柄で、キッチン・タオルをトーガ風に被っている。蝙蝠のように垂れた長い耳が『妖精』の印象を確かに与える。

〔お母さん、妖精さんって、その子さ?〕

〔そうさ、確か……ウィンキーってハリーくんが呼んでいたさ。ほら、座席に座っていたって妖精さんさ〕

 母はウィンキーに微笑んだ。微笑まれたウィンキーは栄誉を賜るように畏まる。

「ウィンキー、ありがとうさ。……うわあ!」

 呪文の光線がクローディアの腕を掠めかけ、驚いた拍子に悲鳴を上げる。誰かがそれに聞きつけて近寄って来る。一気に緊張し、影を使おうとした。

「誰かいるのか! ……クローディア! それに奥様!」

 凄んだアーサーは相手を確認し安堵の息を吐く。クローディアも緊張を解いた。

「駄目だ! アーサー! 逃げられた! くそ!」

 別の魔法使いが至極残念と悔しがる。気付けば、応戦の音が止んでいた。クローディアが立ちあがり、母もアーサーの手を借りて起きあがる。

「奥様、もう大丈夫ですよ。我々が来たからには安心です。こちらはエイモス=ディゴリー、私と同じ魔法省の魔法使いです。奴らは逃げて行きましたよ」

 汗だくだが、アーサーは優しい声で母に声をかける。ディゴリーはクローディアと母を見比べながら、周囲の惨状を見渡す。

「まったく『闇の印』とはやってくれる」

 『死喰い人』の言葉を思い返したクローディアは、アーサーの服を掴んで報せる。

「あの……あいつらの中にマルフォイのお父さんがいました」

「本当かい?」

 驚きつつも、目を輝かせたアーサーはディゴリーと顔を見合わせてすぐに他の人々に大きく手を振る。

「目撃者がいたぞ! ルシウス=マルフォイどもの仕業だ! この子が奴の声を聞いている!」

 ざわめきが起こり、人々が集まって来る。寝間着姿の人もいれば、きっちりと服を着込んだ人もいた。視線がクローディアと母に注がれ、緊張で胃が刺激される。母が不安そうにクローディアの肩を抱く。

 それを見て、アーサーが優しく宥める。

「大丈夫、聞かれたことだけ答えて」

「この2人か?」

 スーツを見事に着こなしたバーテミウス=クラウチが前に出る。白い手袋から神経質そうな印象を受けた。彼はクローディアを睨むような目つきで探ってくる。そういう視線には慣れたもので、毅然とした態度で臨んだ。

「はい、私はクローディア=クロックフォードです。ホグワーツ魔法学校の生徒です。先日、16歳になりました」

「16歳にしては、君は若いように見える。年齢を誤魔化しているのではないか?」

 厳しい口調でクラウチは言い返す。そして、母へと視線を向ける。途端にクラウチは、目から鋭さを消した。それでも厳格さだけは残っている。

「君も……ホグワーツの生徒かね?」

「こちらはマグルの奥様でいらっしゃる。この子の母親だ」

 アーサーが答え、クラウチは奇妙な頷きを見せる。

「マグルでは状況を忠実に説明できまい」

 そして、再び目を鋭くしたかと思えば、クローディアの眼前に迫る。

「ルシウス=マルフォイの顔を見たのか?」

「いいえ。ですが、あの声はマルフォイです。確かです」

 答えが気に入らず、クラウチは更に眉間のシワを強くした。

「他に目撃者は?」

「ウィンキーという妖精がいます。私達を『死喰い人』から、助けてくれました」

 周囲から、歓声のような声が上がる。

「流石はバーティの『屋敷しもべ妖精』、今大会におけるマグル安全対策を忠実に守ろうとしたのね」

 ウールのガウンを着た魔女がクラウチに称賛の声をかける。その言葉から、ウィンキーが『屋敷しもべ妖精』だと理解できた。

(あれが……へえ)

 クローディアがウィンキーを振り返ろうとする。しかし、その前にクラウチの憤怒の表情が視界に入り、思わず硬直した。眉間のしわを寄せ、上唇が捲れている。まるで、校則違反した生徒に憤慨するマクゴガナルのようだ。

「バーティ……、どうした? 『屋敷しもべ妖精』は立派なことをしたんだよ」

 アーサーの言うとおり、誰もクラウチを侮辱していない。それなのに、クラウチは大失態と言わんばかりに唇がわなわなと震えている。

「ウィンキー!!」

 唐突にクラウチは大声を張り上げる。呼びかけと言うより、怒鳴り声だ。音ひとつなく、クラウチの足元にウィンキーが現れた。

 ウィンキーはすっかり怯え、ぶるぶると痙攣している。

「信じ難い……、私の言いつけを破りおった……」

 侮蔑の眼差しでクラウチは、ウィンキーを睨んだ。睨まれただけなのに、命を握られたようにウィンキーは息苦しそうに喘いでいる。

「わたしぃ達は、襲われかけぇましたぁ。妖精さんはぁ、助けてくれました」

 理解不能と苛立った母がウィンキーとクラウチの間に立つ。クラウチは、母とウィンキーを交互に見つめて深呼吸する。

「これは、主人としもべの問題である。そうだろう、ウィンキー。テントにいるようにと命じられたにも関わらず、マグルを助けんが為にそれを破った!!」

「良いことだ! バーティ! 相手は少なくとも5人はいた! 彼女1人で、どうやって対抗しろと言うんだ!」

 アーサーが説き伏せようとしても、クラウチが手で制す。何故か知らないが、クラウチは命令無視を行ったウィンキーに激怒している。叱責を受けたウィンキーは、目に涙を浮かべ縋るようにクラウチを見上げる。

 こんな状態を作り出したのは、クローディア達だ。ウィンキーへの居たたまれない気持ちとクラウチへの理不尽さで心臓が騒ぐ。

「お願いです。ウィンキーを叱らないでください。私達は本当に危ない状況でした。マルフォイは私達を捕えるように他の人に指示していました! 助けを呼ぶ暇もありませんでした!」

 頭を下げてクローディアは懇願する。

 身体に籠る怒りを抑えつけた声で、クラウチはアーサーを睨む。

「アーサー、この2人をここから連れて行け。証人には満たんし……。いつまでも、ここにいさせるべきではない」

 アーサーは『闇の印』を見上げてから、慎重に頷く。

「デリトリウス!(消えよ!)」

 ディゴリーが杖を掲げ、叫んだ。霧が晴れるように髑髏と蛇が消え去った。

「さあ、おいで」

 有無を言わさず、アーサーはクローディアと母をその場から、離れさせた。

 クローディアはウィンキーを振り返る。しかし、ウィンキーはクラウチだけを見ていた。捨てられかけた子犬ように震え、訴えかけるような目をしていた。

「ウィンキーは悪くないんです。ウィーズリーさんからも言って下さい」

「あの『屋敷しもべ妖精』のことは私のほうで話してみるよ。だから、ここから離れなさい」

〔妖精さんが可哀想さ!〕

 母は日本語で何度も、喚く。もう一度、クローディアが振り返ろうとした時、手が腰元に触れる。服の中に違和感がある。背中を弄ってみると、杖が手に触れた。

 しかし、クローディアの杖ではない。杖は家に置いて来たからだ。背中から、杖を取り出す。妙に見覚えのある杖だ。

「ハリーの杖さ」

「え? ハリー? ハリーがどうしたんだい?」

 不思議そうにアーサーがクローディアを見やるので、杖を見せる。

「ハリーの杖が私の服にあったさ」

「きっと、逃げている最中に入ってしまったんだろう。大騒ぎだったし」

「こんなところにおったか!!」

 何もない宙を滑りながら、トトが現れた。

「おお、アーサー殿。娘と孫が助かりましたわい。それとおっしゃられた管理人のご家族は、危惧された通り襲われかけておった。手を出される寸前で食い止められましたぞ」

「それは何より! ちょうど良かった。お2人をお願いします。私は子供達を探しに行きます」

「おじさん、杖をハリーに渡して下さい」

 アーサーは杖を受け取り、『姿眩し』した。

〔瞬間移動したさ!〕

 驚いた母は、声を上げた。

 テントに戻ると、ロジャー、シーサー、ディヴィがいた。シーサーはディヴィから離れないように、その身体にしがみ付いていた。ロジャーは、クローディアを見た途端、飛び付くように抱きしめてきた。

「良かった……心配した……本当に……」

 震える彼の声を聞き、クローディアは胸が締め付けられた。

「ごめん……、心配してくれてありがとうさ」

 ロジャーの背に手を回そうとしたクローディアをトトが引き離す。

「『闇の印』を見た時は、皆さんが犠牲になったのではないかと……」

 ディヴィが母の手を取り、心配そうに擦る。それを見て、またトトは2人を引き離した。

「ドリス達は怪我人の治療にあたっておる。皆は寝ておれ。夜が明けたら、すぐに帰るぞ」

 号令といわんばかりに、それぞれが寝台へ行く。

 クローディアは外の惨状を眺め、何もない夜空を見上げる。『闇の印』が開戦の狼煙だと脳髄の奥で囁く声がする。いずれ現れるクィレルを思えば、闘争心で胸が騒いだ。

 

☈☈☈☈

 自動車が道路を行き交う。歩道では残り少ない夏の休暇をどう過ごすか話し合う。

 窓から外の光景を眺め、コンラッドは暖炉の傍で椅子に腰掛ける元『闇払い』に視線を転じる。客間には2人の他にもシリウスがいる。何故か、絨毯に正座させられている。

 何処にでもある民家に魔法使い3人が集まっているなど、外にいる者は誰も気づかない。この民家が元『闇払い』アラスター=ムーディの住処だと、近所に住むマグルは誰も知らない。

 コンラッドは機械的な笑みでムーディに敬意を払う仕草で言葉を放つ。

「『三大魔法学校対抗試合』の不正取締委員をなさるのは、私としても有り難い。ですが、この男の保護観察を他者に委ねるのは如何なものでしょう? あなたには……」

「言いたい事はわかるぞ。クロックフォード。わしとて先日の『闇の印』に、こやつが完全に無関係とは言い難い」

 シリウスの口元が痙攣する。

「だが、シリウスは手紙を書いていた。わしは何度も読み直して出させる許可を与えた。あのシリウスが闇の魔術で誤魔化された別人ではない。この目に賭けていい」

 青き隻眼を指差し、ムーディは断言する。

「この2月近く、シリウスの面倒を看て来た。少々、我慢が弱く短気だ。しかも、思慮に欠ける。故に信頼に足る者に引き継がせる。ダンブルドアは承知済みだ」

 勝ち誇ったようにシリウスは薄ら笑みを浮かべる。

 コンラッドは笑みを消さず、ムーディを真正面から見据える。

「後任はどなたに?」

「名はいえん……。と言いたいところだが、それでは話がすすまんので教えておこう。ニンファドーラ=トンクス、将来有望な『闇払い』だ。本人の前ではいわんが、コイツは大物になると踏んでおる」

 珍しく愉快げな口調のムーディは胸を張る。シリウスにとっても大歓迎の相手だ。ニンファドーラ=トンクスは気を許せる数少ない血縁・従姉アンドロメダ=トンクスの娘である。きっと、対当に扱ってくれることだろう。少なくとも、コンラッドよりはマシだ。

 コンラッドから笑みが消え、目を細めて冷淡な表情に変わる。

「彼女はまだ若い、男の従姉の娘だ。色眼鏡で判断しないと言い切れますか?」

「油断などせんとも。それをするようなら、わしは不正取締委員会を断っとる」

 沈黙が流れ、コンラッドは諦めたように息を吐く。

「従いましょう、マッド‐アイ。ただひとつだけ、お願いがあります。この馬鹿に制約魔法をかけさせて下さい。ニンファドーラ=トンクスに無礼を働かないようにするための処置です」

「よかろう」

「ちょっと待て! 私が何をすると……グフ」

 我慢の限界とシリウスが声をあげると、見えない力で首を絞められる。

 コンラッドによるものだ。シリウスが声を出せば、首が絞まる魔法を施していた。話に割り込んでこさせないためのものだ。

 喉への圧迫感に顔を歪めるシリウスをコンラッドは普段の機械的な笑みを浮かべる。

「君と話す時間はない。悪く思わないでくれ」

 親しみやすい口調だが、その眼差しは嫌悪に満ちていた。

 




閲覧ありがとうございました。

観客席のジュース売りは多分いるだろうと思い、幻の金貨の伝説もあればいいなと付け足しました。


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3.予兆

閲覧ありがとうございます。
重大な事件の前には予兆があるものです。些細で見えにくいモノ程、大事件になります(恐怖



 森林の奥、人の手入れがなされない獣道を歩き続け、行き着く先は水溜り程度の池だ。池の周囲に人はおらず、鳥の囁きだけが耳に入る。

 虫籠からベッロを解き放ったコンラッドは身を屈めて池へと手を伸ばす。指先が水面に触れ波紋を広げて、捲れ上がった。捲れた水面は、そのままベッロと共に飲み込まれた。

 

 ――視界が水面に包まれたのは、一瞬。

 

 弾くように水面が消えると森林でなく、民家の玄関口にコンラッドは立つ。否、家と呼べる場所ではなかった。

 窓のない壁や床には火災に覆われた跡として黒く焦げ果て、崩れた天井のカスが散らばっている。天井の先から水面が硝子窓のように光を入れている。朽ちかけた柱は、手を触れれば脆くも崩れ去った。

 かつて、母子が寝起きしていた家は無人で手入れもなくただ朽ちるのを待つのみ。己の生家の荒れ果て姿は、コンラッドに何の感情も湧かせない。

 ベッロが嬉しそうに舌を出し入れし、瓦礫の隙間を這って隣の部屋へと行く。迷うことなく、コンラッドもベッロに続く。家具すらも燃え尽きた黒い部屋に、黒衣の幽鬼が立っている。足元を這う蛇を抱き上げ、睨む。

 コンラッドは黒衣の幽鬼に向かい、親しげな笑みを見せる。

「来てくれるとは思わなかったよ。セブルス」

 笑みも返さず、スネイプは室内を見渡す。

「ここには、おまえの寝室だったが見る影もないな」

「どういうわけか燃えてしまったからね」

 興味なさげにコンラッドは肩を竦める。その態度が癪に触ったスネイプは睨みを強くし凄んだ。

「我輩の質問に全て答えろ。コンラッド」

 敵意に満ちた殺意が込められても、コンラッドの笑みは崩れない。

「残念ながら、君の質問には何一つ答えられない」

 スネイプの眉が痙攣し、ベッロを離した。蛇は2人の間でトグロを巻き、動かない。

「では、何の用かね? 保護者面談にしては場所が悪い。まさか、円満な家庭の自慢話ではないでしょうな?」

 剣呑なスネイプに対し、コンラッドは表情をひとつ変えず、口を開く。

「マッド‐アイがブラックの保護観察の任務を降りた。後釜にニンファドーラ=トンクスが添えられたよ」

「ワールドカップの『闇の印』が原因か……」

 険しかったスネイプは忌々しげに口元を歪めて舌打ちする。舌打ちしている隙に、コンラッドは彼の左腕を掴んだ。

 不意を突かれたスネイプは焦る。その位置には腕に刻まれた『闇の印』があるからだ。

「最近、ここに変化はあるかい?」

 深刻な口調と共にコンラッドから笑みが消える。表情の変化にスネイプは少なからず驚き、胸中に渦巻いていた敵意と殺意が萎えていく。

 微笑まないコンラッドは端整な顔立ちをより機械的な印象づける。無表情とは裏腹に彼の胸中は複雑な感情が入り乱れているのだと、スネイプには感じとれた。

「……それを聞くために呼び出したな? ……我輩の質問には答えんと言いながら……」

「全てを知りたいなら、『開心術』でも使ったら、どうだい? 私は君を相手に『閉心術』は使わない。さあ、知りたいだろう?」

 スネイプの腕を掴む手に力を入れ、コンラッドの口元が弧を描く。

「『開心術』を使わんでもせん限り、何も話さんつもりか……」

 コンラッドの手を振り払い、スネイプは睨みを利かせる。

 先ほどの敵意ではなく、悲哀に満ちた眼差しにコンラッドは困り果てた笑みを見せる。

「君がリリーを忘れない限り……、私から君に話すことは何もない」

 紡がれた名を耳にし、スネイプの肩がビクッと痙攣する。

「その名を口にするな……」

 震える唇は怒りよりも哀しみが勝る。無意識にスネイプの手が己の腕に刻まれた『闇の印』に触れる。その仕草を眺めたコンラッドはベッロを一瞥し、背を向けた。

「君が彼女を忘れ去り、その印を捨て去る気になったら、私を呼ぶといい」

 歩き出したコンラッドの背に、スネイプは悲痛な声を上げる。

「コンラッド……。あの娘は誰の子だ?」

 それが誰を指しているのかはコンラッドはすぐに見当がついた。足を止めて首だけ振り返る。いつもの機械的な笑みのまま、答えた。

「クローディアは私と同じ血が流れているよ」

 心臓に杭が突き刺さる感触を受けたスネイプは愕然と目を見開いた。その反応を楽しむように、コンラッドが喉を鳴らして笑う。

「ならば……我輩は……、それ相応の態度をとるまでだ」

 精一杯の強気だとスネイプは自覚している。クローディアはコンラッドの娘などではないという確信がものの見事に打ち砕かれ、動揺する己が情けない。

「セブルス」

 挨拶するような軽い口調で呼びかけられ、スネイプは目を丸くする。まるで先ほどのやり取りがなく、いま出会ったかのような印象さえ与えられた。

「君になら、あの子を殺されても構わないよ」

 感情の読めない紫瞳が全てを嗤っていた。瞳だけではなく、口元さえ妖しく美しい弧を描いている。その表情にスネイプは久しくコンラッドに恐怖じみた寒気を覚える。

 コンラッドは彼が知る誰よりも狡猾にして残忍、そして無垢なのだと思い出した。

 それから2人は一言も発しなかった。ベッロが舌を鳴らす音だけを耳にする。やがて、嗤った笑みを崩すことなくコンラッドは去っていった。

 彼の去り行く背中を見つめたスネイプは、コンラッドとクローディアが父子であることを疑念する。何故か、それだけは外れていないという確信が以前にも増して強くなっていた。

 

☈☈☈☈

 自然と意識が覚醒したクローディアはカーテンを開く。空が雲に覆われているため薄暗いが、夜が明けていると教えるには十分な光を射す。

(今日はロンの家に呼ばれてるさ)

 ロンから誘いの手紙を受けた。ハリーに気がかりなことがあり、早急にクローディアと話したいらしい。こちらも『闇の印』の晩からハーマイオニーの顔を見ておらず、大賛成だ。それにクラウチがウィンキーに何をしたか知りたい。

 朝食を求めて下りて見れば、食卓にはアサリの御吸い物と納豆が用意されている。しかし、コンラッド達の姿がない。ドリスはカサブランカとベッロに餌やり中だ。

「あれ? お父さんとお母さんは? ……お祖父ちゃんもいないさ」

「コンラッドは祈沙とおデートに向かいました。トトは慌ただしく出かけて行ったわね」

 語尾を冷ややかにドリスは不在のトトに向かって悪態をつく。

 トトが誤ってマルフォイに情報を伝えたことを根に持っている。コンラッドは『いずれ知られただろうから、構わない』と許した。

「今日はロンに家でハリーとご飯さ」

「そうですねえ。楽しみね」

 ハリーの名にドリスは瞬時に明るくなった。その後、上機嫌に外着を選ぶ彼女がまるで年頃の娘に見える。

 明後日の新学期に備え、クローディアは宿題に抜かりがないかを確認する。畳の上に寝転がり、予習として【基本呪文集・4学年用】に目を通した。

 机の上にはルーナやクララなどから送られた手紙で埋め尽くされており、勉強が出来ない。何処から知れたか、クローディアが『死喰い人』に狙われたという話を聞きつけ、身を案じてくれた。しかし、量が多い。ロジャーは毎日のように手紙をくれる。

「お時間ですよ!」

 声を弾ませたドリスに呼ばれ、クローディアは居間の暖炉に向かった。

 

 『隠れ穴』に着き、暖炉の前にはモリー、ビル、チャーリー、フレッド、ジョージ、ロン、ジニー、ハリー、ハーマイオニーが暖かい笑顔で迎えてくれた。

「ハリー! まあ、よくぞ御無事で!」

 ハリーを目にした途端、ドリスは彼を我が孫のように抱きしめた。その間、ロン、ハーマイオニー、フレッド、ジョージがクローディアに詰め寄った。

「クローディア! パパから聞いたけど」「新聞にはあなたのことは載ってなかったわ」「あいつらに何かされなかった?」「俺達のテントにくればよかったのに」

 一度に話しかけられ、クローディアも対応に困る。

「お黙り! シレンシオ!(黙れ!)」

 モリーが杖を振るった瞬間、4人の口が強制的に閉じられた。深呼吸した彼女はクローディアに優しい笑みを見せる。

「よく来てくれたわ。さあ、お昼にしましょう」

「お招きくださり、光栄です……」

 笑顔のモリーが何処か不気味に感じた。

 食卓に着く際、クローディアは室内を見渡して、もう1人探すがいない。

「ジュリアは……いないさ?」

「あの子はワールドカップの後に帰ったよ。ジュリアはすごい。騒ぎが起こった時、俺達のテントでずっと寝てたって言うんだ。感心しちゃった」

 感嘆の声を上げるチャーリーにクローディアは取りあえず頷く。騒ぎに動じぬ鈍感さを褒めるべきか警戒心のなさを嘆くべきか、ジュリアに対する評価は付けがたい。

 食事の間、皆、一様に沈黙していた。

 ドリスとモリーが服装や身だしなみの話をするが、それ以外は静かなものだ。皆の本心はわかっている。ワールドカップでのことを聞きたいが、モリーが目を光らせている間は駄目だ。それでも、無意識に視線がクローディアに集中する。

(視線が痛いさ……)

 何気なく、クローディアはビルを視界に入れる。途端に話題を思いつく。

「あの、ビルお兄さん。……友達から聞いたんですけど……レプラコーンの……幻の金貨の噂を」

 スプーンの手をとめ、ビルはクローディアに笑いかける。

「あの金貨のことなら、本当だ。今でも厳重に保管されているし、四六時中、消えないか見張られているよ。保管されてから50年くらい経つけど、1日どころか一瞬も消えたことないそうだ」

 現役銀行員の言葉だ。疑う余地はない。

「幻の金貨って何?」

 興味津々にジニーが説明を求める。ビルが掻い摘んで説明した。

「レプラコーンの金貨が一晩で消える!?」

 ビルの説明を聞き、吃驚したロンが大声を上げる。

「ロン、声を押さえて!」

 ハーマイオニーに叱責されたが、ロンは深刻な表情で返事をしなかった。

 食事が終わり、クローディアはモリーやドリスと食器を片づけようとした。それをジニーが止める。

「クローディアはお客様だもの。ロンの部屋でも見てきたら?」

「そうだよ。クローディア、おいでよ」

 ロンとジニーが目配せで、クローディアに訴えかける。気付いたようにチャーリーが食器を流しに運び出した。

「俺が手伝うから、いいよね? ママ?」

「ええ、勿論だわ。ロニー坊や、クローディアを案内してあげて」

 上機嫌にモリーがロンを促す。

「ロンの部屋、見てみたいさ」

 わざとらしく声を出し、クローディアはロンに連れられて屋根裏に上がった。

 階段を上がるとわかるが、この家は風車小屋のように柱や梁が丸見えだ。それがとても暖かい雰囲気を醸し出す。『若草物語』に出て来る家にも似ている。まさに故郷の家というべきだ。

 ロンの部屋は男の子らしい空気がある。何処かのクィディッチチームのポスター(こっちを見て笑い、手を振ってくる)、窓際の水槽にネビルのトレバーに負けない大きさの蛙が一匹棲んでいる。4つの寝台を通り、クローディアは小さい鳥籠にいるロンの新しいフクロウに笑いかける。

「あ、この子。名前付けたさ?」

「ピッグだよ、ピッグウィジョン。ジニーが名前付けちゃったんだけどね」

 ピッグウィジョンはクローディアに挨拶するように鳥籠の中を飛び回る。

「良い部屋さ。魔法使いが住んでそうさ」

「僕、魔法使いだよ」

 不思議そうにロンは苦笑する。

「それだけ、素敵ってことよ」

 ハーマイオニーはハリーが部屋に入ってから戸を閉める。

「さて、何を聞きたいさ? ここ座っていいさ?」

「ああ、フレッドの寝台だ。どうぞ」

 ロンに進められ、クローディアは寝台に腰を下ろす。向かい合うようにハリーも座る。

「クローディア、早速で悪いんだけど、僕の杖を何処で見つけたか教えてくれる?」

「私の服の中に入り込んでたさ。おじさんは逃げる途中で何かの拍子に入ったかもしれないって言ったさ」

 考えてみれば、奇妙な話だ。全く別方向にいたクローディアとハリーが何処で擦れ違えば、杖が服に入るというのだろう。

「僕、騒ぎが起こって逃げた時には杖を持ってなかったんだ。何処でなくしたかは、わからない」

「つまり、誰かが持ち出したかもしれないの」

 ハーマイオニーが付け加える。

「持ち出した杖を私の服に入れたさ? 何のためにさ?」

「君が盗んだように見せかける為とか?」

 ロンの発言は、的を得ている。

「詳しい状況を教えて、あの時、何があったの?」

 ハーマイオニーの質問にクローディアは当日の記憶を思い返す。見たことをありのままに説明した。

「ウィンキーが責められたですって!?」

 仰天したハーマイオニーが声を荒げる。ロンが彼女の口を塞ぐ。あまり騒げば、下にいるモリーとドリスに気付かれる。

「君のお母さんはウィンキーにジュースを上げたんだ。もしかしたら、ウィンキーなりのお礼だったのかもしれない。前に話したドビーっていう『屋敷しもべ妖精』も僕にお礼をしようとした」

「恩返しなら、ますます、私らのせいさ。可哀想にウィンキーは泣き出しそうにしてたさ。おじさんは口添えをしてはみるって言ってたさ」

 茶色い瞳に涙を浮かべたウィンキーの姿が脳裏に浮かぶ。酷い目に合っていないことを祈るだけだ。

「もし、ウィンキーがクビにされたら、私、クラウチさんを幻滅するわ。だって、ウィンキーは高所恐怖症なのに、あんな高い所の席を守っていたんですから! 言いつけだからって!」

「それ、パーシーの前で言うなよ。パーシーの崇拝する上司なんだから」

 パーシーは念願の魔法省勤務が叶い、仕事が楽しくて仕方ないらしい。『国際魔法協力部』のクラウチは、規律、規則に厳格で容赦がなく、仕事もそつなくこなす。

 そこにパーシーは憧れている。ロン曰く、兄は恋する乙女の状態だ。

「僕なら、バグマンがいる部署にするな。そのほうが楽だよ、絶対」

「けどロンが行方不明になっても、バクマンさんは探してくれないよ」

 ハリーがロンに冗談を言う。笑ったロンを見て、クローディアは急に思い返す。

「バーサ=ジョーキンズ……」

 ドリスとマデリーンが彼女の話をしていた。

「ええ、聞いたわ。バグマンさんの部下なんですって、休暇で旅行に行ったっきりらしいわ。キャンプ場で、バグマンさんにウィーズリーおじさんがバーサ=ジョーキンズを探すように言ってたけど、聞く耳を持たなかったわ」

 あのお喋り魔女が行方不明、非常に不吉な予感がする。

〝いつか、命を落とすだろうね〟

 脳髄の奥でコンラッドの声が囁いてきた。

 急に黙り込んだクローディアに向かい、ハリーは躊躇うように声をかける。

「実は君に言ってないことがあるんだ。その……ワールドカップが始まる3日前に、……額の傷が痛んだんだ」

 傷が痛むなど、久しぶりだ。『賢者の石』の件以来といえる。あの時から、今日までハリーの傷が痛んだ話はなかった。尚のこと、ジョーキンズの消息が気がかりだ。

「あの『死喰い人』の中に、クィレルもいたと思うさ?」

「それは……わからない……」

 煮え切らない態度でハリーは返答を渋った。

「ルシウス=マルフォイは絶対いたぜ。あのドラコ=マルフォイが自分の父親がいるように言ってもん。マルフォイの奴、ハーマイオニーも襲われたらいいみたいに言ってたぜ」

「OK。次にマルフォイの顔を見たら、一発パンチさ」

 クローディアはロンと親指を立てて誓う。

「ねえ、クローディア。『闇の印』が出た時、『死喰い人』達はすごく驚いていたって言ったわよね? どうして、彼らは驚いたのかしら?」

 ハーマイオニーに指摘され、クローディアはハリー、ロンと顔を見合わせる。

「予定外とか?」

 何となくロンは意見する。その意見を踏まえ、クローディアはもう一度、あの日を思い出す。『死喰い人』に杖で迫られた時、ウィンキーが助けてくれた。1人は飛ばされた。まだ残り4人がいた。母が走り出した後、『闇の印』を放つ呪文を聞きとった。あいつらとは逆の方向からだ。だが、そこには誰もいなかった。

「……騒ぎに便乗して、他の『死喰い人』が放ったということさ? まさか、クィ……」

 急に戸がノックされる。

「クローディア、帰る時間だって」

「いま、行きます」

 ビルに答えてから、クローディアは真剣な眼差しでハリーを見る。

「次に傷が痛んだときは、ベッロを護衛にさせるさ」

「うん、任せるよ」

 真摯に受け止めたハリーは頷いた。

 

 

 休暇を終えた新学期だ。あの『闇の印』から、1週間経った。

 一昨日にハリー達と話し、クローディアの眠りが浅い。時計を見れば、夜明け前だ。無理して目を瞑ったが、時計の針の音が煩い。

 仕方なく顔を洗い、衣服を着替えた。朝食を摂りに下りると、既に起床していたドリスとトトが彼女の早起きぶりに驚く。

「もう少し寝ていなくてよろしいの?」

「うん、お祖母ちゃん。なんだが、目が覚えて眠れないさ」

「具合が悪いのではあるまいな。寝る子は育つぞ」

 トトの心配する態度が少しだけクローディアの気に障る。眠りたくても、脳が活性化して眠れないのだ。その理由に『闇の印』やクィレルが絡んでいるなど、言えるはずもない。

「リータ=スキーターったら、もう少しマシな記事が書けないものかしら」

 ドリスは【日刊預言者新聞】を読みながら、悪態つく。近頃、彼女は苛立っている気がした。

〔納豆にはネギさ〕

 5人が食卓を囲む光景も一週間もすれば、慣れてしまう。しかし、クローディアは新学期が始まるため寮生活に戻り、母とトトは日本へ帰国する。5人が揃うのは最低でも来年になる。少し淋しい気持ちに駆られたの心情を余所にコンラッドが問う。

「マッド‐アイ・ムーディを知っているね?」

 勿論、クローディアは知識としてその魔法使いを確認している。

 歴代の『闇払い(オーラー)』で最も偉大な魔法使い。現役時代は豊富な知識と洞察力によって多くの闇の魔法使いを更なる闇に葬り、生き残れた者は全てアズカバンに投獄させた。しかし、『闇払い』として優秀すぎたムーディは被害妄想と人間不信によって引退したと【黒魔術の栄枯盛衰】に記されていたはずだ。

 呑気に卵を割る母の隣で、コンラッドは薄ら笑いを浮かべる。

「シリウス=ブラックの保護観察だったが、任を解かれた」

 反射的にクローディアは眉間にシワを寄せる。不意にダイアゴン横丁で目にしたことを思い返した。シリウスの傍にいた異質な義眼の魔法使い、間違いなくムーディその人だ。推察通り、保護観察者だった。

「後任は誰さ?」

「おまえの知らない人だよ」

「クローディア、時間があるから少し横になっていなさい」

 わざとらしく咳払いしたドリスが、クローディアを2階へ追いやった。

 追いやられ、床に這い蹲り、耳を澄ませ会話を聞き取ろうとする。ドリスが不機嫌にコンラッドを責めているが、トトが仲裁している。

「保護観察者のことはいずれ、わかることじゃ。問題は何処までブラックの行動を抑制できるかじゃな?」

「ブラックは堪え性のない男です。私も面会を増やして行きますが、効果は期待できません」

「勝手な行動はダンブルドアの信頼を傷つけることになります。いくら、ブラックが愚かといえど、そこまで間抜けでは救いようがありませんわ」

〔醤油、忘れたさ〕

 簡単に盗み聞きしたクローディアは、シリウスへの不愉快さに奥歯を鳴らす。

 シリウスの無実が証明された時、新聞の扱いが哀れだと思いはした。しかし、『叫びの屋敷』で植えつけられた嫌悪感は拭いきれない。それがただの偏見だと指摘されようが、決してシリウスに好意など持たない。

 不快な思いを誤魔化そうと、トランクの中を改めだした。必要な衣服と教科書を詰め込む。スパッツを畳んでいるとき、妙な膨らみに気づく。手を入れて確認すると、硬貨が出てきた。

 しかし、ただの硬貨でなく。レプラコーンの金貨だ。

 全身に高揚のざわめきが駆け巡る。

(幻の金貨さ……)

 手の中に感触を確かめ、クローディアは金貨を指で弾いた。

 身支度も終え、ベッロを入れた虫籠とトランクを抱えて玄関口に立つ。普段のようにドリスが駅まで見送りに来る。

 はずだったが、見送りはドリスだけでなく、コンラッド、トト、母もいる。トトと母が見送りに来たがるのは、クローディアでも理解できる。しかし、彼まで着いてくるのは、これが初めてで意外だ。

「お父さんも見送りさ?」

 訊ねるクローディアに、コンラッドはいつもの機械的な笑みで答える。

「そうだよ。嬉しいかい?」

「うん」

 素直に答えるクローディアに何故か母が照れる。不思議とこれが金貨の効果なのかと、自身に問いただした。偶然でも、家族が揃って自分を見送る。

 素直にただ嬉しい。

 

 余裕を持つのは良い事。毎年1時間前にキングズ・クロス駅9と3/4番線に到着し、紅の機関車を時間たっぷり眺める。眺めているのはクローディアではなく、母だ。手にしたカメラでホーム中を撮りまくっている。

 正直、恥ずかしい。

〔お祖父ちゃん、やめさせてさ〕

〔気が済むまでやらせてられい〕

 気恥ずかしそうにトトも、母から目を背ける。

 ホームに現れたペネロピーに、クローディアは挨拶する。誇らしげな彼女の胸には『首席バッチ』が飾られていた。

「ワールドカップのパンフレット、ありがとう。そういえば、会場でジュリアに会ったわよね?」

「ペネロピー、ジュリアを覚えてるさ? 彼女、すっごく大人っぽくなってたさ」

 その時の状況を説明し、ペネロピーは頷く。

「ジュリアと私、お向かいさんだものよ。しかも、小さい頃から私に対抗心を燃やしてたの」

 意外な真実だが、ジュリアがペネロピーに必死に対抗している姿が容易に想像できる。

「じゃあ、ジュリアとジョージの話も知ってるさ?」

「ええ、冬の休暇で帰省したときに、散々自慢されたわ。ジュリアも私がパーシーと付き合っていたこと知ってるから」

 嘆息するペネロピーはパーシーとの交際を過去形にした。故にクローディアは追求しない。

「ところで、あそこで写真撮ってる人。クローディアにソックリだと思うけど、家族?」

 正面から汽車を撮る母をペネロピーは親指で指差す。

「え~と、日本から来てるお母さんさ。英国は初めてでさ……」

 機関車に近寄りすぎた母が線路に落ちそうになり、コンラッドが助けた。

「お父さん、お母さん。友達、紹介するさ。ペネロピー=クリアウォーターさ」

 ペネロピーに両親を紹介し終えたとき、ルーナがホームに到着した。

 ルーナはコンラッドを目にし、瞬きせずに凝視する。視線をモノともせず、彼は彼女に微笑みかける。

「君がルーナ=ラブグッドかい? いつもクローディアの面倒を見てくれてありがとう」

 目を輝かせたルーナはコンラッドへ頷き返す。

(私が面倒見られてるさ)

 ルーナが嬉しそうに口元を緩ませているので、クローディアは口を挿まない。

 汽車に乗り込み、コンパートメントに荷物を積む。その隣でルーナが囁いた。

「クローディアのお父さんって、お父さんって感じじゃないね。クローディアみたい」

「え? 私がお父さんに似てるさ? よくお母さんに似てるって言われるさ」

 窓の向こうで、ラブグッドがドリスへ一方的に『闇の印』の話をする。その隣では、母はコンラッドとフクロウを指差し、何か話し込んでいる。

「クローディアはお母さんとは全然、違うよ」

「私とお父さんが似てるさ、そうかな? なんか、嬉しいさ。ありがとうさ」

 悪い気がしないクローディアは満面の笑みでルーナの頭を撫でる。

 クローディアの手の下で、ルーナは深刻そうに目を細めていたことに彼女は気づかない。

「あ、いたいた。クローディア! 元気だったかい!」

 コンパートメントにロジャーが飛びこもうとしたが、セドリックが引き止めてくれた。

「やあ、おはよう。クロックフォード。父さんから聞いたけど、大丈夫だった? 魔法省ではルシウス=マルフォイが騒ぎの首謀者だって皆、噂しているらしいよ」

「……ディゴリーのお父さんも魔法省さ?」

 意外思いながら、クローディアは「エイモス=ディゴリー」の名を思い返す。あれがセドリックの父親とは、わかりにくい。

「こいつの親父さんは『魔法生物規制管理部』だよ」

「ハグリッドの大敵だね」

 ロジャーが説明すると、つま先立って背筋を伸ばしたルーナが声を上げる。2人は彼女に気がついていなかったらしく、驚いていた。

「どうして、ルシウス=マルフォイは、……逮捕は無理でも、任意で取り調べとかできないさ?」

「ファッジ大臣が彼を庇っているからだよ。ルシウス=マルフォイは先日、聖マンゴ魔法疾患傷害病院に多額の寄付をしたんだ。そんな仁徳のあるマルフォイ閣下がマグル苛めなんてするわけないって、ファッジ大臣は本気で考えている」

 悲痛そうにセドリックは、ロジャーを振り返る。同調したロジャーも肩を落とす。

「『例のあの人』が倒れた時のことをファッジはまるで御伽話のように昔のことだと思ってやがる。いまでも『死喰い人』が残した犠牲者がいるって、忘れているんだ」

 忌々しげにロジャーは吐き捨てた。

「犠牲者……ってさ?」

 クローディアが聞き返した時、ドラコがいつもの取り巻きと通りすぎた。

 各コンパートメントから、ドラコ達をこっそり盗み見る者が多いが、彼は物ともしていない。寧ろ、堂々とした態度で歩いていた。まるで自分が騒ぎの首謀者であるかのような態度だ。

「『闇の印』!」

 そのドラコ達に向かい、ルーナは叫ぶ。慌てたロジャーとセドリックが彼女の口を押さえた。ドラコはクローディアを振り返ったが、不可解なモノを見る目つきを向けただけで何も言わなかった。

 

 ホームが魔法使いで埋め尽くされた頃、ハーマイオニー達も到着した。いつも彼らは時間ギリギリだ。窓から身を乗り出したクローディアは自分の居場所を教える。彼女達は人混みをかき分けて汽車に乗り込んだ。

 クローディアはハーマイオニーを呼びに廊下へ出ようとした。

 窓の向こうから、コンラッドに呼び止められる。周囲が騒がしいため、クローディアは窓から身を乗り出す。母は行儀が悪いと抗議してきた。

〔今年も静かな年を送るといいさ。バジリスクに石とかは、もうゴメンさ〕

 無理やり頭を撫でてくる母はクローディアがルーピンに噛まれたことを知らない。知れば、こんな態度では済まない。笑顔を取り繕い、母に手を振るう。

〔よいか、寝る前に5分は浮く練習をするんじゃぞ〕

 トトが背伸びし、クローディアに念を押した。

 汽笛が鳴り、汽車が走り始めた。

 安全の為、クローディアは座席に腰かける。ルーナと共に己の家族に手を振る。見送りの家族達がホームから手を振る姿は、遠くなり見えなくなった。

「「おはようクロックフォード。……やあ、ラブグッド」」

 コンパートメントに荷物を運んできた双子にクローディアは顔を歪める。

「「そんな顔してどうしたいんだい? クロックフォード?」」

「ハーマイオニーが来るのを期待しただけさ」

 冷たく言い放つクローディアに双子はわざとらしく泣きべそを掻く。双子を無視し、ジニーが遠慮がちに入ってきた。

「おはようルーナ。休暇は楽しかった?」

「『闇の印』以外は快適だよ」

 瞬間に、コンパートメントの空気が重くなった。

「制服に着替えるから、男子は出た出たさ!」

 フレッド、ジョージを追い出したクローディアはルーナ、ジニーと制服に着替えこむ。

 突然、虫籠が暴れだしたのでクローディアは紐を解く。ベッロは虫籠から這い出て、コンパートメントを飛び出していった。廊下から、甲高い悲鳴が響く。

「ちょっとベッロ、捕まえてくるさ」

 廊下に出たクローディアはフレッドとジョージに声をかけてから、怯えた新入生達をすり抜けていくベッロを追いかける。

「クローディア! 無事だったのね」

 コンパートメントから、チョウが朗らかに声をかけてきた。

「両親から、あなたの話を聞いたわ」

「マルフォイが疑わしいって皆、噂しているわよ」

 マリエッタとミムも顔を出し、微笑んできた。

「私はこの通りさ……ところで」

 自然とクローディアは、3人の胸元を見やる。誰も『監督生』のバッチがない。その視線に気づいた3人はそれぞれが恥ずかしそうに苦笑いした。

 可哀想なので話題を変える。

「チョウ、新しい箒は用意したさ?」

「……今学期は必要ないの」

 何故だが、チョウはマリエッタ、ミムと悪戯っぽい顔をした。また廊下の向こうから、新入生の悲鳴が聞こえた。

 ベッロは尻尾を器用に使い、コンパートメントの戸を開く。

「あら、ベッロ。おはよう」

 ハーマイオニーの声にクローディアはすぐにコンパートメントに乱入する。ハリー、ロンが驚いた表情で彼女を出迎えた。

「おはようさ、ハーマイオニー。やあ、ハリーにロン」

 遠慮なく、ハーマイオニーの隣に腰かける。意気揚々としているクローディアを一瞥したハリーは慎重な様子で戸の施錠を確認した。

「クローディアに話さなきゃならないことがあるんだ」

 大事なことだと理解したクローディアは口元を引き締める。 

「傷のこと、シリウスに手紙を出したんだ。そしたら、昨日返事が来て、もう一度、傷が痛むことがあったら……校長先生に相談しろって、きっと、『闇の印』について何かを感じ取ってるだろうって」

 躊躇いながら説明するハリーは辛そうに眉を寄せる。シリウスを快く思っていないクローディアに出来るだけ気を遣っているのだ。

「いい判断さ。その夢の話は校長先生にとって貴重な情報さ」

 真摯な態度の中、クローディアの口元が皮肉っぽく曲がる。嫌悪する相手が的確な助言をしたことが気に入らないからだ。

「ブラックの保護観察だったアラスター=ムーディって、元『闇払い』が任を降りたらしいさ」

「わお! マッド・アイがシリウスの保護観察だったの!?」

 ロンが嬉しそうに声を弾ませる。それをハーマイオニーが視線で咎めた。

「すごく厳しい人だって聞いたよ。でも、それだけの人がわざわざシリウスの保護観察を降りなきゃいけない事態って……」

「多分、ただ事じゃないだろうさ」

 真剣にハリーは頷く。

「ロン。ウィンキーがどうなったかわかったさ?」

「あ~、それなんだけど……。怒らないで聞いてよ。ウィンキーはクビになったんだ。パパもね、すっごく説得したんだよ。何せ、君のママを助けたんだから……」

 一大事だ。

 クラウチの代わりにクローディアはロンを睨む。

「だから、怒らないでってば! 僕がクビにしたわけじゃないだろ」

「クラウチさんって、本当に酷いわ!」

 頬を膨らませたハーマイオニーが一緒になって、ロンを睨んだ。

「勘弁してくれよ。それより『闇の印』の話だろ。トレローニーのインチキ予言が関わっているって、本当に信じてんのか?」

「ええ、残念だけど……これは予兆なのよ」

 怒りを消したハーマイオニーが残念そうに言葉を吐く。

「ふふふ」

 ハリーが唐突に笑い声をあげる。その視線の先は、ベッロだ。つられて3人も、ハリーの足元で摺り寄せているベッロを見やる。

「一緒にいるから、心配するなって」

 穏やかなハリーは、ベッロを膝に乗せる。ハリーの膝に乗り切らないベッロの尻尾が、ロンに膝を占領した。先客のピッグウィジョンが不機嫌に羽根を動かしていた。

 豪雨のため、日中にも関わらず汽車内灯が点けられる。昼食の時間になれば、車内販売の魔女が廊下を歩き出す。空腹のロンがすぐに飛びついた。

 他愛ない話をしている内に、ワールドカップの話題になる。

「トトさん、ブルガリア魔法省大臣と握手してたんだ。まるで、友達みたいだった。本当、ファッジ大臣も驚いていた。すごいなあ、トトさんって」

 大鍋ケーキを食べながら、ハリーがクローディアに問いかける。

「トトさんは、やっぱり日本の魔法学校で学んだのかな?」

「お祖父ちゃんはダームストラング専門学校さ」

 突然、ロンが口にした杖型飴を噴出した。

「嘘でしょう……。だって、マルフォイが入学し損ねた学校よ。あそこは」

 ハーマイオニーは思わず、クルックシャンクスの毛を乱暴に掴んだ。クルックシャンクスはその痛みに耐えた。一番、驚いていたのはハリーだ。その拍子にベッロを肘で殴ってしまった。怒ったベッロは尻尾で彼の頭を叩いて仕返しする。

「ゴメンよ、ベッロ」

「噂じゃ、『闇の魔術』に力を入れて、マグル生まれは絶対入学させないって! トトは何者なんだ!?」

 またロンの口から、杖型飴が飛び散る。汚いし、行儀悪い。

「正真正銘のマグル出身者さ。お祖父ちゃんが入学できたのは後見人の推薦があったからさ。その後見人がダームストラングを首席で卒業したOBだったから、入学できたようなもんだってさ」

 感心したハーマイオニーが、好奇心で身体を揺らす。

「すごいわ。今度、聞いてみましょうよ。どんな学校だったのか」

「いいね、それでマルフォイに言ってやろうよ。大好きなダームストラングにもマグル出身者が入学したってさ」

 服に付いたアメカスを払いながら、ロンがぶっきらぼうに呟く。

「バーノン叔父さんにお気に入りのテムカーさんが魔法使いだけでなく、ダームストラング生だったって言っても、よくわからないだろうね」

「……テムカー?」

 ハリーの発音をハーマイオニーが不思議そうに瞬きする。

「ハリー、もしかして『日無斐(ひむかい)』って言いたいの?」

「……え?」

 今度はハリーが不思議そうにクローディアを見やる。視線を受け、彼女は無意識に髪を掻きあげる。

「何度も言ったろうさ。テムカーじゃなくて、ひ・む・か・い!」

 クローディアが一語、一語、ハッキリとした唇の動きを見せる。

「ひ・む・か・い……ひむかい」

「ひぃむかーい?」

 汽車が着くまで、ハリーとロンの発音講座が行われた。

 




閲覧ありがとうございました。
ウィンキー、クビにしてゴメンネ。


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4.三大魔法学校対抗試合

閲覧ありがとうございます。
やっと、儀式です。


 停車した駅は、太陽が沈む真っ暗のはずが、雷が眩い光を放つ。土砂降りの中、生徒たちは濡れる覚悟で下車するしかない。

 ハグリッドが1年生を引率し、湖へと導く。

「こんなお天気のときに湖を渡るのは、ごめんだわ」

 寒さで身震いするハーマイオニーの息が寒さで白くなっていた。

 馬なし馬車で城に到着し、生徒は降りしきる雨から逃れようと城へ駆け込んだ。

 玄関ホールの床は水浸しだ。豪雨に濡れた生徒達だけではない。ピーブズが水風船で生徒達を攻撃していた。被害を避けようと、犇めき合う廊下が更に詰めあう。

「どうせ、びしょ濡れなんだろう! ヌレネズミのチビネズミ!!」

「校長先生を呼びますよ!」

 手当たり次第に水風船を投げるピーブズをマクゴナガルが烈火の如く怒鳴りつける。怒りの矛先が飛ばない内に、クローディアはハーマイオニーの手を引き、大広間へ急いだ。

 祝宴に彩られた大広間の生徒達は己の寮席に着く。杖を出し、濡れた制服を乾かす者が多かった。クローディアも席に腰かけると杖を自分に向け、ローブを乾かす。それでも寒い。

「時間をかけた髪が台無しだわ」

 自分の髪を撫でクララがブツブツと文句を述べる。

「水が投げられたんだよ。空にね。だから、落ちてきたんだもン」

 クローディアの隣に座るルーナが髪を振り乱す。水滴が周囲に飛び散る為、彼女の濡れた制服を魔法で乾かした。

「もしかしたら、雨乞いの儀式をし過ぎたさ?」

「雨乞いの儀式? それは何をするの?」

 関心を抱いたルーナにクローディアは雨乞いの儀式について、簡単に話す。彼女は興味深く頷き、瞬きを繰り返していた。

「教員席の椅子がひとつ多いわ」

 パドマがクローディアの肩を叩き、教員席を失礼のない程度に指差す。

 空席が3つ、ひとつは1年生を引率しているハグリッド、ひとつは玄関ホールにいるマクゴナガル。

 教員席の顔ぶれを確認する。校長ダンブルドア。『呪文学』フリットウィック。『魔法薬学』スネイプ。『薬草学』スプラウト。『闇の魔術への防衛術』ルーピン。『天文学』シニストラ。『古代ルーン文字学』バブリング。『マグル学』バーベッジ。『数占い』ベクトル。『飛行術』マダム・フーチ……等など。

 『占い学』トレローニーは祝宴にも顔を出さないので、省いた。

「あれ、ホントさ?」

 教職員が増えるのかもしれない。この城の規模ならば、管理人がフィルチ1人ではキツイ。もう1人いても良いだろう。もしくは、いつも多忙なマダム・ポンフリーの補佐でも構わない。

「まさか、教科が増えるのか?」

 強張ったモラグが眉を寄せる。

(それは嫌さ)

 ただでさえ、時間ギリギリの時間割だ。昨年度のハーマイオニー状態になってしまう。

 大広間の二重扉が開くと誰もが口を閉ざし、新入生に沈黙の祝福を与える。クローディアは祝福よりもタオルを与えたい気分だった。制服のまま水泳の授業を終えたとしか喩えようのない濡れ姿だった。

 組分け帽子の歌が終わり、割れるような拍手で室内の温度が高まった。

「スチュワート=アッカリー!」

《レイブンクロー!》

「マルコム=バドック!」

《スリザリン!》

「エレノア=ブランストーン!」

《ハッフルパフ!》

「オーエン=コールドウェル!」

《ハッフルパフ!》

「デニス=クリービー!」

《グリフィンドール!》

「エマ=ドブス!」

《レイブンクロー!》

「ローラ=マッドリー!」

《ハッフルパフ!》

「ナタリー=マクドナルド!」

《グリフィンドール!》

「ヘンリー=プリチャード!」

《スリザリン!》

「ジミー=ピークス!」

《グリフィンドール!》

「オーラ=クァーラ!」

《レイブンクロー!》

「ケビン=ホイットビー!」

《ハッフルパフ!》

「ナイジェル=ウォルパート!」

《グリフィンドール!》

 組分けが終わり、マクゴガナルは帽子と椅子を片付けた。

 寒さが空腹を増幅させていたせいで、皿に盛られた食事が普段より美味だ。

「皆がレイブンクローに恥じぬ生徒でありますように」

 『灰色のレディ』が1年生へ気取りながらも挨拶する。幽霊の存在に1年生の何人かが悲鳴を上げていた。

「レディ、ピーブズが悪さしてたけど、男爵はとめなかったさ?」

「男爵がいちいちピーブズの行動を把握するもんですか。ただ、スリザリン生に何かあれば、すぐに言いつけられるでしょうけど」

 ごもっともとクローディアは『灰色のレディ』に苦笑を返した。

 

 全員の食事の手が止まった頃を見計らい、ダンブルドアが立ち上がる。笑顔で大広間を見渡し、例年の『暗黒の森』への立ち入り禁止、城内持込禁止に追加項目が加わったことを告げる。

「禁止品は全部で473項目あるはずじゃ、リストは管理人のフィルチさんの事務所で閲覧可能じゃ」

 それだけの数が持ち込み禁止とは驚きだ。一度、確認しておこうとクローディアは思う。

「寮対抗クィディッチ試合は今年は取りやめじゃ。これを報せるのは、わしとしては非常に辛い」

 冷たい空気が大広間を抜けていく。その風はクィディッチ選手達の心情ともいえる。現にロジャーは愕然と口を開け、テリーは否定の意味で身震いし、ザヴィアーは小さく悲鳴を上げ、エディーは聞き違いかと耳を叩く。バーナードとチョウはにんまりしていた。

(今年はバスケ部に注目を集める絶好の機会さ!)

 意気込んだクローディアは胸中でガッツポーズを取る。

「これは10月に始まり、今学年の終わりまで続く一大イベントの為じゃ。このイベントに皆は、大いに力を注ぐであろう。そして、それに見合うだけの楽しさを味わうと確信しておる」

 説明を妨げる雷鳴が大広間へ響き渡る。あまりのけたたましさに悲鳴を上げる生徒もいた。

 クローディアは教員席の後ろから現れる人影に気づく。一瞬、幽霊かと思ったが、ただの人だ。

 その人影に覚えがある。

(アラスター=ムーディ……)

 忘れようのない容貌。奇怪な義眼が忙しなく動きながら、ムーディはダンブルドアから抱擁を受けていた。しかも、濡れたまま教員席に座り込む。

「マッド‐アイだ」

「元『闇払い』の……」

「どうして学校に?」

 小声で囁きあう生徒に青い義眼が突き刺さる。怯えた生徒は口を閉ざす。それらの生徒にダンブルドアは穏やかな笑みを見せ、話を続ける。

「発表します! 今年、100年以上ぶりにホグワーツで三大魔法学校対抗試合を行う!」

「ご冗談でしょう!」

 興奮したフレッドが思わず、大声で聞き返した。興奮しているのは彼だけではない。魔法族の家庭あるほとんどの生徒が爛々と目を輝かせ、高揚している。

 何の種目か知らないクローディアはクララに小さく声をかける。しかし、返事がない。

「この試合がいかなるモノか知らない諸君もおろう。掻い摘んで説明させて頂ければ、およそ700年前、ホグワーツ、ボーバトン、ダームストラングの3校の親善試合として始まったものじゃ。各校から代表を1人ずつ選び、3人が3つの課題を競い争う。以前は5年ごとに3校が持ち回りで競技を主催しておった」

 ある年、夥しい死者が出たことで競技の中止が余儀なくされた。その光景を想像したクローディアは悪寒で身震いする。だが、周囲は押さえられぬ高揚感に口元を緩ませている。

 死者を出す程のお祭り騒ぎだとでも思っているかのようだ。

「何世紀に渡り、試合の再開を試みたが、どれも失敗に終わった。しかしながら! 今年、我が国の『国際魔法協力部』と『魔法ゲーム・スポーツ部』の全面協力の下、開催されるに到った。絶対に死者を出さぬよう、十二分な取り組みが行われたのじゃ。3校は優勝杯、永久の栄誉、選手個人に与えられる賞金一千ガリオンを賭け、戦うに最も相応しい選手を公明正大なる審査員が決める!」

「絶対、立候補するぞ」

 ザヴィアーが拳を握り締め、深呼吸していた。代表選手を己と定めているのは他にもいる。永久の栄誉と賞金1000ガリオンはクローディアですら一瞬、揺らいだ。

「だが、競技の危険性を考慮し、今年の選手に年齢制限を設けることになった。17歳未満の生徒は立候補することを硬く禁ずる!これは参加3校の校長、並びに魔法省も同意の上じゃ」

「「「えええええええええ!!」」」

 確実に誕生日が間に合わない生徒が抗議の声を上げる。

「紹介が遅くなったが、こちらのアラスター=ムーディ氏は今回の選手不正取り締まり委員として、ホグワーツに滞在される。選手の安全をより確実にするためじゃ」

 ダンブルドアに紹介されたムーディの義眼が大広間を一舐めする。途端に生徒の口が『沈黙呪文』でもかけられたように閉じられた。

 教員席から、まばらな拍手が起こる。それに合わせて生徒も少しずつ拍手する。

「ボーバトンとダームストラングの代表団は10月に到着し、今年度はずっと我が校に留まる。外国からの客人が滞在する間、皆、礼儀と厚情を尽くすことを信ずる。更に我が校から選ばれた選手を心から応援することを願う! さあ、就寝じゃ!」

 5年生の監督生に引率され、1年生が大広間を緊張した様子で歩いていく。その間、代表選手への意気込みが周囲を飛び交う。

「審査員を誤魔化してみせる……。栄誉も賞金1000ガリオンも私が手にして見せるわ」

 ミムが霊媒状態のようにブツブツ呟いていた。

「立候補するの?」

 眠そうなルーナの問いに、クローディアは口元を引き締める。

「なんでも、ひとつ願いを叶えてくれるなら、立候補するさ」

「それなら、私も立候補するもン。それが賞品ならね」

 クローディアとルーナはお互いの冗談に笑う。

「僕は立候補するぞ! ハロウィーンまでには17歳になれる!」

 上機嫌のロジャーが小走りで廊下を突き進む。

 

 ドアノッカーの謎かけを解き終え、クローディアが寮の談話室に足を踏み入れる。例年の新学期は機関車乗りに疲労した生徒達は己の自室で朝まで睡眠を取る。はずだが、2年生からの学年はほとんど集まり、立候補者を選抜する審査員を騙す方法について、模索していた。

「未成年の連中はお気の毒だな」

 欠伸をひとつしたバーナードがさっさと男子寮へ向かった。

「夜更かししないようにね」

 ペネロピーが事もなげに言い放ち、女子寮へ向かう。

「マリエッタ、年齢制限の話は聞いてなかったの?」

「流石にそこまで知らなかったと思うわ。局が違うから、試合内容までは把握できないし」

 チョウとマリエッタが他愛ない話をしている。

 審査員を騙す方法とやらに、クローディアも興味がないわけはない。しかし、眠気が勝ったので早々に自室へ戻る。一足先に部屋で寛いでいたリサが楽譜を広げていた。

「どうして、そこまで選手になりたいのでしょう? 私は自信ありませんわ」

「自分の腕を試したいっていう好奇心さ」

 トランクから寝巻きを取り出したクローディアが制服を脱ぐ。

「けどさ、『闇の印』騒動から、あんまり日が経ってないさ。それなのに外部の人を城に招くのは危ない気がするさ」

「あら、クローディア。この城に『死喰い人』がやってくるとでも考えておいでですの? ここにはダンブルドア校長先生がいらっしゃいますわ。それに生徒の安全の為にとマッド‐アイまで、招いたのですよ。心配いりませんわ」

 リサの推論は最もだ。

(つまり、校長先生はこの対抗試合にもヴォルデモートの介入を予感しているってわけさ)

 寝巻きに着替えてからも、クローディアは物思いに耽る。

「クローディア。ワールドカップのパンフレット、ありがとうございます。うちの両親からの託ですわ」

 リサに呼びかけに、我に返ったクローディアは曖昧に返事をする。反応の遅さに、リサが意地悪な笑みを見せる。

「もしかして、クローディアも立候補をなさるの?」

「まさか、……今年はバスケ部を盛り上げる絶好の機会だなって思ったさ」

 疑いの眼差しを向けてくるリサは追及せずに肩を竦める。

「上手くいくといいですわね」

「ねえ! 2人とも!! ちょっとだけ年をとる方法ないかな!?」

 勢いよく入室してきたパドマが審査員を誤魔化す方法を2人に求めてきた。急いで寝たフリを決め込んだ。

「寝ちゃ駄目! ほら! 一緒に考えて!」

 パドマに揺さぶられながら、クローディアは頭から布団を被る。布団の中でムーディがこの城に滞在する理由を考え込んだ。

(ハリーを外部の魔法使いから守らせるだけにしては、あのマッド‐アイは大袈裟さ。絶対の確信があるからさ。ダームストラングとボーバトンに、それ相応の魔法使いが……ん?)

 閃いたクローディアは布団を投げて起き上がる。勢いでパドマが布団越しに床に倒れた。

「パドマ、ごめんさ。ちょっと、行くところがあるさ!」

「え! ちょっと、クローディア!」

 部屋を飛び出したクローディアは、ルーナの部屋に向かう。

 螺旋階段の途中に【3年生・ルーナ=ラブグット】の名札を見つけ、出来るだけ静かにノックする。

 間を置いてから、扉が開かれる。ルーナが覗き込むように少ししか開けない。中から嗅いだこともない香が漂ってくる。

「クローディア、入る?」

 招かれるがまま、クローディアはルーナの部屋に足を踏み入れる。

 新学期のはずが、室内は乱雑に物が置かれている。机や寝台は山積みだが、床だけは塵ひとつ落ちていない。

(ルーナは1人部屋さ)

 目だけを動かし、室内を見渡す。

「どうしたの? 雨乞いの道具なら持ってないよ?」

 絨毯に正座するルーナの正面に、クローディアも正座する。

「寝ているところ、本当にゴメンさ。あんたのお父さんに調べて欲しいことがあるさ。ヴォ……『例のあの人』が倒されてからの『死喰い人』狩りの容疑者さ」

 語調を強くし頼み込むクローディアに、ルーナは何度も頷く。

「パパに頼んでみるよ。だから、もう寝たら? 私の寝台使う? ナーグル避けはバッチリだよ」

「ありがとさ。でも、部屋でもう少し考えを纏めたいから、今度さ」

 残念そうにルーナは頷く。その仕草にクローディアの胸が痛んだ。

「起こしちゃったしさ、ルーナが寝るまで傍についてるさ」

 言い終えた瞬間、ルーナがクローディアに抱きついてきた。首を締め付ける腕の力が息苦しい。

 しかし、ルーナは嬉しさで笑顔が満ち溢れていた。そんな顔を見て、腕を解くことは出来ない。

 クローディアは耳元に寝息がかけられる。抱きついたまま、ルーナは眠っていた。その寝台は、寝かせるには物がありすぎる。仕方なく、彼女を抱えたまま部屋に戻った。

「リサ、ちょっと手伝って……あ」

 クローディアはリサに助けを求めたが、リサは既に寝ていた。パドマも布団越しのリサにもたれかかり、そのまま寝入ってしまった。

「やれやれさ」

 小さく嘆息したクローディアは、仕方なくルーナを自分の寝台へと寝かせる。ついでにパドマも彼女の寝台に運んだ。

 一呼吸、置いてからクローディアは椅子に座る。

(ワールドカップの準備には何年もかかるさ。それと同じくらい、今回の対抗試合も何年も前から準備をしていたさ。警備を万全にしていたワールドカップで、ルシウス=マルフォイが騒ぎを起こしたさ。なら、今回も誰かが何かをするだろうさ。『死喰い人』狩りから生き残った容疑者は、あいつらだけじゃないさ)

 ホグワーツの生徒だけが『死喰い人』の関係者というわけでない。

「かんがえちゃだめだよ~」

 本気の寝言でルーナがクローディアに呼びかけた。

 

☈☈☈☈

 緑の灯りに照らされた談話室でも、審査員を誤魔化す算段は行われていた。それを見越したスネイプは速やかに自室で就寝するよう生徒に呼び掛けた。寮監の指示に逆らう者はなく、生徒は部屋に帰っていく。

「スネイプ先生、少しお話があります」

 ドラコだけが意味深な笑みを浮かべ、スネイプへと声をかける。承諾して2人はソファーへと腰を下ろす。

「父上からコンラッド=クロックフォードの話を窺いました。あのクロックフォードの父親がスリザリン生だったとは僕も驚きました。それどころか……」

「ドラコ、前置きは良い。本題に入りたまえ」

 普段のように贔屓な態度で、スネイプはドラコを窘める。しかし、父親から聞かされたことを誰が聞いているとも知れない談話室で話させるわけにはいかない。

「父上のお力を持ってしても、僕を当選させられませんか?」

「残念ながら、無駄な足掻きだ。この度の審査員殿は厳密にかつ公平な方法で選手を決める。君が立候補したい気持ちは、我輩も理解しているつもりだ。堪えてもらえるな?」

 穏やかな口調でスネイプはドラコに確認する。

「ええ、言ってみただけです。もとより選手になるつもりはありません。永久の栄光を僕が掴めるとは思っていません」

 何の含みもなく、ドラコはあっさりと観念した。無駄だとわかれば、すぐに諦める。自分の実力が他校の選手と渡り合えないと、理解しているからだ。それと同時に彼は人の持つ才能が見抜ける。

 

 ――故にドラコの抱える劣等感も強い。

 

 ハリー=ポッターが名声以外に優れた点がある。彼との友人関係が結べなかったことをドラコ自身が残念に思った。だからこそ、陥れたい相手なのだ。

 ハーマイオニー=グレンジャーを初めとする優秀な生徒に突っかかるのも、その為だ。あのネビル=ロングボトムにも優れた才能があるとドラコにはわかっていた。

「クロックフォードは……父親と違い、何故スリザリンにならなかったのでしょうか?」

「いきなりだな、ドラコ。君はミス・クロックフォードに関してはベッロだけが注目すべき点だと言っていたのではないかな?」

 親身に語りかけるスネイプから、恥ずかしそうにドラコは目を逸らす。

「あいつ、ワールドカップで僕のことを自分の家族に『赤の他人』と言ったんです。友達だなんて思っていません……でも、いくらなんでも……『赤の他人』は酷いと思いませんか? もしも、同じ寮だったなら、同級生くらい言ってもらえたかな、と思いまして」

 悔しそうにドラコは吐き捨てる。

 言うなれば、クローディア=クロックフォードの言動に対し、彼は拗ねていた。まるで、彼女へ微かな期待を抱くようなロジャー=ディビーズのようだ。

 胸中で溜息を殺したスネイプは己の寮生にしか見せぬ笑顔を向ける。

「ミス・クロックフォードのことなど、気にすべきではない。明日の授業に障ってはいかん。もう休みたまえ」

 スネイプの言い回しが気に入らないドラコは、無礼を承知で睨みつける。

「コンラッド=クロックフォードはスネイプ先生の友人ではないのですか? そんな言い方をしながら、僕からクロックフォードを守ろうとしているのでしょう? 友人の娘だから……」

 言いかけてドラコは無理やり言葉を切る。スネイプから笑みが消えたためだ。それだけでなく憎悪を剥き出しに、この場にいない誰かを睨んでいた。

「はっきりと言っておく」

 授業よりも冷淡で、憤る声がドラコの耳を打つ。

「我輩はこれまで一度もミス・クロックフォードを友人の娘として接したことなどない。これからも同じだ。他に質問はないな? ドラコ」

 冷や汗で背が濡れたドラコは必死に頷く。就寝の挨拶を述べ、さっさと自室へと逃げ込んだ。

 心の底からドラコはスネイプに恐怖した。己の寮監なので忘れがちだが、スネイプは生徒に恐れられる教授なのだ。それを改めて実感させられた。

 ドラコを見送ったスネイプはソファーから腰を上げる。誰もいないか、確認の為に談話室を見渡す。急に記憶が思い返された。

 コンラッドはマルフォイとの関わりを拒んでいた。スネイプが間を取り持っても、嫌々な態度を変えることはなかった。

 一度だけ、コンラッドに問うた。

〝おまえは、どうしてルシウスが嫌いなんだ?〟

〝嫌いじゃないよ……あの人は僕にとって赤の他人だ〟

 何の感情も湧かない瞳は笑みもなく返した。その理由をコンラッドは言わなかった。マルフォイにも心当たりがなく、対応に困っていた。

(似たもの親子だとでも言いたいのか……)

 黒真珠の瞳を更に暗くし、スネイプは脳裏に浮かぶコンラッドに悪態ついた。

 




閲覧ありがとうございました。
●アラスター=ムーディ
 元「闇払い」の義眼おっさん。今回は本物です。


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5.湧く生徒

閲覧ありがとうございます。
翌朝から、生徒は皆、右往左往しています。

追記:17年3月7日、18年1月7日、誤字報告により修正しました。


 クローディアは床に倒れていた。十中八九、ルーナに蹴りだされたのだ。健やかな寝息を立て続ける彼女に、胸中が少しだけ苛立った。

 談話室に下りれば、ベッロを怖がる1年生が我先に寮を出ようとする。多くの上級生がそれを笑う。その生徒のほとんどが目にクマを作っていた。

(徹夜したさ……。そうまでして、立候補したいもんさ)

 大広間でも、何人かの生徒が討議を繰り返す。

「一時的に歳をとればいいんだ」

「やっぱ『老け薬』だよ」

「量を間違えると危ないぞ」

 フレッド、ジョージ、リーが身を寄せ合う。

「あんたらも立候補するさ?」

 何気なく声をかけたクローディアに、ジョージが振り返る。

「クローディアもどうだい? 俺は絶対、立候補するぞ」

「遠慮するさ。それよりクィディッチの試合がないから、バスケ部の活動を……」

 途端にジョージは耳を塞いで聞こえないフリをした。無視されたクローディアは彼の頭を叩く。

 ネビルが上機嫌な笑顔でクローディアに挨拶した

「クローディア! パンフレット、ありがとう! 僕、すっごく嬉しいよ。ばあちゃんが君によろしくって!」

「こちらこそさ」

 ネビルに挨拶を返し、クローディアは自寮の席に腰かける。

「誰が立候補する?」

 クローディアの向かいに座るペネロピーは興奮冷めやらぬ様子だ。

「ペネロピーは立候補しないさ?」

「私は見る派。賞金は興味がそそられるけど、他校との対戦となると自信がないわよ」

 わざとらしく嘆息するペネロピーの目が泳いでいる。おそらく、立候補することを隠しているとクローディアは直感した。立候補しても当選できなければ、それなりに恥を掻くからだ。

「私、『数占い』の他に『占い学』と『魔法生物飼育学』を選んだよ」

 ルーナは新しい時間割をクローディアに見せる。

「……『占い学』……。よく学んでくるさ」

「うん!」

 案外、ルーナならトレローニーを論破しそうだ。次いでジニーと時間割を見せ合う。

「私も『占い学』を取っているわ。合同じゃないのは残念ね」

「ジニー、『古代ルーン文字学』と『マグル学』にしたんだ」

 2人の会話を聞くとはなしに聞いているとクローディアにも時間割が配られた。目を通すと、今回もグリフィンドールとの合同授業は『数占い』だけだ。

 ハーマイオニーの時間割を確認しようと、クローディアは立ち上がる。

 すぐ隣で、ハーマイオニーが腕組みをして立っていた。気付けなかったクローディアは吃驚した。しかし、彼女は普段の不機嫌とは違う意味でご立腹の様子だ。

「昼食の後、一緒に図書館に行きましょう。調べたいことがあるの!」

「ちょうど良かったさ。私も調べたいことがあるさ」

 『死喰い人』関係の新聞だ。ここでそれを言うわけにいかず、クローディアは精一杯の笑顔を向ける。ハーマイオニーはそれだけ告げるとさっさと大広間を出て行った。

「な~んか、機嫌悪いわね」

「いざとなったら、お願いね」

 パドマとパーバティが励ますためにクローディアの肩を叩く。

(まさか、ハリーとロンが立候補しようとしてるとかさ?)

 ヘドウィックから手紙を受け取り、嬉しそうに読み上げるハリーを視界に入れる。

 クローディアは胸中で嘆息していると、背後から近寄る羽音に片手をあげる。その手にカサブランカが手紙を渡した。ドリスからの母とトトが無事に英国を発ったという報せだ。

(……お父さんはマッド‐アイがここに来ることを知ってるだろうさ。……お祖父ちゃんは日本に帰ったら、ルーピン先生の薬は……その辺はちゃんと考えてるだろうさ)

 教員席を目にし、トーストに大量の蜂蜜を塗りつけるルーピンと目が合う。彼は笑みを向けて、軽く手を振ってきた。クローディアも挨拶の手を振り返す。

 急にパドマ達が遠巻きになっていく。背後に近寄る気配にクローディアが振り返る。目を細めたスネイプが腰に手をあて、睨んでくる。

「おはようございます。スネイプ先生」

「ミス・クロックフォード、もしや審査員を誑かす算段でも、おありかな? だとすれば何たる恥さらしと申し上げておきましょう。君は我輩が知る限りは16歳のはずだ。立候補は17歳からだ。くれぐれもお忘れなく」

 スネイプは吐き捨て、クローディアを押しのけて教員席に歩いていく。しかも、足をとめて振り返ったかと思えば、再び目を細める。

「返事がないな。レイブンクロー、2点減点」

 新学期早々の減点。返答しなかったクローディアは抗議しようとした。

 

 ――カコンッと響く杖の音。

 

 大広間の空気が鎮まる。ムーディが堂々と真ん中を突き進み、教員席に向かっている。義眼がスネイプを見ていた。

 義眼を認めたスネイプはローブを翻し、教員席に向かう。彼らは離れた席に座ったが、何処となく重い空気が流れる。

(……まあ、私が立候補しないように警告したんだろうけどさ。スネイプ先生、クィレルからの手紙、どうしたさ?)

 問えるはずはなく、クローディアはスネイプを一瞥する。手紙のことは彼に任せた。だから、聞かない。

 

 『呪文学』の教室に着いた生徒へ新学期早々からフリットウィックは警告する口調を発する。

「4年生への進学、おめでとうございます。ですが、重要なのはまさにこれからです。今年度から、皆さんには『O・W・L試験』へ向けての取り組みに励んでもらいます」

 『普通魔法レベル試験』、5年生への行程が現れ、緊張した誰かが喉を鳴らす音がする。無言を承諾と受け取ったフリットウィックが満面だが、緊迫感のある笑みで頷く。

「では『呼び寄せ呪文』について朗読してもらいましょう。ミスタ・マクドゥガル、君が見るのは窓でなく、教科書です」

 苦い表情をモロに出していたモラグは神に祈る気持ちで窓の外を見ていた。しかし、フリットウィックの注意に渋々、教科書を開いた。

 

 滞りなく昼食時間を向かえた。

 クローディアとハーマイオニーは図書館で、それぞれの調べ物を行う。『例のあの人』が倒れた年代の【日刊予言者新聞】を読み返し、『死喰い人』容疑で報道された人名を確認する。アントニン=ドロホフ、エバン=ロジエール(死亡)、オーガスタス=ルックウッド、レストレンジ夫妻……、そして1人の名を見つけた。

(……バーテミウス=クラウチ=ジュニア……)

 『国際魔法協力部』部長クラウチの実子。

(何らかの関係を校長先生は感じてるさ……?)

 『闇の印』騒動の折、クローディア達を助けたウィンキーをあっさりとクビにした。よくよく考えれば、マルフォイを庇うような言動だった気もする。

(まさか、あいつらの邪魔をしたから……ウィンキーはクビになったさ? 対抗試合を名目に関与はしてくるさ。これは要注意……)

 考えを纏めようとしたが、ハーマイオニーに腕を引っ張られる。その手には分厚い【ホグワーツの歴史】が抱えられている。

「この本、間違ってるわ」

 押し殺した声でハーマイオニーは本を叩き、クローディアに囁く。

「『屋敷しもべ妖精』のことが何一つ書かれてないの」

 話が見えない。

「……ハーマイオニー、順序立てて説明してさ」

 唐突過ぎる結論にクローディアは説明を求める。このホグワーツ城におよそ100名の『屋敷しもべ妖精』が給料も休日もなく労働を強いられているにも関わらず、【ホグワーツの歴史】に記載されていない。ハーマイオニーはその事実を知らなかったことに腸が煮えくり返っていたのだ。

 これで管理人を1人しか雇っていない理由がわかった。

「それなら、私達で新しい本を出そうさ。なんだかんだと、私らが入学してからホグワーツも随分、状況も情勢も変わったさ。『秘密の部屋』とか、そういうの足してさ」

「素晴らしい提案だわ! ……待って本を出すよりも」

 口元に手をあてるハーマイオニーは深刻に小さく呻き、閃いた。

「ちょっとルーピン先生のところ行ってくる!」

 走ろうとしたハーマイオニーのローブをクローディアは掴んで引き止める。

「午後から6年生の授業さ。きっと準備で忙しいさ」

 不満そうにハーマイオニーは、口を八文字にする。

「私達も『数占い』の教室行くさ。遅刻したら、いけないさ」

 授業に話題を変えてもハーマイオニーは不満げだ。

 だが、『数占い』の授業が始まってしまえば、ハーマイオニーの機嫌は良くなっていく。セプティマ=ベクトルの講義が彼女のお気に入りで幸いした。

 終業の鐘が鳴り、夕食目当てに皆が教室を後にする。

 廊下の先にハリーとロンが歩いていく姿が見える。授業後の彼らは、いつも不満で不機嫌で不服そうだ。

「週末いっぱいかかるぜ」

 毒づくロンに、ハーマイオニーが割って入る。

「宿題がいっぱい出たの? 私達にはベクトル先生ったら、なんにも宿題出さなかったわよ」

 上機嫌なハーマイオニーがクローディアにウィンクしてきた。

 突然、ハリーがロンとハーマイオニーを盾に隠れる様子を見せる。

 クローディアが周囲を見渡すと、コリンが弟デニスとこちらに向かってきていた。彼女を目にしたコリンが明るい笑顔で指差してくる。

「デニス。レイブンクローの蛇女だ! ハリー=ポッターの友達なんだ」

 デニスに余計な知識を与えようとするコリンの口をクローディアは容赦なく塞ぐ。そのまま彼の顔面を掴み、廊下の柱の影に連れ込んだ。

「……コリン、大丈夫かな?」

 少し心配そうにハリーが呟く。デニスは興味津々にハーマイオニーとロンに話しかける。

「あの人はいつも大きな蛇を連れていると聞きました。今日はいないんですね?」

「すごく行儀の良い子だから、自由にさせているのよ。今頃、何処かで勝手にしてるんじゃないかしら?」

 正直に答えるハーマイオニーにデニスは興味深げに目を輝かせる。

「コリンは人を丸呑みするくらい大きいって言ってたのに、すごいなあ」

 否、ベッロはそこまで大きくない。

 柱の影から、クローディアはコリンの顔面を鷲摑みにしたまま現われる。

 気力を無くしたコリンが目を泳ぎ、デニスに引き渡される。兄の変化をデニスは気に留めない。溌剌とした笑みのまま、兄弟で大広間へと向かった。

 コリンの様子に、ハーマイオニーはクローディアの顔色を窺う。不愉快げに眉を寄せ、それでも彼女に笑みを返す。

「まさか、脅したの?」

「いいや、言い聞かせただけさ」

 その解答にロンが爆笑した。

「そういうことするから、蛇女なんて言われるんだよ」

 ハリーが心配そうにそれでも呆れて溜息をつく。

 

 自寮の席に座り込んだクローディアは向かいに座るロジャーに驚く。彼はうつ伏せに嘆息し、疲労を訴えていた。まだ新学期一日目でこの様子は珍しい。

「ロジャー、どうしたさ?」

 俯いたまま、ロジャーは顔だけをクローディアに向ける。

「……さっきまで『闇の魔術への防衛術』だったんだけど……、あのマッド‐アイが授業中ずーーっと教室の隅にいやがった……。……すっげえ、緊張した……」

 それは怖い。

「ルーピン先生は何も言わなかったさ?」

「何々、マッド‐アイの話か?」

 途端、クローディアの肩が重くなった。ジョージが体重を乗せてもたれてきたからだ。しかも、クララまで便乗しているため、流石に重い。

「怖かったわ。ルーピン先生ったら、『ムーディ氏がどうしても授業を見学したいから許可した』って言うのよ。フレッドとジョージが授業中に大人しい姿なんて、不気味よ」

 身震いするクララにジョージが肩を竦める。

「しょうがないだろ。下手に何かしたら、俺たちが消されちまう。エイプリルフールの日に、マッド‐アイを後ろから驚かせた魔女がすげえ悲惨な目に合ったっていう噂知らないのか?」

「噂じゃなくて、事実よ」

 背中のやりとりに、クローディアは肩を動かして追い払う。

「『闇の魔術への防衛術』、あんたら一緒だったさ?」

「ああ、6年生からは『O・W・L試験』の結果と進路に向けた授業になるからな。クララは『闇払い』目指してるから、わかんだけど。なんでディビーズもいるんだ?」

 ジョージは寮席をひょいっと跨ぎ、ロジャーの背中にもたれかかった。

 突然の襲撃に抵抗もしないロジャーは億劫そうに口を開く。

「防衛術は身につけて損はないからだよ。マグルの世界でも、何らかの危険はあるかもしれない」

「ロジャーはマグル関係の仕事さ?」

 何気なく問いかけたクローディアに、クララが忍び笑いを見せて耳打ちする。

「マグルの教師を目指してるのよ。そのためにマグルの……大学? に通うんですって」

 意外だ。失礼ながら、似合わないという感想さえを抱く。思わず凝視していたクローディアに、ロジャーは視線を返す。

「君の授業のときも、見学に来るかもしれない。油断しないほうがいい」

 貴重な忠告だ。クローディアは感謝の言葉を述べる。

 何故か、ジョージは顎でロジャーの頭を責め立てていた。

 苦痛に顔を歪めるロジャーに代わり、クローディアはジョージの服の襟を引っ張り引き剥がした。

 猫が首根っこを掴まれた体勢で、ジョージがクローディアに媚びる。

「はいはい、私たちはご飯食べるから、席に行くさ」

 追い払う仕草を見せるクローディアにジョージはわざとらしく悲しげに眉を寄せる。殴ろうと拳を構えた瞬間、普段の活発な笑みを見せてフレッドの下へと逃げ込んだ。

 

 第3温室で行われる『薬草学』。植物と呼ぶにはあまりにも醜い真っ黒な物体を見せ付けられたことから始まった。スプラウトがドラゴン革手袋を配り、説明する。

「これはブボチューバー、『腫れ草』です。誰か、この植物の特徴が分かる人はいますか?」

 気合を入れたセシルが挙手し、自分なりに説明する。

「『腫れ草』の膿は美容に最も効果があります。しかし、原液のままでは人間の皮膚に害を及ぼすため、必ず薄めなればなりません」

「よろしい、レイブンクーに10点! 今の説明の通り、手袋を絶対外してはいけません」

 膿を搾り出す作業のせいで、温室が石油臭に満ちた。

「クロックフォードの家族はマグルの中でも最悪だった」

 瓶に膿を集め終えたドラコが見下した視線でクローディアに語りかける。

「クロックフォード、この膿を君の母親に届けたらどうだ? 田舎臭い顔も少しはマシになるだろうよ?」

 これにドラコの取り巻き達は爆笑した。

 適当に聞き流していたクローディアは母を侮辱され胸中が怒りに満ちる。革手袋をしたまま、『腫れ草』を握りつぶしてしまった。その為、貴重な膿が周囲にぶちまけられた。

 咄嗟に近くのパドマとサリーを下がらせた。クローディアが下がったため、膿はドラコ達のローブにかかり、繊維を溶かす。その凄惨な場面に彼らは硬直した。

 スプラウトは絞り作業に手こずる生徒を見回っている。その為、こちらに気づいていない。

「スプラウト先生、マルフォイくんが私の『腫れ草』を潰しました」

 しれっと虚偽の報告をするクローディアに、スプラウトは膿だらけのドラコ達を見渡す。

「ミスタ・マルフォイ、貴重なモノだと言ったはずです。スリザリン5点減点。貴方たちは瓶を提出したら、もう下がりなさい」

 厳しく指示するスプラウトを横暴と感じたドラコは乱暴な態度で瓶を机に置いて行った。

「(いい気味……)」

 上機嫌にパドマが笑いを堪えていた。その隣でクローディアは不愉快な気分のまま杖を振るい、潰れた『腫れ草』を元に戻す。『腫れ草』は本来の巨大ナメクジの形に戻ったが、膿は散ったままだった。

 

 午後の『魔法生物飼育学』は何とも可愛らしい生き物が登場した。もさもさとした毛に覆われた球体で、とても人懐っこい。口から細長い舌がぺろりと出てくる。

 ハグリッドの掌にいるせいで、更に愛くるしく思えてしまう。

「こいつはパフスケインだ。誰か、こいつの特徴がわかる奴いるか?」

 ハンナとパドマが競って手を挙げる。

「僅かにハンナが早かったな。言ってみろ」

「とても従順で、世話がとっても簡単、ペットとして大人気です。食事も雑種で、いろんな物を食べます。特に……魔法使いの鼻糞です。満足すると「ふんふん」っていう低い声がでます」

 その通りにパフスケインは「ふんふん」と低い声を出した。まるで歌っているようにも聞こえる。

「いいぞ! ハッフルパフに10点! 今日は魔法界でも常識の生物を教えておこうと思ってな。こいつらにも個々の特徴は勿論ある。時間までにその特徴を見つけ出すように、1人につき1匹いるぞ」

 女子生徒が喜んで、パフスケインを1匹ずつ手にしていく。

「うちで既に飼ってるんだけど……」

 ザカリアスが困ったように、パフスケインを観察した。

「ラベンダーから『尻尾爆発スクリュート』を教わって聞いていたから、冷や冷やしていたのよ。あ、この子は撫でると嫌がるわ!」

 パドマの口から尻尾爆発など、危険の高そうな名前が出た。

「何それ……、超恐いさ」

 パフスケインが髪に絡まり、クローディアは丁寧に外そうとする。ハグリッドが指先で解いてくれた。

「ああ、スクリュートは残念ながら、ハリー達の組みの分しか孵化しなかったんだ。上手く配合できたから、この組みにもやりたかった。本当に残念だ」

「本当に残念だな。お! こいつ、噛み癖があるぞ」

 満面の笑顔でテリーがパフスケインに噛まれる。しかし、歯がないらしくテリーは痛がらなかった。

 終業の鐘が鳴り、皆は満足そうに城へ帰る。クローディアは1人残り、ハグリッドに質問した。

「『暗黒の森』って、ハグリッドが把握しているだけでも何種類の生物がいるさ?」

「森の深さの分だ。あそこには縄張りがあってな。常に争っている種族もいれば、常に均衡を保っている種族もいる。俺に良くしてくれて、姿を現す奴もいれ、嫌がって未だに存在を教えねえ奴もいる。どうしたんだ? 急に?」

 ハグリッドの返答を羊皮紙にメモし、クローディアは得意げに笑う。

「ちょいと秘密さ。出来あがったら教えるさ」

「へえ、楽しみにしているぞ」

 期待を込め、ハグリッドは笑い返した。

 

 ドラコに減点を食らわせたツケは、翌日の『魔法薬学』にて払うこととなった。

「ミス・クロックフォード。解毒剤について皆に説明したまえ。参考書を読んでも構わん」

 何の前触れもなく命じられたクローディアは参考書を開かない。自然と浮かんでくる解毒剤の説明文を舌に乗せる。

「……また解毒剤は一個単体で効果がある『ベアゾール石』も存在します。ですが、『ベアゾール石』はあくまでも応急処置より効果がある程度なので、本格的な処置は、やはり調合薬にしなければなりません。以上を持ちまして、解毒剤の説明を終わります」

 眉ひとつ動かさず、スネイプはクローディアに着席を命じる。彼の目を盗み、サリーが笑みで親指を立てる。

 急にスネイプはわざとらしく溜息をつく。苛々と指で教壇を叩きだした。

「それだけかね? その程度の説明なら、最早、聞き飽きておる。貴重な時間が潰れてしまったよって、レイブンクロー5点減点。ミス・クロックフォードは罰則を命じる。夕食後に必ずここに来るのだ」

 有無を言わさぬ命令。クローディアにとっては予想通りの展開である。解毒剤の説明などただの建て前にすぎない。だが、呼び出し罰則は奇妙に久しぶりだ。

 勿論、嬉しくない。

 

 夕食後、地下教室を訪れたクローディアはネビルと一緒だ。樽一杯の角ヒキガルの腸を抜き出すというおぞましい行為に、2人の気分は憂鬱になる。小型ナイフで腹を裂かれるカエルは、どれも生きている。

 しかも、ネビルのトレバーによく似た容姿が酷すぎた。

「クローディアがいれくれて良かった……。1人だったら、僕……絶対泣いていたよ」

「うん、これは私1人でもキツイさ。ネビルがいて良かったさ」

 腹を丁寧に切り裂き、臓物を腑分けするクローディアの手つきにネビルは奇妙に感心してきた。彼が作業しているカエルはどれも切り口が乱雑すぎる。

 腸をひとつの瓶に詰め込み、蓋をして罰則は終了した。クローディアとネビルは、それぞれが詰め込んだ瓶をスネイプに手渡す。

 普段の顰め面のスネイプにクローディアは不意に思いつく。

「マルフォイくんのお父上は捕まらなかったそうですね」

 スネイプの眉が痙攣する。

「君が知ることでない。さあ、我輩が君たちの腸を詰めたくなる前に帰りたまえ」

 冗談抜きの冷徹な言い回しに、ネビルは即座に逃げ出した。置いていかれたクローディアは本題と言わんばかりに口を開く。

「父は何故、ルシウス=マルフォイから隠れているのでしょうか?」

 その質問に、より鋭い目つきが返された。

「……君のお父上が話さないのなら、我輩から教えることは何もない」

「ルシウス=マルフォイが父に拘る理由を知っているのですか?」

 

 ――バンッ。

 

 スネイプの拳が机を乱暴に殴る。

「ミス・クロックフォード。今後、授業に関係のない質問は禁ずる」

 その件に触れて欲しくない。そんな感情を感じ取れた。

 深呼吸したクローディアは脳裏にコンラッドと母を思い浮かべる。仲睦まじく笑っている2人だ。

「……では、質問でなく……お願いがあります。父のことで私を憎むのは構いません。ただ、母だけは憎まないでもらえませんか?」

 スネイプは驚愕に目を見開き、クローディアを凝視する。怯むことなく、その眼差しを受け止める。彼の母に対する感情をどうしても確認しておきたい。その意思を視線で伝える。

 お互い視線を外さず、何分……5分も経たない内にスネイプが折れた。

「心配するな。……もういけ」

 煮え切らない返事だが、クローディアは渋々承諾するしかない。

「君のお母上は幸せ者だな……」

 何の感情も込めず、スネイプは去りゆくクローディアの背に吐き捨てた。あまりにもか細い声だったので、上手く聞き取れなかった。

 

 寮の談話室に戻ったクローディアをペネロピーが待ち構えていた。彼女の手には、紙の束を結んだ資料がある。戸惑いながら資料を受け取り、椅子に腰掛け黙読する。内容は『魔法薬学』に関する問題ばかりだ。

 隣に座るペネロピーは口元を尖らせる。

「それは、これまで『N・E・W・T試験』を受けた先輩達のお手製問題集よ。6枚目の18問目に『ベアゾール石』が載っているわ。パドマから聞いたわよ。あなたは、解毒剤の説明に、『ベアゾール石』を含めたのに減点だなんておかしい」

「褒めてくれて、ありがとさ。でも、スネイプ先生くらいになると当たり前すぎ……」

 言い終える前にクローディアの口が、ペネロピーに塞がれる。

「謙遜過ぎるのは傷。絶対、スネイプ先生に抗議してやる」

 意思の固いペネロピーに苦笑するクローディアは読み終えた問題集を返した。意気込んだ首席が談話室を出て行くのを見送ると、ルーナが飛びついてくる。

「パパから、手紙来たよ。ハリー=ポッターの為でしょう。教えてあげたらいいもン」

 鋭い指摘にクローディアは吃驚した。ルーナ独特の推理力は侮れない。

 封筒を開き、いくつもの名が綴られている紙を取り出す。

(『死喰い人』の容疑者……結構、多いさ。あ、やっぱりマルフォイの名があるさ。……クラッブとゴイルのお父さんさ? あの2人のお父さん……想像付かないさ……。ノットって、セオドール=ノットのお父さんさ? エイブリーとかマクネアって誰さ?)

 黙読するクローディアはひとつの名を見つけた。見間違いかと2度見し、緊張で心臓が跳ねる。

(イゴール=カルカロフ……同姓同名……ではないさ?)

 その名の下に『司法取引により釈放』と書き込まれていた。10月にダームストラング校長として招かれる男が元『死喰い人』。ダームストラング専門学校が純血主義だったと今更ながら、思い返す。よりにもよって、トトの母校を疑わねばならない。悔しさでクローディアは唇を噛んだ。

「痛いよ」

 ルーナが気遣うようにハンカチでクローディアの唇を拭う。彼女に感謝し、自分に杖を向けて唇を癒した。

 

 

 翌日の昼、図書館でクローディアはハーマイオニーにカルカロフの事を報告する。衝撃を受けた彼女は深刻に考え込んだ後、口を開く。

「司法取引をしてまで自由になったのに、疑われるようなことするかしら?」

「刑期を終えた人の再犯確率の話をするのは嫌さ。ただ、客人の中で警戒する価値はあるさ」

 我知らずと低音になるクローディアの雰囲気がハーマイオニーに寒気を覚えさせる。自分の肩を撫で、彼女は毅然と意見を述べる。

「まずは、あなたの知りえた情報をお父様に相談するべきだわ。私もハリーに言って、シリウスに手紙を出させるわ。ルーピン先生は……立場上、この件に深入りさせないほうがいいわね」

「スネイプ先生にも気づかれないようにするさ。……気付いていたりして」

 クローディアとハーマイオニーは乾いた笑みを向け合う。そして、今更ながら警戒の為、周囲を見渡す。

 スネイプの姿がなかったので、安心した。

 

 一方、スネイプへ抗議したペネロピーは罰則として解毒剤のレポート羊皮紙3巻きを言い渡された。無論、彼女は激怒していた。それでもレポートを放棄せず、やり遂げたのは実に彼女らしかった。




閲覧ありがとうございました。
パフスケイン、可愛いらしいです。


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6.許されざる呪文

閲覧ありがとうございます。
ムーディさんが授業を見学したいそうです。

追記:16年3月8日、誤字報告により修正しました。


 金曜の午後。『闇の魔術への防衛術』の教室には案の定、ムーディが同席した。教室の隅に持たれかかり、ルーピンの講義と生徒を交互に見渡す視線が突き刺すように痛い。

 畏怖による緊張でクローディアの手も微かに震える。パドマも顎に力を入れ、絶対的に重い空気に耐える。リサはほとんど半泣き状態だ。サリーは興奮して笑みが絶えない。マンディは見えないように教科書を凝視する。セシルは堂々と振り返り、義眼を眺めていた。アンソニーなどの男子生徒は有名な『闇払い』の存在に粋がって緊張した。

 ルーピンは普段と何ら変わらない穏やかな雰囲気のまま授業を行う。

(顔色もいいし、ちゃんと薬は飲んでるみたいさ)

 終業の鐘が鳴り、生徒はムーディの視線から逃れる為、席を立つ。

「待った!」

 床に杖の先端が叩きつけられる音、ムーディの制止の声が緊張を高める。

「どうかしましたか、マッド‐アイ?」

 丁寧に訊ねるルーピンに返事をせず、ムーディは生徒を見渡す。青い義眼がクローディアを捉えている。

「この時間まで、お前たちの防衛術を見てきた。学年に見合った知識を学んでいる。満遍なくな……。だが! それは怪物との対決のみに有効だ! 魔法使い同士の防衛については非常に遅れておる」

「この子達は4年生ですよ」

 笑みの中に強い警告を含めたルーピンがムーディの熱弁を遮る。

 ムーディがルーピンを一瞥するが、義眼はクローディアに釘付けだ。

「わしが敵との戦い方を教えてやる。気まぐれだ。1回しか教えん。興味があるものは、わしの下へ来い。リーマス、不安なら見張りに来るがいい」

 『敵との戦い』の部分にクローディアは魅了される。自然と身震いした。姿を消したクィレルに、元『死喰い人』カルカロフ、それ以外の脅威と戦える力かもしれないという期待感が生まれた。彼女の表情の変化に気づいたムーディがほくそ笑んだ気がする。

 重大な報告らしき緊迫感を残し、ムーディは教室を去っていく。途端に生徒達はルーピンへと駆け寄った。

「これも授業の一環なのでしょうか? 校長先生はお許しになっているのですか?」

「良いですよね? 俺達ムーディが教えるところ見に行ってもいいですよね?」

 生徒を宥めるルーピンを尻目にクローディアだけは教科書を手にして教室を出た。急ぎ足でムーディを追いかける。

 意外と早足のムーディにクローディアが声をかける。予想通りだと彼は歪むように笑う。

「やはり、教えを乞いに来たな? おまえだけが物欲しそうであった。敵と戦う術を求めておる。良いぞ、実に良いぞ。明日、リーマスの教室を借りる。午前11時だ」

 クローディアとムーディが話しこむ様子を生徒達が遠巻きに見ていた。

「他に知りたい者がいれば来い! 明日の午前11時だ」

 ムーディが呼びかけると、驚いて逃げていく者もいれば、興味深そうにしている者もいる。だが、周囲の反応などクローディアには無関係だ。拳に力を入れ、想いを言葉にする。

「必ず、行きます」

 クローディアの断言を聞き、ムーディは気難しい笑みを見せた。

 ムーディと別れ、クローディアは寮へと向かう。その後ろから、一部始終見ていたスーザンが心配そうに声をかけてきた。

「クローディア、どうしたの? ムーディに何かされた?」

「明日の11時に『闇の魔術の防衛術』の教室で、ムーディが教えてくれるってさ」

 通りすぎようとしたチョウが耳聡く聞き取り、クローディアに駆け寄る。

「マッド‐アイが何を教えてくれるの?」

「敵との戦い方、気まぐれだからさ。1回だけさ」

 その部分に惹きつけられるように生徒がクローディアへと集まる。皆が口ぐちに質問しては驚きの声をあげる。廊下が生徒と幽霊で密集してきた。

「廊下で集まって、何をしているのですか! 通行の邪魔です!」

 マクゴナガルの一喝、蜘蛛の子を散らすように全員が逃げていく。

 

 夕食までの僅かな時間、ムーディの講義が城中に広まった。大広間には教師の姿が一切、見受けられない。おそらく、ムーディと口論していると思われる。教師に代わり、フィルチと各寮の幽霊が無礼な生徒を咎める。

 ミートスパゲティーを啜るクローディアにロジャーが執拗に語りかけてくる。

「クローディアも行くんだろ? ムーディの教えなんて、すっごく興味深い」

「きっと、イカれてるんだろうな。いつも親父がムーディのこと話してくれるんだ」

 突然現れたジョージがロジャーを押しのけてクローディアに声をかける。彼女は気にせず、スパゲティーで汚れた口元をナプキンで拭う。その間、彼らは隣の席でお互いを押しのけあう。

「自分の寮席に行けよ。ウィーズリー!」

「誰のことかな? ウィーズリーは他にもいるぞ!」

 暖かい紅茶を飲み干し、クローディアはロジャーとジョージに振り向く。

「2人はいつから、そこまで仲良しさ?」

 至って真剣な態度のクローディアにロジャーとジョージはお互いを見やり、否定する。

「「仲良くなんかない!!」」

「ジョージ、いつまで遊んでるんだ。談話室に戻って仕上げてしまおう」

 いつになく真剣な表情のフレッドが遠慮なくジョージのローブを掴んで連行する。

 ジョージは途端に難しい表情に変わった。双子の様子にクローディアは気にかかり席を立つ。

「フレッド、ジョージ。何か問題さ?」

 ビクンッと肩が痙攣した双子はクローディアに目だけ振り返る。ジョージが躊躇いながら口を開こうとするが、フレッドが先に答える。

「これは僕らの問題なんだ」

 ジョージの背を押し、フレッドは進む。簡単にあしらわれたクローディアは双子の背中が遠くに見える。いつも笑顔で悪戯ばかりしているお調子者でクィディッチ好き。それ以外の彼らを見た気がした。

 何故だが、クローディアの胸中に微かな風が吹くのを感じた。

 それが寂しいという感情だと認めたくなかった。

 

 自室に戻ったクローディアにドリスから手紙が届く。クラウチとカルカロフへの警戒についての返事が来たのだ。コンラッドの筆跡で綴られたのは意外にも彼らを擁護する内容だ。

【バーティ=クラウチは『死喰い人』によって家族と名誉を失った男だ。ある意味で『死喰い人』を最も憎んでいる。イゴール=カルカロフは己の自由の為に仲間を売った。『死喰い人』にとって忌むべき男だ。闇の帝王が復活したとしても、待ち受けるのは制裁という名の死だ。2人に共通するのは闇の帝王の脅威を恐れているということだ。そういう意味では平穏を最も望んでいるといっても過言ではない。だが、警戒すべきに越したことはない  コンラッド】

 読み終えた手紙がクローディアの手の中で燃えていく。熱さを感じない火を見つめていると、ベッロが首に巻きついてきた。灰となった手紙をベッロの小さな舌が舐めていく。

(可能性がなくても、警戒するな? お父さんの言い回しって時々、わかんないさ)

 楽譜の音符が逃げ出し、悪戦苦闘しているリサを眺めている。突然、クララがノックもなしに入ってきた。

「クララ、ノックするさ」

「良いじゃない。女同士なんだから、それよりフリットウィック先生から集合命令、談話室に集まりなさい」

 何事かとクローディアとリサは首を傾げる。

 談話室では就寝に備えて寝巻き姿の生徒が多かった。フリットウィックが生徒を見渡し、咳払いする。

「皆も知っての通り、明日、アラスター=ムーディ氏の特別授業が行われます。ムーディ氏は生徒の参加を自由としていましたが、我々はそうは行きません。ここに制限を設けます。1年生は一切の参加を禁じます。2年生から5年生までは昨年度の学年1位・2位・3位までとします。6・7年生は『闇の魔術への防衛術』の授業を取得している生徒のみです」

 当然の事ながら、条件を満たさない生徒から不満の声が上がる。金切り声を上げたフリットウィックが皆に静粛を求めた。

「校長先生並びに教頭先生の最大の譲歩です。わかりましたね? はい、就寝!!」

 仏頂面で言い放ち、フリットウィックは皆を自室に追いやった。文句を呟き、それぞれが部屋に帰っていく。ロジャーやクララ、ザヴィアーなどの生徒は意気込んでおいたが、取得損ねていた生徒は悔しそうに顔を歪めていた。

 

☈☈☈☈

 マクゴナガルからの連絡事項に不満を覚えたのはハリーだけでない。寝台に寝転んだロンは寮監について罵詈雑言を並べ立て、シェーマスとディーンも同意した。ネビルは考え込むように黙りこくり、布団を被っていた。この部屋の5人は明日のムーディの特別授業に参加できない。各々が不満を抱えたまま、それでも眠りは訪れる。

 ハリーは睡魔の心地よさに身を委ねていた。しかし、僅かに物音がする。意識が朦朧としたまま覚醒し、眼鏡をかけた。

 視界には部屋を出ていくネビルの後ろ姿が見える。彼にしては珍しいことだ。好奇心に似た興味から、ハリーも部屋を出た。

 火の無い暖炉の傍にネビルはいた。

「どうしたんだ、ネビル?」

 ハリーに声をかけられても、ネビルは手振りを返しただけで何も答えない。

「座ってもいい?」

 ハリーがネビルの隣に腰をかけても、頷くだけだ。深刻な雰囲気を纏い、その視線は暖炉ではない別を見据えていた。

 ネビルの様子に、ハリーは覚えがあった。それは吸魂鬼により母の声を聞いた時だ。誰にも理解されない感情が身体中を支配し、二度と安らぎを得られないという絶望に駆られていた。

 何故、ネビルがそんな頃の自分と重なるというのだろうか疑問する。そうして沈黙していると、ついに彼の口が動いた。

「明日のムーディの授業、僕、どうしても見に行きたくて、でも条件に入ってないから……」

 ハリーは返事をせず、曖昧に頷く。しかし、続けたネビルの言葉に驚かされた。

「どうにかして、参加したいなって」

 強い語尾でネビルは言い放つ。引っ込み思案な性格なのに珍しく意欲的である。彼は自ら行動を起こす事が少ない。今回の特別授業も参加でないなら、すぐに諦めるのが常だろう。

 不意にハリーは『透明マント』を思い返す。あれなら、皆の目を誤魔化せる。それで授業見物に行きたい。だが、ロンを差し置いてネビルと行ってもよいものだろうか? 3人で行くとしても、シェーマスとディーンを除け者にしているのは、気が引ける。しかし、男子5人も『透明マント』に入りきらない。

「興味本位じゃない……あの……僕の両親が『闇払い』だったんだ……、それで……その……知りたいんだ。『闇払い』の人が何を知っているのか……」

ハリーはネビルの両親が『闇払い』であったことに驚く。

思えば、ネビルから両親の話を聞いたことがなかった。いつも祖母の話ばかりだ。そして、歯切れの悪い物言いの中、決してハリーを見ていない。暗闇に両親の顔でも浮かべているかもしれない。

 もしも、そうならハリーは胸が痛い。その痛みがネビルに『透明マント』を貸すべきだと訴えかけてきた。

「ネビル……、ひとつ提案があるんだけど」

 我知らずとハリーは口走っていた。

 

☈☈☈☈

 特別授業が待ち遠しいクローディアは簡単に朝食を済ませる。期待に胸躍らせたハーマイオニーと共に教室へ一番乗りした。最前列の席を陣取り、2人は僅かに緊張しつつも腰かける。

「ちょっと早かったわね」

「後3時間さ。その間【ホグワーツの歴史】の改訂版でもやるさ」

 クローディアは鞄から走り書きした草案の束を取り出す。予想していなかったハーマイオニーは草案を眺めて驚く。

「本当に作るの? いままで作っていてくれたの?」

「勿論さ。まさか、本気にしたのは、私だけさ?」

 少々、思い上がりすぎたとクローディアの頬が赤く染まる。ハーマイオニーは頭を振り、目を輝かせた。

「すごく嬉しい、2人で完成させましょう」

 その言葉だけで、胸中は嬉しさで満たされた。急に授業はどうでも良くなっていた。

 愉悦に満ちたクローディアの表情に、教室に現れたフレッドとジョージは気味悪がっていた。

 時間が来れば、教室は生徒でごった返していた。いつの間にか、同じ学年のセオドールが来ていた。つまり、彼は学年3位ということだ。意外な人物にハーマイオニーは吃驚していた。

 そんな中、教室で引率する教師はルーピン1人だけだ。

「(ムーディが皆、追い返しちゃったんだよ。ウルサイから)」

 クローディアの隣に座ったルーナが小声で伝えてきた。昨晩のフリットウィックの態度から、その言葉通りと推察できる。

 教室の扉が開き、ムーディが現れると私語が消えた。私語どころか、姿勢を正して身動きひとつしない生徒もいる。

 義足と杖の音が教室に響き、教壇まで歩くムーディの義眼が生徒を1人1人確認している。挨拶もなく、黒板のチョークを手にする。義眼ではない彼の目が生徒を見渡す。

「まずは、質問しよう。『許されざる呪文』について知っている者はいるか?」

 緊張の場で、いつも通りハーマイオニーは挙手する。ムーディは解答を許した。

「ある3つの呪文を総称です。あまりの惨酷さゆえに、1717年、人間に対して使った者はアズカバンで終身刑を受ける法が成立しました」

 ハーマイオニーの説明を全て黒板に書き込むムーディは満足げだ。

「宜しい! では、ディゴリー!」

 頷いたムーディの義眼がセドリックを見つめ、呼ぶ。指名された彼は反射的に立ち上がった。

「『許されざる呪文』には何がある?」

「……『服従の呪文』です」

 躊躇いながら答えるセドリックにムーディは着席を命じた。

「その通り、魔法省が散々、てこずった呪いだ」

 懐に手を入れたムーディが取り出したのは手足の細い蜘蛛を入れた瓶だ。瓶を開け、掌程の蜘蛛を皆に見せるため、杖を向けて肥大させた。顔程も大きくなり、よく見える。

 そして、一呼吸置き、呻く。

「インペリオ! (服従せよ)」

 見た目は何も変わらず、蜘蛛はムーディの手から離れた。セドリックの席へと移動した蜘蛛は踊るような仕草をする。まるで、そこに求愛すべき対がいるかのような踊りだ。その動きに皆は笑い出す。

 ムーディとルーピンには一切の笑みがない。生徒ではルーナだけが笑わなかった。

「わしがお前たちに同じことをしても、笑えるか?」

 途端に蜘蛛は黒板の上にと移動する。板の端を歩き、落ちるか落ちないかを繰り返す。そして、蜘蛛はそのまま糸も吐かず、床に落ちた。それを自分の姿に置き換えた生徒達の口が閉じる。

「このように完璧な支配だ。まさに思いのままだ」

 蜘蛛を拾い、ムーディは自分の目で生徒を見渡した。

「多くの魔法使いが、自分は『服従の呪文』によって『例のあの人』に無理強いされたと証言した。それを証明する術はない。何故なら、見分けがつかないからだ。この呪文と戦うことは出来る。そのやり方を教える前に他の呪文を知るものはいるか?」

 ハーマイオニーが勢いよく挙手する。その隣でクローディアはムーディの手にある蜘蛛を見るとはなしに見つめていた。不意に耳に入る声を聞いた。

「(『磔の呪文』)」

 何処から聞こえたのか突き止めようと、クローディアは周囲を見渡す。その前にムーディの義眼と目が合った。

「クロックフォード、なんだ?」

 そんなつもりはなかったクローディアはビクッと肩を揺らす。

「……『磔の呪文』ですか?」

 頷くムーディは蜘蛛をクローディアの目の前に置く。気味悪く動く蜘蛛が近く、少しだけ引いた。

「クルーシオ!(苦しめ)」

 杖を向けられた蜘蛛は、生命の危機を察知し、脚を激しく動かしてもがき始めた。微かな泣き声は、悲鳴だ。

 この呪文をクローディアは知っている。ワールドカップの騒動で、誰かが唱えていた。彼女は難なく避けたが、もし命中していれば……この蜘蛛と同じ苦痛を与えられていた。

 脳髄が真っ白になり、胃が逆流する。咄嗟にクローディアは自分の口を塞ぐ。異変を察したハーマイオニーが彼女の背を擦り、ムーディを不安げに見上げた。

 ムーディが杖を外すと蜘蛛は緊張を解いたようにグッタリしていたが、微かに痙攣している。

「では最後の呪文を知るものはいるか?」

 ムーディの義眼がセオドールを捉える。彼は知られたくない秘密を暴露されたような焦りを露わにし、必死に首を横に振って回答を拒んだ。

 代わりにルーナが浮つきの消えた口調で口を開く。

「『死の呪文‐アバダ ケダブラ』」

 全員の目がルーナに集中する。ムーディは彼女を一瞥し、蜘蛛を教壇に乗せた。

「アバダ ケダブラ! (息絶えよ)」

 眩い緑の閃光が走ったと同時に蜘蛛は痙攣をする間もなく、命尽きた。

 

 ――明確な死。

 

 焦燥、不安、恐怖、悲嘆。

 死の瞬間を目にした。

 脳が認識した情報に応えるようにクローディアは嗚咽する。ハーマイオニーが肩を撫でてくれるが、痙攣は治まらない。ただ呆気なく、死んだ蜘蛛を凝視する。

「この呪文には逃れる術がない。防ぐことなど、出来ようはずもない。しかし、生き残った者がただ1人だけいる」

 不意に義眼が誰もいない場所を捉えていた。

 死を逃れられるはずがない。どんな生物も静物もいずれは朽ちて死ぬ。死を抗う魔法があるならば、それは魔法界の常識からも外れた『別の物』だろう。そう、あのニコラス=フラメルも『命の水』で生きながらえていたにすぎない。

「さて、反対呪文がないなら、なぜ見せたか? それはお前たちが知っておかねばならないからだ! このような事態に遭遇するな! 油断大敵!」

 危機感における重要性を説明したムーディは、蜘蛛の屍骸を瓶に詰める。

「さて、『死の呪文』には反対呪文はないが、この魔法は3つの呪文の中で最も難しい。絶対的な殺意とそれに見合う魔力が必要になる」

 ペネロピーが質問する。ムーディは許した。

「呪文を受けたとしても、効果が発揮されないということですか? それが『死の呪文』の致命的欠点ということですか?」

「油断大敵!!」

 ムーディが声を張り上げ、ペネロピーは驚く。

「その通り! 仮に貴様らがわしに『死の呪文』を使ったとして、気絶すらもさせられんぞ。だからこそ、油断してはならん! そして、これを使う者も己の命を賭けることになる。ある魔法使いが『死の呪文』を使おうとしたが、一瞬の躊躇いによって、自らが呪いを被ったという。呪文を唱えるだけで、我が身への反動も大きいのだ。使う者も油断大敵!」

 人の死を願う者は報いを受ける。まさに人を呪わば、穴二つだ。

 青ざめたペネロピーは口を閉ざす。それを合図に誰も質問しない。質問する気力が失せたと言ってもよいだろう。フレッドとジョージもずっと黙っている。

「『服従の呪文』、『磔の呪文』は抵抗できる。屈せぬ精神力こそが、反対呪文なのだ。誰か、手本になるものはいないか?」

 知りえたばかりの呪文に抗える自信はなく、誰もがムーディから目を背ける。痙攣するクローディアの身を案じたハーマイオニーが違う意味で挙手する。

「医務室に行ってもいいですか?」

「ダメだ」

 即答。

 不安げ眉を寄せるハーマイオニーを見ず、ムーディはクローディアの目の前に立つ。

「逃げ道はない。何処にもな、なればこそ! 戦わねばならんのだ! 違うか? クロックフォード!」

 呼ばれたクローディアは無理やり吐き気を押さえ込む。胃の痙攣を自覚しつつも、ムーディに頷く。

 クローディアの腕を掴んだムーディは、無理やり教壇の前に彼女を導く。心配したハーマイオニーがルーピンを振り返る。

 視線を受けてもルーピンは、黙っている。

「クロックフォード、よく聞け」

 ムーディは懐から刃のない柄を取り出し、クローディアに放り投げた。何かを察したルーピンは流石にとめようとしたが、無視された。

「今から、わしがクロックフォードに『服従の呪文』をかける。これでわしを刺せと命じる。刃は除けてあるが、ある場合を想像しろ! 抗って見せろ!」

 女子生徒の何人かが悲鳴を上げる。ルーピンが口を開く前に、ムーディは無遠慮にクローディアへと杖を向けて唱えた。

「インペリオ! (服従せよ)」

 クローディアは、肉体の痙攣が治まるのを感じた。

 脳髄の奥が溶解する感覚が心地よい。視界も手の感覚も普段どおりなのだが、至福の高揚感と満足感が意識を支配している。脳髄の奥から、声がする。

 

 ――目の前の男を刺すのだ――

 

 そこにいるのは誰なのか、思考が働かない。声に従えば幸福になれる。今以上の幸福が約束されている。手にした柄を男に向ける。後はただ進むだけだ。

 

 ――刺すのだ――

 

 何故か、足に痛みが走る。見下ろすと足首に赤い蛇が噛み付いている。脳の一部が幸福から醒め、情報を伝える。目の前にはムーディがいる。クローディアの手には刃のないナイフがある。これでムーディを刺せと命じている。

 違う。誰も刺さない。誰にも従わない。従ってはいけない。

 

 ――刺せ! 刺すのだ!――

 

 今度は利き腕を襲う鈍い痛みに柄を手放す。柄が床に落ちる音が耳に響く。ようやく脳髄に纏わりついていた感覚が消えた。同時に脱力感に襲われ、床に膝をつく。ルーピンがクローディアの前に跪き、彼女の頬に手をあてる。

「よく頑張ったね。ちゃんと抗えたんだよ」

 駆け寄ったハーマイオニーがクローディアに抱きついてきた。

「医務室、行ってきます」

 ハッキリとした口調のルーナがムーディに告げ、クローディアはハーマイオニーに支えられながら歩く。見かねたロジャーが席を立つ。

 身を屈めて背中を提供するロジャーに、ハーマイオニーは素直に甘えてクローディアを彼の背に預けた。

 4人が教室からいなくなると、ムーディはより低い声で警告した。

「クロックフォードを見て、自分ならもっと抗えると考えている者がいるなら、それは正解だ! 想像しろ! 自分が敵に抗う姿を! それは決してなくしてはならん!」

 そんな説法が行われているなど、医務室にいる者には知る由もない。

 

 マダム・ポンフリーは、クローディアに一晩の入院を言い渡した。原因はベッロに噛まれたことによる毒防止のためだ。すっかり忘れていたが、シマヘビであるベッロは毒ではなく、菌を持っている。

「噛まれたおかげ、呪文に抗えたから、別にいいさ」

 寝台で寝転ぶクローディアの呟きに呆れたハーマイオニーはデコピンしてきた。

 ルーナはデコピンされた額を撫でたが、ロジャーは更に強いデコピンをクローディアに食らわせた。

「呪文に逆らうために、噛まれちゃ意味ないだろ?」

「それもそうだね」

 同意したルーナがデコピンの構えを取ったので、クローディアは布団の中へ避難した。

 

 多くの生徒が惰眠を貪る日曜日。

 退院したクローディアが寮に帰れば、生徒達からの質問攻めに襲われた。無論、昨日のムーディの講義についてだ。昨晩から、この話題が尽きないとロジャーに伝えられた。ペネロピーは質問の波に耐えかね、昨晩から行方不明になっていた。

 クローディアも押し寄せてくる生徒に体調不良を訴えて逃げ回った。

 自室に閉じこもったクローディアはパドマとリサには講義での出来事を説明した。『許されざる呪文』をかけられた事に2人は心底同情し、ベッロを褒めるように撫でまわした。

 

 昼食の時間が過ぎ、小腹が空いたクローディアはベッロを首に巻いて大広間を目指す。背後に迫る気配に振り返る。

 完全に驚かす姿勢だったフレッド、ジョージと目が合った。不服そうに双子は口を尖らせる。

「振り向いちゃダメだよ。空気読んでよ」

「そうだ、そうだ。気づいても、驚くフリしないと。クローディア、もう一回!」

「うるさいさ」

 一蹴するクローディアに代わり、ベッロが双子に威嚇の姿勢を見せる。双子はわざとらしい悲鳴を上げ、廊下を走る。それをベッロが追いかけるため、彼女から離れ床を這いつくばっていった。

 嘆息したクローディアはさっさと大広間へ向かう。振り向いた先にスネイプが立っていた。睨む視線は普段の通りだが、不機嫌だ。

「おはようございます。スネイプ先生」

「医務室で寝ていなくてよいのかね? 明日からの授業に差し障るようなことがあっては、ムーディ氏に申し訳がない。我が校の生徒が軟弱と捉えかねない。良いかな? 万全の体調で授業に臨みたまえ」

 吐き捨てたスネイプはローブを翻し、大広間へ歩いていく。その背を見つめ、クローディアは疑問する。

(ムーディさんに申し訳ないっていいながら……、軟弱に思われたくないって……矛盾してるさ……)

 クローディアが心配なら、素直に言えば良いのだ。

 再び嘆息すれば、視界の隅に件のムーディが歩いていくのを捉える。1人ではなく、スプラウトとネビルがいた。

(どういう組み合わせさ?)

 不思議に思いながら、クローディアは大広間に着こうとした。

「おはよう、クローディア。ちょっと一緒に来て」

 突然現れたハーマイオニーに攫われた。

 

 校庭に連行されたクローディアは沈んだ表情のハリーと対応に戸惑うロンが待ち構えていた。嫌な予感よりも確信が強い。

 昨日のムーディの講義にハリーは『透明マント』を被って参加していた。それにネビルまで加わっていたのだ。

 ネビルはその後から様子がおかしいとハリーは告げる。今朝も早くにムーディに呼び出されたらしい。

 ハーマイオニーの説明にクローディアは呆れた。

 否、半分だけ呆れた。もう半分はヴォルデモート絡みでないことに安心した。

「全く、すぐにそういうことするさ。『透明マント』、没収されてしまえば良かったさ」

「賛成だわ。いますぐマクゴナガル先生にところに行く?」

 冷たく言い放つハーマイオニーに、ハリーはビクッと肩を跳ねさせた。

「折角、ベッロが取ってきてくれたんだ。そんなこと出来ないよ」

 少し表情を暗くしたハリーは顔色が良くない。目の下にも若干クマがある。ハリーが寝不足だと察し、彼への態度が些か冷たすぎたと反省した。

 それでも、もうひとつの疑問をクローディアは口に出さない。

(なんでロンじゃなくて、ネビルだったさ?)

 ロンが城に向かって手を振る。3人が振り返るとルーピンがこちらに歩いてくる。

「おはようございます。ルーピン先生」

 ハーマイオニーとハリー、ロンは既に挨拶が終わっているらしく、簡単に手を振っていた。

「おはよう、クローディア。とは言っても、もう昼だけどね。ベッロに噛まれた脚はもう大丈夫かい?」

「はい、マダム・ポンフリーのお陰で、バッチリです」

 ローブを捲り、クローディアは脚だけ見せる。ルーピンは脚を一瞥し、穏やかに微笑む。

「マッド‐アイには校長先生と私からよ~く釘を刺しておいたから、もうあんな目に遭わないよ」

 ルーピンの視線がハリーを捉えていた。彼は視線を受け流し、空を飛ぶフクロウ便を眺めて誤魔化していた。

 不意にクローディアはルーピンに対する質問を思い出す。

「祖父は日本に帰ってしまったんですが……薬どうなるのですか?」

「ここ半年分は既に頂いているから、問題ないよ。私の心配よりも、フィルチさんに叱られないようにすることを考えたほうがいい。他校からの賓客予定で、すごくピリピリしてる」

 冗談っぽい口調にロンが噴出した。

「お薬が足りているなら、私たちが心配することないわね」

 ハーマイオニーがクローディアの腕を軽く掴み、視線で言葉の意図を伝えてくる。コンラッドとシリウスに、カルカロフを危惧する手紙を送ったことをルーピンに知られたくない。ハリーなら、ボロを出す可能性が高い。

「そうさ。ルーピン先生のことは何の心配もいらないさ。それで、ハリーとロンは宿題終わったさ?」

 少しわざとらしく明るい声を出すクローディアがハリーとロンに話を振る。2人は焦りの汗を流して目を泳がせていた。その態度で彼らの宿題状況が丸わかりだ。

「私は一切、手伝わないわよ!」

 ハーマイオニーは鼻を鳴らして顔を背ける。そんな彼女をロンは無視する。

「昨日の『許されざる呪文』もすごかったんですけど、『守護霊の呪文』はいつ授業で教えてもらえますか?」

 興味津々なロンにルーピンは爽やかな笑みを返す。

「今学期は7年生にしか教えないつもりだよ。会得できる生徒は少ないだろうがね」

 残念とロンは肩を落とす。苦笑したクローディアはハリーを振り返る。

「ハリー、ロンと宿題やってくるさ」

 渋々とハリーはロンを連れて図書館へ向かった。

 




閲覧ありがとうございました。
皆も、蛇に咬まれないで下さいね。


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7.来客

閲覧ありがとうございます。
そわそわしているうちに、来客はやってきました。

追記:18年9月2日の誤字報告にて修正しました。


 考えなければならないことは山ほどあったが、ハーマイオニーの誕生日をクローディアは決して忘れない。偶然、手に入れた幻の金貨を誕生日プレゼントにした。

「すごいわ! すっごく素敵! ありがとう!」

 幻の金貨の存在を実感し、ハーマイオニーは感激のあまりクローディアの顔中にキスの嵐を送った。

 クローディアにとっても最高の日になった。

 

 部活動への取り組みは思いの外、上手く行かないものである。部員達に声をかけたが立候補の準備で忙しいと返された。どうにか、ジニーとルーナは勧誘に向かってくれた。

 クィディッチがないことを理由にクローディアはハリーとロンを連れ込んだ。ハーマイオニーは部室の隅で【ホグワーツの歴史】の草案に何の項目を付け加えるべきか、羊皮紙に纏めていた。

 しばらく1対2でボールの奪い合いをした。無論、クローディア1人に対し、ハリーとロンの2人だ。

 ロンの後頭部にボールがぶつかって倒れた。

「皆、対抗試合で頭がいっぱいなんだよ」

「わかっているさ。これでも勧誘に抜かりはないつもりさ」

 残念がるクローディアをハリーは慰めようした。

 急に部室の扉が開く。

「ハリーだ! ハリーがいた!」

 コリンがデニスと共に現れた。嫌な顔をしたハリーがボールで自分の顔を隠す。

「部活の見学さ?」

「いいえ! ハリーがいるって聞いたので!」

 正直に答えたデニスは一直線にハリーへと迫り、煩わしそうに手で追いやる。

「ここはバスケ部だ。部活に興味のない生徒は来ちゃ駄目」

「大丈夫です。僕、バスケが得意なんです。一緒にやりましょう!」

 元気溌剌とデニスは、ボールを取る構えになる。仕方なく、ハリーは彼とボールのパスをやりあう。

「あんたに似て、元気な弟さんさ」

「はい……。デニスは正直なんです」

 クローディアの皮肉にコリンは苦笑する。

 弟という単語でクローディアはシリウスの弟レギュラスを思い返す。コリンとデニスのように仲が良かったのだろうかと疑問する。しかし、グリフィンドールとスリザリンだ。それにあのシリウスの性格では難しいところだと勝手に想像する。

 また部室の扉が開く。

 デメルサがデレクを連れて来てくれた。1年生のオーエン=コールドウェルとケビン=ホイットビー、ナイジェル=ウォルパートもいる。

「わあ、本当にハリー=ポッターがいる」

 ナイジェルが嬉しそうにハリーに近づき、途端にデニスが顔を顰めた。まるで好敵に巡り合ったような態度だ。あの2人は彼に任せ、クローディアはデメルサに礼を述べる。

「デメルサ、4人も勧誘してくれたさ?」

「デレクを誘ったの。そしたら、彼が声をかけてくれたわ」

 デメルサの視線を受け、デレクが遠慮がちにクローディアへと挨拶する。

「来てくれてありがとう、ガーション。その子達は……確か1年生の……コールドウェルとホイットビーさ?」

「「はい、そうです」」

 オーエンとケビンは緊張気味にクローディアへ挨拶する。

「それから、ジニーは戻って来ないわ。……あの、ほら、ルーナ=ラブグッドが具合悪くなったから、ジニーは付きそうことにしたの。大したことないから、心配しないで欲しいと言っていたわ」

 それからデメルサはクローディアに「アレが来た」と耳打ちする。それだけで、クローディアは納得した。

「皆、来てくれてありがとうさ。まずは、どういう競技が説明するさ」

 また、扉が開く。今度は、バーベッジがブレーズを連れてきた。オーエンとケビンはスリザリン生であるブレーズに対し、微かに緊張する。

「バーベッジ先生。皆、顧問の先生さ」

 クローディアは無理やり、ロンを叩き起した。皆はバーベッジに挨拶する。『マグル学』の授業のない生徒はほとんど初対面だ。

 クローディアはバスケの競技について説明を行い、デレクとナイジェルを中心にボールに触らせた。ブレーズは何の仕掛けもないボールを繁々と眺める。コリンとデニスはオーエンとケビンに、ボールをゴールに入れるコツを丁寧に教えていた。

 時間が過ぎ、解散となった。

「あの……、楽しかったです。……また来ます」

 緊張した様子でデレクは必死な声を出す。それだけ、バスケに興味を持ってくれたことをクローディアは嬉しく思う。

「ありがとうさ。またさ、ガーション」

「はい、また」

 顔を真っ赤にしたデレクはナイジェルとオーエンの腕を引っ張るように去って行った。

 片付けの為にハーマイオニー、ハリー、ロンには廊下に出てもらう。クローディアが杖を振るい、体育館のように広かった部室を空き教室の姿へ戻した。

「おっどろき、クローディア、いつもこんなことしてたんだ」

 感嘆の声を上げ、ロンは教室を見渡す。

「最初は、バーベッジ先生がやってくれたさ。私は先生のやり方を覚えただけさ」

「自慢してもいいと思うわ」

 ハーマイオニーが不服そうにクローディアを見やる。

「謙遜が美ということでしょう」

 満足そうにバーベッジは微笑んでいた。クローディアが微笑み返すと、いつの間にかブレーズが戻ってきていた。不思議そうに教室を見渡してから、顧問へ声をかけてくる。

「次はダフネを連れて来てもいいですか? いつも暇そうにしている奴ですから、来させます。1年生にも声をかけてみます」

 ブレーズの提案にクローディアは驚く。驚いているのはハリーとロンも同じだ。

「ザビニ、そこまでバスケを気に行ってくれたさ?」

 目を輝かせるクローディアをブレーズは意地悪く笑う。

「せいぜい、半分だな。それでも退屈凌ぎにはなる」

 その言い方を無礼と感じたハリーが憤慨する。しかし、クローディアが手で彼を制した。

「退屈を凌げる価値があって、良かったさ。でも、マルフォイに小言とか言われないさ?」

 ドラコの名をあしらうようにブレーズは鼻で笑う。

「……ちょっと、勘違いされているかもしれないから言っておくが、スリザリン生の万人がマルフォイ家に従うわけじゃない。ワールドカップの騒動を快く思っていない奴が圧倒的に多い。皆が楽しむべき祭りであんなことすべきじゃなかったんだ」

 ブレーズは遠巻きに『死喰い人』を批難した。彼の言うとおり、観客が楽しむべき場で『死喰い人』は恐怖と同時に不快感を与えたのだ。

 クローディアは親しみを込め、ブレーズに笑いかける。

「ザビニ、次の部活も来てほしいさ」

 高飛車だが、ブレーズは承諾の意味で笑い返した。

 

 宣言通り、ブレーズは次の部活でダフネを引きずり込んできた。戸惑う1年生グラハム=プリチャードとマルコム=バドックも一緒だ。

 ダフネは女子の少なさに文句を述べたが、競技にはそれなりの興味を示した。彼女曰く、純血の家柄全てがマグルに無関心ではないという。

「ブレーズだって母親の今の恋人がマグルだから、こういうことに参加しているだけだわ」

「おい、それは母様の悪口か? 母様の趣味に文句を言うなら、受けて立つぞ」

 からかうダフネにブレーズは睨み返した。

 

 スリザリン生が増えたことに対抗意識を燃やしたデニスが1年生ナタリー=マクドナルドを連れてきた。ハリーはクリービー兄弟から逃げたいので部活に顔を出さなくなった。

 何故か、シーサーが2年生ネイサン=ブラッドリーや1年生エマ=ドブスとオーラ=クァーラを連れてきた。理由を尋ねると、彼は『マグル学』を選択しており、バーベッジが部員の少なさに嘆いていると知ったからだ。

「困っている女性を助けるのが男というものです」

 段々、シーサーもロジャーに似てきた。それでもクローディアは彼に感謝した。

 これなら、計画通りにバスケ部が活動できる。そんな期待を胸に部活を楽しんだ。

 

 『変身術』の授業で大量の宿題が出たことでクローディアは脳の容量が厳しいと感じる。早めに昼食を摂ろうと大広間へ向かうと、玄関ホールに大勢の生徒が犇めいていた。正確には掲示板見たさに集まっている様子だった。

 掲示板に近寄ろうにも人が多すぎる。

 アンソニーが1年生スチュワート=アッカリーを肩車し、掲示板を読ませた。大役を任されたスチュワートは必死に掲示板を読み上げる。

「ボーバトンとダームストラングの代表団が10月30日、金曜日、午後6時に到着するため、授業は30分早く終了し、全校生徒は城の前にて、お客様をお出迎えすること――――以上です」

 何人から歓声が上がる。

「いよいよ試合だわ。誰が立候補するの? やっぱり、ロジャーかしら?」

 期待するパドマにリサも興奮する。

「スーザンはセドリック=ディゴリーが絶対候補なさるとおっしゃっていましたわ」

 皆のはしゃぐ声を聞きながら、クローディアも緊張する。試合への微かな興奮もあるが、来客への警戒心が強くといえる。

(いよいよさ)

 クラウチとカルカロフが来る。もしかしたら、来客の中にクィレルが紛れているかもしれない。

 ダンブルドアがいるとはいえ、彼らがどのようにして仕掛けて来るのかわからない。考え込むクローディアの肩に手が置かれた。手の感触に驚いて振り返ると、そこにはジョージがいた。

「立候補するなら、俺達が『老け薬』用意してやろうか?」

 耳打ちしてくるジョージに、クローディアは頭を振るう。

「立候補はなんて、しないさ」

「なんだ、立候補の方法に悩んでいるのかと思ったぜ。もし、俺達の方法が通じたら、君にも分けるからな」

 ウィンクしたジョージは、すぐにフレッドを見つけて行ってしまった。

(気楽なもんさ……)

 無邪気に対抗試合を楽しめる彼らにクローディアは若干、苛立った。

 

 掲示板の報せから、管理人・フィルチが神経過敏になっていた。城中の到るところが清掃され、肖像画達はブツブツ文句を述べる。教職員も緊張は避けられない。教頭でもあるマクゴナガルは『変身術』の成果が悪い生徒を居残りさせた。スネイプはルーピンの体調管理を徹底的に監視するため、授業以外は着いて回っていた。

 シリウスも手紙でハリーに警告を出し続けた。手紙が頻繁の来るようになり、彼は嬉しそうだ。

「今の保護観察者がシリウスと気が合うんだ。もしかしたら、僕らがホグズミードに行くとき、会いに行けるかもしれないって」

 浮かれるハリーにクローディアはシリウスへの嫌悪の表情を出さないように努力した。

「それよりも、クラウチ氏とカルカロフ校長については何か書いてないさ?」

「クラウチ氏についてはシリウスは心配してないみたい。けど、カルカロフには注意しろだって、マッド‐アイが呼ばれたのも彼を牽制するために違いないからって」

 コンラッドとシリウスが一致するなど意外だ。それでもクラウチへの警戒はやめるわけにはいかない。元『死喰い人』のカルカロフへの見解は、早々異なっているのは自然だろう。

「けど、クローディア。よくカルカロフのことを調べ上げたね。そういう情報って隠蔽とか誤報が多くて、正確な情報は少ないって、シリウスも驚いてたよ」

「ああ、友達に情報筋がいるのさ。今度、紹介するさ」

 生徒達は祭りの準備をする高揚感で心を弾ませていた。

「優勝したら、どうするんだ? セドリック。まさか、全額病院に寄付とかするなよ」

「そう言うおまえはマグルの学校の学費にするつもりだろう?」

 まだ立候補すらしていないロジャーとセドリックが賞金の使い道を話していた。彼らだけではない。立候補を決めた生徒のほとんどが、夢を語っていた。

 

 待ち望まれた10月30日。

 大広間は昨晩の内に飾りつけが施されている。4つの寮を象徴する上質な絹を織り込んだ垂れ幕が壁を覆い、教員席にはホグワーツの紋章『H』をそれぞれの動物、獅子、鷲、穴熊、蛇が団結を示すように囲っている。

 フレッドとジョージは朝から、寮席の隅でこっそりと会議していた。

「最近、フレッドとジョージは2人でこそこそしているよ」

「当選する方法だろうさ」

 耳打ちしてくるロンにクローディアは当然と返す。しかし、ハリーが否定した。

「それなら、リーも一緒のはずだ」

「本人達が話したがらないから、聞く必要はないさ。私らも聞かれたら困ることあるさ?」

 クローディアがハリーに返している間に、ロンがさっさと双子へ近寄った。

「確かにそれは当て外れだ」

「あいつにこれ以上、無視させはしない。いつまでも僕らを避けさせて堪るか」

 遠慮なく、ロンは双子に話しかけた。

「誰が避けてるんだい?」

「おまえだよ」

 フレッドが迷惑そうなにロンをあしらった。非常に珍しい態度だ。どんなに素行や成績を責められても、その場を茶化すなどして皆を楽しませる。罰則を言いつけられても、ここまで露骨にならないはずだ。

「ロン。フレッドとジョージも緊張しているんだから、あんまり突っ込んでやるなさ」

「そうそう、クローディアの言うとおりだ。俺たちのピュアなハートはガクガクのブルブルだ」

 ジョージがわざとらしく、痙攣する。

「そういうや、万が一、選手3人が決着をつけられなかったら、どうするんだろう?」

 調子の良いフレッドは誰に聞くわけでもなく口にする。

(決着……)

 その言葉がクローディアの胸をざわつかせた。不安のようで焦燥に似た恐怖とも言える。

「過去の記録を読むと得点制になっているから、3人とも同点にはならないでしょうね」

 ハーマイオニー達が話を進める中、クローディアは早まる鼓動を押さえ込むのが精一杯であった。

 

 時間が近づくにつれ、期待と興奮が募ってくる生徒達は段々と落ち着けなくなる。

 クローディアも落ちつけないが、それは胸中に苛立ちが募るからだ。もしも、クィレルが現れたら、どうすればよいのか、具体的なことは何も決めていなかった。

(自分なりの決着……)

 真っ先に思いついたのは嫌なことにシリウスだ。彼はペティグリューに裏切られ、死の制裁を加えようとした。

 それがシリウスなりの決着だった。ハリーも彼を親の仇として殺そうと考えていた。

(私も……そうなる?)

 衝動的とはいえ、クローディアはシリウスを殺そうとした。ムーディの『死の呪文』により、命を落とした哀れな蜘蛛。そんな死を確かに望んだ。クィレルにも同じ死を求めてしまうのかと自問する。

(私は……クィレルを……)

 脳裏に浮かんだのは、かつて参列したオバサンの葬儀だ。納棺されるオバサンは、生前の面影がなかった。そして、コンラッドのあの表情だ。

 胃が刺激され、吐き気に襲われた。

 『闇の魔術への防衛術』が30分早く終了し、皆は我先に教室を出て行く。しかし、クローディアは終了の鐘が聞き取れず、苦悩しつづけた。まるで通夜の席のように沈痛な雰囲気のクローディアに、パドマとリサは戸惑いながら声をかけようとした。

 その前に、ルーピンがクローディアの肩を叩く。

「クローディア、少しいいかな?」

 ようやく我に返ったクローディアは教室内を見渡す。困り顔のパドマとリサがクスクスと笑う。状況を察したクローディアは、羞恥で顔を真っ赤に染め上げる。

「あれ? す、すみません。もう授業が終わったのですね? はい! 歓迎の準備に行きます!」

「パドマ、リサ。クローディアの荷物を持って行ってくれるかな? 少し彼女と話すから」

 慌てて席を立ったクローディアをルーピンが引き止め、彼女の荷物を2人に渡す。

「はい、かしこまりました。クローディア、先に行っておりますわ」

 暖かな視線を向けるリサは、困惑するパドマを連れて教室を出て行く。

 今日の講義をクローディアは一切、聞いていなかった。咎められる覚悟をし、深呼吸する。ルーピンは彼女を席に座らせ、お互いの目線が同じ高さになるように屈んだ。

「クローディア、何に悩んでいるかは知らないし、詮索もしない。ただ、これから来る客人は親睦の為にやってくるんだ。決して、君や君の友達を傷つけることが目的じゃない。わかるね?」

 我が子を落ち着かせるような口調に、暖かさを感じたクローディアは羞恥心で熱が上がる。来客する生徒達は純粋に対抗試合を楽しみにやってくる。それを頭ごなしに敵だと決めるのは、確かに失礼だ。カルカロフも警戒を怠らないようにすればいいだけだ。

「すみません、気をつけます」

「そろそろ、時間だ。行きなさい」

 笑みを見せるルーピンはクローディアを支えるように立たせた。彼の横顔を眺め、胸に痞える気持ちを質問に変えた。

「ルーピン先生、『闇の印』は……何かの前触れだと思いますか?」

「今は忘れなさい」

 それ以上、ルーピンは言葉をくれなかった。

 

 玄関ホールでは寮監による生徒の整列が行われていた。身だしなみを点検し終えた寮から、順番に城の外へと連れて行く。レイブンクローはクローディア待ちだった。

「ミス・クロックフォード、後は貴女だけですよ。はい、これで全員ですね。1年生から、付いてきなさい」

 甲高い声でフリットウィックが寮生を導く。しかし、寮監は歩幅が短い為、なかなか前に進めなかった。

 これから冬に入る時期の夕方は寒い。

 青い空に浮かぶ残月が夜の輝きを得て美しい灯りとなる。

 他校の魔法使いが如何なる登場をやってのけるのか、皆、期待が高まりすぎて静粛などしていられない。段々と私語が多くなり、マクゴナガルが注意を込めた咳払いを何度も行った。

 暗闇と寒気に包まれ、ダンブルドアが嬉しそうに声をあげる。

「そおれ! お出ましじゃ! あれはボーバトンじゃな」

 空を仰ぐダンブルドアに全員の視線が騒ぎ出す。

「あそこだ!」

 アンソニーが『暗黒の森』の上空を指差さす。目を凝らすと、黒い点が近づいてくる。段々とそれが家のような馬車だと視認する。しかも、馬車を引いているのは十二頭の天馬だ。馬よりも巨大な図体で翼をはためかせる音が聞こえる。

(本物の天馬さ!)

 漫画の世界から抜け出してきたような生物の登場にクローディアは興奮した。

 教員側からハグリッドが巨大な方向旗を手に前に出る。方向旗を振り回し、家馬車を誘導する。誘導を受けた家馬車が優雅に着陸した。その衝撃で生徒のローブが捲れ上がった。ネビルは体勢を崩して地面に倒れこんだ。

 巨大な馬車に圧倒されていた生徒達は中から現れた女性を呆然と見上げる。

 

 ――デカイ。

 

 おそらくハグリッドよりも長身にして大柄な女性だ。しかし、高価な衣服と飾られた宝石が高貴かつ洗礼された淑女を思わせる。その後ろを淡い水色のローブを纏った男女生徒が付き従う。皆、何処か気品を感じさせる仕草を見せた。

 ダンブルドアの拍手に倣い、全員が拍手する。拍手を受けた女性は柔らかい表情で微笑み、彼へ片手を差し出した。

 その手を取ったダンブルドアは紳士的にその甲へ口付けた。

「マダム・マクシーム、ようこそホグワーツへ」

「ダンブールドル、おかわりなくーなによりです」

 ダンブルドアに挨拶され、オリンペ=マクシームは礼儀正しく挨拶を返した。

 途端に湖から水しぶきが上がった。驚いて湖の方角を皆が注目した。湖の中から、古風な船が浮上していた。映画に出てくる海賊船を彩った豪華客船だ。

「あれがダームストラングの……船かしら?」

「どうやって湖に来たの?」

 囁きあう生徒達を余所に、逞しい体格の男女が下船してくる。誰もが分厚い外套を着込んでいた。ただ1人、銀色の上等な毛皮の外套の男が先頭を進む。

「ダンブルドア! しばらくだ!」

 痩せた山羊髭の男がダンブルドアに朗らかな口調で挨拶し、握手を交わした。

 それを目にしたクローディアの血潮が一気に沸騰する。

(あれがイゴール=カルカロフ……)

 警戒優先順位が最も高い、元『死喰い人』。

 決して忘れぬようにクローディアはカルカロフの姿を己の眼球に焼き付けた。

「見て! あれはクラムよ!」

 サリーがお得意の黄色い歓声を上げて叫んだ。カルカロフの隣にはワールドカップの選手だったビクトール=クラムが確かにいた。他のダームストラング生のように制服を着込んでいる。

「うへえ! ビクトール=クラムって……学生なの!?」

 ネビルが一際大きな声で叫んだ。それはクローディアの心情を代弁していた。

 

 寒かった外に比べ、大広間は暖かい。

 ボーバトン生はレイブンクロー席を選んで座る。たまたま、クローディアの真正面に座ったボーバトン女子生徒は容姿端麗の美少女である。手入れの行き届いた銀に近い金髪を背中に流し、玉のように丸い青い瞳は男子を魅了する。

「クローディア、その場所は俺が座るよ」

「ちょっと待て、今日の俺はそこに座りたいんだ」

 テリーがクローディアを押しのけて座ろうとしたが、エディーと揉めだした。他校の賓客の前と合って、ペネロピーが2人に注意した。

 結局、クローディアはその場所から動く必要はなかった。

 ダームストラング生は二重扉の前で戸惑いながらスリザリン席を選んだ。ビクトール達が自分の近くに座ったことが嬉しいのか、ドラコは自慢げに他寮の生徒に視線を投げていた。

 全校生徒の着席と同時、教員も自らの席に向かう。

 すると、見計らうように教員席の後ろの戸が開く。魔法省のクラウチとバグマンが姿を見せた。2人は用意されていた席に堂々と座り込む。

(……本当に、干渉しに現れたさ)

 教員席を見渡すフリをして、クローディアはクラウチを睨む。彼はワールドカップの時とは違い、魔法使いの服装だ。それでも神経質な程に身だしなみが整えられている。反対にバグマンは奇天烈な格好だ。自由奔放が服を着ていると言うべきだ。

「ルード=バグマンよ。どうして、ホグワーツに?」

 パドマが怪訝する。

「お祭り好きだから、見学じゃないの?」

 嫌そうにクララはバグマンを一瞥する。

 全員の着席を確認したダンブルドアは全ての人々に挨拶を述べる。

「3校対抗試合はこの宴が終わると正式に開催される。さあ、それでは大いに寛いでくだされ!」

 空だった皿に豪華な料理が添えられ、誰もが空腹のあまり、食らいついた。

 ホグワーツの生徒は来客の存在に興奮し、落ち着いて食事が出来ない。しかも、見慣れない外国料理に食べ方がわからず苦戦する生徒もいた。

(これがエスカルゴさ……。これで貝を押さえて、取り出すさ?)

 カルカロフへの警戒で食欲はあまりなかったが、クローディアも苦戦しつつも、食事をする。だが、目の前のボーバトン女子生徒は細身の体形とは裏腹に大食だ。自分の好物がなくなると、他寮の席から譲ってもらいおかわりしていた。

「すっげえ、マーカスより大食いの女子なんて初めて見た」

「僕はそんなに食べてないぞ」

 バーナードにからかわれたマーカスが悪態付く。しかし、マーカスの皿は山のように盛りつけられていて、説得力がない。

 

 デザートが終わり、金の皿が綺麗に空となる。

 同時にダンブルドアが立ち上がった。それが試合の開幕と受け取った生徒の何人かが、全身が高揚し、唾を飲み込む。

 今度は燕尾服を着たフィルチが4人の男を従えて入場した。4人は繊細に彫刻された奇妙な箱を神輿のように担ぎ、教員席前へ慎重に設置した。管理人の指示で男達はすぐに大広間から下がった。

 ゆっくりとダンブルドアは奇妙な箱へ手をかける。

「時が来た」

 厳粛かつ壮大な物語を語るように、ダンブルドアの口が開かれる。

「三大魔法学校対抗試合は、まさに始まろうとしている。それにはこちらのお2人が尽力下さったおかげじゃ。知らぬ者の為にご紹介しよう。『国際魔法協力部』部長バーテミウス=クラウチ氏、『魔法ゲーム・スポーツ部』部長ルード=バグマン氏じゃ」

 クラウチは全校生徒を見渡し、儀礼的に会釈する。それに見合う堅い拍手が送られた。バグマンは爽やかな笑顔で、手を振る。彼を英雄視する生徒達が盛大なる拍手を送った。

「バグマン氏とクラウチ氏はマダム・マクシーム、カルカロフ校長、そしてわしと共に代表選手の健闘ぶりを評価する審査委員会に加わって下さる。3つの課題は既にクラウチ氏とバグマン氏が検討し、その為に必要な手配もして下さった」

 説明を終え、ダンブルドアは杖を奇妙な箱に向ける。

 すると、箱は外装が溶けていくように消え去り、古びた銅細工のゴブレッドが現れた。だが、その杯から白く青い炎が妖しく揺らめいている。神秘的な炎の動きに生徒の緊張が増す。

「代表選手を選抜するのはこの『炎のゴブレッド』じゃ」

 一気に興奮が体中を駆け巡る。

「代表選手に名乗りを上げたい者は羊皮紙に名前と所属校名をはっきりと書き、このゴブレッドに入れなければならぬ。今より24時間の内じゃ。明日の宴にて、ゴブレッドは代表選手に相応しい名を3名、返してくれる」

 想像もつかない選抜方法に、クローディアの心さえも躍ってしまう。

「さて、年齢が達していない生徒の為にゴブレッドの周囲には、わし自らが『年齢線』を引いておく。これを17歳以下の生徒は決して越えられはせん」

 この時だけ、ダンブルドアは得意げであった。

「尚、選ばれた生徒はその瞬間から強力な魔法契約に縛られる。途中で投げ出すことは決してできん。軽い気持ちでゴブレッドに名を入れてはならんぞ」

 それは立候補する全ての生徒に対する確認に思えた。

(逃げ出すことは出来ないから、戦うしかない……)

 クローディアはムーディの講義を思い返した。

「さあ、寝る時間じゃぞ。ゆっくりと眠るが良い」

 就寝を告げるダンブルドアに従い、新監督生が新入生を引率する。

 ボーバトン生とダームストラング生は、各々の校長に従い、大広間を出て行く。カルカロフはビクトールを我が子のように気遣っていた。

 

 緊張した宴で疲労した生徒は自室に戻り睡眠を取る。

 寝台へ横になっていたクローディアは眠りにつけずにいた。代表選手に立候補する気はないが、美しい『炎のゴブレッド』を見せ付けられ、気が高ぶっている。そのせいで意識が眠らない。

 寝台の下でベッロが寝息を立てている。恨めしいものだ。

(……誰が入れにくるのか、見張ってるさ)

 不意な思いつきだが、少し興味が湧く。簡単な衣服に着替えたクローディアは、談話室に降りる。すると、足音を忍ばせた生徒がドアノッカーの謎賭けに答えて談話室に入ってきた。クローディアは自分に杖を向け、影へと変身する。家具の陰に紛れて、相手を確認する。

 ペネロピーであった。口元がニヤけている。

(……結局、立候補したさ…)

 あれだけ見学組みだと宣言しておきながら、予想通りといえば予想通りだ。閉じかけた外への扉を通り、外に出る。

 暗く静寂な廊下を進む。絵の住人は本来なら就寝中だが、誰もが起きている。そして、自分の絵を抜け出し、大広間付近の絵を訪ねていた。住人が多すぎて、絵の中に収まり切れていない。絵の会話を聞き取ろうと、耳を澄ませる。

「これで10人目、今のところ、ボーバトンの子が多いですな」

(10人……、意外と少ないさ。あ、誰か来たさ)

 

 ――カツンッ。

 

 足音が廊下に響く。杖を突いて歩く義足の足音はムーディだ。夜のせいか、一段と不気味さを増している。

 念のためにクローディアは柱の影へと身を潜める。

 しかし、ムーディはクローディアがいる柱の前で、ピタリと止まった。

「そこの貴様、おもしろいことをしているな」

 柱に向かい、ムーディは歪んだ笑みを見せる。

 驚愕のあまりクローディアは、悲鳴をあげそうになる。しかし、影は口がないので、幸いした。発見された緊張感、変身を見破られた衝撃で影の心臓も脈打っている。

「わしはあくまで、選手の不正を暴くのが仕事だ。時間外に寮を出た生徒の面倒など、いちいち見てられん。……それを聞いても、わしに姿を見せる気がないのなら」

 手にしている杖を柱に向けた。危険を感じたクローディアは、すぐに柱を離れる。壁を伝い、絵の後ろに隠れながら、ムーディとの距離を開く。

「やはり、そうか! 貴様の変身は少々大雑把だ。この目で見通せるが、実に興味深い!」

 唐突にムーディの杖から光線が飛び出た。瞬間、脳裏を過ぎったのは、ルーピンがペティグリューにかけた魔法だ。

 きっと、ムーディは誰が変身しているのかまでは、見破れていない。故に杖を向けている。瞬時に悟り、クローディアは絵の影を突っ切り、ひたすら逃げた。

 無論、ムーディも義足を激しく鳴らし、追い回してきた。

 途中で巡回していたフィルチがムーディとぶつからなければ、確実に掴まっていた。

 仕事熱心なフィルチにクローディアは胸中で感謝を述べた。

 




閲覧ありがとうございました。
●オーエン=コールドウェル、ケビン=ホイットビー、グラハム=プリチャード、マルコム=バドック、ナタリー=マクドナルド、エマ=ドブス、オーラ=クァーラ、スチュワート=アッカリー
 原作四巻にて、儀式で呼ばれた生徒。
●ネイサン=ブラッドリー
 原作六巻にて、苗字のみ登場。
●ナイジェル=ウォルパート
 映画版オリキャラ。映画でオリキャラ作るなら、デニス出してあげてよ!



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8.四枚目の羊皮紙

閲覧ありがとうございます。
『炎のゴブレッド』って、響きがかっこいいと思います。


 大広間に設置された『炎のゴブレッド』の周囲に、立候補できない生徒がお祭り気分で見学している。誰が入れたのかを興味があるのだ。

「僕だったら、皆が寝ている間にゴブレッドに名前を入れるよ。だって、落選したら恥ずかしいもの」

 ハリーがロンと興奮した様子で見学する。

 クローディアとハーマイオニーは、ハリーとロンに無理やり連れてこられたに等しい。

 完全に興味のないハーマイオニーはクローディアと協力して作った【改訂ホグワーツの歴史】の草案に読み耽る。

 その隣でクローディアは、昨夜のムーディに怯えながら、周囲を警戒していた。

「行けよ。セドリック!」

 アルフォンス達がセドリックの背を押しながら、現れる。

 セドリックは緊張しつつも、『年齢線』を越えて羊皮紙をゴブレッドに入れた。その後、ザヴィアー達に押されたロジャーが羊皮紙をゴブレッドに入れる。

「やった! 完成したぞ!」

 踊りながらフレッドとジョージ、リーが大広間へ飛び込んできた。フレッドの手には、小瓶が握られている。

「「『老け薬』だ。1人1滴。数カ月分、歳が取れる」」

「これで『年齢線』を誤魔化せる!」」

 はしゃぐ双子にリーが続く。周囲の生徒は興味に惹かれて拍手を送った。

 小ばかにしたようにハーマイオニーがクローディアに問いかける。

「あんなの効くかしら?」

「効いたら、私も飲むさ」

 せせら笑いクローディアが答える。

 そんなこともお構いなく、フレッドは1滴、口に入れる。続いて、ジョージも1滴飲んだ。双子は液が喉を通る感触を味わってから、2人同時に『年齢線』を飛び越えた。

 飛び越えはした。

 

 ――刹那。

 

 『年齢線』が浮かび上がり、轟音と共に双子を円の外へと投げ飛ばした。双子は二重扉に激突し、床に倒れ伏した。しかも、双子の顔が白い髭と髪に覆われ、老人と化していた。

 様変わりした双子の姿に大広間を爆笑が包み込む。双子を様子見していたリーも腹を抱える。

 フレッドとジョージはお互いを掴み合う。罵りあいながら、揉めだした。本気の取っ組み合いというより、ふざけあっている。

 その様子を達観したクローディアとハーマイオニーは呆れて息を吐く。

「クローディア、ハグリッドのところに行かない?」

「賛成さ」

 大広間を後にする彼女達は二重扉でアンジェリーナと擦れ違った。

 線の効果を目撃し、クローディアは不意に思いつく。

「思ったんだけどさ。円を越えられないなら、その手前から投げればいいんじゃないさ? 野球ボールに羊皮紙を包んで、っぽいっと!」

「あら、ユニークな案ね。『年齢線』を越えるよりは現実的だわ」

 勿論、2人は冗談を口にしていた。

 そんな会話を偶々集まっていたパドマやセシル、はたまた、ネビルやシェーマスに聞かれていたとは、知らなかった。

 その後、大広間ではゴブレッドに向かってボールを投げつける生徒が後を絶たなかった。デニスのシュートが見事に命中したが、羊皮紙は吐き出されて白髪の老人にされた。

「こらあ! 繊細なゴブレッドに何さらすかあ!?」

 そんな生徒達は激怒したフィルチに追い回された。ゴブレッドの様子を見に来たダンブルドアは阿鼻叫喚の様子に笑顔が引き攣っていたという。

 仕舞いには【ゴブレッドに物を投げつけないで下さい】という注意書きが貼られる事態にまで発展した等、クローディア達は知らない。 

 

 ハグリッドの家より、少し離れた所に家馬車が固定されている。彼は十二頭の天馬に青々とした草を与えていた。天馬は完全に手懐けられ、親しげに擦り寄っている。

「もうすっかり、ハグリッドが天馬のご主人さ……」

「ハグリッド!」

 ハーマイオニーの呼びかけに、ハグリッドは大きく手を振るって返す。

「久しぶりだな。俺の住んどるところを忘れちまったかと思ったぞ」

 憎たらしい皮肉にハーマイオニーは苦笑する。ハグリッドの言葉通り、新学期が始まってから授業以外で訪れていない。

「私達、とっても忙しかったのよ」

 2人とて、来たくなかったのではない。課題レポートやらで、来られない状態が続いたのだ。反論するハーマイオニーにハグリッドは悪戯っぽく笑う。

「冗談だ。おめえさん達が頑張っとることは、よ~く知っとる」

 家の戸を開き、ハグリッドは2人を招こうとした。

「あれ? ハリーとロンがこっちに来るさ」

 クローディアが城の方角を指差す。全速力のハリーを必死にロンが追いかけてくる。否、彼らは競争しているだけだ。結局、ハリーが先に着いた。

「……ハグリッドに、会いに行くなら、声かけて……」

 肩で息をするハリーは膝に両手をついているだけだが、ロンはそのまま地面に倒れこみ息を荒くしている。

 仕方なくクローディアがロンの背中を擦る。

「フレッドとジョージはどうしたさ?」

「リーが医務室に連れて行ったよ……」

 弱弱しく答えるロンをハグリッドが抱き起こす。

 家には元気よく吼えるファングと、当然のように寝台を占領しているベッロがいた。

「今朝から見ないと思ったら……」

 呆れたクローディアが呟くとベッロは首を動かす。何か話したらしくハリーが反応した。

「クローディアが授業や部活ばっかりで、遊んでくれないから、ここに来ているんだって」

「いつも勝手にウロウロしてるさ。ハグリッド、迷惑ならいつでも追い出すさ」

 ベッロの頭を掴んだクローディアがハグリッドを振り返る。彼はただ笑うだけで、お茶の仕度に取り掛かる。それを見たベッロが彼女の手を振り払い、手伝いに入る。

 食卓に着いたハリーが室内を見渡し、疑問する。

「ハグリッド、バックビークはどうしたの?」

 ハリーの疑問にクローディアとロンも気づいて小屋内を見渡す。昨年度、ハグリッドはバックビークを室内で飼育していた。ファングが非常に迷惑を被っていた。

 ヤカンをポットに注ぎ、ハグリッドが振り返る。

「もうちっと早く気づいて欲しかったな。バックビーグは元気にやっとるよ。天馬達を驚かすといけねえから、『暗黒の森』に住んじょる」

 安心した4人は胸を撫で下ろす。ハグリッドは紅茶をカップに注ぎ、ベッロが4人に配る。

「それで? おめえさん達は立候補してねえだろうな?」

「出来ないさ。ハグリッド、『年齢線』の威力は確かさ。さっきもフレッドとジョージが失敗したさ」

 わかりきったようにハグリッドは頷く。

「そうだろう、そうだろう。今朝も『老け薬』で年齢を誤魔化そうとした生徒がいたが、しくじって老婆になってたな。どいつもこいつも校長先生の『年齢線』を甘くみちょる」

 確かにそうだ。しかも、『年齢線』だけを乗り越えることしか、考えていない。厳重に保管されていた『炎のゴブレッド』にも、条件に満たない生徒を退ける魔法がかけられているに違いない。二重の防壁を突破できる生徒などいない。

「万が一……、出し抜けて選ばれたらどうなるんだろう?」

 ハリーの何気ない問いに、クローディアも何気なく答える。

「後戻りは、できないさ」

 

 腕時計が正午を指した。折角なので、ハグリッドは手料理を振舞う。彼の隣でベッロが鍋から巨大な鉤爪を取り除いていたので、4人の食欲は激減した。

 ハグリッド特製ビーフシチューは不味くはなかったが、美味しくもなかった。

「アンジェリーナがゴブレッドに名前を入れてたよ。つい先日、17歳になったんだって」

「セドリック=ディゴリーとロジャー=ディビィーズも、ゴブレッドに名前を入れていたわ」

 ロンとハーマイオニーがハグリッドに候補者を教える内に、昼食が終わった。

 不意に戸がノックされた。ファングが扉に向かって吼えるので、ハグリッドが宥める。

「ファング、伏せてろ。今、開けるぞ」

 口元をテーブルナプキンで拭ったハグリッドが戸を開く。その巨体で戸の向こうが見えないが、彼の応対から初対面らしい。

「クローディア、おめえさんに客だ」

 呼ばれたクローディアは驚きながらも急いで紅茶を飲み干す。衣服を軽く叩いてから、ハグリッドの前に出た。

 小屋の外にいたのは分厚い外套を脱ぎ、真紅のローブを晒したダームストラング男子生徒だ。濃い茶髪を肩まで伸ばし、毛先だけ無数に編んでいる。細身だが、逞しい体格は雄雄しい印象を与える。目が細すぎて開いているのか、疑問だ。

(誰さ?)

 昨日の歓迎の宴でも、ビクトールやカルカロフが目立っていた。正直、他の生徒のことは印象に残っていない。それを察してか、男子生徒が先に口を開く。

「はじめまして、クローディア=クロックフォードさん。僕はスタニスラフ=ペレツと申します。以後、お見知りおきを」

 訛りは強いが、発音の良い英語だ。

 丁寧に挨拶されたクローディアは礼儀に倣い小屋の外に出てスタニスラフの前で、一礼する。

「こちらこそ、よろしくお願いします。それで私に用件とは何でしょうか?」

「僕の曽祖父イリアン=ワイセンベルクが貴女の祖父と同期でした。ホグワーツ城に滞在の際、必ず貴女に挨拶するように申し付けられました」

 納得したクローディアはスタニスラフの挨拶をトトへ報せる旨を告げる。

「折角だから、ホグワーツの敷地内を案内しましょう。『暗黒の森』とか立入禁止の場所を教えてあげないと危険だわ」

 様子を窺っていたハーマイオニーが2人の前に出る。クローディアはスタニスラフに彼女を紹介する。

 遠慮がちだったハグリッドとハリー、ロンも紹介し、スタニスラフは緊張したように表情を強張らせた。

 理由はハリーだ。

 スタニスラフの視線は、ハリーの額の傷に釘付けになる。

「それでしたら、僕のほうからも誰か連れて来ましょう。お手数ですが、玄関ホールにてお待ち下さい」

 急ぎ足でスタニスラは湖の方角へと向かう。彼の背を見つめ、ロンが期待を込める。

「ビクトール=クラムを連れてきてくれないかな? それだと僕、張り切って案内するぞ!」

 勝手に叫んでいるロンを放置し、クローディアとハーマイオニー、ハリー、ハグリッドは玄関ホールに向かった。ファングとベッロは、否応なく留守番だ。

 

 だが、ロンの要望は叶えられた。

 スタニスラフは本当にビクトールを連れて戻ってきたのだ。他の生徒は代表選手への緊張が抜け切れないので遠慮したのだ。

「案内しぃてくれることをうれしぃく思います。よろしぃくお願いします」

 たどたどしい英語だが、言葉に力がある。

 ビクトールの登場にロンは興奮しすぎて赤面する。恋する乙女のように手先が震えていた。

 ロンの気持ちはハリーにもわかる。世界最高シーカーが目の前にいる。自身もシーカーであるハリーに緊張するなというのが無理がある。

 ビクトールは平然としていたが、やはりハリーの傷を何度も盗み見ていた。

 

 結局、案内したのはクローディアとハーマイオニーとハグリッドだ。

 廊下を歩くと、周囲からの視線が痛い。興味と驚きはわかるが、せめて声をかけて欲しい。ハグリッドは、他校の生徒を案内する役割に誇りを持ち、足が弾んでいる。そのせいで廊下を地響きが襲った。

「ここが医務室だ。マダム・ポンフリーが治療してくれる。ちょうど、何人か入院中だな」

「ここが図書館だ。マダム・ピンスは、おっかねえから静かにな」

「ここが職員室だ。質問があるなら、ここに来るといい。必ず誰かがいる」

「ここがトロフィー室だ。歴代の受賞者の名がここで確認できるぞ」

 本当に学校案内になり、クローディアとハーマイオニーは口を挿む隙がない。

 仕方なく、クローディアはスタニスラフに声をかける。

「ペレツは、部活動はなさっているのですか? 私はバスケ部に所属しています。マグルの競技で私の得意なものです」

 案の定、スタニスラフとビクトールはバスケを理解できず、困惑していた。実践あるのみ、クローディアはバスケ部の部室へ全員を連れ込んだ。

 一見、ただの使用されない教室。クローディアが杖を振るう。教室が広がり、積み上げられた机や椅子をバスケットボールや器具へと変身させられる。その手際にビクトールは感心していた。

 クローディアが手本を見せると、スタニスラフは興味を持つ。ボールを手にし、床に跳ねて感触を確かめた。ただ立ち尽くすビクトールにハーマイオニーが説明を加える。

「バスケ部は校内でも人気があるわ。『マグル学』のバーベッジ先生が顧問をしているのよ」

「僕も出来るんだぜ」

 目立とうとロンがボールをゴールに投げつけたが、ボールはバックボードを跳ね返る。しかも、跳ね返ったボールはビクトールめがけて飛んだ。ハーマイオニーは警戒したが、彼は物ともせずボールを片手で受け取った。

 流石の運動神経にクローディアは素直に感心する。ロンは失態を演じ、羞恥で顔を真っ赤にした。

 

 粗方、城内の案内が終わり、玄関ホールへと戻る。

「ありがとうございました。僕らの学校にはない設備に感心しました。では、宴の席でお会いしましょう」

「ありぃがとうごじゃいました」

 お互い愛想よく挨拶し、スタニスラフとビクトールは湖の方角へ歩いていく。

 時計を確認したハグリッドが小さく頷く。

「あと1時間で宴だ。生徒は全員ローブに着替えることになっちょる。俺も着替えてくるぞ。また後でな」

 案内をやり終えた達成感でハグリッドは家に帰っていく。クローディア達も制服に着替えるため、それぞれの寮に戻る。

「ねえ、ねえ! ビクトール=クラムと何をしてたの!?」

 寮の談話室でクローディアを待っていたのは女子生徒からの質問攻めだった。

 何故、ビクトールと歩いていたのか? ビクトールと何を話したのか? ……など。

 一から説明することが面倒なのでハグリッドの学校案内に付き添っただけだと説明した。

「そういえば、ミムが立候補するとか言ってたけど、どうしたか知らないさ?」

 クローディアの質問にチョウがマリエッタと顔を見合わせ、くすくすと笑い出す。それだけで、ミムが『年齢線』を越えて、しっぺ返しを食らったのだと理解した。

 当事者のミムにその話しをしようものなら、容赦なく杖を突きつけられた。

 

 ハロウィンの装飾が美しい大広間は既に満員。

 クローディアの向かいには昨日と同じボーバトンの女子生徒が座っている。レイブンクロー男子生徒の視線は、彼女に注がれていた。

 教員席にはムーディの姿もあった。昨晩のことがバレていないことをクローディアは、ただ祈る。そのついでに教員席を見渡す。昨日に続いての大事な催しに誰もが緊張している。

(あれはルーピン先生さ?)

 ムーディの隣に座るルーピンにクローディアは少なからず驚かされた。

 ルーピンは普段の古びた衣服ではなく布地のしっかりした服を着込み、ボサボサの髪は丁寧に櫛を通されている。

 整えられた身なりは、ルーピンの誠実さを際立たせた。

(……昨日は普段の恰好だったさ。流石に怒られたさ?)

 フィルチも燕尾服で盛装しているのだから、当然といえば当然だ。しかし、小奇麗な恰好のルーピンが珍しい。そのせいか印象も違う。

(……ルーピン先生って、ひょっとしてカッコイイさ?)

 その考えが脳裏を走ると、急にクローディアの胸の内が熱くなる。ルーピンと視線が合い、咄嗟に目を逸らしてしまった。

 自分勝手に気まずくなったクローディアはルーピンと一切目を合わせなかった。

 

 2日続けた豪華な食事を終え、デザートを平らげる。

 大広間にいる全員の食事が終わったことを確認し、金の食器達が忽然と消え去った。

 それと同時に3校の校長が席から腰をあげる。皆の口が自然と閉じた。静粛にしている生徒や教員の中でバグマンだけが落ち着かず、生徒に笑顔を振舞っていた。

 ダンブルドアが杖を振るうと、大広間の蝋燭が明かりを押さえ、薄暗くなる。中央に設置された『炎のゴブレッド』の青い炎が大広間を妖しく照らす。

「待ちに待ったときがやってきた。代表の発表じゃ。呼ばれた生徒はこちらの奥の扉から、隣の部屋へ行きなさい」

 待ちわびた宣言に誰もが全身を奮わせる。

 『炎のゴブレッド』の炎が一層、激しさを増して燃え上がり、吐き出されたように1枚の羊皮紙が宙へと舞い上がる。

 あれに代表の名が書かれている。両手を組み、祈る生徒が現れる。

 その羊皮紙をダンブルドアが手にする。

「ダームストラング代表は、ビクトール=クラム!!」

 響き渡るダンブルドアの声、大広間を歓声が支配した。ビクトールは満足げに頷き、同校の生徒から祝福されていた。

 しっかりとした足取りで立ち上がったビクトールはカルカロフに熱く抱擁される。教員席の後ろの扉に導かれていった。

「よくやった! ビクトール!」

 カルカロフが一番喜んでいた。

 拍手が収まると『炎のゴブレッド』が再び燃え上がり、2枚目を吐き出した。

「ボーバトン代表は、フラー=デラクール!!」

 クローディアの向かいに座っていた女子生徒が優雅な仕草で立ち上がった。男性陣からの拍手に送られ、フラーはマダム・マクシームに肩を抱かれた後、扉の向こうに消えた。

 残るはホグワーツの代表のみ。

 3度目の炎が、最後の1枚を吐き出した。

「ホグワーツ代表は……」

 一瞬だが、長い時間。

「セドリック=ディゴリー!!」

 ハッフルパフから大歓声が上がる。セドリックは選ばれた感動で、拳を振り上げた。押されるように彼は立ち上がる。

 教員席に向かう彼をスプラウトが祝福の握手を交わす。

 拍手が続く中、クラウチが教員席に布で覆われた何かを慎重に置く。

「よろしい、これで3校の代表者が決定した! しかし、歴史に名を残すのはただ、1人。その1人だけが掲げ――――――」

 突然、ダンブルドアが言葉を切る。

 何故なら、教員席にいる全員がダンブルドアではなく、中央の『炎のゴブレッド』を怪訝そうに睨んでいるからだ。そして、生徒の視線も『炎のゴブレッド』に引き寄せられる。

 青い炎が赤くも燃え上がり、激しく唸っている。まるで苦しんでいるような印象を受けた。そして、炎は4枚目の羊皮紙を吐き出した。

 羊皮紙は宙を舞い、ダンブルドアの手に握られた。

「ハリー=ポッター……」

 ただの呟き、その呟きが聞き散れる程、大広間は静観していた。

 誰も口を開かない。だが、視線だけがハリーに集中する。耳を疑っていた彼は、己の中身が真っ白くなる感覚に襲われる。そして、ここが現実だと認識できなくなった。

 ――違う。自分は名前を入れていない。

 そう叫びたいが、口が動かない。

 誰かが背を押す。ハーマイオニーだ。視線だけで行くように示唆している。ハリーは、重い足で一歩一歩、ダンブルドアに近づく。

 ダンブルドアを見ていられない。足元だけを見る。

 マクゴナガルの手が優しくハリーの肩に触れた。それだけで、嬉しかった。

 

 扉が閉まると、ダンブルドアは大広間を振り返る。

「代表選手は、これより競技の課題についての注意事項を受ける」

 ダンブルドアが言葉を続ける中、喜び勇んだバグマンだけが忍び足で扉の中へ向かう。クラウチは布で包んでいた物を丁重に片付けた。

「皆は代表選手を激励し祝福し、応援すること! では、解散!!」

 早足でダンブルドアは扉へ進む。それに次いでクラウチ、カルカロフ、マダム・マクシーム、マクゴナガル、スネイプが突入していった。

 校長の姿が消えた途端、ハッフルパフ生が騒ぎ出した。

「ズルしたんだ!」

「彼は17歳じゃないぞ!」

 それに対抗し、グリフィンドール生はハリーを絶賛しだした。

「俺達のハリー=ポッターがダンブルドアを出し抜いた! やった、やった!」

 騒然となった大広間をムーディが一歩前に出る。喉に杖を押し当て、『音声拡張魔法』で叫ぶ。

「とっと寮に戻れ! 戻らん者は蝙蝠にするぞ!!」

 大広間の壁を反響した一喝、ムーディの杖が天井に向けられる。杖から光線が発せられると、空を見通す天井から雷鳴が響く。驚いた女子生徒が大広間から走り去る。それを合図に皆が我先にと二重扉を抜けて行った。

 騒々しい事態の中、クローディアだけは身動きひとつせず、席に座り込んでいた。その耳には己の心臓音しか聞こえない。緊迫して脈が速い。

(ハリーが選ばれた……違う。嵌められた、……ハリーを競技に紛れて殺すために、抜かった……、まさか……こんな手でハリーを狙う。しかも、これで死ぬことになっても誰も文句を言えない……)

 なんという卑劣。なんという策略。

 憤慨で指先が震える。

 クローディアは犯人に確信がある。イゴール=カルカロフ、奴に違いない。カルカロフを拷問し、真実を吐かせよう。自分は『服従の呪文』を知っている。抵抗されたなら、『磔の呪文』がある。

「クローディア」

 親しげな声をかけられ、クローディアは顔を上げる。深刻な表情のルーピンが見下ろしていた。

「部屋に戻りなさい」

「……ルーピン先生、ハリーは嵌められたんです」

 絞り出た声は震えている。

「クローディア、部屋に戻りなさい」

「ハリーは嵌められたんです!! そうでしょう! 『闇の印』の後にこんな偶然がありますか!」

 張り上げた声が大広間に響き渡り、他の教職員が驚いて振り返る。見かねたハグリッドがクローディアへ駆け寄った。

「クローディア、部屋に戻れ。ここに居ても何にも何ねえ。ハリーのことは心配すんな。ダンブルドア校長先生が良いようにしてくれる。だろ?」

 ハグリッドの暖かく大きな手がクローディアの背を撫でる。

 焦燥感が消えぬが、立ち上がるしかない。ハグリッドに押されて大広間を出た後、素直に寮へと帰った。

「聞きましたか、代表選手のこと……」

「ええ、ハリー=ポッターが…」

 廊下では絵の住人が代表選手の話題で持ちきりだ。

 

 寮の談話室に誰の姿もない。

「遅かったわね。マッド‐アイに蝙蝠にされたのかと心配したわ」

 悠々と『灰色のレディ』がクローディアの肩をすり抜ける。

「皆は寝たさ?」

 適当な問いかけに、『灰色のレディ』は嘆息する。

「ペネロピーが首席命令で就寝を言い渡したのよ。貴女がハリー=ポッターと友達だから、気を使ったのかもしれないわね」

 胸中でペネロピーに感謝し、クローディアも自室に戻る。

 部屋ではパドマとリサとペネロピー、クララ、ルーナがいる。寛いだ体勢の6人は、ベッロを撫で回していた。

 ペネロピーはクララと視線で言葉を交わし、起き上がる。

「クローディア、貴女の意見を聞かせて、今回のことをどう思う?」

 慎重に言葉を選ぶ。感情に任せた意見だけは、レイブンクロー生は納得しない。しかし、今のクローディアは脳内で文章が成立しない。

「ハリーは嵌められた」

 絞り出た言葉にクララは顔を顰める。

「根拠はあるの?」

 クララを一瞥し、クローディアは速くなった鼓動を落ち着かせるため、深呼吸する。

「ワールドカップに現れた『死喰い人』、その直後の『闇の印』、引退していた『闇払い』がこの学校にいること……」

「それだけ?」

 確認の意味でルーナが問う。

「皆に納得してとは言わないさ。でも……わかって欲しいさ」

 6人を見渡すクローディアの声は涙が混ざっている。この涙は激昂によるものだ。今回のことで、ハリーへの不信感を募らせるのに最適だ。

 それさえも計算していたのではないかと、クローディアは姿のわからぬ犯人に激昂する。

 ペネロピーはクローディアの肩に手を置く。

「私は貴女を信じる。ハリーじゃなくて、貴女をよ。首席として下級生にハリーを中傷しないように言い含めておくけど、期待しないで」

「……ありがとう」

 反射的に出た感謝の言葉にペネロピーは困ったように笑う。呆れたようにクララがクローディアの肩を軽く叩く。

「どうして、いつも貴女はハリーに振り回されるのかしらね」

 パドマとリサもクローディアの肩に飛び付いてくる。

「本当に困ったものだわ」

「くれぐれも無茶しないで下さい」

 ルーナがクローディアの体をペシペシと叩きだした。おそらく、心配しているのだ。 最初は軽かったが段々と痛くなってきたので、クローディアはルーナの手を失礼のないように退けた。

 




閲覧ありがとうございました。
皆さんは、ゴブレッドに物を投げつけないで下さいね。
●イリアン=ワイセンベルク
 トトの同級生というオリキャラが欲しかった。
●スタニスラフ=ペレツ
 ダームストラングのオリキャラが欲しかった。
●ビクトール=クラム
 世界最高のシーカーで、学生。学生なんですよね、彼。
●フラー=デラクール
 同級生も嫉妬する美貌の持ち主。人間関係大変そう。


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9.試練まで

閲覧ありがとうございます。
校長先生は言いました。選手を応援するように、と。

追記:16年3月2日、18年10月1日、誤字報告により修正入りました。


 湖を見渡せるブナの木の下は早朝のせいか少々肌寒い。

 木の根に腰かけ、クローディアはハーマイオニーと共にトーストを頬張るハリーの話を聞き入る。彼が話し終えるまで、2人は決して口を開かなかった。

 マダム・マクシームは頭ごなしにハリーによる不正行為だと決めつけた。カルカロフは、各校の代表が2名ずつになるように『炎のゴブレッド』を使おうと提案した。しかし、炎が消えてしまい不可能になった。バグマンはハリーの当選を祝福し、参加を認めた。

 カルカロフがダンブルドアによる不正を疑うと、スネイプはハリーの独断によるものだと主張した。マダム・マクシームがダンブルドアの魔法の効力が薄かったと責めると、マクゴナガルが否定した。

 ムーディが長年の経験から、ハリーは罠にかけられたと断言した。

 口論の果てにクラウチが『炎のゴブレッド』による魔法契約の力がある限り、ハリーも参加するしかないと宣言するに至った。

「セドリック=ディゴリーも……僕が皆を出し抜いたと思っているよ」

 大広間の裏での起こった詳細を述べたハリーは胸に痞えていた感情がまだ残っている。一呼吸置き、ハーマイオニーが開口する。

「貴方が入れたんじゃないことぐらい、わかっていたわ。校長先生に名前を呼ばれたときのあなたの顔を見ればね。……でも、問題はいったい誰が入れたかだわ」

「それと、何をするつもりかさ」

 付け加えるクローディアにハーマイオニーは頷く。

「クローディアは、やっぱりカルカロフだと思う?」

「勿論さ。本当なら、殴りこみに行きたいけど、慎重にしないといけないさ」

 微笑むクローディアは木にもたれかかる。苦笑するハーマイオニーが肩を竦める。

「慎重にしなくても殴りに行かないで、問題になるわ。それに私はルード=バグマンが怪しいわ。妙に落ちついているし、こうなることを期待していたような……」

 自分なりの考えを口にするハーマイオニーにハリーが不安げに問いかけてきた。

「ねえ、ロンを見かけた?」

 ハーマイオニーが口ごもりながら、朝食で見かけたことを告げる。

「ロンは、まだ僕が名前を入れたと思っているかな?」

 意外な言葉にクローディアはハーマイオニーを見やる。彼女は目を泳がせて口を動かす。言葉を選んでいるからだ。

 今朝のロンの姿をクローディアは知らない為、何とも言えない。

「そういうことじゃないのよ、ハリー……ロンは、貴方を信じてないんじゃないのよ」

「信じてないんじゃないって何?」

 怪訝そうなハリーに、ハーマイオニーは投げやりに言い捨てた。

「ハリー、ロンはね。嫉妬してるのよ!」

 キョトンとハリーは目を丸くした。少々、クローディアも驚いたが、ロンの心情に当てはまる言葉を思いつく。

「もしかして、劣等感さ?」

「ええ、そういうことよ。ロンはいつも、自分が目立たない。注目を浴びるのは、お兄さん達や貴方ばかり、でも、ロンは口に出さなかった。ずっと、それが限界を迎えたんだわ」

 ロンに落胆したハリーは息を吐く。

「傑作だね。ねえ、ロンに伝えてよ。いつでもお好きなときに入れ替わってやるって。何処にいても誰からもジロジロ見られる生活が好きなら、どうぞってね」

 憤りのあまり、ハリーは強く拳を握る。彼から有名人であるが故の苦悩を感じ取ったクローディアは居た堪れない気持ちになった。

「私は何も言わないわ。ハリー、自分で言いなさい。それしか解決できないわ」

 訴えかけてくるハーマイオニーに、ハリーは否定の意味で頭を振る。木の根から起き上がったかと思えば、力の限り叫んだ。

「それでロンが大人になるのを手伝えって? 冗談じゃない!」

 唇を噛んだハリーは城に向かおうとした。すぐにクローディアは引き止める。

「ど~こ行くさ?」

「ロンを蹴飛ばしに行くんだ」

「バカなこと言わないで、他にすることがあるでしょう!」

 ハーマイオニーが鞄から羊皮紙と羽ペンを取り出し、ハリーに手渡した。

「シリウスに手紙を書くの。昨晩の出来事を全部よ。クローディアもお父様に報せなきゃ、【日刊預言者新聞】に載る前に報せないといけないわ。今すぐよ!」

 ハーマイオニーに急かされ、クローディアとハリーはそれぞれの手紙を書く。

 クローディアは自分なりの考えを含めて書いたので、時間がかかった。ハリーは短文だったのか、早く書き終えていた。

 書き終えた頃、見計らったようにヘドウィッグがハリーの肩へと飛んできた。フクロウ小屋からこの場所の動きを察知したなら、優れすぎである。

「私の手紙もお願いするさ」

 ヘドウィッグの脚に2つの手紙を括りつけ、ハリーは空へと放った。

「カルカロフ達をベッロに引き合わせて検分させるさ。ベッロなら『炎のゴブレッド』に名前を入れた犯人がわかるだろうさ」

 ヘドウィックを見送り、クローディアはベッロを呼びに行こうとした。何かに気付いたように、ハーマイオニーが引き止めた。

「それは……、危険じゃないかしら? 例え、犯人がわかっても、ハリーの出場は取り消せないのよ。ベッロが犯人に飛びかかってごらんなさい。国際問題にまでなるわ」

「でも、このまま野放しにするわけにはいかないさ。あ、ベッロ」

 城から、ベッロがクルックシャンクスと競うように走ってくる。ハリーはベッロ、ハーマイオニーはクルックシャンクスをそれぞれ抱き上げた。

 早速、ハリーとベッロが『会話』する。

[あまりにも敵が多すぎる。ハリーへの敵愾心を持たない人間を探すほうが早い]

「『闇の印』……、ヴォルデモートと関わりがありそうな人物を特定はできないの?」

 縋るようなハリーの質問に、ベッロは首を横に振る。

[いろいろな企みが混ざっているというべき感覚だ。猫にも、一通り探らせたが、怪しいモノはいないそうだ]

 ベッロがクルックシャンクスを一瞥し、溜息をつく。絶望的な気持ちでハリーは2人に聞かせる。

「つまり、今回はベッロとクルックシャンクスでは判断できないってことさ?」

 当てにしていた分、クローディアは悔しさで拳を握る。だが、ベッロとクルックシャンクスに非はない。彼らは、あくまでも本能的に察知できるのだ。寧ろ、それに頼り過ぎていた。

「最悪ね……。でも、それを考えるとハリーを出場させようとしている人は『敵』ではないのかもしれないわ。ハリーにも、永久の栄光を与えようとしたとか……」

 冷静にハーマイオニーは推測を口にする。

「どっちにしろ、いい迷惑だよ」

 苛立ちを隠さず、ハリーはブナの木を蹴った。

 

 ハッフルパフ生のハリーに対する批判的な態度は翌日から始まった。

 ハリーだけでなく、他のグリフィンドール生にも降りかかった。コーマックとローレンスが『薬草学』の授業中、乱闘騒ぎを起こしたそうだ。

 現場を見ていたケイティ曰く、授業開始前にコーマックはハリーをハッフルパフ生に自慢をしていた。その時点でローレンスは怒り心頭だった。

 それに加え、コーマックがローレンスの作業ぶりを貶したので、我慢の糸が切れたらしい。

 スリザリン生の冷やかしは毎度のことなのでハリーには耐えられる。レイブンクロー生は首席ペネロピーと監督生達による声がけの効果か、彼を中傷する者はいないが、応援する者もいなかった。

「ビクトール=クラムって素敵よね。見てるだけで感動だわ」

 サリーがわざとらしく、ハリーの話題を避けていた。

「せめて、『年齢線』を誤魔化した方法を教えてくれないかな」

 その部分以外、ミムは何も言わなかった。

「ジャスティンもハリーを疑っているわ。セドリック=ディゴリーの栄誉を妨害しているんじゃないかってね。一応、私は否定しておいたわ。ジャスティンったらね、私がハリーを好きなんじゃないかって言い出しの」

「喧嘩したさ?」

 パドマとジャスティンの関係が壊れるのを恐れ、クローディアは恐る恐る問い返す。笑顔でパドマは胸を張る。

「クローディアを信じているとジャスティンに言ってやったわ。そしたら、疑ってごめんねってキスしてくれたの」

 嬉しそうなパドマは、幸せそうだ。

 のろけ話かとツッコミたいが、クローディアは2人の仲睦まじさに安心した。

「ジニーはハリー=ポッターのことで大喜びだよ。グリフィンドール生から代表が出たって、多分、今のジニーに何を言っても無駄だと思うな」

 仕方ないとルーナは【ザ・クィブラー】を読みだした。

 

 そんな中、クローディアに衝撃的な情報が寄せられる。バーベッジの事務所に呼び出され、彼女は耳を疑う。

「ミス・クロックフォード。クラウチ氏は対抗試合の期間中、ホグワーツに滞在することになりました。クラウチ氏は大変お忙しく、本来の職務を全うする為、ひとつの教室を事務室としてお貸し致します。その……教室に選ばれたのが、私としても残念ですが、バスケ部の部室なのです」

 悲痛に顔を歪めるバーベッジがクローディアの肩に手を置く。告げられ、情報を整理する。

 部室をクラウチに乗っ取られる。よって、部活動ができない。

「な、な、何故ですか? 空き教室なんて、いくらでもありますよ? よりにもよって部室なんですか?」

 狼狽したクローディアはバーベッジの腕を震えながら掴んだ。

「今学期はクィディッチがない分、部活動が盛んに行われています。そのせいで空き教室が埋まってしまったのです。クラウチ氏は顧問の先生方と相談し……検討した結果、……魔法学校にマグルの競技は重要ではないと……判断したのです」

 バーベッジは憤慨する。相当、クラウチから色々と屈辱的な言葉を浴びせられたのだろう。

「私と校長先生でクラウチ氏を説得しましたとも、本当に。ですが、クラウチ氏は、どうしても部室を使いたいと申されたのです。そこで私は粘って、隔週の日曜だけ部室をバスケ部に返すという取り決めを行いました」

 深刻かつ不機嫌なバーベッジに詰め寄りたい。それは無駄であると悟り、クローディアは口を閉じて無理やり頷いた。

 

 即効で部室へと足を運ぶ。

 扉を見るなり、クローディアはノックもなしに部室へと足を踏み入れた。

 だが、そこは既に書類の束、否、山がそこら中に積もれていた。書類の山の向こうに実用的な机が置かれ、散りばめられた書類には数本の羽ペンが、自動で修正を行う。その書類の内容は、ほとんど理解できないが、対抗試合のモノはひとつもない。全て、別件だ。

 あまりの現状に、クローディアは怒りを通り越して呆れ果てた。否、一種の感心だ。これだけの量の職務を持ちえながら、対抗試合にも関与しているのだ。

「誰かね? 勝手に入っては困る」

 誰もいないと思っていた窓際で、クラウチはフクロウに厚い封筒をもたせていた。フクロウを窓から放ち、不快そうにクローディアを一瞥する。

「普段、この教室を使用しているバスケ部・部長のクローディア=クロックフォードです」

 一礼したクローディアは凛として顔を上げクラウチを見据える。彼はこちらを見ずに、手にした書類に目を通す。

「ああ、話はダンブルドア校長から聞いている。君には、すまないとは思っている。だが、これらを入れるのに部屋が必要なのだよ。定期的に片付ける。それで納得したはずだ。文句はダンブルドアから受けるとしよう。まずはバーベッジ教授へ苦情を申し立て給え。では失礼、お嬢さん」

 クラウチは杖を取り出すと、軽く振るった。瞬間、室内にいたクローディアは廊下に押し出されていた。

 理不尽な態度、胸中を言葉に変えられない種類の怒りが湧き起こる。

 気づけば、扉を蹴っていた。

 

 『薬草学』で『ピョンピョン球根』の植え替えは注意力が必要だ。でなければ、すぐに球根が飛んで行ってしまう。作業中、ドラコが大声でハリーを侮辱する行動に出たときは正直、呆れた。

「クロックフォードはポッターのお友達なのに、どうして名前を入れなかったんだい? 仲間外れにされたんだろ?」

 偶然、クローディアの手から『ピョンピョン球根』が一個だけ飛び出し、うまいことドラコの顔面に命中した。

 痛みに驚くドラコの狼狽する姿に、レイブンクロー生は噴出して笑う。ブレーズやダフネなどの取り巻き以外のスリザリン生も隠れて笑っていた。

 第三温室から出たクローディアをドラコは執拗に追い回しては、代表選手になれなかったことを嘲笑した。年齢が達しておらず、立候補もしていないのに無茶だ。

 玄関ホールまでドラコはしつこかった。

「情けないね。ポッターに出来て知識に優れたレイブンクロー生が選ばれなかったなんてさ」

 この発言にアンソニー達も侮辱されたとドラコを睨む。クラッブ、ゴイル達がわざとらしく大笑いしている中、別の声が混ざった。

「代表選手になれなかったのは僕も同じです。僕は情けないですか?」

 頭に包帯を巻いたスタニスラフが他のダームストラング生と城内から現れた。流石のドラコも肝を冷やし、取り巻きとそそくさしながら城内へと逃げていった。

「マルフォイの無礼を私がお詫びします。彼はハリー=ポッターが羨ましいだけなんです」

 一礼するクローディアに、スタニスラフは怪訝そうに首を傾げる。

「同じ学校から、2名も選ばれたことを何故、彼は誇りに思わないのですか? 例え、年齢に達していなくてもハリー=ポッターは代表選手です。応援するのが筋ではありませんか?」

 スタニスラフの疑問にマイケルやモラグが気恥ずかしそうに唇を噛む。レイブンクローはドラコのような態度はとっていないが、その言葉は身に沁みる。

 彼は正しい。

 だが、感情が付いていかない。ドラコの場合は感情以前の問題だ。

「マルフォイの行動で、私達は冷静になれます。そういう意味では彼の行動は無駄ではありませんよ」

 真正面から見据えるクローディアに、スタニスラフの表情が柔らかくなった。

「……どうやら、言葉が過ぎました」

 一礼するスタニスラフに、クローディアも倣う。

「その包帯はどうされましたか?」

「コレは、ちょっと切れただけです。こちらの校医にお会いしたかったので医務室を利用しました。美人の看護は非常に良いですね」

 上機嫌に、それでも悪戯っぽくスタニスラフは笑った。

 

 ドラコの対応は慣れているが、ザカリアスの詰問にクローディアは困り果てた。流石に『魔法薬学』では、スネイプを恐れて私語は慎むが、『魔法生物飼育学』ではそうはいかない。

「実は上級生に頼んで名前を入れてもらおうとしたんだ。でも、駄目だった。僕の名前は入れられることなく、吐き出されたよ。なあなあ、君らは友達だろ? 教えてくれよ」

 羊皮紙にハグリッドの口頭説明を書き込んでいる最中、ザカリアスは遠慮なくクローディアの肩を揺さぶる。

 流石にハグリッドが怒り、ザカリアスは罰則として『尻尾爆発スクリュート』の散歩を命じられた。初めて現れた『尻尾爆発スクリュート』に、悲鳴以外の表現が言い表せない。

「なかなか、散歩させられねえで困ってたんだ。見ろ、楽しそうだろう?」

 上機嫌なハグリッドの優しい言葉は、縄を必死に掴むザカリアス……ではなく、彼を引きずって歩きまわるスクリュートに向けられていた。

 胴体だけの生物、しかも尻尾の先から爆発音が鳴る。

(頭のない伊勢エビさ? ……うげ)

 しばらく、エビが食べられない。

 『尻尾爆発スクリュート』の散歩が効いたのか、ザカリアスを始めとしたハッフルパフ生はクローディアに決して質問しない方針を固めた。

 

 代表が発表されてから一週間。

 クローディアとハリー、ハーマイオニーはルーピンの事務所にて、紅茶を頂いている。最初はハグリッドを訪ねようとしたが、少々神経質気味になっている天馬の面倒で彼は多忙だ。

 この場所を提案したのは、ハーマイオニーだ。【改訂版・ホグワーツの歴史】の草案をルーピンに確認してもらおうと考えたのだ。

 正直、クローディアは気乗りしなかった。ハロウィンの宴から、妙にルーピンを意識してしまう。敵意や嫌悪ではなく、彼には宴のときのような身なりを続けて欲しいという思いだ。

 だが、それを口に出せずにいた。その理由が自分自身でさえ理解できない。

「代表に選ばれたことは、シリウスに伝えたかい?」

 ルーピンの質問に、ハリーは不安な気持ちを押さえ込むように頷く。

「手紙の返事が来ないんです……。ルーピン先生のところに来ていますか?」

「新学期になってから、一度来たきりだよ」

 素直に答えるルーピンに、ハリーは残念だが安心した笑みを見せる。

「お父さんからも返事はないさ。お祖母ちゃんからは、しばらく病院勤務で手紙を出せなくなるかもしれないって来ただけさ」

 ポットのお湯をカップに注ぐクローディアに、ハーマイオニーは考えながら口を動かす。

「きっと、シリウスもお父様も大変なご用がおありなのよ」

 唐突に窓が外から叩かれた。全員が音に注目すると、カサブランカが嘴で窓を突いている。すぐにルーピンが窓を開き、カサブランカを招き入れる。

 反射的にクローディアが腕を上げ、止まり木代わりにカサブランカを止まらせる。嘴に一通の手紙が銜えられていた。

「誰から!?」

 期待のあまり、ハリーが声を荒げる。

「残念、お祖父ちゃんさ。……、あ~、ペレツのことを教えたから、その返事さ」

 さも残念さを露にしたハリーは椅子にもたれかかる。その胸中を理解は出来るが、トトが手紙に何を記そうが勝手な話だ。

「ペレツって誰だい?」

「ダームストラングの生徒です。トトさんのお友達の曾孫さんだそうですよ」

 手紙を読むクローディアの傍で、ハーマイオニーがルーピンに説明する。その説明の中に、トトがダームスラング生であったことは含めなかった。

 それでも、納得したルーピンは感心して頷く。

「君のお祖父さんは顔が広いね」

「……だ、ダンブルドア校長先生には、適いませんよ」

 手紙を読み終えたクローディアはルーピンに声をかけられ上擦った口調で答えた。己の応対が恥ずかしくなり、反射的に手紙で顔を隠す。

「そ、それで、ハリー、最初の試験は何さ?」

 手紙で顔を隠したままハリーに問うクローディアは傍から見れば、間抜けすぎる。

 しかし、ハリーはクローディアの様子を気にかけず、心ここにあらずと呆けている。

「競技の日は11月24日なんだけど、何をするのかは聞かされてない。未知に対する対抗手段を見つけろとか……」

 口に出した途端、ハリーは煙たそうに眉を寄せる。少し期待したハーマイオニーが、ルーピンを盗み見る視線を送る。彼女の視線に、彼は苦笑した。

「残念ながら、話してはいけないことになっているんだ。言っておくけど、ハグリッドに聞いても同じだよ。説得できるなら、バーティ=クラウチかルード=バグマンが教えてくれるかもね」

 悪戯っぽくルーピンは笑う。

 クラウチの名に、クローディアは不愉快な気分で頬を膨らませる。

「クラウチは知ってっても、絶対、口を割らないさ。あの鉄火面のせいで、バスケ部の活動が制限されたさ。もう、ウィンキーのことだけでも、あったま来るのにさ!」

 顔を隠していた手紙を丁寧に折り、クローディアは封筒に戻す。その間、クラウチに対する不満を溢す。その通りとハーマイオニーは同意する。

「ウィンキーとは友達かい?」

「『屋敷しもべ妖精』のことです」

 ハリーに答えられ、ルーピンは取りあえず頷く。深く追求することなく、【改訂版・ホグワーツの歴史】の草案を読み出した。

 クローディアとハーマイオニーがクラウチの悪口を言い合う中、ハリーは窓の外を眺める。

 ルーピンもハリーが『炎のゴブレッド』に名前を入れていないと信じている。しかし、ハグリッド同様にロンとの亀裂を相談する気になれなかった。

 一番、仲の良いロンと仲違したなど、ルーピンには知られたくなかった。ロンにも、告げ口したと思われたくない。

(シリウス……)

 シリウスならば、遠慮なく話せる。彼は自分だけの名付け親で後見人だ。その手紙を求め、ハリーはいつまでも窓の向こうの景色を眺め続けた。

 

 ハリーの前では平静を装えるクローディアだ。

 しかし、コンラッドから手紙が来ないことに不安がないわけではない。この学校に身を置いている間は外の情報が入らない。TVもラジオもない。新聞と雑誌だけが、情報源だ。焦っても情報は来ない。故に待つしかない。

 母からは競技大会の項目に何故バスケがないのかという質問の手紙が来た。それはこっちが知りたい。トトからは、くれぐれもスタニスラフと友情以上に仲良くなると念を押された。

 『魔法生物飼育学』の時間、クローディアはそれとなくハグリッドに問う。

「お祖母ちゃんから便りはないさ?」

「ねえなあ、もしかすっと仕事が忙しいのかもしれねえ。気長に待ってやれ」

 マダム・マクシームから天馬を借り、ハグリッドは授業を続ける。美しい外見とは裏腹に、天馬は生徒に足蹴りを喰らわせようとした。

「ハグリッドは誰が、ハリーを嵌めようとしていると思うさ?」

「見当もつかねえが、マダム・マクシームじゃねえことは確かだ。あの人は、ハリーにカンカンだった。俺はハリーがそんな悪さしねえって言って、ようやくわかってくれた」

 何故、そこでマダム・マクシームの名が出る。

「もしかしなくて、ハグリッド……。マダム・マクシームのこと」

「こら、ブート! 天馬の翼に触っちゃなんねえ!」

 ハグリッドに注意を受けたテリーは驚いて、一瞬制止する。その一瞬のお陰で、天馬の蹴りから回避できた。そのまま触れていれば、彼は城にまで飛ばされていただろう。

 テリーのお陰で、ハグリッドはクローディアの追及を逃れたように思えた。

 

☈☈☈☈

 否応なしに対抗試合の選手になったハリーは心の拠り所が少なすぎる。胸中の不満を受け止めてくれるのは、クローディアとハーマイオニーのみ。

 ハーマイオニーと選択教科が違う授業時間はハリーは独りだ。クローディアは寮すら違い、会える時間は限られる。ベッロは友達だが、頻繁に『蛇語』で話すことは出来ない。

 そして、ドリスやシリウスからの手紙が2週間近く絶たれていることもハリーの孤独感を煽った。

 『魔法薬学』の授業を潰して行われた【日刊予言者新聞】の取材は、ほとんど口煩いリータ=スキーターが引っ張った。人の話は聞かず、自分勝手な文章を書き綴っていた。

 本題はオリバンダーによる杖調べの儀式だ。杖が正常な働きをするか確認する為らしい。フラーの杖は、紫檀にヴィーラの髪の毛から作られていた。そのヴィーラはフラーの祖母の者だと言う。彼女が男性を魅了するのは、当然だとハリーは納得した。セドリックはオリバンダー作の杖で、トネリコ材の一角獣の尻尾だ。ビクトールの杖はグレゴロビッチが作ったものらしい。そんな名にハリーには聞き覚えがない。クマシデにドラゴンの心臓の琴線と強そうな素材だ。

 そして、ハリーの杖はヒイラギと不死鳥の尾羽だ。この尾羽は実はヴォルデモートの杖芯と同じである。そう、同じ不死鳥の尾羽。つまりは兄弟杖だ。この事をハリーは誰にも話していない。知っているのは目の前のオリバンダーだけだ。

 オリバンダーは杖の不思議さだけ語り、兄弟杖については触れなかったことにハリーは安心した。

 杖調べの儀式も無事終わり、スキーターによる不必要な写真撮影が行われた。解放された頃、ハリー、セドリック、ビクトール、フラーはうんざりとした表情で狭い教室を出て行った。

 夕食の為に大広間に行こうとしたハリーをセドリックが引き止める。

「君はクローディアと仲がいいけど、もしかして……」

「ただの友達だよ」

 セドリックが言い終える前に、ハリーは断言する。少し驚き、彼は目を見開きながら胸を撫で下ろしている。

「彼女と同じ寮のロジャーから聞いたんだ。クローディアが君を庇ってるんだ。今年の首席であるペネロピー=クリアウォーターも彼女に同意して、下級生に言い含めている。ハリー=ポッターを責めるなって、だから、レイブンクローはそろそろ治まると思うよ。その、君への態度が……」

 必死に言葉を選ぶセドリックは親しげな口調でハリーを慰めてきた。意外すぎる現状を知り、嬉しい驚きで胸が高鳴る。

(クローディアが……僕を)

 知らなかった。

 クローディアがレイブンクロー生だけでも説得してくれていたなど、考えもしなかった。

「どうして……、皆、クローディアの言うことを信じるの? 僕が入れていないって言っても、信じてくれないのに?」

 我、知らずと口調に批難が混じる。それでセドリックの気に障ったかと思ったが、彼は真摯な態度でハリーに答えた。

「多分だけど、彼女が最初から有名ではないからだと思うよ。1年生の学年末まで無名だった。2年生でも、活躍らしい活躍はしなかった。むしろ、石にされた犠牲者だ。3年生になって、自分で部活を立ち上げ、クィディッチで大活躍した。ロジャーが言っていたけど、レイブンクローが寮対抗に優勝したのはバーベッジ教授とマダム・フーチが彼女の目覚ましい活躍に寮点を与えたのが決定的だったらしい。そうやって、努力して積み重ねた結果、彼女は首席や監督生に信頼されていると思うんだ。その彼女の言葉なら、信じようって思う人もいるんだよ」

 そこまでクローディアが評価されているなど、ハリーは全く知らなかった。思えば、目の前のセドリックが女子に人気だと知ったのも、ハリーが3年生の時だった。

〝ロンはいつも自分が目立たない。注目を浴びるのはお兄さん達や貴方ばかり〟

 何故だが、ハーマイオニーの声が脳髄で反響した。

「それでね」

 続いていたセドリックの声に、ハリーは我に返る。

「クローディアがそんなことをするなんて、君と……そういう関係だからじゃないかって疑ったんだ。ごめんな、変なこと聞いて」

「全然、変なことじゃないよ。でも、僕とクローディアの関係をどうしてセドリックが気にしてるの?」

 何気なく聞き返すハリーに、セドリックは半笑いになる。

「僕じゃなくて、他の奴が気になったんだ」

「もしかして、ロジャー=ディビーズ?」

 思いついた名を口にすると、セドリックは肯定の笑みを返した。

 

☈☈☈☈

 『闇の魔術への防衛術』を終え、クローディア達は寮へ行くため廊下を歩く。

「ルーピン先生の授業もいいけど、またマッド‐アイの講義ないかな~」

「俺ら参加できてないもんな。『許されざる呪文』を実践するなんて、正気じゃねえよ」

 モラグとマイケルが呟き、その後ろでクローディアは眉を潜める。

(ムーディの授業さ。敵と戦う力……、私が学んだのは敵に抗う力だったさ)

 授業風景を瞼の裏で思い返し、クローディアは体の奥底から囁いてくる声を脳髄で聞き取る。

 あれでは足りない。もっと、知りたい。敵をXXX為に。

「クローディア、恐い顔になっておりますわ」

 肩に乗せられた手の感触とリサの声で、クローディアは囁きを掻き消した。

「ごめんさ」

「あなたはマッド‐アイではございません。どうか、彼のようになりたいなどと思わないで下さい」

 真剣な眼差しのリサは深刻に低音で忠告してきた。

 口を開こうとしたクローディアは、リサの向こうにロンの姿を視認した。

 ロンは背を丸くし、目を据わらせている。このところ、シェーマスやディーンといる彼が1人でいるところは珍しい。

 失礼のないようにリサから離れたクローディアはロンへと駆け寄る。近づいても、彼は逃げない。

「どうしたさ?」

「ハーマイオニーが医務室に行った。やったのはマルフォイだ」

 焦燥感で背筋が粟立つ。ハーマイオニーが医務室に行かねばならない事態をドラコがやった。怒りでクローディアの腕が震える。

「ありがとさ。ロン」

 ロンの肩に手を置き、クローディアは医務室へ向かった。ロンは頷いただけで、着いてこようとはしなかった。それに対し、応じる余裕はなかった。

 

 慌てふためいたクローディアが医務室に突っ込んだ。案の定、マダム・ポンフリーが目くじらを立てて、追い出した。

「ハーマイオニーの無事を確認したいだけなんです!」

 思わず大声をあげたクローディアの口をマダム・ポンフリーの杖が魔法で塞ぐ。

「ミス・グレンジャーは今夜だけ入院して頂きます。明日になれば、寮に帰します!」

 声を封じられたクローディアは不満絶頂のまま引き下がるしかなかった。そして、その足でスリザリン寮を目指す。廊下を行きながら、己の杖で声を治した。

 ミセス・ノリスが規則破りを見つけ、早速、フィルチを呼んだ。

「後にしろ!」

 抑えきれぬ怒りと共に、クローディアはフィルチに向かって叫んだ。

 フィルチの反応を見ずに、スリザリン寮を目指す。湧き起こる怒りの矛先をドラコへ向けるためだ。

 だが、廊下を行く途中でドラコの一団と出くわした。彼らのローブには『汚いぞポッター』のバッチが着けられていた。

 ハリーへの侮辱とハーマイオニーへの何らかの魔法、二重の怒りが脳内を沸騰させる。乱暴な足音を響かせ、ドラコへと迫る。

 憤怒に満ちたオーラを背負ったクローディアの登場にドラコやパンジーから馬鹿笑いが消える。

 そして、危険を察知して集団は蜘蛛の子を散らすようにクローディアから逃げ出した。

 無論、逃がすつもりはない。真っ直ぐ、ドラコだけを狙って追い回した。

 ドラコとパンジーは、すぐに地下教室へと逃げ込んだ。そこには自寮の寮監スネイプがいる。だからといって、クローディアが追わない理由にはならない。

 そのまま、地下教室へと降りる。

「スネイプ先生! クロックフォードが僕達を襲おうとしています! 助けて下さい!」

 研究室の扉を施錠しようとしたスネイプにドラコとパンジーが必死に訴える。構わず、クローディアはドラコに掴みかかろうと腕を伸ばした。

 ドラコの前に、スネイプが立ちはだかった。だが、それより先にクローディアの手がドラコのローブを掴んだ。伸ばした彼女の腕をスネイプが掴む。

「手を離したまえ、クロックフォード」

「離すのは先生さ」

 ドラコから目を離さず、瞬きもせずに見開く。暗がりに光るクローディアの赤茶色の瞳が鮮血に輝いている。ドラコは恐怖のあまり、ただ動くこともままならない。

「こういう馬鹿は殴らないとわからないんだ。人の痛みがわからんのだからな! 自分に自慢できることがないから! 平気で人を傷つけられるんだ!!」

 怒号が地下の廊下を反響する。

 刹那、ドラコの表情が痛みで歪んだ。ローブを掴まれた痛みではない。クローディアの言葉が胸を刺したからだ。

 ドラコの表情にクローディアは気づかない。

 気づく前にクローディアはドラコから顔を逸らされた。スネイプが彼女の胸元を掴み、手の甲で彼女の頬を引っ叩いた。

 

 ――パアン。

 

 突然すぎる行動、クローディアは理解するまで時間を要した。ドラコはただ驚いてスネイプを見上げ、パンジーは呆気に取られて自らの口を塞いだ。

 頬がジリジリと痛み、クローディアは自然とドラコから手を離し、自らの頬を擦る。嫌悪に歪んだスネイプに睨まれ、他人事のような感覚で見返した。

「貴様にそこまで人を非難する権利があるのか! 恥を知れ!」

 罵声が何重も耳を打つ。

 何故、スネイプに殴られたのか、理解も納得もできない。

 ただ、いまのクローディアから湧き起こる言葉、ただひとつだ。

「親父にも、ぶたれたことないのに!!」

 某引きこもり主人公の名台詞だ。

 腹の奥底から吐き出した金切り声が廊下を乗り越えて響き渡った。

 

 後の事など、知ったことではない。

 夕食の席でクローディアはハリーと隣り合わせに座る。無論、ハリーは彼女の腫れあがった頬に吃驚していた。

「その顔、どうしたの?」

「勲章さ」

 カボチャスープに血の味が混ざっている。

(口の中が切れてるさ、血の味がするさ)

 舌で咥内を探ると皮膚が切れている。それだけの力で平手打ちされたのだ。痛みよりも驚きが大きい。スネイプが人を殴るなど否、自分を殴るなど、夢にも思わない。コンラッドに殴られると同等に、心に衝撃が走った。

(お父さんに殴られたら、きっと、こんな気持ちになるさ……)

 痛みに耐え、クローディアはカボチャスープを飲み干す。ハリーの膝にいたベッロが、じっとその様子を見ていた。

 その後、フィルチに掴まったクローディアはフリットウィックに突き出された。

「なんですか、その頬は?」

「悪い男と揉めました」

 フリットウィックはクローディアの頬を見て、驚いた。スネイプの名は出さず、適当に言い訳する。それを男女の諍いと受け止めたらしく、追求して来なかった。

 城内持込禁止項目をダームストラング生とボーバトン生の人数分、手書きで書き映す作業を言い渡された。

 

☈☈☈☈

 生徒が寝静まった時間、スネイプは研究室で教材の確認をとる。足りない薬草や瓶を羊皮紙に書き込んでいく。しかし、普段なら月末に行うため、教材は十分足りている。何か作業をしていないと落ち着かないからだ。生徒のレポート採点は既に済んでいる。

 扉がノックもなく、静かに開く。扉の隙間から、現れたのは紅い蛇だ。スネイプは全く動じずベッロを一瞥し、口の端を上げる。

「また抜け出してきたのか? おまえが生徒であったならば、減点と罰則が出来たものを……惜しいな」

 親しみを込めた皮肉にベッロは笑うように頷く。スネイプの身体を這って腕に巻き付き、彼の左手を舐める。

「ああ、左手で……お前の主人を殴った。利き手はモノを掴んでいたのでな。……そんなことは聞いていないか……。謝らんぞ……。言葉は心を傷つけるのだ。意図しようとしまいとな……」

 羊皮紙を適当な場所に置き、スネイプはベッロを撫でる。

 

 ――コンコン。

 

 遠慮がちに扉がノックされた。スネイプが応え、黒いガウンを纏ったドラコが扉を開いた。自分で訪ねながら、彼は困惑した様子で研究室内を見渡す。

「また、ベッロが来ているかと……思いまして」

 最もらしい言い訳を述べ、ドラコは後ろ手で扉を閉める。

「消灯時間は過ぎておる。ほどほどにしたまえ」

 ベッロを撫でながら、スネイプは羊皮紙をローブに入れる。ドラコは適当な場所に腰かけ俯き加減で寮監を見上げた。

「スネイプ先生、どうして、クロックフォードを殴ったんですか? 下手をすれば、体罰で免職ですよ? 勿論、父上に頼んで、弁護させます。だって、クロックフォードが僕に……」

「ドラコ、やめたまえ」

 焦りで口走るドラコを制し、スネイプはベッロを彼に渡した。

「ミス・クロックフォードは抗議すまい。何故、殴られたのか理解できんからな。……だが、我輩としては軽率であった。ドラコ、君もミス・クロックフォードに構うな。ポッターに関しては彼女に悟られん程度にしておきたまえ」

 諌めるスネイプをドラコは返事をせずに目が泳がせる。そして、躊躇いながら口を開く。

「クロックフォードの父親は母上とどういう関係なんですか?」

 唐突だが、ドラコは重要な質問だと言わんばかりに深刻だ。まさか、そこに着眼点が行くとは思わなかった。彼の想像を何となく予想し、スネイプは胸中で溜息をつく。

「母上がクロックフォードの父親について、話す時……すごく、楽しそうでした。まるで、父上との昔話をするように、もしかして、昔の恋人とか?」

「それは違う」

 案の定だ。即座にスネイプは断言する。だが、ドラコは納得できない。相手の感情を読み取り、その隣にもたれかかる。

「では、アイツの父親が僕の母上を想っていた? 母上はそれをご存知だった?」

 それが一番適格だとドラコは期待を込める。

「それも違う。コンラッドは誰も愛していない。……お母上が彼を気にかけるのは、一重に愛情だ。家族愛といえばよいか……、お母上には弟がおられなかった。従弟はおられたがコンラッドのような弟が欲しかったのだ」

「……嘘だ」

 否定の意味ではなく、思わず口走られた言葉。ドラコはベッロを優しく撫でる。手の感触を味わうベッロは嬉しそうだ。

 ベッロをしばらく撫でてから、ドラコはスネイプを見据えた。

「スネイプ先生、クロックフォードは……何者なのでしょう?」

「君が知る限りの生徒だ」

 即答するスネイプにドラコは頭を振るう。

「すみません。違うんです。彼女は……僕にとって何者なんでしょうか?」

 

 ――一瞬の間。

 

 問いかけの意味を理解しかねる。スネイプはドラコの真意を計ろうと、顔を覗きこむ。その視線を問いかけと受け取り、重苦しく話し出す。

「僕は、さっきの彼女の……あれに、すごく、嫌な気持ちになりました。他の連中に言われても、こうはならないと思います」

 自尊心ではない何かが、痛んだ。

「僕は2度と彼女の口からそんなことを言って欲しくないんです。責めて、僕に対してだけは……」

 悔しそうにドラコは唇を噛む。彼の心を占めている感情に付けるべき名をスネイプは知っている。それは、ハリーやハーマイオニーへの妬みとは違う。

 しかし、ここでスネイプが伝えるべきではない。

「ドラコ。君にとってミス・クロックフォードが何者かは君自身が決めねばならんのだ。我輩や父君では、正しい答えを出すことは出来ん。あくまでの君だけの答えなのだ」

 出来るだけ優しい口調で、スネイプはドラコに諭す。まるで、我が子を思う父親の言葉として彼は受け止めた。不意にベッロを撫でる手を止める。

「もしも……僕が、答えを見つけても、それがどんな答えでも、スネイプ先生は僕の味方でいてくれますか?」

「勿論だとも」

 さも当然とスネイプは微笑んだ。ようやく安心したドラコはベッロを再び撫で始める。

 

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 以前にも、こんな光景を見た気がする。

 それはボニフェースがまだ学生で、1人の女子生徒についてハグリッドに相談している様子に似ている。ベッロはドラコを嫌いではないが、ハリー程、好きではない。

 どの道、クローディアが決めることだと、ベッロは深く溜息をついた。

 




閲覧ありがとうございました。
主人公の口中が切れるほどの平手打ち。


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10.想いを思って、重くなる

閲覧ありがとうございます。
少々、ガールズラブ表現がありますが、一方的な片思いなので、タグはつけません。


 食パンを齧り、牛乳を飲むクローディアの口の中が痛い。昨日の頬の腫れがまだ治りきっていないからだ。また、治す気もない。

 リサとパドマは頬の腫れに驚いて、朝から医務室に連行しようとしたが、頑なに断った。頬に触れれば痛みがあるが、それが大事なことだと考えた。

「治してあげようか? まだ癒術を試したことないけど、うまくいくよ」

 杖を向けてくるルーナを丁重に断る。

「相手は男の人だと思うけど、どうして言わないのよ? 泣き寝入りなんてダメよ」

 タオルを冷たい水に濡らしたチョウがクローディアの頬にあてる。

 誰に詰め寄られようとスネイプの名は出さない。チョウのいう泣き寝入りではなく、理由を考えたい。殴られた理由を理解した時、土気色の頬へ一発決めようと密かに決めていた。

 痛みに気を遣った朝食を終え、クローディアは大広間を出る。

 二重扉でフレッドとジョージと擦れ違おうとした。ジョージがその頬に気づき、彼女の腕を掴んだ。

「誰にやられたんだ?」

「問題ないさ」

 適当にあしらおうとしたクローディアの腕を引っ張り、ジョージは乱暴な足取りで歩きだした。

 廊下を進み道のりは医務室だ。

 ジョージの腕を振り払い、クローディアは足を止める。

「大丈夫って言ってるさ」

「何処が? 痛々しいよ。なんで治さないんだ? 皆が心配するだろ? ……俺も心配する」

 目を細めるジョージに答えず。背を向けようとした。彼の手が彼女の肩を掴んで引き止めた。

「相手は誰だ? ……まさか、ディビーズ? 喧嘩したのか? そういえば、最近ダームストラングの奴と話してるよな? アイツはなんで君に馴れ馴れしんだ?それとも、ハリー? 対抗試合のことか?」

 肩を掴み手に力を入れ、ジョージはクローディアを壁へ追いつめる。詰問してくる彼にも、段々と腹が立ってきた。

「どれもこれも的外れさ! いきなり何さ! 離せさ!」

 ジョージの手を乱暴に払いのけたクローディアは彼を睨む。

「こっちは心配してるんだぞ。いいから話せよ。誰にやられたんだ?」

「なら、私があんたを心配したら、何でも話してくれるさ? フレッドとコソコソ何を相談してるかとかさ?」

 動じたジョージが一瞬、怯んだ。

「それは俺達の問題だ。君の怪我とは関係ない」

「この怪我は私の問題さ!」

 売り言葉で買い言葉を繰り返し、クローディアとジョージは睨みあう。

「あんたが私のことを知りたがるなら、あんたも私に教えるべきさ」

「それとこれとは別だ。君は怪我を負わされたんだぞ」

 口調が荒くなるジョージに、クローディアは耳を塞ぎたいが我慢だ。

 ジョージに心配されることが不愉快な気持ちになる。今だけは彼の声を聞きたくないという衝動が強い。

「私は言いたくないさ! それでいいさ! それじゃいけない理由は何さ!?」

「俺がクローディアを好きだからだ! 好きな奴のことは、なんでも知りたいに決まっているだろ!」

 ジョージの告白にクローディアは驚きすぎて目が点になる。彼女の反応を見て、彼も自分の口から滑り出た言葉に気付いた。しかし、訂正する気配はない。

「君が……好きだ。ずっと、ずっと前から」

 開き直るような口調だが、その瞳には熱が籠っている。肌が触れてもいないのに、彼の熱がクローディアの心臓を掴んでいた。

 一瞬、クローディアはその熱を受け入れてしまいそうになる。だが、脳裏を掠めたのはルーピンの姿だった。

 もしも、ジョージの言葉がルーピンの口から出たならば――。

「今、ルーピンのことを考えたろ?」

 冷ややかにジョージが吐き捨てた。脳内を覗かれたのかと思い、クローディアは青ざめる。

「な、なんで、そこにルーピン先生が出るさ……」

 しどろもどろになったクローディアを逃がさないようにジョージは彼女の頭を両手で掴む。

「ハロウィンの夜、君はルーピンに惚れたんだろ? 見ればわかる。君を虜に出来るのは、グレンジャーだけだと思っていたのに」

 切なげに顔を顰めるジョージはクローディアを責める目つきだ。言葉と視線で、段々と混乱して来た。

「え? 私って、ハーマイオニーに恋してるさ?」

「ルーピンに惚れてることには驚かないんだな?」

 容赦のないジョージは言葉でクローディアを追いつめる。

 ルーピンを視界に入れる度、心臓が高鳴っては身体の熱が上がっていく。見ているだけで、見つめられるだけで恥ずかしい。

 ハーマイオニーは一緒にいるだけで、心が躍る。彼女が好きな話題でお喋りしたい。同じ時間を過ごしたい。

 感じるモノは違えど、これは恋心と呼んでもよいだろう。

 不意にクローディアの脳裏で冷静な部分が働く。

「あんた、ジュリアとはどうなったさ?」

「ちょいと事情があるんだよ」

 全く動じず、ジョージの顔が近づいた。彼の唇から漏れる息遣いが、クローディアの唇に触れる。もしも、逃げようと頭を動かせば、うっかりお互いの唇が触れてしまいそうな距離だ。

「ジュリアに感謝しとけよ。アイツがいなかったら、俺は今頃、おまえを押し倒している」

(ここ、廊下さ)

 思わず浮かんだツッコミは口に出せなかった。

 ジョージの瞳が一瞬だけ、ギラギラと輝いた。その一瞬、クローディアは彼を異性として恐怖した。

 

 ジョージから解放されたクローディアは医務室を目指す。無論、頬の治療でなく、ハーマイオニーのお迎えだ。

(私、ハーマイオニーが好きで……、ルーピン先生も好き。……これって二股?)

 汽車で出会った日から、ハーマイオニーに心惹かれた。恋愛に興味がなかったのではなく、既に想う人がいただけだと認めた。何ひとつとして、疾しいことはない。

 だが、同時に違う人を好きになる心情は頂けない。ハーマイオニーとルーピンに勝手な好意を寄せてしまい、クローディアは2人に対して罪悪感を覚えてしまう。

 医務室の方角から、快活な足音が迫ってきた。相手が誰か察したクローディアの胸中が暖かくなる。

「おはよう、クローディア。迎えに来てくれたのね」

 上機嫌に微笑むハーマイオニーがより一層輝いて見える。胸の高鳴りに『恋心』と名がついただけで、世界が広がった。

「おはよう、ハーマイオニー。今日も一段と可愛いさ」

 その言葉にハーマイオニーは一段と明るくなる。

「気が付いた? ええ、自分でいうのもなんだけど、私も可愛くなったと思うわ」

「前々から、可愛いと思うさ?」

 首を傾げるクローディアにハーマイオニーは歯を見せて笑顔を作る。

 その仕草でハーマイオニーの表情に違和感に気づく。

「あれ? ハーマイオニー……なんか違うさ? あ? あ!? あ!!」

 歯並びが整っている。以前は前歯が出ていたはずだ。正確には昨日の昼食時まで前歯は出ていた。それが引っ込み、歯が矯正を受けたように揃っている。

「歯……どうしたさ?」

「うふふ。今回だけ、マルフォイに感謝しなくちゃ」

 昨日の『魔法薬学』が始まる前、ドラコ達が『汚いぞポッター』のバッチを使い、ハリーを罵った。それどころか、ハーマイオニーを懲りもせずに『穢れた血』と蔑んだ。

 遂にブチ切れたハリーは杖を取りだした。応戦したドラコから、ハーマイオニーは『歯呪い』を受けた。そのせいで前歯がビーバーにされてしまい、医務室に向かった。マダム・ポンフリーの癒術で治してもらう際、短めにしてもらったというのだ。

 ちなみにハリーの『鼻呪い』はゴイルに命中し、彼の鼻は腫物より巨大に膨れたらしい。

「パパとママは嫌がるかも、でも私、前歯がコンプレックスだったの。だから、すごく嬉しいわ。それでクローディアのその頬っぺた、どうしたの?」

 不思議そうにハーマイオニーはクローディアの頬を指先で突く。

 掻い摘んでスネイプに殴られた経緯を話す。驚いたハーマイオニーは口を押さえる。

「そんなことになっているなんて、マダム・ポンフリーに面会させてくれるように頼めばよかったわ。でも……、スネイプ先生には驚きね。何があってもクローディアだけには、手をあげないと思っていたわ」

 窺うような視線をハーマイオニーは向ける。

「スネイプ先生。よっぽど、腹に据えかねたのかしら?」

 その質問を聞き、クローディアの胸に不安が過る。言われてみれば、スネイプは口汚く相手を罵ることはあっても、暴力に訴えることはしない。

 思い返せば、殴られる前に彼女はドラコを侮辱した。彼は心を痛めた様子に思えてきた。それに関しては、クローディアは反省しない。寧ろ、ドラコを殴って置けばよかった。

(殴られずに、大人になった者はいないさ)

 某引きこもり主人公を殴った艦長の名台詞である。

 スネイプが与えた頬の痛みを無駄にせぬ為にも、クローディアも大人にならねばならない。

 そう結論を得た時。スネイプに殴り返すことは諦めた。悔しさではなく、納得の行く諦めは随分と心地よい。

 ハーマイオニーの勧めもあり、クローディアは頬の腫れを治すために医務室へ向かう。もう傷を晒しておく必要はないからだ。

 案の定、マダム・ポンフリーに早く診せに来いと叱られた。

 

☈☈☈☈

 代表選手の取材を記載した【日刊預言者新聞】が出回ると、スキーターの嘘八百の記事のせいで、ハリーは益々肩身が狭くなった。スネイプの罰則のため地下教室で、ロンと2時間も2人きりだったのに、終始黙りこくって何も進展しなかった。

 深夜1時、談話室に下りてきたハリーは手にした手紙を見つめる。昨晩、ようやく届いたシリウスからの便り、この時間で会おうという内容だ。

 如何にして談話室を訪れてくるのか思案していると、暖炉の火が不自然に燃えていることに気づく。ハリーは興味深く覗き込む。暖炉の炎にシリウスの首があった。正直に言えば、肝が潰れる程に驚いた。

「シリウスおじさん?」

「やあ、ハリー。元気かね?」

 親しげなシリウスの声を聞き、本人だと確認出来た。縋るような思いで、ハリーはこれまでの不満、不安を一気にぶちまけた。

「ロンだけは信じてくれると思ったのに……。クローディアは僕のために皆を説得してくれたらしいんだ。なら、どうしてロンは説得してくれないんだ!」

 暖炉の前で膝をついたハリーは嗚咽する。嗚咽がとまり、騒いだ心臓を押さえる為に深呼吸した。

 シリウスはハリーに心配する眼差しを向け、ゆっくりと相槌を打つ。

「ごめんね、自分の話ばっかり……」

「いいんだ。君の気持が知れて、私は嬉しいよ。君の言葉でね」

 弱音を吐くハリーをシリウスは全て受け止めた。

「ハリー、見た夢の話を聞かせてくれるか? ヴォルデモートの傍にいたのは、クィリナス=クィレルだけだったんだな?」

「うん、後、知らないお爺さんがいたけど、殺された。正直、もう、ほとんど覚えてないよ。確か、そのお爺さんがマグルだったから……、どうしよう、忘れてた!」

 急にハリーは思いつく。少し声が上擦ったので、シリウスが驚いた。

「どうした!? 重要なことか?」

「クローディアにクィレルのことを話してないんだ。クィレルが本当にヴォルデモートの下に行ってしまったなんて……どう伝えればいんだろう?」

 狼狽するハリーをシリウスは慎重に宥める。

「待ってくれ、ハリー。そのクィレルと君の友達とどういう関係があるんだ?」

 説明不足だとハリーは反省した。1年生の折、クィレルとは『賢者の石』を巡って争った。彼はアズカバンに投獄され、出所と同時に姿を消したことを話した。

「クローディアはクィレルがアズカバンにいることを知らなかった。僕もだけど……病院にいるものだと思ってた。クローディアはクィレルがホグワーツに帰ってくるのを心待ちにしていたんだ。それなのに、あいつ、ヴォルデモートのところに……」

 シリウスは呻いた後、頷く。

「その頃、入れられた男が確かにいた。私の房から離れていたから、顔は知らない。そうか、そういう事情か……。折を見て、友達に話すといい。その子はカルカロフとクラウチJrが『死喰い人』であったことを調べ上げている。頼りにしていい」

「頼りとか、そういう意味じゃない。彼女、絶対傷つくよ。自分のせいでヴォルデモートが復活するんじゃないかって……」

 悲しげに眉を寄せて、シリウスに縋るように話すハリーは危うく暖炉の火に手を入れるところであった。

 シリウスはハリーを諌めてから、言葉を足す。

「言葉が足りなかった。その子……クローディアは、既に覚悟を決めているという意味だ。そうだ、まだ君達は犯人探しをしているのか?」

「……探し出すより、警戒してる。ベッロが夜に見回って異常がないか調べてくれるんだ。カルカロフだけじゃない、他の学校の生徒にもクルックシャクスが注意して、危険と思う奴を教えてくれる」

 ゆっくりと話すハリーに、シリウスは満足げに頷いた。

「それでいい。下手に犯人を見つけても、殺されるだけだ。そうだ。最近の新聞、君の記事以外の箇所を読んだかい?」

 読んでいない。読む気も起きない。

「魔法省は行方不明の職員バーサ=ジョーキンズの捜索に乗り出した。私としては、もっと早くても良かったが、これでヴォルデモートが関与していないかハッキリできる」

「でも、バクマンさんはそれ程、重要じゃないって」

 厳しい目つきでシリウスはハリーの言葉を遮る。

「バーサが姿を消したのは、アルバニアだ。ヴォルデモートが最後にそこにいたという噂があるところだぞ。はっきり言うが、バーサ如きではヴォルデモートに太刀打ちはおろか、ベラベラと情報を与えかねない」

 階段を下りる音がハリーとシリウスの耳に届く。

「すまん、君以外に見られんようにとの約束なんだ。友達を大切にな」

 炎からシリウスの顔が消え去った。気兼ねなく、自分の不安を打ち明けられる相手がいなくなり、ハリーは淋しさで眉を寄せる。

 しかも、寝間着姿のロンが邪魔をした。

「誰かいるのか? ハリー、誰と話していたんだ?」

「何の事?」

 剣呑な態度でハリーは冷たく返す。何か言いかけたロンは躊躇いながら口を閉じる。

「どうせ、ベッロと秘密のお喋りでもしてたんだろ」

 そんなことをしていないと言いたいが、ロンは信じてくれない。

 憤りが蘇ったハリーは何も答えず、ロンの横を通り過ぎた。

 

☈☈☈☈

 談話室で【日刊預言者新聞】を黙読し、クローディアは呆れ果てた内容にため息すら出ない。

「ハリーが両親を思って泣くとか、失礼極まりないさ」

 暖炉の火を眺めるルーナがベッロを撫でながら、夢見心地な声でクローディアを振り返る。

「4人の代表選手の記事なのに、ハリー=ポッターのことしか書いてないよ。パパなら、ちゃんと平等に記事に載せるよ。こんな記事、私、よくないもン」

 ルーナはクローディアから新聞を奪い取り、暖炉の火に投げ込む。彼女にしては、過激の態度に驚かされ、口笛を一吹きする。口笛にベッロが周囲を見渡す。

「【ザ・クィブラー】なら、幅広い読者の皆様の意見を取り入れるってわけさ?」

 両手を広げて絨毯に腰かけるクローディアに、ルーナは感心して何度も頷く。

「その通りだよ! クローディア、すごいね。よくわかったね。私、コリン=クリービーに写真を用意させる。クローディアも頼んでくれる?」

「クリービーなら、協力してくれるさ。取材も彼に任せるさ。アイツ、人懐っこい顔してるから、警戒はされないさ。ハリーは……、本人から了解を得て、前に話していたことを載せてもらうさ」

 喜ぶ勇んだルーナはクローディアにしがみついた拍子に、その二の腕が首に直撃した。

 選手達の独占取材と写真撮影を託され、コリンは快く協力を承諾してくれた。

 案の定、ハリーはコリンから逃げたが、セドリック、ビクトール、フラーからの取材を成功させた。

 

 バスケ部の部活中、代表選手・取材記事を記載した【ザ・クィブラー】がルーナに届けられた。コリンにも一部渡し、自分が撮影した写真が雑誌に載るという興奮で踊りだした。早速、デニスや他の1年生と読み始めた。

 クローディアもルーナから一部貰い、目を通す。

【三校対抗試合に起きた異例の事態 4人目は何者かの策略か?

 ボーバトン魔法学校代表選手・フラー=デラクール(17)

 ヴィーラの美貌を己のモノにした魔女、まだ十代とは思えぬ魅力は、まさに非の打ち所がない。代表選手に選抜されたことを誇りに思い、全力を尽くすと述べている。

 ダームストラング専門学校代表・ビクトール=クラム(18)

 先日のワールドカップにおいて、ブルガリアチーム・シーカーを務めた強者。選ばれるなら自分しかないと確信していた分、驚いてはいない。必ず期待に答えると明言している。

 ホグワーツ魔法学校代表・セドリック=ディゴリー(17)

 寮クィディッチチーム・シーカーであり、キャプテンを務めながら監督生。緊張はしているものの、選ばれたからには、全力で挑戦すると意気込んでいる。

 もう1人のホグワーツ魔法学校代表・ハリー=ポッター(14)

 魔法省特別功労賞を授与された『生き残った男の子』。今回の選抜に関し、本人は立候補していないにも関わらず選ばれてしまったと証言。

 この事態に、『国際魔法協力部』バーテミウス=クラウチは、選ばれた時点で強力な制約魔法にかかっている。原因はなんであれ、ポッターは引き下がれないと述べている。『魔法ゲーム・スポーツ部』ルード=バグマンは高名なハリー=ポッターならば、参加に不足はないと判断している】

 4人の個別に撮った写真がそれぞれ一面を飾り、文面も均等に分けられている。最後のクラウチとバグマンの証言は二面だったが、十分と判断する。

「このデラクールの紹介すごいさ」

「あたしが考えたの。男子がヴィーラに違いないっていうし、あたしもあの人はヴィーラの混血だと思うよ」

 ルーナがそこまで断言すると、信じたくなる。

「これおもしろい、良いなあ。僕にも頂戴!」

 ナイジェルに急かされ、ルーナが一部渡した。

「まあ、いいと思うわ」

 ハーマイオニーにも一部渡し、内容を確認してもらう。彼女はスキーターの記事よりマシという反応見せただけで、【ザ・クィブラー】の雑誌そのものには怪訝した。

「私も両親に送りたいわ」

 ダフネが要求してきた時、ハーマイオニーは驚いて雑誌を落としかけた。

 ルーナはセドリック、フラー、ビクトールに雑誌を配る。3人は【日刊預言者新聞】より、選手の情報が明確に記されていることを喜んでいた。そこから【ザ・クィブラー】の話が広がり、少数だが他の生徒も欲しがった。

 クローディアからハリーに渡そうしたが、記事は勘弁と受け取ろうともしなかった。

「それよりも、シリウスから手紙が来たよ! シリウスは公式に『動物もどき』になったんだ。登録の審査とか調査を受けたりしていたから、忙しかっただけなんだ!」

「ちっ、おめでとうさ」

 満面の笑みで舌打ちしたクローディアに、ハリーは何のツッコミも入れなかった。

 多くの人が雑誌を欲しがり、ルーナは喜んでいた。これだけの部数が読まれるのは、シリウスの特集を載せた以来らしい。

「マダム・マクシームがこの雑誌をおもしろいとよ!」

 それが誇りとハグリッドはルーナを褒めていた。

 クローディアがドリスに【ザ・クィブラー】を送ったところ、ルーナに定期購読を申し込んできた。これも彼女を非常に喜ばせた。

 

 第一の課題の日が迫る。

 課題の内容はわからない。ハリーとロンの諍いは終わらない。クローディアは自覚してしまった分ルーピンと顔を合わせられない。ハーマイオニーは課題の役に立つ文献はないかと図書館の本を漁ろうとするが、何故かビクトールが通い詰めている為、ファンクラブの女子どもが騒がしくて集中できない。

 ないこと尽くめだ。

 故に、『ホグズミード村』行きは最高の息抜きだ。

 ハーマイオニーはロンを誘って、ハリーとの仲を取り持とうとした。

 頑固なハリーはそれを嫌がり断った。更に注目されたくないという理由で『透明マント』を被り、ベッロと共に『ホグズミード村』に行ってしまった。

 雪道を歩き、クローディアはハリーの行動に呆れ返る。

「1人でウロウロして、どうするさ?」

「ベッロなら蛇語で話すでしょ? 大声をあげても周囲にわからないと思ったんじゃないかしら?」

 不満そうにハーマイオニーは口を曲げ、頬を膨らませる。

 数少ない娯楽を満喫する為、大勢の生徒が雪道を歩く。ボーバトンとダームスラングの生徒の姿もあった。村に入る手前で、ベッロが雪道を行進している。蛇の周辺には、誰の姿もないのに雪に足跡がついていた。

 クローディアがベッロに声をかける寸前、息を切らしたネビルがやってきた。

「ハーマイオニー、クローディア。ハリー、見なかった?」

「見てないわ」「見てないさ」

 周囲を見渡したネビルは小さく頷き呼吸を整える。

「じゃあ、ハリーを見かけたら伝言してくれる? ディーンからなんだけど、ディーンはパーバティから聞いて、パーバティはシェーマスから聞いたんだ。ハグリッドが呼んでる。城に戻る前に、小屋に寄って欲しいんだって」

 クローディアはベッロを一瞥する。赤い瞳がこちらを見ているので、ハリーも気づいている。

「わかったさ。シェーマスから、パーバティに、ディーンでネビルさ」

「そこは重要じゃないと思うよ。じゃあね」

 微笑んだネビルは小走りに村へと入っていく。

「ネビル、元気そうさ」

「ムーディが本をくれたらしいわ【地中海の水生魔法植物とその特性】、気に入ったのね。ずっと読んでるもの」

 ベッロは既に村へと入っていた。おそらく、ハリーはネビルの伝言を聞いたのだ。

 

 『ハニーデュークス菓子店』には、大勢の生徒で混み合っている。クリスマスに向けた新作お菓子、最後のひとつを手に入れたクローディアは息苦しさに店から出た。店の前で今にも入ろうとするルーピンと鉢合わせした。

「やあ、クローディア。今回の新作お菓子は、まだあったかな?」

 いつもと何ら変わらないルーピンの顔を見ただけで、クローディアの体温は上昇し、耳まで赤くなる。

「え……えと、これが最後でした……。後は、お店の人に、聞かないと……あ!」

 お菓子を両手に持ち、ルーピンに差し出した。

「よ……良かったら、ルーピン先生、た……食べてください、お菓子」

「いいのかい? じゃあ、遠慮なく。ありがとう、クローディア」

 表情を輝かせたルーピンはお菓子の包みを受け取り、礼を述べる。

「クローディア、そこにいると出られないんだけど」

 戸口で立ち止まっていたジョージがクローディアの背中を軽く押しながら進む。

 ジョージは半眼でルーピンを一瞥し、わざとらしく考えるように口を開く。

「店は混んでるから、ここで少し待っているといいですよ。クローディアも連れはお菓子選びに時間がかかりそうなので、じゃあ、そういうことで」

 これまたわざとらしくウィンクし、ジョージはそそくさと立ち去ってしまった。

 無理やり置き去りにされたクローディアは横目でルーピンを見上げる。彼は愛想よく笑いお菓子の包みを開け、クリームチョコを頬張る。

(食べるの早!)

 クリームチョコに舌鼓を打ったルーピンはその一切れをクローディアに手渡した。

「とても甘くて美味しいよ。本当にありがとう、クローディア」

「どう、いたしまして……」

 チョコの一切れを受け取ったクローディアは、騒がしい心拍音を押さえるために、チョコを口に含む。ルーピンが隣にいる緊張感でチョコの味が全然、わからない。

(ジョージの馬鹿が、何を少女マンガみたいな展開をしてるさ)

 胸中で呟くクローディアは、無意識に自分の腕を抱きしめる。

 その仕草を寒気故と誤解したルーピンが、自分が羽織っていたローブをクローディアに被せた。突然、体を覆う暖かさに肩がビクンと跳ねた。

「寒いだろ? 私は平気だから、着ていなさい」

 体が火照って暑いくらいだ。ローブからは微かにルーピンの香りがする。いや、これは薬の香りも混ざっている。

 ルーピンを盗み見たクローディアは彼の衣服が卸したてであることに気づく。ハロウィンのときのような上等な物ではないが、普段着に適している。

「ルーピン先生、最近、恰好良いですね……その服が……」

「他校の客人の前で、みっともない恰好をするなって、マクゴナガル先生やら、シリウスやらが服をくれたんだよ。そう何着も持ってないから、授業中はいつものままだけど、私はそのほうが落ち着くよ。どうも、慣れない恰好は息苦しくて仕方ないからね」

 その中で、誰もローブを贈ろうとしない理由が知りたい。いくら中身を整えても、このツギハギローブで隠されてしまうのでは、意味がないだろう。

「……ルーピン先生は、いつもの服で十分ですよ。そうじゃないとかっこよすぎて話しかけずらいです……」

 驚いたルーピンが目を丸くするが、すぐに微笑んだ。

「そういう感想は初めてだ。いままで一番、嬉しいよ」

 女殺しな台詞だが、ルーピンは素直な感想を述べているだけだ。だから、決してクローディアに好意があるとかではない。彼の性格は理解はしているつもりだ。

 だが、クローディアは口説かれたように心臓が脈を大きくして脳が言葉を放つことに危険信号を出す。それでも口が勝手に動きだす。

「ルーピン先生! あの、私!」

「バウウウウウウウン!!」 

 唐突に横切った黒犬。 

 クローディアとルーピンの間に、悲鳴をあげる黒犬が投げ飛ばされてきた。黒犬は、2人の間を突っ切ると雪に頭を突っ込んだ状態で唸り声を上げた。

 突然の珍客にクローディアはルーピンとお互いの顔を見合う。彼はすぐに黒犬に駆け寄り、胴体を抱えながら雪から救出した。

「盛り上がっているところ、悪いね」

 聞きなれた声に振り返ると、機械的な笑みを不機嫌に変えたコンラッドがいた。その後ろには、小柄でシワシワな老人が顔を顰めていた。

「手紙が来ないから、忘れられていると思ったさ。お父さん」

 コンラッドに会えたというのに、クローディアは少しも嬉しくない。ルーピンのローブを着直し、刺々しい口調で言い放つ。それから、疲れた様子の黒犬を一瞥する。

「まさか、お父さんが投げたさ? 動物虐待さ」

「それは私じゃない。こちらの『闇払い』殿だよ」

 コンラッドの隣にいたはずの小柄の老人がおらず、代わりに肌も麗しく細身の女性がいた。色白に輝く黒い瞳に蛍光色の緑髪、目立つはずなのにクローディアは気づかなかった。『闇払い』は顔を近づけるなり、強張った笑顔で挨拶した。

「ちょっと、ルーピンと話がある。お借りしてもいいかな?」

 有無を言わせぬ迫力にクローディアはただ頷く。満足そうに微笑み、『闇払い』はルーピンの腕を掴んで無理やり歩かせた。

「もう約束の時間だったかな? クローディア、ごめんね。ローブは学校に帰ったら、返してくれ」

 困った笑顔のルーピンは黒犬を抱えたまま、引きずられていった。

 小気味よく笑うコンラッドに見下ろされる。

「いまのところ、誰を最も警戒している?」

 唐突なコンラッドの問いかけにクローディアは悪態をつく。

「客人、全員さ。最初はカルカロフやクラウチだったさ。でも、クラムは図書館に入り浸っているさ。ハリーが図書館に通いだしたのと時期が一致するさ。ペレツはいくらお祖父ちゃんの友達の曾孫さんといっても、城内に関心を持ちすぎてるさ。マダム・マクシームは、ハグリッドとよくいるところを見かけるさ」

「それだけ疑っていれば、世話ないね」

 ほくそ笑んだコンラッドにクローディアは素っ気無く鼻を鳴らす。

「疑い出したらキリがない、それはわかってるさ。失礼にあたることも……。でも、誰かがハリーを罠に嵌めたことだけは確かさ。なんで、ハリーばっかり、こういう目に遭うさ。可哀想さ」

 クローディアは本人の前でハリーを可哀想とは決して口にしない。その言葉が彼を深く落ち込ませると感じるからだ。

 胸の蟠りを抱えたクローディアを横目で見つめ、コンラッドの視線は曇り空を見上げる。

「そこまでハリー=ポッターのことを思いやるとは、予定通りか、予想外か……」

 呟いたコンラッドが嫌悪に満ちた表情で顔を顰める。

 一瞬、クローディアは怯んだ。しかし、その表情の意味はジェームズ=ポッターへの憎悪だと知っている。

「お父さんが何と言おうと、ハリーとは友達さ。ハリーのお父さんと嫌いあっていたらしいけど、私には関係ないさ。変なしがらみを押し付けないで欲しいさ」

 見据えるクローディアにコンラッドは表情を消し、機械的な笑みに変える。

「おまえは誤解している。私達のしがらみの始まりは、ジェームズ=ポッターどもではない」

 その口調はブレーズがドラコ派でないと主張した時に似ている。

「……でも、ブラックがスネイプ先生にしたことをお父さんは憎んでいるんじゃないさ?」

 疑問に答えず、コンラッドはクローディアを一瞥する。

「スタニスラフ=ペレツは問題ない。素性も確かな方だ。それ以外を警戒しておきなさい」

「クラムじゃなくて、ペレツがさ?」

 怪訝そうに見上げたクローディアをコンラッドは口元に弧を描く。

「義父さんの友人を怒らせたくないだけだよ」

 含みを感じ、クローディアが問い返そうとした。『ハニーデュークス菓子店』から、ハーマイオニーがお菓子を手に現れたのでやめた。

 コンラッドに気付いた気づいたハーマイオニーは背筋を伸ばして行儀よく微笑んだ。

 微笑み返したコンラッドはハーマイオニーへお辞儀する。

「マトモにご挨拶するのはこれが初めてですね。ハーマイオニー=グレンジャー。私は、コンラッド=クロックフォード、いつも、クローディアがお世話になっています」

「ご丁寧にありがとうございます。クローディアには、私もお世話になっております」

 礼儀正しくハーマイオニーも挨拶し、コンラッドは微笑する。

「お友達が来たから、私はこれで失礼する。それとこのローブは返しておくよ」

 クローディアの身体を纏っていたローブを剥ぎ取り、コンラッドは『三本箒』に歩いていった。

 

 混雑する『三本箒』で、クローディアとハーマイオニーは隅の席に座る。客人の中には【ザ・クィブラー】を黙読する者もいた。ルーナが知れば喜ぶ。

「クローディアのお父さんって、本当にボニフェース=アロンダイトにソックリね。でも、目の色が確かに違っていたわ。アメジストみたいに綺麗ね」

 バタービールを飲むハーマイオニーが素直な感想を述べる。

「お父さんは翻訳の仕事しているさ。寮の談話室に置いてある小説とか漫画、翻訳したのも、そうさ」

「すご~い、言語に長けてらっしゃるのね」

 そのままクローディアとハーマイオニーは他愛ない話を時間の許す限り話し続けた。

 胸の内に浮かぶ疑問が脳裏に囁いてくる。

 

 ――彼女と彼と何が違う?

 

 ハーマイオニーとなら、何時間でも会話を楽しむことが出来る。しかし、ルーピンとはほんの少しの時間さえ、極度に緊張して言葉が上手く話せない。2人への想いは嘘でも誤魔化しでもない。

 クローディアは、ただ不思議でならない。

 

☈☈☈☈

 騒がしい声が小さくなる『三本箒』の2階。

 スコッチを注いだグラスを片手に持ち、シリウスは窓辺にもたれかかるコンラッドを睨んだ。暖炉の炎を眺めルーピンは親友の態度に複雑な笑みを見せる。

 『闇払い』ニンファドーラ=トンクスは背筋を伸ばし、威厳を保とうとする。

「ハリー=ポッターへの面会はまだ許可できないわ。リーマスに会うっていうから、連れてきたのに、私から逃げてハリー=ポッターに会おうとするなんて……」

「勝手な行動はダンブルドアへの信頼を裏切る。君達2人は裏切り行為がお好みのようだね?」

 機械的な笑みで呟くコンラッドに怒り、シリウスはグラスを乱暴に床へと投げつける。その行動をトンクスは視線で咎めた。

 その後、不機嫌に唇を尖らせ、トンクスはルーピンを見やる。

「それにリーマスもリーマスだ。生徒相手にまあ良い雰囲気ですこと」

「あの子は私に親切だからね」

 呑気に答えるルーピンへトンクスは腕組みし、口中で呟く。

(向こうはかなり本気なのに、鈍感)

 鼻を鳴らしトンクスは、ルーピンから顔を背ける。

「臆病なルーピンが生徒に何もしないよ。まあ、再び、その汚らしい牙が掠りでもしたら、生まれたことを後悔させてあげよう」

 機械的に微笑んだはずが、コンラッドは侮蔑に変わる。本筋から話が逸れてしまい、ルーピンは肩を竦めて苦笑した。

「そんな話をする為に呼び出したのではないだろ? シリウス、手紙では報せられないことか?」

 シリウスは杖を振るい、割れたグラスを元に戻す。

「……リーマス。ハリー達はゴブレッドの名を入れた犯人を探している様子だ。まあ、探していないとは言っていたが……カルカロフとクラウチ氏の息子が『死喰い人』であったという情報も既に掴んでいる。先日、俺はハリーにバーサ=ジョーキンズについて話しておいた」

 やはり、ハリーは大人しくしていない。嘆息も忘れ、ルーピンは髪を掻く。

「……あのバーサか……。今回のことがヴォルデモートに露見したのは、やはり彼女が吐かされた恐れがあるか……。しかし、何も『死喰い人』のことまでハリーに伝えなくてもいいだろう。余計にハリーが不安になる」

「調べたのはクローディアだよ。やはり、君には何の相談もしていないか……」

 話に割り込んだコンラッドをシリウスは再び、睨む。

 だが、ルーピンはクローディアの行動に自然と納得する。もしも、相談してくるならば、教師として彼女達を止める。

 それをクローディアもわかっているのだ。

 ルーピンは瞼を閉じ小さく唸る。

「ダンブルドアはこの件を見守ると判断を下した。私もそれに従う」

「しかし、あなたの娘は少し深入りしすぎじゃない?」

 クローディアの身を案じ、トンクスはコンラッドへ心配そうな視線を送る。視線を受けた彼は微笑み返し、室内の3人に背を向けて窓の外を眺めた。

 窓の外には店から出ていくクローディアとハーマイオニーの姿がある。微笑ましく、2人の少女は手を繋いでいる。

「クローディアは深入りしているのではない。あの子は生まれた時から後戻りのできない渦中にいる」

 端整な顔には似つかわしくない嗤う瞳が部屋を振り返った。無邪気で残酷さが際立った表情にトンクスは寒気で背筋が粟立つ。シリウスも滅多に見ないコンラッドの瞳に、躊躇した。ルーピン1人が淋しそうに眼を伏せた。

「セブルスには、何と伝える?」

 その名にコンラッドから途端に笑みが消える。

「伝えたければ、伝えればいい。そこは君に任せようルーピン。言えやしないだろうけどね」

 冷たく吐き捨て、コンラッドはすぐに機械的な笑みを浮かべる。クローディアは自分達のしがらみを非難していた。まだ彼女には、しがらみが強い絆となることを知らない。

 だが、捨て去るべきモノも確かに存在する。

(セブルス、君がしがらみを断ち切れない限り、私も計画を変えない)

 脳裏に浮かべるスネイプはコンラッドに笑いかけなかった。

 




閲覧ありがとうございました。
ハーマイオニーは、前歯に関してだけドラコに感謝である。ルーナなら、不公平な記事は燃やしそう。誰か、ルーピンにローブ買ってあげて!

●ニンファドーラ=トンクス
 シリウスの従姉の娘。マッド‐アイも認める優秀な『闇払い』。


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11.第一の課題

閲覧ありがとうございます。
ドラゴン!ドラゴンだ!

追記:17年3月7日、誤字報告により修正しました。


 今回、クラウチの書類が早めに片付いたらしく、1週間ぶりに部活動が再開出来た。

 用具を準備していると、ハリーが思いつめた顔でクローディアとハーマイオニーに相談しに来た。

 嫌な予感に、クローディアは魔法で扉を開けられないようにした。盗聴対策として、教室に『防音の術』もかける。

 昨晩、ハリーはハグリッドに『暗黒の森』に連れて行かれた。そこで、第一の課題の内容を知った。

「第一の課題が……ドラゴン!?」

「それって、倒せってことさ? ハグリッドが悲しむさ」

「僕の身を心配してよ!?」

 不謹慎とは思うがクローディアの意見は最もだと自負している。

「チャーリーが仲間とルーマニアから運んで来たんだ。ハンガリー・ホーンテール、ウェールズ・グリーン種、スウェーデン・ショート・スナウト種、中国火の玉種だ。チャーリーはホーンテールが一番、危険だって」

「チャーリーと話したさ?」

 これにハリーは頭を振る。

「僕は『透明マント』を被っていたよ。ハグリッドに話していたんだ。ハグリッド、マダム・マクシームを連れて来てたよ。城に帰る途中、カルカロフも見かけた。きっと、すぐにクラムとフラーにも伝わる」

「なら、すぐに調べましょう! そうね、私がルーピン先生に聞いてみるわ。授業の質問のようにね。ハリーはハグリッドにでも聞いてみて! 全く、本当は昨日の内に聞くべきだったのに、マダムとイチャイチャしちゃって……。クローディアもバーベッジ先生にそれとなく聞いてみて」

 

 ――3人はすぐに行動した。

 

 クィディッチがないことが本当に幸いだ。バスケ部の勧誘を手助けになる。それに代表選手が決まったことで、ようやく部員も戻って来た。

 ただ、グリフィンドールとハッフルパフの間では見えない火花が散っていた。

 アーミーとシェーマスはゴールひとつに向かい、競うようにボールを投げつける。お互いのボールが邪魔してリングにすら触れられない。挙句、2人のボールがモラグの背を強打した。

「あなたは素敵な禿げ頭だそうね!」

「余計なお世話だ!」

 ケイティとクレメンスがいがみ合いながら、ボールを投げ付け合う。クローディアはボールで突き指したアンドリューを労わりつつも、2人を眺める。

「サマーズの禿げ頭ってなんのことさ?」

「聞いた話だけど、『炎のゴブレッド』を出し抜こうとして爺にされたんだってよ」

 アンドリューはせせら笑っている。

「グリフィンドールのところのフレッドとジョージも立派な髭だったでしょう」

 不機嫌そうにスーザンがアンドリューを見下ろす。わざわざ、グリフィンドールを強調する辺りが対立を物語っている。

「なんか、怖い雰囲気だな……。まるで、クィディッチの試合中みたいだ」

「完全にセドリック派とハリー派に分かれてるって感じだな」

 呆気に取られたバーナードの呟きに、ザヴィアーがげんなりする。2人の足元では、エディーが倒れ伏していた。アンジェリーナとアルフォンスの凄まじいボールのパスに巻き込まれたのだ。

 ルーナはジニーを連れて、とっくに逃げ出した。マンディは様子だけ見に来て、我関せずと逃げ去った。

「ちょっと、痛いじゃない!」

「そんなつもりはないよ」

 デメルサがデレクに怒鳴りつけた。ボールをパスする威力に文句を言っているのだ。 普段は見られない光景、ダフネ達は愉快そうに見物している。

「こらあ! 仲良くしなさい!」

 大事な部室で乱闘まがいを繰り広げる生徒に対し、遂にバーベッジがブチ切れた。

 

 午後になり、他校の生徒が見学に訪れ出す。そうなると流石に生徒達も露骨ないがみ合いは控えた。

 ようやく、真面目な部活動を行える。クローディアは全員を呼び集めてチーム分けを行う。5対5の試合を行わせると自然な応援する声が部室を賑わせた。

 それから、他校の生徒にもボールを体験させる。いつの間にか現れたロジャーがフラーに手取り足取り、バスケの基本を教授する姿が目立った。

「乗り換えたんだわ」

「うわお! ……パドマ、いつ来たさ」

 足音もなく(騒がしくて聞こえなかった)パドマは、クローディアに耳打ちしてきた。

「テリーがおもしろい……じゃなくて、大変なことになっているって教えてくれたの」

 そういえば、最初にいたテリーがいなくなっていた。

「なら、そこで見学しているさ。いまから、フリースローの手本をやるさ」

 スチュワートに声をかけてから、クローディアはゴールに目がけてボールを投げる。ボールは寸分の狂いもなくリングに吸い込まれた。緊張した顔つきで、スチュワートもフリースローに挑戦するが、狙いを大幅にズレて落ちた。

「あんなにクローディアにご執心だったのに、ロジャーったら、酷いわ」

「私は全く気にしてないさ。ロジャーはいい男さ。良い男には良い女さ」

 大げさに肩を竦め、クローディアはパドマに答える。

「まあ、あなたも他校の生徒と仲がいいしね。ダームストラングの人」

「ペレツのことさ? アイツは知り合いのご家族さ」

 デニスとエマがボールをパスの練習をしていたが、手が滑ってフレッドとジョージのボールに直撃する。そのボールをネビルが必死に受け止めた。

 ボールを失ったフレッドとジョージはリーとジャックの4人でパスを回した。

「そのペレツ、絶対、あなたに気があるわよ。ほら」

 パドマが視線で扉を指す。扉にはスタニスラフが他の生徒と見学していた。

「マグルの競技が珍しいだけさ」

「謙遜しないで、こういうことがきっかけになるのよ。それに3校の親睦を深めるんだから、貴女はその役割を果たしているわ」

 愉快そうなパドマの背に、コリンの投げたボールが誤って飛んできた。パドマは全く気付かないので、クローディアは片手でボールを受け止めた。

 

 時間になれば、それなりに満喫した生徒達はボールを一か所に集めて解散して行く。全員、外に出したことを確認したクローディアは教室に施していた『魔法封じ』と『防音の術』を解く。その作業をスタニスラフは、扉にもたれてた体勢で眺めていた。

「そういった魔法は、お祖父さまから教わったのですか?」

「全部、授業と先輩から習いました。ペレツはいつも船で何をしているのですか?」

 教室の扉を閉めたクローディアは何気なく問いかける。

「授業ですよ。僕も卒業を控えていますので、講師の方も一緒に来ています。もしかして、一日中、呆然とやり過ごしていると思っていましたか?」

「少しだけですが、思っていました」

 素直なクローディアに、スタニスラフは噴出して笑う。

 中庭を抜けようと廊下を進むと『汚いぞポッター』のバッチを着けた生徒が目立ち始めた。それをスタニスラフは、冷ややかな視線で眺める。

「【日刊預言者新聞】のこともあるのでしょうね。あの記事は酷い。カルカロフ校長がお怒りでしたよ。でも、【ザ・クィブラー】は良かった。公平に特集が組めていましたし、何よりフラー=デラクールの紹介文がユニークです」

「その言葉はどうかルーナ=ラブグットにお願いします。あの雑誌は彼女の父が編集長ですから」

 己の父の雑誌が称賛された。ルーナは、さぞ喜ぶに違いない。

「君の父親がどう思おうと知ったことか!」 

 中庭に出ようとした時、ハリーがドラコに向かって怒鳴りつけた。周囲の生徒を注目させるに十分な大声だ。

 ドラコにはお決まりの取り巻きがおり、ハリーは軽蔑の眼差しで彼を睨んだ。

「父親は邪悪で残酷だし、君は卑劣だ!」

 吐き捨てて背を向けたハリーに、屈辱に顔を顰めたドラコが杖を向く。クローディアが声をあげようとしたが、その前にスタニスラフが素早く杖を取り出し、駆け出すのが速かった。

「そうはさせん!」

 スタニスラフの杖がドラコに向かい、光線を放つ。彼の身体が回転しながら縮んでいった。

 ドラコが立っていた場所には、1匹の白鼬がちょこんと座る。衝撃の瞬間に、その場にいた全員が呆気に取られた。

「後ろから襲うとは、卑怯極まりない!」

 白鼬に向かい厳しく言い放つスタニスラフは、手首だけ動かし杖を上下に揺すった。すると白鼬は宙を振り回された。

 その行為にドラコの取り巻き以外の生徒が笑い出し、ハリーもクローディアと顔を見合わせ、その無様な姿に笑いだす。

「何の騒ぎです!?」

 騒動を聞きつけたマクゴナガルが血相を変え、駆け寄ってきた。

「こんにちは」

 それでもスタニスラフは杖を振り回したまま、教頭に挨拶した。

「あなたは何をしているのですか?」

「罰を与えています」

 率直な答えにマクゴナガルは言葉を失い、口をパクパク動かす。

「そ……それは、生徒なのですか?」

「いまは、白鼬ですよ」

 白鼬を空中で回転させ、そのまま地面に下ろした。すぐにマクゴナガルが杖を軽く振るうと、白鼬は風を纏うようにドラコへと変じた。紅潮した顔は荒い息を吐き、髪は乱れきっている。スタニスラフを目にすると、飛び上がって後退りした。

「父上が黙ってないぞ!」

 泣き声に近い叫びに、スタニスラフは全く動じず、堂々と胸を張った。

「我らダームストラングはグリンデルバルドの一件以来、無抵抗の者への攻撃は、どのような理由があろうと厳しく処罰させる。それが道理というもの!」

 毅然としたスタニスラフは宣誓する選手のように威厳があり、そのままにドラコを睨む。

 羞恥心に染まったドラコは怯みながらも、どうにか睨み返した。

 野次馬は意外な名前にボソボソと囁きあう。

「グリンデルバルドって、確かダンブルドア校長が倒した闇の魔法使いだよな」

 マクゴナガルは咳払いし、スタニスラフとドラコの間に立つ。

「本校では! 懲罰に変身術を使う事は決してありません。あなたの行いはカルカロフ校長先生にお話致します」

「マクゴナガル先生! 彼は僕を助けてくれたんですよ。マルフォイは僕を後ろから襲おうとしていました!」

 口を挟んだハリーをマクゴナガルは視線で黙らせる。

「マクゴナガル先生」

 杖を突く音が廊下から、中庭の芝生へと降り立つ。全員の視線がムーディに釘付けとなる。

「わしの目が全てを見ていた。そこのマルフォイとペレツは、わしがそれぞれの先生に事情を話して引き渡しておく」

「では、アラスター。くれぐれも事を荒立てないように。皆さん、見世物ではありません! お行きなさい!」

 一喝。野次馬の生徒達はドラコの醜態に笑いながら中庭から去っていく。

 ムーディは逃げようとするドラコのローブを引っ張り、スタニスラフの腕を掴んで歩き出す。

 連行されるスタニスラフへクローディアは不安に駆られる。

「ペレツ、ごめんなさい。あなたの立場が……」

「ご心配なく、悪くても国に帰されるだけですから、ハリー=ポッター。試合、頑張ってください」

 穏やかな表情で声をかけられ、ハリーは頷くことしか出来なかった。

 

 その後、クローディアはハリー、ハーマイオニーと誰もいない部室に集合する。

「ルーピン先生は『結膜炎の呪い』が適切じゃないかって言っていたわ。そっちは?」

「うん、ハグリッドが『呼び寄せ呪文』で箒を呼んだらどうかって言ってくれた。僕がシーカーだから」

「こちらは収穫ゼロさ。皆の対立が凄まじかったさ。『結膜炎の呪い』はハリーには難しいさ。『呼び寄せ呪文』なら、授業で習っているさ」

 急にハリーは口ごもる。

「……僕、まだ『呼び寄せ呪文』、うまく出来ないんだ」

「練習あるのみね。アクシオ!(来い!)」

 手本として、ハーマイオニーは『呼び寄せ呪文』で【基本呪文集4年生】を呼び込んだ。

 早速、ハリーは呪文の練習に打ち込んだ。その間、クローディアはハーマイオニーにスタニスラフがドラコに対して魔法を行ったことを話して聞かせた。

「グリンデルバルドか……、凄い名前が出たわね。勿論、ペレツの行動が一番、ビックリしたけど」

 まさか、他校の生徒がドラコを白鼬に変えるなど、誰も想像できない。ましてや、ドラコが入学し損ねたダームストラング生だ。屈辱も大きいだろう。

 段々、クローディアは不安になり、スタニスラフの身を案じる。

「こんな騒ぎを起こして……マルフォイが何もしないといいけどさ」

 杖を下ろし、ハリーも溜息をつく。

「僕のせいでペレツが帰国になったら、どうしよう……。どうやって詫びたらいいんだろ?」

「あなたは『呼び寄せ呪文』を完璧にすることを考えなさい」

 強く言い放ったハーマイオニーに、少しも術が進歩しないハリーは素直に頷いた。

 

 翌朝、太陽の光と共に目を覚ましたクローディアは適当な衣服に着替えて寮を飛び出した。朝露で瑞々しい植物たちが光に反射して眩しいと感じつつ、湖へと赴く。

 湖の畔に人影がある。それは何故か上半身を晒したスタニスラフだ。彼の足元に上着が脱ぎ捨てられている。剥き出しの筋肉は鍛えられ、無駄がない。

「ペレツ、おはようございます」

 クローディアの挨拶に、ペレツは首だけ振り返る。

「これはクロックフォード。おはようございます」

 丁寧に挨拶を返したスタニスラフは散らばった上着を着込んでいく。

「その恰好、どうしました? もしかして……一晩中ここに?」

「よくわかりましたね。一晩、ここで立ち尽くしていたんです」

 簡単に話す態度は、軽い。完全に慣れた様子だ。もしかして罰則かもしれない。自分の責任だとクローディアは、俯き加減になる。心情を察したスタニスラフは、愛想よく微笑んだ。

「自主的に立っていただけですよ。立ったまま寝るのが好きなんです。カルカロフ校長も怪我がないのなら、騒ぐ必要がないとおっしゃりましたしね」

「そう……ですか、あの、ありがとうございます。ハリーのこと」

 言葉が終わる前に、スタニスラフが手で制した。

「その話は、もうなしにしましょう。それに、貴女が礼を述べるのは奇妙ですよ」

「なら、私もこの話はしません」

 不安の表情から一転し、クローディアは明るく笑う。昨日のスタニスラフが思い返される。中庭で彼が口にした名、ゲラード=グリンデルバルド。ダンブルドアに一騎打ちにて敗北し、表舞台から姿を消した魔法使い。何故、ダームストラングは彼の魔法使いに拘りを持つのか、疑問だ。

「ペレツは、グリンデルバルドに詳しいのですか?」

 何気ない問いに、スタニスラフは少し驚いた表情で頬を掻く。

「この国では、グリンデルバルドの脅威はあまり伝わっていないようですね。ダンブルドア校長を恐れていたという噂ですが、……『例のあの人』のせいですかね」

 皮肉っぽいスタニスラフは湖の畔に胡坐を掻く。手招きし、座るように誘う。手招き似応じ、彼の隣で体育座りを決め込んだ。やはり、地面は湿っている。

「グリンデルバルドは、ダームストラングの生徒でした。僕の曽祖父も顔を合わせています。その時のことを曽祖父は語りたがりません。でも、ひとつの事件だけ、僕に話してくれました。グリンデルバルドが1人の生徒を殺害しようとした事件です。それによって、奴は学校を追放されました」

 淡々と語るスタニスラフに、クローディアは緊張で手に汗が滲む。グリンデルバルドが彼の校の生徒だったというのも驚きだ。しかも、殺人未遂を起こしているなど、『例のあの人』と行動がほとんど同じだ。

「治療が早かったので、その生徒は命を取り留めました。ですが、同時期にその生徒の後見人が亡くなり、学費を払えなくなったため、学校を去りました。時期が合いすぎたため、その生徒は臆病風に吹かれて学校を辞めたという噂が続いたそうです」

「……その生徒さん、可哀相」

 脳裏を掠めたのは、トム=リドルに殺されたマートル、濡れ衣を着せられたハグリッド。それにより、愛する人と親友を失ったボニフェース。顔も知らぬ相手に、クローディアは同情を禁じえない。

「その生徒さん、どうしたんでしょう?」

 気落ちしたクローディアは心底、哀れんだ気持ちで呟く。その態度を慰めるように、スタニスラフが彼女の肩を叩いた。

「元気でやっていますよ。少なくとも、お優しい心を持ったお孫さんに恵まれています」

 無事に家庭を築いていると知り、クローディアは胸を撫で下ろした。

「その方には、お会いしたことあるのですね?」

 この問いに対し、スタニスラフは頭を振るう。

「僕は面識はありませんが、あなたがよく知っている方ですよ。なんせ、貴女のお祖父さまですから」

 瞬間、スタニスラフが悪戯っぽく微笑んだ。

 クローディアの周囲に、一陣の風が吹く。

「は? わ……私のお祖父ちゃんさ!?」

 素っ頓狂な声が響く空に、トトの満面の笑みが浮かんだ。

 

 睡眠不足と朝から知った衝撃事実、クローディアの脳細胞の働きは悪い。授業の為、頭を切り替えなければならないというのにスタニスラフからの情報が耳に聞こえる。

(お祖父ちゃんは、学校を辞めたんじゃなかったさ。本当は学費が払えなくて……そういえば……。夢のような場所だったとか……、そんな場所を割りに合わないからって辞めたりしないさ。私が追求したから、あんな答え方したさ)

 『数占い』の授業で数字の羅列を読みながら、クローディアは唸り声を上げる。ベクトルが不信な視線で見守った。

 授業が終わり、唸り終わらない。ハーマイオニーが苦笑する。

「そんなに難しい公式だったの?」

「朝、お祖父ちゃんについて衝撃的なあぁ……おう」

 今朝の話をしようとしたが、スネイプが廊下の向こうから歩いてくる。しかも、異様な空気を醸し出している。

 急いで2人は方向転換しようとした。

「待て、ミス・クロックフォード。そう急ぐこともあるまい。話がある。口答えは許さん」

 ハリーの『呼び寄せ呪文』を訓練する約束があったが、仕方ない。クローディアはハーマイオニーと視線で会話し、乱暴に廊下を進むスネイプに従った。

(心当たりが多いさ……。まさか、ペレツのことをマルフォイが……訴えたさ? だとしたら、……でもカルカロフは事を荒立てないって言ってたさ)

 地下教室へ下り、スネイプの研究室に連行された。

 以前もここに来た。あれはクィレルのことを問いつめに来た時だ。

(早く、出たいさ)

 室内の寒気と不気味さが、肌寒い。そう考えた瞬間、暖炉の炎が燃え上がった。

「こそこそと何を嗅ぎまわっておるのかね?」

 暖炉に意識を取られていたクローディアは、闇色の声で反射的に肩をビクンッと跳ねらせる。だが、スネイプの詰問は予想とは違うので少し安心する。

「何も嗅ぎまわってなどいません」

「嘘をついても無駄だ」

 眼前にスネイプの顔が迫り、クローディアは思わず壁の棚に後ずさった。

「カルカロフとクラウチJrのことを調べ上げたのだろう?」

 何故、知られたかはわからない。しかし、スネイプのご機嫌の悪さは、それが原因のようだ。

「万が一に備えるための情報が必要です。『闇の印』に次いで、4人目の代表者……」

「それを考えるのは! 貴様ではない!!」

 スネイプの腕がクローディアの真横に乱暴に突き出された。衝撃で一瞬、容器達が揺れる。容器と同じで、彼女の心臓も驚いて揺れる。

「貴様は己の力を驕っておるのだ。忘れているようなので、思い出させてやるが、貴様はバジリスクに襲われ石化した! 更にブラックを殺そうとした挙句、人狼に噛まれ死に掛けた! それを助けたのは、誰だ!? 『蘇生薬』を調合したのは、我輩だ! その首に傷を残らぬようにしたのは、貴様の祖父とコンラッドだ! 貴様は己の力で何も成し遂げてはおらん!」

 間違いはない。確かに自分は、いつも誰かの助けがあった。『賢者の石』のときも、1人ではなく、ハリーと2人だった。そして、『解呪薬』だ。自分1人なら、何も出来ていない。

 だが、それを理由に引き下がる気はない。

「だから、何! 友達が危険に晒されたときに、そんなことを言っていられるわけない! それに! 私は自分のしたことに、決着をつけるんだ!」

 クィレルは必ず現れる。この強い確信を持って、敵に備えるのだ。クローディアの視線は、スネイプの向こうに見えないクィレルを捉えていた。

 知ってか知らずか、スネイプの凄みが増す。

「それは自分勝手な自己犠牲だ! 貴様が死んだら、コンラッドはどうなるのだ! ポッターの為に貴様が命を落とすなど、奴は断じて認めんぞ!」

「お父さんとは関係ない! それに私が……」

 研究室に近づく足音に気づき、クローディアは扉を釘付けになる。彼女の様子から、スネイプも扉に注目した。

「「スネイプ先生、罰則を受けに来ましたよ~」」

 張り詰めた空気を壊す呑気な口調はフレッドとジョージだ。ひょっこと研究室に顔を出した双子は、クローディアに迫るスネイプの構図にわざとらしく笑顔を硬直させた。

「「すみませ~ん、お邪魔でしたか?」」

 ヒューヒューとフレッドとジョージは口笛を吹く。

 スネイプの腕を跳ね除けたクローディアは、堂々とした態度で首を振る。スネイプに一礼し、フレッドとジョージの間を通り抜けようとした。

「あ~、昨日のマルフォイのことだろ?」

「見事な白鼬だったんだって?」

 愉快そうに目を細める双子がスネイプを見やる。スネイプは微かに口元を痙攣させた。

「違うさ。2人とも、あんまり口を動かすと罰則が重くなるさ」

「「は~い」」

 何の問題もない軽薄な口調で答える双子に、クローディアは自分の中で鋭くなっていたトゲが抜け落ちておく感覚を覚える。

 気づけば、クローディアの口元が優しく微笑んでいた。

 クローディアが階段を上っていくのを見届けた双子に、スネイプは訝しげな表情を向ける。

「我輩の記憶が確かなら、君たちへの罰則はないが?」

 適当に言い放つスネイプに、フレッドとジョージは恍けたような笑みを見せた。

 スネイプは望み通り、双子に清掃活動を命じた。

 

 待ち焦がれた11月24日。

 午前中の授業を終え、昼食を済ませた観衆の生徒達は会場へと足を運ぶ。会場は、クィディッチ競技場を利用していた。だが、場内は芝生ではなく、ゴツゴツとした岩場に変えられている。そして、何処からともなく、猛獣の吠えが周辺に響き渡った。

 事情を知る者は、それがドラゴンの声だとわかる。

 既に観客席へ腰かけていたクローディアはベッロを頭に置く。興奮と緊張で熱くなる頭を冷まそうとする。本物のドラゴンをこの目に出来る喜びはあるが、胸中の奥底で恐怖する声もある。それはそうだ。自分が体験した試合など、この課題に比べれば小さな点取り合戦に過ぎない。

 

 ――ドラゴンへの畏怖。

 

 見物人である自分でさえ、緊張しすぎて息が詰まる。

 4人の選手は、命の危機感すら感じているに違いない。立候補した3人は覚悟…ドラゴンは予想外であろうが、それなりにあるだろう。だが、巻き込まれたハリーはどれだけの不安に苛まれているか、あまり考えたくはない。

 クローディアの隣で、緊張を通り越したハーマイオニーは呼吸困難に陥っている。2人の前に座るロンも、前かがみになり爪の先を噛んでいる。お祭り気分で楽しんでいる生徒もいたが、何処となく表情が固い。

「は~い、賭けて賭けて~♪」

「フラーは十倍ね♪」

 その中で、賭け箱を抱えたフレッドとジョージが威勢良く走り回る。彼らの快活な表情に自然と銭が貯まって行く。その元気が何処にあるのか、もしくは何処から来るのか聞いて見たい。

 クローディアに賭け箱を突き出してくるジョージを見上げ、胸中で自嘲した。双子のやり方を見習ったところで、同じようにはなれない。

(ハグリッドのノーバートは、幼獣だったさ。今度は……成獣、恐がるなってほうが無理さ)

 不意にハーマイオニーがクローディアの腕を掴む。彼女が無意識に指先に力を込めているせいか、爪が服越しに腕へ食い込んでいる。胸中が不安に満ちている証拠だ。

「ねえ、クローディア。一緒に行かない? テントへ」

「OK、いっちょ元気づけてくるさ」

 緊張した笑みでクローディアは、ベッロを後ろの席にいたパドマとパーバティに預けた。

 ダンブルドアが開戦前の演説を始めたらしいが、選手控えテント付近に忍び寄る2人は、ほとんど聞き取れない。

《安全の為に、席を立たないように》

 テントの布へ微かに触れながら、布地の割れ目に到着する。

「ハリーいるさ?」「ハリー、ハリー」

 布地の向こうから、近づいてくる気配がある。

「ハーマイオニー、クローディア?」

 躊躇いながら問いかけてくるハリーに2人は一安心だ。唇を痙攣させたハーマイオニーが言葉を発する前に、クローディアが声をかける。

「まあ、せいぜい頑張れや」

 能天気な口調で声援され、ハリーは返答に困る。

「た、他人事?」

 ハーマイオニーが弁解しようとしたが、クローディアが彼女の口を塞ぐ。

「ハリーの方法は、もう決まってるさ。私から何か言っても混乱するだけさ」

 最高潮に明るい声の後、ハーマイオニーがテントの中へと飛び込んだ。クローディアは驚いて後に続く。

 ハーマイオニーがハリーに抱きついていた。

 瞬間、カメラのフラッシュ音と光が2人を捉える。

「若き恋人達ね」

 特ダネを得た喜びにスキーターが愉快げな足取りでテントへ入ってきた。高飛車な印象を受ける服装に、マルフォイ達とは別の角度で人を見下す人種だと察した。

「もし何かあったら、一面はあなた達よ」

 それが記事を面白くする。

 口には出さないがスキーターの態度はそれを如実に表している。

「ここに、用はないはずだぁ。ここは選手と友人の為のテントだぁ!」

 厳しく咎めたのは、ビクトールだ。何の建前もなく、退室を命じる威圧感に、スキーターは笑いながら戸惑い、余裕を持って肩を竦める。

「いいざんしょ。欲しい写真は撮れたザンス」

 笑う目つきで選手を見渡したスキーターは相棒のカメラマンとテントを後にした。入れ替わりにダンブルドア、マダム・マクシーム、カルカロフ、バクマン、クラウチが現れた。

 流石に場が悪くなり、クローディアはハーマイオニーの肩を抱く。

「私達も行くさ、ハーマイオニー」

「うん、じゃ……ね。ハリー」

 唾を飲み込んだハリーは、2人を見つめて小さく頷いた。

 

 開始の大砲が撃たれ、遂に試合は開始された。会場全体に観衆の吼える声が地面を揺らす。

 蒼白になったハーマイオニーは叫ぶよりもクローディアの腕にしがみ付いてくる。腕の血流が止まりそうだが、自身の体内が興奮で湧き上がっているため、気にならない。

 はずだが、もう片隣にいるルーナまで腕にしがみ付いていれば、流石に痛い。それどころか、クローディアの後ろにいるジニーまで、両肩を掴み耳元で荒い呼吸を繰り返している。

「ルーナ、この課題の内容、よく覚えておくさ」

「うん、パパが自動速記羽根ペンを貸してくれたの。書き逃さないように、大丈夫だもン」

 痙攣するルーナは懐からウネウネと動くペンを取り出したが、書き取るためのメモ用紙がない。しかし、クローディアはそこにツッコミを入れる余裕がない。

 足場の悪い会場に覚悟を決めた表情のセドリックが登場すると、一段と声援が激しくなった。

 

 3人の選手がドラゴンから黄金の卵を奪い取ることに成功した。

 最後の1人、ハリー=ポッターが会場に姿を見せる。これまでのドラゴンとの死闘を目撃した観衆には、ハリーを非難する者は誰1人としていない。

 最早、彼もドラゴンに挑む勇敢な生徒なのだ。

 刹那、空気が止まった。背筋を走るのは、感動と畏怖と恐怖と期待だ。

 風を起こす翼の音が岩場へと舞い降りる。

(4匹中、最強のドラゴン、ハンガリー・ホーンテール……)

 棘が皮膚と一体化した黒い鱗。黄ばんだ目つきは全てに殺意を放ち、唸り声を上げている。このドラゴンへの印象は獰猛だ。

 ハリーが唾を飲み込んだとき、ホーンテールの尾が乱暴に振り降りされた。反射的に彼は岩場の影に逃げる。尻尾は岩場の表面を削りこんだ。

(すごい破壊力、人間に当たったら身体が潰れるさ……。なんか、他のドラゴンに比べて皮膚も硬そうだし、……これが生徒に出す課題さ? 命賭けすぎさ……)

 ホーンテールを観察していたクローディアは、ハリーが杖を突き出すのを見逃した。

「アクシオ!!」

 正しく唱えたとき、ハーマイオニーが指先に力がより入る。

 ホーンテールが翼を広げ、口の中から炎が零れた。必死にハリーが空を見上げる。炎が岩場の影にいるハリーに狙いを定めた瞬間、空気を突っ切る音が会場へ飛び込んできた。

 ファイアボルトが『呼び寄せ呪文』に応じて現れたのだ。

 すぐにハリーは、ファイアボルトへと跳びこんだ。身体がファイアボルトに跨って空高く舞い上がった。

「ハリー!! 頑張れ! 行けえ!」

 馴染んだ声援は、クローディアの前の席……ロンからだ。

 拍手喝采の中、ハリーがホーンテールを出し抜き、黄金の卵を抱え取った。これで、第一の課題は無事、終了した。

 感動と安心で脱力したクローディアは、その場で前かがみに項垂れた。表情が緩みきり、にやける。

(良かったさ、ほんとうに……)

 完全に無防備だったクローディアの服をハーマイオニーが掴んだ。

「ぼーっとしてないで、ハリーのところに行きましょう!」

 余韻に浸る暇さえもらえず、クローディアはハーマイオニーに連行された。ハリーの身を案じているのが、理解できるが少し時間が欲しかった。急ぎ足で人混みを抜けていく中、ロンが着いてくる姿を確認した。

 

 選手控え用テントから、偶然ハリーが出てきたのは、幸いだ。

「ハリー! やったわ!すごい!」

 ハーマイオニーが祝福の叫び声を上げる。それよりも、ハリーはクローディアの後ろにいるロンに驚いていた。

「ハリー……、君の名前をゴブレッドに入れた奴は、君を殺そうとしているんだと思う……」

 深刻な口調で断言するロンは、以前と同じハリーの友達の顔だった。

「今頃、気づいた?」

 冷たい口調だったが、ハリーの目つきが少し穏やかになっている。

「ネビルが君にハグリッドが呼んでること伝えただろ?」

「それはディーンがパーバティから、それに元々はシェーマスだって」

 怒気を含んだ口調にロンは少し慌て出す。

「本当はシェーマスじゃないんだ。僕からの伝言、それで僕の気持ち伝わると思って」

 訴えてくるロンは、謝罪を込めた視線でハリーを見つめた。

「そんな、わかんないよ。だって、意味不明だもん」

 複雑に口元を歪ませるハリーの表情はロンの意思を汲み取り、謝罪を受け入れていた。

 2人の曖昧な表情を交互に見つめ、微かに情況を理解したクローディアとハーマイオニーは喜んでいいものか、それとも長すぎた時間に呆れていいのか、複雑だ。

「男の子って……」

 最後まで言わなかったが、ハーマイオニーは最大級の親しみを込めている。

「おかえりさ! ロン」

 クローディアはロンの肩に腕を回す。

 ロンの背が高いので、クローディアは背伸びした。ロンもハリーの肩に、ハリーもハーマイオニーの肩に、腕を回す。そして、ハーマイオニーはクローディアの肩に腕を回した。ロンが身を屈めて、4人の高度を合わせる。

 やっと、いつもの自分達になれた瞬間だった。

「君達、得点を見に行かないのかい?」

 キョトンとしたチャーリーに声をかけられる。4人は笑いながら、まだ競技中であることを思い出した。

 

 選手への得点が終わり、ハリーはバグマンから次の課題についての説明を受けた。試合の結果を手紙で報らせる為に、4人はフクロウ小屋へ赴く。

 ロンはこれまで集めた情報を聞き、カルカロフを真っ先に疑った。

「汽車でマルフォイが自分の親父はカルカロフと親しいみたいに話していた。絶対、奴の仕業だ」

 ハリーはヘドウィックにシリウスとドリスへの手紙をもたせた。その後ろでクローディアは人工的な感触のする黄金の卵をロンと投げ合う。

「次回は2月24日さ。それまでに卵の謎を解け、か。おもしろそうさ」

「解くのは僕なんだけど……」

 苦笑したハリーは急に口ごもる。同時に彼から、歓喜が消えた。

 気付いたクローディアは黄金の卵をハーマイオニーに投げる。ハリーは深呼吸し、意を決したように口を開く。

「クローディア、ワールド・カップの前に見た夢のことで……君に伝えていないことがあるんだ。その夢に、クィレルがいた。ヴォルデモートに……仕えていた」

 覚悟していたはずだが、実際、耳にすれば少なからず動揺した。悪寒に近い焦燥、失望に近い絶望が背中を駆け巡り、指先が痙攣した。

「そう」

 素っ気無く、それでも自然に吐き出した。

「やっぱり、教えていなかったのね」

「ハリーらしいよ」

 ハーマイオニーとロンは、クローディアの反応を窺う。2人の目から見て、彼女は明らかに沈んでいた。問題は本人が気付いているかだ。彼女は何かを思い返したように目を泳がせる。

「……そういえば、こっちも言い抜かったさ。スネイプ先生に私達が元『死喰い人』の情報を集めていることがバレたさ」

 ロンが「ゲッ」と呻く。

「遂に気付かれたわね。でも、私達には何も言ってこないわ」

「もしかして、僕らじゃなくて、君が調べたことに気付いたんじゃないかな? だって、僕がやったと知れたら、絶対、こっちにもお小言が来るはずだ」

 ハリーの意見に、クローディアは考えを纏める。思い付くは、ひとつの方法だ。

「お父さんがスネイプ先生に話してしまったかもしれないさ。この前のホグズミードでお父さんが来ていたさ。ルーピン先生と知らない『闇払い』と話があるってさ」

「僕、ルーピン先生に聞いてみるよ。きっと何か知っているはずだ」

 嬉しそうにロンが手をあげる。

「皆で聞きに行きましょう。明日は通常授業だから、夕食の後がいいわ。ロン、ピッグウィジョンに手紙を持たせて頂戴」

 ハーマイオニーが鞄から筆記用具と羊皮紙を取り出し、ロンに渡す。ロンは意気揚々と手紙を書き、ピッグウィジョンにもたせた。役目を貰い、ピッグウィジョンは喜んで飛び去った。

「ハリー、談話室に帰ろう! 皆、君にびっくりパーティを用意しているはずだ! クローディアも来いよ!」

「言うと思ったさ。ペネロピーにすぐに帰って来いって言われてるさ。また今度さ」

 残念とロンは肩を竦める。それから、4人は自分達の寮に帰った。

 

 自寮の談話室に戻れば、サリーがクローディアに飛びついて来た。

「ハリーって素敵よね! ドラゴンをあんなふうに蹴散らすなんて! 私! 『ハリー=ポッターを応援しよう』のバッジを作るわ! やっぱり、ハート形がいいと思うの!」

 周囲にハートの花弁を散らしながら、サリーは黄色い声を上げる。

「見て、ドラゴンの剥がれた鱗の一部。こっそり、貰った」

 セシルは収集活動に余念がない。

「セドリックの奴、危ないことするよな。火傷、残らねえといいけど」

「よく避けたよな」

 ロジャーとザヴィアー達は深刻な顔でセドリックの身を案じ、それでも表情が輝いている。他の生徒も誰が一番良い方法でドラゴンから黄金の卵を奪取したか、論議していた。勿論、ハリーのファイアボルトによる飛行を称賛する声が多かった。

 ようやく、レイブンクローはハリーを応援すべき選手と心から認めたのだ。

「クローディア」

 リサに呼ばれ、クローディアは明るい声で振り返る。

「顔色が優れないようですが、何処がお加減に問題でも?」

 心配そうなリサに言われ、クローディアは自分の顔に触れる。興奮する生徒に埋もれた談話室は熱気に包まれている。

 そのはずなのに、クローディアの肌は自分の手で触れているのに氷のように冷たい。それだけ、体温が下がっている。

「……ちょっと、こう……嫌なことというか……よくない報せを聞いたさ」

 クローディアが考えるよりも、クィレルのことで動揺している。全く、自覚していなかった。

「お気の毒に」

 ただ、それだけのリサの声がクローディアの胸に優しく響く。本当にリサには助けられてばかりだと思い知る。何故だが、悔しさはない。喜ばしい気持ちで思わず、笑う。

「いつも、ありがとう」

「いいえ、どういたしまして」

 クローディアは本当に良い友を持った。心からリサに感謝した。

 




閲覧ありがとうございました。
グリフィンドールとハッフルパフが同じ部は、こんな感じに対立していたと思う。
ドラコのイタチシーン、大好きです。

●ゲラード=グリンデルバルド
 ダンブルドアが倒した闇の魔法使い。彼に殺されたかけた学生についての描写がないで、その位置にトトを配置しました。


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12.屋敷しもべ妖精

閲覧ありがとうございます。
ドビーやウィンキー、何故に映画で省かれたんや(涙)

追記:18年1月8日、誤字報告により修正しました。


 翌日、『魔法生物飼育学』にて、ドラゴンが登場するなど誰も予想できない。ドラゴンは柵板の中で、豪快のようで穏やかな寝息を立てている。

 ハグリッドが皆に静粛を求め、傍にいるチャーリーを紹介した。

「こちらはチャーリー=ウィーズリーだ。ルーマニアでドラゴンの研究をしちょる。おまえらの大先輩だ。午後にはドラゴンはルーマニアに帰っちまう。そこで特別な許可を得て、近くで見せて貰うことにした。皆、お礼」

 ドラゴンを起こさぬように、皆は小声でチャーリーに礼を述べる。愛想の良い笑みで、彼は挨拶を返す。

「こいつはウェールズ・グリーン普通種。昨日、君達が目にしたドラゴンの中では一番、大人しい性格だ。あくまでも、四種の中ではね。もし、目を覚ませば、君らを襲う。昨日の選手達のように」

 笑みを浮かべるチャーリーの口調には、ドラゴンへの警告も含まれていた。昨日の試合の興奮を思い出したザカリアスは唾をひとつ飲み込んだ。

 観客席とは違う。真近なドラゴンには凄まじい迫力がある。美しく、逞しく、それでいて強大だ。

〔恐竜もこんな感じさ? そういえば、東洋の龍は蛇に近いさ〕

 見惚れながら、クローディアは足元のベッロを見やる。ベッロも巨体に緊張しているのか、落ち着かない様子だ。不意に思いつく。

「ドラゴンは脱皮しますか?」

 クローディアの質問に、チャーリーは驚くことなく返答する。

「現在、俺が研究している全ての種類のドラゴンでは脱皮をした例はない。しかし、稀に脱皮に似た現象を起こすことがある。残念ながら、俺は目にしていない」

 すぐに羊皮紙に書き留められた。

〔トカゲみたいなもんさ?〕

 クローディアが呟くと、何故かドラゴンの瞼が開く。

 獣とハ虫類ならではの輝きが混ざり合う瞳、それはじっとクローディアを捉える。突然の出来事に生徒は悲鳴を上げる余裕もなく凍りつく。しかし、ドラゴンは再び瞼を閉じて眠りに入った。

 緊張の解けた生徒は一気に息を吐く。見つめられたクローディアも冷や汗で、背中が濡れる。

(もしかして、心読まれたさ?)

 二度とトカゲ呼ばわりしないと、心に決めた。

 授業が終わり、ドラゴンを起こさぬように生徒は極力静かに城へと戻る。

「ハリーはあんな凄いドラゴンとやりあったんだ。感動だな」

 ジャスティンは何度もドラゴンを振り返る。

「かっこいいわ。勿論、セドリック=ディゴリーもよ」

 誇り高そうに、ハンナは胸を張る。

 口ぐちにドラゴンの感想を述べる中、クローディアはハグリッドに呼びとめられる。彼は授業とは、別でチャーリーを紹介する。

「チャーリーはロンの兄貴だ」

「知っているさ。お久しぶりです」

 握手を求めるクローディアの手をチャーリーは親しげに握り返す。

「久しぶりだ。クローディア、この蛇がベッロ? ロンから噂は聞いているよ。すっごく、良い子だって」

 クローディアの足元で、ベッロは鎌首をもたげてチャーリーを見上げる。

「想像していたより、小さい蛇だな。でも、賢そうだ。だいぶ年寄りだね」

 ベッロの顎を撫で回した後、両手で頭を「よしよし」と撫でるチャーリーに、クローディアは驚く。ベッロが何歳か知らないが、確かに50年は生き抜いた老蛇だ。

 それをチャーリーは一目で見抜いた。

「わかるさ?」

「目つきと皮膚の感触で、大体はわかる。それを考えても、やっぱり、こいつは小さいな。ここまで長生きしたなら、もっと大きくなるはずだ」

 2度も小さいと言われたことが気に障ったらしく、ベッロは尻尾でチャーリーの頭を叩く。失言だったと彼は笑い返した。

 

 昼食中にチャーリーの話をロンに聞かせた。

「良いなあ。僕らは、ずっと『爆発尻尾スクリュート』なんだぜ」

 不貞腐れるロンの隣で、ハリーはベッロと話す。何が可笑しいのか彼は喉を鳴らして笑う。

「チャーリーがベッロを年の割に小さいって、……すごくムカついたんだって」

「シマヘビにしたら、十分、大きいさ」

 ベッロは初めて会った頃より、脱皮を繰り返し成長していた。今では3メートルもある。シマヘビは平均80~150センチ。最大でも2メートルまでしか育たない。それも伊豆諸島のような特定の地域だけだ。

「その内、バジリスクのように大きくなってやるだって」

 殊更、可笑しそうにハリーは笑う。しかし、そのまま即死の目を持たれたら、こちらとしては堪ったもんではない。どうか、このままの大きさでありますようにとクローディアは願った。

 

 ルーピンとの約束の時間になり、急いで彼の事務所を訪問する。客人の為にと、ティーパックの紅茶が用意されていた。

「昨日の試合は見事だったよ。ハリー、箒で出し抜くとは私も思い付かなかった」

「すみません、折か……ごふ」

 詫びようとするハリーの脇をハーマイオニーが肘で突く。ドラゴンへの対策のひとつ『結膜炎の呪い』の助言は、あくまでも彼女の個人的質問という建前だったからだ。

 知ってか知らずか、ルーピンは何とも窺い知れない笑みを浮かべる。

「それで、私に折り入って話とは何かな?」

「この前のホグズミード外出の時、コンラッドさんに会いましたよね? コンラッドさんがスネイプ……先生と話をするところを見られませんでしたか?」

 ハリーの直球な質問に今度はクローディアが彼の脇を肘で突く。ルーピンは笑みを浮かべたまま、彼女へと視線を映す。

「もしかして、君達……クローディアが元『死喰い人』を調べたことに関係しているのかな?」

 授業中の問題点を聞き返す口調だが、クローディアは寒気が走る。他の3人も悪戯がバレたように焦燥する。ルーピンは紅茶に砂糖を加えながら、事もなげに告げる。

「スネイプ先生が知っているのは、私が教えたからだよ。コンラッドから、教えても構わないと言われたからね」

 まるで、試験範囲を教えたと同じ口ぶりだ。全く、動じた様子はない。

 クローディアも一瞬、動揺した。しかし、ルーピンの立場を考えれば、フリットウィックやマクゴナガルに報せなかっただけ、気遣いがあるのかもしれない。

「……スネイプ先生に叱られました。余計なことに首を突っ込むなと、でも、私には余計じゃありません。知るべき情報です」

 恥じることなく、クローディアはルーピンに言い返す。

 ルーピンから笑みは消えていた。しかし、決してクローディアを軽んじても、蔑んでもいない。真摯に言葉を受け止めている。

「それに私達。ハリーの名前をゴブレッドに入れた犯人は、もう探していません。ベッロとクルックシャンクスでも、誰が敵か判断できない状況なんです」

 弁解するようにハーマイオニーが必死に付け加える。

「ベッロが危険を判断できない?」

 初めて、ルーピンから深刻そうな声が出る。

「ベッロは多分ですけど、対抗試合で皆が殺気立っていたりするから、全員が敵だと感じているんだと思います」

 ルーピンはハリーが『パーセルマウス』だと知らない。故に直接、ベッロから聞いたなどと言えない。

 心臓の騒がしい音を聞きながら、ハリーは慎重に言葉を選ぶ。紅茶を口にしたルーピンは深く追求せず、思案する。

「それは……考えにくい。しかし……」

 誰に言うわけでもなく、ルーピンは呟く。その表情は教師ではなく、来るべき敵に構える戦士に似ている。

「何か問題でも?」

 おそるおそるロンが問う。ルーピンは紅茶を飲み干し、頭を振るう。

「推測にも満たない仮説だよ。まだ確信が持てないから、今は言えない」

 ルーピンが言い終えると、ロンの腹が豪快に鳴りだす。恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めた。ハーマイオニーは呆れ、彼を睨む。

「夕食の時間だ。私も行くとしよう。そうだ、ハリー。ネビルがマッド‐アイから本を貰ったのを知っているね?」

 唐突に声をかけられ、ハリーは必死に思い返そうとする。代わりにハーマイオニーが答える。

「【地中海の水生魔法植物とその特性】よ。ネビルの好きな植物の本だわ」

「その通りだ。ハリーも読んでおくといい。きっと君の為になる」

 意味深に微笑むルーピンに対し、ハリーは曖昧に頷いた。クローディアはルーピンの横顔を眺め、彼が立てようとした仮説を考えようとした。

 

 第一の課題後、ハリーは羨望の眼差しに晒された。スリザリン生から、応援する態度など見られるはずもない。それでも、『汚いぞポッター』のバッチを着けなくなった生徒が現れ出した。反対に、サリーのように『ハリー=ポッターを応援しよう』のバッチを着ける生徒が増加した。そのバッチは、ハリーが近くを通ると『頑張ってね』と投げキッスをかます。

 ドリスさえも、そのバッチが欲しいと要求してきた。

 二種類のバッチを見て、クローディアは閃く。思い立ったら吉日、ベッロとハリーを捕まえて『蛇語』で挨拶する様子を何度も繰り返させた。

 そうして作成したのは、赤い腕時計と青い腕輪だ。腕時計は『蛇語』で呼び出し音を出す。腕輪は日本語で文字が表示される。色を変えたのは、対だとバレないようにする為だ。前々から、クローディアとハリーがお互いに用件がある際、談話室や大広間を探さねばならない。緊急時などは、本当に手間がかかる。

 空き教室で、クローディアは腕時計をハリーに手渡した。

「普通の時計としても使えるから、ちゃんと着けるさ」

「新しい腕時計なんて、嬉しいな。ありがとう」

 新品同然の時計を眺め、ハリーは喜んで腕に着ける。

「名前を付けたら、いいけど……どうしましょう?」

「ポケベルでいいんじゃないさ? 似たようなもんだしさ」

 実際、用途は同じだ。

「ポケベルって何?」

 黄金の卵を玩ぶロンにハーマイオニーがポケベルの説明をする中、ハリーはシリウスからの手紙を読む。

【ハリー

 ホーンテールを出し抜けたこと、本当におめでとう。箒を使うとは良い発想だ。素晴らしいよ。しかし、満足するのはまだ早い。ひとつしか課題をこなしていないのだからね。君に害をなそうとする者は、誰なのかもわかっていないんだ。油断しないように、十分気をつけなさい。必ず返事を出すから、連絡を絶やさないように。  シリウス】

「まだ、シリウスに会えないか……」

 残念そうにハリーは手紙を懐に入れる。

「それよりも、卵の謎についてはどうさ?」

 クローディアに聞かれ、ハリーは頭を振るう。気を利かせたロンが彼へ卵を投げ渡した。

「ここで開けないでくれ。僕の耳が壊れちまう」

 今まさに開けようとしたハリーをロンが制する。

「開けてくれないと、私はまだ中身を聞いてないさ。貸してさ」

 ハリーの手から卵を取ったクローディアが、開けようとする。すぐに3人は耳を塞いで防御体勢に入る。

 強い警戒心を見せる3人に倣い、クローディアは杖でペアピンを耳栓に変身させる。両耳をしっかり塞ぐ。そんな物は子供だましの防御壁。耳栓など、何の役にも立たず、甲高い悲鳴は4人の耳を直撃した。

 

 12月に入り、寒気が極まった頃。

 第一の課題を特集した【ザ・クィブラー】が出回る。課題内容が明確に記載され、前回よりも注目を集めた。【日刊預言者新聞】はスキーターが課題内容と結果に満足できなかったらしく、記事を書かなかったことも拍車をかけた。

 マダム・ピンスに頼み込み、【ザ・クィブラー】を置かせてもらう。購入希望者はルーナまで届けるようにメモ書きを添えれば、スタニフラフやビクトール、フラーが彼女に声をかけてきた。

 それが堪らなく嬉しいルーナは昼食を終えて寮に帰ろうとしたクローディアを捕まえて報告する。寮が同じなのだから、いつでも良いはずだ。それだけ、嬉しいのだ。

「ペレツって人が、クロスワードがおもしろいねって言ってくれるんだ。フラーがお姉ちゃんのガブリエルが、ナーグルは怖いって言ったから、私が大丈夫だよって」

 目を見開いて瞬きもしないルーナは僅かに半眼し、口元を緩ませている。ここまで愛嬌のある表情を出すのは、クローディアが知る限り珍しい。

「最近、ナーグルは出てくるさ?」

「時々ね。でもね、ペネロピーが追い払ってくれるよ。ナーグルがなくした物は、ベッロが取ってきてくれるから、うん。クローディアは、ナーグルに会う?」

 まだ目にしたことないクローディアは頭を振るう。

「でも、クローディアのナーグルは、いっぱいだよ。ルーピン先生のこともナーグルでしょ?」

 何の前触れもなく出された名を耳にし、クローディアの体温が一気に上昇した。

「ル……ルーナ、ど……どうしてさ?」

 赤面したクローディアはぎこちなく問いかけるが、隣を歩いていたはずのルーナがいない。急いで周囲を見渡すと、彼女は中庭の向こうにいるジニーへと駆け出していた。

 ルーナの背を見つめ、クローディアは強い焦燥感に襲われる。

(もしかして、バレてる人にはバレてるさ? ジョージも気づいていたし、まさか、ルーピン先生も……ハーマイオニーも私の気持ちに……!)

 背後に近寄る気配に、クローディアが急いで振り返るとハーマイオニーだ。

 無意識に『呼び寄せ呪文』を使ったのかと、錯覚してしまう。何故か、ハーマイオニーの瞳が輝いて見える。

「クローディア。『数占い』の時間まで少しあるから、一緒に来て欲しいところがあるの」

 今のクローディアには、その言葉は心臓を破裂させる威力がある。胸の高鳴りが一層激しくなり、顎がマトモに動かない。

 強張り口を開いたまま返事をしないクローディアに、ハーマイオニーは怪訝そうに眉を顰め、顔を覗き込む。

「クローディア、もしかして……具合悪いの? 呼吸がおかしいわよ」

「ち、ちが……う……さ」

 慌てて両手と首を振るクローディアは、必死に笑顔を取り繕う。その態度が更に誤解を生み、眉を顰めたハーマイオニーは、廊下の向こうを指差す。

「ダメ。医務室に行ってきて、私の用事は授業が終わった後でいいから」

 拒否権なし。

 その場を誤魔化すため、クローディアは医務室へは向かう。特に用事もなく、始業ギリギリまで扉の付近で右往左往して過ごした。

 『数占い』がこれ程、偉大な授業だと感じたのは、おそらく初めてだ。教科書や参考書に連なる数字を読み解いていくと、クローディアの中で湧き起こっていた変な興奮が治まる。終業時間には平常心を取り戻していた。

 

 寮の自室に教材を置いたクローディアは足を弾ませ、ハーマイオニーとの待ち合わせ場所である玄関ホールに向かう。待っていたのは彼女とハリー、ロンも一緒だ。

 見慣れた顔ぶれに、クローディアは悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「この3人ということは、ハグリッドのところか……、それ以外のところさ?」

「そういうことよ。私もまだ行ったことないけど、場所は大丈夫!」

 嬉しそうなハーマイオニーの後に続く。

「今日、ハグリッドの授業で、スキーターが来たんだ。あいつ、ハグリッドに『尻尾爆発スクリュート』を取材したいとか」

 疑わしそうにロンは呟く。

「スキーターは学校の敷地に入れないことになっているって、ハグリッドが言ってた」

 うんざりとハリーがスキーターに悪態つく。

 玄関ホールを左に曲がれば、扉がある。初めてみる扉にクローディアは期待感が募る。遠慮なくハーマイオニーが扉を開けて中に入る。中は更に下へ続く階段になっており、橙色の炎を燃やす松明が廊下を照らしている。廊下の壁には料理や食材を描かれ賑やかだ。

「この廊下の何処かに、ハッフルパフへの寮の入り口があるさ?」

「そういえば、ハッフルパフの連中は、さっきの扉を使うよな」

「あ!」

 突然、声を上げたハリーは足を止める。丁度、廊下の中間地点で壁には果物を大量に盛った巨大な銀の器の絵が飾られている。その絵を指差したハリーがハーマイオニーを見やる。

 ハーマイオニーは口元を緩ませ、瞬きした。

「どうしたさ?」

 疑問するクローディアはロンに視線を送る。彼も何かに気づいた表情で絵を見上げた。

「ここが厨房の入り口なんだ!」

「厨房さ!?」

 朝・昼・晩と大広間へ運ばれる料理を作る場所。

「そういえば、『屋敷しもべ妖精』が料理もしてるさ?」

「その通り! 【改訂ホグワーツの歴史】の為に彼らの生活に密着しようと思ったの」

 身体を弾ませたハーマイオニーは人差し指を伸ばし、緑色の梨をくすぐった。梨は身を捩じらせて笑い出し、取っ手へと変形した。

 期待に胸躍らせ、4人は絵の扉を開く。

 

 大広間が地下にもある。部屋の高さと幅、奥に伸びた4つの長机に料理が並べられているせいで、蒸気と香ばしい匂いに満ちている。巨大な暖炉には、巨大な鍋が置かれ、以前見たウィンキーのような小人達が忙しなく働いている。使い終わった真鍮の鍋やフライパンを別の小人達が手入れし、壁に山積みに整頓している。およそ100人の小人達は、ホグワーツの紋章が刺繍されたキッチンタオルをトーガ風に巻きつけていた。

 感動したクローディアが屈みこんで『屋敷しもべ妖精』を眺めた。

「すごいさ~、まるで白雪姫さ。厨房も広いしカッコイイさ♪ まるで魔法のお城みたいさ」

「クローディア、ここは魔法学校だよ」

 苦笑するハリーのツッコミを気にせず、クローディアは輝いた笑みで『屋敷しもベ妖精』に手を振る。何かに気づいたロンが顔を顰め、呻く。

「あの『屋敷しもべ妖精』……、どういうつもりであの恰好してんだ?」

「どの子?」

 ハーマイオニーにロンが聞いた瞬間、突然ハリーまで呻き声を上げた。3人がハリーを見やると、ティーポットカバーを頭に被り、馬蹄模様のネクタイを締め、子供用の短パンを履いた『屋敷しもべ妖精』が彼の胴体に飛び込んできていた。

「ハリー=ポッター様!」

 締め付けられたハリーが息苦しさで悶える。

「ド、ドビー……?」

「はい! ドビーめでございます! ドビーはハリー=ポッター様にお会いしたく、ああ、それが会いに来て下さいました!」

 ドビーと呼ばれた『屋敷しもべ妖精』は、ハリーから離れ感極まった表情で目に涙を浮かべた。

「え? コイツがマルフォイの屋敷にいたっていうドビー!?」

「お祖母ちゃんが話してたドビーさ?」

「まあ、今はここで働いているのね♪」

 興味津々に3人は身を屈めてドビーを見つめる。彼は3人に向かい丁寧な会釈を行う。

「ダンブルドア校長がドビーとウィンキーをお雇い下さいました」

「「ウィンキー!!?」」

 ハーマイオニーが明るく微笑み、クローディアは驚きの声を上げる。

「ウィンキーもここに……」

 聞き返そうとしたハリーの手を取り、ドビーは厨房の奥へと誘った。忙しなく働く『屋敷しもべ』達は、生徒である4人へ歓迎の会釈やお辞儀を送る。

 鍋が轟々と燃え滾る暖炉の脇、洒落たスカートにブラウス姿のウィンキーが丸椅子に腰掛けている。何故か、ウィンキーは他の『屋敷しもべ妖精』よりも薄汚い服を着ていた。

「やあ、ウィンキー」

「久しぶりさ、ウィンキー」

 クローディアとハリーが挨拶すると、ウィンキーは唇を震わせて泣き出した。

「これは、感動の再会……ではなさそうさ」

「まだ立ち直っていないのよ。可哀想なウィンキー、泣かないで」

 慰めようとするハーマイオニーの言葉空しく、ウィンキーは甲高く涙を強くした。その泣き方から、ウィンキーは女性だという印象を受けた。『屋敷しもべ妖精』に雌雄があるのか疑問だが、間違ってはいないという確信がクローディアにはある。

 涙が止まらないウィンキーをそのままに、ドビーが紅茶を勧めてきた。ハリーが受け入れると、即座に6人の『屋敷しもべ妖精』が、紅茶にお菓子を添えた銀の盆を抱えて現れた。

「ありがとうさ」

 4人を代表してクローディアが礼を述べる。『屋敷しもべ妖精』達は満面の笑みで畏まり、調理へと戻っていく。ドビーの給仕を受けながら、ハリーが詳細を尋ねる。

「ほんの一週間前から、ウィンキーと働いております。ドビーは丸2年間、仕事を探して国中を旅しましたが、仕事は見つからなかったのでございます。なぜなら、ドビーはお給料が欲しかったからです」

 不意にクローディアは厨房の中の温度が下がる感覚に襲われた。何気なく、室内に見渡す。ドビー以外の『屋敷しもべ妖精』達が彼の発言を理解不能と怪訝していた。

「働いているのだから、お給料は当然貰うべきだわ」

「お嬢様、ありがとうございます」

 素直な意見を述べるハーマイオニーへドビーはニンマリと笑いかけた。

「ですが、お嬢様のようにご同意して下さる魔法使い様はおりませんでした。ドビーは働くのが好きです。でも、それと同じように好きな服を着たいし、給料も貰いたい。ハリー=ポッター、ドビーは自由が好きです」

 誇り高くドビーは宣言する。他の『屋敷しもべ妖精』は、ドビーに関わらないように離れて行く。ウィンキーは我が子を悼むようで嘆くような鳴き声を上げ続けた。

 その後もドビーの話は続き、ウィンキーの解雇を聞いて2人で仕事を探す際、ホグワーツ城を思いつき、ここに来たらしい。ダンブルドアはドビーが望むなら給料と休日を与えると約束した。

 ドビーが話す間、ウィンキーは恥辱だと喚きながら床に這いつくばった。

「ウィンキーもお給料を貰っているのね?」

 優しく問いかけたハーマイオニーをウィンキーは泣き止んだ瞬間、睨みを効かせて怒りを露にした。

「ウィンキーは不名誉な『屋敷しもべ妖精』でございます! でも、そこまで落ちぶれてはいらっしゃいません! ウィンキーは、自由になったことを恥じております!」

 この言葉にハーマイオニーの眉が痙攣した。

「恥じるのはクラウチさんのほうで、あなたじゃない!」

 突然、ウィンキーは両耳を押さえつけて叫んだ。

「あたしのご主人様を侮辱なさらないのです! クラウチさまは良い魔法使いでございます。クラウチさまは悪いウィンキーをクビにするのが正しいのでございます」

「ウィンキーは、なかなか適応できないのでございます。なんでも言いたい放題言ってもいいのに、ウィンキーはそうしないのでございます」

「じゃあ、普段から君達はご主人の悪口とか言えないの?」

 質問するハリーに、ドビーから笑みが消える。

「言えませんとも、それが屋敷しもべ妖精制度の一部でございます。わたくしどもはご主人の秘密を守り、沈黙を守るのでございます」

 家政婦か家政夫みたいだ。執事や使用人ともいえる。

(ということは……、クラウチの息子さんに何があったのか、ウィンキーに聞いても駄目だろうさ)

 ウィンキーを視界の隅に入れ、クローディアは何気なく自分の髪を撫でる。

「ですが、ダンブルドア校長先生さまは、わたくしどもが老いぼれの偏屈じじいと呼んでもいいとおっしゃったのです!」

 尊敬する口調で、ドビーは再び笑顔になる。

「ドビーはダンブルドア校長先生さまがとても好きでございます! 先生さまの為に、秘密を守るのは誇りでございます」

「マルフォイは、もう君の主人じゃないよな?」

 意地悪そうにロンが聞くとドビーは一瞬、怯んだ。しかし、小さな身体から力の限り声を絞り出す。

「ドビーはハリー=ポッターに、このことをお話できます。ドビーの昔のご主人様たちは悪い魔法使いでした」

「自分のご主人さまをそんなふうに言うなんて!」

 我慢の限界が来た。『屋敷しもべ妖精』そのものに対する侮辱と受け取ったウィンキーは金切り声でドビーに反論し、口論が始まる。

「ドビー、あなたは恥をお知りになれなければなりません!」

「ドビーは、主人ではない人達をどう思おうと気にしないのです! ウィンキーもそうすべきです!」

 マルフォイ家とクラウチ家の妖精格差を目の当たりにしている気がする。ウィンキーの態度はクラウチに対する信頼が強いから、ドビーのように自由を喜べない。

「ウィンキー、何も恥ずかしいことないさ。ウィンキーのお陰で、私もお母さんも助けられたさ。あの場で、ウィンキーが来てくれなかったらと思うと、ぞっとするさ」

 クローディアが声をかけた途端、ウィンキーは表情を強張らせる。

 ウィンキーはしどろもどろになり、言葉を濁した。もし、ここでクローディアの言葉を否定すれば、魔女を助けた行いを恥じることになる。それは魔法族への侮辱と同じだと、ウィンキーは考えているのだろう。

「だったら、ウィンキーさ。クラウチ氏に会いに行くさ? この時間なら、まだ部屋で仕事してるさ」

 この提案にウィンキーは目を見開きクローディアを見上げる。

「お嬢様は、あたしのご主人様の居場所をご存知ですか?」

「クラウチさんとバグマンさんは3校対抗試合の審査員なの」

 答えるハーマイオニーに、ウィンキーは凶悪なまでに顔を歪めて怒りを強くした。

「お可哀相なご主人さまがバクマンさまとホグワーツにいらっしゃる! 悪い魔法使いのバグマンさまといらっしゃる!」

「バグマンが悪い魔法使い?」

 面を喰らったハリーが思わず、呟く。

「いやいや、あのルード=バグマンが悪い魔法使いってことないだろう?」

 反射的にロンが大声を上げた。

「いいえ、悪い魔法使いです! ご主人様がウィンキーにお話下さいました! でも、ウィンキーはお話しません。秘密を守ります!」

 鬱憤を晴らすようにウィンキーはバグマンに悪態付く。興奮を押さえ込む為か、一旦、口を閉じる。その隙にクローディアは窘めた。

「一目だけでもクラウチ氏の様子を確認するさ。元気な姿を見れば、ウィンキーも元気になれるさ」

 出来るだけ優しく声をかけるクローディアに、ウィンキーは瞼を開く。

「本当に、会いに行ってもよろしいものでしょうか?」

「1人で会いに行けないなら、私も一緒に行くさ」

 ウィンキーの高さまで身を屈めたクローディアは手を差し出す。差し出された手の意味が理解できないウィンキーは畏まる姿勢でその手を両手で受け止める。

「私はウィンキーとクラウチ氏の所に行ってくるからさ」

 ウィンキーと手を繋ぎ、クローディアは厨房を後にしようとする。

「私達はもう少しお話してから行くわ」

「あんまり、大勢で行ったら迷惑になるしね」

「クローディアの分もお菓子食べておくからな」

 ロンだけが皿のお菓子を大量に口へと放り込む。それに、ハーマイオニーが溜息をついた。

 

 夕食中の為、廊下には人の気配がない。絵の住人と幽霊を数に入れなければの話だ。生徒と『屋敷しもべ妖精』と手を繋ぐ姿は彼らの注目の的となっている。それに羞恥心が募ったウィンキーが柱の影に隠れてしまい、廊下を進めない事態となった。

 目立たないように、クローディアはウィンキーに身を屈めて小声で連れ出そうと試みる。

「(ウィンキー、来ないと会えないさ。ほら、おいでさ)」

「ウィンキーは、ウィンキーは、お嬢様を辱めているのでございます!」

 辺りに広がる甲高い声がクローディアの耳を打つ。困り果て、段々と苛立ちが湧き起こる。だが、ここで怒鳴っては元の子もない。溜息を口中で殺し、根気よくウィンキーに語り続けた。

「ウィンキー、私のことが心配さ?」

「勿論でございます。ご主人様には、お会いしとうございます。でも、その為にお優しいお嬢様を晒し者に出来ません」

 身を震わせて柱にしがみ付くウィンキーの本心は、クローディアが幽霊と絵の住人達から、いらぬ醜聞を受けることが恥辱なのだ。

 クローディアには痛くも痒くもないが、ウィンキーなりに彼女を気遣っている。無下には出来ない本心を受け止め、自らのローブで覆い隠す。

「ウィンキー、ちょっと遊ぶさ。私が「いいよ」っていうまで、ローブの中で目を瞑るさ。声をあげるものダメさ。ちなみに、これは命令さ」

 最後の部分を強めて言い放てば、ウィンキーは気恥ずかしくお辞儀した。

 ローブの下にウィンキーを包んで歩く。完全に畏まった彼女は一切動かず、成すがままである。ここまで順応では、クローディアの良心が微かに痛む。

 コンラッドが『屋敷しもべ妖精』を憐れむ理由がよく理解できた。

 急いでウィンキーを自由にしようと、小走りで目的の部室へと辿り着いた。扉の前に下ろし、クローディアは静かに声をかける。

「ウィンキー、もういいよ」

 声を耳にしたウィンキー瞬きしながら周囲を見渡す。扉を見上げ、今更ながら己の身なりを気にし、指を鳴らした。すると、薄汚れていたはずの服から、汚れが落ち、くたびれていた布は生地を強くした。まるで、卸したての状態だ。

 埃ひとつないかを確認したウィンキーは緊張した顔つきでクローディアの顔色を伺う。

 それが支度終えたと察したクローディアは扉のノブに手をかけて回す。音を出さぬように、ゆっくりと扉を開く。扉の隙間を覗ける部屋は、以前と変わらず書類に埋もれている。書類の隙間から、ようやく見えた職務用の机に気難しい顔つきのクラウチがいた。

「ほら、あそこにいるさ」

 ウィンキーの背中を丁重に押し、扉の隙間へ行かせる。戸惑いながら、彼女は扉の隙間を覗き込んだ。すると小さな身体が震えだし、目に涙を浮かべる。

「ご主人さま……?」

 呻いたウィンキーは扉の中へと飛び込んでしまった。

 慌てたクローディアはウィンキーを引きとめようとしたが、不意に思いとどまった。目にするだけでは辛抱できないのだ。言葉を交わし、お互いの近況を知りたいと思うのは、間違いではない。

「ウィンキー、どうしてここに?」

 驚いたクラウチの声で、クローディアは部屋の中を見やる。手にしていた書類を落し、彼は衝撃を受けた表情でウィンキーへと駆け寄った。その様子は再会を確かに喜んでいる。 

(邪魔しちゃ悪いさ)

 静かに扉を閉め、クローディアは廊下の反対側の壁にもたれかかる。

(クラウチ氏は、ウィンキーが大事だったことは確かさ。でもそれなら…)

 考え込むクローディアの腹が鳴った。その音で夕食が済んでいないことに気づく。意識してしまえば、空腹感で身体から体力が抜けていく。

(ウィンキーを置いておくわけに行かないさ。せめて、厨房のお菓子を持ってくればよかったさ)

 空腹と格闘すること十分足らずで、ウィンキーが部屋から出てきた。満面の微笑みは、クラウチと大切な時間を過ごしたことを意味している。

「重畳さ、ウィンキー?」

「ありがとうございます、お嬢様。ウィンキーは、優しいお嬢様にお会いできて幸せでございます」

 律儀に頭を下げるウィンキーから感謝の言葉を聞き、クローディアもお辞儀する。

「どういたしまして、私もウィンキーと知り合えて良かったさ。さあ、食堂に帰るさ」

 手を繋いでウィンキーを連れようとしたが、それを嫌がられた。仕方なく、行きと同じようにクローディアのローブに隠して厨房に戻った。

 

 厨房ではハーマイオニーが『屋敷しもべ妖精』達から、城での生活ぶりの差や待遇の改善についての意見を聞きまわる。諦めた表情のハリーとロンはローブに包まり仮眠中だ。

 ハリーとロンを無理やり叩き起こしたクローディアはハーマイオニーに『屋敷しもべ妖精』への質問を切り上げさせ、厨房を後にした。

 玄関ホールまで歩き、クローディアは3人にクラウチとウィンキーの再会場面を話して聞かせた。

「クラウチ氏がウィンキーをクビにしたのに納得できないわ。まあ、ウィンキーが元気になったし、五分五分よ」

 複雑な顔で唇を尖らせるハーマイオニーに対し、ロンはわざとらしく溜息をつく。

「ずっと、この調子なんだぜ。いい加減にしてくれよ。ウィンキーはクラウチが好きなんだ。ドビーとは違うんだって」

 ロンの意見は的確だが、ハーマイオニーは納得し難い表情のままだ。

 言葉で諭すことを諦めたロンは降参の意思表示で両手を広げ、クローディアに視線で説得を頼み込む。だが、空腹が限界に近いので視線で断った。

 

 その晩、クローディアは手紙で母にウィンキーの朗報を伝えた。返事の中に彼女に直接会って礼を述べたいとあった。

 




閲覧ありがとうございました。
90年代は、ポケベル最盛期だったなあ。実は現物を見たことありません。なので、使い方がわからない。


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13.さあ、相手を見つけよう!

閲覧ありがとうございます。
四巻の見どころのひとつ。それは誰と踊るかです!

追記:19年5月3日、誤字報告により修正しました。


 12月最初の土曜日、惰眠に限る。

 クローディア、パドマ、リサも例外なく寒さから身を守るために布団の中へと潜り込む。だが、カサブランカとシマフクロウが連打して窓を叩いてくれば、嫌が応でも起きなければならない。

「小包さ、後で開けるさ」

 2羽へポッキーの欠片を与え、運ばれた包みを寝台の下に置こうとした。寝台の下でトグロを巻いていたベッロが包みに興味を持ち、牙と尻尾で開けてしまった。

「ベッロ、……あんたさ」

 重い瞼を擦り、ベッロを包みから引き離し中身を確認する。

 青と白が鮮やかに混ざり合った袖なしドレスだ。布地が軽く、細やかな刺繍に小さな硝子玉が装飾されている。しかも同じ配色の袖が2本と靴まである。

「変な服さ……? 何処で着るさ?」

 ドレスを眺めるクローディアに布団から顔だけ出し、パドマが瞬きする。

「クローディアにも、届いたのね。パーティローブ。私も夕べ、実家から届いたのよ」

 パーティローブ。あまり聞きなれない響きだが、用途は推測出来る。

「パーティローブ……何でさ?」

「全員起床!!」

 意味不明と疑問している部屋に現れたペネロピーに3人は容赦なく、叩き起こされた。

 

 理由は各々の寮監が講義を担当する教室に集合をかけられたからだ。レイブンクロー生が『呪文学』の教室に行けば、そこには教壇も席もない部屋になっている。心なしか普段よりも広く感じるが、それは錯覚ではなく、本当に広くなっていた。そうでなければ、レイブンクロー生が全員入りきれるはずがない。

「部室と同じ……拡張魔法ってところさ?」

 確認で呟くクローディアに、リサは口元を曲げる。

「模擬試験のときも、この魔法を施して欲しいですわ」

「密集されているから、緊張感もあがるわけよ」

 リサの肩に手を置いたペネロピーが首席として下級生達を指導し教室に並ばせる。整列が成された頃、フリットウィックは教室に姿を現した。

「皆さん。今年のクリスマス休暇に置かれまして、他校との親睦の為に舞踏会を行います。これは3校対抗試合の伝統でもあります。この舞踏会には4年生から参加できますが、それより下級生も上級生の招待を受ければ参加できます。この夜だけは大いに羽目を外すと良いでしょうが、品位を忘れてはなりません。よろしいですね?」

 フリットウィックが杖を振るうと、教室の何処からともなく、淡くそれでいて心を弾ませる音程が流れ出す。いまからでも宴が始まりそうな雰囲気に舞踏会が迫っている緊張感が生徒に伝わる。

「尚、『楽団部』は宴の席で演奏を披露いたします。こちらは来週までに希望者を募ろうと思っていますので、『楽団部』の生徒は演奏かダンスか帰宅か、いずれかを選んでください。以上で、私からの話を終わります」

 手短に説明を受けたレイブンクロー生は、そのまま解散を言い渡されて教室を後にする。我先にと小走りで突き進むのはクローディアだ。上機嫌な彼女の足は弾んでいる。その姿を見送るリサとパドマ達は興味津々に頷く。

「クローディア、もしかしてペレツのところに行くのかしら?」

「いえ、きっとハリーのところに違いありませんわ」

 ルーナがリサとパドマを眺めて胸中で呟く。

(ナーグルが邪魔するかもしれない)

 

 友人達がそんな予想をしているとは、露知らずクローディアは『変身術』の教室に直行したが、そこには誰の姿もない。少々残念がり、心当たりを探すために一先ず図書館へと向かう。

 廊下を歩く女子生徒達は身を寄せ合い小声で会話している。クリスマスの宴に誰を誘うのか、もしくは誰が誘ってくれるのかを口にし、期待と不安が混ざり合う。そんな声達はクローディアを聞き流しながらも、探し相手がいないかを聞き分ける。図書館への道のりには、探し相手はいない。それもそのはず、探し相手は図書館から出てくるところだった。

 心を弾ませたクローディアは手櫛で髪を梳き衣服の埃を払う。相手は気づかず、口元に手をあてて考え込む仕草をしている。

「ハーマイオニー」

 極力普段どおりに声をかける。それでも緊張しているせいか、音程が狂う。クローディアの声で我に返ったハーマイオニーは目を丸くして応じる。

 声をかけなければハーマイオニーはクローディアに気づかずいたかもしれない。

「考え事さ?」

「ええ、考えていたよりも、驚いていたかしら……、私も人を見る目がまだまだかも知れないなって……」

 再びハーマイオニーは口元に手を添えて思考する。彼女が考え込む事柄は思い当たらないが、クローディアは舞踏会への誘い文句を脳内で作成する。臆する己に喝を入れ、腹に力を込めて口に出した。

「わ、たしと、踊りの相手として、ダンスしよう!」

 用意していた文章は口の中で崩壊し、支離滅裂と化した。

 だが、ハーマイオニーには十分すぎる程、伝わる。理解力と長年の付き合いが手助けしたのだ。ただ驚く彼女は、口元に当てていた手を胸元で組む。

「いま、私とダンスパーティーに行きたいって言った……のよね?」

 問答ではなく、確認。

 若干、心臓の鼓動が激しくなるクローディアは胸を張り、己の胸に手をあてる。

「それ以外に意味はないさ。だって、女子同士で舞踏会に参加しちゃいけないって規則はないさ」

 自身に恥じる物はなく、溢れる自信を込め、クローディアは微笑む。

 対するハーマイオニーは困り果てたように詫びる視線をクローディアに与える。その視線で断られるのは察しが着くが、生憎、承諾されるまで、説得するつもりだった。

「ごめん……なさい。クローディア、私、さっき申し込まれて、受けた後だったの」

 説得以前に、先を越されていた。

 心の弾みが消えたクローディアは微笑んでいた唇を引き締める。自分からは表情が見えない自分の代わりに、ハーマイオニーがその表情をする。

 酷く悲嘆を露に歪んだ表情だった。

「クローディア、どうして私のところに来たの? 貴女と踊りたいって人なら、いるでしょう?」

 純粋な疑問に、ただ素直に答える。

「ダンスの相手って聞いてさ。真っ先にハーマイオニーが浮かんださ。ただ、それだけさ。でも、遅かったさ。その相手に遅れたさ」

 僅か一歩の差だが、クローディアは出遅れた。それが悔しくて堪らない。

「嬉しいわ」

 溌剌としたハーマイオニーがクローディアの手を取る。

「すごく嬉しいわ。私を選んでくれるなんて、ありがとう。でも、だから、ごめんなさい」

 歓喜と懺悔を口にするハーマイオニーは、おそらくクローディアが間に合っていたならば、承諾していたに違いない。その確信だけで、胸中がほんのりと暖かくなる。

「相手を聞いてもいいさ?」

 確認するクローディアの耳元に、ハーマイオニーは唇を近づけて囁く。

「(クラムよ)」

 告げられた名にクローディアは自身が驚く程、納得していた。

 

 居残り名簿が生徒の名で埋め尽くされている様を見るのは、初めてのことだ。正直、クローディアはハーマイオニーに断られた時点で、学校に残る理由はなかった。ドリスが舞踏会を楽しむように手紙を送ってきたので、帰宅も出来なくなった。

 部活動中も生徒の関心はダンスパーティーだと一目でわかる。ハリーがロンとボールのパスをする姿を扉から、女子生徒が覗きこんでくる。

 ここぞとばかりに男子生徒は、かっこ良い自分を見せようと躍起だ。コーマックやブレーズが良い例だ。彼らがゴールにボールを入れる度、ボーバトンの女子生徒が黄色い声を上げる。

 男性陣だけでなく、女性陣も同じだ。

「ねえ、ケイティは誰か誘った? 私はローレンスと行くわ」

「私はアンドリューよ」

 ミムとケイティは内緒話をしているつもりだろうが、こちらには丸聞こえだ。

「ネビル=ロングボトムに誘われたの? いいなあ、ダンスパーティー」

「デルメザが思い切って誘ってみたら?」

 いつも真面目に取り組んでくれるジニーもやはり、女子である。ルーナは興味がないらしく、壁に向かってボールを跳ね返して遊んでいた。

「対抗試合の為、クィディッチを取りやめる理由が今更、わかりました」

 バーベッジが浮ついた生徒を見ながら、溜息をつく。

「そうですね。皆、心、此処にあらずですから」

 同意したクローディアは日程表に修正を加える。お喋りに夢中になっていたアリシアのボールが手元を狂わせ、バーナードの後頭部に激突した。

「クロックフォードさんは誰とダンスを踊るのですか?」

 緊張気味にデレクが問う。彼を視界に入れ、クローディアは思い付く。

「一緒に踊るさ? 私の相手は決まってないしさ」

「え? 僕が……」

 デレクの表情が輝いたが、すぐに消えた。

「すみません、僕……。今年は帰らないといけないんです。去年、帰れなかったから、家族と過ごさないと」

「それは、残念さ」

 本当にデレクは残念そうだった。

 部室の隅で、ダフネがボーバトンの男子生徒にダンスを申し込まれていた。勿論、彼女は即答で了承した。

 

 クローディアの周囲は順調だ。踊りの相手を誘い、誘われた。

 パドマは、ジャスティン。リサは『楽団部』の演奏の為に踊りは不参加。サリーはアンソニー。セシルはボーバトンの男子生徒、マンディはエディー、マリエッタはコーマック……など、チョウは意外にもセドリックに誘われた。

 ブレーズは意中のダームストラング女子生徒に誘われたようだ。

 一番の話題はロジャーがフラーとの組だ。

 男性陣はロジャーに歓声を上げていたが、女性陣はフラーへの妬ましさで歯噛みしていたのが、恐い。それに彼のクローディアへの求愛振りを知り尽くした面子は予想外の浮気癖に呆れる者もいた。

 付き合ってもいないので、浮気も何もない。

 お陰でクローディアはレイブンクロー内で同情の視線を浴びる羽目になる。当に本人は一切気にしていないので、無視した。

 

 休暇が近くになると皆は浮き足立ち、授業への集中力が欠けていく。勤勉さを絵に描いたペネロピーも例外でなく、談話室で読書していたクローディアに喜び勇んで、踊りの相手を報せた。

「ジョージと踊ることになったわ。ほとんど、ジュリアに頼まれたようなモノだけど、私も舞踏会に参加できるのよ」

 

 ――元彼の弟が踊り相手。

 

 頭を過ぎ去る文章をクローディアは振り払う。そんな言葉で宴を楽しみにするペネロピーに水を指したくなかった。

 寮の入り口から、今度は足を弾ませたクララが談話室に駆け込んできた。

「聞いて、誘われたわ! ダームストラング生で、スタニスラフ=ペレツって人に誘われたわ!」

 感心した祝福の拍手がクララへ送られる。クローディアも拍手したが、少し気分が滅入った。心の何処かにスタニスラフなら、誘うかもしれないという期待があったのだと自覚した。

「クローディアは誰とも踊らないの?」

 肩に顎を乗せてきたルーナがクローディアを覗き込む。

 ルーナを見つめ、不意に閃く。

「ルーナ、私と踊るさ。一緒に舞踏会に行くさ」

 唐突な誘いにルーナは瞬きを繰り返し、己の耳を叩く。聞き違いでないかを確認する仕草と察する。

「あたしとクローディアが? 本当に?」

 喜びを込めた口調は戸惑いを見せる。そして、小さく唸ると首を横に振る。

「休暇はパパとケサランパサランを調べる約束があるから、帰らないと行けないの。ゴメンね」

 心底、ルーナは詫びる。クローディアは残念な思いを残しつつ、了解した。

「なんで、ケサランパサランを調べに行くさ?」

 寧ろ、ルーナがケサランパサランを知っていることが驚きだ。彼女は項垂れるように、クローディアの首に深くもたれかかった。

「あたしはあまり興味ないんだ。でも、パパはちょっと気になるみたい。すごく楽しみにしてるよ」

「マグル側のケサランパサランの解釈でよければ、教えるさ」

 途端にルーナはクローディアの首に強くしがみつき、教えを乞う。首が絞まる息苦しさに耐え、ルーナにケサランパサランについて、話して聞かせた。

 

 本格的に行きたい相手がいない。

 『魔法薬学』の授業中だというのに、クローディアは怠慢さが抜けない。初歩的な解毒剤の生成を終えてスネイプに提出終え、鍋や試験管を片付けながら深く溜息をつく。

 溜息を耳聡く聞き取ったスネイプが、睨みを効かせてクローディアの席へと足を運んだ。

「ミス・クロックフォード。自分の提出物が済んでいるからといって、気を緩めるのは感心しませんな。今だ調合を終えぬ者に、失礼とは思わぬか?」

 秤皿を布で拭き続けるクローディアは胸中を満たす陰鬱さでスネイプに怯む余裕すら失っている。だが、パドマは彼女がわざと無視していると思い、気が気でない。周囲も緊張を強くし、冷や汗を書き出した。

 クローディアは何気なくスネイプを見上げた。無気力だが、その言葉は教室に響く。

「スネイプ先生、一緒にダンスパーティーに行ってくれませんか?」

 途端に教室は瓶、鍋、試験管が机から転げ降りる音で騒々しくなった。

 沸騰した湯を入れた鍋がひっくり返ったアーミーは、ズボンにかかってしまい思わず悲鳴を上げた。すぐに、ジャスティンが杖を振って水をぶっ掛けたが、集中を欠いたせいで彼は全身濡れ鼠と化した。

 ハンナは鍋が小指に直撃したため、耐えがたい痛みで悶絶した。悶えるハンナがスーザンに助けを求め、もたれかかったので体勢の均衡を崩し、椅子から落ちそうになる。

 その反動でエロイーズの鍋がひっくり返った。鍋の中身を避けようとしたザカリアスは、後ろの席のアンソニーの顔面に拳をぶつけた。痛みに顔を撫でようとした彼は視界が悪くなって鍋を倒してしまった。モラグが咄嗟に鍋を掴んだが、無謀すぎる。案の定、熱さで悲鳴を上げた。

 阿鼻叫喚の教室を見渡し、スネイプは眉と唇を痙攣させる。目くじらを立ててまで怒ることかと、クローディアは呆れながらも、少し怯んだ。

「レイブンクロー5点減点! 更に、ミス・クロックフォードは、夕食後に罰則を言い渡す!」

 怒鳴りつけられたクローディアは臆しつつも流石に苛立ちが募る。出来るだけ余裕を含んだ笑みを浮かべ、スネイプを見上げた。

「罰則は分かりましたが、踊りの相手は務めてくださらないのですか?」

 飄々と言ってのけるクローディアに、スネイプ以外の人間は、戦慄が走る。スネイプは拳を強く握り締め、無理やり笑みを作り、口を開く。

「ミス・クロックフォードは、君は頭を冷やさなければならないようだ。今宵の罰則は取りやめ、『上級魔法薬』を書き取りたまえ。月曜の朝までだ。出来なければ、レイブンクローは50点失うことになるぞ! よいな!」

 理不尽すぎる決定に、クローディアは承諾する意思を見せない。終業の鐘が鳴り終わるまでスネイプと睨み合った。

 

 『古代ルーン文字学』を終えたクローディアは、リサとマンディから散々責められ続けた。興味半分、警告半分だ。 

「よりにもよって、スネイプ先生をお誘いするだなんて、どうかしています。いくら、ロジャー=ディビーズに誘われなかったからといっても、自棄を起こしてはいけませんわ」

「そうよ。ホグワーツをよく見て! 男子なんて腐るほど、いるわ」

 マンディが両手を開き、男子生徒の存在を教え込もうとする。面倒そうに周囲を見ながら、クローディアは鼻で笑う。

「今日まで、誰も私を誘ってないさ」

「なんと!」

 余程、意外だったのかマンディは素っ頓狂な声を上げた。

「私も『楽団部』で演奏したいさ。いまからでも、ダメさ? リコーダーなら、きっと大丈夫さ」

 適当に言い捨てるクローディアに、リサは『楽団部』が侮辱されたと受け取った。頬を膨らませて睨む。

「いいえ! クローディア、その発言はよろしくありません! 我が部は栄えある舞踏会に自らの誇りを賭けて演奏いたします! 踊る相手がいないから、なんて失礼極まりますわ!」

 烈火の如く叱責するリサは、完全に頭に血が昇っている。滅多に怒らぬ彼女の剣幕に、クローディアとマンディは驚いた。

 失言を認めたクローディアは、両手を合わせて深く頭を下げる。

「ごめんなさいさ。いまのは私が全面的に悪いさ。反省しました」

 頭の一部を冷静にしているリサは、クローディアが心底謝罪していると察した。

「まだ許しきれませんが、貴女の誠意に免じて友情は続けますわ。クローディア、先生をお誘いしたいのでしたら、せめてルーピン先生になさったらいかがです? そのほうが私も安心できます」

 突然、リサが口にした名に、クローディアの身体の奥が熱くなる。その選択肢だけは意識していなかった。本気で考えていなかったか、わざと考えることを避けていたのはわからない。

「それは名案だわ! 同じ先生でも、ルーピン先生がいい! 誘ってごらんよ」

 明るい声でマンディは、リサの提案に乗った。乗っただけで、他意はない。

「いや、でも……」

 口ごもるクローディアの姿に、リサは意地悪だが親しみのこもった笑みで胸を張る。

「最後の授業は『闇の魔術への防衛術』ですから、ちょうどよいですわ」

 リサなりの最大の提案か、それともクローディアの心情を理解した上での後押しか、聞くに聞けない。反応に困り果てたクローディアは、複雑な笑みで頭を掻く。

「ぜ……善処します」

 精一杯の答えに、リサは愉快げに微笑んでクローディアの脇を肘で小突いた。

 

 学期最後の日、ホグワーツ城は最高のクリスマス装飾に彩られていた。階段の手摺りに、触れても冷たくない本物の氷柱がブラさがり、廊下の鎧兜は通行人に反応し賛美歌を口ずさんだ。大広間は、12本のクリスマスツリーに、これまた見事な飾りつけが施されていた。中でも、金色に輝くフクロウは、作り物ではなく本物であり、興奮した下級生は記念にと羽をもぎ取ろうとする者まで現れた。

 時間は瞬く間に過ぎ、終業の鐘が鳴り響く。羽根ペンを動かしていたクローディアは、これからなすべきことを考え緊張して呻く。

 教科書を閉じたルーピンは、黒板に文字を書き込んでいく。

「はい、今学期はこれでお終い。待ちに待った休暇だ。休暇を堪能できるように、たくさん課題を出しておくから、張り切ってくれ」

 黒板には『水中生物・人魚と遭遇した場合の対抗策』と書かれていたので、教室の誰もが宿題の範囲と理解できた。半魚人嫌いのモラグが思わず「ゲッ」と鳴いた。

 皆が早々に教室を出て行く中、クローディアは手間取るフリをしながら、鞄に筆記用具を詰め込む。リサとパドマは彼女にウィンクし、そそくさと教室を去っていく。テリーがルーピンにゾンビ退治の質問をしたので、何度も鞄の中を確かめるフリを繰り返す。

 十分経ち、質問に満足したテリーがルーピンに礼を述べて教室を出ようとした。しかし、まだ鞄に教科書を詰めるクローディアに気づき、疑問する。

「おまえ、何してんの?」

「こっちが知りたいさ」

 ぶっきらぼうに言い捨てるクローディアに、テリーは追求しなかった。

 教室には鞄を抱えたクローディアと教材を片付けるルーピンの2人だけとなる。緊張して、心臓が速く脈打ち、下半身に余分な力が入ってしまう。

 背を向けるルーピンに慎重な足取りで歩みより、覚悟を決めて腹に力を入れて吐き出した。

「ルーピン先生! わ、私とダンスパティいたい!」

 噛んだ。

 声をかけられたルーピンは愛想笑いのまま瞬きを繰り返す。彼の理解不能と言わんばかりの反応にクローディアは羞恥が全身を駆け巡り、顔面の熱が上昇する。

「ごめんね、クローディア。もう一度、言ってもらえるかな?」

 顔を近づけてくるルーピンにクローディアは冷静さを得るために生唾を飲み込んだ。

「わ、私と踊ってくれませんか? 舞踏会の!」

 今度こそ、ルーピンは鳩が豆鉄砲を食らった表情になった。

「その為に、君はずっと待っていてくれたんだね。でも、ごめんね。教職員は生徒が羽目を外し過ぎないように、監督しないといけないんだ」

 詫びるような視線でルーピンは優しく告げる。それが返ってクローディアを情けなくした。断られる事がわかりきっていたから、最初から誘わなかったのではないかと自問しだす。

 何故だが、クローディアは情けない己に腹が立ち、毅然とルーピンを見上げた。

「ルーピン先生。正直に言いますと、先生は最後の手段なんです。ルーピン先生に断られたら、私、舞踏会の間は、部屋でシクシク泣くしかないんです。私にそんな惨めな思いをさせるつもりですか?」

 強気で迫るクローディアに、ルーピンはたじろぐ。

「……クローディア? 私は君と行きたくないんじゃなくて、行けない」

「私と踊りながらでも、監督はできます。生徒同士だけという規則はありません」

 もう一押しとクローディアはルーピンの腕に手を添えて、上目遣いで瞬きする。以前読んだ少女マンガでこうして男子に媚びる女子の話があった。それをこの身で体現する日が来るなど、まさに不思議だ。

 一瞬、目を泳がせたルーピンは小さく微笑み口を開こうとした。

 

 ――バンッ!

 

 唐突に教室の扉が乱暴にノックされ、クローディアとルーピンは振り返る。扉に拳を叩きつけたスネイプが目を細めて2人を睨んでいる。

「ルーピン、話がある。ミス・クロックフォード、外したまえ」

 冷徹に命じるスネイプをクローディアは臆せず、ルーピンの腕を掴んだまま、睨み返した。

「お言葉ですが、ルーピン先生には私が先に話しかけたんです。スネイプ先生こそ、後にしてください」

 反論されたスネイプは、わざとらしく溜息をつき床に足音を響かせてクローディアに迫る。彼女は、ルーピンの前に立ちスネイプを迎えた。

「君には我輩が与えた罰則があるはずだ。寮に戻って励んでいたまえ」

「それでしたら、既に書き終えています。夕食後にお届けに参りますので、ご心配なくスネイプ先生」

 嫌味を込めたクローディアが挑戦的に語尾を強くする。眉間のシワを深くしたスネイプが口を開く寸前、ルーピンがその口を手で塞ぐ。

「セブルス、ちょっと待った。クローディア、外してくれるかな?」

 反論しようとしたクローディアは、微かに懇願する視線を送るルーピンに、仕方なく頷く。

「それと、やはり私は駄目だから諦めて欲しい」

 スネイプが介入したせいで不機嫌になっていたクローディアは、更に気分が憂鬱になった。

 

☈☈☈☈

 肩を落として教室を出たクローディアを見送り、ルーピンはスネイプの口から手を外す。スネイプが手を振るうと、教室の扉が閉められた。

「『脱狼薬』は、明日からの服用だ。貴様にも宴に顔を出してもらわんと面子が立たない。リータ=スキーターなる記者が変に勘繰るかもしれん。いろいろ口実を作っては、城の敷地に入ろうとする。全く、けしからんな」

 適当に話すスネイプにルーピンは微笑んで肩を竦める。

「そのこと、クローディアの後でも良かったんじゃないかな?」

 皮肉を込めた口調に、スネイプの眉が痙攣する。

「ルーピン、ハッキリ申し上げておきましょう。ミス・クロックフォードに貴様の汚らしい牙が掠りでもすれば、生まれたことを後悔させてくれる」

 脅迫する断言。

 生真面目に睨んでくるスネイプを目にし、ルーピンは堪らず噴出す。そして、腹を抱えて笑い出した。

「ハハハハハハハハ! 笑い事じゃない……でも、ハハハハハハハハ!」

 床に座り込んでも笑い続けるルーピンは、笑いすぎて呼吸困難で咳き込んだ。ルーピンの様子を冷めた目で傍観したスネイプは、笑いが治まるまで待ち続けた。

 ひとしきり笑い終えたルーピンは、息苦しいがそれでも満面の笑みでスネイプに向き直る。

「こんなに笑ったのは、何年振りだろう。いや、もしかしたら、初めてかもしれないよ」

 余韻で少し笑うルーピンに、スネイプは冷ややかな視線で返す。

「一体、何がおかしかったのでしょうな?」

「コンラッドと同じことを言われたからだよ。君達は根が深いところで通じ合っているみたいだ」

 予想外の名にスネイプは一瞬、動揺する。狼狽する姿をルーピンに去らぬように咳払いして平静を保つ。

「我輩からの話は以上だ。くだらん憶測をしている暇があれば、身なりを整える用意でもしていたまえ!」

 乱暴に顔を背けたスネイプは扉が閉じていることも忘れ、出口に突進する。ルーピンは警告もせずに見守っていると案の定、彼は顔面を扉に思い切りぶつけた。

 

☈☈☈☈

 流石に立て続けに振られるのは、キツい。

 壮大に溜息をつくクローディアは寮に戻らず、夕食の為に大広間へ直行した。玄関ホールには他校の生徒も混ざり、多くの人がいた。廊下の隅ではボーバトンの男子生徒がハンナに踊りの相手を申し込んでいた。

「僕と!! 一緒にダンスを踊ってください!!!」

 玄関ホールを突き抜ける叫び声に聞き覚えがあり、クローディアは振り返る。

 顔面を耳まで赤くしたロンがフラーに向かい、手を差し出していた。周囲にいる生徒の誰もが、2人を遠巻きに眺める。フラーはロンを怪訝な視線を返すだけで口さえ開かない。

 段々、ロンは瞬きし小さく呻いてから、その場を一目散に走り去った。一連の出来事がなかったようにフラーは玄関ホールの外へ歩き出した。

 その態度にクローディアは怒りが湧き起こる。フラーが既にロジャーと組んでいることは知っているが、断るにしても必死で申し込んだロンに対し、酷すぎる。

 知らずとクローディアの足はフラーを追いかけ、追い越していた。眼前に現れた不審者にも、選手たる威厳は損なわれない。

「フラー=デラクール。いまの態度は何さ? いまの男子生徒は、孔雀の恰好で屋上から飛び降りる気持ちで、あんたに申し込んだのに返事すらしないなんて、無礼にも程があるさ」

 鼻を鳴らしたフラーは自慢の髪を撫で、尊大な態度でクローディアを値踏みする。

「あな~たに関係あ~りません。今の子が可哀想なら、あなたが~踊ればよろしい。あなたなら、とても~お似合い~ですよ」

 せせら笑うフラーをクローディアは敵意を込めて睨む。

「可哀想の意味をご存知さ? その身を持って教えてあげるさ。言っとくけど、私は取っ組み合いであんたに負ける要素は、ひとつもないさ。ご自慢の魅惑の術も、女の私には無力さ」

 皮肉を込めたクローディアは嫌味に微笑む。そして、両腕の力を抜き、足を肩まで開いて姿勢を保つ。小うるさい蝿を見る目つきでフラーは、懐から杖を取り出そうとした。

「「は~い♪『カナリア・クリーム』は、いかが?」」

 呑気な声でクローディアとフラーの間に割って入ったのは、シュークリームの乗せた皿を両手に持つフレッドとジョージであった。

 双子の登場にクローディアは視線で去るように訴えたが、フラーは毒気を抜かれて魅力的な笑みを振りまきだした。

「おいとつ、いただきま~す」

 フレッドの皿からひとつシュークリームを摘んだフラーは、クローディアを一瞥し気取った足取りで家馬車へと帰っていく。追いかけようとした彼女の腕をジョージが無理やり掴んで引き止めた。

 フラーが完全に見えなくなってから、ジョージはクローディアを離した。

「まあまあ、クローディア。ひとつあげるから、カリカリするなって、な?」

 クローディアの口に、ジョージは無理やりシュークリームを突っ込もうとしたので避ける。

「クロックフォードも短気だな。相手は代表選手だぞ? 学年も上だし、君が知らない呪文もあるだろう?」

 呆れたフレッドにクローディアは両腕を組み、悠然と答えた。

「殴り合えば、絶対負けないさ。杖を構えるより先に、討てばいんだからさ」

「「そうだね、君はそういう子だったね」」

 おおげさに震える双子は、口元が笑っていた。

「それでさ、ジョージはペネロピーと行くと聞いたさ。フレッドはさ?」

「僕はアンジェリーナと行くぜ。そっちは?」

 陽気なフレッドにクローディアは空振りを教える為に大きく肩を竦める。フレッドが可笑しそうにケラケラと笑い返した。

「それよりも、味見してくれよ。新作なんだ」

 ジョージがシュークリームを押し付けてくるので、クローディアは夕食も忘れて逃げ出す。

 

 レイブンクロー寮へ降りる階段に向かう曲がり角にハリーがいた。クローディアは彼と正面衝突、する前に彼女は一歩下がって踏みとどまった。危機一髪だ。

 クローディアに気付いたハリーが振り返る。無気力に彼は挨拶してきた。

「やあ、クローディア」

 突然、ハリーはクローディアを目にして気づく。

 おそらく、いままでほとんど意識していなかった。クローディアは女子生徒だ。いまを逃せば、彼女は寮に帰ってしまう。ハリーは前置きもなく問いかける。

「クローディア、僕とダンスパーティー行かない?」

 

 ――刹那の沈黙。

 

 2人の胸中は実に奇妙であった。男子生徒のハリーが女子生徒であるクローディアに舞踏会の相手として申し込んでいる。当然のことが何故、いままで気づけずにいたのか、不思議すぎる。

 それでもクローディアは冷静に思考する。

「ハリー、本当に踊りたい相手はいないさ? ちなみに私は全員、撃沈さ」

 確認の意味だと察したハリーは気恥ずかしいが素直に答える。自分を振ったチョウの名は伏せた。

「いたけど、振られたんだ。もう、相手が決まっていた」

 少なくとも、クローディアが取り残されるのが、可哀想で声をかけたのでない。納得した彼女は親指を立て、快活に笑う。

「わかったさ。一緒に行くさ」

「ありがとう」

 安堵の息をつくハリーは力なく、微笑んだ。

 

 ハーマイオニーの報告する為、ハリーに招かれてグリフィンドールの談話室に入る。クローディアは激しく落ち込むロンを目にする。血の気のない顔色で談話室の隅に座り、ジニーが必死だが優しく慰めている。

 驚いたハリーがロンへと駆け寄り、事情を聞く。

 その間、ハーマイオニーが談話室に入り、ロンの様子に驚いた。

「クローディア、ロンはどうしたの?」

「フラー=デラクールに振られて落ち込んでいるところさ」

 気の毒そうな視線をハーマイオニーはロンに向ける。彼はハリーにブツブツと経を唱えるように泣き言を繰り返していた。

 不意にハーマイオニーは躊躇いながらクローディアに尋ねる。

「(クローディアの相手は見つかったの?)」

「(ハリーさ)」

 親指でハリーを指し、クローディアは報告する。ハーマイオニーは肩を跳ねて驚く。

「(もしかして、最後の手段なのかしら?)」

「(まあ、そんなところさ)」

 それまでの経緯を説明しづらいので、クローディアは結果だけを教える。呆れた表情でハーマイオニーは、ハリーとロンを眺める。常日頃から傍にいるため、お互いが男女であることを忘れる。

 理解はできるが、納得し難い男子の心情にハーマイオニーは苛立つ。

 ハーマイオニーを宥めようとしたクローディアは急に異質な視線を感じた。

 談話室にはクローディアとハーマイオニー、隅にハリーとロン、ジニー、男子寮と女子寮から何人か生徒が出入りしている。彼らからの視線ではない。壁にかけられた絵を見渡す。絵の住人はチェスやバックギャモンに興じている。

(この視線は何処からさ? 敵意はないけど、……なんだろうさ? すごくムカつくさ。いますぐ殴りかかりたい気分さ)

 首を傾げるクローディアは暖炉の火花が飛び散る音を耳にする。暖炉の薪が足りなくなったのかと、何気なく近寄り、炎を眺めた。炎は何の問題もなく燃え続け、談話室を暖める。

 

 ――はずの炎に、シリウスの顔が浮かんでいた。

 

「ぎゃああ!!」

 動揺したクローディアは防衛本能で杖を炎に向けて水を放った。まともに水を食らった炎から微かな悲鳴が上がり、細い煙をと共に鎮火した。それを見ていたハーマイオニーは慌てた。

「何してるのよ! 寒いじゃない!」

「ふ、不審火が、火が……」

 驚きすぎたクローディアの杖を持つ手が小刻みに震える。動悸が激しく脈打ち、この寒気の中を嫌な汗が身体を濡らす。挙動不審な態度にハーマイオニーは返答に困る。

「暖炉なんだから、火があるのは当たり前よ」

 必死で宥めるハーマイオニーの手を掴み、クローディアは低い声で訴える。

「……だって、火に顔が……、不審火が!」

 慄くクローディアの言葉を聞くとはなしに聞いていたハリーは、勢いよく振り返る。ロンをジニーに任せて暖炉へ駆け寄り、湿った薪を注意深く確認した。

「な、何もいないよ。クローディア、きっと、ピーブズの悪戯か何かだよ。そうだろ? ハーマイオニー?」

「そうね、『煙突飛行術粉』を使って……、でも、寮の暖炉でそんなことできるものかしら?」

 脳内の情報から検索するハーマイオニーを何故か、ハリーが思考停止させようと振舞いだす。

「ハーマイオニー、それよりもロンの踊りの相手を探すことが先だと思うんだ。誰か心当たりないかな? クローディアも君の友達に当たってみてくれない?」

 クローディアとハーマイオニーをハリーは無理やり暖炉から連れ出し、彼は変に緊張し声が上擦っている。

 怪訝な顔つきになるクローディアはハリーの腕を振りほどく。

「私、今夜はここで寝るさ。絶対、あの炎はおかしいさ。不審火さ」

 この提案に、ハリーの顔色が見る見る青ざめる。

「正体を突き止めるまで、起きてるさ!」

 断言したクローディアは『呼び寄せ呪文』で寝巻きとベッロを取り寄せ、談話室の隅を占領する。ハーマイオニーは馬鹿げた行動だと呟く。

 それでも、クローディアに付き合うと決めた。自室から宿題を運び込んだ。

 2人の説得をハリーは諦めた。偶々談話室に戻ってきたパーバティを掴まえ、ロンの踊りの相手を頼んだ。

 

☈☈☈☈

 夜遅くまで騒ぎ賑わう生徒も眠気には、勝てない。

 クローディアとハーマイオニーも同じ、日付が変わるまで粘り続けた。それでも、瞼の重さに勝てず意識を手放すのは当然のことだ。

 談話室から人の声がなくなった頃、寝巻き姿のハリーが忍び寄る。ソファーで身を寄せ合い寝息を立てる彼女達を確認し、暖炉へと歩み寄る。暖炉の炎は水を浴びたせいで湿気たため、火力が弱い。

 それでも、ハリーは炎に声をかける。

「(シリウス、見てる?)」

 ハリーの微かな声に応え、炎の中にシリウスの顔が浮き出てくる。己の確信にハリーは、心を躍らせて拳を強く握る。

「(夕食のときもいたよね? 何してたの?)」

「(すまない、ハリー。そろそろ休暇の時期だし、年が終わる前に君の顔を見ておきたかったんだ。まさか、水をかけられるとは、おかげでずぶ濡れだ)」

 小さく笑うシリウスを目にし、ハリーは先ほどのクローディアの行動が彼を怒らせなかったことに安心する。

「(昨日、私の元に届いた手紙に、舞踏会に出席しなればならないとあったが、相手は見つかったか?君のことだ。さぞ、いろんな女の子から誘われたろ?)」

 親しみの意地悪な笑みに、ハリーは思わず噴出して笑う。

「(誘われはしたけど、その……行きたい相手がいたんだ……。でも、その子はダメだった。それで……その……えと……結局……、クローディアと行くことになったんだ)」

 何故だが、シリウスに伝えることが後ろ髪を引かれる気分になり、ハリーの声が段々と小さくなる。

 シリウスは相手の名に、目玉が飛び出んばかりに見開き絶句する。

「正気か? いや、失礼。だが、彼女はクロックフォードの身内だぞ? 君の友達だとは、私も理解しているが、もしも、いいか、もしも恋人にでもなってみろ。あの男のことだ。君のことは、ただじゃおかないぞ」

 多少の嫌悪が含まれた口調に、ハリーは叱責を受けた気分になり、項垂れる。シリウスの言葉通り、コンラッドはスネイプ同様、ハリーを憎んでいるのだ。2人は学友で、シリウス達とは犬猿の仲だ。

 その構図を脳裏に浮かべたとき、強い疑問も浮かんできた。何故、スネイプはクローディアを憎んでいるのか、いまでも、その態度が変わらないのかということだ。

「ねえ、シリウス。話が変わるんだけど、コンラッドさんとスネイプは本当に友達だったの?」

 唐突な質問の内容にシリウスは顔を顰め、回想するのも煩わしいという表情で頷く。

「そうだ。奴らは常に一緒だった。クロックフォードは血の気が多い男でな。俺は、いつも殴られていた。一度、叩きのめしてやろうとしたが、返り討ちにあって半殺しにされたこともあったな」

 最悪の失態とシリウスは炎の中で頭を振る。

「だが、私達が卒業した……少し後だったか、奴の母親が……!!??」

 突如、言葉を区切るシリウスにハリーは問いかけようとした。

「アグアメンティ(水よ)」

 ハリーの背後から、バケツ一杯分の水が暖炉の炎へとぶっかけられた。突然の出来事にハリーは床に這いつくばりながら振り返る。そこに半眼で杖を構えるクローディアが幽鬼の如く立ち尽くしていた。

「不審火……、不審火……」

 完全に寝ぼけたクローディアは寝言を繰り返す。

「消えた! 火は消えたから! ね!」

 両手を挙げ、降参の姿勢を取るハリーは暖炉の炎を一瞥する。完全に鎮火し、更に水浸しになっている。これではシリウスはもう来られない。残念に溜息をついたハリーに、焦点の定まらないクローディアは杖を突きつける。

「不審火ない?」

「ないない、僕はもう寝るから」

 こちらにまで水をかけられては堪らない。クローディアをゆっくりソファーに案内し、ハリーは即座に自室に逃げ込んだ。

 ソファーの陰で寝ていたベッロが忍び笑いを洩らした。

 




閲覧ありがとうございました。
はい、ハリーと踊ります。
暖炉の炎に顔があったら、普通に怖い。
シリウスの「正気か?」は、それだけでクローディアへの感情がわかる一言です。


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14.踊らされた会場

閲覧ありがとうございます。
ダンスの練習時間って、自分達で作るしかないんだろうなあ。

追記:16年3月8日、3月9日、5月5日、17年3月7日、18年9月2日、誤字報告により修正しました


 肉体に意識が戻るが瞼が重く、手足や肩が硬い。

 クローディアは無意識に宙を掴もうと手を伸ばす。寝起きに関わらず、身体の間接が痛む原因を覚醒したばかりの脳で考え込んだ。

(そういえば……、グリフィンドールの……談話室で寝たんだったさ)

 ソファーにいる自分の状況を確認し、頬に当たるのはハーマイオニーの感触のはずだ。しかし、女子にしては筋肉が硬い。寝起きで身体が強張っているせいだ。そう考え、瞼を開く。

「やっと起きたな。クローディア、わざわざソファーで寝るなんて男子かよ。おまえは」

 隣にいたのは、苦笑する赤髪の双子ジョージだ。

 きっと、自分はまだ寝ぼけている。

 瞬きし、自分の頬を軽く叩くクローディアに冷たいタオルが投げ渡された。突然の冷たさに、まどろみが消える。

「グレンジャーなら、便所だ。おまえがあんまり気持ちよさそうに寝てるから、俺が枕代わり。ほれ、俺に感謝の言葉は?」

 経緯を理解したクローディアは反射的に頭を下げる。

「……うん、ありがとう」

「よろしい。んじゃ、俺はこの辺でな。顔を洗えよ」

 含みのある悪戯っぽい笑みを向けた後、ジョージは男子寮への階段を上っていった。入れ替わりに、肖像画の穴からハーマイオニーが現れる。彼女はソファーのクローディアの顔を見た途端、両手で口を押さえ肩で笑う。

「どうしたさ?」

 問いかけるクローディアにハーマイオニーは咳き込む。

 お手洗いに連れて行かれ、洗面所の鏡を見つめた。鏡に映る顔を確認し、ジョージに如何なるお返しをするべきかを真剣に考えた。

 寮の自室に戻ったクローディアは寝台に置いていたはずの罰則用レポートがない。

(なくしたってことは……ないさ?)

 寝台周辺を探すクローディアに寝台から起き上がったパドマが声をかける。

「今朝早くに、ベッロが持っていったわよ」

「ベッロがさ? なら、問題ないさ。ありがとうさ。パドマ、まだ寝てていいさ」

 優しい声で返答すると、パドマは布団を被って眠りだした。

(夕食の後に提出するって、スネイプ先生には言ったけど……まさか、勝手に期限縮めたりしてないさ?)

 櫛で髪を梳きながら、クローディアは一抹の不安を覚える。

 

 ベッロを追いかけようと寮を出て、クローディアは階段を登り切る。

「失われた髪飾り!」

 待ちかまえたように、厚着したルーナが飛びついてきた。首が絞まり、クローディアは悶える。別れの挨拶だと解釈した。

「馬車が出るまで、まだ時間あるさ。ルーナ」

「あるけど、見つけたから、渡さないと」

 何の脈絡もなく、ルーナはクローディアの眼前へ少し古い精巧な細工の髪飾りを突きつけた。

 それはクローディアにも見覚えがある。談話室にあるロウェナ=レイブンクロー像の頭部にも掘り飾られている物と全く同じだ。

 髪飾りに小さく刻まれた【計り知れぬ英知こそ、我らが最大の宝なり】の文字が、その証拠ともいえる。

「これは像の複製物さ? それともこっちが本物さ?」

「贋物なんてないけど、これはすごく危ないもの。マッド‐アイに見せる前にクローディアに先に見せたかったんだもン」

 浮つきのない深刻な声がルーナの真剣さを物語る。不意にクローディアは2年生の頃を思い返す。あの頃も、ルーナはトム=リドルの日記を危険視していた。

 髪飾りと日記の繋がりは見えない。女物の髪飾りがトム=リドルの持ち物とは思えないが、全く無関係とは言い難い。

「これ、何処で手に入れたさ?」

「クローディアの髪にね。似合う物ないかなって考え込んでた。そしたら、いろんな物が置いてある部屋があったんだ。そこで見つけた」

 大雑把な説明だが、この城の中で見つけ出したのだと理解した。

 ならば、髪飾りの危険性は極めて高い。

 確信を得るには、ベッロに見せるのが一番だ。それとも、専門であるルーピン、もしくはムーディに確認してもらうべきだ。

「ちょっと貸してさ」

 クローディアは手の中で髪飾りを弄ぶ。

 重厚な見目だが軽く、手触りの良い滑らかさは、飾り物に疎いクローディアでも素晴らしい一品と感じ取れる。僅かな錆も歴史的価値を伝えるに十分な美しい芸術品。危険な物だと判断されれば、壊さなければならないのは少し勿体ない。

 

 ――――このままジブンのモノにしてもいいのではないか?

 

 途端に言葉が脳裏を支配する。湧き起こる独占欲が髪飾りを愛おしくさせる。何故、貴重な髪飾りを他人の手に渡しあまつさえ、壊そうなどと考えたのかと首を傾げる。

 

 ――――これはワタシのモノだ。

 

「違うよ」

 脳髄に囁かれた親しい声がクローディアを我に返させた。そして、髪飾りを髪に挿そうとしている自分に少なからず驚く。

 まるで、誰かがクローディアに『服従の呪文』をかけたように何の疑問も浮かばなかった。否、それよりもより自然に従っていた。

 

 ――全身を巡る悪寒。

 

 他者の判断を煽る必要はない。

 クローディアは空き教室に飛び込み、髪飾りを床に叩きつけた。着いてきたルーナを扉まで下げさせる。杖を取り出し、迷うことなく髪飾りに杖を向ける。

 ルーナは止めなかった。

「レダクト! (粉々になれ!)」

 呪文は正確に発動した。しかし、髪飾りは何事もなかったように無傷であった。

「ディフィンド! (裂けよ!)」

 床に切れ目が出来たが、やはり髪飾りは傷ひとつない。

 これがただの髪飾りではない証明である。

 焦燥のあまり、クローディアの頬へ汗が流れる。汗を拭いながら、必死に記憶を手繰り寄せる。ハリーが『秘密の部屋』での出来事を話して聞かせてくれたとき、日記はバジリスクの牙で破壊したと語ったことを思い返した。

(バジリスクの牙……いや、毒に匹敵する力……)

 杖を睨んだクローディアは歯噛みする。己の魔法ではこの髪飾りを破壊できない無力感。心臓が焦燥と苛立ちで脈打ちを速くする。

 いっそ、叩き壊してやりたいとクローディアは杖を鞭のように振るい下ろした。

 

 ――耳奥に木霊したのは、微かな悲鳴。

 

 床の上で髪飾りが大きくヒビ割れた。そして、生気を失うように赤黒く色へと染まりあがると髪飾りはただの錆びついた物へと変貌した。

 全てが一瞬の出来事。

 この状況に困惑したクローディアはルーナを振り返る。流石に彼女も慄き、腕へとしがみ付いてきた。

「……た、叩けばよかったさ?」

「うん、多分。叩けばよかった」

 お互いを見やり、安心と共に微かに拍子抜けする。時計に目をやれば、髪飾りを壊しにかかってから、半時間も過ぎていた。よく誰も来なかったものだ。

「この髪飾り、なんであの像と同じ形さ?」

「それは、失われた髪飾りだからだよ。聞いたことあるでしょう?」

 噂程度なら、クローディアも耳にしている。ロウェナ=レイブンクローが亡くなったと同時に姿を消した『失われた髪飾り』。城の何処かにあるのではないかと、フリットウィックが寮監に就任した際、生徒と共に捜索に乗り出したらしい。

 間を置いてから、クローディアは状況を纏める。

「……? つまり、これは本物ってことさ?」

「だから、贋作なんてないって言ったでしょう? それに危険だったもン」

 不思議そうに首を傾げるルーナと違い、クローディアは段々と焦燥感で心拍が早くなる。

 

 ――よりにもよって伝説の品、しかも創設者の遺品を破壊してしまった。

 

 何故か、ルーナは破壊して当然という態度だ。

「よし、気付かなかったことにするさ」

 肝が冷えたクローディアは髪飾りの件をルーナに口止めした。

「でも、パパには話していいでしょう?」

「それなら、いいさ」

 嬉しそうにルーナはクローディアの腕にしがみ付いた。

 

 ハンカチに割れた髪飾りを包んだクローディアは玄関ホールでルーナと僅かに帰省していく生徒達を見送る。馬なし馬車が校門を抜けていく頃合に、足元へベッロが這いずってきた。

「レポート渡してくれたさ?」

 問いに頷くベッロに感謝し、クローディアはそのままムーディのいる部屋を目指す。向かおうとした矢先に、廊下の向こうからネビルと他愛ない会話を行うムーディを目にした。

「ハッキリ言っておこう。おまえさんに才能はない。だが、良い意味で才能がないのだ」

 顔を顰めても納得する様子のネビルがクローディアに気づく。すぐにムーディに礼を述べ、慌てた様子で彼は中庭へと走り去っていった。

 ネビルも気にかけたが、クローディアは髪飾りの件を優先する。ムーディに事の次第を説明し、ハンカチで包んだ割れ物を見せた。義眼が髪飾りを眺め、胡散臭そうに唸る。

「全く痕跡が見えん。おまえの話も眉唾すぎる。何故、壊す前に持ってこなんだ? しかし、おまえの行動は正しい。よかろう。これはわしが預かっておく。次に同じような物を見つけたら、触れる前にワシに報せろ」

 出来れば、そんな代物には2度とお目にかかりたくない。

 口に出さなかったが、クローディアは露骨に嫌な顔つきになる。ムーディはさも面白そうに顔を歪めて笑った。

 

 午後、図書館で宿題を片付けるクローディアは、髪飾りのことをハーマイオニーに話して聞かせた。彼女も胡散臭そうにしていたが、髪飾りの危険性を信じた。

「『例のあの人』であろうとかなろうと、そういう道具はルーピン先生に見てもらってね」

 危険なことをした罰だといわんばかり、ハーマイオニーは鞄でクローディアの頭を軽く小突いた。

 心配かけたことを詫び、クローディアは自分の杖を眺める。髪飾りに何か呪いがかけられていたとしても、創設者の遺品を破壊せしめたのだ。

(柳に……グリフォンの羽根の杖……。……柳か、それともグリフォン……)

 マダム・ピンスが杖を触るクローディアを睨んできたので、考えることをやめた。

 図書館の奥の席で、エロイーズがダームストラング生に踊りの相手を申し込まれていた。大声を上げて承諾した彼女は司書に叩きだされた。

 

 休暇が始まった2・3日は城のあちこちで身体に羽根を生やした生徒達が続出した。原因はフレッド、ジョージお手製『カナリア・シュークリーム』、口にした人間の身体に羽根を生やすという悪戯菓子だ。

 ハリー曰く、本来はカナリアに変身させるらしいが、それを双子は改良したのだ。フラーは身体から羽根が生えることが、己の見栄えをより引き立たせる。そう考え、双子から大量に購入している姿をクローディアが目撃した。

 クローディアには、そんな趣味はないので決して双子から食べ物を受け取らないと心から誓った。

 

 第2の課題に向けて、クローディアはハリーと卵の謎に取り組もうとした。しかし、彼は折角の休暇に頭を使いたくないと逃げ回る。そんな悠長なハリーに、クローディアとハーマイオニーは呆れた。

「まあまあ、休暇くらいは休ませてやれよ」

 ロンに諭され、クローディアとハーマイオニーは諦めた。

 

 誰もが待ち遠しいクリスマスは、すぐに訪れた。夜の舞踏会を楽しみに生徒達は自分に届いた贈り物の開封に勤しんだ。

 クローディアも勿論、友人達から贈り物を貰う。だが、どういうわけか全ての品がアロマテラピーやお香、香りつき匂い袋など、精神を安定させる効果のある物ばかりだ。ハーマイオニーと贈り物を交換したときも『幸福のビスケット』というその名の通り、口にすると幸せな気持ちになるお菓子を貰う。

「そりゃあ、あなたは新学期になってから、気分の浮き沈みが激しいんですもの。ハリーのせいじゃないかって噂もあったのよ」

 パドマの説明を聞き、クローディアは出来る限り自分の表情に気を使うことにした。

 

 クリスマスの昼食は賓客への持成しが含まれ、例年より豪華な料理が寮席に並んでいた。焼けた七面鳥が百匹も用意されており、半分以上をダームストラングの生徒が食べ尽した。

 午後になり『楽団部』は最終予行練習の為、『呪文学』の教室へと集合する。クローディア、ハーマイオニー、ハリーとロンは校庭へ雪合戦に赴く。

「目が覚めたら、ドビーが僕に贈り物をくれたんだ。それで僕はドビーに靴下をあげたんだ」

 フレッドに雪玉を投げつけたハリーが話し、クローディアはロンが投げてくる雪を避けながら頷く。

「もしかして、ロンはセーターをあげたさ?」

「そうだよ? なんでわかったの?」

 問い直すハリーにクローディアはジニーとジョージから集中攻撃されるロンを一瞥する。

「あんたもフレッドとジョージも、ジニーもセーター着てるのに、ロンだけ着てないさ」

 納得したハリーは油断し、フレッドから一撃雪玉をまともに受けた。

 

 5時を過ぎると女子は盛装の為に寮へと戻り始めた。雪合戦に熱が入ったクローディアも例外なく、迎えに来たパドマとサリー、セシル、マンディに連行された。

「ハリーと踊れるなんて、いいな♪いいな♪」

 サリーが嬉しそうにクローディアの背を押す。

「納まるところに納まったって感じね」

 マンディがからかうように笑うと、セシルがそれに頷いた。

 女子の行動は大体決まっている。まずは、シャワー室で香りの良い石鹸で身体を洗い、何度もシャンプーで髪を洗い、素敵な香りのリンスで髪を念入りに手入れする。部屋で体型を良く見せるコルセットを着ける。コルセットは慣れないと1人では着けられない。誰かは必ず誰かを手伝った。

 無論、クローディアはそんな上等な下着はつけない。寧ろ、付ける必要もない。何故なら、悲しいことにないからだ。

 折角、ドリスが用意してくれたコルセットは無意味だ。パドマと比べても、ない。

 パドマは衣装の関係でコルセットは着けなかったが、それでも上等な下着を身につけている。

 支度を済ませたペネロピーがクローディアの体型と胸元を見やる。

「このくらいなら、どうにかなるわ。胸元を詰めればいいのよ。私も昔はよくやったわ」

 クローディアにコルセットを着せた後、ペネロピーは綿のような固まりを取り出す。それを胸元へと詰め込んでいく。全身鏡に映る姿を見て、感嘆の声を上げた。

「おお、あるさ……。ちゃんと……、ありがとうさ」

「いいわねえ、余分な脂肪がなくて……」

 恨めしそうにペネロピーは、クローディアの腹回りを眺めた。

 パーティドレスに着替え、髪を頭の天辺で纏める。母が送ってきた簪をつけ、顔にも簡単に化粧を施す。パドマやペネロピーが化粧の指導をしてくれたので、ほどよく頬に色が塗られる。藤の香水を脇と足首に半滴浸し、手袋を嵌めれば、クローディアの支度は完成だ。

 パドマは上等なシルクから作られたでトルコ石色の衣装(サリー)、髪にも網目の髪飾り、両腕は金の腕輪を輝かせていた。

 慌てて部屋に戻ってきたリサも黒い金色の刺繍を縫いつけたドレスに着替え、髪をお団子に纏め黒いリボンで結び、顔を化粧で彩る。一番遅いはずのリサが3人の中で、丁寧かつ上品に仕上がっていた。

 宴には参加できないベッロ、シヴァ、キュリーは自分達の主の寝台を我が物顔で占領する。使い魔に留守番を言いつけ、談話室に下りると男子生徒も着飾る姿を目にする。

「では、私はお先に失礼いたします」

 品性のある小走りでリサが談話室を後にし、クローディアもパドマと後に続く。

 狭い階段を慣れないヒールで上がるのは、クローディアには困難だ。廊下へ出たとき、隠れてでもヒールを脱いでしまいたかった。

「クローディアよね? 素敵よ」

 ハーマイオニーの声に振り返ると、クローディアの心臓が平らに大きく跳ね上がった。

 フワフワと広がった栗色の髪が滑らかに押さえつけられ、頭に巻きつけるように纏めあげている。睫毛がハッキリわかるように跳ね、ハーマイオニーの円らな瞳をより魅力的にする。更に淡い桃色のパーティドレスが少女の純粋かつ純情さを見事に、形にしているのだ。

「き、綺麗さ。ハーマイオニー!」

 完全に見惚れたクローディアは唇が痙攣し、言葉を上手く紡げなくなってしまった。

 

 大広間の前に行くと、待ち合わせの生徒で溢れていた。見慣れない光景、本当にここが学校なのかと疑ってしまう。タキシードで盛装したジャスティンに気づいたパドマは、すぐに彼へと駆け寄り大広間へ入っていく。雄雄しい闘牛士の恰好をしたビクトールがハーマイオニーに気づいて、勇ましく挨拶する。何故か、2人は入り口の前で立ったままだ。

 ハリーの姿がないクローディアは周囲を見渡す。既に到着していたロジャーは背中に羽を生やしたフラーを必要以上に眺めた。セドリックもチョウと緊張した顔つきで話し込んでいた。黄緑のパーティドレスで着飾ったクララとやはり闘牛士姿のスタニフラフが腕を組んで大広間へ入って行くのを目にした。

 

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 踊りたくないハリーは胃が痛めつけられる。

 パーバティはロンの(彼曰く骨董品)恰好に怪訝そうな顔を隠そうともしない。彼自身も衣装を恥ずかしく思い、ずっと俯いている。

 浮かれ声で満ちた大広間の扉前で、ハリーは急いでクローディアを探す。廊下の壁にもたれる彼女を見つけ、彼は目を見張った。

 そこにいるのは、確かにクローディアだ。フリルだらけの私服を見慣れている。しかし、身体の曲線を露にした衣服、しかも化粧で顔を塗る彼女に、素直に目を奪われた。

〝クローディアは、綺麗とは程遠い〟

 いつしか、ハリーがクローディアに告げた言葉を今なら、撤回できる。いまの彼女は、まさにしとやかな淑女そのものなのだ。優美にして可憐が彼女に相応しい。

 クローディアがハリーに気づき、控えめに手を振る仕草が信じられない。

 

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「ハリー、遅いさ」

 ロンを視界に入れたクローディアは、激しく瞬きし言葉を選ぶ。

「……ロン。その服、目の色に合っているさ」

「どうも」

 ぶっきらぼうにロンは返事する。

「それでハーマイオニーは何処なんだ? どっかでメソメソ泣いてたりする?」

 クローディアは背後でビクトールと並び立つハーマイオニーを意識する。

 ハーマイオニーもロンに背を向けているので、気づいていない。クローディアが答える前に、品よく盛装したマクゴナガルが声を弾ませ、ハリーへと声をかける。

「ポッター、ようやく着ましたね。選手は貴方で最後ですよ」

 マクゴナガルはロンを見た瞬間、硬直した。

「……ミスタ・ウィーズリー、ミス・パチルを連れて大広間へお行きなさい」

 戸惑った声で指示するマクゴナガルにロンは気のない返事をした。口を曲げたパーバティと大広間へ行くと、二重扉が音もなく閉じた。

 マクゴナガルが廊下に残った8人を見渡して整列させる。クローディアとハリーは、最後尾に配された。

 ハリーと並んだとき、クローディアは彼の顔色を確かめる。緊張と困惑、逃避と様々な思いが込められた肩が同じ高さにある。

(……ハリーって、こんなに背があったさ?)

 思い返す暇もなく、楽しげだが厳格さを残したマクゴナガルの声が響く。

「私に続いて入場なさい」

 8人が期待と緊張で表情を強張らせ、背筋を整えると同時に二重扉が静かに開く。

 

 大広間は氷河を削ったように、色もなく輝き別世界へと誘っている。寮席の代わりに円食卓が並び、その周囲を生徒達が囲みながら、行進する四組を拍手で出迎えた。

 氷芸術の美しさに興奮しつつ、クローディアはハリーと腕組みして行進する。漆黒のビロードで高貴さを主張したドラコと偶然、目を合わせた。奇妙な動物を見る目つきをしながら、何故か彼の顔が赤くなっていた。反対側の食卓付近で盛装したジョージは、蒼白な顔色で今にも倒れそうだ。

 一番奥の円卓席に8人を誘導され、そこには微笑したダンブルドア、不可解な物を目にした顔でビクトールとハーマイオニーを眺めるカルカロフ、麗しいドレスを着込んだマダム・マクシーム、趣味を疑う派手な紫に星柄のローブを来たバグマン、気難しさを表現した盛装のクラウチが座っていた。

 8人分の空席に各々座りだす。カルカロフの隣にビクトールとハーマイオニー、クローディアとハリー、フラーとロジャー、セドリックとチョウ、その隣がクラウチという席順になった。

 円卓の為、何処を向いても誰の顔も見られるが、クローディアはハーマイオニーの隣に座れるだけで満足だ。

 空の金食器にダンブルドアが『ポークチャップ』と声をかけると、料理が忽然と現れる。それに倣い、皆も食器に食したい料理を注文した。

 優雅にして豪華な食事の席で、ビクトールは食すことを忘れてハーマイオニーに語り続けた。普段から口数が少ない印象を受けていたクローディアは必死に話す姿は衝撃だ。

「ヴぉくたちのところは四階建ての城です。でも、校庭はここよりも広いです」

「これこれ、ビクトール! そんなにお喋りではいけないな!」

 親しげな笑みと冷たい目つきで、カルカロフはビクトールがダームストラング校の説明をすることをやめさせた。学校の場所を明かしたくない。その秘密主義にクローディアは警戒心を強くした。

 どういうわけか、ダンブルドアは食事中におまるの部屋について語りだした。

「わしは、これからも見逃さぬよう気をつけようと思うておる」

 ダンブルドアの話を聞くとはなしに聞くクローディアに、ハリーが肘で突き囁いてきた。

「(ねえ、クローディア。さっきから凄く睨まれてる気がしない? なんか、寒気を感じるんだ)」

 もしや敵かもしれない。

 クローディアは大広間の飾りを見上げる振りをしながら、周囲の席を確認する。同じ席の面子は誰もハリーを見ていない。ロジャーは骨抜きにされきった緩い顔でフラーをひたすら眺めては、ただ頷く仕草を繰り返す。友人の姿にセドリックが苦笑している。

 ドラコ達のいる席でこちらを気にかける者はなく、他の生徒も大いに食事と雑談を楽しんでいる。そうなれば、残るは教員席。

 嫌な予感で、胸騒がする。小さく呼吸し、教員席を視界に入れる。野暮ったい毛に覆われたハグリッドが目立つ。彼を間に、普段と変わらないがそれでも上等な布地の黒衣に身を包んだスネイプと黒い背広姿のルーピンがいた。

 当然、睨んでいたのはスネイプだ。ただならぬ気配を漂わせ、その鋭い眼光でハリーの背を睨んでいる。それを確認したクローディアは、わざとらしく咳払いする。

「ハリー、気のせいさ。どんどん食べるさ?」

「本当に気のせい? なら、いいんだけど……」

 テーブルナプキンで口元を拭きハリーは背中に突き刺さる視線を無視し、食事を続ける。

「ハリー、踊りの用意は万全かね?」

 突然、バグマンが身を乗り出してハリーに微笑みかける。彼は気まずそうに小さく首を横に振る。

「僕は、その、あんまり踊ったりしないので……」

「なら、これは君には試練だな。選手は最初に踊ると知っていれば、名乗りをあげなかったろ?」

 気の毒そうに話すバグマンの言葉に驚いたクローディアは口にした『ポークチャップ』を喉に詰まらせかけた。何とか飲みきり、ハリーを睨む。

「最初に踊るって何さ?」

「ダンスだよ。代表選手が最初に踊るって……僕言ってなかったけ?」

 悪びれないハリーは瞬きし、クローディアに媚びた視線を送る。不機嫌に口元を曲げ、丸い眼鏡の奥を覗き込むように睨む。

「私、そんな話、全然聞いてないさ」

「あれ? ……なら、今言いました!」

 焦り顔で目を逸らしたハリーの頭を鷲摑みにしたクローディアは、満面の笑みで彼の頭を丁寧に揉み解す。

 その行為に、痛みを感じたハリーは悲鳴を堪えるように歯を食いしばった。

「(私、盆踊りとか阿波踊りとか鳴子踊りとか、それくらいしか経験ないさ。まあ、後は授業でフォークダンス程度さ)」

「(最初のヤツは知らないけど、フォークダンスのノリでいいと思うよ。というか、僕もちゃんと踊れるわけじゃないよ)」

 つまりは、初心者素人丸出し2人組み。

 大勢に混ざれば目立たないが、四組では無理だ。だが、後には引けない。ハリーから手を離したクローディアは不安が増して動悸が早まる。無情にも時が過ぎ、料理皿が空となった。

 満腹したダンブルドアが立ち上がり、視線で皆に起立を促す。

 クローディア達も腰をあげ、それぞれの相手へと寄り添う。ダンブルドアが杖を振るい、円卓は壁際へと追いやられた。不意に気づくと、校長の後ろにフリットウィックと『楽団部』が待機していた。

 フラーとロジャーが大広間の中心に歩き出したので、他もそれに続き、適当な場所で踊りの構えをとる。しかし、ハリーはクローディアの手を取るだけで腰に手を当ててこない。緊張が最高潮に達しているせいで、目が泳いた彼はほとんど錯乱している。

 『楽団部』の演奏が始まったので、クローディアは無理やりハリーの手を腰に回させた。

 曲調に合わせ、一、二、三に足を動かす。

 形にはなっているが、2人の動きは硬い。ロジャーとフラーはお互いの呼吸を合わせ、見事に舞っていた。2人を参考にしてクローディアが動きを先導し、困惑しつつもハリーはそれに着いていく。

 やがて、ネビルとジニーが中央に歩み出て、踊り始める。生徒の後はダンブルドアもマダム・マクシームと優雅に躍り出る。ルーピンもバーベッジと手を取り、後に続く。ベクトルとバブリングも意気揚々と踊りだす。

 なんと、ムーディまでシニストラと踊りだした。義足に踏まれまいと彼女は神経質な踊りを披露した。それでも、スネイプとマクゴナガルがお互いを睨みながら、手を取り合う姿よりは平和的といえる。

 いつの間にか、会場に紛れこんでいたコリンがカメラのフラッシュを焚き、撮影し続ける。

 大広間が踊りあう男女に満たされる中、クラウチのみ、踊ることなくただその光景を眺めていた。

 

 一曲分の演奏が終わり、息切れしたハリーはすぐにクローディアから手を離す。

「座ろうか?」

「何でさ、踊りのコツは掴んださ。もう一曲さ」

 気力絶えたハリーは踊り足りないクローディアの反論を聞かず、壁際の椅子に連れて行こうと手を引く。しかし、行く手をドラコが現れたせいで、遮られた。

「おや、ポッター。大広間を抜け出して、何処にいくつもりだい? まさか、別のダンスでも踊るのかな? 品がないぞ」

 嘲笑するドラコを睨んだハリーは構わず進もうとした。

 しかし、何故かドラコはクローディアの手を握り、ハリーから引き離す。唐突な行動に彼女は間抜けな声を発する。

「パンジーが化粧直しに行ってしまった。一曲分、僕の相手をしろ」

「「は?」」

 同時に返したハリーとクローディアがお互いを見やる。

 構わず、ドラコはクローディアを引っ張り大勢の中心へと進んだ。残されたハリーは、彼女を傷つけるような真似が出来るわけがないと考えた。

 壁際の椅子にロンとパーバティがいることに気づく。一度、クローディアを振り返ってからハリーはそちらへと向かった。

 当然、抵抗するクローディアはドラコの手を振り切ろうとした。

「ちょっと、どういうつもりさ?」

「暇つぶしに付き合え。言っとくが僕の靴を踏むなよ」

 乱暴に吐き捨てたドラコは、クローディアの手に指を絡ませる。しかも、腰に回した腕を固定した。普段より確実に近い距離、拒もうとしたとき、先ほどとは打って変わった激しい音程の曲が始まった。

 皆、豪快に踊りだした。

 特に、フレッドとアンジェリーナは周囲に体当たりする勢いだ。巻き添いを恐れ、皆は逃げるように避けていく。

(あれだけ、派手にしていいさ)

 フレッドとアンジェリーナに倣い、クローディアは足に力を入れる。ドラコを持ち上げるように一回転した。

「おい! 何のつも……り!!!」

 身体の微かな浮遊感に動揺し、ドラコは悪態を付こうとした。クローディアは彼の両腕を掴んで勢いよく振り回した。足を丸投げさせられ、彼は目を瞑り悲鳴なく廻り続ける。

「アハハ、これ超楽しいさ」

 身体を駆け巡る高揚感が募り、クローディアは曲が終わるまでドラコを振り回し続けた。

 解放されたドラコは罵声を口にする気力もない。覚束ない足取りで、戻ってきたパンジーに抱きとめられた。

 パンジーがクローディアを睨んできたが無視した。

 しかし、流石に汗を掻いた。喉を潤そうと飲食物が並べられた卓へと足を運ぶ。

 炭酸の入ったジュースを飲み干し、喉を潤したクローディアは大広間を見渡す。化粧直しに行く女子生徒の姿を何人も見かける中、満面の笑みでザヴィアーがベストラと廊下へと出て行くのを目にした。

(ステンビスと……ハッフルパフの監督生さ、2人で何処に行くさ?)

 怪訝するクローディアが二重扉を眺める。気づけば、隣で襟元を緩めたルーピンがワインを飲み干していた。

 教職員はこの席でも、生徒を監督するはずだ。堂々と飲酒しているルーピンに驚いた。

「ルーピン先生……それワインですよね? 職務中に飲酒はよろしいのですか?」

 グラスを置いたルーピンが飄々としてクローディアに笑いかける。

「ワインなんて、水と同じだよ。酔わない、酔わない」

 言い切った。

 そこまで堂々たる態度は違う意味で尊敬する。

 それなら、最早クローディアは突っ込まない。

「あ……ルーピン先生……すごく素敵ですよ。いかにも、英国紳士って感じです」

 口にしてから、クローディアはルーピンを強く意識してしまった。途端に心臓が心地よく高鳴る。

「クローディアも……その恰好、すごく綺麗だね」

 追い討ちをかけてくる一言で、クローディアの顔が紅潮する。その様を勘違いしたルーピンは彼女の背を優しく押して、廊下へと導く。

 ルーピンに従い、クローディアは廊下を歩くと、中庭の変貌に驚いた。今朝までは、ただの庭だった場所が、いつの間にか、潅木の茂み迷路になっている。

「なんですか? これは、いつの間に……」

「ダンブルドア校長先生の趣味かな?」

 思わず呻くクローディアに、ルーピンはやんわり答える。

「人に酔った生徒とかは、ここで落ち着くといいんだ」

 茂みに置かれた見事な彫刻のベンチに、ルーピンはクローディアを座らせる。

 急にクローディアはルーピンと2人きりという状況、緊張し唇を強く噛む。

 ルーピンもクローディアの隣に腰かけ、空を仰いだ。

「それにしても、君がハリーと踊るとは傑作だね」

 ほろ酔い加減のせいか、ルーピンは普段よりも柔らかい表情でクローディアに微笑んできた。口の中で深呼吸し、彼女も微笑み返して話を繋げる。

「お互い、相手がいなかったんです。そしたら、ハリーが誘ってくれたんです。ハリーったら、肩を張るばかりで無駄に力が入りましたし……、あ、さっきマルフォイと踊ったんですけど、あいつ目を回したんです」

 ベンチから立ち上がったクローディアはその場で足首の筋肉を使い、一回転する。それを見たルーピンは優しく拍手する。

 拍手に応じたクローディアは礼儀正しく、ルーピンにお辞儀した。

「おや、雪か……。また降ってきたね」

 クローディアとルーピンが空を見上げる。氷が刻まれた粉が降り注いでくる。同時に大広間から、微かだが音楽が漏れ、まだ舞踏会が続いていることを思い出した。

 ベンチに座るルーピンに、クローディアは自然と手を差し出した。その手の意味を理解し、躊躇いつつもベンチから立ち上がってその手を握る。2人は身を寄せ合い、足並みを揃えて踊りだす。驚くほど自然な行為に現実味をなくし、心がただ弾む。

「生徒とは踊らないんじゃなかったさ?」

 意地悪くも敬意を込めて笑うクローディアに、ルーピンは惚けた表情で笑い返す。降り積もる雪、心地よい音楽、手を取り合い踊る2人の光景を他人からは、何に見えるかをクローディアは思考する。

 脳裏に思い浮かんだ言葉、勝手にクローディアは口元を緩ませる。

「ルーピン先生、もしも、私が先生と同じ歳だったら……、私達、どうなってたさ?」

 興奮したクローディアが漏らした言葉に、ルーピンは曲が終わっていないのにも関わらず、踊る足を止めた。

 突然、踊りをやめられ、クローディアは不安げにルーピンを見上げる。彼はゆっくりと体を離し、普段と全く変わらない穏やかな笑みを浮かべた。

「きっと、お互い気付く事なく、過ぎ去っていただろうね」

 冷ややかな拒絶が籠もった発言。

 胸中に溜まっていた高揚感が、穴が開いたように抜けていく。代わりにクローディアの目頭が熱くなる。熱さが零れる前にルーピンから走り去った。慣れないヒールで走りにくく、速度も遅いが彼は追うこともなく見送りもしなかった。

 廊下の柱まで走ったクローディアは涙を堪える。口元で手を覆い、柱に身体を預け蹲る。心を乱し、周囲の状況は把握できない。

 もしも、普段の状態であったならば、棍棒を手に自分の背後へと歩み寄ってくる気配に気づけたはずだ。

 

☈☈☈☈

 ハーマイオニーがビクトールと踊り、ロンは嫉妬の感情を剥き出したにした。

「あいつは君から卵やハリーの情報を聞きだすつもりだ」

「親睦を深める席で、よくもそんなことが言えるわね!」

 激昂したハーマイオニーはさっさとビクトールの元へと走って行ってしまう。パーバティはダームストラング生から誘われ、呆気なくロンを見限った。

 ロンをただ見ていたハリーは大広間を見渡す。クローディアの姿が何処にもない。ドラコはパンジーと手を取り合い、踊っている。

「クローディアは何処に行ったんだろ?」

「さあ、お手洗いじゃないか?」

 ぶっきらぼうに答えるロンは更に椅子にもたれかかる。ハリーも気にはしたが、それ以上詮索する気はなかった。そこへ飲み物を手にしたスタニスラフが声をかけに来た。

「やあ、喉が渇かない?」

 差し出されたグラスをハリーは戸惑いながら受け取る。胡散臭そうにロンも受け取る。スタニスラフは、お互い踊りの相手を失った2人を交互に眺め、瞬きする。

「クロックフォードは何処に行ったんだい?」

「お化粧直しだと、思うよ」

 ハリーの答えにスタニスラフは眉を寄せる。空いている席へと乱暴に腰かけた。

「気分を害して悪いが、ハリー=ポッター。君は誰かに嵌められて今回の対抗試合に参加させられたんだろ?」

 警告めいた口調と音程でスタニスラフはハリーを睨まない程度に目を細くする。忘れていたわけではないが、他校の生徒に指摘され、胃の緊張感が戻ってきた。極端に喉が渇き、手にしたグラスの水を飲み干す。

「僕が犯人なら、君に親しい人間に警告を込めて危害を加えるよ。そうだな、今夜みたいに浮かれて教職員の注意力が緩慢になったときに、1人でいるところをね」

 熱い大広間の中で、ハリーは悪寒に襲われる。スタニスラフの言葉と冷たい眼差しは、反応を確認して席を立つ。

「女子を待たせているので、失礼する。ハリー=ポッター。僕の言葉を忘れないで欲しい。君が本当に狙われているなら、君の友達は確実に巻き込まれる」

 スタニフラフが離れる前にハリーはすぐに席を立ち、外へと走り出した。ほとんど話を聞いていなかったロンも慌てて後を追いかける。

〔脅かしすぎたかな?〕

 だが、これでハリーの注意力は増すと信じたい。肩入れしすぎかと、スタニスラフは溜息をついた。待ちわびるクララのところに足を向けた。

 

 走る先は、いつの間にか潅木の茂みで作られた小道を行く。途中でハグリッドとマダム・マクシームにぶつかりそうになったが、ハリーは振り返らなかった。

 ハリーの肩を掴んだロンに止められ、2人はその場で息を吐く。

「ハリー、どうしたんだ? アイツに何か言われたのかよ?」

「クローディアを見つけよう。彼女が無事かを確認しないと」

 何処からか聞こえる噴水の音の中に、人の声が混じっていた。それに気づいたハリーは、言葉を中断し耳を澄ませる。だが、闇色の声は誰のモノかすぐに理解できた。

「我輩は何も騒ぐ必要はないと思うが、イゴール」

「セブルス、何も起こっていないふりをすることはできまい!」

 冷静なスネイプと恐怖と声を必死に押さえ込むカルカロフの声だ。

「この数ヶ月の間に、ますますはっきりしてきた」

 見つかると厄介な事になるのは、必須。

 ハリーとロンは反対の小道へとそそくさと逃げる。

「なら、逃げろ。我輩が言い訳を考えてやる。しかし、我輩はホグワーツに残る」

 素っ気無く答えるスネイプの声が遠くなっていく。

 その後も迷路を探索したが、仲良くしている男女以外を発見出来なかった。流石に苛々してきたロンが無理やり、ハリーを城内に引き戻した。

「ハリー、こういうものなんだけど、クローディアも……その誰かと取り込んでるかもしれないだろ?」

 一瞬、ハリーもそれを考えた。しかし、スタニスラフの言葉があり、この目で無事を確認しない限り安心は出来ない。

「1人かもしれない。それで、何かあったら……」

 不安になり呻くハリーとロンは、廊下の曲がり角で人にぶつかりそうになった。それは珍しく動揺したジョージだった。しかも、何故かクローディアを背負っている。

「なんだ。クローディアはジョージと一緒だったのか」

 ロンが気まずそうにするが、ジョージはそれ所ではない様子だった。嫌な予感がしたハリーはその背で意識のないクローディアを注意深く見やる。

 彼女の髪が乱れ、化粧を施した顔が赤く汚れている。その赤は、彼女の頭から流れる血に他ならなかった。

 悲鳴にならない絶望感に襲われたハリーをジョージが手で制する。

「騒いじゃダメだ。俺がクローディアを医務室に連れて行く。いいか、もしクローディアが何処に行ったのか聞かれたら、俺と一緒だったと答えてくれ」

 極限の緊張で真摯な態度なジョージは目配りで大広間へ戻るように示唆した。今宵の宴で怪我人が出たことを他校に知られれば、安全面と名誉に傷がつく。

 ジョージの場合はそんなことを気にしてはいまい。おそらく、クローディアが襲われたことを広めたくないのだ。

 ジョージはクローディアを背負い直し、医務室の方角へと急いでいく。

 蒼白のままハリーはロンと大広間の喧騒へ帰ってきた。彼に支えられるように椅子に腰掛ける。

 冷や汗を拭ったロンは必死にハリーに言葉をかける。

「ハリー、その……深く考え込んじゃダメだ。君のせいじゃないよ」

 慰めを受けたハリーはロンに向かってただ頷く。誰がクローディアを襲ったかはわからない。だが、確実な敵が身近にいる。

 不意にハリーはハンガリー・ホーンテイルとの死闘を思い返し、死に接したときの感触で身震いする。

 舞踏会が終わるまで、ハリーはロンとただ黙って椅子に座り続けた。

 




閲覧ありがとうございました。
油断している時が一番、危ないんですよね。ペネロピーを放ってクローディアを探してくれたジョージに感謝!


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15.年越え

閲覧ありがとうございます。
ジョージがクローディアを探しに、大広間を抜けたって?そんなわけなかった……。

追記:16年3月9日・誤字報告にて修正しました。



 寝台で寝返りを打つと同時に、クローディアは目が覚めた。布団を捲り、自分の姿を見下ろす。着替えた覚えはないが、寝巻き姿で化粧も落ちていた。

 去年も目を覚ませば、医務室で寝ていた。

 あれは、ダンブルドアに騙されて酒を飲まされたせいだ。だが、この後頭部の痛みは、酔いではない。それに、去年はハーマイオニーが付き添ってくれたが、今は何故かジョージが椅子に腰掛けて目を瞑っている。昨晩の盛装したままなので、一晩中、付き添っていたのだと理解した。

 見渡せば、寝台に横になった生徒は他にもいた。腹を押さえたり、顔に包帯巻いたりしている。宴の犠牲者というべき生徒かもしれない。

 そこに新しいシーツを抱えたマダム・ポンフリーが、挨拶してくる。

「おはようございます。ミス・クロックフォード、昨晩は災難でしたわね。覚えていますか?」

 確認するような手つきでマダム・ポンフリーは、クローディアの後頭部に触れる。腫れた部分に触れられ、反射的に手を避けた。

「痛みがあるのでしたら、痛覚が正常ということですね。では、後は痛み止めを飲んでおしまい。帰ってよし。ミスタ・ウィーズリー、朝ですよ」

 クローディアの反応を見たマダム・ポンフリーは、容赦なくジョージを叩き起こす。肩を叩かれた彼は変な声を上げ、瞬きを繰り返し、周囲を眺める。

「やあ、おはよう。クローディア、具合はどうだ?」

「痛み止めを飲むだけで大丈夫だってさ。私、どうしたさ?」

 マダム・ポンフリーから飲み薬を貰い、クローディアは苦い味を思い知る。

 空きになったグラスをマダム・ポンフリーが回収していく姿を見届けた後、ジョージはクローディアの耳元に顔を寄せる。

「君が慣れないヒールのせいで、廊下を転び、頭を強く打った。……ってことにしてある」

 最後の記憶を思い返す。確かに、後頭部に強い衝撃を受けた。だが、決して転倒ではない。

「詳しい話をしたいからさ。グリフィンドール寮に行ってもいいさ? ハーマイオニー達にも、話したいさ」

 深刻な表情で尋ねるクローディアに、ジョージは真摯な笑みで頷いた。

 

 浮かれ楽しんだ宴の朝は、まさに静寂。

「殴られたですって!!」

 ハーマイオニーの叫び声さえなければの話だ。

「ハーマイオニー、五月蠅い!」

 ロンが鋭く叱りつける。自分の声が大きすぎたとハーマイオニーは反省した。普段の通りに跳ねた髪を手櫛で梳き、咳払いする。膝にクルックシャンクスを乗せ、話の続きをジョージに促す。

「俺はバグマンに用があって、大広間を抜け出すところを追いかけた。逃げ足が早い奴でな。探し回っていたら、クローディアが倒れているのを見つけたんだ」

「どうして、バグマンさんに用があったの?」

 思わず問いかけるハリーをロンが小突く。今は関係ないと言いたいのだ。

 一旦、口を閉じたジョージは眉を寄せる。

「なあ、ハリー。君の名前がゴブレッドに入っていたことが、誰かの企みだってのは、わかるぜ。でも、正直、俺や他のグリフィンドール生にはどうでもいいことだ。でも、クローディアが殴られたことも、ハリーの件に含まれるのか?」

 低い声にハリーの体温が下がる。クローディアはジョージの含みが気に入らず、じろりと彼を睨む。ロンも不機嫌に嘆息し、兄を睨んだ。

「どうでもいいわけないぜ。おかげでハリーは、ドラゴンと死闘だ。他の2つの課題もそれだけ危険なんだぞ」

「ハリーなら、やり遂げると俺は信じてる」

 決定的な断言に、ハリーは緊張する。ロンは反抗的な態度でジョージに噛み付きだした。

「クローディアを殴ったのは、ボーバトンかダームストラングか、それともただの嫉妬した女子の仕業かもしれないじゃん。なんで、ハリー絡みになるんだ?」

「スネイプがクローディアを責めているのを聞いた。ハリーの為に、クローディアが死ぬのを彼女の親父さんが認めないとか」

 あの会話を聞かれていた。寒気のような驚きにクローディアは、表情を強張らせる。反論の文章を脳内で作成する前に、ジョージは投げ出すように両手を広げる。

「仮に、昨夜のことが嫉妬のせいだとしても、クローディアを1人だけにしないでくれ」

 切実な表情で訴えてくるジョージに、口を出そうとしたハーマイオニーは呆然とする。ロンも初めて目にする兄の真剣な態度に、言葉を失う。妙に気まずい雰囲気になり、ハリーはわざとらしく咳き込む。

「ジョージ、確かに昨夜の事は僕のことが絡んでいると思う。だから、クローディアを絶対に1人にしない。誓うよ」

 納得しきれないが十分だとジョージは、ハリーと握手する。気難しそうな顔つきのままジョージは、男子寮へと帰っていった。

 4人だけになり、クローディアは胸中に溜まった息を吐き出す。

「私、寮に帰るさ。気絶していただけで、あんまり寝てないさ」

「見送るよ。夕べ、異常がなかったかベッロに聞きたいし」

「クルックシャンクスを連れていって、ベッロと情報交換してきて」

 ハーマイオニーは、押し付けるようにクルックシャンクスをハリーに手渡した。しかし、クルックシャンクスはハリーの腕が気に入らないのか、不機嫌に床へと飛び降りた。

 

 絵の住人も幽霊さえ寝坊し、まるで夜更けのような静かな廊下だ。クルックシャンクスが我が物顔で歩く。その後ろを着いていくクローディアとハリーは、何の会話もない。

 沈黙のまま、寮への階段を降りる。初めてこの階段を使うハリーは、慎重な足取りだ。

 壁に刺さったドアノッカーの真下で、ベッロがトグロを巻いて待ち構えていた。クルックシャンクスとベッロが身体を寄せ合い、彼らなりの挨拶を交わす。

 ハリーはすぐにベッロと蛇語で会話し、その光景をクローディアは外国語がわからない気分で眺めた。

「ベッロとクルックシャンクスは、パーティーの様子を見ようと大広間に降りて来たんだって。そこで虫の姿をした人間を見つけて、追いかけていたらしいよ」

「虫の姿さ?」

 非公式の『動物もどき』かもしれない。だが、それはずっとベッロとクルックシャンクスに追われていたなら、犯人ではないだろう。少なくとも、クローディアに関してはだ。

「でも、君らしくないね。相手の顔が見えないくらい、油断していたなんて」

 触れられたくなかった点に、クローディアは脳裏にルーピンの姿を浮かべる。まさか、失恋に泣いていましたとは、ハリーに言いたくない。

「本当に、ちょっとした油断さ」

 煩わしげに答えたクローディアは、ベッロを担いでドアノッカーに近づこうとした。

「クローディア。……パーティーの時、真っ先に僕に誘われたほうが良かった? 最後の手段じゃなくて……」

 いままでと打って変わった質問、クローディアはハリーを振り返る。彼は真剣にその問いを発している様子だ。言うべき答えは既にある。

「次があったとしても、私はハリーを最後の手段にしたと思うさ」

 簡単に告げるクローディアに、ハリーは安心したように息を吐く。

「そうだよね、僕らはそれでいいんだ」

 それで話は終わったとハリーは、クルックシャンクスと階段を上っていった。残ったクローディアはベッロと顔を見合わせ、首を傾げる。

「……どういう意味だろうさ?」

 ベッロは横に首を振り、理解不能と反応した。

 

 寝台で眠りこけるパドマはピクリとも動かず、リサはクローディアより遅く帰ってきた。

「朝帰りしてしまいました。ダームストラングの方で、とっても紳士的な方でしたわ。クローディアは、どなたとご一緒でしたの?」

 化粧を落としながら、リサは期待に目を輝かせる。クローディアは、わざとらしく大げさに肩を竦める。

「ジョージと一緒だったさ。医務室でさ」

「あら……、恋話も何もありませんわね」

 残念そうに、リサは溜息をつく。寝巻きに着替え、さっさと寝台へと横になる。その様子を見ていたクローディアは、リサに報せるべき事をひとつ思いつく。横になったままの彼女に声をかける。

「リサ、私さ。ルーピン先生にフラれたさ」

 今まさに眠ろうとしたリサは、目を見開いてクローディアの眼前に飛びついてきた。その迫力に押され、短い悲鳴をあげた。

「告白さなったのですね。素敵ですわ。私といたしましては、卒業式の後が乙な物ですが、それで?」

 クローディアの両手を握り締めるリサは、愛らしく瞬きし詳細を請う。

 苦笑し、昨晩の状況をあるがまま打ち明けた。要約すれば告白に近い疑問を投げかけ、一蹴されただけだ。

 興味津々だったリサは、急に笑顔を消す。それでも瞳の輝きを保ったまま、口元に手をあてて頷く。

「貴女の勇気と度胸に感服してしまいましたわ。もし、ルーピン先生の講義がお辛ければ、私が微力ながらお助けいたしますわ」

「ありがとうさ。でも、大丈夫さ。ちゃんと、泣いたから」

 今の心境を口にし、クローディアは自分の胸元に手をあてる。ルーピンについては、これ以上行動する気はない。平然としていられる自信はある。否、しなければならない。

「さあ、ゆっくり眠るさ」

「ええ、おやすみなさい」

 話が終わり、リサは布団に身を包めると同時に眠り込んだ。

 欠伸をひとつしたクローディアは、筆記用具の中から適当な紙を取り出し、ボールペンで走り書きする。その紙を折り込み、ベッロに銜えさせる。

「これ、ジョージに届けておいてさ。よろしくさ」

 ベッロは承知し、這いずりながら扉を抜けていった。

 

☈☈☈☈

 夕食の時間になれば、空腹を満たすために生徒は大広間へと集まる。昨夜の宴が冷め切れない何人の生徒は、惚けた表情で食事をしている。また、手痛い目にあった生徒は、少々不機嫌であった。

「俺、スネイプに見つかって減点されたけど、ペストラとは別の場所で盛り上がったぜ」

 ザヴィアーのように、自慢げな生徒も勿論いた。

 様々な想いを胸に秘めた生徒の中で、ジョージは殊更機嫌が良い。鼻歌を歌いながら、寮席を抜けて教員席へと出向く。笑みを絶やさず食事しているルーピンの前で、ジョージは足を止めた。

「こんばんは、ルーピン先生」

 フォークの手を止め、ルーピンは愛想よく笑い返す。

「こんばんは、ジョージ。どうしたのかな?」

 尋ねるルーピンに、ジョージは笑顔で丁寧に包装されたチョコレートを差し出した。

「ハニーデュークスの余りです。先生にあげます。これからも色々よろしく」

 無理やりルーピンにチョコレートを手渡したジョージは、上機嫌にグリフィンドール席へと戻っていった。

 意味がわからないルーピンは、それでも包みを解いてチョコを頬張る。その様子にハグリッドが驚く。

「リーマス、チョコレートは飯が済んでからにしたほうがええぞ。デザートは別だろうに」

「ああ、そうだね。つい」

 そんなやりとりを遠巻きに見つめたジョージは、レイブンクロー席を視界に入れる。半分寝ぼけたクローディアが、皿に盛られたサラダを苦もなく平らげていく。

 ほんの数時間前、ジョージはクローディアから手紙を貰った。

【昨晩は、ルーピン先生に振られたショックで落ち込んでいたから、油断しただけさ。心配かけてごめんさクローディア】

 解決していない事、心配すべき事が多い。それでも、いまのジョージは、この上なく気分が良い。不気味そうにフレッドが視線を投げかけてくる。

「どうしたんだ? ジョージ……、気持ち悪いぞ……」

「え? ああ、俺って最低だなって思ってな」

 フレッドには、理解不明の回答だが、ジョージには筋が通っている。クローディアとジュリアを対等に愛し、クローディアの失恋を喜ぶ。

 これを最低と言わずして何という。

 だが、ジョージの心は幸福に満ちていた。

 

☈☈☈☈

 年が明けると、休暇は瞬く間に終わり新学期を迎えた。

 初日、談話室の掲示板に告知が貼り出され、生徒は大いに湧いた。

【『姿現わし』練習コース

 現在、または8月31日までに17歳予定の者は、魔法省より派遣される『姿現わし』の講師による12週間コースを受講する資格がある。

 参加希望者は、下に氏名を記入されたし。

 受講料 12ガリオン】

 6年生が期待に胸を膨らませ、氏名を書き込んでいく。

「貴女も書くでしょう?」

 クララに声をかけられ、クローディアは自分も当てはまると気づいた。

「これって、絶対さ?」

「いいえ、参加は自由よ。私も受講しないわ。こっそり、親戚からご教授頂いているの。寧ろ、受講せずに合格してみせろって。17歳になれば、資格試験のお知らせは来るわ。これも、希望だから、自信がついてからにしてもいいしね」

 つまり、夏休暇中だ。

「私、休暇中が誕生日だからさ。その場合って、試験会場に行く事になるさ?」

「ええ、大体、誕生日の2週間前には案内が届くはずよ」

 丁寧に説明して貰い、クララに礼を述べた。彼女と同じように、トトから特訓されている身だが、あくまで自己流だ。

 まだ色々と未熟な自分は、資格は時期尚早。しかし、受講は必要と思い、希望者として名前を記入した。

 

 『第2の課題』が迫り、選手たるハリーは、いまだ卵の問題が解けていない。そのせいで、ハーマイオニーから叱責を食らう日々だ。

「ハリーったら、ようやく、自分なりの謎を解いたんですって」

 土曜日。『ホグズミード村』への外出の為、生徒は早々と支度する。

 クローディアもハーマイオニー、ハリー、ロンと雪が半分溶けて湿った校庭を歩く。この4人が揃って出かけるなど、非常に久しぶりだ。

 不意に湖から水しぶきの音が聞こえたので、クローディアが振り返る。停留している船の傍で、微かな波紋が浮かび、ビクトールが沈んでは浮かびを繰り返して泳いでいた。先に気づいたハリーが慄いて声を上げた。

「いま、クラムが……船から飛び降りたよ……。しかも、パンツ一丁で!」

 意地悪くクローディアは、ハリーの肩に手を置く。

「寒中水泳さ。感心するさ。ハリーもやれば?」

「嫌だよ。凍えちゃう」

 激しく横に首を振るハリーを無視し、ハーマイオニーが湖のビクトールを眺める。まるで、問題集の解説をするように話し出した。

「あの人は、もっと寒いところから来ているの。あれでも結構暖かいと感じているんじゃないかしら?」

「でも、あいつらさ。いっつも、暑苦しい外套着てるさ。暑苦しくないさ?」

「さあ、きっと着てないと落ち着かないんじゃね?」

 クローディアの素朴な疑問に、ロンが適当な口調で言い放つ。ビクトールを無碍に扱うロンに、ハーマイオニーは悲嘆を込めて顔を顰める。

「あの人は、本当にいい人よ。ここがすごく好きだって、私に言ったわ」

 ロンはハーマイオニーから顔を逸らし、何も答えない。この露骨な態度に、わざとらしく面倒そうにクローディアは、吐き捨てた。

「ロン、男の嫉妬は醜いさ。マルフォイみたいさ」

 おそらく、ロンは瞬時に、頭に血を昇らせクローディアを蹴ろうとした。

 しかし、ロンが足を伸ばした瞬間、クローディアは軽々と飛び跳ねて避けた。勢いをつけていた彼は、体勢の均衡を崩して地面に倒れこんだ。

 

 益々不機嫌になったロンがクローディアと別行動を望み、仕方ないとハーマイオニーが彼を『ハニーデュークス店』へ連れて行った。

 クローディアとハリーは、『三本箒』でバタービールを味わうことになった。

 大盛況の酒場は、人で犇めき合っていた。

 顔を真っ赤にしたハグリッドが、カウンターに座っていた。酔っぱらった彼の相手は、面倒だ。声をかけずに、2人は空席を探して店内を見渡す。

「あれは、バグマンさん?」

 奇妙な光景を目にした。薄暗い隅の席で、蒼白なバグマンが大勢のゴブリンに囲まれていた。しかし、彼はハリーに気づき、席を立った。

 ゴブリンを適当にあしらったバグマンは、ハリーに駆け寄ってくる。先ほどの緊張を消した無邪気な笑みが、クローディアには不気味に思えてならない。

「ハリー! 元気か? 君にばったり会えるなんて、実に運がいい! すべて順調かね?」

「はい、ありがとうございます」

 丁寧に挨拶を返すハリーの肩をバグマンは、遠慮なく掴んだ。

「ガールフレンドとのデート中は、悪いんだが、ちょっと2人だけで話したいんだ。どうかね、ハリー?」

 ガールフレンドという単語を否定すべく、クローディアは無機質に目を細める。

「バグマンさん。私はただの友達ですので、ハリーを煮るなり、焼くなり、好きにしてください」

「煮ても焼いてもいいなんて、寛大な子だ。そうだろう、ハリー?」

 すぐにバグマンは、返事をしないハリーを隅の席にまで引っ張って行った。

 残ったクローディアは、カウンターにハグリッドの姿がないことに気づく。空いた席に座り、マダム・ロスメルダにバタービールを2つ注文した。

 入れ替わりの激しい客の中で、【ザ・クィブラー】を手にしたルーナを見つけた。クローディアはルーナを手招きすると、すぐに寄ってきた。

 カウンターに座ったルーナに、マダム・ロスメルダは愛想よく歓迎した。

「新しい号を持ってきてくれたのね。ありがとう、ルーナ。1本、おまけしておくわ」

 ルーナは【ザ・クィブラー】をマダム・ロスメルダに渡し、クローディアを振り返る。

「置かしてもらえるようになったさ?」

「そうだよ。バーベッジ先生が、持って来て皆に読ませてくれたの。ハグリッド先生もマダムに進めてくれたんだ。そしたら、マダムが私に購読したいって手紙をくれたもン。今回はクリスマスパーティの特集にしたんだ。コリンが写真をいっぱいくれて、どれを使おうかで時間かかったんだよ。さっき、パパから届いたばかっりなんだ。後で一部あげる」

 嬉しそうに話すルーナに、クローディアが相槌を打つ。その間にマダム・ロスメルダがバタービールを三杯持ってきた。

 飛びついたルーナは瞬きもせず、バタービールを一気飲みした。

「ジニーと約束があるから、私行くね。クローディア、ゴブリンとは関わらないように」

 重要な忠告だと、ルーナはクローディアに耳打ちし小走りで外へ出て行った。その直後、バグマンがいそいそと店を出て行く。ゴブリンもバグマンを追っていった。

 案の定、ハリーがクローディアの隣に座る。

「何か言われたさ?」

「金の卵のことで、助けたいって」

 意外な答えに、クローディアは驚いてハリーを二度見した。

「正気さ? そんなことしたら、マッド‐アイが絶対、許さないさ。バグマンさんだけでなく、あんたもさ」

「だから、断ったよ」

 バタービールを口にし、ハリーは真剣な表情のままだ。

「ディゴリーにも、バグマンの話に乗らないように忠告しておくべきさ?」

「その必要はないよ。セドリックには教えないって、僕の事が気に入ったとか言ってた」

 露骨な贔屓に、クローディアは少し苛立つ。

「それよりも、あのゴブリン達だ。どうして、バグマンさんに詰め寄っているのかって聞いたら、言葉を濁された」

「バグマンさんが、ゴブリンに恨みを買ったか、何かさ」

 バグマンの心配などしていられないし、興味もない。素っ気なくクローディアがバタービールを飲み干す。深刻そうなハリーもバタービールを飲み干そうとした。

 しかし、スキーターがカメラマンを従えて酒場に入ってきたのを目にし、噴き出しそうになる。

「(『透明マント』を持ってくればよかった……)」

 焦るハリーは、スキーターから死角になるようにクローディアの影に隠れた。

「(気づかれないように出るさ)」

 代金を払い、クローディアは人混みを利用してハリーを隠し、酒場を出ようとした。

「ハリー!? 何をコソコソしちょる?」

 お手洗いから現れたハグリッドがハリーを呼び止めてしまった。

 ハリーが恨めしそうに森番を見上げる。その視線を受けたハグリッドは、スキーターの存在に気付く。ビクッと肩を痙攣させたが、もう遅い。

「ハリー! こんなところで会えるなんて、素敵ざんすわ」

 数年来の友人のように、スキーターは他の客を押しのけて来る。クローディアは、ハグリッドの背にハリーを押し付けた。毅然とした態度で、スキーターを迎え討つ。

「ハリーは、ここにはいません」

「なんざんすか、この小娘は? ハリーのガールフレンド?」

 興味津々に眺めるスキーターは、鰐皮バックから自動速記羽根ペンを取り出す。

「第一の課題のときとは、別の子ざんすね。ねえ、ハリーは女子をどんな風に扱うのかしら?」

「ノーコメント」

「貴方たちは、いつからお付き合いしているのかしら?」

「ノーコメントです。ミス・スキーター、貴女が【ザ・クィブラー】に記事をお載せになるなら、取材にお答えしますよ」

 爽やかに微笑んだクローディアの発言に、スキーターは目を見開き口元を痙攣させた。専属カメラマンが驚いたように口を開け、自尊心を傷つけられたスキーターを何度も視線を送る。

「きちがいの雑誌に、あたくしの記事は載らないざんす。ああ、お嬢さん、あなたは相当……」

「その話、長くなりますか? 私は行くところがありますので、失礼します」

 わざと語調を強くしクローディアは、スキーターの話を遮る。適当にあしらわれた記者が喚き声をあげていた。周囲の見物客が、忍び笑いを洩らす。

 クローディアは視界と意識から遮断し、酒場を後にした。

 雪が降り積もる道、酒場の死角になる建物でハリーがクローディアを待っていた。

「ありがとう。お陰で、スキーターから逃げることが出来たよ」

「全く、時間稼ぎとはいえさ。ああいう人とは、話したくないさ。まあ、真面目な記事を書く人だったら、ちょっとは嬉しいけどさ」

 『ハニーデュークス店』に向かいながら、クローディアが嘆息する。

「あの人の記事は、本当にでっちあげだよ」

 店の前で無事、ハーマイオニーとロンに合流する。4人はお互いに起こった事件を話した。

 ロンの場合は、ジョージが新作のお菓子を彼が奢ってくれたそうだ。絶対に裏があると、戦慄していた。ハリーがバグマンとゴブリンの話をしたが、ハーマイオニーもクローディアと同じ見解を述べた。

「ゴブリンは魔法族と真っ向から戦える力があるわ。だから、とっても慎重なの。きっと、バグマンさんはゴブリンの逆鱗に触れたかもしれないわね」

 そして、スキーターと鉢合わせした事を話すと、ロンが嫌そうに眉を寄せた。

「変な記事を載せられるかもしれないぞ。大丈夫か?」

「そうなったら、虫に変えてベッロの玩具にしてやるさ」

 ハリーとハーマイオニーは、クローディアの冗談に爆笑した。

「あんまり、楽観視しないほうがいいと思うよ。うちのパパとママもあの人には、本当に困っているんだ」

 ロンだけが心配そうに考え込んでいた。

 




閲覧ありがとうございました。
ハグリッド程の巨体が入れるトイレって…。


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16.誰でも質問してくる

閲覧ありがとうございます。
お気に入りが340名を超えました。評価者が30人を超えました。ありがとうございます! 嬉しいです!

追記:16年3月9日、誤字報告により修正しました。


 摩訶不思議な魔法の品々、今日も校長室に存在する。

 歴代の校長の額縁、組分け帽子、赤く輝くルビーを填め込んだ銀の剣、その他用途の理解できないが神秘的な道具達。金の止まり木に足をかける不死鳥のフォークスも忘れてはいけない。

 博物館にでも迷い込んだ気分で、クローディアはいつまでも眺め続けたい。

 ダンブルドアと『灰色のレディ』、スネイプとムーディがいなければ、そうしていただろう。

(なんで……この4人さ?)

 自分の寮監はフリットウィック。スリザリンの寮監はお呼びでない。

「さて、ミス・クロックフォード。説明を願おうか?」

 ゾッとする低い声色でスネイプは己の杖である物を指す。机の上に置かれた白い布、包まれているのは髪飾りの残骸。先日、この手で破壊したレイブンクローの『失われた髪飾り』だ。

 色んな意味の緊張で背中まで汗ばみ、クローディアは丸い椅子の上にて自主的に正座した。

「セブルス、まずはレディの話からじゃよ。さあ、レディ。これに見覚えはあるかね?」

 スネイプを諌めたダンブルドアは残骸が素晴らしい宝石であるような口調で『灰色のレディ』に問いかける。

『灰色のレディ』は罪悪感に駆られたように顔を顰め、更に不安を誤魔化す為に指先を玩ぶ。残骸を瞬きせずに凝視する事、数秒、ようやく重苦しく口を開いた。

「はい、これは……母の……ロウェナ=レイブンクローの髪飾りです。間違いありません」

 自らの罪を告白する罪人の口調よりも、クローディアは別の点に驚いた。

(レディが創設者の娘さ!?)

 像の顔と『灰色のレディ』が似ていると問われれば正直、判断できない。クローディア以外は誰も反応せず、既にご存じの様子だ。

「これは……何処で、見つけたのでしょう?」

 残骸から目を離さず、『灰色のレディ』はダンブルドアに問い返す。

「城の中で発見されたそうじゃ。長い歳月の間、このような姿になってしまったようじゃな」

 残念そうにダンブルドアは残骸へ触れる。不満げに口を八の字にした『灰色のレディ』は目を伏せてから、胸元にそっと両手を当てる。

「これで良かったのかもしれません。ええ……これで」

 今にも誰かに呪いをかけんばかりの勢いで、『灰色のレディ』は自らに言い聞かせていた。銀色の半透明の姿が何故だが、怒りに赤く染まっているように見える。

 目の錯覚か知れないと思い、瞬きする。

(私が壊したなんて絶対、言えないさ)

 ムーディの肉眼は『灰色のレディ』を見ているが、義眼はクローディアに釘付けだ。

「私、これで失礼してもよろしいでしょうか?」

 唸り声のように吐き出された退室宣言をダンブルドアは優しく承諾する。

「セブルス、レディをお送りしなさい」

 杖をしまうスネイプはクローディアを一瞥し、『灰色のレディ』と共に校長室を後にした。そのままムーディも行けば良いのだが、残った。執拗な視線が一つ減り、胸中は幾分か落ち着いた。

「さて、確認の出来たことじゃし……本題に入ろうかの?」

 今から美味しいお菓子でも食するような言い方で、ダンブルドアは穏やかな眼差しをクローディアに向ける。

「アラスターから事情は聞いておる。しかし、君の口からこれを破壊した経緯を話して欲しい。破壊した部分だけで構わん」

 蒼い瞳に見つめられ、どんな質問にも素直に答えたくなる。クリスマス休暇初日、ふたつの呪文では破壊できず、勢いで杖を叩きつけたことを話した。

「杖を拝借しても良いかな?」

 求められるままにクローディアは懐から杖を取り出し、ダンブルドアに手渡した。

「杖の店のオリバンダーさんから貰いました」

「貰った? オリバンダー老が杖を人にやったというのか?」

 危険を感じたのか、ムーディの義眼が杖を凝視し出す。ダンブルドアも珍しそうに繁々と杖を眺めた。

「その杖の前の持ち主はスクイブでした。しかし、一度も使われることなく、その人は亡くなったと話してくれました。そして、オリバンダーさんの元に帰って来たそうです」

 杖は持ち主を選ぶがオリバンダーはそれを無視してスクイブに売った。彼はそれを心配していると語っていた気がする。今にして思えば、後悔はしていなかったように思える。

 突然、ムーディがダンブルドアから杖をひったくる。机の上の羽根ペンに杖を向けた。

「借りるぞ。プライオア・インカンタート!(直前呪文!)」

 直前呪文、杖が如何なる魔法を行使したかを再現させる。先程の『変身術』にて、ベッロを椅子に変える魔法を使った。故に、杖から放たれた魔法は羽根ペンを椅子に変身させた。机であることを考慮してか、それとも羽根ペンの影響か、掌ほどの椅子になった。

 歴代校長の肖像画が可笑しそうに笑う。しかし、ムーディの義眼が睨むと黙りこくった。

「何の問題はないように思える。……いまのところはだ。少しでも妙なモノを感じたら、使うな」

 ムーディは乱暴に杖をクローディアに返した。

「杖をありがとう、クローディア」

 微笑んだダンブルドアは椅子から立ち上がり、自然とクローディアも席を立つ。正座していたので、足の脛が痛い。

「君はミス・グレンジャーと【改訂版・ホグワーツ】を作成しておるそうじゃな。この髪飾りの事を載せるがよい。長い歳月に叶わず、朽ちて滅びた……とな」

 

 ――嘘を載せろというのか?

 

 そう言いかけ、クローディアは脳髄の奥で冷静を自らに命ずる。まさか、一生徒が創設者の遺品を破壊したと誰も信じない。それどころか、レイブンクローの品がそれ程まで脆弱という印象を皆に伝えることになる。

(ハーマイオニーが怒りそうさ)

 一から説明し、納得させようと決めた。

「わかりました」

 躊躇いなく、クローディアは返事をする。一瞬、ダンブルドアの瞳に深刻なモノが見えた。

「それから、わしとしてはこれが本当の本題なのじゃ。御母上が君に面会を求めておる」

 これまでと全く違う話をされ、驚きながら動揺する。

「母が……ですか? でも、私には何も……」

「わしの了承を得てからと思ったのじゃろう。故に、面会の許可を与える。しかし、ご存じ通り、現在は対抗競技中であり、皆の気が高ぶっておる。従って、次の土曜日にホグズミードへ行くが良い。ルーピン先生が引率して下さる。という決定事項を既に御母上へ返しておる」

 サプライズが成功した悪戯な笑みで、ダンブルドアは喉を鳴らす。

 色々と唐突過ぎて反応に困るが、脳髄で情報を整理する。次の土曜日には、母に会える。まさに思ってもいないプレゼントだ。素直に喜んだクローディアは、頭を下げて感謝する。

 同時に疑問も浮かぶ。

「フリットウィック先生ではなく、ルーピン先生ですか?」

「生徒の活動が頻繁になる昼間は、寮監たる先生方にはいてもらわんとならん。ムーディ氏は先生ではないので御頼みできん。ハグリッドでは少々、目立ちすぎる。かといって、わしでも、悲しいことにいらん注意を引いてしまうじゃろう」

 確かにその通りだ。

 ファッジ大臣との面談さえ、ダンブルドアは校長室で行う。それをわざわざ、生徒と保護者の面会の為に引率しては、その保護者は何者かと疑われるだろう。

「お心遣い、感謝します」

 もう一度、感謝を込めて頭を下げた。

 午後の『魔法史』に間に合うよう、クローディアは校長室を出ようとした。腕時計を見るつもりで片方の腕輪も見る。そこには『授業後、図書館』と刻まれていた。

 

 ビンズの朗読による眠気を耐える生徒は少なく、マイケルとモラグは教科書で顔を隠して寝入りこけていた。クローディアも昼食後のせいか眠りそうだが、どうにか堪えた。

 終業の鐘と共に図書館へと急ぐ。

 ほぼ同時、クローディアとハーマイオニー、ハリー、ロンが待ち合わせ場所に現れた。マダム・ピンスに挨拶してから、席を占領する。4人で顔を寄せ合い、極力小声で校長室での話を聞かせた。

 ロンが創設者の遺品を破壊したことに吃驚し、声を上げそうになる。

 その前にハリーがロンの口を手で塞ぐ。ハーマイオニーは髪飾りの真実を載せられないことを不満に思う。

「校長先生は学校の体面とかじゃなく、私がそれをしたっていうことを広めたくないだけさ」

「……しょうがないわね。今回だけよ」

 不承不承とハーマイオニーは頷く。

 ロンが目配りで声を荒げないとハリーに約束し、解放された。

「土曜日にホグズミードで面会か、いいなあ」

 羨ましそうにハリーは呟く。ホグズミード外出ではなく、家族との面会を羨んでいるとすぐに知れた。母との面会を楽しみにクローディアは自然と微笑む。

「しかし、突然すぎるさ。嬉しいけどさ」

「ねえ、お母様とウィンキーを会わせられないかしら? きっとお母様も喜ぶわ」

 ハーマイオニーの提案はクローディアにも良い案だ。

「それいいさ。お母さんもウィンキーに会いたいって言ってたさ」

 図書館を出た4人はすぐに厨房へ向かう。早速、ウィンキーに面会を頼んでみた。母に会うことが畏れ多いとウィンキーは畏まった。しかし、ドビーがホグズミードに行かせると約束した。

 厨房を出た後、ハーマイオニーはハリーに釘をさす。

「いいこと? シリウスは来ないのよ。間違っても『透明マント』でクローディアに着いて行っちゃ駄目。わかった?」

「い、行かないよ。はい、行きません」

 悪だくみを見抜かれたらししく、ハリーはビクッと肩を痙攣させた。

 

 夕食を済ませたクローディアは意外な人物に待ち伏せされていた。

「少し、時間を貰えるかな? お嬢さん」

 言葉を交わすのは本意ではない。カルカロフは嫌悪を露わにして、誘ってきた。

 クローディアが答える前に、カルカロフは彼女の腕を乱暴に掴んで歩きだす。周囲に居たパドマ達が制するのも無視された。

「すぐ戻ってくるさ」

 どうにか、その言葉だけでもパドマ達に声をかけられた。

 薄暗くなった中庭に連れ出され、ようやくカルカロフはクローディアの腕を離す。抗議を口に出そうと思ったが、ここは大人しく用件を聞く事にした。元『死喰い人』が何を語るのか知りたかった。

「君は一体、何者かね?」

 山羊髭を触りながら、カルカロフは訝しげに眉を寄せた。

「クローディア=クロックフォードです」

 名を問うているのでないと理解していた。しかし、他に答えが思いつかなかった。

 案の定、不服そうにカルカロフは目つきを鋭くする。

「どうやら、あまり賢くないようだ。わかりやすく説明しておこう。君の祖父にあたるミスター・トトについて調べさせて貰ったよ。まあ、学校に残している者達に探させたんだが…古い記録だったので、苦労したようだ。いくら、首席の推薦といっても『穢れた血』を……」

「本題は何でしょうか? 教えて頂けますか?」

 カルカロフは、マグル生まれのトトを蔑んでいる。わざわざ、聞くまでもない。

 話を遮られたことを不愉快にさせつつ、カルカロフは問うた。

「ミスター・トトの後見人であったシギスマント=クロックフォードは、君の家系かね?」

 知らない名前を出された。思い返せば、トトの後見人は写真などの類を嫌っていることしか知らない。

 きょとんとしているクローディアの反応に、カルカロフは残念そうな溜息を吐く。

「その様子では違うようだ。時間を取らせたな」

「どういう人物か、差し支えなければ教えて頂けませんか?」

 去ろうとするカルカロフをクローディアは、呼びとめる。トトの後見人について、微かな興味があった。しばらく考えてから、彼は語りだす。

「シギスマント=クロックフォードは我が校を卒業した後、高名なニコラス=フラメルに弟子入りしたのだよ」

 クローディアは純粋に驚いた。

 数えきれぬ程いたニコラス=フラメルの弟子の中に、シギスマントはいたという。意外な繋がりだ。

「だが、彼はすぐに破門された」

 カルカロフは、酷薄な笑みを浮かべていた。

「彼は師の目を盗んで、『賢者の石』を無断で使用した。精製された『命の水』を餓えと病に苦しむ100人のマグルに分け与えたそうだ」

 苦しむ人々に、『命の水』を飲ませる。そうすることで、彼らは救われた。善行によって何故、破門を受けたのかと疑問する。

 すぐにカルカロフは続きを語りだした。

「その後、彼は教会にそのマグルどもを告発した。わざわざ治療したマグルを『魔女狩り』を行う連中に売ったのだ! 彼は見返りに何を求めたと思う? 告発されたマグルどもがどのくらいの拷問で死んだのか、記録を付けて欲しいと言ったそうだ。……ここまで言えば、勘づくだろう? 彼は『命の水』を研究する為に、100人のマグルを実験体に使ったというわけだ!」

 愉快気にカルカロフは嗤う。まるで、英雄の美談を語るように酔いしれていた。

 クローディアの脳髄で、不快を越えた陰鬱が圧し掛かってきた。気を張らねば、胃の消化物を嘔吐してしまいそうだ。

「という噂だ。私達は真実だと思っているがね」

 あっけらかんとカルカロフは、言ってのけた。

「噂ですか……?」

 吐き気を堪え、クローディアは弱弱しく聞き返す。

「そう、噂だ。しかし、シギスマントがマグルに『命の水』を与え、そのマグルどもが拷問死した後、破門されたことは事実だ。フラメル氏が亡くなられた今となっては、真実を知る者はおるまい。残念ながら、ゲラート=グリンデルバルドの偉業によって、シギスマントの名は霞んでしまい、歴代校長を務める者しか、知りえることない伝説だよ」

 口惜しそうにカルカロフは、口元を歪める。

「イゴール!」

 唐突な闇色の声が中庭に響いた。同時に、カツンッという義足の音もする。

 クローディアは吐き気も忘れて、振り返る。凄まじい形相のスネイプとムーディが迫って来た。

 場が悪いと感じたらしく、カルカロフは反対方向に小走りで去って行った。無論、クローディアは放置された。

 ムーディはクローディアを素通りして、カルカロフを追いかけた。残ったスネイプが彼女の顔を覗きこむ。

 普段と変わらぬ厳しい顔つきがクローディアを安心させる。

「何を言われた?」

「……ダームストラングにクロックフォードという卒業生がいるそうです。その人の血縁かと聞かれました」

 詳細を話すのが億劫なので、掻い摘んで説明した。

 スネイプはカルカロフが去った方角を一瞥し、クローディアの背を廊下へと押す。そこには、柱からこっそり様子を窺っているパドマやリサがいた。

「自分の友人に心配をかけるな」

「……はい」

 クローディアはスネイプを見上げてから、パドマ達のもとに走る。皆に心配をかけたことを詫びながら、顔も知らぬシギマントを考えていた。

 次にトトと顔を合わせた時に、尋ねてみようと決めた。

 

 

 約束の土曜日。

 クローディアはルーピンを伴って、ホグズミードに到着した。2月の村は、まだ雪に覆われて銀の輝きを残している。生徒がいない為、住人や旅人らしき魔法使いや魔女しか見当たらない。

「お母さんは、いたさ」

 『三本箒』の前で、コンラッドと母が話をしている様子だ。

〔あ~ん、もうちょっと撮りたいさ〕

 コンラッドからカメラを取り上げられ、喚いている。恥ずかしいくらいに、わかりやすい。母はクローディアに気付き、その場をピョンピョン跳ねる。跳ねた拍子に、足を雪に取られたて倒れ込んだ。コンラッドは静かに母に手を貸した。

 やはり、恥ずかしい。

「以前、アルバムで見たままだね。ああ、君のお母さんらしいよ。そっくりだ」

 そのルーピンの気遣いが、余計に恥ずかしい。

「やあ、クローディア。それにルーピン、わざわざすまないね」

 コンラッドはルーピンを見ずに、適当に言い放つ。母はルーピンを興味津々に見上げた。

〔お母さん、久しぶりさ。こちらは、学校の先生さ。ルーピン先生さ〕

 ルーピンに紹介され、母は畏まってお辞儀した。

「いつもぅ娘がお世話にぃなっています」

「こちらこそ、奥様。一度、お会いしたかった」

 にっこりとルーピンは、母と握手した。

「まさか、本当にコンラッドが結婚していたとは、驚きだね……痛っ」

 可笑しそうに笑うルーピンの頭をコンラッドが叩いた。

「クローディア。折角だから、お母さんと村を回ってきなさい。くれぐれも目立たないようにね。本来なら、おまえは学校だ。私達は、保護者面談でもしているよ」

「わかったさ、お父さん。お母さん、行こうさ」

 嬉しさで声を弾ませたクローディアは、母を振り返る。僅かなやりとりをしている間に、母は視界から消えていた。周囲を見渡すと、母は手紙を銜えたフクロウを追いかけていた。

〔お母さん、待ってさ〕

 急いでクローディアは、母を追う。母はクローディアに呼び止められ、のんびりと足を止めた。

 はぐれない為に、クローディアは母と手を繋いで歩いた。手を繋いでいるのに、母は珍しい物を見つけては何処かに行こうとした。強い力で引っ張られ、何度も転びそうになった。

〔あそこは郵便局さ、そっちは玩具屋さ〕

〔まるで、御伽話の世界さ。魔法の世界さ〕

 ここは、魔法使いの村だ。寧ろ、クローディアは魔女だ。そして、コンラッドとトトも魔法使いだ。それだけ、母は感激しているのだ。

〔お母さん、どうして私に会いに来たさ? 夏に会ったばかりなのにさ〕

 何気なく問いかけるクローディアに、母は何とも言えない表情で微笑んだ。

〔どうしても来織の声が聞きたかったさ。でも、ホグワーツには電話がないしさ。それで、校長先生にお手紙を出したさ。こうして、会わせるようにしてくれたさ〕

 母は愛おしげにクローディアの手を強く握る。

〔何か……〕

 それだけの事態があったのかと聞きかけたが、口を閉ざす。母が泣きそうな顔をしていたからだ。理由は何にせよ、クローディアは母と会えた。それで十分だ。

〔お母さん、あっちは服屋さんさ。見に行くさ?〕

 話を切り替え、『グラドラグス・魔法ファッション店』へと母を連れて行った。

 

☈☈☈☈

 クローディア達を見送ったコンラッドは、ルーピンと『三本箒』に入る。外国語が飛び交う客の中に、バグマンが汚れとボロボロの衣服にまみれた魔法使いマンダンガス=フレッチャーといた。

「おいおい、こんな古臭い靴下をハリー=ポッターが愛用していた? いくらなんでも、それで売るなんてこたあできねえぜ」

「ダッグ、『庭小人』の歯をドラゴンの鱗だとかホラ吹いて、いくら儲けた? それと同じやり方で頼むよ」

 切羽詰まったバグマンは、フレッチャーに頼み込んでいた。

 騒々しい店内を見渡さず、2人はカウンターの席に座る。マダム・ロスメルダが常連のお得意にしか見せない甘い微笑を浮かべた。

「リーマスは、いつものかしら? そちらの方は何にする?」

 コンラッドは適当な飲み物を注文した。

「セブルスから、警告が来たよ。クローディアにいちいち戯言を吹き込むなってね。まさか、君がセブルスに言いつけるとは……」

「言いたければ言え、そうだろ?」

 悪びれることなく、満面の笑みでルーピンは言ってのけた。忌々しく舌打ちし、コンラッドはマダム・ロスメルダからカクテル・オニオンを受け取る。ルーピンには、蜂蜜酒が渡された。

「セブルスとも話したんだが、ベッロが妙なんだ」

「ベッロが発情期にでも入ったかな?」

 ぶっきらぼうに返すコンラッドを尻目に、ルーピンは蜂蜜酒を口にする。

「ベッロが敵を判断できないらしい。それに関して、セブルスは『錯乱の呪文』をかけられているんじゃないかと考えている」

 カクテル・オニオンを飲もうとしたコンラッドの手が止まる。

「『錯乱の呪文』を蛇にかけるだって?」

「ああ、そうでもなければベッロの感覚を誤魔化すことは出来ないんじゃないかな? 君はどう思う?」

 ルーピンを見ずに、コンラッドは深刻げに眉を寄せる。構わずにルーピンが蜂蜜酒を飲み干した時、コンラッドは皮肉っぽく口元を曲げる。

「『錯乱の呪文』なら、可能だろう。よく考えたものだ。……出来れば、ベッロはそのままにしておくべきじゃないか? 子供達の安全の為にね」

「セブルスも同じことを言っていたよ。やはり、似た者同士だね。君達は」

 ルーピンは羨望の気持を込めて、言い放つ。言葉に含まれた感情を理解し、コンラッドは吐き捨てた。

「君に言われると皮肉にしか聞こえないな、全く、どうしてクローディアは君なんかを気に入ってしまったんだろうねえ」

「おや? どうして彼女が私を気に入っていると思うんだい?」

 からかう口調でルーピンが問うと、コンラッドはようやく彼に目を向ける。

「そんなもの、見ていればわかる。否定はしたいがね」

 受け入れがたい事実だと言わんばかりに、コンラッドの眉間のシワが更に深くなった。

 思わず、ルーピンの人差し指がコンラッドのシワに触れる。そのまま、シワを解そうと動いた。

「……そう目くじらを立てないでくれ。彼女は君が恋しいだけだ。私は君と同窓だしね。私を通して君を見ているに過ぎないんだ」

「それなら、……セブルスでもいいじゃないか。君のような男に騙されては、クローディアの将来が不安だ」

 不貞腐れたように呟き、コンラッドはルーピンの手を払う。

 ルーピンは目を見張る。彼の口から、クローディアの身を案じる発言が出たからだ。我が子を心配する父親と同じように、悲観そうに口元を歪めている。

 初めて、彼から父性を感じ取った。

 淡々として、機械的なコンラッドとは違う一面を確かに見た。以前、クローディアが言ったように、コンラッドは確かに『父親』なのだ。

 嬉しさが胸を込み上げ、ルーピンは自然と表情を緩ませる。

「何を幸せそうに笑っているんだ……、気持ち悪い」

 怪訝そうにコンラッドは、悪態付く。それでも、ルーピンは笑みを消さない。

「ルーピン」

 それが気に入らなかったらしく、コンラッドの声が氷のように冷たく発せられた。

「あの子に手を出したら、私抜きでは生きられない身体にしてやるからな」

 勿論、ルーピンはクローディアに生徒以上の感情などない。それでも、滅多に出さぬコンラッドの父親としての態度が悪戯心を擽らせた。

「私の面倒を一生看てくれるのかい? それは、とても魅力的だね」

「何故、そうなる!?」

 動揺したコンラッドは、珍しく大声を上げながら青ざめた。

 

☈☈☈☈

 散々店内を物色した結果、控えめな色の手袋を買った。他の衣類は、見る度に色が変わったりする。その手袋も刃物で切りつけられても守られるそうだ。

 店を出た時、母が何かに気付いた。

〔妖精さんさ!〕

 嬉しそうにはしゃいだ母の向こうを見る。店の建物から路地へと入り込む角に、ウィンキーが畏まって立っていた。

「ウィンキー、来てくれたさ」

 喜び勇んだクローディアが母と共に、ウィンキーへと歩み寄る。母はウィンキーと目線を合わせる為に屈んだ。

 クローディアもそれに倣おうとしたが、何気なく路地に視界を入れて青ざめる。路地から、クラウチが幽鬼のように物静かな動作で現れた。予期せぬ人物に、流石にビビった。厳格な態度を崩さず、クラウチは会釈する。

 全くクラウチに気付かない母は、ウィンキーと握手する。

「こんにぃちは、ウィンキーさん」

「優しい奥様、お会いできて何たる光栄でしょう」

 クローディアは、母の肩を叩く。

〔お母さん、クラウチさんさ。え~と、ワールド・カップの時の人さ〕

 気付いた母は、クラウチを見上げる。ワールド・カップでの出来事が蘇ったらしく、ぎこちない笑顔で「どうも」と挨拶した。

 いくらなんでも、目上の……しかも魔法省の部長職に対する態度ではない。クローディアは、クラウチが怒りだすのではないかと冷や汗が流せる。

(なんで、ここにいるんだろうさ?)

 クローディアの胸中を呼んだように、クラウチが恭しく話し出す。

「このウィンキーから、奥様のお話を聞き、是非ともお会いしたく馳せ参じました」

 クローディアはウィンキーを盗み見る。ウィンキーは、何度もクラウチを見上げていた。

「ワールド・カップの折、私は奥様の前で醜態を晒しました。あまりにも身勝手と、さぞ、奥様は私を軽蔑なされたことでしょう。いまでは、大人げなかったと後悔しております。そちらのお嬢様のお陰で、私はウィンキーと再会し、和解するに至りました。全て、お嬢様のお陰です」

 色々とクローディアは、考え込む。

 クラウチがウィンキーのクビを後悔し、あまつさえクローディアを褒め称えた。正直、不気味だ。気持ち悪いといっても、差し支えない。それでも厳格さが全く消えない。まるで、記者会見の場で謝罪する政治家だ。否、政治家は記者の前で謝罪しない。

「ウィンキーさんは、この人と仲直りぃしたんですか?」

 疑わしそうに母は、ウィンキーに優しい口調で問いかける。ウィンキーは更に畏まり、肯定した。

「クラウチ様は、ウィンキーが必要でございます。ウィンキーは幸せでございます」

 目を輝かせるウィンキーの笑顔が少しだけ、クローディアを苛立たせる。これ程までに忠実なウィンキーを何故、クラウチは、たったひとつの命令を破っただけでクビにしたのか理解できない。

 そのクラウチに、ウィンキーが何の不満も抱いていないこともだ。

 原因が自分達だけに、クローディアは余計にクラウチが不快だ。

「ウィンキーさん、良かったぁですねえ。そうそう、ワールド・カップで私達を助けてくれてありぃがとう」

 納得した母は、ウィンキーともう一度、握手する。礼を言われ、ウィンキーは耳をパタパタと動かしていた。どうやら、喜んでいるらしいが耳だけを動かすとは器用だ。

 その後、母はクラウチに握手を求めた。

 クラウチは慎重に母の手を取り、片膝を地面につけた。そして、母の手の甲に唇を落とす。ロジャーの父・ディヴィが同じ挨拶をした経験から、母は笑顔を返す。

「いつか、またお会いできる日を心待ちにしております。いつまでも……」

 語尾の部分に明らかな熱が籠っていた。一瞬、クローディアは我が耳を疑う。視界の隅にクラウチを入れ、彼を失礼のないように観察する。母を見つめるクラウチの眼差しから、僅かに厳しさが消えていた。それどころか、恋い焦がれているようにも感じ取れた。

(えええ……!?)

 驚愕よりも、ドン引きだ。母はクラウチの感情に全く気付かず、笑みを絶やさない。

 クラウチはウィンキーと共にその場を去る。母はウィンキーが見えなくなるまで、手を振りつづけた。取りあえず、クローディアもウィンキーに手を振る。クラウチの背中からは、目を背けた。

 もう一度、クローディアは母と村を散策する。コンラッド達と合流したのは、その後だ。

「楽しめたかい?」

「ばっちりぃ♪」

 コンラッドに向かい、母は快活な笑みで親指を立てる。母はルーピンに挨拶しようとしたが、はたと何かに気付く。ルーピンの顔を繁々と眺めてから、首を傾げた。

「ルーピン先生は、作曲家さんに似ていぃますねえ。最初は、夫に似ていぃると思ったんですがぁ」

 母の発言に、コンラッドは表情を強張らせた。ルーピンは記憶を探り、思い当たる。

「もしかして、ベンジャミン=アロンダイトですか? ええ、一見、私でも間違えそうです」

「ご存じぃですか? ベンジャミン=アロンダイト。すご~い、有名人みたいぃです。それとも、ルーピン先生が物知りですかぁ?」

 ほのぼのとした2人の会話に、ツッコミを入れる気力はない。クローディアはクラウチの母への想いに動揺し、コンラッドはルーピンに似ているという発言が屈辱だった。

 短かったが、楽しい面会時間は終わる。

 別れを惜しみながら、母はコンラッドの腕に掴まる。途端に、コンラッドは『姿くらまし』した。まさかの『姿くらまし』にクローディアは驚いた。

「マグルと『姿くらまし』していいんですか?」

「オススメはしないよ。大概の人は、吐くからね」

 そこが大事とルーピンは、微笑んだ。若干、頬が紅いので酒を煽ったのかもしれない。引率中に飲酒をしないで欲しい。困った人だと、クローディアは思わず笑った。

「クラウチさんが村に来ていたんです。お母さんと挨拶したんですけど、様子が変でした。まるで、お母さんに恋しているみたいでしたよ」

 帰路の着く中、クローディアはクラウチの態度をルーピンに聞かせた。

「クローディア、君のお母さんは確かに魅力的だよ。コンラッドが見初めただけのことはある。けど、クラウチ氏に限っては、……ふふ」

「本当ですって、絶対」

 おもしろい冗談と言わんばかりに、ルーピンは喉を鳴らして笑った。

 城に帰ったクローディアは、早速、ハーマイオニーに報告した。

 クラウチの話を聞いた時、ハーマイオニーは困り果てたように溜息をつく。

「クローディア、エイプリルフールには早いわよ」

 信じて貰えなかった。

 ハリーとロンにも話したが、ハーマイオニーやルーピンと同じ反応だった。

 




閲覧ありがとうございました。
ルーピンは嫌味も笑顔で回避する。
クラウチが恋したなんて、私も信じないよ。
●マンダンガス=フレッチャー
 原作二巻から、度々、名前だけ登場。色々と顔が広いおっさん。
●シギスマント=クロックフォード
 ダームストラングの卒業生が欲しかったオリキャラ。これ程の後見人でなければ、マグル生まれは、あの学校に入学できなかったと思う。


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17.卵の中身

閲覧ありがとうございます。
UA31000を超え超えました。お気に入りが360名を超えました。ランキングも3月9日23時30分時点で6位にランクインできました。
皆様のおかげです。ありがとうございます。

追記:16年3月12日、20年1月4日、誤字報告により修正入りました。


 2月、最初の土曜日。待ちに待った『姿現わし』練習第1回目。

 朝食を終えた時間、6年生以外(クローディアを除く)は退室していき、大広間から寮席が一瞬で払われた。

 各寮の寮監4人、そして魔法省から派遣された特別講師ウィルキー=トワイクロスへと生徒は集合する。

「私を呼ぶ時は指導官と呼んでください」

 小柄な指導官から『姿現わし』と『姿くらまし』を行う為、大広間に限定して呪縛を解いたと説明した。

「念を押しますが、この大広間の外で決して『姿現わし』を試さぬようにお願いします。承知できた者は前の人との間を1・5メートル空けて、位置について下さい」

 各々、自分達で目測して距離を取って行く。

 フレッドとジョージがグラハム=モンタギューと揉み合いながら、距離を保つ。クローディアもアルフォンスとの距離を取る。

 寮監に叱責されながら全員、位置につけた。

 全体を確認したトワイクロスは杖を振るう。音も立てず、古木の輪っかが現れた。

「『姿現わし』で重要な事! それは3つの『D』です! どこへ、どうして、どういう意図で!」

 トワイクロスは続ける。

「第1歩は、どこへ行きたいか、しっかり思いを定めること。さあ、輪っかを見て! 今回は、そこです! 『どこへ』に集中して下さい!」

 丁寧な教えに従い、皆、輪っかに集中する。

「第2歩、『どうしても』という気持ちです。どうしても行かねばならない決意が頭のてっぺんから足の先まで、溢れるようにする!」

 クローディアは視線を輪っかに向け、意識を集中する。これはゴールを決める時と同じだ。その一瞬だけ、決めればいい。

「第3歩、そして、私が号令をかけたそのときに、その場で回転する。無の中に入り込む感覚で『どういう意図』で行くか、慎重に考えながら動く! いち、に、さんの号令に合わせて」

 トワイクロスの声は張り上がった。

「いち、に、さん!」

 

 ――バチッという音が弾いた。

 

 視界だけが動く感覚、クローディアは周囲を見渡す。足を動かしていないのに輪っかにいた。彼女だけではない。セドリックも輪っかに立っていた。

 他は散々だ。ジャックは1回転して床に座り込んでいた。アンジェリーナだけ何故か、奇麗に逆立ちしていた。アンドリューも地面に頭を突っ込んでいた。

「2人か、上々です」

 それでも、十分な豊作だと言わんばかりだ。トワイクロスは輪っかを元に戻させ、皆を位置に着かせる。2度目に行った際、絹を裂くような悲鳴が上がった。

 リーが腕を失い、苦痛に喘いでいた。腕は元の場所でボトッと音を立てて落ちた。

 これが『バラけ』るという現象だと、知る者は知っている。その凄惨さに寒気が走った。

(こんな恐ろしい副作用があるのに、お祖父ちゃんは私に教えてたさ?)

 すぐに寮監たちに包囲され、リーは紫の音と共に腕を繋げて貰えた。あまりの激痛を味わったせいか、ガタガタと怯えきっていた。

「『バラけ』とは、体のあちこちが分離することです。心が十分に『どうしても』と決意していないと、起こります。それだけでなく、『どこへ』を持続させ続けるのです。そして、慌てず、慎重に『どういう意図』で忘れずに」

 全く動じないトワイクロスは淡々と注意事項を述べる。そして、自ら、手本を見せた。

「3つの『D』を忘れぬように」

 それから1時間、練習は続けられた。リーの失敗が集中力を上げたせいか、誰も『バラけ』なかった。そして、まともに成功したのは、やはり、クローディアとセドリックだけだった。

 トワイクロスは満足そうに2人へ微笑みを向ける。

「決して、油断せぬように」

 称賛ではなく、警告を貰った。

 来週の土曜日を告知して、トワイクロスは杖で輪っかを消し去った。そして、教頭たるマクゴナガルと共、大広間を後にした。

「ミスタ・ジョーダン。不安なら、保健室へ行きなさい。『バラけ』は決して恥ではありません。ミスタ・ディゴリー、ミス・クロックフォードは既に誰かから指導を受けていますね? トワイクロス氏は見抜いておりましたよ。いいですか、絶対に、廊下や教室で自主練習をしないように! はい、解散!」

 フリットウィックに締められ、各々、大広間を出ていく。

 緊張の糸が切れ、全員、息を吐く。

「あの指導官、影薄そうだな。まじでよ」

「言えてる」

 ロジャーがザヴィアーとそんな軽口を叩いていた。

「セドリック、すごいわ。どうやったの?」

 ベストラを含めた生徒達がセドリックに助言を求める。フレッドとジョージが獲物を狙う目つきを向けたので、クローディアは走り去った。

 

 

 第2の課題、2月24日まで残り2週間。

 大広間で昼食中のクローディアへハリーが耳打ちしてきた。

「ベッロを貸して欲しいさ?」

 小声で聞き返すと、ハリーは目だけで周囲を窺う。騒がしい大広間、2人を意識する者はいない。

「ちょっと、卵の謎解きの為に夜中、寮を出たいんだ。僕の護衛として、ね、お願い」

 神妙な顔つきのハリーだが、クローディアは別のことに着目する。

「何、まだ卵の謎、解けてなかったさ? なんか、ハーマイオニーから、もう解けたって聞いた気がするさ」

 グリフィンドール席のハーマイオニーを視界に入れ、クローディアは疑わしげに半眼でハリーを見つめる。視線の意味を理解し、彼はわざとらしく瞬きし、それでも真剣な表情を崩さない。

「ちょっと、仕上げが必要だけなんだ」

 しかし、ベッロはハリーの頼みごとなら、断りはしない。律儀にクローディアの了解を求めるなら、答えない訳にもいかない。不意に思いつき、彼の耳元で囁く。

「それなら、私も着いて行くさ? そのほうが、なんかあったら対処しやすいさ」

 途端、目を見開いたハリーは耳まで真っ赤に染まる。

「それは遠慮させてください」

 俯いたハリーは非常に聞き取りにくく呟いた。

「なんで、敬語なのさ?」

 疑問を抱きながら、クローディアはベッロを貸すことを了解した。

 

 就寝時間、明日の授業に備えて静まり返る。

 自室でジャージに着替えたクローディアはパドマとリサが寝入っている姿を確認する。髪を適当に纏め、足音を立てないように部屋を出る。

 談話室に下りたクローディアに反応し暖炉に火がつく。背後から気配を感じ、女子寮への階段を振り返る。

「何処に行くの」

 寝巻き姿のペネロピーが仁王立ちしていた。

「ちょっと、トイレさ」

「うそおっしゃい!」

 ペネロピーは、クローディアの眼前に迫り、目を細めて睨む。首席の雰囲気を醸し出し、説教する態度だ。心当たりが多すぎ、一瞬、心臓が冷やりとする。

「昼ご飯、ハリーと何か内緒話していたでしょう? 何を企んでるの」

 バッチリと見られていた。

「ただの話し合いさ。いや、本当にさ」

「駄目。ジョージに聞いたけど、怪我したんでしょ? 貴女が部屋を抜け出さないように、厳重に注意されたのよ。よりにもよって、ジョージに!」

 いつも規則を破るジョージに注意を受ける。これ程、屈辱的なことはペネロピーにはない。少しでも、機嫌を取ろうとクローディアは絨毯の上に座り込む。

 ペネロピーもクローディアに倣って、正座し叱りつける。

「大体、貴女はハリーを甘やかしているわ。そんなことだから、周囲が誤解するの。いらぬ誤解は、いらぬ嫉妬を招き、いらぬ諍いを起こすのよ」

「それは重々承知しております」

 2年生の折にクローディアは我が身を持って味わった。

「あれ? 誰か来るさ?」

「クローディア、話を逸らそうとしても駄目よ」

 気配を感じたクローディアは外への扉を見やる。無視されたと苛立つペネロピーが、拳を振り上げたとき扉が動く。有頂天で浮かれたロジャーが足を忍ばせて、談話室に入ってきた。

 しかし、絨毯に座るクローディアとペネロピーを目にし、愉快な表情のまま固まる。

 冷や汗を流したロジャーは、咳払いする。

「まだ1日は終わってないぞ」

 ペネロピーの眉が激しく痙攣を起こし、奥歯が鳴った。

「ディビーズ! 消灯時間、とっくに過ぎてるわ! 同じ寮でも遠慮せず減点よ! 5点減点! はい、2人とも部屋に戻りなさい!」

「私まで同類さ!?」

 談話室に響いた怒鳴り声を背に、クローディアとロジャーは無理やり自室に戻らされた。

(こんなことなら、影になっておけばよかったさ)

 しかし、ペネロピーのことだ。寝台を調べてでも、クローディアの睡眠を確認しただろう。少しだけ、ジョージを恨んだ。

 

☈☈☈☈

 同時刻、ハリーはクシャミをする。

 無事に監督生専用浴場で、卵の謎を解くことに成功した。『嘆きのマートル』に女子トイレに誘われたが、それもどうにか振り切った。後はフィルチに見つからぬように部屋に帰るのみ。

[卵を水に浸けるとは、おもしろい。水中人の会話は水中以外では低音波だからな。まあ、それも会話に慣れない連中だけだ]

 けらけらとベッロが笑う。

「ベッロ、まさか、この中身を知っていたの?」

[そんなわけないだろう。しかし、ハリーはどうやってこの方法を思いついたんだ?]

 寝巻きに着替えたハリーは『透明マント』を被る。

「セドリックが……風呂に入れって言ってくれたから、……僕、前に彼にドラゴンのことを教えたんだ。それで、借りを返してくれた」

[律儀だな。まあ、ハリーが逆の立場でも、卵のことを教えただろう?]

 ベッロの言うとおり、ハリーは教えたに違いない。セドリックはチョウと仲が良い。それは悔しいが、彼は親切で教えてくれた。感謝しなければいけない。

 『忍びの地図』にはフィルチがハリーとは離れた場所にいるとわかる。もう1人の厄介者ピーブズの名を探す。その名はハリーとベッロの近くに迫っていた。

「お~、蛇ちゃん。こそこそと御散歩かい?」

 下品な笑いを見せ、ピーブズがベッロの尻尾を掴む。怒ったベッロは、ピーブズの頭を叩く。良い音が廊下に響いた。『透明マント』の下で、ハリーは笑いを堪える。

「こいつ! 男爵に目をかけられているからと調子に乗るな!」

 いつもの余裕のないピーブズはベッロを抱き上げ、そのまま宙を飛ぶ。速度を上げたポルターガイストは壁を抜けるが、蛇は壁に叩きつけられた。

(やめろ!)

 ハリーは咄嗟に杖を構えようとした。片手には『忍びの地図』、片手には黄金の卵。そんな状態で杖を持てば、必然。卵が床に落ち、『透明マント』から転がる。

 金属が床にぶつかる音と転がる音が響く。しかも、その拍子に卵が開かれ、あの甲高い悲鳴が耳を打つ。

 焦ったハリーより先に、ベッロがピーブズの手から逃れる。そして、卵を尻尾で閉じ、トグロを巻いて隠した。案の定、音を聞きつけたフィルチが息を荒くして現れる。

 フィルチはピーブズを見るなり、怒鳴りつける。

「ピーブズか! どういうつもりだ!」

 「べ~」っと舌を出し、ピーブズはさっさと退散した。

「くそ、あのマッド‐アイが来てから、ピーブズの機嫌が更に悪い」

 ぶつぶつと呟くフィルチはベッロに気付く。生徒でないと残念がり、フィルチは周囲を見渡す。念のために誰かいないか、探しているのだ。管理人に気付かれぬように、ハリーは息を殺す。

 

 ――カツン、カツン。

 

 義足の音が近づいてきた。フィルチは舌打ちし、その場から去る。入れ替わるようにムーディが姿を見せた。気付かれれば、注意されるかもしれない。ハリーは更に息を潜める。

「ハリー=ポッター、何をしている?」

 呼ばれたハリーは心臓が飛び出しそうになる。ムーディの義眼がしっかりと捉えていた。

「わしの講義の時、ホグズミードに行く時、そのマントで姿を隠していた事も知っているぞ。もう一度、聞く。何をしている?」

 隠し事は出来ない。深呼吸したハリーは素直に口を開く。

「卵の謎を解く為に、ここにいます。先程、解けました」

 ハリーの声を聞き、ムーディは力強く頷く。

「ならば、問題ない。部屋に帰れ。それと……、いいパンツだ」

 悪戯めいた語尾を残し、ムーディは義足と杖の音と共に消えた。ハリーは『透明マント』の下で、自分の身体を見下ろす。卵が落ちた拍子で、ズボンがずり落ちていた。ダドリーのお下がり縦縞パンツが丸見えだ。羞恥心で熱が上がった。

 ベッロが小気味よく笑う。

 

☈☈☈☈

 昼食の時間、ハリーは図書館にクローディア、ハーマイオニー、ロンを呼び、昨晩に得た卵の謎を話して聞かせた。

 ハリーが大浴場でヒントを得たと知り、クローディアは昨晩のペネロピーに心の中で感謝する。男子の入浴を覗く趣味はない。

 ハーマイオニーは謎が解けていたと嘘をつかれ、しかも夜中に寮を抜け出したハリーにご立腹であった。

「(卵の謎はとっくに解けたって言ってたじゃないの!)」

 ハーマイオニーは小声でハリーを叱りつけた。

「ごめん、ごめん」

 平謝りするハリーは水中人の歌詞について考えだす。大切なモノを探す為、湖に潜って探し出す。1時間の制限つき、過ぎれば大切なモノは永遠に失われる。

「1時間も湖に潜る方法なんて、蛙か魚に変身するしかないだろう?」

 取りあえず、ロンは自分の意見を述べる。クローディアは嫌だが、『動物もどき』のシリウスを浮かべた。そして、ルーピンの顔を思い浮かべる。

「あ、ルーピン先生さ」

「そうよ、ルーピン先生だわ」

 クローディアとハーマイオニーは同意見に行きつく。しかし、ハリーとロンはキョトンとする。

「ルーピン先生からネビルの読んでいる本を読んでみなさいって、言われたでしょう?」

 授業中の講義を聞き逃した不届き者を見る目つきで、ハーマイオニーはハリーを睨む。しばらく考えから、やっと【地中海の水生魔法植物とその特性】を思い返した。そういえば、一度も目を通していないし、ネビルから借りてすらいない。

「きっと、あれに何か書いてあるんだ。ネビルから借りようぜ」

 意気揚々とロンが席を立つ。

 クローディアは目を見張り、口中で悲鳴を殺す。ロンではなく、彼の後にいる人物だ。ハーマイオニーも絶句し、ハリーは不自然にならないように目を逸らす。

 3人の視線にロンはゆっくりと振り返る。

 黒真珠の瞳はクローディアとハリーに鋭い視線を向けていた。

「ミス・クロックフォード、ミスタ・ポッター。話がある」

 自分が呼ばれたわけでもないのに、ロンはビクッと肩を痙攣させた。

 クローディアとハリーが返事をする前、スネイプに襟を掴まれて連行された。ハーマイオニーとロンは憐れんだようにハンカチを手にし、見送ってくれた。

 

 最早、説教部屋と呼んでも間違いではないスネイプの研究室。

 床へ敷物なしで、2人は座らされた。取りあえず、クローディアは正座する。ハリーは膝を抱える体勢で尻を床に着けた。色々と心当たりがあるだけに2人は余計なことを口走らぬように唇を固く閉じる。

「男爵から、おもしろい話を耳にした。男爵はピーブズからだそうだが……、昨晩、ベッロが1人で散歩を楽しんでいたそうだ。すると、何処からともなく、卵が落ちてきたらしい。金の卵がだ。ベッロはすぐにそれを隠したと……」

 ピーブズ、並びに『血みどろ男爵』の余計な報告に2人は焦る。

「どういうことか、説明してもらおうか? まさか、ミス・クロックフォード。卑しくもベッロに選手のヒントを盗んでくるように命令したのか?」

「クローディアはそんなことしません。ヒントの卵が盗まれたと思うなら、僕を含めた選手に確認すればいいでしょう?」

 反抗的な態度で、ハリーはスネイプを睨む。2人の周囲を回るように歩くと、スネイプはせせら笑う。

「盗まれたわけではないなら、何故、真夜中の廊下に卵が落ちて来るのかね? まるで誰かが持って来たようではないか?」

 遠回しにネチネチとスネイプはクローディアとハリーを責め立てる。

 スネイプには『透明マント』でハリーが深夜徘徊し、ベッロが付き添った確信があるのだ。非常に拙いことに、大当たりだ。

「スネイプ先生、……フィルチさんに聞いてみてはどうでしょうか? 巡回をなさっている時に、何か見たかもしれません」

 ほとんど、苦し紛れな発言だ。クローディアにも自覚はある。スネイプの口端が釣り上がる。

「ご心配なく、フィルチには確認を取っておるとも。やたらと騒がしい悲鳴が聞こえたので、様子を見に行ったら、ピーブズとベッロがいたそうだ。それ以外は『何も見ていない』とな」

 やたらと語尾が強い。

 このままでは、誘導尋問で自白してしまいそうだ。クローディアは素知らぬ顔で、不思議そうに瞬きする。ハリーはスネイプの挑発に乗らないように、ただ睨んだ。

 2人の態度を見比べたスネイプは懐に手を入れる。黒い服で際立ったと土気色の手には、小瓶が握られていた。小瓶は水晶から作られているらしく、暖炉の炎を美しく反射させる。濁りもなく透き通った液体が、光の反射をより神秘的にさせた。

「これが何かわかるか?」

 証拠品のように、スネイプは2人に見せつけた。透明度の高い魔法薬はいくつかある。この場で取りだすならば、クローディアはひとつの名称を思いつく。

「真実薬(ベリタセラム)ですか? マグルで言うところの自白剤……」

「自白剤などと一緒にするな」

 厳しく咎め、スネイプはクローディアを睨む。

 睨まれたことより、『真実薬』の存在にクローディアは竦む。この場で飲まれでもしたら、2人は一貫の終わりだ。

「さて、ミス・クロックフォードは効能を知っているが、理解できんミスタ・ポッターの為に説明してさしあげよう。たった3滴で闇の帝王ですら、何の抵抗もなく闇の魔術を曝け出させる薬だ。残念ながら、生徒への使用は固く禁じられている」

 『残念ながら』の部分が強い。

 生徒に使用できないと聞いても、クローディアは全く気が休まらない。ハリーも同じ気持ちらしく、スネイプに勘繰られない為、彼女と目を合わさないよう気をつける。

「ただし、我輩の手が『うっかり』貴様の飲み物らに入れてしまうこともあるだろう」

 スネイプの歪んだ笑みが2人の背筋に寒気を走らせる。まさに規則の抜け道だ。クローディアの飲もうとするカボチャジュースに偶然、『真実薬』が入ってもスネイプは咎められない。

 『真実薬』は無味無臭、飲み物に入れられても、気付けない。

「そんな薬を使わなくても、ベッロに聞いてみたらどうですか? スネイプ先生なら、ベッロと意思の疎通が出来るでしょう?」

 挑戦めいた言い回しでハリーは、スネイプを再び睨んだ。

 笑みを消したスネイプは、軽蔑の眼差しでハリーを睨み返す。一触即発の雰囲気に、クローディアの焦燥が強くなる。

 突然、扉がノックされた。スネイプはハリーを睨んだまま、入室を認めた。入って来たのは例の卵を抱えたベッロだ。何とも、間が悪い。ハリーも驚いた。

「なんだ、ベッロ?」

 ぶっきらぼうにスネイプが声をかける。

 ベッロはトグロを巻くように卵を身体で包んだ。その体勢で、力みだす。何故だが、唸っているようにも見える。時間をたっぷりかけ、トグロの下から卵をポンっと放り出した。そうして、ベッロは脱力し安心し切った息を吐く。汗でも掻いたらしく、尻尾で額を拭った。

 一連の動作を黙って見守っていた3人は反応に困り、硬直した。

(もしかして、産卵を表現したつもりさ)

 困り笑顔でクローディアは取りあえず固い拍手を送る。

(もしかして、卵は自分が産んだと言いたいのかな?)

 ハリーはベッロと視線を絡ませる。ベッロの尻尾が親指のように「ぐっ」と立てられた。

 眉間のシワを指先で解したスネイプは疲れた深い息を吐く。

「ベッロ、大層な演技をして悪いが……おまえは雄(オス)だ」

 面倒そうでいて、苦笑も混じったスネイプの指摘を受け、ベッロは我に返ったように「ハッ」っとする。あまりにも、おおげさな反応だ。

 しかし、クローディアは別の衝撃を受けた。

「ベッロって……雄なんですか?」

「ええ! 知らなかったの?」

 クローディアの反応に、ハリーは驚いた。

「だって……、ファングとも仲良いしさ。部屋の掃除とかも好きだしさ」

「クローディア、他の蛇の雄と同じモノがベッロにもついているよ」

 ベッロは鎌首をもたげ、誇り高さを露わすように気取る。色々な羞恥心がクローディアを襲い、耳まで赤くなった。

 これから、ベッロの前で服を着替えないと決めた。

「もういい……2人とも。行きたまえ」

 全身を小刻みに震わせたスネイプが退室を命じた。その震えを怒りよりも、笑いを堪えているように思える。ハリーは彼が笑いだすのを見物しようとした。そうなれば、後が怖い。

 ハリーと卵を抱えクローディアは大急ぎで地下室から逃げだした。

 余談だが、レポートを提出しきに来たミリセントが腹を抱えて床へ蹲るスネイプを目撃した。

 スリザリン生の間で、スネイプが原因不明の腹痛に襲われたという騒ぎが起こったらしい。

 

☈☈☈☈

 ハリーが地下室へ戻らないように、クローディアは彼を送ることにした。ベッロは卵を抱え、堂々と先へ進んだ。

「スネイプ……先生は、言葉で追いつめて、追いつめて、僕らが折れるのを待ってたんだ。憎い僕らが屈するところが見たかったんだよ。意地クソ悪い奴だ」

 ハリーは忌々しく吐き捨てる。

 嘆息したクローディアは無意識に髪を背中に回す。

「やれやれさ。男爵とピーブズもだけど、ハリーもさ。どうして、諍いを広げるようなことをするさ。こっちが悪いのにさ。ああいう時は、黙って叱られるべきさ。黙っていれば、時間の無駄だとスネイプ先生は諦めるさ」

「わかっているよ。僕だって、普段はそうやってる。でも、今日は君まで巻き込んだじゃないか。ベッロが勝手に徘徊していることに君は関係ないってわかっているくせに、ネチネチと……。どうしてアイツは、君の事が憎いんだ。友達の娘を憎むなんて、僕には信じられないよ」

 軽蔑した口調でハリーは悲しげに眉を寄せる。父親の親友ルーピンやシリウスを思い浮かべ、もしも、彼らがスネイプのようにハリーを憎んだ時を想像し、心を痛めた。

「君はどうして、平気なんだ?」

「当然だと思っているからさ」

 あっけらかんとクローディアは、返答する。テストで点数が低いのは勉強不足だと認めるような口調だ。驚いたハリーは目を見張る。

「スネイプ先生が私を憎む理由を話してもいいけど、正直、重いさ。理由が分かった時、私、しばらく眠れなかったさ。それでもいいなら、教えるさ」

 『重い』という単語が本当にハリーの身体に重くのしかかった。彼女が受け入れた憎悪の理由を受け止める。ハリーに、そんな自信は微塵もない。

「いや、聞かないよ。でも…どういう理由であれ、君が恨まれる必要なんてないんだ」

 そして、父ジェームズを理由にハリーが憎まれる必要もない。

「まあ、理由も私が勝手に解釈しただしさ。でもさ、スネイプ先生がどんなに私を憎んでも、私は先生を嫌いになれないさ。ムカつくことはあるけどさ」

 何の恥もなく、クローディアは凛として涼やかだ。ハリーは初めて彼女が見た目でなく、その中身さえも美しいと感じた。

「僕は、スネイプ先生が嫌いだ」

 無意識化で、ハリーの口から零れ落ちた。態度を変えることなく、クローディアは当然のように頷く。

「知ってるさ。好きになれなんて、言わないさ。たださ、スネイプ先生は表立った優しさは見せない人だってことは、忘れないで欲しいさ」

 何処かで聞いた覚えがある。ハリーの脳裏にドリスが浮かんだ。2年生の時、ジニーを助け出した夜だ。彼女も同じような言葉で諭そうとした。

 クローディアはドリスと同じ見方が出来るようになっていたのだ。

 ハリーを差し置いて、クローディアは先に行ってしまった。ずっと、彼女だけは自分と同じだと思っていた。お互いの父親を理由に理不尽な憎しみを向けられる間柄、これを一種の絆のように感じていた。

 それはハリーだけだったらしい。同じ苦しみを分かち合える仲間を失い、虚しさが心を支配した。

 益々と言っていい程、ハリーはスネイプが嫌になった。

 




閲覧ありがとうございました。
ベッロがオスだと気づいていた方は、挙手をお願いします。
●ウィルキー=トワイクロス
 原作六巻にて、登場。ハリー曰く「影が薄い」。割と好きです、この人。


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18.特訓

閲覧ありがとうございます。
UA33500超え!? お気に入りが400名超え!? 評価者が36名!?
うう……、ありがとうございます! 11日23時40分、日間ランキング37位にランクインしました。本当に、皆さんのおかげです。

追記:16年3月12日、18年10月1日、誤字報告により修正しました。


 

 ハリーはネビルと【地中海の水生魔法植物とその特性】を読みながら、相談する。

「湖に潜るなら、『エラ昆布』がオススメだよ。ただ、真水と海水で効果が一時間持つかどうかは、意見が分かれてるよ」

「そんなに、曖昧なの?」

 その後、ネビルの解説は続いたが、結局、ハリーは『エラ昆布』を使うと決めた。

 無事に潜る方法がなったなら、他にやるべき事はひとつ。

 2月はまだ寒い。その中で、ハリーに水に慣れてもらうことだ。

 

 3日後、クローディアはドリスから水着を2人分、送って貰う。陽が昇っている昼食の時間、ハグリッドの小屋にハリーを連行し、魔法で水着に着替えさせた。

 クローディアも水着に着替え、水泳帽子を被り、ハグリッドの引率で湖に向かう。

「もう湖の氷は解けちょるから、泳ぐには最適だ。水の中が暖かいぞ」

 寒気のあまり自分の肩を抱いて震えるハリーに、ハグリッドの言葉はほとんど聞こえない。反対にクローディアは準備体操で態勢を整える。

「ほらさ、ハリー。私に倣ってちゃんと体操するさ。イッチ、二、サン、シ! こら! ハリー」

「クローディア……寒いから城に帰ろうよ……」

 寒さで悶えるハリーを叱りつけ、クローディアは彼の頭に水泳帽子を被せた。

「眼鏡が危ないさ。この水中眼鏡をかけるさ。魔法で度を入れて置いたからさ」

 抵抗する力をなくし、ハリーは眼鏡を外して水中眼鏡を取り付ける。クローディアが先に湖へ足をつけてから、身を沈ませる。ハグリッドが優しく彼の背を押した。

 水はハグリッドの言うとおり、温かさがある。水中眼鏡で初めて目にする湖の中は、深く暗い。

「もっと、バタ足を利かせるさ。恥ずかしがってちゃだめさ!」

 時間ギリギリまで水泳をさせられ、ハリーは本日の体力が限界であった。しかし、体力が有り余ったクローディアは練習が物足りないと不満を感じていた。

 『占い学』の時間、ハリーは机を枕代わりにし、寝入る。トレローニーが相も変わらず、ハリーに対する不吉な予言劇を盛大に言い放ったが、反応も出来なかった。

 クローディアは『数占い』が異常に楽しい気分で授業を終えた。

 

 バレンタインの日、ハリーは例年より多くの贈り物を貰った。フレッドとジョージが選手の誰が一番、多くのプレゼントを貰うかで賭けをしたらしく、どうやったか知らないが調べ上げていた。結果、フラーが一番だ。ロジャーが等身大もある大きさのプレゼントを手渡したのが決めてらしい。

 クローディアは変わらず、親しい友人にチョコを配る。ハーマイオニーの分だけは、誰よりも気合いを入れた。

「あの……、これ、使って下さい」

 耳まで真っ赤に染めたデレクから、汗を瞬時に吸収するタオルを貰う。デレクに何も用意していなかった為、クローディアはお礼だけ述べた。

「その言葉だけで、十分です」

 デレクは幸せそうに笑った。

 

 3日後に迫った日曜日、クローディアは部活を中止してまでハリーを湖に連れだした。朝から夕方まで、彼は散々しごかれた。ハグリッドの暖かいミルクがなければ、きっと昇天していたに違いないと語った。

「明日も昼にやるから、覚悟するさ」

 ハグリッドの小屋で私服に着替えたクローディアと一緒に大広間へ向かう。グリフィンドール席で疲労しきったハリーは倒れこんだ。

「「なんでそんなに、クタクタなんだ?」」

 向かいの席でフレッドとジョージが不思議そうにハリーの顔を覗き込んでくる。僅かに残った体力で唇を動かす。

「……ク、クローディアに殺される」

「そういえば、ここのところ毎日、なにしてんの? 特訓?」

 フレッドがハリーの口に、プチトマトを入れて体力を回復させようとした。ハリーの隣に座ったロンが答える。

「ハリーが水に慣れるように寒中水泳だってよ。クローディアまで水着に着替えてハリーを泳がせてるんだと」

 やれやれとロンは呆れる。しかし、紅茶を口にしていたジョージは突然、咳き込んだ。

「なんで、俺たちを呼んでくれないんだ! そんなおもしろそうなことに!」

「寒中水泳がおもしろいのかよ!」

 ジョージが真剣な表情で訴えてきたので、吃驚したロンがミートボールを盛り付けた皿をひっくり返した。通りがかったネビルが顔面にミートボールを受けた。

「ごめん、ネビル……」

「ううん、大丈夫だよ」

 ロンの謝罪を受け、テーブルナプキンで顔を拭きながらネビルはハリーの隣に腰かけた。

「ハリー。『エラ昆布』のことだけど、ルーピン先生に相談したんだ。僕が使ってみたいって言ってね。そしたら、用意してくれるらしいよ。明後日には間に合うからね」

「ありがとう、……ネビル」

 ネビルに感謝しながら、ハリーは課題よりもクローディアの特訓から解放されることを強く願った。

 

☈☈☈☈

 流石に疲労したクローディアは、自室の寝台に横になる。今なら5秒で眠りにつける。そこにチョウが足を忍ばせて近寄ってくる。気付いき、上体だけ起こす。

 驚かずにチョウは深刻そうに問いかけてきた。

「ねえ、クローディア。最近、ハリーと何してるの?」

「課題に向けての特訓さ」

 素直に答えたクローディアに、チョウは少し驚き上目遣いで見つめてきた。

「じゃあ、ハリーは心配ないのね。私、彼が心配なの。勿論、セドリックも心配だわ。でも……、私じゃ何の役にも立たないから」

「それなら、応援すればいいさ。チョウが頑張れっていうだけで、ハリーもディゴリーもメロメロさ」

 途端にチョウは耳まで真っ赤に染まり、両手で頬を擦った。その態度に、クローディアは不意に思いつく。

「もしかして、チョウはディゴリーと付き合ってるさ?」

「付き合う一歩手前かしら、……彼、私に試験の話はしないから……。私もクローディアのように、特訓できたらいいのに」

 チョウは段々と顔色を青くし、気を静めていく。

「さっきも言ったさ。ディゴリーは、チョウの応援だけで勇気百倍さ。私が保証するさ」

「……うん、ありがとう。私、ハリーのことも応援してるからね」

 表情を綻ばせたチョウは、クローディアの頬にキスしてから自分の部屋へと帰っていった。

 チョウのキスを頬に受けてから、不意にクローディアは疑問が浮かんだ。

 これまで友愛の意味でキスを受けてきた。しかし、誰かにキスをしたことがない。

 ドリスが家族の挨拶でキスをしても、クローディアは返さない。祖母は環境の違いを理解しているので、文句は言ってこない。

 だが、ホグワーツ(イギリス)に来てから大切な触れ合いとして、キスを行うと学び実感してきた。そういえば、コンラッドでさえベッロにキスをしていた。

 それなのに、クローディアは誰にもキスをしたいと思わない。

 好きなはずのハーマイオニーが相手でも、その衝動が起こったことは微塵もない。

(私が変さ?)

 突如、胸に不安が押し寄せる。好きな人にキスが出来ないなど、悲しすぎる。

 経験豊富……ではないが、頼れるペネロピーに相談したのはクローディアがそれだけ信頼しているからだ。

 実際、ペネロピーは真剣に話を聞いてくれた。

「ただの国民性だと思うわ。後は、あなた自身がキスで愛情を表現する性格ではないということよ。とっても純情だわ。まあ、ルーピン先生は生徒に手を出す人じゃないから、間違ってもお付き合いして下さいなんて言っちゃ駄目よ」

 一切、ルーピンの名を出していないのに、ペネロピーは警告した。一体、誰から誰まで気付かれているのか想像もしたくない。

「とっくに振られたさ」

 事後報告を受け、ペネロピーは目を丸くする。そして、いきなりクローディアの肩を掴んだ

「素敵! やるじゃない! 奥手だと思ってたのに!」

 まるで、どこぞのアニメのように「クララが立った!」と騒ぐ山小屋少女のようだ。

「告白が出来るなら、キスの心配はないわ。案外、キスをしたいって衝動と似ているのよ。その場の雰囲気と勢いだわ」

 クリスマス・パーティでの出来事を思い返し、納得した。

(心配ない……か)

 ペネロピーのお陰で、気持ちが軽くなる。クローディアは深く感謝し、溜まっていた不安をなくすように息を吐いた。

 

 翌日の昼、早々に昼食を済ませたクローディアは、ハリーを連れて湖に向かう。微笑ましい表情でハグリッドが見守る中、今日のハリーはやたらと機嫌がよい。全く、弱音を吐かない。

「ハリー、なんかいいことあったさ?」

「今日、シリウスから手紙が来て、次のホグズミードで会おうだって」

「ほお、良かったじゃねえかハリー。いっぱい話してこいな」

 ハグリッドの声に、ハリーは嬉しそうに微笑んだ。

 こうして水に慣れる訓練を行い、ネビルに『エラ昆布』の調達を頼み、シリウスに正式に面会できる。課題の日への緊張はあるが、ハリーは順調である。

「ふうん、ブラックが……面会さ」

 一方のクローディアは、シリウスの名を聞き、一気に不愉快な気分に陥った。ハリー曰く、今日の寒中水泳はこれまでで一番、キツかった。

 『占い学』の時間、ハリーは白目を剥いて机に倒れこんだ。トレローニーは珍しく何も言わず、自分のスパンコールを彼に被せて寝かせた。

 

 前夜、図書室でハリーがすべきことは水中生物への対処法だ。

 既にルーピンの授業でハリーも学習したが、復習に意味があるとハーマイオニーが提案したのだ。クローディアはネビルから【地中海の水生魔法植物とその特性】を借り、読み耽る。

「ご相談中、申し訳ないが」

 突然の低い声、ハリーが驚いて振り返る。ムーディの義足が一切音を立てず、彼の背後まで来ていたのだ。

 他の3人もムーディに驚いて、動きをとめる。

「グレンジャー、ウィーズリー、マクゴナガル先生がお呼びだ。ポッターは明日に備えて寝ろ。クロックフォード、明日はポッターに任せて余計なことはせぬようにな」

「わかりました」

 最後の言葉は余計ではないかとクローディアは少しだけ苛立つ。

 ハーマイオニーとロンはムーディに連れられ図書館を後にした。残った2人は本を整頓してから廊下へ出た。

「2人が呼び出されるなんて、珍しいね」

「思い当たる節はないさ。まあ、ハーマイオニーも一緒なら、心配ないさ」

 寮への分かれ道で、ペネロピーと歩くチョウの姿を目にする。

 急にハリーがクローディアの影に隠れた。ペネロピーが気づき、彼に不可解な視線を送る。

「消灯時間が近いのに、何処行くさ?」

「私がフリットウィック先生に呼ばれたの」

 チョウが自らを指差し、そしてハリーへ優しい視線を送る。

「ハリー、明日、頑張ってね」

「……う、うん」

 何故かハリーは頬だけ赤くし、チョウへと会釈した。

 ペネロピーとチョウの背を見送った後、ベッロとクルックシャンクスがお互いの寮から飛び出したように現れた。

「あ、迎えに来てくれたさ。ありがとうさ」

 クローディアはベッロとクルックシャンクスの頭を撫でる。

「クルックシャンクス、ハリーが9時までに起きなかったら、その爪で起こしてさ」

「そんなことされなくても、僕は起きれるから」

 クルックシャンクスはクローディアの言葉を理解したと爪を構えた。親しみのある意地悪な笑みで、彼女はベッロを抱えてハリーへ手を振る。

「おやすみ、ハリー」

「うん、クローディア。おやすみ」

 明日に緊張したハリーはクルックシャンクスを追うように階段を上っていった。

 

 第2の課題が始まる。

 皆はさっさと朝食を済ませ、湖に集合する。湖の岸辺には昨晩にはなかったはずの観客席が築かれていた。その傍で、フレッドとジョージが皆に賭博を薦めていた。

「いくらなんでも、酷いわ」

 ジニーが侮蔑した視線で兄の双子を軽蔑する。それに怯むことなく、フレッドとジョージは和気藹々と皆に賭け金を要求していた。

 クローディアはハリーの前を歩き、その隣をネビルが歩いて湖を目指す。

「はい、『エラ昆布』」

 ネビルが手渡したのは奇妙な緑の団子だ。緊張したハリーはそれを握り締めて深呼吸する。

「ありがとう、ネビル。課題が終わったら、ルーピン先生にもお礼を言うよ」

「言わない方がいいかもしれないよ。なんか、スネイプ先生の研究室から持ってきたらしいから」

 楽しそうに笑うネビルと違い、クローディアとハリーは非常に気まずい空気が流れた。

 よりにもよって、スネイプの研究室から、拝借したとなれば、尋問されるのはハリーだ。否、寒中水泳の特訓を手伝ったクローディアも同じだ。遂に『真実薬』を使われるかもしれない。

「さあ、会場に行こうさ」

 都合の良いところだけ聞かなかったことにした。

 審査員席の傍で、ビクトールが準備万端で立っていた。後からセドリックが到着し、フラーも現れた。そして、フィルチが第一に課題で使用した大砲を磨いている。緊張で震えるハリーにクローディアは水着と水中眼鏡を渡し、ネビルと一緒に彼を見送った。

 ハリーはゆっくりと審査員席に足を踏み出していった。

「しかし、ハーマイオニーは何処に行ったさ? ロンもいないしさ」

「朝から寮にはいなかったよ。きっと、この課題の手伝いじゃないかな?」

 可能性は十分にある。

 クローディアとネビルは出来るだけ審査員席に近い場所を選んだ。ジニーもルーナと彼女の傍に座り、時間が来るのを待つ。生徒全員が会場に到着してから、フレッドとジョージも着席した。

 

 11時の鐘が鳴り、興奮が高まった観衆のざわめきがより大きくなる。

 選手4人が湖の前に並び、審査員席のバグマンが立ち上がる。

「いよいよ第2の課題が始まります。皆さんの大切な者が盗まれました。制限時間の1時間で取り戻してください。では、大砲の合図で……」

 

 ――ドオオオン!!

 

 バグマンが言い終える前に、フィルチが手にした松明が大砲を放ってしまった。

 慌ててハリーは、口の中にエラ昆布を放り込む。4人の選手は我先にと湖へと飛び込んだ。水しぶきが大袈裟に起こり、観衆の歓声が4人を見送った。

「そろそろ、ハーマイオニーも帰ってくるんじゃないさ? 始まったし」

 クローディアが周囲を見渡すと、ルーナが湖を指差した。

「沈んでるから、まだ帰ってこれないよ」

 クローディアの周囲だけ、無音になる。

「沈んでる? ハーマイオニーがさ?」

「……もしかして、ロンも?」

 おそるおそるネビルがルーナに問うと彼女は肯定した。兄が湖に沈んでいると知り、お祭り気分だったジニーは一気に青褪めた。

「うん、沈んでるよ。それを助けにいくんだもン」

 驚愕の課題内容に誰もが絶句する。流石のフレッドとジョージも妹のように青褪め、賭け金箱を落とした。

「どうして、課題の内容を知っているの?」

「バグマンさんがそう言ったもン。大切な『者』が盗まれたって」

 感心するネビルにルーナはあっけらかんと答える。知っていたのではなく、湖とバグマンの言葉だけで課題内容を理解したのだ。

「……あんたの推理力に脱帽するさ」

 湖に一時間潜る手立てに気を取られ、何を探すかはまでは考えもしなかった。

 

 それから20分足らずで、フラーが戻ってきた。水魔に邪魔をされ、自身にかけていた魔法が解けてしまったのだ。マダム・マクシームがフラーを抱き起こし、マダム・ポンフリーがタオルを被せて容態を診た。

 水面が乱れると、現れたのはセドリックとチョウだ。

 歓声と拍手が起こる中、クローディアは青ざめる。昨晩、チョウはこの為に呼ばれた。

 やはり、ハーマイオニーとロンもあの湖の中にいる。クローディアはすぐに観客席を飛び降り、チョウの下へと走った。

「大丈夫さ? 水の中はどうなってたさ?」

 タオルで身体を包んだチョウは、震えながら答える。

「わからないわ。私、眠っていたの」

 クローディアの肩をセドリックが指先で叩く。

「ハリーが来ていたから、すぐに助かるよ」

 そして、水しぶきが起こったと思うと鮫が現れた。しかも、ハーマイオニーを連れている。鮫は水面に顔を出すと、その顔をビクトールへと変化させた。

「ハーマイオニー!」

 歓喜と驚きでクローディアはハーマイオニーに手を伸ばして岸へと上がらせた。マダム・ポンフリーから、タオルを貰う彼女を抱きしめた。

 濡れたハーマイオニーは寒さで震えている。

「もう! どうしてこんな危ないことになってるさ!」

 タオルでハーマイオニーの身体を拭き、クローディアは杖を振るって彼女の衣服を乾かした。

 すぐにハリーも来るはずだったが、遅い。時計が間もなく、1時間を報せようとしている。人質を取り戻せなかったフラーは、仲間達と不安そうに湖を眺めていた。

 何かが上がってくるのを視認したとき、ロンが少女と共に現れた。その少女を見たフラーが半狂乱で湖に飛び込もうとしている。その態度で彼女の妹・ガブリエルだとわかった。

 ロンとガブリエルが岸に辿り着いたとき、ハリーも水面から飛び出してきた。

 選手全員の帰還に、拍手喝采が送られた。

 シェーマスが大量のタオルでハリーを拭きまわした。ジニーは涙目でロンを抱きしめ、フレッドとジョージも彼にしがみ付いた。

 クローディアがハリーに毛布を被せようとしたとき、フラーが割って入った。

「ありがとう! あなたのいとじちではなかったのに! 妹、助かりました! あなたも、妹を助けてくれました!」

 震えた声でフラーは、ハリーの手を強く握り何度も振り回した。そして、フラーはロンを振り返り、その頬にキスをした。ロンは、魅惑の術がかけられたように、蕩けた顔になった。

 ダンブルドアは湖の水面に現れた水中人(マーピープル)と会話していた。マーミッシュ語は傍から聞けば悲鳴だが、ダンブルドアは苦もなく、話している。まるで、ハリーとベッロの会話だ。

「点数について、協議の必要がある」

 ダンブルドアは審査員を集めて話しあいだした。

 その間、マダム・ポンフリーが選手と人質の容態を診る。全員の容態を看終わった頃、審査員席で動きがあった。バグマンが観客に静粛を求める。

「協議の結果、1位はセドリック=ディゴリー! ハリー=ポッターは全ての人質を救おうと時間を取ったので、第2位とする! 実に道徳的な行いである!! 素晴らしい!!」

 ハリーへの祝福の拍手が会場を湧かした。セドリックとフラーも彼に拍手したが、クラムは不機嫌な様子を見せた。それでも、カルカロフよりはマシだ。

 カルカロフは、ハリーが戻って来たこと事態が気に入らない様子だ。

「溺れちゃえばおもしろかったのに」

 ダフネが残念そうに呟き、つまらなそうなドラコ達と引き上げていった。

「良かったさ。ハリー、行いが報われたさ!」

「ハリー! やったわね!」

「ミスター道徳!」

 クローディア、ハーマイオニー、ロンに声をかけられるが、ハリーは嬉しさよりも驚きが勝り、困惑していた。

「アリー=ポッター」

 突如、マダム・マクシームがハリーへと顔を近づけた。麗しい巨体は、ハリーの為にわざわざ腰を屈めた。そして、彼の手を優しく握る。

「あなた、小さい男の子ですが、その心、とっても大きいです。私、とっても見直しました」

「ありがとう……、マダム・マクシーム」

 驚きながらもハリーがマダム・マクシームを見上げ、どうにか手を握り返す。

 すると、マダム・マクシームはハリーの額にキスを落とした。ハグリッドが吃驚して、飛び上がった。

「第3の課題は6月24日に行われます! 代表選手は一ヶ月前に課題の内容を伝えられますので、それまでよく休んでください! 紳士淑女の皆さん、応援ありがとう!」

 一層、盛大な歓声と共に、第2の課題は終わった。

 

 選手と人質をマダム・ポンフリーが医務室に連れて行ってしまう。カルカロフやマダム・マクシームはわかるが、何故かハグリッドも一緒だ。他はゾロゾロと城や船、家馬車へ帰る。

「やっぱり、ハリー=ポッターは最高よね!」

 我がことのようにはしゃいだサリーにセシルが相槌を打つ。

「僕、絶対ハリーからサイン貰おう! デニスに聞いたけど、ハリーは誰にもサインを上げたことないんだって!」

 浮き浮きしたナイジェルに、デレクは上機嫌に応援していた。

「大切なモノって、大切な人ってことにえ? うそ! セドリックは、チョウ=チャンが好きにえ!?」

「ダンスパーティーにも誘ったんだから、間違いないわ。すご~い!」

 エロイーズとハンナが黄色い声を上げた。

「でも、ハリーの大切な人が……ロンって、まあ彼らしいわ」

「仲良いものねえ。ロンなんて、私の趣味じゃないけど……。そういえば、トレローニー先生が初めての授業で、赤毛の男子に気をつけろって」

 パーバティとラベンダーがくすくすと笑い合う。朴念仁のハリーに呆れたような、深い友情に感心したような言い方だ。

「これで、後は……」

「最後の課題か」

 フレッドとジョージは賭博の儲けについて、真剣に話し合っていた。ある意味、ハリーよりも切羽詰まった様子が恐い。

(お金を貯めて、どうするつもり……あ。そういえば、将来、店を出すとか……)

 ジョージの話してくれた『W・W・W』。双子の夢、否、掲げている目標だ。在学中に、客層や顧客だけでなく、資金も調達していると言われれば納得できる。

 クローディアが双子に声をかけようとした時、隣を歩いていたネビルが急に遠巻きになっていく。彼だけでなく、ジニーやルーナまでもだ。慣れた光景を目に、振り返る。

 口元を痙攣させたスネイプがクローディアを見下ろしていた。黒真珠の瞳が憤怒に染まっている。

(ああ、やっぱりさ)

 ここまで来ると、緊張も何もない。無我の境地に行きついた気分で、クローディアはスネイプの言葉を待つ。

「ミス・クロックフォード、『エラ昆布』の出所につい、て!」

 スネイプが突然、言葉を切る。ルーピンが彼の肩に腕を回したのだ。マクゴガナルとスプラウトも腕や肩に掴まり、フリットウィックは足を掴んだ。

「セブルス! 辛気臭い顔をしてないで、もっと喜んだらどうだい? セドリックとハリーが高得点だよ!」

 ルーピンはわざとらしく、スネイプに顔を寄せる。

「ああ、こんなことがあるんですねえ。ホグワーツが他校を出し抜くなんて」

 上機嫌なマクゴガナルが厳格さを残して、微笑んでいた。

「私は最初から、セドリックとハリーならいけると思っていましたとも。しかし、ハリーの『エラ昆布』は良い発想です。ねえ、スネイプ先生もそう思われるでしょう?」

 ほっこりとした笑顔でスプラウトが声を弾ませる。 

「さあ、職員室で我々も会議ですぞ」

 金切り声を上げ、フリットウィックは叫んだ。4人の教師に引きずられ、スネイプは連行されていく。

 スネイプはクローディアに恨みがましい視線を向けたが、それはいくらなんでもお門違いだ。

 先生達がいなくなると、ネビルはシェーマス達を連れて戻ってくる。ジニーもコリンやシーサー、ルーナとクローディアの傍に寄る。

「スネイプが振り回される姿なんて、始めてみたかも」

 シェーマスの呟きに、ディーンは頷く。

「あれも撮っておいて」

 ルーナがカメラを持ったコリンに頼んだ。おそるおそる彼は、5人の教師の後ろ姿を撮影した。

 




閲覧ありがとうございました。

ハリーは、もうちょっと体鍛えたらいいのになあ。
黙ってスネイプの研究室から、拝借するルーピン…、おそろしや。

皆さんは、ご存じとは思いますが、フラーの「いとじち」とマダム・マクシームの「アリー」は誤字ではありません。念のために、書いておきます。


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19.ホグズミード

閲覧ありがとうございます。
UA3万5千超え!お気に入りが432名! 評価者が42名! 本当に、ありがとうございます。毎日、毎日、皆さんに感謝です!

追記:17年3月8日、19年5月3日、誤字報告により修正しました。


 課題以降、チョウはレイブンクローで有名人になった。

 人質にされたことは、勿論だが、セドリックの大切な人として注目されたのだ。冷やかしを受けたチョウは、ただ真っ赤になって逃げ出すしかない。

 ロジャーは不機嫌極まった。

 フラーとクリスマスで踊り明かした仲だというのに、人質に選ばれなかったからだ。彼女の愛が足りないと煩わしい程、ボヤいた。

「親父が学徒の頃、一時期『暴れ柳』を使った肝試しが流行ってたらしい。親父も仲間と挑戦したら、片目を奪われかける程の大けがを負った! お袋は親父を死ぬ程、心配したんだ。それがきっかけで、結婚するなら、親父しかいないって思ったらしい。そんな感じで……僕とフラーも……」

「はいはい、良いお話ですこと」

 クローディアがどんなにあしらっても、ロジャーはしつこく愚痴る。

「君だって、ハリーの人質に選ばれなかったんだ。僕の気持ちがわかるだろ?」

「わかんないさ。フラー=デラクールにとって、妹が大事だってことさ。あんたも、シーサーが人質にされたら助けに行くさ?」

 目の前を通りかかったシーサーがロジャーとお互いの顔を見合わせる。

「俺なら、こんな弟、どさくさに紛れて息の根とめるな」

「奇遇ですね。僕もこんな兄に助けられるくらいなら、自力で逃げます」

「仲良いさ、あんたら」

 兄弟の漫才を見学し、クローディアは棒読みで返した。

 そして、ハーマイオニーは最悪に気が立っていた。

 原因はビクトールだ。彼はワールド・カップの選手、チョウよりも強くからかわれたのだ。ハーマイオニーの前で、ビクトールや第二の課題を口にしたら、その生徒は原因不明の寒気に襲われた。

 3月に入った途端、冬が終わり季節の変わり目を示すように空気が乾燥した。

 男女問わず肌荒れに襲われ、医務室は多忙であった。

 

 明日にホグズミードを控えた金曜日。『古代ルーン文字学』の教室に向かおうとしたクローディアをハーマイオニーが引き止めた。

「明日、シリウスと会うんだけど、貴女はどうする?」

 寒中水泳の折に、ハリーから聞いていた。それでも、クローディアは露骨に嫌な顔をする。

「ハリーの邪魔になるから、私は遠慮するさ」

「やっぱりね。ダメよ、貴女もハリーの友達なんだから、一緒に来てシリウスに挨拶してよ」

 絶対に譲れないとハーマイオニーが迫ってくるので、クローディアはしばらく呻き声をあげてから、渋々と小さく頷いた。

 

 シリウスに会う。

 これがクローディアの機嫌をすこぶる悪くした。『古代ルーン文字学』の授業中、ずっと顔を顰めて授業課題を訳した。リサとマンディを随分と心配させた。バブリングから、体調不良なら医務室に行くよう勧められたが、断った。

(私は気持ちが顔に出るさ。平常心、平常心さ)

 表情は取り繕えても、クローディアの雰囲気が恐ろしくピリピリしていた。

 『薬草学』の時間、ドラコでさえそれを悟ったのか、ちょっかいを出してこなかった。滅多に送れない平穏な授業だ。

 昼食前、クローディアは寮へ教科書を置きに来た。談話室に入った瞬間、奇妙な視線を感じ取る。その場にいる皆から哀れむような視線がこちらに向けられていた。

「どうしたさ?」

 声をかけても、誰も何も返さない。

「大変よ、クローディア! コレ読んで!」

 女子寮から降りてきたサリーが【週刊魔女】という雑誌を片手に、クローディアに駆け寄ってきた。

「サリー、これがどうしたさ?」

「リータ=スキーターがまたデタラメな記事を書いたの。ここよ」

 慌てふためいたサリーが急いでページを捲り、問題の記事を見せ付けた。

 ハリーの写真がある。写真の中で、隠れられる場所を探していた。写真の下には【ハリー=ポッターの密やかな胸の痛み】と題されていた。

【どんなに有名であろうと、彼は少年である。両親の愛を知らぬまま育った14歳の少年は同級生のマグル出身・ハーマイオニー=グレンジャーという恋人によって安らぎを得ていた。しかし、ミス・グレンジャーは平凡な女子でありながら、野心家であった。

 ビクトール=クラムの登場により、ミス・グレンジャーは狙いをクラムに定めた。その企みは、成功し去年のホグワーツ城でのクリスマスパーティーでダンスパートナーに選ばれた。そして、クラムに夏の休暇のお誘いを受けたのだ。

「こんな気持ちを他の女子に感じたことはない」とクラムは愛の告白さえ告げた。

 振られてしまったハリーを慰めたのは同級生のクローディア=クロックフォードであった。お世辞にも魅力的とは言えぬ女子が傷心したハリーにはミス・クロックフォードが世界一麗しく思えたのも仕方ない。しかし、ミス・クロックフォードには致命的な欠点がある。彼女の父親は裁かれなかった『死喰い人』なのだ。ハリーから両親を奪った『例のあの人』を崇拝した者の娘であることをハリーは知らぬ。彼女の父親は『例のあの人』が倒れたと同時に行方不明になり、『死喰い人』狩りを逃れた卑怯者だ。

 ああ、真実を知ったときのハリーの痛みを思えば、我々は身が裂かれ……】

 文章は続いていた。しかし、クローディアは内容に耐え切れず、雑誌ごと引き裂いた。吃驚したサリーが宥めようとする前に、その手に握りしめた【週刊魔女】が真っ赤な炎を上げて炭屑と化した。

 その光景に、誰かが緊張で唾を飲み込んだ。

「私、ちょっとリータ=スキーター探しに旅に出てくる」

「ちょ……、何言ってるの! クローディア!」

 引き止めるサリーを無視し、クローディアが談話室を出ようとする。ザヴィアーがクララと協力し、魔法で足止めする。

 その間に、サリーがペネロピーを呼びに行った。

 監督生全員で仕掛けた魔法の縄で、クローディアは大人しくなり、部屋に連行された。

 ペネロピーはサリーから事の顛末を聞き、威厳のある態度でクローディアを叱る。

「いいこと? スキーターは嘘だらけの記者。相手にしてはいけないわ。相手にしたら、記事が真実だと周囲に認識させるだけ!」

「アイツは、ハーマイオニーを侮辱した記事を書いた」

 腹の底から絞り出た低音に、ペネロピーの背筋に寒気が走る。

「絶対に許せん。二度と記事が書けない様にしてやる」

 一通り恨み言を呟いたクローディアは、縄を腕力だけで引きちぎった。無表情な赤茶色の瞳が怒り心頭に輝いている。ペネロピーとサリーに目もくれず、彼女は昼食の為に大広間へ向かった。

 無残な姿と化した魔法の縄を目に、ペネロピーは絶対にクローディアの敵になるまいと誓った。

 

☈☈☈☈

 『魔法薬学』、地下の廊下に下りたハーマイオニーは薄ら笑いを浮かべたパンジーに【週刊魔女】を投げつけられた。理由がわからず、彼女を問いただす前に、スネイプが教室から扉を開いて入室を促した。

 教室の一番後ろに座り、ハーマイオニーはハリーとロンの間を陣取る。机の下で【週刊魔女】の折られたページを開いた。

【ああ、真実を知ったときのハリーの痛みを思えば、我々は身が裂かれてしまう。校長たるアルバス=ダンブルドアは残酷な愛憎劇に、救いの手を差し伸べる義務がある。我々としては、ハリーにはもっと相応しい相手に心を捧げることを願うばかりである】

 「あちゃ~」とロンは、自分の顔を手で覆う。

「クローディアがリータ=スキーターを馬鹿にするから、仕返ししたんだ……」

「(仕返しですって? これが!? クローディアのお父様が『死喰い人』なんて、デタラメもいいとこだわ。全くくだらない)」

 奥歯を鳴らし、必死に声を抑えたハーマイオニーは【週刊魔女】を握り締めた。パンジー達スリザリン生が彼女の様子を窺っている。平静を装い、わざとらしく満面の笑顔で手を振り返した。

「クローディアは……記事を読んだのかな?」

 この記事をドリスが目にすれば、悲しむかもしれない。それを思うハリーはスキーターを本気で嫌いになった。胸中に渦巻く怒りで、授業に集中出来ない。

 『頭冴え薬』を調合する為、乳鉢にタオシガネを入れて乳棒で押しつぶす。その作業中、ようやく頭が冴えてきたハーマイオニーは記事のことを脳内で読み返す。そして、浮かんだ疑問を口にした。

「どうして知ったのかしら……、ビクトールが私に言ったこと」

「え? そこは、本当に言われたことなのか?」

 過敏に反応するロンから顔を背け、ハーマイオニーは続ける。

「湖から引き上げてくれたすぐ後だったわ。誰にも聞かれないように、私に囁いてきたのよ。夏の休暇に入ったら、ビクトールの実家に来ないかって……」

「なんて答えたんだ?」

 ロンの問いを無視し、ハーマイオニーは脳内で検証する。

「私が知る限り、リータ=スキーターの姿はなかったわ。なら、『透明マント』かしら? それとも……まさか非公式の『動物もどき』?」

「それで、なんて答えたんだ?」

 語調を強めたロンは乳棒で机を叩く。そのせいで机が揺れ、そこだけがへこんだ。彼の態度にハーマイオニーは口ごもりながら答えようとした。

「我輩の授業で、随分個人的な話で盛り上がっているようですな?」

 闇色の声が耳につき、ハーマイオニーは教室を見渡す。誰もが自分達、3人に注目していた。

「その上、授業に関係のない雑誌を持ち込み読み漁るとは……合わせて20点減点」

 椅子に適当に置いてあった【週刊魔女】を手にし、スネイプは問題の記事を目する。小気味よい笑みを浮かべ、朗読し出した。

 だが、記事を読むにつれてその笑みが消え、目が見開かれていく。最後まで黙読したスネイプは雑誌を丸める。

 怒りを込めた視線で、教室の生徒を見渡した。

 全員、心臓が凍る恐怖を味わう。

「今後、この記事を話題にしたものは減点ではすまさん! そして、リータ=スキーターのインタビューを受けることも固く禁ずる! 我が寮のスリザリン生でも同じだ! わかったか!!」

 教室の壁に反響したスネイプの怒声が、生徒の耳を何重も打った。

 

☈☈☈☈

 夕食後、ハーマイオニーに連れられたクローディアは図書館へ赴いた。

 クローディアを目にした途端、ハリーはぞっと寒気に襲われる。既に【週刊魔女】の記事は、彼女に読まれていると踏んだ。それだけ、恐ろしい雰囲気を感じ取った。

 しかし、ハリーの話は別だ。先程の授業中、挙動不審なカルカロフが現れ、スネイプを待ちわびていた。

 授業後、机の影に隠れたハリーがスネイプとカルカロフの会話を盗み聞きした。

「クリスマスのときにも、スネイプ、先生はあの茂みでカルカロフと話していたんだ。カルカロフの奴、スネイプ、先生を「セブルス」って呼んでた。左腕の裾を捲って、何かを見せてたよ」

 ハリーの話を一通り聞いたクローディアは椅子に深く腰掛ける。遠い天井を見上げてから、頷く。

「元『死喰い人』がスネイプ先生に相談さ。その意味が何になるか、うちのお父さんに聞いてみるさ」

 予想外の発言に、驚いたロンが椅子から落ちそうになった。

「クローディア? 君の親父さんが『死喰い人』……いや、リータ=スキーターの記事なんて僕は信じてないぞ」

 口走るロンに対し、クローディアは頭を振るう。

「あの記事を信じてないし、どうでもいいさ。それに調べが足りない穴だらけの記事だったさ。お父さんの名前も載らなかったしさ。その辺は本当にどうでもいいさ。……ついでに、その分も足しておくさ」

 物騒な口調にハーマイオニーはわざとらしく咳き込む。

「そうそう、記事を読んだスネイプ先生がすごく怒っていたわ」

「あれは、吃驚したよな。スリザリン生でも容赦しないって!」

 ロンは肘でハリーを突き、話題の提供を求めた。その前に、クローディアは窓の外を見やる。

「お父さんが記事にされたからじゃないさ? スネイプ先生にとっても、お父さんは今でも友達さ。友達が悪く書かれて怒らないはずないさ。本当に……」

 段々、語尾が重くなっていくクローディアに、ハリーは慌てて取り繕うとした。

「ええ……と、僕は、クローディアと話題にされても嫌じゃないよ。だって、僕らはただの友達だし」

「そうなの?」

 4人以外の声が足元から、聞こえた。

「ミム……、何してるさ?」

 ぶっきらぼうにクローディアが呟くと、机の下からミムがひょっこりと顔を出す。ハリーは吃驚し、ハーマイオニーとロンはお互いの口を塞いで悲鳴を殺した。

「ごめんなさい。ほら、週刊誌の真相を聞けないかと思って、あら、ハリー=ポッター、ロナルド=ウィーズリー、御機嫌よう。私はミム=フォーセットよ。マトモに話すのは初めてね」

「『年齢線』を誤魔化そうとしたレイブンクロー生?」

 何気なくハリーが聞くと、ミムは表情を強張らせた。羞恥心のせいか、顔が赤く染め上がる。真っ赤にしたまま、彼女は図書館を走り去った。

 苦笑したクローディアが息を吐く。

「ハリー、もうちょっと言葉選ぶさ」

「僕が悪いの?」

「誰だって、お婆さんにされたの? なんて聞かれたくないわ」

「フレッドとジョージは喜ぶけどな」

 双子と一緒にされても、ミムも困るだろう。

 談話室に戻ると、『クローディアとハリーは、付き合っていません』という羊皮紙がばら撒かれていた。筆跡から見て、ミムの仕業だ。こんな羊皮紙では、逆に恋人関係を怪しまれる。ささやかな復讐というわけだ。

 案の定、パドマが問いつめてきた。

「実際、クローディアはハリーとどうなのよ?」

「何もにないさ。ただの御友達さ」

 クローディアはベッロを虫籠に入れてから、寝巻きに着替え出す。ベッロが雄だと知り、見られるのが恥ずかしいからだ。

「まあ、あのハリーじゃねえ。恋愛より友情って感じだし、……ふふ」

 シヴァを抱き上げ、パドマは苦笑する。

「でしたら、貴女がリータ=スキーターに怒る理由はなんですの?」

 キュリーにブラシをかけるリサに問われ、クローディアは不機嫌に眉を寄せる。

「ハーマイオニーのことを平凡で野心家だと書いたさ。彼女は天才で努力家、それに可愛い。向上心や好奇心はあっても、野心なんてこれぽっちもない!」

 乱暴に髪を靡かせ、クローディアは断言する。淀みもなく、照れも恥じらいもない。あるのは、怒りただ一点だ。その気迫を受け、パドマとリサは呆気に取られた。

 そして、如何にもクローディアらしいと納得した。

 

 

 冬の終わりを伝える快晴でも、多少の肌寒さはある。しかし、着込むには暑い。ホグズミードへの道のりが軽いのはハリーだけだ。

「私、【日刊預言者新聞】と【週刊魔女】を定期購読することにしたわ。またパンキーソンから記事を投げつけられたくないもの」

「それは良い方法さ」

 クローディアはわざとゆっくり歩こうとしたが、ハーマイオニーに急かされた。

 変わらず生徒で埋め尽くされた道をハリーは必死で周囲を見渡す。

「昼ごろに『三本箒』で待つって、まだ早いよね?」

「時計を見る限りは1時間前さ。少し時間ある……あれ?」

 腕時計を見たクローディアは通行人の中に見慣れた魔女を発見する。人を探すように生徒を見渡しているのはドリスだ。

 ドリスもクローディアに気付いて、突進してきた。

「クローディア! ああ、ハリー! ハーマイオニー、ロン。こんにちは、御元気?」

 満面の笑顔でドリスは、4人に挨拶する。

「ドリスさん、どうしてここに?」

「ええ、今日がホグズミードだと知っていましたから、我慢できずに来ました」

 何処かそわそわして、ドリスはクローディアとハリーを見比べる。隠しているつもりかもしれないが、興味津々の態度が丸わかりだ。

「ドリスさんも【週刊魔女】を読んだんですね」

 ハーマイオニーの指摘に、ビクッとドリスの肩が跳ねる。

「……料理のページを読む為ですよ……。それで、……どうなの?」

 緊張気味にドリスは4人に問うた。

「「ただの友達」」

 クローディアとハリーが同時に答えると、ドリスは安堵の息を吐く。

「ああ、良かった……。いえ、ハリーがクローディアに合わないとかじゃありません。モリーがカンカンになって、怒鳴りこんできたんです。もう、恐ろしいのなんの……、ごめんなさい。ロン」

「いいえ、僕こそ、ママがすみません」

 羞恥心でロンは耳まで赤く染まる。わざとらしく、ドリスは咳払いした。

「とにかく、これで私もハッキリと対応が出来ます」

「あの、ドリスさん。その、クローディアのお父さんは」

 遠慮がちにハーマイオニーがドリスに聞こうとする。ハリーとロンは一気に緊張した。

 クローディアは興味がない。眠気に勝てず、欠伸が出た。

「あれですか? とんだデタラメですとも、リータ=スキーターも落ちたモノです。怒る気にもなれません」

 のほほんと言い放つドリスに、ハリーは安心した。ハーマイオニーとロンも嬉しそうだ。

「さて、折角の外出を邪魔してごめんなさい。楽しんできて、頂戴」

「お祖母ちゃん、もう帰るさ? 一緒にブラックに会わないさ?」

 ドリスは目を見開き、笑顔のまま硬直する。否、足の先から頭の天辺まで氷漬けになったのだ。そして、痙攣による振動から、氷が解けた。

 他者からの魔法かと思ったが、ドリスは動揺のあまり氷漬けになったようだ。大げさすぎるし、かなり吃驚した。

「クローディア、お祖母ちゃんは行きますからね。ハリー、またね。ロン、モリーによろしく。ハーマイオニー、クローディアと仲良くね」

 3人がドリスと握手し、クローディアが片手を上げて挨拶をする。

「またさ、お祖母ちゃん」

 4人を見渡してから、ドリスは『姿眩まし』した。見送りが終わり、クローディアはハリーを振り返る。

「まだ時間あるけど、ネビルに『エラ昆布』のお礼を買うっていうのは、どうさ?」

「あ……」

 今更、ハリーは気づいたらしい。恩知らずと、ハーマイオニーが彼の後頭部を平手打ちした。

「ネビルは『薬草学』の影響で植物が好きだから、その手の本とか、植木でもいいわね」

「服でもいいんじゃないか?」

 ロンが『グラドラグス・魔法ファッション店』を指差したとき、クローディアは『ダービッシュ・アンド・バンクス店』からセシルが出てくるのを目にした。

 セシルは、人型が豆だらけに膨れた奇怪な形をした植木鉢を大事そうに抱えていた。

「セシル。その面白い植物は、何さ?」

「マンドレイクと『花咲き豆』の種子を配合したもの。スプラウト先生の指示で引き取りに来たの。ご褒美として、枝を分けてもらえる」

 セシルは上機嫌に配合植物を見せ付ける。クローディアは『ダービッシュ・アンド・バンクス店』でネビルの好みそうな苗を選んでもらった。

 ネビルとセシルは親しくないが、スプラウトの趣味がわかる。そこを基準にしてくれた。結果、唇のような蕾を持つ苗を渡された。

 苗を見たハリーは曖昧な表情で、セシルに礼を述べた。

 『ハニーデュークス菓子店』でネビルを見つけたハリーは、苗を渡した。

「わお! これ何? 帰ったら、早速、調べてみるよ!」

 ネビルは幸せそうな顔で苗を受け取り、ハリーに何度も礼を述べた。

「ルーピン先生には、お礼どうしよう?」

「お菓子でいいさ。あんまり、高いヤツとか選ぶとスネイプ先生が勘繰るさ」

 ハリーは早速、新作のお菓子を買う。そのまま急ぎ足で『三本箒』に向かう。

「ハリー、待って!」

 ハーマイオニーとロンが走り、クローディアは悠長に歩いた。

 我先にとハリーは酒場に入り、ハーマイオニーとロンも飛びつくようにそれに続く。クローディアは、失礼ながら憂鬱の一歩手前な気分だ。

(友達として……挨拶さ)

 渋々、酒場の戸に手をかける。視界の隅に、ルーピンを発見した。路地裏へ続く細い通路で、彼はしゃがみ込んでいた。自然に足をそちらへ向け、様子を覗き込む。

「ルーピン先生、どうしたのですか?」

「ああ、クローディア。いや、この……犬と話があったんだ」

 しゃがんだルーピンの向こうを覗くと、毛先がボサボサの黒い犬がお座りしている。垂れ目だが、円らな瞳でクローディアを見上げ、愛想良く舌を出して尻尾を機嫌よく振るう。

「この犬、前もいませんでした?」

 去年の記憶を回想していると、黒犬はクローディアの足元まで近寄り、座り込んだ。

「吼えないんですね。賢いさ」

 行儀の良い黒犬の頭を撫でようと、クローディアは身を屈めて手を伸ばそうとした。だが、指先が犬の毛先に触れた瞬間、全神経を異様な不快感が走り抜けた。思わず、撫でるはずの手で黒犬を平手打ちした。

「ギャン!」

 突然、叩かれた黒犬は驚いて甲高い悲鳴を上げた。慌てて、ルーピンの背後へ逃げ込む。 

「何をしているんだい!?」

 流石のルーピンも驚いた。クローディアは黒犬を睨まない程度に凝視し、笑顔を取り繕う。

「いえ、犬は好きですよ。ええ、でも、この犬を見ていたら……急にイラッとしまして」

 拳を握り締め、段々と腸が煮えくり返ってきた。

 半笑いでルーピンは黒犬の頭を優しく撫でる。何故だろうか、慰められる黒犬がムカつく。

「クローディア、それでもいきなり殴るのはよくないよ」

「はい、ルーピン先生」

 眉間にシワを寄せたままクローディアは、微笑んで黒犬を睨んだ。睨まれた黒犬は、怯えたようにルーピンの背へ完全に隠れた。

「クローディア! 『三本箒』にいないと思ったら、ルーピン先生と何を話しているの」

 酒場からの扉から、ハーマイオニーが小走りで駆け寄ってくる。不意に彼女は、ルーピンの背にいる黒犬を目にし、手を振る。

「ハリーが中で待っていますよ」

 丁寧なハーマイオニーに声をかけられた黒犬は、親しみを込めて吠えた。すると、『三本箒』からハリーが慌てて飛び出してきた。ハリーとロンは、周囲を見渡す。集まっているクローディア達に気づいて走りよってきた。

 黒犬がハリーの前まで近寄ると、彼は懐かしむように唇を伸ばして屈んだ。

 ルーピンが黒犬の頭に手を乗せ、ハリーに優しく微笑んだ。

「ハリー、後は彼が案内するから着いていきなさい」

「はい、ルーピン先生。あ、これ。新作のお菓子です」

 ハリーは何故、渡すのか理由を言わなかった。胸中で「エラ昆布をありがとう」と呟く。まるで、聞こえたようにルーピンは笑ってお菓子を受け取った。ただ、お菓子が嬉しかっただけかもしれない。

 クローディア達に軽く手を振り、ルーピンは『ハニーデュークス菓子店』の方角に歩いていった。

 

 黒犬は尻尾を振りながら、路地裏への小道へ歩き出した。ハリーが後を追うので、クローディアは疑問を口にせず、着いていく。

 路地裏の向こうは住宅地があり、黒犬は一軒の家へと入っていく。他の家と同じ外装だが、人が住む気配を感じなかった。だが、黒犬は前足で扉を開け、クローディア達を招く。ハリーが迷わず進むので、取りあえず、服の中に忍ばせた杖を握り締めた。

 家の中は外見とは違い、清掃が行き届いていた。絨毯も巨大な熊の毛皮を使い、装飾を施された椅子と机、銀色の燭代が暖炉に飾られている。

 暖炉の傍で、黒犬が尻尾を激しく振るうと同時に変じた。真っ黒い髪、黒い革服を着込んだシリウスの姿だ。

 変身を目の当たりにしたクローディアはシリウスが犬の『動物もどき』であることを思い出した。

 犬の姿の折に蹴ればよかったと後悔し、胸中で舌打ちする。

「やあ、ハリー。よく来てくれた」

 無邪気に微笑んだハリーはシリウスに飛びついた。

「シリウス、いまここに住んでるの?」

「今日だけ、借りたんだ。誰にも邪魔されず、ハリーに会いたかったからな」

 嬉しそうに微笑みあうハリーとシリウス、クローディアには異常に不愉快だ。心情を感じ取ったらしくハーマイオニーが横腹を肘打ちしてきた。

 もう少し、ハリーの気持を察してやれという意味だ。唇の動きだけで「わかった」と返した。

「さて、食事の前に、きな臭い話を済ませておこう」

 笑みを消し真剣な表情でシリウスは机に日付の違う【日刊預言者新聞】を大量に広げた。

「バーサ=ジョーキンズは、いまだ行方不明のままだ。私の保護観察者が仕入れてくれた情報でも、捜索部隊は難儀している。マグル側にも協力を依頼し、身元不明の遺体が発見される度に調べさせて貰っているそうだ」

「そんな大事になって……ジョーキンズさん、発見されるといいですね。その……生きたまま……」

 悲しげにハーマイオニーが新聞に触れる。クローディアが彼女を慰めようと、その肩に触れようとした。しかし、シリウスの視線に気づく。睨むわけでもない強い眼差しを向けられ、手を止める。

「ハリーからの手紙で君が襲われた話を知った。その日のことを皆の口から、聞きたい」

 急に場の空気が張り詰めた。緊張とは違い、何処か刺々しい雰囲気をハーマイオニーとロンが発した。困惑するクローディアを余所に、ハリーは真剣に考えを纏める。

「シリウスもクローディアが襲われたことを誰かからの警告だと思う?」

「察しがいいな、ハリー。私もそう考えている。クローディアへの個人的な恨みならば、常日頃に行動すればいい。わざわざ、教員の目が緩慢になる宴の席にやる必要はない」

 褒められたとハリーは喜び、食い入るようにシリウスを見返した。

「私、ずっと大広間にいたから、大体の人の流れはわかるわ。クローディアがいなくなる前後に、大広間を抜けたのは……」

「カルカロフかな? スネイプ……先生と中庭にいたぜ。後は……マダム・マクシームとか……」

 得意げなハーマイオニーの説明がロンに遮られる。説明を邪魔され、不機嫌になった彼女は語調を強くした。

「ルード=バグマンとバーティ=クラウチもいなかったわ。クラウチさんはハリー達が戻ってくる前に帰ってきたけど、バグマンさんはずっと帰ってこなかったもの。あの人、ゴブリンとも何か揉めていたし、怪しいわ」

 バグマンの悪口に、今度は苛立ちでロンが頬を痙攣させる。

「それだと、バグマンがクローディアを襲ったみたいじゃないか?」

「うわ……絶対、嫌さ」

 能天気そうなバクマンに殴られるなど、侮辱だ。クローディアは思わず、悪態つく。しかし、マダム・マクシームは除外だ。あれだけの大柄な女性が目立たないはずがない。

 ハーマイオニーは口を八の字にし、ロンを睨んだ。

「でも、ウィンキーもバグマンは悪い魔法使いだって、言っていたわ」

「もしかしたら、素行が悪いっていう意味かもしれないだろ。あのクラウチ氏が吹きこんだんだから」

 口論する2人に構わず、シリウスはハリーにウィンキーの説明を求めた。

「ウィンキーはクラウチの『屋敷しもべ妖精』だったんです。ワールド・カップのときに、クビにされて……。たけど、今はホグワーツで働いているんだよ」

 その部分に関心を持ったらしく、シリウスは目を鋭く光らせた。

「どうして、クビにしたんだ?」

 クローディアはシリウスの目を見ずに、ワールド・カップのことを話して聞かせた。

「妙だな、奴らしくない……。ただの命令違反など、特に不名誉というわけでもないはずだ。クラウチの学校での様子はどうだ?」

「部屋に籠って、書類の整理をしているわ。バグマンさんと違って、働き者よ。けど、酷いの。クローディアの大事な部室を自分の部屋にしちゃったの」

「ハーマイオニー、褒めるか貶すかどっちかにしろよ」

 うんざりだと、ロンが吐き捨てる。

 一通り話を聞いたシリウスは無言で机の周りを歩く。情報を頭で整理している様子だと察したクローディアは確認の意味で彼に問うた。

「クラウチ氏の息子さんが『死喰い人』だったってことを気にしてるさ? クラウチ氏自身も『死喰い人』かもしれないってわけさ?」

 足を止めたシリウスは急に表情を暗くする。顎に手を当てたまま4人を見渡した。

「その可能性は、絶対にない……。何故なら」

 一旦、区切ったシリウスは力を込めて告げる。

「私をアズカバンに送れと命令したやつだ。裁判もせずにな」

「「ええええええ!!?」」

 ハーマイオニーとロンは驚いて声を張り上げ叫んだ。驚愕したハリーは呻き声で返す。無論、クローディアも衝撃を受け、それでも脳の一部が冷静になる。

「アズカバンに囚人を送れる権限がある職にあったってことさ? なら……、クラウチ氏は自分の息子もアズカバンに……送ったってことさ?」

 口にしながら、クローディアは胸中が詰まる感覚で気持ち悪い。シリウスは頷き、机に指を這わせた。

「クラウチは当時、『魔法執行部』の部長だった。あの頃の奴は次の魔法省大臣と噂されているほどの素晴らしい魔法使いだ。闇の陣営には、はっきりとした対抗を示し、多くの人々が彼を支持した」

「でも、裁判もせずにシリウスをアズカバンに送るなんて」

 不満を口にするハリーをシリウスが窘めた。

「あの頃は、ヴォルデモートのせいで誰が敵で味方かわからず、多くの魔法使いやマグルが死んでいった。魔法省も碌に手を打てず、大混乱だ。その時、クラウチが立ち上がった。暴力に暴力で返す特例を認めた。『闇払い』に殺害権利を与え、私のように裁判なしでアズカバンに送られることが、その例だ。冷酷と思えるだろうが、当時はこの強引なやり方が正しいとされていた。ヴォルデモートが倒れたとき、誰もがクラウチの魔法大臣就任を願った」

 今でさえ、規律に厳しいパーシーから尊敬の念を抱かせる。

 当時は、それ以上の若者がクラウチを支持していたに違いない。そして、魔法省大臣になれば、厳格な規律により安全が保障されるはずだった。

「でも、『死喰い人』狩りでよりにもよって息子さんが逮捕された。大勢の人がクラウチ氏を失望した。家族と名誉を同時に失った……。だから、『死喰い人』を最も恨んでいる」

 暗い声でクローディアは、誰に言うわけでもなく呟く。

 実の息子を守らない。それを納得できないハーマイオニーが悲痛に問う。

「どうして、クラウチは息子を無実にしようと思わなかったの?」

「権力欲しさだよ。あいつの本性は出世によって最高の職に就くことだ。その為には、息子を裁判にかけて、己の正義を証明するしかなかった。クローディアの言う通り、クラウチは『死喰い人』を恨んでいる。なんせ、魔法省大臣の席に就けず、『国際魔法協力部』などという傍流に押しやられたのだからな」

 軽蔑と嘲笑を込めたシリウスはクラウチをせせら笑う。

「クラウチの息子はまだアズカバンにいるの?」

 ハリーの問いにシリウスは首を横に振る。

「牢に入れられてから、約1年後に死んだ。19歳かそこいらでは、アズカバンの暮らしに耐えられなかったんだ。クラウチは遺体も引き取りに来なかったよ。ただ、死ぬ前に奥方と共に面会には来た。その奥方も息子の逮捕がきっかけで、精神的にまいったんだろう。息子の後を追うように亡くなったらしい」

 

 ――獄死。

 

 クローディアの心臓が悲痛に跳ねる。自分にとって害なす者は、家族でも殺す。その考えが恐ろしく、手先が震えた。

「面会は希望があれば誰にでも可能なんですか?」

「いいや、魔法省でも高官だけが訪問を許される。クラウチは重要人物だったから、面会が可能だったにすぎん。そもそも、行きたがる人もいない場所だ」

 息苦しい沈黙が流れる。

 最初に口を開いたのは、ハリーだ。

「昨日の『魔法薬学』の授業中、カルカロフがスネイプ、先生に相談を持ちかけたんだ。どういう意味だと思う?」

「カルカロフがスネイプに相談した?」

 目つきを鋭くしたシリウスは、一度、クローディアに視線を向ける。

 視線が絡んだクローディアは、思わずシリウスから目を逸らす。ハリーを見ずに、吐き捨てた。

「ハリー、そのことはお父さんに聞こうって話さ」

「シリウスの意見が聞きたいんだ」

 強い口調で返したハリーは、クローディアから目を逸らす。2人を交互に見た後、シリウスはより言葉を重くする。

「何故、ダンブルドアがスネイプを雇ったのか、不思議でならなかった。スネイプは学生時代から闇の魔術に魅入られていて、そのことで有名だった。スリザリン生の中で、後にほとんどが『死喰い人』になった連中がいた。スネイプもそのうちの1人だ。ロジエール、ウィルクス……2人はヴォルデモートが失墜する前に、『闇払い』に殺された。レストレンジ夫婦はアズカバンだ。エイブリーは、『服従の呪文』にかかっていたと言って罪を免れた。だが、私が知る限りスネイプが『死喰い人』だと非難されたことはない」

「クローディアのお父様は、違うの?」

 縋るようにハーマイオニーがシリウスに問いかけ、ロンの視線がクローディアを捉える。

 クローディアはシリウスを真っ直ぐ見据えた。

「私に遠慮することないさ。ブラックの知っていることを聞かせて欲しいさ」

 若干、挑発的を含んだクローディアをシリウスは微かな緊張を込め、唇を軽く噛んだ。

「クロックフォードは私達に対しては暴力的な子供だった。しかし、他の生徒に対しては違った。寮生を問わず、礼儀を重んじ、いつもうまく立ち回っていた。さっき言った『死喰い人』の連中にも組していた。……卒業して間もなく、奴の母親が騒ぎ立てたんだ。『息子が帰って来ない。誰か何か知らないか』とね。知り合い中に手紙を出して息子を探そうとした。結局、全ての知人をあたっても息子が見つからず、母親が旅にまで出た。大袈裟と思うかもしれないが、その頃から魔法界ではヴォルデモートの陣営が暗躍を続けていて、不安になるのも当然だ。そして、息子を探しに旅に出た後、家が火事になったそうだ」

「「「ええ!? 火事?」」」

 3人は仰天して叫んだ。

 クローディアは絶句した。そして、初めて会った頃のドリスとの会話を思い返そうとする。細かい内容は思い出せないが、コンラッドは行方不明、彼が育った家は古いので処分。深く考えたことはないが、それなりの理由があるとは思っていた。しかし、火事とは予想外だ。

「なんで家が燃えたさ?」

「わからん。『死喰い人』か、それとも『闇払い』か……誰にもわからない。去年、ルーピンに聞くまでクロックフォードが生きているなど想像もしなかった。ましてや、父親をしているなど、学生時代には予想……」

「今はスネイプ先生とクローディアのお父様が『死喰い人』に関係しているかどうかの話よ」

 話が脱線しようとしたシリウスをハーマイオニーが厳しく咎める。自らの非を認めた彼はわざとらしく咳き込む。

「そうだったな。もしも、スネイプがヴォルデモートの為に働いたことがあるなら、ダンブルドアがホグワーツでの職を与えるはずがない。クロックフォードも……悔しいが、マッド‐アイと取引が出来る程度には信用されている」

「つまりは2人が『死喰い人』のはずがないってことよ」

 今度こそ、得意げにハーマイオニーが締めくくった。

 何の前触れのなく、ロンの腹が豪快に鳴り出した。羞恥心でロンの顔が真っ赤に染まる。腕時計を目にしたクローディアが、わざとらしく咳払いする。

「この話は、ここまでにするさ。なんだかんだと……一時間も話してるさ」

「そうだな、長々と話してすまなかった。さあ、奥においで。昼を用意してある」

 奥への扉を開いたシリウスの手招きで、ハリーとロンは喜び勇んで進んでいく。外の天候を確認しようとクローディアは窓を見やった。

 塀の向こうで、見慣れた双子の片割れが周囲を見渡していた。

「あれって、フレッドとジョージ、どっちさ?」

「え? あ、本当だわ。何してるのよ」

 ハーマイオニーも外を指さし、困惑する。双子の片割れは向かいの家をノックし、住人と話した。住人が頭を振ると、非礼を詫びて敷地を出る。今度はこちらの家に来た。

「私があいつを連れ出すから、後はお願いさ」

「ええ、頼んだわよ」

 急いでクローディアが扉を開く。案の定、ノックの構えをした双子の片割れがいた。

「クローディア、こんなところにいたのか。探したぜ」

 驚きと嬉しさを混ぜ、ジョージは笑う。クローディアは外に出て後ろ手で扉を閉めた。

「何か用さ?」

「いいや。おまえらを着けていたら、見失ったってとこだ。他の連中は?」

 悪びれなくジョージは答える。面倒だと思いながら、クローディアはどうにか笑い返す。

「大事な用事さ。その辺、一緒に歩くさ?」

「いいぜ。マダム・ロスメルダから摘まめるもん貰ったから、ピクニック気分だ」

 紙袋を見せつけ、ジョージは上機嫌だ。用意周到なところを見ると、クローディア達を是が非でも探し出すつもりだったのだろう。恐ろしい執念である。しかも、用もないとは意味不明だ。

 2人は住宅地を抜け、山の麓まで歩く。剥き出しの岩肌がいくつもあり、適当な場所に腰かけた。

「店の準備はどうなっているさ?」

「う~ん、正直、厳しいな。売上は順調なんだが、結局、新作の費用で消えるし、儲けまでには届かないって感じ……。時々、臨時収入はあるけど、この調子だと卒業までには間に合わないかもしれねえ」

 紙袋から取り出したサンドイッチをクローディアに渡し、ジョージは深刻に嘆く。本当に彼は己の夢に一直線だ。何とも羨ましく、感心してしまう。

「いいさ、やりたいことがあってさ」

「おまえだって、バスケがあるだろ。それとも、他にやりたくても出来ないことがあるのか?」

 ジョージの言葉が重く、クローディアの背を押しつぶす。

 真っ先に浮かんだのは、クィレルとの決着だ。だが、何を持って決着させるか、全く思いつかない。クラウチJrの話を聞き、死という決断だけは避けたい。それだけは、自分自身が拒絶する。

「食べないのか?」

 気付けば、折角のサンドイッチが空気に触れて乾いていた。

「食欲……ないさ。うぐ」

 クローディアの口に、コップと繋がったストローが突っ込まれた。吸ってもいないのに、コップの液体がストローを通じて口に運ばれた。これは、無理やり飲むしかない。

 恨みがましい視線を向けると、ジョージは真剣な顔つきだ。

「飯は食べられる時に、食べる。これが鉄則だ。ちゃんと食え」

 叱られたクローディアは、不承不承とパサパサとなったサンドイッチを貪る。紙袋の中が空になるまで、随分と時間がかかった。服に付いたカスを叩き、岩から立ちあがる。 

「私は学校に帰るさ。あんたは、どうするさ?」

 その質問に、上品な笑みを浮かべたジョージは恭しく頭を垂れる。

「お姫様が、迷子にならないようにお城までご同行致しましょう」

 芝居くさい口調。

 笑いの神経をくすぐられたクローディアは、噴出すように笑みを溢す。肩まで痙攣させ、腹が捩れる。今日初めて心の底から、笑えた気がした。

「お姫様はいないけど、見習いの魔法使いならここにいるさ」

「なら、見習いさん。先輩魔法使いが、お城まで連れて行って差し上げましょう」

 ジョージは片目を閉じてウィンクする。手を差し出されたとき、クローディアは渦巻いていたはずの悩みが消えて行くのを実感した。

「お言葉に甘えてましょう、先輩魔法使いさま」

 微笑んだクローディアは、ジョージの手を握る。意外そうに目を見開きながら、彼は手を強く握り返す。大きくて硬い皮膚で出来た彼の掌が、頼りがいのあるモノに思えた。

「ジョージ、日本の漢字に『笑』という文字があるさ」

 杖で宙に『笑』の字を書いたクローディアは、片手を大きく振り上げる。

「漢字には、必ず由来となる意味が存在するさ。この『笑』は、踊っている女の姿を元にしているんだそうさ」

 宙に書いた『笑』を吹き消したクローディアに、ジョージは頬を寄せた。

「確かに、クリスマスの時、君はよく笑っていたよ」

「その通りさ」

 手を取り合ったまま、何処にも寄り道せず、2人は城まで歩いた。

 




閲覧ありがとうございました。
スキータの記事を考えるのは、なかなか難しかったです。
読み返すと、シリウスは自分の学生時代を棚に上げて、スネイプの事を言いたい放題だなあと思います。
そして、クローディアを探すために、民家を一軒一軒ノックするジョージ。君、勇気あるよ、本当に。


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20.中傷

閲覧ありがとうございます。
ついに、総合評価が1000Pを超えました。本当にありがとうございます!

追記:17年3月8日、18年9月2日、20年1月4日、誤字報告により修正しました。


 クローディアがスキーターの記事へ怒るのは、ハーマイオニーを侮辱されたからである。決して、ハリーとの恋人説やコンラッドの『死喰い人』容疑などに、怒りも呆れも悲しみも何も感じなかった。

 

 だが、それは昨日までの話。

 もっと詳しく述べるならば、本日、活動を終了した部室に施錠する瞬間までだ。

 隔週のお楽しみ、バスケ部。いつものように意気揚々と部室の準備をし、クローディアはハーマイオニーと部員を待った。

 今回はハリーとロンも一緒だ。

 これまで、簡単な練習試合は何度も行われた。次回は本格的な試合を試みる為に戦力計算したチーム分けをしたい。皆が来るのを今か、今かと待ちかまえた。

 午前11時、部室開放。直後にデレクとシーサーが来た。2人は肩慣らしにパスの練習を始めた。

 午前11時半、パドマとリサが見学に訪れた。部室の隅に座り、ハーマイオニーと模擬試験の内容について話し合い出した。

 午前12時、様子を見に来たバーベッジが人の少なさに吃驚していた。

 午後1時、デレクが呼びかけに向かう。ハリーとロンも一緒に付き添ってくれた。

 午後1時10分、ネビルがディーンと訪れた。ネビルは徹夜で植物の本を読み漁り、倒れたらしい。心配したディーンが彼を医務室に連れて行ったそうだ。

 午後1時半、ミムとコーマック、クレメンス、ローレンスがやってきた。次いで、ロジャーとザヴィアーも現れた。部員の少なさに彼らは先日のホグズミードで皆疲れていると解釈した。

 午後1時40分、テリーとエディー、チョウがやっときた。チョウからバーナードは試験範囲の見直しで来られないと伝えられた。12人集まったので、体格差があるチョウとシーサーは、フリースローとパスの練習。残り10人で5対5の対戦をした。得点係をパドマが率先して行った。

 午後2時、ルーナ、ジニー、コリンが来てくれた。コリンに弟はどうしたのかと問えば、彼は気まずそうに返した。

「上級生が【週刊魔女】の話題で盛り上がったらしくて、ナタリー=マクドナルドが偶然それを耳にして1年生中に広めちゃったんです。デニスにも来るように言ったんですけど……」

「ハリー=ポッターを惑わせる女子はお断りなんだって」

 浮ついた口調一切なく、ルーナは冷たく言い放つ。それには、デニス達への軽蔑が含まれていた。

「私、グリフィンドールでそんな話が流行っているなんて知らないわ!」

 ハーマイオニーが癇癪を起こし、ジニーは窘める。

「ハーマイオニーの前で【週刊魔女】を広げて、堂々と話すわけには行かないでしょう」

 ぐうの音も出ず、ハーマイオニーは黙りこくる。ジニーはクローディアに向けて言葉を続ける。

「同じ学年のスリザリン生エドマンド=ハーパーから伝言。本当はザビニとグリーングラスからだけど、『良い暇つぶしだった。もう2度と行かない』だそうよ。それと、デメルサは体調不良で休みたいって」

 クローディア達と同学年のスリザリン生には【週刊魔女】の記事が知れ渡っている。あの2人は『死喰い人』に批判的だった。真偽はどうであれ、関わりを避けることにしたのだろう。

「……まあ、あの2人にしてよく私に付き合ったもんさ…」

 正直な気持ちは残念だ。クローディアを抜きにして、バスケを好きになって欲しかった。

 午後3時になり、ロンは1人で戻る。デレクとナイジェルが怪我をし、ハリーが医務室に連れて行ったそうだ。

「デレクがナイジェルと喧嘩したんだ。ハッフルパフの1年生の間でも、記事の話が広まっているらしいぜ。アーミーが1年生に質問攻めにされて、困ってたよ。僕らで弁解しようとしたら、ナイジェルがハリーにクローディアは悪い女だって……。そしたら、デレクが怒りだしてよ。もう殴るわ蹴るわの大騒ぎ!」

 眩暈に襲われたクローディアは頭を抱え、座り込んだ。

「2人はどれくらいの怪我さ?」

「大丈夫、マダム・ポンフリーがすぐに治してくれるぜ。けど、デレクはクローディアに怪我を知られたくないから、黙ってほしいんだと。だから、見舞いには行かない方がいい」

 苦虫を噛み潰したような表情でロンは忠告する。納得できないクローディアはただ溜息を吐く。心底、疲れた態度で彼女は荷物から、包装されたお菓子を取りだした。

「ロン、これをガーションに渡して欲しいさ。バレンタインのお返しってさ。今日はホワイトデーじゃないけど、渡したかったさ」

「わかったよ。任せておいて」

 そそくさとロンは医務室も向かった。

 午後5時、ハリーとデレクは戻らず、他は誰も訪れなかった。

 皆を帰し、クローディアは1人で片づけを行う。正確には1人になりたかった。そして、自分なりの考えを纏めた。

 記事は多くの人に読まれる。反応はまさに十人十色、無視する者・笑う者・批判する者・真に受ける者がいる。どんな記事にも、人は何かしら影響される。

 部室の扉を施錠した時、クローディアは自分の為にスキーターに対し、怒り狂った。

(許さん! 絶対に許さん!)

 湧き上がる怒りを発散させるように、クローディアは扉に頭突きを喰らわせる。ゴッという鈍く激しい音が扉を振動させた。

 ベッロにホグワーツ敷地内でスキーターを発見次第、連れて来るように命じた。クルックシャンクスやシヴァ、キュリー、果てはトレバーにも連携を組ませた。

 

☈☈☈☈

 日曜に学生がすべきことは、明日の月曜からの授業に備えるために休むべきだ。

 昼間でも薄暗く、緑色の灯りに照らされた談話室。ソファーにもたれたドラコは独り、天井を見つめる。

 【週刊魔女】を読んだ母ナルシッサから、叱責の手紙が来た。己の母親はどんなにドラコが失態を犯そうとも決して叱りはしない性分だ。それなのにコンラッドが『死喰い人』と触れ回り、挙句、三流記者に漏洩するなど何事かと激怒していた。

 実際、ドラコはパンジーにその話をした。そして、彼女はスキーターから取材を受けたい際、包み隠さず話してしまった。

 母親に叱られたからではなく、ドラコ自身も話すべき相手を間違えたと後悔した。

 女子寮から、パンジーが寝巻きのまま姿を現す。彼女に気付いても、ドラコは無視する。

「どうして、あなたが深刻な顔をしているの?」

「うるさい」

 覗き込んでくるパンジーから顔を逸らしたドラコはわざとらしく溜息をつく。彼の隣に座り、彼女は真剣な表情で訴えかける。

「まだ、リータ=スキーターの取材に答えたこと怒ってんでしょ?」

 煩わしそうにドラコはパンジーを視界に入れ、眉を顰める。

「スネイプ先生は話題にするなとおっしゃったぞ! 僕も同じだ! いいか、もし、あの記者が君と一緒にいるところを見かけたりしたら、幻滅するからな!」

 怒鳴り声を張り上げ、ドラコは机に拳を叩きつけた。

「わかんない」

 震えた声で呟いたパンジーは唇を噛み締め、目に涙を浮かべる。

「クロックフォードの為にドラコがムキになる理由は何? まさか……」

「君が考えていることはわかっているつもりだ。それは絶対に違う。僕はクロックフォードを庇わないし、慰めもしない」

 ソファーから腰を上げ、ドラコはパンジーを見向きもせず男子寮に戻ろうとした。その背を睨み付けた彼女は拳に力を入れて震えだす。

「取材はもう受けないわ。けど、好きにさせてもらうから……」

 涙ぐんだパンジーが吐き捨て、ドラコは一瞬だけ足を止めた。しかし、それでも振り返ることなく、談話室を去った。

 

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 湖の波で微動する船は風もなくただそこにある。赤を基調とした壁紙と絨毯に覆われた自室で、スタニスラフは彫りの良い二段寝台の下段に腰かける。手には女生徒が入手した【週刊魔女】を握り、眉間にシワを寄せる。上段の寝台に寝転んだビクトールも心配そうに、記事を見下ろす。

〔その記事は本当だろうか? 確かにハーマイオニーはハリー=ポッターと仲が良い。でも、彼女の友達のことも悪く書かれていて、可哀想だ〕

〔十中八九、スキーターの嘘だろ。グレンジャーのことはハリー=ポッターに聞けばいい。しかし、クローディアのお父上の件はやりすぎたかもな。もしかすると、しばらくこの人の記事は読めなくなるかもしれないぜ?〕

 寝台の手摺りに手をかけたビクトールは軽々と絨毯に着地する。

〔何故だ? もしかして、魔法省から圧力がかかるとか?〕

〔まさか、それより悪いことだよ。このスキーター氏にとってな〕

 意味不明と首を傾げるビクトールにスタニスラフは含み笑いを見せた。杖を振るい、【週刊魔女】を燃やした。

 

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 フクロウ郵便の時間、クローディアは複数のフクロウが運んできた大量の手紙を見て絶句する。全ての手紙が差出人不明だ。嫌な予感がする。案の定、ベッロが手紙に向かって威嚇した。

「見て! クローディア、これ!」

 慌てたハーマイオニーが自分宛の手紙1枚だけ、見せつけてきた。新聞の文字を切り抜き、まるで脅迫文だ。

【ハリーを傷つけるなんて、最低、ビクトールからも離れろ】

 クローディアは呆れながらも、その手紙を破る。こうしている間にも、フクロウ達が2人に差出人不明の手紙を運んできた。

 ハーマイオニーが別の手紙の封を切ろうとしたので、やめさせた。そして、2人分の誹謗中傷手紙を大広間の暖炉に投げ込んだ。量が量だけによく燃え、悲鳴を上げる手紙もあった。

「ハーマイオニー、こういう手紙は開かず燃やすのが一番さ」

「ええ、その通りだわ。全く、皆、なんて馬鹿なの!?」

 だが、これだけで手紙の嵐は治まらないだろう。

 そして、クローディアは徹夜し、手紙を食う箱を作り上げた。手のひら程の箱に手紙を入れれば、書いた者に強制的に送り返す魔法をかけておいた。

 ハーマイオニーの分を渡したとき、彼女は表情を輝かせてクローディアに抱きつき、箱に名をつけた。

「『返送箱』がいいわ! ありがとうクローディア! 最高だわ!」

 その言葉だけで、クローディアは幸せだ。

 早速、ハーマイオニー宛の不審な手紙が届き、『返送箱』で送り返した。同時刻、ダームストラングの船から、手紙の呪いに悲鳴をあげる女子生徒がいたらしい。

 

 勿論、そんな手紙だけでなく、家族からの便りもある。コンラッドにスネイプとカルカロフの相談に関しての返事が来たが、文章は短かった。

【カルカロフは放っておけ】

 これだけでは、どんな意味にも捉えることが出来てしまう。危険から回避させる為か、あるいはカルカロフを庇い立てしている。クローディアとしては、コンラッドが『死喰い人』などとは露にも思っていない。

(泳がせておけってことかもしれないさ)

 ハリーに報せると、彼は違う意見だった。

「シリウスがね、あの記事を読んだんだ。あれも僕らを陥れる企みかもしれないって、言いだしたんだ。それで対抗試合が終わる……つまり6月になるまで絶対、危ないことするなって手紙をくれたよ。きっと、コンラッドさんも同じ気持ちなんだ」

 それは考え過ぎだと思う。あの記事が誰も企みであれ、スキーターに弁解の余地などないのだ。

 

 『薬草学』の時間、クローディアは興味と怪訝、疑問に満ちた視線を受け続けた。スリザリン生が主だが、それ程、親しくないレイブンクロー生の視線も混ざっている。パンジー達は仲間と耳打ちしては彼女を何度も指差す。その度、くすくすと嘲笑する。

 しかし、ダフネは笑っておらず、我関せずだ。

「気にするな。あいつらは誰かを笑っていたいだけなんだ。その内、治まるよ」

 心配そうにマイケルが声をかけてくれた。クローディアは彼に大丈夫だと、頷き返した。

 『魔法生物飼育学』でも、ハッフルパフ生の視線は痛かった。

 マダム・マクシームが珍しく、ハグリッドの授業を見学に訪れていた。そのせいで、彼はすっかり骨抜き状態で授業を行った。

 この隙を狙ったようにザカリアスがクローディアに質問しようとした。しかし、パドマとジャスティンが盾になってくれた。

「私、パーバティから聞いたわ。スネイプ先生がスキーターの記事について話す生徒は、スリザリン生でも容赦しないって! とてもお怒りだそうよ。どうしても、クローディアに聞きだそうとするなら、スネイプ先生にお話しするわ」

 生徒の間で戦慄が走る。スリザリン生でさえも、その怒りの対象になるなど前代未聞だからだ。それだけ意味のある話なのだと、ザカリアスは興味深そうだ。

 下手に隠すと面倒である。仕方なく、クローディアはパドマの前に出た。

「スミス。どうしても、私のお父さんについて知りたいなら、マッド‐アイに聞けばいいさ。お父さんはマッド‐アイの信用を得ているさ」

 不審よりも驚愕がその場を満たした。当然の反応である。シリウスもマッド‐アイを理由にコンラッドが『死喰い人』でないと決めている。

「もう質問はないでしょう? 誰も」

 勝ち誇ったように、パドマは周囲を見渡していた。彼らの視線は次第にザカリアスへと集中する。

「やめましょうよ。あんな嘘の記事の為に、私達が猜疑心に駆られる意味はないわ」

 不安がるハンナの言葉を聞き、ザカリアスは不快そうに頷いた。

 授業が終わり、ハグリッドがマダム・マシームを家馬車まで見送るのを待つ。クローディアとパドマ、そしてジャスティンがファングと待ち詫びる姿を見て、彼は驚いた。 そして、例の記事にもっと驚きを見せた。

「コンラッドが『例のあの人』に手を貸すなんざあ、ありえねえことだ。俺が保障する。噂なんざ、放っておけ。その内、皆、飽きるもんだ。ただ、変な手紙は読まずに捨てろ。碌なもんじゃねえぞ」

「重々承知さ」

 ハグリッドの激励を受け、クローディアはパドマとジャスティンと一緒に城へ帰ろうとした。

「ハグリッドは貴女のお父さんを知っているの?」

「うん。お祖父ちゃんと友達だったからさ、そういう繋がりさ」

「へえ、そんな前から……ハグリッドって、ここにいるんだ」

 どうやら、ジャスティンはハグリッドが『秘密の部屋』の事件で容疑がかかったことを忘れているらしい。もしくは、その部分だけ知らないのだろう。

「それにしても、あのマダム。何かとハグリッドと話したがるわ。まるで、ロジャーとフラー=デラクールね」

 楽しそうにパドマは言い放つ。何故だが、嫌味に聞こえた。

 

 一週間程、中傷手紙は続いた。最悪な時は『吼えメール』も来ていた。『返送箱』で送り返すと、送り主はレイブンクロー生だったらしく、談話室で『吼えメール』が爆発したそうだ。そのせいで記事を知らなかった生徒(主に男子生徒)にも、クローディアとハリーの恋人説が露見した。

「どおりで女性陣の様子がおかしいと思ったら! クローディア、ハリー=ポッターだけはやめておけ!」

 癇癪を起こすようにロジャーはクローディアを責め立てた。

「本当にクローディアがハリーと恋人なら、第2の課題で人質になっているはずでしょう?」

 マリエッタの一言に、ロジャーはあっさり納得した。

 しかし、噂は生徒だけでなく幽霊にも広がっていた。これは特に問題はない……はずだった。

 お手洗いに行く度、『嘆きのマートル』から水浸しの攻撃を食らわされた。

「あんたのせいよ! あんたなんかにハリーはあげないんだから!」

 得意の癇癪を起しては『嘆きのマートル』は水道を破裂させてお手洗いに被害を巻き散らした。まさか、ハリーが彼女にまで好かれているなど、誰も予想できない事態だ。

「私とハリーはただの友達さ! あんたの目には恋人同士にでも見えるってさ!?」

「全然、見えないわね。あははははは!」

 滅多に見せない上機嫌な笑顔を向けながら、『嘆きのマートル』の嫌がらせは止まらなかった。流石にキレたクローディアは彼女が繰り出す水を火力の上がった炎で蒸発させた。

 水が一瞬で消え去る様を目の辺りにし、『嘆きのマートル』は幽霊でありながら、血の気がなくなっていた。

 ようやく、嫌がらせはなくなった。

 

 模擬試験に取り組まなければならない時期、週刊誌の記事について騒ぎ立てる暇はない。

 ロジャー、クララやザヴィアー達6年生が監督した模擬試験は無事終わっても、チョウやマリエッタは『O・W・L試験』に神経を尖らせていた。しかし、『N・E・W・T試験』で殺気立っているペネロピーよりはマシだ。週刊誌の話題を口にした生徒は、『勉学に励め』と激しく責められた。

 そのせいか、学校内の生徒はクローディアに中傷手紙を出さないし、ハリーとの関係についても聞いてこなかった。

 その分、ハリーが女子生徒から質問攻めにあったらしく、うんざりしていた。

 

 『姿現わし』の試験が4月と告知され、6年生は僅かな楽しみを喜んだ。

「僕は問題ないね。5回も成功している。でも、クララはいいのか? 練習に出てないけど?」

「いいのよ、ぶっつけ本番が真の実力なの」

 【顔のない顔に対面する】を睨むクララは心配してくれたザヴィアーに悪態ついた。

「クローディアは試験は休暇中だよね? 僕が合格したら、『付添姿現わし』しようよ」

 ロジャーからのお誘いを丁重に断った。

 

 復活祭の休暇は宿題を消化に追われ、過ごす。自室で参考書を開いたまま寝落ちしていたクローディアは周囲を見渡した。

 夜明け前で薄暗い部屋で、リサとパドマも半開きの参考書を手に床で寝転んでいる。2人をそれぞれの寝台に運んでいるとき、妙な視線を感じた。ベッロかと思ったが、また何処かに出かけている。

「誰さ?」

 呟いてみると、足元に気配を感じて見下ろす。そこにはウィンキーが見上げてきた。見間違いかと、眉間を指で解した。やはり、『屋敷妖精』が身を縮め、上目遣してくる。

「ウィンキー……、どうしたさ?」

「お嬢様、ご主人様がお呼びでございます。お部屋にいらして下さい。出来れば、お1人でとご主人様は申しておりました」

 ウィンキーが呼ぶご主人はクラウチだ。脳裏に浮かんだのはシリウスが話したクラウチ親子の悲劇。かつては、『死喰い人』を裁いていた役人がクローディアに用件があると呼び出す意味を考える。

「ウィンキーは傍にいてくれるさ?」

 身を屈めて尋ねるクローディアをウィンキーは恥らうように身を捩じらせる。

「魔法使いさまのご談話に顔を出すなど、恐れ多いのでございます」

「ウィンキーが私の傍にいてくれたら、心強いさ。ね? お願いします」

 両手を合わせて頭を下げたクローディアを見て、ウィンキーは飛び跳ねた。

「ああ、あたちはお嬢様になんてことを! 頭を下げさせるなんて! ウィンキーは悪い子です!」

 甲高い声で叫ぶので、パドマとリサが起きてしまう。クローディアは指先でウィンキーの口を塞ぐ。

「支度するから、待ってて欲しいさ」

 自分の口を両手で塞いだウィンキーは命令どおりに扉の前で待った。

 着替え終えたクローディアがウィンキーと談話室に降りると、思わぬ先客に足を止めた。絨毯の上でルーナが逆立ちし、つま先で細工の良い壷を弄んでいる。感心していいのか、呆れていいのか、反応に困る。

 一先ず、ルーナの前に座り込む。

「頭に血が通うと、良い案が浮かぶとかいうけどさ。昇りすぎるのはいけないさ」

「その子はナーグルに呼ばれてきたの?」

 返答せず目だけを動かし、ルーナはウィンキーを見る。

「私に用事があるって人がいてさ。呼びに来てくれたさ」

 説明を聞いたルーナは壷を適当な椅子に蹴り飛ばし、後転して起き上がった。そして、クローディアの腕にしがみ付く。

「私も行くよ。だって、クラウチ氏は男の人だもン」

 霞が消えた強い口調で断言するとき、ルーナは説得は聞き入れない。ウィンキーの立場もあるが仕方ない。

 2人は一緒にウィンキーを隠しながら、クラウチが待つ部屋へと急いだ。

 

 変わらず書類だらけの室内ではフクロウ便が行き交い、机の上では5本の羽根ペンが羊皮紙に文章を綴っていく。椅子に尊厳よく深くもたれたクラウチはクローディアの隣で首の運動をしているルーナを怪訝している。

 余分な来客である上、クラウチには奇怪な行動する少女に思えたに違いない。クローディアにはルーナが書類を汚さないように注意を払っているときの動作だと理解できるので、特に不思議はない。

「早速、本題に入ろう。ミス・クロックフォード」

 クローディアに視線を向けたクラウチは机に【週刊魔女】を放り投げた。誰も手が触れず、ページが捲られ例の記事を開く。

「この件について、もっと早く君と話したかったが何分、先に片付けなければならないことが多くてね」

 薄手の手袋を嵌めた指先で、記事を突いたクラウチをじっと見たルーナが首を傾げる。

「手袋してるんだ?」

 ルーナに答えず、クラウチはわざとらしく咳払いした。

「君の父上は本当に『死喰い人』かね?」

 率直で真っ直ぐな問いかけに含まれた俄かな敵意、クローディアの心臓が痙攣するような圧迫感を覚える。それだけ、クラウチが『死喰い人』に対する憎悪が強いのだ。

「存じ上げません」

 断言するクローディアは臆することなく胸を張る。眉間のシワを強くしたクラウチは椅子から腰を上げた。

「家族が互いに何をしているのか、知らないことのほうが多い。だからといって、引き裂かれるのは、あまりにも辛いものだ」

 途端、悲痛な表情で苦悶するクラウチに少なからず動揺した。

 己の息子のことを思い出しているのかと、クローディアは何か気の利いた言葉を探した。

「わかるよ。時々、淋しくなる」

 純粋に、それでも相手の気持ちを考慮するに相応しい言葉をルーナは簡単に言い放つ。クローディアが横目で覗き見た彼女は淋しそうな雰囲気を放っている。

「『例のあの人』が倒れてから、いまだ逮捕されない『死喰い人』は多い。これは許しがたいことである。いまの私には彼らを見つけたとしても、逮捕する権限はない。だから、知っておきたいのだ! 故に今一度、問おう。君の父上は『死喰い人』かね?」

 拳を握ったクラウチは訴えかけるような必死さを見せた。尊厳と威厳を捨て去ったような態度で、クローディアは身に摘まされるような思いになる。

「クラウチさん、お答えしたいのは山々ですが、私は父が何をしてきたのか、何も知らないのです。ですが、私が父を知る限りでは『違う』とお答えします。それでお許し下さい」

 背筋を伸ばして頭を下げたクローディアをクラウチは驚いて口を開ける。

 クローディアとしては目上への礼儀でお辞儀をしたのだが、クラウチは深刻に受け取り狼狽した。 

「そんなつもりはなかったのだ。どうか、頭を上げなさい。ミス・クロックフォード」

 椅子に腰掛けたクラウチはグラスに入った水を飲み干し、息を吐く。

「君の言葉を信じよう。もう、行きたまえ。ウィンキー、お2人がお帰りだ」

 彼女たちの足元にいたウィンキーが扉に立ち、しっかりとお辞儀する。クローディアは、会釈してクラウチに背を向けるが、ルーナはまだ彼の手袋を気にしているのか、じっと見つめる。

「手袋が好きなの?」

 一度、クラウチは手袋を見下ろし、答えた。

「インクで手が汚れるからだよ」

 ウィンキーが扉を閉めるまでルーナは瞬きせず、クラウチの手袋を見つめ続けた。

 寮に帰る廊下で、クローディアは興味本位でルーナに尋ねる。

「そんなにクラウチ氏の手袋が気になったさ?」

 唇を八の字に曲げたルーナはクローディアの腕にしがみ付く。

「ナーグル避けにしては、ちょっと妙な手袋だと思っただけ」

 普段のように浮ついた口調だが、意味深な印象を受けたクローディアはクラウチの姿を思い返す。

(手袋……いつも手袋してるさ。潔癖症か神経質さ?)

 歩きながら考え込んでいると、背後に忍び寄る気配を感じ取った。クローディアが振り返る前、ルーナが相手に挨拶する。

「スネイプ先生、おはようございます」

 その名に、クローディアの背筋で悪寒に走る。

 ぎこちなく振り返ったクローディアを尖った黒真珠が怪訝そうに睨んできた。おそらく、クラウチの仮執務室から出てきたところを見られたのだ。

「おはようございます。スネイプ先……」

「こんな朝早くに、何をしておられるのですかな?」

 反論と拒否を許さぬ詰問が2人に降り注ぐ。

「クラウチさんと話をしてたんだ。あの人の手袋は、ナーグル避け」

 素直に話すルーナはクローディアと話すときと言葉遣いが同じなので、スネイプの機嫌を損ねないかと危惧してしまう。

 だが、スネイプは慣れたようにルーナの話を聞き、目を細めてクローディアを視線で責める。

「何を聞かれた?」

「ある記事に関して、質問されました」

 隠しても意味がない為、正直に答えたがスネイプの眉間のシワは一層深くなる。

「何と答えた?」

「『違う』と答えました」

 一瞬、驚いたように口を開いたスネイプだが、すぐに唇を噛むように噤んだ。そして、ルーナを一瞥してから黒外套を翻す。

「君の我儘に付き合える友人は少なかろう。大事にしたまえ」

 廊下に足音を響かせ去っていくスネイプを見送ったクローディアはルーナが見つめてくることに気づく。

 ルーナは嬉しそうに口元を緩ませている。

「スネイプ先生、褒めてくれたね。私達のこと、良い関係だって」

 ほとんど皮肉に聞こえたスネイプの言葉をどうすれば、そう解釈できるのか謎だ。だが、ルーナは独特で優しい感性を持っている。

 ルーナにしか感じえないモノがあるのだろうと、彼女の頭を撫でた。

 

 復活祭休暇が終わる頃には、嵐のような中傷手紙は来なくなった。

 それでも、好奇心が消えるわけではない。リータの記事への関心が薄れた頃、クローディアがハーマイオニーと『数占い』の教室へ向かう途中、デニスに捕まった。

「ハリーと貴女はどういう関係ですか? 本当のことを話してください」

 必死な態度でデニスはクローディアを問いつめる。

 偶々、通りかかったコリンとジニーがデニスに気付いて止めに来た。

「デニス、やめろ。この人はハリーとはただの友達だって言っているだろ」

「そうよ。いい加減にしないと私が怒るわ」

「あ、違う! 待って待って、違うんだ」

 ジニーとコリンの剣幕にデニスは慌てて頭を振るう。

「僕、考えたんです。ハリーが幸せなら、相手は誰でもいいんじゃないかって……。ハリーが好きな人を皆で寄ってたかって批判するのは間違いだと思うから……」

 一呼吸置き、デニスは曇りのない真っすぐな瞳でクローディアを見上げた。ジニーが視界の隅に映るが、彼女に動揺は見られない。

「ハリーは僕らの憧れです。だから、幸せになってほしいんです」

 真剣だ。憧れの人の幸せを願う。この気持ちの意味を考えたとき、クローディアは一瞬、ハーマイオニーに視線を向けた。

 ハーマイオニーが誰かと幸せになる。その時、自分は祝福できるのかと自問した。

 

 ――まだ無理だ。

 

 脳髄の奥で、自分の声が囁いた。

「ハリーはあくまでも、大切な友達さ」

 戸惑いも躊躇いもなく、クローディアは答えた。デニスは残念そうだが安心しているようにも見える。

「なら、貴女のお父さんが……」

 ハーマイオニーとジニーに凄まじく睨まれ、デニスは口ごもった。そのまま、彼はコリンに連れられて行く。

 クリービー兄弟がいなくなり、ジニーはわざとらしく溜息をつく。

「ハリーもずっと、質問攻めよ。見ているこっちが嫌になるわ。まあ、いつまでも恋人を作らないハリーにも問題あるけどね。勿論、貴女もよ。だから、とっととロジャー=ディビーズと付き合えばよかったのに、フラー=デラクールに取られて!」

 ぷりぷりとジニーはクローディアを可愛らしく睨んできた。

「ジニーだって、ハリーと付き合えばいいさ」

「それは無理よ。ジニーはマイケルと付き合っているもの」

 解答問題が間違っていると言わんばかりのハーマイオニーの指摘、クローディアは一瞬、理解する時間が必要となる。理解はしても、信じたくなかった。

「え!? ジニー! コーナーと付き合っているさ!?」

「そうよ、クリマスからね。ほら、ダンスパーティーで気が合ったの」

 吃驚するクローディアをからかうような笑みで、ジニーは付け加えた。

「まさか、ジニーもロジャーみたいに自分を磨くとかするつもりさ?」

 動揺したクローディアは思わず口走る。途端にジニーから笑みが消えた。

「そんなわけないでしょう。ハリーのことは諦めたのよ。ホグワーツの男子生徒はハリーだけじゃないわ。それに世の中には男がいっぱいいるの。この際だから、言っておくわ。ダンスパーティーにはジョージは貴女と行きたがっていたわ。けど、ジュリアに邪魔されたの。だから、貴女にちょっとでも好意を持っていそうな男子が誘わないように、ジョージが手を回したのよ」

 衝撃の真実を聞かされ、クローディアは絶句した。ハリー以外から誰にも誘われず、また断られ続けていた。正直な気持ちを言うなれば、淋しかった。それがジョージの仕業とわかり、段々と怒りが湧く。

「どういうつもりさ? 私に部屋の隅でメソメソしてろってことさ?」

「貴女が最終的にジョージを頼ろうとすることを期待したからよ! やりすぎだと思ったけど、結局、貴女はハリーと踊ったわ」

 そもそも、ジョージの恋人はジュリアだ。クローディアが誰と踊ろうが、関係ない。 そして、クローディアとハリーがパートナーを組んだのは最後の手段に過ぎないのだ。

「他の人と付き合っていても、好きな人を『好き』でなくなるわけじゃないわ」

 言い放つジニーは真剣そのものである。何の恥もない。つまり、今でもハリーを好きだということだ。まるで、クローディアに非があるように思えてしまう。

 ジニーの清々しい堂々とした態度を見れば、そう感じずにはいられない。

 クローディアは何も言えず、堪える。口を開けば、ジョージに対する罵りしか出て来ないとわかっていた。それも妹であるジニーの前では聞かせたくない程、酷い言葉ばかりだ。

「ジニー、遅れるわよ」

 デメルサに声をかけられ、ジニーはしかめっ面のまま行ってしまう。クローディアは呼びとめなかった。

 ハーマイオニーが遠慮がちにクローディアの肩に触れる。

「ねえ、クローディア」

「ああ、行こうさ。授業」

 胸に渦巻く怒りを露わにしたまま、クローディアも歩き出す。おそらく、ハーマイオニーは別の意味で声をかけた。わかっていながらも、無視する他に対応が浮かばなかった。

 

 終業の鐘が鳴り、本日の授業が全て終えた。黒板の数式が消え、生徒も騒がしい音を立てる。

「クローディアは恋しないの?」

 教科書を鞄に詰めるハーマイオニーは図書室に誘うのと同じ口調だ。完全に気が動揺したクローディアは折角、鞄に詰めた教材を全て滑り落とし、床にぶちまけてしまった。

 ハーマイオニーは驚かずにクローディアの教材を拾う。言葉は続いた。

「恋愛に興味がないって、悪いことだとは思わないわ。けど、良くないとも思うわ。本当にハリーをただの友達としか思っていないの? 貴女達がそうなれば、すごく素敵だと思うけど」

 興味本位や冗談ではない。ハーマイオニーがクローディアを本気で心配している。純粋な彼女の眼差しが痛いほど、ぶつかってくる。それとなく目を逸らしてから、口走った。

「失恋したばっかりだから、そうそう新しい恋はいらないさ」

 

 ――刹那の間、沈黙。

 

「は? 失恋?」

 怪訝するハーマイオニーは目を見開いた。低い彼女の声を聞き、クローディアは己の失言に気付いた。焦燥のあまり脈拍が早くなる。

 ルーピンへの恋心を一切話していなかった。それをうっかり忘れていた。

「あら、知らなかったの?」

「ハーマイオニーはご存じだと思っていましたわ」

 くすくすとパドマとリサがハーマイオニーに笑いかけた。

 ハーマイオニーに教室の隅で詰め寄られた。言葉でなく、視線のみだ。クローディアは、嫌な汗を書きつつもハロウィンの頃から意識が始まったルーピンへの感情を暴露した。

 勿論、ハーマイオニーへの気持ちは伏せた。

「ルーピン先生に対する態度が変だなって思っていたけど、やっぱり恋だったのね。私もそうじゃないかなって思っていたんだけど、勘違いだったらいけないと思って聞けなかったの。どうして、相談してくれなかったの!? そんなおもしろそうなことに!」

 拗ねたハーマイオニーがクローディアから、顔を背ける。その頬はわざとらしく、膨らんでいた。

 ハーマイオニーの反応はもっともだが、クローディアにしてみれば恋している相手に二股感情を相談などできない。

「ハーマイオニー、私がお父さんと同じ年頃で、しかも教師を好きって変だって思わないさ?」

「実際、両思いになったら大問題だけど、ただの片恋なら何の問題もないわ。それに、パパとママの友達にも元教え子で夫婦だって人がいるし、私は気にしないわ」

 英国人の許容範囲が広いのか、それとも偶々クローディアの周囲は心の広い人が多いのか、考えるところだ。

「ひとつ、確認してもいいかしら?」

 声を抑えたハーマイオニーがクローディアの耳元まで顔を近づけてくる。一瞬、心臓が喜びで高鳴った。

「もしも、ジョージがジュリアと別れて、貴女と付き合いたいっていったらどうする?」

「断るさ。ジョージは本当に良いと友達って感じで、恋愛感情が湧かないさ」 

 即答したクローディアに、ハーマイオニーは複雑そうに眉を寄せる。

「貴女らしいけど、少し酷くない?」

「下手に期待を持たせるほうが相手に失礼さ」

 話しながら教室を出たとき、偶然ルーピンが通りかかる。擦れ違う生徒達と挨拶を交わしていた。

 突如、クローディアに羞恥心が襲う。顔を真っ赤に染め上げて走り去った。

 

 夕食を求め、クローディア達は大広間に着く。慣れたレイブンクロー席では随分と人だかりが出来ていた。バーナード、クララ、マリエッタ、セドリックもいれば、何故か、フレッドとジョージもいた。誰もが深刻な顔をしている。

 一番、手前にいたセドリックに向かい、クローディアは思い切って声をかけた。

「ディゴリー、皆、どうしたさ?」

 呼ばれたセドリックは躊躇うように周囲を警戒する。彼が答える前に、ジョージがクローディアの肩に顎を乗せてきた

「……バーサ=ジョーキンズが……死体で発見されたんだよ」

 囁かれたジョージの声は暗い。見知った魔女の訃報、クローディアの背筋が悪寒に襲われ、同時に胃も刺激されて竦んだ。

「記事になったさ?」

「いいや。たったいま、バーナードが教えてくれた。あいつの親父は捜索隊に加わっていたから、報せてくれたんだよ。まだ、公にされていないが、明日にでも新聞に載るだろうな」

 反射的にバーナードを見やる。悲痛そうな彼の手には手紙が握られていた。

「バグマンのせいよ。すぐにでも捜すべきだったのに!」

 目に涙を溜めたクララが声を上げ、マリエッタが労わるように彼女の背を優しく撫でる。この場にいる者はジョーキンズの死を悼んでいる。噂好きでお喋り好きで詮索好きだが、好かれていたのだ。

 額に浮かぶ汗を拭った時、クローディアは腕輪に『トロフィー室』と刻まれているのが見えた。

 

 ハリーは『占い学』の授業中から、起こった出来事を洗いざらい話した。突然の悪夢と額の傷が痛みに襲われ、トレローニーは嬉しさで興奮していた。医務室を口実に授業を抜け出した。医務室には行かず、前持ったシリウスの助言に従い校長室へ向かった。

 そこではダンブルドアが対抗試合の中止をファッジに訴えかけていた。理由はジョーキンズだ。しかし、大臣は脅しに屈するようなものだと断固拒否した。

 ハリーの訪問を知り、ファッジは愛想良く取り繕った。話は終わったとダンブルドアは、大臣を見送りに出かけた。校長が戻るまで、ハリーは待たされることになった。

 その間、ハリーは『憂いの篩(ペンシープ)』という水盆を興味本位で覗き込んだのだ。途端、憂いの中へと放りこまれた。ヴォルデモートが倒れた後に行われた『死喰い人』狩りの裁判を見たという。

 カルカロフ、バグマン、そしてクラウチJrの3つの法廷だ。

 鎖で雁字搦めされたカルカロフが釈放の為、仲間の名をあげた。その名にスネイプもあったというのだ。彼はダンブルドアが保証人である為、既に無罪であった。

 バグマンは法廷で尋問されたが、彼を支持する魔法使いや魔女によって難を逃れた。今よりも若いスキーターが裁判を傍聴していたらしい。

 『死喰い人』の仲間と連行されたクラウチJrは死に物狂いで父親に縋った。何の情けもなく、クラウチはアズカバン行きを命じた。クラウチ夫人が無慈悲な決断に気を失ったらしい。

「前に見た夢で、マグルのお爺さんがいた。同じ時期に、フランク=ブライスって人が行方不明になった。ダンブルドアがマグルの新聞を読んで、前の時と同じだって……」

 必死に記憶を呼び起こすハリーは苦しそうだ。ハーマイオニーは聞き洩らしがないように羊皮紙にメモを取っていた。

「待ってね、OK。以前、夢に出てきたお爺さんは実際にいて、今は行方不明。クローディアのお父様から、カルカロフが自由と引き換えに仲間を売ったという話はこれで真実になったわ。その時の名前はマルベール、トラバース……全部、新聞に載っていたわ。それで、バグマンさんはルックウッドに情報を流した……。前にウィンキーがバグマンのことを悪い魔法使いだって言ってたでしょう。このことだったんじゃない? クラウチ氏はバグマンが刑を逃れたことを腹立てて、家でウィンキーに話したのよ」

「そうだろうけど、バグマンさんは、その……ルックウッドが魔法省での職を世話してくれるって言葉に乗せられただけって言っていた」

 ハリーにも自信はなかった。だが、疑いたくもない様子だ。

 クローディアも疑いたくない相手がいる。

「スネイプ先生が……本当に『死喰い人』だったなんてさ。つまりは、やっぱり……」

 コンラッドも『死喰い人』かもしれない。その疑念が強くなり、クローディアは胸が重くなる。

「そうかしら? カルカロフが保身の為に、スネイプ先生の名前まで出してクローディアのお父様の名前を出さなかったなら、仲間じゃないのかもしれないわ。そりゃあ、マルフォイのような連中もいるけど、彼らは無実を主張したからよ」

 ハーマイオニーの正論に、クローディアは幾分か救われた。確か、一度でも容疑をかけられ、それを弁解する機会を得ていないのならば、コンラッドは指名手配の扱いを受けてもおかしくない。ましてや、ダンブルドアやムーディが黙っているはずもない。

「以前……、マルフォイの父親はドリスさんにコンラッドさんへの伝言を託していた。『逃げられはしない』って、もしかして……コンラッドさんは『死喰い人』の誘いから逃げたのかもしれない。ドリスさんに何も言わなかったのは巻き込みたくなかったから……とか?」

 ハリーの憶測にクローディアは沈黙する。目配りだけで判断不可能と返した。

「なんというか、校長先生は、スネイプ……先生を信用しているんだろ?」

「うん、校長先生とスネイプ、先生の問題だって……」

 躊躇うロンに答えたハリーは寒気に襲われたらしく、身を震わせる。

「ハリー、夢の話を聞いてもいいさ?」

 ようやくクローディアが声に出すと、ハリーは頭を押さえて記憶を思い返す。

「ワシミミズが、ヴォルデモートに何かを報せたらしい。……それをクィレルが怒っていた……。よくわからないけど、そんなはずがないとか……。けど、ヴォルデモートは予定を変えないって」

 クィレルがヴォルデモートの傍にいる。聞くだけで、クローディアの心の奥底が竦んでしまう。

(しっかりするさ。とっくにわかっていたことさ)

 自分自身に喝を入れたが、表情で丸分かりのようだ。ハーマイオニーは何も言わず、クローディアの肩を撫でる。温かな手に慰められた。

「ハリー、クラウチJrの裁判だけどさ。他に3人の『死喰い人』がいたのは、なんでさ? 他の人は1人ずつだったのにさ」

 まるで痛みのある傷に触れられたように、ハリーはビクッと痙攣した。

「同じ罪状だったからだよ。『闇払い』の人に『磔の呪文』をかけて拷問した罪だって」

 それ以上、ハリーは何も答えなかった。

 




閲覧ありがとうございました。
バーサ、ごめんね。助けられなかった。


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21.ざわめく周囲

閲覧ありがとうございます。
毎日、多くの方にご覧頂き、本当に嬉しいです。

追記:16年3月15日、17年3月8日、誤字報告により修正しました。


 4月の半ば、『姿現わし』試験は行われた。

 ロジャーやセドリック、フレッドとジョージを含めた数人が合格した。勿論、クララも合格だ。ジャックやリーのように次回へ持ち越された生徒が多数だった。

「いいですか? トワイクロス氏の注意事項を心に刻んでください。でないと、その身を刻みますよ?」

 フリットウィックからの警告に、6年生は乾いた笑いを見せた。

 自分の合格を各々の親に知らせる為、フクロウは今日も飛ぶ。

「親父とお袋に教えるとして、ロンとジニーにはどうする?」

「ん~、休暇に入ってからでいいんじゃない?」

 双子は悪だくみ満載の笑みで、頷き合った。成人した彼らは、家でも魔法を使ってロンとジニーに自慢することだろう。

「あんたら、少しは手加減してやるさ」

「「な~んのことかな」」

 わざとらしく口笛を吹く、双子の腹にクローディアの拳が襲った。

 

 5月が最後の週になり、学年末試験への勉強が佳境に入る。

 『魔法史』では、ゴブリンの反乱について復習が行われた。終業の鐘が鳴り、クローディアが筆記用具を片付けているとき、サリーが声をかけてきた。

「クローディア、教室の外でベッロが待っているわ」

「外で? 入ってくればいいさ」

 鞄を持ったクローディアが教室を出ると、先に出ていた生徒達にベッロが囲まれていた。それもそのはず、ベッロの口に太いコガネムシが銜えられていた。食いちぎらないように、羽根を押さえている。

「まあ、ベッロったら、捕まえた獲物を見せに来たのね。可愛い」

 上機嫌にパドマがベッロの喉を撫でる。

「普段なら、食べるのにさ。よっぽど、気に入ったさ」

 クローディアは細い紐を取り出し、じっとするコガネムシに紐を取り付けた。片方の紐をベッロの首に取り付け、離れられないようにした。

「これで、いつでも遊べるさ」

 ベッロが嬉しそうに舌を出し、尻尾の先でコガネムシを突いて遊びだしただ。見物していた生徒達がベッロに拍手を送る。そして、夕食であることを思い出し、自然と解散していく。

「ベッロを見ていたら、全ての蛇が可愛く思えて仕方ありませんわ」

 微笑ましい表情でリサがベッロを撫でて行った。クローディアがベッロを抱き上げようとしたが、廊下の先でクルックシャンクスが現れて、一緒にコガネムシで遊びだした。邪魔をしてはいけないので、そのままにした。

 廊下でクルックシャンクスを見かけたハーマイオニーもベッロが遊んでいるコガネムシに気付く。目を凝らしてコガネムシを睨んだ彼女は、不審そうに眉を寄せた。

 

 夜だけの授業、『天文学』が終わる。クローディア達は寮までシニストラに引率された。

「星って見ていると落ちつくなあ、嫌なこと忘れそうだ」

「モラグ、試験は来月だぞ」

 現実逃避しようとしたモラグに、アンソニーは苦笑する。

 皆がそれぞれの自室に戻ろうとしたが、クローディアは腕輪の文字に気付く。『グリフィンドール談話室』と書かれていた。

(こんな時間さ?)

 それだけ緊急事態だと察し、クローディアは忘れ物を言い訳にして談話室を去る。螺旋階段を上ってから、影へと変身した。

 急いで来てみれば、ハリーは上機嫌に表情を緩ませていた。

 午後9時、ハリー達・4人の選手はバグマンに呼び出された。自分の部下が死体で発見されたというのに、バグマンの態度は飄々としていた。

 ハリーは勿論、セドリックも自然とバグマンに不信感を抱く。

 最後の課題の内容を聞かされた。クィディッチ競技場が生垣の迷路に変えられており、何処かに優勝杯を置かれている。迷路には障害物があり、それを潜り抜けて優勝杯を見つけ出すというものだ。

 城に帰ろうとしたハリーは、何とビクトールに呼び止められた。理由は、ハーマイオニーとの関係を問いただす為だと言う。適当にあしらうことなど出来ぬ程、必死な態度で迫られた。故に、真剣な態度でハリーはハーマイオニーとは友達だと返した。その答えをビクトールは喜んだらしい。

「クラムが僕の箒捌きは凄かったって言ってくれたよ」

 世界最高のシーカーから賛辞を受け、ハリーは上機嫌である。城に着くまでの道のり、ハリーはクラムとクィディッチの話で意気投合したそうだ。

 全てを聞き終えてから、クローディアは杖を天井に向ける。わざわざ呼び出されたのに、ただの自慢話をされた。

 それよりも、重要なことがある。ハーマイオニーがビクトールの好意を嫌がっていない。寧ろ、若干、嬉しそうに口元が緩んでいる。

 嫉妬めいた感情がクローディアの中で渦巻く。何故だが、ロンも同じ気持ちのようだ。

「ハーマイオニーをダシにして、ハリーの作戦を聞こうとしたのかもしれないぜ」

「彼は、そんなことしません」

 苦々しく吐き捨てるロンを厳しい口調でハーマイオニーが咎めた。

「迷路の対策は、明日にしようさ。ちょっと、地図を見せてさ。フィルチの居場所見るからさ」

 クローディアに頼まれ、ハリーは羊皮紙を地図にした。瞬間、彼は驚いて目を見開いていた。

「スキーターが! 学校に忍び込んでる。ほら、ここ! 一階の廊下に名前がある!」

 地図にハリーが指差したところに、確かにスキーターの名がうろついている。クローディアとハーマイオニー、ロンは地図に飛びつき、食い入るように見つめた。

 スキーターの傍をフィルチが通りかかっていた。しかし、彼は素通りしていた。

 ハーマイオニーは、何かに気づいたように口を押さえる。

「クローディア、急いで寮に帰って確かめて欲しいの。ベッロの虫がまだいるかどうか、朝食のときに教えて欲しいの」

「……わかったさ」

 合点承知とクローディアは影へと変身する。影は素早い動きで談話室を去って行った。

「いま、クローディア、杖を使わずに変身しなかったかな?」

 我が目を疑うように、ロンは瞬きして瞼を擦る。そして、ハリーはハーマイオニーが意図したことにも気づく。

「もしかして、スキーターは『動物もどき』かもしれないってこと?」

「それは、明日になればわかるわ」

 いまいち信じられないとロンが怪訝そうにするが、ハーマイオニーは確信を得たように微笑んでいた。

 

 寝台の上で寝息を立てるベッロの紐が千切れている。コガネムシは逃げ去っていた。それを確認したクローディアもある確信を持ち、優越感で拳を握り締めた。

 知りえた情報が多いせいか、脳内が活発になりなかなか寝付けなかった。布団の中で、悶え続けた。

 ようやく寝付けたと思いきや、3時間足らずで目が覚めた。窓の外から差し込む淡い光と時計で起床時間より早い。

(ハーマイオニーのことだから、図書館で確認してそうさ)

 皆を起こさないように制服に着替えたクローディアは、足音を立てないように寮を出た。

 この時間で囁き声が聞こえるのは、絵の住人のせいだ。

「フレッド。それは、脅迫じゃないかな?」

「このまま泣き寝入りなんて冗談じゃない。露見して困るのは向こうなんだぞ」

 否、聞きなれたこの声は絵の住人ではない。しかも、耳に入った言葉は物騒な印象を受ける。クローディアは、声のする方向に廊下を曲がる。

 そこには、緊張した顔つきの双子が歩いていた。先にフレッドがクローディアを視界に入れた。彼女の表情から、話を聞かれたと察したようだ。

 フレッドはジョージの肩を掴んで、走り出した。足の長さから双子とクローディアの差が開いていく。しかし、彼女の瞬発力で一気に双子との距離を縮め、2人のローブを引っつかんだ。

「は~い♪おはようさ♪なんで逃げたさ?」

 クローディアが皮肉な笑顔で挨拶すると、フレッドが彼女の額を手で押さえる。

「追われたら逃げる。これが僕たちの流儀なんだ」

「ジョージは本当のこと話してくれるさ?」

 猫なで声でクローディアが問いかけると、ジョージは更なる媚び顔で瞬きする。

「本当のこと? そうだな。コーマック=マクラーゲンが君を狙っているぞ。アイツは、ちょっと性格に難ありだな。もともとバスケ部に入ろうとしたのだって、君に興味があったからだし」

 そんな話が聞きたかったのではない。全く関係のない話をするのは、話したくないからだ。双子の心情を察したクローディアは、満面の笑みを浮かべてローブから手を放す。

「マクラーゲンには一度だけ、デートに誘われたことはあるさ。その時は、断ったさ。でも、受けておけばよかったさ。次は私がデートでも、申し込むさ」

 クローディアは両手を後ろ手に組み、わざとらしく天井を何気なく見つめる。口の端を上げ、楽そうに笑って見せた。

「いいんじゃないか? 僕は応援するぜ」

 賛成したフレッドは笑い返したが、ジョージは言葉を失ったように口をパクパクと動かす。余程、クローディアの発言が衝撃なのだろう。

「ありがとうさ、フレッド。それじゃあ、ジョージ。良い一日を」

 嫌味を込めて言い放ち、クローディアはわざとらしくウィンクした。

 

 しかし、早朝から図書館が開いているはずもない。クローディアが座り込んでいると、ハーマイオニーが現れた。すぐに、コガネムシが消えていたことを報せる。マダム・ピンスが来るまで扉の前で座り込んだ2人は、小声でスキーターの行動について話した。

「私がベッロにスキーターを見つけたら、連れて来るように頼んださ。まさか、虫とは予想外さ」

「虫ほど小さいなら、何処にでも紛れこめるものね」

 1時間もせずに、マダム・ピンスがやってきた。早すぎる2人の存在に驚いていた。早速、『動物もどき』に関する本を見つけ、登録者の項目を確認する。マクゴナガル、シリウス、ペティグリューの名がある中、スキーターの名は記されていない。

 ちなみにペティグリューは(仮)と表記されていた。

「あの女は、非登録の『動物もどき』ね。そして、その姿はコガネムシ。触角の回りの模様があの女の眼鏡と同じだったから、嫌な感じがしてたのよ。起きたときに地図を確認したけど、スキーターはもういないわ。昆虫も『動物もどき』に含まれるかなんて、考えてもみなかったわ」

「次は逃がさないさ」

 語尾を強くして呟くクローディアに、ハーマイオニーはわざとらしく呟く。

「あの女……リータ=スキーターのことは、私に任せてくれる? ね、お願い」

 クローディアとしては、スキーターに制裁を与えたい。それが表情に出ていたのか、ハーマイオニーは彼女の手を両手で包み、上目遣いで微笑んだ。ここまでされたら、断れない。

「抵抗されたら、痛めつけるくらいはしてもいいさ?」

「駄目よ、クローディア。物騒ねえ、全く」

 スキーターの捕獲はクローディア、その後はハーマイオニーが対処することに決まった。

 

 本日の授業に備え、クローディアは快調な気分で朝食を貪る。向かいに座ったモラグが躊躇うように声をかけてきた。

「6月にも、部活の予定はあるかな? 去年は、バーベッジ先生が忙しくて出来なかったけど」

「1回はやるつもりさ。先生は試験作成で忙しいけど、去年と事情も違うしさ。絶対、やりたいさ」

 意気込むクローディアに、モラグは安心していた。

「俺も部活が楽しんだ。ありがとう」

 感謝を込めてもモラグは、クローディアの手を握った。そこまでバスケ部を喜ばれ、クローディアも嬉しくなる。

「ありがとうさ、マクドゥガル」

 思わず、クローディアはモラグの手を添えるように握り返す。

 グリフィンドール席にいたジョージは、本当に偶々、それを視界に入れた。知らず、手にしていたフォークに力が入って折り曲げた。

 

 ハリーがシリウスに手紙を出すと、『失神の呪文』と『武装解除呪文』を練習すべきと助言してきた。

「杖をなくしても、冷静に呪文を唱えられるようにしておくさ」

「そうね、基本から見直すのも大事よ」

 クローディアとハーマイオニーの提案をハリーは素直に受けた。

「取っ組み合いになるかもしれないから、パンチを繰り出す練習もしておく?」

 拳を構えるロンは良い点を突いている。万が一、魔法そのものを封じられた場合、残るは肉弾戦だ。

 4人で図書館に篭り、防衛系の魔法を調べた。

「あ、蜘蛛に対する魔法があるさ」

「え? どれどれ!?」

 『蜘蛛避け呪文』を見つけ、ロンは大いに喜んで羊皮紙に書き移した。

 授業の合間で使われない教室を見つけては、ハリーの訓練は行われた。しかし、この訓練には相手が必要不可欠である。クローディア、ハーマイオニー、ロンは、交代交替でハリーに吹き飛ばされた。

 勿論、ハーマイオニーに怪我を負わせたくないクローディアが主立って、相手をした。

「一通りやって、何が得意・不得意かを見つけよう」

 そういって、ハリーは真剣な態度で特訓に励んだ。最初の頃は嵌められたせいもあり、精神的にも追い込まれていた。今では、立派な選手の顔をして最後の課題に挑もうとしている。

 これで、ヴォルデモートのことさえなければ、喜ばしい限りだ。

 普段からの鬱憤を晴らすようにハリーは、クローディアを的にする。

「避けないでよ。当てる練習なんだから」

「だったら、もっと狙いを強くしてさ」

 だが、クローディアは反射的に魔法を避けてしまうので、訓練にならない。当たったとしても、彼女は効きが弱かった。よって、一番の被害者はロンだ。

「素直にルーピン先生とか、ムーディに相手になってもらったら、どうさ?」

 ハリーが放った『失神の呪文』で、大の字で床に倒れ伏したロンを見下ろしたクローディアは呟く。

「マッド‐アイにそんなことしたら、しっぺ返しを食らうよ! それにルーピン先生は、これまでも助けてくれたんだ。最後ぐらいは、自分でどうにかしたいよ」

「そういう心意気なら、私、喜んで力を貸すわ」

 力んだハリーの肩を優しくハーマイオニーが触れる。その光景に苛立ちながら、クローディアはロンを叩き起こす。

「ロンも折角、用意したクッションの上に倒れるようになるさ」

 教室の隅でハーマイオニーがクッションの山を並べる。

「無茶を言うなよ! クローディアなんて、避けるくせに!」

「避けれるんだから、しょうがないさ」

 わざとらしく肩を竦めたクローディアは、図書館で作った防護魔法項目を眺める。

「次の日曜日。バスケ部の活動があるけど、ハリーはどうするさ?」

「行くよ。あれって、集中力を鍛えるのに凄く良いんだ」

 ハリーの快い返事を聞き、クローディアは素直に喜んだ。

 

 部活動は、クローディアにも最高の息抜きである。だが、息抜きと称するのは生徒だけではないらしい。

 ルーピンやベクトル、マダム・フーチにビンズまでもが和気藹々と参加してくれば、生徒はただ驚く。

 教師の参戦よりも、幽霊のビンズに対する驚きだ。

 ビンズはボールに触れることなく放り投げ、ゴールへと命中させる。ネビルやアーミー達が感心して、幽霊教授に拍手を送っていた。しかし、ロジャーやアンジェリーナなどのクィディッチ選手は複雑そうに笑う。

 ビンズの反則にも見える行為に、クローディアは首を傾げる。

「あれえ? 『魔法封じ』が効いてないんでしょうか?」

「ビンズ先生は、魔法ではなく幽霊としてのお力を振るわれているのです。『嘆きのマートル』がよく女子生徒に洪水をぶっかけるのと同じ理屈です」

 可笑しそうに微笑みながら、バーベッジは説明する。

「つまり、幽霊達には別の対策が必要ということですか? しかし、これまでピーブズは部活で悪戯をしたりしていませんが、どうしてでしょう?」

 クローディアが素朴な疑問を口にすると、バーベッジは悪戯っぽく目を細めた。

「『血みどろ男爵』にお願いしたんですよ。大分、骨が折れましたがね」

「……左様でございますか……」

 何も聞くまいと、クローディアは均等な戦力配分によるチーム分けを行った。

 流石、『飛行術』の教授であるマダム・フーチの颯爽としたボール捌きに、ある種の感動を覚えた。いつの間にか、他校の教師達まで見物に訪れ、バスケを体験したがった。

「楽しそうで何よりです」

 スタニフラフがクローディアに笑いかける。

「本当に、先生達がこんなに楽しんでもらえるなんて、すっごく嬉しいさ」

「僕が言ったのは、あなたのことです」

 大真面目に微笑んだスタニフラフの発言に、クローディアは目を丸くする。

「最初、貴女にお会いした時は、ただ知り合えば良いと思いました。けど、今は……貴女の喜ぶ笑顔をずっと見てみたい」

 スタニフラフの手がクローディアの髪に触れ、熱っぽく囁かれた。

 この意味を十分、理解できる。彼の仕草や口調は、決して嫌ではない。寧ろ、心地よい。口説かれたことを心が喜んでいる証拠だ。

 ルーピンを視界の端に捉えてから、クローディアはスタニフラフを真っすぐ見上げる。口説きに対する返答を述べる前に、ロジャーが割って入って来た。

「クローディア、ネビルが調子悪そうだ。見てやってくれよ」

 ロジャーは不遜な態度で親指をネビルに向ける。

 ネビルは床に座り込んで、足元を擦っていた。シェーマスとディーンが彼を気遣っている。

「行って下さい。僕のことは、いつでも構いませんので」

 特に機嫌を損なうことなく、スタニフラフは穏やかに言い放つ。彼に感謝し、クローディアはネビルの傍へと駆け寄った。

 クローディアがいなくなり、ロジャーはスタニフラを品定めするような目つきで眺めた。

 しかし、スタニフラフは笑みを絶やさずに視線を受け止めた。

「クローディアはいずれ、僕の恋人になる。他を当たってくれ」

 挑戦的な態度で、ロジャーは断言する。動じることなく、スタニフラフは含み笑いを見せた。

 癪に障ったロジャーの目つきが鋭くなったが、スタニフラフは全く臆しない。それどころか、笑みが更に強くなった。

「恋人の位置で満足するなんて、彼女も舐められたものですね。僕なら、この身を一生捧げますよ」

 堂々とスタニフラフに返された。目の前の彼は、この時点で彼女の将来さえも奪おうとしている。落雷を受けた気分になり、ロジャーは深い眩暈に襲われた。

 

 ――彼女を絶対に渡したくない。独占欲に似た感情で滾る。

 

 動揺を誤魔化さないロジャーを見据え、スタニフラフは余裕綽々な態度で言葉を紡ぐ。

「ただ、僕は女性に固執しない主義です。もしも、僕が本気で口説き落としたくなる前に、彼女(クローディア)が貴方を選んだなら、潔く身を引きましょう」

「へえ、欲しい女を簡単に諦められるんだ」

 あからさまな敵意を剥き出し、ロジャーはスタニフラフとメンチを切った。

 同じ頃、ジョージは壁際で水分補給するコーマックを見つけた。偶然だろうが、彼の周囲に人はいない。皆、各々に部活を楽しんでいる。好機と踏んだジョージは、差し障りのないように声をかける。

「バスケは楽しいか?」

「ああ、勿論。所詮は、マグルの競技とか思ってたけど、割と楽しめる。クローディアもいるしな。アイツ、日に日に美人になっていくと思わないか?」

 コーマックは、顎でクローディアを示す。ネビルの靴を脱がしたクローディアは、中から木の破片を取りだす。

 ネビルの足痛の原因は、微かな木の破片のようだ。

 ジョージは普段の笑みを見せ、大げさに肩を落とす。

「クローディアには、好きな人がいる。相当、惚れ込んでいるから、諦めたほうが無難だぞ」

 ジョージは出来るだけ、口調と音程に気を遣った。コーマックを気遣っての忠告に聞こえさせる為だ。しかし、コーマックは喉を鳴らして愉快そうに笑う。

「そんなことは、とっくに知っているぜ」

 あまりにも、あっけらかんとしている。意外な返答が、ジョージから笑みを消してしまう。ジョージの動揺を気に留めず、コーマックは続ける。

「前に、デートに誘ったことがある。そん時に、気付いた。女子ってさ、恋している時が一番綺麗なんだよ。多分、彼女の恋は報われないな。そうなれば、俺の出番ってわけ」

「クローディアがおまえを選ぶってか?」

 可能性を否定するジョージに向かい、コーマックは悪戯っぽく口元を曲げる。

「違うな。必然的に、俺の女になるんだよ」

 

 ――カチン。

 

 運命を語る傲慢さを目の当たりにし、ジョージの脳髄で音が鳴った。多くの人に笑いを齎す『悪戯仕掛け人』の肩がきを捨て去り、ただ1人の男として、カチンッという音を確かに聞いた。

 ジョージは何も言わず、自然とコーマックを睨んでいた。最初、コーマックは驚いて目を丸くする。しかし、視線の意味を理解したらしく、真っ向からジョージと対峙した。

「何だか、ジョージの機嫌が悪いわ……」

「奇遇ですね、ロジャーもすこぶる機嫌が悪いです」

 ジニーとシーサーは、お互いの兄を気味悪く感じた。

 




閲覧ありがとうございました。
ペティグリューは杖がないと変身もできず、自分で解けないので仮免許のような扱いです。


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22.予期しない参加

閲覧ありがとうございます。
やっと、ここまで来ました。展開遅くてすみません。

追記:16年3月17日・誤字報告により修正しました。


 学期末試験期間が発表され、最終日は第3の課題と重なった。期待感がより募り、例年とは比べ物にならない緊張感が城内を漂っていた。

 クローディア達は、試験勉強の合間にハリーの訓練相手をしようとした。しかし、彼自身が丁重に断ってきた。

 勉強に集中して欲しいという心遣いが、クローディアは少し嬉しかった。

 それに対し、ハーマイオニーと最後までハリーに付き合うと宣言した。

「心配しないで、少なくとも『闇の魔術への防衛術』では最高点を取ると思うわ。だって、授業以外でこんなにたくさんのことを学んでいるんですから」

「ああ、僕らが『闇払い』になる為には十分かもしれないぜ」

 上機嫌なロンが『妨害の呪い』を迷い込んできたスズメバチに命中させた。スズメバチは、ポトリッと撃ち落とされた。

「……『闇払い』か……、それもいいかもしれない」

 ベッロの頭を撫でながら、ハリーは誰に言うわけでもなく呟いていた。

「じゃあ、今日は杖なしで魔法を使ってみるさ。ハリー、私から『武装解除』で杖を取り上げてさ」

 クローディアの提案に頷き、ハリーは杖をロンに預けた。気合いを入れる為に袖を捲り、彼の視線は彼女の杖に釘付けだ。

「魔法をかける対象から、目を逸らさないでね」

 念押しするハーマイオニーの助言を耳に入れ、ハリーは唱える。

「エクスペリアームズ!(武器よ去れ)」

 クローディアの手にある杖は、一瞬だけ見えない力に押された。ただそれだけで、手から取れなかった。やはり、杖を持つ時と違い、効力が弱いことは一目で知れた。

「ハリーが得意の『武装解除の呪文』でこの威力だと、……他はたかが知れるわね」

 ハーマイオニーの指摘を受け、ハリーは残念そうに自分の両手を眺めた。

「クローディアも杖なしで、僕に『武装解除』してみてくれる?」

 ハリーは杖を構え、クローディアは杖をハーマイオニーに預ける。

 クローディアは、ハリーの杖に意識を集中した。ボールをゴールに入れる時と同じ感覚が自然と神経を通って行く。

「エクスペリアームズ!(武器よ去れ)」

 クローディアが叫ぶと同時に、ハリーの手から杖が弾かれた。そのまま杖はロンが受け取った。ハーマイオニーが満足そうに頷く。

「クローディアなら、このくらい造作もないわね。ハリー、杖なしでは『武装解除の呪文』を徹底的に練習しましょう」

「どうやってやるんだ?」

 真剣な態度で問いかけるハリーに、ロンは閃く。

「ハリー、前に親戚のおばさんを風船みたいに膨らませただろ。それと同じだよ」

「つまり、強く意識するってことか……」

 色々と練習にしている内、マクゴナガルに空き教室ばかり使用していることがバレた。

「言って下されば、教室の使用許可を与えますとも」

 授業がない間だけ『変身術』の教室を使う許可が下りた。教室に案内され、ハーマイオニーは口開く。

「マクゴナガル先生、杖なしで魔法が上手く出来るコツありませんか?」

 その質問に、マクゴナガルは怪訝する。

「杖を奪われた時の為に、対抗策を練っているんです」

 ハリーからの強い口調に、マクゴナガルは一瞬、躊躇う。しかし、自らを納得させて「いいでしょう」と呟いた。

「本来でしたら、『魔法史』で6年生から教える内容ですが……まずは杖使いの歴史について簡潔にお話しします」

 黒板に、「杖使い」と書き込まれた。

「学校に来る前、我々は杖を使わず、魔法を発動させた事を覚えていますか?」

 ハーマイオニー、ハリー、ロンは勿論と頷く。クローディアは一切、そんな出来事がないので、便乗して頷いた。

「魔法族は、元々、ゴブリン、『屋敷しもべ妖精』などの妖精族のように杖を持たなかったのです。しかも、妖精族より、劣っていました。それが紀元前1000年頃から……この辺りは歴史家が研究中ですが……杖を使い、魔法をより正確に精密に行う術が生まれ始めました。ですが、妖精族は、どんな杖を用いても、魔法をより強力にすることは叶いませんでした。こうして、杖使いたる魔法族と杖なしの妖精族との差が生まれたのです」

「では、私達は杖使いなのですね?」

 羊皮紙にメモを取るハーマイオニーに、マクゴナガルは当然と返す。

「ですから、ミスタ・ポッター。杖を無くして魔法が使えないというのは、実は、ただの気のせいなのです。正しくは、杖に依存してしまったというべきでしょう。杖を手放す事態になっても、普段の通りに魔法を使える自分自身を想像するのです。杖はあくまでも手段のひとつだと忘れなければ、貴方は魔法を失いません」

 授業中の態度で言い放たれ、ハリーは緊張で深呼吸する。

「でも、フリットウィック先生は? あの人は妖精族ですよね?」

 ロンの素朴な疑問に、マクゴガナルは笑いを堪えるように目を細める。

「その通り、本来、杖使いとなれる妖精族は人間との混血だけです。しかし、あの方は魔法史の中で、唯一、杖使いとなれた妖精族出身の魔法使いです」

 我が事のように自慢するマクゴナガルに、4人は呆気に取られた。

(フリットウィック先生……そんなに凄い人だったさ)

 4人の反応が乏しく、マクゴナガルの怪訝な視線が送られた。慌てて、4人は大袈裟に驚いて拍手した。

 

 時間と場所の確保が出来たせいか、ハリーの呪文の腕があがった。『妨害の呪い』、『粉々呪文』、『四方位呪文』が扱えるようになったが、『盾の呪文』だけがうまく行かなかった。杖なし状態での『武装解除の呪文』は、10分の1の確率であった。

「杖がない状態で魔法が使うと超能力者になった気分さ」

「あら、それだと無言呪文も出来るようにならないと駄目だわ。気が早いわよ」

 クローディアとハーマイオニーは、そのまま超心理学の話に花を咲かせた。

 ハーマイオニーは、日本での超能力者の研究が盛んではないことに驚いていた。

「私もそんなに詳しくないけどさ、有名どころは福来博士の念写実験くらいさ」

 それも世界大戦前に行われた実験である。

「実はね私、ホグワーツから手紙が来るまで、自分の力をPK(念力)だと思っていたの。実際に簡単なテストも受けたわ。関係性は全くなかったけど、魔法族の為にも、PK(念力)やESP(超感覚的知覚)の研究はしっかりしておかないと、本物ばかりが糾弾されて詐欺師どもがのさばってしまうわよ」

 ハーマイオニーの言い分は、最もだろう。日本において、超能力者の扱いは正直言って悪い。ある時期、多くの子供達が有名な超能力者の影響を受けたゲラリーニが誕生した。しかし、そんな子供達は世間やマスコミから、守られなかった。今になってわかるが、福来博士の千里眼事件がその例だ。2人の超能力者が世間の中傷によって、精神的に追いつめられ、その命を縮めた。大学教授たる福来博士でも、2人の人間を守り切れなかった。マスコミメディアによる弾圧を僅か十代の子供達が乗り切れるはずがはないのだ。それなのに、人々は容赦なく子供達を批判し、批難し、否定した。

 まさに、中世の魔女裁判の如き行いだ。めげずに中傷から生き延び、成人して尚も超能力者として活躍する者は、僅か一握りである。それだけ多くの子供達が耐えきれなかったのだ。

 魔法を否定している時点でマグルの世界に魔法は存在しない。それと同様、マグルの世界に超能力は存在しない。

 だが、魔法界はある。それ故に、超能力などの非科学的なモノも確実に存在している。

 クローディアの中で、ゲラリーニを弾圧した記者達がスキーターと重なった。きっと当時の記者達も真実よりも話題性を重視し、記事に着色を加えたりしたのだろう。

「ハリー、スキーターのことは何の心配もいらないさ。存分にやるさ」

「うん……、ありがとう」

 クローディアは知らずと暗い重い声で、ハリーに励ましの言葉をかけた。

 ハリーにしてみれば、機嫌の悪いクローディアのほうが心配だった。 

 

 課題の日が一週間前に迫り、シリウスとドリスからの手紙が競うように毎日届いた。ハリーは、十分、勇気付けられた。

 シリウスの手紙を意識するだけで、クローディアがピリピリと苛立った。

 

 

 待ちに待った第3の課題日は、最終試験日。

 談話室でペネロピーから放たれる殺気に、皆が息を飲んだ。おそらく、いまの彼女はハリーよりも神経を尖らせているに違いない。7年生全員はこの試験で進路が決まるのだから、当然だ。

 廊下を歩くペネロピーの手には、単語帳がいくつも握られている。

(そっか……、卒業……、ペネロピーは卒業するさ)

 突然、胸に淋しさが過る。入学の頃から、ペネロピーに随分と助けられてきた。

(学年一位を目指すさ。ペネロピーが自慢できる友達であれるようにさ)

 ペネロピーの背を見つめ、クローディアは決意した。

 食パンと目玉焼きを齧じると、リサが【日刊預言社新聞】を隠すように見せてきた。その態度に、クローディアはスキーターの記事が記載されていると察した。目を通してみたが、【横暴な少女】や【蛇女】など、これまでより随分と幼稚な文面であった。

 城内は使い魔達が厳重にコガネムシを見張るようになり、隠密行動も取れない。しかも、スネイプの命令で生徒は絶対、スキーターの取材に応じられないのだ。情報が不足し、どうにか記事を書いているといったところだろう。

 クローディアは適当に流す態度なので、リサは安心した表情を見せた。

 

 午前中の試験が終わり、集中力で激しく体力を消耗した生徒は大広間へと向かう。クローディアもパドマと一緒に、午後の試験予想問題集を見ながら、廊下を歩いた。

「どなたかしら?」

 先を歩いていたリサが指差す方向に、スタニフラフと見知らぬ魔法使いが絵を眺めていた。シワの刻まれた顔は、何処となく威厳がある。目立たない色合い外套を纏っても、着こなし方が上品さを教えている。

「ペレツ! 家族の人さ?」

 手を振りクローディアが、スタニフラフに声をかける。気づいた彼も魔法使いに耳打ちした。すると、魔法使いはシワを更に増やして微笑んだ。しかも、勢いをつけてクローディアの迫り、唐突に両頬を抓りだした。パドマとリサが思わず、小さな悲鳴を上げた。

〔こいつが孫か! いやあ、東洋系は顔の判別が難しいが、母親そっくりだ!〕

 しかも、知らぬ言葉で快活に笑い出した。

「なひぃをすりぃんですか? はにゃせ」

「何をなさっているのですか? おやめください」

 戸惑いに手を震わせたリサが魔法使いを咎める。しばらく傍観していたスタニフラフが魔法使いを窘める。魔法使いはクローディアから手を離し、満足した顔で息を吐いた。

「すみません。こちらは、以前お話した僕の曾祖父イリアン=ワイセンベルクです」

「こいつの手紙でぇ話は聞いておるぞぉ。ワールドカップのときに、君のお母上にぃお会いしたが、ソックリだぁ! っと、さっきはぁ叫んでいたのだぞぉ」

 スタニフラフの頭を叩きながら、今度は豪快に笑い出した。気さくというべきだろうが、迫力がありすぎてクローディア達は苦笑するしかない。

 しかし、それでは無礼だとクローディアは背筋を伸ばした。

「はじめまして、ワイセンベルクさん。ワールドカップの際は、ご挨拶できませんでした。申し訳ありません」

 礼儀正しく頭を下げるクローディアを見下ろしたワイセンベルクは、見惚れたように口元を緩める。

 そして、クローディアの髪を引っ張り出した。軽く触れているつもりかもしれないが、地味に痛い。

「女の子はぁ可愛らしいなぁ。まるでぇ娘の若い頃を思い出す。それもぉ何年の前だったか思いだせんなぁ」

 結局、思い出すのか出さないのかどちらなのかと疑問する。

「そろそろ、ダンブルドア先生とのお約束の時間です」

 助け舟と言わんばかりに、スタニフラフが報せる。わざとらしく残念がったワイセンベルクは、クローディアの髪から手を離す。

 解放されたクローディアは、乱れた髪を手櫛で整える。

「またな、お嬢ちゃん…………」

 背を向けたワイセンベルクが最後に何かを呟いた。微かな小声だったので、クローディアには聞き取れなかった。嵐が去った後は、空腹が襲ってくる。

「あの人、何処かで見たことあるような気がするんだけど」

 急ぎ足で大広間を目指しながら、何気なくパドマが呟いた。

 

 グリフィンドール席にいる来客に、クローディアは少なからず驚いた。生徒に混じってウィーズリー家のモリーと長兄・ビルが座っている。挨拶に近寄ると、ハリーの隣でモリーが今まで見たことない冷たい眼差しを向けてきた。

「こんにちは、モリーさん。どうして学校にさ?」

「こんにちは、クローディア。私たちのことはお構いなく」

 丁寧に返す言葉には敵意が含まれる。驚くことも忘れ、クローディアの心臓が跳ねた。

「クローディアは僕の彼女じゃありませんよ。って言わなくても、モリーおばさんはわかっていますよね?」

 ハリーが全力の作り笑顔でモリーを窘めると、急に暖かい雰囲気が周囲を包んだ。

「あら!? ええ、勿論、わかっていますとも! 私たちね、ハリーの家族として学校に招待されて来たのよ。ドリスも来たがっていたけど、残念だわ」

 打って変わったこの態度、流石にロンも恥ずかしそうに身を縮ませた。ハーマイオニーも大広間に来たので、クローディアもグリフィンドール席に座って昼食を摂った。

 第3の課題になると、選手の家族が招かれるのが通例らしい。本来なら、ハリーはダーズリー家かシリウスが呼ばれるところだが、特別な処置としてウィーズリー家が招待を受けたそうだ。

「選手の家族が呼ばれるのは、わかるけどさ。なんで、ペレツの家族まで来てたさ?」

「ペレツって、あのダームストラング生? あいつの家族がホグワーツに来ているって?」

 クローディアの隣に座ったジョージが堂々と皿に盛っていたミートパイを摘まむ。

「ジョージちゃん、女の子の食事に手を付けるんじゃありません」

 厳しくモリーがジョージを咎めた。

 そこに、ダンブルドアがワイセンベルクと共に、大広間に現れた。

 大広間で偶々、談話していたダームストラグ生達がワイセンベルクに気付く。男女問わず、背筋を伸ばして起立する。咄嗟の行動に何人かが驚いた。

〔食事を続けなさい〕

 ワイセンベルクが外国語で指示すると、ダームストラング生達は緊張を解かぬまま着席した。

「あの人がペレツの曾祖父ちゃんさ」「あの人はブルガリアの魔法省大臣だよ」

 クローディアとハリーは、ほぼ同時に話した。

「それは、ペレツの曾祖父さんは魔法省大臣ってことさ?」

 確認を口に出してから、クローディアは吃驚した。動揺のあまり、手にしていたフォークをネビルに向かって投げ放った。

 飛んできたフォークをネビルは慌てて皿で防ぐ。

「何するの!? 僕を殺す気!?」

「ごご、ごめん。気が動転してさ」

 つまり、トトはブルガリアの魔法省大臣と交流があるのだ。何に驚いていいのか、わからない。

「あの人が魔法省大臣? まあ、ファッジ大臣とは随分、雰囲気が違うのねえ」

 見惚れたようにモリーが呟く。

「親父が教えてくれたけど、あの方は、お忍びでこの国に来ているんだよ。そのせいで、ファッジも来るらしい」

 楽しそうにビルが笑う。

「フランスの魔法省大臣は来られないのですか?」

 何気なく聞き返したクローディアに、ビルは小さく口元を曲げる。

「どうかな? あっちの大臣が来ただけでも、魔法省は本当に大騒ぎだ。パーシーも秘書の仕事が忙しすぎて、てんわやんわしているってよ」

 ビルの話を聞きながら、クローディアは視界の隅に、ハリーを映す。他国の魔法省大臣まで観戦にきたことが下手に緊張させないかと不安になる。しかし、そんな心配を余所にハリーは黙々と牛乳を飲んでいた。

 食事を終えたクローディア達は、午後に向けての追い込みがある。ハリーに別れを告げ、大広間を出て行く。

 二重扉の所で、パドマがクローディアの腕を掴んで耳打ちする。

「(思い出したわ。さっきの人は、ブルガリアの魔法省大臣よ。ワールドカップのときに見かけたわ)」

「(ウィーズリーさんに聞いたさ。お忍びにこの試合を見に来たんだってさ)」

 頷いたパドマは、二重扉から大広間の教員席を失礼のないように覗き込んだ。そのパドマを避けるようにチョウがマリエッタと通りかかる。

「チョウ、ディゴリーのご両親が来ているらしいけど、会ったさ?」

「ええ、さっきセディが紹介してくれたわ。そうそう、セディのお父様から聞いたけど、ブルガリアの魔法省大臣がお忍びで学校の来ているんだって」

 ここまで話が広がれば、もうお忍びではないとクローディアは苦笑した。

「ところで、セディって誰さ?」

「セドリックのことに決まってるでしょ。私、チョウは硬派だと思っていたのに、いちゃいちゃしてくれちゃってね」

 不貞腐れたようにマリエッタがチョウの腕に、肘打ちする。恥ずかしさでチョウの顔色が見る見る内に真っ赤に染まった。

「ほら! 最後に追い込みするわよ!」

 マリエッタのローブを掴んだチョウは、急ぎ足で廊下を進んでいった。チョウとマリエッタが先に行っても、パドマは大広間を覗くのをやめない。

「パドマ、先に行くさ」

「置いておきますわよ」

 クローディアとリサに呼ばれ、パドマは軽く咳払いする。

「マルフォイのヤツが魔法省大臣に話しかけてたわ。でも、大臣は軽く流している雰囲気で、全然相手にしていなかったわ。いい気味ね」

「流石、マルフォイ。ちょっとでも、お偉いさんと縁作りってわけさ」

 ドラコの名を聞いたとき、ここしばらくの授業でも彼と口を利いていないことに気づいた。おそらく、自分と話す興味が失せたのだとクローディアは結論づけた。

 

 遂に試験が終わり、発表までの自由な時間が約束された。レイブンクローは例年ならば、答え合わせがある。しかし、日暮れからの第3の課題の為に備えて、十分に休憩するようにフリットウィックが提案してくれたのだ。

 一番、解放されたのはペネロピーだ。緊張の糸が切れ、すっかり表情を綻ばせていた。

「抜かりはないから、後は結果を待つばかり」

 談話室のソファーに体重を預けるペネロピーは、完全に気を抜いている。試験前が嘘のようだ。豹変にも近い、態度の変動っぷりにクローディアは感心と共に苦笑する。

「ペネロピーの進学は何処さ?」

「政経学部に行くわ。目指すは首相の秘書ってとこよ」

 壮大な目標に意表を突かれ、クローディアは我が耳を疑った。しかも、魔法使いの職ではない。

 だが、クローディアには馴染みのない職だ。

「かっこいいさ。政治家の仲間入りってわけさ? ペネロピーは教師とか、弁護士とか似合ってそうさ」

「よく言われるわよ。うちの両親も弁護士だし。でも、魔法界との関係を保ちつつ、仕事するには政治関係に就いていたほうがいいのよ。ほら、シリウス=ブラックのことをニュースで取り上げたでしょ? 有事の際は、魔法省がマグルに協力要請しやすいように、公務員にも魔法使いや魔女達がいるの。マグル出身者でもないと、職に就くのは難しいらしいわ。いきなり首相は無理でも市議秘書から順を踏んでいく!」

 前向きな計画を立てているペネロピーは素晴らしい。

「魔法界とマグルの架け橋か、すっごく大役さ。頑張るさ」

「架け橋なんて、大袈裟よ。悪い気はしないけど……、そういえばクローディアは将来のこと考えていたりする?」

 何気ない質問にクローディアは、脳裏に浮かんだ職業を口にする。

「あ~、スポーツ関係さ? バスケット選手になりたいって本気で考えたことはあるさ」

「いいじゃない。となると、大学進学は必然ね。日本と英国のどちらに行くとして、バスケの強い所を調べたほうがいいわ。魔法学校卒では、プロのチームにスカウトなんてされないしね。はっきり言うけど、勉強が倍になるわよ。大学受験もあるから、覚悟しておいて」

 適切な助言だ。魔法界に拘りすぎ、魔法学校を卒業してから、改めて将来を計画する。そんな発想が全く浮かばなかった。大学のバスケットチームで成績を残せば、スカウトも夢ではない。

(電話で田沢にも相談してみるさ)

 夢が広がり、高揚していく。

 しかし、『N・E・W・T試験』と平行して受験を行うなど、一種の狂気だ。だが、ペネロピーは珍しい選択をしたと説明した。

「従来だと、卒業してから大学受験に向けて1年勉強するのよ。マグルの常識もじっくり勉強してね。でも、私はマグル出身だから、正直二度手間になると思って、一度に受けることにしたのよ」

 実行したペネロピーを祝福する為、クローディアは拍手を贈る。

「そういう選択肢もありさ。でも、私は遠慮さ。大学進学にしても、1年はしっかり勉強したいさ」

 すると、今度はペネロピーがクローディアに軽く拍手を返した。

「そうよね、学校にいると世間一般の常識が結構ズレるのよ。特にクローディアは外国育ちだし、その辺りは大丈夫なの?」

「その前に、この国の情勢も把握しきれてないさ」

 まるで世捨て人だ。

 苦笑し合う2人を眺め、バーナードが嘆息する。

「よくお喋りする気力が残ってんな」

「2人とも、長話していないで夕食に行きましょう」

 延々と続くかと思われた雑談は、クララの掛け声で終わった。正確には夕食という単語に、クローディアとペネロピーの腹が反応したのだ。

 

「クララは将来どうするさ?」

 螺旋階段を上りながら、クローディアはクララに問う。

「前に言わなかったかしら? 私は『闇払い』を目指しているの。マッド‐アイと話してみたけど、私は才能がないからやめておけ、ですって。悔しいったらないわ」

 眉間にシワを寄せたクララは、何処か気晴れしたような表情で微笑んだ。不思議そうに首を傾げるクローディアの額に、クララは人差し指を突かせる。

「やめておけって、言われるほど成し遂げないといけないって思わないかしら? 私は思っているの。マッド‐アイの期待を裏切る『闇払い』になるつもりよ」

 悠然と構えたクララは、余裕綽々と鼻歌を歌いながら大広間の席に着いていく。

「期待を裏切る……さ」

 そんな考えをしたことはなく、クローディアには斬新な発想だ。それを成しえたとき、大いなる達成感に見舞われるだろう。

 皿に野菜を盛りつけたクローディアの傍に、ハーマイオニーが座り込む。

「随分、嬉しそうね。試験に確かな手応えを感じたの?」

 野菜を口に含み、もしゃもしゃと食べてからクローディアは頭を振るう。

「違うさ。進路のことをちょっと考えてたさ」

 意外そうにハーマイオニーは、感心の声を上げた。

「そっか、そうよね。5年生になったら、進路について取り組まないといけないし、いいことだわ。それで、いまの進路は?」

「ミス・クロックフォード」

 突然、誰かが呼んだ。振り返って視線を下げると、フリットウィックが立っていた。

「早く見つかって良かった。ミス・クロックフォード、緊急のお話があります」

 ハーマイオニーと見合わせたクローディアは、すぐにフリットウィクに着いていった。

 連れてこられたのは、職員室だ。夕食時で教師のほとんど人がいない場所にダンブルドア、バグマン、クラウチ、ムーディがいる。

 そして、何故かその後ろでスネイプが睨んでくる。何かの叱責にしては、豪華すぎる面子だ。しかし、賞賛を受ける覚えもない。

 理由を考えている間に、親しげにバグマンが手を握ってきた。

「君を呼び出したのは、他でもない。今夜の課題について、君の協力が必要だ」

「わ、私の協力ですか?」

 突然の申し出に、クローディアは全身の血が速度を上げて循環する。第2の課題では、ハーマイオニーら4人の生徒が人質となった。今回も人質を頼むつもりかもしれない。

「心配しなくても、人質ではないぞ。君には優勝杯を守ってもらいたい!」

 人質の心配はなくなったが、更に責任重大な役目を言い渡された。あまりの緊張感に全身が痙攣し、クローディアは音程の悪い悲鳴を上げてしまった。

「わ……わたしは、ただの生徒です……。無理です」

「君が1年生の折に、ハリーと活躍したことを知らぬと思っているのかね! これは君だからこそ、頼めるのだ。さあ! さっそく準備にかかってくれたまえ!」

 まだ受けるとも答えていないのに、バグマンは乗り気でクローディアの肩を叩く。助けを求めようと、ダンブルドアに視線を送る。しかし、校長は微笑ましく目を細めるだけで何も口にしない。

「バグマンの思いつきには、こちらも驚いている」

 終始黙っていたクラウチが眉間にシワを寄せつつ、バグマンの隣に立ってクローディアを見下ろした。

「しかし、君ならば出来ると私は信じている」

 厳しい口調の中に含ませた優しい音程がクローディアの緊張を一瞬、解かせた。

「我輩としては賛成しかねます。ミス・クロックフォードはハリー=ポッターの友人です。贔屓を起こさないと言い切れません」

 冷徹に言い放ったのは、スネイプだ。案の定、反対してきた。敵意を込めた眼差しはクローディアを射抜く。

「ミス・クロックフォードもご自分の実力を過信せぬのであれば、どう答えるべきかおわかりでしょうな?」

「スネイプ先生は、私には荷が重過ぎると申されるのですか? 役目を果たせはしないと?」

 口調にトゲを込めて言い返したクローディアは、一度、視線を床に落とした。

「やります。役目を成し遂げてスネイプ先生の期待を裏切ってみせます」

 スネイプを睨み返したクローディアは断言する。一瞬、彼の口元が痙攣した。

「よくぞ言った! さあ、他にも迷路に仕掛けをする教師がいるから、一緒に行こう!」

 空気を壊すようにただ笑うバグマンにひっぱられクローディアは、職員室から連れ出された。クラウチとムーディもそれに続く。

「心配ですが、ミス・クロックフォードならやり遂げるでしょう。私も迷路近くまで着いていきます」

 フリットウィックはダンブルドアに会釈し、職員室を出て行った。

 残されたダンブルドアとスネイプは、お互いの顔を見やる。スネイプは土気色の顔色を更に青くする。

「……我輩は……、決してそんなつもりは……」

「セブルス、子供は成長するもんじゃよ。望もうと望むまいとな。さあて、わしらは食事を済ませてから、会場に行くとしようかのお」

 含みを込めた口調でダンブルドアは、和やかだ。しかし、目つきは何処か緊迫している。頭を抱えたスネイプは、校長の微かな異変に気付けずにいた。

 

 職員室を出た途端、マダム・マクシームがいた。麗しい巨体に吃驚したのは、クローディアだけではない。

「やあ、マダム。どうしたね? 職員室まで来るとは!」

 快活なバグマンの会釈に、マダム・マクシームも挨拶を返す。ムーディの義眼がマダム・マクシームを警戒していた。

 義眼を気に留めず、マダム・マクシームは職員室の扉を眺める。そして、クローディアへと声をかけた。

「アグリッドは、どちらに? 家にも居ませんでした。あなた達の試験が終わったら、フラーのご家族を紹介しようと約束していたのですが」

「第3の課題を準備していると思います」

 クローディアの答えに、マダム・マクシームは納得した。

「アグリッドへ待っていると伝えて下さい」

「承りましたよ、マダム」

 クローディアに話しかけたはずが、何故かバグマンが上機嫌に答えた。

 

 クィディッチ競技場は最早、その面影をなくし薄気味悪い茂みに覆われていた。第一の課題では、まだ競技場の形は残していたが、これは恐怖感を煽る。しかも、いまはまだ周囲が明るいが夜になれば、更に不気味さが増してしまう。

 迷路への入り口で、仕掛けの用意をする教師が準備をしていた。そこに現れたクローディアに、ハグリッドだけでなくルーピンも驚きを隠せない。しかも、迷路で優勝杯を守る役となれば尚更だ。

「本当に大丈夫か? 怖くなったり、危なくなったら、すぐに報せろ。俺が助けに行ってやる」

「ありがとうさ、ハグリッド。私なら、大丈夫さ。それと、マダム・マクシームが呼んでいたさ」

 ルーピンが真剣な表情でクローディアに顔を寄せる。油断していた彼女の心臓が高鳴った。

「ベッロはいなくていいのかい?」

「バグマン氏に聞いてみたんですけど、ダメだって言われました。でも、私なら大丈夫です」

 実際は、緊張で脈拍が騒がしい。

「ミス・クロックフォード、こちらに」

 クラウチに呼ばれ、クローディアはハグリッドとルーピンに頭を下げてから向かった。

「落としてはいけないよ」

 緊迫したクラウチは、上等な布に包まれた荷物を慎重な手つきで渡された。クローディアは興味深く布を見つめる。重くもなく、それでも軽くはない包みの形を布越しに確かめた。

「これが優勝杯ですか?」

「その通りだ。迷路に入ったら、君がここだと思う場所に置いてから、布を解きなさい。そして、選手の誰かが来てから、一緒に優勝杯に触りなさい。それまで、絶対優勝杯に触れないように、いいね?」

 ここが重要だと強く念押しされる。クローディアは緊張で呼吸が苦しくなりながらも、頷く。腕の中に優勝杯が抱かれているのだと、意識してしまうと慄いて手が震えてしまう。故に、良い壺を託されたのだと、自分に言い聞かせた。

「クラウチさん、優勝杯を守るというのは具体的に何をすれば良いのでしょう? 選手の皆さんと殴りあいですか?」

 殴りあうという単語に、クラウチは吃驚していた。

「そんな必要はない。今回の競技大会、私の目から見ても何者かの介入工作があるのは明らかだ。これまでの課題には影響が無かったが、最後の課題は人目がない。介入者がいるとすれば、迷路こそが一番危険なのだ。かといって、迷路内に見張りを置くわけにいかん。そこで、バグマン氏が生徒を置こうと提案してきたのだ」

 真剣に説明するクラウチを余所に、クローディアは敵の妨害を強く意識した。そして、【敵】という単語に、脳裏でクィレルが連想される。

 誰のも目から遠ざかる迷路。仕掛けの多い場所なら、選手の身に万が一の不足の自体が起ころうとも、誰も助けられない。敵がハリーに害を与えるなら、絶好の機会。

(勢いで引き受けたけど、これならハリーを近くで守れるさ)

 もしくは、クィレルに会えるかもしれない。

 再会を恐れ、または期待する感情を殺す為、クローディアは拳を握り締める。そうしたところで、胸中を騒ぐ焦燥を消せはしないとわかっていた。

 迷路に仕掛けをするハグリッドとルーピンに続き、クローディアは迷路へと飛び込んだ。耳につく茂みの音が周囲の薄暗さと重なって、より不気味な雰囲気を作る。

(ちょっと怖いさ、お化けとかでそうさ。今回ばっかりは、ピーブズが悪戯しないといいけどさ)

 周囲を見渡しながら進むクローディアは、無意識に前を歩くルーピンのローブを掴んでいた。

「幽霊除けの魔法がかかっているから、ピーブズの心配もいらないよ」

 ルーピンが優しく声をかけてきたので、クローディアは彼のローブを掴んでいることに気づく。驚いて優勝杯を落しそうになった。

「べ……別に、怖くなんかありませんよ。ちょっと……本当にちょっとだけ、緊張しているだけです」

「素直になっていいんだよ。さっき、ハグリッドが言ったように危なくなったら、杖を空に向けて白い花火を上げなさい」

 広い手がクローディアの頭に乗せられた。

 暖かい手の感触が皮膚に伝わり、クローディアの体温が一気に上がる。

「はい、前向きに検討致します……」

 ハグリッドとルーピンは仕掛けを施すために、迷路の途中でクローディアと別れた。

 1人になったクローディアは、茂みの騒がしい音に息を飲む。じっとしているわけにも行かず、出来る限り奥へと進んだ。外との距離感が掴みにくくなったが、歩数を思えば迷路の中心まで来られた。

(ハリー達、この中を進んでくるさ。さて、私はこの辺にするさ)

 その場で蹲り、クローディアは布に包まれた優勝杯を慎重に地面へと置く。地面に置かれたことを察知した布が勝手に解かれた。そして、布は瞬く間に銀色の台へと姿を変えた。

(こういう仕組みさ)

 布にかけられた魔法にも感心したが、中身である優勝杯は、更に魅力される輝きを上品に放っていた。 肉眼でも把握できる金属とは違う質感、水面のように滑らかな輝きを自ら放っている。繊細な文様に馴染むように【優勝杯】と刻まれた部分は、より一層輝きを強い。

 

 ――ああ、何と美しい。

 

(綺麗さ、これをハリー達が取りにくるさ)

 教師が仕掛けた罠を潜り抜け、この優勝杯を手にする目的のためだ。

 優勝杯を眺めているうちに、周囲が段々暗くなる。空を見上げると一番星が瞬いた。初夏の時期とはいえ肌寒く、クローディアはローブで体を包みんだ。優勝杯の淡い光を頼りに体育座りする。

「紳士・淑女の皆さん! 第3の課題、つまり最後の課題が始まります! 現時点の1位であるセドリック=ディゴリーとハリー=ポッターが最初に、迷路に入ります!!」

 バグマンの挨拶が草のざわめきの合間を縫って、クローディアの耳に届く。緊張と共に高揚感が湧き起こり、体温が上昇してきた。逆に熱くなった体を冷まそうとローブを脱ぎ捨てた。

「大砲の合図で開始します!」

 バグマンの叫びと同時に、大砲の轟音が響いた。最後の試験開始に、観衆の雄叫びがクローディアに届くが、流石に遠いため、熱狂感までは伝わらない。

 轟音はクローディアの中でも、一種の合図となった。

 敵を迎え討つ。

 ただの衝動が脳髄さえも支配した。最早、怯えも戸惑いもない。

(クィレル、姿を見た瞬間に、全ての決着をつける!)

 クローディアの内なる声に応えるが如く、周囲の草が一瞬で枯れ落ちた。

 




閲覧ありがとうございました。
欧州はESPの研究が盛んなので、マグル生まれは、まず超能力と誤解されるのでは?と勝手に推測しました。
フリットウィック先生は、ゴブリン×OO族の混血だと勝手に思っています。



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23.移動キー

閲覧ありがとうございます。
UA4万を突破しました。お気に入りも470名も…嬉しいです。本当に、ありがとうございます!

追記:17年3月8日、誤字報告により修正しました。


 選手は、応援の拍手と『楽団部』の演奏を背に迷路へと旅立つ。

 ハーマイオニーは我が事のように興奮する。

「胸が躍るわね、クローディア!」

 叫んでから、ハーマイオニーは彼女に気付いた。

 最後の選手・ハリーを送りだし、ハーマイオニーは観客席を見渡す。しかし、クローディアの姿は影も形もない。ロンに声をかけても、彼はシェーマスと盛り上がっている。ハリーが優勝したら何を強請るか相談していた。

 呆れたハーマイオニーは、ロンを放置する。

「こんな時に、何処に行ったのかしら?」

「フリットウィック先生に呼ばれたよ。クララが見てたもン」

 囁かれるような声に、吃驚したハーマイオニーが振り返る。

 後列の席に、ジニーとルーナが並んで座っていた。ルーナの見開かれた眼球が明後日の方向を見ている。熱狂に包まれた時でも、彼女は普段と変わらない。

 一部から、ルーニー(変わり者)と呼ばれるだけのことはある。

 ハーマイオニーは、どうしてもルーナの突拍子もない行動や発言が好きではない。クローディアとジニーが何故、彼女と交流出来るのか、正直、理解に苦しむ。

「こんな大事な時に、先生に呼ばれたってことは……」

「迷路にいるってこと。きっと、優勝杯を守っているよ」

 ジニーが言い終える前に、ルーナが的確に言い切る。人の発言を遮るなど、不躾だとハーマイオニーは思う。しかし、ジニーは慣れているらしく、少しも気にしていない。

 優勝杯を守っているかは別とし、ハーマイオニーもクローディアが迷路にいると確信した。

「もし、クローディアがハリーの障害になるなら、誰も優勝できないんじゃない?」

 ハーマイオニーの言葉を耳敏く聞き取ったフレッド、ジョージが詰め寄った。

「「誰も優勝できないなんて、それこそ我々は大儲けだ!」」

 叫んだ後、ジョージは急に笑みを消す。

「あの迷路には、教師達が何か仕掛けをしているんだろ? クローディアは、それにかからないのか?」

 的確な疑問に、ハーマイオニーは戦慄した。だが、頭の隅は冷静に働く。第2課題でも、ハーマイオニー達に害が及ばぬように取り図られていた。

「大丈夫よ。私とロンだって、怪我はしなかったもの」

 ハーマイオニーの発言を聞きながら、空を仰いだルーナが眉を顰める。

「怪我の問題じゃないけどね」

 試合に興奮した観衆達は、浮つきの消えたルーナの呟きを気に留めなかった。

 

☈☈☈☈

 耳を澄ましていれば、芝生を駆ける足音、呪文を叫ぶ声が微かに聞こえる。

 クローディアの眼前には、何故かハグリッドより巨大な蜘蛛が円らな瞳をこちらに向けてくる。しかも、奇妙に動く牙から液体が溢れ、ゆっくりと歩み寄る。親交を深めたい、などという目的では絶対にない。完全に蜘蛛から餌と認識している。

 これが話しに聞いたアクロマンチュラだろう。どっかの監督のホラー作品に出てきそうだ。

 正直、悲鳴を上げそうな程、吃驚している。

(こいつさ、ハグリッドが飼っているんだろうさ)

 杖を蜘蛛に向けクローディアは、迷うことなく叫ぶ。

「アラーニア・エグズメイ!(蜘蛛よ、去れ)」

 杖から閃光が飛び出し、正に口から巣を吐こうとした蜘蛛を安々と後方に吹き飛ばす。蜘蛛は生垣を下敷きにし、音を立てて地面に激突した。

「死にませんように」

 呟いたとき、明後日の方向から甲高い悲鳴が耳を打つ。

(フラーの声さ?)

 ルーピンがクローディアに危険があれば、白い花火を打ち上げろと告げていた。ならば、選手にも我が身の危険を伝える手段があるはずだが、それらしい動きを見ることが出来ない。

(どうしようさ。フラーの様子を見に行ったほうがいいさ?)

 持ち場を離れたと知られたら、信用問題に関わる。しかし、あの悲鳴がフラーのものなら、命に関わる状況に陥っているのかもしれない。正直、クローディアはフラーが好きではないが、放っておくと良心が痛む。

 優勝杯に杖を向け、目晦ましの魔法をかける。これで他の人に優勝杯を見つけ出すことは出来ない。深呼吸して、クローディアは影へと変じた。生垣を伝いながら、悲鳴が聞こえた方角へと進んだ。

 おそらく、悲鳴が発せられたと思しき場所。蔓に巻きつけられたフラーが地面に伏していた。蔓は『悪魔の罠』だ。気絶しているのか、身動きひとつしないフラーから蔓はゆっくりと離れていく。

(『悪魔の罠』にやられたさ?)

 しかし、それにしては抵抗の跡が見られない。何かに驚いて気絶し倒れた拍子に、『悪魔の罠』が反応した可能性がある。

 原因を推測していると、突然、別方向から空に赤い花火が上げられた。

(あれが選手用の花火さ。誰も周りにいないし、このままだとフラーが危ないさ)

 巨大蜘蛛も徘徊している場所に、倒れていればフラーは確実に殺される。即決したクローディアは、影から変身を解き、空に杖を向けて赤い花火を打ち上げた。

 すぐに、クローディアは影に変じて生垣に身を潜める。

 一分も経たないうちに、ムーディとハグリッドが駆けつけた。ムーディの義眼がクローディアのいる生垣を凝視し、彼の口元が愉快気に歪んだ。

(ああ……。マッド‐アイに正体バレたかもしれないさ)

 仕方ないと胸中で呟き、クローディアは生垣を伝って持ち場へ戻った。

 

 クローディアが戻ると、ハリーとセドリックが巨大蜘蛛に襲われていた。蜘蛛は、一度吹き飛ばされているせいか、不機嫌丸出しで自慢の口バサミに音を立てる。

 ハリーは既に足から血を流し、痛みに耐える仕草で杖を振るっている。それを助けるようにセドリックも杖から閃光を放つ。

 選手に手を貸さない。ハラハラした気分で、クローディアは2人を見守った。

 互いに協力し合う動きを見せ、蜘蛛の懐へ飛び込んだハリーと蜘蛛の背後を取ったセドリックが叫んだ。

「ステューピファイ!(麻痺せよ)」

 挟まれた攻撃に蜘蛛は、痙攣したかと思うと再び生垣を押しつぶしながら、倒れこんだ。

 息切れし、咳き込んだハリーが地面を這う。セドリックが彼に駆け寄り、肩を抱き上げた。

 足に痛みが走ったハリーは思わず、短い悲鳴をあげる。蜘蛛から離れた場所までセドリックがハリーを運び、適当な地面に座らせた。

 ハリーの足はずっと血を流し、痛々しく傷を主張する。傷を見て顔を歪めたセドリックが杖を彼の足に向ける。

「ヴァルネラ・サネントール(傷よ癒えよ)」

 攻撃していたときとは、全く違う優しい光が杖から放たれた。ハリーの足の傷を塞いでいく。

「出血を止める程度しか、治せてないから足に負担をかけちゃ駄目だ」

「ありがとう……」

 ここまで、見届けてからクローディアは変身を解いた。

 すぐにハリーがクローディアに気づいて「あっ」と声を上げる。つられてセドリックも勢いよく振り返った。

「どうして、君がここに? いつから?」

 警戒を解かずセドリックは、深呼吸する。

「ついさっきさ。どうしてここにいるかは、バグマンさんが優勝杯を守れって、私に言ったさ」

 セドリックの警戒に緊張し、クローディアの声が自然と低くなる。

 荒い呼吸を繰り返しハリーは、生け垣を伝いながら立ち上がる。セドリックが手を貸そうとしたが、彼は丁寧に断った。

「競技場に来る前に、バグマンさんが僕に『君が優勝するのは確定』だって言っていた。君のことだったんだ」

 あまり嬉しそうではないハリーは、無意識に怪我していた箇所を擦る。

「それで、僕らはどうすればいい?」

 ハリーとセドリックの目が周囲を探っている。優勝杯を探していると察したクローディアは、クラウチの言葉を思い返しながら、腰に手を当てる。

「一番に、ここに来た選手と優勝杯を手に取るように言われたさ。それで、どちらに渡すべきさ?」

 クローディアの言葉に、ハリーはセドリックを振り返る。

 その仕草でハリーは、セドリックに優勝杯を渡すべきだと伝える。

 視線の意味をくみ取ったセドリックは、ハリーの足の傷を一瞥し、手繰り寄せるように自分の胸ぐらを掴む。

「ハリーに渡すべきだ。ハリーは、迷路で二度も僕を救ってくれた」

 戸惑いのない宣言を聞き、ハリーは首を横に振る。

「違う。優勝杯に、先に辿り着いた人が得点を取るんだ。いま、優勝杯の在り処を聞いても、僕はこの足では走れない」

 ハリーは正当な言い分を述べ、セドリックは彼に譲ろうとしている。つまり、2人の意見は『自分は受け取れない』ということだ。

 クローディアの個人的な意見としては、ハリーに取ってもらいたい。しかし、それは不公平であり、不正だ。公平に判断するならば、セドリックが優勝杯を取るべきだ。

 疲労し汚れきったハリーに胸中で謝り、杖を振るって優勝杯にかけて目晦ましを解く。

 美しく輝く優勝杯の出現に、ハリーとセドリックは唾を飲み込む。これを獲った者が優勝、3人の緊張感は一気に高まる。

「ディゴリー、手に取るさ。優勝はあんたさ」

 言葉を噛まぬよう、丁寧にクローディアはセドリックに告げる。

 自分が優勝者と告げられ、セドリックは自然と笑みが零す。しかし、彼は優勝杯を物欲しそうに見つめた後、ハリーに視線を送る。

「駄目だ。僕はハリーに助けてもらった。ハリーがドラゴンのことを教えてくれたから、ここまで来たんだ!」

「それは他の人が助けてくれたからだ。君だって、卵のこと僕に教えてくれた。おあいこじゃないか」

 セドリックは二歩・三歩と優勝杯から離れ、ハリーに向かって首を振る。

「卵のことだって、僕の発想じゃない。それにハリーは第2の課題のときに、もっと高い点を取れたのに人質を優先した。僕には出来なかった」

「いいから、とれよ!」

 セドリックの態度に、焦らされるハリーが思わず怒鳴る。それでも、セドリックは拒んだ。それどころか、ハリーの背を押して優勝杯まで導いたのだ。

 

 ――優勝する権利を放棄し、ハリーの優勝を望んでいる。

 

 そうなれば、クローディアは彼の意思を尊重するだけだ。

「セドリックは試合放棄ってことで、さあハリー取るさ。正式にあんたが優勝さ」

 微笑んだクローディアもハリーの肩を押す。2人に押されたハリーは、色めき立った目で優勝杯を眺める。そして、セドリックの顔を見た。

「2人でとればいいんだ」

 とんでもない発想だ。ハリーならではの思いつきに、クローディアとセドリックは動揺した。

「どちらが取っても、ホグワーツの優勝に変わりない。2人の引き分けだ」

 ハリーは満足そうに言い放つ。勝利を分かち合うとは、この事だ。

「君、それでいいのか?」

 呆れと感心を混ぜて、セドリックは確認した。

「ああ、僕たちは助け合ったんだ。2人とも、ここに辿り着いた。一緒に取ろう。クローディア、お願い」

 呼ばれたクローディアは、我に返る。

 セドリックはハリーという人間の大きさを知り、満足そうに微笑んで彼と握手した。

「では、3人同時に優勝杯を掴むので三つ数えたら、掴むさ」

 緊張気味に、3人は優勝杯の手を伸ばす体勢になる。お互いの顔を確認の意味で見合わせた。

「1、2、3」

 クローディアの合図で、ハリーとセドリックは優勝杯の取っ手を掴んだ。

 

 ――はずだった。

 

 数秒の差でセドリックは掴んだ振りをしただけで、手を引っ込めた。

「優勝は君だ! ハリー!」

 祝福するように、セドリックが叫んだ。

 クローディアとハリーは、セドリックに何を言う暇もなかった。何故なら、2人は優勝杯を掴んだ瞬間に肉体が引っ張られた。

 『姿現わし』と違い、文字通り優勝杯に導かれているのだ。何の魔法か考える間もなく、クローディアは体にかかる衝撃に歯を食いしばった。

 

 飛び込むように地面に足がついた。

 『煙突飛行術』に近い目が回るような体験だった。まず、クローディアは身体の無事を確認する。次いで、ハリーの身を案じる。彼は衝撃の反動で、深呼吸を繰り返していた。

「ここは、何処さ?」

「わからない……、わかるのは‥優勝杯が『移動キー』だったってことだよ……」

 噂に聞く、『移動キー』。滅多にない体験に微かな感動を覚えつつ、クローディアは警戒を解かない。本来なら、魔法の体験に全身で喜びたいが、ホグワーツの敷地ではない場所にいる。

 しかも、灯りひとつない荒地、否、周囲に墓石が置かれていることから、墓場だ。少し離れた場所に小さい教会のような建物も見える(暗過ぎて、ただの茂みかもしれない)。

 何処かの屋敷も、教会より離れた場所に立っていた。薄暗く草が生い茂った墓場は、少しも安心できない。

「ルーモス(光よ)」

 クローディアが杖の先に光を灯し、周囲を照らす。

「ハリー、立てるさ?」

 声をかけられ、ハリーも杖を構える。お互いの背を預けあい、何かを見つけようとした。慎重に進みながら、2人は杖の灯りで墓石や木々を観察する。

 ハリーが何かに気づいて、足を止める。

「クローディア、これは……」

 ひとつの墓石の前で、2人は我が目を疑う。

 丈長大理石を削って造られた墓は、この場所では一番、上等な造りをしていた。問題は、そこに刻まれた名前だ。

【トム=リドル】

 見間違いではないかと、クローディアは何度も読み返した。

(ここは、ヴォルデモートの父親の墓……)

 不安と焦りで心拍が早まり、クローディアの脳髄から警報が鳴りだした。

 この衝撃、時間にすれば1秒にも満たない。

「クローディア! 早く優勝杯に戻って!」

 指示したハリーは突然、悲鳴を上げて座り込んだ。

「ハリー、どうしたさ!?」

 苦悶するハリーは、呻き声を上げたまま額を引っ掻くように押さえていた。尋常ではない彼の様子に、クローディアは逃避を選択する。杖の灯りを消し、『呼び寄せ呪文』で優勝杯を呼ぼうとした。

「アクシオ!(来い)」

 それが一瞬の油断だったのだろう。

 何の前触れもなく、クローディアの杖が手から弾かれる。次いで、全身が跳ね上がる感覚が彼女を襲う。視界は揺らぎ、声が出ない。嗚咽した後、身体が意思に反して、強制的に地面へと転がった。

 暗がりの視界に映るのは、黒外套。クローディアの杖がその手に握られている。自分は、この黒外套に魔法をかけられた。身体を麻痺させる類の魔法だろう。

 そのせいで、見知らぬ黒外套が近寄ってくるのにクローディアは反応できない。

 それどころか、聴覚を失ったように何も聞こえない。

 黒外套はクローディアに構わず、ハリーを持ち上げた。痛みに暴れるハリーは【トム=リドル】の墓石に叩きつけられ、何処からか現れた縄で頑丈に固定された。されるがままで堪るかと、ハリーの足が黒外套を掠めた。

 それが黒外套を外し、素顔が露になる。

 頬骨が目立つ痩せた男は、焦げたような茶色い髪で顔が覆われていた。しかし、眼前にいるハリーには十分すぎる程、判断がつく。

「クィレル……」

 確認するようなハリーの声は、もう呻いていない。

 感覚が狂っても、クローディアはハリーの唇の動きを読んだ。心臓が刺激され、自然に地面を着いていた手に力が入る。

 

 ――やはり、クィレルは現れた。

 

 奴の手が地面に伏しても尚、睨んでくるクローディアへと伸びる。

 反射的に、クィレルの手を跳ね除ける。『失神の呪文』で身体の自由が効かぬはずが、その一瞬だけ動けた。驚いた彼は、目を見開く。すぐに唇を動かす。

 次に襲ってきたのは、眠気だ。

(ダメ!)

 こんな所で、意識を失うわけにいかないのだ。

 必死にクローディアは眠気に抗う。いつまでも眠ろうとしない彼女に業を煮やしたクィレルは、その辺に落ちていた石を掴む。容赦なく、彼女の後頭部を殴った。

 流石に抗えず、意識が飛んだ。

 

☈☈☈☈

 額が痛い。額の傷が痛い。

(クローディア、クローディア……)

 この状況を打破する術が思いつかず、ハリーはクローディアの名を呼ぶ。彼女は頭から血を流し、無造作に置かれた石の棺桶に横たわっている。

 2人の間には、人間1人が丸々入れそうな大鍋が用意され、注がれた液体がブクブクと沸騰状態だ。湯気まで立っているにも関わらず、匂いがしない。

 恐ろしい予感しかない。

「ご主人様、しばしのご無礼お許し下さい」

 大鍋の前で、クィレルは腕に抱えた『ソレ』に恭しく頭を下げる。

 『ソレ』は、干からびた幼児のようにも見えた。幼児にしては、見開いた眼光が充血したように真っ赤だ。血に飢えた獣よりも鋭い。

「ヴォルデモート」

 ハリーには、『ソレ』が誰なのか理解できた。臓物から来る恐怖に、声も出せない。言い知れぬ恐怖で身震いした瞬間、クィレルは『ソレ』を沸騰した大鍋へと放り込んだ。この世のものではない、まさに断末魔のような叫びが大釜から放たれ、耳を打つ。

 一瞬、クィレルが『ソレ』を鍋に入れ、殺したのだと思った。だが、彼は杖を振るい、上機嫌に呪文を唱えだした。

「――父の骨、知らむ間に与えられん――」

 ハリーを縛った墓石の地面が裂けたかと思えば、古い人骨が宙に浮いて大鍋へと吸い込まれた。

「――しもべの肉、喜んで差し出されん――」

 袖から、銀色の短剣を取り出したクィレルは、杖を持っていない右手を切り捨てた。想像を絶する苦痛をモノともせず、寧ろ、笑いながら耐えていた。切られた手を大鍋へ入れると、湯気は一層、沸き起こる。

 切り口を魔法で止血したクィレルは、激痛すら快感であるように顔を歪める。そして、ハリーへ短剣を向けた。

「――敵の血、力ずくで奪われん――」

 刃が何をするのか、すぐに判断出来た。無意味と知りながら、ハリーはもがく。

 だが、無情にもハリーの腕は、縄目から取り出された。クィレルは、彼の右腕の肘の内側に何の迷いもなく刃を突き立てた。

「ああああああ!!」

 

 ――痛い、痛い、痛い。

 

 額とは違う痛みに、ハリーは悲鳴を上げた。腕から血が噴出し、大鍋へ飛び散る。4つが混ざった液体が灰色となり、湯気は周囲を覆い隠していく。

(目を覚まして、目を覚まして、クローディア!)

 ハリーはクローディアの目覚めを願う。彼女ならば、この状況を打破してくれる。彼は真剣に縋る。

 縋りは徒労に終わった。

 湯気が大鍋の中心へと渦を起こし、それが人の形を成していく。否、大釜から人が這い出てきたのだ。ねっとりとした肌で毛がひとつもなく、その瞳は与えられた血を啜ったように赤い。まるで、蛇が人の姿を象っていた。

 

 ――ああ、蘇ってしまった。

 

 かつて、ハリーが倒した男が蘇ってしまった。よりにもよって、彼の血によって肉体を得てしまった。

(どうして、こんな事になったのだろ……)

 虚無感に苦しむことも忘れ、ハリーは他人事のようにそれを眺めていた。

「ああ、ご主人様!!」

 感極まったクィレルがその場に膝を着き、片腕で自らの外套を差し出した。

「ご主人様、お帰りさないませ」

 肝心のヴォルデモートは、自分が肉体を得た喜びに浸っていた。クィレルがどれだけ頭を下げようと、声をかけない。

 そして、ようやくクィレルがいることに気づいた。外套を受け取り、慎重に杖を取り出す。杖に触れることにも、感動を覚えている様子だ。

「我が忠実なる僕よ。腕を出せ」

 聞いているだけで、悪寒の走る声がクィレルにかけられた。まるで神託を受ける神官のように、左の腕を差し出した。彼が口で袖を捲ると、そこには『闇の印』と同じ模様の入れ墨が施されていた。無論、ただの入れ墨ではない。

「さあ、同胞よ。来たれ!」

 甲高く笑い、ヴォルデモートは杖をクィレルの腕に押し付けた。

 更に強い痛みがハリーの額を襲う。しかし、クィレルも悲鳴のような呻き声を上げた。

 時間をかけてクィレルの腕に杖を押し付けた後、満足げに歪んだ笑みを浮かべたヴォルデモートは彼から離れた。

 クィレルは主人の前だというのに、地面に蹲る体勢になる。息苦しそうに眉を寄せ、肩で息をしていた。

 ヴォルデモートは一切、クィレルを気に留めず、墓場を見渡す。

「さて、何人が俺様の下に戻り……離れて行くかな?」

 冷酷な笑みを浮かべて呟き、ヴォルデモートはハリーを見据える。

「ハリー=ポッター。そこは、俺の父の墓だ。俺様にむざむざ殺され、埋められた哀れな父だ。貴様の母親も俺様に殺された。似た者同士の愚か者だ」

 吐き捨てたヴォルデモートは、横たわるクローディアへと近寄る。

「この小娘も愚か者の仲間入りかな?」

 小気味よく笑いながら、ヴォデモートの指が静かに呼吸するクローディアの喉元を這う。

「彼女に触るな!」

 力を振り絞ったハリーが叫んだ。わざとらしく両手を上げたヴォルデモートは、クローディアから離れた。代わりに、何処からともなく現れた大蛇が首筋を舐めた。

 あまりにも巨大な蛇は、クローディアを丸のみするには十分な身体つきだ。

「……ん」

 微かな呻き声をあげたが、クローディアは起きない。

「クローディア! 起きて、起きてくれ! 君が危ないんだ」

 

 ――逃げて欲しい。

 

 そんな思いを込めて、ハリーは呼びかける。そんな彼の姿をヴォルデモートは、愉快気に眺める。

「そんなに、小娘が愛おしいか? 俺様の母も、父を愛していた。だが、母が魔女だと知るとゴミのように捨てた。俺様の父でありながら、魔法の存在を拒絶したのだ。打ち捨てられた母は俺様を産むと、そのまま息絶えた。……この小娘がどんな顔で死ぬか、興味深いだろう?」

 蛇がクローディアの喉笛に触れる。今にも、食いちぎりそうな勢いだ。

 だが、何かに気づいて顔を上げた。

「おおう、ついに来たぞ」

 薄ら笑うヴォルデモートが呟くと、蛇はクローディアから離れた。

 

 ――墓場の空気が変わった。

 

 暗闇の向こうから、数人の人影が『姿現し』してきた。

 真っ黒い外套と仮面で姿を覆う『死喰い人』だ。彼らは、ヴォルデモートの姿に戸惑いを見せていた。それでも、恭しく主人に跪き、忠誠の口づけを奴の外套に贈る。

 それをまるで、虫けらを見るような目でヴォルデモートは傍観していた。『死喰い人』は、ご主人様を中心に輪となっていくが、人数が足りないのか輪は途中で切れた形になった。

 構わず、ヴォルデモートは『死喰い人』を見渡す。

「我が『死喰い人』どもよ。よく来たものだ」

 歓迎のようでいて、蔑むような口調が響く。

「13年が過ぎた。この歳月の意味がわかるか? それは……、貴様らが俺様を探さなかった月日だ!!」

 凄まじい一喝に、『死喰い人』達は動揺し、狼狽える。ヴォルデモートが怒りで誰かを殺す勢いだ。しかし、逃げ出すことも出来ず、彼らはその場で震えあがっただけだ。

「ご主人様に永遠の忠誠を誓ったはずが! 貴様らは俺様が完全に滅び去った幻想を抱き、あろうことか無実を訴えて、健やかに歳月を生きた! 俺様は、失望した。貴様らにだ! そうだろう、エイブリー!」

 1人の『死喰い人』の仮面にヴォルデモートが手を触れた。呼ばれたエイブリーは、気力を抜かれたように地面に倒れ伏した。

「クラッブ! ゴイル! ノット! マクネア!」

 汚物を払うように、ヴォルデモートは次々と『死喰い人』の仮面を剥ぎ取っていった。最後に残された『死喰い人』は、震えを見せながらも堂々と立ち尽くしていた。

「そして、ルシウスよ。抜け目ない友よ」

 仮面を剥ぎ取られたルシウス=マルフォイは、恐怖に引きつりながらも倒れなかった。

「世間体の保つために、おまえは尽力を注いだ。何故、その力を俺様のために使わなかった? こそこそとしたマグル苛めは、楽しかったか?」

「お言葉ですが、我が君、私は常に準備しておりました。あなた様の御消息がチラリとでも耳に入れば、私はすぐにお側に馳せ参じるつもりでございました。その為に、私は世間を騙さなければならなかったのです」

 淀みなく答えるルシウスをヴォルデモートは、軽蔑の眼差しを向ける。6人の下僕を見渡し、嫌悪に顔を歪めて吐き捨てた。

「俺様は、貴様らの愚かしさを、身を以て味わった。故に、これからは忠実に使えよ」

 即座に6人は、地面にひれ伏してヴォルデモートへ頭を垂れる。

「「「「「「お慈悲を感謝いたします」」」」」」

 一瞬の気の緩みもない。

 死の恐怖から、逃れんが為に彼らは感謝を口にする。姑息にして、愚鈍な下僕をヴォルデモートはようやく視界に入れ、冷酷かつ残酷さを込めて嘲笑った。

「さて、この宴の席にいる客人を紹介しよう。俺様のお陰で有名になったハリー=ポッターだ」

 『死喰い人』の視線が墓石に縛られたハリーに注目した。誰もが騒然となった。今までヴォルデモートに気を取られ、ハリー達に気付かなかった。

「そして、その友・クローディア=クロックフォード」

 次いで、石の棺桶に横たわるクローディアがいる。その存在に怪訝する声も上がった。ただ1人、ルシウス=マルフォイだけがその彼女を受け入れていた。そして、若干、焦りを見せている。

 ヴォルデモートはハリーの傍まで歩み寄り、誰にも振り向かずに言い放つ。

「この小僧の母親が、己の死と引き換えに印を残した。あまりにも古く、そして俺様が軽視していた魔法だ。それにより、小僧は俺様を退けた。俺様は幽霊でも魂でもない名も付けられぬ脆弱な存在となって、かろうじて生き延びていた。そんな存在であっても、小僧を護る魔法は働き続けた。4年前に『賢者の石』を求めた折も、俺様はハリー=ポッターに触れられなかった」

 ヴォルデモートの不気味に細い指がハリーの頬に触れた。

 逃げることもできず、その指はハリーに激痛を超えた痛みを与える。悲鳴を上げることもかなわず、一瞬、意識を飛ばしかけた。

「だが、もはや、その魔法は俺様に通じん」

 勝ち誇ったヴォルデモートは、ハリーから手を離す。

 ハリーは痛みが和らぎ、空気を求めて肩で息をした。だが、心と身体はより緊張を増す。母がくれた護りが効力を失ったのだ。おそらく、ハリーの血が混ざったことが原因だろう。

 脳髄の奥で、ハリーは微かな冷静さを保つ。

 ヴォルデモートはそんなことは知らず、蹲っていたクィレルを立たせた。

 手をなくした腕を擦りつつも、クィレルは足に力を入れて立ち上がる。手の切り口を見て、『死喰い人』は戦慄した。

「ここにいるクィリナス=クィレルが、ここまでの手筈を整えた。魔法省のバーサ=ジョーキンズから様々な情報を聞きだし、俺様を献身的に世話した。このクィリナスは、元はホグワーツで教鞭をとっていた。4年前、俺様に忠誠を誓い、『賢者の石』を手に入れんとした。その目論見は、叶わなかったが、クィリナスは俺様を見捨てなかった。その身をアズカバンに預け、俺様から心が離れたように振る舞いながらも、見事、俺様を探し出した」

 恍惚な表情を浮かべたヴォルデモートは、クィリナスの手をなくした腕に触れる。労わるような優しい手つきで、その腕を撫でた。

「これぞ、俺様への忠実に忠誠にして忠義、誇れ、クィリナスよ」

 微笑のように目を細め、ヴォルデモートとは思えぬ心の籠った称賛が述べられた。声をかけられたクィリナスは、感動のあまりその目に涙を浮かべた。

「勿体ないお言葉に、ございます。ご主人様、……なんとお心の広い。その言葉だけで私のこれまでが報われました。より一層、お仕えいたします」

 悍まし光景に、ハリーは自然とクィレルを睨んだ。

 クローディアの心痛を知らず、クィレルは達成感に満たされている。それがハリーには悔しい。

 ヴォルデモートは満足そうに頷き、ハリーを一瞥する。そして、クィレルから離れると、クローディアの傍へ寄った。

「クィリナスを得ただけが4年前ではない。そう、この小娘だ。ハリー=ポッターと共に、俺様の前に立ちはだかった。俺様をアルマジロ以下などと罵倒した」

 屈辱だと言わんばかりにヴォルデモートは、怒りを露にした。それに『死喰い人』はざわめき、お互い目を合わせる。ただの子供の悪口に、ここまで怒り狂うのは珍しいのだろう。

「そのツケをこの場にて払わせてやろう」

 ヴォルデモートの杖がハリーに向けられ、彼を縛っていた縄が切裂かれたように解かれた。ハリーは、重力に従って倒れこむ。流血した腕は、まだ痛い。

「さて、ハリー。何故、この娘を招待したと思うね?」

 ハリーを見下ろしたヴォルデモートは、クィレルに視線を送る。

 クィレルは、血のついた短剣をハリーに投げ渡した。

「それはな、ハリー。おまえに小娘を殺してもらうためだ。成しえたなら、この場から逃がしてやろう」

「――え?」

 耳奥から全身に熱が走る。

「ふざけるな、僕はそんなことはしない!」

 迷わず、躊躇わず、ハリーは反抗する。クローディアを殺すなど、出来ない。ましてや、ヴォルデモートの命令でなど、絶対に御免だ。

「ハリー、おまえは俺様から逃げられると思うか? なあ、諸君!」

 愉快そうなヴォルデモートは両手を広げ、『死喰い人』に問いかける。皆、ハリーを嗤う声を上げた。

 否、1人だけ笑わなかった。やはり、ルシウス=マルフォイだった。

 ルシウスはその場に片膝を付き、深々と頭を垂れた。

「ご主人様、お聞き下さい。それは、コンラッド=クロックフォードの娘でございます。コンラッドは、マグルの女のところに逃げ伸びていたのです。この娘の家族からも確認は取れております。まごうことなき、ボニフェース=アロンダイトの血族にございます」

 それを聞いたヴォルデモートは、打って変わって静まり返った。ゆっくりと目を見開く。確かめるようにクローディアを眺める。頭の先から、足の先まで眺めてから、自らの口元に手を当てる。

「クィリナス、この娘の後見人は誰であった?」

 問われたクィレルは、僅かに動揺を見せつつも素直に答える。

「ドリス=クロックフォードです」

 それを聞いて、またもヴォルデモートは黙り込んだ。しかし、全身から重々しい気配は発している。『死喰い人』の主人としての威厳も恐怖も畏怖も全く損なわれない。

「それは、重要なことでしょうか?」

 沈黙に耐えられなかったクィレルが自らの失態を疑い、ヴォルデモートに問う。

「うむ、そうだな。クィリナスには、何も話しておらんかったな。よい、ヴォルデモート卿は許す。問題があるとすれば……」

 口元から手を離さず、ヴォルデモートの杖はルシウスに向けられる。

「クルーシオ!(苦しめ)」

 碌な抵抗も出来ず、ルシウスは苦痛と苦悶に地面へと転がった。彼の悲鳴が場の空気を更に凍りつかせる。

「ルシウス、何故、この娘を見た瞬間、俺様に報せんのだ? 危うく殺してしまうところだったぞ? ああ、ハリー。断って正解だったぞ。良い選択をしたな。アグリッパがこの娘に従っていたのは、そのせいか、納得がいった」

 笑みもなく、淡々としてヴォルデモートは言い放つ。

 その間も、ルシウスは悲鳴を上げ続けた。

 ヴォルデモートの心情に変化があった。

 それは、ハリーの額の傷が教えてくれた。痛みが和らいだのだ。腕の傷は痛いが、耐えられない程ではない。ハリーは、墓石に縋りつくように起き上がる。誰も彼に目もくれない。

 深呼吸しながら、ハリーは瞑想する。右手を確かめるように握ると彼は唱えた。

「アクシオ!(来い)」

 ハリーの呪文に応じて飛んできたのは、彼の杖だった。杖を手にしたハリーは、杖なしでの成功を喜ぶ暇はなかった。そのまま、鍛えた瞬発力でクローディアの身体へと飛びつこうした。

 しかし、クィレルが気付いて彼女との間を妨害する。

 否、クィレルには出来なかった。ハリーに、気づいた他の誰も出来なかった。

 何故なら、置かれたままの大鍋が突然、ひっくり返った。しかも、力強く大鍋は宙を回り、『死喰い人』を翻弄する。その現象の正体は、クローディアの影だ。

 

 ――彼女は起きたのだ。

 

☈☈☈☈

 騒がしい悲鳴で、クローディアは目覚めた。

 背に冷たい感触を確かつつ、視界を広げた。暗い空、草木の匂い。

 墓石の脇に蹲るハリー、増えた黒外套。

「お許しください! お許しください」

 地面をのた打ち回るルシウス=マルフォイ。青白いのっぺりとした細身の男によってか、彼は許しを請うている。そののっぺり男が誰なのか、クローディアはすぐに理解できた。その男の傍に控えているクィレルを目にしただけで、全ての事態を飲み込んだ。

 予言の通り、クィレルがヴォルデモートを蘇らせてしまった。

 胸中と脳髄に、様々な感情が蠢いた。決して、再会を喜ぶものではない。

 そのクィレルは、こちらに向かって来ようとしたハリーを遮った。咄嗟に、クローディアは影を使って大鍋を動かす。そして、『死喰い人』を追い回すように転がりだした。それどころか、大鍋を焚いていた薪が残り火をつけたままヴォルデモートに飛びかかった。

 ヴォルデモートはすぐに薪を杖で払い退けたが、『死喰い人』達に向かって飛んで行く。彼らは慌てふためき、大鍋と薪から逃げようと走り出した。

 それに乗じて、クローディアとハリー手を取り合い、優勝杯の傍へと駆け出した。

「待て、ガキども!」

 叫んだクィレルが魔法を使おうとしたが、慌てふためくゴイルにぶつかられて地面に倒れた。その拍子に、ナギニを踏みつけてしまった。

 怒ったナギニは、クィレルに噛みつこうとした。その前にグラッブがナギニを踏み逃げした。

 混乱に乗じて、走り去ろうとするクローディア達を目する。ヴォルデモートが憤怒に口元を痙攣させた。優勝杯を目指していると気付き、魔法で弾き飛ばした。

 後一歩のところだった。

 動揺で一瞬、足を止めた彼女達にヴォルデモートは『磔の呪文』を唱えた。

「クルーシオ!(苦しめ)」

 咄嗟にクローディアとハリーは、それぞれ近場にあった墓石を盾代わりに飛び込んだ。

「小娘! おまえには聞きたいことが山ほどある。決して殺しはせん。ハリーを逃がしたくば、俺様の下へ来い!」

 ヴォルデモートは出来の悪い子供を叱りつける口調で叫んだ。

 墓石の物陰でクローディアは、事情がわからず、意味不明である。

「いやこった便所、あっかんべえ」

 顔を出さず、クローディアは声だけ返す。ハリーは彼女の余計な挑発に心臓が逆立つほど、ビビる。

 優勝杯を『呼び寄せ呪文』で呼びたいが、ハリーを置いておくことになる。墓石二つ分の距離は、走り抜けるには危険だ。

「ハリー、出て来い。俺様は貴様に決闘を申し込む。俺様に勝てれば、2人とも逃げることを許してやろう。ただし、負ければ、俺様に手間を取らせた報いを受けさせるぞ」

 毅然として自信に満ちた声がした。その申し込みに、ハリーは息苦しそうに胸を押さえている。対人の決闘など、『決闘クラブ』以来だ。

「ハリー、あんただけでも逃げるさ」

 胸を押さえていたハリーが驚いてクローディアを見る。

「できないよ」

 予想通りの回答にクローディアは、苦笑する。

「私1人だけなら、逃げおおせるさ。あんたは優勝杯で学校に戻って、皆に伝えるさ」

 事実、クローディアは『姿眩し』ができる。しかし、ホグワーツ城は『姿現し』できないように防護魔法がかけられている。ならば、他の場所に行くしかない。

 ただ、ハリーはクローディアが『姿眩し』できることを知らないため、困惑している。

「ハリー、優勝杯を呼び寄せるさ。大丈夫、練習を思い出すさ」

 ハリーの目を見つめ、クローディアは出来るだけ優しく微笑んだ。

 そんな彼女を置いて逃げるなど、ハリーには出来ない。彼女が他に逃げる術があっても、絶対にお断りだ。

 脳髄が沸騰する感覚は、鼓舞だ。

 墓石の影から、ハリーは威風堂々と飛び出した。

「いいだろう、受けて立つ! 僕は、おまえなんかに屈しないぞ、ヴォルデモート!」

 挑んだハリーをヴォルデモートは、顔を裂くように嗤った。

「そうだ! それでこそ、英雄ハリー=ポッター! さあ、お辞儀しろ! 死に対してな!」

 挑発的にヴォルデモートがお辞儀すると、ハリーも目つきを鋭くしたままお辞儀を返した。

「ハリー、やめて……」

 狼狽したクローディアが声をかけても、ハリーは振り返らなかった。

 互いに睨みあうハリーとヴォルデモートは、決闘の手順、背を見せて歩くという手間を省いて杖を向け合った。

「エクスペリアームズ!(武器よ去れ)」「アバダ ケダブラ!(息絶えよ)」

 『武装解除の呪文』と『死の呪文』が光となって、杖から放たれた。2つの光が押し合うようにぶつかったとき、異常な程、閃光がうねりをあげた。まるで、光がお互いを食い合うような印象を受けた。

 それは、クローディアにしてみれば、一瞬の出来事だ。

 一瞬で、光が……いや、ふたつの杖が一筋の光で繋がった。更に光はハリーとヴォルデモートを中心に金色の円を作り、2人を覆った。

 ハリーの近くにいたクローディアも金色の光に巻き込まれたが、何の恐怖も湧いてこない。それどころか、心が躍るような錯覚さえあった。

「あいつをやっつけろ……坊や……」

 クローディアではない声が金色の円から呼びかけてきた。円から靄のような糸が出たかと、思えば、それは人の姿を紡ぎだした。それは見知らぬ老人だった。

「離すんじゃないよ! 絶対!」

 死んだはずのジョーキンズも現れ、ハリーを激励した。

(ヴォルデモートに殺された人達の……幽霊?)

 そう思いつくのが自然だ。現実味のない感覚の中でクローディアは、彼らを眺めた。眺める以外のことが出来なかったというべきかもしれない。

 この光景は、どうやら異常らしい。クィレルやルシウス達も対応に困っている。

「ご主人様! 危険です!」

「何もするな! 命令するまで、決して手を出すな!」

 クィレルの心配を余所に、ヴォルデモートは意地のように叫び返した。

 そして、ハリーの肩に彼によく似た男が手を置き、反対側に髪の長い女性が寄り添った。

「父さん達で時間を稼ぐ。繋がりを切ったら、『移動キー』を呼んで城に戻りなさい」

 男に声をかけられたハリーは、必死に頷いた。

「ハリーの腕を掴むんだ。離すんじゃないよ」

「はい……」

 ジョーキンズがクローディアに指示する。こんな状況でもその魔女は、快活だ。こんなに気の良い魔女だったのか、疑問すら浮かばない。

 金色の円に押しつぶさぬように、クローディアは慎重に力を入れて歩く、杖を構えたハリーの腕を掴んだ。

「いまだ! 行け!」

 男が叫ぶと、ハリーは光の筋を切った。クローディアの手をしっかりと握りしめた。

「アクシオ!(来い)」

 草むらから優勝杯が飛び出し、2人は取っ手を掴んだ。

「おのれ、ハリー!!」

 『移動キー』によって身体が地面を離れた時、激昂したヴォルデモートの怒鳴り声が耳に入った。しかし、それはすぐに遠くへと離れて行った。

 




閲覧ありがとうございました。
セドリックの性格を考えて、この展開にしました。


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24.招かざる者

閲覧ありがとうございます。
切りの良いところがなく、長文です。


 優勝杯を掴んだ2人は、一瞬で消えた。

 その消え方に驚いたセドリックは、ハリーに優勝を譲ったことに全身が緊張していた。

(これで良かったんだ)

 クローディアは公平に、セドリックに優勝杯を渡そうとした。ならば、自分も公平な判断を下さねばならない。

 セドリックを応援してくれた皆から、批難や中傷を受けるだろうが、絶対に後悔しない。

 空に上げた救援用の赤い花火は、自分への祝福だ。

 すぐに救援に現れたマッド‐アイによって、セドリックは迷宮の入り口へ運ばれた。比喩的な意味ではなく、本当に荷物のように雑な運ばれ方をした。

 迷宮から現れたセドリックは、敗者決定の落胆と健闘への賛辞の視線を受ける。拍手する手もあった。

 両親が駆け寄り、満身創痍だが五体満足を喜んでくれた。寮監のスプラウトも優しく抱きしめてくれた。

「セドリック、よくここまで戦いました……」

「セドリック=ディゴリー! 君が戻ってきたということは! 優勝は! 彼ということか!」

 スプラウトの言葉を遮り、バグマンが大はしゃぎでセドリックへと迫る。その気迫は、不気味に思える。今度はスプラウトがバグマンを遮り、彼を選手控えのスタンドへと導いた。

 そこには、疲れ切ったビクトール=クラムとフラー=デラクールが座っている。

 ビクトールの姿に一瞬、セドリックは怯んだが態度に出さなかった。迷宮で襲われたが、ハリー曰く、ビクトールは操られていたらしい。そうでなければ、彼が後ろから人を襲うことはないという見解だった。

 警戒を気づかれぬように、セドリックはビクトールの隣に座る。周囲を見るとはなしに見てから、カルカロフの姿がないことに気づく。

「カルカロフ校長は何所に行ったんだい?」

「さあぁ知らない、試験の前から見ていない」

 深く気に留めず、皆、後は、ハリーをそしてクローディアを待つだけだった。

 しかし、30分が経過しても2人は帰って来なかった。

 ダンブルドアがセドリックへ状況を聞きに来たので、ハリーとクローディアは優勝杯に触れた瞬間に消えたと説明した。だが、優勝杯にそのような仕掛けをしていないという話が上がった。

 異常を察したダンブルドアは、寮監を残した全ての教師を迷宮への捜索に駆り出させた。観客席もざわめき、席を立とうとする生徒も後を立たない。

 そこに2人は帰ってきた。

 

☈☈☈☈

 芝生を背に打ち付けクローディアは、地面に降りる。降りたというより、叩きつけられた。それでも、彼女の手はハリーをしっかり掴む。

 2人を決して離さないように、手の力を強める。応じてハリーも彼女の手を痛い程、掴んだ。

 いままで暗がりにいたせいか、観客席に用意された篝火が眩しく感じる。

 空気を求めて、喘ぐ。

 目を見開いて、場を見る。ここはホグワーツだ。試験会場、迷宮の入り口、観客席の中心。誰もが2人に視線を注ぐ。

 まっ先にダンブルドアが駆け寄る。校長に気づいたハリーが藁を掴む思いで、その腕を掴む。

「ヴォルデモートが……ヴォルデモートが戻ってきました!」

 腹の底から、ハリーは慟哭する。

「奴が……ヴォルデモートが戻ってきました……、僕……止められませんでした」

 懺悔するハリーを嗚咽が襲う。ダンブルドアに安心したから、墓場での恐怖が蘇ったのだ。よく戻って来れたとクローディアも安堵と共に、恐怖で身体が震える。

「ハリー、君は疲れているんだ。すぐに授賞式を行おう。その後でゆっくり休むといい」

 わざとらしく微笑んだファッジがクローディアとハリーの手を離させようする。それをダンブルドアが制す。

「緊急事態じゃ、授賞式は行わん。生徒は全員、寮へ戻りなさい」

 ダンブルドアの断言に、ファッジは青ざめる。群がってきた生徒や教員も驚きと批難の声を上げた。

「そんなわけにいくか! ハリーの優勝は決定なんだ! それを示すんだ!」

 大声で反論したのは、何故かバクマンだ。

「ハリー、ハリー! 君は優勝したんだ! よくやった! さあ、さあ大臣! 授賞式です! こんなにめでたいんだ! 皆で祝うんだ!」

 狂ったようにバグマンは黄色い声で叫ぶと、ハリーを掴み起こそうとした。

「バーサ=ジョーキンズがハリーの手を離すなと言いました。彼女はヴォルデモートに殺されたのです」

 クローディアの抑揚のない声は、バグマンにしっかりと届く。彼の笑みが凍き、こちらを睨んだ。

「折角のハリーの優勝だぞ! 水を差すのか! もういいから、医務室にでも行って……」

「クローディアに勝手な指示をなさるな」

 バグマンの喚き声は、ダンブルドアの優しくも強い声に止められる。

「待て待て、ダンブルドア。無傷とは行かなくても、2人はこうして帰ってきたんだ。きっと迷路で錯乱でもさせられたんだ。いちいち、鵜呑みにするのはよくない。よし、こうしよう。娘さんには、先に医務室で休んでもらおう。ハリーは予定通り授賞式を行う。それでいいだろう? な? では、ルード。君が連れ行きたまえ」

 ファッジの早口に、バグマンは気の抜けた声を上げる。

「娘さんに医務室を勧めたのは、君だ。君が連れ行くのが、筋だろう」

「この子を連れて行ったら、授賞式をするのだな」

 今までと違い、緊迫した声でバグマンはファッジに確認する。

「待ちたまえ、彼女もここにいてもらう」

 ダンブルドアが止めるのも聞かず、バグマンはクローディアを無理やり立たせた。その拍子に、クローディアとハリーの手が離れてしまった。

「待って下さい、授賞式よりもヴォルデモートが……」

「君は黙って着いてきたまえ! 医務室で好きなだけ聞いてやる!」

 クローディアの声も遮り、バグマンは野次馬を喚き散らして退けた。

 

 粗野で乱暴な力に引っ張られ、クローディアは何度も振りほどこうとした。しかし、バグマンはビクともしない。

 正直、バグマンを侮っていた。

 城の中へ入り、ようやくバグマンは手を離す。離したというより、振りほどくように離された。

「医務室へは勝手に行け、私は授賞式を見届ける義務があるんだ!」

 我慢の効かない子供のように、バグマンは吐き捨てる。地味に痛い手首を擦り、クローディアは礼儀を忘れて睨んだ。そこに地面を揺らす足音が響く。

 ハグリッドだ。彼はクラウチを肩に担いで、クローディアへと走り寄ってきた。

 森番の姿に、クローディアは少し気持ちが和らいだ。

 慌てふためいたハグリッドは、クラウチを半分おざなりに地面へ下す。クラウチは今にも、バグマンに刑罰を与えそうな勢いだった。まるで、違反者を見つけたフィルチのように怒っている。

「バグマン、何を焦っているかはしらんが、ここはダンブルドアに従おう。授賞式は中止だ」

 バグマンが反論する前に、クラウチは杖を振るう。五月蠅い彼の口を塞ぐためだ。

「クローディア! すぐにダンブルドア先生のところに戻るんだ。先生がお決めになったことだ。さあ、こっちへ」

 彼に従い、クローディアは太く頼りがいのある手を取ろうとした。

「今夜のことは、君にも衝撃的なことだったろう。私も後から行く。だから、墓場で何があったのか、それまで話すのは待っていたまえ」

 聞き流していたクローディアは、『墓場』という単語で背筋が熱くなった。視線をハグリッドから、クラウチへと移す。

 そして、ゆっくりとクラウチから距離を取り、ハグリッドの腕を掴んだ。

「ハグリッド……、ハリーが墓場の話をしたさ?」

 囁くような確かめの言葉。

 ハグリッドは瞬きを繰り返して、ほとんど反射的に否定した。そして、敵を見つけた態度でクラウチからクローディアを隠す。

 声の出せぬバグマンさえも事態を飲み込んで、クラウチを凝視した。

 3人の視線を受け、クラウチは笑う。これまで見せていた厳格で気難しさを絵に描いていたはずの雰囲気が消え去り、欲望に飢えていた。

「君の母上は、美しいな」

 それだけ、呟く。

「ステューピファイ!(麻痺せよ)」

 瞬間、クラウチはバグマンとハグリッドへを向け、放つ。大の大人2人は無様に倒れ伏した。ハグリッドの倒れる音で、クローディアは城内へと走り出す。

 本当に混乱して、走る方向を間違えた。何処かに隠れてやり過ごそうと、教室へと飛び込む。すぐに影と変身し、必要もないが息を潜める。

 クラウチの声が追いかけてくる。

「君が選手であったなら、今夜、君の母上にお会いできたものを本当に惜しいことをしたものだ」

 教室に入ったクラウチは、ゆっくりと歩きまわる。

「だが、ハリー=ポッターを闇の帝王に引き合わせるためには、仕方なかった。君まで、選手にしては流石に勘付かれてしまう」

 それは、クラウチがヴォルデモートに加担していたという告白だ。

 絶対にありえないことだ。

 コンラッドとシリウスがそれを証言していたし、クローディアの見解としても、クラウチは絶対にヴォルデモートと組みするはずはない。

 

 ――それが、全て覆った。

 

 クラウチは教室内にクローディアの姿を確認できなかった。しかし、彼は杖を強く振るう。光線が部屋中を駆け巡り、彼女に直撃した。

 瞬間、身体が延ばされる。否、強制的に影から人へと戻らされたのだ。

 自分の手を眺め、魔法が解かされたことに呆然とする。

「先ほど、マッド‐アイが君はおもしろい術を使うと教えてくれてね。おもしろいというだけで、どんなモノかと思ったが」

 クラウチはクローディアを見下ろし、彼女の髪を丁寧に触れる。思わず、座り込んだ。

「あ……あんたは、『死喰い人』を憎んでいるはずさ」

 動揺したクローディアは、全身の筋肉が引き攣るように呻く。

「憎いとも、我が身可愛さで『闇の帝王』を捨て去った。許しがたいこと、この上ない。君も知っているだろう。ワールドカップで、私の打ち上げた闇の印に恐れをなして逃げ去った臆病者どもを……、奴らには仮面をつける価値もないのだ」

 確かな憎悪の感情を込めてクラウチは、忌々しく吐き捨てる。

 クラウチの口から発せられる一言、一言。クローディアには信じがたく、ヴォルデモートを前にしていたときより、身体が竦んでいた。動悸が激しさを増し、声を出そうとするが喉に力が入らない。

 クローディアから手を離したクラウチは、杖を彼女に向ける。動揺のあまり、己を守る術を忘れ、目を見開き愕然と口を開くことしか出来なかった。

「君は闇の帝王によって死ぬ手筈だったが、よく、帰ってきてくれた。君が死んだら、君の母上は、最期を看取った私に頼るだろう」

 口元を舐めるクラウチは、嗤っていた。

 

 ――殺される。

 

 なのに、身体が動かない。心の中で助けを呼ぶことさえ出来ない。

 クラウチが杖を振り上げようとしたとき、誰かが教室に駆け込んだ。

「エクスペリアームズ!(武器よ去れ)」「ステューピファイ!(麻痺せよ)」

「インペディメンタ!(妨害せよ)」

 3つの呪文が同時に言い放たれ、それらはクラウチを吹き飛ばすに十分だった。クラウチは黒板まで飛んでいき、激しい音を立てて倒れた。

「『妨害の呪い』は必要なかったようですね」

 緊張した声でスタニフラフは、机を隅へと寄せる。

「ラブグッド、すぐに先生たちを呼んできてくれ」

 ロジャーが扉の向こうにいたルーナに声をかけ、彼女はジニーと共に廊下を走り出した。

 

 ――皆が来てくれた。

 

 困惑するクローディアは、ジョージに頬を触れられた。暖かく逞しい感触で、漸く、助けが来たのだと理解できた。

「どうして……さ?」

 ここに来たのか? ここにいることがわかったのか? 様々な疑問を込めた問いに、ジョージは普段の快活な笑みを見せてクローディアを抱きしめた。

「(言ったじゃん、君を独りにしないって)」

 耳元で囁かれ、妙に安心されられた。硬直していた身体をどうにか動かし、ジョージの背に手を回す。彼も慰めるように、クローディアの背中を優しく擦った。

「ルーナ=ラブグッドに礼を言っておけ。あの子がクローディアのことを危ないっていったんだ。それで俺たち、先生が止めるのも聞かずに探しに来たんだ」

 ロジャーはクローディアの頭に手を置きながら、クラウチを警戒する。

「僕は曾祖父さまの命でクラウチ氏を呼びにきたのですが、幸いでした」

 スタニフラフは、床に倒れたクラウチを見やる。杖をクラウチに向け、何かを見つけ疑問の声を上げる。

「クラウチ氏の皮膚が裂けている? でも、血が出ていない?」

 確かめずにはいられない。クローディアは引き留めるジョージを押しのけて、クラウチへと迫る。スタニフラフの言葉通り、クラウチの右頬が椅子にあたった拍子に裂けた傷を作っていた。だが、その傷は血の色を帯びていない。まるで、分厚い皮が捲れているだけだ。

 躊躇いながらクローディアは、クラウチの頬に触れてみる。暖かい体温が指先に伝わるし、胸が呼吸の動きを教えているので、クラウチは生きていることは確かだ。

「クローディア、もうよせ!」

 ジョージが後ろからクローディアを抱きしめ、クラウチから離す。

 慌ただしい足音が部屋に迫ってきた。ダンブルドアとスネイプ、フリットウィック、ルーピンが部屋に飛び込んできた。扉のところで、ジニーとルーナが覗き込んでいた。

「僕らがここに来た時に、クラウチ氏がクローディアを殺そうとしているのが聞こえました」

 正確にロジャーが事態を説明しているとき、ルーナがクラウチを指差した。

「その人、顔が取れるよ」

 突拍子もない発言に、誰かが「はあ?」と返した。

 一瞬、混乱したクローディアだったが、「顔が取れる」に、思い当たるモノがあった。変装モノのドラマや漫画では「顔が剥がれる」という意味だ。

 もしやと思い、クローディアはクラウチに手を伸ばす。彼の頬にできた傷を引っ張ろうとした。だが、ジョージとスタニフラフがそれを制した。

「何をすればいいんだ?」

「傷を引っ張るさ。思いっきりさ」

 腹に力を入れて、声を出すクローディアをスタニフラフが頷いて返した。杖を向けたまま彼は、クラウチの頬を強引に引っ張り上げる。

 クラウチの顔面の皮膚が伸ばされ、音を立てて千切れた。その皮膚の下には、色白の若い男の顔があった。

「バーティ=クラウチJr」

 引き攣ったようにスネイプが男の名を呼んだ。フリットウィックが思わず悲鳴を上げ、クローディア達をクラウチJrから離そうと下がらせた。

「クローディアは、ここに残りなさい」

 普段の穏やかさを消し去ったダンブルドアがクローディアを適当な椅子に座らせる。

「しかし、こんなところに居させるわけにはいけません!」

 フリットウィックが反論するが、ダンブルドアは強く首を横に振る。

「フィリウス、他の子たちを寮に戻すのじゃ。朝になるまで、生徒は寮を出てはならん。リーマス、ハリーを呼んできなさい。アラスターも連れてくるのじゃ。セブルスは厨房に行き、ウィンキーという『屋敷妖精』を連れてきておくれ」

 指示を受けた教員達は、すぐに行動で出た。フリットウィックが追い払うようにジョージ達を部屋から追い立てる。皆は部屋に残りたがったが、寮監は厳しく連行した。

 クローディアはダンブルドアと2人きりになったが、何も話さなかった。校長から放たれる戦意が質問を拒ませた。実際、口を開く気力もなかった。

 十分も経たないうちに、ルーピンがハリーを背負って戻ってきた。義足の足音も響いたので、ムーディも一緒だ。

 ルーピンは、ハリーを慎重にクローディアの隣へ座らせた。ハリーは、衰弱していて目を開けているのがやっとだ。

 その後、スネイプがウィンキーと共に部屋に戻ってくる。ウィンキーは、クラウチJrの姿を見て金切り声を上げた。

「坊ちゃま! ああ、坊ちゃまが殺されました!」

 クラウチJrの胸に飛び込んだウィンキーは、彼に縋りつく。

 耳元で騒がれたせいか、クラウチJrは呻き声を上げながら、目を覚ました。

 途端に、ダンブルドアはクラウチJrの口を乱暴に掴む。無言の視線でスネイプに指示を送る。

 すぐにスネイプは澄み切った透明の液体の入った小瓶を取り出し、栓を抜いて中身をクラウチJrの口に注ぎ込んだ。

 『真実薬』だ。如何なる真実も語らせる魔法薬がこの場で使われている。

 その光景をクローディアは、他人事のように見ていた。何を語られるのか、考えたくなかったのかもしれない。

 『真実薬』を飲まされたクラウチJrは、呼吸を求めて口を何度も動かす。薬が効いてきたらしく、表情を緩ませる。

「話して欲しいのじゃ。アズカバンから逃れて、ここに来た理由を」

 口調は優しかったが、ダンブルドアの目つきは厳しい。クラウチJrは、抵抗なく抑揚のない声で機械的に話し出した。

 クラウチは病床の妻の最後の頼みとして、息子をアズカバンから助けた。アズカバンに面会に来た夫婦は、『ポリジュース薬』で妻と息子を変身させ、入れ替わった。妻は、アズカバンで息子として亡くなり、埋葬された。息子は、クラウチ邸で『透明マント』を被らされ、『服従の呪文』で不自由な生活を送った。

 

 ――すべては、息子が『死喰い人』に戻らないようにするための処置だった。

 

 だが、バーサ=ジョーキンズがクラウチの不在中に屋敷を訪れ、息子の生存を知ってしまった。クラウチはジョーキンズの記憶を『忘却術』で消し去ったが、強くかけすぎたため彼女は記憶障害にまで陥ってしまったというのだ。

「どうしてあの女の人は、あたしたちをそっとしておかないのでしょう?」

 心からの訴えを口にし、ウィンキーが両手を組んで啜り泣く。

「ワールドカップでのことを話しておくれ」

 ダンブルドアの問いに、クラウチJrは再び抑揚のない声で話す。どうやら、何もかも洗いざらいに話すのではなく、質問に嘘偽りなく答えるらしい。

 何か月もかけてウィンキーがクラウチを説き伏せたため、息子は『透明マント』で隠された状態でワールドカップを観戦した。

「ウィンキーは、俺が時折、自分自身を取り戻していることに気付かなかった」

 観客席の状態を話すとき、クラウチJrの声に抑揚が戻った。

「女が俺たちに飲み物をくれた時もそうだった。女の声を聞いた時、俺の意思はハッキリとしていた。女はウィンキーと『透明マント』を被った俺に笑いかけた。母が出かけるときに、いつも俺に飲み物をくれたことを思い出した。俺は、あの女が欲しくなった。だが、声をかけられなかった。ウィンキーが見ていたからだ。俺は残念に思いながら、『透明マント』の中で飲み物を飲んだ」

 急に抑揚が消えた。また淡々とした口調に戻った。

 試合中、前の席にいたハリーの杖を盗んだ。ウィンキーは、高所恐怖症で目を閉じていたので、それを見ていなかった。試合後に『死喰い人』が騒動を起こした時、彼らの低俗さに腸が煮えくり返った。

「俺が『闇の印』を打ちあげようとした時、奴らはあの女を捕えようとしていた。俺は助けに行こうとしたが、ウィンキーがあの女を助けた。俺は安心して、『闇の印』を打ち上げた。奴らの不忠を教える為に、俺こそが仮面を被るに相応しいことを示すために。奴らは逃げた。俺は傍にいた小娘の服に杖を忍ばせた。俺が持っていては、父に気付かれる恐れがあった。魔法省の役人と共に、父が現れた。父はウィンキーが俺をテントから出したことに激怒した。俺を逃がすところだったからだ。皆がいなくなってから、父は俺に『服従の呪文』をかけ直し、家に連れ帰った。アーサー=ウィーズリーがウィンキーを解雇させぬように説得しに来たが、無駄だった。アーサー=ウィーズリーは真実を知らない。父はウィンキーを解雇した」

 ウィンキーが解雇された後、クィレルに抱かれたヴォルデモートがクラウチ邸を訪れた。ジョーキンズに『磔の呪文』をかけてクラウチ親子の情報を聞き出したのだ。

 その話になると、クラウチJrの顔が嗤いだした。

「ご主人様は、三校対抗試合で誰にも気取られずに、ハリー=ポッターを優勝杯に誘導する召使が必要だと、俺におっしゃられた。父の立場が打ってつけだった。試合中の優勝杯の管理も父の仕事だった。俺は『ポリジュース薬』で父に成りすませようと考えたが、クィレルがそれに反対した」

 クィレルの名に、クローディアは眉を痙攣させた。

「父を殺した後だった。それに薬による変身では、小まめに薬を入手しなければならなかった。クィレルは、父の顔と同じ覆面を用意して、それを俺の顔に被せた。父は潔癖症で人前でも手袋を外さなかった。だから、見える部分は誤魔化すことが出来た。更に審査員である立場と元『死喰い人』の監視という名目でホグワーツに滞在できた。これで、魔法省に顔を出さずともよくなった。筆跡も父の自動速記羽ペンで書類にサインしていた。誰も俺を疑わなかった」

 クラウチJrの目がクローディアを捉えた。何の感情も籠っていない眼差しだが、今のクローディアを怯えさせるには十分だ。

「クローディア=クロックフォードが俺とウィンキーを引き合わせた。俺はウィンキーがホグワーツにいることに驚いた。ウィンキーは、俺が父ではないとわかっていた。俺は父が重い病に倒れたので、代わりをしていると話した。ウィンキーは納得した。そして、俺を父として扱った。父の考え方ややり方を熟知していたウィンキーが俺を助けた」

「どうやって、君はハリーを優勝杯に導こうとしたのじゃ?」

 ダンブルドアの問いに、クラウチJrはクローディアを見つめたまま、話し続ける。

「ルード=バグマンにやらせた。俺はルード=バグマンにハリー=ポッターが17歳ではないのが、残念だと話した。ルード=バグマンは僅かな不正をおもしろがった。第一の課題で、俺はルビウス=ハグリッドに、さしものハリー=ポッターもドラゴン相手では荷が重いと話した。それだけで、ルビウス=ハグリッドはハリー=ポッターに教えた。第2の課題では、ウィンキーが丸いボールを水の入った容器に落とすところをセドリック=ディゴリーに見せた。セドリック=ディゴリーは、それから『卵』の謎を解き、ハリー=ポッターに教えた。湖に入る方法は、ネビル=ロングボトムが【地中海の水生魔法植物とその特性】を持っていたから、問題なかった。第3の課題では、ルード=バグマンに『錯乱の呪文』をかけ、クローディア=クロックフォードを優勝杯の守り手のするように推薦させた。優勝杯を墓場に行く『移動キー』に変え、クローディア=クロックフォードに渡した」

「何故? クローディアにその役目を負わせたのじゃ?」

 初めてクラウチJrの目がダンブルドアに向けられた。

「ご主人様はクローディア=クロックフォードから耐え難い侮辱を受けたとおっしゃられた。ハリー=ポッターの前で殺し、絶望を味あわせることも目的だった」

 誰もがクラウチJrの掌で踊っていた。ハリーを応援したい気持ちがまんまと利用されたのだ。

「あんたが敵だとベッロがどうして気付けなかったって言うのさ!」

 堪らずにクローディアは叫んだ。それを質問と受け取ったクラウチJrは抑揚なく話す。

「クィレルが蛇に気を付けろと警告していた。選手を発表した晩、蛇は俺の部屋にやってきた。蛇はご主人様のお気に入りだ。殺さない為には『錯乱の呪文』をかけるしかなかった。俺も含めた客人全てが疑わしいと錯乱させた」

 それは効果的だった。皆のハリーへの不信感の募りもあり、ベッロの感覚は狂わされた。

 スネイプとルーピンが確認し合うように、視線を合わせた。

「お父上は、どうして殺されたのだ?」

 一層、厳しくなったダンブルドアの声にクラウチJrは緩やかな笑みを見せた。まるで、恋い焦がれたような表情だ。非常に寒気がする。

「ウィンキーがいなくなり、家は俺と父だけになった。それなのに、父は何処か浮かれていた。ホグワーツに行く事を楽しみにしていた。クローディア=クロックフォードに会えるからだ。父は彼女の母親に恋をした。あわよくば、小娘を通じてあの女に会える望みを持っていた! 俺には、すぐにわかった! 父はあの女が欲しくなった! 俺が先に目を付けたのに! 俺は家に帰ってから、毎日のようにあの女の事を考えた。それだけで俺は小僧のように舞い上がれた。俺の中で父への怒りが湧き起こった! 俺は手で掴める物を何でも掴んで、父を殴った。父の息の音が止まるまで、殴りつづけた! そうして、父は俺に殺された。その後、ご主人様がおいでになられた」

「ああああああ! バーティ坊ちゃま!? 何をおっしゃるのですか!」

 告白を受け入れられず、ウィンキーは悲鳴を上げた。

「クリスマスの夜、クローディアを傷つけたのは君じゃな?」

 一瞬、スネイプがクローディアを一瞥する。

「そうだ。女に会いたかった。娘が痛めつけられれば、見舞いに来ると思った。だが、ジョージ=ウィーズリーが怪我を隠した。あの場で殺しておけば良かったと後悔したが、それではご主人様に逆らうことになる」

 本当に残念そうな口調だ。

「クローディアが傷つけば、その母親が悲しむと思わなかったのかね?」

「あの女は、悲しむだろう。だが、俺が癒してやれる。今夜、ご主人様の復活と共に、俺はあの女を手に入れられる!! あの女は俺の物だ!」

 甲高く笑いながらクラウチJrは、クローディアに手を伸ばそうとした。

 寒気が走ったクローディアは、思わずハリーに縋るように下がった。スネイプとルーピンが彼女の前に立ちはだかった。

 手が届かないと知ったクラウチは、焦点の定まらない目つきで黙り込んだ。ウィンキーの泣き声だけが部屋中に響く。

 嫌悪を露にした目つきのままダンブルドアは、クラウチJrを睨まない程度に見ていた。そして、瞼を一度、閉じてからムーディに視線を送る。

「アラスター、見張りを頼む」

「承知した」

 怒りに唇を震わせたムーディの義眼が、クラウチJrに釘付けになる。次にダンブルドアは、スネイプに顔を向ける。

「セブルス、ファッジ大臣をここに呼ぶのじゃ。全てを話さねばならん」

 承知の意味で頷いたスネイプは、すぐに部屋を後にする。それから、ダンブルドアはルーピンを見る。

「リーマス、ホグズミードの『三本箒』から、シリウスを医務室に連れてきてくれ。ニンファドーラには、コンラッドを呼び寄せるように頼んでおくれ」

「承りました」

 ハリーとクローディアを一瞥した後、ルーピンは急ぎ足で部屋を出ていく。

 最後に、ダンブルドアは普段の温厚な雰囲気を漂わせた。クローディアとハリーと同じ目線まで身を屈める。

「ハリー? クローディア?」

 反射的にハリーは腰をあげたが、足元が覚束ない。クローディアがハリーを支えるように肩に手を回し、その隣に立つ。

「もうここにいる必要はない。おいで」

 ダンブルドアに従い、2人は歩く。月夜に照らされた廊下を進みながら、クラウチJrの告白とウィンキーの涙がクローディアの中で木霊し続けた。

 ウィンキーはクラウチが大好きだった。その忠誠心さえも、クラウチJrの心を動かすことは出来なかった。だが、ウィンキーは誰も恨まないだろう。クビにされた時のように、自責の念に駆られ悲しみに打ちひしがれてしまう。一体、どんな言葉をかければいいのか、クローディアには見当もつかない。

 校長室を守護するガーゴイルの石像の前まで来た。ダンブルドアの合言葉で、螺旋階段が現れた。クローディアとハリーは、そのまま導かれた。

 不死鳥フォークスに出迎えられ、クローディアとハリーは椅子に腰かけた。もう立ち上がる気力が2人にはなかった。フォークスがハリーの膝に留まり、すり寄ってくる姿が心に活力を漲らせた。

「ハリー、クローディア。優勝杯に触れた後のことを話しておくれ」

 

 ――そんな体力はない。

 

 口に出して訴えたかったが、2人とも、それさえ叶わない。今夜の出来事を思い返して言葉にすることなど、どれだけの精神力が必要か、ダンブルドアもわかっているはずだ。

 だが、ダンブルドアは決して2人に容赦しない。すぐにでも、知らなければならないと強い視線が2人に注がれた。何故か、怖くはない。むしろ、全て話さなければという気持ちになった。

 ハリーの手がクローディアを掴んだ。そして、ハリーの口から、墓場での出来事が語られた。

 クィレルによるヴォルデモートの復活、母親の護りが効果を失い、『死喰い人』の集い。

 自分が気絶している間に起こった出来事に、吐き気がする。

「ヴォルデモートは僕に殺すように命じました。そうすれば、僕を生かして帰すと言いました。僕が断ると、ルシウス=マルフォイが……、クローディアはコンラッドさんの娘だと話しました。ヴォルデモートはクローディアを殺すのをやめました」

「その理由をヴォルデモートは語ったかね?」

 首を横に振るハリーに、ダンブルドアは頷く。

 そこから、ハリーに代わってクローディアが口を開く。

「私は、その辺にあったモノで彼らを撹乱しました。その隙に優勝杯に逃げようとしましたが寸でのところで、ヴォルデモートに邪魔されました。私達は墓石を盾にして、身を潜めました。あいつは、私が下れば、ハリーを逃がすと言っていました。でも、私が断ったので、ハリーに決闘を挑んできました」

「クローディアは僕だけでも逃げろと言いました。けど、僕はクローディアと一緒に帰りたかった。だから、僕はヴォルデモートの決闘を受けました。彼女に優勝杯を探させる時間稼ぎのつもりでした」

 そして、ハリーとヴォルデモートの杖が金色の光となって繋がり、死んはずのジョーキンズ、見知らぬ人々の姿を現した。

「父と……母です」

 ハリーが涙ぐんだ。最後に現れた2人の男女、あれがハリーの両親。そして、ハリーは初めて両親と言葉を交わしたのだ。彼は口を利く余裕がなかったので、必死に頷くだけだったが、それでもハリーには十分な会話と言えるだろう。

 感傷に浸るハリーの為に、一旦、クローディアは言葉をとめさせようとした。

 しかし、ダンブルドアが構わず続けさせた。彼らの足止めによって時間を稼ぎ、ハリーの『呼び寄せ呪文』で優勝杯を手にした。2人は命からがら、その場を逃げおおせた。

 2人の話を聞き、ダンブルドアは深刻な目つきで黙り込んだ。

「校長先生、杖に何が起こったんですか?」

 ハリーの問いに、ダンブルドアの表情が一瞬、輝いた。

「直前呪文による呪文逆戻し効果が起こったのじゃな」

 直前呪文は、杖が何の魔法を使用したか調べることが出来る。呪文逆戻しは、杖が使用した呪文を再現することだ。金色の光に現れたのは、杖の犠牲者達で間違いなかった。

「このフォークスの尾羽根より作られた兄弟杖が、稀な現象を引き起したのだろう」

 クローディアは、ハリーの杖がフォークスの尾羽根で作られている事実に、驚いた。しかも、ヴォルデモートの杖と兄弟だと述べた。額の傷以外で、2人を結びつける物があるなど、クローディアには強い衝撃だ。深刻にハリーの杖を見つめる。

 途端に、フォークスがハリーの膝から離れた。2人の頭上を舞い、その瞳から輝かしい涙を零した。涙はハリーの腕とクローディアの後頭部にある傷へとかかり、痛みと傷を癒した。

 ほんの少し体が軽くなった気がする。

 これが今夜の出来事を話した褒美だと、クローディアは思う。

 フォークスを肩に乗せたダンブルドアがまるで、長年の友に交わすような口調で2人に声をかける。

「今夜、君達は、わしの期待を遥かに超える勇気を示した。感謝しておる。さあ、医務室にて安静にするのがよかろう」

 フォークスの涙によって、傷を癒された2人は立ち上がる。

 自然とお互いの顔を見やったクローディアとハリーは、存在を確かめ合うように手を握りしめた。

 

 医務室に着くと、モリーとシリウスが凄まじい勢いでマダム・ポンフリーを問いただしていた。ルーピンが間に入って、モリーとシリウスを宥める。しかし、コンラッドとビルは、2人の剣幕を呆れた様子で遠巻きに見ていた。

 ダンブルドアに連れ添われたクローディアとハリーが現れたと知るや、モリーとシリウスは競い合うように駆け寄ろうとした。

「モリー、シリウス。ちょっと聞いておくれ。2人は今夜、恐ろしい試練をくぐり抜けてきた。そのことをわしに全て話してくれたばかりじゃ。この子達に必要なのは、静かに眠らせてあげることではないかな?」

 当然だと、モリーとシリウスは頷く。

「わかったの? この子達は、安静が必要なのよ!」

「うるさくするな!」

 何故だが、ルーピンとコンラッド、ビルに静かにするよう叱った。

 シリウスを目にするだけでも不快な気分にされるクローディアは、思わず彼の脚を蹴る。油断し切ったシリウスは、脚の痛みに低く呻いた。

「あんたが一番、五月蠅いさ」

 仏頂面で睨んでくるクローディアに、シリウスはか細い声で「すまない」と返した。

「今夜、ここに君らがいても、構わん。しかし、ハリーとクローディアが答えられる状態になるまで、決して質問してはならぬぞ」

 特に、ダンブルドアはシリウスを強く見つめた。

「明日、わしがここに来るまで、医務室を出てはならん」

 ダンブルドアはルーピンと共に、医務室を後にした。クローディアとハリーは、それぞれの寝台に行き、マダム・ポンフリーがカーテンで囲った。

 クローディアの寝台にマダム・ポンフリーが寝巻を運び、着替えるのを手伝った。着替え終わったとき、コンラッドがカーテンの中に入ってきた。

 コンラッドはクローディアの枕元にある椅子に腰かける。

「お父さん……、ホグズミードにいたさ?」

「いたよ。今夜のことがどうしても気がかりだったからね」

 マダム・ポンフリーが布団をクローディアの肩まで覆ったとき、コンラッドは紫色の飲み薬を渡してきた。疑いなく受け取り、薬を飲む。半分飲み終えた時、意識が蕩けていくのがわかった。

 それが異常に恐ろしく思えた。墓場でも、意識を手放したせいで、何も出来なかった。

 

 ――きっと、自分が起きていれば、ヴォルデモートは復活などしなかった。

 

「嫌、眠りたくない!」

 大声を上げたので、心配したモリーがカーテンの向こうから様子を見に来た。

「どうしたの? ハリーは、寝てしまったわよ?」

 クローディアを覗き込んでくるモリーの姿が奇妙に歪んでいる。視界が揺らいでいるのだ。

「クィレルも私を眠らせようとした! お父さん! クィレルは私が邪魔だったから、だから……」

 襲いくる眠気に抗おうとクローディアは、無造作に手を伸ばす。その手をコンラッドが掴んだ。

「手を握っていよう。さあ、おやすみなさい」

 機械的な笑みを浮かべたコンラッドの唇が囁く。逞しくも滑らかな手の感触が、クローディアを心から安心させた。

 

 心地よい感触で意識を取り戻したクローディアは、騒がしい声が耳につく。

「クローディア=クロックフォードは何処だ!」

 ファッジの怒声だ。

 驚いて飛び起きたクローディアは、コンラッドの手を意識した。彼は、自らの唇に人差し指をあて、沈黙を示す。

「(出て行かないほうが良い。ファッジ大臣が来ている。おまえまで行くと、話が拗れる)」

 カーテンの向こうでは、ハリーの声も聞こえた。

「僕は騙されてない! ヴォルデモートが復活するところを見たんだ!」

「いやいやハリー、それは違う! 君はそう思わされている!」

 2人の言い合いに耐えきれず、クローディアは寝台から飛び降りてカーテンを払いのけた。

 カーテンの囲いから出てきたクローディアに、ファッジは肩をビクッと痙攣させた。医務室には、戻ってきていたダンブルドア、眉をより険しくしたスネイプもいた。

 皆、クローディアに注目していた。

 視線を気にせず、クローディアは口を開こうとした。その前にファッジが迫まり、彼女の肩を乱暴につかんだ。

「君の父親は、『死喰い人』のはずだ! 君がハリーにありもしない妄想を吹き込んだのだ! そうだろう! 君が原因だ! 君のせいで、ハリーは現実と妄想の区別がつかないんだ!」

 頭ごなしに怒鳴られても、クローディアはファッジが怖くなかった。彼の狼狽は、何かに似ている。そう、恐怖に怯えた自分の姿だ。

「あなたも……死んだ人に生き返られたら、恐ろしいのですか?」

 クローディアの憐みの視線を受け、ファッジは驚愕して離れる。

「違う、そんなはずはない……戻ってくるはずはない」

 怒鳴らずとも、響く声でファッジは否定した。

 突然、医務室の扉が開かれた。ワイセンベルクとスタニフラフが怪訝そうに室内を見渡す。

 そして、ファッジを目にしたワイセンベルクは、迷いなくツカツカと歩み寄る。

「『例のあの人』が、よみぃがえったのです。対策を明確にぃしまえんと、後手にまわりましゅう」

 ワイセンベルクに迫られたファッジは、まるで侮辱されたといわんばかりに顔を真っ赤に染め上げた。

「わかったぞ! そうやって、私を魔法省大臣の地位から追い立てるつもりだな!? ダンブルドア、外国人の魔法使いに取り入り、私を恥さらしにするのだろう!?」

 捲りたてるファッジの言葉が聞き取れなかったワイセンベルクに、スタニフラフが通訳を耳打ちする。

 ファッジの言葉を聞いたワイセンベルクは、それまで見せていた親しみのある老人の雰囲気を消した。まるで、ここが重要な会議場であるかのように、威厳に満ちた態度で言い放った。

「あなたが、この国ぃの魔法省大臣ですう。『例のあの人』に対し、宣戦布告を宣言しなければ、なりません。そうでなければ、多くの人が命を失います。我々ブルガリアはぁ、あなた方と共に『例のあの人』と戦う所存ですう」

 舌足らずだが、ワイセンベルクの意思の強さが、その場にいる全員に伝わった。

 気迫に押されたファッジは、目を泳がせて手先を弄ぶ。そして、全てに落胆した息を吐いた。

「わかった……、……わかった……。この件に『死喰い人』が関与していることは認める。だが、……だが、『例のあの人』のことは……どうか、待ってくれ」

 頭を掻きむしりながら、ファッジは息絶え絶えに呟く。

「そんな場合ではないのじゃ! コーネリアス、ヴォルデモート卿は決して待ってくれん」

 子供の言い訳のような口調にダンブルドアが喝を入れる。そこでシリウスは、ダンブルドアの肩に手を触れる。まるで校長を止める仕草だ。

「待ってあげましょう」

 情け深い言葉が、シリウスから出た。その場にいた全員が驚き、彼に注目する。

 ダンブルドアが否定的に眉を寄せたように見えた。それをシリウスは、躊躇わずファッジを気に掛ける。

「時間がないのは、わかっています。なれど、誰も彼もが強いわけではありません。このままでは、大臣を追い詰めることになります。そうなれば、ペティグリューの二の舞になってしまうでしょう。今思えば、あいつに戦いを強いたのは、私です。それがあいつを追い詰めていたのだと思います」

 予想外だったシリウスの温かい言葉に、ファッジは顔を伏せた。今にも、泣き出しそうな顔をし、帽子を深く被る。目元が見えない状態で、ファッジはハリーの寝台まで進む。

 膨らんだ袋を懐から出し、ハリーに手渡した。

「……君の賞金だ。誰に恥じることのない。……君の物だ」

 消え去りそうな声でハリーに告げると、ファッジは逃げる足取りで出て行った。

 ファッジが医務室から、十分に離れた頃合いでダンブルドアは皆を振り返る。

「こうなっては、仕方あるまい。やるべきことをやる。モリー、あなたとアーサーを頼りにできると考えてよいかな?」

「もちろんですわ」

 蒼白な表情だが、モリーの唇だけが強い意志を示すように引き締められていた。

「僕が父の所に行き、報せてきます」

 母の決意に呼応するように、座っていたビルが立ち上がる。彼の態度に、ダンブルドアは頷く。

「アーサーに事の次第を説明し、近々わしが直接連絡すると伝えてほしい。決してコーネリアスに気取られぬように十分、注意するのじゃ。あ奴は、まだ我々の側ではない」

「僕に任せてください」

 ビルはハリーの肩を叩いてから、モリーの頬にキスをして、速足で部屋を出て行った。

「ワイセンベルク大臣、すぐに国に戻り、周辺諸国に呼びかけてもらいたい」

「全ては盟約に乗っ取り、恙無く」

 握手を求めるワイセンベルクの手に、ダンブルドアは両手で握り返した。

「スタニフラフを伝達係にお使いください」

 ワイセンベルクは、クローディアを一瞥し、スタニフラフと共に医務室を後にした。

「ポピー、アラスターの所に行き、ウィンキーという屋敷妖精を元気づけてやっておくれ。それから、厨房に連れて帰って欲しい。そこにいるドビーが良いようにしてくれる」

「は、はい」

 自分に指示が来るとは思っていなかったマダム・ポンフリーは、驚きながら出て行った。

 医務室の扉を閉めたダンブルドアは、初めてクローディアを見やる。正しくは、その後ろだ。

「さあ、信頼を確固にするべき時がきた」

 ダンブルドアに応え、コンラッドはカーテンから姿を見せる。スネイプの眉間に深い皺ができる。

 コンラッド、スネイプ、シリウスの3人が何処となく睨みあうような雰囲気を放っていた。実際は、スネイプはコンラッドを睨み、シリウスは2人から視線を外している。

 コンラッドのみ平然とダンブルドアと視線を合わせていた。

「君たちは、同じ陣営なのじゃから、握手するのじゃ。よいか? 真実を知る者が少ない、結束せねば望みはないのじゃ。わかったな?」

 握手という単語に、コンラッドは嫌そうに口元を歪める。

「お互いのしがらみは、先延ばしということにしておきなさい。それで、手を打ちなさい」

 若干、キレ気味にダンブルドアは3人に握手を求める。

 一触即発の雰囲気で、3人の手が一つに握手された。コンラッドの差し出した手をスネイプが躊躇いながら乗せ、シリウスは目を合わさず、乗せた。まるで、犬のお手に似ている。

「当座はそれで十分じゃ」

 3人を見渡し、ダンブルドアは深刻さを消さない。

「シリウス、ニンファドーラと共に、昔の仲間に警戒体制をとるように伝えてくれ」

「でも」

 不安そうにハリーが声を上げる。シリウスとの別れが辛いのだ。ハリーの意思を汲み取ったシリウスは、彼の手を握る。

「またすぐ会えるよ、ハリー。約束する」

「…うん」

 自分の気持ちを堪え、ハリーはシリウスの手を握り返した。即座に犬の姿に変じたシリウスは、扉を押しのけるように、走り去っていった。

「コンラッド、トトと共に、彼の盟約に従う者達に、計画を実行するように呼びかけてくれ」

 続けて命じられたコンラッドの手が、クローディアの頭に置かれた。

 粗雑な置き方だが、微かに、震えを感じる。流石のコンラッドもヴォルデモートの復活に動じずにはいられない。クローディアは、彼を見上げた。いつもと同じ機械的な笑みは、何も語らない。

 それから、コンラッドはスネイプを一瞥し、医務室を出て行った。

「セブルス、君に何を頼まねばならぬのか、もうわかっておろう。もし、準備ができているなら、もし、やってくれるなら」

「大丈夫です」

 これまでと違い、スネイプに対する指示は曖昧だ。しかし、彼は理解していた。

 それがどれ程、危険かクローディアは想像したくない。あのスネイプの顔色が、普段よりも青ざめているからだ。

「それでは、幸運を祈る」

 スネイプは誰にも振り返らず、歩いていく。その後ろ姿をダンブルドアは心配そうに見送った。

「クローディア、寝台に戻って眠りなさい。モリー、ハリーと寝台を繋げておあげ。できるだけ、近くにいさせてやりなさい」

 それだけ言い残し、ダンブルドアもいなくなった。

 3人だけになった医務室で、モリーが杖を振るって寝台を隣り合わせにした。クローディアが寝台に横になる。お互いの息が聞こえる位置まで、距離が近い。傍に誰かがいるという実感が安心感を与えた。

 

 ――ドタ、バタ!

 

 窓のほうから、ぶつかり合う音がした。驚いたモリーが2人を守るように杖を構えた。

[捕まえた! 捕まえた!]

 窓の向こう側で、ベッロとクルックシャンクスが何かを奪い合っていた。

 ベッロを目にしたとき、クローディアはヴォルデモートの姿を脳裏に蘇らせた。

 出来れば今だけはヴォルデモートを忘れたかったクローディアは、布団を深く被り、無理やり眠ろうとした。

「ちゃんと薬を飲みなさい」

 モリーに叱られ、クローディアは渋々、さっきよりも濃い紫の飲み薬を飲み干した。

 

 




閲覧ありがとうございました。
はい、クラウチ氏に変装したクラウチJrでした。『忍びの地図』を誤魔化すには、これしか浮かびませんでした。マッド‐アイの義眼も、普通の変装なら見抜けないんじゃないかと思いました。


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25.敵対

閲覧ありがとうございます。
これが締め回です。

追記:17年3月8日、誤字報告により修正しました。


 翌朝、目を覚ましたクローディアの眼前にドリスがいた。誰が相手でも、寝起きに人の顔は吃驚する。安心していいのか、正直、戸惑った。

「何も言わなくていいわ。ええ、何もね」

 ドリスはクローディアとハリーを交互に抱きしめ、そう囁いた。

 不安と安堵の籠った声を聞く限り、昨晩の出来事をドリスは知っていると察した。何も言葉が浮かばなかったクローディアは、頷くことしか出来ない。それはハリーも同じだ。

 無事な姿を見て安心したらしく、ドリスはすぐに帰った。

 入れ違いで、ハーマイオニーとロンが駆け込むように面会に現れた。

 ハーマイオニーは密封したガラス小瓶を取り出し、見せつけた。中には、コガネムシが一匹だ。それがスキーターだと、クローディアとハリーには理解できた。

「ベッロがクルックシャンクスと捕まえたの。『割れない呪文』で出られないようにしてやったわ」

 昨晩の窓辺での騒ぎは、スキーターを捕まえる為だったようだ。特ダネを掴む為に、危険を承知で城内に入りこむとは良い度胸だ。

 初めての朗報といえる。

 ハーマイオニーとロンは、昨夜のことを追及しなかった。それが2人なりの気遣いだと、すぐにわかった。

 その日の夕方、フレッドとジョージが見舞いに来た。モリーに悪戯道具を持っていないか、入念に確認を受けてから、ようやく入れてもらえた。

「マッド‐アイがクラウチJrを連れて行ったよ。もう2人は学校にいない」

「魔法省の分からず屋を納得させるために、証言させるんだってよ。マッド‐アイの『目』を誤魔化すなんて、狂気の沙汰だぜ。クラウチJrって奴は」

 報せてくれたフレッド、ジョージにハリーは礼だけ述べた。クローディアと話す前に双子は、モリーによって早々に追い出された。

 

 それから丸一日経ち、クローディアとハリーは退院した。

 ハーマイオニーとロン、パドマとリサが迎えに来てくれた。

「今朝、校長先生が全校生徒に諭していたわ。クローディアとハリーから何も聞かないようにってね」

 非常に有難かった。

 その言葉通り、質問はない。その代わりに、ヒソヒソ声や視線が何処を歩いても付き纏った。

 ドラコは常に何か言いたげな視線を送ってきた。しかし、クローディアには必ず誰か着いていたので、彼も話しかけてこなかった。

 もっともルーナが自前の防衛グッズを身に着けて、クローディアに付き従えば、違う意味で話しかけづらい。

 

 気楽に過ごせたのは、ハーマイオニー達は勿論の事、あの晩クローディアを助けてくれたルーナ、ジニー、ロジャーといる時だ。

 しかし、ハリーは出来るだけ、ロンとハーマイオニーと過ごした。

[ありえん、もう本当、信じられん!]

 退院してから、ベッロはクラウチJrに対する怒り以外は口に出さなかった。それがハリーを気遣ってなのか、ヴォルデモートとのことを話題にしたくないのかは、わからなかった。

 

 【改訂版ホグワーツの歴史】の修正が終わり、クローディア達はハグリッドの家を訪れた。ベッロはファングとお互いの方法で挨拶を交わす。森番は大歓迎で、家に入れてくれた。先程まで、誰かと茶を楽しんでいた痕跡があった。

「オリンベとお茶を飲んどったんじゃ。たったいま帰ったところだ」

 ベッロがいそいそと食器を流しに移す。ハグリッドはベッロを眺めた。

「もうベッロは大丈夫そうじゃな。まさか、こいつを錯乱させるたぁな。エゲツねえことするもんだ」

「その話はしないほうがいいよ。ベッロも随分、悔しいみたい」

 ハリーに頷きながら、ハグリッドは4人分の茶を用意する。その間に、ベッロが生焼クッキーを皿に盛った。

 ベッロを抱き上げ、ハグリッドは椅子に腰かける。

「大丈夫か、ハリー?」

 何に対してかは、ハリーはすぐにわかった。

「うん」

「いや、そんなはずねえ。だが、すぐに大丈夫になる。奴が戻ってくることは、わかっとったことだ。ハリー、おまえさんが叔母夫婦のところに引き取られる頃から、ずっと……」

 ハグリッドの言葉に驚いたハリー、ハーマイオニー、ロンは彼を見上げた。クローディアだけは目を伏せ、記憶を掘り越していた。

〝ヴォルデモートは滅んでいたのではなく、弱っていただけ〟

 そんな話を誰から聞いたのか、忘れた。

「俺達は奴が戻った事を受け止めて、戦うんだ。それはダンブルドア先生も同じだ。あの先生がいる限り、俺は心配なんざあしていねえ。くよくよしても始まらん」

 見栄でも意地でもないハグリッドの本心に、クローディアは自然と頷く。

 ハリー達はまだ驚いていた。

「来るもんは来る。来た時は受けてたちゃええ。ハリー、おまえさんがしたことを聞いたぞ。おまえさんは、親父さんと同じくらい大したことをやってのけた。これ以上の褒め言葉は、俺にはねえ」

 大切な父親と同じ、それはハリーの胸を暖かくさせた。ハグリッドが穏やかに微笑んでくれたせいでもある。彼の丸くクリクリした瞳がクローディアに向けられる。

「俺とオリンベは、夏の間、ちょいと仕事をせにゃならん。ダンブルドアから依頼された。だから、俺からは手紙が出せねえだろう。それだけ、遠くに行く事になる」

「ハグリッドも頼まれたの?どんな?」

 ハリーが飛び付くように尋ねる。

「言えねえ事だ。さて、最後になったスクリュートを見て行かねえか?」

「最後さ?」

 場の空気を変えようとハグリッドが明るい声を出すが、クローディアは疑問する。

「ああ。先日、スクリュートが共食いをやってな。一匹だけになっちまったんだ」

 残念そうにハグリッドは溜息をつく。

 聞いているクローディアは、少々気分が悪くなった。同族を喰らい、生き残る。まるで、呪詛のようだ。しかし、スクリュートに哀惜の念はないだろう。救いといえば救いだ。

「私、見て行くさ」

 クローディアの返事をハーマイオニーが阻止しようとしていたが間に合わなかった。

 上機嫌になったハグリッドに案内され、3メートルに成長したスクリュートと対面した。

 以前見た姿は幼虫? だったらしい。その頃がまだ可愛げがあった。否、なかった。スクリュートから話題を逸らそうと、口を開く。

「そうそう、ハグリッド。私とハーマイオニーで【改訂版ホグワーツの歴史】を作ったさ。ハグリッドに質問したことも書いてあるさ」

「ほお! そいつはすげえ! おめえはいろんなことに挑戦するな。すげえことだ。本当に大したもんだ」

 誇り高いと言わんばかりに、ハグリッドはクローディアの頭をくしゃくしゃに撫でた。

 

 学年末の宴は、しめやかに行われた。大広間は紫の垂れ幕がかけられ、寮席が取り払われて、まるで教会のように座椅子が並べられていた。

 それでも、習慣の為か、自然と寮が固まって座られる。空いた席にダームストラングとボーバトンの生徒が座っていく。

 クローディアの隣にスタニフラフが挨拶をしながら、座り込んだ。

「(ブルガリア魔法省から正式に『例のあの人』復活を公表しました。フランス、ドイツが共同戦線を張るということです)」

 囁いてきたスタニフラフに、クローディアは頷く。場の空気のせいか、囁くような話し声だけしか聞こえて来ない。

 全校生徒、職員が大広間に集まったのを確認される。

 ダンブルドアが椅子から立ち上がる。それを合図としていたように、大広間が誰もいないように静まり返った。呼吸さえ、聞こえない。

「今年も終わりがやってきた。皆は、疑問していることだろう。第三の課題で何が起こり、ハリー=ポッターの優勝を祝わないのか。それは、信じたくないであろう事件が起こってしもうた。ヴォルデモート卿が帰って来たのじゃ」

 その名に、スタニフラフが唾を飲み込んだ。

「魔法省は、この事を口止めした。しかし、すぐに皆も実感するであろう。そして、実感した時には、何もかも手遅れであろうてな。ヴォルデモート卿はじっくりと、確実に君達の暮らしを蝕んでゆくぞ。その証拠にイゴール=カルカロフ校長は、奴を恐れて逃亡しおった。知っている者もおろうが、彼は元『死喰い人』であった。奴の恐怖を知り尽くしておった。だから、逃げ出したのじゃ」

 ダームストラング生が一瞬、ざわついた。

 クローディアも驚き、鳥肌が立つ。ダームストラングがそんな大事になっているなど知らなかった。そんな彼女をスタニフラフは気にしない。

「ハリー=ポッターは、辛くもヴォルデモート卿の手を逃れた。自分の命を賭して、クローディア=クロックフォードを連れ帰った。かの魔法使いと対峙し、ありとあらゆる意味でこれ程の勇気を示した者は、そう多くない。その勇気をわしは讃えたい」

 ダンブルドアの視線そのものが、既にハリーへ拍手喝采だ。

「ハリー=ポッターに!」

 突然の若い声、セドリックが立ち上がった。そして、ビクトールとフラーも勢いよく立った。クローディアも立ち上がると、後に続くように生徒達が立ち上がっていく。

 スリザリン生でも、何人か立ち上がっている。無論、ドラコ達は縫いつけられたように座り込んでいた。

 

 ――ゆっくり、着席が終わる。

 

 次にダンブルドアは、三大魔法学校対抗試合の目的、ヴォルデモート陣営と戦うには揺るがぬ絆が必要だと語った。

「皆さんは、いつでも、好きな時にこの学校を訪れてください。ここは貴方達の家でもある」

 ダームストラング、ボーバトンの生徒を1人1人見渡し、ダンブルドアはいつもの優しい声で話を終えた。

 

☈☈☈☈

 皆のハリーを讃える様子(一部を除いて)を見て、大切な事を思い出す。ハリーは、セドリックに優勝杯に触れさせようとしたのだ。

 咄嗟の機転でセドリックがハリーに優勝を譲った為、彼は難を逃れた。危うくヴォルデモートの前に晒す所だった。否、最悪、殺されていた。

 この危険に、ハリーは恐怖で身ぶるいした。

 宴が終わり、ハリーは急いでセドリックに駆け寄った。

「セドリック、僕、僕は……」

「ハリー、僕はね。君が優勝してよかった。心からそう思うよ。父さんもわかってくれる」

 慌てふためくハリーと違い、セドリックは親友への態度であった。自分の命が危うかったというのに、彼は少しも一欠けらもハリーを責めない。

 余計にハリーは、セドリックへの申し訳なさで詫びた。

「本当にごめんね、セドリック、ありがとう」

 ロンに声をかけられるまで、ハリーはセドリックの手をしっかりと握りしめた。

 

 ――感謝を込めて。

 

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 談話室にて、フリットウィックが試験結果表を配っていく。

 4年生の学年1位は、クローディアであった。そのことをペネロピーは、我がことのように喜んでくれた。

 ペネロピーは文句なしの最高点を獲得し、大学の受験も合格した。心置きなく、彼女は卒業していく。

 汽車に乗る時間まで、クローディアは部室にいた。壁に座り込み、瞑想する。今日までの事を自分なりに纏めていた。

 無論、独りではない。『灰色のレディ』といる。クローディアの隣に座り、同じように瞑想している。

「私は、ここにいることしか出来ない。でも、もう未練もないの」

 罪を告白する口調で、『灰色のレディ』は語りだした。何の話かわからないが、クローディアは視線のみで答える。

「ただ、気がかりな事が出来たわ。貴女よ、貴女が卒業する姿を見るまで、私はここにいるわ」

 途端に愛の告白に似た宣言は、クローディアを照れさせた。『灰色のレディ』程の淑女にそんな事を言われて、悪い気はしない。

「ありがとうさ、レディ。また新学期に会おうさ」

 再会の約束に、『灰色のレディ』は満足げだった。

 

 玄関ホールでは、馬車待ちの生徒達がダームストラングとボーバトンの生徒と別れを惜しんでいた。握手や肩を抱き合い、住所を交換している者もいる。

 ハーマイオニーがビクトールから紙切れを渡されている。おそらく住所だ。それを見たクローディアは、ほんの少し嫉妬した。

 スタニフラフに見つけられ、クローディアは声をかけられる。

「クローディア、近いうちにお会いするでしょう。それまで、お元気で」

「ペレ……スタニフラフこそ、気を付けて欲しいさ」

 会釈したクローディアに倣い、スタニフラフもお辞儀を返した。

「サイン、もえらえないかな?」

 クローディアの後ろで、ロンがビクトールに羊皮紙の切れ端を差し出していた。驚いたビクトールは、快く羊皮紙の切れ端にサインした。

 以前、ロンはビクトールのサインを欲しがっていた。やっと、素直に頼めれたのだ。

(結局、サインもらってるさ)

 微笑ましく思っていると、クローディアの肩が叩かれた。振り向くと、フラーがガブリエルと親しみを込めて挨拶してきた。

「迷路でぇ、私を助けぇてくれましたぁね。マッド‐アイが教えてくれまぁした」

 クローディアが返事をする前に、フラーは頬にキスをしてきた。柔らかい唇の感触を受け、目を丸くする。

「あなたも、お元気で」

 ロンを見つけたフラーは、その頬にもキスをした。ロンは、瞬きして微笑んだ。

 ハーマイオニーが眉を顰めていた。

 

 汽車の中で、4人はコンパーメントを独占した。盗み聞きされないように、ベッロとクルックシャンクスが戸を塞いでくれた。汽車がキングズ・クロス駅を目指して走り出し、クローディアとハリーは、ハーマイオニーとロンに、墓場での出来事、クラウチの正体、ファッジとのやりとり、ダンブルドアの指示について、包み隠さず話した。

 ハーマイオニーとロンは、全ての話を受け入れた。

「じゃあ、ワールドカップのとき、ハリーの後ろにクラウチの息子がいたっていうのかよ?」

「そうだよ。そして、クローディアのお母さんを好きになった」

 ロンの疑問にも、ハリーは素直に答えた。

「杖をクィレルに奪われたままだわ。どうしましょう!?」

「取り戻すさ。杖だけじゃないさ。私があいつを心配した時間も気持ちも、何もかも、必ず、取り返すさ」

 知らずに、クローディアは拳を強く握り締めた。

「念のため、オリバンダーさんの店に入ったほうがいいよ」

 ハリーの忠告をほとんど聞き流していた。

「ママが校長先生に聞きに行ったんだ。夏休みに入ったら、そのまままっすぐハリーを僕の家に連れて行っていいかって」

 ロンは確認のように、モリーから聞いたことを話す。

「だけど、校長先生は、最初だけは必ずダーズリーのところに帰って欲しいんだって」

「え? なんで?」

 少し嫌そうにハリーは、ロンに小さく当たる。ロンは物ともせず、意味不明と肩を竦める。

「ママ曰く、校長先生には校長先生なりの考え方があるんだろうって。信じるしかないんじゃない?」

「きっと、いつか話してくれるさ。その考えってやつをさ」

 納得しにくい顔で、ハリーは溜め息を吐いた。

 硝子の向こうに、フレッドとジョージが手を振ってくる。ハリーがベッロを窘め、戸を開かせた。

「「爆発スナップして遊ばないか?」」

 5回目のゲームの途中で、ハリーが思い切ったように双子に尋ねた。

「誰かを脅迫してたよね。誰なの?」

「ああ、あのこと」

 一気にジョージが暗い表情になり、フレッドが苛立った。

「たいしたことじゃない」

「俺たち諦めたのさ」

 ジョージが肩を竦め、話を切ろうとした。だが、4人に迫られ、ついに双子は折れた。

「わかった、わかった。そんなに知りたいのなら、ルード=バグマンだ」

 フレッドの口から聞きたくなかった名に、クローディアは「げえ」と呟いた。

「あいつが『炎のゴブレッド』に、僕の名前を入れたこと知ってたの?」

 ハリーの言葉に、フレッドとジョージが吃驚する。

「まじかよ。あいつにそんな度胸があったとはな。くそ、知っていたら……。なんでもない」

 フレッドは悔しそうに歯噛みした。

 この双子とバグマンの接点をクローディアは思い出した。ワールドカップの折、彼らは賭博に興じていたはずだ。

「もしかして、今回もバグマンと賭けをしたさ?」

「……いいや、ワールドカップの時のことだよ」

 暗い声を出しながら、ジョージが話し出した。

 双子はワールドカップの折に、全財産を賭けてバグマンと勝負した。こちらが勝ったとき、バグマンはレプラコーンの金貨で支払って誤魔化した。一晩で金貨が消え、双子は抗議の手紙を送ったが、未成年が賭博をすべきではないと返した。故に、元金の返金を求めたが、取り合わなかったのだ。

 バグマンは、賭博が原因で大勢の人と問題を起こしている。リーからその話しを聞いたとき、全てが遅かった。

「ゴブリンも取り立て目立てでバグマンに迫ってたわけさ?」

 呆れたクローディアに、フレッドは肩を竦める。

「そう、あいつ。ゴブリンの借金を賭けで清算したよ。ハリーの優勝に自分の全てを賭けたんだ」

「だったら、バグマンさんは貴方達に元金を返せるはずでしょう! どうして諦めるの?」

 ハーマイオニーの憤慨に、ジョージは深いため息をつく。

「あいつは、無一文のまま自由の身になっただけなんだよ。本当にひっくり返しても銭ひとつ出ない。それどころか、……『例のあの人』が帰って来たのか、賭けようって言われて、俺がキレちまった」

 ジョージは、バグマンの腹に拳を叩きこんだようだ。そこだけ、クローディアは小さく拍手した。

「仕切り直しだ」

 カードを切り始めたフレッドが呟く。ゲームのことではなく、彼らの夢・店のことだ。

 ここまで落ち込んだ2人を見ていることが正直、辛かった。しかし、金銭面でクローディアに出来ることなどない。

 

 汽車はキングズ・クロス駅に到着し、生徒は下車の支度をする。

 クローディアも鞄と虫籠を抱え、ホームに降りた。迎えにきた家族が、生徒を出迎えて呼びかける。ドリスを探そうと人混みを見渡す。

 腕が誰かに掴まれた。

 クローディアが確認する前に、人混みへ引き込まれていく。鞄と虫籠を置き去りに、強引に連れて行かれる。腕を掴む相手をみたいが、人混みを分けるので精一杯だ。

 適当な汽車の車両に連れ込まれたところで、やっと相手が見えた。

「マルフォイ?」

 驚いたクローディアに答えず、ドラコは彼女の肩を掴んで壁に寄り添わせた。

「いまから、僕と来るんだ。母上が迎えに来ている。おまえの家族は、父上が必ず守る。承知してくれ。クロックフォード」

 ドラコの父親、ルシウスは確かにクローディアを助けたと言っても、過言ではない。だが、理由もわからず命……、家族を預けられるほど、信頼してはいない。

「マルフォイ、私から言えるのは、これだけさ」

 クローディアの膝がドラコの腹を蹴りたくった。

「ハーマイオニーの分さ」

 腹の一撃に呻きながら、崩れゆくドラコはそれでもクローディアを離さない。

「母上も……おまえが来るのを待っているんだ……。頼む……」

 爪が皮膚に食い込む程の握力が肩にかかる。

〝離すんじゃないよ〟

 ジョーキンズの声が耳に蘇った。クローディアにとって、離してはならない手はドラコではない。

 迷いなく、クローディアはドラコの手を振り払った。彼の表情が見る見る失望へ変わっていく。

「君は、負け組を選んだ……。もう取り返しがつかなくなるぞ、クロックフォード!」

 懇願に近いドラコの叫びに、クローディアは答えない。答えないまま、車両を降りる。もう彼は追って来なかった。

 

☈☈☈☈

 月さえも雲に隠れ、足元も見えぬ夜。

 ヴォルデモートは灯りなしに歩く。主人から離れて、下僕も付き従う。彼らには同行を命じてはいない。勝手に付いてくるのだ。

 ちなみに、クィリナスはいない。片腕を失い、自ら作成した義手が身体に馴染むまで療養しているからだ。

 文字通り、身を粉にして闇の帝王を復活させたクィリナスには休息が必要である。ヴォルデモートより療養を命じられても、彼の忠義は揺るがない。

 そのクィリナスがいない間に、己の忠誠心を示そうと躍起になっている節があるのは、事実。

 ご苦労な下僕どもを振り返らず、ヴォルデモートは目的地に着いた。

 岩場が目立つ川原には、不釣り合いな大木があった。木の枝と根っこは細く伸びきっているにも関わらず、その幹は詰め込まれたように太い。

 ヴォルデモートは大木を見上げ、懐かしむようにほくそ笑んだ。

「墓標と呼ぶには、粗末になったモノだな。それとも、棺と呼ぶべきか?」

 幹の裂け目に向かい、語りかけた。暗く隙間にヴォルデモートの手が触れる。まるで、旧友との再会を喜ぶ手つきだ。

 月を隠していた雲が風に流れ、夜を照らす光が大木にもかかる。幹の隙間の奥にあるモノを見るには、十分な光だった。

 

 ――骸骨だ。

 

 埋め込まれているというより、木に包まれているというべき状態である。

 緊張で、下僕の誰かが唾を飲み込んだ。

「貴様の孫に会ったぞ、……よく似ていた。良い意味でも、悪い意味でも……」

 喉を鳴らして、ヴォルデモートは嗤う。嗤いながら、幹の隙間に爪を立てた。

 途端にヴォルデモートの顔から笑みが消え、激昂を露にした。

「コンラッドでは駄目だったが、あの小娘ならば俺様の役に立つだろう! 貴様はそれを黙って見ているがいい! それが、俺様が貴様に与える罰だ!」

 判決を下す裁判官のように宣言し、ヴォルデモートは杖を振るった。轟音と共に大木は木端微塵に吹き飛んだ。下僕の誰かが低い悲鳴を上げた。

 破片はヴォルデモートに触れることなく、その手は骸骨を掴んでいた。

「俺様のすぐ傍でな。これが俺様のせめてもの慈悲だ」

 ヴォルデモートは手にした骸骨を蔑んだ。

 骸骨は大木が吹き飛んだ衝撃で、ヒビが入っていた。眼球を填め込む部分を真っすぐに割れており、涙を流しているようにも見えた。

 




閲覧ありがとうございました。
これにて、炎のゴブレッドを終わります。
お付き合い下さり、ありがとうございました。

次回から、不死鳥の騎士団です。


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不死鳥の騎士団
序章


閲覧ありがとうございます。
更新停止中もたくさんの方に、閲覧して頂きありがとうございます。
UA4万9千を超えました!嬉しいです。


 

 窓のカーテンを開き、私は月夜を眺める。月の美しさに魅入られているのではなく、脳が活性化して寝つけないからだ。

 思いあたる原因を私は誰に対してでもなく、悪態をつく。

 私がヴォルデモートの復活を目撃したことで、ドリスは『死喰い人』に狙われるのを恐れた。おかげで、外出禁止だ。『姿現わし』の試験も行けない。おまけに私宛の手紙も入念に確認される始末だ。

 それでも、ダーズリー家にいるハリーよりは、失礼ながらマシだろう。

 彼への連絡まで禁止された。

 ドリス曰く、魔法界に関与せず、ハリーは心を休める必要があるそうだ。全く馬鹿げた発想にしか、私には思えない。あのダーズリー家で、ハリーが心身ともに安らげるなど、誰が本気で思うものか知りたい。彼も早く『隠れ穴』に移りたいだろう。

 

 ――休暇に入り、早二週間。

 

 ルーナが送ってくれた【ザ・クィブラー】には、三校対抗試合に乗じてヴォルデモートが復活した記事が記載された。バーテミウス=クラウチの死についても、抜かりがない。

 【日刊予言者新聞】も似たような内容だが、ヴォルデモートについて触れていない。まだファッジ大臣は、事を受け入れていない証拠だ。

 しかし、ハリーの記事もない。これはリータ=スキータが記事を書けないせいだと思う。それにしては不自然すぎる。ハーマイオニーに相談しようとしたが、そんな内容の手紙は却下された。

 電話がないことを不安がったハリーから手紙が来た。それにヴォルデモートに関する情報がないかという質問も綴られている。

 返事に困り、私は時間を置いてから書こうとした。しかし、ヘドウィックは急かすように私の手を突いてくる。

「まあ。ヘドウィックがここにいるということは、ハリーから電話の催促が来たのですね」

 台所にいたドリスはヘドウィックの鳴き声でこちらに来る。私を見た途端、ドリスは閃いた表情で代わりに手紙を書きだした。

 長々と返事を待っていたヘドウィックに手紙をもたせ、飛び立たせる。見送った後、窓を閉めたドリスは意気揚々と告げる。

「明後日、ハリーとお出かけしましょう。私達と3人で」

 突然だが、これに私は賛成した。

「ダイアゴン横丁に行くさ?」

「いいえ、マグルのデパートです。そうそう、お出かけの最中、魔法界のお話を禁止します。もし、魔法のマの字でも口にしたら、お出かけは中止しますよ」

 本当に意外な思いつきである上に、奇妙な制限まで設けられる。不可思議に思いながら、私は承諾する。何処にでかけようと独りでいるハリーには良い気分転換になる。

 いや、私の気分もだ。

 校長先生の指示で何処かへ行ってしまった父と祖父から、いまだ何の連絡もない。ハグリットは連絡が出来ないと言っていた。

 大人達の安否が私を不安にさせる。

 

 当日、青いチュニックにジーパンを穿き、ウェストポーチを腰に着ける。白いリボンで髪を巻いて、支度は終える。ドリスの用意を確認しようと私は居間に降りた。

 そこで私を待っていたドリスの恰好は非常に珍しい。普段の魔女の服装ではなく、何処にでもいるマグルの服装。しかも、全く違和感がない。

「失礼ね。私にも、マグルの世界に用事もあるんですよ?」

 唖然とする私の反応に、ドリスは拗ねたように唇を尖らせた。

 カサブランカとベッロに留守番を言いつけ、私とドリスは家を出た。

 地下鉄を乗り継ぎ、目的の駅前でタクシーを拾う。その間、私は新聞の見出しやTVのニュースを気にかけたが、魔法界に繋がりそうなモノはない。

 プリベット通りに入るとダーズリー宅前でハリーが腕組みをし、立ち尽くしている。私達を待ちわびていたのだ。タクシーをつけて降りたドリスがはしゃいでハリーに抱き着く。

「おはよう、ハリー。随分、待たせてしまったようね。さあお乗りなさい」

 一瞬、ハリーはドリスの服装に戸惑う。私は後部座席に彼を手招きすれば、躊躇せず乗り込んできた。

 ハリーを真ん中に後部座席にドリスが座り、運転手に行先を指示する。

 私は、ここにいると舌がザラザラした感触に襲われるので長居はしたくない。

 すぐにタクシーが走り出したとき、運転手は私達を見回す。

 よそ見運転は危険なので、やめて欲しい。

「勘違いだったら悪いが、以前もあんたらを乗せた気がする」

 何故だが、私は緊張した。それはドリスの魔女衣装のせいだ。変な宗教団体に見えたかもしれない。

「ええ、以前一度だけ、タクシーを使いましたよ」

「やっぱりな。あのダーズリー家に行きたがる人は少ないし、あんたは魔女みたいな服着てたろ。それで覚えていた」

 苦笑するドリスに、運転手は楽しそうに世間話をしだした。

「調子はどうさ?」

「缶詰状態だよ」

 皮肉を述べるハリーはそれからずっと黙り込む。口を開けば、魔法界のことをドリスに聞きたくなるのだと、私は察した。私も口走ることを恐れて口を閉ざす。

 運転手の暢気な声だけが車内を騒がせた。

 

 ――タクシーが運んでくれたのは、意外にも映画館だ。

 

「運転手さんがおススメの映画が放映? されているそうです。私こういう場所ははじめてですのよ」

 周囲を見渡しながらドリスは声を弾ませ、映画館の看板を指差した。全く知らない題名に私は首を傾げ、視線でハリーに尋ねる。

「CMで見たよ。ベンジャミン=アロンダイトの交響曲を挿入歌しているって、バーノンおじさんは批判してたけどね。原曲の雰囲気が壊れるらしいよ」

「見る前から、そういうこと言わないでさ」

 額を小突く私をハリーは、噴出しように笑う。映画館の受付でチケットを買いながら、ドリスはチケットがただの紙で作られていることに衝撃を受けていた。

「無くさないように、持っていないといけないわね」

 両手でチケットを握りしめるドリスに、他の観客が小さく忍び笑いして行く。

「あらあら、売店があるわ。このコーラ? は、飲むと何が起こるんです?」

「飲むだけさ」

 ハリーが摘まむものを選んでくれた。ポップコーンとコーラ、カルピス、オレンジジュースを手にして座席に向かう。座席にはほとんど人が入っておらず、本当におススメか疑問になる。だが、上映時間が迫ってくると人が集まりあっという間に満席だ。

「(本当に注目がある映画さ)」

「(ちょっと、楽しみだね)」

 表情を弾ませたハリーは、ポップコーンを貪りだした。

 上映が始まり、巨大スクリーンに映像が流れる。興奮したドリスが叫びそうになったので、私とハリーで口を塞ぐ。

 それでドリスは静粛が義務だと理解し、自分の口を両手で塞いだ。

 内容は超能力者の少女の話だった。少女は超能力で正義の味方として活躍し、町の人々から感謝された所で話は終わった。

 口には出せないが、しょうもない話だ。これを見るくらいなら、セーラームーンの劇場版を観ていたほうがマシだ。魔法を見慣れているハリーは、ほとんど映像の完成度低さに苦笑していた。

 映画館を出た時、ドリスは幸せそうに微笑んだ。

「とっても、おもしろかったわね。素敵な娯楽だわ」

 曖昧に微笑んだ私に代わり、ハリーがドリスの肩を撫でる。

「さあ、次はお買い物よ」

 そのままデパートまで歩いて行く。ドリスからはぐれない様に私達の手をしっかり握りしめていた。通り過ぎる何人かがチラッチラッと私達を見ていた。

 

 ――孫に過保護な祖母だと思われますように。

 

 デパートに着いたドリスは早速、男性服売り場へ向かう。

「ハリー、どの服が着たいのですか?」

「選んでいいの?」

 戸惑ったハリーにドリスは微笑み返す。

 売り場を見渡したハリーは慎重に品物を物色する。サイズの違うズボン、シャツ、靴下、コートを見つめる彼の瞳が輝いていた。そして、恥ずかしそうにトランクスを一枚、持ってきた。

「それだけでいいの? なんて謙虚なのかしら」

 買い物カゴに下着を入れたドリスは、ハリーに似合う靴下を適当に見繕い、レジに行く。暇つぶしに同じ売り場にある他の男性用下着を見渡し、彼に勧める。

「あっちの黒ビキニにしたら、どうさ?」

 紐としかいいようもない下着を突きつけられ、ハリーは耳まで真っ赤に染める。

「絶対、嫌だよ。そうだ、自分で着たら? そっちのもう一サイズ小さいヤツとか?」

 負けじとハリーは、他の黒ビキニを私に突き出して対抗した。

「クローディア、そんな下着はまだ早くてよ」

 黒ビキニを押し付けあう2人を見て、ドリスは呆れて果てる。私とハリーはお互いの顔を見合わせて肩を竦めた。

 その後、ハリーの提案でデパート内の見学をする。買い物がしたいのではなく、多くのモノが見たいだけだ。

 食品売り場や家具置き場を巡るハリーは初めて外出する幼子のように、はしゃいでいた。

 ハリーの日常が如何に狭く閉じ込められた環境なのか、思い知らされた。

 

 帰宅する時間が迫り、ハリーは目に見えて元気をなくしていく。

 気持ちはわからないではない。しかし、私はドリスがハリーをダーズリー家に帰さないのではと心配になってきた。勝手に保護者から取り上げたら、警察沙汰になる。

 タクシーを探す最中、ドリスは慰めるようにハリーの頬を撫でた。

「21日よ。ハリー」

 突然の言葉だが、それは私の誕生日だ。

「うちにいらっしゃい。そのとき、全てをお話ししましょう。何が起こっているのか、何が起ころうとしているのか、あなたが知りたいことを全てをね」

「今すぐじゃダメ?」

 焦るように尋ねるハリーの口をドリスが優しく人差し指で塞ぐ。

「その日こそ、肝心なのよ。ハリー、クローディアが17歳になるときこそがね」

 意味深な口調でドリスは、ハリーから手を離す。

 ハリーは視線で私に尋ねてきたが、何のことかわからない。首を横に振る私に彼は何も返さなかった。

 タクシーの運転手は行きがけの人と同じだった。また行きがけのときと同じように運転手は、ずっと世間話していた。

「どうだい、映画はおもしかったろ? 俺も息子と見に行ったんだが……」

「映画って素晴らしいモノですねえ。だって、こっちに手を振らないんですもの」

 素直に疑問するドリスを運転手は、おもしろい冗談だと笑う。

 ハリーもまた黙っていた。その手に今日の買い物を詰め込んだ袋を抱きしめていた。

 プリベット通りに着き、ハリーを下した。

「21日に、必ず」

「ええ、迎えに来ます。今日のようにタクシーに乗ってね」

 冗談っぽくドリスはウィンクする。それでハリーは嬉しそうにドリスを抱きしめた。

「今日は、本当にありがとうございました。楽しかったです」

 次いで、ハリーは私に抱き着いてきた。戸惑う私は、どうにか彼の背中を撫でた。

 私達を乗せたタクシーが走る。ハリーは私達が見えなくなるまで、ずっと見送っていた。私も彼が見えなくなるまで、硝子の向こうを眺め続けた。

 

 帰宅した私は、ベッロを撫でながらドリスに何気なく尋ねる。

「私が17歳になることが肝心ってどういうことさ?」

 居間に灯りを点けていたドリスの肩がビクッと跳ねる。ゆっくりとドリスが私を振り返ったとき、暖炉が碧の炎を燃え上がらせた。

 誰かが来たのかと、私とドリスは注目した。誰も出て来ない。代わりに暖炉の薪に、モリーさんの首が浮かんでいた。

 緑の炎がモリーさんの形を取っていると表現すべきだ。

 驚いた私は、思わずベッロの胴体を握りしめた。

「ハリーを連れ出したなんて、どういうつもり! 抜け駆けだわ!」

 モリーさんの首は、ドリスに向かって怒鳴ってきた。

「クローディア、自分の部屋に行っていなさい。早く!」

 大声を張り上げたドリスは、私を階段へ追い立てた。拒もうとすると、ベッロが私の腕を二階へと引っ張っていく。

 部屋に上がった私は、床に耳をつけて下の階の様子を探る。

「ハリーは危険な状態なのよ! 襲われでもしたら、どうするの!!」

「今日はディーダラスが護衛についていると知っていたから、出かけたのよ! ハリーったら、おかわいそうに、ずっと閉じこもりきりで私に感謝してくれたわ!」

 モリーおばさんに反論するドリスは、語調を強くしている。

「あの家にいることがハリーを守ることになると、ダンブルドアがおっしゃっていました!」

「タングが護衛でなかったときを選んだわ! 私だって考えています!」

 凄い罵り具合に、私はタングという人を気の毒に思う。もっと盗み聞こうとした私をベッロが邪魔をしたので、中断するしかなかった。

 

 夕食に呼ばれたとき、ベッロは私が階段を下りることを許してくれた。食卓に置かれたラジオからドリスの好きな歌手魔女の曲が流れていた。

「クローディア、誕生日のことですがスネイプ先生をお呼びしました」

 シチューを口にした私はドリスのとんでもない発言に噴出した。構わず続ける。

「誕生日には、ハリーとスネイプ先生に来ていただかなければなりません」

 テーブルナプキンで口元を拭きながら、私に怪訝する。

「皆、吃驚するさ」

「クローディア、こんな時期です。皆さんを呼ぶのは少々、危険ですよ。とくに国を越えねばならないパドマ達はね」

 誕生日なのに友達が呼べない。これに私は隠さずに落胆した。

「大切なことなのです。わかってください」

 それ以上の会話はなく、黙々と食事は続けられた。私も何も言いたくなかった。

 正直、誕生日を祝っている状況でないと私にもわかっていた。それにハリーに全てを話すためにここに呼んだならば、スネイプ先生も同じ理由で呼んだのではないかと悟ったのだ。

 

 ――私の誕生日が来た。魔女が成人する17歳の誕生日だ。

 

 視界が暗いと思いきや、ベッロが私の頭に覆い被さっていたせいだ。私の起床に気づいたベッロは床を這いずり階段を下りていく。目を擦り、時計を見るとまだ夜明け前だと知る。もう一寝入りしようかと布団を被ろうとした。

 

 ――パキンッ。

 

 枕元で鈍く壊れた音がする。何事かと、私は起き上ると部屋の灯りが勝手に点けられた。

 机には【ザ・クィブラー】、英国時間を教える卓上時計、思い出を飾るアルバム、日本時間を示した腕時計がある。腕時計が何かに潰されたように、ヒビがあった。秒針はピクリとも動かず、ただ止まっている。

〔うそでしょうさ〕

 今日まで壊れる素振りすら見せなかった時計の姿に、私は絶句する。

 まだこの時計を失いたくない私は、ドリスに直してもらおうと急いで階段を下りた。

 私が降りてくると、ドリスは勢いよく振り返ってきた。眼球が飛び出さんばかりの形相に足は竦む。

 そのまま、一分近く、お互いを凝視し合った。ようやくドリスが慎重に私へと歩み寄ってくる。

「もう平気なの? 苦しくない?」

 まるで、私が重傷を負ったような目つきだ。

「何もないさ。時計を直してもらおうと思って、起きただけさ?」

 平然と答える私に、更にドリスは目を見開く。

「何も? ベッロはあなたに何もしなかったというの?」

「起きたら、顔に乗ってたけど、噛まれたりとかしてないさ」

 怪訝する私にドリスは暖炉の傍にいるベッロを一瞥する。もう一度、私を心配する視線を送る。

 段々と苛々してきた。

 構わず、ドリスは小さく頷いて私の肩を叩いた。

「何もないなら、そのままで」

「お祖母ちゃん、何かないと困るなら教えて欲しいさ!」

 私の大声を聞いても、ドリスは物ともしない。

「ハリーとセブルスが来たら、教えます。約束したはずですよ」

「でも、私がベッロに何かされたなら今、教えないといけないことがあるはずさ」

 何もされていないから、知る必要がないなどあるはずがない。

 もう一度、ドリスはベッロを一瞥する。

「お2人が来たら、全て話します。……クローディアが耳も塞ぎたくなるようなことも話さねばなりません。それで、……もし、ヴォルデモートから逃げたいと言っても、私は責めたりしま――」

 

 ―――ドオオオンッ。

 

 家全体が激しく揺れられた。地震かと思ったが、窓の外に見える家々には何の変化もない。獰猛さを露にしたベッロも辺り構わず、吠えた。止まり木で眠っていたカサブランカも翼をはためかせて動揺した。

 ドリスだけが事態を把握していた。

「そんな馬鹿な! ここを知られるなんて!」

 恐怖に慄いたドリスが私を強く抱きしめた。何が起こっているのかを確認するため、私達は息を殺して様子を窺おうとした。

 瞬時に扉が乱暴に叩かれる。否、蹴られるような音だ。

「ここを開けたまえ! いるのは、わかっているぞ!」

 低い男の声に聴き覚えがある。あのルシウス=マルフォイの声だ。

 疑問よりも予感がした。彼1人ではない。

 仲間がいる。もしくは彼らの主人を伴っている恐れがある。

 戦慄でいて、高揚のような感覚が募った。それが伝わったのではないだろうが、抱きしめるドリスの腕が更に力を込める。

 手先を震わせていたドリスは深呼吸した。

「この家の中では『姿くらまし』できません」

 今まで聞いたことのない強い意志が込められた。初めてドリスから「老女」という印象を消し去った。戸惑う間もなく、私にドリスは囁き続けた。

「私が中に招いている間に、庭に出なさい。そして『姿くらまし』するのです。ベッロは『煙突飛行術』で、あなたが逃げたように偽装します」

 指示を受けたわけでもないのに、ベッロは暖炉の『飛行術粉』を尻尾でヒトツマミする。ドリスが杖を振るうと、二階に通じる階段が最初から無かったように消え去った。カサブランカは窓から去っていく。

「三つ、数える!」

 警告の声が響く。

 抱きしめていたドリスの手が離れ、私は危険を感じ取った。

「お祖母ちゃん」

 腕を掴もうとする私に、ドリスは窘めるように額にキスをくれた。途端に私は自分の身体が視界から歪んでいく感覚が襲ってきた。

「あなたのお祖母ちゃんであったことを私は、誇りに思います。何があっても、コンラッドを……セブルスを信じなさい。あの2人を信じきるのです」

 声を出そうにも、口どころか喉が動かない。喋ることを封じられたのだと理解した。

「三ッ!!」

 マルフォイの声が叫ぶと同時にベッロは暖炉に碧の炎を燃えあがらせ、突っ込んでいった。

 

 ――ドタンッ。

 

 玄関扉が吹き飛ばされ、向いの窓へと叩きつけられた。そのせいで硝子が四散した。

 戸口に立っていたのはマルフォイだ。嫌味な程に高価な黒い衣服を身に纏い、黒いリボンで長い髪を縛っている。

 室内を見渡し、マルフォイは暖炉の残り火に気づく。

「なるほど、小娘を逃がしたな。ドリス」

 忌々しげに睨みつけてくるマルフォイに、ドリスは意に介さず落ち着き払っていた。本当に私が目の前にいることに気づいていない。

「淑女の家に、粗雑な方法で現れた方に会わせません」

 手厳しく返されたマルフォイは、蛇を模した杖先をドリスへ突きつけた。しかし、マルフォイはすぐに杖を下す。

 理由は、戸口に立つ蛇より悍ましいヴォルデモートが足を踏み入れたからだ。

 ヴォルデモートを目にしても、ドリスは態度を崩さずに堂々と胸を張る。

「お初にお目にかかりますわ。トム=マルヴォーロ=リドル」

「貴様は俺様の名を知らんようだな」

 歯を見せて睨むヴォルデモートをドリスは苦笑する。

「夫があなたをトムと呼んでおりましたもの。それ以外に相応しい呼び名はありません」

 あまりにも毅然としたドリスの態度に、私は呆気にとられる。以前、マルフォイの名を聞いただけで怯えていた彼女とは別人に思えてしまう。

「ここに、あなた達が来る理由はありません。出て行きなさい!!」

 女性とは思えぬ声量が放たれたとき、私の身体が動き出した。

 私の意思とは反する行動に戸惑ったときに気づく。ドリスが額にしてくれたキスが、私を彼らの眼から隠し、更に私の行動を操っているのだ。私は扉を失った戸口を通り過ぎて行く。

「気丈な女よ。ボニフェースが見初めただけのことはあると認めよう。こんな場所に隠れていたとは盲点であった。ここは――」

 嘲笑するヴォルデモートが言葉を続けている。しかし、聞きとれなくなった。

 逃げたくない。足を止めようとしても、身体は私の言うことを聞かない。ならば、助けを呼びに行くしかない。足が庭の芝生に触れた瞬間、私はウィーズリー家の『隠れ穴』に行くべきだと強く思った。

 

 光速する視界の先は見覚えのある台所だ。無事にウィーズリー家に『姿現わし』出来たと確認した私は自分の身体を見下ろす。姿は歪んでおらず、喉も声が通る。

「ロン!!」

 大声を張り上げて叫んだが返事はない。そんなはずはない。休暇に入って皆、家にいるはずだ。

「ジョージ!! フレッド! ジニー!」

 螺旋階段を見上げ、焦燥感に私はひたすら叫んだ。

「誰か! いない!?」

 

 ――全く、反応がない。

 

 荒い私の息だけが部屋を満たしている。室内を見渡すと、まるで何日も家を空けたような雰囲気が漂っていた。そして、柱にかけられた時計を目にし、私は更に呼吸を荒くする。

 家族全員の針が【外出中】を指していた。

「こんなときに!!」

 八つ当たりと自覚し、私は悪態つく。いつ戻ってくるかわからない人達を待つ余裕はない。

 しかし、『姿現わし』は記憶で知る場所でなければ、行くことが出来ない。何故、こんなときの為に他の魔法族の家を知っておかなかったか責めた。

〝ディーダラスが護衛についていると知っていた〟

 不意に私は思いつく。ハリーの周辺には、彼を護衛する魔法使いがいる様子だ。目を瞑り、私は脳内で鮮明にハリーの家を思い浮かべる。

 

 ――ハリーの家に、どうしても、助けを呼びに行く。

 

 視界と肉体が引きつけられる感覚が起こり、『姿現わし』は正常に作動した。

 光速の感覚から放り出されたとき、アスファルトの地面に叩きつけられた。全身が打ち付けられるより、足が激痛に襲われる。まるで身が削がれたような痛みだ。

 私は悲鳴をあげないように唇を噛みながら、寝巻のズボンを捲る。

 私の脚が切り取られたように、白い骨を晒していた。

「クローディア!」

 耳にハリーの声が聞こえた。頭を動かすとダーズリー家の向かいの家から、ハリーが血相変えて飛び出してきた。すぐにハリーは私の身体を抱き上げる。彼の胸に体重を預け、私は痛みに叫ばないように唇を動かした。

「……ルシウス=マルフォイが、ヴォルと、うちに来た……。お祖母ちゃんが、逃がしてくれた。ロンの、家に……行ったけど、誰も、いなくて……」

 震えた私の声を必死に聞くハリーは、私の足を見て戦慄する。

「もういい、もういい、喋らなくていい、喋らなくていいから」

 泣きそうな声でハリーは、私を持ち上げようとする。

「無理に動かすんじゃないよ」

 焦りの混じった知らない声でハリーは、振り返る。猫を抱えた老女が手早く私の足を見る。

「うちに運ぼう。そのほうがいい。いいかい? ゆっくりだよ」

「ありがとう、フィッグさん」

 苦しみに顔を歪めたハリーは、慎重にフィッグさんの家へと私を運んだ。玄関先から、猫の匂いが充満する廊下を通り、私は居間のソファーに寝かされる。

「どうしたら、いいんだ? この脚は、ルシウス=マルフォイが?」

 私の手を強く握ったハリーが息苦しそうに尋ねてくる。

「それは『姿現わし』で、『バラけ』たんだよ」

 落ち着いた口調で、フィッグさんは居間の戸棚を探り出した。驚いたハリーは、フィッグさんが『姿現わし』という言葉を知っていることに衝撃を受けていた。

 私は、脚の痛みで動揺している余裕がない。

 戸棚から木製の小箱を見つけ出し、その中から『ハナハッカのエキス』と書かれた小瓶を取り出した。小箱を棚に置き、フィッグさんは小瓶を私の脚に近づける。栓を抜いて小瓶の中の液体が『バラけ』た箇所に三適、降り注がれる。

 バラけが修正される感覚は、激痛だ。呻かないように私は自分の手を噛んで耐えた。ハリーが暴れそうになる私の体を押さえてくれた。緑ぎみの煙が傷口から燻り終えると、そこには数年前のような古傷が残った。

「よく耐えたもんだ。並みの大人でも卒倒もんだよ」

 小瓶を小箱にしまいながら、フィッグさんは安堵の息を吐く。

「あなたは、魔女なんですか?」

 ようやく、ハリーが呻く。

「出来損ないのスクイブさ。この薬は万が一に、持っとるんだよ。まっ、使ったのは初めてだがね」

 廊下に出たフィッグさんは、階段を上がっていく。降りてきたとき、その手には毛布が抱えられていた。その毛布を私に被せたフィッグさんは、ハリーの唇に指を突きつける。

「聞きたいことがあるんだろう? ダメだよ、ダメ! ダンブルドアのお言いつけで、ハリーに何も話さないことになってるんだ。本当なら、あたしがスクイブだってことも、明かしちゃいけねんだから!」

「ダンブルドアを知っているの?」

 意外そうに呻くハリーに、フィッグおばさんは指を更に強く突きつける。

「あたしだって、辛いんだ。なんでも喋って聞かせてやりたいが、ダメなんだ! 聞き分けておくれ」

「助けを……呼んで、お祖母ちゃんが……」

 フィッグさんは静かにするように求めた。

「おまえさんは寝るんだよ。足を応急処置しただけなんだから、安静にしてな。それにしたって運がいいよ。バーノンがハリーを預けて出かけた後だったんだ」

 何処が運がいいのだ。

 誰かに報せて救援を求めたかった私は、無理やり起き上ろうとする。慌てたハリーが私をソファーに押し付ける。

「僕がヘドウィックで皆に報せるよ。ここで待ってて……」

 落ち着かせようとハリーが私を窘める。

 しかし、ハリーが言い終える前に居間にある暖炉が碧の炎を燃えあがらせた。

 その炎の意味を理解している私達は、緊張した。『死喰い人』が追いかけてきたのだと一瞬、思ったからだ。

 しかし、その炎から現れたのは、革製の衣服を着こんだシリウス=ブラックだった。

「ああ、もう! 勝手に『煙突飛行術』を使うなんて!」

 安心したフィッグさんは、シリウスに悪態をつく。飛び跳ねるように喜んだハリーは、私の手を離してシリウスに抱き着こうとした。

 しかし、シリウスから放たれる重い雰囲気に、ハリーは思いとどまった。

「シリウス、どうしたの? そうだ、ドリスさんが危ないんだ。ヴォルデモートがクローディアの家に」

 火が着いたように話すハリーをシリウスは、手で制する。

 眉を寄せたシリウスはフィッグさんに挨拶してから、ハリーを私の傍に座らせた。

「報せを聞いて、すぐに家に行ったよ。だが、残念ながら私たちが着いたときには、もう遅かったんだ」

 心臓が鼓動を強くする。その鼓動が喉を通り、口から出そうな錯覚が私を襲ってきた。

 事態を察したハリーは、笑顔を取り繕う。取り繕っても無駄だとわかっていただろう。

「何言っているの? シリウス、助けに行ったんでしょう? ねえ?」

 笑顔が強張ったハリーは、拳を握りしめる。

 私は無意識にハリーの拳に手を乗せた。彼の肩に手を置いたシリウスは、唇を動かし暗い声を出した。

「ドリスは、死んだんだ」

 フィッグさんが短い悲鳴を上げた。

 心臓が破裂して体内を震わせる感覚が私を襲う。その震えが喉を刺激し、私は抑えきれず嘔吐する。胃には何も入っていなかったため、胃液だけが床を汚した。

「嘘だ……、嘘だよ。シリウス、嘘だって言ってよ! 嘘だああああ!!!!」

 現実を否定するハリーの絶叫が私の耳を打つ。そのままシリウスの胸を乱暴に叩き、涙を零さず喚いた。

 シリウスは黙って、ハリーの行動を受け止める。

 私はそれを他人事のように見ていた。信じたくなかった。あの家に帰れば、ドリスが待っているだと思い込みたかった。

(そうだったさ、腕時計を直してもらうわないといけないさ……。お祖母ちゃんに……)

 食卓に置き去りにしてきた腕時計のことを私は、ぼんやりと考えていた。

 




閲覧ありがとうございました。
ドリスさん、今までありがとう。


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1.死別

閲覧ありがとうございます。
UA5万突破しました!ありがとうございます!
今回、残酷な描写があります。
視点がコロコロ変わり、最初はシリウス達です。
フィッグさん家は、映画仕様のお向いさんにしています。

追記:16年9月1日、誤字報告により修正入りました


 

 グリモールド・プレイス十二番地にあるブラック家は、隠れ家としては最適な場所だ。

 しかし、陰鬱な思い出しかない屋敷に足を踏み入れなければならないのはシリウスには億劫すぎる。屋敷に長年、棲みついている『屋敷しもべ妖精』のクリーチャー。彼の態度もシリウスの忌まわしい記憶を刺激した。

 ダンブルドアからクリーチャーと信頼関係を結ぶように忠告されたが、知った事ではない。これだけは譲れないのだ。

 『不死鳥の騎士団』の活動を理由に、シリウスはクリーチャーと極力関わらないようにしていた。クリーチャーもシリウスに対抗してか『屋敷しもべ妖精』としての義務を怠り、家事や清掃に手を出さない。

 だが、主婦であるモリーを中心とした子供達が清掃に勤しんでいる。故に生活面において、問題はない。益々、クリーチャーは引きこもった。

 この屋敷を本部としてから、三週間あまりが過ぎる。任務の為に外出していたシリウスは夜が明けた頃、屋敷に戻ってきた。

 厨房に行くと、既にモリーが朝食の支度をしていた。

 挨拶をしようとした時、スタージス=ポドモアが現れる。蒼白な表情でシリウスを捕まえた。

「ドリスの家が襲われた。孫娘がハリーの家に逃げてきたぞ!」

 一気に厨房の空気が緊張する。すぐさまシリウスは上着を羽織直し、モリーは腰に巻いたエプロンを払いのける。

「私とシリウスで行くわ! あなたは、他の人に報せて!」

 階段上から、子供たちがこちらを見ていた。

 

 マグルの住宅地にあって、決して知られない魔女の家。手入れが行き届いた庭の芝生に足を踏み入れたシリウスとモリーは、杖を構えて神経を尖らせて警戒する。

「玄関が破られているわ」

 戸口を見分したモリーが先に、建物に入ろうとする。

 突然、2人の背後から『姿現わし』する音がしたので咄嗟に振り返る。杖を構えたジョージが厳しい表情で立っていた。

「ジョージ! 何をしているの! 帰りなさい!」

「俺だって、成人だ!」

 叱りつけるモリーに構わず、ジョージは建物へと入り込む。

 憤慨したモリーは、シリウスの背を押すようにジョージの前に立たせた。3人がお互いの背を守るように周囲を窺う。

「ドリス?」

 モリーが囁くように住人を呼ぶ。

 飛び散った硝子、折れた脚の食卓。絨毯に寝そべるように横たわるドリスの姿があった。

 悲鳴を上げてモリーはドリスに飛びついた。

 ドリスの紫の瞳は光を失ったように見開かれ、肌は氷より冷たく、皮膚は身体中の血管が紫色に浮き出ている。

 呼吸は一切、していない。

「ドリス……」

 悲痛に顔を歪め震えた声でモリーは、もう一度ドリスに呼びかける。その手で開いたままの瞼を閉ざしてあげた。

 そして、絞り出すような声でモリーは喘ぐ。泣き崩れた母親の背をジョージが優しく撫でて労わった。

 玄関の外から『姿現わし』してくる音が次々と鳴る。ルーピン、ポドモア、ディグルが居間に入り、その惨状を目の当たりにして息を飲んだ。

「そんな……ここの護りが破られるなんて……」

 現実に慄き、ディグルはドリスの傍に座りこんだ。

 後から来たダンブルドア、ムーディの登場に全員の目が集まる。

「私たちが来たときには、もう……」

 シリウスが言葉を言い終える前に、ダンブルドアが頭を振る。

「クローディアは、どうしたかね?」

「フィッグの家にいます。無理やり『姿現わし』をしたようで、脚がバラけていました……」

 ダンブルドアに報告するポドモアは、語尾を躊躇うように口を閉ざす。それにムーディが気づいて眉を動かしたが、ダンブルドアが視線で窘める。

「モリー、辛いじゃろうが、『煙突飛行術』にてフィギーの家に行き、クローディアに報せてあげなさい」

「ダンブルドア、今日はハリーもフィッグの家に居ます。ダーズリー親子がハリーを預けたのです」

 ポドモアの言葉を聞き、ダンブルドアは一度、目を伏せる。

「おそかれ、はやかれ、知ることじゃ。ハリーにも伝えてやりなさい。クローディアには暫し、フィギーの家で養生してもうらうのじゃ。いま、あの2人を引き離すのは得策ではない」

「私が行きます」

 胸に手を当てたシリウスが進言する。ルーピンは一瞬、不安そうな表情になった。

 クローディアがシリウスを快く思っていないことを知っているからだ。だが、彼自身も承知している。

「よかろう。2人が君を責めるかもしれないが……」

「覚悟の上です」

 決意を込めた口調にダンブルドアは頷く。その場に膝を折ったシリウスはドリスの頬に触れる。

「暖炉を借り受けます」

 無論、返事はなく、シリウスは『飛行術粉』を摘まんだ。

 

 その後、この家でコンラッドとトトを待つ役目をモリーとディグルが名乗りを上げる。それぞれの任務に戻るため皆は否応なく、その場から『姿くらまし』した。

 モリーは散らかった硝子や机の破片を片づける。ディグルは杖を振るい、簡易寝台を用意してドリスの身体を慎重に寝かせた。

 一時間程経ち、ダンブルドアから連絡を受けたコンラッドが先に帰宅する。ドリスの亡骸を目にした途端、彼は足の力を無くしたように崩れ落ちた。

 

 ――機械的な表情に絶望が見えた。

 

 目に涙を浮かべたモリーがコンラッドの肩を撫でる。唇を震わせたディグルが彼の傍に立つ。

「娘は無事だ……娘さんは無事だ」

 モリーとディグルは啜り泣いたが、コンラッドは眉ひとつ動かさない。

 コンラッドも胸に穴が開いたような衝撃に戸惑う。戸惑う以外、何も出来ないのだ。

 それから5分も経たないうちにトトが舞い戻る。敷地内に入った途端、彼は異変に気づく。

「結界が切れておる……。馬鹿な……」

 居間にいる3人とドリスの変わり果てた姿を見て、トトは心臓が凍るような感覚に襲われた。

「何があったのじゃ?」

 拳を握りしめたディグルは、歯噛みする。

「ルシウス=マルフォイの仕業だ! あいつが『例のあの人』とここに押し入った! ドリスはあの子を逃がすために、きっと命を……」

 ルシウスの名にコンラッドの肩が痙攣する。涙を拭ったモリーが深呼吸した。

「クローディアは逃げ切って無事に保護されたわ。それだけが……救いね」

 クローディアが無事だと知り、トトは胸中で安堵する。

 しかし何故、この場所に侵入出来たのか疑問が強い。結界に関して、この国でトトの右に出る者などいないと自負していた。

 詳しく調べないとわからないが結界が『壊れた』のではなく、『切れた』ことが気にかかる。

 突然、コンラッドは無気力に立ち上がる。労わる手つきでドリスを抱きかかえた。

「母は私が埋葬します。どうか、任務に戻ってください」

 抑揚のない口調に、モリーが拒んだ。

「私達にも最後のお別れをさせて!」

「それに、ちゃんとした葬儀も行わんと。ドリスは……任務でもなんでもなく、こんなことに……」

 言い分を述べるモリーとディグルに、トトが頭を振る。

「ご家族や友人にも、同じことが起きんように連絡網を回すのです。すぐに行動せねばならんのじゃ。ドリスのことはワシらに任せてくだされ」

 頭を下げるトトを眺め、モリーはもう一度、哀悼の涙を流した。

 

☈☈☈☈☈

 早朝に起きた出来事は子供達全員の耳に入る。3階の寝室にハーマイオニー、ロン、フレッド、ジニー、ジュリアは集まり、ジョージから知りうる限りのことを聞かされる。

 ドリスの訃報に4人は驚きを隠せない。ジュリアは彼女との面識はないが、少なからず動揺する。

 沈黙のため、ピッグウィジョンのか細い鳴き声が部屋を満たす。堪らずハーマイオニーは両手で顔を覆い泣き出した。

「酷いわ! こんなこと!」

 涙を零したジニーがハーマイオニーの背を撫でる。ジュリアは寄り添うようにジョージの腕に手を回そうとしたが、彼は失礼のないように自然と手を払う。

 一瞬、ジュリアは顔を顰めたが何も言わずに箪笥にもたれかかった。

「クローディアは、どうするの?」

「ハリーと一緒にいることになるよ。ダンブルドアが2人を引き離すのは危険だって話していた」

 ジュリアに答えたジョージは、我知らずと拳を強く握る。

「さっきもママ達が『不死鳥の騎士団』の会議を始めたけど、クローディアのことなの?」

 涙声のジニーの肩をロンが慰めるように撫でる。この屋敷に来てから、子供という理由で『不死鳥の騎士団』の情報を与えられない自分達は少々不公平だと感じていた。

「お袋達が話してくれるもんか! くそ……クローディアのことなら、俺たちも無関係じゃないのに」

 恐怖と憤りの混ざった声でロンが呟く。

 箪笥にもたれていたジュリアは1人、冷静になって情報を纏める。

「殺す必要があったのかしら? クローディアを逃がしてしまったんだから、人質として利用出来たでしょうに」

 ジュリアの問いかけにハーマイオニーが息を飲んだ。

「ジュリア、口を慎めよ」

「ここで話せないなら、何処で話せばいいのよ? おばさま達の前でこんな話出来ないじゃない」

 ジョージとジュリアは睨みあう。

「殺されたんじゃないとしたら?」

 遠慮がちに、それでジニーの口調はハッキリとしていた。意外すぎる意見に誰も理解したくなかった。

「ジニー、心当たりでもある?」

 ハーマイオニーが確かめると、ジニーは皆の顔を見渡す。

「私が一年生の時よ。ドリスさんは『例のあの人』の名を呼んでいた……。恐れてなんかなかったのよ。そんな人が易々と……殺されるとは思えないわ」

 悲痛そうに顔を歪め、ジニーは口を噤む。続けて言い放ちそうなった言葉を止める為だ。

 ジニーの言動から、その場に居た誰もが彼女の言葉を予想してしまった。

「そんな……」

 ようやく、口を動かしたフレッドだけが絶望を吐いただけだった。

 

☈☈☈☈☈

 一週間が過ぎた。

 目を覚ますと見慣れなかった天井が馴染むには、十分な時間だ。居間のソファーから起き上ったクローディアは、数匹の猫の視線を受けつつも、寝巻から普段着に着替える。

 フィッグの若い頃に着ていたお古だが、何も着ないよりはマシだ。家に帰れば、着替えがある。しかし、今のクローディアは家に帰れない。また『死喰い人』が襲撃してくる可能性がある。

 ダンブルドアがフィッグの家を離れないように指示してきたのは、クローディアの身を案じてだ。

 アラベラ=フィッグは突然の居候であるクローディアに良くしてくれた。その礼を兼ねて、家事を手伝った。食器を洗い、洗濯物を干す。

 猫に餌をやろうとしたが、クローディアが相手だと猫達は逃げてしまう。

 ハリーは毎日のようにフィッグ家に通い詰めた。魔法界の話題を口にしないという条件を嫌々ながら承諾し、クローディアから離れない。

 居間でTV番組を見て、ニュースを見て、夕食を共にしてからハリーはダーズリー家に帰る。ダーズリー夫妻は最初は怪しんでいたが、一時でも自分の敷地に居ない状況に文句を言わない。

 ハリーの訪問にはフィッグが一番喜んでいた。だが、緊張した事態を受け、おおげさに、はしゃぐことはしなかった。

 

 しかし、今日は昼過ぎてもハリーは訪れない。家が向かい同士なので道に迷うことはないはずだ。

 妙に落ち着けないクローディアは、TVチャンネルを変え、新聞を逆さまに読んではハリーを待つ。

 ふわふわした毛の猫ミスタ・プレンティスの毛をブラシで手入れしていたフィッグは、忙しいクローディアを窘める。

「流石のバーノンも、ハリーが家に来ることを楽しんでいると勘付いたようだね。大方、しばらく行かないようにって、叱りつけるだろうよ。バーノンは、ハリーが喜ぶことはしたくないのさあ」

 失礼ながら、あり得る話であった。

 クローディアはハリーが来られないことを残念に思い、溜息をつく。そして、空虚な心を埋めるために彼に甘えていたのだと気付いた。

「夕飯の買い出しに、行ってくるね。クローディア、何があっても家を出ちゃいけないよ。ああ、こんなときにダッグの奴が当番なんて……」

 ヘアネットを着けたフィッグがタータンチェックの室内用スリッパを履いたまま、ブツブツと文句を述べながら、出かけて行った。

 世話になっておきながら、クローディアはフィッグの服装はダメだと思った。

 洗濯物を片付け終え、身の細い猫ミスタ・チブルスを猫じゃらしで戯れようとする。猫の本能で猫じゃらしに反応するミスタ・チブルスを眺め、クローディアは不意に思いつく。

(フィルチさんもミセス・ノリス飼ってるさ。……スクイブは皆、猫が好きさ?)

 猫じゃらしに翻弄されるミスタ・チブルスの様子に、一時の安らぎを得ていた。

 クローディアは脳裏にベッロの姿を掠める。自分を逃がす偽装をしてくれた蛇は無事なのか、奴らがドリスに何をしたのか、憶測が浮かんでは消える。

 一気に陰鬱な気分に陥ったクローディアは、猫じゃらしを離した。

 床に落ちた猫じゃらしを見つめたミスタ・チブルスが突然、背筋を伸ばして居間の窓を見つめる。つられてクローディアも窓を見やると外から弾けた音が鳴った。

 その音には、聞き覚えがある。『姿くらまし』をするときの音だ。

 即座に、ミスタ・チブルスは玄関の猫用入口を通って外へと飛び出す。思わずクローディアも玄関口に行こうとしたが、ミスタ・プレンティスが立ちはだかった。

「私を行かせないつもりさ?」

 尋ねるクローディアに答えるように、他の猫達も彼女の足元に集まってくる。

 ハリーの身に危険があるかもしれない。

 構わず、玄関の戸に触れようした。一斉に猫が飛びかかった。傷つける為ではない。引き留める為に、纏わりつく猫に負けた。

 クローディアは諦めの息を吐き、大人しく居間に行く。無論、猫を身体にくっつけたままだ。定位置となったソファーに座り、窓を見る。

 ハリーが乱暴な足取りで家を出て行く姿が見えた。彼の姿に安心した時、猫達は離れた。

 

☈☈☈☈☈

 プリベット通りを歩きながら、ハリーは朝食の席での出来事を思い返す。

〝お向かいの家に、親戚の子が泊まりに来ているらしいな〟

 嘲るような口調でベーコンを齧るバーノンに、ハリーは特に反応を見せなかった。それを生意気だとペチュニアは罵った。

〝おまえの目当ては、その子だろ? 冗談じゃないよ。もしも、おまえが異常な子だと知れたら、どうする? おまえみたいな子を誰が真面に相手にする? おまえが異常であることが近所に知れ渡ったら、私達は大恥だよ!〟

 嫌な予感がした。食器を洗い終えたハリーは、すぐに玄関に走ろうとした。しかし、ダーズリーが壁となって塞いだ。

〝わしらが許すまで、向いの家には行かさんからな!〟

 道路を挟んだ向こうの家が遠いと感じたのは、生まれて初めてだ。

 部屋に戻ったハリーは、シリウスへの手紙にクローディアに会えなくなった事を綴った。眠そうなヘドウィックを無理やり飛ばし、ハリーは返事を待った。

 夕方になって、ヘドウィックが手紙を携えて戻ってきた。期待に胸躍らせて開くと、そこにはシリウスからの警告文しか書かれていなかった。

【あの子は、君の傍にいる。しかし、君はあの子に依存してはいけない】

 意味がわからない。

 シリウスもダーズリー夫妻同様、クローディアがハリーに相応しくないと告げている気がした。思えば、シリウスとコンラッドは憎みあう仲だ。

 誰もがハリーとクローディアを恋仲にしたがる。正直、そんな感情はない。クローディアは例えるなら、家族愛・姉弟愛という言葉がしっくりしている。

 ドリスも家族のようにハリーに優しくしてくれた。

 そのドリスは逝ってしまった。ヴォルデモートが殺してしまった。両親のようにハリーの大切な人を奪った。

 腹の底から憤るハリーは、唇を強く噛んだ。

 あの日の朝。長く暗い廊下の夢で目を覚ました。起きた瞬間、額の傷を強烈な痛みが襲った。一瞬のことだったので気に留めなかった。

 否、休暇に入ってから、額の傷は痛んでいた。だから、深く気に留めなかったのだ。せめて、その痛みに疑問を感じ、誰かに報せていれば良かった。

 そうすれば、きっとダンブルドアが助けに向かったはずだ。

 

 ――何故、魔法界の情報が自分に来ない?

 

 ――何故、ドリスは殺された?

 

 答えをくれる者は、この場にいない。

 答えをくれそうな人達は、ハリーに何も教えてはくれない。

 混濁した感情が渦となって腸を捩じらせる。

 マグノリア・クレセント通りの小道に入ったとき、ゴツゴツと着ぶくれた老人とすれ違った。

「ハリー」

 聞き覚えのある声、ハリーは吃驚した。振り返って確認すると間違いない。ファッジだ。

「……どうして」

 魔法省の大臣がマグルの街・リトルウィンジングにいる。しかも、夏だというのに(もう夕方で冷える)厚着だ。マグルに変装しているつもりなのだろう。

 何から問えばよいか、わからず、ハリーはただ目を丸くする。周囲を警戒しつつ、ファッジは彼の肩に手を触れる。

「ハリー、話があるんだ。私1人で来た。どうか、話してくれるか?」

「はい、僕も色々聞きたいです」

 ちょうど良い。ファッジから聞き出す。睨まないようにハリーはファッジと人気のない公園に入る。

 手近い遊具に2人は腰かける。

 しばしの沈黙。欝憤の溜まっているハリーと違い、ファッジは躊躇うように指先を弄ぶ。

 堪え切れなくなったハリーが苛々と口開く。

「ファッジさん、僕に話があるんですよね?」

「そう、そうだ。ハリー、第3の課題で……『例のあの人』が……蘇った時の事を話してくれ」

 ファッジは、否定した話を聞こうとしている。

 何を今更と思う半面、やっと聞きに来てくれた嬉しさが湧く。

 ハリーは包み隠さず話した。優勝杯の『移動キー』で墓場に行かされた事、クィレルがヴォルデモートの為に大掛かりな儀式を行った事、マルフォイを含めた『死喰い人』が主人に忠誠を誓った事、クローディアと逃げ帰った事。

 ハリーの話が終わった時、ファッジは感慨深く空を見上げた。緊張で乾いた唇を舐め、苦悩に目を瞑り、呟いた。

「……戻ってきたのか……」

 全てを諦めた言葉だ。ファッジはヴォルデモート復活を受け入れた。

 喜びと共にハリーは疑問する。

「……今になって、僕の話を聞く気になったんですか?」

「ピーター=ペティグリューに会って来た。……彼は、正気を失っていて、私との会話も成り立たなかったよ。その姿を見て、……私はこんなになりたくないと思ったのだよ。親友を裏切り、ただ生きるだけの愚か者に……」

 まさかのペティグリューの名に、ハリーは胃が痙攣する。そこでシリウスがファッジを庇った時の事を思い出した。

 シリウスはペティグリューに戦い強いた事を悔いていた。彼の言葉がファッジを動かした。そんな気がする。とても嬉しい。

「ハリー。私は……ルシウス=マルフォイを尋問しよう。よおし、決めたぞ」

 怯えを残しつつも、ファッジは決意した。

 ハリーの心が少し晴れた。きっと、ダンブルドアも喜んでくれる。早く皆に報せたい。

 喜び勇んでハリーが立つと、ファッジもつられて立った。

「ハリー、家まで送ろう。君の身が一番危険だ」

 以前と同じ孫を見る優しい目に戻ったファッジに、ハリーは質問も忘れて了解した。ファッジが動けば、ハリーの状況も変わるはずだ。

 

 ――そんな期待があった。

 

「どうして1人で来たんですか? 護衛を連れたほうが良かったんじゃ?」

「……アーサーのように確かに味方といえる人物は、実は少ないんだ……。前の時もそうだった……」

 公園を出ると、往来の場を我が物顔で歩くダドリーを見つけた。目敏く、従兄弟はハリーに気づいた。

「やあ、ビックD!」

 ハリーが陽気に声をかけると、ダドリーが渋い顔をする。「ビックD」は彼の仲間内の愛称だ。愛すべき両親にも内緒だ。

「友達かね?」

 怪訝そうにファッジが尋ねた瞬間、ハリーは「従兄弟です」と答えようした。

 そこに塊が飛んできた。塊は公園の遊具・鉄棒だ。

「危ない!」

 命の危機にハリーは叫んで飛び出した。

 危機感のないダドリーを突き飛ばし、地面に伏せる。だが、別の遊具・滑り台が飛んできたので、ハリーは自分達の身を守る為に杖を構えた。

「プロテゴ!(守れ!)」

 『盾の呪文』は本来、呪いから身を守る。しかし、強く発動を期待すれば、物理的な物からも身を守れる。ハリーの思惑通り、遊具は魔法の盾に跳ね返された。

 安堵したハリーは、驚きすぎて怯えているダドリーの肩を叩く。

 ダドリーの指がのろのろと上がる。それはハリーの後ろを指さしていた。

「ハリー……」

 振り返ったハリーは、臓器がけたたましく痙攣した。

 最初に飛んできた鉄棒がファッジの胸に食い込んでいた。食い込みから、じわじわと血が滲んでいく。

 慌てふためいたハリーはファッジに駆け寄るが、そこで彼はひゅうっと息を吐く。その息の意味を瞬時に理解した。

 否定したい、理解したくない。

 胃液が逆流し、ハリーは思わず口を塞ぐ。

 

 ――ハリーの目の前でファッジは死んだ。

 

☈☈☈☈☈

 日が暮れて、薄暗くなると近所の街灯が点いていく。それに倣うように家々からも灯りが起こる。

 クローディアも居間と玄関に灯りを点け、フィッグを待った。夕飯の買い出しにしては、帰りが遅い。スーパーで猫缶の特売でもあったのかもしれない。

 玄関から音がしたので、クローディアが出迎えに行く。フィッグから買い物袋を受け取った。

「まったく、マンダンガス=フレッチャーめ、あんな奴に護衛なんて無理だったんだ!」

 扉を閉めた早々、フィッグは怒鳴り声を上げる。その剣幕にクローディアは驚いた。口調は悪いが、それでも温厚だと思っていた。

 ただ事ではない。クローディアが詰め寄ると、フィッグは深く溜息をついた。

「……いいかい、落ち着いて聞いておくれ。……ファッジが……たった今、死んじまった」

「は?」

 一瞬、理解が遅れた。

「ファッジって……、ファッジ大臣? どうして?」

「……わかんないよお。なんでかハリーと歩いてて、なんでか鉄棒が飛んできたんだよお」

 

 ――死、また死んだ。

 

(また? またって何?)

 頭が真っ白になりながら、脳髄の奥は冷静に言葉を吐かせる。

「ハリーは? ハリーはどうしたさ?」

「ハリーは『盾の呪文』で、身を守ってたから、怪我はしてないよ。けど、ショッキングなもんを見ちまった。可哀そうにねえ」

 フィッグも動揺が治まらず、手が痙攣している。

「警察に知らせるさ。すぐに!」

「もう来てるよ。警官が来ている最中に、魔法省からも人が来てな。……後は、あいつらの仕事だ。あたしらに出来ることなんざないよ」

 

 ――プルルルルルル。

 

 突然、鳴りだした電話の呼び出し音に、フィッグはビクンッと肩を跳ねらせる。自分を落ち着かせ、すぐに廊下にある電話の受話器を取る。

「はい。あんたか、報せを聞いたんだね。はいはい、そこにいるよ」

 受話器を耳につけたままフィッグがクローディアを手招きしてくる。困惑しつつ、フィッグから受話器を受け取った。

「もしもし?」

 躊躇いながら、クローディアが呼びかける。

〈手短に話すぞ。来織〉

 聞きなれた頼りがいのある野太い声が受話器から聞こえてくる。胸を撫で下ろしたクローディアは、感情が高ぶり、目に涙を浮かべた。

〈バーノン達は出かけさせる。それまで、その家に行くな。よいか? 勝手な行動は控えるんじゃ〉

 無情にも電話は切られた。

 聞いて欲しい言葉がたくさんあった。しかし、ファッジの死という異常事態に泣き言をほざいている場合ではない。目頭の涙を指で拭い、フィッグにトトからの伝言を教える。

 納得したフィッグは、買い物袋を下げ台所に向かう。

「トトがバーノンを連れ出す手筈を整えているなら、尚の事、あたしらに出来ることはないね」

 フィッグの後を追いながら、クローディアは何気なく問いかける。

「フィッグさんは、私のお祖父ちゃんを知っているさ?」

 猫缶を棚に片づけながら、フィッグは気が付いた表情になる。

「言い忘れていたね。あんたがここに来てから、電話で様子を教えていたんだよ」

 人の知らないところで電話をしていた。何故、電話を代わってくれなかったのかと、少々苛立つ。それが表情に出ていたので、フィッグは気まずそうだ。

「電話が来るのが、いつも、あんたが寝ちまった後だったんだよ。勘弁しておくれ」

 無礼な態度を出さないように、クローディアは眉間のしわを解す。

「ハリーとフィッグさんはどうなるさ? 事件の目撃者なんだから、これから警察が色々と取り調べとかするさ?」

「魔法使いが被害に遭った場合は、魔法省が事件を捜査することになってるんだよ。普通はね」

 この異常事態にフィッグは怯えていた。

 クローディアも嫌な予感がした。最悪の流れが起こるという予感だ。

 

 翌日、【日刊予言者新聞】にファッジの死は大きく報じられた。ハリーは魔法省大臣の死に関与した疑いを持たれ、ヴォルデモート復活をホラ吹いた『嘘を吐いた男の子』として、魔法界の情報誌を賑わせる事になった。




閲覧ありがとうございました。
ごめんね、ファッジ。この展開しか、思いつかなかったのです。


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2.迎え

閲覧ありがとうございます。
1995年は、携帯電話が手持ちサイズになった時期ですね。


 

 気付けば、ハリーの誕生日である7月31日を迎えた。

 猫達の世話をしていると、外から車の発進する音が聞こえた。音の方角からして向かいのダーズリー家だ。

 思わず、表情を輝かせたクローディアをフィッグが窘める。

「まだだよ。向かいに行くのは、連絡があってからにしな」

 ミスタ・プレンティスの毛並みを仕上げた時、廊下の電話が鳴りだした。

 フィッグが電話を取ると、深刻そうに何度も頷いている。受話器を下したフィッグは、肺に溜まった息を吐き出した。

「バーノン達はトトが上手くやった。クローディアはハリーの傍にいてやんな。そのまま、次の連絡を待つんだ。いいね?」

 待ちに待ったハリーに会える時だ。同時に、世話になったフィッグの家を出る。十二分に面倒を見てもらったクローディアは、感謝の気持ちを込めて家主の両手を握りしめた。

「いままで、お世話になりました」

 困ったような笑みでフィッグは、クローディアの頭を撫でた。

「大したことなんさ、してないとも。元気でな」

「はい、フィッグさん」

 フィッグの足元に集まった猫達を見下ろしたクローディアは、別れの意味で手を振った。

 

☈☈☈☈☈

 呼び鈴の鳴る音がする。

 しかし、玄関に行くことは出来ない。扉は部屋の外から、鍵をかけられているせいだ。内側からは決して開けない。ヘドウィックも戻らない部屋で、ハリーは独りごちる。

「ハリー」

 玄関口から、クローディアの声が聞こえてくる。バーノン達がいなくなったから、来てくれたに違いない。飛び起きたハリーは、開けっ放しの窓から下を見下ろす。

 真下の芝生でクローディアが2階を見上げてくる。

「クローディア」

 嬉しさでハリーは胸が満たされる。溢れ出た感情は涙となって目に浮かぶ。

「ハリー、そこに行くから窓から離れていてさ」

 ハッキリと口にしたクローディアに、ハリーは反応し損ねる。

 地面を蹴ったクローディアの体が2階の窓へと飛び込んできた。否、舞い降りてきた。まるで、箒に乗って飛んできたかのような光景だが、彼女は丸腰だ。かといって、芝生から2階の窓までやってくるなど、跳躍力だけでは説明がつかない。

「お邪魔します」

 律儀にお辞儀するクローディアをハリーは呆然と眺める。

「どうやって、跳んできたの?」

 困惑するハリーに、クローディアは悪戯っぽく微笑む。

「私は魔女なんだから、空だって飛べるさ。うちのお祖父ちゃんだって出来るしさ」

 能天気なトトが箒なしで空を飛ぶ。そんな光景を浮かべたハリーは、噴出す。軽く笑うと、腹の筋肉が突っ張る感覚になる。久しく笑っていなかったせいだ。

「すごい寝癖だけどさ。櫛は何処さ?」

 室内を物色するクローディアの言葉で、ハリーは4日も髪を梳いていないことに気付く。昨晩はシャワーを浴びてから、髪を乾かさずに寝たせいで更に癖だらけの髪型だ。 急いでハリーは机の引き出しから、髪ブラシを取り出す。

 クローディアはハリーから髪ブラシを取り上げ、彼を寝台へ座らせた。

「じっとしてるさ」

 背後からハリーを抱きかかえるように、クローディアは彼の髪を梳き始める。人に髪を梳かれる感触は、妙にくすぐったい。だが、嫌ではない。

「この髪は、なかなかの強敵さ」

「うん、ペチュニアおばさんも嫌がってるよ。不衛生だって」

 髪を梳くことを諦めたクローディアは、ブラシを手元に置く。すると、ハリーの背中に重さを感じる。彼女の手と顔らしき感触を服越しに察した。

「無事で良かったさ……」

 か細い声に聞き逃しかけた。

 クローディアもフィッグから、ファッジの死を聞いているはずだ。至極、当然の反応だ。ハリーにしてみれば、その日に来てほしかった。微かな不満が喉まで出かかった。

 

 ――プルルルルルル。

 

 唐突に鳴りだした電話の音、クローディアがハリーの背から顔を上げる。

「お祖父ちゃんかもしれないさ」

 ハリーを飛び越えたクローディアは、扉のノブに手をかける。鍵がかっていることを教えようとしたとき、扉が簡単に開いた。

「あれ?」

 鍵穴を見つめる。外側から、鍵が刺さったままだ。

「バーノンおじさん、鍵をかけ忘れたんだ……」

 珍しく不用心な行動をだと、ハリーは呆れ果てる。不思議そうな顔をするクローディアに、手振りで問題ないと伝えた。

 電話は絶えなく鳴り続け、ハリーは慎重に受話器を持ち上げる。

「もしもし、ダーズリーです」

〈よく聞け、日が暮れてから迎えを寄越す。それまで、家を出てはならんぞ。いつでも、出発できるように支度しておけ〉

 挨拶もなく伝えてくるトトの声に、ハリーは喜びの感情が溢れた。クローディアは読みが当たり、話を聞こうと受話器に耳を寄せてくる。

 より情報を得ようとハリーは、会話を繋ごうとする。

「トトさんも迎えに来てくれます?」

 受話器の向こうでトトは、口ごもっている。

〈ハリーが頼りにしておる者が行くから、待っておれ〉

 優しい口調だが、ハリーは不安に心拍が高くなる。それを感じたクローディアは、彼の背を慰めるように撫でた。

 途端に、受話器の向こうが騒がしくなる。

〈ハリー! もうすぐ会えるぞ!〉〈ロン、そんなに大きな声出さないで!〉

〈ハリー!? 聞こえる!〉

〈これでハリーに私達の声が聞こえるの!?〉〈ハリー、何か喋ってみろ!〉

〈離せ、やめんか!いい加減にせんかい!!〉

 ハーマイオニー、ロン、ジニー、モリー、シリウスの声が聞こえたかと思えば、激怒したトトの怒鳴り声と共に電話が切られた。

 唖然としたクローディアとハリーは、残念に思いながら受話器を戻した。

 

☈☈☈☈☈

 『不死鳥の騎士団』本部では、ハリーをこの屋敷へ護送すると先発護衛隊の面子を決めあう会議が長々と続いていた。

 あまりにも希望者が多い為、先発護衛隊を指揮するムーディは苛立っている。

 会議に参加しなかったトトは、これからの行動に備えてお手洗いを占領し、一時の休憩だ。耳を澄ませていると無数の足音が玄関から聞こえてくる。

 会議が解散したと理解し、トトはお手洗いを出て階段を下る。厨房から出てきたムーディが唇を尖らせる。

「ようやく決まったわ。どいつもこいつも緊張感が欠けておる」

「それは上々、時間は予定通りじゃな?」

 相槌を打つムーディに、トトは承知する。ムーディは先発護衛隊の面子との更なる打ち合わせがあるため、客間へと足を運ぶ。

 その直後、胸ポケットにある携帯電話が鳴りだす。トトは誰もない厨房へと行き、携帯電話に表示された番号を確認する。ダーズリー親子の接待を頼んだ知人からだ。

 嘆息して電話に出ると、首尾よく事を運べているという報告と親子の性格の悪さに対する愚痴だった。

 会話を終え、トトはフィッグの家に電話し、二言・三言で切る。

 携帯電話を見つめ、トトは深く息を吐く。フィッグの家に預けたクローディアに対し、薄情なまでに干渉をしないで、よくも祖父などと名乗れると自嘲する。

 悲しみに暮れる孫娘を抱きしめ、安心させてやりたい。だが、計画を実行に移すまで後、僅かだ。それまで自分が動かなければならない。腕時計を見ると、次の行程まで少し余裕がある。

 ダーズリー家の番号を押し、トトは発信音を聞く。

〈もしもし、ダーズリーです〉

 程なくして、ハリーが電話に出た。

「よく聞け、日が暮れてから迎えを寄越す。それまで、家を出てはならんぞ。いつでも、出発できるように支度しておけ」

 単刀直入に話すトトは、電話の向こうにいるクローディアのことを想う。

〈トトさんも迎えに来てくれます?〉

 思わぬ問いかけに、トトは苦渋に満ちた表情で唇を噛む。

 廊下から数人の気配がこちらに近寄ってくる。足音と声から、モリーやハーマイオニー達だ。

 ハーマイオーが厨房に入ろうとしたが、携帯電話を持つトトと目が合う。彼女は、申し訳なさそうに頷いて下がっていく。

 クローディアの大切な友人達なら、安心して任せられる。

「ハリーが頼りにしておる者が行くから、待っておれ」

 我が孫に話すように、悟らせた。

 突然、ハーマイオニーが厨房に突入し、慌てたようにトトの携帯電話を指差してきた。

「もしかして、ハリーと電話してるの!?」

 トトが返事をする前に、ロンとジニー、モリーとシリウスが競うように現れた。

「ハリーがどうしたの?」

「トトさんがハリーに、電話しているのよ」

 ハーマイオニーが指差す携帯電話に、視線が集まる。嫌な予感がしたトトは、逃げようとした。その前にシリウスが強い力で、携帯電話を持った手を掴んだ。

 ロンが張り裂けんばかりの声で叫ぶ。

「ハリー! もうすぐ会えるぞ!」

「ロン、そんなに大きな声出さないで!」

 両耳を押さえたハーマイオニーが叱りつける。しかし、ジニーもロンに倣って大声を出した。

「ハリー!? 聞こえる!」

 しかも、モリーまでトトの腕にしがみついてきた。

「これでハリーに私達の声が聞こえるの!?」

「ハリー、何か喋ってみろ!」

 纏まりのない光景に、トトは怒りが込み上げてくる。脳細胞にまで熱が伝わったところで、限界が来た。

「離せ、やめんか! いい加減にせんかい!!」

 

 ――一喝。

 

 トトが叫んだ瞬間、ブラック家そのものが揺れた。それだけの衝撃を眼前で体感したハーマイオニー達は、動くことを忘れたように静止する。

 シリウスの手を払ったトトは、携帯電話を耳に当てなおす。だが、雑音もなく異様に静かな電話に、疑問する。そこで、指が『切』のボタンを押していることに気付いた。電話を壊さなかっただけ、マシといえる。

 口中で嘆息を殺し、トトは携帯電話を胸ポケットにしまう。

「ご、ごめんなさい。私達、ハリーの身が心配で」

 冷や汗を掻いて謝ってくるハーマイオニーに、トトは静かに首を横に振る。

「ワシは、これにて失礼する」

 誰の顔を見ずに、トトは一直線に玄関へと向かった。

 厨房に『姿現わし』してきたフレッドとジョージが、黙り込んだ人達に首を傾げる。

「いま、家が揺れなかったか?」

「なんで、そんなに静かなんだ?」

 誰も答えられず、モリーはスコーンを焼く準備を始めた。慌てたようにジニーは、モリーを手伝う。シリウスもそそくさと先発護衛隊の打ち合わせに逃げて行った。

 ハーマイオニーは、咳払いして宿題を片づけに部屋に行く。残ったロンが双子に捕まり、表現が曖昧な説明を繰り返す羽目になった。

 清掃用品の買い出しから帰ってきたジュリアは、双子に問い詰められるロンの姿を珍しがった。

 

☈☈☈☈☈

 荷造りを済ませたハリーは、クローディアが寝台の下を覗き込む姿を見た。

「何してるの?」

クローディアは唸りながら、答える。

「エロ本ないかと思ってさ」

「ないよ。そんなの。誰も買ってくれないし、自分じゃ買えないし」

 予想できないクローディアの発言に、ハリーは羞恥心のあまり耳まで真っ赤に染まりあがる。しばらく寝台の下を探った後、クローディアは不満そうに起き上る。

「別にエロ本は買わなくても、公園に落ちていたのとか、ゴミ箱から拾ってきてもいいさ」

「なんで、そんなこと言うの? 僕にエロ本を拾ってこいってこと?」

 真顔な彼女の返答に困り、ハリーは頭を抱える。ダドリーとて、エロ本の為にゴミ箱は漁らない。

 しかし、ハリーは魔法界の情報欲しさに、新聞を漁った。それを見られたのかもしれない。彼の動揺する姿に、クローディアは愉快そうだ。

「ハリーってさ。学校と態度、違いすぎさ。おもしろいさ」

「そんなことないよ」

 ぶっきらぼうに答えたハリーは、全ての荷物を抱えて部屋を出る。クローディアの一言で、退学の危機に陥っていることを思い出した。

 眉間に皺を寄せたハリーの態度から、クローディアは深刻なモノを感じ取った。

「学校に行くのが、嫌さ?」

 階段を下りながら、クローディアが問いかける。居間への戸に手をかけたハリーは、気づいた。

 クローディアは、魔法省から受けた勧告を知らないのだ。

「僕、退学になるかもしれないんだ」

 知らずと自嘲を込めて答えたハリーは、クローディアの反応を見るために階段を振り返る。彼女は、笑顔と共に硬直していた。

 それも束の間、必死の形相でクローディアはハリーに迫り、胸ぐらを掴んだ。

「どういうことさ!?」

 怒声を吐くクローディアの剣幕に、ハリーの背筋を冷たい感触が走り抜ける。

 すっかり怯えたハリーは、弱弱しく答える。小声で聞きづらかったらしく、彼女は何度も聞き返した。

 ダドリーを守るため、『盾の呪文』を使用した為、退学勧告を受けたと説明できた。

「そんなはずないさ! 『未成年魔法使いの妥当な制限に関する法令』で命が脅かされた時に、魔法を使っていいさ!」

「だから、魔法省で尋問するんだ……。……8月2日に魔法省で、ファッジ大臣の件も含めてね」

 息絶えそうにハリーが言い終えると、悲痛に唇を噛んだクローディアは彼から手を離す。

 乱れたハリーの服を直し、クローディアは呟く。

「ごめん、知らなかったさ」

 焦燥が残ったハリーは、深呼吸してから頭を振るう。

 誰もいない居間、ハリーはどっと疲れた。遠慮なく、ソファーにもたれかかる。クローディアも彼の隣に腰かけた。

「ハリー、誕生日おめでとうさ」

 当然のようにかけられた祝いの言葉を耳にしたハリーは、肩をビクッと痙攣させた。クローディアの誕生日には、何もできなかった。そして、何も言えなかった。それどころか、祖母を亡くした彼女に、慰めの言葉すらかけていない。

 それにも関わらず、ハリーはクローディアに哀れんで欲しかった。彼女がどれだけ苦しもうとも、気にも留めなかった。

(最低だ……)

 器の狭い自分が悔しい。ハリーは爪が手の平に食い込む程、拳を握りしめた。唐突に、クローディアが肩にもたれかかってきた。

 驚いたハリーが振り返ると、クローディアは瞼を閉じて寝息を立てているのだ。突拍子もない行動に、思わず溜息をつく。しかし、彼女の規則正しく、それでいて安らかな寝息を聞いているうちに、瞼が重くなっていく。

 ここのところ、ハリーはよく眠れなかった。しかし今なら、安心できる。

 ハリーは眠気に逆らわず、彼女にもたれかかった。

 

 灯りひとつない廊下を進んでいる。灯りすらないはずの場所を廊下だと判断できるのは、視界が形を捉えているからだ。

 長い廊下を進んでいく。扉が見えた。

 扉の前には、1人の男が立っている。

 ――――ボニフェース。

 男の名を呼ぶ。微笑んだ男は扉にもたれかかって、腕組みをする。そこを通さないつもりだと、判断した。敵意を向ける自分に対し、男は親友と世間話をするような態度で、唇を動かす。

「起きなよ、ハリー。迎えが来た」

 ――――それは、俺様の名ではない。

 

 意識が覚醒したハリーは、頭が冴えていた。

 ソファーに横になっていたハリーの体には、トランクに詰めたはずのローブがかけられていた。窓の外が暗いので、時計を見ると日暮れの時間が過ぎている。

 水が流れる音がすると、戸が開いて閉まる音がした。飄々と居間に入ってきたクローディアがハリーに手で挨拶する。

「起きたさ? 我慢できなくて、お手洗い借りたさ」

「それは、構わないけど……誰が来た?」

 瞬きするハリーの隣に座ったクローディアは、周囲を見渡す。

「誰も来てないさ」

 ハリーが頷こうとした瞬間、ソファーの後ろから『姿現わし』の音が弾けた。驚いたハリーは、ソファーからずり落ちてしまう。

 咄嗟にクローディアは、机に置いてある灰皿を手に構えた。

「それは杖の代わりか?」

 振り返った先には、ムーディが仏頂面で立っていた。

「マッド‐アイ! あんたが迎えさ?」

 意表を突かれたクローディアは、灰皿を机に置く。慌てたハリーもローブを脱ぎながら、起き上ろうとする。

 途端に、『姿現わし』の音がいくつも起こった。ムーディの他に、8人の魔法使い・魔女が現れた。その内の1人を目にし、クローディアの強張っていた心臓が解され、ハリーの表情が嬉しそうに緩んだ。

 髪がボサボサのルーピンが2人の視線を受けて、歩み出た。

「待たせて、ごめんね。迎えに来たよ」

 いつもと変わらない穏やかな微笑みに、クローディアは必死に笑顔を作る。ハリーも一生懸命、口元に力を入れているが、力み過ぎて笑みになっていない。

「わああ、私の思ってたとおりの顔をしている」

 興奮した声を出した魔女に、クローディアは覚えがある。シリウスを保護観察していた『闇払い』だ。あの時は、緑色だった髪は紫に変わっていた。

「この2人は確かに本人か?」

 警戒したムーディの雰囲気が張りつめる。

「マッド‐アイ、この子達を疑う必要があるのか」

 シルクハットを下ろしたディグルが冷ややかにムーディに問う。彼の事をハリーは覚えていた。初めて『漏れ鍋』を訪れた時、握手してくれた魔法使いだ。そして、己が魔法使いだと知る前に、一度だけ街で擦れ違った事もある。

 クローディアは、ディグルに向かって挨拶の意味で頭を下げる。

「こんばんは、ディグルさん」

「ああ、クローディア。……無事でよかった……」

 涙を堪えるように、ディグルはクローディアの肩に触れた。

「マッド‐アイ。この子は、本人だ。挨拶の際、お辞儀をするのは、この子の習性だ。『死喰い人』が我々に頭を下げることはせん」

「そうだな、娘は間違いない。だが、ポッターは……本人しか、知らないことを質問せねばな」

 青い義眼が絶えず、クローディアとハリーを交互に凝視し続ける。そして、義眼がハリーに釘付けとなった。

 思わず、ハリーは唾を飲み込んだ。

「おまえさんが『透明マント』を被って、わしの前に現れたとき、何色の下着を穿いていた?」

「……青の縦縞」

 緊張感が消えそうな問いかけにハリーは戸惑いながら答える。本人だと確証できたムーディは、満足そうだ。

「なんで、マッド‐アイがハリーの下着の色知ってるさ?」

「色々あったんだよ」

 無意識にクローディアは疑問をぶつけ、ハリーはぶっきらぼうに答える。それからルーピンを見やる。

「出発するんだね? 何処に?」

「見つからないところに設置した本部にだよ。準備に時間がかかったがね」

 何故だが、クローディアには物騒な印象を受けた。ルーピンの口から説明されても、自分達が安心できる場所とは思えなかった。

「ねえねえ、私達って、お邪魔じゃなかったわよね?」

 声を弾ませた魔女がクローディアの後ろから耳打ちしてきたので、思わず振り返る。一瞬、自分の目を疑う。先ほどまで、嘘くさい紫色の髪をしていたはずが、黄色に染まり上がっていたのだ。

「そういう質問は、失礼だ。ニンファドーラ」

 鮮やかな緑のショールを巻いた魔女が厳しい口調で咎める。それを聞いた途端、黄色髪の魔女は唇を尖らせ、相手を睨んだ。

 すると、髪の色が見る見る黄から赤へと変色していく。

「あのね、ニンファドーラって呼ばないでくれる?」

 そのやりとりにクローディアは、何気なく尋ねる。

「マッド‐アイみたいな通り名さ?」

 髪を変色させた魔女が慌てて頭を振るう。

「違う違う。そうよ、自己紹介してないわ。私はトンクスよ」

「ニンファドーラ=トンクスだよ。クローディアは面識があるね?」

 ルーピンの紹介に、トンクスは不満そうにしている。彼女の変色ぶりに呆気にとられていたハリーは、我に返る。

「もしかして、シリウスの保護観察者?」

 少しだけ、ハリーの声に活力が戻る。トンクスはウィンクで肯定を露わす。思わず、シリウスの近況を聞こうとしたがルーピンに遮られた。

「皆の紹介をしておこう。こちらは、キンズリー=シャックルボルト」

 この中で一番背の高い黒人の魔法使いが、紹介に応じて会釈した。

「エルファイアス=ドージ」

 緊張しているせいか、肩を震わせて頷いてきた。

「ディーダラス=ディグル」

「以前、お目にかかりましたな。ハリー=ポッター」

「はい、覚えています」

 声をかけられ、ハリーは答えた。

「エメリーン=バンス」

 トンクスを叱ったショールの魔女が毅然と微笑んだ。

「スタージス=ポドモア」

 男性陣では一番若い魔法使いがウィンクしてきた。

「そして、ヘスチア=ジョーンズ」

 やっと自分の番だと、黒髪の魔女が上品に手を振る。

 挨拶が終わったとき、クローディアはここにコンラッドが来ていないことを納得している自分に気付いた。しかし、ハリーは見知らぬ大勢よりもシリウスがいないことに、少しだけ残念に思っていた。

「時間だ。行こう」

 ルーピンが告げると、ムーディが先頭を切る。

 クローディアとハリーは、トンクスに急かされるようにムーディの後ろに続く。ポドモアがトランクを持ち、ジョーンズが鳥籠と箒を運び出した。

 ハリーの箒を見たトンクスが目を輝かせる。

「わお、これ『ファイアボルト』じゃない? 私なんか、まだ『コメット260』に乗ってるのよ」

「シリウスがくれたんです」

 まんざらでもない気分に、ハリーは少しだけ喜んだ。

 街灯に照らされた道路は、静寂を守っている。家々は、灯りとは反対に静まり返り、夜を歩く猫の気配もない。

 ムーディの義足すら、全く響かない。

 ジョーンズがハリーに箒を渡すと、ムーディが松葉代わりの杖で道路を叩く。突如として、クローディアの眼前に『銀の矢』が現れた。無論、ルーピン達にも各々の箒が現れた。

 トンクスがクローディアの箒を見て、気づく。

「それって『銀の矢』? ああ、しかも『銀の矢64』!? マニアも欲しがるレア物よ!」

「ニンファドーラ、いい加減にしろ」

 流石にうんざりしたのか、ムーディが低い声で咎めた。名前を呼ばれ、気分の悪さを現わすようにトンクスの肌が紫に染まり上がった。

「隊列を崩すな。誰かが殺されようと、振り返るなよ」

 クローディアは箒に跨ったとき、向かいの家を見やる。窓から、フィッグがこちらを見ていた。

 迷わず、フィッグに小さく手を振る。

「飛べ!」

 号令に答え、箒が地面から放たれて舞い上がった。速度と夜風が耳元で騒がしい音を立て、視界が空へと向かっていく。住宅地は模型のように小さくなり、街灯が宝石のように散りばめられている光景を見下ろす。

 だが、悠長に眺めている余裕はない。下手をすれば、ムーディに置いて行かれるのだ。

 それでも、空を自由に飛び回る高揚感にハリーが吠えていた。

 まるで解放された鳥のような叫びに聞こえた。

 




閲覧ありがとうございました。
エロ本を隠す定番の場所は、ベッドの下!


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3.本部

閲覧ありがとうございます。
お気に入りが540名になりました!ありがとうございます!

追記:16年9月1日、誤字報告により修正しました


 美しい夜景を楽しむには、十分な時間ではなかった。しかし、慣れない長距離の飛行経験は十二分だ。地面に足を着けるのが懐かしい。

 小さめの広場の周辺は、花壇の植物に覆われている。花壇の向こうに住宅地が見える。夜間の清掃車が道路を過ぎて行くのを見送り、ムーディが先導してクローディア達は道路に出た。

 シャーロック=ホームズが住んでいそうな住宅地を見上げ、番地札を目にしてクローディアは疑問する。左には、11番地。右には、13番地。間がない。札の番号が間違っているのかもしれない。しかし、自分達が立っている位置が二軒の間だと気づく。

 すると、ムーディが懐から銀のライターを取り出し、火を点けるような音を鳴らす。音に吸い寄せられるように、一番近くの街灯が消えた。

 周辺の街灯を消し終えるまで、ムーディはライターを鳴らし続けた。

「ダンブルドアから借りた。『灯消しライター』だ」

 クローディアとハリーの視線に、説明したムーディはライターを懐にしまう。

「それで火事の火は消せますか?」

 不可解だと言わんばかりに、ムーディは眉間の皺を深く刻む。

「やったことがないから、わからん」

 低く呟いたムーディは、杖で地面を鳴らす。音の反響がその場を留まっている気がする。杖の音の反響を受けた住宅地が揺れ動きだした。否、建物があるべき姿に戻ろうとしていた。

 壁や窓、冊子、玄関扉、階段が違和感なく現れた。

〔秘密基地さ?〕

 若干、クローディアは心が躍る。

 郵便受けと鍵穴がなく、蛇がとぐろを巻いたドアノッカーのみの扉だ。レイブンクロー寮のドアノッカーの印象に似ていた。それで、ここが魔法使いの家なのだと察した。

 急に胸騒ぎがする。危機感というより、激しい嫌悪感がクローディアの胸中で暴れだした。

(入りたくないさ)

 クローディアの心情に気付かず、ルーピンが杖で扉を叩く。扉全体から、鎖が解かれていく音がしたかと思えば、自然に扉が開いていく。

「さあ、入って」

 クローディアとハリーを押し込むように、ルーピンが急かす。

「ただし、あまり奥には入らないように、何も触っちゃいけない」

 つまりは、玄関から動くなということだ。入ってみれば、湿気と埃が饐えた苦いが充満していた。それでも、『叫びの屋敷』よりはマシだ。この屋敷は、それ程、長く放置されていたものではないかもしれない。

 あくまでも、クローディアの勘だ。古びていることに変わりない。

 最後に入ってきたムーディが腕だけ外に出し、『灯消しライター』を鳴らして街灯を元通りにした。

 ムーディが扉を閉めると、暗闇で周囲が見えなくなった。

 しかし、何処からともなく廊下の灯りが点けられる。古くて手入れのされていない壁やカーペット、天井から落ちてきそうなシャンデリア、虫に食われて顔の判断がつかない肖像画が視界に映る。それでも、凝った額縁の造り、繊細な柄のカーペットや無駄に黒を基調とした内装から、裕福な一家が住んでいたと推測できる。

「進め、ただし、慎重にな」

「忍び足でさ?」

 ムーディの声に、クローディアは先頭を歩く。廊下の奥にある扉から、人の気配を感じた。

 急に扉が開くと、モリーが顔を出す。モリーは、ハリーとクローディアを交互に見つめ、目に涙を浮かべて抱き着いてきた。

「ハリー、クローディア。また会えて嬉しいわ。………………」

 安心したように囁きモリーは、一回り痩せた気がする。

「少し痩せたわね。ちゃんと食べてる?夕食は会議の終わった後だから、もうちょっと待ってね」

 2人の頬を撫でたモリーが、階段を見上げる。つられて左側を見上げると、階段にジュリアが座り込んでいた。当然の如くいる彼女に驚いた。

「ジュリア、この子達を部屋に案内して頂戴」

 モリーに言われ、ジュリアはクローディアとハリーの手を掴む。

「こっちよ、静かにしてね。これすごく大事だから」

 囁くように警告するジュリアは、ハリーの背を押して階段を上がる。クローディアは、一度ルーピンを振り返ったが、彼らは奥の扉へと入っていく。

 クローディアとしては、もう少しルーピンの傍に居たかった。

 階段を上がりながら、壁に嵌めこまれた棚には、水気のない首が丁寧に飾られている。その首は、全て『屋敷しもべ』の物だと気づいた。気味が悪い、趣味を疑う光景だ。

 その棚の隣に、額縁が置かれていた。しかも、板を打ち付けて見えないようにしている。

 3階まで上がり、ジュリアが部屋を指差した。

「ハリーは右側で、クローディアは左側よ。まずは右に入るといいわ」

 無造作にジュリアが扉を開け、クローディアとハリーを招く。中に踏み入れると、そこには寝台がふたつ置かれていた。

 そのひとつに、ベッロが堂々と寝ている。

「ベッロ! 良かったさ!」

 ベッロが無事だったという確認でき、クローディアは胸に溜まっていた不安が軽くなった。ベッロに注意を逸らしていた彼女に、柔らかな髪と肌の感触が抱き着いてきた。

「あああ、クローディア!」

 甲高い声に振り返ると、泣きそうな顔でハーマイオニーがそこにいた。胴体を抱きしめる手には、突かれた傷跡がいくつも見られた。

「ハリー! クローディア! 元気なの? 大丈夫なの? ああ、聞いたわ!色々…………」

「ハーマイオニー、落ち着けよ。まずは、息つけば?」

 冷静だが、嬉しそうにロンがクローディアとハリーに笑いかけて挨拶する。

 驚いたことに、ロンは一か月顔を合わさなかっただけで、頭一つ分、身長が伸びていたのだ。

「でっか、あんた、どこまで伸びる気さ?」

「言わないでよ。これでも、成長痛で寝苦しいんだから」

 やれやれとロンは肩を竦める。やはり、彼の手にも突かれた痕があった。

 この家に凶暴な鶏でもいるのかと、想像する。あまりにも古びているので、お化け屋敷だと言われても納得してしまう。

 翼の音がクローディアを掠めると、ヘドウィックがハリーの肩へと舞い降りた。

「ヘドウィック!」

 声を弾ませたハリーがヘドウィックを撫でる。ヘドウィックは信頼を示すように、ハリーの耳を優しく噛んでいた。

 ジュリアが扉を閉め、ベッロの眠る寝台に腰かける。

「改めて、久しぶりね。クローディア、ハリー。会えて、嬉しいわ。本当よ…………」

「ジュリアも元気そうで、何よりさ。早速、本題だけど、此処は何処さ?」

 挨拶するジュリアに、クローディアは問いかける。

「『不死鳥の騎士団』の本部よ。ダンブルドアが前回の『例のあの人』との戦いで組織した軍団なの」

 反抗組織があったなど、クローディアは知らなかった。

 忙しなく説明するハーマイオニーに、堪えるような表情でハリーは唇を噛む。

「それ、手紙には書けなかったの?」

 明らかに責める口調のハリーに、ハーマイオニーがビクッと肩を震わせた。代わりにロンが躊躇いながら、肩を竦める。

「そりゃ、書きたかったさ。でも、校長先生がハリーに何も教えないように誓わせたんだ」

「それで?」

 冷たく突き放すハリーは、ヘドウィックを撫でていた手をとめる。

「ハリー、やめるさ。それよりも……、ハーマイオニー、ロン、その手どうし……」

「重要じゃないって言うのかい? 僕は何も知らずに、ダーズリーのところに釘付けにされた。僕が勝手をしないように見張りまでつけられていた」

 クローディアが言い終える前、ハリーの怒声に遮られた。寝台から腰を上げたジュリアは、何も言わず腕組みをして箪笥にもたれかかる。

「見張りじゃないわ。護衛よ。校長先生があなたの身を案じていたから」

「役に立たなかった。だから……ファッジ大臣は、殺されたんだ。僕とダーズリーは死にかけた挙句に、僕は魔法省から退学を言い渡されたんだ」

 必死に説明するハーマイオニーに対し、ハリーは目じりのシワを深くする。

「そのことで校長先生がお怒りだったわ。すごく怖かったわよ」

 ダンブルドアへの畏怖の意味を込めてハーマイオニーは、胸元に手をあてる。ハリーは素っ気なく、ヘドウィックを寝台の柄に乗せる。寝台で目を覚まさないベッロを眺めた。

 ベッロが起きて来ないと確認し、ハリーはハーマイオニーとロンを睨まない程度に見つめる。

「僕が懲戒尋問を受けることも知ってるんだよね? 当然」

 不自然な音調で、ハリーは吐き捨てた。

「ええ、だから調べたわ。魔法省はあなたを退学にできないのよ。『未成年魔法使いの妥当な制限に関する法令』で、命を脅かされる状況においては、魔法の使用が許されることになってるの」

「クローディアから、聞いたよ。僕が報せるまで、彼女さえ何も知らなかった」

 嫌味な態度にクローディアが口を挟もうとしたが、ジュリアに止められた。

「(言いたいことを言わせてあげて)」

 ジュリアの唇が確かに動いた。

「君たちは、そうやって何もかも知ってたんだ。僕達の気も知らずに?」

 一瞬、ハリーがクローディアを見たが、すぐ2人に視線を戻す。

 ハリーがハーマイオニーとロンを相手に憂さ晴らししている姿が哀れに思えた。だが、ここで彼の胸に溜めこんだ不安や怒りを出さなければ、ならない。

 クローディアは堪えた。

「何もかもじゃない。ママ達は、僕らを会議から遠ざけてる。若すぎるからって」

 真剣に話すロンをハリーは、我慢の限界だと声を張り上げた。

「それがどうしたって言うんだ! 僕はいつだって、戦ってきたんだ! バジリスクも吸魂鬼もドラゴンも僕は倒したんだ! あいつの復活も目撃して、皆に報せた! それなのに、除け者にされた! 僕は情報欲しさにゴミ箱から新聞を漁ったんだ!」

 感情の爆発が部屋中に響く。

 吃驚したヘドウィックは、一番高い箪笥の上へと逃げ込んだ。寝台の下から、小さな鳴き声がしたので、クローディアは見やる。ピッグウィジョンが怯えていた。

「僕に全てを教えてくれると言ったXXXは、XXXれた! 僕が知ったことは、XXXがXXXXことだけだ! ルシウス=マルフォイはどうしたんだ!? 逮捕されたのか!? どうして、XXXはXXXXんだ!? あの人は、僕に何を教えようとしたんだ!!!」

 ハリーの叫びを聞いているうちに、クローディアの視界が歪んだ。まるで、水の中にいるような眺めだ。しかし、手足の感覚はそのままだ。

 腹の底から、憤怒の感情をぶちまけたハリーは冷静さを取り戻す。クローディアを見た途端、彼は目のやり場に困っていた。

 ズボンのポケットから、ジュリアが黄色いハンカチを取り出した。そのまま、クローディアの頬に押し付ける。頬が生暖かい水に濡れている感触で、クローディアは涙を零していたのだと他人事のように気づいた。ジュリアからハンカチを借りる。

「クローディア、あなた……泣かなかったのね?」

 深刻に尋ねるジュリアに、クローディアは首を傾げる。

 何故、そんなことを聞くのか、甚だ疑問だ。クローディアには、涙を流す理由はない。最後にハリーが叫んでいた言葉もうまく聞き取れなかった。

 この涙は、ハリーの怒りに同調したのだ。そうに違いない。

 涙を拭ったハンカチをクローディアは、ジュリアに返す。同情の視線が送られても、気に留めなかった。

 『姿現わし』の音が炸裂したと同時に、フレッドとジョージが部屋の真ん中に現れた。それに驚いたピッグウィジョンとヘドウィックが抗議のために鳴く。

「いい加減に、それをやめて!」

 半分諦めた口調でハーマイオニーが双子を叱る。

「やあ、ハリー」

「やあ、クローディア」

「なんだが、あま~い声が聞こえたな。」

「怒りたいときは押さえちゃダメだ。全部吐いちまえ」

 先ほどまでのハリーの剣幕をなかったように、陽気な声で交代に双子が話しかけてくる。フレッドがハリーの肩に腕を乗せ、ジョージがクローディアの肩を優しく撫でる。

「無事で良かったよ。………………」

 ジョージが最後に何を言っているのか、聞き取れない。

 ジョージだけではない。この屋敷に着いてから、皆が口々に何かを言っている。声が耳に入ってくるが、言葉を理解できない。慣れない長時間の飛行で、クローディアは聴覚が鈍くなっているのではと疑う。

「君達、2人とも『姿現わし』試験に受かったんだね?」

 不機嫌を隠さずハリーは、一応、合格を祝っているように努めて話す。便乗してクローディアも双子に祝いの言葉を贈る。

「すごいさ、合格おめでとうさ」

「「ありがとう」」

 ノックもなく扉が開くと、ジニーが挨拶してきた。

「ハリー、クローディア、いらっしゃい」

 何の緊張もなく、ジニーは普段通りの態度だ。急にハリーの毒気が抜かれていく。

「あなたの声が聞こえたように思ったの」

 扉を閉めたジニーがクローディアに対し、哀惜の視線を送ってきた。疑問を抱いても、クローディアは何も問い返さなかった。

 無反応のクローディアに構わず、ジニーはフレッドとジョージへ残念そうに腕で『×』を作った。

 腹から息を吐いたフレッドは、肩を竦める。

「どうしたの?」

 ハリーの疑問に、ジョージが返事をする。

「俺たち、盗聴のために『伸び耳』を開発したんだ」

 ジョージの視線でフレッドが『伸び耳』なる道具を見せつけた。完全に耳の形をしているのが少し気味悪い。

「二つで対になってるんだ。片方を仕掛けて、片方で聞く。こいつのお陰で、随分、情報が集まったもんだ」

「ママにバレるまではね」

 フレッドの言葉に、ロンが付足した。

「ママがカンカンになって、ゴミ箱に捨てたんだ。フレッドとジョージが残りの『伸び耳』を隠したんだけど……、それもトトさんが隠しちゃった」

「なんでお祖父ちゃんがさ?」

 疑問するクローディアに、ジュリアは首を横に振る。

「この屋敷の何処かに隠したから、自力で見つけてみろってね。今日まで探し回って、その片方だけしか見つからなかったのよ」

「こっそり、フレッドが『呼び寄せ呪文』を使ったけど、無駄だったの」

 悔しそうにジニーは嘆息した。

「今回のゲストはスネイプだから、かなり重要会議だったのに」

「スネイプ!」

 反射的にハリーが叫んだ。

「スネイプ先生」

 即座にクローディアが咎めたので、ハリーは小さく「先生」と付け加えた。

「スネイプ先生のいる会議が重要ってことは、滅多に来ないってことさ?」

「ああ、2日に1回、会議をしてるが、スネイプ、先生はその半分も出席していない」

 ジョージは寝台に腰かけながら、嫌悪を込めた。

「嫌な野郎」

 フレッドとジニーも同じ寝台に腰かける。

「スネイプ先生は、もう私達の味方よ」

 ハーマイオニーが咎めるが、ロンは鼻を鳴らす。

「嫌な野郎に変わりないぜ。あいつが僕たちを見る目つきときたら」

「ビルもあの人が嫌いだわ」

 多数決で、スネイプに味方意識を持てないのだと言うように、ジニーは締めくくった。

 皆が寛ぐような姿勢になっていくのを見て、クローディアは適当に窓へともたれかかる。

 ハーマイオニーがクローディアの隣に立ち、ハリーはベッロを起こさないように寝台に腰を下ろした。

「会議にいるのってさ、モリーおばさんだけさ?」

「いや、親父とビルがいる」

 ジョージから、ウィーズリー家で騎士団にいるのは、夫妻とビルとチャーリーの4人だと知る。

 ビルは騎士団の活動のため、エジプトから銀行事務職に異動した。同じ時期、あのフラーが銀行に勤め出したらしい。彼女の教育指導係をビルが兼ねていることを双子は怪しく笑った。

 チャーリーは外国人魔法使いの勧誘と説得のために、今もルーマニアで活動している。

「それは、パーシーができるんじゃないの?」

 ハリーの疑問に、兄妹とハーマイオニー、ジュリアが気まずい雰囲気を見せた。

「どんなことがあっても、パパとママの前でパーシーのことを持ち出さないで」

 淋しそうにロンが告げると、フレッドが説明しだした。

 パーシーはクラウチの死について、責任を取らされた。秘書でありながら、クラウチの異変を察知できぬのは、大いなる怠慢だと、上層部は考えた。

 ファッジは庇うことなく、パーシーをアーサーと同じ部署に異動させた。

 これは出世コースから外された事を意味する。パーシーは目に見える程、落ち込んだ。だが、ファッジの死後、突如、ドローレス=アンブリッジ上級次官の秘書官に抜擢された。

 突然の処遇に、パーシーは浮かれ喜んだ。

 このアンブリッジは純血思考の強く、自尊心の強い魔女で、決して温情で人に仕事を与えたりしない。アーサーは、反ダンブルドア派が自分たちの行動を把握する為にパーシーを利用しようと企んでいると、睨んだ。

 パーシーに警告すると、彼は激怒してあらん限りの言葉でアーサーを罵った。

〝うちの家計が苦しくて、僕達兄弟がどれだけ惨めな思いをしていたのか、考えたことがあるのか! それもこれも、パパがくだらない役職に拘って出世を逃すからだ! 全部、あんたのせいだ!! もう、うんざりなんだよ!〟

 パーシーは家を出て、ロンドンに住んでいるというのだ。

「どうしたら、そういうことになるさ?クラウチ氏もファッジ大臣も殺されてたっていうのにさ。バッカじゃないさ?」

 命より、出世が大事。クローディアは脳髄が沸騰するような怒りに、遠慮なくパーシーへ悪態をつく。

「頭がいなくなって、魔法省はバラバラよ。まだ大臣も決められなくて……、正直、ハリーを尋問している場合じゃないわよ!」

「大人って、建前や世間体ばっかりで本質が見えないものねえ?」

 魔法省への不快さを露にしたハーマイオニーに、共感したジュリアが呟く。

 不意に階段を上ってくる足音が耳に入り、フレッドとジョージが過敏に反応する。『姿くらまし』の音を弾いて、双子は文字通り姿を消した。

 それを計ったように、扉が開いてモリーが顔を覗かせる。

「会議は終わりましたよ。降りてきていいわ。夕食にしましょう。ハリー、皆があなたにとっても会いたがっているわ」

「すみません。モリーおばさん、一つ質問してもいいですか?」

 クローディアが問いかけると、一瞬、部屋の空気が緊張した。モリーは穏やかに微笑んだ。

「ここは魔法使いの家ですよね? 騎士団の誰かの家ですか?」

 質問の内容に、ジュリアが安堵の息を吐く。更に表情を綻ばせたモリーが頷く。

「そうね、話してなかったわね。ごめんなさい。ここは、シリウスの家よ。シリウスが本部に使って欲しいって提供してくれたわ」

「ここがシリウスの家!?」

 意外な返答だと、仰天したハリーはここに来て初めて表情を輝かせる。しかし、クローディアは不機嫌に眉を寄せ、歯噛みした。

 正反対の反応に、ハーマイオニーとロンが焦りを見せる。一番、困っているのはモリーだ。

 クローディアの表情から、ただ事ではないと察したジュリアは解散の意味で、手を叩く。

「おばさま、夕食作りを手伝います。ジニーも行きましょう」

 我関せずと、ジュリアはジニーとモリーを連れて行った。

 扉が閉められ、部屋には4人だけになる。誰が口を開くべきかと、お互いの視線が問いかけあう。躊躇いながらハーマイオニーは、クローディアの手を握る。

 ハーマイオニーの手が不安を伝えるように、痙攣していた。

「クローディア、ここは安全なのよ。まさか、出て行くなんて言わないわよね?」

 痛い所を突かれたクローディアは、ハーマイオニーから目を逸らす。

「誰が何と言おうと、ブラックは嫌いさ」

 クローディアは、ぶっきらぼうに言い放つ。返答に困ったハリーは、ロンに助けを求める視線を向けた。ロンは、兄妹揃ってスネイプを非難したばかりなので、反論しても説得力がないと悟った。

「シリウスと仲良し子良しになれなんて言わないから、いがみ合わないで頂戴。あなたがいつも言っていることじゃない? コンラッドお父様とシリウスが憎みあうことに、自分達は関係って、そうでしょう?」

「私は、個人的にシリウス=ブラックが嫌いさ。それに関しては、ハリーにも遠慮しないさ」

 頑固な態度でクローディアは、ハーマイオニーを見返す。

「もういいだろう。腹ペコだ。行こうぜ」

 両手を放り出したロンが降参の姿勢を見せると、同時に彼の腹が豪快に鳴った。

 廊下に出たハーマイオニーが声を潜めて、クローディアとハリーに警告する。

「階段を下りきるまで、声を低くするのを忘れないでね」

「うぎゃあ!!」

 『屋敷しもべ』の首を並べた棚を通り過ぎようとしたとき、ロンが唐突に悲鳴を上げた。まるで、合図のように、棚の傍にある額縁の板が吹き飛んで行った。

 そこから、断末魔に似た叫びが放たれた。

「汚らわしい塵芥の輩め! 先祖代々の館を汚しおって!」

 額縁に納められていたのは、魔女の等身大肖像画だ。絵ではなく、本当にそこにいるような生々しさが伝わってくる。魔女は皺だらけの白髪で、魔女というよりは山姥と呼ぶべきだ。包丁でも持たせれば、完璧だ。

「ハリー、手を貸してくれ」

 慌ててロンが板を魔女の肖像画に押し付ける。ハリーも一緒に力を加えて板を押さえつけるが、強い力に押さえ返されそうだ。

 階段の下から、足音が迫ってくる。

 シリウスとルーピンが階段を上ってきたのだ。シリウスは魔女の肖像画へ飛びかかるように迫った。

「黙れ、この鬼婆。黙るんだ!」

 シリウスが杖を振るうと、一本の縄が板と共に肖像画を括り付けた。魔女はまだ罵詈雑言を吐いていたが、板は取れる様子はない。躊躇しながら、ハリーとロンは板から手を離す。

「下りて、早く!」

 今のうちにと、ハーマイオニーがクローディアの腕を引っ張り、階段を下り切った。

 魔女の唸り声が微かに聞こえた。それで十分と、ハーマイオニーは胸を撫で下ろす。

「何さ、あれは?」

「シリウスのお母様よ。ロン、なんで声を上げたの?」

 怒りを抑え込んだハーマイオニーは、下りてきたロンを遠慮なく睨んだ。

「クリーチャーだよ。いきなり、走り抜けて行ったから吃驚したんだって」

 詫びるように肩を竦めたロンは、小走りで奥へと歩いていく。

「クリーチャーは、ここに住んでいる『屋敷妖精』よ。ちょっと人見知りが激しいの」

 ハーマイオニーの指が階段脇にある古びたカーテンを指差す。

「元々は、そこに飾られていたの。トトさんが剥がして、2階に移動させてくれたのよ。それでまで大変だったわ。物音を立てたら、ギャーギャー騒いで、他の肖像画まで大騒ぎよ」

「お祖父ちゃんもここに来たさ?」

 聞き返すクローディアに、ハーマイオニーは肯定した。

「トトは先週から、この屋敷に出入りしているんだよ」

 階段を下りてきたルーピンが付け加える。

「先週から、ここに集まりだしたんですか?」

 階段を下りてきたハリーが暗い声で問い返すと、その後ろからシリウスが否定する。

「今月に入ってから、ここを利用しだした。あの婆の肖像画の裏には、『永久粘着呪文』がかけられていたようでね。誰も剥がせなかった」

 母親に悪態をつくシリウスは、嫌悪と侮蔑を隠していない。その様子から、シリウスは母親と折り合いが悪かったのだと理解した。

「でも、剥がせたんだよね?」

 ハリーが口を開くと同時に、『姿現わし』の音が弾く。クローディアの背後にフレッドとジョージが現れた。突然の出来事に驚いたハリーは、全身を竦ませた。

 無論、クローディアも吃驚し、双子を睨む。

「それ、本当に嫌さ」

 構わず、フレッドとジョージは親しみを込めて意地悪く笑う。

「シリウスのお袋さんに会っただろ? あの肖像画には、僕たちもお手上げ状態だった」

「そこに、トトがやってきた。なんて言ったと思う? 『永久粘着呪文』がかかっているなら、魔法で剥がせば良いじゃろうって、あっさりと簡単に外してくれたよ」

 おおげさに双子は、感心と尊敬を態度で示した。

「その時のシリウスの顔といったら、見物だった。是非、見せてあげたかったね」

 冗談っぽく微笑んだルーピンがシリウスを振り返る。

 その時の己を思い返したシリウスは、恥ずかしそうだ。目を泳がせて言葉を選び、上擦った声を出す。

「あの人は、ずば抜けている。ただ、それだけだ。仮に、私達が同じ方法で、我が親愛なる母上の肖像画を剥がそうとしても無駄だったろうに」

「「そういうことにしておきましょう♪」」

 忍び笑いする双子から、シリウスは逃げるように奥へと歩いて行った。

「ハリー、飯ができるまで時間がかかるから、風呂入ってこいよ」

「そうそう、ここの風呂最高だぜ。おススメする」

「え? お風呂? あ、ちょっと……」

 ハリーの返事を聞かず、双子は客引きをする店員のように2階へと連れて行った。確かに、長時間の飛行で身体は冷えている。身体が冷えたという意識で、クローディアは身震いする。

「ハーマイオニー、お手洗い何処さ?」

「2階にあるわ。お風呂場の傍よ」

 2階からブラック夫人の肖像画を移動させて欲しいものだ。怪訝するクローディアに、ハーマイオニーは微笑する。

「トトさんの提案なの。男子が女子の入浴を覗かないための防犯対策なんですって」

 ルーピンが口元を手で押さえ、噴き出す笑いを堪えていた。

 既に誰かが罠にかかった様子だ。

 出来るだけ足音を立てないように、クローディアは階段を上って縄で括られた肖像画を通り過ぎた。

 廊下の奥に明かりがある。近づいていくと、分厚い布地のカーテンから光が漏れていた。カーテンの下を覗くと、服の置かれたカゴと白い枠の硝子戸が見える。微かにシャワーの音がするなら、ここは脱衣所だ。向かいの扉がお手洗いだ。

 

 ――この屋敷は、黒が基調だ。それは間違いない。

 

 壁紙とトイレマット、トイレカバー、タオル、トイレットペーパーカバーが白いのは、何故だ。スリッパだけは水色だ。しかも、どれも卸し立ての新品だ。ここだけ新築されたばかりとしか言いようがない。扉を閉めて振り返ると、薄い時計がかけられていた。

 呆然と便座の蓋を下ろしたまま、クローディアは座り込んだ。まさか、お手洗いは別の家に通じているのかと想像してしまった。窓がないので、確認が出来ない。お手洗いに来た目的も忘れ、クローディアは天井の電灯を見上げた。

 結局、何も出来ぬままクローディアは厨房に向かう。

 肖像画を通り過ぎようとしたとき、開け放たれた扉から囁く声が聞こえてきた。

「忌まわしい者が奥様のお屋敷を荒らして、哀れなクリーチャーにはお止めできない。奥様がお知りになったら、なんとおっしゃるか」

 扉を覗くと、膝小僧の高さもない人影が背を丸めている。細い手足と垂れ下がった耳、そして腹に巻いただけの風貌から、『屋敷しもべ』だと、すぐに知れた。

「こんばんは」

 クローディアが丁寧に声をかけると、『屋敷しもべ』は囁きをやめて何も気づいていないように首だけ振り向く。歳月を語る皮膚の垂れ下がり具合から、高齢だと判断できる。線の如き目を更に細め、『屋敷しもべ』はクローディアを見上げる。

「クリーチャーは、お嬢様に気づきませんでした。知らないお嬢様が屋敷に乗り込んできたことを知りませんでした」

 敵意を込めた眼差しで、愛想もなく呟く。

 ここまで正直な性格の『屋敷しもべ』がいるとは、思わなかった。以前、ドビーとウィンキーを思い返していると、クリーチャーは尚も呟き続ける。

「奥様のお屋敷を好き勝手する忌々しい者が増えた。ああ、お可哀想な奥様がお知りになったら、クリーチャーにどんなお叱りを」

「あんたは、叱られたりしないさ」

 クローディアに言葉を遮られ、クリーチャーは不潔な物を見る目つきになる。怯まず、クローディアはクリーチャーの目の高さまで身を屈めた。

「はじめましてさ、クリーチャー。私は、クローディア=クロックフォードさ。よろしくさ」

「友達面して話しかける。クリーチャーは騙されぬ」

 素っ気なくクリーチャーは、背を向けて囁きだした。

「クリーチャー、厨房が何処か教えて欲しいさ」

「何も知らない、クリーチャーは知らない。厨房に続く階段があることをクリーチャーは教えない」

 クリーチャーとの対話が限界だと計り、クローディアは彼に礼を述べて階段を下りる。厨房へ続く階段は、あっさりと見つかった。

 

 ――やはり、おかしい

 

 ここの厨房も真っ白な壁紙、毛崩れひとつない絨毯、光沢の良い鍋や釜、食器棚と長い食卓と椅子は灰色だが新品同然、ここだけが立て直されたように清潔だ。既に食卓には、大皿に乗せられた料理が並べられていた。

「クローディア、会えて嬉しいよ!」

 食卓の奥に座っていたアーサーが急ぎ足で、クローディアの手を強く握った。

「本当に無事で何よりだ。………………」

 また言葉が聞き取れない。これは、言語理解のせいかもしれないとクローディアは推察する。皆は知らない英語を話している。それが一番、自分に納得できる。

 アーサーの後ろから、ビルが手を挙げて挨拶したので、クローディアも返した。

「掛けていてよ、クローディア。もうすぐ出来るから」

 今にも食器を落としそうな手つきで、トンクスが明るくウィンクした。ウィンクするより、食器から目を離さないようにしてもらいたい。それを見たジニーが食器を取り上げる。

「トンクスは、ハリーを呼んできて。ロンもハリーに着替えを持って行ってあげて」

「わかったわ」

 快活に返事をしたトンクスは、食卓にコップを並べていたロンの腕を引っ張り、階段を上がって行った。

 トンクスに強引に連れて行かれるロンの背を見送りながら、クローディアは苦笑する。『闇払い』とは思えない無警戒だらけの彼女は、妙な親近感を与える。

「私も何か手伝うさ」

「それなら、これを持って座ってて」

 ハーマイオニーがクラッカーを手渡し、クローディアを適当な椅子に座らせる。

 手にクラッカーを握り、クローディアは食卓を見渡す。ただの夕食にしては、豪華すぎる。モリーとジュリアが慎重にケーキを乗せた皿を運んでいる。そのケーキは、苺色で文字が書かれていた。それを見て、納得した。

 料理を乗せ終えたところで、アーサーが弾みながら皆にクラッカーを配っていく。

「さあ、皆、クラッカーを持ったわね。ハリーの顔が見えたら、一斉よ」

 モリーが厨房を見渡し、声を押さえるように言い渡す。アーサー、モリー、ルーピン、シリウス、ビル、フレッド、ジョージ、ジュリア、ハーマイオニー、そしてクローディアは手にしたクラッカーを掲げる。

 階段を下りてくる足音に、穏やかな緊張が走る。

 無理やり寝巻を着せられたハリーがトンクスに、落とされそうな勢いで厨房に下りてきた。

「「「「ハッピーバースディー!!」」」」

 クラッカーの騒々しい音が放たれ、散りばめられた紙吹雪達が宙を舞う。紙吹雪の一枚一枚が寄せ集まり、『お誕生日おめでとう』の文字を完成させた。

 主賓たるハリーは、すっかり面を食らう。驚きすぎて反応しきれていない。それでも、瞳が大きく見開かれて喜色を表している。必死に口を動かし、か細い声で「どうも」と告げた。

「座れよ、ハリー」

 ロンに背を押されて、ハリーは戸惑いながら腰かける。

 食卓の料理と眼前に用意されたケーキを見つめ、ハリーは喜びの中に複雑な感情を含めていた。ダーズリー家に、押し込められていた不当さをハーマイオニーとロンに吐き出したばかりだし、知りたいことを全てシリウスから問いたかった。

 ここにいる自分が場違いな気分になり、ハリーは自然と眉間に皺を寄せる。

「ハリー、積もる話は明日にして、今日は食べようさ?」

 親しみのある声を聞き、ハリーは顔をあげた。リンゴジュースが注がれたコップを差し出してきたクローディアは、誕生日を祝福する友の顔で微笑んでいる。その屈託のない笑顔を目にし、ハリーの心臓が痙攣するような痛みを走らせた。

 

 ――皆が祝ってくれることを遠慮してはならないのだ。

 

「ありがとう」

 喉奥から声を出したハリーは、クローディアからコップを受け取る。そして、厨房にいる全員の顔を見渡した。

「ありがとう、本当に嬉しいよ」

 コップを掲げたハリーに、誰からともなく安堵の息が漏れた。

 食事を口にしだすと、ジニーがトンクスにせがんでいる。

 ウィンクしたトンクスの口元が、黄色く伸びて鳴きだした。まるで、アヒルだ。それを見たジュリアが腹を抱えて笑う。次に、耳が象のように大きく褐色になる。

「トンクスは『七変化』なんだぜ。……つまりは、『ポリジュース薬』とか使わずに、他人に変身が出来るってこと」

 ロンがハリーに説明しているのをクローディアは、聞くとはなしに耳にする。いつかのマクゴガナルの授業で、生まれ乍らの特異体質でまさに変幻自在だと聞かれた気がした。

 そしてクローディアは失礼ながら、トンクスが『闇払い』であることを初めて納得した。

 

 ある程度、腹が膨れると贈り物の開封が行われる。嬉しさを隠さず、ハリーは順番に包装用紙を解いていく。中身を確認しては、ハリーはそれぞれに感謝の言葉を述べていた。

「お風呂、確かに最高だったよ。木でできた浴槽なのに、ゆったりできたよ」

 お手洗いに行きたくなったクローディアは、失礼のないように席を立つ。穏やかな笑い声を背に受け、階段を上る。廊下まで上がり、何気なく振り返るとジョージが着いてきていた。

「あんたもお手洗いさ?」

「いや、君に用事だ」

 ジョージに腕を掴まれたクローディアは、客間らしき部屋へと連れてこられた。窓からの僅かな明かりだけが部屋を視認させる。不気味に静まり返り、かびた調度品すらも自分達を睨んでいるような感覚がする。

 その中で、ジョージの顔だけが暖かく色彩を明確にしていた。

 薄暗いせいかジョージは、クローディアの手を確かめるように握りしめてくる。しかし、ジョージは握りながら、何かを手渡した。

「クローディア、遅くなったけど、誕生日おめでとう」

 手の中には、涙の粒のように小さい赤い石と金色細工で包まれた耳飾りが二つある。

 意表を突かれたクローディアが顔を上げると、額に生暖かい感触を認める。勘違いでなければ、ジョージの唇が彼女の額に押し付けられている。

 軽い音を立てて、ジョージの唇がクローディアの額から離れる。

「君の瞳に合わせたんだ。綺麗な赤がよく似合うよ」

 普段のジョージからは、想像が出来ないほど、熱っぽく告げられた。ほんの少し、クローディアの心臓が心地よく跳ねそうになる。

 だが、クローディアは手の中の贈り物に奇妙な違和感を覚える。否、違和感ではなく強い疑問だ。その疑問を何の迷いもなく、ジョージに問いかけた。

「ジョージ、私の誕生日っていつだったさ?」

 笑顔が強張るどころの話ではない。

 ジョージは、ゾッと寒気がした。目の前の彼女は、首を傾げながらも彼を見上げてくる。照れも皮肉も何もない。本当に知らないから、聞いてきたのだ。

 この屋敷にクローディアが来てから、ジョージは彼女の言動が不可解だった。

 その原因をジョージは、理解した。どれだけクローディアの心が蝕まれていたのかを理解してしまったのだ。

 笑みの消えたジョージは、苦渋に満ちた表情へと変わっていく。

 素直に驚いたクローディアが声を上げる前に、ジョージが身体で彼女を覆い隠すように抱きしめてきた。  

 右手で黒髪を撫で、左手で腰元を締めんばかりに抱く。ジョージの全身が小刻みに震えていた。

「ジョージ、寒いさ?」

 目の前がジョージの胸元しか見えず、クローディアは困惑する。

「ごめんよう……、助けられなくて…ごめんよう」

 消えてしまいそうなか細い声が呟く言葉は、ただクローディアを混乱させるだけだった。

 




閲覧ありがとうございました。
皆でハリーの誕生日を祝いたかったので、この日を本部への到着日にしました。
クローディアの心の異変は、しばらく続きます。


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4.予言の少年

閲覧ありがとうございます。
子供たちが宿泊するんだから、本部はもうちょっと清潔して欲しいですよ。

追記:16年4月12日、誤字報告により修正しました


 古びた黒一色の内装にお手洗いと風呂場と厨房だけが白く清潔である理由は、トトだった。

 誕生会の片付けの最中、ジニーがその時の状況を話した。

「ママね。トトさんと口論になったの。掃除を皆でするべきだっていうママと、子供達を安心して預けられるように自分が掃除するっていうトトさんでね。意見が真っ二つよ。ダンブルドアが仲裁に入って、水回りをトトさんに任せるってことで、一件落着したの」

「水回りだけって、お祖父ちゃんらしいさ」

 モリーが睨んできたので、クローディアは笑いを堪えた。

 大皿を下の戸棚に片づけようとしたクローディアに、突然、ナイフとフォークがギリギリに避けて降り注ぐ。

 上の棚でうっかり手を滑らせたトンクスが謝罪のウィンクをしてきた。彼女は変身以外、本当に不器用だと改めて認識した。

 

 日が変わる前に、子供達は用意された部屋へと向かう。女子の部屋には、何故か、荷造りされたクローディアの鞄やベッロの虫籠が置いてあった。トトが勝手に運び込んだのだろう。他の疑問は、3つの寝台とソファーがあることだ。前もって準備していたなら、寝台の数が足りない。

「私がソファーを使っているの。家がすぐ傍にあるから、遅くなったときだけしか泊まってないの」

 ジュリアの説明に、驚いたクローディアは反射的に窓を見る。

「ここから、見えるさ?」

「まさか、公園の向こう側よ。でも、本部が近くで助かったわ。私の生活に支障が出ないもの」

 その言葉にクローディアは、ジュリアが働いて大学資金を貯めていることを思い出した。

「ジュリアも何か活動してるさ?」

「私は、マグル生まれに魔法界のことを伝えて警告することよ。私のバイト先にもマグル生まれの子がいてね。『例のあの人』の復活に驚いていたわ」

 まるで後輩に試験範囲を教える口調だったが、レイブンクロー生にとっては重要な役割だ。元レイブンクロー生としての責任感がジュリアから感じられた。

「私も騎士団の為に、何かしたいのに。ママがダメっていうのよ」

 不貞腐れたようにジニーが枕に顔をつけた。否、役に立てないことに苛立っているようにも見える。

「私達に出来ることは、この屋敷の掃除よ! モリーおばさまもそうおしゃっているわ」

 唯一、それを納得しているハーマイオニーがジニーを窘めた。不満を隠さないジニーに対し、ジュリアは一言付け加えた。

「私だって、騎士団員じゃないわ。いくら魔法界で成人といっても、卒業していないんですもの」

 鞄から寝巻を取り出していたクローディアの手が自然と止まる。脳髄の奥から、よく知る声が反響した。

〝その日こそ、肝心なのよ。ハリー、クローディアが17歳になるときこそがね〟

 ハリーと別れた日に、ドリスがそう告げた。

 

 ――そういえば、ドリスは何処へ行った?

 

 考えようとすると回想が拒絶される。この感覚を自分は知っている。

 それを思い出す前に、クローディアは我に返った。

 身体が寝台に俯せであった。薄暗い部屋で目を凝らして見つめると、ハーマイオニー、ジニー、ジュリアはそれぞれ静かに寝息を立てていた。自分の行動を思い返すと、皆がそれぞれ寝巻に着替えて就寝の挨拶をして、寝台に座ったことは記憶している。

 TV画面を通したような他人事に感じ取れてしまうのは、疲れているからだ。

(皆に……パドマやリサに……ルーナに手紙を書くさ)

 瞼を閉じると、今度は自分の意思で眠りを自覚した。

 

☈☈☈☈☈

 ここは、廊下だ。

 どんなに暗くても終わりのない廊下はない。奥に扉が見えた。廊下はここで終わるが、扉は開かない。やはり、扉にはボニフェースがもたれている。そこにいることが当たり前だと主張しているようだ。

 こちらが嘲笑すれば、ボニフェースは屈託のない笑みを返した。嘲りを物ともしない態度に、いつも苛立っていた。

 

 ――――それで、俺様より勝っているつもりなのか?

 

「違うぞ、ハリー。おまえは、俺をそう思ってない」

 ――――知った風な口を利くな。俺様の何を理解しているというのだ? 俺様は、いつでも貴様を消せるのだ。

 この上ない冗談を聞いたといわんばかりに、ボニフェースは噴出して笑う。

「ハリー、目を覚ませ。おまえは俺よりも聞くべき相手がいるだろ?」

 

 問い返す前に、ハリーの瞼が開いた。

 薄暗い室内、おそらくは夜明け前だ。隣の寝台でロンが間抜けなイビキを掻いているので、起きる時間では絶対ない。

 寝台傍の机に置いた眼鏡を手探りで掴むと、聞きなれた声がした。

[起きたか、ハリー?]

 ベッロだとすぐにわかり、ハリーは眼鏡をかけて周囲を見渡す。扉のノブに尻尾をかけたベッロが暗闇でもわかる紅い目でハリーを見ていた。

[こっちだ。待っている]

 何の脈略もなく、ベッロは扉を開けて廊下へ出た。意味があるに違いないと踏んだハリーは、寝巻姿のままベッロを追いかける。

 

 厨房の扉を守るように立つ、いつもの双子。その姿が夢で見た光景と重なった。

「フレッド? ジョージ?」

 寝巻き姿のハリーを見て、双子は苦笑した。

「ベッロも気が利かないな。着替えくらいさせてやれよ」

「同感だね」

 ジョージがハリーの肩を叩き、扉の前に立たせた。

「ダンブルドアが君を待っているぜ」

 意外な名前を聞き、ハリーはジョージを凝視する。フレッドがハリーの頭に腕を乗せた。

「昨夜の約束、覚えてるか? 『積もる話は明日にしろ』って奴。僕らは残念ながら、聞けない。その代わり、パパから騎士団がどんな活動をしているのか、触りだけ教えてもらえることになったけどな」

 フレッドの言葉は、ハリーの耳にほとんど届かなかった。

 自らの脈打つ心臓の音が五月蠅いからだ。

 これまで自分を放置していたダンブルドアにどんな悪態を付くのか、わからない。会える嬉しさと何を聞かされるのだろうという緊張感が混ざり合い、胃が縮まる感覚に襲われた。

「「行けよ、ハリー」」

 双子の温もりが体から、離れた。より緊張を強くしたハリーだが、迷わずに扉を開いた。

 

 扉の先は厨房の姿をしていない。

 晴れた青空、豊かな緑に包まれた森林、木造で作られた円卓の席が設けられていた。森に住まう魔法使いの如く、ダンブルドアは座っていた。

 この一カ月の間、積もっていた不満と不信が一気に脳裏を駆け巡る。ロンとハーマイオニーと相対した時とは、比べ物にならない感情が胸を支配していた。

「ハリー、ここへ。さあ、おいで」

 愛する孫を誘うような声がハリーの蟠りを薄めた。

(そうだ。今こそ、教えて貰えるんだ。やっと、何でも聞けるんだ!)

 出来るだけ感情を抑え、ハリーは円卓の反対側に腰かける。

「ヴォルデモートは何所にいるんですか? 今、何が起こっているんですか? ルシウス=マルフォイはどうなったんです」

 挨拶もなく、ハリーは無遠慮に質問した。しかし、ダンブルドアは穏やかだが、真摯な態度で答える。

「ルシウス=マルフォイに何の拘束もない。今も往来の場を堂々と歩いておる」

「どうしてですか!? あいつは、ヴォルデモートと一緒になってドリスさんを殺したんですよ! それどころか! あいつを尋問すると言ってくれたファッジ大臣も! あいつらの差し金に違いないんだ!」

 少しも事態は進展していない。その怒りにハリーは、憤慨した。

「ハリー、確かか? コーネリウスが、ルシウス=マルフォイを尋問すると言ったのかね?」

 確かめる口調は、ハリーを微塵も疑わない。

「はい、ファッジ大臣はヴォルデモートの復活を認めてくれました。そしたら……」

 脳裏を掠めるファッジの死に顔、あれは無念を語っていたのかもしれない。

 急に黙り込むハリーに、ダンブルドアは髭の中で息を吐いた。

「……ドリス、コーネリウス、2人の死がもたらしたモノは大きい。……わしにとってもな。今日、ここに来たことも、きっと2人の導きじゃろう。それを過言とは思わん」

 ヴォルデモートとの戦いを宣言した時と同じ口調で、ダンブルドアは続けた。

「まずは、わしから詫びねばならん。ハリー、君に事情を説明せず、魔法界との繋がりを絶たせたことを……。何の相談もせず、騎士団を護衛に付けたことを……。すまなかった」

 頭を垂れるダンブルドアを見つめ、ハリーは息を詰めた。

 あの家に閉じ込められ、誰からも連絡もなく放置され、護衛という名の見張りを立てられ、身を守る為に魔法を使ったのに退学勧告を受けた。

 全てを理不尽だと感じていた。

 でも、決して謝って欲しかったのではない。ただ、教えて欲しかった。

「君には、聞きたいことがあろう。しかし、話さねばならんことがある。何においても、真っ先に聞かせねばならんことだ」

 ハリーは反対せず、了承する。聞きたい事が多すぎて、了承するしかなかったというべきかもしれない。

「覚えているかね? 賢者の石をクィレルから守り切った後、君はわしに『そもそもヴォルデモートは何故、僕を殺したかったのでしょう?』と……」

 覚えていた。確か、ダンブルドアは『今は答えられない』と返した。

「これから、話す事は君にとって身勝手極まりなく、最も理不尽に満ちておろう」

 

 ――そうして、ダンブルドアは語りだした。

 

 15年前の冷たい雨の夜、ダンブルドアは『ホッグズ・ヘッド』にいた。『占い学』の担当教授を志願する魔女を面接していた。その魔女は、『予見者』として名高い魔法使いの曾々孫に当たっていた。だが、魔女には『予見者』の才能は一つも受け継がれていない印象を受け、出来るだけ言葉を選んで不採用を伝えた。

 帰ろうとした瞬間、魔女は突然トランス状態に陥り、告げた。

〝闇の帝王を打ち破る力を持った者が近づいている……7つの月が死ぬとき、帝王に三度抗った者たちに生まれる……そして闇の帝王は、その者を自分に比肩する者として印すであろう。しかし、彼は闇の帝王の知らぬ力を持つであろう……一方が他方の手にかかって死なねばならぬ。なんとなれば、一方が生きるかぎり、他方は生きられぬ……〟

 その『予言』を告げた後、魔女は自ら口にした事を全く覚えていなかった。

「僕が……その子供?」

 ハリーは『予言』の内容に、絶句した。

「間違いじゃないんですか? その魔女にもう一度、『予言』してもらえませんか?  だって、こんなこと……」

「その魔女は既に2度も、わしに『予言』をもたらしておる。2つ目は君自身が直に聞いたとも」

 『予見者』の知り合いなどいただろうか?

 必死に記憶を辿ると、自分の人生で重要な起点を思い返す。三年生の時、『占い学』のトレローニーが確かに『予言』していた。

「トレローニー先生が……僕の『予言』を……」

「今話した『予言』の意味は、ヴォルデモート卿を永遠に克服する唯一の可能性を持った人物が15年前の7月末に生まれたということじゃ。この男の子は、ヴォルデモートに既に三度抗った両親の許にの」

 まさに息苦しい。今にも、胃液が逆流しそうだ。生まれる前から、ヴォルデモートと対決することが決まっていたなど、考えたくない。

「しかし、奇妙なことに……この『予言』に当てはまる男の子が、2人いたのじゃ。2人の両親は『不死鳥の騎士団』に属しており、辛くも三度、ヴォルデモートから逃れておった。1人はハリー=ポッター、君じゃ。そして、もう1人はネビル=ロングボトム」

 意外な人物の名に、ハリーは目を見開く。知らずと期待を込めて問うた。

「僕じゃないかもしれないってことですか?」

「残念ながら、最早、君であることは疑いようがない」

 思わず、反論しようとしたハリーをダンブルドアは遮った。

 額の傷痕、それこそが『自分に比肩する者として印』なのだ。ヴォルデモートは、2人の赤子の内、混血であったハリーを自ら選んだ。

 残念な気持ちに駆られ、ハリーは目を伏せる。

「予言を知っていたなら、そもそも赤ん坊の僕を襲うべきじゃなかった……」

 質問よりも、嘆きに近い。ハリーは初めて、ヴォルデモートを嘆いていた。

「それはヴォルデモート卿が知った『予言』は、最初の部分だけだったからじゃ」

 『ホッグズ・ヘッド』には、安いが多種多様な客が集まる店だった。ダンブルドアとトレローニーはただの面接目的で、その店を選んだだけだ。まさか、重要な『予言』を聞く事になるなど夢にも思わなかった。

 盗み聞いた相手は予言が始まってすぐに見つかり、店から放り出された。故に、ヴォルデモートは自分の行動が何を齎すのか知る由もなかった。

 だが、そんな事情はハリーに関係ない。

「僕は……『予言』で言うような力なんて持ってない。ずっと、叔母さんの家にいたんだ。貴方がそうさせた! ファッジさんが殺された日、叔母さんに『吼えメール』を送ったように! 僕をあの家に居座らせた! 僕だって……ずっと……」

 

 ――あの家を出たかった。

 

 その言葉を吐くことを自然と拒んだ。そんな弱音を吐いたとて、少しも胸は晴れない。更に自分を苦しめると感じた。

「それについては、君を生き延びらせる為じゃ。当時、ヴォルデモートが敗れたことで、多くの彼の支持者が危険な行動を取った。ネビルの両親を拷問した者達がそのひとつといえよう。また、ヴォルデモートは必ず戻ってくるという確信がわしにはあった。君を殺すまで決して手を緩めぬという確信もな」

 蘇ったのは、『憂いの篩』で見た裁判。クラウチJr以外は、ヴォルデモートの復活を信じていた。

「ヴォルデモートは、強力な呪いを知りつくしておる。同時に、そうでない呪いは軽視しておった。君の母上が君にかけた持続的な護り、あやつはそれに滅ぼされかけた。君を確実に護る。それを成し得るのは、君の母上の血筋、つまりはただ1人の血縁である妹御のところじゃ」

「叔母さんは僕を愛してない」

 それだけは、ハッキリしていた。厄介者、邪魔者として扱われた日々が証明である。

「ハリー、叔母さんは君を引き取ったのじゃ。どんな理由であれな。叔母さんの意思で、引き取られた。これが重要なのじゃ。それこそが、わしが君にかけた呪文を確固たるものにした」

 姉妹の血による絆。

 ハリーがダーズリー家を『家』と呼ぶ限り、ヴォルデモートから護られる。だが、ハリーの心はいつも惨めな気持ちで一杯だった。だから、魔法界との関わりは心の救いなのだ。

「君の叔母さんは、全て御存じじゃ。あの日、君を託した手紙に記しておいた」

「じゃあ……先生が『吼えメール』で叔母さんに言ったのは、手紙のことだったんですか?」

 ダンブルドアは肯定した。

 胃の中で冷たい塊が落ちた気分だ。

 ペチュニアは、ヴォルデモートとの復活を知り、恐れていた。事情がよくわかっていないバーノンでさえ、身の危険を感じてハリーを追い出そうとした。

 それでも、ペチュニアは世間体がどうとか言い訳して、ハリーを留まらせた。

〝こいつはストーンウォール校に行くんだ。そして、やがてそれを感謝するだろう〟

 ハグリッド出会った日、バーノンが吐き捨てた言葉。今まで一切、忘れていたはずが突然、脳裏に蘇った。

 もしも、バーノンの言うとおりにマグル側に生きていれば、魔法界を知らずにおれたなら、ヴォルデモートなどと関わりなく生きられたかもしれない。

 そんな仮の話を想定しまった自分に、ハリーは愕然とした。

「ここまでの話を聞いて、もし……君が逃げ出したいというのであれば、止めはせん」

 俯いていたハリーは、吃驚して顔を上げた。

「先生は僕を『予言』通りにヴォルデモートと戦わせる為に、生かしていたんじゃないんですか?」

 ヴォルデモートが復活した夜。全てを話すよう強制したように、戦わされると思っていた。

「ハリー、それは完全な誤解じゃ。君はヴォルデモートに選ばれた者というだけで、戦わねばならんのではない。君は、逃げてよいのじゃ」

 呆気に取られた。

 扉が開く音がした。振り返ると、そこにはコンラッドがいた。

 ハリーの反応を待たず、コンラッドは小脇の四角い箱を突き出した。無言で突き出され、取りあえず、椅子から立ち上がり、箱を失礼のないように眺めた。

 丁寧に包装された箱には、手の平程のカードが添えられていた。それが誕生祝いの贈り物だと、ハリーは理解する。

「私からじゃない」

 笑みを消さずとも、その声は何処までも冷たい。

 臆することなく、ハリーは箱を受け取った。同時、コンラッドはダンブルドアに会釈してから、切り取られた空間のように開いた扉の向こうに消えて行った。

「おもしろい仕組みじゃろう? トトに教わったんじゃ」

 ここに来て、初めてダンブルドアは穏やかな笑みを見せた。

 戸惑いながら、ハリーは包装に添えられたカードを読んだ。

【15歳おめでとう ハリー=ポッター  ドリス】

 身体の中心に穴が開く感覚がした。その穴に何処からか水が注がれてくる。水はやがて、冷たく全身を駆け巡る。動悸が激しくなってきたので、ハリーは深呼吸した。

 しかし、呼吸は穴のせいで通り抜けてしまう。自然とハリーは椅子に座り込んだ。

 脳裏にドリスの姿を浮かんだ。それは、珍しくマグルの服装であった。何の違和感のない何処にでもいる優しそうなお婆ちゃんだった。

 

 ――あれが最後だ。

 

「ダンブルドア先生。ドリスさんは……全部知っていたんですか? だから、僕に話そうとしてくれたんですか?」

「『予言』については、何もご存じではなかった。ただ、君の傷痕がヴォルデモートと何らかの絆になるのではと危惧しておった。わしの所に相談しに来られる程にな。君がホグワーツに入学する際、生徒側から君を護る者が必要ではないか――とね」

 意味がわからず、ハリーは自然と首を傾げた。

「僕がドリスさんと知り合ったのは、偶然です。入学前に、ハグリッドと『漏れ鍋』で……」

「そう、ドリスにとって、良き偶然であった。君と顔見知りになったことで、堂々と君を心配できるのだからのお。クローディアに対しても、違和感なくハリーと仲良くするように勧められるというものじゃ」

 クローディアの名を聞き、ハリーの焦燥が強くなった。

 情報がひとつの結論へと導いた。

「……それは、……クローディアの入学を遅らせたのは、僕と同学年にさせる為だった……ということですか?」

「その通りじゃ」

 間を置かず、ダンブルドアは答えた。

「さて、君と同級生になって貰う彼女には、入学を遅らせる理由が必要になった。誰もが納得せねばならなかった。日本の教育機関は、都合が良かったと言えよう。小学校を卒業するまで、日本から離れられなかったと言えば、誰1人、疑わなかった。君も……彼女自身さえも――」

 予期せぬ事実を知り、ハリーは眩暈に襲われた。

「……彼女にこの話は……なさるんですか?」

 きっと、クローディアは自分を責める。彼女の人生は、ハリーの都合に巻き込まれていた。

 罪悪感に胃が捩じ切れそうだ。

「それは10月3日になろう。彼女が何者であるかを知るのは……。それまで、誰にも話してはならん。もしも、聞かれれば、わしが口止めをしたと説明しなさい」

 実に有難い。

 勿論、皆に触れまわる気はない。誰にも話したくない。

 ヴォルデモートは、偶々自分達一家を襲い、ハリーだけが助かった。そう思っていた。否だ。寧ろ、逆だ。両親はハリーのせいで、死んだのだ。

 その実感に、嗚咽が止まらない。

 ダンブルドアは、優しく、慈しむ手つきでハリーを撫でてくれた。

 

☈☈☈☈☈

 フレッドとジョージは、父アーサーから様々な事を聞かされた。

 ヴォルデモートにとって、自分の復活の目撃者を生かしておいたことは想定外だった。彼が最も恐れたダンブルドアが即座に復活を知ったこともそうだ。故にヴォルデモートは、表沙汰にならないように暗躍しつつも、自らの闇の軍団の再構築を目論んでいる。

 それに対し、ダンブルドアは『不死鳥の騎士団』を自ら指揮し、人々(多種族)に闇の軍団へ加わらぬように説得させているそうだ。

 しかし、これに障害があった。

 足並みの揃わぬ魔法省だ。一部はヴォルデモートの復活を否定し、一部は肯定する。ブルガリア魔法省たるワイセンベルク大臣もブチ切れ寸前だ。

 この情勢は『死喰い人』にとって有益となってしまう。

「ワイセンベルク大臣は、グリンデルバルドが台頭した頃、真っ先に対抗組織を作り上げて戦った人らしい。ちょうど、この『不死鳥の騎士団』みたいにね。あの魔法使いが倒れてからも復興活動に力を入れ、その功績から支持を得て、大臣になったそうだよ」

 闇の魔法使いと戦い、倒すに至らずとも名を馳せた大臣。彼がダンブルドアに味方している為、世論はダンブルドアに有利だが、薄氷だ。

 一番呆れ返った事が新大臣。なんと、ルード=バグマンだ。

「いやいやいやいや、ありえないから!?」

「あいつ、博打狂いの借金踏み倒し野郎だぜ!魔法省は、本当にイカレっちまったのか!?」

 双子の極当たり前の反応に、アーサーは静粛を促す。

「父さんだって、信じられないよ。傀儡にしたって、酷過ぎる! という意見もある。本当に、ただのお飾りなんだろう。当座の大臣さ」

 苦虫を噛み潰した表情で、アーサーは耳を掻く。

「『例のあの人』にしてみれば、誰が大臣だろうとやり方は変わらないさね。奴らの関心は、他にもある」

「「何それ?」」

 双子が興味津々に問いかけると、母モリーが割り込んだ。

「これ以上はダメ! もうたくさん!」

 話はここで終わりと宣言され、フレッドは縋るように手を挙げる。

「ハリーの尋問って、魔法省の罠じゃないよね? そのまま逮捕とか、冗談じゃないよ!」

 その質問に、咄嗟にモリーはアーサーを見る。ハリーの身を案じているからだ。

「ファッジの死も意見が分かれている。『死喰い人』、ハリー、ただの事故。けどね、『死喰い人』の仕業だとしても、性急すぎると、私は思うよ。大臣を殺すなんて、あまりにも目立ち過ぎる」

 本当にここまでと、モリーは話を無理やり終わらせた。

 この話を双子は、子供達、皆に聞かせた。

 やはり、バグマンの就任に困惑を隠せなかった。

「「「「「傀儡にしても酷いわ」」」」」

 語尾は違うが、皆、同じ事を言い放った。

 

☈☈☈☈☈

 清潔な厨房に似つかわしくない風貌の男が食卓に顎を乗せていた。否、イビキを掻いて寝ていた。

「マンダンガス=フレッチャーだよ。今朝、ここに着いてから寝てやんの」

 わざとらしく呆れて溜息をつくフレッドは、マンダンガスの肩を叩く。起こされた彼は、間抜けな声を上げた。だらしない印象が強く、クローディアはフィッグが罵詈雑言を吐いていた理由を実感した。

「護衛の仕事、サボった人さ?」

「そうですよ。あなたが起きてくる前、ハリーに謝っていました。でも、ぶつくさと言い訳して、ちっとも反省していないわ」

 まるでマンダンガスをゴミでも見るようなモリーの眼差しは、おっかない。

 アーサー、モリー、シリウス、フレッド、ジョージ、ハーマイオニー、ハリー、ロン、ジニー、そしてマンダンガスという変わった面子を見渡しつつも、クローディアは目玉焼きを齧る。

「ジュリアもここで食べればいいのにさ」

「あいつは自由気ままなんだよ、こっちの気も知らないで」

 朝食は自宅で摂ると、ジュリアは帰った。自由に屋敷を出入り出来る彼女に、ジョージは悪態吐く。

「誰が食料の買い出しに行ってくれてると思ってるの!? ジョージちゃんは、もう少しジュリアに感謝なさい」

 モリーの剣幕に、ジョージは媚びるような高い声で応じた。

 まだ寝惚けているマンダンガスを見ているうちに、クローディアはフィッグのことを思いつく。

「私、いまからフィッグさんのとこに行ってきたいさ」

 この発言に、アーサーがコーヒーを噴出す。しかも、隣にいたシリウスの顔面へ容赦なくかかった。

 出来るだけ、柔らかい口調でハーマイオニーが問う。

「何しに行くの?」

「フィッグさんから、服を借りたからさ。返しに行くさ」

 即座にモリーが厳しい顔つきで却下した。

「服は私が返しておきます」

 それは承諾できなかった。長く世話になった相手だから、直接、礼を述べたい。

「フィギーばあさんには、手紙を書きゃあいい。喜ぶぜえ」

 マンダンガスの自然な提案を聞き、クローディアは少し考えてから受け入れた。

「偶には良い事、言うわね。偶には」

 皮肉たっぷりにモリーは、マンダンガスの前にポテトサラダを差し出した。

 黙々とした食事が終ると、アーサーは魔法省へ出勤し、シリウスとマンダンガスは情報収集に出かけて行った。

 

 屋敷全体の大掃除が、大忙しという言葉では絶対足りない。魔法界ならではの害虫が屋敷中に巣を作り、カビや埃がこびり付いている。

 モリーはクリーチャーの不手際を批難したが、ハーマイオニーは老いを理由に庇っていた。

 午前中だけで、へとへとになったにも関わらず妙な問題が起こった。マンダンガスが何処からともなく掻き集めてきた大鍋を大量に屋敷に持ち込んだ。これにモリーが我慢の限度と怒鳴り散らした。

「ここは盗品の隠し場所じゃありません!」

 玄関先で喚き散らす火の粉が飛ぶ前に、クローディア達は三階に避難した。

「おふくろが誰か他の奴を怒鳴りつけるのを聞くのは、いいもんだ」

 フレッドが上機嫌に階段から見下ろす。

 階段を上ってくるシリウスが見えた。ロンが挨拶すれば、シリウスは疲労感を漂わせていた。

「シリウス、もう帰ってきたの? 早くね?」

「ああ、マンダンガスがどうしても運びたい物があると言ってな」

 その結果が下から聞こえてくる怒鳴り声だ。段々と激しくなっている。

「フレッチャーさんは、何をしたくて騎士団にいるんですか?」

 剣呑を含ませたクローディアに、シリウスは苦笑する。

「あいつは、裏稼業に顔が広い。『死喰い人』の情報が集めやすいんだ。あの鍋に見合うだけの成果はあった……と思うがな」

 つまり、情報は得られたが、それが鍋と等価と問われると微妙ということだ。

「調子はどうだ、ハリー?」

「まあまあだよ」

 シリウスに声をかけられても、ハリーは笑みもなくただ返事だけを言葉にした。

 今朝から、ハリーの口数が少ない。相手がシリウスあるにも関わらず、馴染みのない人と接するように壁を作っていた。

 ダンブルドアと話したらしいが、どんな内容をまだ聞いていない。いつもなら、どんなことでも教えてくれる。珍しい。それだけ辛い内容だったのだと気付き、クローディアはハリーに部屋で休むように諭した。

「いや、掃除をしているほうが楽しいから」

 ハリーの発言を聞き、ロンが絶句した。その後も彼はダンブルドアとの会話について、語ろうとしなかった。

「皆に話すなって、ダンブルドアに言われたんだ」

 双子にしつこく詰問され、ハリーはぶっきらぼうに言い放った。最早、言い訳の代名詞となったダンブルドアの名に、誰も質問しない。

 

 それから、毎日が大掃除三昧だった。

 午前も午後も、ひたすら掃除、夜は爆睡。僅かに気力が残ったときだけ、手紙を書こうとした。しかし、街中でフクロウが再々飛び回るのは、無警戒だと止められた。

「それじゃあ、ダイアゴン横丁に行くさ。そこからなら、フクロウ便飛ばしても大丈夫さ」

「駄目ですよ。お掃除が先!」

 外に出ようと提案すると、必ず却下された。

 害虫退治の他、家財道具一式を片づけることになった。それに対してクリーチャーが細やかな抵抗を示した。その度に、シリウスとクリーチャーは言い争いになり、ハーマイオニーが仲裁に入った。

「ドビーみたいに、反骨精神が強いさ」

「比べる相手が違うと思うぞ」

 ご主人と『屋敷妖精』の諍いを暢気に見物するクローディアとロンに、ハーマイオニーが不謹慎だと怒ってきた。

 シリウスがいないときは、ハーマイオニーが必死にクリーチャーと打ち解けようとしていた。それを無下に扱うクリーチャーを優しく接する程、クローディアはお人好しではない。だからといって、無視はしない。挨拶もするし、クリーチャーがどれだけ罵ろうと決して言い返さなかった。

 

 その斐もあって、10日も経たないうちに大掃除は、一先ずの終着を見た。

 ブラック家の家計図タペストリーと常にガタガタと揺れる文机以外は、見違える程になった。雰囲気の変わった屋敷を見渡し、悲観に暮れたクリーチャーが哀れに思えた。

「ごめんさ。クリーチャー」

 心から謝罪したが、クリーチャーはいつもの罵りを返した。

 無論、掃除の間も本部として活用され、マクゴガナルやスネイプ、スタニスラフが何度も屋敷を訪れた。お互いに慌ただしく、クローディアと顔を合わせることはない。

 そして、コンラッドとトトは見かけることさえなかった。時折、ルーピン等を捕まえては2人の行方を聞いたが、誰も知らなかった。

 

☈☈☈☈☈

 次に目を覚ませば、懲戒尋問の為に魔法省へ赴かねばならない。

 不思議と怖くなかった。

 自分の課せられていた宿命に比べれば、懲戒尋問は取るに足らないとさえ感じた。

 シリウスに、『予言』を最初から知っていたのかという確認をする勇気が出ない。

 

 ――否、知っているに違いない。

 

 『予言』は、魔法省の『神秘部』に保管され、騎士団員で交代に見張っているという。シリウスも、その任に就いているはずだ。

 夕食の折、魔法省に同行したがるシリウスをモリーが窘めていた。理由は、シリウスが保護観察の身だからだ。裁判員に印象が悪くなると、モリーは説明していた。

 正直、今のハリーにシリウスの付添は気が重い。

 シリウスだけではない。ロン、ハーマイオニー、クローディアの存在がハリーに重く苦しい。自分に近いはずだった人達は、何処までも遠くにいる気がしてならない。

(もし、退学になったら……ここに住もう。シリウスとの約束、一緒に暮らす……)

 かつて、シリウスと交わした約束。少しも心が躍らない。

 いっそ、プリベット通りに籠り、魔法界から背を向けて生きた方が良いのかもしれない。そんなことをしても、ヴォルデモートはハリーを追ってくるだろう。

 逃げても、無駄なのだ。

 両親が命を捧げてまで護られたこの身が呪わしく思えてきた。

〝ハリー、わしは君を愛おしく思っておる。君が生きてさえくれるならば、何処へ行っても構わん。その為に、顔も名も知らぬ大勢がどうなろうと知った事ではないのじゃ。あやつの言葉を借りるならば、愛に溺れた愚か者といったところじゃろう〟

 最後にそう締めくくったダンブルドアをハリーは決して、嫌悪しなかった。自分が大切に愛されているという安堵感すら、あった。

「一方が生きる限り……、他方は生きられぬ」

 他人事のように呟き、他人事のように聞きながら、ハリーの瞼は重くなった。

 

 廊下を歩いているのは、自分。何故だが、確かに廊下を歩いている。

 辿り着く先は、やはりボニフェースがいる扉だ。ボニフェースは自分を見ると不思議そうにしていた。

「おや、ハリー。今日は自分でここに来たのか?」

「……あなたは、死んだはずです」

 自分の言葉にボニフェースは暖かい笑顔を崩さない。

「そこにツッコミを入れられるなんて、余裕だな。ハリー」

「これは夢ですよね?」

 周囲を見渡すがおぼろげな廊下は視認できない。以前、トム=リドルの日記を見たときに近い感覚だ。それよりも不確かといえる。

「夢というよりは……願望かな? 俺がここに居て欲しいという」

「誰のですか? ……もしかしてクローディアのですか? ベッロとか?」

 その名を聞いてボニフェースは首を傾げる。

「誰のことかわからん。そもそも俺は俺自身じゃないから、ボニフェース本来の質問をされても困るんだよな」

「本来のあなた……ではないって……。つまり、『記憶』ということ?」

 トム=リドルの実例を思い返した。難問に挑むようにボニフェースは腕を組んで唸る。

「さっきも言ったように、俺は願望だ。そうだな……奴の目から見たボニフェースってところか?」

「奴って……まさか……ヴォルデモートですか?」

 すると、ボニフェースは冗談を言われたように笑いだした。全てを安心させるような笑みだ。

「な~んだ、ちゃんと気づいていたのか? その通り、俺はヴォルデモートの願望さ」

 改めてボニフェースを見る。よく観察すれば、二十代かそこらの容貌だ。自分はそんな頃のボニフェースを知らない。

「でも、それなら僕を知っているのは、おかしいです」

「そういえばそうだな。なんでだろうな?」

 全く問題にせず、ボニフェース快活に笑う。彼の笑顔を見ていると、悩んでいることそのものが愚かに思えてしまう。

 何故なら、人はこうして笑って生きていけるのだ。

「どうして、貴方はここにいるんですか?」

「殺される為だよ。ヴォルデモートに」

 待ち合わせをしていると言わんばかりの口調に、自分は面を食らった。

「ヴォルデモートは、俺に心残りがある。ひとつは、俺の口から奴の名を呼ばせられなかったこと」

 ヴォルデモートという名。しかし、それは恐怖と畏怖の対象ではなかったかと疑問した。

「もうひとつは……俺を自分の手で殺せなかったことだ」

 驚く間もなく、ハリーは目覚めた。

 

 時計に目をやると、まだ5時半だ。それでも、熟睡したように頭が冴えていた。取りあえず、用足しに行こうと寝台から起き上がる。

 足元には、洗い立てでアイロンまできっちりとかけられた衣服が置かれていた。モリーの気遣いだ。印象を良くするために、一番良い服を選んでおくと言っていた。ハリーの服でそれに該当するのは、全てドリスがくれた服だ。この薄手のYシャツは、先日の誕生日に貰ったものだ。

 どんな思惑があろうと、ドリスはハリーにとってかけがえない人だった。

〝ドリス=クロックフォードです。ポッターさん。お会いできるなんて、信じられないぐらいです〟

 『漏れ鍋』の握手から、始まった。手の温もりは抱擁に変わり、いつもハリーを包んでくれた。その温もりに、二度と触れられない。

 気付けば、ハリーの目から涙が零れていた。ドリスが死んでから、初めて流れた哀惜の涙だった。

 




閲覧ありがとうございました。
新大臣は、バクマンに決定しました…。どうしてこうなった…?


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5.再会

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 屋敷の外は、空気が違うとクローディアは肌で感じ取った。

 布地の薄い長袖と白いズボン、耳にはジョージがくれた飾りを着け、クローディアは堂々と道を歩く。

 空は青く、雲一つない。しかし、住宅が密集しているので少し空が狭く印象も受ける。

「晴れてて、良かったさ」

「このところ、天気は崩れないわよ」

 クローディアより、二歩先に行くジュリアが振り返る。

 ジュリアの隣を歩くジョージがマグルの住宅地を物珍しそうにキョロキョロと眺めていた。まるで都会に来た田舎者だ。少し恥ずかしい彼女らは、ジョージを挟んで歩くことにした。

「しかし、お袋の奴。ジュリアを何にも疑わなかったな」

 モリーがジュリアに買い出しを言いつけた。彼女は荷物持ちとして、人手が欲しいと要求した。ジョージを連れて行くことを許され、それに紛れてクローディアは屋敷を抜け出したのだ。

「信頼度の問題さ」

 クローディアは小脇に抱えた小包を見やる。フィッグから借りていた衣服が入っている。以前、モリーが返しておくと言っていたが、まだ屋敷に置いてあったのだ。

 故に郵便で配送して貰うことにした。

 魔法省に出かけたハリー以外は、今も屋敷で清掃中である。

「私だって嘘はついてないわ。ただ、クローディアも一緒だと言い忘れただけよ。あなたに貸しを作るのは、悪いことじゃないわ」

 何だが、嫌な予感がする。

(まあいいさ、多少の無茶は聞き入れるさ)

 本当に10分足らずで郵便局に着く。しかし、この郵便局は文具店と同化している支局であった。ジュリアに案内されなければ、見つけられなかったこと間違いない。

 ジョージは身体を一切動かさず、目だけで内装を見回していた。目立たないようにしているつもりだろうが、不気味だ。服を包んだ配送物をジュリアが窓口で手続きをとり、郵便物収集場所に置いた。

 これで用事は終わった。

 クローディア達が郵便局を後にした瞬間、窓口の順番を待っていた子供の顔が吹き出物だらけになって母親が悲鳴を上げた。

 こっそり様子を確認したジョージが無表情に背中でガッツポーズした。勿論、その手を見られたことで、彼は女子2人の拳骨を食らった。

 

 スーパーでの買物を終え、ジョージは一番重い袋を持たされた。わざとらしく悲観に暮れる。

「ひとつくらい、玩具買ってくれてもいいと思います」

「マグルの玩具を買ったなんて、おばさまが許してくれると思うの?」

 ジョージの背を押し進むジュリアを眺め、クローディアは通行人や自転車を避けて歩く。

 歩きながら、クローディアは前を歩く2人との距離が広がっている気がした。

「2人とも……」

 呼び止める前に、クローディアは強い力で肩を掴まれた。

「いやあ、げ、元気そうで何よりだ。ミス・クロックフォード」

 怯えるような引きつった言い方が、懐かしい。同時に焦燥が胸を走り抜けていく。瞬きさえ忘れた瞳でクローディアは、相手の顔を凝視した。

 スーツを違和感なく着込んだクィレルがそこにいた。その表情は愉悦と尊大の笑みに満ちている。まるで、ここにクローディアが来ることを待ち望んでいたようだ。

「クィレル……」

 咄嗟に手が動く。

 しかし、その手を掴んだクィレルは、そのままクローディアを抱き寄せる。同時、彼女の視界と肉体がひっぱられた。それが『姿くらまし』だとすぐに理解できた。

 

 光速が治まった瞬間、クローディアはクィレルを振り払った。後ずさりながら、その目は彼を睨み続ける。

 全く意に返さないクィレルの笑みが不愉快だ。

 それでも、視界の隅でこの場所を確認した。『死喰い人』の拠点地にしては、少し離れた道をマグルの人々が当たり前に歩いており、クィレルの後ろには図書館のような建物がある。耳を澄ませば、車やバイクのエンジン音も聞こえるので、道路が近いのだ。

「見たまえ、マグルがこんなにいる。皆、君に起こった悲劇を知らずに通り過ぎて行く。ご主人様の威光をないように振る舞っている。ご主人様のことを知らないなんて、なんて可哀そうな人なんだろう」

 まるで、この世の不幸を哀れむ聖人の如く、クィレルは目を伏せる。

 

 ――勝手に饒舌ぶっている今なら、簡単にXXせる。

 

 感情の高ぶりと共に、クローディアの影がクィレルに伸びる……はずだった。影が全く動かない。今度は意識し、影を動かそうと試みるが反応がない。

 疑問と焦燥が心臓を走っていく。耳の奥が熱さで立ちくらみしそうだ。

「マグルの学校……ここは大学というのだったな。魔法学校から入学してくる生徒が無暗に魔法を使わせないために、校内には『魔法封じ』をかけられている場所がいくつかあるんだ。ちょうど、君が立っているところだよ」

 指先をクルクルと回してから、クローディアの足元を指す。

 完全にクィレルの術中に嵌ってしまった。愕然としたクローディアは、呼吸が息苦しくなってきた。それでも、脳髄の一部が冷静に思考する。

 おそらく、クィレルの立っている場所は、『魔法封じ』の範囲外だ。もしくは、クィレルも範囲内に引きずり込めれば、後は乱闘に持ち込める。

 急にクィレルは、片手を上げる。その手……否、腕は一目で義手と分かる代物だった。木製の指先には、太陽の光で反射する物があった。

「君にしては趣味の良い物を着けているじゃないか」

 反射で片耳を触ると、そこにあった耳飾りがない。

「ボーイフレンドから貰ったか? それとも、死んだドリスからかな?」

 嗤う声が脳髄に直接、響く。

 

 ――誰が死んだ? いつ死んだ? 何故、死んだ?

 

〝ドリスのことは残念だったね〟

〝ドリスさんのことは、本当に残念だったわ〟

〝ドリスさんは殺されたんだ!〟

 親しくも数えきれない人の声が一気に聴覚を刺激した。

 違和感はあった。皆が自分に声をかけているが、その部分が理解出来ない。きっと、自分の知らない言葉を話しているのだと、勝手に納得していた。

(お祖母ちゃん……お祖母ちゃん……)

 2人を相手に、たった独りだけドリスが残った。クローディアが呼んだ助けは、間に合わなかった。

 看取ることも出来ず、ドリスを失ってしまった。

 自覚した瞬間、全身から力が抜けていく。足が折れ、膝が地面に着いた。土に膝が触れる瞬間が、長く重くクローディアの身体に絶望感を沁みこませる。

 もう、立ちあがる事は出来ない。

「ああ、君はそんな顔をして……泣くんだね」

 冷ややかな声が響く。

 クローディアは泣いてなどいなかった。苦悶に満ちた顔は泣き顔と呼ぶに相応しいだろう。視界の隅にクィレルを捉えていた。

 否、ただ視界にクィレルが映っているだけだ。彼は失望した眼差しをクローディアに向けている。

「私はね、私なりに君に感謝しているんだよ。あの老いぼれの目を誤魔化せたのは、君のお陰なんだから。君が私にくれた紙切れを受け取った時、私は賭けをした。改心したフリをして、機を待とうとね。君に寮点をやったぐらいで、老いぼれはいとも簡単に信じてくれたよ!」

 小気味よく笑いながら、クィレルは誇らしげだ。

 回顧するには十分である。あの日、ダンブルドアからクィレルを本当の意味で救ったと告げられた時、クローディア自身も本当に嬉しかった。自分の行動で、人が救える。それに感謝されたのだ。言葉では表現できない感動があった。

 紙切れとは、おそらく折り鶴のことだ。

「さあて、私は忙しい身だ。そろそろお暇しよう」

 世間話を済ませたように、クィレルは懐から杖を出しだした。

「私の……杖」

 墓場で奪われた杖が目の前にある。返されたようだ。

「ご主人様から、君に託だ。『ドリスを死なせるつもりはなかった。愛の為に命を投げ出すような愚かなことを貴様はしてはならぬ』」

 ドリスの死を貶されているが、クローディアは怒りが湧いて来なかった。ヴォルデモートは愛を愚行と呼ぶ男だ。如何にも、彼らしいとさえ思った。

「ひとつ、聞きたい」

 興味深そうにクィレルは、クローディアの顔を覗きこんだ。

「セドリック=ディゴリーは君を愛していたのか?」

 意味不明だ。何故、その名が出る。セドリックと口を利いたのは、数える程しかない。

「第3の課題、危うく、ハリーと引き分け優勝になるところだったんだろう? 残念だったねえ、もし、君達と一緒に優勝杯に触れていたら、卿の復活に居合わせる事が出来たのに……、運のない少年だ」

 クローディアの首の後ろが痙攣した。

 

 ――ただの痙攣ではない。凍った心を溶かし、燃え上がらせる前兆だ。

 

 そうだ。セドリックは優勝を諦めた。彼がどんな心情だったのか、知らない。しかし、それで墓場に行かずに済んだ。

 きっと、クィレルはセドリックが死んでいても何の感慨もない。

 思えば、この男はバーサ=ジョーキンズを死に追いやった。そうして、この先もクィレルは躊躇いなく、ヴォルデモートの為に人を死なせていくのだろう。

 こういう男だと理解していたはずだった。否、まだ理解し切れていなかった。頭の隅か、心の何処かで、クローディアはクィレルを見誤っている。1年生の折も勝手な判断を下して後悔した。

 

 ――ああ、再び……このような後悔が訪れようなど、あの頃にどうして想像出来ようか?

 

「許さない……」

 か細く呟いたが、クィレルの耳に十分届いていた。無表情なクローディアの瞳が光の反射で赤く輝いていた。確かな怒りと憎悪がある。

「許さないぞ……、クィレル……必ず……追いつめてやる。奴が滅んでも、私は貴様を追い続けてやる」

 掌から血が零れんばかりに拳を握りしめ、慟哭する。

「それでこそ、ヴォルデモート卿の認めた魔女だ」

 笑みを消したクィレルの瞳から、称賛が見えた。彼は『姿くらまし』で文字通り消え去った。

 

 己の杖をクローディアは、ハンカチに包んでポケットにしまう。何か呪いをかけられている可能性を危惧しての事だ。

「クローディア! そうでしょう!? 何しているの! ここで!?」

 聞き慣れた叫び声の持ち主は、なんとペネロピーだ。

 この大学は、ペネロピーが9月から通う学校であった。夏の間に、主な建物の位置を把握しておこうと訪ねてきたそうだ。

「【ザ・クィブラー】に……ドリスさんのことが載っていたわ……。……貴女は安全な場所に保護されたって……」

 涙を流しながら、ペネロピーはクローディアの肩を容赦なく叩く。お陰で、身体の揺れが治まらない。叩き続けているうちに、ペネロピーの興奮が治まった。

 見計らって、クローディアは状況を掻い摘んで説明した。ある場所に匿われていること、『死喰い人』と遭遇した事。

 不安そうだが、ペネロピーは何一つ否定しない。

「【日刊予言者新聞】が変だと思っていたの。私だけじゃないわ。ジュリアもね」

「ジュリアに連絡を取りたいさ、彼女は私が今、お世話になっている場所を知っているさ」

 意外だったらしく、ペネロピーは目を丸くする。

「急いでいるなら、『付添い姿現わし』しましょう。初心者は吐くけど、大丈夫?」

 無意識的に、『バラけ』た脚を意識する。痛みなど、とっくにない。しかし、今も傷痕が残っている。

「大丈夫さ」

 ペネロピーの腕を掴み、クローディアは『付添い姿現わし』した。

 

 ジュリアの自宅前にクローディアとペネロピーは現れた。似たような建物が並んでいる。しかし、それぞれの家には、住人の個性がしっかりと出ていた。

「ペニー! ちょうど良か……クローディア!?」

 居間の窓をから、ジュリアが叫んだ。その後ろにはジョージもいた。2人はクローディアがいなくなっている事に気付き、叱責覚悟でモリーに報告した。休憩していたトンクスがすぐに周辺を探しに飛び出した。

〝お前達には失望しました!〟

 ジュリアとジョージは、クローディアを見つけて来るまで本部の出入りを禁止された。

 クローディアはペネロピーに助けられたと簡潔に話した。

「私は、ここで失礼するわ。皆に貴女の無事を伝えたいから」

 まるでモリーから逃げるようにも見えたが、クローディアはペネロピーを引き止めなかった。

「ありがとう、ペネロピー」

 それだけ聞くと、ペネロピーは『姿くらまし』して行った。

 

 本部に戻ったクローディア達は、仁王立ちで待ちかまえたモリーに歓迎された。

「クローディア! あなたという子は一体どういうつもりかしら!? どれだけ心配したと思っているの!? トンクスとディーダラスがあなたを探しに駆けずり回っているわ! ロン! フクロウで2人に報せてあげて!」

 階段の手すりにいたロンが不承不承と階段を上がって行った。

「今がどれだけ危険な状態か! あなたはちっともわかっていないわ!」

「はい、おっしゃる通りです」

 クローディアは玄関先で正座し、モリーから怒鳴られた。

 ジュリアとジョージは、そそくさと奥に逃げようとしたが、モリーに掴まった。クローディア同様、座らされた。

 3人が並んで正座する姿は、哀愁が漂っている。

 

 1時間ほど経った頃、玄関の扉が開いた。

「何をやっているんだ?」

 ハリーと共に帰宅したシリウスが状況を把握しきれず、呆然と眺めてきた。

「ハリー!? お帰りなさい! どうだったの!?」

 怒りがなかったように、モリーは満面の笑顔となる。黄色くも甲高い声でハリーを出迎え、ジョージの足を思いっきり踏む。痺れた足に酷い打撃だ。

 ハリーの返事をする代わりに、シリウスが杖を振るう。玄関ホールの廊下に【勝訴!】の絨毯が敷かれた。

「やったわ! ハリー!!」

「さっすが!!」

 階段の手すりから、ハーマイオニー達が手を振るう。いつの間にか、トンクスがいた。

「さあ、さあ! お祝いしなくちゃ! あんた達、いつまで座っているの? ジュリア、ジニー。手伝って!」

 足が痺れたジュリアは、弱弱しく立ち上がり壁を伝ってモリーに着いて行った。

 クローディアとジョージも立ち上がったが、同じく足が痺れている。

「俺……、2度と正座なんてしない」

 シリウスの手を借りてジョージは、ゆっくりと歩いた。

「大丈夫?」

 ハリーがクローディアに手を差し出してきたので、遠慮なく掴む。

「おめでとうさ」

「僕の力じゃない。ダンブルドア先生が弁護に来てくれたんだ。……判決を貰った時、先生は僕の肩に触れて「偉かった」って言ってくれたよ……」

 随分と落ちつき払っているハリーの態度が不思議だ。何処となく達観している。

「ハリー、……私からも話したいことがあるさ。今と後、どっちがいいさ?」

「う~ん、安心してお腹空いちゃったから、後でいいかな?」

 クローディアの返事を待たず、ハリーは厨房に急いだ。階段から、ゆっくりとベッロが下りてきた。

「ベッロ」

 呼びかけられば、ベッロは素直にクローディアへとすり寄った。

〔あの時、私に何をしようとしたさ?〕

 日本語に語りかけても、ベッロは困惑しない。鎌首をもたげ、クローディアを見上げる。

[するべきことをしようとした]

 ベッロが語りかけた気がした。しかし、何を言っているのかわからない。それでも、ベッロの使命感に似た感情を読み取ることは出来た。

〔その事を誰に聞けば、確かめられるさ?〕

[時が来れば、聞かずとも知らねばいけない]

 また何かを語りかけてきた。意味はわからずとも、確かに何かを言っている。

(まだ……その時じゃないってことさ?)

 勘とも言える閃きでクローディアはベッロの考えを汲み取った。

 17歳として年齢が満たされた時、行うはずだった。しかし、何も行えなかったということは『その時』になっていないということだ。

 そのまま、お互い何も考えずに視線を絡ませる。

「クローディア、何しているの?」

 ハーマイオニーに声をかけられ、クローディアは閃いた。

 2人はバジリスクの魔眼で2ヶ月石化していたのだ。つまり、肉体の年齢が17歳を迎えるまでにズレがある。

(でも、それだと私は未成年だし……、そもそも、無許可で『姿現わし』を使ったことも咎められるはずさ……)

 今のところ、クローディアが『未成年魔法使いの妥当な制限に関する法令』に触れたという勧告はない。

(何か……法の抜け道があるさ?)

 トンクスに確認を取ろうと、急いで厨房に降りる。

 小走りで降り、そのままの勢いでトンクスへと詰め寄る。彼女は吃驚して、皿を落としそうになったがロンによって防がれた。

「2ヶ月間、石化された経験を持つ未成年者が17歳の誕生日を過ぎても、成人扱いになるかですって? ……そりゃあ、なるわ」

 『石化された時間』による成人への影響を聞き、トンクスは当然のように答えた。

「魔法省は、あくまでも『生まれてから登録された歳月』を数えているの。これはね、昔は『老け薬』や『若返り薬』で年齢を誤魔化す人が多かったから、それに対する処置なのよ」

 トンクスの説明を聞き、クローディアは『年齢線』を思い出す。『老け薬』を用いて、成人になろうとした双子は物の見事に玉砕した。

「そういえば、あなた達はバジリスクに石にされたんだったわね」

 何気なく、トンクスはクローディアとハーマイオニーに確認してくる。動揺したジニーがビクッと肩を痙攣させていた。

「それじゃあ、もしも数年単位で石化されていたとしても、通常通りに成人を迎えるのかしら?」

 真剣に問いかけるハーマイオニーの手には、何処からともなくメモ用紙がある。

「大体の人は、そのままにするわ。申請して年齢の書き換えを行えるけど、審査や検査で何日もかかるとか……」

 2か月程度なら、僅かなズレとして申請しなかったのだろう。

「私が無許可で『姿現わし』した事を咎められなかったのは、なんでさ?」

「『姿現わし』や『姿くらまし』は、そもそも追跡が難しいのよ。誰にも発見さず、『バラけ』た状態で、何日も過ごした例もある」

「だから、許可がいるのね? 『バラけ』た人を発見しやすく出来るように」

 クローディアの質問なのに、ハーマイオニーが嬉しそうにする。その後、トンクスは食事が出来るまで質問攻めにされた。

  ハーマイオニーの細かいツッコミに、トンクスはげっそりしていた。

 

 昼食が終わり、クローディアはクィレルとの再会を聞かせた。

 勝訴で浮かれ気分だった空気が一気に凍りつく。無断で屋敷を抜けだした結果、『死喰い人』に遭遇した為、またモリーの視線が痛い。

「杖を返して貰ったさ。トンクス。この杖に呪いがかかってないか、見てもらいたいさ」

 ハンカチに包んだ杖を見て、トンクスは緊張で唾を飲み込んだ。

「一度、『闇払い局』に持って行く。何が起こるかわからないから」 

 トンクスは杖を出し、クローディアの杖をハンカチごと叩く。すると、杖が消えた。

「クィリナス=クィレルが接触してきたこと、ダンブルドアに報告してくるわ。シリウスはここに残っていて、本部に何人か戻るようにさせるから」

「今夜はキンズグリーが来る事になっている。アーサーは君の代わりに当番だから、他を頼む」

 シリウスの意見を承諾し、トンクスは早々に出かけて行った。

「ジュリア。君はしばらく、ここに来ては行けない。それと出かける時は、決して1人にならないように、奴らの誰かに顔を見られているかもしれない」

「ここは『秘密の守人』で護られているんでしょう? そんなに神経質になることないわ」

 本部に立ち入れないという不満に、ジュリアは声を低くした。

「油断大敵!!」

 ロンが突然、大声を上げた。注目を集め、恥ずかしそうに咳払いする。

「マッド‐アイがいれば、きっとこう言うだろう?」

「優等生だな、ロン」

 いつものからかう口調で、フレッドがロンに笑いかけた。

「シリウスの意見に賛成だ。ジュリア、しばらく来ないで欲しい。君の為だ」

「念を押さなくても、帰ります」

 ジョージに挑むような態度で吐き捨て、ジュリアはシリウスに送られて行った。

 

 午後の掃除に向かい、各々は持ち場に行こうとする。階段を上ろうとした時、クローディアはジョージを呼びとめた。他の皆は、気付かずに階段を上がっていく。

「ジョージ、お祖母ちゃんのこと……思い出したさ。心配かけてゴメンさ。ありがとう」

「いいや、俺に謝ったり礼を言う必要ねえよ。何も間に合わなかったんだから……」

 悔しそうにジョージは顔を歪め、クローディアの耳飾りに触れる。

「片方、どうした?」

 指摘されクローディアは、片方が奪われたことを思い返す。折角用意してくれた贈り物を無くしてしまい、申し訳ない気持ちになった。

「ごめんさ、なくしちゃったさ」

 ジョージは怒る様子もなく、耳飾りごとクローディアの耳に触りつづける。

「そのままだと不格好だな。首飾りにしてやろうか?」

「え? 作り変えれるさ?」

 思ってもいない申し出に、クローディアは目を丸くする。

「それな、俺が作ったんだ。悪戯道具を作ってたら、その石が出来たんだよ」

 ジョージの手作りだと聞いた途端、不安になってきた。害はないと思いたいが、仕掛けを疑ってしまう。クローディアの心情を察し、彼はわざとらしく不貞腐れる。

「信用ねえな、俺。可哀そう、俺」

 哀れに振舞ったジョージは、わざとらしく階段に座り込む。普段の彼らしい行動に、クローディアは安心していた。

「これは、このままでいいさ。すっごく気に入ったんだから、返せって言われても返さないさ!」

 意地悪く舌を出したクローディアは、素早く階段を駆け上がった。残されたジョージは、足の間に頭を入れて俯く。両手で顔を覆い、肩を震わせる。

 雑巾の束を頭に乗せたベッロが階段を上がろうとし、ジョージを見上げる。指の隙間から、至福の笑みを浮かべる彼の顔が見えた。

 

☈☈☈☈☈

 お手洗いに2階へ降りてきたハリーは、手摺からクローディアとジョージの会話を聞くとはなしに聞いていた。

 クローディアはドリスの死をあっさりと受け入れていた。クィレルに襲われていながらも、彼女に怯えた様子はまるでない。むしろ、好戦的ともいえる雰囲気を彼女は放っている。

 しかも、それは『闇の軍団』ではなく、クィレルというただ1人に対してだ。

 これがハリーとクローディアの違いだ。彼女は他人の憎悪も賛美も批難も生死も受け入れ、誰を置いて行こうとも、先へ先へと行ってしまう。

 ハリーに人生を狂わされたと話されても、クローディアは責めるどころか、慰めてくるだろう。

 

 ――彼女は強い。

 

 強いが故、様々な出来事に悩み苦しむハリーを理解してはくれないだろう。何故、悩むのかと疑問するだろう。

 何でも出来る者には何も出来ない者の気持ちはわかりようがない。

 

 ――いっそ、彼女こそが僕であったなら、良かったのに。

 

 ハリーの身体から湧き起こるのは、嫉妬に似た憎悪。悲哀に近い憤怒。嫌悪から遠い憧憬。感情の高ぶりは極まった時、唐突に額の傷が痛みを走らせた。

 思わずハリーは額の傷を手で覆う。

「ハリー、どうしたさ?」

 いつの間にか、クローディアは目の前にいた。心配そうにハリーへ手を伸ばしてくる。彼女の手が肩に触れた途端、額の傷がまた痛みだした。

「やめて……大丈夫。色々な事があったら、ちょっと疲れているだけだよ」

 失礼のないようにクローディアの手を払う。傷の痛みに気付かれないようにする為、ハリーはお手洗いに逃げ込んだ。

 

 夕方になり、ディグルとシャックルボルト、そしてトンクスが訪れた。クローディアはディグルから散々叱られ、泣かれた。彼女は心配をかけたことを詫びる。

 

 勝訴祝いが始まり、ハーマイオニーと雑談しながら、クローディアはハリーを盗み見る。

 ハリーはロンと競ってパスタを貪り、フレッドとジョージの漫才のような冗談にも笑っていた。

(ハリーって強いさ。私が裁判なんて言われたら、逃げちゃいそうさ)

 魔法省がどれだけハリーを否定しても、『闇の軍団』は消えない。

 数時間前、額の傷を庇うハリーにクローディアは触れた。何とも頼りない肩は年相応の骨格を伝えてきた。

 あくまでも相応だ。その肩に闇の帝王と相対する重さを乗せらせはしない。誰にも乗せる資格はない。

 いるとするなら、ハリー自身である。

 

 食事が終わり、トンクス以外の女子陣はモリーと共に後片付けだ。

 ちなみにシリウス達大人組は、食後の紅茶を嗜んでいる。手伝えとは言わないが、せめて居間に行って欲しいとクローディアは思う。

 ハリーが部屋に戻ってから、シリウスは何処となく苛々しているように見える。

「そろそろ来る頃か……」

 懐中時計を確認したディグルが呟く。

「誰か来るの?」

「気にしないで頂戴。さあ、皆。もう片付けは終わったから、お部屋へ戻ってなさい」

 ジニーが問うと、モリーまでそわそわと落ち着きがない。

 3人は気にはなったが、厨房から解放された喜びが勝った。玄関ホールの廊下に出て、ジニーが欠伸をひとつする。

「さあて、今日の分の宿題片付けないと」

「「まだ、終わってなかったんだ?」」

 語尾はそれぞれ違うが、クローディアとハーマイオニーは反射的に言い放つ。

「ええ? 2人とも終わらせたの? 早すぎ」

 ジニーが悔しそうに頬を膨らませた時、玄関の扉から音が鳴る。扉の施錠が解かれる音だ。

 一瞬、3人は身構えた。ここには安全な護りがあるとわかっていたが、昼間のこともあり、自然と神経を尖らせる。

「ジニー、厨房から誰か呼んで来てさ」

 クローディアが声をかけるより先に、ジニーは厨房に降りて行った。

 扉が開くと、黄色くも押さえられた声が発せられた。

〔シャーロック・ホームズが住んでそうな家さ。素敵な秘密基地さ〕

「持ち主はムカつくが、良い屋敷妖精がいてくれるよ」

 クローディアの胸が心地よく弾んだ。そこにいたのは、父・コンラッドと母・祈沙だ。祈沙は旅行鞄を押しながら、玄関ホールを見回す。

 ちょうど、厨房からシリウスが上がって来る。彼は訪問客を目にして、急に硬直した。

〔来織!〕

 祈沙の視界にクローディアが映ったようだ。鞄を投げるように手放して突進してきた。ハーマイオニーは吃驚して下がった。

〔来織、会いたかったさ〕

 周囲の人に構わず、祈沙はクローディアに飛びつく。細腕ながらも強い力が彼女の肩を締め付けた。

 そのせいではないが、クローディアの身長は祈沙を若干、追い抜いていることがわかった。

〔遅くなってゴメンさ。お母さんももっと早く来たかったさ〕

〔祈沙、まずはご挨拶しないといけない。クローディアの友達が驚いているからね。そこの家主も……〕

 宥めるコンラッドが祈沙をクローディアから引き離す。

「やあ、こんばんは。ハーマイオニー、クローディアの面倒を看てくれて、ありがとう。私達は少し込み入った話があるから、客間を借りるよ。モリーに私達が来たことを伝えてくれるかな?」

「こんばんは、コンラッドおじさま。わかりました」

 上品にハーマイオニーが返すと、コンラッドは足元を見やる。いつの間にか、クリーチャーが無言で控えていた。

「こんばんは、クリーチャー。しばらく、ここで世話になるよ。前に話しておいた妻の祈沙だ。よろしくね」

「レギュラス坊ちゃまのお友達。クリーチャーは喜んでお迎えいたします」

 何処となく含みを込めていたが、それでも敵意など感じられない。クリーチャーにとって、コンラッドは客人と認識されている。祈沙は身を屈めて、クリーチャーと握手した。

 クローディアとハーマイオニーはクリーチャーの態度に驚かされた。

 だが、シリウスは別な点に吃驚仰天している。

「妻だと!? おまえ結婚していたのか!?」

 ずっと黙りこくっていたシリウスは、目を見開いて叫んだ。

〔祈沙、こいつ……この人はシリウス=ブラック。ここの家主で、クリーチャーのご主人様だ〕

 笑顔のまま面倒そうにコンラッドが説明し、祈沙はシリウスにお辞儀した。

「祈沙ぁと申しますぅ。これぇから、よろしぃくお願いぃしますぅ」

「ここ、こち……こちらこそ、マダム」

 耳まで顔を真っ赤にし、上擦った声でシリウスは会釈する。変に緊張している彼を見て、クローディアは嫌な汗が流れた。

(え? まさか、ブラック……)

 その考えを振り払うように、クローディアはコンラッドと祈沙の腕を掴んだ。シリウスから逃げるように、客間に連れ込んだ。勝手に扉が閉まった。おそらく、クリーチャーが閉めたのだ。

「さて、クローディア。いままで独りにしてすまなかったね。……怒りたいなら、怒っていいんだよ」

 相変わらずの機械的な口調がクローディアには何年分の懐かしさを感じさせる。目の前にいるのは、確かに父なのだ。そして、会えないだろうと思っていた母もいる。

「クローディア、母のことだが……。何があったか話せるかな?」

 クローディアの胃が一瞬、刺激された。嘔吐感に近かったが、深呼吸で抑え込んだ。必死に記憶を辿り、あの朝の出来事を語った。話せば話す程、少しも気は楽になれず、息苦しさに襲われた。

「……セブルスを招こうとしていた?」

 確認のように呟き、コンラッドは自らの口元を手で覆う。初めて、彼の瞳に焦燥が見えた。

「そうか、……わかった。辛い思いをさせたね。よく、頑張った……」

 躊躇うようにコンラッドの手がクローディアの頭に置かれた。

 クローディアは慰められている。それを理解した時、心臓に水滴が落ちる感触が襲う。その一滴が胸を満たし、瞳から涙を零させるに十分であった。

〔お父さん……お母さん……。お祖母ちゃんが……お祖母ちゃんが〕

 言葉が上手く言えないとわかっていながら、クローディアは口を動かして声を発した。気づけば、コンラッドと祈沙の腕を掴んで、ただ泣き叫んだ。

〔せめて、私が傍にいれば……〕

 嗚咽した祈沙も涙を溢れさせて、すすり泣く。コンラッドは泣かず、祈沙の肩を抱いた。

 安心して泣ける場所は、ここにある。

 クローディアは素直に喜んだ。泣き喚きながらも、ここまで来てくれた父と母に感謝した。




閲覧ありがとうございました。
クィレルとの再会で、正気を取り戻しました。
家族との再会は、素直に泣ける涙を流させました。二つの意味での再会でした。


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6.監督生としての素質

閲覧ありがとうございます。
毎日、たくさんの方に見て頂きありがとうございます。

追記:16年4月20日、17年3月9日、誤字報告により修正しました


 ブラック家で僅かな変化が起こる。厨房にマグル製品(料理器具)が増えた。コンラッドが炊事を行うためである。

 最初、クリーチャーは壁に頭を何度も打ち付ける程、機嫌を悪くしていた。それをどうやったかは知らないが、コンラッドの説得で落ち着くことが出来た。

「お父さん、お母さんより料理が上手さ」

 クローディアのその言葉は、正しい。

 モリーも料理は上手いが、コンラッドはそれを上回っていた。

 それにモリーが対抗心を燃やしたときは、食事の量が倍になった。

 ここでも、コンラッドはモリーを言いくるめ……もとい説得し、炊事分担を平等に行う方針を固めた。

 アーサーは隙あらば炊飯器を解体して調べようと狙っている。最もコンラッドとモリーの視線がある内は不可能だ。

 騎士団の面々もマグル製品に興味を持ち、勝手に触ろうとする。マンダンガスが不用意に電気ポットを触り、感電しかけた。

「好奇心は罪ではないよ、責任さえ果たせればね」

 呆れたコンラッドは、決められた人以外が触れられぬように魔法をかけた。触れぬ機会が益々減り、アーサーは悔しそうにしていた。

 

 最も変化があったのは、シリウスだ。

「シリウス……髪の毛……梳かしたの?」

 洗面所で、ハリーは不可解なモノを見る目で問うた。

 普段は、もじゃっとしているシリウスの髪が綺麗に流されていた。それに、無精髭で覆われていた顎が綺麗に剃られている。しかも、革製品の服が彼の好みだが、今は礼服に似たスーツを着ていた。

 まさに英国紳士そのもの。

「たまにな、ハリーも櫛を入れてみろ。いいもんだぞ」

 何処かに就職面接でも行くのかと思わされる。少しだけ、ハリーは嬉しく思えた。身なりを突然、気にかけるようになるには、理由がある。

 その理由のひとつが、想い人が出来た場合だとハリーは知っていた。

 シリウスが女性に想いを寄せられるようになって、何処か安心していた。何かとハリーを気遣ってくれるのは、勿論、嬉しい。それと同時に、幸せを得て欲しいのだ。

 ただ、問題がひとつある。シリウスが紳士的な態度を示す相手、それはクローディアの母・祈沙であるという事だ。

 この女性は魔法使いの屋敷ということで、好奇心旺盛、興味津々と色々な物に触れようとする。ガタガタ揺れる文机も勝手に開けるという無謀というか勇敢なことをしでかした。

 中身は『真似妖怪』、彼女の恐怖を映した姿に変身してしまった。彼女の悲鳴を聞きつけ、シリウスがその場を治めたらしい。

 何に変身したか、シリウスは教えてくれなかった。

 

☈☈☈☈☈

 ――気色が悪い。

 

 シリウスの変貌に対し、クローディアはそう感じる以外なかった。彼の劇的な変化は、クリーチャーの機嫌を良くしている。故にハーマイオニーは賛成だ。

 ハリーも何処となく嬉しそうだし、ロンや双子ども、ジニーは楽しんでいる。

「シリウスのあの恰好はなんだい? 恋でもしたのかな?」

 からかう口調だが、ルーピンも喜んでいる。

 この状況下で不快になっているのは、クローディアとコンラッドだけだ。コンラッドは極力、態度に出ぬ様努める。努めるだけで、笑顔が怖い。

 シリウスが留守する間はまさに平穏。

 中庭で洗濯物を干す祈沙を手伝い、クローディアは不満を口にする。

〔お母さん、ブラックさんにいちいち構わなくていいさ。気がある態度なんて取ったら、調子に乗るさ〕

〔あの人は、ただの親切さんさ。そんなに煙たがることないさ〕

 呑気に返事をする祈沙の態度がクローディアには腹立つ。祈沙の胸元にあるロケットが太陽の反射を受けて光った。クリーチャーが贈った物だ。ブラック家所縁の品にしては、【S】の文字が刻まれている。実に不思議である。シリウスも謂われを知らないらしい。

 役立たずと罵りたいが堪えた。

〔あいつ、学生時代に悪いことばっかりして、お父さんも嫌っているさ。その時のことも、全然反省してないさ〕

 眉間にシワを寄せ、クローディアは思いつく限り悪態を付く。

〔羨ましいもんさ。10代の頃の青春なんてさ。お母さんには、そういうのないからさ〕

 何気ない祈沙の言葉を聞き、クローディアは僅かな含みを感じた。あまりにも、自然な雰囲気に逃すところだった。

〔それって、勉強ばっかりで遊ばなかったってことさ?〕

 一瞬、祈沙の手が不自然に止まる。動揺の硬直とも取れるが、ただ間を置いたようにも見える。それから、洗濯物を干し終えるまで2人の口を閉じていた。

 洗濯籠が空になり、祈沙は身体を解すように腕を伸ばす。クローディアを視界に入れながら、天気の話をするような口調で言い放った。

〔お母さんさ、高校には行かなかったさ〕

 唐突な暴露にクローディアの胃が吃驚した。

〔その頃のお母さんは……、何もかも失って、……腐った魚より酷かったさ。そんな時にお父さんが拾ってくれてたさ〕

 この場においての父とは、トトを示している。

〔ちょうど娘が欲しかったって言ってくれたさ♪すごく嬉しかったのに、その時の私は……ありがとうも言えなかったさ。……そういえば、今も言ってないさ〕

 困ったように眉を寄せ、祈沙は微笑んでいる。

 何に驚けばよいかわからず、クローディアは困惑しかない。あまりにも、予期せぬ情報だ。

〔お母さんってさ、養子だったさ? お祖父ちゃんは、結婚してないさ? あれ、じゃあ……お母さんの本当の両親は、どうしたさ?〕

〔ひ・み・つ♪〕

 人差し指を立て、祈沙は快活な笑顔で誤魔化した。それで、誤魔化せてなどいないが追及しようした途端、クローディアは視線を感じ取った。好意的でなければ、敵意も感じない。この視線の持ち主には、心当たりがある。

「ミス・クロックフォード」

 闇色の声に納得し、クローディアはスネイプを振り返る。本部に来てから、彼に声をかけられたのは初めてだ。現れた闖入者に気付き、祈沙は丁寧に頭を下げる。

 母と恩師を交互に見やり、クローディアはすぐに2人を紹介し合わせた。

「お母さん、こっちはスネイプ先生さ。お父さんの……友達さ。スネイプ先生、こちらは母です。先週から、本部で寝泊まりしています」

「はじめぇましてぇ、娘がお世話になっていますぅ。あなたのことはぁ夫から、よく聞いてぇいますぅ。大切な方だと――――」

 スネイプは予想通りに険しい顔つきになった。

「コンラッドが貴女にどんな話をしたかなど、興味ありませんな。なんせ、私は貴女を何一つとして知らぬので」

 敵意を露わにしても、祈沙は全く臆せず微笑み続けた。我が子の恩師との対面というより、夫の友に対する態度というべきだろう。

 互いを確かめるような視線の絡め方に、何故かクローディアが緊張してしまう。失礼のないように2人を見比べながら、直感した。

(お母さんとスネイプ先生って、なんか……似てるさ?)

 決して顔立ちなどではなく、纏っている雰囲気だ。

「羨ましいぃです。竹馬の友って」

 祈沙の口から、優しい感想が漏れる。突然、スネイプの肩ががっしりと掴まれた。

「それは勿論! 大親友ですから!」

 意気揚々と叫んだのは、スネイプではない。クローディアでもない。

 ひょっこり現れたシリウスだ。彼は、満面の笑みでスネイプの肩を抱き寄せていた。

 シリウスの言葉と態度に、意表を突かれたスネイプは完全に硬直した。勿論、クローディアも脳内が真っ白になり、言葉が出ない。

「大親友ですかぁ?」

 きょとんとしている祈沙が問うと、シリウスは眩しいほどの笑みを向けた。だが、彼の唇が動く直前、干されたシーツが風もなく宙を舞う。

 そのシーツによって、クローディアと祈沙の視界が遮られた。シーツの向こうから、鈍い音がした。聞く者が聞けば、殴る音にも聞こえた。

 ゆっくりとした動作で祈沙がシーツを捕まえた時、向こう側にはスネイプしかいなかった。

「……ブラックさんはどうしました?」

「知らずともよい」

 疲労感を持ちながらも、スネイプは威厳を保つ。そして、杖を取り出してシーツを動かす。祈沙の手にあったシーツは、風に攫われるような動きで物干し竿に干された。

 その魔法を目にした祈沙は、驚きと喜びに興奮した。

「素敵な魔法をありがとうございますぅ。あ、次の洗濯物を取ってきますぅ」

 上機嫌な足取りで、祈沙は洗濯籠と共にいなくなった。

 2人だけになり、スネイプは本題だと言わんばかりに口開く。

「クィリナスに……会ったそうだな」

「はい、会いました」

 剣呑なスネイプに対し、クローディアは臆することなく答える。彼女の清々しいまでの堂々とした態度を見て、スネイプは不機嫌さを隠さない。

「……探しに行きたいか?」

「いいえ、探しません。必ず、会える時は来ます」

 自然と口にした言葉は本音であり、本心。

 クローディアはクィレルを探す必要はない。杖を返しに来たときのように、向こうから会いに来る。そんな確信があった。

「賢明な判断だ」

 眉間に皺を寄せたまま、スネイプは独り言のように呟いた。その呟きは、クローディアには安堵しているように聞こえた。

「私の誕生日だった……あの日、お祖母ちゃんに呼ばれていましたよね? 大丈夫でしたか? 奴らと鉢合わせたということは……」

「その心配はない。……君が保護された後、我輩のところにも報せが来たのでな。……君はどうなのだ?」

 語尾の問いの意味がわからず、クローディアは一瞬、沈黙する。すぐに察したスネイプは微かな躊躇いを見せつつも、付け足した。

「ドリスのことは残念だった。君が闇の帝王を……ルシウス=マルフォイを憎むというのなら……」

「憎んではいません」

 スネイプが言い終える前に、クローディアは断言してしまう。あの2人を憎むよりも、ドリスを失った悲しみが大きく、クィレルへの思いが強い。

「……憎んではいませんが、許しません」

 それがクローディアの2人に対する現状だ。

 言葉を改めたクローディアをスネイプは睨むような視線を向け続ける。

「その言葉……決して忘れてはならんぞ」

 まるで、復讐を阻止するような口調だった。そんなことをせずとも、クローディアは2人を憎んではいない。ドリスを殺されていながら、許せないという感情以外ない。

 

 ――――憎んではいない。

 

 それを胸中で繰り返した時、クローディアは自らの薄情さを思い知る。大切な人を奪われても、憎まない。段々と青褪めてきた。

「思い詰めるな。『許せない』と感じているだけで、十分なのだ」

 クローディアの表情に出ていたのか、スネイプは言葉を降らせた。今まで聞いたことのない優しい声。あまりにも現実離れしていて、錯覚と思う程だった。

 

 夏休暇を1週間切った日。

 学校からのフクロウ便が届いた。

「随分、ギリギリね」

「去年までこんなことなかったわ」

 ジュリアがジニーの教科書リストを眺め、クローディアも自分の分を確認していた。突然、ハーマイオニーが小さくも響く悲鳴を上げた。

 吃驚した3人は、ハーマイオニーに注目する。彼女は笑いを堪えるように手の中のバッジを見ていた。足元には、羊皮紙が落ちている。

 獅子を模り【P】の文字が書かれたバッジ。この部屋にいる者は、その意味を知っていた。

「あなたが監督生に選ばれたってこと?」

 ジュリアの確認に、ハーマイオニーは目を輝かせて肯定した。

 クローディアは我が事のようにハーマイオニーの手を握り、祝福する。

「おめでとうさ、ハーマイオニー」

「おめでとう。でも、ハーマイオニーなら納得しちゃうかな。……クローディアも来ているんじゃない?」

 ジニーの言葉を聞き、何故かハーマイオニーがクローディアの封筒を改めた。しかし、教科書リスト以外は何も出て来なかった。

「ないわ!? そんなはずは……」

 封筒の底をハーマイオニーは躍起になって探すが、残念ながら監督生に関するものはひとつもない。

「ハーマイオニーが選ばれただけで十分、嬉しいさ」

 監督生に選ばれなかったが、クローディアは悔しくなどない。むしろ、5年生になれば誰かが負うという事自体、忘れていた。

「きっと、ハリーにも来ているわ!」

 駆け出したハーマイオニーは止める間もなく、ハリーとロンの部屋へと向かう。それを見送ることもせず、ジニーはリストを手に取る。

「ママに教科書リストが届いたことを教えてくるわ」

「それなら、私もお父さんに教えてくるさ」

「じゃあ、私は男性陣からリストを集めましょう。どうせ、おばさまが教科書を買いに行くことになるでしょうからね」

 部屋を出た3人は、それぞれの場所へと向かう。ハリーとロンの寝室から、ハーマイオニーの慌てるような声がした。彼女の予想が当たったのだと3人は思っていた。

 

 モリーとコンラッドは厨房にいた。2人とも、もやしのヒゲ抜きに勤しんでいる。新学期のお報せを聞き、モリーは、肩を大きく解す。

「それじゃ、私とコンラッドでダイアゴン横丁に行ってくるわ。すぐに、ジュリアが皆の分のリストを持ってきてくれるでしょう。ロンの寝巻も買わなくちゃ、あの子ったら、どんどん背が伸びちゃってね」

 しゃべり続けるモリーに代わり、コンラッドがもやしを丁寧に片付ける。

「足りない教材がないか、皆に聞いてきてもらえるかな?」

「メモを取っておくさ」

 さっそく、クローディアとジニーは厨房を出ようした。しかし、それよりも先に降りてくる人物がいた。

 ロンだ。俯き加減で、羊皮紙を握りしめている。

「ロン、リストを持ってきてくれたの?」

 モリーがロンへ声をかけると同時に、『姿現わし』の音が響いた。前置きなしの出現に、フレッドとジョージがコンラッド以外は吃驚する。

「2人とも、本当にその魔法はやめて欲しいさ」

 仏頂面でクローディアが吐き捨てる。

「あ~、ぐちぐちうるさいな。まるで、監督生みたいだ」

「新学期が始まったら、ロンもそんな風になるのかなあ」

 わざとらしく、しかも嫌味たっぷりに双子は肩を竦める。

「ほお、ロンは監督生に選ばれたんだね。おめでとう」

 当たり前のように、コンラッドが言い放つ。

「違うわ、コンラッド。この2人なりの皮肉よ。そんなことばっかり言っているから、おまえたちは監督生になれなかったのよ」

 それを合図にしたように、ロンはモリーの前へ歩み寄る。そして、顔を真っ赤にして両手を突き出した。

 片手には、赤と金の獅子バッジ。片手には、ロンを監督生への就任させる内容の羊皮紙。

 一瞬、モリーは呆ける。

 だが、すぐに歓喜の悲鳴を上げた。

「信じられない! ロニー坊やが監督生! これで子供たち全員だわ! なんて素敵なの!」

 絞め殺す勢いでモリーはロンに抱き着き、顔中にキスの嵐を送る。モリーの激しい反応に、ジニーは呆気に取られた。

「僕らはなんだよ。お隣さんかい?」

 唇を尖らせたフレッドが不貞腐れても、モリーは全く気にしない。むしろ、聞こえてすらいない。それどころか、ロンはいずれ首席になるに違いないと豪語し出した。

「ご褒美をあげなくちゃ! 新しいドレス・ローブなんてどうかしら?」

「僕らがもう買ってやったよ」

 後悔を混じらせてフレッドは教えた。

 その言葉を聞き、クローディアは強い疑問を覚える。

 帰りの汽車で話した時、彼らはバグマンに唆されたことを落胆し、諦めていた。店を持つ為の大切な資金を無くしたからだ。

 卒業する頃に店を持つ。期限まで1年もないなら、少しでも稼がなくてはならない。

 そんな時期だというのに、ロンにドレス・ローブを贈るだけの余裕があるのは不自然すぎる。

(バグマンさんから、お金を取り戻したさ?)

 それならば、尚のこと資金に充てるはずだ。

 クローディアが怪訝そうに双子を見ている間、ロンは必死に新しい箒をねだっていた。モリーは要求に躊躇いを見せていたが、ロンの為に笑顔で承諾した。

 

 厨房を後にしたクローディア達に、ロンは興奮気味に語りかける。

「クリーンスイープの新作が出ているんだ。ちょっと贅沢だったかな?」

「ご褒美だもの、相応だと思うわ」

 我が事のように喜んでいるジニーが声を弾ませて答える。

「おめでとうさ、ロン。これからは下級生の見本さ」

「そうねえ、監督生としての振る舞いを期待しているわよ。ロン」

 クローディアの言葉に、ハーマイオニーの声が答えた。

 背後を振り向くと、ハリーとハーマイオニーが立っていた。何故か、2人とも洗濯物を抱えていた。

「ハーマイオニーがヘドウィックを借りたいっていうから、さっきまで中庭にいたんだ」

「そしたら、貴女のお母様に渡されたの」

 男女を分けているとはいえ、洗濯物は多い。

「パパとママに私が監督生になったって手紙を書いたわ。2人とも喜んでくれるわ」

「正直、ハリーが選ばれるって思っていたけどね」

 階段の手すりにいたジュリアが意地悪っぽい笑みで声をかけてきた。

 その言葉を聞き、クローディアとハーマイオニーは背筋に冷や汗を流す。ジニーも若干、表情が引きつっていた。

 監督生は5年生から寮につき男女1名ずつ。グリフィンドール寮5年生男子監督生がロンならば、ハリーは外れたことになる。

 自然と皆の意識がハリーに集中する。

「僕は、いろいろと騒ぎを起こしすぎたんだ。ロンはそんな僕のそばにずっといてくれた。そういうところが選ばれた要素だったんじゃないかな?」

 自然な口調でハリーは笑う。その笑みに緊張していた雰囲気が解けた。

 だが、クローディアだけは彼を不気味に感じる。この本部に来た時はありのままに感情を爆発させていた。

 今は全てが他人事のように達観している。

「クローディアも監督生になれなかったことだし、外れた者同士で慰めあったら?」

 愉快そうに笑みを向け、ジュリアはハーマイオニーの洗濯物を半分手に取る。

「え? クローディアも監督生になれなかったの?」

 余程、意外だったらしく、ハリーはクローディアを凝視する。

「ちょっと残念さ、監督生しか入れないお風呂に興味あったのにさ」

「ダンブルドアじゃなくても、あなたを監督生にはしないと思うけど」

 クローディアがわざとらしく嘆くとジュリアが茶々を入れた。そのやり取りにハリーが噴出したように笑う。

「確かに、クローディアは僕たちが面倒を見ていたようなものだもんね」

 笑いのツボを突かれたらしく、ロンは肩を震わせて笑いだす。

 皆を見渡し、クローディアは胸中が暖かくなっていくのを感じる。

 ここにいる人達とこうして仲睦まじく出来るなど、入学した日には想像も出来なかった。ハーマイオニーとは交流を深めようと必死だった。ハリーとロンには、ほとんど接点がなかった。ジュリアとは顔を合わせる度にいがみ合い、ジニーには嫌われていた。

 感傷に浸っているとハーマイオニーが咳払いした。

「それだけ、私たちは対等だということよ。早く荷造りしましょう。新しい教科書が来たら、予習するから覚悟しておいて」

 ハーマイオニーの冷たい語尾を聞き、ロンの顔色がみるみる青褪めていった。

 

 夕方5時を過ぎ、コンラッドとモリーは帰ってきた。

 コンラッドは女子の部屋に教科書を運んできた。彼は別に包装された分厚い本をハーマイオニーに手渡した。

「大人達から、監督生就任のお祝いだよ」

 それを聞き、ハーマイオニーは感謝を込めて受け取った。

「ロンの分もあるさ?」

「あるよ、モリーに託している。ハーマイオニー、中身を開けるより、先に行ってくれるかい?」

 今まさに、ハーマイオニーが包装を破ろうとする瞬間であった。彼女は、照れた様子で部屋を出ていく。

 コンラッドは、懐から杖を見せる。

「おまえの杖はまだ検査中だ。しばらくは……ドリスの杖を使いなさい。25㎝、ブナの木、マンティコアの鬚だ」

 杖。

 故人の杖、親しい人の杖、祖母の杖。

 感慨深くなり、クローディアの手先が若干、震える。それに気遣う様子も見せず、コンラッドは杖を押し付けた。

「大事にするさ」

 それだけしか、言葉は浮かばなかった。

 

 厨房では、張り切ったモリーにとって装飾されていく。

【おめでとう ロン、ハーマイオニー 新しい監督生!】

 赤い横断幕に金の文字で書かれていた。文字の文体が気に入らないのか、モリーは何度も直している。ジニーが手伝おうとしても拒否した。

 食卓はコンラッドによって彩られている。足元でクリーチャーがそれを手伝う。ものすごく、テキパキと行動している『屋敷しもべ』の姿にクローディアは感心した。

「うわお、すごい御馳走だね。コンラッド、味を見ようか?」

「つまみ食いすると、舌を切るよ。ルーピン」

 穏やかなルーピンと違い、コンラッドは変わらず機械的な笑みで返す。

「今回はぁ、私もハリキリましたぁ。このおにぎりを一生懸命、作りましたぁ」

「ご飯を握るという発想は素晴らしい。形も綺麗だ」

 上機嫌に祈沙がクローディアに話すと、何故かシリウスが答えた。

「シリウス、人妻はやめなさい」

 呆れた口調でトンクスは、シリウスの耳をひっぱった。痛がるシリウスを気にせず、祈沙はキングズリーの外套を預かっていた。

「シリウスって、まさかあなたのお母さんに……」

「言わないで欲しいさ」

 ジュリアの問いを最後まで言わせず、クローディアは苦笑した。

 

 料理が並べ終えた頃、ハリー達は下りてきた。モリーは最高に良い笑顔でロンに声をかけ、アーサーだけでなく、ビルも来るという話をしていた。

 つまらなそうにしているフレッドと違い、ジョージが横断幕を不思議そうに見上げていた。

「ママ、クローディアの名前を入れ忘れているぞ」

「忘れてるんじゃなくて、クローディアも選ばれなかったの」

 ジュリアの答えを聞き、ジョージはフレッドと顔を見合わせた。

「「クローディア、心の友よ!!」」

 満面の笑みを浮かべ、双子はクローディアの包むように抱きしめてきた。それだけでなく、両頬を摺り寄せてきた。

 肌の感触に、クローディアは小さく悲鳴を上げる。

「今夜の君は最高に可愛いぜ」

「クローディア、このまま俺と結婚しよう」

「やめろさ! 離れろさ!」

 必死で押しのけようとするが、双子の力は強い。

 結局、アーサーとビルと共に、マンダンガスが現れるまでクローディアは双子に抱きしめられた。

 普段、モリーはマンダンガスを目にするのも不愉快だが、今は最高潮に機嫌が良いので、歓迎している。

 双子から解放され、厨房を見渡すといつの間にかムーディも到着していた。彼はマンダンガスがオーバーを脱ごうとしない様子を警戒する。

 皆に飲み物が行き渡ったところで、アーサーが乾杯の音頭を取る。

「新しいグリフィンドール監督生、ロンとハーマイオニーに」

 主役の2人は、照れくさそうにそれでも嬉しさを込めて微笑む。それを見て、クローディアはロンを羨んだ。

 監督生になれたことではなく、ハーマイオニーと一緒に祝われている様子に対してだ。

「わたしは監督生になれなかったわ」

 食事が始まると、トンクスは懐かしむように語りだす。当時の寮監から、監督生に必要な資質が欠けていると評価されたそうだ。

「成績だけが監督生を選ぶわけじゃない。そういうことよ」

 ハーマイオニーが何故だが、得意げに語る。何処かで聞いた気がする台詞だが、クローディアは思い出せない。

「ルーピン先生は監督生だった?」

 興味深そうにジニーは、ルーピンに問う。代わりにシリウスが答えた。

「リーマスはいい子だったから、バッジを貰った」

「それは君達をおとなしくさせられるかもしれないっていう希望的な考えからだよ。見事に失敗したがね」

「そうなんだ」

 初めてハリーが明るい声を出した。

「私とジェームズは罰則ばかり受けていたんだ。監督生になれるはずないだろう。成績は良かったぞ」

 歯を見せるようにシリウスは笑う。ハリーはシリウスに笑い返すと、クローディアへ視線を向けてきた。その視線の意味を自分なりに解釈し、彼女はコンラッドに話をふる。

「お父さんはどうだったさ? お祖父ちゃんは監督生だったって聞いたけど」

 機械的な笑みに皮肉を混ぜ、コンラッドは首を横に振る。

「私は他人の面倒を見る性格ではなかったからね。私の時は……誰だったかな? 忘れてしまったよ」

 さほど、興味なくコンラッドは答えた。

「ふぁんとくふぇいって何?(監督生って何?)」

 ハムを口に咥えたままの祈沙が監督生について聞いてきた。

 ここでもシリウスは紳士らしく、語り出す。祈沙は言葉の意味を理解しているのか、ただ相槌を打つ。

「あなたのお祖父さんって、あのトトのこと?」

 空になったクローディアのゴブレッドへ飲み物を注ぎながら、ジュリアが聞いてくる。飲み物の礼を述べてから、否定した。

「お父さん側のお祖父ちゃんさ。ホグワーツでハッフルパフだったらしいさ。ハグリッドの友達さ」

「ハグリッド……ああ、あのデッカイ森番。相当、昔から学校にいるのね」

 周囲はそれぞれ、談笑に入っていた。

 ロンは誰彼構わず、新品の箒を自慢した。モリーはビルの長髪は彼の美顔を損なっていると訴えていた。

「ジョージったら、またフレッチャーと取引してるわ」

 ジュリアの声に、クローディアは振り向く。隅のほうでフレッドとジョージがマンダンガスと話していた。ハリーまで加わっている。

 4人は数分も会話せず、解散する。その様子をジュリアは苦々しい表情で見守っていた。

「最近、ジョージと上手くいっていないの……。ここに来てから特にね。私がここに来ることも、嫌がるの」

「ピリピリしているのは、皆一緒さ。それにジョージはジュリアを巻き込みたくないんじゃないさ?」

 クローディアの意見にジュリアは苦笑する。その表情から、ただ話を聞いて欲しいのだと察した。

「ジョージは、その人の意志を尊重するの。本気で関わろうとするなら、私の気持ちを汲んでくれるわ」

 それからジュリアはジョージとの付き合いについて、簡単な愚痴を零し続ける。クローディアは黙って彼女の話に相槌を打ち、合いの手を入れるように返事を繰り返した。

 

☈☈☈☈☈

 自分に監督生の責は負えきれない。ロンが選ばれたと分かり、安堵していた。

 勝手な予言による運命。これ以上、何も背負いたくない。ムーディはこの選択に疑問を抱いているが、ハリーはダンブルドアなりの優しさだと理解している。

 おそらく、クローディアを監督生から外したのも同じ理由だ。

 その理由も知らないのに、やはり彼女は受け入れている。悔しいなどと口で言っているが、本心ではない。

 視界にコンラッドの姿を捉える。夢の中で出会うボニフェースと瓜二つの彼。だが、その性格は違う。暖かさはなく、冷淡で機械的だ。

 ボニフェースの暖かさは、クローディアに受け継がれているのだろう。

 コンラッドは自分の妻に耳打ちすると、厨房を去っていく。反射的にハリーは彼を追いかけた。

 

 玄関ホールから、外へ続く扉にコンラッドは手をかけていた。

「コンラッドさん!」

 ハリーに呼ばれ、コンラッドは動きを止める。億劫そうだが、彼は振り返った。

「聞きたいことでもあるのかい?」

「……あります」

 質問の意味で呼び止めたのではないが、ハリーは咄嗟に思いつく。

「ボニフェースを殺したのは、誰ですか?」

 機械的な顔が青ざめる。珍しい顔色にハリーは恐怖を感じた。

「誰とは、どういう意味かな?」

「ヴォルデモートは、ボニフェースを殺していない。殺すつもりだったけど、別の人に殺された」

 不意にハリーの記憶が刺激され、ベッロの言葉が浮かぶ。『秘密の部屋』で、ベッロはトム=リドルの日記に『主人を殺させた』と怒鳴っていた。そして、気付く。ハグリッドもボニフェースの死について触れない。ダンブルドアも同じだ。

 気付けば、コンラッドは眼前に迫っていた。睨むようで探るような目つきだった。まるで、考えを読み解かれるような感覚だ。

「何故、君はボニフェースに会っているんだ?」

 夢の中の出来事を言い当てられ、ハリーの背筋に悪寒が走る。恐怖に支配された全身は、全力でコンラッドから逃げる道を選んだ。

 少しでも離れようと階段を上がり、適当な部屋に入ろうとした。慌てたせいで、ハリーの足がブラック夫人の肖像画を蹴ってしまった。

「無礼者! 汚らわしい身で、我に触れるな! 制裁を与えてくれる!」

 そこに肖像画があることを忘れていたため、ハリーは思わず飛び退いた。板で顔が見えないとはいえ、迫力がある。

 階段の下から、シリウスが駆け上ってくる姿を見た。彼はハリーを見つけ、心配そうに肩を掴んだ。

「ハリー! どうした? あいつに、クロックフォードに何か言われたか?」

「いや、違うよ。シリウス、本当、コンラッドさんは別に何も……」

 その場を取り繕うとしたハリーは、必死に言葉を口にする。

「コンラッド=クロックフォード?」

 その呟きは、2人からではない。声の元は、肖像画だ。喚いていたブラック夫人の声だと気付く。

「彼が来ているのか?」

 普段の喚き声と違い、ハッキリとした音声が問う。ハリーとシリウスは動揺の意味で目配せしながらも、答える。

「います」

 答えを聞き、ブラック夫人は沈黙する。そして、すすり泣く声が板から聞こえてきた。これにシリウスは驚きのあまり、声が出ない。

「……コンラッド、……彼の言葉を聞き入れていれば、……うう……私のせいだ……。私のせいで、レギュラスは死んだ。私のせいで……先祖代々のブラック家は……」

 レギュラスとは、シリウスの弟だ。

 ハリーが何気なく、家系図タペストリーを眺めている時、シリウスは教えてくれた。マルフォイ家、レストレンジ家、トンクス家との繋がりにも、驚いたものだった。

「コンラッドさんが何を教えたんですか?」

 ハリーは身を屈めて、肖像画に近寄る。しかし、シリウスが止めた。

「やめなさい、ハリー。いつもの独り言だ」

「でも……」

 肖像画は、感情を持っている。モデルとなった人物の性格がそのまま反映されるのだ。ハリーはそれを学校で嫌という程、学んだ。悲哀に満ちた泣き声は、ブラック夫人そのものの嘆きに違いない。

「大切なことを教えてくれるかもしれないんだ」

 切なげにハリーに訴えられ、シリウスは一瞬、躊躇した。だが、納得して肖像画の板を外した。

 ブラック夫人は背を向け、体を痙攣させるように震えていた。

「教えてください。何があったのか」

 ハリーの質問に答えるように、ブラック夫人は語り出す。

「コンラッドは私たちに教えた。……レギュラスを……あの人に関わらせてはいけないと……。あの人に賛同するのではなく……、中立の立場で見守るべきだと。主人と私はそれを聞き入れず、彼を追い払った……。彼を見たのは、それが最後だった。私たちと話した直後に行方がわからなくなったと、レギュラスは話していた……」

「そんな話……聞いたことない」

 思わず、シリウスは呻いた。

「あの人に知られない為に、黙っておこうと決めたのだ。余計な疑惑を与えて、厄を呼ばぬためにな。……だが、レギュラスは死んだ。……コンラッドの言うとおりだった……。彼はレギュラスの身を案じて、警告を……私はそれを無駄にした……」

「自業自得だろう。一族の繁栄だ、純血主義だなんだと浮かれて、現実を見なかったからな」

 軽蔑するシリウスに向かい、ブラック夫人は振り返る。涙で赤くなった瞳が鬼婆の印象を強くしていた。同時に、ハリーは哀れな母親の印象を受けた。

「なんという冷徹!! レギュラスは思いやりのある子だった! おまえよりもずっとずっとブラック家の人間だった! 誇り高い魔法使いだった!」

「その誇り高いレギュラス様は、ヴォルデモートのやり方に恐れをなして逃げ出した! だから、殺されたんだ!」

「やめて頂戴!」

 罵り合う親子を諌める声に驚き、ハリーは階段を振り返る。

 険しく眉を寄せたモリーがいた。手すりに置いた手が爪を立てている。握りしめられた杖を振るうと、板が肖像画に貼り付けられた。

 突然の暴挙にも関わらず、ブラック夫人は沈黙していた。

 モリーは足音を強くし、2人へと迫る。応戦しようとシリウスは身構えたが、モリーは彼を素通りした。身を屈め、肖像画を両手で持ち上げる。

「コンラッドは、この絵を避けていたわ。会えば、泣かれると知っていたんでしょうね。別の場所に移すわ」

 努めて明るい声を出し、モリーは重そうに肖像画を運ぼうとする。すぐにハリーは手を貸す。

「ありがとう、ハリー。そこに置きましょう」

 『真似妖怪』のいなくなった文机、慎重な手つきで肖像画を置いた。

 わざとらしく、モリーは安堵の息を吐く。

「もう寝ましょうね、夜も遅いし……」

 唐突にモリーは言葉を切った。目から溢れてくる涙を止めようと、手で拭いだした。

「ごめんなさい、……ちょっと、止まらなくて……」

 ハリーはポケットを探し、ハンカチを探す。どこにもないので、着ていたシャツを脱いでモリーに渡した。

 遠慮なく、モリーはハリーのシャツで涙を拭う。

「すまない、モリー。私が無神経だった」

 暗い声でシリウスが謝罪した。それを聞いて、モリーは必死に首を横に振るう。

 2人のやり取りから、ハリーはパーシーのことを思い出した。

 魔法省で出世し、浮かれて現実が見えない。パーシーもいずれ、同じ目に遭うのではないかという不安がハリーの中で芽生えた。

「パーシーは……きっとおばさんの気持ちをわかってくれます」

「パーシーのこと……だけじゃないの。……ドリスのことも……」

 その名にハリーの心臓がビクッと痙攣した。

 誰もその話題を口にしない。ダンブルドアやクローディアが一度だけ、話した。たったそれだけだ。

「ドリスと……最後に話した時、喧嘩別れになって、あなたを……家から連れ出した日に。あなたのためにしたことを……、私、危険だってドリスを叱ってしまって……」

「私だって、同じことをしただろう。だが、先にモリーにやられてしまった」

 シリウスは何気なく、意見を述べる。

「……後から、聞いたわ。クローディアが『隠れ穴』に逃げてきたって、それなのに……誰も残して置かなかった……。……そのせいで、ドリスは……、クローディアの足まで……酷い傷が……」

 クローディアは『隠れ穴』に逃げた。でも、皆は騎士団本部にいた。本部の存在も知らない彼女は、藁を掴む思いでハリーの家に逃げ込んだ。無許可に『姿現わし』を使ったせいか、集中力が足りなかったせいか、彼女の足は『バラけ』た。

 肉の隙間から見えた白い骨、今でも鮮明に思い出せる。

 その時の傷はまだ足に残っているが、クローディアは治そうとしない。傷そのものを忘れている可能性はある。己の身にある傷など、彼女はモノともしない。

「おばさんは悪くない。悪いのはヴォルデモートだ。ドリスさんだって絶対、そう言い増す」

 低くそれでいて力強い声でハリーは断言した。

 モリーはヴォルデモートの名に怯えた様子を見せたが、それでもハリーに答えた。

「そうね、そうよね……。ありがとう、ハリー」

 モリーはシャツを返した。その目には、まだ涙が残っていた。彼女の不安が杞憂であったことを現実にする為に、ハリーは戦わなければならない。

 

 ――逃げない。

 

 この瞬間、ハリーは決意した。決して逃げぬと――。 

 

☈☈☈☈☈

 ようやくジュリアから解放されたクローディアは厨房を見渡す。コンラッド、ハリーにシリウス、モリーの4人がいなくなっていた。

〔お母さん、お父さんは何処さ?〕

〔お祖父ちゃんに電話してくるってさ、このお家だと電波が悪いから外に行くってさ〕

 祈沙から話を聞いている間に、コンラッドは戻ってきた。

「さあ、皆。夜は更けた。そろそろ、お開きにしよう」

 皿も空になり、良い頃合いだった。

「あれ、お袋は?」

「モリーは疲れたから、先に休むそうだ。張り切り過ぎたんだろう」

 戻ってきたシリウスがジョージに答えた。

 子供たちは部屋へ戻るように促された。そこにコンラッドがクローディアを呼び止める。

「最近、誰かとボニフェースについて話したかい?」

「……ううん、全然してないさ」

 幾分か記憶を遡ったが、クローディアには覚えはない。コンラッドは簡単に納得し、他の子供達に着いていくように促した。

 

 寝巻に着替えている間、クローディアはジュリアからの何とも言えぬ視線を感じていた。部屋に入ってから、敵意でも興味でもない。深い疑問を持った視線というべきだろう。

「ジュリア、どうしたさ? 私の顔に何かついているさ?」

 耐え切れなくなり、クローディアが問うとジュリアは気まずそうに顔を逸らす。

「……ちょっと、立ち入ったこと聞いていいかしら?」

 ジュリアは部屋にいるハーマイオニーとジニーに視線を送る。それは退室を願っていた。それに気づき、クローディアが2人を引きとめた。

「この2人になら、知られて困ることないさ。何が知りたいさ」

 気遣いを無下にされたと言わんばかりに、ジュリアは不機嫌に眉を寄せる。

「あのルーピンって人、あなたの伯父とかじゃないわよね?」

 この場にコンラッドがいれば、笑顔が硬直する質問だった。

「違うさ、ルーピン先生に聞いたことあるさ。全くの他人さ」

「そうよね、そっか他人か……」

 安堵の息を吐くように、ジュリアは笑顔となる。

「兄弟っていう程、似てるかな? どうしてそう思ったの?」

 ジニーの素朴な疑問に、ジュリアは屈託なく答える。

「ジニーはベンジャミン=アロンダイトを知っているかしら? 作曲家なのよ。この前、彼が弟と映っている写真を見せてもらったの」

「え!? ベンジャミンとボニフェースの写真を!?」

 ハーマイオニーが興味津々に興奮する。

「そう、この2人がね。ルーピンと彼女のお父さんにそっくりなの。最初は他人の空似かなって思ってたんだけど、さっき、厨房で「ボニフェース」って言ってたから……」

 何かに気付き、ジュリアは話を止める。

「ハーマイオニー、どうして弟の名がボニフェースだって知っているの? 私だって、最近知ったのに」

 少し得意げになり、ハーマイオニーは答える。

「ハグリッドから聞いたの。だって、ボニフェースは彼の親友だったのよ。ベンジャミンのことも、よく話してくれたそうよ」

「へえ……」

 笑みを作ったまま、ジュリアは気の抜けた返事をした。

「それにね、前に【ザ・クィブラー】に記事が載っていたわ。今度、見せてあげる」

 ジニーの提案に、ジュリアは渋々、了承した。

「ジュリア、その写真っていつ頃、撮られたモノかわかるさ?」

「ええ……と、……確か、30年くらい前だろうって、言っていたわ。」

 一瞬、クローディアの思考が疑問に支配された。ベンジャミンの亡くなった年は知らないが、およそ30年以上前だ。つまり、亡くなった年あるいはその近い年に兄弟は再会を果たしていた。

 だが、それをハグリッドは語っていない。

 知らないことだからか、知られたくないことだからか、知るべき時ではなかったから……。

 同時に納得もした。

 成人したアロンダイト兄弟ならば、ルーピンとコンラッドはよく似ている。

「そういうことだったんだ……」

 ため息のように漏れたジュリアの呟き、クローディアの耳に届いていた。その呟きは、ベンジャミンの弟を皆が知っている事を残念がっているという印象を受けた。

 




閲覧ありがとうございました。
原作の「俺らはなんだよ、お隣さんかい?」は五巻での名台詞だと思っています。モリーさん、贔屓はあかんよ。


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7.見える見えない

閲覧ありがとうございます。
気づけば、UAが5万8千超えてました!ありがとうございます。


 快適でないにしろ、クローディアは意識良く目覚める。室内で起きているのは、自分のみ。時刻は夜明けだ。

 飲み物を求め、厨房に来てみればシリウスがいた。しかも、彼1人。

 これ程、新学期の朝が陰鬱に感じたことはない。

「おはよう……ございます」

「クローディア、良いところに来た。君に話したいことがある」

 クローディアは朝の挨拶だけして出直そうとした。しかし、シリウスは彼女を呼び止める。躊躇いのない強い口調だ。

 陰鬱が吹き飛ぶほどに驚いた。

 シリウスから話しかけることは、まずない。彼女からの質問に答えはするが、それだけだ。

「……あ、はい」

 思わず、素直に従ってしまう。取りあえず、お互い向かい合うように座る。

 間を置かず、シリウスは懐から古い写真を一枚、差し出した。

「不死鳥の騎士団を創立したときの写真だ。ここにいるのは、その時の仲間だ」

 クローディアはシリウスを一瞥してから、写真を手に取る。色褪せた写真の住人が手を振ってくる。

 シリウスは物静かな口調で1人1人、紹介し出した。

 今より若いディグル、バンス、ドージ、リーマス、シリウス、ムーディ、ハグリッド、ポドモア……ペティグリューもいる。当然だ。まだ、裏切り者と知られていないのだ。

 ロングボトム夫妻、ネビルの両親だ。初めて彼の両親を知った。むしろ、疑問を抱かなかった。彼はいつも祖母や親戚の話しかしない。

「この2人は、……死ぬより惨いことになった」

 次々と紹介される中に、ダンブルドアに弟がいた。思わず、凝視してしまう。写真のアバーフォースは、紹介されると皆の中に紛れてしまった。

 そして、ポッター夫妻。墓場で見た2人だ。

 感情が高ぶったクローディアの瞳に、涙が溢れてくる。頬を伝う前に親指で擦った。

「これをハリーに渡して欲しい。渡すべき時は、君に任せる」

「自分で渡せばいいさ、ハリーもそのほうが……」

 不意にクローディアは口を噤む。その先は、言うべきではないと感じた。

「俺には、絶対、死なないなどと言えない。だが、君は死ぬな。何があってもだ」

 指図ではなく、願いのように聞こえる。

 穏やかな気持ちでシリウスの想いをクローディアは受け入れた。こんな瞬間が来るなど、考えもしなかった。決して、嫌ではない。

 写真を受け取り、クローディアはシリウスを真っ直ぐ見据えた。

「私は死なない、死んではいけないもの。だから、あなたも死なないで」

 シリウスは返事をしなかった。しかし、彼から溢れ出る肯定の雰囲気だけで、十分だ。

 

 準備万端を確認し、ムーディが護衛の指揮を取る。

「クローディア、おまえには『目くらましの術』をかけなきゃいかん。駅でおまえにどんな思惑を持つ者が近寄ってくるかわからん」

 返事をする間もなく、ムーディの杖で額を叩かれた。

〔おお、来織が何処にいるか、わからないさ。まるで魔法で姿を消したみたいさ〕

〔だから、魔法だってさ〕

 クローディアの言葉も、祈沙に聞こえないようだ。

「ハリーには魔法をかけないの?」

「無罪を勝ち取ったハリーは、堂々と皆の前に出てもらうんだよ」

 ジニーの問いに答えたのは、アーサーだ。

「ファッジ大臣が言ってたよ、おじさんのように確かに味方と言える人は少ないって」

 何気なくハリーの教えた言葉に、アーサーは驚愕した。

「ファッジが……私の事を……そんな風に……」

 アーサーが感極まっている間、トンクスは幼い少女、シリウスは犬へとそれぞれ変身していた。彼女は魔法で首輪を出し、犬の首に付ける。散歩として、偽装するためできる。

「いいかい? 駅には母さんがコンラッドと先に行っている。学校にはリーマス達がいる。怖いことなんてないから、安心して行っておいで」

「パパは自分のことを心配してね」

 必死なアーサーの態度に対し、ジニーが不安そうだ。

「偶には手紙を頂戴ね。私の友達にも『W・W・W』は好評なんだから」

「新商品の案内はしてやるよ」

 ジュリアは唇を尖らせ、ジョージの髪を手櫛で整えた。

 

 屋敷からキングズ・クロス駅まで、徒歩二十分とは近い。

 子供達はムーディ、シリウス、トンクスによる護衛に付き添われ、9と3/4番線に無事、到着した。

「微笑ましい絵図だね」

 シリウスに向け、コンラッドが冷ややかに笑う。

「良かった、皆いるわね。ああ、スタージスが荷物を持ってきたわ」

 モリーは安堵の息を吐き、子供達を順番に抱き締めた。

「いい子でいるのよ、手紙を忘れないで」

「だが、何でもかんでも書くな! 重要な事ほど、何も書くな! 油断大敵!」

 ムーディも忠告を入れながら、次々と握手を交わす。最後にクローディアの額を杖で小突いた。

「お、クローディアの魔法が解けた」

 ロンが興味深そうに、彼女を眺めた。

 『目くらましの術』を解くにもしても、小突きは痛い。クローディアは痛みに文句を言おうとすると、コンラッドが不意に耳打ちしてくる。

「手紙のことだが、これからはモリー宛に出すんだよ。だが、返事は出せないだろう」

 

 ――手紙。

 

 もう二度と、ドリスに手紙を出せないのだ。

「……うん、わかったさ。お父さんはこれから、どう……」

 クローディアの声は、警笛に掻き消された。

 生徒達も合図のように汽車へと乗り込む。それでも、別れを惜しんで窓から顔を出す。

「会えて良かったよ」

 スタージスに肩車されたトンクスが手を振る。その足もとで、シリウスが犬から人へと変身した。大勢に見送られ、クローディアは改めて実感した。

 見送りの顔ぶれに、ドリスがいない。彼女は、本当にいなくなった。

 理解していたはずなのに、ふと訪れる哀愁。クローディアは意図せず窓から顔を逸らし、見送りの人々からへ背を向けた。

「先にコンパートメントを探すさ」

 まだホームは見えていたが、クローディアはトランクと虫籠を持って進んだ。

 

 最後尾車両まで歩き着くまで、クローディアは幾人もの生徒に声をかけられた。ほとんど、お悔やみの言葉だ。勿論、好奇心の視線だけ、向けてくる生徒もいた。コンパーメントに誘われたが、ハリー達のことを考え、断った。

「クローディア」

 後ろから、囁かれた。全く気配を感じさせず、背筋に寒気が走る。しかも、耳によく馴染む声だ。コンパートメントの戸から、ルーナが目を覗かせていた。普段は見開かれた目が糸のように、細く睨んでくる。

「ルーナ……、久しぶりさ」

 彼女の名を呼んだ瞬間、クローディアは引きずり込まれる。

 ルーナに眼前が迫ったと視認した時、頭突きを食らった。事故ではなく、故意だ。衝撃の反動で、半開きの戸に背を強打した。

 胸ぐらを掴まれ、そのまま抱きしめられた。

 ルーナらしからぬ動作。

 クローディアは困惑せず、ルーナを抱きしめ返す。

「心配、かけて……」

「謝らない」

 断言されたので、黙る。

「クローディアを叩いたのは、私だけ?」

「うん、ルーナだけさ」

 正しくは頭突きだが、頭を使って叩いたようなモノだろう。痛みの強さは、ルーナとの信頼と心配の重みに相当する。

「すごく痛かったさ」

 クローディアは身も心も心地よい感触に、思わず微笑んだ。

「笑わない」

 不機嫌な声で、ルーナは怒った。

 

☈☈☈☈☈

 監督生たるハーマイオニー、ロン。その2人と別れ、ハリーとジニーはクローディアを探す。

「あら、ハリー。こんにちは」

 緊張した声に呼ばれ、振り返ればチョウがいた。綺麗な黒髪にハッキリした目元、可愛らしい彼女の姿は、ハリーの胸をときめかせる。

「やあ、チョウ」

「クローディアなら、最後尾まで行ったはずよ」

 その名を聞き、一気に気持ちが沈む。チョウにとって、ハリーはクローディアの友達でしかないのかもしれない。寮のことがあるのだ仕方ない。

 ハリーの様子に気づかず、チョウは続ける。

「ハリー。裁判の話、聞いたわ。大人達を相手に冷静で堂々として立ってね? とても勇敢だわ、素敵よ」

 チョウが自分を褒めてくれた。しかも、彼女の頬は、ほんのりと紅くなっている。ハリーを意識しているからだ。

「チョウ、ありがとう。本当に嬉しいよ」

 今だけ何もかも忘れて、喜びたい。

「ハリー、行くわよ」

 余韻に浸れず、ハリーはジニーに連れて行かれた。

 

 ようやく、最後尾の車両に着いた。ネビルが廊下に座り込んでいた。膝にトレバー、首にベッロを巻いている。

「やあ、ハリー。ジニーも……。何処もいっぱいだね」

「……そうね、何してんの?」

 ジニーは怪訝そうに眉を寄せる。

「2人の邪魔しちゃ悪いと思って……」

「……2人?」

 ハリーはオウム返しに呟くと、コンパートメントの向こうで抱き合う女子2人を目にしてしまった。しかも、1人はクローディアだ。

 挨拶にしては、長い抱擁だ。こちらが羞恥心に駆られてしまう。

「邪魔しちゃ悪いね」

 納得して、ハリーはネビルの隣に座る。しかし、ジニーは遠慮なく戸を開けた。そのせいで、彼らは倒れこんだ。

「ここ、いいかしら?」

 戸が開き、クローディアは首だけ振り返らせる。

「どうぞ、お構いなくさ。ルーナ、荷物を入れるから離してさ」

「あんたは、ハリー=ポッターだ」

 名を呼ばれた女子生徒は、クローディアから離れずにハリーを凝視する。思わず、たじろいだハリーはベッロで視界を塞いだ。

「ハリーは彼女と話したことないよね? ルーナ=ラブグッド。レイブンクロー生で、ジニーの同学年なんだ」

「ありがとう、ネビル」

 ネビルが自信満々に紹介し、ハリーは曖昧に笑う。クローディアとも親しいのと一目でわかる。

(クローディアは、僕の知らない友達が多いな)

 荷物棚にトランクを片付け、4人はそれとなく席に着く。

「ハーマイオニーとロンは、監督生車両さ?」

「ええ、首席の話が終わったら、見回りに来るはずよ。ルーナ、夏休みはどうだった?」

「忙しかったよ。編集に増刷の手伝いばっかりだった。パパがすごく喜んでたもン」

 ジニーに話しかけられ、ルーナは窓際に置かれていた雑誌【ザ・クィブラー】を手にする。

「この雑誌、編集長がルーナのお父さんさ」

 クローディアが【ザ・クィブラー】を指さし、ハリーに教えた。彼の反応は鈍い。

「雑誌の事、忘れてるさ?」

「……うん、全く覚えてない」

 あのコガネムシパパラッチのせいで、ハリーは取材嫌いになっていたのだ。無理もないだろう。思い返せば、昨年度の間、しつこく勧められた雑誌だった気がする。

 クローディアは残念そうに笑った。

「ミンビュラス・ミンブルトニア!」

 唐突に、ルーナが声を張り上げる。

 吃驚したハリーは、眼鏡の縁を押さえる。クローディアとジニーは慣れた様子だ。

 ネビルだけ、荷物棚へと手を伸ばしてトランクを漁る。彼が取りだしたのは、灰色の小さなサボテンおできの鉢植えだった。正直な感想は、気持ち悪い。

「誕生日に貰ったんだ。ルーナにも、手紙で教えたんだ。覚えててくれたんだね」

 そのまま、ネビルは似非サボテンの植木鉢について語りだす。時折、ルーナが口を挟んでも、彼は楽しそうだ。

 ネビルの屈託のない笑顔を見ていると、ハリーの心に黒い滴が落ちてきた。

 隣に座る彼と自分と紙一重の運命、ヴォルデモートにより2人の人生は違う道筋となった。両親の生死、額の傷、魔法界の知名度、他方が生き残れぬ宿命。

 ダンブルドアはヴォルデモートが混血である故に、敢えてハリーを選んだと言っていた。

 もしも、それがネビルだったなら、傷は彼の額にあった。これまで自分に降りかかってきた試練のような戦い、全て彼の物だった。

 そして、クローディアに守られていたもの彼だ。2人ならば、乗り越えられただろう。自分を抜きにして、自分を置き去りにして、勝手に突き進んでいくのだ。

 それを自分はネビルの立ち位置で見ている。時には友人のように接し、時には他人事のように素知らぬ振りをしながら、2人を眺める。

 でも、淋しくなんかない。

 何故なら、『生き残った男の子』であろうとなかろうとロンだけは親友でいてくれる。きっとハーマイオニーもいたに違いない。

 

 ――――おまえなんか、友ではない。

 

 一瞬、額が裂けたように痛かった。あまりにも一瞬、だったので幻覚かと思った。

「ハリー、大丈夫か?」

 隣にロンが座っていた。口の周りにチョコまみれだ。

「ロン、みっともないわ。拭きなさい」

 ハンカチを渡しているのは、ハーマイオニーだ。2人とも、監督生車両にいるはずだ。クルックシャンクス、鳥籠のピッグウィジョンもいた。

「ハリー、飲んでおくさ」

 クローディアから飲み物を貰う。勿論、ジニー達もいた。ネビルはミンビュラス・ミンブルトニアを持っていない。ルーナは【ザ・クィブラー】を読んでいる。

 皆、ハリーを見ている。

「いつ来たの? ロン……」

 髪の生え際から、汗が滴る。胸も苦しく、ハリーは新鮮な空気を求めて深呼吸する。

「ついさっきさ。君、寝てたよ。いびきも掻かず、すっごく静かにね」

 ロンの言葉に驚き、思わずクローディアを見やる。

「彼是、一時間は寝ているさ。ネビルがミンビュラス・ミンブルトニアの『臭液』を撒き散らした時、寝ていることに気付いたさ。ハリー、全身浴びたのに微動だにしなかったさ。あ、『臭液』に毒はないから、安心してさ」

「『臭液』? そんなの散らせたの?」

 寝ていてよかった。

「ハリー、セドリックが君に挨拶をしに来ていたよ。君が寝てるって言ったら、遠慮してくれた」

 ネビルから聞き、ハリーは感謝した。

「起きたのなら、ちょうどいいわ。他寮の監督生! 誰だったと思う!?」

「その様子だと、スリザリンはマルフォイに決まりだね」

 皮肉っぽくハリーは、ハーマイオニーに答えた。

「大正解! それに、あのいかれた牝牛のパンジー=パーキンソンよ! いくらなんでも、あの馬鹿が監督生なんて!」

「レイブンクローは?」

 ルーナが夢見心地な口調で聞く。

「アンソニー=ゴールドスタインとパドマ=パチル」

「アンソニーとパドマがさ? お祝いしないといけないさ。ベッロの牙でも、いいさ?」

 冗談めいた口調で、クローディアがベッロを掴む。案の定、尻尾で顔を叩かれた。

「それから、ハッフルパフはアーニー=マクミランとハンナ=アボットよ」

「へえ、ハンナが監督生さ。学校に着いたら、皆でお祝いしようさ」

 自分のことのように何度も喜ぶクローディアをハリーは、妙な心地で眺める。

 先ほどまで、クローディアを忌避する感情が強かった。それなのに、今は何ともない。大事な友人である。まるで、自分ではない感情が胸に棲みついたような粘りを覚えた。

 でも、何の恐れもない。自分の一部のような受け入れやすいモノだ。

[ハリー、受け入れるな]

 ベッロが警告する。

 急に喉が渇いてきた。心拍も上がる。室温のせいか? 否、焦燥感だ。

 ベッロの声で、ハリーは正気になったというべきだ。

 理解できない何かを許しかけていた。

 学校に着いたら、ダンブルドアに相談しなければいけない。ハリーは逸る気持ちを窓の外へ向けた。ロンがゴイルのモノマネをしていたが、全く聞いていなかった。

 

☈☈☈☈☈

 ルーナの爆笑した顔を初めて見た。

 ロンのモノマネが、ルーナの笑いのツボを見事に突いたらしい。息苦しそうな呼吸、目には涙、腹筋を押さえても笑い続ける。

 クローディアもつられて笑い、ロンとハリー以外の皆も笑った。

「君、からかってる?」

 ロンは馬鹿にされたと感じたのか、不機嫌そうに顔を顰める。それさえも、ルーナには笑い要素だったようだ。更に笑い声が大きくなった。

「ルーナがこんなに笑うのを初めてさ」

 クローディアは笑いながら、ハリーを盗み見る。一時間前、彼は唐突に眠りこけた。呼吸音も低く、寝返りも打たない。何かの拍子に意識が落ちたなら、誰かの魔法かと疑った。

 ジニーと目配せで、ベッロを見てみる。特に変化はない。ネビルが何時ぞやの吸魂鬼のように騒ぐといけないので、ハリーは疲れて寝ていると誤魔化した。

(暫時、校長先生に知らせるさ)

 学校へ着いても、個人的に話すのは明日以降になる。

「ハリー、駅に着いたらヘドウィッグを貸して欲しいさ。校長先生に手紙を出したいさ」

 それとなく頼むと、ハリーは同意して激しく頷く。

「クローディア、校長先生に何で手紙出すの?」

「乙女の秘密さ」

 クローディアが茶目っけたっぷりにネビルへウィンクする。彼は追求せずに納得してくれた。

「何だよ、乙女の秘密って、校長……ごふっ」

 ロンの好奇心は、ハーマイオニーの拳によって脇を強打したことで防がれた。

 

 ホグズミード駅に到着が少しだけ憂鬱になった。気まぐれな天候と夜で震えるほど寒い。

【汽車の乗車中にハリーが意識を失いました。本人に眠っていた自覚はありませんでした。

 ハリーも校長先生に会いたがっています  クローディア】

 速攻で書き終えた手紙をヘドウィックに託し、窓から放つ。

「私達、先に出るわね。馬車乗り場で会いましょう」

 監督生のハーマイオニーとロンは、生徒の誘導と監督を担う。2人の使い魔は、ここにいる面子に託された。ハリーは2匹を受け持とうとした。

「私がその子を持ってあげてもいいよぉ」

 積極的な態度でルーナはピッグウィジョンへと手を伸ばす。ハリーは気圧されたように渡した。ジニーが暴れるクルックシャンクスを小脇に抱えた。

「忘れ物ないさ? はぐれないでさ」

 ベッロのいる虫籠を頭に乗せ、廊下へ出る。案の定、廊下は人でごった返し、流れに沿ってホームへ降りた。雨の余韻と木々の香りが鼻に付き、懐かしさも感じる。

「イッチ年生はこっちだ! さあ並んで!」

 お決まりの森番は、新入生へ叫ぶ。

「ハグリッド!」

 ハリーの必死な呼び声に、ハグリッドもランプを振り回して応じた。

 

 すっかり見慣れた馬なし馬車の整列、生徒が数人で次々と乗って行く。虫籠を頭から下ろし、ハリーを探した。

「クロックフォード」

 その声に、心臓がざわついた。

 胸に『監督生バッジ』を付けたドラコだ。しかも、1人。

 

 ――――憎んではいない。

 

 では心臓から全身に血液が廻るように、手先が震えてしまうのは何故だろう。

「こんばんは、マルフォイ。さあ、馬車に遅れるさ」

 クローディアは、極めて冷静に愛想笑いをする。

「君の家族は間抜けだった。父上を信じていれば、命は助かったんだ。頑固に逆らうから、あんなことになった」

「その話はしたくないさ。マルフォイ、私は自分が考える以上にあんたを許せる気がしないさ」

 確実に湧きおこる衝動のせいか、頬の筋肉が引き攣る。自制の為、ドラコから顔を背けた。

「父上はお前たちを助けようとした! 恨むのは筋違いだ」

 悲痛なドラコの声に、クローディアは全身が凍りつく。凍りついたのは彼女だけでなく、偶々周囲にいた生徒全員だ。

「やっぱり、ルシウス=マルフォイは……」

「ファッジを殺したって噂も……」

 ヒソヒソと生徒の声は伝染していく。どれもドラコを恐れていない。軽蔑や嫌悪、侮蔑や批判めいた視線が彼に集まっていた。それを彼は物ともせず、むしろ称賛のように受け止めていた。

「皆、馬車に急いで! 新入生より遅れないように!」

 冷静な声が割って入る。『首席バッチ』を付けたセドリックだ。首席の登場に生徒は不承不承と馬車に乗っていく。ドラコは首席に意地悪な笑みを向け、馬車へ乗りこんだ。

「ディゴリー、ありがとうさ。ちょっと、キレそうになったさ」

「たかが、マルフォイだ。相手にするなよ」

 穏やかに冗談っぽくセドリックは笑う。

 いつの間にか、ハリーが傍にいた。彼に気づき、セドリックは親しみを込めて挨拶する。

「やあ、ハリー。父さんから聞いたよ。とても立派だったって」

「ありがとう、セドリック。君、首席になったんだ。すごいね」

 当たり障りのない会話をしていると、監督生の役目を終えたハーマイオニーとロン、それにジニーが追いついた。

「あら、セドリック。生徒は皆、汽車を降りたわ。降り忘れはなしよ」

「そうか、ありがとう」

 ハーマイオニーに答え、セドリックは友人達と馬車に乗って行った。

 クローディアも馬車に乗ろうとすると、ハリーが引き留めた。

「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど、こいつらって何だと思う?」

 気色悪いモノを見る目つきで、ハリーは馬車を顎で指した。生憎、彼の意味する「こいつら」が何のことなのか、皆目見当がつかない。

「こいつらって何?」

 ロンは馬車の周りを見回し、探す。からかわれていると思ったらしく、ハリーは苛立つ。

「この馬みたいなものだよ。馬車を引っ張っているじゃないか」

「何もいないわよ」

 ハーマイオニーが控え目に否定した。

 ハリーは愕然とし、馬車をゆっくりと眺める。それから、辛そうに顔を顰めた。

「皆には見えてないの?」

 確かめるような口調に、思わず「見えているよ」と返したかった。それはハリーをただ同情するだけだ。返答に困っていると、夢見がちな声が当然のように囀った。

「大丈夫だよ、あたしにも見えるもン」

 暗闇に淡い光が燈るように、ハリーの雰囲気が変わる。ピッグウィジョンを抱えたルーナは、当たり前に言い放つ。

「あんたは、おかしくなんかない。あたしと同じくらい正気だよ」

 言い終えたルーナは、軽い足取りで馬車へ乗りこんだ。

「行きましょう。宴に遅れるわ。クローディアにも、お楽しみがあるわよ」

 我に返ったように、ハーマイオニーも続いた。ロンとジニーも乗り込んだ。

 クローディアは乗る前に、ハリーを振り返る。彼はもう馬車を見ていなかったが、ボタンをかけ間違えたような消化不良な顔をしていた。

「ハリー、ルーナは嘘をつかないさ。私に見えないモノがあってもおかしくないさ」

「そりゃあ、どうも。僕は皆と違うってわかっているから」

 皮肉っぽく、ハリーの口元が歪んだ。

 その表情、一瞬、否、刹那、ヴォルデモートに似ていた。

 回想するのはあの日。ドリスを亡くした日。

 家に押し入り、嘲笑う。耳の奥から、今でも聞こえてくる。

 指先が強張り、恐怖が動悸を強くしている。クローディアは友人であるハリーに怯えた。恥に思い、隠れるように馬車へと乗った。

 結局、ハリーも乗ってきたので意味はない。

「デザートが食べたい」

 馬車が動き出すとルーナは歌うように呟いた。

 

 壮大かつ雄大な大広間。

 教員席に新しい顔ぶれ、白髪を丸く刈り込んだ魔女だ。

「あの人が……査察かな?」

「いや、魔法省の役人じゃないぞ。誰だ?」

 それよりも、組み分け帽子による歓迎の歌は小さな波紋を呼んでいた。4つの寮に対し、互いに手を取り合えと警告する歌など、今まで一度も聞いたことはない。

 生徒たちは、ほとんど拍手をせず、囁き合う。

「帽子が警告をするって、今までにあったかしら?」

 パドマは深刻そうに宙に浮かぶ『灰色のレディ』へと目をやる。

「ありますよ、何度も聞いてきました」

 抑揚のない声で『灰色のレディ』は答えた。

 帽子を片付け、マクゴナガルが新入生の名簿を広げる。気づいた生徒は、自然と口を閉じていく。静粛が確認されてから、よく通る声が大広間に放たれる。

「ユーアン=アバクロンビー」

《グリフィンドール!》

 歓迎の拍手が湧き起る。いつもの光景になってくると、皆、安堵の表情を浮かべる。

「アステリア=グリーングラス」

《スリザリン!》

「トラヴィス=フルーム」

《レイブンクロー!》

 組み分けされる生徒達。寮によって、不仲になる生徒もいる。

 クローディアは、知らずと口ずさむ。

「結束せねば……望みはない……」

 ヴォルデモートが復活した晩、ダンブルドアは信頼を確固たる物にすべきと訴えた。帽子もそれと同じ事を警告している。

「ローズ=ゼラー」

《ハッフルパフ!》

 最後の生徒が終わり、儀式は終了である。

 空腹に耐えかねた生徒の為に、豪華な食事が一瞬で並べられた。『屋敷しもべ妖精』の為せる業だと知るクローディアは、彼らに感謝の念を込めて「いただきます」と合唱した。

「あの噂、本当かな?」

「ハリー=ポッター?」

「そっちも気になるけど、魔法省から……査察が来るかもって……」

 食事中、教員席から視線を感じる。振り向くと、ハグリッドがクローディアを見ていた。彼女と視線が合えば、すぐに逸らされた。おそらく、ドリスの訃報で憐れんでいるのだ。

(心配してくれたさ?)

 恒例のダンブルドア校長の挨拶、新しい魔女ウィルヘルミーナ=グラブリー‐プランクが紹介された。

 『魔法生物飼育学』の担当を行うという。ハグリッドが外された事態に、またざわめく。彼の授業を滑稽に思う生徒は、嘲笑して新任の教師を受け入れた。

「ハグリッドがいないって、残念」

 本当に残念そうなセシルが呟く。

 例年通りの管理人フィルチからの注意事項、クィディッチに参加者への連絡事項が行われる。

 音程の合わない校歌合唱、そして、就寝の挨拶をすれば、終了である。

「レイブンクローは僕に着いてきてくれ」

 アンソニーが腹から声を上げ、新入生を引率する。

「こっちにいらっしゃい」

 ハーマイオニーとロンも新入生に呼びかけている。ハリーは新入生から声をかけられていた。

「ハリー=ポッター、僕、ユーアン=アバクロンビーです。僕の家族も貴方を応援しています」

「ありがとう、ユーアン。嬉しいよ」

 優しい表情で笑いかけるハリーから、恐怖は感じない。クローディアの知る彼だ。

「クローディア、行きましょう」

 リサに呼ばれ、クローディアは席を立つ。その拍子に、ハリーと視線が絡んだ。彼はダンブルドアの席に歩いて行った。

 

 青を基調した寮、2か月ぶりの場所がとても落ち着く。絵の住人達も「お帰り」と声をかけてくれる。

「寝る前に『N・E・W・T』の試験範囲について、話さないか?」

「やめてくれよ、クィディッチの選抜を考えないといけないんだぜ」

 暖炉の火に寄り添うザヴィアーとロジャーは、笑いあう。ロジャーとは、汽車と大広間でもすれ違わなかった。元気そうな彼の姿に安心した。

「ロジャー」

 クローディアは普段通り、彼に声をかけた。ロジャーは笑顔を消し、簡単に返す。

「やあ、クローディア。休みはどうだった?」

 怒気を含めたロジャーの声は、クローディアに混乱を与える。また、新学期で浮かれていた談話室を凍りつかせた。

「ロジャー、何を聞いているのか、わかっているの?」

 憤慨したクララが鋭く咎める。しかし、ロジャーは気にしせず、答えない。煮え切らない彼の態度にクローディアは寂しさを感じつつ、問うた。

「ロジャー、言いたいことがあるならハッキリ言って欲しいさ」

 ロジャーは乱暴に頭を掻いてから、立ち上がる。

「ママに学校に戻るなって言われた。ハリー=ポッターと関わるなって、後は言わなくてもわかるだろう? 君だって、学校に戻るべきじゃなかった!」

 ざわめく談話室。同情めいた視線がクローディアに集まる。その視線を一身に受け、胃の緊張を解すように深呼吸する。

「私はハリーの味方さ。これからもさ」

 クローディアの本音に、落胆したロジャーは背を向ける。それは決別で、拒絶を意味していた。自分に好意を抱いてくれた分、切なく思う。

「ありがとう、ロジャー。もし、私に何かあったら、馬鹿な奴だって、嗤っていいさ」

 それだけ告げ、クローディアは自室に駆け込んだ。後から、パドマが追って来た。

「新入生達は、先に部屋へ行かせて正解よね。あんな言い争いを見せずに済んだもの」

「ごめんさ、雰囲気悪くしてさ」

 口を開くと、涙が零れそうだ。自分が考えるより、心の衝撃は大きい。

 パドマは何も言わず、クローディアを寝台に座らせる。高ぶる感情が落ち着くまで、傍にいてくれた。

「パドマ、監督生。おめでとう」

 必死に言葉を紡いだので、クローディアの顔はくしゃくしゃになっていた。それがおもしろかったらしく、パドマは口を押さえて笑い出した。

 頃合いを見計らって、リサが入ってきた。彼女はパドマと視線を絡め、クローディアへと丁寧に包装された箱を渡した。

 誕生日の贈り物を貰ったのだ。クローディアと親しい女子全員で、皆と相談して決めたと教えてくれた。ハーマイオニーから聞いた「お楽しみ」がこれでわかった。

「17歳ですもの、奮発しましたの」

 渡された包みを開けると、櫛が入っていた。藤の文様が刻まれ、その文様が本当に揺ら揺らと動いている。

「その櫛なら、どんなにボサボサな髪も綺麗に梳かせてくれるわ」

 パドマの声に、より嬉しさが込み上げる。

「素敵なものをありがとうさ……、私、皆に迷惑や心配をかけてばっかりなのに……」

「そういうことは言わないで下さい。もう慣れっこですもの」

 これ程まで、皆に想われていた。感極まり、その場で土下座する。パドマは理解したが、リサはキョトンとクローディアを眺めた。

 気分が落ち着いてから、クローディアはパドマに監督生就任を祝った。

 

☈☈☈☈☈

 校長室に飾られた歴代校長、その1人フィニアス=ナイジェラス=ブラック肖像画をハリーは見るとはなしに見つめる。シリウスの曽祖父で、現役中は最も人望のない校長だ。

 ブラック家にも彼の肖像画はある。ハリーの寝室に使っている部屋にあると、シリウスに教えられた。

 思えば、クリーチャーは元校長に話しかける素振りもない。シリウス曰く、肖像画に、ほとんど姿を見せないせいだ。

「なんだね、わしの顔に何があるというんだね」

 怪訝そうにフィニアスは、ハリーを睨んだ。

「何もありません、ただ見ていただけです」

「何にもないはずがないだろ」

「フィニアス、落ち着くが良い。この部屋は生徒の興味をそそるに十分じゃ。無論、君も興味をそそる存在じゃろ?」

 悪態をつくフィニアスは、校長室に戻ってきたダンブルドアに窘められた。

「遅れてすまない、ハリー」

「いいえ、生徒が寮に帰るまで先生には大広間にいてもらわないと、皆が安心しません」

 ハリーは椅子に腰掛け、ダンブルドアは杖で紅茶を振舞う。

「さて、ハリー。汽車で眠ったというのは、君としてはどんな感覚であったかの?」

「うまく言えませんが、知らない間に時間が過ぎていました。ロンに言わせると、本当に静かだったと」

 一呼吸、置いてからダンブルドアは問う。

「君はその時、何を考えていたか、覚えているかね?」

「……確か、クローディアの事を考えていました……。その……彼女を否定するような事を考えていたと思います。でも、ベッロに話しかけられたら、それが消えました……」

 彼女の名が出ても、ダンブルドアは眉ひとつ動かさず、問い続ける。

「クローディアを否定するだけかの? 相手は彼女だけか? それはいつから?」

「彼女だけです。……裁判が終わってからだったと思います」

「君はコンラッドにボニフェースの事を尋ねたそうじゃが、それは何故じゃ?」

「……彼の夢を見ました。ボニフェースと話をしました。彼は自分が死んでいるとわかっていました。あの、この夢は……多分、本部に行く前から……何度か見ました」

 必死に記憶を辿る。

「ボニフェースの夢?」

 ハリーの一言を慎重に聞き、ダンブルドアは考え込むように自らの鬚を撫でる。

「先生、僕に何か起こっているのでしょうか?」

「……何とも言えん。何かの前触れと思って良いじゃろう。ハリー、しばらく、クローディアと距離を置いてみてくれんか?」

 突然すぎて、ハリーは変な声が出た。

「わしは君達は離さぬべきじゃと思っておった。しかし、それが危険か安心かを判断するには材料が足りぬ。辛いとは思うが」

 意図して距離を置く。去年、ハリーはロンにされた。あれは、寂しくて心細かった。それを今度はハリーにしろと言うのだ。素直に嫌だと言いたい。でも、ダンブルドアが直接、提案するのだ。深い意味がある。

「彼女に理由を言うべきでしょうか?」

「それは君が決めるべきじゃ。わしは君に判断を任せたい。いいかのお?」

 信頼の伝わる声、ハリーは心が穏やかになる。勇気づけられたのだ。

「僕、彼女に話します。ロンとハーマイオニーに、言っても構いませんか?」

 一瞬、ダンブルドアは沈黙した。優しい眼差しのまま、真剣だ。

「良かろう、しかし、3人には、誰にも口外させぬように、固く言い付けるのじゃよ?必ず、そこを突いてくる者は現れるからの」

 僅かに緊迫した声で、ハリーは緊張し、唾を飲み込んだ。

「マルフォイのことですか?」

 浮かんだのは、スリザリンのドラコだ。

 しかし、ダンブルドアは否定も肯定もせず、付け足す。

「魔法省がホグワーツに干渉したがっておる。直に此処へ人を寄越すじゃろう。表向きの事情を携えてな」

 意味深なダンブルドアの口調から、ハリーは裁判での出来事を思い返す。

 大法廷・ウィゼンガモット。尋問官アメリア=スーザン=ボーンズ魔法法執行部部長。ドローレス=ジェーン=アンブリッジ上級次官。そして、法廷書記のパーシー……等。

 パーシーはハリーをファッジ殺害の犯人を見る目で睨んでいた。

 ボーンズ女史が冷静に、根気よくハリーを尋問した。責めるのではなく、状況確認の為に……。公平な彼女がいなければ今頃、ハリーはアズカバンに収監されていたに違いない。

「バグマンさんは魔法省を止められないのですか?」

 あの無責任な賭博師に嫌悪を込めて、ダンブルドアに問う。すると彼は悪戯っぽく、笑みを浮かべた。

「彼はわしが想定するより、役に立っておる」

 ダンブルドアがバグマンを褒めた。しかし、ハリーとしてはフレッドとジョージの件で、賭博師を信頼するには当たらない。

 ハリーの複雑な表情から、何か察したらしく、ダンブルドアは喉を鳴らして笑う。

「ただ、あまり、あやつに期待をかけん事じゃ」

 この言葉で、校長も大臣に全幅の信頼を置いていないと察した。

 




閲覧ありがとうございました。
やっと、学校に着きました。
ハリーとルーナ、いままで出会わなかった不思議。
フィニアス=ナイジェラスは、フィニアスとします。ブラックでは、私がシリウスと混ざっちゃいます。
今年度の首席は、セドリックです。選手として試練を乗り越えたので、勝手に首席にしました。


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8.学び場

閲覧ありがとうございます。
お気に入りが560名超えました。ありがとうございます!

追記:20年4月24日、誤字報告により修正しました。


 ベッロに起こされ、クローディアは眠気に頭が痛い。時間を見ても、まだ早朝6時。

「どういうつもりさ?」

 寝不足で睨んでも、ベッロは飄々と腕輪を差し出した。そこに『競技場』と浮かんでいた。

 早朝の呼び出しに、眠気が吹き飛んだ。

 影に変身し、急いで競技場へ向かう。ベッロも急いで、影を追う。

 朝の新鮮な空気を堪能する暇はない。

 競技場には、誰の姿もない。ベッロは辺りを這いずり、吠えるように空を仰ぐ。そして、観客席まで這って行く。クローディアも追いかける。

 観客席の下まで来た時、ハリーとロンが『透明マント』を脱いだ。2人とも、寝間着のままだ。

 クローディアも影から変身を解く。彼女も寝間着だった。

「「「おはよう」」」

 気恥ずかしい気持ちで、3人は挨拶する。

「ハーマイオニーは、どうしたさ?」

「『透明マント』に3人も入らなかったから、寮に置いてきた。まあ、僕がでかくなり過ぎたせいですけど……」

 何も言っていないのに、ロンは不貞腐れた。相当、ハーマイオニーからネチネチと嫌味を言われたようだ。

「ハーマイオニーには、僕からちゃんと話すよ」

 緊張した様子で、ハリーは息を吐く。

「昨日、宴が終わってから、校長先生と話したんだ」

 ハリーの緊張が2人にうつり、自然と黙り込む。

「先月……多分、裁判が終わってから、時々、クローディアを何だか、わからないけど……否定するような感じになっていたんだ」

 否定の感情。

 確かに、クローディアが近づくとハリーは額の傷を押さえることがあった。

「否定? 私が間違っているってことさ?」

 表現し難いらしく、ハリーは両手で頭を押さえる。

「敵愾心って、言えばいいのかな? とにかく、君を認めたくないっていう感じ、今は起きてないけど、それにボニフェースのことを夢で見るようになったよ」

「え? ボニフェース? それって、クローディアのじいさんだろ?」

「どうして、ハリーがお祖父ちゃんの夢を見るさ?」

 キョトンッと2人はハリーを眺めた。

「わからない、ただ、ヴォルデモートの夢を見るよりは、ハッキリしてた。僕と話してくれて、自分を殺したのはヴォルデモートじゃないって言ってた」

「……別の人に殺させたってことさ?」

 なんとなく、ボニフェースの死にヴォルデモートは無関係のはずがない。そう直感した。

「多分、そうだと思う。ただ、そのことを未練に思っているみたい」

「そんな未練、捨ててください」

 ぶっきらぼうにクローディアは言い放つ。自分の手で殺せなかったボニフェースに代わり、孫の命を狙われても不思議ではない。

「それで、校長は何か警告をくれたのか?」

「……しばらく、僕とクローディアは距離を置いたほうがいいって、つまり、僕のこの感情が何を意味しているのか、ハッキリとわかるまでは……」

 疑問のせいで、沈黙が起こる。

「こうやって、秘密裏に会うことを避けろってことさ?」

 言い知れぬ力で離される。脳髄の奥で火花が起こった気がする。ハリーの味方であると、宣言した直後にこの仕打ちである。

 だが、ただ一緒に歩くだけが味方で仲間で友達ではない。去年、ロンは離れても戻ってきた。心が繋がっているからだ。

「ハリー、私はいつでも傍にいるさ。ここがね」

 クローディアは自分の胸元を指す。意味に気づいたハリーは、嬉しそうに笑う。彼の笑顔に、申し訳ない気持ちになった。

 ハリーは勝手な感情の起伏に苦しんでいるのに、察してやれなかった。

 それどころか、怯えてしまった。だが、あえてハリーに言うまい。きっと彼は傷つく。

「うわああああ、ビックリした」

 押さえた声で、ロンは悲鳴を上げる。彼の方向を咄嗟に振り返れば『灰色のレディ』がそこにおり、睨んでいた。

 3人は出来るだけ礼儀正しく「おはよう」と挨拶した。

「お邪魔だったかしら? こんな朝から部屋にいないなんて……、肝が冷える思いだわ」

「へえ、幽霊でも肝が冷えるの?」

 ロンの茶化しを無視し、ハリーは奇妙な視線で『灰色のレディ』を見上げた。そして、閃いたように目を輝かせる。

「失礼を承知で質問してもいいですか?」

 ハリーに声をかけられ、『灰色のレディ』は目を丸くして驚いた。沈黙を肯定と受け取り、彼は問う。

「貴女がホグワーツにいるのはマートルと同じようにこの城で、死んだから……ですか?」

 クローディアとロンは、ハリーの質問に驚きつつも『灰色のレディ』の答えを待った。

 幽霊が城にいる理由、気にした事はない。いるのだから、いると思っていた。

「いいえ、魔法族は……死の後、自ら歩んだ道を彷徨えるのです。私は……ここではない、遠い所で……命を終えました」

 重苦しく『灰色のレディ』が言いえると、ハリーは残念そうに目を細めた。

「僕も死んだら、歩くの?」

 不安そうにロンは問う。

「……我々は死ぬと選べるのです。残るか逝くか……、私は逝きたくなかった……だから、……残った」

 自らに哀悼を述べる『灰色のレディ』に、場が葬式のように重い。

 そして、わかったこともある。

「お祖母ちゃんは逝ってしまったさ」

 独り言のように呟いたが、ハリーとロンにはしっかりと聞こえていた。

 ドリスは逝った。

 だが、クローディアは責めない。逆の立場で命を落としても、残らない。大切な人の死後は見たくないし、見せたくない。

 残った幽霊達は強い未練が心にあるのだろう。先学期、『灰色のレディ』は未練の話をしていた。

「残るとしたら、生き残るでしょう」

 沈んだ空気を吹っ飛ばしたのは、ロンの純粋な提案だ。クローディアとハリーの胸から、優しいモノが落ちてきた。『灰色のレディ』でさえ、嬉しそうに笑った。

「生きている人っておもしろいわ。時々、死んでいることも忘れそう」

 声を弾ませた『灰色のレディ』を初めて見た。ルーナの時といい、ロンは人を楽しませる力がある。

「ハリーは本当に良い友達を持ったさ。私も含めてさ」

 親指で自分を指すクローディアに、ロンが固い笑いでハリーと『灰色のレディ』に促す。2人ともロンのように固い笑みで、彼女に笑い返した。

 

 寮で制服に着替え中に、ハーマイオニーが飛び込んできた。

「聞いてよ、フレッドとジョージが張り紙してたのよ! 『ずる休みスナックボックス』の実験体になりませんかって!」

 早朝の話を聞いたようだ。誰が聞いているか知れないので、わざと双子に当たる口調にしている。

 ベッロはまだ2度寝中だ。非常用の餌を置いてきた。

 大広間の途中、クローディアは昨晩の事を聞かせた。

「ロジャーに学校に戻るなって言われたさ。ハリーと関わるなってさ」

「そっちでも、そういうことがあったの。こちらでも、シェーマスやラベンダーがハリーを嘘つきだって言っていたわ。団結しないといけない時に皆さん、本当に余裕ね」

 辛辣なハーマイオニーが何処となく、懐かしい。

「余裕はないだろうさ、なんせ今年は」

 クローディアはここで区切ると、ハーマイオニーは快活に笑った。

「「『普通魔法使いレベル試験』の年!!」」

 クローディアとハーマイオニーはレイブンクロー席に着いた。グリフィンドール席には、既にハリーとロンが座っている。アンジェリーナと話し込んでいる。

 フクロウ便が飛び交い、ハーマイオニー宛に【日刊予言者新聞】の最新号が届く。彼女は魔法省がどのような情報を放っているのか把握しておきたいのだ。

 一面記事を見た瞬間、ハーマイオニーは短い悲鳴を上げた。

【バーテミウス=クラウチJr、逃亡!】

 クローディアは焦燥感が募り、知らずとコップを落とした。

【『闇払い局』局長・ルーファス=スクリムジョールの証言では尋問の為にアズカバンから護送中に逃亡したとの事。魔法省ではバーテミウス=クラウチJrを指名手配にすると発表】

「本当かしら?」

「真偽はどうであれ、嫌なニュースさ。……ウィンキーに教えたほうがいいさ?」

 ウィンキーの名に、ハーマイオニーは頭を振るう。

「ウィンキーは喜ばないわ。今朝、厨房に会いに行ったの。私の姿を見た瞬間、泣かれたわ。ドビーに彼女はまだ落ち着けないって」

 いくらか朝食を腹に入れた頃合いを見計らい、寮監による新学期の時間割表が配布される。別席にいたハーマイオニーの分は、ネビルが届けに来てくれた。

「ハーマイオニー、まだその新聞、読んでるの?うちのばあちゃんは、購読をやめちゃったよ。デタラメばっかりだって」

「ネビル、敵がどんな記事を載せているのか、知っておくべきよ」

 すると、ネビルは小脇に抱えた【ザ・クィブラー】を差し出してきた。

「結構、おもしろいよ。ばあちゃんも読んでるし」

「遠慮するわ」

 丁寧だが、ハッキリと断った。

「私はルーナから買うさ」

 クローディアの発言に、ハーマイオニーは吃驚していた。

 新聞を片付け、2人は時間割を見せ合う。クローディアは自分の時間割に絶句した。

「一時限目から、スリザリンと『薬草学』さ」

 ドラコの顔など見たくない。げんなりしてしまい、わざとらしく溜息をつく。

「フレッドとジョージから、『ずる休みスナックボックス』を買ったほうがいいかもね」

「ネビル! 今だけ、その発言を許してあげるわ」

 ハーマイオニーは思い立ったようにグリフィンドール席へと向かっていった。

「あいつらに、警告でもしに行ったさ?」

「フレッドとジョージの張り紙、破いているの。僕見ちゃった」

 今は『薬草学』をサボりたい気持ちなので、クローディアは双子に肯定的である。

「聞いてくれ、ハーマイオニーが俺達に掲示板を使わせてくれないって言うんだ!」

 泣き言をほざくジョージを見て、すぐさま訂正した。

 地響きが大広間に来るのは、ハグリッドの登場を意味する。彼はクローディアに優しい声で語りかけた。

「よお、クローディア。おはよう。ちょいといいか? 金曜の夜は俺んところで夕食をどうだ? 勿論、ハリー達も一緒に」

 一瞬、ダンブルドアからの指示もあり、断ろうとした。しかし、普段の密会ではなく、ハグリッドとの夕食だ。問題はない。

「ありがとうさ。嬉しいさ、勿論、行くさ」

 望んだ返事を得て、ハグリッドは満足する。地響きを鳴らし、ハリー達にも声をかけていた。

 

 温室では多少の緊迫した空気が流れた。

 原因の2人はお互い目も合わさず、会話もない。しかし、生徒全員が他人の家庭に興味を持つのではない。我関せずと、授業を受ける生徒がほとんどだ。

「皆さんは6月に将来の手助けとなる重要な試験を臨む身です。4年生までに学んだ全ての復習と共に、新たな薬草・植物を知っていきます。私が授業で述べた事を事細かに覚え、または記録していれば、皆さんは余裕で試験を終えれるはずです。悔いのないように、一時限をしっかりと取り組んでください」

 何度か、欠席した生徒には厳しい状態だ。教科書やレポートだけでなく、授業中の作業も事細かに思い返さないといけない。

 クローディアも病欠やらで、授業を受けていない時があるので冷汗ものだ。

 『キーキースナップ』の苗木を鉢の植え替え最中、ベッロは慣れた『毒触手草』と遊んだ。

 

 『古代ルーン文字学』、『数占い』も宿題だらけだ。

「なあなあ、クローディア! 第3の課題の時、本当は何があったんだ? 本当に『例のあの人』を見たのか? 詳しく聞かせてよ」

 『魔法薬学』の授業中、スネイプの強烈な睨みを物ともせず、ザカリアスはクローディアに堂々と質問してきた。無謀にも程がある。

 慌ててアーニーとハンナが彼の口に、空きビンを詰めて黙らせた。

 だが、遅い。スネイプは冷酷に告げた。

「レイブンクロー、ハッフルパフ、共に5点減点。ミスター・スミス、誰が何を知っていようが、君が関心を持つべきは『O・W・L試験』を乗り越える実力がその頭にあるかどうかだ」

 レイブンクロー生は不満な視線をスネイプに送る。その視線を受けて、黒真珠の瞳は教室を見渡した。

「諸君。誰がどんな目に遭おうとも『O・W・L試験』は決して免除されん。それを努々忘れぬように」

 調合の続きを促され、皆、逆らわずに作業再開。

 スネイプの言うとおり、学生の身で出来る事は限られる。何も出来ないのなら、学ぶしかない。学んで身につける。身についたか周囲に知らしめる為に、試験があるのだ。

 

 夕食の時間、ハーマイオニーはこの上なくご機嫌だ。

 勿論、クローディアも上機嫌、何故なら、2人の作った【改訂版ホグワーツの歴史】が図書館に陳列されたのだ。製本された本を手に取り、2人は喜びで笑みを浮かべた。声を出さず、ニマニマと笑い合う様子にマダム・ピンスは不気味に思っていた。 

 ハーマイオニーの場合はそれだけではない。『闇の魔術への防衛術』の内容が関係している。

「おもしろい授業だったさ?」

「ええ、とっても! なんたって、『守護霊の呪文』よ! 今学期は、この呪文を重点に教えてくれるんですって!」

 興奮したハーマイオニーは、笑みが止まらない。

 『守護霊の呪文』、吸魂鬼に最も効果的な魔法。強力かつ、心の幸せが必要不可欠な高等魔法だ。ハリーが3年生の時に、ルーピンから教授された魔法でもある。

「うわあ、良いなあ。明日まで、待てないさ」

 まだ魔法を見ていないクローディアは、期待感で満ちた。

「それとね、ハリーが見たって生き物だけど……」

 声を落としたハーマイオニーは、極上の知識を話す様に微笑んだ。

「今朝、ハリーがハグリッドに聞いたら、その生き物、セストラルというそうよ。ハグリッドが言うには特殊な条件を満たした人にしか見えないんですって。ハリー、自分がおかしくなったんじゃないかって不安がってたでしょう? ……実を言うと、私もストレスかなって……。けど、ハグリッドが言うんですもの。間違いないわ」

「特殊な……条件?」

 奇妙な引っかかりが脳髄を刺激する。ルーナは魔法生物が好きだ。だから、色々な生き物について話してくれる。それなのに昨晩は、その生態どころか、名前さえも説明してくれなかった。

「その条件って何さ?」

「試験が終わったら、教えてくれるんですって。それまでお預けよ」

 残念と、ハーマイオニーは肩を竦める。

(……ますます、おかしいさ。動物自慢のハグリッドなのにさ?)

 急に、背を視線を感じて振り返る。クレメンスが何故かバスケットボールを手にしていた。

「クレメンス! 休暇はどうだったさ? そのボールどうしたさ?」

「作ったんだよ。マイボール、今年はバスケに専念しようと思ってね」

 意外な言葉に、クローディアは驚く。クレメンスは、あのスキータ記事を見てから、パッタリと部活に来なくなった生徒の1人だ。

「クィディッチの選考は出なくていいさ?」

「うん、セドリックにも話しているから。ただ、補欠して呼ばれた時は許してくれるよね?」

 クローディアは、勿論と了解した。

「セドリック=ディゴリーかあ、彼って素敵よね。クィディッチのキャプテンで、監督生で、おまけに首席よ! いいわあ、ねえ、チョウ=チャンとは、まだ続いているのかしら」

 黄色い声でサリーは、マンディに話しかける。しかし、彼女は聞こえないフリをして食事を続けた。

 

 一晩待った『闇の魔術への防衛術』。

 始業の鐘が鳴るより先に、生徒の出席日数が行われた。

 ルーピンも他の教員同様、『O・W・L試験』の重要性について話す。

「知っている者もいるだろうから、採点について質問しよう。誰かわかる人はいるかな?」

 アンソニーが一番に挙手し、指名された。

「『O』。『大いによろしい(Outstanding)』。それから『E』。『期待以上(Exceed expectation』。『A』。『まあまあ(Acceptable)』。『P』。『良くない(Poor)』。そして、『D』。『どん底(Dreaful)』です」

「正解だ、ありがとうアンソニー。流石だね、レイブンクローに5点上げよう」

 いつも穏やかなルーピンまで、試験の話をされ、モラグは陰鬱そうだ。

「では皆、教科書を閉まってくれ」

 お決まりの台詞に、皆は慣れた手つきで教科書をしまう。ルーピンは黒板に『吸魂鬼』と書き込んだ。

「この場にいる皆は、吸魂鬼を覚えているね? 彼らには対抗する呪文がある。知っている人はいるかな?」

 一番にセシルが挙手する。一手遅く、全員が挙手した。ルーピンは彼女を指名した。

「『守護霊の呪文』です。守護霊はプラスのエネルギーの集合体です。それらは人間にとって、歓喜、希望、幸福になります。本来、吸魂鬼の糧ですが、守護霊は人間ではありません。故に、傷つけられる事なく、人間の強力な盾となります。結果、吸魂鬼は守護霊のエネルギーに耐えきれず、逃走するのです」

 興奮を交え、セシルはつらつらと答え切る。満足したルーピンは寮点を与えた。

「ありがとう、セシル。素晴らしい正解だ。私では、そこまで丁寧に説明出来なかっただろうね」

 黒板に『守護霊の呪文』と書き込んだ。チョークを置き、ルーピンは生徒を見渡す。

「では、まず呪文を教える。一度しか言わ……」

 言いえるより先に、窓から衝撃音が放たれる。窓に注目すると、知らないフクロウが窓に体当たりをかましていた。フクロウの様子からして、緊急だ。

「皆、そのままにして」

 急いでルーピンは、フクロウを招き入れる。赤い封筒を彼に渡し、フクロウは慌てて去って行った。

 赤い封筒、即ち『吠えメール』に思わず全員、机の下に避難する。流石のルーピンも青ざめ、慎重な手つきで『吠えメール』を開封した。

《リーマス=J=ルーピン殿、我々は確かな情報筋より、貴殿が『人狼』と判明した。『反人狼』の違反により、貴殿をホグワーツ魔法魔術学校を解雇となります。ご理解されたし! 敬具

  魔法省

  魔法大臣上級次官  

  ドローレス=アンブリッジ》

 手紙はそう言い放つと、自らを破って千切れた。

 『吠えメール』の内容に、クローディア以外の生徒は動揺した。動揺して、教室中がざわめく。彼女はルーピンの秘密がこんな形でバレてしまい、冷水を浴びた気分になる。

 当の本人は諦めたように笑う。

 否、自嘲だ。

「皆、今日の授業はこれでお終いだ」

 まるで、『吠えメール』がなかったようにルーピンは優しく告げる。だが、誰も席を立たなかった。立てなかった。いきなり、現れた『吠えメール』の証言だけで彼を『人狼』と判断出来ない。

 一番に反応したのはモラグだ。彼は悲鳴を上げて立ち上がった。

「そんな授業はどうなるんです! 俺達は今年『O・W・L試験』なんですよ!?」

 少しズレた発言に、ルーピンは優しく返す。

「モラグ、そんな心配しなくていい。今から、校長先生と話し合ってくる。皆、終業の鐘まで自習にする。寮に戻っても構わないからね」

 ルーピンは誰にも振り返らず、教室を後にした。扉が閉まる瞬間、クローディアは追いかけた。

「ルーピン先生、待って、待って下さい!」

 彼に去られたくない。その想いに駆られ、ただ飛び出した。しかし、ルーピンは立ち止まろうともせず、廊下を歩き続けた。

「ベッロ、ハリーに伝えてさ。ルーピン先生を止めるように言うさ」

 足元にいたベッロは、すぐに廊下を這っていく。

 ルーピンが見えなくなった頃、パドマに無理やり教室へ戻された。中では、彼が本当に『人狼』か、審議していた。

「満月の時期だって、普通にいたよな」

「変身したところなんて、見たことない」

 不安を持ちつつも、何所か冷静に話し合っていた。

「あれじゃね? ハリー=ポッター、ルーピン先生と仲良いじゃん。最近の新聞って、ハリーの事、嘘つき呼ばわりしてるし、案外、校長先生を攻撃出来ないから、他から攻めてるとか?」

 テリーの意見に、微妙に納得する者もいた。

「けど、肝心のルーピン先生が否定しなかったじゃん。違うなら、魔法省に抗議するだろ。本当に……」

 マイケルが言い終える前に、クローディアは勢いよく立った。

「それこそ問題じゃないさ! ルーピン先生の授業は、ずっと楽しかったさ! 為になったさ! 先生が何者かなんて、関係ないさ!」

 クローディアの訴えに何人かが目を逸らす。確かに彼女の言うとおり、授業は楽しい。しかし、人狼は恐ろしい。満月の力で理性を無くし、獣の性で人を襲う。噛まれた者は、同じ人狼になる。

 終業の鐘が鳴るまで、討論会は行われた。

 皆、ルーピンが『人狼』かどうか、自分達の曖昧な情報で判断するのは避けた。ダンブルドアの判断が出るまで、互いに緘口令を強いた。

 クローディアは、皆が騒ぎ立てない様子に心底、安堵した。しかし、パドマは小さく耳打ちする。

「ホグワーツで秘密は無理に等しいから、あんまり期待しないでね」

「そうでした……、秘密は公言と同義語でした」

 突きつけられた現実に、クローディアの気分は最低まで落ち込んだ。

 

 2時限目までの間休、寮監のフリットウィックによって教室を追い出された。

「2時限目の『闇の魔術への防衛術』は、グリフィンドールと合同の『呪文学』に変わりました。さあ、行った行った!」

「ええ! じゃあ、3時限続いて、『呪文学』! そんな!」

 モラグの悲痛な叫びは無視された。

 クローディアとしては、ハーマイオニー達と堂々と話す絶好の機会だ。

「あれ? ベッロは?」

「ああ、ハリーの所へ行かせたさ」

 パドマは周囲をキョロキョロとベッロを探すので、クローディアは教えた。

「それは良い手ね。ハリーの話なら、ルーピン先生も聞くかも」

 その願いは虚しく消えた。

 『呪文学』の教室で、ハリーが青筋を立てて顔が怒りに歪む。

 それだけで、ルーピンの説得は終わったと見える。ロンに慰められ、ベッロも尻尾でハリーの頭を撫でる。

 グリフィンドール生は話が通っている為、歓迎してくれた。

「また、教室が広くなっている」

「『検知不可能拡大呪文』だろ、僕らも覚えないとな」

 テリーに答えたアンソニーは、フリットウィックの魔法に緊張の息を吐いた。

 クローディアはハーマイオニーの隣に座り、パドマもパーバティの隣に座る。各々、好きな席に座っていくと、始業の鐘が鳴った。

 『呼び寄せ呪文』の復習をしながら、ハーマイオニーは耳打ちする。

「ベッロが教室に来て、ハリーったら具合が悪いんです! って飛び出して行っちゃったわ。校長室まで行ったけど、ルーピン先生は……任務に専念するからって」

 任務とは、『不死鳥の騎士団』だ。確かに学校に居ては出来ない任務がある。しかし、ハリーを身近で守る事も任務ではないのか、そんな疑問が浮かぶ。

「では実践です。はい、どんどんやって下さい」

 フリットウィックに従い、それぞれが杖を振り、呪文を唱える。その雑音に紛れて、クローディアとハーマイオニーは、ロンとハリーを交えて、こそこそと喋る。

「ペティグリューだよ。あいつが魔法省に告げ口したんだ。ファッジさんはアズカバンへ行って、あいつに会った。次官のアンブリッジもきっと聞いていたに違いない」

 ハリーが憎々しげに吐き捨てる。

「成程、何か情報を渡して、釈放に便宜を図ってもらおうって魂胆さ」

 クローディアは軽蔑した。

「でも、なんで今更なの? 時間が経ち過ぎてるわ」

「バグマンさんのせいだ。あの人、大臣になってから、どんな決裁も賭博で可否を決めるんだ。アンブリッジは、何度もバグマンさんの賭けに負け通しだったんだって」

 政治の仕事を賭博で決裁。絶対にありえない内政に、クローディアは寒気がした。つまり、どんな酷い案件も賭博で決定してしまうのだ。

「それ、誰から聞いたさ?」

「さっき、校長先生からね。バグマンさんが校長先生に手紙をくれたんだよ。「ごめん、負けちった。アンブリッジがダンブルドアを退職させるって言ってるけど、そっちはまだ負ける気がしないから、許してね」だって」

 全く、責任感のないバグマンの行動はクローディアの脳髄を焼き切らんばかりに怒らせた。

「じゃあ、バグマンが大臣って、校長の差し金?」

 ロンの驚きに、ハリーは否定する。

「それについては校長先生じゃない。本当にバグマンさんは魔法省側が決めた大臣だよ」

 いっその事、ダンブルドアの計略だったら、納得出来た。

「ロン、パーシーに手紙で聞いて欲しい事があるさ」

 嫌そうな顔で、ロンが理由を問う。

「どうして、ルーピン先生を解雇したかって事さ。今年はロンが『O・W・L試験』、フレッドとジョージは『N・E・W・T試験』があるのにさ。っていう理由で、それとなくさ」

「アンブリッジは半人嫌いで有名だって、前にパパから聞いた事あるよ。『反人狼』もその一環だろ?」

 ロンの言葉で、ハーマイオニーが気付く。

「そうか、防衛術! アンブリッジ、つまりは……魔法省には、ホグワーツで防衛術を学ばせないようにしたい人達がいる。……『死喰い人』かもしれないのね……」

「大袈裟じゃない?」

「大袈裟じゃないよ。そのぐらいの気持ちでいないと僕らが危ない」

 冷静で、達観な声。まるで、ハリーでない人が喋っている気がした。

 その声が耳に入れば、クローディアは背筋に冷たいモノが落ちる。恐怖に怯える自分になる。

 ダンブルドアがハリーと距離を置くよう指示した意味を再認識した。

 

 ルーピンは昼休みになるより先、2時限目の間に学校を去った。クローディアは勿論、ハリーにも別れを告げずに……。

「ああ! もうお終いだ! 俺は落第決定だ! 絶対『T』だ!」

「こんな事なら、ルーピン先生の爪でも、髪でも、貰っておけば良かった」

 モラグは今から試験に絶望し、セシルは収集を逃して悔しがった。

「おまえら、もうちょっと、ルーピン先生本人の心配をしろよ」

 そんな2人にアンソニーは呆れた。

「『T』って何さ?」

「トロールよ、意味はそのまま」

 パドマの簡単な説明に、クローディアは納得した。

 落ち込んでも、午後の授業はある。選択授業なのでクローディア達はバラバラに出向く。

「さあリサ、『占い学』に行きましょう」

 リサは容赦なく、セシルを連れて行った。

 ハグリッドの小屋に行く途中、マンディがげんなりと呟く。

「次って、ハッフルパフと一緒ね。また、スミスが色々と聞いてきそう」

「なんでさ、マンディ? まだルーピン先生の辞職は知られてないさ?」

 クローディアが疑問に思うと、マンディは頭を振るう。

「そっちじゃなくて、ハリーの事とかよ。新任のグラブリー‐ブランクが、どんな先生かわからないし、スネイプ先生より恐いとは思えないし」

 それを聞いて、クローディアも同じく、げんなりした。

 『魔法生物飼育学』にて、ザカリアスは「×」を書いたマスクを着けられていた。アーニーなりの口封じだ。そんな彼を女子陣がクスクスと笑う。

 ブランクはザカリアスのマスクに触れず、授業を行った。

「さあ、ここにいる生き物がわかる者はいるか?」

 ハグリッドがいない授業は、寂しいが、新鮮だった。一見すると、小枝にしか見えないボウトラックルは、興味をそそられる。

 餌のワラジムシを少し取り、ボウトラックルを3人1組で一匹をスケッチする。

「……妖精の卵じゃないのね、残念」

「卵は貴重ですもの。当然ですわ」

 クローディアとパドマ、マンディの組に、いつの間にかセシルとリサが割り込んでいた。クローディアは最初、彼女達はあぶれたと思った。

「先生はワラジムシのほうが喜ぶって言ってでしょう? ……セシル、リサ……いつ来たの?」

 パドマが吃驚して、セシルとリサに聞く。彼女達は「最初から」と答えた。

「あれ、貴女達は『占い学』でしょう? やめたの?」

「「大丈夫、ちゃんと相談したから」」

 マンディの疑問に、彼女達は躊躇いなく答える。

(さっき、2人とも『占い学』に行ったさ)

 思い返してから、クローディアはふと、思い当たる。

 3年生の折、ハーマイオニーが特別に貸し与えられた『逆転時計』。同じ時間に、同時に居る事が出来る魔法の砂時計。過去の自分に会ってはならない。同じ時間を過ごした人と会ってはならない。自分が遡った場所に、必ず戻るなど、色々と条件付きの多いタイムマシン。

 おそらくだが、彼女達は『逆転時計』を使っている可能性がある。

 授業を終えてから、皆、満足そうに城へ戻る。

「ハグリッドの授業みたいに、ちょっとパンチが欲しかったわね」

 ハンナがそんな感想を漏らす。

 皆の雑談に交じり、クローディアはセシルとリサに慎重な口調で問うた。

「これから『占い学』さ? それとも行って来た後さ?」

 リサとセシルは、一瞬より短くお互いの目を見る。しかし、一切の動揺を見せない。

「……誰にも言わない約束なの」

 答えたのはセシルだ。冷静な眼差しは、クローディアの考えを見据えたように答えた。

 それで十分だった。

 




閲覧ありがとうございました。
原作にはハリー達3人が『透明マント』を被るシーンがありますが、ロンの身長を考えたら、結構、辛いですね。
ルーピン先生は解雇です。ありがとうございました!


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9.教授と尋問官

閲覧ありがとうございます。
UA6万突破です。ありがとうございます。

追記:16年4月24日、誤字報告により修正しました。


 ルーピンの辞職は、水曜日には全校へと伝わった。辞職の理由には、『人狼』であるが故と噂された。

 保護者からの確認という名の苦情をフクロウは、職員室に何百と運んできた。

 理事会は、ルーピン本人が既に辞職している為、真偽は問わないと判断したそうだ。

 そして、『闇の魔術への防衛術』は、6・7年生以外は各々の寮監が担当する授業へと変更された。上級生は、なんとダンブルドアが特別講義したという。

「いやあ、こういう体験もありかな♪」

「これぞ、ダンブルドア! って感じ」

 フレッドとジョージを含め、授業に参加した生徒は皆、貴重な時間だったと感想を述べた。

 『O・W・L試験』の5年生が何名か文句を述べたが、マグゴナガルとスネイプの鋭い眼光に皆、口を噤んだ。

 

 今年度に重要な試験があるというのに、母から大量の本が届いた。夏目漱石、与謝野晶子……国語の教科書で必ず目にする文豪ばかりだ。

【ご近所で、文豪ブームが来ています。お勉強にもなるので、読んでください。  かしこ】

 全部、日本語版だ。ハーマイオニーは辞書片手に読み漁るが、パドマに翻訳を頼まれたので、勉強以外でも忙しくなった。

 

 全寮のクィディッチ選考、問題なく無事に終わった。

 レイブンクローの選手、7年生ロジャー(チェイサー)とザヴィアー(ビーター)、6年生はチョウ(シーカー)とエディー(チェイサー)、5年生はサリー(キーパー)とテリー(ビーター)、3年生からネイサン(チェイサー)だ。

 今年も選手残留祝いで、チョウは新しい箒『ニンバス2002』を買って貰えたそうだ。

「サリーがキーパーとは意外さ」

 クローディアの称賛に、サリーは胸を張って得意げに笑う。

「まあ、本来はガタイの良い男子が適任だけど、サリーの動きはすごかったわ。クァッフルを全部、防いだの」

 チョウはサリーのプレイに感心していた。

「私が選ばれたのは嬉しいけど、貴女が選考にも出なかったというのが、残念だわ。一緒に空飛びたかった」

 心底、サリーは残念そうだ。 

 ロジャーがクローディアを選ぶ事はない。私情抜きにし、皆、彼女より良い選手だと思っている。何より、今学期こそはバスケ部に力を入れたいという本心だ。

 グリフィンドールではキャプテンのアンジェリーナによって、ロンがキーパーに選ばれた。

「選考前にハリーと何度も練習したんだ!」

 新しい箒の出番だと、ロンは浮足立っていた。

 そのロンにパーシーへの手紙を頼んだが、返事の手紙が凄まじい。まるで課題のレポートを提出されたように長い。内容は、最初の3行はロンの監督生就任を祝う言葉、ハリーとの決別を促す言葉、そしてバグマンの悪口だ。これが本当に長い。

「うげ、アンブリッジって奴、バグマンに財産の半分もやられたんだって。バグマンは、ゴブリンとの賭けに勝ってから、運が向いているんじゃない?」

 しかも、ルーピンを退職に追いやった理由は何も書かれていなかった。

 そして、バグマンへの愚痴や不満が、身内に魔法省勤めを持つ生徒に送られた。皆、凄まじく長い内容の手紙だった。

 

 慌ただしい金曜日の夕食はハグリッドの家だ。クローディアとハーマイオニーは、ベッロとクルックシャンクスを連れて来た。後から、ハリーとロンも『透明マント』を被ってきた。

「ごめんね、ハグリッド。コリンとデニスや、ナイジェルがしつこくて……、遅くなったよ」

「あいつら、絶対ハリーのファンクラブ作ってるぞ。きっとだ」

 下級生に追い回され、2人は疲れ切っていた。

「そうかい、安心しな。俺の飯は疲れが吹っ飛ぶぞ」

 快活に叫んで、ハグリッドはシチューを食卓に置いた。表面に鋭い爪が浮かび、食欲が吹っ飛んだ。彼の傍で、ベッロはサンドイッチを丁寧に用意した。

「ルーピン先生は……任務に専念するって言ってたそうよ。ハグリッドは何か知っているかしら?」

「いんにゃ、極秘の指令ばっかりだかんな。同じ任務じゃねえなら、仲間でも知らされねえんだ」

 5人と3匹は黙々と食事をとる。実際、黙っていたのはハリーとロンだ。先ほどまで、選手の選考だったのだ。

 爪入りシチューは見た目とは裏腹に美味しかった。それで気力と体力を回復させたハリーはハグリッドに色々と質問した。

「どうして、教科の担当を外されたの?」

「そうそう、その話をせにゃならん。ダンブルドア先生が森番の仕事に専念するよう、御命じ下さった件もある。『暗黒の森』は今、本当にヤバい状態になっちまってやがる。前の時のように皆、ピリピリして凶暴だ。特にケンタウルスの連中は自分達の考えが合っていたとかで、俺にも当たり散らしやがった。だから、絶対に入るなよ」

 森の住人が凶暴化、この事態にゾッと寒気がした。ハリーとロンは何度も森に入り、命の危険に晒されたので余計に真っ青だ。

「ケンタウルスに攻撃されたさ?」

「いんや、愚痴や苦情だ。俺が森に入る度にグチグチ言いやがる」

 面倒そうにハグリッドは、ため息を吐く。紅茶を飲んだハリーは核心を問う。

「ハグリッド、教えてよ。夏の間、何処へ行った?」

「それは言えねえ……と、言いたいところだが、……しばらくすりゃあ、公になるだろう。巨人と話に行とった。同盟を結ぶ為だ」

 吃驚しすぎて言葉をなくした4人を置いて、ハグリッドは語りだす。休暇に入り、マダム・マクシームと共に旅立ち、1か月かけ、巨人の居住地に辿り着いた。目立つ自分達に『死喰い人』が追跡をかけない為、寄り道などで撒く為だ。

「オリンペは一切、弱音を吐かなかったぞ」

 居住地には80人程の巨人がおり、色々とからかわれた。しかし、抵抗も反抗もせず、頭のカーカスとだけ交渉した。貢物を送り、約束をして日を変えたりなど、信頼を得ようとした。

 その最中に魔法省からの使者が現れた。なんと使者はカーカスの命を狙ったゴルゴマスを討ったのだ。

 カーカスは命の恩人と約束を守ったハグリッド達を信頼した。

 そして、同盟は成った。

「それじゃあ! ハグリッド、同盟を結んできたの!? でも、魔法省からの使者って、誰なの?」

 ハーマイオニーは万歳三唱で席から立ち上がった。

「マンチと名乗ったとった。あ~、クローディアなら知っとるだろ? バーナード=マンチの親父さんだ。なんでも、ちょいと無茶な賭けをして、負けたらしい」

 まさかのバーナードの父親。意外すぎて、驚きを通り越して感心した。思わず、感嘆の息が出る。

「それで、どうなったさ? もしかして、お見合いでもしてたさ?」

 クローディアがからかうと、ハグリッドは満更でもなく頷く。

「まあ、そんな話もあった。だが、俺とオリンペが半巨人同士でお似合いだって言う奴も……」

「ええ!? ハグリッドって巨人の血が流れてんの!?」

 吃驚仰天したロンが椅子から、転げ落ちた。

「まあロンったら、何を驚いているのよ」

「魔法界なら、混血なんて珍しくないさ」

「僕、初めてハグリッドと会った時、きっと巨人だって思ったけど……」

 多少は驚いても、全く動じない3人に見下ろされ、ロンは目を見開いた。まるで、彼1人の反応が異常に見えてしまう。段々、恥ずかしくなり、ゆっくり立ち上がる。

「君達、心臓に毛が生えているんじゃないだろうね? 全く、肝が据わりすぎだよ」

「ロンの反応はまあ仕方ねえ。イギリスには巨人はいねえ。昔、魔法使いと殺し合って、数を減らして、逃げ去ったからな。魔法族の間じゃ、よくねえ生き物として、ちいせえ頃から聞かされる」

 少し寂しそうにハグリッドは、ロンのカップに紅茶を注ぐ。

「まあ、そんでだ。祝いだなんだと、宴に参加したり……後は、巨人の引っ越しを手伝った。『死喰い人』に見つからねえようだ。勿論、マンチもだ。そっから、色々あって、ギリギリになった」

 ハグリッド達の武勇伝に4人は気分が高揚し、興奮した。気を落ち着かせる為、紅茶を何倍も飲む。

「ハグリッド、すごいよ! この同盟で少なくとも『例のあの人』は巨人の力を得られない!」

 ロンが万歳して吠えると、ファングがつられた。

 クローディアは言葉が見つからず、拍手した。すると伝染して3人も拍手する。ベッロとクルックシャンクスも嬉しそうだ。

 彼女達も誇らしげに見渡した後、ハグリッドは急に真面目な顔つきになる。

「裁判の話を聞いたぞ、ハリー。クローディア……ドリスは残念だったな……。2人とも、大丈夫か?」

 学校に来てから、教師陣マグゴナガルなどの騎士団員はこの話を絶対にしない。純粋に心配され、2人の心に暖かい滴が落ち、目頭が熱くなる。

「大丈夫だよ、ハグリッド。ボーンズさんが公平に判決をくれたし、校長先生も弁護に来てくれたよ。勝訴したら、皆もお祝いしてくれた!」

 ハリーは嘘偽りのない本心を語った。

「うん、皆がいてくれたから、私は平気さ。いっぱい泣いたさ」

 クローディアは出来るだけ、満面の笑みを見せる。

 2人をじっくり見つめてから、ハグリッドの瞳から、涙が滝のように流れ始めた。

「おめえさん達が大変な時に、すまねえ。……ドリスの事を……聞いた時は……俺は涙がとまんねえでな、ずっと泣き通しでおった! 新入生の案内もできねえんじゃねえかってくれえ、……やばかった。けど、ダンブルドア先生が……俺がいねえと新学期が始まらねえってんで……、クローディアの顔を見なきゃいかんと思ったしな」

 涙で歪んだ視界なのに、ハグリッドはクローディアを見つめた。彼女は視線を外さず、礼を述べる。

「嬉しいさ、私よりも……ハグリッドのほうがキツイのに……ありがとう……」

 ハグリッドの涙が鬚を濡らし、しょぼくれさす。

「そうだな……俺は多分、いや、絶対、クローディアより駄目だな、弱っちい。俺が教科を外れた本当の理由がこれだ。今の俺はドラコ=マルフォイを見たら、飛びかかっちまう。てめえの親父の仕業だ! ってな。いけねえことだ。校外の事情を学校に持ち込むのは……ダンブルドア先生はきっとわかっていたに違いねえ。俺は用事がねえなら、城にもあんまり行かんようにしとる。家の近くで授業される時も、森にいる……」

 宙を殴りつけるハグリッドは怒りに興奮し、我が身を宥める。彼の話に4人はそれまでの高揚感が消え、重い鉛が体に巻きつかれた気分になった。

 その太い拳がドラコに当たっても、少しも嬉しくない。

「たかが、マルフォイだよ」

 ハリーの冷静で達観した口調はそう呟く。慰めではなく、事実をそのままに口にした。

「ええ、そうだわ。ハリーもマルフォイの相手はしていないわ。ずっと、毅然とした態度で授業を受けてるもの」

「クローディアもそうだろ?」

 ロンに話を振られ、クローディアは苦笑する。

「向こうが口を利かないさ」

 途端に静かになり、暖炉の薪が火花を散らせる音が耳を打つ。

 ハグリッドは涙を拭き、紅茶を飲み干す。

「もう遅い。さあ、おめえさん達を送って行こう。ハリー、つれえ事があったら、『透明マント』を被って来いよ。俺でよけりゃあ、いっぱい聞いてやる」

 彼らしい冗談に、ハリーは困ったようにそれでも気遣いに感謝した。

 

 土曜日。

 バスケ部の部室を開け、バーベッジは室内に魔法をかける。教室の拡大、備品の変身、内装の変化、防音と破壊への対応。

 当たり前のように手際の良い腕前は、流石は教師である。

「いつも、ありがとうございます。バーベッジ先生」

「今日を楽しみにしていたわ。新学期から、色々と騒がしくて、息抜きが欲しいです」

 バーベッジの小さな愚痴は、金曜までの騒動だ。

 そうこうしている内に、クレメンスが自前ボールと共に現れる。次いで、ハーマイオニー、ネビルが来た。パドマやリサも新入生のトラヴィス=フルームを連れて来た。

「さあ、今日は思いっきりボールで遊びましょう」

 バーベッジの掛け声と共に、部活は始まる。バーベッジがトラヴィスにボールの触れ方を教え、ハーマイオニーとパドマは、部活そっちのけで監督生の話をしていた。

 遅れて、ミム、マンディがやってくる。ハンナ、エロイーズ、デレクは新入生ローズ=ゼラー、コリンとデニスもユーアン=アバクロンビーを連れてきた。ジニー、ルーナがシーサーを引きずって来た。

「扉の前でウロウロしてたんだもン」

 ルーナに突き出されたシーサーは、恥ずかしそうだ。

「兄にはその……あんまり関わるなって……その」

「嬉しいさ、シーサー。来てくれてさ」

 シーサーに笑いかけ、クローディアはルーナに疑問を投げかける。

「ルーナ、靴はどうしたさ?」

 ルーナの色白で滑りの良さそうな素足が晒されている。

「みんな、何処かに行っちゃうんだもン。でも戻ってくるよ」

 浮ついた口調で、ルーナは足の裏を見せつけてくる。

「私の靴を貸すって言ったんだけど、嫌がっちゃって。せめて靴下履いてよ」

 ジニーが呆れた口調で、ルーナの素足を見やる。ハーマイオニーが気付いて、『呼び寄せ呪文』を行う。何処からともなく、ルーナの靴が飛んで来た。

 『呼び寄せ呪文』を目にし、トラヴィスとローズ、ユーアンは満面の笑みで喜んだ。

「すごい、すごい。上級生の魔法だ!」

 ハーマイオニーから、靴を受け取ったルーナはいつも通りの口調で礼を述べた。

「その魔法、絶対、覚えないとね」

 ジニーがルーナの靴履きを手伝いながら、そう呟いた。

「魔法封じをしてなかったわ」

 バーベッジは気づく。急いで、部室に『魔法封じ』を施した。

「そうそう、デメルサは来ないわ。彼女、呪文部に入る事にしたみたい」

「あらあ、こっちは優秀な選手を逃したさ」

 本気で残念がるクローディアをジニーは慰めた。

 

 一時間経った頃、ハリーとロンが飛び込んできた。しかもセドリックと一緒だ。3人とも肩で息をして疲れ切っていた。

「セ、セドリック!」

「やあ、クレメンス」

 同じ寮のクレメンスが吃驚して、声を上げる。ハンナ、エロイーズも黄色い声で歓迎した。セドリックは普段の温厚な笑みのまま、皆に挨拶する。

「ハリーだ、やっぱり来た!」

 コリンとデニスも負けじと声を上げる。

「何かあったの?」

 ネビルが問うと、ロンは荒い息をしながら手を必死に動かす。

「あ、アン、アンブリッジが……来た!」

 アンブリッジ、その名にクローディアの背筋が粟立つ。ルーピンを辞職に追いやった魔女だ。部室内も緊張と焦燥と疑問が飛び交う。

「え? アンブリッジって、あのドローレス=アンブリッジ?」

「どうして、学校に?」

 マンディとミムが不思議そうに首を傾げ、ハンナは真っ青になる。エロイーズは苦虫を噛みしめた顔をし、下級生達は意味不明と困惑している。シーサーだけは、凍りついていた。

 ハーマイオニーとパドマは視線で会話するように目配せをする。ジニーまで苦々しく顔を歪めると、ルーナはその顔を解そうと指先で突きだした。

 騒ぎ出す生徒をバーベッジはポンっと手を叩いて、収束させる。

「皆さんは部活を続けて下さい。私は職員室に行ってきます」

 余裕の表情でバーベッジは微笑む。しかし、動揺しているせいか、その顔色は白い。後ろ歩きのまま、小走りの速度で部室から走り去った。

「……はい、じゃあ、続きしようさ」

「ねえ、ハリー! アンブリッジがどうした? 教えて教えて!」

 顧問がいなくなり、部長たるクローディアは続きを促す。しかし、好奇心旺盛のミムが目を輝かせて、ハリーに詰め寄る。

「ミム、今は部活……」

 クローディアが咎めると、ハリーは手で制す。

「大丈夫だよ。セドリックが職員室へ行ったら、アンブリッジがいたんだ。突然、来たらしくて、先生達と揉めていたよ。校長先生は今、いないらしくて……」

「え? なんで校長先生がいないの?」

 ネビルが不安そうな声を出す。閃いたパドマは手を叩く。

「『闇の魔術への防衛術』の教授を探す為よ。いつまでも穴を開ける訳にいかないじゃない」

「僕とハリーは、フクロウ小屋から帰ってきたところだったんだ。セドリックが気を利かしてくれたんだよな。ハリーとアンブリッジが顔を合わせるとよくないって、ここに駆け込んだんだ。皆に報せないといけないし」

 ロンは、にんまりとセドリックに笑いかける。

「アンブリッジがホグワーツ教育改革を名目に、この学校へ来たがっているって、魔法省じゃ、知らない人はいないよ」

「学校に来たって、つまり、バグマン大臣との賭けに勝ったことにえ?」

 セドリックが苦笑し、エロイーズは仏頂面で言い放つ。

 突然、扉が乱暴に開いた。あまりの衝撃音に、皆の視線が扉に向く。

「やっぱり、ここにいた」

 コーマックが目を見開いて、部室を覗き込んだ。まるで、彼自身が驚いている様子だ。

「いや、マクラーゲン。あんたが驚いてどうするさ? 何か用事さ?」

 クローディアがツッコミを入れても、コーマックは表情を変えずにハリーを見つける。ハリーはコーマックを見慣れていない(ほとんど初対面)である為、きょとんとしている。

「おまえら今、職員室がどうなっているのか、わかってんのか?」

 呆れたような口調で言われた。自然な態度で、セドリックはハリーの前に立つ。

「コーマック、やめろ。アンブリッジが勝手に騒いでいるだけだよ。ハリーは被害者だ」

 セドリックの毅然とした態度に、ハリーは庇われた嬉しさで安堵の息を吐く。

「いい子ぶりっ子のセディちゃんよ。発案はおまえの親父さんじゃないっけ? 俺でさえ、知ってるぜ。おまえから優勝を奪ったって、恨んでるってよ」

 嫌味ったらしいコーマックの笑顔に、セドリックの表情が強張る。

 セドリックの父・エイモス=ディゴリーがハリーを恨んでいる。その発想はなかった。何故、そんな考えに至るのか、理解できない。

 純粋に息子セドリックの優勝を妨害したと思っているなら、筋違いだ。

「いやいや、それは逆恨みだよ! ハリーは命を賭けて、優勝したんだ!」

 ネビルが強い声を出す。眉間にシワを寄せ、ハーマイオニーは凛とした態度でコーマックに言い放つ。

「悪戯に人の不安を煽る事をやめなさい。ここには貴方に減点できる監督生がいるわ」

 ハーマイオニーを目にし、コーマックは興味深そうに瞬いた。

「まあ、いいぜ。そうやって、英雄気取りのハリー=ポッターを庇ってりゃいい。いつまで持つかな?」

 意味深な言葉と共に、扉は閉められた。

「どうして、ハリーにあんな態度を!? 校長先生の話を忘れたわけ?」

 憤慨したコリンをエロイーズは、億劫そうに息を吐く。

「休暇が原因。一度、慣れた家に帰って、学校にいるときの緊張感がなくなったにえ。それで親から吹き込まれたり、【日刊予言者新聞】の記事を読んで、ハリーを疑うようになったにえ」

 的確な回答に、ハーマイオニーは解説役を取られた気分だ。

「そんなの一部だけです! 本当です! 信じて下さい!」

 半ベソでユーアンが喚いた。必死な様子に、ハリーは優しく微笑んだ。

「ああ、知ってるよ。儀式の後に君は一番に僕を励ましてくれた。ありがとう」

 上級生の言い合いに、すっかり怯えた新入生達を皆で宥める。彼らが落ち着いてから、部活を続けた。

 途中で、クララやマリエッタ、フレッドやジョージ、スーザンなどの身内に魔法省勤務がいる生徒達は、部室に立ち寄った。ハリーの身を心配する者もいれば、野次馬根性で見に来る者もいた。

 大勢の声に紛れ、ハリーはクローディアに声をかけた。

「ねえ、クローディア。あの……ルーナって子と親しんだよね? あの子って、どういう子かな?」

 躊躇うように、ハリーは視線でルーナを示す。

「どういうって……、どういう意味さ?」

「そのままの意味だよ。君の目から見て、あの子はどんな性格かって」

 何故か知らないが、ハリーはルーナに興味を持っている。クローディアは脳髄にある単語を駆使し、彼女の印象を纏める。

 勘が良い。空気を読める。独創的。個性的。

 どれもルーナに合うが、しっくり来ない。

 クローディアは、天井を見上げる。ルーナに合う言葉を吟味していると、不意に思い付いた。

「見えているモノが違う子っていうのが、しっくりくるさ」

「……それって、セストラルの事?」

 ハリーが尖った声を出し、クローディアは馬なし馬車を思い返す。彼を傷つけたと思い、慌てて否定する。

「えーと、皆がバックボードしか見ていないとするさ」

 焦りつつも、クローディアはバックボードを指差す。その指を窓に向ける。つられて、ハリーも窓を見やる。

「ルーナは、窓を見ているって事さ」

 しばらく、クローディアとハリーは窓を見続ける。しかし、彼は不満そうに首を傾げる。

「全然、わかんない」

「今のは例えが悪かったさ」

 眉間を指先で解し、クローディアは必死に記憶を辿る。

「思い出したさ。ロブ……じゃない、ロックハートさ。あいつが詐欺だって、ルーナはわかっていたさ。……それに、トム=リドルの日記……、あれの危険性に私達より先に気づいていたさ」

 後半は声を落とし、2年生の頃の事を語る。

 ハリーは感心し、感嘆の声を上げた。

「それにルーナの事が知りたいなら、ジニーに聞くさ。私以上に仲良しさ」

「うん、わかったよ。ありがとう」

 穏やかな声で、ハリーは礼を述べる。それで、クローディアも安心した。

 ハリーとロンは、クィディッチの特訓に途中で抜けた。コリンは「シャッターチャンス」と叫びながら、2人を追いかけた。

 

 夕方になり、本日の部活動は終了。

 部室を元の空き教室への変じさせた後、バーベッジは帰ってきた。

「後はやります。さあ夕食よ」

 急かされて、クローディアは部室を後にする。

 生徒の大半は、空腹のあまり大広間へと急ぐ。ハーマイオニーと何故か、セドリックも待っていた。

「ロジャーは来なかったね」

 大広間を目指しながら、セドリックは事もなげに呟く。

「うん、私、ロジャーに呆れられちゃったみたいさ」

 何のことはない。そう見えるように、クローディアは努めた。だが、強がりはセドリックに見抜かれているようだ。

「本当に酷い奴だね」

 今度は悲しげに、セドリックは唇を噛んだ。

「それより、セドリックは忙しくないの? 今年は卒業を控えた身でしょう?」

 ハーマイオニーの疑問は、もっともだ。

 7年生は卒業がかかった年だ。来年になれば、神経を張り詰めて倒れる生徒も少なくない。ましてや、セドリックはクィディッチのキャプテンだ。寮の期待もかかっている。

「本当は父さんにも学校に戻るなって言われた……。でも、首席になったって連絡が来たら、コロッと態度を変えたよ」

 呆れた口調で、セドリックは溜め息を吐く。

「現金なお父さんさ、アンブリッジを学校に来させるくらいなら、自分でくればいいさ」

 セドリックに遠慮なく、クローディアは悪態吐く。

 生徒の流れが多くなり、その中でチョウの姿が見える。セドリックはすぐに気づき、彼女を追いかけて行った。肩を並べて歩く2人は、お似合いの恋人同士だ。

「ディゴリーが学校に来たのってチョウの為じゃないさ? 恋人が心配って感じさ」

「それもあるでしょうね。ちょっとだけ、チョウが羨ましいわ。素敵な恋人だもの」

 ハーマイオニーが唐突にチョウを羨む。何故、そんな心境になったのか、知りたくない。否、おそらく、ほぼ確実にビクトール=クラムが関係している。

(……あの野郎)

 頬を赤らめるハーマイオニーに対し、クローディアの気分は氷点下まで下がった。

 

 翌日、【日刊予言者新聞】の見出しは魔法省による教育改革。ドローレス=アンブリッジを初代高等尋問官に任命され、上級次官を兼任するという内容だ。

 魔法省とホグワーツを行き来し、より正確な状況をバグマン大臣に伝える為とある。従って、アンブリッジには生徒の罰則、教職員の辞職に関する権限を与えていた。

【ホグワーツの学力低下を憂いた女史は、たちまち成功を収め、全生徒の信頼を得るでしょう】

 パーシーが彼女を称賛する内容も記載されていた。

 ガマガエルのように口が大きく、薄汚れたピンクで全身を覆った魔女・アンブリッジの写真も載っている。何処となく、疲労感を訴えている。

「何これ! 信じられない! バグマンさんは何をしていたのよ!」

 ハーマイオニーが烈火の如く、怒り狂う。無論、クローディアの隣だ。レイブンクロー席なのに、自寮の席に座らず遠巻きに見守る生徒が多数いる。

「これでも、マシなほうよ」

 げっそりしたクララは、ハーマイオニーを宥める。

「そうそう、母から聞いたけど、校長先生が欠けた教員を補充できかなった場合、魔法省が適切な人材を派遣するって話があったんだけど、これは採決が下りなかったんだって」

 青ざめたマリエッタは、か細い声で説明してくれた。

「つまり、『闇の魔術への防衛術』の教授を勝手に決められないって事さ」

 両手で「ドードー」と窘め、クローディアは努めて明るい声を出す。

 こちらに有利な点を順番に述べられ、ハーマイオニーの憤怒の形相が落ち着いていく。彼女の様子が伝わり、安心して生徒達は腰かける。

「俺としては、このまま校長の講義を受けたいけどな」

 愉快そうにジョージは茶々を入れる。彼がこちらに来たのは自作製品のチラシを配布する為だ。何人かが、こっそり受け取っていた。

 

 月曜日の朝、空席を埋める教授が紹介された。

「この度、『闇の魔術への防衛術』に就任してくれた。ドーリッシュ=ダート教授じゃ」

 ダンブルドアの普段通りの優しい声で、紹介さても、彼は愛想笑いひとつしない。白髪交じりの精悍な顔つきの男は、ただ教員席で立っていた。

「あの人、『闇払い』よ。確か、バーティ=クラウチJrの護送任務に就いていたはず」

 深刻な顔つきでチョウは教えた。皆、勝手な憶測を口にする。

 どんな職歴であれ、教授が決まった。これが生徒を安心させた。

 ハーマイオニーは彼の授業内容について、可もなく不可もなくと結論付けた。

「何それ? 肩透かしってことさ?」

「私、『守護霊の呪文』からですって、言ったんだけど、今日は『盾の呪文』にされたの。それにあの人、授業中、一言も喋らなくて、ずっと黒板に文字を書いていたわ」

 それは授業ではない。

 明日の授業が全然、期待出来なかった。

 

 火曜日の朝、噂の高等尋問官が姿を見せた。写真よりは、見栄えの良い恰好で出来る限り上品に微笑んでいる。

「ドローレス=アンブリッジ尋問官じゃ。火曜、木曜、土曜、週に3日、ホグワーツを訪問される」

「皆さんの歓迎の眼差しを嬉しく思います」

 ダンブルドアの紹介が終わらず、アンブリッジは勝手に語りだす。

「魔法省は、若い魔法使い、魔女への教育は非常に重要であると考えています。それは、常であり、今までもこれからもです。皆さんの生まれ乍らの才能は、稀にして貴重です。魔法界独自にして、古来よりある技を継承する立場にある皆さんは、正しく誇り高く磨かれなければなりません」

 唐突に始まった演説を皆、聞くのは面倒に思えた。実際、マーカスは一切聞かず、黙々と食事している。小声で嘲笑する生徒も現れた。

 何故か、ドラコは冷笑を浮かべていた。

 それでも、アンブリッジは自己陶酔に身を委ねて続ける。

「ホグワーツは、歴代の校長によって改革され、改善され、革新されてきました。しかし、それらは次の世代には、悪習として切り捨てられます。そう、今こそ、仕分けの時です。誤りを正し、開放的で効果的な、かつ責任のある新時代へと参りましょう」

 言い終えたアンブリッジは満足し、着席する。ダンブルドアは拍手した。次いで、教師陣も拍手し、生徒も拍手に続く。どれも心が籠っていない。

「ありがとう、アンブリッジ尋問官。実に啓発的じゃった」

 ダンブルドアの社交辞令に、アンブリッジから返事はない。

 満面の笑みは、全てを嗤っている。だが、怖くない。虎の威を借る狐のように、アンブリッジ自身には威厳も何もないように思えた。

 

 担当教授のいる授業は、一週間ぶりだ。

 現役の『闇払い』が教授ということで、生徒の期待は高まっている。

 しかし、授業開始と共に、教室には残念な空気が流れていく。まず、出席は目視。本日の課題は、『マグル避け呪文』と黒板に書き込む。モラグが質問すれば、顔程の小型黒板に、自動的なチョークが回答を書き込む。

 ダートはこの上なく呆れる程、無口な男であった。

「うえっへん、えっへん」

 わざとらしい咳払いに、全員の視線が扉を向く。カエルのように口を開いたアンブリッジがいた。

「御機嫌よう、ドーリッシュ。査察の日時は、お伝えしましたわ。よろしいですね」

 アンブリッジの視線はクローディアを捉えていた。ダートは無言で無反応に小型黒板へ書き込む。

【静粛を約束せよ】

 文字を見たアンブリッジは、満足そうに教室を不躾に歩きまわる。

 誰も何も言わない。

 時折、生徒の質問と黒板を書くチョークの音だけで、終わった。まるで『魔法史』の授業だ。ビンズの朗読がマシに思えた。退屈なのはアンブリッジも同じらしく、何度もクリップボードで口元を隠して欠伸をしていた。

 終業の鐘が鳴り、ダートは黒板に宿題の内容を書いて、解散だ。

「素晴らしい授業でしたわ、ドーリッシュ。これからも、この調子でお願いします」

 我先にアンブリッジは教室を出て行った。

「何しに来たんだ、あの人?」

「さあ?」

 マイケルとテリーは、疑問しながら首を傾げる。

 

 放課後、クローディアとハーマイオニーはお互いに情報交換する。アンブリッジはハリーの授業に出没した。マグゴナガル、トレローニー、ネチネチと事細かに質問を繰り返した。

 マクゴナガルは、ほとんど相手にせず、自分の授業を行った。しかも、トレローニーに『予言』をひとつ頼んだらしく、いつもの不吉な予言を言い渡された。

 ハリーとロン曰く、かなりアンブリッジは自尊心を傷つけられたように感情なく笑っていたそうだ。

「なんでトレローニー先生に予言させたさ?」

「ん~、トレローニー先生がカッサンドラ=トレローニの曾々孫らしくて、その腕前が見たかったんじゃないの?」

 『予言者』カッサンドラ=トレローニー、【近代魔法史】に紹介される『第二の眼』を持つ魔女。存命中は、その『予言』にて数々の事件を解決に導いたとされる。

「同じ姓だからって、勘違いする人がいるのよねえ」

 ハーマイオニーがせせら笑う。

 3年生の学期末試験での『予言』を思い返す。あれは当たってしまい、現状だ。

「どうせなら、アンブリッジが何をするのか、当てて欲しいもんさ」

 陰鬱な気持ちで、クローディアは吐き捨てた。

「今夜は『天文学』があるから、アンブリッジはまだ帰らないかも」

 ハーマイオニーの言葉通り、グリフィンドールの『天文学』教室に現れた。

 

 水曜日の朝。談話室で生徒は悲鳴を上げた。

 様々な告知や広告を報せる掲示板に、覆いかぶさるような告知が貼り出されていた。何事かと、クララが読み上げる。

「高等尋問官の命により、いかなるチーム、部活動も解散とする? これより、チーム、部活動はアンブリッジに届出をし、許可を得なければ活動できない!?」

「……しかも、マグル系の部活は一切認めないモノとする!?」

 ザヴィアーが締めを読み切る。途端にモラグは絶望して、倒れこんだ。

 告知を一字一句、クローディアは丁寧に黙読した。瞬きも忘れ、何度も、何度も読み直した。段々、脳髄に怒りが焼き切れてしまいそうな熱がこもる。

「あのクソババア、頭をパーにしてやる! 『忘却術呪文』の力、思い知れ!!」

 しゃがれた声で叫び、クローディアは談話室を飛び出そうとした。しかし、監督生全員の必死な魔法で止められた。それさえも、彼女は破りかけている。

 その様子にロジャーは愕然とした。

「阿呆か! それを言い訳に毎日、学校に居座られたらどうするんだ! 俺達のチームはまだ許可を得てないんだぞ! 俺とザヴィアーは今年度で最後なんだ!」

「……だから、忘れさせてやる……何もかも」

 クローディアは腹の底から、唸り声を上げる。

「駄目よ、クローディア。アンブリッジがパーになっても、別の尋問官が送られてくるだけだわ。ねえ、校長先生がアンブリッジなんかの訪問を許すのは、魔法省に対して敵意がないと知らしめる為じゃない? 校長先生の敵は『例のあの人』だって! だから、貴女がアンブリッジを攻撃すれば、校長先生は……窮地に立たされてしまう。でしょう?」

 切羽詰まったパドマの声が耳に入り、クローディアは脳髄の一部が冷静になる。

「むしろ、校長先生を学校から追放させる切欠にしようとするわ。……お母さんはそう言っていたわ。校長先生は、あのブルガリア魔法省大臣が味方ですもの」

 マリエッタは緊張で胃が痛そうだ。

 確かに情勢が不安定な国内と違い、外国の魔法省はヴォルデモートとの戦いに備えている。ワイセンベルク大臣は、ダンブルドアと盟約に従うと誓っていた。

 ダンブルドアが校長たるホグワーツで、学生であるクローディアがアンブリッジと問題を起こしてはいけない。

 ゆっくりと怒りが治まっていく。瞼を閉じて深呼吸してから、抵抗を止めた。

 クローディアの落ち着きに、魔法は解かれた。

「ごめんさ、それと……ありがとう」

 監督生のパドマ達、母親が魔法省勤めのマリエッタ、そしてクィディッチ・キャプテンのロジャーに謝罪と感謝を込めた。

 ロジャー以外は安堵していた。彼だけはバツが悪そうに顔を背けた。

 

☈☈☈☈☈

 『マグル学』、授業開始と共にアンブリッジは現れた。

「おはようございます、チャリティ。お知らせした時間通りに伺いましたわ」

 バーベッジは愛想なく、むしろ無表情に挨拶を返す。普段の先生は、おしとやかで朗らかな態度だ。しかし、お気に入りだったバスケ部を解散させられ、届出さえ拒否された。腸が煮え繰り返る思いに違いない。

 ロジャーを含めた生徒達は、バーベッジの心情を察する。

「本日はIncomeTaxのお話をします。前回のVAT(ValueAddedTax)とは違い、こちらは収入に対して課せられる税です」

「労働で得たお金を国に支払うのですか?」

 ハッフルパフのベストラは、怪訝した。魔法界にない『税金の仕組み』になってから、彼女はいつも不可解そうに質問する。

「ミス・フォーセット、マグル社会で生きていくには、納税は国民の義務です。支払いを怠った場合、その報いは国民全員が受ける事になるでしょう」

 アンブリッジへの憂さ晴らしだと思う程、厳しい口調だ。ベストラは納得しにくい顔で羊皮紙にメモを取る。

「よろしい、マグルの生活がいかに生きにくいか、教えなければなりません」

 上機嫌にアンブリッジが褒めても、バーベッジは見向きもしない。

「では……貴女はホグワーツに勤めてから、どれだけ経ちまして?」

「本年度で6年目です」

 素気なく答える。

「何故、こちらお勤めになられたのかしら?」

「ダンブルドア校長先生から、是非にとお声を頂きました故に」

 グリップボードに書き込んでいたアンブリッジは、思い返したように「ああ」と呟く。

「思い出しましたわ。確か、クィレル先生の代わりとして呼ばれたのでしたね?」

 

 ――クィレル。

 

 その名が意味するのは『例のあの人』の功労者である。【ザ・クィブラー】を読んだ生徒は緊張で唾を飲み込む。

 バーベッジの顔色が段々と赤く染まり、口元は痙攣する。

「その話が……査察に関係ありまして?」

 努めて冷静に質問するバーベッジに、アンブリッジは余裕の表情で「確認です」と答えた。

「査察の結果は、10日後にお知らせいたします」

 高めの声で告げると、アンブリッジは乙女のような足取りで教室を出て行った。その扉を見ながら、バーベッジは杖を手に(授業で杖を使う事はない)、一瞬、ぶつぶつと呟く。すぐに杖をしまうと、厳しいが教授として授業を再開した。

 手前の席にいたロジャーは、バーベッジの「あの婆、頭をパーにしてやる」が聞き取れた。

 温厚で人当たりの良いバーベッジでさえ、ここまでキレるのだ。あのクローディアがどれ程、怒り狂ったか、よく理解出来た。そして、ダンブルドアや学校の為に、怒りを抑えてくれた事に感謝した。

(正直、君には今からでも、マグルの世界に行って欲しい)

 そして、ハリーや『例のあの人』と関係のない場所で、健やかに好きなバスケでもして暮らして欲しい。

 ロジャーの小さな願いは、きっと叶わない。

 己の無力さを嘆く暇はない。自分は卒業を控えた試験がある。卒業後はマグルの世界で生きるのだ。夏休暇中、独り暮らしの物件、希望の大学にアルバイトの目星もつけた。

 気合を入れ直そうと瞑想すると、瞼にクローディアの笑顔が浮かんだ。

 

 その後、2週間かけ、尋問官は『魔法史』を除いた全ての授業を査察し終えた。基本はハリーの授業に現れた。彼が選択していない『古代ルーン文字学』、『数占い』は、クローディアの授業が狙われた。教師陣は誰1人、アンブリッジに媚びなかった。尋問官の顔色窺いをしなければならないと思っていた生徒は、彼らの態度に心底、安心した。

 だが、アンブリッジが廊下を歩いては、生徒の服装や抜き打ち持物審査をするので、堪ったもんではない。スリザリン生には、まだ甘い態度をとるのでスネイプと交流を持つかと思いきや、それもなかった。

 幽霊達も気が立っており、何故かクローディアとハーマイオニーは『嘆きのマートル』から睨まれる日々を送る。八当たりににしては、何もして来ないので、不気味だ。

 アンブリッジを心から歓迎したのは管理人のフィルチ、ただ1人である。

 




閲覧ありがとうございました。
●ドーリッシュ=ダート
 原作5巻から登場の闇払い、ドーリッシュが名前なのか、苗字なのかわからない。しかし、ファッジやダンブルドアが呼ぶので、多分、名前。
 職務に忠実故、いろいろと悲惨な目に合う。
●ドローレス=アンブリッジ
 皆さんご存じ、ガマガエル婆。映画ではガーゴイル女。
 ヴォルデモートのロケットにも影響されない程、我の強い。精神部分では、多分、最強。
 魔法界って、納税ないですよね?まあ、児童書で納税の話したら、夢壊しますね。


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10.ハリーの忙しない日々

閲覧ありがとうございます。
お気に入り570名、超えました。ありがとう!
今回、ヒロイン不在のハリー視点です。



 金曜日の真夜中、談話室にハリーはいた。

 ロンとハーマイオニーも一緒だ。3人は宿題に励む。ベッロとクルックシャンクスは遠慮なく、寝そべっている。ハリーは自分の分をなんとか終わらせ、シリウスからの手紙を何度も読み返す。

「仕方ないとはいえ、この時間に会うのは睡眠妨害だわ」

 レポートを仕上げ、ハーマイオニーは欠伸をひとつ。

「そりゃあ、誰かに見られるわけには行かないじゃん」

 清書をハーマイオニーに確認してもらい、ロンも肩を解す。

 暖炉の炎は、ハリーの期待していた異変を起こす。炎と薪がシリウスの顔を形成し、親しい声で挨拶してきた。

 現象に驚いたハーマイオニーは、両手で口を塞ぐ悲鳴を殺す。

「シリウスおじさん、どう調子は?」

「半々だ。そちらはどうだ? ハリー傷は痛むか? どんな変化も、ちゃんとダンブルドアに言うんだぞ」

 自分だけを心配してくれる大人、シリウスの存在にハリーは穏やかな気持ちになる。やはり、彼は自分だけのは家族だ。

「本部の暖炉を使っているの? そうだ、クリーチャーはお元気?」

 ハーマイオニーは興味津々に暖炉を眺める。彼女から出た名前にシリウスは若干、不機嫌になる。

「いいや、仲間の家だ。本部は君達がいなくなってからは会議以外に使っていないよ。普段はモリーとクロックフォードに管理を任せっきりだ」

「それはよくないわ。クリーチャーのご主人は……」

「ハーマイオニー、時間がないんだ。手早くしようぜ」

 ロンに窘められ、ハーマイオニーまで不機嫌になる。

「アンブリッジは学校で何をしている?」

「部活制限したり、授業の査察をしに来るよ。服装の乱れも許さないみたい、廊下で何人も身だしなみを直されてた。僕も正直、わざと選手から外されるんじゃないかって思ってたけど、無事チームに残れたよ」

 キャプテンのアンジェリーナは心底、ホッとしていた。

「正直、ルーピンを追い出した奴だから、もしかして『死喰い人』かもって警戒してたんだけど」

「う~ん、アンブリッジの事は非常に嫌な女だとしか知らんな。人狼や水中人なんかの半人間を毛嫌いしている。……『死喰い人』の噂は欠片もない」

 ロンとシリウスは考え込み、変な唸り声を上げる。

「そういえば、ルーピン先生には会ってる?」

「先週、本部で一度、見たきりだ。かなりアンブリッジにブチ切れていたが、……まあ、リーマスは元気だ」

 本気で切れたルーピン。怖いもの見たさで、見てみたい。

「新任のドーリッシュ=ダートは、どうだ? まともに授業しているか?」

「ええ、……うん。なんというか、ルーピン先生のやり方を……なぞっているという感じよ。ルーピン先生の時より、人気はないけど……それでも試験を控えた私達は大助かりね。まあ、試験は……」

 丁寧に言葉を選び、ハーマイオニーは新任の評価を述べる。

「そうだろうな。トンクスから聞いたが、あいつは職務に忠実らしい。ただ臨機応変に弱いとか、どんな仕事も断らんから、厄介な案件を押し付けられるそうだ」

「つまり、教授の仕事は厄介ってわけ?」

 殊更、おかしそうにロンは笑う。

「ダートが雇われたのは『闇払い局長』スクリムジョールの案だ。局長もヴォルデモートの帰還を信じて、行動している。勿論、局長としての権限内で外国の『闇払い』と協力して『死喰い人』の調査を……」

「魔法省でそんな動きがあるなんて、【日刊予言者新聞】に書いてないわ。ハグリッドの言っていた巨人との同盟も全然、載らないじゃない」

 ハーマイオニーが厳しく言い放つ。ハリーは一瞬、心臓が震える。折角、シリウスは親切に説明してくれているのに、気分を害して去ってしまう恐れを感じた。

「……もしかして【ザ・クィブラー】を読んでいないのか?」

 シリウスの口から出た雑誌は、ルーナの父親が出版する雑誌だ。意外な名前に、吃驚しすぎたハーマイオニーは『数占い』の教科書を落とす。そのせいで、クローディアから誕生日に貰った新しい羽根ペン(魔法のガラス製)が絨毯に転がった。

「【日刊予言者新聞】は『死喰い人』も読むからな。【ザ・クィブラー】なら、その心配がないと、ジニーに勧められたんだ。編集長には重労働を強いて悪いが、夏から重宝させてもらっている」

「あ、ああ! ネビルが言ってたわ! ネビルのお祖母さまも【ザ・クィブラー】を読んでいるって! どうしよう! 私、クローディアにも「この記事、読んだ?」って聞かれたのに、宿題に逃げちゃってた!」

 自分の発言すら、信じられないとハーマイオニーは愕然とする。あまりに彼女が驚くので、2人は反応に困った。

「ハーマイオニー、君の大切なペンフレンドは何も教えてくれなかったのかい?」

 ロンに咎められ、ハーマイオニーは耳まで真っ赤になる。彼女のペンフレンドは、ビクトール=クラムだ。彼からサインを貰っておきながら、ロンは交流に不満げだ。

(……ロンが自覚してくれないと、ハーマイオニーも自棄になるのに)

 ハリーが胸中で呟くと、シリウスは何かに気づく。

「いかん、そろそろ戻らんと。ハリー、これからの手紙はハグリッドに渡してくれ。彼から、送ってもらう。そのほうが安全だ。それから、クローディアの事を……頼む」

 早口で告げたシリウスの顔が炎を強くして消えた。

 時計を見たロンは、欠伸をひとつする。それがハーマイオニーにも伝染した。

「【ザ・クィブラー】はどうする? ネビルに借りる?」

「いいえ、……ルーナに頼んでみるわ。自分達が読むんだから、ちゃんと申し込む」

 散々、馬鹿にしてた雑誌がまさかの今一番の情報源。その事実がハーマイオニーは納得出来ない。

 それと同じではないが、ハリーもシリウスに納得できなかった。ブラック家の屋敷で、出来るだけ避けていたクローディアの名を口にした。それも、ハリーの身を案じる時のような優しい口調だった。

 心臓がチクッと痛んだ。

 

 ――――僕の名付け親だ。

 

 ハグリッドも涙を堪え、新入生を出迎えに行ったのはクローディアの為だと言っていた。

 ――――僕の友達だ。

 

 そもしも、クローディアはハリーの為に入学を遅らされたはずだ。

 ――――僕の為にあるべきだ。

 

 脳髄の奥から、思考という網を放ち、脳そのものを包もうとする感覚。

「ハリー」

 低い声はシリウスではない。

 

 ――――ボニフェース。

 

 網膜に焼きついたボニフェースの表情は一切、笑わない。また廊下の奥、扉の前に立っている。そこを開けたい。開けさせて欲しい。

 

 ――――どけ、どくんだ。

 

「それは、おまえの感情じゃないって言っているだろ。ここに来るな!」

 一喝から、意識が覚醒した。

 

 グリフィンドールの談話室。赤を基調とした暖かい内装、優しい火の音を出す暖炉、教科書や宿題のレポートを片付けるロンとハーマイオニー、そして、ベッロとクルックシャンクスがハリーを見ている。

[ハリー……おまえは……ハリーでいいんだな?]

 心配してくるベッロの意味がわからない。

「僕はハリーだよ。どうして、そんなこと言うの?」

[そろそろ、……保てないのかもしれない。……ただでさえ、忙しい奴だが、手を借りるしかないか]

 ハリーに答えず、ベッロはするりと談話室を出て行った。

「あら、ベッロったら帰るのかしら?」

「わからないけど、そうだと思うよ」

 ハーマイオニーの疑問に、ハリーはそう答えるしかない。自室に戻ろうと起き上がれば、汗ひとつ掻いていないのに全身が干からびたように乾いている気がした。

 

 クィディッチの猛練習を済ませ、ハリーとロンはハグリッドの家に行く。

 【ザ・クィブラー】を読む為だ。ネビルに借りようとしたが、行き先を告げずに出かけたらしい。ディーンに教えて貰った。ちなみに、ハーマイオニーはクローディア達と勉強会だ。そのついでにルーナに雑誌の購読を頼むそうだ。

「なんだ、おめえさん達、持ってなかったのか。通りで昨日もその辺の話をしてこねえとわけだ」

 やれやれと肩を竦め、ハグリッドは紅茶を4人分入れる。

「仕方ないね、私もこんなマイナーな雑誌に投稿する羽目になるなんて思わなかったし」

 何故か、トンクスがハグリッドお手製サンドイッチを貪る。今日の姿はハグリッドと変わらない大柄な男だ。お陰で、室内が普段より狭く感じた。

「シリウスと一緒じゃないの?」

「一緒にいる事になっている、かな? ちょっと用事があるのよ」

 任務らしく、内容は教えてくれない。

【魔法省、巨人と同盟を結ぶ】

 ロンは巨人への恐怖めいた感情を抱いているが、それでも興味津津に記事を読みふける。ただ、ハリーはトンクスを見ていて不意に疑問を口にする。

「ねえ、どうしてバグマンさんが大臣になったの?」

 この質問に、トンクスが酸っぱいものを食べたように口を尖らせる。そして、記事を指差す。

「皆、疑問に思ってたけど、このヘンリー=マンチから聞いて、もう驚き、桃の木!」

 深く息を吐き、トンクスはしゅるしゅると元の女性としての姿に変ずる。

「ファッジのせいよ」

 意味不明と、ハリーとロンは目を合わせる。

 7月の頭、ファッジはバグマンとマンチを個人的に呼び出して会合した。バグマンは競技大会の審査員であり、マンチはバーサ=ジョーキンズ捜索部隊にして、遺体の第一発見者だった。

 話題は、ハリーから『死喰い人』になり、いつの間にか飲酒した3人は、べろんべろん酔っ払った。酔いの勢いに任せ、バグマンは賭けを言い出した。

 賭けの前に、3人は自らの罰をそれぞれ決めた。ファッジは大臣の後任をバグマンに指名する。マンチは巨人と盟約する。バグマンは『例のあの人』を倒す。提案を誓約書に認め、サインまで行った。この誓約書は、外交との取引でのみ使う事が許される強力な魔法契約がかけられたモノであった。

「結果、バグマンは独り勝ち。マンチは巨人探しに旅に出て右往左往。疲労困憊で帰還すれば、ファッジは死んで、バグマンが大臣だもの。マンチは最初、バグマンが我慢出来なくて殺したんじゃないかって疑ったらしい」

 言い終えて、トンクスは自分で話した内容に疲れて深く椅子へもたれかかる。

「「「そんな、馬鹿な」」」

 呆れを通り越し、疲れた。

「一体全体、どんな勝負で決まったんだよ。それ」

 げっそりしたロンは、何気なく口にする。トンクスは懐から、硬貨を取り出し指で弾いた。

「コイントスよ。3回勝負だったんですって」

 これで話は終わりだと、トンクスは降参の意味で万歳した。

 重要で重大な決定がただのコイントス。衝撃すぎて、反応できないハリーとロンは頭を抱える。泥酔経験のあるハグリッドは、そっと目を逸らす。

「まあ、あれだ。酒は飲んでも、飲まれるなってこった。俺も、ちょいと、いや、しばらく、禁酒しねえと……」

 明日は我が身と思い、いそいそと酒瓶を片付け始めた。

 

 トンクスの話に疲れたハリーとロンは、早々に城へ戻る。入れ違いで、アンブリッジが馬車に乗ろうとする姿を目撃する。フィルチが名残惜しげに、尋問官の手提げ鞄を馬車に詰める。

 顔を合わせると面倒だ。2人は物陰に隠れ、忍ばせていた『透明マント』で身を隠す。

「それでは、火曜日にお会いしましょう。ミスタ・フィルチ。貴方達も……書き取りの続きは火曜日の放課後に行います。努々、忘れぬように」

 嘶きを上げ、セストラルは馬車を引く。馬車に悪戯をしたくなる衝動が起こる。しかし、それでは責任はセストラルになってしまうので、耐えた。

 馬車が去ると、そこにはネビル、レイブンクローのモラグ、ハッフルパフのクレメンスとデレクの4人がいた。フィルチが4人に解散を命じると、ゆっくりと歩き出した。

 『透明マント』を脱ぎ、ハリーとロンはフィルチに礼儀上の挨拶してから、ネビルに声をかける。

「ネビル、何処にいたんだ?」

 ハリーに声をかけられ、一瞬、ネビルは強張る。しかし、唇を噛みしめて答えた。

「アンブリッジの所で、罰則を受けていたんだよ」

「君達、全員?」

 ロンの追及に、モラグは神妙に頷く。

「ただの書き取りだ。大した事ない」

 クレメンスがぶっきらぼうに呟くと、デレクが強く唇を噛みしめて肩を震わせる。

 明らかに様子のおかしい4人に、フィルチは明るい声で笑う。

「ああ、素晴らしい罰則だったな。もっと前から、するべきだったのだ。いやあ、あの方は素晴らしい」

 6人の睨みを受けても、フィルチは怯まない。それどころか、早く城に戻るように命令した。

 クレメンスはデレクの肩に優しく触れ、歩くよう促す。それにつられて彼らは歩き出した。余程、悔しい罰則だったのか、誰も口を開かない。

 だが、ハリーはクレメンスの手を見てしまう。その手の甲に薄いが、確実に刻まれた文字を見た。

【僕は 嘘を ついては いけない】

 背筋が熱くなる。

 フィルチが見えなくなり、ハリーはロンと共に4人を隠れ戸に押し込む。この隠れ戸は時折、気まぐれに現れる戸だ。フィルチも知っているが、出現時間が定かではない。

「これ、どうしたの?」

 ネビル、モラグ、デレクの手にも、その赤い文字……傷はあった。

 聞かれたデレクは、堪え切れずしゃくり上げた。

「だから、罰則だよ。書き取りの」

 モラグが感情を押さえ込む口調で言い放つ。

「僕たち、アンブリッジに抗議したんだ。木曜日にね……。バスケ部は僕らに必要だって、話した」

 目つきを鋭くし、ネビルは手を引っ込める。

「部活があったから、僕らはとっても成績良かったんだって、そしたら、罰則を言い渡された」

「じゃあ、医務室に……」

 ハリーの提案をネビルは、拒んだ。

「……まだ、終わりじゃない。火曜日に続きがあるんだ」

「しっかりと、身に刻むまでやるんだと」

 クレメンスの締めくくりに、ハリーは絶句した。ロンは残酷な罰則に、嫌悪を露にする。

「校長先生に言おうぜ! 許されるもんか、こんなの」

「駄目だ、これもきっと、ダンブルドアを挑発する罠だ」

 モラグが慌ててロンを引き留める。

「レイブンクローじゃ、皆、そう言っているぞ。アンブリッジは校長先生を退職に追いやろうと様々な事をしてくるぜ」

 ダンブルドアの退職。それは絶対に避けなければならない。2年生の折に、ルシウス=マルフォイの企みで危うかった。沸々と湧き起こる怒りの中で、ハリーは冷静に思い当たる。

「つまり……、彼女が部活を取り上げられたのに大人しいのは、そのせいなの?」

 彼女が誰を意味するのか、この場にいる誰もがわかっていた。

「……はい。だから、僕ら、ちゃんと、ちゃんと話せば、わかってもらえると……」

 涙声でデレクは、ゆっくりと述べる。一言話す度、涙が零れる。クレメンスがハンカチで彼の頬を拭う。惨たらしい現実に、誰も何も言えなかった。

 

 沈痛な面持ちで解散し、ハリーとロンはネビルと自室に戻った。

 宿題をしていたディーンとシェーマスは、ネビルの手を見るとはなしに見てしまい、同じく絶句して慄いた。

「ありえねえ! だから言ったろ。部活なんて、あの婆がいない間にこっそりやっちまえばいいんだよ!」

 事情を聞いて、シェーマスは憤慨して飛び出して行った。ディーンはタオルを水で濡らし、ネビルの手をそっと冷やして上げた。

「痛むか?」

 頷くネビルの手をもう一度見る。

 ダーズリー家に居た時でさえ、ハリーは刃物による暴力は散髪以外はなかった。

 6年生のコーマックが告げた「いつまで、持つか」とは、これだったのだ。ケイティに彼の話を聞いた際、「選考に出れなかった憂さ晴らしよ」と返されたが、違った。

 自分の甘さや大人が突きつける理不尽に、眩暈が起こりそうだ。

 そこにベッロが飄々と現れ、口に手紙を銜えている。

 ハリーに差しだしてきたので、躊躇いなく受け取る。差出人を見て、また絶句した。

 スリザリンのセオドール=ノットからだ。彼の父親は『死喰い人』だ。墓場にも馳せ参じ、忠誠を誓っていた。

 呪いを疑い、ハーマイオニーの部屋に行こうと女子寮に突入した。すると、女子寮へ続く階段は滑らかな滑り台へと変じた。登ることもできず、ハリーは滑り落とされた。

「あら、すごーい♪」

 3年生ロミルダ=ベインは、ハリーに愉快そうな笑みを向ける。

「女子寮へ行こうとしたの? それは無理よ、男子への対策魔法がかかっているんだから♪」

「どうも」

 親切なロミルダへ、ぶっきらぼうに返事をする。

「すげえな……、ハーマイオニーがいつも男子寮に来るのに、そっちは罠作ってんのかよ。通りで誰も女子寮に忍び込まないはずだ」

 様子を見ていたロンは、男女差別に苦言する。愉快そうなロミルダと入れ違いに、ハーマイオニーはジニーと戻ってきた。

「ロミルダ=ベインから、貴方達が待っているって聞いたわ」

 ハーマイオニーに聞かれ、ハリーはすぐに封筒を見せる。彼女は厳しい顔つきで、封筒を繁々と眺める。そして、杖を封筒へ向けた。

「スペシアリス・レベリオ(化けの皮 剥がれよ)!」

 呪文の効果は何もない。

「何それ?」

「休暇中に、マッド‐アイに教えて貰ったの」

 仕方なくハーマイオニーは鞄から手袋を取り出し、ロンに渡す。ジニーは静かにハリーの後ろへ隠れる。

「僕が開けるんかい」

 渋々、ロンは手袋で手を完璧に保護し、慎重な手つきで封を切る。何も起こらなかった。安心と期待外れを半分ずつ味わい、ハリーは手紙を読み上げた。

【ハリー=ポッターへ

 おまえが赤ん坊の時に、闇の帝王を退けた魔法を教えてほしい。代わりに、ファッジを殺した犯人を教える。10月5日ホグズミード村、ホッグズ・ヘッドにて待つ。こちらは、けむくじゃらに変装して行く。そちらも出来るだけ変装して来い。  セオドール=ノット】

 4人は手紙の内容に、賛否両論だ。ハリーは、場所に警戒した。『ホッグズ・ヘッド』は奇妙な客人が寄る店だと、ハグリッドから聞いた事がある。

 ロンは間違いなく、罠だと宣言した。

「『死喰い人』は『例のあの人』から色々と聞いてんじゃん。今更、ハリーに何を聞くんだよ」

 ジニーも同意見だ。ただ、ハーマイオニーは挑戦的に受け取っていた。

「でも、ベッロが持って来たって事は、きっと意味があるわ。罠を疑って出来るだけ対策して行きましょう。そうね、皆で『ポリジュース薬』で変装していくっていうのは?」

「皆って……、皆もついてくるの?」

 正直、独りでは心細い。嬉しさで声を上げたハリーに、ロンは目を丸くする。

「当たり前だろ、スリザリンでしかも『死喰い人』の息子だぞ。マルフォイの罠だろうし、1人で来いなんて書いてない……」

 言い終えてから、ロンは急に閃く。

「ハリーが僕に変身した事にすればいい」

 最高の提案とばかりに、ロンは3人を見渡す。突然の思いつきに、ジニーは吃驚仰天した。誰にも聞かれていないのに、彼は続ける。

「僕がハリーのフリをして、軽く変装して……、ハリーは『透明マント』を隠ればいい! 僕の後ろをついてくれば、完璧じゃん!」

「ロン……あなた、冴えてるわ!」

 ハーマイオニーが歓喜し、ハリーは咄嗟に否定した。

「待って、危ないよ。ロンに何かあったら、どうするの!?」

 自分の代わりに、ロンに危害を加えられる危険性にハリーは慄く。すると、ジニーはやれやれと溜息をついた。

「ロンを心配しなくても、私達が守るわ。だから、遠慮なくロンに守られて」

 至極、当たり前と言わんばかりにジニーは言い放つ。ロンに対する信頼が感じられた。過剰でも不足でもなく、心地よい情愛を感じられた。

 反対するのは寧ろ、彼らへの信頼の裏切りである。

 ハリーは素直な気持ちで提案を受け入れた。

「そういえば、【ザ・クィブラー】はどうなった?」

「ちゃんと、頼んできました。ルーナのお父様、とっても忙しくてピリピリしているそうよ」

 厭味ったらしいハーマイオニーの口調は、3人の笑いのツボをついた。

「さあ、クローディアにも伝えましょう」

 急に胸の暖かさが消える。嬉しいはずなのに理由がわからない。

 ハリーは笑顔を取り繕い、その場を凌いだ。

 

 ネビル達の罰則は、すぐに3人の寮監に知る所となった。

 抗議の声は上がったが、アンブリッジは全く物ともせず、魔法省より与えられた権限だと主張した。しかも、自分への抗議は魔法省への反乱だと述べた。

 ハリーは、ダンブルドアが対処してくれると思っていた。しかし、校長は巨人の盟約への調整と騎士団への指示で多忙が過ぎると、ハグリッドは教えた。

 理不尽な状況にハーマイオニーがマーラップの触手による溶液で、ネビルの手を癒した。

「クローディアに教えてやればいい」

「彼女は傷薬があるじゃない。それに罰則が終了してから、モラグとデレクを治してあげていたわ」

 ハーマイオニーの説明に、ハリーは疑問を感じざる終えない。

「僕とクレメンスは遠慮したんだ。祖母ちゃん、僕の事、ちょっと褒めてくれた。権力に屈しないって! だから、これは残しておくよ。クレメンスはセドリックに頼まれたんだって……なんか証拠にするとか」

 ボウルの液体に手を入れ、ネビルは癒しに浸る。

「クローディアは、君らのケガに対して何か言ってた?」

「そりゃあ、カンカンだったよ。退学になってもいいから、あの婆にドロップキックをかますって……。あ、ハリー。部活で抗議した事は内緒にしてくれる? 絶対、自分を責めちゃうから」

 クローディアを気遣うネビルは、とても穏やかだ。だが、ハリーの胸中はより搔き乱される。

(なんで皆、クローディアを守ろうとするんだろう)

 

 ――彼女は強いのに。

 

 浮かんだ言葉を咄嗟に否定した。

 実際、アンブリッジにキレている場合ではなかった。ハリーは週2日はクィディッチ戦の特訓、ロンはそれに加えて監督生としての役割、ハーマイオニーは2人より多くの授業課題があった。

 特に特訓中は、ロンの腕前が恐ろしく下手で別の緊張が走っていた。

 もっとも忙しいはずの双子は、余裕綽綽で『ずる休みスナックボックス』の作成と実験を繰り返していた。時間調整が得意なのだと思い知り、見習おうとしたらハーマイオニーが必死に止めた。

 

 

 変化の多かった9月は終わり、10月。週末はホグズミード村への外出だ。

 『占い学』の授業は、ハリーには本当に精神的苦痛だ。目の前にいるトレローニーがヴォルデモートに関わる『予言』を2度も発した張本人だからだ。否、この教室にいるハリーとネビルについての『予言』でもある。自覚がないのは、まさに不幸中の幸いだ。

 ただのインチキなら、もっと良かった。

「今日は予兆的な夢のお勉強を続けましょう」

 夢。

 正直、最近の夢はもっぱら暗く長い廊下、そしてボニフェースだ。最後に彼を見た時、普段の笑みが消えていた。

 まさか、そんな内容を夢日記に書くわけに行かない。いつも通り、ロンと適当にでっちあげる。

(そういえば、校長先生が言っていた日がすぐ傍だ)

 10月3日はクローディアが己を知る日。確か、ダンブルドアはそう教えた。急に胸を不安が支配する。彼女に責められる恐怖で、胃が痛い。

 トレローニーは目敏く、ハリーの表情に喰いついた。

「どうなさったのです……ああ、まさか……そんな……」

 いつもの不幸予言が始まってしまい、ハリーはげんなりする。彼の夢日記を見ながら、トレローニーは腹から呻き声上げて同情めいた視線を向けた。

「貴方はなんということでしょう。死者にとりつかれています……。そして、それは辛い別れとなるでしょう」

 いつもの事だ。トランス状態の時とは、違う。その場のインチキだと自分に言い聞かせる。

「ああ、見えます。ミスタ・ポッター、貴方が彼との別れに涙する姿が……」

「彼?」

 思い当たる節があり、思わずハリーは返事してしまう。

「ええ、あたくしは何か感じますわ……。その別れは、更なる死を呼ぶと……」

 反応された嬉しさで、トレローニーはペラペラと喋りだし、自称弟子ラベンダーとパーバティは真剣に先生の話に聞き入っていた。

 結局、いつもの不幸な予言で授業は終わった。

 

 木曜はアンブリッジの訪問日。

 しかも、今日は一時限目から『魔法薬学』。普段と全く変わらないネチネチとしたスネイプの授業がある。ドラコ達もハリーがどんなに無視しても、視線や顔で小馬鹿にしてくる。

「では、『安らぎの水薬』の復習を行う。先月に教授したばかりだ。よって、我輩は一切の助言をせぬ。どの棚に必要な材料があり、手順を自分の頭で思い返し、完成させて教壇の机に提出せよ。提出が済めば、自由時間としよう」

 早めに休憩が貰える。それにハリーと共に何人かが表情を輝かせる。一度、調合経験があれば簡単だ。

 

 ――そんなわけない。

 

 いつも、どん底の成績のネビルは材料がわからず、教科書を開きながら、薬棚を右往左往した。シェーマスは早速、手順を間違えて鍋に穴が空いた。ロンは鍋の火が消えた。パーバティやラベンダーの鍋は、湯気が出ないので首を傾げていた。

 それはスリザリン生も同じだ。ドラコは余裕綽綽な態度で手順を間違え、真っ黒い煙が上がっていた。

 ハリーも鍋からくる煙や熱気と緊張で、材料や手順を正確に行えたにも関わらず、液体の色が真赤だ。教室を巡回していたスネイプは、わざわざハリーの鍋を眺めにやってくる。予想通りだったしく、小気味そうに嗤う。

「ミスタ・ポッター。少々、我輩自ら、説法する必要がありそうだな。授業の後は残っていたまえ、なあに、次の授業までには間に合わせるとも」

 非情な宣言に、ハリーは血の気が失せた。

 結局、まともな調合はハーマイオニーを含めた数人だけだ。彼女達は早々に地下牢を出ていく。終業まで10分を切ったところで、低成績組も提出を済ませて出て行った。

 片付けられた教室で、スネイプと2人きりは精神的にキツイ。黒真珠の瞳は、いつも彼を苦しめては喜びに輝く。それなのにドリスやクローディアはこんな男を信頼している。

「ハリー、そう緊張せずともよい。何も叱りつけはせん」

 しゃがれても穏やかな声に、急いで振り返る。薬棚の隙間から、ダンブルドアがするりと出てきた。絶対に人が入れない隙間すらない場所、信頼する校長の登場は嬉しさと驚きを呼んだ。

「いつから、そこに!」

「たった今じゃよ、ホグワーツ校長は色々と移動手段を持っておる。アンブリッジがうるさくて、逃げておったところじゃ」

 やれやれとダンブルドアは、肩を解す。

「そして、話があるのはわしじゃ。スネイプ先生に協力してもらったのでな」

 知らずに、安堵の息を吐く。スネイプは本意でないと顔を歪めた。

「ハリー。君が勉学や選手として練習に励んでおるのは、わしは重々承知じゃ。しかし、君にひとつ、授業を追加したい。来週からがよいじゃろう」

 一瞬、理解が遅れた。

 多忙な5年生である自分に授業を足す。胃が捩じれそうだ。

「その科目を『閉心術』という、外部からの侵入に対して心を防衛する魔法じゃ。あまり、知られておらぬ魔法での。きっと、ハリーの役に立つとワシは信じておる」

 『閉心術』。全く聞いた事のない魔法だ。あまり、知られていないなら、ロンに聞いてもわからないかもしれない。一応、ハーマイオニーに聞いておこうと決めた。

「誰が教えて下さるんですか?」

「我輩だ」

 勝ち誇った声に、ハリーはげんなりした。

「週に一度だ。ポッター、誰かに聞かれたならば『魔法薬』の補習と答えるように」

 補習を受けねばならぬ程、成績が酷い。他人はそんな印象を受けるだろう。それが本望だと、スネイプは嗤っている。

「ハリー、君はこう思っておる。何故、わしが教授してくれんのか……と。それはな、君がスネイプ先生を苦手じゃからのう。この術は苦手な相手ほど、効果を発揮しやすい。納得してくれたかの?」

 凄まじく、納得した。だが、嫌だ。そんな態度を出すわけにもいかず、渋々承諾した。しかし、表情に出ていたらしくダンブルドアは苦笑した。

「見事、『閉心術』を習得できれば、わしからの個人授業が待っておる。励んでおくれ」

 ダンブルドア自らの個人授業。7年生から聞かされた有意義な時間がご褒美とくれば、心も躍る。

「はい、頑張ります」

 スネイプを視界に入れず、ダンブルドアのみ返事をした。

 

 『魔法史』を終えて、大広間に行く途中。ベッロを首に巻いたルーナが歩いている。彼女はハリーを見かける度に励ましてくれた。そして、セストラルの見える味方だ。

「やあ、ルーナ」

 ハリーの挨拶にルーナは振り返る。ベッロもじっとこちらを見やる。

「はい、ハリー。今日は機嫌いいね」

 確かに、今のハリーは上機嫌だ。ルーナには何でも見透かされる。

「クローディアなら、心配いらないよ。受けるもン。いままで、そうだったもン」

 脈絡のない話に、反応が遅れた。だが、今日はクローディアが色々と知るだった。昨日、それを思い出したせいでトレローニーから不吉予言の的にされたのだった。

「うん、そうだね。きっと大丈夫だよ」

 願いを込める意味でも、ハリーはそう答えるしかなかった。

 




閲覧ありがとうございました。
大人ども、お酒はほどほどにね。
棚の間から、するりと出てくるダンブルドアかわいい。校長は城の中を移動できる手段があると勝手に思っています!


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11.祖父の遺言

閲覧ありがとうございます。
お気に入り580名を越えました!ありがとうです!
追記、4月30日、誤字報告により修正入りました


 ――これは遺言である。

 

 私、ボニフェース=アロンダイトを殺す者がいるとすれば、ベンジャミン=アロンダイトしかいません。ベンジャミンは闇の帝王ヴォルデモート卿を主人と敬う信者です。その忠誠心を示さんが為にオーガスタス=ルックウッドより託された『逆転時計』を用いて、私と共に1926年まで遡ったのです。

 私にヴォルデモート卿を破滅から救わせる為です。闇の帝王はハリー=ポッターという赤ん坊により、破滅させられます。

 しかし、私は純血主義やマグル支配にも興味を持てませんでした。過去のベンジャミンも同じです。私の兄として、彼は尊敬できる人間になりました。計画を台無しされ、老いぼれたベンジャミンは私を殺そうとするでしょう。

 ヴォルデモート卿はトム=リドル=マルヴォーロという男です。彼はホグワーツ魔法魔術学校の首席でした。そして、スリザリンの継承者として『秘密の部屋』の怪物を解き放ち、マートル=エリザベス=ウォーレンという女子生徒を殺したのです。今となっては証拠は何もありません。

 彼は用意周到にして、狡猾です。赤ん坊に破滅させられても、蘇る術を持っているでしょう。何故なら『死の秘宝』が刻印された指輪を持っています。マグル育ちの彼が持つなど、これは悪い予感がします。

 私はこれから、彼の辿った道を追います。念のためにアグリッパに遺言を残しておきます。

 重ねていいますが私が死ぬとすれば、それは未来から来たベンジャミン=アロンダイトによって死んだのです。

 どうか、ここまでの事をアルバス=ダンブルドアに伝えて下さい。

 マートルを殺した怪物の飼い主として、濡れ衣を着せられたルビウス=ハグリッドを助けてくれた『変身術』の教授です。きっと、荒唐無稽な話でも信じてくれます。

 コンラッド、頼れるのは息子のおまえしかいない。

 

 ――これは私、ボニフェース=アロンダイトの切なる願いである。

 

 目覚めた瞬間、襲ってきたのは猛烈な吐き気だ。

 脳髄が掻きまわされ、神経の隅々まで異物が混入したような感覚が原因だとわかる。しかし、嗚咽しても口からは何も出てこない。粘液も粘膜もない。

 

 ――ただ、嗚咽した。

 

 新鮮な空気が口から入り、呼吸器官を通して全身に廻りだす。ようやく、吐き気はなくなり、周囲に意識を向けれた。

 見たことない部屋にいた。クローディアの物ではない寝台。質素ながらも、上品さを含めた刺繍を縫われた布団や枕、歳月を思わせる使いこまれた飾り板。窓の外は明るい。太陽の位置から見て、昼だと推測できる。

「おはよう、……約2時間か……、重畳だろう」

 声に振り返れば、コンラッドがいる。サイドに座り、腕時計を眺めては勝手に納得して頷いて見せた。

「……? お父さんがどうして……?」

「ここはホグズミードだよ。今日に備えて、民家を借りておいたんだ。とても、立てこんだ話になるからね」

 『ホグズミード村』。以前、シリウスも民家を借りまでハリーへ会いに来た。

「今日にって……、……何の事だ?」

 一瞬、目を逸らしたコンラッドは自問のような口調で答える。

「……おまえの誕生日、そのズレを埋め合わせる日だ」

 クローディアの誕生日。ドリスはその日が肝心だと述べていた。だが、何も起きなかった。それは石化によって身体の成長が止まっていたせいだ。

「そうか、日数を考えるなら、今日くらいが……」

 言葉の続きは、コンラッドの人差し指で遮られた。

「まずはこちらから聞こう。……全て、隈なく、何もかも、読み切ったかい?」

 読み切った。

 何の事かすぐにわかった。

 脳髄に入り込んできた荒唐無稽の文章は、確かに読めた。

「あれは一体……、まるで……」

「うん、ボニフェースの遺言だね」

 さらりとコンラッドは教えた。

 全く動じないので、こちらが反応に困る。それを余所に紙とボールペンを突き出してきた。書けという意味だと察して、受け取る。

 読むのは楽だが、文章に起こすと内容に動揺して何度も手が止まる。その度にコンラッドは視線だけで厳しく咎めた。字が歪んだが、書き終えた。

 それを渡すと、コンラッドはじっくりと確実に音読する。やがて、読み終えると肩の力を抜いて深呼吸した。

「たった……これだけか、実に馬鹿馬鹿しいよ」

 呆れ果てた口調で、コンラッドは紙を懐に入れた。

 突然、読まされたこちらでさえ、ボニフェースの切実な思いを感じた。息子に託した父親の嘆願を呆れるなど、ありえない。

 怒りが湧き起る。

「何がどうなっているんだ! オーガスタス=ルックウッドは『死喰い人』だろ!? そいつが『逆転時計』を渡したとか! お祖父ちゃんは何者なんだ!」

 寝台から乱暴に立ち上がり、コンラッドの胸倉を掴む。苛立ちに歪んだ顔が眼前に迫っても、彼は眉ひとつ動かさない。それどころか、事もなげに手を振り払う。椅子から立ち、サイドテーブルにあったリンゴとバタービールを投げ渡した。

水だけを飲んだコンラッドは、再び椅子に座り足を組む。何か語る時の彼の仕草のひとつだ。

「……全てはあの日、闇の帝王が凋落した事から始まった……」

 一呼吸置いて、端正な唇が動く。

「まずはベンジャミン=アロンダイトの話をしよう。彼はスクイブだった」

 スクイブは魔法界での生活は難しく、マグルの世界で生活を余儀なくされる。そのように教育されるのが一般的。

 しかし、例外もあった。ホグワーツ管理人フィルチがその例だ。藁に縋る思いで魔法界の職に就く。

 ベンジャミンは自らの曽祖母ルクレース=アロンダイトの伝手で、魔法省の清掃員として勤務した。

「ここでクソ婆……失礼。ルクレース老の話になるが、老にはシギスマント=クロックフォードという兄がいた。兄は錬金術に精通していたが、研究途中で亡くなったんだ。この人はドリスの曽祖父にあたる人だ」

「お祖父ちゃんの……後見人。その人が亡くなったから、お祖父ちゃんは学校を辞めたって話を聞いた」

 グリンデルバルドの一件と重なり、臆病風に吹かれたと噂が立っていた。しかし、ベンジャミンは作曲家として名を馳せたはずだ。

 矛盾を感じてもまだ質問しない。

「そう、彼は愛弟子だったトトに遺産として残すはずだったが、ルクレース老はすべて取り上げた。当時、老は魔法省の上層だったらしいから簡単だったろう」

「『正当な押収に関する省令』……、けど、それは闇の物品を相続できないようにする法律のはず……」

 思わず口を挟めば、コンラッドは適当に頷く。

「何事にも法の抜け道はあるよ。……それでベンジャミンは、ルクレース老の伝手で魔法省の下っ端の下働きに就職した。そして、老は闇の帝王に共感して『死喰い人』になった。闇の帝王が凋落して、すぐ残った『死喰い人』と信者共はご主人さまを救う手立てのひとつとして、過去に行く案が出たんだよ」

 そこで『逆転時計』の出番になった。だが、それは一方通行のはずだ。まさかの推測にゾッと寒気がする。

「そう、行っても帰って来れない。そこで御鉢が回ったのは、スクイブのベンジャミンだ。彼がどうして承諾したか、今となっては本人もわかっていないだろうね。まあ、老に逆らえなかったんだろうというのが見解かな?」

 嘲笑し、続ける。

「過去を遡り、ベンジャミンはすぐにアロンダイト家を訪問した。老は最初こそ疑いはしたが、ベンジャミンが未来から持ってきたモノを見て、すぐに信じたそうだ。それがシギマスントの研究物だ」

 その研究物とは何なのか、視線で問う。

 重苦しく息を吐いてから、コンラッドは億劫そうに天井を見上げた。

「『ホムンクルス』だよ」

 一瞬、理解が遅れた。しかし、シギスマントが錬金術師ならば、しかも高名なニコラス=フラメルの弟子だったならば、可能かもしれない。頭の一部が冷静に判断した。

 急に胸中が騒ぎ出し、背筋に嫌な汗が流れる。

「シギスマントが自分を媒介に作っている途中の代物だった。だが、老の手に負えるはずもなく、仕方なく無理やりトトに命じて完成させた。この時期にはシギスマントは亡くなっていたからね。完成した『ホムンクルス』はボニフェースと名付けられ、アロンダイト家の次男として戸籍登録された」

 衝撃の事実は、手足に痙攣を呼ぶ。

 祖父ボニフェースが『ホムンクルス』、否、媒介がシギスマントならば彼そのものだ。人間が魔法といえど、人間を造り上げた。死んだ人間を元にするなど、まるでフランケンシュタインのようだ。

 しかし昔程、恐怖を感じない。

 寧ろ、魔法界ならあってもおかしくない。自然な事のように思えた。例え、稀でも存在はしているのだ。

「ボニフェースが10歳の時、ベンジャミンは家を追い出された。正確にはマグルの世界に放り出されたんだ。マグルの中で、少しでも地位を得る事がいつか闇の帝王を救うと信じられてね。トトも散々、手伝わされたよ。でも老害どもに予想もしないことが起こった」

 眉間のシワを解し、コンラッドは水を飲んでから続けた。

「ベンジャミンは自分の地位を確約していく内に、マグルを本当に愛してしまった。ボニフェースは元々が純血主義なんぞに興味なかったからね。子供達が自己の考えを持つにつれ、アロンダイト夫妻も影響を受けて、変わったよ。威張るだけの婆と未来から来たと嘯く爺どもの洗脳が解けたというべきかな。とにかく、老人どもに従わなくなった。決めては……子供達が結婚してアロンダイト籍を抜けた事だ。2人とも、それぞれの細君に婿養子となった。ベンジャミンはブッシュマン、ボニフェースはクロックフォード」

「ブッシュマン!? まさか、ジュリアの!?」

 思いついた事を確認する意味で、つい叫ぶ。

「シレンシオ(黙れ)」

 いい加減、口を出される事を煩わしく思い、コンラッドは魔法で黙らせた。

「子供達を精神的に失い、ルクレース老は心労で倒れた。老が亡くなり、老いぼれベンジャミンは見放された挙句に、僅かな金銭と共に追い出された。夫妻としては違法な時間操作をした未来の息子を魔法省に突き出さなかっただけ、情けのつもりだったんだろう。闇の帝王に人生を台無しにされた老いぼれは、ボニフェースを恨むしか生きる気力を得られなったんじゃないかな?」

 呆れている。コンラッドは呆れ果てている。老いたベンジャミンに対して、情けは微塵もない。

「そして、ボニフェースは殺された……。ベッロは闇の帝王が差し向けたと思い込んでしまった。遺体を持ち去ったのだから、当然と言えば当然か」

 ボニフェースの予想通り、老いたベンジャミンに殺された。だが、若いベンジャミンも死んだはずだ。【ザ・クィブラー】では弟に会うと言葉を残していた。

(まさか……ベンジャミンを殺したのは……)

 疑問を視線で訴えると、コンラッドは事もなげに頷く。

「もしも、ボニフェースが若いベンジャミンを殺したと思っているなら、違うよ。それだけは、わからない。何故か彼は死んだ。過去を失い、老いぼれは跡形もなく消え去った……」

 

 ――時間に干渉した代償は、変わってしまった家族。無くしたのは人生そのもの。挙句の果て、言葉通りに自分すら失った。

 

 脳髄は痙攣し、応じて胃が捩じれそうだ。

 しかし、ボニフェースは万が一に備え、遺言をベッロに託していた。コンラッドは今、初めて読んだ様子だ。

 疑問が表情に出ていたらしく、コンラッドは躊躇いを見せる。唇が痙攣し、手元も落ち着かない。自分をごまかすように、彼は髪を掻き上げた。

「17歳の時、私もそれを読むはずだった……。だが、読めなかった……」

 ゆっくりとした仕草で左の袖を捲り上げ、色白で肌触りのよさそうな腕が露になる。それから、前腕を指先で慎重に撫でた。

「その頃、ここに『闇の印』があってね。それが邪魔をして、読み切れなかったんだよ」

 コンラッドの声は機械的ながらも完全に怯えていた。

 ヴォルデモートの象徴たる『闇の印』。それを腕に持つのは、下僕にして従者を自称する『死喰い人』だけだ。マルフォイ氏やクラウチJr、そしてクィレルがそうだ。

 衝撃の事実に硬直した。だが今、コンラッドの腕にそれはない。その事だけで、冷静さを維持できる。きっと『解呪薬』の力で消したと推測できた。

「印を受けたのは6歳の時だ。……アブラクサス、ルシウスの父親に拐された……。元々、ボニフェースが残した物を闇の帝王に献上する為だった。……何もないと知るや、私を……捧げようとしたんだ……。くだらないご機嫌とりの為に、だが……目論見は失敗した……闇の帝王は、幼かった私に何の興味も持たなかった。……そこでアブラクサスは、私をルシウスの従者にと……教育しだした……。印はその一環だ。何処に逃げても、無駄だと……」

 思い返しているらしく、コンラッドの額から緊張の汗が滲み出てきた。

 僅か6歳で誘拐され、しかも身勝手な教育の為に『闇の印』を植え付けられた。教育などと言っているが、実際は口に出すのも、おぞましく残酷な体験だったのだろう。

 コンラッドは、まだ心の傷が癒えていない。

 同情してしまい、知らずと涙が零れた。

「……監禁された私は、ダング……マンダンガス=フレッチャーに助けられた。ダングから、誘拐されてから、一月程度だったと知らされたよ。……あいつの数少ない武勇伝さ。……元々ダングは、ドリスの両親……祖父母に投資話を持ち込んで、破産させた罪悪感があったから、その罪滅ぼしもかねたんだろう。一応は感謝している」

 笑い所なのか、コンラッドは薄笑いを浮かべた。全く笑えない。

「話は逸れたが、……印があれば、いつでも捕まえられるとアブラクサスは思っていたんだろう。追って来なかったよ。ドリスを含めた癒者数人に診て貰ったが、印はどうにも出来なかった。そのせいで私は遺言書が虫食いのようにしか、読めなかった。何とか読めたのは、ポッターに闇の帝王は滅ぼされる部分だけだった」

 疑問があり、口を動かす。気づいたコンラッドは指先を動かして魔法を解いた。

「何故、成人した日だった? もっと早くに遺言書を読めれば、回避できたかもしれないのに」

「……ボニフェースの性格を考えるなら、ハリー=ポッターの為だろう。私が早くに知ってしまい、何かの手違いで彼が生まれない流れとなるかもしれない。自分達の家族が変わってしまった例もあるからね。まあ、私はどのポッターの事か、すぐに判断できた。ダンブルドアにも知らせたが、結局……私には何も変えられなかった」

 自らの無力さを嘆き、コンラッドの目は細くなる。

「……残りの遺言を読む為に、私達は別の手段を用意した」

 視線を向けられ、納得する。息子コンラッドで駄目だったなら、孫クローディアに読ませるしかない。

 その推理に心が躍る。つまり、2人は確かに親子なのだ。

 だが、ここで強い違和感にして不可解な感覚が胸に生まれる。

 ベンジャミンは『ホムンクルス』を持って、過去を遡った。では、元々の『ホムンクルス』が少なくとも、1体はあるはずだ。

 そして、スネイプの言葉が真実なら、コンラッドは子種がない。なのにクローディアは彼と同じ血が流れ、ボニフェースの遺言書を読めた。

 

 ――まさか、マサカ。まさか、まさか、まさか……。

 

 これまでの情報が虫食いの問題用紙を埋め、回答欄の答えを導き出した。

「私は……『ホムンクルス』、私が『ホムンクルス』」

 他人事のように言葉は漏れる。

 耳聡く聞き取ったコンラッドは感心していた。

 称賛を表情に出し、満点を取った我が子を褒めるように微笑んだ。

「よく推理したね。そうだよ、その通りだ。私は印を受けた影響で、子種が死滅していたからね。ならば、私よりもボニフェースにより近く……、いいや、シギスマントにもっとも近い『ホムンクルス』を造り上げる。それしかなかったんだ。それがおまえだよ」

 

 ――断言された。

 

 鈍器で殴られるよりも酷く、そして強い衝撃を与える。衝撃は石となり、身体に沈みこむ。それでも、質問の為に唇は動く。

「お祖父ちゃんが……シギスマントに近いのでは?」

「ボニフェースは寧ろ、劣化版だ。言っただろう? トトが無理やり作らされたと、ほとんど適当に作ったのさ……。その点、ホルモンバランスを調整して女の形にしただけでなく、祈沙の姿へ成長するよう造形を整えられた。おまえはトトの最高傑作にして、『賢者の石』に並ぶ、錬金術の神髄と言ってもいい」

 饒舌なコンラッドの能弁から、僅かな恐怖を感じる。

 恐れている。

 コンラッドは、クローディアを……シギスマントにもっとも近い『ホムンクルス』を恐れている。死んだ人間を元にした怪物を我が子として、育てさせられた恐怖を察してやれない。

「お母さんは、この事を知っているのか?」

 微笑んだまま、コンラッドの唇は止まる。一度、乾いた下唇を舐めてから答えた。

「祈沙は全て知っているよ。闇の帝王との因縁も、何もかも……」

 既に知られていた安堵と皆に騙されていた衝撃が交互に、胸を騒がせる。

 

 ――まだ足りない。納得できない部分はまだある。

 

 遺言書を読ませるだけなら、成長した段階のモノを作ればいい。ベッロの中にあるなら、取り出せばいい。思い付ける2つをしなかったのは、おそらくトトにも出来なかったか、しなかった。

 ボニフェースがベッロに遺言書を隠したのは、ヴォルデモートに知られても愛する蛇が相手なら、粗雑な扱いは受けないと踏んだのだ。

「どうして、お祖父ちゃんの遺体をトム=リドルが持ち去ったってわかる? 目撃者はベッロだとしても、あいつは約束で誰とも口を利かなかったはずだ」

「……『憂いの篩』を知っているかな? 簡単に言うと記憶の場面を見る道具だ。それで、ベッロの『憂い』を見たんだよ。ペティグリューの行動もそれを使って真実を晒したんだよ」

 校長室にある『憂いの篩』。以前、ハリーが覗き見た道具だ。とても鮮明だったと教えられた。

 石化で成人がズレる事はドリスも予想できた。万が一の為に備えて、誕生日に身構えていた。ハリーを呼んだのは関係者であり、知る権利があると思った。スネイプは、ずっと隠していた事への謝罪も含めていたに違いない。

 コンラッドは10年以上、連絡を絶っていた。これは本当にしても、全て納得済みの計算だ。息子を探すドリスの旅というのは『死喰い人』から身を隠す方便だ。ルシウス=マルフォイがコンラッドに拘った理由は、納得だ。

 日本での生活も、『死喰い人』対策と考えられる。

「どうして、私を最初から魔女として教育しなかった? 『闇払い』とはいかなくても、それなりに訓練させておけば、お祖母ちゃんは……お祖母ちゃんを助けられたかもしれないだろ? 言っておくけど師がいないとか設備がないなんて言い訳は通じないぞ」

 以前、トトは講師をすると提案した。実家の蔵を使えば、施設など簡単ではないが幾分か用意できる。

 途端に、コンラッドは露骨に顔を歪める。

「一応、言っておくがドリスの……母の死は、私も予想外だった……」

 失言を知り、詫びる。コンラッドは顔を顰めたまま、続けた。

「それに文句はトトに言うんだね。あの爺、ホグワーツに入学させるまで、魔法界から遠ざけるべきだとか、おまえを手離さなかった。予想以上に、おまえを愛おしく思ってしまったらしい。全く……。まあ、おまえの性格を試すにも丁度良かった」

「私の性格を試す?」

 怪訝すれば、コンラッドは苦笑を返す。

「どこまで理不尽に耐えられるか、という事だよ。何の前置きもなく日本から離されて、いきなり魔女だと言われ、歳の違う同級生から白い目で見られたり……とかね」

 小学校を卒業した年は、唐突な出来事ばかりだ。魔法学校に入学してからは、怒涛の毎日だった。自分なりに苦労した。罵倒や敵意、嘲笑、嫉妬も受けた。

 どれも生きていれば、何処かで体験した事ばかりだ。逃げたりなど、しない。先に覚悟をすれば、心の受け取り方も変わる。

 

 ――だが、本当に理不尽は覚悟もなく、やってくる。

 

「そんな理由で黙ってたんだ……本当に、くだらない……」

 苦笑して、ハリーを思う。

「ハリーは? ハリーこそ、全て知っているのか?」

「いや、彼が知るのは自分の人生だけだ」

 ハリーとヴォルデモートとを結んだ『予言』について、語られた。トレローニーが本当に『予言者』の血族だった事も少々、驚かされた。制御できない力であっても、偶然、就職面接中にダンブルドアの前で霊媒状態になれたのは、幸運かもしれない。

 思えば、初対面の折にクローディアに向かって「存在がありえない」などと告げられていた。

「トレローニー先生は普段、自分や他人を誤魔化しているのか?」

「知らないよ。その辺は本人と話してごらん」

 演技であろうとなかろうと、不吉な予知ゴッコは控えて欲しい。

「おまえを11歳で入学させなかったのは、ハリー=ポッターと同じ学年にする為だった。これはドリスの案だ。おまえ達が闇の帝王と戦う時、信頼し合えるようにね」

「スリザリンだったり、友達になれなかったら、どうすんだよ?」

 偶然や経緯があり、友達になれた。何かが違えば、友情は生まれない。

「それはないだろう。例えスリザリンでも、おまえはドリスに言われたら、否が応でも、ハリー=ポッターを気にかけただろう? お祖母ちゃんの為に」

 ぐうの音も出ない。

 確かにドリスが望むなら、出来るだけハリーと接した。そもそも、彼を気にした切っ掛けは彼女だった。

 ドリスがハリーのファンだったからだ。あの熱狂ぶりは、彼を意識させる為の演技だったはずがない。

 ゾッとした考えを振り払うため、別の疑問を口にする。

「奴らが『予言』を求めるのはわかる。しかし、お祖父ちゃんの遺言書を何故、今になって求めるんだ?」

 闇の陣営は、2つのモノを求めている。

 ひとつは、魔法省・神秘部に保管されたハリーの『予言』。これは理解出来る。全貌を知り、何か得られると思っているのだ。

 もうひとつは、ボニフェースの遺言書。ヴォルデモートは彼の死後、一度だけアロンダイト家を訪問した。その際、誘導されて曽祖母は口を滑らせてしまったという。

「おそらく、ボニフェースに孫がいると知ったからだろうね。そして、忘れ去っていた遺言書にどんな内容なのか、知るべきと思ったんじゃないかな?」

「つまり、……ヴォルデモートにとって、私達は寄り道みたいなモノ? 絶対の目的ではなく、ついでに済ませてしまおうと……?」

 自分で口にしながら、寄り道とは云い得て妙だ。

「そうだな、闇の帝王が行く道に逸れた。ちょっとした……寄り道。ははっ……上手い例えだ」

 億劫そうに立ち上がり、コンラッドは扉のノブに手をかける。

「話、疲れた。下にいるよ。昼食の用意は出来ているから、いつでも下りてきなさい」

 疲労感のある口調に嘘はない。

 コンラッドは辛い過去を話した。無理もない。引き留める意味もなく、見送った。

 扉が閉まる前に、まっ先に浮かんだ言葉を口にする。今でなくては駄目だ。

「お父さん、本当のことを話してくれて、ありがとう」

 聞こえた言葉に、コンラッドは驚愕で目を見開く。

 紫の瞳は驚くだけで嫌悪してない。恐れもない。その感情が読み取れ、嬉しさがこみ上げる。

「それでも……私を父と呼ぶか……」

 呆れていた。嬉しそうな呆れ顔だった。

「祈沙と同じだね、彼女にとって、おまえはただ1人の娘だから」

 独り言のように呟いたコンラッドは最後まで聞かせる気もなく、扉を閉めた。

 

 独りっきりになり、寝台に寝転んだ。

 一度に情報を得て、頭に強い熱を感じる。眉間を解し、嘆息した。

(一度も名前、呼んでくれなかった)

 コンラッドにとって、自分は娘ではなかった。思えば、彼の口から「娘」と呼ばれた事は一度もない。実際、シギスマントの異性版として認識していたのだろう。

 ジギマスントの人となりは、トトに聞くのが無難だ。

 こんな時に何故、トトは現れないのかと何気なく窓を見やる。

「よっ! 話、終わった?」

 何故か、ジョージが窓に張り付いていた。

 ちなみに、ここは2階だ。即座に窓を開け、ジョージの顔面に蹴りを入れる。彼は切羽詰った様子で、クローディアの足を両手で受け止める。

「何してんだ? あ? 授業はどうした? いつから聞いてた?」

「ちょい待て待て! せめて、中に入れてくれ! 通報される! 外、外、吸魂鬼がいるのお!」

 よくよく見れば、ジョージは箒も使わず浮いていた。話が進まないので彼を招いてやる。

「ジョージ、何時の間に飛行術をそこまで上達させたんだ?」

「そりゃあ、本部に居た時にトトさんに色々とご指導ご鞭撻をな。……そんな事より、学校、サボって何してんだよ」

 それは、こちらの台詞である。

 ジョージの胸倉を掴み、そのまま一本背負いで床に叩きつける。轟音と共に彼は床へ倒れこんだ。

「どうぜ、『伸び耳』とかいう道具で、盗み聞きしてたんだろ?」

 叩きつけられた衝撃で、ジョージは覚束ない手つきで「×」を作る。

「……魔法だと思うけど、全然、聞こえなかったぜ。それにおまえの親父さん。俺に気づいてたしよ」

「あんたのせいで、呆れてたんかい!? 大真面目な話をしている時に! 何してくれてんだ!?」

 ジョージの胸元を跨ぎ、乱暴に襟を揺さぶる。何故か、彼は満足そうに爆笑して、クローディアの頭を押さえる。

「元気でたか?」

 

 ――たった一言。その一言が嬉しい。

 

 達観して眺めていた事実と真実を身体に浸透させ、現実感を味あわせてくれる。現実感は涙となって瞳から溢れてきた。誰の為でもない。自分への涙だ。

「ジョージ、私、怪物だったさ……。お父さん、ずっと、話してたのに、全然、名前、呼んでくれなかったさ」

 怪物は自分だ。他人を怪物と思うことも、滑稽にして愚像だ。怪物だったから、コンラッドはクローディアを避けていた。

 それだけが胸を痛めた。そう、それだけだ。

 身体に沈んだ石は、重石ではなく、皆が自分に向ける想いだ。他人からの想いは、自分のより強く心に刺さってくる。しかし、傷つきはしない。全て、受け止めればいい。受け取られるように、強くなるしかない。

 そうすることで、命をくれたトトや愛を教えてくれた人々へ報いれるというモノだ。

「おまえが怪物だっていうなら、そうなんだろう。俺も悪戯坊主だしな」

 当たり前のように、ジョージは笑う。怪物を物ともせず、友人として受け入れている。まるで、成績が低いけど気にするなという口調に似ている。

 成績で授業を思い出す。涙を拭って、もう一度、問う。

「授業はどうしたさ?」

「朝食の席に、おまえがいないから、探してたんだよ。ザヴィアーを問い詰めたら、医務室だって言うけど、何処にもいないし……。しょうがないので、職員室とか、フリットウィックの事務所で情報収集したら、ダンブルドアが、ここだって……」

 意外な情報源に目を丸くする。

「ほら、第3の課題の後、俺達、おまえを探しただろ? それで俺がおまえを諦めないだろうからってよ」

 不意に脳裏を掠めたのは、ジョージの言葉だ。

〝言ったじゃん、君を独りにしないって〟

 ジョージは自分の宣言を守ってくれた。独りになったクローディアは、思考の泥沼にハマってしまう。彼が来なければ、出口の見えない自問自答を繰り返していただろう。

「前から、思っていたけどさ。浮気にならないさ? ジュリアに言いつけちゃうさ」

 意地悪く笑うクローディアに、初めてジョージは困った顔をする。

「あいつとは、別れたんだ。去年のクリスマスに……俺としては、別れたつもりだった。けど、ジュリアは全然、納得してくれない。それだけだって」

 ジュリアは確か、ジョージと上手くいっていないと述べていた。別れ話のせいだと納得する。そして、彼女の彼を手放さない執念が怖い。

「あんた、私の事、好きって言ってなかったさ? ジュリアに恨まれたくないから、ちゃんと清算するさ」

 痴情のもつれは、時として嫉妬という名の攻撃となる。

 途端に、ジョージの顔が輝く。

「ジュリアの件が片付いたら、俺との交際を考えてくれるのか?」

 会話の内容を思い返すと、そう取られても仕方ない。クローディアは笑いを噴き出す口元を押さえる。

「私に気があるなら、もう一度、告白して欲しいさ。私も心の準備をするさ」

 冗談ではない本心は、ジョージにも伝わる。彼は嬉々として受け入れ、まだ承諾もしていないのに興奮して喚きだした。

「邪魔をして悪いが、食事にしなさい」

 扉の隙間から、コンラッドは覗き見ていた。その姿に心臓が跳ねる程、驚いた。

 

 昼食の席には、既にダンブルドアが当たり前のように座る。予想はしていたので、もう驚かない。素直に挨拶すれば、校長は微笑みを返してくれた。

「校長先生、ジョージを連れてきてくれたんですか?」

「ほほっ。勿論、たたではないぞ。ミスタ・ウィーズリーは、ズル休みになるのでのお。週末のホグズミード行きを禁止じゃよ。条件を受け入れたからこそ、わしも誠意を受け止めたんじゃ」

 肝心のジョージは、幸福な笑顔で頬杖をついている。食卓に料理を並べ終えたコンラッドも、席に着く。

「多めに作ったから、おかわりしてもいいからね」

「はい! お父さん!」

 元気よくジョージが返事した。

「おお、なんという美味……。コンラッドよ、城の厨房で働く気はないかのお?」

「謹んで、ご辞退申し上げる」

 感動のあまり、身振るいしたダンブルドアの勧誘をコンラッドは一蹴する。

「校長先生、何か、私にお話があるのではありませんか?」

 手を動かしながら、問うとダンブルドアは忍ばせた杖を卓に置いた。

「君の杖じゃ。念入りに調べて、異常なしじゃった。それを返そう」

 机に置かれた杖、とても懐かしく感じた。

「一度、オリバンダーに見てもらうと良い。きっと、為になる話を聞かせてくれる」

 杖作り職人だと、理解するのに一瞬かかる。そして、この杖を置く為だけではなく、オリバンダーに会うように示している事が本題だと悟った。

「校長先生、私からもひとついいですか?」

 穏やかにダンブルドアは、先を促す。

「お祖父ちゃんはどうしていますか?」

「盟約の調停をお願いしておる。トトでなければ、納得してくれん者が嬉しい程、多くてな。ワイセンベルク大臣が今だ、わしらを支持して下さるのも彼のお陰じゃ。感謝しておる」

 信頼のある笑みに、納得する。

「お祖父ちゃんは、ワイセンベルク大臣と同窓でした。あのゲラート=グリンデルバルドとも面識があるようです。……スタニスラフから聞きました」

 グリンデルバルドに、殺されかけた事は伏せた。

 それでも、ダンブルドアは目を見開く。その驚愕に満ちた表情は見た事ない。しかし、すぐに普段の穏やかな雰囲気に戻る。

「……成程、人脈の鍵はそこにあったのか、納得じゃな」

 ダンブルドアは、構わず食事を続けた。

 

 昼食が終わり、時計を見れば、後10分で午後の授業だ。

「私は学校に帰ります。よろしいでしょうか?」

 当然の帰宅宣言に、またコンラッドは目を丸くする。ダンブルドアは穏やかに承諾した。ジョージは浮足立って、席を立つ。

「……、気をつけて、帰りなさい」

「はい! お父さん!」

 コンラッドにジョージが元気よく答え、流石に機械的な笑顔が苦笑する。

「さっきから、どうして君にお父さん呼ばわりされるのかな?」

「気にしないで下さい! お父さん!」

 紅茶を飲み干したダンブルドアは、ゆっくりと立ち上がる。そして、暖炉を指差した。そこには錆びた空き缶が置いてあった。

「あれは『移動キー』じゃ、後、一分で作動するじゃろう。さあ、2人とも手を取って」

「え? 学校に直接、移動していいんですか?」

 好奇心旺盛なジョージの質問に、ダンブルドアは悪戯っぽくウィンクした。

「医務室へ行くように設定しておる。ポピーは全て承知じゃ、安心して帰るが良い」

 この様子では、ダンブルドアはまだ留まるらしい。素直に従い、クローディアとジョージは空き缶に触れた。

「じゃあね……」

 コンラッドの憂いを帯びた瞳に、クローディアは出来る限り笑顔を返した。

 

 何の問題なく、医務室に移動した。

 マダム・ポンフリーから、何故かクローディアが色々と文句を言われる。いつ、アンブリッジが確認に来るか気が気でなかったそうだ。

 上機嫌なジョージと廊下で別れ、急いで寮に戻り『闇の魔術への防衛術』の教室に駆け込む。始業の鐘が鳴り終わるギリギリに到着し、皆の注目を浴びた。

 すっかり慣れた無言の授業中、ダートが黒板に文字を書く音だけになる。『忘却術』について書かれていた。

 授業を終え、教室を出るとパドマとリサに両脇をガッチリ掴まれる。

「まったく、どうしたのよ!? 貴女の頭にベッロはしがみ付くし、貴女はぶつぶつ何か喋っているし! 痙攣しているし! 後でクララにも知らせないと! 本当に心配したわ!」

 パドマは心配を通り越して、怒っている。

「ごめん……さ。ちょっと、ストレスが溜まってたみたいさ」

 本気で心配してくれた彼女達に、『ホムンクルス』や遺言書の話は出来ない。どんな反応されるのか、想像するのも恐ろしい。

 

 ――今更ながら、ルーピンの気持ちがわかった。

 

「そうだと思いましたわ。いろんな事がありましたもの。マクゴナガル先生にも、感謝を述べて下さい。貴女を医務室に運んだのは、先生ですから」

 マクゴナガルは騎士団員だ。前もって、今日という日に備えていたか、女子という事で気を遣われたのだ。

「クローディア、ストレスだってよ」

「わかる、俺も倒れそう」

 アンソニーがテリーと話しながら、過ぎて行った。

 

 『古代ルーン文字学』を終え、クローディアは方々に頭を下げて回る。先生方は勿論、クララやザヴィアーにもだ。

「マクゴナガル先生から、貴女は倒れた事は黙っていなさいって言われたから、ほとんどの人は知らないわ」

 有難かった。大げさに騒ぐのは得策ではない。今なら、アンブリッジのせいにも出来る。

「クローディア」

 夢見心地のないハッキリとした口調は、ルーナだ。彼女の首からベッロがするりと降りる。

「もう、大丈夫だね。全部、受け入れなくてもいいんだよ。きっと、わかってもらえる」

 傍から聞けば意味不明だが、クローディアには理解出来る。

 何故だが、ルーナには隠し事が出来そうにない。感受性が豊かであるが故に、察しが良く、敏い。全て見透かされてしまいそうだ。

 決して嫌ではない。むしろ、その思慮深さには何度も助けられた。

「うん、ありがとう。ルーナ」

 クローディアは本心から感謝した。短い言葉だが、ルーナには十二分も伝わった。

 




閲覧ありがとうございました。
重要な秘密程、バラす時の大人はあっさりとバラす。
『逆転時計』での遠い過去に遡った人は、きっといるでしょう。そして、ベンジャミンのように代償を払ったと思います。
クローディアの正体について、感想で触れられた時はひやっとしましたがご満足いただけたでしょうか?
不満だった方へは、すみませんでしたあ!とこの場で土下座ざあ。
●ルクレース=アロンダイト
 穴埋めオリキャラ、シギスマントの妹。元の時間では『死喰い人』として、暗躍する。変化した時間では、早々に病死した。
●アブラクサス=マルフォイ
 ドラコの祖父。


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12.DA

閲覧ありがとうございます。
やっと、DA回に来ました。

追記:16年9月2日、誤字報告により修正しました


 明日の『ホグズミード村』に向け、グリフィンドール談話室にて会議が行われた。就寝前は生徒が騒ぐので、意外と会話は聞かれない。

 フレッドはジョージが外出禁止を言い渡され、憤慨する。

「折角、重要な話が聞けるかもって時に!?」

「俺、残って商品、売りまくるよ~」

 何故か、上機嫌のジョージにフレッドは返答に困った。

「クローディアは普段のように変身して……。ハリーはマント被って、私は『目くらましの術』をかけましょう」

「え? ハーマイオニー、いつの間に『目くらましの術』を!?」

 ハーマイオニーが明日の最終確認し、ロンは吃驚する。

「僕らは普通に店行くわ。リーともよく行くし、ジニーもそれでいいな?」

「ええ、そのつもりよ。それで、本当に魔法を教える事になった場合の事も考えているの?」

「勿論、対策も色々と用意したわ。後は場所だけなのよね。ジョージ、良い場所をいくつかピックアップしておいて」

「いいよ~。ハーマイオニー、ど~んと俺に任せて~」

 皆が各々の意見を口にする中、クローディアとハリーは『予言』について、それとなく話す。

「(皆に話すなら、試験の後とかにしたらいいさ。ただでさえ、重い話になるさ)」

「(……皆に話すの?)」

 刺のある彼の口調に疑問させられる。

「(本部にいてくれた皆だからこそ、話しても問題ないと思うさ。これからも、きっと、一緒に戦ってくれるしさ)」

 ハリーの言葉を信じ、ダンブルドアは『不死鳥の騎士団』を再結成した。

 その本部の屋敷へと集まってくれたウィーズリー兄弟とハーマイオニーを深く信頼している。『予言』だけでなく、『ホムンクルス』の事も包み隠さず、話すつもりだ。

 彼は視線を逸らして、暗い声で答えた。

「(……考えておくよ)」

 誰にも話したくない。話す気持ちもない。

 ハリーから、そんな雰囲気を感じ取った。彼の気持ちを考えず、軽率だったとクローディアは反省した。

「(ごめんさ。話したくないなら、それでいいさ)」

 真摯な態度で謝罪する。

「ねえ、クローディア。ロンに眼鏡をかけようと思うんだけど」

 ハーマイオニーに話を振られ、クローディアの意識はそちらに向く。

「なんで、勝手に決めるんだ」

 蛇のように目を細めたハリーが睨んでいると、気づけなかった。彼の表情を見ていたのは、足元にいたベッロとクルックシャンクスだけだ。

 

 快晴の風が吹く。

 『ホグズミード村』に2体の吸魂鬼がクラウチJr捜索の為に派遣され、主に夜の巡回を行っていると看板が出ていた。

 『三本の箒』の裏手、クローディア、ハーマイオニー、ハリー、ジニー、フレッドの5人はロンを変装させる。ただの変装でない。ハリーが変装しているように、見せかけるのだ。

 髪を黒くし、ハリーの眼鏡をかけたロンの少し印象が違って見える。

 しかし、何故か賢く見えない。

 ハリーには別の眼鏡をかけて貰う。細めのレンズは知的な印象を与えた。

 クローディアは普段通り影に変じ、ロンの影に混ざる。初めて、変身を見たフレッドとジニーは感心した。

 ハーマイオニーも『目くらましの術』で姿を消す。

「すごいよ、ハーマイオニー。全く、見えない」

 ロンは吃驚して、周囲を見回す。

 それらを見届けてから、ハリーは『透明マント』を被る。マントの中にベッロが入り込み、彼の身体に絡まる。これで変装したセオドールを見破るのだ。

 準備万端、フレッドとジニーは先に行く。

 緊張したロンはハリーの足跡や音を頼りに歩く。『ゾンゴの店』、郵便局を通り過ぎ、大通りを逸れる横道に入る。道の突き当たりに、その『ホッグズ・ヘッド』はあった。

 

 ――失礼ながら、ボロい。

 

 古いではない。ボロイいのだ。手入れのされていない看板、窓。ただ、人の住む気配を感じるので、不潔と呼ぶべきかもしれない。

 初めての店、ロンは緊張してしまう。躊躇っている内、フレッドがリーやジャックと和気藹々に扉を開けて入って行く。それに混ざり、彼もようやく店内に入った。

 本当に営業中か、疑う程、汚い。

 しかも、ホグワーツの生徒以外はフードや包帯で体を覆った人ばかりである。これで立ち入り禁止ではないから、不思議だ。

 長い白髪に顎髭を無骨に伸ばしたバーテンがフレッド達に注文を聞きくが、全く愛想のない。客人を邪魔者のように睨む。

 床からでしか見えないが、クローディアはバーテンに見覚えがある。記憶を辿る前に、バーテンの声がよく通った。

「注文は?」

「ファイア・ウィスキーとバタービール、2本ずつ」

 ロンは心を弾ませて答える。金額を言われ、ハリーは『透明マント』の隙間から、カウンターに銀貨を置いた。

「(ちょっと、お酒じゃない!)」

 ハーマイオニーの咎める声が聞こえた気がする。

 ロンが4本の瓶を手にしている間、ハリーは店内を見渡す。既に、ベッロはセオドールの居場所がわかっている様子だ。

 暖炉脇に進む。全身を黒いベールで覆う魔女ではなく、その隣の席にいる全身毛むくじゃらの男。ベッロはマントから顔を出し、毛むくじゃらの肩に触れる。驚いた毛むくじゃらは、真後ろのロンを見上げた。

 ロンの眼鏡を見て、毛むくじゃらはゴクリッと喉を鳴らす。立ち上がり、顎で2階を差した。

 階段を登る時、ジニーがマイケルと店に入ってきた。

 

 2階の個室に入り、扉を閉める。室内は蜘蛛の巣と埃まみれで汚い。

 傍から見れば、ロンと毛むくじゃらの2人に見える。毛むくじゃらは外套を脱ぐようにセオドールの姿を見せ、探るような目つきで室内を警戒した。

「お付きの『穢れた血』はどうした? どうせ、一緒にいるんだろ?」

「その言葉を使うな!」

 蔑みの言葉、ロンは憤慨して一喝した。剣幕を物ともせず、セオドールは乱暴に椅子へ座り込む。

「別に責めてねえよ。1人で来いなんて言ってねえし、いいから、出て来いよ」

 若干、怯えた表情でセオドールは自嘲する。挑発に乗ったわけではないが、ハーマイオニーは魔法を解いて、姿を見せる。ハリーが『透明マント』を脱ぐ仕草に合わせ、クローディアも影から出てきた。

 クローディアに驚いてセオドールは肩をビクッと痙攣させた。ベッロは扉の傍に行き、見張りを行う。ハリーは、ロンから眼鏡を返して貰い、セオドールを睨む。

「腹の探り合いはなしだ、ノット。何を聞かせてくれるんだ?」

 冷徹なハリーの問いかけ、セオドールは目つきを鋭くする。

「俺は聞かせたいんじゃねえ。知りてえだけだ。教えろ、ポッター。おまえが闇の帝王から、生き延びた術そのものだ!」

「それは、おまえ達のご主人さまから、ご高説賜ったじゃないか? 父親に聞いただろ? その力は、もう僕を守れないんだ」

 軽蔑する口調に対し、藁にも縋るような態度でセオドールは机を叩いた。

「だが、その護りは2度も、おまえを救っただろ! 頼む、その魔法を俺に教えてくれ!」

 叫んだ後、セオドールは興奮を抑える為、息荒く深呼吸を繰り返す。

 ただ事ではない彼の様子、クローディアは肩が触れられる距離まで歩み寄る。

「あんたらの間で何かあったさ? 仲間割れ?」

 落ち着いたセオドールは押さえつけるように髪を掻き上げる。

「ヤべえよ、正直。あれは本当にやり過ぎた。……あいつら、ファッジを殺っちまった。あの日和見のファッジはマルフォイの味方だったし、扱い易かった……。それなのに……。ビンセントとグレゴリーの親父が勝手に……」

 ガタガタと震えたセオドールを尻目にし、ビンセントとグレゴリーが誰か脳内検索する。一番に気づいたハーマイオニーは悲鳴を殺した。

「クラッブとゴイルの父親……!?」

 場の空気が凍りつく。

 知能がトロール並みと小馬鹿にされる2人の父親、まさかのファッジ殺害の犯人。全くの予想外に困惑してしまう。

「なんで? え? 嘘? どうやって?」

 思わず、ロンはハーマイオニーに問いかける。彼女は状況を推理しようと黙り込んだ。

「もしかして、ファッジを尾行していたさ? その先にハリーがいたさ?」

 ハリーは一瞬、否定しようとした。

 しかし、セオドールの前でダーズリー家には母と叔母の絆による護りがあるなど、口に出来なかった。

「そうだ。あのノロマどもは……。ファッジを監視する任に着いていた……。あの日も、ファッジを尾行していたら、途中で見失ったらしくて、なんかムカついて、マグルの建物をぶっ壊していたら……」

 ただの腹いせに、公園の遊具を破壊した。破片は近くを通りかかったハリー達へと降りかかった。ハリーとダドリーは『盾の呪文』で助かったが、ファッジは対応できなかった。

 事故だったのだ。

「なんだよ、それ……。そんな酷い話で、ハリーは裁判にかけられたんだぞ! というか、魔法省は本当に調べたのかよ! すぐにわかる事だろ!?」

「きっと、処理をした魔法省役員は『死喰い人』側か、マルフォイに買収された人よ。お得意でしょう?」

 激怒したロンと反対、ハーマイオニーは冷静に分析する。だが、手先と口調が怒りで震えていた。

 胸中に怒りを抱えつつも、クローディアは質問を纏める。

「スネイプ先生も、それを知っているさ?」

「知ってんのは俺とドラコ、ビンセントとグレゴリー、そんで親父達だ。誰にも、言うなって誓わされた」

 この告発、彼らへの裏切りとなる。それを覚悟で、セオドールはここにいる。その見返りにハリーの身を護り続けた魔法を求めている。

「あんたのお父さんは『死喰い人』を抜けたいさ? だから、家族全員で逃げ……」

 言い切る前に、セオドールの手で口を塞がれかけた。手が伸びた瞬間に、そっと避ける。そのせいで、彼は床に転びかけた。

「家族で逃げたいから、僕に魔法を教えて貰いたいってわけ? ヴォルデモートがそれを許すと思うか?」

 その名に、ロンとセオドールは怯えて肩を痙攣させた。

「逃げられねえのは、わかってんだ。カルカロフも捕まったしよ……」

 衝撃の報せに、緊張が走る。

「……報復されたのか?」

 強がりなロンの問いに、セオドールは否定した。

「わかんねえけど、まだ、殺されてねえよ。……けど、親父が言うには時間の問題だとよ。マジで、やべえ。なあ、逃げられんねえなら、何かひとつでも、護れる術が欲しいんだ。頼むよ」

 座り込んだセオドールは弱弱しく、頭を抱える。これがハリーを騙す演技かと疑う。しかし、最初から演技なら、ベッロは気づかないはずはない。

「スネイプ先生に相談したさ? あの人なら、私達の知らない護りの魔法を知っているはずさ」

「とっくに、相談したに決まってんだろ。けど、俺はまだ子供だから、授業の事だけ考えてろってよ。闇の帝王に信頼されてるから、余裕なんだぜ、ありゃあ……」

 悪態つくセオドールに、ハリーとロンはスネイプの非難に初めて同意を見せる。

 しかし、クローディアとハーマイオニーは確信した。スネイプに断られたセオドールは、本当に我が身を守りたいが為に、ハリーに教えを乞いに来たのだ。

 後はハリーの判断だ。全員の視線が、彼に集中し言葉を待つ。どんな結論も、クローディア達は受け入れる。

 沈黙した長考は、ハリーの開口で終わった。

「いいだろう。その代わり、僕たち4人がそれぞれ出す条件を飲むんだ。……まずは、僕だ。僕から教わった事をマルフォイ達、『死喰い人』に与する連中に絶対、教えない」

 昨晩、皆で纏めた条件。ハリーの視線に促され、ハーマイオニーは鞄から羊皮紙を取り出す。緊張したロンが強気で、セオドールを睨んだ。

「練習の場には必ず、複数の人間がいる事を了承しろ。つまり、おまえがハリーから教わっている姿を見られる事になる」

 ロンから視線を受け、クローディアは胸を張る。

「ノット、ダームストラングに転校するさ。あそこは闇の魔法使いを軽蔑している思考が強い。カルカロフが校長を務められたのも、改心したと認められたからさ。少なくとも、ここにいるよりは幾分か、安全さ」

 全く想定していなかった条件を突き出され、セオドールは反応も忘れてクローディアを見上げる。

「……『闇払い』どものせいで、『死喰い人』は国から出られねえって知ってて言ってんのか? それなのに、どうやって転校するってんだ?」

「それこそ、スネイプ先生に嘆願するさ。あの人は誰も見捨てない。本当に、ノットが逃げたいと思うなら、協力してくれるさ。それに転校が原因なら、あんた達、親子は堂々と国を出れるさ」

 正直、この条件をクローディア以外は反対した。セオドールが、より強力な闇の魔法を知る機会を与える事になる。彼が狡猾にして計算高くあるなら、寧ろ、闇の帝王への献身に利用されるだろう。

 

 ――だが、ここまでの彼の態度から、それはない。

 

 ハリーも認めたから、クローディアは宣言出来たのだ。

「全ての条件を飲めるなら、この羊皮紙に名前を書きなさい。私がかけた強力な魔法によって、契約されるわ。破れば、私たちから制裁を受けると思いなさい」

 ハーマイオニーの毅然とした態度で、締めくくられる。

「アンブリッジに知られれば、俺達もただじゃすまねえぞ? 優等生の監督生さん?」

 彼の皮肉をハーマイオニーは、余裕綽綽と受け止める。

「私、ちょっと反抗的な気分なの。それにね、ダート先生の授業だけじゃ、物足りないわ」

 今度は、セオドールが長考の末に条件を出した。

「その羊皮紙を絶対、なくすなよ」

 笑いのツボを押されたロンが思わず、噴き出す。

 一瞬の油断もなく、緊迫した空気の中、5人の名前は羊皮紙に書きこまれた。自分達の名を改めて見つめ、ここに契約が成されたと実感した。

「礼は言わないぞ、ハリー=ポッター」

「期待してない」

 それを最後に、ハリーは『透明マント』を被る。その動きに合わせ、クローディアも影へ変じる。ハーマイオニーも『目くらましの術』で姿を消した。

 ロンは細い眼鏡をかけ、机に放置していたファイア・ウィスキーを一飲みした。

 

 帰路に着いても、緊張は解けない。

「割とあっさり承諾したわね」

 ハーマイオニーの声は士気高揚に震え、クローディアにも感染して身震いする。

「多分、告発を条件にしなかったからさ。でも、得られた情報は有効に使うさ。ロン?」

「おう、ちゃんとパパに連絡して、事実確認しまっす!」

 呂律の回らないロンをハリーは支えて歩いた。

 

 城に到着した瞬間、ロンは倒れた。酒のせいだ。彼の行動を勇敢と讃えたフレッドとリーに抱えられ、彼は医務室に連れていかれた。

「もう少し、きつく叱っておかないと癖になるわね」

「いや、これに懲りたらやらないさ」

 呆れたハーマイオニーを宥め、クローディア、ハリー、ジニーでジョージを探す。彼に特訓の場を頼んでいた。無事に見つけられた事を祈る。

「マイケルにも、ジョージを探しに行かせたわ。彼にも、練習に参加しないかって誘ったら、来てくれるって……。場所の事だけど、私としては『秘密の部屋』でもいいと思うわ。だって、ハリーにしか入口は開けないもの。今なら【改訂版ホグワーツの歴史】に書いてあるから、いろんな子が女子トイレを見学に行くそうよ。1年生の子が言っていたわ」

 ジニーからの衝撃的な事実、クローディアとハーマイオニーは嫌な汗を掻く。

 ここ、最近2人は『嘆きのマートル』に睨まれていた。大切な住処が不特定多数の生徒に、興味本位でウロウロされては迷惑だろう。その原因が2人が出版した本なら、怒って当然だ。

「それはマートルが可哀想だから、最後の手段にしてあげよう」

 不憫に思ったハリーからの情け、クローディアとハーマイオニーは真っ青な顔色で同意した。

「クローディア! ちょっといいかな!?」

 元気溌剌のネビルに呼び止められ、クローディアは皆に視線で先に行くように促す。

「どうしたさ?」

「へへ~ん、僕達、いいところを見つけたんだ♪ 一緒に来て、絶対、喜ぶから♪」

 ここまで元気の良いネビルは久しぶりだ。無碍にせず、彼に着いていく。

 

 ホグワーツ城は広い。広いだけでなく、いくつもの魔法の仕掛けがある。もう5年生になっても、少々、頭や体を使う。四苦八苦するネビルと違い、クローディアは勝手に動く階段や壁を物ともせず、目的地に到着した。

 8階の突き当たりには壁がある。否、壁しかない。それなのにネビルは浮足立ち、壁の前へと立つ。

「見ててね」

 そう告げた瞬間、壁の模様が這いまわり、重厚な扉へと形成された。

「へえ、こんな仕掛けになっていたさ」

 新たな感動にクローディアの心は躍り、ネビルがさっさと扉の中へ招き入れた。

 そこはバスケ部の部室そのままだ。コートの周囲は観客席に包囲され、百人は余裕に入室できる。城の形と構造が合っていないなどという野暮なツッコミはしない。

 既に、モラグやクレメンス、デレクにシェーマスまでコートでボールと戯れていた。クローディアとネビルに笑顔で駆け寄ってきた。

「え!? 何、コレ!? どうしたさ?」

 クローディアの驚く反応、満足した5人は悪戯が成功した表情で笑い合う。

「すごいでしょう? ここね、『必要の部屋』って言うんだって、ウィンキーっていう妖精に教えて貰ったんだ」

「ほら、ハッフルパフ寮の傍には厨房があるだろ? 『屋敷しもべ妖精』なら、いいところ知ってんじゃないかなって、デレクが言い出してな?」

「はっはい! 僕達、泣き寝入りせずに、もうやれられるだけやろうって決めたんです!」

 ネビルから、クレメンス、デレクが説明して、シェーマスは威張る。

「そうそう、正面切って抵抗するより、隠れてコソコソすることも勇気のひとつなんだぜ?」

 ウィンキーの名に、心底、驚いた。そして、彼らが部活の為に、アンリッジに見つからぬ場所を探してくれた行動に、深く感銘を受ける。

「ありがとう、すっごい嬉しいさ。部活の皆にも教えるさ。先生にも」

「え? 先生に教えんの?」

 シェーマスが露骨に嫌そうな顔をする。

「いいんじゃないかな? せめて、バーベッジ先生にだけは教えてあげよう。先生だって、息抜きが必要だよ」

 優しく微笑むネビルに、シェーマスは渋々、頷く。

 これから再び、部活動が出来る。感動のあまり、全身に心地よい粟立ちを感じる。

「よし、部活を始める前に! まずは、ウィンキーにお礼を言いに行くさ! 彼女の協力なしに、この部屋は見つけられなかったさ!」

「え! あの妖精、女子なの!?」

 ネビルのツッコミは、さて置き、皆、大賛成してくれた。6人はこの上ない満足感と共に部屋を出た。

 

 外にはハリーがいた。ハーマイオニー、ジニー、ジョージ、セドリック、マイケル、そして、ドビーまでいた。

「使っておられたのです! 中で誰かが使っていた場合は、外から開けられないのでございます!」

 甲高い声を抑え気味にウィンキーは、ハリーに訴えかけた。

「皆、この部屋をいつから、知っていたの?」

 質問するジニーに対し、きょとんとしたデレクはドビーの背に合わせて身を屈める。

「この子、ウィンキーじゃないですね?」

「ええ、ドビーよ。ウィンキー!? 貴方達、ウィンキーに教えて貰ったの?」

 吃驚したハーマイオニーは、声を抑えて叫ぶ。大体の状況を察し、全員、部室と化した『必要の部屋』に招き入れる。ドビーは案内の役目を終えたらしく、ハリーに挨拶して瞬時に消えた。

「うわお! すっごい良い部屋だな!」

 感動したマイケルを尻目に、情報交換する。

 城に残っていたジョージは図書館、『叫びの屋敷』、空き教室と練習場所を考えていた。もしくは、今だに見つけていない隠し部屋を捜索していた。先に『ホグズミード村』から帰ってきていたセドリックに見つかり、遠巻きに相談した。

 セドリックは競技大会の折、『屋敷しもべ妖精』から卵の仕掛けについてのヒントを得た事があり、ジョージと共にドビーへ相談しに行った。

 ドビーはハリーの為ならと、『必要の部屋』を教えた。

 セオドールと特訓する場所として『必要の部屋』は最適だ。優先順位はわかっているが、部活もしたい。

 魔法の特訓に興味を持ったネビル達を見れば、部屋の譲り合いをしても文句は言わない。

「部活は週一予定さ。週末がいいさ?」

「うん、僕は勿論、いいよ! ねえ、ハリー、その特訓って僕も参加していい?」

 ネビルを皮切りに、クレメンスやデレクも参加を希望した。シェーマスはハリーに対し、バツの悪そうな顔をして唇を噛む。

「その集まりって名前とか、あんの?」

 予想外の質問に、ハリーは一旦、呻く。そして、ハーマイオニーへと視線を移す。

「名前はいいわね。皆との連帯感や一体感を生むし、次の会合で決めましょう。皆も案があったら、考えておいてね。……それじゃあ、まず、リーダーを決めましょう」

「ハリーだよ。リーダーはハリーだ。俺達の……」

 シェーマスは我先にと声を上げる。新学期初日から、ハリーを批判した挙句、同室でありながら無視していたと聞いていた。

「あんな婆を送ってくるなんて、魔法省はおかしい……。そう思ってよ……酷い事言って、ごめん」

 罪悪感を交えた謝罪はハリーの表情に喜びを与え、シェーマスの意見は通り、この場にいる全員、リーダーを決定した。

 ハーマイオニーの契約書に皆、名前を書いていく。

「モラグは参加しねえの?」

「これ以上、勉強の時間を作るのは勘弁して……。会合の事は黙っておくから」

 クレメンスに問われ、モラグは真っ青になって断った。

「誰でも参加出来るのですか?」

「ハリーを信じていて、秘密を守れる。そして、ハリーが承諾した人よ。ノットの事もあるし、あまり、大勢が集まるのは危険だわ」

 デレクの質問に、ハーマイオニーは丁寧に答える。

「先生に言っちゃ駄目だよね?」

「そのほうが賢明よ」

 残念そうなネビルの質問に、ジニーが念押しして告げた。

 次の会合を明日の午後に決め、解散した。すぐにクローディアとハーマイオニー、ハリーは厨房に向かう。

「なんだか、大所帯になりそうな気がするさ」

「今更だけど、僕がリーダーで良かったのかな?」

「そりゃあ、色々と忙しいのは、わかるわ。クィディッチに試験に補習とね。皆が貴方を必要としているってことよ」

 ハーマイオニーの励ましに、クローディアは疑問が浮かぶ。

「補習って何さ? 試験に向けて、猛特訓さ?」

「……厨房で話すよ」

 ハリーが緊張した声で答えた時、厨房に着いた。歓迎してくれたのは、ドビーを含めた他の妖精達だ。ウィンキーはまた、悲しみの涙を零す。

「ウィンキー、ありがとうさ。貴女のお陰でとっても助かったさ」

 感謝を述べても、ウィンキーは声を出さずに泣き続けた。哀愁漂う姿は、3人の胃を重くする。

「これでも、いくつか落ち着いたのでございます。ウィンキーは言葉や態度には出せませんが、よくなりつつあります」

 必死にドビーがウィンキーの様子を解説する姿さえ、3人に罪悪感を与えた。妖精達に、椅子とツマミ菓子を用意して貰い、有難く休憩する。

「僕、スネイプ先生から『閉心術』の授業を受けるんだ。来週から、週に一回ね」

 過密な日程に会合を少々後悔した。しかし、ハリーは平気だと返す。

「『閉心術』? 名前からして『服従の呪文』への対抗策みたいなもんさ? というか、なんでスネイプ先生さ?」

「校長先生が、あんまり知られていない魔法だって言ってたよ。スネイプ先生が相手なのは、僕の苦手な人だからって……。相手が苦手な程、効果を発揮するらしいよ」

 この上なく、納得した。

「まだ、お祖父ちゃんの夢を見るさ?」

「……いいや、見てないよ」

 返答までの間が、非常に気になる。

 これまでの付き合いから、ハーマイオニーは疑惑の視線をハリーに向ける。彼はお盆で防いだ。

「ねえ、ハリー。私、思うの。シリウスにクリーチャーと打ち解けるように説得すべきだわ。貴方がね」

 驚いたハリーは、お盆を下げる。

 クローディアには、十分、理解出来る提案だ。厨房の『屋敷しもべ妖精』を見渡す。ウィンキーは悲しみに顔を歪めながら、ドビーの傍で仕事に励んでいる。

「ブラックは、クリーチャーを嫌っているさ。それって、マルフォイがドビーにした事と同じさ。ドビーはマルフォイ家を見限ったさ。クラウチさんは、ウィンキーを捨てたさ。その結果が……息子から……。このままだと、ブラックは報いを受けるさ」

「シリウスがマルフォイやクラウチさんと同じだって?」

 不愉快と顔を歪めたハリーに、ハーマイオニーは警告を強める。

「お願いよ、ハリー。貴方しか、シリウスを説得できないわ。貴方だけがシリウスを助けられるのよ」

 彼女達の懇願は、真剣だ。

 2人を交互に見つめ、ハリーは躊躇いながら承諾した。

 

 ハーマイオニーに連れられ、クローディアは図書館で『閉心術』について調べた。勉強中のクララを発見し、『閲覧禁止の棚』まで案内して貰った。それでも、どの書物にも記載はなかった。

 スネイプに質問しても無視されるだけだ。仕方なく、コンラッド宛ての手紙をモリーへ出した。

 

 翌日、『必要の部屋』は変化していた。否、自分達の望み通りに物を与えてくれた。

 壁際の本棚には【通常の呪いとその逆呪い概論】、【闇の魔術の裏をかく】、【自己防衛呪文学】、【呪われた人の為の呪い】等、書物が並ぶ。椅子はなく、大きな絹のクッションが床に丁寧に置かれていた。そして、奥の棚には様々な道具が陳列していた。

 見事な品揃えに、感動している間。メンバーはぞろりぞろりと、集まった。

 会合は、本当に大所帯となった。

 レイブンクローから、7年生クララ。6年生ミム、チョウ。5年生クローディア、パドマ、リサ、セシル、アンソニー、マイケル、テリー。4年生ルーナ、シーサー。

 グリフィンドールから、7年生フレッド、ジョージ、リー、アンジェリーナ。6年生アリシア、ケイティ。5年生ハリー、ロン、ネビル、シェーマス、ディーン、ハーマイオニー、ラベンダー、ハーバティ。4年生ジニー、デメルサ、コリン。2年生デニス、ナイジェル。1年生ユーアン。

 ハッフルパフから、7年生セドリック。6年生クレメンス。5年生アーミー、ジャスティン、ハンナ、スーザン、エロイーズ。3年生デレク。

 スリザリンから、5年生セオドール、ブレーズ、ダフネ。

 計43人。2クラス分に近い人数も集まった。ハリーと面識があり、信頼を持てるという条件なので、グリフィンドール生に偏る。

「ちょっと、待て! ノット! なんで、他にもスリザリン生を連れて来てんだ!」

「こいつらは、『死喰い人』絡みじゃねえし、こんな人数に俺だけがスリザリン生って、拷問か!?」

 案の定、ロンとセオドールは揉め合う。それをハリーが仲裁した。

「2人は、バスケ部にも参加していた。…途中から、来なくなったけど、それはクローディアが『死喰い人』の関係者である事を恐れたからだ。それに、組分け帽子の警告もある。僕達は、寮を問わずに協力し合うんだ。勿論、裏切れば、絶対に許さないよ」

 難色を示す者もいたが、ハリーの宣言に皆、渋々納得した。

「ところで、どういう誘いを受けたの?」

「うるさいパンジーを出し抜かないかって言われたわ。成績だけなら、私のほうが上なのに……あいつ、ごちゃごちゃと……」

 セシルの問いに、ダフネは文句を述べながら、答える。

「ちなみに、おまえは?」

「一緒に来てくれたら、課題のレポート写さしてくれるって言うからだよ」

「やっすい! そんな理由で、ほいほい着いてくんなよ!」

 マイケルの質問に、ブレーズは素直に答えた。その内容に、ディーンは吃驚して叫んだ。

 会合の初日、議題は名だ。チョウが防衛協会(ディフェンス・アソシエーション)を提案し、略してDAとなった。ハーマイオニーの言い出したダンブルドア軍団とも略称は、合う。

 まずは防衛術の基本『武装解除の呪文』から、始まった。

 ハリーはセオドールを中心に、手解きを行う。セドリックやクララが下級生を見てくれた。

 『武装解除の呪文』を余裕だと言い張る上級生は、クローディアとハーマイオニーの指導の下、杖なし状態で呪文を繰り返す。杖がない状態では、ピクリとも発動しない者がほとんどだった。

「ロジャーは、来なくても……マリエッタは来ると思ったさ」

「私が誘わせなかった。マリエッタの母親は、ディゴリーさんに反ハリー派になるように勧誘されていてね。すっごい、板挟み状態!」

 やれやれと、ミムは肩を竦める。マリエッタの親友であるチョウは、悲しそうだが納得していた。その表情は、ロジャーを「酷い奴だ」と評したセドリックに似ていた。

「(ここだけの話、チョウは最近、セドリックと上手いってないんだ)」

 ミムの余計な情報に、チョウが益々、悲哀に満ちていた。

 

 『必要の部屋』は、非常に便利だ。出口を望めば、8階とは違う場所へと出してくれる。ただ、入口だけは動かなかった。

 万一に備え、クローディアは影を伸ばして扉に触れる事にした。誰かが向こう側の壁に近寄るか、触れれば、すぐに察知できる。

 しかし、会合の日取りが決まっても、セドリック達への伝言が難航した。クローディア達は腕輪の文字で日取りを簡単に知れる。セオドール達はベッロがこっそり報せる役目を追っていた。

 バスケ部の活動とかち合わないように、日程も調整せねばらなかった。部には、モラグしか帰って来なかった。部活の為だけに、危険を犯したがらない。ネビル、クレメンス、デレク、シーサー、ジニー、ルーナ、エロイーズ、ハンナ等のDAメンバーがかけ持ちして参加してくれた。

 アンブリッジもただ、学校で時間を過ごしていない。

【寮席は己を寮生としての自覚させる為に存在するのである。従って、他寮の席に座る事を違反とする】

 意味不明な告知で、ハーマイオニーはレイブンクロー席に座れなくなった。

「大広間で、こそこそされたくないんですわ。ええ、堂々と人が集まれるんですから」

 怒り狂ったリサは、談話室の告知を燃やす。しかし、次の瞬間には新しい告知用紙が貼られた。

 

 コンラッドからの返事は、一週間後に届いた。

 『閉心術』は『開心術』の反対呪文に該当する。『開心術』は、すなわち『読心術』より鮮明に深層心理や記憶を覗き込む。反対呪文の効果だけでなく、『服従の呪文』、『磔の呪文』など精神に関係する魔法の影響から心身を守りきれる。

 そんな説明文だけの手紙だった。

(ああ、私、スネイプ先生に『開心術』を使われたさ)

 3年生の折、口論になった末の出来事だ。つまり、ハリーは『閉心術』を会得するまで、スネイプに『開心術』で記憶を覗かれ続けるのだ。

「最悪な拷問さ」

 心底、ハリーを憐れんだ。

 『数占い』の授業で、ハーマイオニーに説明文を渡す。彼女はベクトルの目を盗んで必死に書き写した。

 

 4度目のDAにて、ハーマイオニーは名案を持ち込んだ。

 偽物のガリオン金貨だ。問題は、その鋳造番号をDAの日取りに変化させる魔法だ。

「日時が変更になると、金貨が熱くなるから、ポケットに入れておけば感じ取れます。1人、1枚ずつ、持っていて下さい。ハリーが次の日時を決めたら、ハリーの金貨の日付を変更します。私が『変幻自在』の呪文をかけたら、金貨は一斉にハリーの金貨と同じ番号に変化します」

 得意げなハーマイオニーに、クララを含めた数人(主にレイブンクロー生)は絶句した。

「貴女……『変幻自在』が使えるの? ……まだ5年生なのに?」

 予想以上に驚かれ、ハーマイオニーは恥ずかしそうに身を捩らせる。

「ハーマイオニーなら、お手の物さ」

 クローディアが我が事のように、褒める。レイブンクロー生7年生から、お墨付きを貰った偽金貨は全員に間違いなく、配られた。

「ねえ、その……『変幻自在』って難しいの?」

「そりゃあ、『N・E・W・T試験』に匹敵する魔法だ。ああいうのを天才って言うんだろうなあ。レイブンクローに来なかったなんて、信じられない」

 アンソニーに聞かされ、ハリーは腕時計を見た。そして、クローディアに耳打ちする。

「これも『変幻自在』だよね? 僕、時計に呪文をかけた覚えないけど」

「ハリーの……言葉をかけられたら、作動するようにしてるさ」

 腕時計を指差すハリーに、クローディアは簡単に説明した。時計と偽金貨を眺め、彼は目を丸くした。

「ああ、そうか、これって『闇の印』に似ているんだ。あいつらの入墨も触ると仲間に伝達していた……」

「ええ、私はそれを参考にさせて貰ったわ。もっとも、私は皮膚じゃくて、硬貨に刻んだの」

 指摘され、ハーマイオニーは少々、躊躇いながら解説した。

「絶対、2人のやり方がいいよ、本当に」

 ハリーの呟きは納得を意味していた。それを称賛と受け取ったハーマイオニーは嬉しそうだ。勿論、クローディアも褒められて心が躍った。

 

 ハロウィンの朝。【日刊予言者新聞】、【週刊魔女】、そして【ザ・クィブラー】の一面を飾ったのはビンセント=クラッブとグレゴリー=ゴイル、両名の父親がファッジ殺害の容疑で逮捕されたという記事だ。

 2人への誹謗中傷は視線や手紙となって降り注ぐ。精神的に堪え切れず、退学するかに見えた。しかし、嫌がらせを全く物ともしない図太い神経の持ち主であった。

 スネイプが己の寮生を庇い立てする事も残留の理由だろうと、しばらく城中はこの話題で持ち切りになった。

 




閲覧ありがとうございました。
スリザリン生は、勇敢だが、最終的には自分の身が大事。なので、セオドールはドラコにも内緒で、誰かに教えを請うても不思議はない。と勝手に思いました。
原作より、DAメンバーが多いので、マリエッタやザカリアスは省きました(ごめんね)
ファッジ殺害の犯人は、クラッブ、ゴイルの父親です。


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13.勝手な大人

閲覧ありがとうございます。
そろそろサブタイトルが浮かばなくなってきました。

追記:16年5月5日、16年9月2日、18年1月8日、誤字報告により修正しました。


 11月、待望のクィディッチ・グリフィンドール対スリザリン戦。

 スリザリン観客席からの精神攻撃合唱をロンは、辛くも乗り越えた。グリフィンドールの勝利で幕を閉じるはずが、観衆の面前でハリーとジョージはドラコに暴力を振るってしまった。

 ハリーの身の上と、ウィーズリー家そのものを侮辱したからだ。

 悲鳴による制止も聞かず、2人はハグリッドに掴まれるまで、ドラコを殴りつづけた。そのままハグリッドとマクゴナガルに連行され、説教され一週間の罰則を命じられた。

 しかし、アンブリッジはハリーとジョージの凶暴性を指摘し、フレッドも含めて出場禁止を宣言。マクゴナガルは、尋問官の権限外だと主張したが、先日、バグマンから権限を捥ぎ取った証書を見せつけられた。

 その時点で呆然としていたが、ダートにトドメを刺された。【魔法は偉大なり】と刻まれた腕輪、それをハリーの腕に填められた。その腕輪は、『磔の呪文』と同等の激痛が腕を襲う拷問具だった。

【試作品であり、それ程、痛くない】

 ダート自前の小型黒板に書かれた補足に、絶句した。無論、マクゴナガルとハグリッドは拷問など認めないと激怒して訴えた。

「素晴らしいわ、ドーリッシュ! ええ、ミスタ・ポッターには必要な処置です。痛みを知れば、無暗に他人を攻撃しようなどとは思わないでしょう。尋問官として、腕輪の使用を認めます」

 アンブリッジは意気揚揚と、ダートと共に部屋を出た。

「ポッターは、……今日まで、見事な忍耐を示して下さいました。それなのに、……この仕打ち……」

 絶望と失望を表情にし、マクゴナガルは弱弱しく座り込む。しかも、罰則を取りやめると告げた。あまりにも、哀れな寮監の姿にハリーは自らの失態を悔いた。

 寮に戻り、ロンやネビル、ディーン、シェーマスが必死に腕輪を取ろうとしてくれた。しかし、外そうとする者にも、表現出来ぬ激痛が走るという代物であった。

 

 ――理不尽で不公平だ。

 

 フレッドはドラコを殴れなかった分、腹立たしい思いだった。

 

 ハーマイオニーから昨晩の状況を説明され、クローディアは我が事のように気負う。

「お三方がDAに専念できると思うしかありませんわ」

「そうそう、前向きになるのよ。あの双子は、確か商売してたじゃない。あれもこれもやっていたら、頭がパンクするわ」

 同じ部屋で話を聞いていたパドマとリサは、一応、励ましてくれる。

「何か、ハリーを元気づけられるものがあったらいいさ」

 何気なく、写真立てを見やる。そこで記憶が刺激された。シリウスから貰った『不死鳥の騎士団』創設メンバーの写真だ。急いでアルバムを捲り、例の写真を発見した。

「すっかり、忘れてたさ」

「ん、何それ?」

 ハーマイオニー、パドマ、リサも興味津津に写真を覗き込む。

「前回、ヴォルデモートと戦った人達さ」

 ヴォルデモートの名に、パドマとリサはビクッと肩を竦める。

「もう、2人とも、まだヴォル……デモートの名前を恐れているのね。ゆっくりでいいから、せめて平気になりましょう」

 ハーマイオニーは優しい口調で、2人を勇気づける。そして、彼女は写真の人々を眺めていく内に、驚愕に目を見開いた。震える指先が1人の男を指す。

「ハーマイオニー、この人、気になるさ? 校長先生の弟さん、アバーフォースさ」

 クローディアから紹介された写真のアバーファースは、煙たそうに仲間の群れに隠れた。更に、ハーマイオニーの驚愕は強くなる。

「……ホ、『ホッグズヘッド』の……バーテンよ」

 思わず、全員で2度見する。しかし、肝心のアバーフォースは見えなくなった。あの無愛想なバーテンに見覚えがあるはずだ。写真で会っていたのだ。

「全然、気づかなかったさ」

「それで、あの店は出入り禁止じゃないのね。どう考えても古臭いし、汚いし、客は危なそうだし、店は汚いし! 校長先生の弟が店を経営しているからなんだわ」

 パドマは納得して、「汚い」を2回言う。ハーマイオニーも同意した。

「次のお出かけで、ちょっとだけお店に行ってみますわ。勿論、興味本位ですわ」

 表情を輝かせたリサは、正直者だ。

 ハリーの両親も写っているので、写真を贈ろうと決めた。

 

 次のDAにて、セオドールはげっそりした顔で現れる。

「あのアンブリッジ婆、スリザリンから『高等尋問官親衛隊』を選ぶんだと……。留守中に婆の代わりに、ホグワーツを見張らせる為だと……、毎日、毎日、土日も欠かさず、就寝まで、空いた時間は全部、巡回しなきゃいけなくなる。俺は確定だと……、……だと、……だと」

 小声でぶつぶつ呟かれた。要約すれば、アンブリッジは留守中を任せる『高等尋問官親衛隊』を発足、その隊員はスリザリン生から選抜され、セオドールは問答無用で確定だ。

「ああ、嫌だ! そんなチマチマした活動するくらいなら、勉強したい!! あいつら、俺が予習復習してんの、知ってんだろうが!! 試験に落ちたら、どうしてくれるんだあ!!」

 絹クッションを叩きながら、セオドールは嘆く。ロンさえも、彼を哀れに思った。

「アンブリッジの親衛隊って、マジか……。それって罰則の権限も持っているのか?」

「いいや、減点の権限だけだ。あの婆のお気に入りだけだから、俺やダフネは除外だぜ」

 それが幸運と、ブレーズは肩を竦める。

「減点ですって、そんなの許されないぞ。監督制度が狂ってしまう」

 アーニーが真っ青になって否定する。

「なんか、ここのところ、アンブリッジの意見がよく通るにえ。どうなってるにえ!」

 憤慨したエロイーズに、クララは深く溜息が出る。

「ルシウス=マルフォイの仕業よ! あいつがバグマンと賭けをして、アンブリッジの法案を通させているらしいわ。自分の身柄を賭けにしてね」

 聞きたくないマルフォイ氏の名に、室内は空気が重くなる。

 これ以上は、ただの愚痴の言い合いだ。

 すぐに特訓を始める。セオドールの気合の入り方が凄まじく、『粉々呪文』で壁に亀裂が走った。

 楽しい時間は、瞬く間に過ぎた。クローディアはハリーを呼び止め、ハーマイオニーと共に皆が部屋を出て行くのを待つ。3人の姿を見て、ロンも自然と残る。

 4人だけになり、クローディアはポケットから写真を取り出す。

「ハリー、これ、あげるさ」

 案の定、ハリーは目を丸くする。そのまま、写真の住人について、1人1人、説明した。

「ネビルの両親……へえ。後で、ネビルに見せてやろうぜ」

 ロンが明るい声を出す。しかし、反対にハリーは暗く口元が複雑そうに歪んだ。

「ありがとう、貰っておくよ」

 絶対に喜んでいない。予想外の反応、クローディアとハーマイオニーは何を言うべきか、目配せする。

「ねえ、この写真、誰に貰ったの? 校長先生?」

「新学期に、ブラックから渡されたさ。ハリーに渡してくれってさ」

 クローディアは素直に答えた。ハリーは何も言わなかった。不気味な程、沈黙していた。

「ノットをどうするか、考えよう。『高等尋問官親衛隊』が始まれば、ノットを呼べなくなる」

「『逆転時計』みたいな魔法道具があればいいんだけど、ハーマイオニー、今からマクゴガナル先生に頼めないか?」

 冗談っぽく、ロンはハーマイオニーへ話を振る。それを聞いて、クローディアの記憶が刺激された。

 リサとセシルが授業の為に、『逆転時計』を所持しているはずだ。2人に頼みこむしかない。

「良い方法があるさ! リサとセシルが……」

 説明しようした時、クローディアは扉に気配を感じる。勢いよく開けてみれば、セシルが聞き耳を立てていた。

「壁に耳をつけても、中は聞こえないさ」

「……何事も実験は必要だし」

 恥ずかしそうにセシルは、もう1度、部屋に入る。扉を閉め、すぐに彼女へと迫る。

「丁度、良いところに来たさ。セシル、『誰にも言わない約束』を貸して欲しいさ」

 突然の懇願をセシルは、神妙な顔つきで呻く。

「……何の為に?」

 クローディアは順を追って、『逆転時計』の必要性を話す。状況を把握したハーマイオニーとハリー、ロンもセシルを説得に加わった。

「どうして、ノットの為にそこまでするの? あいつに恩を売って、どんな得があるの?」

 興味本位ではなく、知識の疑問点を追求する口調だ。

「僕らは、ヴォルデモートと違う。それを証明する為だ。ノット自身に、僕達自身への証明なんだ」

 胸元に手を当て、ハリーは宣誓の如く告げた。

 態度、表情、仕草、言葉。何処にも嘘はない。

 真剣なハリーを頭から靴の下まで、セシルはじっくりと眺めた。試験用紙に、書き抜かりを確認している様子に似ている。

「いいよ。その代わり、ひとつだけお願いを聞いて欲しいの。ハリー、貴方に」

「勿論」

 即答したハリーの手をセシルは優しく握り締める。

「バジリスクの牙、あれが欲しい! 『秘密の部屋』にあるでしょう? 私、今日まで暇を見つけてはマートルのトイレに行ってたんだけど、全然、開けないの! それだけ、頂けたら……私は文句を言わない!」

 打って変ったセシルの声で、呆気に取らされる。彼女の勢いに、ハリーは知らずと承諾してしまった。

「セシル、リサの承諾はいらないさ?」

 念のため確認すれば、セシルはニンマリと笑う。

「リサはね、とっくに貴女の考えを見抜いているよ。DAに誘われた時から、きっと『逆転時計』を必要とするだろうって」

 リサのさり気無い気遣いが嬉しい。本当に彼女は良い友人だ。感動のあまり、クローディアの目尻に涙を浮かべた。

 自室に戻った時、クローディアはリサに深く感謝して、礼を述べた。

 

 就寝時間、『透明マント』を被ったハリーは『秘密の部屋』からバジリスクの牙を取ってきた。久々に彼が女子トイレを訪問し、『嘆きのマートル』は殊更、喜んでいたそうだ。

 お陰で、クローディアとハーマイオニーが彼女からの恨めしい視線を受けなくなった。

 念願の牙を得たセシルは、リサと共に、『逆転時計』をセオドールと相談して使う事を誓ってくれた。

 

 『高等尋問官親衛隊』は、翌週から始まった。

 独自の権力を得たドラコを中心としたスリザリン生は、証のバッチを胸に城内を巡回だ。まずは、自らの怨敵を減点するという所業に出た。

「ワリントンめ、私を見るなり「顔がダサい、5点減点」とか言いやがった!」

 スリザリン6年生ニコラス=ワリントンに減点されたミムが憤慨した。彼女のように、実に個人的感情を含めた減点ばかりだった。ハーマイオニーもドラコから「『穢れた血』だから、10点減点」と宣言された。

 勿論、クローディアもパンジーと合同授業の度に減点された。

 DAにて、セオドールは説明の為、皆にバッチを見せつける。監督生や首席の物と同じ、何の変哲もないバッチだ。

「自由な権限じゃないぜ。1日、1人につき10点までしか減点できない。それ以上、減点しようとするとな、このバッチにかけられた呪いで、気絶するまで笑い転げる羽目になりやがる。ミリセントに試させたら、泡吹いて倒れるまで、止まらねえのなんのって」

「それって、ダート……先生の仕業?」

 忌々しそうにハリーが問い、セオドールはげんなりして頷く。多忙な毎日だが、『逆転時計』で、時間の余裕ができ、セオドールは嬉しそうだ。

 

 学校の規則は、アンブリッジ色に染まりつつあった。しかし、DAや部活の存在がクローディアに活力を与えた。理不尽も後に待つ、自由時間を思えば、皆も耐えられた。

 本日、クローディア、ネビル、クレメンス、デレク、ジニー、エロイーズの6人でこっそり活動する。そこに、ルーナがデニスを連れて現れた。

「ちょっと、魔法から離れたくて参加します」

 3対3を組んだり、4対4を組む。皆の疲労を確認して、休憩を取る。それの繰り返しが楽しい。

 水分補給中に、モラグはデニスを褒めた。

「デニス、上手いじゃん。今まで、組んだことなかったから、知らなかったな」

「はい、僕の得意なんです。マグルの学校では、同級生で一番上手かったんです」

 自信に溢れたデニスは、ボールを弄ぶ。思いつきでクローディアは、彼をからかう。

「そんなに上手いなら、ダンクシュートとか、できるさ?」

 デニスは一度、動きを止めてから、急に座り込んでシューズの紐を結び直しだした。

「ダンクシュート?」

「バスケの必殺技だ。あれは、難しい。なんども練習したけど、ボール持ってゴールに叩きこむなんてな」

 ネビルの質問に、クレメンスがやれやれと肩を竦める。

「そんなに、難しいにえ?」

「うん、私も成功させたことないさ。あれは、本当に達人技さ」

 エロイーズに、クローディアが答えた時、座っていたデニスは立ち上がる。

「できますよ、見ててください」

 当たり前のように答えたデニスは、ジニーの持っていたボールを持ってコートに立つ。

「え? デニス……ちょっと、今、ダンクシュートは達人技だって話を……」

 ジニーの反応に返事をせず、デニスは地面にボールを打って体勢を確認する。そして、一気に疾走して跳躍した。

 海老のように仰け反った体は、そのままリングにボールを叩きこんだ。

 

 ――ゴオン。

 

 ボールはリングを通り抜け、真下の床へとぶつかる。技を決めたデニスは、リングにぶら下がった揺れを利用して床へ舞い降りた。

 一連の動作は、まさにダンクシュート。

 吃驚したクローディアは、茫然とデニスを見るしかなかった。彼女の反応を待っていた一同は、デレクによって沈黙を破られる。

「そんなに簡単にできるの?」

「簡単じゃないですよ。2回に一回は、失敗しますし、試合中に成功したことありません」

 それだけ悔しそうにデニスは、ボールを拾った。

 やっと、現実を受け入れたクローディアは、その場に平伏した。

「デニス先生! 皆、デニスに師事されるさ!」

 明らかに動揺しているが、ルーナ以外は、倣って平伏す。

「やめて! 僕にそんな事しないで! 僕、教え方ヘッタクソだから! ちょっと、ルーナ、なんとかして!」

 上級生に平伏され、狼狽したデニスは思わず、ルーナの助けを求めた。

「アップルパイ食べたい、まだ、大広間にあるかな?」

 浮ついた口調で、ルーナは呼びかけた。それをきっかけに、今日の部活動は終了だ。

 クローディアは、しばらくデニスを師と仰いでダンクシュートのコツを教わろうとした。嫌がった彼は、部活に顔を出さなくなった。

 

☈☈☈☈☈

 12月、クィディッチ・レイブンクロー対ハッフルパフ戦。接戦を極め、ハッフルパフの勝利で幕を閉じた。セドリック曰く、3年生ペロプス=サマービーは期待の新人だそうだ。

 ロンの監督生としての業務を愚痴が増えた。

 愚痴を言いたいのは、ハリーだ。選手から外され、拷問の腕輪まで着けられた。コーマック達、グリフィンドール生から憐みの眼差しが、毎日、うっとおしい。

 アンジェリーナから、代理選手の話をされた。彼の代わりはジニー、双子はアンドリューとジャックになった。3人は、ハリー達には劣るが試合で十分通用する腕前らしい。

「不安がないわけじゃない。けどね、出場停止が解かれない限り、貴方達は……」

「わかってるよ、教えてくれてありがとう」

 煩わしさが態度に出ぬように、ハリーはアンジェリーナに礼を言う。

 

 ――姿形を変えて、ハリーは責められる。

 

 今日も課外授業を終えた。

 スネイプの課外授業は、本当に最悪だ。忘却していた惨めな過去を強制的に思い返される。今学期中に、取得は不可能と断言された。

「ポッター、2ケ月も特訓しておきながら、全く進歩が見られん。これは怠慢だ」

 普段通り、軽蔑した口調でスネイプは吐き捨てる。

 様々な大人の身勝手な押し付けに、ハリーは心は閉じるどころか、より搔き乱されてしまう。

 クローディアから貰った写真。

 自分の未来も知らずに、団結力を誇示した『不死鳥の騎士団』は虚しさしか感じなかった。しかも、シリウスが彼女に渡した事実は、嫉妬も何も通り越して呆れた。

 どうせ、渡されるなら、シリウスから渡されたかった。彼はクローディアを信頼し始めている。ハリーの友達としてではなく、彼女自身をだ。

 その考えがハリーの心に、黒い滴を落としていく。

 シリウスは様々な事を手紙で確認してくる。課外授業、ダートの拷問腕輪、クィディッチの代行選手、しかし、クリーチャーとの和解については一切触れない。

 だから、ハリーも写真を受け取った話はしない。

 

 ――お相子だ。

 

「何度も言うが、ポッター。何も考えずに、心を閉じよ。クロックフォードの事も、一切合財だ」

 聞き分けのない子供を叱る口調で、スネイプに追い出された。

 勿論、縋る気はなく、ハリーは研究室を出て行く。今日はクローディアとの記憶ばかり掘り返された。初対面の時、石化された時、ルーピンに噛まれた時……。

 見られたのは、意図した事ではない。しかし、一度、開いてしまうと記憶が刺激されて次々と浮かんでしまう。それを防ぐ為の『閉心術』は、上達している気がしない。

 

 ――彼女のせいだ。

 

 脳髄の奥から、囁く声がした。

 空腹に大広間を目指すと、空き教室から声がする。聞くとはなしに聞いていると、チョウとセドリックだ。

「ハリーは、誰よりも頑張っているじゃない! それなのに、貴方は何をマゴマゴとしているのよ! ねえ、セディ。貴方のお父さんに遠慮していたら、魔法省はマルフォイの私物になってしまうわ!」

「……、わかっているよ」

 

 ――バアンッ。

 

 平手打の音が響くと同時に、チョウが涙顔で廊下に飛び出してきた。ハリーと目が合い、袖で顔を隠して走り去った。

 手形の付いた頬をセドリックは痛そうに撫でながら、出てくる。覗き見た罪悪感で、思わず、変に明るい声で挨拶してしまった。

「やあ、ハリー。その顔じゃ、聞いちゃった? みっともないところを見せちゃったね」

「……いや、いま、きたところだよ。大丈夫、頬?」

 出来るだけ自然に盗み聞きを否定し、ハリーはセドリックの頬を心配する。

「痛いよ。けど、仕方ない。父さんが僕の意見をここまで聞いてくれないなんて、思わなかった。……ごめんな、ハリー。役に立てなくて」

「なんで、セドリックが謝るの? 僕、セドリックに信じてもらえて、本当に心強いよ」

 これは本心だ。それは伝わり、セドリックは優しい表情で笑ってくれた。

「でもね、信じるだけじゃダメなんだ。何か形を示さないと、ハリーを助けられないって、チョウに怒られちゃった。裁判の頃から、チョウは君に夢中みたい」

 笑い所か、ただの情報か、セドリックは世間話として教えた。

 チョウがハリーに夢中になっている。

 地下牢での陰湿さが吹き飛ぶ程、嬉しかった。ここしばらく、胸でもやもやして霞さえ、浄化された気分だった。

 

☈☈☈☈☈

 クリスマスの近づきは、休暇への一歩。生徒と教師陣は、安らぐ時間が来ると日々を我慢していた。

 しかし、アンブリッジが冬休暇を学校で過ごすという報せが学校中を震撼させる。ピーブズさえも、親衛隊を襲って抗議を示した。

【休暇の初日、汽車内にて待つ。行くべきところがある。  コンラッド】

 ほとんど電報と化した手紙がコンラッドから、届く。学校から去れる理由が出来た。クローディアは胸を撫で下ろす。

 フリットウィック曰く、ここまで学校に生徒が残らないのは、2年ぶりだと苦笑した。

「ハリーは、ロンの家に行くそうよ。ロンったら、伝えるの忘れたみたい」

 ハーマイオニーはぷりぷりしながら、教えてくれた。

「ハーマイオニーは、どうするさ?」

「一応、両親とスキーに行く予定よ。デニスじゃないけど、偶には魔法界から離れたいわ」

 クローディアは、笑いのツボを押されてしまい噴き出した。

「よお、クローディア」

 呼びかけに振り返り、アンドリューと目と目が合う。

「俺さ、フレッドの代わりにビーターになったんだ。多分、君のおかげだから、礼を言っておこうと思ってよ」

 意味不明とハーマイオニーと顔を見合わせ、アンドリューは必死に言葉を選びながら続ける。

「バスケの経験があったから、選ばれたんだろうって、思うんだ。実際、俺と一緒にビーターになったジャックも、シーカーになったジニーも、バスケをやってた。それで、その、君が大変な時に何にもしなくて、悪かった……」

 予想外の謝罪に、クローディアは驚いて目を丸くする。ジニーとジャックの件も初耳だ。その情報こそ、アンドリューなりの詫びなのだと、感じる。

「ありがとうさ、アンドリュー。その気持ちが嬉しいさ」

 素直な気持ちを述べ、アンドリューは耳まで真っ赤になり、小走りで去った。彼が去ってから、ハーマイオニーは我に帰る。

「そうよ、ジニーがシーカーになったんだったわ。彼女ね、6歳の頃からフレッドとジョージの箒をこっそり使って練習してたんですって。そもそも……」

 そのまま、ネタが切れるまでハーマイオニーの蘊蓄は続いた。

 

 今学期、最後のDA。

 クローディアは一番に、部屋へ来た。

 この部屋も、クリスマスに彩られていた。その飾りつけの中に、何故かハリーの似顔絵がある。恥ずかしがる彼を想像し、気遣う意味で外した。

 ちょうど、ハリーが来たので似顔絵を渡す。予想通り、羞恥心で真っ赤に染まった。

「ドビーとウィンキーの仕業だよ。ほら、ここに名前がある」

 ハリーは丁寧に折り、ポケットに片付けた。

「はい、クローディア、ハリー。素敵な飾りだね。2人でやったの?」

 現れたルーナは、室内を見渡して聞いてくる。ドビーとウィンキーのお陰だと、教えた。

 天井にあるヤドリギをルーナは指差す。

「ヤドリギだ。2人とも、もしかして、キスしちゃうところだったの?」

「ち、違うよ!? 僕らはそんなんじゃないから!?」

 必死に否定するハリーに構わず、クローディアはヤドリギを見上げる。

「そういえば、よくヤドリギの下でどうのこうのって聞くさ。あれって、何かにのジンクスさ?」

 素朴な疑問に、ハリーとルーナは硬直する。その反応から察するに、魔法界など関係のない常識のようだ。

「やあ、もう来てたの?」

 ジャスティンの登場で、ヤドリギ話は逸れた。

「次のDAまで、三週間も空いてしまう。よって、今日はこれまでの復習だ。2人一組になって、初めてくれ」

「いつになったら、希望した魔法を教えてくれるんだ?」

 セオドールは文句を言いながら、ブレーズに『妨害の呪文』をかけた。気合いの入った彼の魔法は、目に見えて上達している。

 次に、ネビルだ。杖での上達は勿論、杖なし状態でも『武装解除の呪文』をやってのけた。

 一時間後、ハリーは解散を言い渡した。

 皆、ハリーに別れの言葉の代わりに「メリー・クリスマス」と告げて行く。これが親しい人へ「お元気で」という意味になると、クローディアはようやく知った。

 見送っていると、ネビルが寄ってきた。

「ちょっと、いいかな? ずっと、話したいことがあったんだ」

 深刻な表情に、部屋の隅へと2人は寄り添う。

「あの……写真をありがとう。ハリーに見せて貰ったよ。彼と僕の両親が……写っている」

 早口で捲くし立てられたが、聞きとれた。確かに、あの写真にネビルの両親はいた。確か、死ぬより悲惨な目に遭ったと聞いた。

「僕の両親は、『闇払い』だったんだ。それで、……『例のあの人』が滅んだ後、『死喰い人』は……両親を襲った……。自分の主人に何があったのか、情報を得る為だった。両親は……、決して屈しなかった……決して……『磔の呪文』で、拷問されても……」

 『磔の呪文』で拷問された『闇払い』。

 その単語で結びついたのは、クラウチJrと共に裁判にかけられたレストレンジ夫妻だ。

「レストレンジ……」

 思わず、呟いてからクローディアは慌てて口を閉じる。ネビルは、レストレンジの名に一瞬、表情が強張った。しかし、唇を動かして話を続ける。

「両親は、今も『聖マンゴ魔法疾患傷害病院』にいるんだ。僕が行くと、嬉しそうに笑ってくれる」

 そこで、ネビルの口は止まった。入院中の両親の姿を脳裏に浮かべているのだろう。

「……君のお祖母ちゃんのこと、ずっと前から知ってた。だって、病院で何度も僕の祖母ちゃんと話してから……。すっごく腕の良い癒者で、僕、将来は癒者になろうって思ってたよ。……君のお祖母ちゃん、両親の事を誰かに教えるか、正直、心配だった。でも、ドリスさん、僕が話すべきだから、誰にも言わないって……約束してくれて。ドリスさん、残念だったね……」

 ネビルは泣いていない。涙は零れていない。だが、顔をくしゃくしゃにして唇を噛みしめる表情は、泣いているように見える。

 ずっと、ネビルはドリスを哀悼していた。言葉にすれば、優しい心根の彼には涙は絶対だ。強がりではない。泣きたいのは、クローディアだから、気を遣っていたのだ。

 今、この場で口にしたのは、言うべき覚悟が出来た事とクローディアはもう大丈夫だと判断したのだろう。

 その気遣いに応えるのは、本心を述べる以外ない。

「ありがとう、ネビル。私さ、ネビルが友達でいてくれて、本当に……嬉しいさ」

 ネビルの目に涙が浮かんだ。だが、快活に笑い返してくれた。

「メリー・クリスマス」

 それだけ告げ、ネビルはハリーにも「メリー・クリスマス」と声をかけた。

 いつの間にか、ハーマイオニーとハリー、ロン、チョウとセドリックという少人数になっていた。

「メリー・クリスマス」

 クローディアは、皆にそう声をかけた。ハーマイオニーが着いてきた。廊下に出ると、ロンとセドリックまで追い出されるように部屋から出てきた。

「チョウはいいさ?」

「……いいよ、このところ、上手くいってないんだ」

 感情の籠らない口調で、セドリックは足早に行ってしまった。

「チョウとセドリックは、どうなっているの?」

「う~ん、ミムからだと、破局間近らしいさ。そんな失礼な話、チョウに聞くわけにもいかないさ」

 やれやれと、クローディアは肩を竦めた。

「仮に、ハリーがチョウと付き合うなら、僕は応援するぜ。それが友達ってもんだ。そうだ、君とビッキーとの仲、応援して欲しい?」

 飄々としていたはずが、ロンは急に剣吞な態度でハーマイオニーに問う。

「次に、その口からビッキーが聞こえたら、石にするわよ」

 杖を構えるハーマイオニーに、ロンは鼻を鳴らしてさっさと行った。険悪な態度の原因に、見当がついている。しかし、ロンを責める気にはなれない。

 クローディアもまた、態度に出さないだけで、ハーマイオニーとビクトールの文通に嫉妬中だ。

 

 明日からの休暇に、自室では早めの荷造りが始まる。必要最低限の物以外は、鞄へ片付けた。

 ずっと着けていた腕輪を外して机に置く。これだけは、緊急用に着けていた。偽金貨がある今は、あまり必要性はない気がして来た。

「きっと、あっという間に新学期だわ」

 パドマは卑屈な態度で、不用品をゴミ箱へと投げる。同調したリサが苦笑を返した時、マリエッタがノックもせずに乱入してきた。

「ねえ、あなたはハリーとどうなっているの?」

「何もないさ」

 即答すれば、マリエッタは不快に眉を寄せる。

「チョウったら、ハリーとキスしたって! 硬派だと思ってたのに、浮気だわ! ねえ、クローディア! ちゃんとハリーを捕まえていてよ!」

 ハリーとチョウのキス。それを聞き、クローディアは自然と納得していた。

(予想通りって奴さ)

 少しも胸が痛まない。きっと、ただの友達だからだ。

「というか、なんで私が怒られるさ? チョウを叱るさ」

「あの子、逆上せあがって、私の話聞かないもの。もう、寝るわ。休暇で頭を冷やしてくれるといいけど」

 寧ろ、マリエッタはクローディアの話を聞いていない。きっと、不満を吐き出したいのだ。

「メリー・クリスマス」

「ええ、皆さん。メリー・クリスマス」

 乱暴に告げ、マリエッタは部屋を出て行った。彼女に倣い、3人は早々に布団へ潜りこんだ。

 まどろんだ意識の中で、時間の経つも忘れて眠る。確かに、眠っていた。だが、突然の胸騒ぎに意識が覚醒し、室内を見渡す。

 寝台横の机をベッロは睨んでいた。

 机には、腕輪がある。杖で灯りを照らすと、腕輪には文字が浮かんでいた。

 

 ――『神秘部』と。

 

 目の錯覚を疑い、瞬きして目を擦る。そして、凝視した。魔法省の部署に、ハリーがいるはずはない。そこに呼び出されるなど、不可能だ。

 盗難を疑い、文字を見続けた。

 

 ――『神秘部』、『神秘部』、『神秘部』。

 

 文字の主張は、終わらない。対の腕時計は、ハリーの『蛇語』に反応する。もしや、彼の寝言を聞きとっているのかもしれない。『神秘部』は、裁判の際に魔法省へ訪問した事が原因なのかもしれない。

 かもしれない憶測を立てていると、文字は変化した。

 

 ――『アーサー=ウィーズリー』。

 

 ロンの父親の名、全身にゾッと寒気がする。不吉な予感に近い。

「ベッロ。ハリーに、ロンに、フレッドに、ジョージに、ジニーに、とにかく皆を起して!」

 クローディアの意味不明な命令より先に、ベッロは部屋を素早く行ってしまう。

 胸中に不安を抱え、布団から出て窓の傍に立つ。ベッロでも誰でもいい、情報を運んでくれるまで待った。

 朝陽が昇り、ようやくベッロは戻って来た。

 何処かに導きたい様子だ。

 迷わず、着いていけば、グリフィンドール談話室だ。その前で、ダンブルドアとハーマイオニーが立つ。2人とも、クローディアを待っていたとわかる。

「ウィーズリーのお父上が危篤状態になってのお。緊急入院してしもうた。ハリーとウィーズリー兄弟は、お見舞いへ向かったのじゃ」

 予感の的中に寒気は強くなったが、既に対応されていた事を喜んだ。

「ベッロが知らせてくれたが、君のところにも、何かあったそうじゃな」

 確認の口調に、クローディアはハーマイオニーに目配せをする。

 ハーマイオニーは状況が状況なだけに、頷く。彼女の了解を得て、素直に腕輪をダンブルドアへ見せた。腕輪の対である腕時計の仕組みに、校長は慎重だが納得してくれた。

「それは、君達を助けるものじゃ。わしは決して、取り上げはせんとも」

 クローディアとて、ダンブルドアは没収しないと頭で理解していた。改めて言葉にして貰い、安堵の息を吐く。安心すると、疑問も浮かんだ。

「校長先生、ベッロと話せるんですか? それとも、ベッロの心を読んだのですか?」

「君もハーマイオニーと同じ事を言うのお。良い着眼点じゃ、わしは『蛇語』が話せるんじゃよ。ハリー程、上手くはないのお。わしも精進せねば」

 冗談っぽい口調は、彼女達を励まそうとしている。

 そんな優しさに、昨夜からの不安は拭えた。その分、眠気に襲われてしまった。0分でも眠ろうと、2人に礼をして寮に戻る。

 螺旋階段を下りた先で、隅に靴が置かれていた。見慣れたルーナの靴だ。

「こんなところに、なんでさ?」

 靴を拾い、ドアノッカーの謎かけに答えて談話室へ入る。暖炉の傍で、ルーナは火かき棒で薪を突いていた。

「ルーナ、螺旋階段で靴を見つけたさ」

「ありがとう、昨日から探してた」

 火かき棒をポイッと投げ捨て、ルーナは靴を受け取る。慣れた様子に、クローディアは不愉快な気分になる。

「また、ナーグルの仕業さ? そのナーグルがこんな悪さするなら、私、懲らしめに行くさ」

「懲らしめなくていいよ、無くなっても、ちゃんと返ってくるんだ。そんなに心配しなくて、大丈夫だもン」

 靴を抱きしめ、ルーナはハッキリとした口調で反論した。追及を逃れるように、小走りで女子寮へと去って行った。

 唐突に消える階段や見え隠れする扉など、この学校は意外と危険が多い。ピーブスのような悪戯好きもいるのだ。物を隠したがる何かがいてもおかしくはない。

 だが、再々ルーナは狙われている。

 念のため、ピーブズに警告しに行く。彼はクローディアを目にし、小馬鹿にして逃げ去ろうとした。そこを影でひっ捕まえる。得体の知れない力に押さえられ、彼は狼狽した。

「あんたに悪戯をやめろなんて、言わないさ。ルーナに悪戯する奴をあんたの力で、庇うさ。それだけ、約束して欲しいさ」

 努めて冷静な態度でお願いすれば、ピーブズは渋々、承諾した。

 




閲覧ありがとうございました。
高等尋問官親衛隊は、原作より早く出来上がりました。生徒の皆さん、ごめんね。
ダンクシュートを生で見たことないので、迫力が伝わらないかもしれない不安。

神秘部の表示シーンを書く時、夜中だったので、自分で怖かったです。


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14.休暇でも安寧はない

閲覧ありがとうございます。
お気に入り600名を越えました。ありがとうございます。

追記:16年5月8日、17年3月10日、誤字報告により修正しました


 首なし馬車に乗り込もうとしたクローディアは、アンブリッジに執拗な態度で引き留めれた。

「貴女はもっと魔法界について正しい認識を得なければなりません。この休暇は貴女にとって絶好の機会です。お待ちになって!」

「お気持ちだけで十分です」

 馬車が空気を読み、走りだしてくれた。

 笑顔のままアンブリッジは、睨むような視線で見送ってきた。傍らで、フィルチに宥められていた。

「こわ……何さ、あれ?」

「ハリーがいなくなってた事、相当ブチ切れていたから、貴女だけでも逃がさないようにしたかったんじゃないの?」

「家族が入院したんだから、大目に見てよねえ」

 パドマとパーバティは、わざとらしく身震いする。国境を越える2人が羨ましくも思えた。

「まさか、駅に到着できないように妨害されないわよね?」

 ハーマイオニーは警戒して、杖を構えた。しかし、難なく汽車へ乗車出来た。

 コンパートメントを2人で独占し、休暇中の予定を変更する話をした。ハリー達を放って、休暇を満喫など、出来ないからだ。

「私、パパとママに説明してくるわ。勉強に専念したいって言えば一応、納得してくれるから」

「こっちも用事を済ませたら屋敷に行くさ」

 『不死鳥の騎士団』本部、グリモールド・プレイスの屋敷だ。ハリー達もそこにいる。アーサーの身も案じているが、『ポケベル』の腕輪が見せた反応も気になる。

「ほお、私との用事をさっさと済ませるつもりかい?」

「そうじゃないさ。ウィーズリーさんに何があったのかあぁ!?」

 いつの間にか、クローディアの隣にコンラッドが座っていた。ハーマイオニーも声に驚き、やっと彼に気づいた様子だ。

「それって『目くらましの術』ですか?」

「応用だよ、認識をズラすんだ。私の姿を目にしても気にしないようにね」

 ハーマイオニーとのやり取りで、魔法ではなく、武道の鍛錬により気配を消したのではと解釈できる。

「どうして、ここにいるさ?」

「迎えに来たんだよ。アーサーの見舞いに行こうと私を出し抜くかもしれないからね」

 出し抜くつもりはない。しかし、近い考えを見抜かれていた。

「ハリーは、ヴォル、デ、モートに操られているんでしょうか?」

「どうして、そう思うんだい?」

 ハーマイオニーは聞き返されても、教師との押し問答のように真剣だ。

「ハリーの傷です。あれは、あの人が意図せずつけてしまった絆のようなモノだって、前に聞きました。それにあの人が蘇る時、ハリーの血を使っています。その事で、いらない絆が強くなってしまったんじゃないかと思います。だから『閉心術』を教授されなければならないのでは?」

 鋭い指摘に感服する。クローディアに敵愾心を持ったり、ボニフェースの夢を見るなど、ハリーの思考は確実に蝕まれている。ヴォルデモートの仕業なのは、明確だ。

 しかし、ハーマイオニーの優れた推理力には、叶わない。

「……成程、なかなか聡明だね。だから、色々と抱え込んでしまう。ハーマイオニー、君は少し休みなさい。折角の休暇なんだ」

 コンラッドの諫めに、ハーマイオニーは上品な笑顔を見せた。承諾を見せない彼女は、大人しく休むはずもない。

「それで、ハーマイオニーの考えは合ってるさ?」

「操られるというより、同化に近いね。いや、憑依のほうがいいかな? とにかく、闇の帝王はハリーを自分の身体にしたいんだろう。今の身体は当座で手に入れたようなものらしいからね」

 意外とスラスラ話すコンラッドに、驚いてしまう。勿論、憑依の部分にもだ。

「つまり、ジニーの時みたいにって事さ? 話しちゃっていいさ? てっきり、隠そうとすると思ったさ」

「このくらいなら、隠す必要もない。それにおまえ達が相手だからだよ」

 急にコンラッドは立ち上がり、クローディアの荷物を魔法で消し去っていく。ベッロが抗議しようと、虫籠から顔を出したが、一緒に消された。

「さっさと屋敷に行きたいのだろう? なら、おまえの用事は済ませよう」

 差し出された手を見て、『姿くらまし』を思いつく。随分と、クローディアを気遣うコンラッドに企みを疑ってしまう。

 しかし、疑っても仕方ない。クローディアはハーマイオニーに再会を約束して、その手を取った。

 

 煉瓦の道に並んだ商店、ダイアゴン横町にいた。突然、現れた親子にトンガリ帽子の魔女や魔法使いは驚かない。通行人はぶつからないように避けてくれた。

 眼前には老舗の杖専門店『オリバンダーの店』がある。ダンブルドアから、店主オリバンダーに会うように勧められた事を思い出した。

 コンラッドは顎で、店を指す。視線だけ返し、クローディアはノブに触れて店内へと足を踏み入れる。

 

 ――来客を報せるベルが鳴った。

 

 店内に懐かしさを覚える。実際、ここに来たのは新入生の時だけだ。魔法界を知り、戸惑いや驚きで無邪気に感動していた頃だ。

 

 ――本当に無知だった。

 

「いらっしゃいませ」

 暗い奥から、オリバンダーは棚梯子をスライドさせて現れた。意外な登場の仕方に少しだけ驚いた。

「ああ、ついに来れられましたね。クロックフォードさん」

 待ち侘びた口調で、オリバンダーは表情を輝かせた。いそいそと梯子を下り、店主は杖を振るう。窓のシェードカーテンが下がり、店内は更に暗くなった。

 カウンターのランプは灯りを強くし、2つの椅子の存在を教えた。オリバンダーに勧められて座り、クローディアは裾から杖を取り出す。

「こんにちは。早速ですが、この杖について教えてください」

 丁寧に杖を受け取ったオリバンダーは、懐かしむ手つきで杖を撫でる。

「ええ、ずっと待っていたとも。あなたがもう一度、この杖と共にわしを訪ねてくれるのを」

「杖はいろいろと私を助けてくれました。感謝しています」

 本心を述べ、頭を下げる。しかし、オリバンダーは杖に夢中でクローディアを見ていない。

「わしが作った杖は自分の主を選んできおった。しかし、この杖だけは貴女の為に用意されたのじゃ。あの方は貴女の手に渡った事を喜んでおられた」

「貴方が作ったモノではない、ということですね? どなたか聞いても良いですか?」

 オリバンダーの言葉の区切りを狙い、質問した。店主の穏やかな目は、更に優しく垂れる。

「ニコラス=フラメル氏です」

 高名な錬金術師の作、その真実に心地よい緊張感が心臓を刺激させた。同時に、フラメルさえもクローディアの関わっていた重大さに、知らずと口元は強張る。

「フラメル氏がご店主に預けたということですか? 私がこの杖を見つけたのは、偶然ではなかったと?」

「いいや、偶然じゃ。貴女は本当に偶々この杖を見つけてしまったのじゃよ。それによってフラメル氏は杖を貴女に渡す決心をされた」

 質問に対し、オリバンダーは素直に答える。更に衝撃の事実を告げる。

「実を申しますと、わしと貴女は今日が初対面なのです。貴女が杖を買いに来て下さった日、応対したのは、わしではない。わしに変じたフラメル氏、ご本人でのお」

 心臓から電流を流れた感覚、それ程の衝撃を受けた。

 動揺で言葉を失ったクローディアを放置し、オリバンダーは続けた。

「貴女に直接、渡したかった事もあるでしょうな。一番の理由は、わしは嘘をつけないと性分のせいじゃ」

 衝撃が抜け、ようやく声を出せるようになったクローディアは納得した。

「……ではスクイブに売ったという話も、使われずに戻ったという話も、フラメル氏の適当な嘘だったんですか?」

「はい、貴女に疑われないように渡すには多少の嘘も方便というもの」

 突然、オリバンダーは笑みを消して緊張を強くした。

「この杖には、『生命の水』を与え続けた柳とフラメル氏が雛よりお育てになられたグリフォンの羽を材料になっておる。貴女にしか、従わぬ特別な杖での。おそらく他の杖には出来ぬ事がいくつか行えるはずじゃろうて」

 すぐに思い付いたのは、失われた髪飾りを破壊せしめた時だ。魔法ではなく、直接、叩きつけた。バジリスクの牙と同等の力を持っていると推測できる。

 しかし、バジリスクの石化から護って貰えなかった。

「特別でも万能ではないですね。依存しないように気をつけます」

 率直な感想を述べれば、オリバンダーは笑いのツボを押されたように噴出した。

「ええ、全くその通り! 杖は魔法のひとつの手段にすぎん。魔法の極意でもなければ、絶対不可欠の代物でもない! いやはや、恐れ入った!」

 上機嫌に笑い、オリバンダーは立ち上がる。

「わしの話はここまでじゃ。こんな老いぼれの話は貴女には必要なかったかもしれぬ」

「いいえ、身のあるお話でした」

 礼を述べ、クローディアが椅子から立ち上がる。それを合図にしたように、シェードカーテンは上がった。本当に話は終わったのだ。

 店の外で待っていたコンラッドは無言で手を出しだす。同じく、無言でクローディアが掴むと『姿くらまし』した。

 

 次は雪に埋もれた森だ。

 『暗黒の森』と違い、穏やかな陽光が木々の隙間から地上へ降り注ぐ。肌に空気の清浄さが伝わってくる。物語に出てくる透明感のある湖さえ、風景画の一部に見えてしまう。

「ここは何処さ?」

「私の生まれた土地だよ。このまま着いてきなさい」

 素気なく答え、コンラッドはクローディアの手を繋いだまま歩いた。

 小一時間も歩き、森の奥深くへただ進む。急にコンラッドは身を屈めた。手を繋いでいるせいで、クローディアも屈まされる。

 そこには水溜りがある。彼の指先が水面に触れ、波紋の広がった瞬間、2人を飲み込んだ。しかし、衣服はおろか、身体も濡れない。沈んだ様子もない。

 視界が鮮明になり、民家の玄関口に2人は立つ。ハグリッドの家に似た造りだ。周囲は水中にいるように揺らいでいる。

「お父さんの家ってわけさ、火事になったって聞いたさ」

「誰に聞いたか知らないが建て直したんだよ」

 何の感慨もなく、コンラッドは扉を開ける。

「ほっほお! ようやく帰って来たか、コンラッド! 寂しかったぞお」

 柿色の絨毯を敷き、滑らかな家具の配置された玄関。そこから見える居間に、セイウチ……もとい、スラグホーンが堂々とソファーで寛いでいた。ベッロとカサブランカは、宿り木でカードゲームに勤しんでいた。

(またか……)

 意外な人物のはずが、慣れのせいで驚けない。

 スラグホーンに挨拶してから、コンラッドを階段の下まで引っ張る。

「ツッコむ気力もないから聞くけどさ。どうして、スラグホーン先生がいるさ。ここって今は先生の家さ?」

「先生は今『死喰い人』の勧誘から逃げ回っていてね。3日を置かずに住処を変えていらっしゃるんだよ」

 深刻すぎる事態に、ぐうの音も出ない。

「一応、聞くけどさ。先生からも私に話があるさ? 私の誕生に先生も手を加えたとか、そういう話……」

「いいや、先生は何もしていないよ。そんな心配せずに休みたまえ。夕食には起こしてあげよう」

 苦笑してコンラッドは、2階を指差した。

「すぐにでも本部へ行けるようにしたいから、荷物は解かないさ」

 2階には3部屋あったが、自室は簡単に判別出来た。畳を置いた部屋など、クローディア以外使わない。荷も解かれず、トランクも隅に置かれていた。

 畳を見て、安心感が脳髄に行き渡る。着替えも何もかも面倒で、そのまま倒れこんだ。

 

 夕食の時間まで、爆睡した。

 食卓におでんを見て、クローディアの気分は向上してしまう。冬に鍋を囲む醍醐味は本当に久しぶりだ。スラグホーンは元教え子の手料理に感動の涙を流していた。

 食後の紅茶を飲み、落ち着いた雰囲気が食卓を包んだ。流しでは、勝手にスポンジと蛇口が動いて食器を洗っている。

 急に、スラグホーンはクローディアとコンラッドを交互に眺めてきた。純粋な眼差しは、ルーナが『しわしわ角スノーカック』等の生物を話す時に似ている。

「ここにボニフェースがいれば、私は歴史的瞬間に立ち会えたものを……惜しいなあ」

 限定品を購入損ねた収集家のような口調に、クローディアは苦笑する。

 この御仁には、髪の毛を調べさせられた。幾分か、事情を知っているのだろう。しかし、コンラッドの機械的な表情が青ざめていた。

「スラグホーン先生、ボニフェースが『ホムンクルス』だと知っていたのですか?」

「ええ!? お父さん、先生に何も話してないさ!?」

 コンラッドの質問に驚いて、変な声が出てしまう。スラグホーンはきょとんっと目を瞬いた。

「知っとるとも、ボニフェースから全部なあ。あいつが『俺、ホムンクルスなんです』とか言い出した時は、ついに頭がパーになってしもうたと本気で心配したもんだ」

「どんな事か聞いても良いですか?」

 興味ではなく、確認の意味で問う。スラグホーンは快く聞かせてくれた。

「大した事ではないぞ。『ホムンクルス』とベンジャミンが『逆転時計』で時を遡った! それだけ事じゃよ」

 重大な事柄をご存じだった。全容ではなく、その部分だけなのだろう。

「その事、誰かに言いましたか?」

 椅子を蹴る勢いで立ち上がり、コンラッドは深刻な表情でスラグホーンに問いただす。

「言うわけあるまい! 魔法省に嗅ぎつけられたら、おまえさんも生まれてこれんかったぞ。あいつの髪やら、爪やらを存分に調べさせて貰った時は、研究者としての腕が鳴ったわい! 教授の仕事がなければ臓物まで調べれたものを……」

 悔しそうに顔を歪め、スラグホーンは紅茶を飲んで気分を落ち着かせた。コンラッドの緊迫は解けない。クローディアは口を挟まず、ただ成り行きを見守る

「何の目的で、ボニフェースは先生に明かしたんですか?」

「子供が出来るか確認じゃよ。それで、産まれた子への影響などもな」

 話に聞くボニフェースの性格を考えるなら、当然だ。しかし、コンラッドは完全に他人事のように納得していた。

「お父さん、わかってるさ? 子供って、お父さんの事さ」

 クローディアの言葉で、コンラッドは驚愕に目を見開く。しばらく、沈黙してから、椅子に腰かけた。

「では……この子が『ホムンクルス』だと、最初から気づいていたんですか?」

「勿論だとも。わしが知っていると気づけぬとはコンラッドよ、おまえさんもまだまだ青いな」

 愉快そうに笑うスラグホーンに、コンラッドはぐうの音もでない。言葉に詰まる彼の姿が珍しい。

 クローディアにしてみれば、少々、吃驚した程度だ。闇の帝王に漏洩されないのならば、誰が知っていようと構わない。否、悪用しないのならばだ。

「さっき臓物がどうのって言ってましたけど、私達を解剖したりしませんよね?」

 別の不安がこみ上げ、クローディアは問う。

「今のところ、君達の髪で十分じゃよ」

 スラグホーンの満面の笑みが余計に不気味な印象を与えた。

 

 翌朝、スラグホーンは挨拶もなく去っていた。

「本当に自由気ままな人さ。朝御飯は食べて行ったさ?」

「サンドイッチぐらいは、持たせたよ」

 白米、味噌汁、出汁巻き卵、キュウリの漬物、梅干し、緑茶。健康的な朝食を終え、身支度を整える。

 トランクとベッロは虫籠ごと、コンラッドの魔法で先にブラック家へ送られた。カサブランカは羽根の色を変え、水面にしか見えない空へと飛び去った。

「そういえば、私が『ホムンクルス』だって知っているのは誰がいるさ?」

「騎士団では、ダンブルドアとディーダラスの2人だけだ。もっとも、私の知る限りはだけどね」

 ダンブルドアは当然としても、ディグルにも知られていた。それでも、ドリスの孫、コンラッドの娘として接してくれた。そう考えると、クローディアの周りは愛情に満ちている気がした。

 昨日と同じ、小一時間歩き、キングズ・クロス駅に『姿現わし』した。豪快なクリスマスの装飾には、圧倒される。途中のスーパーマーケットもクリスマスムードだ。店員は全員サンタの帽子を被っている。

 ジョージがマグル式の玩具を欲しがっていた事を思い出し、彼の為に購入した。本部で待つハリーや他のウィーズリー兄弟、ペネロピー、ジュリアの分も用意した。

 コンラッドは日用品や食材を買い込んでいた。

 大荷物を堂々と抱え、2人はブラック家に到着した。

「絶対に別れてやらないんだから! ねえ、お願いよ! 考え直してよ! 悪いところは全部治すから!!」

「いい加減にしてくれ! しつこいぞ! 俺の拳が炸裂する前に、は・な・せ!!」

 玄関ホールでジュリアが号泣していた。足にしがみ付く彼女をジョージは必死な形相で引き剝がす。

 階段の手すりで、修羅場を見学するハリー達が見えた。皆、ジュリアへの憐みの視線を向ける。しかし、ベッロだけは空気を読まずに玄関ホールへ飾りつけをしていた。

 クローディアとコンラッドに気づき、ジョージは奥の居間へジュリアを引っ張り、乱暴に扉を閉めた。

「やあ、クローディア。コンラッドさん」

 居間の扉を警戒しながら、ハリー達は下りてくる。真っ先にジニーはコンラッドと日用品の買物袋を持ち、厨房へと運ぶ。

 クローディアもハリー、ロン、フレッドに荷物を持ってもらった。2階でシリウスとクリーチャーがクリスマスの飾り付けをしていた。2人とも、無言でせっせと星やらなんやらを貼って行く。

「やあ、クローディア。早かったね」

 ぎこちない笑顔でシリウスは挨拶してきたので、返事をした。クリーチャーに挨拶しても、唸るような変な声しか聞こえなかった。

 女子部屋には、クローディアの荷物がちょこんと置かれていた。

「こんなに何を買ってきたの?」

「クリスマスプレゼントさ。それより、アーサーさんの容体はどうさ?」

 早速の本題に3人は苦笑した。その渋い笑顔はアーサーは入院中も変わらない証拠だ。

「元気だよ、【ウィリー=ウィダーシン逮捕】の記事を読んでて、その人の話しかしてくれなかった。ちなみにその人は呪いの逆噴射でトイレを爆発させたらしいよ。すっげえ、どうでもいいわ」

「フレッドが任務中だったんだろうって聞いたら、ママまでトイレ男の話をしてろって」

 フレッド、ロンは不満を述べる。

 任務と聞いて、クローディアの心臓に冷水が落ちた。視界の隅で、ハリーを意識する。彼は努めて冷静に振舞っていた。

「……僕らが帰ろうとしたら、マッド‐アイが来てね。部屋から追い出された。ジョージが『伸び耳』を貸してくれて、盗み聞きしたよ。マッド‐アイは僕が蛇の目を通すなんて、おかしな事態を避ける為に『閉心術』を教えてるんじゃないのかって、カンカンだった。でも、モリーおばさんはそのお陰でアーサーおじさんが助かったんだって諫めてくれていた」

 一度、言葉を区切り、ハリーは寝台に腰かける。クローディアがよく使う寝台だ。

「今朝ね、ベッロが教えてくれた。僕とヴォルデモートとの間の絆が強くなって意識を繋げようとしているんだって……、蛇はおそらく墓場にいたあの蛇だよ」

 ハーマイオニーの推理は的中だ。自然と緊張感が部屋を包む。

「ボニフェースさんが夢に出てくるのは、繋がりを防ごうとしてくれているって……。ヴォルデモートの中にある彼への未練みたいなモノがそうさせているんだろうって、ベッロは言ってた」

「ジニーと話したさ? 彼女なら、ヴォルデモートに操られる感覚がわかるさ」

 ロンとフレッドの肩がビクッと痙攣した。

「うん、ジュリアが来る前に話したよ。まあ、ベッロに聞いてみろって言われたからなんだけど……。ジニーに呆れたよ。「幸せな人」だって、本当にその通りだ」

 複雑そうに笑い、ハリーは髪を乱暴に掻く。

「それで、ヴォルデモートに操られている時は記憶がないそうなんだ。気づいたら、時間が経っているってね。……汽車に乗っていた時だ。傍から見たら、寝ていたかもしれないけど、もしかしたら……、あいつは僕を通して皆を見ていたのかもしれない」

「いや、あの時、君は寝てた。間違いないよ。きっと……たぶんだけど、まだ操れないんじゃないかな? だから動かせなかったとか?」

 不安がるハリーをロンが咄嗟に否定した。

 クローディアもロンの意見に賛成だ。まだ、ハリーは憑依されていない。だが、いつか、憑依されてしまう可能性は高い。

 否、確定である。

「休暇中も校長先生か、スネイプ先生に『閉心術』を訓練して貰えないさ?」

「わからない。伝言はあったけど、「待っていて欲しい」ってだけだ」

 ハリーとロンの寝室に飾られたフィニアス=ナイジェラスの肖像画がその役目を担っていると教えられた。ロンとフレッドも初耳で驚いていた。

 直にハーマイオニーも来る。自分達での会議は、お開きだ。

「クリーチャーに挨拶してくるさ。他にいる人は、シリウスさんだけさ?」

「お袋もいるよ。昨日の明け方にシリウスと来たんだ。多分、昼飯の支度してるはずだぜ」

 フレッドに教えて貰い、厨房に下りた。

 コンラッドとモリー、そしてジニーがそれぞれ昼食の用意をしている。

 モリーに挨拶し、支度を手伝った。コンラッドの指示に従い、米を研ぎ、炊飯器のボタンを押しただけだ。ジャガイモの皮を剥こうとしたが、手慣れたジニーと比べられない程、酷い有様だった。

 アーサーの無事は確認でき、ハーマイオニーが来るまで『ポケベル』については保留だ。そうなると、自然にジョージとジュリアの修羅場が気になってくる。

 興味本位でなく、当事者の1人としてだ。

 ジョージとは、ジュリアとの交際を清算できれば、気持ちに答えると約束した。あの状態で、別れた場合、確実にクローディアは彼女から恨まれる。

 それは嫌だ。何故なら、ジュリアは又従姉妹なのだ。ずっと、親族などいないと思っていた。気にしてもいなかった。折角、得た親族と男で揉めたくない。

 虫が良すぎると言われるだろうが、クローディアはここのところ欲張りになってきた。皆、仲良しこよしにはなれずとも、いがみ合いは避けたい。

「(ジョージと……ジュリアって、どうなってるさ?)」

「(あの通りよ、ママには内緒にしてね。ジュリアをとっても気に入っているから)」

 小声の2人の会話は、調理の音でモリーには聞こえなかった。 

 ジュリアは昼食の席に現れなかった。げっそりしたジョージは、フレッドに「まだかかりそう」と呟いていた。

 

 夕方の6時頃、ハーマイオニーはやってきた。

「『夜の騎士バス』でここまで来たの。なかなかスリリングだったわ」

 偶々、出迎えた形になったハリーに「スキーは趣味じゃない」など言い訳をしていた。すぐにハリー達の部屋に集まり、昨日、今日の情報を彼女に伝えた。

「じゃあ、クローディアの『ポケベル』が『神秘部』の文字を浮かべたのは、おじさまが『神秘部』にいたからと推察できるわね」

 双子とジニーは『ポケベル』がわからず、クローディアは腕輪を見せる。簡単に用途を説明し、アーサーが襲撃された時間に起こった出来事を搔い摘んで話す。

 ハリーは穴埋め問題を埋めれたような表情で、納得していた。

「『神秘部』に何があるんだろう? あそこで働いている連中は『無言者』って呼ばれてて、勤務内容は大臣でも知らないって言われてるよ」

 必死に記憶を辿り、ロンは知恵を働かせて閃こうとしている。

 一瞬、ハリーと視線がかち合う。彼はそっと、目を逸らした。そして、覚悟を決めたように口を開いた。

「『神秘部』には『予言』があるんだ。それをヴォルデモートは狙っている」

 淡々とハリーは語った。15年前のダンブルドアとトレローニーの面接、偶然に聞かされた『予言』。半分だけ盗聴された『予言』を聞き、ヴォルデモートは彼を狙った。その行いがヴォルデモートを凋落させ、ハリーの『予言』は『神秘』に記録として保管された。

 ヴォルデモートは蘇った今こそ、『予言』の全容を望む。蛇の手先も送り込んでいる。それらから、騎士団は『予言』を守る任務を負うのだ。

 クローディア以外、茫然とハリーを眺めた。改めて彼が『選ばれた少年』として認識を得ていた。

「けど、もうひとつは? まさか、その、ハリーの肉体とか?」

 怯えながら、ロンは確認してきた。ハリーを心底、心配している。

 そこで、ハリーは目だけでクローディアを見た。自然に皆も彼女を見やる。

 

 ――ついに、この時が来た。

 

 緊張よりも不安が心臓を揺らす。深呼吸してから、皆の視線を一身に受けた。

「ヴォルデモートの狙う、もうひとつは私の祖父の『遺言』さ」

 時折、声を震わせながら語る。誤魔化しもなく、偽りも交えず、真実を語った。

 闇の帝王を救済する手段だった『逆転時計』と『ホムンクルス』、未来からの干渉で変化したアロンダイト家、幼いコンラッドに施された『闇の印』、そして『遺言』の為に用意された我が身。

 全てを話し終えた時、汗が滝のように流れていた。部屋の空気に、皮膚が寒さを訴えてくる。

 

 ――沈黙していた。

 

 ハリーは驚愕に目を見開き、ハーマイオニーは目に涙を浮かべ、ロンは口を開けて瞬きを繰り返す。フレッドは言葉を探していたが、口を噤んだ。ジニーは苦渋に唇を噛んでいた。

 ジョージは黙って、クローディアを抱きしめた。彼の吐息が耳に触れる。決して離さぬ誓いような抱き方だった。

 誰の目にも、クローディアを怪物と罵る気配は微塵もない。それどころか、よくぞ真実を話してくれたと称賛している色が見えた。

「……私の話、重かったさ?」

「俺の体重のほうが重いさ」

 ようやく吐けた一言に、ジョージは明るい声を出す。それを切欠に、部屋の雰囲気も明るくなった。

「雰囲気を壊すようで悪いが、ダンブルドアから伝言があるぞ」

 唐突に割り込んだしゃがれた声、全員、吃驚して音源へと振り返る。そこには、フィニアスの肖像画が退屈そうに欠伸していた。

「明日の夜に、ここを訪問できるだろうとな。期待はせんで待っておれ」

 至極、面倒そうに告げた後、肖像画は真っ黒になった。住人が消えたからだ。

 入れ違うように、シリウスが夕食に呼びに来てくれた。異質な空気を彼は敏感に反応した。

「なんだ? 何かあったのか?」

「校長先生から、伝言があったわ。明日の夜に来てくれるって」

 ジニーの答えに、シリウスは了解した。

 

 夕食後、クローディアは風呂場にいた。ハーマイオニーと2人だ。

 総檜の浴槽は、大人3人も余裕で入れるので問題ない。適切な温度で湯を張りながら、全身を石鹸で洗う。髪をリンスで潤わせた頃、湯船は準備万端だ。

 心地よい温もりが肩まで揉み解してくれる。

「私ね、ずっと不思議に思っていたの」

 唐突にハーマイオニーは口を開く。

「ほら、クローディアは入学までに魔法をひとつも使ったことないって言ってたでしょう? それなのに、どうしてスクイブと思われなかったのかなってね。とても納得したわ」

 教科書の誤字を見つけたような口調だ。普段の彼女そのものだ。

 真実を知っても、ハーマイオニーはクローディアへの態度を変えない。変わらない。これまでのように、接してくれる証拠でもある。

 心底、嬉しい。

「教えるのが遅れてゴメンさ」

「いいのよ。学校では誰が聞いているかわからないし、ベラベラ喋る話じゃないもの。きっとね、私は誰にも言えず、一生を終えたかもしれないわ」

 人狼であるルーピンのように、絶対、自分から話さない。そういう意味だと察した。

「話と言えば、DAの時、ネビルは貴女に何を話していたの?」

 ハリーとチョウのお陰で、避けられていた話題が掘り返された。ネビルもまた誰にも言えない秘密を抱えていた。彼の気持ちを考えるなら、白状すべきではない。

 胸中でハーマイオニーに謝罪した。

「お祖母ちゃんのお悔やみさ、ずっと言いたかったけど、気を遣ってくれたみたいさ」

「そう、ネビルもお祖母ちゃん子だもの。貴女の気持ちが痛いほど、わかるんだわ」

 それから、2人は沈黙した。湯の気持ちよさに口を動かすのが、億劫というものある。これまでの情報を頭で纏めているとお互いわかっていた。

「あの女、そろそろ役に立ってもらおうかしら」

 誰に言うわけでもないハーマイオニーの呟きは、企みを予感させた。

 




閲覧ありがとうございました。
スラグホーンは、きっと色々と裏事情を知っているけど、黙っているタイプ。なので、ボニフェースも自分の秘密を打ち明けたと思う。

ジニーの「幸せな人ね」は心の成長がハッキリとわかるセリフなので、好きです。


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15.ヴォルデモート卿の犠牲者

閲覧ありがとうございます。
お気に入りが630名を越えました。ありがとうございます。

追記:17年3月10日、誤字報告により修正しました。


 クリスマスの朝はプレゼントの開封だ。クローディアには衣服ばかりだった。ハーマイオニーは本ばかりで、ジニーは女子らしい日用品ばかりだ。

「これ、素敵。コンパクトね」

 上機嫌なジニーはプレゼントに満足していた。

「あら、『ポリジュース薬』の材料だわ。しかも2人分もある。誰かしら?」

 ハーマイオニーは首を傾げながら、材料を大事にトランクへ保管した。

 ハリー達もプレゼントを貰っていた。彼はドビーから似顔絵を貰い、フレッドにからかわれていた。

「これ、どうやって使うんだ♪」

 ジョージはマグルの玩具を弄んだ。フレッドも欲しがるフリをして奪い合った。

「見て見て! 僕専用のブラシだ!」

 何の変哲もない髪ブラシをロンは泣くほど喜んでいた。どうやら、彼は日用品も兄弟のお下がりがほとんどらしい。

 だが、喜びだけではない。パーシーは家族からプレゼントを返却してきた。それどころか、アーサーへの見舞いもない。厨房では朝からシリウスやリーマスによって、モリーは慰められていた。

 コンラッドはモリーの心情を汲み取り、今日ぐらいは家事を休むよう、モリーに勧めていた。彼女は料理を休み、洗濯と掃除はやると言い張った。

 一番、驚いたのはハーマイオニーがクリーチャーにもプレゼントを用意していた事だ。『屋敷しもべ妖精』の分まで、気を配る彼女には尊敬の念を抱いてしまう。

 肝心のクリーチャーはハーマイオニーを『穢れた血』呼ばわりしながら、汚い物に触れる手つきで受け取っていた。

「受け取ってくれたわ。私、それだけで十分よ」

 上機嫌なハーマイオニーにシリウスは水を差す。

「まさか、服じゃないだろうな? あいつは自由にできないぞ。我々の事を知り過ぎている!」

「パッチワークのキルトよ、シリウスもご主人としてお世話になっているお礼をすべきだわ。その為のクリスマスでしょう?」

 ハーマイオニーは当然だと言わんばかりに反論した。

 クローディアもペネロピーとジュリアにプレゼントを渡すため、外出する。勿論、モリーの許可は貰った。護衛としてリーマスを連れて屋敷を出た。

「昼食の準備を手伝おうとしたら、コンラッドに包丁を突きつけられたよ。つまみ食いじゃなくて、味見なのに」

 学校に居た時より、リーマスは若干、瘦せて目の下に隈が出来ていた。寝不足と体調不良は一目でわかる。

「ルーピン先生、具合はどうですか? ご飯は食べていますか?」

「正直に言えば、厳しい暮らしだ。薬がなければ、私はただの……獣だからね。食事に関しては、皆が助けてくれるから心配しなくていいよ」

 無理やり、笑顔を取り繕うリーマスに何も言えない。せめて、満月の間に身を隠す場所を提供できないかを考えた。

 ペネロピーの自宅に着き、彼女は歓迎してくれた。不機嫌な笑顔のジュリアも一緒だ。彼女達はリーマスの登場に、大はしゃぎだ。

 早々に帰ろうとしたクローディアとリーマスは、巨大なアイスカップを貰う。スーパーで売っているのは見た事あるが、本当にデカかった。

 持って帰り、ビルに見つかった。名も知らない騎士団員まで巨大なアイスカップに群がってきたがモリーに追い払われた。

 厨房の冷蔵庫に入れようしたが、大きさで無理だ。仕方なく、コンラッドの魔法で保存した。

 昼食の時間までに、クローディアは有り合わせの材料で帽子を作成する。一見すればキャスケット型帽子だが全身を包んでくれる。ベッロの虫籠と違い、3人まで入れる。

 包装もしていないのに、リーマスは帽子を受け取ってくれた。服と微妙に合っていないが良しとした。

 クリスマス・ランチのデザートは、巨大アイスカップで盛り上がった。

 デザートの時間を見計らい、マンダンガスはやってきた。彼は病院への移動に車を拝借してきたと自慢してきた。

「黙って、拝借することを盗みというのを知らんのか?」

 若干、ムーディはキレ気味に言い放った。

 かつて、幼いコンラッドをマルフォイ家から救出した武勇伝を持ちながら、マンダンガスを見直す気が全く起こらない。

 

 マンダンガスの運転で、クローディア、ハーマイオニー、ハリー、リーマス、シリウス、ムーディ。そして、ウィーズリー一家の大所帯で聖マンゴ魔法疾患傷害病院(略称・聖マンゴ病院)へ向かった。

 荒いがそれでも、マンダンガスの運転は巧い。

「昨日は地下鉄に乗れたのになあ」

「クリスマス当日は地下鉄運休なの。マグルの常識よ。覚えておいてね」

 窓の外を見ながら、ロンはぼんやり呟く。早速、ハーマイオニーの説明が入り、クローディアは新たな常識を知り吃驚した。

 到着したのは、寂れた店舗だ。

 壊れかけのマネキンが受付らしく皆、躊躇いなくショーウィンンド―に突っ込んでいく。駅の魔法と同じように、吸い込まれるように消えていった。

 マンダンガスだけ駐車の為に残った。

 ショーウィンドーの向こう側は、年期の入った病院のロビーそのものだ。

 校長室で目にした元校長ディリス=ダーウェントの肖像画もある。病棟案内や各階に責任の癒者と研修癒の立札まであった。何処も、クリスマスの装飾で彩られていた。

(なんか、病院にヒイラギがいっぱいあると鬼除けみたいさ)

 ここ数年、正月や節分、お雛様、子供の日を過ごしていない。国が違うのだから、当たり前だ。多忙な毎日は望郷の念を抱く暇もない。

 大部屋の病室に、アーサーと他の患者が昼食中だ。

「ご飯中に面会は良くないさ」

 トトが勤務していた病院では、患者の食事中は面会謝絶と決まっていた。

 これは、見舞客が知らずと持ち込んだ菌や埃が食事に混ざり、患者の口に入らぬ為の処置だと説明された。

 その習慣が身に付き、クローディアは遠慮する。ジョージも着いてきた。

「6階に喫茶室があるぜ。そこで飲み物を買おう」

 喫茶室は昼時でも4人しかいない。ネビルと祖母オーガスタ、セドリックとその母親だ。

「メリー・クリスマス」

 お互いに「メリー・クリスマス」と挨拶を交わした。オーガスタは神妙な顔つきで、クローディアへと迫り両手をそっと掴んだ。

「ドリスの事は……。よい癒者でした。この子の両親も彼女には、本当に手厚く看護してくれて」

 喫茶室とはいえ、ここは病院施設。お悔やみを言うのは憚られたのだ。

 クローディアは此処がドリスの勤務先だと強く意識した。しかし、勤務中の祖母を目にしていないせいか、実感はない。

「ええ、ネビルからご両親の話は聞いています。とても勇敢だと」

 涙を浮かべそうなオーガスタは、虚勢を張り力強く頷いた。

 カウンター席に座り、ジョージは紅茶を頼むと誰もいないのに勝手にテーブルへと出現した。そこにネビルとセドリックも寄ってきた。

 ジョージは少々、面倒そうに2人を眺める。

「こっちは親父の見舞いだ。そっちも誰か入院?」

「僕の職場見学だよ。順調よく卒業できれば、癒学生になれるんだ」

 卒業後の計画に向け、セドリックも準備していた。

 クローディアは視線でネビルに気を遣うが、彼は優しく微笑んだ。

「セドリックは僕の両親を知っているよ。2年前に、ここで偶然会ってね」

「あ、『死喰い人』が残した犠牲者って……」

 ワールドカップ後の新学期、セドリックはファッジを批判していた。それは『死喰い人』の犠牲者が未だに残っている現実を受け入れないと述べていた。

 ネビルの両親を知っていたからこその発言だ。

「なあ、何の話だよ」

 蚊帳の外にいるジョージが苛立った口調で言い放つ。唾を飲み込んだネビルは緊張し、それでも幾分か穏やかな口調で両親の話をした。段々とジョージは罪悪感で青ざめる。

「5階の『ヤヌス・シッキー病棟』、そこにいるんだ」

 話し終えた時、ビルやフレッドがやってきた。2人とも、ネビルとセドリックに「メリー・クリスマス」と挨拶を交わした。

「また、親父がお袋を怒らせちまったよ」

「飲み物買ってくるって、逃げてきた」

 適当な飲み物を買い、ネビル達に挨拶してから大部屋に戻る。何故か、セドリックの父エイモスとシリウスが無言で睨み合っていた。

 エイモスはクローディア達に気づいて乱暴な足取りで去った。

「何しに来たさ?」

「顔を見せに来てくれたんだよ。なんだかんだと、私を心配してくれているんだ」

「いたいけなハリーをよってたかって中傷して、何が心配よ」

 笑顔でアーサーが答え、モリーは鋭い目つきでエイモスの去った方向を睨んでいた。

「クローディア」

 リーマスは向かいの寝台にいる。毛布で全身を覆う男の傍に、手招きした。

「こちらはノーマン=ジャヴィーズ。私と同じ体質の人だ」

 リーマスに紹介され、ノーマンは無言でクローディアを見つめてくる。彼女の挨拶も、会釈のみだ。

「この帽子は、ノーマンにプレゼントするよ。私よりも彼が必要だ」

 先ほど、クローディアが急遽作成した帽子をノーマンに渡したい。彼女はリーマスに贈ったのだ。帽子の処遇も彼が決めればいい。

「その帽子がジャヴィーズさんの役に立ちますように」

 嘘偽りない本心で、クローディアはそれだけ言葉にした。不思議そうに瞬きしたノーマンは無言で会釈してから、リーマスの帽子を受け取った。

 帽子を繁々見つめ、ノーマンは躊躇うように口を開く。

「ウィーズリーには、たくさん見舞いが来る。昨日もブロデリック=ボートとかいう魔法省役人が来ていた」

 羨望の眼差しでノーマンはアーサーを眺めた。おそらく、人狼となった彼には誰も見舞いに訪れないのだろう。

「帽子、ありがとう」

 ぶっきらぼうに言い放ち、ノーマンは布団へ潜りこんだ。

 

 見舞いを終え、マンダンガスの運転で帰宅した。

 ハーマイオニー達が意気消沈していたので、ネビルとセドリックに会った話をした。

「私達、道に迷って『ヤヌス・シッキー病棟』に行っていたの。そこで、ロックハート先生にお会いしたわ。自分が誰なのか、何ひとつ覚えてなかったわ。でも、サインを書く練習はしてたみたい」

 まさかのロックハートに吃驚だ。記憶喪失は知るところだが、入院中とは予想外過ぎる。

「それでね、……ネビルのご両親、フランクさんとアリスさんをお見かけしたの。ほら、写真、見せてもらったでしょう? お2人がいる病室を見てしまって……、ハリーは『憂いの篩』で知ってたみたい。校長先生から、口止めされたんですって」

 慎重に言葉を選ぶハーマイオニーは、泣き顔になっていく。

「君も知っていたんだろ? DAでネビルから聞いたんじゃないか?」

 正直に肯定すれば、ロンは直に納得する。しかし、ハリーの目つきだけは怪訝そうにし細くなっていた。

 ハーマイオニーの涙を拭いに、4人は2階の洗面所へ行こうとした。

「よっしゃあああ!!」

 居間から発せられたシリウスの奇声に心臓が痙攣する程、驚かされる。一番に心配したハリーは彼の声を追う。

 シリウスは手紙を握りしめ、絨毯に膝を付いてガッツポーズしていた。大げさな彼に、リーマスはささやかな拍手を送っている。

「ハリー! 保護観察が解かれたぞ! 俺は本当に自由になったんだ! バグマン大臣の奴、クリスマスだから恩赦やるよ、とか!」

「やったね、おめでとう! シリウスおじさん!」

 我が事のようにハリーは喜び、シリウスを抱きしめた。ロンも祝福を込めて、彼にハイタッチする。

「任務だとかって、勝手にウロウロしてたよな?」

「言えてる」

 『姿現わし』で居間に着いたフレッドとジョージが茶々を入れても、シリウスは大はしゃぎで双子とハイタッチを交わす。双子はすぐに朗報をジニー達へ教えに『姿くらまし』した。

 その光景を見ながら、クローディアは独りごこちる。解放感に浸る今なら、シリウスはクリーチャーに温情を与えるかもしれないと考えた。

「クリーチャーは本当に解雇してあげられないさ?」

 水を差された気分で、シリウスの表情は強張る。ハリーに咎めらる寸前、続きを言い放つ。

「知り過ぎているというなら、『忘却術』で記憶を消すといいさ」

「そんな勝手に記憶を消すなんて、惨い事を!」

 ハーマイオニーから批難の目がクローディアに突き刺さった。確かに他人の記憶を弄るなど非道だ。しかし、何も知らずにいられれば、クリーチャーは自由となれる。

「クリーチャーに聞いてみるさ。不平不満を抱えてシリウスに尽くすか、全て忘れて新しい主人に尽くすか……。彼に決めさせて欲しいさ」

 罵詈雑言を受ける覚悟で、クローディアはシリウスを見据える。憤怒の形相で、彼は唇を震わせた。

 緊迫感に包まれ、誰も口を開かない。否、ハリーが場を制そうとした。身勝手な提案するクローディアを引き下がらせる為に、シリウスが怒鳴りだすのを防ぐ為にだ。

「クローディア! あのね……」

 しかし、ハリーはシリウスの手で制される。彼は腹から息を出すような音を吐き、大きく頷いた。

「わかった、クリーチャーの意見を尊重しよう」

「え? あ、はい」

 拒否されると思っていたので、クローディアから変な声が出る。ハーマイオニーは歓喜で叫ぶ。リーマスは安堵の息を吐き、ロンは嬉しそうに驚いた。

 ハリーは傷ついた表情でシリウスを眺めるが、彼の異変に誰も気づけずにいた。

「クリーチャーはどうせ、君の父親と一緒に厨房だろう。行こう」

 嫌な事はさっさと済ませたい。そんな態度でシリウスは小走りで歩く。慌てて、クローディアも彼に続いた。ハーマイオニー達も後に続く。

 居間に、ハリー独りは残っていた。

「どうして……、僕よりも……、クローディアばっかり……」

 悔しさで唇を強く噛む。口中に血の味が広がりさえ、煩わしかった。

 

 シリウスの予想通り、クリーチャーは厨房でコンラッドの傍だ。2人は夕食に向け、下地作りをしている。最近、クリーチャーは手を出さず味見係だ。

「クリーチャー、話がある。こっちに来い」

 ぶっきらぼうなシリウスの態度に、コンラッドは機械的に微笑む。ぞろぞろと現れた集団を一瞥する。

「今、クリーチャーに抜けられたら困るよ。ここで話して欲しいね。いいかな? クリーチャー」

「クリーチャーはブラック家にお仕えします。それがブラック家を貶める者でも、同じでございます。命令とあらば、従うしかございません」

 嫌そうに顔を歪めたクリーチャーはシリウスを見ず、陰鬱な声でコンラッドに答えた。

 苛立ちを隠さず、シリウスは乱暴に椅子へ座る。

「シリウス! クリーチャーに優しくしてちょうだい!」

 ハーマイオニーが彼の態度を咎め、各々、適当な席に座る。遅れて来たハリーも、シリウスの隣に腰かけた。

 深呼吸を繰り返し、シリウスは苛立ちを制御した。

「クリーチャー、おまえは俺に仕えたいか? それとも、ここを出て行きたいか? おまえの意見を聞きたい」

 思わず、コンラッドの手が止まる。質問の意味がわからず、クリーチャーは目を見開く。

 1分程の無言。

 堪えられず、シリウスは質問を繰り返した。

「もう一度、聞くぞ。俺に仕えたくないなら、俺はおまえを自由にする用意がある」

 怒鳴らぬように、シリウスは慎重にそれでいて丁寧な口調で、クリーチャーに語りかけた。彼の十二分の努力を見せる姿は、クローディアを感心させる。

 天井、床を何度も見渡したクリーチャーはコンラッドへと視線を移す。お伺いを立てているのだ。

「君の言葉をシリウス=ブラックに教えてあげて欲しい」

 普段と変わらず、コンラッドはクリーチャーを後押しする。もう一度、厨房全体を見渡してから声を出した。

「クリーチャーは、ここにおります。クリーチャーはレギュラス坊ちゃま……奥様からの最後の命令を……全うします」

「最後の命令? それは、何だ?」

 完全な作り笑顔でシリウスは追及し、クリーチャーはコンラッドを再び見つめる。

「レギュラスにとって、彼は家族ではない。君の知っている事を話しても、レギュラスの命令に背いていないよ」

 一瞬、クリーチャーは安心を見せていた。

 普段の苦渋に満ちた表情で、クリーチャーは語りだした。

 

 シリウスは15歳で家出した。その後、レギュラスは名実共にブラック家の後継とならんが為に16歳で『死喰い人』になった。それから1年後、ヴォルデモートから『屋敷しもべ妖精』の提供を命じられた。勿論、次期当主は主の命令を名誉として受け取り、クリーチャーを差し出した。

 ヴォルデモートに従い、事を終えれば帰還するように命じられた。

 それから、クリーチャーは海辺の洞穴に連れて行かれた。理由も何もなく、奥の洞窟にある黒い湖にまで、行かされた。小舟に乗り、中央らしき小島へ上陸した。

 島には薬で満たされた水盆があり、ヴォルデモートに飲むように命令された。一口飲むだけで、全身が恐怖で震え、臓物が焼ける苦しみに襲われた。痛みと恐怖で、場にいないレギュラスに助けを乞うた。しかし、ヴォルデモートは嗤うだけで、薬を飲ませ続けた。

 空になった水盆にロケットを落とした。そして、ロケットを隠す様に水盆は薬で一杯になった。

「ロケット?」

 嫌な予感がして、クローディアは思わず、呟く。私語にハーマイオニーが視線で咎める。

「それから闇の帝王は、クリーチャーを置いて、船で行ってしまいました。クリーチャーは水が欲しかった。クリーチャーは島の端まで這って行き、黒い湖の水を飲みました……すると、何人もの死人の手が水の中から……」

「……それは亡者だな。前の戦いでも、奴は亡者を従えさせていた」

 深刻そうにリーマスは呟く。

「それで、どうやって逃げた?」

 偽りなく、シリウスは真剣に問いかけた。

「レギュラス様がクリーチャーは帰って来いとおっしゃいました」

 帰還の命令。それだけがクリーチャーを動かし、その場から逃げ切った。

 全てを聞いたレギュラスは、屋敷に籠るように命じた。幾日か経ち、彼はクリーチャーと洞窟へ出発した。そこで、今度は彼が薬を飲むと言い出した。ロケットの偽物を渡し、水盆が空になったら取り換えるように命じた。

 クリーチャーは当時を思い出し、啜り泣く。

「それから、坊ちゃまはクリーチャーに、命令なさいました。独りで去れ、家に帰れ、奥様には決して、自分のした事を言うな。そして、ロケットを破壊せよ。最後に、コンラッド様がブラック家を訪れたなら、坊ちゃまと同等の存在として、仕えよ、……と。そして、坊ちゃまは……」

 皆まで言わずとも予想出来る。レギュラスは亡者に襲われて、死んだ。

「ああ、クリーチャー! なんて……」

 堪らず、ハーマイオニーは泣きだす。躊躇いながら、ロンは彼女の背を撫でて宥めた。クローディアは彼女を慰めるより、恐怖する点に気づいた。

「そのロケットは、どうしたんだ?」

 焦燥で声が上擦る。クローディアの質問に対し、クリーチャーは言葉を渋るように呻く。代わりにコンラッドが答えた。

「壊せなかったようだよ。祈沙に預けていたんだけど、逃げられてしまった」

 淡々とした口調は世間話のように聞こえる。しかし、それで安心できる程、誰も愚かではない。

「逃げられたとは、どういう意味だ? 大体、ヴォルデモートが隠したロケットを自分の妻に預けるだと!! それがどれだけ危険か、わからなかったのか!?」

 烈火の如く怒り、シリウスは椅子から立ち上がった。

「逃げたというのは、別に手足を生やしたわけじゃないよ。おそらく、この屋敷に出入りしていた誰かを誑かしたんだ」

 誰に対してかわからないがコンラッドは嗤う。ゾッと寒気のする笑い方だった。

 しかし他人を誑かすなど、ただの装飾品に出来る芸当ではない。トム=リドルの日記を知る者は、ロケットにもアレに匹敵する闇の魔術が籠められていたと想定し、背筋が凍る思いだ。

「そんな危険な物を何故、ダンブルドアかマッド‐アイに預けなかったかと言っているんだ! 馬鹿か貴様は!?」

「迂闊なのは認めるよ。クリーチャーも私に失望してしまっている。ロケットを壊すどころか、逃がしてしまったしね。本来の妖精としての力が十分に発揮できないくらいだよ」

 失態を認め、コンラッドはクリーチャーに詫びていた。

「コンラッド様に仕えるのは奥様の命令もあります。奥さまはレギュラス様がいなくなり、悲しみに暮れました。それなのに、クリーチャーは奥様に何があったのか、言えませんでした。奥さまはお亡くなりになる時、クリーチャーに命じられました。コンラッド様と再会できたなら、主として仕えよ、と。クリーチャーは待ちました。コンラッド様を待ちました」

 目に涙を浮かべ、クリーチャーは伏して泣き崩れる。コンラッドは妖精を膝に乗せ、禿げた頭を撫でた。

「もういい、もう十分だ!」

 これ以上の会話を拒むように、シリウスは机を叩く。不安げにハリーは彼の腕を撫でるように掴んだ。

 この場にハリーがいる事を思い出したようにシリウスは目元を手で覆う。

「クリーチャー、よく話してくれた。……すまなかった」

 まるで、懺悔だ。シリウスは本心から、クリーチャーへ謝罪していた。

 それは『屋敷しもべ妖精』の心に沁み渡って行く。クリーチャーの涙は止まり、驚愕で見開いていた。

 自分の言葉に羞恥心を感じ、シリウスは厨房から逃げる。必死にハリーは彼を追いかけた。ロンも追うとしたがリーマスに止められた。

「ここはハリーに任せよう」

 その意見にクローディアも賛成だ。2人は親子同然の関係である。本音をぶつけ合い、重荷を外せるだろう。

「クリーチャー、これで涙を拭くさ」

 魔法でハンカチを出し、クローディアはクリーチャーに渡す。クリーチャーは汚物を避けるように拒んだ。普段の態度を見せたので、安心する。

「お父さん、いつロケットがお母さんから逃げ出したか、わかるさ?」

「新学期の翌日だね。祈沙を空港に送ろうとした時、気づいたよ」

 料理を再開したコンラッドは、せっせと手を動かす。その横で、クリーチャーまで指を鳴らし、鍋を掻きまわしだした。

 

 泣き腫らしたハーマイオニーを落ち着かせる為、クローディアとロンは今度こそ、洗面所にいた。

「でも、君のお父さんに仕えさせたかったなら、どうしてシリウスの屋敷にいるんだろう? 自由にして貰えなかったのかな?」

「きっと、レギュラスの為さ。ブラック夫人にとってレギュラスは帰りが遅いだけで、死んでいると思いたくなかったさ。彼がいつ帰ってきてもいいように、クリーチャーを残して置きたかったさ」

 ロンの疑問にクローディアは、ブラック夫人のレギュラスへの愛を想う。憶測でしかないが、的外れでもないだろう。

 肖像画に聞けば、より詳しくわかるだろうが答えて貰えるとは思えない。ロンが試しに真相を尋ねたが、普段の金切り声を返されただけだ。

 

☈☈☈☈☈

 2人はシリウスの部屋だった場所にいる。家族部屋である上階は、まだ掃除を行えていない。故に室内は埃っぽい。それだけでなく、錆びた自転車が置かれ、水着女性のポスターが貼られていた。

「15歳の時、私は家を出た。その時のままだ」

 沈んだ声を吐き、シリウスは半壊した椅子に座る。疲労しきった顔つきで、顔を手で覆う。

「知らなかった……、ずっとレギュラスは怖気づいて殺されたんだと思っていた。それがヴォルデモートを出し抜く為に命をかけたなんて……」

 シリウスはブラック家の家訓、闇の魔法、純血主義を軽蔑し、嫌悪し、批難していた。家族で異質だった彼は自分の心に従った。

 従って、家を捨てた。

 捨てた家族が死に、没落したのは自業自得だと信じていた。その弟が身体の中のトゲとして、ヴォルデモートに仇なそうとした。

 突きつけられた真実に、シリウスは戸惑い、受け入れを躊躇う。

 その気持ちがハリーには十分、理解できる。

 母の血筋による保護魔法を承知で、ペチュニアはハリーを引き取った。それを知った時と同じ心情なのだ。

 髪を搔き毟るシリウスの頭をハリーは胸に抱いた。自分なら、こうして抱きしめて貰いたいからだ。

「僕達が何も知らなかったのは、僕達のせいじゃないよ。言われないと、わからないもの。何を考えているかなんて、分かりようがないよ」

 知らずと、シリウスを抱きしめる腕に力が入る。その力に応えるように彼は呻き声をあげた。それは初めて聞く、名づけ親の泣き声だ。

 ハリーの心も悲しくさせる泣き声だった。

 この声を聞きながら、クローディアを想う。否、恨む。彼女が発案したせいで、シリウスは泣いてしまった。彼女がいると平常心は保てない。

 逆恨みのような感情を制御すべく、ハリーは心を閉じた。

  

☈☈☈☈☈

 クリスマス・ディナーに大勢が集う。誰も彼も、コンラッドの手料理目当てだ。

 ジュリアまで現れ、ジョージの腕にしがみついていた。フレッドを身代わりにして、彼は人混みに逃げ込んだ。

「ルーピン先生、亡者ってどういうモノなの?」

 すっかり元気になったハーマイオニーは、リーマスへの質問に抜かりがない。

「こっちはクリーチャーの手料理だよ。ほら、この子がクリーチャーだ」

「ああ、美味い。流石はクリーチャーだ」

 ビーフシチューを貪るポドモアに、コンラッドが肩に乗せたクリーチャーを紹介した。その横で、ほろ酔い加減のシリウスがクリーチャーを褒めている。

 魔法で厨房を拡大しても、狭く感じてしまう人数が犇めき合う。学校で慣れたとはいえ、クローディアは気分が酔った。

 玄関ホールに立ち、新鮮な空気を求める。

「調停役なんぞ、くそ食らうじゃわい。やってられん!」

 いきなり入ってきたトトは携帯電話を床に叩きつけた。通常の携帯電話なら壊れただろうが、無傷で絨毯を転がった。というか、貴重な携帯電話を粗雑に扱わないで欲しい。

 待ち焦がれた再会だが、疲労困憊を超越した彼を見てクローディアは様々な感情が萎えた。

「お祖父ちゃん、メリー・クリスマス」

「おう、メリー・クリスマス」

 若干、キレ気味でトトは投げ捨てた携帯電話を拾う。ダンブルドアとスタニフラフまで入ってきた。2人とも「メリー・クリスマス」と挨拶を交わす。

「皆、厨房にいます。今夜はクリーチャーも手料理を振舞ってくれたんです」

「ほお、何かクリーチャーの心境を変える事があったのじゃな? 良い兆候じゃ」

 愉快そうに笑い、ダンブルドアは厨房へ下りて行く。

「スタニスラフはクリスマスを家族と過ごさないさ?」

「貴女と過ごせると思ったので、トトに着いてきました」

 歯の浮くような台詞を呼吸の如く、スタニスラフは言い放つ。正直に照れたクローディアは耳まで真っ赤になった。

「そんなお世辞はいらん! セオドール=ノットの件じゃろう。転校の手続きは順調じゃよ。『O・W・L試験』の結果を問わず、来年度は編入できるぞ」

「僕としては、そちらが建前だったのですが……」

 トトがぶっきらぼうに説明しても、スタニフラフは笑顔を崩さない。

「ワシは来織と話す。先に行け」

 上から目線の命令をスタニスラフは、やれやれと首を竦めて厨房に下りた。

 落ち着いて話す為、居間へと移動する。室内を見渡し、トトは指を鳴らす。音を切欠に、視界は一瞬にして、室内からプレストコンクリート橋の上へと変貌した。

 身体は移動していない。その確信がある。しかし、頬を撫でる冷たい風は本物と相違ない。外だとしても、この真冬に雪が積もらないなど変だ。それに寒さも感じない。

「おまえの誕生日から、今日までの出来事を全て話せ。来織の主観で構わん」

 誕生日、それはドリスとの死別した日。

 一瞬、躊躇った。躊躇いは、唇を噛む動作で表現してしまう。

 臓器の焦燥感を感じながら、クローディアは全て話した。『ホムンクルス』の部分は、皆に告白したせいか、動揺は少なかった。

 聞き終えたトトは瞑想し、瞑想のまま彼の口元が歪む。

「それで、おまえは自分が何者かを知り、境遇を知り、それでも逃げようと思わんかの?」

 不可解なモノを見る目で問いかけられた。否、問いかけではなく確認だ。

 思えば、ドリスも逃げたいなら、責めないと言った。逃げて良いと言いたかったのだろう。今はいない祖母の代わりに祖父へ伝える。

「私は逃げないさ。3年生の時と同じだ。ボニフェースも、ハリーも関係ない。私自身の為に決して逃げない」

 脳髄にチラついたのは、クィレルの姿だ。予言通りに、ハリーがヴォルデモートを倒しても、クィレルを追うと決めたのだ。奴との決着が終わるまで、絶対に逃げない。

 噴き出したように笑い、トトは満足そうに頷く。

「ふむ、やはり、おまえはシギスマントに一欠片も似ておらんな。ワシらが愛情を持って育てたのだから、当然かのお」

「そういえば、シギスマントはどういう人さ?」

 やっと、聞けた。イゴール=カルカロフに噂を聞いてから、事実確認したかった。そして、自分の根源である人間の性格を知りたかった。

「ん? 平凡な魔法使いじゃよ。いつも、平凡から脱せんと悩んでおったのお」

 魔法使いとして卓越したトトの師が、弟子から『平凡』と称されるなど意外だ。意外すぎて、驚いた。

「フラメル氏の弟子だったのに、平凡さ?」

「平凡だからこそ、天才の弟子となり、技術を磨こうとしたのじゃろうて。まあ、最終的に『ホムンクルス』も作れず仕舞いだったしのお。ニコラス殿から色々聞かせて貰ったが、元々、自分勝手がすぎたらしくてな。『生命の水』を持ち出された時は、ついに堪忍袋の緒が切れたそうで、破門じゃよ」

 フラメル氏がクローディアに関与したのは、シギスマントとの関係のせいだ。不意に彼の錬金術師は、ダンブルドアと交友関係だったと今更ながら思い出した。

「フラメル氏には『賢者の石』でも、校長先生に協力して貰ったさ。同じ魔法使い繋がりで、マーリン氏の助けは借りられないさ?」

 魔法使いと聞けば、まっ先に思い浮かぶのはアーサー王伝説のマーリンである。フラメル氏が近年まで存命だったなら、彼の魔法使いも現在、存在していてもおかしくない。

 それだけの意味で、何気なく口から零れた。

 途端、トトの気配が変わる。

 殺意よりも鋭く、今まで経験した事ない部類の恐怖。圧倒的な威圧感に、喉元が締め付けられる感覚に襲われた。堪え切れず、クローディアはその場に倒れこんだ。

「おまえ、マーリンに会ったのか?」

 普段の音程、口調、声色。それなのに、見知らぬ他人に話しかけられたような錯覚がする。

「喩え……話」

 痙攣する喉をから声を絞り出すと、威圧感は消えた。

「すまんすまん、早とちりしてしもうた」

 まだ痙攣の残るクローディアをトトは腕を引いて、起こした。

「じゃが、これだけは言わせてもらう。何があっても、マーリンと会おうとは思うな。アレは、ワシらには無価値の存在じゃ」

 クローディアの疑問を置き去りに、トトは話を無理やり変えた。

「そうそう、おまえ達が住んでいた家はな。ボニフェースの家だったんじゃよ。奴の母親が亡くなり、ドリスに相続されてのお。ヴォルデモートどもの配下には、決して発見出来ぬよう、ドリスの保護魔法の上に、ワシの結界を張っておった」

 だが、護りは破られた。ヴォルデモートは結界を上回る力で押し入ったのだ。脳髄に、戦慄が纏わりつく。

「来織、奴らがわしに勝っておったのではない。こればかりはドリスが悪い」

 責める口調で、トトは吐き捨てた。その責めに臓器が違う意味で締め付けられた。

「調べてわかったんじゃが、ドリスめ、ワシの結界を切っておった。事故か故意かは知らんが、ドリスの手では結界が繋げれん。奴らが突破したのは、ドリスの保護魔法だけじゃ。ワシのではない」

 自らを弁解するトトの言葉は、胃をひっくり返すような衝撃を次々と与えた。

 命をかけてくれたドリスへの罵倒に、堪えられない。

「お祖母ちゃんを悪く言うな! 何の連絡もしなかったくせに! 私達が家に残されて、どれだけ不安だったか、考えもしなかっただろう! あいつらに立ち向かったお祖母ちゃんがどんな気持ちだったか、あんたにわかるのか!」

 我慢できず、思いつく限り言葉を叫んだ。

「お祖父ちゃんがヴォルデモートより、強いっていうなら! あんたが倒してくれればいいだろう! そうすれば、ハリーだって、予言なんてものから解放されるのに!」

 強い視線を感じ、口を噤んだ。反論を見せないトトの目から、感情が抜け落ちていた。

「あ、ごめん……」

 失言と失態を恥じ、クローディアは取り繕うとした。

 瞬間、周囲の光景が室内へと戻った。トトは眉ひとつ動かしていない。元々、彼は魔法に動作などいらぬのだろう。

 クローディアの言葉を待たず、トトは居間を出た。そのまま玄関へと向かい屋敷から出て行った。

 この事態に焦り、クローディアは厨房に下りてダンブルドアへ伝えた。勿論、失言の事も踏まえて報告した。

「構わぬよ。老人はのお、自分の失態を認めたがらんものじゃ。トトが何も言わんかったのは、君を傷つけたと思ったからじゃろう」

 気休めにしか、聞こえなかった。

「心配しなくても、お義父さん独りで闇の帝王に突貫しやしないよ」

 コンラッドのせいで、余計な心配が増えた。

 トトの安否に一晩中、右往左往するしていた。結局、彼とは年が明けても会う事はなかった。

 




閲覧ありがとうございました。
 イギリスはクリスマスに地下鉄が運休するのか、本当にビックリです。
 シリウスは法的に自由の身となりました。ガッツポーズで喜ぶシリウス。
 クリーチャーが屋敷に残されていた理由を考えたら、レギュラスの為だと思い当りました。
 ロケットは逃げました!残念!
●ノーマン=ジャヴィーズ
 原作五巻にて、入院中。名前は適当に付けました。
●マーリン
 魔法使いを語るなら、知る人は知る先人。原作の性格はわかりませんが、私の中では油断できない老人。



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16.修羅場

閲覧ありがとうございます。
100話になりました!

追記:16年5月15日、誤字報告により修正入りました


 グリモールド・プレイスの屋敷での休暇は、瞬く間に過ぎた。

 シリウスとクリーチャーは劇的でないにしろ、変化はあった。その証拠に、彼はクリーチャーに細かい事まで礼を述べるようになった。妖精も無愛想は変わらないが、ブツブツと小言はなくなった。

 ハリーは蛇の目を通した為、2度『閉心術』の講義を受けた。1度目は年末にスネイプ。2度目は正月にダンブルドア自ら相手した。

 スネイプの時は、シリウスが任務を放置してまで同席しようとした。

「このスニベルス! 課外授業を名目にハリーを苛めようとしても、そうはいかんぞ!」

「過保護の親馬鹿、セブルスの邪魔をするな」

 コンラッドからシャイニングウィザードの一撃を貰い、シリウスは追い出された。騒いだコンラッドも同様に、スネイプから追い出しを食らった。

 ダンブルドアの折にはクローディア達は『伸び耳』で盗み聞きしようとしたが、モリーに見つかった。

「みっともない真似をする暇があったら、宿題なさい!」

「「既に終わっています」」

 金切り声を上げて、モリーは怒鳴る。クローディアとハーマイオニーは余裕綽綽に答えた。

「油断大敵!!」

 今度はムーディに叱られた。しかも、『開心術』を用いて『閉心術』の難しさを教えられた。

 クローディアは一度、体験したせいか、ムーディからの術を防いだ。

「ほお、クロックフォードは『閉心術士』の素養があるぞ。良い良い、そのまま精進せよ」

 ちなみにハーマイオニー、ロン、フレッド、ジョージは『開心術』で忘れていたトラウマを掘り起こされて気分を沈ませていた。魔法をかけられる前に逃げ去ったジニーは賢明だ。

「何事だね?」

 無事に退院したアーサーは異常に暗い雰囲気の子供達を心底、心配した。

 ハリーとロン、ジニーも色んな人に勉強を見て貰いながら、宿題をすませた。フレッドとジョージは宿題の話題を上手く交わしながら、いそいそと悪戯道具製作に励んだ。

 

 

 明日、『夜の騎士バス』に乗車してホグワーツに帰る。

 荷造りの最中、ジュリアは皆の洗濯物を届けに来てくれた。

「あら? それ何?」

 広げた教科書やノート、丁寧に並べた中にあるメモ用紙をジュリアは指差した。

「ハリーの家の電話番号さ。私と電話番号を交換しているさ」

 物凄い上機嫌にジュリアは、微笑んだ。見た事ない笑顔に引き攣ってしまう。

「なんだあ、貴女達、電話交換する程、仲良しなんじゃない。知らないかもしれないけど、男女でそれをするのは、とっても良い仲ってことよ。私ね、ジョージが別れ話してくるのって貴女が原因なんじゃないかなって疑っちゃたわ。ゴメンなさいね?」

 期待に胸を躍らせてくるジュリアは、クローディアの反応を確認していた。

「ハリーとは仲の良い友達さ」

 一瞬の躊躇いもなく、即答した。返答に納得しきれない表情で、ジュリアは洗濯物を投げつけてきた。

「ジュリア。新学期の翌日、本部に居た人とかわかるさ? 来てすぐ帰った人でもいいさ」

 散らばった洗濯物を拾いながら、クローディアはジュリアに問う。

「ん~? 私は、勿論、いたわ。モリーおばさまを手伝う為にね。マンダンガス=フレッチャーもうろうろしてたし、背の高い黒人の……シャックルボルト? って人もいたかなあ。それがどうしたの?」

「クリーチャーに寂しい思いをさせていないか、知りたかっただけさ」

 ジュリアを適当にあしらい、思案に暮れる。ロケットを盗んだ犯人、一番の容疑者はマンダンガスだ。それはコンラッドも簡単に思い付ける。しかも、ジュリアの知らない団員もいるだろう。

 この場、この瞬間、推理するには難しい。出来る問題ならば、ハーマイオニーがとっくに解いている。

「嘘でしょう!」

 唐突にハーマイオニーが新聞の四面記事を見て叫ぶ。それはマグルの英国新聞で、記事は【『ノスタルジア・ホール』老朽化により、解体決定】であった。

「ハーマイオニーのお気に入りさ?」

「ここはベンジャミン=アロンダイトが最初に演奏した会場よ。それに以前、展覧会もやったわ。ジュリア、この会場が無くなっちゃうの?」

「ええ、持ち主は私のお祖父様だけど、もう維持費もかかるから解体して駐車場にするんですって」

 心底、残念そうなハーマイオニーと違い、ジュリアは達観していた。

 

 

 翌朝、シリウスは朝食の席にてハリーに奇妙な包みを渡す。皆、包みに注目した。

「これは『両面鏡』だ。どうしても、私と話したくなったら使いなさい。一応、マグゴナガルにも鏡を渡す話はしてあるから、あの先生にも使わせてあげてくれ」

 自信満々に説明するシリウスの後ろで、モリーが羨ましそうな顔で見ていた。

 いざ出発の時間。防寒対策で全員、完全防備した格好になった。

「ハリー、また私が襲われないように蛇を見張ってくれ」

 感謝を込めたアーサーの発言をハーマイオニーは不謹慎だと怒っていた。コンラッドとシリウスが護衛になり、ぞろぞろと屋敷を出る。厚着をしているにも関わらず、肌に冷気が叩きつけられた。

「私が呼ぶわ」

「君達が杖を出すのは本当に危なくなった時だけにしておけ」

 ハーマイオニーの挙手はシリウスに却下された。代わりにコンラッドの右腕を上げる。

 瞬く間に、3階建てのバスが派手な音と共に現れた。明るい紫色の色は白銀の街並みでよく目立つ。だが自分達以外、誰一人見向きもしない。

 これが魔法使い・魔女の為の乗物、『夜の騎士バス』だ。

「ようこそ、夜の騎士バスへ。私はスタン……」

 古そうな紫制服を着た細身の青年が乗車口から、顔を出した。堂々とメモを読み上げる彼をシリウスは遮る。

「やあご苦労さん。さあ皆、乗った、乗った」

 椅子や簡易寝台が適当に配置されたバスなど、初めてみた。そもそも、三階建てバスが初めてだ。心を躍らせながら、クローディア達は空いた席へと散らばって座る。

「彼はスタン=シャンクスよ。私の時も車掌をしていたわ」

「本当に何でも知ってるな」

 ハーマイオニーをロンはからかうように笑う。そのスタンはハリーに釘付けだ。

「いやー、アリーだ」

 よく通る声をシリウスが黙らせても、ハリーに気づいたのは他の乗客も同じだ。コソコソと盗み見ていた。

「無駄口はいいから、出発しろ」

 全員分の料金とチップを渡し、シリウスは命じた。各々が適当な席に座ったのを見計らい、スタンは運転席に声をかける。

 途端に乗車口は閉まる。閉まったと思った瞬間、大音響と共にバス全体が激しく揺れた。

 まるで箱の中に入れられ、振り回されているような体験だ。

「今日の運転、気が荒いさ?」

「いいや、普段通りの運転だよ。だからこそ緊急お助けバスでね。箒よりは速い」

 揺れに慣れた様子のコンラッドは、余裕を持って【ザ・クィブラー】を読み耽っていた。

 

 車酔いという単語は生温い、そんな気分で目的地ホグワーツ城門前に到着した。門の向こうでは、ハグリッドとファングが待つ。

 コンラッドが全員分の荷物を下ろし、シリウスは皆が降りるのを1人1人、確認していく。

 確認しているのは他の乗客、運転手も同じだ。ハグリッドの鋭い視線で彼らはさっと隠れた。

「では、私とこいつはここまでだ。良い新学期を」

 コンラッドの機械的な笑みは、クローディアと別れの握手を交わそうとした。

「勿論ですよ、お父さん」

 何故か、ジョージがその手を強く握った。呆気に取られたクローディアは手のやり場に困る。しかし、彼女の手はシリウスが受け取ってくれた。

「元気でな」

 緊張した声で告げ、シリウスはすぐに手を離した。そして、すぐに他の皆とも別れの握手を交わす。車酔いに負けたロンは真っ青な顔色のまま挨拶する。

 ハリーとだけ、シリウスは抱擁の挨拶を交わした。クローディア達が敷地内に入り、『夜の騎士バス』は空間に埋め込まれるような動きで消えた。

「皆、無事だなあ。よく休めたか?」

 ハグリッドに挨拶し、彼が雪掻きしてくれた道を歩く。ファングは好意的にぐるぐる回りながら走る。

「おめえさん達がいねえ間に、ちぃと変化があった。トレローニー先生が解雇されちまった。アンブリッジめが、ついにやりやがった」

 ロンが複雑そうに「うへえ!」と声を上げた。

「それじゃあ『占い学』はどうなるの?」

 ジニーは厳しい声で、授業の心配をした。

「心配ねえ、校長先生がフィレンツェを抜擢した。そのせいで仲間のケンタウルスから追放されちまったがな」

 色々と驚いたが、脳内で情報を整理する。フィレンツェは閉鎖的なケンタウルスにしては、ダンブルドア、またはハリーに協力的だ。緊迫する事態を見過ごせず、森から出てきてくれたのだ。

 しかし、困った疑問も残る。

「ケンタウルスの言い回しは、理解しにくいって前に言わなかったさ? シニストラ先生に質問した時、彼らの言い分を本気にするなって言われたさ」

「トレローニーだって僕らには理解しにくいし、どっこいどっこいだ」

 やれやれとロンは肩を竦め、ハリーは噴き出して笑った。

「そうそう。そんで、おめえさん達に会わせたい奴がおるんだ。俺の家に寄ってくれ」

 そのままゾロゾロとハグリッドの小屋に連れて行かれる。彼が暖炉に火を入れ、室内が暖かくなる。暑くなったので皆、上着を脱いだ。

 ベッロがヤカンを温め、紅茶を用意する。その間、ハグリッドは奥の棚に置いてあった虫籠を机に置いた。ベッロの虫籠によく似ている。

「チャーリーに渡しとったもんだ。去年、返してもらっていたんだが、おめえさんに返すのを忘れちまってた」

 クローディアが最初に覗いてみる。

 

 ――何かが、寝ていた。

 

 ほとんど半裸で腰元に布を巻いた人がいた。一目見ただけで、男と判断出来る。否、柔らかそうな肩幅、頬の曲線は少年のような印象も受ける。

「この人は誰さ?」

「こいつは、俺の弟だ」

 躊躇うような紹介の仕方は皆、驚く。押し合うように虫籠を覗きこんだ。

「まさか、ハグリッド! なんて、ことだ! 巨人をここに閉じ込めるだなんて!」

 ロンが悲鳴を上げた。悲鳴の意味はわかる。ハグリッドの弟、つまり、ここにいるのは巨人だ。まず、彼が巨人である事実にフレッド、ジョージ、ジニーは絶句した。

 絶句したが、3人は意外にすんなり受け入れてくれた。ホムンクルスのクローディア、人狼のルーピン等の人外と関わりを持っている為に精神的免疫が強いのだろう。

「閉じ込めてねえ、ここが気に入っているんだ。寝る時は特にな。俺とは腹違いの弟だ。名前はグロウプだ。こいつは英語が喋れねえが多分、そう言っとる。お袋はこいつにも優しくなかった。実際、グロウプは他の奴に比べるとちいせえんだ」

 他を知らぬので、同意も出来ない。

「ずっと、ここにいるの?」

「いんにゃ、天気の良い日はバックビークと森で遊ばせたり、俺が英語を教えちょる」

「「バックビークが食べられちゃうぜ!」」

 意気揚揚とフレッド、ジョージはからかった。

「最後まで聞け。校長先生やブランク先生も手伝ってくれてな。巨人を人間の大きさにする魔法をかけてくれるんじゃ。それで、俺やバックビークとも思いっきり遊べる」

 ハーマイオニーの質問をハグリッドは上機嫌に答える。

「お母さんが巨人だよね、元気だった?」

「あ~、ずっと前に亡くなったらしい」

 特に気にした様子もなく、ハグリッドは事実だけ述べる。ハーマイオニーとジニーは哀惜に顔を歪める。

「気にすんなあ。俺あ、お袋にあんま良い思い出はねえ」

 虫籠を眺めていたクローディアは、不意に思い付く。

「人間のお父さんと巨人のお母さんが夫婦になるって、小さくなる魔法のおかげさ?」

「おう、そうだ。親父がお袋に魔法をかけたといっとった。巨人との戦いが起こる前は、そう珍しくもなかったと校長先生もおっしゃってくれたぞ」

 ダンブルドアに対する敬意で、ハグリッドは優しく目を細める。

「アンブリッジには気づかれてないわよね?」

「勿論、バレてねえよ。だが、グロウプをきちんと教育できたら皆にお披露目だあ。もう少し英語が喋れれば、ブランク先生も成績上位の生徒と会わせてえと言ってくれた」

 我が事のように自慢するが、それはグロウプが教材扱いにされているに他ならない。ハグリッドを傷つけないように、それとなく説明しても彼は浮かれて聞き入れなかった。

 

 玄関ホールの全校掲示板に『占い学』に関する告知が貼られていた。

「トレローニー先生は、これまで通り塔にお住まいです? 質問のある生徒は遠慮なく訪問されたし……か」

 ダンブルドアに伴われ、廊下を闊歩するフィレンツェを見やる。金髪を流す彼に女子生徒の見惚れた視線が熱い。クローディアには彼が良い上腕二頭筋を持っているという感想しか持てなかった。

 寮の談話室でも、女子の話題はフィレンツェだ。次の『ホグズミード村』がバレンタインデーと重なるので彼を誘えないかと話していた。

 その集団の中で、チョウを見かけた。彼女を見ていると、ジュリアと被った。

「チョウ、ちょっといいさ?」

 自然にチョウを談話室の外へと連れ出した。談話室と違い、寒い。

「本題に入るけど、ハリーのことさ」

 チョウはあからさまに嫌そうな顔をして、顔を背ける。

「マリエッタと同じ事を言うつもり? 私が誰と付き合おうと関係ないじゃない」

「その前にセドリックとのことをキチンと清算するさ。それをしないでハリーと恋人になろうなんて、考えるな」

 目を丸くするチョウの額に人差し指を突き付け、クローディアは睨まない程度に見据えた。

「これはチョウの為さ。本当に誰が好きなのかはチョウしか知らないさ。だから、負担が少ないほうを選ぶさ」

 無遠慮ともいえる忠告は、チョウの心に届いていた。彼女からセドリックへの罪悪感を見てとれる。

 何も言わず、チョウはドアノッカーの問いかけに答えて談話室へ飛び込んだ。この御節介で、彼女と溝が出来てしまう不安はあった。

 だが、必死にジュリアとケジメをつけようとしているジョージを見て、あっさりと次へ行くチョウに腹も立っていた。

 螺旋階段をリサとセシルが下りてきた。

「久しぶり。今、着いたさ?」

「いいえ、トレローニー先生にご挨拶してましたの」

「16年も自分の家だった! アンブリッジのいるこんな場所にいたくない! とか、支離滅裂な事を言っていた。行くところあるんですか? って聞いたら、泣かれた」

 やれやれと、セシルは肩を竦める。

 トレローニーはヴォルデモートに関する『予言』を2度も告げている。故に、ダンブルドアも無碍に扱わず、塔への入居を継続させているのだろう。寧ろ、感謝すべきだ。否、涙がある意味、感謝の現れなのかもしれない。

 確かめる気は、ない。

 

 アンブリッジの訪問は休暇前と同じ、週3に戻った。彼女がいない間、バグマンは勝手な採決をいくつも行った為だ。シリウスの件もそのひとつである。

 うかうか魔法省を抜けられないのだろうと、クララはアンブリッジを嘲笑した。

 

 

 新学期から一週間もせぬ内におぞましい報道がなされた。アズカバンから集団脱獄が起こったのだ。男12人、女1人の13人もだ。脱獄にはクラウチJrの手引きが憶測として挙がった。

 【日刊予言者新聞】には、脱獄囚の犯罪歴が掲載され、誰もが一字一句、読み耽る。

 ドロホフ、ルックウッド、レストレンジ、グラップ、ゴイル……ペティグリューまでいた。

「あいつ便乗して脱走したさ!?」

「『死喰い人』の仲間に入れてもらえるとでも思っているのかしらね?」

 軽蔑したパドマは写真のペティグリューを杖先で突く。写真なのに彼は杖を避けようと枠内を逃げ回った。

「まあ、ネビルのご両親に、スーザンの親戚まで……」

 犠牲者の紹介までされ、その面子の一覧にリサは衝撃を受けていた。身内に該当者がいる生徒は好奇心や憐みの視線を向けられ、スーザンは精神的に参っていた。

 しかし、ネビルは平然とし、どんな視線も物ともしていなかった。ハーマイオニー達は、彼の両親と出会った事を決して口にしなかった。

 

 集団脱走に、ハリーは予想以上の憤慨を見せていた。何故なら、何の予兆もなかったからだ。『閉心術』を習得している証拠だと、ハーマイオニーとロンは説得した。しかし、彼はヴォルデモートの動きを知る手段がなくなり、逆に後手に回ってしまうのではと思い詰め出した。

 DAの折、皆が集まる前にクローディアもハリーを宥めた。

「ハリー、情報欲しさでヴォルデモートに心を許したら、元も子もないさ」

「スネイプが僕に『閉心術』を教えるなんて、ヴォルデモートの情報を僕に流させない心づもりなんじゃないの? あいつは、『死喰い人』だ! 僕の頭をめちゃくちゃにして、嘲笑いただけなんだ! ヴォルデモートに身体を奪われるかもしれないっていうけど、ボニフェースが守ってくれている!」

 憤りを抑えられないハリーは、クローディアに喰ってかかった。

「ハリー! ボニフェースを当てにしちゃだめよ。それこそ、ヴォル、デ、モートと共感してしまうわ。貴方はボニフェースと友達じゃないのよ! ずっと前に亡くなったんだから!」

 慄いたハーマイオニーの叫んだ後、コリン達が現れたので話は無理やり中断させられた。

「今日の課題はクローディアに任せるよ」

 気が治まらないハリーに御鉢を回され、クローディアは全員の視線を受けた。期待に満ちた眼差しは違う意味で緊張する。

 自分の足元を見て、自由自在に動く影を意識する。『動物もどき』を教えても、あれは成功に年単位を要する。故に、普段から思っていた疑問のようなものを口にする。

「魔法の基本は相手から目を逸らさない事だけど、意識するだけで使えるようになれないさ? 例えば、私の後ろにハリーがいるから、彼を見ずに魔法をかけられないかなって思うさ」

 突拍子もない疑問のような案を口走る。基本の基本を根本から覆している自覚はある。しかし、『呼び寄せ呪文』など、視界にないモノにも魔法はかけられる。

 背後に敵が迫っても、気配を感じとれる相手に魔法がかけられば十分な防衛だ。

「そんな馬鹿な話はないわ」

 ダフネがせせら笑う。ルーナはじっと壁にある鏡を眺めていた。その様子を見るとはなしに見ていたアンジェリーナは閃いて、声を上げる。

「見えない相手には無理でも、鏡に映った相手なら、魔法をかけられるかもしれない」

 これも突拍子がなかった。しかし、まだ現実味を帯びていた。

 早速、2人一組で鏡に向かい、後ろにいる相手に『失神呪文』をかける訓練が行われた。傍から見れば、間抜けに見える姿だが、中々に難しく、クローディア、ハーマイオニー、セドリック、ハリーと実践できた者は少ない。

 少なくても、成功者がいる。これにより全員、俄然やる気になった。気合いが入っているのは訓練方法もあるが、『死喰い人』の脱走も原因のひとつだろう。

 特にネビルの成長は目を見張る。30分もせず、彼は鏡に映ったシェーマスへの『失神呪文』を成功させた。

 セオドールもブレーズに失神まで至れずとも、魔法は命中していた。

「これなら、俺も部屋でこっそりできるな」

 解散の時間になり、セオドールとセシルは急いで部屋を後にした。『2人の時間』に間に合わせる為だ。

 ハリーもクローディア達から逃げるように出て行った。逃げた彼には、ベッロの見張りを決定した。

 フレッドとジョージは残った面子へ新作商品『首なし帽子』の宣伝を行う。リーが実験体になり、羽飾りの帽子を被る。途端に、帽子と首が消えた。女子は悲鳴を上げ、男子は興味深そうに笑う。リーから帽子をとれば、元に戻った。

 クレメンスがひとつ2ガリオンで購入していった。

「他にはどんなモノがあるんだ?」

 セドリックやアーミー、テリー、マイケル、アンソニー、ジャスティン等の男子に急かされ、フレッドとジョージは喜んで新たな販売リストを配った。

「あれは『透明呪文』の延長よ。難しい魔法にえ」

 首なしに驚かされたエロイーズは、まだ心臓が速く脈打っていた。

 

 アンブリッジの新しい告知も出た。今度は教職員に担当教科以外の情報を生徒に与えてはならぬという法令だった。

 これを逆手にとったリーは7年生の『闇の魔術への防衛術』を見学に来たアンブリッジに、新たな法令では尋問官との会話さえ成立しないと指摘した。

「何の担当でもない尋問官殿は、尋問する権利さえありません!」

 自信満々に言い放ったリーに、何人かがこっそり拍手を送る。彼としては真剣にアンブリッジを馬鹿にしたつもりだった。結果、その場で尋問官に連行された。

 ダートは一切、庇わなかった。

 リーの手に、罰則の痕を見つけたハリーはマートラップのエキスを教えてあげた。

 

 フィレンツェによる『占い学』は、大変面白みがあると評判になった。

「やめずに続けて良かったですわ」

 頬を紅く染めたリサは『占い学』を心底、楽しむようになった。

「見て、先生の髪よ。人間より丈夫」

 セシルはケンタウルスの存在に興奮していた。

 ハーマイオニーはパーバティやラベンダーから色々と上から目線で、嫌味を言われたらしい。

「私、馬はそんなに好きじゃないのよ」

 『占い学』に未練のないハーマイオニーの適当な言い訳がクローディアには可愛らしく思えた。

 

 

 新学期最初のクィディッチ、レイブンクロー対スリザリン戦はまさかの敗北だ。それでも、20点差という僅差が救いだ。それというのも、ドラコ達が耳元で「減点」「減点」を囁いて妨害したとロジャーは訴えた。スネイプは勿論、アンブリッジに庇われてスリザリンの勝利は覆らなかった。

 

 月末、『姿現わし』練習コースの告知が貼り出され、6年生は安堵した。普段より告知が遅かったので、講義そのものが中止になったのではと心配する声もあったところだ。

 チョウ、ミム、マリエッタも参加者として記入していた。

 

 

 2月14日、『ホグズミード村』への外出は抑圧された学校生活からの僅かな解放感を与える。

 早めに大広間へ行こうとすれば、ユニフォームに着替えたジニーやアンジェリーナ、アリシア、ケイティと出くわした。

「折角の外出日に練習なの?」

 マンディが遠慮なく言い放ち、アンジェリーナから一睨みされる。

「今月のハッフルパフ戦に備えてるのよ。勝利の為に止む無しね」

 ジニーは堂々と言い放ち、彼女達は競技場へと向かった。

「休む時は休まないといけないのよ」

 憐れむような視線で、サリーはジニー達を見送る。

「いや、ハッフルパフに敗けたおまえこそ、もっと必死に練習しろよ」

 アンソニーのツッコミに、サリーは鋭い睨みを返した。

「クローディア! デートしようぜ」

 二重扉の前、元気溌剌のジョージにクローディアは呼び止められた。パドマとパーバティが嬉しそうに小さく黄色い声を上げ、ジャスティンは口笛を吹く。

 呆気に取られたクローディアに、ジョージは耳打ちした。

「(ジュリアがやっと別れてくれたんだ。今すぐ付き合ってとか言わないから、頑張った俺にご褒美くれ)」

 すぐには信じられない。ジュリアの執拗な態度を知る故に決してジョージを離さないはずだ。しかし、解放感に満ち足りた彼を再び、悩ませたくない。

「わかったさ、今日はジョージに付き合うさ」

 クローディアの了解をジョージは万歳してまで喜んだ。

「クローディア、お昼頃『ホッグズ・ヘッド』に行きましょう。ハリーとルーナも一緒よ」

 ハーマイオニーが空気も読まず、誘ってきた。思わず、クローディアとジョージは硬直してしまう。

 遠巻きに見ていたミムやマリエッタ、シーサーまで白けた目でハーマイオニーを眺める。その視線に気づき、彼女は野次馬を振り返る。

「何? そんな空気を読まない馬鹿を見る目は?」

 気を取り直したジョージが咳払いし、自然な笑顔を見せる。

「クローディアは俺が責任持って、連れて行くからな」

 その言葉だけでハーマイオニーは察した。

「勿論、ジョージも一緒でいいわ。それじゃあ……後でね」

 縁談の付添人のような笑みを見せ、ハーマイオニーはそそくさと去って行った。完全にジョージとの仲を応援され、胸中に複雑な思いを巡らせた。

 

 簡単に朝食を終わらせ、クローディアは急いで寮に戻る。今日の服は適当な厚着をしただけなのでデートに向かない。

 休日の惰眠を貪っていたリサを起こし、服装の確認をして貰う。寝起きで機嫌が悪い彼女も、ジョージとデートだと教えれば喜んで協力してくれた。

 ストッキングにデニムを履き、タートルネックを大きめのアウターで覆う。髪は首元で団子にし、耳には赤い石のイヤリングだ。

「これ、一昨年のクリスマスパーティで使った化粧です。ファンデと色つきリップをして、はい上出来です」

 リサからOKを貰い、感謝して玄関ホールに急いだ。

 『隻眼の魔女象』に持たれかかり、ジョージはいた。一度も見た覚えのないお洒落な格好だ。彼の見目に合せた自然な服装で、普段より大人びて見えた。

 超特急で着替えてきたクローディアの姿は、ジョージを喜ばせた。

 フィルチによる荷物チェックを受ける列に並び、2人の手は触れそうで触れない距離にあった。自然と肌が触れても避けないが、手を握るという行為にまで至らない。

「おい」

 若干、震えた声が背後からかけられた。見ずとも判断出来る相手だが、列に並んでいるので無視もできない。仕方なくドラコを振り返る。

 取り巻きグラップ、ゴイル、そして、セオドールを連れていた。セオドールは他の2人同様、小馬鹿にするような笑みを見せていた。

「何故、ウィーズリーの片割れといるんだ? 仲良しの『穢れた血』はどうした?」

 ハーマイオニーへの侮辱を耳にした瞬間、影でドラコの頭を叩く。突然の痛みに、彼は一瞬だけ怪訝した。

「私達はデートさ。それ以外、何も答えないさ」

 その証拠を見せ付ける為、クローディアはジョージの手を握った。逞しい手の感触は、心臓の脈を早めるのに十分な温度も持っていた。

「ド貧乏のウィーズリーとだと!? 堕ちるところまで堕ちたな。クロックフォード。少なくとも、ディビーズは純血の家系で僕より劣るがそれなりの財はあったぞ」

 本気で軽蔑した目つきに、いつもの笑みはない。

 寧ろ、ロジャーの家が裕福など初耳だ。

「ほら次だ。さっさと来い」

 フィルチに呼ばれ、クローディアとジョージは荷物チェックを終えた。後ろにいるドラコ達を撒く為に馬車道を小走りで突き進む。先にいたパドマとジャスティンも追い抜いた。

 

 無事にホグズミードへ着き、2人は深呼吸する。疲労はではなく、いよいよデート開始という緊張感によるものだ。

「ちくしょー、俺も試合でてえ! セドリックめ、俺はチームワークに向かないとか、酷くない?」

「いや、その通りじゃん」

 ザカリアスに絡まれたアーミーは、辛辣に返す。

「ねえ、デレク。私と一緒に『三本の箒』でお昼食べない?」

「それ、ペロプスにも言ってたよね? 断られたの知っているから」

 ロメルダの誘いをデレクは愛想笑いで断る。

 そんな人々を通りすぎ、クローディアは異常を感じる。否、村の様子が普段通りすぎる。理由はすぐに知れた。手配書の貼られた掲示板にはアズカバン脱走者への賞金が1000ガリオンもかけられている。それなのに吸魂鬼が1人もいない。

 休暇前にはクラウチJr捜索の為に2人はいた。

「どうして、吸魂鬼はいなくなったさ?」

「親父が手紙をくれたよ。あいつらは魔法省に従わなくなっているってな。バグマンだからじゃない。あいつら自身が『例のあの人』に与しようと考えているのかもな」

 深刻な声で、ジョージも辺りを見回した。

 そうこうしていると、足は自然とマダム・パディフットの店に着いていた。小さくてもお洒落な喫茶店は、女子の間では恋人との憩いの場として知られる。

 試験や試合や、死地とも違う緊張感が耳の後ろまで痙攣させる。ジョージの手を更に握り、クローディアは覚悟を決めて入店する。

 金色のキューピッドがテーブルの数だけ浮かび、着席したカップルに向けてピンクの花吹雪を振りかける。ロックハートのバレンタインを彷彿とさせる飾り付けだった。勿論、彼と違い、店内の雰囲気と調和できている。

 テーブルは窓際のひとつしか残っておらず、傍にはロジャーとデメルサ、セドリックとチョウ、パドマとジャスティンと顔見知りの恋人達がいる。

(ついに、シーサーと同じだけ歳の離れた女子にまで……)

 ロジャーのプレイボーイっぷりに呆れながら、2人はテーブルに腰かけた。ロジャーはクローディアに気づいても、一瞥すらしない。

 豊満な女性であるマダム・パディフットが注文を取りにきたので、無難なコーヒーしか浮かばない。話題を探し、脳内の記憶を検索した。

「あ、あのさ。ジョージはどうして、私を好きになったのか、聞いてもいいさ?」

 口にしてから、不躾な質問だったと後悔してしまう。ジョージはただ、穏やかに笑い返す。

「覚えてないかもしれねえけど、3年前の今日、ロックハートが馬鹿みたいなバレンタインしたろ? その時、君は言ってくれた。俺と恋人になれたら、嬉しいって……」

 懐かしむジョージに悪いが、全く記憶にない。強張った笑顔になっても、彼の穏やかさはより強くなる。

「俺、多分、その言葉でノックアウトされちまっていたんだ。気づいたのは、どこぞのディービーズのせいだけどな」

 多分、ロジャーに間違いない。その彼は隣でデメルサと熱いキスを交わしていた。

「クローディアの覚悟が決まったら教えてくれ。その時は君の心をノックアウトさせてやるから」

 告白を受ける覚悟の事だ。ジュリアと清算してくれれば、告白を受けると約束した。その時を回想して、体が芯まで熱くなる。

「あ、え、ジョージ……!?」

 視界の隅にある違和感に窓を見やる。曇り硝子の向こうで、ジュリアだとわかる人が張り付いていた。ジョージも驚いて声にならない悲鳴を上げた。

 向こうから見えていないはずだが、ジュリアらしき影は正面へ移動して、乱暴に扉を開けた。靡く赤い髪は、彼女の怒りに呼応しているように錯覚してしまう。それ程、憤りが伝わってくる。

 他の恋人達も、ジュリアの登場に目を見張る。

「お客様、ただいま満席ですの。出直してらして」

 マダム・パディフットの制しを無視して、ジュリアの手はクローディアを掴んで連れ出す。修羅場を予感し、店内を巻きこまない為に黙って従った。ジョージはお代を置いて、すぐに着いてきた。

 誰もが修羅場に興味津々の視線を送ってきた。

 今日は何処に行っても人が大勢いる。しかし、『叫びの屋敷』付近には誰もいない。立ち入り禁止の限界区域まで来てしまった。

「この泥棒猫! 大嘘つき!」

 怒り狂ったジュリアの平手が飛んできたので、簡単に避ける。

「止まりなさいよ、卑怯者! そうやって私を見下して! 何もかも奪っていくのね!」

「何にも奪ってないさ」

 掴みかかってくるジュリアの手や足を難なく避け、段々と心が冷静になって行く。ジョージと別れたフリをして、彼の新しい相手を確認しに来たのだ。

「やめろ、ジュリア! 俺とおまえは終わったんだ! クローディアの事がなくても、俺はおまえを愛してない! いい加減、気づいてくれ!」

 ジョージの腹の底から響く怒声に、ジュリアは絶望の表情で動きをとめた。

「嘘よ、嘘、私に悪いところがないのに、どうしてそんなこと言うの!?」

 自らの顔を引っ掻いてまで、ジュリアはジョージに縋ろうとしたが、彼は振り払う。

「クローディアが俺を選ばなくても、俺はおまえを選ばない」

 毅然とした宣言はジュリアに涙さえ流させない程、衝撃を与えた。喘ぎ声だけ上げ、彼女は転がるように走り去った。ジョージは決して追わない。

 それをクローディアは黙って見送る。折角の親族とこれで完全な亀裂を生んでしまった。そもそも、男女の諍いを穏便に済ませるには3人とも経験も浅く、若過ぎた。

〔若さゆえの過ちってやつさ〕

 日本語で呟き、その言葉の重みをより深く理解した。

 

 2人は無言のまま、『ホッグズ・ヘッド』を目指す。白けたのではなく、適切な言葉がお互い浮かばなかった。特にジョージは相手を気遣う性格だ。ジュリアに吐いた暴言を後悔しているだろう。

 2度目の来店だが、やはり不衛生な店である。前回より、ホグワーツの生徒が大勢いた。それを迷惑そうにバーテンは睨んでいた。千客万来を喜ばない接客業はいかがなものかと、疑問した。

 この鋭い眼光のバーテンが校長の弟などと、今でも信じられない。

「クローディア! こっちよ」

 客の多さで見えにくいが、ハーマイオニーの声に導かれる。暖炉脇のテーブルに彼女はいた。ハリーとルーナ、カメラを構えたコリン、身なりが汚れたスキーターまで一緒だ。

 記者の存在に、ジョージは遠慮なく顔を歪めた。

「やっぱりジョージも一緒ね。もっと、ゆっくり来てもよかったのよ」

 ハーマイオニーの笑顔が眩しい。ハリーはクローディアから顔を背き、隣テーブルの毛むくじゃらの男の毛先を眺めていた。その毛むくじゃらが、セオドールだと察した。

「これはこれは一世を風靡したスキーター女史。最近、めっきり記事を拝見しておりませんでしたので、てっきり引退なさったと喜んでおりました」

 厭味ったらしく、ジョージはスキーターに挨拶する。彼女は余裕を持ち、ファイア・ウィスキーを呷った。

「もしかしなくて、ハリーをインタビューさせるつもりさ? コリンは写真で、ルーナのお父さんの雑誌に?」

 ハリー、ルーナ、スキーターを順番に見つめてから、ハーマイオニーに確認する。

「うん、今朝、ハーマイオニーに誘われたんだもン。パパも喜ぶよ」

 カクテル・オニオンに串を刺し、ルーナは答えた。ハリーも右に同じと、答えた。

「名誉ある仕事を引き受けました!」

 カメラを掲げ、コリンは上機嫌で快活に笑う。初耳と言わんばかりにスキーターはもう一度、ファイア・ウィスキーを呷る。

「あたくしなんかの手を借りなくとも、新聞にはハリーのとんでもない記事が載っていたざんすよ」

 その目には悔しさが滲み出ていた。当然だ。ハリーを追いかけていたはずなのに、ベッロ達に邪魔をされた揚句、ハーマイオニーに捕獲され、記事を書けば未登録の『動物もどき』とバラすと脅されたのだ。

 それを公開されれば、スキーターは記事にされる側へ早変わりだ。同情や憐みなど、浮かばない。

「スキーター女史の手に比べれば可愛いものですよ。貴女なら、もっと凄惨極まる記事になり、ハリーはより追い詰められていたでしょう」

 ジョージの辛辣な称賛をスキーターは無視した。

「それでハリー? あたくしなんぞより、やわらかな記事を読んで、どんな気持ち? ファッジ殺害容疑までかけられて、ダンブルドアはどんな風に慰めたの?」

「もうインタビューを始められるんですか? でしたら、ご自慢の自動速記羽根ペンをどうぞ」

 抑揚のない声でハリーは確認していた。感情を殺したような口調だった。『閉心術』の成果が顕れているだと、クローディアは感心する。

 しかし、スキーターは好奇心に満ちた純粋な眼差しをハリーへ向けてきた。

「本当に? あたくしのインタビューに答えて下さると? 『例のあの人』が戻った事も、ファッジ大臣の暗殺も?」

「ええそうよ。貴女の記事はこちらのルーナ=ラブグッドの父親が編集している【ザ・クィブラー】に載ります」

 ハーマイオニーの強い口調に、スキーターはわざとらしく噴き出した。

「は? あのボロ雑誌? あたくしの記事をあんなイカレた雑誌に載せるなんて!」

 今までと違い、声に迫力があった。高圧的な態度で、こちらを責め立てる。しかし、コリンも含め、誰も怯まない。

「パパの雑誌は、どんなに笑われても大衆に伝えたい記事を載せるんだもン。人の顔色窺いをする【日刊予言者新聞】はヘボ! パパはそう思ってるよ」

 父親を我が事のように誇り、ルーナはカクテル・オニオンを一気飲みした。煩わしそうにスキーターは、彼女を蔑んだ。

「あんな雑誌に載ったって、誰が信じるもんかい! あたくしに記事の内容を任せてくれるなら、新聞も協力的ざんすよ。ねえ、ハリー?」

 声色がコロコロ変わるスキーターが滑稽に思えて鼻で笑ってしまう。

「スキーターさん、【ザ・クィブラー】は流行の最先端にあります。ヴォルデモートの復活を信じる人は、確実に読んでいますよ。ああ、私に言われなくても、スキーターさん程のパパラッチなら勿論、ご存じでしょうけどね」

 作り笑顔で声を穏やかに、礼儀正しくクローディアは挑発する。ヴォルデモートの名に、こっそり盗み聞きしていた周囲はビクッと肩を痙攣させた。

 スキーターは、初めてクローディアに気づいたような目つきで凝視した。

「思い出したざんす。お嬢さん、【ザ・クィブラー】に載せるなら、あたくしのインタビューに答えると言って下ったね!」

 完全に忘れていたが、記憶が刺激されて思い返す。あれはスキーターを交わす為の方便だった。

「ええ、いいですよ。ただし、一語でも私の言葉と違っていれば、……そんな自己満足、修正します」

 【週刊魔女】に掲載された記事。その時の憤りが蘇り、知らずと拳を鳴らしてクローディアは吐き捨てる。

 ハーマイオニーとルーナ、コリンは表情を輝かせたが、ハリーとジョージは表情が強張っていた。

「正気か、この婆の名声を上げる手伝いをするなんて!」

「あたくし、婆などと呼ばれる歳じゃございません!」

 慌てふためいたジョージに、烈火の如くスキーターは反論した。

「いいんだね?」

 怪訝そうに眉を寄せ、ハリーは確認する。勿論、クローディアは是とした。

「それで、あたくしへの支払いはおいくらかしら?」

「パパは寄稿者に支払いなんか、してないと思うよ。だから、本当に記事にして欲しい人しか、パパに頼まないんだもン」

 無報酬。スキーターの口元が痙攣し、ハーマイオニーを睨んだ。

「そんなにお金に困っているんですか?」

 素朴な疑問をコリンが口にすると、ジョージが噴き出して笑う。侮辱されたと思い、スキーターは耳まで真っ赤に染まった。

「スキーター女史、『例のあの人』が蘇った。これを魔法省が全面的に認めた時、今日、独占インタビューした貴女は何処からも引っ張りダコだ。違いますかね?」

 語尾だけ、ジョージは真摯に問うた。彼の言わんとする事を察したスキーターは、渋々、納得した。

 

 そこから、スキーターの執拗なインタビューは始まった。大まかな事から、事細かい部分まで、詳細に聞かれた。ヴォルデモート復活の晩、ファッジ殺害の現場はハリーは身を切るような思いで語った。

 クローディアも自宅が襲撃された出来事を語った。ドリスを置いて逃げる瞬間を思い返し、辛さで何度も、言葉に詰まる。その度にジョージが手を握ってくれた。

「貴方、お名前なんだったかしら?」

 最後にスキーターが興味津々にジョージへ質問した。ハーマイオニーは「プライバシーの侵害」と一蹴した。

「いろんな投稿が多くて、パパもいっぱいいっぱいだから、ハリーの分は次の号になると思うなあ」

 漠然とした言い方で、ルーナはうわ言のように教えてくれた。普段通りの彼女は安心させてくれる。ただ気がかり事が一点ある。

「(ノットの父親について、教えて良かったさ?)」

「(ご心配なく、彼の許可はとってあるわ)」

 ハーマイオニーは店内を見渡すフリをして、毛むくじゃら男を一瞥した。

 帰り道は、皆が気を効かしてジョージと2人だけになる。行きとは違い、帰りはゆっくりと歩く。

「さっきは手をありがとうさ。その……元気出たさ」

「……素直なクローディアも悪くないな」

 2人の話題はグリフィンドールの特訓に変わった。互いの関係はジュリアの存在が尾を引いて進まないだろう。せめて、今、一緒に歩いている時間だけは誰にも邪魔されたくなかった。

 

 寮に帰り、パドマやリサにジョージとのデートを問い詰められた。ジュリアに関して、簡潔に話して終わる。代わりに、【ザ・クィブラー】に投稿する話を聞かせた。

「まあ! すぐに予約してくるわ!」

「貴女の言葉が活字になるなんて、素晴らしいですわ」

 2人は我が事のように喜んでくれた。これで、より多くの人々が【ザ・クィブラー】を読むだろう。ただでさえ、多忙なラブグッド氏を更なる労働を課す事態を招くに違いない。

 クローディアはラブグッド氏に胸中で詫びた。

 




閲覧ありがとうございました。
クロウブの台詞ない登場です。
巨人を小さくする魔法があるのかわかりませんが、あると思っています!
デートシーンって難しいです。
あと、窓に貼りつく人って男女問わずに怖い……。
●スタン=シャンクス
 車掌。ハリーをアリーと呼んだり、訛りが強い。


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17.ザ・クィブラー

閲覧ありがとうございます。
評価者が60名を越えました。ありがとうございます(土下座)
ハリー視点から始まります。

追記:16年5月17日、17年3月10日、18年1月8日、誤字報告により修正入りました


 クィディッチ・グリフィンドール対ハッフルパフ戦。僅か10点差で敗北した。

 ハリーの目から見ても、真剣に全力を出して戦った結果だ。アンドリューとジャックもフレッド、ジョージの代行として見事なプレーを見せてくれた。ジニーは擦れ擦れでペロプスからス二ッチを掴んだ。

 仮に問題点を上げるなら、ゴールを守れぬロンのキーパーとしての実力不足だ。しかし、彼を責める気にはなれない。何故なら、彼自身が敗因を理解している。

 スリザリン生から『ウィーズリーは我が王者』という歌も、ロンの心を滅多打ちにした。

「ロンの奴、大丈夫かなあ? 責任感強いから、自暴自棄にならんといいけど」

「下手な慰めは、ロンを傷つけるしさ。黙って見守っておくさ」

 クローディアとジョージは、自然に寄り添うような距離で会話していた。デートをしてから、2人の距離は確実に縮まっていると、ハリーは気づく。

 ハリーといえば、チョウとはキスを交わしたというのに、それだけだった。彼女はセドリックと別れず、恋人のままだ。

 『必要の部屋』でのキスは、クリスマスのご褒美だったと思う事にした。そうしなければ、胸がチクチクと痛むからだ。

「あの2人、信じられないくらいプラトニックよ。キスもまだなの」

 ハーマイオニーは驚愕していた。

 プラトニックであろうとも、クローディアが男子と交際する事を快く思えなかった。憤りや妬みではなく、寂しいという感情に近かった。ハリーに何の相談もなかったから、疎外感を覚えたと言ってもいい。

 ジニーがマイケルと交際していると聞いた時は、何の感情も湧かなかった。反対も祝福もなかった気がする。ロンだけ「僕の妹だぞ!」と騒いでいた。

 ともかく、クローディアは恋人は作らない。そんな勝手な思い込みを持っていた。

(そうか、僕は……ガッカリしている?)

 所詮、彼女も女子である。クローディアとジョージが微笑み、肩を手が触れ合うのを照れる姿に、ハリーは勝手な失望感を抱いていた。

 

 月曜日、朝食の席にて【ザ・クィブラー】は届けられた。表紙は、気恥しそうなハリーの写真がにやりと笑っている。

【ハリー=ポッターついに語る】

 ハリーとクローディアがスキーターに語った一字一句、間違いなく正確に記載されていた。彼女の写真も二面で載り、毅然とした態度で訴えかけていた。

 愛読者の方々から、ハリーへのファンレターも一緒だ。レイブンクロー席を盗み見ると、クローディアにも数羽のフクロウが群がる。パドマやリサ、ルーナ達が開封を手伝っていた。

 ロンやハーマイオニー、フレッドは開封を手伝い、肯定否定・可もなく不可もなくを選別していく。

 この騒ぎを見逃すアンブリッジではない。事態を知り、ハリーとクローディアから【ザ・クィブラー】を没収した。

「こんな嘘を吐くなんて、私は貴方達を甘やかしていたようですね。今日から……」

 憤慨したアンブリッジが言い終える前に、一羽のフクロウが後頭部を直撃する。そのフクロウはパーシーのヘルメスだ。痛みに唇を震わせながら、尋問官は手紙を乱暴に開く。悲鳴を飲み込み、手紙を破り捨てた。

 そして、2冊の【ザ・クィブラー】を抱えて、アンブリッジは紫の顔色で大広間を去って行った。

「ハリー、少し良いかの?」

 アンブリッジが去った後、ひょいっとダンブルドアは声をかけてきた。

 全校生徒の注目を浴びても、断る理由など、あるはずもない。一時限目の『魔法史』を欠席する覚悟で、校長室に出向いた。

 

 変わらず、貴重な魔法の品に囲まれた部屋。そこに見知らぬ魔法使いがいた。獅子のたてがみに似た髪形で、顔は傷だらけだ。それでも、ムーディよりは浅い傷だと判断できる。

 傍には、神妙な態度でダートが控えている。

「ハリー。この方は、ルーファス=スクリムジョールじゃ。『闇払い局』の局長と言えば、わかりやすかろうて」

 ダンブルドアの声に、愛想がない。迷惑な客人と印象付ける口調に、ハリーは少し戸惑うが態度には出さなかった。これも『閉心術』の効果かと、ぼんやりと考える。

「初めまして、ハリー=ポッター。ようやく、会えた事を嬉しく思う」

 鷹揚な態度で、スクリムジョールは握手を求めた。ダートのような仕掛けを警戒して、ゆっくり手を掴む。彼は感心して頷く。

「その通り、紹介されたからといって初対面の私を信じ切ってはならない。よく、教育されている。さて、私がここに来たのは『例のあの人』の復活について、君の証言を聞く為だ。今日まで、バグマン大臣から許可を得ようとしたが、妨害が多くてね」

 何故だが、スクリムジョールはダンブルドアを一瞥した。

「まさに突撃じゃな」

「ハリー=ポッター、私は【ザ・クィブラー】を読んだ」

 ダンブルドアの皮肉を無視し、スクリムジョールは懐から最新号の【ザ・クィブラー】を取り出す。まさかの読者に、ハリーは変な声を上げてしまう。

「これだけの内容を言葉にするには、相当な勇気を必要とするだろう。もう一度、この場で説明しろなどと言わぬ。ただ、この内容に嘘偽りなく、確実に君の言葉だと誓って欲しい」

 自らの確信を得る為、そんな強い自尊心を感じ取れる。しかし、対談を望むなら、ダンブルドアは椅子を用意するはずだ。この場には校長の席以外、椅子はない。長話をさせるつもりがないのだ。

 ハリーは腕輪とダートを交互に見てから、スクリムジョールを見上げた。

「貴方達は、僕にこんな物を付けた。僕から直接、言う事はひとつもありません」

 無礼な態度でも、ダンブルドアは咎めない。

 憤りとは違う静かな感情が声に表れる。拷問の腕輪を見せつけても、スクリムジョールは眉ひとつとして動じない。

「言い訳はすまい。その腕輪は、私の指示でもある。君を助ける為だと言っても、納得せんだろう。ただ、君の全面的に支持するだけが味方の形ではない。それだけは、わかって欲しい」

 【ザ・クィブラー】を懐にしまい、スクリムジョールはダートを連れて行こうとした。

「クローディアにも同じ質問をするのですか?」

 問いかけに、スクリムジョールは足を止める。ダートもそれに倣う。

「クローディア=クロックフォードは、『死喰い人』の娘だ。そんな人間を『闇払い局』では、決して支持せん」

 かつて、【週刊魔女】に記載されたスキーターの記事だ。それさえもスクリムジョールは確認している事に衝撃を受けた。しかし、真実を知るハリーは毅然として反論した。

「コンラッドさんは、ヴォルデモートの下僕なんかじゃない。あの人は、ドリスさんと一緒にずっと戦っていました」

「母親を殺されたなら、娘の為に『例のあの人』に与する。これは珍しい事ではない」

 駄々をこねる子供を諭す口調で、スクリムジョールは吐き捨てた。この局長とは、真に分かりあえない。そんな確信を感じ、ハリーは『否』と答えた。

 これ以上は、お互いの意見を論じ合うだけになる。そう察したスクリムジョールは、今度こそ、ダートと共に校長室を後にした。

 緊張の糸が切れ、脱力したハリーは近くの棚に手を置く。静観していたダンブルドアは、魔法でカボチャジュースを用意してくれた。『呼び寄せ呪文』の類に思える。

「校長先生、すみません。先生の立場を悪くしました」

「気にする必要はない。元々、スクリムジョールとはあまり意見が合わぬ。あやつは、いきなりやってきて、君に会わせろと言うてな。断れば、授業妨害をしてでもハリーと会おうとしたじゃろう。困らせて、すまぬ」

 詫びるダンブルドアを慌てて否定した。おそらく、スクリムジョールは何度もハリーに面会を求めてきたが、校長は盾となって防いでくれたのだ。

 ダンブルドアの気遣いに感謝し、『魔法史』の授業へと出席した。

「うむ、ダンブルドアから話を聞いておる。さあ、ミスタ・ポッティ。席に着きたまえ」

 堂々とハリーの名を言い間違え、ビンズは朗読を続けた。幽霊教授の目を盗み、ロンとハーマイオニーに校長室でのやりとりを聞かせた。

 ロンはスクリムジョールの登場に、興奮して叫びそうになる。それをハーマイオニーが小声で「シレンシオ(黙れ)」と黙らせる。

「(アンブリッジのあの様子も納得だわ。スクリムジョール局長と貴方を会わせたくなかったか、引き留められなかったバグマン大臣を怒っていたのね)」

 スクリムジョールがホグワーツを訪問する。その情報を得たパーシーは上司のアンブリッジに急いで連絡したのだろう。

 今頃、アンブリッジは城を出ようとしているスクリムジョールと口論しているかもしれない。その想像をしただけで、少し小気味良かった。

 

 『魔法薬学』の時間、朝食での騒動から興味津々の視線がハリーに突き刺さった。普段は『閉心術』で、冷静を保つ。しかし、自分の企みが成功した達成感で気分が良い。

 セオドールも普段は、お互い素知らぬ振りをするが、今だけは目で健闘を讃え合った。

「人の作業を嗤うとは、随分と余裕ですな。ミスタ・ポッター、グリフィンドール5点減点」

 皮肉っぽく口元を曲げるスネイプに少し腹が立つ。勿論、セオドールは何の注意もなく、調合を続けた。

 

 昼休みになり、ハリーとロンは記事についてハグリッドと話したくなり、彼の小屋に行こうとした。

「家にいないかもしれないわ、まずはヘドウィックかピッグウィジョンに手紙を送らせてみて」

 提案したハーマイオニーは、クローディアの様子を見に大広間へ行ってしまう。

 確かに、クローディアへのファンレターの内容は気になる。急いで合流する為、フクロウ小屋を目指す。廊下の壁や柱にアンブリッジの告知があちこちに貼り出されていた。

「雑誌ひとつで退学処分なんて、やりすぎだ。おい、わざとマルフォイに持たせてやろうぜ」

 せせら笑っていたロンは、フィルチに捕まった。

「尋問官殿のご命令で、くだらん雑誌を持った生徒がいないか検閲だ! 監督生のおまえも巡回に着いてこい」

 恨めしそうな目でハリーを見つめ、ロンはフィルチに嫌々着いて行った。

 フクロウ小屋に着き、急いでヘドウィックにハグリッドへの手紙を持たせた。帰ろうとしたその時、ドラコとパンジーに鉢合わせた。取り巻きを連れず、お互い、一瞬、身構える。

 しかし、定期購読者ではない2人が早々に【ザ・クィブラー】を読むはずがない。まだ、情報を得ていないと踏んだ。

「ポッター、【ザ・クィブラー】を持ってないだろうな? さあローブの中を見せろ」

 威嚇するように歯を見せ、ドラコは杖を取り出す。それより先に複数のフクロウが彼へと体当たりしてきた。

「ああ! まただわ!」

 手紙を押しつけるようなフクロウ達にパンジーは苛立ちながら、ビスケットを与える。受け取った手紙は、全て彼女がポケットに突っ込んでいく。意識してみれば、2人のポケットはパンパンに膨らんでいた。

 疑問する前に、遅れてやってきたフクロウが赤い封筒をドラコの頭に落として行った。

 『吠えメール』だと察し、咄嗟にハリーは耳を塞ぐ。慌てたパンジーは、ポケットに入れようとした。しかし、苦渋の選択と言わんばかりに唇を噛んだドラコは、ハリーを一瞥してから、乱暴に開封した。

《人殺しの息子め、純血の恥さらし! 父親を説得しろ!》

 聞いた事もない恐ろしい声の爆発。その内容に驚愕し、思わず呻き声が出てしまう。自らを食い破った『吠えメール』の残骸をドラコは、『消失呪文』で消し去った。

「用がないなら、さっさと行け!」

 決してのハリーの顔を見ず、ドラコは吐き捨てた。呼び止めたのは、そちらだという事を棚に上げられたが無視して去ろうとした。

「満足? ドラコがこんな目に遭って、満足なの?」

 親の仇を見るような目つきで、パンジーは低く呻く。その目には涙が溢れていた。

「やめろ、パンジー。監督生にもなれない奴は放っておけ」

 煩わしそうに、ドラコはパンジーを止める。しかし、彼女は勝手に涙声で喚きだした。

「ドラコは、夏から、ずっと、こんな、酷い、手紙を……、なのに、今日は、もっと酷い、貴方達の仕業?」

 夏。死別、裁判、真実、ハリーが怒涛の日々を過ごしたように、ドラコもそれなりの出来事があったようだ。今まで気付かなかったのは、決して大げさにせず、自分達で処理していたのだろう。

 決して、同情も憐憫も湧かない。

 全く反応しないハリーの無表情に、パンジーは物怖じして下がる。我慢の限界だと、ドラコは彼女の手を引いて、小屋へと走り去った。

 

 夕食の時間、ハグリッドから返事が来た。明日の晩、夕食に招待してくれる約束だ。

 偶々、隣にいたジニーに手紙を見せる。

「出来れば、ルーナも連れて行ってあげてね。コリンにも、良い写真撮って貰えたし♪」

 確かに、ジニーの言うとおりだ。ハグリッドに承諾と2人も連れて行く旨を綴り、フクロウへ持たせた。

 ロンとハーマイオニーは、夕食前の監督生巡回だ。寮で伝えるとして、離れた席にいたコリンに声をかけた。彼は喜びの声を発しかけたが、アンブリッジの目を気にして押さえた。

「クローディアも一緒なんですね、僕は遠慮します」

「どうして? 喧嘩でもしたの?」

 誘っていないが、デニスの予想外すぎる反応に吃驚した。

「いえ、僕、バスケが得意なんですけど、クリスマス前にダンクシュートを披露してから、彼女に「先生」呼ばわりされちゃって……」

「え、デニス。ダンクシュートができるの? 凄いんだけど!」

 二度目の衝撃に、ハリーのほうが声をあげそうになる。コーマックを始めとした何人かが、注目してきたので平静を装う。

 足元にいたベッロが廊下へ向かうので、それに着いていく。大広間の声が届かなくなる玄関ホールまで来てしまった。

「どこへ行くの?」

[また、見つけた。ここは、よく置かれるから何度も見に来る]

 掲示板を見上げ、ベッロは溜め息を吐く。そこにはアンブリッジの告知の他に、いくつか貼り紙があるだけだ。ベッロの首の角度を観察すれば、掲示板より更に上の天井だ。

 靴が吊るされていた。

 ピーブズの悪戯と思い、ハリーは『浮遊の呪文』で靴を回収する。

「誰の物かわかる?」

 ベッロに問うと、顎で玄関ホールの外を指された。

「あ、ハリーだ」

「こんばんは、ハリー=ポッター。しっかり、食事を済ませたかな?」

 ルーナとフィレンツェが雪まみれで現れた。彼女は靴を見るなり、喜んで指差した。

「あたしの靴、見つけてくれたんだ」

 ルーナの靴だとは知らなかったが、彼女に渡す。

「もう大丈夫のようだね、私は部屋に帰ろう。ハリー=ポッター、ルーナ=ラブグッド。また私の授業で会おう」

 蹄の音が廊下に響き、フィレンツェは大広間とは反対方向の廊下沿いへと歩いて行った。

「アンブリッジがいる時、先生は事務所で食事するんだもン」

 夢見心地の口調で語りながら、ルーナは靴を履いた。アンブリッジが半人間嫌いなのは、皆、承知している。おそらく、余計な諍いを生まない為にフィレンツェは気を遣っているのだ。

 それよりも、強い疑問が浮かぶ。

「どうして、靴が天井にぶら下がっていたの?」

「皆が持って行って隠しちゃうんだ。靴だけじゃなくて、『占い学』の教科書も隠されてたから、フィレンツェ先生と外に探しに行ってた」

 ルーナの手にある教科書は、水に濡れて汚れされている。

 彼女の身に起こっている事態、これにはハリーも経験がある。それを思い返せば、背筋が熱く、胃の中へ異物が入り込む感覚。

「どうして、皆、君の物を隠すの?」

 吐き気を抑え、ハリーは質問する。それに、ルーナは慣れたような仕草で肩を竦める。

「……あたしがちょっと変だって思っているみたい。実際ね、あたしを『ルーニー(変人)』って呼ぶ人もいるもんね」

 脳髄を横切るのは、レイブンクローにいるクローディア達だ。

「クローディアが……君を変人呼ばわりして、君の物を隠しているの?」

 押し殺したような声に、ルーナは驚愕に目を見開く。

「違うよ、あたしの物を隠す皆だよ。クローディアはそんな事しないもン! 見つけてくれる! ベッロも、最近はピーブズまで、あたしの物を見つけたら、持ってきてくれるだもン!」

 両手をバタバタさせ、ルーナは必死にクローディアを庇う。その姿がとても痛々しく思えた。

「でも、友達の君がこんな目に合っているのに、クローディアは助けようともしてないんだろ?」

 何故だが、感情が次々と湧き起る。クローディアを批判、批難したい。それだけの為に、口が動いていると自覚する。

「助けてくれたよ。1年生の時、男子に絡まれたのを助けてくれたもン! それにね、ここまで酷くなったのは4年生になってからなんだ。ペネロピー=クリアウォーターが卒業しちゃって、発言力のある人がいなくなったんだ。こればっかりは仕方ないかな」

 結局、今、クローディアはルーナを守ってもいないし、庇ってもいない。

「どんな理由でも、君の持ち物が隠されていいはずがない。クローディアに言うよ、彼女には君を守る責任が……」

 言いかけた時、ルーナの雰囲気は変化した。夢から覚め、現実を見据える目つきで凝視してきた。

「言わないで」

 淡々として、迫力のある口調。これまでのルーナの印象を大きく覆した。

「あたし、わかるんだ。クローディアがいたから、淋しくないんだって。彼女と知り合えなかったら、ずっとずっと、友達もいなくて淋しくて厳しいままだったんだって」

 確信より断言に近い。何故だが、ハリーの胸を締め付ける。

「……ジニーは、クローディアがいなくても君と友達だし、僕だって君とは友達だ」

 負け惜しみではなく、本心だ。一見、奇妙な行動をとるルーナは、接してみればユーモアのある独特の感性を持った愉快な子だ。

 クローディアがおらずとも、ジニーは勿論、ネビルとも自然と友達になれるに違いないのだ。

「そうだね、ジニーは偏見なくて、あたしと友達になってくれたと思うよ。クローディアのお陰で、それが早まったんだもン。すごく、嬉しい」

 雰囲気を崩さず、ルーナは微笑んだ。

「あたし、クローディアに守られたんじゃない。対等でありたいんだ」

「対等?」

 正直、ハリーには友達との違いはないように思える。

「うん、対等の関係。その為に、あたしの物を隠す皆とは、あたしが決着をつけるんだもン。だから絶対、クローディアに言わないで」

 念押ししたルーナに、ハリーは約束出来ない。

(皆、クローディアの味方をするんだ。彼女は、僕の……僕の為に産まれたようなものなのに……)

 閉じていた心が隙間から溢れようとしている。暗い廊下を進んだ先にある『神秘部』の扉が開き、奥へ進めた。そこには水晶の釣鐘が見える。更に奥の扉も開けそうだ。

 言葉の浮かばないハリーの顔をルーナは覗きこんできた。彼女は、普段の浮付いた口調で、疑問を言葉にした。

「ハリーは、クローディアと出会って後悔している?」

 全身の筋肉が痙攣するような衝撃を受けた。ただの質問とは、受け止めきれない。

 扉は遠のき、消え去った。

 

 ――そこからの記憶は、酷く曖昧だ。

 

 否、記憶は鮮明に思い出せる。しかし、現実感がなかった。まるで、ドラゴンを相手にした時のようだ。時間が速く進んでいる。

 ルーナとはそのまま別れた。談話室で、ロンやハーマイオニーとハグリッドの約束を伝えた。就寝時間の真夜中、『両面鏡』でシリウスに【ザ・クィブラー】について語った。名づけ親に褒められた事さえ、他人ごとのように過ぎた。

 『両面鏡』を布で覆い、息を吐く。

 後は眠るだけだ。そう考えた時、時間の感覚が合致した。

[大忙しだな、ハリー]

 傍らでトグロを巻いていたベッロが眠そうに欠伸をする。ここ、最近のベッロはずっと傍に居てくれる。ボニフェースの代から、三代に渡って使い魔をやってきた。彼にしか、知らない事は多いだろう。

 例えば、ハリーの父ジェームズやシリウス達の学生時代の姿だ。

 唐突な好奇心がハリーの心を擽る。スネイプから『閉心術』を学ぶ際は『開心術』を食らう。つまり、今のハリーには『開心術』でベッロの記憶を覗ける。

「ねえ、ベッロ。僕の父さんを知っているよね? どんな人だった?」

 その質問を受け、ベッロは記憶を辿るような仕草で悩んでいる。彼の美しい紅い瞳を見つめ、ハリーの感覚は視神経へと集中させる。

 DAのお陰で、杖がなくとも幾分か魔法が使えるようになった。

「レジリメンス!」

 紅い瞳へと視界が吸い込まれていく。スネイプの記憶が断片的に見せつけられた時と同じ現象だ。

 ――――『みぞの鏡』で見たジェームズ、その若き姿が視えた。シリウス、リーマス、ペティグリューは勿論いる。コンラッドもスネイプまで視えた。

 ――――赤い髪の女子生徒は、おそらく母リリーだ。

(父さん、母さん……)

 他人の思い出でしかないが、生きた両親の姿に感慨深く息を吐く。

 ――――ジェームズとシリウスが箒を乗り回し、フィルチに追い回されている。

 ――――コンラッドとスネイプは図書室で本を読み漁り、そこへリリーが挨拶してくる。2人も親しげに挨拶を返した。

(もしかして、学生の頃は仲が良かったのかな?)

 もっと知りたい。もっと見せて欲しい。より多くの記憶を見んが為、開かせた。

 ――――1年生と思しき下級生に、ジェームズとシリウスに足首から吊るしあげ、浮かせて遊んでいる。下級生の男子は、泣きじゃくっていた。

 ――――リリーに言い寄るジェームズを彼女は、軽蔑に顔を歪めてあしらっている。

(あれ?)

 様子がおかしい。次々と視えてくる場面では、ジェームズとシリウスが傲慢で横暴に振舞う。リーマスは、止めようともしない。ペティグリューも意地悪く笑っていた。

 ――――特訓でもないのに、ジェームズはス二ッチを弄ぶ。

〝ス二ベルスだ〟

 ――――灌木の蔭に座り込んだスネイプにジェームズ達は近寄り、魔法を仕掛けた。杖を奪い、口から泡を出させた。そこへ、憤慨したリリーが止めに入った。

〝彼が貴方に何をしたというの?〟

〝こいつが存在するって事実がそのものが、こうさせるんだ〟

 ――――ジェームズはスネイプを嗤っている。シリウス、ペティグリュー、彼らに賛同する野次馬が一緒に嗤っている。

「嘘だ!」

 全身全霊の否定による叫びは、記憶を遮断した。

 いつもの談話室。天井を見上げ、ハリーは動悸が激しく吐き気に襲われる。自分の荒い呼吸を聞きながら、視界の隅にベッロを見た。

[随分、深くまで見てきたな。特定の記憶のみ、見るのは骨が折れるらしいぞ]

 勝手に記憶を見られたというのに、ベッロは責めない。むしろ、術の成功を喜んでくれた。

 しかし、答える気になれない。

 何故なら、ずっと高潔と思ってきたジェームズがダドリーやドラコのように、他者を苛めて楽しむ性格などと信じたくなかった。

 

 ――悲しい。ただ、悲しい。

 

 ハリーはダドリーのせいで、孤独で惨めな日々を過ごしていた。それとは比べ物にならない惨めさに打ちひしがれた。

[どうした、ハリー。何が悲しいんだ? 主人がハリーの名づけ親にドロップキックしたからか?]

 寄ってたかって、スネイプを囲むシリウスの無防備な背中へコンラッドは一撃入れる場面はあった。

 いつも、コンラッドがシリウス達に暴力的だったのは、スネイプを助ける為だとすれば、辻褄は合う。

 だが、その事ではない。必死に否定するハリーを見て、ベッロは気づく。

[ハリー……、父親があんな性格だと……知らなかったのか? あんな性格の父親が情けなくて、悲しいのか?]

 胸中を言い当てられ、ハリーは言葉が出ない。出てこない。呼吸を求めて喘ぎ、ようやく声を絞り出す。

「……なんで?」

 唇はほとんど動かず、短い言葉しか出なかった。それでも、ベッロは察してくれた。尾の先で、ハリーの頭を撫でる。

[何故、教えてくれなかったのか? そう聞きたいんだな、それはな……死んだ者の悪口を言うわけにはいかんからだ。ハリーを命がけで守った父親ならば、尚更、言えない]

 電撃に打たれた気分だった。

 スネイプ以外の教師陣は、誰もジェームズの話をしない。ダンブルドアは摘んだような思い出話しかしてくれなかった。ハグリッドも「父親に似て勇敢だ」と言うばかりだった。

 ずっと、気を遣われていたのだ。

 ハリーはスネイプを憐れんだ。ルーナを可哀想に感じたのと、同じだ。

 シリウスが仕掛けた悪戯の重大さに気づいた時は、自らを恥じた。しかし、スネイプを弁護する気にはならなかった。だが、今回ばかりは同情を禁じ得ない。

 こんな日が来るなど、ハリーには思いもよらなかった。

 

☈☈☈☈☈

 アンブリッジの告知は、全校生徒または教職員全員の欲望を駆り立てる手助けをしてくれた。

 クローディアは寮の談話室や女子トイレで質問攻めに合う。これに対し、一貫して『全て記載された通りだ』としか、答えない。

 元々、定期購読していた面子は、いち早く最新情報を得られる。その生徒が巧妙な手口で、他に貸して回る。

 図書館に置かれていた分は、マダム・ピンスが撤去したと生徒やアンブリッジに説明した。実際は、魔法で雑誌に手を加え、フィルチ以外の教職員に廻し読みされたのだ。

 【ザ・クィブラー】は、大きな波紋となって学校中に広がった。その反響は、すぐに形となってクローディア達を助けるだろうと確信を持てる。

 

 それなのに、ハリーは浮かない様子だ。

 ハグリッドの小屋で、夕食中も思いつめたように黙り込む。

「動く写真もいいですけど、決め顔で静止させたほうが良かったんじゃないかな。ねえ、ハリー?」

「うん、このコールラビ美味しいよ」

 コリンが一時停止した写真の重要性を語っているのに、全然、話を聞いていない。

「でも、動かなかったら、写真に写っている人が疲れるだろう?」

 ロンも魔法族ならではの見当違いな返事をし、しばらくコリンと討論になった。

「しかし、おめえさん達のインタビューが載る日が来るとはなあ」

 感慨深く、ハグリッドは雑誌を優しく撫でる。見た目は、【ドラゴンの飼い方】という書物だ。ブランクにより、魔法をかけて貰ったそうだ。

「ファンレターに紛れて、ディグルさんからお説教貰ったさ。あんまり、目立って欲しくなかったってさ」

 何故か、コンラッドからは手紙が来ない。読んでないか、無言の怒りか悩むところだ。祖父たるトトの反応を想像し、寒気が走る。

「今朝、モリーおばさまからお手紙が来たわ。ロンにね、ハリーとリータ=スキータを会わせた事をカンカンになって怒っていたわ」

 せせら笑うハーマイオニーの隣で、ルーナまで重苦しい雰囲気だった。

 ハグリッドに引率され、城に送り届けられる。アンブリッジのいない日は、親衛隊にさえ遭遇しなければ平穏に過ごせる。

 クローディア達は、女子トイレへ立ち寄る。

「ハリー、元気ないわね。それに、貴女もよ。ルーナ、何かあったの?」

 ハーマイオニーに問われ、ルーナは天井を背延びして見上げる。その間、クローディアは個室に誰もいまいか、確認した。

「あたし、余計な事、言っちゃったかもしれないんだ。でも、それにしては違う気がするから、確かだと言えないもン」

 つまり、ルーナは心当たりがある。しかし、それは直接の原因ではないと考えている。

「ルーナがそういうなら、きっと、原因は別さ」

「……そうね、多分、ルーナは関係ないわ」

 ルーナの胸中をそれとなく察し、2人は彼女を慰めた。ハーマイオニーは躊躇うような言い方だったが、ルーナを相手にしては、最大限の優しさを示していた。

「ハリーは、明日の晩まで様子を見るわ。色々あり過ぎて、疲れているだけならいいけど……」

 同じ寮にいる分、ハーマイオニー達に頼るしかない。

「変化があればベッロにもわかるのに……。私も『蛇語』、学びたいさ」

「『蛇語』を学ぶのも大事だけど、クローディアの『ポケベル』みたいにベッロの言葉も翻訳できたら、便利よねえ」

 ハーマイオニーの何気ない発想は、突拍子もなく、それでいて最高の思いつきだ。

「ルーナ! 手伝って欲しいさ」

 善は急げと、クローディアはルーナの部屋に行く。

 2人は徹夜で、メモ帳型の翻訳機を造り上げた。『蛇語』を聞き取ったメモ帳には、英語の文章が浮かぶ仕組みだ。読み終えれば、杖を消しゴムのようになぞれば消える。完全に『蛇語』用なので、ヴォルデモートが連れている蛇の会話もこれで訳せる。

 急に、ルーナはしゅーしゅーと口笛を吹くような音を吐く。白紙だったメモ帳に、【こんにちは】と浮かんだ。ツッコミよりも成功を喜ぶ。

「流石、ルーナさ。『蛇語』が話せるさ」

「挨拶程度だよ。パドマもよくやってたもン」

 パドマにベッロの主人の座を狙われている。手強い相手に身震いしてから、メモ帳を『説明書』と名付けた。実際の用途も意味も違うが、本来の効果を隠す意味でもある。

 

 寝ぼけた頭で午前中の授業を乗り切り、昼食は取らずに寮席で寝た。ここぞとばかりに、パンジーとミリセントが「居眠り、みっともない10点、減点よ、聞こえた? 10点、減点!」と叫んだ。10点減点を2回言ってしまい、一日の上限を超えたパンジーはその場で腹を抱えて悶絶した。

 慌てたミリセントによって、パンジーは大広間から連れ出された。

 睨みと言えば、スネイプだ。

 『魔法薬学』の授業中、何か言いたげに鋭い眼光を飛ばす。しかし、教職員は担当教科以外の情報を生徒に与えてはならない。

 そんな意味不明な法案を律儀に守るスネイプではない。他の生徒の前では、出来ない話がしたいのかもしれない。

(こりゃあ、ディグルさんと同じお説教がきそうさ)

 『強化薬』の調合を終え、クローディアは気づかれないように溜息を吐く。

 終業の鐘が鳴っても、スネイプは睨むだけで何も命じない。これ幸いと、クローディア達は慌てず騒がず、地下を後にした。

 夕食の席で、最悪の忘れ物に気づく。よりにもよって、作ったばかりの『説明書』を置いてきてしまった。

 そもそも、『数占い』の授業でハーマイオニーに見せるはずが、完全に寝ぼけていた。

 普段は一夜漬けなど余裕だが、今回はかなり頭を使った証拠だ。

(今日って、例の課外授業だったはずさ)

 現在、夕方6時半。講義が終わってから、取りに行ってもスネイプと会うのは必須。遠慮なく、責め苦を受ける羽目になる。

(よし、影に変身してから、さっと行って、さっと帰ってくるさ)

 ハリーを生贄にし、その隙に忘れ物を奪還する作戦に出た。

 廊下に出て、玄関ホールへ行くかてら、壁を触る。この辺りには時々、隠れ戸が現れるのだ。予想通り今日もあった。中に入りで影へと変じる。

 急いで、地下教室を目指す。

 この姿で廊下を進むのは、久しぶりだ。床から壁を辿り天井へと移る。不審な影の動きに気づかれないようにする為だ。

 階段を音もなく降り、授業のあった教室へ入り込む。教壇に無造作な形で置かれていた。これ幸いと、影の中から生身の手を出し、『説明書』を掴んだ。

 その瞬間、怒号が響いた。

「どういうつもりだ!」

 スネイプの声だ。吃驚して、クローディアは変身を解く。だが、教室に黒衣の教授はいない。声の発信源は、彼の個人研究室だろう。

「ベッロに『開心術』を使ってまで、父親の雄姿が見たかったわけだな!」

「僕は……僕……」

 軽蔑の声が吐き捨てられ、か細いハリーの声が聞こえた。

 話の内容から察するに、ハリーはベッロに『開心術』で父ジェームズの姿を見たようだ。それに対し、スネイプは烈火の如く怒っている。

 理由は後で聞くとし、クローディアはハリーを弁護しようと急いで廊下に飛び出す。研究室の扉が半開きになり、ベッロがこちらを見ていた。

「授業は、もうこれっきりだ。失せろ……」

 暗闇から聞こえる声は、感情を押さえ込でいた。走る足音と共に、ハリーは飛び出してきた。彼はクローディアの存在に驚いて、扉へとぶつかるように飛び退く。

「ク、クローディア……、あの……これは」

 しゃくり上げるような口調で、ハリーの目が泳ぐ。

《生徒は速やかに全員、寮へ戻りなさい。先生達は大至急職員室にお集まり下さい。例外はありません。今すぐです!》

 マクゴナガルの切羽詰まった校内放送が流れる。

 つまり、すぐにでもスネイプが研究室から出てくる。色々と身の危険を感じ、クローディアとハリーは走り出す。

 段を飛ばして、階段を走り抜けた。ハリーを引っ張るように、クローディアは寮への別れ道で、一度、足を止めた。寮に帰る為、人でごった返している。

「ハリー! ここで待っていた甲斐があったね!!」

 死角から、快活で大きな声がハリーを呼ぶ。

 人ごみが割れる。

 金色に輝き、ダイヤを散りばめたローブを着こんだ……バグマンだ。自意識過剰な衣装は、大臣としての品位の欠片もない。

 実際、その服装に生徒の視線も痛い。

「ハリー、君に会いたくて来たんだ。マクゴナガルに聞いたら、ここで待っていれば会えるからと聞いてね。試験に向け、勉強に励んでいるそうじゃないか、おや、クローディア! 君にも会いたかった!」

 勝手に喋り続けるバグマンは、クローディアに気づいて、更に笑みを強くする。色々とドン引きする2人を無視し、激しく握手してきた。

 魔法大臣だけでなく、げっそりとした顔のパーシー、不貞腐れたように顔を逸らすエイモス。アンブリッジの襟元を掴んだハグリッドだ。

 髪型の乱れたアンブリッジは、借りてきた猫のように大人しい。何処となく、生気もない。

「ハグリッド、職員室に行かなくていいの?」

 錯乱したようにハリーは、ハグリッドを見上げる。

「俺は大臣に同行しとる。見送りが済んだから、すぐに行くぞ」

「アンブリッジ尋問官は何かありましたか?」

 クローディアの質問に、バグマンは胸を張る。

「ドローレスは尋問官としての職務を解雇だ! これからは私の次官に専念して貰うよ! 今まで、この婆を押し付けて悪かったね!」

 自分の部下を堂々と婆呼ばわりした。

「どうして、解雇になったんですか?」

 唐突なアンブリッジの解雇。喜びよりも驚きが勝る。笑顔のバグマンは、エイモスの肩を抱き寄せる。

「エイモスがねえ、訴えを起こしたんだ♪ほら、なんて言ったっけ? あの雑誌、ほら、そこに書いてある【ザ・クィブラー】を所持したら、退学ってヤツ。これは、やりすぎ! そこまでの権限は与えてないのにねえ。まあ、いろいろとドローレスを横暴だって、投書も多くて多くて。エイモスも私との賭けに勝ったし、問題なく、解雇! あ、それとね、ルシウス=マルフォイも指名手配にしたから」

 物のついでに爆弾発言を落とされた。

「え? 逮捕ではなく、指名手配?」

 ハリーの呻き声を質問と捉えたバグマンが勝手に答える。

「いやあ、前々から、彼を尋問だ、逮捕だって、投書が多くて、多くて、それに取り巻きのなんて言ったっけ、あの2人? ファッジ大臣事件の真犯人、あいつらが脱獄した事も拍車をかけて、もう面倒だから、逮捕しようとしたら、お屋敷っていうか、城? から姿を消しちゃって、んで、指名手配なの。わかった?」

「大臣! それはまだ公式ではありません!」

 真っ青になったパーシーが喚く。

 だが、既に時遅し。野次馬の生徒から、ざわめきが起こる。

「ええ? いいじゃん、どうせ、明日には新聞に載るし、『例のあの人』もね、解禁! 禁止でもなかったけど……わははは」

 自己満足に笑うバグマンを振り払い、エイモスは大臣の服を乱暴に掴む。

「政務が滞りますので、帰りましょうか? 大臣?」

 ありったけの嫌味を込め、エイモスはバグマンを引き摺って歩き出した。

「ちょっと、待ってください。では、魔法省は『例のあの人』の復活を全面的に認めるんですか?」

 人の垣根を分け、コーマックは声を張り上げて質問する。

「おや? 君、マクラーゲンんとこの……え~と、ああ、コーマックか! 叔父さんとは、いい勝負をさせて貰ったよ。うん、認めるよー。認めてなかったのは、本当に一部だけだったし、詳しくは、明日の新聞でねえ」

 引き摺られたまま、バグマンは喋りつづけた。

「お~い、パース。もうちょっと、情報くれよ」

「そうそう、例えば、まだ『例のあの人』について、ウダウダと文句言っている奴かと」

 フレッドとジョージに声をかけられ、パーシーは露骨に顔を顰める。彼は誰とも目を合わさず、大臣達に続いた。

「ほら、見せもんじゃねえぞ。すぐに寮へ戻れ!」

 アンブリッジを振り回しながら、ハグリッドは野次馬の生徒へ呼びかける。抗議のブーイングを上げながら、監督生によって渋々、寮に向かって行った。

「じゃあな、ハリー、クローディア。良い方向に向かうぞ!」

 上機嫌に鼻歌を歌いながら、地響きを鳴らして歩いて行った。

 残されたクローディアは、パドマやリサに連れられて寮へ帰った。ハリーもディーンとシェーマスが付き添ってくれた。

 

 寮の談話室では、アンブリッジの解任に盛り上がっていた。寮生が飲み物やクッキーなどのツマミを掻き集め、簡単な宴状態だ。

「これも、貴女とハリーのお陰よ」

 マリエッタがカボチャジュースを差し出して、微笑んだ。

「そうそう、貴女達のインタビューがキッカケ。皆、本当の事が知りたいけど、公式の場で貴女達は出て来れないように妨害されたわ。当事者の声を聞いて、色んな人が動いたの」

 ブルーベリーのスコーンを差し出したクララは、興奮して痙攣する。

 【ザ・クィブラー】の反響が形になった。

 その嬉しさを隠さず、クローディアは口元を緩ませてカボチャジュースを飲んでいた。

「おめでとう」

 通りすがるがてら、ロジャーはクローディアの頭を撫でた。すぐに背を向け、ザヴィアー達の傍へ行ってしまった。しかし、手の感触は確かにあった。

「私よりもルーナを褒めて欲しいさ。ルーナがお父さんに掲載を頼んだから、皆、読めれたさ」

 一番の功労者を見つけた。ルーナは、パドマからカボチャパイを貰って頬張っていた。

「ありがとう、ルーナ」

 クローディアは感謝を込め、ルーナに頭を下げた。

 談話室にいる全員の視線が自然とルーナへと集中する。視線を物ともせず、彼女は普段の態度で頷く。

「……え~と、おめでとう、ルーナ」

 遠慮勝ちだが、シーサーはルーナの肩へ触れる。それをキッカケに、次々と彼女の功労を称える声が続いた。

「……うん! 嬉しい」

 最初は、キョトンとしていたルーナだが、次第に太陽のような明るい笑顔を振りまいた。滅多に見せぬ笑顔に、何人かの生徒は見惚ていた。

 

 

 翌日、『例のあの人』復活の記事が一面を飾る。

【バグマン大臣、ハリー=ポッターへ謝罪!?】

 マルフォイ氏の指名手配は、四面で小さく載った。父親が指名手配な上に雑な扱いを受けたドラコに、多くの生徒は憐みを向けた。

 どんな状態でも、毅然としていたドラコも流石に落ち込んでいた。

「まだまだ、本格的じゃないわね。ほら、この辺なんて【ザ・クィブラー】の記事、丸パクリよ」

 ハーマイオニーは【日刊予言者新聞】を読み漁り、不満そうだ。

 クローディアも、ハリーが『閉心術』の課外授業を強制的に終わらされた事は不安だ。ロンは元々、課外授業を危険視していたので、寧ろ、終了を喜んでいた。

 だが、ダンブルドアは是が非でも、ハリーとスネイプに課外授業を続けように説得した。しかし、彼らはお互い2人きりになる事を拒んだ。あまりに頑固な意思に校長も諦める程だった。

[ハリーは基本は既に出来ている。楽観はできないが、追い詰めても身につかない]

 ベッロの意見を訳せば、後は彼の精神力にかかっている。

 それを危惧してではないが、フリットウィックを始めとした何人かの先生方が、クローディアとハリーにこっそり20点以上の寮点を与えてくれた。

 自分の行いが、認められた事でハリーの心は安定と共に平静だ。

 しかも、ヴォルデモート復活の為、ホグワーツには『闇払い』の護衛が配置されるようになった。その中にはトンクスの姿もある。

 大まかではあるが、順調に思えた。

 

 だが、アンブリッジに関してだけ、ヌカ喜びだった。

 本人は解任されたのだが、代わりにアンブリッジの肖像画が数枚、送られてきた。玄関ホール、各階段、競技場と至る所に飾られた。流石に、寮と教室やトイレ等は省かれた。

 これは、尋問官親衛隊の保護者による希望だ。アンブリッジがいなくなり、親衛隊を務めた生徒を守る為だそうだ。

 拒否すれば、彼らは一丸にとなって、アンブリッジの復職を訴えるといわれ、理事会が折れてしまった。

 ちなみに、親衛隊は今学期まで権利を続行する旨となり、フィルチが隊長を兼任する運びとなった。彼はアンブリッジがいなくなり、意気消沈だ。その分、生徒へ当たり散らしているように見えた。

 ドラコ達にしてみれば、管理人のフィルチの下という立場は不満だ。しかし、他生徒を減点できる悦びに多少は、我慢していた。

「なんか、前より悪化してない?」

 身だしなみを怒鳴りつけてくるアンブリッジの肖像画を見ながら、ネビルはげんなりした。




閲覧ありがとうございました。
ドラコは夏休暇から、嫌がらせの手紙を受けていました。学校の外からなので、スネイプにも庇いきれません。
ルーナの「言わないで」は自分で書いて、涙出てきました。
ハリーは何か月も『開心術』を受けて続け、使えないはずはないと思いました。
アンブリッジは尋問官以上の権限を使おうとしたので、解雇です。代わりに肖像画がこっちを見ている…いやだ。
●ルーファス=スクリムジョール
 闇払い局局長、ハリー曰く、ファッジとは違う意味で現実が見えないおっさんらしい。


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18.将来について

閲覧ありがとうございます。
お気に入りが650名越えました。ありがとうございます。

追記:16年5月18日、18年1月8日、誤字報告により修正しました


 3月の最初の土曜日。

 マクゴナガルの事務所に生徒が訪問した。

 教頭にして、グリフィンドールの寮監である『変身術』の教授は、その地位と責任に見合う能力と性格を持つ。故に教師陣・生徒からそれに見合う信頼を得ている。

 そんな彼女には土日でも多くの相談者が訪れる。

 しかし、本日は寮監が贔屓目に見ても問題児・ウィーズリーの双子だ。

 一卵性双生児の2人は一見すれば、見分けはつかない。それは観察力のない輩の戯言だ。足の運びや、手の動きなどの細かい部分に見慣れれば2人の区別は簡単につく。その性格もフレッドは無鉄砲で行動派だが、ジョージは慎重な穏便派だ。

 そんな彼らの相談内容はマクゴナガルを驚かせた。

「決心は変わらないのですね?」

 眼鏡の縁を押さえ、マクゴナガルは確認する。彼らに限らず、生徒の決心に反対しない。それが本人達の能力に見合っているなら、尚更だ。

 成績の記録として彼らは落第ギリギリだが、見せかけだと寮監は知っている。

「「はい、決して後悔しません」」

 真っ直ぐな2人の視線は同じ感情を宿していない。野望と好奇心、希望と確信だ。

「よろしい。ミスタ・ウィーズリー、双方の自主退学を認めます。将来に関する計画は、寮監として『E』を与えたいくらいです。開店の際はお祝いを贈りましょう」

 マクゴナガルからの承諾を得て、双子は破顔した。

「しかし、よく私に相談しに来ましたね。貴方たちなら、誰かの許可など求めず、勝手に学校を辞めていきそうなものですが?」

 素朴な質問に双子はお互いの顔を見ながら、得意げに笑う。

「俺達は次に進みたいんです。その前に学生である事にケジメを着けないといけない。そう思ったんです」

 笑みを消したジョージは、この部屋にいない誰かへ真摯に答えていた。

 ムードメーカーでトラブルメーカーの双子。だが、過去に在籍していたとある学生達に比べれば、人を楽しませる才能に溢れている。

「寂しくなりますね」

 本心を聞かれぬように、マクゴナガルは呟いた。

 

☈☈☈☈☈

 日曜の『必要の部屋』はバスケ部用だ。普段と違い、天井が透明となって青空を見渡せる仕様に変化している。

 【日刊予言者】を読むクローディアは、呼び出した張本人ジョージを今か今とまちわびた。

【バグマン大臣の辞任は、新大臣の決定により速やかに行われる。バグマン大臣の内政により、自己破産した職員は少なくとも二桁に達していると噂される。早急に新大臣就任を望む声は多い】

 無茶苦茶な内政を糾弾されているにも関わらず、写真のバグマンは余裕綽綽に笑顔でピースを繰り返す。

〔次、会ったら、修正してやるさ〕

 腹ただしい笑顔を指で弾き、クローディアは宣言した。

「お、ついにバクマンは退職か?」

 ひょいっと現れたジョージは記事を覗き見る。背後からの気配に気づいていたので、驚きもしない。

「綺麗な空だな。やっと冬が明けて、短い春が来る」

「春が終われば私は『O・W・L試験』、ジョージは『N・E・W・T試験』さ。ちゃんと、卒業しないと悪戯専門店の開業が出来ないさ」

 新聞を畳み、クローディアは近づいてくる試験の日に緊張する。まだ、イースター休暇もあるといっても、油断は出来ない。

 経験者のセドリック達に言わせれば、魔法省から試験官が来る以外、学期末試験と変わらないそうだ。魔法省直々の監督下に置かれると聞き、ネビルやハンナが胃痛で呻いていた。

「そのことなんだけど……、俺、復活祭の休暇……、今学期で学校を辞めるわ」

 一瞬、躊躇うような口調は、確かな宣言を告げた。

 聞き違いかと、耳を疑う。

「え? なんて言ったさ? どうしてさ? 後ちょっとで、卒業さ。もしかして、落第になりそうさ?」

 動揺のあまり、早口で捲りたてるクローディアをジョージは抱きしめる。2度と離さぬよう、愛おしむ抱き方に彼女は身を預ける。

「俺達はもう開店の準備は出来ているんだ。資金も十分だし場所も確保できた。後は商品を充実させるだけだ。学校に縛られず、開発したい」

 将来を語るジョージは、口説くように熱がこもっている。

「資金って! 売っては開発、売っては開発の繰り返しで開店資金には程遠いって言ったさ!」

「ハリーが援助してくれたんだ。ほら、賞金の一千ガリオン。商品を遠慮なく、開発できたのもその御陰なんだよ」

 ロンのドレスローブ代を買えた理由も納得した。ハリーらしい賞金の使い道にも、尊敬の念を抱く。

 しかし、ジョージが早く学校を去る理由としては、不足だ。

 胸中には不安と不安が入り混じり、クローディアは駄々を捏ねる。

「……いや、いやだあ。卒業したら、離れ離れになるのに……。こんなに早く辞めるなんてさ。折角、ジョージの気持ちにも、応えられるようになってきたのにさ!」

「応えられるようにって、上から目線だなあ」

 蚊の鳴くような声で喚き、ジョージの胸に八当たりの拳を繰り出す。彼は抵抗せず、少しだけ淋しそうに微笑んだ。

「俺はずっとクローディアを好きだ。でも、君は全然気づいてくれなくて、俺はヤキモキしっぱしだった。だから、今度は君が俺の為にヤキモキしてくれ」

「最悪の仕返しさ」

 ジョージの胸に顔を埋め、クローディアは感情が高ぶり目に涙を浮かべる。彼の逞しい指が、彼女の涙を拭う。濡れた指は、そのまま彼女の唇に触れる。

 触れた指をジョージは舐めた。

「間接キス、今はこれが精一杯……」

 その名台詞を聞いた事がある。ジョージがその作品を知るはずはない。だが、神出鬼没の怪盗、人の意表を突く様々な技術、大胆に見えて冷静な分析能力。

 今のジョージは、かの怪盗に引けを取らない。

 沸々と湧き起こる高揚感は、愛と呼ぶに相応しい。

「……月がキレイですね」

 クローディアが今、口に出せる言葉はこれだけだ。夏目漱石を知らぬ者は、これを愛の言葉とは気づかない。日本でも通じる者は稀である。

 月もない夜でもない空を見上げ、ジョージは白昼の残月に気づく。

「おお、残月か、確かにキレイだな」

 案の定、通じなかった。

 通じなくていい。クローディアが卒業した後にでも、夏目漱石の逸話をジョージに聞かせてやろうと思う。それで、彼女の心情に彼が気付くかどうかが今から、楽しみであった。

 

 ハグリッドの弟・グロウプのお披露目はきちんと教育をすませるか、いくつかの英語が喋れるようになってからのはずだった。

 クローディアの予想通り、『魔法生物飼育学』の教材にされていた。ブランクだけでなく、『闇払い』まで授業の見学に訪れていた。

 ドラゴン並に大きい巨人を警戒しての処置にも思える。

「本物の巨人だ」

 若干、ジャスティンは興奮して近寄ろうとしたが、真っ青になったザカリアス達に引き留められる。

「こんにちは、グロウプ。さあ、皆と遊んでみようか?」

 ブランクが杖を一振りし、グロウプを見る見る縮ませる。やがて、人間の少年と同じ身長になった。それでも生徒よりは背がデカイ。

 自分の体を確かめるように眺め、グロウプは表情を輝かせて生徒へと突進してくる。一番にセシルは待ち構え、彼を受け止めようとした。細みの彼女には、危険すぎる。

 慌てて、テリーがグロウプを抱きしめるように受け止めた。

 相撲のような取っ組み合いに、テリーは足を踏ん張る。

「いいぞ、その調子だ! グロウプ。ほれ、テリー。もうちっと、力入れろ!」

 小屋から授業を見学していたハグリッドのヤジが飛ぶ。

「ブランク先生。グロウプのお披露目は、成績上位の生徒からだと聞きましたが、よろしいのですか?」

「ハグリッドが毎日、毎日……。いつですか? いつですか? と煩くてな。それに私や『闇払い』の方々だけでは、グロウプも退屈だろう。希望者には彼に英語を教えさせようかな」

 目を輝かせて催促するハグリッドの姿を想像し、クローディアは呆れて眉間のシワを解す。

 授業時間を全てグロウプとの交流で終えた。彼へ英語を教授する生徒は、セシルしか希望者がいなかった。彼女の勇気ある行動は、20点の寮点を与えられた。

 夕食の席で、クローディアはハーマイオニー達にグロウプの話を聞かせた。

「ひぃい、巨人サイズのグロウプの相手とか、僕には無理、無理」

 想像しただけで、ロンは怯えた。

「僕もグロウプに英語を教えに行こうかな……。楽しそうだし」

 ハリーの発言に、ロンは席から転げ落ちる程、驚いた。彼らに聞かれぬよう、ハーマイオニーはクローディアに耳打ちする。

「ハリーったら、夜中にシリウスと話していたの」

 昨晩、ハーマイオニーは監督生として夜更かしする生徒を見張っていた。『目くらましの術』で姿を消した彼女は、談話室でハリーを目撃した。いつものように『両面鏡』を使い、シリウスと話していたはずが、途中から口論に発展したという。

「ハリーと……ブラックが? どうしてさ?」

「わからないわ。悪いとは思ったけど、近寄ろうとしたら、ベッロに気づかれちゃって……。ハリーは怒らなかったけど……、追及しないで欲しいって言われたわ」

 つまり、話したくないのだ。

 誰の為でもない。ハリーは自身の為に、話さないと決めた。

「ハリーはどんな悩みにも、ハーマイオニーやロン、そして、私が力になれると知っているさ」

 そこまで話し、ハーマイオニーは察した。

 念の為、『説明書』でベッロに事情を聞く。誰に見られるかわからない大広間ではなく、寮の自室でだ。

[ハリーが何も言わんなら、言えん。しかし、これが……彼の心を搔き乱すかもしれん]

 浮かぶ文章は、不吉な予感を与える。

「夢に現れるボニフェースは、どうしたさ?」

[あいつは己の配下を取り戻した時から、主人への未練を失いつつある……。その証拠に、扉は開かれている]

 扉の意味は何かの暗喩だとしても、ヴォルデモートにとってボニフェースに価値はない。ならば遠慮なく、クローディアにも罠のようなモノを仕掛けてくるに違いない。

 試験とは違う緊張が胃を刺激し、闘争心が脳髄に冷静さを与えた。

 

 DAでは『守護霊の呪文』が登場し、皆は大いに盛り上がる。

「この呪文は、意思の強さが関係してくる。吸魂鬼に怯えていては、守護霊は創りだせない。絶対に怯えない事。楽しく、幸せな気持ちを失わないように」

 注意事項を述べたハリーは、見本として牡鹿の守護霊を創り出す。幽霊とは違う銀色の輝きは、慈しみと優しい気持ちにさせてくれる。リーマスの授業で受けそこなった魔法を間近で体験できた。

「すごいよ、ハリー。僕、全然、知らなかった……」

 目を輝かせたディーンは感嘆の息を吐く。他の皆、同様に牡鹿に魅入っていた。

 早速、練習に励む。

 幸福を最高潮に満たせる思い出を回想する。これは存外に難しい。本人が良い思い出として記憶していても、守護霊を創り出すには不十分では意味がない。

「ペネロピー達が教えてくれなかったのは、自分達が守護霊を創れなかったからだわ」

 クララも難解に挑む顔つきで、必死に幸福な記憶を辿る。杖先には銀色の糸が垂れ下がるだけで形にならない。

「これをハリーが3年生の時に、会得したっていうのかい!?」

 降参と万歳し、シェーマスは発狂して杖を放り投げる。彼の杖はナイジェルのこめかみを掠めた。

「見て下さい! 私、やりましたわ!」

 唯一、成功したのはリサのみ。

 しかし、リサの守護霊には皆、度肝を抜かれた。それは彼女と同じ姿をしていた。銀色に輝く以外は、彼女そのものと言ってもいい。

「人も哺乳類だから、動物の守護霊に当てはまると思うわ……」

「確かに……日本じゃ、守護霊は寧ろ、人間の霊が多いさ」

 守護霊のリサは幽霊のように浮遊して室内を踊る。ハリーの守護霊と戯れる姿は、神秘的で美しかった。

「分身したいって、よく言ってたけど……。まさか、こんな形になるとはね」

 魔法の成功に浮かれるリサをパドマは感心しつつも、先を越された悔しさで複雑そうに笑っていた。

 

 アンブリッジがいなくても、試験は近づく。クィディッチの試合に向け、選手は特訓する。

 レイブンクローの模擬試験、クローディア達は初の免除に少しだけ喜ぶ。その分、本番の重要さに緊張したモラグが胃腸炎で倒れた。

 ルーナは文句なしの突破だ。だが、シーサーは筆記でしくじり、己の兄が監督する補習試験を受ける羽目になった。

「あんなに怖い兄は、初めてです」

 愛想笑いを忘れたロジャーに恐れをなし、シーサーは縮こまっていた。

 そして、『例のあの人』の復活についても、生徒を不安にさせる。我が身は学校に守られても家族の身が心配だ。

 以前、多くの身内を亡くしたスーザンは様々な新聞や雑誌を購読して『死喰い人』に関する最新情報を集めた。

「扉の意味をハリーに問いただしたわ。全く、……夢で『神秘部』に入っていたの! そんな夢を見るなら、課外授業を受けなさいって言ったら逃げたわ」

 自衛の為に『閉心術』を習得したにも関わらず、ヴォルデモート側の情報欲しさに夢へ入り込んだらしい。ハーマイオニーは激怒して、スネイプの研究室へ連行しようとしたが、ハリーは『透明マント』を被って、今朝から文字通り姿を眩ました。

 あまりの無謀さを知り、心臓が痙攣する。クローディアは男子トイレで用を足していたハリーをひっ捕らえた。

 『必要の部屋』で、クローディア、ハーマイオニー、ロンに囲まれたハリーは固く口を閉じる。ロンは彼の庇うように言い繕うが、無視した。

「ハーマイオニーから聞いたさ、どういう事か説明してもらうさ」

 コブラツイストを仕掛け、ハリーへ身体的にお仕置きしながら追及する。身動きできない彼は、襲ってくる関節の微妙な痛みに悶え苦しむ。

「1回だけ! 1回しか、やってないから……。校長先生にも怒られたし……」

「校長先生に、どうしてバレたさ? ベッロが教えたさ?」

 その質問で、ハリーは苦しみながら目を逸らす。

「スネイプ先生の……課外授業が終わってから、週一で校長先生に、……『閉心術』が作用しているか……確認してもらってます」

「まあ、ハリー。そんな大切な事を黙っていたのね?」

 引き攣った笑顔で、ハーマイオニーはハリーに卍固めを仕掛けた。

「他に何を隠しているんだ? 全部、吐かないと関節ヤバいぞ」

 諦めた顔つきで、ロンはハリーに警告した。技をかけられ、必死に声を出す。

「校長先生に、魔法を教えて貰ってます。母さんが……僕を護ってくれた……魔法。ノットに教える為に……」

 衝撃の内容は、ハーマイオニーは技の力を抜いた。解放されたハリーは、床に這いつくばるように転がる。

「知らずに、ノットとあんな取引を持ちかけたさ?」

「……え~と、『閉心術』を無事に会得できたら、校長先生が個人授業してくれるって言ってたんだ。その時に、母さんの保護魔法を習おうと思って……、一応、僕なりに考えてたんだ」

 吃驚仰天のクローディアは、質問というより確認で問う。

「もしかして、ずっと色々な魔法をDAで教えてたのは、ハリーが保護魔法を習得するまでの繋ぎだったの?」

 ロンの素朴な疑問は、クローディアとハーマイオニーを大いに助ける。気まずそうにハリーは認めた。

「いえ、これは確認しなかった私の落ち度だわ。それに、ノットの辛抱強さを試すのにも、ちょうど良かった……。ハリー、その保護魔法が習得できたら、イの一番に私に教えてね」

 脅すような口調で、ハーマイオニーは語尾を強めた。反省したらしいハリーは、降参と言わんばかりに万歳した。

 

 『守護霊の呪文』は皆の希望もあり、復活祭の休暇前まで続けられた。

 今日までに成功したのは、リサ以外ではハーマイオニー、ルーナ、セドリック、チョウの4人だけだ。それぞれ、カワウソ、ウサギ、アナグマ、白鳥という自然な動物だ。

 守護霊の上達が早い。これがリサの幸福な気持ちに拍車をかけ、彼女の守護霊は簡単な単語を発するまでになっていた。

「強い守護霊は伝言の役目も果たすそうよ。貴女、凄すぎて変よ」

 呆れたミムの一言さえも、ただの称賛とリサは受け取った。

 クローディアは不安定な球体まで創れるが、動物の形にならない。杖の先から溢れる銀の光を見つめ、デレクは興味深そうに眺める。

「これ、バスケットボールに似てますよ? これが貴女の守護霊では?」

「……デレク、流石の私も無機物が守護霊は嫌さ」

 ただでさえ、クローディアの『動物もどき』は影なのだ。守護霊は動物にしたいのが、本音だ。

「では、今学期はここまで! 皆の知っての通り……、復活祭の休暇は、名ばかりだ。DAをしている暇もないだろう。皆、体を大事にね。解散!」

 ハリーの気休めにもならない締めに、皆、げんなりする。

 ぞろぞろと部屋を出て行き、クローディアも行こうとしたがスーザンに呼び止められる。

「ハリーもちょっといい?」

 声をかけられ、ハリーも皆がいなくなるのを待つ。勿論、ハーマイオニーとロンも一緒だ。アーミーとハンナも残り、スーザンは緊張した面持ちで皆の顔を見渡す。

「私、学校を辞める事にしたの」

 衝撃の宣言に言葉もない。アーミーとハンナは既に承知しているらしく、厳しい表情だ。

「私の叔母は魔法省で魔法法執行部部長を勤めているの。アメリア=ボーンズ、ハリーは知っているわあよね?」

 気づいたハリーは、肯定した。

「君の叔母さんが、僕の裁判を尋問してくれた。とても公平だったよ」

「ええ、叔母は公平な人で、人望も厚いわ。けど『死喰い人』にとって、目障りな相手だと思う……。現にね、脅しのようなモノが来ているんですって。だから、母と国を出るわ。本当は試験を終えてからがいいって、お母さんは言うんだけど、叔母さんがね、命があれば、試験はいつでも受けられるって……」

 感情が高ぶり、スーザンは涙を流す。

「私、DAの……皆を忘れない。ハリーが教えてくれた魔法で、家族を守ってみせる」

 ボーンズ部長の言い分は、正しい。命あっての物種だ。何年かかるかわからないが、安心して家族と過ごせる日が来るまでスーザンは、国を離れる。

 事態はそこまで追い詰められている。

「……スーザン、月並みだけどさ。気をつけて」

 慎重な声で、クローディアはスーザンを抱き、別れを告げる。ハリーやハーマイオニーも、彼女と別れのハグを交わす。ロンだけ握手で済ませた。

 アーミーとハンナに肩を抱かれ、スーザンは部屋を後にした。

「寂しくなるわね」

 ハーマイオニーの呟きに、クローディアは同意する。

「……フレッドとジョージも今学期で学校を辞めるのに……、どうせなら、お別れ会とかしたかったさ」

「「「ええ!? 2人も辞めるの!?」」」

 3人からの音程のズレた叫びに、クローディアが驚いた。

「……知らなかったさ? 『W・W・W』の商品開発に取り組むって聞いたさ……。そういえば、ハリー。競技大会の賞金、2人に渡したって聞いたさ」

 ハーマイオニーとロンは、驚愕に目を見開きハリーを凝視する。視線を受け、ハリーはビクッと肩を痙攣させる。

「すごいよ、ハリー! よくやってくれた、最高じゃん! 通りで2人が僕にドレス・ローブを買ってくれたはずだ!」

 はしゃいだロンは、ハリーとハイタッチして抱きしめた。

「ちなみに、クローディアはその話を誰から聞いたの?」

「ジョージからさ」

 ハーマイオニーの質問を素直に答え、脳裏にその場面を思い返す。互いに抱きしめ合い、遠まわしな愛の言葉を告げた。急に恥ずかしくなり、全身が熱くなる。

 クローディアの様子を見て、ハーマイオニーは口元を愉快そうに曲げる。

「何があったの? 2人っきりだったんでしょう? ひょっとして、ひょっとして?」

「期待させて悪いけど、間接キス止まりさ」

 嘘偽りない報告に、ハーマイオニーはあからさまにガッカリした。

「クローディアって、結婚するまでキスを守るつもりかな?」

 可笑しそうに笑いロンは、からかう。しかし、ハリーは無表情にクローディアを眺める。

「……ジョージと付き合っているんだろ? それって生殺しだよね。それも嫌で離れるんじゃない?」

 冗談に聞こえない推測は、部屋の空気を重くした。

 

 何事もなく終わると思いきや、フレッドとジョージは夕食の時間、大広間へ特大花火を打ちこんだ。

 緑と金色の花火はドラゴンの形となり、何匹もそこら中を火の粉を撒き散らして音を立てる。2メートル近いショッキングピンクの鼠花火が空飛ぶ円盤のように、破壊的に飛び回る。

 それらの火は触れても熱くないし、痛くない。

 鬱蒼とした城の雰囲気に爽やかな風を呼び込ませた。花火見たさに、補習中の生徒や教職員も大広間へ集まって来た。ドラコ達、親衛隊は恐怖に慄き、声を失っていた。

「只今、実演しておりますのは『デラックス大爆発』。お買い求めになりたい方は、ダイアゴン横町913番地までお越しください。『ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ店』でございます。我々の新店舗です!」

 フレッドのよく通る声に、生徒が歓声を上げる。

「いつでも、いつまでもお待ち申し上げております」

 大広間に集った人々の顔を1人1人見渡し、ジョージは満面の笑みで告げた。その笑みがクローディアに向けられていると、少しだけ自惚れた。

 ダンブルドアから拍手が起こり、マグゴナガルは見た事もない穏やかな笑みで手を叩いていた。やがて、大広間は2人の為に拍手喝采が湧き起る。

 これが双子なりの最後の挨拶だと全校生徒が気づいたのは、休暇明けになる。

 

 復活祭の休暇は、本当に名ばかりだ。

 これまでの学年で味わった勉強が生易しく思える日々を過ごす。クィディッチ戦を控えた選手だけは、僅かな休息といえる時間をも特訓に回した。

 キャプテンのロジャーは最高潮に神経を尖らせた。勉強に関係のない雑談を耳にしては、鋭い眼光で相手を睨みつけた。

「アグアメンティ……(水よ)」

 『闇払い』を目指しているクララは、天井を見ながら呪文を呟く姿が当たり前になってきた。

「これまでの授業を真面目に、しっかりと身に着けていれば大丈夫だから、そんなに緊張しなくていいからね」

 僅かな精神的余裕を残したザヴィアーだけ、上級生に怯える下級生を宥めた。

 

 実践においては、クローディアに不安はない。問題は筆記である。

 ルーン文字の単語帳を捲り、図書館を何度も往復する毎日だ。教科書を眺めるだけで、日が暮れてしまう。

「出て行け、この不届き者!」

 マダム・ピンスの怒声共に、ハリーとジニーが追い出される姿を目撃した。彼らから事情を聞けば、図書館でチョコレートを食べてしまったらしい。

「飲食厳禁の図書館でさ? 勇気あるさ、2人とも……」

 頭が上手く働かないクローディアは、深い意味もなく呟いた。

「クローディアもチョコ食べる?」

 ハリーから差し出された久しぶりのチョコ、それはリーマスを思い出させた。

「気持ちだけ、貰っておくさ」

 クローディアが断ると、ジニーの安心した表情が見えた。後から聞けば、モリーによる手作りイースターエッグだったそうだ。

(そういえば、お母さんからの荷物とか、手紙とか……何にも、ないさ)

 コンラッドは元々、放置気味だ。しかし、母・祈沙が手紙はおろか荷物も寄越さないのは、不思議に思えた。思ってしまうと淋しさが急激に強くなった。

 フクロウ小屋で借りれるフクロウを飛び立たせた。どんな些細な事でも良いので、連絡して貰いたい旨を手紙に託した。

 

 5年生にとって最大の難問。それは魔法界の職業紹介の小冊子・チラシの山が教えてくれた。将来の進路である。談話室の掲示板には、進路指導に関するお知らせが貼り出されていた。

「私は……、月曜日の午前11時にフリットウィック先生の事務所に行くさ。進路相談って、授業を潰してやるもんさ?」

「休日に進路の話もしたくないけど……。あ、私は午前10時だわ。これってアルファベット順か……」

 【魔法事故・惨事部でバーンと行こう】を手にしたマンディは、掲示板の文字を撫でた。

「でも、モラグは一番最後だね。時間がかかるのかな?」

 割って入ってきたルーナは、モラグの名を指差す。モラグ本人は、本棚の本を何度も陳列しては崩し、陳列しては崩してを繰り返して現実逃避していた。

「ルーナは将来の夢とかあるさ?」

「……目標はあるよ。口に出したら、真似されるから秘密なの」

 両手で口を覆うルーナを可愛らしく思えた。

 勉強疲れの生徒は、自然と違う話題の職業案内に目を通す。

「出来れば、プロのクィディッチチームに入団できればなあ」

「うわ、あぶな!」

 自前の箒を振り回し、テリーはアンソニーに注意された。

「ドラゴンの研究もいいけど、トロールも捨てがたい……。ああ、おもしろそうなものがいっぱい……」

 悩むセシルの隣で、サリーは報道関係の小冊子を読み耽る。

「有名人にインタビューしてたら、そのままプライベートでも会いましょうってって……、でへへ」

 銀行員、報道、魔法省……。様々な職の中から、クローディアは骨と杖が交差した紋章を表紙にしたパンフレットを手にした。

 聖マンゴ魔法疾患傷害病院の案内だ。

 ドリスは癒者だったが、その働き振りを目にする機会はついになかった。しかし、医者であるトトの職場も見学した事はない。

 人の死から、目を逸らしていた。

「クローディアはマグル関係の職に着くんじゃないのか?」

「……決めてないさ」

 マイケルに聞かれ、言葉を濁す。去年なら、マグルの大学へ進学し、バスケに少しでも関われる職を選んだだろう。バスケに固執しなくなっている。心境の変化に我が事ながら衝撃を受けた。

 

 新学期の最初の月曜日、クローディアはバブリングの許可を得て『古代ルーン文字学』を抜ける。

 寮監の事務所には、普段通りのフリットウィックがいた。生徒と目線を合わせるため、座高を稼いだ椅子に腰かけている。

 しかし、何故か事務所にもう一人分の気配を感じ取った。

「時間通り、さあ掛けなさい。ミス・クロックフォード」

 一礼してから、クローディアはフリックウィックと向かいあう。躊躇いなく、問う。

「フリットウィック先生、どなたかがお部屋に紛れ込んでいます。誰ですか?」

 一瞬、目を見開いたフリットウィックは微笑んだ。

「スネイプ先生、彼女に隠し事は無用ですぞ」

 部屋の隅、扉の影から黒衣の教授が文字通り現れた。『目くらましの術』だと見受けられる。それよりも、他寮の寮監が居合わせた事態に驚くべきだろう。

「スネイプ先生がどうしても、君の進路をその目で確認したいというのでね。……決して口出ししない約束で、同席させる事にしたのです。置物か何かだと思いなさい」

 苦笑してから、フリットウィックは青い手帳を取り出す。

「知っての通り、この面接はミス・クロックフォードの進路に関して話し合い、6・7年生でどの学科を継続していくべきか、指導していくものです。まずは貴女の将来の希望を聞きましょう」

 即答しかねる。後ろでスネイプが睨んでくるからではない。改めて、自問自答しているからだ。

(私はバスケが大好き……。バスケの強い大学に入って……、サークル活動して……)

 だが、クローディアは魔女であり、ホムンクルスだ。それにクィレルの存在が脳裏を掠める。奴との決着がいつになるかわからない。よしんば、着けれたとしても、意気揚々と仲間とバスケを楽しむ自分の姿が浮かばない。

 浮かんだのは、やはりドリスの笑顔だ。働きながら私塾に通い、『N・E・W・T試験』を突破して癒者になった。

「……癒者になれればと……考えています」

 驚愕したフリットウィックは思わず、スネイプと目を合わせる。彼も息を飲んでいた。

「では、『N・E・W・T試験』で何を必要としているか、ご存じですね?」

「はい、『魔法薬学』、『薬草学』、『変身術』、『呪文学』、『闇の魔術への防衛術』、この5つは『E』を必要としています」

 確認に澱みなく答える。

「その通りです、『E』以下の成績は例外なく受け入れられません。そして、性格と適性を見る為に、癒学生として最低でも5年は勉学を要します。2・3年で何人も脱落者していきます……、脅しではありませんよ。それを終えれば、研修癒の資格を得れます。ここからが本当の試練です。正式な癒者と認められるには、早くても更に10年かかります。ちなみに、マダム・ポンフリーはたった3年で研修癒から、癒者となりました。この記録は、未だ破られていません」

 一気に話し終えたフリットウィックは深呼吸する。

「さて、貴女の成績ですが、……5科目とも、現時点では問題ないと断言します。しかし、『魔法薬学』と『薬草学』は、決して油断してはいけません。今までの小テストやらを見る限りでは、記入ミスや記憶違いが多々見受けられます。昨年度の学期末は、見事、学年一位でしたが、試験で点を取るだけで身に着いているとは言い難いですしね!」

 確かに、4年生の学期末と同じ試験内容をもう一度出されても、同じ点数は絶対取れない。

(バレて~ら……)

 後ろから、スネイプの鋭い眼光を肌で感じた。

「ですが、ミス・クロックフォードが癒者となるべく必要な成績を得られるように、私は全力で援助していきたいと思っています。時間をかけてもね」

 微笑んだフリットウィックの強い語尾は、『逆転時計』を意識させた。しかし、彼はクローディアが『逆転時計』の存在に気づいているなど知るはずもない。

 警戒心で背筋を伸ばすと、闇色の声が発せられた。

「ミス・クロックフォード、希望があれば、我輩はいつでも補習授業を差し上げよう」

「必要あれば、……お願いすると思います。ないように努めます」

 普段通りの嫌味な笑顔に、億することなくクローディアも引き攣った笑顔で返した。

「これにて、進路指導を終わります」

 勝手に笑顔で睨み合う2人をフリットウィックは呆れた口調でこの場を締めた。

 

 余談として、モラグの進路指導は2時間もかかった。フリットウィックが根気よく彼の長所を述べ、成績に見合う進路を勧めた。

「トロール使いに、俺はなる!」

 見た事ないテンションで、モラグは宣言していた。

 




閲覧ありがとうございました。
ちなみに私は双子の見分けがつかない派です。2人一緒ならともかく、一人一人は厳しい。映画のパドマとパーバティは二卵性なのかな?結構、見分けられた。

リサの守護霊は自分自身です。人間も動物ですから、問題ないですね!
クローディアはまだ、不安定なので守護霊が定まってません。決してボールではありません。

進路は癒者にしました。研修癒は原作にもいますが、癒学生などのカリキュラムはなんとなく書きました。

夏目漱石と「月がキレイですね」についてわかる人が何人いるのか、ドキドキしています。


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19.試験

閲覧ありがとうございます。
ホグワーツの大事件は試験後に起こる。

追記:16年5月21日、17年3月11日、誤字報告により修正しました


 成人した生徒だけが挑める『姿現わし』試験。

 クローディアも授業を潰しての参加だ。本格的な『姿現わし』を行う為、『ホグズミード村』へと向かう。マクゴナガルとハグリッド、『闇払い』のサベッジ=ガーションに引率された。

 マリエッタやクレメンス、ローレンス、ケイティ等の6年生もいれば、リーやジャックのように昨年度に落ちた生徒の姿も見受けられた。

「夏の休暇中に試験、受けなかったさ?」

「やだ、休暇中にまで試験なんてよ。休暇は休む為にあんの。なあ、リー」

 大げさに身震いしたジャックと違い、リーは憂鬱そうに黙りこんでいた。

「なんだ、リー。まだフレッドとジョージの事で、ぶつぶつ言ってんのか? そりゃあ、いなくなったのはショックだけど、ちゃんと書き置きがあったんだろ?」

「『実家に帰らせて頂きます』だけで、退学なんてわかるかあ!!」

 アンドリューの慰めのような言葉をリーは喚いて一蹴した。

「アンジェリーナだって、フレッドから退学の話を聞いていたのに仲の良いリーが知らないなんてね」

「し~、黙っててあげて」

 ケイティの呟きをアリシアが黙らせる。

 雑談している間に、雪解けの美しい村へ到着した。

 村の中心には、去年の指導官トワイクロスがいた。気配の薄い彼は、外にいるせいか意識しなければ見逃してしまいそうだ。

「こんにちは、皆さん。はじめましての方もいるので名乗りましょう。ウィルキー=トワイクロスです。この場においても、私は指導官と呼んでください」

 生徒の顔を見渡し、トワイクロスは何の感情も持たぬ口調で試験内容を説明していく。

「皆さんには1人ずつ順番に、用意しました円の中に『姿現わし』して頂きます」

 告げた瞬間、トワイクロスの隣に、枝を編みこんで出来た輪が出現した。

「まずは、ホグワーツ城まで戻ってください。そこにはフリットウィック教授がいらっしゃるはずです。『バラけ』る事を恐れず、集中すれば良いのです。では、はい始め」

 突然、締めた言葉が開始の合図とは気づかず、一瞬、呆けた。

 気づいたクローディアは早足で、城へと戻る。慌てて他の生徒も走り出す。生徒全員の疾走を見届けてから、ハグリッドも走り出した。

 城門には、確かにフリットウィックがちょこんと立っていた。

「よく戻ったね。では、アルファベッドから順番にやってもらいますよ」

 順番が巡るまで、クローディアは深呼吸して集中力を高める。しかし、マリエッタのように大半の生徒は全速力で走った為、肩で息を繰り返した。呼吸が整うまで、休憩を求める声があったが、却下された。

「どんな時でも、一瞬の集中を欠かさない訓練でもあります」

 フリットウィックの容赦のない言葉に、誰も反論しなかった。

 結果から言えば、クローディアは合格である。

 寸分も違えず、円に『姿現わし』し、足にも何の違和感もない。

「素晴らしい。貴女に魔法を教えた方とは一度、お話してみたいものです」

 トワイクロスは感心したように呟く。本当に、クローディアが他から手解きを受けていると見抜かれていた。

「トワイクロス指導官、私は確かに祖父から教わっています。『姿現わし』にも、癖があるのでしょうか?」

「勿論、あります。貴女のは、どのような状況下でも『姿現わし』が出来るように少々、荒い方法で教え込まれています。私は安全性を重視した指導を心掛けていますので、真似はできません。しかし、とても興味深いですよ。お祖父さまを大切になさってください」

 何気ない質問にも、トワイクロスは真摯に答えてくれた。

 クリスマスの日から、トトとの距離感がわからなくなっていた。次に会える時は、この試験を話題にできる。

 試験の監督も含め、二重の意味で感謝を述べた。

 

 クィディッチ・ハッフルパフ対スリザリン戦は、セドリック達の圧勝だ。得点から見ても、レイブンクロー対グリフィンドールの勝敗がどうであれ、ハッフルパフ優勝は決定である。

 後は最下位決定戦である。

「頼む! 『銀の矢』を……! チョウに貸してくれ!!」

「お願い、お願いよ!」

 切羽詰まったロジャーとチョウが足に縋りつき、クローディアの箒を求めた。凄まじい迫力に断り切れなかった。

「だから! 最初から、クローディアの『銀の矢』を借りようって言った!」

「今更、そんなこと言っても時は戻らねえんだよ」

「先輩、……落ちついて、ねえ?」

 胸ぐらを掴みあうミムとエディーの口論に、仲裁できずネイサンは困り果てた。

「そもそも、試験で忙しいのに試合があるほうがおかしいんだよ……」

「試験の後なんだから、むしろラッキーよ。スリザリンどもは完敗した挙句、試験なのよ。私なら絶対、何もかもボロボロだわ」

 【中級変身術】の教科書に書き込みをするテリーに、サリーはあっけらかんとしていた。

「鬱陶しかったスリザリンの妨害も少しは治まるかなあ。親衛隊なんて、さっさとなくなればいいのに」

 ザヴィアーはげっそりと歴代試験範囲を確認する。

 先日の対戦まで、スリザリンによるハッフルパフへの陰湿な嫌がらせは馬鹿馬鹿しく凄惨を極めた。セドリックを中心とし、彼らは果敢に立ち向かった。

 流石にブチ切れたスプラウトがスネイプに抗議し、ダートの拷問器具(試作品)で生徒の暴走を抑えた。

「大丈夫、グリフィンドールは……失礼ながら、あのロンがキーパーだぜ。ハリーもいないし、前向きに行こうぜ!」

 本当に失礼なアンソニーの明るい笑顔は、翌日に打ち砕かれた。

 

 ――ハリーのシーカー復帰だ。

 

 最下位を逃れたいマクゴナガルは、今日までにアンブリッジに抗議と交渉を繰り返した。執拗なまでに粘着され、ついにガマガエル婆が折れたのだ。

 

 DAでも、アンジェリーナの怒りは治まらない

「優勝に関係ない最後の試合ってところが、嫌味だ!」

「きっとフレッドとジョージが退学したって、知ったんじゃねえの?」

 双子の退学を知らされたリーは不貞腐れて、クッションを蹴りたくる。

「フレッドとジョージのお陰で、スーザンの退学も目立たないし……。これであの子も逃げ切れたら、いいけど」

 ハンナの心配は、スーザンの安否だけだ。

「『デラックス爆発』は予約待ちだって、あれ、すっげえ好き」

「僕も予約したよ」

 クレメンスとセドリックは悪戯道具の話題で盛り上がる。女子生徒は新商品の美容化粧品に注目した。

「おお、ニキビに悩む人にピッタリ! お小遣いつぎ込んじゃうにえ」

「また顔を削られたいの?」

 興奮するエロイーズをダフネは冷めた目で見ていた。

 セオドールとセシルが入室してくると、皆、自然に授業を受ける態度へと変わる。

 その空気を感じ取ったハリーも、皆の視線を受けやすい位置へと立つ。

「今日は古い魔法を教える。教科書にも載らないくらい、古くて、当たり前にあった魔法だ。当たり前すぎて、傍にある事さえ、忘れてしまう。そんな魔法だ」

 前置きしてから、ハリーは口頭で魔法の説明する。今までと違い、曖昧な表現だ。まるで、リーマスの授業と雰囲気が似ている。難しく考えず、心にある感情を思い浮かべて口にする。彼の授業は、心のあり方を教えていた。

「チェボーラム・サングイズ(血よ糧となれ)」

 歌うような旋律で、ハリーは唱えた。

「……この魔法は今、この場で唱えても効力を実感できないよ。最大限に発揮できるのは、自分の命が危機に瀕した瞬間だ。つまり、自分の命を糧として人を護ってくれる。勿論、生きている時も保護魔法として使えるが、効力は格段に落ちる……」

 一度、言葉を区切ったハリーは、皆の顔を見渡した。

「この魔法は使わないに越した事はない。ただ、藁をも掴みたい……そんな時は必ず来る。ヴォルデモートと相対して、奴に怯えて、授業で習っていた防衛術が使えなくても、恥じゃない。けど、奴らは決して容赦しない」

 ヴォルデモートの名に、何人かが怯んだ。

「そうだ、僕らはヴォル、デモートから『死喰い人』から家族を守りたい。奴らに屈する形じゃなく、誇れる自分の力で……」

 怯えを口元に残し、セドリックはハリーへ微笑んだ。彼の口から、ヴォルデモートの名を聞いたのは、初めてだ。

「ヴォルデモート!」

 音程の外れたルーナの声も、ヴォルデモートへの恐怖を感じさせた。しかし、立ち向かう意志を示している。ジニーが落ち着かせようと、彼女の肩を抱く。

 皆の様子を見てから、ハリーは呪文の発音を教えて回る。

「(これが……校長先生から教えて貰った魔法さ?)」

「(うん、本当、昨日ね。ハーマイオニーにも、ちゃんと伝えたよ)」

 ハーマイオニーへ視線を向けながら、ハリーはクローディアの発音を確認する。

「チェボーラム・サングイズ」

「クローディア、……それだとchaだよ。そこはciで発音して」

 マクゴナガルのように厳しい目つきで、ハリーは細かく注意した。

 一時間後、ハリーは解散を言い渡す。

「今も試験で大変だ。今日で、DAを終わりにしたいというなら……」

「待って待って! 『守護霊の呪文』、もう一回!」

「『盾の呪文』、俺は『盾の呪文』がいい!」

 クララとアーミーが競って主張してきた。

「俺も、まだ色々と教えて欲しい」

 セオドールの主張には、何人かが驚かされる。しかし、ハリーは喜んで歓迎していた。

 

 

 6月に入り、季節が本格的な夏へと移り変わる。太陽の日差し、涼しさを与える風がその証明だ。

 つまり、7・5年生の試験が間近に迫っていた。

 試験への取り組みの一環で宿題は出ないが、誰も喜ばない。宿題の内容が試験範囲内ではないかと疑う声もあった。

 『必要の部屋』も試験の為に、勉強部屋と化した。クララが必死に部屋へ願ったのだ。レイブンクローとは違う過去問題集などの試験に役立つ書物が現れ、セドリックまで歓喜に震えた。

 DAまで試験内容を推測したり、下級生に勉強を教える時間となった。

 クィディッチ選手のハリー達は勉強漬けの毎日でありながら特訓もこなす。これまで以上に、クローディアは彼らを尊敬の念を抱く。

 ここで追い詰められた生徒を食い物にする動きが勃発した。実際はただの水やジューズを『バルッフィオの脳活性秘薬』と嘯いて売り込む闇取引だ。

 エディーは下級生と取引して、60ガリオンも稼いだ。勉強疲れのザヴィアーに発見され、すぐさま返金させられた。

「次やったら、てめえの脳で秘薬を作るぞ?」

 若干、キレ気味のザヴィアーは5年生の折、バーナードに詐欺られたそうだ。あまりの剣幕にエディーは、談話室の絨毯へ土下座して詫びた。

 7年生で一番、温厚なザヴィアーのキレた姿が効いたらしく、闇取引は自然となくなった。

「大丈夫、魔法試験局のグリゼルダ=マーチバンクスは、真剣に実力を見るだけよ。私の時もそうだったわ」

「そうそう、トフティ教授も公平に監督するだけだから、不正とかない! 安心して」

 元気づけようとしたチョウとミムだが、モラグは余計に沈みこんだ。

 

 

 試験前日、DAは行われた。

 これまで学んだ呪文の実践だ。様々な魔法が部屋中を飛び交う。憂さ晴らしのような時間はすぐさまに去り、ハリーは解散を言い渡した。

「いよいよ、明日か……」

 ブレーズの呟きに緊張で寒気がしてくる。簡単な挨拶をして、皆、次々と部屋を後にする。見送るハリーも明日に向けて緊張している。ロンはハーマイオニーとまだ参考書を読んでいた。

「ハリー、試験が終わったら、ハグリッドからセストラルの事も聞けるさ。楽しみがあれば、すぐに終わるさ」

 クローディアの励ましはセオドールの耳に届いた。

「おまえらセストラルが見えんの?」

「僕だけだよ」

 興味深そうにセオドールはハリーを眺める。その視線が気になり、クローディアは怪訝する。

「ノット、セストラルを知っているさ?」

「……まあな、セストラルは人の死を見た奴にしか見えねえ。魔法界でも奇妙な生き物らしいわ。俺の場合はお袋だ」

 事もなげに言い放たれ、クローディアとハリーは首筋が詰まる感覚に襲われた。

「セストラルが……見える条件って、人の死を見るってことさ?」

 今まで見えなかったハリーは、ファッジの死を目撃した。ならば、ルーナは何故だろう。その疑問をぶつけるべく、彼女を探したが既に部屋を出ていた。

「見えなくても触れるから、今度、触ってみろよ。すっげえ肌触りだぜ」

 おもしろそうに笑い、セオドールも部屋を出て行った。

「クローディア、ハリー。どうしたの?」

 ハーマイオニーに心配され、手ぶりで否と答えた。ハリーも真っ青なまま何も答えず、口元や首筋を何度も触る。

「もう、行こうぜ。腹減った」

 ハリーの様子から感づいたロンは、深く追及しなかった。

 

 夕食中もセストラルについて考えた。ルーナが生態を説明しないのも見える理由を話さないのも、彼女の考えだ。クローディアがホムンクルスである事実も教えていない。

 親しい故に、知らぬ事情もある。

 頭で理解している。しかし、胸を虚しさが込み上げてくる。

(試験が終わってから聞くさ。……教えて欲しいさ)

 カボチャジュースをジョッキで飲みルーナを見ながら、勝手な決意を抱いた。

「聞いて、来たわよ。例の試験官! 校長先生と話していたわ」

 手をバタつかせたマンディは慎重な声で教え、5年生の間でより緊張が増した。

 

 

 2週間に及ぶ、『O・W・L試験』は始まった。

 筆記はカンニング防止対策が例年より強化され、実技はより正確さと精密さと威力を要求された。

 ダンブルドアより生きていそうな老齢の魔女マーチバンクス、魔法使いトフティ両名の前で実技を披露する瞬間、緊張で魔法を失敗してしまう生徒が続出した。

 クローディアも緊張はあっても、脳髄が冷静さなお陰で、難なく魔法を唱えられた。マーチバンクスは上々と満足していた。

「私、『守護霊の呪文』をやってみせました。マーチバンクス教授ったら、腰抜かしてましたわ」

 就寝前、リサは上機嫌に教えてくれた。

「そりゃあ、言葉通りの分身だもの。ビビるわよ」

 爆笑したパドマが腹の底から笑い、目に涙を浮かべた。

 

 緊張の張り詰めた試験中、驚きべき事件が起こる。

 ハグリッドがグロウプに投げ飛ばされ、城へそのデカイ体を埋め込まされた。城が崩れそうな程、揺れ動いたせいで、生徒達に混乱が広がった。

「恐れる暇があるのですか!?」

 マクゴガナルの一喝は、動揺する隙間さえ生徒に与えない。

 心配したクローディアとハリーは、医務室へ見舞いに行く。

「……遊んでた……だけだあ……すぐ、よくなる……」

 頑丈な森番は、包帯でぐるぐる巻きだ。

「何処まで、負傷しているかわかりません。精密検査の為、聖マンゴ病院へ入院する手続きを取ります」

 マダム・ポンフリーの決定を聞き、胸騒ぎがする。目の前にいるハグリッドではなく、遠くにいる親しい人に危険が迫っている。虫の知らせというべき感覚だ。

 試験の終わりが待てず、クローディアは夕食の席にいたダンブルドアへ直訴した。校長は真摯に受け止め、彼女の身内を安否を確認すると約束してくれた。

 グロウプは引き続き、『闇払い』とブランクの監視下に置かれた。

「グロウプの事で、ちょいと調子に乗っていたからね。良い薬だよ」

 ブランクの溜息は、ダンブルドアを除いた教職員の総意にも思えた。

 

 最終日の午後、5年生は大広間で『魔法史』に挑んだ。寮席は取り払われ、奥の巨大な砂時計に向けた席が並ぶ。寮生関係なく、好きな席に座る。席には既に裏返しの答案用紙が設置されていた。

 5年生全員の出席を確認してから、マーチバンクスは開始の合図を送る。

 一番の難関、ピエール=ボナコーに関する項目を書き綴り、全ての答案を終えた瞬間、甲高い悲鳴が大広間の静寂をさいた。

 悲鳴の主は、椅子から転げ落ちたハリー。額の傷を押さえる姿勢で彼は蹲っていた。

 冷水を浴びた気分で、全身が震え上がる。試験も忘れ、クローディアはハリーへ駆け寄る。

「ハリー、ハリー! 私を見て!」

 彼の耳元で名を呼べば、爪を立てて腕を掴まれた。緑がかった瞳が一瞬、赤く輝く。ヴォルデモートの気配を感じ、胃が痙攣する。

「貴様の……母親は……頂いた」

 ハリーではない声で囁かれ、クローディアの胃が逆流した。驚愕に目を見開き、彼を見た時には普段の様子に戻っていた。

 悪夢から覚めた顔つきで、ハリーは周囲を見渡す。

「……僕……、クローディア、どうしたの? 真っ青だよ?」

 ハリーの掠れた声は、クローディアは我に返る。騒然した生徒を構う余裕はなく、マーチバンクスとトフティに向かって挙手する。

「すみません! 私、お手洗いに行きます!」

「よ、よろしい。時間内に戻れずとも、こちらで君の分は回収しておこう」

 クローディアの気迫に押され、トフティは戸惑いながら答える。確認してから、大広間を飛び出した。

 向かうのは職員室だ。

 校長室では合言葉が必要だ。職員室には誰かが必ずいるので、合言葉を教えて貰う。

「こりゃあ、異な事! 試験中に、生徒がウロウロしておる!」

「抜け出してきたのか?」

 職員室に来た時、扉前の2体いるガーゴイル像が悪態を吐く。初めて話しかけられたが、驚く心地ではない。

「校長先生にお会いしたいのです。どなたか、先生はおられませんか?」

 お互いの顔を見合い、ガーゴイルは職員室へ入れさせてくれた。適当なノックし、返事も待たずに扉を開く。

 椅子と椅子に寝転がるマダム・フーチしか、いない。突然の生徒入室にマダム・フーチは飛び起きる。

「まだ試験中ですよ、ミス・クロックフォード!」

「校長室に入りたいです。合言葉を教えてください!」

 非礼を詫び、合言葉を尋ねる。マダム・フーチは困りながら溜息を吐く。

「校長先生はいま外出中です。今夜には戻るとしか聞いていません」

 怒鳴りそうな衝動を堪える。ダンブルドアは『不死鳥の騎士団』、校長の職務と多忙だ。しかも、家族の安否まで気遣ってくれた。

(マクゴナガル先生か……、スネイプ先生)

 終了の鐘が鳴り、クローディアは迷わず職員室を後にする。マクゴナガルの事務所へ着いた時、鏡を持ったハリーと合流した。

「ハリー、校長先生がいないさ!」

「そうなの!? 僕、マクゴナガル先生に鏡が……」

 切羽詰ったハリーが『両面鏡』を突き出した時、マクゴナガルに事務所へ引き込まれた。

「その鏡は貴重な物です。おいそれと見せてはいけません」

 深刻に注意するマクゴナガルの言葉が終えた途端、クローディアとハリーは競って声を上げる。

「母がヴォルデモートに捕まりました!」「シリウスがヴォルデモートに捕まりました!」

 双方はお互いの言葉に絶句した。マクゴナガルも驚愕に息を飲んだが、冷静に2人の顔を見つめる。

「どういう事ですか?」

 呼吸を荒くしたハリーは、試験中に見た夢の詳細を語った。『神秘部』のガラス球を陳列した部屋、97列目の奥でシリウスはヴォルデモートから拷問されている様子だ。

「さっき、鏡で連絡を取ろうしたけど……返事がなくて。壊れたんでしょうか?」

 アーサーの前例があり、ハリーのシリウスを心配する気持ちはわかる。しかも、『両面鏡』で連絡できないなら、不安は募る。

「……それでミス・クロックフォードは、どうしてお母上が捕まったなどと?」

 鏡に触れて探ってみるが、マクゴナガルには異常を感じ取れなかった。故に別を確認する。

「ハリーが言いました。正しくはヴォルデモートがハリーを通して言わせていました……」

 赤い瞳のハリーを思い返し、恐怖に慄き指先が勝手に震える。日本にいるはずの母がヴォルデモートに目を付けられた。言葉にして、実感が湧く。

 ハリーも自分の体が操られ、真っ青に手で唇を押さえる。彼を落ち着かせる為、マクゴナガルは自らの椅子に座らせる。

「私がすぐに事実を確認してきます。お2人は……ここいなさい。決して、学校から出てはなりません」

「シリウスは当番なんでしょう? だから、あいつに捕まった……なら」

 縋ろうとするハリーに、マクゴナガルは毅然とした態度で飴の詰まった瓶を差し出した。

「ミスタ・ポッター、よくお聞きなさい。それは罠です。貴方をそこへ導き、あれを取らせるつもりでしょう。あれは直接関わりのある人にしか、触れられない代物です。もし、いいですか? もしも、シリウスが奴らの手に落ちたのなら……、尚の事、貴方は出向いてはなりません」

 丁寧に説得するマクゴナガルは、ハリーに飴の瓶を渡して事務所を出て行った。

 鍵のかかる音がする。マクゴナガルは自分達を閉じ込めたいのだ。

「……どうしよう? どうやって『神秘部』に行けるかな?」

 瓶を適当な机に置き、ハリーは呟く。質問ではなく、独り言だ。

「魔法省なら、ロンかセドリックに……」

 言いかけた瞬間、フクロウが慌ただしく突進してきた。窓ガラスが割れんばかりの勢いだが、ガラスは無事だ。

 すぐにフクロウを招き入れた。その足には封筒を破き、中を改める。

 写真が一枚、入っていた。何処かのホールにて、クラウチJrに抱きあげられた母の姿が写っている。

 脳髄は警鐘を鳴らし、全ての臓物が縮みあがる。吐き気に襲われ、しゃっくりが出た。

「このフクロウ……、母に手紙を出した……フクロウ……」

 弱弱しく倒れたフクロウを撫で、部屋は重苦しい空気に包まれた。

 控え目なノックがしたので、緊張が走る。しかし、扉は勝手に開いた。

「ここにいたんだ」

 杖を構えたルーナの口調は冷静を与えてくれる。

「マクゴナガル先生が出て行くのを見たわ。すっごい、険しい顔だったわ」

 ハーマイオニー、ロン、ジニー、ネビル、パドマ、リサ、ハンナ、セドリック、クララまでいた。

「何があったの?」

 遠慮がちにネビルは、クローディアの持っている写真に気づく。ハリーは飛びつくように、皆へ説明した。全てを聞き終えたハーマイオニーは、写真を見てから表情を強張らせる。

「ハリー、それは罠よ」

「マクゴナガルもそう言った……。でも、クローディアのお母さんは奴らに捕まっているんだ。シリウスだって……」

「ちょっと待って、ハリー」

 興奮したハリーを落ち着かせる口調で、セドリックは宥める。

「君の名づけ親を大切に思う気持ちはわかった。『例のあの人』の夢を見る理由とかはこの際、置いておこう。どうして、それが夢だと思うの? 魔法使いの中には千里眼の使い手がいて、現実に起こっている事を見通せる人もいる。会った事ないけど……ハリー、今、ハッキリと夢だって断言したよね? どうして?」

 セドリックの細かい質問で、ハリーは記憶を辿る。

「話せば長くなるから省くけど、ボニフェースって人が夢に出てくるんだ。……シリウスの傍に……立っていたから……夢だと……」

 唐突に勢いをなくし、ハリーは呆然とした。

「ハリー、どうしたの? 私達に出来る事はある?」

 緊張したジニーはハリーを見つめた。

「君にはないよ、いくらなんでも危険だ……」

 呆けた口調で、ハリーは返す。

「魔法省に行くなら、暖炉が使えれば一番だけど……」

「学校から魔法省へは行けないわよ。アンブリッジ対策で、閉じちゃっているから」

 セドリックの提案をクララは却下する。

「あ~! この場所、知っているわ!」

 気づいたパドマの声に、クローディアは停止していた思考が復活した。

「ハーマイオニー! ここ、ベンジャミン=アロンダイトの展覧会をした会場よ! ジャスティンと行ったから、覚えているわ!メインホール!」

 ハーマイオニーも写真に喰いつき、何度も角度を変えて見る。彼女も『ノスタルジア・ホール』と断じた。あそこは解体工事が行われる予定の建物だ。隠れるには打ってつけかも知れない。

「つまり……二手に分かれるってことですか……」

「魔法省と展覧会、誰がどっちに着いていく? DAの皆にも声をかけようか?」

 リサとハンナが深刻に話し、ハーマイオニーは慌てて声を上げる。

「ちょっと、ちょっと。どうして、行く事前提で話しているのよ! 罠だって、言っているでしょう!?」

「そうだよ、行くとしても! 魔法省には僕だけだし、展覧会にもクローディアだけだよ。そうだろう?」

 明らかな罠。

 2人をそれぞれの場所へ誘い出し、目的の物を手に入れる為だと理解している。だが、行かなければ大切な家族を再び失う。

 ダンブルドアや騎士団員の力を待っている猶予はない。

 行くしかない。

 クローディアは決意して、胸を張る。

「ハーマイオニー、ロン、ルーナ、ジニー、パドマ、リサ、ネビル、ハンナ、セドリック、クララ、そして、ハリー」

 1人1人を引きこむ強い口調で呼ぶ。この場に駆けつけてくれた皆に助けを請いたい。

「私一人では、誰も助けられない。どうか、力を……皆の命を私に下さい」

 慣れた斜め45度の角度で頭を下げる。

 一緒に行くという事は『死喰い人』、またはヴォルデモートの前に命を晒す危険がある。それを承知で頼むならば、命を寄せというに等しい。

 命、この言葉にハンナは怯えて胸元を握る。

 ハリーはクローディアが皆を危険な場面へ立ち会わせようとしている状況に絶句していた。

「行くわ。ここまで知ったのに知らぬ存ぜぬはできないもの」

 パドマの宣言に、リサは同意した。

「僕はハリーに着いていくから、残念だけど……」

 申し訳なさそうに、ロンはハリーの肩に腕を回した。

「魔法省には何度も行っているから、案内できるよ」

 微笑んだセドリックもハリーの頭に手を置く。

「……行くとしても、どうやって行くの? ハリーの『ファイアボルト』に着いていけるのは、クローディアの『銀の矢』だけよ。『姿現わし』は私もやったことないし……」

「それなら、大丈夫だよ。セストラルに乗っていけばいいもン。あたし、ブランク先生に乗り方、宥め方とか聞いてくる。先に『暗黒の森』で待ってて」

 跳ねるように走り、ルーナは誰も返事も聞かずに行ってしまう。

「ありがとう、ルーナ」

 聞こえずとも、クローディアは感謝を込める。

「どうしても皆、行くんだね?」

 戦いを決意したハリーの確認を誰も否定しない。

「ハンナ、怖いなら無理しなくていいさ。ただ、先生達に私達の行動を知られないように、して欲しいさ」

「それくらいなら……」

 安心したようにハンナは安堵の息を吐く。やはり、彼女は戦いの場に連れて行けない。

「それなら、良い方法があるわ」

 嬉しそうにハーマイオニーは、鞄から試験管のようなフラスコを取り出して見せる。

「もしかして、それ、ポリジュース薬さ?」

「ええ、何かあった時に使おうと思って準備していたの。言っておきますけど、自前の材料で作ったわ」

 得意げなハーマイオニーは、クローディアの髪を一本毟る。フラスコをハンナへ渡しながら、『ポリジュース薬』の注意点を説明する。

「ハーマイオニー、監督生なのに堂々と規則違反だわ」

 クララは呆れを通り越し、感心した。

「ネビル!」

 沈黙していたハリーが唐突に声を上げた。呼ばれたネビルが一番、驚いていた。

「君に……君にしか、頼めない事がある……」

 瞬きをしないハリーの眼差しを受け止め、ネビルは承知した。

 

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 美容師の勤務を終え、祈沙は家路に着く。

 誰も帰りを待たない家は、1人では広すぎる。父も夫も娘も、皆、外国で自分の戦いを繰り返しているのだ。足手まといでしかない祈沙は、ここで連絡を待つ。

 これが自分なりの戦いだと信じている。

 一羽のフクロウが祈沙へと舞い降りた。父のシマフクロウ・又三郎ではない。見慣れぬフクロウは長距離の飛行に草臥れていた。

 その足には手紙が添えられ、急いで読み上げる。

【お母さんへ会いたい。すぐに来て欲しい。  クローディア】

 娘にしては、普段と違う手紙だ。まず、英文だ。娘は母である祈沙に『クローディア』とは名乗らない。そもそも又三郎を使わない時点で疑うべきだろう。

 しかし、10月から一切、連絡を取っていなかった。真実を知った娘に、白々しい内容の手紙を出す勇気がなかった。

 しかも、妖精から預かったロケットも無くしてしまう失態を犯した。

 必死の催促で、慌てたのだと解釈した。

 パスポートと最低限の荷物を鞄に詰め、空港で飛行機のチケットを取る。飛行機に乗る前、夫宛てへ到着の予想時間を書き込んだ手紙をフクロウに持たせた。

 時期的に、娘は進路を左右する試験中だ。学校へは行けずとも、早めにイギリスへ行くとしよう。

 夫に連絡しておけば、叱る事はあっても追い返されはしない。後の問題は、長時間の飛行に下半身の筋肉が堪えるだけだ。

 

 問題なく、イギリスへ到着した。

 荷物も無事に受け取り、空港のタクシー乗り場を歩いた。この国では、外国人と一目でわかる容姿、そして独りでいるの為、タクシーの運転手以外にも何人も声をかけてきた。

 その中に、何処かで見た男がいた。

「は~い、奥様。お久しぶりでございます」

 紳士的に挨拶する男は、【日刊予言者新聞】で指名手配された脱獄犯・バーテミウス=クラウチJrだ。

 それを理解した瞬間、祈沙の思考は途絶えた。




閲覧ありがとうございました。
セオドールのセストラル理由は勘で書いてます。間違っていたら、すみません。
チェボーラム・サングイズ(血よ糧となれ)は無い知恵を絞って考えた呪文です。
ホグワーツは先生の目を盗んでのヤミ取引が多い(笑)
ガーゴイル像、やっとしゃべった!
●グリゼルダ=マーチバンクス、トフティ教授
 すごいお年寄り、公平な判断をしてくれるらしい。
●サベッジ=ガーション
 原作六巻にて、トンクスから名前だけ紹介される。男女・容姿不明。


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20.魔法省へ

閲覧ありがとうございます。
どう考えても、一話にまとめられなかったので二つに分けました。

セドリック視点です。残酷な表現があります。

追記:16年5月23日、18年10月1日、誤字報告により修正しました



 ホグワーツには『不死鳥の騎士団』の一員であるマクゴナガル、スネイプ、トンクスの3人がいる。

 マクゴナガルからの報せを受け、トンクスの緊張は高まる。現在、ホグワーツにダンブルドアはいない。出来るのは状況確認と連絡だ。

 その前にクローディアとハリーが勝手な行動取らさぬよう、安全で監視しがいのある部屋へ移す。

 『変身術』の事務所に突入してみれば、クローディアが独りだけ椅子に座っていた。その足元には呑気なベッロがトグロを巻いて寄り添う。

 突然、ノックもなく入ってきた3人を見てクローディアはビクッと震えあがった。

 ハリーの姿が見えず、マクゴナガルは沸々と怒りが湧く。鬼のような形相になっていく教頭を恐れ、クローディアは怯えながらベッロを抱きしめた。

「クローディア、ハリーは行ってしまったの? 正直に話して」

 相手を気遣う口調でトンクスは確認する。クローディアは目を泳がせながら、背筋を伸ばす。そして「魔法省」とだけ呟いた。

「ポッター! この状況で、……全く!」

「ポッターの傲慢さは、今に始まった事ではない。しかし、ミス・クロックフォード。彼を抜け出す算段に手を貸したのでは、ないでしょうな?」

 憤慨するマクゴナガルを置いて、スネイプはせせら笑いながら悪態吐く。無言のまま、クローディアは俯いた。

 その仕草にスネイプは違和感を覚える。普段のクローディアなら、生意気にも文句を返して睨むだろう。だが、目の前の彼女は淑女のように慎み深い。

 そもそも、『施錠呪文』で閉じていた部屋にベッロのいる状況が疑問だ。僅かな疑問を感じなら、クローディアに質問せねばならない。本人確認の為にだ。

「ミス・クロックフォード、君は将来、マグルの職に就くつもりだと聞いたが、間違いないかね?」

 唐突な質問を受けても、クローディアは怪訝せずベッロを抱きしめたままか細い声で答えた。

「はい、そのつもりです」

 スネイプの背筋が熱くなり、胃の痙攣で吐き気がこみ上げる。

「クロックフォード! 母親を助けに行ったな!? 身代わりを置いて!」

 緊張の走った声は、知らずとスネイプの口から零れた。マクゴナガルとトンクスは息を飲む。身代わりクローディアは気づかれた恐怖で更にベッロを強く抱きしめた。

 絞められた苦しさで、ベッロは悶えた。

「何処だ? クロックフォードは何処へ行ったのだ!?」

 恫喝せんばかりの勢いで、スネイプは身代わりの肩へと掴みかかる。ハリーは魔法省だが、クローディアの行先は知れない。

「……わかりません。……展覧会だとしか……、言ってませんでした……」

 怯えきった身代わりをトンクスは優しく撫でる。

「展覧会とは何の事でしょう?」

「少なくとも、魔法界ではないということでしょう」

 マクゴナガルは見当がつかず、スネイプにも心当たりはない。

 急にノックの音がした。

 振り返るとダートがノックの体勢で立っていた。その手には【何があった?】と書かれた小型黒板が握られている。

 本当に無口なダートは、どんな連絡事項も小型黒板を使う。生徒だけでなく、教職員も監視するような目つきは甚だ不愉快である。

「君の気にする事ではない」

 更に無愛想な態度でスネイプはダートを通り過ぎる。マクゴナガルもそれに続いて、彼を通り過ぎようとした。その瞬間、小型黒板の文章は変化する。

【ほんの5分前、セストラルが暗黒の森を飛び去った。その背には生徒らしき姿も見た。何か関係があると思われるが、どうか?】

 文章に驚いたトンクスは、より緊迫した状況を察した。

「ドーリッシュ、私は自分の仕事をしてくるわ。貴方は教授として、この子の傍にいてあげて、すぐにスプラウト先生か誰かを寄越すわ」

 すっかり怯えた身代わりを一瞥し、ダートは了解する。トンクスの言うところの仕事とは騎士団員としての任務だが、それを彼に教える気はない。

 罪悪感もなく、トンクスは廊下へと飛び出した。

 走り去るトンクスを見届けてから、ダートは扉を閉めて身代わりとベッロを見下ろす。

「ハリー=ポッターが動き出しました」

 誰に言うわけでもなくダートは呟いたが、彼女と蛇には聞こえなかった。

 

☈☈☈☈☈

 生まれて初めて、セストラルへ騎乗した。見えない相手に触れる恐怖はセドリックにもあった。しかし、クララ、ロン、リサ、ジニー、そしてハリーの手前、億するわけにはいかない。

 日が暮れた夜、美しい夜景のロンドンに降り立つ。

 疲れ切ったロンはセストラルの乗り心地について、悪態ついた。全員が降りてきてから、魔法省への訪問を急ぐ。マグルから隠された場所へ行くには、何通りもあると父エイモスから聞かされていた。実際、来客用の入り口から魔法省へ行った。

 今日という日の為だったのではないか、そんな錯覚を覚えつつ電話ボックスへと6人は乗り込む。公衆電話に一番近い、クララがマグルの硬貨を入れ、「62442」とボタンを押す。

「魔法省へようこそ、お名前とご用件をおっしゃって下さい」

「セドリック=ディゴリー、クララ=オグデン、ロン=ウィーズリー、リサ=ターピン、ジニー=ウィーズリー、……ハリー=ポッター。エイモス=ディゴリーの忘れ物を受け取りに来ました」

 音声案内に面子と目的を適当に告げ、承諾された意味を示す外来用バッチが釣銭返却口から滑り出る。バッチには【セドリック=ディゴリー 魔法生物規制管理部 訪問】と書かれていた。

 更に音声案内は外来への注意事項を述べる。その瞬間、暇そうだったセストラル達は空へと呼び去ったとハリーが教えてくれた。

 

 電話ボックスは音を立てて沈みこむように地面へ潜っていく。そのまま、ゆっくりと地上の真下である地下深く、広々としていて空洞とは思えぬ人工的な内装を見せてくれた。

 昼の勤務は終了し、照明は夜勤用に薄暗くなっている。 

 床へ電話ボックスが触れ、音声案内と一緒に戸は開く。缶詰め状態だったが、冷静に手前から順番に外へとびだす。

 魔法省創設から置いている黄金の噴水にも目もくれず、6人はホールを駆け抜ける。普段なら、守衛室で杖の計量するガード魔ンがいるはずなのに、誰1人いない。

 夜の時間帯に訪れるのは初めてなのでセドリック達は気にせず、手近なエレベーターのボタンを押して乗り込んだ。

 『神秘部』がある地下9階に降りる。人の気配もない暗い廊下の奥、扉があった。セドリックは緊張の息を吐き、皆を振り返る。覚悟を決めた表情しか見えない。

 それに応えるように、取っ手のない扉は訪問者を通した。6人が通ってから、最後のクララが扉を閉めた。

「やはり、来たわね!」

 表札のない12の扉があるホールだと認識した瞬間、甲高い声が6人を出迎えた。

 吃驚して注目してみれば、青い炎の灯りでもわかるショッキングピンクを着込んだアンブリッジが、そこにいた。乱れた髪を掻き上げ、血走った目で杖を向けてくる。彼女の後ろには、神秘部の職員と一目でわかる服装の男・ブロデリック=ボートも立っていた。

「ああ、ルシウスの言うとおり……、貴方達は魔法省に乗り込んできましたね! ほおら、ブロデリック、言ったとおりでしょう。すぐに捕まえなさい!!」

 段々と奇声になっていくアンブリッジは、少しも恐くない。学校にいた時と身なりは変わらないのに、心が荒んだ印象を受けて哀れにすら思ってしまう。

「エクスペクト・パトローナム(守護霊よ、来たれ!)」

 遠慮なく、リサは叫んだ。彼女と瓜二つの守護霊がアンブリッジの眼前へと飛び出す。

 美しい銀の輝きを放つ守護霊に面を食らったアンブリッジは、後ろにいるボートに杖を向けられていると気づかない。途端に意識を失い、彼女はその場に倒れこんだ。

 ボートの魔法で眠らされたのだ。彼はハリーに視線を向け、扉のひとつを杖で指す。指された扉は、音もなく開いた。

「私達があそこに用だって、どうしてわかるの?」

 罠を警戒したクララは、ジニーとリサを庇うように立つ。ボートは神秘部に属する者として、無言を貫いていた。そして、そのまま彼は扉へと消えていく。

 着いてこいと誘っている。

「行こう」

 ハリーの静かな声を聞き、疑いをもちながら扉へと突入した。

 そこは、部屋全体が星を散りばめたような部屋だ。理由は奥にそびえ立つ釣鐘型の水晶から放たれた光、それらを反射する品々のせいだ。全て、様々な形容の時計だ。

「まあ、見て!」

 釣鐘を通り過ぎようとした時、その中心を視認した。卵型の宝石が輝きの渦を漂い、割れて一羽のハチドリが成長した状態で生まれた。しかし、ハチドリは渦に流れで釣鐘の底へと押される。底に触れた瞬間、卵に閉じ込められた。

 神秘的な現象に、6人は魅入られた。低音の咳払いにより、我に返った。

 

 ボートに導かれた部屋は天井が見えない暗い。その天井まで届かんばかりの棚が整然と並んでいた。棚にはガラス球が置かれており、各棚に設置された燭台の青い炎を反射している。

 今までと違い、ただ寒い。

「ここだ……」

 ハリーが緊張で唾を飲みこみ、強く杖を構えた。ボートを先頭に皆、注意深く進んでいく。

 97番目の棚に入り、それを見つけたロンは無意識に声を出す。16年前の日付を付けた黄ばんだラベルはその歳月分だけ放置されたガラス球の意味を教えた。

「これが……」

 ロンの視線がハリーへ向く。

「これが目的なんだね?」

 自然にセドリック、クララ、リサ、ジニー、ボートまでハリーに視線を注ぐ。

 あらゆる意味の期待の籠る視線、ハリーは杖を持っていない左手を強く握る。深呼吸してから、埃被ったガラス球を慎重な手つきで掴んだ。

 ハリーの指が触れた瞬間、罠を予想したクララは身構えた。しかし、拍子抜けする程、あっさりとガラス球を手に取れた。

「……意外と暖かい……」

 そんな感想がハリーの口から零れた瞬間、ボートの表情が強張った。彼はセドリックの後ろに向かって杖を構える。

「おっと、ブロデリック。私を攻撃するつもりか……」

 その声はこの場にいる誰もが知っている。

 マルフォイだ。

 セドリックとハリー、ロンは声のほうへ杖を構える。クララ、リサ、ジニーは彼らを背を預けて反対側へ杖を構えた。

 それを合図にしたように黒い人影が7人を左右から囲む。彼らは黒い外套と仮面で顔を覆っている。覚悟はしていたが、倍の人数に身の危険を感じて心臓が怯えてしまう。

 1人、マルフォイは素顔を晒して片手を突き出した。

「さあ、ポッター。君の働きは大いに称賛されるべきだろう。それを渡せばの話だ」

 尊大な態度でマルフォイはガラス球を求めた。

 セドリックの肩に触れ、ハリーは唇を噛みながらゆっくりとマルフォイの前に進み出る。

「ひとつ、確認したい。シリウス=ブラックをここに捕らえた夢は、ただの夢だったのか?」

「ほお……、今頃、気づいたのか?」

 マルフォイはせせら笑う。他の死喰い人にも聞こえたらしく、大声で爆笑した。

「ちぃちゃな赤ん坊が怖いよーって、起っきしたねえ」

 小馬鹿にした赤ちゃん声は、ベラトリックス=レストレンジだ。顔はよく見えずとも、その声だけで残忍にして残酷な印象を受ける。

 神経を尖らせたセドリックは、クララを振り返る。彼女もこちらを見ていた。目で合図し、お互い空いた手でポケットへと手を忍ばせる。

「ハリーは、気づいていた」

 怯えを消し去る断言。

 

 ――それはハリーの口から出ていた。

 

 一瞬、マルフォイはハリーが恐怖のあまり言葉を間違えたと思った。油断せず、彼を観察していく。疑問に思ったのは杖だ。奇妙に使いこまれたような古さを感じる。

 マルフォイは怪訝して、ハリーの顔を覗き込む為に近寄った。周囲の光に照らされたハリーの人相は溶けるように変化していき、やがて身長まで伸びた。

 額の傷、緑の瞳も無くした少年は、完全に別人となった。

「ハリーだと思ったか!? 残念、僕でした!!」

 腹の底から勝利宣言したような大声で、ネビルは眼鏡をマルフォイに投げつける。その時、眼鏡に気を取られた。

 ネビルが自分の杖を咥え、ガラス球を両手でしっかりと掴んで、その場で跳んで大きく仰け反った。

「ダンクシュート!!」

 その掛け声と共に、ガラス球はマルフォイの脳点に叩きつけられた。

 

 ――ゴッ。

 

 鈍い音をさせ、マルフォイは脳天を手で押さえ痛みに悶絶した。

 刹那の間も与えず、今度はセドリックとクララによって『デラックス大爆発』が放たれた。破壊的な爆音と無数の形を成した花火に吃驚した誰かが、悲鳴と共に魔法で応戦してしまう。

 こんな狭い場所で魔法など、自殺行為だ。案の定、棚が豪快に倒れ出した。

「馬鹿!? ゴイル、何して……!!」

 更に別の誰かが悲鳴を上げた。

 倒れ来る棚を避ける為に、死喰い人は四散する。その隙にセドリックは走り出す。皆、それに続いた。

「『予言』が……」

 悲惨な光景に絶句するボートをリサとジニーが無理やり連れ出した。

 時計の部屋に逃げ込み、クララは扉を魔法で施錠する。

「コロポータス!(扉よくっつけ!)」

 扉が変形して、開かなくなる。一時の足止めだが、呼吸を整えるには十分だ。

「皆、いる?」

 セドリックの声に6人分の声が返ってきた。僅かに安心し、ネビルは怯えと歓喜が混ざった声でガラス球を握り締める。

「やった! あいつにダンクシュートを決めてやったぜ!」

「ちょっと、違う気がするけど……まあ、いいか……」

 緊張したままロンは、指示を仰ぐようにセドリックを見やる。すると、ダートが何かに気づいて唐突に走りだした。つられるように、皆も走り出す。

 12の扉がある間へ全員が出た瞬間、奥から強烈な破壊音がした。

「コロポータス!(扉よくっつけ!)」

 今度は、リサが叫ぶ。

「こっちへ来い!」

 余裕をなくしたボートは皆を導いて、出口とは違う扉へ飛び込んだ。 

 

 そこは薄暗いが広く、石の台座に設置されたアーチを囲むような部屋に出た。石のアーチは年期の入っており、ヒビさえ見える。

「誰かいるの? ……声がするよ」

 緊張したネビルがアーチを見上げる。

「何も聞こえないわ」

 ジニーは否定したが、ボートはネビルに感心する。

「ここの声が聞けるなら、『神秘部』への勤務を勧めよう。私が口利きしてやる」

「……遠慮します」

 本当に遠慮され、ボートは残念そうだ。

「どうして、ここに来たの? 外に逃げようよ」

 最もなロンの意見だが、ボートは落ち着きを取り戻して無言になった。

「今更、黙りなの!?」

 クララの怒声にも、返事はない。

「そう、責めないでやってくれ」

 前触れもなく、機械的な声が響いた。

 自分達の現れた扉とは違う方向から、金髪に端正な顔の男で紫の瞳をした男はやってきた。暗がりの部屋でも白い服は映えている。

「コンラッド! 皆、クローディアのお父さんだ!」

 救援が来たとばかりに、はしゃいだロンはコンラッドを呼んだ。

 クローディアとは似ても似つかない顔立ちに、セドリックは気の抜けた声を出してしまう。

「紹介ありがとう、ロン。時間ピッタリだね、ブロデリック。後はこちらで引き受けよう。いなくなった生徒は12人と聞いているけど、……顔触れが足りないんじゃないのかい?」

 機械的に愛想よくしたコンラッドは、面子を確認してから疑問する。

「ハリーはシリウスの夢は罠だと判断して、展覧会のほうに行きました。クローディアのお母さんがそこにいる写真を送られてきたんです。場所はパドマが推測したんです」

 ジニーの説明を聞き、コンラッドはネビルとガラス球を交互に眺めて感心していた。

「……罠だと知りながら、君達に託すとはねえ……」

 コンラッドの呟きは、ネビルならガラス球を取り出せる事情を知っている様子だ。勿論、セドリック達は何の説明も受けていない。知らずとも、ハリーの力になりたかった。

 別の扉からシリウス、リーマス、トンクス、ムーディ、シャックボルト、麦わら帽子の男が駆け込んできた。大勢の到着に、クララがやっと笑顔を見せた。

「ハリー! ハリーは、何処だ!?」

 ハリーの不在に焦ったシリウスが狼狽し、ロンが掻い摘んで説明した。

 シリウスは安心したようなガッカリしたような顔で息を吐いた。

「展覧会に行ったであろう報せは受けておる。一応、人はやっているが、……ハリーまでそっちへ行くとはな。ネビル、そいつをコンラッドに渡せ。おまえには不要の品だ」

 急かされたネビルは、命がけで得たガラス球を惜しむ気持でコンラッドに託した。

「スタージス、ブロデリックと子供達を逃がせ!」

 ムーディが指示した瞬間、マルフォイ達は四方の扉から追いついてしまった。しかし、相手もムーディ達に気づいて、警戒して動きを止める。

 マルフォイを目にしたコンラッドは不気味なまで表情を輝かせた。

「久しぶりだね、ルシウス。おや、他にも知っている顔があるじゃないか……ベラトリックス、ジャグゾン、ロドルファス、ラバスタン、ドロホフ、マクネア、エイブリー、マルシベール、クラッブ、ゴイル……ルックウッド、図々しく神秘部に顔が出せたね」

 外套と仮面に覆われている相手を1人1人、丁寧に呼んだコンラッドの声は再会を喜ぶように弾む。しかし、端正な顔は軽蔑に満ちている。

「ほー、コンラッド! 本当に生きていたのかえ! 嬉しさで、涙が出そうだ!」

 ベラトリックスだけが臆せず、笑い返した。少しも親しみが湧かないのは、歪んだ笑みのせいだろう。

 コンラッドに彼らとの対話を任せ、スタージスとボートは子供達を逃がしにかかる。開いた扉ではなく、台座に隠された戸を教えられた。

 ちょうど、死喰い人達から死角になる。彼らの目的は既にコンラッドへ渡したのだ。自分達は用済みと言ってもいい。

 ボートが先導し、クララ、ジニー、リサ、ロン、ネビル、セドリック、スタージスが殿を務めて戸へと進んだ。

 暗すぎる廊下は、ボートの杖が灯りを照らす。本格的に助かるのだという確信が湧く。まだ安心できずとも、死喰い人と戦わなくていい状況になり、セドリックは喜んでいた。

「駄目だ……」

 唐突に、ネビルは震えた声を上げる。足を止められ、セドリックも立ち止まるしかない。

「どうしたんだい? 後は、大人達に任せよう。僕らはよくやったよ」

「駄目だ、あの人をあのままにしてはおけない」

「あの人?」

 ロンも怪訝して、歩みを止める。先頭も気づいて止まった。

「なんですの? 早く、クローディア達の所へ行きましょう」

「君達! まだ危険なことをする気かい!?」

 リサの言動に、スタージスは咎めた。

「クローディアのお父さん、あのままじゃ、マルフォイを殺しちゃうよ。僕、それは駄目だと思うから、戻る!!」

 ネビルは悲痛に叫んで、スタージスを突き飛ばして来た道を戻った。普段の彼から想像も出来ない行動に、ロンは吃驚した。

 一番に後を追ったのは、ジニーだ。2人に行かれ、全員、ほとんど反射的に戻りだした。スタージスとボートは呆れる暇もなく、追いかけるしかなかった。

 

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 子供達が隠し戸に消えたのを気配で察し、コンラッドは『予言』を突き出す。ルシウスの喉が物欲しそうに鳴った。

「闇の帝王は、これが欲しくて堪らないだって? そんなに欲しいなら、自分で取りに来ればいいだろうに……ダンブルドアが怖くて、表に出られないのかい?」

「あの方を侮辱するな! あの方に必要ともされなかったくせに! 大人しくルシウスの従者となっていれば、母親もみっともない最後を迎えなかっただろう!」

 崇拝し敬愛するヴォルデモートを貶され、ベラトリックスは真剣に怒り狂う。

「黙れ、ベラトリックス! コンラッドを刺激するな! いいか、私がやる。説得するなら、私しかいない!」

 一喝し、ルシウスはベラトリックスを下がらせる。

 説得される気などなかったが、ドリスを侮辱されて脳髄の奥が熱くなる。コンラッドは『予言』を握る手に力を込めた。

 まるで、繊細な硝子細工のように『予言』は粉々に砕け散った。

「ああ、つい力が入ってしまったよ」

 口元が嗤う。

 ガラス球の欠片が地面に落ちた瞬間、『不死鳥の騎士団』と『死喰い人』の魔法合戦は始まった。

 数なら『死喰い人』の有利だ。だが、百戦錬磨のムーディによって、マクネアとクラッブは早々に倒れこんだ。

 コンラッドも袖から、自分の身の丈程もある緑の棍を取り出す。正面にいたルシウスへと突き出した。しかし、ルシウスは転がってきたクラッブにもたれかかられ、間一髪で棍を避けた。代わりに、マルシベールの顔面へ命中する。

(ステューピファイ!(麻痺せよ!))

 無言呪文により魔法を直接受け、マルシベールは泡を吹いて卒倒した。

 コンラッドの棍は接近戦を重視した杖である。藤の木、芯は天狗の団扇だ。トトが大天狗・次郎坊との勝負に勝利し、団扇の一部を貰い受けたという(これは祈沙から聞いた逸話なので、真偽は定かではない)。

 遠距離から魔法も仕掛けられ、接近して相手に触れさせれば効果は絶大だ。

「撤退だ! お互いを見捨てて構わん! 1人でも逃げ切れ!」

 ルシウスの懸命な判断に、騒がしく音を立てながら背を向ける。逃がすはずもなく、一斉にかかる。

 コンラッドも棍を地面に叩きつけて、ルシウスの眼前にひらりと立つ。

「さて、ルシウス。邪魔がいなくなったね」

 交戦の音は続ているが、コンラッドは気にしない。誰もこちらへ気を配る余裕はないのだ。

 目に見えて怯えたルシウスは、杖を向けてきた。唱える間も与えず、彼の腕を蹴る。杖が離れたところで、今度は肩に棍を叩きつける。

 ゴッと鈍い音がしたので、骨が折れたかもしれない。

 次は頬を拳で殴り、よろめいた所で足払いした。無様に倒れたルシウスの姿を見て、胸の内に広がる心地よさを覚えた。

 どうやら、自分が想像していた以上に復讐心が募っていたようだ。

「待て……ドリスは、殺してない。……彼女は……自分で……死んだ……。勝手に……何か飲んで……、おそらく、毒だろう……」

 自らを両手で防ぐルシウスは、あの時の出来事を語る。語られずとも、コンラッドにはドリスの亡骸を見た瞬間、自害だと理解していた。情報を渡すくらいなら、母は死を選ぶ。それが最善だと信じていたに違いない。

 脳髄をドリスの姿が横切る。知らずと棍を振り上げた。

「待ってくれ、……コンラッド。許してくれ……。父が君にした事も……、どうか」

 一気に、記憶が刺激される。今だに消えてくれない忌まわしい過去。

 叫ぶ衝動すら、棍を握る力に変えてコンラッドは迷いなく振り下ろす。ルシウスは絶望のあまり、引き攣った笑みを浮かべた。

「プロテゴ!(護れ!)」

 2人の間を遮ったのは、ネビルだ。ルシウスの前に立ち、コンラッドに杖を向けて『盾の呪文』を叫んだ。棍は見事、見えない防壁に弾かれた。

「ネビル=ロングボトム?」

「……ロングボトム?」

 コンラッドが確認で呟けば、ルシウスは驚愕で疑問を口にする。

「駄目、殺さないで」

 毅然とした声だが、手足は若干、怯えて震えている。持てる限りの勇気を振り絞って、ネビルはここに立っている。

「どうして?」

 そこまでする価値がルシウスにあるとは、思えない。ネビルも『死喰い人』に両親を狂わされたはずだ。憎んでいるに違いないのだ。

「この人だって、ドラコの父親だ。それに……ドリスさんは仇討を望んだりしないよ」

 衝撃の言葉に、周囲の音が消えた。

 無音ではなく、脳髄が拒否して搔き消そうとした。

「君の両親は……」

「わかっている。物心ついた時から、祖母ちゃんに何度も聞かされた。でも! 祖母ちゃんは一度も、人を恨めとは言わなかった! パパとママを勇敢で誇りに思えって、それしか言わなかったんだ!」

 それは魂の叫びに近い訴えだ。

 オーガスタ老は息子夫婦の悲劇を受け止めながら、復讐など考えていなかった。この事実はコンラッドだけでなく、ルシウスさえ驚きを隠せない。

「だからね、ドリスさんもきっと、祖母ちゃんと同じ気持ちだよ……」

 躊躇うように、ネビルはコンラッドの腕を掴んだ。触れた部分は、かつて『闇の印』が刻まれていた箇所。彼は意図していないだろうが、表現しきれぬ感情を冷静にさせた。

「……君のような子供に諭されるとは本当に、私はまだまだ青いな」

 自嘲を込め、コンラッドはルシウスを棍を向け『失神呪文』で気絶させた。

 状況確認で振り返れば、逃がしたはずの子供達まで戦いに参加していた。誰もが切り傷や青あざを作っていた。

 リーマスとエイブリー、シリウスとベラトリックス、ムーディとロドルファス、ボートとジャグゾンの一騎打ちになっていた。他の死喰い人は倒れ伏している。

 こちらも無傷ではない。トンクスは気絶し、スタージスは彼女の状態を看ている。クララが頭から血を流し、ジニーも足を押さえて息絶え絶えだ。その2人をセドリックが看ている。リサとロンは気絶していた。

「ダンブルドア!」

 ネビルの叫び声に何人かが振り返る。確かにダンブルドアが扉から現れた。

 その隙をついて、リーマスはエイブリーに吹き飛ばされた。

「リーマス!」

 シリウスは交戦中にも関わらず、視線をベラトリックスから逸らしてしまった。危機を感じ、咄嗟に棍を構えた瞬間、ロドルファスがムーディを振り払う。しかも、頭突きでムーディを蹲らせた。

 ロドルファスへ棍を投げつけた瞬間、ベラトリックスの悲鳴が聞こえた。

「ぎゃああ!!」

 ベラトリックスの杖を持つ手に鼠が噛みついたのだ。

「この! 愚か者があ!!」

 怒り狂ったベラトリックスは鼠を地面に叩きつけ、杖を向けて叫んだ。緑の光線が鼠へ命中した。

 

 ――命中してしまった鼠は、絶命した。

 

 コンラッドには遠くて見えないが、シリウスには鼠の指が欠けまで見えている。

「ワームテール?」

 呆然としたシリウスを置き去りに、ダンブルドアがエイブリーと交戦に入る。その隙に、ベラトリックスはまんまと部屋から逃げ出した。

 コンラッドは追うとしたが、足をクラッブに掴まれた。代わりにネビルが追うとしたので、引き留めた。

「闇の帝王に任務失敗を報告する者が必要だ」

 不承不承とネビルはグラッブへ杖を向けた。

「ペトリフィカス トルタス!(石になれ!)」

 魔法を受け、グラッブは言葉通り硬直した。その手を振り払い、コンラッドは肩を落としたシリウスへと近寄る。

 彼は息のない鼠を憐れんでいた。

「もしかして、ペティグリューかい?」

 無言だが、まず間違いない。鼠は変身していたペティグリューだった。何の思惑があり、この場へ現れたのかは知らない。だが、シリウスの身を助けんとベラトリックスの手を噛んだ。

 その結果がこれだ。

 『動物もどき』は変身した状態で死んでも、決して元の姿へ戻れない。今から解いてやれば、死に顔を拝むくらいは出来るだろう。

「このままにしてやろう」

 コンラッドの胸中を察し、シリウスは呟いた。

「こいつはずっと、鼠だった。仲間を裏切って、ただ生にしがみ付いて……、俺を助けたつもりかよ……、ピーター、馬鹿野郎」

 シリウスは啼いていた。

 涙もなく、嗚咽もなく、ただ啼いていた。慰めの役目は、コンラッドではない。

 この場の決着はついている。既にダンブルドアが見えない縄で死喰い人を纏まって縛り上げた。

「ハリー=ポッターは、クローディアに着いて行ったようです」

「……では、すぐに行ってくれるかの? わしにヴォルデモート卿が来た時に備えておく」

 僅かに動揺を見せたが、ダンブルドアは冷静にコンラッドへ指示した。

「何処へ行く?」

 シリウスは顔を上げず、低い声で問うた。

「クローディアのいる処だよ、決まっているだろう」

「俺も行く、ハリーが心配だ。それに彼女も」

 その彼女の部分がクローディアなのか、祈沙なのか、問い詰めるのはやめておこう。

「僕も行く!」

 ネビルが声をかけたが、起き上がっていたリーマスに引き留められる。

「ネビル、君が考えている以上に負担が来ている」

 深刻に告げたリーマスは、ネビルの足を軽く蹴る。それだけで、彼の足は力をなくして座り込んだ。ネビルは体力のなさを嘆いていた。

「どの道、連れて行けるのは私を含めて2人までだけどね」

 シリウスを嫌そうに眺め、コンラッドは上着の内ポケットを軽く叩いた。




閲覧ありがとうございました。
ピーター=ペティグリューよ、さらば。

ネビルなら予言を取り出せると勝手に推測して、勝手な展開を作りました。
ダンクシュートはずっとやりたかったので、ルシウスに叩きつけてやりました。
原作ではノットの父親も来ていますが、「今、自分に問題起きると息子の進路がやばい」と言い訳して来ませんでした。
映画のネビルは「両親の敵討ち」と明言していますが、原作では見られないので勝手に解釈しています。
「いなくなった生徒は12人」は誤字ではありません。
●ブロデリック=ボート
 原作五巻にて、ルシウスの策謀にて『予言』に触れてしまい病院送りになった職員。口封じの為に始末される。
●ベラトリックス、ロドルファス
 レストレンジ夫妻。夫婦なのに、公式会話のない倦怠期。
●ラバスタン
 ロドルファスの弟。
●マルシベール
 スネイプの学生時代からの友人。コンラッドにとっては、顔を見たら思い出す程度。
●エイブリー
 ヴォルデモート学生時代に祖父がいるらしい。しかし、これといった活躍がない。残念。
●ジャグゾン
 容姿も紹介さず、性別もわからない名前のみという雑な扱い。
●アントニン=ドロホフ
 死喰い人で最古参の一人なのに、リーダーにしてもらえない。めっちゃ強い。
●ワルデン=マクネア
 魔法省危険動物処理委員会の死刑執行人。ハグリッド曰く、血を好む殺人鬼。
●大天狗・次郎坊
 神に等しい大天狗の一人。
 


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21.展覧会へ

閲覧ありがとうございます。

追記:16年5月23日、17年3月11日、誤字報告により修正入りました


 セストラルの乗り心地は、剥き出しの筋肉に跨った感触だ。パドマとハーマイオニーの2人が騎乗するセストラルに誘導され、人気のない路地へ降り立つ。

「次に乗る時は手綱が欲しいさ」

「手綱は重要だね」

 クローディアと騎乗していたルーナも同意してくれた。ハリーとジャスティンの騎乗するセストラルも無事、降りてきた。

「向こうは、ネビルしかセストラルが視えないけども無事に着いているかしら?」

 ハーマイオニーが魔法省のあると思しき方角を見やる。ネビルにセストラルが視える事実はクローディアは勿論、ハリーも驚いた。彼は幼いころ、祖父を看取ったと話してくれた。

 長い歳月、友達でいたのに知らない事が多い。

 皮肉ではなく、奇妙な友情をクローディアは感じていた。

「無事を祈るしかないよ。ジャスティン、平気?」

 ハリーは重要な役目をネビルに押し付けてしまい、罪悪感で声が上ずっていた。シリウスの夢は、罠だと断じれた。何故なら、ボニフェースがいたからだ。夢にしか現れぬ彼の姿が教えてくれた。

 勿論、シリウスが完全に無事という保証もない。

 長時間の飛行に体が強張ったジャスティンは、必死にストレッチして筋肉を解す。彼はこっそりグロウプと遊ぶ為に『暗黒の森』へ入ろうとしていたところを出くわした。

「うん、行けるよ。しかし、懐かしいなあ。パドマとデートしたね……」

「感傷は後にしましょう。ハーマイオニー、道案内お願い」

 若干、嬉しそうにパドマは古いパンフレットを眺めるハーマイオニーへ声をかけた。3年前に発行されたパンフレットを彼女は大事に鞄へしまっていたのだ。あの鞄の中身が整頓されているか、心配になった。

 

 案内されたのは6階建ての建物、如何にも工事現場といわんばかりに足場を白いシートで覆っていた。【解体作業中につき、立ち入り禁止】の張り紙もある。

「好都合ね。念のために『マグル避け呪文』をかけておきましょう」

 ハーマイオニーが杖を構えた時、正面入り口の扉が開く。一気に緊張が高まり、全員、杖を構える。現れたのは、ジュリアだ。

「意外と早かったわね」

 驚いているジュリアに杖を向けたまま、クローディアは警戒を解かない。

「この建物を解体したら、その後に何を建設するさ?」

「は? ……ああ、本人確認ね。駐車場よ」

 『死喰い人』がマグルの新聞を読むとは思えないが、この情報は記載されていない。現場作業員は基本、作業内容は把握しても土地の今後の活用方法は知らない。

「間違いない、ジュリアさ」

 安堵の息を吐き、皆、杖を下ろす。

「ほら、ぼさっとしていないで中に入ってよ。『マグル避け呪文』はティグルって人がやっておいたわ」

「ディーダラスさんも来ているさ?」

 いそいそと建物に入り、クローディアはジュリアに着いて行く。

「メインホールは4階分の高さがあるわ。上2階は、それぞれ小ホールを設けているの」

 ハーマイオニーが解説しながら、正面入り口に『施錠呪文』をかけた。真正面に受付カウンターがあり、右側に上階へ続く階段があり吹き抜けで4階まで一気に見上げられる。外からの僅かな月の光と足元を照らすライトだけが頼りの状態だ。

「後、バンスとかいう魔女よ。2人とも、私に帰れ帰れ煩いから眠って貰ったわ」

 受付カウンター内に、倒れこんだ2人がいた。念の為に呼吸と体温を確かめ、生存を確認した。

「ここにいるって事は、事情を知っているんだろう? ヴォルデモートがいるかもしれないのに、ジュリアは無謀だよ」

 ヴォルデモートの名にパドマの表情が強張るが、ジュリアは眉を痙攣させただけだ。

「ハリーに言われたくないし……これでも貴方達が来てくれると思ったから、踏ん張っていたんですけど」

 若干、不貞腐れたジュリアはカウンター奥の扉を指差す。

「この向こうに人がいるのは間違いないわね。『施錠呪文』で開けないって言っていたから」

 母の身を案じ、クローディアは迷いなく取っ手に手をかける。見た目には鍵はかかっていないが、確かに開けない。

 影に意識を集中し、扉の隙間から内部を確かめる。

 椅子のないメインホール。発光の熱を感じるので、天井から照明が点いている。その中心に1人、2つの非常口に佇む気配が2人。完全に罠を張っている様子だ。

「正面から堂々と行くのもいいけど、普通に裏手から行くべきだと思うわ」

 ジュリアの指は階段奥の通路を指差した。

「中には3人……。1人はお母さんだとして、『死喰い人』は確実に2人以上はいるさ。非常口は見張られていると思っていいさ。照明は点いてるから、ここを開けたら完全にバレるさ」

 クローディアの断言に、ジャスティンは緊張の息を吐く。

「私は正面から行きたい。ハリー、私に正面を任せて欲しいさ」

 頼み込まれ、ハリーは指示を仰がれた事に目を丸くした。彼女が勝手に行動すると思ったのだろう。

「……わかった。でも、まだ行かないのでね。ルーナとパドマ、ジャスティンは右の通路に行って、ハーマイオニーとジュリアは僕と左の通路に来て。見張りの奴をどうにか出来れば、クローディアに守護霊を飛ばすよ」

「守護霊って何?」

 ジュリアの質問に、ハーマイオニーが搔い摘んで説明していた。それが終わってから、それぞれが是の意思を示す。

 皆の反応を見て、クローディアはハリーへ相槌を打つ。彼も緊張しているらしく、杖を持つ手が他から見ても汗ばんでいた

 喉の奥を鳴らし、ハリーは全員の顔を見渡す。

「非常に危険だ。今なら、引き返せるよ」

「「「「「「そういうのいいから」」」」」」

 語尾はそれぞれ違っていたが、即座に返されたハリーは緊張の笑みを浮かべる。

「クローディア、この2人が起きたら説明してあげてね」

 最後にそう締め、ハリー達は左、ルーナ達は左へ出来るだけ足音を立てずに進んで行った。

 

 独りになり、改めてメインホール内を探ろうと扉に手を伸ばす。

 背後から起き上がる気配がする。振り返れば、受付カウンターで倒れていたティグルとバンスが目を覚まていた。

「ディーダラスさん、バンスさん……?」

 2人の雰囲気がおかしい。その笑みは、確実にクローディアを嘲笑っている。

「「クルーシオ!(苦しめ!)」」

 同時に攻撃され、クローディアは脳髄を苦痛が襲いくる。脳から神経を辿って、全身に苦痛が行き渡る。反射的に痙攣した身体が地面に転がりかけ、縋るように扉の取っ手を掴む。

 

 ――まごうことなき、苦痛。

 

 痛みの中で、『閉心術』の単語が咄嗟に浮かんだ。自らを襲う感覚を否定し、拒絶する。

 

 ――否、拒、否、拒、否、拒。

 

 痛みが感じなくなった隙に、クローディアは無言呪文でカウンターを2人に投げつけた。『磔の呪文』に集中していた2人は、激突してくるカウンターに驚いた。

「レダクト!(粉々!)」

 バンスが唱えてカウンターを粉砕した瞬間に混ざり、クローディアは影に変身して暗闇に逃げ込んだ。

「消えたぞ。『姿くらまし』か?」

「闇の帝王自ら『姿くらまし防止術』をかけておられるのだ。ありえん、ケタケタッ」

 動揺するティグルに、バンスは殊更おかしそうに笑う。

 『闇の帝王』と吐いたなら、2人は『死喰い人』で間違いない。操られているのではなく、『ポリジュース薬』による他人の変身だ。

 倒れた姿だけを見て、本人だと断言したのは失敗である。奇妙な違和感が脳裏を掠めた。

 考えを纏める前に、『死喰い人』の2人は『解錠呪文』で扉を開いてメインホールに突入した。便乗してクローディアも影のまま、着いて行く。

 メインホールの中心にいたのは、ヴォルデモートだった。杖を手にし、立ったまま瞑想している。こちらに現れるなど想定していなかったので、本気で吃驚した。

 しかも、母の姿はどこにもない。

「ご主人さま、小娘が姿を消しました!」

「他の子供達は予定通り、左右に非常口から現れるつもりです」

 配下の報告を聞いても、ヴォルデモートは眉ひとつ動かさない。

「小娘は逃げておらんぞ。そこに隠れておる」

 冷静に言い放ち、ヴォルデモートは瞼を開かずに杖を振るう。正面口が勝手に閉じた。

 突如、クローディアのいる位置に照明が向けられる。

 その光を受けた瞬間、身体が強制的に変化する感覚に襲われた。変身を解く光だと察して逃げようとすれば、天井の照明は次々と影を追ってくる。逃げ切れずに変身は解かれた。

 変身が解けたのは、『死喰い人』の2人も同じだ。ティグルやバンスとは違い、ずんぐりとした体格の男女になった。

 獲物を見つけた目つきで、2人はクローディアに掴みかかる。体格通りの遅い動きは、避けるに容易い。しかし、別の方向から魔法の縄が飛びついて来た。それを避けた拍子、男に腕を掴まれ杖を手放してしまう。次いで、女に足を掴まれた。

 不格好な姿でヴォルデモートの前に引きずり出された。

「アミカス、アレクト。よくやった、後は俺様が話す」

 瞼を開いたヴォルデモートは笑みもなく、自らの衣服を触手のように伸ばしてクローディアの四肢を縛り上げた。

 皮膚に食い込む痛みはあったが、堪えられない程ではない。

「お母さんは? 本物の……ディーダラスさんとバンスさんはどうした……?」

 必死に声を出し問えば、ヴォルデモートはクローディアを仰向けで床へ叩きつける。背中と後頭部に来る痛みと衝撃に耐え、視界を確認する。

 照明のない天井部分は上の小ホールへ突き抜けており、鉄骨の部分に3人が寝かされている。人1人分の広さしかなく、寝返りなど打てば落下は免れない。

 恐怖で心臓が凍り、手足が痺れる感覚に襲われる。

 しかし、脳髄の冷静な部分がここに来てからの疑問を纏める。

 ティグルとバンスが偽物なら、何故、ジュリアは無事なのか――。

 そもそも、ホグワーツを退学する程だった彼女に卓越した魔法使い2人を眠らせられるはずもない。『死喰い人』が彼女を気遣って演技など、考えられない。

 ならば、可能性はひとつ。

「……ジュリアは、あんた達側か……?」

 目だけ動かし、ヴォルデモートを睨む。

「ケタケタ、今頃、気づいているよ。この子供!」

「てめえの母親を呼び出してくれたのも、ジュリア嬢だぜえ。てめえの筆跡真似るのが巧いのなんのってなあ」

 女が小馬鹿にして嗤う。男も小気味良く嗤っている。しかし、ヴォルデモートに笑みはない。それどころか、内通者に気づかなかったクローディアを憐れんでいる目つきだ。

「……アミカス、アレクト。おまえ達はあちらにいる連中を捕えて来るのだ」

 そちらはルーナ、パドマ、ジャスティンのいる方角だ。2人とも送りつけるのは、ハリーとハーマイオニーにはジュリアが手筈を整えているのだろう。

「いつだ! いつから、ジュリアはあんたなんぞに与していた!?」

 クローディアの叫びを無視し、アミカス、アレクトは非常口へ向かう。己の部下に目もくれず、ヴォルデモートは感情なく、淡々と語る。

「貴様の杖を返してやった日。何故、都合よくクィリナスが現われたと思っておる? ジュリア=ブッシュマンのくだらん提案があったからだ」

 あの日、ジュリアはクローディアの外出を手伝ってくれた。郵便局に行きたい意思を汲んでくれたのではなく、ヴォルデモートの命令だった。

「……あんた達に筒抜けだったのか……最初から何もかも……」

 絶望めいた言葉を吐き、ヴォルデモートは皮肉っぽく口元を曲げる。

「哀れなり、クローディア。愚かなベンジャミンの血筋を信じたのが、そもそもの間違いだったのだ……。ボニフェースも……ベンジャミンを信じていた……。ヴォルデモート卿に仕えなかった選択をいつかは理解してくれるとな」

 それはどちらのベンジャミンかと判断するより、ゾッとする疑問が浮かぶ。

「……あんた……、ボニフェースがどういう存在か知っているのか?」

 瞳を覗きこんでくるヴォルデモートは、初めて嗤った。

「知りたいか? だが、俺様にばかり喋らせすぎだ。さあ、ボニフェースの遺言を渡せ。貴様が持っていると俺様はお見通しだ……さあ!!」

 ヴォルデモートは手を差し出て命じた。

 目線を合わされ、『開心術』を警戒して心を閉じる。お互いに睨み合う時間は、1分にも満たないだろう。

「……渡してしまえば、皆、殺されるんだろう? あんたはそういう奴さ」

「それは俺様への態度次第だ。寛容な俺様は、礼儀を尽くす者には解放を約束す――」

 

 ――ドオン!!

 

 轟音と煙が起こり、非常口と共にアミカスとアレクト、もう1人が吹き飛ばされた。

「カロー兄弟か、また悪質な闇の魔法使いを従属させたもんだ」

「弱者しか痛めつけられん、サディストは打たれ弱い」

 現れたのは、コンラッドとシリウスだ。2人の背を護るように、ルーナ、パドマ、ジャスティンも無事な姿を見せた。一先ず安堵し、クローディアは声を張り上げる。

「上だ! お母さんは上にいる! ディーダラスさんとバンスさんも一緒だ!」

 5人は杖を構えたまま、天井を見上げて確認する。危険な状態を見て、パドマが息を飲んだ。

「ジュリアが裏切っていた! お父さん、ジュリアは最初からヴォルデモートと内通していた!」

 クローディアの訴えに、シリウスは驚愕に目を見開く。コンラッドは機械的に舌打ちした。

 ヴォルデモートはコンラッドをせせら笑う。

「流石の貴様も妻可愛さに現れたか、母親の仇すら討とうともせん貴様が!」

「……仇討ちなど、ドリスは望まないからね」

 ヴォルデモートの罵倒をコンラッドは受け流し、緑の如意棒のような物を手にして突進してきた。

 地面を滑るような足取りで、コンラッドが如意棒を叩きつける瞬間、ヴォルデモートは後ろへ飛び退いた。クローディアを縛っていた触手が千切れてくれた。

 代わりにコンラッドの上着がヴォルデモートの触手で裂けた。裂けた拍子に、彼のポケットから手の大きさ程の砂時計が飛び出した。

 砂時計はふたつの輪に囲まれ、ただの砂時計には見えない。

 動揺したコンラッドが手にするより先に、ヴォルデモートの触手が砂時計を捕らえた。

「……時間……、そうか、ベンジャミンの『逆転時計』は……貴様が受け継いでいたのか!」

 歯を剥き出し、ヴォルデモートは『逆転時計』を握り締める。

(あれが『逆転時計』……、……やっぱり、こいつはベンジャミンが時間を遡った事を知っている……)

 誰が教えたか推測する暇はない。

 ヴォルデモートの怒りに応じて、ホール中の床がメキメキと音を立てて剥がれ出す。剥がれた床は炎のように熱を帯びていた。

「教えておいてやる! 俺様は時間を操る行為を最も軽蔑する! 過去に戻れぬからこそ、時間は意味をなすのだ! そうだろう、コンラッド!」

 腹の底から叫んだヴォルデモートは、憤怒に顔を歪めて『逆転時計』を握りつぶした。

「クローディア。祈沙を頼むよ。ここは私達でなんとかする」

 緊張した声でコンラッドは、頬に汗を流す。普段の余裕も、機械的な雰囲気もない。

「でも……あいつが……」

 反論する前に、コンラッドはヴォルデモートと交戦に入る。助太刀しようとクローディアも『呼び寄せ呪文』で杖を手にした。そこにシリウスが肩に触れてきた。

「君は母親を助けに来たんだ。目的だけを果たせ」

 一瞬、戸惑いルーナ、パドマ、ジャスティンへと視線を送る。3人とも、シリウスと同意見の様子だ。

 感謝してクローディアは2・3歩下がり、床を蹴って強く蹴って剥き出しの鉄骨へと跳躍した。

 メインホールと違い薄暗いが、母とティグル、バンスの姿は確認できる。

〔お母さん、お母さん〕

 落ちないように気を遣い、母を揺さぶる。瞼を痙攣させた母は呻きながら目を覚ます。

「クローディア……」

 ぎこちなく笑った母の言葉は、血が沸騰せんばかりに体温を上昇させた。襟元を掴み、無理やり下半身を鉄骨から落とす。ぶらさがった体勢にさせられ、相手は悲鳴を上げてクローディアの腕にしがみついた。

「な……、何を……」

「母は私をクローディアとは呼ばない。あんたは偽物だ!」

 

 ――一喝。

 

 母の偽物は狼狽し、それでも縋る手を緩めない。『ポリジュース薬』が切れ、その顔はイゴール=カルカロフへと変わった。最後に見た時より、瘦せ細って目は窪み、皺くちゃで白髪も増えて老人と見間違えそうだ。

「カルカロフ……」

 

 ――パチパチ。

 

 軽快な拍手が壁際から聞こえる。暗闇に魔法の光が照らされ、クラウチJrとクィレルの姿を見せる。拍手しているのは、名を知らぬ魔法使いだ。

 母は3人の後ろにある簡易な寝台で横にされている。

「威勢の良い嬢ちゃんじゃねえか、五月蠅くて殺したくなるぜ」

「よせ、ソーフィン。あの娘の命はヴォルデモート卿の物だ」

 クィレルの鋭い咎めに、ソーフィンはやれやれと肩を竦める。

「バーティ、ここは任せる。ソーフィン、私に着いてこい。下の蝿どもなら、いくらでも殺せ」

 クラウチJrの返事を聞かず、クィレルはメインホールへと飛び降りる。ソーフィンも歓声を上げながら、飛んだ。下では光線が飛び交い、治まる様子も見せない。

 相手する数が減り、クローディアは僅かに安心した。怯えきったカルカロフを鉄骨に掴まらせ、立ち上がる。ティグルとバンスは起きる気配がない。

「ティーダラスさんとバンスさんは本人か?」

「ああ、そこの2人は本人だ。イゴールに変身させたのは、彼女をそんな冷たい鉄に寝かせられないしな」

 母を愛おしげに見つめ、クラウチJrは杖を構える。彼の全身から殺意が放たれている。

「父娘と来てくれて嬉しいな。どっちもぶっ殺す……」

「正直だな、あんた」

 軽蔑を込め、クローディアは嗤った。

「ステューピファイ!(麻痺せよ!)」

「プロテゴ!(護れ!)」

 

 ――バキ、ゴオ!

 

 お互い叫んだ時、建物全体が何かの衝撃で揺れた。

 尋常ではない事態を察し、クローディアとクラウチJrは下を見下ろす。

 蛇の姿を模した炎がメインホールを駆け巡る。しかも、先ほどまでいなかった大勢の魔法使い・魔女まで戦闘に参加している。戦闘の構図を見る限り、『死喰い人』と対峙しているが『不死鳥の騎士団』とは思えない。

「いつの間に……?」

「ルーファス=スクリムジョール! 何故、ここに!?」

 それは『闇払い』局の局長だ。絶句したクラウチJrは、悔しそうに母をは振り返る。

「クローディア=クロックフィード! 今は母親を返してやる! だが忘れるな! この女を本当に理解しているのは、俺だけだ! 俺が必ず、手に入れる!」

 熱弁したクラウチJrはクローディアの反論する隙間も与えず、乱戦へ飛び降りた。

「……本当に勝手な奴さ」

 呆れたが、誰も相手もせずに済んだ。母の傍へ行けば、余程の昏睡状態なのか全く起きない。本部に連れて行けば、誰か助けを貰えるだろう。

 ティグルとバンスには悪いが、シリウスに甘えて戦線離脱させてもらう。母を背負い、さっきから助けを請うカルカロフを引っ張って廊下へ運び出す。

 嗚咽しながら這いつくばい、カルカロフは窓を破って逃げて行った。

「……折角だから、私もそこから……」

 割れた破片を魔法で寄せている間に、慌ただしい足音が近寄ってきた。

 ジュリアだ。彼女の衣服はボロボロで、皮膚も裂けて血が流れていた。

 相手していられないが、クローディアはジュリアの胸元を見るとなしに見てしまう。豊かな胸ではなく、その胸元にあるロケットに気づいてしまった。

 

 ――【S】と記されたロケット。

 

 ゾッとした寒気が襲い、顔の筋肉が動かすのも忘れてジュリアを睨む。

「……それをあんたが盗んださ?」

 ロケットへの視線に気づき、ジュリアは慌てて両手で隠す。

「……盗んだんじゃない。取り戻したのよ! 屋敷で棚に押し込められた彼を見つけたのは、私が最初だった! 彼は私に語りかけてくれたわ。いつも誰にも気付いて貰えなくて、悲しんでいたわ。助けて欲しいって、私の力が必要だって……」

 愛おしげな手つきでロケットに触れ、ジュリアは悲痛に酔いしれた表情で涙した。

「何度も助け出そうとしたの。その度にあの妖精が邪魔してきたわ。それだけじゃない! よりにもよって、あんたの母親に渡した! 日本に持って帰ろうとしたから、助けた……! それの何が悪いのよ!」

 そのロケットを『彼』と呼ぶ。ジニーを支配した日記の時と同じだ。やがて、ジュリアの生気を食いつくしてヴォルデモートがもう1人、蘇ってしまう。

(もう1人……?)

 浮かんだ疑問は、ジュリアの告白に乱された。

「闇の帝王に仕えて欲しいって頼まれたの……。出来るだけ、情報を与えてあげてって……、でも、私、本部の場所は口に出せないし、任務内容も知らないし、闇の帝王は全然、私の事、信用してくれないし……クィレルなんかに使い道を決めるとか言われて……。私、頑張ったのよ。貴女のお母さんを呼び出したり、シリウスが使っている鏡を隠したり、この場所を提供したり、……ねえ、私が裏切っているってわかんなかったでしょう? 私の演技は完ぺきだったでしょう? ねえ、ねえ、ねえ」

 壊れたレコーダーより酷い音程で、ジュリアは喋り続ける。

 母を廊下にもたれさせ、クローディアは様々な怒りの感情に従う。ジュリアの胸倉を掴む。更にロケットの鎖に手をかけた。

「こんな物があるから! そんな馬鹿な事を考えるんだ! 唆されてるんだ! 捨てろ、こんな物!」

「いやよ、絶対、嫌! ここも無くなって……ジョージもいなくて……もう私には彼しかないのよお!!」

 発狂したジュリアの握力は、火事場の馬鹿力と言わんばかりに強すぎる。

「ジュリア、私達は親戚なんだ。親戚のあんたをヴォルデモートなんかに渡したくないんだよ!」

「何が親戚よ! あんたなんかが、ボニフェースの孫だなんて願い下げだわ! ベンジャミン=アロンダイトの血筋にあんたはいらない!」

 血族の情に訴えようとしたが、無駄だった。逆の立場だとしても、クローディアも説得されなかっただろう。仕方ない。

「は・な・せ」

 影を意識し、ジュリアの身体を自由を奪う。指一本、動かせなくなり、彼女は驚愕した。

「こんな手は使いたくなかった……」

 本気を出せば、影を使わずともジュリアを組み伏せる事は出来た。体力よりも、魔法で屈伏させたほうが力の差を見せつけられる。

 非難めいた目つきでジュリアは、クローディアを睨む。構わず、ロケットを掴む。

 鎖が千切れたクローディアの手にロケットが渡った瞬間、ジュリアは首だけ動かして彼女の手首を噛んだ。驚きと痛みでロケットを床に落とす。

 ジュリアの歯は食いちぎる勢いで、遠慮なく食い込んでくる。

「ディフィンド!(裂けよ)」

 ティグルの声が唱え、ジュリアの耳が破裂する。衝撃で彼女がクローディアから口を離し、そのまま吹き飛ばされた拍子に窓へ激突し、床へと転がった。

 血相を変えたティグルとバンスに駆け寄られ、手首の噛み傷を癒して貰う。

「クローディア! 大丈夫かい!? ジュリアは奴らに与していたんだ。危なかった……!?」

 建物が地響きを立てて崩れ始める。廊下にも亀裂が入り、ロケットが割れ目に滑り落ちてしまった。

「『姿くらまし防止術』は解けている! さあ、逃げるぞ!」

 バンスは手際よく母を抱き上げ、『姿くらまし』した。

「さあ、クローディア」

 ティグルに立たされ、クローディアはジュリアを心配して一瞥した。彼女は廊下の崩れると共に下へ落ちて行った。それを見た瞬間、見捨ててしまった罪悪感に脳髄が拒否反応を起こす。

 胃が逆流して嗚咽したところで、意識は途絶えた。

 

☈☈☈☈☈

 クローディアと別れた後、正面から騒音が聞こえた。一度、戻ろうとしたがジュリアの剣幕で先に進むしかなった。非常口を見張っていた『死喰い人』を時間はかかりはしたものの、割とあっさりと倒した。

 しかも、ジュリアは何故かハーマイオニーを攻撃してきたが、簡単に返り打ちにする。

「容赦ないね、ハーマイオニー」

「そりゃあ、最初から怪しかったもの。ジュリアはほとんど魔法が使えないのに、騎士団の魔法使いを眠らせたなんてね。『死喰い人』がここにクローディアを誘き寄せるにしても、誰かが提案しないと思いつかないでしょう?」

 ハーマイオニーの推理力にハリーは感心した。

「さっきから音が激しいけど、クローディアってばもう戦闘おっぱじめちゃったの?」

「パドマ達が追いついたんじゃない?」

 ハーマイオニーの推測した直後、銀色の兎がハリー達の前へ現れた。ルーナの守護霊だ。

「……『例のあの人』がいる……」

 途切れそうな声を発し、兎の守護霊は霧散した。

 まさかの事態に2人の胃が痙攣する。ヴォルデモートがこちらへ来るなど、想定外だ。

(どうして? 僕を誘いこんだ魔法省じゃなく、クローディアのほうへ来たんだ?)

 

 ――あいつまでもが、彼女を選ぶのか?

 

 見当違いな思考が纏わりついてくる。

「早く入りましょう! いざとなれば、貴方とクローディアだけでも逃げ……」

 

 ――ゴオオン。

 

 唐突に壁が破壊され、2人は『盾の呪文』で我が身を守る。

 大穴にはヴォルデモートがいた。軽蔑した目つきで、倒れたジュリアを一瞥する。杖を振るい、彼女を起こした。

 起こされたジュリアは事態を把握し、低頭して伏せた。

「……お赦しください、私は……」

「最初から期待しておらん。貴様はクローディアの母親を連れて、出て行け」

 冷たく言い放たれ、ジュリアは怯えと悔しさで痙攣していた。だが、命令には従い逃げるように去った。

「ハリー、名付け親を見捨ててくるとは俺様にも予想できん事態だな」

 言い返そうとしたハリーは突如、腕の痛みに短い悲鳴を上げる。拷問器具(試作品)の腕輪のせいだ。

 こんな状況で痛み出し、本気で苛立った。

 腕輪は段々と強い光を放ち、音もなく花火のように飛び散った。

 呆気に取られる間もなく、飛び散った火の粉を通じ次々と人が現れる。10人も整然と並び、彼らはハリーを護るように立つ。その中には、ダートとサベッジもおり、ホグワーツで見た『闇払い』の姿あった。

 飾りのない実用的なローブを着たスクリムジョールも現れ、列の前に出る。瞬間、『闇払い』達はヴォルデモートへ杖を構えた。

「まさかの局長自ら、お出ましか!?」

 驚愕したヴォルデモートが杖を構える隙もなく、まるで銃の一斉射撃のように『闇払い』は攻撃を開始した。

 ハーマイオニーに腕を引かれ、非常口を盾代わりに座り込んだ。

 メインホール内も交戦中だ。

 ルーナ、パドマ、ジャスティンは3人がかりでクィレルと必死に応戦している。シリウスとコンラッドまでいた。知らない魔法使いとの2対1だ。

 他にも、魔法使いと魔女の3人が倒れていた。

「なんて事! その腕輪は、こういう時に備えられていたんだわ!」

 ハーマイオニーは激怒した。

 ハリーに着けられた腕輪は、いずれ彼がヴォルデモートと対峙した時に発動する仕掛けになっていた。

 拷問器具だと嘯いたのは、ドラコなどの生徒が『死喰い人』に情報を渡すのを防ぐ為だ。完全に『闇払い』から囮を押し付けられていた。

 救援が来たという安堵感より、奇妙な怒りが湧く。シリウスはここに来ていたのに、何故、まっ先に自分に来てくれなかったという怒りだ。

「ハリー、ハーマイオニー。無事? クローディアはママを助けに上がったよ」

 こちらへ滑り込んできたルーナに簡単な事情を聞けた。

 突如、大気中の空気が変わった。

 炎の燃え盛る音と共に熱気が周囲を包む。巨大な蛇の炎が邪魔者を排除しようと動きまわった。

「あれ『悪霊の火』だ! 初めて見たよ! アグアメンティ!(水よ)!」

 興奮したルーナは杖から水を噴射させて、炎を防ごうとした。

 ハーマイオニーもそれに倣う。ハリーも杖を構えたが、額の傷が割れた感覚に襲われた。

 その感覚が正しいと言わんばかりに、今まで感じた事もない激痛に悲鳴さえ死ぬ。激痛に苦しみ何も考えられない。

「ハリー、それは気のせいだ。おまえは傷ついていない」

 ボニフェースの声がした。声だけで姿がない。

 

 ――どうして、現れてくれないの?

 ――貴方までクローディアのところへ行ってしまったの?

 

 そんな思考が痛みと引き換えに胸が裂けんばかりの嘆きを与えた。

 

 ――僕はここにいる。

 ――僕の傍にいて。

 

「ハリー、私がわかる!? お願い、あいつに心を許さないで!」

 ハーマイオニーの懇願が聞こえた。

 どんな時でも、彼女は力を貸してくれた。ハリーが皆に遠巻きにされても見捨てなかった。

 

 ――彼女も同じだ。

 ――彼女って、どの彼女?

 

 チョウ、ジニー、アンジェリーナ、アリシア……。これまで関わってきた人々の顔が浮かんでは消える。

「ハリー、この前はごめんね。言い過ぎた」

 のんびりとしたルーナの口調は、記憶を遡らせた。彼女はハリーに問うた。

〝クローディアと出会って後悔している?〟

 その質問はハリーの胸に暖かい滴を落としてくれた。

「してない、後悔してないよ」

 

 ――やっと、言えた。

 

 晴れた心地になり、額の痛みも胸の嘆きも消え去った。

 視界が自分の意思で動き、ハーマイオニーとルーナ、シリウスの姿を認識した。身体の重力と四肢の感覚もあり、仰向けに倒れていた。

 奇妙な震動で体が揺れ、崩れる音がする。

「ハリー、良かった……」

 シリウスの腕に抱かれていた。この包容が安心感を与えてくれる。

「ハリー、目が赤くなってたのよ……。もう!」

 半泣きで顔を喜びに歪めたハーマイオニーを押しのけ、衣服を焦がしたスクリムジョールが覗きこんできた。

「ここは崩れるから、君達はすぐに逃げなさい。ドーリッシュとサベッジに送らせる」

 スクリムジョールの言葉通り、崩壊は始まっていた。

「ヴォルデモートは?」

「残念だが、逃げられたと考えるべきだ……。何人か『死喰い人』は捕らえられたので、良しとせねばらん」

 苦々しく言い放ち、スクリムジョールは何故かコンラッドを見やる。彼も白い服が台無しになっていた。

「ハリーは私が……」

「おまえは私とすぐに戻らないと行けないだろう。行くぞ、阿呆」

 シリウスの言葉が終わる前に、コンラッドが彼の襟首を掴んで『姿くらまし』した。

「パドマとジャスティンは?」

「既に逃がしたとも、後は君達だけだ。このまま質問を続けるなら、瓦礫に埋もれてしまうぞ」

 若干、苛々した口調でスクリムジョールに現状を突きつけられた。まだ納得できない事はあったが、ハーマイオニーとルーナの安全を優先しなければならない。

 渋々、ハリーはダートの手を取った。

 

 『付添い姿現わし』した先は、『ホグズミード村』だ。

 民家の灯りだけで、夜空の星々が美しい。

 セストラル2頭の引く大きめの馬車が用意され、傷だらけのパドマとジャスティンが弱弱しく手振っている。2人を連れてきた『闇払い』は屋根に座っていた。

「おやおや、随分、ボロボロだねえ」

 馬車の影から、ブランクが姿を見せる。声は普段通りだが、その表情はブチ切れんばかりに険しい。

「たった今、マダム・ポンフリーから連絡が来てな。セドリック=ディゴリー、クララ=オグデン、リサ=ターピン、ネビル=ロングボトム、ロナルド=ウィーズリー、ジニー=ウィーズリーは『移動キー』にて無事に学校へ帰還したそうだ」

 魔法省に行ってた皆の無事をハリーは喜んだ。

 例え、『予言』を奪われたとしても、皆が無事ならそれでいい。

「尚、君達は教頭先生並びに寮監から直々の説教が待ち受けているので、楽しみにしておきたまえ」

 毛布を投げ渡され、ハリーとハーマイオニーは流石に神妙な態度で了解した。

 サベッジがそんな2人を見て噴き出して笑う。ルーナは毛布も受け取らず、周囲を見渡し続けた。

「クローディアは?」

 ルーナの疑問に全員、お互いの目を見やる。

 『姿現わし』の音が弾け、祈沙を抱き上げたバンスが現れた。

「ダンブルドアから、この女性の救出後はホグワーツに居させろと言われた」

「聞いておる。さあ、中へ」

 動揺せず、ブランクは祈沙を馬車へ招き入れた。

「その女性は何だ?」

 ダートの質問に、ハリー達は驚く。彼の声を初めて聞いた。

「ミス・クロックフォードの母親でマグルです」

 ブランクはそれだけ答え、祈沙に毛布をかけた。

 再び、『姿現わし』の音が弾ける。ティグルにかかえられたクローディアだ。手足に殺傷痕がくっきりと残り、その表情も蒼白い。彼女の姿に、ハリーは背筋に冷たいモノが落ちる。

「気を失っているだけだ」

 そう言いながら、ティグルも不安そうだ。

 慎重にクローディアを馬車へ運ぶ。ハリー達もダートに急かされて馬車へ乗せられた。

「わしらも学校の門まで護衛するから、安心して休みなさい」

 ティグルの優しい声にハリーは頷く。

 7人を乗せた馬車は、大人6人に護衛されながら普段より早めの速度で走り始める。これでは、クローディアと祈沙が起きてしまいそうだった。

 そんな心配は無用であった。

 何故なら、ハリー達も疲労困憊を実感して意識を失ったのだから――。

 




閲覧ありがとうございました。
裏切り者はジュリアでした。
再登場からわかっていたという方は、感想にて挙手をお願いします!
魔法対策のほとんどない建物で暴れたら、普通は崩れますよ。超迷惑!
●ソーフィン=ロウル
 『死喰い人』の中でヴォルデモートと同等の魔力保持者。『死の呪文』が乱発できるという結構なチート野郎。
 映画で、その設定が紹介もされなかった残念なおっさん。
●アミカス、アレクト
 カロー兄妹。
 その残忍さはアンブリッジも赤子同然。


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22.警告を思い出せ

閲覧ありがとうございます。
UA8万越えました。嬉しいです。
これで締めです。

追記:16年5月24日、17年3月11日、誤字報告により修正入りました


 トム=マルヴォーロ=リドルは12月31日を以て、17歳だ。

 成人という特別な誕生日である為、スリザリン寮生からの誕生祝いの貢物は数知れない。勿論、自分を優秀な生徒として贔屓してくれる教師陣からもだ。

 こんな日でも、トムは独りで廊下を歩く。正しくは自称友人達は少し離れて勝手に着いてくる。

 中庭のベンチに見慣れた生徒が寝転んでいた。

 陶器人形のような滑らかな肌をし、絹と間違えんばかりの髪は太陽の光で金色に輝いている。見目麗しい顔立ちなのに、阿呆面で口を開ける。

 その胸元には、真っ赤な蛇がトグロを巻いてトムを警戒している。

「ボニフェース、折角の年末に寝るのは勿体ない。僕と話さないか? そうだな、まずはアグリッパの将来についてだ」

「トム、俺はどうしてもわからん事がある……」

 話を遮られ、若干イラッとしたが、トムは得意の作り笑顔で押さえこんだ。

「最近、ヴォルデモートって名前を聞いたんだが、これって何だろう? 人か物……、気になって夜も眠れず、昼寝する毎日だ」

 

 ――ヴォルデモート。

 

 その名に背筋がひやりとする。それはスリザリン生でも親しくも近しい者にしか教えていない。他寮の生徒であるボニフェースの耳に入るはずがないのだ。

 動揺せぬように、トムは愛想よく微笑んだ。

「さあ、僕にもさっぱりだ。調べておくよ。なんとなく、人の名前のように思える」

 トムの解答を受け、ボニフェースの赤い瞳が驚愕に見開く。

「おいおい、だとしたら『死の飛翔』だぞ。『死の飛翔』! 大事な事だから2回言うぞ、なんか……心が痛いわ。どんな気持ちで、親は子に『死の飛翔』なんて名前を付けたんだろうな。……痛い」

 親ではなく、このトム=マルヴォーロ=リドルが己自身に名付けた名だ。この名は魔法界にて誰も知らぬ者はなく、口出すのも恐ろしい名となる。

 それをこいつは「痛い」と言い放った。今すぐ『磔の呪文』をかけて拷問したくなる衝動を抑えて、必死に笑顔を取り繕う。それでも口元が知れずに痙攣する。

「そういうえば誕生日じゃん。成人、おめでとう」

 寝転がった体勢のまま、ボニフェースは大口を開けて快活に笑う。話を逸らされ、どうにか怒りは治まった。

 ボニフェースを自然に起こして、隣を座る。

「出来れば、朝一番にその言葉が聞きたかったな。僕達は友達だろ?」

 本心であるように、僅かな悲哀を込めて残念がる。これだけで大抵の人はトムに詫びるが、ボニフェースはそうはいなかない。

「……おまえの寮に行ったら、後ろのお友達の視線が滅茶苦茶怖いじゃねえか。それにさ、俺からの祝いなんていらねえだろ? そんな高そうな指輪まで貰ってよ」

 確かにトムの指には宝石を埋め込んだ金の指輪がはまっている。

「これは貰ったんじゃない。正当な手段で手に入れたんだ。それにここのところ、ずっと着けているよ」

「そうだっけ? 今、知った! ……なあ、ちょっと見せてくれよ。俺ン家に金の指輪とかないから、触ってみたいんだ」

 好奇心のあらわれか手つきを怪しく動かし、ボニフェースは指輪に触れようとした。失礼のないように手を払う。

「汚されたくないんでね」

「手は洗っているって! まあ、いいや。見るだけ! な?」

 返事もしていないのに、ボニフェースは遠慮なく指輪を覗き込む。大切な指輪なので顔も近付けて欲しくないが、これくらいは許容してやらないと怪しまれる。

「……へー……」

 繁々と見つめた後、満足して顔を上げてくれた。

「俺、ルビウスと約束があるから、もう行くわ」

 唐突に立ち上がり、ボニフェースは去ろうとした。彼の口から出た名にトムの身体中の血液が沸騰しそうな程、憤る。

 今日はこのトムの成人を祝うべき日だ。それなのに森番見習いのルビウス=ハグリッドに会いに行くという。

「あんな奴と付き合うのはやめろ! 何度も言っただろ! あいつのせいで、クィディッチチームを外された事を忘れたのか!?」

 意図せず叫んでしまい、偶々周囲にいた生徒も吃驚してこちらに注目してしまう。ボニフェースはトムを振り返らず、わざとらしい大きな息を吐いた。

 息の意味はわからない。

 そのまま何も言わず、ボニフェースは歩いて行ってしまった。一瞬、追いかけようとしたが視界の隅でダンブルドアを見つけた。

 差し障りのない言い争いだと周囲に説明し、ボニフェースとは反対方向に歩いた。

 

 ――決別であるかのように、これが生涯最後の会話となった。

 

 月日は流れ、ヴォルデモート卿は奇妙な老人と出会った。自らをベンジャミン=アロンダイトと名乗り、奇天烈な夢物語を聞かせた。

 『逆転時計』により、数十年の逆行はそれなりに興味をそそられる。しかし、ボニフェースが未来から運ばれた『ホムンクルス』で、あまつさえヴォルデモート卿の為に産まれたなどと言われた時点で聞く価値を失った。

 何故なら、今のボニフェースは配下どころか駒の価値すらない。

 最後まで話を聞かず、老人を適当に追い払う。殺さなかったのは気まぐれに過ぎない。

 月のない夜、ヴォルデモート卿はロンドンに来ていた。

 ベンジャミン=アロンダイトに会う為だ。

 あの老人の話が真実であるか、確認する。ヴォルデモート卿自ら赴くのは、貴重な『ホムンクルス』の存在を他に広めない為だ。真実なら、自分の体を造らせるという素晴らしい計画が立てられる。

 付き纏ってくる配下を煙に巻く為、既に捨て去っていたトムの姿へと変身した。配下のほとんどは変貌した顔を認識しているので簡単に逃げ切った。

 ベンジャミンの自宅を訪ね、外出中だと教えられた。ハイド・パーク王立公園が待ち合わせらしく、ヴォルデモート卿も向かった。

 人気も疎らな静かな時間は心地よかった。そこで、ヴォルデモート卿は蛇の悲鳴を聞いた。

 聞き覚えのある声に駆けつけてみれば、アグリッパがいる。背を丸めて倒れ伏した男の傍で泣いていた。

 血生臭い匂いが充満し、杖先を光で照らす。男はボニフェースだ。

 16年振りでも、すぐに判断できる。端正な顔が血の海に沈み、虫の息だ。

 アグリッパはヴォルデモート卿に気づくなり、烈火の如く叫んだ。

[貴様が命じた! 貴様が唆した! 大嘘吐きめ!]

 否定よりも、ゾッと寒気がした。

 ボニフェースが死ぬ。

「誰の仕業だ……?」

 その場で崩れ落ち、知らずと口走る。自分の声にも動揺が混じっている。

 か細い声で何か呟き、ボニフェースは血に濡れた手で空気を掴む。出血のせいで視力を失っていたのだ。

 迷わず、その手を取った。

「……ダンブルドアに伝えて……、ベンジャミンが……」

 言い終える事も出来ず、ボニフェースは息絶えた。

「ボニフェース?」

 ヴォルデモート卿は彼を呼んだ。返事はない。

[貴様が殺した! 貴様が殺させた! もう1人に殺させた!]

 代わりに蛇の罵詈雑言が耳に流れた。流れても頭に入って来ない。激しい感情が胸中に渦巻き、脳髄に達していた。

 

 ――逝かないで!

 ――置いて逝かないで!

 ――独りにしないで!

 

 相手への執着を示す魂の嘆きは、ヴォルデモート卿を驚愕させる。そして、恥じた。それは自分に合ってはならない感情だ。

 

 ――ヴォルデモート卿は誰の死も悼まない!

 

 自らに言い聞かせ、ボニフェースの身体を抱えて『姿くらまし』した。

 

 人の手入れがされていない川原は、無骨な岩場が目立つ。

 適当に腰かけたヴォルデモート卿は川のせせらぎを聞きながら、ボニフェースを抱きしめ続けた。死後硬直も終わり、その身体は柔らかい。

 ボニフェースを惜しんでいるのではない。彼の人生とは、何の為に存在したのかを自分なりに纏めていた。

 ヴォルデモート卿の為に生まれながら、何の役にも立たなかった。煩わせ、手間取らせ、ただ迷惑をかけ続けた。

 非常に無駄な人生だった。

 己に課せられた宿命を果たせずして死ぬなど、無駄以外ない。

 死んだ者は決して蘇れない。後悔、無念があっても死んでしまえばやり直せない。死とは、かくも残酷な人生の終着点。

 故にヴォルデモート卿は死ねぬ。如何なる犠牲を払っても、生き続けるのだ。

「すぐに貴様の兄にも後を追わせてやる……、俺様の許可なく……貴様を殺した老いぼれ……。光栄に思え、ボニフェース。貴様の為に俺様自ら手をかけてやる」

 宣言してから、ヴォルデモート卿は物言わぬボニフェースを植物で包んだ。不自然で歪な生え方をした木はマグルには見えない。

 植物の隙間を覗けば、ボニフェースの顔が見える。もう二度と、彼とは話す事は出来ない。湧き起る感情が胸を打ち、涙が零れた。

「ハリー、それはおまえの感情じゃない」

 ボニフェースの口が不自然に動いた。

 

 ――――もう貴方に会えないの?

 

 縋りつく質問を赤い瞳が優しく微笑んだ。

「そうだ、……けど、間違えるな。俺はとっくに死んでんだよ……。さあ、起きなよ。皆がおまえを待っている」

 ハリーの意識は覚醒した。

 

 何度もお世話になる医務室の天井。

 眼鏡のないボヤけた視界でも、場所の区別はつく。ホグワーツにいる実感を持ち、ハリーは頬を濡らす涙を拭った。

 上体を起こしながら、周囲を見渡す。ロン、ハーマイオニー、ネビル、ジニー、ジャスティン、パドマ、リサ、ルーナ、セドリック、クララ、そしてクローディアが寝台にいた。

 深夜に起きていたのは、クローディアだけで動物図鑑を読み耽っている。首と腕に巻かれた包帯は痛々しいが健康的な顔色に、ハリーは心の底から安心した。一年近く纏わりついていた敵愾心はもうない。

 ハリーの視線に気づいて、クローディアに笑顔で振り向かれる。

「ヴォルデモートがボニフェースを喪したよ」

 挨拶より先に出た言葉。

 クローディアの笑顔は一瞬、固まったがすぐに大きめの息を吐く。その息遣いが夢で見たボニフェースと同じだった。

「……怒る気力も湧かないさ……」

 クローディアの言うとおり、今更ヴォルデモートが人1人を喪したところで何が変わるわけでもない。ボニフェースへの未練なく、彼女も排除すべき存在として再認識したに過ぎない。

 再認識と考えた時、人数が足りないと気づいた。

「そういえば、君のお母さんは?」

「さっき、お祖父ちゃんと帰ったさ。ちなみに私達が入院してから丸一日は経っているさ。……退院したら、アンジェリーナに謝るといいさ」

 後半、クローディアは心底、気まずそうに提案した。

 アンジェリーナの名を聞き、ハリーの全身の毛穴から嫌な汗が噴き出る。今日はクィディッチの最終決戦だった。

 ハリー、ロンを欠いた状態で行われたに違いない。しかも、シーカーの補欠のジニーもいない。結果を想像しただけで、アンジェリーナの怒りが伝わってきた。

 ヴォルデモート絡みで試合を欠席するなど、1年生以来だ。懐かしむ余裕はなく、ハリーはアンジェリーナに如何なる謝罪を述べるべきかで悩み、両手で顔を覆う。

 それはある種の心に余裕が戻った証拠だと感じ、ハリーは少しだけ嬉しかった。

 

☈☈☈☈☈

 クローディアは目覚めた視界をトトの渋い顔が締めている。傍には五体満足の祈沙がいた。

 久しく見るに祖父、嬉しさよりも音信不通だった怒りが湧く。一言、文句を述べようとしたが、祈沙に止められた。

〔お祖父ちゃんも色々とあるさ。ここで責めないで欲しいさ〕

 滅多に見ぬ真剣な眼差しに、クローディアは渋々納得した。

「若造風情が祈沙に目を付けるとな……。生徒だけで乗り込むのは感心せんが……、まあ、良くやった……。良い友達を持ったな」

 てっきり雷が落ちると身構えていたので、予想外の称賛に拍子抜けだ。不意に視線を落とし、トトの左手を視界に入れた。

 シワだらけの老いてもそれなりに逞しい手が黒ずんでいる。火傷とは確実に違う。左手だけ生気を失っている。まるで、石炭を着けている印象を受けた。

「その手……どうしたさ?」

「スリル満点の逸話がある。じゃが、また今度にしようぞ。祈沙のパスポートやら、再発行の手続きがあるのでな」

 適当にあしらわれたが、それだけの惨事がトトを襲ったのだと察した。

 そこへダンブルドアまで現れた。

「お二方、馬車の用意が出来ましたぞ。見送りましょう」

 校長直々の見送りに、トトと祈沙は感謝して深々と頭を下げた。

「校長先生、……ジュリアが裏切っていました。……ロケットも彼女が盗んだんです。ブラックの鏡を隠し、ハリーとの連絡を」

 逸る気持で捲くし立てたせいで、包帯の下に痛みが走る。ダンブルドアは優しく、ゆっくり休息するように勧めてくれた。上体を起こすのも億劫なので、有難く布団に身体を沈める。

「それについて、聞きに来た。ディーダラスやエメリーンはジュリアの手引きで建物に招かれ、『死喰い人』に襲われたそうじゃ」

 展覧会で得られた情報を出来るだけ鮮明に思い出し、焦らず順番に話して聞かせた。ダンブルドアとトトは眉ひとつ動かさなかったが、祈沙は顔を顰めて下唇を噛んでいた。

 全てを聞き終え、ダンブルドアは悲しげに眉を寄せる。

「おそらくジュリアは初めから、わしらの行動を可能な限り、ヴォルデモート卿に流しておったのじゃろう。実に残念な事じゃ……」

「ジュリアは、どうしてヴォルデモートに与したんでしょう」

 どれだけ思考を巡らせても、ジュリアの心情は全く理解できない。

「理解する必要はないぞ。理解したところで、同情の余地もないのじゃ」

 忌々しげに、トトは吐き捨てた。 

 これで話は終わったと、トトは先に医務室を出て行く。祈沙は沈痛な表情でクローディアの手を握る。

〔来織、私は日本に帰るけど……これからは、もう手紙のやりとりも出来ないさ……。クラウチJrが私を執拗に狙うなら、足手纏いになるさ〕

 家族との繋がりが無理やり、千切られた気分になった。突然、祈沙はクローディアの頭を両手で掴み、額と額をくっ付けた。

〔……来織、私にとっての娘はあんただけさ。声が聞けなくても、手紙が読めなくても、お母さんは来織の無事を祈っているさ〕

 涙声は精一杯の強がりだ。

 母の辛さが伝わり、クローディアも涙が目に浮かぶ。言葉を口にすれば、より涙は零れてしまう。無言で頷くしなかった。

「さあ、これでも読んで気持ちを落ち着かせておりなさい」

 ダンブルドアに渡されたのは、何故か動物図鑑だった。この図鑑で初めてアルマジロの姿を認識した。

 その1時間後に、ハリーは起きた。

 

 夜明けを迎え、医務室に陽射しが入り込む。全員の目覚めを確認してから、クローディア達はお互いの情報交換を行った。

 『予言』はコンラッドに壊され、『死喰い人』はベラトリックスを除いて逮捕された。ペティグリューの死は予想外だ。しかも、シリウスを庇ったという。

 ジュリアの裏切りに、クララは涙した。在学中は彼女が一番、ジュリアと親しかったのだから、無理もない。今、思えば2人が鉢合せなくて良かった。

「……展覧会に行けば良かったわ! 私が引導を渡してやれたのに!」

 興奮するクララに、益々、連れて行かなかったのは正解だ。

「しかしさあ、クララといいセドリックといい。どうして、ハリーに付き合ってくれたんだ? 僕はハリーの友達だし、力になりたいからだけど……」

 元気よく寝台の上で跳ねたロンの質問をセドリックは、穏やかにそれでいて気恥しそうに答えた。

「自分の選択を信じたいからだよ。僕は去年、『例のあの人』の復活に立ち会わず済んだ。でも、目撃者がハリーとクローディアだけだったから、父を含めた多くの魔法省役人を説得する材料には足りなかった。……その場にいれば良かったんじゃないかなって……、そんな馬鹿な事を考えてたんだ……」

「セドリック、そんなに責任を感じてくれたの?」

 感激しているハリーを余所に、ロンは少し仏頂面になる。

「もしかして、ロンったら妬いているの?」

 ジニーのからかいに、ロンは顔を見られまいと布団を被った

「僕もよく着いて行ったよね……。まさか、『例のあの人』をこの目で見るなんて……」

 戦いの場を思い返し、ジャスティンは今頃、恐怖で身震いした。

「あら、ハンナ!」

 リサの声に振り返れば、ハンナが【日刊予言者新聞】を手に見舞客として現れる。彼女は号泣しながら、生還を喜んだ。

「皆! 無事で良かったあ!! スプラウト先生にメチャクチャ怒られた甲斐はあったあ!」

 どのように怒られたのか、想像したくない。

「皆、本当にありがとう。助かりました」

 クローディアのお礼を言っている最中に、ハンナは騒いだせいでマダム・ポンフリーに追い出された。持ち込まれた新聞は、バグマンの退任とスクリムジョールの大臣就任という2つの大見出し記事で賑わっていた。

 しかも、バグマンは体調不良で長期入院とまで載っていた。

「バグマンじゃなければ、誰でもいいわ。しかし、闇払い局長! ハリーを囮にしたのは頂けないけど、行動派ではあるわね」

「でも、大がかりな事した割には成果がカロー兄弟? の逮捕だけじゃ、先行き不安よ」

 パドマとハーマイオニーはスクリムジョールについて自分の意見を述べ合う。

 昼頃、ロン、リサ、セドリック、ルーナは退院していく。元々4人は軽傷だったので、念の為の入院だった。

「皆と寝るの好き、ラックパートも寄って来ないもン」

 残念そうにルーナは、夕方になり見舞に来てくれた。退院した者は、4人の寮監から同時に叱られるという有難くない報せを頂いた。

「クィディッチ戦はレイブンクローが勝ったって言ってたよ。開始と同時にチョウがス二ッチを掴んだって! 後ね、あたし達がした事は秘密になっているんだ! あたしに色んな質問してきたよ!」

 早速、『死喰い人』との戦いは公然の秘密として広まっていた。情報の早さにクローディアとハリーはげんなりする。

「ハリーが退院するまでには、また校長先生が「何も聞くな」って言い含めてくれるよ」

 ネビルの気遣いが嬉しかった。

 

 更に一晩経ち、朝方にネビル、パドマとジャスティンは退院。クローディアとハーマイオニー、ハリーは夕方になった。

 ジニーとクララは重症らしく、まだまだ治療と検査を必要とした。

 クローディア達はマクゴナガル直々の迎えによって、そのまま地下牢に連行される。途中の廊下でフィルチがアンブリッジの肖像画を丁寧に取り外していた。

「元尋問官殿の肖像画はどうされるんですか?」

「親衛隊もなくなりましたで、もう不要です。ルシウス=マルフォイが逮捕され、理事会もドラコ=マルフォイ達に余計な権限を与える危険性を理解したのでしょう」

 こっそりとマクゴナガルは朗報を伝えてくれた。

 『魔法薬学』の教室として馴染み深い場所。

 4人の寮監という顔ぶれに、クローディアは敵と相対するより緊張した。ハーマイオニーはまだ叱責も受けていない段階で落ち込んでいた。ハリーに至っては、堂々とスネイプとは目を合わさない。

 1人5分の合計20分に渡る説教を受け、3人は精神的に痛かった。

「『ポリジュース薬』でハンナを身代わりにするとは!」

 スプラウトはこの部分に激怒していた。調合したハーマイオニーは益々、落ち込んで地面に座り込んだ。

「先生、話の腰を折るわけではありませんが、他人に変身する方法は『ポリジュース薬』以外、本当にないのでしょうか?」

 クローディアの素朴な疑問に、マクゴナガルの冷たい視線が突き刺さる。

「……顔を変えるくらいなら、出来ます。眉の形、目の大きさなどです。しかし、他人そのものに変じる事は私の知る限りできません」

 つまり簡単な変装なら、出来る。次があるなら、そちらにしようと不謹慎な事を考えた。

 スネイプの闇色の声に、思考は妨害された。

「寮監としての説法はここまで致しましょうかな? ミス・グレンジャー、君はもう帰って良い。さて、ミス・クロックフォード、ミスタ・ポッター。我輩から、別件で君達に話がある」

 嫌味な笑顔でスネイプは懐から、【ザ・クィブラー】の雑誌を取り出す。そして、爽快な手つきで2人のインタビュー記事を見せつけた。

「諸君らは覚えておらんかもしれんが我輩は去年、警告したはずだ。『リータ=スキータのインタビューに答えた生徒は罰則では済まさん』……と」

 記憶を掘り返すのに、1分弱かかった。

 ハーマイオニーはすぐに思い出したらしく、小さく「あっ」と悲鳴を上げる。ハリーも事の重大さに表情を強張らせて、痙攣し出した。

「確か……スリザリン生でも、例外ではないとか……そんな話を聞いたかもしれません」

 知らずと声が震えてしまう。

(マルフォイどもが何も言って来なかったのは、これを覚えていたからか!? もしかして、ノットに嵌められたさ!?)

 困惑したクローディアは頭を抱えて、真っ青になる。

「部外者の私達は、お暇しましょう。セブルス、どうぞお好きに」

 いそいそと退室するマクゴナガルに、スプラウト、フリットウィック、ハーマイオニーまで従う。

「残念ですが、私にも庇い切れません。しっかりなさい。スネイプ先生の罰則慣れをしている貴女なら、大丈夫です」

 フリットウィックの慰めにもなれない応援に、クローディアは反応に困った。

 3人だけになり、スネイプは意気揚々と教壇に雑誌を置く。見た事もない満面の笑みを浮かべた。

 コウモリに笑みがあるとすれば、今の彼と同じ表情だろう。つまり、不気味を通り越して怖い笑顔である。

「時間はある。じっくり、受けるがよい」

 戦慄のあまり、クローディアとハリーは声にならない悲鳴を上げた。

 たった一晩とはいえ、凄惨かつグロテスクな内容はこれまでのどの試練より気力と体力を奪われた。

 精神に作用する魔法をかけられた気がするが、おそらく気のせいだ。

「僕、スネイプが嫌いだ」

 改めて宣言したハリーは疲労困憊で嗤っていた。

 寮に帰ったハリーの様子を見て、アンジェリーナは小言ひとつ言わなかったそうだ。

 

 クローディアも寮で誰も質問して来なかったが、視線が強烈に突き刺さった。

「去年と同じ、校長先生が言い含めていたわ。箒、ありがとう。これが勝敗を決したようなものだもの」

 『銀の矢64』を返してくれたチョウに教えられた。

「クローディア、休暇の事だけど家に来て! リサが魔法省の『神秘部』で見た物を教えてくれるの。勿論、パドマに……ルーナも一緒よ」

 ウィンクしてくるセシルの瞳が輝いている。

 休暇中の予定は不明だが、同級生の誘いを断りたくない。コンラッドを説得してでも、リサの家を訪問すると決めた。

 

 ハグリッドが学校に帰ってきたのは、学期末だ。

 積もる話もあり、クローディア達はハグリッドの小屋を訪問する。先客にブランクがいた。ベッロもいたが住人面していたので、客ではない。

「私は今日で退職するんでね。ハグリッドに色々と引き継ぎをしていたところだ」

 キセルを吹かし、ブランクは事務的に話してくれた。つまり、新学期からハグリッドが返り咲くのだ。

「夏の間に、グロウプに助手が出来るように教え込むんだあ。楽しみにしとれ」

 楽しげなハグリッドに、少々、罪悪感が湧く。

「ハグリッド。私、癒者を目指すさ。だから、折角だけどハグリッドの授業は受けられないさ」

 残念ながら、限られた時間割を考えると『魔法生物飼育学』は組み込めない。ここでハリーも気まずい顔をする。

「ごめん、……僕も『闇払い』を目指すから……厳しいと思う」

 申し訳なさそうにハリーは俯いた。

 ハーマイオニーとロンは言葉を探して目を泳がせる。子供達の様子を見て、ハグリッドは明らかに残念そうな顔をしたが、納得してくれた。

「6年生からは、将来の準備だ。自分にとって必要な授業に専念すればいい」

 ブランクは愉快げに笑った。

「担当替えと言えば、『占い学』のトレローニー先生とフィレンツェ先生はどうなるんだ?」

「フィレンツェはもう仲間の群れに帰れねえ。学年別に担当させると校長先生はおっしゃっていたなあ」

 必死に話を逸らしたロンに、ハグリッドは再び溜息を吐いた。

 

 宴の席は予想通り、スリザリン寮の横断幕に彩られていた。

 レイブンクロー51点、グリフィンドール51点、ハッフルパフ176点、スリザリン274点。

 見るも無残な結果にスリザリン席以外、言葉少ない。特に先日のクィディッチ戦で大敗したグリフィンドールは言葉を失って私語すらない。

 ダンブルドアが恒例の寮杯の祝辞を述べようとした瞬間、聞いた事もない声が大広間によく通った。

「少し宜しいでしょうか?」

 教員席のダートからだ。口が効けないのでないかと噂もあっただけに生徒・教職員に衝撃が走った。

「勿論、良いとも。ダート先生、さあ、どうぞ」

 ダンブルドアに促され、ダートは席を立つ。

「いくつか、駆け込み点を勘定に入れたい」

 その発言には、聞き覚えがあった。クローディアが1年生の折だ。その経験のある生徒は必死に首を伸ばして、ダートに期待の眼差しを送る。

「まずはセドリック=ディゴリー、ジャスティン=フィンチ‐フレッチリー。セストラルという魔法界でも扱いの難しい生き物を見事、騎乗した。よって、2人に50点ずつ、与える」

 ハッフルパフに100点追加、これでスリザリンより超えた。下級生が騒ごうとしたが、アーミーとハンナの監督生達が黙らせる。

「次にハーマイオニー=グレンジャー、ロナルド=ウィーズリー、ハリー=ポッター、ネビル=ロングボトム、ジニー=ウィーズリー。同じ理由で5人に50点ずつ、与える」

 グリフィンドールに一気に250点追加された。だが、皆は叫びを堪えて自ら手を押さえる。

「次はクララ=オグデン、クローディア=クロックフォード、リサ=ターピン、パドマ=パチル、ルーナ=ラブグッド。同じ理由で以下省略」

 レイブンクローにも250点の追加にクララが声を殺して咽び泣く。誰もが今こそ、喜びに叫ぼうとした瞬間、ダートは続けた。

「次はハンナ=アボット。自らの降りかかる危険も顧みず、その身を差し出す自己犠牲の精神を私は大いに称賛する。よって、25点を与える」

 まさかのハンナへの得点。当の本人は聞き違いかと周囲を見渡したが、注目を浴びていると気づく。嬉しさのあまり、彼女は歓声を上げた。

 それを切っ掛けとしてスリザリン以外の生徒が騒ぎ出した。

「そして! セオドール=ノット!」

 一喝。

 予想外のスリザリン生の名が呼ばれる。すっかり陰鬱になっていた席では、一斉にセオドールへ視線が集まる。唐突に目立ってしまい、彼は動揺してガタガタと震えた。

「優秀な成績により、ダームストラング専門学校への転校が決まった。ホグワーツからの編入はここ100年の間にはない。誉れ高き教え子に27点を与える」

 水を打ったように静かになった。

 つまり、4つの寮が同点という結果になったのだ。この事態に歓喜より、困惑が生徒に伝染していく。

「私は本日をもって『闇の魔術への防衛術』教授の任を解かれ、『闇払い』としての職務を全うする。知っての通り、『例のあの人』は帰ってきた。この場にいる生徒の家族にも闇の誘いがあった者もいるだろう。私の本来の任は、それらを取締、必要ならば命を奪う」

 語尾に強い意志を感じた。

「吸魂鬼がアズカバンの任を放棄した。もはや、魔法省では彼らを制御できぬ。これの意味がわからぬ者はおるまい」

 その気迫に誰かが唾を飲み込む音が聞こえる程、生徒は静かだ。

「学校にいる間は、誰かが護ってくれる。だが、外では自分しかいない。ここは自分を鍛える為にある。競い合うのは、大いに結構。しかし、組分け帽子の警告を思い出したまえ。今、何が必要なのかを……」

 言い終えたダートは着席した。無表情な顔つきには、満足感もない。ただ、今までと違う威圧感を覚えた。

「さあ得点に従い、飾りを変えねばならん」

 普段通り、穏やかなダンブルドアの指鳴らしに、4つの寮の動物、配色の横断幕が整然と並んだ。

 引き分けであるが、4つが共に優勝した。

 セドリックが立ち上がって拍手する。クララも立ち、ザヴィアーなども7年生も続いた。上級生に従うように次々と起立と拍手が湧き起った。

 クローディアも立ち上がり、スリザリン席を見ながら拍手した。偶々、ドラコと目が合う。彼はビクッと痙攣したが、決して起立も拍手もしなかった。

 

 翌日の汽車では、DAの存続について相談し合う。とはいっても、コンパーメントに全員入れない。クローディア、ハリー、ハーマイオニー、ロン、ネビル、ジニー、ルーナ、セドリック、クララと限界まで詰め込んだ状態で話す。

「アンブリッジはもういないし、後はハリーの判断じゃないかな?」

 セドリックは希望通り、聖マンゴ魔法疾患傷害病院で癒学生として勤務だ。

「金貨は記念として貰っておくわ。何かあったら、連絡してね。飛んでくるからね」

 クララは残念ながら、『闇払い』になれなかった。しかし、魔法省の勤務は決まった。配属される部署は未定らしい。

「『闇払い』は魔法省の陰謀だもン。クララ、命拾いしたね」

 夢見心地のルーナは慰めらしい言葉を吐く。クララは噴き出して笑った。

 結局、DA存続は保留だ。ただ、『必要の部屋』は各々好き勝手に使っていいと結論した。

「後は試験結果を待つばかりだね。……胃が痛くなってきた……」

 『O・W・L試験』の結果は7月中にフクロウ便にて届けられる。ネビルは現実に戻された気分で腹を押さえた。

「ネビル、モラグを見習うさ。あいつはもう達観して、悩むのをやめたさ」

 偶々通りかかったモラグは、解放感に満ちた表情で廊下を踊り歩いていた。

 

 キングズ・クロス駅へ到着し、クローディア達は荷物と共に下車して行く。降りる直前、ロジャーとぶつかりかける。

「ロジャー、色々とありがとう」

「……元気でな」

 笑顔ではないが、ロジャーの目つきは優しかった。人混みに消えていく彼を見送り、ジニーは興味深く微笑んだ。

「悪い男じゃなかったわ、ロジャーはね。潔い分、マイケルより良いわ」

「……マイケルは彼氏さんですよね?」

 妙に辛辣なジニーに質問する。彼女は勿体ぶったように、返答を遅らせる。

「退院した日に別れたわ。私がシーカーしていれば勝てたよって、笑ったの。馬鹿にされてまで付き合う程、私は心が広くないわ」

 2人の問題なので、クローディアは「成程」しか返せなかった。

 マグルの領域に続く柵を越えた時、ムーディ、リーマス、トンクス、アーサー、モリーの集団が普段の魔法族ではなく、マグルの服装を着こんでいた。

 コンラッドとシリウスもいたが、普段からマグルと変わらない服装だ。しかし、2人は白と黒の調和の取れた雰囲気を持っているせいか、通行人(主に女性)の視線を集めていた。

 フレッドとジョージはマグルに配慮した服装などしない。緑に輝く鱗ジャケットが、十二分に目立つ。

 我が子を見つけたモリーは、ロンとジニーへ飛びつくように抱きつく。その間、クローディアとハリー、ハーマイオニーは皆へ挨拶する。

「その格好に関しては聞かないさ。皆、揃ってどうしたさ?」

「最高級のドラゴン革なのに……、シリウスはダーズリーの連中と挨拶したいんだってさ。ずっと、保護観察で身動き取れなかったろ?」

 フレッドは嫌味っぽく微笑んだ。ちょうど、噂の一家が姿を見せた。彼らが仏頂面でハリーに声をかける前、シリウスが最上級の作り笑顔で割って入った。

「初めまして、バーノン=ダーズリー氏。私はシリウス=ブラックと申します。ハリーがいつもお世話になっております」

 元指名手配犯の登場に、バーノンとペチュニアは青を通り越して白い顔色となる。ダドリーは少し興味津々にシリウスを眺めた。

「脱獄したって本当?」

 ダドリーの質問にペチュニアは慌てて、その口を手で塞いだ。

 そのやり取りを尻目に、コンラッドはクローディアに耳打ちする。

「(後は、おまえの護衛だ。私達は、このままブラックのご招待に預かる。……夏の間は1か所に留まる事はないだろう)」

 ドリスと過ごした家には帰れない。安全面を重視するなら日本への帰国だが、コンラッドにその選択肢はないようだ。無論、クローディアにも日本に帰る選択はない。

「それなら、セシルの家に遊びに行きたいさ。招待されたさ」

「……そうだな、友人の家を転々とするのが良い」

 閃いたコンラッドは、ムーディに耳打ちする。

「貴方たちの家で、ハリーに何かあれば、我々の耳に入ります」

 その間、リーマス達もダーズリー家に丁寧な挨拶を交わす。聞き方によっては脅しに聞こえる内容だった。

 クローディアも簡単に挨拶しようとした。

「ジュリア=ブッシュマンは生きている。今でも、あの方の忠実な下僕だ」

 クィレルの声が耳元に囁かれた。

 気配のない至近距離、ゾッと寒気が走り急いで振り返った。しかし、クィレルの姿はおろか、クローディアの後ろには誰もいない。

 通行人は背景のように通り過ぎて行く。

 これだけの護衛がいながら、クィレルはクローディアにも気付かれずに近寄った。もしくは声だけ届く魔法を使った。どの道、彼はこちらを見ている。

 焦燥感で、周囲の音よりも心臓の鼓動が騒がしい。

「どうしたの? クローディア、ハリーが行っちゃったわ」

 ハーマイオニーに声をかけられ、我に返る。周囲の音は戻り、まだ騒がしい脈拍を落ち着かせる為に、深呼吸する。

「いや……なんか、本当に逃げられないんだなって、ちょっと弱気になったさ」

 クローディアの深刻な表情から、ハーマイオニーは察して緊張を強くした。すぐに両親の迎えに気づき、再会を約束して別れた。

「クローディア、行こう。荷物、持つよ」

 ジョージは返答を待たず、クローディアのトランクを引っ張った。強引な彼に着いて行き、皆も歩きだす。

 誰も、最初から逃げられない。でも、誰も独りではない。

 無意識にジョージの空いた手を握りながら、クローディアは安心感に包まれた。

 




閲覧ありがとうございました。
寮杯は全寮引き分けです。
シリウスの死はピーターに代わり、クリーチャーの裏切りはジュリアが行いました。納得できない方もいるでしょうが、私の頭ではこれが精一杯です。
これにて、『不死鳥の騎士団』編を終わります。

次回から『謎のプリンス』編です。


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謎のプリンス
序章


閲覧ありがとうございます。
たくさんの方に見て頂けて、本当にうれしいです。

視点が何名か変わります。
追記:16年8月2日、18年11月28日、誤字報告により修正しました。


 本部に母がいるかもしれない。

 そんな私の淡い期待は簡単に打ち砕かれた。クラウチJrに奪われていた母のパスポートなどの荷物がスネイプ先生を通じて返却され、とっくに日本へ帰国したらしい。

「再発行手続きが無駄になったわい。おちょくりおって、若造風情が」

 憤怒の形相で祖父は文句を述べていた。その怒りは『不死鳥の騎士団』の本部であるブラック家により強固な護りの魔法をかける事である程度、治まったそうだ。ジュリアの裏切りもあるので、私は幾分か安心した。

 他にも安心する事はある。祖父の手を覆っていた石炭状態がなくなっていた。

「スリル満点の逸話はどうしたさ?」

「逸話は旅に出たんじゃよ」

 祖父の適当な返しが私の気分を愉快にさせてくれた。だが、翌日には祖父はいなくなっていた。誰にも行き先も告げず、父さえも居所を把握していない。

 だが、私は心配していない。また会えるのは、わかりきっている。

 

 そんな中に行われたお泊まり会、小学校以来の心弾むお出かけだった。

 しかし、護衛としてへスチア=ジョーンズさんが姿を消して着いてきた。セシルの家に行くだけだと言っても、道中が危険だと誰も納得してくれなかった。

 ハーマイオニーも誘われていたらしいが、休みの最初は両親の傍にいたいと断った。

 集合場所のキングズ・クロス駅には既にパドマやリサ、ルーナ、そしてハンナがいた。私が到着してから、セシルは自らの母親を伴ってひょっこり現れた。

「可愛い子達だこと、あたしがセシルの母親だよ。トールって呼んでおくれ。雷が鳴った夜に産まれたから、トールっていうのさ」

 セシルそっくりのトール=ムーンさんは勇ましい印象を受けた。トールさんの登場で、私の後ろにいたジョーンズさんの気配が遠ざかった。

 私達はトールさんの空飛ぶ車で出発した。透明の魔法にて隠され、マグルには見えないが何度も建物にブツかりそうになり、私達は肝が冷えた。

「空飛ぶ絨毯って知ってる? 私、あれに乗ってみたい」

 ルーナは運転よりも、風景を楽しんでいた。

 映画に出てきそうな田舎町にセシルの家はあり、傍から見れば周囲の民家と変わらない作りだ。しかし、敷地内に入れば、本物のお菓子で出来た家だったのだ。

「童話に出て来るお菓子の家の魔女って、セシルのご先祖様さ?」

「……違う。私もグリム童話を見せて読ませて貰った時は、正直ビビったけどね」

 苦笑いするセシルの部屋は、綿アメで出来ていた。何も家具まで、お菓子にしなくても良いと思う。しかも、衣服などがベタつかないように魔法を施すくらいなら、普通の家具を用意すればいい。

「これは誰の趣味?」

「おばあ様の趣味よ。成人したら、私も自分で家具を作る。いい加減、子供っぽいもの」

 呆気に取られたパドマの質問に、セシルは勉強机を面倒そうに睨んだ。

「うん、子供っぽいのは嫌よね……」

「自分の好きな物を使いたいって、わかるよ」

 ハンナは差し障りのない言葉を選び、珍しくルーナもセシルと目を合わせず呟いた。

「成人まででしたら、もうすぐじゃありませんか! カーテンやベッドのデザインを皆さんで考えませんか?」

 リサの提案で、私達は大いに盛り上がった。

 学校の宿題、世間に広がる恐怖と脅威、それを忘れて楽しんだ。ルーナが思った以上に奇抜なデザインを描き起こしたので、セシルは是非、参考にしたいと喜んでいた。

 ルーナも自分のデザインを褒めて貰い、嬉しそうだ。

 

 楽しい時間は瞬く間に過ぎ、私達は夕食とお風呂を頂く。

 寝物語として、リサから魔法省の神秘部で見た出来事を話して貰った。

 釣鐘型の水晶が置かれた部屋の話に触れた時、パドマが不意に疑問を呟く。

「新聞にさ、神秘部のいくつかが破壊されたってあったじゃない? その部屋も壊されたのかしら?」

「うん、ジニーがそうだろうって言ってたよ」

 ルーナが答え、セシルは青褪める。貴重品や珍品を好む彼女には耳を塞ぎたくなるような話だから仕方ない。

 楽しい話をしている内に、いつの間にか眠っていた。

 私が起きたのは、柔らかすぎる綿アメの感触のせいだ。ルーナは感触に関係なく、起きており、窓際に腰掛けて愉快そうに私達を眺めていた。

「ルーナも眠れないさ?」

「うん、もっと見ていたいもン。あたしがセシルの家に呼ばれたって、長く覚えていたいんだ」

 普段の夢見がちの口調も弾んでいる。

 ルーナの隣に腰を置く。私は湧き起った質問を一瞬、躊躇いつつも口にした。

「セストラルが見える条件を聞いたさ。……それで、ルーナが見えるのはどうしてか、聞いてもいいさ?」

「あたしのママ、とってもすごい魔女だったんだよ。魔法の実験が好きでね、失敗しちゃった。あたし、9歳だった」

 淡々と答えるルーナの言葉に私の口元が麻痺したような感覚に襲われる。たった9歳で母親を失った彼女を勝手に憐れんだ。

 返事をしない私の表情を見て、ルーナは続けた。

「でも、あたしにはパパがいる。それに二度とママに会えないっていうんじゃないもン」

 亡くなった人に会う。それは遺品や思い出から来る精神的な再会だ。しかし、ルーナの言い分はもっと直接的な印象を受ける。

 魔法族にしか知り得ぬ方法か、魔法族さえ信じない方法、あるいはそのどちらでもない。

 思考に耽っていると、しなだれるようにルーナがもたれかかってきた。

「あたしもクローディアに聞きたいんだ。クローディアのパパは……、本当にパパなの?」

 その質問は父コンラッドが本当の父親かという意味ではない。ルーナはそんな単純な質問をしない。彼女の考えを自分なりに推測し、思い到った。

 一呼吸置き、私はルーナの耳元に顔を寄せる。

「……私の父は……遺伝上では私の息子になるさ」

 目を瞬いた後、ルーナは一欠片の否定も見せずに納得して見せた。

「ずっと、……クローディアのお父さんにしてはチグハグしているって思ってたんだ。そうか、息子かあ」

 愉快そうだが、控え目に声を上げてルーナは微笑んだ。疑問を抱きながらも、私に質問しなかったのは時機を計っていたのだろう。

(ルーナといると、私の器が小さすぎて恥ずかしいさ)

 初対面の折、私はルーナが苦手だった。それは私の器量の狭さが浮き彫りになるのを恐れていたのかも、なんて事を思った。

「ルーナのお母さんがどんな実験をしていたか、教えて欲しいさ」

「うん!」

 ようやく出た言葉をルーナは喜んでくれた。それから、お互いが眠りこけるまで実験の話は続いた。

 実験の内容は、私でも荒唐無稽と言えるような突拍子もない魔法ばかりだ。だが、心を弾ませる愉快なモノだった。

 

☈☈☈☈☈☈

 ヴォルデモートと一戦交えた『ノスタルジックホール』跡地、マグル側では浮浪者によるガス爆発事故として処理された。その場所に大勢の見物客が訪れていた。

 無残に崩壊された建物を嘆く人々、その中にハリーの叔父バーノン氏もいた。己の叔父を遠巻きに見つめるハリーを発見するが、挨拶するには遠すぎる。

「ジャスティンに……ディーンも……コリンとデニス」

 学校の面子がチラホラと見受けられる。皆、崩壊したホールを惜しんでいた。私が此処に来た理由は、無くなったロケットを探す為だ。既に大人達により捜索し終わっているが、見落としの可能性もある。

 『呼び寄せ呪文』などの魔法ではない方法で探したい。しかし、予想以上に人が多くて現場に入れないのが現状だ。

 ジャスティンが私に気づいて、挨拶しに来た。

「やあ、ハーマイオニー。元気?」

「試験結果が発表されるまで、不安よ」

 私の返事にジャスティンは苦笑した。彼は周囲を見渡してから、顔を寄せてきた。

「僕の家にクローディアのお祖父さんが来たよ。ニューヨークへの転勤を紹介された。父は大喜びだった。ディーンのところにも来たって」

「私の家にも来たわ。こっちはオーストラリアよ。そう、お祖父様は……マグル生まれの家庭を渡り歩いていらっしゃるのね」

 私は粗方の事情を察した。

 クローディアの祖父・十悟人はこれから起こる戦いに備え、マグル生まれとその家族を国外へ避難させようとしているのだ。魔法族同士でも防犯活動は行われているが、中途半端な嘘情報などですぐに疑心暗鬼になる。マグルなどは『死喰い人』にしてみれば丸腰同然だ。

 

 ――だから、戦えない者は逃がす。

 

 もしかしたら、彼の役割とは逃亡の手助けかもしれない。その為に他国の魔法使い達と盟約を交わしている。そう推測できた。

「ジャスティンもニューヨークに行くの?」

「……いいや、俺は残るよ。あのホールでの戦いが国中で起ころうとしているんだ。微力ながら、何かしたい。……両親は反対するだろうけど、どうにか説得するつもりだ」

 若干、怯えのような震えを声に混ぜていたが、決意は固い。

 クローディアは逃げられないと言っていた。私もそう思う。そして、ジャスティンもまた悟っているのだろう。

 それを主張するように、翌日の【日刊予言者新聞】に魔法法執行部部長・アメリア=ボーンズの訃報が載った。

 

☈☈☈☈☈☈

 私は幼馴染のジュリアの事は理解しているつもりだった。自尊心が高く意地っ張りだが、自然と人望の集まる不思議な魅力を持っていた。

 ジュリアの裏切りを知った彼女の家族は嘆き、祖父ヴァルター=ブッシュマン氏は心労に倒れた。『ノスタルジック・ホール』の件でマグルのマスコミからも質問攻めに遭い、彼女の一家は母国のドイツへと去ってしまった。

 向かいの家には、もう誰もいない空き屋だ。もうジュリアの帰りさえ待っていない。クリスマスを共に過ごした時点で、彼女は『死喰い人』だったのだ。

 私のジュリアに対する感情は、淋しさと寂しさと激しい怒りだ。

 大学でも、ジュリアの行為は魔法使い・魔女の生徒の間で広がっていた。食堂にいても、彼女の話題は尽きない。私は我関せずと魔法省公報から配布された紫のパンフレットを眺める。

「よお、ペニー。公報からのパンフレット、役に立っているか?」

「こんにちは、ロジャー。基本的な確認ね。でも、私のようなマグル出身者には有難いわ」

 先日、ホグワーツを卒業したロジャー=ディービーズは秋からの入学が決定している。以前よりは逞しい表情になっていた。彼は私の正面に座り、パンフレットの指針の一項目を指差した。

「1人で外出するなって、1人暮らしの奴には酷だよ。お陰でバーナードと同居する羽目になったんだ。ペニーはいいな。家が近いんだろ?」

「あら、貴方がバーナードと? 面白い事になっているわね。彼はお元気?」

 ずっと辛気臭い話題ばかりだったので、私は学友の話を続けようとした。

 

 ――――ドオン。

 

 一瞬、建物が揺さぶられるような振動に襲われた。

 地震の類かと思ったが、テーブルにあるコップは全く動いていない。振動に気づいたのは、魔法使いの生徒だけだ。ならば連想されるのは建物そのものではなく、敷地内を覆っている魔法の護りに衝撃が襲ったのだ。

 何事か確認したい。

 不安と恐怖に駆られながら、私やロジャー、他の生徒も窓へと飛びついた。事態に気づかないマグルの生徒まで驚いて、それに倣ってしまう。

 一分前まで青空だったはずが、雷雲に覆われていた。それは勿論、雷雲ではなく吸魂鬼の集まりだと私達には瞬時に理解できた。理解してしまった。

「今のは……奴らの仕業か……」

 確認で呟くロジャーは奥歯を鳴らして震えていた。それを臆病などと、私は決して思わない。私も恐怖で手先の震えが止まらない。

「遊んでいるんだわ……。あいつら……」

 遊ぶように私達の生活は脅かされる。

 弁護士である両親にフランスで事務所を持つ話が持ち上がっている。一刻も早く、実行して貰うように説得する。私はすぐに敷地内の公衆電話へ走った。

 

☈☈☈☈☈☈

 履き古した靴が擦れている。

 私は足元を見ながら、そんな感想を抱いた。15歳の頃に新調してから、一度も買い替えていなかったのだから、当然と言えば当然である。

 生活魔法で靴の手入れをしても、物は確実に廃れていくのだ。

 そんな私の苛立ちを知らず、スネイプは唐突に現れた客人ドラコ=マルフォイと無言の時間を過ごしていた。ドラコに付き添ってきた母親のナルシッサ=マルフォイも不安そうに指先を弄んでいるが、だんまりだ。

 私がわざわざ入れてあげたワインやカボチャジュースも口にしようとしない。

「ジュリア、部屋に行っていろ」

「貴方達が秘密のお喋りをしないと言い切れるかしら?」

 私の顔を見ず、スネイプは命じたが拒んだ。

 闇の帝王の下僕である私がスピナーズ・エンドなどという寂れた町におり、尚且つ、スネイプと同じ屋根の下で暮らしているのはクィレルの指示だ。

 クィレルの指示はヴォルデモート卿の命令。どんな屈辱にも耐えてみせる。

 私はベンジャミン=アロンダイトに恥じぬ特別な魔女である。他の奴らがブロックデール橋を破壊したり、魔法省の高官を殺害したりと暗躍しているが、私の任務は重要だ。

「スネイプ先生。……以前、僕が答えを見つけた時、それがどんな答えでも僕の味方でいてくれると言ったことを覚えていますか?」

 私の存在を無視するように、ようやくドラコの口が開いた。一体何の話なのか、見当もつかない。弱弱しくも確かめてくる口調にスネイプは焦らず、まっすぐ彼を見つめている。

「覚えているとも」

「それは今も変わりませんか?」

 間を置かないドラコは額に汗を滲ませ、口元を歪める。縋りつきたい衝動を抑える様子がただならぬ緊張感を私に教えた。

「勿論だ。君はその答えを見つけたからこそ、我輩に確認しに来たのかね?」

 表情は変わらないが、スネイプの声が一段と低くなった。

「どういう意味? 私にもわかるように……」

「答えはまだ出てません。でも、きっと、僕は出せないままなんだと思います」

 声を絞り出し、ドラコは勢いよく椅子から立ち上がる。勢いのまま帰ろうとした彼をマルフォイ夫人が急いで引き留めた。

「ドラコ、セブルスに助けて貰いましょう! 貴方には危険すぎる任務だわ! ……闇の帝王を説得して下さるように、お願いするのです」

「言ってはなりません! 母上! それ以上は!」

 煩わしい母親を一喝するドラコは振り切ろうとした。その2人の仲裁に入り、スネイプは夫人にワイン入りのグラスを渡す。

「これを飲んで落ち着きなさい、ナルシッサ。まずは貴女が冷静にならねばならん」

 座らされた夫人は呼吸を忘れたように鼻から息を溢れさせ、ワインを一口含む。

「闇の帝王は誰にも説得できない。ご存じのはずだ」

「……内容を知れば、きっと貴方も闇の帝王を説得しなければならないとお思いになる」

 一縷の希望に縋りつく夫人の言葉に対し、スネイプは頭を振るう。

「我輩はたまたま闇の帝王がドラコに命じた任務を知っている。知っているからこそ、我輩は決して闇の帝王を説得できぬと判断し、説得しようとも思わん」

 スネイプの言葉にドラコの表情が更に青ざめ、夫人は絶望した。

「……どうして、こんな事に……ルシウス……」

 目を見開いて顔を覆う夫人から、ドラコは気まずそうに顔を背ける。

 全く意味のわからない会話に私はただ苛々する。全てがわからないのではない。ドラコは闇の帝王から任務を与えられた。その内容は夫人が絶望視する程、彼の手では成功しない危険なものだ。

「そんなに難しいなら、スネイプ。代わりに貴方がやればいいでしょう。闇の帝王はお怒りにならないわ」

 吐き捨てる私にスネイプは射殺さんばかりの眼光で睨んできた。

「口を挟むな。貴様如きが闇の帝王のお考えを勝手に読み解こうとなどと、おこがましいぞ!」

「だったら、ここでメソメソしていれば任務は終わるのかしら?」

 心臓が取り出されそうな恐怖を感じたが、どうにか取り繕って私は堪えた。震えつつも反論した。

 ドラコの目が初めて私を見た。

 小蠅を見るような目つきだが、しっかりと私を見ていた。

「……僕の任務だ。僕が果たす……。誰の助けもいらない。……母上、僕はやり遂げます」

 今にも気絶しそうな表情で言い放ち、ドラコは玄関にかけてあった自らの箒を手に取って外へ飛び出した。今度は息子を追わず、夫人は麗しい髪を鷲掴みにして呻き声を上げた。

「……あの様子ではドラコは嫌がるだろうが、我輩も出来るだけの事はしよう」

 厳格さを残したスネイプの言葉に夫人は呻き声を止め、彼を憐れむような視線を向ける。そして、ゆっくりと椅子から降り、膝を床に立てて跪いた。

「……セブルス、どうか……、助けて……あの子を……」

 何故だが、スネイプは返事しなかった。それでも、夫人は感謝の口づけを彼の手に押し付けていた。

 私を無視して見せつけられた光景に、胸がざわめいた。

 何かの兆候なのは確かだが、それが何なのか私には知りたくなかった。




閲覧ありがとうございました。
さようならボーンズさん、出番を書けずにすみまんでした。
スネイプとナルシッサの間に『破れぬ誓い』はありません。

●トール=ムーン
 セシルの母親、穴埋めキャラ。


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1.試験結果

閲覧ありがとうございます。
タイトルに毎回悩みます。

追記:16年8月8日、17年3月11日、18年11月18日、誤字報告により修正入りました。


 約束の時間通りにセシルの家を出れば、意外にもスタニスラフが待ち受けていた。彼の登場はパドマ、リサ、ルーナは勿論のこと、見送りに玄関に出ていたセシルの家族を驚かせた。

「御機嫌よう、皆さん。さあ、クローディア。僕がエスコートします」

 恋人の仲を見守る視線を一身に受け、クローディアは苦笑して皆に学校での再会を誓う。スタニスラフの手を取り、彼と共に『姿くらまし』した。

 

 視界の先に着いたのは、木々の配置に見覚えがある緑の茂った森だ。

「ここは……お父さんの家がある森さ?」

「正解です。入口までご一緒しますので、歩きましょう」

 丁寧にクローディアの手を離し、スタニスラフは歩き出したので彼女も続く。彼もコンラッドの生家を知っているのは想定外だ。

「スタニスラフはお父さんの家に行った事があるさ?」

「いいえ、入口まで案内できるだけです。中には入れませんよ。貴女と過ごせるのは僅かな時間です」

 残念そうにスタニスラフは目を伏せる。その回答に奇妙な疑問が浮かぶ。何故、彼が護衛として現れたのかだ。成人していても、彼は外国人だ。クローディアの護衛よりも重要な任務があるはずだ。

「……私に用事があるさ? スタニスラフ、口で直接伝えたい事とか?」

 スタニスラフは足を止めず、意識だけをクローディアに向けた。

「……悪い報せと良い報せがあります。どちらを先に聞きたいですか?」

 緊張だけを含ませ、その声は焦燥感を募らせる。

「悪い報せを頼む」

 感心の意味で微笑んだスタニスラフは教えた。

「……良い覚悟です。……巨人との同盟が崩壊しました。『死喰い人』達は巨人の集落を襲い、その人数を半分にまで減らし、生き残り者を問答無用で『例のあの人』に下らせたそうです」

 ハグリッドとマダム・マクシームが必死で紡いだ同盟が崩された。

 信じ難い状況に脳髄の奥が痙攣した。しかし、気絶するには至らない。ただ脳が揺れる気持ち悪さが不快だ。

「だったら、ホグワーツにいるグロウプは狙われないのか?」

「幼いグロウプは戦力にも欠けるので、『例のあの人』は目もくれないだろうというのがダンブルドアの判断です」

 どの道、学校内にいるグロウプを狙うには手間がかかりすぎる。

「良い報せは、セオドール=ノットとその父親は無事にダームストラング敷地内に入りました」

「……それは良かったさ……」

 信頼してはいないが、セオドールの安否はそれなりに心配していた。国外逃亡を勧めたのは、クローディアなのだ。故に成功して貰わないと後味が悪い。

 もっとも逃げ切れるかは、あの親子次第だ。

「セオドール=ノットは貴女に感謝すべきでしょう。この国が『例のあの人』の手に落ちても、更に遠くへ逃げる算段がつくのですから」

「不吉な事を言わないで欲しいさ」

 イギリス魔法省の敗北。冗談に聞こえない台詞に思わず悪態を吐いた。スタニスラフは歩みを止めて、笑顔も消した。

 ただならぬ雰囲気にクローディアは動揺せず、目線だけで警戒した。

「……僕と結婚して下さい」

 唐突な求婚、クローディアを驚きすぎて硬直する。その心理描写を表すように木々から葉がボトボトと落ちていく。

「いきなり、何を言うさ?」

 精一杯の質問に、スタニスラフは憂いのある瞳で見つめ返す。

「不安なんです。……明日にでも、僕が死んでしまうんじゃないかと……、そうなる前にやりたい事とやるべき事をやり遂げたいんです」

 声や表情、仕草に確かに怯えがある。そして、求婚に対して真剣そのものだ。だが、クローディアの心は躍らないし弾まない。

 現状に不安がないのではない。スタニスラフを愛していないので、求婚が嬉しくない。一瞬だけ、ジョージの顔が過ったのは精神の保険だ。

「ごめんなさい」

 真摯な態度には、真剣に返す。

 クローディアは斜め四十五度で頭を下げ、断った。

 風と草木が揺れる音に2人の沈黙が強調される。

「わかっていました……。ありがとう、気持ちがスッキリしました」

 失恋に悲しむような眉の寄せ方をしたが、スタニスラフは微笑む。こちらが晴れやかになれる程、爽やかな笑顔だった。

 

 家の入口である水溜まりに来た。クローディアは前回の要領で家の敷地内に入り込むが、スタニスラフはそれを見届けるのみ。そのままお別れだ。

「時間通りだね、クローディア。無事で何より」

「ほっほお、確かにコンラッドの言うとおりじゃな。久しいの、クローディア。また厄介になるぞ」

 家にいたのは、コンラッドとスラグホーンだ。この2人の組み合わせに段々と慣れてきた。

「こんにちは、スラグホーン先生。お元気そうで何よりです」

 礼儀正しくクローディアはスラグホーンを歓迎する。しかし、コンラッドの家であるだけで、彼女の自宅ではないので奇妙な気分がした。

 認めたくないが、ブラック家の雰囲気に親しみを覚えていた。

 2階に用意された部屋には、既にクローディアの荷物が運び込まれていた。ベッロも寝台を我が物のように占領中だ。いつでも会話したいのか、『説明書』を敷いていた。

 『説明書』を作成した事をコンラッドに教えていないと気づき、クローディアは一階へ下りようとした。その必要なく、相手がやってきた。

「スタニスラフとは話したかい?」

 扉にもたれたコンラッドは、【日刊予言者新聞】をその手に僅かな緊張を含ませて問うてきた。

 一瞬、スタニスラフの求婚かと疑ったが、別の事柄だ。

「巨人との件、ノット親子の無事だけさ」

 その2件を口にしたクローディアに、コンラッドは表情を崩さず新聞の記事を見せつけた。

「……では、それにアメリア=ボーンズの件を足しなさい」

 スーザンの叔母だ。

 引っ手繰るように新聞を奪い、クローディアは記事を読んで焦燥感で胃が痙攣した。非情なる事態に思わず、唾をひとつ飲み込む。

 スタニスラフの態度が普段より重かったのは、これも要因だ。

「……スーザンには……もう伝わったさ?」

「それは私の関知しない事だ。いずれは知れるだろうね」

 確実にスーザンは悲しむ。亡骸を見る事さえできない。面識のないボーンズ氏に黙祷を捧げ、クローディアは新聞をコンラッドにつき返した。

 そして、亡骸という言葉でクローディアはドリスを脳裏に浮かべる。

「お父さん、お祖母ちゃんの遺体は……」

 言い終える前にコンラッドの目の温度が下がる。それ以上、口にするなという無意識の命令だ。

「全てが終わったら、墓参りにへ連れて行ってあげよう。場所はルシウスに知られている。何らかの監視が着いているはずだ。今、行くのは危険すぎるよ」

 一応の納得をして、クローディアは口を噤んだ。

 

 夕食にはカボチャの煮付けとお吸い物、秋刀魚の丸焼きが並んだ。季節外れの秋刀魚の登場に嬉しい。しかも、味も良い。

 悲報が伝えられても、コンラッドの手料理のお陰で活力が蘇る。

 食事に集中するクローディアとスラグホーンの2人と違い、コンラッドは紫のパンフレットを眺めながら食していた。魔法省公報から配布されたモノだが、彼女はまだ目を通していない。

「お父さん、後で読むさ」

 指摘されたコンラッドはパンフレットを閉じ、無言で食事を続けた。そのパンフレットは何故かベッロが尻尾で床に落としてまで読み耽った。

 食事は終わり、コンラッドは食器を洗う。その間にスラグホーンは風呂へ向かい、クローディアは食卓を台拭きで拭き終える。

 ベッロが読み終えたパンフレットを拾い、椅子へ腰掛ける。

 魔法省公報から提案された安全指針のほとんどは、『不死鳥の騎士団』では既に実地されている。

 1.一人で外出しない。

 2.暗くなってからは特に注意すること。外出は可能な限り暗くなる前に完了するよう段取りする事。

 3.家の周りの安全対策を見直し、家族全員が『盾の呪文』、『目くらましの呪文』、未成年の家族の場合は『付き添い姿くらまし』術などの緊急措置について認識するよう確認する事。

 4.親しい友人や家族の間で通用する安全の為の質問事項を決め、ポリジュース薬使用によって他人になりすました死喰い人を見分けられるようにする事。

 5.家族、同僚、友人又は近所の住人の行動に異変を感じた場合は、速やかに魔法警察部隊に連絡すること。『服従の呪文』にかかっている可能性がある。

 6.住宅その他の建物の上に『闇の印』が現れた場合は、入るべからず。ただちに『闇払い局』に連絡する事。

 7.未確認の目撃情報によれば、死喰い人が『亡者』を遣っている可能性がある。『亡者』を目撃した場合、または遭遇した場合は、ただちに魔法省に報告する事。

 安全指針の7項目に『亡者』の名があり、クローディアは疑問を浮かべる。反射的にコンラッドを呼ぶ。

「お父さん、『亡者』ってロケットを隠していた洞窟にいる奴らさ? 湖の中にいたって言っていたけど、何処にでも現れるさ?」

「そうだよ、『亡者』は意識のある死体だ。意識があるから、闇の帝王に従っていたほうが良いと考えられる。ただし、個人の感情はないよ」

 ゾンビとの違いが判断しにくい。しかし、ヴォルデモートが『亡者』を生み出しているのではないと理解できた。それよりも、自分でロケットと口にしてから強烈な閃きが起こる。重要な閃きだが、クローディアは背筋が凍った。

「お父さん……、あのロケットの事だけどさ。ジニーを支配した日記のように、ジュリアを虜にしてたさ。つまり、ヴォルデモートが既に蘇っているのに、ロケットも他人の命と引き換えにヴォルデモートとして形を得られるって……どういう事さ? 分身の術みたいなもんさ? 魂を分けた……」

 

 ――――ガタガタ、バッタン。

 

 言い終える前に騒音が起こる。敵を疑い、身構えて2人して振り返る。青ざめたスラグホーンが尻もちをついていた。

 傍でカサブランカの宿り木まで倒れている。音の原因は宿り木だ。カサブランカがいなくて幸いだった。いたとしても、あの翼なら問題なく逃げられる。

 何故かはわからないが、スラグホーンはその場に倒れ込んだ。この時、クローディアは彼が転んだのは室内スリッパの履き心地が悪かったのだと思った。助け起こそうと、彼女は一歩踏み出す。

 しかし、コンラッドの手に妨害された。

「スラグホーン先生、何に動揺されました?」

 機械的な口調から、緊迫な雰囲気が醸し出される。その質問に答えなければ、我が身に危険が及ぶ。そんな気迫が込められている。

 呼吸の仕方を忘れたようにスラグホーンは、わざとらしい程に荒い呼吸を繰り返す。顔色が青を通り越して白くなった。

「……何の事だか……わからない……」

 荒い呼吸の隙間に無理やり言葉を吐くスラグホーンに、コンラッドは納得しない。恩師に距離を詰めた元教え子は、視線を合わせる為に屈んだ。

 クローディアは『開心術』を使おうとしていると推測した。スラグホーンも同様だったらしく、シワのたるみで隠れそうな眼が警戒の色を帯びた。

「スラグホーン先生、私は『開心術』を使いません。尊敬する師である貴方にそのような無礼は働きたくない。ですから、お答えください。貴方は何に動揺して腰を抜かしたのですか?」

 機械的な口調に冷淡を帯びさせ、コンラッドはもう一度質問を繰り返す。

 クローディアから見えないが、コンラッドはおそらく微笑を浮かべている。何故なら、スラグホーンも口元を痙攣させて笑っているのだ。

 おもしろい事があるから笑うのではない。反射的、自己防衛による笑みだ。

「……ち、違う。誤解だ、コンラッド。私は足を滑らせただけだ……何にも動揺なんてしてないよ。やれやれ、どっこいしょ」

 無理やり起き上がるスラグホーンへコンラッドは手を差し出す。だが、恩師はその手に触れず起き上がった。彼の動きに合わせて、元教え子も立ち上がる。

「分霊箱(ホークラックス)」

 何の前触れもなく、コンラッドは呟く。否、この場のクローディアとスラグホーンに聞こえるハッキリとした声量だ。

「クローディア、魂を分ける魔法だよ。正しくは分割した魂の断片を隠した物、それを『分霊箱』を呼ぶ。『分霊箱』に納められた魂の断片は、本体の死を防ぐ……」

「やめろ、コンラッド!」

 言い終える前にスラグホーンの一喝が説明を遮った。怒声のようだが懇願に近い叫びだ。

 呆気に取られたクローディアは、口を挟まず状況を整理する。

 トム=リドルの日記、【S】のロケットはヴォルデモートの分霊箱。少なくとも彼の魔法使いは魂を3つに分けている。死を回避する魔法など、ムーディの口でさえ聞いた事ない。しかし、この2人が知っているならば知る人ぞ知る魔法なのだ。

 では何故、世にあまり知られていないのか? 習得が難しい為か?解剖の多い『魔法薬学』の教授だったスラグホーンがここまで拒むなら、精神的負荷が強い可能性もある。

「クローディア」

 脂汗の滲んだスラグホーンは口元を噛みしめ、確かめるような視線を向けてきた。

「君はそんなモノに興味を持ってはいけない。今、聞いた事は忘れるんだ。いいね、誰にも話しちゃいかんし、詮索なんて以ての外じゃ」

 警告よりも保身に聞こえる訴えをクローディアは返答に、一瞬だけ、困る。困りはしたがすぐに口を開いた。

「約束できません。その魔法が私に必要ならば、調べます」

 クローディアの回答にスラグホーンの瞳に失望が見えた。慌てず、彼女はまっすぐと恥じる事無く続けた。

「調べるだけで使いません。それだけはスラグホーン先生に誓います。決して、使わないと約束します」

 知識として得た魔法は全て使わなければならない規則も法もない。分霊箱が闇の魔法として最悪に部類するなら、尚の事、使いたくない。

 間を置いて、スラグホーンは自らの口元に手をあてる。口元が安心の意味で緩んでいた。

「……『ホムンクルス』がどうして生まれるか、知っておるか?」

 単純な質問ではないと察しながら、クローディアは首を横に振る。

「それは自分への執念だ。血族ではなく、自分自身を生かす為の手段として『ホムンクルス』は生まれる。完璧に本人として生まれた事例は、わしも知らん。ほとんどが生物としても未熟なモノばかりだ。ボニフェースは本人ではなかったが、素晴らしく人間に近かった。君はそれ以上だ。完全な別人として成り立っている。人間としての違和感もほとんどゼロと言っていい。ただ……君の祖父は、執念も信念もなく技術だけで君を完成させた。それがわしには……分霊箱より恐ろしい……。シギスマントも己が弟子がそこまでになるなど、考えもしなかったじゃろう」

 シギスマント=クロックフォードは平凡だった。それは十悟人から聞いている。平凡故に技術を磨きたがった。それが『賢者の石』を持ち出す一件まで発展した。

「先生はシギスマントにお会いした事があるんですか?」

「いいや、ないよ。ないが、研究者としての興味は勿論ある……」

 今のスラグホーンは、そのシギスマントから何かを学ぼうとしていた。真剣に問題に取り組む表情だ。

「少々、喋り過ぎた。わしはもう寝るよ。……おやすみ」

「おやすみなさい」

 疲労感を全身に漂わせてスラグホーンは客室へと引っ込んだが、コンラッドは止めなかった。足音が遠ざかり、扉が閉まるのを耳で確認した。

「先生に聞きたい事があったんじゃないさ? 挑発して自発的に喋らせようとしたさ? あれはやりすぎさ」

 批判する目つきでクローディアは、コンラッドに事と次第の説明を要求した。しかし、彼は考えに耽って娘の話を聞いていない。

「お・と・う・さ・ん」

 耳元で発音良く呼び、ようやく気付いて貰えた。

「先生に何を聞こうとしたさ?」

 少々、不機嫌に問えば、コンラッドは指を鳴らす。何かの魔法を行使させたと推測した。

 身体に違和感はないのでクローディアへの魔法ではない。

「私達の会話を周囲から遮断したんだ。後で教えておこう」

 紅茶を用意しながら、コンラッドは座る。クローディアも向かいに座わった。

「スラグホーン先生は、何かをご存じだ。『分霊箱』が関係しているだろうね。憶測や推理ではなく、確かな情報を知りたいんだ」

 クローディアに対しての呟きに聞こえない。最近は質問しても返ってくるが、コンラッドにしてみれば彼女は戦友として頼りないのだろう。存在を無視されているように感じ、苛立ちが募る。重要な事はこちらも知りたい。

 ならば、質問を変える。

「『分霊箱』について教えて欲しいさ。先生が怯えるには何か理由があるさ?」

 意外そうに目を丸くしてから、コンラッドはクローディアから目を離さない。

「『分霊箱』を作成するには、生け贄がいるんだ。虫やウサギじゃなく、人間の生け贄だ。殺人が条件の魔法なんでね、邪悪な魔法として伝授を禁じている。名を出す事も憚れる。私は、トトから説明を受けた。私は知っておかねばならない立場にあるしね」

 殺人による魔法。

 魔法による殺人ではない。全く違う。

 心臓が縮むほど、痙攣した感覚に襲われたがクローディアは毅然とコンラッドへ質問する。

「日記はバジリスクの牙で破壊されたさ。つまり、死を防いで貰えるのは本体の魂だけ……、ロケットはジュリアを誑かしてお母さんから逃げたさ。つまり、物に定着した魂の欠片は自力で物から逃げだせない。……分けた魂は本体に戻せるさ?」

「文献では良心の呵責が元に戻す条件とされているが、自らが滅ぼす程の苦痛に耐えねばらんそうだ。闇の帝王には、万が一にもないね……」

 機械的にせせら笑うコンラッドと違い、クローディアの表情はより険しくなる。

「つまり、ジュリアはロケットを隠し持っていたさ。ヴォルデモートがそんな大事な物を彼女に預けたままにするなんて考えにくいさ。……あいつ、洞窟からロケットが消えた事も知らないさ?」

「それは確実だ。闇の帝王は日記が破壊された事しか知らない。ルシウスめ、日記が分霊箱と知らずにあの事件を起こしたからね。アズカバンから脱獄しても、闇の帝王はルシウスを受け入れないかもしれないな」

 無関心そうに呟く。口に出したのはクローディアに聞かせる為だと察した。

「……それらの事は校長先生は勿論、ご存知ですよね?」

「勿論、知っているとも。ダンブルドアとトトは、同じくらいの情報を持っているはずだ。お互いに嘘がなければね」

 肯定が返り、妙な感覚が胸を騒がせる。スラグホーンはトトの事を分霊箱より恐ろしいと評した。

 何故、クローディアはそれを否定せず、疑問にも思わなかったのだろう。それは彼女自身もトトに言葉にならない恐怖を感じたからだ。

 クリスマスの夜、マーリンの名を出した瞬間。あの威圧感は未だ誰からも受けていない。

「話は逸れるが、私達の間に合言葉はいると思うかい?」

 パンフレットの4項目を指でなぞり、コンラッドはこちらを覗きこむ。家族の間で質問事項を事前に決めておく対策。

「合言葉は調べられてしまえば、終わりさ。それよりも本人の癖や言動から、区別をつけたほうが私はいいと思うさ。あくまでも、私の場合はって事さ」

「そうだね、おまえらしい。では私達の間で「質問はなし」だ。覚えておきなさい。さて、私はお風呂でも頂こうかな」

 席を立つコンラッドをクローディアは引き留めた。

「会話を聞かれない魔法を教えてほしいさ」

 わざとらしく思い出したコンラッドは『耳塞ぎ呪文』を教えてくれた。

「会話は聞かれないだろうが、……唇の動きを読まれる危険があるから、注意したまえ」

 口元を手で覆い、コンラッドは目元で笑った。その仕草が子供っぽく見えて笑ってしまう。

「読唇術なんて、スパイ映画じゃないさ」

「何言っているんだい。ここはイギリスだよ? スパイぐらいいるとも、魔法界にもね」

 言われてから、この国はスパイ国家としても名高いのだと思い出した。

 

 翌日、またスラグホーンは家から姿を消していた。

「おや、おかしいね。明日まで泊まる予定だったのに」

 素知らぬ顔でコンラッドは首を傾げていたが、彼も昨日の分霊箱の話題が原因だと確信を持っている。

 こちらも予定を変更して、家を出る事になった。

 行先はトンクスの家だ。

「娘のドーラから聞いているよ。さあ、ゆっくりして行きなさい」

 そこでニンファドーラ=トンクスは父親に似ているという印象を受けた。但し、テッド=トンクスはスラグホーンのように腹が大きい。体型まで似なくて良かった。

(ドーラってなんかのアニメで聞いたような気がするさ)

 二ンファドーラの愛称よりも、気になるのは母親のアンドロメダ=トンクス。髪の色など細かい違いはあるがベラトリックスに似ていたため、目にした瞬間、強張ってしまった。ただ、じっくりと見続ければ他人だと認識できた。

 初見ならば、誰もが見間違えてしまう。

(偶々にしては似すぎているというか……)

 口に出しては失礼と思い、視線だけでコンラッドに問いかけた。

「こちらのアンドロメダは旧姓をブラックと言う。ナルシッサ、ベラトリックスの姉だ。とは言っても、実は私も初対面でね」

 囁かれた情報に親戚関係が繋がった。

「あの屋敷にいたなら、ブラック家の家系をご覧になったと思うのだけど……。見なかった?」

 苦笑していたが、アンドロメダは親しげに声をかける。

「いいえ、見ていません。あまり興味なくて……」

 素直に答えても、アンドロメダの笑顔は崩れなかった。

「私は夫と結婚した時に、家系図から消されたはずだから知らないのも無理ないわ。ちょっと、からかってみたの」

 それどころか家系図に興味のない態度を気に入ってくれた。あの2人の姉とは思えぬ愛想の良さを持っていた。

 

 3日間も親子共々お世話になり、トンクスの自由奔放な性格の起源がよく理解出来た。テッドの娘への溺愛ぶりが聞いていて恥ずかしかった。

「父が私の事、ベタ褒めだったでしょう」

 迎えに来てくれたトンクスと共に本部の屋敷へと『姿くらまし』した。

 クリーチャーの無表情な出迎えにも慣れてきた。

「私は用があるので、2・3日は留守にする。クリーチャー、この子を頼むよ」

「はい、コンラッド様。クリーチャーはコンラッド様の命令に従います」

 頼まれたクリーチャーは主人への応対のようにコンラッドへ返事した。

「私もいるんだけど」

 トンクスと共に置いて行かれ、クローディアは家系図のタペストリーを見に行く。確かにアンドロメダの名はなかった。シリウスもないと今、気づいた。

 よく見渡せば、押しつけられた焦げ痕が何か所もある。頭にある数少ないブラックの名から、アンドロメダとシリウスが元は何処に記されていたのか推測した。

(あ、マルフォイの名があったさ)

 ナルシッサの名がルシウスと繋がり、そこからドラコへと着く。学期末の宴で見た彼の表情を思い返そうとするが、浮かばない。

 心配ではなく、警戒の意味でドラコには注意が必要だ。

(ルシウス=マルフォイが投獄されたのに、嬉しいとか捕まって安心とかもなかったさ)

 コンラッドは言った。ドリスは仇討ちを望まないと――。

 それがドリスの息子として下した判断なら、異を唱える気もない。

(全てが終わったらか――)

 全てとは何なのか、クローディア自身は決まっている。クィレルとの決着だ。

 あの男への情けが全ての始まり、故に終わりもそうだ。

 だが、コンラッドにとっての終わりとは何なのか、見当もつかない。

 

 翌朝、本部にジニーがアーサーに連れられてやってきた。

「やあ、クローディア。ジニーは明日の朝に迎えにくるよ。またね」

 食事に来ているシリウスが飲み物を勧めたが、慌ただしくアーサーは去って行った。

「アーサーは新しく出来た部署の局長になったんだ。『偽の防衛呪文ならびに保護器具の発見ならびに没収局』……長い名前だ。ヴォルデモート暗躍を便乗してイカサマ道具が出回りだすから、それらの回収だよ」

 やれやれとシリウスは肩を竦める。

「ねえクローディアはビルをどう思う?」

 満面の笑顔で笑いかけてくるジニーの質問の意図がわからない。異常に元気の良い態度も気になった。寝起きのせいだと思い、クローディアはクリーチャーの用意してくれた朝食を頂きながら、思考する。

「そうさね、良いお兄ちゃんだと思うさ」

「そう、私も貴女はいいお姉ちゃんになれると思うわ。ちょっとビルを意識してみない? 結婚相手として」

 唐突な提案にクローディアはビックリし、目玉焼きを吐き出した。

「……ジニー、私とジョージの関係を知っていてそう言っているさ?」

「そうだったわ、危うく私がジョージに殺されるところだったわ。だったら、ビルとトンクスってどう思う? 私は2人なら上手くいくと思うの」

 切り替えの早さにクローディアは思わず、シリウスと目を合わせてしまう。

「何かあったのか?」

「今、うちに誰がいると思う?」

 急に不機嫌な顔になったジニーから、『隠れ穴』には彼女の嫌い、もしくは苦手な人物が滞在していると予想できる。

「フラー=デラクールよ! あの牝牛が来年、ビルと結婚するの! 私達家族の仲間入りよ!」

 2人が答える前に若干、半ギレ状態でジニーは乱暴に答えた。

「「それはおめでとう」」

 クローディアとシリウスが声を合わせてお祝いの言葉を述べれば、ジニーは消化不良な顔つきになる。そこへクリーチャーが飲み物を用意してくれた。彼女はそれを飲み干して、一息つく。

「うちの家族と少しでも親しくなれるようにって、ビルがあの女を泊めているんだけど、もう私のする事にイチイチ挙げ足を取って、本当に腹が立つ! だから、一泊だけ逃げてきたの。明日はロンが来るわ。その次はママよ。呼んでおいたビルは忙しくて、全然、帰って来ないし……、寝るまでが本当に苦痛!」

「モリーがここに来なくなったと思ったら、そういうことか……流石にフラー=デラクールに屋敷に来てもらうわけにいかんしな」

 苦笑するシリウスにジニーは大いに頷いた。

「クローディアを『隠れ穴』に招待したかったけど、牝牛のせいで呼べなくなったの。来週にはハーマイオニーも来るから、……ただでさえフレッドとジョージの商品が部屋に山積みで手狭なの」

「ハーマイオニーもここに呼べばいいさ。そういえば、ハリーはいつ家から移動するさ?」

「まだ決まっていない……しかし、休暇の最終日には屋敷へ来てもらう手筈だ。おそらく、彼女も一緒に来るだろう」

 クローディアとシリウスで別の話へ持って行こうとしても、ジニーは延々30分もフラーへの不満を語り続けた。

 

 それから翌日、ジニーと入れ違いでロンがやってきた。

「いやあ、助かったよ。もう、家の中がギスギスしちゃってさあ。フラーのせいってだけじゃなく、毎日パパの帰りが遅いからママも不安でね」

 僅かな解放感に浸り、ロンは安心し切った顔で喜ぶ。

「フレッドとジョージがいれば、フラーとの間も取り持てるだろうさ。2人は何をしているさ?」

「店に泊まり込みだよ。商売繁盛良い事さ。ところで、ハリーはいつ来るの?」

 ロンの質問にクローディアは頭を振った。

「ハリーの心配もいいけど、『DA』で学んだことを復習とかしたさ?」

 この質問にロンはそっと目を逸らしたので、この日は大人の目を盗んで防衛術の練習を行った。

 

 更に翌日のモリーの来訪が一番、手強かった。

 いかにビルとフラーの結婚が早いのかをクローディアに力説した。

「『例のあの人』が戻ってきて色々と不安になっているから、結婚に走るんです。前の時もそうだったわ。あちこちで駆け落ちが流行ったわ。貴女にはそういう話来てないわよね? ダメよ、受けちゃ」

 スタニスラフの求婚は黙っておいた。

 

 一週間程経ち、クローディアは18歳になった。

 コンラッドがささやかながら、誕生日ケーキとそれに伴った料理を振舞ってくれた。そういう時に限って、リーマスやマンダンガスが食事目当てで現れた。

 誕生日への贈り物として微妙に嘘臭い護符を貰った。

 食事を終えてから、クローディアは本部近くのペネロピーの自宅へ移された。予想外の宿泊先に彼女を余計な事件に巻きこむのではないかと心配になる。

「ペネロピーは覚悟の上だよ。遠慮せず、彼女に甘えなさい」

 コンラッドの囁きにクローディアは少々、安心する。

「よく来てくれたわ、貴女の顔が見れて嬉しい」

 ペネロピーは涙を浮かべて歓迎してくれた。彼女の瞳が一瞬、お向かいの空き家へ向けられる。クローディアも、そこがジュリアの家だったと知っている。

 空家だというなら、ジュリアの家族はもうロンドンにいない。

「私はあちらにいるから、何あったらすぐに知らせなさい。ペネロピー、クローディアをお願いします。3日後に迎えに来る」

 最低限の礼儀をペネロピーに示し、コンラッドは歩いて行った。

「さあ、入って! 今、独りで暮らしているから、ちょっと寂しかったの。はーい、ベッロ! 貴方に会うのも久しぶりねえ」

「お邪魔します」

 痛々しい程、無理やりはしゃぐペネロピーにクローディアは出来るだけ自然な笑顔を向けた。ハリーやフィッグの家とは違う構造で、壁紙や調度品もアットホームな雰囲気を放つ。しかし、何処となく物が足りない印象を受けた。

「両親は今、フランスにいるの。パリよ! そこで来年には事務所を開くわ」

「来年なのに今からパリで暮らしているさ!? 気が早いさ」

 ビックリしたクローディアは思わず、叫んでしまう。

「そりゃあ、パリでの生活が身体的ストレスにならないか確かめる為よ。無理だったら、諦めないといけないしね」

 開業の心得など知らないが、本当に手間暇かかるようだ。

「1人暮らしだと、安全項目を守れないんじゃないさ?」

 ペネロピーが用意してくれたショートブレッドを齧り、クローディアは指先を動かして「アクシオ」と唱えて紫のパンフレットを呼び寄せる。

 物を浮かせたり、呼び寄せる程度なら、杖がなくても簡単にこなせるようになった。ペネロピーも勿論、出来るので驚かない。むしろ、そのくらい出来て当然のように振舞った。

「心配しなくても、大学の友達が来てくれるわ。その子も独り暮らしだから、ちょうど良かったわ。大学といえば、貴女の進学どうするの?」

「……癒者を目指す事にしたさ」

 ペネロピーに話すのは初めてだ。彼女は意外そうに目を丸くしたが、微笑ましく頷いてくれた。

「そう、自分のやりたい道を見つけたのね。なら、OWLの結果が待ち遠しいわね」

 その言葉を待っていたように窓の外から、フクロウ2羽が飛び込んできた。片方はカサブランカだ。

「私のフクロウは【ザ・クィブラー】だけど……、その手紙」

 カサブランカの足にあったのは、間違いなく試験結果だ。

 ついに訪れた瞬間、クローディアは学生としての緊張で深呼吸する。緊張の移ったペネロピーも口元を手で押さえて無言を貫いた。

【普通魔法レベル成績(O・W・L)

 クローディア=クロックフォードは次の成績を修めた。

 天文学・良 薬草学・優 魔法生物飼育学・良 魔法史・良 

 呪文学・優 魔法薬学・優 闇の魔術への防衛術・優 変身術・優 

 古代ルーン文字学・良 数占い・良】

 落第した科目はない。目的とする科目は全て「大いによろしい」を意味する優・Oだ。『古代ルーン文字学』が「期待以上」の良・Eだったのは反省だ。

 一先ず安心したクローディアは肩で息をし、試験結果をペネロピーに見せた。

「家族より先に見ていいの? では、遠慮なく」

 躊躇いなく、ペネロピーは試験結果をひったくりベッロと共に一文字一文字、丁寧に読み込んだ。

「よくやったわ……。これで貴女もN・E・W・T学生よ」

 感慨深く、ペネロピーは試験結果を抱きしめる。我が事のように喜んでもらい、クローディアは嬉しかった。

 その晩、誕生日の祝いも兼ねてペネロピーはクローディアに2人で食べるには豪華な夕食を用意してくれた。

 そこへカサブランカは大量の手紙を運んできた。

 クローディアの誕生日を祝うカードがほとんどだ。ハーマイオニーからも試験結果を報せる手紙が届く。やたらと長い文面は、試験1・ハリーの状況2・フラーへの愚痴7の割合で書かれていた。

(ハリーは『隠れ穴』に移されたさ……。スラグホーン先生がホグワーツに復職する!? ……『魔法薬学』の教授が2人? ……『占い学』のように2人も着けるさ? ……ハーマイオニーは『闇の魔術への防衛術』に先生が着任すると思っているけど)

 コンラッドに相談しようと決め、クローディアはスラグホーンの件を補完した。

 寝る直前までクローディアは皆への返事を書くだけで精一杯。その様子をペネロピーは楽しそうに眺め、ベッロと遊んでいた。

 




閲覧ありがとうございました。
ドーラという名前を改めて聞くと、某ジブリキャラが出てくる。
今まで家系図を見ていなかった不思議。

●テッド=トンクス
 ニンファドーラの父親、マグル生まれ。
 中年太りか腹が出ている。
●アンドロメダ=トンクス
 ニンファドーラの母親。
 顔つきはベラトリックスに似ているが、穏やかさと親しみやすさがある。


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2.横丁の変化

閲覧ありがとうございます。
UAが10万越えました。お気に入りが740名を越えて嬉しいです。

追記:18年9月3日、18年11月18日、誤字報告により修正しました。


 ペネロピーの家を去る時、コンラッドの迎えが来た。

「元気でね、クローディア。きっと、また会いましょう」

 別れを惜しむようにクローディアを抱きしめ、ペネロピーは絶対の再会を願った。勿論、こちらも喜んで彼女に再会を約束する。

「ベッロは連れて行けない。ペネロピーに預けておく」

 2人は大きな通りまで歩き、タクシーを捕まえて乗り込む。到着した先は、何の変哲もないマグルのホテルだった。

 建物の形に見覚えがある。

「お父さん、ここに来たことあるさ?」

「あるよ。おまえを最初に泊めたホテルだ」

 コンラッドの説明を受け、クローディアは懐かしさよりも驚きが大きい。ホテルマンに荷物を運ばれ、ロビーやエレベーターを通る内装に記憶の限り変化はない。

 客室に通され、コンラッドはホテルマンにチップを渡してから口を開いた。

「こちらはハンスだ。以前も彼には良くして貰ったが覚えているかな?」

 紹介されたハンスは帽子を取って、顔がよく見えるようにしてくれた。しかし、残念だが覚えていない。素直に伝えても、彼は愛想よく笑い返す。

「私の息子もホグワーツでしてね、お嬢さんの話は息子からよく聞いてますよ。先日も『ノスタルジックホール』で、『例のあの人』を見たとか……興奮しながら話してましたが、本当か聞いても?」

「それは本当ですが……」

 ホテルマンの名札には、ハンスしか刻まれていない。

 失礼ながら、ハンスが魔法族とは思えない。では彼の息子はマグル生まれの魔法使い。先日の戦いで同行してくれた面子から浮かんだのは、ジャスティンだ。

「ジャスティンのお父さん?」

「正解、ヒントが多かったかな?」

 ハンスと目を合わせたコンラッドは愉快そうに口元を歪めた。

「中々、利発そうなお嬢さんだ。これなら息子を任せられます」

 笑顔の中に決意を込め、ハンスは退室した。

「私、ジャスティンと付き合ってないけどさ。あれってそういう意味じゃないさ?」

「ハンスは9月からニューヨークへ行く手筈になっているんだ。親としては息子も連れて行きたいが、ジャスティンは残ると決めたんだ。そこでおまえに会って、ジャスティンを託しても良いか、見定めようとした……そういうことだよ」

 どうやら、クローディアはハンスのお眼鏡にかなったようだ。急に胸へ緊張という息苦しさが襲う。

「責任重大さ」

「気負う事はない。おまえと会わずとも、ハンスはジャスティンに賛成していたさ。ただ、何でもいいから理由をつけたかったんだろう」

 声に優しさを含ませ、コンラッドの手が背を軽く叩く。励まされたのだとわかり、胸の緊張は解けた。

 緊張が解けてから、ここ最近、コンラッドが妙に父親のような優しさを見せると気づく。そこを指摘するのは野暮というものだ。嬉しさを態度に出さず、クローディアは胸中で彼に感謝した。

 荷物を解きながら、不意に思い出した事柄があった。

「そういえば、試験結果が出たんだけどさ。見るさ?」

「自分から結果を報告するとは、良い結果だったようだね」

 コンラッドの言うとおり、『O・W・L試験』の試験結果はクローディアにとって良好だった。試験結果が記載され羊皮紙を渡し、彼は納得する仕草をする。

「セブルスから癒者を目指していると聞いたが、……変更はないかい?」

「ああ、……お父さんには話してなかったさ……。うん、進路は癒者さ。……あれ、フリットウィック先生からじゃなくて、スネイプ先生から聞いたさ?」

 コンラッドとスネイプが会話をする機会はあるに決まっている。だが、他寮の寮監にも関わらず、保護者と進路の話をするなど微妙に考えにくいで事態だ。

 そして、スネイプの名でスラグホーンを思い返す。

「お父さん、スラグホーン先生がホグワーツに復職するって話を聞いているさ? 聞いていなくても、質問するけどさ。『魔法薬学』の教授が2人になる可能性ってあるさ?」

 唐突に話題を変え、質問したせいかコンラッドの機械的な表情に煩わしさが見えた。

「……スラグホーン先生の事は聞いているよ。あの人なら『魔法薬学』しか講師できないから、そちらに着任だろうね」

 クローディアとしては、スラグホーンが『闇の魔術への防衛術』の教授でも良かった。若く未熟な学生には理解できない領域を彼は熟知していそうだ。

「ふーん、なら『魔法薬学』の教授は2人になるさ。『闇の魔術への防衛術』の教授に関しては……」

「学校に行ってからのお楽しみ、そうしておきなさい」

 強制的に会話を終了させられ、クローディアは隠さずに溜め息をつく。コンラッドは情報漏洩を恐れているのではなく、すぐに知れる情報をわざわざ説明したくない様子だ。

 つまり、教授は決定しているのだ。

 では、クローディアはコンラッドに従って『お楽しみ』にしておくしかない。折角なら、ハーマイオニーにも『お楽しみ』という形で黙っていようと決めた。

 

 このホテルも3日後に去り、護衛も増やさず2人だけで『漏れ鍋』へ着いた。

 そこには客の姿が全くない。休業の印象を受けるが、主人・トムの見た事もない笑顔によって歓迎されたので、休業はありえない。

「こんにちは、トムさん。お元気ですか?」

「見ての通りだ。来たとしても、ダイアゴン横丁へ素通りだよ。……前の時だって、ここまで客が来なかった日はなかったよ」

「部屋をいいかな?」

 愚痴愚痴と文句を垂れ流されそうになり、コンラッドは強い口調で鍵を求めた。

 『8』と表札された部屋で、荷物も解かずにクローディアは寝台へ飛び込んだ。

「また3日後に移動するさ?」

「さあね。明日かもしれないし、新学期までかもしれないよ」

 枕に顔を沈めたまま移動予定を確認すれば、とても曖昧な返事に辟易する。

「それじゃあ、ダイアゴン横町に行ってジョージとフレッドのお店を見に行くさ」

 やっと双子の店に行ける。それを喜びとし、気分を盛り上げた。

「駄目だよ。私は出掛けるんだから、護衛が来るまでおまえは『漏れ鍋』から出ない。わかったね」

 一秒も持たなかった。

「お父さんが護衛してさ!というか、私を置いて何処に行く気さ?」

「それを話すのは、危険だからね。秘密だ。大丈夫だよ、ここにはトムがいる。月末には戻る。移動する時は、誰かが護衛に来てくれるはずだから勝手に動かないでおくれよ」

 言いたい事を終えたコンラッドは、本当にクローディアを残して部屋を後にした。

 ベッロすらもいない本当の独りっきりは久しぶりだ。解放感も孤独感もなく、クローディアは話し相手欲しさに下へ降りた。話相手が欲しかったのは、店主トムのほうだった。延々と【日刊予言新聞】や、なんと【ザ・クィブラー】の話までしたのだ。

「横丁でも半分以上店を閉めちまったよ。客もうちみたいに来ないしな。でも、『W・W・W』は盛況だ。こんな時だから、余計に楽しい事を求めるもんさ」

 最初は真剣に聞いていたクローディアだったが、あまりにも長すぎて段々と聞く気力がなくなっていく。最後には頬杖で顔を上げてる体勢を維持する事に意識は集中した。

「だが、オリバンダーが店を閉めたのは痛いな。おめえも気を付けろ。うっかり杖を壊しちまったら、代えを探すのは一苦労だ」

 その言葉で一気に目が覚めた。

「オリバンダーさんが逃げたってことさ?」

「さあな、俺も見に行ったが店に争った形跡はなかったぜ。……無事だといいが、……横町のアイスクリーム屋はわかるな? あそこの店主は完全に攫われやがった……、店は酷い状態だったぜ」

 何故に善良なアイスクリーム屋が襲撃されたのかと疑問したが、『死喰い人』の脅威は身近に迫っていると人々に知らしめる為だろう。

 

 翌朝には、いつの間にかベッロとカサブランカが部屋に来ていた。

 コンラッドが戻るまで、クローディアは酒場に下りる時もベッロを虫籠に入れて傍に置いた。首に巻くのが安全かもしれないが、目立つ。それにトムも闇の魔術の象徴である蛇を見たくないのではないかと勝手に気を遣った。

 

 8月1日、ハリーの誕生日の翌日だった。しかも、ハリー本人を連れてきた。

 ハリーに会えた喜びよりも、コンラッドが彼と2人っきりで行動を共にした事実に驚いてしまう。ベッロは何の躊躇いもなく、彼との再会を喜んだ。

 昼食を部屋に運んでもらい、クローディアとハリーは情報交換のように語り合う。

「なんで、ここに来たさ? ロンの家にいるんじゃなかったさ?」

「僕も今朝、コンラッドさんの迎えが来たばっかりだから、何がなんだかわからないよ。皆も来たがってた。君に会いたいし、ずっと缶詰め状態だもの」

 ベッロを撫でるハリーは苦笑し、『隠れ穴』に残してきたロン達に想いを馳せていた。

「どうして、ハリーを移したさ? 重要な事さ?」

「……、そろそろ新学期に向けての通達が来るからね。どうせ、学用品の買い足しをしなければならないだろう? それが済めば、また『隠れ穴』か……あの屋敷に移動だよ。そこのハリー=ポッターは……」

 コンラッドは暖炉を見つめ、ハリーを見ないように努めていたが返事はしてくれた。

 ハリーもコンラッドに気を遣い、話題を変えた。

「誕生日カードをありがとう。クローディアはいつから『漏れ鍋』にいるの? 誰かに会った?」

「少なくとも4日は経っているさ。ダイアゴン横町にも行けなくて、ずっとトムさんと話して時間を潰してたさ。ここに来る前なら、いろんな人に会ったさ。ハリーのほうは何かあったさ?」

 ナプキンで口元を拭き、クローディアは食後の紅茶を口に含む。麦茶が飲みたい衝動と戦っている間に、ハリーもサンドイッチを飲み込む。

「『隠れ穴』に移る前、ダンブルドアがホラス=スラグホーンって人と引き合わせた。昔の同僚なんだって、新学期からホグワーツに来るよ。……スリザリンの元寮監だったそうで、コンラッドさんならご存知かと」

「うん、お父さんはスラグホーン先生を知っているし、私も今まで何度か会っているさ」

 衝撃の事実にハリーは目を見開く。知っているなら話は早いとスラグホーンの話題は打ち切られた。

「後はルーピンに会ったくらいだよ。……現状は芳しくないって……、吸魂鬼の事件は起こるし、イゴール=カルカロフは遺体で発見されて……」

 思わぬ訃報に喉を通りかけた紅茶を噴き出す。咽てしまうクローディアの背をハリーは優しく擦った。

「……お父さん、カルカロフの事、知っていたさ?」

「うん、大体の情報は入ってくるよ。嘘も交えてね」

 教えろやと悪態をつきたいが、情報を与えて貰えないのは今に始まった事ではないので湧き起る怒りを深呼吸で誤魔化した。

 そして、カルカロフへ黙祷を捧げる。

 瞼の裏に浮かぶのは、弱弱しく瘦せ細った男の姿だ。

「イゴール=カルカロフの冥福を祈るのかい?」

 機械的な問いかけにクローディアは目を開ける。ハリーは今、彼女が黙祷を捧げていた事に気づいた表情を見せた。

「祈るさ。カルカロフの為に……」

 好意も仲間意識もなかったが、彼は哀れな犠牲者となった。ならば、クローディアに出来る事は祈る事だけだ。

 場の空気を変えるように、部屋へフクロウが飛び込んでくる。ホグワーツからのお知らせと教科書リストが届いたのだ。ハリーの封筒にはバッチも同封されていた。

「……僕がクィディッチのキャプテン!」

 開封したハリーは手紙を読み終えてから、驚きと感動で声を弾ませた。

「おお、おめでとうさ。キャプテンかあ、かっこいい響きさ」

「君だって、バスケットチームのキャプテンじゃないか。お互い様だよ」

 ホグワーツで得られる特権は随分と違う。そんな些細な疑問もお構いなしにクローディアとハリーがハイタッチしながら、喜びを分かち合う。

 コンラッドは我関せずと教科書リストを眺める。

「明日にしようかな。護衛を増やす様に手配してくるから、2人ともここに居なさい」

 それは明後日にはダイアゴン横町へ買い物に行けるという嬉しいお知らせだ。

「「はーい、行ってらっしゃーい♪」」

 上機嫌にクローディアとハリーが返答すれば、コンラッドの目尻が痙攣した。

 2人きりになり、クローディアは不意に思い付く。

「明日の買い出しで思い出したけど、ハリーの試験結果はどうなったさ? あんたの進路希望って『闇払い』じゃなかったさ。成績足りたさ?」

 先日の試験結果の話になり、初めてハリーはそっと目を逸らす。察したクローディアは問答無用で彼の荷物から試験結果を探ろうとしたが、全力で抵抗された。

 

 ハリーとコンラッドは隣の『7』号室で一晩過ごした。

 クローディアは3人で泊まっても良かったが、コンラッドが年齢的に考えて配慮したのだ。

「私だって、彼とは過ごしたくない。同じ部屋にいたくない。わかったかい?」

 ハリーの目の前で大人げなく本心をブチ撒けるコンラッドに2人は態度に出さず、呆れた。

 下の酒場で朝食を摂っていると、巾着袋をふたつ手にしたビルが現れる。彼は巾着袋をそれぞれ、ハリーとコンラッドへ手渡す。

「君達の金庫から出しておいたよ。小鬼が警戒措置を厳しくしてな。どんな手続きも5時間かかるんだ。俺が直接やったほうが簡単なんだ」

「ありがとう、ビル」

「恩に着るよ、ビル。君のご両親も頼りになる息子を持って幸せだな。そうだ、結婚するんだって? おめでとう」

「フラー=デラクールとの結婚おめでとうさ」

 手続きへの感謝と結婚への祝いの言葉を述べる。

「フラー=デラクールと結婚!? 本当か、こりゃあ目出度い!! おめでとうな、ビル」

 聞くとはなしに聞いていたトムも吃驚仰天だ。

「ありがとう。俺はこのまま仕事に戻るから、行くわ。そうだ、そろそろ護衛が来るはずだぜ」

 そう告げて、ビルは勤務に戻った。何も注文しなかった彼にトムは少々がっかりしていた。

「ベッロを下してくるさ?」

「そうだね。おまえが連れ歩きなさい」

「それじゃあ、僕が連れてきます」

 ハリーは早足で部屋に行き、ベッロとバックパックを持ってきた。

「ベッロを鞄に入れるつもりさ?」

「ううん、念の為に……持って行こうと思ってね」

 おそらく『透明マント』だ。

 クローディアも塗り薬と印籠はウェストポーチへ常備している。当然の対策だ。

 トムがクローディア達から食器を下げた時、例の護衛は大勢現れた。実際の護衛はハグリッドとシリウス、モリーの3人だが、ハーマイオニー、ロンの2人も十分頼りになる。

「クローディア、やっと会えたわね! 元気?」

「勿論さ、ハーマイオニーも……その顔どうしたさ?」

 ハーマイオニーに抱き締められ、その目元の痣に驚かされた。

「誰かさんのパンチ望遠鏡よ」

 それだけで双子の悪戯道具だと察した。試作品やら何やらを『隠れ穴』に置きっぱなしだっとジニーから聞いていた。

(倉庫でも借りて片付けるさ)

 少々迷惑に思っている間に、ハグリッドは喜びのあまりハリーの背を折れんばかりに抱き締めた。

「俺が護衛なんて、昔に戻ったみてえだ。魔法省はハリーの為に『闇払い』をごっそりと送り込もうとしたんだが、ダンブルドアが俺らで大丈夫だって言いなすった」

 ダンブルドアからの信頼を誇らしく、ハグリッドは胸を張る。ハリーは痛みで苦笑を返すのが精々だった。

「クローディア、会えて嬉しいわ。いろんな場所を転々としているんですって?」

 モリーは心配そうにクローディアに触れ、異常がないか確かめる。

「ええ、食べてます。ジニーとフラーはどうしました?」

「ジニーには悪いけど置いてきたわ。今、『隠れ穴』を空けるわけに行かないし、あの子にはお父さんが休みの日に連れてくる約束したから、……本当に悪いと思っているのよ」

 今頃、ジニーはフラーとの時間を精神的拷問として過ごしているに違いない。ちょっとだけ憐れんだ。

「本当は僕らも置いて行かれるところだったんだけど、シリウスが説得してくれたんだ」

 ロンが嬉しそうに視線でシリウスに礼を述べる。

「一応、聞くが……奴に何もされてないな?」

「……うん、心配しなくても何にもされてないよ」

 その横でシリウスはハリーに確認を取っていた。

「聞こえているぞ、ブラック。君じゃないんだから、時と場所を弁えているよ」

 厭味ったらしい言葉を吐き、コンラッドは裏庭へ向かう。それを見て、皆も急いで続く。

「すまんな、トム。ホグワーツの仕事なんだ」

 最後尾のハグリッドがトムへ詫びた。

 

 ダイアゴン横町は想像以上に寂れていた。去年の冬の光景が嘘のような様変わりに、情勢が窺える。

 数ある魔法の装飾品は消え、代わりに魔法省のパンフレットと例の件で逮捕を免れた『死喰い人』の手配書が貼られていた。

 みすぼらしい屋台は如何にも怪しげで、治安の悪い区域に迷い込んだ気分になる。

「こりゃあ、ノクターン横丁と変わらんな」

「へん、まだ可愛いもんだ。こういう奴らはな」

 シリウスの呟きにハグリッドだけが返事した。

「さて、それじゃあ、役割を決めようか。教科書は誰が買いに行く?」

「ちょっと待って、分かれて行動するの?」

 コンラッドの提案にモリーが不安を露にする。

「俺もそのほうがええと思う。なんせ、この巨体だ。店がちいときついかもしれん」

「ハグリッドの言うとおりだ。早めに済ませて損はない。俺とハグリッドでハリーとロン、モリーは3人を頼む」

 護衛される数に含まれ、コンラッドの眉間に皺が寄る。

 クローディア達に反論はない。モリーは渋々了承した雰囲気を隠さなかった。

 『フローリシュ・アンド・ブロッツ書店』の店主は、客人への愛想を忘れている。店に誰か踏み入れたと知れば、警戒よりも恐怖心が強い。

「やあ、久しぶりだね。今日は色々と買わせて貰うよ」

「その為に店を開けているんだ。ゆっくりしてくれ」

 コンラッドの挨拶に少しだけ店主の表情が和らいだ。

 クローディアとハリーは自分に必要な教科書を選び、モリーはハリーとロンから預かった教科書リストを確認して本を手に取る。

 会計の時にクローディアはモリーが手にしている教科書の違和感に気づく。2人分の教科書の中に『魔法薬学』の授業に必要な【上級魔法薬】がないのだ。

「モリーおばさん、ハリーに【上級魔法薬】を買わなくて良いのですか?」

「ええ、ハリーの教科書リストに載ってないもの」

 その返事と昨日のハリーの態度から、『魔法薬学』は規定以上の成績を得られなかったようだ。

「ハリー、進路どうするんだろうさ?」

「そこはマクゴナガル先生と相談になると思うわ」

 ハーマイオニーの返答にクローディアは納得した。マクゴナガルなら彼の進路補正を上手く纏めてくれるに違いない。故に彼女達は安心して自分の分の教科書を購入した。

 

 『マダム・マルキンの洋装店』に行っていた男性陣はハグリッド以外、微妙な雰囲気を醸し出していた。ハーマイオニーが質問するより先に、モリーが安全を確かめる。

「皆、大丈夫? ローブは買えたわね。それじゃあ、薬問屋とイーロップのお店で教材の買い足ししてから、フレッドとジョージのお店に行きましょう。――離れないでね」

 語尾を強くし、モリーは歩き出す。

「それで何があったさ?」

 買い出し中に、クローディアは洋装店での出来事をハリーに問う。彼もモリーに聞かれぬように声を潜めた。

「マルフォイだよ。母親と一緒だったんだ。シリウスとあいつの母親との言い合いを見せてやりたかったよ」

 コンラッドを連れて行かずに済み、心底、良かったとクローディアは思う。否、自分も鉢合せにならず良かった。

「ハグリッドは止めなかったさ?」

「今と同じように店の外にいたんだ。マルフォイ親子の事を言っても、あいつらがここで面倒は起こさないって……、ちょっと暢気だよな」

 ロンが店の外にいるハグリッドを親指で指差す。暢気ではないが、クローディアもドラコ達が横町で諍いを起こす程の精神的余裕はない。何故なら、『死喰い人』の実質的リーダーだった父親ルシウスがアズカバンへ投獄されている。

 虎の威を借る狐だったドラコが頼るとすれば、スリザリン寮監のスネイプに他ならない。だが、寮監は学校の外まで生徒を守り切れない。

 ドラコの状態を予想している間に『W・W・W(ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ)』へ辿り着いた。

「うわお!?」

 ロンの奇声でクローディアは気づいた。

 花火と黄色い文字の輝き、生き生きとした商品の数々が遊園地のパレードを連想させる。俯き加減の店頭のせいで余計に目立つ。

 このご時世に合わぬ派手さに自分達だけでなく、通行人さえも呆気に取られてしまう。笑いが必要と言ってもやり過ぎだと感じてしまう。ただし、嘆きを吹き飛ばしてくれる高揚感が勝る。

「ほお、こりゃあ凄い。良い店だ」

「どこがよ! 『例のあの人』なんか気にしている場合か? なんて、ただじゃ済まないわ!」

 感心するシリウスと違い、モリーは唸るような声で慄いた。

「とっても素敵じゃん、あいつら最高!」

 ハリーとロンが先んじて入り、クローディアは躊躇う。楽しみだったはずが、自分がこの最高に愉快な店に踏み入れていいのかと自問した。

「行きましょう、ほら。置いて行かれるわ」

 ハーマイオニーに背を押され、クローディアは輝かしい店内へ入った。

 

 ――千客万来。

 

 例えではなく、言葉通りだ。店の通路は客で埋まっている。商品棚に近づけないので、クローディアは視認出来る限り、商品を見渡す。

 『ずる休みスナックボックス』、『鼻血ヌルヌル・ヌガー』、『だまし杖』、『自動インク』、『綴りチェック』、『冴えた解答』など本当に様々な商品が並び、また売り切れていた。

 ハーマイオニーはハリーとロンに遅れまいと人混みを搔き分けて進むが、クローディアは夢見心地に店内を見渡し続けた。ベッロは人の多さに辟易し、スルスルと外へ出て行った。

「やっと来てくれたんだな。クローディア」

 客の波を失礼のないように避けながら、近づく双子の片割れはジョージだ。赤紫色のローブを着ているせいか、立派な紳士に見える。クローディアも彼に近づく為に人の垣根を割った。

「一か月ぶりさ? 前のドラゴン革より素敵な格好さ」

「ありがとう、クローディアはいつ『特許・白昼夢呪文』を使ったんだ? ぼーっとしているぞ?」

 商品名らしいがクローディアには思い当たらない。

「なんというか、凄すぎて言葉が浮かばないさ……。素敵とか最高より良い言葉ってなかったさ?」

「君の表情だけで十分、伝わってくる」

 優しく微笑んだジョージはクローディアに手を伸ばし、彼女の頬に触れるか触れないかという微妙な距離を保つ。そのまま、手を繋いできた。

「商品案内をするよ。こっちへ」

「本当に素敵な店だ。今の子供達が羨ましいぞ」

 愉快で親しげな声を耳にし、クローディアは背筋を寒気が走り抜ける。それはジョージも同じだ。客に紛れて2人の目の前に現れていたのは、クラウチJrだ。

「へい、ウィーズリーの片割れよ。俺にも案内が欲しいな」

 上機嫌なクラウチJrの手には『食べられる闇の印』とラベルの貼った容器が握られていた。

「……よく俺の店に顔が出せたな……クラ」

「おっと、それ以上は言わないほうが身の為だ。俺が誰か解れば、店は大混乱に陥るぞ。心配しなくても、俺は諍いを起こしに来たんじゃないぜ。ちょいと、童心に帰りたくなっただけだ」

 ジョージの睨みを物ともせず、クラウチJrは商品を弄ぶ。

「皆、あんたに気づいていないって本気で考えているさ?」

「気づいていないとも、否、違うな。俺を誰かに似ているなとは思っているんだろうぜ。けど、まさか、この店に現れるなんて思いもしない。したくない。そんな深層心理が自然と働くのさ。実際、俺が声をかけるまで気付かなかっただろう?」

 クローディアは入店してから間もないが、ジョージやフレッドが訪れる客の顔を1人1人見ていないはずがないと信じていた。だが、確かに指名手配中の『死喰い人』が買い物に訪れるなど、万が一にも考えたくない。

 ジョージの手を握り返し、クローディアは彼の表情を盗み見る。双子の店員は毅然とした態度でクラウチJrと対峙している。一切の恐怖がない。立ち向かう勇ましさがある。

 クローディアもクラウチJrが怖いのではなく、ここで戦闘になった場合の被害を想定してしまう。この店が、皆の娯楽が潰されて奪われてしまう。そんな恐怖が胸を過ぎる。

 守りたいモノ、守るべきモノがある為に奪われるのは怖い。

「それとどうしてもポッターに聞きたい事があってな。だが、貴様らの異変に誰かが気付かないとも限らん。そこで代わりにウィーズリー、貴様が答えてくれよな」

「俺……、一応、聞いてやるよ? 答えるかは別だ」

 唐突に笑みを消したクラウチJrは内緒話をするようにジョージの耳元へ唇を寄せる。

「貴様らは何故、クローディア=クロックフォードを恨まない? こいつがクィレルを助けたせいで、ご主人さまは戻って来れたというのに……。俺の知る限り、誰もこいつを憎まないのは何故だ?」

 その疑問はクローディアの耳にしっかりと届いた。

 届いた瞬間、心臓が握られた感覚に襲われる。否、臓物全てが襲い来る罪悪感で潰されそうになっている。

 誰も彼女を責めない。誰も彼女を糾弾しない。

 ダンブルドアもハリーもコンラッドもドリスもハグリッドも……、クローディアとクィレルの間に起こった出来事を知る人々は誰にも何も言わない。

 ヴォルデモートは舞い戻る手段をいくつも用意していたとしても、実質、闇の帝王を復活させたのはクローディアが助けたクィレルなのだ。

 無意識に身体が痙攣し、唇も青ざめる。

「そんなの決まっている。クィレルが恩を仇で返した罪人だと俺も……彼女に味方する誰もが知っているからだ。……それに俺はクローディアを愛している……。それ以上の理由はない」

 何の迷いもないジョージの言葉が素直に嬉しい。痙攣が自然と止まった。

「成程、愛こそ全て……か。……滑稽すぎて、ムカつくな」

 一気に温度を下げた口調にジョージはクローディアを庇う体勢になる。

「馬鹿正直な店主に免じて、今日は帰る。もしかしたら、偽名で商品を注文するかもな」

 殊更おかしそうに笑いながら、クラウチJrは代金をジョージに手渡して店を出て行った。

 外にはハグリッドがいる。いくら彼でも、クラウチJrには容赦しなはずだ。

 戦闘への危機感にクローディアは急いで店を飛び出す。しかし、ハグリッドは肩にベッロを乗せて周囲を警戒する様子は見せるが、武器代わりの傘さえ構えていなかった。

 後から来たジョージも変化のない外に驚いている。

「……ハグリッド、今、誰か出て来なかったさ?」

「そりゃあ、子供達が何人も出たり入ったりしとる。俺の事を店のオブジェクトと思っとる奴もいたぞ」

 つまり、クラウチJrはハグリッドとベッロの目を誤魔化して去った。

「……ジョージ、店は……」

「閉めないぜ。奴らが客になるなら、上等だ。もっともクラウチJr程の変わり者がいるならの話だがな」

 拳を握り締めるジョージからハグリッドが何かを察し、辺りを見回す。

「なんだ? 誰かいたのか?」

「……クラウチJrが……客に紛れていたさ」

 クローディアの答えにハグリッドは驚愕したが、深呼吸して冷静になった。

「後で話そうな。ジョージ、皆を呼んできてくれ。クローディアはここにいろ。心配すんな、俺が着いている」

 頼まれたジョージはすぐに店へと引っ込んだ。

 クローディアの肩には優しき森番の手が慈しむように添えられ、ベッロが頭に乗ってくる。背後の気配に振り返れば、コンラッドがいた。

 血相を変えたシリウスはすぐに飛び出してきたが、ハリー達は来るのが遅かった。モリーは店の奥まで行き、3人を探しに行ったが中々見つからない。

「何処へ行ったの! あの子達は!」

 不安が募り、モリーは苛々していたが30分足らずで3人は店の奥からひょっこり顔を出した。

「何処に行っていたんだ」

 血管が切れそうなシリウスの剣幕にハリー達はビクッと肩を痙攣させていたが、ずっと店の奥にいたと主張してきた。

 『透明マント』の存在を知るクローディア達は疑いの眼差しで彼らを見たが、追及はしなかった。

 

 『漏れ鍋』に戻り、モリーはハリーも連れて帰ろうとしたがコンラッドに客室へと案内された。

 ハグリッドの為に魔法で部屋を広くし、クローディアは先ほどのクラウチJrとのやり取りを聞かせる。モリーは真っ青になり、ロンの腕を折れんばかりに抱き締めた。

「ああ、やっぱり! 子供達を外に出すんじゃなかったわ!」

「ベッロの感覚って役に立たなすぎだよ。まさか、また敵愾心が多すぎるとか言い訳か?」

 腕の痛みに耐えながら、ロンはベッロを睨んだ。ベッロは鼻を鳴らし、顔を背ける。

「……多分だけど、クラウチJrは敵意や悪意を持っていなかったんだ。本当に玩具を買いに来ただけだったから、ベッロにはわからなかったのかも……。コンラッドさんはどう思います?」

「……半分だけ賛成だね。一度でも、私達と敵対した者の匂いや気配をベッロは覚えている。……それらさえ誤魔化す方法を奴らは持っていると考えるべきじゃないかな」

 ハリーを見ず、ハグリッドに向けてコンラッドは答えた。

「『錯乱の呪文』より効果は弱ええが、十分な道具って事だな。ダンブルドアに報告しねえと……それで他に何か言われなかったか?」

 ハグリッドの詰問にクローディアの心臓は冷水を浴びせられた気分になる。血管にも冷たい針が通り、全身を巡って行くような緊張感に唇が動かない。

「クローディア、どうしたの? 顔が真っ青よ、酷い事言われたの?」

 身を案じてくれるハーマイオニーに心配かけまいと顎に力を入れるが、声が出ない。

「……私から話そう。奴が何を言っていたのか大体は見ていた」

 コンラッドの発言にクローディアはあまり驚かない。店で騒動を起こさないように気を遣い、尚且つ、クラウチJrの唇の動きを読める位置にいたのだろう。

「奴に気づいていたなら、おまえが相手してやれや!」

「相手の出方を見る為だよ」

 シリウスを適当にあしらい、コンラッドはクラウチJrの質問を一字一句間違いなく教えた。

 全員、驚愕のあまり口を開き知らずと手で口を防ぐ仕草をした。

「ひでえ事を言いやがる! 俺達のクローディアは悪いことなんざしてねえ! 諸悪の根源は恩知らずのクィレルじゃろうに!」

 ハグリッドは鬚を痙攣させて激昂し、ハーマイオニーは我が事のように目に涙を浮かべてクローディアを抱きしめた。

 慄いていたモリーはロンから手を離し、憐れむような視線でクローディアの肩に手を置く。

「……クローディア、気を悪くしないでね。アーサーから聞いたんだけど……、魔法省……特に『闇払い』の一部では貴女を批判する声は確かにあるそうよ。多分、トンクスも知っているわ」

「なんでだよ。ハグリッドの言うように悪いのはクィレルだろ?」

 唇を尖らせてロンは顔も知らぬ『闇払い』の連中の代わりにモリーを睨む。すると、ハリーが何かに気づいた。

「スクリムジョールだ。あの人、コンラッドさんを『死喰い人』だって決めつけていた。クローディアを決して支持しないって」

「知っているよ。あいつは最初から私が闇の帝王を復活させる為にシナリオを組んだと思っているんだ。捕らえないのは、私を泳がせているつもりだ。闇の帝王一派を瓦解させる鍵になると信じたいんだろうな」

 コンラッドの口元が皮肉っぽく曲がる。

「……魔法省が私を糾弾しないのは、泳がされていたからさ?」

「いいや、そんな余裕がないからだよ。仮にクローディアを糾弾する時が来るなら、……ヴォルデモートが倒された後になる……」

 ようやく出せた言葉をシリウスが緊迫した様子で返事をする。ヴォルデモートの名にモリーが怯えて飛び上がった。

 クローディアは以前の『死喰い人』狩り裁判を思い返す。法廷に立ったことはないが、自分がそこにいる姿を想像した。不思議と怖くない。寧ろ、やっと罪に罰を与えて貰える。そんな喜びが胸を弾ませていた。

 

 ――今まで何もなかった事がオカシイのだ。

 

「いつになるかわからない先の事より、ハリー=ポッター、君達は何処へ行っていたんだい?」

 コンラッドの詰問に今度はハリー達が震え上がった。

「私達は『盾の呪文』を応用した防衛道具を見ていたのよ。知っているかしら、『盾の呪文』ができない人って多いんですって。だから、『盾の帽子』や『盾のマント』とかすっごく売れるんですって」

「そうそう、急いで逃げるのに便利な『インスタント煙幕』とか、景気よく一発音を出して気を逸らしてくれる『おとり爆弾』とか、その路線の商品も開発し出したんだって」

「最高級の『惚れ薬』とか、女子に人気らしいよ。一回で最大24時間効くんだって」

 ハーマイオニー、ハリー、ロンの順に嘘臭い笑顔で早口に捲くし立てる。見え見えの態度で誤魔化しきれると思っているなら、失笑する。

「『インスタント煙幕』って要はただの煙幕さ。ハリー、私に話すつもりなら、ここで言っても同じさ。皆さんからのお叱りが来るだけさ」

 大人の視線とクローディアの押しで、3人とも諦めた様子で項垂れた。

「ドラコ=マルフォイが独りで歩いている姿が見えたから、追ったんです。……僕の『透明マント』に3人を無理やり詰めて……」

 モリーの荒い息が乱暴に吐き出される。

「追った先で何を見たんだ?」

 結果を求めるシリウスにハリーは続けた。

「『ボージン・アンド・バークス』に入って、店主を脅して何かを修理する手助けさせようとしていました」

「修理の依頼ではなく、手助け?」

 思わず声が出て、クローディアの口はベッロの尻尾に塞がれた。

「もうひとつ、別の品を保管するように命じていました。その二つは1組のような言い方でした。誰にも母親にさえ秘密にするように強く命じていました。……それに……洋装店での事ですが、マダム・マルキンがあいつの左腕に触ろうとした時、マルフォイは腕を払いました。きっと、あの腕には闇の印が刻印されていると思います……」

 そこまで聞いたモリーが呻き声を上げて、必死に頭を振るう。

「ハリー、『例のあの人』が未成年を受け入れるはずがないわ! もう帰りましょう。ロン、ハリーの荷物を持って頂戴!」

 癇癪を押さえ込む口調でモリーは杖を振るい、魔法でハリーの荷物を瞬時に纏め上げた。

「クローディアも『隠れ穴』においでなさい。ここにいる事を気づかれたかも……」

「ママ、クローディアの寝る場所が本当にないよ」

 遠慮がちに意見するロンをモリーは睨んだ。

 結局、モリーはコンラッドに説得されてハリーだけを連れ帰る事にした。『漏れ鍋』の外に黒塗りの高級車が停車していた。魔法省、正確にはアーサーがハリーの為に手配させた特別車だそうだ。

 それなのに、ロンは我先に後部座席へ乗り込む。ハーマイオニーもそれに続いた。

「それじゃあね、クローディア。またね」

 別れの挨拶としてハリーはクローディアに握手を求める。手を握った瞬間、彼は抱き寄せるように彼女の肩へ顎を乗せた。

「……あいつの復活をとめられなかったのは、僕なんだ。だから、絶対に君は悪くない」

 気休めではない。ハリーの本心は冷たくなっていたクローディアの芯を暖かくしてくれた。

「ありがとう」

 クローディアもまた心からの感謝を述べ、ハリーは優しく微笑んで車に乗り込んだ。そして、シリウスも乗ろうとしたがコンラッドを振り返る。

「今夜は誰かを寄越す。だから、彼女を独りにするなよ」

 まるでクローディアを置いて出かける事を知っているような口ぶりだった。シリウスに返事せず、コンラッドは目礼した。

 

 夕食は安全の為に部屋で摂った。

 クローディアに気を遣ったらしく、コンラッドが用意してくれた。しかも、白菜と目玉焼きをトッピングしたチキンラーメンだ。予想だにしなかった献立に嬉しさと驚きと懐かしさで言葉を失う。

「これ、袋麺さ? トムさんも吃驚しただろうさ」

「非常食の袋麺を開けたんだ。トムの分も作ってきた。今頃、スパゲティの要領で食べているよ」

 きっと、トムはフォークで麺を食べている。

「……ハリーにも食べて貰いたかったさ」

「彼にはおまえが作ってやりなさい」

 頂きますを告げてから、2人は無言でラーメンを啜る。塩分の効いた旨味成分が胃を刺激する。

「美味そうなもん食ってんな」

 ノックもなく開いた扉から、勝手に入ってきたのはジョージだ。店にいた時と違い、目立ちにくい暗い茶色のローブに着替えていた。

「扉に『施錠呪文』をかけてなかったさ?」

「……すぐに皿を下げるから、開けておいたんだ。気をつけよう」

 椅子を寄せてクローディアの隣に座る。普段のように快活な笑顔だが、その眼差しは彼女への心配に満ちている。

「それって何の料理? 一口、俺にもくれよ」

「駄目、何年ぶりのラーメンだと思っているさ」

 香ばしい匂い故に欲しくなるのはわかるが、クローディアは譲らない。

「最後の袋があったはずだ。ジョージも食べるかい?」

「お願いします!」

 さっさと食べ終えたコンラッドは口元でナプキンを拭い、荷物から一袋取り出した。空になったどんぶりを手に部屋を出て行く。

 2人きりになり、クローディアは構わずラーメンを汁まで飲み干した。口から零れ落ちる汁をナプキンで拭い、硝子コップの水を口に含んで落ち着いた。

「フレッドはどうしたさ。独りにして大丈夫さ?」

「店にはベリティもいるから、フレッドは独りじゃない。ああ、ベリティは信頼出来る女性だ。女性向けの製品を案内してもらう事が多いんだ。ニキビとか美容の問題を男の俺らに聞きにくいってお客さんはいるからな」

 美容系の製品があるなら、エロイーズも来ていたかもしれない。お小遣いを叩いている姿が目に浮かぶ。

「防衛の道具も売り出したって? 随分と幅広くやっているさ」

「時代のニーズに答えないと商売はやっていけない。笑っているだけじゃ、駄目だからな」

 笑顔だが、昼間の件で目つきに鋭さが生まれる。ジョージにここまでの表情をさせる事態になっているが、彼は明日も店を開ける。そして、皆の希望であり続けるのだ。

「また……店に行くさ。フレッドとベリティさんによろしく」

 ジョージの手に自分の手を添え、彼の肩に頭を乗せた。

「ああ、待ってるよ。クローディア」

 クローディアの頭に顎を置き、ジョージは静かに強く囁いた。

 数分の沈黙の後、クローディアは気づく。

「それにしても、ラーメン遅いさ」

 どんぶりを下げる為にも、クローディアはコンラッドと酒場へ下りてみる。

「やあ、クローディア、ジョージ。こんばんは」

 満面の笑顔でチキンラーメンを啜るリーマスがいた。向かい合って座るコンラッドが乾いた笑顔で苦笑している。

「すまない、この獣に喰われてしまったよ」

「ルーピン先生って美味しい御飯があるところに来ますね」

「ラーメンが出来上がったところに来たからな。鼻が良いんだろ、リーマスは……」

 どんぶりをトムに渡し、クローディアは呆れた。トムも申し訳なさそうに顔を顰めていた。

「……俺のラーメン」

「半分、食べる?」

 嘘っぽく泣くジョージにリーマスは半分以下になったどんぶりを差し出す。食べかけでもよいらしく、ジョージはフォークで啜りだした。

「あ! 美味そうなもん食ってる!」

 裏庭に続く戸から、ビルが出てきて羨ましそうに叫んだ。

「美味しいモノを食べていると人って寄ってくるもんさ……」

 クローディアの素直な感想を呟く。同意したトムは顎を触りながら、唸る。

「コンラッド、その麺の仕入れはどこでやるんだ?」

「……国内だと難しいかな……」

 トムの真剣な表情には悪いが、コンラッドはあっさりと返した。

 




閲覧ありがとうございました。
さようなら、カルカロフ。

チキンラーメンは偶にしか食べないので、大事に食べます。
マルフォイ親子の買い出しを原作より早めました。


●ベリティ
『W・W・W』の女性店員。フレッドとジョージを2人とも呼ぶ時、ご丁寧に「ミスターウィーズリー」を2回言う。


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3.休暇の最終日

閲覧ありがとうございます。
お気に入り780件越えをありがとうございます。

追記:16年9月12日、18年11月28日、誤字報告により修正しました。


 次に宿泊したのは、意外にもパーシーの自宅だ。

 ロンドンで独り暮らしとは聞いていたが、『漏れ鍋』にも近い。魔法省の管理する独身寮らしく、周辺の家々と変わらない造りの建物だ。魔法族が住んでいるなど想像もされない。

 出迎えたパーシーは一切の歓迎の様子を見せず、クローディアとコンラッドを招き入れる。清潔な部屋は『隠れ穴』と違い、最低限の家具しかなかった。

 居た堪れない気持ちでクローディアはパーシーに挨拶した。コンラッドの機械的な笑顔が微妙に羨ましい。

「お邪魔します」

「ありがとう、パーシー。助かるよ」

「……一晩だけという約束だよ。朝には出て行ってくれ」

 食事は外で適当に済ませてきたが、如何せん独り暮らし用の間取りである。寝台とか家具の問題ではなく、客人の寝る場所がない。

 コンラッドに視線を向けると、彼は鞄から顔ぐらいの大きさの絵を取り出す。何もない壁にその絵を飾る。絵には扉が描かれていた。

 まさかと予想してみれば、絵から扉が浮き出てきた。そのドアノブにコンラッドが触れて開くと、奥へ続いていた。ちなみにその壁の向こうは本来は隣の部屋だ。警戒して中を覗けば、窓のない六畳間の和室になっていた。

 ドラえもんに似た道具があったような気がする。

「私達はこちらで休む。おやすみ」

 機械的な笑みでパーシーへ就寝の挨拶し、コンラッドは荷物を持って絵の中へ入った。

「良い道具を持っているね」

「魔法省のほうが良い道具を持っているって聞いたさ。『神秘部』とかさ」

 冷やかな口調にクローディアは愛想良く会話を繋げようとした。しかし、パーシーは彼女と目を合わそうとしない。体をこちらへ向けている分、無視はされていない。

「スクリムジョール大臣は……君達を疑っている。僕としては……君にそれだけの度胸も度量もないし、そこまで賢いとも思わない」

 元彼女の後輩に対し、よくもそこまでボロクソに暴言が吐けると逆に感心してしまう。

「だが、君のお父上は誤解を生む……。疑いを晴らす気があるなら、僕から大臣へ……」

「パーシー。魔法省、いや、スクリムジョール大臣が私達に嫌疑をかけて法廷に引きずり出したいなら、とっくにやっているさ。やらないのはそれなりの理由がある。だろうさ?」

 パーシーの提案を予想し、クローディアは出来るだけ怒らない口調で咎める。彼は怯まずに言葉を続けた。

「……誤解しないでくれ。君の為なんかじゃない。ロンがいつまでも君との付き合いはやめないから言っているんだ。……それにジョージとも良い感じなんだろう? ……君達が何をしようとしているかは知らないし、関わり合いになりたくない。けど、僕の家族に迷惑をかけないでくれ」

 眉間にしわを寄せ顔を歪めるパーシーはクローディアを睨んだ。その眼光には怯えが混ざっている。彼は今だ『隠れ穴』……ウィーズリー家に戻らない。去年からロンへハリーとの縁を切るように促していたのは彼なりに真剣に家族の身を案じたからだと、今、気づいた。

「……誰かを遠ざければ、危険を避けられる……。もう、そんな状況じゃない。賢いパーシーなら、わかって……」

「わかっているよ、そんなこと! ……本当はどうすべきかなんて、わかっているよ。……でもね、誰もが戦えるわけじゃないんだ……」

 その苦悩する姿から、何故かピーター=ペティグリューが浮かぶ。ヴォルデモートへの恐怖から仲間を裏切った男はシリウスを庇って死んだ。

 パーシーに仲間や家族を裏切る気はない。しかし、敵に立ち向かう勇気がない。何故なら、敵との戦いは必ず誰かの死に直面するのだ。

「スクリムジョール大臣が私達を裁くなら、全てが終わった後になる。これは間違いない。私もお父さんも逃げない。だから、パーシー。腕の良い弁護士ぐらいは用意してくれ」

 戦いが終わった後。

 この言葉にパーシーは電撃を受けたように衝撃を受けた。

「……君は……」

「そろそろ、寝たらどうだい? 明日は早いよ」

 パーシーが言い終える前に、コンラッドに呼ばれる。就寝の挨拶を述べ、クローディアは絵の中へ入った。

 懐かしい畳の香りが鼻につく。ベッロも畳の上で草の匂いを楽しんでいる。

「こんな便利な道具があるなら、パーシーを巻きこまなくても良かったんじゃないさ?」

「本当は今夜も『漏れ鍋』だったんだよ。彼には本当に感謝しているよ」

 口元を上げて笑うが、パーシーに若干、無理をさせたのではないかと不安になる。

「お父さんって誤解されやすいらしいさ」

「誤解じゃないから、問題ない」

 即答するコンラッドの笑みが一層、不気味な印象を受けた。

 

 日が昇る前に叩き起こされる。サンドイッチを頬張り、準備を整えてから和室を出た。

 部屋主のパーシーは寝ていたので、クローディアは枕元に感謝を記したメモを置く。コンラッドは絵を片付け、音を立てないように2人は部屋を去った。

 『姿くらまし』で移動した先は見覚えのあるキャンプ場だ。管理人一家に挨拶する時、此処がクィディッチ・ワールドカップの会場だったと気づいた。夏期休暇中の時期はマグルで多く、コリン、デニスのクリービー一家を見かけたが声はかけなかった。

 

 それから、森の奥の家だったり、空き屋に潜り込んだりしながら、3日と置かずに寝床を何度も変えた。眠る際は2人と一匹で交替に互いを見張った。ディグル、バンスなどの騎士団員の家に泊めて貰う時、コンラッドはいつも何処かへ行ってしまった。

 魔法界の新聞や雑誌は【ザ・クィブラー】も含めて欠かさず読んだ。アーサーが取り締まりとしてマルフォイの屋敷に2度目の家宅捜索を行ったが、何も出なかったと書かれていた。

 いつ読んでも、ハリーの話題は尽きなかった。

 赤ん坊の頃からを含め、4度もヴォルデモートと対峙して生き延びたのだ。『選ばれし者』などと書かれ、『予言』の内容が漏れたのかと焦る時もあった。

 魔法省とホールでの戦いは大々的に新聞に載り続け、生徒の名は載らなかったが関与を匂わせる内容だった。

 

 休暇の最終日、お決まりの騎士団の本部だ。

 しばらく見ない間に壁紙やカーペットが新築同然に改装されており、しかも白を基調とした内装で家を間違えたかと焦った。

 コンラッドも知らなかったらしく、滅多に見せぬ驚いた顔で硬直する。階段から上機嫌なジニーが飛び降りてきたので、クローディアは安心した。

「はい、クローディア。どう、見違えたでしょう? 私の仕業じゃないけどね。クリーチャーがやってくれたのよ。パパが言っていたけど、最近、本来の力が戻りつつあるんですって」

「へえ、クリーチャーがさ。で? その素敵な妖精さんは何処さ?」

 感心したクローディアが周囲を見渡し、床を見下ろしてもクリーチャーはいない。

「クリーチャーなら、僕達の洗濯物を済ませているよ。中庭にいるはず」

 階段の上から、ロンが快活に手を振ってきた。ハリーも横から遠慮がちに手を振る。

「そうか、中庭か。私はクリーチャーに挨拶してくる」

 ようやく我に返った苦笑したコンラッドは荷物をクローディアに渡して中庭へ向かった。

「シリウスも一緒だけどね」

 悪戯っぽく笑うロンは口元を押さえ、肩を揺らす。

「屋敷にいる間、シリウスは出来るだけクリーチャーの傍にいる事にしているんだ。まだギクシャクしているけど、少しずつ歩み寄っているよ。クローディアは『漏れ鍋』の後はどうしていたんだい?」

「移動ばかりの毎日で、本当に有意義な毎日だったさ。教科書を読み漁る時間もたっぷりさ」

 嫌味ったらしく肩を竦め、クローディアは荷物を抱えて女子部屋へと向かう。ハリーが虫籠を持つと、ベッロが嬉しそうに顔を出した。

「ジニー、ダイアゴン横町には行けたさ? 私達の後に行くって聞いていたけど……」

「ええ、行けたわ。ママが色々と口出してたけど、パパがちゃんと護るからって言ってくれたの。フレッドとジョージの店行ったわ! すごかった、本当にあの2人、最高! 良い買い物も出来たの」

 黄色い声で興奮するジニーをハリーまで嬉しそうに見つめていた。その視線が妙に気になった。

 階段を上りながら、周囲を見渡すと『屋敷妖精』の干し首は変わりなく鎮座していた。

「これは片付けないさ?」

「こればっかりわね、クリーチャーが嫌がるのよ。ただでさえ色々と変えちゃったから、ひとつくらいは彼の意見を聞こうってシリウスが妥協したの」

 正直、遺体の首を眺めるのは気分が良くない。しかし、クリーチャーの意見を優先したなら、仕方ない。

「はーい、クローディア。無事で何よりよ」

「……おはよう、トンクス」

 女子部屋に入っても、ハーマイオニーの姿はなかった。代わりにトンクスが寝台でだらしなく寝そべり、カサブランカを撫でていた。他にも紫のパフスケイン(それよりはかなり小さい)まで転がっている。

「じゃじゃーん、ピグミーパフのアーノルド! パフスケインのミニチュア版よ、可愛いでしょう」

 満面の笑顔でジニーはアーノルドを掌に乗せて自慢してきた。確かに可愛いがハーマイオニーのいない残念な気持ちが僅かに勝る。

「こんな生き物も売っていたさ。ところで、てっきり部屋にいるとハーマイオニーは何処にいるさ?」

「ハーマイオニーなら先週から家に帰っているよ。……彼女の両親、オーストラリアで開業するんだって。家族で一緒にいられるのは明日までになる……」

 答えたハリーの表情から、ハーマイオニーの家族との決別に対する決意が見えた。しかし、ここで疑問が浮かぶ。

「ハーマイオニーも? ペネロピーやジャスティンの両親も国を出るって話を聞いたさ。偶然にしては……」

「偶然なわけなかろう」

 唐突に割り込んだ声に驚いて扉を見れば、トトが不機嫌そうに立っていた。たった今到着したらしく、余所いきの服装に手袋まで着けていた。

「やだ、トトじゃん。部屋まで来るなんて、今日は時間あるの?」

 珍しい人を見て、トンクスも嬉しそうに寝台から飛び起きる。

「明日の見送りまでならな。おまえ達、内緒話なら扉を閉めておけい。誰が聞いておるか、わからんぞ」

 扉を閉め、トトは人差し指で「しーっ」のポーズをとる。

「なんか久しぶりさ。今まで何処をほっつき歩いていたさ。それに偶然じゃないってどういう意味さ? お祖父ちゃんが裏で糸を引いているとでも言うさ?」

 文句を述べるクローディアに、トトはわざとらしく鼻を鳴らす。

「引いとるとも、ワシがこれまで築き上げた人脈を全て活用しておる。但し、ワシはあくまでも提案するだけ、強制はしておらん」

 胸を張って威張るトトにクローディアは気づく。ハーマイオニー、ペネロピー、ジャスティンはマグル生まれだ。彼はマグルの親達を国外へ逃がしている。それも避難先で生活が出来るように仕事の斡旋まで行う。この為にいつも何処かへ行っていたのだ。

「……え、なんでクローディアは知らないの? ハーマイオニーは気づいていたのによ」

 ロンの驚きにクローディアは誤魔化す為に咳払いした。

「ハーマイオニー達の後見人はどうなるさ? 騎士団の誰かさ? 校長先生?」

「他人に責任を押し付けんよ、彼女らの後見人はワシが請け負う。それも条件のひとつじゃからな」

 トトの真剣な発言は自然と全員から尊敬を集める。視線の意味を理解し、彼は少し照れくさそうに口元をにやけさせた。

「さて、トンクス。明日の事で色々と話しておこう。おまえ達は夕食まで時間があろう。皆は新学期に向けて予習でもしておれ」

 現実的な問題にロンは両耳を塞いで誤魔化す。

 トトとトンクスがいなくなり、急にハリーの顔つきが厳しいモノに変わった。彼の表情の変化にロンは気づいて部屋を出ようとしたが、ジニーに引き留められた。

「今、本部にはシリウスとトンクス、クリーチャーしかいないの。夕食はまたコンラッドさんかな? そう思うでしょう、ロン」

「そういう話なら、いくらでもするけどマルフォイの話はもうたくさんだ」

 断言するロンはハリーに申し訳なさそうに告げた。

「マルフォイって、……もしかして家宅捜索で何か見つかったさ? 新聞にも載っていないことさ?」

「いいえ、新聞の通りよ。何も出なかったって、パパは言っていたわ」

 ジニーは盗み見るようにハリーを見た。彼は納得できないと表情で訴えてきた。

「あいつが『死喰い人』だって、ありえないと思う?」

「……お父さんの例があるから、『絶対ない』とは断言できないさ。最悪の事態は常に想定していいと思うさ」

 重々しく言い放ってからクローディアは後悔した。ハリーは肯定して貰えた喜びを見せたが、ロンとジニーは強張った表情で無意識に左腕を擦る。2人は自分が無理やり『闇の印』を施された状態を想像してしまったのだ。

「……こういう話はハーマイオニーがいるところでしたほうが良くないさ? もしくは……お父さんやブラックさんとか……」

 クローディアの口からシリウスの名が出たせいか、ハリーは仰天して目を丸くする。

「ハーマイオニーは確信が持てる証拠がないし、シリウスも正直、ヴォルデモートが未成年者を受け入れる程、切羽詰っているとは思わないって否定的だったよ。コンラッドさんは何か言っていたの?」

「いや、マルフォイの話はひとつもしてないさ。……そういえば、ヴォルデモートが魂を分裂させているって話ならしたさ。……この魔法は名を出すのも憚れるらしいから、伏せておくさ」

 先月の話なので記憶を探り、クローディアは詳細を思い返そうとした。しかし、強張った表情のロンの手で口を塞がれた。

「おったまげ! 『例のあの人』が何人もいるみたいに言うなよ。おっそろしくて夜、本気で寝られないだろう!」

 歯を食いしばるロンと違い、ハリーとジニーは同じ結論に行き着いた。

「トムの日記……」

「あれは魔法で記憶を植え付けたんじゃなくて、分裂させた魂を宿らせていたって考えるべきなのね?」

 答え合わせを要求してくるジニーは、自ら犯してしまった過去の所業による罪悪感で呼吸が荒くなっていた。

「……お父さんはそう思っているさ。それにロケットの件もあるから、ヴォルデモートは確実に2つ分は以上、魂を分裂させているさ」

 改めて口にしてから、ゾッとする恐怖を覚える。

 ハリーは妙に納得した表情だが、ヴォルデモートの死を回避する執念を感じて気味悪く思っている。ジニーは現実を受け入れようと寝台に腰掛け、両手で口を覆い深呼吸を繰り返している。ロンはあまりにも唐突な情報に実感が湧かない様子だ。

 1分か2分、部屋に沈黙が続く。

「ダンブルドアはそれを知っているんだね?」

 口を開いたのはハリーだ。質問よりも確認だ。クローディアが肯定の仕草をすれば、彼はこの部屋に来て初めて納得してくれた。

 

 クリーチャーが腕によりをかけた夕食に呼ばれ、4人は厨房へ降りる。いつの間にか来ていたリーマスとアーサーが先に着席していた。シリウスとトンクス、トトもいるのにコンラッドはいなかった。

「今夜は私も泊まるよ。明日の朝はここから歩いて駅へ向かう。駅には『闇払い』が待機しているから、安全対策は心配しなくていい」

「前みたいに車を借りれないの?」

 グラタンに食らいつくアーサーの説明にロンは残念そうな態度で問う。

「あんたら、どうやってここに来たさ?」

「煙突飛行術よ」

 クローディアにジニーは答え、上機嫌にラザニアを頬張る。

「騎士団じゃない人に本部の場所を知られるのは、危険だからね。局長が文句を……新しい局長のガウェイン=ロバースの事よ。ハリーは第一級セキュリティの資格が与えられているんだから、もっと厳重にすべきだって……」

「そんなに仰々しくされたら、返って怪しまれるじゃろうに……。奴らも阿呆ではない。むやみやたらにハリーを襲ってきたりはせん」

 オムライスを口に含んだまま、トンクスが喋る。トトは呆れ、パスタを食べようとしたがうっかり手袋にトマトソースを着けてしまう。彼は面倒そうに机の下で手袋を外していた。

「今夜はクリーチャーが作ったんだね。とっても美味しいよ」

 リーマスは会話に参加せず、食事を楽しむ。気のせいか彼は見る度に白髪が増え、衣服までボロくなっていく。本部にいない間の食生活が気になる所だ。

「ハリー、明日の準備はできたか? 忘れものがあっても、へドウィックに送らせるからな」

「朝にもう一度、確認するから大丈夫だよ」

 シリウスは新学期への支度について、ハリーを心配する。ジニーはトンクスに変化をねだり、段々と厨房に和気藹々とした雰囲気が流れてきた。

 今だけはヴォルデモートを忘れて楽しもう。そんな空気を察した。

「それでさ、あ、ごめん」

 ロンが何かの冗談を言おうとして腕を振り上げ、クローディアの肩にぶつかる。そのせいでフォークが手から滑り落ちる。

 クリーチャーが拾うより先にクローディアは屈んで机の下を見た。

 その位置から、トトの手の動きが見えた。手袋を外し、ポケットティッシュで拭う。肝心なのは動作ではなく、彼の左手だ。以前、医務室で見た時と同じように石炭と化していた。

 一瞬だけ驚き、その手について聞こうとした。その前にクリーチャーから新しいフォークを手渡され、落ちたフォークは拾われた。クローディアは彼に礼を述べる事に意識を向ける。

 何の前触れもなく、機械音が鳴り響く。

「おっと、電話じゃ。すまんな。上でかけてこよう」

 トトは手袋をはめ直し、そそくさと厨房を退室してしまう。アーサーは非常に残念そうに彼を……正しくは携帯電話を見送った。

「惜しいなあ、携帯話電なんて……。マグルは進化し続けている! 目の前に炊飯器もあるのに調べられないなんて……、コンラッドに貸して貰えるように、クローディアも頼んでくれないかい?」

「お断りします」

 ハーマイオニーがいれば『話電じゃなく、電話』と訂正し、モリーがいれば『こんな状況なのに何を考えているの!』と激怒しそうだ。そして、誰もツッコミも注意もしない。

 咀嚼する口の音、食器を動かす音、当たり障りのない話題が厨房を賑わせる。

 皆の皿が空になったところで、トトはコンラッドと帰ってきた。クリーチャーが食器を片づけ、クローディアとジニーも手伝おうとしたが拒否された。

 厨房の階段を上がる時、ジョーンズが到着した。

「トンクス、代わろう」

「はーい。私、このまま行くわ。クローディアとジニーはヘスチアが護衛するから、安心して眠れるわよ」

 愛嬌のあるウィンクを受け、ジニーは悲しそうに別れを惜しむ。その様子から、彼女は本当にトンクスが好きだとわかった。フラーの代わりにビルとの結婚を勧める程だ。

「トンクス、明日の護衛にいるの?」

「いないよ。けど、……ホグワーツの周辺にはいるからね。何かあったら、知らせて」

 納得したジニーはトンクスと別れのハグを交わす。

「私も行くよ。シリウス、コンラッドにトトまでいるなら、ここの護りは十分だ」

「飯食いに来ただけですか?」

 リーマスへのロンのツッコミに爆笑が湧いた。

 

 風呂から出たクローディアは女子部屋に戻ろうとしたが、男子部屋の扉に注目した。暗闇で見落としそうだが、座り込んでいたトトがいた。彼は寝間着に毛布を被り、護衛よりも悪さを見張る守衛に見える。

「お祖父ちゃん、何しているさ?」

「うむ、モリーがおらんのでな。男どもが変な気を起こさんか、心配でな。特にシリウスは独身故にヘスチアの身を守らんと」

 本当に見張りだった。少々、余計なお世話である。

「ブラックさんは、うちのお母さんに惚れているから大丈夫さ」

「ほほお、他に好きな人がおるのか……なら安心……できるかあ!? なんじゃ、その話はワシ初めて聞いたぞ!?」

 ノリツッコミするトトは、衝撃を受けて叫んだ。

 毛布の隙間から、トトの手が見える。不釣り合いな手袋をしている。

「お祖父ちゃん、その手……」

「語るには今夜で時間が足りん。ワシに時間の余裕が出来たら、話してやろう。待っていてくれんかな?」

 盟約の調停、国外へ移住する家族達への様々な援助。

 確かに今のトトは多忙極まる。この屋敷に来てくれたのは、明日、学校へ行くクローディアを見納める心地なのだろう。ホグワーツの敷地内に入れば、会う時間は更に減る。

 クローディアはトトの左手に拭いきれない不安を感じたが、必ず説明して貰えるなら追及はしない。相手の事情に深く踏み込まないのが、彼女の本来の性分だ。

「わかったさ。時間が出来たら……すぐに連絡して欲しいさ。授業を飛び出してでも聞きに行くさ」

「ほお、それ程までに学校の授業を頭に叩きこんどるんじゃな。よし、ワシがこれまでの復習をしてやろう」

 最後の部分だけ聞こえたらしく、男子部屋で慌てふためく音がした。

 




閲覧ありがとうございました。
屋敷はクリーチャ―によってキレイになりました。
ドラえもんの道具が欲しいのは、魔法界も同じ。

●ガウェイン=ロバース
 6巻からの闇払い局長。男性である以外の公式はない。


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4.緊迫は解けぬ

閲覧ありがとうございます。

追記:17年3月11日、誤字報告により修正しました。


 荷物に不備なく、クローディア達は屋敷を出発した。 無表情ではあるが、クリーチャーは見送ってくれた。

 コンラッド、シリウス、トト、アーサー、ジョーンズの4人が不自然にならないように周囲を警戒する。勿論、シリウスは犬の姿だ。その首に繋がった縄は、トトの手に預けられた。

 昨晩、クローディアが余計な情報を伝えたのでトトのシリウスを見る目が恐い。

 キングズ・クロス駅には、屈強な体格をした『闇払い』の男がいた。映画に出てきそうな黒服を着込み、髭面と虎狩り頭に顔の傷が裏社会の人間を連想させる。偏見としりつつも、関わりたくない容貌だ。

「……え? 馬鹿な……」

 『闇払い』を目にしたアーサーが吃驚仰天している。

「どうしたの、パパ?」

「彼は……ガウェイン=ロバースだ……。『闇払い』局の局長だ」

 ジニーの質問に答えるアーサーは呻く。昨晩、トンクスから聞いた名のを持つ局長の登場に驚きと疑問で困惑し、無意識にクローディアはハリーと目を合わせる。

「自己紹介は必要ないな、ハリー=ポッター。そして、クローディア=クロックフォード」

「はじめまして」

「どうも」

 意味深な口調と視線で挨拶され、2人は愛想笑いも忘れて見上げた。

「ガウェイン、君自ら警護を?」

「アーサー、俺……ごほん。私1人ではない。駅にはマグルに変装した部下を何名か配置している。さあ、行こう。時間がなくなる」

 ロバースはアーサーにだけ挨拶し、他の面子を一瞥しただけで声をかけなかった。

 

 柵の向こうの9と3/4番線には光沢の良い紅の列車が停車し、乗客である生徒達は良い席を確保しようと躍起だ。

 人混みからハーマイオニーが両手を振って存在を示す。ようやく会えた彼女にクローディアは胸が弾んだ。

「クローディアも一緒だったのね、良かった。ロン、もう数分しかないわ。急いで監督生の私達が乗り遅れたら、洒落にならないわ」

 挨拶もそこそこにハーマイオニーはロンを急かす。

「ああ、そうか。忘れてた」

 今、気が付いたと言わんばかりにハリーは声を上げた。ハーマイオニーとロンはさっさと乗り込んでいく。

 その間、彼女の両親はトトの手を握り締めて挨拶していた。周囲を見れば、ジャスティンの父親ハンスも彼に気づいて挨拶しに来た。

「じゃあな、ハリー。手紙にはヘドウィックを使ってもいいが出来るだけ羽の色を変えたりするんだぞ」

「うん、シリウスも鏡を無くさないでね」

 ハリーは人の姿に戻ったシリウスに手伝われながら、トランクや鳥籠を列車に乗せる。ジニーもアーサーとジョーンズに手伝って貰っていた。

「クローディア、ネビルがコンパートメントを占領していたよ。荷物も放り込んでおいたからね」

「久しぶり、クローディア」

 機械的な笑顔でコンラッドは告げ、顎で窓を指す。その窓からネビルが満面の笑顔で挨拶してきた。純粋な彼の笑顔が眩しい。

 汽笛の音にクローディアは急いで列車へ飛び込む。

「お父さん、手紙はモリーさん宛さ?」

「ああ、そうだよ。お義父さん、列車が……」

 別れの挨拶をさせようとコンラッドがトトを振り返るが、彼は多くの保護者に囲まれたせいで見失っていた。

「警戒を忘れないように」

 走り始めた汽車を追いながら、ジョーンズが叫んだ。

「ジニー、ロンを頼んだよ!」

 アーサーも必死に手を振った。

 見送りの中には、トトの提案を受けて外国に行く者もいる。言い知れぬ緊張感が窓に貼り付くマグル出身の生徒達に伝染していた。今生の別れを勝手に予感して涙を流す生徒もいた。よく見ると、デニスだった。兄のコリンに慰められ、兄弟はコンパートメント探しに歩きだした。

 肩を叩かれて振り返ると、ハリーだ。

「クローディア、コンパートメントを探しに行かないか?」

「それなら、ネビルのところに行こうさ。ジニーはどうしたさ?」

 ジニーの名にハリーは口元を歪ませて残念がる。

「ディーンと約束してるからって行っちゃったよ……、あの2人、今付き合っているんだって」

「いつの間に!?」

 嬉しい驚きにクローディアは思わず大きな声が出てしまう。

 ネビルの待つコンパートメントまで行く途中、様々な視線が2人に注がれた。理由は言わずも知れたハリーだが、彼の顔には「迷惑」以外読み取れない。

「クローディア、ハリー、こっちよ」

 コンパートメントから身を乗り出し、ルーナがのんびりとした動きで手を振る。その顔には奇怪な眼鏡がかけられていた。度のせいか、フクロウのような顔になる楽しそうな眼鏡だ。

「ルーナだ」

「俺の家族も読んでいるぜ。【ザ・クィブラー】」

 ルーナのお陰でハリーへのヒソヒソ声が彼女への賞賛や敬意にすり替わった。

「やあ、ルーナ。元気? 人気者だね、君」

「元気だよ、ありがとう。最近は【ザ・クィブラー】への情報を他の雑誌にも共有させろって、うちにたくさん来たもン。そのせいでパパがキレちゃった。出版社のお偉いさん達、皆、震えあがって逃げたよ」

 声に愉快さを含ませ、ルーナに挨拶して2人を中へ入る。先に荷物として放り込まれていたベッロはトグロを巻き、カエルのトレバーを乗せていた。

「ネビルの家は【日刊予言者新聞】を読まなくなったって聞いたけど、最近の情報はどうやって知っているさ?」

「ふふふ、その新聞を読んだ人達からの手紙だよ。僕の名が載ってなくても、噂はあるからね。手紙を見るまで、祖母ちゃんは僕が魔法省で何をしたか知らなくてね。今まで見た事ないくらい、とっても喜んでた。父さんに恥じない魔法使いになりつつあるって言うんだ。新しい杖も買ってくれたんだよ」

 誇らしげにネビルは杖を取り出し、見せつける。

「桜とユニコーンの毛、オリバンダーが売った最後の一本だと思う。次の日にいなくなったんだもの」

 桜。

 ホグワーツに入学してから、一度も桜を見ていない。唐突に来る懐かしさに記憶を辿る。

「桜の花言葉は……確か、心の美しさ。……ネビルにピッタリな杖さ」

「本当だ、ネビルにピッタリ」

 クローディアとルーナからの予想外の褒め言葉にネビルは照れくさそうに笑う。

 急にハリーの緊張が伝わり、クローディアは思わず廊下を見る。女子生徒の群れが窓にべったりと貼りついていた。

「レイブンクローでは見ない顔さ」

「グリフィンドールだよ。あの子、4年生のロミルダ=ベイン」

 感情なくハリーが告げ、戸が開く。紹介されたロミルダだ。

「こんにちは、ハリー。私の名前が聞こえたわ。覚えてくれてたのね。ねえ、私達のコンパートメントに来ない? 勿論、ネビル、貴方もどうかしら?」

「僕!?」

 予想外のお誘いにネビルは席から飛び上がる程、驚く。

「僕達は友達とここにいるよ。どうぞ、君も友達と戻ってくれ」

 一切の親しみもない冷たい声を出すハリーにロミルダは怯まず、やれやれと肩を竦める。

「そう、いいわ。でも、気が向いたら来て頂戴」

 挨拶もなく、ロミルダはあっさりと引き下がった。

「みんなは、あんたにあたし達よりもっとカッコイイ友達を期待するんだ。でも、あの子には期待に添えなくても、それなりに見えたみたいだね」

 ルーナの観察眼は適格だ。

「私達よりカッコイイ友達なんていないさ。ねえ、ハリー?」

「勿論だ、君達はカッコイイよ」

 嘘偽りのない口調にネビルが唐突に項垂れる。

「僕、カッコ良くないよ。OWL試験、『変身術』が『可』だった……、祖母ちゃんから絶対に授業を履修しろって言われているのに……。マクゴナガル先生、考慮してくれるかな?」

 いきなり現実の話になり、クローディアはコントのように席からズリ落ちた。

 

 昼食の時間帯になり、車内販売のカートより先にハーマイオニーとロンが現れた。

「ハリー、ネビル。そこでナタリーって子から受け取ったよ」

 ロンは紫のリボンで結ばれた羊皮紙の巻紙を2人へ投げ渡す。ハリーはうまく取れたが、ネビルは落としてしまい席の下へ転がってしまう。それをベッロが尻尾で取って上げた。

「招待状だ、スラグホーン先生からだ」

「あの人、この列車に乗っているさ」

 ハリーは羊皮紙を読み上げ、クローディアは何気なく呟く。この名を初めて知るネビルは招待状を開かず、ハリーの羊皮紙を覗き見る。

「スラグホーン教授って誰なの? クローディアの知り合い?」

「お父さんの恩師さ。……悪い人じゃないってだけ言っておくさ」

「そう、それよ。クローディア、スラグホーン先生を知っているなら私にも教えて! 私、手紙で先生が復職するって教えたのに」

 唇を尖らせたハーマイオニーの可愛い顔に見惚れ、クローディアは返事を忘れた。

 コンラッドの恩師。これがネビルをより不安にさせた。スリザリン寮の関係者と容易く連想できるからだ。ハリーと顔を見合せて考え込みながら、行くと決めた。

 ハリーはついでにドラコの様子を偵察する為に『透明マント』を持って行った。

「マルフォイは監督生の仕事もせず、コンパートメントに引きこもっていたけど……それだけだし……」

「車内で杖を振るわないといいけど……」

 ロンとハーマイオニーはハリーの身を案じ、クローディアはベッロに視線で命じる。視線の意味を理解し、ベッロはスルスルとハリーとネビルを追いかけた。

 入れ替わるように車内販売のカートがやってきた。適当にお菓子や飲み物を買い、食事をして腹を満たす。

「クローディア、スラグホーン先生と会ったことあるんだ」

「うん、初めて会ったのは2年前だけどさ。なんか、ちょくちょく会うさ」

 それだけ聞くとルーナは【ザ・クィブラー】を開こうとした。

「ルーナ、他の監督生もその眼鏡を持っていたわ。お父様の様子はいかが? 忙しくて倒れていないかしら?」

「うん、倒れてはないけど、ご機嫌ナナメだよ。でも、大丈夫。この前、解消したもン」

 ハーマイオニーとルーナの会話を聞きながら、クローディアはトレバーを撫でる。ロンに話題を振ろうにも、彼は満腹で眠りこんでいた。

 

 景色を見れば、終着駅までの時間は自然と測れる。4人が着替え終えた時、ジニーとネビルが戻ってきた。

「あれ? ハリー、ジニーに変身したの?」

「そんなわけないでしょう。私は着替えないといけないから、行くわ」

 ロンの冗談にジニーは苦笑して行った。ネビルは急いで制服に着替える。

「スラグホーン先生と何があったの? ハリーはどうしたの?」

「ハリーは後で会おうって『透明マント』を被って行ったよ。スラグホーン先生は有名人やその身内を集めたみたい。DAで一緒だったザビニ、バスケ部で何度も会ったコーマック=マクラーゲン、レイブンクローのマーカス=ベルヴィ、ジニーは先生の前で凄い呪いをやってのけたから、気に入られたらしいよ」

 ハーマイオニーの質問に急かされた口調でネビルは説明する。その面子が魔法界の著名人に繋がりがあるように思えない。

「ジニーが呪いをかけた? 相手誰?」

「ザカリアス=スミス」

 ロンに答えるネビルは、ちょっと苦笑いだ。名前だけで、この場にいる誰もが自業自得と納得した。

 そして、スラグホーンとの昼食会はひたすら著名人の逸話を話すだけでだったという。失礼ながら、年寄りの長無駄話に付き合う程、辛くて惨い時間はない。

「先生が話すだけなら、まだいいけど、僕らにも話させようとするんだもん。でも、真面目に喋っていたのは、ザビニとコーマックだけ。他人の家庭環境とか、知りたくなかった……」

 げんなりしたネビルは、やっと着替え終えた。

 

 目的地に到着した列車は、速度を落としてプラットホームへ停車する。それなのに、ハリーは戻らない。

 クローディアは鞄から『説明書』を取り出し、ベッロの虫籠を持つ。

「私はハリーを探してくるさ。ロン、ネビル。荷物を頼んでいいさ?」

 2人の了承を確認し、クローディアは影に変じた。

 下車にごった返した通路を難なく通り抜け、ベッロの姿を探す。勘の良い使い魔は人混みに踏まれないように注意し、クローディアの視界へ現れた。

 主の位置を察したベッロは進み出す。

 やがて、ブラインドの下りたコンパートメントへ案内された。そこからドラコが1人で出てきた。ベッロを怪訝そうに見つめ、周囲を警戒する。

「おまえの主人もいるな」

 目だけ動かし、ドラコは影に紛れているはずのクローディアを睨みつけた。彼は影に変じているなど、知らないはずだ。否、クラウチJrから聞いた可能性がある。

「おまえもコソコソと行儀が悪い。ベトリフィカス トタルス!(石になれ!)」

 軽蔑した口調でドラコはベッロに魔法を放つ。使い魔は逃げる間もなく、硬直した。クローディアも彼がベッロを攻撃するなど思いも寄らず、驚いた。

 まだ他の生徒がいる前で変身を解くのは危険だ。

「おまえは姿を消せると聞いた……。……『目くらましの術』じゃない。今、影が不自然に動いたな……。まさか『七変化』か『動物もどき』で極端に小さい生き物に変じているのか……」

 鋭い眼光と共にドラコは杖を影のクローディアへ向けた。

「ラックスパートが飛んでいるんだ?」

 夢見心地の声が発せられ、ドラコは杖を一先ず下す。視線の先にはルーナだ。彼女は硬直したベッロを見て、目を釣り上げた。

「あんたの仕業だね。それで、今度はあたし?」

 それに答えず、ドラコはルーナを無視して下りた。彼が下りたのを確認し、クローディアは変化を解く。唐突に現れた彼女を気にかける生徒はいなかった。下車して次に行くので意識が回らないのだ。

 すぐに懐から杖を出し、ベッロの硬直を解した。自由を確かめるようにベッロは身を捩らせる。

「ありがとう、ルーナ。ベッロは大丈夫さ」

「うん、彼に傷つける気はない。きっと、ラックスパートにやられたんだね。頭がぼーっとしていると、普段しない事をするんだ」

 ラックスパートについては後ほど聞くとして、ベッロはドラコが出てきたコンパートメントへと飛び込んだ。中には誰もいないように見えた。

 しかし、確かな気配を感じる。その疑問に答えるようにベッロは見えない布を捲り上げた。血塗れの顔面で目を見開いたハリーがいた。

 一瞬、最悪の事態を想定したが、ベッロと同じと判断し、硬直を解かす。ハリーはベッロと同じように我が身の自由を確かめ、鼻血を拭った。

「クローディア、ベッロ、ルーナ。ありがとう……」

 一気に汗を流し、ハリーは急いで立ち上がる。

「何があったのか、宴の後にでも全部聞くさ」

 クローディアもベッロを虫籠に入れ、ルーナと汽車を飛び降りた。

 ホームにいた生徒達は10人にも満たなかったが、置いてけぼりは免れた。生徒のほどんどが見知った顔だ。4年生ハッフルパフのデレク、ペロプス。レイブンクローのネイサン。3年生レイブンクローのスチュワート、エマ、オーラ、6年生監督生のアンソニーとアーミーだ。

「ハリー、その血、どした?」

 血塗れのハリーを心配し、アーミーは彼の傷を癒そうとしている間、デレクが嬉しそうにクローディアへ話しかけてきた

「クローディアさん、ハリー、ルーナ。まだ残っていたんですか?」

「デレク……久しぶり、ちょっともたついたさ。あれ、背、伸びたさ?」

 2ケ月前に見た時はクローディアとほとんど変わらぬ背丈だったデレクが、頭一つ分、背が高い。

「休み中もペロプスとかナイジェルを誘ってバスケをしていたら、こんなに背が伸びちゃいました」

 照れくさそうに頬を掻くデレクが14歳の少年に見える。

「部活が楽しみさ」

「はい、僕もです」

 今までも同級生や下級生に背は抜かれてきた。しかし、デレクに背を抜かれた事だけは悔しいという気持ちが強く、それしか言えなかった。無意識に彼にはいつまでも幼く可愛い後輩を求めていたのかもしれない。

「どう、上手くいった? 実は鼻を治すのは初めてなんだ」

「うん、触っている感じだと問題ない。ありがとう」

 アーミーによって鼻を治して貰い、ハリーは彼に感謝していた。

 馬なし……否、セストラルの引く馬車は3頭残っていた。クローディア達はアンソニー、アーミーと一緒に馬車を乗る。アンソニーがハリーの制服を呼び寄せ、馬車の中で着替えが行われた。

 

 見慣れたはずの門が只ならぬ雰囲気を放ち、ここで停車させられた。普段なら、城の階段まで進むはずだ。思わず、杖に手をかけ様子を窺う。

 戸が勝手に開き、フリットウィックが覗き込んだので安心した。

「やあ、貴方達で最後です。さて、ぞれぞれ名前を言ってもらいましょう」

「フリットウィック先生、僕、監督生ですよ?」

 寮監であるフリットウィックに名を名乗れと言われ、アンソニーは仰天した。

「どうかしたかね、フリットウィック先生」

 闇色の声を耳にし、違う緊張が走る。手早く済ませる為に、アーミーはすぐに名乗る。つられてアンソニー、ルーナ、ハリーにクローディアの順番に名乗る。

 確認したフリットウィックは、馬車を走らせようと戸を閉めにかかるが、案の定、スネイプが顔を見せた。暗い外に馬車のランプで照らされて影の明暗がハッキリとした顔は、ぞっとしない。

「遅かったですな、ミスタ・ポッター。ミス・クロックフォード、これから宴だというのに使い魔を持つ必要はないでしょう。我輩が預かっておこう」

 差し出された手をハリーは警戒したが、クローディアにスネイプを疑う理由はないのでは渡した。

 馬車が走りだすと、門の閉まる音が聞こえた。ルーナは窓を開けて堂々と後ろを見て見れば、フリットウィックの杖から白い光が放たれて門への防護魔法を更に強化していた。

 本来の停車位置では、フィルチが生徒の荷物をひとつひとつ丁寧に検査中だ。【廃棄】と書かれた箱には見覚えのある悪戯道具が山のように積まれていた。

 

 当たり前のようにある二重扉の向こうは、新学期で盛り上がる生徒の声だ。

 人数が減っているという印象を受けた。まだ新入生がいないのだから人数が少なく感じても仕方ない。教員席の前には例年通りの椅子が置かれている。

 そして、スラグホーンが本当にいた。セイウチのような体格が教員席にいるのは何とも不思議な感覚だ。

 ハリー、アーミーと別れ、アンソニーとルーナと共にクローディアはレイブンクロー席へと着席した。パドマとリサの間に挟まれた。真正面には、偶然にもマーカスだ。彼の胸には首席バッチが着いていた。

「遅かったわね、心配したわ」

「ありがとう、パドマ」

 簡単に挨拶した後、全生徒の集合を確認したように二重扉は開き、マクゴナガルが新入生を引率して入場だ。

 組み分け帽子は去年のように歓迎と警告を交えた歌を披露し、新学期の雰囲気を少々、重くした。

 それでもマクゴナガルは儀式を続ける。

「メリンダ=ボビン!」

《ハッフルパフ!》

「ヘスティア=カロー!」

《スリザリン!》

「フローラ=カロー!」

《スリザリン!》

「クラーク=ハーキス!」

《ハッフルパフ!》

「ベーカー=ロバース!」

《レイブンクロー!》

「テイラー=ウィダーシン!」

《グリフィンドール!》

 全ての生徒を読み上げ、新入生歓迎の儀式は終わった。そうなれば、待ちに待った豪華な夕食である。

 チキンを齧りながら、生徒を見渡す。やはり、人数が少ない。

「なんか、人が少ない気がするさ」

「気のせいではありません。学校を去った生徒はいます」

 頭上を漂っていた『灰色のレディ』が嘆くような口調で答える。

「エロイーズは学校を辞めましたわ。私も両親にこの国を出ようと言われましたが、学校に戻りたかったので残りました」

 マグル生まれの家族ばかり気にしていたが、スーザンのように身を隠す事を選んだ魔法族もいたのだ。

「私もね、残りたかったから残ったわ。折角、OWL試験を乗り越えたんですもの」

 パドマは得意げに述べ、ミートパイに食らいついた。

 スラグホーンの昼食会に呼ばれていたマーカスは、あちこちから質問を受けていた。

「雉肉が美味かった。あれだけでも行った甲斐はあったわ」

「食い物の話しないで、何の目的で呼ばれたのよ?」

 マリエッタが不機嫌に聞けば、マーカスはカボチャジュースを飲み込む。

「教授は有名人と繋がるのある生徒を集めたんだよ。俺の叔父が『トリカブト薬』を発明したからな。けど、父と叔父は仲悪いし俺自身、会った記憶もない。すっげえ、ガッカリされた」

「他に誰がいたの?」

 チョウの質問にマーカスはターキーに食らいついてから、答える。

「ハリー=ポッターは勿論、なんでかネビル=ロングボトム。ブレーズ=ザビニに、コーマック=マクラーゲン。後、ジニー=ウィーズリー」

「コーマックは魔法省に顔の効く親戚がいるから、まあ当然か。ブレーズ=ザビニ!?何、あいつ、すごい人脈でも持ってんの?」

 ミムの喰いつきにマーカスは苦笑した。

「あいつのお母さんが相当の美人らしい。しかも、7回結婚して相手は謎の死を遂げたんだってさ。遺産だけで一財産あるってよ」

 全部、聞こえたクローディアはげんなりする。他人の家庭の深い事情など、知りたくない。ネビルの気持ちを深く理解した。

 デザートを終え、大広間は校長ダンブルドアの言葉を聞く為、静かになる。

 改めて教員席を眺めてみれば、珍しくトレローニーを発見した。彼女の服装は教師陣と比べても奇抜だった。ケンタウルスのフィレンツェと幽霊のビンズは相変わらずいない。

 そして、スラグホーン以外の教師が増えていないと今、気づく。

「皆さん、素晴らしい夜じゃ」

 仰々しい椅子から立ち上がったダンブルドアは包容力のある笑顔で、新入生を歓迎し在校生の帰りを喜んだ。

 例年の禁止事項、『暗黒の森』への侵入禁止、フィルチからのお願いに『W・W・W』の道具を使用禁止が追加されていた。その部分だけ、笑い要素と言わんばかりにクスクスと小さな笑いが起きた。

 クィディッチの試合解説者を募集する話になり、ずっと解説だったリー=ジョーダンが卒業したのだと実感した。

(うちの寮のキャプテンって誰だろうさ)

 クローディアがぼんやりと考えている間に、スラグホーンの紹介がなされた。彼はダンブルドアに名を呼ばれ、腹を揺さぶりながら椅子から立つ。

「先生はかつてはわしの同輩であり、過去に『魔法薬学』を教えておられた。この度も『魔法薬学』の教授として復帰される」

「魔法薬?」

 生徒の間で困惑の声がいくつか上がり、ダンブルドアはそれに負けぬよく通る声で続けた。

「従って、スネイプ先生には『闇の魔術への防衛術』を担当して頂く」

 刹那、クローディアは状況を整理した。

「なん……だと?」

 衝撃のあまり呻いたが、コンラッドの笑顔の意味を存分に理解できた。グリフィンドール席からの熱い視線を複数感じたが、敢えて無視した。

 スネイプが長年、この教科への着任を切望していたと新入生以外は知っている。故にスリザリン席では寮監に拍手喝采が湧き起る。教え子からの祝福にスネイプは片手を挙げて応える。

 その表情は勝ち誇っていた。

「過去に教授をしていたという事は、きっと珍しい事も知っているはず」

 セシルは嬉しそうに小さくガッツポーズをとる。

 少々、騒がしくなったが、ダンブルドアの静かな視線に気づき、段々と生徒の口が閉じていく。それを待っていたらしく、校長は続けた。

「さて、皆に1人の魔法使いについて話さねばならぬ。その者はかつて、こう呼ばれておった。トム=リドル」

 誰の事かはわかる。ヴォルデモートを連想できずとも、誰かの張り詰めた空気が緊張を伝える。

「彼の者は様々な方法で諸君らを誘惑する。皆が一人一人、十分注意すべき状況であるということは、言葉だけでは伝えきれぬ。この夏、城の防衛を強化し、『闇払い』の配属も以前より多くなっておる。しかし、油断は禁物じゃ。決して、軽率な行動はせぬように慎重な行動を諸君らに求めなければならない。それは互いの安全の為である。どんな些細なことでも怪しげなもの、また不審なものは教職員に報告するよう願いたい」

 学校も万全ではない。

 クローディアが胸に刻んだ瞬間、ダンブルドアは穏やかに微笑む。就寝の挨拶と共に、解散を宣言した。

 まずは監督生が新入生を引率して大広間を出て行く。在校生は各々の判断で動き出した。スリザリン生の中には教員席まで行き、スネイプに言葉をかける生徒もいた。

 大広間を出ようとした時、ハリーに腕を掴まれた。強引な力にクローディアは先手を打つ。

「待つさ、ハリー。私は何も知らなかったさ。だから、そんな怒った目で見ないで欲しいさ」

「スラグホーン先生が『魔法薬学』の教授って事も知らなかったの?」

 追及するハリーからそっと目を背ける。

 生徒の流れを抜け出し、2人は滅多に現れぬ隠し小部屋へと入り込んだ。

「列車で何があったか聞いていいさ?」

 聞かれたハリーは自分の鼻を触ってから、順を追って説明した。『透明マント』でブレーズを追ってドラコのいるコンパートメントに侵入し、荷物棚へ隠れた。

 ブレーズはドラコとパンジー、クラップ、ゴイルに昼食会での事を話すとさっさとコンパートメントから出て行った。彼はドラコ達とは最低限の情報のやりとりしかしていない様子だった。

 ドラコはスラグホーンが父親から聞いた程の期待は持てないとガッカリし、何故自分が呼ばれなかったのか怪訝していた。

「多分、スラグホーン先生は『死喰い人』と関わりたくないんだろうさ。去年からあいつらの勧誘を逃げ切っていたさ」

「僕に会った時も、そう言ってたね。それを教えてやりたかったよ」

 せせら笑うハリーは続けた。

 パンジーに慰められたドラコは来年にはホグワーツにおらず、そして、学生より次元の高い何かをしていると語った。彼女はすぐにヴォルデモート関係かと質問したが、勿体ぶった口調で誤魔化した。

「それで忍び込んでいるのがバレて、マルフォイに石化された揚句に蹴られた……と」

 クローディアは最後を勝手に纏めたが、ハリーは怒らず期待の眼差しで彼女の反応を待った。

「……マルフォイは非常に神経質になっているさ。私の変身に気づきつつあったさ。しかも、ベッロも攻撃したさ」

 ベッロがドラコに攻撃された。これにはハリーも驚く。

「マルフォイは自分の事を探られたくないんだ。……ヴォルデモートから何かを命じられているんだ。余裕がないんだよ、そうでないとお気に入りのベッロを攻撃なんてしない! そうでしょう?」

 余裕がないという発言でクローディアの記憶が刺激された。

「しまったさ、肝心な人を忘れていたさ。……レギュラス=ブラック、あの人は16歳で『死喰い人』だったさ」

「ああ、そうだ! でも、それなら……なんで、シリウスやハーマイオニーもマルフォイが『死喰い人』だと考えないんだろう? 前例があるのに」

 怪訝するハリーにクローディアは2人の心情を察す。

「思いつきたくないから、無意識に避けたんじゃないさ? クリーチャーの為にさ。ハーマイオニーは確信を持てないから、滅多な事を言いたくなかったさ。私なら、そういう理由で避けるさ」

 一族繁栄の為に若くして『死喰い人』になったレギュラスはヴォルデモートを裏切り、命を落とした。ドラコの性格が意地悪く、これまでどれだけの悪事を働いたにせよ、二の舞は踏んで欲しくないのだ。

「そっか、僕、シリウスに悪いことを聞いちゃったんだね。……ちょっと、冷静になるよ」

 危険から身を守る為には、警戒は怠ってはならない。しかし、自分の考えを押し付けるのは相手を傷つけるとハリーは気づいた。

 ただ、クローディアはハリーの警戒は間違っていないと思う。

「……いっそ、本人に問いただしたら、早いんだろうさ」

 もやもやした気分に思わず呟くと、それは自分の台詞と言わんばかりにハリーは嘆息した。

「ここにいた! ハリー、僕、散々探したよ」

 怒ったロンが顔を覗かせ、時間的にも寮に帰るべきだと思い2人は廊下を出る。ちょうど教職員の方々も解散して大広間を出るところだった。

「スラグホーン先生」

 クローディアに呼ばれ、スラグホーンはビクッと肩を痙攣させる。何故か、スネイプまで足を止める。

「やあ、クローディア。ハリー、まだ寮に行ってなかったのかね」

 ロンを一瞥してから、スラグホーンは微笑んだだけで彼の名を呼ばない。

「ジニーの兄ですよ」

 クローディアに紹介されても、スラグホーンの態度に変化はなかった。

「先生に聞きたい事があったので、待っていました。どうしてクローディアを招待しなかったんですか? 彼女のお父さんとも旧知の仲ですよね?」

 誤魔化しと確認の為に口にしたハリーの問いをスラグホーンは一瞬だけ、怯えのような痙攣を見せた。それはクローディアだけ見つけられた反応だった。

「ほっほお、なんじゃその事か。クローディアとは何度も食事しているからのお。わしはもっとたくさんの生徒と触れ合いたいんじゃよ。コンラッドの料理を食べた事はあるかな? 舌が蕩けるとは、彼の料理を指すとわしは思うぞ。さあ、もう寝たまえ」

「「「おやすみなさい、スラグホーン先生。……スネイプ先生」」」

 3人はオマケ程度にスネイプにも挨拶して、一目散に走りだした。

「2人で何を話してたんだ?」

「後で話すよ」

 走りながら、クローディアはスラグホーンが自分を呼ばなかったのか本当の理由を考えていた。

 十中八九、分霊箱だ。『ホムンクルス』さえ敬遠しない彼の教授は、一度でもソレを話題にした者を避けている。殺人を必要とする為か、ヴォルデモートが関係している為か、全く別の要因かはわからない。

 それよりも、ドラコの動向が気になる。本当に『死喰い人』ならば、手を打たなければならない。

「マルフォイに悟られないように見張る方法を考えないといけないさ」

 その呟きはハリーにも聞こえていた。

 

 寮に帰ってみると、談話室では寝間着姿のパドマが仁王立ちしていた。

「何処を歩いていたの! 新学期早々、心臓に悪いことしないで頂戴」

 慣れた内装を懐かしむ間もなく、クローディアはパドマに首根っこを掴まれて連行される。

「……パドマ、なんだかペネロピーに似てきたさ」

「責任のある立場だと、皆、似てくるんです!」

 半ギレ状態のパドマは何故か敬語で返す。男子寮の扉から、こちらを覗く気配を察した。

「誰かいるさ?」

 クローディアの声に応じて扉が開き、新入生のベーカー=ロバースが顔を見せた。

「あら、こんばんは。貴方はロバースね、疲れたでしょう。もう寝なさい」

 急に上品になるパドマに、ベーカーは小さく頷く。

「貴女がクローディア=クロックフォード?」

 か細い声に聞き逃しそうになる。

「そうさ、私さ」

「僕の伯父はガウェイン=ロバース、知ってますよね? 今朝、会ったはずです」

 覚えている。

 しかし、ベーカーは伯父ガウェインとは似ても似つかない。とても気弱な印象を受けた。

「……貴女の行動は、僕から伯父に伝わります。それだけ言いたかったんです。後、僕が誰の甥なのかは内密にお願いします」

 警告とも取れる言葉を残し、ベーカーは扉を閉めた。

 部屋に戻れば、パドマは猫被りをやめてベーカーの態度に怒り心頭であった。

「何、あの態度! クローディア、ガウェイン=ロバースって誰?」

「落ち着いて下さい、パドマ。そして、私にもわかるように説明して下さい」

 寝台に腰かけたリサは櫛で梳くのをやめ、クローディアを見上げる。2人の視線に話すべき内容を頭で纏めた。

「スクリムジョール大臣は私達親子を疑っているさ。ヴォルデモートの下僕だから、あいつの復活に加担したんじゃないかってさ。『闇払い』ロバース局長もおそらく、そうなんだろうさ。あのベーカーは、入学のついでに私を見張るように言われたんだろうさ。生徒の視点から……」

 推測と憶測を交えて説明し、パドマとリサは呆れていた。

「信じられない……、好戦的なスクリムジョールに政権が代わって、やっとまともに事態が動くと思ったのに……」

「ベーカー=ロバースはあくまでも視るだけでしょう。それだけで貴女にプレッシャーを与えたいんですわ」

 それぞれの言葉を聞き、クローディアは寝間着に着替える。

「私は普段通りにするさ。ロバース局長に知られて困る生活はしてないさ。それにスクリムジョール大臣が私を法廷に出すのはヴォルデモートが倒れた後の後始末の時だろうさ。ある意味、大臣との戦いはそこから始まるさ」

「私、貴女のそういう前向きなところ好きよ」

 今度は親しみを込めて呆れ、パドマはクローディアを抱きつく。倣うようにリサも2人とも抱きしめる。

「また学校を抜け出さないと行けない時は協力しますわ。私も戦いへ連れて行って下さいまし」

「……わかったさ、その時は命を貰うさ」

 遭ってはならない申し出だが、その気持ちが嬉しかった。

 




閲覧ありがとうございました。
ロバース局長の風貌は想像です。
映画のドラコは、彼の葛藤がきれいに表現されていてすごく好きです。

●ベーカー=ロバース
 穴埋めオリキャラ、ロバース局長の甥。
 


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5.笑って泣いて怒って

閲覧ありがとうございます。
お気に入りが800件、越えました。ありがとうございます!

追記:16年11月19日、18年1月8日、誤字報告により修正しました。


 十分な睡眠を取れたクローディアは身だしなみを整え、談話室へ下りる。

 魔法学校での生活に期待と緊張を膨らませる新入生、卒業に人生を賭けた上級生。その違いが一目でわかる。ついでに進路に対して気持ちの余裕を持っている生徒も区別が付く。

 同じ学年ではモラグが一番、余裕を見せていた。

「おはようございます。クローディア」

 丁寧な口調で挨拶してきたのは、シーサーだ。その胸に監督生の証たる【P】のバッチがあった。意外すぎてクローディアは、二度見してしまった。

 驚きを隠さずにシーサーを祝福した。

「シーサー。監督生就任、おめでとうさ」

「ありがとうございます。まあ、学年で僕以外にいないと思っていました。女子はルーナ以外の子です。ご存じでしょうけど、これを機に今年はクィディッチにも参戦しようと考えています」

 得意げなシーザーを微笑ましく眺め、クローディアはレイブンクローのキャプテンが気になる。昨年度チェイサーだったエディが談話室を出ようとしていたので声をかけた。

「エディ、新しいキャプテンが誰か知っているさ?」

「……僕だ」

 口にした途端、責任を自覚したエディの顔色が青ざめた。

「君が選手に立候補するなら、歓迎するよ。無理なら、『銀の矢』貸して下さい。お願いします。監督生も首席も逃したんで、せめてキャプテンとしてチームを優勝に導いた実績が欲しいんです」

 いきなり低姿勢のエディから、彼の肩にかかった重みが伝わってきた。

「私の箒については、シーカーが決まってから話し合うさ。ちなみに私はバスケ部の活動があるのでクィディッチは観戦のみさ」

「だよなー。けど、『銀の矢』を貸してくれる約束してくれてありがとう」

 エディは感謝の意味でクローディアの肩に手を置いてから、談話室を出て行く。その背を見ながら、部活動について顧問のバーベッジと話さねばらない。

 

 大広間の天井は青い空を見せ、天気の良さを教えてくれる。だが、フクロウ便の数が激減し、警戒態勢の影響さえも教えた。

「希望授業を見ていたら、その人の進路が丸分かりね」

「サリーは予測もつかない時間割……」

 セシルの申込書を見ながら、サリーは呟く。

「アンソニー、自分に無理のないように授業を組めよ?」

「組んでいるよ。モラグは少なすぎだろ、『魔法生物飼育学』だけで卒業できると思っているのか?」

 しかし、学生である自分達の目下の心配は6年生の時間割配分だ。希望するNEWT授業がOWL合格点を超えていない場合、それまでの授業態度や勉強姿勢などを含めて判断されるそうだ。

「ミス・パークス、問題ありません。継続を許可します」

「ミスタ・ブート……よろしい」

 フリットウィックはサリー、テリー、マンディ、セシルと次々に時間割を決めていく。満足そうな者もいれば、諦め顔の者もいた。皆を眺めているうち、クローディアに順番が巡ってきた。

「さて、ミス・クロックフォード。『魔法薬学』、『薬草学』、『変身術』、『呪文学』、『闇の魔術への防衛術』、『古代ルーン文字』……結構。二時限目が終わりましたら、バーベッジ先生の事務所へ。部活についてお話したいそうです」

 優しく教えて頂き、クローディアはフリットウィックへ感謝する。バーベッジも同じ思惑だった事が嬉しかった。教員席を盗み見たが、彼女は既にいなかった。

 

 クローディア用の時間割表をもらい、一時限目の『古代ルーン文字学』へと急いだ。二重扉でグリフィンドール席を振り返ってみたが、ハーマイオニーの姿はない。ネビルがマクゴナガルと真剣に話し合っているところだった。

 次に視界へ入り込んだのは、ドラコだ。時間割配分を終えたらしく、手には彼用の時間割表が握られていた。睨むわけではないが、不確かな感情を込めた眼差しを向けてくる。

 クローディアは驚いていた。何故なら、ドラコは全く気配を感じさせず、吐息がかかる距離まで迫っていたのだ。

「おまえの次の授業はなんだ?」

「……え、あ、『古代ルーン文字学』さ」

 呆けていたので、ドラコの質問に反応が遅れる。彼は自分の授業を言うわけでもなく、無言を貫いて廊下へと行ってしまう。

(……え? マルフォイ。いつの間に気配断ちみたいな真似を……)

 ドラコが神経を尖らせている状態だと理解しているが、まさか気配まで消せる域まで自分を追い詰めているなどと予想だにしない。

(本当に……彼は『死喰い人』で、何か役割を与えられているさ?)

 憶測と推測を脳内で行おうとしたが、リサの指先が肩を突く。

「授業に遅れますわよ。クローディアと同じ授業ですから、一緒に参りましょう」

 リサとお互いの時間割を見せながら、『古代ルーン文字学』の教室へ着く。ハーマイオニー、マンディがそこにいた。

 ハーマイオニーが嬉しそうにこちらへ手を振ってくれた。彼女と同じ授業でクローディアは心の底から嬉しく、思わず頬が緩んでしまう。

「クローディア、癒者を目指すのに『古代ルーン文字学』を受けるの?」

「古代ルーンは魔法界なら何処にでもあるからさ」

 ここで初めてハーマイオニーの進路について触れた事がなかったと気づく。ついでながら聞いておく。

「NEWT試験に合格してから決めるわ」

 清々しいまでの予定に感心した。始業開始の鐘が鳴ろうとした瞬間、アンソニーが飛び込んできた。

 

 授業内容はこれまでの倍濃く、全員、知識を詰め込み過ぎて意識が朦朧としていた。しかも、エッセイと翻訳2つ、指定された分厚い本の読み込みという宿題を水曜までに提出。

 ハーマイオニーは小声で理不尽を訴えていたが、これがNEWT授業なのだ。

「私も次は自由時間ですので、すぐに取りかかりますわ」

「同じく」

 リサとアンソニーは頭から知識が零れ落ちない内に寮へと帰って行く。

「クローディアとハーマイオニーも『闇の魔術への防衛術』なんでしょう。一緒に行っていい?」

 マンディと連れだって、2人は次の教室を目指す。

 教室は開いておらず、ネビルやディーン、シェーマス、アーニーが既に並ぶ。マルフォイもいたが並ばず、反対側の窓辺で佇んでいた。

「やあ、クローディア。君もこの授業取ってたんだね」

「ディーンもさ。ところで何で中に入らないさ?」

 クローディアの素朴な疑問にシェーマスが呆れ声で肩を竦める。

「教授はスネイプだぞ。あいつは授業が始まるまで、教室を開けないじゃん」

「先生は付けるべきだ。シェーマス」

 アーニーに鋭く注意され、シェーマスは渋々、片手で了解を示した。

 時間ギリギリにハリーとロンが億劫そうな態度で現れる。早速、ハーマイオニーは2人に宿題の多さについて愚痴った。

「遅かったけど、2人とも前の授業なんだったさ?」

「僕らは自由時間だよ。クローディアも授業だったんだ。ご愁傷様」

 余裕のあるロンの態度にマンディが噴き出して笑う。

「ロンの進路って何だっけさ? そういえば……」

「……NEWT試験に合格してから決める……」

 固い表情で目逸らしたロンの発言は、ハーマイオニーと全く同じだ。しかし、サボリの理由に聞こえてしまうのは何故だろうかと呆れる。

 ハーマイオニーは失笑していた。

 パーバティが到着した途端、見計らったように教室の扉が開く。スネイプの存在を意識し、廊下の私語が自然となくなる。入室を促され、生徒は強制されたわけでもないのに整列して順番に入っていく。

 洋風のお化け屋敷。内装の感想は、まさにそれだ。

 暗いカーテンで閉め切った窓、灯りの為の蠟燭、不気味な絵画が壁という壁に飾られていた。研究室とは違う不気味な雰囲気だが、ブラック家の以前の様に比べれば怖くない。

 しかし、教壇の上には何故かベッロが当たり前のように鎮座していた。あまりにも自然とそこにいるので、剥製かと思った。

 生徒の視線が自然とクローディアに集まるが、無視して席に座る。一先ず、教科書を出そうと鞄に手を入れた。

「我輩はまだ教科書を出せとは頼んでおらん」

 闇色の声に鞄に入れた手を引っ込める。教科書は必要ないのだと理解し、皆も倣って鞄を足元か椅子の下へと置いた。

「我輩が話をする。十分傾聴するのだ」

 黒真珠の瞳が生徒をひとりひとり、見つめてから語りだした。

「諸君らはこの学科にて4人の教師を持った。それぞれの授業方針に統一性がないにも関わらず、これだけの人数がOWL合格点を取ったことを我輩は驚いておる。NEWTはより高度であるからして、諸君らが全員それについてくるようなことがあれば、我輩はさらに驚くであろう」

 何処となく、1年生の頃の演説を思い出す。

 新たな領域に来たという緊張感が生まれ、鼓動が若干速くなる。

「闇の魔術は……多種多様、千差万別、流動にして永遠なるものだ。それと戦うという事は、多くの頭を持つ怪物と戦うに等しい。首をひとつ切り落としたところで致命傷にならず、前よりも獰猛かつ賢い首が相手となろう」

 闇のへの誘いであるような優しい口調は、その力を称賛しているように聞こえる。

「諸君の防衛術は、それ故に破ろうとする相手の術と同じく柔軟にして創意的でなければならぬ」

 現実に引き戻す強い口調に、半分寝ぼけていたロンが我に返る。気にせず、スネイプは壁にかけた絵を何枚か指差す。

「これらの絵は術にかかった者達がどうなるか正しく表現している」

 苦しみ悶えた魔女の絵は『磔の呪文』。壁にぐったりと寄りかかり虚ろな目をしてうずくまる魔法使いは『吸魂鬼のキス』。地上に血だらけの塊は『亡者』を攻撃した者。

 この三つは、ヴォルデモートの陣営に揃っている。こうしている間にも、これらの犠牲になっている人は確実にいるのだ。

 クローディアが絵を網膜に焼き付けんばかりに睨んでいると、スネイプが教壇を指先でコンコンッと叩く。

「……諸君は我輩が見るところ、無言呪文の使用に関してはずぶの素人のはずだ。無言呪文の利点は何か?」

 スネイプの言葉が終わると同時に、ハーマイオニーが手を挙げ、クローディアも何気なく続いた。他は誰も手を挙げない。教授の視線が2人以外の生徒を見渡す。

(マンディ……あんたも説明くらいは出来るだろうさ。手を挙げろ!)

 無言呪文ばりにマンディへ意識を送り、圧力を感じた彼女はゾッと身震いしてから手を挙げた。

「ではミス・ブルックルハート」

「こちらの魔法が相手に知られない事で、先手を取れます」

 速攻で当てられたマンディは胸中でクローディアへ悪態を付き、若干、上ずった声だが要点は言い切った。

「説明が短すぎるが、概ね正解だ。【基本呪文集・6学年用】を開いてすらいない者は、熟読したまえ。これは驚きという要素の利点を得る。言うまでもなく、すべての魔法使いが使える術ではない。集中と意思、この二つの力が問題であり、絶対的本質といえよう」

 スネイプの視線がクローディアに向けられる。無言呪文を確実に会得せよと言わんばかりの圧力を感じた。そんな迫力があり、堪らずにそっと目を逸らす。

(そういえば、DAでも無言呪文の話題が出なかったさ。相当、難しいんだろうさ。私も杖なし状態なら、幾分か自信あるけど、無言呪文はどうなんだろうさ?)

 自問自答を繰り返しているうちに、スネイプは続ける。

「これから諸君は、2人一組となる。1人が『無言』で相手に呪いをかけようとする。相手も同じく『無言』でその呪いを跳ね返そうとする。始めたまえ」

 言われるがまま各々、立ち上がって勝手に組みになっていく。クローディアはハーマイオニーと組もうとしたが、ネビルに取られた。

 マンディと組もうとしたが、反対側からクローディアの腕は掴まれた。

「こっちだ」

 拒否を許さぬ口調でドラコはクローディアの腕を更に強く掴む。驚いて、スネイプへと視線を送る。教授は目を伏せて返答を拒んだ。ハリーやロンは多数の組の向こう側にいたので、こちらに気づけない。

 仕方なく、マンディには手ぶりで大丈夫だと伝える。クローディアよりも彼女のほうが驚いて真っ青になっていたからだ。そのまま、彼女はパーバティと組んだ。

 ドラコと正面から相対し、クローディアは呪文を待つ。呪いをかけるなら、彼からだと勝手に思い先手を譲った。しかし、悪意でも敵意でもない視線を向け続けただけで杖さえ構えない。

 周囲は無言呪文が出来ぬ為に、極力小声で呪文を呟くなどしてこの場を乗り切ろうとした。

「……マルフォイ、何もしてこないなら私がやってもいいさ?」

 このままでは授業にならない。そんな気持で提案してみたが、ドラコからの返事はない。無言を承諾と受け取り、クローディアは杖を構える。

(ステューピファイ!(麻痺せよ!))

 胸中で叫んだ呪文は杖から光線を放ち、無防備なドラコへと命中して彼をそのまま倒れさせた。本当に何の抵抗もなく倒れたので、クローディアが焦る。

 ドラコの倒れ伏した姿にディーンとシェーマスが気付いて、小さく驚きの声を上げる。耳敏く聞き取ったスネイプが早足でドラコへと駆け寄る。

「防衛術の教室で防衛せんでなんとする。無言呪文が出来ずとも、恥ではないのだぞ」

 ドラコの肩を抱き、スネイプの強く叱責が飛ぶ。

 スネイプの杖がドラコに向けられ、彼は我に返ったように目を覚ました。おそらく、教授が無言呪文で起こしたのだ。

「異常はないかね、ドラコ……」

「ありません」

 寮監に心配されたというのに、ドラコは素気なく言い放って起き上がる。

「諸君、一度、呪文を中止したまえ。組みを変える。目の前の相手とは違う者を選ぶのだ。特にポッター、暇そうにウィーズリーの呪文を待つでない」

 唐突に悪意を持って注意されたハリーは露骨に口元を曲げ、嫌そうな顔をする。ロンは耳まで真っ赤に染まり、俯いた。

 クローディアは今度こそ、ハーマイオニーと組もうとしたが襟を掴まれて引き留められた。

「ミス・クロックフォード。君は我輩と組みたまえ。またドラコのような犠牲者を出されては堪らん」

 無言呪文をやってのけた生徒に対して、この仕打ちである。ハーマイオニーから同情の視線を貰った。

「もう一度、実践して貰う前に諸君らへ我輩が手本を見せよう」

 言い終えるより先にスネイプは杖を構え、クローディアは咄嗟に構える。互いの構えが整った時、教授の杖から光線が放たれる。それと同時に、彼女は『妨害の呪文』で応戦した。

(インペディメンタ!(妨害せよ!))

 刹那の差でスネイプの魔法はクローディアに命中し、足が勝手に踊り出す。一分程、踊らされてからスネイプは魔法を解いた。

「僅かではあるが、これが一瞬の先手だ。一瞬の遅れはミス・クロックフォードのように魔法の餌食となる。始めたまえ」

 本当に無言だった攻撃と防御。お手本を示されても、出来ない。また誤魔化しが始まる。術の難しさに生徒が何人も表情で「お手上げ」だと訴えた。

 タップダンスまで披露させられたクローディアは、先ほどの遅れに危機感を覚えた。もしスネイプが本当に敵なら今の攻撃で全て終わっていた。

 終業の時間が迫り、スネイプは呪文をやめさせた。何人かが隠さずに安堵の息を吐く。

 結局、無言呪文の成功者はクローディアとハーマイオニーの2人だけだった。2人もいたのは上々の出来だ。それだけ難易度が高い術といえる。しかし、スネイプはそれぞれの寮に点数を与えない。

「授業を終える前に、ここにいる蛇に注目して貰いたい」

 教壇にいるベッロを示され、皆、注目する。

「諸君らは何故、この蛇に対し何の警戒も抱かなかったのかね? ……ミス・グレンジャー」

 質問と受け取ったハーマイオニーが手をあげたので、回答を許可した。

「その蛇はクローディアの使い魔だからです。ベッロは無意味に人を襲いません」

「そう、諸君らには見慣れた存在。だから、油断したのだ」

 スネイプが一音下げ、冷徹に告げた。

 その瞬間、ベッロは牙を剥いて獰猛さを露にする。何事かとネビルやディーンが目を見合し、悲鳴を上げる女生徒もいた。

「……そいつ、ベッロじゃない」

 険しい表情でハリーが言い放つ。

 蛇は紅い鱗を見る見る剝していき、シマヘビからアナコンダへと変貌した。教壇から飛び降りてきたので、攻撃を予感してクローディアやハーマイオニー達は咄嗟に杖を構える。しかし、アナコンダはそのままスネイプの後ろへと引っ込んで行った。

 一瞬騒然となった生徒を置き去りに、スネイプはまるで冒頭の演説に付け加えるような口調で言い放つ。

「『闇の魔術』は親しき友人のように諸君らへと歩み寄ってくる。しかと、肝に銘じておきたまえ」

 スネイプの視線は完全にハリーへと向けられ、嘲笑っているように見えた。

 宿題を言い渡され、この授業は終わった。

 

 誰も教室に残らず、クローディアはバーベッジに呼ばれているので事務所を目指す。ご機嫌斜めのマンディが追い付いてきた。

「思っていたより実りのある授業だったけど、よくも私を生贄した!」

「マンディ、先輩達から予習を受けているレイブンクロー生として嘘でも手をあげるもんさ」

「その割には、他のレイブンクロー生は誰も手をあげなかったね」

 腹立たしい様子のハリーまで追い付き、吐き捨てる。ご立腹の原因は手をあげなかった生徒ではなく、スネイプだと丸分かりだ。

「あら、ハリー。スネイプ先生の授業、結構、おもしろかったじゃない」

「あいつは、僕が蛇を見抜けないと見越していたんだ。予想通りになって僕を馬鹿にして……」

「馬鹿にされただけよ。あれが敵との遭遇だったら……って考えたら良い授業だったわ」

 マンディどころか、追いついたハーマイオニーもスネイプを擁護するような口調だったので、ハリーは益々、顔を歪めた。

「それにしてもよ、マルフォイが倒れた瞬間を見逃したのは惜しかったなあ」

「今から無言呪文の練習するさ? 勿論、標的はロンさ」

 ハリーがスネイプに馬鹿にされたと憤慨しているにも関わらず、ロンはドラコを嘲笑う。場の空気が読めていない彼に、クローディアは真剣な態度で杖を構えた。

「ろ、廊下で魔法を使うなよ」

 ビクッと肩を揺らしたロンはハリーを盾にして、逃げた。

「ぷぷっ。ロン、おもしろい! 私、このまま『数占い』の教室に行くけど、誰か一緒じゃない?」

「私も『数占い』よ、マンディ。クローディアは?」

 ロンの狼狽っぷりを一通り笑ったマンディの提案にハーマイオニーが答える。ハリーとロンのそっぽ向く態度から、彼らは自由時間だと察した。

「私は自由時間さ。バーベッジ先生に呼ばれているから、事務所へ行くさ」

「クローディア、バーベッジ先生の話が終わったらグリフィンドールの談話室へ来て欲しいんだ。合言葉はベッロに持たせるから」

 ハリーに手ぶりで承諾を伝え、それぞれの教室又は談話室へと散って行った。

 

 『マグル学』の教室に着くと、入れ違い見知った生徒が出て来た。

「ジャック、授業だったさ?」

「うん、先生に質問があったからな。君は先生と部活の話をするんだろ? 俺も楽しみにしているから、予定が決まったら教えてくれ」

 挨拶程度の会話をしながら、クローディアは気づく。

「ジャック……、聞いちゃいけない気がするけどさ。あんた、卒業したんじゃなかったさ?」

 出来るだけ遠慮がちに尚且つ、こちらの記憶違いであったような口調で尋ねる。ジャックはわざとらしく瞬きしてから、生気のない笑顔を見せる。

「NEWT試験を全部、落としたんだ。……両親や親戚は怒り狂うし、マクゴナガル先生は妙に優しく『もう一度7年生をやってごらんなさい』って勧めてくるし……。ケイティ達は大いに馬鹿にしてくれたのは、救いかなあ。気を遣われないのが、こんなに嬉しいと思わなかったぜ」

「欝憤は部活で晴らすさ。予定が決まったら、ベッロに伝言させるさ」

 淡々と述べるジャックの肩を優しく叩き、互いに部活を楽しむ約束を交わした。

 『マグル学』の教室に足を踏み入れるのは、本当に初めてだ。

 壁には世界地図、イギリス地図、ロンドン市地図が飾られ、窓際には車や自転車、バイクなどの模型が飾られている。この模型は何の仕掛けもないマグル式だ。

「クローディア、ちょっと待っててね。後は、資料を片付けるだけなので……」

 バーベッジは笑顔で挨拶し、分厚い辞典を数冊、宙に浮かべて棚へ陳列していく。その棚には武器関係の本が並び、【銃の歴史】と題されている本もあった。

「先生、授業で銃を教えているんですか?」

「ええ、身の安全の為にね。魔法界では銃の危険性を伝える機会は少なくて、卒業した生徒が事件に巻き込まれる事も時々、銃規制が欧州一厳しいとされるこの国も、銃器事件の発生率は日本の4倍と……、……こういう物騒な話じゃなかったわね」

 一瞬、教授の顔になったバーベッジは我に返り、悪戯っぽく笑った。

「確かに、バスケ部の話があると思って来ました」

「そう言ってくれるという事は、今年も部を続ける気ね。良かった! あのガマガエル婆がいなくなっても、ちっとも部活は出来ないから諦められちゃったのかと、不安だったの」

 一教師が堂々と魔法省役人を婆呼ばわりである。そこにツッコミを入れず、クローディアは鞄から白紙の用紙とペンを取り出す。

 そこへ今年度の部活動に関する予定を書き込んでいく。文章とトーナメント表が書かれる様をバーベッジは楽しそうに見つめる。クローディアは誤字や線引の間違いに気を使いながら、一気にペンを走らせた。

「人数にもよりますが、トーナメント式の試合を予定しています。そして、次の部長を決めたいと思います」

「部長を決める……今から?」

 予想外の言葉を聞き、バーベッジは驚愕する。

「私が7年生のクリスマス休暇までに、つまりは来年の冬には後任となる生徒を決めたいんです。その生徒には私が知っている限りのバスケに関する知識と自分で予定表を立てられる計画性を身につけて貰いたいのです」

 部活動において重要なのは知識は大事だが、問題なのは目標に向けてチームを指導力にある。部によってはそれは顧問や監督に求められるが、部として年数がない故に部長にもその力を求める。

 クローディアも今年度の目標に向け、行動していく。

 気迫が伝わり、バーベッジは背筋を伸ばして天井を仰ぐ。

「……来年の冬……。貴女はもうそこまで見据えているのか……、でも、目の前の授業の事も忘れないでね。フリットウィック先生から聞いたけど、癒者を目指しているんですってね」

 優しさと厳しさを絡めた視線をクローディアは真剣に笑顔で返した。

「勿論、部活を言い訳に勉強を疎かにする気はありません」

 クローディアの意思を確認できたバーベッジは、両手を合わせたかと思えば一発大きな音を立てる。音と共に、彼女の前へ衣服が現れた。

 魔法での呼び出しだと瞬時に理解し、衣服を眺める。それはホグワーツの紋章を元にデザインされたバスケットのユニフォームだった。

 小学校の頃は当たり前のように着ていた。ここでは既定のユニフォームがないので、適当な運動服で代用だ。それが今になって用意されたユニフォームに心が高鳴る。

「動きやすい服装なら何でも良いけど、でも、形に拘っても良いと思うわ。……気に入ってくれたみたいね」

 サプライズが成功したと言わんばかりの口調に対し礼を言おうとしたが、クローディアは高ぶっていく感情を抑えきれず、涙が零れた。

 部を立ち上げても、妨害にあったりした。それらが報われた気持ちになれた。

「……あ、ありがとうございます。嬉しいです……」

 涙でしゃくり上げ、表情を歪めるクローディアへバーベッジは困った表情でハンカチを押し付ける。乱暴だが、涙を拭いてくれた。

 

 部活の話し合いは涙で終わってしまった。

 教室の前で待っていたベッロは、グリフィンドールの談話室へ入る為の合言葉を書いた紙を渡された。終業時間まで10分もないが、そのまま昼食の時間になるので問題はない。

 急いで談話室に行ってみれば、ハリーとロンは『闇の魔術への防衛術』の宿題と睨めっこしていた。

「クローディア。宿題終わってないなら、ここでやって行きなよ」

「私は夕食後に片付けるから、大丈夫さ。ありがとうさ、ロン」

 クローディアの答えに残念そうな顔をするロンを置いて、ハリーは彼女を手招きする。顔が近い距離まで詰め、話は始まる。

「今朝、マクゴナガル先生が時間割をくれた時に、校長先生からの伝言を受け取ったんだ。土曜日に個人授業をしたいって」

「それって前みたいに『閉心術』が正常に作用しているか、確認する為さ?」

「僕と同じ事言っている」

 茶化すロンの頭をベッロの尻尾がパシッと音を立てて叩く。気にせず、ハリーも否定した。

「多分、違うと思う。休暇中に会った時、ヴォルデモートは僕と繋がりを持つのは、自分の身が危ないと感じているだろうって、校長先生は言っていたよ」

「……いつも思うけど、校長先生って言い切るさ。特にヴォルデモートに関して……」

 憶測のようでいて、強い確信を持つダンブルドアにクローディアは反論などない。ヴォルデモートの心情を最も正確に把握できるのは、彼の校長以外いないのだ。

「君達も『例のあの人』の名前を簡単に言うよね。……ヴォ、ル。やっぱり……無理。それで校長先生が教える事って何だと思う? 僕はさ、『死喰い人』でも知らないような、すっげえ呪文か何かじゃないかな?」

 胸を弾ませて主張するロンと違い、ハリーは深刻な目つきでクローディアを見ていた。

「僕は、君が教えてくれた魂を分裂させる魔法の話だと思ってる」

 確かに『分霊箱』の可能性は高い。ダンブルドアしか知らない対処法があるのかもしれない。

「それでその魔法について……」

 ハリーの質問が終わる前に終業の鐘が鳴る。

「ここまでにしようぜ。その魔法ってあんまり人に話していいもんじゃないんだろ?」

 ロンの言うとおり、他の生徒が談話室に戻ってくる事や昼食もあるので、クローディアは2人と別れた。

 

 大広間へ行きながら、教室から出てくるルーナを見つけた。他の生徒に詰め寄られている様子だが、クローディアが近寄ると生徒達はそそくさと散って行く。

「ルーナ、何か問題さ?」

「【ザ・クィブラー】の催促だよ。新しい号はまだかって……、朝からずっと……。こういうのは嬉しくないもン」

 疲労感を漂わせるルーナと大広間に着くと、奇妙な視線が確かに彼女へ付き纏う。おそらく、雑誌の催促を願う生徒だ。しかし、クローディアがいるせいか誰も声をかけて来なかった。

 寮席に座っても視線が襲うので、うっとおしくなったクローディアはわざとらしく咳払いした。その咳払いと共に視線は消えた。やっと落ち着けたルーナは安堵の息を吐く。

「なんだか、逆転したな。昔はクローディアに質問がある連中をラブグッドが遠ざけてたようなもんだったのに」

 2人の正面に座るテリーに何気なく言われ、クローディアはルーナと仲良くなれた頃を思い出す。昨日のようでいて、随分、古い記憶にも思える。

「マイケル、よくそんなこと覚えているさ。昔からルーナは頼りがいがあるさ。そんなルーナの役に立てて、嬉しいさ」

「うん、どんどんあたしに頼っていいよ。その分、クローディアも頼るから」

 夢見心地の口調に嬉しさを含ませ、ルーナは瞬きせずにカステラを齧りだした。

 

 午後の授業まで『古代ルーン文字学』の宿題で過ごす。就寝前にとりかかっても良かったが、『闇の魔術への防衛術』の宿題が難問の為に時間がかかると予想したのだ。

 先に始めていたリサのお陰で捗り、昼休み中に終える事ができた。彼女に感謝しながら、サリーとマンディ、テリーとマイケルで『魔法薬学』の地下教室を目指した。

 教室はスネイプの頃とは違い、既に魔法薬に満たされた大鍋がいくつか用意されている。そこから溢れ出る蒸気や臭いによって、地下牢よりも愉快な実験室という印象を受けた。

(同じ教科も教授によって違う……か)

 これまで『闇の魔術への防衛術』で何度も経験したが、教科が違うと心象も変わってくる。

 しかし、今までと違い自分達も含め、僅かな生徒しかいなかった。ハッフルパフはアーミー、ただ1人。スリザリンもドラコにダフネ、ザビニの3人、最後に来たハーマイオニー、ハリー、ロンだけがグリフィンドール生だった。

「うわ、すっくな……」

「難しかったもんねえ、試験」

 テリーの呟きにサリーも頷く。

 ハーマイオニー達で視界が遮られているというのに、向こう側からドラコの視線はクローディアにヒシヒシと感じていた。ここまで来ると、その理由を小一時間程、問い詰めたくなるが我慢した。

「さて、さて、さーてと」

 生徒を見渡し、スラグホーンは愛嬌のある笑顔で授業を始めとしたが、ハリーの手が挙がる。

「先生。僕達、授業の道具を何も持っていません。『魔法薬学』の授業を取れると思っていなかったので、ロンもです」

 言葉を選びながら、ハリーは自らの状況を説明する。確かに彼は教科書すら用意していなかった。しかも、ロンまでとは驚きだ。

 ハリーは『闇払い』を目指す関係からギリギリで授業を受ける事が叶ったとしても、ロンは一体、何しに来たのかわからない。

「マクゴナガル先生からは聞いておるよ。そこの棚に古い教科書があるから使いなさい。材料に秤も2人に貸し出せる。何の問題もない」

 朗らかに言い放ち、スラグホーンは棚を指差す。ハリーとロンはすぐに棚に向かい、中にある教科書を見つけて何やら奪い合っていた。

 構わず、スラグホーンは話を続ける。自分の手元にある小瓶以外の鍋に向かって手を広げ、まるで魔法薬が我が子であるような慈しみを見せる。

「さーてと、いくつか魔法薬を用意した。ここにある薬を説明できる者はいるかね?」

 勿論、ハーマイオニーが手を挙げた。嬉しそうにスラグホーンは彼女へ解答を促す。

「『真実薬』です。無味無臭で飲んだ者に真実を語らせます。こちらは『ポリジュース薬』です。他人への変身に使います。そして、『魅惑万能薬』!世界一強力な愛の妙薬です。その匂いは1人1人、違います」

 ハーマイオニーの説明に間違いはないが、スラグホーンの称賛に満ちた笑顔で正解だとわかる。

「素晴らしい、それぞれを完璧に言い当てている。グリフィンドールに二十点!君の名はなんだったかな?」

 名を聞かれた事を誉れとし、ハーマイオニーは答える。

「ハーマイオニー=グレンジャーです、先生」

「グレンジャー? ひょっとして、ヘクター=ダグワース=グレンジャーと関係はないかな?」

 瞬きする速さで聞き返すスラグホーンにクローディアは思わず、「誰、その人」と呟いてしまう。耳敏く聞き取ったサリーが耳打ちする。

「超一流魔法薬師協会の設立者よ」

 豆知識を教えて貰い、クローディアは手で感謝を伝える。その間、ハーマイオニーはマグル生まれであるので、その人物とは関係ないと答えた。途端にスラグホーンは更に表情を輝かせた。

「ほっほう!マグル生まれの学年で一番とは、彼女の事だね。ハリー」

「そうです、先生」

 素直に答えるハリーに、スラグホーンはハーマイオニーへの関心を強くした。ハーマイオニーは彼が教授に自分を「学年で一番」と紹介している事に感激していた。

「さあて、『魅惑万能薬』について、ひとつ補足しよう。その前にクローディア」

「はいっ」

 唐突に呼ばれても、クローディアはすぐに返事できた。興味深い品を見るような目つきで、スラグホーンは問う。

「君には、この薬がどんな匂いを発しているか聞いてもいいかね?」

 ドラコの視線がより強くなった。

「……私には体育館の壁や床、バスケットボール、洗い立ての体操着」

 隠すことではないので、鼻につく薬品の匂いを話す。その内、満足なプレーをこなした時の達成感が胸に宿る。そして、頭の隅にジョージの姿が過った。

「どれも私の好きな匂いです」

 流石にジョージの事は口に出せず、適当に誤魔化す。気にも留めず、スラグホーンは『魅惑万能薬』の鍋に蓋をした。

「これは実際に愛を創り出すわけではない。愛は創る事は勿論、模倣したりする事は不可能だ。この薬は単に強烈な執着心や強迫観念を引き起こす。おそらく、この教室にある魔法薬の中で一番危険な薬だろう」

 穏やかさの中に真剣さを含め、この薬を他者に使うなと警告しているようにも聞こえた。

「先生、そちらの薬は何ですか?」

「お、目敏い。諸君はこれの説明を待っていたのだろう。そう、これは『フェリックス・フェリシス』じゃ。ミス・グレンジャー、説明をお願いしよう」

 ハーマイオニーの息を呑む表情から、スラグホーンは喜んで彼女に機会を与える。

「『幸運の液体』です。人に幸運をもたらします」

 幸運を呼ぶ。

 この言葉に誰もが食い入るように小瓶を凝視する。やっとドラコの視線がクローディアから離れてくれたので、彼女には幸運だった。

「その通り、グリフィンドールにもう十点あげよう。この薬を飲めば、すべての企てを成功へと傾けてくれる事、まず間違いないと言える。故に調合はおそろしく面倒で難しい。ここにある分で12時間、幸運は訪れる」

「大量に飲み続けるとどうなりますか?」

 興味津々のダフネに、スラグホーンはその質問を待っていたように微笑む。

「飲み過ぎると有頂天になったり、向こう見ずに陥るからだ。どんな薬も飲み過ぎれば、毒性も高くなる。これも同じ……、しかし、ちびちびとほんのときどきならば、程よくラッキーになれる」

 酒のような言い方に思えて、クローディアは笑いがこみ上げたが堪えた。

「これを今日の授業で一番上手く調合出来た生徒に、褒美として提供する」

 スラグホーン程の魔法使いでも難しい調合の魔法薬を生徒に与える。衝撃的な発言にざわめきも起きない。聞き違いか、高等な冗談だと思った。

「【上級魔法薬】の十ページ、『生ける屍の水薬』を時間内に完成させたまえ。さあ、始め!」

 スラグホーンの本気が伝わり、皆、急ぎながらも慌てずに作業に取り掛かる。試験よりも真剣に慎重な動きを見せ、私語さえ許さぬ雰囲気にクローディアは圧倒された。

 しかし、無言になるのはご褒美のせいだけではない。『生ける屍の水薬』の調合は今まで一番、難しかった。『催眠豆』から汁を出す為に銀のナイフで切ろうとしても、滑りが良すぎて手元から何度も飛ぶ。苦労して切っても、微量な汁しか出ない。そのせいで鍋の液体は教科書通りにならない。

 段々、腹の立ってきたクローディアは豆を指先で握り潰す。多くの汁が出るには出たが、周囲に飛び散ってしまう。彼女の手もベタベタな感触に襲われた。

 結局、クローディアの調合は失敗に終わった。

 完成させられた生徒はハーマイオニーではなく、ハリーだけだった。彼の笑みを隠しきれない表情は、勝利者のそれだった。

「素晴らしい、ハリー! さあ、これを約束の『フェリックス・フェリシス』だよ。上手に使いなさい」

 満面の笑みでスラグホーンはハリーに小瓶を渡し、惜しみない拍手を彼に送る。ドラコ以外の皆も、授業の勝者たるハリーに拍手で祝福した。

「セシルが聞いたら、卒倒しそう」

 サリーの言葉にクローディアは同意である。

 

 談話室に帰って来た時、セシルに会えた。早速、『フェリックス・フェリシス』の話をしてみれば、彼女は呼吸困難に陥らんばかりに喘ぎ出す。

「あ、あ、フェリッ……クス・フェリシ、ス。あ、あ~、『魔法薬学』を取っておけば良かった~」

 絨毯の上を転がりながら、セシルは頭を抱える。予想通りのようで予想以上の反応に、こちらが困る。

「セシルの授業なんだったさ?」

「俺と同じ『魔法生物飼育学』、他はハッフルパフのジャスティンって奴だけ。今日の授業、おもしろかったぞ。グロウプの肩に乗ったんだぜ」

 元気溌剌なモラグからの返事に一応、礼を述べる。クローディアは身を屈めて、セシルに耳打ちする。

「……セシル、あの例の時計はどうしたさ?」

「……複製作業に使うから、貸出出来ないって……」

 魔法省に保管されていた『逆転時計』は、先日の戦いで犠牲になった。破壊を免れたのは、ホグワーツの生徒や誰かに貸し出された分だけだろう。貸し出されたなら、セシルは『魔法薬学』も取っていたに違いない。

 かける言葉も見つからず、クローディアはセシルの背を慰める意味で撫でた。

「しかし、ハリーがクィディッチとかでアレを飲んだら、試合になるのかね?」

「それは大丈夫。フェリックス・フェリシスは組織的な競技や競争事では禁止されているもの。スラグホーンが伝え抜かっても、ハーマイオニーならちゃんとハリーに教えるはずよ」

 テリーの心配事に、起き上がったセシルは真顔で説明してくれた。気持ちを切り替えたかと思えば、言い終えた途端、彼女は再び、絨毯に顔を埋めた。

(しかし、幸運を呼ぶか……。マルフォイの手に渡らなくて良かったさ。あいつが何を考えているのか、本当にわからないし……)

 見張りを命じられているにしても、視線が奇妙だ。

 視界の隅にベーカーが映る。クローディアを見てはいないが、意識していると察した。

 

 大広間へ着くなり、ハーマイオニーに拉致られた。

「この本なんだけどね」

 納得できない不完全燃焼な顔つきで、ハーマイオニーはボロボロの【上級魔法薬】を見せる。この教科書は地下教室の棚にあった古本であり、そこに書き込まれた指示でハリーは従って調合した。彼が『生ける屍薬』を完璧に仕上げたのは、そのせいだという。

「その書き込みって、白紙から浮かんできたってことさ?」

「クローディアもそう疑うでしょう」

 トムの日記や『忍びの地図』のような魔法を疑ったハーマイオニーが杖で確かめてみても、本当にただの教科書だったそうだ。

「前の持ち主が書き込んだだけの古い教科書だよ。もういいだろう、返してくれ」

 2人の間に割って入ってきたハリーが仏頂面に返却を求める。それをジニーまでやってきて拒んだ。

「駄目よ、ベッロに見て貰ってないわ」

 噂をすればなんとやらで、ベッロはクローディアの足元へとやってきた。ハーマイオニーは屈んで教科書を見せる。

「さあ、ベッロ。この本に怪しいところはない?」

 突きつけれた本を見つめ、ベッロは笑うような仕草をした。それを見て安全を確信したハリーは得意げになる。

「ほら、ベッロも心配ないって」

「ベッロの感覚って当てになんの?」

 カボチャジュースを飲みながら、ロンの余計な一言を零す。納得しかけたハーマイオニーはハリーではなく、教科書をクローディアへ渡した。

「この本はクローディアが預かっていて、ハリーが持っているより安全だわ」

「僕の教科書だよ!」

 ハーマイオニーの提案にハリーは憤慨した。

「おい、ハリー。僕らの教科書がフクロウ便で来るまで借りているだけ……」

 今度こそ、ハリーはロンを睨んだ。

 そのやりとりの間、クローディアは何気なく裏表紙の下にある文字を読み取る。

「……半純血のプリンス蔵書?」

 クローディアの呟きを聞き取り、ハリーも文字を見やる。

「本当だ、プリンス……。前の持ち主の名前かな?」

 プリンスという名。

 クローディアは1人の女子生徒を思い返す。写真でしか知らぬトトの想い人。

 沸々と高揚感が湧き起る。もし、この本が彼女の持ち物だったなら、不思議な巡り合わせだ。

「ハリー、私に預けて欲しいさ。お祖父ちゃんに見てもらいたからさ」

 唐突にトトの名を出し、ハリーは怪訝しながらロンと目を合わせる。

「なんで、トトさん?」

「お祖父ちゃんの知り合いにプリンスって魔女がいたさ。この学校の卒業生のはずだから、何か知っているかもしれないさ」

「そういうことなら……、何の心配もないわ」

 ハーマイオニーとジニーはようやく満足そうに笑い、ロンも不満はなかった。しかし、ハリーは身を切るような苦渋の決断を迫られた表情を見せる。

「何をそんなに嫌がっているさ?」

「本の書き込みを惜しんでいるんだろう? いいじゃん、今日の授業で良い思いしたんだから」

 ロンに諭されても、ハリーは返答を渋った。

 本を奪い返す程、拒むならクローディアもハリーに味方する。しかし、煮え切らない彼の態度に知らずと溜息が出てしまう。

「わかったさ。私の教科書に書き込みを丸ごと写してハリーに渡すさ。インクも私が用意するから、何の問題もないさ」

「教科書に書き込みなんて、著者の方に失礼だわ」

 この場で最良と思えるクローディアの提案に、今度はハーマイオニーが渋る。そんな彼女の言葉を無視し、ハリーは素朴な疑問を投げかけてきた。

「クローディア、木曜までにそれが出来るの?」

 確かに次の授業は木曜日だ。それまでに授業はある。今日の分の宿題も終わっていない。

 だが、しかしハリーの言い方にカチンッと来た。

「明日の朝までにやってやるさ!」

 本を掲げ、怒り狂った口調で宣言した。

 

 

 朝日が部屋に差し込み、クローディアはペンについたインクを拭う。そして、最後の力を振り絞って『半純血のプリンス』の本を閉じた。

 

 ――やり切った。

 

 徹夜作業は慣れたモノだと思っていたが、癖字の強い文字のせいで難航した。それでも難解の文字をひとつ残らず、書き写した。

「……もう、今日の授業でなくていいさ?」

 窓の外を見てみれば、丸太を運ぶハグリッドとそれに従うファングが見える。今、彼の柔らかい鬚に顔を埋めてしまうと確実に爆睡だ。

(そういえば、アイリーン=プリンスはハグリッドに近い世代かもしれないさ)

 このまま眠れば、丸一日眠りこけてしまいそうだ。

 朝食までの時間を潰す意味でも、ハグリッドを訪ねる事にした。ハリー達より先にアイリーンの話を聞きたかったのもある。徹夜で頑張ったのだ、それくらいは許して欲しい。

 寝台で眠っていたベッロを叩き起こし、教科書を託した。

 

 朝方は涼しい。眠気がなければ、きっと快適だ。

 玄関ホールを抜けようとした時、クローディアに近づく気配は感じ取る。臆する事なく振り返り、スネイプに早朝の挨拶を交わす。

「おはようございます、スネイプ先生」

「独りでの行動は感心できんな、ミス・クロックフォード。こんな早くから、どちらにお出かけかな? 方角からしてハグリッドに何の用がある? 彼が城に来るまで待てないのか?」

 厳しい口調でお小言を頂き、クローディアは正直に答える。

「アイリーン=プリンスという生徒の事を聞きに行こうと思ったんです」

 言い終えた途端、スネイプは一瞬だけ毒気を抜かれたように表情が緩む。しかし、すぐの冷徹な雰囲気へ変わる。

「……誰の事を聞こうと?」

 眉を寄せたスネイプは普段より冷静な口調で問いを重ねた。目の前の教授に聞ける機会だと気づき、クローディアは眠気を飛ばし、正確に答える。

「アイリーン=プリンスです。祖父の知り合いだったと……私も写真でしか、知りません」

 一瞬の沈黙が異様に長く感じた。

「……その生徒について、本当に興味があるなら……我輩が話してしんぜよう」

 思ってもいない回答にクローディアは変な声を上げてしまう。

「ただし、君が癒者になった時だ」

 そう口にしたスネイプの目つきは、普段と変わらない。されど、雰囲気はどことなく哀愁を漂わせる。

「――癒者になれ、クローディア」

 この瞬間、クローディアの時は止まった。

 実際には脳髄の奥から熱が爆発した感覚に襲われ、一瞬、意識が飛んだのだ。時が止まるとすれば今のような感覚なのだと、頭の隅で納得していた。

 クローディアと呼ばれた。コンラッドの娘ではなく、一生徒でもなく、個人として認められた。

 全身に行き交う緊張は喜びとスネイプの期待に応えたいという願望の表れだ。

「はい、先生。必ず、なってみせます。何年、かかっても――」

 今出来る最高の笑顔でクローディアは宣言した。

 




閲覧ありがとうございました。
ジャックは本来、ハリー達と一学年上です。初登場時に二学年上にしてしまったので、留年させました。ごめんよ、ジャック。

魔法薬学はスリザリン生はセオドールを含めて4人ですが、彼はいないので3人にしました。

魔法生物飼育学はセシル、モラグ、ジャスティンの3人が受講しています。やったね、ハグリッド!


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6.ゴートン家の指輪

更新遅くて、すみません。閲覧ありがとうございます。

追記:17年3月11日、18年1月8日、誤字報告により修正しました。


 土曜の夜。

 新学期から1週間の疲れを取るべく、クローディアとリサは監督生とクィディッチチーム・キャプテンが使用できる浴場に来ていた。

 無論、パドマの誘いあっての入浴である。

 ホテルのバスルームを想像していたが、全然違う。自室の4倍はある広さ、5・6人は余裕で入れる浴槽は滑らかな材質の大理石を加工した贅沢品。ステンドグラスに描かれた人魚は動いて手招きしてくる。銀製の蛇口からいろとりどりの泡が出て、身体を清めてくれる。

 肩までゆったり浸かれる風呂は実に良い物だ。

「風呂は良いねえ、文化の極みさ」

「私も初めて入った時は同じ事、思ったわ」

「私、このままお湯に溶けてしまいたいですわ」

 最適な温度に身を預け、会話も忘れて3人は強張った筋肉が解れて行く実感を味わう。

(今頃、ハリーは校長先生と個人授業さ)

 頭の隅にハリーを置き、クローディアはこの1週間で知りえた情報を纏める。

 まず、『半純血のプリンス』の教科書は安全だ。トトに出した手紙は、金曜日の朝に返事が来た。目覚まし代わりの『吠えメール』は眠気を吹き飛ばしてくれた。

〝彼女の事を探るなと言ったじゃろうが!! この本には何の問題もないわあ!! わしをおちょくるのも大概にせんかい!〟

 普段なら日本語で叱責を食らうが、この時は余程、ご立腹の様子だったらしく英語での怒声だった。そこまで隠しておきたいアイリーンの正体は気になるが、スネイプ自ら話して貰える約束をしたのだ。

 その話はハーマイオニー達にも教えた。

 ハーマイオニーは『半純血のプリンス』の正体をアイリーンと決定した。スネイプの恩師だと推理し、時間を見つけて調べると言い出した。トトから厳命されたのはクローディアだけなので、彼女を止める理由はない。

 ハリーはアイリーンではなく、別人であり男子生徒だったと確信していた。文字や文章から受ける印象だという。教科書は金曜の『呪文学』で返した。愛おしい恋人が帰って来たような浮かれた対応をされ、クローディアは彼が別の意味で心配になった。

 ちなみにロンは心底、どうでも良いとのことだ。

 『半純血のプリンス』とアイリーンの関係は保留にし、次はドラコ。授業中の敵意とも違う奇妙な視線を除けば、今のところ動きはない。

(マルフォイを見張る手段は今のところベッロに頼んでいるけど、どう考えても目立つさ。リータ=スキータのような『動物もどき』を探して監視して貰えれば……、いや、今のあいつは何故か勘が鋭いさ)

 たとえ、クローディアが影に変身してドラコを見張っても看破されそうだ。

(マルフォイが何をしようと、ハグリッドに知られないようにしないといけないさ)

 今朝方、リーマスから手紙が届いた。珍しさと嬉しさで開封すると、そこにはハグリッドへの配慮を求める内容が書かれていた。

 ダイアゴン横町に行った日、ハリーはドラコが『死喰い人』だと主張した。ハグリッドはクローディア達の前ではその事にあまり触れなかった。しかし、子供達がいない場所では憤慨して暴れたというのだ。

〝俺が『マダム・マルキンの洋装店』でふん縛っておきゃあよかったんじゃあ! 奴らが動き出す前に俺が目に物を見せてくれるぞお!〟

 慟哭し、マルフォイ家に乗り込もうとしたらしい。

 文章では繕っているが、つまりハグリッドがドラコに危害を加えようとしていた。

 それを知り、胃が竦んだ。

 元々、ハグリッドは起伏が激しくすぐに感情的になる。ドリスの件でドラコを責め立てたい衝動に駆られたが、自分なりに納得して自制していた。

 だが、ドラコが『死喰い人』で学校内においてヴォルデモートの為に暗躍しているなら、ハグリッドは阻止する為にその拳を振り上げてしまう。結果は想像したくないが、まず間違いなく医務室で済むはずもない。

 出来る限り、ハグリッドの前でドラコの名を出さない。

 ドラコの身の安全の為ではなく、ハグリッドの為だ。

 尚、この手紙はハリーにも届いた。どうやら、ダンブルドアやシリウスにも秘密裏に出したようだ。

(ロンがハグリッドを暢気だとか言っていたけど、とんでもないさ)

 今週、ハグリッドから夕食に招待されなかったのは正解だった。手紙を受け取る前ならば、意見や同意を求めていただろう。

(明日、ハリーの話を聞いてからハグリッドに会いに行くさ。グロウプの様子も気になるしさ)

 ダンブルドア側の巨人はグロウプのみ。彼はまだ幼く力も弱い為、『死喰い人』が躍起になってまで欲しい人材ではない。とはいえ、現時点でハグリッドを上回る怪力の持ち主だ。ドラコが悪用しないとも限らない。

 そこまで思考し終わった時、就寝時間が迫っていると気づく。

 名残惜しいが入浴はお終いだ。

 気持ちの良い風呂に入れた。出来たからこそ、考えを纏められた。だが、何も答えは出せず、解決もしてない。

 そもそも、そんな簡単に解決できるなら苦労はないのである。

 柔らかいバスタオルで身体を拭き、寝間着に着替えながらリサは夢見心地だ。

「こんなに良いお風呂なら、毎日入りたいですわ」

「残念だけど、混雑を避ける為に事前予約しないといけないのよね。就寝時間までっていう時間制限もあるしねえ」

 つまり、深夜は合い言葉さえ知っていれば、入りたい放題だ。

「パドマ、今日はありがとうさ。良ければ、またお願いしたいさ」

「勿論。けど、私が入れてあげた事は内緒ね。一応、専用だから♪」

 からかう口調と笑みから、他の監督生やキャプテンは友人を浴場へ招いている。その事は教師陣の目を盗んで行われている。

 以前、セドリックから合い言葉を教えて貰ったハリーは謎解きの為に入ったが、以降は勝手に入っていない。彼は本当に真面目で律儀だ。それに口も堅い。だから、秘密を共有できる。

(ロンも今年、ハリーがキャプテンにならなかったら、こっそり誘っただろうさ)

 脱衣所を出た寮への帰り道、クローディアの『ポケベル』に文字が浮かび、『必要の部屋』と表示される。身も心も温かい内に床へ就きたかったが、行かねばならない。

 2人に適当な言い訳をしたクローディアは、いつの間にか迎えに来たベッロと共に『必要な部屋』を目指した。

 

 『必要の部屋』は暖炉の炎によって暖められ、肌触りの良い毛皮の家具が揃った快適な空間に様変わりしていた。先にいた寝間着姿のハーマイオニー、ハリー、ロンは昨日の『薬草学』のレポートに勤しんでいた。

「明日じゃダメさ?」

「今夜は徹夜で残りの課題を仕上げたいの。ハリーはキャプテンとしてクィディッチの選考方法を考えないといけないから」

「選考は来週だから、焦らなくていいのに」

「ロンこそ焦ろうよ。今日までで応募者が殺到しているんだ。選手に残りたかったら、また練習してね。友達だからって贔屓にしないよ」

 眠そうなロンにハリーは厳しい口調で咎めた。

 3人のレポートが一段落し、ハリーの口から今夜の内容が明かされた。

 『憂いの篩』によって見せられた元魔法法執行部ボブ・オグデンの記憶。

 ヴォルデモートの両親に関する話。彼が魔女と人間の男の間に生まれた混血だとは百も承知。語られたのは、彼らの人間性。

 古くから続く家柄ながらも、近親婚を繰り返して一族だけの価値観で生きていたゴーント家。

 寂れた掘っ建て小屋とペベレル家の紋章が刻印された指輪、スリザリンのロケット。それだけが残った財。何世代も前に没落しているにも関わらず、自身を気高き血統と讃えるマールヴォロ。蛇語しか話せぬ教養のない長男モーフィン、そして虐げられていた長女メローピー。

 リドル家への帰り道に馬で必ず小屋の前を通るトム=リドル=シニア。

 狭い世界にいたメローピーが美形のトムに恋心を抱くのも無理からん話だ。

 ボブ・オグデンへの攻撃と公務執行妨害により、マルヴォーロは6カ月、モーフィンはマグル襲撃の前科も加わって3年、アズカバンへ収監された。

 自分を支配する家族がいなくなり、メローピーはトムへ魔法薬か魔法で心を奪って駆け落ちした。その際、スリザリンのロケットを持ち出したそうだ。無論、リトル・ハングルトンは大騒動になった。

 しかも、その騒動はトムがたった1人で村に帰還した事で更に沸いたという。

 メローピーが如何にして夫の心を奪い、またそれを止めたのかは推測でしか得られない。ダンブルドア曰く、夫を深く愛するが故に隷従する事が苦痛となり、本心からの愛が欲しくなった。また、2人の子供の為に本当の家族になってくれると確信しただろうとの事だ。

 

 ――結果は、言葉にもしたくない。

 

「聞いているだけで気分が悪くなるさ。その話に何の意味があるさ?」

「この話は大切な事で予言にも関係しているとだけ……、今夜はここまでだった」

 言い終えたハリーさえも消化不良な顔つきだ。

「校長先生に例の魔法については聞かなかったのか? ほら、ヴォ、……『例のあの人』が魂を分けた魔法」

「そこに至る為にも、ヴォルデモートの過去を知る必要があると思う」

 重い口調で受け止めるハリーから顔を逸らし、クローディアは何気なく暖炉の炎を見やる。

 ダンブルドアはヴォルデモートの思考や心情を汲み取り、そこから行動を予測して対策を打つ。それはトム=リドルの頃からの彼を知っているからだ。

 つまり、ハリーにはヴォルデモートを理解する事で対抗策を自ら講じて欲しいのだろう。

〔敵を知り己を知れば……ちょっと違うさ?〕

 日本語で呟く中、ハーマイオニーは羊皮紙にハリーの話を一字一句間違えぬように書き込んで纏める。

「この段階でスリザリンのロケットはメローピーが持ち出した。ペベレルの指輪はマルヴォーロが持っているのかしら? この指輪も何か関係がありそうね」

「あるよ、その指輪。ダンブルドアがはめてた。スラグホーン先生を訊ねた夜に……。同じ指輪ですかって聞いたら、最近手に入れたって」

 聞くとはなしに聞いてから、クローディアは胸騒ぎに襲われる。

(ペベレルの指輪? なんだろうか、その指輪って……もしかして……お祖父ちゃんの遺言にあった指輪?)

 必死に記憶を探り、ボニフェースの遺言を思い返す。

 細かい部分は霞んでいてもう思い出せないが、何かが刻まれた指輪を持っていた。仮にその指輪が同じものならば、遺言が作成された段階で既にトム=リドルの手にあった。彼の残虐な性格をボニフェースはダンブルドア程ではないが理解していた。

 もしも、指輪を手に入れる為にマルヴォーロを殺害したなら、その指輪は『分霊箱』になっている可能性がある。そして、万が一にでもダンブルドアの目を盗んで誰かを誑かしてしまう状況を想像して、寒気がした。

「……ただ記憶と違って壊れてたけど」

「壊れてた……?」

 深刻に考え込んでいるとハリーは何気なく言い放つ。そのお陰で胸中の不安は消えた。

「うん、宝石の部分を抉ったみたいに壊れたよ。何か気になることでも?」

「……ボニフェースの遺言にトム=リドルが指輪を持っているってあったからさ。もしかして、『分霊箱』じゃないかなって思っただけさ」

「『分霊箱』!? 魂を分ける魔法は『分霊箱』って言うのね!」

 知識欲に駆られたハーマイオニーが目を輝かせて追及する。途端、血相を変えたロンの手によってクローディアの口が塞がれた。

「その魔法は名前を呼ぶのも憚れるって言ったじゃん! なんで今言うの!? 絶対、校長がハリーに話す時が来るのに!」

 激怒するロンに3人は呆気に取られる。突然、大声を上げられたので、ベッロ達も彼に注目する。正直、そこまで怒る事とは思えなかった。

「……なんで怒っているか聞いてもいい?」

 口を塞がれたロンの代わりにハリーがおそるおそる問う。

「ドラコ=マルフォイだよ! あいつに『分霊箱』なんて知られて見ろ! その魔法を利用しようとするかもしれない! もしくは『分霊箱』を創り出す事こそが目的ってことも十分ありうる! 魔法界で知る者が少ないなら、ここで調べればいい! 図書館にはまだまだ僕らの知らない闇の魔術に関するが知識もたくさんあるんだぞ!」

 ドラコが『分霊箱』を求める。その発想は全くなく、だが今の彼なら可能性は十二分にありうる話だ。父親に代わって『死喰い人』になる為の条件として探し出す様に命じられる。ハリーも同じ考えに行き辺り、厳しい表情を見せた。

「ロン……貴方、頭はいいわ。けど、マルフォイに見つけられると思う? 彼は物探しなんて地道な事はしないと思うの」

 ロンの推察に感心したハーマイオニーだが、ドラコを侮っている。ロンは毅然とした態度で彼女を凄んだ。

「あいつに見つけられなくても、ハーマイオニーなら見つけられるだろう? 授業で会う機会が多いんだ。君から盗むなんてわけないぜ。絶対、探しちゃ駄目。調べちゃ駄目。わかった、ハーマイオニー?」

 確かにハーマイオニーは貴重品を持ち歩く。授業中は各教授の目があるから危険はないなどとは言えない。特にスネイプのいる講義は授業に関係のない物を持ち込んでいる為、没収される恐れもある。

「わかったわ、きっと校長先生からお話はあるだろうから、私はそれまで絶対調べない。ち、誓います」

 いつになく凄まじい気迫のロンにハーマイオニーも縮こまる。

「ハリーも『フェリックス・フェリシス』を盗まれないように気を付けろよ」

「はい、おっしゃる通りです」

 唐突に注意されたハリーは反論もせず、何故か敬語で返した。今思えば、『魔法薬学』の授業で『フェリックス・フェリシス』がドラコの手に渡らず本当に良かった。

「……ペベレルの指輪を校長先生が持っているなら安心さ。夜も更けたし、私はもう寝るさ。明日、ハグリッドに会いに行くけど着いてくる人いるさ?」

「徹夜って言っただろう」

 仏頂面のロンしか返事をくれなかった。

 かつてスネイプは述べた。誰がどんな目に遭おうと生徒の試験は免除されない。わかっていたつもりだが、ロンの態度に改めて実感した。

 

 

 日曜日の朝は人が少ない。それでも大広間には朝食が用意されており、クローディアは年中無休の『屋敷妖精』へ感謝しつつ満腹になる。

 教職員の席を見れば、マクゴナガルにマダム・フーチ等の数名のみ。ダンブルドアやスネイプもおらず、ハグリッドもいない。

「森番もして教授もやって大忙しさ」

「大忙しいってハグリッドの事?」

 偶然、隣にいたセシルが眠そうに目玉焼きを頬張りながら問う。是と答えるクローディアに頷き返した。

「そりゃあ、そうでしょう。弟の事に加えてアラゴグの看病もあるし……」

 聞きなれない名にクローディアは首を傾げる。

「……アラゴグって誰だっけさ? 看病って事は具合が悪いさ?」

 不意にクローディアへ近づく気配に気づき振り返れば、頭に無数のカールを巻いたルーナだ。巻き具合が弱く、柔らかい彼女の髪から解けそうなカールに自然と目が行く。

「アラゴクの話してた? あたしもハグリッドに相談されたもン。最近、元気ないって……ブランク先生がいなくなってからだって……」

 ルーナも知っているなら、クローディアも過去に紹介された可能性は高い。必死に記憶を探っていたが、セシルが先に答える。

「アクロマンチュラの蜘蛛よ。しかもね、50年以上生きた大蜘蛛! 森の奥に住んでいるから残念だけど会わせては貰えない……。勿体ない……」

 その魔法生物の蜘蛛には覚えがある。ハリー達の『魔法生物飼育学』にて、紹介されたはずだ。蜘蛛嫌いのロンが文句を言っていた。目の前のセシルも蜘蛛の唾液が貴重で欲しがっていた。

 今となれば懐かしい思い出だが、ハグリッドの抱える問題が他にもあるという事だ。

「ハグリッドに用事なら、平日にしなよ。週末はアラゴグの為に森へ入るから会えないもン」

 ルーナの助言にクローディアは反射的に呻き声をあげる。ハグリッドとの時間が合わない事も相談して貰えなかった事も含め、残念に思った。

「校長先生」

 向かいに座っていたアンソニーの呟きを耳敏く聞き取り、教職員席を見やる。ダンブルドアが挨拶してくる教師や生徒へ穏やかな笑みを向けている所だった。

「手袋してるね」

 ルーナの指摘に思わず、ダンブルドアの両手へ目を向ける。確かに白い薄手の手袋をしていた。9月でも気温が低い日もある。ご高齢たる校長も簡単に防寒具を着けても不思議はない。

 ダンブルドアの手を何気なく見つめ続け、不意に指輪を思い出す。そして、ペベレルの名だ。

「なあ、ルーナさ。ペベレルって聞いた事あるさ? サラザール=スリザリンの先祖らしいんけどさ」

「スリザリンの先祖はどうかはわからないけど、ペベレル三兄弟はパパも大好きだもン」

 団子三兄弟を彷彿とさせる響きは笑いのツボを押し、噴き出しかけたが堪える。ペベレルと聞いて即答したのなら、その三兄弟は魔法界では有名か常識の知識だろう。

「私、聞いた事ないさ。どんな逸話持ちさ?」

「逸話というか、おとぎ話。『吟遊詩人ビードルの話』くらい有名。そっか、クローディアはマグル生まれだから知らないかも……うーん、魔法界の『グリム童話』だと思ってくれればいい」

 セシルの実に分かりやすい解釈にクローディアは納得する。

「ペベレル三兄弟を知っても『死の秘宝』に興味持っちゃ駄目だよ。関わると碌な事がないもン」

 そんな前置きをし、ルーナは語りだす。ただでさえ夢見心地である彼女の口調に眠りを誘われつつも、聞き入った。

 旅をする3人は橋のない川にでくわし、魔法で橋を作り出して難を逃れた。

 悔しい『死』は一計を案じ、三兄弟に褒美として彼らの欲しい物を与える。強い力を望んだ長男はニワトコの木から作った杖、『死』を辱めんとした次男は死んだ人を生き返らせる力を望み川から拾った石、慎ましい三男は『死』から後をつけられずに立ち去れる力を望み『死』のマントの一部。

 長男は『ニワトコの杖』を自慢した為に殺されて杖を奪われた。次男は『蘇りの石』でかつて愛した女性を蘇らせたが、死者との隔たりに自ら命を絶った。三男は何年も『死』から逃れ続けたが、やがて歳を取り息子に『透明マント』を譲り渡して『死』を受け入れた。

 こうして、『死』は3人の命を手に入れたという話だ。

「豚の三兄弟もびっくりのオチさ。3人とも『死』に負けているしさ、それでルーナの言う『死の秘宝』ってこの3つの道具さ?」

 喋り疲れたルーナは牛乳を飲みながら、頷く。最強の杖など、如何にもヴォルデモートが好みそうな道具だ。

 急に記憶が刺激され、ボニフェースの遺言にも『死の秘宝』という単語が浮かぶ。トム=リドルはやはり、ぺベレルの指輪を手に入れていた。

 解ってしまい、クローディアはぐったりする。

「『ニワトコの杖』、『蘇りの石』、『透明マント』……他の2つは見たこともないけど、マントなんてそこら中にあるさ」

 ハリーは指輪が宝石の部分が取れた状態だと教えてくれた。なら、宝石が『蘇りの石』だ。ヴォルデモートが石だけ持って行った可能性もある。深刻に溜息をつくクローディアをセシルは肩を竦める。

「実はね、この話に出てくる『死』のマントから切り取った本物はひとつしかないの。他はデミガイズの毛で織っただけとか、『目くらましの術』をかけられただけのマントとか……けど、そんなに深刻にならなくていいわ。『死の秘宝』なんて神話に近い伝説だもの。信憑性も薄いし、誰も信じてない……一部を除いては……」

 セシルはルーナを一瞥してから、語尾を付け足した。

「魔法界の伝説は真実と思っていたほうがいいさ。少なくとも、私達は『秘密の部屋』の怪物と出くわしたんだからさ」

 『死の秘宝』を信じるクローディアに、ルーナは嬉しそうに瞬きした。

「そうだもン! だから、絶対に気を付けてね。『死の秘宝』に関わったら石にされるだけじゃすまないよ」

 眼前に迫るルーナは真剣に心配してくる。言われるまで石化された事を忘れていたクローディアは目を逸らして咳払いする。

「……そういえば、どうしてスリザリンの先祖がペベレルだと思ったの? 確証を得られるような物でも見つけた?」

 今度はセシルが興味津々に迫ってくる。ずっと沈黙していたアンソニーまでこちらの話に聞き耳を立て、迂闊な自分を呪いたくなる。流石にゴートン家やペベレルの指輪に関して話す事は出来ない。

 この場を無難に避ける方法を考えているとダンブルドアがゆっくりとアンソニーの後ろに立つ。クローディアは校長と目が合い、目礼で答える。

「死がどうとか聞こえたが物騒じゃの」

「うおおう!? ……おはようございます、校長先生」

 ダンブルドアに気づかなかったアンソニーは驚きながら挨拶した。

「『死の秘宝』について話をしていました。実在するかどうかを……」

 正直に話すクローディアは息を呑む。ダンブルドアの目に一瞬だけ鋭さが宿ったのだ。気のせいではない。誰も気づかず、校長を見上げている。

「魔法界に限らず、何処の世界にも伝説は存在するものじゃよ。真実も確かにあろうて、ただし嘘もまた同様にな……。全てを真に受ける必要はないぞ」

 否定も肯定もない。優しい口調に皆、ダンブルドアへ信頼の目を向ける。確かにこれまでの伝説が真実だから、他の全ても同じではない。

 しかし、校長が僅かに見せた鋭さが『死の秘宝』を真実だと教えてくれた。ダンブルドアが拒みたくなるような目に遭ったのだろう。勿論、訊ねる気はない。

 

 

 ハグリッドの家に訪問する予定が消え、クローディアは宿題をこなす。

 午後にグリフィンドール談話室を訪れてハリー達に会い、アラゴグについて聞けた。ハグリッドが学生時代に使い魔にしており、獰猛な生物故に『秘密の部屋』の怪物に仕立て上げられた被害者だ。

「あー、そういえばそんな話もあったさ。すっかり忘れてたさ」

「クローディア、会ってないもんね。そっか、アラゴグ具合悪いんだ」

 ハグリッドだけでなく、アラゴグの身を案じたハリーにロンは恐怖で身震いする。

「僕ら殺されかけたんですけど!? あいつの無数にいた子供に喰い殺されそうになったんですけど!!」

 腹の底から何故か敬語で声を上げ、ロンはアラゴグに同情や心配する価値などないと断言した。

「どうやって逃げ切ったのか、聞いたかしら?」

「野生化したアーサーおじさんの車に乗って逃げたんだよ」

 車が野生化するとは意味不明である。

「今も森にいるなら捕まえるのはどうさ? ロンのお父さんも喜ぶさ」

「あくまでも車の部品に動かす魔法をかけただけだから、とっくに魔法は解けているはずだよ。それでも、森に行くなんて嫌だけどね」

 クローディアの提案はロンに速攻で却下された。彼の仕草がおもしろいらしくハーマイオニーは微笑ましく見守っている。その笑顔に引っ掛かりを覚える。

「ねえ、ハリー。クィディッチの選抜方法、考えてる? 去年、アンジェリーナの作った没案を貰ったんだけど必要?」

「ケイティ、ありがとう。参考にするよ」

 ちょうどケイティに話しかけられ、ハリーとロンがそちらに意識を向けた隙にハーマイオニーへ耳打ちする。

「今日のハーマイオニー、ロンに優しい気がするさ。何かあったさ?」

 一瞬、驚いて目を瞬いたハーマイオニーはロンを一瞥してからクローディアの耳元へ囁く。

「ロンって、結構のんびりしているじゃない? 将来とか授業選択とか適当だし……。けど、昨日のロンを見て感心しちゃった。私が思いつきもしない事を考えて、本当に彼は頭が良いのよ。自分には難しくて出来ないって思い込んじゃっているだけでね。それを実感できて嬉しいの」

 はにかむハーマイオニーはロンを友人として褒めているのではない。その表情は恋する乙女そのものである。勤勉で知りたがりの彼女が書物や知識ではなく、1人の男子に恋をした。

 否、今までも予兆というより、ハーマイオニーがロンを男子として意識していると思われる場面はいくつもあった。そもそもロンが執拗にハーマイオニーとビクトールとの関係を快く思わないのは、嫉妬以外ない。

 クローディアの胸がチクリと痛む。自分達4人は恋愛など関係なく、友情は続いていくと思っていた。恋をするとしてもジョージやチョウのように他の相手だと勝手に想像していた。

「……その気持ち、ちゃんとロンに伝えるさ。ハーマイオニーに褒められたら、すっごい喜ぶさ」

 顔の筋肉は弛み、自然な笑みで本心ではない言葉を吐く。クローディアの助言を聞き、それを深い意味で解釈したハーマイオニーの頬が見る見る赤くなる。

「……そうね、……今度、言ってみる」

 まるで一世一代の愛の告白を決意するような言い方だ。正直、ハーマイオニーらしくない反応を見ていられなくなり、クローディアは適当な理由を付けて談話室を出て行った。

 

 

 翌日にハグリッドを捕まえたクローディアは急かさぬよう出来るだけ言葉を選んでアラゴグの症状を問う。

「アラゴグは病気さ?」

「……病気というより寿命だなあ。……アラゴグは長く生きたもんだあ。……この夏に具合が悪くなって、よくもならねえ、セシルは……色んな事を知っちょる。アラゴグに会いたいとも言ってくれたあ」

「城にアラゴグをここまで連れて来れないさ? マダム・ポンフリーとかが……」

 ハグリッドの力になりたい一心でクローディアは提案したが、彼は手ぶりで断った。

「あいつは動かせる状態じゃねえ。……アラゴグの家族も……ちいとおかしくなっちょる……。俺以外が巣に近づくのは安全とは思えねえ。気持ちだけで嬉しい、ありがとうよ」

 巨大な背が気苦労のせいで普段より小さく見える。時折、大人が見せる気弱な背中を見る時、己の無力さを実感する。勉強が出来ても、部活が上手くいっても、大事な人の力になれないのは本当に悔しい。

 ハーマイオニー達もハグリッドを手助けしようとしたが、やんわりと断られた。

 

 

 授業以外に問題を抱えつつ、1週間経過するのは早い。土曜が近づくにつれ、ハリーはキャプテンとしての大役が迫り、神経質になっていた。他寮の生徒が応募者に混ざって彼をからかうのもその一因だ。

「一応、言っておくけど……選抜を見に来ないでね。……結果は教えてあげるから」

 目の据わったハリーは迫力があり、無言で了解を示す以外、何も返せなかった。

 神経質になっているのは、エディも同じだ。

 毎年、主戦力になっていたビーターのテリーが選抜に応募しなかったからだ。しかも、今回に限ってビーターの応募者がおらず、まだ選抜もしていないのにエディは「もう無理、敗北だ!」と嘆いた。

「折角、自由時間の多い6年生に進級したんだ! アメフト部を作る事にした!」

 お手製のヘルメットとボールを持ったテリーは一段と輝いて見えた。

「顧問は誰さ? バーベッジ先生はあげないさ」

「マダム・フーチだよ。ボールの形が気に入ったって言われてなあ。クィディッチの練習がない時間なら競技場も使えるんだぜ」

 意気揚揚と話すテリーに若干、イラッとする。手入れの行き届いた芝生での試合は心が躍る。バスケは室内でもできる競技だが、流石にアメフトは外だ。だからといって、バスケを外でしたくないのではない。しかし、寮監でもないバーベッジに競技場の許可は得られない。

「羨ましくなんかないさ! せいぜいラグビーと間違えないように気をつけるさ!」

「エディもクローディアも何を怒ってんの?」

 キョトンとするテリーはアメフト部勧誘のビラを配りに回った。

 

 

 土曜日の午前中にグリフィンドールの選抜は終わり、昼食には満面の笑みで歩くロンを見かける。その笑顔で彼が選抜を勝ち抜いたと察した。

「聞いて、クローディア! ハリーったらね!」

「聞いてよ、クローディア。ハーマイオニーが……」

 不機嫌なハーマイオニーと含んだ笑みのハリーという正反対の2人に捕まり、廊下へ連れ出された。しかも同時に語られ、クローディアは2人の話を必死に聞き分けて頭で纏める。

 ハリーは注文していた【上級魔法薬】が届いたにも関わらず、新品を魔法で傷つけて汚し、『半純血のプリンス』の本を魔法で新品同然に直して交換した。

 ハーマイオニーはロンと同じキーパー志望のコーマックに『錯乱の呪文』を使って選抜を妨害した。彼女はロンの為ではなく、コーマックのような傲慢な男に選手としてチームに居て欲しくないという理由からだ。

「……あんたら何やっているさ? ハリー、書き込みが欲しいなら私のと交換すれば良かったのにさ」

「……あ! いや、駄目だ。僕はオリジナルが欲しいんだ。彼の字には親しみを感じるよ」

「まだ男の子って決まってないでしょう」

 ぶっきらぼうに言い放つハーマイオニーはクローディアからの文句を受け入れようと堂々と胸を張る。

「……やってしまったものはしょうがないさ。あいつ、去年からバスケ部に来てないし、思い通りに行かない事もあるって学ぶさ」

「ハーマイオニーには随分と甘くない?」

 今度はハリーが不機嫌になる。

 先に大広間へ入っていたロンが廊下を見渡し、クローディア達に気づく。

「いないと思ったら、3人とも何やってんの? は、はーん。僕のプレイについて話してたんだろ?」

 当たらずも遠からずだが、否定も肯定もしたくない。照れくさそうにするロンの気分を下げたくないので、差し障りのない言葉を選ぼうとした。

「ハリー、ハリー! 君に会いたいと思っていたんだ」

 学校の敷地内にいるのだから当然だ。

 それを初めて出会えたと言わんばかりに黄色い声を上げるスラグホーンが駆け寄ってくる度に、彼の腹が揺れる。人の見た目を笑ってはいけないが、その見事な揺れ方にクローディアは笑いを堪えた。

「今夜は私の部屋で夕食をどうかね? ちょっとした晩餐会をやる。マクラーゲンも来るし、ザビニも、メリンダ=ボビンも来るよ。彼女とかもう知りあいかね? ご家族が薬問屋チェーン店を……おっと、ミス・グレンジャーもぜひ!」

 スラグホーンの目にはハリーとハーマイオニーしか映っておらず、クローディアとロンは存在も認識していない。

 ロンの温度が急速に冷めて行くのがわかる。クローディアは仕方なく、彼を連れて大広間へ行こうとした。

「クローディアとロンが一緒でないなら、残念ですが、御断りします」

 ハーマイオニーは毅然とした態度で答える。スラグホーンはクローディアを意識したが、ロンが誰の事なのかはわからない様子だ。授業で何度も顔をあわせているはずなのにだ。それに気づき、ハリーはロンの腕を掴んで無理やり紹介する。

「僕の友達です。一番の友達です」

 最初は嫌がったロンはハリーの紹介に目を丸くし、気まずそうに頬を掻く。スラグホーンは初めてロンを認識した。

「ロンは頭良いです。とっても」

 言い切ったハーマイオニーを振り返り、スラグホーンはもう一度、ロンをじっくりと観察する。

「覚えておこう」

 独り言のように呟き、スラグホーンはハリーとハーマイオニーにだけ笑顔で会釈して去って行った。

 スラグホーンが二重扉の向こうに聞こえた途端、ハリーは怪訝した。

「どうして、クローディアを無視するんだろう? 他の人と話したいにしてもあからさまだ」

「……心当たりはあるから気にしないで欲しいさ。それより、ロンがどんなプレイをしたか話してくれるさ?」

 ロンに話題を振り、彼は気分を良くした。

「そうそう、僕の話だね。席に着いてから話すよ」

 クローディアとハリーの背を押し、ロンは思い立ったようにハーマイオニーを振り返る。

「さっきのアレ、……どういう意味?」

 小声でしかも躊躇うロンの声は聞き取りづらいが、ハーマイオニーの耳にはしっかり聞こえている。

「どういう意味って? 私は本当のことを言っただけよ」

 ハーマイオニーの髪と同じふんわりとした笑顔で答えられ、ロンは一度、彼女から目を逸らす。

「ほら、ハリーが君の事、学年で一番だって言うだろ? それと同じなのかなって……」

 明確な質問をせぬ、じれったい態度にクローディアは段々苛々してきた。

「……ロン……うぐ」

 口を挟む直前、ハリーと通りすがったジニーに両腕を掴まれて寮席に連行された。

 いつの間にか2人きりになっている事に気付かず、ハーマイオニーはロンを見上げる。意を決して爪先を伸ばし、彼の唇へと自分の唇をぶつけるように重ねた。

「こういうことよ」

 ほくそ笑むハーマイオニーにロンは予感が的中した嬉しさと唇の感触に耳まで真っ赤に染まる。しかし、選手に選ばれた時よりも嬉しく晴れやかに笑った。

 




閲覧ありがとうございました。

最初、アメフトとラグビーは一緒だと思ってました(失礼)
ハーマイオニーとロンは、もうちょっと素直になれば早く交際できたのにと思います。


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7.監視

閲覧ありがとうございます。
今回も長文です。

追記:17年3月26日、18年1月8日、誤字報告により修正しました。


 クィディッチ選考は難航したが、レイブンクローも無事に終えた。

 キャプテン・エディー(チェイサー)を筆頭に同じ7年生チョウ(シーカー)とミム(チャイサー)、6年生サリー(キーパー)、4年生ネイサン(チェイサー)。

 心配していたビーターは5年生シーサー、そして3年生のオーラ=クァーラに決まる。2人ともシーカー希望だったが、エディーの説得でポジションを換えた。

「兄とポジションが被ってしまいましたが、妥協するのも監督生の務めです」

「シーカーは来年もう一度狙います」

「チョウがいなかったら、確実にシーカーはこの2人のどちらかだったよ。落とすには惜しいし、引き受けてくれて良かった」

 2人は快く引き受け、エディーの心配はひとつ減った。

 クローディアは選手に応募はしなかったが『銀の矢64』を貸す約束をしていたので、シーカーのチョウに渡した。

「チョウいいなあ、私に『ニンバス2002』貸して欲しいな」

「ミムの箒、『ニンバス2001』に見えるけどさ。……というか、あんたが選手に返り咲くとは思わなかったさ。『N・E・W・T試験』もあるのに大変じゃないさ?」

 しかも、ミムはバスケ部の駆け持ちまでしてくれるというのだ。

「正気じゃないわ……ミム。それで魔法省勤務も目指しているんだから、自分を追い詰めてどうするのよ」

 呆れたマリエッタはやれやれと肩を竦める。

「マリエッタも魔法省狙いでしょう?」

「まさか、あのアンブリッジと同じ職場なんて絶対、お断り! 母を見ていたら尚更よ! 一応、癒者になろうとは考えているわ」

 チョウの疑問にマリエッタは切実に答える。

「癒者と言えば……セドリックが元気かどうかチョウは知っているさ?」

「さあ? 彼とは良い思い出を作らせて貰ったわ」

 思い出話のように語るチョウを見て、クローディアは察する。あれだけハリーとの間で揺れ動いておきながら、別れはアッサリしている。本人達が納得しているなら、何も言うまい。

 

 バスケ部はテリーの作ったアメフト部に新入生を掻っ攫われる状態に陥る。顧問がマダム・フーチというだけあり、クィディッチ関連の部と誤解されたのだ。

「男子に好評なんですよねえ、アメフト……」

 バーベッジがげっそりと言い放つ。

 しかし、部を盛り上げていたクレメンスがクィディッチ・キャプテンに選ばれながらも、駆け持ちを約束してくれたのは大きい。新入生のクラーク=ハーキスまで連れて来てくれた。

「補欠だった僕がキャプテンだなんて、これもバスケのお陰だよ。選考で落ちた子とかに声をかけておくよ」

「……感動のあまりクレメンスが人生最高のハンサムに見えるさ」

「医務室行けよ、目を見て貰え」

 合掌してクレメンスを拝むクローディアにコーマックは愕然とした。

「クィディッチの選考に落ちたからって、いけしゃあいけしゃあと部に戻って……厚顔無恥もいいとこね」

 軽蔑を露にハーマイオニーは言い放つ。

「俺がどの部にいようと俺の勝手だ。ハーマイオニー、スラッギーじいさんの晩餐会来なかったな。次は来るんだろう?」

 コーマックは動じず、馴れ馴れしくハーマイオニーの肩に触れよう。クローディアは失礼のない程度に彼の手を払う。

「ハーマイオニーはロンとの時間が忙しいさ。諦める事をオススメするさ」

「……え!? あのジニーの兄貴と!! 君も医務室で頭を見て貰いなよ。きっと疲れているんだ」

 心底、コーマックは心配そうに失礼な発言をしてくる。

「余計なお世話よ、ロンとハーマイオニーは正気も正気。口出さないで」

 最高潮に不機嫌なジニーは吐き捨てる。ロンにも恋人が出来たので、ようやく恋人ディーンとの仲を邪魔されないと安堵していた。しかし、それとこれとは別だと兄の微妙な嫌がらせは続く。

 ロンの代わりと言わんばかりに睨まれたコーマックは、その迫力に圧されかけ口笛を吹いて誤魔化す。

「ねえ、クローディア。質問があるんだけど」

 マンディが視線を部室の隅へと向けたまま、不安げな声を出す。クローディアとハーマイオニー、ジニー、コーマックはそちらを決して見ない。意識しない。

 何故なら、そこにはドラコが独りでいるからだ。

 バーベッジが声をかけてもあしらわれ、見学に来る生徒は彼の姿にビックリして逃げ出してしまう。営業妨害も甚だしく、幽鬼の如く立つ様子は不気味だ。

「……ドラコ=マルフォイも参加されるんですね」

 後ろからボソッと囁いたのは、ベーカーだ。部活開始から、見学という名目で此処にいるが彼の任務はクローディアの監視だ。

 ドラコとベーカーの視線は何処か似通っている。

「どんな目的でいようとも、バスケに興味を持ってくれるなら大歓迎さ。ロバースも見てばっかりいないで一緒にやろうさ。モラグ、ネビル教えてあげて欲しいさ」

「いいよ、こっちだ」

「まずはボールに触ってみようか?」

 テイラー=ウィダーシンに手ほどきしていたモラグとネビルにロバースを渡す。ミムはメリンダ=ボビンからの質問に丁寧に答えていた。

「ベーカー=ロバース、クローディアに興味があるンだ……」

 珍しくルーナは警戒の視線でロバースを見ていた。彼の素性はリサとパドマにしか教えていないが、聡い彼女はお見通しなのかもしれない。その2人は宿題が終わらない為に部屋で闘っている。

 時間が経つにつれ、ハンナとジャック、デレクがこそこそと忍び足で現れた。

「あらま、意外と少な……ねえ、クローディア。質問があるんだけど」

「バスケ部以外の質問はお断りさ。あいつは気にする事ないさ。壁の絵だと思えばいいさ」

「随分と迫力のある絵だな、おい」

「壁の花にしても刺々しいですしね」

 3人はドラコを一瞥し、皆に挨拶する。

「ハンナ、デレク、ジャック。来るのが遅かったさ、アメフト部に乗り換えたと思ったさ」

 寂しげな視線で3人を見ると、視線を逸らされた。

「……見学には行ってました。バスケ部の勧誘活動もして来たんです」

「……タッチダウンがカッコ良かったわ」

「……バスケが性に合っていると思って帰って来たんだよ」

 正直に答えるデレクに倣い、ハンナとジャックも棒読みで話す。

「ありがとう、来てくれて嬉しいさ」

 その場のノリでクローディアも棒読みで返した。

 

 終了時間になり、部は解散する。

「今日は初日ですもの、焦る事はありません。部活動以外でもバスケについて色々と質問したい方は『マグル学』の教室を訪ねるか、クローディアへ」

 バーベッジの挨拶を終え、見学者は帰って行く。クローディアは残って後片付けだ。

 教室を施錠して振り返れば、ハーマイオニー、マンディ、ルーナ、ジニーが待つ。彼女達以外にも待つ者はいた。廊下の曲がり角付近から、ドラコがこちらを盗み見ている。しかし、クローディアと視線が合えば、曲がり角の向こうへ消えた。

「何……あれ?」

「あ、あそこまで来ると……スネイプ先生にお話ししたほうがよさそうですね……」

 クローディアは勿論、バーベッジもドラコの様子に正直、引く。

「少なくとも、恋する男子じゃないね……」

 マンディの呟きに全員同意し、クローディアは絶えない気苦労を感じて溜息を吐く。

(……ノットがいればマルフォイの立場とか聞けたかもしれないさ……)

 一番、状況を理解しているスネイプから聞ければ手っ取り早いがそれは無理だ。

 夕食を目当てにお広間へ行けば、ブレーズが女子生徒と歩いているのを発見する。『薬草学』と『闇の魔術への防衛術』で一緒のスリザリン生には悪いが、僅かな情報を求めて彼に声をかけた。

「ザビニ、少し良いさ?」

「うん? なんだ、クロックフォードか……。用があるなら手短にな」

 ブレーズの連れが不愉快そうに眉を寄せたが、彼は気にせず尊大な態度で返す。ハーマイオニー達は出来るだけ愛想良く敵意がない事を示した。

 若干、張り詰めた空気が漂うがクローディアは無視した。

「マルフォイがバスケ部に来たんだけどさ、あんたが勧めたさ?」

「……ドラコがそっちに? ……いや、勧めてない。仮に勧めても行かないだろう。ドラコだぞ?」

 確かに自分のやりたくない事はしない。それがドラコだ。なれば、自分の意思に違いない。やはりベーカーと同じ、クローディアを監視する任が濃厚だ。

「マルフォイはクィディッチもあるだろうにどういう心境だろうさ?」

「いいや、ドラコは選手じゃない。シーカーは5年生のエドマンド=ハーパーだ。正直、ドラコはずっとおかしい。キャプテンの話も蹴ったらしい……代わりにキャプテンになったウルクハートが言ってたぜ」

「それ以上、話すの?」

 黙り込んでいたブレーズの連れは批難の声を上げる。

「ミリー、妬くなよ。これぐらいの情報を与えても、スリザリンの優位は揺るがないぜ」

「そうだけど……貴方は女に甘いから」

 頭一つ分背の高い彼女は文字通りクローディアを見下す。

「心配しなくても、ザビニを取ったりしないさ。ミリー?」

「気安くその名で呼ばないで頂戴。いつものようにブルストロードでいいわ」

 ブルストロード。

 同じ学年のスリザリン生にいるブルストロードと言えば、1人しかいない。

「ミリセント=ブルストロード!? この美人が!?」

 クローディアの記憶にある休暇前のミリセントは横に巨体で背もほとんど変わらなかった。それが全体的に細く、左右の均衡が取れた顔つきになっていた。

「貴女に美人なんて言われるとゾッとしないわね」

 冷徹に吐き捨てミリセントはブレーズを引きずりながら、寮席へと行ってしまった。

「4人とも知っていたさ? ブルストロードが……変身を……」

「先生の点呼を聞いてないのかしら」

「クローディアったら、マルフォイばっかり気にしているものね」

 驚愕のあまりクローディアは震える。ハーマイオニーはマンディと顔を合わせ、やれやれと肩を竦めた。

「ジニーも美人だよ。レイブンクローでも男子がデートに誘いたいって言っているもン」

「あら、私の前にいる美人に目もくれないなんて、見る目がないわね」

 学年の違うルーナとジニーはお互いに褒め合う。勿論、心からの気持ちで、嘘はない。

「私の友人は美人ばっかりさ」

 浮かんだ言葉で締め、5人は夕食の為に大広間へ入った。

 カボチャジュースの味が五臓六腑に染み渡り、今日の疲れが癒されていく。

「浮いた話と言えば、ハリーはどうしているの? やっぱり、お相手は貴女?」

 マンディの何気ない質問に、クローディアの口から危うくカボチャジュースが噴射されかける。口に含んだ分を一気に飲み干したので、喉が痛い。

「……遠距離ではありますが、ジョージと交際しております」

「それって、結婚を前提にって事?  卒業したら、あの店で働くの? ご家族とは挨拶した?」

 爛々と目を輝かせ、マンディは次々と質問してくる。彼女にはクローディアの男女関係で気に病ませたこともある。隠し立てするような仲でもないし、素直に答えても問題ない。

「結婚までは考えてないさ、私は癒者を目指しているから店では働かないさ。……私の家族には会わせた事はあるし、ウィーズリーさんとは何度も家に招かれているさ」

 但し、交際について一切話していない。よくよく考えれば、コンラッドとトトにジョージをきちんと紹介していない事実に気づく。父はともかく、ロジャーとのお出かけにも口を挟む祖父に知られれば一悶着起こりそうだ。

「……どうやら、結婚への道のりは遠そうね。いろいろと……」

 青ざめたクローディアの様子に気づき、マンディは労わりの視線をくれた。

 結婚はさておき、ジョージの件はコンラッドとトトだけにでも正直に話しておくべきだ。表向きはモリー宛に手紙を書き、ロンのピッグウィジョンを借りて飛ばした。

 

 何故だか、翌日には返事が来てしまう。非常に濃い筆圧で『ホグズミード村』での外出にて、ジョージも含めて話し合いたいという旨が記されていた。

 試練を感じつつも、クローディアはフリットウィックを必死に説得して学期最初の外出日を聞き出す。再びピッグウィジョンを借り、ジョージへと手紙を出した。

 こちらは1週間かかって返事が来る。必ず『ホグズミード村』に来るという確約付きだ。多忙なジョージに遠出を強いてしまい、胸が痛んだ。

 

 その日を待つ間、のんびり過ごす……などいう暇はない。

 勉学やドラコだけでなく、部活も忙しくなる。他の勧誘活動も落ち着き、シェーマスやディーンも戻ってきた。

 10月に入る頃には、部長をクローディアに据え、ハンナ、マンディ、ルーナ、ジャック、コーマック、シェーマス、ディーン、モラグ、デレク、デニス、ナイジェルが固定部員となる。クレメンス、ミム、ジニーの3人は駆け持ち部員だが、部活動の時間は欠かさず顔を出してくれる。ハーマイオニー、パドマはプレイへの参加はせず、いつも記録係を引き受けてくれるので部員として確保した。

 扱いに困るのは、やはりドラコだ。部室に入っては来ず、廊下から様子を窺う姿が何人にも目撃された。彼のせいで逃した部員候補も多い。ついにバーベッジはスネイプに抗議し、見学という形で彼も部室に居座るようになってしまった。

 ドラコに比べれば、ベーカーに害はない。

 

 ――はずだった。

 パドマの招待で監督生のバスルームを堪能し、消灯時間ギリギリになったが寮へ帰って来れた。

「あの、少しよろしいですか?」

 誰もいないと思いきや、男子寮の扉からベーカーがこちらの様子を窺う。それだけでも不気味だが、彼が手にしている羊皮紙が気になる。

「その紙に何が書いてあるさ?」

 周囲を見渡し、他にパドマとリサしかいないと確認してからベーカーは答えた。

「僕が作った貴女の行動表です。1週間の時間割から、平日の1日、休日の過ごし方まで書いてます」

 淡々と言ってのけるベーカーにクローディア達は背筋が凍る。

「なるべく、規則正しい生活を送ってください。部活は仕方ないとしても、気づけばグリフィンドール寮へ行ったり、今日みたいに皆さんだけで何処へ……あ、返して……」

 行動表をベーカーの目の前で魔法を用いて取り上げ、燃やした。杖なしの無言呪文による魔法、力の差を見せつけられ、いつも無表情の彼も顔色を変えていた。

「……報せたいなら、報せろ。但し、こちらも然るべきところに出るぞ」

 下級生の持ち物を灰にしたクローディアも問題だが、新入生といえど何の権利があって他人の行動表を作成するのかと問われれば、ベーカーも立場が悪くなる。

「監督生の私がクローディアを許すわ」

 恨みがましく見つめるベーカーをパドマの胸の【監督生】バッチが黙らせた。

 

 スラグホーンの晩餐会は教授が巨体の猫背なので、コーマックなどから『スラグ・ナメクジ・クラブ』と揶揄されている。この集まりにクローディアとロンも声がかかった。

 2回目となる晩餐会にロンは意気揚々と参加する。ハリーはクィディッチを言い訳に逃げた。

 スラグホーンから顔が確実に見えるように円卓の席が用意され、コーマック、ロン、クローディア、ハーマイオニー、ジニー、ブレーズ、新入生の双子ヘスティア、フローラのカロー姉妹。

「(前回と面子が違うわ。メリンダは来ていないし、あの2人は今回が初めてね。確かカロー兄弟の親戚はず……『死喰い人』の関係者を呼ぶなんて珍しい)」

 ジニーの小声による解説に双子を見やる。つい先日、『死喰い人』のカロー兄妹と死闘を繰り広げたが、親戚にしては似ていない。控え目で麗しい少女達だ。

「ヘスティアとフローラは実に優秀でのう、わしの見通しに間違いがなければ学年1位はこの2人が競うじゃろう」

 愛おしい子を見る目つきから、双子はジニー同様に実力を気に入られたようだ。本人の持つ才能は家柄とは無関係のようだ。こういった点が人望に繋がるのだろう。

 何故か、見習いたくない。

「(ネビルとマーカスも来てないさ)」

「(呼ばれてないんだよ)」

 ハーマイオニーに耳打ちしたが、耳敏く聞き取ったコーマックに返された。

 興味本位で参加したクローディアの感想は、正直つまらなかった。

 お気に入りの教え子が如何なる役職に就き、またスラグホーンを恩師としてどれだけ尊敬されているのか語り、招待した生徒へ話題の提供を求める。

「ロンのお父様であるアーサー=ウィーズリー氏は『偽の防衛呪文ならびに保護器具の発見ならびに没収局』の局長です」

「ああ、ジニーから聞いたとも。兄弟がアンブリッジの秘書官に就いているとか……、可哀想に……。じゃが、今話題の『W・W・W』を経営しているそうだね。生徒の間でも人気が高い、品を見せて貰ったが質も良かった。流石はジニーのご兄弟じゃな」

 ハーマイオニーがロンの話をしても全部、ジニーに持って行ってしまう。その度にコーマックやブレーズにせせら笑われ、ロンは目に見えて不機嫌になっていく。

(……『W・W・W』の商品って持ち込み禁止だったような気がするさ……)

 余計な追及はせぬが賢明だ。

 結局、クローディアは一度も話題を振られなかった。公にできぬ事情がある身故、不都合はない。しかし、ハーマイオニーを誘うダシにされたのは気分が悪い。

 様々な感情を抱え、晩餐会は終わった。

「次は来ないぞ、絶対にだ!」

 寮への帰り道でロンは切実に叫んだ。

 

 心配せずとも、それ以降クローディアとロンはスラグホーンに呼ばれない。2人を言い訳にハーマイオニーも強く断りを入れたので、誘われなくなった。

「ホグズミード行きの日程、決まったな。クローディア、俺と行こうぜ」

「お断りさ」

 その代わり、クローディアを絶対にデートへ誘わんとばかりにコーマックから追われる日々が続く。

 もはや、逃げ場は『必要の部屋』だけだ。談話室のように暖炉と絨毯、革製のソファーはクローディアにとっても憩いの場だ。

「聞いてよ、クローディア! ハリーったら、魔法省が許可していない魔法を使っているの!」

 かと思いきや、今度はハーマイオニーからのハリーへの不満だ。

 折角、『2人だけで過ごせる部屋』を必要としたのに気分も落ち込む。

 『半純血のプリンス』の【上級魔法薬】には走り書きされた呪文があり、ハリーは危険も考えずに試して遊んでいるという。ハーマイオニーは呪文に気づけば無言の抗議を行うも効果はなしだ。

「他の人には雑音を聞かせて、自分達の会話を盗み聞きされないようにしているの。……多分、これね」

 クローディアが書き写した走り書きを見ながら、ハーマイオニーはハリーの呪文を調べるのが日課になりつつあった。

「……マフリアート(耳塞ぎ)?」

 覚えのある魔法にクローディアは、コンラッドの顔が浮かぶ。

「この魔法、休暇中にお父さんから教わったさ。あまり、人に知られていない魔法だって言ってたさ」

「……貴女のお父様なら、知ってて当然かもね」

 別の羊皮紙に呪文を書き込んでいたハーマイオニーは途端に表情を綻ばせる。今まで怒り狂っていた彼女の変化にクローディアは閃いた。

「もしかして、『半純血のプリンス』が誰なのか見当がついたさ?」

 コンラッドではない。これは確実だ。彼なら本を送った時に自分から正体を明かす。ハーマイオニーも勿体ぶった言い方はしないだろう。

「……そうね、卒業したら教えてあげる。そのほうがきっとおもしろいもの」

 正体を知った時、皆の反応を期待してハーマイオニーは控え目だが、鈴が鳴くような可憐な笑い声を出していた。

「それでも、この本に書いている魔法が危険さ? お父さんが知ってて当然なのにさ?」

「誰が考えていようが、非公式の呪文を使うのは別の話! クローディアも必要な時しか使っちゃだめよ。ハリーは危機感がないから本当に心配だわ」

 危険だ、非公式といいながらもハーマイオニーは『決して使うな』とは言わない。ハリーは言うだけ無駄かもしれないが、クローディアには信頼の意味も含まれている。

 嬉しさでクローディアはハーマイオニーに寄り添うが、視界の隅に見慣れた『屋敷妖精』がいた。妖精故に全く気配なく佇む姿に、一瞬、驚く。

「……ドビーさ?」

「はい、ドビーでございます。お嬢様。ハリー=ポッターがお部屋の前でお待ちなのです。お嬢様にご連絡しておりますが、お気づきにならないのです。そこでハリー=ポッターはドビーめにご命じ下さいました。お嬢様にお知らせするように!」

 至高の喜びと言わんばかりにドビーは飛び上がる。『ポケベル』を見れば、確かに『部屋から出てきて』の文字が浮かんでいる。部屋の前にハリーがロンといるのだろう。『必要の部屋』は中で誰かが使用していれば、入れない。どんな用途で使用しているか知っていれば、一緒に入れる。

「……ドビーはどうしてこの部屋に入れたさ?」

「ドビーはハリー=ポッターに命じられました! 『屋敷しもべ妖精』は命令を果たすのです! ハリー=ポッターたっての命令なら、尚更、命令を果たすのが『屋敷しもべ妖精』でございます」

 大きな瞳を爛乱と輝かせるドビーは主人の名に絶対の『屋敷妖精』。その無垢な心にクローディアとハーマイオニーはクリーチャーを思い出し、目に涙を浮かべてしまった。

 

 

 明日は『ホグズミード村』への外出、生徒も浮足立ち、コーマックの誘いも強引になる。スラグホーンもハリーを『スラグ・クラブ』への執拗に誘うが、決して行かない。授業以外で鉢合わないように『忍びの地図』まで出して教授から逃げた。

「もう3回も逃したってしつこくて……、スラグホーン先生じゃなく、……ダンブルドアに呼ばれたい……」

 げんなりしたハリーは【上級魔法薬】を抱きしめる。食事時にまで本を離さない姿は一種の病気である。

「催促しなよ。そりゃあ校長も忙しいだろうけど、遠慮してたら何も教えて貰えないぞ?」

「してるよ。大広間で目があった時とか、廊下ですれ違う時とか、職員室で会えた時とか、校長先生に僕なりに熱烈な視線を送って……」

 ロンに促されたハリーは教職員席を見やる。校長席に座るダンブルドアはマクゴナガルと話しているが視線を感じたらしく、身震いして身体を擦っていた。

「流行ってんのか、それさ! 口で催促しろ! それに四六時中、本を持ち歩かないで欲しいさ。言いたくないけど、誰かさんの日記を彷彿とさせるさ!」

 この瞬間も2人分の視線を受けたクローディアがここぞとばかりにハリーへ抗議する。昨晩も【上級魔法薬】に書き込まれた呪文で眠っていたロンを逆さまの宙吊りにした。被害に遭った張本人が笑い話にし、教えなければ知れなかった。

 ベッロも本を銜える為に大きく口を開く。

「……なんだい、ベッロまで……トトさんが問題なしって言ってくれたんだ。危険なんてないってば」

「都合の良い時だけ、トトさんの名前を出したりして……そうだわ、ロン。お喋りばっかりしているけど、明日の話をハリーにしてくれたのかしら?」

 呑気にビーフステーキへと齧りついたロンは気づいて、離す。

「……まだ……えーと、ハリー? 明日のホグズミードなんだけど……僕……ハーマイオニーと2人で行きたいんだ……その村まで……向こうで会うのはいいんだけど……」

 遠回しな言い方にハリーは少々、不機嫌に眼鏡の真ん中を押し直す。

「デートしたいから、僕に遠慮して欲しいんだね。いいよ、僕はクローディアやベッロと行くからさ。いいよね? 村ではジョージが待っているだろうけど、一緒に行くぐらいは許してよ」

「……はい、ご一緒します」

 茶化したりせず、今のハリーにはそれが適切な対応だ。

 

 

 雪の降り積もった外は寒く、防寒具で身体を覆っても僅かに晒した肌への冷たさは容赦ない。それでも生徒は許可証を手に、フィルチの『詮索センサー』による検問を待つ。彼だけでなく、マクゴナガルも一緒だ。

「道中と村には『闇払い』の方々が貴方達を見守っています。決して姿を消してはなりません。探す手間をかけさせないように」

 鋭い視線はハリーに釘付けだ。確かに鞄にはもしもの為の『透明マント』がある。見透かされた気分で彼は胸中で溜息をつく。

「(……影って姿を消した事になるのかな……)」

「(何を今更……なるに決まっているさ)」

 背後からドラコの強い視線を感じ、クローディアは今すぐにでも影に変身したくても我慢している。折角、リサとパドマに気合いを入れてお洒落して貰ったのに外套で覆い隠された。

 無事に検問を終えたクローディアとハリーは急ぎたいが、向かい風による自然の妨害で縮こまりながら進む。

「……『闇払い』なら暖かくなる魔法を使って欲しいさ。……お気に入りのプリンスさんにもそんな魔法はないさ?」

「君のホッカイロが一番の魔法だよ……」

 マフラーで唇を動かし、必死に声を出す。突風の音が激しく、お互いの声を聞くだけで精一杯だ。

「ところで……後ろのアレ、どうする?」

 検問を終えたドラコも身を屈め、寒さに耐えながら歩く。帽子とマフラーの隙間から見える充血した彼の目が寝不足を訴えていた。

「……今日が楽しみで眠れなかったんじゃないさ? そんなに眠いなら、村へ着いたら『三本箒』に直行さ。……多分」

「……そういう問題じゃない……今日もクラッブ、ゴイルはいないし……、あいつ本当に何を考えているんだろう……。君に用があるのは間違いないけど……簡単に口を割るようなら苦労はない……」

 肝心な情報は寮仲間にも明かさない。それだけ口を閉ざすドラコには、『開心術』でも使わなければならないだろう。

「そういえば、ハリーは前にベッロへ『開心術』を使ったって……言ってなかったさ? スネイプ先生に怒られてたような……マルフォイに」

「僕に使えたとしても、あいつの心を開かせるなんて嫌だ」

 ドラコの情報を知りたいなら、手段を選んでいる場合ではない時にハリーは断固として拒否した。

 生徒が無意識に一列となって『ホグズミード村』へ着く。ハグリッドを中心に人だかりが集まる。彼目当てではなく、巨体に守られているダンブルドアだ。

「校長先生、一緒に回りましょう」

「先生のお話が聞きたいです」

 サリーやセシルが必死にダンブルドアの手を取ろうとするが、ハグリッドにより優しく払われる。

「ほれ、散った散った。先生様は皆が遊んでいるところをご覧になりたいんだあ。一緒にいたら身動き取れんだろう」

「ハグリッド、構わんとも。ここは寒い、『三本箒』へ行こうかのお。ホラスもいるはずじゃ、わしがまだ『変身術』の教授じゃった頃の出来事でも……」

 ダンブルドアの昔話を聞ける。周囲の生徒は歓声が沸き、ぞろぞろと『三本箒』へと向かって行った。

「……僕は後回しか……」

 僻む口調で呟くハリーにクローディアは苦笑する。風に雑じって犬の吠える声が聞こえてきた。

「なんか、ファングが鳴いてないさ?」

「寒がりのファングはこんな寒い日に外に出ない……つまり?」

 ハリーの推測を聞きながら、声に振り返る。見慣れた黒犬がいた。

「僕、ベッロと一緒にこの犬をハニーデュークスに連れて行ってくる!」

 マフラーを外して口元を晒したハリーは、ここ数日で最高の笑みを見せる。彼の上着に潜っていたベッロは何事かと顔を出し、黒犬へ威嚇した。

 ベッロに構わず、ハリーは黒犬と競争するように駆け足で去って行った。

「……あいつが来るなんて聞いてないさ」

「そりゃあ、言ってないもんな」

 クローディアの顔を覗き込んできたジョージは防寒具で目元しか見えないが、声だけで彼とすぐにわかる。耳にするだけで胸の内が暖かくなる声を間違えようがない。

「……久しぶり、今日は時間をくれてありがとうさ」

「俺としても、きちんとクローディアの家族に挨拶したい……。トトから逃げんなって手紙もきた……おっかねえ……」

 一度、遠い目をしたジョージはおおげさに震える。彼に宛てられた手紙の内容を想像し、クローディアも悪寒が走った。

「……ここでマゴマゴしていても進まない。行こうか」

 差し出されたジョージの手を握りながら、クローディアは周囲の様子を窺う。ドラコの姿はなく、他の生徒も営業中の店を探して突き進む。表面上は誰も彼女達に目を向けない。

「私、待ち合わせの店を知らないけど、ジョージは聞いているさ?」

 言葉にせず、ジョージは腕を引いて案内した。

 

 来た覚えのある道順、4年生の折にシリウスが借りた民家に辿り着く。案内されたからではなく、この一軒だけが放つ雰囲気で理解した。

(そういえば、恋愛沙汰で家族と話した事ないさ……お父さんはともかく、お祖父ちゃんがキレそうさ)

 緊張で心拍数が上がり、中へ入るのを躊躇う。それはジョージも同じだが、彼は覚悟を決めて深呼吸してノックした。

 返事もなく、扉が勢いよく開かれたかと思えばクローディアとジョージは見えない力に吸い込まれる。2人が入った瞬間、扉は音もなく閉じた。

 絨毯へ転がり、暖炉の前まで引き摺られ、何故か正座を強要された。

 以前と違って家具はなく、シャンデリアで明るさは十分、暖炉の炎で居間は暖かい。しかし、悪寒が益々強くなる。何故だが、『叫びの屋敷』より恐怖を感じた。

 2人が声を出すまでに厨房への戸が静かに開き、そこには甲冑に身を包んだ鎧武者が大太刀を手に現れる。刃渡りだけで3メートルを超え、達人でも抜くのは難しいだろうとクローディアは頭の隅で冷静に考えるが、心臓は騒がしくて声も出せない。物々しい気配に合わせ、何処からか太鼓の音が聞こえてきた。

「待っておったぞ、ジョージ=ウィーズリー!! 孫と添い遂げたくば、ワシから一本取って見せよ!!」

 面で顔は見えなくても、トトだ。

 心臓にも響く声量は異様に若いのに、硬直して動けない。2人の反応を余所にトトは大太刀の鞘に手をかけながら、続けた。

「コンラッドは娘を手に入れんが為に、ワシと三日三晩戦い、その果てに一本取り上げた! お主も同じだけの気概を見せい!! いざ尋常に!! アイタ!!」

 口上は後ろからひょっこり現れたコンラッドのチョップで切られた。

「今どき、結婚の許可を決闘で求めるなんて時代錯誤も甚だしいですよ。大体、私の時とは事情も状況も違うでしょうに」

 機械的な笑みに呆れを含ませ、コンラッドは杖を振り、ソファーを呼びよせてクローディアとジョージを座らせた。

「喧しい!! 今日に備えてワシの人脈を全て使って日本より持ち出した『破邪の御太刀』の試し切りをしてくれるわあ!!」

 『破邪の御太刀(はじゃのおんたち)』。

 幕末の時代に打たれた日本の歴史上、最長の刀剣。その長さに見合う重量を誇り、柄を握っては誰も持ち上げられない事でも有名だ。実戦ではなく祈願の為に打たれ、開運厄除のご利益があるとされる。現在も花岡八幡宮に奉納されているはずが何故、ここにある。

「お祖父ちゃん、馬鹿なのさ?」

 現実感のないまま意見を述べ、トトは急に羞恥心が湧いたらしく無言で大太刀を鎧の中へと仕舞い込む。魔法により収納可能と知っていても、大太刀が小柄な鎧武者に突っ込まれる光景は異様だ。

「確かに刀についてはワシが大人げなかったのう……。じゃがな、ジョージ=ウィーズリー! それとこれとは話……ぐえ!!」

 鎧の胸元を真正面から掌底打ちを食らわし、その衝撃でトトは鎧ごと厨房へ放り込まれる。無理やり戸を閉めた瞬間、戸の向こうから派手な音がした。

「話が進まないから、お義父さんは放っておこう。外は寒かっただろう、お茶でも飲んで暖まりなさい」

 ソファーの前に卓が現れ、紅茶とクッキーまで用意された。

 ようやく真っ当なもてなしを受け、クローディアとジョージは外套やマフラーを脱ぐ。彼女の片耳に光るイヤリングをコンラッドは目敏く見つけた。

「そのイヤリングどうしたんだい?」

「……誕生日プレゼントだって、ジョージに貰ったさ」

 ジョージを一瞥してから、コンラッドはもう一度、イヤリングに目をやる。

「この石は何処で手に入れたんだい? ジョージ」

「僭越ながら、商売道具を作っている最中に偶然作らせて頂きました」

 普段のジョージから想像も出来ないほど、緊張して固い態度は笑いを誘う。しかし、コンラッドは別の意味で笑っていた。

「成程……、流石はあの馬鹿犬……失礼、シリウス=ブラックどもの再来だな。奴らよりもずっと良い……」

 ソファーの脇にもうひとつ椅子を用意し、コンラッドは足を組ませて座る。

「さてジョージ、君はこの子について何を知っているかな?」

「……ホムンクルスの話なら、クローディアから直接聞いています。ボニフェース=アロンダイトとヴォ……ルデモートのしがらみも」

 緊張が消えたジョージは真摯な態度で自分の知っている事を話す。彼にはクローディアの事情を包み隠さず、話している。

「随分と色々知っているね。……称賛すべきか呆れるべきか、私としては悩みどころだ」

 目だけ動かし、クローディアを見つめる視線にはお喋りを咎める意味も含まれていた。

「話してくれて良かったと思っています。何も知らず、クローディアを愛していると言っても、お父さんは納得しないでしょう」

 ジョージに図星を突かれたらしく、コンラッドは目尻を人差し指で叩きながら、考え込む仕草をする。目だけは2人を交互に見つめ、長考の果てに指を膝に置いた。

「……ならば、ジョージ。この先、クローディアの身にどんな出来事があろうと決して変わらぬ愛を貫き通すと誓えるか?」

 確認ではなく、宣誓を求めていた。

 今まで見た中で最も父親の顔をしたコンラッドは、初対面のように感じる。

「誓います」

 低い声は威嚇ではなく、言葉に重みを乗せる為だ。

 コンラッドを通した愛の誓いに、クローディアの心臓が優しく脈打った。

「……ただねえ、クローディアはおまえ癒者を目指すんだろう? そうなると卒業から最低でも10年はジョージを待たせるけど、その辺の話し合いは済ませているのかい?」

 唐突に身近な現実を話され、クローディアは気づかれた。

「……してないです」

 考えてみれば、クローディアが癒者を目指す話をジョージにしていない。肝心な話もせず、この場を設けてしまった。

 焦燥感が募り、全身の毛穴から嫌な汗が流れる。

「待ちます。待っている間もクローディアが好きな仕事に打ち込めるように準備します」

 コンラッドだけを見つめたジョージの宣言に、クローディアから嫌な汗が引く。彼にばかり言わせてはいけない。

「……私も……待って貰った分、ジョージと……幸せに……なります」

 必死に言葉を浮かべ、顔を真っ赤にしながら声を出す。

 滑稽なモノを見る目で口元を歪ませ、コンラッドは紅茶を啜る。緊張して何も口にしていないと気づき、クローディアとジョージもクッキーを齧って紅茶を飲み干した。

「そういえば、お祖母ちゃんも癒者だったけどさ。お祖父ちゃんとの結婚はいつ頃さ」

 ふとした疑問に紅茶を離したコンラッドは、視線を上にして思い返す。

「……籍そのものドリスが成人した時だ。4つ上だったボニフェースは『日刊予言者新聞』社で働いていた。私が生まれたのはボニフェースが34歳の時だ。その翌年、彼は……言わずともわかるだろう」

 ボニフェースがまさかの新聞社勤め、驚いたが浮かんだ質問を消化したくて続けた。

「……それだけ間が空いたのはなんでさ?」

「……『銀の矢64』のせいだよ」

 意外な原因に思わず、変な声が出る。

「ドリスの父親……つまり、おまえの曽祖父がその箒を転売目的で10本も購入したが、……『ファイアボルト』並みに高いくせに乗り手を選ぶ箒なんて売れるはずもなかった。……多額の借金だけが残ってね。その借金を返す為にありえない旨い話に飛びついては借金を増やした。ボニフェースの給料も返済に充てなければならなかった。子供を持つ余裕なんて更々なくてね。完済したから、私を産めたんだよ」

 生々しく重い話をされ、クローディアとジョージはそれまでと違う緊張に包まれた。

「マンダンガスが投資話を持ち込んで破産させたって言ってなかったさ?」

「よく覚えていたね。借金返済に駆けずり回っていたら乗せられたらしい。……ジョージはよくダングと取引しているが、深入りは勧めないよ」

「引き際は弁えていますが……もう少し気を付けます」

 裏社会に顔が利き、ダンブルドアもそれなりに信頼しているマンダンガスへの警戒が増した。

「そろそろ、お義父さんが目を覚ますだろう。面倒になる前に帰りなさい」

 厨房の戸を見つめ、コンラッドは杖を振るう。脱いだ外套やマフラーがクローディアとジョージを包む。

「最後にひとつ! お父さん」

 ジョージは必死に手を上げ、質問を主張する。

「君にお父さんと呼ばれる原因はわかったけど、……気が早いね。なんだい?」

「トトと三日三晩、戦ったのですか?」

 真剣な表情で問いかけるジョージに、コンラッドは機械的ではなく暖かな感情を込めた笑みを浮かべた。

「戦ったよ。飲まず食わずで四日目の朝、お義父さんから刀を奪って一太刀入れたんだ」

 言葉通りの真剣勝負をコンラッドは乗り越えた。

 感嘆の息を吐いたジョージを連れ、クローディアはコンラッドと別れの挨拶を交わす。2人が外に出て玄関口を閉めようとした瞬間、トトが厨房から出てきた。

「コンラッド! ワシに鎧通しをかけるとは良い度胸じゃ!!」

 どうやら、コンラッドが仕掛けたのは掌底打ちではなく、鎧通しだそうだ。何故に魔法使いたる彼にそれだけの達人技が出来るのか、別の機会にでも聞いてみたい。

 この場は逃げる為に扉は閉めた。

「マダム・パディフットの喫茶店に行くさ?」

 もう少し一緒にいたい意味を込めて誘う。

「ああ、その『三本箒』じゃダメかな? ……実はそこでマンダンガスと待ち合わせしてて……。ほら、ゾンコの店も閉まっていたし、商品売るには良い機会……」

「あいつとは縁を切れ! 無理なら商品を預けるな!!」

 目を泳がせるジョージの胸倉を掴み、クローディアは引き攣った笑顔で怒鳴った。

 

 『三本箒』に着いた途端、リサが血相を変えてクローディアへ迫ってきた。

「……ケイティ=ベルが……」

 ただ事ではない雰囲気にクローディアはジョージと目配せし、リサを店から連れ出す。彼は周囲に普段の態度でカウンターにいたマンダンガスへ話しかけに行った。

 雪に足を取られつつも、早足で駆け抜ける。途中でトンクスが姿を見せ、歩幅を合わせて着いてくる。

「ニン……トンクス、何があったさ?」

「私の口からは言えない。けど、貴女達は私が城まで護衛する」

 『闇払い』としての態度だが、騎士団員として接しているとすぐにわかった。

「リサ、ケイティがどうしたさ?」

「校長先生が昔話をして下さった後、すぐにお帰りになられました。私達もお供させて頂いたんです。そしたら、……ケイティが空を飛んだんです。あれは彼女の意思ではありません。…………皆さん、城へ帰られましたが私は貴女に知らせようと『三本箒』に戻ったんです……」

 『闇払い』や『不死鳥の騎士団』、そして何よりダンブルドアのいる村で顔見知りが襲われた。この事態にクローディアはゾッとした。

「現場を見ていたのは誰さ?」

「校長先生とハグリッド、セシルとサリー、ハリー……それにケイティのお友達のリーアンです」

 『死喰い人』と戦った実績のあるリサでさえ遊んでいる最中に出くわした為、恐怖し怯えている。ケイティも『DA』で一緒に防衛術を学んだにも関わらず、被害に遭った。

 ハリーがドラコの所業だと騒ぐ姿が目に浮かんだ。

 

 城門でフィルチの検査を受け、トンクスに見送られた。

 職員室か校長室へ向かおうとした時、『首なしニック』が漂いながらクローディアへ声をかけてきた。

「ミス・クロックフォード。マクゴナガル先生がお待ちです。すぐに『変身術』の事務所へ行ってください」

 リサと行こうとしたが、引き留められた。

「行くのはミス・クロックフォードだけです。他の方は医務室にいます。顔を見せてあげて下さい」

 『首なしニック』の優しい眼差しに気遣いが見られ、2人は大人しく従った。

 『変身術』の事務所には、何故かスネイプまでいる。険しい表情をした教授2人に出迎えられ、それだけの異常事態を察した。

「ミス・クロックフォード。こちらへお掛けなさい」

 マクゴナガルへ勧められ、クローディアは正面の椅子に腰かける。机に置かれた真珠とオパールを組み合わせの首飾りがスネイプの杖により、宙へ浮く。

「このネックレスに見覚えは?」

「ありません」

 本当に見た事ないので、スネイプからの質問に素直に答えた。

「では、ケイティ=ベルとは普段からプレゼントのやり取りはしていますか?」

「いいえ、残念ですが今までプレゼント交換もした事ありません」

 突拍子もない質問だが、マクゴナガルは無意味な質問はしない。

 マクゴナガルとスネイプは視線を合わせ、頷き合うような仕草を見せる。

「このネックレスがケイティを呪ったのですか?」

「ミス・ベルのご友人のリーアン=ビーリーによれば、『三本箒』のトイレから戻ってきたら持っていたそうです。本人も誰に渡されたか覚えておらず……、ミス・ベルは誤ってネックレスに触れてしまったのです」

 そこで呪われたのは理解した。しかし、肝心の部分がわからない。否、頭の隅で察してはいるが、その答えは臓物を痙攣させる。

「……私とどんな関係がありますか?」

 覚悟をしていた質問を受け、マクゴナガルは一度、スネイプを一瞥してから答える。

「ミス・ベルは……届けるように頼まれたと頑なだったそうです。貴女に……届けなければならないと」

 視界が現実味をなくし、脳髄の奥が熱くなり、心臓の音が五月蠅くなる。

「……狙われたのは、私……」

「勿論、確定ではありません。しかし、万が一に備え、貴女は今後一切、外出禁止です」

 外出禁止など、どうという事はない。問題なのは犯人だ。

「……スネイプ先生、『開心術』でドラコ=マルフォイの考えを知れませんか?」

「……聞かなかった事しよう、ミス・クロックフォード。君もポッター同様、証拠もなく勝手な憶測を口にすべきではない」

 咎める口調に軽蔑はない。ただ、忠告しているだけだ。

 クローディアの身に何があろうと、スネイプは守ってくれる。だが、ドラコも彼が守るべき生徒なのだ。生徒同士による殺し合いが起こった時、彼は確実にどちらかを切り捨てなければならない。

 この瞬間になるまで、そんな残酷な現実に気づけなかった。

「……もう行って良いですか?」

「構いません。城の中でも決して独りで出歩かないように」

 マクゴナガルに釘を刺され、承知の意味で頭を下げた。

 廊下では激昂したハリーがベッロを抱えて待ち構えている。クローディアと視線を合わせ、歩きながら彼は頼んでもいないのに見てきた状況を話した。

「僕、シリウスとハニーデュークスにいたんだけど、他に開いている店を探そうとしたらケイティがリーアンと揉めてた。ベッロが吠えたと思ったら、ケイティが宙に浮かんだ! 無理やり空へ飛ばされた感じだった! 僕とリーアンで彼女を受け止めたけど、気を失ってて……ちょうど、ダンブルドアとハグリッドが来てくれたから、ケイティはハグリッドが連れて行った……。呪いの原因になったネックレスは校長が持って行ったよ。僕らも城へ帰ろうとしたけど、リサは君に知らせるから残った。シリウスは他に知らせに走ったよ、文字どおりね」

 マクゴナガルの前で説明を求められたリーアンは包み隠さず、経緯を語った。

 覚えのない品は危険であり、捨ててしまえと説得したが聞き入れてもらえない。口論の果てにやむを得ず、ネックレスの奪い合い、ケイティの指先に触れてしまった。

「あのネックレスは『ボージン・アンド・バークス』で売っていた呪いの品なんだ! 僕らがマルフォイを尾行した日にあの店で買われたに違いないんだ! あいつが君に纏わりついていたのだって、機会を狙っていたんだ。これで説明が付く! そうでなければ、虫も殺せないケイティにこんな恐ろしい事はできない!」

 興奮してきたハリーは拳を強く握り、歯を食いしばる。奥歯が擦れる音も聞こえた。

「……マルフォイには動機があるさ。でも、証拠はないさ。村に入ってからの彼の行動を私達は直接見ていないさ」

 冷静に話すクローディアとの温度差に気づかず、ハリーは益々言葉を荒くする。

「何もマルフォイ本人が事を犯さなくても、共犯者を使えばいい。あいつは『死喰い人』だ。それぐらい簡単に用意できる」

「ハリー、声を落として欲しいさ。誰かに聞かれるさ。マフリアート! (耳塞ぎ)」

 周囲を見渡し、ハリーは自身を宥める為に口を閉じた。

「本当にマルフォイが犯人で共犯がいるなら、今日という絶好の機会を絶対に失敗なんかさせないさ。殺すだけなら、ナイフで刺すなり何なり出来るさ。……あれは失敗を前提にしていたような……」

「何それ、もしかしてマルフォイを庇ってる? ルシウス=マルフォイがした事を忘れたの? あの親子はヴォルデモートの為ならなんだって出来るんだ!」

 失望した目でハリーはクローディアの肩を掴む。彼の姿がかつて彼女に縋ってきたドラコと重なった。

「……ドリスさんみたいに、君まで逝かないで……」

 切実な訴えはクローディアの心を苦しみで震わせる。彼女が離してはいけないのは、ハリーだ。しかし、ただ彼の考えに賛同すれば良いのではない。様々な観点から物事を見なければ、真実を逃してしまう。

 そのつもりだったが、ハリーにはドラコへの庇い立てに聞こえた。

「……言い方を変えるさ。奴が犯人ではない要素をひとつひとつ潰す、残るのは犯人である要素さ。こちらが騒いで隠蔽工作されたら、もっと厄介さ」

 ハリーから目を離さず、丁寧に説明してようやく納得して貰えた。

「……うん、そうだ。……泳がせるのもひとつの手段だ……。……その為に来て貰ったんだ」

 クローディアの肩に額を乗せ、ハリーは呟く。

「来て貰ったって、ブラック?」

「いいや、クリーチャーだ。君が帰ってくる前にマルフォイの監視を頼んだ。前から、シリウスにクリーチャーを説得して貰っていたんだ。屋敷を離れたがらなくて、苦労したって」

 顔を上げたハリーは困ったように笑う。

「成程、妖精なら学校にいても不審に思われないさ。ナイスアイディアさ」

 親指を立てて称賛するクローディアに今度は苦笑した。

「調子が良いなあ、クローディアは……」

 ハリーが言いかけた時、ハーマイオニーとロンの走ってくる姿が見えた。

「ケイティが襲われたってどういう事!」

「ここで話すと長いから場所を……」

「何言っているのか、わかんねえ。ハリー、また魔法を使ったろ」

 問い詰めるハーマイオニーに答えようとしたが、『耳塞ぎの呪文』の効果が働きハリーの言葉が正確に伝わらない。クローディアが杖で魔法を解き、廊下の向こうを指す。

「ごめん、ハリーから事情を聞いて欲しいさ。私はリサを迎えに医務室へ行くからさ」

 生贄にされたハリーは呆気に取られたが、ハーマイオニーとロンは構わず彼を引き摺っていく。ベッロを受け取ったクローディアは急いで向かった。

 医務室前にリサ、セシル、サリーがクローディアを待つ。3人とも、目に涙を浮かべても声を出さずに飛びついて来た。

「ケイティは貴女のせいじゃない。悪いのは呪おうとした犯人、責任を感じないで」

 耳元でセシルに囁かれ、クローディアの脳髄の奥から熱が消える。心の何処かでケイティに罪悪感を抱いていたようだ。

 3人と一匹の護衛に囲まれ、クローディアは寮に無理やり帰る羽目になった。

 

 翌日にケイティは『聖マンゴ病院』に移された。彼女の友人リーアンは事件によって精神的に参っていたが、マダム・ポンフリーと寮生の友人から励まされ、3日後には授業に戻った。

 

 




閲覧ありがとうございました。
ドラコは原作では城に居残り、映画では普通に外出しています。

●エドマンド=ハーパー
 6巻にて苗字のみ登場、同学年のジニ―曰く馬鹿。
●ヘスティア、フローラのカロー姉妹。
 映画版にて登場。美人の双子。
●リーアン=ビーリー
 6巻にて名前のみ登場、寮学年不明生徒。ケイティの友達。
●『破邪の御太刀』
 現存する日本最長の刀剣。モンハンに出てきそうなくらいデカイ。


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8.選手

閲覧ありがとうございます。
更新、遅くてすみません。

追記:17年4月27日、誤字報告により修正しました。


 ケイティ=ベル襲撃はホグワーツの生徒を無差別に狙った事件として学校に広がった。

 クローディアの身を案じた友人達の手腕により、真実は隠されている。しかし、彼女への護衛という監視が付き纏う結果になった。

 それこそ、四六時中だ。

 最初は断った。

 ベッロという使い魔もいるし、クローディアも身を守る術は心得ているつもりだ。

「何言ってんの。レイブンクローで一番、災難に遭っているのは誰? 1年生でハリーと『賢者の石』を守って『例のあの人』と戦い、2年生でバジリスクに石化され、4年生で『例のあの人』の復活に立ち会い、5年生ではついに『例のあの人』と対決! 学生らしく過ごせた3年生の時は平和だったわ。わかっている?」

 クローディアの額をパドマは人差し指で突きつけ、睨む。その眼光に対し、3年生では人狼化したリーマスに噛まれましたとは絶対言えない。

 

 だが、しかし――。

 

 せめてトイレの個室は遠慮して欲しい。目の前にいる『嘆きのマートル』を見ながら、こちらが嘆いた。

「何、あたしだってハリーの頼みじゃなきゃ引き受けないわよ」

 水にしたたる髪同様に濡れた眼鏡を押さえ、マートルは溜め息を吐く。ハリーにも考えはあるのだろうが、今回の人選ばかりは本当に失敗だ。

「嫌なら、断ればいいさ。私も相手が女子だろうと覗かれるのは勘弁さ」

「ふーんだ。嫌がるあんたを見るのも悪くないしね」

 あっかんべーと舌を出すマートルの憎たらしい事この上ない。陰湿な彼女のどの部分にボニフェースは惚れたのか、全く理解できない。しかも、自分に惚れていた彼の存在を知らなかったという。

 同じ学校でも未だ記憶に残らない生徒もいる為、そこを責める気はない。

 責めるべきは暇つぶしの如く、ハリーの頼みを聞き入れる部分だ。

「あんたってさ、他にやりたい事はないさ? この世に残ったあんたらは自分の生きた道を彷徨えるって聞いたさ。どうして学校に残ったさ?」

 クローディアの質問が意外だったらしく、マートルは目を丸くした。

「……本当はオリーブ=ホーンビーが死ぬまで憑き纏っていたかったんだけど、彼女が魔法省に訴えたせいでこの学校にいる羽目になったの。何処かに行けるなら、また彼女に憑いて行きたい」

 じとっとした湿っぽい眼差しから、目標や目的が感じられない。しかし、幽霊となっても魔法省の命令に従わなければならないとは驚きだ。

 てっきり、自縛霊だと思っていた。

「……そのオリーブって子がすごく好きだったとかさ?」

 皮肉を込めて問えば、マートルは小気味良い笑みを浮かべる。

「あたし、オリーブ=ホーンビーに眼鏡をからかわれて、トイレで泣いてた。死んだあたしを見つけたのも彼女よ。先生に言われたから探しに来たって恩着せがましくね。あたしをからかった事も忘れて放って置いたくせに! だから、一生忘れられないようにしてやろうって思った。今も……思ってる」

 糸のように目を細めたマートルを悪霊と呼ぶに相応しい。

「50年間も愚痴愚痴と嘆いて、真犯人がわかってもあの世へ逝かず、お友達への恨みだけ抱えて……、あんたみたいなのをなんて言うか知っているさ?」

 罵倒されると身構えたマートルの周囲に水が集まってくる。気にせず、クローディアは彼女から決して目を離さず嘲笑った。

「未練ったらしい」

 惨めそうに顔を顰めたまま、マートルの表情は固まる。水も凍ってはいないが固まった。

 魔法族は死後、あの世に逝くか、この世に残れる。その違いは未練のあるなしに関係してくる。そんな解釈もあるという。幽霊である彼らでさえ、全てを理解できていない曖昧な仕組み。

 投げかけた言葉は幽霊に対して当たり前、今更、驚く程ではないはずだ。しかし、マートルに何も言わず、彼女自身も未練があるなどと露にも思わなかったのかもしれない。

 一分程、睨むとはなしに見ていたがマートルは反応しない。

 故にクローディアは便座から立ち上がって個室を出る。洗面所で聞き耳を立てていた野次馬に混ざり、ハーマイオニーまで目を逸らす。

「スコージファイ(清めよ)」

 混雑した洗面所に気を遣い、クローディアは自分の手を清める。鏡越しにハーマイオニーへ手を振り、女子トイレを出た。

 廊下へ出れば、彷徨う幽霊はいくらでも目に付く。

「マートルが学校にいるのは、魔法省の命令らしいさ。友達に憑き纏っていたら、訴えられたとか……」

「自縛霊じゃなかったのね。……霊魂となっても魔法族の制約があるのかしら……、そっか……だから『神秘部』が……」

 ハーマイオニーの情報整理が始まり、クローディアは口を出さない。

(私が死んでも、きっと逝ってしまう……)

 幽霊とすれ違いながら、そんな確信を持った。

 

☈☈☈☈☈

 今夜の授業は、トム=リドルの住まう孤児院へダンブルドアが訪問した日の出来事。

 マグルである職員ミセス・コールは勘が鋭く、唐突に入学話を持ち込んだダンブルドアを警戒し、誘拐の類でないか確認していた。

 夏休暇以外、トムは寮で生活する。一時でも施設を去ってくれる事を露骨に喜ばないのは、ここより大勢の人々との暮らしに彼が堪え切れるかと無駄な心配をしていたのだろう。

 きっと、ミセス・コールは彼が学校生活から逃げ出し、施設に舞い戻っても追い出す人ではない。公平で少々貧乏くじを引きがちな印象を受けた。

 肝心のトムは11歳にして、既に邪悪な魔法使いとしての残酷さを持っていた。己は異常ではなく、魔法使いという事実を甘美に受け入れる姿もハリーはゾッとした。

 ダンブルドアが冷静に穏やかな微笑みで接しても、トムには敬う気持ちが欠片も見えない。

(注意すべきは戦利品を集める……)

 悪用した魔法の犠牲者から記念品として何かを奪い取る。

 ロケットを隠したと思われる洞窟に連れて行かれたエイミー=ベンソン、デニス=ビショップや兎を殺されたビリー=スタッブズも何かを奪われただろう。そして、トムは大事にそれらを隠し持った。

 ボニフェースは指輪の存在を遺言に残していた。わざわざ、残さなければならない情報であったなら、マルヴォーロの指輪に違いない。

 ダンブルドアに問いただしても「それもしっかり覚えておきなさい」とだけしか返してくれなかった。

 校長室から帰らされたハリーに出来るのは、寮に着く前に内容をしっかり纏める。後僅かで就寝時間だが、ゆっくり歩いても問題ない。いつの間にか、ベッロは足元にいた。

 ベッロがここにいる時は、クローディアの傍には信頼の置ける誰かが傍にいる証だ。

[眉間の皺は知らぬ内に刻まれるぞ。今日も理解し切れぬ内に終わったか?]

 鋭い指摘にハリーは苦笑し、ベッロを抱き上げて肩に巻く。冷たい鱗は情報を詰め込んだ頭に良い刺激だ。

「……いずれは君の記憶も見せられるのかな?」

 まだ存命ながらダンブルドアに次いで、ヴォルデモートを深く知るのはベッロだろう。彼はこの蛇が今でもお気に入りだ。

「どうしてヴォルデモートは君が好きなんだろうね」

[……それは……主人が好きだったからだ……。あいつは否定するが間違いない]

 重い口調にハリーは自分を恥じる。また無神経な事を聞いてしまった。

[ハリー、呼ばれている]

 ベッロの声に周囲を見渡し、マートルに気づく。何故か、彼女は男子トイレから上半分だけ顔を出す。湿った視線がハリーを捉えているので、呼ばれているのは本当のようだ。

「……やあ、マートル。こんばんは、僕に用があるのかな?」

 マートルにはクローディアの女子トイレでの護衛を頼んでいる。無碍にして機嫌を損ねてはいけない。出来るだけ愛想良く声をかけたが、ハリーはどうしても笑顔が引き攣ってしまう。

「ハリーはあたしを殺した奴を知っている?」

 挨拶もなく問いかけられた内容に、ハリーの背筋に熱が走る。

 廊下での会話は避けるべき、生徒のいない男子トイレへ入ってベッロを洗面台に置く。マートルは個室の扉を椅子代わりに腰かけ、ハリーを見下ろしてくる。

「バジリスクの話……じゃないよね?」

「ええ、そう。そのバジリスクをあたしに嗾けた奴。ハリーなら教えてくれるでしょう」

 少なくとも、ハリーに聞くまで色々と聞いて回った様子だ。幽霊さえ拒絶して引きこもるマートルにしては、珍しい。それに何故、今になって自分の死因を知りたがるのか気になった。

 ハリーが2年生の折、『秘密の部屋』を暴いた事で50年前の事件も解決した。トム=リドルに嵌められたハグリッドやアラゴグは冤罪を証明でき、マートルも真実を知ったはずだ。

「もしかして、バジリスクの事件が終わってから誰からも何も聞いていない?」

「いいえ、貴方が死にぞこなった後に……ダンブルドアから教えて貰ったわ。ただ、トム=リドルだとか知らない名前を言われても、あたしにはピンと来ないもの。……どうでも良かったし……」

 そういえば、マートルは殺された事よりも眼鏡をからかったオリーブ=ホーンビーへの恨み節を口にしていた。本当にトムについてはどうでも良いのだろう。

「どんな奴なの?」

 理由はどうであれ、マートルは知ろうとしている。

「……僕の両親の仇だ」

 父親や兄から虐げられ、ハンサムなトム=リドルに捨てられ、困窮のあまりに家宝のロケットを手放し、売りつけたカラクタカス=バークからはたった10ガリオンしか渡して貰えず、臨月で体力的にも精神的にも弱わり、辿り着いた孤児院で命を落とした哀れなメローピーの息子。

 魔法界でも稀な『蛇語(パーセルタング)』使いの『パーセルマウス』、サラザール=スリザリンの末裔、ゴートン家の歪んだ誇りをその血肉に受け継いだ闇の魔法使い。

 今の尚、生き続ける魔法界では名を出すのも恐れられる『例のあの人』。

 ヴォルデモートを評する言葉は多くあったが、ハリーは自分との関係性を表した。彼の生い立ちや境遇など、両親の仇である以上の意味はない。

 絶対にハリーはヴォルデモートを許さないし、逃げずに相対すると自分で決めた。

 満足な答えを言わぬのに、マートルは不満もなくハリーを見下ろしたまま口を開く。

「……あたしが自分の仇を取りたいって言ったら、どうする?」

 普段の陰湿さや妙に残酷めいた愉快さではなく、真剣に戦いに赴く気迫を感じる。初めてハリーはマートルを魅力的な女子として捉えた。

「悪いけど、早い者勝ちだよ」

 胸の奥から湧き起る闘争心は、試合前の高揚感に似ている。

「それで貴方に先を越されたら、あたしはまた嘆いて……学校に居続けるのかしら」

 ハリーから視線を外したマートルは確かめるように呟き、個室の扉から降りて目線を合わせてきた。

「ハリー、貴方はあたしを頼ってくれた。嬉しかった。あたしの助けを必要としてくれて……見返りではないけど、あたしのお願いを聞いて欲しいの」

「……いいよ……」

 出来れば断りたいが、ハリーは深呼吸してマートルの言葉を待つ。

「トイレで泣いている子がいる……男の子よ。あたし、相談に乗ろうとしたけどダメだった。きっと、女だから……。ハリー、その子の悩みを聞いてあげて」

 意外と良心的な頼みにハリーは拍子抜けした。

「寮と名前はわかる?」

「名乗ってはくれないけど、ドラコって呼ばれているのを聞いたわ」

 油断し切った心に強い衝撃を受け、動揺のあまり指先が痙攣してしまう。

「……ドラコはいつからトイレで泣いているんだい?」

「学校が始まってから……、何度もね」

 自尊心の高いドラコは人前に泣き顔を晒すなどしないだろう。だからといって隠れて泣く姿など、もっと想像できない。

 

☈☈☈☈☈

 『薬草学』の温室に向かう途中、ハリーに事細かく聞かされる。週末と違い、強い風がないので彼の話は聞きやすい。視界を悪くする霧がクローディア達を温室に着かせるのを手間取らせた為、マートルの頼みまで聞くには十分な時間を持てた。

 つまり、授業には遅刻と言っていい。始業の鐘には間に合ったが、保護手袋やマウスピース、保護ゴーグルなどの装着した頃には4人以外の生徒は全員、作業に取り掛かっている。ひっかき傷に塗れたネビルは既に『スナーガラフの種』を取り出していた。

「小学校の頃、同級生に将来は花屋になりたいって子がいたさ。担任の先生は花屋の家重労働だから体力をつけましょうって言っていたさ。確かに植物の相手は体力がいるさ」

「少なくとも、マグルの花屋にこんな凶暴な株はいないわ」

 刺々しい蔓と戦いながら、各々のボウルへ種をひとつずつ入れる。文旦程の大きさは見た目通りに固い。新鮮な内に汁を取り出す為、クローディアは種を宙へ投げて拳を叩きつけた。

「それでどうするさ? 彼女の頼みを聞くさ?」

 割れ目から薄緑色の塊茎が漏れ、空いたボウルへと注がれる。用済みになった種のカスは丁寧にテーブルへ置く。作業台を回っているスプラウトが回収してくれる為だ。

「まさか、あいつが僕に話すもんか!」

 ハリーの怒声に構わず、今度はハーマイオニーとロンが自分の種を殴ったり、台へと叩きつける。

「マルフォイが涙を流す程、苦しんでいようと同情なんて絶対しないけどさ」

 クローディアが冷淡に吐き捨てた時、種に全力の拳を叩きつけたロンの鈍い音と悲鳴が聞こえた。

「クローディア、……どうやって割ったの?」

 保護手袋ごしに己の手を労わるロンを尻目に、ハーマイオニーは【世界の肉食植物】の本を探す。

「やだ、鋭い物で穴を空けるようにって書いてあるわ」

 一文を読み終えたハーマイオニーにつられ、無残な形で割られた種を見やる。

「クリーチャーは何か言っていたさ?」

「たった1日、2日でわかりっこないよ。もう少し、探らせてから聞いてみる」

 ドラコが本当に『死喰い人』でなく、呪いの首飾りを仕掛けた犯人にないにしても、確実に何かを知っている。そもそも彼は親子で闇の魔術へ傾倒している。ボージン・アンド・バークスという悪意に満ちた品々を扱う店に出入りするのが、その証拠だ。

「うっし、割れたぞ」

 不確かな推測より、目の前の課題。喜ぶロンが汁をボウルに注いだ時、ハリーとハーマイオニーもやっと種を割った。

 

 次の授業は空き時間。

 作業で汗だくになった手足を洗面所で洗い、『薬草学』のレポートをまとめる為に図書館へ行くか、午後の『変身術』のレポートを最終チェックするか、ハーマイオニーとロンが軽く揉め始める。

「大丈夫だって、ハーマイオニーと仕上げたんだ。『変身術』は完璧だよ」

「お喋りに夢中になって、私が確認してないの」

 怒鳴り合いやいがみ合いではなく、何処となく恋人同士の戯れにも聞こえてくる。段々とクローディアとハリーは居た堪れない気持ちになる。

 ヘドウィックが手紙を持ってきてくれた時、天の助けとハリーは縋った。

「げ、スラグホーンからだ。……クリスマスパーティーへご招待……。皆も是非、どうぞって……」

 驚いた3人は寄せ集まり、ハリーの手紙を読む。確かに4人を招待している内容だ。それぞれ、1人ずつパートナーを連れてきて良いとも書かれている。

「クローディアはジョージ、呼べよ。ハリーはマートル。これで完璧」

 呑気に言い放つロンへハリーはげんなりするが、クローディアは恥ずかしさで頬を赤くする。

「……クリスマスって客商売が佳境さ。お仕事の邪魔はしないさ。私はベッロでも連れて行……ベッロは何処さ?」

 足元や周囲を見渡すクローディアへハリーが答える。

「ベッロは僕の部屋だよ。昨夜は僕に付き合って夜更かししたから、まだ寝てると思う」

 あの蛇は誰が主人か忘れているではないか、そんな疑問が度々起こる。

「クリスマスと言えば、ハーマイオニー。休暇は『隠れ穴』にどう? まだ僕達の事、パパとママに報せてないんだ。これを期に紹介したい……」

 体をしならせ、ロンは目をわざとらしくパチパチさせる。己の可愛さを全面に出しているつもりなら、不正解だ。

「そうだったの……けど、ごめんなさい。私、城に残らないといけないの。本当にごめんなさい」

「……うん……。良いんだ、ハーマイオニー。いつでも紹介できるし……」

 笑顔のまま硬直したロンは上擦った声で笑い返す。あからさまな動揺にクローディアとハリーは思わず、噴き出して笑う。

「2人は『隠れ穴』に来るの決定ね。クローディアは特に覚悟してな。ビルみたいに勝手な婚約を結んだって、ママはカンカンらしいよ。『吠えメール』を送りつけようとしたって! 必死で止めたパパに感謝だな」

 まさかの試練を突き付けられ、クローディアの背筋が寒くなる。

 孫を愛する祖父でさえ刀を持ち出すのだ。息子を愛する母親の行動は読めない。

「モリーさんにはお手紙出しておきます……」

「出来れば、ジョージにもね」

 茶化すロンへクローディアは真っ青な顔で「はい」と答えた。

「シリウスの屋敷じゃないんだね……ああ、クリーチャーがいないからか……。屋敷の管理は大丈夫かなあ……」

「貴方の頼みを機会にクリーチャーも休む事を覚えるわ。あそこは色んな人が出入りするんだから、交替で掃除すればいいのよ。今度、シリウスと連絡取る時にでも提案してみて」

 1人納得したハリーに何故か、ハーマイオニーは説教めいた言い方で頼んだ。

 

 モリーからの返事は金曜日に届き、感情のこもった筆圧で来訪を心待ちにしていると記されていた。

 ちなみにグリモールド・プレイスの屋敷での掃除当番については、シリウスは問答無用に却下した。明日をもしれない危険な任務を背負う団員に余計な負担を負わせたくないそうだ。

「その負担を誰が負っていたと思っているのよ!」

 シリウスからの返答にハーマイオニーは凄まじい怒りを見せた。

「んじゃ、今は誰が屋敷の管理してんの? まさか、クリーチャーがマルフォイの監視の合間に帰っているとか?」

 ロンの疑問に対し、ハリーは消えそうな声で「コンラッドさん」と答える。益々、ハーマイオニーは怒り狂った。

 

 

 グリフィンドール対スリザリンの試合が迫り、ハリーはドラコへの監視や警戒を弱める。

 クリーチャーから目ぼしい報告がなく、選手ケイティの代理にディーンを抜擢した事で寮内から不満の声が上がり、それどころではないなどの理由はクローディアを呆れさせた。

 今日までドラコが犯人ではない証拠はない。だからと言って犯人の決定的証拠もない。中途半端な容疑者はホグズミードの一件以来、バスケ部の部室へ顔を出さなくなった。

 部員ではなく、不気味な見学がいなくなり、敬遠していた生徒も部へ寄りだした。

「ディーン=トーマス……、選手としての経歴はないけど、ケイティの代理というからには……」

「友人贔屓って事はないだろう」

 ボールそっちのけでエディーとクレメンスは真剣な顔で額を寄せ合う。

「こらこら、エディーにクレメンス。バスケの部活中はクィディッチ・キャプテンである事を忘れるさ! エディー、他のチームを探りに来たなら、帰った帰った!」

「違うもん、キャプテン仲間のクレメンスとお喋りしたいだけだもん」

「……エディー、キャラ変わった?」

 クローディアに注意され、わざとらしくクレメンスの腕にエディーはしがみつく。見てしまったミムは引き攣る。

「キャプテンってプレッシャーとストレスで参っちゃうもんだよ」

「ハリーを見てればわかるよ。」

 ネビルに心底労わってもらえ、ハリーは空元気に笑い返した。

 時間もそこそこにバーベッジが現れ、クローディアは部員を呼ぶ。部長の号令に集まり、それぞれ彼女の魔法でユニフォームに着替える。

 先日より騒がしくなった部室は、ユニフォーム姿に注目して自然と口を閉じて静まり返る。視線を気にせず、毅然とした態度で胸を張り、クローディアは部員の顔を1人ずつ確認する。

 皆、バスケのユニフォームが板についている。

「本日は以前から言っていたトーナメント試合を取り行う。バーベッジ先生が3対3のメンバーを選考している。私も含めて戦力を平等に分けているから、意見がある者はその場で言って欲しい」

 目を逸らさない沈黙は承諾と受け取り、バーベッジは指を鳴らして羊皮紙を取りだす。

「それぞれのチームに番号を与えます。数に意味はありません。分ける為の表記です。まずは1班クレメンス、マンディ、ナイジェル。2班ジャック、モラグ、ルーナ。3班コーマック、ディーン、デレク。4班ミム、デニス、ジニー。5班クローディア、シェーマス、ハンナ。以上です。ご質問は?」

 一番にコーマックが手を挙げる。

「俺のチームに女子がいません」

「戦力による分配と言ったはずです」

 バーベッジに軽くあしらわれたコーマックは真剣な表情のまま手を下す。今度はデニスだ。

「奇数ですけど、シード席を設けるんですか?」

「いいえ、後日、敗者復活戦を行います。そちらで勝ち残ったチームと対戦です」

 納得してデニスも手を下す。他に質問がない為、羊皮紙は5つに裂けて細い棒へと変じ、バーベッジの手に握られる。

「次は対戦チームを決めます。簡単に言うと、くじ引きです。引き抜くと後ろのトーナメント表に番号が浮かびます」

 告げた瞬間、バーベッジの背にある壁にトーナメント表が勝手に描かれていく。本当に自分達は部内で試合をするのだ。

 実感が湧き、全員から感嘆の息が零れる。

「では部長、どうぞ」

 バーベッジに呼ばれ、クローディアはじっくりと深呼吸してからクジを引く。右端に5が浮かんだ。

(復活チームとの対戦さ……、今日は見学……)

 ある意味では良い当たりだ。本音を言えば、今日すぐにでも試合をしたかった。他の2人も同じ気持ちらしく、苦笑をクローディアへ向けた。

 問題なく、クジ引きは終わる。今日は1班と3班、2班と4班の2組だ。

「では2班と4班の対戦です。選手は準備運動を済ませ、定位置に着いて下さい。他の方は応援席へ」

 選ばれた部員のユニフォーム正面に班の番号が記された。

「うわー、あたしが選手だ。コリン、ばっちり撮ってーパパに写真送るもン」

 喜んだルーナはその場をクルクルと回転し、既に観客席でカメラを構えたコリンに手を振るう。彼は承諾の意味で親指を立てた。

「弟の僕は無視か」

 ストレッチを始めたデニスは皮肉っぽく言い放って笑う。

「私が2班のプレーを記録するから」

「こっちは4班ね」

 記録係のハーマイオニーとパドマは得点板で既に準備万端。

「こんなに広いコートなのに、たった3人のチームなんですか?」

 観客席に移ったクローディアへベーカーはぼそりと質問を投げかける。

「バスケはガード、フォワード、センターの3つポジションが揃えばゲーム体制は整うさ。ちなみにガードとフォワードは更に2つに分けるから、本当は5人欲しいところさ」

 臆せず答えるクローディアを見ず、ベーカーはコートの6人から目を離さない。3対3で並び、試合前の顔合わせをしてポジションへと移る。モラグとディーンの間でバーベッジが試合開始の笛を吹き、ボールを真上に投げた。

 モラグがボールを叩き落とし、ルーナは軽やか足取りで受け取った。

「……あの数字はなんですか? 何をカウントダウンしているんですか?」

 バッグボード上方のクロックをベーカーは興味津々で指差す。

「1ピリオドの8分間を表示しているさ。第4ピリオドやるから、計32分の試合さ。本当は10分にしたいところだけど……」

「……クィディッチと違って時間制限があるんですね」

 クローディアが言い終える前にベーカーは驚きの声を上げる。ただ控え目で、彼女にしか聞き取れない。

「いつでも部においで、新人歓迎さ」

「僕が……本当に部員になってもいいの?」

 やっと顔を上げたベーカーの表情は変わらず、されどその目には輝く。クローディアが本心から微笑んで頷くと彼は口元を強張らせてクシャクシャな笑顔を見せた。

「バスケって前半20分、後半10分の試合じゃなかったっけ?」

「NBA式なんだよ。ハリーったら、マグル育ちなのに知らないのかい?」

「なんでそんなに詳しいのに、ネビルはアメフト部に行っちゃったわけ?」

 ハリーの疑問を自信満々にネビルは答えたが、ロンの疑問にはそっと目を逸らした。

 最初は漠然と試合観戦していた見学も、2班と4班の試合開終了時には雰囲気も温まり、チームへの応援で賑わる。1班と3班の試合終了時には部室内は声援で反響した。

 部員は記録係も含めて全員、バーベッジの前に整列する。トーナメント表の線が輝き、勝ち抜きを見せつける。

「1班と4班の勝利です。次の試合日は敗者復活戦で2班と3班に対戦して貰い、勝ち残ったチームが5班と対戦します。休憩は挟みますが、連戦になりますのでそのつもりで準備して下さい」

 抗議も反論もなく、該当班は納得して承諾する。

「先生、次の試合っていつですか?」

「12月、クィディッチの試合までに行います。それまで部活動はありますから、自由に参加して下さい」

 バーベッジの答えを聞き、ネビルや他の見学も気づく。今回も第1回クィディッチの試合前を狙って行った。これは駆け持ちをしている部員からの希望であり、配慮だ。

「今日は素晴らしい試合を見せてくれてありがとう。私も負けられない。本心から思っている。では、解散」

 クローディアの締めにより、本日の活動は終了だ。

「皆さん。着替える前に1枚、お願いします」

 観客席からのコリンの声に抵抗もなく、皆は顔を上げる。自然と笑顔になった瞬間、シャッター音が響いた。

 見学の生徒は帰って行き、コーマックはその格好のままさっさと帰る。

「コーマックがユニフォームを着たまま寝ているの見ちゃった。今日が楽しみだったんだな」

「彼、性格変わったかな。授業中も誰にもイチャモンつけなくなったらしいし」

 ジャックとミムはまるでコーマックの親兄弟のように微笑ましく見守る。

「折角、着たのに脱ぐのもったいねえ」

 シェーマスは残念そうに脱ぐが、替えの服がないと気づいて慌てだす。

「半裸状態で気づいて良かったな」

 口元を押さえて笑うクレメンスによって、シェーマスの服は元に戻る。

 試合もしていないはずなのに、クローディアは興奮が冷めない。ユニフォームを着替えてしまう勿体なさを味わう。

「その格好は薄着過ぎ、ここで着替えて行ってよ。風邪ひくから」

 パドマの現実的な一言にクローディアは逆らわず、魔法で着替えた。

 片付けを終えて部室を施錠し、鍵をバーベッジが受け取る。クローディア達は小腹を空かせつつも、今日の試合に花を咲かせてながらゆっくりと歩く。

「ルーナ、写真いっぱい撮ったよ。現像したら一番に見せに行くからね」

「あたしが見に行く。見たいもン」

 コリンのカメラを抱え、ルーナは笑う。仲睦まじい2人をジニーは満足そうに見ている。

「あの2人、すごく雰囲気良いさ。ジニーは何か聞いてないさ?」

「少なくとも、ルーナはコリンに気があると思う。スラグホーン先生のパーティーに連れて行くくらいだもの」

 聞き違いかと疑ったが、その言葉から推測するにルーナもクリスマス・パーティーに招待されている。

「……いつの間にそんな事態が……」

「そりゃあ、知る人ぞ知る【ザ・クィブラー】編集長ゼノフィリアス・ラブグッドの娘だもの。この前の晩餐会にも呼ばれたわ。あの子、先生と友達になれたみたいで嬉しかったって」

 得意げなジニーは何故だが、悪戯に成功した双子に似た笑みを浮かべる。

「スラグホーン先生に教えたのは、ジニーさ?」

「私は『魔法薬学』の教室に雑誌を置き忘れただけよ」

 流石はウィーズリー家の末娘、上の兄弟と同じ策士だ。しかし、ルーナがコリンと参加するならば、クローディアのパートナー候補が1人いなくなった。

 デレクへと自然に目を向けた瞬間、フクロウが何故かロンへ激突してくる。

「なんだ、エロール。急用……って僕じゃくてクローディア宛だよ」

 叱られたエロールは覚束ない羽ばたきでクローディアへと手紙を運んだ。

「また……モリーさん……じゃなかったさ。……ジョージさ……うん?」

 緊張しながら開き、ジョージからの手紙に安心したが内容は残念な結果だった。

【クリスマス・パーティーに行けない。ごめん。代わりにフレッドが行く。 ジョージ】

 店の営業を心配したが一か八かで誘ってみればコレだ。フレッドは規則など物ともしないし、校内の裏取引はお手の物。彼が来ては、ただのホグワーツでの出張である。

「あちゃー、きっと双子の間で賭けでもしたんじゃない? それでジョージが負けたと」

 後ろから覗きこんできたディーンは慰めの意味でクローディアに肩を叩く。興味深そうに皆も次々と覗いては憐みの肩叩きをしていく。

 余計に惨めな気持ちなるのでやめてほしい。

「フレッドが来るって皆にも教えようぜ。内密にな」

 嬉しそうにシェーマスはネビルとディーンを掴んで行った。

「クローディアはフレッドと行くんだ……。僕は本当にどうしようかな……」

 困り果てたハリーは眼鏡の縁を押さえ、何故かジニーを一瞥する。メリンダと話す彼女は視線に気づいていない。

「ジニーを誘いたいさ?」

 図星らしいハリーはクローディアの耳打ちに慌ててロンの様子を見る。彼もモラグと話しているので気付かない。

「彼女はディーンと行くだろうし、僕が誘って噂になったら困るだろう?」

「何の噂になるっていうのさ。ディーンとの予定もわからないんだから、誘ってみればいいさ」

 自分に言い聞かせるハリーの口調を不可思議に思い、クローディアは何気なく言い放つ。親友ロンの妹ジニーを誘ってわざわざ噂する生徒はいるかもしれないが、ジニーは気にしないだろう。

 複雑そうに口元を引き締め、ハリーは天井を見上げてから頷いた。

「うん、クィディッチの後にね」

 パーティーの日程から、11月グリフィンドール対スリザリンと12月レイブンクロー対ハッフルパフの2試合に当てはまるが、どちらを指すかは聞かずに置いておく。むしろ聞くなと、ハリーの表情が告げていた。

 

 

 今期最初のクィディッチ試合、新解説者は驚くべきザカリアス。立候補だとしても、許可した人に小一時間程、問いただしたい。

「彼にはリー=ジョーダンのような痛快な実況は期待できないわ」

「そもそも期待してないね。今回の選考も落ちた割に、やけに大人しいと思ったら……」

 ザカリアスと同じ寮で監督生たるハンナとアーニーでさえ、試合開始前から呆れている。

 新実況より気になるのは、やはりドラコ。観客席にも姿がない。

「ドラコ=マルフォイ、いないね……」

「うん、ここからでも確認できるさ」

 観衆を見渡すルーナはクローディアへ伝える目的で呟く。本物の獅子と見間違う質感の被り物まで周囲を見渡し、その口に何故かベッロが挟まっている。演出のつもりか、じっとして動かない。

 使い魔は無視し、教職員席を見やる。スリザリン寮監のスネイプは変化なく鎮座しているなら、ドラコに異変のような事情はない。

(クリーチャーの監視が付いていると言っても……何をしているやら……、またトイレで泣いているさ?)

 今朝もクローディアを見張っていたマートルの顔を浮かべ、何故か笑いがこみ上げた。

 試合が始まってみれば、残念ながらザカリアスは選手を個人個人中傷するような紹介をしては悪態ついた。

 結果はグリフィンドールの圧勝、しかも箒のブレーキ加減を間違えたジニーは演台へと突っ込む。木端微塵となった台の破片に埋もれ、ザカリアスは気を失う。試合結果よりも彼女の痛快な事故へ拍手が起こった。

 両選手は更衣室へ退場し、観衆も競技場を後にする。ハーマイオニーとハリー達を待つ為に、更衣室前で待機だ。

「私はスネイプ先生に質問があるから、先生を追いかけるさ」

「そう、わかったわ。こちらの談話室でパーティーするから、来てね」

 ハーマイオニーはキーパー・ロンがゴールを守り切り、大観衆の前で実力を発揮した。ただ、それだけを喜んでいる。ドラコの姿がない疑問は吹き飛んでいる様子だ。普段の彼女なら、一緒にスネイプを尋ねたに行ったはずだ。

「喜べる内に喜ぶもンだよ」

 いつの間にか、クローディアの腕へと絡んできたルーナに慰めのような言葉を貰う。獅子の被り物まで、頬を舐めてきた。

「ありがとうさ、ルーナ。私は寂しくないさ」

「やーせーがーまーん」

 反論も虚しいので、ルーナを腕に付けたままスネイプを探す。教師陣の集団を見つけ、近寄ろうとするクローディアに周囲は道を譲ってくれた。

「スネイプ先生、マルフォイくん知りませんか?」

「……君が気にすることではない。彼は競技場に来れぬ状態にあるのだ」

 何処かで聞いたような台詞だ。妙に懐かしい気がしても思い出せない。

「罰則だね。コリンの時と同じ顔してるもン」

「……ミス・ラブグッド。沈黙は身を守りますぞ」

 眉間の皺を解し、スネイプは去ろうとしたが思い出したようにクローディアへ視線を向ける。

「マグルの部活は楽しんでいるようで、何より……君の顧問も大変お喜びになられましてな。授業に差し障りがないようにしたまえ」

「……ああ、はい。勿論です。しかし、マルフォイくんは私を尾行……」

 言いかけたが、スネイプの鋭い眼光に防がれる。クローディアは恐れではなく、周囲で聞き耳を立てる野次馬を警戒して口を閉じる。この寮監は彼女に言われずとも、ドラコが隠れて泣く姿も把握している可能性もある。

「君はハグリッド教授にでも会ってきてはどうだね? 仲良しのポッターの活躍を喜ぶであろう」

 冷淡な口調だがスネイプに言われて今更、ハグリッドも競技場にいなかった事実に気づく。ずっと死骸役に扮していたベッロがくすりっと笑った。

 

 ルーナの格好をそのままにし、ハグリッドの小屋を訪ねる。既にセシルとモラグが来客として茶を貰っていた。

「粋な格好だあな、ルーナ。選手より目立っただろう。俺の為にわざわざ来てくれて、ありがとなあ」

 髭で覆われている顔は少しヤツれた印象を与えた。

「アラゴグは大丈夫、私の実家から貰った薬を飲ませているの」

 空になった瓶を見せられ、クローディアは安堵の息を吐く。今日の試合に来なかったのは、アラゴグが急変したせいだと思った。

「これ、俺の実家からハグリッドへの差し入れ。巨人の好物らしくてな、中身は俺も知らねえ」

 食卓に並んだ差し入れは、見た目は巨大なミートパイにしか見えない。

「そっか、アラゴグの看病が手伝えなくても……差し入れとかがあったさ」

 ハグリッドに断られてから、クローディアはアラゴグの件に関与しなかった。思いつきもしなかった己の薄情さ胸中で溜息を殺す。

「そんな顔をするなあ、おめえさんが勉強も部活もがんばっとる。バーベッジ先生が言っとった。俺の事はセシルやモラグ、勿論ジャスティンも手伝ってくれるんだあ。クローディアは自分を守れ、良いな?」

 目を糸のように細め、ハグリッドはクローディアの頬をその暖かく大きな手で挟む。触れるだけなので、彼の体温が暖かい。

 首飾りの事件はクローディア個人を狙った犯行だとハグリッドは知らない。彼女の友人が情報を操作して守ったように、マクゴナガルもまた同僚の彼を守る為に伝えていないのだ。

「ありがとうさ、ハグリッド。生徒に助けて貰えるなんて、ハグリッドは本当に良い先生さ」

「おお、俺は良い先生だあ。だから、生徒もついてくる」

 ノリに乗ってウィンクしたハグリッドにモラグは噴き出して笑う。セシルも笑ったが、微笑ましく受け入れている雰囲気だ。

「心配しないでいいもン。ハグリッドは友達たくさん」

 床に座り込んでいたルーナはファングの頭を撫でる。寒さの嫌いな番犬は彼女の手を受け、安心した鳴き声を上げた。

 

 ハグリッドの引率で城へ帰り、穏やかな気持ちなった4人と一匹は空腹で大広間へ向かう。しかし、二重扉の前で仁王立ちするハーマイオニーを見つけ、ゾッと寒気が走る。

 逃げようと方向転換したが、普段は絶対見せない脚力で一瞬にして間合いを詰めたハーマイオニーによって、クローディアは虚しく捕獲される。他の3人と一匹は巻き添えを食らう前に逃げ切った。

「ハリーが……マルフォイとクリスマス・パーティーに行く。ロンのせいで!」

「ちょっと、状況が見えません。首……死ぬ、本当に死ぬ」

 ロンの代わりにクローディアを絞め殺さんしと胸倉を掴む。必死で煽てて、ようやく手の力は抜けたが、険しさは消えない。

 ハーマイオニーとハリー、ロンは談話室での祝賀パーティーを楽しみに寮を目指したが、その途中でドラコと偶然、出くわした。彼は罰則の為にフィルチと一緒だったらしい。

 勝利に酔っていたロンはドラコの肩を掴んで、大げさに慰める。

〝困った事でもあったら、力になろうか? 今の僕ならなんでも出来るぜ〟

 その提案にドラコは久しぶりの意地悪い笑みを見せ、お願いしたという。

 

 ――僕をクリスマス・パーティーに連れて行ってくれ

 

 予想外の願いにロンは慌てて断ろうとしたが、ドラコに「なんでも出来るんだろう?」と冷ややかに挑発する。しかも、そこへ「ウィーズリーは王者ー♪ なんでも出来る王者ー♪ パーティーへご招待ー♪」と陽気に歌うピーブズが現れてしまう。

 ここでドラコを振り切っても、ロンから提案しておいて身勝手に断ったという噂が城中に広められる。断腸の思いでハリーが引き受ける形になった。

 何度も感傷的になり脱線した話を纏めれば、大体そんな感じだ。

「マルフォイの頼みを断った噂が流れても、誰も気にしないんじゃないさ?」

「ええ、同じ事をハリーに言ったわ。マルフォイと別れてからね。ロンに断らせる事が目的だったのかもしれないって……私は考えすぎだと思うけど……」

 ここ数日、ハリーはクィディッチに集中していた。いくらクリーチャーがいると言っても、ドラコから意識を離した責任を感じている可能性もある。

「……変に独りで背負いこんじゃってさ……。私は怒らないでおくさ。……ところで2人は?」

 彼らは何処を見渡しても、まるでベッロのようにいない。

「部屋よ。ロンがすっかり落ち込んじゃって、ハリーが慰めているわ。落ち込みたいのはハリーのほうなのに!」

 怒りが再燃したハーマイオニーに引き摺られ、クローディアは大広間へ行く。レイブンクロー席に座り、2人は自棄食いの如くステーキに食らいつく。

 スリザリン寮席にドラコはいた。

「ポッターが僕をクリスマス・パーティーに連れて行ってくれるって言うんだ。おかしな話だよな、断る理由もないから受けたよ」

「ポッターがドラコを!? どういうつもり!!」

 隣にパンジーを座らせ、尊大な態度で尚且つ周囲に聞こえるように大声で喋る。そんなドラコを見て心底、腹が立つ。

「あいつ、いつもと何も変わんないさ……」

 今、出来るだけの軽蔑を込めてクローディアは言い放つ。仲間に囲まれて騒がしいドラコにその呟きは聞き取れるはずはないが、彼女に向けて皮肉っぽい笑みを与えたのは確かだ。




閲覧ありがとうございました。
スナーガラフの種を叩くシーンが大好きです。映画でもやって欲しかった。
ハリーはドラコとパーティーへ行きます(ただの罰ゲーム)

●オリーブ=ホーンビー
 マートルの友人?にして遺体第一発見者。
 卒業後も結婚式まで憑き纏われて精神的に参り、魔法省に訴えた。
●ミセス・コール
 トム=リドルが育った孤児院の職員。メローピーの最期を看取った。
●エイミー=ベンソン、デニス=ビショップ、ビリー=スタッブズ
 トム=リドルと同じ孤児達。些細ないざこざにより、悲惨な目に遭った魔法の被害者。


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9.油断した夜

閲覧ありがとうございます。
お気に入りが900件を超えました。ありがとうございます。

追記:18年1月8日、18年10月1日、誤字報告により修正しました。


 バスケ部内・トーナメント試合。

 2班(ジャック、モラグ、ルーナ)と3班(コーマック、ディーン、デレク)の対戦は時間ギリギリまで同点だった。それを一秒切った瞬間、ルーナのダンクシュートによって勝利を決した。

 復活した2班は15分の休憩後、5班(クローディア、シェーマス、ハンナ)との対戦に敗れた。

 汗だくのクローディアは試合終了後、味わった接戦に高揚した。

 お互いに劣っている部分などなく、チームワークも選手の呼吸も差はほとんどない。

「5班の勝利です。次の試合日は1班と4班に対戦して貰い、勝ち残ったチームが5班と対戦します。今日と同じ流れになりますので準備運動などを怠らないようにして下さい」

 バーベッジの言葉で締められ、コリンから写真を撮って貰い終了だ。

「コリンもクリスマス・パーティーに行くって聞いたけどさ。やっぱり、そのカメラ持って行くさ?」

「スラグホーン先生にも許可貰ってます! ただ【ザ・クィブラー】に載せるなら、先生が写っていないモノを選んで欲しいと言われました」

 『死喰い人』が【ザ・クィブラー】を読むとは思えず、ダンブルドアを含めた『不死鳥の騎士団』も多くいる学校内にいながら、スラグホーンの警戒心は高い。

「ハリーはドラコ=マルフォイと一緒ですよね。僕なら絶対、誘わないのにハリーは本当に心が広い!」

 純粋に満ちた笑みは眩しく、コリンはハリーへの尊敬を強くする。肝心の彼は思いつめた様子で窓の外を眺めていた。

 今夜、ハリーはダンブルドアの個人授業だ。前回と違い、間は空いてないが彼に嬉しさも元気もない。

 それもそのはず、ハリーからドラコをパーティーに誘った事実は一晩もかけず学校中に広がった。寮関係なく、からかわれたり、奇異の目で見られたりしてきた。

 そこは問題ない。見られるだけなら、ずっと前から慣れている。

 しかし、一部の女子からハリーの目を覚まさせようと『愛の妙薬』を盛る話も出ており、ハーマイオニーから飲み物には極力気を遣うように命じられた。

 ベッロやクルックシャンクスに頼んでも良いが、学校には香水や咳止めとして偽装されて送り込まれる。その際、ご丁寧にミセス・ノリスやファングのような動物の嗅覚を誤魔化す細工までしてくれたそうだ。

 折角、飲食物に仕込んでも相手に気づかれてはいけないという販売元のサービスだ。

 意外にもクリーチャーが役に立つ。『屋敷妖精』ならではの感覚で3件も惚れ薬入りのカボチャジュースを発見した。彼の役目はハリーが口にする飲食物の検査になってしまった。

 その分だけ、ドラコへの監視が緩んでしまう。ここにハリーは苛立っているのだ。ロンも責任を感じ、キーパーを辞退したいと騒いだ程だ。

「本当に悪いと思っているなら、キーパーで活躍して」

 うっとおしいまでに反省するロンへハリーはただそれだけ告げた。

 

 夕食の後はパドマが気を利かせ、クローディアとリサを再び大浴場へ招待してくれた。

 心と身体を存分に温め、寝間着に着替える途中で『ポケベル』の文字に気づく。すっかりお馴染みの『必要の部屋』だ。クローディアの適当な言い訳にも慣れたパドマやリサを先に帰らせた。

 『必要の部屋』は季節に応じ、クリスマスの飾りつけに彩られている。

 しかし、集まった4人の雰囲気は室内と違い、物々しい。

 今夜の授業はトム=リドルの在学した7年間についてだ。

 様々な不可解で不快な事件が起こる。事件の裏に、孤児院出身の優等生が関与していると立証された事は一度もない。孤児院での悪事が公に出来なかった事と同様だ。違いがあるとすれば、ダンブルドア以外の大人から微塵も疑われなかった点だけだ。

 だが、生徒は違う。

 個人の差はあれど、トム=リドルを理解していた。理解した者は恐れ、敬った。敬った者達は集い、卒業後は『死喰い人』として付き従った。従わなかった者達の大半は怖気づいて、当時の出来事に関して固く口を閉ざした。

 ダンブルドアの説得を持って、ようやく『記憶』を差し出した教え子はごく僅からしい。

 自分の存在を知らしめる事だけでなく、トム=リドルは学校にある記録から出自を探した。まずは父親の血筋を調べつくして諦め、仕方なく母親の血筋を調べた。

 「マルヴォーロ」という名のみを頼りにゴートン家へ辿り着き、伯父モーフィンとの会話では確信を持った。すぐ後、実の父親、祖父、祖母を殺した。そして、その罪を伯父に被せた。

 モーフィンは自らの殺人の罪よりも、指輪を無くした事実だけを恐れていた。

「……自分の父親を殺した? その場にいた家族も?」

 ここまで聞き、クローディアはトム=リドルを心から恐ろしく思えた。

 

 ――軽蔑や嫌悪ではなく、ただ恐ろしい。

 

 そんな男を三度、否、四度も前にして生き延びれた。

 幸運ではなく、ヴォルデモートの目的にクローディアの死が含まれていなかった。ただ、それだけの理由でしかない。

「よく指輪が話に上がるけど、ボニフェースの遺言にあった『死の秘宝』の指輪と関係あるかしら?」

 ハーマイオニーの疑問に我に返る。

「あるよ。ほら、ぺちゃくちゃうさちゃんだよ」

 当たり前のように、ロンは言ってのける。しかも、意味不明な言語に2人は呆気に取られるが、クローディアは思い付いた。

「……なんとかうさちゃんは『吟遊詩人ビードルの話』さ?」

「そうそう! 『死の秘宝』は『吟遊詩人ビードルの話』のひとつなんだよ。そういえば、君達マグル生まれは知らないって事を忘れてた」

 わざとらしく咳払いしたロンによるペベレル三兄弟を聞き、ハリーとハーマイオニーは真剣に耳を傾ける。端折りやロンなりの解釈で伝わりずらい部分はあったが、クローディアの聞いた話とほぼ同じだ。

「……『透明マント』も『死の秘宝』なんだ……」

 感心したハリーは独りごちる。

「『透明マント』にそんな逸話があったなんて、貴重品を無暗に使いすぎよ」

「心配しなくても、市中に出回っている『透明マント』はお伽話を元にした模倣品だって! 実物があったとしてもきっと『神秘部』が保管しているんじゃない?」

 語尾を尖らせるハーマイオニーをロンは宥める。

「……きっと本物だよ、僕はそう思う」

 根拠のない自信を持って言い放ち、ハリーは脱線した話を元に戻す。

 トム=リドルは手に入れた指輪を隠す事なく、むしろ、正当な所持者として身に着けていた。スラグホーンの晩餐会に招待され、分霊箱(ホークラックス)について質問した晩も指に嵌めていた。

 今までと違い、スラグホーンの記憶は所々霧がかかっており、不自然極まりない。

「スラグホーン先生が自分の記憶に改竄して、校長先生に渡した……?」

「そう、ダンブルドアは本当の事が知りたい。スラグホーン先生は『開心術』や『真実薬』への対策しているが、そんな方法じゃなく、説得したいんだ」

 ダンブルドアからの宿題だという。

「校長先生を相手に隠し通したいなら、誰が相手でも一緒よ」

「そんなズバッと言わなくても、あいつはハリーに惚れこんでるんだ。晩餐会に出るから教えてって言えば、簡単だって」

 ロンの暢気な意見を聞く程、ハリーも悠長ではない。

「……お父さんの追及も逃れた人さ。まず、私にも無理さ」

「やっぱり、クローディアが避けられていたのも分霊箱のせいなんだね」

 分霊箱。その単語を聞くだけで、スラグホーンはあの晩を思い出す。忘れたくても忘れられない記憶から、逃げていたのだ。

 人は言いたい事が言えない。それ以上に言いたくない事は言わない。

 深刻な表情で沈黙する3人と違い、ロンは面倒そうに顔を顰めてベッロの尻尾を撫でる。

「なんか、情報を小出しにされてて気持ち悪い。いっそ、一気に記憶をハリーへ伝えられないかな? クローディアが遺言を読んだ時みたいに」

「たったあれだけの文章でも、受け入れるのに何時間かかったと思っているさ。どんな拒絶反応があるかわかったもんじゃないさ」

 異物が混入してくる感覚は今でも思い出せる。二度と味わいたくない。

「大事な事柄程、ゆっくりと時間をかけて覚えて行くものよ」

 感情と理屈から責められ、ロンは乱暴に頭を搔く。

「その宿題って、いつまでが提出期限?」

「年を明けてからでも構わないけど、出来るだけ早く」

 期限を明確にしていないが、早急に必要であると感じ取った。

「この件をコンラッドさんに相談したいんだけど、あの人も『隠れ穴』に来るよね?」

「んう!? ……多分、お父さんは来るさ」  

 まさかのコンラッドの名に対し、油断していたクローディアはズれた音程で返事してしまう。

「相談しても、向こうも困るんじゃね? ダンブルドアでさえ、ハリーに頼むくらいだぜ」

 初めてロンが的を得た意見を出す。

「ダンブルドアはあくまで友人で同僚だった。けど、コンラッドさんは僕と同じ教え子でしかも、スリザリン寮生だ。良い意見を貰えるかもしれないよ」

 意外に明確な理由でコンラッドを選び、クローディアはハリーに感心の目を向ける。それと同時に疑問も浮かぶ。

「スネイプ先生っていう、身近な方がいるさ」

「あいつが僕の話を聞くと思う?」

 これもまた明確な理由でスネイプを除外した為、誰も何も言わなかった。

 

 

 翌週に行われたハッフルパフ対レイブンクローのクィディッチ戦。

 キャプテン・エディが極度の緊張により凡ミスして何点も奪われたが、現状から早期決着を望んだチョウによって勝利した。

「ありがとう、チョウ。今日のMVPは君だあ!」

「……まだ一勝でしょう。『錯乱の魔法』にでもかかった?」

 まるで優勝したようにエディは号泣する。チョウを含めた選手は曖昧に笑い、今日を乗り切ったキャプテンの肩を励ます意味で叩き合った。

「折角のデビュー戦でしたが、目立ちませんでした。こんな結果を兄に報せても……でも、勝ちは勝ちですし……」

「何と戦ってんだ、おまえ」

 オーラのツッコミにシーサーは「葛藤」と答えた。

 

 ケイティの事件から犠牲者はなく、また何の進展も得られぬままクリスマス・パーティーの日を迎える。あくまでも、教職員と闇払いに護られた城内の話だ。外ではヴォルデモートの陣営による犠牲者は後を絶たず、悲報を届けられた生徒は故人を悼む間もなく、恐怖と絶望に震えた。

「今日のパーティー、吸血鬼が来るって噂聞いた?」

「流石、スラグホーン先生。交友関係が幅広い」

 そんな生徒を励ます様に、クリスマスの飾りや幽霊達の讃美歌は例年より盛り上がっている。

 それでも、授業はある。

 1学期最後の『変身術』は人を変身させる厳しさを教えた。

「こういう事するより、化粧したほうが早いって言っちゃ駄目なんだろうさ」

「それなら今夜のパーティーは自分で化粧するのね。いつまでも、リサに頼ってちゃ駄目」

「本命でなくても、殿方とのパーティーです。私の腕が鳴りますわ」

 自分の眉の色を変える。たったこれだけでも、大半の生徒は苦戦を強いられる。クローディアやパドマ、リサ、ハーマイオニー達は難なく変えられた余裕から私語が囁かれた。

 勿論、マクゴナガルの眼力に口を噤んだ。

「化粧品で眉の色変えても、マクゴナガルは点をくれると思う?」

「くれるよ、マイナスの点をね」

 カイザル鬚を生やしたロンに見つめられ、ハリーは必死に笑いを堪える。

 他の生徒もカイザル鬚に気づき、思わず噴き出す。やがて、小さなクスクス笑いがあちこちで起こり、ロンは一気に落ち込んだ。

「貴方の髪と同じ、素敵な鬚よ。大人になったら生やしてみて」

 ハーマイオニーの励ましでロンは自らの鬚を上機嫌に触った。

 

 容赦のない授業は終わり、夕食の為に大広間へ向かう。

「晩餐会みたいに料理が出るなら、夕飯は食べないほうがいいさ? 4年生の時はそうだったさ」

「今回は立食パーティーだと思うの。両親に連れられて行ったことあるけど、お喋りばっかりで食べている余裕なんてなかったわ」

 レイブンクロー席にて、ハーマイオニーはミートスパゲティを食す。夕食時に彼女がクローディアの隣に座るのは、久しぶりだ。

「ハリーは今夜の内にスラグホーン先生から聞き出そうとするさ?」

「まさか! お父様に相談してからするって決めたようだし、その心配は……多分ないわ」

 微妙な間にハーマイオニーの葛藤を感じる。ハリーは時折、突発的な行動に出る。彼女がその場に居ても、諫めるどころかご一緒してしまうので絶対的な確信が持てないのだ。

「ハーマイオニーがこっちの席にいるなんて珍しい。あら、相方のロンは?」

「ロンは部屋にいるわ。支度に時間かかるって」

 ハーマイオニーの答えにマンディは含みのある笑みを返す。

「愛するハーマイオニーの為に今夜はおめかしってわけ?」

「……ええ、どんな仕上がりになるか楽しみだわ」

 からかわれていると気づいたハーマイオニーは余裕の笑みを見せつける。そんな彼女を視界の隅に入れ、クローディアはフレッドを想う。

 考える事が多すぎて、フレッドの服装についてまで気が回らなかった。彼がまともな格好で来訪してくれますようにと願った。

 

 リサの手を借りた盛装は文句なしに万全。

 黒と赤を混ざたドレスはジョージから貰ったカーディガンやお気に入りのイヤリングと調和が取れている。

「さっすが、リサ。私じゃないみたいさ」

「ふふーん、私はコーディネートの才能があるんですわ」

 自信満々のリサに髪も結われてお終いだ。

 何度履いても慣れないヒールに気を遣いながら、クローディアはベッロをお供に待ち合わせの玄関ホールに向かう。

 夜の8時だというのに、そこは女子生徒でごった返す。パーティーの賓客をせめて一目見ようと群がっているのだ。

「よお、クローディア。そっちのパートナーはまだか?」

 赤と金の縦縞燕尾服を着込み、オールバックに纏めた髪型は上品な印象を受ける。一瞬、コーマックと分からない程の英国紳士に見えた。

「俺のパートナーも外から呼んだんだ。どいつもこいつもパーティーに連れて行ってくれってうるさくてな」

 『隻眼の魔女像』に手をついてもたれかかり、コーマックは面倒そうに肩を竦める。耳敏く聞き取った女子の視線が痛い。

「それは照れ隠しに聞こえるさ。どうしても、その子を呼びたかったさ?」

「……呼びたい女子は全員、先約があったから仕方なくだ」

 唐突に優しい声色と視線でクローディアを眺め、コーマックは姿勢を正す。彼の視線の向こうには引率のフリットウィックと来客2名の姿がある。

 1人はフレッド、予想通りの色鮮やかなジャケットは以前見たドラゴン革製。予想通りに派手な格好にクローディアはげんなりした。

 『W・W・W』店主の登場に女子から拍手と歓声が湧き、フレッドも笑顔と手振りで応える。

 もう1人は意外や意外、クララだ。青空のようなドレスと雲のように靡く髪がこちらも愉快にさせる。

「やあ、2人とも。遅くなってすみません。検閲にちょっと手間取りましてね」

 フリットウィックの視線がフレッドへ向く。手間取った原因は間違いなく、彼だ。その証拠に企みが成功した笑みを微かに浮かべている。

「フリットウィック先生、ありがとうございます。クララ、久しぶりさ。元気してたさ?」

「勿論、色々と話したい。コーマック、今夜は招待をありがとう」

「お礼は主催のスラッギーじいさ……先生に言っておけよ。後、入城を許した校長な」

 和気藹々と話す3人と違い、フレッドはわざとらしく不貞腐れる。

「僕は無視か? いいよ、勝手知ったる我がホグワーツ城だ。好きに行くよ」

「フレッド、君はもう部外者である事実を忘れておりませんかね? さあ、スラグホーン先生のお部屋まで案内しましょう。離れないように!」

 群がってくる女子生徒を杖一振りで壁まで離し、フリットウィックは道を作ってくれた。

「そういえば、クララはどこの部署に配属されたさ?」

「つい最近までここの生徒だったのに、随分と昔のように思えるわ。聞いたわよ、ジョージと婚約したんですって? おめでとう」

 何気なく質問すれば、クララは聞こえない振りをして話を逸らす。

「『偽の防衛呪文ならびに保護器具の発見ならびに没収局』」

「ちょっと、コーマック!? 折角、黙っていたのに」

「あれ? なんか聞き覚えがある部署だな」

 いとも簡単にバラしたコーマックへクララが顔を真っ赤にして抗議し、フレッドはわざとらしく微笑む。

「……ああ、ロンのお父さんの部署さ。今こそ重要な役目さ、クララ……」

「そう言ってくれるのは貴女達くらいよ」

 思い出したクローディアが呟いた瞬間、クララは頬を膨らませる。

「……親族どもに色々と言われたんだよ。察してやれって」

「あんたに察してやれとか言われたら、素直に「はい」って言えないさ」

 コーマックに囁かれ、クローディアが溜息を吐いたと同時にパーティー会場に着く。賑やかな雰囲気の部屋と違い、その前にはハリーとドラコが立っていた。

 ハリーは以前のパーティーに来ていたドレスローブ、ドラコは一目見て高級そうな黒いビロードを纏ってる。それなりに盛装した2人と目が合い、5人は自然と足が止まってしまう。

「さあ、皆さん。折角のスラグホーン先生の厚意です。問題を起こさないように」

 フリットウィックに追い立てられるように6人は会場へ押し込まれた。

 拡張魔法で開くなったはずの部屋は人々で混み合い、暖房いらずの熱気に包まれる。

 優美と優雅な垂れ幕や襞飾り、それに合わせた凝った装飾のランプ、まるで社交界の場だ。賓客らしき年配の魔法使い達がパイプを吹かせているのも雰囲気を出している。

「ハリー、本当にドラコ=マルフォイを誘ったんだな」

 クローディアが場の雰囲気に感心していると、フレッドが初めて乾いた笑みを見せた。

「今日は楽しめよ、ドラコくん」

 皮肉たっぷりに告げ、コーマックはクララと主催のスラグホーンへ挨拶しに行く。勿論、ドラコは目の前を通り過ぎる2人など眼中にない。視界の隅から逃がさぬかのように、横目でクローディアを睨んでくる。

「こんばんは、ハリー、マルフォイ。ハーマイオニーとジニーはどうしたさ?」

「僕は見てないよ。フレッド、久しぶり」

 睨む割にはドラコから返事はなく、ハリーだけが普段通りだ。この状況に苦笑したフレッドは片手を上げて挨拶を返す。

「これはこれは、ハリー! 待ちくたびれた! さあ、さあ、こっちへ是非、会って欲しい人物が大勢いる!」

 体格を覆い隠すビロードを着て盛装したスラグホーンはハリーの返事を聞かず、その腕を掴む。咄嗟にフレッドの腕を掴む。クローディアの助ける隙もなく、彼らは突風のように人混みの中心へと突っ込んでいった。

(ハリー……、せめてこっちを連れて行って欲しかったさ……)

 置いて行かれたクローディアとドラコは確認し合うように視線が絡む。

「あれは双子の片割れだな。乗り換えたのか?」

「答える義務はないさ。んじゃ、パーティーを楽しんで欲しいさ」

 この人混みでも、クリーチャーはドラコを監視している。仮に彼が問題を起こそうモノなら、客人に紛れた闇払いが放って置かない。

 背中にドラコの視線を感じながら、クローディアはベッロを肩に巻きつける。歓談に夢中な賓客達を避けながら、ハーマイオニーを探す。

 人生経験豊富な彼らは蛇を首に巻いたクローディアを驚かない。しかし、強い意識を向けてくる連中はいる。スラグホーンが厳選した客人、故に『死喰い人』ではない連中だ。

 それ以上は考えない。

「クローディア、良かった。ハーマイオニーを見なかった?」

 ロンの声に振り返れば、知っている顔に立派なナマズ鬚が生えていた。思わず、他人の振りをしたくなる程、似合っていない。笑いを必死に殺す。

「……鬚、たった数時間で立派になったもんさ」

「だろう? 昼間の鬚より伸ばして見たんだ。それより、ハーマイオニーだよ。この人混みじゃ同じ部屋にいても見失っちまうぜ」

 不格好なパートナーから離れたかったが、ロンを傷つけぬように逸れたのではないかと勘繰る。

「んで、クローディアのパートナーはどこで代わっちまったんだ? フレッドは?」

 露骨に嫌な顔を晒し、ロンは問いかける。疑問と嫌な予感に振り返ると、ドラコが当たり前のようにクローディアより二歩下がって傍にいた。

 全く気づけず、正直に怯む。

 悲鳴を上げなかっただけ、クローディアは自分を褒めた。

「あいつは無視していいさ。ハリーはスラグホーン先生に連れて行かれ、フレッドも巻き込まれたさ」

「スラグホーン先生も空気読んで欲しいぜ。行こう、ハリーならすぐに先生を巻いてベランダとか壁際にでも逃げるって」

 ドラコから姿を隠すようにロンはクローディアの前に立ち、奥へと誘導する。

「ジニーとディーンはさっき見かけた。ネビルはウェイターの格好で飲み物配ってたぜ」

「トレローニー先生を見かけたよ、酔ってた」

「っ! ルーナ、いつの間に……」

 ルーナはそのしなやかな手つきで腕を絡め、後方のドラコを睨まない程度に見やる。

「コリンとはぐれちゃったんだもン」

「カメラの音を追いかければいいんじゃね?」

 クローディアが先頭に立って人混みを搔き分ける。逸れないように列になってルーナの腕をしっかり掴んで進む。おおげさかもしれないが、歓談を楽しむ人が大きく腕を振ったり、列を横切るので意外と見失ってしまうのだ。

 案の定、クローディアの前を遮るように背の高い男が現れる。目の下の化粧のような隈が印象的で、飢えた目つきを隠さず、彼女を見下ろす。その口にはミートパイが含まれ、微妙にリスっぽい顔になっていた。

 ベッロが小さく威嚇すれば、男は身構える。

「サングィニ! 勝手に行くんじゃない!」

 呼び声を聞き、サングィニと呼ばれた男はゆっくりとした動作で声のほうに進んで行った。

「エルドレド=ウォープルだよ、あの声。今のは彼の友人、吸血鬼だもン」

 簡単で当たり前のような説明を聞き、驚く。生まれてからホラーでは定番のひとつ吸血鬼と会えたというのに、碌に挨拶も出来なかった。

「よく知っているさ、ルーナのお父さんの友達さ?」

「さっき、スラグホーン先生に紹介して貰ったんだもン。クローディアも吸血鬼に興味ある?」

 学術的興味としてはある。だが、現状として色々と精一杯の状態であるが故に自ら関わろうとは思わない。ただ、再び会える機会があるなら話はしてみたい。しかし、想像していた吸血鬼より血色も良く、ただの連日徹夜明けの人という印象を受けた。

「寝る時は棺桶ですか? って、聞いてみたいさ」

「……それってマグルのブラックジョーク?」

 ルーナと話しながら、人混みを抜けて無事にベランダへ着く。

 一安心して周囲を見渡すが、何故か、クローディアとドラコしかいなかった。

「なんでさ! 私、ルーナの手を握っていたはずさ!」

 手を見やれば、ベッロの尻尾である。ルーナにしがみ付かれていた己の腕も誰かのケープだ。思い返してみれば、吸血鬼サングィニと鉢合せた段階でロンの声が聞こえなかった。

 しかも、ベランダにハリーどころか誰もいない。

「っぷ、間抜け」

 久しぶりにドラコから小馬鹿にされる。視界の隅で彼の表情を見れば、憎たらしいまでに嘲笑を浮かべている。

(下手に動くと行き違いになる。……それに何処へ行こうと着いてくるしさ、ここで待つさ)

 視線でベッロに語りかけ、頷き返される。

「お飲み物は?」

 さりげなく現れたネビルは2人の組み合わせに、笑顔を強張らせる。

「ネビル……、その服似合うさ。自前さ?」

「スラグホーン先生が用意してくれたんだ。あっちにジニーがいたよ、一緒に行こう」

 ネビルの持つお盆からグラスを受け取り、クローディアは背後のドラコを意識する。勿論、彼は飲み物を拒むが視線は変わらない。

「私はしばらくここにいるって、伝えて欲しいさ」

 了解したネビルは慌てず、騒がずに人混みへと紛れて行った。

 グラスを一口、口に含んで熱気で乾いた喉を潤す。酒ではないが、炭酸入りカボチャジュースという感想しか浮かばず、クローディアの口に合わない。

 つまりは不味い。

「飲むさ?」

 不味さを表情に出さず、グラスをドラコへ差し出す。予想通り、無視された。不味い飲み物だが、勿体ない為に一気飲みし、通りかかった『屋敷妖精』へと回収して貰う。

 ベランダへと足を出しても、外の風が肌に触れているのに肌には暖かさがある。室内の熱気ではなく、何らかの魔法とわかる。

「こんなに暖かくなる魔法があるなら、廊下とかにトイレにも使って欲しいさ。マルフォイもそう思わないさ?」

 当たり前のようにベランダまで着いてきたドラコに話を振っても、やはり返事はない。

「ずっと授業で学んだ吸血鬼を目に出来るとは思わなかったさ。あんた、あんまり驚いてなかったけどさ、吸血鬼を見慣れているさ?」

 無言どころか、目も逸らされた。

 その様子から、ドラコにとってスラグホーンの賓客達との接触は重要ではないと推理できる。それとも、この会場に姿を見せる事そのものが目的かもしれない。

 以前のドラコなら、如何にも情報通であると示すように不敵な笑みを浮かべてヒントのような言葉を口走っていた。実に分かりやすい性格だったが、それも揺ぎ無いはずの父親の後ろ盾があってこそだ。

 その父親ルシウスはお仲間と一緒に吸魂鬼のいないアズカバンだ。

 クローディアの中で相手を罵りたい気持ちが沸々と湧き起こる。

「ルシウス=マルフォイが投獄されてから、あんた、随分と無口になったさ。よっぽど、お父上がいない今の状況が不安さ」

  一瞬、ドラコの口元が痙攣をする。ようやく、反応らしい反応が見れた。やはり、彼は今の状況を不安というより、怖れている。

 だからと言って、命を狙われてやる理由にはならないし、ケイティを巻きこんでいい理由にもならない。

「まあ、あんたのお父さんは『死喰い人』のリーダー的な人だったさ。そういえば、今のリーダーは誰がやっているさ? 純血は勿論だろうけどさ、お家柄も関係してくるさ?」

 嫌味を含めて、適当な質問をいくつもぶつける。そこで純粋な疑問が浮かんだ。

「前々から思っていたんだけど……家柄の根拠って何さ? 由緒正しきブラック家とか……」

 魔法族にも身分があるとしてもその階級は今だ知らない。コンラッド達がその辺りをクローディアへ教えずにいたのは、学校での生活には特に必要ではなかったからだろう。

「『聖28一族』だ」

 風の音に混じり、ドラコの声が耳に届く。無知を憐れむ賢者のように呆れた口調だ。

「ようやく、まともに答えたかと思えば……『聖28一族』? 最初の魔法使いみたいなもんさ?」

 ベランダにもたれ、ドラコは夜景を見ながら語りだす。

「かつて、魔法族とマグルは確固たる隔たりを持ち、お互いの領分を弁えていた。しかし、『穢れた血』やスクイブどものせいで、混ざり者が後を絶たなくなった。純血の血筋を失う事を恐れたカンタンケラス=ノットが、その生涯をかけて調査した結果、間違いなく純血であると認定された栄誉だ」

 淡々と語るが、微かな高揚を感じ取る。誇りとして受け入れている様子から、マルフォイ家は含まれている。カンタンケラス=ノット、ほぼ間違いなくセオドールの親族だ。

「……だから、自分達は偉いってわけさ? まるで王様さ」

「魔法界に王はいないが、ブラック家は実質的な王族だった……。今では見る影もないがな」

 耳を疑う情報に動揺し、思わず唾が噴き出す。吃驚したベッロはクローディアから逃げた。

「……ブラックが王族、嘘でしょうさ!? あんなおっさんが王族……ぷぷっ! くく、だめ……苦しい」

 昔見たアーサー王の映画を思い出し、その衣装を着たシリウスを想像してしまう。抑えきれない笑いに腹筋が痛む。笑いをとめようとベッロの尻尾によって、クローディアは叩かれる。良い音に弾かれ、頬口が痛んでも堪えられる。

 真面目な雰囲気で笑う場面ではなかったと反省する。

 頬を撫でてから、ドラコを見やると睨みとは違う視線を向けてきた。

「君は……僕達が……父上が憎くないのか?」

 何の裏もなく、ただの質問。純粋な疑問。

「許してない」

 ならば、返す言葉もただの回答。嘘偽りのない、今の心情。

「予想通りだな」

 嘆息したドラコは一度、瞼を閉じる。閉じたまま、クローディアの眼前まで歩み寄ったかと思えば胸倉を掴む。ベッロが威嚇しながら、尻尾を叩きつける。彼は空いた手で尻尾を受け止めた。というより、腕にわざと絡めてベッロの動きを制限していた。

 杖を使わず、ドラコは接近戦に十分対応できている。意外すぎて心臓さえも驚き、胃が引き攣る。

「甘く見るなよ、僕の傍にはクィリナスもいるんだ」

「それはどういう……!?」

 最後まで言えなかった。

 言えるはずなかった。

 問いかける唇はドラコの唇によって塞がれたからだ。ベッロも驚き、顎が外れんばかりに呆然と口を開ける。

 呼吸の仕方もわからず、クローディアは息を止めて瞬きもせずに置く。ドラコも決して目を離さない。

 

 ――バアン!

 

 窓に叩きつけられる音でドラコはようやく唇を離す。新鮮な息を求め、クローディアは咳込む。

「……スネイプ先生……」

 息絶え絶えにクローディアは窓辺にいた黒衣の教授を呼ぶ。眉間の皺は深く、どちらにも鋭い眼光を向けている。

「ミス・クロックフォード、ミス・グレンジャーが君を探しておりましたぞ」

 返事をせず、クローディアはスネイプの横をすり抜ける。

「寮へ戻ってはどうかな? ドラコ」

「お気遣いなく、先生」

 離れながらも2人の会話が耳に入る。スネイプに対し、ドラコは冷たく吐き捨てていた。

 しかし、クローディアは彼らに意識を向ける余裕はない。

 唇を奪われた。貴重なファーストキスというだけでなく、ドラコに接近どころか接触を許してしまう。彼に殺す気があれば、あの一瞬でクローディアの命は終わっていた。

 今頃、ゾッとした寒気に襲われる。

(……クィリナスとか言っていたが、あいつが何か教えている?)

 ほくそ笑むクィレルの顔が浮かび、怒りが湧く。

「クローディア、何処に居たの? フレッドは一緒じゃないの?」

「ほほ、これだけの客人じゃ。ホラスはもう少し部屋を広くしても良かったのお」

「……クローディア、口紅が擦れているわ。どうしたの?」

 ハーマイオニーとダンブルドア、ジニーだ。

「さっき、飲んだせいさ。人が多くて汗も掻いたしさ」

 頼もしく親しい顔を見れて、クローディアは知らぬ内に安心した笑みを浮かべる。ベランダに置いてきたベッロは気になったが、スネイプがいるなら身の安全は保障される。我が身可愛さで先に逃げた事を恥じた。

「こんばんは、校長先生も招かれていたんですね」

「そうじゃのう、招かれてはおらんが来るなとも言われておらんでの。ドラゴンタルタルなどいかがかな? 実に独特な臭いじゃ」

 穏やかな笑みと共に一口菓子を勧められたが、出来るだけ丁寧に断る。

(ハリーの宿題の様子でも見に来たさ?)

 あるいは敵が紛れ込んでいないか、ダンブルドア自ら警戒に当たっているのだろう。

「ジニーはディーンと一緒じゃなかったさ?」

「とっくに逸れたわよ。もしかしたら、帰ったかも。ルーナ、見なかった?」

 クローディア達が雑談している間も、次々と賓客達はダンブルドアへ挨拶していく。

「校長先生、ここにいたんですか?」

「ご無沙汰しております。ダンブルドア、こんな中で手袋なんかして暑くないんですか?」

 ハリーとフレッドは賓客に紛れ、スラグホーンから逃れられた。

「わしの身を案じる者からの贈られたんじゃ、似合うじゃろ?」

 手袋を自慢するダンブルドアにハリーとフレッドは繁々と見つめていると、ルーナとロンもやってきた。

「ジニー、ディーンがさっき帰っちまった」

「でしょうね、OK」

 ロンとジニーが話す中、ルーナはクローディアの腕に絡まるケープを見やる。

「それトレローニー先生のケープだもン」

「げっ」

 クローディアが呻いた瞬間、疲れ切ったコリンとも合流できた。

「持ってたネガ、全部、使っちゃった……」

 会場の熱気はまだ冷めやらず、しかし、クローディア達は頃合いを見て抜ける。

 フレッドはちゃっかりハリー達に着いて行き、久方ぶりにグリフィンドール寮へ潜りこむ気だ。前から相談していたのか、ロンは『透明マント』で己の兄を隠した。

 ハーマイオニーの鋭い視線を物ともせず、グリフィンドール組は寮へ帰る。彼女だけクローディアとレイブンクロー寮へ来た。

「お帰り、どうだった?」

「あら、ハーマイオニー。ロンと何かありまして?」

 パドマとリサに出迎えられ、クローディアとハーマイオニーはげっそりとした疲労感に襲われる。

「クララから元大臣バグマンのお話を聞いたぐらいよ、おもしろかったのは」

 ハーマイオニーが話す中、クローディアは何気なくドラコの唇を思い出す。正直、皮膚がぶつかったという感想しかない。しかし、改めて不快感が唇に纏わりついた。

 今夜。起こった事はハーマイオニーは勿論、ハリーやロンには伝えなくてはならないし、スネイプに見られたという事はいずれコンラッドの耳にも入るだろう。

 故に、今、この時間だけは忘れたかった。




閲覧ありがとうございました。
どうして、ここでキスしちゃったんだろう……。自分でもわかりません。

●エルドレド=ウォープル
 吸血鬼関連の著者。
●サングィニ
 ウォープルが連れてきた吸血鬼。吸血を我慢しているせいか、無口。
●カンタンケラス=ノット
 【純血一族一覧】の著者(書籍事態は公式では匿名)。純血を保つのを助ける目的で出版した。
 


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10.クリスマスの集い

閲覧ありがとうございます。更新遅くてすみません。展開も遅くてすみません。

追記:18年1月8日、誤字報告により修正しました。


 冬季休暇をロンの家『隠れ穴』で過ごすクローディアは、ハリー、ロン、ジニーと共に馬車へ乗り込む。ハーマイオニーやジャスティンのように居残り組は玄関ホールまで見送りに来た。

「おばさまによろしく言ってね、メリークリスマス」

「「「「メリー・クリスマス」」」」

 何故かコリンは弟のデニスに見送られ、馬車へ乗り込んでいる。

「コリンは何処に行く気さ?」

「ルーナの家でバイトするって聞いたわ。もうそのままお婿に行けばいいのに」

 クローディアの疑問に答えたジニーは皮肉っぽく笑い、首のマフラーで口元まで覆う。

「ディーンの姿が見えねえなー、城に残るって聞いたのになー、どうしてかなージニー?」

「ロン、ジニーの呪いが飛ぶ前にやめなよ」

 半笑いで見送り生徒を見渡し、ロンは皮肉たっぷりにジニーをからかう。ハリーの窘めも聞かず、馬車の窓から顔を出した瞬間、セストラルは走り出す。座っていなかった為、赤髪の後頭部を窓枠にブツけて悶絶した。

「これが……ジニーの呪いか」

「人のせいにしないで」

 ロンは妹の破局に朝から機嫌が良い。それが非常にうっとおしく、ジニーの機嫌は悪い。

(まさか……ジニーとディーンが別れるとは……)

 先日のクリスマス・パーティーにて混雑した会場で誰もがバラバラとなり、ディーンはパートナーであるジニーを探さず、さっさと帰った。

 その件を決めてとして、2人の関係は終わった。

「あ、あれさ! ロンの家まで誰が護衛してくれるか、誰か聞いているさ? いろんな人に会えるから、今回は誰が来るのか楽しみさ!」

 正反対の機嫌状態である兄妹のせいで微妙な空気に耐えきれず、クローディアはわざと明るく振舞って確認する。

「ハグリッドじゃない事だけは確かだね。一番の可能性はトトさんだと思う」

 

 ――ドガッ

 

 冷静に推理するハリーが言い終える前に馬車が外の力から揺らされる。馬車の上に何かが乗ってきた揺れ方だ。

 敵襲と思い、4人はすぐに杖を手に構えて背中を預け合う。

「正解じゃ、ハリー」

 風や馬車の走る音よりも、聞きなれた渋い声がよく通る。何故、窓も閉め切った車内に声が届くのかは考えない。

 緊張を解いたクローディアは上を見上げ、安堵の息を吐く。

「お祖父ちゃん、脅かしっこなしさ」

「安心するのはちと早いのう。ワシが本物じゃと言い切れるか?」

 からかう口調にジニーは杖を下ろし、ひょうきんに肩を竦める。

「まだ先生の助けは届く範囲だし、あなたは『死喰い人』に真似されるのを許すはずがないわ」

「ほお、己が師とワシを信じての事か……。まあ、よかろうて」

 トトが言い終えた瞬間、馬車は速度を上げる。車内の振動が激しくなり、4人は座席や取っ手を掴んだ。

「急いでおるので、このまま『隠れ穴』に向かうぞ。舌を噛まぬように歯を食いしばれ」

「このままって!?」

 ロンの驚きの混ざった質問に答えず、トトは胡坐を掻いた姿勢のまま両手をかざす。

〔開け、ゴマ〕

 よく知る日本語を聞き、クローディアは窓ガラスに顔を張りつけて外を見る。

 降り注ぐ雪が収束され、馬車の通れる両扉へ形を成す。雪の扉が開いたかと思えば、馬車は吸い込まれるように中へと飛び込んだ。

「ぎゃあああ!」

 混乱したロンの叫びを聞きながら、雪の扉を通り抜ける。そこは勿論、ロンとジニーの家であり、クローディアとハリーは何度もお世話になった『隠れ穴』の敷地だ。

 飛び込んだ勢いと違いは静かに停止し、ほっと胸を撫で下ろす。束の間、突然に戸が開いて4人は馬車から放り出される。クローディアとハリー、ジニーは受け身を取って着地したが、ロンは無様に顔面から転がった。

〔閉じよ、ゴマ〕

 既に地面へ降りていたトトは馬車を雪の扉へ戻してから、また日本語で呟く。音もなく閉じた扉は本物の雪として霧散した。

「なんでこんなに乱暴なの?」

 嘆くロンにハリーは手を貸して起こす。家から血相を変えたモリーは飛び出す。

「ロニー坊ったら、泥だらけに! ハリー、ジニー、クローディアも皆、無事ね。寒いでしょう、温かいスープを用意しているわ。さあ、入って!」

 ハリーとロンの腕を掴み、半ば強引にモリーは中へ連れ込む。自分達が偽物かもしれないという疑いを持たないあたり、この到着は予定通りのようだ。

「私もゆっくり帰って来たかったわ」

 フラーに皮肉っぽく答えるジニーはさっさと家に入る。クローディアもトトと着いて行く。

「この魔法、アーサーさんに知られたら厄介とか言ってなかったさ?」

「文句を付けられたら、厄介じゃと言ったんじゃよ。今はそうも言うてられんしな」

 使えるモノはどんな魔法でも何でも使う。そんな状況だ。

 モリーに見守られながら、クローディアは家の中に足を踏み入れた。

「おまえはこのまま家におれ。いいか、家の敷地から出るでないぞ」

「お祖父ちゃんは何処へ……いねえさ……」

 振り返った時にトトはおらず、モリーは唐突に視界から人が消えたというのに気にせず扉を閉める。年配に礼儀正しいはずの彼女が挨拶どころか、トトの顔も見ていなかった。

 コンラッドのよく使う認識をズラす魔法だ。

(私も身に付けたい、影に変身しても気配断ちまでは出来ない……もう『死喰い人』には通じないし……)

 この家に来たのは久しぶり、ドリスが亡くなった日以来。

 クローディアは物思いに耽る。家庭的で温かい雰囲気は以前と変わらないが、家族の存在を示す柱時計は「命が危ない」を指していた。

 【予言者新聞】や【ザ・クィブラー】を読むよりも、危険を身近に感じる。

 モリーは毎日、この柱時計を見ながら過ごす。確実に安否の確認ができる安心よりも、いつ最悪の知らせを受ける恐怖のほうが大きいだろう。

「さあ、クローディアもどうぞ」

 モリーは穏やかな笑顔でスープを差し出してくれる。ハリー達はさっさと飲んで体を温める。クローディアも一口のみ、カボチャの味が臓物に沁み渡る。

「美味しいです」

「そう、我が家の味よ。貴女にも覚えて貰うわ」

 スープの感想を述べた時、モリーは優しい声とは裏腹に血走った笑顔を見せた。

「私は荷物の整頓してくるわ」

 己の母の表情の意味を察し、ジニーはこの場を離脱する。

「僕も……」

「ロンは芽キャベツを剥いて頂戴」

 モリーは有無も言わさぬ口調で流しの芽キャベツの山を指差す。逆らわず、ロンはすごすごと流しへ座り込んだ。

「僕もやるよ」

 ハリーも身を屈め、ロンの隣で芽キャベツを編み籠へ移す。

「私も芽キャベツ……」

「クローディア、お昼まで時間があるわ。ちょっとお話しましょうね」

 眉間に皺を寄せ、口元を痙攣させた笑顔は怒っているとしか言いようがない。まさにどうしようもない我が子を叱る親の顔だ。

「こんな状況だと不安になって結婚に走りたがるって言ったわよね? わざわざ例まで出して早まった真似はしないように忠告したわよね? 貴女達の関係を疑っているわけじゃないわ。けどね、順序というものがあるのよ。貴女は卒業すらしていないじゃない。しかも癒者を目指しているんでしょう? 癒者は悪くないわよ、勿論。けど、正式に資格を得るまで何年もかかるって途中で挫折するのよねえ。私の同期でもいたわねえ、今は何をしているかしら?」

 段々と主体がなくなってきたが、モリーはくどくどと小言を述べる。弁解の余地などないクローディアは正座してしっかりと聞き入る。

「もうこんな時間ね、やだ御飯の支度しなくちゃ」

 一時間以上も続き、モリーは我に返ったように小言をやめる。椅子の上で足を崩し、クローディアは気づかれぬように息を吐く。

(この程度で良かったさ)

 げっそり痩せた気分だが、トトの反応よりマシだ。

(そういえば、学校にはグリフィンドールの剣があったさ)

 魔法界に伝わる名剣でも持ち出され、モリーから決闘でも申し込まれては始末に負えない。また剣を振り回して襲ってくる姿を想像し、寒気で身震いした。

「お昼は私とベッロで用意したわ。ママったら、何度呼んでも喋るの終わらないんだもの」

 椅子で高さを得たベッロは尻尾でお玉を器用に使い、ジニーと手分けして皿へポテトサラダをよそっている。

「僕らの剥いた芽キャベツが無駄になったよ!」

「それは夕食に使うの。ありがとう、ジニー。お客さんのベッロまでお手伝いしてくれるなんて」

 愛娘と蛇に感謝のこもった笑みを向ける。切り替えの早さに誰も何も言わない。

 食事を終え、クローディア達はクリスマス・イブの為も装飾や料理の準備に勤しむ。

「それじゃあ、分担を決めましょうか? ロン、ハリーは引き続き芽キャベツ。ジニーとクローディアは飾りつけて。ベッロは私と料理」

「少しは休みたいな、帰ってから働かされっぱなしだ」

「早く終われば、その分休めるよ」

 おおげさにロンは溜息をつき、ハリーは優しく励ます。

「折角だから、家具も動かしましょう。クローディアはそっち持って」

 ジニーの指示で椅子を取っ払い、暖炉を囲むようにソファーを置く。それが済めば、装飾用の紙細工にかかる。クローディアは雪結晶作りに取り掛かった。

 台所にいたはずのハリーがこっそり寄り添い、自然と密接して囁くように尋ねてくる。

「クローディア、マルフォイとキスしたの?」

 手が滑った勢いで指にハサミが食い込む。意外に深く切り込み、血が滴るよりも動揺すべきは他にある。

「誰に聞いたさ?」

 この寒い日に冷汗で背中がぐっしょり濡れ、目がキョドキョドと泳ぐ。

「たっだいまー、クローディア! 俺が帰って来たよー」

「やあやあ、我が妹と弟とハリー、そして我が義理の妹よ。ようこそ!」

 双子は陽気な決めポーズを構え、『姿現わし』にて参じた。

 再会の嬉しさより、クローディアは間の悪さで青褪める。

「お帰りなさい。貴方達、ちょうどいいわ。庭から人参を取ってきて」

 挨拶もそこそこにモリーはさっさと指示を出す。慣れ切った双子は簡単に返事をし、『姿くらまし』して自室へ消えた。

 かと思えば、庭から笑い声が聞こえてくる。

 ジョージが外にいる確認をし、指先を舐めて治癒の魔法で治す。作業しながら、ハリーへと肩を寄せた。

「(それで……私とマルフォイが何さ?)」

「(……パーティーの時、君達と合流する前にスネイプとマルフォイが2人でいたから、ちょっと聞き耳を立てたんだ。君、マルフォイ相手に油断しすぎだよ。唇じゃなくて、命を奪われたらどうするんだい?)」

 静かな声は怒りを含む。

「……反省してます」

「本当、反省して。まあ、今回は犬に噛まれたと思って忘れなよ」

 途端に慰めてくるハリーの態度が傷口に沁み、羞恥心で体温が上がってくる。段々と耳元まで真っ赤になる程、体温は上昇した。

「ジョージは勿論、ハーマイオニーに言わないでさ……」

「言い触らす趣味はないから」

 確かにハリーは口も堅いし、秘密も守る。彼への信頼を思い出し、深呼吸した。

「もう少しどうにかならないかな……」

 クリスマス・ツリーを豪華に飾りつけても、ジニーは不満そうに上から下を眺める。

「我が妹よ。これはお役に立つかな?」

 庭から帰ってきたフレッドがジニーに何か渡し、彼女は閃きに笑みを浮かべる。クローディアの作業が終えてツリーの天辺を何気なく見上げた時には、付け加えられた天使に睨まれた。

 あまりに不細工な天使が庭小人だと気づいても、ジニーの満足そうな表情からクローディアは余計なツッコミを控えた。

 

 全ての支度が整った頃、アーサーはシリウスとリーマスを連れて帰宅した。

「お帰りなさい、アーサー!」

 モリーからの抱擁を受けても、勤務疲れ丸出しのアーサーは笑みさえ返せていない。夫の心労を理解し、妻もそれ以上の反応は求めない。

 シリウスも疲れ切った顔でハリーを抱きしめる。彼も負けじと抱擁を返す。

(ブラックが……王子……白タイツ……ぷぷ!)

 勝手な想像を思い出してしまい、クローディアは咄嗟に両手で口を押さえる。

「もしかして笑ってる?」

「シリウス、どこかおかしい?」

「なんでも……ぷぷ、ない……本当……」

 興味津々な双子の追及を受けても、必死に笑いを堪える。一度、笑いのツボに入ってしまえば止めようにも止められない。シリウスを見ぬようにしたいが、想像が目の裏に焼き付いて離れない。

「駄目……、本当、勘弁」

 原因に背を向け、クローディアはジョージに優しく背を撫でて貰う。それでようやく笑いが治まる。その間に

ジニーとロンはリーマスと挨拶を交わす。

「わお、大所帯だな」

 暖炉からビルとフラーが帰る。喜んだモリーは息子にだけ飛びつく。

「本当にフラーさ」

「ええ、残念ながらね」

 フラーの姿に懐かしむクローディアへジニーは露骨に顔を歪める。

「やあ、ジニー。クローディア、ジョージとの婚約おめでとう。君も俺の義妹だな」

「久しぶりさ、ビル。デラクール」

 気軽に挨拶するクローディアの手をとり、フラーは穏やかに微笑む。

「ご無沙汰しております、クローディア。どうか、名前で呼んでください。私と貴女、親戚になります。私の家族もとっても歓迎しています♪」

 手から背へと回り、フラーはクローディアを抱きしめる。香水とは違う香りが鼻についたが、人を安心させる匂いに少し心臓が高鳴った。

「俺もまだクローディアを抱きしめてない! フラーちょっと待って!」

 失礼のないようにジョージはクローディアからフラーを引き離し、自分が抱き締める。彼の匂いは『愛の妙薬』で嗅いだモノと同じだった。

「なあ、ジニー。……ディーンは呼ばなくていいわけ?」

「そっちもアンジェリーナは?」

 フレッドとジニーはお互いの質問に答えず、やれやれと肩を竦める。ロンは興味津々に目を輝かせるが、2人からの冷たい視線を向けられ、口を閉じた。

 合図も挨拶もなく、各々は食卓に並ぶ料理や飲み物を手に取る。ロンやジョージ、フレッドのように立ち食いし、ハリー達のようにソファーへ腰掛けた。

 ベッロが給仕係となって食事を運ぶ。

「ベッロったら、働き者ね。貴方も食べていいのよ」

 せかせかと動くベッロに感心し、モリーは満面な笑みを浮かべる。アーサーはソファーへもたれかかり、意識が半分も溶けかけている。

「ねえ、何を笑っていたの?」

「本当になんでもないさ」

 ジニーに問われ、クローディアは笑って誤魔化す。

「ふーん、絶対、シリウス絡みでしょう?」

 見抜かれている。また白いタイツのシリウスが浮かび、必死に振り払う。

「……『聖28一族』? それによるとブラック家は王族って本当?」

 ベッロと目を合わせたハリーはシリウスに問う。昨晩、ベッロも一緒に話を聞いていた事を今、思い出した。

 寝ぼけ眼だったアーサーが背筋を伸ばし、ハリーを且目する。

「よく知っているね、ハリー。随分と昔、話題になった本だよ。あれは様々な方面から批判を浴びていた。今では持っている人の話さえ聞かない。そういう本は忘れなさい」

 それだけ告げ、アーサーはソファーにもたれこむ。

「あれは私の母さえ、持たなかった」

 苦々しく吐き捨て、シリウスはハリーの頭を撫でる。

「それじゃあ、シリウスは王子なの? もしかして……『半純血のプリンス』もシリウス!?」

 期待に胸を膨らませたハリーの問いにクローディアは気づかされる。一晩かけて写した文章がシリウスの物だと思えば、奇妙な敗北感を味わう。

「何の事だがわからない……、そもそも魔法界に王子はいない。ブラック家が王族のような立ち位置だと勝手に思っている連中がいただけだ」

「そっか……、学校の古い教科書にその名が書かれていたんだ。いろんな呪文の書き込みがされてて、……その人が自分で発明した呪文の中に『レビコーパス(身体浮上)』もあったから」

 ハリーは急に声を細め、シリウスも気まずそうに視線を上へ向けた。

「その呪文は私達が学徒の頃、大流行したから誰が知ってても不思議じゃないな。なあ、リーマス」

「ああ、そうだね」

 暖炉を呆然と眺めていたリーマスは話を振られても、炎から目を離さず答える。

「それとクローディアが私を笑うのとどういう関係があるんだ」

 唐突にシリウスから真顔で返され、クローディアの笑い防壁が壊れた。

「駄目、無理、王子の格好、あははは」

 腹を抱えて笑うクローディアの姿にシリウスは呆然と眺める。笑いながら聞こえる単語を聞き、ハリーは考え込む。

「シリウスの王子姿を想像して、笑っているんだと思う」

「やめ、ハリー。白タイツ、ぷはははは」

「なんだ、勝手な想像で笑っていただけか……。それにしても、よく笑うな。この子がここまで笑うのを初めて見た気がする」

 クローディアはベッロから尻尾攻撃を受けるまで笑い続けた。そんな彼女に構わず、ロンはジョージやフレッドと爆発スナップで遊ぶ。

「一応言っておくが、ジェームズも何とかプリンスじゃない。あいつは純血だ。というか『半純血』って何だよ。混血じゃダメなのか?」

「その人についてはハーマイオニーが目星を付けているよ。けど、卒業まで教えてくれないんだ」

 ハリーはやれやれと肩を竦める。

「それより学校のほうはどうだ? ハリーは勿論だが、クローディアも学校から抜け出していないか?」

「僕達、そんなに抜け出してなんかないよ。それどころじゃないしね。授業は勿論だけど……ドラコの事もあるからね……。シリウス、本当にクリーチャーをありがとう。彼のお陰で僕の身は安泰だよ」

 色々とツッコミたいシリウスだが、詮索せずに一先ず頷いておく。

「クリーチャーは学校に置いて来たのか?」

「うん、ドビーに頼んできた」

 他愛もない話を続け、時間が経つ。何処からか歌が聞こえると思いきや、フラーだ。

「寝る時間になると、彼女は歌うの」

 正直、眠気も来ない。

 しかし、モリーは表情だけで眠りを促している。男性陣は渋々と宛がわれた寝室へ向かう。クローディアとジニー、フラーは片付けの為に残った。

 とはいえ、皆が楽しんでいる間にベッロがほとんど片付けてくれた為、クローディア達は食器の片付け程度で済んだ。

「いつも思うけど、男どもも片付けるべきじゃないさ?」

「ベッロも男よ」

「ビルに頼られています。任されて、幸せです」

 フラーはとても穏やかな表情を見せている。見方を変えれば、眠そうにも見える。

「ありがとう、早く片付いたわ。貴女達、もう寝なさい」

 モリーは目を擦りながら、クローディア達を上へ行かせる。ジニーの寝室には3台の寝台が詰め込んだように用意され、隅にはクローディアとフラーの荷物も運ばれていた。

「いつも、フラーはここで寝ているさ?」

「いいえ、いつもビルと2人きりです」

「ビルの部屋はリーマスとシリウスが使うの。ビルはフレッドとジョージの部屋、ロンとハリーは屋根裏。チャーリーは帰って来なくて正解ね。大所帯だもの」

 そこにパーシーの名は出て来ない。モリーの為に子供達だけになっても、彼の名は出さないように気遣っている。

「モリーさんはまだ起きているさ?」

「パパかビルが後から代わるわ。最近、交代で夜も見張っているの。勿論、あの2人もね」

 自分の兄を「あの2人」と纏めた。

「私は見張った事ありません」

「貴女は気にせず、寝て」

 フラーが数に入っていないのは、さっさと寝て欲しいというジニーとモリーの希望だろう。

「さて、クローディア。今夜、寝かせません。いっぱい、お喋りしましょう」

 満面の笑みでフラーから手を握られ、クローディアは暖かいはずの部屋で一気に青褪める。

「今夜はゆっくり寝られそう。お休みなさーい」

 上機嫌なジニーはさっさと寝巻きに着替え、布団に潜り込む。

「ジョージをいつからの好きになったのですか? どちらから告白したのですか? クローディアもここに住みますか? もしかして、既に新居をお持ちですか? 国内ですか?」

 フラーの好奇心や探究心を満たす質問に答えつつ、交わしつつ、夜は更けて行く。

 

「夜明けまで続けられませんでしたね、おやすみなさい」

 大満足のフラーが眠りについても、クローディアは眠気を通り越して目が乾燥状態だ。

(眠れない……)

 穏やかな寝息を立てる2人が憎らしく思いながら、飲み物を求めて台所へ下りる。

「リーマスは普通の魔法使いだ! ただ、ちょっと問題を抱えているだけだ」

 暖炉にはハリーとリーマスが話し、それを遠巻きに見るコンラッドがいた。到着し立てらしく、コートはおろかマフラーも取らない。

 予測できない組み合わせに瞬きし、眉間を解す。もう一度、彼らを見たが面子は変わらない。3人とも、クローディアに気づいて振り返る。

「お父さん、メリー・クリスマス。いつ来たさ?」

 クローディアの挨拶にハリーとリーマスは驚いてコンラッドを振り返る。2人は今、気づいた様子だ。

「グレイバックの名が出たところからだよ」

「……グレイバック? あの……人狼」

 人狼の生きる象徴、フェンリール=グレイバック。

 リーマスとは対照的な男。例えるなら満月に人を襲わぬように身を隠すのが彼なら、人を襲えるようにわざと人前に出るのがグレイバックだ。

 しかも幼い子供を襲い、攫っては自分好みに洗脳教育を施す。育てられた子供はグレイバックのように残酷な考えを持って、人を襲う。

「クローディア、グレイバックを知っているの?」

 感心するようにハリーは問う。

「会った事はないけど、良い噂は聞かないさ。……お父さん、あいつに会ったさ?」

「私だよ、今は人狼の仲間と棲んでいる。彼らのように地下に潜っているんだ」

 緊迫するクローディアにリーマスは穏やかな口調に似合わぬ大事を教えた。

「私にはお誂え向きだ」

 ハグリッドが巨人の集落を訪ねたように、リーマスも人狼達を相手に奮闘しているのだ。しかし、任務を誇りに思っているというより、自分自身もグレイバックと変わらぬ獣だと言いたげだ。クローディアにではなく、別の誰かに言い聞かせている口調だ。

「そう思うなら、お連中の前でも堂々としていたまえ。それでも、一時の気の迷いとはいえ、クローディアに好かれた男かい?」

 コンラッドは慰めもなく、機械的な笑みで冷たく言い放つ。

「気の迷いって何さ!? 私は本気だったさ!!」

 恥ずかしさと腹立だしさで思わず声を荒げ、クローディアはコンラッドのマフラーに掴みかかる。

「ええ……、クローディア……そうだったんだ……」

 何故か、ハリーは電撃を食らったように驚いた。

「そうだね、一時の本気だったね」

 よくやく普段の機械的な笑みを見せたが、今まで感じた事のない苛立ちを覚える。

「お父さんを殴りたいと思ったのは、生まれて初めてさ」

「殴っていいよ、返り打ちにするから」

 眉間にしわを寄せ、クローディアは口元を引き攣らせる。彼女の手を失礼のないように振り払い、コンラッドはマフラーを整える。

 親子の戯れに、リーマスは思わず小さく笑う。彼の笑顔を見てハリーは安堵の息を吐く。

「コンラッドさん、少し相談いいですか?」

 今度はコンラッドが衝撃を受け、口元を手で覆いハリーを凝視する。クローディアも本当に相談するとは思わなかった。

「……まあ、いいよ。しかし、ルーピンではなく私が君の役に立てるかな?」

「スラグホーン先生の事です」

「ああ、あの先生なら私は役に立たないな」

 驚いて言葉を無くしていたリーマスは納得する。

 ハリーはダンブルドアの宿題に関しては伏せ、スラグホーンから話を聞き出す手段について問うた。

「好物や貴重な品を渡せば、気を良くして何でも喋る……と言いたいが、それくらいで聞き出せる程度の内容ではないんだろう?」

 するすると現れたベッロはお盆に乗せたマグカップを4つテーブルへ置く。

「はい、絶対に隠し通すと決めている話です」

「ふうん……私自身、先生には隠し事をされるんだがね」

 言い終えた時、コンラッドは紅茶を飲み干した。

「ただ、その聞き出したい話が君に必要だと、先生が納得されれば……口を割るんじゃないかな?」

 それで話は終わりと言わんばかりに、コンラッドは空になったマグカップを流しへ持って行く。

「クローディアの顔を見に来ただけだから、もう行くよ。時間が惜しいんでんね」

 裏の戸口へ向かい、コンラッドは3人に背を向ける。

「コンラッド。今夜くらい一緒にいたら、どうだ?」

 ソファーから立ち上がり、リーマスは厳しい表情で強く引き留める。彼の態度にクローディアとハリーは驚いた。

「頼りになる君達がいるんだ。余計な私は必要ない」

 振り返らず、コンラッドは機械的な笑みで返す。信頼と皮肉が混ざる言葉から、本心を読み取るのは難しい。

 リーマスが口を開く前に、クローディアは深呼吸する。

「お父さん、行ってらっしゃい」

 背に声をかけられ、コンラッドは笑みを消して振り返る。対してクローディアは穏やかに微笑む。向かう目的も場所も知らないが、彼女は仕事に赴く父親を見送る気持ちだ。

「ここにいる間は、決して外へ出てはいけないよ」

 戸の開閉音もなく、コンラッドの姿は消えた。

「ハリー、相談はあれで良かったさ?」

「うん、説得じゃなくて納得させる……。参考になったよ。君は良かったの? 一緒に居て貰わなくても」

 リーマスも無言でハリーと同じ疑問を抱く。

「夏の間もいろんなところに連れて行かれて、いろんな人に預けられたさ。けど、必ず帰って来てくれたさ。今はそれでいいさ」

 素直な気持ちを述べ、2人は穏やかに納得してくれた。

「ところでハリーは何で起きているさ?」

「……ちょっと、ロンがうるさくてね。眠れないんだ」

 階段を下りる音で振り返れば、寝ぼけた面構えのジョージが降りてきた。

「ジョージ、見張りに来たさ?」

「うん、クビ引きで当てちゃって……あれ? クローディア、ハリーも見張り?」

 欠伸をしながら、ジョージはリーマスとバトンタッチを交わす。

「そろそろ交代の時間らしい。私は寝るよ、そうだ……。遅れたけどクローディア、ジョージ、婚約おめでとう」

 リーマスから祝われ、クローディアはただ感謝しか浮かばない。もう自分の中で彼への想いは恩師としての感情のみと実感した。

「僕も寝るね、おやすみ」

 ハリーなりに気を遣ったらしく、ウィンクしてリーマスの後に着いて行った。

 2人を見送りクローディアはソファーに座る。彼女へもたれかかる体勢でジョージも座り込む。肩に乗りかかる重さは心地よい。

 ベッロはジョージ分の紅茶を用意し、スルスルと階段を上って行く。

「気を遣わせたな」

 ハッキリとした口調でジョージに呟かれ、クローディアはようやく2人きりになれたと気づく。婚約した身とはいえ、急に恥ずかしさがこみ上げる。

(店のほうは……いや、こんな時に仕事の話は……)

 恋人の時間を知らぬ故、気の利いた話題が出て来ない。ツリーの天辺に無理やり飾られた庭小人を見ても笑いは起きない。

「クローディアはどんな家に住みたい?」

「家って……どの家さ?」

 クローディアが「家」と呼べる場所はふたつある。しかし、ジョージのいう「家」はそういう意味ではない。

「フラーがビルと結婚したら、家を建てるって自慢してたさ」

「そうか、フラーとそこまで話したか」

 ケラケラと快活に笑い、ジョージはクローディアの手を取る。

「それでクローディアはどんな家に住みたい?」

「……どんな家かは、まだ思いつかないけど……住むならロンドンさ」

 理想とかではなく、『W・W・W』や聖マンゴ病院へ通勤しやすいなどの立地条件だ。

「ロンドン……そうだな。ダイアゴン横町に家を構えれば……通勤は楽になる」

「住むならって話だから、家は私が癒者になってからでもさ!」

 顎を擦りながら、ジョージは頭の中でロンドンの土地価格相場を計算し出す。ただ口に出しただけで本気にされ、クローディアのほうが焦りだす。

「ジョージはどんな家に住みたいさ?」

「俺からの希望はひとつ、商品開発の部屋がある家だ」

 急に深刻な顔で頼んでくる。確かに店を繁盛させるには、更なる商品開発は絶対である。

「子供が勝手に試作品と遊んだら、危ないさ」

 クローディアは何気なく呟き、ジョージに同意を求めようとした。彼は深刻な顔から弛み切った笑顔へと変わっている。

「ああ! 子供の為に作ろうぜ!」

 ジョージの台詞と表情から、2人の子供を期待されている。一気に羞恥心で耳まで赤くなる。

「あらージョージちゃん、見張りご苦労様」

 足音も気配もなく、モリーは明るく挨拶してきた。口元と違い、その眼光は今にも呪い殺しそうな雰囲気を醸し出す。何故に背後から忍び寄ってくるのだ。

 怖れよりも呆れが勝る。

「皆のお陰でゆっくり眠れたわ。ちょっとごめんなさい」

 2人の間をお尻で強引に割り込み、モリーはソファーへ座り込む。

「クローディア、目が血走っているわよ。寝てないんじゃない? ここは私とジョージちゃんがいるから寝てなさい」

 誰が見ても、モリーの目が色々と血走っている。

「なんか寝付けなくて……」

「だったら、私が眠れるようにお話してあげましょうか?」

 クローディアはそれに答えず、寝室へ逃げる。ジョージも便乗して逃げようとしたが、モリーの魔法で足止めされた。

 

 窓から朝日の気配を感じた時、クローディアはようやく眠りに着く。そのせいで最後に起きた。

 枕元にはクリスマスプレゼントがひとつ、置かれている。例年なら同級生から心の籠った贈り物でいっぱいだが、こんなご時世だ。郵便物の強奪やクリスマスに便乗した危険物を警戒し、今年は贈らないと皆で決めた。

 ハーマイオニーへのクリスマスプレゼント交換は学校できちんと済ませておいた。だから、彼女ではない。

 ベッロに見て貰いながら、包装を解く。ジョージから、アイマスクだ。目に装着してみれば、眠気を誘う暖かさと匂いを感じる。しかも、マスクの向こう側が見える。寝ていると油断させておいて、周囲の様子も見れる。

 本当に眠りそうになった為、ベッロから尻尾の一撃を貰った。

「ロン、愛しているわ」

 皆のいる暖炉へ行くと、何故かハーマイオニーの声がする。しかし、姿はない。

「クローディア、起きるの遅いじゃん。見て見て、ハーマイオニーからのプレゼント」

 手編みのセーターを着たロンの手には一見すればオルゴールがある。

「この手を離さないで」

「愛の言葉をハーマイオニーが僕の為に言ってくれるんだ。ほら、ここに解説文も付けてくれたんだ」

 満足そうな彼の眼の下にはクマが出来ており、クローディアは色々と引く。愛の言葉に解説がいるなど、ロンの理解力まで気遣っている。

「ロンがそれでいいなら、いいんじゃないさ? というか……もしかいて寝てないさ? 一晩中、聞いていたさ?」

「うふふ、よくわかったね。ハリーったら、うるさそうに他の部屋に行ったんだよ。酷くない?」

 確かにロンは五月蠅い。これはハリーも逃げだすはずだ。

「僕、犬を抱きしめて寝るの。夢だったんだよねー」

 棒読みのハリーはあの後、犬に変身したシリウスと寝たらしい。確かにシリウスも上機嫌だ。

「ハーマイオニー、イカしたプレゼントだな」

「あのハーマイオニーが……頭のいい奴の考える事はわかんねえ」

 双子さえもハーマイオニーにドン引きだ。

 

 クリスマス・ランチも豪華だ。

 クローディアとフラー、そしてモリーを除いた全員がセーターを着ている。彼女は新しい帽子と金のネックレスを身に付けている。

「素敵でしょう、フレッドとジョージがくれたの。ビルも仕事を始めた頃はよく贈り物をくれたわ」

 あからさま過ぎだが、フラーは全くものともしない。代わりにジョージとビルが母の大人げなさに目元を手で覆う。

(そういえば、ハリーと噂された時もモリーさん怒っていたさ……)

 これが噂に聞く嫁イビリ、地味に精神的に来る。チマチマと攻撃されるくらいなら、トトのように真っ向から反対してくれたほうがマシだ。

「シリウス、クリーチャーからプディングを貰ったんだ。デザートに皆で食べよう」

 嬉しそうにハリーは箱に詰め込まれたプディングを見せる。おそらく、クリーチャーの手作りだ。『屋敷妖精』でさえ贈り物を用意している。

「ハーマイオニーは今頃、クリーチャーとプレゼント交換しているんでしょうね」

「こっちでお菓子でも作ってクリーチャーに渡すさ?」

「いいね、それ。モリーさん、材料分けて貰えますか?」

「優しいのね、ハリー。ジニー、お手伝いしてあげなさい」

 ハリーとジニーにだけ語りかけ、クローディアは無視される。

「優しいと言えば、かわいいトンクスも招待したのに来ないわねえ……。シリウス、リーマス、あの子と話した?」

「いいや、私は誰ともあまり接触してない」

「こういう日は、自分の家族と過ごしているだろう。トンクスは仕事柄、ほとんど家に帰らないしな」

 2人の解答にモリーは不満を隠さない。

「私、あの子は今日は独りで過ごしている気がしたのよ」

 モリーの八当たり口調から、トンクスをビルに宛がおうとしている。ジニーと同じ発想、やはり親子だ。

 不意に脳裏にはトンクスの両親が浮かぶ。

「トンクスのお父さんの腹は、スラグホーン先生並に立派だったさ」

「クローディア、それ全然褒めてないわよね。え、トンクスのお父さんに会ったの? 良いなあ、私も会ってみたい」

 羨ましがるジニーに期待する分、テッド=トンクスに出会った時の反応が楽しみだ。

「昨晩はクローディアと打ち解けあいました。私の質問に一個一個、丁寧に答えてくれました」

 フラーは昨晩の一方的な追及に関し、ビルに報告する。愛おしい人の話を彼は相槌を打つ。

「起きる前にキスをして」

 各々の談笑が弾む中、ロンはまだオルゴールでハーマイオニーの囁きを聞いていた。

「アーサー!」

 悲鳴と驚きを全力で声に出し、モリーは椅子から立ち上がる。彼女の視線は流しの窓の向こうだ。

「パーシーよ、あの子が!」

 数年振りの再会と言わんばかりにモリーは歓喜の悲鳴を上げ、それを合図に皆が窓へ集中する。

「大臣と一緒だわ!」

 その叫びを聞いた瞬間、クローディアは影に変じて食卓の下へ隠れる。察したベッロも急いで虫籠へ飛び込む。この家にいる姿を見られてはいけない。そんな勘が働いた。

 主従の奇妙な動きに気付かず、皆は裏口に現れたパーシーから目を離さない。

「お母さん、メリー・クリスマス」

 パーシーの表情と共に堅い挨拶を聞き、モリーは感激のあまり抱きついた。

「突然お邪魔しまして、申し訳ありません」

 スクリムジョールの声を初めて聞き、愛想の良すぎる声に緊張がより高まる。

「昇進しました。今は上級次官です」

 一言一言、力を込めてパーシーは告げる。誇らしげというより、皆の反応を窺っている。モリーは息を飲んで喜ぶ。彼女以外は警戒心を伝えぬように表情を強張らせただけだ。

「よくやったわ、パース。貴方は誇りよ」

 息子の頬を両手で包み、モリーは感涙に目尻を濡らす。

「お仕事で近くを通りまして、パーシーがどうしても昇進を伝えたいと申しましてね」

(嘘臭い……)

 いくら元闇払いといっても、護衛も付けずに移動するなど危険極まりない。ムーディーがいれば『油断大敵!』とブチ切れるだろう。

「だ、大臣、どうぞ中へ」

 緊張でガッチガチに固まったモリーだけが必死にスクリムジョールを招く。

「この後も仕事がありますので、5分程で発ちます。皆さんのお邪魔になってはいけませんので、庭でも見学させて頂きます。どなたか食事を終えられた……ああ、貴方。お手数ですが、庭を案内して頂けますか?」

 穏やかに指名されたのは、ハリーだ。

「ええ、いいですよ」

 冷静かつ慎重にハリーは引き受け、シリウス達は心配して助け舟を出そうとするが彼は丁寧に断った。

「……クローディアは来ていないのか」

 2人が庭に消え、声に緊張を残してパーシーは顔触れを順番に見やる。そこで初めてクローディアが姿を消した事に気づき、アーサーは咄嗟にモリーの口へ七面鳥を突っ込む。

「昨晩、コンラッドが挨拶に来てくれたよ」

「え? いつの間に……コソコソしやがって」

 リーマスは嘘を言わず、まるでクローディアの姿を見ていないと印象付ける言い方をする。正直に悪態吐く、シリウスのお陰で際立った。

「……そのほうがいい、彼女の為……!!」

 パーシーは含みを込めたが、言い終わる前にすりつぶしたパース二ップが飛んできた。咄嗟の事に避けられず、眼鏡に命中した。

「パース!」

 口に突っ込まれた七面鳥を吐きだし、モリーは悲鳴を上げる。腰に巻いたエプロンで拭こうとしたが、口元を痙攣させたパーシーに払われた。

 怒り爆発を堪え、パーシーは乱暴に裏口を閉めて出て行った。

 足音が完全に遠ざかってから、モリーは無表情にアーサー以外を見渡す。皆、わざとらしく口笛を吹いて誤魔化した。

 程無くしてハリーは戻り、こちらも噴火寸前で留まっている。その雰囲気からシリウスは質問を止めておいた。

「ハリー、こっちの食べましょう」

 ジニーに誘われ、ハリーは頷いて座った。

 クローディアも変身を解くが、食卓の下にいた為に頭が直撃した。

「あれ、こっちにいたの。なんで隠れたわけ?」

「いろんな意味で身の危険を感じたさ」

 衝撃音にロンは顔を覗かせ、クローディアは頭を撫でながら這い出る。ジョージの手を取り、起き上がった。

「彼が上級次官になったなら、噂のアンブリッジは解雇でしょうか?」

 一切の空気を読まず、フラーは疑問を口にする。

「そうなったら、魔法省は悩みの種をひとつ無くすってことだ」

「けど、アンブリッジは闇払いでもあるんだろう? そうそうクビになんてするか?」

 親指を立てて喜ぶフレッドと違い、ジョージは考え込む。

「その件は私が調べておくから、さあ、皆は遠慮せずにおかわりしなさい」

 アーサーに話を締めくくられ、食事は続く。フラーは細い体に見合わず、誰よりも多く平らげた。

 

 クリーチャーへの贈り物としてクッキーを作っている時もハリーは終始黙りこくっていた。

「パースの顔、ハリーにも見せてやりたかった。俺が投げたパース二ップがかかるところ……」

「僕が投げたんだ。無言呪文でていっとな」

「いいや、僕が0.1秒早く魔法を使ったね」

 わざわざ、ハリーの後ろでジョージ、フレッド、ビルは揉める。

「私の魔法よ」

 ぼそっと呟くジニーは笑っていた。

 

 ハリーが固い口を開いてくれたのは、眠る頃。

 フレッドを見張りの当番とし、ウィーズリー夫妻は早々に眠りにつく。

「僕を反ヴォルデモートのマスコットキャラクターになれっていう提案だった。時々、大臣のいる魔法省を訪れてくれるだけでいいんだ。見返りに闇払いへの口利きをしてやるって……」

「成程、戦力ではなく……魔法省がハリーと友好関係にあると知らしめたいわけか……」

 ハリーの話を聞く為、ロンは勿論、シリウスとジニーも屋根裏部屋に集まる。クローディアもいるが、影になって隠れている。他も聞きたがったが、大人数で押し寄せて床が抜けては大変だ。

 後、モリーに隠れてコソコソ内緒話しているのがバレる。

「僕はダンブルドアに忠実らしいよ、うん、その通りだ。僕はダンブルドアがそうしろというなら、やる。だって、僕ならやれると信じて任せてくれたんだから」

 ここにはいないスクリムジョールへ向けて言い放つ。怒りも込めても、ハリーの緑の瞳はエメラルドのように澄み切っている。

「どうしてパースは昇進したのかしら? アンブリッジの秘書だったのに……あいつは闇払いとしての任務でも与えられたとか?」

「スクリムジョールにとってはアーサー……ダンブルドアの情報を得る手段のひとつだろう。こうして、この家に近づく理由を取り繕えた。どうも好きなれんな、あの大臣」

 ジニーの疑問にシリウスは頭を乱暴に搔く。

「バーテミウス=クラウチと同じなんだ。『魔法執行部』だった頃のね。……やり方が根本的に間違っているっ」

 溜まっていた欝憤が晴れたらしくハリーの表情がようやく綻ぶ。シリウスは誉めるように彼の髪を撫でた。嬉しさと恥ずかしさで俯いているが、抵抗はしていない。

「パーシーと同じで優先順位が僕達とは違うんだろ」

 兄の愚行を嘆くようにロンは呟く。

「ハリー、君達が眠ったら私とリーマスは出発する。私は出来るだけ手紙を出すが、ビルとフラーの結婚式まで会えないだろう」

 ハリーはシリウスとの別れよりも、ジニーの何とも言えぬ表情に目が行ってしまった。

「そこまで嫌ってやるな。あの子は自信家なんだ」

「その分、見下されてるけどね」

 苦笑するシリウスにジニーは辛辣に返した。

 話が終わったと悟り、クローディアは影のまま屋根裏から降りる。そのまま寝室へ行こうとしたが、ビルがフラーのいる部屋へ入って行くのが見えた。

 今なら、ジョージは1人だ。人の姿へ戻り、彼らの部屋を覗き込む。ここはロンと双子の3人部屋。予想通りに彼だけ、寝台に腰かけて何かの名簿にモノクル(片眼鏡)を当てて、眺める。

「話は終わった?」

 クローディアに気づき、自分の隣を叩く。誘いに乗り、彼の隣へと腰掛ける。

「顧客名簿さ?」

「ああ、主に通販を利用している客達だ。クラウチJrが偽名だなんだって言ってからな。警戒しているんだ。これ、マクゴナガルから貰ったモノクル。偽名は勿論、文章に込められた悪意や敵意も看破できるぜ」

 便利な道具だ。様々な客が『W・W・W』に集まり、必要な商品を購入する。どんな使い方をされるかまでは、把握しようがない。

 不意にジョージは杖を振るい、窓のカーテンを開ける。外はまだ雪が振り続け、見るからに寒そうだ。

「月が奇麗ですね」

 月どころか、夜空も見えない。何かのギャグかと思い、続きを求めてジョージを見上げる。彼は口元を緩めたまま、咳払いした。

「月が奇麗ですね……。ハーマイオニーのオルゴールがそう喋ってね、ロンに聞いたら……ご丁寧に解説してくれた。クローディア、前に言ってくれたよな?」

 記憶が刺激され、思い返す。

 ジョージに決して知られぬと思い、この口から出せる精一杯の言葉だった。それを知られたと悟り、恥ずかしさでクローディアは体中の血液が蒸発しそうな程、体温が上昇した。

 真っ赤に染まった耳をジョージは遠慮なく触れる。耳から頬まで包み込み、鼻が触れそうな程に顔が迫る。

「もういいよな……、俺、結構、我慢したよな」

 何をされるかなど、分かり切っている。クローディアは鼻息を気にし、息を止めた。

「ビル、どうしてジニーの部屋にいるの!? ジョージちゃんはどうしたの!! ジニー、クローディア! ちゃんとフラーといなさい!」

 モリーの怒声が家中に響き、動揺したクローディアは咄嗟にジョージへ頭突きしてしまった。

 




閲覧ありがとうございました。
モリーの嫁イビリって結構、あからさまだけど男性陣は何とも思わないのでしょうか?

●フェンリール=グレイバック
 子供専門ということでペ○と誤解されている人狼。幼いリーマスを噛み、人狼化させた。
 昔から名の通った人狼という事でかなりの高齢、そのせいか原作ではかなりボコボコにされている。
 
 


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11.改める決意

閲覧ありがとうございます。
遅くなったうえに展開が進んでなくて、すみません。

追記:18年10月1日の誤字報告にて修正しました。


 『隠れ穴』にいる間は何処にも出かけず、退屈しない日々を過ごさせて貰った。

 フラーに絡まれ、モリーに睨まれ、ロンに惚気られ、クローディアが眠るまで必ず誰かが構う。ハリーやジニーと庭小人を駆除する時だけ、無心になれた。

「意外と冬のほうが動きが鈍くなってて捕まえやすいのよ」

 寒い冬を乗り越える為、庭小人は畑に潜む。防寒の意味もこめた分厚い手袋をはめ、ジニーは慣れた手つきで次々と捕まえる。クローディアも彼女を見習い、素手で締め上げていった。

「クローディア、成人しているんだから魔法で駆除していいんだよ。なんで素手で捕まえるの? 噛まれたら危ないから」

 苦戦しながら、ハリーはようやく一匹捕まえる。

「噛まれないように顎を掴めば心配ないさ。けど、そうさ……無言呪文の練習にはなるさ」

 庭小人の気配を察し、魔法で踝から釣り上げて捕まえた。

「何それ、便利。今度、私にも教えて」

「ハーマイオニーに相談してからさ」

 想定より早く庭小人駆除を終え、ジニーは喜ぶ。しかし、ハリーは渋い顔で元気を無くした。

 

 

 明日は生徒の安全を最大限に考慮し、『煙突飛行術』を用いてホグワーツへ出発すると伝えられた。

「フクロウ便も出来るだけ使わない為にも、忘れ物のないようにね。あったとしても、トンクスにもたせるから安心していい」

「パパ! 忘れ物がないようにちゃんと荷物の確認をしてるってば!」

 ハリーが支度する後ろでアーサーが心配そうに何度も話しかけ、ロンは煩わしく追い払おうとした。

「おまえじゃなくて、ハリーの心配だ。それより愛するハーマイオニーのオルゴールはちゃんとトランクに詰めたのか?」

「真っ先に詰めたよ。この家に置いていたら、ママに何されるやら……」

「誰も何もしないって……」

 からかうフレッドにロンは真剣に答え、ビルはやれやれと肩を竦める。

「淑女としての身だしなみが足りません。このブラシは何ですか? こんなに汚れては意味がありません。髪の清潔は基本中の基本! 仕方ありません、私の家に伝わるブラシ掃除を伝授して上げます」

 ハリーとロンの男性陣が盛り上がる中、クローディアとジニーもフラーから有難い助言を避けつつ、支度を終えて準備万端だ。

「デラクール家の秘術を習うなんて恐れ多い、お気持ちだけ頂いておきます」

「クローディアは遠慮してはいけません。ジニー、貴女もついでに教えてあげます」

「堂々と『ついで』扱いしてくれて、ありがとう」

 皮肉が飛び交う部屋にモリーが躊躇うように咳払いする。彼女が部屋に近づく気配はしていたが、普段のような忍び足ではなかった為に警戒はしていなかった。

「クローディアにお客さんが来ているの。マンダンガスよ」

「「「帰って貰って下さい」」」

 露骨に嫌な顔をして返事をしたのは、クローディアだけではない。ジニーは勿論、フラーまでもが顔を歪める。

「フラー、マンダンガスに会った事あるの?」

「ビルに『W・W・W』へ連れて行って貰った際にお会いしました」

 思い返すのも汚らしいと言わんばかりにフラーはガタガタと身震いする。

「私も追い返そうとしたんだけど、貴女に会うまで帰らないっていうのよ。今はジョージとベッロが相手しているから、出来るだけ早く下に降りて来てね」

 会うのは避けられない様子だ。

 渋々、クローディアは腰を上げる。彼女の身を心配し、ジニーとフラーも離れて着いて来た。

「ちいせえ頃のコンラッドはそりゃあ俺に懐いてたぜえ。それがこいつを売ろうとしてから、酷く嫌われちまってなあ。欲しがる宛てがいつくもあったってえのに……」

「そんなことして、何故に嫌われないと思ったわけ?」

 ベッロに威嚇されても全く動じず、マンダンガスはシミジミと昔を懐かしむ。

「こんばんは、フレッチャーさん。明けましておめでとうございます」

「おお、クローディア。ジョージと婚約したらしいな、おめっとうさん」

 気安く挨拶してくるマンダンガスから祝いの言葉を受けても、素直に喜べず苦笑で返す。クローディアの態度は予想通りで彼は陽気に手を振った。

「俺と一緒に来てもらいてえところがある」

 警戒も含め、クローディアは露骨に嫌がる。その反応も予想していたらしく、マンダンガスは一笑いしてから笑みを消した。

「ドリスの墓参り、まだ行ってねえだろ? コンラッドは危険だとか言うが、状況が激化する前に行っとくべきだろうと思ってよお。婚約者が出来たなら、尚更、報せてやれえ」

 墓参り、警戒ではない別の緊張が起こる。

 クローディアとジョージの婚約、ドリスがいたならどれだけ喜んで貰えただろうかと考えもしない。どんなに想像しても、その姿を見る事は叶わない。

 

 ――見れぬ想像は、ただ空しいだけだ。

 

 それにこの家にいる間は外へ出ないようにコンラッドから言いつけられている。

「僕、行きたい」

 断ろうとしたクローディアに代わり、返事をしたのはハリーだ。ロンにアーサーやビル、フレッドも階段の手すりから居間の様子を窺っている。

 吃驚したマンダンガスとモリーが変な声を出しても、ハリーは真剣な態度で畳みかける。

「お願いします。どうしても、行きたいです」

 ハリーの気迫さにモリーは制止の言葉さえ、躊躇う。

 クローディアは瞑想して思い返す。

 最後に過ごした夏、クローディアとハリーは外出を制限されていたが、ドリスは連れ出した。彼に着けられた護衛も信頼できるディグルだったこともあり、安全面は考慮していた。

 ドリスならば、ハリーの気持ちを優先するだろう。祖母の笑顔を脳裏に過らせ、クローディアはゆっくりと目を開ける。モリーが不安そうな視線を向け、ハリーを止めてくれるように期待している。

「私も行きます、ジョージも一緒にお願いさ」

「ああ、勿論」

 ジョージは真剣な顔で快く引き受けた。

「いや、ちょ、クローディア。ジョージは良くても、マンダンガスが一緒なのは……」

「フレッチャーさんを信用しているのではありません。私達は自分一人の身なら護れるだけの特訓を積み重ねたからです」

 クローディアの「特訓」の部分にハリーは強く同意して胸を張る。更に続けようとするアーサーをビルが手で黙らせた。

「僕も着いて行く。途中でマンダンガスが取引でいなくなっても、僕らが護る」

「おい、さっきから俺に対して一欠片の信頼もねえじゃねえかあ」

 自業自得なのに、マンダンガスは傷ついた顔で息を吐く。ポケットからキセルを出し、火も付けずに銜える。

「ビルがそこまで言うなら、いいかい。寄り道せず、すぐに帰って来るんだ。後、マンダンガス。その場所を教えておいてくれ」

「このくらいで手を打つぜえ」

 マンダンガスが指で銭の形を作り、アーサーは怒りを露にした顔で笑い返した。

「さっきから静かだけど、ママは反対じゃないの?」

 ロンが小声でモリーに話しかけても、返事はない。自然と皆の自然が集まり、ジニーも母親の顔色を窺う。そして、気づいた。

「ママ、立ったまま気絶している……」

 ジニーの言うとおり、モリーは目を開けたまま意識がない。『隠れ穴』にいる間、クローディアとハリーを外出させないにも、騎士団員であるアーサーとモリーの役目でもある。役目以外にも、純粋に子供達全員が心配だ。

 心配のあまり、モリーの神経は高ぶり過ぎて意識が飛んだ。

 5分もせずに目を覚まし、主にビルの説得でモリーは一応の納得を見せる。

「30分よ、30分で帰って来なさい。それ以上時間が経ったら、迎えに行きます」

 念を押すモリーにマンダンガスは面倒そうに手ぶりで答える。

「なんで30分?」

「前にジョージがクローディアを連れ出した時、1時間ぐらいで戻ってきてたから……その半分じゃないか? 安全面も考えて」

 ロンの疑問にフレッドが答え、ジョージがビクッと肩を痙攣させる。クローディアはそんな彼の背にホッカイロを貼る。

「ホッカイロ、温かい。これいいなあ、店でも販売したい。どこで仕入れしたらいい?」

「未使用を上げるから、研究して作るさ」

 マンダンガス以外は防寒具に身を包み、ハリーはコートの中に『透明マント』を隠して準備万端だ。

「ベッロは連れて行かないんですか?」

「一緒にいたら、私が近くにいるってバレるさ」

 ベッロを撫でるフラーにクローディアは真剣に答えた。

「同じ理由でロンも連れて行けないからさ、留守番しててさ」

「わかっているよ、……本当は行きたいけど……ママにお茶を入れる。なあ、ベッロ」

 残念そうな笑顔でロンはベッロと台所に立ち、ヤカンに水を注ぐ。ジニーは御茶請けになるお菓子を探して棚を探る。

 フラーは笑顔でビルを抱きしめ、静かに見送ってた。

「じゃあ、俺に掴まれえ」

 『付き添い姿くらまし』の為にマンダンガスは手を差し出し、ジョージからクローディアへハリーとビルに繋ぐ。見送ってくれる皆からの視線を受け、5人は『姿くらまし』した。

 

 人に知られぬ魔法族の墓ならば、山奥にひっそりと佇む霊園か街中にある寂れた建物の中に隠されている風景などを想像していた。

 大観覧車にジェットコースター、サーカスのテントなどの遊具、道を挟むように様々な屋台がずらりと並んでいる。そして、それらに群がる人々の数に圧倒された。

「ここは……遊園地さ!?」

「違うよ、ここはハイド・パーク王立公園。ロンドンだ」

 ハリーは周囲を見渡し、クローディアは何故か頷く。

「流石はロンドンの観光名所がひとつ、ハイド・パーク王立公園さ。……観覧車とか……」

「いや、年始年末は公園の一部を移動遊園地が開演しているんだよ。冬の風物詩って奴だね」

 一部というので公園の規模を案内板を使って説明して貰うが、想像以上に広大だ。クローディアは久々に日本人としてカルチャーショックを受けた。

「僕も来るのは初めてなんだよねえ。人多いなあ……これだけの人がいれば僕らも目立たないってわけか」

「そういうこったあ。連中はまだマグルに勘付かれねえように暗躍してやがるからなあ、まあ、離れんなよお」

「その前に、私とハリーは見えないようにしておくさ」

 人混みから離れ、足元も見えぬ暗がりに引っ込む。クローディアは影に変じてハリーは『透明マント』で姿を隠す。その間、マンダンガスには帽子とビルの手で目隠しして貰った。

「どれだけ信用ねえんだよお」

「取引に弱いって自覚はあるだろう」

「もういいぜ、ビル」

 クローディアはジョージの影に隠れ、ハリーはビルの腕をマントごと掴む。目隠しを外されたマンダンガスは肩を解し、迷いなく歩きだす。ビルとジョージの彼に続いた。

 向かう先はこの移動遊園地の入り口といえる設置された門がある。そちらへ行けば、出て行く形になる。彼らの体が門を潜り、ビルとジョージは物珍しげに門を見上げた。

 

 ――視線を正面に戻した時、水の中にいた。

 

 視界の切り替わりに驚いたが、誰の体も濡れずマンダンガスも歩みを止めない。自分達以外にも疎らだが、人の姿はある。足元の石ころが光沢を放ち、訪れた人々を惑わせないように照らしてくれている。

「これは……喋れるぞ」

「幻覚か?」

 黙っていたマンダンガスも少々、奥へ進んでから立ち止まった。

「ここはサーペンタイン湖の中だあ。入口がちょうどランドの門になってんだあな」

 湖の中と聞いた瞬間、目の前を光る魚が通り過ぎる。何故か、鰯だ。しかも、【ルクレース=アロンダイト】と名前が彫られている。名前を彫られているのは鰯だけでなく、鮭や鮪、シーバス、蛙までもだ。

 その文字は淡い光で存在を主張し、水中を灯す。

「こいつだ、こいつ」

 マンダンガスは一匹の魚、パイクを撫でる手つきで捕まえる。それに刻まれた名は【ドリス=クロックフォード】であった。

「まさか……この魚が墓標なのか?」

 ジョージの確認をマンダンガスは肯定する。

「そお。俺が生まれる前にだったか……湖に墓が欲しいとか抜かした魔法使いが作った霊園だ。この魚はマグルには見えねえし、捕まえられねえ。マグル出身者も魔法省に届ければ、ここに埋葬できるぜえ。俺は遠慮するがよ」

 墓参り自体、クローディアはしない。人の死後を形として捉えたくない。しかし、魚の墓標を美しく神秘的なに印象を受け、影の姿のまま見とれてしまう。

 ビルとジョージはパイクに手を触れ、しばらく沈黙する。ジョージの手を通してクローディア、ハリーもマントと共にパイクに触れる。魔法で生きた魚なのか呼吸と脈を感じた。

 一分も経たぬうちに4人は手を離し、マンダンガスも離した。

 パイクはそのまま、別の訪問者3人組のところへと泳ぐ。その内の1人は剥製ハゲタカを付けた帽子を被る魔女オーガスタ。他の2人は顔まで覆う外套で身を隠しているが、帽子は嫌でも目立つ。

「あの婆……もしかしてロングボトムの……」

「……ああ、あの帽子は間違いない……」

 からかうマンダンガスが口元を隠して笑い、ジョージは苦笑する。

「こっちに来るぜ」

 ビルの小声に合わせるような動きで、オーガスタはこちらへ気づく。連れ合いも一緒に手を振ってきた。

「こんばんはジョージ。貴方のように若い人がここに来るとは思わなかったわ」

「挨拶の前に失礼ですが、以前……聖マンゴ病院の喫茶室でお会いした時、誰と一緒でした?」

 唐突の質問にマンダンガスは驚くが、オーガスタは納得した笑みを見せて答える。

「孫のネビル、ディゴリー夫人とその息子セドリック、4人でご一緒していた時に貴方がクローディアと来ましたわ」

 一昨年のクリスマス、アーサーの見舞いに聖マンゴ病院を訪れた。その際、確かに院内の喫茶室でその面子と偶然出会った。ジョージは合い言葉代わりに質問したのだ。

 皆もそれに気づき、ジョージに感心の目を向ける。

「ビル、こちらはオーガスタ=ロングボトム。俺達の間じゃ、ネビルのお祖母ちゃんで通っている人だ」

「はじめまして、ジョージの兄のビルです」

 礼儀正しく挨拶するビルにも、オーガスタは嬉しそうに挨拶を返す。

「あら、どの色男かと思いましたわ。……こちらも紹介したほうが……」

「失礼、マダム。俺達はもう行かねばなりません」

 オーガスタが連れの2人を紹介しようとしたが、ジョージとビルは丁寧に断る。

「それなら、コンラッド=クロックフォードに言付けを頼めるかしら?」

 ずっと黙りこんでいた連れの内の1人が外套のまま高い声を出す。声色からして妙齢の女性だ。しかも、コンラッドの名なのでクローディアも驚く。積極的な声にオーガスタは咳払いで注意した。

「いいですよ、お父さんに何か?」

 ジョージの了解に婦人はクスッと笑う。

「メリー=マクドナルドが宜しくと……ただそれだけ」

 明るい声に哀愁を漂わせ、婦人は頼む。ジョージは彼女の手を取り、その甲に口付けて重ねて承諾を示した。

 

 地上の人混みに帰った時、マンダンガスはやけくそに呟く。

「だあれも俺を気にしねえでやんの、いいけどよお」

「無視されるような悪い事でもしたんですか?」

 影から人へ戻ったクローディアは嫌味と純粋な質問も込めて言い放つ。マンダンガスはわざとらしく考え込むが、心当たりが多すぎるのだろう。

「よし、5分ある。もう行くぞ、ダングも一緒に来るか?」

「俺は取引で忙しいんだあ、ここまでにさせろ」

 ジョージがマンダンガスに確認する間、ハリーは『透明マント』を片付ける。ビルとクローディアは警戒の為に周囲を見渡した。

 

 ――クィレルがいた。

 

 遊園地を満喫する人々の群れの中を何の違和感もなく、クィレルは颯爽と歩く。その視線はクローディアの存在など気づいていない。

 人違いかと思ったが、本人だと本能が断言した。足元の影がクィレルを捕まえようと勝手に伸びて行く。

「こっちに意識向けて」

 ハリーに腕を掴まれ、我に返る。これからビルの『姿くらまし』に付き添うのだ。

「んじゃあなあ、体を大事にしろよ」

 役目を終えた気でいるマンダンガスはもたれかかった木に眠りそうである。

「いろいろとありがとう、貴方もお元気で」

 クローディアは素直な気持ちを言葉にしたが、マンダンガスは仏頂面の上に手ぶりだけで返した。

 

 『隠れ穴』へ戻り、ハリーとジョージ、ビルはモリーから五体満足か何度も確認される。クローディアはフラーに思いっきり抱きしめられ、しばらく離して貰えなかった。

「私よりも……ビルに……お帰りのハグをしたら……どうさ?」

「ビルにはいつもやっています。こんなに体を冷たくして、寒かったでしょうに」

 更に強く抱きしめられ、暖炉へと無理やり導かれる。ロンとベッロがそっと4人分の紅茶を置いた。

「ハイド・パーク! その霊園……話には聞いた事あるな。マンダンガスめ、勿体ぶって……誰かに会ったか?」

「他にも人はいたけど、知り合いで会ったのはネビルのお祖母ちゃんだ。コンラッドの知り合いを連れていた」

 アーサーの質問にビルは答え、クローディアは紅茶を飲みながらクィレルの顔を思い返す。

「……帰る寸前にクィレルを見たさ……、私達には気づかなかったさ」

 嘘偽りないクローディアの報告に皆の表情は強張る。黙っているべきかと思ったが、皆が別々に霊園へ訪問するならば『死喰い人』との鉢合せも覚悟してもらわねばならない。

「まさかと思うけど……マンダンガスが奴と手を組んで……」

「もしもそうなら、俺らはここにはいない。クローディアがいないにしても、婚約者の俺は確実な人質になる」

 ロンの深刻な呟きにジョージは答えた。

「そうだな、マンダンガスはダンブルドアを裏切らない……。だが、二度と奴とは出掛けるな」

 アーサーがそう締め括り、モリーによって寝室へ追いやられる。

「眠るのが遅くなっても、起きる時間は変えませんからね」

 学校だけでなく、勤務を控えた社会人組も同じだ。

 ベッロを中心とした使い魔達に見張りを託し、モリーも眠る。彼女がアーサーと寝室へ入った瞬間、クローディアとジニーは屋根裏へ行き、ビルはフラーのいる部屋へと移動した。

 こそこそとモリーの目を盗んで部屋を移動するのは、まるでフィルチを相手しているようで楽しい。

「それでそれで、ハイド・パークって何するところ?」

 ロンは先ほど、聞けなかった詳細を催促する。

「……王立公園だよ。霊園があったのは、サーペンタイン湖の中だけど」

 ハリーの説明を寝物語に、クローディアはジニーさっさと眠る。眠気に従って目を閉じ、先ほど見たばかりの光景を思い返す。

「ちょっと、待って……僕、知っている。マグルの物語で舞台になっていた場所だろ? ハーマイオニーが教えてくれた……ジキル先生と……あれ?」

「【ジキル博士とハイド氏】だね。僕、題名は知っているけど、読んだことないんだ。……そうか……、あの公園が舞台に……」

 ボニフェースが命を落とした場所であるが故に、ハリーは感慨深く思う。しかし、彼以外誰も知らない。それを誰にも言うつもりはない。

 そんな事は露知らず、クローディアは【ジキル博士とハイド氏】の内容について思い返す。

 二重人格を題材にした小説、善良なジキルが薬によって凶悪なハイドへと変身する話だ。少しの変身は段々と長くなり、やがて薬いらずで勝手にハイドへと変わってしまう。そして、ジキルに戻る為に薬を飲むしかなくなる。

 しかし、薬は数に限りがあり、いつかジキルの人格は確実に消えてしまう。戦々恐々とする日々を送る中、やがて周囲も2人の関係に気づき始めた。

(……最後にジキルは……どうしたんだっけ?)

 真面目に読まなかった小説なので終盤が思い出せない。

「霊園も凄いけど、移動遊園地ってどうやって移動するの? 遊園地そのものが飛ぶの?」

「……遊具を運べるように解体してトラックとかの大型自動車を使って、次の公演地へ運ぶ。場所によっては飛行機も使うだろうから、飛ぶと言えば飛ぶね」

 ロンの興味が霊園から移動遊園地に移った頃、クローディアの意識は落ちた。

 

☈☈☈☈☈☈

 極寒の地ではないにしろ、都市部より寒い辺境には存在を知る魔法族さえ近づかない。

 何故なら、そこにはヌルメンガードがある。

 創設したゲラート=グリンデルバルドの希望を完璧に叶えた要塞。しかし、今ではたった1人の囚人を収監しただけの監獄だ。

 【より大きな善のために】、そう刻まれた壁は自然の山より険しく、人工的な塔よりも精確で精巧だ。少々手間取ったが、コンラッドは壁を乗り越えた。

 それよりもこれから会う人物に緊張が隠せず、知らずと頬に汗が流れる。彼に会いに行くと知ったダンブルドアはかつての宿敵に関し、こう述べた。

 

 ――今の彼は孤独だが、無知でも無関心でもない。ただ、関与していないだけ――

 

 明かりもない部屋とも呼べない壕に年老いた囚人はいる。この寒波にみすぼらしく寒々しい囚人服のみで過ごす。膝を抱えているが凍えている様子はまるでない。むしろ、寒暖の感覚を持っていないと印象を受けた。

「やあ、来たね」

 足音さえ出さずに近付いたコンラッドに気づき、囚人は嗄れた声を出す。全く警戒心を持たず、むしろ愉しんでさえいた。

「お初にお目にかかります。ゲラート=グリンデルバルド」

 唐突の来訪者にグリンデルバルドは親しき友のように微笑んだ。

「コンラッド……トトは元気かね? あれの婿を務められる君に会ってみたかった」

 名乗ってすらいないコンラッドどころか、トトとの関係まで言い当てた。

 方法は解明できないが、外界と隔離されながらもシワだらけの脳髄は常に情報を得ている。素直にゾッとした。

「……トトは今も飛び回っております」

 質問にはそれだけ答えたが、グリンデルバルドは満足げだ。2人が学生時代に流血沙汰を起こした件は知っている。事件後、2人はそれぞれの形で学校を去った。

 今日まで一度も会う事はなかったはず、それでもグリンデルバルドはトトを気にかけていた様子だ。

 

 肝心のトトは彼の存在などとっくに忘れ去っているというのに――。

 

 礼節と礼儀を持って、コンラッドは片膝を付いて片手の拳を床へ置いた。

「本日はお願いがあって参りました。……私と盟約を結んで頂きたい」

「それは出来ない」

 あっさりと返された。頑として受け入れぬ姿勢だ。

「我々の戦力としてではなく、ただ一度、お力添えを……貴方が必要なのです。見返りとして貴方の望みを全て叶えます。どうか……助けて下さい」

 コンラッド自身の計画にグリンデルバルドの力が絶対だ。そうでなければ、命が失われる。亡くしてはならない命を救う為に両膝、両手と額を床へ付く姿勢に直す。一切の嘘なく、縋る思いで請うた。

 1秒、1分が長い。

 頬を流れる汗の感触と吹雪の音を敏感に感じ取る。

「わしに望みはない。だから、君を助けられない」

 労わりと慈しみを持つ口調で断られ、コンラッドは絶望する。悔しさのあまり、伏せたまま唇を噛む。

「……私がここに来ると……誰かから聞かれたのですか? 断るように頼まれたのですか?」

「来ると思っていた。年寄り故の予想にすぎん」

 つまり、グリンデルバルドは収集した情報から過去を推測し、未来を予想している。ここにコンラッドが来た事で、これからの流れを彼は既に予知していると言ってもいい。

 知っていながら、今までと変わらぬ無関与を貫くつもりだ。

「全て御承知の上で……私を……私達を助けない……そう言うか……」

 取り繕うのをやめ、コンラッドは憤慨してグリンデルバルドを睨む。失望の眼光に怯むことなく、老人はとても穏やかだ。

 いずれ、ヴォルデモートもここを訪れるだろう。その時の結果がどうであれ、今、始末しても問題ない。そこまで考えた時、自然と袖に隠した杖に手が伸びた。

「わしの助けは、君の望みを叶えられない」

 思わぬ指摘に動きが止まる。

「誰の仕業でも責任でもない。わしが出しゃばれば、代償として望みを捨てねばならない」

 年長者として諭すのではなく、友と話すような口調は変わらない。どうやら、こちらが考えるよりも、偉大な闇の魔法使いはコンラッドの内情を知っている。

「……では……私の望みは叶う……と?」

「帰りなさい……君が帰るべき場所へ」

 質問には答えず、グリンデルバルドはそれ以上何も言わなかった。

 それなりに手間をかけてここまで来たのに、説得は失敗に終わる。だが、毒気が抜かれたコンラッドは呆然と受け入れていた。

 

 ヌルメンガードより帰還し、コンラッドはロンドンにいた。

 夜が更けても、マグルは多く集まる遊園地では麗しきコンラッドも人混みに埋没する。防寒具によってマフラーや帽子で顔を隠せば尚更、目立たない。

 待ち合わせのマンダンガスは時間通りにいた。お互いに言葉は交わさず、2人はそのまま霊園へと足を運ぶ。踏み入れた瞬間、目を奪われる程に美しい光景を尻目に奥へと進んだ。

「面倒事を引き受けてくれて、ありがとう」

「まあ、あのくらいならなあ」

 墓参りのマンダンガスに引率を頼んだのは、何を隠そうコンラッドだ。頼まれたと言えば、不審がられて余計な警戒を生む。

 移動遊園地が開園している時期はマグルの来園者も多く、人の目も誤魔化せる。

「……坊主が……行きたいってえよ。てめえの予想通りなあ」

 そう、ハリーもこの場所に来させる為だ。墓参りに行くとなれば、彼も来たがる。しかし、狙われる2人を安全に連れ出す余裕は今のコンラッドにはない。

 グリンデルバルドの助力が得られなかった以上、トトの時間はコンラッドよりも少なく頼めない。マンダンガスが引率するなら、ウィーズリー家の誰かが一緒に護衛してくれると踏んだ。

「おいおい……」

 焦ったマンダンガスは足を止める。視線の先には、クィレル。全く恥じる様子もなく、素顔を晒して堂々としている。周囲にいた人々は誰も彼に気づいていない。彼の人相は平凡故に埋没しやすいから、気づかないのだ。

「こんばんは、クィリナス。君も誰かの墓参りかい?」

 コンラッドは止まるどころか、クィレルの隣に立つ。マンダンガスが遠巻きながらも、必死に逃げるように促しても挨拶した。

 不審者を見る目つきで返され、帽子とマフラーを外す。クィレルは予想外の人物に目を丸くし、興味なさげに泳ぐ墓標へと視線を向ける。

「……声をかけられるとは思わなかった」

「思えば、いつも私から声をかけていたね。初めて会った時もそうだ……君は本を読んでいた」

 昔話に花を咲かせようとするコンラッドへクィレルは杖を向ける。杖を振るう姿に気づいた人々は危険を感じ、速攻で逃げた。

 マンダンガスも逃げ腰だが、出口が混雑している為に逃げられない。

「良い杖だ」

「イゴール=カルカロフが持っている杖をご主人さまより下賜された。正直、使いづらい」

 杖を向けられたまま、コンラッドは機械的に笑う。

「ドラコ=マルフォイに色々と教えているそうじゃないか、君がそこまで人情に厚いと思わなかったよ。私の知っている君はもっと淡泊だった。上辺だけでも取り繕えない正直者だったね」

「何年前の話だと思っている。歳月の分だけ変わった……それだけだ」

 素っ気なく告げ、クィレルは杖をしまう。

「しかし、ちょうどいい。私から質問だ。……バーサ=ジョーキンズの遺体、あれはおまえが用意したんじゃないのか?」

 クィレルの声には殺意があり、魚達も反応して動きを止める。しかし、コンラッドの笑みは消えず、動揺も見せない。

「彼女の遺体を発見したのは、ヘンリー=マンチだよ」

「そんなモノが、そもそもありえない。あの女は確かに処分した……塵一つ残さず、おまえは魔法省にご主人さまの存在を教える為、偽の遺体を用意したのではないかと……聞いている」

 感情を殺してクィレルは自分の仮説を語り、コンラッドの反応を一挙一動、見逃さない。相手の罪を暴かんとする視線には軽蔑も込めていた。

 クィレルの形相がおもしろく、コンラッドは嗤う。

「さあ? 魔法省は完全に後手に回り、結果として闇の帝王は戻って来た。君にはそれで十分だろ?」

 思う答えが得られなかったクィレルは感情を更に抑え込み、ぶっきらぼうな目付きに変えた。

「では、もうひとつ。初めて会った時……何故、私に話しかけた」

「それ、今聞くのかい? 殺そうとした相手に聞くなんて、本当に君は変わったな」

 喉を鳴らして笑い、コンラッドは昔を懐かしむようにクィレルを見つめる。

「――君となら友達になれると思ったからだよ。――セブルスとね」

 予想通りの答えだったらしく、クィレルは呆れて溜息を吐いた。

「メリー=マクドナルドを覚えているか? ……彼女とデートした理由も馬鹿正直にそう答えて振られたな。あの時ばかりは、セブルスも珍しく私に愚痴を零していた」

 懐かしい名前だ。

 ホグワーツでの7年間、ただ1人デートした相手。

 今も黒衣に身を包むセブルスの若き日も脳裏を掠める。そして、今は亡きリリーも……。途端に嫌悪が浮かび、言葉にならぬ罵詈雑言をいくつも記憶の彼女へ叩きつける。

 そこを突いたようにグリンデルバルドの言葉が反響する。

 

 命を救う為に望みを捨てられるかなど、――答えは決まっている。

 

「私は止まらぬ、誰が死のうと決して……」

 コンラッドの血を吐くような宣言をクィレルは静かに聞く。

「それは皆、同じだ。ご主人様も私も……セブルスも」

 挨拶もなく、クィレルは歩き出す。その足取りに何の迷いもない。自分も迷いなどないのだ。

「おい、平気か? どっか異常は?」

 オロオロと心配するマンダンガスに手振りで無事を伝える。鼓動の早くなった脈を静める為に深呼吸した。

「行こう、ダング。時間がない」

 立ち止まっていたのは、コンラッドであるがマンダンガスは反論せずに頷いた。

 

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 朝食に起きてみれば、ハリーとロンが既に食卓に座る。しかし、2人の目の下に濃い隈がハッキリとついていた。

「あんたら、徹夜さ?」

「寝るタイミング……逃した」

「切りの良いところで話が終わらなくて……」

 愛想笑いさえない2人は呟くように答え、クローディアは朝から呆れるのも疲れた。

 全員が揃ってから、アーサーは『煙突飛行術』の時間について説明する。

「自宅から学校へ安全に到着する為、アルファベット順番に煙突を使って貰う。ハリーとクローディアは我が家にいるから、ロンの順番を待ってもらうね。時間は夕方6時頃、夕飯は済ませても構わない」

「だったら、僕達は少しは寝られるな」

 ロンが呆けた顔で笑う。しかし、誰も突っ込まない。

「どこの煙突を使うさ?」

「レイブンクローの君には悪いが、マクゴナガル先生の事務所と繋げている。もう移動は開始しているはずだ」

 グリフィンドール生が3人いる為、当然の処置だ。

「ロン、ハーマイオニーによろしく」

「しっかり勉強しないと振られるぞ」

 出勤の時間になり、それぞれの勤務先へ皆も出かける。

 主婦であるモリーだけが見送りなのだが、約束の時間が近づくに連れて落ち着きをなくす。ロンが何度もお茶を入れたが、一瞬の誤魔化しにしかならなかった。

(独りで皆の帰りを待つ……、相当の勇気がいるさ……)

 告げられた時間になり、まずはクローディアが煙突の前に立つ。

「クローディア、良い子にして……危ない事しないで」

 メソメソと泣きだすモリーの背をジニーが優しく撫でる。

「勉強するさ、癒者になる為に……」

「そうだったわね……ジョージの為にも、しっかりね」

 涙を流しながら、モリーは力なく笑った。

 

 『煙突飛行術』は久しぶりだが、やはり酔う。暖炉の持ち主、マクゴナガルは机に座って書類に目を通していた。

「こんばんは、ミス・クロックフォード」

「お久しぶりです、マクゴナガル先生」

 肩に付いた暖炉の灰を失礼にならない程度に払う。生徒の到着を確認しただけで、マクゴナガルはそれ以上の会話を求めない。

 しかし、クローディアは不意に浮かんだ疑問を口にする。

「マクゴナガル先生、メリー=マクドナルドという女性をご存知ですか? 多分、父と同じ世代だと思いますが……」

「…………ええ、グリフィンドールの生徒でした。確かに貴女のお父様と同じ世代です。詳しい話は貴方の寮にいるベーカー=ロバースに聞くと良いでしょう。彼の母親ですから」

 意外な繋がりにクローディアはカーペットに足を取られ、転びかけた。

 




閲覧ありがとうございました。
魔法族なら、水の中の霊園くらい作れるだろうと考えました。
グリンデルバルドに知らない事はないと思っています。
『ジキル博士とハイド氏』は二重人格を代表する作品です。映画や某アプリゲームでもイケメンキャラとして登場しています。

●メリー=マクドナルド
 スネイプ世代のグリフィンドール生。当時のスリザリン生マルシベールなどに命がけでからかわれる事がしばしば……。
 その後について語られていないので、この位置に置きました。


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12.辿り着く憶測

閲覧ありがとうございます。
更新の遅い中、見てくださる皆様に感謝です。

追記:18年9月3日、18年10月1日の誤字報告にて修正しました。


 

 昨夜は泥のように眠った。

 目を覚ませば、パドマとリサの寝息が聞こえる。彼女達だけなく、2人分の寝息が追加されている。クローディアの耳元で聞こえ、両腕が重い。

 ハーマイオニーとルーナ、人の腕を枕にして寝ている。

「……朝からハーレム……」

 勝手に進入してきた客人を起こさぬように、クローディアはそっと2人の頭から腕を抜く。長い時間、枕にされていたのだろう腕が痛い。

「おはよう、ベッロ……シヴァ、キュリー」

 ベッロと猫2匹は既に起きており、顔を寄せ合う。クローディアに気づき、それぞれ違う泣き声で挨拶した。

「クルックシャンクス、ご飯足りないの!?」

 勿論、クルックシャンクスはいない。しかし、猫の声を誤解したハーマイオニーは勢いよく起き上がる。それにつられて布団が捲り上がり、突然の寒さでルーナも起きた。「クローディア、起きたんだ」

「おはようさ、ルーナ。ハーマイオニーも……なんで2人とも私の寝台にいるさ? 後、クルックシャンクスはいないさ」

 寝言を聞かれた恥ずかしさも含め、ハーマイオニーは作り笑顔で迫ってきた。

「あら、帰ってきたのに私に挨拶せず、寝ちゃったのは誰? ロンから聞いたわよ。お墓参り行ったんですって? しかも、誰かさんと鉢合わせしかけたとか? そもそもマンダンガスからの提案だっていうのが怪しいのよね」

「やっぱり、ハーマイオニーの声は生で聞くのが一番さ」

 ハーマイオニーに叱られているというのに、クローディアは嬉しさでほくそ笑む。予想外の反応に呆れられ、叱責の声が聞こえた。

「ハーマイオニー、おはよう。新学期から元気ね」

「クローディア、今度は何をなさったんですの?」

 騒がしい声でパドマとリサはもぞもぞと起きる。

「それでルーナはどうしてここにいるさ? コリンと何かあったさ?」

「コリンは優しいよ。それじゃなくて、パパが家を出たんだ。……ちょっと厳しくて……」

 一瞬で理解はしたが、唐突すぎて反応に困る。ルーナの父ゼノフィリス=ラブグッドが家を出なければならない事態など、想像できない。

「クィブラーは売れすぎたってパパは言ってた。必要としていない人の手にも渡るようになっちゃった……。そいつらから、パパは隠れないといけなくなったんだもン。居場所は分かるけど、もう家にパパはいない……」

 瞬きもせず、ルーナは普段の浮ついた口調に寂しさを混ぜる。必要としない人とは『死喰い人』やその支持者に違いない。奴らの手がゼノフィリスにも伸びてしまった。

 パパラッチのスキーターでさえ忌避していた雑誌だが、クローディア達や騎士団はあまりにも【ザ・クィブラー】を活用しすぎた。

「それは気の毒に」

 パドマがルーナの背を撫で、リサは彼女の手を握る。ハーマイオニーも責任を感じ、真っ青になって彼女の頭を撫でた。

「ルーナのお父さんさえ良ければ、私、会いたいさ。今までのお礼を言いたいさ」

「うん……伝えとく」

 クローディアの膝に頭を乗せ、ルーナは静かに目を伏せる。その細く長い睫毛は滲んだ涙で濡れていた。

 

 談話室に降りてみれば、掲示板に生徒が群がっている。『姿現わし』練習コースの告知が張り出されていた。

 ハーマイオニーはそれを見て、急いで自分の寮へ帰る。他寮の掲示板からでは申し込めない。

「こんな状況でも講師は来てくれるのね」

 掲示板を見つめ、チョウは何気なく呟く。

「こんな状況だから、普段通りで問題ないってことをアピールしたいのよ」

「なら『N・E・W・T試験』も通常通りってわけか」

 マリエッタの説明にミムは妙に安心していた。

「ねえねえ、クローディアが受けた時の講師ってどんな人? 男の人? 独身?」

「男性です。結婚歴は知らないさ」

 目を輝かせるサリーから露骨な質問を受け、クローディアはドン引きした。

 毎年のように受講者は多く、クローディアの馴染みであるアンソニー、マイケル、テリー、モラグ、マンディ、サリー、セシル、そして、パドマとリサは無事に申込できた。

 去年に受講したはずのマリエッタがもう一度、申し込んでいる姿を見て見ぬ振りした。

「おはようございます」

「おはよう」

 背後からべーカーに声をかけられても驚かず、クローディアは出来るだけ自然に挨拶を返す。彼の母メリー=ロバースがコンラッドと同窓だと知り、妙な心地になる。ただの同窓か、それ以上だったか気になってしょうがない。

「……クリスマスはどうだったさ?」

 真っ向から聞くわけに行かず、言葉を濁す。

「家族と過ごしました。……、貴女はどうしました?」

「……家族と過ごしたさ」

 将来を誓った家族――という部分はわざと伏せて置く。『隠れ穴』にいる姿をスクリムジョールに見られていないのだから、問題ない。

「……メリー=マクドナルドという女性をご存じですか?」

 まさか、そちらから話題を振ってくるとは思わなかった。

 休暇中にベーカーもメリーから何かを聞き、クローディアと心地になっている。憶測でしかないが、ほぼ当たっているだろう。

「名前だけなら……聞いたさ」

 嘘は言っていない。それだけ聞き、ベーカーは追及もせず恥ずかしそうに寮を出て行った。

 

 大広間に行く途中、フィルチを見かけて新年の挨拶をした。

「律儀に挨拶してくるもんだ。まあ、よろしくな」

 不審そうな顔つきだが、きちんと挨拶を返して貰えたのは初めてだ。

「部活は……まだやっているのか? あの玉入れ遊び……、魔女がマグルの遊びなんざあな……」

「フィルチさんも見に来てください。実践してみれば、真剣にやらないと難しい遊びだとわかります」

 フィルチがバスケを侮辱しようとしているのは、すぐに理解した。

 それに腹が立たないと言えば嘘になる。しかし、この場でムキになって反論しても余計にバスケを毛嫌いされる。だから、知る機会を与える。誘いを受けるかはフィルチ次第だ。

 クローディアの誘いをフィルチは面倒そうに断った。

 大広間に視線を向けると、相変わらず立派な腹をしたスラグホーンが上機嫌な態度でハリーを捕まえていた。

 いつもは逃げ腰どころか、脱兎の如く逃げ出すはずのハリーが珍しく真正面から相手をしている。彼の目が一瞬、クローディアを見ていた。

「今月、バスケ部の試合を見に行くんですが、一緒にどうですか?」

 自分の誘いを跳ね除け、誘いをかけるハリーにスラグホーンは目を丸くした。

「……バスケ……とは何だったかな? 君もその部活に参加しているのかね?」

「クローディアが起こした部です。先生も一緒に見ましょう。見ていて、とても楽しいんです」

 穏やかに笑うハリーと違い、スラグホーンはハッキリと興味のない顔つきだ。

「ハリー、君はクィディッチの選手だ。グリフィンドールの試合は今月じゃないかね? そちらなら……」

「退屈だと思ったら、すぐ帰って貰って構いません。一緒に見ましょう。クローディアの試合を」

 再度、ハリーは強い口調で進める。彼の態度にスラグホーンは瞬きしてから、困ったように笑う。

「わかったとも、その代わりと言ってはなんだが、次の晩餐会は出ておくれよ」

 ハリーの肩を勢いよくバンバンと叩き、スラグホーンは口を大きくして笑う。腹を揺らして大広間へ行くセイウチ姿を見送り、クローディアはそおっとハリーに歩み寄る。

「ハリー、そんな事している場合さ? 宿題があるんじゃないさ?」

「大丈夫、君の試合は先生の気持ちを動かしてくれるって信じているから」

 自分の試合が重大な宿題の助けになる。

 そんな事を外でもないハリーに言われ、照れくささで胸が熱くなる。否、照れではなく頼りにされている嬉しさだ。

「お、煽てたって何にも出ないさ」

「今まで色々と出して貰ったよ。……それに君は僕の心配をしている場合じゃない。自分の身を守ってくれ」

 ハリーの視線の先にはドラコがいる。スリザリン席に座り、仲間達と話しているがクローディアを意識している。彼女を見ていないはずだが、彼の視線を感じる。

 ドラコの目的も企みもわからないが、クローディアは彼の考えに従う義理も必要もないのだ。

「……お互い、上手くやるさ」

 頷き合いながら、クローディアとハリーは内心の緊張を笑顔で誤魔化す。そんな2人にネビルが陽気な笑顔で話しかけてきた。

「クローディア、おはよう。君は『姿現わし』の練習コースを受ける? 僕は受けるよ」

「おはようさ、ネビル。私はもう試験合格しているから、受けないさ」

「……そっか! クローディア、成人してんだっけ!? 俺達と変わんないくらい子供っぽいから忘れるんだよなあ」

 ネビルの横にいたシェーマスがわざわざ大声で言い放つ。

 自身が年齢より未熟だという自覚はあるが、シェーマスに指摘されると腹立しい気分になる。彼の屈託のない笑顔に向け、クローディアは杖を構えようとするがハリーとネビルによって止められた。

「つまり、錬金術は『ゴルパロットの第三の法則』を是として……」

「それだと万病に効く魔法薬は作れないんじゃ……」

「その法則があるから万病薬は出来るってことよ」

 レイブンクロー席に行けば、ハーマイオニーは着席してマンディ、セシルと一緒に【上級魔法薬】を開いて論議していた。

「セシルは『魔法薬学』を選んでないのに、勉強しているさ?」

「選んでないから、こうして勉強する。ハーマイオニーの教え方、上手だから」

 セシルに褒められ、ハーマイオニーは得意げに微笑む。

「私にも勉強になるから、それにセシルは覚えがいいわ」

「……セシル、私もいるんだけど……」

 わざとらしく淋しそうな顔つきでマンディはミートパイを頬張った。

「クローディア、最初は授業ないよね。部室行く? 行くなら、俺も行っていい?」

 目を輝かせるモラグにどこなく、『課題見せて』という雰囲気を放つ。レポートの提出期限は今日中だ。

「行かないさ。今日の授業分の予習するさ」

 即断され、モラグは哀れな程にがっかりする。

「モラグ。次は私も授業ないし、休暇中にやってきたレポート見せて御覧なさい」

「パドマ……、ジャスティンがすごい目で睨んでくるから遠慮するよ」

 モラグを励ますパドマに対し恋愛的誤解をしないか、パッフルパフ席からジャスティンが見張ってきた。

「いや、今すぐ見せろ。俺は『数占い』があるから、速攻で持って来い。ちなみにレポートの内容によっては監督生権限で部活禁止な」

「監督生にそんな権限ないよ、アンソニー!?」

 新学期早々、キレ気味のアンソニーにモラグは涙目になった。

 

 授業のない面子が落ち着いてお喋りしながら、勉強の出来る場所といえば『必要の部屋』である。まるで教室のように黒板と教壇が用意され、図書館のように高い本棚が整然と並ぶ。

「ハンナ、今日の予習やっていくさ?」

「ええ、どうしてもアグアメンティの呪文が杖を振いながら言えないの」

 クローディアはハンナと今日の予習し、ハリー、ロン、モラグ、ジャスティンのレポートはパドマが見ることになった。

「ハリーとロンも来たんだ。君達はハーマイオニーにレポートを見てもらえるだろう?」

「僕らも自分たちで出来るところを見せないと……ジャスティンならわかるだろ?」

「ロン、言いたくないけどハリーの丸写ししたでしょう? やり直し」

 パドマは厳しく宣言し、ロンへ白紙の羊皮紙を叩きつけた。

「ロンは監督生もやって、クィディッチの選手だ。ちょっとくらい楽をさせてやりなよ」

「良いこと言うな、モラグ」

 2人にしかわからない感覚で意気投合し、ロンとモラグは抱きしめあう。そんな彼らへクローディアとパドマは哀れな視線を向けた。

「ロンにはハーマイオニーもいるし、勉強は大丈夫よ。自分の得意な分に専念したらいいわ」

「何でもそつなくこなすより、一点の長所を持つと他も自然と伸びるよ」

 ハンナとジャスティンが眩しく、何だか論を応援する話で盛り上がりだした。

「流石はハリーの一番の親友、人望も厚いさ」

「うん、自慢の親友だよ」

 クローディアの皮肉をハリーは本心でかわした。

「ハリーはこれでいいわ。……ただ、『魔法薬学』がハーマイオニーより目立っているって聞いたけど……レポートの内容は……ハッキリ言ってパッとしないわね」

「パドマって本当にハッキリ言うよね。ハーマイオニーには勝てないよ、今はただ調子が良いだけだ」

 恥ずかしそうにハリーは返されたレポートを鞄に入れる。彼の秘密を知るクローディアとロンは一瞬だけ目配せしてから、モラグのレポートを手伝った。

「明日は土曜日なのに、どうして今日から授業なんだろう? いっそ、来週からにすればいいのに」

「私なら、今週からにするわよ」

 ぶつくさ五月蠅いモラグへパドマは批難の目を向けた。

 急にハリーが目だけで周囲を見渡す。彼の仕草にクローディアは気づき、同じように視線を巡らせる。部屋の隅にクリーチャーがいた。

 目立たないように影へと身を潜ませ、こちらの様子を窺う姿はちょっと恐怖を覚える。

 ハリーは部屋の参考書を本棚に戻す振りをしてクリーチャーへ近づく。二言、三言、交わせば『屋敷妖精』は文字通りに消えた。

「クローディア、『説明書』を開いてくれる?」

「うん、いいさ」

 何もなかったように戻ってきたハリーは『説明書』を出すように頼んでくる。蛇語で知らせたい事があると察し、早速、鞄から出す。開いた瞬間に文章が浮かぶ。

【部屋の外にドラコ=マルフォイがいる。部屋が使えないから、様子を探っているだけだ】

 ゾッとした。

 ついに『必要な部屋』の存在を知られた恐怖に震えつつ、何故、ドラコに知られているのか推測する。一番はダフネとブレーズだが、教えるつもりがあったならDAを始めた時期に教えるだろう。

【ブレーズ=ザビニとダフネ=グリーンダラスは違う。おそらく、セオドール=ノットだ。あいつとは親を通じてだが、連絡を取り合っている】

 よりにもよって、セオドール。

 否、本人に確認せず責めるわけには行かない。しかし、八つ当たりしたい。セオドールの代わりに『説明書』を乱暴に閉じ、クローディアは頭を抱えた。

 正面で律義に待つドラコは無視し、鐘が鳴る時間いっぱい勉強に励む。途中で諦めたのか、彼はいなくなっていたとクリーチャーは教えてくれた。

「しばらく、僕らはこの部屋に来ないほうがいいね。勿論、使わせないようにしたいのが本音だけど」

「部屋を見つける条件を私達に限定するってことさ?」

 クローディアの呟きにロンが吃驚して厳しい顔つきになる。

「それは危険だ。いいかい? 脳味噌がどこにあるのか見えないのに1人で勝手に考えることができるものをこちらから弄っちゃいけない。住み慣れているから忘れているかもしれないけど、ここはそういう場所なんだ」

 先程までの陽気な雰囲気ではなく、言葉の重みを感じる。クローディアは素直に失言を認めた。

「あのロンが監督生らしいことを言っているわ」

「ハーマイオニーと付き合っているから、良い影響受けているね」

「ロン、かっこいいよ」

「今の言葉、下級生を諌める時に使っていい?」

 彼に驚いたのは、クローディアとハリーだけでなく話を半分も聞いていなかったパドマ、ハンナ、モラグ、ジャスティンも同様だ。

「君達が僕をどう思っているのか、よくわかった。歯を食いしばれ」

 杖を構えるロンから逃げようと皆、一目散に逃げ出した。

 先頭を走りながら、クローディアは考える。

 ホグワーツ城は創設者達の魔法によって様々な仕掛けがなされている。『必要の部屋』は己の持つ技をすべて出し、悪戯心も含めて創り出したのだろう。

 ハリーの持つ『忍びの地図』は以前、合言葉を知らないスネイプが無理やり使おうとすれば罵倒を返したという。彼の教授だから、罵倒で済んだのかもしれない。

(だったら、魔法そのものに触れないよう……あの扉をどうにかする……)

 城の魔法に干渉すれば、報いを受ける。しかし、実行せずに考えるだけなら問題ない。自分の中でそう締めくくった時、『呪文学』の教室に着いた。

 パドマは『マグル学』へ向かう為に途中で別れていたが、他の面子は一緒に来る。追いかけていたはずのロンは、ハリーとモラグ、ジャスティンの3人で競争に発展。彼らに置いて行かれぬよう、ハンナは必死の形相で走っていた。

 『呪文学』の授業、ハンナはクローディアの予習の甲斐もあり、美しい噴水を創り上げる。ハリーも噴水を噴水を作り、フリットウィックは一人一人の動きに満足していた。

 しかし、シェーマスだけは噴水どころか散水ホースのように放水し、フリットウィックを弾き飛ばしてしまう。『姿現わし』の講義を受けられる喜びから、浮かれていましたなどという言い訳さえ聞いてもらえなかった。

「……僕は魔法使いです。棒振り回す……猿ではありません……」

 罰則書き取りの内容にリサが口元と腹を押さえ、笑いを堪えている。他の女子の中に肩を震わせてまで我慢していた。

「いいよ、笑えば?」

 バツが悪そうに言い放ち、シェーマスから話題をそらす為、ロンはにんまりとハリーへ笑いかける。

「ハリーは何人もの人と何度も『付き添い姿現わし』した」

「え、うん。うんしたよ、『付き添い姿現わし』

 いきなり、ロンから話題を振られたハリーは思わず素直に答える。途端にシューマスはわざとらしい口笛を鳴らして興奮気味に『姿現わし』の感覚を訊ねてきた。

「僕よりもクローディアに聞いたら……」

 生贄にされる。

 直感したクローディアはすぐに逃げ出した。

 

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 ハリーは憤慨した。

 『姿現わし』の質問攻めに遭った事ではなく、『屋敷妖精』ホキーの『記憶』。主人の魔女ヘプジバ=スミス、驚いた事にホグワーツの創立者ヘルガ=ハッフルパフの末裔らしいが、派手な見た目からは想像もできない。

 そんな彼女は『ボージン・アンド・バークス』の上客で店員だったトム=リドルがお気に入りだった。

 ヘプジバはトムに誰にも明かしていない秘密の品ハッフルパフのカップ、彼の雇い主バークから買い取ったスリザリンのロケットを見せた。その二日後に毒殺された。

 前回同様、今度はホキーが罪を被せられた。しかし、モーフィンとは違い、ホキーには前科もなかった。だが、年老いた『屋敷妖精』に対する公平な捜査がそもそも行われず、過失による殺人として判決が下された。

 まさかの種族差別による理不尽、身が震える程に怒り狂う。

 この一件がある為、ヴォルデモートはロケットを隠す際にクリーチャーを犠牲にした。魔法族の『屋敷妖精』への無関心さは、洞窟の秘密を守ると踏んだのだ。

「どうして、カップまで持っていったのでしょう?」

「ヴォルデモートはホグワーツに強く惹かれており、その歴史がたっぷり滲み込んだ品物を己の手中に納めたかったのじゃろう。他にも理由はあるが、具体的な説明はまだじゃ」

 ハリーの脳髄が怒りで沸騰してしまわぬよう、ダンブルドアは状況と推測と憶測をひとつずつ、丁寧に説明してくれた。

「さて次は、わしが所有しておる記憶としては君に見せる最後の物じゃ。少なくとも、スラグホーン先生の記憶を君が首尾よく回収するまではじゃが」

 それはダンブルドア自らの『記憶』で、ホキーの件から10年は経っていた。この間、ヴォルデモートの行動については想像しかないという。

 但し、ヴォルデモートにとっては実のある歳月だったのだろう。『記憶』の彼は奇妙に変形した顔を誇っているようにも見える。そんな彼がダンブルドアに職を求めて学校を訪れるなど、ハリーには不自然極まりない。『記憶』のダンブルドアも同じ考えだった。

 結局、ヴォルデモートは自分の意に沿わぬダンブルドアへ攻撃する意思を僅かに見せただけで、去って行った。一触即発の雰囲気に一番、緊張した記憶だった。

「ヴォルデモートはこの時も『闇の魔術への防衛術』を求めていたんですか? さっきの会話では科目までは言ってませんでした」

「おお、間違いなくその科目じゃとも。わしが拒んで以来、この学校で『闇の魔術への防衛術』を一年超えて留まれたのは、リーマス=J=ルーピンただ1人での」

 意外な名前にハリーは靄のようにかかった疑問が吹き飛ぶ程、驚く。かつて、誰かが『闇の魔術への防衛術』は呪われていると教えてくれた。

 その呪いを身近な人物が打ち破ってくれた事をハリーは誇りに思い、ようやく、怒りが治まる。不意に冷静になった事で隠れていた疑問が浮上した。

「……科目、ダンブルドア先生は『変身術』でした」

「如何にも、わしは『変身術』の教授であった」

 質問を明確にしようと、一瞬、ハリーは口ごもる。そんな彼の行動にダンブルドアも慎重に言葉を待ってくれた。

「クローディアから口頭で聞いただけですが、彼の遺言にはダンブルドア先生は『変身術』の教授と書かれていました。ボニフェースが亡くなったのは、校長になられた後のはずです。遺言を作った時がその前だとしても、何故、最初から先生に相談しなかったのでしょう?」

 気のせいかもしれない一瞬よりも短い刹那、ダンブルドアから後悔の感情を感じ取る。ベッロも校長に呼応するように鎌首をもたげた。

「スラグホーン先生の記憶を得てくれれば、答えよう」

 普段の雰囲気に戻ったダンブルドアへそれ以上の質問は控えた。

 

 寮に戻ったハリーはとにかく、話したかった。談話室で課題を言い訳に身を寄せ合うロンとハーマイオニーを捕まえ、すぐに耳塞ぎの呪文で他の生徒から雑音で守る。

 ホキーの冤罪を聞いてハーマイオニーは批判の声を上げ、ロンが宥めてくれる。そして、ハリーはダンブルドアにした問いを2人にも投げかけた。

 しばらく沈黙していたハーマイオニーは何かに気づく。何故なら、彼女もダンブルドアと同じように後悔に似た雰囲気を放ち出したからだ。

「……クローディアの意見も聞きたいわ。遺言の内容は彼女しか知らないし、お父様から聞いている事情もあるだろうし」

「そうだな、今夜はもう寝よう。ハリーも……課題の内容を纏めたいだろう?」

 ロンの口ぶりから、ハーマイオニーと同じ事に気づいている。それに確信を持ちたくて、一晩時間が欲しいのだと察した。

 しかし、ハリーの脳髄は興奮して眠れぬ。寝息を立てるロンに正直、腹が立つ。彼に勧められた通り、ふたつの『記憶』と自分の疑問を整理する。

 マートルが殺され、アラゴグが疑われて飼い主のハグリッドが逮捕された。

 片思いとはいえ、愛しい人を殺されたのにボニフェースは何も行動を起こさなかったのは何故だろう。

 犯人が太古の怪物バジリスクだと、同じ蛇のベッロしか知らない。ダンブルドアは独学で得た『蛇語』が使えるが、トム=リドルに脅されて『パーセルマウス』とは口を利けなかった。

(でも……ボニフェースは『スリザリンの継承者』がトム=リドルだと気づいていたけど、友達だったから……何もできなかった? したくなかった?)

 ペティグリューは親友だった人々を裏切った。シリウスもずっと、彼を恨んでいた。

(……ボニフェースはトム=リドルを恨んでいた? だから、ヴォルデモートを倒そうと……思った?)

 相手は魔法使いとして有能であり、頭脳明晰、人望も人脈もある。真っ向から挑んでも、太刀打ち出来ない。だから、協力してくれる強い魔法使いが必要だった。

(それがダンブルドア? でも、協力どころか、復讐を止めようとした? なら、別の人……トトさんが……)

 ここまで思い返してから、ハリーは脳髄が刺激され、記憶が蘇る。

 『秘密の部屋』でベッロは2人が同一人物だと気づいたのは、ボニフェースが死んだ後と教えてくれた。

 夢の中でボニフェースは在学中にヴォルデモートの名を聞き、それが人の名前なのかもわからないと言っていた。彼も後から、『スリザリンの継承者』とヴォルデモートが同一人物だと気づいたのではないだろうかと推測する。

 しかし、未来人のベンジャミンがいたはずだ。

(ベンジャミンも……知らなかった? 知らずに過去へ遡ってきた? ……そうか、『死喰い人』全員がヴォルデモートの素性を知っているわけじゃない。あるいは知っているものだと思って……未来の人たちは彼に教え損ねた? でも、知らなかったなら、尚更、ダンブルドア先生に相談しそうだけど)

 自分の憶測を確認したい気持ちに駆られ、ハリーは更に脳髄が活発化する。眼球は渇きを訴えているのに、眠れぬまま夜明けを迎えた。

 

 『必要の部屋』の前に集合してみれば、ハリーと同じく一睡もしていない様子のクローディアが杖を振る。

「この部屋を隠す方法を思いついたさ。扉をどうにもできないなら、隠してしまえばいいじゃないのさ!」

 有頂天な程に明るい声で言い放ち、クローディアと扉の間に別の壁が作られる。自信満々に自らの作った魔法の壁を指す。何とも大胆な思いつきにハリー達3人と一匹は声も出ない。

「その壁は何か仕掛けがあるの?」

「も・ち・ろ・ん、私が通行を認めた生徒しか通さないさ。マルフォイから隠すには最適さ」

「……そうね、まさか『秘密の部屋』に入れなくなりました……なんて、スネイプ先生にも言わないでしょうね」

「けど、この部屋を知っているのって僕らだけとは限らないだろう? クローディアが把握していない生徒はどうするの? 校長先生は確実にこの部屋を知っているよ?」

 ハリーの素朴な疑問にクローディアは笑みを消し、真剣に答えた。

「その人達には犠牲になって貰うさ」

 早く本題に移りたいハリーは、何も言わなかった。

 部屋の中は、雑魚寝ができるように毛並みの良い絨毯と大きめのクッションと毛布まで置いていた。

 大広間から拝借した朝食を摂りながら、ハリーは昨晩の出来事を全て話す。話が進むにつれ、サンドイッチを齧っていたクローディアの口が段々と動かなくなる。ロンとハーマイオニーはカボチャジュースを一口飲んだだけで、話に聞き入っていた。

 ダンブルドアの授業、自分の疑問、一晩中抱えた憶測も全て言い終える。異常に喉が渇いたハリーはカボチャジュースを飲む。クローディアも口の中のサンドイッチを流し込まんとミルクを飲んだ。

「遺言書を作ったのは、トムが店から消えた後だろう。その頃なら、ダンブルドア先生はまだ校長じゃない」

 クローディアの口調が普段と違う。彼女は度々、勇ましい口調になる。これはハリーの突拍子もない意見を受け入れている証拠だ。

「それにダンブルドア先生に相談しなかった理由は『記憶』を渡さなかった件で頼るわけには行かなかった。そんなとこだろう」

「ボニフェースが『記憶』を渡さなかった? でも、先生が『記憶』を集めた出したのはホキーの事件の後じゃないの?」

「マートルの事件よ。ベッロは口を閉ざしていた。だから、『記憶』を求めたんだと思うわ。ベッロにしか知らないことがないか」

 急に怯えた声を出してハーマイオニーが口を挿む。

「そうだとしたら、ハグリッドの無実を証明する機会を不意にした!」

「生徒に使うには『憂いの篩』は強すぎる力だ。卒業するまで待ったんだ」

 今度はロンまで口を挿む。確かに『真実薬』も生徒への使用を禁止している。正直、殺人の証拠を探すのに生徒も未成年もないが、渋々、納得した。

「ボニフェースはどうして拒んだんだろう?」

 ハリーが改まって問いかければ、3人はクッションで眠るベッロを一瞥する。やはり、同じ事に気付いている。問題が解けぬ苛立ち、更に強く問い詰めようとした。

「お祖父ちゃんはマートルの仇を討つ為に、ヴォルデモートの協力を得ようとした」

 ハリーが口を開く前にクローディアは罪を告白するように答えた。

「え!?」

 何故か、ロンが驚いている。勿論、ハリーも度肝を抜かれた。

「ロンは仇討を企んでいたところまで思いついたのか」

「うん、ダンブルドアが知ったら、復讐なんて馬鹿な真似はやめろって絶対、とめる。ボニフェースは先生はあくまで学校で起こった事件解決の為って思ったんだ。それよりも復讐を優先した」

 クローディアの確認にロンは自分の考えを述べ、今度はハーマイオニーが驚いた。

「ロン、頭良いわね。私は先生が欲しがった『記憶』にはトム=リドルへの明確な殺意を露にした部分だったって思ったの。彼の気持ちまでは汲み取れなかったわ」

 それを褒め言葉と受け取り、ロンは照れた。

「ボニフェースはいつ頃、気づいたのかな? ……ヴォ、トム=リドルのこと……」

 わざわざ言い直したロンを見ず、クローディアは白紙の羊皮紙とペンを取り出した。

「考えられるのは指輪の元持ち主を調べ、ゴートン家に行き当たった時だな。彼は『日刊預言者新聞』社に勤めていたから、事件を起こしたマルヴォーロとモーフィンについては簡単にわかっただろう。それで彼らの名前を書く時にトム=マールヴォロ=リドルの綴りを間違えたか、何かで気付いた」

「……そんな単純な事で? どうして綴りを間違えたなんて」

 拍子抜けするハリーが聞き返した時、羊皮紙に【トム=リドル=マールヴォロ】と書かれていた。

「お祖父ちゃんの遺言書にはこう書かれていた。悪く言うつもりはないけど、正直、頭は良くなかった。人の名前は勿論、文章も何度も書き直す癖が付いていたと思う。……それで気づいた……そして、復讐をやめた。諦めたと言っていい。だが、見つけ出そうとしていた。ヴォルデモートが職を求めて学校に現れるまでの間も、それからも探していた。周囲には借金の金策に走っていると思わせて」

「借金? ボニフェースは……ヴォ、トム=リドルを探す為に借金したの?」

 ロンの余計な追及にクローディアは失言と認め、恥ずかしそうに口元を押さえる。

「そこまで聞いても、どうしてヴォル、デモートの力を借りようとしたのかわからないわ。先生は駄目でも、トトさんがいるでしょう?」

「……トトのお祖父ちゃんはその頃、イギリスにいなかった。以前、世界中を旅していたアルバムを見せてもらったが、ちょうど、ボニフェースのお祖父ちゃんが卒業した頃からの写真が多かった。それにスラグホーン先生に自分の体質を調べてもらったこともある。製造者に見てもらわなかったのは、連絡が取れない場所にいたからだ」

「スラグホーン先生に……それもっと早く言って欲しかった」

 驚きすぎて、ハリーは眩暈に襲われる。

「それじゃあ、ボニフェースはどうしてヴォルデモートの素性を誰にも言わなかったんだと思う? ベッロは遺言を読めないし、彼が誰かに話したとは思えないけど」

 深刻なロンの質問にクローディアは口元を歪め、手で髪を梳く。

「ベンジャミンに知られないためだ。老人のほうのな。遺言にはベンジャミンに殺される事を想定していたから、同じ時期に彼らが完全に袂を分かったんだ。ホグワーツでは、秘密は周囲に知れ渡っているという意味。そんな環境にいたお祖父ちゃんはベンジャミンに決して知られぬように黙った。あの老人に知られれば、『逆転時計』や『ホムンクルス』をヴォルデモートにペラペラ喋られる。そうなれば、家族の身に危険が及ぶ」

 クローディアから家族を守りたい意思が伝わり、ハリーは急に夢の内容が鮮明に浮かぶ。確かにベンジャミンはヴォルデモートを訪ね、彼も若いベンジャミンに会おうとした。

「……本当にベンジャミンは知らなかったんだ……」

 夢の中の彼はみすぼらしかった。ヴォルデモートに会う為、ベンジャミンは名を知る『死喰い人』を訪ね歩いた事だろう。しかし、スクイブである彼を誰も助けなかった。やっと探し当てたご主人にも殺されずとも、捨てられた。

 自分の推測が当たっていても、これ程、嬉しくない事はない。ベンジャミンの心情を考え、ハリーは彼を憐れんだ。

 言われるがまま、現在を捨てて過去に来た男。ベンジャミンが来てくれなければ、クローディアに会えなかった。コンラッドも生まれなかった。この親子はそれに感謝をしない。誰も彼を誉めないし、その死を嘆く者もいない。

 ふと、思いついた。

「クローディア、全部終わったら……ボニフェースとベンジャミンの墓を作ろう。あの霊園に……魔法省に申請すれば通るはずだよ。親族として、君が申請するんだ。君にしかで出来ない」

 3人と一匹が驚きの視線をハリーに向ける。しばらく、沈黙してからベッロがすり寄ってきた。

[やはり、ハリーは奴と違う]

 嬉しそうな声だったので、ハリーは安心した。

「……ハリーは本当に偉大な魔法使いさ。心からそう思うさ」

 普段の口調に戻ったクローディアは感謝の意味で、ハリーの手を取る。彼より柔らかい感触は自身の体が逞しくなったと教えた。

 ロンがハリーの肩に腕を回し、はにかむ。

「墓ができたら、4人で一緒に参ろう。出来れば、その……移動遊園地で遊びたい」

「いいわよ、行列を覚悟してね」

 少しだけ呆れたハーマイオニーはクローディアの肩に頭を置き、そのまま寝息を立てる。どうやら、彼女も眠れなかった様子だ。

 ハリーがハーマイオニーの顔に見とれていると、クローディアも座ったまま寝ている。そんな2人にロンは毛布をかけた。

 瞬間にハリーの意識も飛んだ。

 

 どのくらい眠ったのか、喋り声が耳に入り目を覚ます。クローディアとハーマイオニーは起き、今度はロンが寝ていた。

「ハリー、起きたさ。もう昼さ」

「厨房から分けて貰ったわ」

 ハーマイオニーはハリーの前にサンドイッチ、ケバブなどの手で掴む食事を勧める。クローディアはその間、手紙を書いていた。

「ジョージにかい?」

「残念、お父さんさ」

 冗談っぽく聞いたハリーへクローディアは殊更可笑しそうに笑う。

「スネイプ先生に会ってもらおうと思ってさ」

 食事へのびた手が動揺で止まる。

「ずっと、考えていたさ。お父さんはスネイプ先生とちゃんと話すべきだってさ。お父さんが話さないなら、私が話すって脅し文句をつけたさ」

 手紙の文章を見せつけながら、クローディアは明るく笑う。その笑い方はボニフェースによく似ている。

「そういえばスネイプ、先生はコンラッドさんを憎んでいたね。……どんな結果になっても、話せたらいいね」

 ハリーもスラグホーンと話さなければならない。クローディアのバスケの試合はその助けとなってくれる。試合の日が待ち遠しくて堪らなかった。

 




閲覧ありがとうございました。

ロンのセリフを書きながら、父アーサーの言いつけを守っている子っていたっけ?って考えながら笑ってしまいました。

ボニフェースが在学中に何もしなかった理由がやっと書けました。

原作ではダンブルドアの授業の翌日も平常授業ですが、こちらでは休みにしました。


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13.分霊箱

閲覧ありがとうございます。

スラグホーンの視点から始まります。

クローディアの杖について、もう少し説明が欲しいという意見を頂いてたので足しました。

追記:18年5月30日、誤字報告により修正しました。


 生徒は入学し、卒業していくのは毎年の恒例行事に過ぎない。その後、絶えず連絡を取り続けられるのは師弟間の信頼が関わってくる。

 スラグホーンのお気に入り達も師への敬いを忘れず、様々な贈り物を寄こしてくれる。そして、何の前触れのなく自宅を訪れる元生徒も多く、休暇中に帰宅している時は特に多い。

 その日も無警戒に訪問者を迎え入れる為、玄関の扉を開いた。

「こんにちはー、先生。俺です、ボニフェースです。あ、これ、お土産です」

 快活に笑うボニフェースは肩にリュックサックをかけ、オーク樽熟成の蜂蜜酒を渡してきた。

 土産を受け取らず、反射的に閉めようとした扉をボニフェースはあろうことか、蹴り破ったのだ。

「帰れ」

「良い家ですねー、外装も中も先生の趣味主観丸出し」

 家主を押しのけて、ズカズカと進みながらボニフェースは頼んでもいない感想を述べる。

「帰れと言っとるんじゃがな。ボニフェース=アロンダイト」

「先生、俺のフルネーム覚えてくれていたんですね、光栄です」

 案内もしていないのに客間へ行き、勝手にソファーへ座る。卓上へ蜂蜜酒を置いてから、ボニフェースは寛ぐ体勢になった。

 あまりの堂々とした態度に怒る気力も湧かない。

「君を忘れるには『忘却術呪文』でも使わんと無理じゃろう。二度とその面を見なくて良くなった喜びを返せ。……それで、何の用だね? 用件くらいは聞いてやるから、さっさと言いたまえ」

「いきなり、本題から入りますか。流石、先生。でも、後悔はさせませんよ。むしろ、研究者として先生は時間が足りないと嘆くかもしれません」

 悪態吐かれても物ともせず、ボニフェースは太陽のように明るく笑う。肩にかけたままのリュックサックから、型の古い培養器を取り出す。中身は溶液と共に封じられた手足の形にもなっていない胎児だ。

 スラグホーンはすぐに理解し、学術的興味が大いにそそられる。

「ほっほお、これは『ホムンクルス』じゃないか、君の家は錬金術とは無縁だったはず……どこで手に入れた?」

「俺ん家の婆……祖母の兄が錬金術師だったんです。その人の遺品です」

 スラグホーンは顔色を変えて興味津々に眺め、納得する。型が古いのは亡くなった当時のままだからだ。

 見ているだけで胎動が伝わる。

 

 ――欲しい。

 

 これに形を与えて成長して行く様を見たい。そんな衝動がスラグホーンの胸で爆ぜる。

「触ってもいいかね?」

「どうぞ、どうぞ。でも、気を付けて下さい。うっかり、落して割ったりしたら俺が消えてしまうんで」

 ボニフェースの言っている意味が分からず、培養器越しに彼を胡散臭そうに見る。

「これは俺です、先生。俺、『ホムンクルス』なんです」

 笑みもなく真剣そのものだ。

 故に、ボニフェースはついに頭がパーになってしまったと憐れんだ。

「スラグホーン先生、今、俺の事を頭がパーになったって思ったっしょ」

 こちらは本気で心配しているのに、ボニフェースは普段の笑顔に苛立ちを含める。そして、聞いてもいない『逆転時計』と共に過去へ遡ってきた男の話をした。

 真実なら狂気の沙汰だが、妄言とも思えぬ。現に証拠は目の前にある。

「『逆転時計』はコイツと一緒にグリンゴッツに預けてあるんです。俺名義の口座にね」

 本当に培養器の中身がボニフェースの過去ならば、彼の消え去ってしまう様子をこの目にしてみたい。そんな好奇心に知らずと口元が痙攣する。

「わしに、この『ホムンクルス』を調べさせてくれるんだろう?」

 兄ベンジャミンの未来が、何故にそんな危険を犯したかは理由はどうでもいい。

「残念ですが、俺が頼みたいのはコイツじゃありません」

 期待をよせるスラグホーンから、ボニフェースは笑顔のまま培養器を取り上げる。

「頼みたいのは俺自身です。俺に子供が出来るのか、その子は人間としての生態に異常が出ないか……それを調べて欲しいんです」

 スラグホーンは残念に思う。教職ですっかりご無沙汰になった研究にのめり込みたいが、生憎と時間が足りない。ただ、それだけで断る理由は存在しなかった。

 

 ――12年後、ボニフェースから息子が生まれたという連絡を受けた。感謝の言葉と共に臍の緒が同封されていた。

 正直、培養器の『ホムンクルス』が欲しかったが、それで我慢した。

 

 その培養器にいた『彼』は『彼女』として、コートを駆け巡っている。

「次は5班と4班の試合です。5班にはクローディアがいます」

 隣にいるハリーに誘われて来たが、試合のルールも知らずに見学している。独特のユニフォームを着て、黒髪を振り乱すクローディアを見ている内にスラグホーンは過去を振り返った。

 ボニフェースとは似ても似つかぬ容姿、その性格も違う。

 まさに別人だ。

 クローディアに形を与えたコンラッドの舅は羨む天才ではなく、恐ろしい鬼才。しかし、それさえどうでも良くなる程に彼女を美しいと感じた。

 ボニフェースも美しかった。黙っていれば美形なのに口を開けば、ただの阿呆。授業を何度も台無しにされたが、今でも忘れられぬ生徒の一人だ。

 リリー達のようにお気に入りではないが、大切な教え子だった。

「5班の勝利です」

 バーベッジに判決を貰い、クローディアは喜びを分かち合う為に仲間2人と抱き合う。汗だくなのに気にしていない。寧ろ、熱で汗が引いている。クィディッチのように公式試合として残らないのに、部員達は勝利に酔う。

 若さと情熱に当てられ、スラグホーンは我知らずと感嘆の息を吐く。

「クローディア、喜んでます」

「彼女の興奮がわしにも伝わってくるようじゃ、魂消たよ……」

 隣にいるリリーの忘れ形見は父親似の風貌だが、その瞳は母親と同じ緑だ。

「スラグホーン先生、お話があります。ここでは人目がありますので」

「では、わしの部屋に行こう」

 試合の興奮が冷めぬ内に片づけは始まり、ハリーの話を聞く為に部室を後にした。

 

 如何なる客人を招けるように部屋は常に整理整頓、上品かつ派手ではない調度品を飾り見る者を楽しませる。

 ソファーに座らせたハリーは家具には一切、目を向けない。余程、深刻な話をされると覚悟した。

「分霊箱(ホークラックス)について、トム=リドルに質問されましたね。彼とどんな話をしたのか、知りたいんです」

 興奮していた熱は一気に下がり、ゾッと寒気が走る。罪悪感が全身を駆け巡った。

 一瞬、コンラッドとクローディアの顔が浮かんだが、トム=リドルとの会話はダンブルドアに渡した『記憶』以外、知られようがない。

 拒絶するより先にハリーが勢いよく立ちあがる。

「先生、ハッキリ言います。皆が噂するように僕は『選ばれし者』です! 僕が奴を滅ぼすんです」

 衝撃の告白にスラグホーンは言葉が消えた。

 ハリーはヴォルデモートからの手から何度も生き残っている。世論はこれに対し、選ばれた者故の必然と説く声が多い。それを本人が認めた。

「ヴォルデモートはその事を知っています。だから、僕の命を狙いました。両親は僕を守ろうと命をかけました。先に……父が死にました」

「覚えているのかね? あの日の出来事を……」

 幼子でありながら、両親の死に立ち合っただけで酷い。しかも、その時の惨状を説明しようとしている。口を開くだけで、ハリーの顔は悲しみとは表現しきれぬ苦悶によって歪む。

「ヴォルデモートは父を殺し、その亡骸を跨いで母に迫ったんです。母は僕さえ置いていけば、逃げられた……けど、逃げなかった。逃げずに哀願し、僕の命を乞いました」

 リリーがそうする姿が目に浮かぶ。聡明で心優しい子が我が子を捨てて逃げるなどありえない。想像だけで恐怖と悲しみに涙が溢れてしまいそうだ。

 ハリーの瞳がスラグホーンを凝視している。まるで、リリーに責められているような感覚に襲われる。

「やめろ、そんな話をしても! わしは何も知らん! ダンブルドアが『記憶』を見せたなら、わしが何も知らんとわかるじゃろう!」

「知らなくていいんです! 忘れてくれていいんです。本当の『記憶』は僕が貰います」

 『記憶』が欲しいと言いながら、忘却を促す。ただの言葉遊びに聞こえ、スラグホーンの胸に少しだけ安心が生まれる。しかし、あの晩の会話を誰にも知られてしまう恐怖が勝る。

 トムの邪悪さを見抜けず、余計な知識を与えてしまった出来事をリリーの息子に知られたくないのだ。

「トム=リドルがヴォルデモートになった事に責任のようなモノを感じていらっしゃるなら、それは違います。最初から、そんな人間だなんて誰が見抜けましょうか? 奴に関わった多くの人々、ダンブルドア……ボニフェースも奴を止められなかった」

 唐突に出た名は拒絶の感情よりも、意外性が強かった。

「ボニフェース……彼も殺されたのだろう? あの人に……」

「いいえ、ボニフェースは自分を過去に運んできた男に殺された。ヴォルデモートは偶然、最期を看取った。それをベッロは勘違いした……」

 事実上、彼の兄であるベンジャミンに殺された。

「なんと……そんな惨い……」

 嘆きのあまり、スラグホーンは震えて口元を手で覆う。アグリッパだったベッロがヴォルデモートを憎んでいる事は言葉を交わさずとも、わかる。それは愛すべき主人を殺された恨みだと思っていた。

「ヴォルデモートは確かにボニフェースを愛していました。愛する人を失う痛みを知りながら、変わらなかったんです」

 ハリーの強い口調に同情など微塵もない。スラグホーンとて、決してヴォルデモートに同情しない。しかし、彼は逆らうには恐ろしい相手だ。

「先生、僕を助けてください。助けるだけでいいんです。僕を助けても、先生はいなくなったりしません。僕の両親……母のようには……」

 切ない声の訴えにスラグホーンは答えず、自然と手を動かす。

 ポケットから取り出し、棚から空いた試験管を呼び寄せる。杖をこめかめに当て、自らの『憂い』を糸のように抜き出し、試験管へと入れて蓋をした。

 その間、スラグホーンは何も考えていなかった。恐怖も勇気も、ただ手を動かしただけにすぎない。

 深刻な表情で待ち続けるハリーへ試験管を差し出した。

「ハリー、君の瞳はリリーと同じ……。その瞳で何を見ても、……悪く思わんでくれ」

 言い訳がましい言葉にも、ハリーはしっかりと頷く。その表情には感謝しか読み取れなかった。

 礼節を守り、ハリーは部屋を去る。

 一人なっても緊張は解けず、覚束ない足取りで立ち上がる。ダンブルドア、ハリーに真実を知られる。それは必ず、ヴォルデモートに伝わる。2人だけの秘密だと自分から持ちかけたのに、バラしてしまった。

 すぐに発とうと思い、杖を振って荷造りを始める。使い慣れた鞄を呼び寄せ、最低限の必需品を詰め込もうとした。

 足下に違和感を覚える。見下ろすと赤い蛇が鎌首をもたげてスラグホーンを見上げていた。

 気付かなかった客人に驚きのあまり声も出せず、手にしていた貴重品を落としてしまう。蛇は落した品を尻尾や口を器用に使って拾い集め、スラグホーンへ渡してきた。

「……すまんね」

 震える声で受け取った時、蛇は皺だらけの手に顔を寄せる。甘えているようにも見えるが、この蛇はスラグホーンにこんな行動は決してとらない。むしろ、いつも逃げ去っていた。

 懐いているような仕草の意味を直感で理解する。

「わしを……わたしを許してくれるのか、……アグリッパ……いや、ベッロ」

 贖罪から逃げ惑う愚かな自分を全ての人々に代わって、ベッロは許している。勝手な解釈に対し、彼は確かに頷いた。

 その動作だけでスラグホーンは心が救われる。ずっと抱えていた自業自得の苦しみがやっと、なくなった。

 

 ――逃げるのはやめよう、せめて、あの子達が卒業する日まで――

 

 誰に対してではなく、自分自身に誓った。

 

☈☈☈☈☈☈

 隠し事をせず、自分の本音を洗いざらいブチまける。そうする事でスラグホーンは納得してくれた。

 廊下を早歩きしながら、ハリーは成功を喜ぶ暇もない。校長室に着くまで、ポケットに忍ばせた試験管がいきなりなくならないか心配で堪らない。

 緊張が最高潮まで達した状態のせいか、意識も浮ついて現実味が薄い。

 校長室への合言葉を叫び、通してもらう。

 突如、現われたハリーにダンブルドアは目を丸くしていた。

「何事じゃ、ハリー?」

 手袋の裾を引っ張り、ダンブルドアは緊張の面持ちで椅子から立ち上がった。

 高揚したハリーは言葉よりも先に試験管を突き出す。

「て……手に入れました、スラグホーン先生の……」

 息絶え絶えにハリーは言い終えようとしたが、一瞬、ダンブルドアの目が据わる。そして、ニッコリと微笑んでから手で制した。

「ようやった、ハリー。君ならできると思うておった。すぐにでも見せてもらいたいが、……ワシは今から人と会わねばならん。約束に五月蠅い奴での。後回しにはできのんじゃ」

 残念そうに語るダンブルドアにハリーは激しい動悸を抑えようと深呼吸する。個人授業は、最も彼を支えてくれたロン、ハーマイオニー、クローディアの3人にしか教えない。名付け親のシリウスも例外ではなく、他には決して知られてはならないのだ。

 その客人に『記憶』を見るから、約束を後回しにしてくれなどとは言えない。

「はい……では、待ちます」

「すまんのう、客人が帰ればこちらから知らせるぞい」

 退室の挨拶をし、ハリーはすぐに寮へ戻る。部屋から『透明マント』を持ち、校長室前で待ち伏せる為だ。

「ハリー、今日のバスケを見て良い練習方法を思いつい……」

 声をかけてきたディーンも適当に振り払い、ハリーは談話室を出てからすぐに『透明マント』を被る。誰にも見つからぬように校長室の前で待機した。

 室内の様子はわからず、客人の到着も不明だ。すぐにでも『記憶』が知りたいハリーは待つしかない。何時間でも待つつもりだった。

 しかし、決意は徒労に終わる。校長室が開いて中から見慣れた人物が飛び出し、その人が客人だとすぐにわかった。

 トトだ。早足で去っていく彼に声をかける暇もなく、ただ凄しい怒りが伝わってくる。

 『透明マント』越しに校長室へと入り、中の様子を窺う。ダンブルドアは窓際に立つ。

「お入り、ハリー」

 穏やかな声はハリーを歓迎しており、安心して『透明マント』を脱ぐ。ダンブルドアはすぐにやってくると見抜いていたらしい。

「トトさんは怒っていました……僕が急かしたせいですか?」

「年寄りの間で意見が合わんことはいくらでもある。今のわしには君との授業が最優先事項じゃ」

 ダンブルドアは手袋を取って、手を差し出す。その手は『記憶』を求めている。ハリーは試験管を渡した。

 『記憶』の中は同じ部屋だが、以前とは違う雰囲気を感じ取れる。

 晩餐会に呼ばれた生徒達は後に『死喰い人』創設メンバーだ。この時から既にトム=リドルをリーダーとみなしており、言葉を交わさずとも彼の意思を汲み取れる程の忠誠心を持っていた。

 スラグホーンは優等生でかつ謙遜で驕らないトム=リドルをとにかく誉め称え、自分へのお土産を渡し続ければ、この先20年の内に魔法大臣に就任できると宣言していた。

 出自を理由に遠慮するトム=リドルを励ましてもいた。

 肝心の部分、『分霊箱(ホークラックス)』の話を一言も聞き洩らさず、聞き入る。

 魂の一部を隠す為に用いられる物。

 そもそも魂は完全な一体であり、魂の分断は自然に逆らう暴力行為だ。故に悪の極み、殺人を犯して魂を裂く。裂かれた魂は呪文によって『物』へと閉じ込める。

 スラグホーンは一言、一言、説明するだけで震え上がっている。トム=リドルは純粋に質問している風を装って更に質問を続けていった。

 魂は1個だけではなく、魔法数字として最も強い7個に分断すればより強力で確かな魔法として成立する。

 7回の殺人を仮定上とはいえ、口に出したトム=リドルにスラグホーンは困り果てる。そして、世間体だとか言い訳して、2人だけの約束とした。

 意識が校長室に戻った時、奇妙な興奮に首の後ろが熱を持つ。不死鳥のフォークスの鳴き声でハリーの気分は落ち着いた。

 ダンブルドアは既に椅子へ深く座って思考に耽る。机を挟んだ椅子へハリーも座った。

「トムの日記……スリザリンのロケット」

 やはり、この2つは『分霊箱』だ。

「おう、気づいたか……ハリー」

 聞かれているとは知らず、ハリーは急いで顔をあげる。

「トムは死を恐れておった。その死を回避する為、あるいは自らを不滅にせんと心力を注いだ……その為に『分霊箱』に行き着いたと理論立てておった」

「では、日記を見つけた時からヴォルデモートは『分霊箱』を作り……いくつも魂を分断していると気づいたんですか?」

 『秘密の部屋』で出会ったのは、ただの記憶ではなく、ヴォルデモートの魂……つまり、本人だった。

 今更、知りえた事実に緊張し胃が引っくり返りそうだ。

「4年前、君が持ってきてくれた日記を見てすぐに気づいたか? いいや、君の説明を聞き、確信を持ったにすぎぬ」

 椅子に座りなおし、ダンブルドアは机の引き出しから穴の空いたボロボロの冊子を取り出した。

 久しぶりに見る日記だった。

 こんなにも古臭く、ボロかったのかと変に感心してしまった。

「これはルシウス=マルフォイが所持しておった。それがそもそも疑問じゃった。大切な自分の魂の欠片を他人に任せるなど……扱いが粗雑すぎる。だから、わしは更なる理論を打ち立てた。奴は複数の『分霊箱』を作った……。しかし、確かな証拠はこの瞬間まで得られなかった」

「7つ……、ヴォルデモートは僕と変わらない年の頃から……魂を7つに分断しようと決めていた……」

 その為に殺人を厭わぬ。

「残りは5つ、いえ、ハッフルパフのカップ……あの指輪もそうだとしたら、後は3つ」

 思い付きを口にすれば、ダンブルドアは心底、嬉しそうに頷く。

「よくぞ、気づいてくれた。しかし、2つじゃ。7つ目は甦った体に宿っておる。どれだけ弱かろうとな。そして、君が破壊してくれた日記以外にも、2つも破壊されておる」

 既に半分も壊れている。ハリーは少し楽観的な気分になったが、ダンブルドアは少しも油断していない。

「……指輪は壊れていました。他のひとつとは? どこにあったんですか?」

「またしてもホグワーツ創設者の縁の品、レイブンクローの髪飾り。この学校で発見されてな。クローディアが意図せず、ぶっ壊してくれたんじゃ」

 予想だにしない名前を聞き、ハリーは椅子から転げ落ちる。冗談ではなく、急に体の力が抜けた。歴代校長の肖像画の住人達も彼につられ、椅子から落ちたりして騒がしい。

「……どうして彼女が……、どうやって?」

「クローディアは髪飾りからよからぬ気配を感じ、杖を叩きつけて破壊せしめた」

 そういえば、4年生の時に危険な髪飾りを壊した話を聞いた。

「杖で壊せる物なんですか? 日記の時はバジリスクの牙を……」

 質問してから、ハリーは思い付く。

「まさか、彼女の杖は『ニワトコの杖』? 『死の秘宝』は本当に存在していて、だからこそ『分霊箱』を壊せたんですか?」

 古いお伽話を持ち出すハリーにダンブルドアは感心の意味で驚きに目を見開く。白い鬚を撫でて、半月の眼鏡を指先で正した。

「残念だが、クローディアの杖は『ニワトコの杖』ではない。彼女の杖についてだが、誰にも話さんと誓っておくれ」

 つまり、彼女自身にも秘密、承諾したハリーは椅子に座り直す。肖像画の住人も沈黙して聞き耳を立てる。

「あの杖はニコラス=フラメルが彼女の為に誂えた特別な杖じゃ」

 ダンブルドアの友人にして、著名な錬金術師。

 まさか、ここでニコラスが関係してくるとは思わず、ハリーは僅かに興奮する。彼が杖に特別な魔法を施したが故に『分霊箱』を壊すに至れたと勝手に納得した。

「――と、クローディアは説明を受けておる」

 一段、ダンブルドアは深刻に口調を重くした。

「杖を作ったのはニコラスではなく、シギスマント=クロックフォードという魔法使いでの。彼らは師弟の関係にあった。しかし、シギスマントは問題を起こして破門された。破門の理由は関係ないので、省かせてもらおう」

 クローディアのオリジナルだ。隠しておかねばならない名ではないはずだが、『分霊箱』の話の後なだけに嫌な予感がした。

「気づいたか、ハリー。そう、あの杖はシギスマントの『分霊箱』であった」

 とんでもない事実にゾッと寒気がした。

「シギスマントは生前から、命を主とした研究に没頭しておった。錬金術もそのひとつ。晩年、『分霊箱』にも手を出し、自らを実験体としたんじゃ。彼は逝った後に残された『分霊箱』がどのような変化を遂げるか、もしくは変化した後の『分霊箱』は甦る事が出来るのかとな」

「……魔法族は死後、逝くか残るか選べる」

 以前、『灰色のレディ』が教えてくれた魔法族の死後。シギスマントにとって、己の死すら実験なのだ。

「『分霊箱』を作っていても、死ねるということですか?」

「明確に答えられん。じゃが、シギスマントは確かに逝っておる」

 ヴォルデモートとは違う恐怖を感じつつ、ハリーは視線で続きを促す。

「……ニコラスは事前に気付き、遺族を説得して杖を譲り受けた。この事は彼の弟子だったトトさえも知らん」

「だからって何故、そんな危険な物をクローディアに渡したんですか!?」

 我知らずと立ち上がったハリーをフォークスの鳴き声が宥める。

「ハリー、『記憶』でトムが疑問しておった通り、ひとつの『分霊箱』ではそれ程、役に立たなかった。放置された魂の欠片は本来の自分をなくし、やがて、最初から杖の一部であると誤解して一体化しもうた。こうなれば、ただの魔法使いの杖じゃ。例え、別人の手にあっても危害はなかったじゃろうて」

「……杖は安全なんですね」

 皮肉っぽく告げ、ハリーは眼鏡の真ん中を中指で押す。少し冷静になり、疑問を口にする。

「つまり、髪飾りを破壊できたのは『分霊箱』の魂がブツかり合ったからですか?」

「よく推理したのお。杖は自己を無くしてはいるが魂の欠片は健在じゃった。ブツかり合い、消滅したと考えておる」

逝くではなく、完全な滅び。

「では、『分霊箱』同士をブツければ破壊できるんですか?」

「限られた条件の下であれば、可能ではある。但し、一度きりじゃ。故にクローディアの杖では二度と『分霊箱』は破壊できぬ。君の『透明マント』を呼び寄せる事も二度と叶わんが、本来なら杖の形すら残らなかったであろう。今だに力を失っておらんのはニコラスの仕業じゃろうて」

 杖がなくても、クローディアは拳で『分霊箱』を殴りそうなのでそこを警戒しよう。しかし、また疑問が浮かぶ。

「僕の『透明マント』がどう関係してくるんでしょうか?」

 一瞬、ダンブルドアの目が泳ぐ。その態度に閃いた。

「……父さんが遺してくれた『透明マント』は本物?」

 御伽話でも父から子へと遺したとある。妙な歓喜が起こり、思わず笑みが零れる。ハリーの純粋に輝く笑顔にダンブルドアは安堵の息を吐いた。

「そうとも……君のマントは本物である。あのマントはわしらでも再現できぬ護りを持ち、如何なる方法でも傷つけられず、また魔法で呼び寄せる事も叶わんのじゃ」

 クローディアに呼び寄せて貰った事を何故、ダンブルドアが知っているのかは聞かないでおこう。この魔法使いはハリーが考える以上に生徒の事情を知っている。

「でも……杖の『分霊箱』では出来た。もし、僕がこの杖を『分霊箱』にしても、同じ力を持てるとは限らない」

 シギスマントにしても、予期せぬ効果だったのだろう。まるで彼の代弁のようにダンブルドアは頷いた。

「何故、ニコラス=フラメルもヴォルデモートが『分霊箱』を作っているとご存じだったのですか?」

「弟子の件があったからのう。可能性として疑っておった。杖をクローディアに託したのも、出会う事態を想定したからじゃ。あの子の安全の為にな。それだけは信じておくれ」

 思い出すのはクローディアが日記を持っている間、誘惑を受けなかった事だ。杖に宿る魂の欠片に気づき、警戒していたのかもしれない。

 魂をふたつに割いただけではヴォルデモートの望む力にはならない。だから、殺人を犯し続けて、7つにした。

「あいつはそうまでしても不滅になりたかったなら、『賢者の石』や『ホムンクルス』を創るなりしなかったのでしょう?」

 『賢者の石』から精製される『命の水』は確かな長寿を約束し、『ホムンクルス』は文字通り自分の分身だ。

「ヴォルデモートにとって、そもそも錬金術は『分霊箱』に比べれば魅力的ではなかったといえる。『賢者の石』、つまり『命の水』は生命の延長であり、定期的に摂取せねばならない。奴は自分ひとりで事を成したがる性故に、他への依存は持っての他じゃ。5年前に求めた時は、ゴーストにすら劣る存在まで堕ち、肉体を取り戻す為に仕方なかったと言えよう。では、万一に備えて『ホムンクルス』を作らなかったのは何故か? それは割に合わんからじゃ」

 自尊心や誇示などの感情論とは違い、曖昧な理由に疑問が大きくなる。

「……割に合わないとは? 作るだけの価値がなかったということですか? ボニフェースもクローディアも人間と何も変わりませんのに」

 この2人が同一人物だと言われても、信じられない程に他人だ。もしや、『ホムンクルス』自身に自意識が芽生えた場合、余計な争いになるとでも考えたかもしれない。

「2人が人間としての機能に何の問題がないのは、トトが手掛けたからに過ぎん。『ホムンクルス』は語源となったフラスコの住人であり、その身は小さくフラスコのような場からは出られん。しかも、生成までに長い歳月と費用がかかる。それだけかかって生成できても、オリジナルどころか生物として劣る。それならば、後継者を教育したほうが手っ取り早い。じゃが、ヴォルデモートは後継ぎなどいらん」

 ヴォルデモートが欲しいのは、不滅の命。自分の分身ではない。

「スリザリン、ハッフルパフ、レイブンクローの縁の品を手にしたけど、グリフィンドールの剣はそこにあります。あの日、あいつが学校に来たのは剣を求めて来たんでしょうか? それとも、先生も知らぬ縁の品を手に入れたのでしょうか?」

「わしもそう思う」

 ダンブルドアは硝子ケースに飾られた剣に目もくれず、続ける。

「じゃが、結局して奴はグリフィンドールの品は得られなかったように思える」

「なら……あいつの杖は?」

 不死鳥の尾羽を芯にした兄弟杖。ヴォルデモートが魂を閉じ込めるには十分な価値を感じるはずだ。

「そうは思わぬ。シギスマントのような真似をせぬじゃろう。6番目には蛇のナギニを例としておる」

「……あの蛇、動物が『分霊箱』ですか? 危険じゃないですか?」

 別の意思を宿す動物では、お互いの命が危険な気がする。クィレルがそうだった。彼はユニコーンの血を飲んではいたものの、ヴォルデモートという別人格を体に宿した為に弱っていた。

 今振り返れば、そう思う。

「確かに賢明とは言えぬ。君を殺そうとご両親の家を襲った時、まだ5個だったと計算しておる」

「……その根拠は?」

 不躾な言い方になってしまったが、ダンブルドアは気にしない。

「ヴォルデモートは己にとって重大な者の死を用いて『分霊箱』を作っておった。自分を滅ぼす君の存在がまさにそうじゃ。予言に打ち勝ち、自らの無敵を確信した時に目標を達成するつもりじゃった。知っての通り、あやつはしくじった」

「……もし、作る機会があったのなら……バーサ=ジョーキンズ、いえ、マグルのフランク=ブライスを殺した時ですか? その時、人の姿をしていなかったヴォルデモートの傍にナギニはいました」

 ダンブルドアよりも先に野次馬の肖像画が小声で騒がしくなる。

「おそらくではあるが、作るとするならばその時で間違いあるまい。ナギニはスリザリンとのつながりを際立たせるし、ヴォルデモートとしての神秘的な雰囲気を高められる。ヴォルデモートにとってナギニは特別でろう。あやつが今、自分以外の誰か好きになるとすれば、ナギニじゃろう」

 何故だろうか、ナギニは直感で雌と判断した。

 今は関係ないので、そこには触れずハリーは疑問に思った事をひとつずつ、質問する。

 『分霊箱』の破壊はヴォルデモートに伝わらない。長く本体から切り離され、感じられないのだ。

 ルシウス=マルフォイから知らされるまで、日記の破壊に全く気付かなかった。しかも、魂の一部だと知らなかった為に起こした4年前の事件。先日の魔法省の失態もあって、ヴォルデモートは怒りと共に失望したという。

「日記が破壊されたから、他の魂を本体に戻そうとはしないのでしょうか?」

「おお、よう気づいたのう。それは絶対にないと断言しようぞ。何故なら、ホークラックスで裂かれた魂を元に戻す方法は、ひとつ。後悔じゃよ。罪への後悔、これによって魂は戻る。その代償として耐えがたい苦痛に見舞われるそうじゃ。ヴォルデモートは後悔はせんし、それによる痛みを受け止められはせん」

 ヴォルデモートは後悔などしない。

 ボニフェースへの悼みを拒絶した時より、確かな感情で否定する。だが、埋葬はした。

「あの場所に……『分霊箱』があるかもしれません」

「あの場所とな?」

 知らずと呟き、ハリーはヴォルデモートがボニフェースを喪した夢を丁寧に説明する。見たことのない川原に魔法で生えらせた木、包まれた死体。

 情景を更に詳しく説明しようとしたが、ダンブルドアの碧い瞳に覗きこまれて言葉が止まった。

「今日はここまでじゃ、ハリー。そろそろ、腹も減るころじゃろうて」

 指摘された瞬間、ハリーの腹が豪快に鳴った。

「まだボニフェースの話を聞いていません」

「ハリー、今日は十分に語りつくした。次を急いてはならぬ。ハリーの意識が良くても、体のほうは疲れを訴えておる」

 もう一度、腹の虫が鳴った。

 渋々、続きを諦めてハリーは校長室を後にした。

 今日の分の考えを纏めながら、腹の音は鳴り続ける。

「ハリー=ポッター、食事は大事だよ。惑星が教えずとも、我々が教える」

 フィレンツェに心配された。

 恥ずかしがる暇はなく、ハリーは残る気力を持って走る。大勢のいる広間より、厨房でドビーにお願いしてもらおうと考えた。

「ハリー、ちょうど良かった。ディーン達とクィディッチの練習について話したのよ」

 厨房への曲がり角でジニ―に出くわす。その手にはいくつものカップケーキやクッキーがどっさり乗せられた籠を抱えていた。

「午後のティータイムに洒落込もうと思ってね、厨房から分けて貰ったの」

 芳しい香りはお菓子からではなく、ジニ―の髪や肌から匂ってくる。空腹を抑え、心臓の高鳴りを強く感じた。

「ハリー、お腹空いているのね。一口、食べる?」

 ジニ―の笑顔に魅せられている。

 そう自覚した時、ハリーはクッキーを持った滑らかな手ではなく、ジニ―の唇を啄む。突然の行動だが、彼女は抵抗しなかった。

 一瞬より長く、一分より短い時間。

 食欲ではない幸福に満たされ、ハリーはジニ―から唇を離した。

「ちょっくら、ごめんよ」

 その声で一気に現実へ戻され、ハリーの背に冷たい汗が流れる。ジニ―の後ろから現われたロンが籠から、カップケーキを取り出した。

「食べる?」

 無表情のロンから、眼前に差し出されたカップケーキをハリーは無言で断った。

 

☈☈☈☈☈☈

 班分けの際、デニスと分けられた時から決戦相手は彼の班になると予想はしていた。

 クローディアは年齢分の経験があり、デニスは持ち前の技術が優れている。されど、試合は1対1ではない。仲間との連携を必要とするチーム戦だ。

 1ピリオド、8分で興奮した全神経の細胞を次までに保たせる。それを4ピリオド、深呼吸しただけで終わる一瞬の休憩はチーム内でも口も動かせず、視線でお互いの動きを把握する。

 最後は4班より点数を稼いだ状態でゴールを死守し、制限時間を過ぎて勝利した。

 こちらから攻めて、点差を広げたかったがミムの守りは固く、ジニ―とデニスの攻めは鋭かった。

 これが公式戦で尚且つ、制限時間が多ければ負けていただろう。だが、今は勝利を純粋に喜ぶ。泣きながら喜ぶハンナを抱きしめ、シェーマスとハイタッチする。

 トーナメント試合を終え、バーベッジの号令を待たずに部員は自然と整列する。

「皆さん、自分の実力を出し切れましたね。お顔を見ればわかります。勝利した班は素直に喜べます。望む結果を得られなかった班は悔しさで次こそはと目標を持てたことでしょう。今日までの試合をやり切って下さった事を感謝いたします」

 バーベッジの言葉に感嘆を覚え、クローディアは目尻に浮かんだ涙を瞬きで拭う。部長としての挨拶を促され、残った観客へと仰いだ。

「ご見学ありがとうございます。部活はこれから続きます。皆さんも一緒に是非、ご参加下さい」

 生徒や教職員、幽霊から声援と拍手が送られた。

 その中に試合開始にはいたはずのハリーとスラグホーンはいなくなっていた。

「次は面子を変えてトーナメントしよう。ハンナ、俺と組もうぜ」

「折角、感動して泣いてたのに……」

 コーマックからの誘いをハンナは謹んで遠慮した。

「せめて戦力を見ろよ」

「見直しかけてたのに」

「最近、モテてきたから調子乗っている?」

 クレメンスとミム、ジャックからの小突かれ、コーマックは涙目でわざとらしく頬を膨らませた。

 コリンに記念の1枚を撮ってもらい、部内の片付けに入った。

「ハリーは上手く行ったかな?」

 片付けに混ざったロンに聞かれ、クローディアは正直に答える。

「勿論、ハリーは上手くやるさ」

 

 試合の後は消耗した体力を取り戻す。まだ部活し足りないモラグを引っ張り、部員は大広間へ直行する。厨房の『屋敷妖精』達に感謝しつつ、寮席へ現れる料理に見境なく手を出した。

「お行儀が悪いですぞ、ミス・クロックフォード」

 クローディアの後頭部だけがスネイプから書物で叩かれる。普段なら避けたが、今日は気分が良いので叩かれて差し上げる。そんな彼女の心情を察し、黒衣の教授から、もう一発貰った。

「ベッロがいないよ、どこ行ったかな?」

 暴食を終え、カボチャジュースを啜りながらルーナは周囲を見渡す。

「ベッロは試合前からいなかったわ。きっと、いつもの散歩よ」

 当たり前のようにクローディアの隣にいるハーマイオニーが答えても、ルーナは納得しない。ゆっくりとした動作で立ち上がり、夢遊病のように歩き出した。

 わざわざベッロを探しに行く。そのルーナの行動に意味を感じ、クローディアも彼女に着いて行く。

「私も行くわ。ちょっと、待って」

 ニシンパイを無理やり口に突っ込み、ハーマイオニーも追いかけてきた。

 地下教室、温室、図書館とルーナはベッロの行きそうな場所をフラフラとした足取りで彷徨う。彼女が独りでいたら、夢遊病で徘徊しているように見えるだろう。そんな歩き方だ。

「よくよく考えたら、ベッロだけの場所があってもおかしくないさ。使い魔だけの集会所とかさ」

「使い魔の集会所!? いいわね、それ。きっと、主人について語り合っているのね。クルックシャンンクスも私がどれだけ可愛がっているか、自慢してくれるわ」

 ハーマイオニーが自信満々に言ってのけた一瞬、ルーナが派手に転ぶ。吃驚してよく見れば、足下に蹲っている人影に彼女は躓いたのだ。

「ルーナ、大丈夫って……トンクス!? 何しているさ?」

「はーい、クローディア。ハーマイオニーも一緒だね、君、大丈夫? ごめんね、隠れてた」

 隠れていたのは本当だろう。トンクスは普段の派手な髪色ではなく黒、服装も地味だ。

「ルーナ、この人は……トンクス。ずっと学校を守ってくれている闇払いさ。トンクス、この子はルーナ、頼りになる友達さ」

「知っている。君のお父さんにはお世話になったし、君自身もクローディア達と戦ってくれた。ちゃんと挨拶してないね、よろしく」

 トンクスに挨拶され、ルーナは普段のように瞬きせずに握手した。

「校長先生に会いに来たんだ?」

 唐突な発言だが、この廊下を曲がれば確かに校長室だ。

「ううん、トトが来ているから気になって」

 トンクスはルーナの質問に素直に答え、クローディアとハーマイオニーが驚いた。

「お祖父ちゃんが校長先生と話しているさ?」

「それはわからないけど、何度も来ている。クローディアは何か聞いている?」

 トトが何度も学校に足を運んでいると今知ったのに、話の内容も何も聞かされていない。

「お祖父ちゃん達が何を話しているも、それは私達が知らなくても良い事さ」

 不安はあるが、不満はない。本心を述べるクローディアにトンクスは不満げだったが、一応納得した。

「応ともよ。年寄りの愚行など、若人は詮なき事ぞ」

 足音や気配もなく、トトはトンクスの後ろに立つ。彼の存在を認識した途端、激しい怒りを肌で感じ取った。

 ルーナはさり気無く、クローディアの後ろに隠れたがる程、トトは怒っている。

「トト、何か悪い報せがあったの?」

「今のワシには全てが悪い報せじゃ。トンクスが勝手に城内をうろつくのもな。持ち場に戻っておれ」

 トトはこの場にいる誰も見ていない。まるで怒りの矛先は視界の外にいる様子だ。

「トンクスはお祖父ちゃんが何か重要な事を報せに来たと思っただけさ」

「いいの、クローディア。私は戻るから、ハーマイオニー、ルーナ。私がここにいた事は内緒ね」

 しっかりとした態度でトンクスは消える。消え方から、『目くらましの術』の類だと推測した。その証拠に気配が遠ざかって行くのを感じた。

〔来織、ダンブルドアとハリーに何をさせているか、知っておるか?〕

 日本語で話しかけられ、クローディアは視線をトトから離さずにルーナを意識した。ダンブルドアが知る限りのヴォルデモートに関する情報をハリーに伝える。2人だけの授業内容は絶対に知られてはいけない。

 クローディアとハーマイオニーが知るのは、ダンブルドアが許したからだ。

〔ハリーが何をさせられていても、それはお祖父ちゃんが知らなくていい事さ〕

 トンクスとほぼ同じ答えを返す。

〔それでは困る!!〕

 一喝。

 荒々しく叫ばれ、ハーマイオニーとルーナは怯えて肩を痙攣させた。

 こんな怒り方は珍しい。トトは激怒しても、年配ならではの心の余裕がある。それが今は一切ない。彼は焦っているのだ。

 聞き取れない程、トトは小さく呟く。そして、誰にも目もくれず去ってしまった。

「ブルガリア語だったわ」

 委縮していたハーマイオニーが落ち着きを取り戻し、そう囁いた。

「……ブルガリア語? お祖父ちゃんがブルガリア語を言ったさ? ああ、そうか、お祖父ちゃんは話せるさ」

 すっかり忘れていたが、トトはダームストラング専門学校出身者だ。学校の場所は知らないが、ブルガリア語を公用語としている。

 そして、ハーマイオニーはビクトールと文通していた。彼の為にブルガリア語を勉強しているのだろう。

「なんて言った?」

 ルーナの質問にハーマイオニーは口元を押さえて躊躇う。

「……自分にも考えがある……多分、そういう意味だと思うわ」

 ハーマイオニーにとって、今のトトは後見人だ。この学校にいる多くのマグル生まれの生徒も請け負っている。そんな彼が今になって、ダンブルドアへの不信感から袂を分かつ事などあるはずもない。

 しかし、今日の態度から不安だ。

 ダンブルドアに報告しようと校長室へ行こうとすれば、急にルーナが反対方向へと走り出す。彼女の視線の先には、ベッロが呑気に這っている。だが、切羽詰った様子で迫られて今まで見た事ない速さで逃げ出した。

 クローディアとハーマイオニーも急いでルーナを追いかける。この追いかけっこに相当な時間を取られ、気づけば夕食の時間になっていた。

 昼間の試合を楽しんだ喜びは束の間、午後は無駄に疲れた。

 大広間の二重扉にて、ハリーと会う。彼もげっそりとした顔つきで疲弊していた。

「トトさん、来てたよ。僕は会わなかったけど、凄く怒っていた。ダンブルドアは意見が合わない事があるって」

 それだけ告げ、ハリーはグリフィンドール席へと向かう。つまり、彼は首尾よくスラグホーンから『記憶』を貰い、ダンブルドアへ渡した。

 労いはまた今度にする。

 教職員席にダンブルドアとスラグホーンはいる。正直、『魔法薬学』の教授は『分霊箱』の話に触れられ、姿を消すと思っていた。早々の別れとならなくて良かった。

「クローディア、お祖父様の事は伏せて置きましょう。横槍を入れて悪化させたくないし、私達がお2人を仲裁するには情報も時間も足りないわ」

 ハーマイオニーに耳打ちされ、クローディアは教職員席へ向かいかけた足を止めた。

 トトが無意識に呟いた言葉をわざわざ伝え、いらぬ諍いを生んではいけない。ハーマイオニーに感謝し、クローディアはレイブンクロー席に座った。

「ウィーズリーって、ズルイわ」

 偶々、隣に座っていたサリーに話題を振られて反応に困る。聞こえなかったと判断し、彼女はもう一度、クローディアへ迫る。

「ウィーズリー兄妹はズルイ!」

「二度も言わなくていいさ。何さ、いきなり」

 この時間まで良くも悪くも色々とありすぎ、クローディアは適当にサリーをあしらう。

「ハリーったら、ジニ―とキスしたのよ。ハンナが見ちゃったって!」

 クローディアは口に含んだカボチャジュースを吹き出し、反対隣りにいたテリーにかかった。

「俺のアメフト部がそんなに嫌か?」

 拗れたテリーの誤解を解くのに時間がかかり、サリーから真相は聞けなかった。

 




閲覧ありがとうございました。

錬金術は等価交換。ですが、実に割に合わない。
ニコラスがオリバンダーに本当のことを教えているなんて事はなかった…。

映画版のロンの名台詞「食べる?」は大好きです。


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14.友よ

閲覧ありがとうございます。
長く間が空いてしまいすみません。
お気に入りがついに1000件を超えました。ありがとうございます。


 グリフィンドールのクィディッチチーム内はこれまでになく、緊迫している。ハッフルパフとの試合ではなく、個人的ないざこざだ。

 ただでさえ、今のメンバーはハリーの依怙贔屓を疑われていた。

 それがジニーの関係により、疑いは強まり選考から外れた生徒たちからの苦情が相次いだ。

 更にロンは妹の恋愛を認めず、元彼のディーンまで不満を露にした。

「ロン、俺がキーパー交代してやるよ」

 コーマックのようにからかってくる生徒も多く、それでも辞退を申し出る選手はいなかった。

 しかし、私情でギスギスした人間関係によりチームワークは崩壊し、ハッフルパフとの試合に敗れた。

 クローディアは他人事ながら、ハリー達の私情に同情する。慰めには行かない。寧ろ、彼から試合結果がそうなろうと今日は話しかけないようにお願いされていた。

「ルーナの実況、おもしろかった! マクゴナガル先生との掛け合いとか……ぷぷ」

「からかってないけど、からかっているね」

「馬鹿にはしてないよ。いいじゃん、あんなに楽しそうにしてんだから」

 誰の推薦かは定かではないが、今回の試合になんとルーナ。彼女は素人同然の知識のまま、それを隠さずに実況をやり遂げた。

 マンディは余程、笑いのツボを刺激されたらしく、試合が終わっても笑い続けている。あまりに笑うので、ルーナは彼女に対し不信感を抱き、珍しくシーサーが宥めた。

 クローディアはマンディの気持ちがわかる。ルーナとマクゴナガルの実況と解説はボケとツッコミの漫才に聞こえ、おもしろい。たが、この場の誰にも共感して貰えない為に黙っておく。

「クィディッチに慣れていない生徒には、ルーナは代弁者でしたわ。次回も是非、お願いしますわ」

「うん、いいよ。マグナガル先生、わかならない事を教えてくれるもン」

 リサがルーナに頼んだ頃、ようやく謎かけドアノッカーの順番が回ってきた。

 そこには先に戻っていたレイブンクローのチームメンバーが暖炉を占領して話し合う。こんな場所なので、他の生徒も興味津々に堂々と盗み聞く。

「一点差か……。クレメンス、なんでハリーをコテンパンにしてくれないんだ……」

「他力本願か!」

 まるで自らの敗北のようにエディは表情を険しくし、マーカスは茶々を入れるように呆れた。

「そう責めないでやって、エディは練習時間が削られたから、苛立ってんの」

 ミムがやれやれと肩を竦める。

「練習時間が削られたって……、補習さ?」

「違う! 6月のグリフィンドールとの試合が5月に繰り上げられたんだ! ああ、もう僕の予定が台無し!!」

 クローディアの疑問にエディは髪を乱暴に掻きながら、喚いた。

「他の試合と入れ替えた?」

「残りの試合の3試合を全部ズラすんです」

 テリーの質問にネイサンが答える。

「私達7年生の為よ。N・E・W・T試験を終えたら、すぐにでも学校を発たせたいってわけ」

 マリエッタの説明に何人かの7年生が同意して頷く。

「試験の結果はどうなるんだ? 就職にも影響するだろ?」

「試験を終えて、その場で通知。もう職場への手配を済ませている人もいるわ。勿論、結果が悪ければ就職はお流れになるけど」

 マイケルの質問にチョウが答え、「げっ」と呻く声がモラグから上がった。

 つまり、ここにいる7年生との別れは早まるのだ。

 胸を過ぎる寂しさは、いつまでも慣れない。

「マリエッタ、魔法省に行ったらクララによろしくさ」

「なんで、どいつもこいつも私が魔法省入りすると思ってんの!?」

 半分、冗談のつもりでマリエッタの肩を叩く。そんなクローディアに彼女は半ギレで返した。

 

 またこの騒動は生徒だけでなく教職員にも伝わり、ハリーは遠回しの祝福を貰い続けてゲッソリした。

「ハリーに恋人が出来て寂しいかね?」

 『魔法薬学』の後、スラグホーンに呼び止められたかと思えば、奇妙な質問を受けた。

「ハリーには幸せになって欲しいです。今の関心はベアゾール石です」

 授業内容は解毒薬。

 スラグホーンの机に置かれた毒薬に対する解毒薬を調合するという課題に、ハリーはベアゾール石を何の加工もせずにそのまま差し出した。

 確かに石そのものが解毒薬である為、スラグホーンは称賛の嵐だ。

 調合に捉われ過ぎて、クローディアとハーマイオニーも思いつかなかった。

「3年生の時、スネイプ先生とベアゾール石の事で嫌な思い出がありまして」

「セブルスは私の目から見ても、君にはちと厳しい。コンラッドへの怒りを君にぶつけているかもしれんな。……あの時、セブルスは死ぬ程、心配しておった……」

 ただの世間話のつもりがスラグホーンは急に哀愁漂う笑みを浮かべた。

 あの時とは、コンラッドの失踪だ。

 近頃のスラグホーンは感傷的な話をしてくれる。以前はただの研究対象のように接していたのがよくわかった。

「先生もお父さんを心配してくれました?」

「心配じゃったとも、ただボニフェースの居所を掴んで雲隠れしたのかとも思ったからのう。まさか、嫁さん家におったと聞いた時は魂消た魂消た……ところで、本当にハリーの事は良いのかね?」

 強引にハリーの話を持ってくる。誤魔化していても、スラグホーンの野次馬根性は消えない。

「ハリーは友達ですよ、ずっと。それに私にはロンの兄ジョージとの婚約があります」

 正直に告げた瞬間、スラグホーンは文字通りひっくり返る。見事な転げ方に驚き、クローディアは鞄を落としかけた。

「おのれ、アルバス! そんなおもしろい話を何故、わしにせんのだ! すると何かね、ウィーズリー兄妹は君達3人を見事に射止めたと!? ほっほお、こんな素晴らしい事が!」

 興奮しながら起き上ったスラグホーンは杖を振る。『呼び寄せ呪文』にて、一本の酒瓶を呼び寄せた。

 まさか、ここで乾杯する気かと思い様子を見る。

「オーク樽熟成の蜂蜜酒、これが美味いのなんの。本当は来年のクリスマスにでも贈るつもりじゃったが、渡し時は幸せ一杯の今しかあるまい」

 差し出された酒瓶がクローディアへの贈り物だと知り、驚きすぎて言葉もない。

「え……でも、私が先生から贈り物を貰う謂われは……、そもそも……マグル法ではまだ未成年……」

「何を言っておる。マグル法での成人は18歳からだろうに、さてはわしが魔法族じゃから、からかっておるのか?」

 すっかり忘れていたカルチャーショック。

 この国にいるなら、クローディアは法的にも飲酒できる。しかし、15歳のクリスマスに酒を煽った際、記憶が飛ぶ泥酔した経験があるのだ。

「それに今すぐ飲めとは言わん。受け取るだけ、受け取っておくれ」

「……有り難く頂戴致します。お礼はまた後日」

 必死に頭を下げながら、クローディアは酒を受け取る。ローブの下に隠して教室を出た。

「遅いじゃない。一体、どんな込み入った話を……そのローブの下にある物は何?」

 ハーマイオニーに咎められ、クローディアは素直にチラッと酒瓶を見せる。

「没収」

 鞄を開き、ハーマイオニーは迷わず監督生として命じる。鞄は毎日のように使い込まれ、取っ手の部分や角がすり減っている。3年生の時に贈ったクローディアお手製をここまで使い込んで貰えて嬉く思う。

「クローディア」

 催促され、クローディアは逆らわずに鞄へ入れる。いくら成人しても、酒の所持は生徒として禁止だ。

 

 ――その様子をドラコは見ていたが、クローディアは気にしなかった。

 

 

 ハリーとジニーの話題は2月に入り、『姿現わし』の練習が始まれば一応、治まる。今回の指導官はクローディアの時と同様にトワイクロス指導官だった。

 夕食は指導内容の話題で持ち切りだ。

「ザカリアス=スミスが『バラけ』てしまいましたわ。すぐに先生方に治して貰えましたが、すごく見ていて怖かったです」

 皆が浮足立って盛り上がる中、リサのように『姿現わし』の失敗を恐れる生徒もいた。

 クローディアは無意識に脚へと触れる。

「ウィーズリーはズルイ、ウィーズリーはズルイ」

 唐突にサリーが歌いながら、クローディアの周囲をうろつく。そのせいで感傷に浸れなかった。

「サリー、そういう不満は本人に言って欲しいさ」

「やあよお。ジニーの魔法はスラグホーン先生のお墨付きなんだから、後が怖いわ。それに教官、好みじゃなかったわ」

 だからといって、クローディアに八つ当たりしないで欲しい。

「リサ、サリー。手を貸してくれない? パーバティが『占い学』に手こずっているの」

 パドマの要請を快く引き受け、リサとサリーはグリフィンドール席のパーバティーへと助太刀に向かう。ようやく解放された。

「そんなに難しい内容さ?」

「……難しいって言うか、個性的って言うか、統一感がないというか……。パーバティに言わせれば、トレローニー先生のやり方だって……、それでも内容も量も無茶苦茶よ。あの子ったら、将来も考えずに教科を選択するから……」

「最近、トレローニー先生は機嫌が悪い」

 ボソッと呟いて話に入ってきたのは、セシル。彼女は昨年度まで『占い学』を選択していた。

「さっきまで、グリフィンドールのラベンダーから頼まれて宿題を手伝ってた。あの宿題の出し方は機嫌が悪い時……、やめておいてよかった」

「セシルに同意するわ。機嫌の善し悪しであんな課題の出し方を出すなんて、時間と労力の無駄。こりゃあ、フィレンツェ先生に人気が偏るはずね」

 パドマの不満を聞いていると近寄ってくる羽音に気づき、コッペパンを片手に上げる。カサブランカが慣れたように手紙を渡し、パンを取る。久しぶりに見たフクロウは忙しなくパンを貪り、さっさと大広間から飛び去った。

(5回目にしてようやく、返事が来たさ)

 コンラッドへ宛てた手紙、一週間経っても返事がなければ再度出し続けた。

【私から話す事はない】

 自分の名すら書かず、素気ない。それだけコンラッドの決意を感じ取った。

(そっちがその気なら、警告通りに私から話すだけさ)

 手紙を燃やし、クローディアは教職員席を見やる。そこにスネイプはいない。ならば、地下だ。

 ハーマイオニーに声をかけようとグリフィンドール席へ振り返る。

「良くないよ」

 耳に届いたルーナの声に不思議と周囲の音が消えたような錯覚に陥る。彼女はクローディアから離れた席に座り、こちらを見つめる眼差しは瞬きをしない。

(良くないって……私がこれからしようとする事が……?)

 ルーナの位置から手紙が見えていたはずはない。クローディアが席を立とうする様子は察しただろう。見開かれた瞳は顔を動かさず、横を見た。

 クローディアもルーナに倣い、頭を動かさずに視界を動かす。二重扉にもたれているドラコがこちらを睨んでいた。

 普段の監視する視線とは違う。確かに睨んでいた。

(そうか……、手紙を)

 灰となって消えた手紙、これがドラコに強い関心を向けてしまう。こんな状態で個人的にスネイプと会うのは危険だ。

 必ず尾行され、大事な話を盗み聞かれる。

 今は動いてはいけない。そう判断し、ルーナへ視線を向ける。彼女はクローディアの心情を察したらしく、バナナグレープに食らい尽いていた。

(私の授業がない時間……、いや、スネイプ先生は授業あるし……土日は……)

 背中にドラコの視線を感じつつ、まだトレローニーを批判し続けるパドマの話に耳を傾けて過ごした。

 

 就寝時間。

 パドマとリサの寝息を聞きながら、クローディアは『忍びの地図』を眺める。ハリーから渋々ではあるものの、承諾を得て借りた。

 スネイプはダンブルドアに呼ばれてか、校長室にいる。ドラコはスリザリン寮にて、クラップとゴイルが傍にいる事から自室だ。

 他の人々の名を目で追い、クリーチャー達の名がない事について考える。製作者である4人が『屋敷妖精』を知らなかったとは考えにくい。ならば、100人もの名を追加するのが手間だったかとは言えば、おそらく違う。

 4年生までクローディアは学校に『屋敷妖精』がいるとは知らず、彼らは生徒に気づかれぬように隠密行動を徹底している。そして、【ホグワーツの歴史】にもその事は記載されていなかった。

 ドビーは人が使っている最中の『秘密の部屋』に入れた。

 つまり、彼ら妖精は生徒に認識されないように地図へ写る事を拒否したか、どうやっても写せなかった。

 ここまで勝手な憶測を立てたが、あながち的外れではない確信があった。

「もしかして……ドビー達はケタ違いどころか、次元の違う種族なんじゃあ……」

 驚愕して呟いた時、キュリーに寝巻の裾を引っ張られる。地図のスネイプの名が校長室を出る。彼は独りだ。

「‐イタズラ完了‐」

 杖で叩いた地図はベッロに渡す。キュリーを連れ、クローディアは影へと変じた。

 夜の徘徊にキュリーを選んだのは、ベッロやクルックシャンクスではすぐにクローディアの関与を疑われる。ピーブズなど特に絡んでくる。その為に品性方向なリサの猫を借りた。

 減点覚悟で地下教室へと急ぐ。今では『闇払い』もいる学校内にて、彼は教師として巡回を装って遠回りに地下へ帰るはずだ。

 ドラコを警戒しなくて良い時間は、今だけだ。

 罰則は覚悟の上、寮への減点は心の中で皆に詫びる。研究室へメモ用紙を置く案も考えたが、誰かに盗られては困る。

 それに何より、手紙が今日届いたなら、きちんと話が出来るのは今日しかない。そんな勘が働いた。

 先に着いたのは、クローディア達だ。確実に目に入る場所でキュリーに待機してもらう。スネイプの足音が近づいたかと思えば、鎖を引き摺るような音もやってきた。

(スネイプ先生、荷物でも持ってきているさ?)

 そんな考えは外れ、『血みどろ男爵』と一緒だ。男爵の体に巻かれた鎖の音だった。

 キュリーは毛を逆立て、威嚇の姿勢になる。しかし、男爵が見える位置まで階段を降りてきた瞬間、猫は我先に逃げ出した。

 一人になってしまったクローディアは色々と焦る。何所へ移動するにも必ず誰か付き添わせるという皆との約束を破り、そしてスネイプの前で変身を解くタイミングを失った。

 構わず、2人は囁くように言葉を交わす。

「ドラコ=マルフォイは寮でお眠りだ。もう動きはすまい」

「そうか、ご苦労だった男爵」

 聴覚を必死に動かし、聞き取った会話に驚く。スネイプもドラコを監視していた。しかも、自分の目を行き届かない場合は『血みどろ男爵』に頼んでいた。

「教授よ。首飾りの件、犯人はまだ現れぬか?」

「……まだ特定はできん」

 スネイプの解答が気に入らなかったらしく、男爵は血まみれで蒼白な顔を歪めた。

「教授達は緘口令を敷いておるが、本当に狙われた生徒はヘレナのお気に入りなのだろう? 彼女がとても心配しておる。聞けば、その生徒の父親はかつての我が寮。教授とも親しかろう、犯人について探りを入れてみてはどうか?」

 男爵の言う生徒はクローディアでその父親はコンラッドを指している。名を言わないのは覚えられていないからか、盗み聞きを警戒している。そんなところだ。

 実際、クローディアは意図せず盗み聞いている。

「話す事などない」

 コンラッドと同じ考えだ。

「……本当か?」

 あっさりと却下したスネイプに男爵は詰め寄る。幽霊の態度が珍しいらしく、黒真珠の瞳が目を見開いた。

「何が言いたいのだ、男爵」

「彼が失踪しおった時の騒動は覚えておる」

 クローディアは影の身ながら、緊張で胃が竦む。スネイプも予期せぬ話に眉を顰めた。

「だが、彼は帰ってきた。つまり、目的があって身を隠していたのだろう。教授にすら、話せぬ事情を抱えておった。……もし、その事情を聞かされていたら、教授は彼に着いて行ったのかね?」

 その質問をスネイプは普段の態度で一蹴する。そんな反応をクローディアは予想した。

 しかし、スネイプは激情を抑え込むように唇を震わせ、堪えている。

「そんな「もしも」は存在しない。……だが、あえて答えるなら、着いて行かなかった」

 普段の口調なのに、表情から涙を堪えているようにも見える。

「その答えを彼は予期した故、黙って去ったのであろうな」

 勝手に話を振っておきながら、男爵はそう締めくくる。幽霊でありながら、騒がしく鎖の音を立てて去って行った。

 スネイプも見送らず、さっさと研究室へに入る。扉が閉まる瞬間、唇が声を出さずに動いた。

「――それでも、話して欲しかった」

 現実感のない夢見心地な気分に襲われ、クローディアは動けなかった。

 戻ってきてくれたキュリーの鳴き声を聞き、ようやく我に返る。まだ胃が竦み、更に脳髄の奥が熱くなる感覚に自らの動揺を知る。寮に帰る気分になれず、キュリーと共に部室へと寄り道した。

 変身を解いて、床へ座りこむ。手足の感触と深呼吸により、空気が口から肺へと吸い込まれる感覚でほんの少し、動揺は治まった。

 心配して擦り寄ってくるキュリーを抱え、足を伸ばす。天井を仰ごうと上を向けば、トンクスに見下ろされた。

「気配も消して、私に近寄ってくるなんてさ。トンクスは何者さ?」

「何者って……闇払いよ。消灯時間にウロウロしちゃって、私が監督生だったら減点ものだわ」

 トンクスの年齢的に巡回中の教師だろう。それに彼女は監督生になれなかったはずだ。そんな無粋なツッコミはせず、クローディアは「もう少しだけ」と答えた。

 まだ部屋へ帰る気配のない生徒の為、やれやれとトンクスはクローディアの隣に腰かける。

「持ち場を離れて平気さ?」

「そこの窓から、貴女の姿が見えた。生徒の安全を守る為に注意しに来たんだから、問題ない」

 親指で指さされた窓は確かに開いている。

「何があったの? 騎士団の誰かから知らせが来たんじゃないでしょうね」

 深刻な顔つきで問われたが、コンラッドは騎士団員ではない。

「お父さんからさ。……スネイプ先生と……話してくれるように頼んでいたんだけど、断られちゃったさ」

「そう。貴女のお父さん、スネイプと同じ寮だったんだってね」

 安堵の中にガッカリした気配を見せ、トンクスはキュリーの頭を撫でる。そして、唐突に頭を猫へと変じた。

 キュリーは動じず、ぷいっと顔を逸らす。期待外れの反応にわざとらしく不貞腐れ、トンクスの顔が元に戻る。

「私、リーマス達が卒業してから入学したんだ。だからってわけじゃないけど、よく知らないのよね。皆がどんな学生だったか」

 諍いの絶えなかった父親達の世代。今でもシコリは残り、顔を合わせれば睨みあう関係だ。

 それを知らないトンクスがとても新鮮だ。そんな彼女になら、打ち明けたい気持ちになった。

「お父さんが話してくれないなら、私が話そうと思ったんだけどさ……」

「うん」

 トンクスはクローディアを見ず、聞いているのかわからない曖昧な相槌を打つ。

「偶々なんだけど、スネイプ先生の本音を聞いちゃったさ。それ聞いたら、私……とんでもないお節介を焼こうとしてたって気づいたさ」

 スネイプは他人事を自分の事のように抱え込む。だから、コンラッドは何も言えなかった。全てを話してしまえば、それは親友に重みを背負わせるのと同じだ。

 苦しみを負わせるくらいなら、何も教えずに憎まれたい。それがコンラッドのスネイプへの親愛の証だ。

「友達だからって何もかも知りつくさなきゃいけない、そんなわけないのにさ」

 どんな結果になろうと腹を割って話し合うべき、そんな稚拙で愚かな考えはスネイプに新たな重みとなる。ただでさえ、教え子同士で命のやり取りをしている最中だ。

 聡いルーナの言っていた「良くない」とはこの事だと確信した。

「私だって……ハーマイオニーに言ってない汚い部分があるのに」

 自分への情けなさに涙が溢れた。

 トンクスは拭わないし、慰めの言葉もかけない。クローディアを見ずにただ座っていた。

「さて、私は部屋まで送れないけど、戻れる?」

 一しきり泣いたクローディアへトンクスは立ち上がりながら、問いかける。部屋着の裾で涙を拭い、頷き返す。

 就寝の挨拶をし、クローディアは部室を出る。扉をくぐった瞬間、影へと変身した。

 クローディアの姿が見えなくなっても、トンクスは動じない。カラスに変じ、同僚に見つかる前に窓から外へと飛び立った。

 勿論、鍵は外から魔法で掛けた。

 

 翌朝、『忍びの地図』をハリーに返す時、結果を聞かれたので素直に答えた。

「私から話すのはやめるさ。いつか、お父さんが話せるようになるまで放っておくさ」

「一生、話さないかもしれないよ。コンラッドさん、秘密主義だし。僕が言うのもなんだけどね」

 やれやれと溜息をつき、ハリーは肩を竦める。彼に秘密主義の自覚を持っていた事に驚きだ。

 妙に笑いが浮かぶ。

「そこまで私は面倒見切れないさ」

 突き放す言い方なのに、とても気が楽になる。クローディアの表情にも出ていたらしく、ハリーも優しく笑い返してくれた。

「ハリー、シリウスさんに伝言を頼みたいさ」

 クローディアの口からシリウスの名が出た為、ハリーが怪訝そうに首を傾げる。

 どれだけハリーがスネイプを嫌おうが、クローディアには父の親友であり師として尊敬している。それは彼女がどれだけシリウスを嫌おうが、彼には亡き父の親友にして名付け親だ。

 それが同じ事だと、やっと頭と心で理解した。

「次に会うのを楽しみにしていますってさ」

 無意識に表情が強張り、声も上ずる。予想もしていない言葉にハリーは面を食らう。しかし、クローディアの作り笑顔に苦笑した。

「自分で言いなよ」

「断る!」

 反射的にクローディアは全力で叫んだ。

 

 

 トンクスの言うように騎士団からの報せはない。しかし、【日刊預言者新聞】や【週刊魔女】、そして【ザ・クィブラー】では事件を伝えてくる。クィディッチなどの部活動があっても、生徒の家族や親族の名が犠牲者として記事に載る度、笑顔を奪って行った。

 ルーナにとって、新刊は父ゼノフィリスの安否を確認できる。不定期な発行である為、日数が空くと普段以上にフラフラと彷徨う姿が目立った。

 バレンタインデーという日も荒れ狂う吹雪のせいなのか、例年のように盛り上がらず終わった。

 雪は尾を引いて雨となり連日、降り続ける。そんな悪天候の中でも、レイブンクロー対スリザリンのクィディッチ戦は行われ、レイブンクローは間一髪で勝利した。

 だが、ホグズミード村への外出は中止だ。

「まだケイティは戻らないのかな」

 掲示板の報せを見て、残念がる生徒達を尻目にミムは呟く。久しぶりに聞く名はクローディアの心臓を痙攣させた。

 首飾りの強力な呪いは今だケイティを『聖マンゴ』に入院させている。巻き込んでしまった彼女も安否も気になるが、我が身に降りかかりかけた恐怖も蘇える。

(マルフォイは何をどうしたんだろうさ?)

 最後に睨まれてから、ドラコは何も仕掛けて来ない。クリーチャーから時折、『必要の部屋』に入ろうと壁を探っている様子ぐらいしか、報告はない。

 だが、犯人を検挙されない以上、犯行は繰り返される可能性は高い。

「グリフィンドール5点減点、次の授業までに『亡者』のレポートを提出せよ」

 『闇の魔術への防衛術』の授業は変わりなく、ハリーとスネイプの論議を聞いて終わる。ドラコは傍目からは真面目に取り組んでおり、クローディアさえ見ていない。しかし、彼は確実にこちらを意識していた。

「ハリーは毎回、毎回、よくやるわ」

 マンディは感心したような呆れた口調でハリーに告げる。

「黙っていても減点されるんだ。だったら、言いたい事を言わせてもらうよ」

「もうちょっとスネイプに手加減してやりなって」

 妙に機嫌の良いシェーマスはハリーを宥める。

「手加減したら、不満が消化不良だろう」

 小声で呟くロンは暗い。

 中止になった外出日が大事な成人を迎える誕生日と重なっており、ハーマイオニーとデート予定であった。ロンに言わせれば、人生最高の企画を練っていたそうだ。

「どうせなら、ハーマイオニーの誕生日にすれば良かったのにね。最高のデートとやら」

「その頃はまだお付き合いしてないよ」

 嫌味ったらしくサリーが告げると、ネビルが素直に返す。彼も元気なくゲッソリだ。

「ネビル、どうしたさ? 悩み事なら聞くさ」

「ありがとう……。ロンから聞いているかもしれないけど、スラグホーン先生の晩餐会に招待されたんだ。ロンの誕生日を兼ねているから……行くしかないでしょう?」

 まさか、ロンの為にスラグホーンが誕生会を開く。心底、意外だ。

「何それ、今知ったわ」

 ハーマイオニーはロンを見やり、彼は返事もせず小走りで去った。

「それはハリーが頼んださ?」

 話を振られたハリーはそっと目を逸らす。

「正確には先生に誘われた日時がロンの誕生日だからって、断ろうとしたんだ。そしたら、そういうことになって……僕らの友達としてネビルとシェーマスとディーンを誘いました……」

 言い訳がましいハリーの語尾が敬語になっていく。

「クリスマスパーティーも行けなかったし、すっげえ嬉しい。ロンへの誕生日は何を贈ろう!」

 暗い雰囲気に気付かず、シェーマスはハリーの肩を勢いよくバンバン叩いた。

「ディーンもって、気まずくないの?」

「同室なんで、お互いに気にしてないよ」

 ハーマイオニーの素朴な疑問にハリーは肩を竦め、やれやれと答える。考えないようにしていても、意識はしてしまうのだろう。同室に彼女の兄がいて、更に元彼までいる。とんだ修羅場部屋だ。

「ハリー、勇気あるわよね」

「勇気、なのかな?」

 感心して酔いしれるサリーにマンディは疑問だ。




閲覧ありがとうございました。
原作ではグリフィンドール対ハッフルパフは3月ですが、この時期にしました。

イギリスの成人は18歳ですが、飲酒もOKとはカルチャーショック。


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15.親愛

閲覧ありがとうございます。

クローディアとハリーの視点を分けるのが当たり前になってしまい、その分、長くなります。

追記:18年8月8日、18年9月3日、20年1月6日の誤字報告により修正しました。


 レイブンクロー生にとっての催し、模擬試験。

 6年生が一致団結し、学年毎に試験内容を決めて監督する。例年で最も参加人数が少なく、その分、用意する答案用紙も少なかった。

「作る枚数が楽になったと喜ぶべきか、それだけ少ない生徒数を寂しく思うべきか……」

 答案用紙作成担当のアンソニーは溜息を吐いた。

「これだけの大仕事したら、学期末試験免除してくれてもよくねえかな?」

「ねえよ、現実見ろって」

 実技試験担当のモラグをマイケルは厳しい言葉で窘めた。

「6年生だけ『姿現わし』の模擬試験を出来たら、いいのにさ」

「流石に資格試験ですから、一般の生徒には手に負えません」

 会場担当のクローディアはそんな疑問を呟き、リサはクスクスっと笑った。

「準備できたかしら? それじゃあ、席へ案内をお願い」

 監督責任のパドマが号令し、案内担当のセシルが順番に下級生を導く。自由に席を決めさせないのは、カンニング防止対策の一環だ。

 普段の小テストとは違う雰囲気に1年生は緊張を露に模擬試験へ挑む。7年生は6年生の作った試験の出来栄えを確認する目つきだ。

 6年生も監督する立場故の緊張感を味わい、問題なく終了した。

「へえ、今回は全員合格だ。誰も補習しなくていいぞ」

 採点担当のテリーは全員の答案用紙を感心して眺める。

「なーんだ、補習になっちゃって7年生に怯える後輩を慰める名目で親しくなろうと思ったのに」

「ついに年下へ標的を変えたの!?」

 サリーの発言にマンディはドン引きだ。

「7年生の恐怖を味わってみたかったです」

 1年生に補習なしを報せたが、何故かベーカーはガッカリしていた。

 

 大仕事を終えたクローディアには次がある。そう、次期部長を決める会議だ。

 バーベッジの事務所を借り、7年生だけ呼び出す。

「部長って先生が決めんじゃねえの? バーベッジに任せちまえよ」

「おもしろいじゃないか、僕で決められるなんて」

 面倒そうなコーマックをクレメンスは目を輝せて、座らせる。顧問のバーベッジには部活を任せている為に不在だ。

「君以外の6年生はいないのか?」

「来年のクリスマスに部長交代引退するって言ったっしょ。今の6年生を後任にしてどうすんの」

 ジャックの疑問にミムが答えてくれた。

「私はデレクを推薦するさ。理由は成長の伸びが早い、身長じゃなくて腕前の……」

「僕はデニス、やっぱり一番、腕がいいからね」

「俺はジニー、責任感が強いし、部活中でクローディアに次いでリーダーシップを取れているな」

「俺もジニーに一票、クィディッチとの両立も上手い」

 クローディアの意見に続き、クレメンス、コーマック、ジャックが答える。今のところ、ジニーに票が多い。

「あたしはルーナ、マグルの世界にもないオリジナルのバスケにしてくれるかも」

 たっぷり時間をかけて出た発言、本人のミム以外は表情が凍りついた。

 結局、ジニーとデレクに意見が分かれる。1時間以上経っても決定打に欠けて決断できない。それでも誰も席を立たず、投げ出さずに真剣だ。

「難しいわ。先生ってこんなに考えて決めているんだねえ」

 椅子の背もたれに思いっ切りたれかかり、ミムは疲れを溜息にする。

「これが監督生なら、この2人で決定なのにね」

 クレメンスの一言にクローディアは思い出す。すっかり忘れていた副部長の存在だ。

「デレクを部長、ジニーを副部長に就かせるさ。ジニーは来年もクィディッチを掛け持ちするから、副部長なら負担も減らせるさ」

「「「「異議なし」」」」

 4人は一瞬、お互いに顔を合わせて全員一致で答えた。

 会議を終え、部活中の部室へ入る。真っ先にバーベッジへ結果を報告した。

「私も顧問として、皆さんに従います。ジニー、デレク。こちらへ」

 よく通る声に応じ、皆に指導をしていたジニーとデレクはすぐに集まる。そして、2人にはバーベッジから伝えて貰った。

「ぼ、僕が来年の冬に部長!? クローディアはその頃には学校にいないんですか!?」

 在学中に部長引き継ぎの習慣がない為、デレクは次期部長よりもクローディアの退学を心配した。

「成程、私が7年生になった頃にはクィディッチのキャプテンになっているでしょうから、調整は利くわ」

 ジニーは自信満々にハリーの後任は自分だと言い切った。

 反応はそれぞれだが、2人は承諾した。

「記念に1枚撮ろう」

 何処から聞いていたのか、コリンがカメラを構えて現れる。

「まだ決まっただけなのにさ……コリンは何でも撮りたがるさ」

「本音を言えば、ハリーとジニーのツーショットが欲しいなあ」

 ギラギラと目を輝かせ、コリンはおねだりしてくる。ジニーは黙り、デレクとクローディアの腕を絡めて撮られる姿勢になる。彼女に逆らわず、2人は笑顔で構えた。

「ジニーも笑って」

 コリンの後ろから、ルーナに声をかけられてジニーも自信に溢れた笑顔を見せた。

 

 

 3月1日、ロンは17歳になり成人を迎える。彼の寝台には各方面から届けられた贈物で山積みになり、彼は浮かれ喜ぶだろう。

 そんなロンの姿を想像し、クローディアは朝食にありつく。

「クローディア、今夜の晩餐会に行かないか? 野郎ばっかりって言うのもムサ苦しいし、何よりロンの誕生日会とかやってらんねえし」

 朝からコーマックに絡まれ、うんざりする。

「というか、コーマックはロンとお友達でしたっけ?」

「何言ってんだ。俺とロンは身内に魔法省関係、クィディッチはキーパーを争った中だぜ。ここまで来たら、マブ達だろ」

 パドマの嫌味もコーマックは軽く交わす。彼女は呆れてシッシッと手で追い払う。

「ミス・パチル、ミス・クロックフォード」

 フリックウィックの緊張した声に振り返る。

「こちらへ来なさい」

 クローディアとパドマだけ、奇妙な組み合わせで呼ばれたと疑問しつつ、大人しく従う。リサが仲間外れにされた寂しさか、二重扉を過ぎるまで見送ってくれた。

 連れて来られた校長室には、ダンブルドアとスラグホーンが待っていた。

「先ずはワシから説明しよう」

 穏やかに深刻さを含め、ダンブルドアは手袋の裾を引っ張る。

「つい先ほど、ラベンダー=ブラウンがグリフィンドール寮の部屋にて毒を呷った」

 聞き違いを疑いたかった。

 全身の体温が一気に冷め、手足の感覚がおぼろげになっても聴覚は働く。

「パーバティは!? 先生、パーバティは!?」

 無表情に切羽詰った声を出し、パドマは詰め寄る。クローディアもハーマイオニーの安否を聞きたいが、恐ろしい事態に言葉が出ない。聞くのも怖かった。

「ミス・パチルとミス・グレンジャーは無事じゃ。ミス・グレンジャーはスラグホーン先生のベアゾール石でミス・ブラウンに応急処置を施し、ミス・パチルはマクゴナガル先生に助けを求めた。2人の適切な行動により、ミス・ブラウンは助かったと言っても過言ではない。ただ、かなり動揺しておる故にマダム・ポンフリーから気付け薬を貰っておるところじゃ。ミス・パチル、傍にいておやりなさい」

 姉妹の無事を知り、安心したパドマは涙を浮かべて一礼し、校長室を去った。

「さてと、君を呼んだのは……毒はこの酒に盛られておったからだ。クローディア、見覚えはないかね?」

 机の上に置かれたオーク樽熟成の蜂蜜酒。

「スラグホーン先生に貰った物です。ですが、ハーマイオニーに預けていました」

 没収という言葉は使わず、クローディアの意思でハーマイオニーに渡したと説明する。言い終えた瞬間、スラグホーンは青ざめて棚にもたれた。

「私の酒を飲んで……ラベンダーが……?」

 つまり、標的はクローディアだ。

 また巻き込んだ。

 下手をすれば、ハーマイオニーとパーバティまで倒れるところだった。

「早合点するでない。スラグホーン先生が狙われておった可能性もある。ホラス、酒を贈る事を誰かに吹聴したかね?」

「『三本箒』で注文した時に贈り物だとは……話した……。相手までは……」

 罪悪感に慄き、スラグホーンの顎がガタガタと震える。

 一瞬、ドラコを疑うが、彼はクリーチャーに監視されている。酒に毒を盛れば、すぐにハリーへ報告されるはずだ。

 だが、監視をつける前であったなら、別の誰かにやらせたならと疑いの要素が脳内で広がる。

「ご苦労じゃった、クローディア。君も友人の元へ行っておやり」

 自分でもわかる程、クローディアの体温は下がっている。ダンブルドアは彼女が思考の坩堝に嵌りかけぬように声をかけてくれた。

 ダンブルドアの気遣いに頷き、クローディアは信頼のある視線に見送られながら部屋を出た。

 校長室の前にはハリーが待っていてくれた。

「ハーマイオニーの見舞いに医務室にいたら、パドマが来てね。君がここにいるって教えてくれたんだ」

「まだハーマイオニーの気分は良くならないさ?」

 応急処置をしたというなら、ルームメイトが倒れた瞬間には傍にいたのだ。気の強いハーマイオニーでも精神的に参ってしまう。

「ラベンダーが起きるまで医務室を離れないって、言い張ってね。ロンが付いている」

 やはり、ハーマイオニーはラベンダーに対し、責任を感じている。校長室にいたスラグホーンも同様に生徒達うを危険に晒した責任を感じていた。

「そういえば、スラグホーン先生の石を使ったって聞いたさ」

「ウィンキーのお陰だ。ハーマイオニーが石を必要としていたから、ウィンキーは先生の所から持って来たんだ」

 本当の命の恩人はウィンキーだ。

 先ほどの会話でダンブルドアが教えてくれなかったのは、何故かを考える。いくら、10月の首飾りに続いての事件に頭を抱えているとしても、生徒を実質的に救った『屋敷妖精』を紹介しない。

 何か違和感を覚えるが、医務室の前で座り込むハーマイオニーを見てすぐに吹き飛んだ。

 ロンの腕に抱かれていたハーマイオニーはクローディアに気づき、静かに抱きついてきた。

「クルックシャンクスが鞄から出そうとしていたのを見つかって、ラベンダーはロンへ用意していたと思ったらしくて、……一口だけだからって……飲んじゃって……」

 ハーマイオニーは断固として断った。

 諦められなかったラベンダーは彼女が眠っている間を狙い、盗み飲んだ。

「犯人はスラグホーン先生の性格をわかっていない人よ。先生は美味しい物なら、贈り物でも自分用にしてしまう人だもの。先生が飲んでしまう可能性もあったわ!」

 段々と興奮してくるハーマイオニーの手をクローディアは握る。

「応急処置が良かったって聞いたさ。ラベンダーはハーマイオニーが傍にいたから、助かったさ。誇りに思っていいさ」

 本心からの言葉。ハーマイオニーは安心のあまり、零れそうになる涙を堪えてクローディアの肩に顔を埋めた。

 

 ラベンダーへの面会が叶ったのは、夕方。

 それまで待つと決めたハーマイオニーに付き合い、クローディアとハリー、ロンは医務室前で待機する。授業をサボっている4人はフィルチに連行されそうになったが、わざわざスラグホーンが来てまで許可を出したと庇ってくれた。

 パーバティも待とうとしたが、授業のノートを取る人が必要だと言うパドマに連れて行かれた。

 マダム・ポンフリーから許可を受け、ラベンダーを見舞う。いくつも寝台の並ぶ中、眠っているのは彼女1人だ。

 ハーマイオニーは慌てず、ラベンダーの手を取る。

「あんまり気にするなよ、正直、そんなに仲良くないだろ? 『占い学』でよく言いあってたじゃないか」

「ええ、私とは考えとか趣味とか色々と合わないわ。でもね、こんな酷い目に遭っていいような子じゃないのよ……」

 悔しそうに唇を噛むハーマイオニーは犯人に怒っていた。否、己自身にもだ。

 この雰囲気の中、コーマックがズカズカと入ってきた。

「ラベンダー=ブラウン。君がこんな目に遭って、君の大切さを痛感した! 俺と付き合ってくれ、一生大事にする」

 まだ目を覚ましてもいないラベンダーの前に片膝を付き、コーマックは大仰に愛の告白をやってのけた。

 マダム・ポンフリーを含めた面子から、ドン引きされているとも知らず――。

「嫌……」

 うわ言よりもハッキリした声で断られた。

 起きているのかと顔を近づけたが、規則正しい寝息を立てている。あくまでも反射的に答えただけだ。

 その後、面会に来たラベンダーの両親は娘の痛ましい姿に嘆いた。

「ラベンダー、まだ起きない?」

「なんでコーマックがいるの?」

「面会は一度に6人までですよ」

 パドマとパーバティも現れ、9人になっている。仕方なく、ロンとハリーは放心状態のコーマックを引き摺るように連れ出した。

 ハーマイオニーとパーバティがルームメイトと知り、ラベンダーの両親は2人を娘の恩人と呼んで感謝した。

 その様子にクローディアは強い罪悪感に苛まれ、非常に居た堪れない気持ちになった。

「おお、ミス・ブラウン! あたくしがたまたま垣間見た闇の前兆はこういう事だったのですね!」

 騒がしいトレローニーまで現れる。面会の人数が超える理由にクローディアは廊下へ出た。

 ジニーとルーナが待ち構えており、どういうわけか『灰色のレディ』までいる。クローディアの護衛のつもりのようだ。

「ふうん、もしも酒瓶に盛られていたなら、犯人はスラグホーン先生の性格をよくわかっていない奴よ」

「ハーマイオニーも言っていたさ、私も先生がそういう人だとは気付かなかったさ。つまり、あまり先生と関わりのない人……晩餐会とかに招かれていない生徒」

「違うよ、知ってたんだもン」

 クローディアとジニ―の憶測をルーナは真っ向から否定した。

「届いて欲しくなかったんだ。先生が飲みそうになっても、毒の匂いに気づいて飲まないと望みをかけたんだもン」

 まるで犯人を弁護しているように聞こえるが違う。犯人の行動であり、その心情を推理しているのだ。

「ルーナは……犯人は失敗して欲しかったと?」

 クローディアの問いにルーナは頷く。自分の推理を理解されて喜んでいる。

「……確かに失敗を前提にしているなら、犯人はスラグホーン先生をよく知っている人ね」

 ジニーも驚きつつ、納得した。

 考えもしない。思いつきもしない。あまりにも意表を突いている。

「では何の為にこんな事をしたと? 失敗を望むならむしろ、最初から何もしなければ良いではありませんか?」

 『灰色のレディ』は眉を寄せ、怒りのままに犯人を罵る。

 標的に死んで欲しくない。

 でも、行動に移さなければいけない圧力を受けている。誰にも相談できない。だから、ドラコは泣いている。誰にも見られないところで、独りで苦しむ。

「ルーナ、犯人が次に動くのはいつ頃だと思うさ?」

「しばらくは動かないよ。動いても次は自分が犯人だと証拠を残してしまいそうになる。だから、次は確実に失敗しない方法を取るんだ。でも、準備がいる。まだ、決め手がないんだ」

 淡々と相手の心情を語るルーナに、流石のジニーも慄いて唾を飲み込む。

 クローディアも武者震いに似た震えが起こる。やはり、犯人を……否、ドラコを止めるには直接対決しかない。文字通り、命を賭けた説得だ。

「わかったさ、ありがとう。ルーナは本当に頼りになるさ」

 本心で褒め、ルーナは曖昧に微笑む。あまり、嬉しそうに見えない。

「次までに学校は閉鎖しているかもしれません」

 3人にしか聞こえないか細い声で囁かれ、胃が痙攣する。

「どういうことさ?」

「そのままの意味です。ここは親が生徒を預ける場。以前の首飾りの件も解決していません。そんな状態の中で次の事件……いつまでも犯人がわからなければ、どんな偉大な魔法使いが創設しようとも信頼を失います」

「『秘密の部屋』の繰り返し」

 『灰色のレディ』が遠慮した言葉をルーナは呟き、ジニーは青褪めつつも納得した。

「尚の事、試験まで学校は閉鎖しないさ。……バジリスクの時も校長先生が不在のままだったしさ」

 クローディアが言い終える前に『灰色のレディ』は顔を寄せ、憂いを帯びた表情で睨んできた。

「話を聞いて下さいますか? 2人きりで」

 断れる雰囲気ではない為、クローディアは適当な空き教室に入る。ジニーとルーナは扉で待機だ。

 誰が何処から見ているかわからない為、『耳塞ぎ呪文』を使い、口元をハンカチで覆う。『灰色のレディ』に怪訝された。

「盗み聞き対策さ、それで話って?」

 『灰色のレディ』はクローディアに椅子を勧め、彼女自身は机に腰掛ける。

「貴女は私の母の髪飾りを見つけて下さった」

「……ああ、うん。確かにさ、あんなボロボロだったけどさ」

 すっかり忘れていたが、目の前の幽霊はロウェナ=レイブンクローの娘。『失われた髪飾り』は母親の形見なのだろう。そんな大切な物が『分霊箱』でしたとは言えない。

「あの髪飾りを……母から盗みました」

 唐突な罪の告白。

 驚きのあまり、疑問の声も出ない。『灰色のレディ』は続けた。

「私は母よりも賢く、重要な人物になりたかった。髪飾りは知恵を与える物、だから、私はそれを持って逃げたのです」

 『灰色のレディ』はクローディアを一瞥し、更に続ける。

「母は私の裏切りを決して認めず、まだ自分が持っている振りをしたと言われています。その事をホグワーツの他の創設者にさえ打ち明けなかったのです。やがて、母は重い病気を患い、死を前にして私に会いたがりました。ある男に探させてまで……、私にずっと恋をしていた男です。その男ならば、自分の死にまで私を連れ戻せると信じたのでしょう」

 息苦しそうに語る様子から『灰色のレディ』の死もまた近づいていると気付く。それでも止まらない。

「男は私が隠れていた森を探し当てました。私が一緒に帰る事を拒むと……暴力を振るい、そして、刺しました。元々、頭に血が上りやすい性質で2度も私に断られて激怒したんです」 

 言い切った『灰色のレディ』は胸元を開いて、刺された傷跡を見せる。若くして亡くなったとは思ったが、殺されたとは予想外だ。

「その人は後悔したのか?」

「ええ、勿論。私を殺した凶器で自ら命を断ちました。ずっと悔悟の証として鎖を身に着けています」

 鎖の男。

 思い当ったのは『血みどろ男爵』だ。

「可哀想に辛かったろう……」

 殺し殺された2人が1000年もこの世に留まり、しかも、同じ領域に住んでいる。お互いの感情が未練という鎖で、逝く事も出来ない。これ程の酷い真実を知り、クローディアは思わず涙した。

「言っておきますが、男爵は当然の報いですわ」

 予想外の涙に『灰色のレディ』は驚いたが、躊躇いがちに続ける。

「男爵のうろつく物音に気付いて、私は木の虚に隠しました。アルバニアの森です。母の手の届かぬ寂しい場所です。実際、母は髪飾りを見つけられず、私にも会えぬまま、逝ってしまいました」

「幽霊になっても会わなかった?」

 その問いに『灰色のレディ』は沈黙で答えた。

「私は……この話をしてしまいました。あの人が……お世辞を言っているとはわからず……」

 今までと違い、言い訳がましくなった。

「あの人はダンブルドア……じゃないさ」

「……自らを『卿』と呼ぶ、あの人です」

 言われた瞬間、繋がった。

 アルバニアの森にあったはずの髪飾りが学校で発見された。それはヴォルデモートが職を求めに訪問した際に隠して行ったのだ。

「何故、そんな大事な話を私に?」

「……ここからが本題です。私と男爵のしがらみのせいか、否か、レイブンクロー生とスリザリン生との間には命に関わる危険がグリフィンドールよりも多いのです。近年で言うならば、『嘆きのマートル』がその例です」

 50年前の出来事を近年ならば、どれだけの生徒が死に瀕したのか想像できない。それらを見届けてきた『灰色のレディ』は、警告している。

 

 スリザリン生に気をつけろと――。

 

「それでも、私はここにいる。ありがとう、レディ」

 犯人に立ち向かう決意を聞き、『灰色のレディ』は呆れたような困った笑顔を見せた。

「どうか、ヘレナと呼んでください。貴女になら、そう呼ばれていい」

「ヘレナ……」

 呼ばれたヘレナは照れ臭そうだ。

「これからは食べる物にも注意なさい。いつもフラフラしている貴女の使い魔も離さないように」

 『灰色のレディ』に呼ばれたかのようにベッロはひょっこりと顔を出す。ラベンダーが倒れてから一度も見ていなかった使い魔は、呑気すぎる。クローディアは段々と腹が立ってきた。

「ベッロ、ハリーの所へ行くのは禁止さ」

 雷に打たれたように硬直し、ベッロは顎が外れんばかりに口を開けた。

 

☈☈☈☈☈☈

 アルバニアとヴォルデモートを結びつけた髪飾りの話を聞き、ハリーはをパズルのピースが埋まる感覚を味わった。

 髪飾りを見事に隠しきった木の虚は、ヴォルデモートにとっても身を隠すには最高の場所だったのだ。

「マルフォイの監視は今まで通り、但し、こちらからは何も仕掛けない」

 未遂とはいえ犠牲者が出たにも関わらず、クローディアは他人事のように提案した。

 ハリーとしては『開心術』や『真実薬』を使ってでも、ドラコの悪行を暴きだしてヴォルデモートの企みを阻止したい。そう訴えれば、彼女は態度を変えずに「それはスネイプ先生に任せる」とだけ返した。

 クローディアは知らない。スネイプは最早、以前ほどダンブルドアの為に働こうとしてないのだ。

 ハグリッドが2人の口論する場面を目撃した。

 偶然、立ち聞きしてしまい詳細は聞き取れなかったようだが、スネイプは現状に不満を感じていたという。

 その事も伝えたかったが、ハリーは黙る。きっと、知ったところで彼女のスネイプへの信頼は揺るがない。今まで自分達の絆が繋がり続けたようにだ。

「追い詰められた奴は何をするか、見当もつかないぜ。わざと泳がせて、いざって時に動けるように構えて置いたほうが疲れないって」

 泳がせすぎた気がするが、ハリーは自分の意見は通らないと判断して取りあえず合意した。

「それより聞いてくれよ、フレッドとジョージから文句の手紙が来たんだぜ」

「……文句?」

 ドラコの行動を「それより」呼ばわり出来るロンの気楽さに少々、イラッとしつつも聞く。

「僕の誕生日がホグズミードの外出と重なっていただろ? それで村で僕を祝ってくれるつもりだったんだと、外出が中止なったなら知らせろって……決めたの僕じゃないのに」

「それはロンが悪いよ」

「ロンのせいさ」

「ロン、もう少し気を遣いましょうね」

 3人から容赦の突っ込みに襲われ、ロンはげんなりした。

 

 ラベンダーの退院まで2週間かかった。

 酒の件について、ラベンダーとパーバティに誤解させたままである。犯人がドラコであろうとなかろうと本当の標的はハリー達だけの秘密だ。

 事件は既に学校中に伝わっており、しかも、教師陣の目が届きにくい自室が犯行現場。生徒の間でも、いつ我が身に危険が及ぶかもしれない恐怖も広がる。その分、警戒心も強まり隠し持っていた品々をフィルチに提出する者まで現れた。

 フィルチの事務所にある没収箱も満杯になり、『闇払い』が出向いて処分する程だ。

「赤毛の男子に気をつけろってこういう事だったんだわ!」

 勝手に毒を飲んだ身でありながら、ラベンダーはロンに対して悪態を吐く。それだけ元気を取り戻した姿を喜び、彼は理不尽な怒りを受け入れていた。

「本当に懲りてね、あんな思いは2度とゴメンよ」

「わかっているわ。皆、助けてくれてありがとう」

 パーバティに叱られ、ラベンダーは心底反省する。2人を連れ、ハリーはロンとハーマイオニー、クローディアとパドマと共に厨房を訪れた。

 ウィンキーに感謝を伝える為だ。

 ぞろぞろと現われた生徒は『屋敷妖精』に歓迎され、ウィンキーを見つけたハーマイオニーはラベンダーへ紹介する。

「まあ、貴女がウィンキーね! 本当にありがとう。貴女のお陰だわ!」

 小さな命の恩人を前にラベンダーは片膝を付き、その手を取る。すっかり恐縮したウィンキーはか細い声で「光栄です」と答えた。

「ウィンキー、私達でクッキーを焼いたの。たくさん焼いたから、皆で食べて貰いたいわ。どうかしら?」

 ラベンダーは缶に詰めたクッキーをウィンキーに見せる。以前、クローディアの母親が彼女へジュースを渡そうとした時、抵抗しつつも飲み物に興味津々だった。

 ハリー達がクリスマスにクリーチャーへクッキーを贈った。ドビーにこっそり確認すれば、ちゃんと食べていたそうだ。

 着る物は与えられないが、食べ物は受け取って貰える。ラベンダーは最初こそ、『屋敷妖精』へのお礼に疑問を感じていたが、クッキー作りの楽しさから最後にはまるで自分の提案のように乗り気になった。

 ウィンキーは小さな指を手の中で弄び、ゆっくりと考え込んでから受け取ってくれた。

「『屋敷妖精』は地図に名前が載ってない理由を考えたんだけどさ。彼らは幽霊のように次元の違う種族なんじゃないかって思うさ」

 周囲に聞こえぬように、クローディアはハリーの耳元で問う。彼女に聞かれるまで思いつきさえしなかった。

 懐に入れた地図をローブ越しに触り、厨房の『屋敷妖精』を見渡す。地図を作製した4人はまだ学生、しかも、シリウスはクリーチャーとの諍いで『屋敷妖精』の名を載せるという考えまで至らなかったのではないかと憶測を立てた。

「『屋敷妖精』の次元が違うのと……おじさん達はそこまで努力しなかったんだよ」

 父親達の未熟を認める発言が意外だったらしく、クローディアは目を点にした。

 

 

 ダンブルドアに呼ばれたのは、ハッフルパフ対スリザリン戦が終わった翌週。1月の授業から随分と間が空き、ハリーは決してそんな事はないが正直、忘れられたと思っていた。

「あらまあ、あたくしを邪険に放り出されるのは、このせいでしたのね、ダンブルドア!」

 校長室の扉を開けた瞬間、ハリーの記憶からほとんど忘れていたトレローニーと鉢合わせした。

 ダンブルドアが丁寧に説明しても、癇癪を起こした自称『予見者』は辞職を仄めかして螺旋階段を下りて行った。

 椅子を勧められながら、ハリーは確認する。

「まだトレローニー先生はフィレンツェの授業を認めていないのですか?」

「そうじゃ。わし自身が『占い学』を学ばんかったが為に、わしの予見を超えて厄介な事になっておる。仲間から追放されたフィレンツェに森へ帰れと言えぬ。かと言って、トレローニー先生にとってこの城以外に安全な場所などありはせぬ」

 ただでさえ、ダンブルドアは様々な対応に追われている身だ。トレローニーにまで頭を悩まされては堪らない。

「トレローニー先生に本当の事を話しても、受け入れないと思います」

 3年生の折、ハリーへ2度目の予言を告げた際に詳細を問いただしても狼狽するばかりで取り繕うともしなかった。

 普段が自尊心を高く見せようと見栄を張る故、本番に弱い性だ。

「その通り、トレローニー先生は何も知らせんのが賢明と言えよう。教職員の問題については心配するでない」

 教職員の問題と聞き、咄嗟にスネイプが浮かぶ。口論について問いただしても、流されるだけだ。

「まずは前回までの復習をしよう。ハリー、わしに説明してくれるかね?」

 前回の分ではなく、それまでという意味に捉えてハリーは搔い摘んで述べる。ダンブルドアは満足そうにほほ笑んだ。

「では、君の考えを聞きたい。ボニフェースは何故、遺言を作る以前にヴォルデモートに関して、わしへ真っ先に相談しなかったのであろう?」

 ダンブルドアは期待している。

 ハリーがこの疑問を疑問として終わらせるのではなく、信頼に足る友に相談して自分達なりの答えを導き出した。

 そんな期待を抱いている。

「ボニフェースは敵討ちを目論んでいました。それを外でもない先生に知られたくなかった」

 文章を読み上げるようにハリーは語った。

 ボニフェースの復讐と苦悩と決意、『記憶』を見てもなく、ベッロから聞いてもない憶測だけの答えだ。

「君達の推理力には脱帽する。まるで見てきたようじゃ」

 感嘆の息を吐き、ダンブルドアは椅子に深くもたれた。

「では、本当にボニフェースは……マートルの仇を討とうと……」

 それ程、想われていたのにマートルはボニフェースを知らない。

「まず、間違いあるまい。あの頃のわしはトム=リドルという生徒を監視することばかりに躍起になっておった。ボニフェース=アロンダイトという生徒の気持ちを少しも汲み取ろうとはせなんだ」

「先生はハグリッドを助けてくれました。先生だけがハグリッドの為に行動してくれました。それはボニフェースもわかっているはずです」

 思わず、ダンブルドアを擁護する。校長は穏やかながらも後悔を顔に滲ませた。

「じゃが、ルビウス=ハグリッドの無罪を証明するのに尽力を注がなかった。わしの退職を賭ける事になろうとも、トム=リドルを追い詰めて更なる悲劇を招く結果になろうとも、努めなかった。それがボニフェースから不信を買っておったんじゃよ。気づいたのは、彼が卒業した日にベッロの『記憶』を求めた時じゃ」

 

〝先生、最初に言って欲しかったです〟

 

 太陽のように穏やかな笑みから、窺がえた拒否。

「それじゃあ、ボニフェースはハグリッドを見捨てたんですか!? 親友だったのに!」

「ボニフェースはルビウス=ハグリッドの名誉はトム=リドルを殺してから取り戻しても遅くはないと考えおった。その為にも、闇の帝王という存在が必要であった。恐怖による支配であっても、半巨人の彼を偽りでなく公に受け入れてくれるなら、何でも良かった」

 怒りが脳髄で沸騰する感覚にハリーは言葉を失う。

 どんな理不尽な目に遭おうとも、決してハグリッドはヴォルデモートを受け入れない。ボニフェースは親友を最悪な方向に誤解している。

「ねじ曲がった復讐を諦めたのは、君らの推理通りにヴォルデモートの正体を知った時じゃ。そして、己の兄たるベンジャミンの未来と完全に袂を分かった」

 ベンジャミンの名を聞き、急にハリーの頭が冷静になる。

「ベッロを使って訴えを起こし、捜査の見直しがされて『秘密の部屋』は発見される。けど、そうなる前にヴォルデモートはハグリッドを殺すかもしれない……。ボニフェースはそこまで考えて、先生にハグリッドを託したんですね。先生に相談しなかったのは、自分で決着をつけようとしていたから……あくまでも死んでしまった場合にだけ、先生を頼ろうと」

 ハリーの推理にダンブルドアは満足げに頷く。

「そうとも、不満じゃろうがボニフェースは親友の命を選んだ。その頃にはヴォルデモートとの決着を付けてからでも、ハグリッドの名誉を取り戻しても遅くはないと考えたのじゃ。じゃが、わしがボニフェースの意図に気づいたのはコンラッドが遺言を持って来た時……」

 嘆息し、ダンブルドアは一瞬だけ『憂いの篩』を見やる。

「トム=リドルの『記憶』を集める際、ボニフェースを忘れておったのではない。しかし、どうしても彼に会える資格はなく、また協力を求めるには遅すぎると勝手に思い込んでおった。……又しても、わしはボニフェースの気持ちを汲んでやれなんだ」

 その嘆きは、懺悔のようにも聞こえる。ボニフェースも愚かな復讐に捉われ、ダンブルドアから要請を断わり、後に後悔した。

「……だから、校長ではなく『変身術』の先生なんですか? ダンブルドア先生への贖罪を込めて」

 

 ――親友を助けてくれてありがとう。そして、何の力にもなれず、ごめんなさい。

 

 遺言はその時に知る偉大な魔法使いダンブルドアにではなく、かつての恩師への想いが込められていた。

「僕にはわかりません。先生は『不死鳥の騎士団』を創設する程、ヴォルデモートと真っ向から対峙していた。本当に奴と決着をつけたかったなら、尚の事、先生と協力すれば良かったんです」

「ハリー、それは結果論に過ぎぬ。彼は未来から来ていても、そこに到る道筋までは知らぬ。だが、断言しよう。わしが騎士団を立ち上げた時、ボニフェースが生きておれば必ずわしの下へ馳せ参じたであろうて」

 表面だけなら、共にヴォルデモートを討つ為に集ったように聞こえる。だが、ハリーは別の意味を感じ取った。ただ、それを説明できない。

「先生がそこまでボニフェースの性格を見抜いているなら、ヴォルデモートも同じくらいに見抜いていたのではありませんか? 何故、自分の敵になるボニフェースを殺さなかったのでしょう」

「君なら、どう考える?」

 真っ直ぐ見据えた蒼い瞳は、試験を見守るような目つきだ。

 その視線を受け、ハリーは今夜の課題を気づく。悔恨の為などではなく、ボニフェースの心情を知る事で、更にヴォルデモートを理解させようとしていた。

 そして、今この瞬間にハリーがヴォルデモートをどれだけ理解できたかを問うている。

 ハリーは考える。

 ヴォルデモートの気持ちに寄り添うのではなく、相手を理解して考えを見抜く。

「殺すほどの価値がない……と思いたかった。ヴォルデモートはボニフェースへの気持ちを認めたくなかったから、忘れたかったんです。奴にとっての殺人はある意味、最も利用する価値があった証明でもあります。相手の存在を無視し続けていれば、いずれ、愛は枯渇していくと思っていたのでしょう」

 母メローピーは夫を愛したが、捨てられたとヴォルデモートは言った。

 それは殺す前に父親本人から聞き出した。おそらく、メローピーの最期を聞いても父親には無関心のような態度を示されたのだろう。

 魔法の力でさえ、完璧に得られない愛などに拘ってメローピーのような末路を迎えたくなかった。

 ハリーの推理を最後まで聞き、ダンブルドアは穏やかに厳格な雰囲気を混ぜて頷く。

「ヴォルデモートの誤算は最大の敵が君であることじゃ、ハリー」

 称賛を受けても、少しも嬉しくない。『予言』を覆さんが為にハリーの両親は殺された。

「僕が敵になったんじゃありません。奴が僕を敵にしたんです。正直に言います、トム=リドルはその気になれば魅力的になれました。どんな人も虜にできたでしょう。僕だって、2年生の時に日記の彼に親しみを感じました。彼を理解できるのは自分だけだと……」

 ダンブルドアは言葉を遮らず、真剣に耳を傾けてくる。

「今でも、僕は奴を理解できます。でも、そこに親しみなんかない! ましてや愛なんかじゃない! あいつは僕の父さんと母さんを殺した! 予言なんかなくても僕は必ず、あいつを滅ぼす!」

 沸々と湧き起る感情のままに口走れば、声を荒げて宣言した。

 その言葉を待っていたと言わんばかりにダンブルドアの瞳は輝き、手を大きく広げて感激した。

「それが愛じゃ、ハリー。ボニフェースもまた利用という意味ではヴォルデモートの傘下に加わろうとしたが、愛する者の仇と知り、退けられた。愛こそ、ヴォルデモートが持つ類の力の誘惑に抗する唯一の護りじゃ!」

「……愛……。つまり、予言で僕にある力とは……ただの愛?」

 肯定されて、ハリーは拍子抜けする。だが、妙に胸へと入り込んだ。

「ヴォルデモートは愛を知っていても、……理解せずに拒んだ」

 魔法は意思の力、一瞬の集中力。

 だが、感情は歳月で変化していく。育まれるし、枯れていく。酷く曖昧で不安定だが、自分の行動を示してくれる。

「ハリー」

 椅子から立ち上がったダンブルドアは、長年の友のようにハリーの肩に手を置く。しわがれた手の感触を受け入れ、背筋を伸ばす。

「これまで、わしは君とヴォルデモートの相違点について話してきた。もっとも君達が違うのは『予言』に対する姿勢じゃ。君は言った、『予言』は関係ないとな。じゃが、奴は違う。魔法に拘る故、『予言』に固執しておる。君が何所に行こうと、君の死を確信するまで追ってくるぞ」

「わかっています、けど……」

 結局、対峙するに変わりはないと言いかけて、やめた。

 何故なら、ボニフェースがハグリッドの無罪を先延ばしにした2つの理由は似て非なる物だった。

 決して同じではない。むしろ、天の地との差がある。

 ハリーはダンブルドアの今日の課題を真に理解した。

「一方が他方の手にかかって死ぬ」

 かつて、ハリーはその言葉を先の見えぬ不安に駆られて吐いた。

 今は行くべき道を見据えた感情を込め、言ってのける。ハリーの心境を察し、ダンブルドアは大層満足そうに手を離した。

 

 校長室を後にし、ハリーはグリフィンドール寮へ帰った。

 談話室にはジニーがデメルザと話し込んでいる。他にも人目はあったが、ハリーは気にせず愛しき人へ就寝のキスをする。

 唐突に乱入され、ジニーは驚いていたが怒らなかった。

 そのままの勢いで自室へ行き、寝台に置いてあった『半純血のプリンス』の教科書を捲った。

(セクタムセンプラ――)

 『魔法薬学』の授業中に偶然、見つけた走り書き。

 敵に向けて使うとだけ書かれ、効果については何も書かれていない。効果は試す暇がなかったが、クローディアには教えておこう。彼女もドラコとの対峙を覚悟している。他人事のように見えるのは、感情を押し殺していたからだ。

 クローディアを守るにはプリンスの力が必要だと、信じた。

 




閲覧ありがとうございました。

バスケ部の次期部長はデレクです。おめでとう。

毒はラベンダーが煽りました。ごめんね。
洋画とか洋書を読むと勝手に人の酒を飲む描写が多いですが、日常茶飯事なのでしょうか?

『灰色のレディ』と『血みどろ男爵』、何故に同じ城で過ごしているんでしょう。魔法省命令だったら、本当に惨い。

「一方が他方の手にかかって死ぬ」
 原作にてこの言葉は予言の為ではなく、自分の意志で戦うと決意した瞬間でもあります。好きなシーンのひとつです。
 何故、映画でカットした。


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16.セクタムセンプラ

閲覧ありがとうございます。

タイトルが不吉。

追記:18年8月13日、18年10月1日、誤字報告により修正しました。


 ハリーから恐ろしい魔法を教えられた。

 如何に恐ろしいかと言えば、効果が全く分からないというものだ。

「セクタムセンプラ、セクタムセンプラ……あったあったさ。……敵に使う以外に何にも書かれていないさ」

 自分の教科書に書き写した部分を見て、クローディアは怪訝する。

「きっと、本当に身に危険が及んだ時だけなんだ。そうでなければ、わざわざ『敵』なんて書かないだろ?」

「その『敵』は『死喰い人』じゃないさ。元々プリンスの教科書なんだから、『敵』って仲の悪い生徒とかじゃないさ? これをクィレルに使ってキューティーハニーみたいに着てる服が弾けるだけだったりしたら、戦意も殺がれるさ」

 想像しただけで2人は意気消沈である。

「その哀れなハニーが誰のことわからないけど、そんな魔法なら尚の事、『敵』なんて書かないよ。とても強力な魔法だから、相手を傷つける気持ちになった時だけ使えって意味だと思う」

 正体不明の相手に、文章だけでそこまで信頼するハリーに感心を通り越して呆れる。

「そんなおおげさな……?」

 口にしてから、クローディアはプリンスの正体に思い至る。『魔法薬学』に精通し、敵と呼ぶ程に同級生といがみ合い、コンラッドにも魔法を教えられる。

 そんな生徒はスネイプただ1人だ。

 寧ろ、踝を吊し上げる魔法がリーマスの世代で流行ったと聞かされた時点で気付くべきだった。

 『半純血』の意味はまだ不明だが、写真でしか知らないアイリーン=プリンスがスネイプの母親か親族とすれば筋が通る。故に黒衣の教授は話す約束までしてくれた。

 雷に打たれた気分で愕然とし、クローディアは明後日の方向を見るとなしに見つめた。

「クローディア? おーい、起きてる?」

 ハリーに眼前で指を鳴らされ、我に返る。冷静に彼の顔を眺め、深呼吸した。

「ハリー、あんたは本当にプリンスが好きさ。困った程にさ」

「ああ、好きだよ」

 即断され、クローディアは呆ける。しかし、その言葉を向けた相手がスネイプだと再認識した瞬間、爆笑してしまう。

 腹を押さえて床を転がるクローディアへハリーは恥辱に思い、杖を動かして無言呪文で踝から吊り上げた。

「ハリー! 何をやっているの!?」

「ハーマイオニー、見て。僕、無言呪文が一発で成功したよ」

 笑顔だが目の笑っていないハリー、吊り上げたれた状態で笑い続けるクローディアの状態にハーマイオニーは背筋が震える恐怖を覚えた。

 下ろして貰った後もクローディアは笑い続け、ハーマイオニーも呆れた。

「だって……ハリーがプリンス大好きってさ……」

 目に涙を浮かべ、クローディアは必死に言葉を繋ぐ。聞き取ったハーマイオニーは大きく頷いて納得し、苦笑しながら肩で息を吐いた。

「卒業するまで内緒よ、貴女もね」

 口を開くと笑ってしまう為、クローディアは手ぶりで承諾した。

 

 

 毒の事件は保護者にも伝わり、イースター休暇を利用して呼び戻された生徒は多い。マリエッタも実家へ帰省したが、休みが明けても城に戻らなかった。

「あいつなら、家で試験も受けられるしな。しょうがねえよ、ロンも家で試験受けるか?」

「おまえこそ、家で試験受けろ」

 コーマックとロンの睨み合いに談話室にいる他の生徒は「またか」と苦笑する。

「止めなくていいさ、ハーマイオニー?」

「ロンはずっと『姿現わし』が上手く行かなくてイライラしているだけだもの。コーマックの言う事も一理あるし……、私が出張る必要はないわ」

 ハーマイオニーも仲裁に入ったり、あからさまに恋人を贔屓などしなくなった。

「それより、目下の問題はコレだ」

 ハリーは涙で濡れた羊皮紙を出し、唸る。

【クローディア

 アラゴグが昨晩死んだ。静かなもんだった、眠っているみてえだった。

 会えば、きっとおめえさんも好きになっただろうに。

 さっきダンブルドア先生が来て下さって、一緒に埋めてくれると約束したんだあ。大したお方だ。今日の夕方にでも埋めてやろうと思う、あいつの好きな時間だったしな。

 俺のことは心配すんな、出歩くなよ。絶対だからな  ハグリッド】

 似た内容の手紙がハリーにも届いていた。

「来るなって言われたら、行きたくなるさ」

「駄目に決まっているでしょう。校長先生が一緒なら、尚の事、夜にハグリッドを訪ねるなんて許すはずないわ」

 人指し指を突き立て、ハーマイオニーはクローディアに厳しく言いつける。そこにシェーマスがジャスティンとセシルを連れて談話室へ入ってきた。

「2人が話あるってよ」

「やっぱり、クローディアここにいた。ハリー、私の所にこんな手紙が来たの」

 セシルは隠すようにハリーへ濡れた手紙を見せる。

「僕にもね、モラグにも来てた。あいつは安心して行かないって」

 ジャスティンとセシルの目が何かを期待している。

「貴方達まで何を考えているのかしら? ハリーもクローディアも行きませんから」

「僕らもだよ。埋葬なら、校長先生がいるんだぜ」

 ぶっきら棒なロンの態度を見てから、ジャスティンはクローディアに視線で訴えてくる。彼女も行きたい気持ちはある。アラゴグはハグリッドの使い魔、50年を生きた魔法生物だ。

 その生涯に敬意を払いたい。しかし、ただでさえピリピリとした緊張状態の中、日暮れに堂々と出歩くのは罰則がなくても危険すぎる。

 そう、歩くのは――。

「人に姿を見られるわけに行かないさ」

 ジャスティンにそう答えれば、彼はにやりと口元を曲げる。セシルも似たような顔をした。

 

 授業を終え、夕食を摂る前にフィレンツェのいる教室を訪れる。床に上質な芝生が敷き詰められており、机や椅子はおろか教壇もない。

「天井が星空になってて、占星術みたいに星を眺めながら教えてくれるんだ」

「わー、プラネタリウムさ」

 魔法学校らしい雰囲気の教室に久しぶりの感動を覚えた。

「こういった機会でもなければ、惑星について教えられないだろう。しかし、言語では正確に伝え切れないのが残念だ。出来るだけ、誤解を生まずに授業していくつもりだ」

「フィレンツィ先生、私達は授業を受けに来てません」

 今にもフィレンツェを解剖しそうな目つきなセシルが怖い。

「実は先生にご相談がありまして」

 ジャスティンはアラゴグの埋葬について話す。

「あれか……、我々の領域より奥地に棲み生きているとは言え、いつの間に森に棲みつかれたのだろうか? 惑星さえ教えてくれぬ。あれを諌めらるのは、ルビウス=ハグリッドのみ。彼がいてくれて本当に良かった」

 森にアクロマンチュラを放したのはハグリッドである。それはフィレンツェだけでなく、他のケンタウルスにも黙っておこう。

「しかし、よく知らせてくれた。追放された身だが、我々を代表して蜘蛛の王の最後に立ち合おう」

 律儀に礼を述べ、フィレンツェが廊下へ出た。

 瞬間、ハリーは教室の隅へ行き『透明マント』を被る。クローディアは影に変身し、セシルは『目くらましの術』を用いたお手製『透明マント』をジャスティンと被った。

 フィレンツェの後ろをつかず離れず歩き、ハグリッドの小屋へと到着した。

「アラゴグの為に来てくれたのか!?」

 予期せぬ来客にハグリッドは驚き、歓迎してフィレンツェを招き入れる。クローディア達も閉められぬ内に中へ入った。

「どこに埋める? まさか、森か?」

「とんでもねえ、アラゴグが死んじまって、他の蜘蛛達は俺を巣に近づけさせねのなんの。子供達が俺を食わんかったんは、アラゴクの命令があったからだと! フィレンツェ、信じられっか?」

 襲われないだけでも、アラゴグの子供達は十分ハグリッドに敬意を払っている。

 ハグリッドは種族を越えた絆の力だと思っていた様子だ。彼の欠点はアクロマンチュラのような危険とされた魔法生物さえも簡単に仲良しこよしになれると信じ切っているところだ。

 フィレンツェでさえ、同胞から暴力を受けてまで追放されたという事実が抜けているらしい。

「俺が森で入れねえ場所なんてなかったってえのに、アラゴグの骸を運ぶだけでも、並たいていじゃあなかっぞ。連中は死んだ奴でも食っちまう」

「それが彼らの別れの儀式、責めてはならぬ。だが、……アラゴグも優しき森の番人に見送られたほうがその魂も惑星へと還れるだろう」

 アラゴクの名を呼ぶフィレンツェの口調が普段よりも重々しい。相当の覚悟や我慢を感じ取った。

 ハグリッドが感激のあまり、涙を溢した時にダンブルドアも到着した。

「遅くなってすまぬ、まことにご愁傷様で。おや、フィレンツェも大勢連れて来てくれたようじゃのう」

 ダンブルドアは部屋を見渡し、誰もいないはずの場所を見つめる。あっさりと降参したハリーが姿を見せ、次いでセシルとジャスティンが現れ、仕方なくクローディアは変身を解いた。

 4人の生徒にハグリッドは驚いて変な声を上げた。

「てっきり、ハグリッドが招いたとばかり」

 フィレンツェは彼独特の感覚で気付いていた様子だ。

「どうしてもアラゴグを見送りたくてさ。他の皆もにも来たがったけどさ」

 言葉よりもハグリッドは困惑と心配でワナワナと唇を震わせ、生徒達を城へ帰そうと手を伸ばした。

「ハグリッド、ワシが許そう。それよりも、日が完全に沈んでしまうぞい」

「子供達を許してくれて、ありがてえことです」

 ダンブルドアの声にハグリッドは我に返り、4人にも礼を述べて裏庭へ出る。カボチャ畑の傍に作り物を疑う程に巨大な蜘蛛の亡骸がある。蜘蛛特有のひっくり返り手が絡む体勢だ。

(眠っているよう……なのさ?)

 蜘蛛の睡眠時体勢は知らないが、ハグリッドが言うならそうなのだろう。 

「あ、あ、アクロマンチュラ……」

 貴重なお宝を見つけた眼差しでセシルは胸が高鳴り、不気味な笑顔になる。喪主より先に近寄り、じっくり眺めているかと思えば、試験管を取り出して採取していた。

「なんか、縮んでる?」

「え!? あれ以上、大きかった!?」

 以前、三大魔法学校対抗試合の試練にて見た蜘蛛より確実にデカイ。しかし、ハリーに言わせればまだ大きい。ジャスティンは怯えた悲鳴を上げた。

「そうだろう、ハリー。こーんなに痩せちまって」

 ハグリッド曰く、病気で痩せ細った結果だという。フィレンツェは彼の背を撫で、慰めた。

「ここに埋めるのかね。いつも傍に君がいるなら、アラゴグも嬉しいじゃろう」

 亡骸で隠れて見えない位置に既に掘られた穴があり、ダンブルドアは覗き込む。

「僭越ながら、ワシがお別れの言葉を」

「勿論ですとも」

 感謝感激とハグリッドは目に涙を浮かべる。ダンブルドアは厳かにアラゴグの人生を讃えた。

「貴方は孤独より産まれ、その身をかけて一族を繁栄させたもうた」

 今更ながら、クローディアは葬式が嫌だ。

 あの時を思い出すから――。

 しかし、形式の違いか思ったより息苦しさはない。ダンブルドアの言葉がクローディアにはお経のように聞こえ、自然に瞑想して蜘蛛の王の冥福を祈った。

「貴方は役目を終え、旅人とならん。願わくば、旅先にて会いまみえよう」

 ダンブルドアの口上が終わり、ハグリッドとフィレンツェは協力して亡骸を穴底へと放り込む。意外と雑な入れ方にセシルが惜しむ。校長が指を動かすと、魔法をかけられた盛り土が穴へと流れ込み、滑らかな塚になった。

 埋葬を終え、アラゴグとの完全な別れにハグリッドは塚へ顔を埋めて泣き喚く。ジャスティンも貰い泣き、顔を歪めて顔を手で覆う。そんな彼の背をハリーは撫でて慰めた。

「今宵はワシが付き添う、ハグリッド。フィレンツェ、皆を頼む」

「ほんに……すまんです。お戻りになられたばかりですに」

 涙でほとんど聞こえないが、ハグリッドはゆっくりと立ちダンブルドアを抱きしめる、。校長の身体からミシッと不安な音がした。

「承知した、ダンブルドア。おやすみ、ハグリッド」

 フィレンツェの引率で帰りながら、ハリーは問う。

「校長先生は何処かに出かけていたんですか?」

「うむ、今朝方戻られた。行先までは私も知らない」

 答えを聞き、ハリーは深刻な表情になる。ダンブルドアの外出は『分霊箱』絡みではないかと勘繰っているのだ。

「スラグホーン先生も連れてくればよかったかな? なーんて」

 ジャスティンの冗談を皮切りにフィレンツェと色々と話し込んでいる内に城へ着き、4人はフィルチに見つかった。

「私の用を手伝って貰っていた」

 フィルチが声を出す前にフィレンツェが庇う。色々と世話をかけてしまった彼に礼を述べ、4人はそれぞれの寮へ帰った。

「やった、アクロマンチュラの唾液……やった」

 レイブンクロー寮の談話室に入った瞬間、唾液入りの試験管を見せつけて自慢する。不謹慎と言いたかったが、確実に得られる機会はあの場しかない。

「スラグホーン先生に見つからないように気をつけるさ」

「……そうか、これと交換して貰うって手もある……」

 誰と何と交換して貰うのかは聞かないでおこう。

「お帰り、上手く行ったんだ? どうだった?」

 わざわざソファーの死角にいたルーナがひょっこりと顔を出す。

「ルーナもハグリッドから手紙が来ていたさ?」

「うん、あたしは遠慮したんだ。アラゴグは照れ屋だから、大勢は嫌がるんだもン」

 アラゴクが人見知りとは露とも思わず、クローディアとセシルは目配せし、ルーナに埋葬の様子を聞かせようとした。

「何処に行っていたの!?」

 それより先にパドマへの弁解が先だ。

 

 『姿現わし』の試験日が掲示板に告知されたのは、翌日。

「4月21日、追加練習も申し込めるんだな。よしよし」

「……今月じゃないか……」

 掲示板を眺め、アンソニーは喜ぶ。モラグは文章を読んだだけで本番さながらに硬直した。

「私の誕生日、5月なのよ。試験も受けられないじゃない」

 サリーは不機嫌に掲示板を指で弾く。

「学校で受けられない生徒はどうするだっけ?」

 パドマに聞かれ、クローディアは答える。

「魔法省まで出向いて、試験を受けるか……来年のこの時期まで待つかさ。私は待ったさ」

「それまで『姿現わし』が自由にできないのよねえ。クローディアは辛抱強いわ」

 マンディに感心されたが、クローディアの気持ちの問題もあった為に遅くなっただけだ。

 7月生まれのハリーにも来年の試験について話してみる。

「わざわざ魔法省に出向かなくていいなら、僕も来年にしようかな」

「きっと、我慢できなくなるわ。人の周りで『姿現わし』をこれみよがしにやる人がいるから、ロンとか」

 ジニーはじっとロンの顔を見つめ、ニッコリと意味深に笑う。

「僕はどっかの2人みたいにやらないってば!」

「その前に受かれ」

 話に割り込んだコーマックのツッコミにハーマイオニーは噴き出して笑った。

 

 『姿現わし』の追加練習は週末に行われ、外出には持って来いの快晴だ。ハーマイオニーとロン、アンソニー、ドラコ達6年生はホグズミード村へ出かけた。

 友人達を城の窓から見送り、クローディアとハリーは『必要の部屋』へ向かう。

「僕、ロンに『フェニックス・フェリシス』を渡そうと思う」

「……それは勿体ないんじゃないさ?」

 驚いて悲鳴を上げそうになったが、堪えた。

「僕ね、ロンに色々と助けられた。昨日のことなんだけど、やっと僕とジニーとの事を認めてくれたんだ。僕が渡せる物があるなら、今は幸運だけだから」

「ハリー、何も贈らなくてもロンは気持ちだけで十分、嬉しいさ」

 2人が『必要の部屋』の前に来た瞬間、壁を必死に探るトレローニーを目撃してしまった。

「先生?」

 思わず声をかけてしまい、気づいたトレローニーは本気で驚いて壁から離れた。

「あ、あたくし、考え事をしながら歩き回っておりましたの」

「先生、『必要の部屋』に入ろうとしたのですか?」

 ハリーの質問に更にトレローニーは目を泳がせ、動揺している。もしかしたら、隠しているつもりかもしれない。

「あたくし、生徒が知っているとは存じませんでしたわ」

「ええ、私も先生が知っているとは思いませんでした」

 クローディアも驚きを声に出し、トレローニーを見つめる。セシルから彼女の機嫌が悪いと聞かされていたが、原因が部屋とは多少の罪悪感が生まれる。あくまで多少だ。

「でも、校長先生も知っています」

「ええ、そうでしょうとも」

 ハリーの言葉にトレローニーは急に背筋を伸ばして毅然とした態度になる。

「校長先生は何でもご存じと思い込んでおられます。あたくしのように『内なる眼』も持ち合わせておりませんのに」

 この話は長くなる。

 そう察した2人は適当な挨拶して去ろうとしたが、トレローニーはハリーの腕を掴んで引き留める。一瞬、また彼女が霊媒状態とやらになったのかと警戒した。

「何度も、何度もどんな並べ方をしても、……死神」

 仰々しく取り出した1枚のカードは確かに鎌を持った『死神』だ。

 少々、ガッカリしたクローディアは取りあえず、カードを見やる。

「ええ、確かに不吉です」

「ケイティ=ベルとラベンダー=ブラウンは終わりではありません。まだ、始まってすらいないのです。なのに、校長先生はあたくしの警告を無視なさる!」

 それは普段の占いは当てずっぽうより酷く、いつも不吉な予言ばかりで信用を得られないからだ。

「校長先生はトレローニー先生を大事に思ってますよ。アンブリッジにクビされた時だって、城に居てくれるように取り計らってくれたじゃありませんか」

 内心の苛立ちを押さえ、ハリーは出来るだけ丁寧にトレローニーを宥める。それを慰めと受け取り、彼の腕を掴んだ手に更に添えた。

「ハリー、貴方がクラスにいないと寂しいですわ」

 本当に寂しげな表情でトレローニーはハリーの腕を離す。

「貴方は大した『予見者』ではありませんでしたが、でも、素晴らしい『対象者』でしたわ」

 安心したのも束の間、長い話は始まる。段々とフィレンツェの話になり、駄馬と呼んで侮辱したかと思えば、言葉の節々に曾々祖母たるカッサンドラ=トレローニーへの憧憬と自分への劣等感を織り交ぜて語り出した。

「ダンブルドアとの面接はよく覚えていましてよ。あの方に感心しましたわ。古くて汚い、臭い、ホッグズ・ヘッドの宿屋、そんなところまでわざわざ訪ねて面接して下さったのです。ここだけの話、あそこは絶対にお勧めしません」

 話半分に聞いていたクローディアに合図を送って逃げる画策を立てる。しかし、ハリーの真面目に耳を傾けていた。

「あたくし、その日はあまり食べていませんでしたの。なんだが、変な気分になって、それでも必死に面接に挑みましたわ。それをセブルス=スネイプが無礼にも邪魔をしたのです!」

「……は?」

 初めてハリーが無機質に声を出す。そこでクローディアはこの愚痴が彼の人生を左右した予言を告げた日の出来事だと思い出した。

「そうです、扉の外が騒がしいので見に行ってみれば、バーテンとスネイプが揉めておりましたの。階段を間違えて上がってきたとか、白々しい嘘をついて」

 状況と共に怒りを思い出すトレローニーと違い、クローディアとハリーの血の気が引いて行く。

「あたくしはスネイプが盗み聞きして、面接のコツを掴んだとすぐにわかりましたわ。その後、あたくしは採用され、スネイプも……?」

 トレローニーはようやく尋常ではない2人の様子に気づいた。

 スネイプはハリーの両親の仇に相当する。それ以上、クローディアは何も考えが纏まらなくなり、指先に力を入れて全身の神経を確かめた。

「ハリー……」

 掠れた声でクローディアはハリーの肩に手を置く。それが切欠になり、彼は何も言わずに走り出した。

「ハリー、どうしましたか?」

「ダンブルドア先生か、ハグリッドを呼んで下さい! でなければ、男の先生なら誰でもいいんで!」 

 事態の飲み込めぬトレローニーが狼狽し、クローディアは怒鳴り声で頼んでから駈け出した。

 ハリーはスネイプの事務所へ向かうだろう。出なければ、今だ教授が出入りする地下の研究室だ。

 予想通りに地下への階段を降りようとしている。クローディアは必死にハリーへしがみ付いて床へ叩きつけた。

 彼は憤怒の表情で呻きながら、彼女を振り払おうとする。それ以上の力で抑え込んだ。

「離せ、離してくれ!」

 怒声と共に暴れるが、出来ない。

「あいつだったんだ! 全部、あいつが! あいつのせいなんだ!」

 本当はもっと罵倒したいが、上手く言葉に出来ない。そんなハリーの感情が伝わってくる。

「ハリー、今は駄目だ。今は」

「嫌だ!」

 暴れるハリーは後頭部でクローディアを打とうともがく。幽霊達が興味津々に集まってきた。

「今はやめてあげて、あの人を責めるのは……お願い」

 落ち着かせる建前などではない。スネイプの嘆きを聞いてしまったからこそ、本心から懇願する。しかし、ハリーはギロッとクローディアを睨んだ。

「ドリスさんのことだって、あいつのせいだ! あいつが招かれなければ、ドリスさんは死ななかった!」

「え……?」

 あの日、スネイプが招かれていたなどハリーに話していない。そもそも、それとドリスの死は無関係だ。

「僕は聞いた! 屋敷で、あいつを招こうとしていた話を! 去年のクリスマス、家の護りは切ったんじゃなく、切られていたって! ドリスさんは『死喰い人』のあいつを招く為に護りを切ったんだ! 僕はずっとわかっていた!」

 ハリーに知られる機会があるとすれば、グリモールド・プレイスの屋敷だけだ。

 本当にわかっていたなら、ハリーはスネイプに対してもっと早く怒りのままに行動していただろう。先程のトレローニーの話を聞き、今、思いついたのだ。

 信じられぬ驚愕の事実に血の気が引いても、脳髄の一部は冷静に推理する。しかし、動揺は態度に現れ、クローディアは手の力が抜けてハリーを離した。

 しかも、そこへ騒ぎを聞きつけたスネイプが階段を上がってきてしまう。ハリーはすぐに杖を抜く。反射的にクローディアも杖を抜いて彼へ向けた。

 一触触発。絵画の住人も唾を飲んで、黙り込む。

「ハリー、杖を下ろして」

 歯を食いしばってハリーはスネイプに杖を向ける。突然、向けられても黒衣の教授は動じない。クローディアは必死に考えを巡らせ、彼が使う呪文を想定した。

 今、敵を目の前にしている。

「ハリー、杖を下ろさないなら、私はやる」

 横顔のまま、ハリーはスネイプから目を離さない。口元を緩めてから、彼は杖を下ろす。だが、その唇は呪文を紡ごうとしていた。

 ハリーは杖なしでスネイプへの挑む。そう察知したクローディアは叫んだ。

「セク……」

「セクタムセンプラ!」

 早口で捲くし立て、クローディアが僅かに早く言い終える。ハリーの呪文は間に合わなかった。

 正しくは腕が刃物で斬り取られたように飛んで行き、ハリーは激痛で悲鳴すら声も出せなくなった。

 腕だけでなく、肩や頬も斬られ、血が噴き出す。

 呪文を聞いた辺りから、スネイプは土色に怒りを混ぜて倒れていくハリーを抱きとめる。同時に飛んだ腕は壁に叩きつけられた。

 血は床を汚し、スネイプの腕の中でハリーは虚ろな目を見開く。痛みに耐えきれず、気絶していた。

 悲惨な光景にクローディアは杖を構えた手が震え、歯が痙攣してカチカチと音を立てる。自分の視覚なのに他人事のように遠い。

「ヴァルネラ・サネントール(傷よ癒えよ)」

 スネイプの杖がハリーの傷をなぞり、傷を塞いでいく。その間に現れたベッロは落ちていた腕を銜えて拾い、黒衣の教授へ渡した。

 それも癒して貰えたが何度も呪文を唱えて、ようやくハリーと繋げられた。

 ここまで一分も経たず、スネイプは適切な処置を取る。怯えたクローディアの体感時間は何倍にも感じ取れる。しかも、耳障りな声が止まらない。目撃してしまった絵の住人か幽霊が悲鳴を上げているのだろう。

「クローディア、しっかりおし。クローディア」

 ダンブルドアの声と共に暖かい手が肩を揺さぶる。眼前に校長がいても、認識していなかった。

 答えたくても、口が動かない。

「ワシの声を聞け、ワシの声だけを聞くんじゃ」

 ようやく、耳障りな声の発信源はクローディア自身だと知る。呼吸を求めて喉を動かし、声は止まった。

「医務室に行く必要があります。トレローニー教授、手を貸して頂きたい」

 スネイプに声をかけられ、青ざめて口元を押さえていたトレローニーは必死に頷く。2人でハリーを支えた時、ダンブルドアも手を貸した

「ワシが連れて行こう。セブルス、彼女を頼む。シビル、ワシと来て詳しい話を聞かせておくれ」

 2人が答えるより先にダンブルドアはハリーを背負い、1人で歩きだす。慌ててトレローニーは後を着いて行った。

「クロックフォード、来たまえ」

 命令されているが体は動かず、廊下を濡らす血へ勝手に目がいく。仕方なく、スネイプはクローディアの腕を掴み、階段を下りた。

 研究室の適当な椅子へクローディアは座らせられ、スネイプは立つ。見下される黒真珠の瞳がかつてのアメジストの瞳を彷彿させる。

〝MURDER〟

 教授の唇がそう動く気がして、脳髄に痙攣のような振動が襲う。

「あの呪文を誰に習った?」

 怒気を含んだ声に聞かれ、クローディアは杖を見やる。使わないのだから、片付けなればならない。しかし、指が杖から離れない。

 逆手で指を外そうとしたが、その前にスネイプが杖を持つ手を握る。連れて来られた時と違い、包むような優しさを感じた。

「手の力を抜け、ゆっくりだ」

 手の甲にスネイプの体温を感じ、硬直が解かれて杖が落ちる。寸でのところで逆手で受け止められた。

「我輩はコンラッドではない。呪文を誰に習ったか、順番に話してみろ」

 闇色の声はクローディアを落ち着かるに十分な音程だ。

 深呼吸してから、ハリーの事は省いて正直に答える。

「古い教科書を見つけました……。たくさんの書き込みがしてあって、ベッロやお祖父ちゃんに危険はないか判断して貰い、私は自分の教科書へ書き写しました。父から教わった『耳塞ぎの呪文』もありましたが、あの呪文は知りませんでした。効果もわからず、でも学生の書き込みだから、同級生へ使える程度の呪文だと思っていました」

 スネイプの口元が痙攣する。

「嘘を吐くな。大方、ポッターがその教科書を見つけたのだろう? 君はポッターがどんな魔法を覚えてもわかるように書き込みを写しておいたのではないか?」

 赤茶色の瞳を覗きこまれ、スネイプの『開心術』に気づく。

「……ハリーとはあの呪文について話しました。彼は効果を書いていないのは、それだけ危険故だと」

「あくまでも、ポッターを庇うか……」

 失望したような落胆に満ちた声はクローディアを竦ませた。

「君は余計な事をしたぞ。ポッターがどんな呪文で我輩を攻撃しようが、我輩には対抗策はあったのだ」

 確かに今のスネイプは『闇の魔術への防衛術』の教授。クローディアの手助けなど不要だ。

 ハリーを傷つける必要は本当になく、無意味だった。

「クロックフォード、君はこれからの土曜日に罰則を与える。今学期、全てのだ。それから、部活動も禁止する」

 退部の強要への絶望と退学にならない疑問の驚きに反論も出来ない。

「君が書き写した教科書をすぐに提出したまえ」

 背を向けて扉に向かうスネイプへクローディアは縋る思いで手を伸ばした。

「先生! どこまで聞いていましたか?」

 切羽詰った声に動じたようにスネイプは一瞬、動きを止める。

「我輩は確かにドリスに招かれていた」

 振り返らず告げたスネイプは外へ出て、後ろ手で静かに扉を閉めた。

 たった一枚の扉により、クローディアはスネイプの信用を失った現実を突きつけられる。床を這いずる音に振り返れば、ベッロがいた。

 椅子を伝い、クローディアの首へと絡みつく。冷たい鱗が肌に触れて心地よい。その心地よさにより、こんな状況でハリーの身を案じるよりも、あの時と同じように心が傷つく事を恐れている自分に気づいた。

 あまりに身勝手な自分自身を恥じた。

 

☈☈☈☈☈☈

 腕が飛んだと理解した瞬間、痛覚が限界を迎えて意識を失った。

 目を覚ませば、見慣れた天井。

 瞼は重いが意識はハッキリとしている。トレローニーの必死の訴えが聞こえ、気分はより一層重い。

「あたくしが面接の日の話をしたばっかりに、ハリーは小賢しいスネイプに怒りを覚えたに違いありません」

「教職員の同士の諍いに生徒を巻き込むのは関心せんぞ、シビル」

 努めて冷静なダンブルドアの声は怒っている。トレローニーは小馬鹿にした声を上げた。

「それもこれもダンブルドア! 貴方があたくしに取り合って下さらないからですわ。あの駄馬の事も、この死神のカードの事も!」

 起き上がりたいが、ハリーの体は重く口も開けない。体の向きを変えて薄ら目を開ける。劣った視力でボヤケけているが、ダンブルドアはカードを手にする様子はどうにか窺える。

「あたくし、今学期に入ってから何度も占いましたわ。でも、このカードしか現れなかったのです! ダンブルドア、あたくしの『内なる眼』は危険を感じ続けております。それがご理解頂けないのでしたら、先日も申し上げましたように、辞めさせて頂きたいですわ」

 ダンブルドアは1分程、カードを眺めてから口を開いた。

「貴女に『内なる眼』などありはせぬ」

 トレローニーが恥辱に息を飲む声が聞こえた。

「その力は『予言』ではない。『預言』じゃよ、シビル」

「え?」

 思ってもみない返しを聞き、トレローニーは変な声を出す。

「曾々祖母殿には残念ながら、お会いした事はない故に本当に『予見者』だったが、わからぬ。じゃが、貴女の力はまず間違いなく『預言』。このカードがその証拠じゃ。一度でも別のカードが出たというなら、ただの偶然じゃが、毎回、同じカードならば、貴女は内側とは違う外側から啓示を受けておる」

「あたくしの力は……啓示」

 能力を肯定されただけでなく、丁寧に説明されてトレローニーは毒気を抜かれたように大人しくなった。

「ええ、天啓でしたら、何度も受けております。で、ですが、あたくしには『内なる眼』は確かにあります。これまでもあたくしの『予知』が当たった事も」

「それについては『予知』ではあるが、『予測』の領域じゃ。貴女は他人をよく観察し、その性質を見抜くする洞察力が優れておる。だから、対象となったモノの行動をある程度予測できるというもの。どうしても過去の偉人を例えたくば、マグルから英雄と称えられしアグリッパに相当しようぞ」

 能力を否定されても、称賛を受けたトレローニーの価値観が崩れている様子がわかる。ハリーも彼女への評価が覆っているところだ。

「そ、そんな話を今までして下さらなかったではありませんか!? そこまで言っていただけたら、あたくしは……」

「今の『預言』と『予測』は受け売りじゃよ。ワシは『占い学』を学ばなかった故、貴女の能力を根本から誤解しておった。貴女も正しく教えられる師がおらんかった故の勘違いじゃ。じゃがな、シビル」

 途端に語尾が怖ろしい程、低くなる。寝台にいるだけのハリーさえも恐怖に胃が竦む。

「おまえが誰の一族であろうとなかとうと、今は『占い学』の教授であろう? 職場環境に不満があるからと言って、生徒へ同僚の悪口を吹き込むのは範疇外」

 トレローニーは怯えている。トンボ眼鏡のように目を見開き、肩から手先まで震えていた。

「そ、それは駄馬、いえ、フィレンツェ先生はあたくしを……滑稽とだから……」

「滑稽? 『占い学』と『予見』を混同しておれば滑稽であろう。そもそも、占いを絶対の道標と教え広める行為は力への依存。あくまでの先を知りたがる者達への助言程度に留めておくのが、賢明というもの。フィレンツェはそこを弁えておる」

 親に叱れる子のようにトレローニーは目に浮かべ、竦み上がる。

「あたくしは……クビですか?」

 辞職を口にしながら、今のトレローニーは宣告を恐れている。

「ワシからそのように告げるのは、このホグワーツにとって必要ないと判断された時じゃ。シビル、おまえの授業内容はさておき、慕う生徒は何人もおる。彼らの意見を無視するような真似はせん」

 少しも安心できない。次の失態はないと警告されている気がしてならない。

「おまえは責任感が強すぎる故に間違えておる。一族の名に恥じぬように振舞おうとすることばかりに重きを置いてなんになるぞ。これからは肩の力を抜かれるがよろしかろう」

 言い終えた時、呼吸が苦しむ程の威圧感はなくなる。トレローニーは糸が切れたようにその場に座り込んだ。だが、ハリーはそんな彼女を蔑まない。彼も寝台にいるから、倒れないでいるだけだ。

 本気で怒ったダンブルドアは恐いと言ったのは、ハーマイオニーだった気がする。

「ポピー、シビルに気付け薬を……少し休ませておやり」

「は、はい!」

 慌ただしくマダム・ポンフリーはトレローニーに手を貸し、ハリーから離れた寝台へ座らせた。

「ハリー、起きておるな」

「……はい」

 素直に声を出すが、掠れてハリー自身にも聞き取りにくい。

「君がスネイプ先生に杖を向けたのは、トレローニー先生の話に関係あるかね?」

「あります」

 これだけは断言し、声も正確に出る。両親とドリスの死、ハリーの大切な人を死なせたのにはスネイプが関わっていた。

 ダンブルドアは枕元までやってきて、床に膝をつけてまで座り込む。

「ハリー、何も言っても君を納得などさせられんし、その怒りは消えん。じゃが、スネイプ先生は知らなかったんじゃ。己の主に与えた情報によって、誰が狙われるか思いつきすらな。君の一家だと知った時、スネイプ先生がどれだけ自責の念に駆られたか、それを理解するには君は若すぎる」

「あいつは……父さんを憎んでいた」

 絞りだす声とともに怒りが体温を上げていく。

「憎んでいるから、相手の死を望むと? どんなに憎しみ合おうが、そんな惨たらしい目に遭う事を望みはせん」

 浮かんだのは、ハーマイオニーがラベンダーを見舞った時。だが、スネイプが父の為に嘆き、悲しんだりするはずはない。ダンブルドアに言われても絶対に許せない。

「なんで……先生はあいつが自分の味方だと信じられる?」

 ハリーを置いて何処へ行ったのか?

 もっと色々と詰問したいのに、呼吸が上手く出来ない為に言葉が難しい。

「ワシもまた、スネイプ先生と似たような経験があるからじゃよ」

 意味不明と怒鳴りそうになったが、複数の足音が入ってきた。

 マクゴナガルとフリットウィック、そしてスネイプだ。ダンブルドアは迎えの為に立ち上がる。

「ミス・クロックフォードはまだ落ち着きませんので、地下に居させております。現場を目撃した我輩としては、部活の退部と毎週土曜日の罰則が相当と考えます」

「アルバス、事の次第はセブルスから聞きました。彼女への罰則はセブルスに任せようと思います」

「寮監としても、ミス・クロックフォードのした事は退学に比べれば生易しいものです」

 3人の寮監の報告を聞き、ハリーはクローディアが罰則を受ける事態に愕然とした。

「か、彼女は、知らなかった、こんな、ことに、なるなんて」

「大人しくなさい。無理にでも眠ってもらいますよ」

 起き上がりたいのに手足をバタつかせるだけで精一杯で歯痒い。マダム・ポンフリーに安静を強要されて動きを止めた。

「退学……それも視野に入れておかねばならんな」

 ダンブルドアの口から出た言葉とは思えなかった。

 驚いたのはハリーだけではなく、スネイプとマクナガル、フリットウィック、マダム・ポンフリーも息を飲んだ。

「アルバス、それは……」

「退学になさるには時期が悪すぎます。生徒達にも動揺は広がるでしょう!」

 マクゴナガルとフリットウィックが声を上げ、ダンブルドアはしばらく考えてから息を吐いた。

「クィディッチの試合はいつじゃったかな?」

「5月の最後の土曜日です」

 咄嗟に教えたマクゴナガルの日付は遅く伝えられている。ダンブルドアも知ってか、教頭を一瞥する。

「では、クローディアの退学に関しては試合の日に改めて答えを出そう」

「どうせ退学なら、学期末試験まで待たれては?」

 スネイプの一言にフリットウィックは睨む。

「それでは遅すぎる。良いかね、如何なる理由があろうとも人を傷つける者が傍にいるというのは脅威なのじゃよ。じゃが、先生方の手で確実に御せるならば、脅威は自然と消えゆくというもの」

「わかりました……ミス・クロックフォードには私から伝えましょう」

 深刻な面持ちでフリットウィックは急ぎ足で医務室を出て行く。

「それでポッターは?」

 スネイプの声の方角を聞き、ハリーは怒りを堪える。眼鏡のない視界でも、皮肉に微笑む顔は想像できた。

「既に罰は受けておる。あれ程の闇の魔術、ハリーにはいくつか傷を残すであろう」

 そっとダンブルドアはハリーの腕に触れる。手袋が触れた部分に違和感が出て気持ち悪い。この感覚も傷のひとつなのだろう。

「良いか、ハリー。闇の魔術は何らかの印を残す。強力であれば、ある程じゃ」

 言い終えたダンブルドアはそれ以上の会話を望まず、2人の寮監を連れて行ってしまった。

 

 ロンとハーマイオニーが見舞いに来たのは、夕方。

「それ見たことか! なんて言わないわよ」

 怒り狂った表情でハーマイオニーは椅子へ座りこむ。

「ハーマイオニー、やめてやれよ」

「退学よ! ハリー、貴方がスネイプを攻撃しようとしたからよ! よりにもよって……」

 口を噤んだハーマイオニーにハリーは溜息を吐いて、先を促す。

「プリンスの魔法でなんて……」

 感情の制御ができぬハーマイオニーは鞄から、投げやりに【上級魔法薬】を取り出す。

「彼女は教科書を先生に渡したわ。貴方の分は黙っておいたわ。どうする?」

 教科書の処遇について、聞かれている。

 正直、ハリーは愛しきペットに噛まれたような衝撃を受けていた。

 この身を切り裂いた呪文、プリンスの意図は知れない。彼の開発した呪文ではなく、敵にかけられた呪文を書き留めただけかもしれない。悪戯程度から便利な十分な呪文もあり、危険な呪文には相手を限定させた。

 プリンスを弁護する気持ちに溢れたが、ここにある教科書はクローディアの心情を訴えていた。

 

 ――もうプリンスに頼るのはやめよう。

 

「ハーマイオニーに任せるよ」

 ハリーの言葉を聞き、ハーマイオニーは目に涙を浮かべて抱きついてきた。

「わかっているわ。貴方がこんな目に遭うなんて、誰も望んでなかった……」

 ロンも悲痛な表情でハーマイオニーの背を撫でて、ハリーの肩を触れない程度に置く。

「ジニーも来たがったけど、僕が甘やかすなって言って来させなかった」

 そういう気遣いはいらない。不満を露に下唇を出す。

「そんな顔が出来るなら、もう元気じゃん。じゃあ、僕らは行くからな。退院はいつ?」

「明後日の朝だよ」

 迎えに来ると約束し、2人は寮へ帰った。

「ハリー、死にそうな目に遭ったって?」

 基本、水の流れるパイプしか辿れないはずのマートルが現れ、ハリーは作り笑顔のまま布団を深く被った。

 




閲覧ありがとうございます。

フィレンツェはアラゴグをどう思っていたのか気になるところです。

トレローニーのカードは原作では「稲妻に撃たれた塔」です。
先生の力は『預言』の類だと思います。原作でも自分で天啓やらなんやらと言ってます。


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17.暗転

閲覧ありがとうございます。

残酷な表現があります。


 ダンブルドアがクローディアを退学に追い込もうとしている。

 そんな事実のような噂は城中に伝わり、パドマやリサでさえ彼女の扱いに困った。

 心の距離が縮まっていたはずのベーカーは入学時の監視する目つきに戻り、ヘレナもクローディアが加害者に回った事で遠巻きにするばかりで話しかけて来なかった。

 そんな中で、退院したハリーは普段と変わらぬ態度で接してくれた。

「あの呪文、服が弾ける魔法じゃなかったね」

 ちょっとした冗談を混ぜた会話にクローディアは嬉しさのあまり、涙が溢れた。

「へい、クローディア! ハリーとやりあったって本当!?」

 久々のザカリアスからの容赦のない質問をアーミーがヘッドロックで黙らせた。

 スネイプの件について、お互いに何も言わない。ただ、ハリーも『半純血のプリンス』の教科書を手放したので、それが答えなのだろう。その結果、彼は『魔法薬学』の授業でボロボロになったが、それでも取り戻そうとはしなかった。

「アルバスまでクローディアに厳しくなりおって、なあに心配するな。退学になっても就職先の世話くらいはしてやるとも。友人の君が落ち着けば、ハリーの調子も戻るじゃろう」

 スラグホーンは噂にハリーが動揺していると解釈していた。

 

 スネイプの用意した罰則は古い書類の整理整頓、文字が霞んでいたり、紙が脆くなっている物は書き写して保管するという。想像していたより普通だ。

 寧ろ、これまでで一番易しいとクローディアは思う。

「書き取りは君のお得意だろう? さあ、思う存分やりたまえ。魔法は使うな、そこの使い魔も尻尾を出すな」

 手伝おうとしたベッロはピタッと動きを止めた。

「はい、スネイプ先生」

 薄暗い地下研究室で2人きりだが、きちんと向き合ってもらえるだけの価値がある証明だ。

 書類の内容はおそらく創設時からの罰則の歴史。知らない名前もあれば、同級生と同じ姓をいくつも見つける。主に被害者側が多くて苦笑いした。

 午前10時から始まり、午後1時に一先ず終わった。

「どこまでやったか印をつけておけ、次の土曜日も同じ時間だ」

「はい、先生はどこまで進みましたか?」

 何気なく問うたが、返事はない。見るとはなしにスネイプの手元を見て【ジェームズ=ポッターとシリウス=ブラック】の名前が見えてしまった。

 思わず、渋い顔をしてしまい勘付かれたスネイプは書類を手で隠した。

 

 部活も部室には行けなくなったが、デレクと時間を合わせて図書館や大広間で引き継ぎを行った。

「そのまま、キスしちゃえよ」

「このまま何も言えないままでいいのか?」

 ペロプスやナイジェルが意味深に笑い、デレクを困惑させる為にクローディアはしっしっと2人を追い払った。

「いきなり、試合を組み合わせろなんて言わないさ。今学期は私の話を聞いて欲しいさ」

「はい、僕はやれます」

 まだ引き継いでもないのに、デレクは部長の責任に押しつぶされそうだ。

 ちなみにバーベッジは珍しくスネイプへ烈火の如くブチ切れ、ベクトルやバブリングの同僚にドン引きする程の罵詈雑言をブチ撒けているらしい。マダム・フーチに教えて貰った。

 

 噂の的以外でクローディアが困ったのは、杖振りだ。

 杖を握って構えた瞬間、血まみれのハリーが脳裏に浮かんで呪文も唱えられない。杖なし状態でも幾分かは魔法が行えるが、実技試験には杖の振り方も採点される。

「右利きですから、左手でやって御覧なさい」

 素直にフリットウィックへ相談しに行くと簡単そうな口調で助言された。

 左手の持ち方を指導されながら、クローディアは一年生で最初に学んだ浮遊呪文を試す為にこれまた懐かしい一枚の羽根を狙った。

「ウィンガーディアム レビオーサ(浮遊せよ!)」

 正しい発音と杖の振り方から、羽根は風もない部屋をふわふわと浮かんだ。

「おお、流石です。本当に逆手でやってのけました! レイブンクローに10点!」

「右手と変わらないと思いますが……今、本当にって言いました?」

 質問にフリットウィックは悪戯が成功したような悪い笑みを浮かべる。生真面目な寮監の悪人面は笑いを誘った。

「ペンを持つのと同じです。両利きでもなければ、正確な魔法は使えないでしょう。貴女は素晴らしい! これからは授業以外で左手による杖の練習を欠かさないように」

 適切な助言に感謝しつつ、クローディアはハーマイオニーにも逆手の話をしてみる。彼女も興味津々に杖を逆手に呪文を唱えたが、上手く行かなかった。

 試しにパドマとリサにも教えたが、ハーマイオニーと同じ結果だった。

「もしかして、貴女の杖には前の持ち主がいて、その方が左利きだったのではありませんか? ちょうど『魔法史』で杖について学んでいますが、持ち主の癖が残る話を聞きましたわ」

「いいや、この杖は私が最初さ」

 リサの質問に嘘偽りなく、答えた。

 ニコラス=フラメルがクローディアの為だけに用意した杖、少なくともオリバンダーはそう言っていた。

「でも逆手の練習はいいわね、模擬試験の項目に足しておこうかしら?」

 それは来年の皆が大変なので、2人で必死にパドマを止めた。

 

 『姿現わし』試験日、ハーマイオニー達は無事に合格する。ただ、ロンやモラグのように不合格の生徒もいた。

「次も僕と受けよう、モラグ」

「また試験なんて嫌だよ、ロン! もう免許いらない!」

「あいつ、本当にレイブンクロー生か?」

 喚き散らすモラグにアンソニーはやれやれと肩を竦めた。

 

 そんなロンは本当に運がない。

 ハリーは彼に『フェリックス・フェリシス』を渡しそびれた事を後悔する。試合一週間前、ロンはジャスティンと共に大怪我を負い、医務室へ入院してしまったのだ。

 『必要の部屋』で何かしていたらしく、怪我の原因も教えてくれない。ただ何かの爆発に巻き込まれたように全身が火傷による裂傷を受けていた。

 しかも、怪我の状態があまりにも酷すぎて、ロンは出場停止を言い渡された。

「聖マンゴへ移されないだけ、有りがたいと思いなさい」

 マダム・ポンフリーは怒りを抑えて言い放った。

 この事態にグリフィンドールチームはロンへ容赦のない失望と怒りを露にした。

「ケイティも戻ってこないっていうのに!」

「ロン、ジャスティンを何に巻き込んだ!」

 ハリーは見舞いのお菓子をロンに投げて言い放ち、アーミーもカンカンだ。

「これは男の約束だから」

 ジャスティンはパドマに聞かれても、頑なに口を閉ざした。

「そんな約束、破ってしまえさ」

 包帯で顔も見えない2人にクローディアも心配を通り越し、呆れた。

「そういばケイティ=ベルは戻らないさ?」

「うん、彼女から手紙が来てね。ご両親に止められたんだって、……うわあ、ミム!」

 クローディアの後ろに控えていたミムに気付かず、ハリーはケイティの復活はないと教えてしまう。彼女はすぐにエディーへ伝えに行ってしまった。

「今から代役って……」

「キーパーの代役……」

「やっぱ、マクラーゲンしかいないんじゃ?」

 ジニーとデメルサ、ジミーまで代役の心当たりは1人しかいない。

 しかし、ハリーは最後の試合はロンに出て貰いたい。その一心でコーマックに知られぬように過ごし、マダム・ポンフリーにも何度もせがんだ。

 結局、試合2日前になっても校医の許可は下りず、ハリーは断腸の思いでコーマックへ代役を頼んだ。

「なんで、こんなギリギリに言うんだ! 今すぐ練習だ、競技場は押さえたか!? 作戦の紙とかあったら今、見せろ。更衣室までに読む!」

 試合出場を諦め、N・E・W・T試験に専念していたコーマックは喜びよりも、怒りが勝る。予想外の真面目な反応にハリーは少々、反省した。

 練習へ駆け出すグリフィンドールチームを廊下で見かけ、クローディアはロンの代役はコーマックと知る。

「どうされましたか?」

「いや、ハリー達を見かけただけさ」

 リサを連れ、マクゴナガルの事務所を訪れる。パドマはハーマイオニーと一緒に恋人の見舞いだ。

 羨ましくなどないと言い聞かせ、扉を開けたマクゴナガルは今にも罰則を与えそうな程に眉間へシワが寄っている。

「ミス・ターピンもありがとう。ベッロはこっちで食べていなさい」

 鼠の唐揚げを差し出され、ベッロは喜んで部屋の隅で貪る。

「今朝、ようやく届きました。魔法省から、正しくはアーサー=ウィーズリー氏からの推薦状です。彼だけではありません、他の方々もサインして下さいました」

 見せられた羊皮紙はクローディアにN・E・W・T試験を受ける資格があり、その証人欄にアーサー=ウィーズリー、エイモス=ディゴリー、ガウェイン=ロバースの名を連ねた書類だった。

「N・E・W・T試験を受けるのに推薦がいるのですか?」

 逸早く、文章を読み切ったリサは確認する。

「O・W・L試験を合格していれば、一般でも受けられます。ただ、ミス・クロックフォードは事情が事情です。校長自ら退学を宣告された生徒でも、就職には何ら問題はないと示さなければなりません。明後日には校長先生が最終決断を出すでしょう。どんな答えでも、貴女が志した『癒者』への道を残さねばなりません。無駄になるかもしれませんが、この推薦状はお持ちなさい」

 『癒者』への道。

 そう、クローディアは『癒者』になる。それを他の誰でもないスネイプに誓ったのだ。

「先生、ありがとうございます」

 少しだけマクゴナガルは優しく微笑んだ気がする。自分の為に用意された大人達からの想いを胸に、教頭へ感謝した。

「クローディアはずっと頑張って来たんです。その行いが報われたんですわ」

 寮へ帰る途中、リサも暖かい言葉をくれる。談話室には、無言でベーカーが待ち構えていた。

「届いたんですね、良かった」

 クローディアの手にある推薦状を見つめ、ベーカーはそれだけ告げて男子寮へ走って行った。

「そうか、ベーカーが自分の伯父さんに……」

 退学の報せを聞き、局長ロバースは彼なりの意図を持って推薦状を作成したか、サインしてくれたのだ。

「『癒者』になりましょうね、クローディア」

 状況を察したリサは優しくそう告げ、クローディアも決意した。

 

 

 そんな足早に迎えた試合日。

 空ひとつ見えない曇り空、雨はなくても、雷が鳴っており豪雨は時間の問題だ。

 最後の試合を飾るには生憎の天候、それでも生徒の注目は集まっている。何故なら、勝敗により優勝と最下位が決まるのだ。

 クローディアには判決の日。ドリスやボニフェースの写真を見ながら、緊張で震える臓物に喝を入れる。お守り代わりにジョージから貰ったイヤリングを着けようとした。

「今日も罰則でしょ? スネイプ先生に没収されるわよ」

 パドマの指摘でイヤリングは紐を通し、首飾りとして首にかけた。

「罰則についてだが、場所を変更する。時間は10時のままだ。くれぐれも遅れないように」

 大広間に着いた途端、スネイプに告げられてガッカリした。

「いっぱい、写真を撮っておくからね」

 罰則で観にも行けないクローディアへコリンは悪意のない笑顔で慰め、勝手に写真を一枚撮って行った。

「ふふふ、私には『銀の矢』がある……『銀の矢』がある」

「チョウ、その震えは武者震えかしら?」

 クローディアの『銀の矢』を手にし、チョウはガタガタ震えている。指摘したサリーもさっきから歯の音がうるさい。

「今日は勝利を貴女へ贈ります」

「うわー、冗談でもそういう奴、初めて見た」

 笑顔のまま緊張で強張るシーサーにオーラはドン引きした。

「キャプテン、それはナプキンです。食べられません」

「わ、わかってるって!」

 チームで一番、緊張のあまりテーブルナプキンを齧るエディへネイサンは困った笑顔を向けた。

「皆、もうちょっと落ち着いてよ。向こうの連中を見てみなさい、堂々としているわ」

 サリーに言われ、グリフィンドール席を見やる。

 目の下に隈を作ったハリーがピリピリと殺気立っている。他のチームメンバーはそんなキャプテンを刺激しないように普段通りの態度を貫いているだけだ。

 観客席の場所取り合戦の為か、生徒はさっさと朝食を済ませて大広間を出て行く。クローディアも時間を確認し、二重扉を出ようとした。

 急にハリーに強い力で腕を掴まれた。

「振り返らずに聞いて」

 緊迫した声は試合の為ではない。

「夕べ、ロンに渡そうと思って荷物を探したら、無くなっていた……幸運が……、僕しか知らない場所に隠してあったのに」

 ゾッと寒気がした。

 ハリーの『フェリックス・フェリシス』が何者かに盗まれる。しかも昨晩、盗まれた事実が発覚したなら、犯行はそれより以前だ。

「今、ドビーとクリーチャーに探して貰っているけど、絶対1人にならないで……」

「私は1人じゃないさ。スネイプ先生がいるさ」

 それが心配だと言いたげにハリーは訴えるような目つきになる。その表情から、クローディアは今こそ伝えるべき瞬間だと悟った。

「ハリー、先生はプリンスさ。あれは先生の教科書だったさ」

 一瞬、ハリーは意味不明と怪訝な顔になったが段々と驚愕して口を開ける。そして、否定の意味で首を横に振った。

「先生を信じられないなら、プリンスを信じて欲しいさ」

 教科書に書き込みをしていた頃、学生だったスネイプを信じる。それは今のスネイプを信じるのと大差ないが、ハリーにとっては違う。

「……わかったよ」

 苦渋の決断と言わんばかりに鼻息を荒くし、ハリーは一気に息を吐く。クローディアは彼の肩に手を置き、後で話し合おう約束をした。

「ハリー、もういいかしら?」

 ジニーに声をかけられ、ハリーは喝を入れる気持ちで頬を叩く。勇み足で競技場へ向かって行った。

 ハーマイオニー達に護衛されながら、目的地に着く。スネイプは先に中で準備していた。

「スネイプ先生、やっぱり貴女に甘いわね。試合が終わったら迎えに来るから、ここに居てね」

 念を押しされ、クローディアは教室へ押し込まれた。

 窓の外を覗けば、競技場が見える。窓を開れば、試合の実況や歓声も聞こえてくるだろう。成程、スネイプが甘いとはこういう意味だ。

 時間を見れば、ちょうど10時。クローディアは言われる前に書類を探して、前回の続きから取り掛かった。

 沈黙したまま、作業を続けているといきなり窓が開いて冷たい風が舞い込む。折角、仕分けした書類も飛んだ。

「ああ、11時さ」

 試合が気になるらしく、ベッロが窓を開けたのだ。

「ベッロ、開けるな」

 スネイプは杖を振い、窓を閉める。宙を舞う書類も彼の魔法で元の箱へと納まる。しかし、そのせいで印もなくなり、クローディアは中身を確かめようと箱を持ち上げた。

 箱の下にダンブルドアの顔があった。

「――!!?」

 反射的に箱を天井へ投げつけても、悲鳴を上げなかった我が身を褒めたい。スネイプは箱を魔法で回収したが、机にあるダンブルドアの顔に同じくビビった。

「校長! 何をしておられる!?」

「2人と一匹だけでは寂しかろうと思って、ここに潜んでおった。気づいて貰えんで、ワシのほうが寂しくなっておったところじゃ」

 陽気な声で笑い、ダンブルドアは机から文字通り這い出てきた。

「こ、こんにちは」

 予想もせぬ登場にまだ心臓がバクバクと鼓動を速く打つ。

「……校長はそこなる蛇とでも戯れて下され」

 眉間のシワを解し、スネイプは呆れた口調で罰則の邪魔はするなと頼む。捨てられた子犬のような上目遣いをしてから、ダンブルドアはベッロを抱えてクローディアの隣へと腰掛けた。

 視線でスネイプへ訴えかけても、手振りで続きを促されただけだ。

 仕方なく、箱から書類を出して済んでいる物と分ける。

「ほお、懐かしい名があるのう」

 済んだ書類を箱に入れれば、ダンブルドアは呑気に手を取って内容を黙読する。しかし、読み終えた書類を別の箱へ入れてしまう。気づいたスネイプは彼女の箱へ戻す。コントのように片づけを邪魔する行為は10分も続けられた。

「校長、お忙しいでしょう。我輩達だけで足りますから、どうぞ、ご自身のお仕事にお戻りください」

 相手がダンブルドアではあるものの、流石のスネイプも怒りが募って声が低い。

「ワシに構うでない、セブルス。今良いところ……」

 唐突にダンブルドアは言葉を切る。のんびりと膝にいたベッロも警戒の体勢で、扉を睨んでいた。

 使いの反応からクローディアは咄嗟に杖を取る。スネイプも杖を手に席を立つ。扉の様子を窺いながら近寄り、眉間のシワを深くして目を細める。

「扉の向こうには誰もいません」

 何かの魔法かスネイプには見えている様子だ。

「ワシが見て来よう」

「いえ、我輩が見てまいります」

 スネイプが呪文で扉を開けた瞬間、興奮したベッロは先行して廊下へ飛び出た。

「クロックフォード、ここから出るな。校長も我輩が来るまで開けてはなりませぬ」

「うむ、くれぐれも用心するんじゃ」

 返事もせず、スネイプは扉を施錠して行った。

 万一に備え、クローディアは杖を持ったまま椅子へ座る。ダンブルドアも髭を撫でつつ、手袋の裾を引っ張った。

 どんな事態が迫っているかを想定し、脈打ちが速い。杖の感触を確かめていれば、ダンブルドアの視線を感じる。そういえば、事件から今日まで顔を合わせていない。退学の予告もフリックウィックだった。

 自覚してしまい、別の緊張が生まれる。いつ宣告されるのか考えが離れず、嫌な汗が流れた。

「大きくなったのう、信じたれるか? 君はこんなにも小さかったんじゃ」

 その手で再現されたのは、野球ボール程の大きさだ。

 和ませてくれようとしている。そう思いクローディアは素直に笑う。

「ええ、皆のお陰でここまで大きくなりました」

 自分の頭を両手で撫でてから、万歳して体を大きく見せる。ダンブルドアはゆっくりと頷き、髭の中で優しく弧を描いた。

「おまえはワシにとって、いつまでも何も知らず培養器にいる小さな命じゃよ」

 慈愛に溢れた言葉を穏やかな口調で語られた。

 嬉しさよりも妙な違和感が胸にシコリとなり、思わず探るような視線をダンブルドアに向けた。

 

 ――コンコン。

 

 窓をノックする音へ反射的に杖を向ける。そこには年明けから会っていない婚約者が箒に跨り、愛しい笑顔で手を振っていた。

「お迎えが来たようじゃの」

 ダンブルドアが指を鳴らし、窓を開ける。ジョージの登場はクローディアを素直に喜ばせ、迷わず駆け寄った。

「ジョージ! こんなところで何をしているさ!?」

「その前に、マダム・パディフットの店で俺とデートした時……ロジャー=ディビーズは誰と一緒だったでしょうか?」

 指先をチッチッと動かし、質問してくる。本人確認の為、相手が婚約者でも重要だ。

「デメルサ=ロビンズさ」

「正解。さあ乗って、試合を見に行こうぜ」

 箒の後ろを指さし、誘ってくる。しかし、クローディアはハーマイオニーやスネイプとここにいる約束をしている。そこへダンブルドアが背を押してくれた。

「行きなさい、クローディア。セブルスはワシに任せておくれ」

 嬉しさで胸が弾み、クローディアは窓辺に手をかけてヒラリとジョージの後ろへ乗り込む。彼の胴体に手を回し、落ちないように手を組んでしっかり捕まる。

「ありがとう校長先生、行ってきます」

 優しく微笑みダンブルドアは黙って手を振り、見送った。

 競技場からルーナの実況と歓声が聞こえ、そちらを目指す。

「いつ、学校に着いたさ?」

「試合が始まる前だな。許可は貰っていたのに検問に時間がかかってよ」

 ジョージが答えた瞬間、強風に煽られる。後ろにいるクローディアでも、箒の制御が難しいと感じる程の強さに流されて、『暴れ柳』へと到着してしまった。

 近寄る者は何でも薙ぎ払う『暴れ柳』は2人にも気づき、木々が構える姿勢を見せた。

 ひとつひとつの動きを一枚の画像として捉え、以前、自分が通った木の根元の穴を見つける。上手くそこへ入りたいが、ジョージは風の抵抗を受けぬように箒を傾けるのが精一杯。

 木の攻撃は避けれたが地面へと転がり込む。お互いの身体がクッションになっていたとはいえ、ブツけた衝撃に呻く。強風は目的を済ませたように止んだ。

「ジョージ、大丈夫さ?」

「……ああ、君こそ」

 草や土埃に汚れた顔や服を見渡し、お互いの顔を無事を確かめる意味で見つめる。周囲には何処かに潜んだ『闇払い』がいるだろう。それを気にしない程にジョージへキスしたくなった。

 0.3秒後にはジョージから唇を当ててきた。

 驚いて声を出しそうになり、クローディアは口を開ける。その隙間からジョージの舌が入り込んだ。

 

 ――異物と共に――

 

 反射的に顎の力を強めた為、異物を噛んでしまう。液体を閉じ込めたビーンズだった。

 吐き出そうとしても、ジョージの唇と手がクローディアの顎をしっかりと掴んで離さない。ギラギラした眼光を睨み、ようやく相手は婚約者の姿をした別人だと気づいた。

(エヴァーテム・スタティム(宙を踊れ!))

 相手の胸元に手を置き、無言呪文を仕掛ける。魔法は成功し、偽物は吹き飛ぶ。唇が離れた拍子にビーンズは吐き出せたが、液体は喉を通ってしまった。

 なんとか吐き出そうと嗚咽を繰り返す。そんな意思とは裏腹に段々と脳髄の奥から感情が分泌液になり、視神経を通って指先まで広がっていく。かけがえのない彼の事しか考えられない。

「ドラコ……」

 今でも、たった独りで苦しんでいる。そんな彼に会わなければならない。慰められるのは自分だけだ。

「ドラコ! ドラコに会わないと……」

 きっと競技場だ。

「待て……」

 煩わしい気持ちで偽物を振り返る。背中を強打した偽物は起き上がりながら、何故か競技場の方角を見据える。クローディアも見てみれば、その真上には何十体もの吸魂鬼が群がっていた。

 防衛魔法により、空からも侵入できないにも関わらず押し入ろうとしているのだ。

「どうして吸魂鬼が……尚更、ドラコが危ない!」

「ドラコ=マルフォイはここだ」

 叫んだ偽物はちょうど変身が解けるように、赤髪から金髪へ変わり、背と体格が服に合わない。ドラコはジョージの姿に変身して、クローディアを連れ出したという事実に胸が高鳴った。

「ドラコ、ずっと傍にいたのか!?」

 湧き起る衝動のまま、クローディアはドラコへ抱き付く。彼は抱き返さず、深刻そうに肩へ手を置いた。

「僕の為に……君の命をくれ」

 それが愛の告白とは程遠いとわかっている。けど、ドラコが欲しがるなら今すぐ肋骨を暴いて心臓を渡してやりたい。行動に出る前にどうしても確認しなければならない。

「ドラコ、私の命が欲しいのは本当にあんた? 誰かに無理やり命じられたんじゃない?」

 ドラコは真面目な表情のまま、身を低くして『暴れ柳』へと近寄る。神経質になっている柳は太い枝を振り回すが、彼は臆せず進んで木の根元にあるコブへ触る。途端に枝の動きは止まった。

「どうして、そんな方法を知っている?」

「ピーター=ペティグリューだ。そいつから聞いた情報をクィリナスが僕に教えたんだ」

 ドラコの役に立てるなら、ペティグリューも喜ぶ。クローディアは真剣にそう思う。彼女の反応を余所に彼は震えた手で杖を向けた。

「もうすぐ援軍が来る……君がここで……命をくれたら、他には犠牲はでない。君のお仲間も……誰一人として」

「ドラコ、質問に答えて。私は命が惜しいんじゃない。本当の事が知りたい、私が死んであんたにどんな利益が出る? ドラコの為になるなら、命はあげられる。でも、本心じゃないなら駄目、レギュラス=ブラックのように後悔する」

 そう、シリウスの弟レギュラスは何も考えずヴォルデモートに命じられるまま、クリーチャーを差し出した。その結果、『死喰い人』としての忠誠は崩れ去り、命を賭けて偽のロケットを本物とすり替えた。

「そんな奴と一緒にするな! あいつは『死喰い人』の役目から逃げた! 僕は違う、僕は殺れる」

 ドラコにはレギュラスの間違った解釈が伝わっている。正さなければ、ならないが後にしよう。今は彼の本心を確認したい。

「ドラコ、私を殺す為にケイティとラベンダーを巻き込んだ。巻き込んだけ、あんたに人は殺せない」

「違う、君の手に渡れば確実だった。でも、まるで幸運に恵まれているように君から離れた」

 そう告げた瞬間、防衛魔法が突破されて吸魂鬼が競技場へと傾れ込んだ。

 冷たい風に乗って悲鳴も聞こえる。でも、クローディアは気にしないし、気にならない。大切な人は目の前にいるのだから、それ以外は何も必要ない。

「幸運……ハリーの『フェリックス・フェリシス』を盗んだのは……」

「ウィンキーにやらせた」

 意外だった。

「バーティが言った。『屋敷しもべ妖精』なら、手を借りても数に入らない。ウィンキーは君を悪い魔女と呼んでいた。クラウチ親子がおかしくなったのは、君ら親子のせいだと……だから、懲らしめたいと」

 ウィンキーはクラウチ家に忠実だった。否、今でも忠実だ。

「首飾りをケイティ=ベルに渡したのは僕だ。僕の失敗を知ったウィンキーは食べ物に一服盛ろうと提案してきた。だから、僕は毒をウィンキーに持たせて任せた。その毒入りをラベンダー=ブラウンが口にして、ウィンキーは益々怒った! 君は毒に気づいて他人に押し付けたとね」

 確かにウィンキーの目から見れば、そう見えるだろう。

「あんたには見張りをつけていたのに……どうやってウィンキーと話した?」

 ドラコは懐から金貨を取り出し、見せつける。

「セオドールから、金貨に呪文をかけて連絡する手段を教えて貰った。僕はこれでウィンキーに命令していた!」

「わあ、ドラコ。『変幻自在』の呪文を使えるようになったんだ!」

 ドラコの涙ぐましい努力に感心して誉め称えた。

 クローディアもポケットに入れっぱなしだった偽金貨に指で触れ、『暴れ柳』と文字を書き込む。ハーマイオニーはハリーの偽金貨から他に伝達を送れるという説明をしていたが、これでも出来るはずだ。

 ロンは常に偽金貨を持っている。ドラコを助ける為に来てもらいたい。

「盗んだ『フェリックス・フェリシス』はもう飲んだ?」

「ああ、飲んだよ。ここまで順調だった。……もう薬の効果は切れている。あの感覚は最高だった」

 吐き捨てるように言い放ち、ドラコは睨んでくる。最高な不味さだったのかもしれない。

「ドラコ、あんたに私は殺せない。本当にそうしたいなら、とっくにやっている。あんたはやりたい事は必ず成し遂げる。失敗したなら、本気じゃなかった」

「僕は本気だった!」

 本気で失敗を望んでいたのだろう。クローディアはドラコの叫びに胸が痛くなる。

「スネイプ先生に助けを求めよう。あの人は絶対、助けてくれる」

 助けという単語にドラコは途端に怯えを見せる。小刻みに痙攣しながら、否定した。

「助けなんかいらない、わからないのか!? やるしかないんだ……そうしないと僕が殺される……」

 ドラコは啼く。涙ひとつ見せずも、顔を歪めて啼いている。死にたくない、殺したくない。そんな魂の叫びは誰にも明かせず、苦しみの坩堝へと投じる羽目になった。

「ドラコ……その名前は猛々しい竜を意味している。蛇は長い修行の果てに龍へと昇華する。こんな偶然がある? ドラコがスリザリン寮にいるなんて」

「僕の一族は代々スリザリンだ」

 反射的に答えたドラコの声は震え、クローディアは彼の杖を掴む。

「ドラコ、あんたは生まれた時からスリザリンの先を歩いている。わかる? そんなあんたが、たかだかスリザリンの末裔を自称するトム=リドルを恐れる必要がある?  いいや、ないね」

 掴まれた杖を見ながら、ドラコは引き抜こうともがくがビクともしない。本気で取り戻そうとしていないからだ。

「嫌な事は嫌と言ってきた。それがドラコ=マルフォイだ! 私は従う、あんたの意思に! 本当に私を殺したいなら、今、やって!」

 断言し、杖から手を離す。ドラコは驚愕に目を見開き、クローディアを凝視してから杖を構え直した。

 1分にも満たない時間。

「できない……」

 自分への失望と微かな勇気を言葉に込め、ドラコは呟いて杖を下ろす。本音を聞けた嬉しさにクローディアは彼を抱きしめた。

「出来ないと言ったか? ドラコ」

 声に振り返れば、『暴れ柳』の根元からクィレルが出てきたところだった。

 ドラコ以外はどうでもよいはずなのに、脳髄の奥から神経を焼きそうな熱が発せられた。

 

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 英国一怖ろしい幽霊屋敷、その名は『叫びの屋敷』。

 魔法使いだけが住むホグズミード村にあり、魔法族に関わらないマグルは屋敷の存在を知る由もない。

 クィレルが学徒の頃、屋敷の全貌を探ろうとした同窓は何人もいたが、誰も真実は暴けなかった。ペティグリューからルーピンの人狼化対策と聞いた時、ダンブルドアの正気を疑った。そして、全貌も分からずに恐れられた理由も納得できた。

 初めてこの抜け道を行こうとしたが、抜け目のないダンブルドアは既に防衛対策を張っていた。

「クィリナス、やったぞ」

 待ち侘びたギボンの言う通り、行く手を遮っていた防衛魔法が解けていく。昨晩から、屋敷の抜け穴で待機していた甲斐があった。

「上手く行ったな」

 ホグワーツの防衛魔法を突破する方法は2つ。それ以上に強力な闇の魔法を放ち、ぶち壊す。もしくは『死喰い人』にしか伝わらぬ感知魔法にて中へと移動する。

 どちらともヴォルデモートの協力が必要であり、特に2つ目を実行するには時期尚早。

 故にクィレルは1つ目を提案し、ヴォルモートと同等の魔力を持つソーフィンにその役目を負わせる。代償として彼は死ぬだろうが、覚悟の上だ。頼れるバーティをあちらの補佐に付けた甲斐があった。

 今頃、クィディッチの試合で盛り上がった会場は阿鼻叫喚の地獄となっているだろう。

 それもこれも、ダンブルドアがクローディアの退学を言いだすからだ。

 ドラコの任務を果たせる機会が今日までしかない。逃せばクローディアの所在が掴みにくくなってしまう。それでは任務を果たせず、マルフォイ家はいつまでも名誉を回復できない。

 もっとも、ヴォルデモートは最初からドラコに期待などしていない。だが、奮闘する彼に手助けくらいはしてやろう。あくまでもクィレル達の任務は見届けるだけだ。

「ダンブルドアの鼻が明かせるなんて楽しみだなあ」

 期待を胸にトラバースは喉を鳴らして笑う。確かに老いぼれが必死に守っている学校へ奇襲を仕掛けるのだ。

 どうせ、セブルスがダンブルドアに伝えているだろうとクィレルは思う。

「できない……」

 存外に長い道を歩き、外へ出てきてみれば冷たい風と共にドラコの声が届いた。

 クィレル達の姿を見て、ドラコは恐怖に顔を歪める。彼の前にクローディアが敵意を剥きだして立ちはだかった。

「まさか、自分の命が狙われていると気づいていないのか?」

「知っている。でも、ドラコはやらない。そう決めた」

 『愛の妙薬』か『魅惑の呪文』で彼女の心を虜にしておく手筈だったが、その効果があるのか判断しにくい態度だ。わざわざ、その為に口うるさいジュリアにジョージ=ウィーズリーが使いそうな合言葉を考えて貰ったのだ。

「では、ドラコが死ねと言ったら死ぬのか?」

「勿論」

 この即答の仕方は完全に心を奪われている。正常な判断ができなくなる程、相手へ夢中になるのが常の効果だ。彼女は耐性が強いのかもしれない。探究心が擽られたが、今はやめておこう。

「私達は手を出せない、ドラコ」

 こうなってはドラコに『服従の呪文』をかけてでも、任務を果たして貰う。クィレルが杖を構えた瞬間、風の音に紛れているエンジン音に気づいた。

 トルコ石色の車が猛スピードで宙を走ってくる。それを目の端で捉え、急いで飛び退く。ギボンも逃げたが、逃げ損ねたトラバースは大木と車の間に足を挿まれる。衝撃も加わって相当に痛いだろう。

 運転席にいたのはロナルド=ウィーズリーだ。

 戸が開け放たれ、『闇払い』ニンファドーラ=トンクスが飛び出しながら杖を構える。クィレルも杖を構えて応戦した。

 その間にクローディアはドラコを連れて城へと走り出す。車に衝突されたせいか、『暴れ柳』が意思を取り戻したように動き出す。車とトラバースを薙ぎ払った。

「クルシーオ(苦しめ!)」

 ギボンがトンクスへ仕掛けた為、クィレルへの意識が逸れる。その隙にドラコを追う。そこへユニフォーム姿のハリーが箒に乗って来るが、彼自身も3体の吸魂鬼に追われている。クローディアが気づいて杖を構えて叫んだ。

「エクスペクト・パトローナム(守護霊よ、来たれ!)」

 叫びに応じて放たれた銀の光はアルマジロの姿となり、吸魂鬼を追い払う。彼女も『守護霊の呪文』が使えるとは報告になかった。

「ハリー、ドラコはやらない! 決めたんだ!」

「見ればわかる! そのままダンブルドアに伝えて!」

 箒から飛び降り、ハリーはクィレルの前へ威風堂々と立つに立ちはだかる。車から這い出てきたロナルドもクィレルの後ろだ。

「お前達の目論見は終わりだ。もうすぐ大勢の助けが来る」

 こうして対峙するのは『賢者の石』を奪い合った時、奇妙な懐かしさに思わず笑みが零れた。

「……『不死鳥の騎士団』か、君もその1人だと?」

「そうだとしても、おまえには関係ないだろ。ここまで大がかりな事しておいて、ご主人さまには失敗しましたと報告されるんだ」

 ハリーは優勢を示しても笑みを見せない。

「ステューピファイ!(麻痺せよ!)」

 ロナルドが叫んだかと思えば、足の痛みに耐えながらトラバースが攻撃していた。

「任務は果たされる。ドラコがやらなくてもな」

 言い切ったクィレルはその場で飛び上がり、ハリーに顔面へ蹴りを入れる。両腕で受け止めた彼を踏み台にし、宙を文字通り飛んで2人を追いかけた。

 ハリーは攻撃せず追ってくる。少しでも狙いを間違えれば、2人に当たる可能性があるからだ。

「先生! スネイプ先生、ドラコを助けて下さい」

 こちらへ向かって来るセブルスへクローディアは喜びの声で助けを求める。彼の目がクィレルと絡み、一瞬で状況を理解した。

 

 背後からしか見えないが、手を伸ばせばクローディアに届く距離まで縮まってからセブルスは杖を構える。勿論、彼女へ向けていた。

 ドラコが任務を放棄した時、代行できるのは悔しいがセブルスだけだ。

「やめろ!」

 勘の良いドラコが叫ぶより先に、セブルスの静かな声は奇麗な発音で唱えた。

「アバダ ケダブラ(息絶えよ)」

 杖を胸に突き立てられ、クローディアは逃げる判断も出来ず、眩い緑の光は彼女を笑顔のままにして倒れ込ませた。

 腕を掴まれたままのドラコは絶望した表情でクローディアを抱きしめて、座り込んだ。

 クィレルは反転し、無言呪文にて『全身金縛り術』を放つ。対してハリーは激情に顔を歪ませても冷静に『盾の呪文』で防いた。

「イモビラス(動くな)」

 次いでスネイプの唱えた呪文はハリーの動きを完全に止める。瞬きしか出来ぬ状態でも、『選ばれし者』の眼光は鋭い。

「先生! こっちです、早く!!」

 4階の窓から様子を窺っていたジャスティン=フィンチ-フレッチリーが恐怖に慄き、助けを請う。他の窓にも幽霊を含めた人影が何人も見えた。

 大変、お粗末な結果になったがクィレルは確かに見届けたのだ。次は我々が任務を果たしたその証を全てに見せつける。

「モースモドール(闇の印を!)」

 緑の煙が描く巨大な髑髏は完璧だ。

「逃げるぞ」

 セブルスはドラコの腕を掴んで立たせようとしたが、彼は乱暴に振り払う。

「嘘吐きめ! 僕の味方をすると言ったのに!」

 悲痛な声を上げ、ドラコはスネイプを批難する。

「スネイプ、キサマァ!!!」

 窓から飛び降りたのは、ジョージ=ウィーズリー。怒り狂った表情で迫ってきた為、クィレルは魔法で吹き飛ばす。『隻眼の魔女像』に背を強打し、倒れ込んだ。

 セブルスと協力してドラコを無理やり立たせ、クローディアと引き離す。抵抗せず地面へ叩きつけられた彼女は、やはり笑顔のままだ。

 柄にもなく、この時だけは彼女の冥福を祈った。

 




閲覧ありがとうございました。

日常からの暗転。
屋敷妖精には感情があります。勿論、憎悪もです。
映画のドラコは苦悩がとてもよく伝わり、見ていて泣きました。
クローディアの守護霊は感想でもご指摘があった通り、アルマジロでした。
●ギボン
 原作六巻にてソーフィン=ロウルの『死の呪文』の乱発に巻き込まれて死亡。
●トラバース
 白髪のもじゃもじゃ男。原作四巻から名前だけ出ていた人。原作七巻にて出番がある。


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18.死神の去った後

閲覧ありがとうございます。

残虐な表現があります。苦手な方はご注意ください。


 暗雲を晴らさんばかりにルーナの実況は観客を愉快にさせ、白熱した試合は盛り上がりを見せる。そんな活気溢れた競技場に吸魂鬼が現れた時、記憶にある者はハリーが3年生の折に起こった乱入事件を思い出しただろう。

 初めて目にする生徒も、自然と沈黙してしまう。観客の異変に気づき、ハリーを含めた選手も空を見上げた。

 2体、3体、4体と数えるのも億劫になる数が集まり出した時、マクゴナガルはマイクに向かって命じた。

《試合は中止です。生徒はすぐに寮へ戻りなさい!! 皆、騒がずに監督生の指示に従いなさい。寮監のフリットウィック先生、スプラウト先生は誘導の手伝いを! スリザリンはスラグホーン先生お願いします。残りの先生方は防御態勢を取りなさい!》

 適切な指示だ。

 フリットウィックは手すりを滑り、レイブンクロー席に移動する。元々、ハッフルパフ席にいたスプラウトは監督生と目配せして避難を開始した。

「ドラコがいないんです!」

 スリザリン席ではスラグホーンは混乱したパンジーに捕まり、もたついていた。

「さあ、皆、監督生に続くんだ!」

 グリフィンドール席にいるハグリッドが生徒を下へ進めていく。

 

 ――パリパリ、パキン。

 

 防護魔法が破られる瞬間を目の当たりにしてしまった。

 押し寄せてくる吸魂鬼の群れにどうして悲鳴が抑えられようか、あちこちから男女関係なく金切り声が上がった。

 外へ避難しかけた生徒は身を隠そうと、座席下の空間へ逃げ込んだ。

「エクスペクト・パトローナム(守護霊よ、来たれ!)」

 ハリーは『ファイヤボルト』で飛んだまま杖を突き出す。『フェリックス・フェリシス』を盗まれ、密かに杖を持っていて良かった。

 空を駆ける銀の牡鹿は吸魂鬼を避けさせる。ジニー、チョウ、ミムも友人から杖を借り、彼に倣って守護霊を創り出す。それを見て、観客席にいるネビル、アーミーやアンソニー、パドマ、ザビニまで『守護霊の呪文』を放った。

 そこまでの魔法が扱えないシェーマス達も『盾の呪文』を用い、戦うだけでなくハグリッドやハンナのように怯える生徒を励ます者もいた。

 銀に輝く動物達が宙を走り回る。あまりにも美しい光景に恐怖とは違う感情を募らせた。

《見て見て、踊っている》

 まだマイクを握っていたルーナの呑気な声は皆を安心させかけた。

 吸魂鬼の群に紛れ、仮面と外套を身に纏った『死喰い人』がタイヤの無いバイクに乗って降りてくる。その後ろにいた灰色の外套を被った男が芝生へ降り立ち、挑発するように顔を晒した。

「「グレイバックだ!?」」

 グラッブ、ゴイルの悲鳴に別の動揺が走り、ハーマイオニーも息を飲む。自ら人狼の名を冠したフェンリール=グレイバックは尖った歯を見せて笑った。

 『死喰い人』が降りたバイクは競技場の外へ走りだす。その跡にはハグリッドの身の丈より巨大な炎が燃え上がり、出入り口を塞いだ。

 そこに観衆から黒犬が飛び出し、グレイバックに飛びかかる。ハリーにはその犬がシリウスだとすぐにわかった。

「アグアメンティ(水よ!)」

 芝生へ降りていたコーマックの杖から滝のような放水が『死喰い人』へ放たれる。その反対側から、エディやデレク、ナイジェルも加勢しとうと放水した。

 空から新たな『死喰い人』が2人、箒に乗ってくる。しかし、黒犬がグレイバックを地面に叩き伏せたところだった。

「だから、前に出るなと言ったろ!」

「何しに来た!?」

 『死喰い人』達が悪態を吐き、箒を乗り回して『磔の呪文』を何度も放つ。右往左往していたザカリアスに命中し、まるで断末魔のような悲鳴を上げてもがき苦しんだ。

 この状況下でルーナは唐突に叫んだ。

《ハリー、行って! 『暴れ柳』でクローディアが待っているもン》

 一瞬、意味不明だったが、ルーナは金貨を見せつけるように手に振るう。それはDAの連絡手段に使った偽金貨だ。彼女はいつでもDAの集まりに気づけるように持っていたのだ。

 しかし、ルーナに促されたがまだ吸魂鬼は何体も迫ってくる。それに『死喰い人』の応援も来るかもしれない。

「ここは任せて、皆いるから」

 チョウ達の視線を受けても、ハリーは皆を置いて行けずに悩む。

《ポッター、お行きなさい! 彼女を頼みます》

 最後のひと押しはマクゴナガルだ。寮監にして教頭の命ならば、断る理由はない。ハリーは笑顔で皆を振り返り、この場を託して飛び去った。

 

 ――それなのに守れなかった。

 

 スネイプとクィレルは抵抗するドラコを引き摺り、満身創痍の『死喰い人』2人を連れて『暗黒の森』へと向かう。防衛魔法が破られても『『姿くらまし防止術』が張られていたままなのだ。

 脳髄に様々な情報が行き交いながら、冷静な部分がそんな推測を立てた。

 スネイプを力の限り罵りたい、あんな男が『半純血のプリンス』だなんてあえりえない。目の前のクローディアへ縋りつき、問い質したくても出来ない。

 最初、クローディアへ辿り着いたのはベッロだ。心配しているのだろう。彼女の体に鼻をつけ、探っている。ひとしきり、探り終えたベッロは感情を爆発させた。

[どうして、こんなことになった!? 何故だ!?]

 興奮しきったベッロの尻尾は乱暴に地面へ何度も叩きつけられ、土が削れる音する。今すぐ駆け寄ってやりたいにも、まだハリーの体は動けない。

 駆け付けたのはダンブルドアだ。ハリーは藁に縋る思いで助けを乞う。校長は慎重な手つきでクローディアの首元に手を触れ、目を瞑って眉を寄せた。

[どうしてだ! しなければならないのか!?]

 体を鞭のようにしならせ、ベッロはダンブルドアに怒鳴る。胸で嫌なざわめきが起こり、動かなければならない必死な気持ちで魔法に抗った。

「ベッロ……、待って、落ち着いて」

 どうにか口が動かせたが、ベッロの耳には届いていない。しかし、ダンブルドアには聞こえていたらしく視線が絡んだ。

「ハリー!」

 遠くからチョウの声がして、ハリーの意識をそちらへ向けた。

「ベッロ、頼む」

 その間、ダンブルドアは重い口調で嘆願した。

 ベッロは瞬きより短い刹那、沈黙した後。ダンブルドアへ飛びかかり、喉笛を噛みつく。ただ噛んだだけでは飽き足らず、喉そのものを食い千切った。

 その証拠として、胴体から離れたダンブルドアの首が音を立てて地面へ落ちる。外れた半月の眼鏡も壊れた。

 血飛沫がクローディア諸共汚し、それでもベッロの怒りは治まらない。あろうことかダンブルドアの首を丸飲みしていく。蛇の胴体が膨らんでいる部分に大切な人の首が入っている。そう認識した時、ハリーを縛っていた魔法は解けた。

「何故だ!!?」

[するべきことをしただけだ]

 鎌首をもたげたベッロはまるで、トレローニーのカードの死神に見えた。

 ハリーが杖を構えても、ベッロは動じない。

「アバダ……」

 口に出した瞬間、感情の高まったハリーの目に涙が浮かぶ。そして今までのベッロとの思い出も勝手に蘇る。一緒に笑い、驚き、楽しんだ日々。種族を越えた友情は確かにあった。

「ヴィペラ・イヴァネスカ(蛇よ、消えよ!)」

 ジャスティンの声に我に返った時、ベッロの体は塵のように消え去る。感傷に捉われ、仇を討つ機会を失ってしまった。

 残ったのは血塗れの2人。

「ハリー、ハリー」

 唇まで青ざめたジャスティンは震えた声でハリーの肩に頭を置く。直視できるはずがない。自分も目が背けらないだけだ。

「ダンブルドア?」

 来てくれたリーマスは首を無くしたダンブルドアに呼びかけた後、足の力を無くして膝から座り込む。黒い犬から人へと変じたシリウスは沈痛な表情でクローディアを一瞥してから、親友の肩へ手を置いた。

 ハグリッドは凄惨な光景を目の当たりにし、受け入れるまで時間がかかった。

 2人の犠牲者を見たロンは倒れたジョージに飛びつき、急いで心音を確認する。兄の無事に感情が追い付かず、涙していた。

「トト……コンラッド」

 シリウスに呼ばれた2人は遅すぎる援軍だった。

 状況を理解したトトはダンブルドアに駆け寄り、血の噴き出す首を押さえる。すぐに血は止まった。

「止血出来たぞ、コンラッド。手術の準備じゃ、わしが何とかする」

 首を無くしたダンブルドアを丁寧に地面へ置き、トトはコンラッドを呼ぶ。でも、その声に答えない。

「はようせんかい!!」

 命令のような嘆願は泣き声に聞こえる。それに対し、コンラッドは機械的に告げた。

「お義父さん」

「……――ああああ」

 呼ばれただけで、トトはダンブルドアを見下ろして沈んだ深い息を吐いた。

 そして血に塗れたクローディアの顔を拭う。壮年でも若々しい陽気な人が、今では一気に老けこんでしまった。

 コンラッドは外套を脱ぎ、クローディアの顔を隠すように覆うと抱き上げた。

「何処へ行く?」

「このままにしておけない、清めておくんだ。お義父さん、行きますよ」

 シリウスの質問にコンラッドは答え、トトはダンブルドアの前から動かない。それ以上何も言わずクローディアを抱えて城の中へ入って行った。

 座り込んでいたリーマスも頼りない動きで上着を脱ぎ、ダンブルドアの体を隠した。

「ハリー……」

 ハーマイオニーの声に振り返る。ジニーとルーナは気絶したチョウを支えていた。

「トンクスは?」

「他の『闇払い』達と話しているわ」

 ジニーは義務的に答える。こんな光景を見て、チョウのように気絶出来たらまだ気が楽になれるかもしれない。ルーナは一言も喋らず、ダンブルドアへ近寄り落ちた半月眼鏡を拾う。それをトトへ突き出した。

 受け取ろうとしないトトの手を掴み、無理やり持たせた。

 壊れた眼鏡をしばらく見つめ、目に活力を戻してトトは立ち上がった。

「ハグリッド、マクゴナガル先生のいる所へ案内しておくれ」

 呆然とした立ち尽くしていたハグリッドは突然の命令に反射的に痙攣し、周囲を見渡す。声の発信源がトトと気づき、心底ガッカリした。

「この場にいる者は医務室へ、後から情報を照らし合わせる。シリウス、ダンブルドアを運べるか?」

「俺が! 運びます」

 泣きそうな声で立候補し、ハグリッドは返事も聞かずにダンブルドアを抱き上げた。

「良かろう。では誰か、わしを案内しておくれ」

 ハーマイオニーが無言で手を挙げた。

 皆が医務室を目指して行く中、ルーナは『闇の印』を見上げる。杖を向けた瞬間、髑髏はただの煙のように霧散した。

 廊下を歩きながら、ジャスティンはぶつぶつと呟いた。

「僕がスネイプを行かせた……、僕が行けばよかった……。僕がダンブルドア先生を行かせた……僕が行けばよかったんだ……」

「ジャスティンの責任じゃないよ」

 ハリーの慰めは今のジャスティンには届かない。

 マダム・ピンスとフィルチが先客として椅子に座る。ロンはマダム・ポンフリー共々、悲報を伝える。3人は受け入れがたい事実に蒼白になり、それでも校医だけは皆を適切に治療した。

「何があったか教える約束だったんだ」

 その最中、目を覚ましたジョージはクローディアを求めて喚く。ロンとジニーがどんなに説得しても、暴れて治療すら拒んだ。

「落ち着けって、背中の骨が折れているんだぞ!」

「寝てなさい」

 仕方なく、マダム・ポンフリーは無理やり落ち着かせる薬を用いた。

 ひとつひとつ状況を確認する為、まずはジニーから喋り出す。 

「『闇の印』が上がって、あいつらは吸魂鬼を盾にし、逃げたわ。吸魂鬼達も退却していく感じだった。先生達も追撃しようとしたけど、あのバイク……? 爆発して炎が狼や蛇の形で生徒達を追い回した。そっちの対処に追われたわ」

「なんじゃそりゃ、きっと『デラックス大爆発』を真似て作ったんだ」

 ロンは悪態吐いた。

 ハリー達の身を案じたシリウスとハグリッドが一番に『闇の印』に急ぎ、次いでルーナは近くを飛んでいたチョウの後ろへと飛び乗り、強引に行かせた。

 ジニーもハーマイオニーを乗せ、マクゴナガルの制止も無視して4人を追いかけた。

「ねえ、壊れてた車ってパパのよね?」

 取りあえず、ロンを見てジニーは訊ねる。

「ずっと……パパの車を修理していた。理由があってね。ジャスティンが授業で森の近くに行くから、その度に部品を呼び寄せて貰った。それを『必要の部屋』に隠していた……。あの日は、車に残っていた古い燃料が……爆発したんだ。でも、車は壊れなかった」

 車を修理していた理由はハーマイオニーとの最高のデートだろう。何も質問する気が起きない。

「リーマスとトンクスがマダム・ピンスとフィルチをここに連れて来て、護りが突破されたって教えてくれた。城そのものにも別の防衛魔法はかけられているけど、城内で残っているのは僕らだけだったから、医務室に集めたんだ。僕は……ハーマイオニーが心配で、箒より車が速いと思って、トンクスと取りに行った。伝言に気づいたのはその時だ」

 知らずとロンはジャスティンへ視線を向けた。

「僕はまだ完治してなかったから、ここに残った。後からダンブルドア先生とスネイプがジョージを連れて来たんだ。ジョージは気絶していて、クローディアは偽物に連れて行かれたって話していた。僕も伝言に気づいて、先生に話したんだ。スネイプが様子を見てくるって言うから……お願いしてしまった。僕が行きたがっているって察してくれたダンブルドア先生が窓からなら見てもいいって……そしたら」

 言い切れず、ジャスティンは過呼吸を起こしてしまい、マダム・ポンフリーの対処を受けた。

「どうして、2人はホグワーツにいたの?」

 率直にジニーはシリウスとリーマスに聞いた。

「ダンブルドアの命だ。クィディッチの試合が終わるまで、警備してくれと……理由は知らない。トンクスは今日が偶々、当番だった」

 そのトンクスは悲痛な気分通りに髪まで真っ黒い髪にしてやってきた。

「ザベッジが『服従の呪文』をかけられていた……。『暴れ柳』の隠し通路を警備していたの。呪文の耐性は私達の中で一番強かったから、……やられた」

 自責の念に駆られ、悔しそうにトンクスは語った。

 後から火傷を負った生徒や教職員が何人も運ばれてくる。まだ悲報は伝わっていない様子だが、楽しい試合から一変して襲撃を受けた為か皆、異様に無口だった。

「一体、何があったの? 『闇の印』は誰が打ち上げたの?」

 体中が煤だらけになったネビルの質問に答えようとすれば、マクゴナガルに呼ばれた。

「ポッター、怪我はありませんか?」

「はい、大丈夫です」

 帽子が焼けたマクゴナガルに比べれば、ハリーは無傷に等しかった。

「私の事務所にお出でなさい。目撃した事を全てお話願えますか?」

「はい。しかし、僕がお話しても良いのですか?」

 ハリーは同じ騎士団のシリウスとリーマスを差し置いて、自分が報告して良いものかという疑問を込めて尋ねた。

「今、話すべきは貴方であると、ミスター・トトは申しておりました」

 連れて来られたのは、校長室。歴代校長に以前はなかったダンブルドアの肖像画が加えられている。眠っている半月眼鏡の魔法使いを見つめ、マクゴナガルはホグワーツの責任を負っていると理解した。

 フォークスは宿り木にいないと意識した瞬間、窓の外から不死鳥の歌声が聞こえてくる。それは耳ではなく、ハリーの内側から響いていた。

 フリットウィック、スプラウト、スラグホーン、ハグリッド、そしてバーベッジ。『マグル学』の教授を見た途端、ハリーの口から彼女へ残酷な悲報を知らせなければならない現実に打ちのめされた。

「トトさんは?」

「他の先生方と一緒に防衛魔法を張り直して下さってます」

 それはフリットウィックこそ託されるべき仕事ではないだろう。出来れば、トトにも傍に居て欲しかった。

 ダンブルドアの肖像画を一瞥し、ハリーは深呼吸してありのままを報せた。

 ジャスティンが魔法でベッロを消し去った部分まで言い終えた時、誰もが愕然としていた。

 それもそうだ、ダンブルドア程の偉大な魔法使いが蛇に噛み殺されたなど直ぐには受け入れられない。自分以外の反応を見ながら、ハリーは気づいた。

 

 自分自身もまだ受け入れて切れていないのだということに――。

 

「ベッロは生きています」

 フリットウィックはまるで授業のように、それでも声を怯えで震わせて話した。

「生物を消失させる呪文は移動させているだけなのです。どこかはわかりませんが、必ず生きています」

 ハリーはベッロの生死について、何も考えぬように努めた。

「何故、スネイプではなかったのですか?」

 瞬きすらしないバーベッジには殺意が込められ、ハリーもゾッと寒気がした。

「スネイプはいなかった。偶々、ダンブルドアは近くに居てしまったんだ! 弁護するつもりはないが、ベッロは主を二度も殺されて、怒りを抑えられなかったに違いない……」

 軽蔑や悲哀が入り混じったスラグホーンの言葉を聞いた瞬間、ハリーは閃いた。

「あいつらの目的は最初からダンブルドアだった……。クローディアを殺す事でベッロは凶器に仕立て上げられたんです」

 スプラウトは悲鳴を上げた。

「しかし、生徒を襲う危険もあった。君もそうです」

「いいえ。万一、僕や他の誰かが襲われたなら、ダンブルドアは自分を盾にしてでも守ろうとしたでしょう。しかも、人を襲ったベッロは報復としてその場で殺されていたかもしれない。そうすれば、ヴォルデモートを深く知る者は更に減る」

 ドラコに拘り、ヴォルデモートの考えを読み切れなかった。

 こんな時の為にダンブルドアから授業を受けていたというのに、それを活かせなかった悔しさに歯を食いしばる。

「だから、なんです! そんなくだらない理由でクローディアはスネイプに殺された!? 結局、スネイプはクィレルと同じ、骨の髄まで『例のあの人』の忠実な下僕だったんです! 何てこと……あの子は2度も先生に裏切られた……」

 興奮したバーベッジの罵りにハグリッドは堪らず、泣きだした。

「あんまりだ……コンラッド……可哀想に」

 ハグリッドの嘆きを聞き、ハリーの背が熱くなる。スラグホーンもビクッと肩を痙攣させる。コンラッドは城の防衛にも手を貸さず、ここにも来ていないが、ずっとクローディアの傍にいる。彼の心情を労わっていない自分を恥じに思った。

「ミネルバ、大臣が間もなく到着するだろう。魔法省から今し方『姿くらまし』した」

「ありがとう、エラバート」

 真っ黒い空間だった肖像画の住人が戻り、報せた。

 マクゴナガルはこの場にいる者だけで意見を求める。学校の存続については理事会に託し、この土地にダンブルドアの埋葬を決めた。

「ハリー、コンラッドに伝えてくれんかね? 彼は葬儀には出まい……もうここを発つ気だろう」

 躊躇いながら、スラグホーンは頼んでくる。コンラッドが発つなら、クローディアの遺体も連れだされる。そう気付いたハリーは6人に退室の許可を得て、急いで校長室を後にした。

「もう行かなければならない。埋葬の手続きがあるんだ」

 玄関ホールで待ち伏せようと試みれば、既にコンラッドは足止めを受けている。シリウス、リーマス、アーサーの3人は行く手を遮っていた。

 コンラッドの後ろで浮かんでいる桐の箱は、人1人が入るには十分な大きさだ。あの中にクローディアがいると考えるだけで足が竦んだ。

「頼む、コンラッド。ジョージはまだ動かせないんだ。フレッドもまだ来ていない、もう少しだけ」

 必死なアーサーの態度にも、端正な顔は眉ひとつ動かさない。

「クローディアの私物は後から運んで貰えるようにフリットウィック先生にお願いし……」

「君の娘が死んだんだよ」

 コンラッドの言葉を遮り、リーマスは切ない声を発した。

「殺したのは他の誰でもないスネイプだ! 他に言う事があるだろう!!」

 拳が振りかざされた。

 初めて見たリーマスの乱暴な振舞いにハリーは驚き、心臓が跳ねた。

 シリウスも呆気に取られる行動はコンラッドも避けず、頬への一撃を許す。殴られた反動でよろけたが、彼は倒れずに切れた唇から滲み出た血を舐めた。

「いいや、ないね」

 機械的な声に怒りとは違う感情が入っている。その答えにリーマスは失望していた。

 後ずさりしながら、リーマスはハリーのいる所とは反対方向に行く。シリウスはコンラッドに軽蔑の眼差しを向け、追いかけた。

「コンラッド!」

 アーサーが口を開く前に新たな乱入者であるディグルはコンラッドへ飛びかかり、その手を優しく労わる手つきで包み込む。自慢のシルクハットが床に落ちても気にせず、滝の涙を流した。

「……すまない、私の責任だ……何もかも……私の……」

「いいえ、皆の責任です」

 ディグルの手を握り返し、コンラッドは機械的に告げる。しかし、紫の瞳は確かな感謝を込めていた。

 アーサーだけがハリーに気づき、首を横に振るう。今、こちらに来てほしくない様子だ。

 視線で了解を示し、ハリーは医務室へ戻ろうとする。アーサーがいるなら、モリーも来ている。何が出来るわけでもないが、紅茶を入れようと思った。

 振り返った視線の先にドビーとクリーチャーがおり、吃驚した。

「ウィンキーだったのです。ハリー=ポッター」

 ドビーはまるで自らの罪のように語り出す。ウィンキーはクローディアを恨み、ドラコに加担していた。

 ウィンキーは偶々、ハーマイオニー達を助けたのではない。毒入り酒を見張っていただけ、あわよくばクローディアが飲み干す様子を見届けようとした。

 あまりにも残酷な真実に全神経が怒りで震え、ハリーは唇を噛んだ。

「ウィンキーは何処?」

「もう、この城にはおりません」

 クリーチャーは即答した。

 目的を遂げたウィンキーの行先はわかっている。大好きなクラウチJr.の傍だ。

 きっと、ハーマイオニーがここにいればウィンキーの気持ちを蔑ろにしていた自分達の責任だと自論を述べるだろう。いなくて幸いだ。今は聞きたくない。

「ハリー=ポッター?」

 ハリーの怒りが伝わり、ドビーは心配そうに労わる。クリーチャーもチラチラと視線だけで問う。

「ありがとう、ドビー、クリーチャー。厨房に戻ってくれ」

 2人の返事を聞かず、ハリーはトトを探しに走る。ダンブルドアのおらぬ今、無性に彼に会いたくなった。

 不意にフォークスの歌声が近づき、導かれている感覚を味わう。従えば展望台に辿り着く。空は雲はひとつもなく、傾きかけた太陽も見える。それだけの時間が経っていた。

 歌うフォークスを肩に止め、トトはホグワーツを一望する。何故か隣にはルーナが座っていた。

 ハリーの到着にルーナは何も言わず、フラフラとした足取りで降りて行く。トトはそんな彼女を見送り、手招きしてきた。

「話は纏まったかの?」

 トトはマクゴナガルの決定を伝えに来たと誤解していた。

「はい、学校は理事会に任せて……ダンブルドア先生はここに眠らせようと……」

 質問に答えながら、ハリーはトトの手にある杖を見やる。何度も見たダンブルドアの杖だ。

「少々、借りておる。本人に似ておるせいか、扱いが難しいわい」

 冗談のように言い放ち、トトは杖を指揮棒のように振るう。途端にカボチャジュース入りのゴブレッドが呼び寄せられた。

「飲みなさい」

 渡された瞬間、ハリーは異様な喉の渇きに襲われ遠慮なく飲み干した。

「どうして……護りは破られたのでしょうか?」

「完璧な護りなど存在せぬ、完全なる突破口もな。今回は相手も相当無茶をしたのう。向こうにも犠牲が出ておるはずじゃ」

 口調から犠牲者への同情は微塵も感じられない。

 トトは壊れた半月眼鏡を杖で叩き、それをフォークスの顔にかける。しかし、大きさも合わず引っかける耳もない為に落ちる。仕方なく眼鏡を小さくしてから、また不死鳥の鼻先に置いた。

 神秘的な不死鳥は親しみのある賢い鳥の印象を与える。もしも、ダンブルドアが『動物もどき』なら、今のフォークスと同じ風貌だろう。

「行くが良い、フォークス」

 旅立ちを促され、フォークスは歌を止める。惜しむようにトトを見つめてから、空へと翼を広げた。

 ホグワーツを見守っていた不死鳥が去り、ハリーは寂しい気持ちに駆られた。

「コンラッドさんも……行きました。トトさんは……どうしますか?」

「葬儀が終わるまではここにおるよ。ハーマイオニー達とも話し合わねばあるまい」

 それを聞き、トトはマグル生まれ生徒の後見人を務めを思い出す。託された子供達の安全を最優先に考えている。つまり、彼は孫の死に涙する余裕がないのだ。

 クローディアを思い浮かべ、現実に戻されたようにウィンキーへの怒りが湧く。

「ウィンキーが……『屋敷妖精』の……彼女が裏切っていました……。マルフォイに協力して……」

「お主の怒りは正しい、今は怒るが良い」

 ハリーの怒りを肯定され、遠慮なく喚いた。

 どいつもこいつも皆、勝手すぎる。

 着ていたユニファームもグローブもかなぐり捨て、天体望遠鏡を蹴り上げる。屋根を支える柱へ何度も拳を叩きつける。感情のままに殴り、拳から鈍い音がしても無視した。

 急に足の力が抜けて床へ転ぶ。頭で体を支えて起き上がろうと這いつく張る。それも叶わないと思い知り、ハリーは仰向けに寝転がって全身の力を抜いた。

「何かして欲しい事はあるかね?」

 自分の視界が坂さまなのに、ハリーはトトが別世界の住人のように見えた。

「……独りにして下さい」

 勝手にここへ来て置きながら、ハリーは血を吐くように頼む。トトは音もなく姿を消す。自分1人の呼吸音を聞き、例えようのない虚無感に包まれた。

 そこへ足音が近づいて来た。

「ハリー?」

 声の主はセドリック、意外すぎる人物に驚いて声も出ない。

「ルーナがここだって教えてくれた。ごめんね、伝言を受け取ったのに……間に合わなかった」

 悲報は伝えられている。詫びるセドリックは傷だらけのハリーの手を取り、呪文で傷を癒してくれた。

「ハリー、辛かったね」

 慰めの言葉はハリーの心情を最も端的に表していた。

(辛い……)

 大事な人を亡くし、ハリーは辛かったのだ。

 ハリーはその言葉が思い浮かばない内は、まだ辛くないのだと思っていた。しかし、そうではない。そこに考えを至らせられる気力すらなかった。

 先程のコンラッドがしていたように、ハリーもセドリックの手を握り返した。

「辛いのは、皆一緒だよ」

 真摯な態度でセドリックも頷き返し、ハリーを起こす。以前もこうして彼の手を借りた。その後、彼自身が優勝杯を手にしないと決断し、墓場行きを逃れた。

 感情による選択、道徳的な選択。

 風を頬で受けながら、ハリーは不死鳥が飛んで行った方向を眺める。ダンブルドアがいなくても遺した宿題があるのだ。

 何年かかっても、『分霊箱』を探す。

 まずはダーズリー家に帰って、ペチュニアに別れを告げよう。ダードリーが襲われても、家に居ていいと言ってくれた人だから――。

 

☈☈☈☈☈☈

 ハリーとマクゴナガルがいなくなり、ネビルの質問は変わる。

「何を話す気だろう?」

「学校の閉鎖について話すんだろうね」

 リーマスが淡々と答え、ネビルは二重に驚く。競技場が襲われただけで閉鎖するなどとは、彼もかんがえない。つまり、誰かが亡くなったと理解したのだ。

「お待ちなさい、ここで話すべきではありません。皆に動揺が広がります。遅かれ早かれ、先生方から知らされるでしょう。それまでは休んでください」

 問いつけようとしたネビルにマダム・ポンフリーは頼んでくる。確かに廊下にまで怪我人は溢れ、マダム・ピンスまで治療を手伝っている状態だ。話せば、場は一気に混乱が訪れるだろう。

 校医と司書の魔法により医務室は広がり、負傷者分の清潔な寝台が揃う。軽傷で治療を終えた生徒や教職員はすぐに帰された。

 ロンは勿論、シリウスとトンクスも切り傷程度だが治療を受ける。それが終わった頃にハーマイオニーはモリーとアーサーを連れてきた。

「ジョージちゃん!」

 悲鳴を上げ、モリーは寝台に伏したジョージへと縋りついた。

「ママ、ジョージは骨が折れただけよ。すぐ治せるわ」

「そう、すぐ良くなるのね。ありがとう、ジニー」

 出遅れたアーサーはロンとジニーの肩に手を置き、ジョージの顔を覗き込んで安心した。

「クローディアは何処なの? ジョージちゃんがこんな時に……」

 その名に全員の体温が一気に氷点下まで下がる心地だ。

「スネイプが殺した」

 瞼を閉じたまま、ジョージが抑揚のない声で答える。静まり返った室内に響くには十分だ。

 アーサーとモリーは瞬きし、お互いの顔を見合わせた。

「ジョージ、何を言っているの? ロン、この子ったら『錯乱の呪文』にでもかかったの?」

 引き攣った笑顔のモリーからロンは顔を背け、答えを渋る。それだけでアーサーは事情を把握した。

「本当だ」

 下を向いたまま、リーマスも感情を込めずに教える。それでも信じられず、モリーは周囲にいる皆の顔を1人1人、見やる。

「ジニー? シリウス、トンクス、ハーマイオニー……」

 名前を呼びながら、モリーは否定の反応を求める。しかし、名を呼ばれた誰もが顔を伏せて口を噤んだ。

「本当です。僕、見ました」

 起き上ったジャスティンに呼応し、隣の寝台にいたチョウが弾けたように泣き出す。何事かと皆の視線が彼女に集まり、急いでマダム・ポンフリーは駆け寄った。

 眼球が飛び出るでそうな程に目を見開き、モリーは青褪めた表情でガクガクと震え出す。足の力が抜けて床へ座りこもうとしたところをジニーとトンクスが支え、椅子に座らせた。

「クローディアは癒者になって、ジョージと結婚する……。その為に勉強して……」

 そう呟いたっきり、モリーは膝で自分の手を握り締めて大粒の涙を溢したまま黙った。

「コンラッドは?」

 アーサーの疑問にリーマスは返事の代わりに何かに気づく。シリウスと顔を見合わせ、2人は急いで廊下へ飛び出した。

「私が行くから、トンクスはここにいてくれ。君もだ、ハーマイオニー」

 後を追おうとしたトンクスとハーマイオニーを引き止め、アーサーも出て行った。

 入れ違いに壁をすり抜け、ビンズが現れる。『魔法史』の教室から出た姿をロンは初めて見たが、驚きよりも嫌な予感に襲われた。

「諸君、大変な目に遭われた。しかし、悲しい報せを告げねばなん。奴らの襲撃により、諸君らの仲間であったクローディア=クロックフォード並びに我らのアルバス=ダンブルドア校長先生が学校を去った。犯人は既に逃亡しておる。これにより、学校の存続は理事会に委ねられる。閉鎖も覚悟してもらいたい。後日、ダンブルドアの葬儀を執り行う。場所は言わずと知れたホグワーツである。――以上だ」

 授業でも聞いた事ない滑舌で伝え、ビンズは誰の質問も受けずに壁の向こうに消えた。

 DAの仲間だったネビル達が寝台から起き上がり、ロンへ詰め寄ろうとしたがマダム・ピンスに止められた。

「貴方は完治しています。退院して結構、寮へ戻りなさい」

 まるで図書館で騒ぐ生徒を見る目つきで睨み、ロンは追い出される。モリーを一瞥したが、ジョージの手を握り締めていた為に声はかけなかった。

「退院を言い渡されたんじゃ、しょうがないわね」

 ハーマイオニーも一緒に出て来て、ロンの手を握る。彼女の手の温もりを味わい、お互いが生きていることを確認し合えた。

 寮へ帰るフリをし、玄関ホールを目指す。途中でアーサーと出くわした。

「コンラッドさんには会えた? シリウスとリーマスは……」

「彼はディーダラスと行った。クローディアも一緒にね、……2人は城内だ。ハリーを探しているかもな」

 最後の別れさえさせて貰えず、コンラッドは連れて行ってしまった。

「どうしてだ……ジョージは? あの人、人の気持ちをなんだと……」

 勝手が過ぎるコンラッドに怒り、ロンの声は知らずと震えた。

「ドリスの時もそうだったらしい。一刻も早い埋葬がコンラッドなりの敬意だと私は思う。ジョージには私達が付いている。そうだろう?」

 笑顔とは違う優しい諭し方をされ、ロンは何も言えない。

「騎士団はどうなるの?」

「マッド‐アイに任される。誰が決めたわけじゃないが、そうなる」

 ダンブルドアの後釜としては最適だ。正直、ハリーに任されるのではと予想していた。

 しかし、ハリーには役割がある。残りの『分霊箱』を見つけ出す。2人だけの授業で明確に託された話は聞いていないが、彼はダンブルドアの意志を継いだ行動に出るだろう。

「寮に戻っておいで、直にビルとフレッドも来る」

 ロンの肩を叩き、アーサーは促してから去った。

「ハーマイオニー、ロン!」

 呼び声の主はアンジェリーナとクララだ。

「門にフレンツェがいて、皆は医務室か寮だろうって、ここで会えて良かった」

「セドリックは先に来ているはずよ、もう会った? リーも後から来るわ。それで何があったの? 『暴れ柳』で問題が?」

 偽金貨に気づき、集まってくれたのだ。

 ロンは何も知らぬ2人を見ていると、顎が硬直したように動かなくなる。彼の手を更に強く握ったハーマイオニーが毅然とした態度で告げた。

「クローディアとダンブルドアが死んだの」

 2人は笑顔のまま青褪め、言葉を無くした。

 頭上を幽霊が通り過ぎる。『灰色のレディ』がこちらを見下ろしていた。

「……レディ……、クローディアは?」

 消え去りそうなクララの問いに『灰色のレディ』は顔を背け、答えを渋ったが口を開いた。

「あの子は既に学校から連れ出されました」

 返事に驚愕し、アンジェリーナは口元を手で覆う。クララは足の力を無くし、座り込む。『灰色のレディ』はそれ以上の事は何も言わず、廊下を漂って壁の向こうに消えた。

「誰がそんな酷い事を……」

「スネイプが……やった」

 ロンは簡潔にスネイプに殺されたクローディアを見て、怒り狂ったベッロにダンブルドアが殺されたと説明した。

「わけわかんないわよ」

 アンジェリーナはクララに手を貸しながら、困惑した。

 正直、ロンもまだ混乱している。しかし、事実は変えられない。起こった出来事を感情を持って受け入れるしかない。スネイプへの激しい憎悪だ。

 クローディアはドラコを助けんとスネイプを頼り、殺された。

 もっとハリーの意見に耳を傾け、細かい点にまで対処していれば何もかも防げたかもしれない。クリーチャー達の協力もあり、ドラコの企みは阻止できるという傲慢があった。

 自分達が積極的に動かなければ、解決どころか阻止もできないのだ。

〝褒められることが問題じゃない! あいつが復活したら、また大勢殺されるんだ! 僕のパパとママみたいに! そうなる前にどうにかしないといけないんだ!〟

 まだ11歳だったハリーの言葉が今、あの頃より深く胸に突き刺さった。

「僕達、寮に帰る。2人もどうだい?」

「いいえ、医務室に行く。セドリックともそこで待ち合わせているから」

 アンジェリーナはクララを支え、ロンとハーマイオニーも途中まで手伝って歩いた。

 静まり返った廊下や階段の絵には住人はおらず、『灰色のレディ』を最後に幽霊にすら会わなかった。

 『太った婦人』の肖像画には誰もおらず、入口は不用心に開いたままだ。

 談話室には生徒が犇めき合い、机にはサンドイッチなどの料理が並べられている。ほとんど、誰も手に付けておらず、瞬きしないコーマックの咀嚼音が響いた。

「マクゴナガル先生がさっき来て、ダンブルドアの葬儀があるって。2人はクローディアを見送って来た?」

 げっそりした顔のジャックに問われ、ハーマイオニーは首を横に振るう。

「誰にも会わせず、彼女のお父さんは連れて行ってしまったわ」

「そう……そのほうがいいかもな、ありがとう」

 ジャックはロンの肩を叩き、人が最も集まっている暖炉の前に蹲る。その中にディーンとシェーマスの姿もあった。

 部屋にハリーが帰ってきている直感し、ハーマイオニーと急ぐ。案の定、彼は寝台に腰かけてクルックシャンクスを抱えながら、撫でていた。

「マクゴナガルとは何を話したんだ?」

「僕が見たことと、学校の閉鎖についてだよ」

 優しい手つきでクルックシャンクスを床に下ろし、ハリーはハーマイオニーの前に立つ。

「……ハーマイオニー、辛いかもしれないけどドラコに協力していたのはウィンキーだったんだ」

 『屋敷妖精』の動機を告げられ、ハーマイオニーは唇を噛む。

「……私、おかしいって思っていたわ。いくら、ラベンダーが危なかったって言っても、ウィンキーの対応は迅速すぎる……。けど、その疑問を無視してしまった……。裏があるはずないって……、どれだけ……クラウチさんが大切だったか……理解してあげられなかった……。でも、そういう不満があるなら、言って欲しかった……」

 涙が零れるハーマイオニーの頬へロンはハンカチで拭う。

「追い討ちをかけるようで悪いけど、プリンスの事なんだ」

 全く関係ない話を出されたが、今、ハリーが確認したい気持ちを尊重して黙る。

「ハーマイオニーはスネイプだってわかっていたんだね」

 予想していなかった人物にロンは思わず、変な声が出た。

「ええ、教科書をトトさんに見せた時、自分の知り合いの魔女は関係って返事が来たでしょう? だから、彼女の家族じゃないかと思って調べたわ。名前はアイリーン=プリンス、マグルのトビアス=スネイプと結婚して子供を産んだって【日刊予言者新聞】に載っていて……」

 鞄から記事の切れ端を取り出し、引っ込み思案な少女の写真を見せる。ハリーの顔色が変わった。

「……僕がスネイプから『開心術』を受けた時、あいつの記憶の断片も見た事がある。母親らしい女性がいたんだ」

 その女性の顔がアイリーンと同じなのだろう。

「クローディアが教えてくれた。……スネイプが信じられないなら、プリンスを信じろって……」

 淡々としているが押し込まれた激情を感じ、ロンはハリーの肩を抱いた。

「騎士団はマッド‐アイが引き継ぐ。君も引き継ぐんだろ? 『分霊箱』探し、僕も行くよ。嫌だと言っても駄目だ。絶対に一緒だ」

 目に涙を浮かべ、涙声でロンは問う。ハリーは我に返ったように目を見開き、段々と優しい目つきに変わる。

「1人でも、僕は行くつもりだった。けど本当はね、そうなったらいいなってちょっとだけ思っていたんだ。ありがとう、ロン。入学の時、コンパートメントを一緒にしたのが君で良かった」

 誰からのどんな称賛よりも嬉しく、胸が弾む。今日という日でなければ、もっと喜べたが、こんな時だからこそハリーは言葉に出来たのだ。

「あら、私は仲間外れ?」

 わざとらしくむくれるハーマイオニーをハリーは笑みを向けて抱きしめた。

「ハーマイオニー、ネビルのカエルを探しに来てくれたのが君で良かった。本当だ」

「ええ、そうね。ハリー、だから私も一緒に行くわ。いいわよね?」

 ハリーは返事しなかったが、嬉しそうな顔に答えは書かれていた。

 クローディアがここにいれば、一緒に行くだろう。しかし、もう彼女にも頼れない。魂が残ると決めた瞬間を知らないが、彼女は逝ってしまった。

 3人だけでやるしかない。

 全て終わったら、彼女の墓を訪問しよう。3人一緒に――。

 




閲覧ありがとうございました。
人死にのシーンは書くのも、その死を悼む人々の心情も考えるのも辛いです。小説家の先生方は尊敬します。

「私の責任だ」
「皆の責任です」
とあるディズニー映画にある私の中の名セリフです。誰も悪くないよりも、相手を慰める言葉だと思います。


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19.強いられた死

閲覧ありがとうございます。
お気に入りが急激に伸びて、驚いています。ありがとうございます。
これが締め回です。

追記:18年9月13日の誤字報告にて修正しました。


 翌朝、ハーマイオニーが目を覚まし時、机の上にパーバティから別れの書き置きがあった。

「もう!? 一体、いつ迎えが来たのかしらね」

 寂しそうにラベンダーは告げ、大広間に向かう。ハーマイオニーはレイブンクローの談話室を訪ねに螺旋階段を下り、ドアノッカーの前でテリーとマイケルに出くわした。

「おはよう、ハーマイオニー。1人でうろつくのは関心しないぜ」

「おはよう、テリー、マイケル。リサとパドマはいるかしら?」

「パドマはいない。夜明け前に親が来て、連れ帰った。ちょうどいいかもな。あんな事があったんじゃあよ」

 億劫そうに告げるマイケルにテリーが肘打ちを食らわせる。言葉を選べと注意しているのだ。

「マーカス=ベルヴィとベーカー=ロバースも帰った。今日だけで、どんどん迎えが来るだろうな」

 テリーの肘打ちを物ともせず、言い捨てたマイケルは階段を上がった。

「中に入っても驚かないでくれ」

 ドアノッカーを指差し、テリーもマイケルを追いかけた。

 レイブンクロー寮の生徒が全員、談話室にいる。それぞれ毛布を身に纏い、身を寄せ合う。まだ寝ている生徒もいた。

「こっちですわ」

 ガウン姿のリサに手招きされ、大理石の女像へと座り込む。

「部屋では眠れない方が多くて、集まれば淋しくありませんから……」

 それはリサ自身の感情、目の下の隈が徹夜を示している。無理もない、部屋にはまだクローディアの荷物が残っている。そんな場所で過ごすのはハーマイオニーも苦しい。

「……パーバティもパドマと帰られたのですか?」

 肯定したハーマイオニーに、リサは嘆息して手で頭を押さえた。

「リサ、大広間に行きましょう。一度、外の空気を吸うべきだわ」

 ハーマイオニーの助言を受け、リサは素直に従う。生徒に当たらないように気を配りながら、ルーナの姿を見ない。

「マンディ、ルーナを見なかった?」

「医務室のはずよ。寮にはいないもの」

 昨日のルーナは見た目だけなら、衣服が焦げた程度だった。

 急な不安に駆られても、今はリサに着いていてあげたい。ハーマイオニーは彼女と大広間へ付き添い、二重扉の前でダフネが妹アステリアと鉢合う。姉妹はそれぞれ荷物を抱え、出発の準備万端だ。

「帰るのね」

「ええ、貴女が来るのを待っていたわ」

 ダフネは怪訝するアステリアに一瞬、微笑んでからハーマイオニーの肩へ顔を寄せる。

「警告しておくわ……、逃げなさい。出来れば、国の外へ」

 声の震えはハーマイオニーの身を案じていた。

 返事を聞く前にダフネは妹の手を取り、玄関ホールへ走る。隻眼の魔女象にはスラグホーンが見送りとして立っていた。

「……敵に立ち向かいたいなら、4つの寮が本当の意味で結束しなければならないのでしょう。創設者のしがらみは『秘密の部屋』という形で後世に災いを齎したのですから……」

 リサは事も無げに告げ、ハーマイオニーと大広間へ入る。スリザリン席は朝から寮生徒が集まり、大半は机に突っ伏して寝ていた。

 それより重要なのは、グリフィンドール席にジニー、ジョージ、フレッド、モリー、アーサーが集結している様子だ。

「おはよう。ねえ、リサ、私達と食べましょう。ハーマイオニー、ジニーが待っていたわよ」

 顔色の悪いハンナはリサを連れ、ハッフルパフ席へ連れて行く。ハーマイオニーへの気遣いに感謝し、ジニー達に挨拶して座った。

「ルーナを見なかった? 寮にいなくて」

「医務室で寝てるわ。マクゴナガル先生が許してくれたから、ずっと私に付き添っていたの」

 ルーナに深刻な怪我はない。安心したハーマイオニーをモリーは話しかけてきた。

「大叔母のミョリエルが美しいティアラを持っているの、ゴブリン製よ。フラーの髪に似合うと思うの。大叔母はビルが大好きだから、結婚式にティアラを貸して頂けるように頼んでみるわ。……ハーマイオニーの時も貸して頂けるはずだわ」

 ハーマイオニーとロンとの関係はまだモリーに話していなかったが、知られている。しかも、2人が結婚に至ると確信し、それを許した。ただ、許すだけでなく魔法界でも高価で貴重なゴブリン製のティアラを借り受けるというのだ。

「ビルとフラーの結婚式は予定通りに?」

「ああ、勿論だ」

 困惑のあまり、感謝や気の利いた言葉が出て来ない。動揺したハーマイオニーにアーサーが小さく微笑む。彼はジョージを一瞥したがすぐに天井へ向ける。クローディアを失った婚約者にかける言葉が浮かばない。それは他の皆も同じだ。

「ジョージ」

 やってきたコリンは寝不足らしく、目が赤い。躊躇いながら、ジョージへ写真を一枚手渡した。

「昨日までに撮った写真を現像して……彼女が1人で写っていたのはその一枚だけだから……」

 この大広間にいるクローディアは複雑そうに顔を顰め、静止している。ジョージはそれを無言を見つめ、コリンにも振り返らない。

「動かさないほうがいいと思った」

 その場を画像として留める。写真とは元来そういう物。コリンの意図はわからないが、動かさない写真に意味を込めているのだろう。

「ありがとう、コリン」

 無表情だが、声は暖かい。コリンはバツが悪そうな顔をし、離れた席に座った。

 写真を懐にしまい、ジョージはハーマイオニーを見据える。

「リーマスとトンクスが結婚するってさ」

 普段よりはぎこちない表情だが、ジョージは突然、報告してきた。

「籍だけ入れるそうだ。トンクスの両親とシリウスを介添え人にしてな」

 フレッドが続き、ジニーは肩を竦める。

「トンクスの花嫁衣装、見たかったわ」

「どうしてそういうことになっているの? どちらが告白したの?」

 そんな素振りは全く見せず、ハーマイオニーは答案用紙を埋める気持ちでジニーへ問い詰めた。

「前々から、トンクスはリーマスを口説いていたんだ。クリスマスに私は相談を受けていた」

 いつの間にかハーマイオニーの隣に座っていたシリウスは、苦笑した。

「今回はリーマスから告白したよ。私には決闘の申し込みのように見えたが、……まあアイツにはあれが精一杯だろうな」

 リーマスの体質を考えれば、不謹慎だろうがその場面に立ち合いたかった。

「……幸せがひとつでも増えれば、2人も喜ぶよ」

 ジョージの呟きにモリーは目に涙を浮かべ、何度も頷いた。

「ところで……スリザリンの奴ら、どうしたんだ? 自分の部屋で寝ればいいだろ?」

 シリウスの疑問にはアーサーも答えられず、浮遊していた『ほとんど首なしニック』が近寄ってきた。

「男爵ですよ、スリザリン寮の談話室で呻いているのです。一晩中でしてね、生徒達も寝られないでしょう」

 気の毒そうにスリザリン席へ視線を向け、『ほとんど首なしニック』は肩を竦めた拍子に首が落ちそうになり、慌てて手で押さえた。

 昨日の今日で首が落ちる様を見せまいと気を遣ったのだ。

 実際、ハーマイオニーはゾッと寒気がした。

「おはよう。ザカリアスの奴、帰ったぜ。親父さんらしいおっさんが迎えに来てた。ありゃ、頑固ジジイだ。間違いない」

 ザカリアスの父親に悪態を吐きながら、シェーマスはせせら笑う。そんな彼は正午に迎えに来た母親と激しい口論を交わした。

「俺は絶対に帰らない! 葬儀に出る!」

 フィネガン夫人は頑固な息子の意思に折れた。

 ダンブルドアの葬儀に参加せんとホグズミード村に多くの客人が押し寄せ、宿屋だけでは足りず民家にも宿泊を求めるそうだ。

「俺達はマクゴナガルの厚意で城に泊めて貰えて良かった……」

「ええ、あの村、流石に怖いでーす」

 村の状態を見てきたビルとフラーはげっそりしていた。

 それでもフラーはジョージへお悔やみの言葉を述べ、いつもの高圧的で尊大な振る舞いはない。その態度にジニーは驚いていた。

 夕食の後、マグル出身者であるハーマイオニー達は空き教室に呼ばれる。百人近い生徒の中には、3年生マルコム=バドックを含めた数人のスリザリン生もいた。

 自分達の後見人トトが現われ、自然と私語は消える。背の低い彼は皆を見下ろせるように脚立の上へ立った。

「座ってよい」

 杖を振い、それぞれの生徒への椅子が用意される。皆、大人しく座った。

「既に学校を去った生徒はおる。そこで君達の意見を聞いておきたい。親元に帰りたい者は今、申し出なさい。わしが責任を持って、送り届けようぞ」

 皆がお互いの視線を交わす。先の見えない不安に言葉を控えている。ハーマイオニーはトトから目を逸らさず、手を上げた。

「私は学校が再開されても、この学校には戻りません」

 皆の視線を受けても、動じない。本当の事を宣言しただけだ。但し、両親のいるオーストラリアにも行かない。

「良かろう、君は両親といるのじゃな。他には……」

 ハーマイオニーを切っ掛けとし、ほとんどの生徒が帰宅を選ぶ。ディーンやコリンなど、少数の生徒は黙りこんでいる。

「ひとついいですか?」

 ディーンは今までない深刻な表情で手を上げ、トトの返事も聞かずに立った。

「僕が死んだ場合、僕の両親はどうなるんですか? 貴方と交わした契約は打ち切られるんですか?」

 契約。ハーマイオニーにはそこまで重く捉えなかった。

 トトはマグル出身の生徒が安心して学校にいられるように家族を国外へ逃がした。

 ただの厚意ではないと思っていたが、契約だというならハーマイオニー達は知らぬ内に何かを課せられたのかと記憶を必死に思い返す。

「誤解があるようじゃが、わしは君らと契約などしておらぬ。提案しただけじゃ……そして、ディーン=トーマス。君に万が一が起こっても、君の両親は守られる」

「僕も学校が再開しても、戻らない」

 一分にも満たない沈黙の後、ディーンはそう答える。彼もまた何処かへ行こうとしていると察した。

「学校に残ります」

 コリンの声が胸に響く。意見の違うデニスは驚き、兄の腕を掴んだが振り払われた。

「僕は魔法使いとして教育される為に学校に来ています。その為にマグルの学校への進学をやめました。だから、ホグワーツがどんな体制であれ再開されるなら、この城に残ります」

 凛とした態度から、コリンは学校としての機能をなくしても城から離れない気がした。

「君の意思を尊重しよう。再開の折には必ず、生徒として在籍させよう。その際もわしが後見人じゃ」

「ありがとうございます」

 深々と感謝し、コリンは座る。判断に迷っていた残りの生徒もそれぞれ決断し、彼と同じ残留を決めたのはスリザリン生のみである。

 帰り道、デニスが寮とは違う方向に歩くのでハーマイオニーは心配で着いて行く。着いた先はバスケ部の部室として使っていた教室だ。

「ハーマイオニー、君も来たの?」

 空いている扉を覗き込むと普段の部活動と同じように準備がされ、クレメンスが笑顔で出迎えた。

 デニス、シェーマス、ジャック、ルーナ、ハンナ、マンディ、モラグ、デレク、ナイジェルと部員が半数以上集まっている。勿論、顧問のバーベッジもいた。

 しかし、準備がされているだけで誰もプレイしていない。

「何処に行くのかと思ったら……」

 ハーマイオニーの後ろからディーンがひょっこり顔を出す。

「他の奴は?」

「ミムは下級生の為にずっと寮にいるわ。7年生もどんどん帰っちゃうし……」

「コーマックにも声はかけたぜ。相当、参ってた……。家族の迎えにも顔を出さねえし……」

 ディーンの質問にミムとジャックも溜息を吐きながら、答えた。

 そこへネビルとアンソニーが現れ、驚いた表情で部室を見渡した。

「やっぱり、ここは空気や匂いが違うな」

 アンソニーは懐かしむようにボールを持ち、ネビルにパスした。

「皆もやろうよ。折角、ボールがあるんだから」

 控え目な笑顔でネビルはボールをシェーマスに投げる。彼からもモラグ、デレクへと繋ぎ、ルーナが奪ってゴールへシュートした。

 床にボールが落ちた瞬間、ハンナが取ってマンディに投げ、ナイジェルへパスされた。

 次第に勝手なチーム分けがされ、ハーマイオニーは得点表を捲って点数を入れる。バーベッジも反対チーム分の点数を入れた。

「……なんかやってる」

 ペロプスが呆れた顔をして扉から顔を出す。

「ペロプスも来なよ」

 デレクに誘われ、ペロプスは渋々混ざるが満更でもなさそうだ。

「……そうです、この学校で部活は続けます」

 バーベッジの優しい呟きはハーマイオニーにしか聞こえなかった。聞こえずとも、この場にいる全員に伝わっていると気づいた。

 クローディアの荷物はその日の内に片づけられ、残された箒『銀の矢64』は形見分けとしてホグワーツに贈与された。

 マクゴナガルはフリットウィックと相談し、『飛行術』の教授たるマダム・フーチへ渡す。彼女は喜びを見せなかったが、箒をしっかりと受け取った。

「これでいいと思うわ。生徒だとどうしても感情に負けて乗れないもの」

 チョウは力なく笑い、そう呟いた。

 

 当日。葬儀後の出発に備え、ハーマイオニーも荷造をする。【深い闇の秘術】、ハリーと『分霊箱』を探すと決めた後に『呼び寄せ呪文』で手に入れた。

 図書館の書物はをほぼ知り尽くしていると言っても過言ではないハーマイオニーですら、この本の存在は知らなかった。トム=リドルの一件から、ダンブルドアが隠匿したのだと察した。

 だから、ハーマイオニーが学校から持ち出しても司書マダム・ピンスは気付かない。分厚い束に応じ、おぞましい内容が記された本を鞄に入れた。

 葬儀には外国からも参列者が多く、マクシーム校長、ワイセンベルク大臣、そしてスクリムジョール大臣それぞれの一行は前夜に到着した。

 マクシームは再会の喜びを込めてハグリッドの腕に抱かれ、ワイセンベルクは真っ先にトトへ駆け寄り、無言で労わった。

 ちなみにスクリムジョールは事件の目撃者でもあるハリーを追い回したが、彼はここぞとばかりに『忍びの地図』を使って遭遇を逃れた。

「そうですか……彼女は最期まで笑っていましたか」

 彼らの中でクローディアの名を口にしたのはスタスニラフだけだ。

 大広間は生徒に加えて教職員も喪に服し、静粛を貫く。不思議と腹が空かず、カボチャジュースさえ喉を通らなかった。

 生徒はそれぞれの寮監に従い、校庭へ出る。学校関係者以外の追悼者が用意された席の半分を埋めていた。『不死鳥の騎士団』でお馴染みの面子やダイアゴン横町で見た人々、勿論、名も知らない顔触れが多い。

 ハグリッドの弟グロウブもお行儀よく鎮座していた。

 参列者が揃ったのを見計らい、湖に住む『水中人』が水面から顔を出して合唱する。音波の組み合わせが葬送に相応しい旋律を奏でた。

 打ち合わせでもしていたようにダンブルドアの亡骸を抱えたハグリッドが現れる。その後ろにトトが続いた。

 首は先生方が用意したのだろう。生前と変わらぬ顔が繋げられている。その顔から眠っているなどと表現できない冷たさが見ているだけで伝わった。

 決して泣くまいと誓っていたが、ハーマイオニーは気づけば大粒の涙が頬を通り過ぎて膝へ落とす。涙で視界が曇っていても、ダンブルドアの晒された左手が石炭のように黒ずんでいるのがわかった。

 ハグリッドにより石の台座に丁寧に寝かせ、トトが花の代わりにダンブルドアの杖を置く。後退した2人は揃ってグロウブの隣に座った。

 髪の毛がふさふさとした小柄な魔法使いが亡骸の前に歩み出て、弔辞を述べる。すると、『禁じられた森』の木々にケンタウロス達がチラチラと姿を見せ始めた。

 台座を守るように立つフィレンツェが仲間に動揺しないか心配しながら、ダンブルドアを讃える言葉に耳を傾けた。

(クローディアはもう埋葬されたのかしら)

 サーペンタイン湖にある魔法族の霊園、そこへ水葬される姿を想像した。

 

 ――この瞬間、クローディアが目を覚ましたなど露とも知らず――

 

☈☈☈☈☈☈

 スネイプの口から『死の呪文』が唱えられるのを確かに聞いた。

 聞こえはしたものの、瞬きしてみれば視界は一変する。寮の自室とは違う天井、背中は柔らかい布団の感触を味わう。寝台に寝かされている事だけは把握した。

「瞳孔、脈拍、呼吸音、問題なし」

 コンラッドに覗きこまれる光景には慣れている。だが、寝ぼけていない。脳髄と瞼は鮮明だ。

 手足の感触を確かめながら、室内を見渡す。古風な家具、洋箪笥の上に置かれた暖炉に見覚えがあった。

「……『漏れ鍋』」

「正解、思考回路も順調。さて、自分の身に何が起きたか話せるかい?」

 起き上がり、クローディアは制服のままだと気づく。この光景に既視感を覚えていた。

「……スネイプ先生に……『死の呪文』をかけられた」

 自分でも驚く程に冷静で冷淡な声が出た。

「夢だと思わないのかい?」

「いいや、そこまで楽観できない」

 仮に何処からか夢だったとしても、あの現実感は本物。クローディアはスネイプに殺されたのだ。

「『死の呪文』から逃れる術はない……。私の身に何が起きた? 何故、学校ではなく『漏れ鍋』なんだ?」

「……ひとつずつ答えよう。ジョージから貰ったイヤリング、持っているね?」

 指摘された通り、首飾りにしていたイヤリングを見せる為に首の紐を辿る。輝いていた赤い石は黒ずみ、手で触れた途端、粉々に砕けた。

 予想外の事態に驚愕するクローディアを余所に、コンラッドは興味深そうに黒粉を指で触れる。

「いやはや、げに恐ろしきはジョージ=ウィーズリーだよ」

 称賛を込めた声で我に返った。

「お父さん、これはどういう事?」

「それは『賢者の石』だった。勿論、フラメル氏の所有していた石と比べられば、屑に等しい。劣化品と言っていいだろう。だが、間違いなく『賢者の石』だ」

 クローディアは自分が殺された事実よりも受け入れがたかった。

 ジョージが悪戯道具を作成している最中に出来た偶然の産物がまさかの『賢者の石』、世の錬金術師が聞けば、どれだけ涙するであろうか想像したくない。

「この石が私の身代わりになったということか? それだと私の意識がない間に移動されたのはおかしい……? この感じ、以前もあった」

 独り言にコンラッドは喉を鳴らして笑う。

「正解だ。おまえは石になっていた。この日に備えて用意した『蘇生薬』を飲ませて回復させたところだ。あの件から、4日は経っている」

 石化。

 バジリスクの死の魔眼を鏡越しに受けた時と同じ作用が働き、石は壊れる。劣化しているが故の結果だと理解した。

「マルフォイの狙いを知っていたな? それでも放置していたのは私がこの石を持ち尚且つ、石化する前例を知っていたからか?」

「まあね。純度の低い石は身代わりとなり、対象を石化させる。シギスマントの研究資料に記載されていたよ。確率が低すぎるのが難点でね。もっと実例が多ければ、公式になるだろう」

 余計な知識はいらぬとコンラッドを睨みながら、不意にクローディアも余計な事に気づく。

「もしも、フラメル氏の石なら……金になっていたんじゃないか?」

 自分で口にしておきながら、ミダス王のような体験を味わいかけてゾッと寒気がした。

「試したことはないが、可能性はあるだろうね。そうなれば、おまえの死は偽装だとバレバレだ」

「……つまり、私は死んだ事になっているのか?」

 脳髄の奥が焼かれるような激しい感情に声が上ずる。彼女に肯定を示す為、コンラッドは【日刊予言者新聞】と【ザ・クィブラー】を放り投げてきた。

 どちらもホグワーツでの惨劇を語り、校長と生徒1人の死を載せている。【ザ・クィブラー】では更に詳細が書かれ、クローディアはスネイプ、ダンブルドアはベッロに殺されたとあり、またどちらも逃亡中であった。

「ベッロがダンブルドアを! 何故だ!?」

 思わず記事を掴み、この場にいないベッロに問うた。

「……それがダンブルドア、トトの望みだった」

「余計にわかるか! 誰も死んで欲しい人などいない! 望んで死ぬなど私が許さない!」

 咆えるクローディアにコンラッドは笑みを消す。懐からガーゼで包んだ壊れた指輪を取り出す。以前、ハリーに聞いた通り、抉れたように破損しているが紋章のような刻印は見えた。

「この指輪はゴーント家の家宝だ。闇の帝王は指輪を嵌めた者を殺す呪いをかけていた。そうとも知らず、トトは指輪を見つけて……嵌めかけた。指にかけた時点で異変に気付いて離したが、遅かった。すぐに私は呼ばれ、治療を試みたが抑え込むのが限界だった。精々一年、寿命を延ばしただけ……」

 脳裏を過るのは石炭のような手。

「どうして? 『解呪薬』があるだろう。私のオリジナル以外でも、効力の落ちる薬は作れたはずだ」

「あの呪いは私達が知る中で、最も強力に入る部類だ。おまえのオリジナルなら、確かに助かっただろう。だが、本当に最後の一粒を使えないとトトは拒んだ。だから、私は厚かましくダンブルドアに助けを乞うた。指輪の存在を知り、ダンブルドアは何故かグリフィンドールの剣で破壊したよ。それで呪いが解けるなら、苦労しない。トトの軽率な行動にダンブルドアも怒っていた。久々にあの方が恐いと思い知ったね」

 コンラッドは自嘲を込め、息を吐く。

「トトはいっそ、呪いを抑えた左手を切り落とそうと言いだした。しかし、それをすれば呪いは広範囲に広がって他にも犠牲を出す。それに手はあくまでも見た目だけで、体の中を蝕んでいるから意味はない。そうダンブルドアに反対された」

 不意に端正な顔は眉間にシワを入れ、後悔を見せる。

「トトはどうせ死ぬなら、何かに利用できないかと言いだし……。私は迂闊な事を言ってしまった」

 語尾に罪悪感が含まれ、コンラッドは指輪をガーゼに包んで懐にしまった。

「トトの養父が呪われていた話を覚えているかい?」

 覚えている。それから解放される為に『解呪薬』を作ったと語っていたはずだ。

「養父の呪いは元々、本人がかけられた呪いではなかった。ある人に唆され、移された呪いだったそうだ」

「そんな勝手な……」

 呪いを他人に擦り付ける。

 魔法学校の授業では一切、聞かされなかったが、お伽話ではよくある手段。無論、日本だけでなく洋画でもその発想はあった。

「私はその話を思い出し、誰かに渡してしまえと言ってしまった。ダンブルドアはそれならば自分だと言い出したんだ。今、お2人に死なれては困る……。私もかなり説得したんだが……闇の帝王を確実に滅ばすにはダンブルドアの死が必要だと言われて、提案を受け入れるしかなかった。トトも盟約の調停人としてまだ死ねないから、すぐに納得したよ」

 立つのも億劫になり、コンラッドは重たそうに椅子へ腰かける。頭を押さえ、憂いを帯びた表情で続けた。

「ダンブルドアは死後、ホグワーツをトトに任せる手筈を整えようとした。2人は度々、入れ替わり校長としての責務をトトに学ばせた。外に出たダンブルドアはトトの立場を利用し、団員の詳細をより正確に把握できた。後は命尽きる前に呪いを移してしまえば、思惑は成功だ。それにはマルフォイの息子の任務は非常に都合が良かった。おまえの死を見せつけ、ベッロを激怒させてダンブルドアを襲わせるという企みはね」

 狙いは最初からダンブルドアだった。

「……ベッロがそんな……」

「ベッロもかなり嫌がったが、闇の帝王の目を誤魔化す為だと……命令したよ」

 盲点に驚き、クローディアは思わず口を押さえる。利用されたベッロ、自ら犠牲になったダンブルドアを憐れんだ。

「だが、問題が起きた。……ダンブルドアはハリー=ポッターと秘密のお喋りをしていたんだ。トトは裏切りを感じて怒り狂い、その責任を取ってもらうと言い出した」

 トトの剣幕は簡単に想像できる。実際、クローディアはその場に居合わせたのだ。

「何をしたんだ?」

「結論から言えば、死んだのはダンブルドアじゃない……。全身整形して為り変わったトトだ」

 何に驚けばいいのか、手は力を無くしイヤリングの付属品を落とす。それでもコンラッドから視線は外れない。

「誰がそんな……手術の執刀を……。患者の許可なく……」

「私を中心にその道に長け整形外科や癒者と組んだんだ。あれ程、大がかりな手術は後にも先にも御免こうむる」

 聞くべき事は他にもある。二重の衝撃に意識は朦朧としていたが質問を探す。

「本物のダンブルドアは?」

「厄介だったのは……術後のダンブルドアだ。目を覚ましたら、体も記憶も弄られているんだからね。慣れてもらうのに時間がかかったよ。今頃は学校でトトとして振る舞っているはずだ。ああ、そういえば……そろそろ、あの人の葬儀が始まっているね」

 興味無さそうにコンラッドは答え、椅子へ深くもたれかかった。

 結局、2人とも死んだ。

 ダンブルドアは自分の死を嘆く人に名乗れず、トトの死には誰も気づかない。

 クローディアにとって、ほんの少し前までトトと話をしていた。

〝おまえはワシにとって、いつまでも何も知らず培養器にいる小さな命じゃよ〟

 何故、気づけなかった。

 悔しさに涙を堪え、口を動かす。

「私が生きている事、ハリー達にいつ知らせるんだ? 学校が終わってから? またシリウスの屋敷に集まるんだろ?」

 コンラッドはクローディアを見ず、また懐から2枚のパスポートを取り出して投げた。

 そこにはクローディア=クロックフォードと日無斐 来織とそれぞれ別名で書かれていた。

「おまえは生まれた時から、ふたつの国に籍を持たせていた。そして私達は2人分の人生を用意していた。だが、クローディアは死んだ。今、おまえに選択して欲しい。日本に帰るか、この国に残るかだ。前者の場合、我々との記憶は全て忘れ別の経歴で生きて貰う。後者なら、その顔を変えクローディアと名乗る事はできない」

 どちらを選んでも、もうクローディアとして皆に会えない。ジョージとの約束も果たせない。愛する彼の顔がようやく頭に浮かび、涙腺は決壊して涙が溢れた。

「ジョージと話し合った時、あんたは石を見た。それでこの計画を思いついたのか?」

「まさか、あの時は闇の帝王がそんな命令を出すなんて思わなかったよ。けど、おまえは必ず目を付けられるとは予想していた。ジョージの求婚は有り難かったね、婚約している人間が死を偽装するなんて、余程の捻くれ者でなければ思いつかな……」

 コンラッドは言い終えれず、クローディアから鉄拳を食らう。椅子が大きく傾く程の衝撃を受け、彼の口から奥歯がひとつ飛んだ。

「たかが……薬を惜しんで死ぬなんて、お祖父ちゃんは馬鹿。だけどな、人の気持ちを弄ぶあんたは畜生にも劣る外道だ」

 怒鳴りはせずとも、強い声は耳を貫いている。

「何故、……スネイプ先生も巻き込んだ?」

 今までと違い、コンラッドの顔色が変わる。滅多に見ぬ表情の変化に妙な苛立ちが湧く。ゆっくりと立ち、彼は床に落ちた歯を拾う。

「セブルスには何も話していない。彼は自分の意思で行動した」

 スネイプが自分に杖を向けた姿、どんな気持ちで行ったか考えたくない。2人の生徒の間で葛藤し、ドラコを守る決断を下した。

 ヘレナの忠告はある意味、スネイプを指していたのかもしれない。何とも惨い事をさせてしまった。

「私はセブルスが相手で良かったと思っている。彼は……おまえを一番苦しまない方法で殺すからね」

 こんな事態になっても、スネイプへの信頼は揺るがない。

「だったら……最初から、スネイプ先生に話すべきだった。何も知らず利用されるのと、自分で渦中に飛び込むのは違うだろ?」

 ハリーもそうして、自分で戦いを選んだ。

「そうだね、けど……秘密の共有者は1人でも少ないほうがいいんだ」

 歯をスネイプの代わりに握りしめ、コンラッドは振り返る。見た事ない激情を込めていた。

「それでおまえはどうする?」

 答えは聞かずとも分かっていながら、確約を口にさせたいのだ。

「残る。どんな形であろうとも、私はここにいる」

 クローディアの命はイヤリングの石と同じように崩れてしまい、二度と元には戻らない。しかし、残ったカスはまだある。

 予定通りの返事にコンラッドは神妙に頷いた。

「2つ質問がある。ひとつ、お祖父ちゃんはどうして指輪を嵌めようと思った?」

 ゴーント家の指輪は『分霊箱』だった。呪いは盗難対策としてかけておいたのだろう。しかし、知らなかったとしてもトトは迂闊すぎる。

「……それは私の口からは言わない約束なんだ。ダンブルドアとのね」

 言い訳の代名詞を出され、一先ず、諦めたフリをしておく。

「曾祖父ちゃんに呪いを移した相手は誰だ?」

 敵としてあいまみえるかもしれない。そんな事態に備え、知っておきたい。相当の手練だと推測できる相手だ。

「……おまえも知っているよ、会った事はない。闇の帝王には与しないし、私達にも協力しない。価値のないお方だ」

 感情を殺していても、言葉の節々に軽蔑が込められている。価値のない相手に奇妙な敬意を払っており、脳髄が刺激された。

「お祖父ちゃんも……マーリンを無価値だと」

 一か八かで名を呼べば、コンラッドの口元が痙攣した。

 当たりだ。

 そんな諍いがある故に、トトはマーリンの名を出されるのも嫌なのだ。

「直に飛行機の時間だ。起きぬけで悪いが、行くよ」

 鞄から私服を取り出し、コンラッドはクローディアへ投げつける。

「飛行機って、まさか国を発つ気か? 残ると言ったろ!」

「どちらを選んでも、一度は日本に帰らせるつもりだよ。色々と準備があるからね」

 さっさとコンラッドは部屋を出ようとノブに手をかけ、クローディアは苛立った感情のまま叫んだ。

「私はクローディアのパスポートで滞在していたんだぞ。死んだ今はどう国を出るつもりだ!」

「問題ない、荷物として持って行くからね」

 普段と同じ、機械的な笑みには嘲笑が見えた。

 二度とこの男を父と呼ぶまい。いけしゃあしゃとした態度はそう誓わせた。

 

☈☈☈☈☈☈

 任務遂行の後、セブルスは計画通りに集合場所たるソーフィンの屋敷へ到着する。正面の扉前に整然と停車したバイクはジュリアの物だ。

 彼女は競技場を襲い、撤退時には爆発させるようにバイクへ仕込ませた。今回の件に大いに貢献したといえるだろう。などと言って自慢してくる姿が目に浮かぶ。

「随分、のんびりしていたんじゃないかえ? ソーフィンは死んだよ」

 出迎えたベラトリックスは悪態吐きながら、残念そうに告げる。防衛魔法を突破した後、早々に意識のないソーフィンと撤退させられた為に機嫌が悪い。

 客間に置かれた遺体は生前の面影はなく、やせ細る。クィリナスとバーティが簡易寝台を作り、そこに寝かせた。

 トラバース達の治療が一段落した頃、ヴォルデモートは幽鬼の如く現われた。

「そうか、彼の力なくして任務遂行はありえぬ。俺様の忠実な魔法使いが失われた。さあ、冥福を祈ろう」

 明らかな建前にしか聞こえない口上を聞き、ドラコも含めた全員で祈りを捧げた。

 遺体の処理を任せたヴォルデモートはセブルスの他、クィリナスとバーティに視線を向ける。内密の話がある時の仕草だ。

 勝手知ったる他人の家、しかも家主の如き態度でヴォルデモートは書斎を占領して椅子へ腰かけた。

 クィリナスは扉を閉めて鍵をかけ、扉そのものを杖で叩く。これで鍵穴を覗かれても中は見えないそうだ。

 机に【日刊預言者新聞】瓦版を投げて寄こす。そこには一面、ダンブルドア死亡記事が載せられていた。

「ダンブルドアも死んだ。セブルス、ドラコに代わりよくやった」

「いえ、結局ドラコに果たせられず、お恥ずかしい限りです」

 セブルスは考えない。

 ダンブルドアは真の狙いを見抜き、クローディアをわざと標的のままにさせておいた。彼女の命を守らぬのかと言及したセブルスに校長らしからぬ口調で答えた。

〝あの子は、とうに覚悟はできている〟

 一体、どんな覚悟だ。

 ドラコの手を取り、クローディアが屈託のない笑顔で駆け寄ってくる様子が網膜に焼き付いている。

「少し、昔話をしよう。この男、ボニフェース=アロンダイトについてな」

 黒いローブの下から、ヒビの入った髑髏がひとつ。

「アロンダイトとは……ベンジャミン=アロンダイトの身内ですか?」

「流石はクィリナス、マグルの世情に強い」

 唇のない笑みを見せ、髑髏を弄ぶ。

「この男は戸籍上、そのベンジャミンの弟だ」

 そうして、ヴォルデモートは突拍子もない話をし出した。

 『逆転時計』と『ホムンクルス』、2人のベンジャミン。そんな机上の空論を実行するなど、正気の沙汰ではない。更に驚いたのは『ホムンクルス』がコンラッドの父親なのだ。

「ほう、鉄仮面のセブルスが青褪めておる」

 薄ら笑いを浮かべ、ヴォルデモートは指摘する。

「結局のところ、その老人は何の役にも立っておりません。クロックフォードにはその報いを受けさせたのですか?」

 バーティはつまらなそうに質問し、ヴォルデモートは髑髏を机に置いた。

「ボニフェースは……未来から来た。ならば、同じ時代の『ホムンクルス』がいるはずだ。最初はコンラッドを疑ったが、違った。ならば、あの小娘が有力だ」

 つまり、クローディアとコンラッドが父と子だった。予想外の関係にセブルスは内心の動揺を抑えるのが精一杯だ。

「姿形も性別さえ違う、あんな小娘が『ホムンクルス』などと……」

 嫉妬めいた批判を混ぜ、クィリナスは意見する。

「体を作り変えるのは不可能ではない。なので俺様は実験を行った。小娘が死に、こいつが消えうせれば……俺様の仮説は立証される」」

 途端に髑髏を杖で粉々に弾いた。

「結果は外れだ。『ホムンクルス』は何処かにある。間違いなく、コンラッドが持っているな。まあ、焦る必要はない。探すのはハリーを葬ってからでも、遅くはない」

「何故、我らの主たる闇の帝王の御推察が外れたなどと申されます。もしや、前例をご覧になられたのですか? 未来から来た者の過去を消した際の末路を……」

 セブルスは知的好奇心に見舞われたように努め、問う。無知なる幼子に言い聞かせる口調でヴォルデモートは胸元を押さえ、心底、愉快そうに笑った。

「ある。ベンジャミンを殺した折、老人が消え去る瞬間をこの目で見た! 時間は一本の帯のようにひとつであり、過去への干渉は確実に未来を変えると確信した!」

 狂気めいた笑いに3人は動じず、研究内容に感心する素振りを見せる。彼らの反応にヴォルデモートは満足し、踊るように椅子から立ち上がった。

「ここで諸君らは疑問に思うだろう。コンラッドが持っていた『逆転時計』を壊したのか……、知りたいか?」

 クィリナスが前のめりになり、話をよく聞こうとした。

「俺様はこれまでを一度も後悔しておらぬ。確かに凋落し、前より幾分劣る形ではあるが蘇った。過去を弄る必要はない、しかし! 俺様への忠誠故に勝手な真似をする愚か者は必ず出てくる。俺様はそれが我慢ならん! 時さえも支配して良いのは俺様だけだ」

「おっしゃる通りにございます、いずれ時さえもひれ伏しましょう」

 クィリナスは恭しく頭を垂れ、祈りを捧げる姿勢で手を組む。その動作に遅れぬように2人も頭を垂れた。

 退室の許し得て、3人は下がる。廊下には『屋敷しもべ妖精』のウィンキーが控え、バーティの視線によるで消え去った。

「あの娘、本当に死んだのだな」

 舌打ちし、バーティはセブルスを睨んだ。

「いいか、覚えておけ。娘を殺したからと言っても、女は渡さんぞ」

 コンラッドの妻への執着に付き合えず、セブルスは手ぶりで承諾した。

「他にも女がいるだろう。何故、マグルなんだ?」

 億劫そうにクィリナスは問う。そんな彼の胸元にバーティは軽く拳で叩く。

「いつまでも童貞坊やにはわからんだろう。書物ばかりみていないで女を抱け」

「私は童貞ではない!」

 十年以上、父親から理性を奪われて過ごした為にバーティの言動には幼稚な部分が見受けられる。それをマトモに受け答えするクィリナスも問題があるとセブルスは思う。

「この『穢れた血』があ!!」

「落ちぶれババア!!」

 もっと幼稚な喧嘩が始まり、セブルスとクィリナスはうんざりした顔で客間に急ぐ。案の定、ジュリアが赤い髪を振り乱してベラトリックスと揉めていた。

「スクイブもどきが相手を見て、物を言え!」

「私は闇の帝王に望まれたのよ! 必死に媚売っている貴女とは扱いが違うわ! 不倫婆、闇の帝王に女として見て貰おうだなんて気持ち悪い! 年を考えなさい、みっともない!」

 言いたい放題のジュリアにベラトリックスは笑顔のまま、ブチ切れていた。普段なら、聞き逃すどころか雑音のように耳にすら入れない。原因など知りたくもない。

「ジュリア。口を慎め、相手に敬意を払ったらどうだ」

「敬う価値のない相手に? まずはそちらのマダムがお手本を見せたらどうかしらね」

 自分の襟元に指をひっかけ、挑発的に笑う。

 馬鹿馬鹿しい口論の仲裁などしたくないが、ベラトリックスが『死の呪文』を放つ寸前だ。一応は彼女を立てて、ジュリアの腕を掴んで引き下がらせた。

 後はクィリナス達が諌めるだろう。遠戚でもあるバーティにはベラトリックスも幾分か親しげだ。

 廊下まで引きずり出し、警告の意味で囁く。

「君の親族が亡くなったばかりだというのに、ベラトリックスを怒らせて後追いでもするつもりか?」

「あんな奴、アロンダイトの血統なんかじゃないわ。ていうか……自分で殺したくせに亡くなったなんて、随分と礼儀正しいのね」

 ジュリアが嘲笑った瞬間、彼女は襟元を掴まれて頬を引っ叩かれる。誰かと思えば、ドラコだ。

「シレンシオ(黙れ)! いいか、ブッシュマン。消えろ、今すぐに」

 魔法で言葉を封じられ、歯噛みしながらジュリアは玄関の扉を乱暴に閉めた。

 残ったドラコは殺意を込め、睨んでくる。

「庇ってなどいない、貴様は僕の味方をしなかった!」

 吐き捨てたドラコは逃げるように外へ出て行く。母ナルシッサのいる屋敷に帰るつもりだ。

 クローディアに対する気持ちに答えを見つけた時、ドラコの味方する。確かに約束した。

 しかし、あの場でヴォルデモートの任務を果たさなければマルフォイ家は見せしめに殺された事だろう。悩まなかったと言えば嘘になる。結果だけなら、セブルスは竹馬の友であり、彼の父親であるルシウスの家族を選んだ。

〝君になら、あの子を殺されても構わないよ〟

 コンラッドの言葉が重く肩に圧し掛かり、ダンブルドアのいない現状も重なって胸を不安を掻き立てた。もう弱音を打ち明けられる相手はいない。

(……コンラッド……早く、……僕を殺しに来て……)

 表情には出さず、その想いも決して悟られぬように心を閉じた。

 

 いつものように――。




閲覧ありがとうございました。

十悟人、今までありがとう。
ロウルさらば。

ダンブルドアの死はトトに代わりましたが、社会的に死んだ事に変わりはありません。
クローディアの戸籍も死に、二度と名乗ることはない。

げに恐ろしきはジョージ、世の錬金術師は涙目。
三巻で出来た玩具の失敗作がやっと生かされた。

これにて『謎のプリンス』を終わります。






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死の秘宝
序章


閲覧ありがとうございます。
まずは日本での暮らしから始まります。

追記:18年10月30日、誤字報告により修正しました。


 旅行鞄の中は窓のない六畳間の部屋、代わりに掛け軸が外の景色を教えてくれた。

 しかし、飛行機の荷物棚に突っ込まれてから何の変化もない。仕方なく、私は杖を振ったり、教科書を読んで過ごした。 

 空港に着いたと思いきや、コンラッドは田沢院長に出迎えられる。そのまま地元とは違う方向に車は進み、規模の大きな病院に連れて来られた。

 ようやく鞄から出れた私は、田沢院長自ら手術の説明を受けて承諾した。

「魔法界の事をご存じだったのですか?」

 個人的な事を質問せざる負えなかった。

「勿論、何を隠そう私はスクイブである。……否、三代前からと言ったが正しいか……、甥も魔法の魔も使えんわ」

 この院長は田沢の伯父、つまりアイツは魔法族。新たな事実に衝撃し、開いた口が塞がらない。

「甥には内緒で頼む」

 おっさんに愛嬌良くウィンクされなくても、田沢に話す機会はないだろう。

 

 麻酔で眠らされた後に目覚めれば、生家だった。

 空の微妙な明るさがイギリスと違い、時計を見るまで夜明けと気付かない。

 眠気で頭が重く、以前よりも5cm縮んだ身長に悪戦苦闘しながら、私は洗面台で顔を洗う。タオルで水を拭い、鏡に写る私は母・祈沙と瓜二つではない。祖父・十悟人の面影がある顔つきだ。

「あーあー、本日は晴天なり」

 もっと言えば、アイリーン=プリンスを基本に十悟人の特徴が混ざられている。思いの外、顔の筋肉が違い喉を通じて声帯にまで影響を及ぼす。以前よりも高めの声になる。それでも東洋人の容貌だ。

「おはようさ、来織」

 背後に現れた母は普段と同じ態度だが、私の顔を見て寂しそうにしていた。 

 白米、ちりめんじゃこの味噌汁、焼いた鮭を卓袱台に並べ、母と朝食を共にする。晴れていた空は曇り、雨音が音楽代わりだ。

「コンラッドは?」

「私達に気を遣ってくれたさ」

 私達ではなく、母にだろう。コンラッドはこの人を想っている。確かな絆を持つ夫婦なのだ。

 自然とジョージに思いを馳せる。

「朝ご飯を食べたら、藍子ちゃんに会いに行くさ。来織が帰ってくるって聞いて喜んでいたさ」

 幼馴染の存在に私は青褪める。

「私の顔のこと……藍子には……」

「田沢院長から、聞かなかったさ? 院長と私以外、来織はお祖父ちゃん似って事に記憶を改竄したさ。私は……そこまでしなくてもって思ったけど、下手な変装は魔法で看破されるらしいからさ」

 憂いを帯びた笑みでとんでもない事態を暴露された。

「……写真とかは?」

 私からの指摘に母は口元に手を当て、目を泳がせる。急いで2人でアルバムを確認してみれば、卒業写真、証明写真、パスポートに至るまで今の顔に差し替えられていた。

「仕事が無駄に早い……」

「一枚くらい、残してくれてもいいさ……」

 しょんぼりと項垂れる母に私は肩を叩き、ロンに倣って昆布茶を入れて差し上げた。

「藍子ちゃんに会う前に、言い訳という名の設定を教えておくさ。来織は17歳の時に事故で重体を負って、ずっと療養中だったさ。……その事故でドリスのお祖母ちゃんも亡くなった……そうなっているさ」

 人の死にさえ嘘の理由を伝える。それが母には祖母への侮辱のように感じており、口に出すのも躊躇っていた。

「お母さんがそんな顔しないで、お祖母ちゃんなら納得してくれるよ」

 コンラッドが行方不明だと偽り続けた祖母ならば、自分の死因を偽っても「そうするしかないなら」と受け入れるだろう。慰めではなく、私は心の底からそう思う。

 用意されていた手土産を持ち、藍子の家を訪れた。

「おはよう、来織! お祖母ちゃんの事、お悔やみ申し上げます。本当によく頑張ったね!」

 待ち伏せしていたように玄関口にいた藍子は涙目だ。

 4年ぶりの藍子は成長に加えて髪が紫の他、爪も黒い。一瞬、「誰?」と言いそうになった。

「再会の感動がぶっ飛んだ……」

「あーこの髪か! 私、今、バンドやってんの! んで、来年の誕生日に結婚するから、式に来てね」

 突然の予定に驚きもぶっ飛んだ。

「あんたの誕生日って……12月だろ? 相手はバンドメンバー?」

「まさか、女ばっかだし! 相手は高校の時の……ああ、来織は知らない奴だったわ。しばらく日本にいるんでしょう? 絶対、紹介するから!」

 私の知らぬところで藍子は自分の人生を自分で決めて歩む。生き生きと表情を輝かせる彼女は羨ましいくらい、美しい。

「私も……婚約してた……駄目になったけど……」

 負け惜しみではないが、このくらいは言いたい。藍子は驚いて目を見開き、居間へと引っ張り込んだ。

「駄目になった理由は聞かないから、相手を教えて! その前に瑠璃も呼んでいい? っていうか、呼んでたわ。お茶、お茶!」

 藍子がアタフタしている間にインターホンが鳴る。瑠璃以外にも田沢、佐川、木本、木下も一緒だった。

 15歳の夏から顔つきも変わり、すっかり大人びている。髪型も変わっているが、木本の頭が虎刈りなのは驚いた。

「これは瑠璃にやられたんだ……バリカン使いたいって」

「あたし、美容師に転向してね。県外だけど、専門学校の寮に入っているのよ」

 ここで「授業はどうした?」と聞くのは野暮だ。しかし、瑠璃のお母さんは我が子への学歴に拘りが強かったはずだ。

「あんたのお母さんがよく許したもんだ」

「いろんな人に味方して貰ったの。最終的に勝手にしろって言われたわ」

 瑠璃はアタッシュケースを大事そうに抱え、微笑む。他の皆もリュックやら持ってきていた。

 TVから流れる川本真琴の『1/2』を聞きながら、私達は連絡の取れなかった間の出来事を語り合った。

「俺は医大生やってまーす。将来はブラックジャックです」

 木下のブラックジョークに乾いた笑いが沸く。

「俺は大学生を卒業したら、プロ契約を結ぶ! という夢を持ってます」

 田沢は大学でもバスケを続けている。彼が実は魔法族だと今でも信じられない。

「バイトに明け暮れる毎日です! 正社員? 何だね、それは?」

 だから、木本は虎刈りにされても特に問題がないのだと納得した。

「とある企業の新入社員です! 趣味はカメラ撮影に目覚めました」

 満面の笑顔で佐川は新型のカメラを取り出し、木本から逆恨みの視線を貰う。ここでも「勤務はどうした?」とは聞けない。

「それでそれで、来織の話を聞かせて……元彼の話!」

 合コンのノリで再会の挨拶を交わし、藍子は私に詰め寄る。驚いた皆の視線が怖い。

「大家族の4、5番目? 双子だから……赤毛で……」

 魔法界を省き、同じ学校の先輩で今は兄弟と個人店舗を経営していると説明した。

「よくあの先生が許したな、自分の目が黒い内は来織に結婚なんてさせないと思った」

 田沢はジョージという人間に感心していた。

「理由はどうであれ、失恋は辛いわよねえ? 髪を切るとサッパリするわよ。大丈夫、道具なら揃っているから」

 瑠璃の鞄には本当に散髪道具が揃えられ、やる気満々である。思わず、木本が頭を手で押さえた。

 私は自分の髪を撫でる。伸ばし続けた理由はハーマイオニーにも勿体ないと言われたからだ。けど、彼女はもう気にしない。

「なら、肩までバッサリやってもらおうか。ついでに染色も頼む」

 断髪を受け入れた私に、何故か瑠璃は硬直した。

「脱色しなよ、私の使ってない脱色剤あげるから! 男ども、おかんの三面鏡運ぶの手伝って」

 藍子に従い、彼らはわざわざ藍子のお母さんの鏡を運んできた。

「本当にいいのね」

 素人ながら、意外と大がかりに準備して貰う。クロスを付けた私以上に瑠璃も緊張しながら、髪に刃を入れた。

 髪はよくリサに編むのを頼んでいた。こうして、切る為に触れさせたのは何年振りだろう。水飛沫がかかり、櫛を入れられる。挟みが音と共に髪の重さを消して行った。

 脱色は藍子に任せる。ドライヤーで乾かし、ブラシで整えた髪は金色を濁らせている。ルーナには似てもにつかないが、私はとても気に入った。

「ながーく待たされた」

 その待ち時間を持ちこんだPSで『峠MAX』しながら過ごし、お土産のお菓子を食いつくした4人に言われたくない。

 掃除と片付けを済ませた時には昼はとっくに過ぎ、藍子のお母さんが仕事から帰ってきた。

「こんのお、馬鹿娘! 日無斐のお嬢さんになんて事してるだあ!」

 物凄い剣幕で私の髪について、藍子を責めた。

「おばちゃん、私が頼んだんです」

「この可愛さがわかんないおかんが古いんよ。おかんが白髪染めやめたら、私も黒に戻したるわ」

 白髪を気にするお年頃のご婦人は般若の形相になり、私達は藍子を連れて飛び出した。

「怒らしちゃったから、今日は来織ん家に泊めてね」

「自分のお母さんにあれだけ言えるなんて、藍子は肝が据わっているぜ」

 ウィンクしてお願いする藍子に田沢は呆れる。このまま解散も寂しい為に私達はカラオケに行き、夜まで歌い過ごした。

「明日は学校に戻るから、夏休みに入るまでは日本にいてよね。あたしのいる県には、なんとジャスコがあるの! 案内させて」

 まさかのジャスコ、行きたい。

「瑠璃、車の免許持ってたってけ?」

「それなら、俺が運転する。日曜なら親父の車借りれるし」

 木下の疑問に佐川は答え、皆で運転手に感謝した。

 家に帰ったら、母とコンラッドは私の髪に絶句した。

「来織が不良になったさ!」

「えー! おばちゃん、私の時は一緒におかんを説得してくれたじゃん」

 そんなやりとりをしながら、藍子は玄関で靴を揃える。母は客である彼女を持て成す為に居間へ案内した。

 コンラッドは何とも言えぬ渋い表情で私を責めていた。

「切ってしまって残念か?」

「おまえには黒髪が似合っていたよ」

 それ以上、本当に何も言わずコンラッドは書斎に籠ってしまった。

 夕食と風呂を済ませ、私は藍子の分の布団を居間へ敷く。湯船に浸かり、足の傷も綺麗に無くなっていると知った。

「来織、本当に変わったね。その喋り方、良くなったわ」

「……まさか、ダサかったというつもり?」

 昔、ルーナから指摘された時の衝撃を思い出し、ビクビクしながら聞き返す。藍子は頭を振った。

「あの喋り方、おばちゃんの口真似だったでしょう。いつも自信満々なあんたにしたら、おじちゃんにおべっか使っているように見えたから、私は好きじゃなかったんだ」

 幼かった私はコンラッドとの間に壁を感じ、気を引こうと様々な手を使った。その内のひとつが母の喋り方を真似た事だった。

「似合わないおべっかを使っているから……ダサいか」

 初めて会った時のルーナはそう言いたかったのかもしれない。

「うーん? 誰かにそう言われたの? ひょっとして噂の双子さん?」

「それは秘密♪」

 意味深に笑う藍子へ同じ笑みを返せば、枕を返された。

 

 翌日。

 何故か、自動車の教習所へ連れて行かれる。あれよあれよと受講手続きを取らされた。

「のんびり講習受けている時間はない! 免許証を何に使うんだ!」

「一か月もあれば十分じゃないかい? パスポート以外の身分証明書は持っておきなさい」

 簡単に言ってのけたコンラッドは更に魔法の訓練まで強いた。

「杖を左手に持ち替えたか、いいね」

「あんたに褒められたいからじゃない」

 魔法界の新聞や雑誌も読まされ、ベッロがダンブルドア殺害容疑で指名手配された揚句、懸賞までかけられていると知った。哀れな使い魔が今は何処に逃げのびているかは、コンラッドさえも本当に知らない。

 どんなに詫びても探しに行かない私は主人失格だ。

「こんなに長い追悼文は初めて見たさ」

「文章を纏める時間がなかったんだよ、ドージは骨の髄までダンブルドアの崇拝者だからね」

 エルファイアス=ドージの追悼文を読みながら、母はそんな感想を漏らす。コンラッドは皮肉っぽく口元を歪めた。

「妹……」

 弟のアバーファースは知っていたが、妹のアリアナという存在に何故か小さな衝撃を受けた。

 

 仮免は筆記試験に問題はないが、実技試験は2回も落ちました。

 担当教官から有り難い笑顔のお説教を食らう。その次は路上に出た実践訓練、ギアの切り替えを何度も間違える。体で覚え込まないと本当に危険だ。

 しかも、本免試験の路上運転は怖かった。

 教習所を出発し、無事に戻ってくる。それまでの道順は自分で決めるのだ。いつも助手席の教官に案内という指導を受けていた為、いざ好きに走れと言われたら道に迷う。

 これにまた2回落ちる。卒業証明書を受け取ったのは、小学校以来だ。

 免許センターの試験はひっかけ問題も難なく解け、その日の内に免許を発行して貰う。ここまでくるのに一月半かかった。

「早いほうだって、俺半年かかったもん。原付の講習、楽しかったろ?」

 佐川曰く、やはり路上運転で迷子になり、落ちるそうだ。

「もう少しかかると思ったけど、驚いたね」

 朝食の席でお吸い物だけ啜りながら、コンラッドは【日刊預言者新聞】を読む。ある記事を目にした途端、噎せ出す。滅多に見ぬ、動揺に驚いた。

〔……器官に汁が〕

 慌てて母がコンラッドの背を撫でている隙に記事を読み、私も飲みかけの渋茶を噴いた。

「ええ!? ルーピン先生が結婚!? しかも、トンクスって……え?」

「ルーピンってあの作曲家さんにソックリな人さ? へえ、おめでとうさ」

 動揺しまくりの私達と違い、母だけが冷静にルーピン先生の結婚を祝福した。

 

 噂のジャスコは従来のデパートより開放的な構造をしており、日曜日ということもあり大勢の客で賑わっていた。

「商売繁盛で何より」

 ダイアゴン横町の寂れ具合を思い出しながら、私はしんみりと溢す。鞄専門店を見て回り、ガマグチショルダーバックに一目惚れして買った。

「来織。いろんなお祝いを纏めちまったが、おめでとな」

 フードコートにて田沢は6人の代表となり、私に腕時計を贈る。以前は貰った時計を思い出す。しかも、今回は文字盤がふたつだ。

「これ結構なお値段がするんじゃないか?」

 素直な嬉しさより焦りが出るのは、私の性根が歪んでいるのだろう。

「また向こうに行くなら、時計は必需品だろ?」

「田沢が今日の為にカタログ集めて選んだぜ?」

「俺の就職祝いは千円のネクタイだったよな? 使っているけど」

 田沢の後ろから男3人がやいのやいのと茶々を入れる。

「うるせーな、時間は有限なんだよ!」

 言い返す田沢は何故か真赤に顔を染めている。

「ありがとう、大切にする……今度こそ」

 割れた腕時計については、もう思い出すまい。感傷に浸る私へ藍子と瑠璃は微笑ましい眼差しを送った。

 

 帰りは私の運転。あんなに楽しんだはずの皆は私に気遣い、一言も喋らなかった。

 精神的に疲れた私を待っていたのは、十悟人がいた。

〔おお……、これ程とはな……〕

 私の容姿に驚き、寂しそうな表情を見せるが母に耳掻きされている体勢ではギャクにしか見えない。

〔……ダン……お祖父ちゃん〕

 ダンブルドアは背が高かったのに、今では私よりも小柄で髭もない十悟人だ。怒りっぱやい頑固な老人は中身が違うせいか同じ姿でも、温厚そうな印象を受けた。

〔ダンブルドアでも構わんとも、コンラッドもその名で呼んでくれんからのう〕

「呼びませんよ、当たり前でしょう。後、ここにいる間は日本語でお願いします。来織もそうしなさい」

 人生で初めて来織と呼ばれ、今の環境を強調されているようで無性に腹立つ。母が台所へ行く為、コンラッドも着いて行く。

「お体の調子はいかがですか?」

「まだ違和感はあるのう、それでなくても記憶が重なって自分が誰だったか……時折、忘れてしまうんじゃ」

 ダンブルドアは起きた瞬間、体と記憶の異変に気づいたという。

 脳髄を引っ掻きまわれる苦痛、それに伴う吐き気。時間の感覚も狂い、一日が幾日も幾日も経った気分を味わう。コンラッドに看病されて一週間、ようやく1人で布団から起き上がれるまでになった。

 設定された記憶が脳髄に馴染んだ後、体を慣らす時間が必要だった。

「マーミッシュ語が喋れんなっておった……。わしの人生で苦労して覚えた言語のひとつであったのに……」

 それだけが至極、残念そうであった。

「今日まで傍にいてやれんで、すまん」

「良いよ、気にしなくて。ダンブルドアしか出来ないんだ。ハーマイオニー達を守れるのは、今はどうしている?」

 【日刊預言者新聞】には閉鎖を匂わす記事が多く、【ザ・クィブラー】には今も尚、ホグワーツに今だ生徒・教職員が残り、再開を待ちわびていると載っていた。

「希望者は全員、家族の所へ帰した。何人かは学校に残っておる。ミネルバに任せてきた。ハーマイオニー=グレンジャーとディーン=トーマスは『漏れ鍋』じゃ。ジャスティン=フィンチ‐フレッチリーは聖マンゴ病院におる。事件の後遺症で心を休ませねばならん」

 ディーンがマグル生まれだと今、知った。それよりも、ジャスティンの身が心配だ。もう私は見舞いにも行けない。

「ハーマイオニーはハリーの件で予想しておったが、ディーンはわしらの仕事をしたいと言ってきおった」

「……ハリーの? ああ……あれか、成程。けど、ディーンは騎士団に入りたいってことか?」

 十悟人は顔を動かさず、台所方面にいるコンラッドを壁越しに見やる。

「いいや、正確にはコンラッドの仕事じゃよ」

「私に助手はいりません」

 何処から聞いていたのか、コンラッドはイワシのトマト煮を4皿並べる。

「わしはもう以前のような魔法は使えんからな。ディーンのほうが力になろうて」

 以前とは、十悟人が使っていた魔法だ。空間に扉を出現させたり、『解呪薬』を作ったり、贔屓目に見ても並の魔法使いではなかったと思う。

「ペティグリューやクラウチJr.のように死を偽装した人がいる。なのに、どうして私達は整形までしたんだ。正直、やりすぎだ」

〔魔法族に限らず、生死の判断は死亡届を出されて魔法省で受理された時じゃ。ここはマグルでも同じじゃが、聞いた事あろう? 彼の人は死んだが遺体は見つかっておらぬ――と〕

 確かに目撃者もなく、遺体の一部もないのに死んだとされる人は多い。

〔長く行方不明になれば、魔法省の霊魂課に依頼して本当の生死を判定できるのじゃ。しかし、あくまでも最後の手段ゆえに依頼の条件も非常に厳しくて、おいそれとは使えぬ〕

 急に英語に切り替えたのは、日本語では発音しにくい為だと察した。

「霊魂課って……霊界との交信とかそういう? ちょっと待て、それだと」

 この世に留まる幽霊は生死が判る。ならば、ホグワーツにいる幽霊の誰かが本当の事を明かす危険もあるのだ。

「幽霊は総じて、誰の生死も告げられぬ。それが世に残る条件のひとつと言えよう。学校にいる間、一言でも聞いたかの?」

 ヘレナと魔法族の死について話した時、ドリスの死に触れなかった。

「制約のようなものか……生きているわけじゃないから……」

 全く気にしていなかったが、真実を知りながら話せない。その情報が生きている者達を助けるとしても、何も伝えられないのは辛いだろう。

「この世にいる死者……」

 自分で呟いておきながら、脳裏を過ったのはペベレル三兄弟。次男の『蘇りの石』。すっかり忘れていたが、その石は指輪に填め込まれていたのだった。

「ダンブルドア、お祖父ちゃんに呪いをかけた指輪についてなんだが」

 コンラッドはわざと湯呑を乱暴に置く。余計な事を聞くなという牽制だ。

〔あれはゴーント家……遡ればペベレル家の品。ペベレル三兄弟の『死の秘宝』は御伽話じゃなく、実在していて指輪には『蘇りの石』が填め込まれていたんじゃないか?〕

 不安で心拍数が上がり、つい英語で問う。

「それを言う前に、石が本物であったなら欲しいのかね?」

 温厚そうな口調に警戒を混ぜて、私の返答を待つ。

「いいや、いらないな。……死んだ人間は生き返らない。腐敗していない部位同士をいくら繋ぎ合せても、死体は死体。怪物として動くことは絶対に、ない」

 そんな魔法があるなら、私は絶対に破壊する。十悟人は満足そうに、寧ろ恥ずかしそうに笑った。

「君は秘宝を手にすることはあるまい、……素晴らしい」

 なんとも穏やかな口調で褒められ、意味不明だった。しかし、思い出す。ルーナから『死の秘宝』に興味を持つなと念押しされていた。

「……お祖父ちゃんは興味を持ってしまった……」

 呪いはその報い。

「今はそれについて、考える必要はないじゃろう。まずはお互い、この体に慣れんとな。どうしても気になるなら、これを読みなされ」

 何処からともなく表紙の汚れた古そうな本が現れる。【吟遊詩人ビートルの物語】と書かれ、ロンが教えてくれた『ぺちゃくちゃうさちゃん』も載っていた。

「わしが子供の頃から持っておる。お気に入りじゃ、よおく読んでおくれ」

 明らかに、はぐらかされた。「今は」何を聞いても答えないつもりだ。

「貴方自身はこれからどうするんだ?」

「まずは君とイギリスに渡る。ハーマイオニーとディーンにわしの弟子として紹介しようぞ。というわけで……また国を離れなければならん……」

 キャベツ捲きと白米を持ってきた母へダンブルドアは詫びた。

「それまでは、一緒にいれるさ」

 母は正直な笑みで答えた。

「箸を使うのは慣れんのう……フォークとナイフを……」

「手先が器用になりますよ」

 コンラッドに冷たくあしらわれ、十悟人は苦渋に満ちた顔で箸を掴む。冷汗を掻き、箸に悪戦苦闘する姿は不謹慎ながら見ものだった。

 夕食の後、ガマグチ鞄に『検知不可能拡大呪文』をかけ、必要最低限の荷物だけ入れる。もう教科書はいらない。けど、【吟遊詩人ビートルの物語】は持って行く。

「非常食も持って行くさ。これ新作ラーメン、後は寝袋とか」

 母は四次元ポケット並に物が入る為、興奮して勝手に色々と突っ込んだ。

「向こうへ行く前にわしから、助言しておこう」

 十悟人の手にはドリスの杖がある。それは置いて行こうと思っていたのだ。

「あちらでは、この杖を使いなさい。君の杖は予備で持っておれ、出来るだけ使わんように」

 私の杖に見慣れた人は多い。納得して受け取った。

「それから、ハーマイオニーの名を呼ぶ時は正しく発音せぬように、英語に不慣れなフリをしておくのじゃ」

「ん? それとハーマイオニーの名前がどう関係してくるんだ?」

 私の疑問に十悟人はチラリと母を見やる。視線の意味に気づき、母はわざとらしく咳払いしてから声を出した。

「ハゥワイオヒィ」

 その発音は決してわざとではない。ハーマイオニーの名は相当に難しいと思い知る。ハリーとロンが私の姓を「テムカー」と聞き違えていたのは仕方なかったのだ。

「そういえば、お母さん……向こうにいる時、あんまり私の友達を名前で呼ばなかった……ね?」

「ハリーとか、ロンは言えるさ!」

 必死な母の顔に私は笑いのツボが刺激され、堪えた。

〔楽しんでおるところ悪いが、ルーナ=ラブグッドは偽装に気づいておる。じゃが、決して口外せぬように誓ってくれた。それがなくても、あの子を頼む〕

 重々しく告げられ、笑いは硬直した。

 ルーナは元々、人とは違う独特な感性を持つ。他が誰も気づかぬ事柄に気づく。しかも、彼女はミセス・ノリスが石化した姿を見ている。倒れた私の姿から石化事件を思い出したのかもしれない。

「……ルーナにも隠れてもらったほうが良さそうだ」

「それが出来れば苦労はない」

 真面目に返され、私は思わず乱暴に頭を掻いた。

 

 夜明け前に起き、私の運転で空港へ向かう。追従してくる佐川に何度も当たりそうになった。

「次は私の結婚式ね。その後は私達をイギリスへ連れて行ってガイドしてよ」

 藍子の結婚相手は私達より大柄だが、根は優しそうだった。藍子の幸せ一杯の表情が眩しい。

「イギリスで、どっか行きたいところある?」

「ジミー=ペイジの家!」「ベーカー・ストリート!」「ロンドン橋!」「大英図書館!」「紳士クラブ!」

 藍子、佐川、木本、木下、瑠璃はどっからか自前の日本表記地図を取り出す。

「バラバラじゃねえか! 瑠璃、女は紳士クラブに入れないって何度言えばわかんだよ!」

「田沢……女性が入れるクラブもあるよ。それ以前に観光客は無理だから」

 多分、私が突っ込むべきところはそこじゃない。

 再会を約束し、母と藍子達に見送られる。搭乗口から機内へと足を踏み入れた。

 

 ――瞬間、私は飛行機から降りる人の流れにいた。

 着いた先は勿論、イギリスの空港。

 腕時計を見れば、日本にいた時間から1分も経ってない為に記憶は飛んでいない。ならば、考えられるのは私の後ろにいる十悟人、もしくはコンラッドの仕業だ。

「これは一体……?」

 コンラッドはやれやれと肩を竦め、返答を拒んだ。

「12時間も乗るのは嫌じゃ……、誰じゃ? たった8時間と言いおったのは……4時間の差はデカイ」

 子供っぽい言い訳をしながら、私を追い越した。

「以前のような魔法は使えないって聞いたけど、これは随分とおおがかりだな」

「全てを使いこなせはせんとも、じゃが、使えるモノは全部使うぞい」

 剽軽な笑い方は、本来の十悟人に近かった。

〔私は追手を退けてから、合流します〕

 私達の後ろから囁き、コンラッドは気配を消す。追手という単語から、空港が何者かに見張られている事を指している。

「奴らですかね?」

「おそらくは……祈沙のストーカーじゃ、奴は本当にしつこいからのう」

 それを聞いて、別の意味でげっそりした。

 

☈☈☈☈☈☈☈

 キングス・クロス駅に着いた時、トトは僕とハーマイオニーだけを先に呼んだ。

「君達は『漏れ鍋』に行っておれ、わしは皆を送ってから行く」

 ハーマイオニーはロンやジニーに着いて行きたがったが、素直に従う。僕も逆らう理由はない。

「ディーン、気を付けて」

 ハリーの隣に寄り添うジニーから挨拶され、僕は手を上げて答える。マグルの世界へ行こうと壁を通り抜けた。

 その先は見慣れた駅ではなく、何処かの部屋。そこにたイタリアにいるはずの両親がいた。

「おおディーン、本当に来たな! あのジイサン、おまえを魔法でこっちへ寄こすって言ってたぞ」

 騙された。

 僕は父と呼ぶのも不愉快な男が正直、好かない。寧ろ、嫌いだ。

 母が僕を身籠ったと知り、男は簡単に僕らを捨てて逃げた。

 それなのに僕が入学した日、キングス・クロス駅で見かけてから罪悪感に苛まれ、男は母に復縁を申し出た。最初は烈火の如く怒り狂い、母は拒んだ。めげずにそれでも焦らず、細い線のように関係を繋ぎ保った結果、母は折れてしまった。

 僕が知ったのは去年の今頃。

 心底、どうでもよかったがトトから海外への脱出計画もあり、打算で受け入れた。母は男の姓になったが、僕はトーマスのままにするのを条件にした。

 男と対面してわかったのは、僕は父親似であり生粋のマグル生まれだ。

「一か月もこっちに居られるなんて、嬉しいわ」

 その一か月の後、僕にどうやってイギリスに渡れというのか、疑問しながら荷物を解くと作った覚えのないパスポートが入っていた。

 イタリアへの入国手続きも済んでいる。トトに恐怖しつつ、挟まれた手紙を読んだ。

【扉は君の望み通りに開かれる】

 入ってきた玄関口を眺め、そっと外を見てみたが廊下しかない。仕方なく、一か月はここにいる事を受け入れた。

 

 ――親子との仲がほんの少し、縮まったようで遠のいた一月を過ごす。

 杖と時計、小銭の入った財布とほとんど身一つで行くと決めた。

「ディーン、本当に行くの?」

 母に惜しまれ、男は別れの言葉を探して黙りこんでいた。

「行くよ、やり残したことがあるんだ」

 一度決めたら、変えない。僕の性格を知る母は溜息をついて、納得した。

 今日まで何度も開けた玄関の戸を開け放つ。着いた先は勿論、『漏れ鍋』の居酒屋だ。

「ディーン! 久しぶり、私が早かったわね」

 店主のトムと喋っていたハーマイオニーが手を振る。彼女も僕と同じ仕掛けを食らったらしい。お互い、ここに来る選択をした。

「クルックシャンクスは置いてきたわ。貴方のは?」

「僕もだよ、連れて来てもちゃんと世話できないから」

 ハーマイオニーの隣へ座った瞬間、トトは『煙突飛行術』にて暖炉から現われた。

「トム、煙突から失礼おば。2人とも、遅くなってすまぬな」

「「一か月は長かったです」」

 僕達の皮肉にトトは嬉しそうに目尻を下げた。

「皆はご家族の元へ送れたんですか?」

「大体はな、ジャスティン=フィンチ‐フレッチリーだけは聖マンゴ病院に入院させたわい。しばらく、心の療養が必要じゃ」

 ジャスティンは2人の死を目撃し、医務室にいる時の態度も不安定だった。機会があれば見舞いたい。

「それでこれからじゃが、具体的な予定を聞こうかの」

 僕達だけが学校に戻らないと告げた。トトはその真意を理解し、あんな仕掛けをしたのだ。

「コンラッド=クロックフォードの仕事を手伝いたいです」

 トムにまで吃驚された。

「……もしも、コンラッドが騎士団のような働きをしていると思っておるなら」

「いいえ、違います」

 ダンブルドアが創設した『不死鳥の騎士団』、その活動は【ザ・クィブラー】で拝見していた。任務の詳細は載らずとも、文章から誰が活躍しているか憶測を立てていた。

 その中にクローディアの父親は含まれていない。彼はそれ以外の活動を行っているのだ。トトの仕事は僕の手には負えない。出来る事をしたい。

「良かろう、では……まずはこれを……」

 【日刊預言者新聞】が机に置かれ、3人で注目する。トトが指さした四面記事にはマグル学教授、チャリティ=バーベッジの主張が載っていた。

「……ダンブルドアもいねえ御時世にマグル生まれを堂々と擁護するなんざ、自殺行為だ」

 トムは恐怖に慄く。

「先生が危険よ! すぐに逃げて貰いましょう!」

「そうじゃが、バーベッジ女史はちっともわしの話に耳を傾けん。そこでディーン=トーマス、最初の仕事は説得と護衛じゃ。助けを借りても良い、彼の魔女を守り切れ」

 信じて託された人の命。

 僕は不謹慎だとわかっていたが、心が奮えた。

「トトさんはこれからどうされるんです?」

「わしの弟子を連れてくる。まだまだ未熟じゃが、今のわしよりは力となろう」

 未熟なのか、力になるのか、どっちなんだろう。

「コンラッドが弟子じゃねえのか?」

 僕らの疑問をトムが代弁してくれた。

「魔法は国や民族によって細かな系統が異なり、似通っておっても勝手が違うんじゃ。コンラッドには出来る範囲しか、教えておらん」

 トトが自ら弟子と呼ぶその人に早く会いたい。期待に胸膨らんだ。

「わしはもう行く、君らが集まる場所で会いまみえようぞ」

 そう告げた瞬間、トトは『姿くらまし』した。

「何にも注文しねえで行きやがった。ディーンはお茶だったな」

 やれやれと悪態つき、トムは僕にお茶を入れた。

 

 数日かかったバーベッジ先生との逃走劇を割合させてもらえるなら、一言。

 

 ――疲れた。

 

 先生はいつか授業で実践する為と自宅に十種類の銃を所持しており、『死喰い人』を相手にガトリング砲で応戦した。

 この国で銃の入手方法を聞けば「苦労しました」としか答えてくれなかった。

 僕らに『姿現わし』の講師をしてくれた指導官・ウィルキー=トワイクロス、そして卒業生のペネロピー=クリアウォーターの協力を得て、先生を国外へ逃がし切った。

 一仕事終えた僕らはハリーの名付け親・シリウス=ブラックの屋敷へと文字通り飛び込み、倒れ伏した。

「ようこそ、お越しくださいました。お嬢様、お坊ちゃま」

 やたらと愛想が悪く、声の低い『屋敷しもべ妖精』に出迎えられる。動けない僕らは彼の魔法で居間のソファーに運んで貰う。暖かいポタージュまで差し出され、遠慮なく飲み込む。熱くても五臓六腑に沁み渡り、嬉しさで涙が浮かんだ。

「ありがとう、クリーチャー。とっても美味しいわ」

 ハーマイオニーの感謝にもクリーチャーは渋々とお辞儀で返した。

「あの子はクリーチャー。2年前までこの屋敷で1人ぼっちだったから、人見知りなの」

 絶対に違うと思う。けど、空気を読んで言わない。

「けどね、去年からホグワーツでも働いてくれたから、お喋りしてくれるようになったわ」

 ハーマイオニーは豆知識を語るように屋敷の説明し出す。純血主義の魔法族で排他的であり、マグル嫌いのブラック家が決して他人に見つかるまいとあらゆる保護魔法を屋敷に施している。

 最初からここに来れば良かったのではと思いもしたが、隠れ家として打って付け故に最後の手段なのだろう。

「皆で協力して大掃除したのよ」

 話終えたハーマイオニーが一息つく。それを待っていたように来訪のベルが鳴り、クリーチャーは出迎えに行った。

「ようこそ、お越しくださいました。旦那さま、お嬢様」

 トトだ。連れている濁った金髪の女性、弟子だろう。血縁らしく顔立ちがよく似ている。本当に僕らが集まった時に現れた。

「息災であったな」

 僕らがいるのにも驚かず、挨拶してくる。疲れた体に鞭を打ち、挨拶しようとソファーから立った。

「そのままで良い、仕事をこなしたばかりじゃろう。休んでおれ」

 クリーチャーは2人の為にソファーの向かい側へ長椅子を用意した。

「ありがとう、クリーチャー」

 弟子はクリーチャーに感謝したが、彼はやはり渋い顔でお辞儀しただけだ。

「こちらはハーマイオニー=グレンジャーとディーン=トーマスじゃ。2人とも、この子は以前話したわしの弟子じゃ」

 幼子を呼ぶような口調だが、弟子の見た目は魔女として成人している印象を受けた。

「初めましてディーン=トーマス。ハゥワイヲン……グレンジャーさん」

 噛んだとは違う口調で弟子はハーマイオニーの名を言い間違えた。

「クスクス……良いの。英語に慣れていない人には、私の名前は呼びにくいわ。ハーミーと呼んでね。貴女の名前は……」

 ハーマイオニーに促され、名乗った弟子は僕には聞き取りにくい。僕よりも日本語に慣れている彼女も同じ反応だ。

「……ウィーンさん?」

「何処の首都だ」

「……クーフーリン?」

「英雄か!」

 僕らが交代で発音し、その度に弟子がゆっくりと丁寧に唇を動かして名乗る。そんなやりとりが何度も続く。その間、トトは我関せずと黙りこんだ。

「……ウォーリー?」

 何だが、聞きとるのが面倒になる。僕は自分が発音しやすい名前を口にした。

 苦虫を噛み潰したような顔で溜息をつき、弟子は片手で降参を申し出る。途端にトトが腹を抱えて笑った。

「決まりじゃ、ここではウォーリーと名乗るがよい」

「男性名よ!」

 ハーマイオニーは納得できず、抗議した。

「いいよ、本当の名前は私が知っていればいい。では改めて、よろしく。ハーミー、ディーン」

 さっさと立ち直り、ウォーリーの名を受け入れた彼女はトトにソックリの笑顔を見せる。少しくらい亡き同級生の面影を期待して、僕はガッカリした。

 

☈☈☈☈☈☈☈

 闇の帝王がマルフォイ家に滞在し、父上も母上も怯えて縮こまる。喜んでいるのは、伯母のベラトリックスだけだ。屋敷の住人でもないくせに伯母は主人面な態度だ。

 一枚岩ではないが、皆、闇の帝王を恐れて従っている。

 命乞いするように正しい情報を競って出し合う。スネイプもそうだ。

「『闇払い』のドーリッシュからの情報ですぞ!」

「あやつは『錯乱の呪文』にかかりやすい、自分の情報が偽りだと気づきもしていないでしょうな」

 ハリー=ポッターの出発する日がヤックスリーと食い違い、闇の帝王はスネイプの情報を信用する素振りを見せた。

 ヤックスリーは躍起になり、『魔法運輸部』に手勢を送り込んでいるから『姿現わし』と『煙突飛行術ネットワーク』状況は把握できると主張する。

 そうすれば、スネイプは更に否定して『不死鳥の騎士団』は魔法省とは別の組織、故に信用しておらずに別の手段を取ると説明した。

 またも闇の帝王は後者を選んだ。

 土曜日までルーファス=スクリムジョールを殺すか、彼を含めた高官を陥落して魔法省の実権を握れば待つ必要もない。今のところ、『魔法法執行部』の部長パイアス=シックネスに『服従の呪文』をかけただけで到底、間に合わないと闇の帝王は宣言した。

 魔法界の実権を闇の帝王が握る日は、近い。その証拠にアズカバンの囚人達は既に解き放たれている。魔法省はメディアに黙らせているが、もう知れ渡っている事実だ。

 それより、父上の杖が奪われた事が重要だ。ポッターを殺すには兄弟杖では反発し合う為に駄目だと闇の帝王に求められ、差し出すしかなかった。

 アズカバンから戻り、父上は人が変わったように弱弱しい。どんな事態に見舞われても、毅然とした態度を貫いていた誇り高き魔法使いではなくなった。

 僕は失望以上の暗い感情を父上に抱いた。

 解散して各々が闇の帝王と共に敷地の外で出て『姿くらまし』した。伯母はまだ暖炉の前におり、スクイブもどきのジュリア=ブッシュマンといがみ合っている。

「えー、人狼が怖いんだ? 嘘でしょう、ベラトリックス様程のお方が!」

 僕の従姉妹にあたるニンファドーラ=トンクスがリーマス=ルーピンと結婚した記事で、闇の帝王にからかわれて伯母は憤慨している。そこを狙っているのだ。

「その生意気な口を閉じろ! 『穢れた血』贔屓さえ連れて来れんかっただろうが!」

 チャリティ=バーベッジの誘拐に失敗したと聞いた時、正直に嬉しかった。クローディアの作った部活の顧問だったから、自宅が爆発してもどうにか生き延びて欲しいと心から願う。

 けど、その為に僕は何もしてやれない。

「大丈夫か、ドラコ?」

 クィリナスに声をかけられ、手振りで答える。口喧しい争いはカロー兄弟が間に入って諌めていた。

「よおし、よしよし。碌な任務も与えられないからって僻むな」

「カッカするんじゃないよ、ケタケタッ」

「貴様ら、誰の味方をしている!」

 理解できないが、ブッシュマンは微かでも人望がある様子だ。

 不意に両親からの心配してくる眼差しを感じる。

「孔雀の様子を見てくる」

 そう言い訳して庭へ出た。

「坊主も来たか」

 父上の孔雀にクラウチJr.が勝手に餌をやり、戯れる。孔雀達は普段なら、父上以外から餌を取らない。しかし、状況の変化を察して対応している。

〝いま、この瞬間だけ、あんたのお父さんを尊敬するさ〟

 以前、父上の孔雀を目にしたクローディアは胡麻擦りでなく本心から感動していた。

「……その暗い顔は何だ? 任務失敗を嘆いているのか? それとも、小娘の死を惜しんでいるのか?」

「別に関係ないだろ。貴様はどうなんだ。コンラッド=クロックフォードを捕らえ損ねたと聞いた」

 露骨にクラウチJr.は顔を歪めた。

「あいつ、逆に俺を追い回しやがった……」

 どういうわけか立場が逆転した激闘の果て、クラウチJr.はテムズ川に浮かんでいるところを発見された。

 ちなみに伯母とブッシュマン達はこの件を知らない。知るのは闇の帝王を含めた一部だけ、あの男が本気を出した結果だと、誰もクラウチJr.を責めなかった。

「セブルスはまだか?」

「いいや、さっさと行ったよ」

 杖を奪われ、嘆く父上を慰めもしない。所詮、スネイプも闇の帝王へのおべっかに忙しいのだ。

 それ以上、クラウチJr.は追及しない。群がる孔雀を避けながら、彼らの為の寝床へ向かう。寝床と言っても、慎ましい暮らしを望む者には一軒家に見えるだろう。

 寝床の中は侵入した気配に応じ、勝手に灯りがともされる。突然の明るさを嫌うようにスルスルと赤い蛇が影へと隠れた。

 つい先日、この寝床に紛れ込んでいるベッロを見つけた。誰かに攻撃されたらしく、何か所にも深い傷を負っていた。

 誰にも気づかれぬように隠し、必死で介抱した。回復しても出て行かず、ベッロがいるのは自分だけの秘密だ。

「ドラコ様……」

 違った。

 『屋敷しもべ妖精』のウィンキーに見られていたのだ。せめてクラウチJr.には報せるべきだと意見された。

 今もそう考えているだろう。

「駄目だ、懸賞もかけられているんだ。誰にも言うな」

 強い口調で命令すれば、ウィンキーは不満そうに口元を八の字にした。

 本来、マルフォイ家はおろか魔法族は『屋敷しもべ妖精』に意見などさせなかった。しかし、今は協力者として手を組むべきだ。実際、ウィンキーはクラウチJr.から借り受け、こちらは勝手に命令すべきではない立場だ。それでも秘密を守るのは、妖精の性だろう。

「……頼む。今はそっとしておいてやってくれ」

 なけなしの自尊心さえ抑え、懇願する。それが効いたらしく、耳を尖らせたウィンキーは恭しく頭を下げて消えた。

「おまえだけは……僕が守る。絶対に」

 潜んだ影に手を入れ、傷の残った鱗に触れる。強張った蛇の筋肉が少し緩んだ気がした。

 




閲覧ありがとうございました。

黒髪ヒロインも好きだけど、断髪ヒロインも大好きです。

本免許の自由コースはやっていないところがほとんどです。ナビが普及した現在では、試験で見る必要がなくなったそうです。

ダンブルドアが嘆くとしたら、マーミッシュ語を無くしたことぐらいだと思います。

後半はディーン視点。彼の父親は原作では生死も不明です。
クローディアはこれから「ウォーリー」と呼ばれます。

ベッロはドラコが手厚く保護しています。安心して下さい。



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1.家から去る

閲覧ありがとうございます。

主人公の名前はクローディアからウォーリーになりました。

ハリー視点から始まります。

追記:18年11月7日、誤字報告により修正しました。


 バーノン=ダーズリーは上機嫌、ご自慢の会社が念願の海外進出を果たしたのだ。

「ドイツだ、小僧! 貴様にわかるか、この名誉が! オフィスも都内! どうぞと住まいまで提供された!」 

 事業開拓が決まった晩、アーサーとキングズリーにヴォルデモートの脅威について説明され、空港まで護衛する旨を伝えられた。

 聞くに堪えない魔法界の話を聞かされるバーノンの姿は正直、愉快だった。

 だが、ダドリーはこの話に乗り気になり、護衛にシリウスを指名してしまう。その為、ハリーは一気に落ち込んだ。

 一家が去る日の晩、ハリーも『不死鳥の騎士団』の団員と共に出発する。シリウスとは行けない。『分霊箱』探しに出発する前の大切な時間を削られた。

「その人じゃないと僕、護衛はいらない」

「ダッダーちゃん、なんて良い子なの……」

 ペチュニアは魔法族の話を受け入れる息子の姿勢に感動し、バーノンは元指名手配犯と一時的とは言え行動を共にする現実に青褪めた。

 

 大方の家具は業者に依頼し、後は簡単な荷物を車に積めば引っ越し準備完了だ。

「20年もここで暮らしたのに……、出て行かなければならないなんて」

「まだ言うか、ペチュニア。ちゃんと信頼できる留守番サービス業者に留守中の掃除を頼んである。数年の辛抱だ」

 浮かれ喜ぶバーノンと違い、ペチュニアは住み慣れたプリベット通りを惜しんでいる。今日までもずっと難色を示していた。

「ドイツにこの家を移築すれば?」

 ハリーの意見を不快に思い、バーノンの拳が飛んできたが避けた。

「ブラックのおじさんはまだ?」

 筋肉隆々のレザージャケットはよく似あう。しかし、ダドリーの表情は幼子のように輝く。どうやら、以前に駅で紹介してから、すっかりシリウスのファンになっていた様子だ。

 誇りに思うよりも、腹立ちが勝る。

 今朝届いた【日刊預言者新聞】には、リータ=スキータがダンブルドアの伝記を出版するとあった。一年間の強制謹慎に全く答えておらず、死者に鞭打つ行動はハリーの苛立ちを更に募らせた。

 だが、あと少しで彼らとは永遠の別れだ。

 いくら、ハリーの命を守る為にこの家に置くしかなかったと言えど、微かな感謝以外は虐げられた恨みのような感情は消えない。その雰囲気を察し、籠にいるヘドウィッグは大人しかった。

 玄関の呼び鈴が鳴り、ダドリーは真っ先に出迎えてシリウスを驚かせた。

「見て!」

「……ああ、パスポートか。そちらの準備万端のようだね」

 ダドリーはジャケットのチャックを開き、首にかけたパスケースを見せつける。シリウスに褒められたと思い、満足して自慢げにチャックを閉めた。

「時間通りに来たはずですが、私は遅かったようですね」

 居間で待機している夫婦を見渡し、シリウスは渾身の作り笑顔を向ける。本当なら、ハリーも彼に抱き付いて挨拶したいが、ダドリーの巨体が邪魔で無理だ。

「行くぞ、新天地だ!」

 碌に挨拶もせず、バーノンはズカズカと足音を立てる。ペチュニアは名残惜しそうに居間を見渡しながら、ダドリーの肩を押すように玄関へ向かう。ハリーは伯母の背だけにでも、別れを告げようと身構えた。

「ハリー、少し予定に変更があった。迎えが来るまで、ここにいてくれ」

「どうして? マッド‐アイと『姿くらまし』するんじゃないの?」

 その言葉を聞いた途端、ダドリーは動きを止めて緩慢にハリーを振り返ってくる。まさか別れの挨拶かと可愛くない円らな瞳を見つめ返した。

「わかんない」

 あまりにも小声で呟き、聞き逃しそうになった。

「かわい子ちゃん、何がわからないの?」

 ペチュニアも不思議そうに見上げるが、ダドリーはハリーだけを見ていた。

「どうして、おまえは一緒に行かない?」

 今度はバーノンが硬直して玄関の戸に頭をぶつけ、ペチュニアは驚愕して目を丸めた。

「今、なんと?」

「どうして、ハリーは一緒じゃないの?」

 バーノンの呻きにダドリーは力強く繰り返した。

「そりゃあ、他に行く場所があるんだ。そうだろう、小僧」

 シリウスの目がある為、バーノンは極力言葉を選んだ。

「ああ、そうだね。皆のところだよ、魔法族のね」

 ハリーは遠慮なく、皮肉を込めて言い放つ。益々、ダドリーは疑問を強くして追及してきた。

「どうして? 俺達はいつも一緒だろ? 学校は違っても、住む家は一緒だった」

 大人3人は呆気に取られ、言葉を失う。ハリーは何故、ダドリーがそんな事を言い出すのかわからなかった。

「ドイツの家に、僕の住むスペースなんてないよ。粗大ゴミのように邪魔なんだから」

 シリウスがハリーの自虐を咎めるより先に、ダドリーは声を出した。

「おまえは粗大ゴミじゃないと思う」

 今度こそ、ハリーは自分の時間も止まった気がした。でも、ダドリーの照れた顔は動いている。反応に困り、取りあえず口を動かす。

「……あーありがとう」

 ダドリーは名作を生み出す作家のように言葉を考え、ようやく呟いた。

「おまえは俺を助けてくれた」

 急に思い出したように手提げ鞄を探り、ハリーへ包みを差し出す。きちんとラッピングされた贈り物だった。

「去年、ダンブルドアが言っていた。魔法族は17歳で成人するって」

 つまり、ダドリーはハリーの為に用意した。バーノンは息子の行動に吃驚仰天し、呼吸の仕方を忘れて喘いだ。

 それを見ながら、ダドリーが護衛にシリウスを選んだのは名付け親と別れて国を離れるハリーを不憫に思い、気遣ったのではないかと思い付いた。

「ありがとう……」

 胸が暖かく、口もほとんど動かなかったが受け取る。感極まったペチュニアは号泣して、ダドリーに縋り付いた。

「ダディちゃん、なんて良い子なの……ありがとう……って言うなんて」

「ありがとうと言ったのは、ハリーだ! ただ、粗大ゴミじゃないって言っただけだろ!」

 呆然と成り行きを見守っていたシリウスはペチュニアの泣き声に我に返り、怒鳴った。

「シリウスおじさん、ダドリーがそう言う時は「君が大好きだ」って言ったようなもんなんだ」

 ハリーの解説にもシリウスは納得できず、ドン引きする。ペチュニアの泣き声が治まり始めた時、冷静さを取り戻したバーノンは珍しく内ポケットからハンカチを出し、妻へ渡す。

「さあ、もう行こう! 飛行機の時間に遅れる!」

 バーノンは絶対に振り返らない意思を見せ、玄関を開け放ち出て行った。

「またな、ハリー」

「元気でな、ビックD」

 緊張して強張った握手を交わす。いつもハリーを脅していた手が逞しい従兄弟の手になった。

「どうぞ、ご婦人」

 シリウスに声をかけられ、しゃくり上げたペチュニアは夫のハンカチを手持ちの鞄へしまう。ハリーを見ようともしない横顔に向け、挨拶した。

「さようなら、おばさん。気を付けて」

 ペチュニアの慄くように見開かれた目がハリーへ向けられる。今までと違う奇妙な視線だった。

 この叔母もハリーの意表を突く何かを聞かせる気かと思ったが、躊躇いの果てに唇は動かず目礼もなく、彼女もこの家を出た。

 急に空気が広く感じた。

「ハリー」

 2人っきりになれたシリウスはハリーを愛情深く抱きしめ、複雑そうに笑った。

「君は私が思うよりも父親に似ていない。あれがジェームズだったら、決して受け取らなかった……」

 つい先日、ハリーがロンとハーマイオニーと共に出発する話をした時でさえ、「その行動力は父親似だ」と誉め称えた。

 ジェームズに似ていると褒められた時、ハリーはいつも誇りたかった。しかし、若かりし頃の父が本当に傲慢で褒められない性格だった知り、素直に喜べなかった。

 だが、似ていないというのは非常に反応に困る。惜しむ顔をされて言われれば、尚の事だ。

「父さんは問題児だったけど、母さんと付き合って変わった」

「……ああ、そうだ。そして、君の叔母さんはリリーの妹だ。リリーから妹とは疎遠だとは聞いていた……。多分だが、彼女は私と似ている」

 心底、意外な発言に驚く。

「話した事あったかな? 私はずっと、弟のレギュラスと比べられて育った。やれレギュラス、そらレギュラス、……今だから言うが、嫉妬しなかった時期がなかったわけじゃない」

「……それとペチュニア叔母さんがどう関係するの?」

 ペチュニアはリリーの話をしない。話してくれたのは、ハグリッドが迎えに来た晩だけだ。それでも「奇人」などと言って罵っていた。

「……君のご祖父母と一度だけ話した事がある。……リリーの話題しか、しなかったよ」

 顔も知らないハリーの祖父母、ブラック兄弟程ではないにしろ姉妹への愛情に格差を与えていたのかもしれない。

 車のブザー音が聞こえ、急かされる。

「ハリー、すぐに会えるからな」

 任務を思い出し、シリウスは外へ飛び出す。窓から車に乗り込む姿が見えた。

 ハリーは見送り、車にいるダドリーもこちらを見返す。お互いが見えなくなるまで、窓から動かなかった。

 ハリーと一羽しかいなくなり、本当にこの家から去る実感が今更ながら湧いて来る。ペチュニアのように惜しんでいるはずはないのに、ヘドウィッグを籠越しに家中を連れ回した。

 一通り歩いて元の位置に戻り、ヘドウィッグの傍へ座る。握りしめていた贈り物を開封する。意外にも万年筆。バーノンが使うよりは安物だが、確かに万年筆なのだ。

「なんで……こういうことするかなあ……」

 驚きから出た言葉は捻くれている。

 初めて入学前にフクロウ便が届いた時、バーノンは抵抗の為にハリーを物置からダドリーの部屋のひとつへ移した。それを必死で嫌だ嫌だと駄々をこねた姿が懐かしい。

 これを買う為にダドリーはお小遣いを節約したのだろうか、わざわざ百貨店まで出向き店員に包装を頼んだのだろうか、どんな姿も想像できない。

 ダンブルドアがいれば「愛じゃよ、愛」と言われそうだ。

「ヘドウィッグ……信じられるかい? あいつ、僕に感謝していたんだよ」

 万年筆を翳しながら、ハリーは穏やかな気持ちで笑った。

 

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 人は3日もすれば、習慣に適応できる。ウォーリーの名にも3日もすれば慣れた。

「あら、貴女もこういう鞄を持っているのね。私もよ」

 ガマグチ鞄の中身を整頓している時、ハーマイオニーは繁々と物色してからビーズのバッグを見せてくる。以前、クローディアとして渡した鞄ではない事に少々、ガッカリした。

「奇麗なバッグだ。自分で作ったのか?」

「ええ、そうよ。結構、難しい呪文よね……この本は?」

 寝袋等に混ざった【吟遊詩人ビートルの物語】にハーマイオニーは興味津々だ。

「トトから貰った本だ。どっかの魔法使いが子供の頃から読んでいたとか……」

「これは……図書館にはなかったわ。ちょっと読んでいい?」

 目を輝かせ、許可が出るまで読むのを堪える姿は可愛らしい。貸した後、読書に夢中で口を利いて貰えなかったのは残念だ。

 

 その朝、埃まみれの姿でコンラッドは現われる。挨拶もそこそこに、ディーンだけを連れてさっさと行ってしまった。

〔助手はいらないとか言っていたくせに〕

〔ディーンが無事に仕事をこなした。その働きを認めたんじゃよ〕

 トトに宥められるウォーリーをハーマイオニーは興味深そうに眺めてくる。

「貴女はコンラッドさんと仲が悪いの?」

「……頼りにはしている。向こうも多分、同じだろう」

 曖昧に答えた時、シリウスは帰ってきた。

「ただいま、クリーチャー。客人の相手をありがとう」

「お帰りなさいませ、シリウス坊ちゃま」

 極力笑顔でシリウスはクリーチャーを労うが、まだお互いにぎこちなさを感じる。彼は屋敷にいる見慣れない顔に気づいた。

「こちらはシリウス=ブラック、この屋敷の持ち主じゃ。こちらはわしの弟子、ウォーリーと呼んでやっておくれ」

「弟子か……よろしく、ウォーリー。シリウスだ」

 凄い期待に満ちた目で見つめられ、握手を求められた。

「こちらこそ、ブラックさん」

 不思議な物で別人として会ってしまえば、以前感じていた嫌悪が浮かばない。記憶は弄られていないはず、クローディアだった頃から本当にシリウスという存在を受け入れ始めていたと知った。

「ハーマイオニー、親元に帰ると聞いていたぞ」

「ええ、気が変わったの。ビルとフラーの結婚式にも出なくちゃ」

 結婚の話題はしばらく避けたい。ジョージを思い出し、感傷に浸って目に涙が滲む。欠伸のフリで乗り越えた。

 厨房に集まり、クリーチャーが紅茶とお茶受けを用意する。

「ハーマイオニーはハリーの話を聞いているか?」

「いいえ、何か問題でもあったの?」

 急に億劫そうにシリウスは顎を上げた。

「ダーズリー一家の護衛を任された。しかも、ダドリーからのご指名だ」

 予想外の事態、ウォーリーとハーマイオニーは飲みかけた紅茶を噴き出した。

「まーだ、文句を言っておるのか。たかだか、飛行機が空域を出るまでではないか」

「嫌だ……ハリーを迎えに行きたい……。魔法族嫌いの護衛とか、何の罰ゲームだ」

 シリウスは見苦しく喚き出し、トトは心底、呆れた。

「空港とは何処かへ家族旅行?」

「バーノンの仕事で海外に移住するんじゃ。本人の性格はともかく、経営の能力があって良かったわい」

「会社経営? ハリーの叔父さんって経営責任者だったの?」

 ハーマイオニーの質問にトトは「社長」と答え、ウォーリーは吃驚した。

「トトが仕事の斡旋を?」

「まさか、施しなどせん。機会は与えたかもしれんが、掴んだのはバーノン自身じゃ」

 きっとワンマンで横暴な社長なんだろうなと勝手な想像をした。

「まあ、それ以上の問題が起こった。それについて話し合うから、すぐに人が集まるだろう」

 シリウスが肩を竦めたのを見計らったように、騒がしいムーディが現れた。

 義眼を忙しなくグルグル回しながら、ウォーリー以外の3人に合言葉と本人達にしか知らない確認を行った。

「そいつは?」

 不躾な質問を受け、ウォーリーは素直に自己紹介した。

「ひよっこ臭い顔だな、ウォーリー」

 魔法による変身や姿隠しを見抜く義眼。青い眼を出し抜く為、クィレルは魔法を用いずに覆面を用意した。

 今回の整形技術も見抜けないと証明された。

「なんなら、赤と白の縞模様に着替えましょうか?」

 ウォーリーのちょっとした嫌味の意味がわからず、ムーディは義眼で傾げる。ハーマイオニーは笑いを堪えていた為、シリウスに意味を訊ねられた。

「それで、どんな問題が起こったのかね?」

「貴様らにも説明する。集まるまで居間におれ。シリウスはさっさと行け、時間がない」

 慣れた義足で階段を駆け上がり、ムーディは杖で居間の床を叩いて部屋を広げる。渋々とシリウスは護衛任務の為に出発した。

 一時間も経たず、次々と騎士団員が集まってきた。

「スタニスラフ=ペレツです。よろしく、お弟子さん」

 彼のようにウォーリーへ丁寧に挨拶する者もいれば、気にする余裕のない者もいる。リーマスやマンダンガスがその代表だ。

「リーマス=ルーピンとニンファドーラは夫婦なの。けど、ニンファドーラって呼ばれたくないから、私達は彼女を旧姓のトンクスで呼ぶわ」

 ハーマイオニーの人物紹介を聞きながら、見慣れた人々の他人行儀な態度を達観して眺める。否、感情を込めてしまえば、気づかれる恐れがある。何故なら、『開心術』という記憶を視る魔法もあるのだ。

「こんにちは僕、ロン=ウィーズリー。あそこの赤毛は全員、僕の家族だよ」

 ロンがデカイ。更に伸びたかと思ったが、来織は背を縮めていたと思い出した。

 ウィーズリー一家はモリーとビル、フレッドもいる。ジョージの姿を目にし、心臓が緊張で跳ねた。

 正体を明かしたい、知られてはいけない。矛盾した思いに臓物が一気に締め付けられる。人に酔ったフリしてを手で口元を覆い、俯いた。

 ハグリッドがズカズカと現われ、居間の扉を閉めた。

「これで全員か?」

 ムーディの呼びかけに応じ、集まった人々を見渡す。ディーダラス、ポドモアも自分達のリーダーとなったマッド‐アイに注目した。

 まずはハリーを連れ出す計画Aは中止。パイアス=シックネスという高官が寝返り、ダーズリー家に『煙突飛行ネットワーク』、『移動キー』、『姿現わし』を禁じた。

 しかも、表向きの理由はハリーをヴォルデモートから守る為とだという。

「そこにコイツが実に良い案を持って来てくれた」

「……適当に浮かんだだけだあ」

 『ポリジュース薬』にて6人をハリーに変身させ、四方に散らばって出発するのだ。

「ハリーは絶対に駄目って言うわ! 自分の身代わりに納得できる人なら、私だって苦労しないわ」

 ハーマイオニーの意見は最もだ。

「逆は駄目なのか? ハリーが誰かに変身して家を出るとか」

 ウォーリーの意見にムーディは「油断大敵!」と叫んだ。

「ハリーはまだ未成年で『臭い』をつけておる! 仮にわしに変身して魔法を使えば、忽ちシックネスに知られ『死喰い人』に伝わるぞ! ちなみに教えてやろう、『死喰い人』どもは万一に備え、プリベット通りには常に2人の見張りを付けておる。ハリーが買い物にでも出かけるのを今か今かと待ち構えておるわ!」

 『17歳未満の者の周囲での魔法行為を嗅ぎ出す呪文』、本人が使わずとも、成人の使う魔法でも察知する厄介な呪文だ。これのせいでハリーは2年生の折、ドビーが使った魔法の責任を押し付けられて警告を受けた。

「……つまり、シックネスさんとやらはハリーはおろか、護衛に来るであろう騎士団員も、誕生日までは八方塞がりに陥っていると思い込んでいるから、連れ出すなら今と?」

 ウォーリーはそれなら尚、ハリーを鞄にでも閉じ込めて連れ出したほうが安全な気がする。彼の身を案じるモリーからの強い視線を受け、口を閉じた。

「その6人は決まっていますか?」

 スタニスラフの疑問にムーディは遠慮がちに「まだだが、ほとんど決まっている」と答えた。

 突然、我こそはと次々と身代わりを買って出る。騒がしくなり、ムーディは杖を床に叩きつけ、静粛を求めた。

「まず、スタニスラフは駄目だ。そちらの大臣との繋ぎとしての自覚を持たんか」

 ムーディの採決により、スタニスラフは外されてブーイングにて抗議する。

「俺は足手纏いになるだろ? 帰っていいか?」

「ダング、この件が終わるまでは何処にも行くんじゃあねえぞ」

 ハグリッドが念押ししてマンダンガスを引き止める。まさか情報を売ったりはしないだろうが、漏洩の危険は少しでも減らしたいのだ。

 話し合いの末、身代わりはハーマイオニー、ロン、フレッド、ジョージ、ポドモア、マンダンガスになった。

「私、薬でちゃんと変身した事ないもの。良い経験になるわ」

 異性に変身するというのにハーマイオニーは楽しそうだ。

「ここからは先は遠慮して貰おうか?」

 ムーディはようやくトトへ視線を向ける。それを待っていたように彼はいきなり、皆に見える位置へウォーリーを押し出した。

「わしの弟子、ウォーリーじゃ。代わりとして置いて行くので好きに使うが良い。というわけで、わしは退散しようぞ」

〔え、ちょ……お……あんたは何処に行くんだ?〕

 注目を浴びて慌てるウォーリーを余所に、トトは既に廊下へと体を半分出していた。

「皆、幸運を祈るぞい」

 誰の返事も待たず、愛嬌良くウィンクだけしてトトは去った。

 置き去りにされ、変な空気にウォーリーは冷や汗を掻きながら頭を押さえてペコリと会釈する。すぐにハーマイオニーの隣へ逃げた。

「彼女、ちょっと引っ込み思案なの」

 クスクス笑うハーマイオニーの解釈は有り難かった。

「僕も失礼しましょう。作戦に参加できないのでしたら、これ以上の情報は危険です。では、式にてお会いしましょう」

 ビルへ恭しく再会を誓い、スタニスラフも居間を出た。

「ハーミー……、式って?」

 ここで質問しないと怪しまれる。そう思い、ハーマイオニーへ耳打ちする。

「ロンの一番上のお兄さんビルがフラー=デラクールっていうフランス人と結婚するの。さっきの彼も招待客として招かれているわ」

 耳打ちで返してくれたハーマイオニーに感謝した。

 ムーディは咳払いし、計画の続きを話す。7人のハリーにはそれぞれ護衛をつけ、また避難先にはダミーも含めた12軒を構え、保護呪文をかけた。

 更にその家々には『隠れ穴』に繋げた『移動キー』を用意。『移動キー』の名目はビルとフラーの結婚式へ参加するための安全対策としているそうだ。

 その護衛にはムーディを筆頭にリーマス、トンクス、ビル、ハグリッド。この場にいないアーサーとキングズリーだ。

「なんでこの場にいない親父とキングズリー? ディーダラスがいるじゃん」

 フレッドの質問にムーディは煩わしそうに眉間へシワを寄せる。

「……理由がある。だが言わん」

「俺は……、護衛側にしてくれ」

 自分から外れようとするマンダンガスにムーディは更に溜息を吐く。

「いいか、ダンブルドアが言っておったが『例のあの人』はハリーは自分の手で殺す事に執着しておる。つまりは護衛は遠慮なく殺すということだ」

 マッド‐アイの眼力に凄まれても、マンダンガスは不満を消さない。そんな彼を黙りこんでいたリーマスが瞬きを忘れて眺めた。

 不気味な視線にマンダンガスは後ずさる。

「マッド‐アイ、ダングの護衛は誰にするつもりだ?」

「わしだ、コイツは目が離せん」

 ムーディの答えにトンクスは深刻な表情になる。

「ダングは外そう」

 まさかのリーマスの意見にムーディは反対しようとしたが、トンクスがすぐに宥める。

「リーマスの話を聞いて」

 トンクスがくれた間を無駄にせぬよう、リーマスは哀愁を漂わせて目を伏せる。

「……もう、無理強いはさせたくないんだ……。それをすれば、悪い結果に転ぶ」

「そうだろう? 俺はリーマスに賛成だ!」

 表情を明るくし、マンダンガスは喜ぶ。リーマスはそれに答えない。

「では、コイツの分はどうする?」

「ウォーリーに任せよう」

「うえ!?」

 突然の指名、ウォーリーは反射的に変な声が出る。驚いたのはリーマス以外の全員だ。

「正直に言うと、君が奴らのスパイじゃないかと疑っているよ。他にも、私達が置かれている状況を体験してもらいたい。途中で投げ出されては敵わないからね」

 ウォーリーの知らないリーマスの態度。随分と冷徹な言い方は余裕のなさを窺える。信用がない。トトの代わりなら、それくらいこなせと目が語っていた。

「わかった、やろう」

「無茶だ! 弟子のおまえさんに何かあったら、トトはどれだけ悲しむか!?」

 ハグリッドが悲鳴を上げてから、リーマスを睨む。トンクスは確認するような目つきでマッド‐アイを一瞥してから、夫の腕を労わるように撫でた。

「ここでどんな答えを出そうが、私への疑いは晴れない。だったら、行動で示すだけだ」

 敢えて、皆の胸中に僅かでもある疑いを言葉にする。リーマスは一切、動じない。

「彼女は逃げたりしない、置いて行かれたのに残ったんだ。それで十分だろ?」

 フレッドの言い分にロンも同意し、ハーマイオニーがウォーリーとリーマスの前に立ってくれた。

「では、次にだが……」

 会議が乱れると思ったのか、この場でウォーリーを最も疑っているであろうマッド‐アイは続けた。

「箒、セストラル、バイクを用意してある。だが、バイクはハグリッドが運転するからな。箒やセストラルに乗れん奴はいるか? おまえはどうだ?」

 どれも経験がある。バイクではなく、原付だが乗れと言われて問題ない。

「私は全部乗れるし、身一つで飛べる。トトから訓練された」

 素直に答えたら、ムーディは胡散臭そうな感心したような目つきになる。

「それから、7人にはお揃いの服に着替えて貰う。鳥籠とフクロウのぬいぐるみも用意してある」

「……それもダングの考えなわけ?」

 ロンは感心してマンダンガスを見やる。突然、思いついた割には随分と綿密だ。

「ぬいぐるみでも、セストラルは鳥が傍にいたら落ち着かないんじゃないか? ヘドウィッグこそ、隠して連れ出したほうがいい」

「確かにな、荒っぽい運転になる。俺はウォーリーに賛成だあ」

 ハグリッドの発言から、本物のハリーは彼が護衛すると察した。

「いいだろう……。ハグリッド、バイクにちょいと魔法を足すぞ。ヘドウィッグを隠すからな」

 ムーディはハグリッドに向けて語り、義眼はウォーリーだけを狙っていた。

「ハーマイオニー、持っていって欲しい荷物があるなら先に運んでおくわ」

「ありがとう、これもお願い」

 ハーマイオニーは自分の荷物にウォーリーの鞄を混ぜて渡す。杖と塗り薬は常に持ち歩いているが、一言、言って欲しいものだ。

「フレッド、ジョージ。『デラックス大爆発』持ってる? 万一に備えて分けて欲しいんだけど」

「ツケにしておいてやるよ」

 懐から『デラックス大爆発』を取り出し、フレッドはロンへ真面目な冗談を言い渡す。

「君の分だ、投げればいいから」

「ありがとう……」

 ロンから渡され、ウォーリーはフレッドとジョージにも礼を述べる。フレッドは笑顔を返してくれたが、ジョージは目礼だけで答えた。

「トンクスはモリーの叔母御ミュリエルの家……ディーダラスは」

 誰がどの家を目指すか、細かく指示している。そうこうしていれば刻々と時間は流れ、日が傾いた。

「貴様は『隠れ穴』にいろ、いいか? わしが行っていなかったら、その首、ないものと思え!」

「へーい」

 作戦に参加せず澄んだ為か、お調子者の態度に戻った。

 ディーダラスに肩を叩かれ、一瞬、ビビる。

「ウォーリー、……トトの代わりに残ってくれてありがとう。健闘を祈るよ」

「……ええ、貴方も……えと、ディーダラスさん」

 ほとんど部外者で余所者でしかないウォーリーをディーダラスは本気で心配している。それでも作戦参加を反対しないのは彼自身も別の任務があり、深刻な人手不足も関わっているのだろう。

「アーサーとキンズリーとは現地集合だ。ビル、双子を連れて先に行け」

 プリベット通りに『姿現わし』できない。見張りの『死喰い人』に見つからぬように『目くらましの術』を使うとお互いに姿が見えなくなる。そんな状態で大勢が移動すれば、何所かで衝突事故を起こしかねない。

「いいか、到着は合わせろ。もし、誰か欠けても止まらんぞ」

 続いてムーディに外へと追いやられる。薄暗くなりかけた外でハグリッドが宙に向かい、宥めるような動きをしている。

「パントマイム?」

「きっと、セストラルよ。特定の経験をしないと視えない魔法生物なの。私も視えないわ。でも、騎乗は出来るから」

 セストラルの感触は知っている。しかし、騎乗経験があっても宙に浮いたビルの姿は滑稽である。ハーマイオニーもハグリッドの手を借り、セストラルに跨った。

(この状況、ドラえもんの映画にもあったような……)

 思い出しながら、ウォーリーもハーマイオニーの招きに応じて遠慮なく占領した。

「ジョージに興味があるの?」

 油断していた質問に思考が止まり、返答が遅れた。

「一卵性の割には……見分けやすかったからな」

「そうね、今は……とても見分けやすいわ」

 兄弟が話しているというのに、ジョージは心此処にあらずだ。ただ、反応しないだけだで話は聞いているだろう。しかし、以前の愉快な彼ではない。自意識過剰でも、クローディアの死が原因だ。

〔ごめんね……〕

 ゆっくりとした歩調でセストラルは進み出し、ウォーリーはジョージへの想いから唇だけを動かした。

 最後になったハグリッドは黒いサイドカー付きのオートバイへ跨る。彼の体格に合わせた機体が轟音を立て、騒がしかった。

 

 順調にリトルウィンジングへ入り、橙色の空と闇夜が混じり合う。逢魔が辻を通るような不吉な色合いだ。通りを照らすべき街灯も魔法使い達を隠すように点かない。

 待ち侘びていたハリーは、見知らぬウォーリーさえも歓迎して居間へ皆を招き入れる。家具が一切なく、完全に空き家状態。シリウスの任務は遂行されたか、その最中だ。

 ハグリッドが狭そうに出来るだけ縮こまる。

「君は……誰だったかな? マンダンガスが来る者と思っていたけど」

「初めまして、ウォーリーです。ダングは『隠れ穴』で待機しています」

 困惑しているアーサーと挨拶し、キングズリーとも名乗り合おう。黒人の魔法使いとはほとんど話した事がないせいか、ウォーリーにとってもほぼ初対面だ。

 トンクスは挨拶がてら、結婚報告をしてハリーを喜ばせた。

「積もる話は後にしろ!」

 袋を2つ抱えたムーディから作戦変更とその理由について説明され、ハリーは不安そうだが質問せずに辛抱強く聞き入る。彼の母親が施した護りの魔法はダーズリー親子がいなくなった今では、家の敷地を出た瞬間にでも切れる。その点を知らなかった為、ウォーリーは緊張を強くした。

 案の定、本題の囮について触れた時、ハリーは大声で反対した。

 予想通りの反応にハーマイオニーは得意げだ。

「僕が協力しなかったらできないぞ。僕の髪の毛が……」

 言い終える前にハーマイオニーは遠慮なく、ハリーの髪を毟った。

「議論している時間はないの。前にも言ったでしょう? 遠慮なく、皆に護られて」

 油断して変な声を上げたハリーはハーマイオニーの言葉で何かに気づく。それは以前、セオドールとの密会が決まった時にジニーが言ってくれた言葉そのままだ。

「……わかったよ」

 承諾してくれたハリーに皆が安心した。

「失敗すりゃあ、僕達、永久に眼鏡の痩せっぽっちのままだぜ」

 真面目な顔で冗談を言い放つフレッドにジョージは曖昧に微笑んでいた。

 ムーディはポケットから携帯瓶の蓋を外し、ハーマイオニーに髪を入れてもらう。煙が上がり、『ポリジュース薬』の完成を教える。今度はそれをゆで卵サイズのグラス、6つへ注いで分けた。

 ウォーリー、ハーマイオニー、ロン、フレッド、ジョージ、ポドモアは一列になり、『ポリジュース薬』を渡される。今更、男の子へ変身する恥ずかしさで背筋が熱くなった。

「言っておくが、こいつはゴブリンのションベンより臭いぞ」

「ここにいる誰もゴブリンのションベンを飲んだ事ない」

 汚い例えにウォーリーが嫌悪感から思わず反論したが、5人ともキョットンとした顔で見返してきた。

「え……あるのか?」

 5人を見渡してから、不安でロンへ問う。

「そいつは言えないぜ、兄弟」

 意地の悪い笑い方はからかわれたと察し、ウォーリーは頬を膨らませて怒りを示した。

「それでは一緒に……」

 苦笑したポドモアが号令し、6人は飲む。味わわないように息を止め、どろりとした塊を無理やり喉の力で食道へ押し込んだ。

 全身の皮膚や筋肉、視神経に至るまで変身の命令が下る。胸やけと共に嘔吐感が起こり、腹に力を入れても何も喉へ上がってこない。代わりに喘息のように呼吸が乱れた。

 影に変身するのとは全く違う感覚が終わった時、視界には自分を含めた7人のハリーがいる。視力が一気に下がり、ボヤけているが目を凝らせばギリギリ顔の判断は出来た。

「「わお、俺達そっくりだぜ!」」

 息ぴったりに双子は変身の感想を述べる。

「ウォーリー!?」

 しかし、ハグリッドは目を見開いて声を上げる。リーマスとトンクスは愕然とし、ムーディも身構えて、キングリーはハリーの前に立つ。アーサーはビルと息子達を背にした。

「え? 何なに? どこがおかしい?」

 ボヤけた視界でも手足は自分のではなく、男の手。胸もないし、股間にも違和感がある。髪も脱色した金髪ではなく、黒い髪だ。

「眼鏡よ、それとグラスに映っているから見て」

 トンクスは声に警戒を含め、どこからか取り出した眼鏡を渡してくれる。手探りで眼鏡をかけ、ようやく普段の視界になり、グラスに映るハリーの瞳は赤かった。

「えええ!?」

 元の瞳も普通の赤みがかった茶色のはずが、ガーネットのような色彩で赤い。記憶が刺激され、思い返す。ハリーがヴォルデモートに意識を乗っ取られた時、瞳は赤くなっていた。

(……ただでさえ体を変えているからか?)

「失敗なの?」

 ハーマイオニーの服装のまま、眼鏡をかけて深刻そうにウォーリーを覗き込んでくる。

「もう薬はない。夜なら近付かんと目はわからんだろう! 皆、さっさと着替えろ」

 失敗を予感してか、ムーディは唇をわなわなと震わせて命じる。床へバラ撒かれた7人分の服をハリー本人も手に取って着替えた。

 眼鏡をかけた状態で服を脱ぎ、ハリーの右肩にある痛々しい傷に一瞬、手をとめる。セクタムセンプラの痕。あの事件から数か月経つし、傷痕になっていても凄惨さを伝えるには十分だ。

 罪悪感にチクチクと苛まれながら、着替える。ズボンのチャックを上げる時に股間を食ってしまい、味わったことのない痛みに悶えた。

「ジニーの奴、刺青のことやっぱり嘘ついていたぜ」

 ロンが自分の胸を見ながら、そう呟いた。

「元々、魔法薬に強い体質か……拒絶反応の可能性もある」

「あるいは薬の量が足りなかったかもな」

 キングズリーは本物のハリーをウォーリーから隠すように立ち、アーサーと相談している。

 脱いだ服をキチンと畳んで、服の入っていた袋に入れる。もうひとつ置かれた袋には同じリュックサックが、7つだ。

「ヘドウィッグは俺のバイクに隠しておく、わかったかハリー」

「「「「「「「はい」」」」」」」

 7人同時に返事され、ハグリッドは目を丸くして「本物のハリー!」と呼ぶ。本物は照れ臭そうに鳥籠を彼へ託した。

「もうこうなったら、トコトンやるよ。ロン、僕の『ファイアボルト』に乗ってくれる?」

「すまん、私はスタージスだ」

 ハリーの隣にいたポドモアが詫びた時、今度はロンが照れた様子で『ファイアボルト』を受け取った。

「では2人一組だ。アーサーはフレッド、リーマスはジョージ。ビルはポドモア、キングズリーはハーマイオニー、トンクスはロン、おまえはわし」

「わお! 私、『ファイアボルト』に乗れるんだわ!」

 何故かウォーリーは呼ばれない。事前に知っていたからいいが、腹立つ。

「つまり、ハリーは俺ってこった。俺が小さなおめえをここに連れてきた。それを今度も俺が発たせるんだ」

 感傷に浸るハグリッドは誇らしげに微笑んだ。

「ああ、そうだね。今度もまたバイクで、頼りにしているよ」

「泣かせるね、もういいだろ」

 急かすムーディは服の入った袋を背負って、外へ出た。

「奴らはスネイプから、ハリーの性格について本人も気づかぬ部分を話しておるだろう。だから、箒の乗り手は真っ先に狙われる。逆にバイクは奴らにとっても盲点だ」

「それでアーサーが色々といじっちょる」

 ハグリッドはバイクのシートを上げ、そこへヘドウィッグを入れる。ハリーが不安そうに中を覗き込む前に閉められた。

 それぞれの箒、セストラルに2人乗り状態。

 トンクスは楽しそうに『ファイアボルト』へ跨り、今か今かと疼いている。ハリーの顔をしたロンは残念そうに彼女の腹に手を回す。

 ウォーリーはムーディと別の箒、『銀の矢』とは違う箒は久しぶりだ。彼の箒は背もたれがあり、奇抜すぎる。暗闇で飛んでも目立つだろう。

「全員、無事でな。一時間後に会おう! 3つ数える! ……1、2、3」

 ムーディの叫びに応じ、オートバイが轟音と共に発進する。頬に風を受けながら、ウォーリーは飛び去って行く皆を見送った。

 不意にダーズリー家の向かいを見やる。フィッグがいるはずの家には暗く、誰の気配も感じなかった。

「ぼやぼやするな!」

 その直後、ムーディも飛び立つ。その後ろをウォーリーも着いて飛ぶ。彼の箒は速く、最後に飛んだはずが一気に先頭になった。

 予想よりも冷たい風が体にぶつかる。眼鏡があっても、ウォーリーもハグリッドのようにゴーグルが欲しかった。そのほうが速度も出やすい。

 雲よりも高度まで上がった時、鳥の群れのように30人の一団が待ち構えていた。

「ポッターは何処だ!?」

 甲高い叫びは敵の動揺を教え、ムーディは顔色一つ変えずに群れへ突っ込む。遅れずにウォーリーも続く。容赦なく、敵の杖から緑の閃光……つまりは『死の呪文』が放たれた。

 包囲網を突破した時、後方から追ってくる味方の気配を感じる。ビルとポドモアも一緒、同じ方角である北を目指していたのは、この2組だ。

(――なのに、なんで……!?)

 ヴォルデモートは他に目もくれず、ウォーリーの組へとまっすぐ飛んでくる。道具も魔法生物もなく、黒い外套が羽根のように見えるがあれは身一つだ。

「決して特別じゃない」

 風に声は消されたが、ウォーリーは呟く。ヴォルデモートの『飛行術』を恐れていない。問題は何故、ビル達を無視しているのかだ。彼らにも『死喰い人』が6人も張り付き、必死に応戦していた。

 そういえば、護衛の面子にも理由があると言っていた。

 ムーディが先手必勝でヴォルデモートへ仕掛ける。相手は防ぎ、返しに緑の閃光が放つがマッド‐アイは難なく避けた。

 加勢すべきか、懐の『デラックス大爆発』で撹乱すべきか、この判断を間違えばムーディの邪魔になってしまう。極限の緊張に感覚が箒と視界だけに集中し、音が消えた。

 脳髄と心臓から衝動が襲う。体の奥から、発せられた直感。

 一瞬より短い刹那の差でヴォルデモートの杖がムーディの眉間へ向けられた時、ウォーリーは腹の底から叫んだ。

「トム、やめろおぉ!!」

 ハリーの声だが、ウォーリーの言葉は確かにヴォルデモートの耳へに届く。獰猛な笑みは驚愕へ変わった。

 ふたつの赤い瞳の視線が絡み、まるで世界に2人しかいない感覚に支配される。思考や意識の乗っ取りかと思ったが、優勢なのはウォーリー自身だと理解できた。

 ヴォルデモートの口が声を出さずに動いた。

「――ボニフェース」

 呼ばれた瞬間、ヴォルデモートはウォーリーとの距離を額が触れる程に縮める。蛇のように細い目は垂れ下がり、唇のない口が弧を描く。嬉しそうに嗤っていた。

「ようやく、俺様の前に現れたか……」

 ゾッとした。恐怖とは違う寒気だ。

「待っていろ、ハリーの後は貴様だ」

 愉快そうに宣告しているが、友好的な雰囲気はない。嬲る価値のある玩具を見つけた残酷さが伝わってきた。

 風のようにヴォルデモートは素早く離れ、他の方角へ向かう。点程に遠い距離には、セストラルに乗ったキングズリーと偽物ハリーに切り替えたのだ。

「ハーマイオニー!」

 まだ動機は治まらないが、箒を握り締めて加勢に向かおうとした。

「油断大敵!!」

 ムーディは血相変え、ウォーリーの後ろへ杖を向けて閃光を放つ。迫っていた『死喰い人』の仮面は剥がれ落ち、嫉妬に狂ったクィレルの顔を見せた。

 ウォーリーが反応するよりも先に箒が音を立てて、折れる。どうやら、ムーディより先にクィレルの攻撃は成功していた。

 反射的にムーディの箒へと足を絡ませる。身一つで飛べるが、今、ここでそれを証明するのは危険すぎる。ウォーリーは懐から『デラックス大爆発』をクィレルの眼前へ投げつけた。

「そのまま、踏ん張れ!」

 眩い光と激しい音に紛れ、ムーディは箒の速度を上げる。『銀の矢』よりも速く、鋭い動きはあっと言う間に爆発音から遠ざかった。

 後方にいた仲間へ手を伸ばしたが、届くはずがなかった。

 




閲覧ありがとうございます。

バーノンさん、社長なんですよね。すっかり忘れてましたけど(笑)
ダドリーとの打ち解けシーン、映画館のスクリーンで見たかった(涙
なんで未公開シーンに収録やねん

シリウスとペチュニアは似たような境遇だと思っています。

原作ではダーズリー一家の護衛はディーダラスとヘスチア。
護衛の6人はロン、ハーマイオニー、フレッド、ジョージ、フラー、マンダンガスです。
6巻で『死喰い人』ギボンの死を目撃し、ハーマイオニー達はセストラルが見えるようになっています。この物語の現時点では死を見ていない為、今も見えません。

映画ではハリーとハグリッド、ビルとフラー以外はそれぞれの箒に乗っています。護衛の意味ないよね。

マントを羽ばたかせて追いかけてくるヴォルデモート、怖い。



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2.継がれゆくモノ

閲覧ありがとうございます。
すみません、かなり長文になってしましました。



 見捨ててしまった罪悪感を誤魔化す為、必死に自分へ言い訳した。

(ハーマイオニーは大丈夫、ハーマイオニーは大丈夫)

 その最中、ムーディは逆立ち状態のウォーリーを起こし、胴体だけを自分の腹へ乗せる。手足は放り出された変な姿勢にされた為、警戒して彼の箒を掴んだ。

「降りるぞ」

 途端、箒は飛ぶのをやめる。突然の落下する感覚に悲鳴を上げたのは本能だ。

 雲の下は郊外で家の灯りもほとんどなく、ファミレスの駐車場と思われる場所が見える。疎らに停車している自動車の中で、大型トラックへの衝突を予感した。

 荷台には落ちず、直前でゆっくりと地面へ降り立つ。衝撃に構えていただけに拍子抜けしたウォーリーは箒から下り、ムーディは杖で大型トラックの荷台を叩いた。

 荷台の戸がそうっと開き、合言葉を交わす。安心したように顔を出したのはゼノフィリスだ。

 予想外の人物に驚き、ウォーリーは悲鳴を上げそうになったが堪えた。

「1分、早かったね」

「ああ、ちょいと無茶をした。奴らが大勢、待ち伏せていた」

 奴らの待ち伏せ、その意味を察したゼノフィリスは恐れ慄いた

 招かれた荷台の中は外装からは想像もつかない、円形の部屋だ。家具や食器棚も壁にぴったり嵌り、蝶や鳥の絵が抜かりなく描かれている。床の真ん中から向かい、螺旋階段が伸びる。外身の大きさと中身の広さが合っていないのはご愛嬌だ。

 ごちゃごちゃしているようでいて、全体が1枚絵のように均衡が取れている。

 急に視界がボヤけ、目に負担を感じて眼鏡を外す。股間の違和感も消えて胸が控えめに膨らむ。服のサイズも合わなくなった。

「薬が切れた……」

「見ればわかる」

 無愛想にムーディはゼノフィリスに勧められた椅子へ腰かけた。

「あの……ルーナ……娘さんはお元気ですか?」

 挨拶もせず、質問したウォーリーにゼノフィリスは微笑んだ。

「ああ、ルーナは友達の家だよ。ここには私だけだ」

「独り? スキャマンダー夫妻はどうした? 一緒だと聞いていたぞ」

 不用心だとムーディが顔を顰め、ゼノフィリスは目を泳がせて口元を手で押さえる。何か事情があるようだ。

「仕方ないんだ、マッド‐アイ。ようやく、『しわしわ角スノーカック』の存在が証明できるんだ。本当なら、私が行きたいけど、ティナにここで君達を待つように言われて……」

 苦渋の選択と言わんばかりにゼノフィリスは顔を歪める。しかし、白状した内容は『しわしわ角スノーカック』なる魔法生物を捕まえるか何かの為に、夫妻は不在のようだ。

「それって……えーと、教科書にも載らない本当に幻の生物ですよね?」

 こんな状況にも関わらず、夫妻は魔法生物と追いかけっこ。優先順位のズレに立ち眩みがし、ウォーリーは頭を押さえた。

「阿呆か!? ニュートめ、重い腰を上げたかと思えば!」

「ああ、そろそろ時間だ。ほら、2人とも『移動キー』を掴んで」

 ムーディの剣幕に恐れをなし、ゼノフィリスは時計を見ながら壊れたヤカンを指差す。ヤカンに映るウォーリーは元の姿である。これを元の姿と言っていいか、微妙な気持ちだ。

「ありがとうございました」

「礼などせんでいい! ゼノフィリス! ニュートに伝えておけ、覚えていろとな!」

 ウォーリーとムーディが同時にヤカンの『移動キー』を掴む。時間が来たらしく、引っ張られる感覚と共に手を振ってくれるゼノフィリスの姿も見えなくなった。

 

 地面が足に着いた時、景色は様変わりし、何度も見た『隠れ穴』の門にいた。

 窓からこちらの様子を窺うキングズリーが見える。直後に扉が開き、緊張した面持ちでアーサーはムーディへ杖を向けて合言葉を求める。その態度に満足し、マッド‐アイはにやりと笑って答えた。

「良かった……本当に」

 安堵の息を吐き、アーサーはムーディに抱き付く。すぐに家からリーマスやハグリッドも飛び出して出迎えた。

「どうだ? 時間通り。わしらが最後のはずだ」

「まだだ、ビルとロンが遅れている。『移動キー』に間に合わなかった」

 計画の遅れは死の恐れ、ムーディは顔をしかめて土に義足が取られないように急ぐ。

「ロン達以外は着いているのか?」

「ああ、着いた。無事とはいいがてえ、ジョージは耳をやられちまった」

 ハグリッドに言われ、答えるより先に足が勝手に動く。ムーディや家主のアーサーを押しのけ、台所にいるハリーやハーマイオニー、フラー、マンダンガス、キングズリーを見渡してから居間へと突入した。

 ソファーに横たわるジョージはぐったりと無気力で、片耳がない。その様に背筋が凍る。モリー、フレッドの付き添う様子も見えて来ない。

「やあ、ウォーリー。無事だったんだね」

 無理やり、しかし弱弱しく笑う姿。表情筋は動かず、片手だけ上げて答えるのが精一杯。

「ジョージは大丈夫よ……大丈夫だから」

 肩を撫でてくるハーマイオニーに慰められ、台所の椅子へ座らされた。

「誰か戻ったの?」

「マッド‐アイとウォーリーよ。彼女はジニー、ロンの妹なの」

 螺旋階段を降りてきたジニーの腕にはヘドウィッグとピッグウィジョンが止まり、帰還した仲間を出迎えた。

「キングズリーは時間だ、持ち場に戻れ」

 ムーディの指示にキングズリーはまだ戻らぬ仲間を心配し、深呼吸してから了解した。

「戻ってきたら、報せてくれ」

 皆、頷き返したのを見てキングズリーは外へ出て行った。

「じゃあ、俺もそろそろ……」

 お暇しようとしたマンダンガスへムーディの杖が投げられ、ズボンの裾が床へ縫いつけられる。ハグリッドも逃げないように裏口の前に立って塞いだ。

 ウォーリーは知らずと口を開いた。

「誰がやったんだ? ジョージの耳は……」

「スネイプの仕業だ」

 リーマスの声が脳髄に直接響き、そのまま首の後ろも熱くなる。

 そうだ。スネイプはヴォルデモートの為にクローディアも殺せる。見知らぬ他人も見知った知人も命令とあらば、その手にかけていくのだ。

 何故、そんな当たり前の事に気づけなかったのだろう。コンラッドの友であり、頼るべき大人として贔屓し、スネイプの人間性を見誤ってしまった。

 沸々と滾る怒りは指先まで強張らせ、歯ぎしりが鳴った。

「帰ってきたわ!」

 ハーマイオニーは歓声を上げ、ハリー達と外へ出迎えに行ったが聞こえなかった。

「一緒になったみたいだ」

 ロンと3人はムーディから合言葉を要求されて答える。ジョージの状態を知った後、ビルは厳しい表情で杖をウォーリーに向けた。

「ビル、どうした!?」

「ヴォルデモートはこいつを見逃した。情報を売ったからだろ?」

 慌てるアーサーにビルは冷静に答え、帰還に喜ぶ雰囲気ではなくなり、一斉に動揺が走る。リーマスも杖を構えてウォーリーへ向けようとした。

「止せ、こいつの身元はわしが保証する。奴らの側ではない。寧ろ……」

 ムーディの義眼がマンダンガスへ向けられる。

「今夜の作戦を誰かに漏らしたか?」

「やっぱり、そう来ると思ったが違う! 俺はあんたにしか言ってねえ! 誓って本当だ!」

 マンダンガスの弁解を聞かず、ムーディは彼の胸倉を掴む。

「ダングが犯人なら全部、言うはずだ。あいつらは出発の日時は知っていても、囮がいる事は知らなかった。中途半端な情報は返って命取りになる」

「ああ、リーマス! もっと言ってやってくれ! 俺じゃねえ!」

 リーマスは懇願するマンダンガスへ冷たい視線を向け、ウォーリーへと転じた。

「君も黙ってないで何か言ってみろ」

「五月蠅い」

 ウォーリーは話をほとんど聞いておらず、爆発しそうな感情に思考も淀んでいた。そこへ来たビルの声が心底、煩わしい。

「考えているんだ、黙っていろ」

 顔も見ず言葉に出来たのは、命令。

 ビルの表情は益々険しくなり、一触即発の雰囲気を察してハーマイオニーはウォーリーの前に立つ。急いでロンも兄と真正面から対峙した。

「やめて! ウォーリーは『ポリジュース薬』の効果で変になっていた。それにヴォルデモートは興味を示しただけだ」

「……そーだとしても、ビル達が今夜、貴方を連れ出す事を何故、知っていたのか、説明つきません。誰かがうっかり時間だけ漏らした。それなら、全容を知られません」

 ビルとハリーの意見を尊重し、フラーは婚約者以外を見渡した。

「全容を知らない誰か……」

 反論も浮かない沈黙の中、ウォーリーは思い付く。その内容に笑いが込み上げた。

「何がおかしい」

「……いるじゃないか、全容を知らなくて日時を知っている奴。スネイプだよ」

 ビルへ皮肉っぽく答え、皆、ハッとお互いの顔を見やる。

「だが……日時を正確に決めたのは葬儀の後では……」

「いや、ありうる。今夜もダンブルドアが前から決めたようなものだ。信頼されていたスネイプなら、生前の内に話した可能性は高い」

 疑問するアーサーにムーディは忌々しそうに舌打ちした。

「ウォーリー、疑って悪かった。ビル、杖を下ろしてくれ」

 目を伏せたリーマスはビルの杖を手で塞ぎ、ほとんど無理やり下ろさせる。まだ納得していない婚約者へフラーもこれ以上の諍いを求めず、寄り添って宥めた。

「んじゃ、作戦は成功ってことでおめでとうさん。おやすみー」

「あら、ダング。良いじゃない。今夜は泊って行きなさい」

 ようやく、帰還を祝えるモリーは嬉しそうにマンダンガスを引き止めた。

「ウォーリーもおいでよ。どうやって包囲網を突破したのか、教えて」

 ハーマイオニーとロンに手を引かれ、まだ感情が治まり切らないウォーリーは逆らわず居間へ引っ張られる。フラーが白いハンカチを手渡し、手の平へと巻いた。

 自分の手が爪で傷ついていると今、気づく。急に上がっていた熱は冷めて手の痛みを感じた。

 ハンカチを血に染め、フラーに詫びる。彼女は笑って許した。

「私達、ベラトリックスに追われたの。もう本当にしつこくて、でも、ロンが『失神呪文』をかけたのよ。あのベラトリックスに! 凄かったわ」

「ほんと?」

 トンクスは『ファイアボルト』を肩にかけてロンの活躍を強調して語り、ハーマイオニーは意外そうに彼を見やった。

「意外で悪かったね」

「私達には5人着いてきたわ。キングズリーが2人、倒してくれた。ヴォル、デモートも加勢に来た時は駄目かと思ったわ。すぐにいなくなったけど」

 ハーマイオニーは遠慮がちにハリーを見やり、彼はリーマスを一瞥してから溜息をついた。

「僕達を追ってきたのは、ジュリアとクラウチJr.だ。彼女らも空飛ぶバイクだったよ。それでジュリアに『武装解除の術』を仕掛けたから、本物と気づかれたんだ。クラウチJr.は僕が本物だって叫んでいた」

 ハリーの一言、一言をムーディは血管が切れそうな表情で聞いていた。

「『武装解除の術』の段階はとっくの昔に……」

「それはさっき、リーマスが言ったわ」

 ムーディの言わんとした事をジニーは遮った。

「ジュリアはきっと目を覚ましてくれるよ。それがいつになるかはわからないけど……」

 絶対だとハリーは確信的に拳を強く握る。彼がそこまでジュリアに拘りを見せるのは、かつての仲間意識とベンジャミンの孫という点が合わさっているからだろう。無論、ウォーリーは帰りなど待っていない。

 僅かにあるその情けがハリーの命取りにならないように力を貸そうと改めて思った。

「いまに知れ渡るだろうが、ハリー、おめえさんはまた勝った! あいつに真上まで迫られたっちゅうに、立派に戦って退けた!」

「うえーい! ハリー万歳!」

 マンダンガスを振り回すように肩を組んだハグリッドが陽気にハリーを讃える。2人の手にはファイア・ウィスキーの入ったグラスがある。既に酔っぱらっていた。

「ウォーリーもどうぞ」

「申し訳ない、私は酒に弱いのでね」

 ポドモアに勧められたが、断った。過去に酔っ払った例もあり、この体ではどんな異変があるのかわからない。

「あれは僕じゃない、僕の杖がやったことだ。杖がひとりで勝手に動いたんだ」

 急に静かになった。 

「……? それは杖に助けられたな。これからも大事にしなよ」

 ウォーリーは静けさの意味がわからず、素直に答えた。

「僕もそう思っていたよ」

 肯定され、ハリーは嬉しそうにジニーからファイア・ウィスキーのグラスを受け取った。

「ウォーリー、適当な事を言わないで。ハリー、そんなことはありえないわ。貴方は無意識に魔法をやってのけたのよ」

「違うよ、バイクが落下してて何処にヴォルデモートがいるかわからないのに、杖は真っ直ぐアイツを狙って呪文を放ったんだ。しかも、金色の炎だよ。僕はそんな呪文、知らない」

 ハーマイオニーに否定され、ハリーは状況を必死に説明する。しかし、ウォーリー以外は皆、似たような表情と態度で彼を心配した。

「よくあることだ。追い詰められた状況では、思いもよらぬ魔法を使う。小さな子供もそうだよ」

「ウォーリーが言うように、杖が助けてくれたんだ!」

 ハリーは縋るようにムーディを見つめる。百戦錬磨の元『闇払い』なら、杖に何が起こったか説明してくれると期待していた。

 皆の視線が自然と彼に集まる。

「ポッター、わしが現役だった時でもそんな経験はしておらん。だが、そういう状況に名前は付けられる」

 携帯瓶を一気に煽り、ムーディは義眼をハリーへ向けた。

「そいつは奇跡だ、ポッター。奇跡は二度は起らん。次を期待するな、わかったな」

 ハリーは一瞬、硬直する。ムーディには無縁で似つかわしくない単語が出たからだ。しかし、自分の話を信じている上での返答である為、安心して受け入れていた。

 彼以外はウォーリーを含め、背筋が凍る思いだ。

「本当にマッド‐アイ?」

 思わず呟いたロンにハーマイオニーは肘打ちを食らわせた。

「それから、アーサー。油断大敵!」

 そう叫びムーディはアーサーの額へポドモアのグラスを投げ放つ。本当に油断して、額にぶつかった。

「自分の経験だけで、結論付けるな。常識など通じぬ、非常識の中に我々はおるのだ。それで『偽の防衛呪文ならびに保護器具の発見ならびに没収局』が務まるのか? 貴様がこれまで没収していた物の中に常識的な物がひとつでもあったか!」

 本気で説教され、アーサーは額を撫でながら反省した。

「……そうだとしても、しかし……あー、すまなかったハリー。君の体験は参考にさせて貰うよ」

「いいえ、僕こそムキになって」

 恐縮になり、ハリーは背筋を整えてアーサーと握手を交わす。ハーマイオニーも自分が叱られたわけではないが、ムーディの説教は身に沁みた。

「それから、ウォーリー。おまえは素直すぎる、疑え」

「私はハリーを信じる。ただ、それだけだ」

 そう答えた時、ハリーの瞳から感謝の色が見えた。

「「結局、キングズリーを護衛に回した理由ってなんだったの?」」

 話を逸らそうとフレッドとジョージは問う。ムーディは喋り疲れたらしく、トンクスへ顎で説明を求めた。

「『例のあの人』は本物のハリーなら、一番タフで熟練の魔法使いが一緒だと考えるわ。つまり、マッド‐アイね。ウォーリーを見逃したら、私達の傍にいたキングズリーに切り替えたわ。彼は次期局長候補の1人だもの」

「おい! するってえと俺はマジもんの囮にされるところだったのか、勘弁してくれ」

 恐怖のあまりマンダンガスは青褪めるどこか、白くなっていた。

 ウォーリーはリーマスを視界の隅で見やる。目を逸らす彼も配置の理由を知っていた様子だ。そこを追及しても、責めているように誤解される為、黙って置いた。

「私達はゼノフィリス=ラブグッドの住まいに到着して、『移動キー』の時間まで待った。彼には娘さんがいて、友達のところに言っているという話をしたよ」

「その子はルーナと言うの。とても良い子よ、結婚式に来てくれるから、紹介するわ」

 微笑んだジニーは油断せず、ルーナの所在は教えない。ウォーリーを警戒しているというより、彼女の視線は飲んだくれのマンダンガスに向けられていた。

 

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 台所に交代で見張りをつけ、就寝。

 くじ引きで2番目を引いたロンは一時間の仮眠を取ってから、起きる。眠気と戦いつつ、隣の寝台にいるハリーを一瞥する。月明かりで緑の瞳と目が合い、一瞬、本気でビビった。

「眠れないの、ハリー?」

「ああ、君の鼾が羨ましかったよ」

 眼鏡をかけ、ハリーもゆっくりと起き上がる。動作が緩慢なのは顔色の悪さも関係している。原因をロンはすぐに理解した。

「また『例の人』と繋がったな?」

「僕の意思じゃない、勝手に見せつけられたんだ。けど、オリバンダーに比べれば、大した事ない。あいつに……八つ当たりされていた……」

 行方不明の杖作りはヴォルデモートの手に落ちていた。

 想像はしていたが、確かな情報にロンは胃が竦む。ハリーはオリバンダーが拷問される様を見せつけられ、救えない無力さも相まって青褪めているのだ。

「それでも、閉じないと。オリバンダーが心配なのはわかる。けど、君は自分の事で精一杯なんだ」

 ハリーは答えず、ロンに着いて階段を降りる。

「ウォーリーはクローディアじゃないよ」

「けどな、リーマス。そうでないなら、マッド‐アイがウォーリーの身元を保証するかい? トトの弟子なんて、出来すぎている」

 台所からリーマスとスタージスの会話が聞こえる。聞くとはなしに聞いてしまい、ロンとハリーは首の後ろが熱くなる。足を止め、声を潜ませた。

「彼女はスネイプを庇わなかった。それどころか、今夜の密告者を奴だと断言した。クローディアなら……どんな状況であろうとも、スネイプだけは疑わない」

「そりゃあ、自分を殺した相手だぞ。流石に庇いは……」

 スタージスが言い終える前にリーマスは激しく机に拳を叩きつけ、揺れた。

「あの子は自分がそんな目に遭っても、「私は死んでないですよ」とか言って笑い飛ばすんだ! その後は延々とあの状況でスネイプの行動が如何に正しかったか説明するんだ。そういう子なんだよ……。……彼女はあの子じゃない……」  

 悲痛な声を上げ、リーマスは苦悩に頭を支えて俯く。今述べた言葉は自分自身への言い訳なのだ。

「……リーマス。この話はやめよう。そろそろ、交代の時間だ」

 入りにくい状況だ。

 ウォーリーの顔は勿論、声も背丈もクローディアとは違う。違う個所を並び立てれば、キリがない程だ。しかし、ロンはそうではないかと疑問している。理論でも推理でもない、勘の部類だ。

 もしかして、シギスマントを元にした『ホムンクルス』がまだ残っていた可能性も考えた。ここでは結論を出さない。

 ロンとハリーは目配せして5分程、間を置いてからわざと足音を立てて降りる。素知らぬ顔で交代した。

「出発を早めたいんだ。今からでも」

 いきなり、ハリーは剣呑な雰囲気を醸し出す。出発とは『分霊箱』を探す旅だ。まだ未成年の『臭い』を付けたままでは危険すぎるし、ビルとフラーの結婚式もある。庭ではハグリッドとマンダンガスが大量の毛布を被って寝ており、外に出れば気付かれる。その話をすれば、彼の眉間に深いシワが刻まれた。

「結婚式に出ている場合じゃない……、ごめん……誰の結婚式でも」

「いいや、出ている場合だよ。僕らは危険を冒す。その前に、幸福な瞬間を見ておくべきだ」

 どんな旅路になるかなんて想像できない。しかし、死の恐怖に駆られた時、長兄の結婚式に参加しておくべきだったと悔やみたくない。

「幸福な瞬間……」

 意外そうに呟いた後、ハリーは何度も頷いて納得した。

 

 翌朝。ハリーを寝かせたままロンは寝不足に構わず、ハーマイオニーに相談しに行く。一緒の部屋で寝ていたジニーとウォーリーに気を遣わせて2人きりを狙った。

「あの子はクローディアよ、当たり前でしょう」

 一晩の悩みが虚しくなる程、あっさりと言われた。

「あいつは顔どころか、杖だって違うぜ。一体何を根拠に言っているんだ? 嬉しさよりも、もうわけがわからない気持でいっぱいだ。まさか、君まで柄にもない奇跡だとか言うのかい?」

「確信したのは、まさに奇跡を聞いたからよ。詳しくは言えないわ。出発してからにしましょう」

 ハーマイオニーの態度から、また4人での行動になる。ただ、正直に喜べず、むしろ、ジョージを含めた大勢を騙した怒りのような感情が湧きつつあった。

 だが、ウォーリーを責めはしない。ロン達も理由を話さず、家族の元を離れる。アーサーは納得できずとも追及はやめたが、モリーは詳細を求めてくる為に厄介だ。

 そんな中にウォーリーも加わったと知れば益々、執拗な尋問をされるだろう。しかし、機会は朝食の席にて得られた。

 宥め役のアーサーとビルが仕事に行き、話を逸らせそうな面子も日の出と共にいなくなった。フラーとジニーにフレッドとジョージを起こしに行かせたモリーはこれ見よがしに訴えた。

「ムーディからも何か言って頂戴、子供達だけでダンブルドアの願いを叶えようだなんて」

 今から口にするベーコンエッグに細心の注意を払っていたムーディは義眼だけでロン、ハリー、ハーマイオニー、そしてウォーリーを順番に見渡した。

「ウォーリーにコイツらのお守りをさせる。それでいいだろう」

「え?」

 予想外の返答にモリーは慄いた表情で驚いたウォーリーを一瞥してから、ムーディに睨みを効かせた。

「貴方がハリーの役目を買って出ようと思わないの!? 護衛まで他人任せにして!!」

「わしに任せるつもりなら、ポッターの出番は最初からない。わしは何も聞いておらんし、代わりなどせん」

 一切、モリーに配慮のない言葉を聞き、今度はウォーリーが標的にされた。

「ウォーリー、この子達は学校も行かず、行き先も目的も何も教えてくれないのよ。率直に言って、私もアーサーは知る権利があると思うの。グレンジャーのご両親も!」

 我が子の身を案じる情に訴えられては、ロンもチクチクと心に刺さる。ハリー、ハーマイオニーは気まずそうに黙って、スープを飲む。聴覚を働かせ、ウォーリーの言葉を待った。

「知るべきではないと思います」

 これまた予想外、モリーの怒りが頂点に達した気配を感じる。リーマスでなくとも、トンクスのような仲介を期待していたが、無理だった。

「まだ成人したばかりの学生よ! 誤解しているのよ、自分達こそが成し遂げなければならないなんて!」

 爆発したモリーが怒鳴った瞬間、裏口の戸が豪快な音を立てて開く。注目すれば、シリウスが溌剌とした笑顔で現われた。

「どうだ! 時間通りだぞ、マッド‐アイ!」

 すぐにムーディから本人確認され、ハリーは喜んでシリウスに再会の抱擁を行う。

「ダドリー達は無事に飛んで行った。ちゃんと飛行機がイギリスの空域を出る迄、見送ったぞ。あれ良いな、空飛ぶ家みたいだ」

「シリウス、ちょうどいい時に帰って来たわね。マッド‐アイったら、ハリーにはウォーリーを連れて行かせるから我慢しろって言うのよ!」

「我慢しろとは言ってない」

「何、なんだ?」

 いきなりモリーに怒鳴られ、シリウスはハリーから簡単に説明を受ける。ウォーリーを一瞥し、顎に指を当てる。何故か頷いた。

「ウォーリーは元々、我々の数に入っていない。不安がないと言えば嘘になるが、文句はない」

 ムーディに同意され、モリーは怒る気力も無くしたように呆れた。

「決まりだな、くれぐれも邪魔はせんことだ」

 慎重にベーコンエッグを平らげ、ムーディは椅子から立ち上がった。

「シリウスも来たところで、わしは行くぞ」

「本当に結婚式に出ないつもり?」

 今度は別の理由でモリーはムーディに怒っていた。

「これからのわしはハリーによく似た奴を連れて、あちこち飛び回らんと行かんのでな。すれ違うこともあるだろう。わしが敷地を出た後は『移動キー防止』も加えておけ」

 『隠れ穴』に施した幾重の安全対策では、ムーディはまだ満足できない。

 裏口を向いたまま、義眼は台所にいる面子を見渡す。ハリーが別れの言葉を口にしようとすれば、手で制された。

「見送りはいらん、次に会うまで生きておれ」

 自分で別れの言葉を言いながら、ムーディは誰にも振り返らず庭を通じて敷地の外へ出て行く。自然と皆に窓へと集まり、マッド‐アイを見送った。

 皆の視線を青い義眼が見返し、『姿くらまし』した。

「「行く前に話したかったのに」」

 ようやく降りてきたフレッドとジョージは残念がった。

「あれ、フラーは?」

「優雅に朝風呂」

 ロンの質問にジニーはやれやれと答える。円滑に朝食を済ませる為、ハリーと一緒にさっさと階段を上った。

「ハリー、ロン、少しいいか?」

 追いかけて来たシリウスは周囲を確認した。

「ロケットの件だが……」

 『分霊箱』だ。シリウスにはそのロケットの重要性を教えていない。しかし、ヴォルデモートが『亡者』に護らせてまで隠したがった品だと知っている。

「ガマガエル婆……アンブリッジの手に渡った」

 今、最も聞きたくない名前のひとつ。絶望したロンは露骨に嫌な顔をした。

「昨日、会った時はわからなかったの?」

「ああ、ここに来る途中に連絡を受けた。君も知っているだろう、クララ=オグデンだ。アーサーの部下でな、彼に内緒で探って貰ったんだ。ロケットの特徴だけ伝えたから、類似した品の可能性もあるが……」

 きっと、本物だろう。ロンとハリーはげんなりした。

 

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 如何にしてハリーの『分霊箱』探しの同行を許して貰うか、悩んでいた所にムーディからの助け船は非常に有り難かった。

 自分の正体を知る上での提案かどうかは、確認しない。

「私達が何をするかは出発してから教えるわ。ここだと誰が聞いているかわからないから、いつでも出られる準備はしておいてね」

 ハーマイオニーは好意的に歓迎してくれたが、ハリーとロンは非常に微妙な顔をしてきた。反対されなかっただけ、良い反応と思う事にした。

 ロンの準備はほとんど万全、黒斑病を患って休学する手筈を整えていた。

「黒斑病って……重病じゃないのか? 入院を勧められるぞ」

「身代わりの僕を見れば、そんな言葉も出ないよ」

 アーサーの協力を得て作った身代わりとやらは見せて貰えなかった。

 自分の意見が通らない為、モリーはウォーリー達を徹底的に扱き使う。フラーの両親と妹のガブリエールを迎える準備として、まずは不要な板で全身が通れる扉を作る。その扉もどきに『検知不可能拡大呪文』をかけて、居間の空いた壁に設置した。

 中は3人が寝られるだけの空間に窓も付けた。

「この扉、もうちょっと何とかしていい? 鶏小屋じゃないんだから」

「ベッドメイキング、私がやります」

 自信の作だが、ジニーは魔法の効果よりも扉の見た目に拘る。フラーは楽しそうに寝台も準備し、マットも用意して部屋まで飾りつけた。

「「フラーの家族が帰ったら、使ってもいい?」」

「駄目だぞ、こういう魔法に慣れると見境がなくなる」

 目を輝かせるフレッドとジョージにアーサーは断固として反対する。確かに『W・W・W』の倉庫にされそうだ。

「アーサーったら、自分の事を言っているのよ。私の目を盗んでマグル製品を家に持ち込むんだから、ガレージの車も見た? ハグリッドの使ったバイクも持ち込んでいるんでしょうね」

 凄い嫌味を放ちながら、モリーは愛する夫の聞かせるように通り過ぎる。アーサーはわざとらしく口笛を吹いて誤魔化した。

「似た者親子か」

「そりゃあ、あの双子のお父様ですからね」

 何気なく呟く来織にハーマイオニーは慣れたように返した。

「ところで式場はどこでやるんだ?」

「ああ、君には言ってなかったね。うちの庭だよ」

 ビルに言われるまで思いつきもせず、心底、驚いた。通りで『庭小人』と雑草だらけだった庭は芝刈り機に刈られたようにサッパリしているはずだ。

(……小さい頃にご近所さん家に連れて行かれた時、白無垢の人がいたけど……あれも結婚式だったんだろうか?)

「ウォーリー、結婚祝いの品を選り分けて頂戴。私の部屋に積んであるから」

 考え込んでいる間にモリーに次の仕事を言いつけられる。

 

 無事に到着したフラーの両親を見た感想、姉妹は母親アポリーヌ似であるという一言に尽きる。父親は妻よりも背が頭一つ低く、テッド=トンクスに負けない見事な腹の持ち主だ。

「シャルマン(素晴らしい)!」

 ジニーとフラーが飾ってくれた客室を誉め称え、アポリーヌは何故かモリーを労る。ガブリエールは久しぶりの姉との再会を喜び、他の面子は目にも入らない様子だ。

 

 結婚式の前の重大な祝い。ハリーの17歳の誕生日だ。

 ハーマイオニーに叩き起こされ、降りた台所にはハリーへの贈り物で山になっていた。

「……そういえば今日だった」

 今、気づいた風を装う。何か用意していては逆に怪しまれる。

「無理しなくていい、何なら言葉だけでも嬉しいものだよ」

 ハリーの身長より大きな箱を用意したシリウスに言われても、説得力無い。ムッシュ・デラクールまで贈り物の山に包みを置いていた。

 仕方なく、荷物からカップ麺を取り出して急いで包む。その間に家長のアーサーは出勤していた。

「ねえ、グレゴロビッチって知ってる?」

 肝心のハリーから、挨拶より先に質問が来た。

「いいや、知らない。お誕生日、おめでとう」

「ありがとう」

 ヘドウィッグを撫でながら、ハリーは山のような贈り物に驚く。白フクロウも興奮して山の上へと止まり、嘴で四角い包みを加えて渡した。

「まあ、ヘドウィッグ。それは私とアーサーからよ」

 自分の贈り物を最初に開けて貰える喜び、モリーは料理する手を止めた。

 ハリーは照れくささではにかみながら、開封すれば使い込まれた金の腕時計。文字盤には針の代わりに星が回り、いかにも魔法使いの代物だ。

「魔法使いが成人すると時計を贈るのが、昔からの慣わしなの」

 今知った習慣にウォーリーは日本の友達がくれた腕時計を思い出す。そして、シリウスを一瞥する。彼も時計を用意していたら、気まずい。

「ロンと違って新品じゃないけど、実は弟のフェービアンのものだったのよ」

 フェービアンの名に聞き覚えがある。『不死鳥の騎士団』創立メンバーの写真にいたギデオン=プルウェットの弟。あの時、2人は死んだとシリウスは教えた。

 ここで初めて、モリーは家族を『死喰い人』に殺されていたと思い知る。それでロンは勿論、ハリーとハーマイオニーの身を過剰と思えるほどに案じるのだ。

 形見を譲り渡す。その意味を十分、理解したハリーは感情のままにモリーを抱きしめた。

 そして、次々と嬉しそうに包みを丁寧に開封する。魔法の髭剃りを見て、ハリーは成人した男性として扱われていると意識した。

「これ、ウォーリーからだよね? 嬉しいなあ、一生大事にするよ」

「食べろ」

 ほとんど冗談のつもりで渡したカップ麺は意外に好評で、ハリーは魔法の品でも見るように目を輝かせた。

 シリウスの贈り物はスノーボード、被っていなくて安心した。

「僕、ゲレンデにでも行く予定ないよ?」

「こいつは空を飛んでくれる。箒に跨れない場所とかで使ってくれ」

 ハリーの行く先を出来るだけ想定し、シリウスは準備してくれた様子だ。

「そういえば『ファイアボルト』をトンクスに渡したままだった!」

 ロンに叫ばれるまで誰も気づかなかった。

「あの箒は目立つから、このままトンクスに預かって貰うよ。いいよね、シリウス」

「ああ、ハリーの箒だ。好きにするといい」

 大事にしていた箒を預けるという形で手放す。それだけ旅への意気込みを感じた。

「ボンジュール」

 ガブリエールが快適に目覚め、台所が手狭になる。ハリーはロンと協力して贈り物を抱えて階段を上りそれにハーマイオニーも着いて行く。あれを全部、彼女のビーズバッグに入れる気だろう。

「ねえ、ウォーリー。チキンラーメンは持ってないのか?」

 ジョージに話しかけられ、動揺して心拍数が早まる。この4日間、彼から基本的な挨拶はしかなかった。

「……持っていない、ジョージはチキンラーメンを食べた事があるのか?」

「ないな、持ってたら食べたかったんだ。それだけ」

 あの時はリーマスに横取りされるように喰われた。

「夕飯は楽しみにしていて、ハリーの誕生日なんですから」

 食べ物の話を敏感に感じ取り、モリーは奇妙な対抗意識を燃やして話に割り込んだ。

 デラクール一家が朝食を平らげた時、穏やかな笑顔で階段を上がったはずの3人がそれぞれ深刻そうな表情で駆け降り、庭へと飛び出た。

「なんだ?」

 只ならぬ雰囲気にウォーリーは着いて行こうとしたが、シリウスに止められた。

「あれはハリーとロンの問題だ。ハーマイオニーもいるから、怪我はしないさ」

「2人が揉めるなら、仲裁は必要だ」

 意味が分からず、怪訝するウォーリーにシリウスは困った笑みを向ける。周囲の会話に紛れるような小声で耳打ちする。

「原因はジニーとのことだ。ハリーとはそういう関係なんだ」

 教えられた瞬間、台所を見渡す。急な仕事で早めに出勤したアーサーは省き、ジニーの姿がない。まだ自分の部屋にいるのだ。

 そして、ハリーが上にいた時に兄のロンが怒りたくなる事態が起こった。

 恋人同士でする事を想像し、こちらまで恥ずかしくなる。

「気が利かず、すみませんでした」

 恋路に疎い我が身を恥じ、思わず敬語で詫びる。シリウスは頷いて笑い返した。

 

 夜7時の誕生日会まで、皆はハリーの為に庭を飾り付ける。あまりおおげさにされたくない彼に合わせ、ひとつひとつの飾りを凝らせた。

 その作業の中、次男のチャーリーが帰宅した。

「ウォーリー、チャーリーよ。ルーマニアでドラゴンの研究をしているの」

 ジニーに紹介されたが、肝心のチャーリーはモリーに捕まった。

「貴方には花婿の付き添い人としての自覚がないのかしら?」

「わかっているから、ちゃんと髪も整えるって」

 ボサボサの髪型を厳しく咎められ、手入れ宣言されていた。

「素敵だ、こういうことにかけて君はすごくいい感覚をしているよなあ」

 ハーマイオニーの杖から現われる紫と金のリボン、金色に染まった木の葉をロンが誉める。意表を突かれた彼女は照れ臭そうにお礼を言っていた。

「墨で何を描いたの? 十字架?」

「17歳を漢字で書いたんだ」

 一筆書きの【祝十七歳】、漢字をジョージは興味津々に眺める。ハリーも外国語の文字が気に入ったらしく、ピンで紙を服へ付ける。監督生バッチのように彼は誇らしげだが、ウォーリーはただ恥ずかしい。

 飾り付けが終わった頃、モリーは巨大なスニッチ型バースデーケーキを食卓の中心へ運ぶ。ハリーが大好きなクィディッチのシーカーである事を考えている。

「すごい大傑作だ。モリーおばさん」

「あら、たいしたことじゃないのよ」

 ハリーの称賛をモリーは謙遜して答えたが、間違いなく一世一代の傑作だろう。提灯と合わさり、食卓は心を躍らせた。

「何処かに隠していたのか? グリンゴッツ銀行にでも預けていたとか」

「おいおい、グリンゴッツが食べ物まで預かるかよ。なあ、ビル?」

 ウォーリーの素朴な疑問をロンは爆笑してビルに振ったが、長兄からの返事はなかった。

 ハリーを祝いに一張羅で盛装したハグリッドが現れ、後から現われたリーマスとトンクスはコンラッドを引き摺るように連れて来た。

「やあ、お誕生日おめでとう」

 嘘臭い満面の笑みでコンラッドが挨拶するも、リーマスは彼の腕をしっかり組んで離さない。

「ハリー、お誕生日おめでとう」

「17歳か、ええ!」

 トンクスやハグリッドがハリーに祝いの言葉を述べる中、シリウスは奇怪な物を見る目で奇妙な2人組に迫る。

「何があった?」

「妻の実家で会ったんだ。ウォーリーの件もあったから、連れて来た」

 リーマスにしては強引な方法が意外すぎ、シリウスは驚いている。勿論、ウォーリーやハーマイオニーもだ。

「取りあえず、調べるから離してくれないか? ハリー=ポッターの髪の毛も頂きたい」

 失礼のないようにコンラッドはリーマスの腕を解き、ハリーの髪の毛を要求した。それで『ポリジュース薬』による変身でウォーリーの目が赤くなった件だと、察した。

「コンラッドから、トトに連絡出来ないのか?」

「それが出来ればね、私は来ないよ。ウォーリー?」

 嫌味ったらしく語尾に力を入れ、思わずウォーリーは嫌そうに顔を顰めた。

「2人だけがいい。ガレージを借りて良いかな?」

「ええ、いいわよ。正直、物だらけで落ち着いて話せるかしら」

 外の様子を気にしているモリーの許可を得て、ウォーリーはコンラッドと外へ出る。リーマスから不満そうな視線を貰ったが、無視した。

「親父が戻ったら、報せるよ」

 引っ掻き傷だらけの腕で愛想よくチャーリーは言ってくれた。

 明るく穏やかな家の中と違い、ガレージは最低限の灯りだけで薄暗く寒い。様々な道具の中にトルコ石色の車やバラバラになった黒いオートバイもあり、どれも丁寧に置かれていた。

「本当に車を『暗黒の森』から探し出せたんだな」

「そういうのいいから」

 そんな感想を漏らし、車を懐かしむウォーリーにコンラッドは問答無用に『ポリジュース薬』を突き出した。

 また無理やり変えられる感覚を味わい、ハリーの姿になった。

 鏡に映る瞳は、やはり赤い。

 その瞳をコンラッドは屈んで下から見上げる。ウォーリーが見下している立ち位置だが、彼の視線は瞳孔の動きを見逃がさぬように鋭い。

「他に異常はあるかな?」

 異常とは違うが、ヴォルデモートと対峙した時に湧き上がった衝動を思い出す。

「……自分じゃない感じがした。ヴォルデモートも私を見て「ボニフェース」と呼んだ」

 機械的な口元が慄いて痙攣し、頭を上げたコンラッドはウォーリーから目を逸らして車へと身を預ける。腕を組み、床を見るとはなしに見ていた。

「……絆かな」

「んん!?」

 意外な返答に変な声が出る。コンラッドは真正面から、ウォーリーの赤い眼だけを見据える。余程、ハリーの顔は見たくない様子だ。

「おまえはトトが手掛けた完成品だ。だが、本来はボニフェースだ。同じ存在だからかは一概に言えないが、ハリー=ポッターに変ずれば、闇の帝王とある意味で絆が生まれる体質なのだろう。前例を見た事ないけどね」

 つまり、2年生の時でも『ポリジュース薬』でハリーに変身すれば瞳が赤くなっていた。そんな機会が今までなくて良かった。

「けど、私はボニフェースと別人だ。お互いに会った事もないし……うん? 会った事ない?」

 思い出すのは『培養器』と野球ボールを再現した皺くちゃな手。ウォーリーは『ホムンクルス』の名の通り、フラスコのような器に入っていた。

「ボニフェースが生きている時、私は何処にいた?」

「ボニフェースの名義でグリンゴッツ銀行に預けられていた。私が生まれてからは、私の名義で預け直したそうだ。……ああ、そうか……おまえと闇の帝王との間に絆が生まれるように仕組んでいた?」

 ありえない事はない。ボニフェースは死んだ事態に備えていた。

「その絆が生まれるきっかけが……『ポリジュース薬』でハリーに変身すると?」

 閃きを言葉にすれば、コンラッドは肩を竦めて返答を誤魔化した。

 その瞬間、慌ただしい音に共にリーマスとトンクスがガレージへ突入してくる。しかも、室内の灯りを消した。

「(ごめんね、静かにしてて)」

 詫びを入れるトンクスは息を潜める。尋常ではない事態を察して庭の音が耳に入る程、静まり返った。

「お邪魔をしてすまん」

 スクリムジョールの声が聞こえた。

 ハリーに祝い言葉を述べ、ハーマイオニーとロンの4人で静かに話せる場所を求める。落ち着かないアーサーは居間を提供したが、スクリムジョールはロンに案内を頼む。家主はおろか、シリウスさえも付き添いを許さなかった。

「アーサーが守護霊で知らせてくれたの、大臣も一緒だってね。魔法省は今、相当反人狼的になっているから、私達がハリーといるとよくないと思ったの」

「グレイバッグの影響だね」

 コンラッドはリーマスを見ずに機械的に呟く。

「それより、調べた結果はどうだ?」

「ただの体質だよ、これしか説明できないね」

 コンラッドの返答にリーマスは溜息を返した。

 妙に気まずい雰囲気、急にコンラッドの肩が震える。異常を心配したが、強張った唇から笑いを堪えているように見えた。

「良いよ、笑えば?」

 リーマスが低い声で言い放つ。ここで笑い声を上げれば、バレてしまう為に必死に我慢していた。

「コンラッドったら、私達の結婚がおもしろいのよ。さっきも会った拍子に爆笑されたわ。まあ、彼の場合は……リーマス個人に対してだから、良いけどね」

「いや、失礼にも程があるだろう。私が代わりに謝る」

 人の結婚を笑うなど、身内として恥し過ぎる。コンラッドの震えが治まった頃、変身が解けて一時間の経過を知る。戸が開き、足音が敷地の外へと遠のく。それから『姿くらまし』の音が弾けた。

「大臣は行っちまったぞ」

 ハグリッドに呼ばれ、コンラッドはガレージに明かりを灯す。リーマスもあからさまに安心していた。

「何処行っていたの?」

「コンラッドに目の事を相談していた」

 戻ってみれば、皆の視線は食卓の上に注がれており、考え込んでいる。

「ウォーリー、コンラッド。大臣はダンブルドアの遺言書にあった品物を届けに来たわ」

 狼狽しているモリーから聞かされ、ウォーリーはコンラッドと目配せする。ダンブルドアとしてトトが亡くなってから、3カ月。日数も経ち過ぎている上に大臣自ら足を運んだ意味も考える。

「半分は私のせいよ。私、学校からすぐに両親のいるフランスに行っていたし、帰国しても一か所に留まらなかったの。ダンブルドアの遺品をフクロウ便で届けるには物騒だから、私の所在がわかるまでは保管していたんですって」

「恩着せがましいよな。僕に預けてくれれば早かったのに」

 ロンはハーマイオニーの肩を抱き、弁護した。

「家に魔法省大臣が来たら、叔父さんがどんな反応をするのかはちょっとだけ興味あったよ」

 3人はそれぞれ、『灯消しライター』、壊れた髪飾り、ハリーが1年生最初の試合で捕まえたスニッチを渡されたそうだ。

「このライターはダンブルドアの発明品だね、見せて貰った事があるよ」

「壊すなよ、ロンのだぞ」

 コンラッドは指先で『灯消しライター』に触れ、シリウスは咎める。ウォーリーが気になったのは、髪飾りだ。これは4年生の折に杖でぶっ壊したロウェナ=レイブンクローの髪飾りだ。

 冷えた外にいるはずが、1人だけ嫌な汗が流れる。

「他にもグリフィンドールの剣を遺すって遺言書に書いてくれていたけど、剣はそもそもダンブルドアの私物じゃないからって色々言われたよ。他の品はホグワーツに寄贈されたって」

 おそらくスクリムジョールは髪飾りが創設者の品とは気付きもしなかったのだろう。そうでなければ、剣と同じような扱いを受けたに違いない。否、壊れているから価値はなく素直に渡した可能性もある。

 急にロンの腹が鳴り、彼は恥ずかしそうに腹を押さえた。

「……ごめん、気が利かなくて、僕の為に準備してくれたのに」

「いいのよ、ハリー! さあ、夕食にしましょう!」

 ハリーが詫びてから、モリーは準備していた料理を食卓へ運ぶ。余程の空腹だったらしく、掻きこむように平らげた。

 誕生日の歌をコンラッド以外が合掌し、切り分けたケーキを小食なハーマイオニーでさえほとんど丸のみした。

「コンラッドさん、目はなんだって?」

 ケーキに夢中になる皆の目を盗み、ハリーはウォーリーに耳打ちする。正直に話してあげたいが、この場では駄目だ。

「……体質だそうだ」

 リーマスと同じ返答をする。ハリーは何か閃いたらしく、納得した表情を見せた。

 今度はそれぞれが手分けして片付けに入る。巨体のハグリッドは寝床確保に敷地の外で出かけて行った。

「おやすみなさい、また明日!」

 トンクスは明るく笑い、リーマスの腕を引きながら帰って行った。

「コンラッド、明日の結婚式には出てくれるでしょう?」

 食器を片付けながら、モリーに質問されてコンラッドは硬直した。

「私、思うの。クローディアは出たかったはずだわ。そして、ジョージとの式をどうしようかって話し合えた……そうでしょう? ねえ、貴方だけでも見届けて頂戴」

 その隣でテーブルクロスを片づけていたウォーリーは物凄く気まずい。コンラッドは無言のまま、ジョージを指差した。

「ジョージの耳、闇の魔法に傷つけられたんだってね。完全に元通りとはいかないが、治させてくれるかい? その経過を見る為に一晩、泊まれと言うならいいよ」

「ええ、勿論! きっと、きっと……ジョージは喜ぶわ」

 声を潤ませるモリーにウォーリーの胸が罪悪感でチクチク刺さった。

「俺の耳、生やしちゃうんですか? 折角、フレッドと見分けられるようになったのに」

「相棒、耳があろうとなかろうと見分けられない奴はいるって」

 コンラッドはモリーの肩を優しく撫でてから、ジョージに耳の治療について話す。本気で残念がる相方にフレッドは治療を推し進めた。

 朝から動きっ放しだった為、ジニーはすぐに寝台へ倒れ伏す。ウォーリーも慣れたように隣の寝台へ腰かけた。

「ねえ、この本なんだけど」

 まだ元気のあるハーマイオニーは【吟遊詩人ビートルの物語】を手に問う。

「今夜、また読みたいから借りていいかしら?」

 人の鞄から出しておいて許可を求める姿勢は逞しく羨ましい。

「いいとも、ハーミー。読み終わったら、鞄に戻しておいて」

「ありがとう」

 含みを込めた笑みだけど、眠気も混ざって魅力的に見える。手振りで答えて意識を失った。

 




閲覧ありがとうございます。
あのムーディが「奇跡」って言った(驚
ダンブルドアの遺品にレイブンクローの髪飾りが追加された!

●スキャマンダー夫妻
 この時期、国内にいるかも不明。大事な状況でも、魔法生物を追いかけている気がする。
 ニュートは映画版アズカバンにおいて『忍びの地図』に名前が記されている。おそらく、ハグリッドを訪ねてきたと思われる。
●アポリーヌ=デラクールとその夫
 フラーとガブリエールの両親。なぜか、お父さんだけ名前が明かされなかった。


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3.結ばれた糸

閲覧ありがとうございます。

今回はジョージ視点です。

追記:18年12月10日、誤字報告により修正しました。


 こんな御時世故、店は益々繁盛していく。しかし、べリティの安全を危惧して陽が昇る内に帰らせる。閉店後は売上残高や在庫整理、翌日の開店準備を済ませなければならない為、ほぼ深夜の帰宅だ。

 フレッドとジョージが疲労困憊で台所に足を踏み入れた時、両親の寝室から絹を裂くような悲鳴が聞こえた。

 2人は驚かない。何故なら、悲鳴はモリーが悪夢から目覚める瞬間だと知っている。

 ダンブルドアの葬儀から、毎晩のように悪夢にうなされて悲鳴と共に目を覚ます。最初は皆で寝室に駆け込んだが、アーサーは子供達へ知らない振りを望んだ。

 だから、フラーを含めた皆、足音を立てないように注意しながら扉へ近寄る。聞き耳を立てて、アーサーがモリーを慰める声を聞くのが日課になった。

「クローディア……学校に戻さなければ……ずっと家にいさせれば……」

 モリーはクローディアの死に対して、自責の念に駆られている。きっと、彼女との別れを何度も夢で繰り返しているのだろう。夢の内容を話して貰った事はなく為、予想でしかない。

 悲鳴の主を一通り心配してから、皆の視線はジョージに向けられる。同じ悪夢に魘されていないか、気にかけてくれている。

 ジョージは夢でもいいから、クローディアに会いたい。夢ですら、会えないのはまだ実感がなく、現実を受け入れていない証拠だと他人事のように自己分析する毎日だ。

 

 そんな夜に慣れた頃、ハリーは『隠れ穴』へ無事にやってきた。

 作戦が成功して心が軽くなったらしく、モリーの悪夢は一先ず治まっている。再発の心配はあるが、今はビルとフラーの結婚式、ハリーの誕生日会と準備に大忙しだ。

 ウォーリーという予期せぬ客人は失礼ではあるが、クローディアの代わりとしてモリーへの慰めになっていた。

 ロン達がこそこそと計画している旅にウォーリーが同行する事が決まり、代わりに拍車をかける。けど、ジョージは彼女を亡き婚約者の代わりにはできない。そうしてしまえば、楽なのかもしれないと考えはするが、あくまでも考えるだけだ。

 ずっと会えなかったコンラッドはいきなり現われ、ジョージの耳を治療すると言い出す。随分勝手な言い分だ。

 スネイプにより失った耳を治したくはない。鏡を見る度、憎悪が湧き起る。

「良かったわね、ジョージちゃん。コンラッドに任せましょう」

 しかし、モリーを心配させる要素をひとつでも消せれるなら、治療を受け入れるしかなかった。

「お父さんはウォーリーと仲悪そうだな」

 耳に軟膏を塗られながら、ジョージは何気なく疑問を口にする。ウォーリーは明らかに師の婿に対して嫌悪丸出しであり、コンラッドは舅の弟子に対して知り合い以上の関心がないように窺えた。

「今でもお父さん呼びするんだね……。ウォーリーにはほとんど事情を説明せず、この状況に招き入れたからかな? ああでも、納得はして貰っているから好きに扱き使ってくれて構わないよ」

「トトも似たようなを言ってたぜ」

 フレッドがからかって笑う。コンラッドは塗り終えた軟膏を片づけ、ジョージの頬を両手で気遣うように包む。唐突の行為に驚き、目を丸くして瞬きした。

「ウォーリーの話がしたいんじゃないんだろう?」

 揺るがない紫の瞳にジョージは一瞬、強張る。気を利かせたフレッドは無言で部屋を後にした。

「ジョージ、ずっと放って置いてすまなかったね」

 機械的な声に憐れみを感じる。コンラッドの視線よりも、手の温もりが凍った感情を溶かす。喪失感に囚われ、哀惜の涙が洪水となって押し寄せた。

 溢れた涙に比べ、声は嗚咽程度しか出ない。

「……傍に……いたのに……護れなかった……」

 ドラコの罠にかかり、意識を失った。

 それさえなければ、この身に代えても護って見せた。彼女を失うぐらいなら、自分がそうなりたかった。

 

 ――彼女の為に死にたかった。

 

「……俺も……俺も死にたい……」

 置いて行かれる痛みに耐えられない。心の何所かで自分達だけは生き残るという慢心があった。

「君には本当に感謝しているよ、クローディアと変わらぬ愛を誓ってくれて」

 無機質な表情は口元を少し上げ、微笑んでくれる。コンラッドも短期間で母親と娘を亡くしたというのに、状況は彼を悲しむ間さえ与えない。その笑顔もジョージを慰めんが為に作られた筋肉の動きに過ぎない。

「お父さん……!!」

 今のジョージに笑わせる事は出来ない。その分、泣いた。

 コンラッドの腕に縋りついて、溜まった欝憤を晴らすように泣き喚く。そんなジョージに彼は黙って頬から肩へと撫でた。

 その仕草は傍から見れば、義理の息子になるはずだった青年への慰めか贖罪に感じ取れたであろう。ジョージもそう思っていた。

 

 ジョージとフレッドは夜明け頃、自主的に目を覚ます。コンラッドは何故か、椅子に座って状態で眠る。穏やかな寝息を立てる彼を起こさぬように、毛布だけかけた。

「ジョージ、耳なしから耳ありになったぜ。但し、僕のほうが男前だ」

 上機嫌なフレッドに耳朶を掴まれ、本当に耳が生えたと知る。自分でも触れてみれば、懐かしい感触がして心が躍った。

「おはよう。フレッド、ジョージ。耳、戻したのね。目玉焼きを作ってあげるから、パンとかハムは自分でなんとかして」

 大人数が円滑に朝食を得る為、住人たる兄妹達はさっさと済ませる。ジニーも同じ考えで兄より先に起きてフライパンを握っていた。

 それより気になるのはモリー、朝から椅子に座って肩を落とす。食卓に置かれた上品かつ綺麗な彩りの手紙とパーシーのフクロウ・ヘルメスが理由を物語っていた。

「ビルにおめでとうですって」

 素気なくジニーは手紙を一瞥しながら、教えた。

「手紙を送ってきただけでも、良かったじゃん」

「そうだよ、お袋。見てくれ、ジョージの耳、ちょいと欠けちまっているが元通りだぜ」

「おお、本当だ! ジョージ、こんな簡単に生えてくるなんて偽物じゃないだろうな?」

 後ろにいたビルとフラーが驚きの声を上げながら、ジョージの耳朶を掴む。

「そう、綺麗に治ったわね。コンラッドのお陰だわ」

 元気のない笑顔でモリーにジョージも笑顔を返すが、フレッドはパーシーの事で一喜一憂する母親の姿にげんなりしていた。

 アーサーとチャーリー、ロンにも耳を触られてから朝食を済ませる。それを見計らったようにデラクール一家が起きてくる。ジョージの耳の回復を喜び、触ってきた。

「すまない、眠り込んでいたよ」

「まさか、俺がおまえを起こす日が来るとはな」

 コンラッドとシリウスがお互い負けじと押しのけ合う。微妙に大人げない2人を眺めながら、ハリーとハーマイオニー、ウォーリーも降りて来た。

「耳、治ったんだね。やっぱり、そっちのほうがいいよ」

「癒術? 魔法薬?」

 純粋に治りを喜ぶハリーと違い、ハーマイオニーは治療方法に興味を示す。ウォーリーはジョージの耳を凝視した後、微笑んでくれた。

 モリーはサンドイッチやクッキーを2人分用意し、ハリーに渡す。ロンと一緒に階段を上がって行った。

 これから、ミラマンのマジック幕を庭へ張りに業者の魔法使い達が来る。騎士団でもない他人にハリーの姿を見られないようにする為だ。

 アーサーとムッシュ・デラクール、ビルが彼らに指示する中、モリーもジョージ達、1人1人に指示する。ウォーリーに振られた仕事量は若干、多い。思わず、彼女の口から「げっ」が吐き出された。

「コンラッドには仕事ないのか? 働け」

 ウォーリーはコンラッドに恨めしそうな視線を送り、抗議する。

「コンラッドはお客様だもの、ジョージの耳まで治療してくれて感謝しているわ。時間までゆっくりしてて、私達は準備があるから騒がしいけど」

「邪魔になってはいけないから、ハグリッドの様子でも見て来よう。ついでに少し盛装してくるよ」

 意味深な笑みをウォーリーに向け、コンラッドはハグリッドのいるテントへ向かおうとする。

「コンラッド、ハグリッドの所に行くならコイツを連れて行ってくれ。ハリーはハグリッドにヘドウィッグを頼むそうだ」

 突然の頼みに今度は笑顔が強張ったが、コンラッドは断らずにヘドウィッグを受け取る。ハリーのフクロウは大人しく彼の腕に乗り、連れて行かれた。

「あいつ、本当にヘドウィッグを連れて行ったな。……ハグリッドに預ける話は本当だからいいか」

 頼んだ本人が意外そうに驚いた。

「シリウス、からかったの?」

 ジニーが含みを込めて問えば、シリウスはわざとらしく肩を竦めた。

 フラーは衣装合わせの為に部屋へ籠り、アポリーヌとガブリエールもその為に一緒だ。

 ロンとハーマイオニーはハリーを変装させる準備、『ポリジュース薬』の変身に欠かせない髪の毛はフレッドが調達してきた。

「髪の毛って……呼び寄せれるんだな」

「近くの村に住んでいる奴の髪だよ、僕達よくその村に遊びに行くからさ」

 シリウスが感心し、フレッドは自慢げに話す。

「従兄弟のバーニーって事にすればいいのよね?」

「そうそう、バーニー。親戚も多いから全員を把握している人なんていないしね。この赤毛なら、僕らの親戚だと言っても疑わないぜ。この体系なら、……ギリギリ君のドレスローブも着れる」

「贅沢言える立場じゃないけど、せめて似た体形にして欲しかった」

 『ポリジュース薬』で変身させたハリーを見ながら、ロンはハーマイオニーと式の開始時間と薬の効果時間を話し合う。

「ハーマイオニー! そっちの手が空いたら、こっちに来てくれる? 手が足りないの」

 下からジニーに呼ばれ、ハーマイオニーはロンに任せてすぐに部屋を出る。手が足りないのは妹ではなく、ウォーリーの事だ。

 力仕事や大雑把な事はチャーリーやフレッド、ジョージに振られたが、他の細かい気配りのいる仕事をウォーリーは任され、彼女は本当に家の中を走り回った。

「ウォーリー! お昼までに終わらないと貴女も支度があるんだから」

 それなのにモリーは容赦なく急かす。彼女も自らの作業に没頭する。人に指示するだけあり、無駄な動きはひとつもない。

〔ああもう、わけがわからん! 誰か時間を巻き戻して!〕

 聞きなれない発音で喚いても、ウォーリーは本当に悲鳴を上げながら投げ出さずにこなしていく。途中でジニーとハーマイオニーが加わり、昼までには丁寧な仕上がりになった。

「ミラマンのマジック幕は良い物だぞ……ジェームズも使いたがったが、リリーの奴が照れて控えめな式にしたいって言うから……」

 庭に張られた白いテントを見ながら、シリウスは懐かしむ。まだ業者が庭をうろついている為、ハリーはロンと上の部屋だ。

「ミラマンって人が作ったって事か? それとも、ミラマンとかいう素材で出来ているのか?」

 疲労困憊でげっそりとしたウォーリーはナッツの蜂蜜漬けを貪り、シリウスとテントの話で盛り上がる。2人は出会って間もないはずだが既に打ち解けていた。

「午後2時にはウェイター係とバンドマンが来るから、それまでに食べ終えて頂戴。フレッド、ジョージ。食べ終わったら、ハ……バーニーとロンをお願い……それから」

「「3時にはお客様を座席にご案内できるように外に立っていろ」」

 双子がハモって役割を言えば、モリーは手ぶりで答える。ハリーとロンの4人で招待客を出迎え、指定された座席に案内する係だ。

 予め、フラーが神経質になってまで決めた席を座席表まで渡されている。シリウスもハリーと案内係をやりたがったが、アーサーに却下された。

「リーマスが来たら、君も招待客としていてくれ。わかったね?」

 アーサーの滅多に見せぬ厳しい表情にシリウスは渋々承諾した。

「忙しいところ、すまない。ウォーリーのドレスローブを持ってきた」

 唐突に現れたコンラッドはウォーリーとシリウスとの距離が近い様子を見て、あからさまに眉を顰める。

「ありがとう、すっかり忘れていた。危なく普段着で出席する所だった、危ない危ない」

「ドレスローブって、パーティードレスじゃないのか?」

「……急いで用意したからね、サイズだけは合っているよ。君達、随分と仲が良いんだね?」

 嫌味ったらしくコンラッドから言い放たれ、ウォーリーとシリウスはお互いの顔を見合わせてから見せつけるように肩を抱き合った。

 強張った笑顔でコンラッドはウォーリーに服を投げつけて行った。

「君は話のわかる奴だ」

「息ぴったり」

 ウォーリーとシリウスは意地の悪い笑みを浮かべ合う。

「あんまり、からかうなよ。俺の耳の恩人なんだぜ」

 義理の父になるはずだったコンラッドを庇う気持ちで、ジョージは自分の耳を指差す。ウォーリーは笑みのまま、耳を凝視した。

「ジョージは優しいな、わかったわかった。あんたに免じて、コンラッドとも仲良くしてやるよ」

「式が終わるまではな。さて……バーニーの様子を見てくるか」

 シリウスが合いの手を入れて階段を上がってい。ジョージはやれやれと肩を落とし、フレッドに呼ばれてウォーリーに背を向けた。

「傷が治っても、スネイプを許すな」

 冷たい声が耳に入り、驚いて振り返った。

 ウォーリーは庭を見ており、背向けられた為に表情もわからない。彼女に声をかけようとしたが、フレッドに急かされた為にそちらを優先した。

 

 長兄の結婚を祝福するように空は雲ひとつなく、照りつける太陽が眩しい。

「僕が結婚するときは……こんな馬鹿げたことは一切やらないぞ。皆も好きなものを着てくれ」

 想定した以上に格式ばった式と暑さのあまり、フレッドは悪態吐いた。

 ややぽっちゃり体系に変身しているハリーは文句ひとつ言わず、息苦しそうに汗を流す。ロンは段々緊張してきたいせいか、冷汗で濡れていた。

 敷地の向こうに今日の為に着飾った客人達が次々と『姿現わし』してきた。

「ヴィーラの従姉妹が何人かいるな」

 アポリーヌの血族と一目でわかる麗しきフランス人を見つけ、ジョージは思わず声を弾ませる。外国から来た客人のほうが商売相手には打ってつけだ。

 それをフレッドに先を越された。

「貴方はフレッド? ジョージ? どちらにせよ、良い男になったわねえ。お店は大繁盛だってね、うちの娘なんてどうだい?」

 仕方なく、祝いと世間話を合体させた早口言葉を喋り続けるモリーの友人達を案内せんと紫の絨毯を歩いて導く。金色の華奢な椅子や風船を見て、ご婦人達の囀りは激しさを増した。

「ハリー=ポッターは一緒じゃないのか?」

「ノーコメント」

 最初から席にいるシリウスも別の意味で注目され、招待客から挨拶という名の質問攻めを受けた。

「めでてえことは続くなあ、良いもんだ」

 フレッドの案内を誤解したハグリッドが彼専用に拵えた椅子ではなく、普通の椅子5席に座ろうとして大参事を招いたのはお愛嬌だ。

 騎士団の面々は勿論、親しき悪友リー=ジョーダン、そして大叔母ミュリエル=プルウェットが無事に到着した。

 ジョージがドージを席に案内し、テントから出ようとした瞬間にミュリエルはわざわざ腕を掴んで引き留めた。

「ビアンカの孫は来ているかぇ?」

「…………誰だって?」

 ジョージの人生でビアンカなる女性は学校や『W・W・W』でもよく聞く名の為、瞬時に察するなど出来ない。

「おまえ、ビアンカの曾孫娘と婚約していたんだろうがぇ? おまえにしては良い相手を選んだと、わたしゃ見直すところだったぇ。ほんに惜しいことだぇ」

 婚約という単語なら、ジョージはクローディアしかいない。彼女の曾祖母の話は聞いたことなかった。

 動揺のあまり返事も出来ないジョージの隣にコンラッドは足元もなく、立つ。普段の白い服に見慣れている為、黒と深緑を基調とした服は珍しい。

「お初にお目にかかります、マダム。挨拶が遅れまして、私がコンラッド=クロックフォードです。祖母ビアンカ=アロンダイトが御存命の折は良くして下さったと……」

「こりゃあ、魂消た。写真で見るより男前じゃないかぇ、瞳は母親似というのは本当だねぇ。あの聞かん坊は赤かったぇ。おまえとの席は近いかぇ? なんだい、遠いじゃないかぇ」

 コンラッドはジョージにミュリエルを任せろと目配せした。

「君達への個人攻撃だと思うなよ、おばさんは誰にでも無礼なんだから」

 テントを出た時、ロンの声が耳に入る。ハーマイオニーはライラック色の裾が浮かぶ薄布のドレスを纏い、同じ色のハイヒールだ。

「ハーミーはまだいい、私なんてウェイターに間違われたぞ」

 ウォーリーは新品の燕尾服をお洒落に改造しており、藍色の色合いが髪の色と調和されて素直に美しいと感じる。ウェイターに見られる原因は肩にかけたガマグチ鞄だろう。

「ミュリエルのことか?」

 見惚れていたジョージはフレッドの声で我に返った。

 途端、フレッドとジョージは背中を押されて倒れかける。双子にぶつかって通り過ぎたのは、黄色のドレスを着たルーナだ。

 走っても揺れない向日葵の髪飾りが飛ぶ勢いでウォーリーに抱き付く。彼女は驚いても、足を踏ん張ってルーナを落とさぬように耐えた。

「……ルーナ!?」

 ハリーとロンは驚き、ルーナを呼ぶ。しかし、彼女は反応せずウォーリーの首に縋り付いた。

「ウォーリー。ルーナが落ち着くまで傍に居てあげて」

「ああ……、このまま運ぶぞ。ルーナ」

 ウォーリーはルーナを抱き抱えた状態まま、ハーマイオニーの手を借りながらで家の中へ入っていく。ハリーが気まずそうに見送っていた。

「知り合いなのか?」

「そういえば……ミュリエルがクローディアの曾婆さんと友達だったぜ」

「え!? 何それ、あのおばさんに友達がいたわけ!?」

 何気に失礼なロンが喚いた時、わざとらしい咳払いが聞こえた。

 もう誰も来ないと思い油断していたが、他に遅れてきた来訪者が2人も対応を待っていた。

「結婚式でお会いしましょうと言いましたよね?」

 待たされた分、スタニスラフは笑顔が怖い。

「ごめんね、スタニスラフ。そっちは……ビクトール=クラム!?」

「ご結婚おめでとうございます」

 以前より逞しい顔つきなったビクトールは流暢な英語で挨拶してきた。

「スタニスラフが来るのは知っていたけど、君も来るとは……」

「フラーに招待された」

 即座に納得した。

「ところで、そちらは何とお呼びすれば?」

 スタニスラフの問いは変身したハリーの事だ。彼も騎士団の活動に関わる1人、ハリーが変装してでも式に参加する旨をご存じだ。

「俺らの従兄弟のバーニーだ」

 ビクトールは手を差し出し、ハリーと握手する。ロンは恋敵を見る目で強めの握手を交わした。

 有名なクィディッチ選手の登場にテント内はざわめく。ある意味、花嫁より目立ちそうでジョージは内心、焦りが生じた。

「娘を知らないかい?」

 黄色いドレスローブからルーナの父親ゼノフィリウス=ラブグッドとすぐにわかる。マトモに顔を会わすのは初めてだ。

 首にかけた奇妙な印のペンダントが服と合わない印象を受けた。

 ジョージが返事するより先に、ルーナは普段のふわふわした足取りで戻ってきた。

「はーい、ジョージ。耳、痛い?」

「……いいや、痛みはないぜ」

 耳の怪我は騎士団の間では広まっている。ゼノフィリウスには雑誌の件もあり、ある程度だけ譲歩を流しているから、知っているのだろう。誰も触れて来ない耳を容赦なく突くが、深い労わりを感じ取った。

 フレッド達が慌てずそれでも急いで自分の席へ向かう。

「相棒、着席する時間だ」

 耳打ちされ、ジョージは花婿の家族として一番前の列に座る。ハリーは親族として、ハーマイオニーは最も親しき友人としてロンと一緒に二列目。ウォーリーはトンクス達と同じ列の席に座った。

「イカすわ、その格好。自分で仕立てたの?」

「ありがとう、トンクスは普段より一段と綺麗だ。ちなみにこれはコンラッドの手作り」

 小声だが、お互いの服装を褒め合う。

 予行練習と同じように両親が紫の絨毯を歩く。違うのは今日の為に用意したローブを着こなし、お揃いの帽子を被る。大輪の白薔薇を襟に刺したビルとチャーリーは嫁を出迎えに現れた。

 父親を伴い、輝かしいウェディングドレスを纏うフラーは輝いている。幸せの絶好調だと全身が語り、見ている人々も思わず微笑む返したくなる美しさだ。

 金色のドレスで飾ったジニーとガブリエールが厳かに花嫁に付き従う。義理の妹と今の妹、演出としても場を盛り上げる。

 父親の手から花婿の手へと託された花嫁、それがジョージの頭の中で配役が入れ替わる。自分が迎えるはずだった場面が勝手に浮かんだ。

 冠婚葬祭を仕切る魔法使いがビルとフラーの間に立つ。

「やっぱり、私のティアラのおかげで場が引き立つぞぇ」

 祝福の言葉だというのにミュリエルは遠慮なく声を出す。言われるまでゴブリン製のティアラの存在を忘れていた。

 溢れる感情を涙とし、啜り泣く声が音楽のように奏でられる。トランペットに似た音はハグリッドだとすぐわかる。コンラッドの様子が見たくなり、振り返ればいなかった。

「……されば、ここに2人を夫婦とみなす」

 司会の魔法使いは杖を高く掲げ、銀の星が螺旋を掻きながら新たな夫婦を取り巻く。予定通りにフレッドとジョージは音頭を上げ、皆一斉に拍手した。

 風船が割れ、華やかな祝福の後は司会の魔法使いにより身体がテントの外へと舞い上げられる。地上に戻った時はダンスフロアと白いテーブルクロスが用意されていた。

 全員が優雅に戻った時には、バンドマン達が舞台へ上がり、銀の盆を掲げたウェイターも現れ、歓談の時間を教えた。

 ビルとフラーに祝いを述べようと人々は群がり、姿も見えない。

「よおし、こんな時こそ売り込めるってもんだ」

「ああ、そうだな」

 意気揚々と魔女狙いで行くフレッドに合わせて返事し、ジョージはコンラッドを探す。彼は入口に立ち、まるで見張りのように敷地の外を眺めていた。

「帰ったのかと思いました」

「……君に挨拶してから、行こうと思ったんだよ。素敵な式だったね……」

 ポケットに手を入れたコンラッドの笑みは機械的だが、気力も感じない。

「お母さんとの式はどうでした?」

「やっていないよ……。祈沙にしてみれば……いきなり夫と子が出来たようなものだね」

 『ホムンクルス』の話は知っているが、夫婦の成り立ちはまだ聞けていない。このコンラッドの妻であり、クローディアの母親、彼女の心境も気がかりだ。

「お母さんはお元気ですか?」

「祈沙は私以上に強い心を持って、役割に徹している。不安がないわけではない……だが、一緒にいればいいというわけじゃない」

 強い心。抽象的な言い回しだが、信頼を感じる。

「さようなら、ジョージ。……いや……違うか……またね」

 躊躇うように差し出された手。今日の参加はジョージに今生の別れを告げる為だったのだろう。その気が変わったのだ。

「ええ、また……お父さん」

 ジョージの握り返した手を見つめてから、コンラッドは敷地の外へと出た瞬間、文字通り消え去った。

 名残惜しい気持ちで振り返れば、リーマスがこちらを窺うように立つ。気配もなく、立たれて驚いた。

「コンラッドは行ってしまったのか?」

「行ったよ、話したかった?」

 少し意地悪に聞けば、リーマスは親指で賑やかなテーブルを指す。ウォーリーがミュリエルに絡まれていた。

「コンラッドはあのご婦人と知り合いだっただろう? ウォーリーを助けて貰いたかったんだが……」

 リーマスが言い終えるより先にジョージは慌てて、駆け寄った。

「……勿体なかった……きっと良い癒者になれただろうにぇ」

「ウォーリー! 俺と踊ろうぜ」

 祝の空気に乗った振りをし、ジョージはウォーリーの手を取って立たせる。ミュリルは興味を無くしたらしく、引きとめもしなかった。

 ダンスフロアで踊る人々に混ざり、ジョージはウォーリーと向かい合う。彼女は血の気の引いた顔をして考え込んでいた。

「ミュリエルに言われた事は気にするなよ」

「……いや、気にする。……ビルとフラーは間違いなく幸せな夫婦だ。きっと、ミュリエルはそう言いたかったと思う」

 感慨深く息を吐き、ウォーリーの顔に赤みが差す。ジョージの手を握り直しながら笑い、周囲の動きに合わせて踊り出した。

「エスコートは任せる。踊りは慣れていないんだ」

 一曲分踊りつくし、気分良く疲れたウォーリーは飲み物を求めてジョージから離れる。

「少し良いですか?」

 スタニスラフは丁寧な口調に怒りを含め、視線でラブグッド親子を示す。ルーナは先程、ウォーリーにしがみ付いていた時とは違い、愉快な動きで踊りに加わっていた。

「あのゼノフィリス=ラブグッドは闇の魔法使いの信奉者ですか?」

 唐突過ぎる質問にジョージは面を食らう。決して冗談の類ではないと雰囲気でわかる。

「話した事はないけど、絶対に違う。どうしてそう思うんだ?」

「……奴が堂々と胸に翳している……印です」

 見るのも不快そうにスタニスラフはゼノフィリスの奇妙な印を教える。勿体ぶった言い方だが、ジョージは追及せずに待った。

「あれはグリンデルバルドの印です。『例のあの人』の『闇の印』と同じ……。最初はダームストラング校の壁に彼が勝手に彫った事から始まり、同調した者が服や本にも印を刻み、装飾品にして身につけました。グリンデルバルドが敗れ、残党狩りが始まるまでそれは続きました」

 合い間に深呼吸し、スタニスラフは爆発しそうな感情を抑え込む。いつも笑顔で感情が読めない男だったが、身内の仇を見つけた復讐者のように剣呑さを露にしている。

 ジョージは思う。目の前の彼は自分である。愛する人の仇を討ちたい自分の姿そのものだ。

「……ラブグッドは変わり者の魔法使いとして有名なんだ。きっと、印の意味もわからず付けている」

「ええ、バーニーもそう言いました。……なんとかの角の断面図がどうとか……」

 ハリーと同じ反応をしたらしく、そんなジョージにスタニスラフはガッカリした溜息を吐いた。

「……けど、印に我慢できないって言うなら、外して貰うように頼んでくるぜ」

 今度はスタニスラフが驚いて目を丸くした。

「……いいえ、そこまでは及びません。少し神経質になりすぎたようです。……そうですね、あの男の脅威はもうない。意味を知らずに印を付ける人がこれからも増えて行くんですよね」

 一度、ゼノフィリスは振り返ってからスタニスラフは憑き物が落ちたように笑った。

「ありがとう、ジョージ。それとお兄さんの結婚おめでとう」

「ありがとう、スタニスラフ。楽しんで行ってくれ」

 スタニスラフは異様に目つきの鋭いビクトールの傍へ行き、二三言葉を交わす。彼は納得できない表情だが、それでも困ったように笑う。相棒に引っ張られながら、ヴィーラの従姉妹達とお喋りし出した。

 どうやら、彼らはグリンデルバルドの印に気を取られ、この場を楽しめていなかった様子だ。

「やっとウェイターを捕まえた。人に酔うなあ……煙草臭い人も多いし……ほら、ジョージの分」

「ありがとう」

 カボチャジュースをふたつ持ってきたウォーリーから、グラスを受け取った。

 瞬間、銀色の輝きが天蓋を突き破って現れる。オオヤマネコの形をしたそれは守護霊だ。

 決して式の催しではない。危機を感じて音楽さえも止まり、場は静寂に包まれる。テントの外にいた人々も何事かと覗き込んだ。

「魔法省は陥落した。スクリムジョールは死んだ。連中がそっちへ向かっている」

 キングズリーの声を発し、守護霊は消えた。

「ウォーリー、行って! 行かなきゃ!」

 切羽詰った声でルーナが叫ぶ。次の瞬間、ゼノフィリスは娘を抱き抱えて『姿くらまし』した。

「……護りが消えている!」

 ウォーリーが呻き、事態を把握して悲鳴が起こる。何重にも施したはずの保護呪文が破られたのは、それ以上の魔法にして権限が働いている為だ。

 おそらく、全ての魔法使いの家への侵入を許可するという魔法省の権限だ。

 我先に『姿くらまし』する者とシリウスやリーマス達のように杖を掲げて防御態勢に入る者と別れた。

 ジョージとフレッドも杖を取る。振り返った時、ウォーリー、ハーマイオニー、ロン、ハリーの4人は互いに抱きしめ合って『姿くらまし』した。

 無作法に乱入してきた『死喰い人』は誰一人として逃がさぬ勢いで魔法を仕掛け、光線が飛び出す。

「やめて! 息子の結婚式よ!?」

 様々な感情で震えたモリーも杖を振い、応戦する。椅子やテントを破壊され、招待客も『失神の呪文』で気絶させられ、祝福されていた会場は阿鼻叫喚の嵐に見舞われた。

「おい、こら! 乱暴するな!」

 ビルとフラーの盾として立ちはだかるハグリッドに対し、何人もの『死喰い人』が一斉にかかる。

「おやめなさい!」

 最後に『姿現わし』してきたのは、ジュリア。彼女の一喝で『死喰い人』は攻撃をやめるが、杖は下ろさない。高圧的な態度で面々を見渡す。ジョージを一瞥したがすぐに逸らした。

「これはどういう事だ。人の家に勝手に入ってきて、お客様達にまで乱暴を働くなど!」

 アーサーは家長として抗議する。たった今、魔法省が陥落した事実を知らぬ振りをする為に大げさな態度で憤慨した。

「貴方の上司、スクリムジョールは不敬な輩により死んだ。これを嘆かれたパイアス=シックネスは全ての魔法族の家を調査せよと命じられた。不穏分子を徹底的に洗い出す事を望んでおられる」

 本当に魔法省が陥落した事実を突き付けられ、騒然となる。

「だからといって、魔法省とは関係のない君にそんな権限を与えるなんて……!」

「それだけ魔法省は混乱している。外部の私に頼る程にね。さあ、大人しく調査されなさいな」

 ジュリアはアーサーを物ともせず、手振りで『死喰い人』達に命じる。彼は家宅捜索へと乗り込んだ。

「ジュリア、今日はビルの結婚式なのよ! 酷い事しないで頂戴。それにロンが酷い病気にかかって寝込んでいるの。騒がれたら、体に障るわ」

「……ああ、通りで……。婚約は聞いていたけど、今日とは知らなかったわ。けど、例外は認めないわ。何もなければ、すぐに引き上げてあげる。元気が取り柄のロンが病気? これは見舞いに行かなきゃね」

 皮肉っぽく口元を曲げ、ジュリアはモリーをあしらう。フレッドが我慢の限界だと前に出ようとするのをジョージは必死に止めた。

 ジュリアは手を出さないが、護衛のように傍にいる取り巻き共は攻撃の理由を求めている。

「その声……ルクレース=アロンダイトかぇ?」

 呑気な声が聞こえ、全員の目がそちらへ集中する。騒ぎの中でも椅子から立たず、カクテルを飲むミュリエルが誰よりも逞しく見えた。

「なんだ別人かぇ。似てもないのにその喋り方、ルクレースの婆かと思ったぇ」

 まだ二十歳前の若いジュリアは婆に間違えられ、屈辱に顔を歪める。ミュリエルより年配など想像できない。

「私はベンジャミン=アロンダイトの孫よ。ルクレースなんて知らないわ」

「……ベンジャミン=アロンダイト! やっぱり、ルクレースの身内じゃないかぇ……スクイブの坊主が見たら嘆くじゃろうぇ。自分の孫が大嫌いな婆に似ちまうなんてねぇ」

 場の空気を理解できないはずはないが、ミュリエルは勝手に残念がる。話の内容から、ルクレースはベンジャミンの祖母。成程、ジュリアの身内だ。

「ベンジャミンをそんな言葉で呼ばないで!」

 ジュリアの関心は『スクイブ』という単語だけ、自身も「もどき」故に過剰に反応した。

「自分に都合の悪い事には耳を傾けない……益々、あの婆に似とるねぇ」

 いつも人の神経を逆撫でする発言ばかりだが、今のミュリエルは完全にジュリアを軽蔑している。言葉による攻撃を受け、彼女は怒りに震えて拳を握り締めた。

「どうやら、特別に尋問して欲しいのね」

 感情のままに命令し、暇そうに立っていた『死喰い人』は動き出す。ミュリエルの前にジョージは立った。

「俺達の大叔母だ! 手を出すな!」

「人の迷惑も考えない奴なんて、血族にも値しないわ!」

 問答無用とジュリア自身も杖を構え、一気に場は緊張する。この間にも家の中では捜索の音が響いた。

「ここは祝いの場だ。これ以上の侮辱はすべきではない」

 ビクトールがジョージの前に立ち、強い口調で威圧する。有名選手であり、彼自身の眼光に『死喰い人』は始めて躊躇いを見せる。床に倒れていたスタニスラフも相棒の傍に立ち、ハグリッドもミュリエルを隠すように立ち塞がった。

 シリウスやリーマス達を含めた騎士団員だけでなく、フラーの従姉妹達も杖を構えたままだ。

 家宅捜索を終えた『死喰い人』が戻り、ジュリアに耳打ちする。手振りで了解し、わざとらしく肩を竦めた。

「何も出なかったようよ、結婚に免じて今日のところは帰ってあげる。でも、これからは好き勝手出来ると思わないでね」

 腹の底から笑い、ジュリアは取り巻きの『付き添い姿くらまし』で消え去った。

 残されたのは、踏み荒らされた式場。

 今日の為に時間と労力と資金をかけ、作り上げた皆の努力は泡と消える。暗くなった空が皆の心情を表していた。

「なんだい、散らかすだけ散らかしてぇ。後始末を押し付けるところもそっくりだぇ」

 言い捨てたミュリエルは杖を振い、近くの椅子を綺麗な状態へ直し出す。アーサーとムッシュ・デラクールは視線を合わせ、残ってくれている人へ怪我などの状態を確認した。

 モリーは惨状に一瞬だけ呆けたが、アポリーヌに肩を叩かれて我に返る。無事な料理をフラーとジニーが直してくれたテーブルへと置いて行った。

「トンクス、ご両親の元へ帰っていてくれ。私はもう少しだけ、ここにいる」

 言われたトンクスはリーマスの身を案じたが、自分の両親を心配して承諾した。

「そういえば、ドージの姿が見えないが何処行った?」

 ハグリッドとテントを直すシリウスの問いに、誰も答えなかった。

 その後、会場は簡単ではあるがある程度の手直しは出来たが、リーマスはすぐに帰ってしまう。他の人々も我が家の状態を確認せんと去っていくのを止められなかった。

「すまん、私もクリーチャーの安全を確認してくる。場合によっては逃げるように命じなければ……」

 騎士団の本部であるグリモールド・プレイスの屋敷は『忠誠の術』により、魔法省の権限からも護られる。『秘密の守人』もここにはいないトトだ。

 だが、クリーチャー本人が安全とは限らない。何らかの方法で屋敷から出てしまい、囚われている可能性もあるのだ。

「あの子達に会ったら、こっちに連絡を寄越さないように行ってくれ」

 シリウスは承知して帰った。

 ヴィーラの従姉妹、ビクトールとスタニスラフ、そしてミュリエルは最後まで残ってくれた。

「ジョージ、さっきの娘もビアンカの曾孫だぇ。あの娘を選ばんかっただけでも、おまえを見直す価値はあるねぇ。ありゃ、夫を立てる妻にはならんぞぇ」

 ミュリエルが帰る寸前に捕まったジョージは念押しされる。相当、ジュリアは嫌われた様子だ。庇う気もないし、同情もしない。

 見送りが終わり、家には家族だけになる。幸せな雰囲気から一転、絶望に感覚が麻痺して皆、黙りこむ。

「好き勝手出来ると思うなって事は……監視されて筒抜けってことか?」

「そうだろうな」

 フレッドの呟きにジョージは反射的に答えた。

 

 後日、ムーディ以外の騎士員から連絡が取れた。

 家宅捜索の果てに長時間による拷問を受けたという。トンクスの両親でさえ、『磔の呪文』をかけられた。自宅を不在にして者は拷問を免れても、家を焼かれた。

 ジュリアの言う調査を受けた家は『不死鳥の騎士団』の関係者だけだ。

 式は滅茶苦茶にされたが、その場にいた誰も拷問は受けなかった。ジュリアが自分の権限から出来る限り配慮してくれたのだろう。

 ハリーの言うようにジュリアは目を覚ましてくれる。あくまでもジョージの希望的観測に過ぎないが、信じたかった。

 




閲覧ありがとうございます。

ジョージの耳はちょっと欠けた程度まで生えました。

原作ではパーシーは手紙のひとつも寄こしていません。
式場に残っていた人も長時間かけて、拷問されたそうです。クラムは印の事でゼノさんに怒鳴り散らした後、会場を去っています。彼が残っていれば、拷問はされなかったかもしれませんね。

映画で見たかったな、宙をひっくり返る様子。
マダム・マクシームがいたときは嬉しかったですね。
そういえば、ドージはさっさと逃げてましたけど、騎士団ですよね?

このシーンを書く上で原作を何度も読み返し、時間の経過にびっくり。
午後3時に来客を待ち、襲われて逃げた時はハリーが「深夜」と呼ぶ時間帯。皆さん、長い時間、式を楽しんでましたね(@■@)

●ミュリエル=プルウェット
 107歳を公言するモリーの大叔母。1881年生まれのダンブルドアやドージと対等のような態度を取っていることから、多分、同世代。自分の年齢を間違えているか、呆けている。語尾が「ぇ」。映画の女優さんは良い演技していた。

●ビアンカ=アロンダイト
 穴埋めオリキャラ、ベンジャミンの母親。クローディアが入学する一年前に亡くなった。ミュリエルから良くされたというより、姑のルクレースといがみ合う関係だった為に極力、優しく接した。ビアンカからすれば、どちらも口うるさい婆だった。


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4.独りではできない

閲覧ありがとうございます。

式の支度から始まります。


 思いの外、着替えに手間取った燕尾服が映える顔である。染めた髪とも調和が取れ、他人の装いを見ているようだ。

 成程、コンラッドがわざわざ用意した意味はある。

「うわあ……素敵。ウォーリーってそういう恰好が似合うわね」

「ハーミーはとても綺麗だ」

 ふわふわした髪も整髪料で真っ直ぐに伸ばし、ハーマイオニーの魅力を際立たせる。

「その鞄も持って行くわけ?」

「貴女も持っていて、油断大敵よ」

 支度が整い足元に気を付けながら、階段を降りる。フラー達が準備している部屋を通り過ぎようとした時、彼女が足を止めたので来織もつられた。

「見て……あのティアラ。ゴブリン製ですって」

 感嘆の声を上げ、ハーマイオニーが食い入るように見つめる先にある銀のティアラは精巧な造りだとわかる。ゴブリン製かはともかく、今日のフラーを更に彩るだろう。

「おや、まあ、これがマグル生まれの子かぇ?」

 フラーにティアラを渡した魔女が2人に気づき、不可解そうな目つきで上から下まで眺め出す。

「2人とも、こちらが私の大叔母さん。ミュリエル=プルウェットよ。叔母さん、この子達は……」

「姿勢が悪い、ガリガリに痩せている」

 モリーの紹介を最後まで聞かず、ミュリエルはそう感想を漏らす。その口調はハーマイオニーに聞かせる為ではなく、独り言だ。

「こっちのウェイターは図々しいぇ。花嫁はまだ支度の最中だぇ」

「ウォーリーは叔母さんと同じ招待客よ」

 取り繕った笑顔でモリーは説明してくれたが、ミュリエルはその言葉に反応しなかった。

 普段の庭とは思えぬ会場は招待客で賑わい、心地よく騒がしい。

 炎天下の中、汗だくで案内係を務めるハリーことバニー、ロン、フレッド、ジョージの4人に会えた時、ミュリエルの話で盛り上がった。

 その瞬間。

 見開いた眼で疾走して来たルーナに抱きつかれる。勢い余って倒れそうになったが、踏ん張れた。

 この恰好で良かった。ハーマイオニーのようにドレスでハイヒールならば、駄目だったろう。

「「……ルーナ!?」」

 ハリーとロンが驚いて呼ぶが、ルーナは動かない。首筋に置かれた唇から、微かな震えを感じ取る。再会の喜びか、勝手にいなくなった友への怒りか、あるいはその両方だろう。

「ウォーリー。ルーナが落ち着くまで傍に居てあげて」

 ハーマイオニーの気遣いは有り難い。

「ああ……、このまま運ぶぞ。ルーナ」

 ルーナは微動だにしないが、拒んでもいない。ハーマイオニーに彼女の背を支えて貰い、戸口を通って台所へ向かう。食卓の椅子へ適当に腰掛けた。

「その子はルーナじゃないか、どうした? 具合でも悪いのか?」

 花嫁の父として礼服に身を包んだアーサーが心配そうに声をかけてくる。ハーマイオニーが誤魔化してくれた。

「私、外で待っているから、落ち着いたら教えてね」

 そう言うとハーマイオニーは返事も聞かず、外へ出た。

「ウォーリーって言うんだね……、わかってるもン。もうそう呼ぶしかないんだって……あの人もそう言っていた……」

 自分の感性をありのまま言葉にする。そんなルーナが言葉を選び、自分がどれだけ状況を把握しているか教えてくれた。

 ルーナは知っている。

 2つの死の偽装。クローディアは石化しただけ、死んだのはダンブルドアに整形していたトト。

 誰にも明かしてはならない。真実の重みにルーナはどんな気持ちで耐えているのか、想像もしていなかった。

「ルーナ……綺麗だよ。その向日葵、ルーナにしか似合わない」

 整えられた飾りが乱れてはいけない為、来織はルーナの背を優しく撫でた。

「うん……ウォーリー、よく似合うよ。髪に合っているもン」

 今にも泣きそうな声が聞こえたが、ルーナは涙一つ流さない。きっと、来織の勝手な印象だ。

「時間だよ、君達。席に行ってくれ」

 焦りのある声でアーサーに急かされ、ルーナは来織から文字通り飛び降りて外へ出る。いつも通りの陽気な動きの彼女を見て、ハーマイオニーは安心していた。

 白い天蓋の中は人が凝縮され、更に騒がしい。

 娘と同じ黄色い礼服のゼノフィリスが胸に翳しているペンダントに既視感を覚える。それよりも『しわしわ角スノーカック』の件が気になった為に後で聞こうと決めた。

 教えられた席の隣は金髪になったトンクスだ。その向こうには盛装したリーマスとシリウスがいる。

「イカすわ、その格好。自分で仕立てたの?」

「ありがとう、トンクスは普段より一段と綺麗だ。ちなみにこれはコンラッドの手作り。こんにちは、リーマス。良い服だな、男前が上がっているぞ」

 リーマスの服装はよく見れば、三校競技大会の年に行われたクリスマス・パーティーに着ていた衣装だ。

「……ありがとう、人から貰ったんだよ」

「人から貰おうが、おまえのだろう? ったく、変に謙遜して」

 呆れた笑顔でシリウスはリーマスの額を小突いた時、ウィーズリー夫妻が入場して来る。主役のご両親が紫の絨毯を歩く度に天蓋の中は沈黙に包まれた。

 新郎新婦の指輪を目にし、ゼノフィリスのペンダントはゴートン家の指輪にあった刻印と同じだった。

 奇想天外な魔法に世情を忘れて楽しんだ。

 誰もが新郎新婦に祝いの言葉を述べに突入する中、来織は号泣してしゃくり上げるハグリッドへと声をかける。

「大丈夫か、ハグリッド? 飲み物でも貰って来ようか?」

「すまねえ、ウォーリー。良い式だあ……、本当にビルは幸せもんだあ」

 見計らったように、ウェイターがハグリッドの体格に合う杯を持って来る。一気飲みした後、急に何かに気づいたように周囲を見渡した。

「コンラッドの奴、何処行ったあ? 俺の隣にいたはずだが……」

「……探して来よう」

 姿を見ないと思いきや、ハグリッドの巨体で見えなかっただけだった。

 そういえば、コンラッドの装いを知らない。普段のように白い服装はない。白は新郎の物だ。

「見てみて、ビクトール=クラムよ」

 黄色い声に振り返れば、祝いの場とは思えぬ物々しい気配でビクトールはスタニスラフと壁の花になっている。彼らの視線の先を見ようとしたが、反対方向からいきなり腕を掴まれた。

「思い出したぇ、アイリーン=プリンス」

 相手はミュリエル、部屋の中で見た時は違いピンクの羽飾りを付けた帽子を被る。不快な事を思い出したような目つきで、口元を歪ませていた。

「おまえ、言われた事ないかぇ?」

「……自分でも、少し似ていると思う。人から言われた事はないな」

 正直に答え、ミュリエルは独りで勝手に納得し出した。

「若いのにアイリーンを知っておるとは感心感心。あの娘を覚えている奴なんざぇ、わたしぐらいさぇ。あの娘に結婚を勧めた親でさえ、遺言に名も入れなかったくらいだぇ」

「私は新聞の記事に載っていたお若い頃の写真でしか、存じ上げない。宜しければ……」

 言い終える前にミョリエルは空いている席へ勝手に座り、来織も座った。

「あれはケアフリー=カタパルツがノルウェー選手のカラシオック=カイツを打ち破った年だったぇ。誰が言い出したか魔法も使えないマグルとの結婚をもっと公にすべきだという活動が始まったぇ。そりゃあ、自分が魔法族と明かさずにマグルと婚姻を結ぶことは稀にあったぇ。だが、それとこれとは話は別だぇ。なのに……マグルは魔法族を全面的に受け入れると勘違いしている連中がそれを推し進めたぇ」

「その代表的な人達が……アイリーンの両親か? 万人が魔法族を受け入れるなら、そもそも魔法界という隔たりは作らないはずだろう」

 『魔女狩り』がその例。発端は違うが、自分達とは異なる人を排除する行いだ。

「おまえ、意外と賢いぇ。その通りだぇ、あの2人はそれがわからず、アイリーンをトビアス=スネイプと結婚させたぇ。確か……息子が生まれたとか、まさか、おまえの父親じゃないだろうねぇ?」

 教え子だったジョージを問答無用で傷つけたスネイプは夫婦の息子に間違いない。故に『半純血のプリンセス』。魔女である母親の姓への執着を込めた名だったのだ。

「アイリーンの結婚は幸せではなかったんですね。彼女のご両親もそう感じてしまう程に……」

「あの娘は何も言わなかったぇ。不平も不満も愚痴も……なあんにも言わんかったぇ」

 溜息と一緒に言葉を吐き、ミュリエルの憂いを帯びた表情からアイリーンの物言わぬ嘆きを感じ取った。

「もしかして、アイリーンは癒者でしたか?」

「……結婚した時は研修癒だったぇ。夫の希望で辞めさせられてぇ……勿体なかった……きっと良い癒者になれただろうにぇ」

 癒者になれと言ってくれた時のスネイプの顔が途端に蘇る。哀愁を漂わせていたのは、夢を諦めるしかなかった母親を思い返していたからだろう。

「ウォーリー! 俺と踊ろうぜ」

 愉快な笑顔で回転しながら、ジョージに腕を取られる。ミュリエルは引き留めず、彼を一瞥して黙り込んだ。

 導かれるまま、来織はジョージとダンスフロアに立つ。彼を傷つけたスネイプへの憎しみは消えないが、今まで助けてくれた恩が混ざり合う。気持ちに区切りが付けられない。

「ミュリエルに言われた事は気にするなよ」

 誤解したジョージの声に今いる場所が祝福された結婚式会場だと思い出す。

「……いや、気にする。……ビルとフラーは間違いなく幸せな夫婦だ。きっと、ミュリエルはそう言いたかったと思う」

 強要された結婚の果て、アイリーンは夫と愛のない夫婦生活を強いられても、誰にも相談できなかった。

 だが、今いる新たな夫婦は違う。互いが求めあった結果による婚礼。それに双方の家族も協力して作り上げた式。

 この先、どんな苦難が訪れようとも今はまさに至福の一時である。

 

 ――終わりは呆気なかった。

 

 幸福の象徴とも言える守護霊から放たれた残酷な報せは、ルーナの叫びと共に見せられた『姿くらまし』が証明した。

 魔法省は落ちた。

「ウォーリー!!」

 ハーマイオニーに腕を掴まれ、来織も咄嗟にロンを掴む。彼もハリーを掴み、4人の体がしっかりと掴み合っていると互いの感覚で確認してから『姿くらまし』した。

 

 人の多い通りを認識し、頬に当たる風の感覚から4人は咄嗟に後ろへ下がる。目の前を二階建てバスが走り去る。危うく轢かれそうになった。

「瞬間移動って危ないんだな……」

 敵以外で肝が冷える。変身の解けたハリーも冷や汗で頷いた。

「ここ何処?」

「トテナム・コート通りよ。さあ、歩いて。着替える場所を探さなくちゃ」

 ロンの問いにハーマイオニーは口調と共に急ぎ足で答え、ウォーリーとハリーも着いて行く。何処の仮装パーティーから出て来たと言わんばかりの4人に対し、通りすがりの人々は忍び笑いで指差した。

 夜の更けた時間、奇抜な恰好ではない。むしろ、詰問を受けてもパーティ帰りと誤魔化せる。

 誰もいない脇道へと入り、ハーマイオニーは急いでビーズバッグから『透明マント』を取り出す。ハリーとロンは驚いてビーズバッグを見つめた。

「そんな小さい鞄に?」

「あ、わかった! 『検知不可能拡大呪文』!」

 絶句したハリーより先に理解したロンは我先に手を上げ、言い当てた。

「ええ、そうよ。私、うまくやったと思うわ。必要な着替えとか、全部詰め込んだから、ハリー! マントを被って頂戴! 狙われているのは貴方よ!」

 声を抑えたハーマイオニーは無理やり着替えを持たせたハリーの頭へ『透明マント』を被せる。ロンは誰も来ないように見張りながら、手早く脱ぎ出した。

 背の高いロンを通りの盾にし、ウォーリーとハーマイオニーも急いで着替える。燕尾服は意外と脱ぎにくい。

「他の人たちは……」

「今言ったばかりじゃない。貴方が狙われているの。戻ろうなんて思わないで、皆をもっと危険な目に遭わせる事になるわ」

「その通りだ」

 ハーマイオニーに反論しようとしたハリーへロンは畳みかける。マグルと変わらぬ服装になり、脱いだドレスローブを彼女へ渡した。

「騎士団の大多数があそこにいた。皆の事は騎士団に任せよう」

「そうだな、逃げれる者はさっさと逃げていた。まずは私達の安全を確保しよう」

 しばらく沈黙してから、ハリーは小声で返事した。

 通行人と違和感のない恰好に着替え、4人は広い通りを歩く。ハリーは『透明マント』をしっかり被り、ロンの足を踏みかけながら着いて来た。

 人の数にしては閉店が多い。時計を見たが、そこまで遅い時間に思えなかった。

「ほとんどの店が閉まっているが、今日は休日か何かか?」

「この時間はお店は閉まっているものよ。居酒屋とか、あそこみたいに24時間営業のカフェぐらいしか開いてないわよ。丁度いいわ、入りましょう」

 返事も聞かず、ハーマイオニーはカフェへ入る。やる気のない店員以外、誰もいない。

「どうして、通りに出たんだい? 他にも良い場所あっただろう?」

 背後への警戒を怠らないロンは座りながら、確認する。彼にしては神経質までに言葉を選んでいる。それだけ状況は緊迫しているのだ。

「『漏れ鍋』に私達が行けば目立ち過ぎるわ。こういう場所のほうが『死喰い人』は思い付かないでしょうから」

「あの様子では家の護りは解けている。下手に誰かに家へ行けば、奴らと鉢回せする。となれば、もっとも避難出来そうな場所は限られてくる。既に見張りくらいは立てられているだろう」

 暗にグリモールド・プレイスの屋敷は見張られてるとロンに伝え、彼は緊張感からか顔の筋肉を頻繁に動かした。

「けど、向こうにはジュリアもいる。それにヴォルデモートもマグル生まれだ。ある程度、マグルが隠れる場所を予想するんじゃないか?」

「お、ロン。ヴォルデモートを噛まずに言えたな」

 場を和ます意味でロンを褒めたが、より険しい顔を返された。

「ご注文は?」

 ガムをわざとらしく音を立てて噛みながら、店員が面倒そうに尋ねる。その時、青い作業服を着た男が2人入ってきた。

 妙な違和感にウォーリーは男達の手を盗み見る。仕事終わりか休憩にしても、彼らの手は綺麗すぎた。

「すまない、すぐに出る。急用を思い出した。詫びのチップを置いて行く」

 席を立ったウォーリーの指が鞄の金具へ触れた瞬間、ガンたれるウェイトレスの背後で作業服の男は杖を構えた。

「ステュービファイ! (麻痺せよ!)」

 くぐもったハリーの呪文は片方の男へ命中し、ウェイトレスを巻き込んで倒れる。もう片方の男の杖はロンに向けられ、彼は咄嗟に避けた。

 壁の一部が粉々になった。

 ロンが呪文を避けるのと同時にウォーリーは男の横っ面へ回し蹴りを食らわせる。まともに蹴りを食らった男にハリーは追い討ちの為に『失神の呪文』をかけた。

 ハーマイオニーは巻き込まれたウェイトレスへ駆け寄る。彼女は額を床に打ち付けた衝撃で白目を剥いて気絶していた。

 作業服の2人が指一本動かさないのを確認し、ウォーリーは窓の外を警戒しながら入口の鍵をかける。杖を振い、ブラインドを全て下ろした。

「ロン、灯りを」

 ハーマイオニーの指示に応え、ロンはすぐに『灯消しライター』で店内を暗くする。ハリーは杖先の明かりを頼りに倒れた男達を注意深く観察した。

 その間、ウォーリーは破壊された壁を直す。乱れた机と椅子を元の位置へ戻した。

「こっちはドロホフ、手配書で見たのを覚えている」

「……こいつ、誰だろう? ゴイルに似ている気がするけど……まさか、父親? 墓場の時は仮面をかけていたから、見てないし……」

 確かめる術はない為、片方の男の身元は保留する。

「こいつら、どうする?」

 ロンはハリーに彼らの処遇を求めた。

「殺すか? 僕ら、たったいま殺されかけたところだぜ」

 低い声で問われ、ウォーリーは素直に躊躇う。

「私は反対だ。死体で発見されれば、私達がここにいた証明になってしまうぞ」

「……発見されなければ、殺すってこと?」

 ハーマイオニーは愕然とした表情でウォーリーを見やる。その反応に胃が竦み、自分の発言を思い返してゾッとした。

 躊躇いの理由が『死喰い人』に居場所を知られる危険があるから等と、相手の命を重んじる心さえなかった。

「ごめん……」

「謝るなよ、ウォーリーの言うとおりじゃん。それでどうする? ハリー」

「……こいつらの記憶を消すだけでいい。僕らを見つけられたのかさえ、わからなければ追えないはずだ」

 ハリーの指示に3人は心の底から安心して胸を撫で下ろす。彼のように先に代案を思いつく事が出来なかった。

「やっぱり、私達のリーダーはあんただな。ハリー」

 ウォーリーは倒れている『死喰い人』へ杖を向け、1人ずつ『忘却呪文』をかける。その間、ハリーとロンは協力してウェイトレスをレジ奥へと運んだ。

「どうしてこの人達、ここに来たのかしら? 私達を追ってきたのなら、どうしてわかったの?」

 重たい『死喰い人』を椅子に座らせながら、ハーマイオニーはブツブツと問答を繰り返す。

「それについては移動した先で考えよう。ハリー、何処へ行く?」

「グリモールド・プレイス」

 即断された場所に3人は呆れた。

「そこは見張りがいるって言ったろ」

「気づかれる前に入ればいい」

 先程の冷静さは何処へやら、ハリーは感傷的に言い放つ。こうなると彼は意見は動かない。ロンも両手を上げ、降参とも賛成とも取れる態度を取った。

「……見張りがいても、私が囮になってどうにかしよう。私の顔はまだ奴らに割れていない」

「いいえ、見張りが本当にいたら一緒に逃げる。これだけは譲れないわ」

 不満と不安はあるが、反対意見はない。

 ロンは『灯消しライター』をカチッと鳴らし、店内を明るくする。ウォーリーは杖を振るい、ブランドを開けた。

 ハリーは入口の鍵に手を伸ばし、目配せする。彼が鍵を開けた瞬間4人は『姿くらまし』した。

 

 何の妨害なく玄関の扉を開けられ、急いで中へ入る。扉を閉め音を間近に聞き、4人とも安堵の息を吐いた。

「ようこそ、お越しくださいました。お坊ちゃま、お嬢様」

 愛想のないクリーチャーが顔を出したなら、屋敷の中に『死喰い人』の手は伸びていない。

「クリーチャー。今日、誰か来た? 連絡とかなかった?」

「本日、お屋敷には誰もお越しではありません。伝言もクリーチャーは承っておりません」

 ハーマイオニーの質問に答えるクリーチャーに嘘はない。普段の態度にも変化は見えない。『屋敷妖精』に着いて客間へ足を踏み入れた。

 足の力を無くしたようにハリーは倒れ込み、気づいたロンは腕で彼を支える。顔を歪めて悲鳴を上げる姿にウォーリーとハーマイオニーは慄いた。

 この苦しみ方はヴォルデモートと心を無理やり繋げられた時の反応だ。

「心を閉じろ、ハリー! ここを知られるぞ!」

 思わず、ハリーの肩を掴む。

「何を見たんだ? あいつ、僕の家にいたか?」

「違う……怒りを感じた……凄い怒り……」

 息苦しい呼吸を繰り返し、ハリーは苦痛に耐えながら答えた。

「怒っている場所は何処? そこで何をしているんだ?」

「ロン、やめろ。見ればわかるだろう! 怒りを感じるだけで激痛を味わっているんだぞ!」

 強い口調で畳みかけるロンを引き離し、ハリーをソファーへ寝かせる。彼は痛みの影響で異常に体温が高く、額に汗も滲み出る。

「また傷跡なの!? どうしてよ、とっくの昔にその結びつきは閉じられたんじゃなかったの!?」

「……しばらくは閉じられていた……。僕が思うに……あいつの意思じゃない。興奮した感情が勝手に流れて来ている」

「ハーマイオニーも落ち着け。怒鳴っても、どうにもならない」

 窘められたハーマイオニーは歯を食いしばり、拳を強く握って堪える。ハリーの容体は段々と悪くなり、滝のような汗を流してズボンまで濡らした。

 クリーチャーがお湯を入れた洗面器と清潔なタオルを持って来てくれた。

「ありがとう」

 受け取ったウォーリーはタオルでハリーを拭こうとしたが、彼に止められる。

「自分でやるよ」

 そこへ来訪を告げるベルが鳴り、ハリーは我が身を省みずに飛び起きた。

「お帰りなさいませ、シリウス坊ちゃま」

 クリーチャーの挨拶が聞こえても、4人は杖を身構えて待つ。それはシリウスも同じだ。

「ロン、君のフクロウ。誰から贈られた?」

「あんただよ、シリウス」

 挨拶より先にシリウスは問いかけ、ロンは緊張した声で答える。

「ハーマイオニー、私をグリフィンドール寮へ手引きしてくれたのは誰だ?」

「私の猫、クルックシャンクスよ」

 唾を飲み込んでから、ハーマイオニーは答える。

「ハリー、おまえは粗大ゴミじゃないとはどういう意味だ?」

「君が大好きだ」

 意味不明の合言葉にハリー以外は首を傾げる。

「ウォーリー、君が着替えると言った服の色は?」

「赤と白の縞模様」

 4人の本人確認を終えたシリウスは杖を下ろす。しかし、厳しい態度を崩さない。4人で目を合わせてから、ハリーは息絶え絶えに考えを巡らせた。

「シリウスの部屋に貼ってあるポスターはどんな写真?」

「水着の女性」

 ようやく、警戒の雰囲気が解ける。

「ロン、君の家族は無事だよ。アーサーからの伝言だ。あちらへ連絡をするな」

「無事……」

 緊張の糸が切れたロンは音程のズレた声を上げ、向かいの席へ倒れ込むように座る。目に涙を浮かべ、ハーマイオニーは彼を抱きしめた。

 ロンは置いてきた家族が心配で堪らず、本当は帰りたかった。せめて、安否の確認を取りたかったのだ。

「良かった……」

 ジョージも無事、その確信が持てて思わず声に出す。ハリーも力を抜いてソファーへ寝転ぶ。シリウスは大事な名づけ子の傍に立った。

「君達はすぐにここへ来たのか?」

「いいや、トテナム・コート通りにいた。しかし、カフェに入ったところで『死喰い人』に追って来られたから此処に避難してきた」

 ウォーリーの説明にシリウスは顔を顰め、考え込むように口元を手で覆う。さっきよりも緊迫した表情になり、緊張感が増した。

「魔法省なら、『姿くらまし』の追跡くらい出来るんじゃないか? トテナム・コート通りまで来て、開いている店を虱潰しに探したとか……」

「魔法省にわかるのはあくまで魔法を使った痕跡だけだ。追跡するには消える瞬間に捕まえなければならないはずだ」

 ハリーのいるソファーへもたれ、シリウスは黙り込んだ。

「だったら、ハリーにはまだ『臭い』がついているとか?」

「それも違うな。『臭い』があるなら、2人だけでは少なすぎる。今も追われている状態だろう」

 一先ず、『姿くらまし』は追跡できない。ハリーには『臭い』がない。ハーマイオニーはそれ聞いて安心する。ウォーリーは何か手掛かりがないか先程のやり取りを必死に思い返す。

「僕達がいなくなった後、どうなったの?」

 ロンの質問にシリウスは深呼吸して、答える。

「あの警告のお陰でほとんどの客達は逃げだせた。ジュリアが……シックネスの依頼で調査しに来た。奴らは『隠れ穴』を隈なく探してから、すぐにいなくなった。だが、あそこは見張られているだろう。すぐにここも見張りが来る」

 重く告げてから、シリウスはハリーを一瞥した。

「私は今からクリーチャーを匿える場所を探す。『忠誠の術』で護られているとは言え、トトに万が一の事があった時はクリーチャーが一番危険だ」

「……シリウス! ええ、そうね……。ここは安全だけど……今だけだものね」

 ハーマイオニーはシリウスが真剣にクリーチャーの身を案じる姿に感激する。それだけ状況は悪化しているとウォーリーは感じ取った。

 肝心のクリーチャーは話を聞いているようで聞いておらず、関心も示さない。シリウスは妖精の前で片膝を付き、出来るだけ目線を合わせた。

「クリーチャー。ここは危険な場所になる恐れがある。一緒に来てほしい。安全な場所を探そう」

「ご命令でしたら、クリーチャーは従わざるおえません」

 また屋敷から離される。それが嫌らしく、クリーチャーは苦々しい顔で答えた。

「これは命令じゃない。お願いだ。レギュラスが命がけで守ったおまえを死なせたくない」

 レギュラスの名にクリーチャーの垂れた耳が一瞬、上に向かってピンと真っすぐ伸びる。その態度を肯定と取り、シリウスは勢いよく立ち上がった。

「一段落着いたら、またここに来る。どんなに私と会えなくても、連絡を取ろうとするな。鏡も駄目だ」

 ハリーは一瞬、縋る目つきを見せるが納得し、激痛を悟られないように平静を装いながら起き上った。

「わかった……気を付けて、シリウス」

 4人を見渡し、シリウスはクリーチャーを連れて行った。

 窓を開けずに外を覗き込み、『姿くらまし』の音が微か弾ける。それ以外は人影どころか猫一匹いない。

「今日は皆で一緒に寝ていいかしら? 私、寝袋を持ってきたから……」

 目の届く所にいて欲しい。そんな願いにロンは承諾し、ハリーの意見も聞こうとしたが、彼は意識を失っていた。

 まだ小さく呻き、痛みを訴える。ウォーリーはすっかり冷めた湯を魔法で温め、タオルでハリーの体を出来る限り拭く。ガマグチ鞄から取り出した毛布を慎重にかけた。

「私が見張るから、ハーミーとロンは先に……寝てるし……」

 振り返れば、2人は寝袋に潜りさっさと寝ている。ハーマイオニーは床へ丁寧に敷かれたソファーのクッションを寝台代わりにしていた。

 ロンの仕業だろう。

 安心したように呆れ、空いている席へ腰かける。寝巻に着替える気力も余力もない。自分の服を見下ろしながら、ジョージと踊った時間が遠い昔のように思えてしまう。

(シリウスは何も言わなかったが、コンラッドは逃げ切れたのか?)

 一番、心配する必要はない相手だ。そう判断し、明かりを消した。

 

 心地の良い感覚が揺さ振られている。

「起きて! ハリーがいないの!」

 切羽詰ったハーマイオニーの声で一気に意識は焦りと共に覚醒した。

「ハリーを見てない?」

「ごめん、今まで寝てた……」

 椅子に腰かけた状態で寝ていた為、起き上った拍子に椅子が豪快な音を立てて倒れる。床との衝撃音にロンも飛び起きた。

「私は外を見て来る!」

 玄関に行こうとしたウォーリーをハーマイオニーは首根っこを掴んで引き留めた。

「駄目よ、クローディア! 貴女はここにいて、絶対に動かないで! ロン、手分けして探しましょう。私は最上階から」

「わかった、僕は厨房から見てくるよ」

 ハーマイオニーとロンはそれぞれ上下に分かれ、ハリーを探す。残されたウォーリーは思い返した言葉にキョトンとしてしまう。

「ロン、今……ハーミーが……クローディアって」

 厨房から戻ってきたロンに聞けば、ハッとした顔になる。すぐにバツが悪そうな顔つきになった。

「その話は後、まずはハリーだ。言っとくけど、僕は怒っているからな」

 唇を尖らせ、ロンは階段を上がって行く。彼の態度から、随分前から気付かれていた。

 記憶を遡っても、どの辺りでバレたのか見当も付かない。ルーナのように最初からではない。それなら、この屋敷で2人きりの時にでも明かしてくれたはずだ。

 頭を抱え、居間へ戻る。焦燥感に体温が上がり、意識が朦朧としてくる。少しでも体を動かさんと、床にあるソファーのクッションを元に戻した。

 3人分の足音が聞こえ、ハリーは無事に見つかったと知る。ロンに連行された彼の手には手紙があった。

「何処にいた?」

「シリウスの部屋にいたんだ……。そこで母さんの手紙を見つけて……読んでた」

 色々と心配させられた文句を言いたいが、今は状況確認が先だ。

「ハーミー。さっき、私をクローディアって……」

「……ええ、言ったわ。まさか、しらばっくれる気?」

 問われたハーマイオニーはまるで公式の解答に間違いを指摘されまいとする態度で返す。ハリーは今聞かされたように吃驚していた。

「ハーマイオニーも気づいていたの?」

「「も!?」」

 ウォーリーとロンはハリーの発言に叫び返す。ハーマイオニーは感心して大きく頷いた。

「ちょっと待って、ハリー。リーマスが違うって言ってたのを聞いたろ。それなのに? なんで言って……ああ、もう! ……1から説明してくれ」

 頭を掻き毟ったロンは苛立ちを言葉にしてから、冷静になる。居間の椅子へとそれぞれが座る。ハリーはハーマイオニーに先を譲った。

「マンダンガス=フレッチャー」

 告げられた名に3人は質問せず、続きを待つ。

「ハリーを迎えに行く前、ここに集まったの。その時、私、彼の事を紹介出来なかった。皆も彼を「ダング」と呼んでいたの。けど、貴方の家でアーサーおじさまと合流した時に「マンダンガスはどうした?」って聞かれて、ウォーリーはすぐに誰の事かわかったわ」

 指摘され、気づく。ハーマイオニーはそんな些細な会話も見逃していなかった。

「これだけなら、予め誰かに聞いたって言えば済むわ。でも、もしかしたらって……そこに来てマッド‐アイの奇跡発言よ。あれって予想外の事態に備えろって意味だけじゃなくて、私達……特にハリーに対してクローディアは生きているって伝えたかったんじゃないかしら?」

「マッド‐アイも知っているって事?」

 ハリーから問われたが、ウォーリーは知らない。わざとらしく肩をすくめ、発言を控える。ムーディに会えたとしても、答えないだろう。こちらも知るべきではない情報だ。

 次にハーマイオニーがハリーへ説明を求めた。

「君の目が赤くなった時、……ボニフェースの面影を感じたんだ。最初は別の『ホムンクルス』かなって……けど、リーマスの話を……盗み聞きなんだけど、それを聞いてから、僕なりに状況を整理してみた。そもそもヴォルデモートがドラコ=マルフォイに君を狙わせたのは、ベッロを凶器に仕立て上げる為だったんだ」

 コンラッドに事情を聞いたのか確認したくなる程、的確な推理に胃が竦む。

「今にして思えば、ダンブルドアはそこに気づいていなかったはずがない。せめて、君を助ける手は打つはずだ。そして、何らかの形で僕に伝えられるように……その方法を考えている時、ボニフェースだ。彼は遺言を作る程、しきりに自分が死んだ場合を気にしていた。だから、クローディア自身に何かしたんじゃないかって……きっと、ダンブルドアもそう推理していた。それがあの目だ。本当はボニフェースからヴォルデモートへ向けたんだけど、僕にも使えた」

「つまり、何か? ボニフェースはクローディアがハリーに変身すると見越して仕掛けを施していたって言うのか?」

 ロンは引き攣った笑みを見せ、溜息を吐く。

「リーマスが言っていた事を無視したんじゃない。確かにクローディアなら、スネイプを決して疑わないし、ましてや密告者だなんて言わないよ。勿論、君が計算して言ったんじゃないのはわかる。ジョージを傷つけられたら……流石にね」

 ロンは肝心な部分に気付かされ言葉に詰まり、ハリーからウォーリーへ視線を移して睨む。感情が上手く言葉の出来ず、困ったような睨み方には迫力がない。

 それがトドメとなり、両手を上げ、降参を示す。自身がクローディアと認める。

「あんたらの推理力には脱帽する……。とは言うものの、私もあの目がどういう意味かはわからない。コンラッドにもな、あいつの見解はハリーとほぼ同じだった」

「どうやって、『死の呪文』から逃れたの?」

 ハリーは縋るような視線で問う。ウォーリーは包み隠さず、ジョージの『賢者の石』に護られて石化した。

「ジョージが『賢者の石』を作った!?」

 種明かしに動揺し、ロンはもう笑うしか反応できなくなっていた。

 当たり前だが、入れ替わりの件は伏せた。

 だが、ハリーの御推察通り、それを見抜いたコンラッド達の命令にて、ベッロは惨劇を行った事情は話した。

「そう、だから……あんな殺し方を……あれだと皆の目はダンブルドアに行くわ……。クローディアの体にはコンラッドさんしか触ってない……」

 ハーマイオニーはブツブツと情報整理の為に呟く。言われてから、どの記事にもダンブルドアの殺害方法までは載っていなかった。

 ベッロなら、巻き付きによる絞め殺しか、鋭い牙により噛み殺しだと勝手に想像していた。

「ベッロは……」

「スネイプは知っていたの?」

 自らスネイプの名を出し、ハリーは剣呑な態度で話を遮った。

「……いいや、あの人は……ドラコを選んだ。それだけだ。こちらからは何も教えていない」

「そう、それだけで十分だ」

 ハリーから明確な殺意を感じ取った。

「だったら、ダンブルドアも生きているんだよな!」

 予期せぬ期待を込められ、ウォーリーは背筋が凍る。表情から、勘の良いロンは己の失言に青褪めた。

「クローディアが生きているって公言できない理由は、ダンブルドアは本当に死んだからよ」

 深呼吸し、ハーマイオニーは厳しい表情になる。

「ただでさえ、クローディアはスクリムジョールから疑われていたわ。あの日、彼女が死ななかったなら、『死喰い人』との共謀罪で証拠を捏造してでも、逮捕されたと思うわ。ダンブルドアが死ぬのなら、彼女は魔法省の目を欺く為にも、死ななければいけなかったのよ」

 魔法省、特に『闇払い』の一部はスクリムジョールに同調してクロックフォード親子を批判していた。

 母親ドリスに次いで娘クローディアを亡くしたコンラッドから、彼らは目を背ける。そういう意味でも、自身の死は必要だったと改めて知る。

「ふざけんな!」

 唐突にロンは叫ぶ。溜め込んだ感情が限界を迎え、乱暴に立ち上がった。

「なんで殺されるんだ! 君もダンブルドアも! ジョージは……どれだけの人が悲しんだと思っているんだ! せめて……相談してくれよ……僕達は力になれたのに……なんで勝手に決めるんだよ……」

 泣き声のロンは体を小刻みに震わせる。胸を打つ、訴えにウォーリーは罪悪感が脳髄から滴り落ちた。

 どんな苦難も共に乗り越えてきた。

 それはお互いを信頼して相談してきたからこそだ。いくら、知らない間に決められていた計画だったとしても、帰国前に3人にだけは連絡するべきだったと思い知った。

「ごめんね……」

 コンラッドと変わらない。自分の事情で友達にも黙っている。

「本当に……クローディアなんだ。そっか、僕らは騙されただけだったんだ……」

 嬉しそうに表情を綻ばせ、ハリーは両手で顔を覆って前かがみに項垂れた。

「一応、聞くけど……これからもウォーリーって呼ぶべきだよな?」

「ああ、そうしてくれ。もう私はクローディアには戻れない」

 ロンは呼び方を気にしているのでない。ジョージとの関係について、問うている。今、クローディアの生存を伝えれば、兄の心を救える。

 ウォーリーの言葉にロンは落胆を見せる。そんな彼の肩を掴み、彼女はたった今、決意した。

「だが、約束しよう。全てが終わったら、ウォーリーとしてジョージを口説き落とす。……何年かかっても、他に相手がいても必ずだ」

 口に出した己自身も驚き、ロンも吃驚して困った顔をした。

「僕に言われてもな……」

 眩暈を起こし、ふらついたロンは頭を手で押さえ込む。

「何か食べましょう。空腹は感じないけど、私は食べるわ」

 起きてから緊張状態の為、確かに空腹は感じない。しかし、体に食事は必要。ロンの眩暈も空腹を別の形で訴えているのだ。

 厨房に行き、冷蔵庫や貯蔵庫を探す。当たり前だが、作り置きなどはない。先日までクリーチャーが管理していた食材があり、缶詰や保存の良いドライフードなどが大量に置かれていた。

「お湯を沸かすよ、僕はカップラーメン食べるから」

「それは駄目だ。ここにいる食糧を貰おう」

 ロンから注意され、残念そうにハリーは取り出したカップラーメンをビーズバッグへ戻した。

 4人で協力し、サンドイッチを作り上げて朝食にありつく。食後はロンが紅茶を入れてくれた。

「ルーナは気づいているんだよね? あの態度……それに僕の変身を見抜いていた」

 開口一番のハリーに素直に答える。ルーナはバーニーと偽った姿も看破していた。

「ああ、あの子だけは騙せないよ。視えているモノが違うからな」

「でしょうね、ルーナだもの」

「ルーナだもんな、彼女に隠し事は出来ないって」

 納得した空気の中、4人はルーナの黄色いドレスを思い返す。同時に彼女の無事を祈った。

「それで『分霊箱』だが、何処へ行く予定だ?」

 本題に入り、一気に緊張感が増す。

「ゴドリックの谷に行きたい」

 ハリーから提案され、ハーマイオニーは眉間にシワを寄せて控え目にうんざりして見せた。

「理由は?」

 ロンは真摯な態度で待つ。ハリーは食卓に手紙を置いた。

「母さんの手紙、僕が1歳になった時にシリウスがお祝いを贈ってくれたから、そのお礼。昔の【魔法史】に挟まっていた。後半だけ、千切られている」

 ウォーリーはハリーの亡き母リリーの手紙に感慨深く思いながら、一字一字、慎重に読む。この手紙を書いている時の心情が日本に残してきた母と重なった。

「シリウスがやった……んじゃないな。誰かが千切った後、気づかれないように本棚へ戻したか……」

「スネイプか、ジュリアかな?」

 ロンは切れた部分を見ながら、真剣に考え込む。人の手紙を勝手に読むなら、スネイプだろう。理由はシリウスへの手紙だからか、ハリーの母親故にか、判断は出来ない。

「ゴドリックの谷とどういう関係があるんだ?」

「……この手紙に書いてあるバチルダ=バグショットに会いたい。この人はまだ生きていて、今もゴドリックの谷に住んでいるんだ。昨日の結婚式でミュリエル大おばさんが教えてくれた。バチルダは僕の両親だけじゃない。ダンブルドアの家族とも親しかった。……妹のアリアナがスクイブで……母親のケンドラから虐げられていたって……病院にも連れて行って貰えず、死ぬまで閉じ込められて……アリアナの葬式で弟のアバーフォースから殴られてもダンブルドアは防ぎもしなかった。そういうのをバチルダは見ていたらしいんだ」

 ドージの追悼文で読んだダンブルドアの家族。

 父親パーシバルは3人のマグルを襲撃した件で有罪故のアズカバン獄中死。母親ケンドラはホグワーツ卒業直後に亡くなり、それから1年も経たずに妹アリアナは亡くなった。

「何年経っても、言いたくないことはある」

 ウォーリーは脳裏を過った自分の罪を思い返す。ロンは情報源がミュリエルと知り、溜息をついた。

「あの人の言う事は気にすんなって」

「知りたいんだ……。僕はダンブルドアの事を何も知らない。どうして先生が……僕の両親が死んだ場所に以前は家族と暮らしていた事を教えてくれなかったのか……」

 必死の訴えにウォーリーとロンはハリーの心情を大体察し、目配せした。

「駄目よ、『死喰い人』はきっとゴドリックの丘も見張っているわ! サーペンタイン湖の霊園にもクィレルがいたじゃない!」

 顔を真っ赤にし、ハーマイオニーは烈火の如く叫ぶ。

「しかし、『分霊箱』があるなら、そこだろう。ハゲにとっても思い入れのある場所なんだぞ?」

 ウォーリーの率直な意見にハリーは目を輝かせたが、ハーマイオニーは睨んで黙らせた。

「そうだとしても、先ずはロンドンから探しましょう。ハゲにとって思い入れのある場所はいくつもあるわ!」

 最早、ヴォルデモートへの最低限の敬意すら、ハーマイオニーは無くした。

「「それなら当てがある」」

 今度はハリーとロンが声を揃え、お互いが説明を譲りあう。その間、ハーマイオニーの目つきが据わった。

「ドローレス=アンブリッジがロケットを持ってる。シリウスが調べてくれた。正確にはシリウスに頼まれたクララが見つけてくれたんだ」

 まさかのアンブリッジ。ハリーも嫌そうに告げるが、益々、ハーマイオニーの眉間にシワが寄る。

「そんな大事な情報を今まで黙っていたわけ?」

「出発してから話そうと思っていたんだ」

 ロンが庇った為、余計に険悪な雰囲気が漂う。今からこれでは先が思いやられる。

「私が言うのも何だけど、今持っている情報出し惜しみなく、整理しよう」

「「「本当に貴女(君)が言わないで!」」」

 ウォーリーからの提案に3人から激しく突っ込まれた。

 ダンブルドアの遺品、スニッチ、『灯消しライター』、壊れた髪飾り、そして【吟遊詩人ビートルの物語】を食卓に広げる。

「スニッチはね、空に放たれるまで素手で触れられることがないの。作り手も手袋をはめているわ。最初に触れる者が誰かを認識できるように呪文がかけられているの。判定争いになった時の対策よ。これを肉の記憶と呼ぶわ。スクリムジョールはハリーが触れた時に何かが起こると期待していたわ。何も起きなかったけど」

「あいつの前で試していない事がある」

 ハーマイオニーの説明を聞いてから、ハリーは慎重にスニッチを掴んだ。

「覚えているかい? 最初の試合で僕はこのスニッチを口で受け止めたんだ」

 言われてから、3人は息を飲む。ハリーも手先が震え、そっとスニッチを唇へ押しあてる。口付のような仕草にウォーリーは恥ずかしくなった。

 唾液に濡れたスニッチがハリーの口から離れた時、ハーマイオニーは興奮して指差した。

「文字よ! ほら、ここ!」

 確かに何もなかったスニッチの球面に文字通り、言葉が刻まれている。

「ダンブルドアの字だ……わたしは、おわる、とき、に、ひらく……」

 ハリーが読み終えるのを待たず、文字は消えた。

「どういう意味? 魔法界の諺?」

 ハーマイオニーとロンは意味不明と首を横に振るう。ウォーリーにも心当たりはない。

「スニッチの書き込み……書き込み、そうだわ。この本も……書き込まれている」

 閃いたハーマイオニーは【吟遊詩人ビートルの物語】を開く。細く滑らかな指はある奇妙な模様を指差す。最近、見た印だ。

「ああ! これだったんだ! ……ルーナのお父さんがなんでこれを?」

 驚いたハリーは納得し、途端に眉を寄せる。

「え? ルーナのお父さんがなんだって?」

 瞬きしたロンはハーマイオニーの顔を見るが、彼女は実物を見ていない。

「ルーナのお父さんがつけていたペンダントだ。私も気にはなっていたが、指輪……『死の秘宝』の刻印だったからか……」

「スタニスラフとビクトールは、これをグリンデルバルドの印って言っていた。あいつが学生時代から好んで使っていたとか」

 ハリーの説明を聞き、ロンは腕を組んで首を傾げる。

「……もしかして、これが『死の秘宝』の刻印って知っている人はあんまりいないのかな? そのグリンデルバルドのせいで」

「そもそも、グリンデルバルドが印を持っていたなんて初耳だわ。彼についての本はいくつも目を通したけど、印があったなんて書いてなかったもの。彼も最初はルーナのお父さんみたいに本来の意味として愛用していたんじゃないかしら? それが次第にグリンデルバルド自身の印にされたんでしょうね」

 しかし、グリンデルバルドが『死の秘宝』の印を自分の印として流用したのかは謎だ。

 深刻な表情で考え込み、ハリーは母親の手紙を広げ直して指先で同じ文面をなぞる。

「……父さんの『透明マント』、これは本物の『死の秘宝』だった。……もしかしたら、残りの『死の秘宝』……つまり『ニワトコの杖』はグリンデルバルドが持っているってことじゃないかな?」

 ハリーの憶測に驚愕し、印に注目する。

「可能性は十分にある……『蘇りの石』はゴートン家が指輪にして持っていた。しかし、その杖をどうしろと言うんだろう? 『分霊箱』を破壊しろって事か?」

 破壊された指輪を頭に浮かべ、ウォーリーはハーマイオニーへ問う。

「それよりも、グリンデルバルドに会いに行けないわ。彼が収容されている監獄をご存じ?」

「え? グリンデルバルドって生きているの?」

 意外そうにハリーは驚き、ロンも変な声を出す。ウォーリーも知らなかった。

「ヌルメンガードっていう監獄。魔法界の常識だぜ、ハリー。しかも、場所はオーストラリアのどっか」

 椅子にもたれ、ウォーリーは頭を掻く。ハーマイオニーは口元を押さえ、眉間のシワを指で解す。

「まあ、『分霊箱』の破壊はウォーリーの杖に任せましょう」

 言われたウォーリーは鞄から杖を取り出し、他の品と並べた。

「それはもう無理、ダンブルドアが言ってた。二度と破壊できない」

「……先に言って……」

 溜息と一緒にハーマイオニーはハリーへ文句を述べる。

(そうか、それでグリフィンドールの剣……。よりにもよって、学校か……)

 ウォーリーが胸中で呟き、うんざりする。

「やっぱり、パチルダに会いに行こうよ。ダンブルドアから伝言を預かっているかもしれないし、『分霊箱』も探せるかも」

 情報を整理している最中だというのに、ハリーはまだゴドリックの丘に拘っていた。

「ハリー、それなら先にガマガエル婆からロケットを取り戻そうぜ。正直、二度と会いたくないけどな」

「そうね、今確実に出来る事から始めましょう。いいわよね、ハリー?」

 ロンの意見にハーマイオニーは賛成し、ハリーは不満そうにスニッチを指で弄ぶ。しかし、文句は言わない。

「確かに早くロケットを取り戻して、シリウスを……クリチャーを安心させてあげよう」

 3人の顔を見渡し、ハリーはロケット奪還を目的とした。

「そうと決まれば、魔法省への潜入計画を立てないとね。まずは下見に行きましょう。ロンは勿論だけど、ハリーも行った事あるわよね」

「潜入計画って……アンブリッジが魔法省から出る所を狙ったほうが良くないか?」

「潜入するか、帰宅時を狙うかも、下見してから決めよう」

 ロンの疑問にハリーは深呼吸し、強い意志を込めた口調で返す。行動を決めれば、彼はそれに向けて一直線だ。

「……二度と会いたくない……、アンブリッジが二度と会いたくない奴」

 ウォーリーはロンが何気なく呟いた言葉を繰り返し、必死に記憶を呼び覚ます。悪趣味な笑顔を振りまく賭博師が脳裏を過ぎり、アンブリッジ対策に使える最高の人材を思いついた。

「ルード=バグマンを使おう」

「「「なんで?」」」

 想定外の名に吃驚仰天した3人を余所に、ウォーリは知らずと意地の悪い笑みを浮かべた。




閲覧ありがとうございました。

映画の衣装も可愛かった、ルーナ。

ゴシップ好きのミョリエルはアイリーンのことも知っていそう。アイリーンが研修癒だったというのは想像です。この人は何も好きでないマグルと結婚した理由がわからない。周囲に推し進められたら、断れなさそうな気もします。

瞬間移動って現実的に考えるとかなり怖い。移動先の安全が確保されないとやりたくない。

皆の推理力に恐怖を感じる。

かたくなにゴドリックの谷に行きたがるハリー、情報の共有がなされていないパーティー、不安だ。

よっしゃ、バグマン。今まで休んでいたツケを払ってもらうぞ!


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5.協力を仰ぐ

閲覧ありがとうございます。
前回の投稿より、何か月も間が空いてしまい申し訳ありません(土下座)


 

 人の気にしない場所に魔法界はある。

 この寂れた店舗もそのひとつ、聖マンゴ魔法疾患傷害病院への入り口だ。

 ウォーリーは周囲の人々に合わせた服装で遠巻きにショーウィンドーの様子を何気なく窺う。『死喰い人』が2人、しかも、魔法族とわかる服装だ。

 通行人の何人かが、彼らを煙たそうに見つめるが誰も話しかけない。奴らがマグルの視線をうっとおしがる隙に病院のロビーへと突入した。

「あいつら、なんで目立つ格好なんだ。暗躍する気あるのか?」

 後ろにいるロンを振り返る。彼は大げさに肩を竦めただけだ。ウォーリーと同じマグルの服装だが、季節外れの厚着にフードとマスクで顔を覆う。その肌には黒死病を思わせる無数の斑点が浮かぶ。『隠れ穴』にいる身代わりが患っている病を利用し、診察して貰いに来たのだ。

 ここで入院しているバグマン、別に協力者となって貰いたいセドリックに会う為だ。

 ウォーリーはバグマン本人を魔法省に解き放ち、その追跡者としてセドリックに変身したハリーを潜入させるという提案を出した。

 入院患者やDAの仲間であるセドリックを巻き込む案にハーマイオニーとハリーから散々反対され、ロンだけが味方してくれた。

 折衷案として、一度だけ病院に行きを許される。但し、目的の2人に接触できなければ諦めるという条件付きだ。

「実行するなら9月以降だと思うから、バグマンにそう伝えてね」

 ちなみにハリーは『透明マント』で魔法省へ下見に向かい、ハーマイオニーには散々文句を言われたが留守を任せた。

 混雑した受付で必要な手続き済ませる。様々な症状の人々に混ざって、ぐらぐらした木の椅子へ腰かける。ライムのような緑色のローブを着た癒者達が詰問の為に走り回るっていた。

(診察室に通されたら、ロンに任せて……私は影になってセドリックを探すか……)

 10分程待たされ、癒者の1人が病人のロンではなく、付き添いのウォーリーに声をかけてきた。

「ロン=ウィーズリーとお連れ様。こちらへどうぞ」

 案内された先は張り紙の文字が蠢き、カルテが自分で走り回っているが、それ以外はただの診察室。しかし、誰もいない。ウォーリーとロンが足を踏み入れた瞬間、廊下に癒者を残して扉を閉める。しかも、扉そのものが消えた。

「閉じ込められた!?」

 罠かと狼狽したロンは沈黙を破って壁を叩いた。

「隔離したんだよ、ロン。君の病状に合わせてね」

 知った声が宥めた時、張り紙だらけの壁から見慣れないローブを着たセドリックが現れる。簡単に会えてしまった状況に2人は驚いた。

「驚いた? 休暇中は患者が増えるから、癒学生も診察に駆り出されるんだ」

 反応を誤解したセドリックは丁寧に説明してくれる。勝手に動く羽ペンとカルテがロンの周りをウロウロし出した。

「ここの会話って、誰かに聞かれる?」

「……多少は聞かれるかな。ここには聞こえて来ないけど、外では他の診察室の音で相当騒がしいから、聞き耳でも立てられない限りはね」

 弱弱しい演技によるロンの質問にセドリックが答え、ウォーリーは杖も振らず無言呪文のみで『耳塞ぎ呪文』をかける。魔法が成功した手応えを感じた。

 目配せでロンに合図し、彼は椅子に座ってマスクを外す。露になった皮膚の斑点にセドリックの目つきでは診察する構えになった。

「本当は僕、病気じゃないんだ。セドリックに頼みがあって来た」

 一瞬、目を見開いたセドリックはロンとウォーリーを交互に見やる。それから勝手に動いていたカルテと羽ペンを静かにさせた。

「…………聞かせてくれ」

 真剣に耳を傾けるセドリックにロンは役割だけを伝えた。

「……バグマンを魔法省に行かせるから、僕が追いかけろって? 正気じゃないよ、今の魔法省は……それにバグマンの状態を知っているかい? 向こう見ずで何でも自分の思い通りになって、正常な判断力を失っている。完全な『フェリックス・フェリシス』中毒に陥っているんだ」

 案の定、セドリックは否定的な声を上げる。患者の身を案じるあまり、彼は皮膚の喰い込む音が聞こえる程、拳を強く握った。

「……『フェリックス・フェリシス』中毒って、え? バグマンが大量に魔法薬を飲んだわけ? 僕、知らなかったよ……」

「バグマンが入院中も多大な迷惑をかけているという噂は聞いたが……、病状は魔法省でも広まっていないと?」

「少なくとも父さん達は知らないはずだ。バグマン本人でさえ、飲んだ自覚はないそうだよ」

 知らずに『フェリックス・フェリシス』を何度も口にし、診断されるまで誰も気づかなかった。

「成る程。あいつが就任中、決裁に賭けを用いたのは幸運に身を任せていたからか……そうだともしても、バグマンの所業は許されないがな」

「破産した人もいるんだろ、マジで信じられねえ。誰だよ、そんなん飲ませたの」

 忌々しい事情を聞き、ウォーリーとロンは舌打ちを堪える。感情が高ぶっても本来の目的を思い出し、2人は態度を改めた。

「君はバグマンを追いかけに来てくれるだけでいい。力を貸してくれ」

 ロンは両足に手を置き、セドリックを真っ向から見据える。瞳を逸らさず、瞬きすらしない。それだけ真剣さを訴えている。

「それはハリーから、僕に頼んでいるのかい?」

「いいや、提案したのは私だ」

 素直に答え、セドリックは一瞬だけ床に視線を送った。

「君が誰かは聞かないでおくし、ここで聞いた事も誰にも言わない。診察は終わりだよ」

 頼みへの返答はせず、セドリックは背を向ける。その態度は拒んでいるように見えた。

「セドリック……!」

「忙しいところ、ありがとう。ロンは安静させる」

 縋ろうとしたロンをウォーリーは宥め、帰る意思を示して『耳塞ぎの呪文』を解く。消えていた扉が浮かび、すぐに開いた。

 なかなか動こうとせず、セドリックの背を見つめ続けるロンの腕をウォーリーは掴んだ。

「今朝の新聞、読んだかい? まだなら見ておきなよ、待合に置いてあるから」

 背を向けたまま、セドリックは静かな口調で告げる。退室の際、影を使って彼の髪の毛を抜いておいた。

 フードとマスクで顔を隠しても、ロンの不機嫌さはわかる。

 混雑した待合は更に人が増え、座る椅子も見当たらない。仕方なく、魔法界の雑誌が何種類も置いてある本棚を視界に入れる。【日刊予言者新聞】の一面大見出し記事を無意識に読んだ。

【ハリー=ポッター

 アルバス=ダンブルドアの死にまつわる疑惑につき、尋問の為、指名手配中】

 写真のハリーは毅然とした態度でこちらを見返し、懸賞金の金額にも動じない。

 勝手な文面にロンは怒り、震えるような声で息を飲む。達観した気分でウォーリーは現場にいたジャスティンを思い返した。

「ジャスティンも入院しているな、会って行くか?」

「……僕から感染を疑われると面倒だよ。それより『ヤヌス・シッキー病棟』だ。奴の症状なら、絶対そこだ」

 小声で告げ、ロンはウォーリーにもたれかかる。肩を担いで、病人を心配する付き添いを演じながら病棟を目指した。

 妙に頼りなげな階段を上がり、壁にかけられた癒者の肖像画を抜ける。ホグワーツにある絵の住人と違い、尊大な態度で勝手に話しかけてきたが無視した。

 5階の踊り場が見え、両開きの小さな硝子窓の付いた扉にかかった【呪文性損傷】の札も視界に入った。

「『ヤヌス・シッキー病棟』って書かれているから、すぐにわかるよ。廊下の奥は多分、事務所だ。前は魔女の癒者がいたから、誰かはいるはずだ。僕はここにいるから、後は頼むよ。誰かに見られても、連れとはぐれたって言うから」

 慎重な声でロンは囁き、壁にもられるように座り込む。ウォーリーは壁に変身して扉を潜った。

 言われた通り、目的の病棟はすぐにわかる。扉を影の状態で押してみたが、ビクともしない。鍵を開けては不審がられる。仕方なく、扉の隙間を通って中へ入り込んだ。

 以前、アーサーが入院していた場所とは雰囲気が違う。患者の私物がその要因のひとつ。寝台で嬉しそうにサインを書き続けるギルデロイ=ロックハートの周りには学校にいた頃と同様、自分の写真に囲まれていた。

(ああ、そういえばいたんだっけ……忘れていた)

 影の身で心臓の脈が上げる程に驚きながら、室内を見渡す。詐欺師を懐かしむより、賭博師を見つめなければならない。ロックハートの寝台以外はカーテンで視界を護られているが、生地の柄で患者の個性が伝わってくる。金色で硬貨の柄から、バグマンの寝台をあっさり見つけた。

 カーテンの向こうには絵画、宝石などの品々を一目で見渡されるように整頓されていた。

 肝心のバグマンは肌触りの悪そうな金色の寝巻を着て、穏やかな寝息を立てる。変身を解いたウォーリーは『耳塞ぎの呪文』をかけてから、無防備な患者の耳元へと囁いた。

「おはようございます、バグマン大臣」

 即座に飛び起きたバグマンは周囲を見渡し、ウォーリーに期待を込めた眼差しを送ってきた。

「お加減は如何ですか?」

「退屈だよ、この休暇はいつまで続くんだ。君は迎えに来てくれたのかな? アンブリッジは? ちゃんと決裁に見合う物を掻き集めているかね?」

 その口調からバグマンは今だに自身を大臣と思い込み、決裁という賭けをやり続けている。これが幸運を得すぎた者の末路だ。

 とても都合が良い。

「はい、アンブリッジ上級次官はとても貴重な品を用意致しました。なんでも彼の有名なヘプジバ=スミスの遺品だとか……」

「おお、ヘプジバ=スミス!! 勿論、知っているとも! あの魔女の遺品……ひひ……いつ魔法省へ戻れる?」

 上目遣いの笑顔から、バグマンはウォーリーを全く疑っていない。実際、間違った事は言っていない。万一、ロケットの出所を調べられても、亡くなった収集家の魔女へ行き着くはずだ。

「月が代わりましたら、お迎えに上がります。お仕事になれば、また忙しくなりますので。もうしばらくお休みください。内緒ですよ、まだ魔法省ではバグマン大臣を戻すべきではないと言う声もありますから……ね?」

「そうか、そうか……そうだな、忙しくなる。それまでにこれらをどうするか考えないとな……」

 下卑た笑顔を浮かべ、棚に飾った品々の心配をする。そんなバグマンを唆しても、ウォーリーは微塵の罪悪感も湧かなかった。

 かと言って、哀れな元大臣を嘲笑う気も起きず、病棟を後にした。

「へいへい、ロニー坊や。酷い斑点だ。お家まで送ってやろうか?」

 踊り場に戻ってみれば、ロンがクラウチJr.に絡まれている。影のままなのに嫌な汗が流れた。

 仕方なく、クラウチJr.の背後に回って階段の奥へと下がる。そこで変身を解く。念の為にマスクで顔を覆い、手袋もした。

「ウィーズリーさん、ここにいたんですか。探しましたよ」

 他人行儀にロンへ話しかけ、クラウチJr.には一瞥だけくれてやる。突然のウォーリーに対し、胡散臭そうに探るような視線が刺さった。

 ロンに肩を貸し、さっさと去ろうとしたが呼び止められた。

「病院の関係者ではないな、誰だ?」

 親しみやすような笑顔とは裏腹にその口調はウォーリーを見下し、不審者として警戒を露にしていた。

「ウォーリーです。家族ではありません。ウィーズリーさんを病院へ連れて行くように頼まれただけです。この病院に彼のお友達がいるらしく……その途中ではぐれてしまいまして」

 クラウチJr.の警戒に合わせ、ウォーリーも応じて警戒を見せる。

「ジャスティン=フィンチ‐フレッチリーの病室を知っているのか?」

 本当に知らないので否と答えた。

「俺も受付で面会謝絶だと言われたが、どうやら、本当らしいな」

「……ご家族には見えませんが、彼に何の用事ですか?」

 ジャスティンの身を案じ、ウォーリーは思わず無遠慮に問いかける。もっとも、彼女が聞かずともロンが問うていただろう。その証拠にクラウチJr.を見る彼の視線が鋭くなった。

「今朝の【日刊予言者】は見たか?」

「一面だけでしたら……」

 クラウチJr.は納得して懐から新聞を取り出し、二面の記事を見せた。

 マグル生まれ登録。

 表向きは魔法族以外の魔法使いへの理解を深める政策。だが、マグル生まれを犯罪者の素養を持つ危険分子として扱い、新設された『マグル生まれ委員会』への出頭命令が出された。

 調査により魔法族の血筋と認めらない者は魔法の強奪者として罰せられる。こんな無慈悲な政策が罷り通ってしまう。それが今の魔法省だ。

「俺は魔法省の命令で、ジャスティン=フィンチ‐フレッチリーを出頭させに来た。なのに、ここの連中は協力的じゃない」

 血が沸騰して感覚、指先までの神経が焼けてしまいそうだ。

「……そんなこと、皆が許すもんか」

 唸り声を上げ、ロンは記事を睨んだ。

「魔法が盗めるんなら、スクイブなんていないだろう? それに堂々と魔法が盗めるなんて公表するとか、魔法を馬鹿にしている」

「重要なのは正当性ではなく、正統性。マグル生まれは何故、生まれてくるのか? 魔法省は長年の課題だったこの問題に立ち向かうとしている」

 クラウチJr.は笑顔なのに左程、興味なさそうに見えた。

「ホグワーツにいるマグル生まれはどうなる!」

 声を荒げるロンへウォーリーは背を撫で、病人の演技を忘れないように注意した。

「それらは『血統書』を以て、在学を許可される。魔法省より己を魔法族の子孫と証明を受ければ、何の問題もない」

 更に学齢児童を全て魔法学校に行かせ、徹底的に監視する。私塾通い、家庭教育、留学中の児童も呼び戻す。『血統書』は増え過ぎる生徒数を間引く為でもあるのだ。

「そ、そんなの……」

 学校に残ると決めたコリン達が脳裏に浮かぶ。彼らは自分の意思とは関係なく、学校を追われて逮捕までされてしまう。この事態に対し、トト……ダンブルドアはどう対処をするつもりなのか、情報に感情が追い付かず動悸が激しくなってきた。

「まあ……そう上手く行かないだろうな」

 急にクラウチJr.は笑みを消し、面倒そうに溜息を吐く。新聞を懐に戻し、【呪文性損傷】の札がかかった扉の向こうを見つめた。

「この政策には魔法内部でも反対意見が多い。バグマンのやり方が尾を引いているせいだ」

 愚痴っぽい口調になった為、クラウチJr.は俗っぽい雰囲気へと変わる。態度の変貌に2人は意表を突かれた。

 咄嗟に情報を得る機会と捉え、ウォーリーは思い付いた言葉を吐いた。

「……賭けで破産した人がいるとは聞いた」

「そうだ。そいつらの身内はスクリムジョールの許可を得て、秘密裏に国外へ出稼ぎに行った。戻って来てもそれに見合う仕事はない。生活は困難になるだろう。だというのに救済する政策はまだ打ち出されていない。だから、戻りたがらない。現にノット親子は帰国後の職を得る保証がない限り、戻らんと来たもんだ。この政策は強引にでも進められるだろうが、魔法界は過去に類を見ない深刻な人員不足に陥るというのがクィレルの見解だ。俺もそう思う」

 一気に捲くし立てたクラウチJr.から気苦労が窺える。どうやら、『死喰い人』の間でも意見が分かれている。感傷的になる程、彼の不満は募っているのだ。

「それだけじゃない、私塾通いや家庭教育を受けている児童はスクイブがほとんどだ。そんな奴らが魔法学校に行ったところで授業についていけるわけがない。ついでにスクイブどもに講師している魔法使いどもも職にあぶれ、失業者も過去最大の年になるだろうな」

「なんで、そんな話を僕にした?」

 戸惑うロンにクラウチJr.は皮肉っぽく笑う。

「病床のロニー坊やには、あの親父さんは新聞も読ませてくれないだろう? 病気が治った頃には世間は様変わりだ。何も知らないでいるのは嫌なもんだ。だから、教えてやった」

 素気なくクラウチJr.は階段を上がって行った。

 帰り道に肖像画から「病院ではお静かに」と注意され、受付ロビーでは「やっとマトモに『穢れた血』が取り締まられる」という声を耳にした。

 

 グリモールド・プレイスの屋敷へ無事に帰宅し、ウォーリーとロンは安堵の息を吐く。

「見張り、いたな」

「ああ、いた」

 12番地の外の広場に外套で身を覆った男が2人、認識できないはずの屋敷の方向を眺めて来る。

「ハリーは無事かな?」

 指名手配された挙げ句、反マグル運動が活発の魔法省は最も危険な場所。ロンの呟きが終えた時、厨房から騒がしい声が聞こえる。直後、リーマスが凄まじい形相で走ってきた。

 その拍子にロンは肩をぶつけられ、壁に激突する。それに何の反応もせず、リーマスは乱暴に玄関を開けて出て行った。

 一瞬、呆然とした。

 状況確認せんと厨房に降りれば、床に倒れたハリーと怯えのあまり祈るように両手を組んでいるハーマイオニーがいた。

 ロンはすぐにハーマイオニーを抱きしめ、小刻みに震える彼女の背を撫でて宥めた。

「何事?」

 ハリーに手を差し伸べて起こし、問う。彼は顔を歪めて感情を晴らすように息を吐いた。

「リーマスがトンクスを捨てて、僕らと来ようとした。トンクスには子供がいるのに!」

 怒りに任せた説明から、トンクスは身籠っている。しかも、リーマスはそれを後悔して、旅を名目に逃げようとしたという。情報に理解が追い付かず、ウォーリーはロンと目配せした。

 目出度いはずが、祝ってよいのかもわからない、

「どうして、今になってリーマスはそんな話を? お子さんが出来たから?」

 畳みかけるウォーリーにハリーは落ち着こうと深呼吸し、食卓に投げ出された【日刊予言者新聞】の二面記事を指した。

 そこに書かれている記事は知っているが、それとリーマスの行動との結びつきを考える。

「家系を調べられるって事は……巨人とか人狼の混血とかも知られるんだ!」

 気づいたロンは叫んだ。

「リーマスはトンクスと子供を人狼の差別に巻き込んだとか言っていた。そんなの僕らと来る理由になるもんか! 親は……子供と離れるべきじゃない……どうしても……そうなってしまわない限り……」

 赤ん坊だったハリーを守らんと彼の両親は隠れ潜んでいた。息子の傍にいれば、自分達の命は危ういと知りながら、最後の最後まで一緒だった。

 両親の親友であったリーマスが生まれてすらいない我が子を妻と共に捨てる。尚の事、許しがたい。

 ハリーの怒りを肌で感じ、ウォーリーはハーマイオニーとロンを視界の隅に入れる。2人も彼を憐れんでいた。

 その視線を感じてハリーは目を逸らしつつ、ウォーリー達に椅子を進めた。

「スクリムジョールが殺されたのに、辞任扱いだ。後任のシックネスは『服従の呪文』で傀儡に据えて、魔法省は完全にヴォルデモートの物だ。けど、それは公にされない。騎士団じゃない人々は疑心暗鬼に駆られている。この状況を利用して、あいつらはこんな政策をやりだした!」

 ヴォルデモートによる国家転覆は公にされていない。

「成る程……、それがクラウチの言っていた戻らない理由のひとつか……」

「クラウチ? クラウチJr.?」

 ハリーとハーマイオニーは『死喰い人』との遭遇に顔を真っ青にし、ロンは必死に宥める。ウォーリーは病院でクラウチJr.からの情報を伝えた。

 怯えつつもハーマイオニーは深刻な表情で無言になり、リーマスへの気持ちを切り替えて現状の分析を始める。その間にロンは皆に紅茶を入れた。

「……勤務しているマグル生まれの魔法使い達を……政策を理由に退職させても、その人達の分を補えるだけの能力を持った人材がいないんだわ。じゃなきゃ試験の意味がないもの」

「だったら、出稼ぎの人達には仕事はあるだろう。なのに戻りたがらないっていうのは?」

「こういう言い方したくないけど、魔法界は仕事自体はたくさんある。でも、家族まで養えるだけの給金を貰えるかって言われたらそうじゃない。チャーリーのドラゴン研究なんかがそうだ。これはママが言っていたけど、危険な割に給料が安いから結婚は難しいとか……。スクリムジョールが許可したって事はそれなりに良い仕事なんだと思う。ヴォルデモートの命令なら、命惜しさに皆すぐにでも帰国するだろうね。けど、傀儡のシックネスなら、そこまで脅威は感じないんだ」

 随分と生々しい問題を聞いてしまい、ウォーリーはうんざりした。

「学費もタダじゃないしな」

「……ホグワーツでは生徒に学費の支援があるよ」

 ウォーリーに続いたのは、ようやく落ち着きを取り戻せたハリーだ。

「ダンブルドアはバグマンの採決方法を知った時、これを見越していたんだ。だから、止めなかった。破産した人には気の毒だけど自分達の生活がかかっているから、シックネスには限界まで抗うはずだ」

「そうね。魔法界でも生活保護制度を施行しない限り、まだ時間は稼げるわ」

 納得したハーマイオニーの隣でロンが小声で「生活保護制度って何?」とウォーリーに囁いてくる。掻い摘んで説明してみれば、「マグルの発想力に恐れ入るよ」と溜め息と共に返された。

「問題は学校に残っているコリン達よ」

 少しだけハーマイオニーは元気を取り戻し、声に抑揚が戻った。

「学校には騎士団の先生達がいるよ。きっと、逃がすか何かはしてくれるはずだ」

 ロンはマクゴナガル達へ期待し、紅茶を口に含む。

「僕、思うんだけど……ジュリアがどうにかしてくれるんじゃないかな?」

 突拍子もない発言がハリーから放たれ、3人は口にした紅茶を噴いた。

「げほげほ! なんでいきなり……ジュリアの話?」

 口元を拭うウォーリーにハリーは真剣な態度を崩さない。

「……リーマスから聞いたけど……あの日、騎士団の家は襲われてトンクスのご両親は『磔の呪文』で拷問を受けた。ディーダラスさんは留守だったから、家を焼かれた。けど、『隠れ穴』は捜索されただけで拷問はされなかった。これって、ジュリアに権限があったからだと思う。彼女自身、マグル育ちだ。同じ育ちの仲間を無碍にはしない」

 ハリーに驚愕し、ウォーリーはハーマイオニーに視線で意見を求める。彼女も渋い顔で返答は控えていた。

「彼女は……確かに……」

「ハリー、ジュリアが心配なのはわかったよ。たださ、当てにしちゃ駄目だ。そうだろ?」

 若干、混乱して言葉が纏まらないハーマイオニーに代わり、ロンは毅然として拒んだ。

「随分、話が逸れちゃったわね。セドリックはなんて返事したの?」

 気持ちを取り戻し、ハーマイオニーの質問に答える。バグマンの症状に2人は何の情けも感じない。むしろ、利用するのに躊躇いがなくなった。

 セドリックの協力については、ハリーは得られたと断じた。

「本当に嫌なら、言葉にして断るからね。セドリックは多分、怒っているんだ。簡単な役割だけだから、僕らが魔法省に手引きしてくれって頼めばやってくれたと思うよ」

 ハリーに言われてから、セドリックの態度を思い返す。あれはそう言う意味の怒りだったのだ。

「ハリーに直接頼まれなかったからじゃないの?」

 不貞腐れたロンの後頭部をハーマイオニーは新聞で一発食らわせた。

「セドリックの髪の毛は手に入れた。彼の協力がなくても、やる」

 ウォーリーは慎重に髪を試験管へ入れ、ハーマイオニーに渡した。

 

 シックネスが傀儡である内に魔法省へ侵入し、アンブリッジからロケットを取り戻す。当初の目的を果たす為、4人は魔法省への入口付近を何度も探りに行った。

 通勤中の役人達を尾行し、会話を盗み聞いた。

 内部への『姿現わし』は禁じられ、大臣を主とした高官だけが自宅を『煙突飛行ネットワーク』で繋ぐ。他は徒歩などで魔法省付近まで出向き、ある仕掛けを用いて出入りしている。アンブリッジの執務室も把握出来たが、外を出歩く姿は見かけなかった。

 時計の針のように正確に通勤してくる面子も把握し、都合良く空き家になった劇場を見つけられた。これで役人の誰かに変身する場所は確保できた。

 顔見知りのアーサーやクララの姿を見かける度、心が弾む。声はかけられなくても、無事な姿は4人を勇気づけた。

「『無言者』も不満を言うんだな。……ネビル達が侵入した時に協力してくれた『無言者』は誰だったっけ?」

「……えーと、ブロデリック=ボートだ! 彼は今日、見かけた……うわー今日の新聞、尋問に出頭しなかった名簿が載っているよ。すっげえ、ビッシリだ! メアリー=カタモール? 僕、知ってるよ。破産したレッジ=カタモールの奥さんだ」

 新聞と呼ぶにはその名簿に記事が埋められ、ちょっした小冊子だ。

「コリンの名前がないわ……。違う、あの場にいたスリザリン生の名前もない……どういうこと?」

「『忍びの地図』にはコリンの名前がある。マクゴナガル、フリットウィック、スプラウト、スラグホーン……ハグリッドも、トレローニーもいるんだ……」

 ハリーは『忍びの地図』を広げ、ハーマイオニーに教える。益々、彼女は怪訝した。

「この写真にも映っているけど、このロケット本物かな? あの婆、影響受けている様子がないぞ?」

 写真のアンブリッジが尋問へ来るように余裕の持った態度で訴え、ロンは指先でからかう。

「元から邪悪だから、傍からは変化が見えないんだ」

 ロンの疑問にハリーは肩を竦めた。

 『ポリジュース薬』や『おとり爆弾』、『伸び耳』など潜入に必要な道具も確認し、ウォーリーとハリーの『ポケベル』も改造した。今まではハリーの蛇語に作動する仕組みだったが、ウォーリーの日本語に反応するように仕込んだ。2つの条件に反応させるのは思ったより難しかった。

「そのピンポン玉みたな物は何なの?」

「バグマンボールだ。これにバグマンを閉じ込めて、アンブリッジの前で解き放つ。ポケットに入れるぐらいにしておかないとな」

 ウォーリーが真剣に作ったバグマンボールはハーマイオニーには「非人道的」だと不評である。だが、使用にはしないとは言わなかった。

 シリウスは戻らず、騎士団の誰も屋敷を訪れなかった。ハリーは名付け親恋しさか、彼の部屋で寝起きしていた。

 

 そうこうしている間に8月は終わりを迎えた。

 新学期を迎えた朝。

 去年なら、ホグワーツに乗車するための準備に追われていた。

 それがない状況にウォーリーとロンは妙な感覚に襲われる。ハーマイオニーは神経を高ぶらせ、今日までに集めた情報をメモした紙の束を睨み、矛盾や疑問がないかひとつひとつ確認していた。

「『魔法ビル管理部』は濃紺のローブ……濃紺のローブ……」

 そこへ魔法省の偵察に行ったハリーが失敬してきた新聞の記事を見せられ、悲鳴を上げた。

【セブルス=スネイプ、ホグワーツ校長に就任】

 他にもジュリア=ブッシュマンを『マグル学』、クィリナス=クィレルを『闇の魔術への防衛術』に就任させ、教頭の任も兼ねるとあった。

「クィレルが……教授に」

 こんな形でクィレルは再びに教壇へ立つが、その教室にウォーリーことクローディアはいない。そんな風景が脳裏に浮かび、胸の脈拍が締め付けられる。いつか、彼の授業をもう一度、受けられたら……まだ残っていた未練に我が事ながら、驚いた。

「マーリンの猿股!」

 叫んだハーマイオニーは椅子から立ち上がったかと思えば、厨房の階段を駆けがって行った。

「……今のはイギリスの諺?」

 ハリーは知らぬと首を横に振り、ロンは笑いを噛みしめる。

「多分、マリーンの髭とかパンツって言いたかったんだと思うよ」

 そんな諺があるのも知らない。肝心のロンは笑いすぎて諺の意味を教えてくれない。

「成る程、てっきりマーリンのような偉大な人が猿回しされるような馬鹿げた事という意味かと思った」

 必死に口元で弧を描き、ウォーリーは笑おうと努める。脳髄から理解したくない感情が押し寄せ、涙腺を刺激し出す。笑いを抑えるフリをして、目元を手で覆った。

「……先生という形でジュリアは皆を助けようとしている……なんて言ったら、怒られるね。寮監の先生達は学校に残るとしても、他の先生達はどうするかな? この記事に書かれてないだけで他の『死喰い人』もホグワーツに送り込まれるだろうし……」

「残るしかないと思う。あくまでも、残れたら……ね。スネイプの後ろにいる魔法省とヴォルデモートは先生達もマグル生まれ登録の尋問にかけるだろうから……」

 2人の会話を聞き、感情の波が治まってきた頃にハーマイオニーは額入りの絵を持って戻って来る。ここの肖像画は彼女の体格では運ぶには一苦労だ。

「言ってくれれば、僕も手伝ったのに」

 ロンの声に荒い呼吸音で返し、ハーマイオニーは自らのビーズバッグへ絵を納めた。

「その絵は誰だ?」

「フィニアス=ナイジェラスよ」

 ロン以外はハーマイオニーの行動に納得する。ナイジェラスの肖像画はホグワーツの校長室にあり、この屋敷との間を自分の肖像画を通じて動けるし、伝言なども務めていた。

 逆もしかり、ナイジェラスはスネイプの命令で『不死鳥の騎士団』の本部たる屋敷を探れるのだ。

「これでフィニアス=ナイジェラスは私のバッグの中しか見えないわ」

 一仕事終え、ハーマイオニーはロンに解説しながら椅子へ座った。

「すごいよ、ハーマイオニー! これで学校の様子もわかるぞ!」

 素直に誉めるロンへハーマイオニーは照れた表情で礼を述べた。

 妙な沈黙が起こり、自然と4人の視線は各々の腕時計に向けられる。6時間前にはホグワーツ特急は出発し、まだ野原や丘陵地を走行しているだろう。

「外の見張りは5人もいた。僕らがここから出て、のこのこ駅に向かうんじゃないかと……」

「壮大なサボりだ、本当に信じられない」

「サボりじゃないわよ。言い方に気を付けて」

「起きてからずっとこの感覚を味わっていたよ。けど、私は新入生の頃も味わった。日本はイギリスの学校は秋だなんてカルチャーショックもいいとこなのに観光もさせてもらえず、ずっとホテルで缶詰めにされた……。ああ、懐かしい」

 4人は感傷的な言葉を口にし、もう一度、腕時計を見た。

「決行は明日。すべきことをお浚いしよう」

 ハリーは座り直して姿勢を正し、食卓のメモ達を見渡した。

「まずはハーマイオニー」

「魔女を失神させて、その人に変身する。ロンが変身できそうな人を1人、捕まえる」

「ウォーリー」

「バグマンを病院から連れ出し、魔法省へ行かせる。脱走させた時点で『ポケベル』で連絡する。変身したハーマイオニーと合流し、影に潜んで魔法省へ入る」

「ロン」

「『ポケベル』の報せを受けたハリーをセドリックに変身させ、変身した僕と一緒にハーマイオニーより先に魔法省へ入る。ホールの中央に金色の噴水があるから、そこで待機だ」

 メモを指で叩き、ハーマイオニーは緊張で重い息を吐いた。

「……上手く気がしないわ……上手く行きっこないわ……」

「やるなら、今なんだよ。新学期になっても僕らはホグワーツに現れなかった。だったら、何処にいるのか? あいつらが模索する。ロンドン以外でだ。魔法省は僕に対して最も油断している時だ」

 結果を求めず、挑戦する意気込みに迷いはない。こうなれば、ハリーは決定を覆さない。

「4人ぼっちの挑戦か……、『叫びの屋敷』以来だな」

 ウォーリーの何気ない呟きにロンは感心し、フフッと笑う。

「そっか……僕らが4人で挑むのってその時以来か……、あれ? 『逆転時計』の体験はハリーとハーマイオニーしか味わってないような……」

 ロンが必死に記憶を辿っている時、ハリーの様子が変わる。反射的に彼の手が額の傷へ触ろうとしたのだ。

 ウォーリーとハーマイオニーは見逃さず、ハリーを逃がさないように傍へ回った。

 痛みを誤魔化そうとしたハリーの肩へウォーリーが手を触れた瞬間、彼とは思えぬ喚き声を上げる。それなのに意識がないように思えた。

「ハリー! ハリー! 私の声、聞こえる!?」

 ハーマイオニーが肩を抱くより先にロンは冷静にハリーを腕で抱きとめ、頬を叩いた。

「ヴォルデモートが人を殺した。その人の家族も今頃……」

 見えた状況を言葉にし、真っ青なハリーは怒りで拳を握った。

「ハリー、『閉心術』をちゃんと使って! ヴォルデモートと繋がっても、貴方に良い事はないわ!」

「やろうとはしているけど、僕は元々、上手くないんだよ」

 ハーマイオニーに叱られ、言い訳がましいハリーにウォーリーは怪訝する。

「基本は出来ているんじゃなかったのか?」

 それを侮辱と受け取り、ハリーは唇を震わせて無言になる。

「……僕がわざとあいつと繋がっているって言いたいの!? そんなわけないだろ! シリウスがいてくれた時は上手く出来たよ!」

 叫んでから、ハリーは気まずそうに顔を歪める。深呼吸してロンへ礼を述べた。

 自分の名付け親の存在が心の閉じ方を成功させる。しかし、旅に一緒に行けぬなら、自分の力だけでなさねばならない。それをハリー自身が良く理解している。

 こんな事で躓いている場合ではない。

「では、やるんだ。成功した時の感覚を思い出して、その状態を維持しろ」

 知らずと冷たい声を出し、ウォーリーはハリーへ告げる。悔しそうに彼は自分を堪え、了解した。

 ハーマイオニーも唇を噛み、興奮した自分を諌めた。

「何故、殺されたか、わかるか?」

 殺害現場など見たくない場面を見せられたのだ。それなりの情報が欲しい。そんなロンの意見を汲み取り、3人は椅子へ座り直す。この間、彼は紅茶を入れ直してハーマイオニーへ渡した。

「グレゴロビッチを探しているんだ。その女性はグレゴロビッチの住んでいた家にいた……ただそれだけ……」

「前もその名を出したな。誰なんだ?」

 ロンの質問にハリーは呼吸と共に吐き出す。

「杖作りだよ、外国のね。クラムの杖を作った人で、ブルガリアの魔法使いの間では最高の杖作りだってスタニスラフは言っていた」

「オリバンダーがいるのに杖作りがいるの?」

「オリバンダーは行方不明でしょう? 代わりを探しているのかしら」

 ハーマイオニーの憶測に2人は目を泳がせ、察したウォーリーはわざとらしく咳払いした。

「オリバンダーはヴォルデモートに捕まっています。多分、グレゴロビッチなら僕の杖が勝手にしたことを説明できると思っているんじゃないでしょうか?」

 観念したハリーは丁寧な口調で説明し、ハーマイオニーは紅茶を乱暴に食卓へ置いてから眉間のシワを解した。

「つまり、ヴォルデモートはブルガリアにいるのね。……本当に魔法省へ行くなら、今なのね。わかったわ」

 議論したい感情をその一言に纏め、ハーマイオニーは深い溜息を吐いた。

 突然、ロンは杖を構えて周囲を見渡す。彼の警戒につられ、3人も緊迫した状態で杖を構えた。

「声が聞こえる……小さいけど」

 眉間のシワを深くし、ロンは小さく告げてから耳を澄ませる。同じように済ませてみれば、確かに4人以外の声が聞こえてくる。くぐもったような声だ。

 ハリーは何かに気づき、開いたままのビーズバッグへ手を入れる。ハーマイオニーが重労働して入れた肖像画を取り出した。

 ナイジェラスが怒りに顔を顰め、腕を組む。

「ここは何処だ? 何故、勝手に壁から外されておるのだ! 騒々しい喚き声を聞かせるなど、無礼にも程があるぞ!」

 額縁の外を見渡し、ナイジェラスは怒鳴り声を上げてくる。ハリーが肖像画を支え、その後ろにロンがいる。故にお互いの姿は見えない。言い返そうとしたロンを手で制し、ハーマイオニーは愛想良くした。

「失礼致しました、フィニアス=ナイジェラス。どうしても、お話を窺いたくて」

 確かに学校の様子を聞きたかった為、嘘はない。礼儀正しいハーマイオニーの態度が気に障ったらしく、ナイジェラスは額縁から消えた。

 拒絶され、ロンは溜息をつく。腹の立ったウォーリーはハリーに肖像画をしっかりと持たせ、咳払いした。

「大変、失礼致しました。ホグワーツの状況を知りたく、歴代の校長の中で最も博識であらせられるフィニアス=ナイジェラス氏ならと思ったのですが……。新たな校長が貴方様を危険視して校長室から除いた可能性もあるでしょう」

 たっぷりと皮肉と嫌味を込め、ウォーリーは暗い肖像画へと語りかけた。

「スネイプ教授は礼儀を重んじておる。そのような無礼はせん」

 油絵が動く姿をここまでじっくり見た事はない。相手が人相の悪いせいか、TV画面や動く写真を見るより不気味な印象を受けた。

 姿を見せてくれたナイジェラスにハーマイオニーは安心し、ウォーリーは真っ直ぐ見据えた。

「魔法族の生徒は無事に登校されましたか?」

「否、奇人のルーナ=ラブグッドは今だに姿を見せん。スネイプ教授は既に自主退学として処理するつもりでおる」

 ルーナは逃げてくれた。朝刊を読み、流石に身の危険を感じたか、別の考えがあるのだ。

 胸中で安堵しつつ、質問を続ける。

「……スネイプ校長先生は今、学校に残っているマグル生まれの生徒をどうするおつもりですか?」

 出来れば、逃げて欲しいという思いを込める。考えてしまうと不安で心臓が激しく脈打つ。

「あやつらは小賢しい後見人により、特別に在学を許可された。スネイプ教授が提示した条件を満たせるかは知らん」

 息を荒くし、憤りを堪えるナイジェラスの話からトトとスネイプとの間に取引が成立し、コリン達の在校は許される。否、まだ取引の最中なのだ。

「……その条件の内容はナイジェラス氏にも難しいですか?」

「『忠誠の術』を解くぐらいはできよう。だが、マグル生まれを在学させる為には出来ん」

 嫌味っぽく鼻を鳴らして告げられた内容にゾッと寒気がした。

「聞き間違えでなければ、在学の条件が『忠誠の術』を解くと聞こえましたが……」

 動揺のあまり、声が上擦る。息を飲んだロンは急いでガマグチ鞄を手にし、貯蔵庫へ走った。

「本来はミスタ・ポッターとの身柄が条件になるはずだったが、あれは私が呆れる程に粘りおってな。今日を終えた時に……」

 ナイジェラスが言い終えるより前、瞬きせずに硬直した表情のハリーはまるで現実逃避するように肖像画をビーズバッグへ詰めた。

「『忠誠の術』は『秘密の守人』が死んでも、解けないんだよね?」

「……秘密を教えるんじゃなくて、解くって言っていたわ。フィニアス=ナイジェラス程の魔法使いが言い間違えるとは思えないわ。トトさんはここの護りを解くつもりよ! 日が変わったら!」

 ハーマイオニーの悲鳴を聞き、動揺しても冷静な部分でウォーリーは今から身を隠せる場所に考えを巡らせる。

「近くにペネロピーの家がある。ジュリアの家も空き家だ」

 ハリーはウォーリーに答えず、真っ青な顔でビーズバッグを探る。

「まずはシリウスに知らせないと、ここはもう安全じゃない!」

「駄目よ、鏡も使うなって言われたでしょう!」

 震えながらハーマイオニーは更なる危険を予感し、ハリーの腕を掴んで止めた。

「食べ物! 出来るだけ詰め込んだから、絶対に持って行く物が他にもあったら入れてくれ!」

 貯蔵庫から戻ったロンはガマグチ鞄をウォーリーへ渡し、今度は階段を駆け上がった。

 置いて行かれないと、ハリーも続いた。

 ビーズバッグを握りしめ、ハーマイオニーはウォーリーの肩へ顔を埋めた。

「あの防火扉に行きましょう。ここがどうなろうと私達がやることは変わらないわ。着いたら、……保護呪文をかければ……どうにか……」

 口に出しながら、ハーマイオニーの不安が伝わる。『忠誠の呪文』で護られた屋敷にいても、外の見張りで神経を尖らせる日々だった。

 防火扉で無事に一晩過ごせる保証はない。

「この屋敷で私達を見つけられないなら、ハリーの言う通りにあいつらはロンドン市街へ捜索網を広げるはずだ。心配はいらない」

 ハーマイオニーの手を優しく握れば、彼女は少しだけ笑顔を見せた。

 玄関ホールへ上がった時、深刻なハリーはフード付きの上着を2枚渡してきた。

「見張りが8人に増えていたよ。日付が変わったら、ここに乗り込むつもりだ」

「だったら、まだ増えるな。今すぐ行こう、ロンはどうした?」

「ここだよ」

 ウォーリーに答え、ロンは上の階から降りて来る。板で防がれたブラック夫人の肖像画を下ろしてきたのだ。

 像の足のような置物をホールの真ん中へ置き、慎重に肖像画をそこへ立てかけた。

「意味はないかもしれないけど、ここに置いておこうぜ」

 ロンなりの悪戯だと言いたげに笑っているが、怯えているように手足は震えている。しかし、この場に押し寄せた『死喰い人』どもがブラック夫人の金切り声は最高の罠だ。

 ただ一刻でも早くこの場を離れる事を優先し、笑う余裕はなかった。

 

 時計の針が深夜零時を告げ、ベラトリックスが率いる『死喰い人』達は意気揚々と屋敷へ乱入する。ブラック夫人の肖像画から放たれた金切り声に恐れを為し、錯乱したクラッブが魔法を乱発して余計な負傷を出したのはヴォルデモートどころか、スネイプ達にも報告されなかった。

 

☈☈☈☈☈☈☈

 リーマスはハリーとの口論で傷心し、人里離れた森林にいる。満月の時期によく避難していた場所だ。

〝僕に吸魂鬼との戦い方を教えた人が――腰ぬけだったなんて〟

 亡き親友なら、そんな言葉は絶対に吐かない。しかし、その忘れ形見は心からリーマスを批難した。

 故の逃走。

 妻の元へは帰らず、何日も逃げ回った。

 逃げながら、思い知る。ハリーはジェームズ……リリーとは違うのだと――。

 親と子は別人、そんな当たり前の事は分かり切っている。だが、ハリーにはジェームズを求めていた。それに気づいてしまった。

 シリウスに会いたい。彼ならきっと同調してくれる。しかし、万一に拒まれて批難させる恐れもある。胸の不安が動悸を激しくさせ、呼吸の仕方がわからなくなってくる。

 そこへトトから報せが来た。

 グリモールド・プレイスの屋敷は破られた。

 その悲報にハリー達の身を案じたが、あの日から一月近く経っている。いつまでも屋敷にいないはずだ。

 確認する勇気も出ず、他に行きたい場所へと考えを巡らせる。閃いたリーマスは『姿くらまし』した。

 

 住宅地に住むマグルの気付かれない魔女の家。芝生に足を踏み入れ、頬に受ける風の優しさに涙が溢れた。

 一歩、一歩、近寄りながら、家の様子を懐かしむ感情で窺う。玄関の戸は鍵がかかっておらず、ノブを回しただけで開いた。

 人の住む気配はなく、手入れもされていない為に埃や痛みが目に見える。最後に訪れた時にはなかった簡易寝台が何を意味しているか理解した。

「ドリス……」

 返事などあるわけない。膝を折り、簡易寝台に突っ伏して啜り泣いた。  

 両親も亡くなり、独りで生きて行くしかなかった時、最もリーマスを支えてくれたのはドリスだった。

〝ご飯を多く作りすぎただけよ、1人分だけを作るのに慣れてなくてね〟

 満月の悪戯の件があり、決して笑顔は見せず、いつも厳しい態度で接していた。

〝私、親戚から家を相続したの。私が夜勤の時、偶には留守番やって頂戴。貴方が暴れても壊れない部屋もあるわ〟

 何度も、この家に招いてくれた。

 恩を感じていたのに、リーマスは何ひとつ返せなかった。

 救助さえ、間に合わなかった。

 冷たくなったドリスに縋り、その死を嘆きたかった。母の死のように悼みたかった。

 けど、皆の前では羞恥心が勝って出来なかった。

 感傷に浸る自分の泣き声に混じり、たどたどしい足音が聞こえる。ここを見張っていた『死喰い人』だろう。ほとんど自棄になり、リーマスは振り返らなかった。

「ダンスパーティで誰と踊った?」

 後頭部に杖を突き付けられ、聞きなれた声に驚いて振り返る。忙しなく動く青い義眼の異名を持ち、百戦錬磨の勲章を文字通り顔に刻んだムーディだ。

「…………マグル学のバーベッジ先生。貴方は『天文学』のシニストラ先生と踊った」

 返答に満足しても、ムーディは杖を下ろさない。リーマスも質問を返した。

「ハリーを初めて本部に迎えた晩、『灯消しライター』を見てクローディアは何と言った?」

「……それで火事の火が消せるかだ……宜しいと言いたいところだが、油断大敵!」

 いつもの口癖と共に杖で額を小突かれる。ちょっと痛みを感じ、義足の音が聞こえなかった疑問を抱く。そこには見た目はただの足があった。

「あちこち歩き回るのに、あの義足は不向きでな」

 慣れていないらしく、歩きにくそうだ。

 頼れる魔法戦士の存在がリーマスの涙を止めた。

「ムーディ、大丈夫? ルーピン先生!?」

「本当だ! 先生、やっほー!」

「油断大敵! 声を出すな!」

 台所とは反対方向に見慣れない階段があり、上の階から知った顔が2人いた。

「ディーン、ジャスティン……」

 驚いたリーマスに元教え子は屈託のない笑顔で歓迎してくれた。

 2階には窓はなく、壁には様々な雑誌の切り抜きが貼られている。小さな流し台と冷蔵庫、食卓と椅子が3つ。二段寝台もあり、寝袋もいくつも置かれていた。

「ジャスティン、君は入院しているはずだ」

 血色も良く、ジャスティンは元気溌剌な笑顔で敬礼した。

「ええ、表向きはそうです。けど、受付で僕の病室を訪ねれば「面会謝絶です」としか答えません。だって、僕の病室ないんだもの!」

「ちょいと、わしの任務を手伝わせておってな。この家はわしの知らぬ保護魔法で護られておるわい」

 最低限だけ語り、ムーディは面倒そうに椅子へ座った。

 ムーディさえ知らぬ、つまり、トトの仕業だ。

「ハリーによく似た男の子と国中を廻る。ジャスティン、君の入院は最初から偽装か」

 状況を分析し、ジャスティンは笑顔で答える。ディーンは彼らとは別件の様子だ。

「ディーン、どうして国に残ったんだい? マグル狩りはもう始まっているんだぞ。」

「残りたいから、残りました。今はある人の助手をしています。僕は朝、ここに着いたんです。2人がいて吃驚しましたよ。一緒に雑誌の切り抜きしていたところです」

 ディーンは『マグル登録委員会』に出頭しなかった名簿を持ち上げ、からかうように笑う。名前を出さないが、トトかコンラッドの助手だろう。

 目の前の2人は自らの置かれた状況を知りながら、戦いに身を投じる姿は逞しく見えた。

「そうだ! 先生、結婚したんですよね。おめでとうございます!」

 質問しようと口を開いた瞬間、ジャスティンは笑顔で手を握り祝いの言葉を述べる。リーマスは反応に困り、変な声が出た。

「そうでしたね、おめでとうございます。……なんでここに来たんですか?」

 祝いを述べながら、ディーンは疑問する。トンクスの話をされたくない。リーマスは様々な日付の【日刊予言者新聞】に視線を落とす。そこに載っているアンブリッジの写真を見て、ゾッとした。

 毅然とした態度の胸に翳されたロケット、写真で小さくても【S】の文字がハッキリと見てとれる。シリウスの弟レギュラスが命懸けでヴォルデモートから盗み出したロケットだ。

 何故、アンブリッジの手にあるのかという疑問よりも、シリウスの身を案じる。この新聞を見れば、ロケットを取り戻しに魔法省へ向かうだろう。今、最もの危険な場所にも関わらずにだ。

「先生? 顔……真っ青ですよ……」

 ジャスティンに呼ばれ、自分が動揺のあまり体が震えているのを自覚した。

 シリウスはクリーチャーを匿える場所を探し、まだ連絡が取れない状況だ。だが、魔法省に潜入する事になっても、リーマスに助力を乞わないだろう。レジュラスが誰の助けも借りずに行ったように、独りで立ち向かう。

 そんな姿を思い浮かべた。

 否。

 衝動に駆られ、リーマスは元教え子の目を気にせずにムーディへ縋りついた。

「マッド‐アイ、お願いだ! 私と魔法省へ行ってくれ!」

 必死の懇願にムーディは返答せず、普段の渋い顔のまま先を促す。レギュラスのロケットについて洗い浚い話し、シリウスはずっと探し続けている事もだ。

「魔法省か……ならば」

「「尋問に行けばいいんですよ、僕達と」」

 ムーディが言い終える前にディーンとジャスティンは口を揃えて自ら提案する。

 驚愕するリーマスは元教え子の2人を奇妙に思う。彼らを見つめながら、不意に妻のニンファドーラの父テッドがマグル生まれだと思い出した。

 




閲覧ありがとうございました。

ノット親子は意外と精神的に余裕。
イギリスは生活保護受給率が欧州一、国内でも社会問題になっています。

結局、「マーリンのパンツ」ってどういう意味なんでしょうか?

屋敷の護りは解かれました、もう安全ではありません。

●レッジ=カタモール
 魔法ビル管理部・部長。魔法省潜入時にロンが変身した相手。
●メアリー=カタモール
 レッジの妻、マグル生まれ。原作では尋問に出頭していた。
 このお話では破産した夫に代わり、子供達を連れて国外に出稼ぎ中。
 


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6.少しでも声をあげて

閲覧ありがとうございます。
誰得かわからないオリキャラ・クララ視点です。


 クララの自宅から魔法省までは比喩的でなく、州を越えて遠い。

 かといって、ロンドン市内での独り暮らしも家族から反対された為、許可された範囲まで『姿現わし』してから魔法省へ向けて徒歩通勤、そして女性職員用の入口は常に混雑しているのだ。

 部署の机に辿り着くまで、毎朝、30分以上かかる。憂鬱だ。

「レッジ=カタモールの無断欠勤が続いている……。彼も逃げたか……優秀な職員だった故に残念だ。マグル生まれなんぞと結婚するからだ」

「問題はダーク=クレスウェルよ。家系図を捏造したなんて!」

 高官たる両親は『煙突飛行ネットワーク』で出勤できる。だから、クララよりも朝食を優雅に過ごせる。純血主義やマグル贔屓など関係なく、両親の話題は聞きたくなかった。

「クララ、異動届けの申請を忘れないで頂戴。今なら、『小鬼連絡室』でも何処でも移れるわ。いつまでも『血を裏切る者』の部下なんて」

「仕事、行ってきます」

 『屋敷しもべ妖精』に見送られ、クララは普段より5分早く家を後にした。

 オグデン家は純血の家系にして代々、魔法省への勤務が生まれ持った責務のように義務付けられている。故にクララも魔法省勤務を目指し、どうせならばと『闇払い』を志した。

 才能がない。ムーディの言うとおりだった。

 『神秘部』での戦いにおいて、クララは己の非力さを思い知る。背中を預け合える仲間がいてくれたから、あの場は生き延びた。

 もしも、独りであったなら、呆気なく人生は終わっていた。

 シリウスの手の中で亡くなったピーター=ペティグリューのようにだ。

 『姿現わし』した先の通勤路、体の無事を確認してから表通りに歩き出す。急にポケットから硬貨が落ちる音がした。

 振り返れば、DAの偽金貨が地面を転がる。慌てたクララは大切な硬貨を拾わんと元来た道を戻った。

 そこに妙な動きをする3人組みが人を運んで路地へ消えていくのが見えてしまう。一瞬だった為に3人組の顔は遠くて顔は分かりにくいが、運ばれていたのは『魔法不適正使用取締局』の局次長マファルダ=ホップカークだ。

 焦りに胃が竦み、唇と指先が一気に冷たくなる感覚がより緊張を高めた。

 思いついたのは、3人組はマグル生まれの魔法使い。クララの両親程ではないが、マファルダも『マグル生まれ登録委員会』に賛成だ。

(DAの誰かなの?)

 期待のような焦燥感はクララに杖を抜かせ、壁に背を預けて路地へと追いかけさせる。そこには誰もいない。周囲を見渡し、汚れた扉とゴミ箱を見つめる。扉は閉まっているが、地面の扉が擦った跡に気付いた。

 扉の向こうに誰かいる。クララは杖を向けたまま、深呼吸した。

 直後、マファルダが出て来た。

「……はい! おはよう……」

 クララを見た瞬間、マファルダは驚きながら挨拶する。普段の局次長と態度が違う。微妙に仕事内容が被るとかで勝手に敵対視し、挨拶などして来ないのだ。

 明らかな変身を見抜き、クララは更に安心したような相手の表情から親しい誰かだと予想した。

 クララは自らの直感に従い、偽金貨をマファルダへ見せつけた。

「クララ……」

 マファルダは偽金貨の意味に気づき、ビーズバッグからガリオン金貨を取り出す。それが同じ偽金貨だとわかり、目の前の魔女はDAの仲間の変身だと教えてくれた。

 歓喜のあまり、クララは目に涙を浮かべる。

「何かするんでしょう? 私もやるわ……やらせて……今度こそ、助けるわ」

 クローディアは間に合わなかった。

 偽金貨はずっと財布に入れたまま、放置していた。気づいたのは、昼食に『漏れ鍋』まで行こうか悩んで財布を開いた時だ。

 クララの熱意が伝わり、マファルダは偽金貨を握り締めて頷いた。

「いいわ、……今、アンブリッジの事務所へ違和感なく入れる人を失神させて連れて来て……」

 任されたクララは職員仲間が『姿現わし』してくる場所で待った。

 そこに運良く、シックネスやアンブリッジに信頼のあるアルバート=ランコーンが現れる。油断しきった彼は簡単に失神させられた。

 マファルダに誘導されて扉の向こうへ大柄なランコーンを放り込む。しばらくしてから、瓜二つの彼とセドリックが出て来た。

「まあ! 貴方もなのね、どういう作戦なの?」

 興奮したクララはセドリックの肩を思いっきり叩く。慌てたランコーンが唇に人差し指を当てて、静粛を求めた。

「ランコーンはそんな仕草はしないわ。睨むだけよ、もっと尊大に振る舞って」

 クララからの助言にランコーンは緊張した顔で納得し、人形のように何度も頷く。気の弱い彼の姿に変な笑いが起こるが、我慢する。

「もうすぐ、仲間がバグマンを連れてここに来る。僕はバグマンを探しに来たってことで魔法省へ入る。君らはバグマンを魔法省へ入れてくれ」

 まさかのバグマンにクララは騒動を予感し、今度こそ声を出して笑った。

 セドリックとランコーンが去り、しばらくしてからバグマンと見慣れない濁った金髪の魔女が『姿現わし』した。

「お待たせ、連絡は受けたよ。クララ、協力をありがとう。私はウォーリーと呼んでくれ」

 マファルダとクララの存在に魔女は驚かず、親しみを込めて挨拶してきた。

「彼の調子は?」

 マファルダに話しかけられ、魔女はバグマンの背を失礼のないように押す。彼は地味なローブで体を覆い、品のない笑顔で手を振ってきた。

「君はマファルダ=ホップカーク! こっちの君は……オグデンのところのクララだったね! いやああ、久しぶりだ!」

 2人に向かい、大きく手を広げて抱きしめて来た。

 ゾッと寒気がするが、我慢だ。

「さあ、行こう! 仕事が山積みだ!」

 仕事ではなく、賭博を楽しむ顔でバグマンは浮き浮きと歩き出す。そんな彼をウォーリーは失神させ、無言で手の平サイズのボールへと詰め込んだ。

 そのボールをマファルダへ渡した。

「……どういう事? 魔法省へ連れ込むんでしょう?」

 ボールを凝視し、クララは困惑した。

「ええ、これに入れてね。流石に堂々と連れて行ったら、捕まるわ。私達に会わせたのは、バグマンに信じ込ませる為よ。魔法省に戻れるってね」

 バグマンも利用されている。そして、気狂いの賭博師を使ってまで魔法省への侵入を企む行動力はハーマイオニーを思わせた。

 確認はやめておく。

「貴女はどうするの?」

 ウォーリーに振り返ったが姿はなかった。

 

 無事に魔法省内部への侵入を果たし、通勤用の暖炉から出てくる人々を尻目にマファルダをホールの中央へ連れて歩く。マグル生まれには見せたくない像がそこにある。しかし、何処に行くにしても必ず通る場所だ。

「魔法は力なり」

 そう彫り込まれた黒い石造りの像には、苦しみもがくマグルや妖精族を礎にして存在する魔法族。否、魔法族のみ存在し、それ以外の者は礎程度の価値しかない。圧政者の歪んだ主張を象っていた。

「これがマグルの位置ね……」

 先にいたセドリックとランコーンは像を見つめ、言葉に出来ない嫌悪を堪える。マファルダは今にも壊しそうな勢いで睨んでいた。

「あいつは?」

 ランコーンの質問にマファルダはボールを指先で見せる。

「もう少し奥で解き放とう」

 セドリックは目配せでクララに案内を頼んで来る。了解し、3人を連れて他の職員の流れに沿ってホールの奥へ向かう。普段の職場ではなく、アンブリッジの事務所に続くエレベーターの順番を待った。

「セディ!」

 その大声はセドリックの父親エイモス。一気に4人は青褪め、強張った。

「どうして、こんな所にいる! 仕事は……ランコーン! これは、その、息子はきっと私に用があるんだ!」

 ランコーンの姿に気づき、今度はエイモスが真っ青になる。彼の気持ちはわかる。魔法省は以前と様変わりし、職員の身内でさえ、許可がなければ入れない。

 余計な疑いは身を滅ぼす。

「私が連れて来た」

 低い声で尊大な態度でランコーンに告げられ、エイモスは慄く。セドリックは優しく父親へ耳打ちした。

「バグマンが脱走した。逃げる先はここだと思って、探しに来たんだ」

 バグマンの名にエイモスは別の意味で驚き、ランコーンを見上げた。

「緊急事態だ。彼に省内を捜索させる」

 事情を知り、エイモスは心の底から安堵した。

「大げさな事にしたくないんだ、父さん」

「もっちろんだとも、何かあっても心配するな。私に任せろ」

 セドリックを抱きしめ、エイモスは快活に笑った。

 エレベーターの順番が回り、クララ、セドリック、ランコーン、マファルダは乗り込む。そこへエイモスも一緒だ。他の職員も入ろうとしたが、急に避けた。

 順番をお構いなしに魔法法執行部・部長ヤックスリーが現れたからだ。

 シックネスが大臣になり、マグル生まれ登録が始まってから大抜擢されたヤックスリーはクララが控え目に言っても分不相応に他ならない。もっと乱暴な言葉を使うなら、こんな男が執行部の部長など、世の末だ。

 アンブリッジと同じマグル生まれ登録委員会の1人であり、『血統書』は執行部が発行するのだ。

「おはよう、アルバート」

 鋭い眼光がエレベーター内を見渡し、ランコーンにだけ挨拶した。

「おはよう、ヤックスリー」

 エイモスの挨拶は無視される。クララも一応、目礼した。

 動き出すエレベーターは左右に曲がり、上を目指す。そんな中、沈黙が流れる。

「何か変化は?」

 沈黙は変身を察知されると思い、ランコーンは口を開く。ヤックスリーは溜息を吐いた。

「まだ俺の部屋に雨が降っている。逃げたカターモールが何かして行ったに違いない。『魔法ビル管理部』の連中、出来るだけの事はしているだとか、言い訳ばかりだ。さっさと『穢れた血』どもの尋問に行きたいが、まずは雨を止ませるのが先だ」

 仮にも部長であるならば、雨くらいは自力で対応して貰いたい。

 マグル生まれ登録により、退職に追いやられた職員の代わりは埋められない。魔法は力なりと言っておきながら、無能を台座に据える。能力のある魔法使いを出生のみで追放する。矛盾だらけのこの制度は完全に間違いだ。

 声を上げない理由は様々な憶測が飛び交い、敵味方の区別が付かない。スクリムジョールは辞任ではなく、『死喰い人』により始末され、無断欠勤の続く職員達も亡き者にされているなど、今のクララには事実の確認が取れない。

 両親はおろか、局長のアーサーも何も教えてくれない。普段通りに仕事をこなせとしか言ってくれない。もしかしたら、彼も『服従の呪文』にかかっているのではと疑い始めていた。

 だから、シリウス=ブラックからの頼み事を引き受ければ何か状況が変わるかと思ったが違った。

 物思いに耽っていれば、エレベーターの停止に我に返る。

〈4階。魔法生物規制管理部でございます――〉

 声だけの案内が終わり、格子が開いた瞬間、さっさとエイモスはセドリックを連れて降りてしまう。予想外の行動にマファルダとランコーンが目を見開き、クララも口を動かす前に他の職員が乗り込む。ヤックスリーに愛想よく挨拶したが、無視された。

 遠のいていくセドリックが必死にこちらを見ていたが、無情にも格子は閉まり、エレベーターは動き出す。

 対応策を話し合おうにも、場所が悪い。

〈2階。魔法法執行部でございます――〉

 ヤックスリーと共に他の職員も降りていく。格子が閉まった瞬間、ランコーンは動揺を露にした。

「どうしよう、セドリックが連れて行かれた! バグマンを探しに行けない!」

「……バグマンはここよ」

 冷静にクララが教え、ランコーンは今気が付いたように驚いた。

「戻りましょう。私達、一緒にいるべきよ」

「いいや、あんまり時間がないんだから、僕らだけでもアンブリッジを見つけるんだ。見つけられなかったら、戻ろう」

 マファルダとクララは頷き、声だけの案内が1階の魔法大臣、並びに次官室に到着したと教えた。

 格子の先にいたのは、お目当てのアンブリッジだった。

「ああ、マファルダ。トラバースに呼ばれた? そう、それじゃあ、行きましょう」

 上機嫌なアンブリッジはクリップボードに目を通し、さっさとエレベーターに乗り込む。

「今日はたったの4人ですわ。しかも、その内の1人は『闇払い』の身内とは……。流石は人狼と結婚するだけのことはあるわ。問題は父親ね。けど、今回は大物は……あら、クララ。どうして貴女がここに?」

 てっきり無視されると思っていた為、クララは一瞬、言葉に詰まる。マファルダに視線を向け、閃いた。

「母から、異動届を出せとせがまれています。その件でマファルダに相談を……」

 目配せし、マファルダは頷いた。

「良い心がけだわ、クララ。お母様もお喜びになるでしょう」

 蛙のように口を開き、アンブリッジはランコーンを見上げる。

「おはよう、アルバート。貴方、降りないの?」

「ああ、勿論だ」

 動じぬように答え、ランコーンは降りる。しかし、緊張は汗となり、彼の額に浮かんでいた。

 アンブリッジと3人の状態で格子は閉まり、エレベーターは動き出す。陽気なガマガエル婆の見つめ、クララは別の意味で緊張していた。

 バグマンを放つなら、今だ。

 鞄を凝視した後、マファルダを見やる。彼女も同じ、考えだ。

 

 ――コロン。

 

 マファルダはボールを静かに転がし、アンブリッジの靴へと当たる。瞬間、バグマンは飛び出してきた。

 背後の音に気づき、不審そうにアンブリッジは振り返った。

「やあ、ドローレス! 決裁を始めよう」

 無邪気に笑うバグマンは両手を広げ、軽快に挨拶する。雷に打たれたように硬直したアンブリッジの手から、クリップボードは滑り落ちた。

「ぎゃああああ!?」

 足にクリップボードが当たった拍子にアンブリッジは恐怖に慄き、関節が外れそうな程、痙攣した。

 そこまで狼狽する姿にクララはドン引きし、マファルダは何とも言えぬ表情で耳を塞ぐ。バグマンは心底、楽しそうに笑っている。

 停止したエレベーターの案内が聞こえない程に轟く悲鳴を上げ、格子が開くのも待ち切れずにアンブリッジは蹴破る。中年太りした体格からは想像も出来ない素早い動きで走り去った。

「君は私の次官だろ! 待ってくれ!」

 はしゃぎながら、バグマンも飛び降りた。

 嵐のような出来事にエレベーター待ちをしていた『闇払い』ドーリッシュ=ダートと『無言者』ブロデリック=ボートは呆気に取られた。

「なんだ……あれは?」

 ダートの質問にボートは首を横に振って答えた。

「バグマンが病院を抜け出したの。癒学生のセドリックが彼を探しに来ていたわ! セドリックに知らせましょう!」

 わざと大声を上げたクララは、ほとんど棒読みでマファルダに話しかける。乗り込もうとした人々をに緊急事態を思わせて、誰も乗せず無理やりエレベーターを動かした。

 2人きりの空間、エレベーター音を聞きながらクララはアンブリッジの形相を思い返す。一瞬、笑いかけた。

 だが、まだだ。笑うのは今ではない。

 マファルダは硬直したまま、唇が震えている。彼女達の目的は知らないが、あの2人を引き合わせる事は達成には至らない。クララはアンブリッジが置いて行ったクリップボードを拾い、今日の尋問に連れて来られたマグル生まれを確認した。

「テッド=トンクス……トンクスって、マッド‐アイの秘蔵っ子のニンファドーラ=トンクスの?」

 クララの呟きにマファルダは血相を変え、クリップボードを覗き込む。

「間違いないわ、さっきも『闇払い』の身内って言っていたもの」

 次のページを捲れば、記された名にクララは卒倒しかける。気づいたマファルダが肩を支えてくれた。

「ハーマイオニー……」

 今日の尋問にハーマイオニーがいる。ならば、マファルダに変身しているのは彼女ではなかった。

 もしも、マファルダ達の目的が救出であるなら、合点がいく。しかし、肝心の彼女はクララ以上に青褪めていた。

 8階に戻った格子が開き、そこにいるセドリックに驚いた。

「セドリック! 父親をまけたのね!」

 喜んだクララは仰天するセドリックの返事を聞かず、エレベーターに引っ張りこんだ。

「ランコーンとは一階で別れるしかなかったの。そこでアンブリッジに会って、私……マファルダがトラバースに呼ばれたと思ったのよ」

「多分、ヤックスリーの言っていた尋問の記録係だわ。ただでさえ職員の無断欠勤も続いているのに、あいつらの尋問に恐れをなして、逃げ出す人が後を絶たなくて……これを見て、今日の尋問にハーマイオニーがいるわ」

 クララとマファルダが縋っても、セドリックは妙に困惑した反応を見せる。しかし、話を遮らずに聞き入っていた。

 エレベーターでバグマンを解き放ち、アンブリッジが絶叫して逃げたところまで説明した。

 激しく揺れる中で、セドリックは無言のまま厳しい表情になる。そして、考えを纏めてから口を開いた。

「法廷に行くなら、今だ。10階に急ごう」

 その答えを聞き、やはり目的はハーマイオニーの救出だという確信が持てた。

「ただ気を付けてくれ、前々から父さんが言っていた。階を関係なく、部屋で雨が降っている。それは尋問が始まってからだ。クララが言うように記録係を放り出したくなるような何か……恐怖があるんだ」

 鋭い指摘にクララは感心する。杖を振い、無理やりエレベーターを下へ向かわせた。

「そこにある恐怖って……」

 マファルダは呟いてから、慄いて口元を手で塞ぐ。その反応を見てから、クララも気づいた。

 魔法省には雨が降っているのではなく、積った冷気が解けて大量の滴となって落ちている。存在するだけで冷気を招く魔法生物はいるが、アンブリッジが尋問に使える恐怖となればひとつ。

 『吸魂鬼』だ。

 よくも今まで気付かなかったと自らの愚かさに呆れる程、単純な事だ。

 案内さえない10階に到着し、久しぶりに訪れたが変わらずに暗い。エレベーターも逃げるようにさっさと動き出した。

 『神秘』とは違う通路を歩き、法廷へ続く階段を下りる。一段、また一段と下りる度に『吸魂鬼』の存在を証明するような冷気が足元から忍び寄ってきた。

 竦んだ足が廊下へ着いた時には体は寒気に震え、心は恐怖に怯える。クララの様子に気づき、セドリックが前を歩いてくれる。その背も震えていた。

 本当に灯りがあるのかも疑問する程に暗い廊下、まるで住み処のように吸魂鬼が何人も漂っている。法廷前のベンチに座らされたテッドと他のマグル生まれ達はうつ伏せになり、口を押さえて目を閉じる。

 唯一の女子たるハーマイオニーにだけ『吸魂鬼』が2体、ピッタリと張り付く。厳重に監視されていた。

(守護霊……)

 『守護霊の呪文』は未だ習得できずにいる。だが、使えたとしてもこれだけの数に対して幸せな記憶を紡ぎ出す自信はない。

「今日の尋問はなくなったと伝えましょう。『魔法不適正使用取締局』の局次長なら、疑わないわ」

「ええ、そうね」

 クララの提案を聞き、マファルダは白い息を吐く。震える肩を手で撫でてから、ベンチへ近寄る。4人は待ちくたびれたのだろう。ようやく現れた職員に機敏な動きで顔を上げた。

 マファルダは一度、セドリックを振り返ってから緊張を解すように唾を飲み込んだ。

「私は『魔法不適正使用取締局』の局次長マファルダ=ホップカークです。本日の尋問は中止となりました。お帰り下さい」

 彼らは安心するだろうと思った。しかし、テッドは血相を変えて立ち上がった。

「アンブリッジは? 私はどうしても、アンブリッジに会わなくてはならない」

 『吸魂鬼』に囲まれている状況の為、テッドは声を抑えて訴えて来た。

「アンブリッジ氏は緊急の用件で来られません。伝言がおありでしたら、お受けいたします」

「ああああああああ!!」

 滑らかに言い終えたマファルダの説明を悲鳴が台無しにする。どうやら、アンブリッジは法廷まで逃げ込んで来た様子だ。

 こんな場所で叫べば『吸魂鬼』の格好の餌食というのに遠慮なく叫び続けている。その理由はすぐに知れた。

 ドタドタとこちらへ駆け寄ってくるアンブリッジの肩には小さく薄くても銀色に輝く猫が捕まっていた。不気味に笑うバグマンに追われても、自身の幸福を忘れぬ心は敬服に値する。寧ろ、『守護霊の呪文』が使えた事に驚きだ。

 不意にクララの視界に人が増える。

 それはアンブリッジへ向けて突進し、胸倉へと拳を叩きつける。その衝撃で中太りの体は吹っ飛び、追いかけてきたバグマンも巻き込んで倒れた。

 誰かと思いきや、ウォーリーだ。

「あ、貴女、どうやって……」

 姿を隠す方法はいくらでもある。我ながら、滑稽な質問だ。

 呆気に取られたクララを余所にマファルダはウォーリーへ耳打ちして何かを確認していた。

 ただでさえ、冷えていた空気が更に凍る。アンブリッジへの攻撃に『吸魂鬼』も動き出し、クララ達を獲物として襲いかかってきた。

「「エクスペクト・パトローナム(守護霊よ、来たれ!)」」

 逸早く杖を構えたウォーリーとセドリックは臆せず、『守護霊の呪文』を唱える。それぞれアルマジロとアナグマが銀色の輝きを放ち、迫ろうとした『吸魂鬼』を払う。この隙にハーマイオニーとテッド、他2人はクララとマファルダの腕を引いて出口へ走り出した。

「セドリック!? 貴方!!」

 何故か動揺したマファルダはセドリックへ向け、叫ぶ。

「いいから、走れ!」

 セドリックは『吸魂鬼』へ杖を向けたまま退き、バグマンを起こそうとする。ウォーリーは覆いかぶさっているアンブリッジを退かし、彼の胴体を肩に担ぐ。大人1人分の負担を抱えながら、彼女はあっさりと皆に追いついた。

 エレベーターが視界に入った時、ちょうどランコーンが降りて来た。

 しかも、セドリックも一緒だ。

「ハーマイオニー!?」

 ランコーンは間抜けな声で叫び、彼の隣のセドリックも殿を務める己の姿に驚いていた。

「まだ来るよ!!」

 ハーマイオニーの忠告通り、『吸魂鬼』は追ってくる。ちょうど一体がウォーリーの頭に触れそうになり、直接、触れないように腕輪ごしに払っていた。

 彼らに向け、エレベーターのセドリックは杖を構えた。

「エクスペクト・パトローナム(守護霊よ、来たれ!)」

 銀色の牡鹿が放たれ、『吸魂鬼』を追い払う。そのお陰で全員、エレベーターに乗り込めた。

 ウォーリーは荷物を下ろすようにバグマンを床に寝かせる。セドリックは彼の寝息と顔色から、命に別条がないと判断した。

「遅いわ!」

「アンブリッジの事務所を探っていたんだ!」

 上階へと動く中、マファルダとランコーンは文句を言い合う。2人のセドリックはお互いの姿を見つめながら、黙っていた。

 DAでセドリックの守護霊がアナグマだと知っている。そして、牡鹿の守護霊はハリーだ。

 ハーマイオニーを助けに来るなら、ハリー以外いない。彼にとっても、最も危険な場所に乗り込んできた。

(それなのに……私は……)

 不満を抱きながら、唯々諾々と仕事を続けて学友達も助けない。

「テッドさん、すぐに家へ帰って下さい。娘さんには貴方の助けが必要なんです」

 ハリーは静かな声でテッドへ訴える。彼はウォーリーの手元をじっと見つめる。クララは気になり、こっそりと盗み見る。首飾り程度の鎖が見えた。

 それから、ハリーを渋い顔で眺めた。

「……私は余計な事をしたようだ。……全て君に……君達に任せる……。帰るよ、家族の……妻が待つ家に……」

 切ない声に胸を締め付けられる。同時に強い覚悟を感じた。

「8階に着いたら、僕に連行されているフリを忘れないでくれ。何か聞かれても、僕が話すよ」

 遠慮がちにランコーンび提案を聞き、セドリックはバグマンの心音を確認したまま数秒考えてから、深呼吸して答えた。

「僕は一緒に行けない。僕の目的はバグマンの保護だ」

 セドリックが断ると8階に到着し、その途端に異常事態を知らせる警戒音が響いた。

 これが鳴ってしまうと侵入者対策として一時的に全ての出口が封鎖される。

「誰かが下の騒動に気づいたな」

 ウォーリーが忌々しげに舌打ちした瞬間、床に吸い込まれるように姿を消した。

「僕はいいから、行くんだ」

 今にも倒れそうな程に青褪めたセドリックは皆をエレベーターから押し出し、バグマンと共に行ってしまった。

 確かにセドリックが同時に2人いる姿は見られてはいけない。彼の判断は正しい。ハリーは心配そうにエレベーターを見ていたが、ランコーンに肩を叩かれた。

「知らぬ顔をして行って!」

 眩暈に襲われながらもクララは他の職員のように警戒音に何事かと動じる素振りを見せながら、急ぎ足で暖炉へと向かう。そこへ別のエレベーターから現われたヤックスリーがハーマイオニーを見て、険しい顔で叫んだ。

「アルバート! その娘だけは逃がすな! 聞いているのか!」

「この娘は錯乱している! 病院で診察を受ける必要があるんだ!」

 ランコーンも叫び返しながら、ハーマイオニーの腕を掴んで暖炉へと飛び込む。マファルダとハリーは慌てて続こうとしたが、その暖炉は封鎖されてしまう。仕方なく、他の暖炉へと別々に飛び込んだ。

 テッドはヤックスリーへと立ち向かう。その間にマグル生まれの2人も別々の暖炉へ逃げ込んだ。

 迷いなく、ヤックスリーは杖を抜く。それよりも早く、クララはほとんど条件反射でテッドの前に立った。

「やめて!」

 クララの懇願を聞き入れず、また、ただの職員を殺すのを躊躇う男でない事はわかっている。この瞬間、確かな死を覚悟した。

 緊迫した空気にクララを助けようとテッドが動くより先に、ヤックスリーはダートに横殴りにされて床へと叩き伏せられた。

 自分の身に起こった出来事に一番動揺したヤックスリーは状況を把握するのに時間がかかった。

「な、何をする! ドーリッシュ!」

「貴様にはドローレンス=アンブリッジへ暴行した疑いがある! マグル生まれを追いかけるフリをして逃亡などさせん!」

 殴ったのはウォーリーであり、現場にはヤックスリーはいなかった。

 ダートの思惑はわからないが、絶好の機会にクララは便乗して叫んだ。

「ええ! 私、見たわ! この男がいきなりアンブリッジを!」

 周りの職員もクララの声に野次馬根性と怖い物見たさで集まり、ヤックスリーへと困惑と疑惑の視線を向ける。だが、誰も助けに入らず、弁護しようともしない。そんな群衆を彼は恐ろしい形相で睨んだ。

「貴様ら! ただで済むと思うなよ!」

 集まってきた他の『闇払い』もダートに助力し、ヤックスリーを取り押さえる。それを見ながら、クララは後ろを振り返る。テッドの姿は人々に紛れて見えなくなっていた。

 

 ――逃がせた。

 

 久方ぶりに味わう達成感に浸った後、クララはクローディアへの哀惜に咽び泣く。足の力をなくして座り込む。唐突に泣き出した彼女の心情を誤解した職員達は必死に慰めてくれた。

 

☈☈☈☈☈☈☈

 魔法省での騒動がスネイプの耳に入ったのは、事件から3日後の事である。呆れ果てた内容に眉間のシワをより深くし、溜息を口中で殺した。

「ちなみに言えば、俺も昨日、聞いたばかりだ。ハーマイオニー=グレンジャーが尋問に現れた件も何もかもな。やはり、ヤックスリーは信用できん。魔法省の権限はほとんど奴の物だと言うのに、まだ手柄が欲しいらしい」

 真夜中の報告に来たクラウチJrは校長の机に腰掛け、うんざりした顔で盛大に溜息を吐いた。

「降りろ、バーティ。それでアルバート=ランコーンとマファルダ=ホップカークから、話は聞けたか?」

「聞いて来たよ。だから、報告に来たんじゃねえか。そいつらはその時の記憶はなかった。ついでにガマガエル婆は証言を拒みやがった。セドリック=ディゴリーはバグマンの確保に来ただけで、父親のエイモスも騒動は無関係を主張はしている。そのバグマンは支離滅裂な事ばっかりで言いやがって、会話にならん」

 聞かずとも、スネイプは状況を理解出来る。その場にいた2人の職員は『ポリジュース薬』で変身した別人、侵入者の目的はハーマイオニー=グレンジャーの救出ではなく、アンブリッジの持つレギュラスのロケット。闇の帝王が自ら隠した品故、『分霊箱』の可能性が高い代物だ。

 記事の写真に気づいた時は、スネイプも肝を冷やした。

 そもそも、ハーマイオニーも偽者。おそらく、シリウス=ブラックか、彼の協力者による変身。目的は同じロケット。『分霊箱』とは知らず、レギュラスの形見故に取り戻そうとしたのだろう。騎士団としてではなく、シリウス=ブラックの独断によるものだ。

 前者と後者は意図せず、鉢合わせになったに過ぎない。確認はとれまいが、これもダンブルドの思惑通りなのだろう。

 肖像画を見ず、意識を向ける。スネイプの意識を察し、前任の校長は素知らぬ顔で白い鬚を撫でた。

「だが、気になる点があってな。アルバートは意識を失う前にクララ=オグデンに挨拶されたと言うんだ。ヤックスリーがアンブリッジを襲ったと証言したのも、彼女だ。事件後も自宅どころか、部屋からも出て来ないそうだ」

 クララ=オグデン。

 オグデン家は多くの魔法省役人を輩出し、両親ともに高官である。彼女個人はジュリア=ブッシュマンの友人でもあった。

「『錯乱の呪文』の犠牲者なら、辻褄は合う。学生時代も余計な諍いを生まぬ監督生であった。その態度は自身が術にかかり、嘘の証言をした故に責任を感じておるのだ」

「……彼女の両親と同じ見解か……。そう言えば、ドーリッシュも『錯乱の呪文』にかかりやすいと言っていたな。奴自身が脱走の手引きをした可能性は?」

 涼しい顔をしているが、クラウチJrの目つきはスネイプを疑う。一挙一同を見逃さぬ、獣のような鋭い視線を肌で感じた。ヤックスリーのように情報を隠していないか、見定める為だ。

「ない。ドーリッシュは任務に忠実、むしろ、不測の事態に対応できんのが玉に瑕なくらいだ」

 目を合わせずに答えるスネイプへ返事もせず、クラウチJrは机から降りる。今思い出したように首だけ振り返った。

「そうそう。その日、スカビオール達は妙な魔法使いに会ったそうだ。気味が悪いから見逃してやったと言っていたが、怖いくらい綺麗な顔をしていたんだと……なあ、セブルス。コンラッド=クロックフォードだと思うか?」

「そう思うなら、調べたまえ。君の仕事だ」

 予想通りの答えだったらしく、クラウチJr.は扉のノブに手をかけた。

「次に来るまでに内装を変えておけ、おまえの趣味とは合わん」

 校長室は家具の配置から、棚の魔法道具まで前任者がいた頃のままにしてある。

「生憎、そんな暇もない」

 今、変えていない理由を正直に答える。クラウチJr.は更に何も言わず、退室した。

 

 壁にかかる絵にいるはずの住人の姿がない。

 廊下の天井を見上げれば、幽霊が客人であるクラウチJrと目を合わさぬように壁の向こうへ消える。自分とは違う足音が聞こえ、足を止めた。

 廊下の曲がり角から、黒い外套に身を包んだクィレルが現れる。杖の先端に灯した光でクラウチJrの顔を確認し、挨拶代わりに溜息を吐いた。

「生徒が脱走したかと思ったぞ」

「その口調だと出るんだな、脱走。マグル生まれ贔屓の連中か?」

 嫌味に対し、クィレルは苦笑する。

「まだ出ていない。そちらは何か問題か?」

「セブルスから聞くと言い、俺はもう頭が痛くて堪らん。……俺の役目はベラにでも任せて、こっちにすれば良かったな」

 足の引っ張り合いをする連中とマグル生まれ狩りを行うより、ホグワーツ勤めが楽だ。

 ヴォルデモートから信頼され、今の役割を任されたはずなのに心は躍らない。こんな気持ちの変化に驚いているが、理由はクラウチJr自身が十分、理解しているつもりだ。

「あの小娘がいないだけで……こんなにもつまらないのだな……」

 クローディア=クロックフォードを殺す。その目標を失ってから、燃え滾っていた感情が土でもかけられたように消えてしまった。

 それでも、あの女への執着は消えていない。ヴォルデモートへの忠誠も何も変わっていない。

 ただ、つまらない。

「クィリナス、俺だけか? 俺だけが、小娘がいなくてつまらないのか?」

 『死喰い人』としてではなく、ただ1人のバーティ=クラウチJr.として問う。

「……私もつまらないよ」

 皮肉めいた笑みを見せながら、クィレルは目も合わせずに一言だけ返した。

 




閲覧ありがとうございます。
魔法は力なりと言いながら、本当に矛盾だらけの法律である。
アンブリッジは生きています。色々と精神的にやられましたが、すぐに立ち直るでしょう。

わかりにくかった人への補足。
セドリック→ハリー。ランコーン→ロン。マファルダ→ハーマイオニー
テッド=トンクス→ルーピン。ハーマイオニー→???
2人のマグル生まれ→ディーンとジャスティンです。

●ダーク=クレスウェル
 『小鬼連絡室』室長、家系図捏造の罪で逮捕、移送中に逃亡。
●マファルダ=ホップカーク
 『魔法不適正使用取締局』の局次長、アンブリッジの認める優秀な職員。
●アルバート=ランコーン
 ヤックスリー側の魔法使い。ダークやカタモール夫人を告発した。
●スカビオール
 『人さらい』。原作では狼人間ジジイの子分だったが、映画ではリーダー格に配置されていた。




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7.バラバラに

閲覧ありがとうございます。
新年号・令和でもよろしくお願いします。

後半から視点が分かれます。

追記:19年5月12日、20年4月26日、誤字報告により修正しました。


 魔法省から無事に脱出した際、『ポリジュース薬』の効果が切れてハーマイオニーは元に戻る。変身が解けた瞬間、自身へ『目くらましの術』をかけた。

 入れ違いにウォーリーは影から姿を現し、困惑する魔法省職員達の様子を窺いながら堂々と抜け出した。

「緊急事態だ! 封鎖されて中へ入れない」

 後からやってくる職員の喚き声が遠のいても、追手がいないか注意を払う。

「ロンが連れて行った私は誰なの!?」

 姿を隠したまま、ハーマイオニーは錯乱して奇怪な疑問をウォーリーへ投げかけた。

 確かにハーマイオニーの偽物は想定外すぎる。目的は不明だが、結果的に彼女への危険も増した。

 ウォーリーはこの旅も誰かに対して危険を招いている事は棚に上げ、本気で腹立つ。

「少なくとも、『死喰い人』じゃない。トンクスのお父さんがアンブリッジに会いたがっていた事と関係があるだろう」

 集合場所の防火扉を目指しながら、ウォーリーは冷静に答える。

「騎士団の誰かだとしても、もうちょっとブラシで髪を解いてくれてもいいじゃない……後ろから見るとすごく毛先が跳ねてて……」

(……問題はそこじゃない!)

 こんな緊迫した状況で髪型を気にするハーマイオニーに呆れたが、ウォーリーは胸中でツッコんだ。

 防火扉には既に変身の解けたハリーとロンが本物のランコーンに服を返していた。

「私は何処に行ったの?」

 『目くらましの術』を解き、ハーマイオニーはロンへ問う。彼は肩を竦め、偽物のハーマイオニーは男性用トイレに着いた途端、『姿現わし』されて別れたと告げた。

「誰かは検討もつかないって言うの?」

「そこまで気は回らないよ!」

 マファルダに服を返しながら、ハーマイオニーは不満を隠さない。ロンはすぐにでもこの場を脱したい為、乱暴な口調で答えた。

 まだ気を失っている2人を防火扉の外へ運び出す際、ウォーリーは鞄をハーマイオニーへ預ける。すぐに見つけられそうな所へ放置して、周囲を警戒を怠らずに4人は『姿くらまし』した。

 

 その先はクィディッチ・ワールドカップで『死喰い人』に襲撃され、ハリー達が逃げ込んだ森。クローディアだったウォーリーはルシウスに追い回され、ここへ来る事はなかった。

 ロンドンから離れたという安心から、ロンはあの夏を思い出す。最初は懐かしんでいたが、段々と渋い顔になった。

「随分と昔に思えるよ……」

「考えたら、マルフォイの親父さんがワールドカップで騒動を起こした事にヴォルデモートは関係なかったんだったな。あれがなけりゃ……」

 懐かしさで感傷に浸り、ウォーリーは何気なく呟いた。

 瞬間より短い刹那に、『姿現わし』の音が弾けた。

 追いかけて来た3人に見覚えはないが、敵と認識するには十分な狂気に満ちた笑みを浮かべていた。

 しかも、ウォーリーとロン、ハーマイオニーとハリーを分断するような立ち位置に現れる。3人の『死喰い人』は既に杖を抜いた状態、4人の姿を目にした瞬間、問答無用に攻撃して来た。

 しかも、後から『姿現わし』してきた4人目はロンのすぐ背後に現れ、彼の肩を掴む。ほぼ条件反射でウォーリーは彼の腕を掴んだ。

 風景が加速する感覚から、『姿くらまし』されたとすぐにわかった。

 

 現わされた場所を脳髄が理解した時、ロンは自分の肩を掴んでいた男を乱暴に払う。瞬きの間ですぐ『姿くらまし』した。

 そこから視界は二転三転し、辿り着いた先は建物の屋根。取り付けられた奇抜な看板から『W・W・W』だ。

 またロンドンに戻ってしまった。

 その理由を問いただそうとロンを視界に入れ、全身の血が沸騰するような感覚に襲われた。

 ロンの肩が『バラけ』たのだ。

 生きたまま筋肉と骨が露になれば、どれだけの激痛になるかは知っている。ロンはそんな文字通り、身を削る激痛に悲鳴を上げぬように手を銜えた。

 汗だくの皮膚と小刻みの痙攣が彼の痛みを伝え、充血した目は何度も店内へと向けられた。

 仲間の安否を優先し、痛みに耐える様子は脳髄の奥を熱くさせ、現実味を帯びない状態になる。だが、体は対応に動き出す。常備している薬をロンの傷に塗りたくり、自分の服で一番清潔な部分を千切って、仮の包帯を作って傷を覆った。

 看板が大きく、2人の姿を隠すには打ってつけだった。しかし、発見されぬ保証はない為に手早くそれでも慌てずに応急処置を済ませた。

 ある程度の痛みが無くなり、ロンは銜えた手を離す。そのまま、ウォーリーにもたれかかってきた。

 意識が限界なのだ。

 肩を枕代わりに差し出し、ロンの背に手を回す。安心したのか、不格好な体勢で彼は落ち着いた寝息を立てた。

 ハリーから連絡を期待し、『ポケベル』を見やる。しかし、腕輪を掲げた時にヒビが入って崩れ落ちてしまう。一瞬、目の前で起こった現象に今度こそ頭が真っ白になった。

 脳髄の冷静な部分が腕輪で『吸魂鬼』の手を払った事を思い返す。急速に凍らされ、ここまでかけて解凍された結果、壊れた部分が形を成せなくて崩れたのだ。

 状況を整理して原因を解明し、肩のロンを見下ろした。

 魔法で直したとしても、『ポケベル』の効果は失われているだろう。今から作り直すとしても、ハリーの腕時計と連動できる保証はない。

 持ち物と言えば、お互いの杖、薬入れ、『灯消しライター』、『分霊箱』のロケット。旅の道具さえない。この状況下にウォーリーは頭を抱えた。

(『漏れ鍋』でトムさんに……いや、私自身とは初対面か……ハーマイオニーなら、何処へ逃げる? ロンドン以外の場所……、それよりもロンの治療が先だ。また病院に行くか?)

 考えを巡らせている最中、空をフクロウの大群が一斉に飛び交う。ダイアゴン横町の家々へと赤い封筒を届けては飛び去って行った。

(『吠えメール』……魔法省からの通達か?)

 この店にも開いている窓から一羽が封筒を放り込み、お礼の餌も貰わずに逃げた。

 耳を澄ませ、会話を盗み聞く。

〈魔法省大臣として命じる。緊急事態により、本日の営業を中止とする。 魔法省大臣パイアス=シックネス〉

 抑揚のない声が淡々と告げた。

「今日の営業は中止ってどういう意味だ!」

「落ちつけよ、フレッド。べリティ、今日はもう帰ってくれ、明日が営業できるかは俺達で確認してから、伝えるよ」

 怒り狂うフレッドを宥め、ジョージはべリティに帰宅を頼む。『吠えメール』と窓から見えるフクロウの大群に異常事態を察したのだろう。

 それだけでなく、開いている窓を閉めにこちらへ来ている。窓から見える位置ではないが、声を出せば気付かれる。自分は影に変身できるが、意識のないロンは無理だ。

 『目くらましの術』をかけようにも、重傷を負った状態ではどんな異常が出るかはわからない。最後の手段に取っておきたい。

 緊張したウォーリーは口を閉じ、ロンの顔を肩へ更に埋めた。

 するりとポケットに入れていたロケットが滑り落ちる。視界の隅で捉え、足を動かして靴先でチェーンを引っかける。ロンの体重を受け、片足で支えて立つ体勢は長く保てない。

 冷や汗でロンの背に回していた衣服が湿る。

 

 ――バタンッ

 

 何事のなく、窓が閉められた音を聞く。体勢が崩れぬように安堵の息を吐いた。

「何してんだ?」

 すぐ横の屋根が戸口として外れ、顔を出したフレッドにあっさりと見つかる。油断し切っていた場所から出てきた為、ウォーリーは体勢を崩して派手な音を立てて、尻もちをついた。

 ロケットを落とさなかったのは、自分で自分を褒めたい所だ。

 

 フレッドはロンの状態に厳しい表情になり、有無を言わさず店へ引き摺りこむ。丁度べリティを店先まで見送ってきたジョージも弟の容体を知り、青褪めた。

「何があったんだ? 他の2人は一緒じゃないのか?」

 心配したジョージに事情説明を求められたが、言うべきではない。

 即席包帯の巻き方と衣服に付いた血糊、ほどんど治り切った傷にまっさらな包帯を巻きながら、フレッドは無言を貫くウォーリーにキレていた。

「こいつは『バラけ』たんだな。一度、家へ連れて帰ろう。ここだと体を休めれない」

「それは駄目だ。『隠れ穴』は見張られている。ロンを帰してしまったら、二度と出る事は出来ない」

 フレッドの提案を即座に断り、彼は鋭い眼光をウォーリーに返す。ジョージは急にこの場を離れた。

「君ねえ、ロンを聖マンゴに連れて行ったろ? 魔法省から確認が来た時、ママが機転を利かせて誤魔化してくれたけど、こっちは本当に肝が冷えたんだぞ! それなのに、君はロンをこんな状態にしておいて何も話さない! ロンの意思は尊重するよ、旅に着いて行くって言う意思は! ああ、するとも! けど、もう駄目だ! 僕は連れて帰る!」

 その気迫はロンによく似ている。弟を心底、心配するフレッドの気持ちも嫌という程に伝わってきた。

 だが、絆されてはいけない。今、ハーマイオニーとハリーの居所はわからない。しかし、確実に向かう場所ゴドリックに行けば、必ず合流できるのだ。

「私達は一緒にいるべきだ」

 魔法省でのハーマイオニーが口にした言葉だ。

 フレッドは不満そうに顔を歪め、また口を開こうとしたが戻ってきたジョージに宥められた。

「君の言うとおり、ロンは帰らないだろう。けど、体は休めないといけない。ここまでの『バラけ』を経験したら、後遺症でしばらく『姿現わし』が出来なくなる。……あくまで、失敗する確率が増えるという意味だよ。そこでだ。ビルの家に連れて行く。あそこは州外だから、『隠れ穴』よりは見張りも厳重じゃないはずだ。さっき、連絡したから、休憩時間にでも来てくれるよ」

 予想外の申し出にウォーリーは驚きすぎて、目を丸くする。フラーが話してくれたビルとの新居だ。

「それって『伸び耳』を改良したアレだろ? 使い心地どうだった?」

 眉間にシワを寄せ、フレッドは興奮状態の口調まま問う。2人の会話が耳に入らない程、ウォーリーはジョージの提案に悩む。

 新婚の家庭にこんな形で訪問する複雑さとビルから警戒されている身の為、手放しで喜べない。何より、結局はウィーズリー家を巻き込む事に賛成出来ない。

 返答を渋るウォーリーの態度から、ジョージはあからさまに溜息を吐いた。

「頼むよ、これくらいは聞き分けてくれ」

 ジョージもロンを家に帰し、本当に養生して貰いたいのだ。

 自覚して瞬いた。

 騎士団のビルと一緒にいれば、ハーマイオニーとハリーの情報も入る。何か道具を分けて貰えれば、『ポケベル』の修理も出来るのだ。

「わかった、ビルとフラーには迷惑をかける」

「本当にな!」

 神妙な顔つきで受け入れるウォーリーへフレッドは容赦なく嫌味を言い放つ。少しだけ、胸が痛んだ。

 しかし、フレッドの文句を言葉する態度はまだ優しかった。

 時間通りに現われたビルからの無言の圧力は双子の比ではない。眼光の鋭さは今にも魔法を仕掛けて来るのではないかと錯覚させられた。

「僕らは家族全員、見張られている……。僕を連れて行く姿を見られてたら……」

「ロン、言い訳なんていくらでも立つ。そこは僕らに任せてくれ」

 ようやく意識を取り戻したロンへ向ける眼差しは長兄としての慈愛に満ちている。態度の差にウォーリーはビルから本当に信頼されておらず、それでも弟の為に新居へ迎え入れてくれる事を感謝と共に詫びた。

「僕の家には『移動キー』で帰る。帰宅時間にならないと作動しないから、もう少しここにいてくれ」

 そのまま連れて行かれるかと思ったが、ビルは一度、銀行業務へ戻る。その間、食事を分けて貰いながら、フレッドから再び『隠れ穴』へ帰るように説得される。ジョージは庇わず、また兄の小言へロンは一切も反論せずに受け入れていた。

「俺達の服だ。これで顔を隠して、ビルに着いて行ってくれ」

 勤務時間の終わりが迫り、ウォーリーとロンは双子の着替えを一つ貰う。外套で顔を隠した時、ビルは帰宅の身支度を整えて店へ戻ってきた。

 フレッドとジョージに手振りで挨拶してから、ビルへ付き従う。着いて行った先はオリバンダーの店。その前には誰が散らかしたか知れない空き瓶や缶が粗末に置かれていた。

 その内のひとつ、空き瓶をビルを掴む。2人もそれを掴んだ。

 全身を持ち上げられるように引っ張られ、『移動キー』は問題なく作動した。

 

 久しぶりの『移動キー』に目が回る。手で体の無事を確認してから、周囲に気を配る。頬を打ったのは潮風、耳に入ったのは静かなそれでいて心地よい波音だ。

 目の前には家があった。

 『隠れ穴』とは違う穏やかな雰囲気の白い壁と貝殻が美しく調和を取り、まるで風景画。

「ようこそ、『貝殻の家』へ」

 出迎えたフラーから見た目通りの名称を聞き、ウォーリーは状況を忘れて思わず感嘆の声を上げる。お洒落な玄関ホールから居間まで物色し、柔らかい色調に合わせた家具の配置はフラーの趣味だと察した。

「ビル、銀行の出勤に『煙突飛行術』じゃなくて、『移動キー』だったのは『血を裏切る者』と関係あるんじゃないの?」

 フラーとの挨拶もそこそこにロンは弱弱しくソファーへ座り、詰問する。

「さあて、どうかな?」

 軽くあしらったビルはラジオのスイッチを入れる。小声で何かを呟きながら、周波数を合わせる。彼の動きに見入っていると、ウォーリーはフラーからバスタオルと彼女の物であろう部屋着を渡された。

「シャワー、浴びて下さーい」

「私よりもロンを……」

 言い終えるのも許さず、笑顔のフラーは杖を優雅に振るう。その動きに合わせ、ウォーリーはバスルームに文字通り放り込まれた。

 勝手に動くボディブラシとスポンジに体を洗われ、これまた勝手に動くドライヤーに髪を乾かされた。

 背丈の合わない部屋着は手足の裾を折り、ウォーリーは不格好な姿で居間へ戻る。用意された夕食を不自然な程に無言な空気で頂く。ビルが食器を片づけている間、2人はフラーに部屋へ案内された。

 急ごしらえで用意したとは思えぬ丁寧な寝台がふたつ。

「一緒にいるべきだと思いまーした」

 ウォーリーはフラーに深く感謝し、胸中でハーマイオニーに謝罪した。

 2人きりにされても、久しぶりの太陽の匂いがする布団を楽しむような余裕はない。ウォーリーは念の為に『耳塞ぎ呪文』をかけた。

 疲労困憊の中でロンは持ち物を全て確認し、『ポケベル』が壊れた事実を絶望めいた表情で静かに聞いていた。

「腕輪は魔法で直すんじゃなく、修理が必要だ。ビルから色々と道具を分けて貰いたい」

 ロンは息を飲んだが、『バラけ』た肩を掴んで深呼吸する。すぐにでも発ちたい衝動を抑えているのだ。

「わかった。修理が終わるまで待つよ。それで連絡が取れなくても、行こう」

 最大の譲歩だ。

「さっき、ビルに『血を裏切る者』と『移動キー』の関係を聞いていたが、どういう意味だ?」

「純血の家系でも、マグル贔屓は『血を裏切る者』なんだよ。パパがよく言っていた。僕らはその中でも代表的な一家だ。アンブリッジも『問題分子ナンバーワン』ファイルを作っていたよ。だから、グリンゴッツ勤務のビルを『移動キー』で行動制限されているんじゃないかと思ったんだ。病気の僕と学校にいるジニー以外は見張られているんだ」

 的確な指摘にウォーリーは感心した。

 その身に激痛を味わいながらも、ロンは冷静に状況を分析している。

「頼もしいな、ロン」

 素直な感想を言葉にした途端、ロンは布団に倒れ込む。慌てて近寄れば、寝息を立てていた。

 当座の目的を定め、一先ずの安心を得たのだろう。

 ロンの寝息を聞きながら、ウォーリーはロケットの鎖を指先で摘んで【S】の文字を睨む。ただの装飾品としてみるなら、逸話など無関係に美しいという印象を受けた。

(触りたくないな、けど……ロンに渡すとジニーの二の舞になりそう)

 若干、失礼な事を考えウォーリーは空になった薬入れを小箱へと変え、ロケットを放り込んだ。

〔臭い物には蓋を〕

 日本語で呟いてから、ウォーリーは小箱を枕の下へ押し込む。不意に脳裏を掠めたのは、クィレル宛に書いた手紙を入れた箱だ。

 そこから、クィレル、スネイプ、学校にいる皆を思い浮かべながら、眠りに落ちていた。

 

 翌朝、ウォーリーは『ポケベル』の修理に取り掛かる。ビルに必要な材料をお願いした時、嫌味のひとつも覚悟したが、視線だけの抗議を貰った。

 ロンはリハビリがてらに杖を振い、家の中で『姿現わし』の練習をした。やはり、体に『バラけ』の後遺症が残っており、使う寸前に無意識に躊躇ってしまう様子だ。

 しかも、『灯消しライター』を見つめては「ハーマイオニーが呼んでる」と呟き出す。勿論、ウォーリーもライターに耳を当ててみたが、何も聞こえない。ロケットの仕業かと小箱も開けたが、異常はなかった。

(ロンにしか、聞こえない魔法か?)

 ダンブルドア自らが手掛けた『灯消しライター』なら、ありえない話ではない。

「ロン、次に聞こえたら、また教えてくれ」

 ウォーリーが頼んだ後はハーマイオニーの声は聞こえなくなったそうだ。

 

 3日目の夕食の折、ロンは神妙な顔つきでフラーを見つめる。あまりにも、堂々とした視線にウォーリーは彼の心情が理解できずに肝が冷えた。

「結婚式でフラーが着けていたティアラ、ゴブリン製だって言ってたよね? ミョリエル大叔母さんから借りた……」

「そうだよ、まだ返せていないんだ。色々とゴタついたから」

 ただの質問にウォーリーは安心し、ビルも穏やかに答える。

「ママがよくゴブリン製は錆や汚れを寄せ付けず、魔法族には再現できないゴブリンならではの技術が込められているから、とても貴重だって……そういうのって、武器もあるかな?」

 ロンの疑問にウォーリーはビルの返事を待つ。長兄は目を丸くし、一瞬だけ躊躇ってから答えた。

「……おまえも知っているだろう。グリフィンドールの剣だよ。スクリムジョールがハリーに渡したがらなかったのは、ゴブリン製だからというものあるんだと僕は思う」

 校長室で硝子ケースに納められた鞘のない剣。

 あれがゴブリン製などと思った事すらない。ウォーリーとロンは意外すぎて、驚きを通り越して反応できない。

「バジリスクを倒せたのはそういう……」

 確認するように独り言を述べたロンは最後まで言い切らずに視線を手元のフォークへ向けた。

「セシル!!」

 かと思えば、椅子から立ち上がって同級生の名を叫んだ。  

「浮気ですか?」

 フラーの悪意のない質問を受け、ロンは我に返る。

「違う! ビル、ちょっと頼まれて欲しいんだ!」

 まだ食事中だというのに、ロンはビルを無理やり立たせて部屋の隅で耳打ちする。唐突過ぎる行動にウォーリーは呆気に取られ、フラーと首を傾げ合うしなかった。

 布団に入る前、ロンは今まで違い表情を明るくして説明した。

「セシル=ムーンはバジリスクの牙を持っている! ビルに彼女が銀行に牙を預けていないか、確認して貰う。もしないなら、牙は彼女が持っている。ジニーに連絡して牙を寄こして貰おう」

 確かに『逆転時計』を借りる交換条件として、バジリスクの牙を求められた。成程、セシルから借りられれば破壊の手段を一つ得られるのだ。

 まるで『フェリックス・フェリシス』を飲んだように喋り続けるロンの考えはたった今、閃いたにしては大雑把ではあるが綺麗に整っている。ウォーリーの心も躍ってきた。

「計画、変更だ。ジニーからどんな返事が来ても、出発しよう。『ポケベル』は行きながらでも修理する」

「わかった、僕もそのつもりで準備するよ」

 希望の道筋が見えた。

「目指すのは、やはり、ハリーが行きたがったゴドリックの丘か? 私はそこに行った事ないが、ロンはどうだ?」

「僕もない。けど、場所は知っているよ。有名だからね、歩いてでも行くよ」

 自分の脚を叩き、ロンは前向きだ。

「近いのか?」

「いいや。勿論、ここからだと距離はあるよ。けど、流石にパパの車はもう使えない。『夜の騎士バス』は絶対駄目だ……一番近いところまで『姿現わし』して、そこから歩こう」

 合流を急ぎたくても、安全な方法を取らなければ2人にも危険が及ぶ。本当にロンは現状を理解している。『ポケベル』が壊れたくらいで慌てふためいた我が身が恥ずかしい限りだ。

 

 それからビルに調べて貰い、セシルは銀行に預けた記録はない。そして、ジニーから学校の検閲が厳しく、個人的な代物は持ち込めないという返事が来るまで5日かかった

「ジニーの奴。グリフィンドールの剣を持ち出そうとして、罰則を受けたんだ」

 ロンがジニーからの手紙を読み耽っている時、ウォーリーはビルに耳打ちされた。

「ジニーの手紙にはそんな事、書いてなかったが?」

「ジョージから連絡が来た。親父宛にスネイプ校長から、ジニーへの罰則報告が来たとか」

 ウォーリーにだけ伝え、ロンの耳に入れないのはジニーを心配する気持ちを知っているからだ。それ以外にも含みは感じるが、無視しておく。

 

 今夜で発つ。

 別れを惜しむ為か、ロンは普段より饒舌にフラーとリータ=スキータが著書【アルバス=ダンブルドアの真っ白な人生と真っ赤な嘘】の内容について何度も盛り上がった。

「スキータがグリンデルバルドに取材したなら、敬意を込めて読もう」

「いくらなんでも、スキータが可哀想でーす」

 言葉とは裏腹にフラーは同意して笑っている。ウォーリーはそれ以上の話を拒んだ。

 部屋に戻った2人は持ち物を確認しながら、今後の行動を決める。

「セシルの牙はご実家にある。もしも、彼女に頼むならばクリスマス休暇しかない。セシルの家には行った事がある。そこは問題ない……ただ」

「休暇までにハリー達と合流して、セシルを説得する手立てを考えなきゃな。今の僕達だけじゃ、無理だ」

 『ポケベル』の修理は間に合わず、騎士団の誰かに会う事はなかった。

《ガリオン金貨を御守りに持っているわ》

《製造年月日は重要です》

 いきなり、ラジオから偽名を名乗るクララと懐かしのリー=ジョーダンの声が聞こえた時は驚いた。

 聞けば、『ポッターウォッチ』という有力な情報ラジオ番組。ビルがラジオの周波数を合わせる際に呟いていたのは、番組を繋げる為の合言葉だった。

 その番組でハリーの居所は掴めていない。つまり、無事ということだ。

「思うんだが、ティアラをロケットに叩きつけたら、壊れないだろうか? 剣と同じゴブリン製だろ?」

「ミョリエル大叔母さんに殺されたいなら、やってみるといいよ。大体、牙じゃないのに剣でロケットが壊せるの? バジリスクは倒せたけど、『分霊箱』は別物だろ?」

 お互いの疑問を口にしてから、ひっかかりを覚える。

「ダンブルドアはグリフィンドールの剣で、指輪を破壊したって……話を聞いていないか?」

 恐る恐る確認すれば、ロンの眉間が痙攣して目が据わる。

「聞いてないけど?」

「では今、言いました」

 ウォーリーが棒読みで返せば、怒ったロンは枕を投げつける。自業自得なので、顔面で受け止めた。

 時計を見れば、そろそろ新婚夫婦が眠りに入る時間だ。

 そして、どちらともなく動き出す。

 借りていた部屋着を脱いで丁寧に畳み、寝台も出来るだけ整える。双子から借りた外套に身を包み、世話になったビルとフラーに何も言わず、台所から食料を失敬しようとした。

 食卓にリュックサックがひとつ、置かれていた。

【ラジオを持って行け、簡単な物は入れてある】

 簡潔に書かれた文字を見て、ロンは困ったように笑う。

「兄貴には叶わないな」

 ビルの代わりにロンへ感謝の意味を込め、ウォーリーは肩を叩いた。

 地上の光が『貝殻の家』しかなく、今にも降り注ぎそうな星々が空に散りばめられ、反対にさざ波の音しか聞こえぬ海は世界の果てのように闇しかない。

「少し離れた場所で『姿くらまし』しよう」

 魔法の痕跡は残る。

 ビルとフラーに配慮し、ウォーリーとロンは歩き出す。足取りは軽かったが、浮かれてはいなかった。

 

☈☈☈☈☈☈☈

 ロンとウォーリーが追手と共に『姿くらまし』させられた瞬間、反射的にハリーはハーマイオニーへと飛び付くように抱きしめて『付き添い姿くらまし』した。

 切羽詰った状況で思い付けたのは、ヴォルデモートがボニフェースを弔った川原だ。

 光の向こうに視界が開け、そこは記憶で見せられた場所そのもの。ただ、ボニフェースを埋めたはずの木がない。

 お互いの無事を確認し、ハーマイオニーは慌てて周囲を見渡す。

「ここは何処? 2人は?」

「連れて行かれた」

 隠さず、話す。ハーマイオニーは驚愕し、それでも2人を探そうと無骨な岩場へと飛び乗った。

「ああ……ハリー、見て」

 ハーマイオニーの困惑した呻きに導かれ、ハリーも岩場へと飛び移る。彼女の視線の先を見た。

 目と鼻の先に町がある。耳を澄ませば、微かだがバスのエンジン音も聞こえた。

「ここが何処だか、知っているの?」

「ハリー、ここにはドリスさんの家がある町よ。あの公衆電話、バス停の位置、間違いないわ。『透明マント』を被って行ってみましょう」

 こんな傍に川原があるなど、知らなかった。

「僕はヴォルデモートがボニフェースを埋めた場所だから、思い付いただけなんだ。あいつは……」

 言い終える前にハリーは空気の変化に気づく。

 ハーマイオニーもビーズバッグから取り出した『透明マント』で急いでハリーもろとも、身を隠した。

 先程の追手とは違う面子が3人、『姿現わし』してきた。

 彼らは周囲を見渡し、誰の姿もない様子に疑問していた。

「スカビオール、誰もいないぞ」

 面倒そうに1人がスカビオールへ声をかけ、呼ばれた彼は杖を掲げる。

「ホメナム レベリオ!(人 現れよ!)」

 スカビオールが叫ぶ。発見されてしまう恐れに2人は唇を噛んで、呼吸さえ止める。見えない何かが自分の上を低く飛び、それの影の中へハリ―の体を取り込むような奇妙な感覚を味わった。

「確かに誰かいるな」

 『透明マント』にいるハリーとハーマイオニーが見えていないはずだが、スカビオールの視線はこちらに向けられている。3人は迷いなく、岩場を歩いてくる。騒がしい心臓の音で気付かれそうな程、近付かれた。

 一か八か、ハリーは杖を握り締めてもう一度、覚悟を決めた。

「おやおや、『人さらい』どもが何の用だい?」

 3人に後ろから、丸腰のコンラッドは迷い込んだ動物に声をかけるような口調で挨拶してきた。

 いつの間に現れたのかはハリーにもわからない。少なくとも、『姿現わし』の音はしなかった。唐突に現れたコンラッドをスカビオールは仲間と顔を見合わせ、一先ず、杖を向けた。

 だが、それを合図にしたようにスカビオール達は踝から吊るし上げられる。驚いた拍子に彼らは杖を落とした。

「初めに言っておこう。私に懸賞金はかかっていない。魔法省も闇の帝王からもね。私を逃がしたからと言っても、誰も責めないよ」

 機械的な笑顔で親切な口調なのに、コンラッドから無垢な残酷さを感じる。例えるなら、蛇が蛙を戯れに睨んでいる雰囲気だ。

 いつ、こちらが捕食されてもおかしくない緊張感に苛まれ、ハリーの頬は冷や汗を流した。

 スカビオール達も同じ感覚なのだろう、ゾッとするあまりに静まり返っていた。

「だ、旦那。誰もあんたに用なんてねえ。お、俺達、『穢れた血』を探していただけだ。下ろしてくれたら、すぐに別の場所を探す」

 恐怖に強張った表情で滝のように汗を流し、それでもスカビオールは必死に声を出した。

 コンラッドは目を細め、更に微笑む。

 同時にスカビオール達は解放され、吊るされた体勢から地面に叩き落とされる。荒事には慣れているらしく、体が地面に触れた瞬間に体勢を起こす。彼らは自分の杖を手にした順番に『姿くらまし』した。

 入れ替わるようにスタニスラフが姿を見せる。彼は川原に近寄らず、周囲を警戒している様子だ。

「よろしいのですか? 何も聞き出せませんでしたが……」

 スタニスラフの声はほとんど聞こえない。必死に聴覚を働かせた。

「『人さらい』は金で動く雇われ、『闇の印』も貰えない使い走りだよ。ここでら彼を殺せば、他が雇われるだけだ」

 コンラッドから機械的な笑みを向けられ、スタニスラフは彼の耳元まで顔を寄せて囁く。

「しかし、『人さらい』がここ来た理由は何でしょう? この町はトトが知りうる限りの保護魔法を施されております。例え、国そのものが落とされても、ここだけは護られるはずでは?」

「この川原が境界線でね、近寄るだけなら出来るんだ。まあ、放っておいても町には入って来れなかっただろうけどね。一応、私の家には『忠誠の呪文』をかけておくか……」

 スカビオールが立っていた場所へしゃがみこみ、コンラッドは『透明マント』で身を隠すハリーとハーマイオニーに気づいているかのように一瞥した。

 今、声を出してはならない。見られてはならない。そんな勘が働き、ハリーは震える手先を地面に無理やり置いた。

「行きましょう、奴らが『死喰い人』の誰かに知らせないとも限りません」

「はいはい。君、ちょっと神経質だね」

 スタニスラフの心配されても、コンラッドは笑みを消さずに冗談っぽく返す。もう一度、周囲を見渡してから文字通りに消え去った。

 それでもハリーは緊張を解かず、身動きひとつしない。ハーマイオニーも同じだ。

 風が吹き、太陽の位置が傾いてから『透明マント』を脱いだ。

 『ポケベル』には何の報せもない。すぐに先程までいた森へと『姿くらまし』した。だが、ロンとウォーリーが戻ってきた形跡はなかった。

 

 ――2人が捕らえられてしまった。

 

 絶望感に打ちひしがれるよりも、自分達の安全を確保しなければならない。そう判断し、ハーマイオニーは杖を円を描くように走りながら振う。

「プロテゴ トタラム……。テントを用意していて!」

 滑らかな発音で唱えているのは、防火扉の時と同じ保護呪文だ。ここで一夜過ごすつもりだと察し、ハリーはビーズバッグから寝袋やテントを探す。

 このテントは以前、キャンプ場で寝泊まりした物と同じ物で見た目よりも中身は広い。

 ガマグチ鞄から適当な食料を取り出す。この時、ロケットをウォーリーが持って行ったと思い知った。

 カップラーメンが目に付き、読めない日本語の説明文にある挿絵と数字から、どうにか「お湯を注いで3分待つ」と解釈して待った。

 その間、ハーマイオニーはハムを切り分ける。ラーメンの中身を彼女と半分、食べ終わるまで無言、味の感想もない。ハリーは塩味が効いて美味しいと思った。

「名前よ」

 ハーマイオニーは開口一番にそう吐き捨てた。

「あいつらが追いかけて来れたのは、『あの人』の名前を口に出したからだわ」

 早速、ヴォルデモートの名を言いかけて口を噤んだ。

「ずっと、考えていた……。3回、追いつかれた原因は何だろうって……、その共通点が『あの人』の呼んだ時よ。1回目はロン、2回目はウォーリー、さっきはハリー、貴方よ。だから、『名前を言ってはいけないあの人』だったんだわ。恐ろしいからじゃない、『死喰い人』を呼び寄せるのよ」

 文章問題の解釈を間違えたような悔しさに似た言い方だ。

「けど、ダンブルドアはそんな事を言わなかった。いつも、名を恐れるなって」

「ええ、きっとダンブルドアも本当に知らなかったのよ。『あの人』はダンブルドアのように勇敢な人は自分の名を恐れず、口にする。そういう人を真っ先に始末したい。理に叶っているわ。魔法省の『17歳未満の者の周囲での魔法行為を嗅ぎ出す呪文』以上の効力よ。魔法行為ではなく、名前を察知する! そんな事が可能だなんて、私は思い付かない!」

 怯えたハーマイオニーはヴォルデモートの魔法の力を純粋に怖れ慄いていた。

 ハリーは思う。グリモールド・プレイスの屋敷では何度も、ヴォルデモートの名を口にした。無事だったのは、ブラック家が代々積み重ねた保護魔法、あるいは『忠誠の呪文』による効果なのだと気づいた。

 それだけの強力な護りでもなければ、『死喰い人』、さっきのような雇われ『人さらい』がやってくる。

「ハーマイオニー……」

 正直、ハリーもヴォルデモートの魔法には恐れ入った。恐怖よりもハーマイオニーを落ち着かせる事を優先し、彼女の隣へ座り込んで肩を抱いた。

 ハーマイオニーは逆らわずにハリーの胸へと頭を預けた。

 この役目は本来なら、ロンだ。

「ロンは無事だ。ウォーリーも無事だ。2人は賢い、僕らよりも突破口を見つける。大丈夫だ」

 胸で咽び泣くハーマイオニーの代わりにハリーは呪文のように繰り返す。ヴォルデモートの名が奴を呼び寄せるように、何度も2人の名を呼んだ。

 いつの間にか、眠っていた。

 時間を見れば、深夜帯だ。

 見張りも付けなかったのに疲れを言い訳にしてはいけない。ハリーはハーマイオニーに毛布をかけ、テントの外へ出る。一寝入りした為に頭痛はしても、意識は冴えていた。

 

 ――だから、目に映る光景はヴォルデモートの視界だとすぐにわかった。

 

「持っていない! あれは盗まれたんだ!」

 

 ――探していた杖作り・グレゴロビッチ。恐怖に怯える黒い瞳の奥へ吸い込まれた先には、麗しく若い男が窓から去っていく姿が見える。確かに盗まれていた。盗人の名は今でも知らぬと答えた。

 ブルガリアの杖作りから盗むべき、物とは言えば――。

 

「盗まれたのは……杖だ!」

 頭の天辺から、足のつま先まで指先まで感覚を得たハリーは叫ぶ。閃きは額の痛みも気にならない。ただ、体がテントへ寄りかかって不格好な体勢になっていた。

「ハリー、どうしたの!?」

 冷水をかけられたように覚醒し、ハーマイオニーはハリーを横から抱き起こした。

「あいつだ。あいつはグレゴロビッチを見つけて、多分、殺した。その前にグレゴロビッチの心を視た。杖なんだよ、ハーマイオニー」

 汗だくで訴えかけるハリーに肩を貸し、青筋を立てたハーマイオニーは無言でテントの中へと連れ込んだ。

「あの人の心を覗くのはやめて! 見てしまうっていうなら、ちゃんと『閉心術』を使って頂戴! 成功した時の感覚を思い出して!」

「ハーマイオニー、僕は冷静だ。冷静にあいつが何をしたのか、自分の感覚で見えたんだ。本当だ、傷痕は痛いけど、僕は自分の意識を保っていた。それで思い付いたんだ。あいつがグレゴロビッチを探していた理由を!」

 早口で捲くし立てるハリーをハーマイオニーは胡散臭い目つきで返す。ヤカンに水を入れ、火を熾して紅茶の用意をしてから彼女は溜息を吐いた。

「聞きましょう」

「前にグリンデルバルドが『ニワトコの杖』を持っているんじゃないかって話をしただろう? ヌルメンガードにいるなら、彼の杖は今、何処だ? 僕なら、そんな杖は杖作りに託す。つまり、グレゴロビッチだ。あいつは杖を作って欲しいんじゃない。お伽話で最強の杖と謳われた杖が欲しいんだ!」

 言い終えたハリーは若干、冷めきった表情のハーマイオニーに紅茶を勧められ、有り難く飲み干した。

「一理あるわ。貴方の杖、あの人と対峙した時に貴方の意思とは無関係に助けてくれたんでしょう? あの人もそれをわかっているんだわ。手持ちの……並みの杖作りの杖じゃ、貴方を殺せないって」

 顔を顰めるハーマイオニーはハリーの無防備な心を責めていた。

 

 ――全てはハリーを自らの手で殺す為。

 

 理解していたはずなのに、改めて叩きつけられた現実。途端に傷跡の痛みを強烈にした。

「あの人は杖を手に入れた?」

「いいや、盗まれていた。ずっと昔に……相手の名前もグレゴロビッチは知らなかった」

 盗まれた部分を聞き、ハーマイオニーは考え込む仕草を取る。ガマグチ鞄から【吟遊詩人ビートルの物語】を取り出し、グリンデルバルド、もとい『死の秘宝』の印を細い指でなぞった。

「逆なんじゃないかしら?」

 額の傷痕を無意識に手で押さえ、ハリーは変な声を上げて返す。

「グリンデルバルドは『死の秘宝』の印を自分の印にしていたわ。多分、彼はグレゴロビッチが所持していると知って盗んだ。その後も『ニワトコの杖』だと触れ回らなかったんじゃないかしら? 盗みを知られたくないんじゃなくて、伝説の力を秘匿にしておきたかったと思うわ」

 ハーマイオニーにしては感傷的な答えだ。

「だったら、杖は何処にあるんだ?」

 少しずつ痛みは引いてきたが、ハリーは粗雑な言い方で問う。深刻に見開かれたハーマイオニーの目は解答を拒む。口に出したくないが、その答えにしか行きつかなかった時の心境だ。

「それはロンとウォーリーに合流出来てから、話すわ。見張りは私がやるから、お願いだから眠って頂戴」

 長い沈黙の中、ようやくハーマイオニーはそれだけ告げた。

 ヴォルデモートの目的は『ニワトコの杖』、ダンブルドアはそう伝えたかった。

 それがわかっただけでも、良しとした。

 前向きに考え、ガマグチ鞄から寝袋を取り出している内に痛みは消えた。

 

 夜が明け、今後の方針を決める為に荷物を広げる。ハーマイオニーは新しいメモ書きへ魔法省で見聞きした事柄を詳細に書いて行く。物音を聞けば、彼女は思わず、ロンの名を呼んだ。

 ナイジェラスの肖像画を見つけ、額縁に姿はない。自尊心の強い、元校長は無理やり鞄に詰めた事を怒っているだろう。とりあえず、手拭いで絵そのものを覆った。

「もうひとつ、『分霊箱』を探し出しておこう。条件を満たせば、『分霊箱』同士で破壊できる。最悪、それでやるしかない」

 一度、分断した魂の繋がりは強烈な苦痛を伴う。勝算は十分にあるのだ。

「どうして、アンブリッジは無事だったのかしら? 元が邪悪と言っても、あれは多分、持っているだけでその人の心を乱すわ」

 ハーマイオニーと疑問にハリーはある種の確信があったを。

「ウォーリーのお母さんは夏の間、ずっと持っていたはずだ。それなのに無事だった。ジュリアを唆してまで、逃げなければならなかった。理由は言葉の壁だ。アンブリッジの場合は自己中心。あいつは話が通じない……正しくは自分の影響を受けない人が苦手なんだ。ウォーリーは影響されないように出来るだけ対策して持っておくはずだ。彼女は心配ない」

 ハリーは至極、真剣に答える。答えの内容が意表を突いたらしく、ハーマイオニーは肩を痙攣させてまで笑った。

「……話が通じない人……、ええ、そうね。私も苦手よ……ふふ」

 ようやく見れた笑顔にハリーは安堵した。

「ねえ、ハリー。私の上着を置いて行っていいかしら? ロン達がここに来た時に私達の無事が伝えられるように」

「そうだね、この木に縛っておくのがいいかも」

 そうして、ハリーはハーマイオニーの上着を木の幹に縛り付ける。『姿現わし』した先で次に移動する時に、目印としてこの作業を加えた。

 幾分か安心したハーマイオニーはロンと再会するまで彼の名を口に出さない方針を固めた。

 

 その為に合流が遅くなるとは、露とも知らず――。

 




閲覧ありがとうございました。

ロンにはバラけてもらいました。ごめんね

ティアラで『分霊箱』は壊せません、皆さんは真似しないでください。

ヴォルデモートの名を呼ぶと保護呪文が乱れてそれを感知する。どれだけ凄いかよくわかる魔法、流石は天才、恐ろしいです。


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8.託されて

閲覧ありがとうございます。
最初はヘレナ視点です。

追記:19年5月31日、誤字報告により修正しました。


 セブルス=スネイプ校長就任によりホグワーツ魔法魔術学校は、今まで曖昧であった規則をより詳細にし、生徒への周知を徹底。規則を破れば、弁解の余地などなく、校長自ら罰則を命じた。

 学校と呼ぶには剣呑な空気が張り詰め、新入生も勝手知ったる上級生達は寮に戻っても安心できない。

 教職員も『死喰い人』の2人に学校の権限を握られ、悪名高いカロー兄弟が『マグル学』教授ジュリア=ブッシュマンの助手として追従している状態だ。

「スクイブの生徒に関しまして、従来の生徒との間には歴然の差があります。学びようのない『呪文学』、『変身術』、『飛行術』は切り捨てるべきかと進言致します」

 一触触発の雰囲気を常に醸し出す職員室。定例会ではマクゴナガルくらいしか、澱みなく意見が言えない。危惧していたスクイブ達による授業の遅れは想像以上に深刻となり、また純血故に在校を許されたマグル生まれへの陰湿な嫌がらせは後を絶たない。

 スネイプ校長は教授の視線を受け、クィリナス=クィレル教頭へと視線を向ける。

「対象の生徒には就寝時間まで補習を与える。今学期末までの成果によってはマクゴナガル教授の意見を取り入れよう」

 教頭の威厳を持ち、クィレル教頭は答える。かつて、おどおどと目線も碌に合わさなかった頃を知る者には別人にも見える。但し、一切の好意も親しみもない冷徹な態度だ。

 ブッシュマン教授以外、頷く素振りも見せず、反論もない。

 そんな彼らの天井にヘレナは漂う。会議に参加せず、ただ一枚の絵を眺めるようにそこにいるだけだ。今学期初日の定例会に現れた時、クィレル教頭に追い払われかけたが、スネイプ校長が許した。

「これにて、会議を終了とする。各自、対象の生徒への気配りを忘れずに」

 よく通る闇色の宣言され、ヘレナは誰に目を向けるわけでなく、職員室を後にした。

 廊下を進めば、教室の隅で顔を寄せ合う生徒の声が聞こえてくる。

「スネイプは生徒も殺す。情け容赦ない」

 

 ――その生徒は死んでいない。

 

「ダンブルドアが死んだのはスネイプが原因」

 

 ――死んだのは、別人。

 

 ヘレナ達、幽霊は知りながらも声に出せず、伝えない。もっと言うならば、明確に生死を伝えられない。教えられたとしても、伝える気のある幽霊は誰もいない。

 逝くことができなかった幽霊にとって、自らの未練が重要なのだ。決して、生者への助言や歴史の伝道者ではない。ビンズ教授は授業を全うするという未練があるだけだ。

「罰則くらいで泣くな、僕が一緒にいる」

 コリン=クリービーが新入生を励ます声も聞こえる。彼も服で覆われた部分に嫌がらせの痕がいつくもある。マクゴナガルより『首なしニック』が監視と言う名の警護をしているが、隙間は何処にでもあるのだ。

 いっそ、他のマグル生まれ達と同様に逃げればよかったのではという声も聞こえる。

(貴女は何処にいるの?)

 窓の外、千年近く変わらぬ景色を眺めて、死んだ事になっている生徒へ問う。彼女の人生を見届けたい。その未練を持って、ヘレナは此処にいる。

(貴女は必ず、ここへ来る)

 魔法省からの『命令』がなければ、城を離れて彼女に着いて行く事も出来ただろう。それをしたところで、ヘレナは何の役にも立たない。だから、このホグワーツにて待つ。

 再会の折には願い出よう。

 

 ――貴女の残りの人生に憑いていっても良いか、と――

 

☈☈☈☈☈☈☈

 旅と言えば、歩く。

 時代劇の水戸黄門を視聴している時、ほんの少しだけ憧れた。

 実際は途中で遭遇した『人さらい』や逃亡中の『マグル生まれ』の方々、人里付近を巡回する『吸魂鬼』と一戦交えるなど、助さん、格さんも思うまい。

 この3か月、ウォーリーとロンは目的地のゴドリックの丘を只管、目指した。

 『ポケベル』を修理し終えても、連絡は出来なかった。しかし、『ポッターウォッチ』の情報を元にし、ロンはヴォルデモートの名が『禁句』だと推測までした。

「名を口にすると保護呪文が乱れて、それを奴らは察知するか……。名前そのものに呪いをかけるとか、貞子も真っ青だな」

「これは相当に恐ろしい魔法だよ、本当にね。だから、絶対、言わないでね……さだこって誰?」

 ロンに念を押されなくても、ウォーリーは承知した。

 食料は現地調達、基本は焼いて食う。味に限界がくれば、ビルの持たせてくれたリュックにあったマグル通貨で町へ買い出しに行った。

 魚や兎の捕獲、買い出しはウォーリーの役割、ロンは野草やキノコを調達して料理だ。

 野宿の際は交代で見張り、しかも、まるで行く手を遮るような妨害に何度も遭い、『姿くらまし』で逃走しては目的地が遠退く。途中でハリー達の衣服を見つけては、無事の報せだと安堵した。

 

 冬に季節が変わり、魔法で枝や葉っぱを防寒具に変えてはいるが、寒さを防ぎ切れない。脱色した髪も根元から地毛の黒が生えてきた。

 碌な衣食住のない生活とウォーリーとロンだけのマトモな会話は神経をすり減らす。

《キングズリーはまだ無事に逃走中です。西のほうでマッド‐アイがハリー=ポッターと共に目撃されています》

「いいぞ、マッド‐アイ。そのまま、そのまま」

 ロンは『ポッターウォッチ』のキャスターに話しかける事でどうにか、心の平静を保っていたが、余裕は目に見えて減って行った。

「くっそ、アーキー=アルダートン! 今度会ったら、ただじゃおかないぞ!」

「不用意に話しかけるからだ。マッド‐アイが聞けば、油断大敵どころの話ではないな」

 独りで森を彷徨っているアルダートンを不憫に思い、堪らずロンが声をかけた。

 しかし、ウォーリーとロンを勝手に追手だと勘違いて攻撃し、しかも本物の『人さらい』に襲われて囮にされる。こちらが先手必勝で影を操って隙を作り、『失神呪文』と『武装解除の術』を仕掛け、『姿くらまし』で逃げ切った。

「そうだね! 君に比べれば、僕は我慢が足りないんだろう! ロケットも預けっぱなし! 保護呪文も君に任せっきり!」

 雪もろとも地面を蹴り上げ、ロンは怒鳴った。

「何を怒っている。調理はあんたに任せているだろう。私じゃ、魚も丸焦げだ」

「僕を置いて行けば良かったんだ! 君1人なら、とっくに丘に着いていた!」

 ウォーリーの言葉など聞こえぬようにロンは吐き捨てる。その内容はあしらうには重く、無視もできない。1人なら良かったなど微塵もない。侮辱された気がして、頭に血が上った。

「私達は一緒にいるべきだ」

 出来るだけ冷静なつもりだが、ウォーリーも先の進まぬ状況に欝憤は溜まっており、口調は乱暴になる。それをロンは笑みを歪め、鼻で笑った。

「ハーマイオニーが言ったからだろ? 君の意見じゃない、君の意思なんか何処にもない。君は独りで出来るんだ! 君には誰も必要じゃない!」

 ロンが言い終えるより先にウォーリーの拳が彼の顔面へ叩きつけられる。吹き飛んだ彼は雪をクッションにして地面へ仰向けになり、馬乗りになった。

 唇を切って血を流すロンの胸倉を掴んで、更に拳をお見舞いする。自分の行動なのに、ウォーリーは他人事のように見ていた。

 体格だけなら、ロンが勝っている。しかし、彼は抵抗しない。されるがまま、ウォーリーの拳を何発も食らう。拳が頬に触れる度、知らずと彼女の目尻から涙が溢れた。

 

 ――自分の判断で此処にいる。だが、本当に自分の意見であり、意思と言い切れるか?

 

 ――どうして、ロンを殴っている?

 

 そんな自問自答がるつぼとなって、脳髄を支配している。

 冷たい風に負けず、涙がロンの顔にもかかる。その頃には視界が沈んで、ウォーリーの拳はとまった。

「……なんで、私、泣いてる?」

「……ごほっ、僕の言葉に傷ついたんだよ」

 傷心というには胸に痛みがない。しかし、ロンの悲しそうな表情からウォーリーは納得した。痛みを感じられない程、傷ついた。

 顔の痛みに気を付けながら、ロンは上体だけ起こす。そして、手を差し出してきた。

 ウォーリーがその手を見返している間に腕を掴まれ、一先ず、木の洞の空間を広げ、身を隠せる場所を魔法で作り上げた。

 保護呪文で敵への対策を終え、ランプを灯してからロンは告げた。

「ロケット、僕が預かるよ。渡して」

「……私が持っている」

 乾いた涙を拭い、ウォーリーは拒む。しかし、ロンは彼女のポケットを探って小箱を手に入れた。

「こいつを持っていて、平気なのはアンブリッジだけだ。君のお母さんでさえ、一か月も持たなかった。僕、思うよ。ロケットは逃げ出したんだじゃない。コンラッドさん、君の母さんが唆される前に、わざとジュリアに持たせるように仕組んだんじゃないかって」

 杖の先で切れた口の中を治しながら、ロンの唐突な意見に驚く。

「お父さんは……ロケットをジュリアに押し付けた? それだと再び手に入れるのは難しくなるんだぞ?」

「理由は分からないし、コンラッドさんの責任にしたいんじゃない。ただ、あの人の優先順位は僕らが考えているのとは違うと思う」

 否定できん。

 ダンブルドアはヴォルデモートを滅ぼす為の様々な手段として、自分を殺せる。ハリーはその意思を継ぎ、学校から去れる。それらは傍から見れば、愚かな行為に見える。

 コンラッドの優先順位、彼の決着の形をウォーリーは知らない。余計な考えを振り払い、洞へ手をかけた。

「外を見張ってくる。何かあれば、些細な事でも言ってくれ。ロケットは身に付けるなよ、箱からも出すな」

 不意に気づいてロンを振り返る。

「殴って、悪かった」

「痛かった……僕も、言いすぎた」

 ロケットが離れた為か、素直な気持ちを言えた為か、少しだけウォーリーの心は晴れていた。

 外はやはり、冷たい。

 雪景色の美しさに見惚れ、感嘆の息を吐いた。

「冬の休暇までまだある……、大丈夫」

 学校にいるセシルが実家へ帰るクリスマス休暇、それまでにハリー達と合流して彼女を説得する手立てを話し合わなければならない。

 木々の隙間から見える雪雲を見上げ、浮かぶのは日本での約束。

〔あんたの結婚式までに全て終わらせる〕

 独りごこち、ウォーリーは改めて決意した瞬間、景色に違和感を覚えた。

 手が届きそうな程の距離に光の球が浮かぶ。光の反射ではなく、それは球体として光の強弱を付けていた。

 敵襲かと杖を構えたが、後ろから切羽詰ったロンが慌てて出て来た。

「き、聞こえた。ハーマイオニーの声! それで……」

 『灯消しライター』を見せつけたロンは浮かんだ青い光の球体に注目し、言葉を飲み込む。ゆっくりとした動作で球体を指差した。

「……ライターを使ったら、出て来たということ?」

 じっくり光を観察し、その青さに見覚えがある。三校対抗試合の優勝杯もこのような輝きを放っていた。

「これは……『移動キー』か?」

「光が消えないように見てて! 荷物取ってくる!」

 ロンは急いで洞へ戻り、解いた荷物を纏める。ウォーリーは光が消えかけても、何も対応できない。早く、速くと逸る気持ちに寒気の中で米神や背に汗が伝う。

 同じように汗だくのロンが隣に立つまで、時間にして数分だが、ウォーリーには何時間にも体感だった。

 お互いの顔は見ず、無意識に手を取り合う。

 まるで準備が整うのを待ち侘びたように、青い光の球体はロンの胸へと入り込む。刹那の後、彼はウォーリーを握る手を強くして『姿くらまし』した。

 

 着いた先も雪に覆われ、2人は足を取られた。

 周囲を見渡せば、視界に寂れた人里がある。遠目からでも、『吸魂鬼』の姿が3体は確認できた。

 今の立ち位置は奴らに気付かれない距離の外だ。

 肝心のハーマイオニーの姿は見えない。

「きっと、保護呪文が効いているんだ」

 ロンの声に悲観はなく、絶対の確信を持つ。ウォーリーは遠くの『吸魂鬼』を警戒しつつ、閃いた。

「私が呼ぶ。あんたは『目くらましの術』で身を隠せ。もしも、彼女達じゃないなら、私を掴んで逃げてくれ」

 この提案をロンに眉を顰める。フードで顔を隠しても、ウォーリーにはわかる。危険な行動だと言いたいのだ。

「……わかった」

 納得していない口調で答えた瞬間、ロンは大きく息を吸った。

「水着の女性のポスター!!!」

 人里とは反対方向へロンは盛大に叫ぶ。内容に呆気に取られていたウォーリーは声量の振動により近くの木の枝から雪が落ちる音で我に返った。

「水着の女性のポスター!!!」

 ウォーリーが止める入る先に、ロンはもう少しだけ駈け出しもう一度、叫んだ。

 2人以外の雪を踏む足音と気配を感じ、ウォーリーは勢いよく杖を構えて振り返る。先程、雪が落ちた木の傍で目を見開いたハリーが立っていた。

「水槽に……蛙が一匹……」

 ハリーは呼吸を忘れたように口を開け、一言一言を掠れた声で言い放つ。水槽に蛙という言葉から必死に記憶を呼び覚ます。学校での出来事か、それとも、誰かの家にいた時か、ようやく辿り着いたのはロンの部屋だ。

「ロンの部屋の窓際、トレバーみたいにデカイ蛙か!」

 結婚式まで『隠れ穴』にいた時、ウォーリーはロンの部屋に行っていないが、そう判断した。

 正解だったらしく、ハリーは目に涙を浮かべてこちらへ駆け出す。ロンも必死の形相で戻り、彼へと飛び付く。2人はお互いを抱きしめ合い、雪の上をくるくる回りながら倒れた。

「水着の女性って……シリウスの部屋か……」

 やっとの再会に胸が溢れ、ウォーリーは知らずと足の力が抜けて座り込む。気づけば、ハリーが現れた場所に、今度はハーマイオニーがいた。

「なんでここにいたの?」

「ここはバドリー・ババ―トンっていう町でね。スラグホーン先生を訪ねに来た事があるんだ」

 男同士の笑ったような泣き声を聞き、ハーマイオニーは幻に手を伸ばすようにウォーリーの頬へ慎重に触れた。

「どうやって……?」

「ダンブルドアだ」

 ほとんど反射的に答え、自分の言葉から重要な事に気付かされる。その事実にウォーリーは瞼を閉じ、トトの顔をしたダンブルドアを思い浮かべて舌打ちした。

 

 保護呪文の効いたテントへ入り、別れた後の出来事をお互いに報告し合う。

「僕も何度も話しかけたけど、『ポケベル』はずっと動かなかった」

「やっぱりか、一緒に直さないと駄目だな。貸してくれ、直しておく」

 承知したハリーは腕時計を外す。その間、ロンは『灯消しライター』による導きを伝え、ハーマイオニーを驚かせた。

「私……、ロンを呼んだわ。これから私達、ゴドリックの丘に行こうって話をしていて……貴方達もきっとそこを目指すからって……」

 これを聞き、ウォーリーは確信を持つ。だが、まだ言うべきではない。

 『ポッターウォッチ』により情報を得ていたように、ハリー達も肖像画ナイジェラスからある程度の情報を得て、ウォーリー達の無事を信じていた。

 興味深いのは学校にあるグリフィンドールの剣は偽物。そして、その偽物は盗難騒動によりグリンゴッツへ預けられた。

 ダーク=クレスウェルと一緒に逃げていたグリップフックとの会話から盗み聞いた情報だそうだ。

「成る程、剣が模造刀だと『死喰い人』に伝えない。銀行に残った者達も……ゴブリン達の復讐か……」

「ええ、『死喰い人』は彼らの尊厳を重んじなかった。報いよ」

 ハーマイオニーの言葉に誰もが同意した。

 ジニー達は学校で問題行動ばかり繰り返し、罰則を受けている。それを聞いてロンは憤りと共に妹を誇りに思った。

「ジニーは間違った事なんてしていない。だから、あいつらには問題なんだ。それよりも君達は『禁句』にいつ気づいたんだ?」

 ロンはすぐに話題を変え、『禁句』の話になる。ハーマイオニーは3度の体験からと答えた。

「ダンブルドアも気づかなかったのにロン、凄いわ」

「いいや、あの人は知っていた。その証拠に『灯消しライター』は『禁句』と同じ魔法だ」

 即座にウォーリーは述べる。穏やかな雰囲気が一気に下がり、3人は呆然と聞き違いを望んだ。

「ハーマイオニーにも言ったけど、それなら僕に伝えたはずだ。けど、ダンブルドアはいつも名を恐れるなって言っていた」

 躊躇いつつも、ハリーは確かめて来た。彼自身も本当にダンブルドアが『禁句』を知らなかった点に疑問を抱いていたのかもしれない。

「伝えなかった理由は今言っていたようにあのハゲの名を恐れさせない為だ。ハリーがあいつと戦うなら、名前を口に出す事を怖がられては話にならない」

「けど、追手もかかってくるんだよ。実際に何度も襲われたじゃん」

 驚きすぎたロンは目を見開き、上擦った声を上げる。眉間のシワを解し、ウォーリーは胸を不快な渦が襲い、一度、深い溜息を吐いた。

「……ハリーは追手などにやられはしない。そう信じているんだ。そのハリーには一緒に行く仲間もいる。なら、たかだが追手なんぞにはやられない」

 口にしてから、ウォーリーは心底、嫌そうに眉を寄せる。3人も似たように顔を顰めていた。

「……正直、重い」

 課せられた使命、乗せられた期待。残された謎解き。

 ダンブルドアを疑う気持ちは通り越し、うんざりした様子でハリーは素直な気持ちを吐露した。

「理に叶っているわ。『禁句』が公になれば、仲違いも同士討ちも起こりえる……ダンブルドアは皆の気持ちもわかっているのよ」

 ハーマイオニーは溜息と共に吐く。余計に空気が重くなった。

「……僕らは丘を目指していたけど、君達はどうしていたの? 丘を目指すって決めたのはついさっきだって言ったよね?」

 場の空気を変えようとロンは問う。

「私達は他の『分霊箱』を探していたわ。いざとなったら、『分霊箱』同士で壊せると思ったの」

「……それはいい考えだ。そうだ、ロン。セシルの話を……」

 ウォーリーに促され、一瞬、呆けたロンは慌ててセシルの件を話す。ハーマイオニーとハリーはすっかり忘れていた牙の存在に驚きながら感心した。

「グリフィンドールの剣……ゴブリン製の刃は自らを強化する力のみを吸収する。だから、ダンブルドアは剣を遺した。そもそものバジリスクの牙があれば、十分よ!」

((ゴブリン製の剣にそんな力があったんだ……))

 先の見えた興奮に心躍らせるハーマイオニーの説明を聞き、ウォーリーとロンは目配せして質問を控える。そして、ティアラで試さなくて良かったと心底、思った。

「セシルなんだけど……彼女はセドリックと違う。クローディアならまだしも、ウォーリーの君に説得されて牙を渡してくれるかな?」

 ハリーだけは慎重だ。牙の力を説明すれば、セシルはきっと渡す。しかし、それは旅の目的を話すのも同じだ。

「説得するのはハリー、あんただ。駄目なら、取引を持ちかけろ。セシルは取引には応じてくれる」

「何と交換するんだ?」

 ロンの質問にウォーリーは久しぶりに触る自分の鞄ではなく、ハーマイオニーのビーズバッグから布に包まれた壊れた髪飾りを取り出した。

「セシルはずっとレイブンクローの髪飾りを欲しがっていた。これと牙を交換するんだ」

 4人で髪飾りを見下ろし、それからお互いの目を見合わせる。

「だったら、私が行くわ。遺品の話はセシルにも聞こえているでしょう。クリスマスまでまだ日があるわ。先にゴドリックの丘へ行って、バチルダ=バグショットに会いましょう。但し!」

 早速、立ち上がろうとしたロンをハーマイオニーはズボンの裾を引っ張って止める。

「『透明マント』を被ったまま、『姿くらまし』できるようになってからよ」

 どうにか身を寄せても、3人がギリギリだ。

「ウォーリーは影の状態で『姿くらまし』できるようにね!」

 有無を言わさぬ迫力に肯定した。

「その前にひとつ、聞いて欲しい。ヴォ……グレゴロビッチが殺された」

 自分達がはぐれた後、ハリーはヴォルデモートを通じ、グレゴロビッチの死を知る。そして、外国の杖作りに会ってまで求めているのは『ニワトコの杖』だと憶測を述べた。

「それで? グリンデルバルドの持っていた杖、今は何処にあるの?」

 ロンは英雄譚でも聞くように胸を弾ませ、ハーマイオニーに問う。彼女はまるで先程のウォーリーと同じように重い溜息を吐いた。

「……ダンブルドアが持っていた杖よ。一緒に埋葬されるのを私達は見たわ」

 葬儀はホグワーツで行われ、墓地も建てられた。それは【日刊預言者新聞】にも載っていた。

「学校には行けない……危険すぎる」

 青褪めたハリーは長い沈黙の後にそう漏らす。ほとんど、独り言であった。

「……校長先生の杖が……伝説の杖……」

 呟きながら、妙な違和感が胸にシコリとなり消化不良の感覚に陥る。魔法界の伝説、これまで実感したのは正直、バジリスクに襲われた事件だけだ。

 『透明マント』は使い慣れて、伝説の代物という価値を感じない。『賢者の石』はこの目で見ていない為、数に含めない。

 不意にロンの顔を見て、記憶が刺激される。彼の前の杖はチャーリーからのお下がりで、2年生の時に壊れた。一度、壊れた杖は買い直すしかない。確か、ペネロピーは諦めさせる意味で卓越した魔法使いなら、直せるかもしれないと述べた。

 ガマグチ鞄から、本来のウォーリーの杖を取り出す。柳にグリフォンの羽根、フラメルが誂えてくれた杖でさも『分霊箱』を一つしか壊せなかった。

「杖は脆い……」

 急に自分の杖を見つめて呟くウォーリーを3人は心配した。

「……確かに僕の前の杖も壊れたけど、それはお下がりだったからだよ」

 ロンが思い出すとハーマイオニーはハリーを見やる。

「つまり、ウォーリー。『ニワトコの杖』は存在しないと? 最強の魔法使いが使っていた杖を知らずにそう呼ばれているだけだって? だったら、今で言えば……あの人を退けたハリーの杖がそれに当てはまるんじゃないかしら?」

 それが現実的だと言わんばかりにハーマイオニーは納得していた。

「違うよ、僕の場合は杖が護ってくれただけだ」

「そうよ、ハリー。持ち主を護ってくれる杖なんて、まさに奇跡の代物じゃない。現に貴方は本物の『透明マント』を持っているわ。もしかしたら、マントを持っている魔法使いの杖をそう呼ぶのかも。お伽話だもの、解釈は人それぞれ違うわ」

 必死に否定するハリーをハーマイオニーは説得する。彼女は自分の仮説が正しいと思いたいし、『ニワトコの杖』は彼が所持しているなら、奪われる心配はもうないと教えたいのだ。

「……そもそもさ、グレゴロビッチが『ニワトコの杖』を持っているって、グリンデルバルドはどうして知っていたんだろう? 『例のあの人』も外国の杖作りが持っているなんて」

 ロンの疑問に3人は注目した。

「……あいつにはオリバンダーさんが教えたんだ……。僕の杖に対抗できる手段として……、グレゴロビッチはわからない。他の杖作りに教えて貰ったのかも……」

「成る程ね、その杖作りの業界では有名な話なのかもな。この話はもう、お終いだ。僕らの旅は秘宝探しじゃない。『分霊箱』探しだ」

 一喝したロンに締めくくられる。確かに話が脱線してしまった。

 伝説として語り継がれる歳月まで、1本の杖が無事に存在していようがいまいが、今の自分達には然程、問題はないとウォーリーは思った。

 

 変身状態での『姿くらまし』は控え目に言っても難題。何度も、影の一部を置き去りにしては元の姿で激痛に耐え忍ぶ。提案者のハーマイオニーはいつも後悔の表情で『バラけ』た部分を治してくれた。

「トム=リドルがいた孤児院はなくなっていた。一応、父親の住んでいた屋敷も見て来たよ」

 一方、訓練の終わったハリーとロンは残りの『分霊箱』の在り処について相談していた。

 結局、実りは生まれず、ウォーリーは一度も成功せぬ状態のままにイブの前日を迎えた。

「計画を変更するわ」

 朝食を済ませたハーマイオニーは断腸の思いで告げる。

「セシルを先に訪ねましょう。私とウォーリーで行くわ。2人はバチルダ=バグショットをお願い」

「僕らは一緒にいるべきだ!」

 ハーマイオニーの提案にロンは反論した。

「一緒にいるも同然よ、ロンは私の後を追えるもの。それにね。今日までに考えたんだけど、丘にはやっぱり見張りがいると思うの。ハリ―と同級生、もしくはクローディアと同学年で特に親しかった生徒の家もね。どちらを先にしても、私達の訪問が知られたら、人質にされるかもしれないわ。だったら、同時に済ませたほうが危険も少ない」

 これにロンは言いたげだが、口を噤んだ。

「そのまま、ロケットを破壊するか?」

 『分霊箱』入りの小箱を弄ぶウォーリーから、ハリーは取り上げた。

「いいや、牙が手に入れば、いつでも壊せる。ロケットは僕が持っておく。もしも、行った先で『分霊箱』を見つけられたら、こいつでぶつけ合って破壊できるか、試してみるよ」

 小箱を握りしめ、ハリーが締めた。

 

 日が暮れてから、ハリーとロンは『ポリジュース薬』を飲む。『透明マント』を被って『姿くらまし』した。

 見届けた刹那、即席で用意した『目くらましの術』仕込みのマントを被る。ウォーリーはハーマイオニーの手を取り、『姿くらまし』した。

 以前、夏に訪れた時と冬は雪に埋もれて印象も違う。雪かきにより確保された道と建物の構図でどうにかセシルの家へと辿り着いた。

「脱いでおこう」

 マントを鞄に入れ、家の様子を窺う。窓からはクリスマスの飾りしか見えず、住人の姿は見えない。夕食の時間であり、他の家からは賑やかな笑い声がする。セシルの家だけ、誰もいないはずはない。

 中年女性に変身しているハーマイオニーは失礼にならない程度の光をセシルの部屋の窓へ当てた。

 玄関をノックするより、セシル本人に知らせる良い方法だ。

 5分程経った頃、玄関からお目当てのセシルが周辺を警戒しながら、出てくる。光の元を見つけ、上着を着込んだ体は周囲に溶け込んで見えなくなった。

 『目くらましの術』をかけた外套を羽織ったのだ。

 足音はしっかりと聞こえる。

「私の部屋はどんな家具?」

「本物の綿アメ、あんたのお祖母ちゃんの趣味……そう聞いた」

 後ろから聞こえる声に答え、頷く音が聞こえた。

「私に何の用?」

「これを見て」

 ハーマイオニーはウォーリーに語りかけるように簡潔に話す。ポケットから布に包まれた髪飾りを出した。

「これは学校で見つかった。本物のレイブンクローの髪飾りよ。今は見る影もないけど、貴女なら直せるはずだわ」

 感嘆に息を呑む声がした。

 ハーマイオニーは手探りでセシルの手を掴み、髪飾りを渡した。

「……でも、渡されても返せる物が……」

「校長室に飾られている剣を取ってきて貰えないかしら?」

 今度は恐怖に竦む声に変わる。一分の沈黙が寒気と共に長く感じる。脈の音が足音のように重く聞こえる。

「……剣はもう学校にない。けど、代わりにこれを」

 布が擦れる音がしたかと思えば、ウォーリーの手にジャンビーヤのように湾曲した鞘付きの剣を持たされた。

「以前、ハリーが倒したバジリスクの牙……。剣みたいに柄を付けたわ。けど、牙の先端には本当に気を付けて……」

 てっきり硝子ケースに入れるか、牙を削って研究しているかと思いきや、剣に加工し護身用として持ち歩いているとは恐れ入った。

「私……絶対に直して見せる……何年かかっても……」

 震える声から、セシルは感動とは違う使命感に駆られていた。

 取引は済み、長居は無用。2人は胸中でセシルへの感謝を伝えて去ろうとした。

「待って……、……ルーナが奴らに捕まったの」

 驚愕の報せに2人はセシルのいる方角を振り返った。

「……お願い、逃げて!!」

 セシルが叫んだ瞬間、弾みで彼女の外套が脱げる。泣き腫らした彼女の背後に立っていたのは、手配書でも顔を知るグレイバック。彼女が2人の背に立っていたのは、狼人間の存在を気取られない為だった。

「「アグアメンティ(水よ!)」」

 顔面に水を浴びたグレイバックは急速に冷える皮膚の感覚に逆らい、手で顔を乱暴に拭う。他にもこちらへ魔法を仕掛ける気配があった。

 これ以上の戦闘を避けんとハーマイオニーはウォーリーの手を掴んで『姿くらまし』した。

 

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 正体のわからぬ2人が消えてから、セシルは泣きながらグレイバックへ『失神呪文』を掛ける。その行動を『人さらい』は抵抗と見なし、彼女へと『磔の呪文』をかけた。

 抵抗できぬ苦痛、叫んでも和らがない神経の歪み。これが友を売った罰だ。

「やめて! 娘を離して!」

 母親トールの声が遠くに聞こえる。

 永遠に続くと思った拷問は唐突に終わった。

 自分の悲鳴がまともに聞こえ、セシルは倒れ伏した状態で周囲を見渡す。そこには倒れた『人さらい』に杖を向けるコーマック=マクラーゲン、その隣にはマリエッタ=エッジコムだ。

「セシル、私の声、聞こえる?」

 マリエッタの呼びかけにセシルは片手を上げ、応える。その間に家族が急いで『人さらい』達に杖を向けて魔法をかけていた。

「私達、ルーナの行方を探しているの。先週、貴女の家に行ったのを最後に消息を断っている。何か、知らない?」

 マリエッタの目つきは完全にセシルを疑っていた。

 だが、その通りだ。

 セシルの一家はルーナの身柄を売った。他にも誰か接触すれば、報せるように脅かされた。

「仕方なかったんだ! ラブグッドを招いた事あるから、見張られていたんだ。逆らえば、学校にいるセシルが! セシルが!」

 弁解する母親の喚き声を父親が背を撫でて、宥める。他の家族もコーマック達へ批難の目を向けていた。

「俺達は魔法省の依頼でルーナを捜索している。誰に咎められる謂われはねえよ」

 同情の余地もなく、それでも冷静にコーマックは言い放つ。魔法省の依頼は詭弁。きっと彼らも『ポッターウォッチ』で聞く『不死鳥の騎士団』のような活動を行っている。2人の家柄は純血にして『純血主義』。仮に『人さらい』に捕まっても、いくらでも言い訳は立つのだ。

「なあ、セシル。さっきの奴ら……いや、やっぱりいいわ。そんじゃ、メリークリスマス」

 コーマックは手をヒラヒラと動かし、マリエッタと『姿くらまし』した。

 母親に抱き締められ、セシルは考える。彼女に残った僅かな矜持が『ポッター・ウォッチ』とDAの偽金貨については明かさなかった。

(セオドール、これで良かったのよね)

 DAの時間を作る為に『逆転時計』を一緒に使ったセオドール=ノットは助言としてセシルに教えた。

〝全てを教えるんじゃない。情報を一部だけ与えれば、相手は屈服したと勘違いする〟

 その助言をセシルは牙を託した彼女達へ応用した

 髪飾りを見せられた時、どちらかがハーマイオニーであり、また必ず彼女へ通じている。牙は最終的にハリーへと渡れば、それでいい。

 ルーナが捕まった。この情報を元にきっと、彼女を救い出してくれるはずだ。

(ハリーはきっと、やってくれる)

 臆病者と謗られてもセシルに出来るのは、助力のみである。

 

☈☈☈☈☈☈☈

 逃げた先はハーマイオニーが両親とキャンプした森。

「ディーンの森って、ディーン=トーマスと関係あるかな?」

「ないわね。……ロン……ロン」

 素気なく答えてから、変身の解けたハーマイオニーはロンの名を呼び続けた。

(セシル……私達……ハーマイオニーが来ると知っていた?)

 保護呪文をかけながら、ウォーリーはセシルから受け取った牙を見やる。思惑がどうであれ、牙は託された。そして、ルーナの近況も知れた。

(捕まった……何処かに監禁されているはずだ。けど、『ポッターウォッチ』にも報じられていない。つまりは最近か……)

 監禁と言う単語からマルフォイの屋敷が脳裏に浮かぶ。かつて、幼いコンラッドも拐かされた。

 テントの準備が整った時、音が弾けた。

 警戒と期待に杖を構えた先には気絶したハリーを肩に担いだロンがいた。

 ロンも血を流していたが血色が良い分、血の気のないハリーよりはマシだ。

 ハーマイオニーは保護呪文の外に出てロン達を招き入れ、寝台へとハリーを寝かせる。その時、誰からともなく宝石部分を壊したロケットが床へ転がった。

 装飾からそれは確かに『分霊箱』のロケットだ。

 ウォーリーは驚いて壊れたロケットを拾い上げる。肩で息をするロンに気遣いもせず、彼の背を遠慮なく叩いて真相を求めた。

「そうだよ……、やったんだ。蛇に……叩きつけてやった。僕が……蛇に叩きつけたんだ!」

「蛇って、ナギニか!? ダンブルドアの言っていた生きた『分霊箱』……いや、『分霊箱』が生きているから……」

 感激のあまり、ハーマイオニーも負傷のロンを思いっきり抱きしめてその唇へキスした。

 2人の口付けにウォーリーは久々に嫉妬でイラッとした。

「バチルダ=バグショットは?」

 ウォーリーの質問にロンは手で少し待つように促す。腹立だしい接吻の後、余韻に浸る2人へ大きく咳払いした。

「死んだよ、僕の目にはそう見えた。バチルダがハリーを2階に連れて行ってから、僕はリータ=スキータの手紙やあの本が置きっ放しになっていたから拝借した。君がいるかと思ったんだ。それでハリーを追いかけたら、蛇だよ! バチルダの服が落ちていたから……」

 死体はないが殺されたと判断するしかなかった。

「ハリーは蛇に巻きつかれて、その拍子にロケットが小箱から出て来た。僕は咄嗟に思い出した! ハリーが蛇語で『開け』って発音したこと……口真似でやったら、ロケットの蓋が開いて、もう僕、無我夢中にロケットを掴んで蛇に叩きつけた。……そしたら、蛇は苦しんでなんてもんじゃない……死にもがいていた。僕は絶対、ロケットを押し付ける手を緩めなかった。なんか、変な悲鳴が聞こえた……多分、断末魔って奴だよ……蛇は黒ずんで……塵になった。蛇は消えたのにハリーは急にアイツが来るって喚き出したから、君の声を辿って……逃げた」

 一気に捲くし立てロンは急に糸が切れたように床へ座り込んだ。

「……何度、やめようかと思った……」

 肩を痙攣させ、ロンは目を見開いて床を眺めて呟く。散々喚いたが、彼の本音はその一言に尽きる。

 

 ――旅をやめようと、何度も思った。

 

 口で簡単に言ってのける様な体験ではなかったはず、あくまでも説明できる限り、言葉にしただけなのだろう。何かがひとつでも違えば、2人とも死んでいた。

 家族を置きざりにしてでも、体と心が疲弊しても続けた旅が、やっと報われた。

 ハーマイオニーは愛しい彼の頭をその腕で覆う。今度は邪魔をせぬようにウォーリーはスキータの手紙と本を拾い、テントの外へ出た。

 完全に暗い外で、ランプを頼りに刺々しい文字を読む。

「バティさん、お手伝い頂いてありがとざんした……。覚えていないって事は『真実薬』でも使ったのか、それとも痴呆か?」

 一切、読む気のなかった【アルバス=ダンブルドアの真っ白な人生と真っ赤な嘘】、ハーマイオニーとロンが落ち着くまでの良い時間潰しになる。ルーナの救出はそれからだ。

 読書感想としては、確認できない憶測だけが綴られた故人への批判。今はトトとして生きるダンブルドアはこの本を読んだのだろうか、目にしても何の反応もしないのだろうかと思いに耽る。

「そういえば、弟のアバーフォースには取材していないようだな……」

 『ホッグズ・ヘッド』の主人、『不死鳥の騎士団』創立メンバー、だというのに雑誌や新聞はおろか、『ポッターウォッチ』でもその名を聞かない。今日までも沈黙を貫いている。

「最も近い身内だから、何も教えられていない?」

 自分の境遇に置き換え、アバーファースの顔を思い浮かべた。

「ウォーリー、見張り交代するわ」

 ハーマイオニーに呼ばれた時、ハリーも呻き声を上げる。しかし、それはただのうわ言だ。苦しみ悶える姿にとても今後を話し合う気になれなかった。

「ナギニが……ナギニが死んだ……」

 喘ぐハリーとは違う怒りの口調、ヴォルデモートの制御の利かぬ感情が無意識に彼と心繋げ、蝕んでいる。このまま、ハーマイオニーはハリーの手を掴み叫ぶ。そうすれば、少しだけ唸りが治まっていた。

「杖はグリンデルバルドが持っている! そう考えて! それだけ考えて!」

 必死なハーマイオニーの態度に2人もハリーが苦しめば、彼女に倣った。

 テントとハリーの見張りを3人で交代し、夜明け近くハリーはようやく目を覚ました。

「バチルダは蛇だった……蛇がバチルダだったんだ。だいぶ前に死んだバチルダの体の中で蛇は僕を待ち伏せていた……ハーマイオニー、君が正しかった……」

「蛇が……? 死体の中にいた?」

 ゾッとした。

「……言われてみれば、あの婆さん、変な臭いしてた……家の中も……」

 思い出したロンは反射的に口を手で覆う。

「蛇が死んだ……あいつは怒っていた……怯えてもいた……どうやって死んだのか……。皆、杖の事を言ってくれたろ? 僕もそれを考えた続けたよ。あいつは杖を優先した……。……ナギニはどうやって死んだの?」

「ロンがやってくれたわ!」

 ハーマイオニーは壊れたロケットをハリーに見せつけた。

 汗だくで虚ろな瞳に活力が蘇る。目を見開いたハリーは若干、震える手つきでロケットを両手で受け取った。

「……両親の墓を見て来た……僕の住んでいた家も……」

 感極まったハリーは啼く。涙一つなく、啼いた。啼き声から伝わってくる感情、ウォーリーは彼の頭に手を置く。ロンは背彼の背を撫で、ハーマイオニーは彼の手の上に重ねた。

 自分を守って両親が死んだ場所、そこへ赴き、かつ宿敵の一部を破壊せしめた。でも、まだ終わりではない。だが、確実の一歩を進めた。

 

 ハーマイオニーにハリーの治療を任せ、ウォーリーは自分達の報告を済ませる。ルーナの件にロンは牙を得て浮かれていた気分が吹き飛んだ。 

「ルーナを助けに行きたい。お願いだ、力を貸して欲しい」

 ウォーリーは床に鎮座し、3人に向かって頭を下げた。

 この状況での優先順位は理解している。囚われたオリバンダーや学校にいる皆、戦い続けるムーディやキングズリー、理不尽に追われるクレスウェル達を置き去りにし『分霊箱』を破壊尽してヴォルデモートを滅ぼすのだ。

 だが、ルーナを放って置けない。

 見える部分の治療を済ませたハリーは眼鏡の縁を押さえ、息を吐く。

「ルーナは大丈夫だ。僕らよりもずっとタフだ」

 予想通りの答えだ。確かにルーナは自分達以上に困難を乗り越えられるだろう。諦めの汗を掻き、ウォーリーは頭を上げようとした。

「だから、ちゃんと時間をかけて居場所を突き止めよう。助けるのはそれからだ」

 驚いて顔を上げたウォーリーはハリーの意見に賛成し、笑みを浮かべるハーマイオニーとロンを見た。

「……ありがとう。それについてなんだが、コンラッドに聞こう。……あの人なら、何かを知っていると思う」

 ウィーリーは自然と声が弾んでいた。

「コンラッドさんは、きっとドリスさんの家よ。町そのものに保護呪文がかけられていて、あの家にも『忠誠の呪文』をかけるって話をしていたわ」

「え? 町そのもの?」

 ドリスの家と聞き、ウォーリーの心臓が騒ぎ出す。血液の流れが滞るような不快感に息苦しい。祖母が死んだ場所、それを目の辺りにする恐怖だと頭で理解した。

「……日が暮れてから行こう。見張りは僕がするから、皆は休んでいて」

 ウォーリーの様子に気づき、ハリーは時間の余裕をくれる。彼は適当に置かれた【アルバス=ダンブルドアの真っ白な人生と真っ赤な嘘】を持って外へ出た。

「『死の秘宝』の3兄弟の墓を見つけたよ。イグノタスって書かれた。墓石にあの印が刻まれていたから、間違いないね。勿論、ダンブルドアの家族の墓も……母親と妹」

 ロンはハーマイオニーにゴドリックの丘での発見した事を只管、話し続ける。その間、ウォーリーはずっと疎かにしていた『ポケベル』を直しにかかった。

「ハリーの両親の墓に『最後の敵なる死もまた亡ぼされん』って刻まれていた。どういう意味だと思う? ハリーは『死喰い人』の考えだって言っていたけど」

「なんですって?」

 ハーマイオニーに聞き返され、ロンは繰り返す。ウォーリーにはハリーの言うような『死喰い人』の考えには感じない。死者へ涙し、哀惜するもいいだろう。しかし、死者を憐れみすぎて生きるのを辞めてはいけない。そういう残された人々、つまりは遺児であるハリーへの励ましの言葉。

(次男も……この言葉を理解していれば、死んだ想い人を生き返らせようなんて思わなかっただろう)

 ウォーリーにはその次男を批判も嘲笑も出来ない。今まさに親しき祖母への死に怯え、震えているのだ。

「『最後の敵なる死もまた亡ぼされん』」

 呪文のように唱え、一字一句の意味を噛み締める。耳に聞こえた言の葉が全神経を漂う。胸の心臓を泉とし、葉はゆっくりと舞い降りた。

「それは……そうね、死を越えて生きる。死後に生きること……」

 ハーマイオニーの優しい声がロンに説明し終えた時、ウォーリーの心臓は落ち着いていた。

 そろそろ、日が沈むのにハリーはいつまでも戻ってこない。心配になり、外を覗けば彼は本を開いたまま、昏倒していた。

「グリンデルバルドだった……。ハーマイオニーの言うとおり、本当に杖を盗んでいた……」

「いいから、寝ろ! 具合が悪いなら、ちゃんと言え! 今度、隠したら、旅をやめるからな!」

 本の挿絵にされている若かりしダンブルドアとグリンデルバルドの写真を必死に指差す。そんなハリーにロンは激怒した。

 結局、ハリーの看病に時間を要し、出発まで丸2日にかかった。




閲覧ありがとうございます
無事に合流、影に変身したままの『姿くらまし』は難しい課題です。
バジリスクの牙を手に入れました。
ナギニよ、さらば!
 
●バチルダ=バグショット
 魔法史の研究家。グリンデルバルドの大おば(マジ!?)
 映画のあのシーン、怖かった。
●アーキー=アルダートン
 アンブリッジの尋問により、何処かへ連行された自称『半純血』。この話では逃亡中。
●グリップフック
 銀行員のゴブリン。ハリーが最初に銀行を訪れた際に対応した。


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9.伝承

閲覧ありがとうございます。
変わらず、長文で申し訳ありません。


 太陽の傾きを確認しながら、ウォーリーはテントを畳む。ハーマイオニーは必死に作戦を述べた。

「まずは町に入れるか、どうかよ。無理なら、ハリーかウォーリーの守護霊を家に送り込みましょう。魔法族の誰かがいれば、反応があるわ」

 野宿の形跡を消す。それぞれのマントをハリーとロン、ウォーリーとハーマイオニーで被った。

「私達から、あの話をしては駄目よ。あくまでも向こうから、その話題を振って貰いましょう」

「そうだな、私達が何処で知ったのか……知る誰かかと接触したと推測されるのは……良くないな」

 念を押すハーマイオニーにウォーリーは小声で了解した。

 

 雪に覆われている光景もまた懐かしい。初めて訪れた時、1年生のクリスマス休暇だった。

 日本やハリーの家に電話する為に何度も利用した公衆電話、自転車を乗り回した道路、駅へ行く為に乗車したバス停。

「雪が降っている、ラッキーよ。足跡が消せるわ」

 感傷に浸りすぎて耳打ちしたハーマイオニーの声を聞き洩らすところだ。

 お互いのはぐれないように足音を聞き合いながら、久方の我が家の入口たるアパートを探す。ところが建物は見つけたが、裏手の路地は行き止まりになっていた。

 すぐに『忠誠の呪文』が影響していると見当を付けた。

「どういう事? ク……ウォーリーも追い出しちゃってるの?」

 『透明マント』から顔を出し、用心深くロンは周囲を見渡す。傍から見れば彼の生首が浮いているが、それに反応する変化は起きない。

「(顔を出しちゃダメ、作戦通りに守護霊を出して!)」

「いっそ、保護呪文を破ったほうが早くないか?」

 小声のハーマイオニーに対し、ウォーリーも堂々とマントから顔を出す。視線を合わせたロンは怪訝そうに眉を寄せた。

「まさか『禁句』じゃないだろうね?」

「いいや、その辺の石でも投げれば、硝子みたいに割れるんじゃないかと……」

「……そういう映画、僕も見たよ……。割れないから!」

 石を拾おうとしたウォーリーの手はマント越しにハリーが止めた。

「(ちゃんとマントを被って、ハリー。守護霊を!)」

「(一度下がって、僕を前に出してよ)」

 1人分の狭い路地は、どんなに避けてもハリーを前に出せない。仕方なく、ウォーリーとハーマイオニーは男2人が先に下がってくれるのを待った。

 だというのに彼らは驚愕に目を見開き、彼女達の後ろに見入っている。ハリーはマントが取れるのも気にせず、それを指差した。

 降り積もる雪が塀の上に集束して銀色に輝き、泳ぐように浮かぶ。否、雪ではない。『守護霊の呪文』による輝きだ。

 誰かからの伝言か、とにかく手がかりだと理解した瞬間、ウォーリーはマントをハーマイオニーに渡して身一つで跳躍から空へ駆けた。

 追うのを期待したように銀色の輝きは揺れながら、空を泳ぎ出す。ウォーリーもそれに続いた。

「おい、待てよ!」

 背の高いロンが咄嗟に手を伸ばし、ウォーリーの足首を掴む。無視して、彼女はそのまま彼ごと、飛んだ。

 ハーマイオニーが何か叫んでいたかもしれないが、聞こえなかった。

 守護霊はウォーリーとの距離を保つ、町の外へと向かう。目を凝らしてみれば、その形が軽快な足取りで駆けゆく牝鹿に見え始めた。

(罠か!? それでもいい。コンラッドが騒ぎに気づけば、ハリー達を……)

 そこでようやく、足を掴まれた感触で振り返る。ロンの姿に驚いた。

「なんで、そこにいる!」

「君が勝手に行くからだよ! 戻ろ……!?」

 言い終わる前に2人の横をスノーボードに乗ったハリーとハーマイオニーが追いつく。彼女はしっかり防寒ゴーグルで目を守る。1人乗り用のボード故、2人は落ちぬように必死だ。

 荒れゆく天候の中、牝鹿は軽やかに立ち止まる。その周辺だけは晴れているではないかと錯覚する程、神秘的な雰囲気だ。一瞬、魅せられてしまい、飛ぶ勢いを殺した。

 ロンは重力に従って川に足が沈み、慌ててウォーリーの足を離して川岸へと歩き出す。彼の膝まで沈む程度の浅さで助かった。

 ハリーとハーマイオニーもボードから降り、牝鹿を気にしつつ、濡れたロンへ手を伸ばす。彼が岸へ足を上げた瞬間、異物を感じた。

 足にかかったのは、間違いなく剣の柄だ。雪降る暗闇でも、嵌め込まれた宝石は赤い輝きを損なわれない。

「……グリフィンドールの剣」

 正直、混乱しすぎてウォーリーは宙に浮かんだまま、冷静になろうと呟く。聞かれた言葉に疑問したハリーとハーマイオニーは彼女の視線の先であるロンの足下を見やった。

 本当に驚いた人間は声も上げず、ただ条件反射的な行動しか取らない。ハリーとハーマイオニーはロンの手を離し、競うように剣へと縋り付いた。

 

 ――ザバーン!

 

 2人に手を取られていたはずのロンがいきなり手を離されたせいで支えを失い、川底へ尻もちを付く羽目になった。

「ごめん……本当に」

 心底詫びながら、ウォーリーは濡れ鼠状態のロンを空から持ち上げ、川岸へと下ろす。ハリーが急いでビーズバッグから毛布を取り出して彼へ被せた。

「さっきの守護霊は!?」

 剣を触り続けて存在を何度も確かめ、ようやく納得したハーマイオニーは叫ぶ。当然ながら、騒いでいる最中に姿を消している。どんなに見渡しても、牝鹿どころか、銀色の光も見えなかった。

「あの守護霊は……剣まで導いてくれたんだよ。ここは……ボニフェースが埋められた場所なんだ。……あいつが魔法でそこに木を生やしてね。僕はこの場所をダンブルドアに話した……。前に来た時にちゃんと調べれば良かった……」

 ハリーは岩石を指差し、意外な話をした。

「だとしたら、コンラッドさんの守護霊かな?」

 毛布に包まり、ロンはウォーリーの作り出した炎で暖を取る体勢で問う。彼女もコンラッドの守護霊は知らない為に首を横に振り、不明と答えた。

「違うね、私は守護霊を創れないんだ。では、先程の守護霊は君達ではないと……」

 炎の前に座っていたコンラッドは機械的にそう述べる。驚いたロンは毛布ごと引っくり返り、ハリーとハーマイオニーは杖を構える。彼女が後ろでて隠した剣をウォーリーは影を操り、ガマグチ鞄へ入れた。

「こんばんは、さてとウォーリー? 私達の合言葉はなんだったかな?」

 愛想の良い笑みなのに炎に照らされ、蛇の如く一切の隙を見せない不気味さがある。ウォーリーは臆する事なく肩を竦めて息を吐きながら笑った。

「ないね、そんなもの」

 ロンが変な声を上げ、ウォーリーに抗議する。しかし、コンラッドは更に笑みを強くしてゆっくりと立ち上がる。そのまま、背を向けると跳躍で川を飛び越えた。

 ウォーリーは炎を消し、3人に目配せしてコンラッドに着いて来るように促す。但し、杖を手にしたまま警戒だけは解かないように合図した。

 

 岩場を伝い、町の境界線を越えたかと思えば、一瞬で探していた家の敷地へ踏み込んでいる。慣れた体験よりも、やはり懐かしさでウォーリーの足が止まった。

 同時に心臓の脈打ちが耳触りに鳴る。

 脳髄の奥にドリスの顔がチラつく。一瞬、瞼を閉じて湖の霊園を思い浮かべる。脈は静かに穏やかな音となり、体に溶け込んだ。

「うお、一瞬で移動した」

 素直に驚くロンの声を最後に4人は揃った。

「……川の隣に家を動かした? ……でも、周りの景色は町の中……この家は町の何処にでも繋がっているんでしょうか? それとも、貴方が繋げているんでしょうか?」

「半分、正解だ。お義父さんの仕業でね。私はエレベーターのボタンを押しているに過ぎない」

 探究心と自分達の保護呪文にも応用したいハーマイオニーに質問し、コンラッドは肩を竦めて機械的に笑う。エレベーターの例えは実に分かりやすい。ただ、ウォーリーは彼が「トト」ではなく、「お義父さん」呼びする口調が妙に気にかかった。

 雪に埋没しそうな白い背中へ視線で訴えれば、玄関の戸に手をかけるコンラッドは一瞬、ウォーリーへ口元を皮肉っぽく曲げた。

(……お祖父ちゃん本人が遺した魔法か……)

 以前、トトは『結界』という単語を口走っており、指の動きひとつで『検知不可能拡大呪文』に類する魔法をやってのけた。

 そして、今見えている風景も本物ではないだろう。この家は町の何処にでもある。だから、半分正解というわけだ。

 居間の内装は新築同然のコンクリート尽くし、暖炉は消えて、2階へも階段もなく、台所、お手洗いの配置まで違う。見た目に反し、空調と温度は外から来たウォーリー達に適して暖かい。ロンの衣服は玄関マットに触れた瞬間、乾いた。

「会議室みたいね……」

「言えてる……」

 ハーマイオニーとハリーの反応にウォーリーは頷いた。

「そちらへどうぞ」

 窓際に4つのパイプ椅子が現れ、コンラッドに勧められる。まずはウォーリーが椅子に触れ、異常を確かめてから腰かけ、3人も倣って座った。

「ルーナが捕まった。居場所に心当たりはありませんか?」

 いきなり本題に入るハリーに対し、ハーマイオニーは動揺して手で顔を覆う。打ち合わせして念押しまでしていた彼女としては、今にも「油断大敵!」と叫びそうな衝動を我慢しているように見えた。

 ウォーリーは取りあえず、ロンを睨む。彼は目を伏せ、無言だ。

「紅茶かコーヒーはいるかい?」

 一度、玄関を見てからコンラッドは台所へ杖を向ける。戸棚からポットや食器が勝手に動き出し、コンロの火を点した。

「いいえ、飲み物は要りません。コンラッドさん、ルーナの……」

「今、探させている。ゼノに魔法省へ捜索願を出させた。ルーナは様々な方面から、行方を追っている。捜索隊には私の協力者もいるから、情報はすぐに伝わる……砂糖やミルクは?」

 何処からともなく現れた【日刊預言者新聞】の四面にルーナの写真が掲載され、情報を呼び掛けている。写真の彼女は背景に映る鳥を追いかけて写真の外へ行ってしまった。

 新聞を失礼のないように手で払い、ハリーは拳を自分の膝に叩きつけた。

「魔法省が何ですか、あいつらはとっくに奴らの手に落ちています。仮に魔法省が見つけ出せても、ルーナは奴らに引き渡されるだけです!」

「陥落はした。だが、本腰で支配されていない。父親からの正式な捜索願を出したなら、魔法省は純血ルーナ=ラブグッドを捜さなければならないんだ。だが、『マグル生まれ登録委員会』による尋問によって、魔法省は深刻な人手不足に陥り、捜索隊を外部に依頼するしかない。お分かりかな?」

 声を荒げるハリーを防ぎ、コンラッドは自分のコーヒーに砂糖とミルクを入れる。淡々と語る内容に含まれた意味に気付き、ウォーリーはハーマイオニーと視線を合わせた。

「ルーナはアズカバンにはいないんですね」

「……魔法省の名を出しても調べられない場所、そこにルーナはいる!」

 ハーマイオニーに続き、ウォーリーが問えば、コンラッドは視線で肯定した。

「魔法省の外部で依頼……ホグワーツ……レイブンクロー寮の卒業生辺りかな? バーナード=マンチやマリエッタ=エッジコムとか」

 ロンが捜索隊の面子を推測した時、コンラッドは滑らかな動きで杖を振う。彼の唇が「喋るな」と動いた。

 玄関の扉が開き、吹雪と共に防寒具で顔を覆った男女が2人、入って来る。ハリーは席を立とうとしたが、性急な彼をロンが引きとめて人差し指で沈黙を示した。

「あ……暖かい。生き返る」

「お邪魔しますー。早速ですが……コンラッド、私も飲み物下さい!」

 顔を晒したのはロジャーとミム。見た目通りに凍えており、コンラッドはカップを渡し、紅茶とコーヒーをそれぞれ注ぐ。突如、現われたソファー椅子へ迷いなく座った2人には先客が一切、見えていなかった。

「何か食べるかい?」

 膝を歪めて覗き込むコンラッドへ2人は手ぶりで断った。

「いいえ。これ、飲んだら行きます」

 ミムが緊張した面持ちで答えた瞬間、コンラッドはカップを宙に浮かせたまま両手を叩く。途端に安心したロジャーはソファーへ深くもたれかかった。

「合言葉……長すぎ……」

「これ、毎回やるの嫌になるわ」

「そう言わないでくれ。手間は大事だよ」

 げっそりした様子を見て、コンラッドが手を叩くまでの一連の動作が本人確認の合言葉だったそうだ。

 呆気に取られる4人を置いてきぼりにし、音もなく螺旋階段が現れる。そこからスタニスラフとテッドが降りて来た。

「寒い中、ご苦労様。進展をお聞きしても?」

 丁寧な物腰のスタニスラフに問われ、ロジャーは座り直す。コンラッドは更に椅子を2席用意し、テッドにも進めた。

「魔法省はルーナの捜索を打ち切った」

「バーナードとコーマックが頑張って説得したけど、駄目ね。これが2週間の間に捜索出来た箇所、言われた通りにバーティ=クラウチJr.、クリィナス=クィレル、ジュリア=ブッシュマン、ソーフィン=ロウル……等、『死喰い人』の家も調べて来た。貴方の読み通り、どの家も空き家状態だったけど、誰も隠れてなかったし、隠されてなかった」

 いくつもの町の地図を取り出し、宙に浮かせて広げる。赤い丸印が光り、コンラッドは慎重な手つきでそこをなぞった。

「では……強力な保護魔法をかけた『死喰い人』の屋敷にいると? ヤックスリーか?」

「その辺はコーマック達の仕事。あいつと組んだマリエッタが可哀そうよ」

 テッドの質問にミムはわざとらしく身震いして答え、青の丸印を地図に付け加えた。

「青いのがコーマック達が捜索した家だ。とは言っても、ほとんど門前払いでな……。言われた通り、オリバーとクレメンスに各家の『屋敷しもべ妖精』からも話を聞けば、何処にもルーナはいないという反応をされたそうだ」

 会話から推察されるに、目の前のロジャー=ディービーズ、ミム=フォーセット以外にも、バーナード=マンチ、オリバー=ウッド、クレメンス=サマーズ、コーマック=マクラーゲン、マリエッタ=エッジコムが魔法省に雇われた外部の捜索隊。記憶が確かなら彼らは全員、純血の家柄。特にバーナード、コーマック、マリエッタは魔法省も依頼しやすい面子と言えるだろう。

(待て……ミムは魔法省狙いだった……そうか、役人の彼女が外部の皆を頼った……。コンラッドの協力者だとは知らず……)

 ウォーリーが考えを纏める最中にハリーの歯軋りの音を耳にする。彼を見れば、悔しそうに歯を食いしばり、眉間のしわを深くしている。それをロンの手が彼の腕を抑え込んで制していた。

 意見したいのだ。

「ルシウス=マルフォイの屋敷は?」

 コンラッドは機械的な声を重くし、地図を見ない。ウォーリーの考え通り、彼もマルフォイ家に見当を付けている。ただ、確信がないだけだ。

 ハリーも狙っていたのだろう。ようやく、歯ぎしりが止んだ。

「コーマックの叔父さんまで出向いたのに誰1人として応じなかったそうだ」

 ロジャーはお手上げと両手を上げ、ソファーへもたれ込んだ。

「ありがとう、少し休んでいきなさい」

 普段よりも愛想よく、コンラッドは勧める。その表情から、彼はマルフォイ家に当たりを付けたと察した。

「これからザヴィアー達に会いに行きます。ルーナの捜索を打ち切られたって、愚痴を言いにね」

 ミムは悪戯っぽくウィンクし、紅茶を飲み干す。ロジャーも紅茶を一気飲みし、2人は席を立った。

 紅茶の礼を述べ、2人は外へ出る。スタニスラフは窓から完全に姿を消すまで彼らを見送り、疲れた息を吐いた。

「テッド、ゼノに報せてくれるかな? それと、スキャマンダー夫妻には彼から絶対に目を離さないようにと」

 激しく頷いたテッドは階段を駆け上がる。2階の部屋に連絡手段があるようだ。

「『死喰い人』は実質のリーダーをバーティ=クラウチJrとしています。しかし、ルシウス=マルフォイには人脈があります。今だに『死喰い人』側に偏り切れないのも、彼の声がない故でしょう」

「……そうだね。一時期はドリスの死の責任を追及されたが『闇の帝王』の帰還に皆、口を閉ざした……。ルシウスを敵に回したくないから……君はペネロピーの所へ、準備を急がせてくれ。最悪を覚悟するように」

 コンラッドは地図へ視線を向け、今度はスタニスラフを振り返らない。一礼し、彼は一瞬で防寒具に身を纏い、吹雪の外へと飛び出した。

「ルーナはマルフォイの屋敷だ! 乗り込むんですか!? スタニスラフにその準備をさせるつもりですか!?」

 階段が天井へと折り畳まれていく様子を見ながら、ウォーリーより先にハリーがコンラッドへ詰め寄った。

「……君には関係ない……大人しく旅でもやっていろ」

 機械的な顔に敵意を込め、コンラッドはハリーを睨む。ゾッとする目つきに睨まれていないウォーリー達をも怯ませた。

「マンダンガス=フレッチャーは?」

 深呼吸してから、ウォーリーは問う。睨みを利かせたアメジストの瞳がこちらへ向けられた。

「彼とは連絡が取れない。……生きてはいるだろうが、もう騎士団や私にも関わりたくないんだろう。私の後はスタニスラフに任せてある……。彼は優秀だ、心配いらない」

 機械的な声から更に情が抜け、機械音が偶々、人の言葉に聞き取れたような印象を受ける。その様子が切なく感じ、ウォーリーの胸を締め付ける。コンラッドは単身で乗り込むつもりだ。

 トラウマの元凶ともいえる屋敷へ、ルーナの為にだ。それとも、過去に置き去りにしてしまった幼い自分を取り戻そうとしているのかもしれない。

「だが、マルフォイの屋敷に行くなら、フレッチャーの協力は必要だ! コンラッド! どうしても行くなら、私達も一緒に連れて行け、ルーナを助けたいんだ!」

 ウォーリーはコンラッドの腕に縋り付いた。そうしなければ、彼がすぐにでもいなくなってしまいそうだったからだ。

「……旅をしていろと言って……」

「ドビー!」

 コンラッドの声を遮り、ロンは叫んだ。

「ドビーの力を借りようよ! 元は仕えていた屋敷だ。絶対に助けてくれる!」

「ホグワーツに行くって事?」

 色々な意味で震えるロンにハーマイオニーは冷静にツッコむ。何かに気づいたハリーは突然、ビーズバッグを漁り出した。

「それに……」

 怯えを残した表情でロンはコンラッドへ迫った。

「コンラッドさんは残って下さい。貴方だってマッド‐アイやトトと同じ、皆に必要な人だ」

 拳を握りしめ、ロンは力説する。それは彼はお世辞でもなく、自分の本音そのもの。長すぎず、短すぎず、されど単刀直入の言葉に込められた想いは強い。

 そんな彼を真っ直ぐに見つめ、コンラッドは僅かに開いた唇の隙間から諦めたような息を吐く。失礼のない程度にウォーリーを引き剥がした。

「ダングにもう一度、連絡してみよう。ドビーに比べれば劣るだろうが、いないよりはマシだ」

「……いきなり、フレッチャーの扱いが雑になったな」

 コンラッドの辛辣な物言いにウォーリーは彼が普段の調子を取り戻したと判断した。

「あった!」

 ハリーは『両面鏡』を取り出し、ウォーリー達に振り返る。

「シリウスに連絡して、クリーチャーに頼むんだ。ドビーとマンダンガスを連れて来て貰う」

「そうよ、クリーチャーにロケットの事も伝えなくちゃ! ハリー、くれぐれもロケットについて話したいって言うのよ!」

「そうだった……レギュラス=ブラック」

 ハーマイオニーに言われるまで、レギュラスとのロケットの関わりをすっかり忘れていた。

「ほお、ロケットを壊したんだね……勿体ない……」

 脳髄の奥さえ震え上がらせる呟きはウォーリーにしか聞こえず、彼女も聞かぬ振りをした。

「シリウス、シリウス=ブラック!」

 ソファーに座り、ハリーは両面鏡に向き合ってシリウスを呼ぶ。鏡は白い布のような物しか映さない。しばらく彼は何度も、名付け親を呼んだ。

 5分以上経過し、ハリーが負けじとシリウスを呼び続けてようやく反応を見せる。布が取り払われたように動き出したのだ。

 期待を込め、4人は『両面鏡』を覗き込む。コンラッドもその後ろに控えた。

「ヘスチア=ジョーンズだ。生憎、シリウスは取り込み中だ。後にしてくれ」

 何度か面識のあるジョーンズに困惑すらできず、反応に困る。彼女の様子も緊迫し、交戦中であると踏んだ。

「シリウスは無事なの?」

「一応な。今はクラウチJr.と殴り合っているところだ」

 鏡越しにジョーンズは少しだけ周囲の様子を映してくれる。場所は沼地らしく、誰かが『悪霊の炎』を放ち、真昼のように明るい。遠巻きだが確かにシリウスはクラウチJr.と取っ組み合いになり、拳を振りかざしていた。

「シリウスに伝えて、ロケットについてクリーチャーと話したいって」

「わかった、安全を確保してから連絡する」

 ジョーンズはそう言い放ち、鏡を布に包んだであろう何も見えなくなる。ハリーは残念そうに鏡をビーズバッグへ片付けた。

「殴り合っている場合じゃないわ? 何を考えているの!?」

 この場にいないシリウスにキレたハーマイオニーは紅茶を一気飲みし、怒りを抑えんと深呼吸した。

「知らんがな」

 溜息を吐きつつ、ウォーリーは呟く。取っ組み合う人の組み合わせにとてつもなく嫌な予感がするが、考えるのを止めた。

 一応、コンラッドへ視線で訴えれば、含みのある笑みが返ってきた。

「クリーチャーを待つとして、何処で寝る? 庭を借りる?」

「そうだね、そのほうがいいかも」

 ロンの質問にハリーが席を立つ。コンラッドは引き留めた。 

「そっちの部屋を使ってくれ。2階には行かないように、テッド達がいるからね」

 示された壁から扉が浮き出て開く。窓のない部屋には2段寝台が2つと別の扉が1つ、お手洗いへ続いていた。

 ハリーは最初、断ろうとした。何人も入れ違いで訪れ、しかも、2階にいる先客から隠れなければならない。だが、ロンは遠慮なく早々に寝台へと飛び込んだ。

 信頼に足る魔法使いによる保護魔法の中で追手を気にせず、眠れる。ハーマイオニーも意外とあっさり、陥落した。

「どの道、ルーナの救出に作戦を立てたいだろう? 実行までの一休みだ」

「……確かに……旅の間、僕はずっとハーマイオニーに頼りっぱなしだった……。今だけでも、休んでて」

 意識を失っているハーマイオニーはハリーに答えなかったが、口元は僅かに微笑んだ。

 クリーチャーが来るまで、ハリーも眠る。ウォーリーは見張りとして、居間の窓から外の景色を眺めた。

 もう深夜の時間帯。

 空が曇っており、街灯の明るさが目立つ。それだけ家々の住人も夢の中だ。

 此処から、剣を見つけた川辺は見えない。

(……ボニフェースは埋葬されていた……ヴォルデモートに? それで死体さえも見つかっていなかったのか……。しかも、なんでこの町の傍に? 結局、さっきの守護霊は誰のものだ?) 

 窓越しにコンラッドを見やる。彼は宙に地図と魔法界の雑誌を浮かべ、コーヒーを飲む。ロンの言葉が脳裏を掠めた。

(……コンラッドの優先順位……、この人の決着は……ヴォルデモートの滅びじゃない……)

 勘よりも確信に近い。だが、間違いではないだろう。ロケットを『分霊箱』と知らずとも、冗談でも惜しむ発言が出来るのだ。

 だが、ウォーリーはそれを責めない。彼女もクィレルに拘っている。ヴォルデモートは物のついでだ。

「似た者親子か……」

 知らずにほくそ笑んだ。

「何か言ったかい?」

 改装されたとはいえ、この家で再び2人で過ごす。ウォーリーはコンラッドを父とは呼ばないが、子としての敬意は持っているつもりだ。だから、彼の父たるボニフェースに関して教えたい。勝手な気持ちだが、剣を手に入れた事に触れなければ良いのだ。

「……さっき私達がいた場所に、ボニフェースは埋められていた。トム=リドルの魔法でな……」

 コンラッドはコーヒーが零れたのも気にせず、珍しく驚愕に目を見開く。ゆっくりとウォーリーを一瞥し、胸に溜まった息を吐いた。

「この家は元々、ボニフェースの家なんだ。アロンダイト家と言えばいいかな。『闇の帝王』は温情のつもりで、自分の家が見える場所に葬ったのかもね」

「え、ここがお祖父ちゃんの家!? ……前に誰かに聞いたような……??」

 叫びすぎを自覚し、ウォーリーは自分の口を塞ぐ。ハリー達の寝ている部屋と2階へ意識を配る。誰かが来る気配はない。安堵の息を吐いた。

 コンラッドの秘密主義に動じた自分を恥じた。

「先祖代々受け継がれたアロンダイト家ってわけか、まさかサー・ランスロット縁の一族なのか?」

「縁もゆかりもないが、サー・ランスロットの熱狂的なファンはいた。サーペンタイン湖に霊園があるだろう? 最初はサー・ランスロットの慰霊碑を建設させようとしたそうだ。魔法省から許可が下りず、霊園になったわけだがね」

 嫌味を込めて皮肉ぶれば、とんでない話を聞いてしまう。本人と全く関係のない湖に大それた真似をしたものだと呆れを通り越して感心した。

「フレッチャーが生まれる前に霊園は出来たと聞いたが、誰が作ったんだ?」

 コンラッドは杖を振い、興味本位なウォーリーに紅茶を勧めた。

「ルクレースの夫・エルマー=アロンダイトだ。あまり知られていないけど……ルクレースが霊園の建設を恥と思ったらしくてね」

「そこまで嫌なら、建設を止めさせろ」

 思わず、ツッコんだ言葉がおもしかったらしく、コンラッドは喉を鳴らして笑った。

「嫁さんに反対されてまで、エルマーはサー・ランスロットに心酔していたのか? 偶々同じ名前の剣を持っていたというだけで?」

「正確には大好きな偉人が自分と同じ名前の剣を所持していたと知り、運命を感じたんだよ。作り話まで考えていたそうだ。アロンダイトというのは剣ではなく、サー・ランスロットに仕えた魔法族であるとね」

 ゾッとした。

「勝手に脚色するな、気色悪い……」

「お伽話や伝承なんて、そんなものだよ。誰かが勝手に脚色したり、後日談を付け加える」

 首筋を押さえ、吐く真似をするウォーリーへコンラッドは皮肉っぽく口元を曲げた。

「『死の秘宝』もか? あれは本当の話だろう? ペベレル三兄弟の墓もあると聞いたが……確かイグノタスとか、偶々の他人?」」

「イグノタス=ペベレル……その通り、その名はゴドリックの丘にある。彼には実際に兄が2人いた。アンチオク、カドマス……『死の秘宝』の三兄弟は彼らだと見解を述べる人もいるね」

 興味なさげに答え、コンラッドは杖を振う。空中に光の文字を描き出しだ。

「『ニワトコの杖』」

 縦線を真っ直ぐ一本。

「『蘇りの石』」

 縦線を丸で覆い。

「『透明マント』」

 更に二つを三角で囲んだ。成程、【吟遊詩人ビートルの物語】に書き加えられた落書き、ゼノフィリアスのペンダントにあった印だ。

「三つ揃わなければ、意味がないな」

 そんな感想を漏らした。

「これは揃うとどうなるんだ? 三兄弟の出会ったとかいう『死』でも召喚されるのか?」

「……死を制する者になるそうだよ。具体的にどうなるかは、私は知らないね」

 コンラッドが答えた時、背後に気配が増えて勢いよく振り返った。

「クリーチャー、無事だったね」

 コンラッドは当たり前のように挨拶し、ハリー達のいる部屋の扉を魔法で無理やり開く。その衝動で扉にもたれかかっていた3人は床へ崩れながら倒れた。

「なんだ、起きていたのか」

 話に夢中で気付かなかった。

 クリーチャーは落ち着かない様子で両手の指先を弄ぶ。ウォーリーは彼がロケットの確認を強請っている。と察する。ハリーも気づき、起き上りながらポケットへ手を入れる。クリーチャーの傍で片膝を付いて、壊れたロケットを差し出した。

「やったよ、クリーチャー。僕達、君のレギュラス様の命令、やり遂げた」

 レギュラスの本懐を遂げた。

 クリーチャーは今にも目玉が飛び出そうな程に目を見開き、垂れ下がった耳をピンと立てて、ロケットを眺める。感極まり、声にも出せない状態だ。

 ハリーは彼の首にロケットの鎖をかけた。

「これは君の物だ。君が僕らに話して成し遂げたんだ」

 予想外の行動だ。ハリーは唐突だが、自然に相手を思いやる。クリーチャーも大好きだったレギュラスの形見が欲しかったに違いない。彼ら種族が魔法族から与えられるのは体罰の暴力か、解雇を示す衣服だけだ。

 クリーチャーは涙を溢し、床へ頭を擦りつけて平伏する。最大級の感謝が伝わる。ハーマイオニーは貰い泣きし、ロンの腕に抱かれて慰められた。

 コンラッドは皆から背を向け、宙に描いた印を消す。彼の口元がレギュラスへの哀惜に歪むのを確かに見た。

 

 涙を落ち着かせたクリーチャーはすぐにお願いを聞き入れ、文字通り消え去った。

「どうして、ここがわかったんだろう?」

「ヘスチアは私に気づいていたから、彼女が教えたんだろうね」

 ロンの素朴な疑問にコンラッドは答え、皆に眠るように部屋へと押し込んだ。

「そういえば、起きていたなら声をかけてくれ。折角、ペベレル兄弟の話をしていたのに」

 布団へ潜り込んだウォーリーは欠伸をひとつし、3人へ聞く。

「……だって、ほら、その……君だって、コンラッドさんとあんまり話してないじゃん? 皆の前でも、他人のフリをしないといけないし……。こういう時ぐらい、親子水入らずでさ……」

 ロンは口ごもってそう答え、ウォーリーは急に気恥しくなる。気遣いは嬉しいが、照れくさくこそばゆい感覚に襲われた。

「ところで、ウォーリー。サー・ランスロットの剣がアロンダイトって、どの文献に載っていたの?」

 ハーマイオニーの質問にウォーリーはキョトンとしてしまう。

「……え? アーサー王のエクスカリバー並に常識じゃないのか!?」

「「知らない」」

 ハリーとロンに問えば、2人から否定された。

「ウォーリーって時々、凄い事を知っているよ。そう言えば、ニコラス=フラメルも知っていたものね」

「……ああ、覚えているよ。僕らが図書館を百回も調べたのに、君は知っていた」

 思い返したハリーにロンは懐かしむ。

 途端にハリーは硬直する。急にビーズバッグを漁り、スニッチを取り出した。

「石はここだ!」

 いきなり、ハリーは叫んで皆にスニッチを見せつける。

「『賢者の石』?」

「違う、『蘇りの石』だよ。ダンブルドアはスニッチに『蘇りの石』を隠したんだ! 指輪の石の大きさを考えるとピッタリ合う」

 フラメルの話題だった為、ロンは推測したが否定される。大発見を訴えるハリーにハーマイオニーは驚いて口を両手で塞いだ。

「つまり、石は盗られる心配はないな」

 ウォーリーはそう告げた後、疲労が極限に達して意識を失った。

 

 

 年が明けても、クリーチャーは戻らない。

 家には何人も入れ違いで現れ、2・3日寝泊まりする人もいた。しかし、誰もウォーリー達がいる部屋に気付かず、存在も疑わなかった。

「その顔はどうしたんだい? クラウチJr.にやられたのかな?」

「笑い事じゃないぞ、あいつ、まだ貴様の細君を狙ってやがる」

 テッドを迎えに来たシリウスにコンラッドは容赦なく、嘲りを見せる。半ギレ状態の上、すぐに去った為にハリーは名付け親と話す機会もなかった。

「最近、『ポッターウォッチ』を聞いた?」

「スタジオが家宅訪問されたらしくてね、どうなっていることやら」

 ラジオの周波数を弄り、ロンは苛立つ。コンラッドの返事にも、片手で返した。

「ロン。暇なら、メモを纏めるのを手伝って」

 部屋で荷物の整頓をせんと、ハーマイオニーはビーズバッグとガマグチ鞄を漁る。ウォーリーも賞味期限切れや腐った食べ物を分別した。

 ハリーはグリフィンドールの剣を見つめ、何気なく呟く。

「グリンゴッツに偽物が保管されたって言っていたけど、誰の金庫かな?」

「……スネイプ校長先生?」

 ウォーリーが答えれば、ハリーはあからさま嫌な顔をした。

「そうだよね……。あいつは金庫を持っていないはずだ……だったら……」

 居間からの騒音がハリーの言葉を遮り、ハーマイオニーは急いで剣をビーズバッグへ入れた。

「コンラッド! 『屋敷しもべ妖精』なんざ、嗾けやがって! どういうつもりだ!」

 待ちかねたマンダンガスにコンラッドはいつもの笑顔で肩を竦める。ウォーリーは部屋を出て、彼の体に纏わりついたクリーチャーとドビーへ挨拶した。

「ハリー=ポッター! ドビーめをお探しとか!」

「こんにちは、ドビー。クリーチャー、ありがとう。マンダンガス、用事があるのは僕です」

 ドビーがハリーを呼んだ時、マンダンガスは初めてもうひとつの扉に気づき、ウォーリー達の姿を認識していた。

「おおう? ハリー、こんなところで……俺に何の用だ?」

「マルフォイの屋敷に行きたい。力を貸して欲しい」

 真っ直ぐに見つめられ、マンダンガスは頭にしがみ付くドビーを忘れてコンラッドを振り返った。

「何をしようって言うんだ? あんな場所に行くなんざ、おめえさん……」

「ルーナが捕まった。そこにいる。私達は助けに行きたい。貴方は屋敷に侵入した経験があるだろう」

 ウォーリーの説明にマンダンガスは青褪める。そして、何度もコンラッドを盗み見た。

「あの頃は若かったんだ……今はもう無理だあ」

 嫌がるマンダンガスは過去の出来事を回想して怯えた。

「ドビーはお手伝いします! ハリー=ポッターがお友達を助けるのを歓迎致します!」

 元いた屋敷での不当な日々、体に染みついた恐怖に震え上がる。それでも、ドビーは必死に声を張り上げた。

「ありがとう、ドビー」

 ハリーは笑顔で返す。ガタガタと体を痙攣させても、ドビーは笑顔を取り繕った。

(惨い……)

 思わず、同情したウォーリーはドビーとは正反対に断るマンダンガスの対応に悩む。

 正直、ドビーがいれば事足りる。しかし、妖精の感性は人間とは違う。2年生の折、『秘密の部屋』の怪物騒動から、ハリーを助けんと迷惑な行動を取った。

 説明の仕方に齟齬が生じては危険だ。せめて、魔法族が可能な侵入方法を知りたい。ウォーリーはコンラッドに視線を送り、説得を頼んだ。

「ダング、やり方だけ教えて欲しいな。それだけ教えてくれれば、この件にはもう巻き込まないよ」

「……おめえは行かねえんだな?」

 視線の意図を理解し、コンラッドはマンダンガスの肩に優しく手を置き、その耳元で愛嬌を込めて囁く。傍から見れば、親しき間柄の2人がおねだりしてように見えるだろう。

 ウォーリーには恐怖の前触れに感じ、背筋に寒気が走る。その間にハリーはドビーにマルフォイ家の偵察に行って貰った。

「……わかった、俺がやった方法だけだあ。もう俺はそれ以上、関わらねえ。いいな?」

「勿論だよ、ダング」

 ずっとコンラッドから笑顔の催促を受けたマンダンガスは観念し、力強く念押しする。ハーマイオニーはメモを用意し、2人の傍まで寄った。

「タネも仕掛けもねえ、堂々と玄関から入りゃあいいんだよ。客としてな。『ボージン・アンド・バークス』が訪問販売に行くのに紛れ込んだ。苦労したぜ、あいつらを屋敷に行かせるように仕向けるのは……時間もかかっちまったしよお」

 監禁されてから一月後に救出されたのは、それが理由だった。

「マルフォイの屋敷はブラックの屋敷には劣るが、強力な保護魔法を施してやがる。招待客も必ず、正門からしか入れねえ。招かれざる客も門の顔に、用件が認められねえといけねえんだ」

「顔……?」

 ロンの疑問にマンダンガスは「行けばわかる」と答えた。

 当時は上手く事が運び、成功した。それだけにしてはいくら若さがあったとはいえ、マンダンガスの怯え方はおおげさに感じた。

「……まさかと思うが『フェリックス・フェリシス』を飲んだりしていないか?」

 疑わしく思い、ウォーリーは問う。ビクッと肩が痙攣した反応から見るにマンダンガスは貴重な『幸運の液体』を入手し、コンラッドの為に使った。

 ピクッとコンラッドは目尻を痙攣させ、動揺を示す。ウォーリーとハリーもそれだけの豪胆さに吃驚した。

「……流石に作れないわ、材料もないし」

「……材料と言えば『ポリジュース薬』、もうないんじゃない?」

 小声で話し合うハーマイオニーとロンが聞こえ、閃いたウォーリーは影を使ってマンダンガスの髪の毛を頂戴した。

「俺はもう帰っていいなあ?」

「ああ、十分だよ」

 返事も聞かず、マンダンガスはそそくさと玄関へと向かう。その背に向け、コンラッドは表情を崩さずに杖を向けて魔法を放つ。手早い動きに見逃しかけた。

「……『忘却呪文』ですか?」

 吃驚したハリーは倒れたマンダンガスといつの間に杖をしまったコンラッドを交互に見比べ、問う。

「正解だ。クリーチャー、マンダンガスを拾った場所へ捨てて来てくれるかい?」

 頼まれたクリーチャーは一礼し、意識のないマンダンガスを腕を掴んで消え去った。

「何も記憶まで消さなくても良かったのでは?」

 油断を許さぬ元『闇払い』ムーディですら、マンダンガスが騎士団に関わったという記憶を消さなかった。それは『死喰い人』に対して情報を売らないという信頼故だろう。

「……魔法使いが魔法使いを助けると、絆が生まれるんだよ……。元がどんなに憎み合っていてもね……」

 機械的な笑みと口調に僅かな切なさを込め、コンラッドは自分の胸にそっと手を添える。自分とマンダンガスと言うより、別の誰かの関係を示している。

「わかります……ピーター=ペティグリューがシリウスを助けたのも、……僕が彼を助けたから……今はそう思います」

 ハリーの意見は半分、彼自身の希望に聞こえる。ウォーリーも正解と答えたくなった。

 口を動かす前に脳裏をクィレルの顔が横切り、やめた。

 

 クリーチャーは一時間もせず、戻る。そのまま、ドビーの帰還を一緒に待つ。肝心の彼は丸一日経ってから帰ってきた。

「ウィンキーがいたのです、ウィンキーがお友達を見張っておいでです」

 出発前の意気揚々とした雰囲気は消え、ドビーは青褪めていた。

 ルーナは確かにマルフォイ家の地下牢に囚われ、他にも老人がいたという。それをウィンキーが世話という名で監視している。幸い、今回のドビーの侵入には気付かれなかった。

 寝台の上に座ったハリーは息を飲んで皆を見渡し、事の重大さに溜息を吐く。

「……? ウィンキーも一緒に連れ出せばいいのではないか?」

「見張っていたなら、誰かに命令されたんだろ。クラウチJr.にでも……、ウィンキーは命令を絶対に守る。守れなかったら……」

 ウォーリーの疑問にロンは批判的な口調で指先を動かし、首筋を掻っ切る。ハーマイオニーが視線でロンを咎め、この場にいるドビーとクリーチャーに気を遣うように促した。

 囚われた人々を救い出す為にはウィンキーを退けなくてはならない。つまりは妖精同士の争いになる。しかし、こちらの成功は即ち、彼女の責任であり、その失態は死を以て償わされるだろう。

 まさに最大の妨害。

「ウィンキーを説得できない? 皆と一緒に逃げるように」

 ハーマイオニーの懇願に『屋敷妖精』は顔を背けて答えない。ウォーリーとハリー、ロンは正直、ウィンキーは切り捨てたい気持ちがある。しかし、それをすればヴォルデモートと同じだ。

「ハリーお坊ちゃま」

 クリーチャーに呼ばれ、皆は驚く。今までハリーの名を彼は呼ばなかった。

「クリーチャーがウィンキーを連れ出します。クリーチャーがいる場所へウィンキーをお連れ致します。ハリー坊ちゃまのお邪魔はさせません」

 協力を申し出る提案であった。

 誰かの命令ではなく、クリーチャーの意思でハリーを助けようとしている。ウォーリーは驚き過ぎでロンと視線を合わせ、ハーマイオニーは感極まり、目に涙を浮かべたがすぐに拭った。

 深刻な表情でハリーはクリーチャーの前に片膝を付き、礼を述べる。

「ドビー。マルフォイの屋敷には今、誰がいる?」

 ハリーの質問にドビーはマルフォイ親子他、ベラトリックス、クラウチJr.が滞在中と答えた。

「……それから……ハリー=ポッターのお友達の……蛇がおりました」

 意外すぎて驚愕し、ベッロの存在を先に言えと胸中で悪態吐く。一先ず、使い魔の無事は確認できた。

「……大方、ドラコが匿っているんだろうな。ベッロが好きだから……、今は置いておこう……」

 ハリーに視線を送った時、不意に先日の会話を思い返す。偽物のグリフィンドールの剣は誰の金庫に保管されたかという疑問だ。

 もしかしたら、その金庫に残りの『分霊箱』たるハッフルパフのカップが保管されている可能性が大いにある。スネイプには聞けないなら、ルシウスは確実に知っているはずだ。

「……ハリー、剣を使わせて欲しい」

「何を思い付いたの?」

 確認してくるハリーは既にウォーリーに剣を貸す気でいる。ビーズバッグから柄を握り、銀色の刃に気を使いながら取り出した。

 この手に握るのは初めてだ。杖や箒より、ずっと重い。

 汚れひとつない刃はバジリスクを屠り、猛毒の力を得て物に宿った魂を殺せる。だから、重いのだ。

「ルシウス=マルフォイと取引する。この剣で」

 絶句する皆の顔が予想通りでウォーリーは武者震いも加わって、微笑んだ。

 




閲覧ありがとうございました。

そういう映画『バンデットQ』より、80年代のお勧め映画。12年にブルーレイが出ています。
極寒の中、水を浴びるロン。ごめんね
長い合言葉、大好き。
ランスロットの剣がアロンダイト。現在ほど認知度は高くなく、90年代は知っている人は知っている程度でした。
ウォーリーはゲーム知識で知り、コンラッドは翻訳の仕事と祖母ビアンカから聞いていた。

・エルマー=アロンダイト
 オリキャラ、ルクレースの夫。ランスロットが好きすぎて、フランスのボーバトン校へ入学したロマンチスト。
 いつかランスロットのような御仁に仕えることを夢にし、自分の血統には彼に相応しい魔法族である事を望んだ。
 その為、孫のベンジャミンがスクイブで生まれたショックで倒れた。これにより、ルクレースの洗脳教育はより苛烈さを増した。
 彼を知る人は「純血主義になったゼノフィリス=ラブグッド」と答える。

・アンチオク、カドマス、イグノタス
 ペベレル三兄弟。
 原作において、ハリーは自らがイグノダスの子孫だと推論した。


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10.受け取って

閲覧ありがとうございます。

原作において、マルフォイ家には3月のイースター休暇中です。
この回では、2月に突入しています。
マルフォイ屋の地下室は何故にあんなに音が聞こえやすいのでしょうか? 魔法で音を消せばいいのに(謎)

残酷な表現があります。


 

 ルシウス=マルフォイとの取引。コンラッドに相談し、様々な助言を受ける。無論、その材料にグリフィンドールの剣を使い、目的はハッフルパフのカップの在り処を知る為だとは伏せてある。

「今の奴は『闇の帝王』の信頼を取り戻そうと躍起になっている。どうやって、ルシウスに会うつもりかは知らないが、些細な取引だろうと応じるはずだよ。基本的な事は、取引の最中に嘘を吐かない。聞かれた事以外は話さない。答えられない質問には話題を変えてでも、逸らす。今なら、このくらいで十分だよ。あまり気を張れば、逆に疑ってくるからね」

 機械的な口調で締めくくり、コンラッドは疑わしげな視線をウォーリーへ送った。

「地下室は何処にあるんだ?」

「客間の真下だ。ちょっとした大声を上げれば、すぐにバレてしまう」

 淡々と告げるコンラッドは目を伏せる。父親のトラウマを抉ってでも、話題を逸らすウォーリーにロンは「惨い……」と呟いた。

「何故、そんな場所? 普通は騒いでも気づかれない場所にあるもんじゃないのか?」

「多分、マルフォイの屋敷って、元はマグルの貴族が使っていたんだと思うわ」

 ハーマイオニーの憶測にも、ウォーリーは疑問が解けない。ロンも同じだ。キョトンされた反応にハリーが手を上げた。

「……えーと、昔はね。マグルの使用人はほとんどの場合、屋敷の地下に住んでいて……ご主人様が何か用があれば、すぐに行動できるようにわざと音が聞こえやすい作りになっているんだ。その地下牢も使用人の居住区をそのまま使っているんだと思うよ」

「へえ……じゃあ、映画でよく見るチリンチリンって鳴らしてメイドさんを呼ぶのはそう言うことか」

「博識じゃん、ハリー」

 2人に褒められ、ハリーはハーマイオニーの顔色を窺う。彼女は消化不良を訴えるように眉を寄せていた。

「……大体、合っているわ」

 ハーマイオニーがそう答え、少しだけ空気が和んだかと思えば、ハリーはコンラッドに頼んで取引の練習を行った。

 取引はハリーが行う。正体がバレても、ルーナ達を逃がす時間稼ぎになると主張し、この役目だけは彼は頑として譲らない。嫌味ったらしく尊大なコンラッドの態度は演技に見えず、傍から見て気分が悪くなった。

「……あの話し方、初めて会った時のルシウス=マルフォイそっくり……」

 就寝の際、気力を使い果たしたハリーはげっそりと呟いた。

 彼の涙ぐましい努力を尻目に、ハーマイオニーは『ポリジュース薬』の調合に勤しみ、ウォーリーとロンは万一に備えてグリフィンドールの剣の偽物を作り始めた。

 理由は話さず、必要な道具は全てコンラッドから貰った。

「いつも、思うんだけど……どうして、誰も食べ物を作り出す魔法を学ばないの? ママはいつもパッと出して見せるよ」

「それは『呼び寄せ呪文』を使っただけよ。『ガンプの元素変容の法則』の5つの主たる例外のひとつにより、無から食べ物を生み出せないわ」

 ロンは肩を竦め、ハリーに簡潔な説明を求める。

「魔法ばかりに頼るなって事だよ」

「へえ、ウォーリーの焼いた魚を食べても同じセリフが言えるんかね?」

 意味深に笑うロンへウォーリーは脅しで杖を向け、黙らせた。

「新しく、ゴブリンが捕らえられておりました」

 ドビーとクリーチャーにはウィンキーの監視とルーナ達の様子を逐一、報告して貰う。話の内容から、同じように監禁されているのは杖作りのオリバンダー、そしてゴブリンはグリップフックだとわかった。

 

 一週間経ち、ウォーリー達は出発を決めた。

 ホグワーツも新学期に入り、『不死鳥の騎士団』やそれ以外の人々の出入りが激しさを増した事やこれ以上、コンラッドを頼るのは「油断大敵」というものだ。

「上手く行っても、ここに連れて来ないようにね。避難先も別に決めて置きなさい」

 散々世話になった4人はコンラッドに礼を述べている最中、最後の助言を貰う。ロンが反論を言いたげな表情だったが、ハーマイオニーの肘打ちで黙らされた。

 雪の積った庭を足を取られぬように歩く。ドビーとクリーチャーは雪に足が触れぬように歩いていた。

 自分の足で此処を去る。旅立ちの高揚より、寂しさが胸に溢れ出た。

 ウォーリーは3人から遅れて歩き、玄関口で見送るコンラッドを振り返る。声に出さず、日本語の発音で「行ってきます」と唇を動かす。読み取った彼も声を発さず、「行ってらっしゃい」と返した。

 その表情からドリスの面影が見えた。

 もっと、何か話さなければならない。そんな衝動に駆られた。

 しかし、ハーマイオニーに呼ばれて先を急いだ。

 

 

 以前と同じように一か所に留まらず、各地を転々としながら、『ポリジュース薬』の完成を待つ。お手製の模造刀は【ゴドリックグリフィンドール】の文字を歪ませる違いを付けた。

 更に『呪い返し』の魔法を刃に宿らせた。

「ステューピファイ! (麻痺せよ!)」

 ハーマイオニーの呪文を刃に当てさせれば、見事、彼女に跳ね返って麻痺させた。

「エクスペリアームズ! (武器よ去れ)」

 ハリーのお得意の『武装解除の呪文』も剣を構えれば、彼の杖が飛ぶ。交代で魔法の効果を試してみれば、今のところは成功だ。

 剣の製造に関して素人2人が作ったにしては、お世辞抜きで上出来だ。

「『呪い返し』なんて、おっそろしい魔法じゃん。何処でそんな魔法を覚えたの?」

 興奮して微笑むロンはハリーから教えて貰った命がけの護りの魔法を忘れている。

「日本だと割とポピュラーな魔法だが、イギリスではなかったか? まあ、実際の『呪い返し』をこの目で見たわけじゃないから、上々だ」

 さりげなく、ヒントを交えて答えたがロンは感心して剣を眺めるだけで、その脳髄には掠りもしなかった様子だ。

 ハリーとロンは体を動かす目的で二つの剣を使い、チャンバラごっこを始める。真剣の刃で遊ぶなど危険極まりないが、ハーマイオニーは許した。

「……よくもこんな出鱈目な物が作れたわね」

 自分の魔法で倒れたハーマイオニーは今にも破壊しそうな形相で偽物の剣を睨む。

「出鱈目なもんか。ロンがいたから、作業を分担出来たが、ひとつひとつ、真似て作……」

「そういう意味じゃないわ。貴女の言うとおり、呪いを跳ね返す魔法は確かにあるわ。でも……それはあくまでも『護り』なの、返す事は前提じゃない。ハリーのお母様も最初から、あの人に『死の呪い』を返させるつもりはなかった。結果的にそれが護りの形だっただけ」

 感情を抑え込むハーマイオニーはハリーの傷跡を一瞥し、ウォーリーに耳打ちする。記憶力の良い彼女はすぐに何を基準に『呪い返し』を施せたのか、察した。

 ハリーも気づいているだろう。リリー=ポッター護りはある意味、『呪い返し』の一種だ。

「私も似たような物を作ろうとはしたわ。けど、全然、上手く行かなかった……貴女は自分以外の為なら、やってみせるのよ。それを今、実感したわ……心配になるくらい……」

 不安げに瞳を濡らし、ハーマイオニーはウォーリーの手を握る。

「私達、自分の身は自分で護れるわ。だから、絶対に私達の盾にならないで……貴女は自分の身を護って……約束よ」

 親友の手は怯えで震える。ウォーリー否、クローディアの二度目の死を予感している。

「私は死なない、死んではいけないもの。だから、貴女も死なないで」

 クローディアの時、シリウスにそう告げた。彼は今も、言葉通りに生きている。彼女はその名を殺してしまった。

 今度こそ、守って見せる。その誓いがハーマイオニーにも通じ、彼女は安心して手を離した。

 

 

 完成した『ポリジュース薬』を1人分、ハーマイオニーはウォーリーの髪の毛を入れて試飲する。すぐに効果は表れ、ふわふわとした栗色の髪は脱色した濁った髪になり、目的の姿に変じた。

「……前の姿になると思っていたが……」

 何とも言えぬ感情を抱え、ウォーリーはハーマイオニーを眺めた。

「今の状態に変身しないと意味がないから、この姿は『ポリジュース薬』の効果だと思うわ。整形した人に変身した事ないから、検証は必要ね」

 自分の声でハーマイオニーの喋り方をされ、鏡を見るより気味が悪く感じる。この姿を自分の物として完全に受けていると実感した。

 

 ドビーが偵察から戻り、4人……正確には6人はそれぞれの役割とルーナ達の避難先について確認し合う。

「先ずはマンダンガスに変身した僕がウォーリーと一緒に屋敷へ行く。きっと、最低限の持て成しをウィンキーにさせるだろうね。マルフォイが彼女に下がるように命じるか、僕が下がらせるように仕向ける。その後はクリーチャーに頼むよ。ドラコは『変幻自在の呪文』を使って、ウィンキーと連絡を取り合っている可能性がある。そこに注意してくれ」」

「お任せ下さい、ハリー坊ちゃま」

 クリーチャーは丁寧な仕草で頭を下げた。

「その後、ドビーはルーナから順番に『貝殻の家』へ送ってくれ。僕の兄貴がグリップフックと同僚なんだ。少しは安心でき……」

「はい! ドビーにお任せ下さい!」

 ロンが言い終える前にドビーは溌剌とした返事をした。

「救出が終わった合図として、マンダンガスに変身したロンとウォーリーに変身した私が乗り込むわ。わざと混乱させるから、その隙に逃げましょう」

 真剣な表情でハーマイオニーは『デラックス大爆発』を見せ、締めくくった。

 

 夜明け前、ウォーリーとハリーはお互いの『ポケベル』をハーマイオニーとトビーに渡す。救出の報告はそれで行う為だ。日本語の「終わった」との発音をドビーはすらりと覚えてくれた。

「ルーナ達も助けて、カップの在り処も聞き出す。大仕事だ」

 ロンは武者震いを起こした。

 マンダンガスが着そうなボロボロの衣服に身を纏い、ハリーは『ポリジュース薬』を飲む。ウォーリーはボロボロの服を着ただけで顔はそのままま。念の為に帽子は被った。

 本物と偽物、二振りを丁寧に布で包んでウォーリーは背負う。時間切れ対策でハリーも『ポリジュース薬』入りの小瓶水筒を持った。

 ハーマイオニーとロンは『透明マント』で身を隠し、ドビーに捕まる。彼の『付き添い姿く現わし』で4人は何処かの森にある小道へと移された。

「あちらでございます」

 ドビーはそれだけ告げ、消えた。彼の指示した方角には遠目でわかる古城と呼ぶに相応しい屋敷が見えた。両開きの門の位置から、少し歩かなければならないが問題ない。

〔連絡が来るまでここで待っててくれ〕

 ウォーリーが日本語で呟き、姿のないハーマイオニーに手を握られた感触がした。

 土の小道はやがて整然された馬車道になり、両開きの門へを見上げる。お互いの緊張が心拍音となり、聞こえ合う錯覚へ陥る。

(ヴォルデモートはまだ杖を探している……ここにいない……。いるのは夫妻だけ……)

 ドビーの報告を信じ、ウォーリーはハリーと目配せして頷き合う。マンダンガスに言われた通り、顔を探して門へと手を伸ばした。

 すると鉄が文字通り、歪んで険しい顔の形へと変貌した。

「目的を述べよ!」

 レイブンクローのドアノッカーより乱暴な口調で問われ、ハリーはマンダンガスらしい低姿勢で媚びた笑顔になった。

「ルシウス=マルフォイ様に良い話を持って参りやした。決して損はさせやせん」

 険しい顔は無言を貫いた。相手にする価値なしと判断されたのだ。

 ハリーは焦らず、またマンダンガスの真似をして勿体ぶった態度でウォーリーの背中にある本物を見せるように指示した。

 慌てた演技をしながら、ウォーリーは本物の巻いている布を柄の部分だけ解いて、険しい顔へと見せつける。これに視力があるのかは正直、怪しい。

「グリフィンドールの剣を持って参りやした。グリンゴッツにあるのは、偽物。俺は本物を持って来やした」

 周囲に聞かれぬように手で声を押さえ、険しい顔へと囁く。途端に門は開いた。

 ハリーはマンダンガスらしくわざと安堵の息を吐いて、ウォーリーは剣を背負い直す。2人は堂々と砂利道へ足を踏み入れた。

 いきなり脇から、羽ばたくような音がして警戒して振り返る。美しい孔雀が立っていた。

「……そういえば、ルシウス=マルフォイは孔雀を飼っていたっけ……」

 一安心したウォーリーは言い終える前に気づく。孔雀の後ろから見慣れた蛇が這い出て来た。

 太く逞しい鱗は健全な状態で過ごしていたと教える。

「ベッ……」

 実際、会えた喜びに思わず、ベッロの名を呼ぼうとする。しかし、蛇はずっとマンダンガスの姿をしたハリーしか見ていなかった。

「よおー、ベッロじゃねえか、元気してっか」

 マンダンガスの態度のまま、ハリーはベッロへと近寄る。蛇は恐らく見抜いているのだろう。哀愁漂う雰囲気で地面に這いつくばったまま、見上げて来た。

「まだ、ここにいろ。心配すんな。必ず、迎えに来てやっから」

 ハリーは屈んでベッロに触れる。以前のような優しい手つきだ。蛇は撫でてくる手を拒まなかった。

 寧ろ、この手を離さないで欲しい。そんな懇願が伝わってきた。

 正面の扉はホグワーツの城とは違うが、それでも複雑な文様が彫刻され、上品さと冷徹さを教える。音もなく、扉は開いて僅かな隙間からウィンキーが現れた。

 最後に見た時より、げっそりしている。以前のクリーチャーと重なった。

 唇を引き締めハリーはマンダンガスとして、取引に来たと伝える。ウィンキーは変身に気づいていないのか、読み取りずらい表情だ。ただ、ウォーリーがクローディアだとは一切、気づいていない。それだけは確かだ。

 水晶のシャンデリア、深紫色の壁には似た顔の肖像画がずらりと並ぶ。自尊心が内装に現れた絢爛豪華な客間だが、何処となく陰湿な雰囲気を醸し出している。一度だけ入ったスリザリンの談話室がまだ賑やかな気がした。

 ウォーリーとハリーは座らず、ウィンキーの用意した紅茶にも手を出さずに待った。

「グリフィンドールの剣を持って来たと――?」

 急に衣服を整えたらしく、眉間にシワを寄せたルシウスは客間に入るなり切羽詰ったように問う。自信に満ち溢れていた頃と比べれば、正直、病を患ったように覇気を感じない。

 ただ挨拶もなく、取引に来た相手の顔も一切見ず、名も聞かぬ。剣だけを探す目つきは腐っても傲慢というべきだろう。同情する気も起きない。

「へえ、旦那さま。こちらでございやす。……その前に、買って頂けるのでしょうかね?」

「何?」

 低姿勢で愛想笑いしながら、ハリーは勿体ぶった態度で剣を見せない。ルシウスはゴミを見るような冷たい視線で返事ではなく、独り言を呟いた。

「こちらとしても命がけで手に入れたもんでしてねー、お見せした瞬間に奪われては商売になりやせん」

 小悪党みたいな喋り方が本物よりマンダンガスっぽかった。

 ルシウスはあからさまに溜息をつき、後ろ手を出す。背後にいたウィンキーがいつの間にか両手程の袋を持ち、彼の手へ乗せる。それを見せつけて来た。

 わざとらしく口笛を鳴らし、ハリーから目線で合図される。ウォーリーは本物の剣を布から半分だけ解いて見せつけた。

 銀に輝く刃を目の辺りにし、ルシウスは雷に打たれたように目を見開いてから、剣をじっくりと眺める。半信半疑と言った反応だ。

「何処で手に入れた?」

「川に沈んでおりやした」

 本当だ。

「ウィンキー! ゴブリンを連れて来い。すぐにだ!」

 ウィンキーはお辞儀してから、部屋を出て行った。

 今だ。

 2人はクリーチャーが成功する事を祈り、思わず、息を飲む。それを別に解釈したルシウスは見下す視線で更に睨む。

「ゴブリンなら本物かどうか、すぐにわかる」

 グリップフックは判別はしても、正直に答えないと知っている。だが、どちらを答えても問題ない。

 時間にして1分、5分と過ぎてもウィンキーは戻らない。成功したか、まだ途中か、ウォーリーも流石に焦燥感に襲われる。ハリーは『ポリジュース薬』を飲む為に気だるい態度を装った。

 彼女の心配はせず、ルシウスは段々と苛立ちを露にした。

「ウィンキー!! ゴブリンを連れて来いと言っているだろう!」

 扉に向かって怒鳴った瞬間、乱暴に開かれかと思えば、荒い呼吸のドラコが現れる。ホグワーツにいるはずの彼は着る物も疎かにしていた。

 吃驚しすぎたハリーは口に入れたばかりの『ポリジュース薬』を吐きだしてしまった。

「ドラコ!? 何故、学校はどうした!?」

 息子に駆け寄ったルシウスは心底、心配して問い詰める。しかし、父親に答えず、ドラコは客間を見渡した。 

「ウィンキーは? あいつは何処に行った?」

 ドラコの口からウィンキーの名が出て、2人はゾッとした。

 失敗した。

 それしか判断できない。ウォーリーはそそくさと剣を布で覆い、ハリーと視線で撤退を乞う。彼も同意した。

「そんな事よりも、学校は……」

「ウィンキーは何処に行った!! 貴様ら、行くな!」

 ルシウスの胸倉を掴んでまで、ドラコは怒鳴る。息子の態度に父親はすっかり狼狽し、親子が揉み合う隙に逃げようとしたが、駄目だった。

「何事なの……?」

 困惑して現れたのは、マルフォイ夫人たるナルシッサ。見た目が汚い客人は一切、視界に入れずに夫と何故か帰ってきている息子だけ返答を求めた。

「緊急事態らしいよ。セブルスどもを出し抜いてまで、帰りたいってねえ」

 別の嫌味ったらしく、しゃがれた声にハリーは演技でなく怯える。疲れた顔をしているが、残忍さが服を着た魔女ベラトリックスまで現れてしまった。

 初対面のはずだが、ウォーリーとハリーは新聞記事やベラトリックスの姉アンドロメダを通して顔は知っている。しかし、対峙してわかる本人からの威圧感は、ヴォルデモートと同等の恐怖を教えた。

「ウィンキーにはゴブリンを連れて来るように命じてから、戻ってきていない」

 それを聞いた途端、ドラコは廊下へ飛び出した。

「ゴブリン……? こいつらがゴブリン製でも持ち込んだかえ?」

「ベラ、ドラコが学校を抜け出す手助けをしたのね! なんてこと……」

 心底、興味なくベラトリックスはナルシッサの咎めを物ともせず、近くの椅子へと乱暴に座り込む。彼女には剣の存在を教えてはならない。このまま、やり過ごすして欲しい。そんな強い直感が働いて、2人はルシウスを見ずに祈った。

「グリフィンドールの剣だ」

 願いも空しく、ルシウスはベラトリックスに対して僅かに勝ち誇ったような口調で答えた。

 剣の名を聞き、ベラトリックスは硬直する。重そうな瞼を見開かせ、ウォーリーの背にある荷物を凝視した。

 視線を感じ、ウォーリーは咄嗟に床へ転がって避ける。ベラトリックスの杖が鞭のように伸び、彼女の背にあった偽物を掴んで引き戻した。

 椅子から立ち上がったベラトリックスは布を引き裂いて、目玉が飛び出そうな程に見開いて剣を改めた。

「……いや……文字はこんなに……歪んでいなかった……いなかったずだ」

 剣にわざと付けた違い、それを触りながらベラトリックスは焦りを露にしつつも、冷静さを取り戻した。

「これは贋作だ!」

 悪辣に笑うベラトリックスはウォーリーに向かい、叫ぶ。従いたくなる程の恐怖に負けじと、叫び返した。

「お持ちした剣は本物です!」

「アッハハ、本物はグリンゴッツの私の金庫にある! ゴブリンに確認させるまでもないねえ!」

 哀れな馬鹿者を蔑んで笑うが、欲しかった情報は手に入れた。

 出来れば、その金庫にカップがあるかどうかの確認も取りたかったが、ここまでだ。

 憤慨したドラコはグリップフックを連れて戻り、まだ救出は成功していないと知る。騒動も物ともせず、彼は真っ直ぐマンダンガスに変身しているハリーへ詰め寄った。

「蛇に触ったのは、おまえか?」

「……確かに触りやした……お坊ちゃんの蛇とは知りやせんで……」

 一瞬、動じたハリーは演技をやめずにわざと狼狽えて答える。会話から、ドラコはベッロに触れば伝わる魔法を施していた様子だ。

 誰かに奪われまいとする対策までは見抜けなかった。

「ドラコ、蛇とは何のことだ?」

 ルシウスとナルシッサはドラコばかり気に掛け、椅子の上に立つべラトリックスの行動を咎めない。

「どうだ? 本物の剣か?」

 ドラコの行動など気にもせず、ベラトリックスはグリップフックに剣を見せつけ、余裕綽々に問いかけた。

 小柄なのに剣を掲げられているせいで、グリップフックは見上げる。僅かな間を置いてから、口を開いた。

「はい、本物です」

 嘘の返事だ。

 ウォーリーとハリーには予想内の答えだが、ベラトリックスは笑みを消して青褪めた。

「確かか?」

 それは確認ではなく、独り言。

「確かです」

 グリップフックは動じず、続けて答える。今にも叫びそうな表情になったベラトリックスは椅子ごと彼まで蹴り、文字通りにウォーリーへ迫った。

「この剣を何処で手に入れた!」

「本物は川から拾い上げました。買って頂けるのでしょうか?」

 爪が皮膚に食い込み、殺意の籠った声に恐怖はすっかり麻痺し、ウォーリーは逆に冷静になった。

「そいつらは、偽者だろう」

「バーティ!」

 クラウチJr.の声がした途端、扉が蹴破られる。乱暴な振舞いをルシウスは咎めた。

「両手が塞がってんだ。文句を言うな。俺は何度も呼んだぞ」

 ウォーリーとハリーはクラウチJr.の両脇に抱えられた2人を見て、目を疑う。『透明マント』で隠れていたはずのハーマイオニーとロンが2人の姿に変身していた。

 マンダンガスに変身しているロンは物のように床へ投げ放たれた。

 ルシウスは同じ顔の2人組を交互に見やり、急いでハリーをドラコから引き離した。

「何が起こっている? 説明しろ、バーティ」

「どうもこうも、俺はドラコが学校を抜け出したと言うので連れ戻しに来ただけだ。そいつらは門のところで倒れていた」

 クラウチJr.の言い分が本当なら、救出計画は失敗して2人は乗り込もうとしたのだろう。だが、現われた『死喰い人』に気絶したフリをしてやり過ごそうとした可能が高い。

「それで……グリフィンドールの剣で何してんだ? 試し切りか?」

「違う! こいつらが売りつけにやってきたとか抜かした! 拾ったなんて大嘘だ! 私の金庫から盗んだんだろう!」

 喚き散らすベラトリックスの手が強まり、痛みが走った。

「馬鹿を言うな。グリンゴッツから盗めるわけないだろう。模造刀じゃないのか? 剣が2本もあったら、チャンバラゴッコが出来るな。今度、やるか。ドラコ?」

「何を暢気な事を言っている! 事態は貴様が思っている以上に深刻なのだ!」

 チャンバラごっこ。この単語から、クラウチJr.はロンが変身した姿ではないかと結論付ける。目配せしたハリーも同じ考えだ。

 ならば、一瞬の隙を作る。ハーマイオニーが『デラックス大爆発』を放って、4人ともに逃げられる隙だ。

 首筋から血が出るのも構わず、ベラトリックスの手を払う。ハリーの傍へ跳び、窓を背にしてから、ウォーリーは腹の底から叫ぶ。

「私は本人で本物だ! その人達は偶然、この国に生まれ、偶然、同じ性別に生まれた。赤の他人だ!」

「――え?」

 刹那の静寂、ルシウスの背中に守られたドラコの声が響いた。

「盗人めが! あの方を前にしても、同じ事が……」

 ベラトリックスは全く気にせず、服の袖を捲り上げる。露になった『闇の印』に触れる直前、ドラコはルシウスを押しのけ、伯母の手を掴んだ。

「この屋敷で勝手な事をするな!」

 唐突な行動にベラトリックスは目を丸くし、ドラコを凝視する。まるで、大人しい飼い犬に手を噛まれた表情に似ていた。

「そいつらが偽者であろうとなんだろうと、剣を売りに来たんだろう。剣はドラコ=マルフォイが買った! とっと失せろ!」

 険しい表情だが、ドラコはこの場を治めんと尊大な態度で仕切った。

 呆気に取られる両親と伯母より先に、クラウチJr.の姿をしたロンは空いた手で後頭部を掻いた。

「ドラコもこう言うし、それでいいよな。ベラトリックス。んじゃあ、俺はこいつらを庭に捨ててくる。グリップフック、手伝え」

 ロンはクラウチJr.の演技を忘れず、またマンダンガスの姿をしたクラウチJr.をグリップフックに任せる。蹴られた部分の痛みに悶えていたゴブリンはヨロヨロと起き上った。

 これなら穏便とは行かずとも、流血沙汰は避けられる。ウォーリーは心の中でガッツポーズを取った。

 しかし、表情を一変させたベラトリックスを見て、ゾッとした。思いっきりドラコを振り払い、ロンへ向かって杖を振りかざしたかと思えば、彼は足の力を無くして膝から倒れ込んだ。

 ドラコは暖炉に背をぶつけ、痛みに顔を歪めた。

 その隙にグリップフリックは我先に廊下へと飛び出し、バチンという音が弾ける。『姿くらまし』の音だ。彼ではなく、廊下でドビーが待ち構えていてくれたのだ。

「貴様……バーティじゃないねえ?」

 目をギラギラさせたベラトリックスは口が裂けるような笑い方をし、寒気がする高い声を上げる。ロンは倒れた体勢で恐ろしい形相の魔女に恐怖した。

 この魔女は指一つ分の不愉快さで人を殺せる。

 咄嗟にウォーリーが前に出ようとしたが、ルシウスが立ちはだかる。ナルシッサはドラコへ駆けより、その手の杖はハリーに向けていた。

「殺す前に教えてやろう! バーティはねえ、私を「ベラ」としか呼ばないんだよ!」

「やめて!」

 気絶したフリをしていたハーマイオニーは起き上がり、ロンを守るように手を広げる。勿論、ベラトリックスは止まる筈もない。2人とも、一度に殺すつもりだ。

 ハーマイオニーがロンの盾になる。

「やめろお!!」

 全身の力を持って叫び、ウォーリーの影はベラトリックスを捕らえる。突然、身動きひとつ出来なくなった体に彼女は動揺し、動けずとも困惑が伝わった。

 かつて、影で数人の動きを封じた事がある。その時とは違い、止められたのはベラトリックス1人だ。

「先に逃げろ!!」

 ハリーの声にハーマイオニーはロンを引っ張るが、ベラトリックスの魔法で拘束されて動けない。

「僕を置いて行って、行くんだ!」

 ロンの必死の懇願をハーマイオニーは拒む。その間にも、ウォーリーとハリーを敵と判断したルシウスとナルシッサとの攻防で助けに行けない。

 ドラコは打ち処が悪かったらしく、ぐったりと座り込んでいる。代わりにマンダンガスの姿にさせられていたクラウチJr.が起き上った。

「……俺がいる? その女……病院で会った……。同じ女が2人? 双子か?」

 マンダンガスの声で朦朧とした意識の中、クラウチJr.は状況を確認する。自分の喉に触れ、手の平や体を触った。

 魔法の光線が飛び交う中、ウォーリーは奇妙な音を聞く。金属が擦れる音だ。確かめたくても、杖なしでのルシウスの激しい攻撃に首も動かせない状況だ。

 

 ――キュルキュル

 

 刹那、偶然に魔法の音が消えた時、軋む音を耳にした。

 ルシウスが天井を見上げた時、水晶のシャンデリアが音を奏でて落ちてきた。

 ナルシッサはドラコを庇うように身を屈め、ルシウスは飛び退く。流石のクラウチJr.も立ち尽すベラトリックスの横腹を思い切り蹴ってから、避けた。

 破片が頬に刺さるのもを気にせず、ウォーリーはロンを引っ張るハーマイオニーに手を貸す。シャンデリアが落ちた衝撃で魔法は解け、ようやくロンは動けた。

「ドビー!!」

 凄まじい剣幕でナルシッサはシャンデリアを落とした犯人の名を叫ぶ。何故だろう。こちらまで叱られる気分になった。

 そのドビーはハリーにシャンデリアの破片が当たらぬように避けさせていた。

「おまえが、シャンデリアを落としたのか!?」

 今にも折檻しそうなナルシッサの勢いにドビーは震えがっても、負けじと背筋は伸ばした。

「貴女はこの方を傷つけてはならない」

「そうか! そいつはハリー=ポッターだな! ドビーが助けるなら、奴しかいない!」

 ルシウスの見事な推理にロンは歯噛みした。

「女のほうはアラスター=ムーディか!?」

 驚愕し、ベラトリックスは叫ぶ。彼女もウォーリーの影から解かれていた。

 ハーマイオニーは大きく振りかぶり、『デラックス大爆発』を投げる。瞬時に客間の中を爆裂音と共に花火が轟音を立てる。ルシウスはナルシッサとドラコを庇うように2人を抱きしめて、伏せた。

 クラウチJr.はまだボケているのか、花火を綺麗とか呟いていた。

 その隙にハリーはドビーを抱え、ウォーリーへと駆け寄る。役目を終えた偽物の剣は放置した。

 ドビーはハリーとハーマイオニーの手を掴み、ウォーリーとロンも咄嗟に2人の手を掴んで輪になった。

 

 ――一瞬の無防備。

 

 そこをベラトリックスは見逃さなかった。

「アバダ ケダブラ(息絶えよ)!」

 杖から出た緑の光線が届くのが先か、『姿くらまし』するのが先か――。

 ウォーリーは0.1秒の動きを目で捉えた。

 5人と迫りくる緑の光線の間に赤い鱗が割って入る。鱗は緑の光線をマトモに食らい、ベッロは息絶えた。

「ベッロ!!!」

 絶叫に吸い込まれるようにベッロの体は5人の輪へと落ちて来る。咄嗟にウォーリーは鱗を噛んだ。絶対に離さない意思を持ち、歯を立てた。

 そうしなければ、2度と会えない。ウォーリーは自分の考えに絶望していた。

 

 光速の先は青空。

 だが、ウォーリーは自分の居場所を見ない。腕の中で冷たくなったベッロを抱きしめる。太陽の下にいるのに、心は肌寒く。この体勢になって、1分か1時間か、体感時間も狂う。まるで世界に独りになった気分に浸っていた。

 亡骸の重さだけが自分の生存を教える。

 潮の香りに血が滲む、波の音に混ざって知らない声が耳を通り過ぎた。

[……受け取って……]

 確かに聞こえた声に我に返り、周囲を見渡す。変身の解けたハリーとハーマイオニ―、ロン。3人とも、目を真っ赤にして泣き腫らしていた。

「今、誰が言ったの?」

 ウォーリーの問いに泣き声が返ってきた。

 呆然とベッロの顔を見たが、濁った瞳は死骸そのもの。ガーネットのような美しさは見る影もなく、銀色に濡れている。自分の涙かと思ったが、違う。指先で掬うと液体ではなく、柔らかい糸のような感触だ。

「……『憂い』だ、それはベッロの『憂い』だ……」

 涙声でハリーは呻き、ハーマイオニーのビーズバッグを拙い動きで漁る。試験管を見つけ出し、ウォーリーの手にある緑の瞳から絶えず、ウォーリーの手を掴んで銀色の糸を入れた。

 ハリーの動きを他人事のように眺め、彼は『憂い』の入った試験管をウォーリーに握らせた。

「埋めてやろう。ベッロを……」

 ベッロの鱗に触り、ハリーは沈痛な声で告げた。

 ようやく、ウォーリーは周りを認識し始める。3人以外にも、ルーナ、ビル、フラー、そして、ドビーがいた。

「他の……オリバンダーさんとグリップフックさんは?」

「家の中にいるよ、2人とも無事だ」

 ビルが優しい声でウォーリーの肩を撫でた。

「ベッロを埋めたい……何処か……見晴らしのいい場所を……」

 言葉を思い出そうと声を絞り出す。そんなウォーリーをフラーは慈しむように抱きしめてくれた。

 手伝いを申し出たドビーに本物の剣と『憂い』を預ける。ハーマイオニーはフラーと一緒に清潔な布を選びに行った。

 ウォーリーとハリーは無心で地面に穴を掘る。魔法や道具を使わず、素手だ。これが一番、良いと2人は勝手に思った。

 爪に土が入り、固い小石で皮膚が裂けても一切、手は止まらなかった。

 並みの蛇より巨大なベッロを埋めるに十分な穴が掘れ、肩で息をしながら額の生え際から滴る汗を土だらけの手で拭った。

 いざ、埋めようとベッロの亡骸を目にし、知らずと目に涙が浮かぶ。

「これで包んであげて下さい」

 家から出て来たフラーは真新しい白い布を持ってくる。それにはホグワーツの校章が刺繍され、ビルの手を借りてベッロの顔が見えるように包む。ウォーリーとハリーは墓穴へそっと置いた。

「あたし、何か言うべきだと思う」

 ルーナはベッロだけを見て提案した。

「あたしから始めてもいい?」

 ウォーリーはしゃくり上げる様に頷く。こんな状況になり、ハグリッドのアラゴグを失う気持ちをようやく共感した。今更ながら、彼をもっと労わるべきであった。

 ルーナはベッロの頭に触れ、語りかけた。

「学校で何度も、あたしを助けてくれてありがとう。皆を助けてくれて本当にありがとう。あなたは皆をずっと助けてくれたとっても良いヒトなのに、死んでしまうなんて、とっても不公平だわ。あたし、大好きだよ。あなたが今、幸せだといいな」

 惜しむ手つきでベッロから離れた時、ドビーも彼女に倣って小さな手で頭へ触れた。

「ドビーは悲しいのです。悔しいのです。お話したかったのです。ハリー=ポッターの最高のお友達、どうか、安らかに眠るのです」

 出目金の目から涙をひとつ流し、ドビーは離れる。続いたロンも「ありがとう、おやすみ」と優しい声でベッロを撫でた。

 ハーマイオニーは言葉と共にベッロの瞼を下ろしてその上にキスを落とした。

「さようなら、ベッロ」

 ベッロに触れず、ハリーは絞る出すような声を出した。

 ウォーリーには何も言える資格がない。口を開こうとしても、躊躇いで筋肉が動かない。何も言わないまま、埋めてしまえばよかったのだ。

 

 ――嫌だ。

 

 ドリスもトトも、ベッロまでもいなくなる。

 

 ――嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 

 心が駄々をこねて絶叫し、食いしばった奥歯が音を立てる。土に汚れた拳を強く握りすぎて血が滴り落ちた。誰も何も言わず、ただ、彼女の送る言葉を待っていた。

 足の力が抜けた拍子にウォーリーは屈んで、ベッロの顔を眺める。こんな時に脳髄には何の回想も浮かばなかった。

「……ごめん……なさい……。ごめんなさい……」

 紡いだのは許しを乞わない謝罪、それ以外、言葉を忘れたように繰り返した。

 話す呼吸もなくし、ウォーリーはフラフラと立ち上がる。ビルが杖を掲げれば、掘った土がなだらかに穴を埋め、小さくも形が綺麗な赤みがかった塚が出来た。

 『貝殻の家』は以前見た時より、風景画の印象を強くした。

 フラーに連れられ、バスルームに押し込まれる。勝手に動くブラシ達に体を洗われながら、指先や手の平、頬や瞼の傷が沁みる。痛みが頭を悲しみに支配された脳髄の一部を冷静にして行く。

(ドラコは……ベッロを家族にも隠して匿っていた……。ウィンキーだけが協力者だった……)

 だから、ウィンキーを異常に心配した。

(ルシウス=マルフォイは……私達をハリーと組んでいるのはマッド‐アイだと思い込んでいた……)

 だが、地下牢の囚人が消えた責任はウィンキーにあると考えるだろう。彼女はこのまま、クリーチャーといさせなければならない。

 シャワーで泡を流し、水を止めた。

「順調だ……、旅は……順調だ」

 剣呑な眼光で何処となく見つめ、泥のような声で呟く。ウォーリーは意識せず、濡れた体を魔法で乾かした。

 借りた服に着替え、礼を言おうとフラーを探して居間へ行く。そこにはハーマイオニーとロン、ハリーの3人が待つ。

「ドビーは?」

「クリーチャーの所へ行って貰った。ウィンキーを絶対に戻らせないように」

 ハリーの判断に感謝した。

「ウォーリー、グリップフックと話す。彼に頼みたい事があるんだ。一緒に来て欲しい」

 グリンゴッツにあるレストレンジの金庫。剣を預けたなら、そこには『分霊箱』のカップもきっとあるはず、確かめるにはグリップフックの協力がいる。

「……そうだな」

「駄目よ」

 何故か、ハーマイオニーは頑として反対した。

「ハーマイオニー……」

「ハリー、時間がないのはわかるわ。けど、ゴブリン族との交渉は危険よ。どうしても、グリップフックの協力が必要なら、彼らと仕事で慣れているビルに任せたほうがいいわ」

 ハーマイオニーはウォーリーとハリーを交互に睨む。ベラトリックスが金庫を訪れるまでに自分達が先回りし、カップを探し出す。そうしなければ、より強力な魔法で金庫を護らせるか、中身を別へ移されてしまう。既に実行されて居てもおかしくない。時間はないのだ。

「彼は……僕が初めて銀行に行った時、対応してくれたんだ」

「だから? ドビーのように貴方を助けてくれるって言うの?」

 ハリーはジロリとロンへ視線をぶつける。

「僕もハーマイオニーに賛成。グリップフックに本当に頼みたいなら、僕らだけじゃ無理だ」

 肩を竦めるロンは階段の方角を見やる。階段の上にでも、ビルはいると察した。

「けど、これは僕らに託された任務だ」

「その通りだ。これ以上、誰も巻き込めない。だが、グリップフックは私達の力で助かった。その分の働きを要求してもいいはずだ」

 

 ――パアン。

 

 ウォーリーの頬をハーマイオニーの掌が打つ。一瞬、何が起こったか理解できない。ハリーとロンも吃驚仰天していた。

「貴女はお父様が屋敷行くって言ったのと同じ、向こう見ずになっているだけよ。ベッロが死んで辛いのは貴女だけ? ベッロが死んだのは貴女の責任? 違うでしょう? 皆、辛いし、皆の責任よ!」

 頬の痛みと批判の声、鈍っていた思考がぐにゃりと曲がり、ほとんど衝動的にウォーリーは何も言わずに外へと飛び出した。

 太陽が地平線に沈んでいく光景を気にせず、作りたての塚へと縋るように座り込んだ。

 石の表面に去る前にはなかった2つ文章が深く刻まれていた。

 

 ――最も親しき友 アグリッパ・ベッロ ここに眠る――

 

 その下にはハリーの両親の墓石にもあったという言葉。

「……『最後の敵なる死もまた亡ぼされん』」

 口にした言葉が耳に浸透し、知らずと指でその文章をなぞった。

 ベッロはアグリッパだった頃から、どれだけの死別を経験した事だろう。ボニフェースを失ってから、どれだけの悲しみに沈んだだろう。その妻たるドリスの死に何を感じたのだろう。自分を慰める声の中に蛇への慰めはなかった。

(ホグワーツに行こう……)

 ベッロの遺した『憂い』、『憂いの篩』が必要だ。それの所在はホグワーツしか、知らない。死の間際に伝えたかった想いや言葉をウォーリーは否、クローディアは知らなければならない。

 思えば、ベッロにとってクローディアは主人ではなく、ボニフェースに連なる庇護すべき存在でしかなかった。 

 ハリーにあれだけ懐いていたのは、『ハグリッドの無罪を証明する』という亡き主人の目的を果たしてくれたから、クリーチャーのように感謝の気持ちを態度で示していたのだ。

 ダンブルドア殺害の罪は全てが終わった後、必ず弁明しよう。それでトトとの入れ替わりが明るみになっても構わない。

 太陽は沈んだ。

 だが、行くべき道は見える。そこは独りで歩くのではない。かといって、自分達だけでは決してない。誰かが先に歩いてくれた道、誰かが後から歩いてくれる道だ。

 目を伏せて、瞼の裏に浮かぶのはかつて、自分の手で死に追いやった老女の姿。

(貴女は決して蘇らない、だから決して忘れない)

 抱えていた罪悪感との決別。故に忘れてはならない我が人生の教訓の象徴である。

「ベッロ、……確かに受け取ったよ」

 胸の苦しみは消えぬ。故に別れの言葉は言わない。

 かけるべき言葉だけを塚へ降り注ぐ。何処からともなく、ベッロのクスッと笑う声が聞こえた気がした。

 




閲覧ありがとうございました。

さようなら、ベッロ。今までありがとう。
ハッフルパフ、スリザリン、レイブンクローの生徒の使い魔として仕え、グリフィンドールの生徒の友だった。
ホグワーツの紋章はそんな彼の人生を象徴しています。

ハーマイオニーのビンタは助けた命に利益を求めた発言をしたからです。


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11.掴まされて

閲覧ありがとうございます。

注意事項をおひとつ、グリンゴッツ潜入シーンはカットしました。
原作では5月の出来事ですが、3月に行われています。

視点が3つに分かれます。


 

 玄関の扉を開けた瞬間、ルーナから抱き締められる。その後、彼女の痛くない手の平で何度も頭を叩かれ、はぐれないように腕を引っ張られて居間へ着いた。

 ハーマイオニーとロン、ビルはウォーリーの姿に安堵の息を吐く。ハリーは何故か、仁王立ちしたフラーに見下ろされていた。

「提案がある。聞きたい者だけが残って欲しい」

 途端にルーナはウォーリーから離れ、フラーの背を押して階段を昇って行く。彼女は聡い、自分達が聞くべきはないと瞬時に判断したのだ。

「その前にいいかな?」

 腕組みをして暖炉にもたれていたビルはウォーリーを真っ直ぐ見つめる。その視線は複雑な感情が入り混じっていた。

「君は……クローディアなのか?」

 ウォーリー以外の3人は背筋に寒気が走り、青褪める。ベッロの死を嘆き悲しむ姿から、見抜かれたのなら、動じても仕方ない。

「答えられない」

 真っ直ぐ見返したウォーリーにビルは感情が高ぶったらしく、眉を寄せて片手で顔を覆う。目の端に浮かべた涙を指先で拭ったのが見えた。

「何をすればいい?」

 涙の意味はわからずとも、ビルは話を聞いてくれる。ハリーは少し納得できない顔つきだったが、ロンの肘打ちで諭された。

「ベラトリックス=レストレンジを自分の金庫に行かせる。ビルが案内して欲しい。グリップフックにはビルこそが案内すべきだと同僚達を納得させて欲しい。私達は隠れて着いて行く」

 いつ訪れるかを恐れて急くのではない。自分達に都合良く行かせるのだ。

 一瞬の沈黙の後、ハーマイオニーはウォーリーの考えを読み、疑問を口に出す。

「それに金庫への案内役ってゴブリンが行っているんじゃないの? 一度、銀行から逃げ出したグリップフックの意見を聞くかしら?」

「その質問に答える前にビル、レストレンジの金庫にあるグリフィンドールの剣が模造刀だって知っているか? そして、ベラトリックス=レストレンジは先程、グリップフックが本物と鑑定した剣を持っている。真偽を確かめるために必ず、自分の金庫へ行かなければならない」

 ビルは様々な意味で驚愕し、自分の口元に手を当てて考え込む。5分近くの長考を見守った。

「……可能だ。僕1人だけとはならないが、案内を押し付けられるだろう」

 ハーマイオニーは予想外の返答に意味を飲む。

「どうして、そんな……?」

「金庫の剣が偽物だったり、盗まれていたら、誰かに責任を押しつけたがるだろう。ウィーズリー家は純血派にとっては『血を裏切る者』、魔法族の同僚は庇いはするが、僕を差し出すだろうな。ゴブリン達も自分達に害が及ばないなら、僕が都合が良い」

 『血を裏切る者』。その言い方にハリーは怒りで眉を寄せる。

「君達は立派な魔法使いだ」

「ありがとう、ハリー。けど、いいんだ。『死喰い人』どもが僕達をそう言うんなら、何の恥もない。誇り高い『血を裏切る者』だ」

 ロンは胸を張った。ハーマイオニーは共感し、彼の腕にその腕を絡ませて頭を乗せた。

「ところで僕は勿論、協力するけど、グリップフックをどう説得するか考えているかい? あいつは確実に見返りを求めて来るぞ。それこそ、本物の剣を寄こせと言いかねない」

 ビルは本物の所在について確信を持つような口調だが、それは親身になって心配してくれているとわかる。

 目を見開いたハーマイオニーは閃いたようにロンから腕を離し、ビーズバッグを漁り出す。ようやく見つけ出したのは、綺麗な柄の布に包まれた硬貨だった。

「これなら、どうかしら? レプラコーンの……幻の金貨! 私達が見に行ったクィディッチ・ワールドカップでクローディアが手に入れて、誕生日に私にくれたの。ビル、話してくれたわよね。50年くらい保管されて、24時間、見張られている金貨の話!」

 手に入れて贈った本人がすっかり忘れていた。

「……僕、忘れてた」

「僕も……というか、ハーマイオニー、よく覚えているよね」

 ハリーとロンは顔を見合わせ、肩を竦めた。

 ビルは金貨を見つめ、手に取らずに目に称賛を浮かべた。

「勝算は半分だけど、僕らのほうに傾いているよ」

 まだ何の交渉もしていないのに、ビルの幸先の良い意見にロンは感謝していた。

 そして、踏み入れた事のない夫婦の寝室にグリップフックを動かし、5人で話し合いを行えば、難航した。

 ハリーがベッロをその手で埋葬した事に批判めいた口調で「変な魔法使い」と称したかと思えば、自分自身を救った事に感謝はせずとも、違う意味で「でも、とても変な魔法使い」と結論付けた。

 協力を願っても、曖昧な返答を繰り返す。しかし、ハリーが決して利益の為に金庫へ向かうとは思っておらず、ただ唐突に魔法族を『杖を持つ者』と呼び出した。

 そして、魔法族が杖を持ち始めてからゴブリン族との間で行われた論争まで語り出した。

 以前、マクゴナガルが話してくれた『杖使い』の歴史。

 それによれば、妖精族はどんな杖を用いても魔法を強力に出来ず、フリットウィックのような特別か、ハグリッドのような人間との混血しか、杖を使えないという説明だった。

 だが、ゴブリン族はそれを杖の術を独占したと解釈して、長年の恨みの一つして抱えていた。

(まだドビー達のほうが話が通じる)

 殴りかかりたい衝動を必死に抑え、ウォーリーは『屋敷妖精』が魔法族に仕える立場に甘んじているのは、争いの果ての無意味さを知っているから、唯々諾々と隷属される道を選んだのではないだろうかと思い始めた。

 なんとか、ビルが間を取り持ち、報酬として幻の金貨を渡すところまでこじつけた。

「貴方は2枚目の金貨を手に入れた名誉を手に入れる」

 今の所有者たるハーマイオニーが両手で金貨を差し出し、グリップフックは可愛くない円らかな瞳を輝かせる。皆の視線を気にしつつも、前払いとして受け取った。

 気力をほとんど使い果たし、4人はげっそりとした表情で部屋を出る。ビルはゴブリンの態度に慣れており、精神的消耗を感じさせなかった。

「どうする、ハリー? 少し休むかい?」

 ビルは向かいの部屋を親指で指し、ハリーに問う。彼は手振りで向かうと答えた。

「なら、僕は遠慮しておく」

 階段を下りて行くビルに礼を述べ、ハリーは向かいの扉を遠慮なくノックした。

「誰がいるんだ?」

「オリバンダーさん」

 ハーマイオニーに言われ、ウォーリーは彼らがオリバンダーを何の目的もなく、見舞いだと勝手に考えた。

 この部屋は窓から、暗くてもベッロの墓がよく見える。グリップフックが掘る様子を見ていたと言うのは本当だった。オリバンダーは老人の領域を超えて、痩せ細り、骸骨に肉が付いている印象を受けた。

 一年以上の監禁生活による様々な苦痛が肌に伝わってきた。

「お休みのところ、すみません」

「いやいや、貴方はわしらを救い出してくれた。あそこで終わると思っておったのに……」

 まずはハリーが挨拶をし、詫びを入れる。オリバンダーはか細い声で感謝を述べた。

「お助け出来て良かった」

 感慨深い声を出し、ハリーはオリバンダーの無事を喜ぶ。そして、寝台に横たわる療養の杖作りと目線を合わせ、自分の杖を取り出して両手で差し出した。

「オリバンダーさん、教えて貰いたい事があります」

「何なりと何なりと」

 弱弱しくか細い声には命さえ差し出してでも、恩に報いる気持ちがある。

「杖が持ち主の意思がなくても、助けてくれる事はありますか?」

「勿論、ありますとも」

 ずっと抱えていたハリーの疑問をオリバンダーはあっさりと肯定した。

「杖が魔法使いを選ぶのじゃ。そこまでは杖の術を学んだ者にとって、常に明白なことじゃった」

 その言い方がそれを信じぬ者に踏み躙られた悲しさを伝える。記憶が刺激され、ウォーリーが店に行った時もオリバンダーの姿をしたフラメルも似たような言葉を言っていた気がする。

「では、兄弟からのお下がりの杖では選ばれた事には値しないのですか?」

 ハーマイオニーの質問にオリバンダーは穏やかな視線を向ける。

「他人の杖を得る時、どんなふうに手に入れたかが関係してくる。杖そのものを負うところもまた大きい」

 更に杖を勝ち取ったならば、杖の忠誠心も変わる。使えはするが、最高の結果は杖との相性が一番強い時に得られる。また、このつながりは複雑であり、最初に惹かれ合い、それからお互いの経験を通して探究すると加えた。

「杖は魔法使いから、魔法使いは杖から学ぶ……」

 衝撃を受けたロンは呟いた。

「ポッターさんのお友達はとても賢い」

 オリバンダーはこの場にいて、弱弱しくも初めての笑みを見せる。純粋に話を受け入れてくれるロンの態度を喜んでいた。

(お下がりの杖では忠誠は得られない……)

 ポケットに忍ばせたドリスの杖に知らずと手を当てる。

「だとすれば、グリンデルバルドは『ニワトコの杖』の忠誠を得ていたんでしょうか? 奪い取るのは勝ち取ったと同じでしょうか?」

 ウォーリーの質問にオリバンダーは口を噤んで青褪める。ハーマイオニーとロン、両脇から肘打ちを食らって我に返る。思わず、グリンデルバルドがグレゴロビッチから『ニワトコの杖』を盗み、我が物としていた事実を知っている前提で質問してしまった。

「……何と言いましたか? あのグリンデルバルドが『ニワトコの杖』を持っていた? ダンブルドアが倒した闇の魔法使いが――?」

 オリバンダーはただでさえ骸骨の顔から生気を無くし、布団を掴む手が震えていた。

「知らなかった……知らなかった……知らなかった」

 明らかな失態にウォーリーはハリーに視線で助けを乞う。

「ええ、当然です。盗まれたグレゴロビッチでさえ、その人がグリンデルバルドだとは知らなかった。僕達も最近、気づいたんです」

 まるで罪を暴かれた罪人のようにオリバンダーは慄いてハリーを凝視する。これ以上の何かを話される前に声を上げた。

「噂じゃった! 何年の前の噂じゃった。貴方が生まれるよりずっと前! わしはグレゴロビッチ自身が噂の出所だと思っておる」

「オリバンダーさん、落ち着いて下さい。『ニワトコの杖』が本物だなんて、どうしてわかるんですか?」

「もっと、言葉を選んで!」

 ウォーリーはまたハーマイオニーから肘打ちを食らった。

「見分けられるとも、杖の術に熟達した者ならば必ず。文献があるのじゃ、不明瞭な記述も含めた文献がな。わしらは杖作りはその文献の研究こそが本分、いずれは『ニワトコの杖』の複製が目標じゃと言ってもいい」

 ハーマイオニーがその文献に興味を抱くが、ウォーリーは『ニワトコの杖』は杖作りの間では常識なのだと理解した。

 そして、一本の杖として存在している。

 ただ、見舞に来ただけで随分と怯えさせてしまった。

 ハリーは冷静にそれでいて、何か考えていた。

「オリバンダーさん、最後にひとつだけいいですか? 『死の秘宝』について知っていますか?」

 それがオリバンダーには突拍子もなく、愛嬌が出る程にキョトンと返された。

「……何のことか、え? それは杖とどういう関係があるんだね?」

 あれだけ『ニワトコの杖』を熱弁しておきながら、正反対の反応に驚かされる。

「ありがとう、本当にありがとうございました。ゆっくりと休んでください」

 立ち上がったハリーは一度、オリバンダーに背を向ける。追及はしないが、唐突に突き放されたように杖作りは愕然と見送った。

 廊下に出た途端、ハリーは杖を振って『耳塞ぎ呪文』をかける。

「どうするんだ。ハリー、杖を取りにホグワーツに行くのか?」

「いいや、僕らはあくまでも、『分霊箱』を探す。あいつは杖の忠誠を得られない。だから、杖は真の力は発揮しない。ダンブルドアはこれを伝えたかったんだと思う」

 緊張するロンの声にハリーは冷静だ。

「ハリー、学校には行こう」

「ウォーリー……」

 咎めようとするハーマイオニーを失礼がないように口を塞ぐ。

「『憂いの篩』を使いたい。ベッロの遺した『憂い』を見たい」

 真剣に乞う。ハリーはベッロの名に一瞬、口元を引き締めた。

「早くても……残りの『分霊箱』を破壊した後なら」

 ハリーはハーマイオニーとロンに視線で意見を問う。

「ええ、それで構わないわ」

「僕もだ。上手く行けば、杖をどうにかできるかも……ダンブルドアの墓を暴くって意味じゃないよ?」

 ロンなりの笑い所に笑顔を作れる余裕はなく、ウォーリーは生暖かい視線で彼の肩を叩いた。

 

 居間に降りれば、ビル、フラー、ルーナの3人が紅茶を飲む準備だけして待つ。ハリーは話は終わったと礼を述べた。

 遅い夕食を済ませ、珍しくロンが食器を片づけに台所に立つ。ハーマイオニーが傍につき、ウォーリーはルーナと一緒に用意された寝室へ案内される。そこは以前の滞在した部屋だ。

 2人だけになり、無事なルーナの姿を改めて眺める。かすり傷などは見受けられるが、弱り切ったオリバンダーや暴力を受けたグリップフックに比べれば、彼女は健常な状態に等しい。

「助けられて良かった……」

「オリバンダーさんが話をいっぱい聞いてくれたもン。グリップフックさんも時々、笑ってくれた」

 ルーナはウォーリーの首筋に抱きつき、小刻みに震える手で背中の服を掴んだ。

「ハーマイオニーから聞いたよ。あたし達を助けに行こうって言ってくれたって」

「私が言わなくても、皆、言い出した……」

 謙遜ではない。ハリーはルーナの精神的強さを誰よりも信じていた。

「それでも……ありがとう」

 首筋にかかる息は重く震え、ウォーリーはルーナの背中に手を回して抱きしめ返す。向日葵のような肌の匂い、血肉通った温もりを失わなかった。

 その実感に目尻から、涙が零れた。

「生きていてくれて……ありがとう」

 脳髄の奥から溢れ出た感謝が言葉となって口に出た。

 ルーナは優しい吐息で答えてくれた。

 

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 ウォーリーとルーナが先に寝室へ行き、フラーは食器を洗うロンとハーマイオニーに付きっきりだ。

「ハリー。例の件だが、決行日は僕に決めさせてくれないか?」

 唐突のビルの頼みに食後の紅茶を飲もうとしたハリーは反射的にカップから目を離し、真剣な態度の彼を見やる。正直、ベッロの死で、予想以上に疲弊した脳髄と心は何も考えたくなかった。

 だが、大事な話は先延ばしにしてはならないと知っている。

「こちらから、お願いしたい。もう決まっているなら、教えて貰える?」

「ジニーがイースター休暇でホグワーツを離れてからだ。それまでに『隠れ穴』にいる皆も脱出させる。この件がどんな結果になろうが、ウィーズリー家は『死喰い人』に敵対行動を取るからな」

 愛しきジニーの名。この場に彼女が傍にいれば、まず間違いなく、その柔らかい肌に縋りついて遠慮なく哀惜に涙しただろう。

 そんな考えに頭を振う。ハリーがオリバンダーと話している間、否、ウォーリーが乞うた時からビルは自らの家族への配慮に脳髄を働かせた。

 目先の事だけでなく、全体を見る。ハリーも見習わなければならない。それが出来ていれば、ベッロに屋敷から逃げろと命じられた。

「わかった、任せるよ」

 ハリーの返事にビルは承知し、優しく頷いた。

 庭に張ろうとしたテントをビルの提案で居間へ無理やり、張る。ハリーとロンはその中で寝た。

 実際は布団に体を横にしただけで、ハリーは瞼も意識も降りない。いつも鼾の五月蠅いロンも静かな呼吸を繰り返している。彼も寝れないのだ。

 

 翌朝、目の下に隈を晒したウォーリーとハーマイオニーを見て、彼女らも寝れなかったと知る。

 3日後にビルからホグワーツのイスター休暇を3月であり、レストレンジの金庫は特別な命令が出ていると教えられた。

「つまり……ベラトリックス=レストレンジの偽物が現れると想定しているんだ。本人達はどうしているの?」

「そこまでは僕にはわからない。ただ……命令を出しに来たのは本人じゃなく、トラバースだった。何かあったんだろう」

 ビルの説明にハリーは『死喰い人』側の状況を読む。オリバンダーを逃がした責任、それを誰に負わせるかで勝手に揉めている最中なのだ。

「なら……行方不明だったオリバンダーは無事に救出された事、グリンゴッツの金庫からグリフィンドールの剣が盗まれた可能性ありと【ザ・クィブラー】に載せよう。他にも【日刊預言者新聞】や【週刊魔女】、魔法界にある雑誌に情報を提供しよう」

 ウォーリーの提案にハリーも吃驚だ。ロンとハーマイオニーは顔を見合わせ、ビルは深刻そうに口元を手で覆う。

「言っちゃ悪いが、【ザ・クィブラー】以外は奴らの手に堕ちている。それをわかっているかい?」

「記事として載せられないかもしれないし、改変されるかもしれない。だが、出版社業界に噂は流れる。そういった噂は闇の帝王にも止められん。そんな噂を潰して回るより、ベラトリックス=レストレンジに真実を確認させたほうがマシだろう。あの魔女は自尊心が高そうだった。きっと、自分の手で確かめる」

 ハリーも同感だ。ヴォルデモートはこんな失態を決して許さない。必ず、一度は行く。

 その協力者であるグリップフックは柔らかい寝台での寝心地が良く、毎度の食事を運ぶように催促している。

「ゴブリンって、いつもあんなに感じなの?」

 夕食を運んだロンは悪態吐いた。

「……ただ、話すだけなら、向こうに合わせて喋るんだ。辛抱強くね、だが……もしも何か取引をしようしているなら、それが宝に関する取引なら、特別に用心する必要がある。ゴブリンの所有や代償、報酬に関する考えた方は、俺達と違う」

「どう違うの?」

 ハーマイオニーの質問攻めが始まり、ウォーリーとハリーは早々に食事を終えてフラーの代わりに食器洗いを申し出た。

「ゴブリンにとってどんな品でも、正当な真の持ち主はそれを作った者であり、買った者ではない。特にグリップフックは強硬派の1人だ。買った者が死んだら、その品は作り手に帰すべきだと考えている」

「じゃあ、グリフィンドールの剣もゴブリン族にとっては自分達が所有者なのね」

 食後の紅茶も終え、ハリーがシャワーから出て来てもハーマイオニーとビルの話は終わってなかった。

 怪我が良くなったグリップフックを食卓に来させるようになり、接する機会が増えてもハリーは彼が好きになれないと結論付けた。

「荒れてた頃のクリーチャーがまだマシ」

 呆れたウォーリーの呟きに同意した。

 

 真夜中の時間、アーサーがビルとだけ会話をして去ったのを見た。

 この家に『忠誠の術』を施す為に、アーサーを『秘密の守人』にしたという。騎士団の何人かには招けるようにしておくそうだ。

 【ザ・クィブラー】には無事、記事が載る。他はひとつとして駄目だったが、ウォーリーの目論見通りなら、噂は広がるだろう。

 オリバンダーは寝台から起き上がれるまで回復し、ルーナの為に杖を作ってくれた。

 早速、ルーナは庭に出て、軽やかに舞うような動きで杖を振う。それをウォーリーは傍らで眺める。その様子が微笑ましく、背景に見えるベッロの墓も一枚絵のように美しかった。

「オリバンダーはもう動かせるから、ミョリエルの家に行かせるよ。ここは大人数には不向きだ」

 ビルの話にルーナはオリバンダーとの別れを惜しんでいた。

 その前日、ハリーはオリバンダーに食事を運ぶ。あの日以来、話をしていない。しかし、聞かねばならない質問がある。ウォーリーの前ではどうしても出来なかった。

 寝室に訪れたハリーにオリバンダーは狼狽を隠さない。

「ポッターさん……わざわざ」

「お礼は言わないで下さい。明日、ビルの大叔母さんの家に移ります。その前にどうしても、質問したかったんです」

 お盆をサイドテーブルに置き、ハリーは傍に椅子へと腰掛ける。緊張に息を飲むオリバンダーは質問だけは聞く姿勢を見せた。

「シギスマント=クロックフォードを知っていますか?」

 オリバンダーから怯えが消える。言い知れぬ感情を込めた銀色の瞳がハリーを見返した。

「その名は聞きとうない」

 英国一の杖作りからこのような反応をされるなら、シギスマントは杖作りですらない。思えば、彼は錬金術師ニコラス=フラメルから破門されている。

 杖を作るには『杖の術』を学んで、極める。シギスマントは自分で作った杖を『分霊箱』にしてから、この世を去った。

「彼に『杖の術』を教えたのは貴方なんですね」

 オリバンダーは答えない。同じ表情のまま、眉ひとつ動かさない反応が肯定を示している。そして、彼はそれを後悔している。シギスマントは独学で得た可能性もあったが、当たりだ。

「ポッターさん」

 拷問されていた時よりも、深く重い口調で呼ばれて我に返った。

「もしも、その名を持つ男の遺品を見つけたのなら、……関わってはいかん。『例のあの人』がいるこのご時世にあの男がいない。それは幸いじゃと、わしは思うている」

 遅すぎる警告。既にハリーは遺品そのものと関わっている。ヴォルデモートの絆よりも太く赤い鱗の蛇によって、2人の縁は繋がっている。絶対に切れはしない。

「わかりました。ありがとうございます。明日はここより、安全な場所に行きます。どうか、お元気で」

 立ち上がったハリーはオリバンダーの視線に引き留められる。

「ポッターさん、わしは……あの男に瓜二つの顔に2度会っておる。1人はボニフェース=アロンダイト、とてもいい子じゃった。顔が同じ他人とはよく言ったもんじゃ……。じゃが、コンラッド=クロックフォードはあまりにも、奴に似すぎておる……。ポッターさん、わしはまた間違えてしまったんじゃろうか?」

 顔の向きも瞬き一つ動かさず、オリバンダーは問う。口元だけが微妙に笑っているのは、恐怖故だろう。

「今、名前の出た2人は親子です。似ているのは当然です。それに……貴方は間違っていません。もう忘れて下さい。忘れていいんですよ」

 大事な事柄を忘れてはならないと言う。しかし、忘却は救いに繋がる。オリバンダーは十分、覚えたまま苦しんだ。ハリーは心からそう思う。

 緊張が解けたオリバンダーは愕然とハリーではない明後日の方向を眺めてから、弱弱しく微笑んだ。

「では、そうさせて貰おう……」

 初めて会った時の優しい口調でそう告げられ、ハリーは鷹揚に頷いた。

 

 翌日の夜、ゴブリン製のティアラを預かったオリバンダーはビルと共に『付き添い姿くらまし』して去る。ティアラを見た時のグリップフックの態度は強奪しそうな雰囲気で、変に緊張した。

 夕食の席はルーナの声だけが聞こえ、ウォーリーだけが楽しそうに応じる。

「……それから耳がちっちゃいの」

 兄の身を案じ、落ち着かないロンはラジオを取り出して周波数を弄った。

「お、やった! 放送再開だ!」

 ロンは『ポッターウォッチ』の合言葉を当てらしく、大はしゃぎで伝える。グリップフックさえも釘づけになった。ラジオのスピーカーから、キャスターのリー=ジョーダンの声が聞こえた。

 リーは放送の中断を詫び、安全な場所を得たと教えた。

「まずは悲しいお報せがあります。ダーク=クレスウェル、ゴルヌックというゴブリンが殺害されました。嬉しいお報せもあります。お2人と一緒に旅をしていたグリップフックは無事、保護されました。長らく行方不明だったオリバンダー、ルーナ=ラブグッドも無事に保護されました」

 ハリーはゾッとし、そして、目の前にいるゴブリンを心底、軽蔑した。

 グリップフックと火を囲んで座っていたクレスウェルとゴルヌックの姿を思い出す。今日まで彼は一緒に逃亡生活を行った仲間の事を何も言わなかった。

「最後に大変、残念なお報せです。バチルダ=バグショットの亡骸がゴドリックの谷で見つかりました。数か月前に死亡していたと見られています。ダンブルドア殺害の罪で指名手配されていたベッロが亡くなりました。ハリー=ポッターを身を呈して庇ったという事です」

 【ザ・クィブラー】にすら載せなかったベッロの訃報。情報提供者はきっとビルだ。

 リーは亡くなった者達への黙祷を捧げた。

 不意に顔を上げれば、ウォーリーも目を伏せて黙祷する。ルーナは両手を組んでいるが、目はいつも通りに見開いていた。

 ラジオが終わり、次の放送を約束して合言葉「アルバス」を伝え終わった所でビルは帰って来た。

「オリバンダーは落ち着いたよ」

 夫の無事な姿にフラーはにっこり微笑む。

「おばさん、ティアラを僕達が盗んだと思っていたって」

 ビルなりの笑いにフラーは心外だと言わんばかりに不機嫌になり、杖を振う。汚れた食器を空中で浮かせ、夫の分の食事も運ぶ為だ。

「それとおばさんの家には親父とお袋もいた。フレッドとジョージはジニーを迎えに行ってから、合流するそうだ」

 ウィーズリー家の準備はほぼ完了。それを聞き、ハリーは明日からイースター休暇であり、作戦決行の日と実感する。背筋に緊張が走った。

 同時に額の傷が痛む。

 痛みを切っ掛けに自然とベッロの死への哀惜が湧き起る。すると、痛みが気にならなくなった。

 視界が見慣れぬ建物を見上げていても、食卓にいる自分を確立していた。ヴォルデモートの悦びが侵食して来ても、まるでベッロが壁になっているようにハリーの心へは辿りつけない。

 これをダンブルドアは愛と呼ぶだろう。

 そして、ハリーはこの感覚を夢でボニフェースと会った時に体験していた。

 

 ――彼は殺せなかった未練ではなく、ヴォルデモートも気づかぬ愛の残滓だった。

 

 だから、何度も目を覚ませと言っては繋がりを断たせようとした。

 ダンブルドアはハリーからそれを知り、クローディアを遠ざけた。ヴォルデモートが孫である彼女へ本気で執着してしまえば、ボニフェースは消えてしまうからだ。

(あの時、僕が感じていた敵愾心こそ、ボニフェースを殺せなかった未練そのもの……。貴方は本当はわかっていた。ただ教えるだけじゃ、僕は理解し切れなかったから、学びとらなければならなかったんだ)

 胸中でダンブルドアに語りかけている間にも、ヴォルデモートは黒い要塞を護る高い壁の周りを滑らかに動きまわり、探す。最も高い塔にある窓を目指し、空を舞った。

 人も通せない窓の向こうに毛布に包った人がいる。ヴォルデモートは窓の切れ目から入り込み、包った人の前に立つ。

「やあ、トム。やって来たか」

 毛布の隙間から、やつれ果てた姿が見える。だというのに囚人と言う印象を与えない。寧ろ、溌剌としていた。その証拠に窪んだ両目は決して怯えず、むしろ、愉快そうだ。

「わしはそれを持っていない。君の旅は無意味だった」

 囚人はグリンデルバルドだ。

「ヴォルデモート卿に嘘を吐くな」

 鼻先が触れそうな程、顔を寄せてもグリンデルバルドは肩も竦めずに世間話のように楽しんでいる。ヴォルデモートは焦らされるの嫌い、苛立ちが募っている。

「君が欲しがっている物は、彼と共に眠っている」

 言葉の意味を理解せんとヴォルデモートは沈黙し、思考に邪魔な感情を消す。そして、ここにいる無意味さを理解した。

 グリンデルバルドの顔が遠のく。要塞が遠退いて行く。『ニワトコの杖』の場所をヴォルデモートは知った。

 出された食事を全て平らげ、ハリーはシャワーを浴びる。ロンと居間のテントを片づけ、グリップフックのいる部屋で寝た。

 五月蠅い二つ分の鼾を聞きながら、ハリーはずっと頭が冴えていた。

 朝日が昇り、さっさと布団から出た。

 上着を羽織り、外へ出る。3月の潮風は身に沁み、ベッロの墓まで進む。気づけば、ウォーリーも着いて来ていた。

 ヴォルデモートもホグワーツに立っており、そこはまだ夜明け前で暗い。スネイプがランプを手にし、主人を出迎えた。

 一歩一歩、墓標へ近づく度にヴォルデモートの高揚もわかる。あくまでも見えている程度だけだ。額は痛むが、歩くのに支障はない。

 ヴォルデモートはスネイプを下がらせた。杖を手にする瞬間を見せない為だ。

 ハリーがベッロの塚の前に立ち、ヴォルデモートはダンブルドアの墓前に立つ。探し求めた『ニワトコの杖』を手にし、自らへの祝福に花火を散らした。

 自分の手には慣れ親しんだ杖がある。この杖はハリーを護ってくれた最高に相性の良い杖だ。

「あいつは……杖を手に入れた」

「だが、忠誠は得られていない」

 ハリーは恐れない。ウォーリーも恐れない。

 朝日の光がウォーリーの赤茶色の瞳に映り込み、暖かい赤色へと染め上げる。ベッロの赤と同じ、勇気を奮い立たせる色だ。

 もしも、何かが違っていれば、トム=リドルもこの赤を得られただろう。だが、ヴォルデモートの傍にボニフェースはおらず、ハリーの傍にウォーリーはいる。

 

 ――これには天と地程の差がある。

 

「行こうか、朝飯はしっかり食べておけ。今日は長い一日になる」

 ウォーリーは塚に挨拶し、先を歩く。ハリーも遅れぬように彼女の隣を歩いた。

「ハリー、もう行っちゃったかと思った」

 玄関の向こうでルーナに待ち構えられていた。

「お願いがあるんだ。ハーマイオニーが作った金貨、貸して欲しい。あたしの分はドラコに取り上げられちゃったもン」

「それなら……私の分を」

 ルーナの願いにウォーリーは答え、常に持ち歩くガマグチ鞄から金貨を取り出して渡す。最後に製造年月日を確認した時と日付が違っていた。

「時々ね、使っていたもン」

 得意げに言われ、ハリーは皆も戦っている実感を更に強くした。

 

 用意周到に準備し、狙い通りにベラトリックスも銀行へ出向いた。

 ハリーが気味悪く思う程、順調だった結果。

 

 ――金庫にあったパッフルパフのカップは偽物だった。

 

 手にした瞬間、わかった。

 6人でウクライナ・アイアンベリー種の背に乗り、突破の為に銀行へ損害を与えて自由な空へと脱出した。

「こんな時に……チャーリーがいれば……」

 ロンドンの街並みを空から楽しむ余裕はなく、ビルでさえドラゴンに振り落とされないように捕まるのが精々だ。

 こんな状況でウォーリーはドラゴンから手を離し、以前、見せてくれたヴォルデモートと同じ飛行術を披露した。ただドラゴンの飛行に追いつかんと必死の形相だ。

 まずはハーマイオニーへ手を差し出し、ウォーリーに飛び移らせる。次いでロン、ハリーだ。

 ビルに手を伸ばそうとしたが、彼は断った。

「……僕らはここまでだ……」

 突風の勢いに負けじとビルは告げ、脇腹にしがみ付くグリップフックを片手で掴む。2人だけで『姿くらまし』する気だ。

「グリップフック! 剣を本物と言ってくれてありがとう!」

 呼吸するように吐いた感謝の気持ちは、ハリーの本音。

 自分の耳でもほとんど聞こえない。しかし、グリップフックの耳が痙攣するようにピクンッと動く。片眼だけ見開き、可愛くない円らな瞳はハリーを捉えていた。

「ハリー=ポッター! 隠したい品があれば是非、グリンゴッツへ。我らゴブリンが必ず、お護り致します!」

 銀行員の決まり文句、グリップフックの顔は見えぬが魔法族からの感謝を素直に受け入れようとしている。奇妙な嬉しさでハリーは片手を上げて応じたが、その前にドラゴンから手を離したビルの『姿くらまし』と共に消えてしまった。

「ドラゴン! 縁があれば、ホグワーツのハグリッドを訪ねろ! 良い友達になれるぞ!」

 脳髄が活性化し、異様に元気な声を張り上げたウォーリーはドラゴンに別れを告げる。決して離れぬように3人はしがみ付く力を強めた。

 

 『姿現わし』した先は見た事のない森。

「カップは……偽物だったよ」

「そりゃあ、ハリーの態度を見ればわかるよ。君があの人の考えを見抜くように、君の考えを見抜く奴がいるって事だよ」

 悲報を聞いても、予想より3人は落ち込まず、ロンはハリーを励まそうと笑顔まで見せた。

 まだドラゴンに乗っていた時の臨場感が残り、覚束ない足取りでウォーリーに着いて行く。彼女が言うにはコンラッドの生家が森の奥にあるそうだ。

 ただ徒歩で一時間かかる。

 カップが偽物だと知った時より、ハリーの心は疲れた。

「まだ着かないなら、せめて……ハーマイオニーだけでも、手当させてくれ……」

「私は大丈夫よ……。痛むなら、歩きながら治療しましょう」

 ロンを諌めたハーマイオニーはビーズバックから、『ハナハッカの薬』を取り出す。ハリーも見える部分と手が届くか所だけ、薬を塗った。

「思ったんだが……いくら、ドラゴンに乗っていたとはいえ、銀行からの脱出は簡単すぎないか? 強盗対策は万全なんだろう?」

「ドラゴンがいたからこそだ! いいかい、ドラゴンは保護魔法を破壊してしまうんだ。だから、家庭では飼えないんだよ」

 ウォーリーの疑問にロンは答え、ハーマイオニーは心底、驚いている。

「そんな話、ハグリッドの授業でも聞いた事ないわ」

「そうだっけ? では、今言いました」

 やれやれとロンは肩を竦めた。

 足の感覚が無くなり、ハリーは懐中時計を見て時間を確かめる。直後、ウォーリーはようやく足を止めた。

 だが、建物も小屋も見えない。小鳥の囀りを思わず、追った。

「私の体に掴まれ」

 屈んだウォーリーはそう告げ、ハリー達は黙って従う。彼女の手の先にある。朝露が湿らせたような水溜りに触れた。

 波紋の広がりは4人を包み、木造の家が眼前に現れる。初めて見るはずが、懐かしさを感じさせた。

 サーペンタイン湖の霊園と同じ魔法だとハリーは思う。

「素敵な家ね……」

「ありがとう。とは言っても、中まで安全かどうかは保証できないが……」

 ハーマイオニーが感嘆の息を吐いたが、ウォーリーは警戒を解かず、杖を構えた状態で玄関の戸を開ける。鍵はかかっておらず、彼女が柿色の絨毯へと足を踏み入れた。

 死角の位置から、ウォーリーの目尻に杖が押し当てられる。人の気配に敏感な彼女に容易に近づける敵の存在にハリーはゾッとする。反射的で僅かに見える杖の持ち主の手を掴んだ。

「ハリー!?」

「ディーン!?」

 意外な人物にお互い、本当に驚いた。

「そのまま捕まえておいて! ねえ、貴方がディーンなら、私とチャリティ=バーベッジを連れ出した時、襲って来た『死喰い人』相手にどんな魔法を使ったの?」

 杖を構えたハーマイオニーに倣い、ロンも震えて杖を構えた。

「魔法は使ってない。ガトリング砲を食らわせてやったよ」

 余裕綽々にディーンは笑って答える。何故にガトリング砲がその場にあったかは聞かないでおく。彼から3人にも、合言葉代わりの本人確認が行われてウォーリーを凝視した。

「誰かと思えば、君、トトの弟子か……。誰だっけ?」

「あんたがウォーリーにしたんだろう。……自分で付けた名前を忘れるなよ」

 呆れたウォーリーはディーンと再会の握手を交わした。

「ウォーリーの名付けって、ディーンが付けたの?」

「ええ、彼女には名前がちゃんとあるの。私達には聞き取れなくて、ディーンがそう呼んだのよ」

 ロンが質問するまで、ハリーは「ウォーリー」が彼女の名前そのものだと勝手に思っていた。言われてから、過去に日本人名を教えて貰ったが、結局、正しく発音できなかった。

「ハリー達だよ」

 閉じられた扉へディーンが声をかけ、恐る恐る開かれる。立っていたのは、目を見開いたリーマスだ。

 その奥の椅子には彼の妻たるニンファドーラが大きな腹を抱えてもたれている。妊娠の話は聞いていたが、目にしたのは初めての為に衝撃を強い受けた。

「リーマス、トンクス!」

 ロンは大喜びで2人へ駆け寄るが、ハリーは8月の一件でたじろいだ。

「ハリー、無事だったんだね。良かった」

 しかし、リーマスは知っている顔で穏やかに微笑んでくれた。

「うん……リーマスも良かった……」

 どうかに出せた声はハリーでもわかる程、怯えていた。

 宿り木にはドリスの手紙をよく運んでくれたフクロウ・カサブランカがいる。ハグリッドに預けたヘドウィックを思い出す。

 ウォーリーとハーマイオニーが浴室で治療に専念している間、ハリーとロンはディーンから紅茶とお茶菓子を振舞われた。

「どうして、ここにいるの? コンラッドさんの家って聞いたけど……」

「そうだよ。だが、彼はいない。昨晩、私達夫婦をここへ連れて来て、ディーンに預けたまま行ってしまった」

 ここもドリスの家同様に強力な保護魔法を施されているのだろう。しかし、あの家ではなく、あえてこの家に身重のニンファドーラを置いた理由。

 推測しようとした瞬間、背筋に寒気が走る。

 ハリーは思い出す。コンラッドもベッロの主人であり、亡くして辛いのだという事実。これとどんな結びつきを持つのか、それを考えるのはヴォルデモートの居所を知るよりも恐ろしかった。

 

☈☈☈☈☈☈☈

 ベラトリックスは失墜した。

 『死喰い人』達はどうでもよいが、主人たるヴォルデモート卿の信頼も信用もすべて失った。

 『血を裏切る者』を伴い、ゴブリンと金庫へ向かった。それこそが罠だったと見抜けず、ヴォルデモート卿から直々に預かり賜った金のカップをハリー=ポッターの手に渡してしまった。

 ヴォルデモート卿はそれを聞いていた者を種族関係なく、新たに得た杖にて葬られた。

 ベラトリックスも義弟ルシウスと逃げ出さなければ、標的にされていた。

「もうお終いだ……なにもかも……」

「情けない事を! それでもシシーの夫かえ! それもこれも、ドラコが剣を渡さないからだろう」

 ハリー=ポッターが持ち込み、ゴブリンが本物と鑑定したグリフィンドールの剣。

 ドラコは自分が買った故に所有権は自分にあると頑なに渡さなかった。挙げ句にオリバンダー達を逃がした責任でマルフォイ家に軟禁された。

 これはホグワーツの連中の判断だ。

 クラウチJr.は魔法の後遺症が抜けず、安静を余儀なくされた。

 『吠えメール』で『スクイブもどき』にからかわれた屈辱はまだ新しい。

 結局、金庫にも剣はあったが今となっては鑑定できるゴブリンどもは殺されてしまった。ヴォルデモート卿の剣への関心ははかりしれない。聞くのも畏れ多いのだ。

 屋敷に戻ったルシウスはナルシッサに抱かれ、慰められていた。

「ドラコは?」

 一言だけでも、文句を言いたいが姿はない。

「セブルスに任せたわ……。今はホグワーツが安全ですもの」

 またセブルス=スネイプ。

 ヴォルデモート卿も妹ナルシッサも甥ドラコも、口を開けば、何か相談事があれば、必ずスネイプの名を出す。非常に不愉快だ。

 何かひとつでも成果を上げる。そう考えた時、閃いた。

「ベラ、何処へ行くの?」

 去ろうとしたベラトリックスをナルシッサは呼びとめる。その膝にルシウスを乗せたままだ。

 弱い者同士の仲睦まじい夫婦など、虫唾が走る。答えずに去ろうとしたベラトリックスは更に呼び止められた。

「ベラ……一度だけ警告するわ。屋敷を出ないで、全てが終わるまで……ここにいて」

「ハッ! この私に屋敷に引きこもれっていうのかえ! もうここの家具の柄を覚える程に閉じ込められたさ!」

 ようやく、金庫に足を運べたのはヴォルデモート卿からお許しを頂けたからだ。

「そう……ベラ。行くなら、十分に気を付けて……コンラッドは貴女を決して許さない……。恐れるべきは騎士団員どもではないわ。コンラッドよ」

 麗しき瞳はベラトリックスに対して、憐れんでいた。

「さようなら……ベラ……」

 まるで今生の別れのような言い方だった為、怒りの感情に支配されたベラトリックスは返事しなかった。

 

 向かう先は妹と呼ぶのもおぞましい相手アンドロメダの家。

 愚妹の娘にして忌まわしい『穢れた血』テッド=トンクスとの混血の姪ニンファドーラを始末する。アラスター=ムーディの秘蔵っ子でもある彼女を殺せば、悲憤慷慨なベラトリックスにも運が向いてくるはずだ。

 ニンファドーラは臨月間近で何処かに身を隠しているというが、母親の傍にいるのは間違いない。

 陽も完全に暮れ、家の灯が住人の存在を伝える。これからの所業を想像し、ベラトリックスの胸が弾んで心が躍った。

 後ろに着いてくる気配に振り向けば、ここの見張りをしている夫ロドルファス=レストレンジ。

 『死喰い人』の仲間としては申し分ないが、ベラトリックスは高圧的な支配をロドルファスに求めた。だが、彼はあまりにも妻に忠実すぎた。

 玄関の戸口が開く音に我に返る。

 余所行きの格好をしたアンドロメダが家から出て来たのだ。

 こんな状況で何処へ向かうか気になるが、まずはニンファドーラだ。ベラトリックスはアンドロメダが『姿くらまし』したのを見届け、玄関口を破壊して乱入した。

 突然の来訪者に腰を抜かしているのは、人狼リーマス=ルーピン。姪の夫だ。

 狙いは的中した。

「まずは……前菜……。アバダ ケダブラ(息絶えよ)!」

 意気揚々と放った殺意は緑の光線となり、リーマスの体へ命中して倒れ伏した。人狼風情の呆気に取られた顔は、しばらく味わえなかった達成感を与えた。

 

 ――そこでベラトリックスは事切れた。

 

 背後にいたロドルファスは杖を構えたまま、リーマスの体の上へ倒れ込んだベラトリックスを見下ろす。警戒を一切解かない。

「油断大敵」

 呟いた拍子に変身が解ける。片眼と片足がなくなり、その正体はマッド‐アイたるムーディ。ベラトリックスの下敷きなっている男も、元のロドルファスの姿へ戻った。

「大丈夫?」

 ムーディが隠し持っていた青い義眼を嵌めている間、階段の後ろに隠れていたジャスティンが顔を出す。夫婦の遺体に戦慄し、唾を飲み込んだ。

「言う通りだった……。本当に……来た」

 義足を着けたムーディは思い返す。2人はコンラッドに呼ばれ、此処に来た。

 人格が崩壊する程、強力な『服従の呪文』をかけられたロドルファスを渡され、ベラトリックスを迎え撃つように頼まれたのだ。

 ムーディは願ったり叶ったりだった。

 『死喰い人』の中でも一番の強敵は残忍で冷酷なベラトリックス。ハリーを脱出させる際も、ニンファドーラを執拗に追い回した。

 ただ、コンラッドの見解は違う。一番、厄介な相手はロドルファスだと論じた。

〝殺すなら、先にロドルファスだよ。それが出来ないなら、ベラトリックスは殺してはならない〟

 残酷に嗤いながら、コンラッドはそう忠告した。

 ベラトリックスは知らぬ。

 ベッロの死は、その瞬間が訪れればすぐにコンラッドに伝わる。誰の手にかかったのも、知っていたが屋敷に軟禁されて居た為に手が出せなかった。

 だが、レストレンジ家の金庫の噂を耳にし、この計画を思い付いた。

 ルーピン夫婦を移したのは万が一、ムーディがしくじった場合に備えた。

 それらをムーディも知らぬ。

「あの……。もう僕ら、ホグワーツへ行ってもいいんじゃないかな?」

 遠慮がちにジャスティンは提案する。

 4時間前、騎士団の召集がかかった。だが、2人は自分達の任務を優先すると前以って宣言している。故に集わない。

 ジャスティンは待っている間も、何度もガリオン金貨を眺めて憤りを抑え込んでいた。

「……行って来い」

 断られると覚悟していたジャスティンは告げられ、意外そうな声を上げる。

「わしの代わりだ。……死ぬなよ、ジャスティン」

 最後のは感傷だ。

 今日までジャスティンはムーディとの旅で何度も命の危険を晒したが、決して音を上げなかった。情も湧いてしまうというものだ。

 だから、もう一人前だ。ムーディの助けはいらない。それだけの経験を積んだ。

「はい」

 言葉の意味を理解し、ジャスティンは決して笑わず、狼狽をやめて頷いた。

 ジャスティンを見送るついでに、遺体を黒い布で包んで宙で浮かせ、ムーディは外へ出る。家の敷地まで行き、包んだ2つへ消失呪文をかけた。

「マッド‐アイ」

 鈴のような心地よい声に振り返り、アンドロメダと合言葉を交わす。彼女の後ろには、客人がいる。コンラッドの妻・祈沙だ。

「おひさーしぶりでぇす。マッド‐アイ」

 情勢を理解しているのか、以前よりは控え目な挨拶だ。

「こんな物騒な状況だが、ようこそ」

 片言の挨拶にムーディは愛想などなく、返した。

 アンドロメダはコンラッドに頼まれ、わざわざ空港まで迎えに行く。それも、遺体の始末が終えたのを見計らったように返ってきた。

 娘夫婦を突然連れ出された思惑、今しがた、己の姉夫婦が死んだ事もアンドロメダは知らない。

(これも貴様の計算の内か……)

 脳髄を掠めたのはアメジストの瞳を持つ若造ではなく、何処までも澄んだ蒼い瞳の老人。二度と会えぬ戦友に悪態吐きながら、普段よりも星の輝きの強い夜空を見上げた。

「……夜明けまで長いな」

 警戒を怠らず、ムーディは玄関の扉を閉めながら呟いた。

 




閲覧ありがとうございました。

レストレンジ夫妻、さらば。

原作において、ドラゴンが一般家庭で飼えない理由が巨体で手がつけられず、火を噴くからとありました。
それだけなら、魔法で対策できるんじゃないかと思い、ある程度の保護魔法は破壊できると思いました。


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12.集って

閲覧ありがとうございます。
前回の終わりから、数時間前まで遡ります。


 ハーマイオニーが冷蔵庫の食材から、遅い昼食を作ってくれる。ウォーリーも手を貸すが、下拵えだけしかさせて貰えなかった。

 空腹故の食事だが、和気藹々とは行かない。常にディーンは杖を手にし、玄関口で見張りを続けた。

「いつ、産まれるの? 大変な時に押し掛けちゃったわね」

「来月だよ。元気な子でね、何度もドーラのお腹を蹴るんだ」

 一瞬、「ドーラ」が誰か考えてしまう。そう言えば、テッドもそう呼んでいた。本当に2人は夫婦なのだと今更ながら、実感した。

 いつも明るいニンファドーラは笑みを浮かべても、ハーマイオニーに答えず、普段の明るさがない。常に腹を押さえて不安げの様子は、こちらまで心配させられる。

「アルバスー、アルバスー」

 ロンは食事中も居間のラジオを拝借し、周波数を弄る。昨晩の放送終了時に聞いておいた合言葉を囁いた。

《一日ぶりの皆さん、最新ニュースです! ハリー=ポッターがグリンゴッツ銀行へ金庫破りを仕掛けました!》

 リーの溌剌とした声が聞こえ、ウォーリーは動揺して食後の紅茶を噴き出す。それは隣にいたハリーに盛大にかかった。

「金庫破り?」

 聞き逃さなかったリーマスの目つきが据わる。4人はそっと目を逸らした。

《協力者は無事、逃げ切りました! 安全です。ハリー=ポッター、もしくは一緒にいる誰かが聞いていてくれたら、幸いです。協力者の方は安全を確保しています》

 つまり、この情報提供者はビルかグリップフック、2人とも逃げ切った。それを察したロンは椅子にもたれ込んでまで、長い安堵の息を吐いた。

 脳裏を掠めるのは、ジョージの顔だ。

 ナプキンで顔の紅茶を拭うハリーを盗み見る。異変を感じない様子から、まだヴォルデモートの耳に情報は届いていない。

「食器はこちらで片付けるから、寝室で少し休みなさい」

 作り笑顔のリーマスに勧められ、速攻、2階へ向かう。

「どう? 『例のあの人』から何か感じる?」

 ハリーが扉に『耳塞ぎ呪文』をかけた瞬間、ロンは問う。ハーマイオニーはそんな質問をする彼を睨んだ。

「ロン。ハリーと『例のあの人』を繋げさせないで! 苦しまないだけで……痛みはあるんだから」

「大丈夫だよ、ハーマイオニー。今は何もない。多分、知らないんだ……杖を手に入れて浮かれ気分のアイツに誰が報告するんだよ……」

 答えたハリーは皮肉っぽい口調とは裏腹に青褪めている。

「……ナギニの死を知られたのは……拙いかもしれない……。あいつは僕が金庫からカップを持ち出した理由に気づくし……、既にいくつかの『分霊箱』を破壊したのも理解する……」

 そこから出る行動は、ベラトリックスと同じだろう。

「隠し場所に保管している『分霊箱』の無事を確認しに行くだろうな……。クリーチャーを屋敷から出して正解だったな、ロケットの偽物を見られたら……」

「そうね……洞窟の分はクリーチャーしか知らない。偽物にすり替わっていたなら、レギュラスが裏切ったと思うでしょうね……」

 ウォーリーの言葉にハーマイオニーは続く。段々とロンまで顔色を悪くする。

「ちょっと待ってくれ……。ウォーリーが壊した髪飾りって、ホグワーツで見つかったんだろ?」

「正確には……ルーナが見つけてきたが……、スネイプは……私が髪飾りを壊したと知っているから、報告するかもな……」

 ロンの言わんとする推測を知り、ウォーリーも恐怖する。

「ホグワーツの分……髪飾りが壊されていたと知ったら……その怒りは誰に向けられる? もう、クローディアはいないんだ……」

 その先が言えず、ロンは自然と口を閉じる。ヴォルデモートの考えが読めるハリーは既に場を想像し、顔色は真っ青を通り越して白い。

 今はイースター休暇により、何人かの生徒はいない。だが、コリン達のように残る生徒はいる。つまり、マクゴナガルやフリットウィック、『不死鳥の騎士団』も一緒だ。

「騎士団の力を借りて……コリン達を逃がそう……」

 ウォーリーはそれ以外、思い付かない。3人も似たような考えだ。

「……ホグワーツに行く理由は、他にもある。今……思い付いたんだけど、本物のハッフルパフのカップは……クィレルが持っていると思う」

 白い顔色のままハリーは告げ、ウォーリーの首筋の後ろが一瞬だけ、熱が走った。

「ハゲが……クィレルにカップを預けた?」

 自然とキレ気味に問えば、ハリーは肯定した。

「多分……、あいつらは昔、『賢者の石』を盗む為にグリンゴッツの金庫を破った。もう銀行も完全には信用してなかったんだよ」

「……あの女は騙されていた……。剣の時と同様に……」

 ハーマイオニーは寒気に襲われ、自らの肩を擦った。

 ウォーリーはガマグチ鞄から、『憂い』入りの試験管を取り出す。私的にホグワーツへ行きたかったが、ある意味では一石二鳥だ。

「ハリー……、決断を」

 逸る気持ちに試験管を握り、自分達のリーダーへ促す。3人の視線を受け、ハリーはウォーリーの手にある試験管をその拳ごと握り締める。それを活力にしたように顔色が戻って行く。

「行こう、ホグワーツへ」

 居間に降り、ハリーはリーマスに『分霊箱』は省いて事情を説明した。

「生徒を全員、逃がす!? 無茶だ、ハリー。情報では城の外は『吸魂鬼』が護衛と言う見張りを行い、ホグズミードまで『死喰い人』が巡回しているんだ。もう『忍びの地図』にあった隠し通路は全て封鎖されているよ。第一、君達は何をしに行くの?」

「……ひとつは……ダンブルドアが託した任務がそこにある……。もうひとつはベッロが遺した物が何なのか知る為です」

 任務と聞き、リーマスはハリー達の身を案じて眉を顰めたが、ベッロの名に驚いた。

「……では……『ポッターウォッチ』の言うようにベッロは君を助けたんだね? そして、君に何かを遺したんだね?」

「ベッロは僕らを助けてくれました。遺した相手は僕じゃなく、彼女です」

 畳みかけられ、ハリーは正直に答え、ウォーリーは手にある試験管を見せる。リーマスは意外そうに彼女を眺めてから、気づいて狼狽した。

「……まさか、君は……ああ、なんて事だ……」

 事態を把握したリーマスは歓喜に涙を浮かべ、口元を綻ばせる。

「リーマス」

 ニンファドーラに服の裾を掴まれ、リーマスは我に返る。目尻の涙を拭い、表情が頼もしくなった。

「私はここを動けない。マッド‐アイも自分の任務で動けない。国中に散らばる騎士団の指揮はシリウスが取っている。彼をここに呼ぶがいいね?」

 反応を見ず、リーマスは居間を出て行く。連絡手段が別室にあるのだろう。

 玄関からの騒々しい音で全員、条件反射で杖を持つ。ロンはニンファドーラを護るように前に立った。

「トト! 皆、トトだよ!」

 歓喜の報せにウォーリーは我先に駆け寄って乱暴に戸を開く。安心に表情を綻ばせていたディーンは彼女の気迫に言葉を失った。

「ウォーリー、息災かの?」

「ホグワーツに行きたいんだ。力を貸してくれ」

 再会の挨拶にウォーリーは答えず、率直に頼む。ディーン共々、トトも驚きを見せる。追いついたハリーが簡潔に事情を説明した。

「生徒の避難は相分かった……それと君達が行く理由はなんじゃ?」

 ハリーは答えを躊躇う。ディーンが目の前におり、トトに『分霊箱』の存在を言うわけに行かない。そんな彼の気遣いをウォーリーは無視した。

「クィレルが持っている」

 ピクッとトトの眉が痙攣した。

「ならば、クィレルを誘いだせばよかろう。ホグワーツにわざわざ行く必要はあるまいて」

「許しは入らない。協力しろと言っているんだ」

 ウォーリーは睨むつもりはないが、トトへ凄んだ。

 一触触発の雰囲気で行われる短い言葉のやりとりにディーンは困惑し、目線でハリーに助けを求めた。

「トトさん、……ベッロが……死にました」

 ハリーは視線でディーンを居間へ下がらせ、台所のニンファドーラに聞こえないようにトトの耳で囁いて報せた。

「知っておる」

 眉ひとつ動かさず、トトは答えた。

「ベッロは私に『憂い』を残した。私は『憂い』を知らなければならない」

 ウォーリーは手にある試験管を見せる。一瞥したトトは呆れて溜息を吐く。ハリーはそれに焦り、重ねて願う。

「トトさん。事情は言えませんが、今日中にあいつはホグワーツへ行くでしょう。そうなれば、クィレルはご主人の命令により、持っている物を動かしてしまいます」

「じゃがな。今、行ってクィレルからそれを奪えたとしても、逃げきれんじゃろう。城にて彼奴を迎え撃たねばならん。ダンブルドアの使命を終えておらん状態で彼奴に会うのは得策ではないと思わんか?」

 ハリーは一度目を伏せ、一秒にも満たない刹那、瞑想した。

「いいえ」

 迷いのない宣言を聞き、表情を変えないトトの指が上を向く。そう認識した時、景色が変わった。

 ヴォルデモートと相対したノスタルジア・ホール。現在、解体されて建物は存在しないはずだ。

 この場所は本物ではないが、圧倒的現実感は幻とも違う。これは以前、体感した。

 天井の照明が3人を照らし、何処からともなく、音楽が耳を打つ。スピーカー音とは違う生の演奏、観客のいない舞台の始まりを予感させた。

「これは……ベンジャミンの交響曲」

 ラジオ、『楽団部』の演奏、映画にて何度も聞いた。

「ハリー。どうしても、ホグワーツに行くか?」

 周囲の変化に狼狽えつつも、警戒を怠らないハリーにトトは問う。

「行きます」

「なれば、一騎討ちを申し込む。お主が知る最も強力な魔法を打ち込んで参れ」

 音楽に乗せられ、芝居がかった宣言は肌にも伝わる威圧感で本気だ。

 

 ――1対1、魔法使いの決闘。

 

 ハリーが行ったまともな決闘と言えば、ヴォルデモートを相手にした夜だけだ。だというのに、彼は緊張のあまり頬へ汗を流しても、承諾して頷いた。

 皺だらけの逞しい手がウォーリーへ差し出される。

「杖を貸せ。どちらの杖でも構わん」

 言われてから、気づく。トトが自分の杖を持つ姿を見た事がない。こんな状況でも取り出さないのは、持っていないのだ。

(……相性の良い杖がないから……?)

 トトの手が急かしてくる。躊躇うウォーリーの肩へハリーは深刻な表情で促した。

 一瞬、間を置く。ポケットからドリスの杖を取り出し、トトへ渡す。彼女の杖ならば、ハリーを助けると信じた。

 ウォーリーは2人から離れ、見守れる位置まで下がる。立会人は勝手に自分だと決めた。

 ハリーとトトは程良い距離まで後退し、お互いを真剣な態度で見つめ合う。そして、敬意を込めて一礼。それを合図とし、音楽が止まった。

 風の音も聞こえない。無音状態。否、心臓の音がうるさい程に耳へ響く。

(今……ハリーの知っている……強力な魔法……)

 殺傷力が高い魔法と言えば、セクタムセンプラが思い付いた。

 しかし、ハリーのその身に刻んだ闇の魔法を彼が使うとは思えない。ウォーリーは縋る気持ちで試験管を握った。

 重んじる宗派を持たぬ身で、ウォーリーは神に祈る。どちらも失いたくない欲張りな祈りを聞き届ける神がいるとは思えないが、祈った。

 殺意なく、敵意のない2人は杖を下げたまま、動かない。

 一分か、それ以上経つ。先に動いたのは、ハリー。彼が杖を構え、唇を動かすのと同時にトトは眼前に杖を立てて構えた。

「エクスペリアームズ! (武器よ去れ)」

 喉が裂けんばかりの一喝。紡がれた『武装解除の術』通り、杖はトトの手から弾き飛ばされた。

 

 ――カタンッ。

 

 ウォーリーのいる反対側、照明の届かぬ暗闇へ杖は音を立てて、落ちた。

 呆気に取られたトトは自分の手をしばし見つめ、杖が落ちた方角を見やった。

 ハリーはこれまで多くの魔法を学んだ。

 今、この場においても最も強力な魔法と言われ、己が最も得意とする魔法を放った。命を奪わず、相手を傷つけず、武器を取り上げるという防衛術においても初歩的な魔法。それを教えたのもスネイプだとハリーは意識すらしていないだろう。

「ハリー……。あんたこそ、偉大な魔法使いだ……」

 感極まり、ウォーリーは賛辞を呈する。ハリーには聞こえぬか細い声だ。

 もしも、ムーディならば「もう『武装解除の術』の段階は過ぎた」と叱責するに違いない。しかし、トトは慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。

 眩しかった照明は幕引きを教えるように明るさを落としていく。やがて、ホール全体を穏やかに包んだ。

「もう……わしから、教える物は何もない」

 心音が穏やかになる程、満足げな表情は完全にダンブルドアの面影を写す。ウォーリーの目の錯覚ではない。ハリーも驚愕に目を見開き、言葉を失っていた。

 照明が一斉に消えたかと思えば、場所は一変して元の玄関に戻る。ウォーリーの手には渡したはずの杖が握らされていた。

 一瞬、困惑したがウォーリーとハリーはお互いの顔を見合わせ、知らずと安堵の息を吐いた。

「……今……何でもない。気のせいだ……」

 案の定、見抜かれている。しかし、ハリーは眼鏡の縁を押さえ、そう結論付けた。

 肝心のトトは別室から現われたリーマスと話し込んでいた。

「今、城におる生徒は15人じゃ。ネビル=ロングボトム、シェーマス=フィネガン、アーミー=マクミラン、エロイーズ=ミジョン、ビンセント=クラッブ、グレゴリー=ゴイル、アンソニー=ゴールドスタイン、パドマ=パチル、パーバティ=パチル、コリン=グリーピー、マルコム=バドック……省略、その分、監視も厳しく、常にカロー兄弟が張り付いておる」

 半分以上、DAの面子だ。

「カロー兄弟を退いて……封鎖された抜け道をどうにかし、尚且つ、ホグズミードの『死喰い人』を……」

「堂々と正面から行けないかな? 取引を持ちかけに来たとか言って」

 話に割り込んだロンに2人は生暖かい視線を送り、ハーマイオニーはそっと彼の肩を優しく叩いた。

「厨房の『屋敷妖精』の彼らに脱出を頼みましょう。妖精ならば、魔法族の『姿くらまし防止術』は通じません。一緒に逃げて貰います」

「流石、ハーマイオニー。私では思い付かなかった」

 ハーマイオニーの意見にリーマスは感心する。

「脱出は一斉に行うとしても、問題は潜入か……」

 ホグズミード村という単語から、ウォーリーは『ホッグズ・ヘッド』の主人アバーフォース=ダンブルドアを思い付く。

「『ホッグズ・ヘッド』は今も店をやっているか?」

 唐突に問われ、トトとリーマスは口を止める。ハーマイオニーは閃いた。

「ダンブルドアの弟! アバーフォースね! もしかしたら、彼ら兄弟だけしか知らないホグワーツへの抜け道があるかも!」

「しかし……アバーフォースは……」

 諌めようとしたリーマスをトトは手で制する。

「ロンが言うように、わしが正面から堂々と城へ参ろうぞ。その間に潜入ぐらいはやってのけろ」

 おおげさに肩を竦め、トトは半笑いで言ってのける。完全な嫌味にウォーリーはイラッとした。

「ディーン、ガリオン金貨は持っている? DAの……」

 ハリーのいきなりな質問にディーンは当然とポケットから出す。

「それは使わないでくれ。ドラコがルーナの分を持っているんだ」

「げっ!」

 ロンの呻き同様にディーンも顔を歪めた。

「貴女の鞄にも水筒を入れておいたわ。準備OKよ」

 まだ疲れの残った様子だが、ハーマイオニーは放置していたガマグチ鞄を投げて寄こす。彼女のビーズバッグはしっかりと肩にある。

「シリウスは待たないの?」

「待たない、時間が惜しい」

 ロンに返し、ハリーは躊躇いもなく扉のノブに手をかけた。

「ハリー」

 弱弱しくも明るさのある声に全員、振り返る。ニンファドーラだ。リーマスが甲斐甲斐しく手を貸しながら、彼女はハリーの傍まで歩いた。

「ハリー、貴方がこの子の名付け親になって」

 内容に驚きすぎたハリーは言葉ではない変な声を上げる。言うなら今しかない。そんな迫力がニンファドーラから伝わった。

「僕……じゃなくても、……マッド‐アイが……」

「ええ、ずっと悩んだでいたわ。名付け親を誰にお願いしようか……頼みたい人がいっぱいいる……」

 眉間にシワが寄せられた困り顔をし、ニンファドーラの悩みは本当だとわかる。沈黙の理由はそれだった。体調不良やウォーリーにはわからぬ妊娠の負担は何も関係なかった。

(……トンクスらしいな……)

 ウォーリーは思わず、微笑む。確実な危険が待つホグワーツへ乗り込む緊張感が解れる。少し肩に力を入れすぎていた。

「いいじゃん、名付け親」

「おめでとう、名付け親」

 ロンとディーンにからかい半分に祝われ、ハリーは照れて耳まで真っ赤になった。

「だから……というのも、なんだが……次に会える時はこの子を抱いてくれ」

 リーマスは再会を願う。ハリーだけでなく、元教え子達と部外者2人へも向けられる。

「それは最低でも、来月まで顔を合わさないと言うことか?」

「新生児を抱きまわすのは良くないわ。それに産後のトンクスにも負担だわ。最低でも3ヶ月は安静にしないと、分かっている人が少ないけど、妊娠は骨盤を骨折している状態なんですからね」

 ウォーリーは素朴な疑問を口にし、ハーマイオニーは真面目にリーマスを叱った。

「……わかった……参考にしよう」

 まさかハーマイオニーから叱られると思わず、リーマスも真剣に返す。

「急いどるんじゃないのかね?」

 呆れた口調で言い放たれ、4人は反射的に背筋を伸ばす。

「良いか? 『ホッグズ・ヘッド』の裏手までは繋げてやろう。わしが出来るのはそこまでじゃ」

「ありがとう、トトさんも気を付けて」

 我が子の誕生を待ち侘びる夫婦へ再会の約束をし、トトが開けた扉を我先に出た。

 

 視界より先に、靴越しに触れる石畳への踏み込みを認めた。

 家の外だが、そこは水溜りの家の外ではない。大通りから逸れた脇道にいる。民家が密集し、4人のいる場所は影になっていた。

「……ど……」

 感嘆の声を上げようとしたロンの口をハーマイオニーは手で塞ぐ。ウォーリーも人差し指を唇に押し当て、ハリーへ沈黙を求める。どうやら、2人はトトの突然の移動魔法を経験済みだ。

 まずは周囲の様子を窺い、ハリーは深呼吸してから民家の裏口を杖でコンコンッと叩いた。

 しばらくしてから、戸が開く。顔を出したのは予想通りの『ホッグズ・ヘッド』の主人であり、アルバス=ダンブルドアの弟、アバーフォース。彼の顔を見て、『ホグズミード村』に無事に移動できたと安堵した。

「良い時に来たな。サッサと入れ。2階へ行け」

 全く歓迎していない鋭い眼光は顎で招いてくれた。

 まだ陽も高く、営んでいるはずの店内には誰一人として客がいない。相変わらず不衛生に汚いが、卓と椅子をそれなりに構えた状態は休業中には見えない。

 カウンターの奥にある扉を通り、安定感のない階段を上がった。

 掃除が最低限しか行き届いておらず、家具やカーペットも古い。小さい暖炉の上には肖像画が飾っている。住人の少女は魔女だろう。絵の中で吹く風に髪が靡いている。しかし、珍客にも目を向けずに立っているだけだ。

「あの……ありがとうございます。突然、押しかけたのに……」

「ああ、全くだ。クリーチャーに連れて行かれたドビーはどうした?」

 部屋に入ってきたアバーファースは礼を述べるハリーに問う。ドビーの名には驚いた。

「ドビーは無事です。僕らには出来ないお願いをしてもらっています。ドビーは此処にいたんですか?」

「ああ、お気に入りだとも」

 しかめっ面の隙間から安堵が見える。本当にアバーフォースにとって、ドビーは大切のようだ。

「……何かあったんですか? 昼間なのに店も……外も静かすぎます」

 ハーマイオニーの質問にアバーフォースは面倒そうに椅子へ座り、皆にも適当に寛ぐように勧める。しかし、5人もいる事を想定されていない部屋は正直、立っているだけで窮屈だ。

「君らが来る本当に10分前くらいか、ドラゴンが村の上を飛んで行きおった。誰も彼もが追いかけて行ったぞ。なんでも、ポッターとグリンゴッツを破壊してまで逃亡したウクライナ・アイアンベリー種らしい。今頃は暗黒の森か、ホグワーツか……まあ、どうでもいいが……」

 ウォーリーは嫌な汗を掻いた。

「ハグリッドが喜ぶな」

「そのハグリッドはグロウプと山の洞穴に引きこもっちょる」

 ロンに返すアバーフォースはハリーを睨む。

「君らが来ると5分前に連絡が来た時は、正気を疑った。まさか、そのドラゴンを追いかけて来たんじゃな……」

「ホグワーツに行かなければいけないんです」

 アバーフォースが言い終える前にハリーは断言した。

「馬鹿を言うんじゃない」

 また始まったやり取りにウォーリーはうんざりした。

「ダンブルドアさん。トトさんが私達をここへ行かせてくれたんです。彼はホグワーツで時間稼ぎしてくれています。もしも、城への抜け道をご存知なら、教えてください」

 ハーマイオニーは丁寧にそう告げるが、アバーフォースの眼光は鋭くなった。

「あの爺がいるなら、これからしようとしている事も任せればいいだろ! あの憶病者にはその責任がある!」

「どういう意味だ? 自己紹介が遅れたが、私はそのトトの弟子でウォーリーだ。師匠の侮辱は許さんぞ」

 聞き捨てならい台詞にウォーリーは頭に血が上る。ハーマイオニーに肩を擦られ、宥められる。

「爺の弟子ね……。そりゃあ、失礼した。君はご存知かな? 爺の孫だった女の子の話を……。爺は去年、孫を殺された……。『例のあの人』の最も忠実な部下に……」

 皆、沈黙で答えた。

「でしゃばりすぎたんだ……だから、孫を殺された……あの爺はわかっていたはずだ。だというのに、孫を逃がそうともしなかった……。可哀想に……あの子はな、二度も先生に裏切られたんだ。1人はクィリナス=クィレル。もう1人はセブルス=スネイプ。こいつらは今でも、城で教鞭を取っているぞ! 『例のあの人』に功績を認められてな! 俺の兄が偉大な計画を実行している時には、決まって他の人間が傷ついた者だ。兄を偉大だと愚か者は多い! それだけの責任と義務も確かに負った! だが、君の先生はそんな兄を上回っている! なのに今も昔も、知らん顔だ! あの爺が立ち上がってくれれば、これ程の犠牲もなかっただろう!」

 怒っている。

 トトに対し、アバーフォースは純粋な怒りを抱えていた。

「グリンデルバルドか……」

 思い当たるのはそれだけ、今度はウォーリー以外が驚いた。

「……そういえば、トトさんってダームストラング校よね? もしかして、グリンデルバルドと同世代なの……?」

「……言わなかったか? グリンデルバルドが在学中に起こした殺傷事件の被害者だ。……被害者の1人か?」

 雷に打たれた反応され、失念を認めた。

「そうよ! ワイセンベルク大臣がトトさんを信頼しているはずだわ。なんて……初歩的な点に気づけなかったの……」

 真剣に悔しがるハーマイオニーにロンは必死に宥めた。

「……誰から聞いた? ダンブルドアはトトがダームストラング生だという以外は知らないはずだが……」

「イゴール=カルカロフが……その大臣さんに問い詰めていたんでな。あいつらは俺がブルガリア語を分からんと思っていたんだろう。ペラペラとお喋りしておいでだった。グリンデルバルドが台頭した時、トトがいれば、ダンブルドアの名誉は彼の物だったとかなんとか」

 ワイセンベルクが自慢げにトトを誉め称える姿が目に浮かぶ。

「それは結果論だ。トトは戦いに参加しなかった」

「そうだ! 爺は戦いを放棄した! 俺の兄がグリンデルバルドを倒すまで、どれだけの犠牲が出た。奴らは『より大きな善の為』とか抜かしていやがったが、君の先生はグリンデルバルドに大勢が殺されても、何もしなかった! 本当に、何ひとつとして! その責任を果たすべきだ!!」

 肩で息をするほど、アバーフォースは大声を張り上げた。

「ダンブルドアさん、その犠牲とは妹のアリアナさんですか?」

 ハーマイオニーは肖像画を一瞥し、遠慮がちに問う。

「……スキータの本を読んだな。妹は6歳の時、くそったれなマグルに襲われ、魔法の制御が出来なくなった……」

 本にも記されてない当時の悲劇というにはあまりにも残酷な真実が語られた。

 父親の逮捕は正当防衛から来る過剰防衛。魔法学校にもマグルの学校にも通えず、家に軟禁されていたアリアナは病気ではなく、扱いきれない魔力の暴走を周囲に隠す為だった。知られれば、妹は病院へ幽閉されるからだ。

 そうまでして娘を守り続けた母親の死は、その暴走による事故。

 若い兄弟は妹の看病の為、外の世界と切り離された生活を送った。弟は妹の為なら、苦ではなかった。兄は違った。文通を利用し、同級生や著名人との連絡を絶やさなかった。

 結果、グリンデルバルドは訪問してきた。

 意欲溢れる2人は意気投合し、魔法族の利益の為に壮大な計画をした。勿論、弟は断固反対した。

 怒り狂ったグリンデルバルドは杖を抜き、アバーフォースは自衛に杖を抜き、アルバスは仲裁の為に杖を抜いた。

「妹は死んだ……」

 涙の混じった声が話の終わりを告げ、ウォーリーは涙した。

 ハーマイオニーも涙に顔を手で覆う。ロンは青褪め、ハリーは無表情だった。

 ウォーリーは兄が弟に使命を託さなかった理由がわかっても、それに対する適切な言葉は浮かばない。後悔、罪悪感、どれも違う。

「爺が強いというなら、何故、兄を訊ねる前に……奴を倒してくれなかった」

 その嘆きをウォーリーは知っている。かつて、似たような言葉を用いてトトを責めた。

 目の前の老人は何十年も妹の死に対し、兄を責め続けた。

 兄が亡くなったと思っている今、その責めの対象をトトへ切り替えた。

 思えば、ワイセンベルクもスタニスラフもトトを責めなかった。きっと、彼らは戦いの悲惨さを知っているから、生存してくれているだけで嬉しかったのだ。

 何故、参加しなかったのかと問われても、トトとその話をした事はない。彼が世界中を旅していたのは、ボニフェースがホグワーツを卒業した後だ。

〔……違う〕

 日本語で呟いてから、パズルのピースが埋まっていく。勘違いしていた部分が改められる。

「養父だ……」

 写真で見ただけの和装の似合う厳格な老人。

 涙を手で押さえていたアバーフォースは反射的に顔を上げ、言葉の続きを求めた。

「トトの養父は……魔法使いに唆されてその身を蝕む呪いを受けていた……。学校を去った後……トトは養父の呪いを解く為だけに生きていたんだ……。何年も何年も……どれだけの犠牲が出ようが……トトには関係なかった……。戦う時間があるなら、一刻も早く養父を助けたかった……」

 ボニフェースを造ったのは命令ではなく、シギスマントの遺品から呪いを解く手段を得んが為。何もないと知り、時間を優先して適当に『ホムンクルス』を造った。

 やがて、イギリス国内を調べ尽くしたトトは国外へ向かう。時期は偶々、連絡を絶っていたのは邪魔をされたくなかったからだ。

「貴方とは立場も違うが……トトは家族が大切だったんだ……」

 似たような境遇。しかし、同じではない。だが、どちらも家族を愛していた。

「それに……彼の孫は生きています。姿形も変わってしまいましたが……」

 ウォーリーは静かに告げる。アバーフォースの涙はとまり、意味を理解して愕然と目を見開いた。

 孫の名は死んだ。それにより、誰が悲しもうが関係ない。魔法省の目を欺くなど、どうでもいい。大事なのは孫の命だけだったのだ。

 いつだって、トトはクローディアに逃げ道を示してくれた。

「……その養父はどうなった?」

 明確な死を伝えられいないが、そういう意味合いの答えは聞いていた。

「逝ってしまいました。呪いから解放されて……」

 答えを聞き、アバーフォースは安心しているように見える。短い時間で彼は心根の優しい人という印象受けた。でなければ、顔も知らぬたった今耳にした男の身を案じたりしない。

「ダンブルドアは……僕に逃げてくれと言いました……」

 ずっと沈黙していたハリーは思い返したように呟く。

「僕が生きていてくれるなら、顔を知らない大勢がどうなろうと……知った事じゃないって……」

 それがダンブルドアの本当の願い。しかし、ハリーは戦う為に残った。

「……それでも、城へ行くか……」

 アバーファースは今までと違い、とても穏やかな声を出す。ハリーは頷く。老人は椅子から立ち上がり、肖像画へと歩み寄る。

「おまえはどうすれば、よいかわかっているね」

 妹を思いやる兄の顔をし、そう語りかける。アリアナは微笑み、後ろを向いて歩きだす。額縁の外に行く人ばかり見て来たので、新鮮だ。

「これは……」

 ロンが言いかけた瞬間、ハリーの様子が変わる。唐突に椅子へ座り、目を見開いて部屋の中の何処でない場所を見つめていた。

 ヴォルデモートと確かに意識が繋がっている。だが、以前のように痛みに苦しんでいない。ハリーの眼鏡が夕方に染まる茜色の空を映していた。

 アバーファースはハリーの様子に気づかず、肖像画の後ろがホグワーツに繋がる唯一の隠し通路と説明した。

 ハーマイオニーとロンもハリーの異変に気づいていたが、アバーファースに悟られるように肖像画に見入るフリをし、ウォーリーに視線で任せて来た。

 ウォーリーはハリーの傍に座り込み、彼の手を握る。手は常温で心音も穏やかだ。

「気づかれた……」

 曖昧な言い方では、差し迫った状況は掴めない。

「ハリー。ちょっとだけ……レジリメンス」

 『開心術』。彼が何を見ているか、知る。本来、他人の心を覗くのは嫌だ。

 緑の瞳が赤茶色の瞳と重なり、赤い瞳が見据える光景を脳髄へ伝えた。

 つい先ほど、訪れた銀行のホールに横たわる屍の数々。ヴォルデモート以外、誰も息をしていない。

 臓物が刺激され、胃が痙攣して喉まで酸が届きそうになる。ハリーの手の感触が頬にあり、堪えた。

「確かに気付かれた……カウントダウン開始か……急ごう!」

「うお! ……どちら様?」

 喉の熱さを誤魔化そうとウォーリーが叫んだ瞬間、肖像画が戸のように開く。そこにいたネビルが叫び声に驚いてそれ以上の変な声を上げた。

 ネビルの顔にあるいくつもの傷は声以上に変だ。

「僕の仲間、ウォーリーだ」

 椅子から立ち上がり、何事もないようにハリーは答える。

「ネビル。会えて嬉しいけど、伝言は使わないでくれ。ルーナの分をドラコに取られているんだ」

「げっ、嘘だろう……。もう、ジニーに知らせよう思って使っちゃった……」

「油断大敵すぎだろ!」

 ロンの怒鳴られ、ネビルは開き直った。

「ロングボトム。ポッターをマクゴナガルの元へ連れて行け。後から、ブラックも来るぞ」

 アバーフォースに言われ、ネビルは手ぶりで応じた。

 

 薄暗いトンネルはまるで学校創設の頃からあるように古び、壁の真鍮のランプが歴史を物語っている。

「生徒はカロー兄弟に見張られているって聞いたけど」

「はは、ドラゴン騒動で僕らに構ってられないよ。スネイプがカロー兄弟を連れて、山狩りさ。クィレルとジュリアは残っている。『吸魂鬼』もたくさん。『透明マント』は持ってきているよね? 正直、ドラゴンが来た時は君達が来てくれたって思った」

 ハリーとネビルが話す中、ハーマイオニーはウォーリーに耳打ちする。

「さっきの貴女……ハリーに何していたの?」

「『開心術』でハリーが見た光景を確かめてました」

 疑り深い視線に敬語で返す。ハーマイオニーは眉を潜めたが、急に考え込みだす。

「ねえ……どうして、ハリーは『例のあの人』と繋がると傷が痛むのかしら? 『開心術』を仕掛けても、どちらも苦しんだりしないでしょう?」

 確かに心が繋がっただけでは、苦痛はない。トラウマを掘り起こされたりするが、その程度だ。

「それは絆が……魂の繋がりがあるからだろ? ハゲが意図せず、能力を分けたから蛇語がわかるようになった」

 ウォーリーの答えにハーマイオニーは足を止め、前を歩くハリーの背を凝視した。

「……ハリーは能力を分け与えられたんじゃないわ……。魂よ」

 戦慄したハーマイオニーの言わんとする意味をウォーリーは言葉通りに受け取り、ゴドリックの丘の惨劇を思い返す。ヴォルデモートはハリーの両親を殺した後に、赤ん坊の彼に杖を向けた。

 『分霊箱』の準備は整っていた。

 残酷な事実に、ウォーリーは全身から血の気が引くのを感じた。

「2人とも、置いて行くよ」

 心配したロンの声が耳に聞こえても、反応できない。ハリーに伝えるべきか、ウォーリーは重すぎる問題に体は完全に硬直してしまう。

「ええ、今行くわ!」

 震える声でハーマイオニーはロンに返す。

「ハーマイオニー……」

「私が伝えるわ……。本当はハリーが自分で気付くべきなんでしょう。けど、時間がないわ」

 いつも、重要な情報をハーマイオニーは抱えている。賢明故に気づかぬ些細な事柄から、推理してしまう。ハリーも同じだ。

「ハリー!」

 切羽詰ったウォーリーに叫ばれ、ハリーは出口とも言える扉から離れた。

 ハーマイオニーが腕を掴んででも、ウォーリーを止めようとしたが無視した。

「ハリー、教えて欲しい。もし、もしも、カップを……カップをあんたの額の傷に投げつけたら、壊れるか?」

 一緒に聞いたネビルは頓珍漢な質問にロンへと視線で意味を問う。ハリーの相棒はウォーリーの様子から、全てを察した。

 ハリーは薄暗い場でもわかる程、狼狽して緑の瞳を泳がせる。そして、縮みこむようにひゅっと息を飲んだ。

 扉の向こうは『必要の部屋』。

 しかし、見た事のない形だ。窓はないのは勿論だが、美しい木目は船室の印象もうける。板壁には4つの寮のタペストリーが掛けられていた。

「最初は僕だけだった……人数が増える度に部屋は大きくなっていったんだ。けど、部屋がどんなに便利になっても、食事だけはなくて……。ご飯が欲しいなって思ったら、この道が出来て『ホッグズ・ヘッド』に繋がった」

 色とりどりのハンモックがネビルだけの秘密基地ではないと教えた。

「ハリー! パドマの言うようにドラゴンは君の仕業かい!?」

 ちょうど、アーミー=マクミランが部屋に入り、ハリー達の姿に驚きながら再会を喜んだ。

「えーと、君は?」

「ウォーリーだ」

 ハリーに再会の抱擁をした後、アーミーはウォーリーに挨拶した。

「僕は……ネビルとマクゴナガル先生の所に行く……。アーミー、ロンとハーマイオニーをクィレルの事務所へ……」

「駄目駄目、スプラウト先生からの用事という理由で監視を誤魔化してきたんだ。君達は全員、マクゴナガル先生の事務所へ行くんだ。それを合図にコリン達を脱出させると言っていたよ」

 アーミーはネビルが皆を迎えに行っている間に変わった状況を説明する。日が暮れる為、本日の山狩りは中止。スネイプとカロー兄弟は城へ帰還してきた。

 そこへ突然、現われたトトが『吸魂鬼』と追いかけっこを始めた。「復活祭万歳!」と喚きながら、無数の卵を投げつけている。とんでもない奇行に『死喰い人』は追われている。

「僕とネビル以外は、もう厨房に集められているよ。城の外じゃなく、城の奥へ避難させられたんだ。クィレルは疑いもしなかった。今の見張りはジュリアとクラッブ、ゴイルだけだ」

「おいおい、君達も逃げろよ! 『例のあの人』がここに来るんだ! 戦いになる!」

 ロンは困惑の声を上げる。

「逃げるのはコリン達だけだ。僕達が残る意思をマクゴナガル先生はわかってくれた。クラッブとゴイルは説明は受けていないけど、……一度は外に出すよ。学校で何かあったら、機会を与えてくれって、ダフネとの約束だしね」

 ネビルは武者震いを起こし、若干、引き攣った笑みを見せる。余裕そうに見ても彼も、怯えている。

「わかった。だったら、尚更、ウォーリーは校長室を頼むよ。マクゴナガル先生の計画に、彼女は数に入っていないから、問題ない」

 今にも倒れそうな表情でハリーは与えられた台詞を読み上げるように指示してくる。ウォーリーは頷くしかない。彼がこれ程、精神的に追いつめられるとわかっていたが、実際に目にして臓物が縮み上がった

 立場を理解し切れない。その情況を察し切れない。

「ハリー。コリン達の脱出が上手く行けば……『ほとんど首なしニック』を伝言に寄こしてくれ」

 一瞬、『灰色のレディ』たるヘレナをお願いしようとしたが、追い詰められたハリーの精神状態では少しでも親しみのあるサー・ニコラスが良い。

「幽霊……、ポルターガイスト……」

 夢遊病のように呟き、ハリーは承知してくれた。

 

 見慣れた石壁はもう何年も訪れていないかのように、懐かしさで心を打つ。

 そこをウォーリーは影の姿で駆け抜ける。窓の付近や中庭を通る度、箒に乗った『死喰い人』が箒を持たず、ピーターパンのように飛び回るトトを追いかけていた。

 そのトトは『吸魂鬼』を追い回す。慌てふためきながら、金魚掬いから逃げる金魚のように黒い外套はバラバラに逃げ惑う様子は、滑稽だ。

 廊下の天井まで届くガーゴイル像は校長室を護る門番。

 合言葉を言わぬ者は決して通さぬ。今の校長はスネイプだが、ダンブルドアはウォーリー……クローディアの為に開けさせてくれる。

〔チチンプイプイ!〕

 日本語の叫びに応じ、ガーゴイル像は螺旋階段を出現させた。

 誰に見られても構わず、ウォーリーは階段を段飛ばしに突き進む。何度もノブを回した扉に手を掛け、開いた。

 何も変わらぬ家具の配置。

 ただ、歴代校長にダンブルドアの肖像画が加えられている。彼らは突然の珍客に歓迎のような好奇心に満ちた視線を向けて来た。

「こんばんは、校長先生方。『憂いの篩』を貸して下さい!」

 腰を曲げて頭を下げる。全ての校長がある棚を指差した。

 戸棚が勝手に開き、器のない水が室内の灯りを反射して浮かぶ。よく見れば、水のような器だ。刻まれたルーン文字から『憂いの篩』だと理解し、ウォーリーは試験管を手にして棚へ近寄ろうとした。

 妙な気配を感じる。肖像画の視線とは明らかに違う。幽霊かとも思ったが、これは生きている者の気配だ。

 校長の椅子。その奥を睨んだ。

「誰だ? 悪いが、今は神経が高ぶってんだ。加減してやれる気がしないぞ」

 脅す口調で問いながら、影が床を這わせる。感覚だけだが、椅子の向こう側には寝室の存在を知る。そこにいる人物は億劫そうに寝台から起き上がり、手に持つ剣を床に引きずらせながら姿を見せた。

「ドラコ……マルフォイ……」

 居残った生徒にドラコの名はなかった

 健康状態でありながら、常に顔色が青白い。制服を着崩したまま、今まで眠っていた様子だ。五月蠅い客人がウォーリーだと知り、ドラコの虚ろな目つきに光が宿った。

「クローディア……」

 呼ばれた名にウォーリーはゾッとした。

 何故、見抜かれた。マルフォイ家の屋敷での出来事を必死に思い返すが、思い当たる節が全く見当たらない。

 儚げに笑い、ドラコはウォーリーとロンが作ったグリフィンドールの模造刀を手放す。丸腰状態で近寄り、繊細な硝子に触れるような手つきで、彼女の頬を撫でた。

 冷たい指先にウォーリーは足を一歩、後ろ下げた。

「偶然、この星で生まれ、偶然、この国に生まれ、偶然、同じ性別に生まれた。赤の他人」

 悪意のない手つきと共に紡がれる言葉。

 屋敷で吐いた台詞だと思い返す。それだけで、ドラコはウォーリーがクローディアだと見抜いてしまったのだ。

「あんな状況で、そんな台詞が出る奴なんて、そうそういるもんか……。クローディア……」

 もう片方の手で残った頬を撫でる。額を押しあてられ、長い睫毛は涙に濡れていた。

「私が誰かわかっていて……剣を買ってくれたのか……」

 確かめるつもりはなかったが、ウォーリーは問う。ドラコは沈黙で答えた。

 きっと、クローディアの生存も誰にも明かしていない。ベッロを匿っていた時と同様に秘密にしているのだ。

「……ベッロは埋めて来た……」

 ドラコの唇が触れるか触れないかの距離まで迫り、教えた。

「そっか……」

 動きを止め、ドラコの頬に哀惜の涙が流れた。

「……ベッロを助けてくれて、ありがとう。あんたに助けられて、あいつも嬉しかっただろう」

 自分より背の高いドラコの頭に手を伸ばし、絹のように美しい髪を撫でた。

「厨房に行って、脱出してくれ。間に合わなくても、この城から逃げろ」

 心から願う。

 涙を流したまま、ドラコの唇は動きかけてとまる。

「剣は返すよ……」

 直後、ドラコの唇はウォーリーの唇に重なる。重なっただけ、触れるだけの浅い口付。拒まなかったのは、以前と同じ意表を突かれたからだ。

 ドラコが去るのを見届けず、ウォーリーは『憂いの篩』へベッロの『憂い』を垂らす。銀色の渦が出来たなら、後は頭を入れるだけだと、以前、ハリーは話してくれた。

 いざ、目の前にある渦に緊張して鼓動が速くなる。本当に自分が知っても良いものかと、ウォーリーは少しだけ悩んだ。

「怖いかね?」

 ダンブルドアの肖像画が初めて口を開く。問いかけというより、ウォーリーの背を押してくれている。不思議と本物の彼から励まされたように心臓の脈を濁した不安は消えた。

「怖いですが、行きます」

 空のように深い海のように穏やかな碧いを見返し、ウォーリーは水盆へと頭を入れた。

 




閲覧ありがとうございました。

アバーファースがイゴール=カルカロフとワイセンベルク大臣の会話を聞いたのは、最後の試練があった前の晩です。

スネイプの多忙な一日。
ヴォルデモートが最強の杖を手にし、悦っている中にグリンゴッツの知らせ。
その数時間後にドラゴンの来襲により山狩りへ。


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13.使い魔の一生

閲覧ありがとうございます
「憂いの篩」に頭を突っ込んだので、記憶から始まります。

追記:20年4月26日、誤字報告により修正しました。


 ――岩石の家、火をくべた暖炉の前に幼い子供が絨毯で胡坐を掻く。その両手で4㎝の卵を抱え、飽きずに眺めていた。

「ボニフェース、寝ろよ。お祖母さまに叱られるぞ」

「もうちょっと」

 寝巻の少年に声をかけられ、ボニフェースは振り向かずに答える。途端に卵は胎動し、割れた。

 現われたのは薄らと赤い鱗の蛇だ。

「おお、産まれた。ベンジャミン、産まれた」

「へえ……」

 兄弟は産まれたばかりの命に感嘆の息を吐く。

「よーし、名前はアグリッパにしよう! 発音もいいし、カッコイイ!」

「コルネリウス=アグリッパからか、良いんじゃないか?」

 賛成するベンジャミンにボニフェースはキョトンとする。

「マルクス=ウィプサニウス=アグリッパだよ」

 お互いの食い違いに兄弟は「え?」と疑問しつつも、楽しそうに笑いあった。

 

 ――ある朝、目を覚ますとベンジャミンがいなくなっていた。

 両親は咽び泣いたが、厳格そうな老女とベンジャミンによく似た老人は「闇の帝王の為に」としか答えなかった。

 翌年、紅色の蒸気機関車があるホームにてボニフェースは人混みの中を必死に見渡す。

「ベンジャミンは見送りに来てくれないの?」

 せがむボニフェースに両親は困った顔しか見せない。夫妻は厳格な老女の機嫌を窺っている。蛇用の籠に入ったベッロを抱え、彼は兄を求めて泣いた。

 発車の汽笛音が鳴り、ボニフェースは泣きながらホームで見送る両親と老女を眺めた。

「ボニフェース!」

 ホームの屋根の上、ベンジャミンが大きく手を振る。その隣に黒髪の小柄な男が立っていた。

 

 ――その年の冬。今よりも少しだけ若く痩せたスラグホーンにトム=マルヴォーロ=リドルを紹介された。

 何度も『魔法薬学』の授業中に爆発させる問題児を押し付けたと言っても、過言ではない。トムは愛想よく勉強を教えた。

「おまえ、可哀想だな。俺の兄貴にそっくり」

 扱いきれない子供の相手をさせられる。そういう意味で、ボニフェースは呟いた。

 だが、トムは別の意味に捉えて一瞬、表情が強張る。すぐに愛想の良い表情に戻った。

 

 ――トムの誕生に感謝とお祝いの意味を込め、ボニフェースは頬にキスを贈った。

「これからは毎年、キスしてやるよ」

「いらねえよ!」

 ブチ切れしたトムから脳天に分厚い教科書の一撃を食らい、ボニフェースは気絶した。

 

 ――玄関ホールにて、巨体な生徒が待っている。上の階から、ボニフェースとトムは彼を見下ろす。

「ルビウスと森に行こうぜ。トムも来いよ、絶対。楽しいからさ」

「駄目だ、森は立ち入り禁止だ。それに彼は入学してから、問題ばかり起こしている。関わるのはやめておきなよ」

 出来るだけ穏やかに諭しているが、トムの幼い瞳は下級生を見下している。おおげさに肩を竦め、ボニフェースは首を横に振って諦めた。

「じゃあ、いいや。俺は行くぜ」

 トムが驚いて止める間もなく、ボニフェースは軽い身のこなしで窓から飛び降りた。

「お待たせ、ルビウス! 行こうぜ!」

 待ち人の背を押し、そのまま2人は駆けて行く。それをトムは嫉妬と怒りを混ぜ、唇を噛んで見送った。

 

 ――マートルに挨拶しても、無視されているのか、認識されていないのか、返事は来ない。トムやハグリットを含めた学友に恋の悩みを打ち明けていた。

 

 ――マートルの死体。連行されるハグリッド。どちらもただ見送るしかないボニフェースは無力さに打ちひしがれていた。血管がはち切れんばかりに握りしめた拳だけが復讐の決意を教えた。

 

 ――書類に囲まれた事務室。ボニフェースは机に突っ伏し、傍で文字が勝手に動く。【私は ヴォルデモート卿だ】の文字が並び変えられ、【トム=マルヴォーロ=リドル】と何度も、何度も、文字の配列を変えた。

「復讐なんて……考えるもんじゃねえ……。なあ、アグリッパ……」

 自嘲気味に笑い、ボニフェースは涙していた。

 

 ――ボニフェースが若いドリスと白い衣装を纏い、手を取り合う。お互いの両親を呼んだだけの慎ましくも美しい結婚式だ。

 ベンジャミンから【結婚おめでとう】の手紙が宙を舞う。アグリッパはその手紙が逃げぬように追いかけていた。

 

 ――ドリスの抱える赤ん坊にボニフェースや大勢の親戚が感激に涙した。

 

 ――暗い森のような公園を意気揚々とボニフェースは歩く。夜の散歩を楽しむ通行人とすれ違い、時折、アグリッパの姿に驚いた。

「大事な話ってなん……」

 ボニフェースは言い終えれなかった。

 通行人に背中を押される。否、紛れ込んでいた老人に背中の手が届かない位置を刺されたのだ。痛みを自覚するより先にボニフェースは地面に倒れ伏す。傷口から溢れる血の海に手や顔が沈んだ。

 事態に気づいたアグリッパは悲鳴を上げ、犯人の老人と思えぬ速さで走り去っていた。

 駆け付けたのはトム。惨劇に崩れ落ち、ボニフェースの手を必死に掴んだ。

 

 ――ベンジャミンが老人に鬼気迫る表情で、喚いた。

「弟を返せ! くそ野郎!」

 懐から拳銃を取り出し、ベンジャミンは迷いなく自分である老人へ突き付けた。

「これが何かわかるか! 銃だ! 成人した時、トトがくれた! 貰った時にさっさと撃ってしまえばよかったんだ! 俺は貴様みたいにはならない!!」

 引き金に手をかけた瞬間、銃口は自分のコメカミへ向けられた。

「「え?」」

 困惑する二つの声が重なった。

「ご、ご主人さま!」

 縋るように老人が周囲を見渡し、ベンジャミンの意思に反して引き金は引かれた。

 ベンジャミンの死を教えるように、老人は比喩的ではなく消えた。

 

 ――喋り始めた幼児に大人達は色々と語りかける。アグリッパが顔を出せば、幼児は「ベー」と発音した。

「コンラッドったら、アグリッパよ。お父さんの大事な使い魔なんだから」

「ドリス。コンラッドが呼びたい名前に変えてもいいの。ベッロなんて、いいんじゃない? コンラッドも呼びやすいでしょう」

 ボニフェースの母親は優しく諭し、アグリッパはベッロになった。

 

 ――青褪めた顔でドリスは暖炉の炎を眺める。後ろにいる数人が彼女を励まし続ける。突如、開け放たれた扉にいたのは、衰弱したコンラッドを抱き抱えたマンダンガス。小さな腕には『闇の印』があった。

 半狂乱でドリスはマンダンガスから、コンラッドを受け取った。

「ありがとう! ありがとう! ダング!」

 ドリスと一緒に居間にいた人々もマンダンガスへ感謝の言葉を述べた。

 

 ――紅色の蒸気機関車。プラットホームをベッロは悠々と進む。

「……ごめんなさい。チュニー」

 半べその赤髪の少女が黒髪の少女の手をしっかりと掴んでいる。他を見渡せば、アイリーン=プリンスの姿が見える。彼女に肩を抱かれた少年はセブルス=スネイプだ。

「私がそんな、ばかばかしい城になんか行きたいわけないでしょ」

 少女2人の会話から、赤髪の子だけがホグワーツに行ける。彼女の瞳が見慣れた緑。ハリーの母親リリーと叔母ペニュニアだと察した。

「セブルスが封筒を見たの。それでマグルがホグワーツに接触できるなんて……」

 口調から、この姉妹とセブルスは昔馴染みだ。

 

 ――ベッロは荷物と一緒に並べられる。新入生は大広間の隣にある小さな部屋へと案内されていく。コンラッド、セブルス、リリーも一緒に吸い込まれるように入った。

「お帰り、アグリッパ」

 こっそりとやってきたハグリッドが優しく、歓迎の笑みを浮かべた。

 

 ――ルシウス=マルフォイがベッロを興味深そうに眺め、コンラッドに色々と話しかける。それを基本的な礼儀だけで終わらせる。逃げるように図書館へ行けば、セブルスが独りで本を読み漁る姿を発見した。

「あいつ、気味悪いよな……」

「『闇の魔術』の本ばっかり、読んでんだって……」

 上級生がセブルスを気味悪がる声が聞こえ、コンラッドは自然と彼の隣へ座った。

「それ何が書いてあるの?」

 視線だけ動かしセブルスはコンラッドの質問に仕方なく、答える。

「気になるなら、読み終わった後に渡すよ」

「君の言葉で聞きたい。君の声、すごく耳に入ってくるよ。教え方が上手なんだね」

 機械的な口調だが、セブルスは純粋に誉められて耳まで真っ赤に染まった。

 

 ――ハロウィンの日。寮の談話室でスラグホーンが硝子瓶から七色の光を放つ魔法を披露してくれた。

「君にもあれ、出来る?」

「……出来るよ。いつか……」

 皆から離れた場所でコンラッドとセブルスは囁き合った。

 

 ――セブルスの隣に座ったコンラッドへリリーが親しみを込めて挨拶してくる。

「ありがとう、コンラッド。マルシベール達に言ってくれたのね。メリーへの嫌がらせは本当になくなったわ」

「別に……またメリー=マクドナルドとデートするかもって言っただけだ」

 興味なさげに答えるコンラッドをセブルスは本を読むフリをし、横目で睨むような視線を送った。

「最近、後輩の面倒も見ているんですってね? なんて言ったっけ、レイブンクローの子」

「クィリナス=クィレル」

 即答したのはセブルス。それを殊更、おかしそうにリリーは笑う。

「おもしろい子だよ。セブルスが一年生だった頃に選んだ本ばっかり読んでいるんだ。ね、セブルス」

「……さあね」

 楽しげに声に抑揚をつけ、コンラッドは話を振る。セブルスは素気なく答えた。

「それより、特訓している魔法は使えるようになったのかい? 僕らはまだだ」

 話を変えたセブルスにリリーは得意げに杖を振った。

「エクスペクト・パトローナム(守護霊よ、来たれ!)」

 淡い銀色の牝鹿が3人の周りを走り抜け、輝きは霧散した。

「どう? 形になって来たでしょう?」

 

 ――『太った婦人』の肖像画の前、必死に許しを乞うセブルスを冷淡な態度でリリーはさも他人事のように眺めていた。

「貴方がここで夜明かしすると脅しているって、メリーが言うから来ただけよ」

「その通りだ。そうしたかもしれない。決して君を『穢れた血』と呼ぶつもりはなかった」

 どんなに弁解しても、リリーから放たれる雰囲気は拒否だけだ。

「貴方が私を『穢れた血』と呼ぶつもりがあろうがなかろうが、呼んだのよ。それにね、貴方は私と同じ生まれの人を全部、そう呼んでいるわ。どうして、私だけ違うと言えるの?」

 空気を求めてもがく様にセブルスは口を開くだけで答えない。更に冷たく眉を寄せ、リリーは顔を逸らした。

「少しはコンラッドを見習えばいい」

 突然の名にセブルスは口の動きをやめ、視線で問いかける。

「彼は誰の事も『穢れた血』と呼ばないわ。何故だが、わかる? 呼ぶつもりがないからよ」

 肖像画の穴へ入って行くリリーをセブルスは引き止めなかった。

 

 ――物が散乱した室内。コンラッドは驚いて、寝台に腰掛けるセブルスへ近寄ろうろした。

「何処に行っていた?」

「スラグホーン先生に呼ばれていたんだ……。母さんが来てたから、もう帰ったよ。どうしたの? セブルス」

 一歩近づく度にセブルスは髪の隙間から、コンラッドを睨んだ。

「奇麗だよな……おまえ。ちょっと笑えば、男も女も関係なく、おまえが好意的だと勘違いする。蝙蝠のようにあっちこっちフラフラしているくせに、皆、おまえが蝶だとか……」

「セブルス」

 睨みを利かせて嘲笑うセブルスを物ともせず、コンラッドは機械的に微笑んだ。

「いなくなって欲しいなら、僕は消える」

 我に返ったようにセブルスはハッとなり、目に涙を浮かべる。

「……ここにいてくれ……。僕から、離れないで……」

 言葉通りにコンラッドはセブルスの隣へ腰かけ、震える肩にもたれかかった。

「僕はずっと、君の傍にいるよ」

 

 ――校長室。椅子にも座らず、コンラッドは『憂いの篩』を覗き込むダンブルドアを見守る。彼だけでなく、ドリスやボニフェースの母もいた。2人とも落ち着きがなく、不安そうに待っていた。

 やがて顔を上げたダンブルドアは厳かに3人を1人1人、優しい眼差しで見つめた。

「遺言の中身はベッロも見ておらん。従って、今わかるのはコンラッドが読み取った部分だけじゃ。ビアンカ、君の息子は何か話しておらんかったかの?」

 コンラッドは無表情だが、ドリスと同じように絶望している。ビアンカは慄いた状態で首を横に振った。

「……いいえ、……ルクレースなら、もっと知っていたでしょう……。あの息子は……ルクレースに忠実でした……」

 一瞬の沈黙の後。コンラッドは機械的に口を開く。

「……なれば……遺言を読み取りましょう。もう一体の『ホムンクルス』を使って……」

 その提案にダンブルドア以外が息を飲んだ。

 

 ――暖炉の炎へ手紙を放り込み、ドリスは怒り狂っていた。

「培養器を寄こせですって! 今まで散々、放っておいたくせに!」

「ドリス、そう短気を起こすな。ダンブルドアはフラメル氏よりも、ノウハウを持つその……誰っけ、トート? に頼んだほうがいいと判断したんだろう? むしろ、マルフォイの連中から遠ざけられるじゃないか」

 ディーダラスに諌められても、ドリスは鼻息を荒くしている。

「僕もその国へ行く。『ホムンクルス』を他人に任せっきりには出来ない」

「コンラッド、この国を出るつもり!? それなら、セブルスも連れて……」

 慌てるドリスにコンラッドは静かに頭を振う。

「僕と行くにはセブルスは『死喰い人』として闇の帝王に忠誠を誓いすぎている。説得するにしても……彼は僕と行くよりも……なんでもない」

 最後だけ言葉を濁したコンラッドに、ドリスとディーダラスは何も言えなかった。

 

 ――ホグズミード村への道。リリーとジェームズが手を取り、歩いている。

「リリー」

 コンラッドに呼ばれたリリーは振り返り、ジェームズはあからさまに嫌な顔をした。

「後から行くわ。先に行ってて」

 ジェームズを宥め、リリーはわざわざコンラッドまで駆け寄った。

「ひとつ、頼まれて欲しいんだ。あの男と結婚するな」

 囁かれた頼みにリリーは驚きすぎて声を失う。

「どうして……」

「君が死ぬからだ」

 淡々と告げられ、青褪めたリリーはコンラッドの考えを読み解こうと凝視する。

 この時には、コンラッドはヴォルデモートを滅ばす「ポッター」とは、リリーとジェームズの間に生まれる子供だと絶対的な確信を持っていた。

「勘違いしないで貰いたいが、僕らじゃない。だが、あの男と結婚すれば、もう君を助けられない」

 曖昧だが、リリーは言葉に込められた意味を理解した様子だ。困惑も迷いもなく、真っ直ぐ、コンラッドを見返した。

「それでも私が選んだ道だもの」

「――残念だ。君の事は出すぎなければ、嫌いではなかったよ」

 覚悟を決めた緑の瞳へ紫の瞳は確かな憎悪を向けた。

 

 ――池の上に浮かんだ家、コンラッドの家と全く同じ建築。元はそうやって森に護られていたのだろう。

「貴方は連れて行けない。でも、必ず、私達と連絡の取れる場所にいて頂戴。さようなら、ベッロ」

 荷造りを済ませたドリスはベッロに惜しむように別れを告げる。家に向け大きく杖を振るい、『姿くらまし』した。

 ベッロはそのまま、居座る。この葉や木の枝で作った心地よい寝床で過ごしながら、幾日か経った頃だろう。家が燃え始めた。

 家そのものを炎に包まれた瞬間、『姿現わし』の音が次々と弾けた。

「コンラッド!?」

 若きマルフォイ夫妻とレストレンジ夫妻、そして、セブルスだ。惨状に驚き、ナルシッサは平静を失って燃え盛る家へ突入して行った。

「おやめ、シシー!?」

 血相を変えたベラトリックスとルシウスも彼女へ続き、セブルスとロドルファスは杖から放水して消火活動に当たったが、火の勢いは消えなかった。

 ナルシッサは衣服を少し焦がした状態で助け出されたが、家の残骸は魔法を失ったように池の中へと沈んで行った。

「まさかと思うが、ベラトリックス……」

「私を疑うかえ! いくらなんでも、シシーのお気に入りに手を出すもんか!!」

 3人の男から疑いの眼差しを向けられたベラトリックスは心底、心外だと怒鳴り散らした。

「これだけしか……持ち出せなかった。……皆、燃えてしまった……」

 夫の腕に抱かれたナルシッサは大事そうに一枚の写真を抱えていた。

 

 ――夜更けの丘にセブルスとダンブルドアは立つ。敵を見る目つきの相手に地面へ両手と膝を付いてまで、懇願していた。

「あの方はリリー=エバンズだとお考えだ!」

「予言は女性には触れておらぬ。7月末に生まれる男の子の話じゃ」

 ダンブルドアはヴォルデモートにリリーの身だけでも救うように頼んでみてはと皮肉っぽく言い放つ。セブルスが既に願って、断られたと正直に話せば、侮蔑を返した。

「お願いです。彼女を隠して下さい」

「リリーの夫と子供が死んでもいいと言うのか?」

 降り注ぐ冷たい声にセブルスは身を竦ませ、平伏した。

「それでは、全員を隠して下さい。彼女を安全に」

「良かろう。その代わり、君はわしに何をくれるんじゃ、セブルス?」

 予想外だったらしく、セブルスは呆気に取られてダンブルドアを見上げる。長いようで短い沈黙の後、顔を逸らさず、覚悟を決めて答えた。

「何なりと」

 

 ――寝台の上に横たわるビアンカは痩せ細り、病に倒れていると一目瞭然。サイドテーブルには赤ん坊、自転車に曲がり、ランドセルを背負う数々のクローディアの写真がいくつも並べられている。

 ハグリッドが泣きながら、ドリスと部屋を後にする。入れ違いでとダンブルドアが現れた。

「貴方に全て、任せてしまう……」

「ビアンカ、君は成すべき事を全て果たした。もう休んで良いのじゃ」

 弱り切った病人にダンブルドアは優しい声色で答えた。

「……ハリー=ポッターに伝えて……ごめんなさいと」

「伝えようぞ。必ず」

 ダンブルドアが骨のように細い手を握り、約束した瞬間、ビアンカは息絶えた。

 

 ――『漏れ鍋』の客室、クローディアはベッロと出会った。

 

 ――荷物と一緒に待つベッロを『太った修道士』や『血みどろ男爵』達がそろりと近寄る。

「お帰り、ベッロ」

 

 ――連行されるクィレルを先生方が見送り、やがて、ダンブルドアとスネイプの2人だけになる。

「校長。最近、コンラッドからは便りありましたか?」

「いいや、何一つとして。君にはあったのかね?」

 その質問に首を振って答えた。

 

 ――『秘密の部屋』。ボニフェースの死を聞き、トムは哀惜の涙を流した。

 

 ――コンラッドは椅子に座り、トトはキレ気味だ。

「人狼に『解呪薬』を与えよと? オリジナルでないにせよ、それでも手間暇がかかるんじゃよ。ワシは嫌じゃ」

「彼に会ってから、決めるといい。それでも嫌なら、諦めよう」

 

 ――湖の中を祈沙ははしゃぎながら、歩く。しかし、墓標の代わりの魚を感慨深い面持ちで眺めた。

「やはり……石化中の成長は完全に止まっていました。その分、遺言を読むのは遅くなります」

 そんな妻を見ながら、コンラッドは口元を隠してダンブルドアへ耳打ちする。

「クローディアが石化された時から、分かっておった事じゃ。ホラスに調べさせるまでもなかったじゃろうに」

 全く動じぬダンブルドアに対し、コンラッドの口元が皮肉っぽく曲がる。

「随分と余裕でいらっしゃいますね、ダンブルドア。私はずっと、待ち続けたというのに」

「可愛らしい奥方じゃな。君にしては良き縁に恵まれたのお」

 そちらのほうが重要と言わんばかりにダンブルドアは目元を優しく細めた。

「……お養父さんが闇の帝王を倒させろとせがんでおります。任されて見ますか?」

「冗談にしては笑えんわい。トトの役目は決まっておる。それ以上は決して望まぬ。そうお伝え下され」

 表情も口調も変わらないのに、強い警告に聞こえた。

 

 ――クリーチャーから差し出されたロケットをコンラッドは受け取る。横から覗き込んだ祈沙が深刻そうに『分霊箱』を眺めて、口を開いた。

〔なんだが、生きているみたいさ。本当に意思があるなら、私が説得したいさ〕

〔……意思どころか、魂がある。説得どころか、君の体を乗っ取られるのがオチだよ〕

 冷やかに言い放つコンラッドは薄ら笑う。それでも、祈沙は真剣な顔つきでロケットを指で突いた。

〔だったら、勝負さ。私が勝ったら、ジャンプ方式で仲間になってもらうさ。私が負けたら、私の体をあげるさ〕

 てっきり、コンラッドは引き留めるだろうと思った。

〔……わかった。そこまで言うなら、君に任せよう〕

 任された祈沙は笑顔でロケットを受け取った。

「破壊の方法がわかるまで、妻に預けておく」

 本心かわからぬ建前をクリーチャーに告げた。

 

 ――校長室。ダンブルドアは椅子に座り、セブルスはただ立ち尽くす。

「貴方が一年以内に死ぬとは……どういう意味でしょう?」

 それは質問と言うより、確認に聞こえた。

「ヴォルデモート卿がわしの周りに巡らしておる計画のことじゃ。哀れなマルフォイ少年に命じた計画」

「狙われているのはコンラッドの娘です。貴方ではない」

 これも否定よりも確認だ。

「あの子が死ねば、ベッロは怒り狂うじゃろう。その怒りを受けるのは他ならぬ、わしでなければならない」

 耳を疑う計画に愕然とし、セブルスは足の力を失って椅子へ座り込んだ。

「貴方は……あの子を見殺しにするおつもりですか? コンラッドは……あの子の母親は……」

「コンラッドは別の問題を抱えておる。あの子に関し、全てわしに任されておる」

 セブルスは火が付いたように顔を上げ、机に拳を叩きつけた。

「娘が殺されようとしている以上の問題があるものか!」

 この場にいないコンラッドにセブルスは怒っている。感情を爆発させた後、殴った机に両手を置き、その額を押し付けた。

「隠して下さい……あの子を……。どうか……」

 その懇願はかつての姿によく似ていた。

「あの子が隠れれば、任務失敗と見做されるじゃろう」

「……ドラコは……あの子を殺せません」

 ダンブルドアは頷く。

「君がやるんじゃ」

 鼓動の仕方を忘れたようにセブルスは静かに呼吸すらも微弱になった。

「君がやらなければ、クローディアは惨たらしい死を迎えてしまう。君以外にあの子を苦しませないという選択をする者はいまい」

 石化したように沈黙したセブルスは糸が切れたようにガクンッと項垂れ、頭の上で祈るように手を組んだ。

「君はヴォルデモート卿に示さなければなるまい。かつての親友の娘すら、手にかけられる忠誠を」

 言葉の追い討ちをかけるダンブルドアこそが辛そうに目を細めていた。

 

 ――校長室を後にするハリ―をダンブルドアは満足げ見送り、ベッロは校長の机の下から這い出て来た。

「待たせたのう、ベッロ。今日の授業はだけどうしても、君に聞いていて貰いたかったのじゃ」

 屈んでベッロを抱き上げ、ダンブドアは椅子へ座る。

「わしの死後、君にはこれまで以上の苦労をかけるじゃろう。それにひとつ、ハリーへの伝言を加えさせておくれ。ただし、最後の最後まで教えてはならん」

 首を傾げても、ベッロはダンブルドアから顔を逸らさない。『蛇語』を使わないのは、この記憶を第三者へ見せる為だ。

「少なくとも、ハリーのほうから君の前に現れた時じゃ。その頃なら、おそらく、大丈夫だじゃろう」

 ダンブルドアの深呼吸から緊張を感じ、ベッロも身を固くした。

 推察通り、ハリーはヴォルデモートの『分霊箱』であった。

 彼の魂に付着したままでは、闇の帝王は滅ぼせない。ヴォルデモートの手によって、ハリーは殺されなければならない。

「この事はわしの知る限り、君とセブルスしか知らん。ハリーは彼を憎むじゃろう。その姿を見るだけで湧き起る衝動を止められはせん。故に君が伝えておくれ」

 ベッロは不安そうに俯き加減になる。ハリーから現われる確信がないからだ。

「ヴォルデモート卿は己が手にした杖に満足できず、本領を発揮させんと以前の所有者であったわしを殺した者を求める。つまり、君じゃ。その感覚は必ず、ハリーも気づかぬ内に流れ込むじゃろう。そして、どんなに時間がかかろうと君へと導く」

 鳴き声がした。宿り木のフォークスがいたと今更、気づいた。

「君へと導かれたなら、ハリーは順調という事じゃよ」

 

 ――地下の研究室。薄く消えそうな牝鹿が銀色に輝き、セブルスに寄り添う。ベッロの立てた音に杖を振って、輝きを消した。

 蛇の登場に驚かず、また勝手に膝へ乗るのも許した。

「いよいよ、明日だ。ベッロ……お互い……酷い主人を持ったものだ……」

 沈痛な面持ちで、セブルスは目を伏せる。ベッロはその瞼を慰めるように尻尾の先で撫でた。

 

 ――孔雀の納屋、ドラコは服の汚れも気にせず、地べたへ座り込む。その隣にいるベッロは口に製造年月日が動く偽金貨を銜えていた。

「ルーナ=ラブグッドを捕まえた。地下室にいる」

 動じて痙攣するベッロの鱗に触れ、ドラコは何気なく呟いた。

「あいつと逃げたいなら、行けよ。僕は止めない」

 鱗に触れた手へベッロの尻尾は重ねて置く。まだ此処を離れないと返事をしているように見えた。

 

 ウォーリーは体の浮かぶような感覚に襲われた。

 かと思いきや、視界に波紋が広がる。その波紋は今まで見て来た光景を逆再生していく。ウォーリーが困惑するより先に、倒れ伏したボニフェースの手をトムが握った場面で一時停止した。

「何これ……?」

 ようやく口が動かせる。周囲を見渡しても、風もなく、木の葉すら動かない。一枚の写真に閉じ込められた気分だ。

 背後で動き気配を感じ、背筋が凍りつく。そこには2人と一匹しかいないはずだ。

 竦んだ心臓が慄いて脈打ちを速くし、必死に体へ命令してゆっくりと振り返る。ボニフェースが両手足を地面につけ、眠りから覚めたように起き上ったのだ。

 場面が動いたのではない。トムもベッロも身動き一つしない。死んだはずの彼だけがウォーリーに笑いかけた。

「よお、俺の孫! 初めまして!」

 血濡れた姿でボニフェースは快活に笑い、手を振って挨拶した。

 死体が喋ったとしか言いようのない光景に一瞬、ゾッとする。だが、脳髄の一部は冷静に働く。ウォーリーはこれまでの経験から直感的に閃いた。

「あんた、幽霊か……。ずっと、ベッロの中に……」

「ぶー、残念でした。俺は幽霊じゃありませんー。そもそも、挨拶されたのに返さないのは礼儀に反するんじゃありませんかねえ?」

 声の怯えを誤魔化さず、必死に出した結論をボニフェースは即決に否定した。

 両腕を交差させて「×」を作り、いじけた口調に湧き起っていた恐怖や僅かな感動も何も吹き飛んだ。

 むしろ、イラッとした。

「初めまして……ウォー……、クローディアです。お祖父ちゃん」

 ここではあえて、クローディアと名乗る。ボニフェースが孫と呼ぶならば、コンラッドの付けた名を教えたかった。

 途端にボニフェースは目を輝かせ、感激に口元を手で大げさに覆う。

「お祖父ちゃんだって……俺、お祖父ちゃんって呼ばれた……」

「話、進めろ。あんたが幽霊じゃないなら、前にハリーが会ったっていうヴォルデモートの未練か?」

 埒が明かず、ウォーリーは失礼を承知で冷淡に告げる。一刻も早く、ハリーと合流したいのだ。

 わざとらしく目を瞬いたボニフェースは動かないトムを一瞥し、自分の体を触る。瑞々しく着いていた血を消した。

 ウォーリーが血に怯えていると察したのだろう。

「似たようなもんかな。あいつが生み出した俺も今の俺も、肖像画みたいなもんだ。本人みたいに喋っているだけだ」

 つまり、肖像画のようにベッロを額縁にして、死んだ後から今までの出来事も全てを見ていた。だから、生前にも会えなかった孫の存在もわかる。名乗りの意味はなかった。

 けど、名乗れて良かったという達成感がじわじわと胸に滲んでくる。ウォーリーは彼に会いたかったと気づいた。

 ハグリッドにその存在を教えて貰った冬の日から、ずっと会いたかった。

「んで、俺がなんで出て来たかっていうとだな。クローディア、おまえの……いや俺とおまえの魂の話をする為だ」

 自分もまた肉体は『ホムンクルス』だが、魂は目の前にいる彼の『分霊箱』かと勝手に思い、ゾッとした。

「まずは考えて欲しい。俺が何故、幽霊としてこの世に残らなかったのか」

 深刻な表情になり、ボニフェースは自らの胸元に手を置く。

「……ダンブルドアやお父さんに後を任せられると思ったんだろう。少なくとも、死んだ直後は……だから、逝ってしまえたんだろう?」

 年老いたベンジャミンが自分を殺しに来る。その瞬間がいつ訪れてもいいように、様々な形で情報や絆を遺して行った。

 ボニフェースは眉ひとつ動かさず、胸元に当てた指先だけを動かす。何の躊躇いも迷いもなく、答えた。

「俺に魂はない。だから、選びようがなかった」

 脳髄の奥が焼ける感覚、視界の現実味を遠退かせた。

「……未来から来たからか? あのベンジャミンもそうだって?」

 可能性を言葉にするウォーリーは何とも言えぬ感情に声が震え、ボニフェースは頭を振って深刻に否定した。

「ベンジャミンは死んだじゃない。消されたんだ。そもそも、スクイブは残れない。魔法を持つ者なら、マグル生まれでも選べる。だが、魔法族でもスクイブは選ぶ権利もなくす。これは確かだ」

 初めてボニフェースは悲しげに眉を寄せ、背の傷に触れる。彼は自分を殺した相手も憐れんでいた。

「俺に魂はなかった。これが『ホムンクルス』だからなのか、時間を超えて来た異物だからか、俺にもわからない。きっと、俺は自意識を確立した肖像画なんだ。オリジナルの御先祖さまより、悪質だろうぜ」

 御先祖じゃなく、大伯父だろうというツッコミを入れる余裕はない。

「違う、あるんだ。ないはずない! もしも、自分が物だって言うなら、余計にある! 九十九神って言って、物にも魂は宿るんだ! だから、何が言いたいかって言うと……」

 空気を求め、ウォーリーは必死に訴える。自分の魂の有無よりも、祖父の魂の存在を信じるが故にだ。

 ボニフェースは訴えの意味を理解し、身を屈めて目線を合わせる。何も言わず、続きを待ってくれた。

 ガーネットとは違う輝きのある赤い瞳は、ハグリッドの言う通りに太陽のように暖かい。

「きっと、逝ってしまえたんだ」

 それは願いだ。

 逝こうが残ろうが、大事なのは自分の意思で選択する。ずっと、ウォーリーが自分の意思を貫き通して来たように、ボニフェースもまた選んだのだ。

 選んだ先に後悔があっても、嘆くのはその時でいい。

「おまえの魂に関しては、死ぬ時でないとわからない。俺はそれを教えたかっただけだ。いつか、おまえはアグリッパの記憶を見に来るだろうからよ。この状況は予想外だった……もっと先だと思ってたぜ」

 ウォーリーと視線を絡めても、その瞳は遠くの未来を眺めている。きっと、ヴォルデモートも倒した後、ハリーの髪が白髪になった頃、老いが訪れたベッロから受け取らせるつもりだったのだろう。

 つくづく、彼は先の事を見据えてそれに備え続けた。

「先よりも、今を見てくれ。ハリーは今、苦しんでいる。スネイプ先生も、いろんな人がヴォルデモートのせいで……こんな事になる前に、どうして、トム=リドルを倒さなかったんだ?」

 ウォーリーは自分の口から発せられたで残酷な質問に驚く。何の情はなく、ただ情報を確認しているだけだと実感した。

「いいや、俺はトムを倒した。けど……それは間違いだった。だから、やり直した」

 重い口調は後悔を含め、閉じた瞼は間違いと判断した光景を思い返していた。

「は?」

 しかし、理解の範疇を越えた事実をすんなり受け入れる程、ウォーリーの心は広くない。寧ろ、限界だ。耳を疑い、思わず、変な声が出た。

 やり直したと言う意味が比喩的な意味でないなら、言葉通りならば、ボニフェースもまた時を遡った。

「……やり直したって……。過去に戻るなんて、『逆転時計』でタイムスリップするしかないはずだ」

 ベンジャミンの例を知っていながら、『逆転時計』を使うはずはない。ボニフェースがそんな愚かな決断を下すと思えなかった。

「『逆転時計』は使ってねえよ」

 その一言に安心したのも束の間。

「タイプリープしたんだ」

 急にあっけらかんと言い放つ。箒に乗れないから、飛行機に乗りましたと言わんばかりの軽い口調にウォーリは今度こそ、眩暈を起こした。

「……タイムリープできるなら、何故、殺された?」

「そこが不思議なんだよなあ。一回しか成功しなかったんだぜ。何が違うんだろうなあ?」

 ボニフェースは首を傾げ、本気で悩んでいた。

 彼ならば、『ガンプの元素変容の法則』の5つの主たる例外を無視して食べ物も魔法で作り出せるだろう。脳髄が平静を取り戻さんと思考まで狂って来た。

 眉間のシワをウォーリーは指先で解し、余計な思考を切り捨てる。優先すべき事項を即座に纏めた。

「あんたがヴォルデモートを倒すのは間違い……わかった。あいつはハリーが倒す。それが終わったら、お父さんとお母さんを連れて来る。だから、会ってくれ」

 結局、孫としての我儘が先に出て来た。

「悪い……それは出来ねえ。俺と話せているのはあくまでも、俺達が同じだからだ。この記憶を見ても、誰とも話せないぜ」

 それこそが自らに課した贖罪であるように告げた。

 まだ何も終わっていないのにウォーリーは感傷的になり、心に落ちた悲しみの滴に逆らわず、唇を噛む。この祖父と両親が会う姿を望むのは、当然の権利だ。

 他にも、ボニフェースを紹介したい人々は大勢いる。きっと、ヴォルデモートも会いたいはずだ。

 2人が出会えれば、『分霊箱』の魔法も終わるかもしれない。なのに、叶わない。この出会いさえも魔法による残酷な悪戯に思えて来た。

「これ以上は時間の無駄だ。皆の所へ帰る」

 宣言してから、ウォーリーは『憂いの篩』を顔を上げようとしても、何も起こらない。原因のボニフェースは残念そうに溜息を付いた。

「時間は気にするなって言いたいけど、もうお別れらしい。俺に会いたくなったら、また来いよ」

 また会える。と言いながら、その穏やかな表情に覚えがある。ダンブルドアに扮したトトを最後に見た時とよく似ていた。

 此処から出れば、二度と会えない。ボニフェースは永遠の別れを覚悟しているが、それを口にしたくない様子だ。

「いいや、これで別れだ。さようなら、お祖父ちゃん」

 だから、ウォーリーから別れを告げた。

「……ああ、さようなら」

 目を瞬いたボニフェースはウォーリーに考えを見抜かれていると気づき、申し訳なさそうに眉を寄せて笑い返した。

 掌を見せるように差し出される。きっと、それが校長室へ帰る手段だと思い、迷わずに手を取る。初めて触れた祖父の手は安心させる触り心地だった。

「お祖父ちゃんからの最初で最後の贈り物、『憂いの篩』に顔を入れた時間まで返してやるぜ。それ以上は戻せないからな」

 返事をする前、ウォーリーは自分の体が覆う浮遊感と共に意識を飛ばした。

 

 水盆から顔を離し、周囲を見渡す。確かに『憂い』に触れていたが、顔も髪も濡れていない。

「怖気づいたか?」

 ナイジェラスがせせら笑う。ウォーリーは確かに戻ってきた実感を得て、彼へと振り返った。

「いいえ、お祖父ちゃんがこの時間に返してくれました」

 言葉の意味を理解せんと歴代の校長達がお互い顔を見合わせるが、ダンブルドアだけは微笑む。

「そうか……ボニフェースめ。そういうことであったか……」

 ダンブルドアの肖像画を見上げ、ウォーリーは自然と頷く。床に落ちたグリフィンドールの模造刀を拾い上げた。

「ダンブルドア、ひとつだけ教えてください。本当に貴方からハリーに教える事はないのでしょうか?」

「わしの見込みどおりのハリーならば、わかっているはずじゃ」

 今宵の月は美しいと誉め称えるのと同じ響きだ。その響きの意味を理解し、ウォーリーは偉大なる校長の肖像画へ一礼して、急かす足の命じるままに校長室から飛び出した。

 

 螺旋階段を下り、廊下へ飛び出す。ガーゴイル像により、校長室への階段が塞がれた。

「こんばんは……貴女が伝言のお仲間ですかな?」

 風に吹かれた煙のように『ほとんど首なしニック』は現れ、見慣れぬウォーリーへ挨拶してきた。

 面倒見の良くどの生徒にも親しみを込めて接するが、今の『ほとんど首なしニック』は正体不明の部外者を笑顔で警戒する。模造刀とはいえ、剣を持つ相手には当然の対応だ。

 ウォーリーは剣を鞄へ片付け、一礼して答えた。

「こんばんは、私の名はウォーリー。サー・ニコラス、ハリーからの伝言をありがとう。計画は順調ですか?」

「勿論ですとも。さあ、私に着いて来て下さい」

 挨拶を欠かさず、礼儀に乗っ取って名乗る。そして、彼をサー・ニコラスと呼んだ事で警戒は解かれた様子だ。

 『ほとんど首なしニック』を追う。外では騒動は治まり、自分の足音以外、聞こえぬ程の不気味な静けさは荒れ狂う嵐の前兆。

 そう意識した途端、脈拍が耳触りに騒ぎ出した。

(早く……ハリーに伝えないと……)

 案内されたのは意外にも『嘆きのマートル』の住処であるお手洗い。手洗い場が設置されているはずの場所に穴が開いていた。

「……早かったね」

 『嘆きのマートル』と話し込んでいたらしく、ハリーは少し驚いて見せる。2人きりを邪魔され、彼女は『ほとんど首なしニック』さえ、邪魔者のような視線をぶつけた。

「コリン達は脱出した」

 ハリーは遠慮せず、成功を伝える。コリン、クラッブ、ゴイルを含めた生徒達は厨房の『屋敷妖精』達と共に『姿くらまし』した。

「クィレルには逃げられたけど、ジュリアは捕まえて『トロフィー室』にいる。ビンズ先生と『灰色のレディ』、それに『太った修道士』が見張ってくれている」

 幽霊に見張られているなら、ジュリアは安全だろう。確認する必要はない。

「それでハーマイオニーとロンは?」

「バジリスクの牙を取りに行ったよ。城に来たなら、もう一本を持っていてもいいだろうってね」

 もう一本という言葉で、ウォーリーはガマグチ鞄から模造刀を取り出す。ハリーは剣に驚いた。

「ドラコが返してくれた」

 ドラコの名を聞き、ハリーは納得して模造刀を受け取った。

「ベッロは何を伝えたかったの?」

 緊張した声はハリーよりもウォーリーの臓物を震わせる。一瞬、目を閉じる。今、見て来たベッロの『憂い』を頭に浮かべた。

「ハリーがわかっている事だ」

 今、伝えるべき事だけを口にする。

 『ほとんど首なしニック』と『嘆きのマートル』は意味不明と首を傾げても、ハリーには十二分に伝わった。

 彼は天井を仰ぐ。自らの気配を断ったように存在感がない。『閉心術』で心を完全に閉じている。自分の正体に対し、これからすべき行動を纏めているのだ。

「……僕はずっと、僕がヴォルデモートを倒さなければと思っていた……。でも、そうじゃない……」

 低く小さい声から、ゾッとする覚悟を感じる。

「ピエルトータム ロコモーター! (すべての石よ、動け!)」

 ウォーリーがハリーへ聞き返す前に、マクゴナガルの叫びを耳にする。声量からして、この階ではない。何かが動き出したらしく、地響きがする。よくよく耳を澄ませば、複数の足音が城のあちこちで聞こえた。

 まさか、城の壁に彫り込まれた甲冑像が動き出したなど、想像もできなかった。

 ジャラジャラとした鎖の音もだ。

「連れて来た」

 『血みどろ男爵』はそう告げ、傍らで怯えるピーブズを指差した。

「ありがとう、男爵。ピーブズ、君はポルターガイストだ。壁の中にあるパイプを動かせる?」

 ピーブズは『血みどろ男爵』の顔色を窺いながら、否定した。

「城に取り付けられた物は動かせない。しかし……パイプを動かしたいなら、壁を取り除けばどうにか……」

 しどろもどろに答えるピーブズを『血みどろ男爵』は無言に威圧し、ハリーは特に落胆も見せず、問題用紙を睨むような表情だった。

「ハリー……クィレルの事務所には行かないのか?」

 口にしながら、ウォーリーは愚問を悟る。ハリーのこれからの作戦にハッフルパフのカップさえも織り込み済みなのだ。

 洗面台の穴から、風を切る音がしたかと思えば、スノーボードに乗ったハーマイオニーとロンが返ってきた。

 2人の手には抜かれたばかりのバジリスクの牙がある。ハリーは待ち焦がれたように、鷹揚に頷いて見せた。

「僕はヴォルデモートに一騎打ちを申し込む」

 用意された台詞を舌に乗せた口調。こんな状況でありえない宣言をされ、ウォーリーは青褪める。吃驚したハーマイオニーはロンをスノーボードから落とした。

 




閲覧ありがとうございました。
ベッロは人に知られず、大切な場面を見つめ続けた。

ベンジャミンは「タイムスリップできなければ、タイムリープすればいい」という思考の持ち主です。


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14.枠もなく

閲覧ありがとうございます。

ホグワーツの戦い・ドラコ視点です。
残酷な描写があります。ご注意ください。



校長室から出たドラコは『必要の部屋』へ向かう。事が終わるまで潜む為だ。

 クローディアは生きていた。その彼女は逃げろと言ってくれた。ホグワーツで戦いが起ころうとしている。だから、ドラコは逃げない。

 戦いに加わる為ではない。今度こそ、クローディアが生きたまま、この城から去る姿を見届ける為だ。

 しかし、そこは既に使われて中へ入れない。『目くらましの術』で身を潜め、様子を窺えば壁に浮き出た扉から次々と人が現れ始めた。

 スネイプに聞いていた居残りよりも、格段に多い人数だ。

 見知った生徒もいれば、顔も知らぬ人もいる。聖マンゴ病院に入院中のはずのジャスティン=フィンチ‐フレッチリーの姿もあった。

 ウィーズリー家の双子が現れ、ドラコは顔の変わったクローディアを想う。ジョージは亡き婚約者が姿を変えて生きていると知っているのか、気になった。

 知らずとも、教える義理はない。

「お袋、そんなにしがみついていたら、パーシーが歩けないよ」

「いいよ、ビル。僕は母さんに随分と心配をかけた」

 パーシーは腕にしがつく、母親モリーに優しく語りかけて歩きにくそうだ。その足下を何処かで見たゴブリンが小走りで通り過ぎていった。

 それからも、『必要の部屋』から出て来る人の波は途切れない。『ホッグズ・ヘッド』の気難しい主人まで現れ、ドラコは部屋がホグワーツの敷地の外へ繋がっていると確信を持った。

「ピエルトータム ロコモーター! (すべての石よ、動け!)」

 城のあちこちから奇妙な振動を感じても、まだ戦いではない。

「コンラッド……こんな時に言うのはなんだけど……」

 アーサー=ウィーズリーは部屋から一緒に出て来た見目麗しい男を引き止める。男は機械的に微笑んで、足を止めた。

「ビルから聞いたよ。ベッロは息子達を守ったと……、ありがとう」

 会話から、その男はクローディアの父親コンラッド=クロックフォードだ。母親ナルシッサから話で聞いただけの男にまず間違いない。

 感謝を告げるアーサーは詫びるように頭を下げ、目尻を痙攣させたコンラッドの口が動くのを遮った。

「それとジョージから聞いたんだが、君はマグルの奥方と式を挙げていないそうだね? 良かったら、私達の家で……『隠れ穴』で君達の式を挙げたいんだ。すぐにとは言わない。何年経ってもからでもいい。奥方と相談して貰えないか?」

 是が非でもと訴え、ドラコの胸が切なくなる。ナルシッサもコンラッドが結婚し、挙式したなら、参列したかったと語っていた。

「妻が喜ぶよ、アーサー。ありがとう。ビルとフラーに比べれば、控え目になるが……お願いしよう」

 機械的な声に優しさを含め、コンラッドは空に浮かぶ月のように静かな笑みを見せる。アーサーは声にならない程、喜んで彼を抱きしめた。

 アーサーの提案は叶わない。彼に見えぬコンラッドの笑みはドラコにそんな予感をさせた。

「アーサー、早く!」

「わかったよ、エイモス」

 エイモス=ディゴリーに呼ばれ、アーサーはコンラッドから手振りで先へ行くように促され、素直に従った。

 コンラッドはドラコの前に立ち、紫の瞳だけをこちらへ向ける。敵意もなければ、好意もなく、壁の模様を視界に入れたように何の興味もない無感情な目つきに背筋が凍った。

「ドラコ=マルフォイだね。初めまして」

 『目くらましの術』が看破され、ドラコは自分の気配を断たせていなかったと知る。姿を見せないなら、気配も殺せとクィレルから教わっていたのに、話に聞き入りすぎて疎かになっていた。

 視線に僅かな殺気を感じ、ドラコは咄嗟に魔法を解く。素直に姿を見せ態度に敬意を表し、コンラッドは体の向きも合わせてくれた。

「人違いだったら、恥ずかしかったね」

 機械的に笑うコンラッドは冗談っぽく告げ、ドラコはだた目を丸くした。

「ベッロは君の屋敷にいたんだろう。今のルシウスにベッロを庇えるような余裕はない。だとしたら、君が匿っていた。……ありがとう、君がいてくれて良かった」

 とても自然な微笑みを向けられ、ドラコも強張った緊張が解れる。何か言わねばと口を動かす前に、咆哮が城の城壁を通り越し、臓物へと伝わる。この威圧感に覚えがあり、脳髄は一瞬にして思い返す。

「ドラゴン?」

 コンラッドが壁に背を預け、魔法で鏡を浮かばせて窓の外を覗き見る。ドラコも彼に倣い、鏡から外の様子を見れてみれば、天文台の上をドラゴンが旋回していた。

 その足にはグロウブと呼ばれるクィレル曰く、小柄な巨人が掴まっていた。

「ハグリッド、こっち! こっちへ降りてきなさい!」

 マダム・フーチの先導でドラゴンは中庭へ向かう。見えない位置に森番がいる様子だ。

「どうやら、ハグリッドが到着したようだね……。君はセブルスのところにでも、行きなさい。城に隠れているより安全だよ」

 コンラッドの口から、スネイプの名が出て驚いた。

 『死の呪い』から如何にして、クローディアが助かったなど知らぬ。見当も付かないが、スネイプは彼女を殺したのだ。

「……奴は最初から、貴方と組んでいたのか?」

 ドラコの勘は既に否定したが、言葉で確認したかった。

「いいや、セブルスは君を選んだだけだ。君を助けたかったんだよ」

 当然のように告げられ、ドラコは胸を風が吹き抜ける感覚に眩暈がする。計画も知らずにクローディアを殺したスネイプ、それを許容しているコンラッド、2人の間にある絆に恐怖した。

 ドラコの反応にも構わず、コンラッドは床を滑るように走り出す。思わず、それに着いて行く。廊下の壁に違和感を覚えても、ただ遅れないように必死に足を動かした。

「……私に着いて来ても、困るんだが……」

 コンラッドは窓の外へと杖を伸ばす人々の中にスラグホーンを見つけ、その肩を叩いた。

「……プロテゴ ホリビリス(恐ろしきものから 守れ) コンラッド! 何故、君が来ている!」

 コンラッドの姿を目にし、鬼気迫る表情でスラグホーンは悲鳴を上げた。

「スラグホーン先生、彼をお願いします」

「ドラコ=マルフォイまで、どうして学校に!? 君は停学中だろ! コンラッドが連れて来たのか? いかんいかん、すぐにでもここから脱出しなさい!」

 コンラッドの話を聞かず、スラグホーンは汗だくになって喚く。

「私はすべき事があります。とにかく、彼を頼みますよ」

「コンラッド! あの人が来るんだ。後生だから、すぐに脱出しておくれ!」

 ドラコの背を押してスラグホーンに突き出し、コンラッドは走り去ってしまう。

「仕方ない……。トロフィー室へ……そこにジュリアもいるし、彼女の見張りもいる」

 独りごこちるスラグホーンはドラコの背を押す。なめくじのように丸まった体系からは想像もできぬ機敏さで人々の間を搔い潜った。

「……ホラス、どうしてドラコ=マルフォイが……」

 きょとんとしたスプラウトに答えず、ドラコはトロフィー室に連れて来られた。

 生徒が得た勲章の数々、そこに後ろで縛られたジュリアが床に倒れた状態でドラコを睨む。その口の猿轡がなければ、罵詈雑言の嵐が発せられただろう。どうやら、彼女はクィレルに置いて行かれた。

 幽霊3人と卒業生2人が珍客たるドラコを警戒し、様子を窺ってくる。

「レディ、修道士、ビンズ先生、クララ……えーと、君。ドラコ=マルフォイを頼む。彼には我々と戦う意思はない。念の為、この部屋の防衛も補強しておく。私か、他の先生が来ない限り、出さないでおくれ」

 不安そうに言い放ち、スラグホーンは誰の返事も聞かずに扉を閉めた。

 クララ=オグデンと名前も呼ばれなかったチョウ=チャンは警戒を解かない。ドラコにも話しかけず、壁際に座り込む。

《僕はハリー=ポッター!!》

 城どころか、『暗黒の森』にまで届く声が響く。決して耳障りではなく、心へ訴えかけていた。

《『死喰い人』に告げる。僕の望みはトム=リドルとの決闘である。繰り返す、ハリー=ポッターの望みはトム=リドルとの一騎打ちである! すぐにトム=リドルへ伝えられたし!》

 内容に困惑し、ドラコはともかく部屋にいる全員に視線で問いかける。だが、マトモに答えられる者はおらず、同じように混乱していた。

《貴殿の申し出に従おう。ただし、条件がある。学校から、独りで出て参れ。如何なる者も貴殿の盾にならぬように独りで来るのだ》

 対するスネイプの声は厳格に応じる。

「駄目よ……、そんなの……」

 涙声でチョウは呻く。彼女は去年の惨劇を思い出している。クララは彼女の背を撫でて、優しく慰めた。

《一時間、待つ! それまでにトム=リドルへ伝えよ。ハリー=ポッターはホグワーツにて、待つ! 一時間以内に来なければ、ホグワーツより撤退する!》

 ハリーは凛とした声でそう答えた。

 正気を疑う宣言だ。

 だが、ドラコは考える。彼がこの城に来た意味、クローディアが校長室に現れた意味、勝利を確信する何かを得た可能性は高い。きっと、スネイプもわかっている。いざとなれば、クローディアだけでも連れて脱出すればいい。そんな考えが脳髄を支配した。

 結局、一時間も経たぬ内、城が揺れた。以前、グロウブが森の番人ハグリッドを城壁に投げて遊んだ事件があった。それに似た振動は開戦の兆しだ。

 補強された護りの中でも、硝子が揺らされる。

「外の様子を見てきます」

 『灰色のレディ』は静かに告げ、ビンズと『太った修道士』に任せて壁の向こうへとすり抜けていった。

「……クララ、私達も行きましょうよ」

「……いいえ、ジュリアは置いて行けないもの」

 

 ――カチン。

 

 途端、聞き慣れない音を耳にする。部屋にいる全員にも聞こえ、ジュリア以外は困惑して周囲を見渡している。彼女は睨むのをやめ、不気味に嗤っていた。

 ドラコは直感した。

「プロテゴ! (守れ!)」

 天井に向け、ドラコは『盾の呪文』を叫ぶ。クララはそれを狙っていたように棚を蹴り、彼の傍へと転がる。その後には黒いボコボコの卵型の何かが落ちていた。

 マグルの間で、手榴弾呼ばれる小型の爆弾だと知る由もない。凄まじい爆裂音が文字通りに部屋中を包んだ。

 幽霊であるビンズや『太った修道士』さえも耳を塞いでしまう強烈な音と閃光。棚の硝子は残らず、破壊されてトロフィーや盾を倒した。

 ドラコは『盾の呪文』で衝撃を緩和したが、一瞬だけ無音に襲われた。防御が間に合わなかったクララは意識はあるものの、地面に伏して痙攣していた。

「……修道士……クララが……クララが……」

 身を呈してクララに庇われたチョウは被害を免れたが、悲惨な状況に狼狽えた。

「ドラコ、ぼさっとしない」

 いつの間にか、縄と猿轡を外したジュリアはドラコの腕を掴んで扉をに手をかける。ビンズが止めに手を伸ばしてきたが、彼女は別の手榴弾を見せつけた。

「もう一度、やるわ!」

 宣言し、ビンズの動きが止まった瞬間。ジュリアは手榴弾のピンを外し、幽霊の眼前へ投げ放った。

 急いで扉を閉め、音は幾分か控え目に響いた。

「レイブンクロー寮に行きましょう。ここからなら、そこが近いわ」

 ドラコの返事を聞かず、ジュリアは勝手に腕を引っ張る。窓の外ではドラゴンの咆哮が聞こえ、轟音が鳴りやまない。

 柱は傷つき、壁は崩れ、絵の住人は走りまわり、城のあちこちで起こる乱戦を報告している。

「天文台が破られた」

「巨人の群れが鎧の軍団を突破したぞ」

 廊下の曲がり角で頭から血を流したセオドール=ノットがいる。

「おまえら……」

 久方ぶりに会った友人の傍らには、事切れたエメリーン=バンズが倒れていた。

 空から巻くような音が響き、ジュリアは初めて窓の外を気にした。

「え……、戦闘機?」

 時速500キロで空を駆ける2機の存在にジュリアは呆気に取られる。いくらマグル育ちの彼女でも、それが超々ジュラルミンを使用した翼を持つ零式艦上戦闘機であり、零戦の略称を持つ等とは知らぬ。

 トトが持てる人脈をすべて使い、機体を入手して整備とチャリティー=バーベッジとペネロピー=クリアウォーターに操縦技術を叩きませていた。

《皆さーん、応援が来ましたよー!》

 バーベッジは必死に手を振るが、速すぎる機体からその姿を見る余裕は誰にもない。ペネロピーに至っては機体が城に当たらぬように気を張るだけで、精一杯だ。

 そんな彼女らの苦労をジュリアは知らぬ。

「……なんてこと……、馬鹿じゃないの……」

 魔法使いの城がマグルの戦闘機で穢される。ジュリアは沸々と湧き起る怒りに唇を噛んだ。

 突如、硝子の割れた音がしたかと思えば、外から突っ込んできたのはアレクト=カローだ。

「ジュリア嬢! マルフォイの若旦那……おまえは臆病者のノット、いつ来た? ケタケタ」

「アレクト、戦況はどうなっているの? ハリーの宣戦布告は聞こえたわ」

 ジュリアはバンズの死体を物ともせず、アレクトに問う。ドラコは顔面蒼白のセオドールへ近寄り、肩を叩いた。

「闇の帝王はまだおいでになっていない。セブルスは闇の帝王の指示を仰ごうとしたが、ハリー=ポッター以外は始末しておこうとクィレルが命令したんだ。ケタケタ」

 ゾッとした。

「スネイプは同意したのか? クィレルの命令に?」

「いいや、純血を減らすような真似を闇の帝王が望みはずはないとか言っている間に、こいつらのほうからドラゴンを嗾けて来た。けど、流石はグリンゴッツが飼っていたドラゴンだ。あいつの炎が保護魔法も破壊しやがった。ケタケタ」

 スラグホーンまで施した護りが内側から破壊された。

 胸を去来する絶望感に臓物が痙攣し、ドラコは聴覚と視覚が遠退く。それでも、微かな正気がクローディアの存在を思い出させた。

「セオドール……僕と来い」

 勝手な行動を取るセオドールだが、この魔女達よりはマシだ。

「あの戦闘機のパイロットは誰なの!?」

「セオドール!?」

 ジュリアの質問にアレクトが答える前に、絹を裂くような悲鳴が聞こえた。

 声の主はセシル=ムーン、パーシーと双子も一緒だ。

「セシル!」

 愛する人を気遣う口調で名を呼び、セオドールはセシルへ一目散へと駆け寄る。それを裏切り行為と捉えたアレクトは見逃さなかった。

 警告もなく、アレクトの杖は無防備なセオドールへ向けられる。彼を庇うように双子は杖を構え、閃光を放ってきた。

 ドラコ達を挟んだ反対方向から、とオーガスタス=ルックウッドとヤックスリーが現れた。

 双子の片割れがセオドールを助けんと体を前に出す。パーシーに助けられ、彼は無事にセシルの腕の中へ辿り着いた。『死喰い人』側の杖が3つ、緑の閃光を放った。

 このままでは赤毛の双子に命中する。

「逃げて、ジョージ!」

 悲鳴に相応しき、凄まじい形相をしたジュリアが閃光の前に立った。

「ジュリア――!!」

 アレクトの悲鳴が終わるより先に爆発が起こり、瓦礫と粉塵に視界が見えなくなった。

 ドラコは自分の意思とは違う力で吹き飛ばされ、夜空に放り出される。あちこちの塔から炎が燃え盛り、杖から放たれる光線が飛び交う。マグルの乗り物まで空を旋回し、押し寄せる巨人へ光を放っていた。

 ドラゴンとグロウブが協力し合い、アクロマンチュラの群れと戦う。小柄な巨人を裏切り者とし、複数の巨人も襲われていた。

 一瞬前まで自分が立っていた廊下には、双子の片割れに覆い被さったジュリアと瓦礫に潰されたアクレト、それらを他人事のように見えていた。

「世話が焼けるね」

 呆れた声と確かな人肌がドラコの背を受け止め、ようやく、戦場にいる実感と共に恐怖が沁みて行く。何も持たずに宙を浮くコンラッドに驚いたが、落ちないようにしっかりとしがみ付いた。

 コンラッドはドラコの背に手を回し、魔法の光線を棍で応戦する。どれも2人へ向けられたものでなくても、気を抜けば命中してしまう。

 加えて、しがみつくドラコが応戦しなかったのは痛手だ。

「セクタムセンプラ! (切り裂け!)」

 2階にてオリバー=ウッドと一騎打ちの形で戦っていたラバスタン=レストレンジは慣れない闇の呪文を制御し切れず、割れた窓の向こうを通り過ぎようとしたコンラッドの喉笛を掻っ切ったのは偶然の事故に過ぎなかった。

 血糊が瞼と濡らした。

 ドラコは頬にかかった血に気づくより先、コンラッドは目を見開いた状態で温室へと無事に降りる。そこにもスタニスラフ=ペレツとスカビオールが倒れていた。

 2人の足が地面に触れても、立てない。蹲るように倒れたコンラッドの白い服が赤く染まっていった。

 ほとんど無意識にドラコはコンラッドの傷口を手で抑え、杖を構えて癒術を試みる。指先の傷程度しかやったことないが、応急処置にはなるはずだ。

 だが、コンラッドは杖を下へ向けさせる。喉を押さえるドラコの手へ自分の手を優しく重ねた。

「……セブルスを……頼む……」

 心臓が引き裂かれる痛みが襲い、ドラコの瞳に涙が溢れる。様々な感情や文句が喉まで出かかったが、唾液と共に胃へと溶けていった。

 さっき会ったばかりの人との今生の別れ、ドラコは頷く。ただ、頷いた。

 アメジストの瞳は安心したように細められ、コンラッドは息絶えた。

《おまえ達は勇敢に戦った》

 耳元で響く声は恐れていたヴォルデモート。振り返る勇気はないが、闇の帝王は傍にいない。ホグワーツが見える位置から、語りかけているのだ。

《だが、無駄な戦いであった。ヴォルデモート卿は魔法族の血が流れるのを望まぬ。我が勢力を撤退させよう。その間に死者を尊厳を以て、弔い。傷ついた者を癒すがよい》

 冷たく優しい口調は勢力を問わぬ命令。潮が引いただけの僅かな時間だけを与えられた。

《ハリー=ポッター。俺様は直接、おまえに話す。己が運命に立ち向かおうとしたというのに、我が配下が失礼した。真夜中まで待つ、それまでに我が前に現われよ》

 耳の後ろにあった寒気が消え、一方的な宣言は終わった。

「……あと一時間もないんだが……。セブルス……、動けるか?」

「……問題ない……」

 聞こえた声は温室の外、クラウチJr.とスネイプがいる。室内のドラコに全く気付いていない。『姿くらまし』の音が弾けた。

 ドラコは彼らに着いて行く気力はなく、何処に行くべきかも判断付かない。誰かが温室に入ってきた。

「スタニスラフ……、大丈夫か?」

 ロジャー=ディービーズだ。作業台の影になっているドラコとコンラッドは見えない様子だ。

 呻き声をあげ、スタニスラフは起き上がる。

「……貴方は……ロジャー? 久しぶりですね。まだ、頭がぼんやりしています」

「こいつは『死喰い人』か?」

 息のないスカビオールに警戒の意味で杖を向け、ローレンス=キャッドワラダーへセドリック=ディゴリーは首を横へ振った。

「……こうなれば、誰だろうと同じだよ。連れて行ってやろう……。ローレンス、そっちを持ってくれ」

 2人は協力し、スカビオールの遺体を運び出す。去っていく音を聞きながら、コンラッドの体を抱きしめる。まだ死後硬直も訪れず、温もりが残っていた。

 温室の割れた天井を見上げ、ここでの授業を思い返す。クローディアとの授業中、『毒触手草』と戯れるベッロ。時折、寮について批評し、相手を侮辱し、拳で返された日々。

 クローディアにコンラッドの死を教えなけれならない。僅かに湧いた使命感が足を立たせる。ドラコは落さぬように彼を背負った。

 襲撃に加わっていた巨人やアクロマンチュラはおらず、ドラゴンとグロウブもいない。

 壁が壊れ、骨組やパイプが剥き出しになる。玄関ホールは完全に破壊され、大広間の扉さえなかった。

 動けなくなった者は大広間の中心に並べられるか、まだ息のある者はマダム・ポンフリーに治療される。『ほとんど首なしニック』達、幽霊さえも苦しむ負傷者を励ましていた。

 バーナード=マンチに抱かれたクララは目を包帯で巻いていたが、命に別条はない。少しだけ、安心した。

 篝火と残り火が広くなった石畳を照らし、ハリーはグリフィンドールの剣を手にしたロンとハーマイオニーを傍に置き、城の外を眺める。3人の背を遠巻きに大勢が見守る中、眩い光が放たれて昼間のように明るくなった。

 ヴォルデモートがクラウチJr.とスネイプ左右に控え、その後ろにルシウス、ナルシッサ、アミカス=カロー、ヤックスリー達を従えて現れた。

 ベラトリックスとロドルファスの姿がないが気に留めず、彼らを尻目にドラコは大広間へ入る。

「コンラッド……」

 ドラコが抱えて来たコンラッドに気づき、片足を引き摺ったディーダラス=ディグルが血相を変えて駆け寄って来る。すぐに事態を察して言葉を失う。そして、今まさにマダム・ポンフリーに介抱されている小柄な老人へ振り返った。

 老人は生気のない血色であったが、生きている。

「ドラコ……」

 呼ばれたが、この老人が誰なのかすぐには思い出せない。しかし、コンラッドの遺体を任せられると直感した。

 マダム・ポンフリーに目礼し、コンラッドを空いた場所へ寝かせる。ディーダラスは彼の傍へ寄り添った。

 見渡しても、クローディアの姿はない。大勢の中へいたかもしれないと思った瞬間、叫び声が外から響いた。悲鳴の主が彼女かもしれないと思い、ブロデリック=ボートの制止も無視して外へ出た。

 ハリーが地面に倒れ伏し、その手には杖さえ握っていなかった。

 決闘の位置に相応しい距離でヴォルデモートも倒れていた。誰も喜びの色を見せず、事態の結果を待ち望んだ。

 ハーマイオニーもロンの手を握り、ただ待った。

 先に起き上ったのは、ヴォルデモートだ。クラウチJr.はすぐに駆け寄り、手を貸そうとしたが無視された。

「あいつは……死んだか?」

 空気が凍り付く中、駆け寄ろうしたハグリッドをビルやオリバー、ウィルキー=トワイクロス、ビクトール=クラム達が必死に止めた。

 その中にも、クローディアはいない。よく見れば、ウィーズリーの双子も一人だけだ。

 ドラコは問うべき相手、ハリーの傍へ行く。

 コーマック=マクラーゲンが引き留めようとしたが、ロンに止められた。

 まさに全員の視線を受けながら、眼鏡の蝶番をコメカミに食い込ませた『選ばれし者』へと跪く。耳元へと唇を寄せ、両腕で唇を隠した。

「クローディアは生きているか? 城にいるのか?」

「いる」

 微かな声が返ってきた。

 安心を態度に出さず、起き上る。ドラコはヴォルデモートへ振り返って告げた。

「死んだ」

 歓声と嘆きに場は割れ、ドラコは瞑想の意味で目を伏せる。

 マルフォイ家は代々ホグワーツであり、スリザリン寮生。

 蛇を象った紋章は誇りだ。しかし、父ルシウスが与えた自身の名は竜を意味している。クローディアは蛇の進化の先は竜だと教えてくれた。

 その通りだ。マルフォイ家はヴォルデモートがいなくても、長い魔法族の歴史に存在した。

 闇の帝王を恐れる必要はなかった。

 ドラコは自分の喉に杖を当てる。

「ソノーラス(響け)」

 自らの声をこの場の誰よりも強く大きくした。ドラコの行動に勝利に酔っていた『死喰い人』から困惑が起こって行く。

「コンラッド=クロックフォードが死んだ」

 彼を知る人々が勢力を問わずに動揺した。

 ヴォルデモートはコンラッドを悼まず、嗤う。その口を開く前に続けた。

「彼は僕に言った。セブルスを頼むと――」

 段々と笑い声と咽び泣く声が消え、ドラコの声に耳を傾ける。ヴォルデモートの言葉を遮り、怒りを買った末路に怯えたからだ。

「コンラッドは母にとって弟だった。クローディアは……僕にとって、姉だった。家族なんだ……。家系の枠を越えた家族……。貴様は誰も守ってくれなかった。そう、貴様は誰も守ってくれない」

 ざわめきが起きた。

「あいつらは間違えたのだ。頼るべき相手を――」

「マルフォイ家が望むのは!」

 喉に押し当てていた杖を外し、ドラコはヴォルデモートの言葉を拒む。

「――マルフォイ家が望むのは魔法族の繁栄と安泰である! おまえは魔法族の為にはならない!」

 それはマルフォイ家の後継者として下した決断だ。

 逸早く賛同の意を示したのはロン。ドラコの前に立ち、剣を構える。ネビル、セドリック、ロジャー……寮も関係なく、倒れ伏したハリーを護るように並んだ。

「おお……4つの寮が……ひとつに……」

 『太った修道士』が感激の声を上げた。

「それが貴様の答えか……」

 あくまでも冷やかにヴォルデモートは羽虫にも劣る煩わしさで杖を上げた。

「私の息子に手を出すな!」

 後先も考えず、焦ったルシウスは子供達の前に立つ。ヴォルデモートの呪文は止まらず、緑の閃光が放たれた。

 ロンは柄を持ち直し、足を開いて必死の形相で剣を投げる。グリフィンドールの剣はルシウスを飛び越え、緑の閃光と相討ちになって砕けた。

 その瞬間、スネイプはルシウスの胴体へ飛び込む。それを見たハグリッドは突発的に機敏な動きを見せ、2人を抱きとめた。

 ナルシッサを除いた『死喰い人』達が一斉に杖を構え、シリウスに合わせ『不死鳥の騎士団』も応戦の構えを取った。

 そこへ割り込むように城壁は意思を持って崩れ、いくつものパイプがヴォルデモートに向けられる。何処からともなく、ドラゴンの咆哮が聞こえた。

 地響きが伝わり、ヴォルデモートでさえドラゴンへの警戒で杖の構えが遅れた。しかし、振動の原因はパイプを通る激流であった。

 轟音を立てて、パイプから水鉄砲が発射される。ハーマイオニーは防水の呪文を唱え、ロン達もそれに続いた。

 当然、『死喰い人』につられる形で防水の呪文を唱える。ヴォルデモートは濡れを気にせず、ドラコへの『死の呪文』を諦めなかった。

 水のカーテンの向こう側から、ハリーの姿を捉えるまでは――。




閲覧ありがとうございました。

どうしても、零戦を出したかったんです。

さようなら、バンズさん。
ジュリア、今までありがとう。
コンラッドよ、さらば。
あばよ、スカビオール。
そして、名も出せずに亡くなった双方のメンバー達。ありがとう。


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15.解き放たれて

閲覧ありがとうございます。

ハリー視点です。

時は遡り、ウォーリーとハリーが合流したところです。


 全貌を聞かされたウォーリー、ロン、ハーマイオニー。『ほとんど首なしニック』、『血みどろ男爵』、『嘆きのマートル』、ピーブズは受けれがたく、反応に困った。

「あいつは僕を倒したと浮かれるだろう。その瞬間が隙になる」

 倒れ伏したハリーを踏みにじり、高らかに勝利を宣言するヴォルデモートの姿が勝手に想像される。他人事のような光景に臓物は震えあがり、心臓は煩い程に騒いだ。

「マートル、君があいつに止めを刺すんだ。君達はそれを悟られないようにして欲しい」

 ハリーが言い終えた瞬間、ロンの手が彼の胸倉を掴む。悲壮に歪んだ顔で縋った。

「君を倒させるなんて、そんな作戦……僕は嫌だ」

「ええ、私もよ。ハリー、カップはまだ破壊出来ていないわ。本当にクィレルが持っているかもわからない。貴方はダンブルドアと同じようにヴォルデモートを倒す為に自分を差し出そうとしている……」

「ハリー、貴方が死んだら……」

 『嘆きのマートル』が言い終える前に『ほとんど首なしニック』が厳しく咳払いした。

「ハリー=ポッターは逝くだろう」

 未練を持って、残りはしない。『血みどろ男爵』は羨ましそうに告げた。

「薬だよ! ウォーリー、君の薬を……」

 急いでハリーから手を離し、ロンはウォーリーの鞄を掴む。『解呪薬』の存在を思い出すが、決意も作戦も変わらない。鞄に手を入れる彼女の手を制した。

「それだと……何の解決にもならない」

 自然に出た言葉は予感であり、事実だ。『解呪薬』を飲み、泥のような異物を吐いたクィレルを思い返す。解かれる為の反動が強い。『分霊箱』にされたのは額の傷がつけられた瞬間であり、積み重なれた歳月により蝕まれた身では、死に至らしめる可能性もあるのだろう。

 この命はヴォルデモートに殺されてこそ、意味がある。

「私は……ハリーを信じる」

 ウォーリーは自分に言い聞かせる口調でハリーの手を両手で包むように握った。

「さっき、言っていただろう。ダンブルドアは逃げてくれと言ってくれたと……その言葉を私は信じる」

 汗ばむ手は死別を恐れ、嫌い、回避を望む。

「ハリー=ポッター、決闘はわかりましたが……ピーブズの力を使うには壁を壊さねばなりませんが……」

 『ほとんど首なしニック』は確認している。彼はハリーがどんな案も協力する気でいた。

「ここは戦場になる。壁は自然と破壊される……。僕の狙いは君達だけに話しておく。他の幽霊にも言っては駄目だ」

 真意を打ち明けても、城にいる皆は確実に巻き込まれる。胸を罪悪感が沁みていく。ただ、クィレルからカップを奪うだけなら、話は違っていた。

「……確かに、向こうには『開心術』を使えるスネイプがいる。幽霊にも『開心術』は効くの?」

「効かないな。『開心術』は生きている者にしか、効かない」

 まだ焦燥感に駆られるロンは疑問を口にし、ウォーリーが断言した。

 

 ――脳髄の視界が打ち捨てられた石造りの小屋にある。黄金の箱が空だ。

 

「ハリー=ポッターに従おう。ピーブズ、しくじるでないぞ」

「はっはい! 勿論でございます。男爵!」

 ヴォルデモートの凄まじい怒りの渦から、『血みどろ男爵』の冷徹な声が呼び戻す。周囲を意識すれば、ハーマイオニーは手に入れたばかりの牙をウォーリーへ渡していた。

「カップの件はどうするんだ?」

「ひとつ、当てがある」

 ロンの質問に即答しつつも、ハリーはこれだけは自信がなかった。

 

 大広間に行く途中、大勢の知った顔に会った。

 クレメンス=サマーズ、クララ=オグデン、リー=ジョーダン、アンジェリーナ=ジョンソン、アリシア=スピネット、ケイティ=ベル、ミム=フォーセット、チョウ=チャン、リサ=ターピン、マイケル=コーナー、テリー=ブート、ラベンダー=ブラウン。

 偽金貨の伝言に応じたのだろう。DAの面子ばかりだ。

「オリバーやセドリックも来ている。さっき、ロジャーとコーマックも見かけたよ」

 アンジェリーナに手を振られても、ハリーは返事する余裕はない。

 ドラゴンの咆哮が聞こえ、閃いたのは幸いと言えるだろう。

 二重扉の向こうでは寮席は取り払われ、大広間は『不死鳥の騎士団』たるシリウスを中心に生徒が集う。シェーマス、エロイーズ、アンソニー、パドマ、パーバティ、久しき学友の面々に感情が高ぶるが、今はマクゴナガルへ急いだ。

 その間にロンとハーマイオニーが再会を喜び、ウォーリーは複雑そうな表情で自己紹介した。

「貴方が宣戦布告した後に、護りを解くんですか?」

「ある程度、時間を置いてから……ドラゴンに噴かせた炎が保護呪文を解いたように見せかけて欲しいんです。こちらが意図的に解いては勘繰られます」

 マクゴナガルは眩暈を起こし、それをシリウスが片手で支える。

「ハリー、それは必要なんだな? 奴らを城に招く事が」

「そうだよ、ヴォルデモートを滅ぼす為に」

 嘘ではない。

 しかし、シリウスは追及せず、すぐに納得してくれた。

「あら、その名前もう言っていいんだ」

 聞き慣れた声に振り向けば、ウォーリーの腕にルーナが絡みついていた。

「油断大敵だぞ。何しに来た? というか、今すぐ帰れ。ヴォルデモートがここに来るぞ」

 ウォーリーはルーナの顔面を手で鷲掴みにし、引き離そうとするがビクともしない。

「トレローニー先生を知らない?」

 その質問に皆、別の意味で顔を歪める。

「フィレンツェ先生にえ!」

 エロイーズの声に皆の視線は二重扉に集まり、ケンタウロスのフィレンツェは勢いよく蹄を鳴らした。

「アーガス=フィルチはイルマ=ピンスが連れて脱出した。シビル=トレローニーは変わらず、塔から降りて来ない」

「先生ったら、こんな時にまで……」

 パーバティは呆れて肩を竦める。

「ミセス・ノリスも一緒?」

 ルーナにフィレンツェが答え、ハリーはパーバティを見やる。『占い学』を選択していたはずだ。

「パーバティ、トレローニー先生を説得できない?」

「無理―! 何をどうやって説得するの?」

 パーバティは全力で断った。

「だったら、ルーナだな。トレローニー先生とは会話が出来るだろう。行こう、時間が惜しい」

「ハリー、トレローニー先生にお願いがあるんじゃない? 自分で行ったらいいと思うもン」

 喋るルーナに構わず、ウォーリーはさっさと大広間を後にした。

「まさか……、カップの場所をトレローニー先生に聞くつもりだったの?」

 目の据わったハーマイオニーにハリーは目礼で答える。

「ハリー!!」

 巨体を揺らすハグリッドの登場でハリーはハーマイオニーの追及を逃れ、自分の肩へ爪を立てたヘドウィッグの姿に喜んだ。

「コンラッドが知らせてくれたぞお! あのドラゴンもハリーが解放したって本当か!?」

「彼には助けられたよ」

 ハリーはハグリッドに答え、巨体の影になっていたコンラッドに驚いた。

「コンラッドさん、どうして来たの!? 来ちゃ駄目だ!」

 ロンは慌てふためいた。

「私は来なければ、ならないからだよ」

 機械的な口調は何処か、弾んでいる。

「そうだぞ、ロン。来る意思は拒めない」

 ハグリッドの後ろから、フレッドとジョージが快活な笑顔で現われた。

「ロン、パースが戻ったぞ! お袋と一緒だ!」

 フレッドはロンを抱きしめ、吉報を伝える。パーシーが戻ってくれた。その事実はハリーも安心させた。

「ジニーは?」

「フラーと一緒にコリン達を任せて来た」

 ジョージに答えて貰い、ハリーは心底、安心した。

 

 マクゴナガルの助力により、ハリーは『死喰い人』に告げる。スネイプの声を聞くだけで、首の後ろを怒りの熱が走った。

「ヴォルデモートがすぐに来るんじゃないか?」

「来ないよ、一時間以内には来れない」

 シリウスに答えたハリーは思わず、額に手を当てる。

 

 ――水面の下に蠢く何かがいる湖を進む。

 

「ポッター!」

 ハグリッドを蹴るように退かし、アバーフォースは凄まじい剣幕だ。

「生徒を逃がす計画だと聞いていたぞ! 逆に増えておるではないか!」

「アバ。皆、自分の意思で来たんだ」

 暴れ馬を窘めるようにシリウスはアバーフォースへそう説明した。

「しかも決闘とはどういうつもりだ。一体、何が目的だ?」

 それはアバーフォースだけでなく、この場にいる全員の問いだった。

 肩にいるヘドウィックを解き放ち、ハリーは皆の顔を1人1人、感慨深く見渡す。この場にいない者達へも含めて答えた。

「僕は皆に戦いを生き延びて欲しい」

 ハリーの嘘偽りない本心に大広間は水を打ったように静まり返った。

「グリフィンドールの剣、手に入れたんだな」

 何か言わねばとシェーマスがハリーに手にある模造刀を指差す。本物は今でも、ハーマイオニーのビーズバッグに入ったままだ。

「ああ、手にれたよ」

 両手で剣を抱えて、シェーマス達に見せつける。皆の視線は剣の刃に向けられ、誰もこの場から離れようとしなかった。

「ロン、剣は君が持っていて……。そうすれば、僕は安心だ」

「わかったよ」

 まだ作戦に対する不満げな視線を向けられたが、胸中で詫びながら無視した。

 

 グレイバックを倒し、ハリーはヴォルデモートの到着を感じる。

 

 ――城が見える丘にあり、その場に跪くのはクィレルとルシウス。2人を視界に入れず、脳髄には『必要の部屋』で満たされる。ハリー達がホグワーツに現れたのは『必要の部屋』に隠した『分霊箱』が目的だと当たりを付けた。

「我が君……どうか……私の息子は」

「クィリナスよ」

 地面に伏して乞うルシウスを無視し、クィレルに声をかける。

「俺様が預けた品はあるか?」

「常に」

 立ち上がったクィレルはヴォルデモートの傍により、ルシウスから見えぬ位置で外套を捲ってハッフルパフのカップを見せる。本物だ。

「それを持って、此処を去れ。この先、誰にも会うな」

「……お心のままに」

 少しの間は躊躇いではなく、二度と主人に会えぬ無念さだとヴォルデモートは見抜いている。クィレルは愚かな野心を持ち、アルバニアを訪れたが、最も信頼できるは配下となった。

 クィレルの『姿くらまし』を見届け、ヴォルデモートは無意識に呟いた。

 

 ――俺様の命を守るのが貴様だと言うのか、ボニフェース。

 

 クィレルはカップを持ち去ってしまった。

 しかし、ハリーに絶望はない。何故なら、ウォーリーがいる。彼女なら、何年かかってもクィレルを探し出すだろう。

 ヴォルデモートの撤退宣言の後、ハリーはロンとハーマイオニーを連れて手近なお手洗いへ飛び込む。急いで『嘆きのマートル』を呼んだ。

「ハリー、今まで私を殺した犯人を探そうとする人はいなかった……。敵を討たせてくれるなんて……」

 壁が崩れ、剥き出しになったパイプにグリフィンドールの剣を入れる最中、『嘆きのマートル』は歓喜に打ち震えていた。

「ここから、どの場所でも水を使って剣を運べるね?」

「ええ、やるわ」

 やる気に満ちた『嘆きのマートル』に剣を託し、お手洗いを出る。瓦礫に注意しながら、フィレンツェは脇腹を手で押えて歩く。その背にグリップフックが優雅に捕まっていた。

「ハリー=ポッター、またお会いしましたな」

 皮肉っぽく告げるグリップフックを見て、ゴブリンは好きにならないと誓った。

「ハリー、少し独りになるたいんじゃない? 決闘は貴方1人の力だけが頼りよ」

 突然、ハーマイオニーは提案した。

「精神統一は必要だもの。ね?」

 しかも、ロンが疑問を口にする前に彼の背を押してまでフィレンツェに着いて行った。

 置いて行かれたハリーは何度も振り返るハーマイオニーの切なげな表情から、逃亡の機会を貰ったのだと踏んだ。

 例え、ハリーが決闘を放棄しても残った者達でピーブズがパイプを操り、『嘆きのマートル』がグリフィンドールの剣を放つまでの時間稼ぎは出来る。

 ハリーが死なずとも、ヴォルデモートは倒せる。

 ハーマイオニーの思いやりに、ハリーは拳を強く握りしめて目に涙を浮かべた。

 天井も床もぶち抜かれた廊下を歩き、自然と校長室の前に立つ。ガーゴイル像は無傷でそこにあった。

 ベッロの遺した『憂い』がまだ校長室にあると知りながら、ハリーはもう彼から教えて貰う事はないとわかっている。ずっと肌身離さず持っていたスニッチを手にし、もう見えない文字の意味を理解した。

「僕は間もなく死ぬ(私は終わる時に開く)」

 スニッチはハリーの唇を受けて割れ、黒い石を解放した。『蘇りの石』を手の中で3度、転がした。

 月明かりに照らされた3人の気配は幽霊とは違うが、そこにいた。

 日記の記憶だったトム=リドルが良い例だろう。

 父親ジェームズはハリーと背が変わらず、年の見た目の近い為に兄弟に見える。母親リリーも同じだが、その優しい眼差しは母親のそれだった。

「ドリスさん……」

 ドリスは『漏れ鍋』で初めて出会った時と全く同じ服装だった。

「あなたはとても勇敢だった」

 ハリーに向けられた声、誰かの記憶の再生じゃない。自分だけに向けられたリリーの声は心を幸福にした。

「死ぬのは苦しい?」

「いいや、眠るより落ちるより早い」

 ジェームズは微笑んで答えた。

「僕は貴女を利用した……。貴女にずっと甘えていた。貴女の仇さえ捕らず……」

「もう少し甘えてくれても良かったのよ。貴方達の縁次第で本当の孫になれたんですから」

 冗談っぽく、ドリスは告げた。

「一緒にいてくれる?」

「「「最後の最後まで」」」

 3人の声は重なる。

「貴方達の姿を見れば、シリウスも喜ぶ」

「残念だが、ハリー以外に私達は見えない。私達はおまえの一部なんだ」

 それだけが本当に残念だった。

 

 作戦通りに崩壊した城の中で皆が集まれるのは大広間だけだ。息のない人々も大広間の真ん中へ並べられた。犠牲が1人も出ないはずはなかった。

 ハグリッドはこの惨状に声もなく、泣いた。

「ベクトル先生は大丈夫ですか?」

「この人は気絶しているだけですよ」

 半べそ状態のスーザン=ボーンズはマダム・ポンフリーの言葉を聞いても、落ち着かない。ハンナと肩を寄せ合った。

「ジュリア」

 冷たくなったバンズと共に運ばれ、ジュリアは醒めぬ眠りにつく。飛行服に身を包んだペネロピーが彼女の胸で咽び泣いた。

「……ジュリアは僕を……ジョージと間違えたんだ」

 フレッドは涙だけ流し、それだけ教える。ジョージは泣いておらずとも、その瞳は悲しみに沈んでいた。

「この人……俺を庇って……」

 バンズを看取ったセオドールはヘスチア=ジョーンズに伝え、セシルに慰められていた。

 『人さらい』のスカビオールも運ばれ、動けぬ者達と一緒にされる。彼を運んだセドリックは父親のディゴリーに抱かれた。

「チャリティ……よく無事で……」

 マクゴナガルは滅多に見せぬ涙を見せ、飛行服を着たバーベッジと再会の抱擁を交わしていた。

「ハリー、ウォーリーは何処だ?」

 ビルに声をかけられ、ハリーは我に返る。確かに彼女の姿はない。ハーマイオニーは自らの期待を裏切った彼の姿に表情を強張らせた。

「ルーナと一緒にいた子なら、4階へ行きました」

 ビクトールに背負われたトレローニーはそう答えた。

「いつですか?」

「……あの人の声が聞こえた後です……。彼女の探し物は何処にけば見つかるかと聞かれたので、最初に戻りなさいと」

 ハリーの考えを見抜き、ウォーリーはカップの居場所をトレローニーに訊ねた。

 何故、4階が思い付いたのか考える。クィレルはもう城にいないはずだ。

「あの子は行くべき場所がわかっています」

 ハリーの自問自答に誰にも見えないドリスは囁く。彼女がそう言うなら、きっとウォーリー……否、クローディアは上手くやってくれるのだ。

「ジョージ、おまえも4階へ……ウォーリ―のところへ行くんだ。理由は後で話す」

 冷静な口調に焦りを混ぜ、ビルはジョージの背を押す。されるがままの彼は表情も作れず、長兄に従った。

 ビルの判断は正しく、その気遣いに感謝した。

「ちょっと、待ってくれ。よりによって4階に……、ウォーリーが勝手に行ったなら、追う必要はないだろ」

 フレッドはジョージを引き留めようとしたが、ロンに止められる。何かに気づいたハーマイオニーは険しい表情になった。

「『禁じられた廊下』よ、ジョージ。彼女はそこへ行ったに違いないわ」

「ジョージ、彼女を頼むよ」

 ハーマイオニーとハリーにも頼まれたが、ジョージは目礼で承諾を示しただけだった。

「ハリー。決闘の時、僕らは何をすればいい?」

 確認してくるセドリックはハリーの勝利を信じて疑わない眼差しだ。

「その事なんだけど……、決闘の後を任せたい」

「どういう意味?」

 ネビルの追及にハリーは葛藤と肉体が切り離されたように話す。これからヴォルデモートと対決する彼へと皆は集い、話を聞こうと耳を澄ませた。

「僕がどんな状態になろうと、ハーマイオニーとロンが動かなければ、誰も動かないでくれ。誰かが先走ろうとしたなら、それを止めて欲しい」

 質問したいが、ハーマイオニーの眼光に誰も口を開かない。

 ハリーは背に視線を感じ、振り返る。暗闇で見えぬ向こうから、ヴォルデモートは来る。

 いよいよ、その時だ。

 皆の悲しみに背を向け、ハリーは残骸の扉を越える。ロンとハーマイオニーが続き、シリウス、ネビル、ハグリッドも着いてくる。起き上がれる者だけが立ち、それ以外の者は外へ行く人々を見送った。

 ちょうど、ハリーが大広間を完全に意識から離した時、トワイクロスに背負われたトトが運ばれて来る。コンラッドを抱えたドラコも――。

 

 ――緑の閃光の果ては真っ白だ。

 

 うつ伏せている。周囲の音を耳を拾おうにも誰もない。指先が動くので起き上ってみる。体の無事を確かめようと触れてみれば、眼鏡がない。視界は視力のせいかと思えば、明るい靄は裸眼よりは鮮明に周囲を見せた。

 線路のような溝、置かれた椅子、囲む柱、駅のホームという印象を受けた。

 突然の移動にも関わらず、胸には何も不安もない。むしろ、今までいたどの場所よりも心地良い気分に浸れた。

 椅子の下に異物を捉え、ハリーは屈んで覗き込む。皮膚の剥がれて脈を露にされた小さな人だった。ゾッと寒気がしても憐れむ気持ちは微塵も起きなかった。

 ただ、僅かに手を差し伸べてやりたい気持ちはあった。

「ハリーは素晴らしい」

 かけられた声に振り返る。白い靄がかかった世界でガーネットの瞳は、ハリーにここが生者の居場所ではないと教えた。

「ベッロ」

 呼ばれたベッロは楽しげに首を振う。赤い鱗に気を取られ、近寄ってくる人影に遅れて気付く。その人がここにいるはずはない。怪訝した。その人とは数時間前に話したばかりだ。

「トトさん」

「ハリー、ベッロに先を越されてしもうた」

 ハリーより小柄な男は紺色の着流しを纏い、散歩中に出会ったような口調で挨拶してきた。

 しかも、トトはそのまま通り過ぎる。ハリーとベッロは後に続いた。

「トトさん、あれは一体……」

「『分霊箱』の末路じゃ。お主の中におった……若造の一部じゃ」

 振り返りもせず、トトは興味なさげに答えた。

「貴方は……僕がヴォルデモートの『分霊箱』だと知っていた?」

「途中で気付いたんじゃ。孫の魔法を食らい、お主の片腕が吹き飛んだ時じゃ。いくら、処置が早かったとはいえ……あの深手で生きておる者はそうはおらん」

 深刻そうにトトはハリーの片腕を見やる。そこにあるはずの傷はない。

「あれは焦った。ハリー、死にかけた。でも、奴の魂が命を繋いでいた」

 するすると地面を這いながら、ベッロは告げる。去年、ハリーはセクタムセンプラを受けた場面を思い返す。片腕まで取れた事実は現場にいたクローディア、スネイプ、トレローニー、ダンブルドア、治療したマダム・ポンフリーしか知りえないはずだ。

 ホグワーツに来る前、トトと話した時に一瞬だけだがダンブルドアと見間違えた。

 目の錯覚でないなら、全ての辻褄が合う。

「……僕が怪我したとき、傍にいたダンブルドアは変身した貴方だった……。僕にいきなり決闘を申し込んだのは、貴方の姿のままでいるダンブルドア……。死んだのは……トトさん……」

 ダンブルドアが生きていた喜び、トトが死んでいた悲しみ。

 二つの感情が鬩ぎ合い、ハリーは涙した。

「ダンブルドアは……貴方を身代わりになんて……しない……。トトさんが庇ったんですか?」

「お主は聡明じゃ……それでいて、勇敢な男じゃ」

 足を止めた先に椅子があり、トトは座るように促す。ハリーは腰掛け、ベッロも乗り込んでトグロを巻いた。

「言い訳にもならんが……ワシは若造を倒したかった。ワシなら、造作もないとタカを括っておった。じゃが、ダンブルドアは良しとせんかった。歯痒かった……やがて、どうにも我慢できんなった。若造の母親が生まれ育ったという家を訪ねた。そこを拠点にでもしておると思うてな」

「……そこで指輪を見つけたんですね……。『死の秘宝』の印が刻まれた指輪を……」

 ハリーの脳裏に、崩れかけた小屋で指輪を嵌めようとするトトの姿が勝手に想像された。

「指輪の石が『蘇り石』だろうとは思っておった……。逝ってしまった者達と話せる……。ワシは……愚かにもそそられた。ボニフェースの遺言にもあった指輪じゃ……呪いが施されておるとわかっていながら、ワシは指輪を嵌めかけ……報いを受けた。コンラッドの力で1年、寿命を延ばしたが、ダンブルドアはワシに死なれたくないとちょいと馬鹿な提案をしてきた。最初は提案に乗ったが……」

 ダンブルドアは何かの方法でトトの死を代ろうとしたが、彼は最後に自ら死を受け入れた。

「ここは何処ですか?」

「逆に聞くが、お主は何処だと思うね?」

 涙を拭い、ハリーは周囲を見渡す。

「キングズ・クロス駅みたいだ……。綺麗だけど……生きている気配がない……」

「ハリーの晴れ舞台!」

 ベッロはおどけて笑う。彼はハリーよりこの場所を熟知しており、キングズ・クロス駅に見える意味を理解していた。

「ベッロ、僕の命をヴォルデモートの魂が繋いでいたってどういう意味? 逆なんじゃないの?」

「それについては、ワシらはダンブルドアではないからのお。お主と答え合わせはしてやれん。じゃから、ワシの推察では……お主の命はつい先程までは、若造の『分霊箱』によって護られておった。故に、それまでは死ねぬ身であったじゃ。何故、そうなったかはダンブルドアに聞くがよかろう」

 ハリーは自分の身に起こった出来事の成り立ちがすぐには理解できない。だが、一つ確かな事はあった。

「僕は帰れるんですか?」

「お主次第じゃ」

 これがダンブルドアの対策。

「選べるんですか?」

「勿論」

 話は終わりと言わんばかりにトトは立ち上がる。ベッロも椅子から降りたが、ハリーは立ち上がれても、2人に着いて行けない気分になった。

 もうヴォルデモートを護る『分霊箱』はひとつ。クローディア達に任せて大丈夫だ。

 この暖かで穏やかな世界にいれば、この身に受けた傷もなく、幸福に似た感情のままでいられる。不意に疑問が浮かんだ。

「ヴォルデモートは『ニワトコの杖』を手にれました」

「お主はもう最強の杖ではなく、最高の杖こそが魔法使いに最適だと知っておる」

 不死鳥の尾羽の杖。

 確かに自分に『ニワトコの杖』は荷が重すぎる。最初の杖にして、最高の杖。この手にない杖の感触を確かめんと握った。

「グリンデルバルドが教えました。あいつはどうして、杖の在り処を教えたんでしょうか?」

「ただの命乞いじゃよ。深い意味はない」

 皮肉に告げても、トトはグリンデルバルドに悪感情を持っていない印象を受けた。

 快活な笑顔が遠退いて行く感覚がする。別れが迫っている。ハリーの中で戻る選択が結果になろうとしていた。

「貴方はグリンデルバルドと戦わなかった。僕はそれで良かったと思います。きっと、貴方が倒してしまっては何も解決しなかった」

「ワシもそう思う。……あくまで、今にして思えばじゃがな」

 もうハリーは此処から離れる。そう直感した。

「最後にひとつだけ教えてください」

 トトとベッロは笑顔のまま、待つ。

「これは現実ですか? 僕の頭の中で起こっているの出来事ですか?」

 ベッロはクスリと笑う。

「ハリーにとっては、どちらも同じだ」

 

 ドラコに庇われたのは予想外だったが、時間は稼げた。

「エクスペリアームズ! (武器よ去れ)」

 驚愕したヴォルデモートより、ハリーの呪文は早い。最強の『ニワトコの杖』が闇の帝王から、弾け飛んだ。

 パイプから放流される水を道とし、本物のグリフィンドールの剣が飛び出る。ヴォルデモートの真上で銀の刃先が下を向いた瞬間、『嘆きのマートル』が塚の先を両手で打ち落とした。

 顔を上げたヴォルデモートの口へと突き刺さり、臓物を貫いた。

「……ボニ……ス……!!」

 舌をも切られたが、その呻き声が紡いだ名をハリーは確かに聞き取った。

 断末魔の悲鳴を上げ、しばらく痙攣したヴォルデモートは音を立てて仰向けに倒れ伏した。

 城を照らしていた閃光が消え、暗闇が真夜中であると思い出させる。フリットウィックが杖を抱え、強力な光を齎す。それでも、ヴォルデモートは起きなかった。

 

 ――終わった。

 

 先程の地響きなど比べ物にならない衝撃が湧き起り、歓声の声と共に『姿くらまし』の弾ける音も響いた。

 ハーマイオニーに抱きつかれ、ようやくハリーは実感する。彼は『嘆きのマートル』だけを見ていた。

「君の勝ちだ。もう嘆かなくていい」

 ハリーはまるで試合の敗北を認めるように、『嘆きのマートル』へ賛辞を贈る。彼女は照れ臭そうに笑う。ボニフェースが恋い焦がれるのもわかる魅力的な笑みだった。

 ロンに抱きつかれた瞬間、マートルから目を逸らす。もう一度、見上げた時には彼女は何処にもなかった。

「彼女は逝ってしまいました」

 傍まで寄っていた『ほとんど首なしニック』に教えられる。歓声と喚き声で周囲がほとんど聞こえないが、不思議と彼の声は耳に届いた。

「ハリー=ポッター、貴方は偉大な魔法使いです」

 宙に浮かぶ幽霊達、4つの寮付きの幽霊は勿論、ピーブズさえもハリーに畏まった。

「ハリー=ポッター! 彼女は何処だ!」

 歓喜に群がる人々を搔き分け、ドラコは必死に問う。騒がしい人々の声から、聞き取ったハリーは唇を動かした。

「彼女は――」

 




閲覧ありがとうございました。
ハリーを助けるのは最強の杖ではなく、いつだって最初の杖。

マートルよ、安らかに。
彼女を昇天させるには、これしかないと思いました。

ヴォルデモートに言葉はいらないでしょう。


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16.繰り返して

閲覧ありがとうございます。

自分が遡って、ハリー達と分かれて北の塔へ到着した頃です。

残酷な描写があります。ご注意ください。


 『占い学』の教室は北塔の階段を駆け上がり、用意された梯子を昇って部屋に入る。その梯子はトレローニーによって外され、先客のリサとラベンダーは天井にある戸口を見上げる。足元に木屑が大量に落ちていた。

 階段の壁に連なる絵の住人達も梯子に最も近い絵へと集まり、考え込む仕草を繰り返した。

「ルーナ! お元気そうで何よりですわ。捕まったと聞いた時は凄く心配いたしましたわ。なのに、私……。何も出来ませんで……そちらは?」

 パドマから初対面扱いされた時も堪えたが、リサも同じくらい胸が痛む。ウォーリーに慣れたと思っていたが、ハーマイオニーやルーナのようにクローディアだと見抜かれたかった。

 そんな願望に気づき、自分に幻滅した。

「……ウォーリーだ。宜しく……、それより……」

《僕はハリー=ポッター》

 ウォーリーの質問はハリーの宣言に動揺し、止まる。

「トレローニー先生を待って欲しかったな」

「決闘って……ハリーは学校を圧政から解放するのではなく、根本である『例の人』を迎え撃ちに来たのですね?」

 性急なハリーにウォーリーは溜息を口の中で殺す。リサは頬を赤く染め、興奮を抑えていた。

「ネビルが言った通りね! ちょっと、『カドガン卿』。貴方達だけでも教室に入れないの?」

「生憎、招いて下さる絵がない故に」

 ラベンダーに『カドガン卿』と呼ばれた鎧の男は残念無念と頭を垂れる。

 どうやら、ホグワーツを『死喰い人』の圧政から解放する為に召集された。DAの仲間もそれ以外も、それを胸に抱えて城に来た。

 ヴォルデモートが倒れれば、結果的にホグワーツは解放される。間違いではないが、それにはハリーの命が本当にかかっているのだ。

(ダンブルドアは……何か対策しているはずだ……。それを信じる)

 ナギニと同様に生きた『分霊箱』のハリーが死なない限り、ヴォルデモートは滅びない。故に闇の帝王の手によって殺されなければならない。

(……ハリーにベッロの『憂い』を見せたほうが早かったかもしれんな)

 ウォーリーの気づけぬダンブルドアの意図にハリーは気づけたかもしれない。

「防衛の準備は整っている!」

「ハリー=ポッターは玄関ホールにいる!」

 緊急事態に絵の住人達は右往左往し、他の絵を通って下へと駆け抜けていった。

「トレローニー先生、いい加減にしてください! 他の場所では皆、戦いに備えているんですよ。ここも私達が防衛しますから、教室に入れて下さい!」

 ラベンダーがどれだけ叫んでも、天井の戸は物音ひとつしない。

「魔法で戸を開けられないのか?」

「とっくに何度もやったわ。梯子を作って、登ろうとしてもすぐに壊れちゃうの。多分、先生の持っている梯子以外は掛けられないようにしているんだわ」

 余程、立て篭もりたい事情があるのだろう。知った事ではない。

「実力行使だ。皆、後で先生に謝ってくれるか?」

 苛立ってきたウォーリーにルーナ、リサ、ラベンダーはお互いの顔を見合せる。親指を立てて承諾の意を示した。

 その場に座り、拳を床に付ける。ウォーリーは深呼吸してその体勢のまま飛び上がり、拳を戸へと叩きつけた。

 跳躍と飛行術を合わせ、戸は控え目な破壊音を立てて壊れる。勢いを殺さず、ウォーリーは教室へと乱入した。

 如何にも占い師風の装飾があり、水晶を手にしたトレローニーもいる。窓辺から外の様子を窺っていたのだろうが、乱入者へ絶句して大きなレンズの眼鏡が目元からズレていた。

「どちら様?」

「この顔でお会いするのは初めてですね」

 完全な不審者たるウォーリーはそう答え、見つけた梯子を掛ける。ルーナ達は順番を譲り合って教室へ入ってきた。

「ごめんなさい、トレローニー先生。緊急事態なんだ」

「申し訳ございません。時間がないもので……」

「先生、そこから何が見えますか?」

 ルーナとリサは謝ったが、ラベンダーはさっさと窓辺に立つ。

「この日が来る事はわかっていました。私が杖を持ち、戦う姿が見えました」

「その話……長くなりますか? ハリーが呼んでいます。一緒に来て下さい」

 遠慮なくウォーリーはトレローニーの熱弁を遮り、失礼のないようにその細腕を掴んだ。

「いいえ、私は此処から動けません。まだ、此処を動いてはいけません」

 トンボが如く細い体からは想像もつかぬ力で抵抗され、トレローニーは頑なに教室を出ようとしない。

「ハリーが呼んでるなら、来て貰ったほうが早いわよ」

 ラベンダーに諭され、深呼吸したウォーリーは一先ず、トレローニーの腕を離した。

「一時間以内に『例のあの人』は来るのでしょか?」

「ヴォルデモートは来れないよ。来るなら、もう来ているもの」

 リサに答えるルーナはまるでハリーの考えを見抜いているように思え、ウォーリーは畏れ慄いた。

「では、トレローニー先生。ハリーの代わ……」

 ウォーリーはカップの居場所について問おうとした瞬間、ドラゴンの咆哮が建物、人へと轟く。城の敷地を覆っていた保護呪文が解けていくとわかった。

 窓から周囲を見渡し、『天文学』のオーロラ=シニストラが杖を振るって呪文を唱える。マクゴナガルの指示で護りを解いているのだ。

 その動きに気づいていないラベンダーは見慣れた『銀の矢64』にて空を旋回するマダム・フーチへ叫ぶ。

「マダム・フーチ、何事ですか!?」

「ドラゴンの抑えが利かなくて、炎を吹いてしまったんです! 保護呪文に穴が開いてしまいました。この隙をついて、奴らが乗り込んでくるかも……」

 マダム・フーチが言い終える前にルーナはラベンダーの服の襟を掴み、奥へと引っ込める。代わりに杖を隣の塔へ向けて閃光を放った。

 『姿現わし』してきたトラバースに命中し、彼は屋根に倒れ込む。

「『死喰い人』が来たぞ!」

 叫んだマダム・フーチの乗る箒、その端へ無遠慮に降り立ったのはクラウチJr.だ。無防備な背中へ蹴りを入れようとした。

 それより先にウォーリーは窓から跳び、クラウチJr.へ杖を向ける。相手も介入者へ切り替え、お互いの杖から放たれた閃光が打ち消しあった。

「おまえ……屋敷にいた女だな」

 ほとんど興味なさげにクラウチJr.は言い放ち、箒から蹴り飛ぶ。彼も何も持たない『飛行術』を会得している。ウォーリーと空中を飛びながら、杖から閃光を放ち合った。

 ルーナ達とマダム・フーチも『死喰い人』と応戦する。途中から、キングズリーが参戦した。それより、余裕が出来たトレローニーは水晶を手の平に乗せ、バッティングが如く飛ばした。

 水晶はクラウチJr.のコメカミへ見事。油断した衝撃に眩暈を起こし、彼は飛行する力を失う。いつの間にか現れたスネイプが受け止めた。

(スネイプ先生)

 呼ぼうと唇が動く前にマダム・フーチが容赦なく、スネイプを攻撃する。その光線をウォーリーは防いだ。

「待ってくれ、マダム・フーチ! スネイプ先生、クィレルは何処ですか!?」

 一瞬、動揺したマダム・フーチは質問を聞き、『死喰い人』の企みを暴かんとしていると勝手に解釈してくれた。すぐに他の『死喰い人』との交戦に入った。

 スネイプは味方だと叫びたい。しかし、この状況で訴えれば、真実がどうであれ、『死喰い人』側からも狙われてしまう。

「答える必要はない」

 スネイプは返答を拒み、トレローニーの放った水晶を杖からの光線で粉々に砕いた。

「水晶なら、どんどんあります!」

 臆せず、トレローニーは次々と水晶を放つ。『死喰い人』の仲間と共に『姿現わし』してきたグレイバックの後頭部にも直撃し、気絶させた。

 しかし、それ以上に『死喰い人』が城内へと侵入し、あちこちで乱戦が起こる。予想はしていたが、戦場にいる自覚に今更、戦慄に臓物が震えた。

 スネイプは校長室の屋根に下り、意識を取り戻したクラウチJr.を下ろす。

「ちっ、余計な事を……」

「セブルス!」

 叫び声の主は6階の割れた窓から、ドロホフ相手に抗戦するスラグホーン。フリットウィックが助っ人に入り、改めてこちらを見上げて叫んだ。

「戦いをやめさせてくれ! コンラッドが来ておる! もう、やめさせてくれ!」

 コンラッドが来るとは思わず、ウォーリーは焦る。スネイプの眉もピクッと痙攣した。

「へえ……ようやく、やる気が出て来たぜ」

 クラウチJr.は好戦的に微笑んだ。

「ハリー=ポッターを差し出すのだ! そうすれば、すぐにでも終わる!」

 それでも務めて動揺を顔を出さず、スネイプはスラグホーンに告げる。

「また繰り返すのか! クローディアのように! セブルス! コンラッドとリリーに対し、詫びる気持ちが少しであるなら、こんな事はやめさせておくれ!!」

 必死の訴えを聞き、ウォーリーはホグワーツを巻き込んだ事を酷く後悔した。

 仮にハリーが1人で降服しようとすれば、それこそ、城が崩壊しようともマクゴナガル達は彼を護る為に戦ったに違いないのだ。

 スラグホーンは後から来た『死喰い人』と交戦し、スネイプとクラウチJr.はディーダラスとポドモアに応戦し始めた。

 不意に奇妙な音が耳に入る。プロペラの回転音だ。

 音の方角を振り向けば、月明かりで戦闘機が2機も視認できる。かと思えば、ウォーリーの横を通り過ぎる。その直後、北塔の屋根に降り立ったのはビクトールだ。

《皆さーん、応援が来ましたよー》

 雑音の多いバーベッジの声に呆気に取られ、ウォーリーはビクトールの隣へ降りる。

 戦闘機の形状、イギリス産とは違う。必死に記憶を手繰り寄せ、思い出した。

「あれは零戦だろ! 国旗の部分がホグワーツの校章になっているが……本物じゃないだろうな! 国境問題に発展するぞ」

 バーベッジの操縦する零戦は鎧像を薙ぎ払う巨人やトロールに向け、連射し出した。

「トトが準備していたぁ。麻酔銃の設置に手間取ったとか……スタニスラフも一緒だが……あっちに落ちた」

 温室を向き、ビクトールは呟くがウォーリーには見えない。いろんな意味で臓物が震え、背筋が凍った。

「そのトトは何処だ?」

「あっちで凄い数の吸魂鬼を相手にしていたぁ。トワイクロスが助けに行ったぁ」

 零戦が向かってきた方角を指差し、ビクトールは勇敢な戦士への称賛を込めて告げた。

 まだ吸魂鬼と戦っている。『姿くらまし』の達人たるトロイクロスなら、すぐに脱出できる。しかし、それでは城へと群がるだろう。トトの目的は陽動にして時間稼ぎだ。

 話している間も『死喰い人』は攻撃し、ウォーリーはビクトールに背を預けて撃退した。

 校庭では巨人に襲われるグロウブを助けるように、自らもアクロマンチュラに纏わりつかれているドラゴンは尻尾を振り回す。尻尾に当たった蜘蛛の何匹がか、巨人の顔面へぶつけられた。

(あの蜘蛛ってアラゴグの……)

 胸中で呟いた時、5階で強烈な爆裂音と共に4階を巻き込んで崩壊した。窓や壁の破片がウォーリーとビクトールにも襲いかかった。

 それでも『死喰い人』は加減せず、必然と挟み打ちになる。ウォーリーは破片を影で防いで真正面の相手へ『失神呪文』を放つ。

「ウォーリー、降りて来て」

 ルーナの声に応じ、ビクトールと一緒に窓から『占い学の教室』へと入り込む。意外な助っ人にリサとラベンダーは嬉しそうに驚いた。

「あれから、チャリティの声がしました。何がどうなっているんですか?」

 水晶での攻撃を緩めず、トレローニーは確認の意味で問う。飛行機どころか戦闘機にも慣れていない彼女には、まだドラゴンの存在が有り難いだろう。

「零戦と呼ばれる昔の戦闘機です。複製だと思いたいのですが……一機はバーベッジ先生だとしても、もう一機の操縦は誰が……」

「ペネロピー=クリアウォーター」

 ビクトールの返事に、トレローニーとキングズリー以外は硬直した。

「キングズリー、コンラッドが来ていると聞いたが見たか?」

「本当だ。彼とはこの塔の下で別れた」

 応戦の手を休めず、キンズリーが答える。

 唐突にルーナの肩がビクッと痙攣し、窓の下の壁に背を預けて座り込む。瞬きしない瞳が更に見開かれた。

「ルーナ、どうした?」

 戦場に臆すはずないが、戦闘機、崩れた城壁、巨人、死を望む光線。この惨状に耐えきれなくっても不思議はない。

 心配になったウォーリーがルーナの隣へ座った瞬間、首筋が冷たい感触に襲われる。リサも同じ感覚を味わい、反射的に自分の後ろを振り返った。無論、そこには誰もいない。

《おまえ達は勇敢に戦った》

 ヴォルデモートの囁くようで一語一句、聞き逃しを許さない迫力。

 城にいる『死喰い人』は撤退するが、ヴォルデモートの与えた時間は『分霊箱』を持ったクィレルを逃がす為だ。

 自らを囮にする。それはハリーと同じだった。ただ違うのは、何を目的としているかだろう。

「トレローニー先生! 私の探し物は何処にありますか!?」

 湧き起る焦りに従い、大声になる。トレローニーはキョトンとしたが、ウォーリーは畳みかけた。

「私が探している物は何処へ行けば、見つかりますか? 貴女の考えを聞かせて下さい」

「……私の考え……」

 水晶を窓際に置いたトレローニーは両手を組み、瞑想のつもりか目を閉じる。ラベンダーが口を挟もうとしたが、リサが止めてくれた。

 ビクトールとキングズリーも黙り、トレローニーを待つ。

「最初に戻りなさい」

 思わず、疑問を返しそうになる。しかし、脳髄は雷を打たれたように触発された。

 クィレルとの最初。

 クローディアとクィレルの始まりの場所。『禁じられた廊下』の下、もっとも奥の部屋だ。

「4階だ! ありがとう、トレローニー先生!」

 感謝を込め、トレローニーを抱きしめた。呆気に取られた皆を置き去りに、ウォーリーは4階を目指す。ルーナだけが着いて来た。

 北塔は絵が外れたり、窓が割れた程度。損傷が激しく、石畳は捲り上げられ、散らばった瓦礫には血糊もあった。

 足の折れたモラグ=マクドゥガルへの応急処置にオーガスタ=ロングボトムが杖を振るい、気絶したマンディ=ブルックルハーストはネビルに背負われていた。

「ルーナ、無理をするな。皆といろ」

「駄目、一緒に行く」

 真っ青な顔色で告げられても、ルーナは休憩が必要だ。ハリーの決闘にウォーリーは立ち会えない。むしろ、始まる前にあの部屋へ着かねばならない。

「今……学校にかけられている『姿くらまし防止術』は解けているよな?」

 呟いた瞬間、ルーナはウォーリーの腕にしがみ付く。置いて行かれると悟ったのだ。

「わかった……私に付き合ってくれ」

 ルーナの決意を汲み取り、その手を掴んでウォーリーは『姿くらまし』した。

 

 絵も飾られていない廊下は壁に亀裂はあるが、ほとんど無事だ。最低限の灯りは常に照らされ、頑丈な木造の扉がある。あの日以来、一度も此処には来なかった。

 懐かしさよりも、緊張感に心臓は引き攣った。

 一歩一歩、扉へ近く。あの晩、連れて来てくれたベッロはもういない。深呼吸してから、ノブに手をかけた。

「ここは何?」

 ルーナの普段の口調を聞き、彼女はこの場所を知らないと気づいた。

「……ここは『禁じられた廊下』だ。私が1年生の時、『賢者の石』を隠した。先生達が最も得意とする防衛対策を用いてな」

 意外にも鍵はかかっておらず、開いていた。

「ルーナ=ラブグッド」

 後ろから声をかけられ、正直にビビった。

「ルーナ、お久しぶりですね。どちらへ行かれるのですか? 他の者は大広間を目指しています」

 ようやく会えたヘレナはルーナにだけ話しかける。お互い、半年も会えなかったのだ。

「あたし、彼女と行かなきゃ……」

 ウォーリーの腕を更に掴み、ルーナは離れない。

「ヘレナ……私達は行くところがあるんだ」

 ヘレナはウォーリーに対し、無礼を批難する視線を向ける。冷たい眼差しに、彼女もまたクローディアだと見抜いていない。

「ヘレナ……そんな顔をするなよ。そう呼んでくれって、私に言ってくれたのは……あんたさ」

 媚びるつもりは毛頭なく、自然と口から出た言葉。ヘレナは目を丸くし、顔を寄せて触れられぬ手で頬を撫でた。

「なんてこと……クローディア……。やはり、来てくれたのですね」

「ごめん……ヘレナ。急いでいる。行きながら、話してもいいか?」

 扉を開いた先、薄暗くても床にある戸は見える。ただ、フラフィーはいなかった。

 ヘレナは扉ごしに室内を見渡し、頭を振う。

「入れません。幽霊避けが施されています。他にも、魔法が仕掛けられていると考えていいでしょう」

「わかった、ヘレナはここで待っていれくれ」

 部屋に足を踏み入れ、杖を灯す。外の廊下さえ、亀裂があったにも拘らず、不自然なまでに傷一つない。あれだけの戦いに耐えられるなら、相当強力な保護呪文がかけられている。念の為、奥の部屋へ『姿現わし』しようとしたが、出来ない。『飛行術』は行えた。

「……寮と同じ、城の護りとは別にかけられているんだもン」

「寮と同じ……、合言葉でもいるのかな?」

 床の戸を引けば、あっさり開く。下は何も見えぬ暗闇。以前は落ちても、『悪魔の罠』がクッション代わりになってくれた。

「さっき、『禁じられた廊下』って言ったでしょう。あれ、合言葉だったんだもン」

「この場所を覚えている者いだけが通れるってわけか……、ますます、クィレルは奥にいる可能性があるな」

 自ら口にし、緊張は強まって心臓が強く縛られる感覚に襲われた。

 冷え切った空気の中、知らぬ間に頬を汗が伝う。

「私から離れるなよ」

 ウォーリーはルーナを片腕で抱いて、暗闇に落ちる。『飛行術』で浮かびつつも落ち、一本道の廊下へ降り立った。

 扉の向こうに箒と飛ぶ鍵の群れはなく、チェス盤は片付けられ、トロールがいない、薬瓶と謎かけも置いておらず、扉を守る炎はない。

 額どころか、掌も汗で濡れる。それでも、ルーナは腕を離さない。どの部屋を通る時も何も言わず、黙ってついて来てくれた。

 あの晩のように、クィレルはいるだろう。

 話し合えるだろうか? それとも、問答無用の戦いになるだろうか? 望んでいた決着とは今なのだろうか?

 スラグホーンの悲痛な叫びが蘇り、戦慄に心臓が引っくり返る。自問自答に脳髄が痛い。

 急に頬を冷たさが襲う。驚きすぎて目を丸くするしか、反応できない。ルーナが冷えた水筒を押し付けて来ていた。

「鞄に入ってた。飲んどきなよ」

 言われるまでガマグチ鞄にあった水筒の存在も忘れていた。

 ルーナの口元に水滴があり、彼女はいつの間にか先に飲んでいる。ウォーリーは飲みながら、冷静に頭を働かせる。急に浮かんだのは、ハリーの顔。時間的にも決闘は始まっているだろう。優先すべきはカップの破壊だ。

「ルーナ、頼みがある」

 ガマグチ鞄から、ハーマイオニーとロンが先程、『秘密の部屋』から取ってきたバジリスクの牙を取り出す。それをルーナに差し出した。

 破壊するのはウォーリーでなくてもよいのだ。

「クィレルがパッフルパフのカップを持っている。それに突き刺してくれ」

「……カップに……」

 何の説明もなく、ルーナは承諾して牙を受け取った。

「ありがとう……一緒に来てくれて」

「帰る時も一緒だもン」

 既に帰還の姿を想像しているルーナに慄いていた心臓の震えはようやく、止まった。

 

 『みぞの鏡』はなく、クィレルもターバンを付けていない。

「セブルスが来ると思っていたよ。まさか、ラブグッドとはな……」

 胡坐を掻いて頬杖を付いたクィレルは面倒そうに予想外の客人を睨む。一瞬で室内を見渡し、目に映る個所にはカップはないと確認した。

「どうして、スネイプ先生が来ると思った?」

 ウォーリーが問うた時、クィレルは目を丸くした。そして、口が裂けんばかりに開き、手を叩いてまで愉快な声を上げた。

「コンラッド、そうか! やはり、娘を生かせる手段を取っていたか! 会えて嬉しいよ、ミス・クロックフォード!」

 ひょいっと起き上ったクィレルは外套の懐から、カップを取り出す。ハッフルパフの刻印も偽物と同じ、本物のカップだ。

「君の狙いはこれだろう? ただ、『賢者の石』と違って……君はこれを破壊しに来た」

 懐かしむクィレルは不気味な印象を受ける。何故、自分をクローディアと見抜いたなどどうでも良くなる程だ。

「それが何なのか……知っているのか?」

「ヴォルデモート卿の秘密だ。君達はその秘密を突き止めた。ヴォルデモート卿も私がそれを知る故にカップを任されたのだ! 他の誰でもない、この私に!」

 レギュラスのようにクィレルも『分霊箱』の名称は知らずとも、ヴォルデモートが命に秘密を抱えていると推測していた。

「渡してくれ」

 言いたい事が多くある中、出てきた頼みに自分でも驚く。ルーナとクィレルもキョトンとしていた。

「……嫌だね」

 クィレルから笑顔が消えたが、睨んでいない。その瞳に狂気を含ませ、カップを懐へ戻した。かと思えば、無言で杖を突き出す。ウォーリーは素早く鞄を脱ぎ、ルーナに持たせる形で下がらせた。

 外へ続く扉は炎が燃え上がり、塞いだ。

「あの日の再戦だ! さあ、杖を出せ。ミス・クロックフォード!」

 芝居がかった口調で告げ、クィレルは杖を振るう。無数の縄が出現し、ルーナへ襲いかかる。杖で応戦してくれたが、勢いに容赦がない。ウォーリーも加わろうとしたが、彼女は視線で拒んだ。

「懐かしいだろう? 君はあっさり、縄に捕らわれたがね」

 からかう口調から、記憶は刺激される。この部屋で縄に縛られたのだ。

 本当にクィレルは再戦を望んでいる。最早、避けられない。

「まだ話し合いたいか?」

 殺気立ったクィレルは、隙だらけのウォーリーが構えるのを待つ。

「いいや、謝らせるさ。ルーナに対してな!」

 応じたウォーリーは自分の杖を出す。フラメル氏が自分にと用意してくれた杖だ。

 先手必勝と無言呪文で『武装解除の呪文』を放つが、クィレルに防がれる。

「決闘のルールを知らんのか!?」

「これは決闘じゃないだろ!」

 初めて焦った声を出し、クィレルは文句を述べる。それに答えながら、次いで影を使って動きを封じようとした。見抜かれ、強い光を放たれて影が無理やり追い払われた。

「あの日、セブルスが用意した炎を防ぐ魔法薬は1人分しかなかった……。それなのに、君も一緒に炎を通り抜けた。バーティから、君がおもしろい術を使うと聞いた時、ピンと来たよ」

 止む負えず、ウォーリーはクィレルと距離を詰めようしたが、階段を駆け降りる。奥へと後退された。

 カップを奪われまいと彼も必死だ。

 せめて、バジリスクの牙を刺せる位置まで近寄れれば、一気に片を付けられる。カップは『分霊箱』の力に護られ、呼び寄せられない。

 決して呪文の手を緩めず、ウォーリーはその位置へクィレルを導く方法を模索する。時間はかけられない。ルーナの忍耐力は信じるが、ヴォルデモートが倒されるまでに終わらせる。

 不意に僅かな振動が襲った。

 護りの施された部屋でも伝わる振動の正体をウォーリーは知っている。間もなく、グリフィンドールの剣がパイプを通るだろう。

(剣を……通す!)

 閃いた瞬間、迷わずウォーリーは隠し持っていた剣として加工されたバジリスクの牙を取り出す。それを投げ放った。

 牙に気づき、クィレルは弾く。宙を舞う牙は彼とウォーリーを挟む形になった。

「アクシオ! (来い!)」

 バジリスクの牙を呼び寄せた時、そのままクィレルの背中を通過しようと迫る。彼も対応し、咄嗟に牙を弾く。弾かれた拍子に鞘の部分と分離した隙をウォーリーは見逃さず、次いで、無言呪文にて鞘の部分を呼び寄せた。

 クィレルは牙が天井まで弾かれて刺さった光景に気を取られ、懐を通り抜ける鞘がカップを巻き込むのを止められなかった。

 懐を吹き抜け、カップが鞘と共にウォーリーの手へ届こうとする。彼女はカップにも、鞘にも手を伸ばさず、杖を構えた。

「アレスト・モメンタム! (動きよ、止まれ!)」

 同時に足元の影もクィレルに伸び、届く。彼は二重の力で文字通りに身動き一つ出来なくなった。

 カップはウォーリーを通り過ぎ、ルーナを襲う縄の群れへと突入する。縄はカップを警戒するように動きを止める仕草をした。

 ルーナはその隙をつき、防衛を止める。渡されたばかりのバジリスクの牙を手にし、呪文で弾いた。

 猛毒の先端がカップへブチ当てる。その反対から鞘がカップを押し、確実に刺した。

 それを証明するように悪あがきとして、傷口から黒い霧の塊が溢れ出す。おぞましい悲鳴を聞き、ウォーリーは視覚を最大限まで働かせ、クィレルの瞳を鏡代わりに後ろの光景を見た。

 そして、もう一本――ドリスの杖を取り出す。顔をクィレルに向けたまま、杖を後ろに向けて鞭のように振るい、鞘越しにカップへの衝撃を与えた。

 より深く刺さった牙はカップを貫いた。

 意味不明な断末魔はルーナを襲っていた縄を巻き込み、天井すらも通り抜けずに霧散した。

 

 ――奇しくも、グリフィンドールの刃がヴォルデモートを貫くよりも、刹那だけ早かった。

 

 全神経が高ぶったウォーリーは目的を達しても、興奮が治まらない。クィレルも同じだ。

 2人は睨みあい、無言呪文にてお互いの魔法を打ち消し合う。緊張を肌に感じたルーナは手を出さず、瞬きしないで見守った。

 そこへ唐突な破壊音が介入した。

「クローディア!」

 現われたジョージの叫び声は耳に届き、ウォーリーは動揺してクィレルの動きを解いてしまう。しかし、絶好の機会なのに、彼は攻撃しなかった。

 形容しがたい激情を露にし、ジョージを睨んだ。

「無粋な真似を……ジョージ=ウィーズリー。私達の間に入るな!!」

 クィレルが杖を振った時、ウォーリーの体は引っ張られる。思わず、脚力で踏み止まろうとしたが無意味だ。

 自分の立ち位置がクィレルと変わる。そして、ウォーリーを巻き込んで炎が2人を囲んだ。

「クィレル、違うよ! ジョージはそんなつもりじゃない! ウォーリー……、もうクローディアって呼んでいい? クローディアを返して!」

 ルーナは懇願しながら、杖の先から水を出す。しかし、すぐに蒸発する程の炎だ。

「ウォーリーが……クローディア? 本当に?」

 自分でクローディアの名を叫んだと言うのに、ジョージは思いの外、困惑している。事実を確かめようと、炎に肌が焼けるのも気にせず、彼は向かってくる為、ウォーリーは戦慄して心臓が震え上った。

「来るな、来るんじゃない! ルーナ、ジョージと逃げろ! 行くんだ!」

「嫌! 一緒に帰るんだもン。ジョージ、火を消して!」

 ルーナの声に我に返り、ジョージも水を出す。2人分の水でも炎の勢いは消えない。それそどころか、益々、燃え上がり、天井にまで届いた。

「彼女は私の物だ! 私が先に目を付けたのだ! 二度と貴様に渡さん!」

「……このまま、私と心中しようってわけか……」

 炎の様子を窺っていれば、少しずつ、炎の囲みが縮まっていく。熱気も近づいてくる。

「まさか……誰にも邪魔をされない場所に行くんだ。そこで、私を追い詰めてくれ。なあ、クローディア……約束しただろう?」

 愛しげな口調で呼ばれ、ウォーリーは恐ろしい寒気がする。クィレルの歪んだ笑みがクラウチJr.の祈沙への愛と重なって見えた。

 万が一、この男を逃がせば、ジョージの身が危険だ。クローディアとコンラッドをその手にかけようとしたクラウチJr.と同じ行動を取るだろう。しかも、ヴォルデモートと言うある意味では歯止め役だった主人もいないと本能的が教えてくれる。

 かといって、ウォーリーはクィレルと共倒れする気は毛頭ない。今までやるべき事だけをやってきた。これからはやりたい事をやるのだ。

 そこにはジョージの存在もある。

 瞳を動かさず、ウォーリーは目の端で天井に刺さったバジリスクの牙を強く意識した。

「何処へも行かなくていい」

 瞬きせず、ウォーリーは決意した。

 きっと、望んでいた決着の中で最悪に値する。

「ここで全て終わる!」

 叫んで自分の杖を投げ放つ。クィレルは杖を構え、無言呪文で防いだ刹那の隙。ウォーリーはドリスの杖を構えた。

「エクスペリアームズ! (武器よ去れ)」

 クィレルの杖は手から弾け飛び、ウォーリーの杖と共に炎に巻き込まれた。

 次いで、ウォーリーはクィレルに飛びかかる。胸倉を掴んで地面へ叩き伏せる。彼は肘と腰で地面への衝撃を緩和し、目の前の細い首を掴んだ。

 瞬く間に体勢はひっくり返され、ウォーリーの背は地面に叩き伏せられる。彼女の視界に勝ち誇ったクィレルの笑みが見えた。

 その後ろ、天井に刺さっていた牙が落ちて来るた様子も確認できた。

 空中で回転したバジリスクの牙を無言呪文で呼び寄せる。その勢いのまま、クィレルの背に突き刺さった。

 背の違和感に疑問し、クィレルは笑みを消す。心臓が脈打つ毎に全身へ巡る猛毒の気配を感じ取ったのだろう。額に汗を噴き、目を泳がせて喘ぎ出しだ。

 瞬時に囲っていた炎が消え去り、消火の水音が耳を打った。

 ルーナとジョージが駆け寄ってくる姿に気を取られ、クィレルから目を離した。

「ありがとう……」

 穏やかな声は心からの感謝を証明していた。

「来てくれて……ありがとう」

 重ねた言葉の真意を確かめんと、ウォーリーがクィレルに目を向ける。それより先に彼は首にかけていた手を離し、ぐらりっと揺れた。

 クィレルの倒れ伏す嫌な音が脳髄に響き、虚ろな瞳は見開かれたままだ。

「クィレル先生……?」

 躊躇いつつ、ウォーリーは眠る相手を起こす仕草でクィレルの肩を擦る。触れた部分は死に立ててで、まだ温もりが残るだけだ。

 今度は強く揺さぶってみたが、やはり、起きない。

「クローディア、帰ろう。皆、待ってるもン」

「帰る?」

 ルーナの声に振り返る。自分の体を2人分の腕が抱いていると気づいた。

「クィレル先生も一緒に……帰ろう。起きて下さい、帰りますよ」

 更に強く揺さぶったが、何も起きない。

「俺が……運ぶよ……。クィレルは俺が運ぶから、クローディア」

 涙を流すジョージにウォーリーはそれも自分の名だと今、思い出したような気分に浸る。むしろ、別の名で名乗っていた意味が霞んでいた。

「目を逸らしても、厳しいのは変わらないよ」

 ウォーリーの手を優しく掴まれ、ルーナは淡々と告げる。言葉の意味は理解できない。

「でも……まだ……クィレル先生に謝らせてない……。ルーナに……」

 続きを言う前に無理やり、起こされる。ルーナに手を引かれ、歩かされた。

 

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 ジュリアは最期まで笑っていた。

 フレッドに覆い被さったジュリアの姿が網膜から離れない。それでも足は指示された通りに惨劇のあった4階へ歩く。ハーマイオニーの告げた『禁じられた廊下』の正確な場所は思い出せない。『賢者の石』を隠す為に寮監達が魔法の罠を仕掛けた場所、武勇伝として他人に語る時は誰もが覚えていた。

 クローディアとハーマイオニーが作った【改訂ホグワーツの歴史】ならば、載っているだろう。そんな考えが脳裏を過った時、目の前に『灰色のレディ』が現れた。

「ジョージ=ウィーズリー?」

 口を効いた事もない気位の高い淑女は切羽詰った態度で問う。素直に頷いた。

「こちらへ来て下さい」

 『灰色のレディ』に従い、案内されたのは右側の廊下。開きかけの頑丈な扉の前だ。

「彼女は行ってしまった。幽霊の私は着いて行けません」

「ウォーリーとルーナはこの部屋の中か?」

 傷一つない部屋の床には開かれた戸がある。

「気を付けてください。幽霊避けがある以上、他の仕掛けもあるでしょう」

「ありがとう、レディ。俺は彼女達を追いかける」

 不安そうな『灰色のレディ』に礼を述べ、ジョージは床の戸へ飛び込む。足が床に着かず、何も持たぬ『飛行術』で降りた。

 一度も来た事ない場所なのに記憶が刺激され、ハリー達が如何に寮監の仕掛けを進んだがという噂の内容を思い返す。

 クローディアもここを歩いた。

 まるで彼女に案内されているような錯覚に陥り、ジョージは進む。ロンがマクゴナガルのチェスに勝利したと思われる部屋に着いた時、地響きが襲ってきた。

 ドラゴンとは違う壁から伝わってくる揺れだ。

 ハリーの決闘は終わったに違いない。疑う事のない彼の勝利を確信し、ジョージは進んだ。

 炎によって包まれた扉を目にし、ここが最後の部屋だと理解した。

 戦いが行われている。そう察し、朧げだったジョージの五感が目を覚ます。迷いなく、杖を構えた。

「コンフリンゴ! (爆発せよ!)」

 扉を破壊した爆風は炎さえ、搔き消した。

 クィレルと相対する彼女がジョージの知るクローディアの姿に幻影となって映る。感情のままに愛しい人の名を叫んだ。

「クローディア!」

 振り返った彼女はウォーリーだ。

「無粋な真似を……ジョージ=ウィーズリー。私達の間に入るな!」

 クィレルの怒りが肌に伝わる。まるで恋人との語らいを邪魔されたような激しさだ。

 ルーナがウォーリーをクローディアと呼んだのは、ジョージに感化されたからだと一瞬、考える。しかし、こんな状況でクィレルに「先生」と付けるのは、婚約者の彼女だけなのだ。

 その彼女は息のないクィレルを起こそうと必死になる。ジョージには覚えがある光景だ。

 ドリスを亡くした後だ。

 悼みから逃げ、その事実を消す。それが彼女の防衛本能だと理解し、ジョージは何も出来なかった。いつだって、残酷な現実を教えられなかった。

 あの時、彼女を現実に引き戻したのはクィレルだ。ヴォルデモートの命令で杖を返しに来たと述べたそうだが、その本心を確かめるすべはないだろう。

 何も語れなくなったクィレルの遺体を背負い、ジョージは2人の後を歩いた。

 姿形と名が変わっただけで、ウォーリーは確かにクローディアだ。今、思い返せば、スネイプに耳を刻まれた時に見せた怒りが証明のひとつだったのに、ジョージは微塵も気づかなかった。

 しかし、生きていてくれて良かったと手放しで喜べない。

 何故、自分にだけでも打ち明けてくれなかったのかと悲観する気持ちも存在するからだ。

 チェスの部屋まで戻れた時、向こう側の扉から駆けて来る足音が聞こえる。肩で息をしてまで、現れたドラコはジョージとルーナに目もくれず、ただ彼女1人の無事を喜んだ。

「……コンラッドが……」

 喜びを苦悶に変え、ドラコは悲痛に告げる。ジョージの心臓に氷が刺したようにゾッと寒気が走った。

「見ていたよ」

 ルーナも瞬きせず、ハッキリとした口調で教えた。

 ドラコとルーナの声は確かに彼女の耳に届いている。その証拠にまどろむような瞳に活力が宿った。

「……わかった。ありがとう、ドラコ」

 ドラコの肩に触れ、感謝する言葉は力強い。彼女は完全に現実へ戻ってきた。

 

 ヘレナに出迎えられ、廊下を抜ける。城中に喧騒が響いていた。

 大広間までの歓声に満ち、魔法使い、『屋敷しもべ妖精』、ケンタウロス、幽霊と種族も関係なく、絵の住人も取りあり、肩を並べて笑い合っていた。

 久しぶりに見る心からの笑顔を振りまくジニーはルーナを捕まえ、同級生の波へ連れて行った。

「サー・ニコラス、スネイプ先生は何処にいる?」

 彼女は大広間を一瞥し、ヘレナへ集まってきた幽霊の中から『ほとんど首なしニック』へ問う。問いかけに言葉ではなく、案内と言う形で答えた。

 僅かに残った無事な部屋、そこに横たわる人々。列の端に寝かされたコンラッドにスネイプは付き添う。大広間で見かけなかったマルフォイ夫婦、シリウス、ハグリッド、スラグホーンは沈痛の面持ちで沈黙していた。

 ハグリッドはクィレルの遺体を受け取り、慎重にコンラッドの隣へ置いてくれた。

 彼女は表情も変えず、遺体を1人1人の顔を見遣る。ジュリアだけでも辛く、更にコンラッドの死に顔まで見ていられないジョージは目を逸らしたくなるが、彼女の手を握って耐えた。

 ドラコも反対側から、彼女の手を握る。彼の母親ナルシッサは息子を呼んだが、返事しない。ルシウスに諭され、妻は口を閉じた。

「トトは何処に?」

「マダム・ポンフリーとジャスティンが治療している最中だ。命に別条はないだろう。他の怪我人もそこだ」

 シリウスに答えられ、彼女はもう一度、コンラッドを見やる。

「ハリーなら、多分、ロンとハーマイオニーが一緒だ。君を探しに行ったかもしれない」

「いいや、おそらく……校長室だ。ベッロの『憂い』を見に行ったんだろうな」

 コンラッドから目を離さず、彼女はシリウスに答える。

 慌ただしい複数の足音に振り返れば、ジョージは反射的に肩が痙攣した。

 無言で泣くモリーとムーディに連れられ、彼女の母親であり、コンラッドの妻・祈沙がそこにいる。スネイプは出迎えるように立ちあがり、スラグホーンの肩を叩いた。

「コンラッドの妻です……」

 囁かれた言葉にスラグホーンはすぐに顔を上げ、マルフォイ夫婦も立ち上った。

 祈沙は自分の娘にさえ目を向けず、コンラッドへと歩み寄る。その頬に触れ、口を開いた。

「本当に眠っているみたいです」

 流暢な英語で穏やかに述べ、ジョージの胸は打たれる。祈沙は夫の死を覚悟し、それを受け入れている。だが、クローディアのようにまだ実感がない印象を強く受けた。

 スネイプは祈沙へ詫びるように頭を下げた。

「コンラッドは此処に来るべきではなかった。……どうか……我々を許さないで頂きたい……」

「夫は……貴方が大好きでした。私はそんな夫は好きでした。だから、泣かないで上げて下さい。貴方に泣かれたら、夫は困ってしまいます」

 スネイプは泣いてなどいない。しかし、その表情はコンラッドの死に悼み嘆く。

 沈痛の中、ムーディは後から来たアーサー、ディーダラスと声を潜めて情報を確認し合う。

「パイアス=シックネスは『服従の呪文』が解け、一切の政権を放棄しています。暫定的にキンズリーを魔法大臣に据えようと……」

「政治に関しては任せる。それよりも、クラウチJr.はどうした? 『例のあの人』の死は確実か?」

「『例のあの人』はシャックボルドと彼に応じた『闇払い』達が見張っている。クラウチJr.は既に逃げた」

「その話、ここでする必要があるのか?」

 シリウスは低い声で告げ、ムーディの青い義眼が睨む。アーサーはジョージも見なれぬ憎悪を込めた厳しい表情になり、スネイプとルシウスへ詰め寄った。

「……司法取引だ。ヴォル、デモートの腹心だった君達なら、逃げた『死喰い人』の情報があるだろう。渡してくれ」

 ルシウスはナルシッサの手を握り、ドラコを見やる。

「息子はハリー=ポッターに協力し、闇の帝王へ反旗を翻した。そして、セオドール=ノットは『不死鳥の騎士団』に加担し、城へ来た。2人への配慮を約束するならば、応じよう」

 強い口調は以前の迫力はなく、それでも尊大な態度は崩さない。

「降伏する者をすべからく受け入れるならば……」

「スネイプ先生は最初からダンブルドアの味方です。今もそうです」

 彼女は自信を持ち、声を上げる。ジョージとドラコ、そして祈沙以外は驚愕した。

「ウォーリー。スネイプは他の誰でもないコンラッドの娘を……」

「それはダンブルドアの命令であり、コンラッドの意思です。ヴォルデモートの信頼を得る為の作戦でした。私がそれを証言します」

 アーサーが言いえる前にウォーリーは宣言した。

 スネイプは初めて彼女の存在に気づき、愕然とした。

「おまえは……」

「私は……」

 スネイプに問われ、彼女は返答を躊躇う。ジョージは握る手を力を強め、ドラコも励ましを込めた。両手の温もりを握り返し、彼女は感情が高ぶり、目に涙を浮かべて名乗った。

「私はクローディア=クロックフォードです」

 




閲覧ありがとうございました。

二人にとっての始まりの場所は、終わりの場所。
さようなら、クィレル先生。


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17.合わさって

閲覧ありがとうございます。
『死の秘宝』の締め回です


 夜明けまで続いた大広間での祝にクローディアは混ざらず、校長室にてハリー達と合流してお互いの身に起きた出来事を語り合った。

 ハーマイオニーとロンは打ち明けられた情報に感情が付いて行かず、ただ、衝撃を受けていた。

 ハリーの手にある『ニワトコの杖』は、元に戻すと彼は告げた。

 ガーゴイル像の前で待っていてくれたジョージとドラコに杖が墓から持ち出された事情を話し、マクゴナガル、フリットウィック、スプラウト、スラグホーンを呼んでもらう。寮監達はすぐに集まり、棺を開いて貰った。

 白く堅実な墓に眠るダンブルドア――否、トトを目の当たりにし、クローディアは土葬の習慣に改めて恐怖した。

 花を添える手つきでハリーは『ニワトコの杖』を置く。何の言葉も発していないが、視線や表情からダンブルドアではなく、トトへの哀悼を感じた。

 ハーマイオニーが声もなく泣きだし、ロンは視線でマクゴナガルに棺を閉じるように願う。

 棺を改めて埋葬し終えた時、ワイセンベルク大臣の一行が到着した。

 大広間で喜びを分かち合っていた人々も集められ、マクゴナガルの指揮下で処理が始まる。ゼノフィリスのように家族を迎えに来た人々も加わった。

 眩いの太陽の下で行われたのは、生存者の確認だ。

 瓦礫の下は勿論、魔法で姿を変えられた者はいないか徹底的に捜索される。その間、重傷者達の聖マンゴ病院への移送だ。

 トト――ダンブルドアは怪我こそないが、廃人同然に弱っており、意識が残っているだけで一番重傷だと教えられた。

 そして、遺族による遺体の引き取りも行われた。

 ジュリアの為に、ドイツからヴァルター=ブッシュマンが自ら駆けつけてくれた。クローディアは負傷者の移送組にいた為、彼に会う事はなかった。

「魔女としてではなく……愛する人を庇えた……。これ以上の幸せはあるまい……。ありがとう……」

 フレッドからジュリアの最期を聞き、ブッシュマン氏は老齢ながらも迫力のある厳格な態度で感謝を述べたという。

 コンラッドについてはマルフォイ夫妻が引き取りを希望したが、万一に備え後を託されていたスタニスラフによって、城を去った。祈沙は夫に着いて行かず、ハグリッドと一緒に処理を手伝った。

 スカビオールは彼と共に『人さらい』をしていた仲間達が迎えに来た。彼らは温情を賜りに来たらしいが、リーダーの前で泣く姿は演技でないだろうというのがシリウスの見解だ。

 次々と引き取られていく中、クィレルには誰も来なかった。その為、フリットウィックはサーペンタイン湖の霊園に埋葬する手続きを取ってくれた。

 クローディアが移送を終え、形の崩れた城門に着いた時に擦れ違う。簡易な棺に入れられ、蓋もされずに晒されたクィレルから目が離せなかった。

「最後に顔を見てもいいですか?」

 不躾に問うクローディアにフリットウィックは棺を運んでくれていたバーナード=マンチとヘンリー=マンチに視線で了解を示した。

 死後硬直すら終わり、生きている面影を完全に無くしたクィレルから表情は読み取れない。ただ、最期まで彼の掌で踊らされていた気がする。1年生の頃のように、何も出来なかった。

 

 ――ああ、三度も後悔に見舞われるなど、あの頃にどうして想像出来ようか?

 

「……さようなら……」

 かけられた言葉は別れの挨拶。これにて本当にクィレルとの決着は終わった。

「ありがとう、もういい」

 マンチ親子は柔らかい笑みを見せ、クィレルを馬車へ運ぶ。繋がれたセストラルは以前、触った通りの見た目。最初は驚きはしても、恐ろしくはなかった。

「ミス・クロックフォード……」

 フリットウィックの声に応じ、クローディアは身を屈めて寮監と視線を合わせる。久方ぶりの彼は随分と疲労感に襲われ、老け込んでいた。

「元教え子だからと、あの子を庇うつもりはありません。ただ、貴女が立ち合った事で彼は2度も貴女に救われたと思っています。貴女は偉大な魔女です。私は貴女を誇りに思います」

 穏やかな笑みで切実な訴えられ、心臓が締まる。

 フリットウィックがホグワーツでどれだけ教鞭を取ったかは知らぬ。しかし、レイブンクロー生として在籍し卒業した生徒に思い入れがあって当然だ。

「嬉しいです、先生。私も……貴方が寮監で本当に良かったです」

 クローディアにお辞儀し、フリットウィックは馬車へ乗り込む。彼の乗車を待ち侘びたように動き出す。馬車が見えなくなるまで、見送った。

 

 遺体も負傷者もなくなった城はすぐに復興作業が行われた。

 これには『屋敷しもべ』が大いに貢献する。『忍びの地図』でも記されていない壁の模様や像の配置をに事細かく再現してくれた。

 戦いの終わりを知り、クリーチャーも加わる。ドビーはアバーフォースに捕まり、無断欠勤を叱られて店へ戻された。

 ウィンキーはクラウチJr.の逃亡を知り、城が形だけでも整った後に姿を消した。

 

 

 一か月経ち、事態は一先ずの終息を迎え、クローディアの主張は半分認められた。

 スネイプはダンブルドア側であるという事実。ベッロの『憂い』が証拠になり、何より、ハリー=ポッターが彼の保証人となったもの大きかった。

 クローディアの生存を認めるには、全容を知るコンラッドがおらず、また魔法界で流れ始めた噂が妨げになった。

 クローディア=クロックフォードの生存に伴い、アルバス=ダンブルドアもまた存命である。そして、彼の魔法使いが今、どんな姿をしているかと言えば――。

「このわしと言うわけだ……」

 聖マンゴ病院の一室。清潔な白い寝台に横たわるトトの傍で、ムーディは仏頂面で告げた。

「……僕のパパもきっとそう思うよ」

 ロンは控え目に返し、病室の戸を何度も警戒する。防音対策や盗み聞き防止は万全だが、何処で漏れるかわからない。

「私はスネイプ先生が無事なら、それでいいさ」

 クローディアは興味無く言い放ち、リンゴの皮を魔法で剥く。肝心のスネイプは魔法省で軟禁状態だという。彼はアズカバンへの投獄を希望したが、満室状態だと却下された。

「それよりも、マッド‐アイはクローディアの事を知っていたのね?」

「知るわけなかろう。その可能性も視野に入れておっただけだわい。わしはこの目で死んだところは見ておらんからな」

 ハーマイオニーの答えたムーディの青い義眼がクローディアをガン見している。この様子では、トトがダンブルドアである事を明かしても、可能性のひとつとして受け入れるだろう。そんな考えが過ったが、ハリーの視線だけで止めて来た。

 トトは布団を肩までかけ、落ち着いた呼吸を繰り返す。瞼は開いているが、喋るのも億劫な状態が続いている。これでも百体もの『吸魂鬼』を相手に『守護霊の呪文』もなく戦った結果にしては奇跡の部類だという。

「お陰で家にも帰れん。そういうわけでな、ここに逃げて来た。貴様らも来たから、場所を変えよう。しばらく雲隠れだ。騎士団はシリウスに任せておくから、アーサーに会ったらそう言っておけ」

「僕も着いて行っていいですか?」

「なんじゃと?」

 ようやく喋ったハリーの一言にトトさえも飛び起きた。

「僕……旅をしてわかったんです。何も知らない。勉強が必要なんです。僕も連れて行って下さい」

 それはハリーの決定事項、ムーディは今にも「油断大敵」と叫びそうな表情であった。

 ハリーの家はない。叔母一家の家は、帰れない。名付け親のシリウスの屋敷はヴォルデモートにより、破壊尽された。

 シリウスは破壊された屋敷を見て、しがらみから解放されたように爆笑していた。

「けど、ハリー。僕らはキングズリーから『闇払い』にならないかって誘いを受けただろう? それを蹴るつもり?」

「待ってもらうよ。僕が帰ってきた時に空きがないなら、その後は職探しだ」

 冗談っぽく笑うハリーにハーマイオニーは呆れた。

「私達はいつも一緒……けど、ちょっと離れてお互いを客観的にみるものいいわね」

「マッド‐アイとの旅とか……私は謹んで遠慮するさ」

「わしの意見は無視か……、生憎、先約があるのでな。相談してくるでの……」

 銀の義足を奏でながら、ムーディは廊下へ出る。途端に外が騒がしくなった。

「病院ではお静かに!」

 セドリックの叱責が戸越しに聞こえた。

「それでわしに話があるんじゃな?」

 起き上がったトトは無気力な声で問う。ハリーはムーディがいた場所まで近寄り、真摯な態度で霧のようなキング・クロス駅での出来事を語った。

「ベッロは……僕が死にかけた時、あいつと繋がっていたから命を取り留めたって……どういう事ですか?」

「振り返って考えるのじゃ……ヴォルデモートが無知の故、欲望と残酷さの故、君に何をしたかを思い出すのじゃ」

 完全にダンブルドアの口調、その輝く目つきに見覚えがある。

「……復活した時、ハリーを傷つけた……」

「僕の血を入れた」

 クローディアに次いで、ハリーは答える。トトは正解と言わんばかりに手を叩いた。

 そんな事実を知らなかった2人は驚愕したが、ハーマイオニーはすぐに閃いた。

「ハリーの肌はお母様の力で護られています! 肌だけじゃなく、その血も! ヴォルデモートに輸血された事で、護りも一緒に入ったと言う事ですか? 護りの込められた血がヴォルデモートにある限り、ハリーは死なない!」

 興奮したハーマイオニーの為にロンは紅茶を入れ始めた。

 つまり、それがなければ、ハリーはあの時に死んでいた。クローディアはゾッとし、初めてヴォルデモートに感謝した。

「貴方は……僕の杖とあいつの杖が繋がって呪文逆戻し効果が行われたと知った時に……そう確信を持った」

 ハリーは懐から杖を取り出し、確かめるように指でなぞった。

「まだあります。僕の杖があいつの借り物にすぎない杖さえ、退けられたのか。相性が良いからなんて言葉で済まされない。何か、あるはずです」

 トトは興味津々にハリーを眺め、何度も頷いた。

「それについては推量の域を出ん」

「じゃあ、それで」

 殊更可笑しそうに笑い、ダンブルドアは寝台の上で正座した。

「先ず理解しておくべきは、君達の間には前人未到の魔法の分野を知らずと旅をしたということじゃ。前例がない故に、どんな卓越した杖作りであろうとも、ヴォルデモートに対して説明できようはずもなかった」

 ロンから紅茶を受け取ったハーマイオニーは飲む姿勢のまま、食い入るように見つめた。

「君の血であり、母親の護りを取り込めば、ヴォルデモートは己だけを強めると信じた。その代償があるなど露にも思わず、もしも、最初から推論を一欠片でも立てていたなら」

「シギスマント=クロックフォードのように、1人目でやめていた」

 その呟きはあくまでも、トトにのみ聞こえるような小さな声。クローディア達には聞き取れなかった。

「二重の絆で結び付いた君達の杖は偶然にも、双子の芯を持っておった。あの晩、杖が繋がり、摩訶不思議な事が起こった。君の杖はヴォルデモートの杖の力、資質の一部を吸収した。つまり、ヴォルデモート自身の一部を取り込んだのじゃ。君を追跡し、追い詰めた時に杖はヴォルデモートを不倶戴天の敵と認識し、奴の魔法の一部を吐きだしたのじゃ!」

「あれは……ヴォルデモートの魔法だった。僕が知らなくて当然か……」

 杖に視線を落とし、ハリーは穏やかに納得した。

「それはハリーの杖は本当に最強になったと言う事ですか?」

 問わずにはいられないハーマイオニーは紅茶が零れるのも気にせず、前のめりになる。ロンは魔法で紅茶の液を掬い、カップへ戻す。そして、汚れた彼女の服を綺麗にした。

「あくまでも、ヴォルデモートに対してのみじゃ。それ以外は、ただの杖じゃ」

「十分です」

 ハリーはそれでも、嬉しそうに杖を掲げた。

「貴方の杖は、元の場所に戻しました」

 意味深に微笑むハリーにトトも似たような笑みを返す。悪戯が成功したような様子にクローディアはロンと同じ疑問を抱いた。

「ハリー、『蘇りの石』はどうしたの? まさか、学校に置いて来た?」

 急にトトからも笑みが消えた。

「許してくれるかのう?」

 幼子が大切な人に問う口調。唐突の豹変ぶりにハリー以外は驚いた。

「君を信用しなかった事、君に教えなかった事を許してくれるじゃろうか? ハリー、わしは君がわしと同じ過ちを繰り返すないかと、恐れたのじゃ。ハリー、どうか許しておくれ。もう随分と前から君がわしよりずっと真っ直ぐな人間だとわかっておったのじゃが」

 何を示しているのか、ハリーは分かっている様子だ。

「……許しますよ。当然じゃないですか、先生。先生が考えている以上に僕は自分勝手です。僕の役割を代わって欲しいと何度も思いました。僕が真っ直ぐだと感じるのは、曲がりそうになったら、助けてくれる皆がいたからです。僕とヴォルデモートの違いなんて、本当の意味で1人かどうかという事です」

 トトは目から涙の粒を流し、詫びるように首を下げた。

 厳格で時にお調子者だったトトの姿で流された涙に、クローディアは胸が痛んだ。

「『蘇りの石』は祈沙さんに渡しました。『死の秘宝』を知らないあの人こそ、持つべきだと思います」

 告げられ、クローディアは反射的に椅子から転げ落ちる。さっきまで一緒にいた祈沙の手に『死の秘宝』があるなど、思いもよらなかった。

「ハリー。女性に石を贈るなら、せめて加工しましょうよ」

「そういう問題なの!?」

 やれやれと紅茶をハーマイオニーにロンは叫んだ。

「ああそうだね、それは思い付かなかった。前は指輪だったから、首飾りはどうかな?」

「キーホルダーでもいいんだけどさ……。お母さんは……シリウスとハイド・パークに置いてきたから、迎えに行ってくる」

 クローディアはハリーに答え、起き上る。実際はディーダラスも一緒に霊園への墓参りが目的なのだ。『蘇りの石』を持ち込むのは、不吉すぎる。

 廊下の様子を窺い、受付を目指す。自分の足音を聞きながら不意に疑問する。静寂がすぎるのだ。

 肖像画、すれ違う人、誰かも何も話さない。受付付近も患者を呼ぶ声以外、聞こえない。それどころか、患者達も椅子に座ってお行儀よく畏まっていた。

「遅かったな、ウォーリー?」

 視界の外から呼ばれ、振り返って納得した。

 幽鬼の如き教授が椅子に座り、【日刊預言者新聞】を広げる。記事にはハリーを讃える記事や『嘆きのマートル』の活躍が記されていた。

 英雄と共に有名人であるスネイプは新聞を雑誌棚へ戻す。彼はクローディアを待っていた様子だ。

「出歩いてよろしいのですか?」

「帰宅が許されただけだ。アーサー=ウィーズリーへの協力は惜しまんつもりだ」

 『不死鳥の騎士団』や魔法省ではなく、アーサー個人というのは照れ隠しに聞こえる。

 ショーウィンドーの外は魔法界を知らぬマグルで溢れ、蒸し暑い中で黒衣に身を包んだスネイプを気にする者はいない。彼らの視界に映っていないのだろう。

「ジョージ=ウィーズリーとはまだ仲違いしたままかね?」

 今日までクローディアはジョージに会おうとしたが、意図的に避けられている。反対にフレッドはウォーリーだった頃の態度を詫びられた。

 リサとパーバティ、学友達もクローディアをすんなりと受け入れてくれた。

 久しぶりのペネロピーのビンタは顎にまで響いた。

「逆の立場なら、私はまだ許せませんよ。けど、良いんです。これから、ゆっくりと口説いて行きます」

 その間にジョージが他に伴侶を見つければ、諦めるだけだ。

「コンラッドからの手紙を見つけた。読むがいい」

 歩きながら差し出された手紙はシミの加減から、数年の歳月を感じた。

「今、すぐに」

 懐に入れようとしたクローディアにスネイプは念を押す。仕方なく、人を避けながら黙読する。冒頭には手紙を読むなら、コンラッドがこの世にいないという当たってしまった推測が書かれ、知らなかった祈沙と夫婦となった経緯まであった。

 自分の身に万一があった場合、全ての事情を手紙にしたためていた。

「本当……スネイプ先生が好きだったんですね……」

 呆れて皮肉った時、クローディアの関してある推測が記され、驚きのあまり足が止まる。スネイプへの友情と幸せを願う文面を最後に手紙は終わった。

 言葉が出ぬクローディアはスネイプを見上げた。

「時間は決して、戻りはせぬ。我輩はリリーを追いかけなかった。コンラッドの事もな。ジョージ=ウィーズリーと『漏れ鍋』で待ち合わせて……」

 切なげにスネイプが言い終える前にクローディアは手紙を押し付け、『姿くらまし』した。

 バチンッと弾けた音に何人かが驚いたが、気のせいだと決めつけて歩き出す。スネイプは手紙の一部分に目を通した。

【父は35歳で亡くなった。それと同じ存在であるクローディアもまた同じ歳までしか生きられない可能性がある。それまではあらゆる物から護られる事だろう。もしも、不自然なまでに彼女が死を免れたなら、それが証拠だ。私がいないのであれば、彼女の最期を君に見届けて欲しい】

 人も気も知らず、勝手な頼み。以前のスネイプなら、承諾しただろう。

「悪いが聞けんな……。彼女は長生きするだろう。僕達よりも……」

 穏やかにスネイプは空へ呟き、雑踏の中を歩く。今日は歩いていきたい気分なのだ。

 

 『漏れ鍋』の中へは『姿現わし』できない。扉の前に足が触れ、クローディアは勢いよく開けた。

 久方ぶりの満席状態。客人達は開いた扉に注目し、クローディアはその中から赤い髪を見つける。戸も閉めず、ジョージへと迫った。

 カウンター席で手にある何かを見つめていたジョージは、鬼気迫る表情のクローディアに驚いた。

「……スネイプ先生が……ここだって」

「ああ……うん。さっきまで話していた」

 一月ぶりの再会がこれを逃せば、永遠の別れになる。そんな予感が胸を去来し、言葉が詰まる。ジョージと一生を添い遂げる為に必要な物が浮かばない。

 添い遂げる。友人の結婚式を思い出した。

「冬に友達が結婚する! 一緒に参加して欲しい! 私の大切な人だって……紹介させて……」

 ジョージから目を逸らさず、涙も堪える。泣き落としでは、彼の信頼は得られない。

 いつの間にか、店中の客が口を閉じる。視線は向けないが、聞き耳を立てて2人へ意識を向けた。

「……コレ。問題ないからって、スネイプは俺に渡してきた」

 クローディアの手を取り、ジョージは赤い石を金細工で絡めたイヤリングを握らせる。クィレルに奪われていた片方だと瞬時に理解した。

 石が形として残っているなら、戦いの最中、クィレルはイヤリングを身に着けずにいた。彼の所持品を魔法省で検閲し、スネイプが自ら引き取ったと考えるべきだろう。

「それを指輪に作り直すよ。お義父さんとの約束を果たす。今度こそ君に何があろうと、変わらない愛を誓う」

 上辺ではない本心からの笑顔、ようやく見れた。

 だが、永く葛藤に苦しんだと一目でわかる。クローディアはハリーのいう自分勝手とは己自身であり、きっと、オリジナルであるシギスマントの頃から何も変わっていないのだ。

「ジョージ……、騙してごめんなさい……」

「ああ、いっぱい謝ってくれ。……俺が満足するまで……」

 イヤリングを握りしめた拳に逞しい手が添えられ、お互いの額が当たった。体温が集中して、そこだけが熱い。

 コトンッとグラスが置かれた音に2人は振り向く。ジョージの手元へマンダンガスが置いた。

「……俺からの奢り……」

 頬を掻いたマンダンガスはそれだけ告げ、そそくさと『ダイアゴン横町』に続く裏口へ向かう。妙な沈黙が流れ、クローディアはジョージと顔を見合わせた。

 周囲の客達も拍手を送ろうと手を上げたが、マンダンガスの予想外すぎる祝福に驚いて動きが止まった。

「……なんかさ、マーリンのパンツだ」

「それ使い方、間違っているぜ……」

 噴きだすジョージにクローディアも笑う。店主のトムは場の空気を変えんと杖でラジオを叩く。若き2人を祝福するような曲が流れだす。それは偶然にも、ベンジャミン=アロンダイトの交響曲であった。

 

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 仰向けに倒れている。

 背が何処かに触れ、手足を動かそうとしても感覚がない。しかし、呼吸ひとつひとつが肺どころか、臓物や脳髄を苦しめる。目だけ動かし、居場所の特定は出来ない。

 体の苦痛とは違い、心は安心に包まれる。矛盾した状態にとにかく、視界を動かした。

 白い靄の世界は晴れず、しかし、形が見えて来た。

 木々や草、体は大木の虚にある。ここが森だとしても、草花の匂いや音が全くしない。だから、白い靄を通り抜けて近寄ってくる人に気付くのが遅れた。

 知っている顔だが、知り合いですらない。足音も気配もなく近寄り、目的の物を見つけて屈んできた。

「最終的に8つか……非才には真似できない」

 赤い瞳で見下ろし、金糸の髪を指に絡めた男は機械的に呟く。研究者が観察する目つきで探られ、防ぎたいのに瞼も下りてくれない。

「答えなくてもいいが、逝きたかったかい?」

 治験の結果を聞くような口調に返さない。答えるつもりは毛頭ないが、ただでさえ、口も動かず、声も出せないのだ。

「『分霊箱』を破壊され、死に至れば……選べない。これは貴重な情報だ。君ほどの才能が闇の帝王などという立場に固執しなければ、魔法の真髄にまで到達できたであろうに」

 機械的な声に悲しみを滲ませ、赤い瞳から涙が零れた。

「残念だ。非常に残念だ」

 言葉通りに才能が惜しまれている。しかし、共感などしない。心にも響かない。誰が相手でも、同じだ。

 ただ、会うならば同じ顔の彼が良かったと乞う。そんな感情が残っている自分に驚き、煩わしく思う。

 最早、興味を失ったらしく、男は涙を拭って立ち上がった。

「さて、非才の『分霊箱』は炎に焼かれたが……、まだ結論を出すには……」

 ブツブツと呟きながら、歩きだす。それを追うわけでないが、肩を動かしてうつ伏せになり地面を這った。

 擦れながら進んでいると言うのに、肩や胴体に痛みはない。だが、神経を巡る苦痛は続いている。それでも、まだ視界のもはっきりしない白の強い方角へ向かう。そこが逝く先だと本能的にわかった。

 先を行く小うるさい男の手は借りない。

 そうだ。自分はずっと、独りだった。

 アルバニアの森を発つ時だけ、人の手を借りた。それがいけなかったのだ。

 白の強い場所へ辿り着くまでに永遠ともいえる体感をするだろう。決して、諦めない。寧ろ、逝けずとも、自力で現世に戻る方法も見つけてみせると誓った。

 

 ――ヴォルデモート卿の魂は不滅である!

 




閲覧ありがとうございました。

ハリーはこの後、コリンとムーディとの3人旅を1年経験して帰ります。彼は言う「話せば長い」と――。

クローディアに残された課題はジョージと共に立ち向かっていきます。

ヴォルデモートにとっての始まりはきっと、クィレルが迎えに来たアルバニアの森だと思います。出迎えるのは両親でも、自ら手にかけた人々でも、忠実な配下ですらない。同じ『分霊箱』を作った男だった。

これにて、『死の秘宝』編を終わります。
次は後日談編『ザ・クィブラー』です。


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ザ・クィブラー
時の流れは早い


閲覧ありがとうございます。
次世代である子供たちとネビルの視点で切り替わります。話の中で時間軸が前後いたします。

追記:19年9月29日、誤字報告により修正しました。


 7月に入り、私はそわそわと落ち着けない。昼も夜も窓から外を窺い、外出先でも鳥の羽ばたく音に過敏なまでに反応した。

 とっくに就寝時間だが、私は客人であるリリーの寝息をしっかり確かめて部屋から抜け出す。大人達に気付かれぬように足音を殺して屋根へ上がった。

「ドリス。そんなに待たなくたって、手紙は来るって」

「……ジェームズ……、男同士で遊んでなさいよ」

 同い年のジェームズは2人の兄以上に私へ構いたがる。彼は不満を聞かず、勝手に隣へ座り込んだ。

「アルバスがお眠になっちまったから、僕も寝るしかねえだろ」

 アルバスとリリーの兄であるジェームズは粗野で意地悪だが、嫌いではない。上の兄エドワードとは違うが、時折、兄としての態度を見せる。そこに惹かれてしまうのだ。

「私は貴方みたいに呑気じゃないのよ。同じ名前のドリス=クロックフォード、その人はホグワーツに行けなかったって聞いたわ」

「だから、それは魔法学校に行くだけが道じゃないって、ローカンとライサイダーがおまえを励ましているんだってば」

 スキャマンダーの双子はいつもわかりにくく、遠回しに激励する為に何度も解釈違いしては喧嘩になる。ジェームズも双子とは意思疎通が難しく、今の解釈は彼の父ハリーによるものだ。

「ルーナおばさまが一番、話が通じるわ」

「ええ……僕はあの人のほうが話通じねえわ」

 ジェームズは身震いして屋根に寝そべった。

「僕らがどの寮に入るか、考えない? 僕は絶対、グリフィンドール!」

「……貴方、いつもそれじゃない。私もお父さんと同じ寮がいいけど……、……ヘレナは絶対、レイブンクロー寮に入れって言うし……」

 ヘレナの名を聞き、ジェームズはげんなりする。

「クローディアおばさんに憑依いている幽霊の話はやめろ」

「ジェームズ! ヘレナは魔法省から許可を貰っているわ。そんな言い方したら、ハーマイオニーおばさまになんて言われるか……」

 2人でハーマイオニーから折檻された瞬間を思い返し、震え上った瞬間。

 微かな羽ばたきの音を耳にした。

 パサリッと手紙が二通、落ちて来た。

 年季の入った厚手の封筒、ホグワーツの印を押されてた封蝋。

「ジェームズ! ほら、ライアルに来た手紙と同じよ!」

 喜びのあまり、私はジェームズに抱き付く。下からひょっこりとエドワードが上がってきた。

「ママが帰ってくるよ。急いで部屋に戻るんだ。またクラウチJr.を取り逃がしたらしい。凄まじくご機嫌だって」

 機嫌の悪いお母さんは夜更かしを許さない。

 けど私は浮かれて寝室に戻らず、大人達のいる居間へと突入した。

「お父さん! 見てみて、ついに来たのよ!」

 父リーマスはシリウス、そしてジェームズの父ハリーと共に【日刊預言者新聞】を広げ、【コーマック=マクラーゲン、マグル首相に就任】の一面記事を眺めていた。

「まだ寝ていなかったのか、悪い子め」

 私を抱き上げて、お父さんは自分と同じ鳶色の髪を撫でる。温厚な口調に叱りの意味はない。

「ジェームズも一緒か、流石はホグワーツ」

 ハリーはジェームズから封筒を受け取り、意味深に笑う。

「これで、ドーラも機嫌も一っ飛びだ」

 快活にシリウスが笑った時、ぞろぞろと小さな足音が聞こえる。アルバスとリリーを連れたライアルまで来た。

「うるさいんだよ。テディもこの馬鹿妹になんか言ってくれ」

 名付け親のアラスター=ムーディに似せた態度でライアルは2人をハリーに渡し、ソファーへ座った。テディの愛称で呼ばれ、エドワードはやれやれと肩を竦めた。

「それなあに?」

 ハリーに抱きあげられたリリーはふたつの封筒を指差し、問う。私達は目配せする。ジェームズは先に開けるように促してくれた。

【『アロンダイト宅』。ドリス=アイリーン=ルーピン様】

 重みのある封筒を慎重に開き、緊張に煩い心臓の脈拍を感じながら読み上げた。

「親愛なるルーピン殿。この度、ホグワーツ魔法魔術学校にめでたく入学を許可されましたこと……(以下省略) 教頭チャリティ=バーベッジ」

 読み終え、私は興奮と感動で高ぶる。両親とその親友達、兄達が入学したホグワーツに行ける実感が視神経に伝わった。

「セブルスにも伝えないとね」

 リーマスに髪を撫でられ、我に返る。そう、私の名付け親に知らせなければならない。

「僕はジョージに知らせるよ。向こうは昼のはずだ」

「一緒に話していい?」

 ウェットポーチから平べったい硬質な板を取り出したハリーに着いて、エドワードも庭へ出る。信じられないが、それはマグルの通信機器であり、日本にいるジョージと瞬時に連絡が取れるという。

 ジェームズの祖父アーサーが一度、勝手に解体を試みて大惨事になり、四方から叱責を食らったのは記憶に新しい。

「お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの家にも、電話があればいいのに」

 祖父母であるテッドとアンドロメダの家には、マグルの家電がない。せめて、『両面鏡』が欲しいのだが、魔法界でも希少な品故に入手は難しいのだ。

 以前、居間にテッドの肖像画を飾っていたけど、過干渉過ぎて母ニンファドーラが外した事を私は知らない。

「ねえ、シリウスおじさん。ウォーリーは魔法学校をどうするの? 僕と一緒に行けるかな?」

 アルバスは不安げにシリウスへ問う。彼はウォーリーと仲が良い。彼の従姉妹のローズが嫉妬する程だ。

 私は正直、あの性格は苦手な部類。しかも、ウォーリーは家出騒動まで起こした。一晩で帰って来たかと思えば、エドワードに対して爆発しろなどと言った。

 シリウスはアルバスの視線に合わせる為に屈み、その頬を両手で優しく包んだ。

「前にも言ったが、クローディアは有無を言わさず、ホグワーツに入れられて日本の友達と離れた。だから、ウォーリーにはちゃんと話して、決めて貰うんだ。あの子がどちらを選んでも、アルバスは好きでいてくれるだろう?」

「うん、僕、ウォーリーが好きだよ」

 下がいないドリスにとって、アルバスは可愛い弟同然。そんな彼がそこまで言うなら、ウォーリーの入学も認めて上げよう。もっとも、それは彼が入学を受け入れればの話である。

 

☈☈☈☈☈☈☈☈

 国際空港にて、俺は幼馴染の田沢一を見送りに来た。

 俺だけでなく、同じ小学校のクラスメイト全員に担任の玉城先生、町内会の佐川会長、田沢の親戚一同(流石に院長先生までは来れなかった)。

「黒い先生に迷惑かけるんじゃないぞ」

「はいっ!」

 黒い先生とはお祖母ちゃんの再婚相手・シリウスを示している。ちなみに親父は赤い先生だ。別に何かの先生ではない。曾祖父ちゃんが医者だった頃の名残だ。

 2人とも先生どころか、京都で『W・W・W2号店』を経営している商売人だ。

 ここから京都へ通勤とか、正気ではない。ここは我が身内ながら、感心する。俺は絶対に継がないけどな。

 気付けば、年寄り達は勝手に2人を区別してそう呼ぶ。曾祖父ちゃんの「ご隠居」よりマシかな。いつの時代劇だ。

「史ちゃん、僕、史ちゃんの分まで頑張るよ」

「おー、俺達一二三コンビは国が離れても、不滅だ」

 信じられんかもしれんが、俺・史英(ふみひで)と一(はじめ)は魔法使いだ。とくに田沢家は魔法族でありながら、魔力を持たない『スクイブ』と呼ばれる部類だった故、数世代ぶりの魔法使いの誕生に大いに湧いたそうだ。

 一二三コンビとは、俺の史を二三に変え、一と並んでそう名称付けた。俺達は物心ついた時には、魔法族の歴史や因果関係を教え込まれた。ついでにイギリス英語もだ。

 従兄弟達へ会いに行く口実にイギリスへ行く機会も度々あった。その逆も然りだ。

 俺は親父に生き写しだが、髪は黒い。血統に従った魔法もある。

 

 ――いずれ、ホグワーツ魔法魔術学校に通う。

 

 そんな周囲の期待に俺はストレスを感じ、ついに限界を迎えてイギリス在中に家出した。

 『漏れ鍋』の厨房に引きこもり、店主のハンナさんを困らせた。そこを助けてくれたのはドラコ=マルフォイ。親父とクリスマスカードのやりとりをしていたから、名前は知っていたが初対面だ。

 それなのにアーサーじいちゃんに話しをつけ、お屋敷に匿ってくれた。

 奥さんのアステリアさんは滅茶苦茶美人で、息子のスコーピウスはドラコさんに生き写しだ。

 客として来ていたフィリッパ=ムーンは俺の初恋。残念ながら、彼女はドリスの兄貴テディにメロメロだった。 

 起きている間は楽しかったが、寝室の豪華さに圧倒されて俺は瞬時に根を上げた。

「マルフォイさんも俺がホグワーツに行くべきだと思いますか?」

 フレッドおじさんに迎えに来て貰い、俺は別れ際にそう問う。ドラコさんはわざわざ俺まで視線を合わせ、耳打ちした。

「私にはダームストラング専門学校に行く話もあったよ」

 魔法学校はひとつでない。

 俺はこの時まで、日本にも魔法学校がある可能性すら考えず、そして、両親からホグワーツを勧める話がないという事実にも気付いた。

 テディに「イケメンは爆発しろ」と言ってやるのも忘れず、ドリスにはブチ切れられた。アルバスは「君もイケメンだよ」と言ってくれる天使だ。

 

 ジェームズとドリスの入学が決まった年、俺は意を決して両親に問うた。

「俺はホグワーツに行くべきかな?」

 幽霊のヘレナが言いたげに百面相をしたが、お袋は必死に止めた。

 親父はホグワーツ行きを決めれば、シリウスを後見人にし、夏と冬の休暇は日本へ帰れるように手続きする。日本で学ぶなら、こちらの魔法学校か、そのまま中学校へ進学するかを改めて選択する。そんな説明を丁寧にしてくれた。

「……俺が中学校に行きたいって言ったら?」

「わしの伝手で、魔法使いの講師を雇ってやろう!」

 襖をスパーンッと開けた曾祖父ちゃんがアロハシャツ姿で現れる。俺が小学校に入学した後、両親の後輩が結婚するというのでイギリスに着いて行ったが、そこで話せば長い話により、そのまま世界旅行へ旅立ったそうだ。

 それなりに心配はしていたが、やっぱり元気だった。

「3年も何処をフラフラしてやがった! 何度、『吠えメール』を送ったと思う! 返事くらい、寄こせ!」

「スリル満点の逸話があってな、話はまたの機会にしよう」

 ブチ切れたお袋を宥め、俺の話は流された。

 

 

 ホグワーツから入学許可証が来て俺は断わり、一は行くと決めた。

 俺が心配で日本に来てくれた名付け親のディーン=トーマスおじさんは最後まで俺の意見に反対した。

 その後の騒動を思い返し、俺が溜息を吐いた瞬間、ちょうど、搭乗手続きに行っていたシリウスが誰かを連れて戻ってきた。

「コリン=クリービーだ。私の知り合いでね、そこで一緒になった。ちょうど、同じ便なんだ」

「ハジメマシテ、コリンです」

 片言の日本語で挨拶され、クラスメイトはざわめいた。

「え? ノーベル平和受賞者の?」

「戦場カメラマン」

 俺もこの前、TVで見た有名人だ。一の奴、ただでさえ緊張しているのに更に悪化した。

「じゃあな、一。向こうでカルチャーショックに気を付けろ。胃薬は持ったか? 杖はロンおじさんが売ってくれるから、ロンおじさん覚えているだろ?」

「うん、うん。電話する」

 首振り人形のようにカクンカクンッと痙攣し、一はシリウス達と搭乗口へ向かう。飛行機が飛び立つ瞬間まで見送ろうと、はしゃぎ気味の皆から少し離れた。

 踊るようなステップを踏みながら、俺の魔法使いの講師がやってきたからだ。

 曾祖父ちゃんが2年かけて説得し、引き受けて貰ったのを承知で言うなら、すごく胡散臭い。極寒の地で何十年と引きこもりだったくせに、ネットのように様々な蘊蓄と共に最新情報を知りえている。俺が一度、冗談で「師匠」と呼んだら、響きを気に入って呼び方を強要された。

「お師匠さまー、トイレ長いですって。一、もう飛行機乗っちまいましたよ」

〔さっき、トイレに並んでいたら、何があったと思う?〕

 こちらが日本語で語りかけても、師匠は遠慮なく英語で返す。

〔有名人にでも会ったんですか?〕

 仕方なく、英語で返す。

〔女子高生にデップに似てるって言われちゃった♪〕

「うっそ、マジ、有名人!」

 言われてみれば、映画雑誌やTVでしか知らないデップに師匠は似ている。ただ、彼の見た目は親父と同じくらいに若い。

「お師匠さまは曾祖父ちゃんの知り合いなんしょ? いくつ?」

 不適な笑みを浮かべ、師匠は懐から見慣れた模様のペンダントを取り出す。【吟遊詩人ビートルの物語】に悪戯書きされた印。母曰く、ペベレル3兄弟の『死の秘宝』を意味するそうだ。

「これを渡せるまでになったら、教えてやる」

「いらない」

 師匠の流暢な日本語に即答しても、無邪気な笑みを返された。

 どうせなら、神棚に飾っている短剣が良い。バジリスクという魔法生物の牙で出来ていると、ヘレナはよく話してくれる。

 お袋の指輪か、お祖母ちゃんが鍵に付けてるキーホルダーもありだ。宝石やアクセサリーに興味はないが、妙に惹かれるのだ。

「ほら、飛行機が飛ぶぞ」

 師匠はチリンッとペンダントが鎖に当たり、音を奏でる。

 それが俺、ウォーリー=ウォルト=ウィーズリーの波乱万丈な人生の開幕のベルになろうとは、誰1人知る由もなかった。

 

☈☈☈☈☈☈☈☈

 大木を削った屋敷に若きマルフォイ夫婦は住む。私は門代わりの蛇に挨拶して正面口の門を叩く。礼儀を重んじて打てば、扉は勝手に開いて私を招いてくれるのだ。

 屋敷の見た目とは違い、内装はまさに高級な調度品と家具が規則正しく配置され、気品と寛容さが滲み出ている。

 出迎えてくれたドラコ=マルフォイへ恭しく頭を下げる。

「ご無沙汰しております、おじさま」

「ピッパ、吉報だろうね。言うまでもないが」

 勿論、おじさまの期待通りである。

 客間に通され、高級なテーブルには使い終えたテーカップが置かれており、先程までの客人の存在を教える。

「ルーナが来ていたんだ」

「まあ、ルーナおばさま! もっと、急げばよかった!」

 あの方はいつも私にはない発想力で楽しませてくれるから、大好き。

 おばさまから暖かい紅茶を注がれる。私はベルトバックから包みを取り出す。高級な机に置き、保護魔法がかかった手袋を嵌めてから、包みを開いた。

 呪いのネックレス。

 かつて、ホグワーツにてケイティ=ベルという女子生徒を殺しかけた呪いの品。翌年の騒動で行方をくらまし、おじさまはマグルの世界にまで足を運んで探し続けた。

 父セオドールが競売で発見したが、あと一歩で競り負けた。それを私がギリギリ合法な手段で入手した。

 おじさまは感慨深く見つめ、懐からルーン文字が刻まれた布を取り出す。布は勝手に動き出し、ネックレスを覆う。すると何処からともなく鎖が現れてグルグル巻きになった。

「ようやく、肩の荷が下りた」

 椅子に深くもたれ、おじさまはおばさまの手を取る。言葉の意味は追及せず、私は一仕事終えた達成感に浸る。

「スコーピウスは、お部屋ですか?」

「あの子はホグワーツです」

 おばさまに言われるまで、その時期だとすっかり忘れていた。

 エドワード=ルーピンことテディを追いかけていた日々が懐かしい。ついでに永遠の宿敵であるビクトワール=ウィーズリーもだ。私は父の仕事を手伝う為に5年生で辞めたけど、学校での授業は充分に活かせているつもりだ。

「見送りもできませんでしたわ。今度、お祝を贈ります」

「ありがとう、ピッパ。スコーピウスは貴女の選んでくれる物なら、なんでも好きよ」

 一人っ子である私達はお互いを姉と弟のように親しみ合い、喧嘩もした。

「そういえば、あの子……えっと、フレッド=ウィーズリーの息子だったかしら?」

「ジュリアス=ウィーズリー?」

 おじさまの答えを否定する。そんな響きはでない。

「スコーピウスと同じ歳の……」

「それなら、ウォーリー=ウィーズリーだ。彼はマグルの世界で生きるそうだよ。魔法の勉強は個人で講師を招くとか」

 ウォーリー、その名だ。

「へえ、すごい決断ですね。私には真似できません」

「ああ、そうだ。けど、彼女の息子らしいよ」

 おじさまは嬉しそうに微笑む。きっとウォーリーの母親が好きなのだろう。そんな事をおばさまの前で指摘するつもりは微塵もない。

「ところで、おじさま」

 今回の仕事の報酬として望む情報。催促ははしたないが、せがんだ。

「わかっているよ。妻がどうやって『血の呪い』から解放されたか、だったね」

 おじさまは視線でおばさまに下がるように願うが、彼女は拒み。杖を振るい、ティーカップを3つに再び紅茶を入れ、熟れたマスカットが瞬時に現れた。

 おばさまの御先祖のお1人が受けた呪い、それは覚醒の如く表面化し、彼女は虚弱にされた。本当は出産さえも命と引き換えになるのではと危ぶまれていた。

 酒に酔った父からその話を聞かされ、私は大いに興味を注がれた。

「セブルスの手を借りた」

「……解放者セブルス?」

 おじさまと父の恩師にして、ホグワーツの元校長セブルス=スネイプ。近年、人狼への特効薬『解狼薬』を開発した。人狼の被害者やその家族から、感謝の意を込めて『解放者』と謳われているのだ。

 テディのお父様も被験体として貢献した為、よく知っている。

 感慨深く、私は身震いした。

「セブルス=スネイプはおばさまさえ、解放されたというのですか?」

「いいや、違う。セブルスは薬を持ってきただけだ。その魔法薬の存在を明かさないというのを条件に……。おそらく、セブルスさえ精製できぬ代物だろう」

 魔法界の希少な品。それは強力で打破できず、また再現できぬ物であればある程、価値がある。グリフィンドールの剣、呪いのネックレスも然り、私はその魔法薬が欲しいと心の底から思った。

 思わず、緩んだ口元が欲望を露にし、おじさまは咎める意味で咳払いした。

 私はすぐに普段の人の良い笑みを取り繕う。これ以上、おじさまは話さないと察した。

「もうお話は終わったかしら? それじゃあ、これを手に入れた経緯を聞かせて下さる?」

 おばさまの穏やかな笑みに私は承知した。

「競売場でマッド‐アイにお会いしまして……」

 

☈☈☈☈☈☈☈☈

 再建されたホグワーツに創設者の魔法は僅かだ。被害を免れた4つの寮、厨房、『必要の部屋』だけだ。他はマクゴナガルを中心とした教職員達、『不死鳥の騎士団』や勿論、『暗黒の森』の住人達の助言を受け、保護魔法をかけ直した。残念ながら、以前の悪戯めいた魔法の仕掛けは失われたままだ。

 今後を考え、『必要の部屋』は部屋の魔法を解かれる。その後の後片付けが大変な作業だった。

 『秘密の部屋』も完全に埋められ、長年放置されていたバジリスクの亡骸を陽の当たる校庭へ控え目な慰霊碑を建てて埋葬した。

 そして、私はルーナの案内を受け、『禁じられた廊下』を行く。

「うわーお、ここの空気、全然変わってないね。ネビル、違ったロングボトム先生」

「ネビルでいいよ。君の子供達の先生としているんじゃないから」

 私が就任してからも、『禁じられた廊下』へ生徒が無断で侵入を試みる。大体は最初の暗闇へ真っ逆さまに落ちる段階で大怪我し、慌てて助けを求める。ルーナの子供ローカンとライサイダーもそうだ。

 バーベッジ教頭はマグル・スポーツ区画にすればいいと提案し、理事会に認められた。

 危険な魔法が残っていないか、私達は調査しに来た。後続にはハグリッドとフリットウィックもいるし、万一に備えてグリフィンドールの剣も借りて来た。

 最奥の部屋まで来たが、拍子抜けする程に安全であった。

 クローディアとクィレルの決闘の地、何処となく、壁が焼けたように黒い。

 先行していたルーナが足を止め、瞬きせずに部屋を眺める。感傷に浸っているかと思い、私は警戒を怠らず散策した。

 靴が何かに触れた。

「……杖?」

 木の棒がと思えば、確かにそれは杖だ。

 しかも、傷一つない。

「……誰かの忘れ物?」

 などと呟きながら、私は迷わずグリフィンドールの剣で杖を突き刺す。木の枝が切れる感触を受け、杖は完全に壊れたとわかった。念の為、破片も魔法の炎で燃やした。

「どうしたの?」

 確認してくる口調に私は手ぶりで何もないと伝えた。

 再建されてからも誰も訪れなかった場所、少なくとも、僕はそう聞いている。だから、杖が落ちているならば、何らかの仕掛けを疑うべきだ。

「何もないね。これなら、生徒は使っても問題なさそうだ。クリーチャー達に掃除をお願いするよ」

「そう、良かった。場所は使われてこそだもン」

 ルーナは向日葵のように明るく元気になる笑顔を見せる。私は頷き、墨屑を背にして彼女と歩き出す。

「ハンナが【ザ・クィブラー】を楽しみにしていた。勿論、僕も来年の3月が待ち遠しい」

 そもそもルーナが私を訪ねたのは、来年発行予定の【ザ・クィブラー】の特集記事『20年後、風化はできぬ』のインタビューの為だ。

 魔法界の雑誌で掲載されたホグワーツの戦いは、参加もせずに惨状だけを見た人々からの憶測に過ぎない。ルーナは今こそ、伝えるべき時期だと当時の参戦者達に訴えた。

 インタビューに応じたハリーはリータ=スキータが記事を書かないのを条件にしたという。私はあの体験を口に出せなかったが、ようやく決心がついた。

「ありがとう、ネビル。けど、不思議ね。あたし、宣伝してないのにパパのところに予約が殺到してるんだって」

 おそらく、ルーナの夫ロルフの仕業だ。純粋に妻の偉業を1人でも多くに知らせようとしているだけだろうが、憶測の段階で勝手に言えない。

 新学期にはハリーの次男やロンの長女が来る。きっと、クローディアの長男も……。

「来ないよ」

 私の考えを読み取ったようにルーナは告げる。

「ウォーリーは来ない。ここだけが魔法を教えるんじゃないもん」

 後日、ルーナの予測は当たった。

 許可証の返事を見せてもらい、幼きながらもウォーリーの決意を感じ取る。彼の入学により、『灰色のレディ』が城に戻ると期待していた『血みどろ男爵』は心底、がっかりしていた。

「箒を返せる機会を逃しましたね」

 マダム・フーチも残念そう告げた。

「魔法を学ぶなら、ホグワーツが一番! けどな、来るか来ないかは生徒が決めるもんだ」

 ハグリッドの言う通りだ。

 そうして、迎えた新学期。

 来ない生徒よりも在校生の問題が山積みである。まさか、アルバス=ポッターがスリザリンに配されるとは思わず、全校生徒は動揺した。

 教職員も平静を装ったが、何も感じなかったわけではない。しかし、組分けには意味があり、どの寮に配されても生徒の扱いは変わらない。

 だが、アルバスへの興味本位な視線は止められない。私はそれを知っているが、彼を特別扱いできず、ただ『薬草学』の教授として接した。

 そして、待ち侘びた翌年の3月。予定通りに【ザ・クィブラー】は発行された。

 特集記事の内容は全校生徒が目を通し、感銘を受けた者もいれば、悲しみに涙した者もいた。元校長にして解放者であるセブルス=スネイプ、彼の身を最期の最後まで案じ続けたコンラッド=クロックフォード。

 ヴォルデモートを倒す上で忘れてはならないレギュラス=ブラックの失踪の真実。

 3人はスリザリン生であり、組分け帽子の歌にあるように目的を遂げる為ならば、どんな手段も用いた。改めて、私は彼らに敬意を抱いた。

 それはアルバスも同じだ。記事を読み、彼の心情と周囲の環境をほんの少しだけ、改善させられた。

 もしかしたら、ルーナの本当の目的はアルバスへの配慮だったのかもしれないと、私は思う。もっとも、問いただしたところで、彼女から望んだ解答は得られないだろう。

 【ザ・クィブラー】はこの号だけは完売しても再版せず、また購入者は決して手放さなかった為にある意味で幻の号となった。

 

 ――もしも、あなたがホグワーツを訪れたならば、図書館に寄るといいだろう。【ザ・クィブラー】は誰でも閲覧は可能だ。

 




閲覧ありがとうございます。

●ドリス=アイリーン=ルーピン
 ルーピン三兄妹の末っ子。ジェームズと同じ歳。最も父親の遺伝子が強い気丈な娘。
 名付け親セブルス=スネイプ
●エドワード=リーマス=ルーピン
 ルーピン三兄妹の長男、テディの愛称で親しまれる。七変化を受け継ぎ、ホグワーツにてハッフルパフに所属。
 イケメン(重要)。名付け親ハリー=ポッター。
●ライアル=レギュラス=ルーピン
 ルーピン三兄妹の次男、妹より2歳年上。面倒見が良いが、最近はムーディの真似をして仏頂面になることが多い。
 名付け親アラスター=ムーディ。
●ジェームズ=シリウス=ポッター
 ポッター三兄妹の長男。ドリスと同じ歳。祖父ジェームズのやんちゃさを受け継いでいる。
●アルバス=セブルス=ポッター
 ポッター三兄妹の次男。ウォーリーと同じ歳。父親に似て内向的であり、従兄弟のウォーリーに依存気味な部分が見受けられる。
●リリー=ルーナ=ポッター
 ポッター三兄妹の末っ子。アルバスの2歳下。ハリー曰く、ジェームズと似た性格でわかりやすい。
●ローズ=グレンジャー‐ウィーズリー
 ロンとハーマイオニーの娘、弟にヒューゴがいる。
●ローカン、ライサイダーのスキャマンダー兄弟。
 ルーナの息子で双子。年齢・寮不明だが、多分、ジェームズの世代かな。
●リーマス=J=ルーピン
 原作7巻にて死亡。
 決戦の時期がズレ、臨月の妻に付き添っていた為に不参加。コンラッドの遺言にてドリスの家だった『アロンダイト宅』を譲り受ける。
 スネイプが開発した『解狼薬』にて長年の人狼化現象から解放される。
●日無斐シリウス
 原作5巻にて死亡。
 クローディアとジョージの入籍をきっかけに祈沙へ求婚。その後、7年かけて口説き落とした。日本国籍を得て、ジョージと『W・W・W2号店』に勤めている。
●ハリー=ポッター
 ホグワーツの戦いの後、ムーディ、コリンと1年の旅に出る。帰った彼はそのまま『闇払い』に迎えられ、出世街道まっしぐらである。
●ニンファドーラ=ルーピン
 原作7巻にて死亡。
 『闇払い』に復帰した後は『死喰い人』特にクラウチJr.担当にされている。
●アラスター=ムーディ
 原作7巻にて死亡。
 自分の考え付く防衛策を講じた家よりも、警戒しながら外を回ったほうが精神的に楽だと思い至り、現在は住所不定に飛び回っている。
 実はダンブルドアではないのか? という都市伝説を抱えたままである。
●ハーマイオニー=グレンジャー
 夫婦別姓の為にグレンジャーとして有名。セブルス達が入学した後、魔法省大臣に就任。
●バーテミウス=クラウチJr.
 原作4巻にて、吸魂鬼の接吻を受けて廃人化。
 いけしゃあしゃあと生き残り、懸賞金を上げつつも世界中を渡り歩いている。見分が広がった為か、最早、ヴォルデモート復活の意思はない。
●コーマック=マクラーゲン
 原作後の人生は不明。
 マグル出身者の助けを借り、魔法を使わぬ事を条件にマグルの大学へ進学。政界へ乗り出し、首相に就任する。

●ウォーリー=ウォルト=ウィーズリー
 日無斐 史英。父親似の人相、母親似の黒髪。
 イニシャルがwwwになる為、同級生から「おまえの名前、草生えてんぞ」とよくからかわれる。全世界の「WWW」の皆様、ごめんなさい。
 初恋は無慈悲に砕けた。
 この先、波瀾万丈の人生が待ち受けている。
 名付け親ディーン=トーマス。
●田沢 一
 シリウスを後見人にホグワーツへ入学。様々なカルチャーショックに見舞われながら、成長していく。
●スコーピウス=マルフォイ
 アルバスと同世代。歴史オタク(本当)。
●フィリッパ=ムーン
 セシルとセオドールの娘。ピッパの愛称で親しまれている。珍品蒐集の悪癖があり、15歳の折、父親を助ける為にホグワーツを退学した。
●ビクトワール=ウィーズリー
 ビルとフラーの娘。三姉弟の長女、妹ドミニクと弟ルイがいる。両親の遺伝子を受け継いだ美人。
●ジュリアス=ウィーズリー
 フレッドとアンジェリーナの息子、原作後の「フレッド」の立ち位置。
●日無斐 来織
 クロックフォードの戸籍は復活されなかったが、それを良しとしている。抱えていた課題は『3年前』に乗り越えた。乗り越えただけで再発の恐れは拭いきれない。それもまた人生だと受け入れている。
 専業主婦の傍ら、小学校のバスケチームの監督を務めている。
●日無斐 常時
 籍を移す際、漢字の『常時』に惚れて改名する。
 様々な苦労を経て、京都に『W・W・W2号店』を開く。通勤には勿論、『姿現し』を使っている。
●『灰色のレディ』
 ヘレナ=レイブンクロー。イギリス魔法省の許可を得て、クローディアへ憑いていく。これにより、一家の行動は制限されている。
●日無斐 十悟人
 ダンブルドアとして明かさず、人生を謳歌。『3年前』に音信不通になったり、ずっと引き籠りだった誰かさんを説得したり、元の立場では決して出来なかった事をやりまくっている。
●ロン=ウィーズリー
 原作にて、転職を繰り返して『W・W・W』に落ち着く。
 『闇払い』の後にオリバンダーに弟子入りし、杖作りの勉強中。
●ディーン=トーマス
 原作後の人生不明。
 両親の事があり、恋人はいても結婚には至らず、その分、ウォーリーを我が子のように可愛がる。
●コリン=クリービー
 原作7巻にて死亡。
 戦場カメラマンとして名を馳せ、ノーベル平和賞を受賞する。
●お師匠さま
 長年の引き籠り生活から脱した魔法使い。
 通りすがりの女子高生から「デップ」に似ていると指摘されて喜んだり、説得されたとはいえ弟子を取るなど、以前の自分ならば考えられなかった人生を楽しんでいる。
 見た目だけなら、ジョージ達と同じ歳に見える。

●ドラコ=マルフォイ
 両親とは別に居を構え、妻アステリアと息子スコーピウスとの生活を満喫。
 闇の魔法が掛かった品を収集し、封印する活動を行っている。これは魔法省を完全には信用していない部分がある為。
●セオドール=ムーン
 原作にてルシウスの為に働く。婚姻は不明。
 ピッパが15歳の折、まさに命がけの仕事があり、死すら覚悟した。それを知った娘が学校を退学してまで仕事を手伝った為に、瀕死にまで陥ったが一命を取り留めた。
 妻の籍に入った為に「ノット」は父で絶える。息子の花婿姿を見た父は「もう家系とかどうでもいい」とあれ程、拘った純血主義の考えすらも無くした。
●セブルス=スネイプ
 原作にて7巻で死亡。
 残りの人生を魔法薬の研究へ注いだ。リーマスから娘の名付け親になってくれと頼まれたり、ハリーが息子に「セブルス」とつけた際、「やめて恥ずかしい!!(意訳)」と抵抗した。 
 アステリアの件でドラコに相談され、トトから『解呪役』の調合法、クローディアから最後のオリジナルを貰い受ける。『解狼薬』もそこから開発しており、調合法は自身が死んだ後に公開すると宣言している。

●ネビル=ロングボトム
 『闇払い』の後、ホグワーツの『薬草学』教授へ就任。
 ハンナ=アボットと結婚。子供はまだっぽい。
●ルーナ=スキャマンダー
 魔法生物学者になり、同業者のロルフと結婚。但し、どちらの籍になったか、はたまた夫婦別姓かは不明。
 ホグワーツの戦いの真実を伝える為に、インタビュー記事を【ザ・クィブラー】に掲載した。
●チャリティ=バーベッジ
 原作7巻にて死亡。
 ホグワーツの教頭に指名され、これを承諾。自らが顧問する『バスケ部』は未だ健在である。
●ロランダ=フーチ
 現役。『銀の矢64』を所有したままである。
●ルビウス=ハグリッド
 現役。森番としてか『魔法生物飼育学』の教授としてかは不明。
●『血みどろ男爵』
 自らが手にかけたヘレナへの想いが消えず、また城から去られてここ数年、最悪の機嫌(ピーブズ談)。 


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僕らは幸せだ

閲覧ありがとうございます。

『1年』の旅から帰ってきたハリー、ロンが『闇払い』を退職するという小話。



 『闇払い』局に用意された僕の机には、大量の書類が置かれている。全て『死喰い人』に関する物だ。

「君の分は誰も手を付けていないぞ」

 相棒であり教育係のドーリッシュ=ダートに対し、僕は割と本気で殺意が湧いた。

 勤務初日から残業、連日の徹夜で片付けた。

 休憩時間を貰い、『漏れ鍋』で適当に食べながら仮眠していた。

「ハリー、お客さん」

 僕とは違う任務から戻ったロンが連れて来たのは、ゼノフィリス=ラブグッドだ。

 慌てて起き上がった僕にゼノフィリスは、座ったままで良いと手振りで教えてくれた。

「お久しぶりです。どうしたましたか? ルーナに何か?」

「いや……急ぎではないんだが、お願いがあって……」

 ロンは僕らを気遣い、離れた席へ向かう。周囲はマグルの騒ぐ2000年問題とは何か、それにより魔法界に影響について話す者もいれば、今夜の夕食の献立について話すと様々だ。

「ホグワーツで何があったか、皆、知りたがっている。君は以前、私の雑誌にインタビューを載せてくれただろう。それで、私の所に記事はまだかって手紙が……」

 ゼノフィリスは本心ではないように見える。周囲に急かされ、仕方なく打診しに来た。それと皆の期待に応えたい気持ちもあるのだ。

 かつて、ルーナは教えてくれた。【ザ・クィブラー】は寄稿者に支払いをしない。故に本気で真実を伝えたい者だけが彼に掲載を依頼するのだ。

「まだ……その時ではないと思います。時期はルーナが決めてくれるでしょう」

 僕の答えが予想通りだと言わんばかりにゼノフィリスは微笑む。

「ルーナの言う通りだった。そうだね、今はまだ時期じゃない。真実を載せたくなったら、いつでも言っておくれ。君の寄稿なら、最優先で載せるよ」

「流石に原稿はルーナに任せます。彼女の文章のほうがユーモアで、読みやすい」

 ルーナが褒められ、ゼノフィリスは純粋に喜ぶ。僕に『闇払い』は早々に辞めるように言い渡し、彼は去って行った。

「辞めるなら、私達の部署にいつでも来なさい」

 休憩中に話を聞いていたクララは冗談っぽく、僕を誘った。

「いいや。きっと、僕にはこれしか出来ないから」

 本心を述べ、丁寧に断った。

 産まれた時から、闇の帝王を倒す『選ばれし者』。そんな僕がアーサーさんのように違法なマグル製品を取り締まったり、フレッドとジョージのように商売をしたり、トムのようにカウンター奥の厨房で料理を振る舞う姿は想像できない。

 かといって、バーノンのように会社員も社長も似合わない。

「そんな真剣に取らないでよ。全く……相変わらずね、ハリー。けど、安心したわ。マッド‐アイとの旅で彼みたいになったんじゃないかって皆、噂している。ねえ、どうだったの。旅は?」

 クララの問いに躊躇えば、周囲の視線に気づく。ロンも僕がどんな旅をしたのか、知りたい様子だ。

「話せば長い」

 一呼吸置き、それだけ告げて僕は退散した。

「戻ったか、ポッター」

「あら、ハリー。ちょうど良かった」

 今日はよくよくと人に会う。

 局に戻った僕を待ち構えていたのは、スネイプとドーラだ。

 まだ保護観察中のスネイプが局に出入りしているのは知っていたが、ドーラはまだ育休中と聞いていた。

「ドーラ……復帰したんだね。お帰り、リーマスとテディは元気?」

「両親もいるから、2人は大丈夫よ。『死喰い人』狩りにはまだまだ時間もかかるし、人手は1人でも多くって奴だ」

「我輩としては君一人がおらずとも、十分だと思うがね。ポッターも無事に『闇払い』になったのだからな」

 嫌味ったらしくスネイプは僕から目を逸らす。ドーラに対し、まだ幼いテディには母親が必要であり、息子の傍に欲しいのだと僕にはわかった。

「お2人とも、お変わりないようで何よりです」

 僕が答えた瞬間、いつの間にか来ていたドーリッシュは紙の束を僕の机へドサッと置いた。

「追加だ。目を通してくれ。処理した分は貰っておく」

 今日こそは『隠れ穴』でお世話になる予定が台無しだ。

「ありがとう、ドーリッシュ」

「喜んで貰えてなによりだ。ニンファドーラ、ロバース局長が奥で待っている」

 僕は思わず、嫌味な笑顔と口調を返す。ドーリッシュは物ともせず、ドーラを連れて局の奥へと行く。彼女は「ニンファドーラ」と呼ばれ、キレ気味状態で着いて行った。

「これ程度の書類、我輩の罰則をやってこれた君ならば簡単であろう」

「ええ、貴方には散々、鍛え上げられました」

 棘を含んで返せば、スネイプは鼻で笑う。

「そうとも、貴様は罰則から逃げなかった。どんなに辛かろうと決して投げ出さなかった。だから、これからどんな困難があろうともやっていけるのだ」

 スネイプは率直に僕を褒めた。珍しさのあまり、僕は目を丸くした。

「それを父親譲りの勇敢さと誤解する者は多いであろう。だが、我輩は訂正させて頂こう。貴様は父親に似て勇敢なのではない。母に似て義理堅く、思慮深いのだ。それを忘れるでないぞ、ポッター」

 母に似ている。今までの人生でそう告げたのは、スラグホーンだけだ。それも『半純血のプリンス』の教科書の知恵を借りただけの嘘っぱちの僕だ。

 けど、スネイプはどんな僕も知っていて、母に似ていると断言した。

 黒真珠のように光沢のある瞳を見返し、僕は思い出す。一年生の時、『賢者の石』を守り抜いた後だ。クローディアは誤解した自分達は謝罪すべきと言っていた。

「スネイプ先生。貴方は僕が一年生の時、クィレルから守ってくれました。僕が勝手に嫌っていたというのに、それでも、その後もずっと護ってくれていた。ありがとうございます」

 謝罪の意味も込め、感謝を言葉にした。

 とても心が穏やかな気持ちになる。こんな日が来るとは、夢にも思わなかった。

「教師が生徒を護るのは、当然の義務である。だが、……もう教師ではないのだ。有り難く、受け取っておこう。ハリー」

 この瞬間、僕は両親の息子ではなく、たった1人のハリー=ポッターとして認められた。そして、保護観察が解かれても、スネイプは二度とホグワーツで教鞭を取らないと悟った。

 本当に残念だと思う。

 

 

 21世紀に入り、僕はグリンゴッツにあった残りの財とコツコツ貯めた給料でグリモールド・プレイス十二番地を買い取り、建て直した。

 嘘です。土地の権利をシリウスから生前分与として譲り受け、トトさん達が成人と就職祝いを兼ねて建築してくれました。

 ほとんど家具代だけで済みました。

 新築祝いにとクローディアはプレイステーション2と『真・三国無双』を持ち込み、シェーマスやネビル達とコントローラーを奪い合いながら、遊んだ。

 皆が去った後、またクローディアが持ってきたスターウォーズ エピソード1の鑑賞会を行う。僕はDVDに初めて触れ、感動した。

 シリーズも知らず、マグルの映画も初見のロンが鑑賞中に色々と質問してきた為、ハーマイオニーが魔法で黙らせた。

 久しぶりの4人だけの時間。画質の良い映画を観れるなんて、奮発して大型TVを買った甲斐があった。

 しかし、長時間は目が痛い。

「アナキン、可愛い。あんな良い子もハゲる運命にあるなんて、惨いもんさ」

「あの男の子、ハゲるの!?」

 感慨深く、クローディアはソファーにもたれる。ロンは物語よりも主人公の少年の頭部を心配した。僕はその姿を覚えていない。次の給料でビデオをレンタルしよう。ビデオデッキも買わねばならない。

「……まさかあの女王がそうだとしたら、……相当の年の差カップルよね」

「姉さん女房か……」

 ハーマイオニーに言われるまで、僕はそこに疑問は浮かばなかった。

 映画の感想を述べた後、ロンは唸るように黙り込む。

「僕、どうしてもわかんないんだけど」

 真剣な態度にハーマイオニーも笑みを消し、クローディアはDVDをケースへ戻す手を止めた。

「ヴォルデモートはどうして、過去に戻ってやり直さなかったんだろう? 『逆転時計』以外にも時間を遡る方法をあいつは知ってたんじゃないかな?」

 ボニフェースは何らかの方法でタイプリープをしていた。

 クローディアから聞かされた時、ハーマイオニーは何とかの原則に反すると言いながら卒倒した。

 ヴォルデモートは老人のベンジャミンから、『逆転時計』の話を聞いていた。当時、ルクレースがおらずとも魔法省には心棒者は多かったはずだ。彼が望むなら、『逆転時計』を差し出す者もいただろう。

 それでも過去に戻らず、人生をやり直さなかった。

 僕はひとつの推論を立てる。

「ボニフェースが2度、死ぬからだ。あいつはそれを見たくなかった。見てしまった時、悔やむ自分を知りたくなかった」

 ヴォルデモートは断末魔の叫びとして、ボニフェースの名を呼んだ。最期まで捨てきれなかった友への想、但し、決して認めなかった。

 自らの勢力を勝利させるだけなら、予言を覆す為にハリーの誕生を阻止するだろう。だが、己が完全なる闇の帝王にならんとするなら、ボニフェースとの対決は避けてはならない。今度は真っ向から排除にかかるだろう。その後にはコンラッド、クローディアという存在が待ち受けているのだ。

 2人に和解などあるはずもなく、再び死別を迎える。その時、胸に去来する感情にヴォルデモートは決して耐えられない。

 3人は沈痛な面持ちで沈黙した。

「……馬鹿だよ、……トム=リドルは」

 ロンはヴォルデモートに対し、何の情けもなく告げる。共感したクローディアは嘆息し、DVDをケースへきっちり戻した。

「僕らの活躍も映画になるかな?」

「きっとなるわ。ペベレル3兄弟みたいにお伽話としてね」

 ハーマイオニーが答え、僕もそう思う。そして、僕らの話を聞いた子供達は口々に議論し合う。

 

 ――ハリー=ポッターは実在の人物なのか?

 

 そんな想像し、僕は自分の傲慢さに笑った。まずは考えるべきは如何にして、ジニーと2人っきりになる時間を作るかだ。

「食べる物、なくなった……。『漏れ鍋』に買いに行くけどさ、ハリーは何がいる?」

 レイブンクローの紋章によく似た刺繍を背負うロングコートを羽織りながら、クローディアは問いかける。ハーマイオニーも一緒だ。

「僕、なんでもいいよ」

「ロン、貴方も行くのよ。ハリーは家主なんだから、ここにいてね。すぐ戻ってくるから」

 ハーマイオニーの有無を言わさぬ笑顔にロンは渋々と立ち上がった。

「うお……寒!」

 3人が玄関の外に出て扉を閉める。それを見送った後、僕は若干、散らかった廊下や居間を見渡す。宿り木のヘドウィッグと視線を合わせ、片づけようと背を向けた。

 扉が開く音。3人の誰かが忘れ物でもしたと思い、振り返った。

 今宵はもう訪れないと思っていたジニーは堂々とそこにおり、ヘドウィッグは翼を広げて開いた扉から夜空へと飛び去った。

 

☈☈☈☈☈☈☈

 夜が更ければ更ける程、『漏れ鍋』に客は集まる。

「ずるい、ずるい! ウィーズリー兄妹はずるい!」

 酒樽を一気飲みし、顔を真っ赤にしたサリー=アン・パークスにクローディアは絡まれた。

「マンディ……、どしたのさ。サリーは?」

「彼氏に振られたのよ。わかるでしょ」

 やれやれと肩をすくめたマンディはエールを口にし、クローディアは胸元を掴まれた状態でサリーの頭を慰める手つきで撫でた。

「何よ! 余裕ぶってんじゃないわよ! あなたはいつ入籍すんのよ! 早く決めなさいよ、セシルみたいに先にお目出度はやめてよね! お祝が重なるでしょう!」

「モリーさんが結婚を許してくれないから、当分はないさ」

 暴言を吐きながら、サリーはクローディアの胸に縋る。母モリーが認めぬ原因は、ジョージが結婚を機に国籍を日本へ移す為だ。

「うちの子が国を出るなんて、耐えられないわ!」

「ほお、ビルとチャーリーはお隣さんか、今知ったぜ」

 ルーマニアで働くチャーリーやエジプトでの勤務経験があるビルの存在を無視した発言に、フレッドは完全に呆れていた。

 父アーサーや僕を含めた兄妹が必死に説得し、モリーは一つ条件を出した。

 ウィーズリー・ウィザード・ウィーズの2号店を日本の首都・東京へ進出させるというものだ。これを聞いて、トトはげんなりした。彼曰く、東京の魔法族は閉鎖的な考えに凝り固まっており、縄張りにも煩い。新参者しかも外国人の魔法使いが店を出すのは非常に面倒臭いそうだ。

 クローディアの地元ならば、トトが築き上げたコネがあるから簡単だ。これくらいの試練も越えられないなら、新天地では生きられないとジョージを心配し、また失敗も狙っているのだとアーサーはモリーの複雑な心情を言い当てた。

 騒ぐ女性達を尻目に、僕はハーマイオニーとカウンターへ座った。

「セシルの子供、なんて名前だっけ? ヒーハー?」

「ピッパよ、フィリッパ。間違っても、私達の子供にヒーハーなんて名前つけないでよね」

 凄く自然に子供の話をされて、僕は素直に照れる。

「それで私達はいつにする? 私の両親はいつでも心構えが出来ているわ」

 心構え、僕もとっくに出来ている。しかし、その話をする前にハーマイオニーに相談があった。

「実は……『闇払い』辞めようと思う」

 ハーマイオニーの表情が凍りつき、見えぬ怒りが僕の肌に伝わってくる。けど、撤回はしない。僕も決めた。

「……オリバンダーが店を再建する話は知っているかな? それで僕、誘われたんだ。杖作りにならないかって……、僕、光栄に思った。本当にやりたいんだ」

 すぐに杖を作らせては貰えない。しばらくは下積みから始まり、杖作りの歴史を学んでいく。ホグワーツの7年間よりもずっと長い歳月がかかるだろう。

「杖作り見習いってお給金は出るのかしら?」

 ハーマイオニーの現実的な質問に僕は曖昧に笑う。出るには出るが、『闇払い』よりは格段に低いとしか言えない。

「……私がその分、働くからいいわ」

 長い溜息をじっくり吐いてから、ハーマイオニーは答える。取りあえずの安心を得て、僕は彼女に感謝した。

 この後、『闇払い』を退職する旨をモリーに伝えた時のほうが何倍も面倒な目に遭い、勝手に転職したと知ったハーマイオニーのご両親の刺すような視線は一生忘れないだろう。

 

 

 瞬きで我に返る。

 まどろんだ意識は僕の状況を瞬時に教える。手箒を持ち、棚にある杖入りの箱を払っている最中だ。

「僕、目を開けたまま寝てた……」

「開店までまだ時間がある。寝ても良いですよ」

 店の主人にて、杖作りの師匠オリバンダーは穏やかな笑顔で告げる。修行中は厳しい彼は、肝心の仕事中はとても優しい。杖作りが商売をする上で重要なのは、相性を見抜いて渡すことだ。そして、杖を求める者は来るべき時にしか来ない。

 『ニワトコの杖』の再現は、あくまでもの目標。その事だけに拘ってはいけない。杖が手渡されるまで、大切に保管できればそれでよい。というのがオリバンダーの考え方だ。

 勿論、僕は作業に戻った。

 もう7月に入り、魔法学校の生徒達が大勢ダイアゴン横町にやってくる。勿論、9月の入学を控えた新入生もだ。僕の娘ローズへオリバンダーはぴったりの杖を入学祝いに贈ってくれた。

 出来れば、僕の作った杖を渡したかったが、去年から接客を任せて貰えるようになっただけで作るのはまだまだ先の話だ。

 焦ってはいない。先人達の辿った歴史に比べれば、僕はまだ入り口にさえ立ててない。少し、残念に思っただけだ。

 故に忙しくなるのは必然、普段よりも気合いを入れて掃除を入念に行う。ブラインドーを上げ、【開店中】の札をかけた。

 本日一番のお客さんはシリウスを伴った新入生。僕も何度も、顔を合わせている男の子だ。

 シリウスと視線を合わせ、彼からウィンクを貰う。さあ、接客開始だ。

「ようこそ、新入生。お待ちしておりましたよ」

 言い慣れた口上を述べ、僕はガチガチに緊張した田沢 一へ手を差し出した。

 




閲覧ありがとうございました。

●ドーリッシュ=ダート
 原作7巻において、ミセス・ロングボトムより反撃を食らい、聖マンゴへ入院。その後は不明。
 きっと、生涯現役で過ごしたと思う。
●ゼノフィリス=ラブグッド
 原作7巻において、アズカバンへ収監される。その後は不明だが、きっと元気にやっている。
 周囲から「いつハリーの自伝は出るのか?」「ハリーの記事は?」などとせっつかれ、時折、ブチ切れる。本人曰く、最近は怒りやすくなってしまったのが、悩み。
●クララ=オグデン
 完全オリキャラ。
 ハリーが『闇払い』の局長になった頃、『偽の防衛呪文ならびに保護器具の発見ならびに没収局』の局長に就任。
 しかし、ヴォルデモートの脅威がなくなったご時世に必要性を感じなくなり、自ら廃止した。
 魔法省も退職し、セドリック=ディゴリーと結婚する。
 最近の悩みはエイモスからの嫁イビリ。
●シェーマス=フィネガン
 きっと元気にやっている。
●ヘドウィック
 原作7巻にて死亡。
 老衰するまで、ハリーと共にあり続けた。
●サリー=アン・パークス
 原作1巻の組み分け帽子の儀式で呼ばれた生徒。
 気づけば、恋多きミーハーキャラになってしまった。
●マンディ=ブルックルハースト
 原作1巻にて、レイブンクローに配された生徒。
 『ポッターウォッチ』の影響で、魔法ラジオ相談番組を持つ為に奮闘中。
●セシル=ムーン
 原作1巻にて、組み分け儀式で「ムーン」表記された生徒。
 半年前おめでた婚により、セオドールと入籍。
●モリー=ウィーズリー
 原作ホグワーツの戦いにて、べラトリックスに勝利する。
 ジョージの結婚には「東京」と条件をつけたが、ハリーとジニーの結婚により日本なら何処でもと条件を下げた。
 これにトト(ダンブルドア)は腹を立て、おそらく日本一難易度の高い「京都」へと開店させた。勿論、ジョージの実力である。
●グレンジャー夫妻
 原作7巻において、ハーマイオニーにより記憶を改竄されて別人としてオーストラリアに移住する。物語後にハーマイオニーに見つけられ、記憶も戻された。
 勝手に転職したロンに対し、当初は冷たい態度だったが、ハーマイオニーの妻としての態度や孫達により絆される。
●オリバンダー
 原作7巻において、ハリー達から救出され、ミョリエルの家で養生される。その後は不明だが、きっと店は再開されていると思う。


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砂が如く祈る前

閲覧ありがとうございます。

感想欄にてリクエストにありました。
クローディアの両親の出会いです。母親視点になります。
残酷な表現があります。

限界集落という言葉が世間に広がるより、昔の話。


 

 間引きという言葉をご存じだろうか?

 植物を栽培する際、苗をより良く成長させる為に他の苗を抜く行為。

 しかし、この言葉が生まれる前から人間同士の間で行われていた。

 地方によっては『姥捨て山』、『子返し』と名が違うだろうが、詰まる所は同じ人減らしである。親を捨てた子は、子に捨てられる。子を捨てた親は、親に捨てられる。

 終わりのない連鎖は集団を生かす為に必要であり、枯れ葉が腐葉土となり木を育てるように当然の摂理だった。

 

 そんな話を私は祖母から聞かされる。

 この集落における間引きの習慣、顔も知らぬ曾祖父母は今は亡き、祖父の手で山奥に置き去りにされ、祖母の下の兄弟は乳飲み子だというのに谷の川へ投げられたのを何度も目にしたという。

「オラはここから出るわけにいかん、例え最後の1人になってもだ」

 訛りと共に意思の強い言葉で祖母は締めくくった。

「だけど、母さん。病気なったらどうすんだ? 父さんみたいに死なれたくねえよ。妻も母さんと暮らしたいと言ってくれてる。なあ、孫と暮らしたいと思わないか?」

 父は呆れた口調で説得する。

 一番若いのは祖母だけ、年寄りだらけの集落。街でに移り住んだ者により、一緒に暮らそうと提案されても頷く者はいない。

「皆、同じだ。オラ達がここを出ちまえば、死んじまった奴らにもうしわけねえ」

 ほとんど聞き取れない方言と訛りに涙が混じっていた。

 私は殊更おかしくて思わず、笑った。

「だったら、ここを捨てればいいじゃない。だって、捨てるのはお祖母ちゃんの番なんだからね。ほら、ちゃんと習慣に乗っ取ってるよ」

 祖母は驚きのあまり、硬直した。

 青褪めた父は反射的に私へ拳を振ろうとしたが、軽やかに避けた。

「……そうけえ……。オラの番か……」

 とても納得した笑顔で祖母は初めて移住に同意した。

 善は急げと3人は山を下りる。祖母の荷物は祖父の遺影だけだ。

 その様子は息子と孫を途中まで見送りに行くのとなんら変わりなかっただろう。しかし、微かな違和感を覚えていた者はいたかもしれない。

 岩がごつごつと目立つ山道を歩き、舗装された道路へと降り立つ。停めて置いた乗用車に乗り込み、父は上機嫌に発進させた。

「お祖母ちゃん、シートベルトは?」

「着け方がわからん」

 助手席にいる私は後部座席でシートベルトに悪戦苦闘する祖母を微笑ましく思った。

 窓の外は快晴、太陽は沈もうとしている。このまま行けば、30分足らずで町の我が家へ到着する。その前に公衆電話を見つけ、母に連絡しなければいけない。

 彼女はこれから始まる祖母との暮らしに胸を躍らせ、エンジン音の中に含まれる異音に気付かず、反対車線の谷側から流れ込んでくる無数の岩を目にした時には全てが遅かった。

 襲われた現実を受け入れた時、現状を理解する。

 横転した車がガードレイルをブチ抜いて僅かな均衡により、留まっている。少しでも動けば崖下へ真っ逆さまだ。

 あまりの恐怖に震え上がり、私の痙攣は治まらない。

「やめてくれえ」

 懇願する祖母の声がした。シワだらけの手が私を繋ぐシートベルトを外す。

「この子は、この子は町で生まれた子だ。関係ねえ」

 祖母は老人とは思えぬ力で私を押し、岩で割れたフロントガラスへ押し込む。私を車から出そうとしているが、それをすれば振動により車は落ちてしまう。

「行けぇ、行くんだ! 早く!」

 必死な祖母の力に押されなければ、私は指一本動かせなかっただろう。咄嗟に父を見た。顔面をフロントガラスに貫かれ、既に息絶えていた。

 されるがままに私は車から這い出た。

 ガラスに皮膚を裂かれたが、感覚が鈍って痛みがないのは幸い。無駄と知りながら、2人を求めて振り返った。

 轟音を立てて、車はガードレールを巻き込んで落ちた。

 車に纏わりついた岩や泥が夥しい人の手に見えたのは、目の錯覚だったかどうかは今でもわからない。

 

 ――助けを呼ばなければ!

 

 僅かに残った理性というより、2人を助けたい一心で私は歩いた。

 本人として全速力だったが、傍から見れば蝸牛よりも遅かっただろう。それでも、歩き続けた。

 日が暮れ、電灯を頼りに進む。公衆電話よりも先に民家へ辿り着き、残った力を振り絞って玄関を叩いた。その家の住人は私達親子が定期的に集落を訪れていると覚えてくれいた為、すぐに救急車と地元警察を呼んでくれた。

 今でも感謝している。

 

 病院に搬送され、私は警察に自分の住所を伝えた。血相を変えた母はすぐに駆けつけてくれた。

 車と父と祖母は崖下にて発見されたが、遺体の損傷が激しく運び出せない状態であった。あの集落の長はそんな2人の遺体を引き取り、葬儀まで取り仕切ってくれたそうだ。

 それを聞き、私は思う。あいつらは祖母の出発を許さず、祖母と父は殺された。落石は事故で偶然でもない。人為的な物だったに違いない。もしも顔を上げていれば、誰かを目撃していただろう。

 祖母の声が頭に反響した。

 私は懇願により、見逃されたに過ぎない。それとも、祖母が言うように町の子供だったからなのかもしれない。

 何日経過しても、私は声一つ上げず、当時の担当医は失語症と診断した。

 退院が許されても、私は無気力で体も動かさない為、空腹を感じず、食事も取らずに部屋に籠る日々。

 事故の後遺症故、母や担任、同級生は心配して何度も励ましてくれた。純粋に私の身を案じているとわかっていたが、それに答えられなかった。

 怪我も病気もなく、ただそこにいるだけの私を責める声が増えて行った。

「辛いのはおまえだけじゃない」

「お母さんに迷惑をかけるな」

「本当は仮病じゃないのか?」

「いい加減にしろ」

 責められようとも、他人事のようにしか聞こえず、泣きも怒りもしない。やがて気味が悪いと関わりを断たれた。

 季節が何度も変わり、母さえも部屋に来なくなった。

 

 目を覚ましたら、病院にいた。

 母方の祖母が久しぶりに家を訪れ、衰弱状態の私を発見してやむなく病院へ運んでくれたのだ。

「もう無理! だったら、あんた達は面倒看なさいよ! 偶に来て帰る人が私を責めないでよ!」

 金切り声が聞こえても、何も感じない。祖母に同調する事も、母を庇う意思も起きない。

「母親が面倒を看ないと……」

「うちは……」

 祖母を中心とした親戚から、私を押し付け合う声が届く。それも仕方ないと理解していた。

 母は献身的に私を介護したといえる。でも、続けられるかは母親も何もないだろう。

 面会時間が過ぎ、病院が最も静かな時間になった頃。自分の眠る寝台に別の重みを感じ、瞼を開いた。

 無表情の母が私の首に手を伸ばす。動脈を塞ぐ感触に母は限界を迎えたのだと他人事のように理解していた。

 母の人生から、私は間引かれる。

 また祖母の声が反響した。

 

 ――死にたくない。

 

 久しぶりに湧き起った感情は生物として当然の本能。しかし、抵抗するには腕も持ちあがらない。

「いらんなら、私が貰おう」

 2人きりの病室に低い声が静かに通る。母は我に返ったように私から手を離した。

 病室の扉に小柄な男がいた。母よりも若い顔つきだが、私が知る誰よりも厳かな雰囲気を醸し出している。

「私が貰ってよいなら、このまま去るがいい。但し、二度と会うな」

 集落の長など比べ物にならぬ迫力に母は物怖じしても、私を振り返る。眉間に寄せたシワは解放を喜びのようで、手をかけるつもりはなかったと弁明にも見え、許しを請うているようにも思えた。

 結局、母は病室を去った。

 足音が聞こえなくなり、男の黒髪が突然に白髪になり、シワも老人の領域まで刻まれた。

「今から、ワシがお主の父親じゃ。名前はそうじゃな……祈沙。沙(すな)のような祈り……とでもしておこう」

 『父』は私の頭を撫で、そう呼んだ。

「……き……さ……」

 疑問が声に出て、驚いた。

 『父』はそれを承諾と受け取り、微笑む。妙に慣れていない笑い方だった。

「その名が馴染むまで眠っておれ。忙しくなるのはそれからじゃ」

 眠気が襲ってきた。

 気絶ではなく、穏やかな心地で瞼を閉じた。

 

 再び目を覚ませば、違う病院にいた。

 明らかに上等な素材で作られた壁や寝台、寝巻の肌触りも段違いだ。

 患者の名札を見れば、【日無斐 祈沙】とあった。

「おはようございます、日無斐さーん。具合はどうですか?」

 明るい笑顔の看護婦は当然のように私をそう呼ぶ。初めて、『父』は日無斐だと理解した。

「お……はよう、ございます」

 掠れていたが、ちゃんと声が出せた。

「さあ、今日からリハビリです! 体に負担をかけないように日無斐さんのペースでやっていきますからね!」

 看護婦から説明されたリハビリに覚えはなかったが、確かに栄養失調にある。しかし、以前になかった心の活力を脳髄から感じた。

 リハビリを受けながら、『父』がどんな人間が大体は把握した。田沢病院の創設者の一人であり、町の年長者達が先生と敬う存在。しかし、誰も正確な年齢を知らず、誰もそれを疑問に思わない。

 いくらなんでも異常だ。

 しかし、おもしろい異常だと感じた。

 自分の名前が『祈沙』だと自覚する為、何度も呟く内に語尾に「さ」が付くようになった。

 今にして思えば、私は両親から授かった名を思い出せぬ事に何の疑問も抱かない。異常なのは私自身だったのだ。

 季節が一巡し、退院した先は日本家屋そのもの、土蔵まである。

「……お父さんって歳はいくつなのさ?」

「100歳」

 荷物を解いて『父』と話せば、即答。胡散臭げに視線を返せば、肩を竦められた。

「すまん、サバを読んだ。多分、90かそこらじゃ……」

 何故、多めに言うんだろう。しかも、年齢の割にシワが少ない。

「……全然、見えないさ。妖怪か何かさ?」

「魔法使いじゃよ……、似たようなもんか」

 度々、『父』は魔法族の話をした。

 ダームストラング魔法専門学校に通っていたとか、田崎さんの家も魔法族だとか、大天狗・次郎坊に勝ったとか、冗談だと思った。

 当時の田沢院長が私の回診に来た時、確かめてみた。

「田沢さんのお宅は魔法使いなんですか?」

「ええ、そうです。といっても、祖父母の代から生まれていませんがね」

 田沢さんは天狗の一味だったが、明治維新の折に山から下りた。否、どんな修行を重ねても神通力に目覚めぬ故、破門されたというのが正しいそうだ。

「……しかし、そうか……弟子を取ったと思ったら……、本当にただの娘さんなんですね……」

 老齢でありながら、上品な美しさを感じずにはいられぬ院長は興味深そうに私を眺めた。

「でしたら、お覚悟を。あの男の身内になれば、魑魅魍魎から逃れられません」

 『父』は一度も誤魔化さず、本当の事だけ教えていたのだ。

「だったら……」

 脳裏に浮かんだのは、祖母と父。

 人智の及ばぬ力が本当にあるなら、何故、2人は殺されたのだろう。あの山にも住まう何かが、助けてくれても良かったはずだ。

 そんな考えが浮かび、私は悔しくて泣いた。

 

 ――『家族』を無くしてから、初めて溢れ出た涙だった。

 

 院長は慰めなかった。ただ泣き止むまで傍に居てくれた。

 それから、『父』を訪れる人々の中で私を品定めする目つきの人は魔法族関係だとすぐに察した。最初は周囲の人に合せた風貌だったが、本性を表していき、着物を着た狐や猫、目玉だらけとか当たり前になって行った。

 お風呂場に河童が現れた時は、いろんな意味で腰を抜かした。

 

 ――そして、殺されかけた。

 

「本当に弟子じゃないんだー、うそー」

 血に濡れて呼吸も儘ならない私よりも、仕掛けて来た狸のほうが気の毒な程に狼狽していた。

 『父』は彼らと縁を切った。

「随分と親馬鹿になったねえ……、アタイも気を付けるとしよう。まだ、アンタとは繋がっておきたいからねえ」

「ワシの機嫌を取っても、返してやらんぞ」

 黒髪を背に流した狐が妖しく笑い、私の首に鼻を付けて匂いを嗅いで去った。

「すまんな、あの狐はワシに頭を取られておるからな。まだしばらく付き纏って来ようが……危害は加えて来んじゃろう」

 『父』は祈沙の年齢に応じ、学業への復帰を求めた。人間社会に返し、他にも誤解している連中に示せる為だ。

 狸から受けた傷の治療も兼ね、定時制に通わせて貰い、高卒資格を取得した。問題は職だった。

 長時間は歩けず、乗り物に乗ろうとすれば吐いた。院長曰く、歩く分は少しずつ良くなっていくが、乗用車に関しては一種のトラウマだろうと診断された。

 『父』のように世界を巡りたかったが、この身では室内での仕事に限られてくる。

「医者ってどうやってなるさ?」

 純粋な興味だった。

「……遺体を見る覚悟があるならな」

 告げられ、ゾッと寒気がした。そう、医術に関わるなら、死に触れるのは当然だ。多忙な毎日と魔法族との僅かな関わりに、過去を忘れそうになる。けど、一度も忘れたりしていない。

「……無理」

 逆流する胃液を吐かなかっただけ、自分を褒めた。

 理容師を選んだのは何気なく、ご近所の理容室さんは白衣を着ていたからだ。

 これも通信制にしてもらった。専門学校の寮もあったが、最近になって松葉杖がなくても歩けるようになったばかりだ。他人との集団行動はお互いに負担になるだろう。

 

 今年に入り、初めての回診日。

 院長に診て貰っている最中、居間にフクロウが乱入してきたのだ。

 流石にこれは吃驚した。

「随分と無粋じゃな……」

 疲労困憊のフクロウと共に『父』は土蔵に籠った。

「うちの嫁を寄こしましょう。あの方はしばらく出てきません」

 院長の宣言通り、一週間は出て来なかった。

 院長の嫁とは次男さんの嫁であり、入院中に世話してくれた看護婦さんだったから嬉しかった。彼女が帰るのを見計らったように『父』は土蔵から出て来た。

 滅多に見せぬ深刻さで問う。

「なあ、祈沙。おまえ、母親にならないか?」

 それから国境も世界観も越えた話をされた。

 イギリス魔法界、闇の帝王ヴォルデモート、時間を遡った『ホムンクルス』、アロンダイト兄弟、使い魔に託された遺言。途方もなく、実感は持てない。けど、理解すべきはただひとつ。

「……私がお母さんに……」

 祖母のように母のように、自分が『母』になる。

 正直、怖い。

 母のように限界が来たら、自分の人生から子供を間引く。拾ってくれた人がいたから、ここにいられる。

「祈沙」

 呼ばれて我に返る。生え際とコメカミ、喉の皮膚に汗が張り付く。

「ワシはちょうど娘が欲しかった。だから、おまえを貰った。おまえが決めればよい」

「……でも、私がならないと困るんじゃ……」

 私に意識は朧げで決断できない。だから、命令して欲しかった。恩人の『父』になら、どんな命令も耐えられるのだと信じた。

「親には自分で決めてなるもんじゃ」

 それ以上の会話はなく、私は座り込んで眠らずに一晩、そのままの姿勢で考え抜いた。今にして思えば、取るに足らない葛藤だったと言える。

 夜明けを迎える前に決め、ずっと待ってくれていた『父』に伝えた。

「母親になるさ」

「ありがとう」

 意外にも感謝され、祈沙はとても誇らしい気持ちになった。そして、まだ見ぬ我が子との対面を望んだ。

 

 5日後、寝惚けた私は庭にいる『父』と知らぬ人――物語に出てきそうな王子様がいた。

「ああ、おはよう。ちょうど良い、言っておった『ホムンクルス』が来たぞい」

 月のように輝く金髪、藤色の瞳、健康的に白い肌が絵から抜け出たように現実味を帯びない。私はきっと初めて男に身惚れてしまった。

「私……この人のお母さんになるさ?」

「違う、そうじゃない。こやつはコンラッドじゃよ」

 即座に否定し、『父』はコンラッド=クロックフォードを紹介した。

「ワシが言っておるのは――」

 皺だらけの手が滑らかそうな白い手元を指差す。その手にあるガラスの筒、胎児が液体に包まれていた。

「……この子が……」

 『ホムンクルス』、液体の僅かなうねりが胎児の胎動を教え、知らずとガラスに触れてみた。

 

 ――生きている。

 

 ガラスの筒を『父』はひょっいと取り上げた。

「おまえが母になるように、コンラッドも父になる……。此奴がどうーーしてもと言うんでな」

「……ん? え? それって……」

 彼と結婚する。いきなり、夫と子が出来た。

「それ以外にもいくつか条件を足した」

 ひとつ、コンラッドと子供は小学校卒業まで日本に住む。

 ひとつ、その間のイギリス内の協力者達とは『父』以外は連絡を断つ。

 ひとつ、イギリスに発つ際、私は日本へ残る。

 質問や疑問はあったが、コンラッドがここにいる時点で決まっているのだろう。

「ワシは今から、孫作りに勤しむ。コンラッドは時折、ここに来てはおまえと慣らす。来年の今頃には一緒に住むからのお。――手を出すなよ」

 最後だけ、『父』はコンラッドに向けて言い放つ。彼は肩を竦めて答えた。

「そういうことでしたか」

 気配もなく背後に現れたのは、院長だ。吃驚した。

「ご結婚、おめでとうございます。よく許されましたねえ」

 意味深に笑う院長から『父』は目を逸らす。

「……根性は認める」

 その根性を如何にして認めたか、想像しようとすれば脳髄が拒否した。

「主治医として、ご懐妊は許可できませんが、成程――大方の事情は呑み込めました。初めまして、婿殿」

 院長はコンラッドと挨拶を交わし、その間に『父』は土蔵へ入り扉を閉めてしまった。

 コンラッドはずっと外国語で話し、喋り方も機械音のように一定。父親が『ホムンクルス』だから美しいのか、イギリス人故の美しさか、本当に綺麗だと思った。

 ただ、日本語しかわからない私とどう過ごすつもりか、疑問だ。

「彼には日本語学、貴女にはイギリス英語をお教えしましょう」

「え? わ、私も?」

 院長の宣言に狼狽する私をコンラッドは奇妙な視線を向けられ、恥ずかしくなる。それが純粋な敵意だったと、邪険くらいしか知らなかった私は感じ取りようがなかった。

 

 月に一度、コンラッドはいつの間に客間へ現われ、院長の授業を受けては半日ほどで帰って行く。彼は院長とは話すが、私とはトイレの場所を聞く時、書斎に入りたい時、襖を壊した時、しか話しかけて来ない。時折、左腕を気にする素振りを見せるが意味も知らない。彼の態度はブラウン管の画面に映る人のように遠かった。

 私もコンラッドとの接し方がわからず、人の事を言えた義理もない。不安も不満も浮かばない。

 

 年末の大掃除と年越しの準備にすら、『父』は土蔵から出て来ない。

 周囲に助けられながら、私は御節を作る。材料の配分を間違え、急いでスーパーへ買い足しに行かなければいけなくなった。

「手伝う」

 玄関で靴を履いている最中、コンラッドは片言の日本で提案して来る。愛想の良い綺麗な顔には「不本意」と書かれていた。

「あ……あり……じゃなかった。センキュー」

 商店街まで歩く道は雪が積もり、雪掻きにより開かれている。

「日無斐さーん、買い物でしたら、うちの車に乗っていきますか?」

「いいえ、今日は……連れがいますから」

 佐川さんの誘いを丁寧に断る。コンラッドは通り過ぎていく車や自転車を眺め、観察していた。

 徒歩二十分の距離、商店街は年始年末の為に大賑わい、そこへ現れた金髪の麗しいコンラッドは注目の的だ。

「ありゃ、日無斐さんとこのお嬢さんだ」

「じゃあ、あの外国人は先生のお客さんか、流石、先生は顔が広い」

 離れないようにコンラッドの腕を掴み、目的の物を買った。

「売り切れてなくて良かったさ」

 そんな感想と共に帰路へ着く。普段の買い物より時間がかかったが、この時期は当然だ。

「貴女、車に乗れない。自転車、乗れない」

 重い声が耳に届き、脳髄に伝わる。憐みの感情と共に責めを感じた。

 私は母親になると決めた。『ホムンクルス』の為に用意された親という役割。我が子が歩む大まかな道筋は聞き、理解しているつもりだ。

 けど、夫婦になるのとは違う。私はコンラッドの人生を知らない。彼の父が『ホムンクルス』であり、その父と同じ存在である『ホムンクルス』が我が子になるSFな話だ。彼がどんな想いで父を受け入れたか、知らない。

「……あんたさ、私に怒っているんでしょうさ。私、謝らないさ。あんたが私を気に入らなくても、私は母親になるさ。上手くやろう、お互いに」

 負けられない。

 私なりの宣戦布告をコンラッドは真剣に受け止めた。

 正式に一緒に暮らす際、私の年齢を伝えたら、驚かれた。私も彼が五歳も年下だと思いもしなかった。

 

 忘れもしない7月。

 

 ――愛しい娘をこの手に抱いた。

 

 この先、どんな苦難に見舞われようとも自分の意思で未来を織りなして欲しいから、「来織」と名付けた。

 コンラッドは「アイリーン」という名に拘ったが、『父』は却下した。渋々、彼は自分の名と同じ「C」から始まる名前「クローディア」と名付けた。

 

 育児とは想像以上に精神的消耗が激しく、連日連夜、夜泣きと授乳でほぼ徹夜。

 出産すれば、三か月以上はホルムンバランスが崩れた影響下にある。私は外から「もっと我が子に優しく、余裕を持って」などと助言して来る人達が非情で残酷に思えた。

 かと言っても、抵抗も出来ない我が子に暴力を振るう奴など、山に捨てられてしまえばいいと割と本気で思った。

 来織が熟睡していても、私の頭で泣き声が反響して止まない。コンラッドも目の下の隈が悲惨だ。彼も予想以上に育児に協力的で、気絶した私の代わりに何度も来織にミルクを上げたり、おしめを替えてくれた。

「おまえら、デートして来い」

 仏頂面で『父』は遊園地のチケットを渡し、私達は田沢さんの運転で連れて行って貰った。このデートはどうやら、次男さんのお嫁さんが口添えしてくれたとわかった。

「車、乗れるようになった?」

「後部座席ならさ」

 コンラッドの皮肉に応える気力はまだあった。

 本当に久しぶりの遊園地。

 平日は家族連ればかりで疎ら、コンラッドはとにかく目立った。

 観覧車やメリーゴーランド、ジェットコースターの列に並べば、前にいた人が譲ろうとする程だ。勿論、丁重にお断りして順番を待った。

 轟音を立てて、レールに発射される。それを眺めたコンラッドは妙に口元が強張っていた。

「もしかして、怖いさ?」

 意地悪な気分で問えば、コンラッドは目を合わさない。寧ろ、逸らした。

 私達の順番になり、座席へ座る。解放された頭上は車とは完全に違う。シートベルトを着用し、コンラッドの様子を盗み見れば、既に顔面蒼白状態だった。

「お……降りるさ?」

「大丈夫、緊張……」

 言い終える前に発射の笛が鳴り、スタッフが座席を一列一列確認して容赦なく発射された。

 背を押す浮遊感が胸を高鳴らせる。

 

 ――気分爽快!

 

 歓声を上げている間に終わってしまった。

「おもしろかったさ!」

 隣にいたコンラッドに声をかければ、白目を向いていた。彼に肩を貸し、遊具の外へ出た瞬間、青くなった唇から酸の匂いが撒かれた。

 失礼ながら、笑いのツボが押されて爆笑してしまう。

「いい男が台無し……」

 私が濡らしたハンカチで口元を拭ったコンラッドは悔しさを露に睨み返した。

「箒なら……箒なら負けない」

 負け惜しみも可愛かった。

 日が暮れる前に家まで送ってもらい、『父』は来織で出迎えてくれた。

「気分転換になったようじゃな」

「先生、婿殿に嫉妬とかみっともないですよ」

 微笑んでいるのに、目が笑わぬ『父』に田沢さんは呆れた。

「おまえとて、嫁さんに妬いておるじゃろうが!」

「ほらほら、来織ちゃんが起きてしまいますよ」

 見事に話を逸らした田沢さんは私達を家に入れさせ、コンラッドは私に耳打ちした。

「今夜、箒に乗せる」

 耳がこそばゆかった。

 

 すっごく仏頂面の『父』に頼んで時間を貰い、コンラッドに連れられて庭へ出る。彼が手首を振るった時、掃除用の箒が吸い込まれて来た。

 箒を鮮やかに滑らせ、コンラッドは箒に跨る。地面に足が付いていないのに、箒ごと浮いた。

「魔法使いって本当に箒に乗るさ……」

 感心する私をコンラッドは視線で呼ぶ。2人も乗れば箒が折れたり、落ちたりする可能生など、色々と緊張に強張りつつも、彼の後ろへ腰かけた。

「その体勢、落ちる。もっと、掴まる」

 コンラッドは私の両手を自分の腰へ導き、指先で私の手をトントンッと叩く。何故か、手の組みが外れなくなった。

「これなら、落ちない……!?」

 私が言い終える前に、浮いた。

 

 ――屋根の上より、ご近所を見渡すより、家々の明かりが一目に納まるより、空の雲に手が届く。実際の雲は触れられず、残念だが、そこから見下ろした地上の電飾は自ら輝く宝石のように美しい。

「……魔法使いみたい」

 私の口から言葉通りにコンラッドは魔法使いで、魔法の力で箒に乗り、空を飛んだ。

「――フフッ」

 息を溢す笑い方、下げた瞳と弧を描く口元。

 コンラッドが初めて見せた感情の籠った嬉しそうな笑顔。私が心底、彼に惚れた瞬間でもあった。

 

 それから、コンラッドは台所に立ってくれるようになった。彼の料理はとても美味しかった。

 時折、2人で夜空の空中を箒で散策した。

 私達はお互いの話を何気なく行った。私は祖母の集落と間引きの習慣、コンラッドは家族や魔法学校での生活。

「あんた、お母さん生きているのさ? ええ……ずっとお母さんに挨拶していないけど……、酷い嫁だって思われてないさ?」

 てっきり、父子家庭だと思い込んでいた。

「トトが会わせたがらない。ドリスが万一、奴らに捕まれば、私がここにいるという情報だけしか漏らさないようにする為。……母もわかっている……。私がイギリスを出ると言った時、セブルスだけでも連れて行けと言って……、自分は最初から残るつもりだった」

 淡々と話しながらも、ドリスとセブルス。この2人に関する事柄だけは、柔らかい雰囲気で話した。

「ねえ、私もイギリスに行っちゃ駄目さ? 英語も上手くなったしさ」

「……ダメ、君はマグルだ。危険すぎる」

 とても冷たい声。足手纏いだと言われている気がした。それだけ言わねば、きっと私は勝手に着いて行った気がする。夫と娘、家族と一緒にいられるなら、きっと出来た。

 コンラッドは『父』に告げ口し、私は居残りが役目だと念押しされた。

 

 来織は毎日、他の子供達と同様に育っていく。『父』も完全な祖父馬鹿のくせにまだ3歳の子に『三枚のお札』の話をしたり、入園が決まった時は「ワシが面倒見るもん!」と騒いだり、本当に平穏な日々だった。

 異変を感じたのは、来織からだ。

 町で最も年長者であり、『父』の最初の患者と言われているオバサン。来織はこの人だけは執拗に嫌っていた。

 理由を知れたのは、コンラッドの見慣れない傷。包丁の刃で切られた傷、彼が料理中にこんな状態になるなどありえない。オバサンに会った時だけだと気づくのが遅れる程、あの人は私と『父』には本当に親切だった。

 

 ――夫と娘が傷つけられている。

 

 自らを恥じ、許せず、悲しみに涙が溢れる。感情が抑えられず、夜中に泣き起きてはコンラッドが「大丈夫だ」と慰めてくれた。

 情けないが私は『父』に助けを乞い、『皆』と集会を開いた。

 院長などの人間もいれば、いつぞやの黒髪の狐や幽霊と表現したくなる透明な人もいる。だが、『父』以外には妖怪達は視えないように感じた。

 私とコンラッドは『父』の後ろに控えさせられた。

「あの婆さんは元々、余所者が嫌いなんだ。町内で新入りが来れば、いつもイビっている」

「あの人間は婿殿を憎んでおるえ。娘殿に自分の親族を宛がおうとしておった」

 木本さんの発言に被るように狐も喋る。

「余所者嫌いに加え、祈沙お嬢さんを狙っていたか……」

 すると、佐川さんがまるで狐の発言が聞こえているように答えた。

「好き嫌いはどうにもなりませんが、暴力はやめませましょう。何なら、腕の一本でも折りましょう。隣の市で老人ホームが建設されたとも聞きます。ぶち込みましょう」

「祝言を上げておらぬもの、婿殿を認められん一因。お主程の男の娘ならば、余計に」

 環さんの発言に幽霊が被らせる。

「あの人も良い歳だ。しかし、余所者だらけの施設で大人しく入ってもらえないんじゃない? 夫婦の大事な式をあの人の為に行うのはねえ……どう思いますか? 院長先生」

「何も気に入らん性分ですから、無意味になります。それどころか、コンラッドに恥を掻かせようと失敗させます」

 木下さんの問いに院長は答える。狐達が忍び笑いだす。

「奴の……」

 『父』が静かに口開けば、皆、黙った。

「奴に関してはワシが始末をつける。誰も手を出すな」

 怒っている。

 何に関してか、それとも全てか、『父』は怒っていた。

 

 ――一月も経たず、オバサンは亡くなった。

 

 オバサンの葬儀、『父』は誰にも気付かれないように泣いていた。

「治してやれず、すまん……」

 最初の患者だから思い入れがあり、そんな相手を『父』が何かをしたと思えなかった。

 私は葬儀の手伝いと『父』を慰めるのに追われ、来織とコンラッドのやりとりを知らなかった。

「あいつがやった」

 2人きりなった瞬間、コンラッドは来織を批難した。

 私は来織に対し、申し訳なかった。母親の私が護り切れず、娘に自らオバサンを間引かせてしまった。

「あいつは人殺しだ」

 コンラッドの吐き捨てた言葉に私の背筋が熱くなり、眩暈が起こる。祖母と父が死んだ時にまで記憶が遡った。

 

 ――人殺し? あいつらと同じ? 違う、これは間引きだ。マビキハコロシジャナイ――

 

「違う、間引いただけ――、人殺しじゃない。この暮らしを守る為に、不必要な者を間引いただけ」

 私の視界が揺らぎ、それでもコンラッドから目を離さない。この口から零れる言葉を彼は驚きと憐れみを持ち、私を抱きしめた。

「殺しだよ。どんなに言い訳しても、殺しなんだ。どんなに不必要だと感じる相手でも、殺してはいけない」

 耳に囁かれる息は謝罪も含まれ、私は震えた。

 脳髄、手足、臓物、全てが震えた。

「だったら、どうしたらいい? ……限界が来たら……どうしたらいい?」

 

 この暮らしに限界が来たら――、終わりが来た時にどうすればいい?

 

 唐突に浮かんだ自分勝手な疑問。口にしたか、表情から読み取ったか、彼の耳に届いていた。

「終わりは来ない、限界もない。ずっと続くよ。私達がやめない限り」

 穏やかな声が終わっても、コンラッドは私を離さない。震えが止まった。

 男の人を抱きしめた経験がない故、彼の腰にそっと手を添えた。

 私は来織に対し、オバサンの話は一切しなかった。それが娘のトラウマとして心に刻まれるとわかっていても、慰めも諌めもしない。いずれ、自分の犯した罪の重さを自覚した時が償いの時なのだろう。

 

 来織の小学校入学を機に、私は自動車の運転免許に挑戦した。仮免に8回落ちたり、一年かかったけどもなんとか合格した。

 運転の練習にコンラッドを連れ出し、何度もドライブへ行く。運転中、彼は翻訳の仕事を休めずに紙の束が車内を自由自在に比喩的にではなく、舞う。

「そんなに派手に魔法を使ったら、ご近所さんに見られちゃうさ」

「見えないようにしているよ」

 不遜に笑うコンラッドはとても楽しそう、私はとても幸せだ。

 

 その裏で『父』とコンラッドは着々と準備を進めていく。『父』は知らぬ間に外国へ発ってはすぐ戻る。そうして、諸外国に住む友人・知人の魔法使い達との盟約を結んでいった。

「盟約って随分とおおがかりじゃないさ?」

「そりゃあ、そうとも。ワシが若造を始末して終わる話ではないからのお。若造を完膚なきまでに叩きのめし、尚且つ、二度と残党どもが復活の希望を持たぬようにせねばならん。出なければ、犠牲者は増え続けてしまうんじゃ」

 闇の帝王を若造呼ばわりする『父』はコンラッドを一瞥した。

「それって、過去に戻ったりする人の事さ?」

「あえて伏せたんじゃが、つまりはそうじゃ。あのクソ婆……もといルクレース=アロンダイトのような愚か者が現れては堪ったもんではない」

 急に無感情な態度で言い放つ『父』はその魔女に対し、何の情も抱いておらず、寧ろ、凍りつく程に冷たかった。

「どうして、そのアロンダイトさんは……自分で過去に行かなかったさ?」

「決まっておろう。仕損じて自分が消えたくなかったからじゃ。孫に押し付けたのも、失敗を考慮して消えても良い存在だと思っておったんじゃろう。……あ奴はそういう奴じゃ」

 目を伏せる『父』は何処までも冷たい態度であった。コンラッドは無言で同意を示し、話題を変えようと内ポケットから丸い物を取り出した。

「これの模様、何が良いかな?」

 丸い薬入れ、製作中らしくまだ無地だ。コンラッドお手製の軟膏を入れておくそうだ。

「そう言われたら、……藤が良いさ」

「藤? 桜じゃなくていいのかい?」

 意外そうに返され、私は勝手に照れる。

「……コンラッドの瞳……、藤の花と同じ……紫だからさ」

 正直に答え、コンラッドは雷に打たれたように目を見開いていた。

「ワシはもっと凄い物を用意できるわい!」

 対抗意識を燃やした『父』は魔法界でも貴重品と自負する『解呪薬』を引っ張り出してきた。

「そうじゃ、オリジナルがまだ残っておったな。万一に備えて持たせておかねば」

「今まで忘れていたんですか?」

 途端、冷静になった『父』にコンラッドは呆れた。

 余談だが、『父』が『解呪薬』を入れる為の紅い印籠を作った時、黒髪の狐が烈火の如くブチ切れていた。何故なら、その材料が狐の頭蓋骨そのもの。『解呪薬』程の強力な魔法薬はそれ相応の材質で保護しなければならない。

「頭を取ったって……そういう意味?」

 どう見ても、狐には頭は付いている。しかし、好奇心は猫を殺す。追及はやめておいた。

 

 薬入れへの彫り物を完成させ、コンラッドは見せてくれた。

「とっても綺麗さ。薬を入れるだけなんて勿体無いさ。誰に渡すつもりさ?」

「……クローディアに持たせておくよ。今夜も一緒に空を飛ぼう」

 久しぶりのお誘いに私は嬉しさと何か言い知れぬ予感を覚えた。

 月の明かりが近く、空気は澄んでいて美味しい。私達は箒の上で迎え合わせになった。

「ずっと聞きたかった。君はどうして、私達に関わろうとしたんだい? トトからは君には事情を説明して、母親を引き受けたとしか聞いていない。君自身は何が目的だった?」

 口調は淡々としているが、質問には私への興味が込められている。もっと早く聞かれても良かったが、コンラッドによってはそこを意識する程の価値がまだなかったのだろう。

「母親になるって決めたさ……。魔法界とか魔法族とか、関係なく、私がお母さんになるって……理由なんて昔も今も変わらないさ……」

 コンラッドの気を引く為でも、建前でもない。自分の中にある本音だ。彼は瞬きもせず、私をただ見ていた。

「……コンラッドは……どうして、来織のお父さんになろうと思ったさ?」

 私の質問で我に返り、コンラッドは一瞬、目を伏せた。

「セブルスを救いたいからだ」

 以前から話してくれたコンラッドの友達。

「……闇の帝王から友達を助けたいって事さ?」

「違う、あの女の呪縛からだ」

 憎々しげに歪んだ顔に私は恐怖した。私の怯えに気づき、コンラッドは自らの手で覆う。律するように肩で深呼吸しても、声から憎悪は消えない。

「セブルスはハリー=ポッターの母親……リリーを愛している。その息子を護る為なら……セブルスはなんでもする。リリーがいない今、セブルスはそれ以外の生き方を無くしてしまった……」

 コンラッドは闇の帝王ではなく、殺されたリリーなる女性自身を心底、憎んでいる。あまりにも理不尽にして、見当違いな感情に言葉を失った。

「……待って、私達が会う前にあんたは『予言』というか、闇の帝王が凋落するって知っていたでしょうさ? その話をセブルスさんには……」

「出来なかった……、言えば、セブルスはリリーを庇って死ぬ。そういう奴なんだ……。わかっていた……。ポッターが滅ぼすと聞いた時から、……セブルスかリリー、どちらかしか生き残れないとね」

 つまり、コンラッドは2人の命を天秤にかけ、セブルスを選んだ。そのセブルスもいずれ、ハリーの為に死ぬのだろう。彼は虫食いの遺言を知った時から、そこまで推測したのだ。

「リリーさんに……話さなかったわけさ?」

「……ポッターと結婚するなと頼んだよ。聞き入れて貰えなかった」

 聞き方によっては熱心に説得しなかったように聞こえる。

「だからって……リリーさんは死にたかったんじゃないでしょうさ……。それなのにそんな言い方……憎むなら、いい歳こいて闇の帝王なんて呼ばわれている人なんじゃないさ?」

「……闇の帝王にそんな価値はない。セブルスの生甲斐にすらなれなかった」

 ゾッと背筋に寒気が走り、胃が痙攣した。コンラッドにとっての価値観はセブルスを中心としていた。それが元からなのか、後からなのか判断できない。だが、今の彼はセブルスを救う為の道筋を描き、自分自身さえもその布石にすぎないのだ。

 あるいは親友の愛する人を救えなかった罪悪感と贖罪がここまで歪ませてしまったのかもしれない。

「酷い……そんな事に来織を巻き込むなんてさ。あんたは最低の父親さ!」

 非難の感情が言葉となり、涙が溢れて罵った。

 ようやく、コンラッドは自分の顔から手を離す。美しくも残酷なまで無邪気な笑顔で嗤ってみせた。

「私はセブルスが自分の人生を取り戻してくれるなら、なんでもする」

 それは私への宣戦布告に聞こえた。

 この話を私は『父』にしなかった。すれば、この生活が最悪の形で終わる。そんな予感があったからだ。結局、最低な母親は私だった。

 

 歳月は容赦なく経ち、来織は小学校を卒業した。

「おまえが入学することは、生まれた時から決まっていたんだよ。日本の教育制は面倒だね」

 決められた台詞を舌に乗せるコンラッドは本心にも聞こえる。中学校への進学はなく、勝手に決められたイギリスへの旅立ち。来織は泣きじゃくった。

 私の腕で泣く娘が闇の帝王なんて意味不明な者達と戦わされる。だが、頭の隅でコンラッドは目的を遂げるまでは来織の命を完全に保証するという確信があった。

「嫌、行きたくない!!」

 せめて、表向きの事情を話すべきだったと後悔した。

 来織が寝静まってから、私達は3人で集まった。

「国内の状況を把握するまで、ドリスに会うなよ。魔法族関係の建物にも近寄らせるな」

「ホテルは既に取ってあります。義父さんこそ、我慢できずにホグワーツに乗り込んで来ないで下さいね」

 確認し合う2人が遠く、他人事のように聞こえていた。

 

 ――来織を連れて行かないで――

 

 湧き起る言葉だけは言ってはいけない。私はただ黙っていた。

 

 空港に行く為、来織は車に荷を詰め込む。居間へ向かえば、準備万端のコンラッドが私を待っていたように出迎えた。

「ありがとう」

 いつの間にか――否、ずっと傍にいたコンラッドは私に囁いた。

「引き留めないでくれて、ありがとう」

 麗しい顔に笑みはないが、確かな感謝を感じる。文句も不満もあるけども、言葉に出ない。

「……セブルスによろしく……」

「祈沙……どうか、元気で」

 いつかの夜のようにコンラッドは私を抱きしめ、首筋を押える。私の吐息が食べられた。

 唇を塞がれた場合、呼吸をどうすれば良いかわからず、その間、息を止めた。

 初めての口付だった。

 

 離陸していく飛行機を見送る。

 安全な位置まで離れていても、エンジン音は心臓に響く。私が勝手に緊張してだけかもしれない。

「コンラッドは……ワシが考えるより、おまえを大事に思うておる……」

「お父さんが来織よりも、私の心配しているなんて驚きさ」

 励まそうとしてくれる『父』へ少し意地悪に返す。『父』は殊更おかしそうに笑った。

「本当に駄目なら、行かせはせん。ワシらが育てた来織じゃ、きっとやっていける」

 私よりも『父』のほうが来織を信頼し、理解している。見習わなければいけない。遠くで心細い娘を信じ、連絡が取れる際は勇気づけ、弱音を聞く。

 

 それが一緒に戦えない私の役割なのだから――。




閲覧ありがとうございました。
本編前のいわゆる前日譚でした。

●『私』の父と祖母
 戦後まで間引きの習慣が行われた集落出身。
●『私』の母
 集落に最も近い町の出身。
 娘の看病に疲れ、トトに引き渡した後は自分の縁戚と縁を切った。
●日無斐 十悟人
 義父を喪っした後、自分の血脈を探す内に『私』へ辿り着く。但し遺伝子検査等はしていない為、確証は何もないが娘とするならば『私』しかいなかっただろう。
●コンラッド=クロックフォード
 三日三晩の戦いを経た後であり、『闇の印』を消した為に神経が尖がっていた。
 最初は『私』の存在が計画を妨げる可能性が高く、トトが日本を離れられない原因として恨んでいた。
●黒髪の狐
 とある理由でトトに『頭』を取られた状態の妖狐。しかも、『解呪薬』を納める印籠の材料にされた。
 現在、印籠はスネイプが持っている。
 『W・W・W2号店』開店に大いに貢献した。
●狸
 『私』を弟子だと勘違いして洒落にならない悪戯をした為に、トトから縁を切られた。
 『W・W・W2号店』開店に少なからず、貢献した。
●田沢院長
 当時でも珍しい女性院長。
 老いても麗しく、迫力も強い。
●田沢次男のお嫁さん
 元看護婦、『私』が入院中の担当だった。
●木本、佐川、環、木下
 院長の部下であり、田沢病院創設時からの古参の医師達。魔法族に関わりないが、トトの事は医師として敬っている。
●オバサン
 クローディアのトラウマの一因。
 トトにとっては、この町で最初に看た患者。
 

 


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砂が如く祈る最中

閲覧ありがとうございます。

ヒロインの母親・祈沙視点です。7年間を一気に駆け巡ります。


 ホグワーツ魔法魔術学校での寮生活と外を繋ぐのは、フクロウ便だけと表向きはそうなっている。『父』は裏向きの手段を取ろうとしたが、校長アルバス=ダンブルドアに邪魔された。

「というわけでフクロウを狩って来たぞい。祈沙が名付けてやれ」

 灰色の羽根が綺麗なフクロウを連れ、『父』は私に名付を任せた。写真付き動物辞典でフクロウの種類を調べれば、絶滅危惧種だとわかった。

「すぐに返してらっしゃい!!」

 院長も青褪めた。

「今更、遅いわい。まあ……役目が終えたら、返してやらん事もない」

 『父』のとんでもない開き直りに恐れ入り、シマフクロウには又三郎と名付けた。

〈クローディアは母が駅へ連れて行ったよ〉

「入学式に親が出ないって、妙な感じさ」

 コンラッドは来織が学校へ行ってからも、出来る限り電話で声を聞かせてくれた。

 国境を越える旅を繰り返し、又三郎は来織の手紙を運ぶ。私だけじゃなく、ご近所や元同級生への分もある。私には魔法学校が如何に楽しく、仲良しのグレンジャーさんやルームメイトの話題が尽きない。

 だが、来織の語らぬ苦労も文章から読み取れた。

 国と言語だけでなく、魔法界という垣根も違う場所。しかも、2学年遅れの入学。万事上手く行くはずはない。その部分には決して触れず、当たり障りのない返事を書いては送った。

 『父』の伝達手段にて、コンラッドからも報告は来る。魔法界は基本的に闇の帝王は滅んだ姿勢を取っており、ダンブルドアが組織した『不死鳥の騎士団』の関係者は警戒に余念がない。ただ、10年の歳月で気の緩みを感じるという。

 ハリー=ポッターの魔法界帰還とグリンゴッツ銀行へ金庫破り事件が警戒を強める切っ掛けになったが、あくまでも騎士団関係者だけで、魔法省などの公式を扱う機関は平和ボケの領域だそうだ。

 

 ――そして、ヴォルデモートは現われた。

 

 来織とハリーという子供は双方の予定通りに闇の帝王と相対した。

「ダンブルドアに用意させた逃げ道も使わんかったか……、……来織め……」

 『父』は残念そうに告げ、改めて闇の帝王への戦いに覚悟を決めていた。

 私は手紙に何を書けばよいか、悩む。無事に生き残った娘を褒めるのは「何も知らぬマグルの母親」としては奇妙に思えるだろう。素直な感想として、危険な目に遭った点を叱った。

 【日刊預言者新聞】と一緒に分厚くも格式ばった封筒が届いた。

「ほお、これは異な事……」

 手紙の主に『父』は意外そうに驚いていた。

「誰からさ?」

「魔法省大臣じゃよ。ブルガリアのな」

 何故にその国からだろうか、私も吃驚した。

「学徒の折、ワシを認めてくれとった奴じゃよ。何度も盟約を結ぼうとしたが、相手が相手故に返事も貰えんかった。……若造の動きが奴の耳にでも入ったのじゃろう。それとも……ダンブルドアか……まあ良い。政治的に良い相手を得たわい」

 懐かしむ『父』は政治とは関係なく、嬉しそうだった。

 

 半年後、院長は世代交代を言い渡す。長男さんが全てを引き継いだ。

「盟約とは常に薄氷の上で成り立っております。私の役目は氷が解けぬよう計らうのです」

 ずっと親切で親身に接してくれた方なだけに、少しだけ寂しかった。これを機に病院では大きな人事異動(リストラ)が発生し、『父』も勤務時間を大幅に減らされた。

 同じ時期、ゲルルフ=ブッシュマン氏から『父』へ執拗に連絡が来るようになった。ベンジャミン=アロンダイト生誕80年記念展覧会に向けての協力要請であった。

「ヴァルターならまだしも、あのガキは好かん。大方、ワシが日本人国籍じゃから、話題作りに持って来いと思ったんじゃろ。住所を教えるんじゃなかったわい」

 物凄く非協力的で嫌そうに答えた。

「協力しないなら、アロンダイトさんが話題作りに魔法族だったとかバラしたりしないさ? 開示しちゃいけない情報とか、お父さんしか確認できないんじゃないさ?」

 私の素朴な意見に『父』は唸り声を上げつつも、情報の確認のみという条件で協力を引き受けた。

 パンフレットに『父』の若い頃の写真が勝手に使われ、「約束が違う」と半ギレだった。

「祈沙は魔法界のワールドカップに興味はあるか?」

「……ワールドカップ?」

 再来年の夏、イギリスでクィディッチ・ワールドカップが開催される。魔法界にもそんなスポーツイベントがある事に驚いた。

「私、イギリスに行ってもいいさ?」

「その前にワシが安全を確認してからじゃ、行くなら手を回す為に日本を離れるが……どうするね?」

 勿論、了承した。

 来織と一緒にワールドカップを観に行ける。けれども、当日までは娘には内緒の楽しみだ。

 

 2年生を終える時期、『父』は深刻に慌てふためいた。

「これはいかん、流石にいかん。一度、連れ戻すぞ。コンラッドめ、危機感がないにも程があるわい」

 出発する『父』を見送った時は知らなかったが、来織はバジリスクの魔眼にて2月半も石化していた。本当に血の気が引いた。

 横幅に大きくなった来織へ再会の挨拶を簡単に済ませ、私は心から叱りつけた。

 口を開けば幾万と言葉が溢れ出そうになったが、空港で待っている間に言うべき要点のみを纏めていた為に短く済んだ。

 それでも来織には十分なお灸になった様子だ。まだ私の声が届いて良かった。

「お母さん、あのさ……。学校の友達と電話番号を交換したんだけど、電話していいさ?」

 こちらの様子を窺いながら、お願いしてくる来織にイエスしか言えない。しかし、魔法族の家にも電話があるとは思わなかった。

 詳しく聞けば、例のポッターくんはマグルの叔母さん家に住んでいる。そこまで聞いてから、彼の家庭環境を思い出した。

 来織が寝静まった夜、コンラッドから闇の帝王が遺したトム=リドルの日記による『秘密の部屋』事件の顛末、本体は今だアルバニアにいると聞かされた。

「日記に魂が宿ったわけさ?」

「……日記を魂の入れ物にしたんだ。危険な魔法だよ。惨いね」

 危険というよりは軽蔑しているように見えた。

「その魔法は……えーと使い魔の蛇くんに遺言を入れたのと、どんな違いがあるさ?」

「……全く違うよ。ベッロにはカセットテープのように伝言を入れただけだからね」

 簡単そうに言ってのけるが、そちらの魔法も十分危険だ。

 

 来織はダイエットという名のシゴキに耐え、体重を元に戻した。

「付け焼刃ではあるが、これでそこいらの奴らには負けはせんぞ」

 ダイエットと称し、『父』はある程度の特訓させたと自慢する。

「そういう特訓は入学前にしておくもんじゃないさ?」

「ワシとは学校が違う上に今ではほぼ日本式じゃ。ワシの癖が付いておっては、悪目立ちするでの。師とは自分の教え方で成長する弟子は可愛いが、最初から型が決まっておる者など、教え甲斐もないんじゃよ。それに流石のワシもバジリスクは想定外。あんなモンがおると知っておれば、ワシが始末しといたわい」

 バジリスクの1件があり、『父』は来織を手元に行かせようと目論み出す。けれども、その案を出すのはもう遅いと私は思う。何故なら、娘は一度も「学校を辞めたい」と愚痴さえ溢さない。

 それに誕生日に国境を越えてまで、贈り物を渡してくれる友達もいるのだ。 

 

 シリウス=ブラックの脱獄、その報せはコンラッドとの別れを早めた。

「その男が若造の為にハリー=ポッターを狙うとおまえも考えるか?」

「いいえ、そもそもブラックは冤罪です。闇の帝王に与するぐらいなら、死を選ぶ。そんな矜持の持ち主です。問題は何故、今になって脱獄したかという事です。おそらくは……ペティグリューが関係しているでしょう」

 知らぬ名にコンラッドは搔い摘んで説明し、ペティグリューは既に亡くなっているが、死体は小指一本だけだった。

「つまり……シリウス=ブラックはペティグリューが生きている何かを見つけたか、思い付いた。それを確認……もしくは今度こそと? ……にわかにか信じ難い話じゃ。じゃが……、ダンブルドアもそれをわかっておるんじゃな?」

「ダンブルドアは常に様々な可能性を見出しておいでです。ですが、確証を得られないものばかり、他人に証明する術がないものがほとんどです。ですから、ダンブルドアもブラックを泳がせておくでしょう。私もそれに従います」

 淡々と語るコンラッドは話し合いが終わると同時に発った。不安を感じ、私は泣いてしまった。

 私が悲しねば、来織に伝わる。出来るだけ、笑って過ごした。

「どうやって、お父さんと出会ったさ?」

 来織からの問いかけ、答えられない程に忘れてしまっていた。覚えているのは培養器に入った小さな命、それをこの手に抱いた感動だけだ。

 『父』は後ろ髪を引かれつつも、来織と出発した。

 

 この家で初めて1人で過ごす。静かで寂しいくらいに広く感じた。

 仕事中は何も感じないが、夜は独りだ。休日は町内会の用事もあれば、ご近所さんとお出かけもある。けど、何もなければ本当に独りだ。

 そんな私を気遣い、お店の店長さんはある提案をした。

「出張散髪……?」

「そうそう、老人ホームとか、そういう施設にいる人の髪をね。大体は職員が切っているんだけど、やっぱり、美容師さんに切って貰いたいだろうからってね。勿論、断ってもいいんだよ」

 店長さんは定休日に可能な限り、施設まで出向いて散髪を行っていた。

 今思えば、断っておけば良かった。

 店長さんに連れられ、訪れた施設に私の過去が待っていたなど誰が予想出来ようか―ー。

「では、日無斐さんはこちらの方をお願いします」

 職員さんに案内された部屋にいたのは、集落の長だ。

 車椅子に座り、背もたれにもたれかかって口を呆然と開けた様子は痴呆だと察した。

(……長が……集落を出た?)

 久しぶりに心臓が煩く騒ぐ。職員さんの紹介を受け、長はほとんど視力のない白く濁った目で私を見上げる。

「おまえは――――か?」

 口に出した名は祖母の名だ。青褪める私に職員さんは慣れた様子で笑う。

「気を悪くしないで下さい。初めて見る人には誰にでもそう聞くんですよ」

 私は必死に笑みを作り、その場を取り繕った。

 どうやって長の髪を切り、シャンプーで仕上げたのか記憶にない。

「すまねえ、――――、すまねえ」

 部屋を去るまで、長は祖母の名を何度も呼び、詫びる。私は必死に聞こえない振りをした。その謝罪には何の意味もない。死んだ者の代わりに聞く義務もないのだ。

 他の方も任され、店長さんと合流した時、私の顔色を心配された。初めての経験で緊張したと誤魔化した。

 職員さんに礼を言われ、私達は施設を出ようとした。

「すみません、父の髪を切って下さったのは貴方ですか?」

 聞きなれた懐かしい声、母の声だ。驚いて振り返った先にいたのは、記憶よりも幾分か歳を重ねた母だった。

「突然、すみません。私、――――の身内でございます。この度は散髪していただきまして」

 母は私に全く気付かず、ただお礼を述べる。しかも、長の身内と名乗った。着こなす服もお洒落を重視した上等な品と素人目でわかった。

「これはご丁寧にどうも、こちらも仕事ですから」

 私は店長さんと一緒に頭を下げる。それしかなかった。

 

 ――感動の再会とは程遠い、ただ私の心を抉った。

 

 帰宅後、居間の畳に倒れ伏す。

 動揺は治まってきたが、ずっと放置していた過去が蓋を開けたように飛び散る。無邪気に幼かった日々、集落を訪れた私達親子にも親切だった時の長、学校の同級生達。

 壊れたTV画面のように何度も何度も繰り返される映像。

 それは電話の音で終わった。

 我に返り、もう深夜の時間だと気付かされる。音を立てて、畳から顔を上げる。重い手足を引きずりながら、受話器を取った。

〈祈沙? 私だ、コンラッドだよ〉

 委縮していた心臓が暖かく脈打つ。

「ああ……どうしたさ? こんな時間になって……」

〈……クローディアは無事に出発したから、電話したんだよ〉

 言われて、壁掛けのカレンダーを見上げる。まだ新しい月に捲っていなかった。

〈祈沙、何かあったかい?〉

 私の変化に気づいている。そして、気遣ってくれる。それは堪らなく、嬉しい。

「何にもない……何にもない……」

 嬉しさで溢れた言葉は、コンラッドの声を聞けた事で安心したと伝える為だ。

〈……わかった。切るよ〉

「うん……」

 これ以上は動揺さえも流れ出る。私はコンラッドより先に受話器を下ろした。

 眠れる気がしないが、布団を敷こうと部屋に向かう。その前に雨戸も閉めなければいけない。そう思い、庭が見える廊下へ足を踏み入れる。

「祈沙」

 土蔵の前にコンラッドが立っていた。

 吃驚仰天し、目の錯覚だと思った。

 だって、今、ほとんど地球の反対側にいる彼と電話したばかりだ。

 普段のきっちりと整えた身だしなみではなく、起きたてでボタンも掛け違い、寝癖すらある。具合が悪いのも明らかで、辛そうに頭を押さえている。

「何があったさ?」

「こちらの台詞だよ」

 足音もせず、私の傍へ寄ってから肩を抱いて来た。触れられる体温が暖かい。

「私は別に……何にもないさ」

「わかっている。ちゃんとわかっているから……」

 狼狽する私に構わず、コンラッドは軒下へ倒れ込むように座った。

「何にもない……何もね。私は……ただの二日酔いだ」

 金色の髪から漂う甘い匂いはお酒だった。新年の甘酒さえ断るコンラッドにしては本当に珍しい。酒を煽りたくなる心境だったのだろう。

 私も急に飲みたくなった。けど、飲めないから酒を煽る自分を想像しただけで終わる。それだけで「何にもない」気分になった。

「お布団敷くから、寝ていくさ」

「そうだね、そうするよ」

 二組の布団を敷き、戸閉まりを済ませてから不意に気付く。本当の意味で2人で過ごすのは、初めてだった。

 

 夜明け頃、『父』も着の身着のまま状態で帰って来た。

「貴様ら……昨夜はお楽しみでしたね?」

 凄まじい低音な敬語は青筋を立てて、怒る。

「おはよう、お父さん。確かにコンラッドと2人っきりは楽しいと言えば、楽しかったさ」

 照れる私に『父』は毒気が抜かれたように目を丸くする。コンラッドに耳打ちしたかと思えば、彼からの返事にまた目が飛び出さんばかりに驚いていた。

「それよりも、どうでした? 例の件」

 コンラッドからの問いに『父』の目つきは厳しく細くなり、わざとらしく鼻を鳴らす。

「……ああ、引き受けたとも」

 後から聞けば、新任の教師に厄介な体質の持ち主であり、その対抗策に『父』は力添えをするという話だった。

 

 来織の手紙にも時折、その新任リーマス=J=ルーピン人の存在が書かれる。色々と文句を言ってはいるが授業を心底、楽しんでいると伝わった。

 『バスケ部』を創設し、寮対抗のクィディッチ選手にもなった。

 学校生活が充実していく手紙を読む度、来織に訪れる長く苦しい戦いがこのまま先延ばしになってくれる事を願った。

 

 『父』とコンラッドは多忙な上に私の身も案じ、何度も家に帰って来てくれた。

 暇つぶしではないが、魔法界の雑誌も何冊も置いていき、その中にある【ザ・クィブラー】は奇天烈すぎて意味不明なのに寂しさが吹き飛ぶ程、おもしろかった。

 ベンジャミン=アロンダイトの記事がある号だけ、『父』はよく読み耽っていた。

 

 中学生の進路が定まる時期。

 ワールド・カップの見学に行く手回しは整った。

 コンラッドの母ドリスの友人マデリーン=ディビーズのご家族に招待される形だ。無論、マデリーンさん本人もそのご家族も『父』の手回しは知らない。

 

 シリウス=ブラックとピーター=ペティグリューの件は片付き、私は一安心した。しかし、妙な悪寒が止まらない。理由はすぐにわかった。

「クィリナス=クィレルが行方を眩ましたよ」

 コンラッドの口から出た名が誰か、一瞬、考える。それは『賢者の石』を廻り、来織と戦った相手だ。

「……また闇の帝王に力を貸そうとするっていうのさ?」

「するね、彼なら……」

 淡々と語るコンラッドの口元が「予定通り」と歪んでいた。

 

 イギリスへ行く為、私はいくつか荷物を纏める。夫の実家を初めて訪問するという事で、親しくしてくれる皆さんは別の意味で心配してくれた。

「お土産はチョコレートが良いですよ。それとも、この芋けんぴ! 芋のお菓子に国境はないから!」

「嫁イビリに気を付けて下さい」

「その前に胃薬を持って行くといい。食が合わなかったら、辛い」

 空港で見送られながら、私は初めての飛行機にビビってしまう。襲い来る浮遊感は、箒とは違うのだと思い知った。

 ホテルの一室にて、コンラッドは私の左手の薬指へ銀の指輪を嵌め込んだ。

「これを渡しておく」

 ずっと意識していなかった結婚指輪だ。

「この指輪は、君に悪意を持つ者から遠ざけてくれる。この国にいる間は決して外さないようにね」

「……ああ、そういう意味」

 つまり、文字通りにお護りなのだ。

「ワールド・カップに行く時は、トトが引率する。けど、ルシウス=マルフォイにだけは関わらないようにするんだよ。見つかると結構、面倒くさい奴でね」

 コンラッドが一緒ではない。ガッカリしたが、重要事項をしっかりと聞き入れた。

「……危険とかじゃなくて、面倒くさい?」

 今までと違い、個人的な意見が混ざっている。

「ルシウスの父親が私に余計な事をしてくれてね……。……私にとってのそれが全ての始まりかもしれない……、まあ、それを抜きにしても奴自身が面倒くさい」

 言葉を濁す部分はコンラッドも口に出したくない言い知れぬ感情を読み取った。

 

 ドリスさんとの対面より、使いの魔の蛇が思った以上に蛇で正直、恐かった。

「コンラッドをありがとう」

 コンラッドと同じ藤の瞳、心から私を受けて入れて貰えて嬉しい。しかし、『父』がやたらとドリスと張り合っていた。

 

 ワールド・カップは本当に楽しかった。

 ようやく、来織の友達に会えた。ハリー=ポッターは何処にでもいる普通の男の子に見えた。

 大家族ウィーズリー一家には驚いたし、ブッシュマンの身内に会えるとは思わなかった。

 マデリーンさんの2人の息子さんが来織と同じ魔法学校だから、話は弾んだ。そして、魔法族ならではの進路への不安や指摘は大変、勉強になった。

「なんとも可愛いらしい娘さんだ! 何処で拾ったんだ!」

 イリアン=ワイセンベルク魔法省大臣はブルガリア語でそんな感じに私を褒めた。

 マルフォイ一家に見つかった時、はしゃぎ過ぎたと反省した。動揺を来織に悟られないように必死だった。

 『死喰い人』に追い回され、妖精のウィンキーに助けて貰った。それなのに、雇い主のバーテミウス=クラウチの横暴さに頭に血が昇った。

 コンラッドは指輪の力が通じなかった原因は、ルシウス=マルフォイに私の存在を知られたからだと推測した。

「悪意がなかった……というのもあります。しかし、祈沙に会って、探せるようになってしまったというべきでしょう」

「……すまぬ……。少々、見くびっておったわい」

 詫びる『父』にコンラッドは聞いた事もないわざとらしい溜息を吐いた。

「純血主義は血統を大事にしますが、無能に従う程、盲信ではありませんよ」

 幼子に言い聞かせる口調までされ、『父』は顔を真っ赤にして悔しがった。不謹慎ながら、ちょっとだけおもしろかった。

 

 コンラッドに連れられ、サーペンタイン湖の霊園を訪れた。

 イギリスでも有名なハイド・パークの下に魔法族の共同墓地がある。これには色々と興奮した。魚の墓標に感動しつつ、そこに待っていたのは立派な白い鬚の魔法使いだ。

「サンタクロース!?」

 赤い服など着てないのに、私は反射的に叫んだ。

「違う。ホグワーツの校長をしているダンブルドアだよ。こちらが妻の祈沙です、キ・サと発音して下さい」

 勝手に間違え、すごく恥ずかしかった。

「サンタクロースでも構わんとも、キサ」

 喉を鳴らして笑うダンブルドアは随分と穏やかで、コンラッドから話されていた印象とは大分、違った。

「クローディアには本当に助けられておる。いつだって、逃げようと思えば、あの子は逃げ出せた。しかし、クローディアは決して逃げぬ。わしらこそ、見習わなければなるまいて」

 一時間もしない会合だったが、『父』とは違う形で子供達の身を案じていた。ダンブルドアもまた「自分が倒せば済む話でない」と身に沁みて理解しているのだろう。

 

 来織の見送りが終われば、私も日本に帰る。

「今度は日本に行きたいわ。貴女が言う、藤の花。見せて頂戴ね」

 ドリスさんとの約束が果たされないなんて、思いもよらずに承諾してしまった。

 

 『父』と日本に帰り、手紙と報告、【日刊預言者新聞】などの魔法界雑誌で情報を得て過ごした。

 年が明け、今日の営業を終了した際に店長さんは出張散髪の話を持ち出した。

「前に一緒に行った施設なんだけど、どうかな? 覚えているかしら、――――さん。私を見ると貴女を探すのよ」

「……ごめんなさい」

 素直に断ると店長さんは困り顔で再度、頼んできた。

「その人は……私の祖母と同じ集落なんです。ずっと、縁を切っていたので……もう関わりたくないんです」

 冷酷だと言われてもいい。私の本音に店長さんは納得してくれた。

「……そう、なら……この話はおしまい!」

 店長さんの言い草に私はきっと、それを言わせてしまう程に露骨な態度を見せていたと理解した。

 しばらくして、施設にいた長が亡くなったと店長さんが報せた。遺体は母だけで引き取りに来たそうだ。

 何気なく集落があった場所を地図で調べてみれば、なんとトンネルになっていた。

 

 ――私は彼らを恨んでなどいなかった。だけど、この解放感はなんだろう?

 

「来織に会いたい」

 私は『父』を通さず、自分でダンブルドア校長に手紙を出す。あっさりと面会の許可は下りた。

 学校の敷地外であるホグズミード村、コンラッドに事情を話して着いてきて貰った。

 二度目に会ったバーテミウス=クラウチが偽物などと全く気付かなかった。ウィンキーさんと仲直りした事ばかり喜んでいた。

 イギリスの空港でコンラッドと別れ、日本の空港に着いた時では『父』が待っていてくれた。

「ちょいと案内したい所がある」

 深刻な表情で連れて行かれたのは、市内の霊園だ。町内の方の多くはここに埋葬する。あのオバサンもそうだ。

「余計とは思ったが、遺骨を移させて貰ったぞ」

 新しく出来た墓石、そこには父と祖母の姓が刻まれていた。

 

 ――ずっと、放っておいた。忘れて生きて来た。でも、こうしてあの集落から出されて嬉しい。

 

「余計な事をしてくれて……ありがとう」

「……ああ、うん」

 私自身、自分の言葉が意味不明だった。『父』も戸惑った。

 

 ――ヴォルデモートは帰って来た。

 

 『父』は盟約の為を実行せんと発った。

 本当に後戻りできない戦いが目に見える形となったのだ。

「母が死んだ」

 訃報よりもコンラッドにゾッとした。その嗤い顔が自嘲だと気づくまで時間がかかった。 

「クローディアは無事だよ」

 来織の無事に安堵したくても、余裕がない。それだけ目の前のコンラッドは怖い。哀惜、悔恨、慙愧の念、どれとも違う。私が手を触れようともして、拒むように避ける。

 その態度から、コンラッドに私は見えていないと感じた。話しているように見えても、それらは全て独り言。

「……独りになりたいなら、いなくなるさ……」

 対応に困り、私はとにかく問う。ようやく、藤の瞳が私に向けられた。

「……一緒にいて……」

 必要とされ、私の胸は高鳴る。心が少しでも安定すれば、来織の身が心配になった。

「クローディアは『不死鳥の騎士団』にいる。準備を整えたら、行こう」

 そう言って、コンラッドは私が身に着ける物を全て、護りを施した。上着から、それこそ下着まで何もかもだ。その作業に時間がかかったというべきだろう。

 

 グリモールド・プレイス十二番地の屋敷は、シャーロック・ホームズの自宅ベイカー街221Bに似ている。多分、建物の構造が同じだ。

 来織の泣き顔に胸が苦しい。せめて、私がいれば指輪の護りで少しでも凌げた。もしくは、戦力にならない私を差し出せたに違いない。

 屋敷内で偶々遭遇した『真似妖怪』は、私をあらん限りの言葉で罵る来織だった。

「おまえなんか、お母さんじゃない! お祖母ちゃんの代わりにおまえが死ねば良かった!」

 私が今、最も恐れる『モノ』。夫と娘、『父』の死ですらなく、私の存在否定だ。

 あまりにも情けなかった。

 だから、私はロケットを預かった。

 ロケットは四六時中、私に語りかけて来る。時には耳に聞こえるように声を出し、脳髄へ忍び寄ってくる雰囲気が私の不安を増長させる。けれども、決して不安に飲み込まれる事はなかった。

 それは単に屋敷で出会う人々との触れ合いのお陰だ。

「コンラッド……結婚していたのか!? クローディアはてっきり養子だと……」

「……それ、流行っているんですか?」

 ディーダラス=ディグルは大袈裟に驚いていた。しかも、コンラッドと関わりのある人のほとんどが同じ反応だった。

 ルビウス=ハグリッドに至っては号泣し、私の手が折れんばかりに握ってくれた。

「娘がいるのにぃ……結婚をそこまで驚きますかぁ?」

「私はクローディアからアルバムを見せてもらっていたので、貴女の存在を知っていた。知らなかったら、死ぬ程、驚いたでしょうね。……ハグリッドも写真を見たはずなんだが……」

 ルーピン先生は元気溌剌に教えてくれた。

 既に面識のあるアーサー=ウィーズリー以外で驚かなかったのは、セブルス=スネイプだけだ。

 鴉。

 私がセブルス=スネイプに抱いた感想。人を気遣う物腰はコンラッドが好きなるとよくわかった。

 屋敷の主であるシリウス=ブラックは私によく顔を近づける。来織に指摘された時は親切なだけだと思ったが、考えなおしてみれば、異様に近かった。

 ロケットは思ったより、粘り強い。ついには語りかけもやめ、無言の威圧感で私と根競べし出した。危険を承知で私から何度も話しかけたが、無視された。

 仕方なく、勝負そのものを日本に持って帰ろう思った矢先に無くなった。無くしたと焦る私にコンラッドはロケットが自ら逃げたと解釈した。

「試合放棄で私の勝ちさ?」

「逃げたもん勝ちだね」

 結局、私は何の役にも立たなかった。

 

 ――10月、来織は全てを知った。

 

 『真似妖怪』のような反応などあるはずもなく、来織にとっての私達夫婦は両親である事に変わりなかった。

「正直、姿形は違っても私の父だと思っていたね。私は……根本的な接し方を間違えていた」

 そう告げるコンラッドはとても穏やかに笑う。抱えていた物が吹っ切れたとも言える。

「家族だと思っていたってなら、同じさ」

 私は逆に抱え込んだ。

 手紙を書こうと鉛筆を手に、便箋と何度も睨めっこした。けど、文章が浮かばない。ずっと騙してきたに等しい私がいけしゃあしゃあと何を言えば良いのか、わからなかった。

 そんな中、営業中に瑠璃ちゃんのお母さんは乗り込んできた。

「日無斐さん、最近、娘が美容師になりたいと申しますの。お宅の方からなるべきではないと説得して戴けません? あの子には良い大学を出て、一流企業に勤めて貰いたいという親心がわかっていないんですよ」

 進路での意見が合わず、揉める母と子の様子が今の私には羨ましかった。

「瑠璃ちゃんのやりたいようにさせて上げてください。それで瑠璃ちゃんが失敗したなら、それ見たことか自分の言う通りにしないからだ――と、溜飲が下がるのではないでしょうか?」

「貴女も……私を悪者になさるのね!」

 キレた口調で扉を乱暴に閉め、出て行った。

「あの奥さん、前から来織ちゃんを羨ましがっていたからねえ」

 こっそり塩を撒きながら、店長さんは肩を竦める。信じられない進学校に通い、品行方正で成績も良く、何より傍にいられる瑠璃ちゃんという娘がいるのにだ。

「隣の芝生は青いってヤツよ。来織ちゃんが日本を離れる時、どれだけ泣いたか、知らないのよ。あの奥さんは」

 この時、店長さんに相談でもすれば、どう考えても他人が書いた偽物の手紙に騙されたりしなかっただろう。

 仕事帰りの着の身着のままだから、指輪も付けてなかった。

「本当に結婚していたんだねえ……。あの真面目っ子バーティが冗談を覚えたんだと思っていたよ……」

 指一つ動かせない状態で驚きを隠せない声色が私の耳に吹きかけられる。姿が見えずとも、傍にいる魔女の残酷性を肌で感じた。

「手を出すな、ベラ。俺の女だ」

 何の話だ。

「何故、ここにいる。ルシウスと共に着いて行け」

 別の声に向け、ベラトリックスなる女性は舌打ちした

「その前に、コンラッドの女房を見ておこうと思ってだけさね!」

 空間を弾いた音と共に、わざとらしい溜息が洩れた。

「煩いのがいなくなった」

「ソーフィン……、カルカロフの準備をしろ……。『ポリジュース薬』の数は……」

 2人の声が離れて行く。

「奥様……、しばらくの御辛抱を……貴女は私めが守ります……」

 クラウチJr.の執着に似た好意。私もコンラッド、『父』も知らなかった。

 

 再び目を覚ました時、私はホグワーツの医務室にいた。

「貴女は大丈夫です。ただ眠らされていただけ」

 校医のマダム・ポンフリーは穏やかに微笑む。

 教頭のミネルバ=マクゴナガルに案内されて、廊下を歩いた。洋画の世界に迷い込んだような不思議な建物、娘の学校にこんな形で来るなど思いもよらなかった。

 校長室の素晴らしさよりも、『父』からの威圧感が私を浮かれさせない。

「何故……こっちに来た?」

 私は手紙の話をした。無言で威圧してくる『父』と穏やかに話を聞くダンブルドア、対照的な2人が異常に怖かった。

「ハーマイオニーはジュリア=ブッシュマンが裏で糸を引いておったと……」

「それよりもバーテミウス=クラウチJr.じゃろ、祈沙に惚れておったなど……何故、真っ先にワシに教えんのじゃ。やはり、ワールド・カップに連れて行くんじゃなかったわい」

 『父』がそこまで言うと、ダンブルドアの笑い方が少しだけ優しく変わった。

 そこから深刻な話になった。

 マルヴォーロの指輪、『父』の左手、交換する寿命。1年後には2人のどちらかはいなくなる。しかし、『父』は途中で自分の死を受け入れるだろうと私は直感した。

「来織の命が狙われておる。その為、クローディアとしての戸籍を殺す事にした。そんな顔をするな、来織の命は保証する」

 来織が死ぬ。

 その単語だけしか聞こえず、二重国籍やご近所さんや幼馴染、娘を知る全ての人の記憶を弄る。大事な部分は雑音となって頭に入らず、後に合流したコンラッドから改めて説明され、実感を得た私は謝罪を込めて泣いた。

 

 ――娘の死を嘆き悲しむ人々へ、どうか残酷な嘘を許して欲しい――

 

 来織との連絡も断つ事になった。

 『父』として調停役にダンブルドアの補佐にコンラッドも着いて回る。少しでも時間があれば、私の顔を見に家に帰って来てくれた。

「グリンデルバルドに会って来た。……義父さんの元同級生だよ」

「ワイセンベルク大臣と同じ? どんな人さ?」

 ヌルメンガード監獄にいるただ1人の囚人、罪状は聞かないで置いた。

 

 私の周囲も変わっていく。

 いつまでも幼いだと思っていた子供達は進学・就職と進路について答えを出す時期だ。

 瑠璃ちゃんは美容師の道を無事に勝ち取ったと聞いて安心した。

「藍子が二十歳の誕生日に結婚するって言うのよ。高校を卒業してから、考えろって言ったんだけど……ありゃあ、本気だわ」

 藍子ちゃんのお母さんは嬉しそうな溜息を洩らす。その話の後、狙い済ましたように来織の婚約話も聞いた。これもコンラッドの作戦の内なのだろう。

 

 虫の報せは我が身の臓物を這いずり回る胸騒ぎだ。

「自由にしてやれんかったな」

 偶々顔を見せに来た『父』の腕で又三郎は眠るように息を引き取る。いつも手紙を運んでくれたフクロウ、哀惜の涙が翼を濡らした。

「ワシは……ダンブルドアとして死ぬ事にした。ワシとなるダンブルドアを任せたい。どう扱うかは……任せよう」

 遺言だと思った。

 『父』は私に新しい人生をくれた。以前のままでは知る事もなかった世界も触れられた。

 楽しい贈り物をたくさん頂いた。

「……ひとつだけ言っていい?」

 だからこそ、あえて言える。

「お父さんは酷い人さ」

「……ありがとう。そう言ってくれたのは、おまえで2人目だ」

 『父』は初めて会った時のように、シワひとつない肌と黒い髪へと変貌してから微笑む。私は『父』のその姿よりも歳を重ねたのだとシミジミ思った。

 

 コンラッドは施術後のダンブルドアを家に連れ帰った。彼は変わり果てた自分の姿に動揺し、先ず、自分の名前も碌に言えず、言語も不安定だった。

 時折、鴨居に当たらないように気を遣い、頭を下げる動作を繰り返した。

「クローディア……ああ、違う。君は母親のほうだね……」

「何をしているさ?」

 ダンブルドアは神棚に向け、必死に手を伸ばす。何故、届かないか不思議がっていた。

「榊を代えようと思ったんだが……、掴めなくてのお」

「お父さんの背だと届かないさ」

 私はダンブルドアから榊を受け取り、榊台にある昨日の分と交換した。

「そうじゃった……慣れんもんじゃわい。……クローディア、授業はどうしたね?」

 ダンブルドアの脳内は過去を行ったり来たり、脳髄に激痛が走り、何度も嘔吐を繰り返した。新しい院長は小まめに診察に訪れ、コンラッドと私で交代して看病した。

 5月に入り、ダンブルドアは自分の身体に馴染んだ。

「急ぎ、ホグワーツに行かねばならん。クローディアの身もそうじゃが、トトが心配じゃ」

「……お供しますよ」

 意気込んだダンブルドアはコンラッドと共に発ったが、ホグワーツに到着した頃には全てが終わっていた。

 

 来織も顔を変え、帰って来た。

「来織ちゃん、ようやく帰って来たんですって? 酷い事故にあったんですもの。ゆっくり休めたらいいわ」

 店長さんや木本さん達に心配され、コンラッドの用意した設定が記憶に刷り込まれているとわかった。

 しかし、来織が脱色するとは思わなかった。これにはコンラッドも吃驚仰天であった。

「お義父さんの体はホグワーツに埋葬された。誰も気づいていない」

 【日刊預言者新聞】の見出しを見せ、コンラッドから説明された。不思議と涙は出なかった。

 

 教習所に通わされ、来織は居間で参考書と睨んで唸っていた。

「アクセル……右のミラー……路肩……」

 免許証を見せつけ、満面の笑みを浮かべる来織が愛おしい。行かないで欲しいという感情が浮かんだが、必死で堪えた。

 来織にハンドルを握らせ、空港へ向かう。いろんな意味で口から心臓が飛び出すかと思った。

「うう……酔ったさ……」

「君の運転もあまり変わらないよ」

「次はわしが運転しようかのお」

 目が笑っていないコンラッドにダンブルドアは愉快にそう告げる。

「日無斐先生、優しくなりましたね。前は俺が来織と喋っただけですんげえ睨まれてたのに」

 田沢くんは不思議そうにダンブルドアを眺め、私は彼の鋭さに冷や汗を掻いた。

 

 もう手紙を運ぶ又三郎もおらず、連絡はコンラッドからの電話のみ。

〈結婚式はおもしろかったね、君にも見せたかった〉

「来年には藍子ちゃんが結婚するさ。それに一緒に行くさ」

 私は一緒に行けると本気で思っていた。

 

 ――年が変わった3月。

 

 いつもの連絡かと思えば、イギリスへ来るように頼みこまれた。

 前回の件で偽者かと疑ったが、現役院長自ら空港で送った為に本物だと確信した。

「初めまして、キンサさん? コンラッドに言われてきたわ。私はアンドロメダ=トンクスよ。……本当に結婚していたのね」

 空港で迎えに来てくれたアンドロメダは親しみやすい笑みだが、常に周囲を警戒していた。

 しかも、招かれた家には『マッド‐アイ』の異名で知られるアラスター=ムーディもいた。本部で何度も顔を合わせ、彼も私を覚えていた。

 長い夜だった。

 アンドロメダが用意してくれた食事の最中、ムーディはラジオのダイヤルを何度も弄るだけで席にも座らない。

 夜が更けても、誰も眠ろうとしない。私も眠れない為、ずっと3人は押し黙ったまま時計の音を聞いた。

 何の前触れもなく、ムーディは椅子から勢いよく立ち上がる。廊下に出たかと思えば、玄関の扉が激しく叩かれた。

「ドロメダ! 私だ、テッドだ! 勝ったぞ! ハリー=ポッターが勝ったんだ!」

「油断大敵、合言葉は!?」

 テッド=トンクスはムーディに詫びた後、合言葉を交わして扉を開けて貰った。

 久方ぶりの再会に夫婦は抱擁を交わし、床に座り込んでまで涙声で喜びを伝えあう。その光景に私の胸騒ぎは頂点に達した。

「わしはホグワーツに行く。おまえ達はリーマスのところへ行け。さて、ミセス……一緒に来るかね?」

 青い義眼を見つめ返し、私は傷だらけの逞しい手を取った。

 

 二度目のホグワーツ城、訪問。

 ほとんどの建物は原形を留めず崩壊し、されども人々の歓声があちこちで響く。仏頂面のムーディに誰も彼も抱擁を求めたが、彼は杖で追い払った。

「モリー! コンラッドは何処だ?」

 声をかけられたモリー=ウィーズリーとは面識があり、私の存在に気付いて表情を強張らせた。

「こっちよ……、ええ……こっちにいるわ」

 私の肩に優しく触れ、必死の笑みでモリーは大きな瞳から涙を溢す。涙の意味を瞬時に理解してしまった。

 2度と起き上らない人々と共にコンラッドも横たわっている。綺麗な頬に触ってみれば、もう生きていた頃の体温はない。

「本当に眠っているみたいです」

「コンラッドは此処に来るべきではなかった。……どうか……我々を許さないで頂きたい……」

 本気で頭を下げるスネイプは私を心配し、罰を受けようとしている。私の言葉がこれからの彼の人生を決めるだろう。

 コンラッドの望みは親友が自分の人生を取り戻す。その為に自分自身も犠牲にしてしまった。

「夫は……貴方が大好きでした。私はそんな夫は好きでした。だから、泣かないで上げて下さい。貴方に泣かれたら、夫は困ってしまいます」

 鴉のように円らな瞳に涙は見えない。しかし、涙が流れないスネイプは泣いているとわかった。

 来織は自分こそがクローディア=クロックフォードだと名乗った。もう娘は自分を偽る必要はない。ジョージ=ウィーズリーとドラコ=マルフォイを連れて何処かへ行った。

「奥様、貴女は何をご存じ……ごふう……」

「今はその話をするな。……スタニスラフに確認すればいい」

 私に質問しようとするアーサーをシリウスは止めた。

「少し眠ってはどうかな? 眠れずとも、体を休めたほうが良い」

 ホラス=スラグホーンの提案に従い、シリウスの案内で私は別の部屋に案内された。大広間の喧騒が聞こえ、簡易で作られたいくつもの寝台には既に何人かが眠る。そこをマダム・ポンフリーと何人かが巡回するように何度も様子を見ていた。

「……来たか、祈沙」

 青白い顔で生気のないダンブルドアもおり、水が喋るように気配がなかった為に違う意味で吃驚した。

「無事だったんですね、お父さん」

 皮肉めいた口調に我が事ながら、驚いた。

「そうじゃな……すまない」

 そう告げたダンブルドアは瞼を閉じ、寝息を立てた。

「やっと眠った。……すみませんが、傍にいて上げて下さい。何か異変があれば教えて下さい」

 セドリック=ディゴリーは優しく私に頼み、他の方へ向かいあう。シリウスも一緒にいてくれた。

 

 ハグリッドに付き纏い、戦いの後始末を行う。スタニスラフと一緒にコンラッドの埋葬へ着いて行かないのかと何度も聞かれたが、私には目的があった。

 『父』の墓参りだ。

 生存者の確認を終え、復興作業にかかる前に私はハグリッドにお願いして、ダンブルドアの墓へ連れて行って貰えた。

 まるで記念碑のように白く壮大な墓は『父』が眠るには派手すぎる。供える花も線香もない。こちらの祈り方を知らない為、とりあえず合掌した。

 何故だろう。元気溌剌に笑う『父』の顔が浮かんだ。

「コンラッドは良い嫁さんを選んだ。俺も嬉しい」

 私が顔を上げた時、ハグリッドは感激の涙を流し、また驚かされた。

「ここは楽しいところです」

 素直な感想にハグリッドは照れ、私を来織と合流させる為に形を無くした門へと案内する。

「いつでもホグワーツに来ると良いぞお、ここは来たい者は誰であれ歓迎するんだあ」

 涙を拭いたハグリッドは元気良く、まるで周囲に教えるように大声を張り上げた。

 

 多くの魔法使いの卵が過ごし、巣立って行った魔法学校。

 魔法族で言うなら、マグルの私には縁がない場所だ。この先の生涯、ホグワーツ城を訪れないだろう。それはマグルとしての本能が教えてくれた。

 




閲覧ありがとうございます。
 トトがクローディアを魔女として鍛えなかったのは、可愛い孫にマグルとしての平穏な生活を過ごして欲しかったのと同時に、ホグワーツ教師陣から反感を買わせない為(経験談)。
 学校を辞めさせるように勧めたのは想像以上にホグワーツでの暮らしが危険であった為、バジリスクは想定外。
 コンラッドはずっとクローディアを「娘」ではなく、形を変えても「父親」として認識していた。母が愛した父ならば、どんな苦難も問題ないと勝手に思っていた。

●又三郎
 フクロウ便しか受け付けないホグワーツへの配達係。慣れない労働が負担になり、6年生の中盤にて倒れた巻き込まれフクロウ。 

●ヴァルター=ブッシュマン、ゲルルフ=ブッシュマン
 ジュリアの大叔父、その長男。彼女が『死喰い人』になったと知り、早々に英国から去った。それにより、後の『死喰い人』によるマグル狩りから逃れた。
 ドイツにてヴァルターだけはジュリアの身を案じ、コンラッドと連絡が取れるようにしてあった。ホグワーツ戦後、スタニフラフからの連絡でジュリアの遺体を引き取った。

●店長さん
 祈沙の勤め先の店長。
 仕事が大好き、定休日もボランティアとしていろんな施設へ出張散髪する程。家庭の事情には突っ込まない主義。 

●集落の長
 祈沙の母親を養子にし、トンネル開発の話に飛びついて土地を売却。集落を出た彼を長年の習慣による犠牲者達が怨念となって付き纏った。その死に顔は苦しみ抜いていたと言われる。

●ルシウス=マルフォイ
 父が病床の際、コンラッドの秘密を知る。『死喰い人』の枠抜きで、その身を案じていた。コンラッドにとっては面倒臭い事、この上なかった。
 
●ドリス=クロックフォード、アルバス=ダンブルドア
 正直、コンラッドが結婚するとは思わなかった。

●イリアン=ワイセンベルク
 トトからの連絡は受けていたが、秘書官たる存在が勝手に除外していた。賢者の石事件後にて、ダンブルドアから「トトからの手紙は届いていますか?」という連絡にて発覚する。

●ディーダラス=ディグル、マデリーン=ディビーズ、ルビウス=ハグリッド
 ドリスから「孫が出来た」と聞き、「ああ、養子を取ったのか」と思っていた。

●べラトリックス=レストレンジ
 コンラッドの結婚に一番驚いた『死喰い人』。

●ホラス=スラグホーン
 寮生が闇の帝王になったり、お互いに殺しあったりと精神的心労が絶えない。コンラッドからクローディアの体を調査して欲しいという依頼を受け、大体の事情を察した。
 ホグワーツ戦後、クローディアはボニフェースの寿命について相談しに来た。その折、彼女が先に死んだ場合、その遺体を貰い受ける約束を交わした。

●バーテミウス=クラウチJr.
 祈沙が何気なく渡したジュースを切欠に恋に落ちる。愛する人の大切な夫と娘を殺し、自分しか考えられないようにするという屈折した愛情を抱えていた。
 ホグワーツ戦後、心から忠誠を誓っていたヴォルデモートの死を目の当たりにした事で、全てのしがらみから解放された気分に浸って逃亡する。




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砂が如く祈った後

閲覧ありがとうございます。

まさかの3話に渡った祈沙視点。
タイトル通りに後日談です。
英語を「」、それ以外を〔〕と表記します。


 『隠れ穴』の庭では6回目の結婚式が慎ましく行われる。瑠璃ちゃんのヘア・メイクが来織を花嫁として映えさせた。勿論、ジョージも花婿として着飾り、男前が上がっていた。

「息子の決めた式ですもの、けど……ロンの時より招待客も少なくて」

 私としては十分に素晴らしい式だが、モリーは物足りさを訴える。

 花嫁側から、母親の私、祖父としてダンブ……トト、友人代表・藍子ちゃん、瑠璃ちゃん、田沢くん、佐川くん、木本くん、木下くん、恩師代表・玉城先生、何故かイリアン=ワイセンベルク魔法省大臣とスタニスラフ=ペレツ。国境を越える式である為、宿泊や飛行機の手配、全員のスケジュールを考えて呼べた人数だ。

 共通の友人が多い花婿側に自然と人数が偏ってしまう為、最低限の人数にして貰った。

 ウィーズリー一家はそれぞれ仕事もあり、ご両親とフレッド、ロン、ジニー、その伴侶たるアンジェリーナ、ハーマイオニー、ハリー。

 ホグワーツ同窓代表、パチル姉妹、リサ、ルーナ、ディーン=トーマス、クリービー兄弟、デレク=ガーション、リー=ジョーダン、ドラコ=マルフォイ。恩師代表・ルビウス=ハグリッド。

「マグルはどんな式をするんだね?」

「昔は神前式が主でした。今ではほとんどウェディングドレスとタクシードです」

 アーサーは大勢のマグルに喜び、玉城先生は片言の英語で必死に答える。

「おじさん……デカイ!」

「はっはあー! 俺は半巨人だからだあ」

 酔っ払った藍子ちゃんがハグリッドと絡み、瑠璃ちゃんは佐川くんと一緒に撮影に夢中だ。

〔佐川ーちゃんと写真撮ってね、出来ればデータで頂戴。今後の参考にするから〕

〔はいはい、メモカをコピーして渡しますって……なあ、あの人……戦場カメラマンのコリン=クリービーに似ているんだけど……〕

 そのコリンもカメラを構え、必死に撮影している。

〔なんであいつら、写真ばっかり撮ってんだよ。飯食えよ、イギリス料理が不味いとか嘘だろ。メッチャ美味しい〕

〔俺もそんな噂があるなんて知らなかった。マグルの料理ってそんなに不味いのかな?〕

 田沢くんはずっと料理ばかり食べ、日本語が上達したジョージの質問に笑いながら首を傾げる。

「貴方、お医者さんですって? うちの両親は歯科医なのよ」

「俺は整形外科医です。ところで……皆さんはどんなお仕事をしているのか……想像つかないんですけど」

 木下くんは話が噛みあうハーマイオニーに安心し、色々と質問している。

 ちなみに玉城先生達に魔法界の話は一切していない。ただの文化の違いだと思っているのだ。

 ただ、糸も風船もないのに浮かぶ料理を乗せた皿、何処からともなく現れる酒瓶、数々のフクロウが入れ違いで贈り物を送ってくる等、誤魔化しきれない部分も多々ある。

「君、動画サイトに出ていただろう。確か……ウッドブック!」

〔!! あんた、俺の動画見てくれてんの!? サンキュー!!〕

 木本くんはドラコに話しかけられ、感激で喚いていた。魔法族も動画サイトを見るのだと知り、驚いた。

〔おまえはいつ、日本魔法省に入省するんだ? 私が現役の間に頼むよ。年々衰えておる。後20年が限界なんだ〕

〔今、誰より食事を平らげとるんじゃぞ。後50年は平気じゃよ〕

 ワイセンベルクとトトはおそらくブルガリア語で話しているが、何を言っているかわからない。

「ハリー、ジニー。子供達はどうした? ジェームズに会いたかったのに」

「シリウスに預けて来た。ディーンは最近、どう? サリーと良い感じだってね、ジニー?」

「先週に別れたって聞いたわ。スタニスラフ! ビクトールの活躍は聞いているわ、彼と会っているかしら?」

「ええ、彼はいつも絶好調です。本当は今日も来たがっていましたが……残念です。お祝いを預かってますので、あの中にあります」

 ジニーに答えるスタニスラフは文字通り、山のように積まれた贈り物を指差した。

「フレッド、あのカメラ持ってる子……どう思う? さっき話しかけたら、英語は喋れないみたいだった」

「行けよ、相棒。言葉なんて関係ない、情熱は伝わるとも」

「フレッド! リーをけしかけるな!」

 アンジェリーナに怒られても、フレッドは何処吹く風だ。

「恋をしてるね、デレク。その子はとてもいい子。逃しちゃ駄目だよ」

「……すごいね、ルーナ。僕ってわかりやすいかなあ」

 お喋りに興じる皆を見渡し、私の隣で延々と喋り続けるモリーへ顔を向けた。

「いろんな人が来たがったわ……仕分けが大変だわ。お返事も書かなきゃ……」

「娘がやります。新婚夫婦の最初の仕事、祝ってくれた人へのお返し」

 その来織はリサとパチル姉妹と会話で盛り上がり、ジョージは何故かアンジェリーナを苦笑いで宥めていた。

 

 いつの間にか私は眠りこけ、目を覚ませば居間のソファーにいた。

「では記憶の修正はお任せします」

「うむ、わしはこの子らをホテルへ送ってくるのでな。娘を頼むよ」

 宙に浮く7人は熟睡中だ。

「記憶を消す?」

「ああ、キサ。お目覚めで! ご心配なく魔法が関わる部分を修正するだけですよ」

 アーサーはほろ酔い加減で私に説明した。

「わしが戻るまでは片付けを手伝っておやり」

 トトはウィンクし、7人と一緒に姿を消した。

「今日はありがとう、大臣。スタニスラフも」

「いえいえぇ、美しい花嫁が見れて嬉しかったぁ」

 ドレス姿の来織は2人以外にも次々と別れの抱擁を交わす。式が終わったのだと理解した。

 会場だった庭ではジョージとフレッドが慣れたように杖を振るい、散らかったゴミに意識があるようにゴミ袋へ吸い込まれ、椅子は整然と片づけられていく。汚れた皿は何故かハリーが手作業で洗っていた。

「おはよう、キサ。シャワーでも浴びて来なさいな。貴女の寝相、凄まじかったわ。その髪型も凄いけど」

 モリーから紅茶を貰い、言われた通りにシャワーを借りた。

 来織が用意してくれた普段着に着替え、居間へ降りてみればシリウスがいて驚いた。

「おはよう、キサ。昨日は良い式だったようだ」

 来織とジョージが贈り物の開封をする様子を見ながら、シリウスは微笑んだ。

「貴方はどうして?」

「片付けを手伝いに来たんだ。と言っても、もう終わったに等しいんだが……」

「シリウス、ハグリッドに朝食を届けて頂戴!」

 シリウスが言い終える前にモリーは特大サンドイッチとミルクを手渡した。

「キサも一緒にいってあげて」

 モリーの指示に私達はハグリッドのテントを目指す。彼はテントが吹き飛びそうな程の寝息を立てて寝ていた。

 サンドイッチとミルクをテント内へ置き、すぐに帰ろうとしたがシリウスは私を呼びとめた。

「実は……貴女に話があって……、モリーにわざと2人っきりにして貰ったんだ」

 思い当たるのはジョージの国籍に関する話、モリーは息子の婿養子に今だ文句を述べるのだ。

 シリウスは耳まで真っ赤に染め、深呼吸を何度も繰り返す。そして、片膝を付いて私の手を掴んだ。

「どうか、私と結婚して欲しい」

 脳髄が揺さ振られる衝撃を受けた。

 目の前の光景よりも、脳裏に浮かぶコンラッドの姿が鮮明だ。

〔来織! 来織! 『めぞん一刻』持って来てさ!〕

 気付いたら、来織に『めぞん一刻』を持って来させていた。飛行機内で時間潰し用に文庫版全巻持ち運んでいたのだ。

 私は持ち切れない全巻をシリウスへ渡した。

「これを全部、自力で翻訳して読み切って。返事はそれから」

「……わかった」

 予想外の返事を受け、シリウスは全巻をマジマジと見つめた。彼よりも、私が困惑している。ハッキリと断るのではなく、相手に期待を持たせる返答だ。

 来織が何かを言いたげに口を開きかけたが、私は無言で首を振り、発言を制した。

 

 正直、シリウスは途中で諦めるだろうと考えていた。

「なんでひらがなとカタカナがあるんだ!」

「アルファベッドも大文字と小文字、筆記体があるでしょ」

 彼が辞書を片手に金切り声を上げ、頭を悩ませる姿をハリーがご丁寧に教えてくれる。日本語が理解出来ても、漫画そのものに興味がなければ、同じ日本人でも最後まで読まない。

 

 シリウスの求婚は周囲に知れ渡り、予想外の珍客が勤務先に現れた。

「素敵なお店ですね、奥様」

 不精髭を生やしたクラウチJr.。恐怖と驚きに肝が冷えた。

 何も知らず、外国人のお客さんだと喜ぶ店長さんを守る為に平静を装って接客した。

「お久しぶり、まだ捕まっていなかったんですね」

「シリウス=ブラックが求婚したという噂を聞いた。断らなかったと――」

 髪に鋏を入れているが、クラウチJr.は平然と私に質問した。

「返事をしていないだけです」

「貴女は随分と意地悪だな……、けど……そこが良い」

 整った顔で薄らと浮かべる笑みに慄きながら、クラウチJr.への散髪と髭剃りを終えた。

「流石、手際が良い」

 何処から手に入れたか、シワシワの一万円札を渡してきた。

「このまま貴女を浚っていきたいが時間切れだ。また会いましょう」

 頬にキスされ、私はもう反応する気力もなかった。

 店長さんは物凄く喜んでいたが、その後ろの店・往来では来織と見慣れぬ……おそらく日本の闇払いとの文字通りに火花を散らす交戦が始まっていた。

 勿論、取り逃がした。

 

 孫の成長と共に、返事の件も薄れて行った。

 それが5人で5歳の七五三について話している最中、轟音が庭を襲う。音に見合う振動に私は怯えたが、トトは忍ぶように笑った。

 障子を開ければ、大破したバイクの破片とシリウスが庭に転がっていた。

「よ……読み終わった……」

 『めぞん一刻』の最終巻を見せ、シリウスは地面に這いずりながら軒下へと手を伸ばす。ボロボロになった巻の擦り切れ具合を見れば、彼が内容を理解せんと何度も読み直したのだとわかった。

「シリウス、久しぶりー! どうしたの!」

 去年のクリスマス以来の再会で、史英は完全に喜び、はしゃぐ。それを来織は無情にも引っ張り、トトとヘレナも着いて行った。

 2人きりにされ、私は言葉を求めてキーホルダーを知らずに弄り、無意識に手の中で3回、転がした。

 

 ――視界に映ったのはいないはずの人々。

 

 幽霊のように透明でもなく、かといって生きている人の気配とは違うコンラッドと『父』、祖母と父。思い返すことさえ出来ない筈の肉親は、確かにその2人だとすぐにわかった。

 呆然と言葉を失う私へ4人は微笑み、背を押すようにゆっくりと頷いていた。

「……響子が裕作に出した返事が私の答えです」

 緊張で震えながら、舌に言葉を乗せる。シリウスは気付いた表情で私を見上げた。

「一日でもいい……長生きして」

 それはコンラッドと『父』に対しても言いたかった。

 自分の策略に満足して勝手に死んだ。無残に置いて行かれ、私は今も寂しい。ずっと蓋をしていた感情に応えるように彼らは手を振ったかと思えば、背を向けて消えて行った。

 ただの幻覚だろう。しかし、ようやく私は『家族』を喪っせた。

「私は貴女よりも……長生きする……」

 疲労困憊のシリウスは手袋を外し、両手で私の片手を包む。こんな時に感激の涙で応じれば良い物を私はその逞しい手を握り返すことしかできなかった。

 

☈☈☈☈☈☈☈☈

 オーストリア・ウィーン行きの列車の中。

 車掌にチケットを見せた後、私はゆったりと【ザ・クィブラー】を開く。シリウス=ブラックが結婚し、日本国籍になったという記事を読む。新居の庭、藤の木の下に写った新妻の部分を指でなぞろうとすれば、逃げられた揚句にその夫は私の指を追い払う手つきを見せた。

 不意に記憶が刺激され、あの娘が着ていたドレスの模様が藤の花だったと思い返した。

(妨害も無駄に終わったか……、今は……手に入れた気でいるといい。アズカバンにいただけ……、幸せを味わうのを許してあげようとも……。だが、すぐに私の番だ)

 知らずに口の端を上げ、私は視線を感じて正面の席を意識した。くすんだ赤髪の老人に雑誌を覗きこまれていた。

「……失礼しました。写真の人が動いているように見えましたので……」

 歳の頃は70を過ぎ、流暢なイギリス英語を話してくるが強いドイツ訛りだ。面倒事を避けようと私は彼から見えない位置にある片手の指を鳴らそうとした。

「……【ザ・クィブラー】、懐かしい。昔、父が投稿したんですよ。とは言っても、父も私もマグルですけど」

 疲労感丸出しだが、魔法界を知っていて記憶を消されていないマグルならば、魔法使いを身内に持つ者だ。しかし、指名手配されている私の顔を知らない。

 指を解いて、雑誌を持ち直す。警戒を忘れず、愛想良く尋ねた。

「最近の記事はお読みにならないので?」

「ええ、お恥ずかしながら、自分達の生活に精一杯で魔法界どころではありませんでした。魔法族の方とお話するのも、あの子が亡くなった時以来……」

 あの子という言い方から、この男が関係する魔法使いはずっと若い世代だろう。赤髪、ドイツ……記憶を探れば、1人だけ心当たりがあった。

「ジュリア=ブッシュマンのご親族ではありませんか?」

 お悔やみを込めて問えば、男の顔色がみるみる青褪めて行く。当たりだ。

「……彼女は決して折れる事のない、芯の強い女性でした」

「……そう思われますか? 本当に?」

 不安がる男に私は微笑んで答える。ジュリアは自分に正直な性分だったと言えるだろう。その為、対立も激しかったに違いない。今は亡きベラとのやりとりを久しぶりに思い返し、思わず、くすりと笑った。

「お名前をお伺いしても? 私は」

「いえ……お互い、名乗らずに置きましょう。そのほうが良い」

 隠しているが完全に怯えている。

 鋭い。

 私が誰かはわからずとも、『死喰い人』の残党だと察したのだ。だが、魔法省に通報する気もない様子だ。

 とても都合が良い相手。故に私は人指しを杖代わりに動かし、一切の質問に嘘偽りなく答えるように魔法をかけた。

「お名前は?」

「ゲルルフ=ブッシュマン」

 再度の問いに、何の抵抗もなく男は怯えも消して答える。

「貴方は何をしにウィーンへ?」

「ウィーンにはジュリアの弟が住んでいます。私の父の死を伝えに行きます。彼の分の遺産を渡すのも目的です」

 素直に答えるブッシュマン氏から、聞きたいだけ聞き出す。聞けば聞く程、脳髄に高揚感で満たされ、心が躍ってきた。

 隠し持っていた杖を振るい、同じ車両に乗り合わせた人々の記憶を弄る。私とブッシュマン氏が話を弾ませていたと知られている可能性があるからだ。

 杖を懐に仕舞い込み、【ザ・クィブラー】も消失させる。何事もなかったように席へ座り、ドイツ紙を広げる。先程までのやり取りを失ったブッシュマン氏は私への関心なく、窓の外の景色へと視線を向けて到着まで黙りこんでいた。

 私は西駅で降り、まだ席に座るブッシュマン氏を盗み見ながら、あの人の事を思い浮かべる。そして、あの娘の存在もだ。

 殺された娘の遺体へ縋り泣く姿。そんな様子を勝手に想像し、口笛を吹いながら改札口を目指した。

 

 ――私は今、小僧のように舞い上がっている。




閲覧ありがとうございました。

シリウスがめぞん一刻を完全読破するまで7年かかったのは、クラウチJr.による地味な妨害があった為です。

『蘇りの石』とは逝ってしまった人へ直接、別れを告げる為の道具だと思います。
熟年婚した2人は来織達とは別に家を構えました。その庭には美しい藤の木があるそうです。

●リー=ジョーダン
 その後の人生不明。きっとやりたいようにやっている。
●デレク=ガーション
 原作3巻において、デレクと呼ばれた生徒。
 この話の翌年に結婚する。
●イリアン=ワイセンベルク
 原作4巻にて、オブランスク(オバロンスク)と紹介された大臣。
 この話の5年後に引退する。
●スタニスラフ=ペレツ
 ダームストラング生が欲しいという理由で出来たオリキャラ。
 イリアンの後任として魔法省大臣に就任する。
●藍子
 来織の幼馴染にして、良きママ友。
●瑠璃
 美容師として生涯現役、独身を貫いた。
●佐川
 佐川はこの式でコリンと知り合い、様々な経験を経て戦場カメラマンへ転身する。
●木本
 ジョージが店の宣伝も兼ね、魔法界に動画サイトを発信した際に動画編集者として雇う。動画投稿者の生活に悩んでいた木本は二重の意味でジョージを恩人と崇めている。
●木下
 この話より前に結婚。後に田沢病院を継ぐ。魔法界については何も知らされず、何も知らないままである。
●玉城先生
 この話より前に引退。
●田沢
 バスケット選手として活躍し、引退後はチームの監督を務める。息子の一を切欠に一族が魔法使いだと知り、腰が抜けるほどに驚いた。


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終章は短めに

閲覧ありがとうございます。
誠に勝手ながら、これにて最終回とさせて頂きます。

ハーマイオニーとクローディアの視点です。

追記:20年3月1日、誤字報告により修正しました。


 魔法省名物といえば、ホールの中央にある噴水。ウクライナ・アイアンベリー種の像に魔法使い、魔女、人間、小鬼、巨人、ケンタウルスのミニチュア像が並ぶ。ドラゴン部分は通りすがりへ水を噴き出して驚かせる。濡れない魔法の水の為、誰も文句を言わないが偶に本当にずぶ濡れにされるのだ。

 かつては魔法族が他の種族に羨む像があり、その後は魔法族が完全なる支配を示す像があったと教えれば、若手達はそちらこそを信じられないと驚く程だ。

「ハーマイオニー……否、失礼した。グレンジャー大臣」

「今は休憩中ですし、貴方は私に遠慮する必要はないわ。『魔法法執行部』ポッター部長?」

 お互いの返しに慣れたハリーと私は笑い合う。周囲も咎める者はおらず、通り過ぎていくのだ。

「では、ハーマイオニー。ロンから今日、取材をするって聞いたよ。【ザ・クィブラー】の……どうして、私を誘ってくれなかったんだ?」

「……取材嫌いの貴方が受けたがっているとは知らなかったわ。けど、ご免なさい。極秘の取材ですから、またの機会にお誘いするわ」

 おおげさに驚いた私は言い訳抜きで就任したばかりの上、言葉通りの多忙な毎日だ。

 極秘と言うのは本当だが、ハリーへ報せるのをすっかり忘れていた。

「そうか、久しぶりにルーナの取材を受けたかった。コリンにも会いたかった。2人によろしく――」

 承知した私は不意に思い付く。

「ジニーの取材を受けては? 貴方の作るシュクメルリ、レシピが載れば大反響よ」

「前向きに検討いたします」

 棒読みのハリーはジニーの取材の受けるつもりはない。私は嫌味っぽく笑い返した。

 

 『漏れ鍋』に魔法省大臣が来るなど、珍しくない。入省した頃からの馴染みで、店主ハンナとも親しければ尚更だ。ここで取材するなど、私以外の常連客は思い付きもしうないだろう、多分。

「借りるわ」

 一声かけ、ハンナは笑顔で視線を2階へ向ける。

 【8】号室の扉をノックすれば、音もなく開く。約束した3人が既に到着し、各々が寛いだ体勢で椅子に腰かけていた。

「私が最後? 時間通りのはずよね?」

「5分前に到着したんだ。2人は俺より先だった」

 コーマック=マクラーゲンは肩を竦め、ルーナとコリンへ言葉を投げる。

「僕は予定が早まって、昨晩、ここに来たんだ」

「あたしはコリンの後だよ。待ち切れないんだもン」

 コーマックはわざとらしく咳払いし、椅子から立ち上がる。取材を進めたがっていると察し、2人もそれぞれの道具を取り出した。

 ルーナの自動筆記羽ペンが今か今かと羊皮紙の前でピクピクし、彼女自身はタブレッドでキーボード画面にして打つ準備万端だ。

「貴女がマグル製品を使う姿、すっかり板についたわね。私でも、まだガラケーよ」

「うん、ドラコがこの機種勧めてくれたんだ。ハーマイオニーも買うなら、ドラコに相談するといいもン」

 ドラコ=マルフォイがマグル製品を愛用しているという噂では聞いていたが、どうやら本当らしい。

「俺も先日、スマホを買ったばかりだぜ。俺はいらないって言ったんだが、ペニーがしつこくてな。この国の首相がプライべードで携帯電話すら持っていないとか、ありえない! って……。秘書代えたい……」

「最初は携帯電話持っていたけど、電話の通じない国とかよく行くし、頻繁に盗まれるから持つのは止めたよ」

 コリンはカメラを構えながら、私達2人に映りの良い姿勢を指示する。コーマックはネクタイを締め直し、私は胸にある魔法省の紋章が見えやすいようにローブを整え直した。

「改めて、お会いできて光栄です。グレンジャー大臣、前任者の引退を知った際、後釜は貴女しかいないと確信しておりました」

「こちらこそ、マクラーゲン首相。貴方にそう言って貰えるなんて、光栄です」

 マグル出身の私が魔法省大臣、魔法族出身の彼がマグル首相。その2人が秘密裏に会合し、【ザ・クィブラー】の取材を受ける様子を誰が予想出来たであろうか――。

 きっと、ルーナだけだろう。

「堅苦しい呼び名は抜きにして、ハーマイオニーと呼んでも? 私もどうか、コーマックと――」

「ええ、そうしましょうとも。コーマック……、サリーはお元気かしら? 最後に会ったのは結婚式の会場だったわ。ロンドン橋を使った式なんて、前代未聞だったわ」

 サリー=アン・パークスとの電撃結婚、しかも会場はロンドン橋。多くの魔法族が招待され、魔法省はマグルへの隠蔽工作に難儀した。勿論、ハーマイオニーも連続徹夜する程の重労働だった。

 マグル側には橋の真ん中で写真撮影をしただけの慎ましやかな結婚式だったと報じられた。

「ええ、ファースト・レディとしてのプレッシャーもあるでしょうが、妻なら乗り越えられると信じております。私の話はさておき、ハーマイオニー。今まで散々問われたでしょうが、貴女は大臣となって魔法界をどのように導くつもりでしょうか?」

 結婚式の様子を思い出し、コーマックは微笑む。そして、毅然とした態度で私の今度の方針を訊ねた。

「『屋敷妖精』の解放です。彼らを仕える種族ではなく、共に歩む存在だとお互いに認め合う事が私の目標です」

 予想通り、コーマックは口元を痙攣させて難色を示す。ルーナは私がそう言う考えを持っていると理解しているが、行動を起こす事に賛辞の目を向けて来た。

 コリンは色々と混乱しているが、シャッターを押す手を緩めない。

「ハーマイオニー……、貴女に知らない事などないだろう。魔法省が秘匿する資料に全て目を通したならば確実に……、『屋敷しもべ妖精』は魔法族とは違う基準の魔法を使う種族だ。魔法使いが杖の術を得た後、様々な種族と争いになった。彼らは魔法族に対し、服従を示す事で戦いを放棄したんだ。無駄な血を流さない為の無血条約だった。どんなに理不尽に扱われても、彼らが反旗を翻さなかったのは戦いになれば、あちらが必ず勝つ。そして、魔法族はその報復の為に彼らを全滅させるとわかっているからだ。違うかな、ハーマイオニー?」

 この事実を知るのは『魔法生物規制管理部』の『屋敷しもべ妖精転勤室』に配属され、尚且つ、その部署にしかない資料を読んだ者だけだ。

「ええ……それを知るのはほんの一握りだわ。だから、まずは意識改革から始めます。『魔法史』の授業へ取り入れです」

 強引な改革は反発を生む。私はそれを知っている。だから、時間がかかっても魔法界へ浸透させる。私の代では終わらないだろう。後に続いて貰えるように解放の意味を教えていこう。

「……俺よりも難題に挑むな……羨ましいよ」

 困ったように笑うコーマックは一応の理解を示してくれた。

「いいえ、私は貴方を尊敬するわ。コーマック」

 私の本心にコーマックは賛辞として受け入れ、何度も押し問答を繰り返した。

 解散の折、彼から個人的な質問がひとつだけあった。

「クローディアは幸せか?」

「ええ、とても」

 その質問こそ、本題であるように首相は満足していた。

 

 魔法省に戻れば、懐かしい顔を見る。元『偽の防衛呪文ならびに保護器具の発見ならびに没収局』の局長だったクララ=ディゴリー、その娘ハリエット=M=ディゴリーだ。

「クララ、久しぶり。どうしたの? 魔法省に来るなんて」

「ちょっと野暮用でね。魔法省大臣に会えるなんて、ラッキーだわ」

 親しい態度で挨拶した私にクララは同様も態度で返したが、ハリエットは恐縮した。

「お、お母さん……大臣になんて態度を……」

「いいのよ、ハリエット。私は今、休憩中だし、クララはお友達よ」

 更に恐縮し、ハリエットは畏まってしまった。

「すぐにわかるだろうから、言っておくわ。この子、ダームストラングへ入学するわ。私達もブルガリアへ住むのよ」

 とてもめでたい話だ。

「エイモスがよく許したわね」

「許してないわよ、けど……夫もブルガリアでの勤務が決まったから、反対しても無駄なのよ」

 忍び笑いを見せるクララに舅との気苦労が窺い知れる。ハリエットもそっと目を逸らした。

「ダームストラングへ行ったら、どんな授業だったか教えて貰えうかしら? 是非、参考にしたいわ」

「はい……じゃなくて……わかったわ、ハーマイオニーおばさん」

 必死に笑みを繕うハリエットへ私は無理なお願いをしたとちょっとだけ反省した。

 

 独占インタビューの載った【ザ・クィブラー】は発売日と同時に完売し、増刷を求めた抗議のフクロウ便がゼノを襲った。

 これを機に彼は編集長を引退。ルーナが全てを引き継いだ。責任ある立場に立ち、父親の苦労が身に沁みてわかったそうだ。

 私を含め、多くの人から事業拡大を望まれたが、ルーナは父親と同じ自分の意見を伝えたい人の為という形を貫いた。

 その活動は魔法界に認められ、この時代の愛読雑誌として後世に名を残した。

 

 『屋敷妖精』の解放。

 省内にハリーを始めとした賛同者はいたものの、想定以上に難航した。特に『屋敷妖精』を家に持つ魔法族の家庭から解任を要求する声は何度もあった。

 だが、『屋敷妖精』側からの心強い味方がいてくれた。

 理不尽な扱いから解放された経験を持つトビー、選択を求められたクリーチャー、そして、無理やり解雇さられた為に大切な主を失ったウィンキー。彼らが中心となり、同族を説得してくれたのだ。

 無論、反発はあったが、それ以上に若い世代の順応が早かった。彼のシリウス=ブラックに倣い『屋敷妖精』へと選択させた。その結果、仕え続けた者はいたが、自由を掴んだ者も確かにいた。

 

 私が退任した日。

 ホールの噴水にある像へ『屋敷妖精』が足されていた。

「彼らからの感謝の気持ちです」

 元上級補佐官であり、現魔法省大臣ローカン=スキャマンダーは悪戯が成功したように微笑む。本格的な改革にはまだまだ程遠いが、目に見える形となり私は心底、嬉しい。

 

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 箒やドラゴンで空を飛べるが、観覧車で一周する高揚感やジェットコースターならではの浮遊感を楽しめる。しかし、何も寒波の真っ最中に行列を作ってまで乗りたくない。

「いつ来ても、人が多い……。……あちらに去年はなかった物が……」

 人混みに不満そうな顔をしつつも、ヘレナはマーケットを漂う。幽霊である彼女はマグルに視えないが、スクイブかそれとも霊感のある人間がいるらしく、時折、驚いて腰を抜かす人を見かけるのだ。

 今日はまだヘレナを見て驚く人はいない。

「初めて来たけど、すごいじゃないか! こんなに立派な設備を数か月で撤去してしまうなんて勿体無いよ」

 代わりにセドリックが興奮し、目を輝かせて絶賛する。この巨大遊園地へ来たのは彼の提案だ。

 私の息子・史英ことウォーリー、ハリーの息子アルバス、ロンの娘ローズへ成人祝いだ。3人の誕生日は既に過ぎているが、セドリックは是非にと誘われたので有り難く受けた。

「期間限定だから、しょうがないさ。セドリック」

 電飾に彩られた周囲を見渡しながら、私はチュロスを齧る。手袋をしたままでは食べにくい。

「クローディア、手袋なんてして暑くないの? 今日はそこまで寒くないだろう?」

「……私もそう思っていたところさ、ロン。皆は何処行った?」

 遊園地の敷地内に着いた途端、勝手に解散して各々好きな場所へ行ってしまった。

 私達3人、否4人はとりあえず、空腹を満たしにフードコートをうろつく。

「ジョージはフレッドとマーケットを制覇するとか言ったきり、ありゃあ当分、戻ってこないな。子供達なら、さっきローラーコースターに並んでいるのを見たよ。ヒューゴも連れてくれば良かったのに……、折角のローズのお祝いがハリエットのお守りに……」

 流石はロン、何処で誰が何をしているかきちんと把握している。彼に来て貰えて本当に良かった。

「こんな良き日に小言とはな、ウィーズリー?」

 唐突に聞こえた声。

 驚いて私達が振り返るとドラコ=マルフォイがその息子スコーピウスと一緒にいた。

「ドラコ=マルフォイ! スコーピウスを連れて来てくれたんだね!」

「お誘いを感謝する。セドリック=ディゴリー、スコーピウスにマグルの遊覧施設を経験させるなど、私にはない発想だ」

「セドリック!? マルフォイも誘ってたの!?」

 親しげに握手を交わすセドリックとドラコを見て、ロンは驚愕して叫んだ。

「スコーピウス、久しぶり。相変わらず、お父さんソックリの顔……けど、中身は違うって言われるだろ?」

「はい、よく言われます。アルバス達はもう遊んでいますか?」

 丁寧に1人1人へと挨拶し、スコーピウスは周囲を見渡してアルバスを探す。

「クローディア、知ってたの!?」

 知らなかったが、ここは来たい者が来れる遊園地。魔法族のマルフォイ家が来ても不思議はない。ただ、少しだけ吃驚した。しかし、高級そうな防寒具が一般人とはかけ離れた雰囲気を醸し出す。

「ちょっと目立つよ、それさ。マグルの世界に明るいんじゃなかった?」

「父上に比べれば……という事ならば明るいとも。こういう場所には不慣れでね、大体はセオドールに任せている。……そうか、あいつに助言を求めれば良かったか……」

「父さん、僕はアルバスの意見を聞こうって言ったはずなんですけどね」

 呆れたスコーピウスにドラコは殊更、おかしそうに微笑んだ。

「ヘレナ、案内してあげて」

 私に頼まれ、ヘレナは渋々スコーピウスをアルバス達のいる行列へと連れて行った。

「ところで、入りはしたが遊び方がわからない。ご教授願えるかな?」

「おまえがちゃんと入れた事が奇跡だよ。……しょうがないなあ、僕らから離れるなよ」

「この面子で出歩くのって、初めてだ。すごくワクワクしてきた。写真撮っていい? 友達からデジカメを貰ったんだ。ロン、マグルに詳しいから使えるよね?」

 純粋に問うセドリックへロンは期待に答えようと、初めて触る機種に戸惑う。それをドラコは忍び笑いで眺めた。

「私が使うのと同じメーカーだな。ロンが良ければ、私に使わせて貰えないか?」

 親しみの籠った邪悪な笑顔、ロンが悔しそうにドラコへ差し出した。

「私はここで待っている」

 奇妙な組み合わせの3人を眺め、私はそう叫ぶ。ロンは手を振って答えた。

 適当なベンチに腰掛け、私は食べかけのチュロスを食べ切った。

 すっかりっと恒例になった遊園地。

 私はしばらく、ここには来られない。だから、この光景を写真や映像ではなく目に焼き付けておきたい。

「お独りですか? マダム。一緒にホットワインはいかが?」

 独り、ヘレナも離れて本当に独りだと実感した。

「残念だが、家族と来ています」

 私は出来るだけ、愛想よく笑い左手の薬指を見せる。しかし、その相手を目にして一瞬、我が目を疑った。

「ロジャー=ディビーズ……!」

 最後に見た時はセドリックとクララの結婚式。参列していたミム=フォーセットから、ロジャーはマグルの世界に進み、マグルの教師になったという話を聞いた。

「本当に久しぶり……懐かしいくらい……え? ひょっとして毎年此処にいた?」

「君、毎年ここに来ているの? それは知らなかった。去年、初めて来たけど会わなかったよ」

 整った顔つきはより精悍さを増し、人当たりの良い性格が滲み出ている。

「今日、来たのはセドリックから聞いてね。……噂で聞いただけだが、君が長い旅に出ると……。その前にどうしても一度、会いたかった」

 隣に座ったロジャーは沈痛な表情で私を見やる。魔法界の噂とは情報の正確さはともかく、拡散が早い。

 クラウチJr.を探す旅。私に逮捕の権限はないが貢献は出来る。何年かかろうとも、必ず追い詰めるのだ。かつて、1人の男に同じ誓いを立てたが果たせなかった。

 今度こそ、成し遂げなければならない。長い旅といえば、確かにそう言えるだろう。

 彼は私の身を案じ、直接、会おうと思ったのだろう。

「ああ、そうさ。息子も成人したし、夫も理解してくれた。ヘレナも一緒に憑いて来てくれる。何の問題もない」

 その為に皆の協力を得ながら、着々と準備を進めて来た。

「君が危険に晒される。それが問題だ……けど、君は行くんだろう」

 言葉以上に籠った決意を沈黙で答えた。

 知らずと私は拳を握る力が強くなる。その手にロジャーはそっと手を添えた。

「クローディア……どうか……良い旅路があらん事を」

 旅の無事を祈っているようで永遠の別れを覚悟するような想いを感じ取る。私に言えたのはその気持ちへの感謝の言葉だけだ。

 ロジャーと飲んだホットワインは暖かいが、門出には持って来いの味だった。

 

 

 グリモールド・プレイス十二番地にあるポッター家。

 この屋敷で目を覚ますのは何度目になるだろう。そんな感傷に浸りながら、荷物を漁る。普段は実家の神棚に飾られたバジリスクの牙、それを加工した短剣だ。

 私は今日、発つつもりだ。その前に短剣を史英に渡したい。彼はずっと欲しがっていた。成人の誕生日に贈ろうとしたが、ジョージに「物騒だ!」阻止された。

 これまでも渡し方を変えようとしたが、いつも夫に先回りされる。

 おそらく、旅に持って行けと言いたいのだろう。

「旅立つ人からの餞別にしては物騒だと私も思います」

 ヘレナにまで反対され、私は苦笑する。

 まだ寝台で鼾を掻くジョージを尻目に短剣を指先で弄びながら、厨房へ降りる。まだ太陽も出ぬ時間、誰もいない。冷蔵庫から冷えたカボチャジュースを拝借した時、階段を降りて来る足音が聞こえた。

 寝間着姿のアルバスだ。

「おばさん、どうしてここに?」

「こっちの台詞なんだけどさ……ちょっと飲み物をね……」

 カボチャジュースを勧め、アルバスも飲む。彼はハリーによく似ている。見目も性格もだ。穏やかで控え目だが、好奇心もあり時に大切な人の為ならば大胆な行動を取れる。それで史英は何度も救われた。

 史英はまるで週刊少年漫画のように戦いに明け暮れ、疲労困憊で帰宅した事が何度もある。心が荒んでいく様子が手に取るようにわかった。

 反抗期というより、反逆の意思で対立した事もあった。

 そんな史英の心をアルバスは枯れ果てた大地へ水を捧げように、潤わせてくれた。

 不意に記憶が刺激され、蘇る。

 この場所でシリウスは『不死鳥の騎士団』創設メンバーの写真を託した。きっと、今の私のような気持だったのかもしれない。否、違う気がしてきた。もう随分と昔の話故、記憶の食い違いもあるだろう。

 ともあれ、彼に倣うとしよう。

「アルバス、見せたい物がある」

 声をかけられたアルバスは素直にカップを置き姿勢を正す。年長者の話を聞く態度になる。彼の目の前に短剣を置いた。

「神棚に飾ってある……ええと何とかの牙」

「その通り、これはバジリスクの牙さ。サラザール=スリザリンがホグワーツ城に『秘密の部屋』へ封じ込め、トム=リドルが『嘆きのマートル』を殺させ、私とハーマイオニーを含めた生徒を石化させた。それをハリーがグリフィンドールの剣で倒した。そのバジリスクの牙をセシルが剣にしてくれた」

 私は主観で剣の謂れを話す。

 ヴォルデモートの忠実な部下だったクィリナス=クィレルに止めを刺した部分も隠さず、話した。

 何かに憐れむような切ない表情で、アルバスは短剣に見入った。

「これを……ウォーリーに渡して欲しい。渡すべき時はアルバスに任せる」

 唐突な願いに彼は当然のように変な声を上げ、聞き返してきた。

「ぼ……僕がですか? けど、おばさんから渡した方が……」

「私は親馬鹿だからさ、渡す時期を間違えるかもしれない。だから、アルバスに頼りたい」

 指先で短剣を押し、アルバスが受け取ってくれるのを待つ。彼は私と短剣を交互に見つめて感慨深く受け取った。

「……僕、ハリエットが好きです。この気持ちを伝えます」

 意外な告白の決意を聞かされ、私は驚きよりも嬉しさが増す。ハリエットは贔屓目にみてもとても良い子だ。

「それはとても素敵な事だ」

 私の率直な感想にアルバスは照れくさそうに笑った。

 部屋に戻り、身支度を整える。ハーマイオニーが選別してくれた旅の必需品が入った鞄は傍から見れば、ただの旅行鞄だ。

「準備はいい?」

 寂しげに眉を寄せ、ジョージは微笑む。

「勿論さ」

 夫に手を引かれ、廊下へ出ればまだ寝間着姿のジニーがいる。

「朝食は食べて行かないのね。今朝は私が当番なのよ」

「魔女の旅立ちは夜明け前が良いのさ、ジニーの手料理は次の機会に取っておく」

 不服そうな顔をしたジニーと別れの抱擁を交わした。

 玄関の戸を開ける前に階段を見上げる。子供達はまだ眠っている。アルバスは起きているかもしれないが、見送らないほうが良いと判断したのだろう。

 ハリーとハーマイオニーは魔法省で急ぎの案件があり、徹夜中。ロンはすぐに会えるから見送らないと来たもんだ。

 寂しくないと言えば、嘘になる。

 扉の向こうは冷たい風が容赦なく肌を襲う。雪の積った道路はハグリッドがヒッポグリフのバックビークを連れていた。

「ありがとう、ハグリッド」

「良いんだ、バックビークも歳だからなあ。最近は運動不足でいけねえ。ホグワーツは狭すぎるみてえだ。だから、好きに飛ばしてやってくれ」

 ハグリッドも知らなかったが、晩年のヒッポグリフは己の最期に相応しい場所を求めて飛ぶのだそうだ。私と共に世界を駆け、その果てがホグワーツかもしれない。そうなればいいと優しき半巨人は思っているのだろう。

「バックビーク、これからよろしく」

 旅の共になるバックビークへお辞儀し、私が危険ではなく友好的だと知らしめる。値踏みするような視線を受けたが、老いても気高い背を向けてくれた。

 遠慮なく跨り、手綱を握った。

「行ってきます」

 飛行用ゴーグルをかけて皆に手を振る。玄関から見送るジョージとジニー、目の前のハグリッド。視界の隅で窓を意識すれば、ジェームズとアルバスとリリー、そして史英がこちらを見ていた。

「行こう、バックビーク!」

 バックビークの呼吸を聞き、飛べる感覚に合わせて手綱を引く。見事な羽根を広げ、蹄で地面を蹴った。

 ひとつ羽ばたく毎に空が近づき、街の灯火が離れていく。気づけば、追いかけて来る気配を感じた。

 振り返った時、私達は箒に乗った魔法使いに追い抜かれた。

 並の箒ではバックビークに追いつけない。そう、電光石火の如き箒『ファイアボルト』でもなければ不可能だ。

「ハリー!」

 乗り手のハリーは悪戯が成功したように笑い、私の後ろを指差す。もう一度振り返れば、トルコ石色の空飛ぶ車が壊れそうなエンジン音を立てて追いかけて来る。ロンとハーマイオニーが窓から手を振ってきた。

 こんな見送りの仕方に感極まり、目に涙が溜まる。

 地平線の向こうから朝日が昇って来る。いよいよ雲へ突入となった時、ハリーは速度を緩めて空中で静止した。彼らとは此処でお別れだ。

 雲を突き抜けた先で私を見送る視線も完全に消えた。

「こういうのを粋って奴なんでしょうね」

 翼の音が規則正しくなってきた頃、ヘレナは見送ってくれた人々への称賛を込めた。

「成し遂げて帰ろう、ヘレナ」

 一先ずは最後にクラウチJr.の目撃情報があったルーマニアを目指した。

 

 ――私が如何にして旅を終えたかは【ザ・クィブラー】にて語るとしよう――




 噴水の像は勝手に想像しました。
 原作8巻にて厨房はハリーが使うとあり、フリルの着いたエプロン姿を勝手に想像しました(すみません)。彼の作る料理は美味しいに決まっている(確信)。
 ドラコがスマホやデジカメラを使うのは、とある用事で街を歩いた際に街頭TVで本物の呪いの道具をマグルが所有し、骨董品だと紹介している番組を発見した為です。番組を視聴するために購入し、インターネットで探すようになりました(現地に行って調べるのはセオドールとピッパ)。
 『屋敷しもべ妖精』が魔法族に服従する理由は勝手に推測しました。映画で公式に説明されたら、修正します。
 ハーマイオニーの後、魔法省になるのは誰かと考えたら、スキャマンダーの双子だと勝手に希望しました。
 ヒッポグリフが最期の場所を求めるのも、勝手な付け足しです。
 
●ペネロピー=クリアウォーター
 原作2巻にて石化された監督生。後にパーシーと交際し、卒業と共に終わった。
 コーマックの秘書である。
●ハリエット=マートル=ディゴリー
 史英より3歳下、ハーマイオニーをおばさまと呼んで慕う。ダームストラング専門学校へ入学。アルバスとの関係は皆さんの想像にお任せします。
 名付け親ビクトール=クラム。
●セドリック=ディゴリー
 原作4巻にて死亡。
 ビクトールの勧めとハリエットの意志を汲み、家族でブルガリアへ移住する。実家(主に父)からの干渉が減り、クララが元気になった為、良い判断だったと痛感する。
●ロジャー=ディビーズ
 原作3巻の「ディビーズ」は彼の事だと思う。フラー=デラクールがダンスの相手と認めるイケメン。その後、彼がいろんな女子にアプローチしだしたのはこれがきっかけだったかもしれないと最近思います。
●ミム=フォーセット
 原作4巻にて、年齢線を越えてお婆ちゃんにされた女子生徒。
 きっと元気にやっている。

「こうして、私達は出会う」は完結です。
 こんな勝手な改変をしたお話でしたが、ここまで閲覧して下さり本当にありがとうございます(土下座)。 

 
 
 
 


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