Armored Core farbeyond Aleph (K-Knot)
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序章
激突


国家解体戦争、リンクス戦争を経て、今回の人類に希望は持てなくなった。

 

リンクス戦争の影響で『素養の持ち主』がロシア・ムルマンスクにて誕生。

『黒い鳥』への期待が高まる。

 

次の戦争の中心は彼になるだろう。

 

どちらにせよ、処分は決まっている。

引き続き、建設を進めていく。

 

 

 

 

CE(Company Era)15年、混沌の極みを迎えた世界も、支配者たる企業のうちの二つが崩壊することによりようやくその混乱は収束に向かっていった。

 

そして……

 

二機の人型機動兵器が、焼き尽くされた街の上で力の代償に死をもたらす粒子を撒き散らしながらぶつかり合っている。

 

防御を捨てる代わりに機動力を重視し右腕にレーザーライフル、左腕にレーザーブレードを装着し、

その装甲に幾重もの傷を帯びながらもなお、それを感じさせぬ動きをするその機体の名は「ルブニール」という。

「帰る、戻る」を意味するその名前は、あるコロニーの大切な人の元へ、何があっても必ず戻ることを誓って付けられた名前だった。

 

対するは、ルブニールよりも一回り巨大であるのにも関わらず瞬間瞬間に瞬くように消えてしまうかのような動きをし、

さらには右腕にその一撃一撃があらゆる装甲を消し飛ばすであろう威力を持つ五連ガトリングを装備した「アレサ」と研究者達に呼ばれる機体である。

ルブニールを駆る男の名前をマグナス・バッティ・カーティス、アレサを操る男の名前をジョシュア・オブライエンといった。

 

二人はこの混沌の時代を切り開く力を持った傭兵だった。

単機で巨大兵器を駆逐し、企業を崩壊させ、そして、他の傭兵を倒していった。

 

なぜ、二人は強い?

それはたった一つの簡単な、それでいて人が獣だった頃から持っていた一番強力な強くなる為の動機であった。

 

大切な物を、人を、守るためである。

 

だが、守るための戈であるこの鋼鉄の巨人はただそこにあるだけで死を平等にその地に与え、そして二人は強すぎた。

そう、強すぎたのだ。

「弱者」の不安となってしまうほどに。

そして二人は互いに殺し合うことになった。

「弱者」はその二人が一遍にに消えてくれる事を望んだのだ。

そうすれば不安はなくなるから。怖いものはもうないから。他の怖いものは、ほとんど全部二人が消してくれたから。

 

強者の敵は、弱者の群れだった。

 

 

 

 

「グウゥ!マギー!もう、もう……!」

目の前に激痛と共に閃光が走りこみ上げる吐き気を抑えながら絞り出すようにジョシュアは言う。

もう、終わりなのだ。このアレサに勝てる機体は存在しない。その上パイロットは自分だ。尊大な驕りでもなんでもなく、今までの経験から自分が強いということは分かっている。

ここでマグナスを殺してそして自分はその代償にこの機体に命を吸われる。アレサは一時の究極の力の対価として搭乗者の命を使う悪魔でもあった。

だがそれも当然の事。意思を持つ一人の人間が誰も敵わない力を手にすることは危険でしかない。ここで共に死ぬのはせめてもの友への思いやりであった、

 

五連ガトリングが火を噴く。

ルヴニールは辛うじて直撃を避けてはいるが、しかし装甲はガリガリと削れていく。

それでも左腕のレーザーライフルの射線に入らぬように立ち回るマグナスはさすがの腕であった。

だが…

 

「…!」

機体性能の差がもろに出てしまったのか、明らかにルヴニールより遅くだしたはずのアレサのクイックブーストはすぐにルヴニールに追いつき、相対速度が0となった。

同時に放たれたレーザーライフルの火が右足を貫く。

 

「!?がああああああああああああああ!」

機体からフィードバックされてくる損傷度合が脳内を情報爆発として駆け巡る。

魂からの叫びを出すのはいつ以来だろうか。

ひと昔前、自分の機体の全てを圧倒する人型兵器に斬られた時だったか。

ああ、自分は負けたのだ、

これでもう自分たちの時代は終わりなのだ、と達観しながら。

 

…何故あのとき、生き残ったというのだろう。

最早自分の飛ぶ空すらも奪われた烏が。

自分が唯一の敗北を喫した時の戦闘を走馬灯に見ながらマグナスは二度目の敗北、そして死を受け入れようとしていた。

 

が。

 

(負けるわけにはいかない!今、俺が死ねば…フィオナ…!お前は…!)

 

「ぐっ、うおおおおおおおおお!」

性能で絶対に敵わない敵に負ける。

同じだったはずだ。あの時と。

だが、背負ってるものの違いが叫びとなって出た。マグナスは生きたい。ジョシュアは死にたい。そこには僅かだが確かな違いがあった。

瞬間、右足を失い前のめりに倒れゆく機体に無意識にオーバードブーストを着火した。

視界に火花が散り、放ったグレネードとミサイルはアレサの足元に着弾、砂を巻き上げる。

 

 

「最後にやけっぱちとはな!マギー!」

砂煙の向こうから聞こえる突撃音、死を覚悟した者が出す魂の圧力。

目的は間違い無くブレードでの一撃だろう。

右腕のガトリングでそれを受け止めて、コジマキャノンで撃ち抜けばそれで終わりだ。

 

そしてジョシュアの予想通り、左腕のブレードが突き出され…なかった。

 

右腕を盾にしたアレサをかいくぐりルヴニールは右腕のレーザーライフルを突き出した。

一瞬の動揺がジョシュアに身震いとなってあらわれる。

 

(!、だがこの距離でレーザーライフルに何が出来るというのだ!どちらにしろ足を失ってるんだ!もう終わりだ!)

だがそれは間違いだった。

最後にジョシュアが見た物は、サイドブースターにライフルを突っ込み、ジェネレータを撃ち抜くルヴニールの姿だった。

 

その後そこに残っていたのは蹂躙された街の上で追悼するかのように俯く巨大な機体のみであった。

そこにはもう生物と呼べるものはいなかった。

僅かに生き残った人も動物も死の粒子から逃げてどこかへ消えていった。

 

そして誰もいなくなった。



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新たな自分

春。

とある企業管理下の町の桜並木のそばに立つ喫茶店にて、悩ましげな息を吐く少女の姿があった。

年のころは十代後半くらいであろうか。

コーンフラワーブルーの瞳に黒い髪、そして未だ成長途中の瑞々しい肢体は伸びやかで美しい。

筋が通ったように整った鼻の傍で黄金比を描く配置にある目は切れ長で目じりのまつ毛と目立たない二重が目の語る感情を彩る。

一見するとその瞳は誰も寄せ付けないような冷たさを放っているようで、その内に燻るような熱があった。

きりっと結ばれた可愛らしい桜色のほんのり厚い唇は、先ほどから少し開いてはぬるい溜息を出していた。

黒髪の美少女がはらりはらりと舞い散る桜の下で溜息をこぼす姿というのはただそれだけで絵になる。

しかし、誰が見ても美しいこの少女が何を悩むというのか。

やはりこの年頃にありがちな色恋の沙汰であろうか。

なんとも、このような美少女を捕まえてそのような悩みは不釣合いではないか。

 

だとしたら、この少女はいったい何に悩むのであろうか?

 

 

17歳の少女、セレン・ヘイズは悩んでいた。

セレン・ヘイズはレオーネメカニカという企業に所属する霞スミカというリンクスのクローンであり、

その霞スミカのネクスト「シリエジオ」をクローンである自分が操りレオーネメカニカの最高戦力になるはず…だった。

 

だった、というのには紆余曲折ある。

 

そもそもの始まりは国家解体戦争にまで遡る。

非常に高いAMS適性と戦闘能力、そして非常によく出来た人間性から期待されていたリンクス・霞スミカはたったの五度の出撃でリンクスナンバー16を得る程の戦績を残したのはいいが、

国家解体戦争の最中にとある重病が発覚し引退せざるをえなくなった。

その後、霞スミカを横目に活躍を続けた同社のサー・マウロスクがリンクスナンバー9となりレオーネメカニカの最高戦力となったが、

この男、高飛車で傲岸不遜、反社会的で企業の言うことも全然聞かない上、元犯罪者といったように、少し…いやかなり性格的に問題があったのだ。少なくとも企業にとっては。

現状頼れるのは彼のみなのだが、そのような問題に加えて頼れるのがこの男しかいなかったということも企業内で密かに問題となり、結果、クローンとして新しく霞スミカを作ろうとしたのだ。

 

だが、高い技術を以てしても、完全なリンクスのコピーは困難を極めた。

受精していない健康な卵子から核を取り除き、そこに霞スミカの核を注入するだけ。

言ってみればクローンを作るというのはそれだけの行為なのに、何故かそこには寿命、健康度、AMS適性に極端な差があったのだ。

ようやく完全なコピーとなり得るクローンを得たときは既に32人目であった。

 

その後、レオーネメカニカの嫌な予感は的中し、15年後のリンクス戦争でサーは自分より強い相手に突っ込み哀れ水底に消えていった。

故・霞スミカのクローンを用意しておいて正解だった、と重役は胸をなで下ろした。

が、ほんの少し遅かった。

その時、クローン・霞スミカはまだ12歳。徹底した教育により、その年齢にしてはかなりの強さではあり、

何度かシリエジオ以外の機体に別名で搭乗させて戦場に出してみた折にはかなりの戦果を挙げてきた…が。

しかし霞スミカの強さには程遠い。

このまま出撃させて、レオーネメカニカは衰えたのかと思わせてはならないし、何よりも霞スミカでないと気付く者がいては倫理的にマズい。

そうして出し惜しみして育ててるうちにリンクス戦争は終結し、レオーネメカニカも他企業と合併してしまった。

 

そして非常にまずいことに「霞スミカは病死した」という事実が確かな情報としてどこからかリークしてしまったのだ。

このままシリエジオにクローンを乗せれば国際法と人道に反する「人クローンの生成」を行ったとして敵対企業は烈火のごとく叩くだろう。

それが原因で民衆からの信頼が落ちてしまっては最早その被害は筆舌に尽くしがたいものとなる。

自社の利益になればこそ続けてきたことだが、不利益となるのならば続ける理由はない。

 

こうして10年以上の歳月をかけた「霞スミカクローン生成」は中断せざるを得なくなり、

旧レオーネメカニカは同時に行っていた後進のリンクス育成に力を注ぐことになった。

 

彼女は霞スミカとなるために育てられたのに一度も霞スミカとして戦うこともないままその名前は抹消された。

セレン・ヘイズと名前を変え、当分は生きていける分のお金を掴まされ、お役ご免とばかりに16にして放り出されたクローン・霞スミカことセレンであった。

生かしてはいるもののその使い道を企業はまだ思いつかなかったのである。かといって閉じ込めてこれ以上の教育をしても無駄だった。

 

その後一年、セレンは好きなように生きてみようとしたが、そもそも霞スミカになるためにこれまで生きてきたのに突然好きなように生きろと言われても、

ある意味箱入り娘的に育てられてきた彼女は遊び方もガス抜きの仕方も知らない上、実際のところリンクスとしてはかなりの戦力となるので他の企業に渡られてはたまらないということで付けられた元レオーネメカニカ現インテリオルのやんわりとした監視・管理のついてる中で、好きに生きてみろというのが土台無理な話である。

色恋に走ろうにもそもそも関わる同年代の男を知らないので好きになる相手もいない。

彼女の容姿に惹かれ近寄ってくる不埒な男もいたが、回し蹴りをかましてやった。大体この見た目は自分の物では無いのにいくら褒められても頭に来るばかりだった。

全く管理のされてない場所でケーキ屋か何かで笑顔で働く自分…というものに多少憧れはするが空想の域をすぎないし、こんな状態では好きなように生きていけるはずもないというのもまた現実。

何よりも、「霞スミカ」となるために生まれ16年間育てられてきたのに突然放り出されてしまい、彼女のアイデンティティは空っぽ。

しかし、青春真っ盛りの16,17の少女としての彼女は熱く、熱く、確固たるアイデンティティを求めていたのであった。

 

 

 

 

とあるインテリオル管理下の街の喫茶店にて、話をする男女の姿があった。親子ほどは年が離れているだろうか、しかし二人は特に親子というわけでも明確な上下関係があるわけでもなさそうだった。

 

「そういうわけなんだ…どうしたらいい…」

セレンは顔を伏せながら16年間自分の教育をしてきたある種、親とも言えるかもしれない企業の男に尋ねていた。

 

「ふむ…お前はどうしたいのだ?」

 

「それがわからないから聞いてるんだ…」

企業の男は腕を組み、眉をしかめ息をついた。

彼は現インテリオルのリンクス養成所の教育係であり、セレンの教師でもあった。

そしてこの少女の処分について、「殺さなくても放っておけばいいだろう」とレオーネメカニカに提言したのも彼である。

もっとも、そんなことをセレンは知らないし、彼自身も特に深い理由などなかったのだが。

 

ジェルでオールバックに固められた髪、深い眉根の皴、洒落っ気のかけらもないメガネなどから分かる通り厳格な人物である。

だが、リンクスを育てるにあたって「戦場に送るのだからあまり感情移入するな」と言われてはいるものの、10年以上も教育してきたのだ。

小指の先ほどではあるが情もある。何よりこの人間らしい悩みを打ち明けているのが自分だというのも少し嬉しい気もする。ほんの少しだが。

 

五分ほど考えたあと、以前から頭にあったアイデアを思うままに話してみた。押し付けるのはよくないが何かしたいと本人が希望しているのならいいだろう。

 

「お前、リンクスを育ててみる気は無いか?その後オペレーターにでもなったらいい。いや、なれるかどうかもわからぬが…」

 

「育てる?オペレーター?」

 

「ああ、そうだ。俺がリンクス養成所の教師なのは知っての通りだ。そこから生徒一人を連れていけ。口利きはしてやる。

うまく教育できればリンクスになるかもしれん。そうすればその次はオペレーターとしての人生を始めることになる」

 

「出来るのか…?私に」

 

「白兵戦の基本から戦術の基礎知識、戦況報告、作戦立案、電子工学、もろもろ、全ての技術はお前に叩き込んだ。そのままオペレーターとしてもその知識をいかせば一流になれるはずだ、おそらくな」

 

「おそらく…?」

 

「努力次第ということだ。やってみるか」

セレンは思う。今までの霞スミカとしての自分の経験を活かしつつ、セレン・ヘイズとして生きて、熱くなれる可能性。

それは今までどんな男に言われた口説き文句よりセレンの心に響いた。

 

「やってみたい…やる!やらせてくれ…!」

 

「ふむ。じゃあ今から養成所に行くとするか」

男は鞄を手にとり会計に向かうときにふと気が付く。

セレンはココアとショートケーキを頼んでいた。

自分が教育していたときは毎日決まった時間に決まったものを摂取させていたため、好物なんて知らなかった。

この一年、うろうろしてる間に好みも出てきたのだろうか。

 

「じゃあ、養成所に向かうぞ」

 

「ああ!」

セレンがぎこちなくも自然な笑みをしながらついてくる。

この笑みもいつかは完璧に自然なものとなる日がくるのだろうか。

 

そういえば霞スミカの好物にココアとショートケーキなんてあっただろうか?

そもそも甘党でも無かった気がする。

 

(もうこいつは霞スミカではなく、セレン・ヘイズとして歩み始めているのか)

そう思った時、男は胸のうちに感じたことのない感覚がほんの少し湧き上がり、また消えていくのを感じた。

エリート至上主義な上、独身で孤独な男には縁の無いものであったが、それは親心と呼ばれるものだった。

 

 



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逢魔

「着いたぞ。ここが養成所の寮だ」

今は時期的に授業はなかったので寮につれてくることとなった。

 

「ここにいるのは言わば一年生だな。とりあえずリンクスとして必要とされる身体能力、頭脳を持った者達がいる。AMS適性検査やリンクスとしての教育はまだだ。これから一年はリンクスではなく、兵士、傭兵として必要な教育を施した後にAMS適性検査をし、一定以上有しているものはリンクスとして、そうでないものは普通の兵士として教育していく」

 

ここにいるのはリンクス志望もそうだが、兵士を志す者達であり、言うなればリンクス養成所というよりは兵士学校なのである。

ここからリンクスになる者もいれば、優れた頭脳を見出されキャリアの道へと進む者もいる。

セレンのように最初からAMS適性があると分かっている訳ではない者が大量にいることを考えれば効率的なカリキュラムだった。

 

「誰か気になる者はいるか?」

 

「と、言われてもな…」

セレンは目を細めながら寮の中を見て回った。

年も性別もバラバラだが、おおよそ十代の子供のようだ。

この世界の宗主たる企業に就職出来る者は一握りのエリートだ。もちろんセレンの隣に立つ男も書面上のスペックはほぼ完璧と言っていいい。

戦争が終わった今、そんな企業に所属する私兵になるために、子供たちがここを選択し親がそれを了承するのも分からない話では無かった。

 

そんな人間が多数集まっていれば凡才も天才も見ただけではまず分からないだろう。

 

「別に見たからと言って見た目で才能がわかるわけでも…ん?」

だが、その時セレンはある視線を感じてそちらを振り返った。だが視線など向けられるのは慣れているはず。

 

今そっち側から感じたのはもっと大きくてざらざらとした…そう、まるで殺気のようだった。

 

そこにいたのは小さな子供だった。

 

少々癖のある赤茶けた色の髪の毛が独特の斑紋を持つ眼にかかり、鼻の頭が少し赤いほっそりとした体にダボダボの服を着た背の低めの少年がこちらを驚くように見ていたのだ。

というよりも驚くという表現を通り越して青天の霹靂という顔をしている。

首には白く機械的な首輪が付いておりそこにはNo.24と刻まれていた。

その独特の同心円状の斑紋を持つ眼に何故だか見覚えがあるような…ないような…。やっぱり、ない。

 

「……」

 

「……?」

 

 

それがこの後の世界を変える少年と少女の出会いだった。

 

 

 

「なんだ?私に何か用か?」

聞こえてはいるのだろう、眼をうごかしたり手を動かしたりしてはいたが、少年の口から答えが返ってくることはなかった。

 

「…?なんだ?この子供は?」

 

「24か」

男は手持ちのデバイスで情報検索をする。まだ入って数日しか経っていないのだ。それが誰なのか分からなくても当然だろう。

 

「ああ、名前はガロア・A・ヴェデット。年は14だな。身体スペックはまぁ…………甘く評価して普通だな。だが頭脳は素晴らしく優れている。そして…」

 

「そして?」

 

「発話障害だ。喋れないんだよNo.24は。言葉はわかるらしいがな」

 

「…そうなのか…」

先ほどの質問に答えなかった理由はそれか。

年よりも若く…いや、幼く見える。

14、15といえば、高校生になろうという年だというのに、小学生と言っても通じそうな体格である。

しかし、喋れないのにリンクスになろうというのは…随分ぶっ飛んだ考えのような気もする。

まぁとにかく、喋れないなら質問を変えればいい。

 

「お前、私に見覚えでもあるのか?あるなら頷いてくれ。ないなら首を横に振ってくれ」

初対面の人間に対する言葉づかいとして正しいとは言い難い刺々しい言葉を投げかける。

しかしガロアという名の少年は固まったまま動かなかった。というよりは彼の中の適切な回答はyes/noの1と0で表現できるものでなかったかのような印象を受ける。

 

「…??どっちなんだ…」

わけのわからない一連の行動に混乱しながら、しかしセレンは少しずつこの子に興味を持っていった。

袖ふれあうも…という奴とは少し違うかもしれないが、この先歩き回ってもこの子以上に興味を寄せられる子がいるとは思えない。

 

「私はこの子供にしてみようと思う」

 

「いいのか?頭脳は優秀とは言ったが、そもそも頭脳も身体能力も優秀な奴がなるのがリンクスだ。

去年リンクスになったウィン・D・ファンションはやはり頭脳身体能力共に並ぶ者がいないほどだった。つまるところ、このガロア・A・ヴェデットは落ちこぼれだ。しかも喋れないのだぞ」

 

「だが、そういう出来の良い奴らを集めても全員がリンクスになれるわけではないのだろう?つまりはその前提がどこか間違ってるのかもしれん」

 

セレンは着ていたベージュのコートを翻しガロアに歩み寄り少し前屈みになって話かけた。

 

「私の名前はセレン・ヘイズ。元リンクスだ。これから新しいリンクスを育てようと探していたところだ。よければ私についてこないか?ここにいてうまくいくとは限らないし、私についてきてうまくいくとも限らないが…どうだ?」

今までそんなものを作ったことなどほとんど無かったが、努めて優しい笑顔を作ってみせて、右手を差し出した。

元リンクスと言ったことに、この時になってから気が付いたが訂正する気にはなれなかった。

 

「……、…」

そしてガロアは、何故かを知る由はセレンにはないが、

まるで遠い昔の楽しかった出来事をふと思い出したかのような淡い笑みを浮かべた後、何かを悟ったようにその右手を握った。

 

 

 

二人はエアバスに乗ってセレンの現在の家の前まで来た。

 

公共エアラインステーションから徒歩五分。

近くにショッピングモールがありながらもそれを感じさせない静かで環境のいい住宅街に建つマンションの一室。

そこがセレンが一年前から借りている部屋だった。

4LDKで月18コーム。

しかもモデルルームだったので贅沢な家具もついていた。

たかだか17やそこらの少女が借りるには贅沢な部屋であったが、そもそもが圧倒的に常識の足りていないセレンはそれに気が付くこともない。

それに、まだまだ口座にはその1千倍程の金があるのだから。

 

「ここで今日からお前は私と過ごすことになる。まあお前の家にもなるんだ、好きなように過ごせ」

 

玄関に入り、洗ってない食器や袋に入りっぱなしの商品などでとっちらかったリビングで養成施設から自分の荷物をアタッシュケースに入れて持ってきたガロアを待たせて、

コートをリビングのソファに放り投げて自分の部屋を漁る。見つけたのは桜の花びらのキーホルダーのついた青いポケット電話だった。

 

ケータイショップを訪れた時に、常識がほとんど無いことを店員に見抜かれたセレンは、やれペアで買うとお得だの、やれ月々の支払いがやすくなるだの言われてついペアで買ってしまったが、

この時代のケータイは衛星を経由せず直接接続出来るため、月々の支払いなんてものはないし、今の時代に折りたたみ式のポケット電話なんて時代遅れも甚だしい。

機能も電話とメールその他のアクセサリと、最低限の機能しかないし、一人で二台持つ理由なんてこれっぽっちもない。

さらに言ってしまえば電話をかける相手なんていなかったため、電話帳には教師だった男しか登録されてない。

よくも騙したなと怒鳴り込むことなどできるわけもなく、意地になって使っていた電話だったがようやくその利用価値が見いだせそうだった。

 

散らかり放題の部屋を(セレンは整理整頓がからっきしだった)さらに散らかしながら待たせているガロアの元へと向かった。

 

「何かあった時はこれを使うといい。文章のやりとりも出来るし、緊急の時はコールをすれば居場所もわかる」

 

手渡されたポケット電話を不思議そうな様子で眺めるガロア。

どうもよくわかってないようだ。自分で言うのもなんだがこんな時代に携帯をしらない子供なんているのだろうか?

 

「字は読めるのだったな?…ここをこう、そうだ、そこに好きなように文字が入力できてだな…」

 

そこからは何もわかってないガロアに1から説明することになったが、元々セレンもほとんど使ってなかったことも手伝って、電話、メール(及び文字入力)、メモ帳、アラームの説明をするだけで小一時間かかってしまった。

 

「こんなところだ。これから好きなように使え。決して手放すなよ」

 

成し遂げたぜと言わんばかりの顔で鼻から特大の息を吹かしドヤ顔するセレンだったが、ガロアの方はと言うとその余りにもたどたどしい説明のかいあって怪訝な顔を向けている。

大体、各々のボタンについて機能がご丁寧に書いてあるのだ。教わらなくとも直ぐに覚えられただろう。

 

なんとも言えない雰囲気の中、セレンは震えながら少々下唇を噛み、気を取り直し話を続ける。

 

「…あの養成所では兵士としての統一された訓練と一般教養の授業を一年受けた後AMS適性診断を受けるらしい。そこからAMS適性の高さから順にふるいをかけていく。

効率よく優秀なリンクスを育てる方法らしいが、私はそうは思わない。AMS適性の高さがそのままリンクスとしての優秀さに直結するとは限らないからだ」

 

事実、現在アメリカを中心とした企業の一つGAでは「粗製」「ノーマルの相手が限界」と言われていたリンクスが名をあげてきている。

また、一定のAMS適性がなければ全く動かせなかったネクストも、少しでもAMS適性があればあらゆる手段を用いて動かせるようになってきており、

ある企業ではすでにAMS適性が皆無に等しいものがリンクスになるという研究を実用段階まで進めていた。

何よりも六年前のリンクス戦争に於いて世界のバランスをも崩壊させ恐れられたリンクスのAMS適性は劣悪だった。

 

「強いリンクスとは何か?それについてはこれから教えていく」

 

「だから明日、インテリオルのAMS研究施設に行きお前のAMS適性を計る。そこからお前にあった訓練をしていく。ここまではいいか?お前は、リンクスになる。それでいいんだな?」

 

自分はここまで饒舌だっただろうかとセレンは何故か顔を赤らめながらまくし立てる。

今までは教師である男が話してるのに適宜答えたり頷いたりするだけでよかったし、それ以外の人物とやり取りしたことなどほとんどない。

相手が話しているときは楽だが沈黙は苦手で、セレンは場が静まってしまうと、話すことが苦手なのにもかかわらず自分が話さずにはいられなくなるというナチュラルボーンコミュニケーション弱者だった。

今まで場が沈黙するという場面に出会ったことのない彼女が気が付かないのも無理はないが。

 

場が静かどころか話すことの出来ないガロアと彼女はこれからやっていけるのだろうか。

 

「……」

 

対するガロアは不服もないとばかりに頷く。喋れない人生でその首をそうやって動かす回数は普通の人間より遥かに多かったのだろう。

ぶかぶかのロングTシャツから頼りなさそうな胸板が見えた。

だがその割には不気味なほど存在感がある様な気もするし、雪のように薄いような気もする。

今まで出会ったどんな人間とも違う、この感覚は何だろうか。

 

 

(なんでこいつは普通にしてられるんだ…)

まるで自分ばかりが緊張しているみたいじゃないか、とセレンは少々不機嫌になるが実際その通りなのだからガロアに非はない。

 

(いきなり二人で暮らすのは大胆過ぎたかもしれない…いやいやしかし…)

頭の中で高速で不毛な事を悩みまくるセレン。

当然、その考えも緊張もガロアには全く理解されていない。

 

そうだ、そんなことよりも有ったはずだ。彼に聞くべき事が。

 

「なあ、お前はなぜあの時あんな眼で私を見た?」

 

知らない人がいるという好奇の目線ではなかった。

企業の役員共が頻繁に見学に来るあの施設では知らぬ顔など常の事だろうし、かといってセレンの七分咲きの桜のような可憐な容姿に惹きつけられた欲望混じりの視線でもなかった。

外に放り出されてから一年、そのような視線は散々向けられて慣れてしまった。

 

そのどれとも違う、あの眼。

あれは、そう、まるでこちらを見ながら何かを追憶するような…

 

ガロアは眼を左下に少々向け数瞬の戸惑いの後、その答えをポケット電話のメモ帳に書いた。

 

『霞スミカに似ていた』

 

その一文を読んだとき、彼女は運命というものを信じると同時に、自分がまだ『霞スミカ』という呪縛からまるで離れられていないことを悟った。

 

ガロアはただ、沈黙していた。

 

 

 

次の日、大型バイクの後ろにガロアを乗せ、ヘルメットを被せインテリオルの研究施設へ向かう。

バイクのタイヤにひっかかっては危ないので、ガロアのダボダボの服の袖と裾はピンで足首手首が見える長さで留めた。

 

とりあえず昨日は家にあった布団で寝かせたが近いうちにベッドなど必要な物も買わなければならないだろう。

だがガロアはその布団にくるまると驚くほど速やかに眠ってしまった。まるでそんな行動は慣れているかのようだった。

 

あの後様々な質問をしたが、結局まともな答は帰ってこなかった。

なぜ霞スミカを知っているのか?

お前のぶかぶかの服はなんなのか?

なんのためにリンクスになろうというのか?

家族はいないのか?

そのどれに対してもガンとして答えられない、言えない、だ。

 

的確な指示を出すために必要以上に踏み込むべきではない。

それがオペレーターとリンクスの関係だ。

そう考えるとここで答えが聞けなかったのはよかったのかも知れないが…

 

 

(…立派なリンクスになるための問題も山積みだ)

家での話が終わったあと、夕餉の時間を少々過ぎていたので近所のファミレスに向かった(セレンは料理ができない)が、

華奢な見た目に対してとんでもない量を食べるセレンに対し、細身な見た目の通りあまり食べなかったガロアの摂取カロリーは実にセレンの6分の1だ。

成長期なのだし、強い身体を作るためにも少しずつでも食べられるようにしていかなけれはならない。

 

などと物思いに耽ってる間に到着した。

バイクで飛ばして13分。覚束ない足取りで降りるガロアを見ながらセレンは乗っている間中ずっと腰に回されていたか細い腕の名残を感じていた。

 

そういえば、自分があんな風に誰かに頼られ寄り添われることなんて初めてだった。

 

 

昨日ガロアに伝えられたことがあり、それはどんなにAMS適性が低くても、あったのならばそのまま手術に移ってほしいということ。

その言葉を見てセレンはそれを承諾したが、たかだか14の少年が何を思ってそれほどまでに強い動機でリンクスになるというのか。

少なくとも企業に所属したいからあの場所にいたのではなかったのだろうな、ということくらいしか分からなかった。

 

受付に要件を伝え、速やかに手術に移る。

今日からガロアの首の後ろにネクストと繋がる為のジャックが埋め込まれる。

それは小さく目立つ物でもないが、普通の人間と違う存在になるという確実な証。

肩まで伸ばした髪に隠れて普段は見えないが、セレンにもしっかりついている。

今日、この手術が終わった瞬間からガロアはこの世で最高の兵器を操る修羅となるのだ。

 

数時間後。

 

「手術及び検査が終了致しました。どうぞこちらへ」

 

研究者の女性に案内され入室する。

診療台にはガロアが穏やかな顔で眠っている。

先じて、AMS適性が全くの皆無なら手術はいらないと伝えていたがどうやらAMS適性はあったらしく、手術はうまくいったようだ。

AMS適性がある者を一発で引き当てたこと自体がかなりの幸運なのだが、セレンはどうしてかこの子供にはあるだろうなと思っていた。

首にはリンクスとなった証のジャックが鈍く光っている。

暫くは麻酔で目を覚まさないだろう。

 

「こちらが検査結果です」

 

手渡されたボードに書かれている検査結果を見て驚愕する。

接続された機器との相互反応の高さ、微弱電流の耐性、脳波の波長etc,etc…それらを総合的に判断して出されるAMS適性の数値…

それはセレンが全く見たことのない数字だった。

 

「なんだこれは…!」

セレンは困惑と驚愕を綯い交ぜにした表情をしながら、研究者が想像したとおりの反応を返す。

 

「全て事実です。この数値は現在報告されている数値の中でも歴代二番目の高さとなります」

 

 

その声をどこか遠くに聞きながらセレンは震えていた。

理想的なリンクスであった霞スミカのクローンである自分の数値の高さも相当なものであったが、これはただ事ではない。

偶然か、その数値はセレンのそれの約6倍の値を叩き出していた。一口に言ってしまえば化け物だ。どれだけ負荷が重い兵器も想像通りに動かせてしまうだろう。

 

自分は何と出会ったのだろう?

 

 

「この数値にして、発話障害以外の問題もなし。ネクストなど、すぐに手足のごとく動かせるようになるでしょう」

AMS適性が低ければネクストはただの機械の塊のように、高ければ己が肉体のように反応する。

この数値ならばネクストは最早自分の新しい身体同然だろう。

 

「どうでしょう?こちらのガロア・A・ヴェデットさんを是非インテリオルに預けてみませんか?相応の見返りはします。元々は我々の施設にいたという話でもありますし」

セレンがどこかぼんやりとしている間にさりげなくとんでもないことを言われる。

 

「いや、こいつは私の手元で育てる。その提案は謹んで辞退させていただこう」

自分自身の首輪でもあるインテリオルの印象を悪くしないように丁寧に断る。とはいえ、自分を勝手な理由で生んで勝手な理由で捨てたインテリオルなど嫌いの一言だ。

むしろセレンは機会があったらいつでも関係を断ち切り完全な独立傭兵にしてしまうつもりだった。企業の飼い殺しのリンクスというものに対しての印象は自分にとっては最悪なのだ。

それがどれだけ教師だった男に迷惑をかけることになるかはまだ分かっていなかった。

 

その答えに対しまるで予想していたかのようにつらつらと定型文のような丁寧な言葉を返し、研究者は部屋から退出した。

 

 

(全く…とんでもない拾いものをしたものだ…やはり、落ちこぼれだのエリートだの、一方的な視点からの意見は信用ならんな)

この先に訪れる修羅道を夢にも見ぬ顔で眠るガロアのふんわりとした癖毛を指先で遊びながらセレンは一人ごちた。

昨日、弱酸性のぬるま湯に浸かり続けて溶けていくような生活に嫌気がさして教師だった男に相談したことが吉か凶なのかはまだ分からない。

しかし少なくとも自分の生活が新しく動きだした。

 

今日この日、途轍もないAMS適性を持つリンクスが生まれたことはインテリオル、ひいてはオーメルグループにすぐさま広がり、そしてスパイにより敵対するグループにも電撃のような速さで広まっていった。

 

 

そして次の日には名だたるスポンサーからセレンの家に贈り物が届いた。

将来強大な力を持つであろうリンクスに対して、心証をよくするための貢ぎ物に違いがなかったが、とくにその中でもリンクス専用シミュレーターは重用出来そうだった。

さらに次の日にはセレンとガロアの住むマンションの屋上にそのシミュレーター設備が一夜城の如く設立されたのであった。

 

そして激怒した大家により家賃も三割増しとなったのであった。

 

 

 



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首輪付きの獣

そこからセレンはつい先日までの悩みなどまるで無かったかのように熱心にガロアに指導した。

また、ガロアもその小さな身体のどこに熱源があるというのか、どこまでも一途にセレンについてきた。

 

ガロアはまったく他のことに気を取られることはなく、ただひたすらに指示されたことに打ち込んだ。

そして指示がなくば自分が習ったことをひたすら繰り返していた。

まるで誰かに戦う術を教わるの待っていたかのように静かに静かにその灼熱の魂を燃やし続けた。

 

指示をしたセレンすらもぞっとしたことだが、ただ機械のように打ち込むのではなく、その一つ一つに執念に近い熱量が籠もっていたのだ。

 

ある日、セレンはインテリオルからの呼び出しを受けて1日家を留守にした。

その間は好きなように過ごせとガロアに言い、外に出た。

 

すっかり日も暮れ、そろそろ日没後の時間より日の出の時間の方が短くなるという時間に帰宅したセレンは玄関で感じたこともないような圧力を感じ、

肩を抱きながら小さく悲鳴をあげその場にしゃがみこんでしまった。

 

何があったのだと、ガロアの部屋をのぞき込むと、

そこには幽鬼のようにギラギラと目を光らせながらこの前格闘術の一貫として教えた技の一つ、発勁をひたすら空間に向かって繰り返す上半身に何も纏わぬガロアの姿があった。

小さな痩せ細った身体から放たれる格闘術はまだまだ拙いものであったが…。

 

その姿に背筋も凍るような寒さを感じると同時にこの世の美しさの極地の精神を見た。

ただひたすらに何かに打ち込む姿というのはかくも美しい。

 

しかし、たかだか14,15の少年が精神も身体も何もかもを取り払って修練に打ち込む動機は如何なるものか。

 

しばらく呆けたようにその美しい姿に見とれたあと、明らかに脱水症状寸前の汗の量に気が付き慌てて止めた。

もし帰るのが遅れていたらこのまま死んでしまっていたのだろうか。

とんでもないことだ。

 

厳しく修行してやると開始前は意気込んではいたものの、その想像を遥かに越えてガロアは自分に厳しい。

 

想像すらしなかったことだが、セレンはこの日、自分の目の届かないところで訓練することを禁じた。

休憩も強くなるためには必要だと言ったところ素直に応じた。

大抵の休憩時には何をするでもなく目を瞑って椅子を漕いでるだけか、

何かを紙に書いているかだけだったのはそれはそれでどう対応していいかわからずセレンを困らせたが。

 

一人の時間を過ごすのが得意なガロアと、

誰かが同じ空間にいるのに静かだとそわそわしてしまうセレン。

二人が落ち着いて過ごせるようになるのはまだかかりそうだ。

歩幅を合わせるのはどちらからになるのだろうか。

 

 

 

 

 

一緒に暮らしているとわかることもある。

それはガロアとセレンが、いうなれば正反対の性格をしているということだ。

 

ある日セレンがとある用事のために、またまた家をしばらく空けた後に帰った昼過ぎ、家の中の雰囲気が違うことに気が付いた。

単独での訓練は禁じているはず…一体どうしたというのか。

 

リビングに入ってセレンは帰る部屋を間違えたと錯覚した。

それもそのはず、まず部屋の広さが違う。

部屋に差し込む光が違う。

そういえば買ってからほとんど履いていない玄関に散らかりっぱなしにしていた靴もすべて無くなっていた。

使って洗っていなかった食器だらけだったシンクは銀色に光り、その水道からは健康的な水が出てきそうだ。

そう、家が片付いていたのだ。

 

愕然としているとセレンの寝室からガロアが出てきた。

 

「お、お前これはどうしたことだ…」

油をさし忘れ続けた玩具のようにギギギ、とガロアのほうを向き尋ねる。

紅顔の少年がつい、と指さした方にはもともとは物置と化していた机。

そこには「掃除をした」と、薄く細い文字で一言。

 

 

本はジャンル順に本棚に並べられ、

食器は食器棚に皿は上、コップは下段、フォークスプーンは引き出しにおさめられている。

放りっぱなしであった服もコートなどは全てハンガーにかけられ、その他もキチンと畳まれタンスに入れられている。

 

ここからでは見えないが玄関のほうも、買ってから一、二回履いただけで出しっぱなしであった靴はすべて下駄箱に綺麗にしまわれ、

そのとなりの物置にはトイレットペーパーなどがしまわれていた。

 

どうもガロアは綺麗好きだったらしく、このとっちらかった空間が我慢ならなかったらしい。

そして爆発した。

 

「な、なんという…なんという…」

長年飼って人に慣れた金魚のように口をパクパクさせながら呆然としているセレンを見て、ガロアは何か自分はとんでもないミスをしたのかもしれないと思った。

 

「どれもこれも合理性に基づいておいてあったんだぞ!必要なものはすぐとれる場所に!着替えは飯の後にできるように机の横に!玄関の靴も、すぐに選べるように!し、寝室もか!?寝室もなのか!?」

一緒に暮らし始めてそろそろ四か月。

思春期の男子特有の勇み足による大きな間違いを犯すといったこともなく、静かで(当然だが)、一緒にいて無音でも安心できる奴だと思っていたのにここにきてやらかしてくれた。

一人でいたころは静かすぎて余り好きになれなかったが、新たな同居人が出来てからはその寂しさもなくなり完璧な自分の城になったと思っていたのに、どうやらそれは砂上の楼閣であったようだ。

 

 

(……………)

大騒ぎをするセレンをぼんやり見ながらここ三分の一年間のセレンをガロアは振り返っていた。

 

ゴミ捨てに行くのは気分が向いたとき。

皿洗いするのはもっと気分が向いたとき。

水道管の洗浄?何それ?

洗濯物はそのまま乾燥機にかけたらそのままそこらに放りっぱなし。

しかも靴下やストッキング、下着なども分けずに洗うので絡まり放題である。

買い物はほしいものをがっちゃがっちゃと適当にかごに入れて値段も見ずにレジへ。

日によってソファで寝たり洗濯物の中で寝たり。それを見てガロアは一緒に住み始めてからすぐに家事を買って出ていたのだったが…。

 

 

そう。

このセレン・ヘイズという女性にはまったく常識がない。

教官として、リンクスとしては優秀なのだろうが、それ以外の面は破綻しているといってよい。

最低限生きていけることしかしていないのだ。

風呂上がりに髪を乾かすことも寒い日以外はしない。

それでいてこの髪の艶を保てているのはリンクスだからか若さ故か。

 

「……」

ガロアは自分が九歳になるまで育ててくれた今はもうこの世にいないある人物のことを思い出していた。

あまり饒舌なほうではなく、愛情表現もとてもぎこちないものであった。

その上人と交わることが極端に苦手な人物だったがそれでも生きる術を教えてくれた。何よりも自分と一緒にいてくれた。

例え言葉に出すことはなくとも、いつもそれは心にある。ガロアは思い出の中の温もりを感じ目を細めた。

 

決して自分から語ることはないであろう。

その淡い温もりこそがリンクスになる動機であり、自分を殺して訓練に打ち込む不滅の動力源なのだということは。

 

 

セレンにはいろんなことを教わった。尊敬もしている。

今の自分ではリンクスとして敵う部分は何もないだろう。

リンクスとしては、だ。

この女性は変な人だとも思っていた。(もしもセレンがそれを知ったら激昂するだろう)

 

 

だからこそ、それ以外の常識は自分が寄り添って伝えていかなくてはならない…ような気がする。

それはこれまでここで暮らしてきて新たにガロアの中に生まれた思いであった。

 

どちらにせよ、無許可で部屋を掃除するのは自分勝手だが。

 

言葉を持たない自分が如何にして「正しい常識」を伝えられるか。

気を引き締め直し、筆談用の紙とペンを持ってセレンの方に歩んでいった。

 

それは難航を極めたのは語るべくもない。

 

 

 

 

出会いから半年。

 

朝から40kmのマラソンをし、午後には借りた運動場で倒れるまで組手をする予定だ。

いくらリンクスとしての才能があったとしても本質的には闘争であるその力は、身体が弱くては開花しようはずもない。

 

本当なら3時間以内で40kmを走破したいところだが途中で何度か気を失いその度に水をかけて叩き起こし5時間かけてようやく終える。

遅くなった昼飯は中々喉を通らないようだったが無理にでも詰め込み、少しの休憩を挟んで組手。

 

これがリンクスになることと何の関係があるのか、というのはセレンも小さい頃から身体を鍛えながら思ったものだ。

逃げ出そう、辞めようと思ったことも数えきれないくらいあったが、逃げる場所も無かったし辞めれば用無しだということも分かっていたので必死に食らいついていた。

 

ガロアにはそんな義務も無いし苦しければいつでもやめていいとも言ってある。

だが、何度倒れてもどれだけ怪我をしてもその眼には逃避の光が映らない。

 

肉体の限界に気力及ばず気を失い、叩き起こすがそれでも決して前に進むことをやめない。

目を覚ましてもその眼がすることと言えば自分はどうしていたのかと確認する事だけ。

辺りを見回してすぐにまた走り始める。こんなところで倒れていていいのか、と言う前に走り出している。

発破をかけなくてもすぐにエンジンがかかってしまう。

この執念は一体どこから来るのか。

 

休憩を終え、自分の3m手前に立たせる。

もう既に意志とは関係の無い限界が来ているようで立っているだけでフラついている。

 

だが確信している。この灼熱のような魂に肉体がついて行くようになったとき、この少年は前人未到の領域に達すると。だから今日も手は抜かない。

 

「……」

 

「敵と相対したとき、勝負が決するには三つの要素がある。体格と技術と気だ。体格はそのまま力と速さに繋がり、技術は肉体の可動限界や反射神経を逆手に取る理。

気はそれら二つが劣る相手を目の前にしたときに状況をひっくり返す機転を呼び起こす。ネクストの相手が務まるのがネクストだとして、有利な戦いばかりであるはずがない。

不利な相手もいるだろう、数で攻め立てられることも有りうる。ならばそこから逃げていけばいいのか。答は否だ。それで一流のリンクスになることはあり得ん。

敗色濃い相手にこそ冷静に立ち向かえる為の頭を作るには日々の鍛錬しかあり得ない。仮想現実の世界だけでなく、な。肉体の事柄をこれ以上口から語るのは無意味だろう。

口で教えるのも得手では無いからな…。来い」

 

 

「……」

肉体改造もはや半年。多少なりとも体格に変化が表れ始めたが、セレンは今この瞬間でしか学び取れないことを身体に叩き込むために組手を始めることにした。

女である自分よりもいずれは強く大きくなるであろうがその時になって技術を教え込むよりも今この瞬間にまだ自分では絶対に勝てない相手に向かっていく気概を教え込む必要がある。

 

「…!」

 

「甘い」

自分の呼吸の裏をかき飛びかかってきたのは驚いたが速さが無い。

軽く足払いするだけで受け身も取れずに転んでしまう。

 

「立…!」

まただ。

立て、と言おうとして息を飲む。

ギラギラと光るあの眼。足元もおぼつかない子供があのような眼が出来るものなのか?

自分でも少々やりすぎだと思うくらいにやっているが、ここ半年であの手負いの獣のような眼に気圧される事が何度もあった。

少なくとも都会でぬくぬくと育っている子供にあんな眼が出来るはずがない。

こいつはどこから来て、どこへ行こうとしているのか。

旧ロシアの片田舎で育ったということ以外には何も分かっていないし何も語らない。

 

「!」

 

倒れた姿勢から利き足への蹴りが放たれた。

 

「舐めるな」

体重が逆だったならそのまま倒れていたかもしれないが如何せん技術体格ともに差があり過ぎる。

蹴り脚を両足で挟みこみ投げ飛ばすとそのまま5mほど飛んで行ってバウンドした。

 

(やり過ぎたか…!)

 

「……!」

叩きつけられた衝撃で横隔膜がせり上がり肺から全ての空気が漏れ出て地獄の苦しみのはずだ。

だというのに一端中断して駆け寄ろうとした自分に向かって突進し思わず突き出した右腕を掴まれる。

 

(関節を取られた!?)

 

「ふっ!」

 

「……!…!」

反射的に指を取り、腕を外して背後に回り、一気に頸動脈を締め上げる。

数秒バタついていたが肉体の反応には逆らえずに失神した。

 

(少しだけ…本気を出してしまったか)

ぐったりと腕にぶら下がり気を失っているガロアの背中に軽く衝撃を与える。

とりあえず今日のところはこれで良しとしよう。そう思った。

 

ギロッ、という音が出ているのではないかという程血走っている眼がこちらを射抜く。

 

「くっ!?」

眼を覚ました瞬間に眉間の急所、烏兎への一撃。

やはり速いとはお世辞にも言えなかったが完全に虚を突かれ少しだけ額から血が流れる。

 

(なんて奴だ)

終わりを告げようとした瞬間にまたあの鬼気迫る眼がこちらを睨み一瞬身が竦んだ。

 

「……」

 

「…教えた急所は覚えているな?構わん、遠慮なく攻撃しろ。どうせまだお前では私は倒せん」

自分もかつて言われたように冷たく言いながら流れた額の血を舐める。

確かに体格は同い年の子供の中では最も恵まれていない部類に入るだろうし、技術も拙い。

だが、鍛え始め、シミュレータマシンに乗せて早半年。目にも止まらぬ速度で成長しているし何よりもこの気迫。

圧倒的に優っているはずの自分が何故か時々気迫で押されることがある。

間違いなくこの子は一流のリンクスに成れる。口にはしないが。しかし、どうしてこの年の子供がそんな気迫を宿しているのだろう。

一緒の生活を始めてすぐに気が付いたがその身体は既に傷だらけだった。虐待を受けたとかそういう傷では無い。どちらかといえば、常に厳しい環境に身を置いていたような傷だった。

 

「……」

 

(真っ直ぐ突っ込んでくるとは舐めてるのか…正中線狙いか…)

正中線上には人体の急所が集合しており、例え外れても身体のどこかに当たる可能性が高いため悪い判断ではない。

だがそれはあくまでもある程度の力があればこそだ。あの細腕で急所以外の所を衝かれたところで痛くもかゆくもない。

 

空を切る音が聞こえたが、それは人間の拳や脚を出した音では無かった。

 

「!!」

腰を落としどのような打撃もいなせる構えを取った瞬間に目の前が真っ白になった。

 

(シャツを投げたか!)

構えの移行をする瞬間の隙にそれを実行に移す才能。

肉体的にほとんど恵まれていないというのに呼吸の間をつくその才能だけは何故かある。

 

(どこに…!)

と探した一瞬に後ろから腕が伸びてきて首を絞め始める。

 

(身長で劣るのに裸締めか)

ぎりぎりと首を絞めつけられているのに冷静なのは、その締めが完全には決まっておらず気道は締まっているものの頸動脈を捉えられていないから。

 

「投ッ!」

頭から落ちないように腕を掴みながら前へと勢いをつけて飛び込み前転する。

二人分の体重を勢いと共に背中に受けたガロアは本日8度目の失神をした。

 

身体のバネを使って起き上がり、ガロアの顔を見る。今度こそ完全に気を失ったようだった。

 

「……!」

頬をやや強めにはるとすぐに眼を覚ました。

 

「今日はもう終わりだ。飯食って帰るぞ。ちゃんと休めよ」

 

「……」

こくりと頷くその顔には悔しさが滲んでいる。まさか勝つつもりだったのか?

 

「痛かったか?怖かったか?」

 

「……」

服を着ながら唇を噛みしめまた頷く。

そうか。あんな眼をしながらでも怖いものは怖いのか。

 

「それでいい。恐怖を知らん奴は戦場に出てもすぐに死ぬ。例えリンクスでもだ」

 

「……」

 

「…行くぞ」

既に血は止まっていたが一応額に絆創膏を貼り歩き出す。

一体この子はどこから来て何のために戦おうとしてどこへ行こうとしているのか。

その答がわかるのはまだまだずっと先のことだった。

 

 

 

 

 

大掃除事件からさらに八か月、出会いから一年。

 

シミュレーションでの戦闘回数が三桁に達したとき、とうとうセレンは一対一の勝負では勝てなくなった。

 

このシミュレーションマシーン内では大抵の既存の製品は登録されており好きなように組み合わせて使用することができる。

そして気に行った武装をまた現実で購入するのである。シミュレータといいつつもこれは良くできた広告マシーンでもある。

ちなみにシミュレータ内でその性能をそっと良くする、なんてことはどの企業もしない。

一応企業連法で決まっていることだし、そんなことで目先の利益を得たとしても詐欺まがいの会社だと噂が広がればそれは将来的に大きな損失につながる。

むしろ他の企業の製品の性能を書き換えて、その後の悪評で株価を暴落させ利益を得ようなんていうのはどこも考えることである。

つまりこのシミュレータは各企業が睨み合って出来たバランスの上に成り立っている奇跡の産物なのだ。

ちなみに登録されていない武装というのは自社の専属だけに渡す虎の子であったり、実験途中の兵器であったり、個人が勝手に改造したものなどがある。

 

このシミュレータに一番初めに接続したときはとりあえず武装は何も持たせずに、運動性能の良い機体を適当に選んで挙動だけを確認させた。

 

確認だけのつもりだったが、ガロアの駆る機体の歩行、旋回、浮遊…等々すべてがあまりにも人間臭く、肌が泡立つのを感じた。

指先の一つ、ブースターの一つにおけるまで本当に自分の身体のように扱うその様にAMS適性の差というのはこれほどまでにはっきりと表れるのかと、口にも表情にも出さずに驚いたものだった。

 

そうして10回目からはMTとノーマルを数機設定して武装は持たせず敵の攻撃を回避する訓練を開始した。

それぞれの企業がどのように教育を施すのかに興味はないが、セレンは回避こそが勝利において最も重要なファクターだと考えていた。

そもそもネクストが最強兵器と成り得たのは圧倒的な機動性と攻撃力の二つによる。

が、圧倒的な火力で敵を全滅させましたが機体もオシャカになりました、ではお話にならない。

だったら鈍重で頑丈な戦車に凶悪なキャノンでも積んでおけばよいのだ。

スピードで翻弄し強力な兵器で敵を蹂躙する。それがネクストであり、リンクスの目指すべきところであるのだ。

事実、スピードの遅いとされるタンク型のネクストでさえうまく動かせば平均時速は300km/hを切らない。

つまるところ、セレンの言いたいことは敵の攻撃を避け、自分は攻撃を当てろ。それだけだった。

それは戦いの基本でもあり勝利のための不変の真理でもあった。

 

そしてその要求にガロアは悉く答えてみせた。

敵の攻撃に当たらないどころではい。

射線の上にすら入らないのだ。

敵のカメラアイに入ることすらなかなか無かったのだ。

 

そしてその後行った武器を持たせた訓練でも、スピードに振り回されることなく冷静に敵を粉砕した。

 

訓練の数が50を超えたころからはセレンが相手をつとめた。

当初は全くセレンに敵わなかったガロアも、次第に白星をとるようになり、その中で自分の戦闘スタイルと武装を選び取っていった。

 

初めに戻るが、そしてシミュレーションでの戦闘回数が三桁に達したとき、とうとうセレンは一対一の勝負では勝てなくなった。

ただ負けるということではない。

ほとんど完封されるのである。

それも大抵は開始して30秒以内に機体を叩きのめされる。

自分も優秀なリンクス…のはず。

自信がなくなってくる。

自分の…シリエジオと一体何が違うというのか。

 

ガロアの駆る中量級高機動型ネクスト「アレフ・ゼロ」は中量級には少々重めなジェネレーターを搭載し多少の無理をしてもついてこれる機体となっている。

左手にインテリオル製のレーザーブレード、右手に今は崩壊したレイレナード製の大火力マシンガンを、そして左背部に有澤製の弾量重視のグレネードを、

右背部に技術力は企業中最低だといわれるテクノクラートの三連ロケットを積み、肩にはフラッシュロケットを搭載している。

メインブースターに空中での継戦を重視した物を使用し、FCSにはロック速度を重視した近距離~中距離高機動戦用の物をチューニングして使用している。

AMSが高すぎるお陰で無茶苦茶なチューニングもシミュレーション内のことだけではなく現実の物になるだろう。

 

機体構成から想像できる通り相手に空中で張り付きながら削っていき、隙あらば高火力を叩き込んでくる。

 

そう、それが分かっているのに全く対応ができないのがセレンが完封されている原因であった。

 

まず、戦いにおいての引き出しの多さが尋常ではない。

遠距離にいても大出力のジェネレータのお蔭ですぐに貼りつかれてしまう。

 

中距離で戦闘を仕掛けようものならマシンガンでガリガリとPAを削られたところをグレネードで一撃もらって轟沈する。

建物の陰に隠れていてもロケットで炙り出され、

近距離にいるならばふわふわと空中に浮きながらマシンガンをばらまいてると思えば唐突にそこにフラッシュロケットを混ぜてきて、

混乱しているところにブレードで微塵切りにされるか威力バカのロケットで木っ端微塵にされる。

 

ガロアの場を支配し自分の戦場に引きずり込む力はまさに圧倒的であった。

それに影響されてしまえばあっという間にすべてが終わる。

その全てに確かにセンスが感じられたが、それ以前に戦いや命の奪い合いという物にどこか慣れているような感じがした。

 

だが真に恐るべきはそこではない。

各武装に秘められた継戦能力と、相手を選ばない性能にこそ、その恐ろしさはあるのだ。

どの武装もネクストだけでなく、多数のMT・ノーマル、そして巨大兵器、どれにも対応でき、さらにはそこにネクストを交えた混戦かつ数では圧倒的に不利な状況になっても、

この組み合わせなら腕次第でひっくり返せる力を秘めた、恐ろしく理に敵った武装選択であった。

 

 

レイレナードのアーリヤの頭部とコア、

そしてアルゼブラの運動性能重視の腕、

積載量と消費ENを重視したインテリオルの脚部を用いた、やはりあらゆる状況に対応できる機体だ。

 

スタビライザーを見てみると、

肩にレイレナード、腕にローゼンタールの大型、尾羽を象徴するかのようなレッグバックにレイレナードの大型のものを一つ、

そして背には天使の翼のような大型のスタビライザーを装着している。

全身を闇に紛れる黒を基調とした色に染め抜いているが、背の天使の翼のような白く塗ったオーメル製スタビライザー、と全体的に何かの意志を表しているかのように見えた。

武装もバランスも典型的な前方突撃型となっている。

 

紅く光る頭部のカメラアイを持つ黒い機体が疾走する姿は悪魔のようにも天使のようにも見えた。それを見た時にふと何かのネクストを思いだしそうになったがすぐに忘れてしまった。

 

風変わりな機体名をそのまま象徴するエンブレムは、大きな0の上に鳥の羽と剣でアルファベットのNが描かれていた。

 

そのうち一対一では物足りなくなったのか、過去に存在したレイレナードやアクアビットのリンクスたちとシミュレータ内で多対一の戦闘を繰り広げるようになり、そしてそれにも勝利するようになっていった。

 

 

その姿を後ろから眺め、成長を喜びながらもセレンは仄暗い感情が本当に少しだけ、自分の内側に出てくるのを感じていた。

 

自分ならできただろうか。

あのままリンクスとして訓練をし続けて、自分ならここまでできるようになったのだろうか、と。

 



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the blossoming beelzebub

話すことが出来ないので知る者もいないが、ガロアは料理ができる。

彼はとある事情により同居者を亡くし10歳から14歳の半ばまで、即ちリンクス養成所に入るまで一人で暮らしていた。

どこでどうやってそういったスキルを身に着けたのかは不明だが家事洗濯料理、一通りはこなせる。

 

料理ができるという事実にセレンが気づいたのは一緒に暮らし始めてから八か月もたった日のことであった。

さらに詳しい事情を説明すると、その八か月間ずっと外食で済ませていたということでもあるのだが。

 

実は大の甘党であるセレンは、よく訪れる飲食店のホットケーキのクリームの量もシロップの量も焼き加減もイマイチ気に入っていなかった。

一番気に入ってるホットケーキの店は家から30分はかかる上、スイーツ専門店なので食欲を満たすには適していない。

セレンは一大決心をし、自分でホットケーキを作ることに決めたのだ。

 

決心してから次の週に大量の材料を買い込み家で昼食の後ガロアがシミュレータマシンに向かっているときにこっそりパンケーキ作りを開始した。

 

が、インターネットで見たレシピ通りにやっているはずなのに何度トライしても出来上がるのは黒く焦げた不細工な卵焼きのようなものだった。

 

 

なんでホットケーキの素から失敗した卵焼きが出来るのだ、何が悪いのだとイライラしながら顎に手を当て携帯型情報端末と睨めっこをする。

油のひき方もひっくり返すタイミングもホットケーキの素のたらし方もすべて悪いのだが、ここまで激しい失敗となると最早原因特定は困難かもしれない。

 

と、そんなとき、いつの間にか訓練から帰ってきたガロアが自分を後ろから見ていることに気が付いた。

 

「やっ、これはだな、糖分を補給することにより頭の働きを活性化させる目的でつまり三時のおやつにちょうどいいかと思ってその、」

こっそり作っていたことも、しかもそれが大失敗に終わってしまったことも重なりしどろもどろな弁明をするセレン。

 

が、そんな弁明にほとんど耳を貸すことなくガロアは台所のセレンの隣に立つ。

いつの間にかガロアの目線の高さがほとんど自分の肩辺りに並ぶようになっていた。

男の成長って凄いんだな、とあまり関係のない感想が浮かぶ。

 

あっちこちに飛ぶセレンの感情をよそにガロアはフライパンにさっと油をひき真ん中にホットケーキの素をたらし弱火で焼きつつ形を整え完璧なタイミングでひっくり返し、

あっという間にきつね色に焼きあがった二枚を完成させる。

 

皿の上で少しずらして重ね片方に適量のバターの塊を乗せ仕上げに周りにシロップを垂らす。

 

 

セレンが想像していた完璧なホットケーキがそこにあった。

 

ガロアに差し出された皿をぽかんとした顔で受け取る。

 

「食べていいのか…?」

 

机に座りナイフで一口サイズに切り口に運ぶ。

 

…美味い。文句のつけどころがない。

というか、店で食べるものよりも美味い。

 

 

思わず二口目三口目を口に運んでいく。

実際のところ、店の物より美味いのはセレンが材料を店で一番高いものを値段も見ずにほいほい買ったというのが大きいが、そこまでは頭が回っていないようだ。

 

「ご馳走様でした…」

つぶやいた一言にガロアは満足げに頷き風呂場へ向かう。戦う事しか頭にないと思っていた少年の意外すぎる一面だった。

 

「ちょ、ちょ、ちょっと待て!お前、料理できたのか!」

 

振りむいたガロアが返すのは肯定のジェスチャー。

相も変わらず訓練の時以外に表情が変わることはほとんど無い。

 

驚愕の連続だったセレンはここでふと気が付く。

訓練の時に唐突に垣間見える激情以外は、普段があまりにも冷静、もっと言えば非人間的なので忘れていたがこの子供は一人の人間なのだ。

彼にも今までの人生がありそれまでに形成された性格があり訓練に打ち込む動機があるのだ。

リンクスや傭兵である前に一人の人間であるのだ。それはやはり自分のように。

 

思えば自分はこの少年の何を知っているというのだろう。

完璧なAMS適性や人間性を感じさせない訓練への打ち込み方ばかりに目が行き気が付かなかったが、セレンはガロアの上辺以外のことをほとんど知らない。

 

ガロアは不思議なことに、これくらいの年頃の男としてはおかしなくらい、セレンに女性としての興味を持っていなかった(少なくとも持っているように見えなかった)。

喋れないから分からないという訳では無く、それは今では誰も知ることの無いガロアの過去に因るものだった。

 

「……」

 

「あ、おい」

歩いて行ってしまう背中は日に日に大きくなっていく。

考えてみれば、誰かの成長というのをこの目で見るのは初めてだった。

 

(人間…)

初めて自分からまともに関わった人間はあまりにも人間性のない子供だった。

言ってしまえば野生の獣に近いものを感じる。だが、それでも人間なのだ。

 

セレンはやはり人間としてガロアの事が気になり、それからガロアの過去を調べ始めた…が。

不気味なことにこの情報社会だというのにどの地域のどの学校にいたのかすら分からず、コロニーの内側で今ここで暮らしているというのに出生届すら出されていなかった。

リンクス養成所に書いて提出されていたプロフィールも年齢以外はめちゃくちゃだった。よく入れたものだというよりはどうやってという疑問の方が大きかった。

 

自分が企業の闇から生まれたのだという事は正しく理解しているが、

それ以上にこのガロアという少年は自分も知らない底知れない闇から出てきたように思える。

街に出てから自由に一年の間うろうろしていたから分かる。この子供は下校途中に友達とダベりながらのんびり歩いている同年代の子供と決定的に違う部分がある。

しかし、それが何なのかをセレンが理解するのはずっと後になってからのことだった。

 

だが、それでもセレンは不気味といっても差し支えのないこの不思議な同居人を少しずつ大切に思うようになっていた。

気が付けば、訓練にも熱意以外に愛情がこもる様になっていたのが自分でもよく分からない奇妙な感覚だった。

何の意味もない日々と人生に、風が吹くようになっていた。

 

 

 

 

 

ちなみにこの日を境に食事はガロアが作ることとなった。

そして毎週必ず取らされている休息日にはガロアが食材を買いに行くということになったのだった。

 

 

そのような経緯で買い物をするようになったガロアは出会いから一年と半年経ったある日の午後三時過ぎ、毎週しているように食材を買うために町へ出た。

そのためのお金はすでにセレンからいくらか貰っている。

 

今日もいつものように安く良質な食材を選びつつ一週間分の食料を確保するつもりであった。

 

だが。

 

何かよくわからないが首筋あたりがピリピリする。

 

町の様子がおかしい…気がする。

 

誰かに見られているような感覚。

 

こんな街中でまさか、と思ったがそれは久しぶりの血煙飛ぶ戦いの香りだった。

 

 

野生動物のような勘で嫌な予感がする場所を避け続けるうちにすっかり人の気配がない場所に来てしまった。

 

 

「ターゲットはBルートを選択しました」

 

「よい勘をしているな」

 

普通の若者といった洋装をした集団の中で帽子を深く被った男が感心の声を上げる。

誰かに見られているというガロアの勘は正しく、この時ある団体から依頼され誘拐・暗殺専門のカラードに登録されてるものとはまた別の傭兵集団にある任務が舞い込んできたのだ。

 

『インテリオル管轄街に住んでるガロア・A・ヴェデットを誘拐せよ』と。

それは、いずれ強大な勢力になりうるであろうガロアを先手を打って我が物にしようという狙いがあっての依頼だった。

 

作戦としては群衆の中に何人か兵士を紛れ込ませておき、速やかにすれ違いざまに即効性の昏睡薬を打ち込んだのち、

倒れたガロアに驚きつつも一番傍にいたその兵士が救急車を呼び、間をおいて作戦前に用意しておいた偽救急車を向かわせ回収、という形であった。

 

だが、過去に幾度かあったことだが、そのような危険を事前に察知し回避出来るものもいた。

ならばその回避の方向が人気のない場所へ向かうように兵士を配置しておけばよい。

 

今のガロアは正しく袋の鼠だった。

 

「エコー、お前が正面から行け。ノーブ、ホットは指定ポイントで待機。」

帽子の男が静かに告げる。

このまま穏便に過ぎればそれに越したことはない。

ガロアは成長期と訓練により徐々に大きくなったとはいえまだまだ熟練の傭兵に徒手空拳で単独で勝てる程の力はないだろう。

 

 

静寂のビル群に囲まれた空間で、向こう側から中肉中背で特徴の無い顔立ちの男が歩いてくる。

こちらと目が合ったまま静かな笑みを浮かべて歩いてくる。

 

「すいません、迷ってしまって…道を尋ねたいのですが…」

いかにもなセリフを口にしながらさらに歩み寄ってくる。

 

危険だ。口で説明できるような類の物ではない感覚がガロアの総毛を立たせる。

ガロアはポケットに手を入れてポケット電話を操作する。

男との距離はおよそガロアの歩幅六歩分。

ガロアは脱力をする。

 

さらに近づいてくる。一歩、二歩、三歩

 

男の四歩目が踏み出されると同時に、ガロアはポケットにしまわれていた右手の中指を薬指と人差し指で固め、

さらに五歩目を繰り出さんとした男の顔に、ポケットから閃光のように繰り出された三本貫手を叩き込んだ。

 

 

 

 

「ガロア!?」

突然携帯が滅多にならない電話の着信音を鳴らしたので何事かと思えば、それはガロアからだった。

声の持たないガロアが電話をかけてくる。

それはつまり、緊急性の高い連絡を即座にセレンに伝えたかったということだ。

携帯に表示されるガロアの位置情報を確認し即座に家を飛び出す。携帯に表示された場所はここから走ってもそれなりの時間がかかる距離だった。

 

 

 

 

「思い切りがいい。普通、怪しいと思ってもいきなり攻撃は仕掛けられんものなのだがな。N、Hかかれ。Eはしばらく動けんだろう」

 

ガロアが繰り出した攻撃はビルジーと呼ばれる目つぶしで、正しく決まれば相手の動きをしばらく止められる効果を持つ技であった。

 

「クソ、ガキがぁ!てめぇ…!」

エコーと呼ばれた男は喚き散らしながら後ろに下がりうずくまる。

実際、眼球というものは想像より遥かに固いものなので失明などはしないだろうがそれでも目を直接、しかも思い切り突かれてすぐに動ける者はいない。

 

「…!」

男のあごを蹴りぬいて気絶させたその隙にガロアはすぐにその場を走り去った。

時間はわからないが、おそらくセレンが今全力でこちらに駆けつけているはず。

そうでなくとも人通りの多い場所に走っていけばいい。

 

その思考は正しかったが、セレンの到着にはやはり時間がかかる上、この辺りの地理にガロアは詳しくない。

一方の誘拐集団はガロアがこちらに来ることも、周辺の地図も把握しており、先ほど配置した二人の傭兵も人通りの多い方面へ向かう道に待機していた。

つまりガロアは逃げれば逃げるほど人通りの多い方から離れることになる。

本来ならターゲットが大声で叫んだ場合なども考慮しなければならないのだが、ガロアは声が出せない。

最初の一撃こそ驚いたがそれでもいつも暗殺を依頼されるような屈強な戦士やボディーガードで固められたギャングに比べれば楽な相手には変わりなかった。

 

 

「……!!」

走り出した時点で、目をつぶした誰か以外の人物が追いかけてきていたが、

後ろからさらにもう一人、気配が増えた。

 

「!」

 

眼前に迫ったのは行き止まりの壁。

設置されていたパイプを伝い、無理やり乗り越えたが、その先にはさらに五人ほどの集団が待ち受けていた。

 

「チェックメイトだ」

 

「……」

 

帽子の男の呟きと共に五人が同時に麻酔弾を装填した拳銃を構える。

列として構えられたその銃口はどちらによけても直撃するだろう。

 

「うっ…?」

 

「なっ!?」

 

臓腑が握り潰されるような強烈な悪寒に男たちが一斉にたじろいだ。少なくとも見た目は普通の体格の少年に大の男が五人も集まって対峙しているというのに。

癖の強い赤毛が逆立ち同心状の円が渦巻く灰色の眼が見えた。その眼に浮かんでいるのは一人の子供、いや人間が出しているとは信じられない程凶悪な殺気だった。

中でも殺しの経験がまだない左端の男の銃の照準が震えてずれると同時に肉食獣のように口を開いたガロアが飛びかかろうとした。

 

が、その時。

 

「ガロアアアア!!」

遠方の空からセレンがエアスクーターに乗ってすっ飛んできた。

 

 

「何!?」

「ぐあっ!」

「危ねぇ!」

「うおっ!」

帽子の男は回避を取り、周りの傭兵もそれに追従したが、荒っぽいエアスクーターの着陸に傭兵が一人巻き込まれ派手に転がって行った。

 

すとっ、とネコ科の動物のような重力を感じさせない柔らかな着地をしたセレンはバランスを思い切り崩して膝立ちになっている帽子の男の元へ一直線に向かう。

 

「貴様が頭か」

 

「…ふっ!」

ねめつける様に見下ろすセレンが間合いに入った瞬間に帽子の男は袖の中に入れていたナイフを目にもとまらぬ速さで突き出した。

 

ガッ、プチプチプチ、ボグンッ、とどこを切り取っても聞きたくない部類の音が夕暮れの街に響いた。

 

「……!」

セレンに師事して十八か月。

何度も叩きのめされ地面を舐め、それでも諦めずにかかり続け、ようやく少しは相手になるようになってきたかと思っていたガロアだったが、

その一瞬のやり取りを目の当たりにしてセレンが全く本気を出していなかったのだということを嫌というほど思い知った。

 

実際力を込めているようには見えなかった。

稲光のように一瞬で相手の右手を握り、突き出されたナイフの外側に周り左手で手首を掴んだ。

 

およそ戦闘技術的な物を用いていたのは相手の正中線から速やかに外れて回り込んだ足さばきだけだったろう。

 

だが、後になって思い返してみれば自分の腕の外側に回り込まれ腕を押えられた状態で反撃する術はもうなかった。あの時点で勝負は決していたのである。

 

右側に回り込んだセレンに右腕を掴まれていては文字通り手も足も出ない。

そのあとセレンがしたことと言えば回転しながら倒れこんだ、ただそれだけであった。

柔らかく掴まれた帽子の男の右腕は回転に逆らえず関節の限界まで開かれ、セレンの左ひじと男の右ひじが当たる鈍い音がした。

それでも回転は収まらず男の右ひじから何かがプチプチとつぶれるような嫌な音がした後に倒れこむセレンの動きと共に一緒に倒れ、全体重をかけられた男の肩の関節は完璧に外されていた。

ただ何かを握って身体の内側に抱え込んだままくるりと回って倒れた。それだけなのにもう帽子の男は戦闘不能であった。

 

「ぐ…ぐっ…う…」

地面に伏せ脂汗をかく男の前でしゃがみ込みセレンは声をかける。

 

「光り物をチラつかせずに不意打ちに使うあたり…プロか貴様ら…一応は」

 

(何故俺に…声をかける?何故逃げない?)

 

「一応だと!?」

帽子の男が激痛に顔を歪めながらセレンの真意を図っていると部下がセレンの言葉につっかかる。

 

「戦闘技術がてんでお粗末だ。どうせチンピラ上がりのごろつきどもだろう」

 

(……時間稼ぎか!!)

 

「女ァァア!!」

その目的にはっと気が付いたときには遅かった。

部下が力任せに放った大ぶりなテレフォンパンチ。

あんなもの落ち着いていれば素人でも避けられる。

もっと訓練しておくべきだったと思うが後悔先に立たず。

 

「ガロア、丁度いい。よく見ておけ」

戦闘中だというのにシミュレータマシンの外からかけてくる声とほとんど変わらない冷えた声を出しながら怒りの込められたストレートを難なくいなし重心を下げ、相手の懐に潜り込んだ。

 

「あ…が…」

その掌が男の左胸に当たっても男は吹き飛んだわけでも、ましてや一歩でも下がったわけでもなかったし、大きな音が鳴ったという事も無かった。

 

静かに倒れピクリとも動かない男から血だまりが広がっていく。

 

「……!」

発剄だった。それも自分が何万回と空に打ってきたなんちゃって発剄とはレベルが違う。

今の一撃は間違いなく本気で打ちこんでいた。だというのにあの意の無さ。ほとんど出ない音。

かなり加減のされた発剄をその身に何度となく喰らってきたガロアだが、それでも内臓が沸騰し転げ回る程の苦しみが身体を襲うのだ。

左胸、つまり心臓に向かって放たれたあの発剄は心臓振盪を起こし下手したら死んでいるかもしれない。

 

「お前の発剄は最初から最後まで気を出し過ぎだ。あれではいずれ死ぬ。脱力し当たる瞬間のみ掌に全ての内功を乗せて逃さず相手の体内に衝撃を叩き込む。

…何度も教えてきたことだが、口で言っても分かる物ではないからな。今のをよく頭に焼き付けておくんだ」

 

「ぶっ殺してやる!」

 

「生かしちゃおけねぇ!!」

血だまりを作っていく仲間の姿に沸き立つ部下達。

 

「馬鹿野郎が!早く後ろのガキをさらえ!!」

既にセレンの意図に気が付いている帽子の男は怒喝を飛ばす。

 

「もう遅い。ここまでだな、狼藉者ども」

 

 

「くそ…!」

倒れた勢いで帽子の取れた男が無念の声を漏らす。

セレンが乗ってきたこのエアスクーターという乗り物は、空に浮かぶクレイドルでこそ一般的な乗り物だが、

地上では一般市民の個人使用は重力の違いやビルへの直撃などの危険を考慮され許可されていない代物だった。

唯一使用が許可されているのは市民街警務部隊…いわゆる警察と呼ばれるものでり、そのスクーターが一定以上の速度を出した時点で警務部隊本部に連絡が行くようになっていた。

 

 

(どこかで拾ったのか!)

実際はパトロールをしていた警察をセレンが必死に呼び止め、近くに止まった警察の鼻っ面に思いっきり裏拳を叩き込み哀れにも吹っ飛んでいった警察から強奪した物であった。

男の思考が回転すると同時に警務部隊のサイレンが聞こえてくる。

 

「…撤退だ!」

男の掛け声と同時に、倒れていた仲間をまだ動ける仲間が担ぎ、瞬く間に夕闇のビル群へと消えていった。

 

後に残ったのは息を切らしてるガロアとセレン、そして大破したエアスクーターだけであった。

 

 

 

 

「え?上から通達?釈放!?今すぐ??現行犯なのに!?え??」

 

暴行及び窃盗の現行犯でセレンを逮捕した警務部隊であったが、突然に上、つまりインテリオルから「即座に釈放せよ」と命令が来て訳の分からぬまま、

特に顔面にいいのを貰った部隊員の一人は納得いかないといった顔で渋々とセレンを解放する。

 

 

「…帰るぞ」

 

ガロアに声をかけるセレン。

追従するガロア。

そのまま二人の若者は警察にその背中を見送られながら夕闇の街へと消えていった。

 

「一体なんだってんだよ…」

鼻に湿布を貼った警官が不満げにつぶやいた。

 

 

 

「食材は、買えてないよな」

夜の帳が街にかかり、ビルの窓からの明かりと月、星、街灯、そしてクレイドルの灯が街を照らす。

どこかで西の空へと向かうカラスがカァと鳴いた。

 

「無事でよかった。私の指導は役に立ったか?」

 

「……」

肯定の響きを持った沈黙。

その眼には静かに、しかし激しく尊敬の光を湛えている。

 

だがセレンは見ていた。大型の猛獣が威嚇するようにガロアが得体の知れない殺気を放って男たちの動きを止めていた事を。

あの隙が無ければ無事では済まなかったかもしれない。

しかしそのことを知らないふりをして言葉を続ける。

 

 

 

「阿呆どもは子供でも刃物を持てば人を殺せると抜かす。なるほど、それも間違ってはいないだろう」

 

「……」

 

「だが気概の点では全く違う。あいつはナイフを持っていたから、拳銃を持っていたから、ノーマルに乗っていたから、ネクストに乗っていたから。

だから強かった、だから負けた。あいつの強さは不当なものだ。そう思われては例え勝利をおさめても遺恨が残る」

 

「……」

 

「完全な勝利。つまり戦いの後に次の戦いを引き起こさないためには徹底的な殲滅と兵器に頼った物ではない圧倒的な強さが必要なんだ。微塵も向かってくる気が起こせない程のな。

ただAMS適性があるからネクストに乗せて敵を殺せばよいという物ではない。十全の精神と肉体そろってようやく一人前のリンクスだと私は考える」

昔、若干14歳でリンクスになった少女がいた。リンクスとしての腕はともかく、そんな少女はネクストに乗っていなければ簡単に抑え込まれ殺されてしまうだろう。

そう相手に思われたままでは結局勝利しても意味がないのだ。

 

 

「……」

セレンの言葉にまやかしはない。

最早シミュレーションの世界ではセレンはガロアの相手にはならない。

だと言うのにセレンには全く頭が上がらない。

そんな自分がただネクストに乗って暴れ回ったところでたまたま包丁を拾って振り回す子供と何が違うと言えるのだろう。

AMS適性が高くても優秀な戦士とも限らないし逆もまた然り。

そこには様々な理由はあるがセレンの言葉もまたその現実の理由の一つであった。

 

「私はお前を一人前のリンクスにする。それまで飯も寝床も心配するな。危険な時は助けにも来る。だが、お前の為にも決して甘くはしない。

…少なくともあんなチンピラ、徒手で撃退できるくらいにはなってもらうからな?」

 

「……」

目の前を歩くセレンがちらりとこちらを振り向く。

ほんのり笑う彼女は自分とたった三つしか違わないのにどうしようもないほど大人だった。

 

「とはいえ、もうこんなに心臓に悪いことはごめんだな…今日は外食にするか」

その日、セレンは久しぶりに以前はよく行っていたレストランに入り、ガロアの食事量が自分と並ぶほどまで増えていることに気が付いた。

そしてガロアの眼の奥にある剣呑な光が日に日に強まっていることにも気が付いたが、口には出さなかった。

 

帰りに色々言ったもののそれはあくまで戦闘の心構えだし、目の届かない所で襲われて殺されなどした日には自分でもどうなるかわからない。

戦いを仕掛けてくるのではなく卑怯な手でまだ子供のガロアを攫おうとする不埒者にどうして遠慮する必要があろうか。

この日からセレンはガロアの外出時には動物の散歩に追従する主人のように後ろからついていくこととなった。

…懐に護身用の銃・ナイフを山ほど仕込みながら。

 

垣間見える怪物性はまだ目覚めていない。

開花するのが怖い様な見てみたいような、どちらでもあるし、それが自分で出来るのならばやってみたいという好奇心もあった。

そしてガロアは静かに着実に覚醒していった。

 

ガロアが力を欲する理由にセレンが気が付いたときにはもう、ガロアは開花してしまっていた。

それは全人類を巻き込む大渦の小さな始まりだった。

 




一体ガロア君は何者なのか?どんな性格なのか?

過去編はありますがそれも大分後の話です。

彼がどんな性格で何を考えているかを想像しながら読んであげてください。


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戦いの始まり

そしてセレンとガロアの出会いから約三年、さらに肉体的に成長し、177センチと女性にしては背の高かったセレンの身長をいつの間にか抜いて188センチ、

細い骨に付けられた筋肉はエネルギー消費に効率的な量かつ高密度なものとなっており体重は丁度90kgとなった。

 

その肉体の美しさは、とうにその裸体など見慣れたセレンでもときおり心臓が跳ねるほど美しいものとなっており、引き締まった筋肉が可能とする動きは熟練の傭兵にも劣るものではないだろう。

またリンクスとしての機体の操作も間違いなく一流の域に達しており、人間臭い動きをするその機体は、通常のことなら考えられないことだが、

壁を蹴っての三次元的な鋭角な移動や相手のコアに向けての痛烈な体当たりなどを繰り出すようになっていた。

近接=ブレードという考えをもつ者にとって、通常ありえないネクストの格闘術は致命的なものになるだろう。

 

これ以上の成長は戦場での経験なくしては得られないと判断したセレンは満を持してガロアの名をカラードに登録申請をした。

この後、試金石となる簡単な依頼を受けた後登録が行われ、認証されればガロアとそのオペレーターであるセレンはカラードの管轄街へと移ることになる。

最初のミッションの連絡が来るのはその時の任務の依頼状況によるのでいつが初出撃となるかはまだわからない。

初めてネクストを動かすリンクスでもこなせるような依頼ならノーマルでも割と何とかなるようなものが多いため、そもそもそのようなミッションが少ないのだ。

何よりも、まだガロアの機体は届いていない。

 

カラードに登録申請したぞ!と喜んでいたセレンであったが一週間もしないうちにイライラし始めていた。

 

 

その頃、とある通信回線上で上位リンクスたちがある議題について話し合っていた。

 

「…とうとうあのリンクスの登録申請が来た。…まず間違いなくランク上位に食い込む存在になるだろうな」

 

「ずいぶんと早いデビューだな…情報は確かか?オッツダルヴァ」

 

「オーメルが間違いないと言っているのだからそうなのだろう」

 

「GAではまだ確認が出来ていなくてな…」

 

「間違いない。オペレータが登録申請してきたのを確認している」

 

「リンクスになる前からオペレータが付いている、か。…ジェラルド・ジェンドリン、それは本当にオペレーターだったのか?…まぁよい。リリウム、最初にぶつける依頼…ラインアーク襲撃でよいのだったな?」

 

「はい、王大人。間違いなくリンクスになった目的はホワイトグリントの撃破でしょう」

 

「正気か…?新人をホワイトグリントにぶつけるなどと…」

 

「一応、ホワイトグリントが留守の時にラインアークの戦力を削ぐためにノーマル部隊を撃破する、という内容になっておる。こちらとしても目的が分かれば手綱も握りやすかろう」

 

「相も変わらず策を弄するのが好きなようだな、王小龍」

 

「リンクスもただ力を振りかざすだけでは勝てない時代になったのだよ、ウィン・D・ファンション」

 

「ふん…どうやら、異論はないようだな。ラインアークの襲撃はその新人に回す。聞いているな?ブローカー」

 

『了解です、オッツダルヴァ様。ホワイトグリントが留守になる状況はこちらで用意しておきます』

 

 

 

 

 

 

こうした陰謀渦巻くやり取りから四日後、セレンの元に「至急カラードに来るように」との連絡が入り、セレンは内心わくわくしながらガロアを連れ、早足でカラードに向かっていった。

 

 

 

「こちらがご注文のネクスト、アレフ・ゼロになります。今回受けていただくミッションに成功されればこのネクストはリンクスの手に渡り、

料金は以降の依頼から払い終わるまで3割ずつ引かせていただく、という形になります。

くれぐれも、この機体はまだあなた方の物ではないということは忘れずに。失敗するにしても極力傷をつけないように持ち帰ってください」

 

カラードの管理者の一人で、今回の機体を運んできていた企業連の役人の女が規約をつらつらと述べているが、

ガロアもセレンもその機体を前にして様々な感情が弾けておりまともに話を聞いていなかった。

 

(今日まで長かった…そして今日からまた新しい生活が始まるのだな)

ああ、わかってる、等と適当な相槌を打ちながらもその内では新しいおもちゃを目の前にした子供のようなときめきに心を傾けていた。

 

一方のガロアは、想像していたものよりも少し大きいなと思った後、ようやく自分の目的を果たせる力を手に入れられるのかと、表情には出さずにギラギラとした感情を燃やしていた。

 

そのとき、セレンはあることに気が付いた。

 

(あのスタビライザーは…!)

シミュレーションでは見たことの無い、独特の曲線を描く真っ赤なスタビライザーが頭部に取り付けられていたのだ。

既に生産中止されているあのスタビライザーはガロアの数少ない手荷物の中にそっとあったものだ(許可を取らずに勝手に漁って見たのは言うまでもない)。

とうとうガロアはセレンに目的を教えてくれなかったが、セレンはセレンで色々と調べてきたのだ。もう当たりはついている。

そしてこれで確信に変わってしまった。

 

 

「では、ミッションを説明します。今回こちらのリンクスにはラインアークを襲撃していただきます」

淡々と説明する役人の口から飛び出した爆弾発言にセレンは激昂する。

 

「なんだと!?よりにもよってなぜ新人にラインアークと戦わせようというのだ!?何を考えている!?」

 

セレンの怒りには二つの理由がある。

まず、新人にラインアークとの敵対任務が来るということはまずない。

ラインアークとは企業支配を肯定せず、クレイドル体制に批判的な自由主義者の集まりで民主主義を掲げており、

空に浮かぶクレイドルと真っ向から対立する地上の最大勢力である。

だが、「来る物は拒まず」という姿勢から、企業からの亡命者やアウトローを大量に抱え込む事となり、結果として政治の腐敗を招く事になっており、

地上の最大勢力とはいいつつも基本的には企業連の敵ではない。

ならば何故それが企業連と敵対することができ、さらには新人に絶対に敵対ミッションが来ることがないのか。

 

それはラインアークが「ホワイトグリント」という名のネクストを守護神として抱えているからだ。

政治的な理由から企業連管轄下の傭兵登録機構カラードでのランクは9番目だが、

先のリンクス戦争ではそのパイロット、アナトリアの傭兵(が搭乗しているのではないかと言われている)は最大の規模であった企業を一つ壊滅させており、

その上敵対勢力であったネクスト21機のうち、実に17機も打ち取るに至っている。

その時代のランク1であったベルリオーズ含む他三機の計四機を一度に相手取り、そして勝利を収めている。

そもそもがバランスブレイカーと呼ばれるネクストと比べてもホワイトグリントは明確なバランスブレイカーであり、その伝説を挙げていくとなれば枚挙に暇がない。

そしてその伝説を裏付けるかのように現在も鬼神の如き強さで企業連を圧倒している。

 

そして、もう一つがセレンの怒りの原因の大部分であった。

この大体三年間でセレンが秘密裏に探っていたガロアがリンクスを志す理由、そして訓練に打ち込む理由その目的。

 

それはほぼ間違いなくホワイトグリントの撃破であった。

 

そのことは恐らく企業連も把握していたのであろう。

その上でこの任務をちらつかせてきたのはガロアの手綱を握るために違いない。

 

「はい。お怒りもごもっともです。ですが作戦内容には続きがあります。作戦決行の当日、主戦力たるホワイトグリントにはBFFの所有するアームズフォート、スピリット・オブ・マザーウィルの撃破が任務として出されています。無論、マザーウィルもホワイトグリントもそう簡単には落ちずに拮抗するでしょう。その隙にラインアークを襲撃し、ノーマル部隊を撃破し戦力を削いでもらいたいのです。いかがでしょう?」

 

「だが…それでも最初からそんな任務を、…!」

至極当然の理由を述べて断ろうとしたセレンであったが、その時隣で無表情かつ感情を出さずに佇んでいたガロアから、抑えられなくなった烈々たる感情が漏れ出すのを感じた。

そしてセレンが断るより先に契約書にサインをしてしまった。

いくらセレンが保護者然としていても、任務を受けるのも戦うのもリンクス。

オペレータはそのサポート。

ガロアが同意をしてしまえば断る術はない。

ガロアの動かない唇の下で奥歯に力が入っているのを見て、セレンは思わず唾をゴクリと飲み込む。

 

「やる、というのだな…」

ガロアは動かない。

それはもう口を出すなという仕草にも取れた。

14歳からこの歳になるまでみっちりと鍛え上げ、獣のような部分は鳴りを潜めたがそれでも強烈な意志を生む心は変わっていなかった。

 

「…わかった。予定はいつとなっている?」

 

「既にホワイトグリントにはマザーウィル撃破の任務は受諾されており、その出撃が明日の午前八時となっておりますので、こちらの出撃もそれと同時となります」

もう受諾されている、ということはつまりガロアがこの任務を受けるのは間違いないと踏んでいたということか。

忌々しい奴らだ。セレンは沸き起こる激情を静かに静かに抑えて答える。

 

「いいだろう」

 

「では、機体の出撃準備はこちらでしておきますので、今日のところは以上です」

役人の女は話を終えると一礼をし、眼鏡に手を当て踵を返し去っていく。

残された二人の少年少女は我が家に帰らんと歩き出す。

先ほどまでの漏れ出る熱が嘘だったかのようにガロアの表情は静かなものになっていた。

 

 

 

 

「………」

この家では最後のものとなる食事と風呂を終えガロアは寝室としてセレンに宛がわれている部屋のベッドの上で寝ころびじっと物思いにふけっていた。

平素であればベッドに入って1分で眠りにつくほど寝付きは良いのだが、この日ばかりは違ったようだ。

既に明かりは消し、寝る姿勢には入っているものの開け放った窓から吹き込む風がやけに肌を刺激し中々寝付けない。

様々な思いが浮かんでは消えているガロアの耳に聞きなれた足音が入る。

 

ガチャリと音を立て寝室のドアが開く。

普通なら思春期の男子の部屋にノックもなく入ろうものなら怒号が飛ぼうものだが、

この部屋自体もともとセレンのものであるし、何ら疚しいこともしていない上セレンがそういった人との距離の取り方が上手くないことをこの三年余りでよく理解していたガロアは特に文句も言わなかった。

 

「ガロア、起きているか」

入口に目をやると風呂に入ったばかりなのかまだ髪がだいぶ濡れていて、シャンプーの芳香が漂ってきていた。

相も変わらず、風呂を上がっても髪を乾かす癖は付いていない。

上体を起こし、話を聞く姿勢を見せた。

 

 

 

無遠慮に部屋に入ったものの、何を話すべきか、そもそもなぜこの部屋に来たのかがセレン自身分かっていなかった。

何かを伝えたい、ただその感情だけでつい来てしまったのだ。

 

「その…片づけないとな。正式登録されたら引っ越しになる」

言いながら濡れた髪をかき上げつつ床に座り込むが、自分の部屋と違い無駄なものを全くおいておらず、常に整理整頓されているガロアの部屋は、引っ越そうと思えば今すぐにでも出発できそうだった。

窓から入るクレイドルの明かりに照らされているガロアの独特な紋様を持つ眼が至極当然の事を示唆している。

すなわち、普段から片付いている、ということだ。

 

「………」

それ以上の言葉が出てこない。雨の日に今日はいい天気だなと挨拶をするのと同レベルの切り出しだった。

空に雲がかかり、途端にガロアの表情が見えなくなる。

 

「明日は…あまり無茶をするなよ」

ガロアが頷いているのを感じる。

いつか、ラインアークに敵対するミッションを受けることは分かっていた。

だが、いきなりそれをぶつけられることも、そしてそれを承諾してしまうことも予想外だった。

つまり自分は精神的に後ずさっているのだ。

これからが始まりだと思っていたらいきなりその終わりを突き付けられたかのようにも感じる。

 

(そうだ…私は…)

ガロアの目的を知った日からずっと心の片隅で思っていたことがある。

 

(目的を達したらその後こいつはどうなってしまうんだって…)

家族のようで友達のようで師弟のようで、でも実際はただの傭兵とオペレーターになる。

それだけである。戦いの世界に身を投じること、それは平凡な生活を切り捨てること。

だが、その身を投じてその目的を達成した後も、まだこの関係でいられるのだろうか。

 

(考えたことがなかった。私にとって、これは、初めてできたまともな繋がり…)

そう、端的に表すならばセレンはこの三年で得た繋がりを失うのを恐れていたのだ。

 

 

 

(……)

セレンが入り口前で胡坐をかきもの思いに耽っている。

何を考えているのはよくわからないが、少なくともさっきまで頭の中でチラついていた寄せては返す様々な思いは何事もなかったかのように消えていた。

 

もし目的を達成したら、そのあとはどうなるのか、どうするのか。

それはガロアにも分かっていなかったし、考えたこともなかった。

ただ、今その心の全ては目的の達成に傾けられている。

 

その後を案じるセレンとただ目的の達成のために今に殉じるガロア。

今ここにきて二人の考えのすれ違いがはっきりと浮き彫りになっていた。

セレンも約三年前の17の頃、その時一時の感情で行動をして今この状況となった。

得てして若さというものは何かのためになりふり構わずに必死になる、もしくは必死になれる何かを求める熱源であり、

行動の前に立ち止まり考えるようになることが大人への第一歩なのである。

セレン20歳、ガロア17歳。

年齢によって移ろう未来への考え方というものが浮き彫りになっているかのような少年時代の肖像であった。

 

 




この物語はセレンとガロアの成長の物語です。
セレンは三年間でいろいろと成長しました。

ガロアは身体は成長しましたが…中身はどうでしょうか。


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ラインアーク襲撃

「ミッション開始、ラインアーク守備部隊を全て撃破する」

カラードのオペレータールームの一つでアレフ・ゼロから送られてくる映像とネクスト運搬ヘリが去り際に上げた小型の空中浮遊型遠隔操作カメラからの映像を見ながら、

ガロアが搭乗ネクストを戦闘モードに切り替えたのと同時にセレンは静かに告げる。

数年前に乗ったネクストの感覚を思い出しつつ指示を出していく。

 

「ノーマルなら海に叩き落としてやれ。それで戦闘不能にできる」

 

指示すると同時にコンクリート製の建設中の橋にロケットを叩き込み、崩れた橋からノーマルが落ちていく様が送られてくる。

シミュレーション通りに行かないのが実戦というものだが、ノーマル程度では大方の予想通り全くガロアの相手にはなっていない。

企業連の用意した作戦も上手くいってるようでホワイトグリントの影はない。

 

(楽に終われそうだな…)

口に出すことはなかったが、内心セレンは安堵していた。

 

 

『企業のネクストだと!?ちくしょう!こんな時に限って!』

 

「……」

中々の数のノーマルが幾らかの塊となり転々と散らばっているが所詮はノーマル。

物の数ではない。一気に目の前へと駆け出すイメージ。

そのイメージと同時にオーバードブーストが起動し、物陰に潜んでいたノーマル部隊が眼前に露わとなる。

 

 

「ひっ!」

音より速く眼前に現れた赤い目をした悪魔に身体がすくむノーマルのパイロット。

その一秒後にはすべての感情から解放される。

 

(……)

後ろから狙われている感覚がする。

太腿に力を入れ右へ駆け出す想像をアレフ・ゼロは受け取り、クイックブーストとして出力し右側へはじけ飛ぶ。

爆風がアレフ・ゼロの左腕を掠めたがプライマルアーマーがダメージをすべて打ち消す。

 

『ちくしょう!また一機やられた!』

 

『効いているのか!?プライマルアーマーに邪魔されている!』

 

『減衰させろ!』

 

『当たらないんだよ!攻撃が、が、く、くるなぁ!ぎゃあああああああああ』

 

目視出来る戦力も後わずか。

圧倒的力を用いての蹂躙にガロアの心が僅かに震える。

シミュレータでは感じ取れない命そのものがリアルにぶつけられる懐かしい感覚。

今まで経験したどの感情とも違う何かにさらに身を委ね前へと駆ける。

もう20秒と持たずに全ての戦力は撃破されるだろう。

 

 

 

「あのネクストは何なの!?確認してください!」

時を同じくして、ラインアークの管制室で、フィオナ・イェルネフェルトが叫ぶ。

 

「企業連に登録されているものではありません!テロリストか新入りのどちらかです!」

 

「そんなはずは…!」

ネクストを所持するというのはそれだけで莫大な費用が掛かる。

小規模なテロリストがネクストを動かせるはずがないし、

ネクストの所持を確認している大規模テロ組織「リリアナ」の動きもここ数年おとなしく、今朝も特に目立った動向は見られなかった。

 

「……」

とはいえモニターに映し出されている黒いネクストの動きは到底新入りのリンクスの動きには見えない。

フィオナの顔が歪む。

琥珀色の瞳に綺麗な金髪ボブ、やや丸顔だがその顔のパーツの配置は完璧そのものであり、それに加えて長い睫に守られた丸くて大きな目。

幼いころから美少女と評判であり、将来はきっとどこに出しても恥ずかしくない美女になるに違いないと思われていた彼女だったが、

しかし、ある時を境に笑うことよりも泣くこと、悲しみに顔を歪めることの方が多くなりそれが長年続いた結果、

美女ではあるものの目の下の隈、下方にゆるやかに曲がった唇などどこか薄幸な雰囲気を持つ女性へと成長してしまった。

そしてその薄幸な見た目に違わず今日もまた不幸が一つふりかかる。

 

(今日、有力リンクスのどれもが別のミッションに当たっているか出撃していないことは確認済みだったはず…だからこそマザーウィルの撃破に向かわせたというのに…!)

今日、もし急なネクストの襲撃があったとしても、確認されていたそれはラインアークの持つ通常戦力で追い払えるか、

そもそも襲撃には向いていない機体であった。

だが、現実に今ラインアークの最前線、建築中のブリッジを攻撃している機体は強襲用高機動型の見たこともないネクストだった。

 

 

「緊急事態です!ノーマル部隊を出撃させ、時間を稼ぎます!その間にホワイトグリントをこちらに戻してください!」

 

「まだミッション中です!契約違反になります!」

 

「このままではあの場所が破壊しつくされてしまうわ!それにあのネクストを逃がすわけにはいかない!」

 

「…了解です!ホワイトグリントを直ちに帰還させます!」

 

「一体…何者なの…?」

そうしたやり取りをしているうちにモニターは配置していた守備部隊は全て撃破されたことを非情にも映し出した。

 

 

「ミッション完了…いや、待て」

空中カメラから映し出される映像には今回提示されていた撤退ルートを塞ぐようにして進むノーマルの部隊が映し出される。

 

「援軍だ。ノーマルだが、油断はするなよ」

指示を送りながらアレフ・ゼロに表示されているマップに敵増援の位置情報を送った。

 

「……?」

指示された場所へ向かうと情報通りの増援が来ていた。

だが、先ほどとは違い、小隊ごとに固まることはせず、物陰や遮蔽物に一体一体隠れて攻撃してきている。

どちらにせよ結果は同じ事なのだがガロアはそこに作為的な何かを感じていた。

 

『いいか!なるべく時間を稼ぐんだ!』

 

『もうすぐホワ、ギャアアアアアアアア』

柱の陰に隠れていたノーマルを柱ごと切り裂く。

 

『クソ!アレンがやられた!ちくしょう!あいつには酒を奢りっぱなしだってのに!』

 

『ぐあっ!』

 

『今度は誰がやられた!?…ぎゃあっ!』

 

二分後、やや時間がかかったものの最初に思った通り増援も全滅へと追いやる。

一方的な虐殺、蹂躙劇であった。

 

 

『ミッション完了だ。完璧な戦績だな。ついでにその辺の設備と建造中の橋も破壊しておけ。弾は余っているだろう?追加の報酬も貰っておこう』

 

「……、…!?」

指示に従い背中のグレネードを構えたガロアだったがその時強烈なプレッシャーを感じ、

アレフ・ゼロを戦闘モードから巡航モードに切り替えオーバードブーストを起動、即座に撤退を決めた。

 

「何をしている…?まぁ、ミッションは完了しているのだから構わないがな…」

返事は当然返ってこないが、指示用ヘッドセットと、表示されてるバイタルインフォメーションからガロアの平常ではない様子が伝わってくる。

心拍数、体温ともに一気に跳ね上がっていた。

 

「一体どうした…何!」

 

ガロアが離脱した三十秒後、ラインアークの建造中だった橋にセットしていた空中カメラに白い閃光が入ってくるのを見た。

 

「これを感じ取って…?」

ヘッドセットのマイクを切りつぶやく。

 

「だが、どうして?」

ホワイトグリントはガロアの目的だったことは間違いないはず。

その接近を気取ったのならなぜ逃げた?

いくら考えても現場にいなかった自分にはわからないし、今質問をしても返答が返ってくるものでもない。

リンクス、ガロア・A・ヴェデットのデビューは完璧な勝利で終わったが、当のリンクスも、そのオペレータも歓びには浸っていなかった。

 

 

 

「不明ネクスト、撤退しました…」

モニターに映し出される不明ネクストは突然尻尾を巻くかのように撤退を決め込み、今はもう遥か彼方で小さな光となっている。

 

「そんな…」

守護神の帰還はそのたった三十秒ほどであったが全ては後の祭りだった。

 

「見事な引き際です。あのネクストは一体…ん?緊急速報です!これは‥!BFF社が!イェルネフェルトさん!これを!」

 

「!!…全部策略だったのね…」

全世界に発表されたニュースの見出しにはデカデカと『BFFのAF、スピリット・オブ・マザーウィル、ホワイトグリントを撃退』と書かれていた。

 

「くっ…」

フィオナは右手の親指の付け根を唇に宛がいながら目を伏せ、そしてモニターに映し出されている激しい戦闘の傷跡を負ったホワイトグリントを見る。

 

先日からゆっくりとこちらに迫ってきていたマザーウィル。

そこに都合よく出されたマザーウィルの撃破依頼。

ホワイトグリントとの戦闘中でもなおこちらに歩み寄っていたその動きは、

こちらの防衛部隊が苦戦するのを見越して、ホワイトグリントがすぐに向かえる距離まで近づいたに違いない。

はたして目論見は全て成功し、ホワイトグリントは契約違反をし戦線離脱をした。

こちらが得た情報によれば、マザーウィルも相当の被害を負い、しかも弱点まで露呈していたが、それでもこの一大ニュースはBFFの株価を大きく上げたに違いない。

様々な事情はあれど、マザーウィルとホワイトグリントは戦闘をし、ホワイトグリントは撤退した。

最初から最後まで全て仕組まれていた奸計に翻弄されたフィオナは己の甘さを恥じ、歯を食いしばるしかなかった。



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環境の変化

「なるほど、見事な引き際…と言いたいところだが、これは分からなくなってきたな…あのリンクスの目的はホワイトグリントではなかったのではないかね?」

BFF本社の一室で片眼鏡をした短髪の白髪交じりの男がつぶやく。60は過ぎているといった年齢であろうか。

綺麗に整えられた口髭と、陰謀に塗れた生活を長く続けてきたものだけが持つ独特の小皺と不敵な笑みが顔に浮かぶ様は老獪と呼ぶにふさわしい。

 

「そのはずです、王大人」

その問いに隣に立つ小柄な少女が答える。

その少女の名はリリウム・ウォルコットといい、

BFF社のトップリンクスでありカラードでのランクも2に位置しており、少しでもメディアに触れるものなら知らぬものはいない最上位クラスのリンクスであった。

その強さもさることながら、さらさらと艶めく長く限りなく色素が薄い銀のような金髪と清緑の瞳、たおやかな身体から伸びる輝く四肢、あどけなさと大人っぽさの両方を醸し出すその顔などなど、

つまり彼女は見た目と強さの両方の面でのBFFの象徴でもあった。

さらにデビューも実に早く、2年前、年にして15の頃にはネクスト・アンビエントに搭乗し、圧倒的な強さであれよあれよとこのランクまで上り詰めた。

 

「と、なれば何かしらの理由で撤退をしたか…」

その隣でモニターに映し出されるアレフ・ゼロの戦闘記録映像を眺めながら呟く男は王小龍といい、ランクやAMS適性こそリリウムよりも、

いや上位リンクスにかなり劣るものの、若いころから連綿とその頭脳で築き上げてきた作戦と陰謀により、

BFFの相談役にまで上り詰め、尊敬と畏怖をこめて周りからは王大人と呼ばれている。

この度の作戦も彼の指揮の元行われたものであった。

隣に立つリリウムも、ランクこそ王よりずっと上であるが、それを育てたのも、その位置に上り詰めらせたのも王であり、

それがこのランクの差からは考えられない奇妙な主従関係とも言える物の答えであった。

 

「どうしますか?」

自主性を全く出さずに支持を仰ぐリリウムであったが、それは常の事であり、彼女にとっては王の指示と信頼が何よりも大事なものなのである。

 

「ふむ。このリンクス、ガロア・A・ヴェデットは偶然にもお前と年が同じときている。お前には彼と接触を図ってもらい、その情報収集を任せよう」

普通の人間が、しかも新入りのリンクスがリリウムに声をかけられるとなれば動揺し、まともに話せなくなるか、もしくは機銃のように口から言葉を発し続けるかのどちらかだが、

得てしてこのようなタイプの強者は、こと他人が服のように纏う容姿や地位などはまるで意に介さない。

自分の強さこそが絶対の真実だと信じており、その他の物には一切惑わされないのだ。

一年前突然カラードに登録され、リリウムを蹴落として一気にランク1に上り詰めたオッツダルヴァもついに誰に対しても毒舌で尊大な態度を崩すことはないまま頂点へと至った。

 

「了解しました、王大人。では、リリウムはこれよりカラードへと向かいます」

去っていくリリウムが開けた扉の向こうからは、先日の作戦による株価上昇に伴うボーナス支給で大騒ぎが起きており、

その喧騒は今静かに新たな策略が練られたこの部屋と対照的であった。

 

扉が閉められ再び静かになった部屋の中で王は静かにほほ笑む。

さて、どうしてくれようか。

どちらに転んでも自分が利益を得る策を練る。

そしてその策に相手がぴったりとはまる。

女にも金にもさして興味のなかった王であるが、その愉悦は何にも勝り正しく格別の一言。

この時代の平均寿命は科学の発展や医療技術の発達により130を超えている(あくまでクレイドルでの話である)が、コジマ汚染にさらされ続けるリンクスは短命と言われている。

だが、既に60代も半ばに差し掛かる年齢のリンクス・王小龍であったがその頭脳は未だに衰える兆候を見せてはいなかった。

しかし…

 

「!ガハッ」

突然咳き込み始め口をおさえた王の手の平にはどす黒い血が付いていた。

コジマ粒子による人体への影響は未だに何があるかわかっておらず、手足がしびれ動かなくなるものもいれば、突然耳が聞こえなくなるものもいる。

そして、王が蝕まれたのは肺であった。

いつからか、このように突然喀血するようになっていたのだ。

秘密裏にかかった闇医者から貰った薬を飲み、血をハンカチで拭く。

この事実は、少なくともBFFでは上層部のほんの一握りが知るのみである。

現在、王小龍の名は陰謀家として知れ渡っており、BFFが少しでも絡む任務は王の陰謀が付いて回っているのではないかと敵が見えない陰に怯えるほどまでになっている。

単純な強さではなく、使える駒をすべて使う強かさ、そして増大させた自分のイメージ。

それこそが王の望んだ強さであり、原始的で暴力的な物ではなく理知的な人間種としての頭を使った強さであった。

自分が日に日に弱っているなどとの情報が漏れ出してはその力は瞬く間に瓦解する。

それはBFFの弱体化をも意味している。

だが、実際は王にとってそんなことはどうでもよかった。

王が自分が得た強さを守らなければならない理由。

それは…

 

「リリウム…」

彼を知る誰もが信じないであろうことだが、リリウム・ウォルコットのためであった。

 

 

 

 

 

『アレフ・ゼロの帰還を確認。除染後、ただちに格納します。リンクスは速やかにネクストから降りてください』

 

けたたましい音と共にアナウンスが響き渡る。

ネクストは帰還した後すぐに除染に移り、その後リンクスは速やかに分厚い三重の扉で隔離封鎖された格納庫を抜ける。

その手順を正しく取り、扉を抜けた先でセレンが壁に寄りかかりガロアを待っていた。

 

「初ミッション、成功おめでとう。まぁ、敵も弱すぎたがな…」

 

その意見には全くの同意なのでガロアも頷いた。

命をぶつけられるのはいいが痛くもかゆくもなかった。

 

「それより聞きたいことがあるのだが…あー…」

セレンは髪をかき上げながら目を左斜め上にやる。

最近わかったことだが、セレンは口に出すことが纏まっていないのに発言しようとするときは髪をかき上げる癖がある。

 

「お前、なんでホワイトグリントとの戦闘を避けた?いや、全くもって正しい判断なのだが…」

何故接近に気が付いたのか?何故あんなに動揺したのか?

聞きたいことは様々あったが質問はその一つに絞った。

 

ガロアは質問を受けて携帯に文字を打ち始める。

 

『シミュレーションと違った』

画面を除き込んだセレンは、その素っ頓狂な答えに思わず気が抜けてしまった。

 

「?それはそうだろう。お前の相手にしていたシミュレータ内のホワイトグリントはリンクス戦争の頃の物で、今はそれを模したハイスペックな似て非なるワンオフ機になっているんだ。

それに実戦とシミュレーションが違うなんてのは普段から言っていたことだろう?」

そんな、ある意味当たり前とも言えることにこいつはこんなに動揺したというのか?

それとも案外その辺りはまともな人間の感性だったということだろうか。

 

『そういうことじゃない』

即座にガロアは文字を入力し見せてくるが、その文字を見てセレンは混乱した。

 

「じゃあ一体どういう…」

 

『シミュレーションルームに行ってくる』

 

「あ、おい、今からか!?飯も着替えもしないでか!?」

再度打ち直した文字をセレンに見せると即、ガロアは踵を返し去って行ってしまった。

 

 

「なんだというんだ…」

残されたセレンはポツンと立ち尽くしながら、まだまだわからんところの多い奴だ…と独りごちた。

 

 

 

 

ピロリロリン、と初期設定から変えていないメールの受信音がガロアのリンクススーツのポケットから聞こえる。

メールを送ってくる人は一人しかいない。

 

『事後処理は私がしておくが、実戦の後なんだ。今はアドレナリンの影響で疲れを感じていないかもしれないがその後一気にくる。ほどほどにしておけよ』

案の定それはガロアの事を気遣った内容で、

その思いやりは嬉しかったがガロアには今それよりも気になることがあった。

 

シミュレーションルームの扉が開くとそこには何対もの厳めしいシミュレーターマシンがあり、その間には大型のモニターが付いている。

さらに天井からは超大型のモニターが付いており、今は起動していないがある条件の時にはその画面にネクストの戦いが映し出される。

中型スーパーマーケット程の広さの部屋の端には自動販売機やカタログ、過去のミッションの記録を見れるコンピュータなどもおかれており、今も室内にそれなりの人数がいるが利用しているのはリンクスだけではないようだ。このシミュレーションルームは一般開放されている区画の一つで、入室の際に荷物検査をされた後に入場料を支払えば誰でも入れるようになっている。

リンクスの利用には興味がない(またはその利用の為の資金がない)一般人がここに来る目的は主にネクスト戦の観戦にある。

モニターではシミュレーションを利用している人物の戦いを多角的に見ることができ、企業や依頼人はその戦い方や下馬評などから判断してリンクスを選んでいるのだ。

 

対になっているシミュレーターマシンに、日程を決め企業連の役人の立ち合いの元、観客に見守られる中で二人のリンクスが搭乗し優劣を決める戦いはオーダーマッチと呼ばれ、

そこで決せられるランクがリンクスの強さとも言われている。

オーダーマッチ時に天井の超大型モニターは起動され、物見高い一般市民はこぞって戦いを見物に来ておりその観戦料はカラードの中々馬鹿にはできない収入源となっている。

 

しかし、例えばオーダーマッチを全くしないランク29のリンクス、ミセステレジアなどはその強さに不釣合いなままそのランクに鎮座しているし、

実質最強と言われるネクスト、ホワイトグリントのランクは何故かカラード設立時からずっと9のままだ。

オーダーマッチを受けていないのにそのランクなのはおかしいとする者もいれば、その強さでランク9は低すぎると言うものもいる。

現在のランク1は企業でも一番力を持つオーメルのリンクスということもあり、つまるところ一概にランクだけで優劣を決めることは難しい、とされている。

 

ちなみにリンクス同士の戦いは基本的には本人たちが自由にしていいことになってはいるものの、敵に手の内を見せたがるものはいないのでオーダーマッチ以外で戦いが行われることはあまりない。

主にリンクスがシミュレーション目的でここを訪れるときは、データバンクに存在するネクストと相手をしている。

が、一方でチームで協力して戦うリンクスなどにとってはかなり練習のしやすい状況でもあり、そのおかげもあってか現在共同で戦うリンクスというものが増えてきている。

元来、リンクスは数の暴力の反対に位置する圧倒的な個の強さの象徴だったので協力して戦うなどということは本来想定されていなかったことだったが、

アームズフォートの出現や、ネクスト以外の戦力の増強などにより、リンクス同士も次第に共同で戦う者が増えていた。

そのような新しいリンクスたちは「第四世代のリンクス」と呼ばれ、

個々での強さは重視されていないためランクは低くとも、共同で戦った時の強さは侮れないものとなっている。

 

ここまでランクがそこまであてにならないという理由を述べてきたが、

それでもそのランクは強さの象徴には間違いなく、依頼料や舞い込む任務の数ももろにそのランクには影響されてくる。

あまり数の多い方ではないが、出世と金のために必死にランクをあげているリンクスもいることにはいるのだ。

 

オーダーマッチは自分よりランクが2つ上の者ならば挑戦することができ、逆に自分より下のランクなら誰でも相手に選ぶことが出来る。

挑戦の受理は本人の自由であるものの、自分より下のランクからの挑戦をあまり断りすぎれば角が立ち、

自分より下すぎる者に挑戦しても評判が下がるため、対戦の自由というものは実はあってないようなものだ。

 

登録されたばかりの新入りのガロアのランクは最下位の31、ランク上では最弱となっているが、

ガロアはそのランクにもオーダーマッチにもまるで興味はなく、ある目的のために来ていた。

 

「……」

シミュレータマシンの中に入りプラグを首のジャックに差し込む。

画面に表示される登録情報を流し読みし、設定をしていく。

場所はランダム、敵はネクスト一機のみ、相手は現ランク9ホワイトグリント。

 

選択して数秒後ガロアの意識は吸い込まれ、鋼の四肢と力を得て覚醒する。

場所は砂漠、そして相対するはホワイトグリント。

 

砂煙をあげてこちらに突っ込んでくるのが見える。

放たれるミサイル、そしてライフルの波状攻撃を当たらぬように避けつつガロアは違和感を感じていた。

あの時感じたプレッシャーとは全く比べ物にならない。

正確無比な狙いも回避の難しい分裂ミサイルも脅威ではあるものの、先刻感じた脊髄に直接氷をぶち込まれたかのような寒気は感じない。

回避に徹し攻撃せずにその答えを探るが一向に回答の手掛かりは得られない。

 

やはりシミュレータと実戦は違う、ということなのだろうか。

思案しているガロアのアレフ・ゼロに突然ホワイトグリントが接近してくる。近接装備は持ってなかったはずなのに、何故?と考えつつブレードを振りぬく。

が、それよりも早く緑の閃光が視界をシャットアウトする。

 

「!!!」

体中の皮膚が焼け付くような痛みがガロアの脳に伝えられる。

プライマルアーマーは全て剥げ落ち、APも半分を切る。

脂汗をかきつつもその後やはり回避に徹し3分ほど戦いを続けたが結局答えは得られぬまま途中でシミュレーションを中断し、ため息交じりにシミュレーターマシンを降りる。

 

と、その時ガロアの首に誰かの腕が回された。

 

「よう、新入り!いきなりホワイトグリントに挑むたぁやるじゃねえか!無謀はともかくその勇気は評価してやるぜ!」

首の後ろに回された腕に邪魔されながら右を見ると、

ひょろんと背が高くかなりしつこい印象を与える濃いまつ毛と、ほかの部分は全て直毛なのに何故かそこだけ強い癖のかかった揉み上げの男が口を片方だけ曲げて笑っていた。

そういえば観戦機能のON・OFFなんてのもあった気がする。

読み飛ばしていたのでうっかりしていた。

 

「俺の名前はダン・モロ!お前より先にリンクスになった先輩ってやつだ!年もお前より上だぜ!よろしくな!」

ガロアを開放し右手を差し出すダン。

改めて全体を見ると、真っ赤なポロシャツの下から黒い肌着がのぞいており、真っ青なズボンには何が詰まってるやらポケットがパンパンになっている。

普通の人間なら関わるのは躊躇われ、ましてや女性からは一目でありえないと言われそうな壊滅的なセンスをしていた。

 

変な奴だと思いながらもその右手に応える。人と握手するなんてセレン以来だった。というよりも人生で握手した人なんて片手で数えるくらいしかいない。

 

 

「無口な奴だな。名前ぐらい教えてくれよ」

怪訝な顔をするダンだが、それも無理はなく彼はガロアが喋れないことを知らない。

 

「そいつは喋れない病気らしいぞダン」

 

「あ、カニス!」

 

「ようお前、前評判は聞いているぜ。仲間が必要な時は俺を呼べよ。楽させてやるぜ」

 

「おいおい!俺がこれからリンクスのイロハってやつを教えてやろうと思ったのによ!」

 

カニスと呼ばれた男はドが付くほどの金髪をしているが眉が黒いことから察するに地毛ではないようだ。

日に焼けた中肉中背の身体にアロハシャツに短パン、赤いサングラスをかけており如何にも享楽的な遊び人といった風貌であった。

 

「ガロアっていったな。こいつはやめとけ。あんま強くない」

 

「なんてことを!おうおうおう!よく聞いておけ!俺様はネクスト・セレブリティアッシュを駆って世界を変えるヒーローなんだぜ!今のうちにサイン貰ってもいいんだぞ!」

 

「……」

突然目の前で開始されたコントのようなやり取りにガロアは1ミリも笑わず、そろそろおなかがすいたなとだけ考えていた。

そんな時。背後からの視線を感じて振り返った。

 

「……」

 

「あの、少しよろしいでしょうか」

 

「!」

 

「リ、リリリリリリリウム様!はっはは初めまして!俺、ダン・モロっていいいます!あなたのファンです!」

 

「存じております。初めまして、ダン様」

 

後ろから声をかけてきた少女にダンもカニスも顔を赤くし、カニスは黙り込みダンはまくしたてる。

初対面の人には必ずするように育てられたのか、それとも別の思惑があるのか差し出されたダンの右手にリリウムと呼ばれた少女が応え、ダンがもう俺死んでもいい!と騒ぐ。

 

ガロアはその名を聞いて静かに驚いていた。

先ほどのシミュレータマシンの中でランク2に位置していた者の名だ。

それがこんな幼い少女だとは。

それに、ベクトルは違うがここまで美しい女性を見るのはセレン以来である。

リンクスには見た目は関係ないとはいえこの少女にはリンクス以外の生き方もあったのではないだろうか、と自分がリンクスになった理由を思いながらも表情は一切変えずにいた。

 

「ガロア様、初めまして。リリウム・ウォルコットと申します。突然不躾ですが、リリウムと同い年のリンクスと伺いまして…どうでしょう?一緒にお食事でも」

 

丁度空腹だと考えていたところだし、カラードのどこで食事が出来るかまだ知らなかったガロアは断る理由はないなと考えて頷く。

普通の少年ならリリウムに話しかけられただけでダンのようになってしまうものだが、ガロアはそうはならなかった。

 

というよりも、ガロアは今までの人生で同い年の人物と関わったのがこれが初めてだった。

 

「はいはいはいはい!!行きます!俺、どこにでも行きます!食事!食事行きます!」

 

「お前には言っていないだろ…」

その隣で高速で頭を縦に振るダンと常識的な突っ込みをするカニスの姿があった。

どうやら二人もついてくるつもりらしい。

 

一方、そこから20mほど離れた物陰では。

 

「あのドぐされが…リリウムに話しかけてもらって表情の一つも変えんとは…」

双眼鏡を用いてそのやり取りを眺めながら歯ぎしりをする女性の姿があった。

茶色い髪を高い位置に結び、薄化粧された顔には一般人なら睨まれただけで震えあがるような迫力のあるツリ目があり、

その下ではよく整った高い鼻がプルプルと震える双眼鏡に当たっている。

平素は意志の固さを象徴するかのように結ばれている唇は、今は開かれその奥で白い歯がギリギリと音を立てている。

 

この女性の名をウィン・D・ファンションと言い、今は亡き霞スミカの後継として現インテリオルに所属するリンクスであり、カラードのランクは3にいる強者だ。

その強さと、そして相当な美人であるにもかかわらず全く浮いた話のない彼女は敵からは真鍮の乙女(ブラスメイデン)と揶揄され恐れられていた。

そして通り名に違わず20代半ばにして未通のままである。その理由は…

 

「はぁあああ…今日も可愛いなぁ…リリウムは…」

状況から察せる通り、彼女はレズビアンなのであった。もっともそのことを彼女が自覚したのは丁度二年前。

王小龍という彼女が毛嫌いする陰謀屋がリリウムをカラードに連れてきたときに今までになく心臓が跳ね上がった時だ。

ランク3ではあるが、その実力はリリウムには決して劣っておらず、単純にリリウムとまた相対するのが嫌なだけであった。

もちろんそれはオーダーマッチでの話であり、任務で当たったのならば傭兵らしく心を殺し対処する覚悟はある。

 

「お、ウィンディー!何してんだ?」

そんな不審者丸出しの行為をしているウィンの後ろから声をかけた男は独立傭兵の中でもカラードで最も高い位置、7にいる男でロイ・ザーランドという。

実はもっと上に行けるほどの実力を秘めてはいるが、7という数字は縁起がよさそうという理由でこの位置にとどまっており、半年前にこの位置に来てからは上に行かずとも下からの挑戦者に敗れたことはない。

同じような理由で自分のネクストにも「マイブリス」という名前を付けている。

短く切った黒髪には白いメッシュが入っているが、その派手さに負けることの無いキリッとした眉、大きな黒目、完璧な場所に位置した鼻と口。

つまりどんな女でも振り返らずにはいられない程のいい男な上性格もよく、そしてそのセクシーな口から飛び出す言葉は女性の心を絶妙にくすぐると来ているので、

彼は25になるまでどんな女も落とすことが出来た。

出来たというのは、つまり、それが過去の話だからである。

 

「ありゃぁ…新入りのガロア・A・ヴェデットか。初ミッションが終わってすぐにここにいるとはな…よくここに来るってわかったな。それとも尾けていたのか」

 

「……」

実際はストーカー、もとい尾行していたのはリリウムなのであるがそのような事実は口にせず無視で返す。

 

「な、なあウィンディー。そろそろ昼だし、一緒に飯でもどうだ?奢るからよ」

 

「うるさい。あっちに行け」

取り付く島もないとはこのことか。

大きなため息を吐きロイはうなだれる。

去年彼女に一目惚れして以来あらゆる手練手管を使い彼女に迫り、受けるミッションもインテリオル寄りにし、

彼女といくつものミッションをこなしてきたが態度の軟化は一向に見られない。

ならば自分を変えようと好みを聞いたらチャラついた男は好きではないと言われ、髪をカラスのように真っ黒に染め、七分に分て、大きな黒ぶち眼鏡をかけてスーツでデートに誘ったが、

今度は堅苦しい男は好きではないと断られる始末。

堅苦しい、チャラいではなく「男が好きではない」という事実に気が付かないままロイはこの一年でもうすっかりと自信を無くしていた。

 

「…ぁぃ…」

とぼとぼとロイが離れていくのを感じウィンはふんと鼻を鳴らし、さらに覗きを続ける。

と、そのとき、リリウムのそばにいる男の一人、ドンだかデンだか名前は忘れたが、とにかく独立傭兵の一人が食事と叫んでいるのが微かに聞こえた。

 

「この上一緒に食事だと…?」

なんとしてもあの新入りの癖毛赤毛のクソガキからリリウムを遠ざけなければならない。

どうするべきか…と少し考えて、肩を落としたロイが離れていくのを引き止めた。

 

「おい!ロイ・ザーランド!食事に行くぞ」

 

「ホントか!?よし、じゃあ美味い店を知っているから…」

 

「いや、店は私が決める。少し待て」

 

「ああ、どっちでもいいぜ。待ちますとも」

 

丁度向こうも話が纏まったらしく移動を開始する。

さて、どうしたものか。

 

 

 

 

カラード管轄外の一角の高くも安くもないレストランで四人の男女が一つの机を囲んでいた。

机に置かれたそれぞれの食事は一つだけかなり減っていた。

 

「……」

 

「…でですね!俺はそのヒーローの圧倒的な力に憧れて圧倒的な力を持つネクストのパイロット、リンクスになってやろうと思ったわけなんですよ!そのための才能もあったしこれは運命ってやつですかね!この力を使って俺は…」

 

「お前、よくそんなに口が回るな…」

 

(この二人にも付いてきてもらったのは間違いだったかもしれません…)

リリウムは笑顔でダンの話を聞きながら心の中でつぶやく。

王の言っていた通り、ガロアは他人のよしなしごとにはほとんど興味が無い様子で、

ずっと頼んだBLTサンドを頬張っては飲み込みを繰り返している。

幸い、彼が頼んだメニューはまだまだ全ては来てはいないが、今のペースでは恐らく30分もしないうちに食べ終えてしまうだろう。

 

「…つまり!独立傭兵になったというのもどの企業にも悪いところも良いところもあって、その良い部分だけが出ているミッションを…」

 

「お前、結構まともな考えだよな、それ」

 

「……」

 

「お待たせしました~ステーキセットと大盛ミートスパゲッティ、マヨコーンピザにシーフードドリアです~」

 

「……」

 

(言葉を発する事が出来ないと言うのは存じていましたがこれではそれ以前の問題かもしれません…)

そうこうしているうちにもガロアの細身な身体にどんどん食事が吸い込まれていく。

これでは話を聞き出すどころではないと思っていたところに新たに入ってきたらしい客が声をかけてくる。

 

「リリウムか。奇遇だな」

後ろを振り返ると、自分がリンクスになってから何かと気をかけてくれていた先輩リンクス、ウィン・D・ファンションがいた。

一応彼女の所属するインテリオルと自分の所属するBFFは敵対関係にあるものの、こと強力な力を持つリンクスにとっての所属企業とは拘束の意味は持たない。

見返りの大きい任務や新製品が自分達に優先的に回ってくる。それだけだ。もし所属企業の力が弱ったら鞍替えをすればいいだけ。

リンクスはどの企業も欲しがるのだから…というのは王の教え。

リリウムは企業間の相関図やBFFの力などにはそこまで興味はない。

そういった理由から、優しく世話をしてくれていたウィンディーの事は実の姉のように慕っている。

 

「こんにちは。ウィンディー様。お食事ですか?」

 

「まあ、そんなところだ。折角だし、一緒にどうだ?」

 

(リリウム・ウォルコット…早速接触しているのか‥恐らくは王のジジイの命令に違いないな…それにしてもウィンディー、さりげなく新入りと同じ机に…抜け目ないな…)

ロイの想像はある一点を除いて的を射ていた。

 

「ええ、是非」

 

(ゲゲーッ!ロイ・ザーランドにウィン・D・ファンションじゃねえか!なんだってこうも化け物が集まってくるんだ!)

 

「ゲゲーッ!ロイ・ザーランドにウィン・D・ファンションじゃねえか!は、初めまして!俺、ダン・モロっていいます!」

 

「……」

ガロアはさらに来た二人にもあまり関心を示さずひたすらに胃袋に食料をぶち込み続けている。

是非とは言ったもののますます席は混み合いこれでは話すことの出来ないガロアから情報収集など全くできないだろう。

 

 

「お姉さん、俺、リブステーキセットとコーヒーね」

 

「私はフレンチトーストを」

 

「かしこまりました~」

 

「あの!共同作戦の時はいつでも言ってください!格安で引き受けますから!ご一緒させてください!」

 

「このレベルのリンクスのミッションに着いていったら死んじまうだろ…」

 

「……」

 

捲し立てるダンにもっともな正論を返すカニス。

そうこうしているうちにガロアは注文の全てを身体に取り込んでしまっていた。

どう切り出すか…と考えながら背筋を伸ばし紅茶を啜るリリウムは目の前にいた男二人と女一人が見とれてしまうほど様になっていた。

が、そのとき。

ピロリロリン、とありきたりなようで今は中々聞くことの無いような音が聞こえてくる。

 

「……」

 

「お前、随分古いケータイ使ってんなー」

先ほどから正論しか口にしていないカニスの言葉通り、ガロアに取り出されたケータイは近頃とんと見ない折り畳み式のケータイだった。

喋れないガロアがケータイを用いるとしたら恐らくはメールだろうか。

 

「……」

 

『お前、今日の四時には引っ越し業者が来るんだぞ。それまでに片付けなきゃいけないってこと忘れてないか?入り口で待ってるから早く来い』

 

「…!!」

セレンからのメールを見てすぐに時計目をやると14時22分。

家に着くまで最短でも三十分。

家の状況を思い出してみればガロアの部屋とリビング、トイレと風呂以外、つまり共同の部屋以外は酷い有様だったはず。

以前勝手に片づけて酷く怒ったり落ち込んだりしていたのでそれ以来放っておいたが、あの部屋の惨状を思うに片付けが一時間やそこらで終わるとはとても思えない。

部屋の片づけも引っ越しの手順にしてもどうしてこう刹那的に生きているのだろうか。

なんでそんな刹那的に生きているんだとは、お互いに思っていることではあるがそれに気が付くことはない。

そもそもの話、忘れてる覚えてるではなく、引っ越しが今日の四時なんてのは初めて聞いた。

 

「……」

手にしたフォークを放り出して即座に走り出す。

何か忘れている気がするが、セレンが入り口でぷりぷりと怒りながら待ってることに比べれば大したことではないはずだ。

セレンは堪忍袋がかなり小さいので、ほんの少しの火種が一気に大噴火になることが割とよくあるのだ。

 

「ガロア様!待ってください!」

情報収集どころか自分の存在すらほぼ認識されていなかったのではないか、と生まれて初めての事態に焦りながらリリウムは追いかける。

 

「あ!リリウム!待ってくれ!」

 

「お、おい!まだ注文来てねーのに!」

 

ガロアを追うリリウムの後を追うウィンの後を追うロイ。

一気にがらんとした机に先ほど注文された物が追加で来る。

 

「なんだよなんだよ…まだまだ話はあったってのに…ったく…」

まだまだ話足りないぜとばかりにぼやき大分冷たくなったステーキを口に運びながらダンはつぶやく。

 

「なあ、おい」

 

「ん?なんだよ。早く食わねえとどんどん不味くなるぜ」

 

「いや…俺、ロッカールームに財布置きっぱなしなんだが…これ誰が支払うんだ?」

 

「……」

ダンの手が止まる。

実は初任務の報酬でガロアに奢ってもらおうなんて情けないことを思っていたので金を持ってきた記憶はない。

パンパンのポケットに手を突っ込むとケータイ、埃、使用済みのちり紙、ガムの包み紙、小さいころから持ち歩いてるヒーローのフィギュアが出てきた。

 

「……」

ポケットから何やらごちゃごちゃとゴミを出し、顔をサーッと青くするダンを見てカニスも顔を青くした。

 

 

目の前で走るガロアが立ち止まる。

追いかけるリリウムは、あれだけ食べてよくここまで走れるものだと思いながらも追いついた。

 

「遅い!やっぱり忘れていたのか!」

普段慌てることのないガロアが全力でこちらに駆け寄ってきたのは少し可愛いな、とセレンは思ったが当然そんなことを口に出すわけはない。

 

「ガロア様!」

 

「リリウム!」

 

「おい、待てってウィンディー!」

 

その後ろから次々と人が追ってくる。

一瞬また人さらいが来たのかとギクリとしたがどうもそうではないようだ。

 

「あの、まだお話を何も…」

 

「!!」

 

(お、これまた凄ぇ美人!ガキだと思ってたが、意外にやるなぁこの新入り)

 

「なんだ?なにか話でもしていたのか?すまないが、これから引っ越しがあるんで急いで帰らなくてはならないんだ。話ならまた今度にしてくれ」

追ってきた三人は三者三様の反応をしているが、ポニーテールの女性が驚愕、といった表情でセレンを見る。

 

「引っ越し?ああ、そうか。ところで、お嬢さん、お名前は?おっと、俺の名前はロイ・ザーランド。気安くロイって呼んでくれ」

引っ越しと言うと皆反応が少し遅れる。

実は上位リンクスのほとんどは個人的にネクスト格納庫と発着場を所有し、作業ロボやガードロボを買ってその近くに住んでいる。

自分たちの置かれた傭兵という立場をよく理解し企業から一定の距離をとる、あれこれ指図されたくないなど理由は様々だが少なくともその為の資金なら上位リンクスなら容易く稼げる。

企業は逆にそれを戦力が独立しようとしている危険な兆候とも捉えており、その不完全な支配がアームズフォートの開発の動機の一端になっているということは個々のリンクスが知るはずもない。

現在一ケタのランクでカラードに住んでいるのはランク1オッツダルヴァだけだが、それが企業に従順なのかと言われればまた違うというのは別の話だ。

 

 

「ああ、ガロアのオペレーターのセレン・ヘイズという」

唐突に名前を聞かれ言葉がつっかえそうになるが、なんとかすらすらと自己紹介に成功する。

未だに極少数の人を除き自分が話題の中心になるのも、話すのも苦手だ。

突然話しかけてきた男は、今まで自分に言い寄ってきた奴と同じ、女の扱いに慣れた男の雰囲気がして反射的に鼻がひくついた。

 

「行くぞ、ガロア」

頷きガロアは着いてくる。

 

「あの!」

立ち去ろうとするガロアにリリウムは王から命令されたことを達成できていないことへの焦りと、ほんの少しのガロアへの興味から声を上げた。

 

「ん?」

 

「……」

 

「また今度一緒にお食事を!」

 

ガロアと同じくらいの年齢であろうか。

たおやかな少女がそんなことを言い出す。

ガロアは少しだけ怪訝な顔した後に頷き、そのまま自分の隣に並んで再び歩き出す。

なぜだがガロアが素直に食事の誘いに肯定したことに胸のあたりがチクリと痛んだ。

 

「なんなんだ?あいつら、お前の友人か?」

小声で話しながらセレンは思う。

ガロアはこんなに社交的な奴だっただろうかと。

 

「……」

間をおかずに首を振るガロアにほっとするセレンだが、その独占欲と呼ばれる感情の正体に気が付くことはないまま帰路に着いた。

 

 

 

(霞…スミカ…か?死亡したはずの…なんなんだ?インテリオルは一体何を…?)

セレン・ヘイズと名乗った女は、つい最近になって入室が許可されたインテリオルの記録室…その中で見た、過去に旧レオーネメカニカに所属していた霞スミカの姿そのままだった。

元々綺麗な企業だとは思ってはいなかったが、ますます疑念が増える。他人の空似にしてはあまりにも似過ぎていた。

 

(クローンか…?いや、だがそれがなぜオペレーターなどを…?)

さらに長考すれば当たらずも遠からずの答えに至れたかもしれないが、唐突に邪魔が入る。

 

「おい、ウィンディー。飯注文したままだろ。戻るぞ。そりゃ失礼ってもんだ。リリウムちゃんも、ほら」

 

「ん?あ、ああ」

 

「はい、ロイ様」

背後から急にぶつけられた正論に思わず肯定の意を出してしまい、しまったと一瞬思ったがリリウムも戻るというので結果オーライだ。

 

(どちらにせよ…警戒しておくに越したことはないな…)

風に流れる髪をおさえながらウィンは中断した思考にそう結論付けた。

 

 

「……」

リリウムは先ほど何故自分があんな大声で思っていたことを言ったのか自分自身よく分かっていなかった。

その正体は、自分と同年代の異性が気になるというこの年頃なら当たり前に起こりうる感情なのだが、今まで彼女と触れ合う同年代の異性は少なかったうえ、

出会ってもそのリリウムが持つ地位や見た目のせいで、ただの17歳の少女という目で等身大のリリウムを見てくれる者はほとんどいなかったのでその感情の正体を正しく掴めない。

実のところただ単にガロアはリリウム含む今日現れた人物にあまり興味を示していなかっただけなのであるが、

そういった反応をした同年代の異性はリリウムの人生の中で初めてであり、それが彼女の興味を引くことになったのだ。

既に見えなくなったガロアとセレンの姿を探すように後ろを振り返った後、リリウムは自分を待つウィンの元へかけていった。

 

 

そして戻った三人が見たのはジャパニーズ・アポロジャイズ・スタイル、通称DOGEZAと呼ばれるものを二人の独立傭兵が店員と警備隊にしている姿だった。

そのあまりに滑稽な姿に眉を顰めっぱなしだったウィンは思わず笑ってしまい、その笑顔を見てロイはやっぱりウィンディーがナンバーワン!と心の中で思っていた。

 

 

 

 

「何?突然相手の機体が光を発してダメージを受けた?」

夜、引っ越しのトラックの荷台の中で揺られながらガロアの質問を受けて少し考えて思い出す。

 

「ああ、恐らくアサルトアーマーだろう。その場で見ていないから確実にとは言えないが」

何をしていたのかと聞いたら、シミュレーション上でホワイトグリントと戦ってみたという。

そしてその後大勢の見知らぬ人に捕まったそうだ。

ガロア自身気付いていないがそのAMS適性の高さから新人としてはかなり注目されていることは事前に知っていたので遅れたことにも納得がいく。

一人で勝手に納得していると、非常に珍しくガロアの方から質問をしてきたので、なんだか嬉しくなり丁寧に説明することにした。

 

「コジマ粒子は非常に細かな粒子で速度が一定以下の時はその時の速度と、その速度に則った時間後の位置に留まろうとする性質があるのは教えたな?

その性質を利用してプライマルアーマーが作られたんだ。実弾がぶつかってもその位置に留まろうとする性質によりコジマ粒子は弾を弾き返す。

逆に質量のないエネルギー弾には効果が薄いとも教えたはずだ」

 

そのあたりのことは覚えていたようで揺れるトラックの中で体育座りをしながらガロアは頷き覚えていると示す。

 

「だが、コジマ粒子にはもう一つの性質がある。先ほど述べたある一定以上の速度を超えると粒子同士が互いに影響しあう…つまり波の性質になるんだ。縦方向への超高速振動をくり返しながら振動と垂直に移動する波となるのだが、それは一定速度以下のコジマ粒子は弾き飛ばし、一定速度以上のコジマ粒子は巻き込む。そして金属を貫通しその原子結合を断ち切りグズグズに溶かしてしまう」

 

「この性質は以前から知られていて、まだまだ解明されてはいないがこの性質が生物の身体に悪影響を与えるのではないかとも言われている。確定ではないがな。

昔から実験的なネクストに利用されてはいたが、如何せんリンクスにも悪影響を与えるから、その性質は使われることはなかったんだ。だから教える必要もないかと思っててな。

だが、最近になってようやく一般的なネクストにも利用されるようになった」

 

どうやって?、と素直に質問をするガロアに少し得意気になりながら説明を続けることにする。

リンクスデビューして、最早自分に頼ることも無くなるのかと少々寂しくなっていたがまだまだ自分の助けが必要なようだ。

 

「逆位相…つまり、自分側に来るコジマ粒子の波を打ち消す波を同時に放つ事で自分がコジマ汚染にさらされること無く相手に打撃を与えられるようになったんだ。だが、自分の周囲のコジマ粒子を攻撃に転用し、ジェネレータからその時出力出来るコジマ粒子を全て打ち消す為にオーバードブースターから出力して使うためジェネレータとオーバードブースターがオーバーヒートを起こし、暫くの間プライマルアーマーが使えなくなってしまうんだ。まさしく諸刃の剣だ。それを使うとなれば相手より速く動けてかつ熟達しているか、隠れてプライマルアーマーが回復する場所がある戦場か、だな」

 

目を薄く開きながら何かを考えるように聞くガロア。恐らくその頭の中では今どう使うのが効果的か、自分に合っているのかと様々なシミュレーションを繰り返しているはずだ。

 

「ちなみにお前の機体では使えん。オーバードブースターが昔の物だからその機能が付けられていないんだ。だが、無理して新しい力に手を出すよりも今の力を伸ばす方がいいと私は思う」

 

 

目を開きこちらをまっすぐ見つめながらゆっくり頷くガロア。

冷静でいるようでその実自分の思ったことはすぐに行動に移す猪突猛進型のガロアであるが、人の話に耳を貸す賢さもまた兼ね備えている。

 

「っ…ととと」

ぐらぐらと揺れるトラックの中で掴むところを探しつつバランスをとる。

公共エアラインシステムを使えば30分で着くのだが陸路では3時間はかかる。

荷物が少なければ空路でも行けたのだが、如何せん(主にセレンの)荷物が多すぎた。

インテリオルから唐突に解放され羽の伸ばし方の分からなかったセレンは一人きりだった一年で浪費の限りを尽くしており、またさらに悪いことに彼女は捨てられない女、片づけられない女だったのだ。

揺れる4tトラックはほとんど一杯であり、これでも大分荷物は捨てたほうだ。

4LDKあったうちの実に二部屋は彼女の荷物で埋まっていたというのだから恐ろしい。

対するガロアの荷物はトランク一つで収まる程であり、実のところ一人で先に行こうと思えば行けたのだが先ほどガロアがしばらく離れて他人と話していた事実に僅かに不機嫌になっていた事実を鋭敏に察していた彼はセレンのそばにいることにした。

 

しかしそれはそれで狭い空間に二人きりでいるのも落ち着かないらしく立ったり座ったりを繰り返しその度にバランスを失い転びそうになっているのを見て難しい人だな、と思うほかなかった。

 

「まだ到着しないのか…」

 

荷台についてる小窓で外を見ながら呟くセレンだがその台詞は出発して既に7度目、小窓を除くのは12回目だ。

チラリとガロアの方を見る。ちなみにこうしてそっとガロアの方を見るのは日に何十何百とあることであり、セレンは気づかれないように見ているつもりでもガロアはその視線には気づいている。

 

(大きくなったな…あのワケの分からんファッションだったダボダボの服もぴったりになっているじゃないか…)

出会った頃から来ていた全くサイズの合っていない保温性に優れた白いコートと長いズボン、そしてウシャンカと呼ばれる厚手の帽子は彼がもともと住んでいた地方独特の服装であり、訓練や料理等をするとき以外はよく身に着けていた。

その服を纏う理由をセレンは既に調べ上げて知っていたので変な格好だとは思いつつも止めることはしなかった。

今は大きく成長した彼の身体にはそれらの服装はジャストフィットしており、ウシャンカを深々と被った下から覗く癖毛の影がかかった独特の紋様を持つ眼が作る憂いを帯びた視線に、

ロイほどではないにせよ整った顔立ちを全く崩すことの無いどこか幼いポーカーフェイスは、良く似合うようになった服装と相まって中々の美少年であった。

しかし、この地方では冬でもまず見ないであろう服装をいつでも構わずにしているというのは、似合う似合わない以前に変人の域なのだがその辺は気にしないことにしている。

 

ガロアがこちらに視線を向ける。

セレンはよく分からぬ類の感情が内側で弾けて視線をそむけてしまう。

平常であれば目が合ってもなんともないが、この頃、二人でいてふとした瞬間に目が合うとつい目を逸らしてしまうようになっていた。

ガロアの色素の薄い灰色の眼が自分の隠している過去を責めているような気がするのだ。

 

そんなやり取り(と思っているのはセレンだけだが)をしているうちに疲れが陰から身を出しぬるりと眠気がわいてくる。

ガロアのリンクスデビューであったと同時に自分もオペレータデビューであった。

やはり気づかないところで相当気を張っていたに違いないし、引っ越しや知らない人物とのやりとりもあってかなり疲れた。

自分の服がぐちゃぐちゃパンパンに詰まった紙袋を引き寄せそれを枕に寝転がる。

ガタガタ揺れて不快だったこのトラックの振動も今では眠気をいざなう絶好の材料に過ぎない。

再びガロアに目を向けると、先ほどと変わらぬ様子で体育座りをし膝に顔を埋め込みながら虚空を見つめている。

その顔には疲れは見えない。

 

(……)

初めての実戦の後シミュレーションまで行ったのになんでこいつは疲労していない?

いや、それよりも、少なくとも何人かは今日確実に殺しているはず。それなのにこの落ち着き様。自分が初めて人を殺した時は…。

セレンは自分が初めてネクストに搭乗した時を思い出しながらいつの間にか眠りについていた。

 

 

 

(…また酷く揺れるな…とんでもない悪路だ…)

半覚醒の眠りの中でグラグラと揺れる身体を感じながらセレンは思う。

 

「……」

辺りを確認しようと薄目を開くと頼りない光に照らされたガロアの顔が目の前に見える。

 

「うわっ!?」

あまりの距離の近さに心臓と身体が跳ね上がり思い切り頭と頭を衝突させる。

今まで起こされることはあってもこの距離感ではなかったのだが、それは単純にぐっすりと寝ているセレンを起こすためにガロアもしゃがみこみ身体を揺らしていたからである。

内外ともにカチコチの頭の衝突はかなりの痛みだったらしくガロアは頭を抱えたままうずくまる。

一方のセレンは痛かったものの目が覚めたと言わんばかりに目をこすり立ち上がる。

 

「着いたのか?じゃあ荷物を運ぶか…」

ちなみにこの時代の引っ越しは人間は頼まなければ来ず、全自動走行のトラックが時間通りに来て荷物を運ぶのみである。

大荷物があり、かつ運ぶだけの力がある人物がいない時に業者を呼ぶのである。

今回は細身ながらも力もかなりついているガロアがいたので業者は呼ばなかった。

 

ここに来るまでのゲートは既にガロアがIDカードを示し、トラックの中のスキャンも済ませている。

 

さて、ここからが大変だ。

何せ4tトラックが埋まるほどの量の荷物があるのだ。

現在時刻は7時半。夕餉の時間は大分遅くなりそうだ。

 

「……」

 

「くっ…重い…」

黙々と(セレンは少々グチグチと)カラード管理下マンションの入り口に荷物を降ろしていくと入り口から見覚えのある人物がやってきた。

 

「よう、待ってたぜ。手伝ってやるよ」

 

「!」

 

「誰だ?知り合いか?」

 

昼にもまして意味不明な格好の部屋着をしているダンがそこにいた。

 

「ああ、ちょっとしたな。ロイの旦那から今日引っ越してくるって聞いてな。俺はダン・モロ。リンクスだ。よろしく(ホントにすげえ美人じゃねえか!)」

 

「セレン・ヘイズだ。こいつのオペレーターをしている。手伝ってくれるとはありがたい」

 

「いいってことよ。そのかわり、僚機を選ぶときは考えてくれよ」

 

ダンはある理由によりあまり僚機に選ばれることがないため、この機会に名を売り込んでおこうという狙いと善意半分で早めに晩飯を済まして待っていたのだ。

 

「ふぃ~これで全部か?二人分の荷物なのかよこれで…」

 

「これをエレベーターに乗って25階まで運ぶんだ」

 

ダンとセレンが微妙にかみ合ってない会話をしている間にガロアは積み下ろし完了のコマンドを示しトラックを送り返しておいた。

 

 

エレベータに積み込んだ荷物をようやく部屋の前に降ろしセレンが礼を述べる。

 

「すまないな、助かった」

 

「えっ!?二人で一つの部屋に住むの!?」

 

「そうだが?」

 

「え…あ、そうなの…」

普通の少年時代を経て、服装のセンス以外は普通に育ったダンにとって思春期の男女が同じ部屋に住むということはどうしても邪な妄想をせずにはいられない。

なによりも。

 

(オペレーターと一緒に住む…ただの契約関係というわけじゃないのかな…)

普通オペレータというものはそれ専用の教育を受けて、一人ではなく何人かのリンクスやノーマル乗りと任務の報酬の何%、

もしくは毎回一定の給与を受け取ることを互いに合意の上で決めて契約をする立派な職業の一つであり、

仕事上の関係以上の関係となることはあまりない。

またリンクスの方も人によるが、作戦に応じたオペレータをそれぞれ選んで起用する者もいればオペレータを用いずに任務に臨む者もいる。

カラードに登録されているオペレータもいれば、企業に所属するオペレータ、または独立オペレータなどもおり、それぞれの特徴というものも人の個性と同じようにある。

ちなみにダンの契約しているオペレータは独立オペレータであり、ベテランだが白髪混じりの男性なので羨ましいったらない。

カラード管理下の建物はリンクスも住んでいることにはいるが主にはカラードに勤めている者とオペレータが住民となっており、

個人としての関係を持たずに踏み込むことも通常はないはずのオペレータとリンクスが一緒に住むというだけで色々と勘繰れる要素となるのだが、

若く経験も浅いダンにとっては結局のところ、美人と一緒に住めるなんて羨ましいや、という考えに帰結してしまった。

 

「ま、まぁいいや。じゃあ俺は自分の部屋に帰るからよ…おやすみ!」

 

「?」

 

「なんなんだ?」

 

妄想が加速してしまいこれ以上ここにいたら言うべきではないことを言ってしまいそうだと判断したダンは足早に走り去ってしまう。

 

「変わったやつだな…友人なのか?あの男は」

服装のセンス込みで変わったやつだと判断しガロアに聞くがまた首を横に振って返してくる。

まぁいいやと前もって受け取っていた鍵を差しドアを開け荷物を運んでいく。

 

 

「なんか狭いな」

ようやく(主にセレンの)荷物を運び終えて言った一言がこれである。

一緒の部屋でいいだろうと言ったのはセレンであり、そもそも2LDKという間取りなので二人で住むのに狭いということはない。

単純にセレンの部屋に荷物を放り込むだけ放り込んだ結果狭くなってしまっただけである。

今は全部セレンの部屋にあるが、そのうちなんだかんだと自分の部屋に侵食してくるであろうことを予想しているガロアはその台詞が来ることは正直わかっていた。

 

「お前の部屋は荷物も少ないしそっちにもいくらか置くか。今日は遅いから明日にするとして」

流石に許可をとることもせずに、お前の部屋にも荷物置くからな宣言が来るというのは予想外だったが。

 

「シミュレーションルームに行ったならオーダーマッチについてはもう把握したか?」

頷くガロアに向けてリビングに置いた椅子に座りながらさらに続ける。

 

「それを受けるつもりは…ないか。わかっていたよ」

ガロアがセレンの発言を予想出来ていたように、言葉を話せないためかなり時間はかかったもののセレンもこの約三年でガロアの性格を把握しつつあり、

そのような順位付けなどに興味を持つことはないだろうことは分かっていた。

 

「それでも構わないんだが…その…」

核心に触れないように言葉を選びながら目の前の椅子を引きガロアも座らせる。

 

「ランクが上がらなければ難しいミッションが来ることもないんだ…あー、例えば上位リンクスと敵対するようなものとかな。

ランク30をランク1にぶつけてどうなるかなんて火を見るより明らかだろ?例えそのランク30に相当な実力があったとしてもやはりそのミッションにはランク2が選ばれるだろう」

 

 

「…!」

ガロアの顔色が明らかに変わる。

そう、その言葉通りもしホワイトグリント撃破が任務として出されるとして、順当に考えてその依頼が来るのはランク1オッツダルヴァだろう。

その事にもうまく気が付いたようだ。

 

 

「なら、近いうちにオーダーマッチの申請をしておくことだ。…さて、飯にするにも材料がないからな。どこかに食べに行くか」

 

 

各部屋に取り付けられている連絡用コンピュータにガロア・A・ヴェデット宛の二つ目の依頼が来ていたことに二人が気が付いたのは食事から帰ってきてからだった。



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ギガベース撃破

「ミッション開始!第8艦隊が護衛する、GAのアームズフォート・ギガベースを撃破する。まずはVOBで一気にギガベースに接敵するぞ!敵の長距離攻撃に注意しろ、拠点型とはいえアームズフォートだ。火力は侮れんぞ 」

ネクストから送られてくる映像を見ながら告げるセレン。

目の前にあった海に浮かぶ戦艦が一秒後には遥か後ろにある。画面に表示される速度は2000km/hに達しておりVOBを使用したことの無いセレンはそれがどのような負荷をガロアにかけているか想像できない。

 

その場にとどまろうとするコジマ粒子を動かそうとすると留まるために斥力を受けるという理論を利用し一気にコジマ粒子を噴出し超高速での移動を可能としたブースター…それがVOBである。

今回インテリオルから撃破依頼されたギガベースにも言えることだが、

一般的にアームズフォートというのはにネクストではどうすることもできない超遠距離から高火力を叩き込むことを得意としている。

その特性によりアームズフォートの登場から暫くはネクストではどうにもならず、かといってアームズフォートをぶつけようにもその巨体故射程内に入る前に察知されてしまう。

早い話が開発したもの勝ちの無敵の兵器だった。

それに対抗する手段として開発されたのがこのVOB、ヴァンガードオーバードブーストであった。

超高速で接敵が出来たならばネクストでもアームズフォートを撃破できるだろう、という考えであるが…

接敵できたところで撃破が出来るリンクスは限られており、事実アームズフォートを落としてからが一人前という風潮もある。

 

(まさか二回目のミッションからいきなりアームズフォートをぶつけられるとは…注目されるというのも考え物か…)

画面が閃光に包まれた瞬間瞬間にガロアはクイックブーストを横方向へ吹かしており、未だに主砲には一発も当たっておらず、着々とギガベースに接近していってる。

それだけを見ればインテリオルのリンクス選出は間違っていなかったのかもしれないが画面に表示されているネクスト一機をまるまる包み込まんばかりの大きさの砲弾を見てセレンは表情は変えてはいないものの気が気でない。

 

(最初からこのペースでは使いつぶされてしまうのではないか…傭兵とはこういうものなのか…)

実際は本当の意味で傭兵として戦ったことの無いセレンにはわからないのも無理はないが、基本的に傭兵は金のためだけに戦い、企業も金で傭兵をつないでいる。

その関係に感情は存在せず、企業にとって傭兵なんてのはただの駒であり、傭兵にとって企業なんてのもただ金を持っているだけの存在に過ぎない。

使いつぶしたら、それはそれ。

金がなくなったら敵方につく。

それが傭兵と企業の関係なのだ。

結局のところ強い傭兵が金のある企業につくというのはマネーゲームに過ぎない。

そして今ガロアはまだそうした事を選べない新人であり、企業はその新人が凡百の駒かあるいはダイヤの原石かを見分けなければならない。

もしも強力な力の持ち主だったのならば何としても味方につけるかあるいは死んでもらうしかないのだから。

 

 

「……」

彼方で光が瞬く。

息を吐き左に跳ぶように意識すると同時にアレフ・ゼロも左にクイックブーストで動く。

今まですれ違った敵の数は106。

ブリーフィングで知らされていた敵艦の数から考えるに、ギガベースが中心にいると考えれば今は丁度ギガベースまで中間といったところか。

 

 

 

集中するガロアから遥か遠くで今、ガロアの価値を見極めんとある指示が出されていた。

 

「頃合いか。五秒後に爆破する」

 

「了解です」

インテリオルの中心にて何かしらの爆破を指示した男はこの会社の重鎮であり、霞スミカクローン計画の発案者でもある。

ある意味セレンとリンクスとなったガロアの産みの親とも言えるこの男は今日、その価値を見極めんとスクリーンの前に来ていた。

 

 

 

「!!」

衝撃。

高度が思うように上がらなくなる。

目の前のモニターには過ぎ去ってゆく景色と共に赤い文字で『異常発生』と書かれていた。

 

 

 

「なんだ!?」

その異常はセレンの元にもすぐに届き別画面に表示されている機体情報を見て、一気に背中に汗が浮かぶ。

 

「VOBに異常発生!このままでは爆発するぞ!強制パージする!衝撃に備えろ! 」

指示を出すと同時にVOBをパージするコマンドを出す。

機体制御がガロアから外れるその数瞬を狙ったかのようにアレフ・ゼロに主砲が直撃した。

 

「ガロア!!」

モニターに表示されている、現在の機体の耐久値を総合的に表した数値、つまりAPは40%ほど減っていた。

が、それが表示されているということはとりあえずはまだ撃破されていないということである。

ほんの少し安心したセレンの心は、画面にさらに表示される情報に一気に叩きのめされた。

 

 

 

「…!」

目の前の景色が激痛で霞む。高度を失いつつ失速する機体をなんとか水没寸前で持ち直す。

アレフ・ゼロの左腕は主砲の直撃により吹き飛んでいた。

痛みで動くどころではないが、その場に留まっていては吹き飛ぶのは左腕だけではなくなる。

クイックブーストをランダムに吹かし主砲と周りから飛んでくるミサイルを避ける。

 

AMS適性が高ければネクスト側からの拒否もなくすんなりと接続、同化でき、自分の身体を動かすかのように操縦できる反面、

機体の受けたダメージがリンクスにフィードバックされるという面もあった。

ただ、それはどこから攻撃されたかカメラで確認しなくても分かるなどというメリットにもなるのだが今回はデメリットだけがもろに出た。

 

主砲から飛んでくる弾は見えるが未だにギガベースの姿は見えない。

 

 

 

「さて、どうなる…」

爆破を指示した男は機体情報を目にして呟く。

敵地の真ん中、しかも左腕を捥がれた状態で通常推力で接近しアームズフォートを撃破するなど、ただのリンクスではまず無理であろう。

もしこれで死ぬのならそれでよい。

それだけのリンクスだったという話だ。

今はセレンと名乗っているオペレータからは既にインテリオルからは独立しているとの声明が全企業に出されており、扱いは独立傭兵となっているので本社の損失にもならない。

だが、これでもしこのミッションを成功させたのならば。

その扱いを考えなければならないだろう。

最高戦力に値する味方として。あるいは最優先で撃破すべき敵として。

 

八年前のリンクス戦争ではその見極めが遅すぎた結果、その時一番の力を持っていた企業は大したことはないと侮っていたリンクスに潰される結果となった。

それと同じ轍は踏まない。

特に今回のガロア・A・ヴェデットに関しては情報からも前回のミッションの結果からも、警戒という選択肢以外はありえなかった。

 

 

 

「インテリオルめ…傭兵は体のいい実験台か?通常推力でギガベースに近付くしかないか…クソッ…忌々しい…」

恨めしげに呟きながら机を叩く。置いてあったペットボトルが音を立てて落ちたがそれどころではない。

 

撤退を命令しようと思ったものの、ここで背中を向ければまず間違いなく、射程外に達する前に撃ち落とされる。

つまり逃げるにはギガベースをなんとしても撃破しなければならない。

もっと直接的に言えば任務を成功させなければ死ぬ。

使い潰されるのではないかと思ったとたんにこれである。

セレンの額と背中にさらに汗が浮かんだ。

 

 

 

「……」

痛みは大分ましになった。

海面を滑るように近づく自分に主砲からの砲撃が来るが、相対速度が遅くなった分、避けるのは容易かった。

だが周りから飛んでくるミサイルに邪魔されうまく近づけず、そして何より片腕が無くなったことによりバランスが崩れ上手く進めなかった。

実際人間は片腕が無くなるとその時点で重心の位置が変わるため、上手く動けなくなり、戦いの場でもそれが原因で敗北となる。

人間の腕が左右対称についているのはバランスを取るという点でも大きな意味がある。

長いリハビリを経ればまた別であるが、今までその重心で生きてきたのが突然変わってしまうとなればバランスが崩れるのも無理はない。

まるで自分の身体の如く動かせるAMS適性の高さはここでもデメリットが前に出た。

これがノーマルや、AMS適性の低いものの操るネクストならばここまではならないのだが、才気溢れるもの程脆いというのはどの分野でも言えることである。

 

それでもなんとか体勢を保ちつつ前方へと進む。

放たれたミサイルの数は41、息を荒げながらも順番にマシンガンで撃ち落としていく。

このスピードならギガベースまで3分といったところだろうか。

セレンが何か言いながら机を叩く音をどこか遠くに聞きながらガロアは前へと進む。

 

 

 

「…?」

食い入るように画面を見つめるセレンは、直撃の後もただただ冷静に目標へと進む姿を見ながら少し落ち着き、そして何か違和感を感じていた。

先ほどからガロアに放たれるミサイルは全てマシンガンに撃ち落とされている。

ミサイルを撃ち落とすこと自体はそれほど難易度の高いことなのではないが、

もともと弾をばらまくためのマシンガンで正確に一つ一つ撃ち落としているのは目立たないが神業と言える。

だが、なぜそんなことが出来る?

考えても答えは出ないまま水平線よりギガベースの姿が見えてきた。

 

 

『よし、そのまま懐に』

入り込め、とセレンが言うよりも早く肩に装備しているグレネードとロケットを叩き込む。

反動で後ろに下がるガロアとオペレーションルームで冷や汗をかいていたセレンはギガベースが煙を吹きながら沈んでいくのを見た。

そのまま上空へ飛び上がり、他の戦艦の射程外に出てシステムを通常モードに移行し帰還の準備へ移る。

ネクストとのリンクが外れ、左腕の痛みが急速にひいていく。

こうなってガロアはようやく安堵の溜息をついた。

 

 

 

「ミッション完了だ。よく生き残ってくれた」

ガロアのついた溜息の倍は大きなため息を吐き出し椅子に背をもたげる。

ひんやりとした感触はかきにかいた冷や汗によるものだろう。

ブラが浮いているかも、などと少々この場に合わない考えが浮かぶ。

 

「強さにはそれに伴う弱点もある、か」

アームズフォート・ギガベースは強大な火力とその反動に耐えうる巨躯を持っているが、その反面ほとんど動くことが出来ず、またその巨体のため放たれる攻撃は全て受けるしかない。

そもそもが接敵を想定していないのだがらそれも当然とも言える。

今回ガロアはそれに目をつけ、目視と同時に持てる最大火力をロックオンする前から叩き込んだのだ。

懐に入らずとも、高火力のグレネードとロケットなら確かにそれで撃破が出来る。

それにブレードを持つ片腕が吹き飛んでいたので接敵は主砲が当たらないということ以外に利点はない。

あのイレギュラーの連発で、しかも二回目の出撃でよくその答えにたどり着いたものだ。

本日幾度目かわからぬ溜息をセレンは盛大に漏らした。

 

 



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VS チャンピオン・チャンプス

その六日後、カラードにある運動場の一角、多くの兵士や職員が運動する傍らでガロアは片腕に約10kgの重りを持ちながら片足で鉄棒の上に立ちバランスをとっていた。

すでにこの体勢をとって10分経つがバランスは崩れないままピシリと立っており、滴る汗は地面に大きな水たまりを作っている。

先日、腕が取れて思わぬ苦戦を強いられたガロアは、そのようなことになってもバランスが取れるようにと訓練をしていたのだ。

 

変わったことをしているなと見てくる人とその鍛錬の厳しさとレベルの高さに気が付き唸る者がいた中で、セレンが近づいてくる。

 

「そう簡単に重心を左右にずらすことは出来んぞ…後一時間で始まる。そろそろ準備をしよう」

どうやらセレンは後者だったようだ。

先日帰還した後インテリオルにそちらのミスなんだから金をよこせ、とセレンが要求したところ金は来なかったものの機体の修理費はインテリオルが持ってくれることになった。

その間は機体がないので必然的に依頼も受けられないことになり、その間にオーダーマッチをこなしてしまおうということになったのだ。

何故か一切のオーダーマッチを受け付けていないランク29のミセステレジアに挑戦はできないので、ランク30のチャンピオン・チャンプスという明らかに偽名とわかる男に申し込むことになった。

ちなみにこのご時世では名前などその人物を表す記号以上の意味は無く、事実カラードに登録されている者の半分は偽名だと言われている。

 

たんっ、と鉄棒から飛び降り着ていたシャツを脱ぎ絞りながらセレンの隣に並ぶガロア。

ふわりと漂ってきた匂いに何故だか心臓が跳ね顔が赤くなる。同じ生活を送っているはずなのに何故かそれは少し違う気がした。

 

「さ、さぁ着替えてシミュレーションルームに向かうぞ!」

上ずった声を出しながら前をずかずかと歩いていくセレンにガロアは首を傾げながら着いていった。

 

 

ざわざわとひしめく人々は今日のオーダーマッチを見に来ているのだが、ランク30とランク31の試合にしては考えられない観客の数であった。

その理由は単純で、「現存するリンクスの中で最高のAMS適性を持つ者の初めてのオーダーマッチ」だからだ。

一般市民も、企業も、そしてトップランクのリンクスの何人かも見に来ている。

 

「うおおおお!俺の試合を見に来たのか!!燃えるぜ!!うおおおおおお」

 

(どう考えてもガロアの方を見に来ているだろう…)

ガロアを一階のシミュレーションマシンがあるフロアへ送り、セレンは二階の観客席へとやってきていた。

まだ少し冷える季節だというのにタンクトップでしかも汗をかきながら叫んでいる短髪の男が今日の対戦相手だ。

セレンはこの混雑の理由を知っており、相手のことも調べてきたが正直負ける要素がない。

このチャンプスという男は傭兵ではなく元々解体屋で、AMS適性があったからネクストでさらに派手に壊して回っているという。

いままでのオーダーマッチの戦績はなんと0勝だ。だから最下位にいるのだが。

公式で行われている賭けではガロアの方に600人賭けているのに対して、チャンプスにかけているのは30人足らずだ。

もちろん自分もガロアの方に賭けておく。

 

(とはいえ、あまり本気でやるのはよろしくないな…)

オーダーマッチで本気でやればそれだけ手の内がばれるということになる。

特に指示は出していないがその辺りはガロアは言わなくても理解しているだろうか。

 

「ねー、あっちの人暑苦しくなーい?」

 

「わかるー、しかも季節感無い格好してるねー」

 

「でも相手の方もっとヤバくなーい?真冬みたいな格好してるしー」

 

「えー、でも結構イケメンじゃーん?あたしタイプかもー」

 

 

目の前に座ってる女性二人がガロアを褒めたりけなしたりしているのを聞いてどちらにせよむっとするセレン。

 

(お前らにガロアの何が分かる!)

なんてことを見知らぬ人になんて口が裂けても言えない人見知りセレンは開始までひたすらイライラしながら過ごす羽目になった。

 

 

「いくぞおおおおおお!!おあああああ!!!」

試合開始と共にロックオンをしてもいないのにミサイルを撃ちまくるチャンプス。

それに対して画面に映るガロアは静かにしかし着実に近づいていってる。

試合場所は旧ピースシティ。

砂漠に埋もれたビル群での戦いだ。

 

「そこかあああああああああ」

さらにミサイルを放ちながら後ろに下がるチャンプスのキルドーザー。

その中で自分に向かってくるミサイルだけを正確に撃ち落としていくガロア。

一気に踏み込み切りかかる。

 

「どうりゃあ!」

カウンター気味に右手のドーザーを目の前に突き出し、相手の左手に装着されているブレードを振り下ろさせまいとする。

アレフ・ゼロはその腕の勢いそのままで回転しながら避ける。

ブレードの装着された左腕はどうしても切り込めない位置にあり、カウンターは決まらずとも斬られずに済んだとチャンプスも観客も思った瞬間。

 

「ぐわあ!!」

さらに勢いをつけたアレフ・ゼロの回転蹴りがキルドーザーに叩き込まれ、キルドーザーはビルの一つに吹っ飛ばされていった。

 

蹴ったぞ…

信じられねぇ!

…ネクストってあんな動きするのか!?

 

ざわめく観客の中で立って観ていたウィンはその動きを見てうすら寒さを感じていた。

 

(天才の一手は凡人の十手にも勝るというが…これは…)

ビルに叩き込まれたのが幸いして、崩れる瓦礫に助けられ追撃は受けずにすみ、体勢を立て直すキルドーザーの姿が大画面に映る。

その時視界の端にある人物が入る。

 

「…!オッツダルヴァ、お前がオーダーマッチを見に来るとは珍しいな。ハリの時以来か?」

 

「ふん」

鋭い目つきにウェーブのかかった黒髪を首まで伸ばし、オーメル所属のリンクスが着る兵装を着崩しながら画面をねめつけているいかにも猛者といった風貌のオッツダルヴァと呼ばれた男は、

このカラードにおいて最強、すなわちランク1である。

平素はあまり部屋から出ず、他人とも関わり合いにはならないこの男を王小龍は「典型的な強者」と評したが、ウィンはそれ以上の何かを独特の勘で以前からこの男に感じており、

ランクで抜かれて以来気づかれぬように静かに監視をしている。

そしてやはり、どこかおかしいと確信している。

何というか、努めて目立たないようにしている反面、ランク1まで駆け上ったり、強烈な皮肉を吐いたりと行動に一貫性が無いのだ。

何か目的がある。もしそれが弱い人々を利用し、殺すような物であれば見逃すわけにはいかない。

心の内側でそんなことを思いながらも表情には出さずに言葉を出す。

 

「やはり気になるか?AMS適性もお前より上だからな」

 

「だが本気は出していないようだな」

 

「そう思うか?」

 

「ああ」

 

ふん、メス猫め、と心の中でオッツダルヴァは毒づいていた。

探られていること、怪しまれていることなどとうに気づいている。

 

そう気づいた理由なら多々あるが…何よりも、ウィンは普段ならまず自分から男に声はかけないのだ。

お互いに腹を探り合いながらも、やはり試合も気になるので画面に目をやる。

本気ではない、といった言葉通りガロアのアレフ・ゼロはグレネードとロケット、それにフラッシュも使っていない。

蹴りを繰り出したことに観客は驚いているのだろうが、それもまたガロアの引き出しの一つに過ぎない。

だが、それ以上にオッツダルヴァは何か違和感を感じていた。

それは先日セレンが感じた違和感と同様の物であり、そして実戦経験の多さがオッツダルヴァをその答えに近づかせた。

 

(まただ…あいつはミサイルを「全て」「正確に」撃ち落としている…)

これは後でこの試合の戦闘記録を改める必要がありそうだと思いながらオッツダルヴァは背を向け歩き出す。

 

「もう見ないのか?」

 

「ふん、これ以上見ても面白いものは出ないだろう。あのガロアとかいう小僧が順当に勝って終わりだ。やはり実戦か、もっと上の実力者でなければ本気は出さん」

 

「かもな」

そしてその言葉通り、その二分後にはローキックで転ばされたキルドーザーがアレフ・ゼロになます斬りにされて試合は終了した。

 

 

おいおいつえーなあの新入り…

すっごーい!かっこいいーじゃーん!

…無口な奴だなぁ…

 

試合終了しざわめく中、ガロアは静かにシミュレータマシンから出て、同じく出てきたチャンプスと握手を交わしていた。

 

「負けたぜ!はーっはっはっは!!」

負けたのにこんなに大笑いできるのはもう負けるのになれているからか生来の性格からか。

そんなことよりもじっとりと湿った手でいつまでも握りながらぶんぶんと上下に振っている右手を早く離してほしいと思うガロアであった。

 

「ふむ、当然の結果か」

 

「大人…どうしましょうか?」

 

シミュレーションルームの端、丁度ウィンとは正反対の方向でリリウム・ウォルコットと王小龍もその試合を見ていた。

どうしましょうか、というのはまだ情報収集を続けるかどうかということだ。

だが、先日リリウムから邪魔が入ったせいで情報が集められなかったと報告は受けたものの、シミュレータマシンの履歴からやはりホワイトグリントがガロアの目的だということはつかめている。

そのことはリリウムにも伝えてあり、既に情報収集の必要はないのだが。

 

「気になるかね?」

 

「その…はい。リリウムはこの前お食事の約束をしましたので」

 

「…なら行ってきなさい」

 

「!ありがとうございます」

 

そのままガロアの元にかけていくリリウム。

思えば自分はリリウムに何も残してやれなかった。

もう大分遅いのかもしれないが、それでも残せるものならば何かを残してやりたい。

例えばそれは同年代の友人だとか。

 

「……」

駆けていく背中を見ながら幼かった頃のリリウムを思い出す。

今現在、リリウムは自分に依存していると言っていいほど自立していない。17歳の少女であることを考えると多少なりとも自立心が出ていないというのはおかしなことである。

それもこれもこの時代、そして自分が作ってしまった姿なのだと思うと胸が痛い。

リリウムの背中には今まで王が見たことのない感情が浮かんでいる。

それもそのはず、リリウムもガロアも、そしてセレンも、本当なら蝶よ花よの恋に恋する年齢なのだ。

何か強烈な目的に心を割いているような人間でもない限りは、思春期の典型的な例に違わず、どんな天才も凡人も異性を意識し、比べて選んでいく時期なのだ。

まだ恋とも友情とも言えるような代物ではないが、今までの同年代のどんなものとも違った反応を見せたガロアはリリウムの興味を幾らか惹きつけたのだろう。

それはよいことだ。

このまま自分への依存も少なくなり、やがて友を作り恋をして子をもうけて幸せに生きていけるのならばそれ以上のことはない。

 

だが。

 

(あの少年…)

自分の長年の戦士としての勘が告げている。

もしかするとあの少年は敵となる運命にあるのかもしれないと。

 

ただの勘、それでもこの年齢まで生きてきた自分の勘はそれすなわち重大な局面で外れたことがないという事だ。

しかし、今この状況では何も断定できる要素がない。

 

「……」

その場に背を向けシミュレーションルームから立ち去り、物陰で薬を飲みながら王はただリリウムの幸せを願う。これからも健やかに生きてくれと。

 

 

「ガロア!やったな!飯に行くとするか!」

 

「ガロア様、おめでとうございます」

 

「むっ」

 

「えっ」

 

ようやくチャンプスの熱い握手から解放され、お腹が空いたなと思っていると聞きなれない声が、オペレーターの声に混じって聞こえる。

 

「…なんだ?」

 

「いえ、この前お食事の約束をしましたし、今日…」

 

「いいや、ダメだ。私と食べに行くんだ」

何故かはわからないがこの少女をガロアに近づけてはいけない気がする。

この前約束していたのは知ってはいるがだからといって、はいそうですかとガロアを渡すわけにはいかない。

警戒する野生の動物さながらにガロアの前に立つセレンの胸中にガロアの意向を考える余裕はない。

 

「ガロア様?リリウムとこの前約束しましたよね」

 

「……」

それは間違いではないと言えば間違いではないのでセレンの陰で頷くガロア。

お腹がぐぅとなったが今のはどちらかというと緊張から鳴ったような気がした。

 

「ええぃ、お前はガロアのなんなんだ!」

 

「り、リリウムはガロア様の友人です!」

 

「は、友人か。私はこいつの」

この前ガロアは友人ではないと言っていた。それに比べて私は、と言おうと思って言葉に詰まる。

 

(私は、ガロアのなんだっけ?)

 

「オペレーターですよね」

 

「う、そうだが」

オペレータなのか。

そうだった。私はガロアのオペレータなのだった。

ガロアは目的のためにリンクスになり、私は私のためにガロアを一流のリンクスにする。そうだったはずだ。少なくとも最初は。

 

唐突に始まった女性独特の水面下の戦いにガロアは冷や汗を隠せない。これでもリリウムが元々穏やかな性格であることが幸いし、静かな方だ。

もしこれからも人と関わり合いながら生きていくのだとすればこれよりもずっと激しい精神の鍔迫り合いを目の前で見なくてはならないだろう。

なにせかなり気性の荒いセレンがそばにいるのだから。

 

「リンクスの行動をそこまで制限する権限は無いはずです。ガロア様?」

だが、ガロアは動かない。

オペレータとリンクスの関係だとか、それ以上の関係だとか、言葉で表されるものに心を揺さぶられるコミュニケーション能力の高くないセレンであるが、

その一方ガロアは約三年間一緒に過ごしてきた同居人に対して正しい感情を持っており、食事の約束は確かだが精神的に味方しているのはセレンの方であるためその傍は離れない。

 

「!ほ、ほら見ろ!ガロアは行かないと言っている!」

顔を真っ赤にしながらも、自分の傍を離れなかったガロアが嬉しく勝利宣言のように声を上げるセレン。

だが、その隣で行かないとは言っていないガロアが首を横に振りセレンは顔色を青くする。

 

「あの、どうなさるのでしょう…?」

 

「はっきりしろお前!」

怒りと共にとうとう出てしまったセレンのローキックを受け、ガロアほどでないにせよセレンも鍛えていることもあり身体がぐらつき帽子がずれる。

ずれた帽子を直しながらも先ほどから頭の中で出ていた答えを文字にするのも面倒なため、セレンの手を引きリリウムの元へと行く。

 

「お、おい!」

 

「一緒に行くということですか…?」

ガロアに手を引かれまたまた白い頬を赤くするセレンを見て言うリリウムに頷くガロア。

その提案をリリウムは頭の中で色々な考えを巡らせながらも受け入れることにした。

 

だったら二人で行けばいいんじゃないか。

ガロアの出した答えは至極シンプルなものであったが、その答えは正直女性の扱いとしては最悪レベルの答えであった。

ここは事を荒げないためにも用事があるなりなんなりと答えてその場から去るのがよかったのだ。

二人の思いと約束を汲んだつもりなのであろうが、女性という生き物を女性として扱ったことが無いガロアはそれが一番二人を傷つけるということには気が付いていない。

事件の陰に女の影ありという格言は先人たちの経験によって作られたものなのである。

 

 

「若いな」

 

「だよなぁ」

そんな男女のやり取りの近くで今回の映像記録をコピーしに来た男が二人。

若いと評したのはグローバルアーマメンツ社の最高リンクス、ローディーと呼ばれる人物であり、

静かな笑みを浮かべている顔とは裏腹に傷だらけでゴツゴツの手や、常に辺りに気を配っているかのような目つきは正しく歴戦の戦士に違いない。

恵まれなかった才能に嘆くことも愚痴を言うこともせずにひたすら訓練に訓練を、経験に経験を重ねた彼は人生においても戦闘においてもその練度はガロアの遥か上を行く。

だが、そんな一日の長もきっと長くは持たないことをガロアがこなした二つのミッションログを見て気が付いたローディーはその対策を練るために今回のオーダーマッチを見に来ていたのだ。

 

その隣にいるのが独立傭兵のロイである。

彼も彼でローディーと同じ理由でガロアの戦闘を頭に叩き込もうとこの場に来ていたのである。

ロイにせよローディーにせよ、強さにはそれなりの理由がある。

 

「これから気まずい場面に突入するのだろうな…、若い若い」

 

「ま、それを経験するのも男の仕事ってやつだな」

 

かなり年齢の離れている二人だがその間には遠慮も上下関係も見られない。

恐らくはそれらを超えて友人足りえる何かが二人の間にあるのだろう。

 

「さて、まだ時間は早いが、行くかね?」

 

「そうだな、何もないし久々に行くとするか」

データのコピーを終え首を鳴らしながら歩くロイとローディー。

そこに流れる雰囲気は、いずれも対人関係を上手く保ってきたものだけが持てるものだった。

 

 

「……」

 

「……」

 

「……」

そんな雰囲気とは真逆の空気が流れるとあるレストランの一角。

リリウムの対面にガロアとセレンが座る。

楽しい食事のはずがこれではまるで取調べか尋問だ。

セレンにガロア、リリウムの三人が三人ともまともに人と交流したことがないのでしょうがないといえばしょうがないが、

この中で食事が出来る人間は、まともな精神を持つものに限るのならばいないだろう。

 

そんなレストランの一角の対角ではニュースを見ながらコーヒーを飲んでいた王がおり、その様子を気づかれないように見守っている。

王がこの場にいるのは本当に偶然で、リリウムも行ってしまったし食事でもするかと近場のレストランに入り、少なめの昼食をとってコーヒーを飲んでいたらその三人が入ってきたのだ。

コーヒーを思い切り噴き出しむせた理由は、なぜかセレンがついてきていたことと、普段のリリウムを思えばありえないような雰囲気の渦中にいたことの両方だ。

 

「なぜ女性に誘われて他の女性も連れてくるという選択肢が出るのだ…」

もしかしたら霞スミカ、もといセレン・ヘイズのほうがついてきたのかもしれないが…とは思うがどちらにせよありえない選択だ。

そんな中とうとうリリウムが口を開く。

 

「あの、ガロア様はなぜリンクスに?」

 

「……」

 

「答えられん」

質問に何故か答えるのはセレン。

その答えは全員知ってはいるが誰一人としてガロアからは伝えられておらず、そしてその理由を触れてはいけない傷のようにセレンが守る。

 

再び沈黙。

ガロアはただ黙ってコーヒーを飲む。

 

「そう、ですよね…」

なぜセレンが答えたのか、という疑問の前にその言葉が出る。

リンクスになる者の理由は様々だ。

 

そして本当はリリウムはガロアがリンクスになった理由を知っていた。その身の上も。それを知った上で近づいていた。

 

「お前、何故ガロアに近づく?リリウム・ウォルコット」

 

「え?それは…お友達だと…」

口ごもるリリウム。

その本当の理由は人と本当の意味で関わった経験の少ないリリウムには答えられず、そしてその空白の間を疚しさから出たものだと思い込むセレンはさらに追撃をかける。

 

「ガロアがインテリオル出身だからか?BFFとは敵対企業だからな」

 

「……」

押し黙るリリウム。当初の目的はセレンの発した言葉からそんなに遠いところにはない。

一方のセレンはもうすでにインテリオルから独立していると宣言しつつもそんなことを言う自分に矛盾を感じながらも続ける。

 

「私は知っているぞ。お前が王小龍という男の」

ガロアを敵から守るため、そして気づいてはいないが独占欲ゆえに攻撃性をむき出しにして言葉を続けようとした瞬間に口が塞がれる。

 

「……」

それは今までで初めて見る目だった。

波紋の中心にある眼がセレンの目をじっと見てくる。

まるでそれ以上はいけない、と諌められているようだった。

 

そして同時にリリウムの後ろから年老いた男が現れリリウムの肩に手をかけ声をかける。

 

「リリウム。仕事だ。今すぐ行くぞ」

 

「大人…」

リリウムにじんわりと汗が浮かんでいる。こんな表情はミッション中でもそう見ない。

 

(この女に相当抉られたか…クローン元の霞スミカと真逆の性格をしているな…いや、これは私への警戒心からか…)

 

「これで失礼させてもらう」

 

「……」

セレンは警戒という文字をそのまま人にしたかの如く王を睨み、その隣のガロアは静かに王を見つめる。

この女、自分の事を調べたに違いない。そしてその情報に踊らされている。

それが王の望んだものであり、王の成したことであるが、それがリリウムに向くとまでは思っていなかった。

いくらか紙幣を置き立ち去る王に戸惑いながらもリリウムはついていった。

 

 

 

「ガロア…?」

セレンの青い瞳がこれはお前の為にしたことなのに、何故止めるんだと語り掛けてくる。

セレンの言っていたことも一理ある。

だが、言葉を発せない分、鋭い洞察力を養ってきたガロアは少なくともリリウムにそのような邪念がなかったことを見抜いていた。

そして、こんな結果になったのがあの時の自分の選択の結果だと今になってわかっていた。

 

「お待たせしました~…?」

店員が怪訝な顔をして三人分の注文を置く。

この後も大量の注文、セレンとガロア合わせて10人分が来るが、先ほど注文した人の一人が跡形もなく消えているのに気が付いたのだろう。

 

「なぜ…?ガロア…」

師であり、自分の道を切り開いてくれた人物であり、そして頼れる同居人だったセレンが今、20歳の未成熟の大人の女性らしく揺れる感情を隠せないままこちらを見つめてくる。

人間ではなくいずれ兵器となりうる存在として育てられた存在。

そうであることも自覚していて人と積極的に関われなかった彼女が初めて心から信頼し、一番人間らしく接しているはずのガロアにいきなり責められるかのように行動を止められたのは相当の動揺をもたらしたらしい。

 

「……」

今ここでの回答をミスしたら致命的なヒビになる。

そう感じながらガロアはケータイを取り出し、推敲を重ねて短い一文を書いてセレンに見せた。

 

『セレンが人を傷つける必要は無い』

そこに表示されている文章を見て、

道端に打ち捨てられたボロ犬のような気分になっていたセレンの心に一転、暖かな風が吹く。

一瞬だけ、「セレン『が』」ってどういうこと?とは思ったが。

 

「そうか…そうだな、お前は優しい奴だな」

顔が再び赤くなるセレンを見て、よく顔色の変わる人だと思いながらもほっとする。

一転、上機嫌になり、注文されて出てきた食事をひょいひょいと口に運んでいくセレン。

その顔は幸せそのものといった感じだ。どうやら自分の回答は間違っていなかったらしい。

 

「……」

セレンの気持ちを落ち着けるために言った言葉であるが、その一方先ほどの文章は嘘偽りのないガロアの気持ちでもあった。

フォークをくるくると回しながら物思いにふける。

 

「食べないのか?」

言われて口に食事を運びながら考えるガロア。

自分の正直な気持ちを伝えたのは間違いではなかった。

ある意味それも当然、ガロアはセレンに対して、セレンはガロアに対して悪い感情は抱いていないのだから思いやりを見せて悪い結果になろうはずもない。

 

そして思う。

もっと思ってることを伝えられたら。

それこそ言葉を持っていたなら。

17歳の少年の感情は言葉なしに伝えるにはあまりに膨大で苛烈すぎる。

伝えたくても伝えられなかった言葉の数々を、その言葉を聞いてほしかった人達を思い出してガロアの眼が本当に少しだけ潤んだ。

 

 

レストランから少し離れたところで老人と細身の少女が共に歩いている。

すれ違う人々を目で追いながら少女は口を開いた。

 

「大人、仕事とは?」

 

「あれは嘘だ」

 

「嘘、ですか…?」

 

「あのリンクスと関わるのはよい。だが、あのオペレーターのいる前では話さない方が良さそうだ」

 

「どうしてですか?」

あんな目にあっておきながらもその理由がわからないのはやはり、普通に人と関わった経験が少ないからか。

そんなわかって当然のような疑問に王は丁寧に答える。

 

「自分の持ち物が勝手に人に取られたら悪い気分になるであろう?あの女にとってはあのリンクスは自分の持ち物のようなものなのだ」

 

「ですがガロア様は人間です」

 

「独占欲と呼ばれるものだ。人であれ動物であれ物であれ、自分の物だと認識してた物が自分の元から離れていくのを耐えられる人間はそうはいない」

それにしてもあの警戒の仕方は異様だ、とは言わなかった。

リリウムが女性であることもその理由の一つであるが、なによりも自分のパートナーであることがあの警戒心の理由に違いないであろうことは想像がついていたから。

 

「大人がそう言うなら次からそうします」

 

「ふむ」

次、か。また会うつもりなのだな…、と思いつつも責め立てようとしていたセレンの事を止めていたあたり、人間として壊れてはいないのだろう。

それなら別にこれからも関わっていくのもリリウムにとって悪くないかもしれない。

だが、共同作戦となるとあのオペレーターもついてくるからやめておこう…と思う王であった。

 

 

「いやー、食べたなぁ」

機嫌のよさも手伝ってさらに二人前余分に食べたセレンのお腹はパンパンという表現がまさに相応しく、

隣で平然と歩いてるガロアもいなくなったリリウムの分も合わせて七人前を平らげている。

 

「……」

少し冷たい風を感じながら歩くガロアはそんな上機嫌なセレンを見てほんの少しだけ微笑みながら、もうあんな食事はごめんだなと思う。

そう思う一方でリリウムから言われた友達という言葉はガロアの心に優しくしみ込んでいた。

彼には今までの人生で友と呼べる存在が一人もいなかったのだ。

 

いや、いたにはいたが、それは人間では無かった。

 

「まだまだ夜は冷えるな…」

部屋に着くころにはすっかり日も暮れており、セレンはお気に入りのコートを脱ぎながら呟く。

ガロアはそれと同時にパソコンにメールが来ていることに気が付く。

 

「どうした?…ミッションか。ネクストも修理完了したようだな。ブリーフィングは明日、開始時間は明後日の九時のようだな。受ける、でいいんだろ?」

断る理由もないので任務了解の旨をセレンが書いて送る。ちゃんと最後の署名をガロアの名前にしている辺りは慣れたものだ。

 

「ランクが上がった効果は少しは出てるのかな。次はイレギュラーな事が起こらなければいいんだが…」

その台詞には全くの同意で、今日一番深い頷きをガロアがしていたころ、同じくカラード管理下のとあるマンションの一室で。

 

 

 

「やはり、間違いないな…」

ランク1オッツダルヴァは今日行われたオーダーマッチのVTRを見てつぶやく。

彼のパソコンに映し出されている映像は昼間ローディーたちがコピーしていたものと違い、オーメルから直接買い取ったもので、

AP、残段数、お互いの画面に表示されていたものなどがすべて表示されている一段上のランクの映像である。

 

その映像を何度も一時停止、コマ送りを繰り返して浮かんだ疑念を確信へと変えていく。

 

「撃たれたミサイルの数を一瞬で数えている…それも軌道も…見えている…のか?」

確信に至ったのは試合の中盤で放たれた大量のミサイルに対しガロアがマシンガンをリロードしてから自分から近い順に撃ち落としていったのを見てからだ。

放たれたミサイル30発に対し、残弾数は27発。

普通のリンクスが撃ち落とそうとしたならならばまず間違いなく弾をばらまき、そして撃ち落としきれなかったミサイルを食らうなり避けるなりするのだろう。

 

「……」

人は数を数えるという行為が出来る者ならば誰でも頭の中に無限の概念を持つ。

物を数えるという行為は、頭の中にある1というラベル、2というラベルをペタリペタリと貼り付けていく行為なのだ。

そしてその行為は、途中で数を忘れたりしなければ永遠に続けられる。

ガロアはそのラベルを順番に貼るのにかかる時間がほぼ皆無といっていい。

それも全体の数を把握するのではなく、1、2、3と近い順にラベルを貼っていって一番最後のラベルの数字から全体の数を把握しているために「近くから順番に」かつ「撃ち漏らすことなく」対応できている。

このガロアの能力を知ったのは本人を除いては二人目、そして今生きている人物の中ではオッツダルヴァただ一人である。

 

「だからアレフ・ゼロか…自分の能力への自信か?」

数を0.5、1、1.5、2、2.5、3と数えられるときは1、2、3と順番に数える時よりもすなわち自然数よりも多いだろうか。

実はそうではない。なぜならば500000番目の数は250000とわかり、どこまでいっても数えあげられるからだ。

何番目の数はOOという数、と特定できるのならばそれは自然数の数量と同じ。その自然数の個数をアレフ・ゼロと表しそれは最小の無限と呼ばれる概念となっている。

 

「天才…ハリの時と同じか。あとはその力を見極める必要がある…」

一人暗い部屋でぶつぶつと呟くオッツダルヴァは危ない人そのものだが、

事実、彼は3歳の頃より歪みに歪む一方の人生を辿っており、今現在もぎりぎりのところで理性を保っているにすぎない。

 

「何かそのための依頼を用意しなくては…」

ぶつぶつと呟きながら髪をかきむしる彼の顔色は昼頃ウィンと話した時と全く変わっていない。

 

彼の顔色はどんな時でも変わらない。

 

「ガロア・A・ヴェデット…」

キーボードうつ手がぴたりと止まり、ガロアという少年を知った日から何度目になるのだろうか。切り裂かれる自分の思考。

この少年とはどこかであったことがあるような気がする…?いつ?どこで?どうして?

オッツダルヴァの精神と頭がぐちゃぐちゃにかき乱され吐き気を催す。

だがそれでも彼の顔色は変わらない。

 

「……うぅ?」

ズキン、と差し込む頭痛と共に浮かぶのは自分の手を引く女性と笑いかける男性の姿。

 

「誰なんだ…」

精神が、悲鳴をあげる。

軋む脳を、助けを求める心を、打ち明けられる友人も助けを差し伸べてくれる手も無い。

あるのは…

 

「人類に黄金の時代を人類に黄金の時代を人類に黄金の時代を…」

ぶつぶつとうわごとのように短いフレーズを繰り返しを経て彼の心は鎮まっていく。

ボロボロの彼の精神にとって「人類に黄金の時代を」という言葉だけが最早最後の砦であり彼の持つ使命だった。

 

「父さん、母さん…僕、頑張るから…完璧にやってみせるから…」

目を見開く顔を覆う手で覆う。

その手に力が入った時、オッツダルヴァの顔はぐしゃりと歪んだ。

 

「…?…??父さん?母さん…?何を言っているんだ…?そんなもの、私にはいないじゃないか…」

歪んだ顔は再び元に戻り、オッツダルヴァは何事も無かったかのようにパソコンと向き合った。



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スフィア侵攻部隊反転迎撃

「ミッション開始!まずはVOBで、進行中の敵部隊を背後から突破する。できるかぎりの損害を与えておけ…後が楽だ 」

またVOBを使用するミッションということなので少々警戒しながら指示を出す。

今回はBFFの所持する大規模エネルギープラント・スフィアに進行する爆撃機部隊を撃破する任務となっている。

通常なら迎え撃つところを、後ろからVOBを使い無理やり追いつき撃破しながら追い抜き、その後VOBを外して反転、残敵を掃討していくのが概要となっている。

先日の昼間のこともありBFFからの依頼は王の思惑がなにかあるのではと警戒をしたが、先日の出来事よりも前に依頼が来ていたのでその可能性も薄そうであったので今のところ警戒はしていない。

 

 

 

「……」

目の前に迫るヘリに向けてマシンガンを放つが想定からかなり逸脱した速度の影響か、まともに当たらない。

彼我の距離200mくらいになってようやく当たるか当たらないかだ。

そもそもVOBとは敵の包囲網を突破するための物であるのでこのような使い方は向いていない。

しまった。速度の影響を受けにくいエネルギー兵器を持って来るのだったとガロアは反省する。

シミュレーター上での戦闘回数はカラードにいる誰にも劣ることはないが、VOBでの戦闘はシミュレーションで経験していない為まだまだ未熟なところがある。

ほんの数秒の思考のうちに狙っていたヘリは遥か後ろへと過ぎ去っていたため後回しだ。

 

目の前に三機で編隊飛行をしている爆撃機が見える。

角度をつけて撃つと想像以上にあらぬ方向へ飛んでいくことを踏まえて射線を合わせようと背中の右側でエネルギーを爆発させるイメージをし左へとクイックブーストを吹かす。

 

「…!」

その時、左へと移動すると同時に2000km/hはあった速度が一時的に800km/hまで下がる。

というよりは、前方への推進力のいくらかが左へ進む力へとなったような感覚。

恐らくはベクトルの絶対値の和が変わらないのであろう。

その発見をすぐに生かし目の前の編隊を撃破していく。

ビリビリと体中が前から見えない壁に押されて潰れていくような感覚がする。

それは気のせいなどではなく、コックピットと装甲の隙間にある衝撃吸収用ジェルの内側にいてすら打ち消しきれないGそのものにプラスして、

アレフ・ゼロに叩きつけられる空気の壁の感触がガロアにフィードバックされているものを合わせたものなのだ。

 

「……」

ネクストに乗ること自体が身体に良くないのは百も承知だがこれはそれに輪をかけて良くないに違いない。

手際よく撃破していると囁くようなセレンの声が入ってくる。

 

『VOB、使用限界近いぞ。通常戦闘、準備しておけ』

実際はセレンが囁いているわけではなく、VOBの爆音と風の音に慣れた耳がセレンの声を微かにしか認識できなかっただけなのだが。

 

「!!」

これから敵の爆撃機が蹂躙する予定だったはずの地にアームズフォートがあるのが見える。

これはブリーフィングでは聞いていない。敵か味方かもわからない、と思考しながらさらに目の前のヘリを撃ち落としているとセレンの声がまた耳に入る。

 

『AFランドクラブを確認、大物もいるな、気をつけろよ』

あれは敵か。左手のブレードをアクティブにする。後はVOBが解除されるのを待つだけだ。

 

 

「ネクストです!あれは…!ガロア・A・ヴェデットです!」

白く巨大な閃光を背にした黒いネクストが左手のブレードを蒼く光らせながら高速で迫ってくる。

 

「クソ!雪で発見が遅れたか!」

スフィア防衛長距離狙撃ノーマル部隊、サイレント・アバランチがメンテナンスで不在という情報を入手したオーメルは、ランドクラブで強襲し炙り出されて出てきた人員や部隊を爆撃機で焼き払う…という作戦だった。

 

「最悪だ…あいつは二回目の出撃でアームズフォートを落としているリンクスだぞ!近づけるな!撃ちまくれ!」

 

「ダメです!VOBの速度を捉えられません!」

 

「謀ったか王小龍!」

サイレント・アバランチの不在は事実で、そのことはオーメルの上層部も整備しているサイレント・アバランチの画像を確認することで今回のスフィア侵攻作戦に踏み切っていた。

だが、その情報を漏らしたのは王であった。

防衛戦力がいない時に攻め込むというのは至極当然の理由であるため、今回の襲撃の予測は容易い。

サイレント・アバランチに代わる戦力を置いてあるだろうことを想定してそれなりの戦力で攻めてくるはず、ということを見越した王は、

そこに攻めてきた「それなりの戦力」をそのまま削ってしまおうという計画を立てていた。

実際アームズフォートを一基失うだけで企業にとっては馬鹿に出来ない痛手となる。

あとはその「それなりの戦力」とぶつかりあえる戦力を用意するだけだった。

 

王が何かの陰謀でこの作戦を出したのではないかというセレンの勘繰りは偶然にも当たっていたのだ。

 

「VOB、使用限界だ!パージする!」

VOBの解除のタイミングはオペレーターに委ねられるため、そこもまた経験が出てくるのは当然の事である。

 

(しまった!遅かったか!)

この時のVOBパージのベストなタイミングは、ガロアがブレードをアクティブにしていることも踏まえれば、視界に入ってすぐだったのだ。

アレフ・ゼロはランドクラブを飛びこしそのままさらに奥へと飛んでいく。

 

 

「!アレフ・ゼロ、ブレード射程外に飛んでいきました!」

 

「なんだ…?VOBを外すタイミングを間違えたか!ちょうどいい、今のうちに一斉砲撃しろ!」

絶望しかなかったランドクラブの乗組員たちに一縷の希望の光が差し込んだのを見て艦長は指示を全体に飛ばした。

 

 

「…!!!」

後方へと過ぎ去ったランドクラブの方に向こうと急激な方向転換をした結果、雪に足をとられバランスを失う。幸いにも転びはしなかった。

バランスを取り直していると予感と呼ばれる雷光がガロアの頭を駆け巡り、一も二もなく右側へと飛びずさる。10分の1秒前にガロアがいた場所はランドクラブの3連砲の連射により雪と地面ごと消え去って行った。

さらに目の前には迫りくるミサイル。

ガロアの眼の波紋をミサイルが横切った。

 

 

「やったか!?」

3連砲は避けられたがその後のミサイルで大爆発が起こる。

舞い上がる煙と雪で確認が取れない。

 

「…ダメです!ミサイル、全て撃ち落とされています!」

 

「なんだと…」

確認よりも早くオーバードブーストを起動した黒衣のネクストが白銀の煙幕を掻き分け、アクティブにしたブレードでガリガリと地面に跡を残しながら急接近してくる。

 

「ヒイィ!」

冷静さを失った乗組員の放つ砲撃もミサイルもほとんど当たること無く、さらにダメ押しとばかりにアレフ・ゼロから放たれたフラッシュミサイルによりロックオンが機能しない。

わずかにネクストの方へ飛んでいったミサイルも全て撃ち落とされる。

 

「もうだめです!接近された時点で…!」

 

「馬鹿野郎!あ_」

諦めるなという艦長の言葉は衝撃と共に暗くなった視界に押しつぶされ、発されることはなかった。

 

『ランドクラブの撃破を確認。あとは雑魚だけだ』

既に戦力の大多数を削っていた事も手伝い、撃ち漏らしたヘリと爆撃機を全て消し飛ばすのに1分とかからなかった。

 

 

「VOBパージのタイミング、よくなかったな。すまなかった」

ロッカールームで待っていたセレンが開口一番に謝ってくる。

セレンが謝るというのは滅多にないことであるため、ガロアは少し動揺しながらも気にしていないことを告げる。

自分自身もVOBの扱い方にまだまだ未熟なところが多かった。

これから磨いていけばいい。それだけの話だ。

 

「…すまん」

リンクスとして生きられなかったからせめて一流のオペレーターになろうとした。

気持ちとやる気はあっても経験はやはり足りなかった。

このミスがガロアの命に関わるようなことにならなくて本当によかったと思うと同時に、自分ももっと勉強しなくてはと決意を新たにしていた。

 

「おいガロアー、うおぉ!?」

とある言伝を預かってガロアの元へと来たカニスは男子用ロッカールームに女性がいたことに腰が抜ける程驚いた。



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VS カミソリジョニー

「誰だ、お前」

 

「あ、俺、独立傭兵のカニス。じゃなくてあんた、なんで男子のロッカールームにいるんだ」

 

「え、あ、そうなのか!?やばい、ガロア出るぞ!」

やばいのは自分ではなくセレンなのではないかと思いながら引きずられるガロアに、二人はどういう関係なんだろうと頭をひねりながらカニスはついていった。

 

 

「で、なんの用なんだ?というかこいつはお前の友人か?」

ロッカールームから出て自販機でホットココアを買いながら尋ねるセレン。ガロアは首を傾げて回答に悩む。

 

「いやいや、そこは首を縦に振れよ!…カミソリジョニーからお前に対戦依頼が来ててな。というかあんたこそ誰なんだ」

 

「私はガロアのオペレーターだ」

 

「ふーん…」

オペレーターってこんなにリンクスにべたべたしてたっけ、というか名前は何なんだ結局、などと思っているとセレンから質問が飛んでくる。

 

「カミソリジョニー?誰だそれは。それに対戦依頼なんて普通にオーダーマッチ申請をして来ればいいだろう」

 

「知らないのか?俺と同じ独立傭兵で、俺の一個上のランクで21なんだが…傭兵って言えるのかなあれは。もともとトーラスから出てきた奴で、その後独立傭兵になったんだけど、なかなか上手く立ち回ってるのか、オーメルとトーラスの最新兵器とか使ってるんだよ。一部ではあいつはオーメルとトーラスの架け橋になってる部分もあるんじゃないかって言われてる。結構機体設計とかやったりもしてて最近はあんまり戦場に出てねーな。まあ、とにかくただの傭兵じゃねえ。強さとは別の意味でな」

 

トーラスは旧アクアビットとGAEの技術者たちがインテリオルの支援により立ち上げた企業であり、元となったアクアビットの技術、

すなわちコジマ技術が高く評価されており、またその技術はオーメルと競合関係にある。

だが、競合の一方でオーメルとトーラスは互いに協力して兵器を作ることもある。

カミソリジョニーの操る機体、ダブルエッジの右腕にはそんな技術力の結晶であるコジマブレード、通称コジマパンチが取り付けられている。

 

「なんでそれがガロアと対戦なんだ?」

歩き出すカニスについていくセレンとガロア。セレンは素朴な疑問を口にする。

 

「そこまでは知らねえ。でもこれはトーラスとオーメルが一枚噛んでるっぽいな。たぶん普通のオーダーマッチじゃないんだろ」

 

「…よくわからんな。それに何故お前がそれを伝えに来た?」

 

「俺より一個上のランクだって言っただろ?そのもう一個上のエイ・プールって女はいっつも忙しそうでオーダーマッチを受けるどころじゃ無さそうだし、ジョニーの野郎は滅多にカラードに顔を出さねぇんだ。で、今日シミュレーションルームに来てるって聞いたからランクを上げるためにも勝負を申し込んでやろうと思ってな。なんせあの野郎はメールも通じねえからよ。なんだかジョニーの野郎、トーラスの研究者を何人か引き連れていてな。んで、開口一番『ガロア・A・ヴェデットを探しにきた。お前さん、呼んできてくれないか?』だとよ!いいパシリだぜ俺は!」

話しながら次第にぷりぷりと怒りだすカニス。シミュレーションルームへ向かう足も早歩きになっている。

 

「まぁいいや。シミュレーションルームへの道は分かってんだろ?これ以上話すことも無いしもう行くぜ」

 

「ああ、すまんな」

 

「だったら今度僚機として雇ってくれや。じゃあな」

手をひらひらと振りながら背を向けペタペタと歩き去るカニスの姿はチャラ男そのものだ。

首に光るジャックすらも、身につけている銀色のブリンブリンの一部に見える。

 

「変わったやつだな。あれで傭兵とは」

話しながら扉を開くセレンの目の前にはもっと風変わりな見た目をした人物が待ち受けていた。

 

 

「ようやく来たか~待ちくたびれたぜぇ、おい」

白衣の研究員に囲まれたその男は明らかに異質な存在感を放っていた。

真っ赤な毛のドレッドの頭に「祭」と書かれた手ぬぐいを結び付け、開かれた口から覗く歯は金色に輝いている。

普通に生きていたならば絶対に手に入れることはないだろう赤地に緑の水玉模様のポンチョをかなり適当に着崩しておりその下からは素肌がのぞいている。というか下着を着用していない。

右目を渡るように赤く大きな文字で縦に「BADASS」と彫られており、右目と左目の大きさが違って見えるような化粧が施された男がこちらを見て笑っていた。

その見た目は最早センスがあるとかないとかの次元を超えている。

 

セレンは口を開いてあんぐりとしておりあまり表情の崩さないガロアも目を見開いている。

 

「オイラはカミソリジョニー。お前さんと勝負しにきた」

セレンとガロアは二人して反応を示せずにいたところジョニーの隣に立っていた不健康そうな白衣の男が述べる。

 

「正式な依頼というわけでは…ゴホッ…ないのですが…是非こちらのジョニー君と対戦していただきたく…ただ…条件がありまして…」

 

「どういうことだ?」

ようやく彼方へと飛んだ意識が戻ってきたセレンが聞き返す。

 

「今回、ゴホッ…近接戦闘だけにしてほしいのです…つまり…銃器を禁止するという形で…もちろんジョニー君も銃器は一切使いません…」

 

「一体なぜ…?」

 

「企業秘密です…ですが、はい…ゲホッ…今回の依頼料、5000コームです。受けていただけるなら前払いで…」

 

「当然、お前さんが勝ったらランク21はお前さんにやるよ」

 

「…どうする?ガロア」

正直な話、危険のないシミュレーション上での戦いの上、前払いで報酬が入るのはかなりありがたい。しかもランクアップの可能性もあるときた。

一般的な依頼に比べれば報酬は少ないが、それでも5000コームはかなりの大金だ。

 

「……」

面を食らったもののこの話、怪しすぎるが断る理由はというと、ない。

怪訝な顔をしつつ頷くガロア。

 

「よっしゃ!じゃあ早くマシンに乗んな!疲れちゃいねぇだろ?」

 

「待て待て!企業連の役人が見てる中で二人の合意の元で行うんだろう!?」

 

「企業連の役人もそこにいるし合意はしたろうがよ、観客は少ないがな」

 

「…むう」

 

「……」

ジョニーの対面のマシンに乗り込むガロア。本来ならばこの後書類作成ののちに一緒に飯に行くつもりだったのだが仕方ない。

明らかに機嫌を損ねてます、といった表情でモニターの前に立つセレン。

 

「お前さん、オイラの応援してくれてもいいんだぜぇ?」

 

「私はそういった冗談は嫌いだ」

 

「ヒュウ!こええこええ!始めるとすっか!」

オーダーマッチの場所がランダムに選ばれ、VSカミソリジョニー戦が始まった。

 

 

試合場はキタサキジャンクションという、荒野の真っただ中に位置する高速道路のジャンクションとなった。

中央部で道路が立体交差しているのが特徴であり、三次元的な戦いが出来る者が有利となる。

開始位置はお互いの姿が見えないほどの位置にあり、近距離戦限定となっている今回はお互いに近づかざるを得ない。

 

「……」

先に仕掛けたのはガロアの方だった。

飛んでくるダブルエッジに切りかかる。

 

『悪いが、陽動も何もない切りかかりに当たる程馬鹿じゃあないぜぇ!』

機体を右側にそらし避けるダブルエッジ。そこに勢いそのまま、どころかブーストで加速された蹴りがコアに向かって飛んでくる。

 

『よっと』

 

「!!!」

 

 

「いなしただと!?馬鹿な!?」

セレンが思わず叫ぶ。

ガロアの得意技と言っても差し支えの無いブレード回避されてからの蹴りは、ネクストの常識を打ち破る動きであり、

ほとんどの人間はそれに対応できぬまま衝撃と共にAPを削られ大きく体勢を崩すことになる。

だが、対応できないというのはスピードが速くて避けられないというよりは相手の虚をつくという意味であり、想定外である故に対応が出来ないのだ。

つまり、事前にこのような動きをしてくることを知っていてかつ、そのスピードに対応できる機体とリンクスならばいなすことも躱すこともできる。

 

 

セレンと全く同じ感想を抱き一瞬動きが止まるガロアのアレフ・ゼロ。

その隙を逃さずジョニーが攻撃を仕掛けてくる。

 

『呆けてんじゃねえぞ!!』

後ろから感じる殺気を頼りに機体を左になんとか寄せるとヘッドがあった部分にコジマブレードが飛んできた。

 

『オラァ!』

そのまま腕を曲げ、頭を絡めとられたまま一緒に落ちていき、高速道路まで叩きつけられ、その衝撃はほとんどアレフ・ゼロに行く。高速道路を崩壊させて砂地の地面にまで落下させられた。

衝撃に目がくらみ、細めた目の前ではコジマブレードも砂に叩きつけられてブスブスと音を立てている。

 

「……」

後ろに組み付きブレードでさらにもう一撃をくれようとしているダブルエッジに肘鉄をかまして難を逃れる。

 

『お前よりも近接戦闘の経験はあるぜ、オイラはよ!』」

と言いながら地面を蹴り砂で目くらましをしながらさらにブレードを前に突き出す。

 

「!」

今日一番の反射速度で破壊の権化と化した手を払い、ブレードで一閃するがダブルエッジの表面をわずかに焦がす程度で終わる。

 

 

 

(まずいな…ただのネクスト戦ならば100回やって100回勝てる相手なんだが…)

セレンの考えていることは正しく、近接特化の上空中適性のほとんどないダブルエッジが相手ならば、

空中からフラッシュを交えつつグレネードとロケットで爆撃していれば簡単に吹き飛ぶだろう。

だが、近接寄りの万能機のアレフ・ゼロと違い、

近接特化の機体構成にさらにプラスして偏ったスタビライザーにより最速で右腕のコジマパンチを繰り出せるダブルエッジを操るカミソリジョニーは、

先ほどの言葉通り近接戦闘の経験もガロアより上であり、ガロアの才能を持ってしても今すぐにそれを上回るのは難しいだろう。

 

(考えろ、ガロア…)

オーダーマッチでは通常のミッションと違いオペレーターは介入できない。(というよりも必要性が無い)

何かアドバイスをしたくても出来ないし、何も思い浮かんでもいない。

負けたとしてもお金も入るし、ランクもそのままなのだからデメリットなど何もないのだがそれでもなんだかガロアが負けるのを見るのは嫌だとセレンは思った。

 

 

「……」

先ほどセレンが考えていた、近接戦闘では勝ち目が薄いことに気が付いたガロアは苛烈な攻撃を避けながら賭けに出た。

 

 

 

「ホラホラホラァ!壁際まで追い込まれちまったぞぉ!」

性格には壁ではなく柱なのだが、それを修正する言葉をガロアは持たない。

そして追い込まれたのではなく、わざとここまで来たのだ。

後ろに跳躍し、柱を蹴って上へと上がるアレフ・ゼロ。

 

「何を考えてんだぁ!?」

眉を顰めて金色に輝く歯をむき出し叫ぶジョニー。

壁を蹴ってジャンプしたのは驚いたが、銃器禁止となっている今、必要以上に距離をとる行為はナンセンスそのもの。

これでは勝負はつかず、ダメージを与えてる分、自分が有利なままなのは変わりない。

 

「!?」

そしてジョニーの耳に飛び込んだのはオーバードブースト起動時に鳴る独特の空気を吸い込むかのような音。

この音が聞こえたら一秒弱でネクストは爆発的な推進力を得る。

 

(上等だ!カウンターでオイラの最速コジマパンチぶっこんでやる!)

 

だが、アレフ・ゼロがオーバードブーストが起動するまでの一秒弱にとった行動は正しくジョニーの「想定外」であった。

 

 

ザクザクザクッ!

とアレフ・ゼロは野菜を切るかのように軽快に柱を直方体に切り裂き、

さらにオーバードブーストが起動した直後にその直方体を前へと蹴り飛ばしおまけに勢いづいた柱の直方体をブレードで細切れにした。

 

(こいつは想定外だ!)

銃器の禁止、そして近接戦闘では不利という状況からガロアは即席で散弾を作り上げたのだ。

 

「だが甘い!!」

確かに膨大な才気を感じずにはいられない動きではあったが、空気抵抗も考えないただの石つぶてなど目をつぶっていても避けられる。

右方へのクイックブーストを吹かしアレフ・ゼロを睨みつける。

が。

 

(やべぇ!)

そう動くことを予想していたかのように縦回転をしながらブレードが飛んできてダブルエッジの右腕を切り裂き地面に刺さる。

エネルギー供給源を失ったブレードは速やかに蒼い光を小さくしていった。

 

「やるじゃねぇか…だがこれで有効な攻撃手段は…!」

斬撃を受けてほとんど内装がむき出しになりぶら下がる右腕に一瞬目をやってしまったのが災いした。

オーバードブースターを完全に起動し目の前までやってきたアレフ・ゼロが空手となった左手でダブルエッジのヘッドを掴み、そこに音よりも速く膝を叩き込んだ。

 

 

「おお…!」

 

「素晴らしい!」

 

「早速プロジェクトを進めなくては…!」

 

画面に表示されている試合結果はガロアの勝利となっており、その結果を見て研究者たちは各々の反応を示す。

ダブルエッジにAPは残っているもののヘッドを統合制御システムとカメラごと吹き飛ばされ戦闘続行不可能となり勝負が決したのだ。

 

「…ガロア!」

マシンから降りたガロアの額には汗が浮かんでおり、明らかに先のミッションよりも神経を張っていたことがうかがえる。

 

「へっへっへ…オイラの負けだい…お前さん、やるなぁ。天才ってのはいるもんだな」

差し出された右手に応えるガロアは普段は中々笑わないのに静かに笑っていた。

当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、既に戦闘狂の片りんを見せつつあった。

 

「お前さんはまだまだ強くなるぜ…そんじゃあな」

 

「……」

 

「これでランクが一気に上がったのか…?あっという間に出てきてあっという間に去っていきやがった」

 

研究者をぞろぞろと引き連れて去っていくジョニー。

そして何かを思い出したかのようにこちらを振り向き言葉を投げかけた。

 

「そうそう!アブの野郎によろしくな!お前さん、…自分を振り返ることがあるなら、その内世話になると思うぜ…へっへっへ…」

 

「アブ?」

 

「?」

最後の最後でまた二人して首を傾げる。

 

(うーんやっぱ今回はあいつなのかな…面白くなってきやがった!)

二人に背を向けへらへらと笑いながらそんな事を考えるジョニーはカニスの言葉通り、ただの傭兵ではないようだ。

 

その後トーラスとオーメルの研究員により、

コジマパンチに次ぐコジマキック、コジマニー、コジマエルボーなどが開発されたが、

それらを全部積むとエネルギーがカツカツになりまともに動けなくなるうえ射程距離も非常に短いので実戦では使うのは難しいという結論に至った。

その代りにコジマパンチキックニーエルボーのみを使ったシミュレーション上でのAC格闘技大会が行われるようになるのはまだ先の話である。



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リッチランド襲撃

「ふぅ…これは…中々にいいものだな…」

湯煙のたつ巨大の浴槽で艶めく髪を縛り頭に白いタオルを乗せたセレンが浴槽の縁で腕枕をしながら呟く。

夜、書類整理とミッション完了報告を終えて食事を終えたセレンは部屋に取り付けられているパソコンで施設案内を見ていると「銭湯」と書かれたものを見つけた。

いくらかの入場料を払い、大きな浴槽に男女で別々に分かれて入る物で、大艦巨砲主義で堅牢なパーツを作る企業・有澤のある元は日本と言われる国で文化として根付いていたものだ。

カラードが作られる際、血行促進や肩こりリュウマチなどに効く銭湯が施設の一つとして取り入れられたのだ。

健康にいいのは確かなのだが、マンションの部屋にもシャワールームが取り付けられていることと、文化的にまだ馴染まれていないということもあり中々利用者は少ない。

わざわざ家の外に出てカラード管轄街の中央塔まで来て風呂に入り、そして帰るというのは理解しがたいことなのかもしれない。

 

ちなみにカラードは中央に巨大な塔があり、そこではブリーフィングルームやシミュレーションルーム、役人以外立ち入り禁止の部屋や食堂等がある。

そこを中心にして周りにレストランや居住区などが広がっており、セレンとガロアの住むマンションはそこから徒歩五分の場所にある。

さらに詳しく説明すると、塔を中心として、8つの区画に別れており、ケーキを切り分けるように居住区、ネクスト及びノーマル発着場となっていて、

どの方角からも出撃できるようになっている。普段はネクストは中央塔に格納されており、緊急時以外は塔から直接出撃することはない。

さらに街の至る所に長距離砲が設置しており、半径300km以内に入ってきた不明物は監視、スキャンされ怪しいと判断されたら警告ののちに狙撃され木っ端微塵にされる。

 

銭湯というものを詳しく調べて場所を確認したセレンは、せっかく引っ越してきたのだから利用してみるかと思い中央塔に向かい、

一人で行くのはなんだか怖かった…もとい不安だった…いやいや、ガロアを置いて一人でリラックスするのもよくないので、途中訓練場で一人でランニングをしていたガロアを引っ張りここまで連れてきたのだ。

ちなみに自分の頭の中で予定していた訓練を半ばで打ち切られたガロアはかなり不満そうだった。それこそ言葉を話せてたならば文句の一つや二つでも言ってきそうなくらいには。

最初からそうだったがガロアは一人で黙々と訓練や作業をするのが好きで、それを邪魔すると少々不機嫌になる。

今日は一日で二つもミッションをこなしたのだから少しくらい休んでもいいと思うのだが、というのはセレンの都合だということには気づいていないが、

少しは体を休めてほしいと思っていたのも本当の事である。

自分は居住区のレストランで食事をしたが、ガロアはオーダーマッチの後もずっと中央塔にいて、訓練を続けて食事も食堂でとっていた。

 

「少しは休めているのかな…」

生姜の匂いのする赤い湯に最初は少し引いたがいざ入ってみると匂いにはすぐ慣れて体の芯からポカポカと暖かい。

 

 

「…最近ガロアの作ったご飯食べてないな…」

壁の向こう側ではガロアが入ってるはずだが、当然声は聞こえてこない。

 

が、

 

「ガロア君、お料理出来るの?」

 

「うわっ!?」

突然後ろから声をかけられリラックスしきっていた心臓が急激に動き、比喩ではなく心臓が痛い。

 

「あら、ごめんなさい。驚かせちゃった?」

 

「だだだ、誰なんだお前は!?なんでここなんだ!裸!?」

完全に気が動転し理解しがたい疑問を雨あられのようにぶつけるセレン。

ガロアを除けば同性でも異性でも半径1m以内に入られるだけで少々落ち着かなくなる人見知りセレンにとって真後ろ50cmから裸の女性に声をかけられるなんて恐怖以外の何物でもない。

 

「私、メイ・グリンフィールド。リンクスよ。よろしくね、ガロア・A・ヴェデット君のオペレーターさん」

湯煙の中で笑顔を浮かべる女性が自己紹介をしてきた。

細いツリ目にも関わらず優しげな印象を持つのはその笑顔と大きなアーチを描く眉のおかげか、実際今まで彼女は初対面の人間のほとんどから好印象を貰っている。

風呂の中なので身長はわからないが、その胸のサイズはセレンより三回りほどは大きい。整いつつも少々面長な顔ゆえはっきりとはわからないが年はセレンより2つか3つ上ぐらいだろうか。

やや色の薄い濡れた金髪を頭の上で結い緑色の目をにこりと細めてこちらに向けているが、優しげな笑みも目の横で作られている笑顔皺もセレンの警戒心は解けなかったようだ。

 

 

「あ、あ、あ、ああ、セレン・ヘイズだ。よろしく」

後ずさろうとして後ろが縁だったことに気づき、さらに混乱しながらも自己紹介を済ますセレン。

 

「ガロア君のお料理っておいしいの?」

さらに先ほどの言葉の続きを言うメイ。

 

「そ、そりゃあもう…じゃなくて、なんでお前はガロアのことを知っている!?」

と、自分で言いながらもガロアが新人としてはかなり有名な部類に入ることは知っているので、この言葉は間違っていたな、と少し冷静になった頭の一部で思うセレン。

 

「あら、とても有名よ?信じられないAMS適性を持つ新人って。ミッションも今のところ完璧だし、ランクも今日一気に上げたし」

しかもオペレーターと生活をしている変わったリンクス、とひそかに言われていることは口に出さない。

恐らくこのタイプはそのおかしさを指摘した途端にぎこちなくなり生活に支障をきたしてしまうタイプだ。

そんな他人の生活を壊すような趣味はメイにはない。

 

「あ、ああ。そうだな。うん」

 

「でも意外ね。もっとお化けみたいに強くてストイックな人なのかと思ったけど」

 

「い、いや、あいつはかなりストイックだぞ。ストイックお化けだ」

 

「あら、そうなの?」

 

「あ、ああ。時間のある時はずっと訓練場にいるんだ、あいつは」

突然声をかけられかなり驚いたもののガロアの話をしているうちに落ち着いてくる。

 

「へー…」

笑顔を崩さぬまま話を聞くメイ。

彼女がセレンに声をかけたのはある目的があり、数日前から声をかけようと思っていたのだ。

それが銭湯で裸の話し合いになったのは偶然だが。

 

「ガロア君は依頼で僚機を使うつもりはあるの?」

 

「そういえば聞いたことないな…」

言われてみれば一人ではきつそうだから仲間を雇おうなんて提案したこともされたこともない。

ガロアがそれを言わないのは10代特有の猪突猛進の蛮勇と一歩違いの自信からであり、セレンが雇わないのはそのツテがなかったからである。

今までのミッションも仲介人から僚機を提案されたことは無かったから考えたこともなかった。

 

「もし、僚機を使うときは是非私を雇ってね。ガロア君の機体とはきっと相性がいいはずよ」

メイがセレンとコンタクトを取ろうとした理由、それはガロアの味方につくためであった。

彼女が出撃するミッションの成功率は上位リンクスと比べても遜色ないほど高い。

その理由は、メイが強力なリンクスの味方についていてその上ミッションをよくよく吟味して受けているからである。

彼女は危険な相手の敵には決してならない。

新人として登録されて既に二基のアームズフォートを落とし、ランクも急激に上がったガロアは間違いなく「危険な相手」であった。

彼女が姑息、卑怯というわけではなく、強いものにつくというのは当然の戦略ではあるのだが、

そもそものリンクスとは一騎当千の戦力で数百万人に一人の天才がなるものであったのだが、

時代と共に企業のなりふり構わない努力によりリンクスの数も増え、価値も下がり、真の意味で一騎当千のリンクスというのは少ない。

リンクス登場から23年、そしてリンクス戦争から8年。

強者の味方になり勝利を得ようという、当然の考えというものをもつリンクスが現れたのはリンクスという物の価値の変遷を如実に表しているのかもしれない。

加えて、実はガロアのような中性的な顔立ちは結構好みのタイプ…ということは顔にも口にも出さずに彼女は微笑む。

 

「ああ、話しておくよ」

 

「次の依頼も上手くいくといいわね」

 

「……」

会話は止まったはずなのだが、彼女はニコニコとしながら出ていく気配はない。

じゃあ自分が出るか、と思ってから銭湯から出る時間を決めていなかったことに気が付く。

ここで大声でガロアに声をかけるのも恥ずかしく、口元を生姜湯に沈めぶくぶくとしていたら壁の向こう側から陽気な声が聞こえてきた。

 

 

 

 

「お、ガロアじゃねえか!お前もここ使うんだな!」

股間部分を古いヒーローがプリントされたタオルで隠し、壊滅したファッションをすべて脱いだダンが入ってきた。

 

「……」

言葉は返せないが聞こえているという意味を込めてダンの方を見る。

 

「よっと!」

銭湯に慣れているダンはマナーも良く知っており入る前に桶でお湯を掬い頭から思い切り被る。

すると揉み上げだけだった癖が頭全体に広がり、売れないコメディアンのようなアフロもどきになり、ガロアは吹き出した。

 

「次は俺に挑戦してくんのかと思ったらなんでお前いきなし22になってんだ??ジョニーは中々カラードに顔出さないってのに」

湯船に浸かり温度差に身震いをしながら息をつき質問をしてくるダン。

文字を書くこともできない浴場では、イエス、ノーで答えられること以外は質問しても回答できないことぐらいはわかりそうなものだがダンは気にしていない。

 

「お前、今日もアームズフォート落としたんだって?今度は俺も誘えよ!コツってやつを教えてやるからよ!」

実は一基もアームズフォートを落としたことの無いダンだが、先輩である自分という意識が見栄を張りついそんなことを言ってしまう。

 

 

 

そんな会話(一方的)に耳を傾けていたセレンはくすくすと笑うメイに目を向ける。

 

「ダン君、見栄張っちゃって…まだまだ新米なのに…どうして男の子って男同士で見栄を張るのが好きなのかな」

 

「あ、ああ」

どうしてもこうしても身近な男性と言えばガロアしかいない上、見栄っ張りどころか自分の身の上すら話さないのでいまいちピンとこないが適当に相槌を打つ。

 

「でも男の子って見栄と意地で強くなるんだよね」

 

「……」

見栄については知らないが、意地については思うところがある。

まだまだ若いガロアが一心に訓練に励みとうとうリンクスになったのは意地と執念以外の何物でもないのだから。

 

『ん?あれ!?お前、痩せてると思っていたのにすごい筋肉!うわ、すげえ!』

さらにそんな声が浴場に響く。

 

「へー…」

 

(そうだろうな)

みっちりと毎日鍛えてこれでもかという程食事をとらせてきたのだ。

そんじょそこらの男に負けるような肉体はまずしていない。

 

『カッチカッチじゃねえか!カッチカッチじゃねえか!』

 

「いいなぁ…」

 

「…?何が?」

 

「背も高いし顔も悪くないし、体も鍛えられていて…それで料理もできるんでしょう?きっとモテるんじゃない?」

 

(…そっか…あいつ、もう子供じゃなくて男なのか…)

例えばこういう女性に言い寄られても不思議ではないし、どこかで女を見つけてもおかしくない。

むしろ今日この日まで何も考えずに一緒に過ごしてきたことのほうがすごくおかしいことなのかも、と今更になって思い始めて顔を赤くした。

 

『あ、もう出んのか?今度は一緒に風呂入ろうぜ』

そんな声が響き、心の中でダンに礼を言いながらセレンも立ち上がる。

 

「わ、私もあがる…」

 

「あらそう?」

 

「じゃ、じゃあ」

頭が貧血のようにちかちかするのは本当にのぼせてしまったからかもしれない。

風呂の外でほかほかになって出てきたガロアは自分の倍くらいほっかほかになって出てきたセレンを見て、そういえば出る時間決めてたっけと思いながら帰路に着いた。

そして三日後、新しい依頼が届きそのブリーフィングを受けることになった。

 

 

 

 

 

 

 

「よう、あんたがガロア・A・ヴェデットだな。GAグループの仲介をさせてもらってるジョージ・オニールだ。うわさは聞いてるぜ、期待のリンクス」

 

「……」

ナイスミドルという文字を人にしたらこうなるのだろうといった感じの無精ひげの男がガロアに握手を求めてその右手を握り返す。

そういえばガロアは握手を求められてもよどみなく返している。

喋れないから人と積極的に交流をとらないだけでもしかしたら本来の気質は人見知りなどではないのかもしれない。

 

「さて、今回のミッションの説明をする。雇い主はGA。

目的はアルゼブラ社の所有するリッチランド農業プラントの守備部隊の全撃破だ。ただ、敵は鹵獲したGA製のAFを使用しているようだ。

偉いさん、はっきりは言わなかったが本当なら厄介だ」

 

「またアームズフォートか…」

正直言って、アームズフォートを相手取って終止笑顔で終われたことがまだないセレンは出来ることならぶつかりたくない。

 

「だからあんたに来てるんだろう、このミッションは。もういくつか量産型のAF落としてるんだろ?」

 

「……」

静かに話を聞くガロアは知らないが、ランクが高すぎると簡単には依頼できないうえ用意する報酬も高くつく。

逆にランクの低すぎる傭兵では支払う報酬も低い代わりに難しいものは回さないし、そもそもそんなミッションなら自分たちの部隊でなんとかできることが多い。

そんな理由からカラードに登録されてるリンクスで一番忙しいのが実はランク20~10前後のリンクスなのだ。

簡単に最高戦力を動かせば相手も最高戦力を動かしそれこそリンクス戦争の悪夢の再現となってしまう。

そんな理由から、現在ランク21にしてアームズフォートをすでに落としている独立傭兵のガロアは企業にとって今のうちに使い倒しておきたい存在であった。

 

「ああ、ただまあ危険な作戦だからな。支援機の使用が推奨されてるから必要なら無理せずに言えよ。こんなところか。危険だが、見返りは十分に大きいぞ」

さっくりと作戦説明を終わらせたジョージだがこれでもGAグループの仲介人なのだから相当のキャリアのはずだ。

 

「支援機は?」

 

「ああ、上からランク16の有澤隆文、ランク18のメイ・グリンフィールド、ランク28のダン・モロだ」

 

(この前のヤツ、ガロアよりランク上だったのか!取り分も30%と高すぎず低すぎずだし、雇ってみるか…)

 

「じゃあ、このリンクスに協力を頼みたい」

 

「……」

 

「ん?」

 

「え?」

セレンが出された書類のリストに載っているメイの名を指差すと同時にガロアがダンの名を指さしていた。

 

「待て待て、ガロア。お前よりランクも低いし依頼料も20%ってのは少し高いぞ。雇う意味はあまりないんじゃないか?」

 

「あー、いや待て。ガロア・A・ヴェデットからの依頼は5%引きで受けるそうだ。何か気に入られてるのか?」

 

「……」

 

「じゃあ二人雇えばいいんじゃないか?有澤と同じ値段だしな。二人より三人のほうがいいだろう?」

なら、と提案するセレンにジョージが説明を加える。

 

「別に出来ないことはないんだが、二人分の弾薬費と修理費も持ってかれるし、危険な依頼の割には取り分少なくなっちまうぞ?いいのか?」

 

「……」

ガロアとセレンは二人ともしばし沈黙するが、セレンは頭の中で計算を進める。

 

(今のところ新しい兵装を買う予定もないし、資金繰りも厳しくない…それよりも危険を減らす方が…)

 

「ああ、それでいい。二人に話を通しておいてくれ」

 

「…かなり強いリンクスって聞いてたんだが、意外と冷静なのかもな」

判断したのはセレンだし、別段冷静なわけでもないのだがどちらでもいいや、とばかりにジョージは顎鬚をなでながら声を出す。

 

「じゃあ伝えておくぜ。明後日の11時開始予定だからちゃんと調子整えておけよ」

ブリーフィングルームから肩を叩きながら出ていくジョージの背中を見ながら、セレンはガロアに協調性はあるのか見ものだな、と自分のことは全て棚に上げて心の中でつぶやいた。

 

 

 

 

 

極低温まで冷やされた機体が超高高度から投下されプライマルアーマーを展開しながら着地する。

 

周りには二機のネクスト。

赤白青黄と、いずれにしても標的にされやすそうな色をしている標準的な兵器を装備する中量二脚ネクスト、セレブリティアッシュと、

いかにも頑丈そうな装甲に実弾系兵器で固めた緑の重量二脚ネクストのメリーゲートだ。

 

奥にはノーマル部隊と二基のアームズフォート、ランドクラブが並び戦闘態勢に移行している。

 

『メリーゲートよ。作戦を開始しましょう。うまく盾にしてね、そのための重量機よ』

 

『セレブリティ・アッシュだ!よろしくなガロア。自分で言うのもなんだが役に立つと思うぜ』

メイの声はランク通りの落ち着きを示しておりアームズフォートを前にしても気圧されていない。

一方のダンは興奮と虚勢が隠し切れず、恐怖を打ち消すかのように銃をひらひらと挙げてアピールしてくる。

 

『ミッション開始!慎重に行動しろ…アームズフォートの主砲に気をつけろ…正面から行くのは愚の骨頂だぞ』

 

「……」

セレンが送ったもっともな警告に従い、ガロアはランドクラブの持つ4つの三連砲の射線上にそれぞれ入らぬように気を配りながら、歩を進める。

 

が、しかし。

 

『正面からいくわ。細かいのは性に合わないの 』

そんなセレンの警告を無視してまっすぐと敵陣へと向かうメリーゲートにガロアは驚きが隠せない。

そして警告を無視した愚か者への報いのように三連砲が叩き込まれるが、どれも紙一重で避けているか、掠ってもPAで削られほとんどダメージになっていない。

横やりを入れてくるノーマルをグレネードで吹き飛ばしながらよく観察すると、メリーゲートは左右に小刻みに動いており、主砲が放たれた瞬間のみにクイックブーストを使い避けている。

スピードの優れない重量機はクイックブーストの切れ目を狙って攻撃されると避ける術がない。

そのことを積み上げてきた経験から理解しているメイは小刻みに揺れながら予測射撃をずらし直撃だけは避け、ミサイルとノーマルの攻撃はほぼ無視している。

才能で高機動ネクストを操るガロアと違い、それは重量機を経験で操るメイなりの生き残りの戦術だった。

 

「……」

重量機に乗らないガロアにはわからない世界だがわからないなりに見て学んでいると、かなり後ろの方から声が飛んでくる。

 

『オラオラ!へっ、そんなでかいとロックオンしなくても当たるなぁ!』

後ろの方でアームズフォートに向かい射撃を続けるダン。

その戦術は間違ってはいない。間違ってはいないのだが…

 

『うわっ!』

ノーマルからの攻撃を背後に喰らい悲鳴のような声を漏らすダン。幸いにもPAがほとんど削ってくれたようだが攻撃の手は止まる。

 

「……」

眼で焦点をしばらく合わせるだけで予測射撃してくれる通常の兵器ではなく、手動で攻撃ポイントを決めなければならないロケットを普段から使うガロアは、

ロックオンせずに射撃に徹するということがどれほど集中力を要することかよくわかっていた。

高速移動しながらではまず当たらないし、集中して腕を調整しなければやはりまともには当たらない。

そんなことを考えているうちに周りの敵から攻撃を食らってしまうのだ。何よりも。

 

『あなたの射撃装備じゃアームズフォートは落とせないわ。かく乱に回るかノーマルを撃破して』

そういうことなのである。

相手の装甲に一撃で大ダメージを与えうる武装を持つことによって遠距離射撃戦は初めて有効になる。

 

『と、まあコツはこんな感じだからアームズフォートはあんたらに任すぜ!』

 

やんわりとダメ出しされてもへこまずノーマル部隊にブレードを振りまわすダンを横目に、

ちまちまとした射撃でいらつきダンに主砲を向けた隙に片方のアームズフォートに一気に接敵し左腕を振りかざす。

いい調子だ。今のところ心拍の急激な上昇もなく周りの音もよく聞こえて向かってくる弾も見える。

さらに切り上げ、離れ際にロケットを一撃放つ。この距離なら外しようがない。

ロケットを放った衝撃を利用し背を向け、後ろから迫っていたミサイルを全て撃ち落とす。

ガロアにとっては一撃当たれば終わりのコジマブレードの方がもっと怖かった。

 

 

 

 

 

「ネクスト三機相手ではきつすぎます!」

 

「一番弱い奴から狙うんだ!定石を忘れるな!」

アレフ・ゼロに切り刻まれているランドクラブを見て、もう一基のランドクラブの乗務員はざわめく。

 

「!あいつだ、ノーマルに苦戦しているあいつに集中攻撃しろ!」

 

「は、はい!」

三機のネクストに分散していた砲台が一斉にセレブリティアッシュに向けられた。

 

 

「…!」

 

『ダンくん!気を付けて!』

 

『え?…うわっ!』

 

自分達への攻撃が止んだことに気が付いたメイはダンに注意を促すが、少し遅かった。

ミサイルの嵐がセレブリティアッシュに当たりバランスを崩す。

 

「……!」

三連キャノンをいざ放たんとしていたランドクラブへフラッシュロケットを放ちなんとか射線をずらすことに成功した。だが。

 

『…くっ、悪いが俺向きのミッションではなかったようだ。撤退させてもらうぜ』

大破は免れたもののプライマルアーマーも剥げ落ち、ノーマルの攻撃でダメージの積み重ねなっていたセレブリティアッシュは撤退を決め込んだ。

 

 

 

 

「一機撤退していきます!」

 

「やった!」

 

「あの黒いネクストがこっちに来る前に撃ち落とすぞ!」

ネクスト撃退に歓喜の声が上がるランドクラブ内部。

既に一機ランドクラブが落とされてはいるが、この調子ならば巻き返せるかもしれない、と。

だが、そんな中で指揮官だけは複雑な表情をしていた。

 

(あの黒いネクスト…どこかで見た気が…)

この司令官含む、リッチランド防衛部隊は、アルゼブラ最強AFカブラカンの乗組員には選ばれず、

その上敵から拾ったようなアームズフォートに乗っている、二流の兵士たちだった。

その上今までガロアがこなしたミッションにアルゼブラが直接関わってこなかったこと、

そしてアルゼブラが他の企業からやや孤立して独自の文化と技術を作り上げていることが今回は災いした。

その独自性は強みでもあったのだが、少なくとも他企業やカラードの最新情報などには疎かった。

既にアームズフォートをいくつか落としている新人リンクスのことは知らなかったし、想定もしていなかった。

偶然指揮官が見覚えがあった程度である。

 

「重量級のほうも少しずつ削れていってます!」

 

「黒いネクストに砲門を集中させろ!重量機はノーマルに任せる!」

ミサイルをアレフ・ゼロに一気に放つ。避けたらそこに三連砲をぶち込んで穴だらけにしてやる。

乗務員のあがった士気が一つの意志になった、その時、その士気は瓦解した。

 

「…!?全部撃ち落とされたぞ!?」

 

「ま、まっすぐ向かってきます!」

 

「早く撃て!」

 

「ミサイル再装填に時間がかかります!」

少なくともランドクラブのミサイルは波状攻撃で弾幕として使うべきであったのだが、自分たちが開発したアームズフォートではないため、乗組員にはそのことがわからなかった。

そうしてる間に三連砲では狙えない角度まで入り込まれ、ジェネレータを破壊されて非常電源以外の全てが落ちた。

 

 

『ランドクラブ撃破!残りは…』

 

「こっちも終わったわ」

ランドクラブが落ちると同時にメリーゲートも最後のノーマルを撃破し終え、ミッションは終了した。

 

『よくやった。…二基目のランドクラブは被害が少ないからそのままGAが使うそうだ。特別ボーナスだぞ』

乗組員が退避するランドクラブを見て、たった今GAから届いた通知を読み上げる。

 

「そう。よかったわ。作戦完了、相性がいいみたいね、あなたとは 」

 

『……』

システムを通常モードへ移行し、帰還ルートへと入ると同時にアレフ・ゼロへ通信を入れる。

高機動機のアレフ・ゼロとは相性がよかったのは確かだ。

だが、ダンはどうだろうか。

先に帰還しているダンがどういう言い訳をしてくるか、はたまたどれほど落ち込んでいるか、残酷ながらも真っ当な想像をしながらメイは帰還した。

 

 

 

 

「あ、ダンくん」

帰還してロッカールームを出るとそこでは先に帰還していたダンが待っていた。

ちなみに男子ロッカールームと女子ロッカールームは格納庫を挟んで反対方向にあり、メイに用事があってここで待っていたのは明らかだ。

ダンとミッションに出るのは初めてなのだが、顔見知り程度には話したこともあるのでわかるが、この顔は明らかにしょげている。

 

「ミッションは…成功したのか?」

恐らく聞きたいことはそれじゃない。そんなことはオペレーターに聞きに行けば真っ先に分かるのだから。

 

「大成功よ。AFも二基落として特別ボーナスも入ったわ」

 

「そうか…」

 

「あなたは、狙われてるとき」

 

「わかってる。ガロアのヤツに助けられていたよな」

さらに苦々しげに顔を歪めて下を向くダン。

普段からヒーローになると言ったり、実力の伴わない見栄を張ったりする彼にとってこれは心苦しいことなのだろうか。

 

「へっ…」

 

(何を言うのかしら)

余計なことを、とか?

俺一人の方が、とか?

 

「なら、後でお礼言いにいかねえとな!よかったよかった!」

顔を上げて笑うその表情は強がりだとすぐにわかる。

だが、見栄っ張りでも強がりでも、こういう前向きな強がりは嫌いじゃない。

 

「…そうね。一緒に行く?」

ただの見栄っ張りではなく、恐らく彼には誇りとする夢があって、それに背かないように彼なりに生きているのだろう。

壊滅的センスも見た目も全く好みではないが、こういう男子は割と好きだ。

 

「いやいや。あんたは報告しに行って金受け取って来いよ!俺はもう終わってるからさ。じゃ、また機会があったらよろしくな」

 

「…次は一緒に成功しましょう」

 

「おう!じゃあな!」

賢しく立ち回る自分と違って、あの真っ直ぐな心があるならばきっとダンはまだまだ強くなる。

 

(悪くないわ)

メイは初めて、損得勘定ではなく敵になりたくない相手が見つかったのであった。



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ワンダフルボディ撃破

空に浮かぶクレイドルに全ての人類がいるわけではなく、地上にも4億人ほどの人類が汚染されていない地域で生きている。

その内で人間らしい文化的な生活をしているのは一割に達しない。

企業の管理街や人々が自主的に擬似政府のようなものを立ち上げている場所以外では、

資源や食物を巡り殺し、略奪、騙し合いが起きており、人間の命の価値は日々下落していっている。

 

 

「これがその記録だ。一応俺の知っていることは全部書いてある」

国家がまだあった時代にはシリアと呼ばれていた土地ではまだ秩序は保たれ、人々は土地を耕し自警をしながら日々を凌いでいた。

国家解体以前はお世辞にも治安がいい国とは言えなかったが、

国家解体戦争で、治安のいい、すなわち栄えてる国や土地は悉く攻撃され汚染に晒されたため人々がこちらに流れ秩序が作られたのは皮肉としか言いようがない。

シリアの郊外のある寂れた町の一角の路地裏で、ボロボロの服で無精ひげを蓄えた男が記憶媒体を、顔を覆い隠すガスマスクをしてさらに変声機をつけて体型のわからないようにマントで身体を隠した人物に渡していた。

 

「よシ。コの場所に食料と水を投下しテある」

変声機で時々聞きとりづらくなった声を発するマントの人物が地図である場所を指し示す。

 

「ありがたい…しかし、あんた一体何者なんだ?俺のことを嗅ぎ付けて、今更こんなことを…」

 

「…あマり詮索するとお互イの為によクない」

 

「まあ、そうか…」

 

「お前は、企業に戻らないノか」

 

「無理だね。よくは知らないが、お偉いさんはあるとんでもない情報を握っていたらしい。

それが原因であの研究所はぶっ潰されたんだって話だ。…やってた研究自体もヤバかったとは思うがよ。

今更企業に戻ろうとしても疑わしきは抹殺がモットーの企業なら間違いなく俺を殺すだろう」

男はずっと昔、今は崩壊したレイレナードという企業の優秀な社員でありこの地方の研究所に所属していた。

だが、その地方ではある研究が行われており、その研究自体も倫理的にかなりアウトなものなのだが、その研究の行われていた理由が一番いけなかった。

その理由を知る者を抹殺せんとレイレナード以外の企業から戦力が投入され焼き尽くされたところを逃げ出して助かったのだ。

 

「今は妻も子供もいる。妻が出来て、子供が出来てから分かったよ。…もうあんな真似はしたくない」

逃げだした先の土地は幸運にも秩序が保たれている地域であり、その場所で彼は妻となる女性と出会い子をもうけ、そうして現在、生活は苦しいながらも幸せにやってきている。

 

「……ソうか。気をつけロよ」

 

「あんたもな」

 

「…あア」

そして二人は路地から逆方向に出る。何事も無かったかのようにこの町は明日も明後日もクレイドルを見上げ、そしていつの日かコジマに汚染されるのだろう。

 

「…ふう」

マントのフードをおろし、ガスマスクと変声機を外したその人物は見目麗しい女性だった。

この地域では知る人はいないが、カラードではかなりの有名人、ウィン・D・ファンションであった。

この地域では乾燥と照りかえす日光により非常な暑さとなる。

そんな中でガスマスクにマントなどという頭が残念としか言いようがない格好をしていたため体中汗まみれである。

人が見ていないこともあり、マントを脱ぎ、上着を脱ぎタンクトップのみになり汗を拭く。

リンクスとしても傭兵としても超一流の彼女の肢体は美しさと強靭さを兼ね備えた戦う女性の筋肉となっていた。

 

「…さて…ん?」

水を飲み、これからゆっくりその情報を見させてもらおうと思っていた矢先、最新も最新、まだ一般には発売もされていないケータイにミッション報告が入っていた。

 

(…今はこちらが優先だな)

本来ならこんな我儘は通らないが、ランクも3となれば別の用だ。情報をゆっくりと見たいウィンはその依頼は別の人物に回すようにと企業にメールを送った。

 

 

 

 

 

 

「ガロア、依頼だ」

 

「?」

日曜日。

自分の目が届くところでなければ訓練するなというルールは緩められているが、

日曜日は休養日という規則は変わらず守ってるガロアは部屋で休んでいると相変わらずノックもせずにセレンが入ってきた。

 

「ニューサンシャインプロジェクト(NSSP)って知ってるか?」

 

「……」

噂などには元々興味のない性格の上、言葉を持たないため情報交換による情報収集が最も苦手なものと言ってもいいガロアはNSSPのことを全く知らなかった。

ベッドから起き上がり聞く姿勢を見せる。

 

「割と有名な話なんだがな。要約すれば、AMS適性が低くてもネクストを操れるようなリンクスを作るというGAのプロジェクトだ」

 

「……」

AMS適性が高いガロアには理解できない世界の話だが、低いとなれば強烈な精神負荷や違和感が身体を襲うどころか動かせないということもある。

数少ないリンクスに頼り切るよりは、そのリンクスを増やす方向へ努力するのは当然の考えと言える。

 

「既にそのプロジェクトで生み出されたリンクスがランク24にいる。それを撃破しろとの依頼だ。…インテリオルのな」

正直この前の依頼でVOBが爆発してるのであまりインテリオルの依頼を受けるのは気分がよくない。

 

「ネクストとの戦いは初めてだろう?本来ならAFより先に戦うべきなんだがな」

気分は良くないが、経験を積ませておくのは悪くない。作戦内容を吟味した結果、今のガロアならば問題なくこなせるミッションだと判断し話を持ってきたのだ。

 

「味方もいる。ランク7、ロイ・ザーランドだ。…まさかこの前の男が一桁のランクだとは驚いたがな」

人は見かけによらないということだろうか、と思いながらもこの前のダンの姿を思いだして、そういうわけでもなさそうだと残酷な評価を下しながら続ける。

 

「お前ほどではないが、このロイという男もかなりのAMS適性を持っている。今回の作戦はGAにそんなプロジェクトなんて意味ないと思い知らせてやるための作戦らしい」

セレンはそう言うが、現ランク4のローディーしかり、リンクス戦争時代のアナトリアの傭兵しかり、実はその方向性は間違ってはいない。

リンクスの良し悪しはAMS適性だけでは決まらないというのは事実だ。

だが、だからと言ってGAがプロジェクトを成功させその評判を上げるのは敵対企業のインテリオルにとってよろしくないのだ。

 

「AFに比べればずっと気軽な相手だ。どうだ。やるか」

聞きながらも、今までガロアは持ってきた依頼を断った事は無いことから今回も頷くのは知っていた。

 

「……」

やはり、肯定の意が返ってきてセレンも満足げに頷く。

 

「よし、じゃあ明日のブリーフィングは13時からだ。依頼受諾の旨はこちらから報告しておく」

 

「……」

ベッドに座るガロアに背を向け部屋を出ながらセレンは、

これではオペレータというよりはマネージャーだなと思いながらも悪い気分ではなく、その口はやや緩んでいた。

 

 

 

 

『ミッション開始!ネクスト、ワンダフルボディを撃破する』

 

『マイブリス、準備できている。さっさと終わらせちまおう 』

 

 

砂漠地帯となった街に二機のネクストが投下される。

それを見てワンダフルボディのリンクス、ドン・カーネルはほくそ笑んだ。

 

「ようやくネクスト投入か。仕掛けが遅いな、インテリオル・ユニオンも 」

既に目標とされていたインテリオルの輸送部隊は殲滅した。

その上こちらにはノーマル部隊もついている。

この際だ、さらに敵側のネクストを片づけて追加報酬をせしめてやれ。

 

ドンはGA正規部隊からの叩き上げで、経験と自信を持つ正統派の兵だった。

だが、NSSPの被験者に抜擢され、ここまで成功を積み重ねてきてその歴戦の勘は鈍ってしまった。

今回の作戦目標の輸送部隊自体が囮であることは、最盛期のドンならその警備の薄さから気づけてもよかったはずだ。

戦闘力は今の方が上だが、その勘と経験はもう失われていた。

アナトリアの傭兵のように、最初から背水の陣で余裕なく戦い続けていたのならば、また違ったのかもしれないが…

 

 

「!ノーマルか!無駄な取り巻きをぞろぞろと…構わん、ワンダフルボディに集中しろ。目標は奴1機なのだからな」

ブリーフィングではワンダフルボディ一機だけだったはずだが、ノーマル部隊がうじゃうじゃといる。

やはり、インテリオルはイマイチ信用できない…が、イレギュラーがノーマルぐらいでよかった。

別の画面に目をやり、空中浮遊カメラから送られてくる情報を見てもワンダフルボディとノーマル以外の機影は見えない。

 

「聞こえるか、ロイ・ザーランド」

 

『あいよ、どうした?』

 

「ガロアは今回が初めてのネクスト戦なんだ。そっちに集中させてやってはくれないか」

 

 

 

「へぇ…まあいいぜ」

オペレーターというよりは子煩悩な母ちゃんだな…と思いながらもネクストを相手にしないで済むなら楽に終われるから別に構わない。

右方でオーバードブーストで突っ込んでいくアレフ・ゼロに目をやり自分も前へと最高速で突っ込んでいくイメージをネクストに送る。

 

「おい、聞こえるか?あんたはネクストやんな。取り巻きは俺が押えておくからよ」

 

『……』

聞こえたのか聞こえていないのかアレフ・ゼロは真っ直ぐにワンダフルボディに突っ込んでいく。

機体から送られる急激な加速によるGを体中で感じながらロイは右唇を釣り上げた。

 

(ま、強い奴ってのは協調性がないからなぁ…口が聞けても返事はなかったかもな)

半年ほど前一度だけ協働作戦に出たオッツダルヴァのことを思い出しながらノーマルに向かっていった。

 

 

 

「な、なんだこれは!」

視界の端で光を発しながら動くアレフ・ゼロが全く目で追えない。

ビルの陰に隠れたりしてなんとかやり過ごすがバズーカの射線には入らずミサイルも全て叩き落とされる。

肩に装着したフレアはミサイルを持たないアレフ・ゼロ相手では意味がない。

 

「く、クソ!ぐあっ!」

何とか目の前に立ちトリガーを引こうとした瞬間にフラッシュで目が焼かれる。

 

(見、見えねぇ!わからねえ!なんだこいつは!)

AMSはリンクスの想像をネクスト側に伝えるだけではない。

ネクストが感知した敵やミサイル、コジマなどの情報も全てリンクスに送り付けている。

いわば双方向の通信なのだ。

だが、ネクストが時速800kmを超えて動き回る敵を捕捉しても、

中に乗るリンクスがその速度についていけなければ意味は無い。

そこでネクスト側からリンクスの反応速度や感覚を拡張するのだ。

もしそこでAMS適性が低ければその拡張についていけず重大な精神負荷をを受けることになる。

リンクス戦争時にはそれを承知でネクストから送られてくる情報を全て受け入れていたアマジーグというリンクスがいた。

もっともそれは企業側のリンクスではなく、それこそ先ほどの背水の陣で勝ち続けなければならないという覚悟を背負った者であった。

 

「があっ!」

接近を許してしまいブレードをバズーカで防ごうとしたときに蹴りを食らう。

 

「ひ、ひい!」

後方へめちゃくちゃにクイックブーストを吹かしながらトリガーを引くがロックオンもしていないので明後日の方向へ飛んで行ってしまう。

 

『おいおい、しっかり操縦しろよ、おじさん。コケちまうぞ、それじゃ』

 

「な、ノーマルは!?」

いつの間にか周りにいたノーマルは全て瓦礫となっていた。まだネクストを認識してから一分もたっていないのに…

 

『はあ?あれで足止めになると思ったのかよ…』

 

『……』

 

「それがネクストの動きだと?…じゃあ、俺はなんだ?! 」

理解できない速度で迫ってくる二機に対しドンは本音を叫ぶ。

 

『……』

アレフ・ゼロが砂地に足を引きずりながらも起動したブレードも地面につけ三本線の跡をつけながら迫ってくる。

 

「ひいい!く、くるなあああ!」

 

『……』

最早まともな抵抗もできないワンダフルボディにガロアはさしたる感想もなくその腕を振り上げた。

 

 

「これは…死ぬってのか!?俺が!?」

視界が暗黒に包まれネクストから送られてくる情報が途絶えた。

ネクストの爆発はその地に深刻なコジマ汚染を引き起こすため、それを防ぐためにもネクストは一定以上のダメージを負ったならばその場で強制終了する。

その後のネクストへの攻撃は企業法で禁止されているし、好んでコジマ汚染に晒されたい者もいないため、

コア、つまりコックピットへの深刻なダメージを負った場合を除くならば、その場で死ぬリンクスはあまり多くは無い。

だが、ネクストの敗北はその戦場での敗北とほぼ同義であり、その後その地に来た敵対企業がリンクスをどうするかは想像に難くはない。

その為、近年では作戦続行不可能と判断したリンクスはその場から逃走することも多い。

先のリンクス戦争でアナトリアの傭兵に撃破されたリンクスはほとんど死亡、もしくは行方不明となっているが、それでも彼が直接殺した者はその内の半分ほどしかいない。

 

正規部隊で上官になじられても同期にバカにされても一人遅くまで訓練していた頃の泥臭さを忘れていなければ、撤退という考えも出てきていたのだろう。

この後、ドンがどうなるかはもうガロア達にはわからない。

 

「ミッション完了だ。相手にもならなかったな」

画面に映るワンダフルボディは完全停止している。

いつも画面を眺めるときははらはらしっぱなしだが今回は大きな異変もなく終わることが出来た。

 

「これで終わりか。ちょろいもんだな、GAは。また誘ってくれよ、こういう仕事なら大歓迎だ 」

ひょうひょうと言いながらロイは自分のモニタに表示されるアレフ・ゼロの情報を見て肌が泡立つのをおさえられない。

 

(ほぼ無傷…しかもマシンガンとフラッシュロケット以外使ってねえ…全くランクに釣り合ってねえ強さだ…こいつが本気を出したら…)

俺は勝てるのか、という考えはやめにして帰還ルートの方角へと機体を向けた。



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贈り物

「なあ、せっかくだし飲みにいかないか?ミッションも大成功したし、金はあるだろ?」

帰還後、ロッカールームで本当に何の気もなく誘うロイ。

遊び人のプレイボーイの大半の例に漏れず彼は酒も女も大好きだ。

 

「……」

明らかにロイより多い服をロイより早く着替え終わりロッカーをバタンと閉めながら否定の意を示す。

 

「ん?なんか用事でもあるのか?…え?未成年なのか?」

確かに童顔ではあるがここまで年がいってないとは思わなかった。背の高さだけで見ればまず未成年には見えないのに。

ロッカールームから出ながら一方的な会話を続ける。

 

「へー…17…リリウムちゃんと同い年なんだな…将来性ばっちりってやつか?」

老い先短いと言われているリンクスに将来性もクソもないと言えそうだが、王小龍やローディーのように長生きしているものもいるためそれはわからない。

 

「そういやなんであんたはリンクスになったんだ?企業に所属していないのはなんか理由でもあるのか?」

企業に所属していないのはセレンに引き抜かれたからであり、リンクスになった理由もしっかりある。

それらは企業所属の上位リンクスなら知っていることだが独立傭兵のロイは知らなかった。

 

「…まあいいや。それぞれ理由があるもんな」

おちゃらけたロイであるが、彼にもリンクスになった理由はあり、それを人に大っぴらに語ったりはしない。

手当たり次第に話しまくるダンのほうが珍しいのだ。

詰まる所、リンクスとは人殺しの道具なのだからどんな大義名分を引っ提げても陳腐になる。

 

「ん…しかし、飲みもしねえ女も買わねえとなったら一体何に金を使うんだ?」

 

「………、…?」

金。そういえば今日この日まで自分は金を全く使っていない。

金の管理は全てセレンに任せているがそういえばなんだか企業連の管轄ならどこでも使えるカードを渡された気もする。

ガロアは今日初めてロイの方をまともに見た。

 

「…じゃ、俺が金の使い方ってやつを教えてやりますか」

にいぃ、と笑って10代の男子にとってまさしく出会ってはいけない悪い大人にロイがなろうとしていたその時。

 

「ガロア様」

 

「ん?リリウムちゃん?」

 

「……」

噂をすれば影とはこのことか、リリウムが声をかけてきた。

偶然などではなく、今セレンが報告に出向いてることを確認してからガロアをまた食事に誘いに来たのだ。

 

「どうしたんだい?」

 

「ガロア様をお食事に…」

 

「まあそういう金の使い方もありなんじゃないか?年頃なんだしさ」

同年代の異性と出かけるのに金を費やすというのは最も楽しい金の使い方の一つだろう。

しかし、リリウム・ウォルコットが、同い年とはいえ食事の誘いに来るとは…とロイは鋭い勘に小突かれながら思っていた。

 

「使い方?ですか?」

 

「ああ、ガロアは稼いだ金を使わないんだとよ」

 

「リリウムもあまり使いませんが…」

 

「…リリウムちゃんは何かに使うのかい」

 

「はい、大人からあまり使いすぎないようにと制限はされていますが、時々お洋服やお菓子を買ったり…でもいつも一人なのであまり楽しくは…」

 

「…へぇ」

王のジジイの傀儡だと思ってたリリウムがそんな感情を持っていたことに驚いたし、ちゃんと制限もしつつ自由を許していることも不思議だった。

ローディーもそうだが、年を経ればいくつもの顔を持つようになる。

王も陰謀家としての顔もあれば、孫への愛情(のようなもの)をもつ老人の顔も持つのかもしれない。

 

(この前のアレは情報収集だと踏んでいたんだが…)

ロイがしばしの思案に耽っているとリリウムがさらにガロアに声をかける。

 

「何か買いたい物とかは無いのですか?」

 

「……」

聞かれて考えるがない。

ロイに金の使い道を聞かれてからその場を一歩も動いていないのは頭に集中している証拠だろう。

 

ガロアは14歳になるまで金という物をよく知らなかった。

存在を知らないのではなく、全く使ったことが無かったのだ。

 

「リリウムちゃんは何か有意義な金の使い方はするかい?」

 

「有意義、ですか?…贈り物…だと思っています」

 

「贈り物?」

 

「はい。大切な方へ、日ごろのお礼も兼ねて。自分の為だけに使うよりはずっと有意義ですし気分もいいです。ガロア様は大切な方はいらっしゃいますか?」

 

「……!」

聞かれて最初に浮かんだのが今は亡き育ての父、そして次に浮かんだのが喜怒哀楽の激しいセレンの顔だった。

もしかしたら自分は…

 

「で、では一緒に何か贈り物を探しに行くのはどうでしょうか。この後お時間があるのなら…」

 

「…行って来いよ。一日にミッションが複数入るなんてのはそうないし、報告もオペレータの仕事だから暇だろ?」

女性の扱い、特に好意の扱いは誰よりも得意なロイはリリウムの醸し出す特別な雰囲気に勘づく。

女性は甘いマスクを持ち、エリート思考でクールな男に弱いモノだが、

BFFの女王として持ち上げられているリリウムにとってはそんなものよりも自分に付けられたタグではなく自分そのものを見てくれる存在に惹かれた、というところか。

なるほど、既に並のリンクスでは相手にもならないガロアならばそんな色眼鏡でリリウムを見ることも無いだろうし、同じリンクス同士、話も合うだろう。話せないが。

 

(でもなぁ…)

この前のチャンプス戦の時にガロアのそばにいたあの美人…セレンって女は明らかに…と、思うしそもそもガロアがリリウムを見ていないような気もする。

さっきの大切な人の存在という問いにガロアの頭の中にあったのは間違いなくあのオペレータだろう。

リリウムが抱いているであろう、まだ恋とも友情とも呼べる代物ではない感情が果たしてどのようになるのか。

それはガロアの立ち回り次第だろうがきっとこういうことに慣れてないこいつは苦労する。

 

「ま、俺はこの辺で失礼すんぜ。酒でも飲んでくる。後は二人でやってくれ」

 

「……」

 

「はい、それでは」

美人は好物だがそこまで年下には興味ないし、今はウィンディーがいるから手当たり次第というのは一時休業している。

それに今の自分は邪魔ものだ。

後は若い二人に任せようじゃないか。

 

 

 

 

 

カラード管轄街の北に位置するショッピングモールでかなり人目を引く二人の男女の姿があった。

片方は半ばアイドルとしても扱われているBFFの女王であるが、この街ではたまに見かけるため騒ぐ者はあまりいない。

だが問題はその隣で歩いている長身の男の方だった。

春真っ盛りで瑞々しい緑が街のあちらこちらで見える時期だというのに真冬でもまずしないようなコートにさらには厚手の帽子を被っている。

少々伸びすぎた髪は目をほとんど隠しそこから覗く目には独特の同心円が浮かんでいる。

どう見たって変質者そのものの男がカラードのリンクスの象徴ともいえるリリウムの隣に並んでいるのは明らかに異様な光景だったが当のリリウムはどことなく楽しそうである。

 

「贈り物はやはり相手の好きな物が一番喜ばれます。ですが、好きな物であるがゆえ中途半端なものでは逆にわかっていないと思われるかもしれません」

昔BFFの社員に頼んで高級酒を買ってきてもらい、王に贈ったことのあるリリウムだが、その場ではお礼は言われたものの後日、

王は単に度数の高い酒よりはよく熟成した果実酒の方が好きだと判明したのだ。

 

「……」

ガロアが知っている中ではセレンの好きな物は派手すぎないオシャレな服と甘い物だ。

だが、ファッションについてはとんと分からないので必然的に甘い物を買うことになるだろう。

 

「あとは自分がこれは相手にきっと似合うとか良さそうだと思うものを贈るのもいいかもしれません」

以前の失敗を踏まえて今度は深い青色のワイドブリムハットを買ったらそれには大層喜び今でも出かけるときには着用してくれている。

そんな自分の経験に基づいてアドバイスを送るリリウムは先ほどからずっと笑顔を浮かべておりすれ違う男も女も魅了する。

 

「……」

一方のガロアは混乱の極みにいた。

自分が相手にとっていいと思ったものを贈る、と言われて箒が頭に浮かんだがそれを渡したら間違いなく嫌な顔されるか、下手したら怒り出すだろう。

むむむ、と悩むガロアの表情を眺めてリリウムは色素の薄い瞳に瞼を被せてほほ笑む。

 

「それを考えるためにお店を回るんですよ。行きましょう」

 

 

 

それとほぼ同じ時刻。

砂地の上に建てたテントの中でウィン・D・ファンションは受け取った情報を吟味していた。

周りに監視用のカメラを設置し不審者が近寄ってきたら中ですぐにわかるようになっている。

腰に装着している9mm弾を発射するハンドガンの手入れもばっちりである。

 

じりじりと焼け付くテントの中で流れる汗をぬぐうことも忘れて、

それまでに集めた情報を統合し導き出される一つの結論。

それは自分達の知っている情報のみで考える企業ではたどり着けない答えにまで達しようとしていた。

 

「ようやく一つだけ点が見つかったが…繋がる点も無ければ線を伸ばす方向も分からん…結局オッツダルヴァの目的がわからんな…」

オッツダルヴァが怪しいと踏んでからその出身とされるレイレナードのわずかに残されていた痕跡やデータを辿り、

ウィンはなんとかオッツダルヴァの誕生の秘密まで辿りついた。やはり、レイレナード出身という噂自体は間違っていなかった。

だが、オッツダルヴァが今オーメルのリンクスとしてカラードにいる理由まではわからない。

下手に確証も揃えずそれを口にしても、相手の正体も規模も分からないままでは最悪殺される可能性もある。

 

「しかし、これは非人道的だな…どんな大義名分があるにせよ…潰されても文句は言えまい…ん?」

 

そこに記載されていた研究所の方針を見て吐き気を催す嫌悪感を露わにした後に、書き込まれていたこの記録を手渡しした男の手記。

それは研究や同僚に対する個人的な感想と研究所が攻撃された時の状況と、そのターゲット、そして救援要請の記録などを男の主観で綴ってあるものだった。

客観性にかけ臨場感があるだけの文章など少なくとも記録の上では重要ではない。

男は何気なくそのことも昔を思い出しながら記載しておいたものの、さして重要な情報だとは思っておらずおまけ程度に書いておいたものだったが、

ウィンにとっては重大な推理の点となった。

 

「…!…これは…依頼されたリンクスがこの男なら…もしこの研究所攻撃のターゲットが…」

グルジアと呼ばれていた国で18年前まで行われていた研究。

企業がこぞってその研究所に兵を出し、全てが焼き尽くされたかのように思われた。

その中でこぼれるようにして残された情報の断片。

 

「もしや…オッツダルヴァとガロア・A・ヴェデットは…」

事実は小説より奇なり、とはよく言うが、その事実には奇というよりも運命を司る者の悪意が感じられた。

 

 

 

 

 

 

「……」

ガロア自身も知り得ないことをウィンが得ようとしていたころ、ガロア本人はというと…悩んでいた。

 

目の前のマネキンが着ている服を頭の中でセレンに着せようと試みるがどうにも上手くいかない。

こんなファーがもりもりついているコートは似合うのだろうか…と考えているが、冬も終わったこの時期に季節を過ぎたため半額で売られているコートの前で悩むこと自体が間違っている。

後ろにある店では高級チョコレートがずらりと売っており、試食も出来るが、食べてみたところなんか美味いような気もするけど…程度の感想しか出てこない。

 

そんなガロアの姿を見て薄い笑顔を浮かべながらリリウムは先ほどから頭の中である疑問が浮かんでは消えてを繰り返している。

 

さっきから見てるのは女性向けの物ばかり。

やはり、大切な人というのはあのおっかないオペレーターのことなのだろうか。

気になるが、どうしてもそれを尋ねる言葉は口から出てこなかった。

 

「ガロア様は趣味などは?」

 

「……」

問われてまたまたむむむむと頭を悩ませる。

趣味と言われてぱっと思い浮かぶようなことは特にない。

 

「何か得意なこととか…」

 

「!」

 

「え、お料理が出来るんですか?なら、その方が好きな食べ物を作ってあげたりとかは…」

 

「…!」

その言葉で近頃の食卓事情を思い返す。

ガロアは基本的に中央塔にあるカラードに登録されているものならば誰でも無料で食べられる美味くもまずくもない食事を食べている。

一方のセレンは街で好き勝手に食べ歩いているといった状況だ。

引っ越して以来、ガロアは一度も料理をしていない。

なら、それこそセレンの好物のホットケーキを作るのも悪くないんじゃないか。

その考えに至った時、リリウムが声をかけてくる。

 

「何かありましたか?地下一階で食品が販売されているので行きましょうか」

 

「……」

と、なるならば必要な材料をそろえなければならないため、その提案はありがたく、頷くのに躊躇は無かった。

 

 

 

 

「…なんだ?」

外に置いたカメラに何台ものトラックが一定速度で同じ方向へ進んでいるのが映る。

 

「あの方向は重度汚染区域だぞ…」

整備されているトラックが規律を持って走っていること自体驚きだがその向かう先は数年前から生物が生きてはいけない程の重度汚染区域となっており、

そこに向かう理由がわからない。

ウィンは訝しげに顔を顰め、額を伝う汗をぬぐい、外に出て高性能双眼鏡を用いて観察することにした。

 

「…?運転席はどこだ…?」

照り付ける太陽の光を程よく調節し、親指の先ぐらいのサイズで見えるトラックにはガラスが無かった。

ガラスがないということは人が乗っても外が見れないということ。

いや、カメラでも取り付けてあるのならば話は別だが、企業管理下でもない、貧しさと餓えが文化とも言えるこの土地でそんな高性能な乗り物が連なって走ることなどありえない。

 

「藪蛇になりかねないな…」

ここにネクストがあるのならばまた追跡も可能だが、せいぜい武装も対人用なので無暗に近づいて自動制御のノーマルやMTが出てきたりしたら洒落にならない。

 

「……一体、どうなっているんだこの世界は」

結局なすすべなくトラックを見送るだけに終わりながらウィンは呟く。

クレイドル育ちの彼女は夢を見て地上に降りてきてから様々な現実に直面してきた。

それは一言で言えば歪みそのもので、現在の体制は命の価値を思い切り差別化させているだけだった。

個人の持てる力の最高峰であるネクストを駆ってさえ世界の歪みは一向に直らない。

そして、またわからないことが一つ増えた。

 

 

 

これ、次はあれ、そして今度はこれ。

淀みなく材料を籠に入れていくガロアの姿に料理が出来るという言葉の裏付けが取れる。

別に金に困っているわけでもないだろうに、セール品の中から良品質の物を選んだり牛乳パックを奥から取っている姿は人間臭いとしか言いようがない。

 

「何を作るつもりなんですか?いえ、待ってください。リリウムが当ててみせます」

 

「……」

 

「ケーキですね!」

 

「……」

惜しい…といいたいところだがホットケーキの素を買うのを見てなぜそうなるのだろう、と思いながらホットケーキミックスの箱を取り出し見せる。

 

「ホットケーキでしたか!そうでした!」

もしかしてこの娘は相当な天然なのではないのだろうか。

前にカニスからリリウムはランク2に位置する天才だと聞かされていたが見た限りではそうも見えなかった。

 

会計を済ませて店を出ると目の前にあった花屋が目に留まる。

片付けや生活がめちゃくちゃなセレンも植物を育てれば少しはまともになるかも…と少々失礼な事を考える。

 

「お花ですか?高価過ぎませんし、いいかもしれませんね」

そんなリリウムの言葉に見る気が出て店に入る。

 

植物特有の青臭さと湿気が漂い髪の毛がさらにうねる。

 

花のことはよくわからないガロアはさてどうするかと周りを見渡す。

変質者が入ってきたのかとぎょっとした女性店員と目が合い、なんとなく目をそらした先で、

花茎をひょろりと伸ばしその先端に小さなピンクに近い紫色の花を綺麗に玉状にまとめて咲かせた…アルメリア(Armeria)と書いてある花が目に入った。

 

「!?」

驚き目をこするがその花の名前はアルメリア。

一瞬自分にとってもっともなじみ深い単語の一つに見えて、何故花屋で?と驚愕したがそれは見間違いだった。呼吸をつき、落ち着かせる。

もう今ではやらないが、昔セレンがシミュレータマシンで相手をしてくれていた時に見た、エンブレムの花はピンク色だった気がする。

そんな思い出をふと思い出していると店員が声をかけてくる。

 

「ハマカンザシが気になるんですか?あ、ハマカンザシっていうのはこの花の和名でして…」

ぺらぺらと話しかけてくる女性店員は親切心から話してきたのではなく、不審者を見たら声をかけろと言うマニュアルに従っているだけである。

が、花の知識はあまりないリリウムとガロアにとってそのうんちくはとてもありがたかった。

 

 

「…というわけで野生の花は今はほとんど咲いていない中、この花は野生に咲いていたアルメリアを植え替えて咲かせたものなんです。少々お高いですがきっと丈夫に育ちますよ」

 

「ガロア様、どうしますか?」

 

「……」

 

 

「ありがとうございましたー」

なんだ無口だったけど別に不審者じゃなかったな…と顔に分かりやすく書いてある店員の見送りを受けてガロアは右手に食材、左手に花を持ち歩く。

 

「カラスが、鳴いていますね…」

 

「……」

もうこんな時間だ。

ミッションが終わってからずっと買い物に付き合ってもらってしまった。

 

「その、ガロア様は…」

誰の為に今日一日プレゼントを選んでいたのですか?

頭に浮かぶ言葉はしかし音を得ず、口から出たのは別の言葉だった。

 

「リリウムは帰らなくてはいけません…」

王に門限を決められているリリウムは少し寂しそうにしながらも律儀にその決まり事を守ろうとガロアに別れを告げる。

 

「今日は楽しかったです。また、今度よろしければ…ありがとうございました」

ガロアは頷き街から出る方向へと歩き去るリリウムの背中を見る。西から夕日に照らされるリリウムが実年齢以上に幼く見えるのは寂しさゆえに背中が縮こまっていることと無関係ではないだろう。

 

 

「……」

ありがとう。

それは自分が言うべき言葉だった。

自分は今まで一体いくつのありがとうを伝え損ねているのだろう。

もし自分が口をきけたなら…

意味のない仮定を頭の中で作り上げ、寂寞とした思いを抱えながら、そういえば食事に誘われたのに何も食べてないことに気が付きお腹を鳴らしながらガロアも帰路についた。

 



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揺れる感情

「…ん?」

ただいま、という言葉をセレンは言わない。

教わらなかったし、その常識を持つガロアも口には出さないからだ。

家に入って違和感に気が付いた。

人がいる気配がする。というか100パーセントガロアだろう。靴もある。

随分帰宅が早いというのも違和感の一つだが、なによりもこの匂いは…

 

「ガロア?」

 

「……」

 

「!?お前、料理しているのか!?」

 

「……」

何をそんなに驚くことがあるのだろうとガロアは思うが、セレンはこの前そんなことを風呂場で呟いたばかりなのだ。

 

「は…久しぶりだな…じゃあ、待たせてもらうとするか」

最初は驚き声をあげてしまったが落ち着き直し余裕の表情を作り椅子に座る。

 

「……」

待つも何も実はもう出来上がっているのを弱火で温めて待っていたのだ。

 

「…もう出来てるのか」

匂いを嗅いだ瞬間に腹の虫が騒ぎ始めたセレンは座ってすぐに目の前に並べられ始めた食事を見てさらに腹を鳴らす。

普通の年頃の女性ならば人前で腹を鳴らすなど恥そのものだが、セレンにとってはそうでもない。

並べられるスプーン、フォーク、そして少しだけ焼いて焦げ目をつけカリカリにした大量のパンにこれでもかと言わんばかりにどでかい鍋に入れられた白いドロドロとしたこれは…

 

「シチューか!」

寒い地方で育ったガロアは特に好んで身体の温まるスープ類を作るが、その中でもシチューはセレンの大好物だった。

例え十人前お代わりしようとも大丈夫なようにパンもシチューも大量にある。

 

「じゃ、じゃあ、いただきます」

出会って最初の頃は『いただきます』などとは言わなかったが、

ある時ガロアが食事に必ず手を合わせていることに気が付いたセレンはそれを真似ることにし、

そのことに気が付いたガロアは食事前には食材にたいしていただきますと述べるモノなのだと言ったところ素直にそれに応じてからセレンは必ず食事前にいただきますと言う。

例え一人で食事するときでもだ。おかげでカラード管理街に来てからよく行く近所のレストランではたいそう評判がいい。挨拶もできてよく食べる美人、と。

 

「これは…美味しいな」

口に一口入れた途端ほんのりと香るマーガリンとコンソメをとろけたジャガイモ交じりのミルクが優しく包み込んであり、

唇で押すだけでもほろほろと崩れる玉ねぎが甘味を追加してさらなる食欲をそそる。

前のマンションで作っていた時と変わらない優しい味だった。

 

「パンもいただこう」

チーズと乾燥ベーコンのかかったフレッシュサラダを幾らか口に入れた後カリカリに焼けたパンを口にする。

市販のパンなので味自体は普通のはずなのだが、二人で食べているとそれよりもずっと美味しい。

 

「お代わりもいいのか?」

 

「……」

パンをシチューにつけて食べてたらあっという間に一杯目が無くなってしまいお代わりと口にするセレンにガロアは肯定の意を示す。元よりそのつもりだ。

 

(私も…してみようかな…料理とか…)

中々オペレーターというのも、ミッション中以外の方が案外忙しく、まとまった時間はとれなさそうだが、料理というのはかなり実益的な趣味と言える。

教わることはできるのだろうか、でもそれは少し悔しい気もするな、と感情の皮算用をしながらガロアの方に目を向けた。

そんなセレンのお代わりが七杯目に達したとき、ガロアは立ち上がり再びキッチンに立った。

 

「…?」

先に食べ終わったのだろうか。自分の分の皿は持って行ってしまったがそれならなぜフライパンの前に立つ必要があるのだろう。

考えながら食べていると、自分がこの世で最も好く匂いが漂ってくる。

 

(こ、これはもしかして…)

期待し始めたセレンの前にフォークとナイフが置かれ、そして期待通りの、いや期待以上のホットケーキが並べられた。

ずらして重ねられたホットケーキの上にはたっぷりのメープルシロップ、そしてバターがぽんとおいてあり、その隣にはまだ固そうなバニラアイスが一掬い乗せられている。

今自分の皿にあるシチューを食べ終わる頃にはちょうどいい具合に溶け出し正しく天国の味がするだろう。

 

そして、いざ自分にとってのメインディッシュへ。

 

「うまーい!!」

 

思わず叫ぶセレンにガロアはほほ笑む。

ニコニコとしながら口にひょいひょいデザートを入れていくセレンに対し、もっとゆっくり食べればいいのにと思いながら、

その表情に自分の知る霞スミカの顔を重ねる。

もう遠い昔のことで、記憶もそこまで確かではないが、霞スミカはここまで表情豊かな人ではなかった。

ガロアはガロアで独自に調べ(というか貰ったケータイに番号が入っていたので)、

セレンの教育係だった男とコンタクトを取り話を聞き、既にセレンが霞スミカのクローンだということは知っている。

だが、セレンも霞もどちらもガロアにとっては唯一無二の存在であった。

ガロア自身そのことをうまく自覚していないし、それを口に出せないし、話せても自分から言うことは無いだろう。

だが、セレンがそのことを知ったらきっと何よりも喜ぶだろう。

何故ならばセレンの求めたアイデンティティの理由は簡潔に言えば霞スミカでない自分になりたいということであり、

その願いは他者に、いや、大切な存在に自分はセレン・ヘイズとして大切な存在だと認められることで叶うのだから。

 

「あー、ご馳走様!」

心模様は雲一つない快晴と言わんばかりに述べた挨拶に合わせてガロアも食卓に手を合わせる。

後やることは一つだった。

 

「ん?なんだこれは…」

ガロアから渡された包装された何かにはpresent for youと書かれたカードがつけられていた。

 

「プレゼント…私に…?」

ただそれだけで頭のちかちかして鼻から目にかけて何か正体のわからない温かくてツンとするものが出そうになる。

必死にこらえてそれを開けると中からは鉢に植えられた綺麗なピンクがかった紫の花が出てきた。

その色合いは派手すぎず、かつ存在感のある美麗さでありガロアからの贈り物ということも多分にあって見事にセレンの心を震わせた。

 

「あ、あ、あ、ありがとぅ…」

セレン本来の会話苦手がここにきて出てきてしまったかのように拙いお礼しか言えない。

この一時間で畳みかけられた幸福にぐるぐるとなった頭で振り返ってみてもこれは本当に今までで一番うれしいことだった。

それこそ、本来の目的である、オペレーターとなってリンクスの依頼を成功に導くということを達成したときよりもずっと。

 

「だ、大事に育てるよ…で、でもなんで突然?あ、いや、その全然嫌とかそういうアレではなくて…」

出会ったばかりのころのように落ち着きなく捲し立てるセレンにガロアは今日リリウムと買い物に行っていたことを告げると体温が上昇して赤くなった顔に混乱の色が加わった。

リリウムは自分の敵ではなかったのか?

 

「ど、どういうことだ?何をどうしてこうなった?」

 

「……」

先日のリリウムとの一件からリリウムに対し警戒心を抱いていることを思い出したガロアは今日の出来事を一から説明していく。

 

 

 

「…な、うん、なるほど」

話を聞いても、金の使い道について話していたとか、食材を買って回ったとか、この前自分が警戒したのが馬鹿らしくなるほど意味が見いだせないものばかり。

それよりも…

 

(大切な人への贈り物…)

リリウムから提案されて形となったのが今日の夕食とパンケーキ、そしてこの花。

再び、いや先ほどよりも激しく心が動き顔が赤くなるのと同時に心拍数と体温も上がる。今世界が動いているのが分かるという錯覚。

だが混乱の最中の疑問から解放されたことにより先ほどよりも頭は冷静だった。

 

「ガ、ガロア」

 

「……」

 

「ち、ちゃんと、リリウム・ウォルコットにお礼を言っておくんだぞ」

いつの間にか煙となって消えたリリウムへの猜疑心の代わりに出たのはこの状況の主な理由となったリリウムへのほんの少しの感謝だった。つい口をついて出てしまった。

やっぱりガロアに近づくのは気分は良くないが、少なくとも敵ではないようだ。

だから多少の感謝をして…などと考えているうちに熱暴走が止まらなくなりついに立ち上がる。

 

「へ、へやにもどる…」

ぎっちょんぎっちょんとロボットのように歩きながらも花はしっかりと持って行ったセレンを見てガロアはこの贈り物は間違っていなかったこと、

そしてリリウムが絡むとセレンは不機嫌になることを確信すると同時にリリウムに対する評価もたった今方向転換したことを感じ取り静かに微笑みながらセレンの残した食器を下げた。

 

 

(………大切な人)

物だらけの部屋の窓に花を置き、ベッドに顔から突っ込んで倒れこんだセレンはその言葉を頭の中で繰り返し繰り返し反芻していた。

一緒に訓練するうちに、一緒に生活するうちに、ガロアはセレンにとって、上手く言い表せる言葉は分からないが、かけがえのない存在になっていた。

決して口には出さないし、上手く言葉も選べないがいつの日からかセレンはガロアの事を大切に思うようになっていた。

それは親心とも右も左も分からぬ弟をいたわる気持ち(今は自分よりも大きくなってしまったが)、そして…とにかくそのような感情が交じり合い、温かい感情を抱くようになっていたのだ。

言うなれば、その存在が欠ければ自分の生活は成り立たないという感情。

 

実際ガロアがいなくなればセレンはもうオペレーターでもなんでもないのだが、そういうことではない。上手く言えないがそういうことではない。

大切な人へ、という言葉を受け取ったセレンの柔らかい胸の下にある心は今、一杯になっていた。

セレンが自分でそれを自覚することは無いが、大切な人という言葉、それはセレンのアイデンティティを満たす一番大事なものだったのだから。

気づくことはないであろうが、約三年前セレンが自分のどうしようもなく溢れる感情に任せてこの道を決めた日からの目的は今日、アルメリアが渡されると同時に達されたのだった。

散財して、埋まらない心のピースを埋めようとするかの如く溜めこんだ物が溢れる部屋の中のどの服も靴も化粧品も心の欠片ではなかった。

だが、一人の少年から渡された、値段で言えばこの部屋の中で一番低いはずのこのアルメリアこそ間違いなく探していたピースであり、

それはきっとセレンにとって一番大事な物となるだろう。

枕に顔をうずめて目を瞑るとドクンドクンと心臓の音が聞こえてくる。

少し顔を動かすと髪が重力に逆らわず耳をなでていく。

今ならなんでもできそうな気がする。

 

(私は…こんなに私の事が好きだったかな…)

いや、むしろ何者でもない空っぽの自分を昔は嫌っていたはずだ。リンクスにもなれず、普通の少女にもなれず、人間未満人間以上の浮遊した存在。

過去への追想の旅から戻り顔を上げて窓の方へ眼を向けると蒼い月明かりを受けたアルメリアがセレンに優しい視線を返すかのようにふわりと光る。

いつまでも、いつまでも夜が明けなければいいと思った。

 

 

 

じゃばじゃばと皿を洗いながら今日は訓練出来なかったなと思っていると部屋からセレンが出てくる気配がする。

 

「わ、私も手伝うよ」

 

「……」

今まで住んでいたマンションでは自分が居候だと自覚していたガロアはすすんで洗い物をしており、そのことに対してはセレンも特に何も思っていなかった。

居候でなく、対等な立場となった今は、ガロアがセレンの分まで洗う理由は特にないのだが癖で洗っていたらそんなことを言い出した。

セレンは親切心からその言葉を言ったというよりは、部屋でじっとしているのがなんだか無性に耐えられなくなってしまったのだ。

 

「……」

 

(……何を言えばいいんだろう)

かちゃり、かちゃり、と明らかに自分のスピードはのろまでそれは恐らくガロア一人でやったほうが早いのだろう。

でもこいつはそのことに文句を言わない。それは、どう言えばいいんだろう。

さっきから心に浮かぶ色を上手く言葉に出来ない。それが大切なことだとわかっているのに。

自分にとって本当に大切なことは言葉にできないのだということに気が付く。

言葉にしないではなく、言葉にならない秘密が私を生かしている。

 

「なんか、夜が長い気がするな」

それは気のせいというよりは、ガロアが早くに帰ってきてゆっくり過ごしているということからなのだが、それよりも気持ちのせいにしたい。

 

「!」

 

「!」

二人の間に流れる不言の空気が無機質な機械音に破られる。

 

「…依頼か。見てくる」

あの空気はもう何をしても戻らないと分かりながらもやはり後ろ髪をひかれつつコンピューターの元へ行く。

 

 

『旧チャイニーズ・上海海域に停泊中の、敵艦隊の排除』

 

「…またアームズフォートか…ん…!?」

使えるうちに使っておけという意図を隠そうともせずオーメルから舞い込んだ艦隊及びアームズフォートの撃破依頼。

だが、そんな呆れはある一文に衝撃と共に崩された。

 

『僚機・ランク1・オッツダルヴァ』

依頼料の60%が持っていかれるという最早どちらが僚機なのだかわからない状況だが、ランク1との協働作戦というのは尋常ではない。

それほど危険な任務か、もしくは何か別の意図があるのか。

それはガロアとセレンが後々避けられぬ世界の選択へと巻き込まれていく運命の序章であった。

 



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旧チャイニーズ・上海海域掃討&クレイドル21奪還

「準備できているな?貴様。まあ、精々気張ることだな。尻拭いなど、あまり趣味じゃない」

運搬ヘリから投下され超低温に固められた機体が常温になる過程でオッツダルヴァは努めてオッツダルヴァらしい毒を吐く。

 

(さて、どうなる…)

と、思う間もなくオーバードブーストを吹かしてアレフ・ゼロは消えてしまう。

返事が返ってこないことは分かっていたが…見敵必殺だとでもいうのだろうか。真っ直ぐ敵に向かっていくその様は危うげな若々しさを感じる。

 

意識の半分を敵部隊にやりながらアレフ・ゼロの動きを観察する。

ノーマルの乗ったビルをロケットで破壊し、反作用で後ろに下がった機体をそのまま回転させ背後にいたノーマルを切り伏せる。

その下のビルを蹴り勢いをつけ盾を持ったノーマルの後ろから無慈悲に切り捨てる。

 

 

「……ほう」

自分ほどではないにせよ才気、それも圧倒的な容量を感じさせる動き。

 

「…出た」

地味ながらも一機一機撃破していく自分と違いブレード主体でド派手に戦うアレフ・ゼロはやはり目についたのか、

一斉にミサイルが放たれるがアレフ・ゼロはその一つ一つを撃ち落としながらも敵への最短距離を通過していく。

目に映った物の数を瞬時に把握する、ガロアだけの力。

現在ランク10に位置するハリの持つ一定時間のみ急激にAMS適性が上がるという戦闘を劇的に自分に有利にするというものではないが、

この能力は敵を一機一機叩く必要のあるゲリラ戦などでは重宝されるだろう。

 

「……ふん」

そう、それこそ大多数の敵を相手にしなければならない時などは。

また一機落としながらオッツダルヴァは考える。

 

(問題はどう誘うかだな…)

オッツダルヴァの所属する。ある組織にガロアを勧誘するとして、その手段を考える。

その経歴から察するに、ホワイトグリントを撃破するまではガロアは梃子でも動かないだろう。

ならばその舞台を用意してやればいい。

頭の中で急速にストーリーが固まっていく。

あとは本人にこちら側の理由を見せるだけ。

 

戦艦の一機を叩き割りながら海に飛び込み、別の戦艦の下から飛び出しさらなる戦艦を撃破していくアレフ・ゼロ。

そしてアームズフォートギガベースへと接近していく。

 

「!…ふん、リンクスだな」

苦い思い出のあるギガベースに臆さず突っ込んでいきそこに放たれる砲撃。

それをクイックブーストで真横に避けるのではなく、ブーストを片側だけ吹かし空中で回転して避け、前方への勢いを殺さずにさらに接敵していく。

ネクストを機械のように操るようでは素人。

 

自分の身体のように操っても二流。

ネクストによる意識拡張を用いて人間ではできない動きをしてこそ一流のリンクスだ。

あの空中での回転は人工推力のついていない人間では逆立ちしても出来ることではない。

ネクストにリンクしている間だけ出来ることを現実にしていく。

それをガロアは目の前でやってのけた。

 

「……」

 

『ミッション完了か。まあ、ありじゃないか、貴様』

沈みゆくギガベースを眺めながら天よりも高いところから見おろして発言をするオッツダルヴァだが、その内ではガロアの実力を認めている。

 

今回ランク1と最悪の新人が襲撃に来た艦隊は気の毒と言うほかなく、GAも何故あんな過剰戦力が投入されたのか歯ぎしりしながら疑問符を浮かべるしかなかった。

 

「……」

一方のガロアはさしたる感想もなく遠くを見つめていた。

青暗い海を割る水平線に自分の行ったことが無い場所が見える。

アレフ・ゼロならばきっと10分で行ける場所だ。

 

自分の世界の全てだと思っていた白く染まる森、木造の家、ぱちぱちと音をたてる暖炉が脳内に浮かぶ。

白い森をいつまでも歩いた日、きっと世界は歩きつくせないと思っていた。

そんな感傷を掻き消しアレフ・ゼロは帰還ルートを辿った。

 

 

 

「なんなんだあのランク1は!」

カラードで文句を投げまくっているセレンにはそれなりの理由がある。

60%も依頼料を持って行っておいて動きもたいして良くなく、帰ってきて挨拶もせずにどこかへ消えてしまった。

前もってあまり性格のいい男ではないとは知っていたが印象が悪すぎる。

その上終始上から目線を崩さなかった。ガロアの方が活躍していたというのに!

 

「……」

ぷりぷりと怒るセレンの言い分はわかるがガロア自身はそのオッツダルヴァに対し、

セレンのような怒りを抱かなかったのは、やはりガロアも王小龍の示す自らの強さのみを絶対の真実とする強者に類されるものだからだろうか。

それとも、別の何かがあるのだろうか。

 

 

一方、早歩きで部屋に戻ったオッツダルヴァは通信傍受対策を万全に施した機械を用いて自分の所属する組織のある人物に連絡を取る。

ガロア・A・ヴェデットを将来的に勧誘するための布石となる作戦についてだ。

送信後、最低限の物しか置いていない部屋のベッドに身体を投げ出しオッツダルヴァは考える。

確かに評判通り、いや、それ以上に奴は強かった。

優れているのは自分だという自信はあるが、それでもいつか自分と雌雄を決する日は来るのだろうか。

いや、おそらくだがその日は来ない。

奴がオーダーマッチで順当に順位を上げてきたとして、自分に挑戦出来る頃にはもう自分はカラードにはいないのだから。

お前が最強だ、それでいいじゃないかオッツダルヴァ。

お前は誰よりも強いリンクスとなるべくこの世界に存在するのだ。

そのランクはそれを何よりも証明しているだろう。

自分で自分を宥めながらもオッツダルヴァはランクが上の者ならば下位の者と自由にオーダーマッチが出来るということについては知りながらも考えなかった。

最強なのは自分。それでいいし自分からそのことを疑ってはいけないからだ。

また明日も明後日も自分は最強のオッツダルヴァそれでいい、いいんだ。

自分に言い聞かせること数分のうちオッツダルヴァは夢の世界へと溶けていった。

 

 

 

 

五月の風が吹き新緑の香りを運んでくる。

主張し始めた太陽に生命は喜び、人も獣も肌に纏うものを少なくしていく。

 

そんな季節でも変わらず超厚着で過ごすガロアはシミュレーターでの対戦を繰り返しながら考えていた。

 

シミュレーターで時々繰り出してくる者がいるアサルトアーマー。

ブレードがあるのでわざわざリスクを冒してまでそれ自体を戦術として取り入れようとは考えていなかったが、

この頃シミュレーターで限界とされている4vs1をこなしながら思うことがあった。

 

基本的に機械的に一体一体が動いているため、連携は取れていないが、時折全方位から攻撃を仕掛けてくることがある。

そんな時、個々への対処は多くても二体が限界であり、どれかしらの攻撃には掠ってしまう。

全方位からミサイル攻撃をされたとき、その数が分かっていても撃ち落としきれない。

そんな時にアサルトアーマーは重要な防衛手段、反撃手段になるのではないか。

仮想最強ネクストとの多対一をまた一つ終えマシンの中でむむむと考え込む。

そうなるとオーバードブーストを買い替えなくてはならない。

こういうのはやはりセレンに相談すべきなのだろうか。

あまり自分には向いていないと言われたような気がする。

 

自分で稼いでいる金なのにその管理を全くしていないガロアは金の為に傭兵をやっている者からすれば理解不能な存在なのだろうが、

彼は自分がリンクスとなり目標を果たせればそれでよかった。

 

やはりセレンに相談しよう。

首のジャックに手をかけようとしたその時。

 

『おい!ガロア!早く出てこい!緊急事態だ!』

そとからドンドンと叩く音と共に聞きなれた大声が聞こえてきた。

一応中の人との会話用のマイクも外にあったはずだが…そう思いつつもどちらにせよ今日はやめにするつもりだったのでジャックを外し外に出る。

実際の機体と違って耐衝撃用ジェルの排出や格納なんかもなくて降りれるのがいいところだなと外の床に足を踏み出して思う。

 

「ガロア!落ち着いて聞け、クレイドルがテロリストに占拠されてその奪還の依頼がお前に来た!緊急依頼だ!もう行かなければならない!」

 

「!」

 

「今日は有力リンクスのほとんどがいないかミッションに出ている…何という間の悪さだ…情報が漏れていたとしか思えん…」

息を荒げながらも顔を青くしているセレンの顔には脂汗が浮いており額に髪の毛が張り付いている。

 

「とにかく今すぐ機体に搭乗しろ。私も詳しいことは聞いていないんだ。説明は搭乗後行われるらしい」

 

「……」

頷きガロアは格納庫へ、セレンは情報室へと駆け出す。

クレイドルには多くて2000万人もの人が住んでいる。一基破壊されただけでも大惨事だ。

でもそれが破壊されたところで自分と何か関係あるんだろうか、と思う自分もいたが、セレンが焦っているのでとりあえず走ることにした。

 

 

 

『ミッションを連絡します』

ジェルが注入され始める機体の中でジャックにコードを繋いでいると通信が入る。

 

『試験運転中のクレイドル21がテロ集団リリアナに占拠されました』

テロ集団リリアナ。ガロアは顔色を変えずに聞くが、その集団の事はずっと以前から知っていた。

そしてそのリーダーの事も。名前を聞き肌が粟立つ。

 

『彼らはラインアークすら追われた過激な暴力集団です。生かしておく価値は何もありません。あなたには特例としてクレイドル空域に入ることを許可します』

特例など、どうでもいい。問題は敵勢力にどのような兵器があるかだ。

そう問う言葉を持たないガロアは代わりに耳を傾け一言も聞き漏らすまいと集中する。

ジェルの注入が終わり、もういつでも発進できる

 

『敵はノーマルのみとの情報です。優れたリンクスなら問題は無いでしょう。

人が住んでいないとはいえ21の損失をおさえれば報酬に上乗せをします。なお、今回の依頼は極秘依頼ですので、他言してなりません。では、行ってください』

敵の情報を聞き小さな溜息を一つ漏らす。

敵に、今回占拠したリリアナにリンクスがいないのであれば問題はない。

敵を切り伏せるのみだ。

 

『ふん…クレイドルを占拠されるなんて恥そのものだからな。他言無用も仕方ないだろう…ガロア、聞こえるか。今回は移動ヘリは使わない。通常モードのまま発進し、私の合図で機体を水平面から上に42度へ傾けてオーバードブーストで飛べ。

約25秒で到達するからすぐにシステムを戦闘モードに切り替えろ』

 

「……」

声を聞き、平素であればヘリに積まれるところを通常推力で格納庫から飛び出す。

ネクストとノーマルは戦闘モードにあるだけでレーダーやFCS、それに加えてネクストはプライマルアーマーなどに大量の電力を使っている。

それら機能が停止され移動だけに電力を使う状態が通常モードであり、特にネクストはコジマ汚染を避けるため、カラード近辺での戦闘モードへの移行は禁止されている。

ちなみにコジマが理由で通常ネクストはクレイドル空域に立ち入ることは禁止されており、コジマ技術を用いた一切が排されているが、それも当然の話だ。

折角手に入れた清浄な住処をまた汚すなど、喜劇にもほどがある。

 

「……」

通常推力で南東に進むこと30秒、セレンから合図が入る。

 

『飛べ!』

機体を傾けて空へと向かう。

急な加速から起こるGを体中で受け止め顔を顰めながら、しかしガロアは不思議な高揚を感じていた。

遠くで地上とくっついていて、けれども歩けど歩けど全く近づけなかった空。

いつしか子供は翼を持たぬ者では近づくことすらできないことを知る。

その空へ、この翼で。

 

 

「情報通り、ここに来るまで大した邪魔は入らなかったな」

クレイドル21の上で古いノーマルに乗った男が口を開く。

見渡す限りの大地に見えるこれは超巨大な航空機だ。

 

「ああ。これから企業連の交渉に入るとするか」

男が右側の遥か向こうで小指の先ほどの大きさとなっているノーマルのパイロットがその企業連が今刺客を放ってるとも知らずに声を出す。

 

「ってー、さっきから頭がいてぇ…まともに戦えねえぞこれじゃ…」

彼らの駆るノーマルは前時代の物の上、

特殊条件下での使用なども想定されていなかったので与圧装置も酸素供給機もついておらず、体調を崩している者も見受けられた。

 

「高山病だな。ま、戦えなくても俺たちにはいざとなればこれがある」

クレイドルのエンジンの横にいるノーマルが巨大なコンテナを小突く。

今日リンクスたちの殆どが偶然出払っていること、試運転中のクレイドル21の存在、

そしてまだ人が住んでいないが故の警備の薄さなどの情報をくれた人物はさらに保険としてある兵器を寄越してきた。

自分たちに扱いきれる自信はないがそれでも心強い。

 

「それよりも見てみろ。こんな景色、地上では見れんぞ」

 

「…ああ」

汚れきった大地と光に遮られ普段は見ることすら敵わない星々がテロリストたちの頭上には輝いていた。

こんな景色を日常の物としている者もいれば、汚れた大地でごみを漁る子供たちもいる。命の価値に差が無いなどこれを見れば真っ赤な嘘だとわかる。生まれたときから始まる不平等。

それもこれも人が増えすぎたせいだ。

地球に存在する生物の頂点たる人間が地上に増えすぎた結果共食いを始めた。

だが、それは自然の淘汰なのだ。

もっと殺せ。殺されろ。命は平等なのだ。地上にいる人間が一定数に戻ってようやく食糧問題も世界を巻き込む戦いも無くなり人々は手を取り合える。

 

その思想がリリアナの教えであり、そしてその思想ゆえ同じ反クレイドル体制でありながらラインアークを追い出された。

彼らは自分達の考えが正しいと信じて疑わないでいた。

だが、彼らとて殺しはしても自分や近親者の命までをも差し出すことはできない。

真の意味で命を平等ととらえ殺人を実行しているのは彼らの元リーダーのみであったが、そのカリスマ性のみに目が向いている彼らは、

命は平等、けれど自分の近しい者の命は大切だと思っている事の決定的な矛盾には気づいていない。

 

「人間が正しい進化をしていればきっとこの星空も人類のものだったのだろう…」

企業連への連絡を語っていた男は操縦桿から手を放しコックピットに映し出される満点の星々に手を伸ばす。

 

その瞬間、目の前に現れた黒い何かが星の光を遮り、紅い目でこちらを睨んだ。

その僅か後に音がたどり着き、そして男はそれを聞くことも無いままブレードに貫かれ血の一滴も残さず蒸発した。

 

「なんだ!?」

 

「ゲイルがやられた!リンクスだ!リンクスが来たぞ!企業の差し金か!」

 

「牙を抜かれた山猫がのこのこと…落ち着け!我々は死をも厭わない!死ぬか!殺すか!どちらかだ!教えてやれ、勝敗を決めるのは覚悟の差だ!」

落ち着けと叫んだものの汗が一斉に拭き出し息が荒くなった彼の動揺は明らかだ。

強力なリンクスは今はいないか、ここまで来れる出力を持ったネクストではなかったはずだ。

あの黒い機体は見たことも聞いたこともない。つまりそれは裏を返すならば名をあげているリンクスではないとも言えるのではないか。

 

「どうせ企業が急ごしらえで出した出来そこないリンクスだ!やれ!やっちまえ!」

 

「うおおおお!クソ傭兵が!ぶっ殺してやる!」

だが、その認識は甘く、ネクストというものの動きを最大限まで引き出した動きで次々と撃破していく。それもクレイドルを傷つけないようにブレードのみで。

加えてその黒い機体は肉眼では捉えづらく、仮にコンピューターがその姿を捉えても一瞬でそのロックが外される。

 

「クソッ、俺達をゴミのように…なんなんだよ、あいつは…不公平だろう… 」

次々と殺されていく仲間たちを見ながら一人が呟く。

だが、その感情は間違ったものではなく、国家解体戦争の折には国家側についた誰もが味わった屈辱であった。

 

「アレを起動しろ!」

 

「やってる!クソ、なんでこのコンテナ開かねえんだ!!ぐぁっ!!」

コンテナについているボタンを操作してもうんともすんとも言わず、苛立ちと焦りのあまり蹴り飛ばしている間に黒い悪魔が忍び寄り速やかにその命を持ち去った。

 

「くっ、う…リリアナ万歳!全ては、人類未来のために! 」

最後の一機は勇猛果敢に両手のライフルを撃ちながら突っ込んできたがノーマル、しかも旧式の攻撃など大した意味もなさずに切り捨てられた。

 

 

 

 

 

「……」

 

『全目標の排除を確認。ミッション完了だ。…あのコンテナはなんだ?放っておくわけにもいくまい。今企業連に連絡してみるから待っててくれ』

セレンも同様の事が気になっていた様子でそんな通信が入ってくる。

もし中身が爆弾だったら…と考えると下手に攻撃も出来ない。

何しろ占拠して大騒ぎするのではなく、これを落とすぞ、と脅すためにここにいたはずなのだからその可能性も十分にある。

近づいてみてもうんともすんとも言わないが、あの時このコンテナに蹴りを入れていたノーマルは自爆覚悟で爆破しようとしていたのだろうか。

そんな風にも見えなかった。

謎だけがその場に残りガロアはいったん思考をやめる。

 

ごうんごうんと小さな重低音が響く中、空を見れば見渡す限りの星がある。

こんな風景は見たことがない。

きっとこのままどこまで登って行ってもこの風景で寒々しい物なのだろう。それでも人はそんな世界を見上げ憧れ続けていた。

まるで宇宙で一人ぼっちでいるような、それでいて物心つく前からその永遠の孤独に憧れていたような…

 

長い時間に思えて、待つように指示されてからまだ30秒も経っていなかった。

感動とノスタルジーに浸りながら連絡を待っていると突然後ろから爆音がした。

 

「!!」

振り返ると五機のネクスト。

反射的にブレードを振り一機を戦闘不能にしたが残りの四機には対応が間に合わず両手足を掴まれる。

 

『ガロア!?っ、自律型ネクストか!?どうして今更起動した!?』

セレンの声が聞こえるがそれどころではない。

必死にもがき振りほどこうとするが、人間とは違い単純な思考回路で動いているとはいえどれもネクスト。力では振りほどくこと敵わずに掴まれたままどんどんと高度があがっていく。

 

「…!?」

 

『なんなんだ、こいつら!何が目的だ!?クソ、なんとか振りほどけ!』

攻撃してくる気配はないがそれでも危険には変わりなく、力の限り暴れるイメージを伝えるが、四肢が抑え込まれて思うように動けない感覚がフィードバックされてくるばかり。

クイックブーストを吹かしてもがっしりと四肢に掴まっている自律型ネクストは一緒についてきてしまう。

このままでは大気圏外に出てしまい、いくらネクストでも戦闘不能に陥ってしまう。

一か八か、オーバードブーストを起動しようとイメージをしたその時。

 

「…?」

いきなりその四機は身体から離れさらに上昇していってしまった。

取り残されたガロアは一連の行動の意味が分からず攻撃することも忘れその場にたたずむ。

が、黒い海に浮かぶ星々の隙間から突然明らかに攻撃を意識した形状のものが多数現れた。

 

「!?」

突然現れたそれらは自律型ネクストの真上へと移動していき撃ち落としていく。

 

『攻撃?大気圏外からか!なんだ、あれは…空が、空が自律兵器で埋まっているぞ…全速で退避だ!近付くな!やつらの攻撃は無差別だ!』

全ての自律型ネクストを撃ち落とし終えたそれらはさらにアレフ・ゼロの真上に来るために移動を開始する。

取り乱しながら退避を指示するセレン。

言われずとも全力で高度を下げていく。

 

「……」

高度計が12000mを切った時、それらはまた星々の間に溶けるように姿を消した。

なんだあれは。明確な殺意の塊が突如現れ攻撃を仕掛けようとしてきた。

もし退避がもう少し遅れたら自分もあの自律型ネクストのように一撃で粉々にされていたのだろうか。

冷や汗が止まらず、その震えはアレフ・ゼロにまで伝わった。

 

ブーストを吹かしゆっくりと地上に着陸する。

 

「……とりあえず、戻って来い」

本来ならクレイドルからオーバードブーストで戻る予定だったのを変更した新たなルート情報が画面に表示される。

システムを通常モードに移行しながらガロアはその網膜に焼き付いた光景を思い返していた。

 

 

 

「なんだと…!実際に私のリンクスは殺されかけたんだぞ!」

 

『君たちは何も見ていないし、何も知らない。そして他の者に奇妙な風評を広げることも無い』

 

「せめてアレはなんなのか教えろ!!」

 

『…以上だ。クレイドルの奪還ご苦労だった』

 

「クソ!!」

 

「……」

部屋にすぐに戻るように指示されたガロアはそこでコンピューターに向かい誰かに対して怒鳴っているセレンの声を聞いた。

 

「…ガロアか。お前、戦闘服のままじゃないか…そうか、お前もすぐに戻るように指示されたのか」

 

「……」

 

「聞こえていたか?私たちには何も教える気が無いらしい。一体私たちは何を見たんだ…?」

 

「……」

 

「すまん、お前にだってわかるはずないよな。とにかく、よく生きて帰ってきてくれた」

混乱し未だに息の整わないセレンを前にしてガロアは考える。

あの兵器の姿が突然現れたのは12000mあたりから。そして自律型ネクストは撃ちぬかれた。

 

「……」

次に自分を狙ってきたのは間違いない。

だが、それよりも重要なのは、何故狙ってきたか、だ。

あの攻撃はまるで宇宙に行く者を阻むかのように高い順になされていった。

そして高度12000mを切ってからまた見えなくなった。

…ずっとああして宇宙に行く者を撃ち落としていったのだろうか。

なんだろうか、もっと重大な悪意が潜んでいる気がしてならない。

 

「…ァ…おい!ガロア!」

 

「!」

 

「大丈夫か?…まあショックなのも無理はない。今しがたメールが来た。今後一週間私はオペレータールームに行くこと、お前はネクストに搭乗することは禁止だそうだ」

 

「……」

 

「その代りたっぷりと金が振り込まれている…企業はいつもこれだな。人の命をおもちゃにして、金で黙らせて」

自分が生まれた理由、そして用済みになった後に多額の金をつかまされて放り出されたことを思い出しセレンは憤る。

 

「恐らく、今回の記録は全て改ざんされるのだろう…クソッ、忌々しい…」

 

「……」

憤るセレンの言葉をどこか遠くで聞きながらガロアはその思考を進めていた。

考えてみれば、これだけ技術が進んでいるというのに全く宇宙開発が進んでいないのはおかしな話だ。

昔読んだ本では、数百年前には既に人類は月に到達していたというのに。

開発しないのではなく、出来なかったのでないか。

もしあの兵器が地球を覆っているのだとしたら、あれ以上の高さへと行くことは出来ない。

もちろん、クレイドルもそうだろう。

ネクストを一撃で破壊する威力を持つ兵器相手では、クレイドルもそう長くは持たないだろう。

問題は、誰が何のためにあんな兵器を用意したのかということだ。

 

「……!」

今回の企業の反応。

間違いなくそれは企業の仕業に違いない。

だが、目的が分からない。

宇宙開発の道を自分たちで断ち切って一体何がしたいというのか?

 

「ガロア、とりあえず、着替えに戻ろう。ネクストに乗るなというだけで、着替えに行くことぐらいは大丈夫だろう」

 

「……」

 

「しかし、他言無用と言ったところでこれを一体誰が信じるんだ…証拠も無いし、目的も不明なのに…」

 

「……」

セレンの言葉も正しい。

恐らくはセレンもあの兵器が企業の物だということまでは考えが至ったのだろう。

そして、その言葉通り、誰に話してもこんな荒唐無稽な話は信じてもらえないだろう。

そもそも今日、クレイドル空域に行ったことすら無かったことにされていて、ネクストがクレイドル空域に行くことすら禁止されているのに。

 

釈然としないまま街に出て中央塔へと歩く二人を見る街の人々の好奇の視線は、

まるで知ってはいけない秘密を知った二人がそのせいで世界から切り離されたかのような気分にさせたのであった。

 



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vs CUBE

逆立ちをし、利き腕ではない左腕を地面に突き立て、曲げては伸ばしを繰り返すガロア。

既に昼間は温かいとも言える気候でありそんな中で片腕逆立ち腕立て伏せなんてしていればその地面が汗でびっしょりになるのは当然であり、

実際赤土を固めた運動場の地面を透明な汗が水たまりを作っていた。

 

左腕に持つブレードをもっと速く振れるように。

相手の眼にもとまらないスピードで切り抜けるように。

 

リンクスは動きのイメージをネクストに伝えネクストはその動きを反映するが、

妄想ではなく、確固たるイメージでなければネクストは反応をしてくれない。

つまり、こんな動き無理があるだろうと思いながらネクストに伝えるのと、間違いなく出来るという感覚と共にネクストへ伝えるのでは、動きに天と地ほどの差がある。

それは最近の研究でわかったAMSの新たな性質であるが、それを本能レベルで理解していたガロアは百分の一秒でも早く動くために今日も身体を酷使する。

今日で謹慎も三日目。

あと四日というのは短いようで長い。

 

「……」

 

汗が染み色が濃くなる地面を睨みながら屈伸運動を続けると突然影が出来た。

 

「初めまして」

 

「……」

抑揚のない声を頭上から聞き、倒立をやめ手をはたきながら立ち上がるとそこには普通という文字を人間にしたような男が立っていた。

中肉中背の黒髪に黒目に眼鏡、まゆ毛は濃くも薄くもなく目鼻立ちも普通。あえて言うなら目の下に泣き黒子があるくらい。

ワイシャツに黒い長ズボンを履いた涼しげな顔をした男がそこにはいた。

 

「CUBEと申します。アスピナ機関のテストパイロットをしております」

 

「……」

アスピナ機関というのは知っている。

あのホワイトグリントの設計を担当した天才アーキテクト、アブ・マーシュが昔所属していたと記憶している。

そういえばカミソリジョニーからアブによろしくと言われたが彼とのエンカウントの気配は全くない。

 

 

「お話しができないのは存じていますのでそのまま聞いてください」

 

「……」

ならば無理に反応することも無いなと、力を抜き、首を縦横に振る準備だけをしておく。

 

「私とオーダーマッチをしていただきたいのです」

 

「……」

断る理由はないがまたか、とガロアは思う。

そもそもなぜ…

 

「はい、大丈夫です。そちらの疑問の答えも前もって用意してあります。どうして自分となのか、ですよね」

 

「……」

当たりである。頷きを返すとともに、先ほど印象を受けた普通というのはあくまで見た目だけだなと感想を改める。

 

「私の機体、フラジールはアスピナ機関のテスト機体であり、私もテストパイロットというのは先ほど申し上げた通りです」

 

「……」

 

「これは間違いのないことですが、私のフラジールは全ネクストの中で最高の速さを誇ります。ステイシスよりもレイテルパラッシュよりも、ホワイトグリントよりもです」

 

「…!」

その速さで名の売れた強力ネクストの名をあげるが、実際はホワイトグリントの名前を述べてガロアを反応させるためだった。

そして予想通りガロアは一番の反応を見せる。

 

「そしてそのスピードは誰にも捉えられてはいけない。なぜならば攻撃に当たらないために速さを追及しているのですから」

 

「……」

 

「今までの戦闘の記録は全てアスピナ機関で改めさせてもらっています。その結果あることが判明しました」

 

「……」

何故アスピナ機関が戦闘記録を保持しているのか、という疑問が頭をよぎったが今はCUBEの話の方が気になる。

 

「あなたは現存するリンクスの中で一番よい眼を持っている。視力という意味ではなく、戦闘に必要な要素を考えた眼としてです」

表情に抑揚がない割には随分コミカルに手を動かし、目の周りに指で丸を作りながら言ってくる。

 

「……」

 

「フラジールはあなたの眼に捉えられてはならない。もしあなたがフラジールを捕まえられたらあなたの眼から逃れられるネクストはいないでしょう。保証します」

 

「…!」

自分の眼、それはガロアの誇りであり、絶対の自信でもあった。

 

「この勝負、受けていただけますか?」

 

「……」

頷くガロア。

CUBEの口から出た言葉は今までのどんな相手よりもガロアを燃え上がらせる。

 

「では、二日後会いましょう」

踵を返すCUBEはアスピナ機関から渡された煽り文句に見事乗っかったガロアの視線を受けながらも最後までテンションを変えずに運動場を立ち去った。

 

 

 

「ガロアと戦うのは変なのばっかだな…」

二日後、セレンはシミュレーションルームの二階席の空いている場所に座りながら呟く。

周りを見渡すと、キルドーザー戦をも上回る観客の数であった。

 

それもその筈、今回配られたパンフレットには実に興味をそそる戦いになることが予想されるようなことが書いてあった。

 

『ランク21 ガロア・A・ヴェデット

 現カラードで最高のAMS適性を持つ独立傭兵

 完璧なミッション成功率に加え、AFをいくつも落としており、

 ランクより遥かに強力なリンクスだと言われる。

 搭乗機のアレフ・ゼロは汎用性に優れた機体』

 

『ランク17 CUBE

 アスピナ機関のテストパイロット。

 搭乗機体のフラジールは全ネクスト中最高の速度をたたき出す。

 反面、強烈な加速によるGに耐えられず幾人ものパイロットが犠牲になっている。

 その中でもCUBEは一番フラジールの扱いに長ける』

『カラードに捉えられる者無し!?

 フラジールの速度はネクストと人類の限界への挑戦!

 装甲も限界への挑戦!?

 理論上アレフ・ゼロの攻撃の全ての速度を上回るフラジール

 マシンガン以外の攻撃をどれか一つでも当てれば勝利確定のアレフ・ゼロ

 勝負の行方はわからない』

 

「…最高の速さか…」

突然帰って来るやオーダーマッチの事を伝えてきたガロアの次の相手はてっきり一個上のエイ=プールかさらに上のド・スだと思っていたら、相手はさらに上だった。

恐らくはその煽り文句に買い言葉の如く勝負を挑まれ受けたのだろう。

なぜCUBEがガロアを選んだのかはわからないが、とりあえずパンフレットではガロアは褒められておりそれがなんだかとても誇らしかった。

 

 

 

「……」

始まった。

戦闘モードに移行する折の電流が身体を駆け巡り、目を開くと無限に広がる砂漠が映っている。

今回の戦場はそのまま砂漠。

丘陵などにより緩やかな高低差はあるものの全体を通して障害物は無く、その分縦横無尽に動けるフラジールが有利なのは明確であった。

 

 

「……!」

奥から光が見えたと思ったらもう目の前70mにフラジールがいる。

遅れて動くアレフ・ゼロにフラジールは貼りつきながら光の雨を降らせた。

 

「…!」

非常にゆっくりとではあるがPA、APが削られてくる。

視線を向けるも全く焦点が合わない。

 

「…!…!」

速い。

全ネクスト中最高速というのは嘘でも伊達でも無かった。

視界で何か光ったと思ったらもう目の前には何もなく横からぎりぎりとAPが減っていく。

 

「…!!」

苦し紛れにまき散らしたマシンガンは一発も当たらない。

この速さ、ガロアの、いや、アレフ・ゼロとのリンクにより拡張強化された感覚を持ってしても捉えきれない。

AMS適性の高さは暗にその感覚の拡張度合いも示し、ガロアほどのAMS適性ならばネクストのカメラがもたらす視覚拡張の恩恵を100%受けることができ、音速を超える速度でもまず見逃さない。

その眼にとまらないということはすなわちアスピナ機関の求めた速度の勝利である。

 

 

「ガロア…!」

激しい撃ち合いと見たことも無い速度の戦いに観客は大盛り上がりであるがこんなのちっともいい勝負じゃない。

マシンガンでちびちびと薄皮をはぐように削られていくAPが与えるストレスは想像以上であるし、

何よりガロアが適当にマシンガンをまき散らすのは初めて見た。

APはともかくこれは恐らく今まで戦った敵の中で一番追いつめられている。

画面上で放たれたロケットもグレネードもフラジールの影にすらふれず遥か彼方へと飛んでいく。

こうしろ、ああしろという具体的なアドバイスも浮かばないセレンは勝利を祈るしかなかった。

 

 

 

「……」

移動を交えながらもガリガリと削られるAPはとうとうフラジールに並んだ。

その低いAPはアレフ・ゼロの約半分であり、一方のフラジールは幾らかマシンガンが掠っただけで未だほぼ無傷である。

既に有力リンクスの一角と噂されていたガロアの苦戦に観客はさらに盛り上がる。

 

「……」

だが、降り注ぐ光の雨の中で苦戦しながらもガロアは静かに笑った。

確かに自分の眼ではこの速度は捉えられない。

それはそれでいい。

しかし、リンクスとしての勝利は別だ。

 

「……」

グレネードを放ち確認する。もう15発目、つまり15回外していることになるが、15回あることを確認している。

まずフラジールはマシンガンとチェーンガンしか持たない上、特にチェーンガンの集弾性能が著しく悪く常に近くに張り付いていなければならない。

もちろんそれを戦術として考えたうえで集弾性能は考慮されなかったのだろうが、この距離は普段なら一回の踏み込みでブレードが入る。

そして次に…

さらにグレネードを放つ。外の観客が 

 

あいつセンスねー! ダメじゃん 天才ってのは見かけ倒しばっかり 

 

と勝手に騒ぐがもう16回確認した。確信する。

機体は見えないがその残像と光は捉えられている。

砂地に足をすり、跡をつけながら準備を整える。

フラジールは強烈な攻撃が来たら必ず右前にクイックブーストで避け、その後すぐに適性距離に戻るために後ろのクイックブーストを吹かす。

ここまでくればもう解は出ていた。

いざ作戦を実行せんとアレフ・ゼロは光を放った。

 

 

「くっ、フラッシュロケットですか」

瞼をほとんど閉じながらCUBEはつぶやく。

実害はないがこれをやられるとしばらく攻撃不能になる。

が、遠くに行くわけにもいかないのでこのフラッシュばかりはどうしても避けられない。

その時爆音とともに空気を裂く音が聞こえる

 

「…!?舐めないでください」

恐らくはグレネードかロケットのどちらかが放たれたのだろう。

右前にクイックブーストを吹かしさらに後ろへと飛ぶが、そこでCUBEはおかしなものを目撃する。

 

「両方から煙が…?ぐあっ!」

グレネードとロケット、どちらからも硝煙が上がっていることに気が付いたCUBEは考える暇もなく突然後ろから強烈な衝撃を受けAPの殆どが持っていかれる。

 

「しま」

ったという前に安定性も最悪のフラジールが体勢を整えなおす前に飛び込んできたアレフ・ゼロに一刀両断された。

 

何度も何度もクイックブーストの距離とフラジールの癖を測っていたガロアはグレネードをフラジールに撃つと同時にフラジールが飛んでくる予定の方角にロケットを放っておいた。

果たしてフラジールは当たるはずの無かったロケットに自ら追いつき当たってしまったのだ。

本来なら当たるはずもないのろまなロケットが、機体性能を逆手に取られた結果、命中することになったのだ。

 

 

 

 

おい…なんで終わっているんだ…?

まだまだ長引くはずだろ…?

インチキだろ!なんかおかしいぞ!

意味が分からねえ!シミュレーターのバグだろ!

 

 

どよどよと騒めく会場。

それもそのはず、今の今までAPは互角、不利なのはガロアだったはずが画面が光った瞬間にはフラジールのAPは0になり、ガロアの勝利で終わっていたのだ。

ガロアを応援していたセレンですらも狐に包まれたかのような表情をしていた。

 

「終わった…のか?」

 

 

会場で納得がいっているのは戦った二人のみであり、出てきた二人は握手を交わしている辺り、少なくとも二人は勝負の結果に納得しているようだった。

 

「素晴らしい。あなたは最高のリンクスとなるでしょう」

 

「……」

 

「是非この上のランクも目指してください。あなたなら一位も夢ではないはず」

 

「……」

 

「それでは。ミッションでは敵にならないといいですね」

 

「……」

 

初日にあったのと変わらずに踵を返し去っていくCUBE。

その背中を見送るガロアの顔は厚着に隠れて見えづらいが、また一つ理由を得た自信からほんの少し笑っていた。

自分は強いという事を自分が知っていればいい。それしかガロアの頭にはなかった。

 

 

シミュレーションルームに通じる廊下にて表情一つ変えずに通信端末に話しかけるCUBEの姿があった。

 

「戦闘終了いたしました。今からデータを…」

 

『いやいや!もう見たよ!』

 

「そうでしたか。すいません。敗北しました」

 

『しょうがないね、こっちは実験機の上、君も傭兵というわけではないんだし』

 

「ですが、当たらず見えずのフラジールが…」

 

『まぁそうだろうねぇ…』

 

「はい?なんですか?」

 

『まあまた何か連絡があったら俺から連絡するからさ!元気でやってくれよ』

 

「わかりました。ではまた」

 

通信機器を切断し再び歩き始めるCUBE。

あのフラジールのコックピットにかかる物理的負荷は尋常の物ではなく、もしシミュレーションではなく実戦ならばどうなるか。

幾人もの犠牲の果てに『お前ならばあの機体の負荷に耐えられるはずだ』と拾われた自分だが、かつての被験者の最後を聞かされた後ではどんな保証もうすら寒い。

以前の搭乗者の何度かの実戦及びオーダーマッチによりランク17に位置していたがそれはフラジールの話であり、自分は実戦をまだ経験はしていない。

不吉な予感に騒めく心臓に、しかしその表情は変えずにCUBEは歩き去って行った。

 

変えないのではなく、彼は表情を作れないのだった。

 

 

(…わからない…なぜ…!?)

その戦いを見ている者の一人にガロアとそう変わらない年の少年がいた。

栗色の茶髪をツーブロックで切り、やや赤みがかった瞳の少年は普段は真一文字に結ばれている口でぎりぎりと歯を食いしばり表情を歪めていた。

その少年の名はハリといい、ランク10に位置する天才と持て囃される独立傭兵であった。

実際その天才という呼び名に恥じることなく、適性任務とそうでないものの差ははっきりしているものの今までのミッションの殆どに成功しこれからの成長も期待されているリンクスだった。

お前の才能を誰よりも評価している、自分の所属している組織に入らないかとある人物に誘われその誘いに乗ったハリは、

その組織のリーダーからガロア・A・ヴェデットはお前と同等以上の力を持っていると言われた。

自分が天才だということを驕るわけでもなくただ普通に当然の事実として信じ切っていたハリは、それほど言われるとはどんなものかと今日見に来たのだ。

 

そして見てた試合は凡夫がしそうな醜い試合そのもので全く美しくなく、自分以上と言われた男は途中まで全くの劣勢だった。

大げさですね、全く、と鉄柵に肘を掛けあくびを噛み殺しながら見ていたら突然画面が光った瞬間勝負がついていた。

画面が光ったのはフラッシュロケット。それはわかる。

そこからがわからない。

なぜあれほどの速度の機体が自分より遥かにのろまなはずの機体に切り捨てられたのか。

 

 

……自分の理解が及ばない戦術をとったのだろう。

ハリは頭のどこかで響くその事実に耳を傾けたく無かったが、認めざるを得なかった。

 

天才は生まれて初めて嫉妬というものをしていた。

 

 

 

インチキだろコラァ!

チート野郎!

新入りがアームズフォートを落とすなんておかしいと思ってたんだよ!

 

罵倒雑言が飛び交いセレンはどう庇っていいかわからずおろおろするばかり。

CUBEは既に去り当のガロアは涼しげにその罵倒を受けている。

顔をあげゆっくりと喚き散らかす人々を眺めているガロアを見てセレンはぞっとする。

非難の嵐の中心にいて全くなにも思っていない顔。まともに人間社会の中で生きている人間があんな感性を持てるものなのだろうか。

 

 

『えー、スローモーションで上空カメラからの映像を決着10秒前から映しますのでご覧ください…』

機械のバグだとかインチキだと言われてシミュレーターマシンそのものの信頼が下がってはまずいと判断したのか、

もう一度、今度はスローで天井から釣り下がる大画面上に、過ぎ去ったロケットに自分から突っ込んでいくフラジールが映し出される。

一瞬の決着の真相を見た観客はもう黙るしかなかった。

 

(あの戦いの中で思いついたのか…脇で見ていた私は何も解決策が浮かばなかったのに…)

セレンも観客同様沈黙し考えこむ。

 

(もし私がリンクスになっていたら、あんな事ができたのだろうか…)

既にリンクスとしての自分を捨てているはずのセレンは、けれど16年間リンクスとなるべく生きてきた自分をそう簡単に捨てられるはずもなく、答えのない問答に頭を悩ませた。

 

 

「ちくしょう…」

リーダーは言っていた。

出来れば味方に引き込みたいと。

それは認める。

あいつがこちら側につけばそれは頼りになる戦力となるだろう。

 

だが。

もしこちらにつかず敵となった時は。その時は。

 

「オレがぶっつぶしてやる!」

鉄の柵を拳で思い切り叩きハリは赤い目をギラギラと燃やしひねり出すように呟いた。



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襲撃

「つ、疲れたな…」

中東及びその近辺への旅を終えたウィンは流石に疲れたようで玄関で荷物を降ろしてへたり込む。

元イタリアの地中海近辺にある彼女の家はガードロボが24時間体制で周囲を警戒しネクストも常に最善の状態に整えておく最高のネクスト発着場であると同時に、

クレイドルと同等、いやそれ以上に贅沢な屋敷でもあった。

元々貴族の避暑地だった三階建ての馬鹿でかい庭地付きの屋敷をそのまま買い取り改築したもので、エメラルドの海を臨むことの出来る寝室に加え、天井が開き空を思いのまま眺められるリビングがある。

自動的に海の幸を運んでくる海上メカ「ホエール」は今日も美味しそうな魚を運んできたらしい。

だが今はそんな贅を尽くした物よりもただ泥のように眠りたい。

 

「レイラ!レイラ!どこにいる!?」

普段のウィンが人前ではまず出さないような気の抜けた大声で、ある人物の名前を呼ぶ。

 

「あ、ウィンディー!帰ってきたの?」

その声を聞いて二回から高い声が返ってくる。

 

「レイラ、この中の洗濯物洗っといて…私はもう寝る」

 

「それはいいんだけど…一体どこへ行ってたの?」

 

「色々とな」

レイラと呼ばれた女性はライトブロンドの緩やかなウェーブのかかった長髪を揺らし、

光を程よく反射するブラウンの瞳の上の眉が優しげなカーブを描いている。

少し丸顔だが桜色の唇からは眩しい歯が見える。

目鼻立ちは美人のそれに間違いないが、アクセントのようにちりばめられたそばかすが高い鼻の周りにあるため美人特有の近寄り難さを出していない。

だが、彼女は他人には近寄らず他人も彼女には近寄ろうとしない。

何故ならば、美人であることを受け入れていないかのようにその顔の右側の大半は鉄の仮面で覆われていた。

 

「ご飯は?」

 

「いや、いい」

トントンと寝室へと向かう階段を上がっていくウィンの背中を見送りながら眉を顰めて鼻を鳴らす。

 

自分の心配はいつだってウィンに届かず、ウィンはいつもどこかで一人で何かをしている。

彼女の一番最初の記憶は一年程前のものであり、それは人々から逃げ回ることだった。

気が付いたときは地上で一人歩いており、

彷徨うようにふらりと入った街では化け物と呼ばれ石をぶつけられて訳も分からぬままその場所から立ち去った。

道中でも道を歩く女性に叫ばれ、男からは銃を向けられる。

 

人のいない場所を求め森に入り水を飲むために河の傍にしゃがみこんだ彼女の眼に映ったのは焼け爛れべろりと皮が剥がれた自分の顔だった。

名前も目的もわからないが、自分はきっと生きていてはいけないものなのだと、それは確信できた。

もうこの場所で死が訪れるのをじっと待とう、と自覚した人生というものをあまりにも短く終えようと思ったその一日後、

この辺りに自分の基地でも作るかと訪れたウィンと出会ったのだ。今だからこそ言えるが、その出会いは自分の記憶のある中では一番の幸福でもあった。

 

『ん?なんだお前は』

 

『来ないで!こっちに来ないで!』

 

『落ち着け、私はお前の敵じゃない』

 

『…?あなた、私のこと見てもなんとも思わないの?』

 

『うーん、可愛い女の子が目の前にいる以外はなにも不思議なものは映っていないが』

 

『…!』

その言葉により少しだけ警戒を解いた自分の元に近づいてきたウィンは丁寧な治療を施し何も言わずにそこを去ろうとした。

 

『あなたは誰?どうしてここにいるの?』

 

『んん?この土地は私が買ったんだよ。あそこにある屋敷ごとな』

それは自分に石をぶつけ排斥してきた人たちが住んでいた場所だった。

汚染された地球ではとんと見かけない小鳥がその視線から逃れるようにばさりと飛んだ。

 

『変なことしないならここにいてもいいぞ。どうせ一人では使い切れんぐらい広いからな』

たった一日の間の事だったが、立ち去ろうとするウィンの背中と風を受けざわめく森を見て、

出会った人すべてに嫌われ孤独というものにどっぷりと浸かった自分を思い出す。

今、自分に敵愾心を抱かなかったこの人と別れたら世界にはもう自分の敵しかいないかもしれない。

刷り込み染みた感情に心を動かされ考える前に口が動いた。

 

『…!待って!私をあなたの傍において!きっと役に立ってみせるから!』

 

『…えぇ?』

その後訝しげなウィンに自分の身の上を語り(と言っても記憶がない名前すら分からないという一言で終わったが)、

怪しいことをしたらすぐに死んでもらうぞ、という警告を貰いながらもその身を引き取ってもらえることになったのだ。

何故かネクストや機械の知識があったことや、料理も洗濯も進んでやったことも幸いして重宝され、そのうち信頼を得たのか、オペレーターやマネージャーの代わりもやるようになった。

まだまだミスも目立ち、一流とは言えないが今では実の姉のように慕っているウィンの為に日々家の管理や書類整理などに精を出している。

だが最近ウィンは何も言わずに家を出てってしまうことが非常に多い。

そしていつもクタクタになって帰ってくるのだ。

ネクストに乗って危険な任務に赴くのならば自分でも手助けできる。

だが、突然消えられると自分ではどうしようも出来ないし、一人で待っている間心配な上寂しくて仕方ない。

しかしウィンが自分に気を使って何も話さないことにも気づいている。

お互いを思う気持ちがすれ違っていることに気づいていながら二人はそれゆえ何も口にできない。

 

今では飛んでくるネクストを恐れ屋敷の周辺の町は誰も住んでいないがウィンは静かでいいと思っていたし、

レイラはこれで叫ばれずに済むと嬉しかった。

この広い屋敷と周りの森は彼女とウィンだけの世界だった。

 

「ん、ぬぬぬ…お、も、い…」

洗濯物だけでこんなに重くなるはずがないとボストンバッグを開くと出るわ出るわダブルアクションのハンドガンにサブマシンガン、果てはタレットからロケットランチャーまで。

一体どこで何をしているのか。

再び鼻から盛大な息を漏らすと顔の右につけているマスクがかちゃりと音をたてた。

 

 

 

 

「はぁ…」

レイラがバッグの中身を整理してくれているのであろうことが推測できる音が下の階から聞こえてくる。

二人で住むには広すぎるこの屋敷ではその生活音が孤独を紛らわしてくれる。

レイラはウィンをこの世の何よりも慕っているが、ウィンもウィンで家族を置いて地上に一人降りてから、

気持ちの面でレイラに随分と救われている。

 

「せめて、可愛い面とかでも発注するかな…」

リンクスとしての稼ぎも安定してきたウィンはある日彼女を連れて大型の病院に連れて行ったことがある。

その理由は二つあった。目を閉じその日を思い返す。

 

『この記憶喪失はコジマ汚染が原因でしょうな…恐らく。重度のコジマ汚染の地域に踏み込んだか、あるいは住んでいるところがコジマ兵器に襲われたか』

 

『コジマ汚染…なんだろう…その言葉も知っている…』

 

『やはりか…』

検査の結果を見ながら言う小太りの医者の言葉をウィンはある程度予想していた。

コジマ汚染されたものが記憶を失う…というわけではなく、初めて森で出会った時、彼女はリンクス用のパイロットスーツを着ていておまけに首にジャックがあったのだ。

 

『一応、身元を調べて彼女の人生に関係ありそうな物事に触れさせていけば記憶ももしかしたら戻るかもしれませんが…』

首との境目が分からなくなった顎をうずめ医者は唸る。ただでさえ記憶喪失の治療は厄介なのにコジマ汚染となるとほぼお手上げだ。

コジマ汚染による生物への害はわかっていないところが非常に多く、突然耳が聞こえなくなるものもいれば頭痛に悩まされる者もおり、

その逆に全く平気な者、果てにはむしろ元気になる者などもいる。

 

『必要ないわ。今、ウィンと一緒にいて、それで十分だから』

 

『そうですか。まあ、記憶喪失を切っ掛けに新しい幸せな人生というのを過ごすというのもありでしょう』

 

『…じゃあ顔の傷は治せるか?』

 

『ええ、これぐらいなら、皮膚の張替えと人工筋肉の生成で…』

 

『それも結構です』

その提案もレイラはきっぱりと断りウィンは宥めるように優しく言葉をかける。

 

『レイラ、折角可愛い女の子なのだから…』

 

『いいの』

ウィンの気持ちはありがたかったが、この顔の傷は彼女のトラウマでもあり、彼女をウィンと引き合わせてくれた運命そのものでもある。

この傷を見てなお普通に接してくれたウィンがいれば彼女はそれでよかったのだ。

今更顔が治ったところで人とまともに接することが出来るとは思えないし、その本心も見抜けない。

この傷は人を映す鏡でもある。なんとなく彼女はそう理解していた。

 

結局検査のみで終わった病院を出て暫く歩くとウィンが声をかけてくる。

 

『本当によかったのか?レイラの幸せを』

 

『私がこんな顔でもウィンはそばにいてくれる。それだけでいいの』

幸せを、の先に何を言おうとしたかはわからないが、自分にはこれ以上の幸せなどないと思っている。

 

『そうか…なら、せめてマスクを買おう。その傷を隠せる奴をな。レイラがどう思っていても、やはり街に出てお前に好奇の視線をぶつけられるのを見るのは…私が辛いんだ』

わがままを言った私でも結局ウィンは私の為にそんなことを言ってくれる。それが嬉しくてたまらない。

でも、ウィンが辛いというのなら…

 

『そう…じゃあ、買ってほしい、かな』

 

『ああ』

 

夢か記憶の旅かわからない風景が変わる。

 

インテリオルの記録室で今よりほんの少し短いポニーテールを揺らし機械を操作するウィン。

 

『この人が霞スミカ…私がこの人の後継、か…』

切れ長の双眸の上の眉が角度をつけて曲がっているお蔭でキツそうな印象は与えず、

とはいえいい加減な印象も与えない。

艶やかな黒髪の下に輝くブルーの瞳は何を語り掛けているのか。

レオーネメカニカの事実上の最高戦力、霞スミカの写真がそこにはあった。

 

(もうずいぶん前に亡くなっているのに公表したのは最近なんだな…企業が隠ぺい体質なのはいつの時代も変わらないな)

実際は霞スミカの死の情報が何故か流出し公表せざるを得なくなったのだが、そんな事情は当然記録されていない。

 

『なんだ…結構な数のリンクスが死んでい…!!』

リンクスリストをスクロールすると、今よりも大分若いレイラの写真の隣にDEADと赤く書かれていた。

 

 

 

「…ディー!ウィンディー!!」

 

「!!」

レイラの大声に意識を揺さぶられ飛び起きる。

まだ眠気も疲れも取れていないが、眠っている自分を無理に起こすような真似をするレイラではない。

何か緊急事態が起きている。

 

「なんだ!?」

 

「緊急依頼よ!インテリオルの実験施設のAF開発部門が襲撃されているわ!今はノーマル部隊で足止めしているけど、長くは持たないわ!急いで!」

 

「…休む暇もなしか!」

跳ね起き、服を脱ぎ捨てすぐに格納庫へと向かい、パイロットスーツに着替え乗り込む。

 

『すぐに発進して!位置情報は送るから!』

 

「わかった!」

レイテルパラッシュのコックピットの装甲に耐Gジェルが注入されOSが起動していく。

完全起動を確認すると共にジャックを差し込む。

 

「…出るぞ!」

ふつりと湧き上がったリンクの違和感はすぐに消え、画面に表示される位置へと向かう。

 

 

『な…れ…EC…散布…通信…』

 

「レイラ!?クソッ、ECMか!レーダーもイカれた!」

施設の研究員か、襲撃犯、どちらの仕業かはわからないが高濃度のECMが散布されている上通信障害も起きており、

インテリオルの最新型ネクストのレイテルパラッシュのレーダー機能を持ってしても役に立っていなかった。

 

「敵はどこだ…!?」

辺りには複数のノーマルの残骸が転がっており、遠くからは爆音が聞こえてくる。

 

「!!」

殺気を背後から感じ右に飛び退りながら旋回すると自分が今いた場所を高速のレールガンが貫いた。

目をやると見たことも無い白を基調に紫で節々を塗った軽量級ネクストがこちらを捉えていた。

 

「イレギュラーか…」

戦闘態勢を取ろうとするとさらに先ほど爆音が聞こえた方から黒い重量二脚のネクストが飛び込んでくる。

その肩部にはまたもや見たことの無い半円の兵器が装着されている。

 

『なるほど、ウィン・D・ファンションが来てたのか。ついでに消えてもらおう』

 

『やるぞ』

白いネクストから発せられる女性の物と思われる声と同時に二機のネクストが動き始めた。

 

破壊の跡があらゆる場所に広がる工場で三機の鋼鉄の巨人が激しく火花を散らしているが、その優勢は黒い重量機と白い軽量機の方にあるようだった。

 

(こいつら…!強い…!特にあの白い方…)

人間の限界を遥かに上回る速度で工場内を飛び回り攻撃をしかけながらもしかしウィンは追い込まれていた。

 

白いネクストも黒いネクストも明らかに規定されているラインを超過している量の武装を積んでいるのにも関わらず、

その動きは全く緩まない。

特に白いネクストは常にウィンの上をとるように動いており、油断すれば高火力のハイレーザーを叩き込まれる。

しかし上ばかりを見ていると地上を滑る黒いネクストからのミサイルとグレネードが待っている。

しかも自分のレーザー兵器と相性がいいはずの重量機は常識ではありえない程のプライマルアーマーを展開しており、レーザーを幾らか当てた程度ではびくともしない。

白いネクストは純粋に強く、黒いネクストも十分以上な腕に加えて実弾兵器で固めており自分の機体とは相性が悪い。

 

「く、くそ…連携は上手くないのに…強い…」

破壊されている量産型アームズフォートの裏に隠れ呼吸を整えながら声を吐き出す。

 

『連携は上手くない、か』

 

『…間違ってはいないな』

重量機に乗る男が面白そうに呟き、白いネクストの女も余裕の返事を返す。

 

『そろそろ死んでもらう』

白いネクストがアームズフォートを乗り越えてこちらにハイレーザーライフルを向けてくる。

 

「っ!!」

飛び込むようにアームズフォートの陰から出るが、そのライフルは放たれることは無かった。

 

(ブラフ…!)

 

『下手なりの連携というやつだ。ではな』

重量機のグレネードとバズーカが向けられる。

バランスも考えずに飛び込んだのが災いし、自分の機体は膝が地面をガリガリと削るほどバランスが崩れている。

その崩れたバランスと勢いにも惑わされることなく黒いネクストの銃口がこちらに向くのがやたらとゆっくりと見えた。

 

(死ぬ間際は時間がゆっくりになるって誰かが…)

高速回転する頭の横についた耳へつんざくような高音が入ってきた。

 

 

『何!?』

元に戻った時間の流れの中で見えたのは暗い緑色の重量機が黒いネクストにレーザーを放っている姿だった。

黒いネクストの男は驚きの声を上げる。

 

『増援か』

白いネクストの女は呟き、黒い重量機の元へと飛んでいく。

 

『…この程度ではやられん』

レーザーが直撃したのにも関わらず黒いネクストは依然動き変わらずに白いネクストと合流する。

 

『なんだよ、こいつ…直撃したのに…おい、ウィンディー生きてるよな!?』

 

「ロイ・ザーランドか!?」

 

『お前んとこのオペレーターから支援要請が来たからな!飛んできたぜ!』

 

「…助かる!」

普段は自分の周りをうろちょろと鬱陶しいぐらいにしか思っていなかったがこれは本当に助かった。

これでもこの男は独立傭兵の中では最高戦力の一人であり、ミッション時には頼れる相棒でもある。

その信頼の証として自分のハイレーザーライフル、アクルックスの対となるべクルックスという新型ハイレーザーライフルがインテリオルから与えられている。

 

『俺の点数は上がったか?』

 

「…その台詞が無ければな!…この重量機の肩についている装置はPAを増幅させているぞ!気をつけろ!」

内心少しだけ点数が上がったのを見抜いているかのように飛んできたセリフをいつものようにあしらう。相棒というのもあくまでミッション中の関係だ。

 

『なんだそりゃ…弱点も弱点じゃねえってか…こいつらイレギュラーにしちゃ装備が贅沢すぎるぜ』

 

『…やるぞ』

 

『ああ』

愚痴を垂れるロイの声を遮るように白いネクストが声と共に動き黒いネクストも反応する。

 

「お前は重量機をやれ!あの白いネクストはお前では無理だ!相性が悪すぎる!」

 

『…無茶するなよウィンディー!!』

四機の巨人は重力を感じさせぬ動きで攻撃を交える。

ロイの到着によりその戦場は拮抗したかのように見えたが…

 

 

 

「…くそ…」

 

『これは…いよいよやべぇな…俺も…』

純粋にリンクスとしてイレギュラーの二人がかなりの実力者であったことと先に矛を交えていたウィンがダメージを負っていたこともあり、ついに二人は追いつめられる。

 

『これで一気にカラードの戦力が削れるとはありがたい』

黒い重量機が先ほどからレイテルパラッシュを庇うように動くマイブリスから消し飛ばすため照準を向けようとしたその時。

 

『!避けろ!』

白いネクストの言葉に寸分遅れずに反応し黒いネクストが左へと飛ぶが、威力だけを追求したロケットの爆発が飛びこんだ場所ごと焼き、黒いネクストは幾らかのダメージを負う。

 

『ぐっ!』

 

『こいつ…アレフ・ゼロか』

 

『……』

そこにいたのは、救援を送ったのにも関わらず全く通信の帰ってこなかったウィンを心配したレイラが、

カラードでここ七日ほど暇そうにしていたガロアをさらに救援として送り込んだのだ。

 

『ガロアか!助かるぜ!』

 

「…すまんが劣勢だ。どちらも手ごわい、気をつけろ」

本来ランク一桁のリンクスを先日ようやくランク17となったガロアが助けに来るなどおかしな話だが、

そんなことを言える状況では無いし、既に低ランクどころか並大抵のリンクスよりはるかに強力な戦力となっているガロアの助けに対し、

二人ともそうとは思わなかった。

 

 

『テルミドールの言っていた奴か…』

黒い重量機が今の仕返しはさせてもらうぞ、とばかりにバズーカを向けるが…

 

『待て。これ以上はナンセンスだ。増援がさらに来ないとも限らん』

白いネクストはそれなりに消耗している自分たちの状況も冷静に考慮し撤退を示唆する。

 

『…ふん。結局アンサラーは見つからなかったが…何基かアームズフォートも破壊したからな。よしとするか。…アレフ・ゼロ、この借りはいつか返させてもらう』

白いネクストからの助言を受け素直に引き、撤退を決め込む二機。

逃がすわけないと、その背中を追おうとするアレフ・ゼロにレイテルパラッシュから通信が入る。

 

「やめろ、私も一機で向かってこのざまだ。それにこれが罠でない保証もない」

追いかけていった先にさらに戦力があるかもしれないし、まともな戦力の無くなったこの施設に敵がさらになだれ込んでくるかもしれないという可能性を考えガロアに通信を送る。

 

『……』

返事は返ってこないがアレフ・ゼロはアクティブになっていた肩のロケットとブレードを下げ、地面に着地する。

辺りはノーマルと防衛兵器の残骸だらけでそこら中に火までついておりその上コジマ汚染と、地獄さながらだ。

 

 

『あー、きつかった…何だあれ、カラードに登録されてないリンクスがあんな戦力を持っているなんてな…』

 

「…わからんが、とりあえずプライマルアーマーをひっこめよう。これ以上ここを汚染しては折角敵を退けても使い物にならなくなる」

ロイのぼやきを聞き、通常モードに移行しながら指示を出しつつも彼女は先ほど敵が言っていたアンサラーとは何なのかが気になっていた。

 

 

 

 

 

「…ですので、今回の事は他言無用でお願いいたします。…と言わずとも皆様ならご理解いただけると思いますが」

カラードに収集させられた三人とセレンがインテリオルの仲介人から今回の説明を受けているが先ほどから襲撃犯の詳細は不明、目的も不明と答えて挙句に、

アンサラーとは何かと聞いても答えられないの一点張り。

ECMに関しても先じてインテリオル側が探知などを避けるために散布しておいたそうだ。

 

「そりゃまぁ、守秘義務も傭兵の仕事内だからいいんだけどよ、コレは?コレ。俺ら死にかけながらおたくらの施設守ったんだぜ」

ロイが手のひらを下に向けて親指と人差し指で輪を作りアピールするかのように小刻みに動かす。

 

「出撃したんだ。当然相応の金額は出るんだろうな」

その言葉に乗っかりセレンも要求する。

 

「そちらのお二人については我々の依頼で出撃したものではないので、支払義務がありません。では」

正論のような暴論をぶつけて回れ右する仲介人の女性は恐らく上から言われたことを正確に伝えているだけなのだろう。

 

「あ、おい!」

 

「貴様…!!」

抗議しようとしたロイはいいとしてセレンは既に拳を固めている。

 

「…企業の言う通りでもある。救援要請はこちらの独断だ。報酬は私に支払われたものを分割しよう」

 

「……」

当然だが黙って話を聞いていたガロアは今にも突っかからんとしていたセレンの右拳をそっと掴んでおり、聞くしかできない話を最後まで聞くスタンスだ。

 

「ロイ・ザーランド、お前には…」

 

「デートしてくれ」

随分助けられたから半分ほど持って行ってほしいと言おうとしたところを被せられる。

 

「…ガロア・A・ヴェデット、そちら側には…」

 

「……」

報酬の話が出る前に首を横に振るガロア。

今回は一撃ロケットを撃っただけで特に何もしていないと自覚しており、元より報酬を受け取るつもりも無かった。

そもそもガロアは未だに自分がどれだけ金を稼いでいて何の為に使うかすら分かっていない。

 

「…まぁお前がそういうなら。ウィン・D・ファンション。こちらは弾薬費だけでいい」

 

「…いいのか?」

 

「おいおいあんた、あのねーちゃんからふんだくる気まんまんだったじゃないか」

 

「単に奴らの態度が気に入らなかっただけだ」

 

「…怖っ」

 

「…そうか。ではその言葉に甘えさせて貰って報酬はロイ・ザーランドと折半しよう」

セレン・ヘイズと名乗るオペレーターをまじまじと観察しながら言う。

しかし、どこからどう見ても霞スミカそのものだ。年齢はこちらの方が若いが。

だが、性格も理想的と書かれていたがこの攻撃的な発言から想像できる性格は理想的からほど遠い気がするし、

絶対に何かしら関係のあるはずのインテリオルにも噛みつこうとしているのを見て少々混乱する。

 

「……」

 

「あ、おい!またシミュレーションルームか!?…金は後日払ってくれ」

ふい、とこちらに興味を失ったかのように立ち去るガロアを追いかけるセレン。

セレンは今日折角だしこの後昼食を一緒にとろうと思っていたのにこれである。

 

「おいおい、ミッションの後も訓練かよ…気力充実しすぎだろ」

いくら戦闘をしていないとはいえ出撃から帰還までジャックを通してネクストと接続されていて多少の疲れもあるはずのガロアの背中を見てロイは呟く。

 

「ロイ・ザーランド。報酬の話だが」

さっさと用事を済ませてしまおうと声をかけるウィンにロイはため息交じりに声を出す。

 

「俺も別にいらねえよ。弾薬費と修理費だけでいいや」

 

「ならば何が欲しい」

 

「……」

別に何か欲しくって助けたわけじゃねえんだけどな、と独り言つと、ふとあることが思い浮かぶ。

 

「じゃあ俺の事気軽にロイって呼んでくれよ。いつもフルネームで呼ばれてたんじゃ背中のところがむず痒くってしょうがねえよ」

 

「なんだそんなことか。ロイ」

 

「やったぜ」

 

「……」

 

「……」

念願の呼ばれ方をされたはずなのに、なぜかいきなり微妙な雰囲気に突入してしまい黙るロイ。

目の前のウィンはあくまで冷静にこちらの反応を見ており耐えかねたロイが話を逸らす。

 

「なあ、どう思う?」

 

「何がだ?」

さっさと帰ろうと歩き出すウィンに歩調を合わせながら声をかけるロイ。

面食いな女性ならばロイが歩調を合わせて隣に歩くだけでコロッと落ちてしまうものだがそんな気配は微塵もない。

 

「あのガロア・A・ヴェデットだよ。勝てると思うか?戦って」

話を逸らすために出した話題にしては結構重要な話であり、

独立傭兵のガロアはいつ自分たちと敵対するかも分からないのでその話題に関しては議論をしておく価値は十分にある。

 

「やってみなければわからんな」

 

「そりゃそうだな」

早歩きのウィンから返ってくるごく当然の答えにロイは肩をすくめる。

 

「…だが、あいつの目的はあくまでホワイトグリントの撃破であり、そのために身も心も削っているのは見ててもわかる。その力はいずれ私たちを脅かすものになるだろう」

それがウィン、もとい上位リンクス達の持つ共通の認識であったが独立傭兵で詳しい情報の入っていないロイには初耳だ。

 

「ホワイトグリントがターゲット!?そりゃまた大きく出たな!いったいなんだってそんな…」

 

「そうか。お前は知らないのか。情報ではあいつは育ての親を10歳の時にアナトリアの傭兵に殺されている」

 

「…それでアナトリアの傭兵がパイロットだと言われているホワイトグリントを?」

 

「自分から話さないから確実とは言えんがそうだろう。奴はそれ以来14歳までたった一人で生きてきた、と思われる。何しろ記録がないからわからんが…

その間をどのような気持ちで過ごしたかはわからん…だが、今の奴の戦闘への意欲を見ると想像に難くはないな」

 

「一人で、か…」

ロイには一人で憎しみを募らせる、というのが今一つピンとこなかった。

わからないでもないが、ロイがここまで力をつけたのはむしろその逆で、自分の大切な人たちを守るためであったからだ。

だがその反面、かたき討ちという部分は多いに理解できる。

 

「でもなんだってリンクスになろうと思ったんだろうな。やっぱ自分の手で決着つけたかったからかな」

 

「理由はわからんが、原因は分かりやすい。その育ての親がリンクスだからだ」

 

「そうなのか?」

 

「ああ。奴の機体の頭についている赤いスタビライザーはそのリンクス特注のものだ。わざわざ色を真っ赤にして頭につけている辺り、もう隠すつもりなんてないんだろう。

話せないから誰にも言わないだけで」

 

「…どっちが勝つかはわかんねえけど、もし目的を果たしたらどうするんだろうな、あいつ」

 

「……」

ウィンには答えられない。

彼女はその力で弱い人々を、クレイドルにいる両親を守るために戦っており、その目的に始まりはあっても終わりは無いからだ。

カツカツと歩きながらその答えに想像を巡らせても結局わかるはずなど無かった。

 

 

 

 

 

「そんなこと言うならさっきの報酬を受け取っておけ!」

 

「……」

アサルトアーマー機能の付いたオーバードブースターが欲しいと言ったら手に持っていた書類の束で頭をはたかれた。

 

セレンの言うことももっともであり、ネクストの部品というのはそうほいほい買える物でもない上、依頼で超過した分の弾薬費や修理費は自分達で持つことになるため、

少しは金に頓着を持たないと厳しいことになる。

元々は金を使いたいように使っていたセレンだが、ガロアのオペレーターを始めると共に収支計算も始めたセレンは、

ある日グレネード一発あたり1200コームもすることを知りコーヒーを噴出した。

 

それ以来は中々金にがめつく、いや、厳しくなっており、今回ウィンから金を受け取らなかったのもいずれその恩から僚機として雇ってもらえるということを期待しての話である。

リンクスとは成功すれば大金持ちルートなのはほぼ確実だが、失敗すれば借金地獄のハイリスクハイリターンな仕事である。

今のように地上に残され全員が傭兵のように扱われる以前は企業の完全なる子飼いで、お金のことは気にせずに戦えたものなのだが…

いつの間にやらアナトリアの傭兵が始めたリンクスの傭兵というスタイルが主流になってしまった。

ちなみにミッションで成功を収めているのにも関わらず弾薬費が高すぎて働けど働けど暮らしが楽にならないというようなリンクスがインテリオルにいるとかいないとか。

 

「買うからには練習を…していたのか」

 

「……」

買うからには練習してしっかり使いこなせるようにしろ、と言おうとしたところでシミュレーション内なら自由に装備を変えられることを思い出す。

 

「……ふんっ」

 

「……」

突然そんなことを言い出したのに怒りはしたもののガロアは自分の機体の内装も武装も全て自分で決めており、

今回も全く意味がないというわけではないことは知っているのでその怒りのやり場がわからずその怒気は口の中で熱気を帯びて鼻から排熱された。

 

「……」

さらにセレンの不機嫌に拍車をかけたのは折角カラード中央塔に収集されたのだから昼飯を一緒に食べようと思ったのに、武装を変えると言い出したこと。

つまりシミュレーションルームでネクスト構成システムにアクセスして購入しさらに内装変更を現実に格納されているネクストに反映させる作業もするということだ。

二人とも大食いではあるもののガロアは割と朝昼抜いても平気な方であるが、セレンは生まれてから16年間規則正しい生活を仕込まれた結果必ず朝昼晩食べないと集中力が大幅に低下する。

必然的に途中で別れることになり、ガロアは不機嫌に肩をいからせながら歩いているセレンの背中を見送りながら、必要なことはちゃんと伝えるようにしようと密かに思った。

 

 

「……」

購入は既に終わり、内装変更届も出したので今は格納庫でアレフ・ゼロのオーバードブーストがインテリオル製の物に換装されているはずだ。

その間マシンにこもりひたすらアサルトアーマーのタイミングをはかる。

 

相手はランク20、エイ=プールを四人。

エイが強いからという理由ではなく、登録されている機体でミサイルがん積みの機体構成が今回のガロアの訓練内容にあっていたのだ。

ちなみに弾薬費で首が回らなくなっているリンクスというのが彼女の事だというのはガロアは知らない。

 

「……!」

自分の全周囲に来たミサイルをアサルトアーマーで撃ち落とすこと一時間半。

アサルトアーマーを使い始めて七日目。

そろそろタイミングもデメリットも分かってきた。

この攻撃は一瞬の無敵時間の後に暫く防御が極薄になるというセレンからも言われていた弱点があり、あまり多用するべきではない。

その上発動したときに周りも見えなくなることもあり、一概に全て撃ち落とせたぜバンザイで済まないのがもどかしい。

 

「……」

これを実戦で使うとなるとかなり難しくなってくるなと悩んでいると外部からマイクを通して声が聞こえる。

 

『ガロア・A・ヴェデットさん。お話があります』

 

「……」

最近訓練中によく邪魔されている気がする。

目を瞑り軽い息を吐いて首に接続されたコードを引っこ抜く。

 

 

「先日はオーメルグループのランク1、オッツダルヴァとの共闘ありがとうございました。我々はあなたも高く評価をしてはいます」

オーメルグループの、という部分をやたら強調し、さらに言葉の節々に毒気を含ませながら話す眼鏡の男がそこにいた。

眉を顰めると男は慌てるそぶりもなく反応を返す。

 

「これは失礼。オーメルグループ仲介人のアディ・ネイサンと申します。ご存知だと思っていたのですが」

 

「……」

慇懃無礼とはこのことか。

オッツダルヴァもお世辞にも人当たりが良いとは言えなかったがこの男はまずこちらを尊重する姿勢が見受けられない。

 

「我々からの評価の結果、あなたに相応しいミッションが用意されました」

 

「……」

仲介人と聞いて予想はしていたがやはりそうだ。

しかし、メールではなく直接来た意図はなんなのだろうか。

 

「ミッションを説明しましょう。依頼主はオーメル・サイエンス社。目的は、BFF社の主力AF、スピリット・オブ・マザーウィルの排除となります 」

 

「……!」

そのアームズフォートの名前は知っていた。

 

「そうです。あなたの初ミッションと時を同じくしてホワイトグリントと交戦しそれを退けたアームズフォートです」

 

「……」

ホワイトグリントを退けたと聞き、身震いがする。

実際は撤退命令に従ったのであるもののやはり一定以上に消耗はしており一応その言葉に嘘は無い。

 

「敵AFの主兵装は、大口径の長距離実弾兵器です。図体ばかり大きな、時代遅れの老兵ではありますがその威力、射程距離は、それなり以上の脅威です。

そのため、依頼主からは、VOBの使用をご提案頂いています。確かに、VOBの超スピードがあれば容易く敵の懐に入り込む事ができるでしょう

懐に入った後は、敵AFの各所に配置された砲台を狙ってください。砲台の破壊から、内部に損害が伝播し易いという構造上の欠陥が報告されています 」

 

「……」

この男はもう自分が受諾すること前提で話している。全てが手の平の上だ

だが、そんな意図に気が付きながらもガロアは湧き上がってくる感情をおさえられなかった。

 

「随分と杜撰な設計ですが、まあ、彼らなど所詮そんなものです

説明は以上です 。我々はあなたをホワイトグリントに勝る戦力であると考えています。このAFを見事落とし、そのことを証明して見せてください」

 

 

 

「……」

上司がそうなるはずだと説明したように、アディがそうだろうと予想したようにガロアは静かに契約書にサインをした。

 

「…オーメル・サイエンス社は、このミッションに注目しています。くれぐれも、よろしくお願いしま、!」

 

「……」

言葉を言い終える前に、アディはガロアにネクタイを掴まれ締め上げられていた。

ガロアは今までの言葉がオーメルからの煽り文句だと分かっていた。セレンがいない時を狙ってわざと来たという事も。

ガロアが断らないという事を企業が分かった上で来た事も。

 

「くっ、かっ…なに、を…」

だが企業は分かっていなかった。というよりもガロアに関わった人間の殆どが分かっていないと言っていい。

ほとんどの人間がガロアの事を大人しく、冷静な人間だと思いこんでしまっている。

特に数年前の養成所の記録では身体スペックも特別優れていない代わりに優秀な頭脳という誰がどう見てもホワイトカラー向きの記録だったし、何よりもガロアは喋れなかった。

 

「……」

ぎりぎりと首を締めながらアディは2m近い高さまで持ち上げられた。

 

「ひっ!」

波紋の渦巻く灰色の眼はエリートの道を歩んできたアディが今までで出会ったことの無い感情を表していた。それは殺意だとか怒気だとか言われる物だ。

静かなのは喋れないから、それだけだ。口が利けないから気に入らないことに対して文句や舌戦という、本来あるはずの過程も無い。

曲がりなりにも暴力で金を稼いでいる人間なのだ。ましてや本来は優秀な頭脳でキャリアになれるはずだった道を捨ててここにいる、そんな人間が大人しいはずがなかった。

 

「……」

 

「、っぶ、むぅ!?」

取り落としかけた契約書を口に無理やり詰め込まれる。落ちた眼鏡が踏み割られた。

 

『ここで死ぬか?』

その眼がそう言っているかのようだった。まともな人間の暮らしを、特にエリートの道を歩んできた人間ほど忘れてしまう。

どれほど法やルール、地位に守られていても死ぬときは普通に死ぬということを。目に見えないそんな物はいざという時にはただ後手に回るしかないという事を。

悲鳴を上げることも出来ずに、失禁しそうな程の殺気にただただ震えていると放り投げられた。

 

「ひっ、ひ…」

無様に尻餅をつきながら目を合わせないように俯いていると、興味を失ったかのように通り過ぎていった。

人は…いや、生き物は自分の身では対処できない暴力に唐突に襲われたとき、ただ身を低くして通り過ぎるのを待つしかないというのをアディは身を以て知った。

 

「はっ、はぁ、はぁ……はぁ…」

このミッションを持ちこむように言われたとき、まず死ぬだろうなと思っていたがどうでもよかった。

だが、それは間違いだったらしい。間違いなくあの少年は生き残りマザーウィルを喰らってしまうだろう。

 

企業がガロアの事を掌握したいと思うのならば、戦闘力や潜在能力では無く、まずその破壊的な性格を把握すべきだったのだ。

そんな過ちも、現場を省みずに地球を汚染し続けた企業が気付くはずが無く、刻一刻と精算と断罪の時間は迫っていた。



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AFスピリット・オブ・マザーウィル撃破

「ミッション開始!BFFのAF、スピリット・マザー・ウィルを撃破する!…死ぬなよ、ガロア…」

造波抵抗と空気抵抗をコジマ粒子がゼリー化したものを機体に塗ることで無理やり消し、

機体の温度上昇を超大規模ラジエーターで熱を排して空気の壁を突き破り、アレフ・ゼロがVOBと共に飛んでいく。

モニターに表示される加速度は0となり、ガロアにかかるGが下がっていることは分かるがそれでもカメラから送られてくる映像はちらりと見ただけでも目を回すに十分だ。

何度使ってもこのVOBには慣れない。

どう考えたって人類が手にしていい速度を遥かに超えてしまっている気がするのだ。

 

「超高速戦闘だ、目を回すなよ…」

あと10秒ほどでマザーウィルの長距離砲が届く範囲に入る。

 

(何故いきなりマザーウィルの撃破なんか…)

時代遅れ時代遅れと言われつつもマザーウィルが制圧兵器として地上最強という肩書は伊達ではなく、

最初期のアームズフォートであるのに未だ撃破されていないというのはその証左であることに間違いない。

現在企業でもトップのオーメルグループがBFFが最強のAFを所持しているなど、本来なら許すはずなく、

もし大したことがないというのならばとっくにオッツダルヴァあたりが落としているはずだ。

当然そんなことをオーメルは許してはおらず、現在新アームズフォートがオーメルとインテリオル共同で開発されているがその事はまだ公表されていない。

大体、弱点として示された、砲台を破壊すればダメージが伝播するというのもそこに弾薬や火薬がたっぷり詰まっていることを考えれば弱点というより当たり前のことだ。

確かに砲台を狙って破壊し続ければ落とせるだろうが…

 

(なぜランク17のガロアが選ばれた?…一体どういうつもりだ…オーメルめ…)

ガロアが優秀だというのはセレン自身も理解しており、ゆくゆくは量産型アームズフォート以上の物も相手にしていくことにはなるだろう。

だが、今ガロアにこんなミッションが出されることは時期尚早どころか間接的に死ねと言っているようなものだ。

 

(……!)

あの自律兵器の山を見たせいか?

今のうちにミッション内の死という形で処理を?

 

「!来たか!敵主砲の威力は馬鹿げている、絶対に当たるなよ!」

画面に映る凶悪な光に思考を中断される。

飛んできた砲弾を横方向へのクイックブーストで避けるとき、そこにかかるGは普通なら挽肉なっているほどの圧のはずだ。

事実今回避をしたアレフ・ゼロから送られてくるリアルタイムの情報は尋常ではない加速度を示している。

こんなことを繰り返すのが身体にいいはずがない。

アームズフォートも、VOBも狂気の塊だ。

 

「機体制御と回避に集中しろ!闇雲に撃っても今は弾の無駄だからな…」

それはマザーウィルも同じようで想定外のスピードで接近するネクストに対し弾は避けずとも明後日の方へと飛んでいく。

VOBが出来る前に開発されたマザーウィルはオート照準ではVOBのスピードを捉えきれず、手動で放つしかない。

これも弱点として報告されたものであるが、結局は近づかなければならないという面は変わっていないため弱点とは言えない。

 

(どうか当たってくれるな…)

接敵まで1分。セレンには祈るばかりだ。

 

 

 

ガロア・A・ヴェデットの襲撃の10分前。

 

「どおおおおおおりゃあああああああ」

腕部にドーザーと呼ばれるグローブのような頑丈な鉄塊でどこの所属でもない変わったノーマルをキルドーザーが打ち砕く。

 

『おいチャンプス、特攻兵器も近づけるなよ』

 

「わあああかってらあああああああああ!」

叫びながらミサイルを放ち、一直線にマザーウィルへと向かっていた、どういう原理で浮かんでいるのか分からないタコのような兵器を撃ち落とす。

 

「よいしょおおおおおお30機目だっしゃあああああ」

 

 

 

 

「……うーん」

マザーウィル管制室でキルドーザーに指示を出す大佐は耳を塞いで唸る。

 

最近神出鬼没で現れるノーマルと特攻兵器。

ノーマル自体はそこまで強くはないし、特攻兵器が当たって爆発したところで大したダメージになりはしない。

 

だが、これはどのアームズフォートにも言えることだが、街や基地の制圧、蹂躙が得意でもちょろちょろと動き回る相手をつぶすのは苦手としている。

丁度人間が蚊を相手にする時と似たようなものである。

だが、ここでノーマル・MT部隊を出撃させて、無人兵器特有の死を厭わない突撃に人員を削られても笑えない。

リンクスほどでないにしてもノーマル・MTを操作できる人材というのはそれなりに貴重で一から教育するのも時間がかかる。

また、特攻兵器が当たっても大したダメージではないとは言え当然修理費はかかる。

そういうことを踏まえて、雇用の為の費用が一番安かったチャンピオンチャンプスを無人兵器対策に雇ったのだ。

 

「しかし、BFFの支配域内にもいるとはな」

今回マザーウィルが出撃した理由は、近頃目撃回数が増えてる目的不明のノーマル部隊の情報を受けてのBFFの支配領土である旧ピースシティ内の巡回である。

その嫌な予感は当たり旧ピースシティでも30機近くのノーマルと20機以上の特攻兵器が跋扈していた。

破壊したノーマルは跡形残らず爆発四散するので未だに目的は不明である。

どの企業、果ては地上に残ってるコロニーまがいの集落やラインアークすらも平等に襲撃されているのでますますわからない。

 

『おわったぞおおおおおおお』

腕を振り上げ喜びのジェスチャーを示すネクストが大型モニターに映し出されると同時に耳をつんざく大声が聞こえてくる。

大佐はため息を吐きながら耳を塞ぎ思う。

もっと静かな奴を雇えばよかったと。

 

「…ついでだ、そこら辺のマザーウィルの進行に邪魔になる建造物も破壊してくれ」

大きいビルをいちいちミサイルで破壊していくのもまた金がかかるのでついでに指示を出す。

本来のキルドーザーの仕事はこういった破壊作業のはずだ。

 

『まかせろおおおおおおおおおお』

 

「…はぁ…」

早く家に帰って風呂に入って寝たい。

初老に差し掛かる大佐は疲れも隠さずに本日何度目かわからない溜息をつく。その時。

 

『オズワルド大佐。聞こえるかね』

唐突に入った通信とそこに表示される名前を見て疲れも吹き飛ぶ。

 

「!?そ、総司令官殿!いかがなさいましたか!」

BFF所属私兵隊総司令官。

いくらマザーウィルとはいえ、こんな重要度も難易度も低い作戦に総司令官が直接連絡を取ってくるなどまずありえない。

 

『聞き給え。いまそちらに一機のネクストが向かっている。ランク17アレフ・ゼロだ』

 

「襲撃でありますか?」

マザーウィルが出撃している情報が漏れていたのか、そんな言葉が司令官から出る。

だが、それ自体はよくあることだし、ランク17程度簡単に退けられるはずだ。

例えそれが最近目覚ましい活躍をしているアレフ・ゼロとて関係ない。

マザーウィルの強さに絶対の自信を持つ大佐は少し気の抜けた返事をする。

 

『そうだ。そのアレフ・ゼロ…いや、ガロア・A・ヴェデットを必ず殺せ』

 

「総司令官殿、ランク17程度、マザーウィルならば簡単に退けられます」

 

『違う。必ず殺すのだ。退けたのでは意味がない。仕留めた者には100万コームの臨時ボーナスを出す。マザーウィルが仕留めたのならば乗員全員に臨時ボーナスだ』

 

「な、ひゃ、百万!?なぜですか!?」

 

『…以上だ。地上最強の名の元に必ず殺せ』

 

「一体どういう…」

呆気にとられて目と口を開き立ち尽くしていると…

 

「大佐!!ネクストの襲撃です!ランク17アレフ・ゼロです!後20秒で長距離砲射程内に入ります!」

 

「…そうか。乗員全員聞け!射手、そしてノーマル、MTのパイロットもだ!アレフ・ゼロを撃破した者には100万コームのボーナスが出る!」

 

ひゃ…

アイエエエエ!?

ランク17が!?どうして…

や、やるぞおおおおおお!

 

 

 

 

途端に騒めくマザーウィルの乗組員達。

それもその筈、ネクストにかけられる賞金としては圧倒的すぎるし、100万コームなど一生遊んでも使い尽くせない額だ。

 

『聞け、チャンプス。こちらにネクストが襲撃してくる。ランク17アレフ・ゼロだ』

 

「誰だそいつはあああああああ』

ビルをパンチの連発で壊しながらチャンプスが叫ぶ。

 

『…お前が一番最近負けたカラードの新入りだ…覚えてないのか』

 

「ああああああ!あいつかあああああああ」

チャンプスのほぼ筋肉となっていた脳に勝負の記憶がフラッシュバックする。

 

『そいつを仕留めろ。成功すれば報酬は…100万コームだ』

 

「ひゃ…」

常にうるさいチャンプスが絶句する。

そもそも何故ドーザーなんて兵器とも呼べないものを使っているのかと言えば、

オーダーマッチにも勝てず実戦でも活躍できずにいた、つまり金をほとんど稼げていなかった為、弾薬費を節約するためであった。

それだけ金があればそんな事を気にせずに全身を武装の塊にできる。

いや、というかもう仕事しなくていい。

才能のないリンクスなんてハイリスクローリターンなものを続ける必要なんかなく好きなだけやりたいことが出来る。

高級筋トレマシーンを買って、プロテインをあほ程買って、しかも自分のジムを作れる!

 

 

 

 

『う…うおおおおおおおおおやってやるぜええええええええええ』

 

「……いぃ」

ヘッドセットのイヤホンが壊れる程の雄たけびをあげチャンプスが臨戦態勢となる。

 

「大佐!来ました!」

 

「…よし…長距離砲!撃てええええええええ」

その瞬間、母なる意志の権化は全ての音を掻き消し殺意を吐き出した。

 

 

 

(7、6、5…)

数を数えタイミングを計るセレン。

 

「…よく全て回避した。VOBパージする!」

完璧なタイミングでパージされビルにもぶつかることなく砂地に着地したアレフ・ゼロ。

さあ、後は

 

 

『どおおおおおおおりゃあああああああ』

着地したアレフ・ゼロにビルの陰からネクストが飛びかかってきた。

 

「……!」

着地の衝撃で上手く動けない所を突いた攻撃をぎりぎりのところでしゃがみ込み回避する。

危なかった。先日のフラジール戦で超高速の戦いに目が慣れていなかったらドーザーに自ら2000km/hの勢いで突っ込んで終了していただろう。

進行方向と逆向きに起こる加速度のGを受けながら冷や汗を流す。

 

『お前をたおおおおおおおおおす!!!』

さらに下へ向けて打ち込まれるドーザーの正拳突きを転がり避けたところに主砲が飛んでくる。

 

「…!」

当たりはしなかったが目の前の地面が丸ごと削れた。

そして間髪入れずにミサイルとキルドーザーが飛んでくる。

 

『キルドーザー…!弁えない解体屋か!無視しろ!マザーウィルだけが目標だ!』

 

「……」

セレンの指示がなくともそのつもりではあるが、ミサイルと主砲の間隙をキルドーザーが容赦なく攻めてくる。

この気迫、この前やった時は全く違う。一体何が、と考える間もなくマザーウィルからノーマルも出てきてさらに旗色が悪くなる。

ホワイトグリントはこんなのと戦ったのか。

 

『どらぁあ!』

突っ込んでくるキルドーザーと別の方向からミサイル。

これは…どれかしらが必ず当たる。

やけにゆっくりと見えるその光景の中で、ガロアは一つの活路を見出した。

それは考える者がいても実行する者と出来ない者の間に決定的に差がある判断だった。

 

『なにいいいいいいいい!!!』

 

「……」

 

『ぎゃああああああああ!!!』

キルドーザーに自分から突っ込んでいきその機体を抱え、ミサイルを避けずにキルドーザーで受け止める。

このまま突っ込んでいく。

機体を抱えたまま大きく息を吸い込み前へと進む強烈なイメージ。

アレフ・ゼロの新しいオーバードブースターが着火した。

 

 

 

 

「大佐!アレフ・ゼロが…キルドーザーを抱えたまま突っ込んできます!!」

 

「く…、この…!構わん!!!撃て!!!全門解放しろ!!」

 

『撃つなあああああああ!!!』

指令室の大佐はそのままチャンプスも一緒に殺す判断を即下したが、

オープン回線となったキルドーザーから迫真の懇願が聞こえてくる。

そして、そんな冷酷な判断に即従える鋼の精神を持つ者は少なく、明らかに弾幕の密度は薄れノーマル部隊も動きを止める。

 

「接敵され…第5ブロックで火災です!!」

 

「…!砲台が狙われているのか!?」

一瞬の戸惑いが大きなミスとなり、地上最強は少しずつその身を削られ始めた。

 

 

 

 

『はああなああああああせえええええええ』

 

『それでいい!ガロア!絶対に離すな!』

 

「……」

キルドーザーを抱えたまま砲台に向けロケットとグレネードをしこたま撃ちこむ。

いくらか飛んでくるミサイルは全てキルドーザーで受け止める。

肘が背中に幾度も打ち下ろされるがそんな威力のこもっていない攻撃で止まる程ネクストは脆くない。

それはキルドーザーも同様で、20発以上のミサイルを受けてなお未だに壊れる気配はない。

が、それはむしろ好都合。このまま引き続き盾となってもらう。

先ほどの悪魔の囁きはこれ以上ない最善の一手であり、

相手にとっては自分の人間性を逆手に取られる最悪の一手であった。

 

『100万だぞ!俺はやってやる!!』

 

『馬鹿野郎!味方まで殺す気か!!』

 

100万という金額は人間の底を浮き彫りにするが、欲に負けた者も兵士にそぐわぬ優柔不断な者も皆、平等に焼かれていく。

 

「!!第4、第2ブロックでも火災です!!」

 

「…全員聞け!!今攻撃しないものは後々解雇だ!!」

その報告を受け大佐も顔が白くなり、がなり立てる。

 

『くそっ、撃て!撃ちまくれ!』

 

『マザーウィルに楯突いたことを後悔させてやれ!!』

自分達の命、立場も危うくなっていることに気が付き射手もノーマルのパイロットも戸惑いを捨て攻撃に移った。

 

 

『ぬうううううあああああああああああ』

 

「……」

叫ぶキルドーザーの肩越しに冷静に周囲を見渡す。

背中がピリピリするのだ。そろそろのはず。

…来た。

右左上下前後ろ。

全方向からのミサイル。

集中。耳をすませろ目を見開け。

意識の全てを臍の上へ集める。

 

「!!!」

その意識を全て解放した瞬間、周囲は緑の閃光に包まれた。

 

『ぎゃあああああああああああ』

 

「何が起きた!?」

今までと質が全く異なる叫び声をあげたチャンプスの声に驚き被害状況を確認していた大佐も叫ぶ。

 

「アサルトアーマーです!アサルトアーマーを使われました!!」

 

「く、だが今がチャンスだ!しばらくはPAが展開できないはずだ!」

先ほどの叫びは0距離でのアサルトアーマーを受けたせいか。

悪魔め、と心の中で吐き捨てる。

 

「下方に潜り込まれています!!攻撃不可能です!!」

 

「なに…ぃ!」

 

 

 

 

「……」

プライマルアーマーが回復しない。

下方で待機していたノーマル部隊が攻撃を仕掛けてくるが、フラッシュを飛ばし、受け流す。

 

『ちくしょう!!ちくしょう!!』

 

『なんなんだよあいつは!!おかしいだろ!!』

叫ぶ暇があるなら落ち着いて一発でも撃つべきであった。

その隙をつかれマシンガンでズタボロにされその不平不満が辞世の句となった。

 

「…!」

プライマルアーマーが回復した。

終わらせる。アレフ・ゼロの上空を丸々覆い影を作るマザーウィルの翼まで飛ぶ。

 

「……」

翼に取り付きガリガリとブレードで削り、切り落とす。

バランスを大きく崩したマザーウィルは砂地に大きな跡を残しながら派手に歩行を停止した。

 

 

 

「出てきました!!」

 

「もう後がない!全員撃て、撃てえええええ」

これまでの人生で味わったことの無い感覚に体中を包まれながら口角泡を飛ばし大佐は必死に指示を出した。

 

 

 

 

「……!」

ミサイルが殺意を込めて飛んでくる。

だが、お蔭で残りの砲台の位置が確認できた。

今度は全方位ではない。

リロード済みのマシンガンで全て撃ち落とす。

主砲にありったけのロケットを叩き込み破壊した後、最後のミサイル発射台にブレードを突き立てた。

 

 

 

「メインシャフト、熱量負荷限界突破!ダメです!機関部が持ちません! 」

管制室のオペレーターが限界だと叫ぶ。

 

「これが…マザーウィルの最後だというのか…馬鹿な…あのリンクスは一体…」

真っ赤に染まるモニターも叫ぶオペレーターの声もどこか遠くに感じながら呆けていた。

 

「大佐!!指示を!!」

さらに叫び指示を仰ぐオペレーター。

大佐は唇を噛みしめ。金属の机を叩く。

 

「…これまでだな…。総員、地上装備!総員退避!退避しろ!マザーウィルは…倒壊する! 」

マザーウィルの指揮をとってからあらゆる指示をしてきた大佐。

その中でもこの指示は今までの中で一番厳しいものであった。

 

 

『マザーウィルの撃破を確認…ミッション完了…。よくやった。早く帰って来い。疲れただろう』

 

「……」

蜘蛛の子を散らすようにわらわらと人が出てくるマザーウィルの残骸を見て、ガロアは自信の表れとなった微笑をたたえながら浮かぶ。

動く山のようなこのアームズフォートを破壊したのは自分だと思うと懐かしい高揚感に包まれた。

 

山のように巨大な敵を倒すことはガロアの人生で初めてのことでは無かった。

自分よりも遥かに巨大な敵を討ち倒すという経験をまだ街に来る前にしていたのだった。

 

白い世界での記憶だった。

 

(テメェと俺の…)

 

激しい雪の降る中、自分の物とも相手の物ともつかぬ鮮血に肌を染めて、太陽に向かって吼える怪物にナイフ一本で立ち向かう。

 

(本能の違いを教えてやる!)

 

巨大な角を振りかざし咆哮する怪物に小さなガロアは死への恐怖を微塵も持たずに、身体に不釣合いなほど大きい刃物を突きだした。

 

あの日、ガロアは王を喰らった。

 

 

 

 

 

 

 

「……!悪魔め!」

最後にマザーウィルからロープを伝って降下した大佐は顔を出し始めたナイフのような下弦の月を背にこちらをただ見て浮かぶアレフ・ゼロを見て吐き捨てる。

熱砂の風と斜陽の光を正面から受け堂々と佇んでおり、

月の弧の下部がヘッドで隠れているせいでヘッドの両端からはみ出ている青い月は鬼の双角のようだ。

赤黒く光る眼を瞬かせ夜の彼方へと飛んでいくそれは何を思っていたのか。

 

脆くも瓦解した母なる意志の指揮官がロープに掴まりながら顔に浮かべる表情は絶望しかなかった。

 

 

「…やっぱりかぁ…」

速やかに機能停止したキルドーザーのコックピットから奇跡的に無傷のまま出てきたチャンプスはうつ伏せに倒れた機体に腰かけ月の彼方へと消えるアレフ・ゼロを見て呟く。

 

「…どうっすかなぁ…」

後ろでは降下したマザーウィルの乗組員が本部に救援要請をしている。

この辺りでは夜の気温は氷点下となるため助けが来なければ凍死する者も出てくる。

そんな喧騒をどこか遠くで聞きながらチャンプスはため息をつく。

馬鹿うるさい楽天家と思われているチャンプスが溜息をつく姿などだれも想像できないだろう。

 

「……はぁ」

オーダーマッチで旧ピースシティで戦った時と同じく、いや、それよりもこっぴどく負けてしまった。

完全に機能停止したキルドーザーはもう動かないだろう。

 

「……」

かりかりと短髪を人差し指でかきながら考える。ネクストの料金すらもまだ支払い終えてない。

人は自分の事を馬鹿だの弁えないだの言うが、自分を保つためには底抜けの馬鹿を演じるしかなかった。

カラードからはリンクスの落ちこぼれと蔑まれ、ノーマル乗りからはネクストに乗ってるくせに解体作業ぐらいにしか役に立ってないと揶揄される。

それを正面から受け止めてなおリンクスとしてやっていくには馬鹿になるしかなかった。

だがそれももう終わりだ。

才能の違いというものをそれこそ0距離で見せつけられてしまった。

 

「…借金…どうしよう…」

ただ一つ残った借金を返す術を自分は知らない。

もうどうとでもなれやと仰向けに寝転がり色を変える空を仰ぎながらどこか清々しい気分で目を閉じた。

 

 

 

「…家帰ってお風呂入って寝たい…」

ネクストの上で寝っ転がって黙り込んでしまったチャンプスを見て、こんな時だからこそ馬鹿騒ぎしてくれればいいのにと思いながら大佐は救援信号を送る指示を出して呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

本日グリニッジ標準時20:30カラ臨時報告会ヲ執リ行ウ

必ズ参加セヨ

 

 

 

 

「ウィンディー、メールよ」

 

「ん?」

一応の礼儀として、自分に支払われていた先日の緊急ミッションの報酬をロイとガロアに振り込む操作をしているとレイラが声をかけてくる。

 

「というと、ネクスト格納庫の方へか?」

 

「そうなるわ。一応、緊急のメールじゃなかったから開いていないけど」

先日の戦いでひどく損傷していたレイテルパラッシュを修理したのだろう、顔や服のあちこちをススで黒くしたレイラは親指で肩の後ろを指さし早く見て来たら、とジェスチャーをする。

 

「……面倒な…」

カラードに関することは全てネクスト格納庫で行っており、カラードや他リンクスからのメールなども全てそこで管理している。

緊急を要するメールでないのならば、自分が必ず参加しなければならないミッションということでも無いのだろうが…。

 

「…臨時報告会…?」

上位リンクスによる定例報告会はそれなりによくあるものの臨時というのは久々だ。

 

「えー、と…今が九時半だから…今すぐか!」

時差を計算するとなんと今すぐである。

これでは緊急のそれと何も変わらない。

ポニーテールを揺らし通信機の前に座る。

 

『時間だ。始めよう』

王小龍の声が聞こえるが、やはり間に合わなかった者もいたようでジェラルド・ジェンドリンの通信が確認されていない。ときおり代理で来るダリオ・エンピオも同様だ。

 

『はい。王大人。先日、BFFのスピリット・オブ・マザーウィルがランク17アレフ・ゼロに一基落とされました』

自社のAFが落とされて声色を変えないのはリリウムが変わっているからではなく、どのリンクスもそうだ。

自社の全てが崩壊しても自分を守る力がリンクスにはあるのだからそこは大した問題ではない。問題なのは…

 

『新参の傭兵があのマザーウィルを…?』

ローディーが自分の気持ちを代弁してくれる。

ヘッドセットを手で押さえながら思い出すが、自分が初めてアームズフォートを落としたのはリンクスになって一年後だ。

それをあのガロア・A・ヴェデットはカラードに登録されて三か月で最強の一端ともいえるアームズフォートを落としたというのか。

ショックを隠せないが、長い長い時間をかけてようやくランク4まで登ったローディーのショックはそれを上回るだろう。

 

『…ふん。仮にもリンクスだ、本来そういうものだろう』

オッツダルヴァはどこか満足げに鼻を鳴らし言う。

そうだ。こいつも入って三か月でその時最新最強と言われていたアームズフォートを落としていたんだ。

 

『だといいがな…アルテリア襲撃犯はどうなっている?堂々とクレイドルの要諦を狙われ、全て不明、打つ手無しなど…管理者の存在意義が問われるだろう』

ここ最近起こっているアルテリアや企業の重要施設への襲撃。

正直それが今日の議題だと思っていた。

 

『その通りだ。ルールを守れないのであれば、静かに退場してもらう他はない。それがラインアークであれ…レイレナードあたりの亡霊であれ…』

王小龍が非常に含意のある言葉を出すが…それはこの場の誰かに向けられているかのようだった。

そこで通信は途絶え臨時報告会は終了する。

この報告会は、リンクスが地上に取り残されてから後、自衛の手段として王小龍が提案した物であり、

アイディアこそよかったものの今ではリンクス同士の鍔迫り合いの場のようになっている。

 

「…私が勝てるか、だと。ロイ…」

あの日、救援に来たアレフ・ゼロは自分たちに背を向け守り、テロリストにその刃を向けた。

だが、その刃がこちらに向いたら…

 

「ウィンディー?どうしたの…?怖い顔して」

目をつむり想像の世界に溶け込んだ意識がレイラの声に取り戻される。

 

「…私はいつも怖い顔だと言われるよ」

 

「そんなことないよ…ウィンディーが本当に優しい人だって、私は知っているから…」

 

「…ありがとう。…マザーウィルが落とされたらしい」

 

「え!?誰が!?BFFのAFだよね…オッツダルヴァとか?それともジェラルド?」

ランクを上から数えてBFFに敵対するリンクスをあげるレイラ。

 

「いや…先日ランク17になったばかりの奴だ」

 

「うそ…!?そんな人がいるの!?それって…ウィンディーの敵?」

 

「わからん…全員の味方かもしれんし、全員の敵かもしれん。数回しか戦闘を見ていないが…恐ろしく強い黒いネクストに乗っている」

先ほどの想像の続きをほんの少しだけして、肩の力を抜いて背もたれによりかかりつぶやく。

 

「…その人、黒い鳥みたいだね」

 

「黒い鳥…」

それは知っている。昔読んだ本に書いてあったこの世の破滅の象徴とされる神話の世界の存在。

だが神話といいつつもかなりの確率でその実在が確信されている存在でもある。

 

「知らない?私も、どこで誰から聞いたのかは覚えていないんだけど…」

 

「いや、知ってはいるが…なんで人なのに鳥になるんだ?」

 

「うん。この世界の混沌が極まった時にどこからともなく飛んできて全てを0に戻す、死を告げる鳥だって…そう聞いたけど鳥じゃなくても空飛ぶ乗り物だったら中身が人でもありじゃない?」

まるでお伽噺だな、と思いつつも、もしアームズフォートでもネクストでも止められない存在が現れたのならば…それはありえない話ではないと考え寒気がする。

 

「ま…どっちにせよ、そんな悪人なら…私が仕留めるまでさ」

左の手のひらを右拳で叩きながら、不安漂う想像を打ち消すかのように言う。

 

「悪人か…そういう感じでは聞かされなかったよ」

 

「何?」

 

「ノアの箱舟の話とかと同じで、悪い物を全て消してやり直すための存在だって…」

 

「……」

ノアの箱舟。

その半ば伝説的な物語は近年になって本当に存在していたということもわかり、またそれと同時代に人類存続に関わる程の大破壊が起こったことも証明されている。

そしてその全てを洗い流した大洪水は…確かに悪い話のようには語られていない。

むしろ過去の清算、再生の象徴のように語られている。

 

「…ウィンディー」

 

「なんだ?」

黙り込む自分を見てどう思ったのか、レイラが不安げに声をかけてくる。

 

「死んじゃやだよ…ウィンディーは私のたった一つの…繋がりなんだから」

その声に不安は消え勇気が湧いてくる。

そうさ、私に出来るのは悩むことじゃない。戦うことだ。

 

「死なないさ…お前は…私の、その家族みたいな存在なんだからな」

言ってしまうのは少々恥ずかしく、目をどこかへやりながら呟く。

 

「ウィンディー!」

それでもその言葉は何よりも嬉しかったようで椅子に座る自分の元へレイラは飛び込んでくる。

その身体を受け止めながら自分を奮い立たせる。

負けないさ、誰にも、と。

 

 

 

翌日。さらなる情報を集めにカラードへと赴いたところにリリウムを見つけ、

口実半分情報収集半分で声をかける。今日も可愛いったらない。

 

「リリウム」

 

「ウィンディー様、いかがなさいましたか?」

振り返る角度、髪の揺れ方も完璧。下腹のあたりがキュンキュンする。

近くに…よし、あの老人はいない。

 

「昨日の話…詳しく聞きたいのだが」

本来ならば敵対企業のリンクスに情報を与えるなどあり得ないことだろうが、リンクスが企業から少々切り離されている今、

この話は不自然ではない。それに既に漏れている話の詳細を聞くというのは情報収集としても間違っていない。

 

「はい…。VOBで近づかれた後、砲台に集中砲火して内部での火災を起こしたとのことです」

 

「なるほど…それなら火薬をたっぷり積んでいるAFがどうなるかは想像に難くないな」

 

「以前、交戦したホワイトグリントがその情報を持ち帰ったという話なのですが…」

 

「…弱点ではなく当然のこと、だな」

 

「はい」

眉を少々への字に曲げるリリウムは今日、

ガロアの初ミッション成功後の大騒ぎからうって変わって、流れの止まったどぶ川のような雰囲気のBFF本部の雰囲気にあてられてしまい、

いたたまれなくなりカラードへと逃げるように来たのだ。

そんな弱った気配はウィンの心をさらにくすぐり正直もう、たまりません。

 

「まあ、気にするな。企業間の争いなどやってやられて…日常茶飯事なのだからな」

なぜ弱っているのかはよくわからないが、それをチャンスとばかりに行動に出た。

すなわち、リリウムの頭に手を置くことだ。

 

「…はい」

柔らかい髪を触られ健気にほほ笑むリリウムに理性の糸がさらに一本千切れ飛び、もう一歩近寄り抱きしめてやろうとすると…

 

「ウィンディー!ガロアがマザーウィルを落としたってマジか?」

 

「……」

 

「事実ですロイ様」

むすっと黙り込む自分の代わりに応えるリリウム。

いつもいつも良くも悪くも完璧なタイミングで現れてくれやがって。

 

「よう、リリウムちゃん。…ウィンディー、金はいらないって言ったろ」

 

「…ビジネス上、当然の礼儀だ」

 

「…そうかい…」

そういう礼儀を取っ払って話せるようになるのはいつになるのか。ロイは今日も肩を落とす。

 

「ビジネス…ですか?」

突然転換した話題についていけずにあどけない顔で疑問を口にするリリウム。

か、かわいいなぁ。もちろん顔には出さず守秘義務を犯さないように答える。

 

「…近頃あらゆる地域で突然現れるイレギュラーの撃破に私が向かったんだ」

 

「で、その救援に俺が行ったのさ」

 

「そうなのですか…BFFでも度々イレギュラーノーマル部隊の確認が報告されています」

 

「こっちはネクストだったな」

 

「ノーマル部隊も所持してネクストも有するということか…?」

 

「…もしかすると、目的の違う集団がそれぞれ同時期に動いているのかもしれません」

 

「どちらにせよ、注意するに越したことは無いな」

 

「さらに、空中浮遊する自爆兵器の確認もされています。こちらも捕獲することは出来ず全て爆発してしまったので依然として何もわかっていません…」

リリウムが所持する端末から画像を浮かび上がらせる。そこには空中に浮かぶタコのような不気味な黒い機械がいた。

中心に位置する大きな目玉のようなカメラがさらに不気味さを演出している。

 

「…気味悪いな…なんだこりゃ…」

だんだん下心が薄れ情報取集が進んでいくのはロイが出てきてうかつにリリウムに近寄れなくなったからだ。

だが、ロイの感想は正しく、戦場でこんなものに出会ったら気味が悪い以外の感想は出ないだろう。

 

「企業の対応は変わらずか?」

 

「はい、正体も目的も分からないままでは対策も練れず、出現してから撃破という後手後手の形になっています」

 

「……」

すれ違うカラードの職員がこちらに視線を向けるのを隠そうともせずに見てくる。

上位リンクスが集まって話すこと自体が力の無い凡人にとっては不安そのものであり、気にするなという言うほうが無茶だということはリンクス本人にはわからない。

 

「こんなところで話すのもあれだ、どこか行かないか」

 

「はい、ロイ様」

 

「…そうだな」

その視線を受けて思うところあったのか、ロイがそんなことを言いリリウムが賛成する。

リリウムと男が二人きりなど到底許せるはずもなく、自分もそれについていくことにした。

 

そんな心の動きは露知らず、誘いに乗ったウィンにロイは心の中でガッツポーズをしたのであった。

 

 

 

 

「……」

夕焼けに染まり赤暗く染まった部屋でセレンは無言で花に水をやっていた。

土に混ぜ込んだ粒状肥料が水に溶け、じんわりと染み込んでいく。

静かに開いた花弁はいずれ閉じる運命を知ってか知らずか夕日を受けて赤く咲きなおも色艶めく。

色々と調べて多年草であることを知り育て方も調べたセレンは、

最近すっかり手元を離れてしまったガロアにかけていた世話の対象をアルメリアへと移し替えた。

アルメリア自体は強い植物で、実はそこまで気をかけなくても水やりと温度にさえ気をつければ枯れることは無いのだが、

もともと無趣味なのに何かをしていないと落ち着いていられなかったセレンはそれを知ってもなお世話を焼く。

 

熱のこもりそうな部分を選り分けながら、考えるのはやはりガロアの事だ。

四日前、スピリット・オブ・マザーウィルを落としてからガロア自身も、そして周りの評価も変わった。

ガロアが一流のリンクスになっていくこと、それは喜ばしいことなのだがその名前の売れ方は少々不吉な気配を孕んでいる。

危険な依頼をされることは信頼の証とも取れなくはないが、

それは確実に死へと近づくことを意味しておりそしてガロアはそれを知りながら望んでいる節がある。

そしてその強烈な意志はもう世界を巻き込みつつある。

リンクスというのは世界を左右する少数の力であり、国家解体戦争以来その認識を変えんと企業はなりふり構わずに行動をしてきた。

それすらを振り切りその力を手にしようとする。

わかっている。そうしなければ追いつけない所に目標があるということは。

 

だが。

 

(勝っても負けてもこのままでは空っぽになってしまうだろう…ガロア…)

冷静に見えるあの顔の下には灼熱の意志が渦巻いている。残るのは灰か死体か。

 

「ねぇ?」

傾いていく日の中で手入れを終えた花をただじっと見つめていると突然後ろから声をかけられ反射的に拳銃を抜き振り返る。

 

「誰だ!?」

 

「ちょ、ちょっと待って。私よ」

 

「なんだ…なぜ突然入ってきた」

ホールドアップをするメイの姿を確認したセレンは拳銃をしまう。

 

「さっきからノックもコールもしていたわ。鍵が開いていたから…」

 

「そうだったのか…すまんな」

 

「こちらこそ勝手に入ってごめんなさいね」

リッチランドの依頼以降、なんだかんだ銭湯やそれ以外の場所でもよく会う二人は次第に用事がなくても口をきくようになっており、

それはセレンにとって初めての友人と呼べる存在となっていた。

友人であると特別な意識はしていないが友人というものはそういうものである。

 

「何か用か?」

床に散らばる雑多な荷物を蹴飛ばしメイが座るスペースを作った。

 

 

 

「用がなきゃ来ちゃだめ?」

 

「いや、そういうわけじゃ…」

メイがわざとすねるように言った言葉にセレンはメイの想像以上の動揺を見せる。

手を口にあてクスリと笑いながらメイは手に持っていた袋を渡した。

 

「冗談よ。これ、おみやげ。まだ温かいから食べて」

 

「これは…」

先ほどから甘いにおいがしていたので何かしらを持ってきていることには気づいていたが、なんとホットケーキだ。

しかしそれは偶然ではなく、交わした会話の中で好物が甘い物そして何よりもホットケーキということを知って美味いと評判の店まで買いに行ったのだ。

 

「ありがとう、これは嬉しいな。いただきます」

ベッドに腰掛け中に入っていたプラスチックのフォークで食べ始める。

すでに日は沈んでいたが部屋は月とクレイドルの明かりでほんのり明るい。

 

「どう?」

 

「んー…うん、まぁまぁかな…」

自分も食べたがまあまあどころではなく、本来ならばかなり美味しい部類に入るはずの味だ。となれば…

 

「ガロア君の作った物の方が美味しいって?」

 

「そうだな」

もぐもぐと何の考えもなく質問に素直に答えるセレン。

わざわざ買ってきてもらったお土産に対しその態度や答えは失礼とも言えるが、

そんな飾らない態度を出すセレンの性格をメイは気に入っている。

人を観察し、その性格を見抜き、損得を決め人と関わってきたメイはセレンの性格をよく把握していた。

かなり喜怒哀楽も激しく、礼儀も知らない。だがその言葉は本心を嘘や飾りで煙に巻くことも無い。

常に緊張を持って人と付き合うメイにとってその性格はとてもとっつきやすいものであり、また彼女のそんな性格を気に入っていた。

 

「その、ガロア君なんだけど…」

 

「…なんだ?」

三口で食べ終わり、袋と箱をゴミ箱に入れて変化した雰囲気を察知し話を聞く姿勢を見せる。

 

「あなたたち何かしたの?GAの雰囲気がおかしいわ…特に上層部がぴりぴりしている」

 

「……」

思い当たる節は二つある。

一つはGA陣営のBFFのアームズフォート、マザーウィル撃破のことだろう。

そしてもう一つは…やはり空に浮かぶ自律兵器のことだろうか。

 

「マザーウィルを落としたからじゃないのか」

 

「そうじゃ無いとは言い切れないけど…だったら先にウィン・D・ファンションに恨みが向くはずだもの。それに企業にとって兵器を落とした落とされたなんていつものことよ。

たったそれだけでそうなるはずがない…と思う」

 

「……そうか」

空に雲がかかったのか、部屋に差し込む光が急に薄れ、セレンの顔が見えなくなる。

 

「どうも上層部の意志が下の者たちへ伝播しているような感じなの。あなたたちは…何をしたの?」

 

「……」

 

「とにかく、GAからの依頼は気を付けて。…いつ死ぬか分からない職業でも、理不尽に死ぬなんて…嫌でしょう?」

 

「…ああ…ありがとう」

口では礼を述べているが、窓から差し込む光はセレンの唇をぼんやりと浮かび上がらせているのみであり、その真意は読めない。

 

「…さてと、私はもう行く。あなたたちみたいなコンビって結構好きよ。だからいきなり死んだりしないで」

床から立ち上がり出口へと向かいながら、平素ならば滅多に口にしない本音を口にする。

きっと誰にも話せない何か重大な事をしてしまったのだろう。自分の勘はそう述べる。

だがそれを口にすることはついになかった。




ウィン・Dの身長174cmに対してリリウムは155cmです。たまらん身長差ですね。


この世界ではキリストの復活だとかと同じレベルで黒い鳥という伝説が根付いています。
詳しく知っている者、いない者の差はあれど、共通してそれが現れた時、世界に大破壊が起きると信じられています。

歴史的観点で言っても今この文明以前にも何度か文明が存在し、その都度大破壊が起きているのではないかとまことしやかに語られていますが、確たる証拠が出てこないといった感じです。

SFなので言う必要もないと思いますが、現実の私達と似たような歴史を歩みながらも全く違う世界とお考え下さい。

あえて言うなら、今から数千年先の世界でまた同じような歴史を繰り返しており、その間に文明が滅びる程の大破壊が何度か起きている(ただしその確たる証拠が見つかってない)世界と考えるといいかもしれませんが、それはオリジナルルートまであまり関係ないので忘れても大丈夫です。


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カブラカン撃破

「作戦を説明する。雇主はいつものGA。目標は、アルゼブラの突撃型輸送AF…カブラカンだ」

説明を始めたジョージは以前のように飄々としてはおらずその表情は厳しい。

そして相対するセレンはさらに厳しい表情をしており、ガロアだけは何も感じていないかのようにその言葉を聞く。

 

「カブラカンは、ぶ厚い装甲でおおわれた、走る鉄塊だ。ネクスト級の火力であってもまったく歯が立たない。それ故に、これまでGAの頭痛の種だったわけだ」

カブラカン。その辺の量産型AFと違い、間違いなく地上最強に数えられるAFの一つだ。

マザーウィルを撃破されたときてカブラカンを落とせ。

それは経済戦争の面で見れば当然とも言えるが。

 

「カブラカンの弱点は、機体下部スカート内のキャタピラらしい。そこを壊せば、めでたく機能停止、作戦完了というわけだ」

 

「だがそれは…」

セレンが物申そうとするとジョージはさらに被せて言う。

 

「ああ。わかっている。車両なんだから足を壊せば動かなくなるよな。ガキでもわかる。…弱点でもなんでもない。当たり前のことだ。

正直、GAの連中も確証がないんだろう。最悪、体の好い当て馬になってしまうかもしれない」

そんな依頼をなぜランク17のリンクスに?マザーウィルを落としたから、というのはわかりますが素直にローディーに依頼すべきでは?

ジョージの当たり前の疑問は全て突っぱねられ、さらに。

 

「その上、これか」

 

「ああ…こんな依頼を持ち込んで済まない。GAのお偉いさんが何を考えているかさっぱりわからん」

持ち込まれた書類には

『依頼受諾されない場合はカラードの登録を除外する』

と書いてあった。

受けなかったらリンクスやめさせてやる!なんて子供のようなGAの理論は本来ならば通じるはずもなく、そんなことは誰だって分かっている。

だが、それを堂々と書くのはそうできる理由があるからだろう。

ジョージには分からないが、それが通ってしまう理由をガロアもセレンも分かっていた。

 

「しかも、僚機は認められないとのことだ。見返りは莫大だが…正直に言う。半ば命を捨てるようなもんだ」

 

「……」

 

「ガロア…」

引き返せ、受けるな。ジョージはそう言ってくれている。

それは人の心の機微を読むのが苦手なセレンにもよくわかった。

 

だが。

この道失くして目的を遂げる術なし。

それを知るガロアはただ不退転の意志を目に契約書にサインをした。

その顔はたかだか17の子供がする顔とは到底思えない。命が惜しくないのか、とはこの場ではセレンは言えなかったがやめて帰ろうと本当は言いたい。

 

「…やるのか。お前はいずれランク1にもなれる器だ。こんなところで死ぬんじゃねえぞ。お前に依頼を持ち込んだことがあるって自慢したいからよ」

 

「……」

精一杯ひょうひょうとした態度をとるジョージと不安を浮かべながら自分に目を向けるセレンにガロアはただ態度で示した。

口を出すなと。

 

 

 

 

 

『ミッション開始!AFカブラカンを撃破する』

 

「……」

超高度から着陸し目の前で砂煙をあげながらあらゆるものをなぎ倒し進む朱色の鉄塊に目をやる。

不退転の意志は変わらず、その意志を示すかのようにヘッドの赤いスタビライザーを左手の甲でなぞったあと手を勢いよく振り下ろしブレードを起動する。

勢いから起こる風に砂は巻き上がりブレードは地を焦がす。それら一連の行動ですら、粗製のリンクスには難しい。

破壊の意志は十分にカブラカンの乗組員にも伝わった。

 

 

 

「ランク17、アレフ・ゼロです!」

 

「ふん。適当にミサイルでも撒いておけ」

カブラカン艦長の言葉はいい加減に聞こえるが、

この状態のカブラカンには巨大な掘削機といくらかのスラッグガンとミサイルしか攻撃手段がないため彼に限らず誰が指揮をとってもそうなってしまう。

それに接敵されたとてネクスト程度の火力ではどうにもならないのだから。

 

 

 

「……」

ミサイルをいなし、砂に起動したままのブレードの跡をつけながら接近する。

敵の焦りはまだ見えない。

 

「…?」

今、キャタピラを覆い隠すスカートの一部が上がったように見えた?

砂煙に紛れよくはわからなかったが、その内側まで見えたような気もする。

その謎の現象を前に動きを止め原因を探っているとセレンの声が響く。

 

『ガロア、私にも見えた。調べたところそのあたりにはリンクス戦争時に仕込まれたままの強力な地雷が埋まっている。浮いていれば当たらん。もう意味は分かるな』

その声には出撃前まで見せていた不安は混じっておらずセレンはセレンなりにできることをやろうとしているようだった。

 

「……」

スラッグガンを避けながら地面を観察する。

砂とほぼ同化し見にくいものの、いくつもの黒い兵器が埋まっているのがわかる。

…次にカブラカンが踏む地雷は…

 

 

 

「何事だ!?」

警報が鳴り響いたカブラカンの内部で艦長は声を荒げる。

 

「地雷です!」

 

「地雷程度でカブラカンが揺らぐか!」

 

「違います!地雷の衝撃に紛れて内部に侵入されました!!」

 

「なんだと…ぐぁっ!!」

想定されていない停止行動により起きる衝撃により椅子から転げ落ちる艦長。片方のキャタピラだけを破壊されたカブラカンは最早まともに進行することはままならない。

 

 

 

 

「……」

 

『カブラカン、停止。地雷というイレギュラーがあったとはいえ、あまりにもあっけない…』

その言葉通り、ジョージの警告からは想像もできない程あまりにもあっけなく地上最強の一角は停止した。

 

「……」

内部から脱出しようとスカートにブレードを突き立てるがギギギギギッ!!という音を立てて焦がしただけでびくともしない。

なるほど、これは地雷がなかったら実に破壊に難儀したに違いない。

肩甲骨の辺りに意識をやり一気に息を吐く。

その両肩からロケットとグレネードが放たれスカートがわずかに浮かぶ。

少々みっともないが地面を転がるように外に出ると砂漠の太陽が強くアレフ・ゼロの黒い機体を照らした。

 

『避けろ!!』

突然の光に目を細めていたところ響くセレンの声。

さらに前に飛び込み回転して振り向くと自分の機体が今あったところに巨大な鉄の塊が降ってきていた。

 

「…!?」

これはカブラカンの側面が剥がれたのか。

反撃にしてはお粗末すぎるとカブラカンに目をやると、まるで蜂の巣から巣を守らんと兵隊蜂が出るかの如く大量の自律兵器が飛び出てきた。

 

『自律兵器だと?何て数だ…これを全て撃破しろと言うのか… 』

依頼はカブラカンを戦闘不能に追い込むこと。つまりこれらすべてを撃破しなければ作戦成功にはならない。

その数はネクスト一機の撃破に用いるにはあまりにも多すぎる。

カブラカンはそもそもその頑強な本体で敵の攻撃を全て受け切りながら敵の基地をなぎ倒し、

破壊できなかった細かい敵を運んできた自律兵器なりノーマルなりで殲滅していくというスタイルのアームズフォートである。

今回は大量の自律兵器を輸送中だったが、襲撃の憂き目にあい解放したのであった。

 

「……」

あの時と同じ、幾多もの独立した殺意が自分に向けられる。

カブラカンの上空に飛び上がる。

ガロアの虹彩、角膜、瞳孔とその境目が異様にはっきりと縁取られて同心円状となっている眼。

右、左と振り返りその眼の縁、境目を全ての自律兵器が通過した時には数え終わっていた。

その数320。

 

「……」

武器を構える。弾はほとんど残っているがこれは足りないかもしれない、そう思案した瞬間、自律兵器からスラッグガンが放たれ始めた。

 

「…!」

マシンガンで一つ一つを撃ち落としながら観察する。

掠める弾が薄皮を切られるような痛みが断続的に襲うが直撃はしていない。

数と場所を把握している以上、一斉に撃たれない限りは直撃は無い。

 

「……」

こいつらは同士討ちを避ける為に機体を挟んで逆にある兵器同士が同時に撃つことは無い。

ならばそれに注意していれば…

 

『リンクス!聞こえるか!こちらGA社、AF部隊だ。現在、そちらに向かっている!今しばらく持ちこたえてくれ 』

さらなる集中力を持って周りを飛ぶ殺意を潰さんとした時ありえないと思っていた情報が聴きなれない声と共に耳に飛び込んできた。

 

『援軍…?なぜだ?!』

その通信を共に聞いていたセレンもただ疑問符を浮かべるしか出来なかった。

 

 

 

 

「望遠カメラで確認できました!カブラカン、完全に停止しています!」

 

「よーし、やはりあのリンクスは本物だったな!」

映像に映し出される動かないカブラカンを見てランドクラブの艦長は笑う。

先日のマザーウィル撃破からすぐにカブラカン撃破に向かうリンクスの尻の軽さには驚くものの、ここで助けに入るのは悪くない。

あの仲介人、ジョージからの情報は正しかった。この地域を巡回する自分たちに突然寄せられた情報。

カブラカンが通る。それをアレフ・ゼロが撃破に向かった。その後何をしてくるかわからんから助けてやってくれないか、と。

 

「あと10秒で長距離砲射程圏内に入ります!」

 

「たっぷり恩を売ってやるぞ!この際GA専属にさせてしまえ!」

 

「通信です!」

 

「よーし、撃てえええ!…え?通信?」

きっかり十秒を数えもう動けない敵に対しての砲撃を気持ちよく宣言した艦長は拍子抜けする。

ここに直接通信できるのはGAでも一部の者だけのはずだが…

 

『ゴールドマンだ。そちらはランドクラブの責任者か?』

 

「ゴールドマン社長…!?っ、はっ!こちらランドクラブ艦長を任されております、エトムント・H・アンゲラーであります!!」

ゴールドマン・A・スミス。グローバルアーマメンツ社、つまりGA社の元最高権力、現相談役であり、

国家解体以前に立ち上げたGA社をアメリカ最大規模の会社にした稀代の天才張本人である。

今はクレイドルで暮らしており、普段は直接命令を下すなんてことはもうないはずの人物である。

ちなみにミドルネームのAはアメリカという意味であり、国家崩壊以降、国という概念が消えた今、元々の出身国を名前の間に入れる人間は多い。

それを縮め今ではAとなっている。ちなみにUSAからUと入れる者もいる。

ランドクラブの艦長のHは出身国のオランダからとっている。

 

『ランドクラブにそちらに行く指示は出ていないだろう。重大な反逆行為とみなされるぞ』

 

「…!?しかし、今目の前にアルゼブラ社のカブラカンが停止しているのですよ!?大チャンスではありませんか!?」

 

『そのような命令は出ていない。独断行為を働いた者たちがどうなったか、リンクス戦争にも参加していたお前ならわからんはずあるまい』

 

「…はっ」

エトムントは先じてのリンクス戦争でGAの子会社であったGAヨーロッパに所属しており、

またその反乱の動向を事細かにGAに横流ししていたスパイでもあった。

オランダ出身の彼が今GAアメリカでランドクラブの艦長という立派な職に就いているのはその功績によるものに他ならず、

そして裏切り者の末路も誰よりも傍で見てきた。

 

『以上だ。手を出すなよ』

 

「……」

一方的に通信は切られる。上からの通信の場合はこちらからは繋げることもかなわない。

 

「GAの為にやったつもりが…どうなっている…」

 

「艦長?」

呆然自失として自信を失う自分達の上官に乗組員は不安げに声を上げる。

 

「なんでもない…攻撃は中止だ。オープン回線をつなげろ」

 

「…?わかりました」

 

「…あー、聞こえるか」

意味が分からないという顔をする部下の気持ちを全て理解しながらマイクに声をかける。

 

「トラブルだ。AF部隊は行軍を停止した。すまんが、支援は難しい。そちらで何とかしてくれ。高い金を払っているんだ。できるんだろう?リンクス 」

極めて感情を出さずに述べる。

向こうにも言いたいことは多々あるだろうがそれはこちらとて同じ。

そもそもこの援軍は予定されていたものではなかったはずだ。ゴールドマンの言う通り。

 

「……」

苦々しい顔をして腕を後ろで組み、画面上で乱舞しながら確実に一機一機潰していくアレフ・ゼロを見てエトムントは思う。

自分が忠誠を誓ったGAの本質とはいったい何なのかと。

 

 

 

 

「……」

絡みつく死ごと断ち切らんとその左腕を振るいまた一機両断する。

さらに後ろに陣取った自律兵器を振り返りざま撃ち抜く。

目まぐるしく回転する景色にもはや線となって映る自律兵器はその数をあと2つまで減らしていた。

 

『よし、ガロア!もう少しだ!気を抜くな…』

 

「!」

とうとうマシンガンの弾も切れた。1000発以上の容量があるマシンガンを撃ち尽くすのはこれが初めてだった。

既にロケット、グレネードはその役目を果たしてしまいただの重りと化したのでパージをしている。

一騎当千の兵器と言われつつも実は圧倒的な数の暴力には弱いのかもしれない。

 

「…!」

小一時間は続いた戦闘に汗も流れる。

右手に持ったマシンガンを思い切り投げつけ自律兵器に当てる。

落ちはしなかったがどこかの回路が狂ったのか一面に弾を巻き散らかす。

それに巻き込まれアレフ・ゼロの背後にいたもう一機の自律兵器は哀れ地面へと落ちていった。

もし人が乗っていたら死んでも死にきれなかっただろう。

 

「……」

さらに飛び上がり上から一刀両断。

とうとう320機すべての自律兵器を破壊し終えた。

そのまま着陸すると辺りは鉄くずの海と化しており、

その戦闘の凄まじさとアレフ・ゼロの底知れぬ戦力を物語っている。

 

「……」

流石に疲れた。

自分自身はコックピットにずっと座っているものの、意識を落ち着け膝を立てて座るイメージがそのまま機体に反映され空手の右手と右膝が地面につく。

うわんうわんと頭の中で鈍い音が響いており、今はまだ長い間集中していた副作用は消えそうにもなかった。

 

 

 

「自律兵器の全滅を確認。ミッション完了だ。まさか、援軍なしでやるとはな。最高だ…お前は…よくここまで育った」

空中カメラから映し出される鉄くずの戦場にただ一機ほぼ無傷のままそこにいるアレフ・ゼロ。

弾薬はすべて使い果たしたものの修理費は恐らく微々たるものであるだろうし、弾薬費も今回の報酬から考えればどうということは無い。

そしてセレンは確信をする。あの兵器を見てから変わった世界。もうこれで終わり?とんでもない。

こいつは、ガロアは企業の黒い思惑なんかに潰されるようなタマではないと。

不安を抱えていた自分というものが消えていき自信が湧き目に力が宿る。

 

(まだまだ、これからもこいつをサポートしていかなくてはな)

帰還命令を飛ばしたセレンはヘッドセットを外し髪をかき上げながら暗くも砂漠を映すモニターの光で明るい部屋の中で息を吐き静かに笑った。

 

 

 

 

「アレフ・ゼロ、全ての自律兵器を落としました…」

 

「一体、あいつは…」

このやりとりは奇しくもランドクラブとカブラカン内部で全く同じタイミングで行われた会話である。

巨大な夕日に向かい飛び去るアレフ・ゼロが丁度重なり影となり、太陽が悪魔の笑みのようになるのを見て敵も味方もただただ戦慄した。

 

既に世界を巻き込む戦争の種は萌芽していた。

 

 

 

ある回線で、今回のカブラカン撃破を受けて談合が行われていた。

 

「カブラカンをおとすか。どうして、なかなかいるものだな」

しゃがれた声から察するにそれなりの年齢に達していそうなものだが、その語り口は若々しく軽妙で話し方だけで年齢を察するのは心もとない。

 

「テルミドールの言葉通りならばむしろあの自律兵器の山の相手は得手なのだろう」

静かな知性を湛えた声で話す男はまだ若者と呼べる年齢であろうか。

だがその声が意味する内容は若者が話すものとしてはあまりに含蓄がありすぎる。

 

「で、どうするのだったかな」

 

「これで企業も理解したはずだ…最早自分達の手に負える存在ではなくなってしまったとな」

 

「リンクス戦争の二人の英雄のようにか?メルツェル」

談合の中には女性もいたようだ。

そしてその声は先日インテリオルの施設を襲撃した白いネクストの搭乗者と同じものであった。

 

「そうだ。手に負えないとなれば全力で殺しにかかる。手綱を握れないリンクスなど弱者にとっては不安でしかないのだよ。

もうあのリンクスの相手を出来るのはホワイトグリントくらいなものだろう。どちらが撃破されても企業の得になるという意味ではな」

 

かつてのリンクス戦争にはそれぞれ一つの企業を壊滅させた男が二人いた。

その力は企業の理解が及ぶよりも早く企業の作った世界の一部を破壊した。

このままでは自分達も崩壊する。そう考えた企業はその二人の男をつぶし合わさせた。

どちらにも死んでもらうために。

今、企業にとってのその悪夢が再現されつつあった。

すなわち、凶悪な力を持った独立傭兵である。

もし誰も勝てないのであれば、雇った時点でその企業の勝利が決定となる。

それは価値の急速な上昇を意味し、雇うには莫大な資金がかかり、雇わなければ自社は崩壊する。

そのようなバランスブレイカーは経済成長の糧となる戦争には求められていない。

 

「ほうほう…つまりホワイトグリントとぶつかるとな?彼の当初の目的通りに」

 

「ああ。恐らくな。そこで勝利をすれば、あのリンクスは目的を達成し同時にその力の向ける先も失う。だからこそ首輪を外すのだ。もう準備は終えている」

 

「ハリのように、か?それもいいがな、メルツェル」

 

「案ずるなよ、ジュリアス。間も無く、マクシミリアン・テルミドールは我々に戻る。…それで準備は終わりだ」

 

 

 

 

 

「よう、おっさん」

 

「…ロイか」

カラード管理街の外れにある味のあるバーでローディーが一人で苦い酒を飲んでいるとロイがやってきた。

二人とも自分自身のネクストを収める場所を持つ身だが、このバーが気に入っておりよく来る。

というのも…

 

「丁度いいタイミングで来たな。始まるぞ」

 

「お、ラッキーだな」

カウンター席に座るローディーの隣でロイはとりあえずビールを頼み、二人は同じ方向を向く。

暗い店内の最奥にあるほんの少しの段差の上は柔らかい灯りに照らされ数人の男が楽器を持ち演奏を開始する。

夜明けの太陽を連想させる静かなシンセサイザーの音から入り、ディレイのかかった綺麗なアルペジオが響きミスマッチなはずのハスキーボイスが全体をまとめ上げる。

その曲は今から数百年前に作られ、特に国家解体戦争以降誰もが生きるために戦う時代になってから演奏する者がとんといなくなってしまったバンドミュージックというものだった。

今世界で耳にする音楽というのは企業の勧める半プロパガンダ的な商業音楽であり、音そのものよりも内容や演奏する人物が売られる時代である。

 

「これは?」

ロイは曲の邪魔にならないように静かにローディーに尋ねる。

 

「…通りの名前がない場所という曲だ」

 

「すげぇ…」

自由の名の元に建前を失った資本主義が世界を支配し今日を生きて明日を買うこの時代では偉大な先人の思いの籠った歌を歌う者などほとんどおらず、

ましてや同じ思いを持ったものが集まってその曲を演奏するなどということはまずない。

強大な力は、一つ一つの微弱な物が持つ人を揺り動かす力というものをもう長いこと人々から忘れさせている。

ロイとローディー、年も生まれも育ちも全く違う二人はどういう理由からかその古き時代の人の心を動かした音楽というものを愛しており、

同好の士としていつからか交流するようになったのだ。このバーはその二人の出会いの場所であり、古い音楽というものを時代に逆らい演奏し続ける気骨の塊の店でもある。

オフの日はここで演奏される曲を聴き、知っている曲ならばその生の迫力に感動を覚え、知らない曲ならば新たな出会いに感謝する。

どんな時代でも愛好する者がいればそれは途絶えることは無いのだろう。

 

いくつかの曲の演奏を終え段差の上を照らす光はゆっくりと消え代わりに店の中がほんのり明るくなる。

 

「いやー、よかった」

 

「素晴らしいものだな」

店の中にパラパラといる人々と同じくロイとローディーも惜しみない拍手を送る。

認める人は少なくとも、本当にその文化を愛する人がいればきっとまた続いていく。

 

「マスター、オールドプルトニーを」

 

「……」

髪をオールバックにした寡黙なマスターに酒を追加注文し、ローディーに声をかける。

 

「おっさん、マザーウィルがガロアの野郎に落とされたって本当か?」

 

「ああ」

 

「マジかよ…」

 

「カブラカンも落としたそうだ」

 

「っ、カブラカンってあのアルゼブラの化け物か?」

 

「そうだ」

 

「んな、ばかな…あれをどうやって…」

ロイがまだインテリオル寄りでもなく、普通に独立傭兵であった頃にこのローディーと一緒に襲撃をしたことがある。

GAの施設をなぎ倒しながら進む鉄の化け物に全ての弾を当ててもなお全くびくともせず、二人で弾切れとなりやむを得ず撤退したのだ。

 

「ブレードに弱かったとか?いや、ありえねえな。そんな弱点があるなら真っ先に改善するはずだ」

 

「スカートの中にもぐりこみキャタピラを破壊した」

 

「……そりゃあ理論上は可能なのかもしれないけどよ…」

そんなもの弱点とは言えない、と誰もが思うことをロイも思う。

 

「それだけじゃない。カブラカンは艦内に実に320機もの自律兵器を搭載していた。それを全て、しかもほぼ無傷で撃破してのけた」

 

「…おっさん、なんでそんなことを知ってるんだ?」

その情報にも驚いたが、何故そこまで詳しく知っているのかが気になり酒を一気にあおった後に話を聞く。

 

「なに、GAに古い友人がいてな…そいつから映像が送られてきたんだ」

 

「どこかで撮っていたってことか?」

 

「いや、アームズフォートで援護に向かったところで足止めを食らって見ているしかできなかったらしい」

 

「…それで、どうだった」

ロイの表情がちゃらんぽらんな酒飲みの顔から傭兵の顔へと変わっていく。

聞き出せる情報はここで聞き出しておくに越したことは無い。

 

「信じられなかった…まるで舞踏家だ。ひらりひらりと舞っては敵を斬り撃ち…」

それを語るローディーの顔は淡々としているが、ロイにはそこに僅かに混じる感情が読み取れる。

 

「……」

 

「私は粗製と呼ばれ…それでも腕を磨き自分を鍛え上げてきた…それが自分の誇りでもあった…だが、だがそれでも上に行くには足りず、いろいろ汚いこともやってきた」

 

「…おっさん…」

 

「さっきの古い友人もそうだ。この激動の時代に汚れず自分を殺さずにのし上がっていくことなど出来なかったのさ。

人も自分も殺し周りを壊していくうちに自分が何をしたいのかなんて忘れてしまったよ」

小さめのコップに注がれた苦い酒を口に入れる。

昔は一口飲んだだけでも体が震え頭に耐えがたい衝撃がきたものだがそれもいつの間にか普通に呑み込めるようになってしまった。

 

「……」

ロイには何も言えない。

ロイだって、かろうじて自分の守りたいものを守れてはいるもののその手は幼き日とは比べられない程に汚れてしまっている。

 

「ただの傭兵。そういう風にはもう生きられん時代だと思ったさ。だが…それは違った。圧倒的な力…それが全てを押しのけ育っていくのを私は同じ時代で見てきたのだ」

 

「アナトリアの…傭兵か」

 

「そうだ。あの少年もそれと同じ刹那的な何かを持った生き方をしている。何十年かに一人ぐらい、ああいうのが出てくる。そして人はそれから目を離すことが出来ない…灼かれることを知っていても、弱い生き物は光から目を離して生きることは出来んのだ。…私と同じ時代を生きたリンクスはほとんど奴に再起不能にされてしまった」

 

「……」

 

「今の私は結局自分を中途半端に生かし続けた酔っぱらいの老兵に過ぎん…ロイ、お前はまだ若い。いずれ壁に当たるだろう。辛い選択をしなければならない日も来る。

だがそこで…自分自身の声を聞こえないふりをし続けると…本当に聞こえなくなってしまう」

 

「……ああ」

ロイが返事をするよりも早くローディーは席を立ち、大目に金を払い店を出てしまった。

普段であればまだまだ飲むはずなのだが話しているうちに思うところが溢れてきてしまい、先にいっぱいになってしまったのだろう。どこかが。

 

「……」

年寄りが酒飲むと説教臭くなるからいやだぜ!と普段なら軽口で返し、ローディーはそれに笑いつつもなおも説教染みたことを続ける。

それが二人の酒と音楽で作られる会話だった。だが今日のそれは、説教というよりはまるで慙愧の念が音を得たかのようだった。

 

「…ぎりぎりだけどよ…守りたい物は守れている…それでいいじゃねえか…」

さらに酒を注ぎ飲み込むロイ。

彼はまだ気が付かない。いずれしなければならない選択の日がじわりじわりと迫っていることを。

 

 

 

 

 

 

 

「おねーさん、ジャンボステーキのBセットお願い。コーンスープで」

 

「ぶっ…かしこまりました」

呼ばれて振り返るとそこにはありえないファッションセンスをした青年が一人で座っており注文を述べてきた。

きっと友達いないんだろうな…なんてことは吹き出しはしたもののセリフにはせずに了解の旨だけ告げる。

 

「…ああ~…」

ガロアの奴、ランクも17になってマザーウィルも落とした。

オーメルグループは必死に否定しているけどカブラカンを落としたってのもマジなんだろうな。

俺が想像する完璧な俺より強えよ、うん。

で、俺は?未だにランクは28のままAFには尻尾を巻いて逃げてる…か。

 

「ヒーローの道も楽じゃねえな…」

それでもやれることを一個一個やってくしかねえ。

沈んだ心に蹴りを入れ奮い立たせていると見慣れた顔が入ってきた。

 

「お前も飯か?カニス」

 

「まあな…ヒーローの道ってなんだ?」

 

「聞こえてたのか。そりゃあ巨大な悪に立ち向かう道さ」

 

「…ガロアの事か?」

サングラスに隠れてカニスの眼は見えないが、ズバリと言い当てられて視線から逃げるように眼を背ける。

 

「そうだよ!あいつは俺より強い!でも負けてられねえ!俺には夢がある。だから落ち込んで進まなくなるよりも、小さくても一歩一歩踏み出していかなけれりゃならねえ」

 

「…なあダン」

 

「あん?」

 

「俺はお前の事、変な奴だと思ってるよ。だけど友達だとも思ってる」

 

「な、お前、ばっかやろ…俺だって…そう思ってるさ」

思ってはいても中々口には出来ないような事をカニスが口にしてきてダンは焦りながらも言葉を返す。

 

「…ガロアの事は見るな。あいつは俺たちとは違う世界の生き物だ。普通の魚は深海魚と同じ世界では生きられないんだよ」

 

「…カニス?」

言葉では疑問を打ち出しながらもダンは知っていた。

この男、カニスは実はランクとは不釣り合いなほど強い。

そして大言壮語に違わずミッションの成功率も高い。

だがそれはランク相応の依頼に対して不釣合いな強さを持っているが故である。

そしてそのことをカニスは分かっている。

ランクで真ん中より上にも行けるだろう。

だがそのランクに来て舞い込んでくる依頼では死ぬ確率も高くなる。

だからその辺りのランクに落ち着いているのだ。

そう、早い話が…カニスは見た目からは考えられない程の現実主義者だったのだ。

 

「あいつの事を追っかけてったり…一緒のミッションに出たりしたら…その内死んじまうぞ」

 

「…だからってただ眺めてぶつぶつ言ってりゃいいってのかよ」

 

「違う!自分のいる世界で出来ることをやれってんだ!」

カニスなりの思いやりなのだろう言葉を机を叩きながら吐き出してくる。

だが、その言葉はダンを癒すことは無くただ傷つける。

 

「今いる世界で出来る事だけをやっていたらいつまでたっても出来ることが広がらねえじゃねえか!」

 

「広がったからって何だってんだ!お前がどんなに速く走れるようになっても空飛ぶ鳥には追いつけねえ!違うか!」

 

「……」

 

「もうリンクスなんてのはほとんどが使い捨ての時代なんだよ…わかれよ、ダン。あのガロアにしてもだ。空高く飛んで…太陽に焼かれて落ちるんだ。このままいけばあいつは絶対にろくな死に方はしない」

 

「…何が言いたいんだカニス」

 

「もっと自分を知れ…賢くならなきゃ辛いことばかりだ」

サングラスに隠れたその眼がどんな感情を浮かべているか。

もう想像に難くない。

きっとこいつは頭がいいんだろう。

だから自分をわざと愚かに見せて、それでいて出来ることを器用にやって満足してきたんだ。

自分は賢い、お前らはそれを見抜けない、だから俺は生き残っているって。

 

「…お前の言ってることは正しいよ、カニス」

 

「ダン?」

正しいと認めたにしては語調が少々おかしいことに違和感を覚えるカニス。

 

「このままだと俺はいずれみじめに死んじまうんだろうな」

 

「そうだ、だから…」

 

「でも俺にとっては目標に向かえないで生きていくことの方がみじめだ」

 

「…ダン、わかったよ俺は。…お前と俺は根本的に考え方が違う」

 

「ああ、だから」

 

「仲良くなれたんだろうな」

決別の色は目に見えないが存在する物なのだろう。

今ここにある空気の色がきっとそれだ。

 

「…お前とは戦いたくないぜ」

 

「ダン、わかってるんだろう…俺とお前がやりあったらどっちが勝つかは」

 

「……」

戦場で向かい合ったら放たれるのであろう殺気がダンにぶつけられる。

カラードに来て初めて話して友になったのがこのカニスだった。だが現実はどちらも傭兵なのだ。いつかはどこかで殺し合うこともあるのかもしれない。

 

「お待たせしました~。そちらのお客様ご注文は?」

 

「いや、すいません。ちょっと忘れ物取りに来ただけなんで」

ステーキセットを運んできた店員に頭を下げカニスは行ってしまう。

 

暫くするとメールが入ってきた。

 

『この世界で命をかける価値のあるものなんてない』

 

それがカニスの世界観なのだろう。

 

「……カニス…」

敵対企業同士の主力の喪失。

そこから考えられる戦争の激化。

そして繰り出されるリンクス達。

カニスは察したのだろう。

自分が必ずクリアできる依頼をこなしていくのならば、

これからダンと当たる可能性があることを。

そのことを警告しに来てくれたのだ。

 

「……じゃあな、カニス…」

ほかほかのステーキの前でふざけた格好の男がぶつぶつ言っている姿は不審者以外の何物でもない。

青年の繊細な心の傷を気づくものは誰もいなかった。

 

 

カラードに所属する傭兵たちは誰もが一度は考えたことがあった。

同じ街で過ごして同じ食事を食べて会話した者達が殺し合うというのはどういうことなのだろう、と。

企業は自分達をどんな風に見ているのだろうかと。




ガロアはろくな死にかたをしない、とカニスは言いきっちゃってますね。

メイとカニスは同じタイプの賢い人間ですが、二人が二人ともガロアに危うさを感じています。

それが正しいかどうか分かるのはまだ先の話。


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PA-N51襲撃

「よお、生きていてくれてうれしいぜ」

 

「……」

 

「また変な依頼か?」

GAから再び依頼が舞い込みその依頼説明はやはりジョージであった。

その言葉は本心なのかは重要ではないが少なくとも前のように顔色は悪くない。

 

「前ほどではないな。オペレーターさん、なんか吹っ切れたか?」

 

「……」

 

「ああ…こいつならどんな依頼も降りかかる火の粉にも負けはしないさ。私にできるのは信じることだけだ」

 

「ほー…そりゃいい…。じゃあ作戦を説明するぜ。雇主はいつものGA。目標は、PA-N51の新資源プラントだ」

何をいいと思ったのかまでは言わずにニヤリとするジョージ。だがそんなやり取りを聞きながらガロアは心底どうでもよさそうな顔をしていた。

 

「アルゼブラか」

 

「そうだ。防衛部隊を排除し、プラントを破壊する。ごく単純な作戦だが、1つだけ条件がある。「作戦時間を限定したい」とのことだ」

 

「何故だ?」

 

「……」

 

「この地域にはおっかない番犬がいる。ランク14、イルビス・オーンスタインの駆るネクスト・マロースだ」

 

「ランク14程度なら…」

ランク14ともなれば中堅より上のリンクスであり、程度なんて言える存在ではないのだが、そういった感覚が吹っ切れるとともに麻痺してしまったらしい。

 

「まあ、ランク17とそこまでの差はないし、実際オーダーマッチなら負けやしないだろう。だがそれでもなるべく当たるな」

 

「……」

 

「何故だ?」

あれ、さっきも何故だって言った気がするな、と少し思う。

 

「まずこいつはオーダーマッチを滅多にしないし勝率もあまりよくない…だがそれは演技の可能性が高い。PA-N51を襲撃したネクストを四機撃退し、そのうち一人は殺害している」

 

「…殺害?撃破後のネクストへの攻撃は禁止されているだろう?まして自分たちの領土内でコジマ爆発なんて起こされた日には…」

機能停止した後へのネクストへの攻撃禁止。

これは建前上ではリンクスの生命の尊重ではあるが、その地で万が一コジマ爆発でも起こした日には争いを起こしたどちらにとってもいい結果にはならない。

枷を失ったコジマ粒子は荒れ狂いその場所をそこから100年は生命の無い土地としてしまうのだから。

また、先のリンクス戦争では機能停止などという気の利いたものもなく本当に爆発するまで戦わされた。

その影響で人間の生活圏が収縮しクレイドル開発の一因となったのだ。

 

「いいや、違う。三機は戦闘不能寸前まで陥り撤退、残り一機は戦闘不能になった後に引きずり出されて拷問にかけられ情報を絞り出すだけ出されて殺されたんだよ」

 

「……」

 

「……」

静かに佇むガロアに目をやりセレンも黙り込む。

これまでの戦いで血の赤色はまだ目撃してはいないが、結局やっていることはそういうことなのだ。

その相手を責めることも出来なければ、じゃあやめますなんて綺麗ごとも言えない。

 

「そういうのは一応禁止されているが…そもそもがアルゼブラってのはちょっと独特な企業だ。オーメルグループと言いつつもオーメルが手綱を握っているとは言い難い。

それにアルゼブラにはキレたリンクスが多いが…このイルビスはその中でも特にイっちまってる。神の名の元だがなんだか知らんがどんな手段も省みない」

 

「……」

 

「それにこいつはこの地方、つまり吹雪で視界の限られる場所での戦闘というのものを知り尽くしている。あんたの実力はわかっているが相手にしないに越したことは無い」

 

「……」

 

「…まあ、そうだな」

前々から思っていたがGA、いやGAというよりはこの仲介人はかなりリンクスの側に立って物を話す。

何か思うところでもあるのだろうか。セレンは眉と目をほんの少し近づけ考える。

 

「まあ、作戦時間が短ければ、それなりの追加報酬も用意されるそうだから稼げるチャンスだと考えようや。どうだ?やるか?」

 

「どうするガロア?」

 

「……」

ガロアというリンクスに自信があるもののそれでもこの説明を聞かされて色々と考えるセレンとは対照的にただガロアは戸惑うことも無くサインをする。

 

「よし。気をつけろよ。仮に捕まらなくてもネクストから放り出されれば生きてはいけない程の極寒地域だからな」

 

「……」

 

「……」

その言葉にガロアは目を細め昔を思い出し、セレンは調べ上げたガロアの過去に思いを馳せる。

アルゼブラ。その前身、イクバール。

もしかしたらこの戦いでガロアは初めて自分と縁がある者と戦うのかもしれない、と。

 

 

 

 

「ミッション開始!敵防衛部隊を撃破し、新資源プラントを破壊する。制限時間付きだ。のんびりはできないぞ 」

画面に表示される高度計から着地したことは分かるが、送られてくるコックピットの映像は乱れる雪によりほんの10m先も見えない。

 

『……!』

 

「なんだ!?」

ヘッドセットに届く息遣いが荒れ画面が揺れる。

何かが確かに今画面を横切った。

 

「待て…これは…!」

建物の陰に入り周囲を伺うガロアを待機させ先ほどの動画を巻き戻しコマ送りでその正体を見極める。

 

「バーラッド部隊!…どうりで防衛隊も撃破対象になるわけだな…気をつけろ…現存するノーマル部隊の中でも最高の練度の部隊だ。

しかも手に物理ブレードを装備している。いくらネクストでもあれに当たったらただではすまない」

 

 

 

「……」

ガロアの息遣いが元に戻り周囲を見渡す。

雪と建物の陰の他には何も見えない。

なるほど、これは確かに単純な戦力だけでは測れない相手だ…さて、どうするか。

 

「……」

セレンが作戦を練り始めたころ、ガロアはある感覚を思い出していた。

肌を打ちつける雪に混じる敵の息遣い、殺意。

相手はわかっているはずだ。自分が建物の中に紛れていることは。

つまり、どう動く?

 

「……!」

吹雪く轟音に僅かな異音が紛れ一瞬の後に目の前に影が現れる。

ガロアは瞬間、マシンガンを前に突き出しつつ左手のブレードを後ろに振りぬいた。

 

『がぁ!!』

いつの間にか背後まで迫ってきていたノーマルの右腕と脚を切り裂く。

そうだ。この感覚だ。

 

 

 

『イルビス様!敵の襲撃です!』

 

「ちぃ…やはりか…待っていろ」

雪の荒れ具合に不吉な物を感じてネクストに搭乗し自ら見回りをしていたイルビスはPA-N51の警備を任せていた者からの通信を受け、

悪態を吐きつつも当たってしまった勘に感謝と恨みをぶつける。

 

「状況を説明しろ」

方向をPA-N51へと変えて急ぎながら通信を続ける。

 

『はい!敵は一機、ランク17アレフ・ゼロです』

 

「ふん…GAの犬か…ちょうどいい…カブラカンの落とし前をつけさせてやる」

 

『いえ、それが…』

 

「なんだ」

歯切れの悪い部下に苛立ちを隠さず言う。

そもそもこの天候でバーラッド部隊がランク17ごときに後れを取っていることがあり得ない。

 

『かなり雪上戦に慣れた敵です。それに…何か奇妙な情報がぎゃぁ!!』

 

「おい!…訓練が足りなかったか」

仮に敵を殺せても死ぬほど訓練をしてやる。

敵と味方双方への怒りの籠った熱い息を吐きながらPA-N51に到着した。

 

「もう2基もやられているのか…」

基本的にどのような施設でもネクストに攻め込まれたらもう守る手立てはない。

国家解体戦争で国が負けたのは戦力と直接ぶつかったのではなく、

防衛の要となる地にその圧倒的な機動力で直接攻め込まれ、大火力でなすすべもなく焼かれたのが直接の敗因である。

動かない施設など適当にトリガーを引いているだけでもネクストの火力ならば消し炭に出来てしまう。

焼かれたプラントを見て歯ぎしりをしながらどこにいるとも知れぬ敵へ向けてオープン回線で怨嗟のセリフを述べる。

 

「GAに尻尾を振る下種が…どこに隠れていようとも必ず追い詰めて、肥溜めにぶちこんでやるぞ…」

見えた。やはりもう一基のプラントへと向かっている。

ならば防衛も難しくは無い。

 

「バーラッド部隊。プラントの周りを固めろ。せめてその身で守るぐらいの気概を見せろ…」

 

『はっ!』

その身で弾を受け止めろという命令にも文句を言わずにバーラッド部隊はプラントの周りに展開されていく。

バーラッド部隊の恐ろしさは死の恐怖を神の元へ行く聖戦と受け止めることによって出来上がった恐れを知らぬ兵隊にある。

そこでなお生き残った者が出世をしていくのだ。

先代のバーラッド部隊はまた違う方向の練度の高さを持っていたが、イルビスが隊長に就任してからは徹底的にそういった教育を施してきた。

 

「…よし」

展開された部隊を見て呟く。

これに突っ込んでくる馬鹿か、それとも撤退する腰抜けか。

どちらにせよ逃がしはしない。

 

『ぐぁっ!!』

 

『ああ!!』

 

「なんだと…」

火薬が弾ける音は聞こえなかった。

それなのに味方の数は減って、ただ味方が崩れ落ちる音が聞こえてくる。

 

「ブレードか…それに姿を見せぬまま…なるほど、確かに雪上戦は初めてではないな…!?」

イルビスにしては非常に珍しく敵をほめる発言をした瞬間。

雪に紛れ右後ろから敵が斬りかかってきた。

死を常に傍に置いていた者だけが持つ反応でぎりぎりのところで避け、すれ違いざまにショットガンを叩き込もうとして手が止まる。

これはなんだ。

 

 

 

「……!?」

まさか避けられるとは思わなかった。

すぐさまビル群の陰に機体を溶かして再び隙を伺う。

だが敵の様子がおかしい。

背に触れるビルからパラパラと欠片が落ち、その音が響く前にまた移動する。

 

『貴様…』

カラードに登録されている機体と実戦では違う武装を持っている、ということはよくある話だ。

ガロアは珍しく武装をほぼ変えないタイプのリンクスであるが、

ランクも高くなってくると、とことんまでこだわりぬいた装備で戦う者か依頼にあわせて柔軟に装備を変える者がはっきりわかれてくる。

ガロアの機体、アレフ・ゼロはある一点を除けばシミュレーションと全く同じ武装である。

そのたった一つの違い、それはヘッドの中央につけた独特の弧を描く真っ赤なスタビライザーであった。

国家解体戦争で特に目覚ましい活躍をしたリンクス特注の物であり一般には製作されていない象徴的な造形物である。

だが、敵にとって大事なのはどう武器が変わったかであり、たった一つのスタビライザーの違いに気が付くものはそうそういない。

しかしとうとうそれにも気が付く者が現れた。

 

『貴様…そのスタビライザーは…サーダナ様の!?』

かつてイルビスが尊敬し、これより強い兵士はいないと陶酔していた人物。

その名前を叫び、そしてバーラッド部隊にも動揺が広がっていく。

 

『サ、サーダナ様…!?』

 

『やはり…!あのヘッドのパーツは!』

 

 

 

 

「……」

その名を聞きガロアの心臓のリズムが一つだけトクンとずれる。

自分が父と呼び敬愛した人物。とうとうそれを直接知る者まで辿りついた。

だが自分以上に父の事を知っている者などいない。

 

父には大事にしている部下などいなかった。

 

『ガロア!動揺が広がっている!今がチャンスだ!』

先ほどのイルビスの言葉に同じく動揺したセレンではあるが、

戦場にいない自分が戦場の雰囲気に飲まれてはならないと動揺を振り切り指示を出す。

 

「…!」

動揺し銃を下げる者までいるバーラッド部隊に突っ込んでいく

両肩からグレネードとロケットを発射し、反応の間に合わなかった哀れな弱者を焼き、爆炎に紛れさらに敵を斬り刻む。

 

『あの時サーダナ様が仰られていた子供か!?』

暴れまわるアレフ・ゼロに一瞬躊躇するもマロースは引き金を引く。

 

「…!」

敵の親玉がこちらに来る。頭上を取られたと思ったら見えなくなった。

汗が耳を伝い落ちていく。敵ネクストの機体の色がそのまま保護色となっており、逆に自分の機体はこの白銀の世界では目立ちすぎる。

 

『くそ!なんだか知らんが貴様は敵だ!ウラーッ!』

思索する間もなく後ろからノーマルが物理ブレードを突き出してくる。

とっさにその腕を脇で挟み、一緒にビルの陰に隠れることに成功した。

 

 

 

 

「く…人質は通用せんぞ」

兵士としての長いキャリアの中でこれほど動揺したのは初めてだが、

目の前にいるあのネクストの行動は間違いなく敵対的。

 

「!!」

ビルの陰から飛び出してきた物に両手のトリガーを引く。

それが自分の機体と同じ保護色の部下だと気が付いた瞬間にプラントが爆発を起こす。

 

「ぬうううううう!!」

しまった。敵の狙いはプラントなのだから当然のことだった。

相手を知ること。それが見えない敵と戦う時の鉄則だったはずなのに忘れてしまっていた。

 

浮かぶ自分の機体の真横でロケットが閃光を発し視界が失われる。

だが今度は経験と勘に従いその後のブレードの回避に成功する。

 

「貴様、貴様はサーダナ様の」

 

『……』

言葉を言い終わる前にさらにロケットが発射される。

 

「なぜ敵対する!?ここは」

 

『……』

恐らく敵は自分の言いたいことを理解しているはずだ。

だがそれに返ってくる言葉は無くさらに斬りかかってくる。

 

「ぬああああ!」

説得を捨てほぼ0距離でのショットガンの発射。この距離ならばPAも関係ない。

絶対に当たったと確信した瞬間に見たのは穴だらけになったアレフ・ゼロではなく、

後ろに宙返りし自分の機体の腕を両足で蹴り上げる黒いネクストの姿だった。その一瞬の時間はぐにゅりと曲がり引き伸ばされ、まだ自分がネクストに乗るずっと前の事が思い出された。

 

 

 

 

『死にたくないな』

 

『はっ…今なんと?』

常に自分たちの手本であり続け導き続け、この方と共にいるのならば死ぬのも怖くない。

そう思っていた人物の口から出た、恐らく自分が初めて聞いた本音はその人物の普段の冷徹な兵士像からはかけ離れたものだった。

 

『殺しているのだ。いずれ殺されもする。だがやはり…死ぬというのは嫌なものだ』

 

『それは…死ぬのが怖いということでありますか』

この人といるのならば死も怖くない。

そう自分に言い聞かせていたイルビスは、やはりどんな人物でもそうなのかと投げかける。

しかし、サーダナとバーラッド部隊の半分が出撃するミッション開始前に格納庫の扉の前に呼び出されて何を言われるのかと思えば…

一体何を言っているのだろう。

 

 

『いいや、そうではない。だが…子供がいるのだ。その子の未来が見れなくなるのかと思うと、やはりな』

 

『!?お子様がいたのですか!?』

初耳かつ、この人物が妻を愛で子を育てる姿があまりにも想像できないと思い、

同期からも鬼と恐れられている自分がなんともみっともない声をあげる。

 

『…ああ。私にはもったいないくらいの子だ』

 

『…そうでしたか』

直立不動の姿勢は変えずに自分の求め続けた憧れの兵士へと目を向ける。

 

『時間だ。いかなければならない。私がもし帰らなかったら…』

 

『サーダナ様が負けるなどと…』

 

『お前がバーラッド部隊を率いるのだ。最強の部隊の最強の隊長に』

 

『やめてください、ありえません』

不吉な未来への想像と自分がバーラッド部隊を率いるには未だ未熟であるという感覚、

そして認められていたのだという感動が綯交ぜになり出たのはなぜか否定の言葉だった。

 

『…任せたぞ』

 

『……』

直立不動からの敬礼を送りサーダナは背を向け扉の向こうの光へと消えていった。

そしてその背中が最後に見た隊長の姿だった。

 

自分はあれから最強のサーダナ様の名に恥じぬようにこの部隊を率いてきた。

今日までどんな敵だってこの地に這いつくばらせてきたのだ。

 

 

 

 

 

「…っ、は!?」

目の前に青いブレードと赤いスタビライザー。

そして戦闘の思考は先へと進む間もなく手足を切り落とされさらにコアに強烈な蹴りを叩き込まれた。

ガガンッ、と地面に想定されていない着地をしたが故の音が響き、

ネクストからフィードバックされる激痛が身体を襲う。

呻きながら見上げた空で黒いネクストが雪に紛れて空へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

『貴……大アル…ブラを敵に回…か…』

敵の声はわずかに聞こえるばかり、雲から降る雪が機体に当たり全てが薄れていく。

 

『ミッション完了だ。よくやった。だが敵の支配領域だ。油断せずに帰って来い』

 

「……」

厳しくも優しかった父の思い出。

自分はネクストと呼ばれるもののパイロットをしている。

そう打ち明けてくれたのはいつだったか。

想像すらできなかった父の兵士という一面に今日ようやく触れることが出来た。

 

 

『黒い鳥…彼こそがそれなのではないかと、私は思っている』

あの時の父の言葉を忘れたことは無い。

確かめるべき時は、近い。

 

「……」

山を越え風より速く空を飛ぶ。

今日は新月、そして厚い雲が空を覆い、真っ暗な世界で僅かな光が反射して映るのは雪ばかり。

そう。父が亡くなってから、これが自分の生きる世界だったのだ。

冷たい機械に身体を包まれてガロアの動いた感情も少しずつ埋もれて無くなっていた。

 

 

 

 

 

ガロアの帰還を見届け、冷たい扉を開き廊下へ出る。

冷房の効きすぎたカラード中央塔内部では少し暖かい格好をしていないと女性には厳しい。

 

(相手はガロアの事を知っていた…それを躊躇もせず…)

セレンは額に浮かんだ汗が乾いていくのを感じながら目的もなく歩く。

 

(でも今回はプラントの破壊であの地を接収するわけでもない…殺してはいない…?いや、だが…)

 

『ガロア!動揺が広がっている!今がチャンスだ!』と、自分はあのとき確かに言った。

 

(焚き付けたのは私、か?でも言わなくても続けていたのだろうか…)

セレンはここにきてまた別の不安が出てきてしまった。

企業からの敵意も退けられるほどに強くなったのはよい。

そしてこれからいずれぶつかるのだろう。本命のホワイトグリントと。

その資格も力も得つつある。

 

(お前は、優しい子供だったのだろうな…)

今まで共に過ごしてきて何度も見えたさりげない優しさや気遣い。

父を失ったりなどしなければ、きっと彼は優しく利発的な青年へと成長していたのだろう。

だが。

 

(復讐の為に、強くなるために、心まで捨てているんじゃないか…?)

話せないから、敵だから、理由などどんな風にも言える。

そしてどうするのが正解だったのかは分からない。話し合いなど考えずに最初から倒すことだけを考えるのが正解でいいのかもしれない。

事実それが依頼だったのだから。しかし、相手の長は多少なりとも話し合う意志を見せていた。

ガロアはそれを知りながら…切り捨てた。

 

(復讐を終え、心が空っぽになっても私が傍にいればいいと思っていた。だが、このままでは…)

 

「ねぇ、そっちは調理室よ?何か用でもあるの?」

 

「え?」

サングラスを頭にかけ、底の高いサンダルを履き一足早く初夏のスタイルを身にしたメイがそこにはいた。

 

 

 

「ふらふら~ってゾンビみたいに」

 

「ああ、いや」

 

「またガロア君のこと?」

 

「いや、その…そうなんだ」

 

「ふーん…どうしたの?」

聞く前からその理由はわかっていたし、聞いた後も特に何か思うことは無い。

名目上はガロア・A・ヴェデットと専属契約したオペレーター。

だが、いつだってセレンの頭の中はガロアのことで一杯。

若い男女が同じ部屋に住んでいるのだ、気にならない方がおかしい。

むしろまだ何も進んでいないのが異様なくらいだ。

そして今、肯定を口にしたということは悩みを打ち明ける気があるのだろう。

あくまでこちらが聞き出す体で話を聞いてみる。

 

「ああ…今日もまた一つ依頼をこなしてな」

 

「大忙しね。結局GAからのめちゃくちゃな依頼もクリアしちゃったんでしょ?」

 

「カブラカンのことか?」

 

「そう。みんな正直ガロア君が負けると思っていた。まさか勝つとはね。今は向かうところ敵なし…って感じなのに、何がそんなに引っかかるの?」

先日訪れたGAの雰囲気はまた変わっており、最早このコンビの扱いが手に余っているかのようにも見えた。

そして今日もまたGAの依頼を受けているとは聞いていた。

だがその内容は調べたところ厳しいながらもこの前のようなむちゃくちゃな物ではなかったはずだ。

 

「…あいつが、…リンクスになったのはある目的の為なんだ」

 

「アナトリアの傭兵でしょう?」

 

「なぜ知っている?」

別段隠しているようなものでもないが、メイがそれを知っているのはセレンにとってはかなり意外だった。

だがそれはセレンがメイの本質、つまり臆病な賢者である部分を見抜けていないということである。

 

「私も生き残るためにいろいろ調べているの。それにすぐわかるじゃない。あのヘッドを見れば。育ての親を殺されたからでしょう?」

 

「…そうだ」

 

「どんどん力をつけていずれホワイトグリントとぶつかる。それの何がダメなの?」

 

「あいつは話せないからわからないだろうが…本当のあいつは優しい奴なんだ。今日の敵はほんの少しだがあいつのことを知っている様子だった。だがあいつは躊躇せずに倒した」

 

「……」

 

「心配なんだ。このままあいつは心を殺しきってただの殺戮兵器になってしまうんじゃないかって」

 

「…そういうこと…」

メイはセレンの性格を知った上でのこの発言をよく理解していた。

この少女、いや、20ならば少女と呼ぶにはいささか微妙だが、とにかく自分から見たら少女であるセレンはかなり精神的に未発達な部分があり、

人の多面性や考え方の相違などがすぐには理解できない点がある。

というのも恐らくは、基本的に一つの事しか考えられないという自分の性格をモデルとして人の事を考えるからなのだろう。

そして彼女の言うこのままでは心を殺しきってしまうというのは間違った話ではない。

 

事実彼女のよく共闘するローディーは普段の好々爺から一転、戦闘中は一切の隙を見せないまさに戦闘マシーンだ。

だが、ベテランの兵士や上位のリンクスが全員ただの殺戮兵器なのかと言えばそうではない。

戦闘をする自分と日常生活を送る自分というのを上手く切り替えているのだ。

むしろこの世界では仕事に余計な感情を持ち込まないのは良い成長と言えるのだが。

 

「あのね、人は何かと誰かと関わって心や感情を変えていくのよ?」

 

「だからこのままでは…」

 

「言い方が悪かったわ。その時関わる相手に応じて表情や感情を変えるっていうこと」

 

「…それは?」

 

「誰か嫌いな人がいてその人につんけんした態度をとるからって他の人にもそうはならないでしょう?」

 

「!」

ようやく何かがわかったかのように表情を変えるセレン。

見た目はもう大人なのに中身はまるで子供だ、とメイは少し笑う。

 

「いろんな人に対して見せるいろんな顔。どれもその人本人と言えるわ。あなたの知る優しいガロア君はまぎれもないガロア君自身よ」

 

「そう、か…」

 

「…でもね、人の心も思いも移ろう物よ。その思いやりが変わらぬ思いだというのならこれからも支えてあげなさいな」

どの表情もその人の本質。

そしてそのどれもがある暗い感情に飲まれて染まることもある、ということは直接は言わずに警告をする。

 

「…うん、そうだな」

表情を明るくするセレン。

全く、この二人は危なっかしい。

ガロアが心を殺してしまうと危惧をしていたが、セレン自身も相当なものだ。

この純粋さがもし危ない思想に中てられてしまえば簡単に染まってしまうだろう。

特にこういう純粋な人は、今まで自分が成してきた奸計と損得勘定に染まった自分から見れば羨ましくなるぐらいには好きだから、そういうのを見るのは御免こうむりたい。

 

「じゃあ、私は別の場所に用事があるから」

 

「ああ、ありがとう」

後ろから礼の声をかけられるのを聞きながらサングラスをおろし外へと出る。

話してる間中歩みを止めなかったから変な場所へ来てしまった。

目的地へと向かうルートを辿ると運動場へ出た。

そこではさっさとパイロットスーツから着替え、

一人運動をするガロアの姿があった。

鉄棒に掴まり片腕のみで懸垂をひたすら繰り返しており、その運動量は滴る汗の量から十分に察せる。

出撃してからすぐに訓練に向かうその執念は称賛に値するが…

 

(セレンが何をどう思っているかなんて、気が付いてないんだろうなぁ)

その心のほとんど全てを強くなることのみに向けているが故に周りに心を向ける余裕がない。

それでも優しい奴だ、と言われているのならきっと本来は戦いに向くような性格ですらなかったのだろう。

 

(あとはガロア君次第、なのかな)

人は人と関わり変わっていく。それが極端に制限されている彼は、ある時突然何かに染められ利用され変わってしまう危険性もやはり含んでいる。

出来るならばセレンの純粋な思いやりが、ガロアがその様な者に傾いてしまわないように支えてくれるのを願いたい。

暴走した力が自分に向かうのも、あの二人の関係が壊れるのも願い下げなのだから。

 

 

 

 

その14時間後。

 

青々とした植物が広がる農場で大きな爆発が起こりそれに巻き込まれたノーマルが吹き飛んだ。

『ふん…所詮ノーマルだな。頭数そろえたところで俺たちに敵うもんかよ』

 

「…まぁな」

GAに確保され部隊を再配備中だったリッチランド農業プラントが大量のノーマルに襲撃された。

そのノーマルを全て撃破してくれとの依頼が独立傭兵であるランク25のウィスと26のイェーイの元に舞い込んできた。

この二人は元々BFFのリンクス養成所の同期であり、性格は真逆ながらも何故か馬が合い、BFF所属時代から必ず二人で一つの依頼を受けるという変わったコンビであった。

依頼をいくつもこなし、BFFにネクストの料金の支払いを終えると同時に独立傭兵になり、その後はあらゆる企業の依頼を適度に受け、その全てでかなりの好成績を収めてきた。

コンビで戦うために、個々で戦うことになるオーダーマッチでのランクは決して高くないが、二人同時で戦った時の強さはランク上位のリンクスを退けたこともある程だ。

今現在企業間でもランクを無視して難しい依頼が回されるのはガロアとこの二人、そしてランク29の女性ぐらいなものである。

ウィスは赤い近距離特化型の機体に乗り、マシンガンで相手を削り隙を見てグレネードで攻撃し、

イェーイはそれをミサイルとスナイパーライフルで遠距離から支援する。

今回襲撃してきていたノーマルは50機を超える大編成、しかも大量の特攻兵器付きであったがこの二人の相手ではなかったようだ。

 

『よーし、帰るか』

 

「待て、ウィス」

 

『あん?』

いかにも面倒くさそうに返事を返すウィスだが、相方のイェーイの冷静な意見は正しいことが多く、

ウィスはたいていの場合はそれを受け入れる。

 

「このノーマル達、何か妙じゃなかったか?」

 

『何がだ?』

この、と言われてもどいつもこいつも撃破した時点で爆発四散しており、すでにそこには鉄くず以外の何も残っていない。

 

「パイロットが脱出するところを見ていない…つまりは無人機の可能性がある」

 

『そんな技術…いや、でも特攻兵器も無人だろうしな』

 

「そうだ。それにこの大口径のライフル…衝撃だけで普通のパイロットなら意識が無くなるぞ」

 

『…うーん』

言われてみてみれば、それは普通のノーマルが積むには明らかにおかしな大きさをしていた。

実際前に出て戦っていたウィスのネクスト、スカーレットフォックスはそこまで弾に当たっていないのにも関わらずAPが半分を切っている。

 

「カラードに連絡を取り、指示を仰ごう」

 

『そうだな。お前の言う通りにしよう』

そのノーマル達こそ、以前リリウム達が話していた所属も目的も不明のノーマルでなのでここでカラードに通信を入れるのは間違ってはいないだろう。

通信を入れれば恐らくは周辺の探索を指示されるはずだ。

だが。

 

「…!いや、待てウィス!敵だ!…これは…ネクストだ!」

 

『なんだと!?』

長距離戦を主とするイェーイのネクスト、エメラルドラクーンのレーダーに先に敵熱源が感知された。

それはカラードには登録された信号を発信していない明らかに敵性のネクストであった。

 

 

 

 

「…先に撃破されたか」

男の名はラスター18。

先日のインテリオルのAF開発施設襲撃犯の一人であり、未だ表舞台に出ていないテロリストの一員でもあった。

今回自分たちの所属している団体に出されていた指示は『各地で暴れまわる未確認ノーマル部隊の調査を進めておけ』というものであり、

それらが感知されたこの地方へと飛んできたが、一足遅く先に二機のカラードのネクストがそれらを全滅させていた。

 

「情報をまとめてもこの辺りが出現ポイントの一つというのは間違っていなかったらしいが…遅かったか」

畑の上に遠慮なく着地し目の前にいる二体のネクストと相対する。

 

『おい、あんた!所属を言え!』

 

『…こちらはカラードのイェーイ、ウィスだ。さて、そちらにも身分を明かす義務が生じたわけだが』

がなり立てつつも冷静に自分のもっとも得意とするであろう間合いに落ち着く二機。

冷静に話し合って和解するつもりはなさそうだ。

 

「この前の襲撃は秘密裏に処理されたか…腹黒いオーメルとインテリオルらしい」

本来ならばイレギュラーの襲撃などがあればカラード全体に通知されるが、襲撃した場所が場所だけに公表はされていなかった。

 

『所属と目的を明かしていただきたい』

 

『もういい、イェーイ!どうせ敵を全部排除しろって依頼なんだ!』

 

『…だな』

 

「!…来るか」

目の前にいる二機から殺気が膨れ上がる。

この肌を刺す感覚。これこそが戦場だ。

ラスターは口角を上げながらそのトリガーを引いた。




イルビス・オーンスタイン

身長170cm 体重68kg

出身 カザフスタン

国家解体戦争以前にイクバールに拾われて戦士として教育された孤児。
つまり結構年はいってる。
イクバール(現アルゼブラ)と自分を屈強な戦士へと育てたサーダナに心酔しきっており、サーダナ亡き後はバーラッド部隊隊長も務めた。

最初は嫌々やっていた捕虜への尋問・拷問も気づけば嬉々としてやっているようになっていた。
ミルグラム実験を元にしたイクバールの思想教育の被害者と言ってもいい。
テクノクラートのド・スの元にいるシャミア・ラヴィラヴィと嗜虐的な性癖の部分でウマが合い、ガロアに撃破される日まで毎日繰り返し捕虜を嬲っていた。
だが別段恋人同士という訳でも無いし、そもそもゲイだった、というのは作中に書かれない設定。

趣味
密造酒の製造
捕虜をしばくこと

好きなもの
チェッターヒン
行きつけの理容師の髭剃り





ガロアはサーダナに育てられた子供です。
しかし、AC4をプレイした方はご存知の通りリンクス戦争でアナトリアの傭兵にサーダナは殺されています。

ところで、作中に登場する人物のほとんどは↑のようにプロフィールを作っているのですが、もうイルビスは登場する機会はありません。
せっかくなので載せてしまいました。


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不明ネクスト撃破

「ガロア!緊急依頼だ!」

 

「…!」

今日は日曜日。

セレンの言葉を守り訓練を休んでおり、

この日ガロアはカラード中央図書館に来ていた。

ガロアという名前は過去に実在していた偉人にあやかっており、

その人物を中心に書いた本もそれこそ無数に出ている。

気が向いたときにガロアはそれらの本を探しては読んでおり日々知識を深めている。

ちなみにガロアという名前は基本的には苗字に使われるものであるということに気が付いたのはずっと昔だ。

 

「この前リッチランドを襲撃したのは覚えているな?今そこで三機のネクストが暴れまわっているらしい!」

 

「……」

GAの依頼でメイ・グリンフィールドとダン・モロと三人であの土地にいる防衛部隊を叩いたときのことだろうか。

 

「こともあろうにアルゼブラが!お前にこの三機を撃退して奪い返せと依頼してきやがった!」

 

「……」

アルゼブラからその土地を奪った張本人に奪回の依頼をするとは中々肝の据わった企業である。

しかし…図書館で騒ぐな、という周りの視線が後頭部に刺さり痛い。

自分は一言も発していないのだが、周りから見ればそんなもの当然一括りである。

 

「僚機はもう依頼承諾したらしい。どうする?」

 

「……」

そういえばなんでセレンは自分がここにいるとわかったのだろう、と思いつつも訓練もせずに一人で図書館でぼーっとしているのも飽きてきたので頷き、格納庫へと向かった。

何故ガロアの場所が分かったのか、と言えばガロアのポケットの中にあるケータイはコールをすればこちらから相手の位置がわかるものの、

実はセレン側のケータイはガロアがリンクスになる前の襲撃以来、常にガロアの位置がわかるようになっているというスペシャルストーキング仕様なのであった。

 

 

 

 

『つ、つええ…!?』

 

「……」

交戦から3分、二機でかかっているのにも関わらず有効なダメージは与えられらないどころかいくらかの直撃を貰い、

とくに全線で戦っているウィスのダメージは深刻だった。

 

『もう終わりか?』

目の前の黒いネクストは、ウィスのマシンガンやイェーイのミサイルをいくらかは喰らっているものの決定打となるグレネードや、

スナイパーライフルは必ず避けており、またミサイルもマシンガンも分厚いPAに阻まれ大して効果を成していない。

数の不利をものともせずに押してくるこの相手は間違いなく自分達とは経験が違う。イェーイは冷静にそう判断した。

 

『はっ、ふざけんなよ…まだだ』

 

「待て、ウィス!」

相方の頭に血が上っていくのを感じ声を上げる。

 

『止めんなイェーイ!このまんまじゃミッション失敗で修理費に弾薬費で大損だ!』

 

「いいや、このままでは命も失う。撤退するぞ」

 

 

 

 

 

「ほう…」

後方支援のスナイパーの言葉は戦場において最も大事な要素である状況判断の優秀さを伺わせるものであり、ラスターは関心の声を上げる。

 

『…そう思うのか、イェーイ』

 

『ああ。このままいけば殺されるのは俺たちだ』

 

『…チィ』

そのやりとりの直後二機は背を向け遥か彼方へと飛び去ってしまう。

 

「…ふん」

今しばらく戦場の空気を楽しみたかったところだが仕方がない。

まだ見ぬ強敵への渇望。根っからの武人であるラスターにとって水面下での調査など肌に合わない。

今の敵は優秀ではあったが強敵ではなかった。

この間のウィン・D・ファンション達との戦闘を思い出しまた一つ息をつく。

 

「退屈だな…あとどれだけ待てばテルミドールは戻ってくるのだ」

ぼやきながらも周辺に散らばった鉄くずのスキャンを開始し、せめてもの情報を持ち帰ろうとするその時。

 

「…!!!」

何か不吉なものが波となって圧倒してくる気配を感じ飛び退る。

直後、ラスターのネクスト、フェラムソリドスが今さっきまでいた場所に不自然なまでに大きな弾丸が巨大な穴を穿っていた。

 

「…!?これは…!報告にあったノーマル部隊!…丁度いい。捕獲させてもらうぞ!」

後ろを振り向くと二十機ほどの所属不明ノーマルがいびつな大きさの武器を構えてこちらに向かってきているところだった。

丁度いい。惨めったらしく鉄くずの調査なんかしなくてもこいつらの内の一機でもなるべく無傷で捉えればいい。

そう思った瞬間、フェラムソリドスのレーダーがさらに二機のネクストが高速接近してくるのを感知した。

 

 

 

 

『…なんだ?報告と違うな…ネクスト一機と多数のノーマルしかいないぞ』

 

「……」

輸送機の中でセレンの報告を聴きながら意識を集中していく。

もう三十秒ほどで投下されるはずだ。

 

『…?こいつら、争っているぞ?いくらなんでもここまで依頼内容と食い違いがあるとは…』

セレンの前に広がるモニターに映し出される熱源の動きはネクストの物と思われる大きな点が一つに、

ノーマルであろう小さな点がポツポツとあり、どうみてもその動きは交戦しているようにしか見えない。

 

『ガロアさん』

 

「……?」

混乱するセレンの報告を聞き戦場の様子を思い描いていると、今回の僚機であるフラジールのパイロット、CUBEから通信が入ってきた。

 

『フラジール単機でも敗率はほとんどありません。あなたは戦わなくても構いませんよ』

 

「……」

そんな通信が入ってきてガロアはそういうわけにもいかないだろう、と思っているとさらにセレンから通信が入ってくる。

 

『まあ、そういうならネクストはフラジールに任せてしまえ。どうもこのノーマル動きが変だ。そっちはお前が対処しろ』

 

「……」

了解の旨を伝えるためにサインを送るのと同時にハッチが開かれ投下される。

ミッション開始だ。

 

 

 

「なんだ!?」

目の前のノーマル部隊が一斉に動きを止め方向転換する。

それは先ほどフェラムソリドスが感知したネクスト投下予測ポイントだった。

 

「…こいつらの目的はなんなんだ?」

急に敵対行為をやめ新たな敵へと向かっていくノーマル達。

そこにはパイロットの人間性を感じられない。

 

「…!もしや人が乗っていないのか!?そんな技術が…?」

ネクストどころか通常のノーマルでさえ完全自律の無人ACの開発は済んでいない。

そんな技術が確立されているのなら、それこそ人どうしが前線で殺し合う必要などなくなるのだから。

 

「今そんな技術を持てるところといえば…!?」

考えがまとまり始めた瞬間、ベージュのネクストが空間に線を描くほどの速度でこちらに飛来してきた。

 

 

 

 

『人が乗っている物体があの加速度に耐えられるとは…信じがたいな…ガロア!よくわからんが丁度いいことにノーマルの方から来てくれたぞ。一機残らず撃破してやれ』

 

「……!」

セレンの言葉通り、ネクスト相手に正面から迫る愚か者どもを焼き尽くさんとしたとき機体を何かが掠めた。

ノーマルの攻撃が、PAを一撃で貫通して、だ。

 

『なんだ…!?こいつらの武器の口径は!?絶対に当たるな!なにかやばい雰囲気だ!』

 

「……」

目の前に固まるノーマルにロケットを撃ちこみ何機かを吹き飛ばす。

ガリガリとやや大げさな音を立てアイの光が消え崩れ落ちていく。

巻き上がる爆炎はロケットの火薬だけで起きたにしては規模が大きい。

発射の反動でわずかに硬直した瞬間に後ろからライフルが飛んでくる。

ぎりぎりのところで回避した弾は地面に当たってなお回転を止めずに大きな穴をあけていく。

 

『味方がやられたのに動揺していない…こいつら、特別な精神訓練でも受けているのか。射突型ブレードを装備している奴がいるぞ…そいつを優先して倒せ!』

 

「……」

ネクストであっても一撃死は免れないであろうブレードを持つ何機かを見つけ出し、切り捨てていく。

が、一機に斬りかかれば他の機体が死角から攻撃をしかけ、それを避けた先に予測したかのように弾が飛んでくる。

 

「……!」

ビリビリと震える空気をネクストから感じ取り冷や汗がつつっと垂れる。

さらに一機吹き飛ばした時、後ろから射突型ブレードを持った機体が突っ込んでくる。

 

「……」

とっさに地面に肘をつき後ろに足を突き出す。

 

「!?」

が、手より長い分絶対に当たると確信したその蹴りはノーマルの放った蹴りに相殺された。

 

『馬鹿な…ノーマルが格闘術を使うなどと…』

ネクストと違い、脳に直接つなげているわけでもないノーマルは基本的に足を使った行動は歩く、走る、ジャンプぐらいしか出来ない。

脚の操作という物が独立して存在していないのだ。

これは明らかに操作系統が違う。

しかも相殺と軽く言うが、ネクストのパワーに普通のノーマルが敵うなど普通はあり得ない。

 

『こいつら、普通の部隊と違う!気をつけろ、バーラッド部隊よりも練度の高い連中だと思え!普通のネクストより遥かに厄介だ!』

 

「!?」

セレンの指示があった瞬間にぎりぎりと音を立てて拮抗する脚に、手に持ったライフルを捨てノーマルが手を伸ばしてくる。

 

「……」

左手に意識を集中しその手を切り捨て飛び上がりフラッシュロケットを放つ。

これでしばらくは行動が出来ないはず。

だが。

 

「!!」

手が斬り飛ばされてなおそのノーマルは真っ直ぐとこちらへ突っ込み間髪入れず他の機体はライフルを乱射してくる。

 

『…!人間じゃ、ない…?』

フラッシュロケットを食らった機体はカメラが感光してしまいロックがしばらくできなくなるのと同時に、中のパイロットが目をやられ暫くまともな動きが出来なくなる。

今、間違いなく直撃を受けたはずのこのノーマルは、カメラはともかく即座に真っ直ぐ動き始めた。

 

『どうりで統率がとれてる動きのはずだ…敵に囲まれるな!ノーマルとは言え舐めてたら死ぬ!全機を目の前に持ってくるんだ!』

指示通りにアレフ・ゼロは飛び退り、敵ノーマルが全機カメラの中におさまる。

尋常じゃない操作系統や攻撃力はともかく、スピードはノーマルのそれのままらしい。

 

「…!?」

その時、偶然ガロアの眼にフラジールの飛ぶ戦場が映った。

 

 

 

 

 

「くっ!?」

 

『なんと…スピードだけでまともな兵装も積んでいないとは』

 

「相性が…悪すぎますね…!!」

スピードで翻弄し、フェラムソリドスの攻撃はフラジールに未だほとんどまともに当たっていない。

いないが、フラジールに積んである武装は全て集弾性の悪いマシンガンとチェインガンで構成されており、

フェラムソリドスの強化されたPAを剥がすには及ばない。

 

『早く向こうのネクストを呼んだらどうだ?』

 

「舐めないでください…!」

言葉を返しつつも左にチラリと目をやると、アレフ・ゼロがノーマルにブレードを突き立てているところであり、まだ10体ほど残されている。

視線を戻し、さらに敵ネクストに接敵しガリガリとPAを削っていく。

 

『なるほど』

ラスターはいいつつなぜかさらに距離をつめ、攻撃をする。

 

「当たりませんよ」

超至近距離、それこそガロアならばブレードを選択しているような距離での弾丸も避けるフラジール。

 

『ほう…』

その超高レベルとも呼べる回避速度を見て感心しながらしかしラスターはある仮説を立てた。

大した回避だがあの加速に人間が反応出来るはずがない、と感じたのだ。

 

『訳も分からず回避しているだろう?』

 

「…!?何を言ってるのです…?あなたの攻撃は当たっていないのですよ」

訳も分からずも何も攻撃を避けること以外に回避に必要な要素などあるのだろうか。

 

『だからお前が負けるのだ』

ラスターはやや敵の右側に向けバズーカを放つ。

 

「だから当たらないと…ぐぁ!!」

左に思い切り吹かしたクイックブースト、確かにその弾は避けられたがフラジールは思い切り山に激突し、APも削れバランスが崩れる。

 

『…つまらん戦いだった』

体勢を立て直そうとするフラジールのコックピットを狙いプラズマライフルを放った。

 

「!!」

 

『もうノーマル部隊を殲滅したのか』

 

「た、助けられた…?」

衝撃の連続に目がちかちかしていたCUBEがかろうじて見えたのはアレフ・ゼロの黒い腕が自分の機体を掴んで飛んだこと、そして自分に背を向け敵に銃を向けているところだった。

 

 

 

 

『カラードでは俺たちの事を報告しなかったのか?それとも握りつぶしたのか?まあ、どっちでもいい…あの時の借りを返させてもらうぞ』

敵の銃口が鈍い光を反射しながらこちらに向きその圧がガロアに気づかせる。

 

「……!」

強い。こいつは今までに相対した者の中では一番強い。上手く説明など出来る類の感覚では無いが間違いない。

機械越しに刺さる殺気を感じながら呼吸を速くする。来る。

 

肩に積んだ武装、腕に持ったライフルがほんの少しの間隔を置き火を噴く。

なまじ眼のいいガロアはその一つ一つに反応し右へ左へと踊らされる。

 

「!!」

左右へのクイックブーストにより速度が0となった一瞬にフェラムソリドスが体を思い切りぶつけ、火花が散りアレフ・ゼロはバランスを崩す。

 

「……」

ほぼ無意識に衝突と同時にオーバードブーストに火をつけ、まだ育ち切っていない果樹を踏み散らしなんとか続いて刺さるレーザーを避ける。

連鎖して火がつく植物がアレフ・ゼロへとその赤色を伸ばしてくるのを振り切り立ち上がる。

 

『テルミドールはお前を気にしているようだが…どのみち俺に殺されるようなら戦力としては期待できん』

 

「…!?」

敵の言葉の真意を探る時間もなくさらに攻撃は続く。

敵へと放つマシンガンは強化されたPAを貫くことは能わず、グレネードとロケットは直撃をせずその爆風は実弾防御を固めたフェラムソリドスには大したダメージとはならない。

そして…

 

『近づかせるとでも?』

 

「……」

左手に持つレーザーブレードの有効距離まで近づくことは出来ない。

両手両肩についた武装で上手く距離を保ち、それどころか自分の動きすら操ろうとしてくる。

リンクスであるガロアにはよくわかるが、四つの武器を同時に使うというのは並大抵のことではない。

目で追いピントの合ったものをロックオンするというようになっているネクストは一見便利なようであるがその反面、

目で追えないものをロックオンできないなどの欠点もある。

これはさながら両の目がそれぞれ違う方向を見て撃つようなものだ。

 

「……っ」

 

『若さだけでは越えられない壁もある』

 

お互いにガリガリとAPが削られていくが、防御力と元々のAPの量から考えてこのままいけば負ける。

だがガロアはここに来てなぜだが笑みが浮かんでくる。

 

 

チュインチュイン、ガッガガギギギ

と不協和音と火花散る戦場で舞う二人の猛者は身を削る痛みを感じながらある感覚を共有する。

 

『いいぞ…!お前の感情が見える!デカいだけの鉄くずと違う!やはり戦いはこうでなくてはな!』

 

「……」

その言葉にふつふつとわきあがる喜びを感じながらガロアはパターンを数え上げる。

攻撃攻撃攻撃。実弾実弾レーザー。

必ず最後にレーザーでリズムをとっている。ならば。

 

『そろそろ限界だろう!』

バズーカとグレネードそしてレーザー。そのパターンで終わるはずだった。

だが。

 

『なっ!!?』

レーザーを放ったその瞬間、フェラムソリドスはかつてない衝撃を受け後方に派手に吹き飛んだ。

 

 

 

 

「な…なんという…」

機能停止に陥っていたフラジールの中でCUBEは見た。

バズーカとグレネードをかいくぐり放たれたレーザーに向かい真っ直ぐにブレードを突き出したアレフ・ゼロを。

 

相対する二機の間で起きた電磁的な爆発は二機を巻き込み強烈なノックバックを引き起こした。

ブレードの出力は圧倒的にレーザーライフルのそれを上回っており、フェラムソリドスの体勢を大きく崩す。

そこまでを見越していたのかアレフ・ゼロはオーバードブーストを起動しており、巻き上がる砂煙と爆炎を突き破り右手のマシンガンを投げ捨てフェラムソリドスの背後に回り込み、

引き上げた頭部をブレードで刈り取った。

以前自分が負けた時と同じ、全くの意表を突く作戦。

 

CUBEは思う。

なぜ戦闘中にそのようなことが思いつくのだろうか。窮地に追い詰められれば追い詰められるほど頭が冴え冷静になるもの。

それこそがAMS適正以上に必要な、戦場で名を上げる能力なのだろうか。

とある切っ掛けでたまたまリンクスとなったCUBEは自分が一流のリンクスとなるために欠けている決定的な要素を痛感し歯噛みした。

 

『よくやった。これでその機体はろくに動けまい…連行し、尋問するぞ。ネクストなど、企業の後ろ盾なく動かせるものでもないのだからな』

ガロアのオペレーターからの通信が入りCUBEは思考の世界から戻される。

 

「ガロアさん、私の機体とあなたの機体で運びましょう。私の機体も通常モードならば動けますから」

システムを通常モードに移行し、フラジールを手動で動かす。

ネクストとの直接的な接続が切断され一気に気分が楽になる。

と、その時。

 

沈黙していたフェラムソリドスが突然動き始め自らを抑え込むアレフ・ゼロの右手を振り払い滅茶苦茶に飛び退った。

 

 

 

『見苦しい真似はよせ。頭部コンピューターが無ければろくに戦闘も出来んことは分かっているだろう』

セレンのその通りとしか言いようにない通信にラスターは回線をオープンにし言い放つ。

 

「見事だ…若さだけではなく才能もある…だが…力だけでは…」

頭部を引きちぎられたかのような感覚によって一瞬どこかへと飛んでしまっていた意識を戻し最早見ることも敵わぬ相手に言い放つ。

 

「よく見ておけ…俺たち使い捨ての兵器の最期を!」

フェラムソリドスのコアが急激な光を放ち、エネルギーが中央に収束していく。

 

『馬鹿な…よせ!やめろ!』

セレンが何かに気が付いたかのように叫ぶ。

 

「俺にはここで死ねる理由がある」

瞬間辺りは強烈な光に包まれフェラムソリドスのコアは爆発四散した。

 

 

 

 

 

「クソ!ネクストごと自爆しやがった!おい!おいガロア!て、あれ…」

送られてくる映像が全て唐突に閃光に包まれたのを見てセレンは辺り一帯を巻き込んだコジマ汚染を狙う自爆だと思った…のだが。

暫くすると画面は復旧し自分の予想が間違っていたことを知る。

 

『……』

 

『…ジェネレータ以外はほぼすべて吹き飛んでいます』

 

「情報を渡さない為か…」

重厚な装甲に包まれていたフェラムソリドスは内側からの爆発により外装がわずかばかり残るのみであり、

その外装も今、山間部に吹き抜けた風により崩れ落ちた。

もちろん、ラスターは跡形もなく消し飛んでいる。

 

「ただのテロリストではないな…ガロア…これからの戦いは厳しいものになるぞ」

ジェネレーターの内側に一定以上のエネルギーを出すことで周囲を巻き込む強烈なコジマ爆発を引き起こすことが出来る。

リンクス戦争の終盤で少数であるが自律型ネクストによりその手段は用いられ地球のコジマ汚染は一気に加速した。

今、敵機のジェネレーターがほぼ無傷で残っているのは「コジマ爆発を起こさないようにした」為としか説明のしようがない。

ここでコジマ爆発を起こしておけば自分の命と引き換えにガロアとCUBEの命を消し飛ばすことも出来たはずだ。そんな機能が積んであればだが。

今回の敵は相当な強敵、しかも情報によればこの短時間で都合四機のネクストを相手取ったほどの敵である。

そのような敵が無秩序な暴力でなく、信念を感じさせる行動をしていた。

これがもし団体理念に基づくものであり、今回の敵と同等のネクストがいるというのならば。

 

「秩序を得た力はすべからく信じるに足る大義名分がある。そして信じる物の為に戦う力というのは、強い。迷いがないからな。…とりあえず、帰還しろ」

 

『……』

その言葉を受け二機はカラード方面へと向きその場を発つ。

だがガロアはその最後の瞬間を頭の中で繰り返し再生しており未だ心は戦場に置いたままであった。

自分を使い捨ての兵器と吐き捨ててなおその命を賭ける程の覚悟。

命を懸けるに値する正義。

ただひたすら自分の為に戦うガロアにとってその死にざまは非常に不可解なものであった。

 

 

 

かさり、と枯葉が音を立てる。

重なる枯葉の隙間からいかにも鈍重そうな赤茶けた虫が出てくる。

 

「ふふ…もう私の顔を覚えてくれたのですか?」

髪を七三分けにし、丸眼鏡をかけたいかにも神経質そうな男がつぶやくと立て続けに最初に出てきた虫よりも大きめな虫が葉の隙間から這い出てくる。

 

その発言は奇妙な妄想のようにも取れるが、男が虫かごに指を入れると虫たちはさもじゃれつくかのように指に纏わりつく。

気の弱い者ならそれだけで卒倒しそうな光景だが男は幸せの絶頂と言った顔だ。

 

「…どうしました?」

後ろを振り向くことなく自分の背後に位置する部屋の入り口に立った男に声をかける。

虫たち、男の可愛い鎧モグラという種の虫が微妙に揺らいだのを見て人の気配を察したのだ。

 

「ラスターがやられた」

入り口に立つ男はそれ以上は入ってこない。

神経質そうな男が苦手…だからではなく、そこにいる虫に近寄りたくないのだ。

入り口に立つ男の名はブッパ・ズ・ガン。もちろん偽名である。

ざんばら髪に見え隠れする細い釣り目のすぐ下には大きなマスクがあり、どこを見ても人から好印象を受ける要素がない。

 

「あら。彼は結構強かったと思いますが」

 

「四機のネクストを相手にしたそうだ」

この二人はラスターの所属する組織の人員、貴重なリンクスである。

が、仲間であるはずのラスターの死を話しながらも神経質そうな男は鎧モグラから目を離さないしブッパもそれほど重大な話をしているような雰囲気ではない。

 

「ほう」

 

「そして撃破したのは、あのガロア・A・ヴェデットだそうだ」

 

「…はぁ…。ブッパ・ズ・ガン、あなた、わざわざそれを報告しに来てくれたわけではないでしょう?」

眼鏡を指で上げ初めて振り返る。ブッパは組織の中でも特に団体行動を好まない。

普段任される作戦もひっそりと敵拠点に近づき強烈な一撃を叩き込んで退く、というような作戦ばかりだ。

何もない時は他人に話しかけることなどないしましてやわざわざこのような面倒を引き受けるような男ではない。

 

「その通りだPQ。そのリンクス、そそられないか」

 

「…動きましょうか。きっと面白いことが起きますよ」

 

「…ああ」

この男はラスターの所属する組織の中でも特に好んで破壊工作などの汚れ仕事を引き受ける人格破綻者であり、

ブッパはその同族であるPQを誘いに来たのであった。次の破壊を引き起こすために。

 

 

 

 

 

「ナツメグを入れることにより風味が出てより一層食欲を引き立てるのデス」

 

『…そんなことわかるのか?』

 

「そういうものなのデス!ですが今は香辛料というものは嗜好品になってしまい中々手に入りにくくなってしまいマシタ。同じ畑を使うのならエネルギー効率のいいものを育てるべきデスカラ!」

 

『ならいつか食べてみたい』

 

「いつか、いつか食べられマス。きっと」

物を優しく挟む、それだけの目的のトング型のアームがガロアの頬に優しく触れる。

ああ、でも。どんなに優しくても。

これは機械なんだよな。

 

 

 

ひやりと肌をなでられる感覚を確かめる。

そこは見慣れた自分の部屋だった。

身体を起こしたガロアは親指で目をこすりながら頭を動かしていた。

 

「……」

正体不明の強敵との戦い。

その後も正体はさっぱりつかめずカラードからの情報も無し。分かっていないのか分かっていて明かさないのか。

だがそれと今まで見てた夢も自分の部屋でさらさら風が吹いていることも関係はないはずだ。

 

いや、このひやりとした風が昔の記憶を呼び起こしあのような夢を見たのかもしれない…が、とりあえず窓は空いていない。

閉じきっていない自分の部屋の入り口を開けると迎えたのは開け放たれたままの玄関と濃厚なアルコール臭。

 

とりあえず冷気の元である開けっ放しの扉を閉める。

いくらセキュリティ付きのマンションとは言えこれはあまりにも不用心、特に若い女性が住むということを考えれば。

と、チェーンをつけながら気が付く。

ひんやりとしている?もうそろそろ夏の足音も聞こえる時期なのに?

 

ああ、まだ寝ぼけていたのか。

今がまだ日が出るか出ないかの時間で。そして泥棒さんいらっしゃいとばかりにドアを開いていたからうすら寒かったのだ。

こんな時間に目覚めた理由は分かった。

 

して原因は。

玄関はリビングダイニングに続き、リビングは自分とセレンの部屋の二つに繋がっている。

リビングに戻ると今しがた出て、開けっ放しの自分の部屋の隣で、音量調節機構の壊れた酔っぱらいの口よりも大きく開け放たれたセレンの部屋の扉、そして中身が見える。

 

服をそのあたりに脱ぎ散らかし、下着だけの姿で床にクッションを抱えながら寝ているセレンは泥酔しましたと言わんばかりだ。

 

抱えているクッションは寒気と眠気に押し押されしながら勝ち取った戦利品なのだろう。

そしてその過程の被害なのかあたりに書類やら箱やら元が何だったのかわからないものまで散らかっている。

酔い果てながらも、この部屋まで何とか辿りつき床で睡魔に負けたものの、寒さに夢から引っ張られ、

それに抗うために辺りを探って暖をとれる物を探した結果…があのクッションならば、それは大敗と言わざるを得ない。

 

恐らくは冷気にあてられ既に不調を二、三獲得したような夢見の悪い表情をしているし、何より部屋の惨状は目も当てられない。

何故せめて1m先のベッドまで辿りつけなかったのか。

 

とりあえずこれ以上季節外れの病気を引き込んでもらっては困るので、部屋に入り(その過程でいくらかのセレンの私物を踏んでしまったのは仕方がないことだ)、膝の裏と首に手を回し持ち上げる。

 

「…??…?」

その時感じた太腿の柔らかさと首筋から酒臭さを打ち消してなお香る艶めいた芳香、そして何よりも、思ったよりもずっと軽く持ち上がったその身体にガロアは胸から広がる短い震えを感じる。

そそくさと布団に乗せ毛布を被せ、それでも寒そうだったので自分の毛布もかけておく。

下着だから寒いのではとも思ったが、なぜだか今ぐったりと寝息を立てているセレンに服を着せる勇気のようなものが出なかったし、何よりこの部屋のどこにセレンの服があるのかがわからない。

いや、その辺に散らかっているのだが、正確にはどれが『洗濯済みの寝間着かわからない』のだ。

首から下、つま先の上まで毛布をかけてから月明かりがセレンの未だに夢見悪そうに眉を顰めている顔を照らしていることに気が付き、そして先ほどの震えがまたガロアの毛先まで震わせる。

 

カーテンを慌ててしっかり閉めて部屋から出てふと思う。

自分はドアの類は必ずしっかりと閉める。

そのように教育を受けてきたし、自分の育った土地では完全に閉めているか、少しだけ開いているかの違いが冗談ではなく命に関わるからだ。

つまり、先ほど寝ぼけていて気付かなかった少しだけ開いていた自分の部屋のドアは誰か…いや、言わずもがなセレンに開かれ、閉じられたものに違いない。

何故自分の部屋に立ち寄ったのか、何故この扉は閉めて玄関は全開なのか、何故真っ直ぐ自分の部屋に向かわなかったのか、と思うことは多々あれど、

先ほど思った部屋の惨状が大敗というのがそうでもないのではないか、と考えを改める。

 

あれほどの美人が道で爆睡していたら、一体どうなるのか。

窃盗程度で済めばいい。もしそれよりも下卑た者にそれ以上の物を奪われることになっていたとしたら。

 

「……?」

リビングの椅子に座りいつの間にか拳を握りしめていた自分がいた。

とりあえずコーヒーでも飲もう。

 

そう思い冷蔵庫の方までふらりと歩き扉を開く。

 

「……」

そこにはラップに包まれた牛豚合挽肉があった。

そういえば昨日、小分けにして冷凍していたこの肉を明日の料理に用いようと冷蔵室に移したのだった。

 

『ナツメグを入れることにより風味が出てより一層食欲を引き立てるのデス』

 

「……」

今は4時28分。どうも眠気が覚めてしまった。

そしてあと二時間もすれば自分たちは起きる時間である。

セレンがあれできっちり起床できるかはわからないが。

 

ガロアは先ほど自分の脳髄をチクリと刺した感覚を置いていくように夜明け前の街へ出た。

 

 

 

 

酒を好む者は甘いものが苦手。

どこで得た知識だったか覚えていないが、それが普遍のルールというわけではないようだ。

 

24時間営業しているコンビニエンスストアでガロアはゾンビのように起き上がるであろうセレンの機嫌が少しでも悪化しないように水と幾らかの甘いものを籠に入れ、そして当初の目的のナツメグを発見する。

 

「……」

金銭感覚がまともである自信は無いが、それでも1リットルの水の12倍の値段もするこの軽い軽いナツメグの袋は果たして安いと言えるのだろうか。

しかしどうせ持っていても使わない金。

籠に入れてしまいレジへと向かう。

白いベルトコンベアに乗せ、カラード登録証を認証機にかざすと引かれた金額が表示され、奥へと運ばれていった商品が袋詰めされて戻ってくる。

 

「ガ」

 

「……!」

 

「ロアくん」

呼び終わるよりも速く振りかえり、そこに顔見知りを確認する。

店内に人がいたことにも後ろに立たれたことにも気が付かなかった。

まだ寝ぼけているのかそれとも考えにふけり過ぎていたのか。

 

「びっくりしたー」

 

「……」

そこにいたのはメイ・グリンフィールドだった。

手には缶コーヒーと煙草を持っており普段よりもずっとラフな格好をしている。

驚いたというのは自分が急に振り返ったからだろうか。それとも、

 

「こんな時間に外にいるんだもん。何?夜食に甘い物?」

…こんな時間に外にいた自分に対してらしい。

 

「……」

 

「ま、運動あれだけしてるなら太らないだろうけど」

言いながらガロアの脇を抜けさっと買い物を済ませてしまう。

その時に彼女の髪から漂った匂いは100人に聞いて100人が良い香りと応えるようなものだが、先ほど酒気交じりに鼻を刺激したセレンの匂いを嗅いだ時のような感情は起こらなかった。

 

コンビニを出ると何故かメイもついてくる。買い物を済ませたのだから当然外に出るモノだろう、というのはまあ当たり前の考えではあるが、明らかに何か言いたげな顔をしてついてきている。

重要なことではなく、ことのついでなのだろうがどうもこそばゆい。

それは先ほどからセレンに対しよくわからない…なんとなしに水面に石を投げ込んだ時に水底から泥が舞い上がったのを見たときのような感情を抱えているからだろうか。

 

「セレンが今日」

 

「!?」

この女は読心術でもあるのだろうか。

なんで甘いものと水と香辛料なのか、とかなんでこんな時間に出歩いているの?と聞かれるものだと思っていたのだが。

 

「私何か変なこと言った?…ああ、そう、でセレンが今日ね」

 

「……」

しまった。携帯も紙もペンも家にある。つまりは今自分はボディランゲージ以外に物事をこの人に伝える術を持たないのだ。

 

「カラードで怒り心頭って顔して歩いていたわ。あの子が激怒するのってたいていあなたのことだから…何かあったんじゃない?」

 

「……?」

 

「…少しは戦うこと以外にも頭使った方がいいと思うわ。じゃあね」

言いたいことだけを勝手に言いそしてメイは右へと曲がり明けてきた街にするりと消えていった。

明るい性格とは裏腹に何故か彼女は夜の街の方が似合う。

 

「……」

一体何が言いたかったのだろう。

とりあえず言われるがまま、歩きながら推理を開始する。

何かを怒り散らかしながらカラードで歩いていた。

セレンには悪いが…激昂しているセレンと普通でいるセレンが半々くらいの割合で思い出にファイリングされているのでその姿はありありと思い浮かぶ。

そして怒りに任せヤケ酒…セレンのことだからヤケ食いも入っているに違いない。

酒漬けの胃袋を夜風に晒し続けたとなっては起きたときの体調不良は免れないだろう。もしかしたら夜の街の電柱に胃の中身をぶちまけてきたかもしれない。

胃腸薬はどこにしまったのだろうか。上手く思い出せない。

卒倒一歩手前になりながらマンションにたどり着き玄関、リビングの扉を開け放ちそして、自分の部屋に入ってきた。

 

『先に部屋に帰ってろ』

ミッション終了後に言われた言葉がこれだ。

言われたとおりにし、帰ってくる気配も連絡も無かったので先に食事を済ませて自分は寝てしまった。

 

そして寝ている自分を見てセレンは部屋を出ていき服を脱ぎ散らかしながら自分の部屋に入ったところで力尽きた…こんなところだろうか。

 

「…!」

そういえば、ガロアの部屋の扉はしっかりではないものの閉じられていた。

玄関、リビングまでは怒り心頭のまま蹴り開いたのであろうことは想像に難くない。

だが、ガロアの部屋から出るときは少なくとも部屋の扉を閉めるくらいの冷静さを取り戻していたのだろう。

 

怒りが静められるのはどんな時なんだろう?

 

色を失って遠い記憶を思い返す。

 

「……」

それは…安らぎを、安堵を感じたときだろう。

だからこそ、それを知っているから自分は戦いに身を置き、訓練を重ね続けてきた。安心しないように。怒りが風化しないように。

セレンは、自分の部屋で安らぎを感じた?

だが、生憎、殺風景な自分の部屋にそんなものはない。

 

まさか、自分に安心を?

ただ、ただ自分の為に戦う、自分に?

 

そういえばセレンにとって自分はなんなのだろう。

複雑な感情はあれどそれでもセレンは自分を戦いの場につなげてくれる存在であったし、今もそれは変わらない。

戦い方を教えてくれたこと、戦いへと導いてくれたことに感謝し、師として尊敬している。

しかし、セレンは自分のことをどう思っていたのか。

 

考えたことも無かった。

 

などと考えるうちにマンションにたどり着いてしまう。

玄関をあけるとそこには今起きたばかりだという顔をしたセレンが玄関入ってすぐの風呂場にいた。

 

「…んあ…どこに…」

 

とりあえず着替えたのだろうか、下着だけということは無くシャツを着ており洗面台に向かい顔を洗おうとしていた。

 

「……」

 

「水…?すまない…買ってきてくれたのか」

今買ってきたばかりの水を渡すと酒と眠気が両目にこもった視線を漂わせながら礼を述べ、一気に飲む。

 

「……」

墓地に出る幽霊のように背を曲げていたのをペットボトルを口につけ垂直に持ち上げる過程で背筋を伸ばしたことにより気が付いたが下着を着けていない。

煽情的な双丘はゴクリゴクリと音を立てる喉から完璧な接続を果たしており、鎖骨から下はシャツに隠れ見えないが、その膨らみの頂点はまた小さくぷっくりと膨らんでいる。

やばい、と思ったが眼を逸らせなかった。

 

よく見ればこのシャツは自分の物だ。

寝ぼけているのかなんだかわからないがこれは着替えたとは言い難い。

ただ着ていたものを投げ捨て適当に何かを身に着けただけだ。

もしや。シャツに隠れていてわからないが下もなのだろうか。

 

「……」

風呂場を通り抜け、リビングの机に上に袋を置き溜息を吐く。

なんというか、若い女性があれでいいのだろうか。

風呂も入らず寝こけてなおさらさらとその艶を失わずまた癖もつかないその髪も、睡魔と酒気が乱闘を繰り広げボロボロになってなお筋が通った鼻に湿気を失わないその唇。

紛れもない美人なのにあれでは…

 

「…?」

あれでは?

あれではなんだというのだろう。

若い、美人の女性がだらしないのは多分に問題なのはわかる。

そしてセレンもその若い美人の女性に含まれるのも間違いない。

それがキチンとしたら、どうなるんだろう。

きっと、それはもう理想的な女性として、数えきれない程たくさんのアプローチを受けるのだろう。

世の男性から。

 

「???」

ぞくぞくと身体が震える。だがそれは明朝、セレンの身体を抱えたときと似てはいてもまるで真逆の感情から生まれた震えだった。

 

「なあ」

 

「!?」

 

「何を面白い顔をしているんだ?朝ごはんにしよう。二日酔いに効く奴」

朝食にしようと言いながら用意するのは当然と言わんばかりに自分だし、しかもむちゃくちゃな要求をされた。

 

「…?」

そして。

今まで何を考えていたのかも忘れたガロアはとりあえずさっぱりとした朝食を作ろうとキッチンに向き合った。




ラスター18

身長176cm 体重77kg

出身 マリ


元々深い考えがあってノーマル乗り及びリンクスになった訳では無いが、腕を磨き戦場で勝利していくうちに次第に自分の腕を活かす場面が欲しい、
企業の手先では無く戦士としての誇りを持って戦える好敵手が欲しいと考えるようになった。
ORCAに入団したのもその目的に誇りを感じ、いずれ自分の欲した好敵手が得られると考えたから。
その望みは戦場で戦士として死ぬことだった。
ORCAの機体はわざわざ自爆装置を起動させなくてもAPが0になれば自動的にコアが爆発するが、
敗北を察したラスターはガロアへの称賛と誇りを胸に自爆をした。


趣味
インターネットの掲示板で大真面目に書かれた18禁グッズのレビューを読むこと(買う訳では無い)
ヒゲをぬくこと

好きな物
炒飯
ボロい重機のエンジン音


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AFグレートウォール撃破

「ダンくん。準備はいい?」

 

「ああ、いつでもいける」

 

「……」

 

「な、なあ」

ガタガタと揺れる巨大な撤回の仄暗い内部でダンは尋ねる。

 

「ネクスト三機も使うミッションってなんだよ?そんなに難易度が高いのがなんで俺なんかに…」

 

「…それは…」

 

「デモンストレーションだ。企業に逆らう愚か者どもへの、な」

 

「デ…?概要すら聞いてないんだぜ、有澤社長。意味が分からねえよ」

 

「いいだろう。ミッションの概要を説明する」

灯りの一つも点いていないというのにほんのりとだが明るいその部屋には、無数の光源がある。

三機のネクストと数多のノーマルのアイの光だった。

 

「今回、アームズフォート、グレートウォール及びノーマル600機、さらにセレブリティ・アッシュ・雷電・メリーゲート、共同で行う作戦はテロ組織の鎮圧だ」

 

「中規模のカラード反対勢力の拠点であり、そこに所属する敵の数は不明確だ。見ろ」

言葉と同時に簡略化された地図がダンのコックピットに映し出される。他の機体にも映し出されているのだろう。

 

「面積5.1平方キロメートルの作戦領域内に潜伏する敵を全て殲滅する。どこに潜んでいるかは分かっていない。よいか、殲滅だ。制圧ではない。鼠一匹も逃すことまかりならん。

まず周囲をノーマル部隊で封鎖、後にネクストを発進させる。作戦領域の右方からはこちらが、左方からももう一基のグレートウォールがおり、敗北はまずあり得ない」

 

「よって、今回の報酬は歩合制となっている故、各自確認しておくように。以上だ」

通信が途絶え、コックピットに新たな情報が届く。

 

危険の少ないミッションと聞いて内心安堵しながら届いた情報を開いてダンは息をのむ。

 

ネクスト 100000C/1

ノーマル  10000C/1

MT 1000C/1

戦車・ヘリ  100C/1

人(武装)   10C/1

人(非武装)   1C/3

 

「な…え?」

ネクストが来るのかもしれない、それはいい。

いや、よくないのだが。

問題は非武装の人が三人につき1コームと表記されていることだ。

 

プライベート回線を開きメイに話しかける。

 

「な、なあ。非武装って…」

 

『言いたいことはわかるわ。ダンくん。こういう汚れ仕事は大して力もない、けれども一般兵力に対してはやはり絶大な力を持つ私たちのようなリンクスに回ってくるものよ』

人々の目標となるような上位リンクスには華々しいミッションを。

そうでないリンクスには汚れ仕事を。

そんなことはある意味当たり前だ。そうではなく。

 

「非武装の人ってどういうことだよ!逮捕とか、それじゃダメなのか!」

 

『何のために有澤社長が帯同していると?これはカラードが主体として行っている作戦なのよ。敵なの。カラードの。敵対せず、地下に潜んでいるならばよし。でも彼らは敵対することを選んだ。…その結末が今から始まるのよ』

 

『嫌なら、降りなさい。ネクストが一機いなくてもかわりないわ。蹂躙なんですもの、これは』

 

「…っ…」

 

『作戦開始までまだ時間があるわ。顔でも洗ってきなさい』

顔の見えない会話だがしかし、メイはダンの、ダンはメイの表情を実に的確に想像できていた。

ダンはリンクスに夢を見過ぎだし、メイは現実を知り過ぎている。

それに、どんな大義名分を得たところで、自分たちがこれからすることは大量殺戮には変わりない。

メイは優しい言葉などかける気にもならず、ダンはもう何も聞きたくなかった。

 

 

 

 

 

『何か妙だ』

 

「…?」

準備を終え、コックピットの中で耐Gジェルが充填されていくのを待っているとセレンからそんな通信が入る。

 

『何の策略の臭いもしない。本当に今は戦力が削がれているグレートウォールを落とせという風にしか聞こえない。今までは共倒れ万々歳という声が聞こえてきそうだったのに』

 

「……」

…いいことなんじゃないのか。…多分。

 

『まあ、策略がないとは言え、地上最強の一角と言われるグレートウォールだ。くれぐれも油断はするな』

発進する前に訝しんでもしょうがないしな、という呟きも聞こえてくる。

 

『とにかく、堅牢な装甲は厭味ったらしいあの仲介人をして認めざるを得ない物だと言っていたのだから相当なのだろう。内に入り、エンジンを破壊する。作戦通りにな。

しかし、グレートウォールは金剛不壊の輸送列車なのだが…内部に入れと言うのか?それも妙だ』

妙だ妙だおかしいおかしい、とセレンは呟き作戦の時間は近づく。

 

 

 

 

一秒ごとに人が消し飛んでいく。

思わず手をついた建物の外壁は崩れ中に潰れたザクロの色彩が花開く。

 

「…ひぃっ!」

それは積み重なった死体だった。ダンはリンクした感覚に慄き手を振り払うようにして建物から離れる。

幼子を庇う様な形で大人が囲っているがそのどれもが焼けこげ一部は炭となり子供の胸には人の拳ほどの穴が開きその目は何も映していない。

 

「もう…死んでる…!クソッ!」

直感と共に振り向き後ろに迫ったノーマルをライフルで鉄くずに変えるが最後っ屁とばかりに放ったノーマルのミサイルが巨大な棺桶と化していた建物を吹き飛ばす。

 

「うぅ!なんなんだよ…なんかおかしいぞ…」

確かに。

この一見平和に見えた町はテロリスト達の住処であり。

その富はどれも硝煙と血の臭いが濃いものであった。

だが、それだけではない。

自分達の襲来に対し多数のノーマル・MTが出現…しかしなぜだろうか、その中の何機かは同士討ちを始め空からは幾つもの尾を持った追尾する爆弾が人も機械も破壊し続けている。

視界内に入った敵ならばENEMY、味方ならばFRIENDと表示されるが今回は複数の認識不明機体、つまりUNKNOWNが紛れ込んでいる。

だがとりあえず今分かるのは、UNKNOWNも敵だということだ。

 

ドゴン、と後ろで鳴った爆音、ついで飛んできたひん曲がった銃は敵の物か、味方の物か。

 

「あ!」

機械により補正され強化されたその眼は正確に、逃げようとする三人の親子を発見する。

 

(早く逃げろ…!)

この映像は後々カラードで検められ、そこで正確に戦果がはじき出され報酬が出される。

そして、もちろん怠慢も逃しはしない。

だが、それでもダンは見逃した。

言い訳なんて後でなんぼでも用意すればいい。

 

「!!」

その家族が曲がり角に差し掛かった瞬間にノーマルがぬるりと姿を現し明らかに家族を認識する。

 

「あれは…」

認識コードは…UNKNOWN!!敵だ!

そしてあの家族の味方とは限らない!!

 

「…ちくしょう!間に合え!」

それは謎の狂乱マシーンの一つだったのだろう。カメラアイが瞬き右手に持つ異様な口径のライフルを掲げ、母親は二人の子供を抱き機械に背を向ける。

母の愛がいかに強くてもアレは間違いなく母の心も子の心も空虚な穴とせしめるだろう。

 

「オラァ!!」

思えば狙ってブレードを当てれたのは初めてかもしれない。

けれども喜びに浸ってる暇はない。

まだノーマルは動いている。コックピットを貫いたのに!

そのまま建物まで激突させ動きを押さえつける。

 

母の眼にはどう映ったのか、こちらに頭を下げ走り去っていく。

まだ首が座ったばかりであろう赤子は母親の肩越しにセレブリティアッシュのエンブレムをその目に映し無邪気に笑い…

 

母親に手を引かれる10も数えぬ年頃であろう少年はその目に飛来する特攻兵器を映す。

 

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああ!!!」

飛び込んでも轢き殺してしまい撃ち落としても爆死させてしまい無視しても死ぬ。

 

瞬間、そこから眼を背けたのは精神の自衛の為だろうか。

 

一瞬遅れて聞こえた爆音に振り向く気にもなれなかった。

 

「社長!!戦力がおかしいぞ!!こいつらただのノーマルじゃない!!」

 

『こちらも確認している。一基のグレートウォールで完全に街を包囲、全機体を出撃させ、もう一基のグレートウォールに搭載した機体も最低限だけ残し全機発進させる。

さらに間近い基地に行き増援をグレートウォールに積みすぐに戻ってくる!待っていろ!』

グレートウォールには前後という物は無く、前にも後ろにも自由に進める。

加速こそ鈍重だが、限界まで荷を積んでも最大で1200kmで地上を走れる。

先に通信を入れ、増援の旨を伝え、滞りなく搭乗させれば計算では18分前後で戻ってこれる。

 

 

 

 

「グレートウォール移動を開始します!」

通信が入り有澤隆文はうむ、という言葉を吐き出そうとして喉もとで止める。

 

「私も行く」

 

「な、何故?」

 

「理由を説明する暇はない」

 

「…わかりました」

ハッチが開きすぐに機体をグレートウォール内に押し込む。

悪寒、予感、というほど立派なものではないがどうにもある種の嫌な感覚がある。

それは今回の作戦発案者がBFFの王小龍だということも恐らくは関係している。

奴がGAをBFFの支配下に置きたがっているのは、まぁわかりやすいものだ。

ではそのためにはどうするのか。

史実に倣えば…史実というほど時間を遡るものでもないが、つい最近でもリンクス戦争で力を失ったローゼンタールはオーメルと主従逆転している。

このグレートウォールはGAにとって主戦力の一つに他ならない。

総戦力の大半が削がれているグレートウォールに砂漠の中央を走らせるなんて襲ってくださいと言わんばかりだ。

GAと良好な提携関係にある有澤重工としては万が一にもそんなことは容認できない。

 

 

 

 

『アスタ・ラ・ビスタの東側に今回の目標となるグレートウォールが停留しているとのことだ。…街の傍に停まってしかも戦力がほとんど残っていないというのは…まるで火事場泥棒だな…』

 

「……」

大型ヘリの中でセレンからの通信を聞きながらマップを確認する。

カメラに映る世界の殆どが砂漠化していて、信じがたいがこの辺りは約20年ほど前までは大都市だったらしい。

 

『!ガロア!今すぐ発進しろ』

 

「…?」

理由を聞くまでもなくモニターに別のカメラからの映像が送られてきて訳を察する。

そこには砂漠を横走するグレートウォールが映っていた。

 

『いい加減な仕事ばかりしやがって…!走っているグレートウォールに乗り込めと言うのか!』

セレンの罵倒が終わる前にヘリの扉をマニュアルオープンし飛び降りた。

 

 

 

 

 

『有澤社長!敵機と思われる機影が!』

 

「やはりか…」

暗い車内で待機していた有澤隆文は通信に対しぽつりと呟く。

遠くから聞こえる雷鳴の如き戦火の音、

馬鹿げた大きさのエンジンから出る稼働音により車内は凡そ平穏とは遠い雰囲気なのだが、先ほどから何故か体の中にざわつくものがあり外の音がやたらと遠くに聞こえていた。

この肌を泡立たせるような矛盾した静寂。強敵との戦いの前には必ずと言っていいほど起きる物だった。

科学がこの世の理となるこの時代でも少なからず説明できないことはある。

魂が予感している、とでも言うべきだろうか。

 

「落ち着いて情報を報告しろ」

 

『あの…黒い機体は…ランク17、アレフ・ゼロ、です…』

 

「…!」

言葉に色があったら蒼白そのものであろう通信士の報告を聞き有澤も顔色を変える。

万全な状態のスピリットオブマザーウィルとカブラカンを落としたあの悪魔。

それが今、内在戦力も総弾数も最低限しかない状態でやってきたのだという。

 

「限界出力で進み続けろ。全ての弾をくれてやれ。後部車両の入り口の防御を固めろ」

酷く現実的な事しか言えなかったが、そこにさらに一つの案を乗せる。

 

「私は二車両目で待機する。万が一侵入してきた場合は…その位置を送れ」

 

『待ち伏せですか』

 

「虎穴に入らずんば虎子を得ずとな…」

 

『来ました…迎撃システム全展開します』

 

「ふむ」

低く喉を鳴らしながら有澤はまた愚か者を迎え撃たんと所定の場所へと向かった。

 

 

 

 

『!?』

 

「!?」

空中で砂漠に吹く風に流されないように操作しているときに地平線の果てが目に入りセレンと2人で息をのむ。

 

『なんだ…!?向こうは…アスタ・ラ・ビスタがある場所か?やはり大規模な戦闘が起きていたのか…途中でグレートウォールが撤退した意味はわからんが…

万全の状態ではないというのは信頼できそうだ。現在のグレートウォールの速度は320km、加速度は21.6m/s^2…恐らくは最大の加速をしているのだろう、ぐずぐずしているとあの化け物においていかれるぞ』

 

「……!」

あの鉄の塊でその加速度は異常としか言いようがない、早めに内部に侵入せねばと、思った瞬間にグレネードがダース単位で飛来してくる。

辛うじて躱したが、その砲門は正確にこちらを向いておりリロードが終わったら即座に放たれるだろう。

よほど腕のいい砲術士がいるのだろう。感心する暇もない。

彼我の距離は凡そ1km。まずはあの巨大なガトリングに似た大連砲を切り捨てる。

 

「…!!」

ゴォッ!という音は回避してから数瞬後に耳に届く。

あれだけの質量をあれだけの速度で放ったものに直撃などしたらただでは済まないだろう。

 

辿りつき刃を突き入れ機能を停止させる。

 

『そのままグレートウォールの上部に沿ったまま端まで行け。内側へ向く砲台などという酔狂な物はそうそうついていないだろう』

言われてみればその通りである。

その言葉に従いガロアは天井に沿い進んでいく。

 

 

 

 

 

 

『侵入されました!ダメです!内部戦力では止め切れません!』

 

「そうだろうな、それでいい」

あの怪物を数と地の利がある程度で封殺できるとは思っていない。

 

だが、それ以外にもう二つだけアレフ・ゼロとそれを囲む環境に差がある。

 

「奴の位置を雷電に送れ」

 

『了解!』

即座に内部の図の上にいくつもの赤い光点が光る簡易図と監視カメラからの映像が送られてくる。

赤い光点の一つは異様な動きで次々に別の光点を消しており、監視カメラからの映像はそれに違わぬ惨状を映し出している。

目の前に来た機体、隠れて機会を伺う機体、等しく撃破し次の車両へと向かう。

 

まず一つの差。

この車内は敵方の空中浮遊型遠隔操作カメラ、つまりリコンの視界内に入らず、敵とそのオペレーターに送られるのはアレフ・ゼロからの映像だけである。

一方の自分たちはその場所から目的、速度に至るまで寸分の狂いなく把握できる。

無論その程度でノーマルが押し寄せても撃破には至らないだろうが、それでも効果的に、いやらしいタイミングで攻撃が出来る。

 

「正しく、袋の鼠だ」

 

そしてもう一点。

 

閉ざされたシャッターの10m手前で有澤はその瞬間を待つ。

 

『二車両目に到達します!推定残り五秒!四…三…』

 

「…開け!」

恐らくは目の前で閉ざされたシャッターを切ろうとしたのだろう、合図と同時に開いたシャッターの向こうでは右上段に青いブレードを煌めかせたアレフ・ゼロの姿が見え、

そして完全に開く直前に発射した両手と肩に装着された有澤の技術の粋であるグレネードがアレフ・ゼロに反射の間もなく直撃した。

 

 

 

 

『AP10%!!なんだ!?何が起こった!?ガロア!』

 

「……、…」

遠のきかけた意識がセレンの怒声で引き戻される。

辛うじて、本当に辛うじて目の前に飛んできた三つの榴弾を切ることが出来た。

100分の1秒でも遅れていたら今頃アレフ・ゼロは胴体が吹き飛び自分はそのまま精肉店におかれてもおかしくない程の見事な挽肉となっていただろう。

だがそれでも現存する実弾兵器の中では最悪の部類に入る威力を持つそれは爆風だけでアレフ・ゼロを機能停止一歩手前まで追い込み、ガロアの意識を刈り取った。

 

有澤の言う差。

それは圧倒的な攻撃力だった。

 

『鼠が迷いこんだか…困ったものだ…』

 

『有澤…!?こんなところでか!ガロア、動けるか!?退け!!今は圧倒的に不利だ!』

 

「……」

まだ朦朧とする意識に鞭をうちなんとか立ち上がる。

追撃は、こない。

 

 

 

 

 

 

 

「鼠が迷いこんだか…困ったものだ…(何故…生きている…?)」

車外、車内で与えた今までのダメージ、そして同時発射された三発のグレネード。

計算するまでもなく間違いなく敵機をスクラップに変えていたはずだ。

なのに何故、まだ原形を留めており…あまつさえ動こうとする?

 

(…!)

先ほどの自分とシャッターの距離は10mほど。

そして現在の相手との距離は30mはある。

つまり、あのまま振り上げていたブレードでグレネードを切り、そのまま飛び退りダメージを軽減したというのか。

 

「…後部車両を切り離せ。内部は爆破し、外装を後日回収する(化け物め…不利になったのはこちらか)」

 

『よろしいのですか?』

 

「全てを失うよりはましだ。やれ」

 

『了解』

 

大艦巨砲主義を掲げている有澤の技術の結晶である雷電はその通り、一撃必殺を旨とした攻撃と防御だけを突き詰めた機体である。

しかし、そのコンセプト故、小回りを利かせるなどという中途半端な発想は取り入れていない。

つまり、弾の再装填にも時間がかかる。

さらに敵は近接戦闘重視型だが雷電はそもそも敵を近づかせずに殺すのが本来あるべき姿である。

また、実弾防御は最硬であると間違いなく言えるがEN防御の面ははっきり、弱点と言うべきだ。

この距離は非常に頂けない。もしすぐにでも敵の体勢が整えば斃れ骸と化すのは自分の方だろう。

それならば今自分がやるべきことは…

 

「今は攻撃をするな。(時間を稼ぐことが最優先だ)」

 

『了解』

下手に刺激をして飛びかかってこられてはこの勝負は五分とはいかなくなる。

社長にまで成り上がってきて培ってきたその口を以て時間を稼ぐ。

 

「忌まわしき人面獣心の小僧…人の道を外れし復讐者、何故迷いなく進む?」

 

『……』

 

「貴様が殺した者の数だけ悲しみと自分の同類を産むとは考えぬのか?」

 

『……』

 

「この機体も、このAFも成程、殺しを為す兵器ではある。が、その一方で世界の安寧を保つという役もある。力を持つものとしての貴様の生き様はなんだというのだ?」

もちろん自分の言っていることなど詭弁の類である。

須らくリンクスもレイブンもただの兵士もただのコマでありその行動の正しい理由など存在しようがない。

あえて言うのならば殺人を成さねば生きていけないこの世界を作り上げた国、そして企業にこそ罪があるのだろう。

 

『……』

だが、相手には思うところがあったのだろうか、自分の話を黙って聞いている。

距離は開けて120m。

 

「大義もなくただひたすら己の目的の為に死を蔓延させるお前に真っ当な理由はあるのか。その復讐は世界の均衡を崩してでも釣り合う物なのか?貴様は、ただ強い。それだけだ…」

準備は整った。

 

「死ぬがよい」

確実に引導を渡す、その引き金を引いた。

 

 

 

 

『ガロア!退け!聞こえないのか!!』

 

「……」

再び飛来したグレネードを避け車外に飛び出す。

グレートウォールは徐々にスピードを上げ、いずれは全力でも追いつけなくなるだろう。

 

「……」

そして、しまった、とも思う。

辛うじて避けた二発目の両腕からのグレネード。

このような連射の出来ない機体を相手にするときは、弾丸の再装填までの時間を計ることがなによりも重要である。

それぞれの兵器のリロードにかかる最短時間がわかってさえいればその隙を縫って攻撃を叩き込める。

だが今、再装填は終わり、そして両腕と肩についたグレネードを同時に撃つような愚はもう犯さないだろう。

交互に、リズムを掴ませずに撃ち、再装填の時間は計らせない。

隙を見せたときだけ撃てばよいのだ。

なぜなら敵の勝利条件はこの場の離脱であり、雷電はその場を動かずともその入り口に坐しているだけでその条件は達成される。

一方の自分はロケットもグレネードも空中で撃つには反動が大きすぎ、いざ撃ってその隙に反撃を食らっては今度こそ死は免れない。

マシンガンでつつくような攻撃をしても雷電はビクともしないだろう。

状況は限りなく不利である。

 

「……!」

今度はしっかり見える。

肩からの砲撃を余裕をもって回避する。

回避に専念をすればとりあえず死にはしない。

 

『退けと言うのが分からないのか!!』

自分が数瞬前に把握した状況をセレンは最初のダメージの時点で把握していたのだろう。

かなり感情がこもっているが、正論であるその言葉を何度も口にする。

 

「……」

だが。光明はある。

奴は少なくとも二連撃までしか出来ず、そして『立場が逆転』すれば勝利はほぼ確定となる。

やるなら今しかない。

 

 

 

 

「…ぬ!!」

唐突にアレフ・ゼロが緑の光に包まれ有害という言葉をそのまま具現化したような風が吹き荒れる。

PAが引きはがされ雷電の装甲が空気に晒される。

中途半端な距離でいたのが災いしたか、だが今引いて侵入を許すわけにはいかない。

 

「…ぐっ!」

一挙一投足も見逃さぬ、と目を顰めながら見つめていたのが仇となり今度は激しい閃光が目を焼く。

まだだ、今ヤケになって撃てばその隙に間違いなく斬られる。PAが剥がされた今、それは確実に致命の一撃となる。

 

がっ、と装甲に銃弾で撃たれた類の物ではない衝撃が走り、瞬間有澤の脳内にあらゆる情報が駆け巡った。

実弾兵器では通らぬとみて肉弾戦を仕掛けてきたか、こやつの得意技はブレードと通常考えられぬネクストの格闘技術による接近戦であったはず。

雷電の重厚さ、自社の機体の堅牢さを何よりも信じ今まで何万発もの銃弾を受けてきた。何千発ものミサイルもグレネードも受けてきた。

そのどれとも違う衝撃。間違いなく敵は今目の前にいてすぐにでも斬りに来る。

 

ゼロコンマ数秒の間の思考が経験と結びつきついに両腕のグレネードを撃ちだした。

 

「…?」

だが、直撃し、確実に来るであろう爆風は来なかった。

目をゆっくりと開け、そこに映った光景は遠ざかる後部車両。

 

そして重力に従い落下していくグレネード砲と三連ロケット砲だった。

 

空蝉

 

その言葉が浮かんだ瞬間に盲点となっていた足元に目が行く。

マシンガンが落ちている。

 

(さっきの衝撃はこれを投げ…)

奴の勝利条件は?

破壊?

後だ

 

「ッッッッ!」

真後ろで機関部に向かって進むアレフ・ゼロの幻影を見て通常雷電ではしない旋回…クイックターンと呼ばれるクイックブーストを使った技術を用いて振り返る。

だがそこで見えたのは格納されたノーマル、黒い脚、閉じられたシャッター。

 

脚?

 

考えたときにはトリガーに手をかけていた。

人は最高のパフォーマンスで同時に何か二つのことを成し遂げられるようにはできていない。

有澤の意識が全て攻撃に向くその瞬間をガロアは待っていた。

有澤の指がトリガーに数100gの力をかけるよりも速くアレフ・ゼロは雷電の肩に装備された最強のグレネードランチャーであるOIGAMIを斬り、

そして天井のパイプに右手で掴まったままクイックブーストを吹かし強烈な蹴りを叩き込む。

 

「しまった!!」

空中に放り出される機体。

雷電はクイックブーストを連発できない。

先ほどターンにそれを使ってしまったのは手痛いミス。だが、振り向いていなければ文字通り致命。

冷却が終わりクイックブーストが再び使用できる頃には既に機関部と共にグレートウォールの先頭車両は最早追いつけない場所に届かない速度に至っていた。

立場は逆転した。

 

そして十数秒後、起こってはいけない類の爆発が先頭車両から起こり通信士からの怒号は途絶え、

先ほど自分が無様に落下した入り口からアレフ・ゼロが飛び出て遥か彼方へと飛び去って行った。

 

 

 

 

 

 

「私はお前のオペレーターなんだぞ!?意味がわかっているのか!?」

 

「……」

戦闘から戻ったガロアはまずセレンに病院に連れていかれた。

もちろん痛いとも辛いとも漏らしていないのだが、

あの爆風をもろに受けさらにPAが剥がされた状態で全力で飛び退ったガロアは、

急激なGを受けてその身体のどこかに絶対に異常があるはずだという流石はセレンと言ったところか、見立ては当たっており、

肋骨と左腕にひびが入っていた。

実弾兵器はエネルギー兵器に利便性で劣っているような面が多々見られるが、確かな質量のあるその攻撃は物理法則に則ったダメージを確実に与えてくる。

雷電のOIGAMIは反動・威力共に現存するネクストの兵器の中で最高の物であり、その爆風の威力だけでも甚大なダメージは免れない。

 

部屋に戻り、ガロアを椅子に座らせたセレンは少しずれた包帯をいったん外しついでに軟膏を塗りながら怒鳴り散らす。

 

「お前に安全かつ正しい作戦を提供するということだ!生きていたからいいものの、何故いざという時に私の指示に従わない!?」

 

「……」

怒鳴りながら怒りもヒートアップしてきたのか軟膏を塗る手に力がこもり、鋭い痛みにガロアの顔が歪む。

戦闘中はほとんど痛みは感じなかったのだが今になって相当痛い。

 

「指示を聞かないのにオペレーターなんているのか!?このまま言うことを聞かないようならお前のオペレーターなんかやめ…!や…!辞めないが!」

 

「……?」

怒りが頭の血の流れをおかしくしたのか少々理解不能な言葉を口走り始めるセレン。

だが力は籠っているものの手はてきぱきと動いており包帯を巻き終える。

 

「と、とにかく!こちらの指示に従ってもらわないと困る!お前が怪我をすると…その、ほら、稼ぎが止まるだろう!?」

 

「……」

実際はきちんと成功を収めれば1~2か月に一度の出撃でもこの街で十分生きていけるはずであり、

ガロアの出撃頻度は仕事人間も真っ青の出撃厨と揶揄されてもおかしくない。

ランクが異様なスピードで上がっているのは確かだが、受けたミッションの数とランクは実は釣り合いが取れている。

…なのだがそのような反論はせずにひたすら頭を垂れて聞き流す。

 

「…風呂に入る前は伝えろ。ちゃんと処置するから」

聞き流していることがばれたのか、今までの経験から無駄だと理解したのか定かではないが大きなため息を吐いた後、チャイムの音が聞こえる。

友人の多くないセレンとガロアだが、住処に尋ねてくるような友人はもっと少ない。

公的な要件の尋ね人だろうか、それともメイ辺りが来たのだろうか。

だがメイは今日は朝からいなかったような気がする、と思いながらガロアにシャツを渡しドアを開ける。

 

「よ、よう」

 

(誰だっけ…えーと、面白い髪、面白い服、面白い顔…)

ド失礼である。

 

「ダン・モロだったか。何の用だ」

癖が髪全体に広がっており、顔色も良くはなく、目の下に隈がある。

恐らくはこいつも任務上がりなのであろうことは想像できた。

ならば休めばいいものを何をしているのか。

 

「ガロアいるだろ?」

 

「…うん?ああ」

いるか?ではなく、いるだろと確信を以て聞いてきたのはなぜだろうか。

 

「……」

声が聞こえたのか奥からシャツを着たガロアが出てくる。

流石に片腕がまともに動かない状態では普段の厚着は身に着けられなかったようだ。

 

「飯はまだか?ちょっと遅いけど…一緒に食いにいかないか」

 

「……」

少し悩んでガロアは頷いた。

料理をしようにもこの腕のありさまではまともに出来ないし、今から作る気もしない。

ちらりとセレンの方を見ると…

 

「私はいい。まだやることが結構あるんでな」

ガロアに連れ添い病院、自宅と回ったセレンはまだ任務報告書等を書いておらずそれを早めに終わらせなければと考えている。

未提出や一週間以上の遅れなどは問題だが、別に即座に出さなければいけないというわけではない。

それでもそういうことはさっさと終わらせてしまおう、という考えが基本なのは元々が生真面目だからだろうか。

 

そう言うのならば無理して連れ出す必要もない。

ガロアは軽い準備だけをしてダンと外に出た。

 

 

ダンと食事に行くのは珍しいことではないが、家まで来て呼び出されたのは初めてだ。

そわそわと俯いたり、右手の人差し指第一関節を噛んだりと大丈夫とは言えない状態で歩くダンは普段と打って変わって無口であり、

何か話したいことがあってきたのは間違いないとわかる。

だが自分から話を振る、ということが出来ないガロアは黙ってダンについていくしかない。

そこまで考えて気が付く。

 

話したいことが、とは言うものの自分にできることなど精々相槌を打つことぐらいであり、壁に向かって話すよりはマシといった程度である。

それは決して話と言えるものではないだろう。

「話し相手」が欲しいのならそれこそダンと同じくらい口の回るカニス辺りでも誘えばよいのだ。

それが自分をわざわざ選んで誘ったというのには自分でなければならなかった理由があるのだ。

 

「ここにするか」

 

「……」

ここにするか、といいつつも来たのはガロアといつも食事をする店。

ダンは奇抜な格好はするものの、毎日必ず(何事も無ければだが)銭湯に通い、寝る前にアニメを見て、決まった曜日に洗濯物をして、12時半に床につく。

そう、見た目以外はいたって普通の人間なのだ。普通から外れない、とでも言うべきかもしれない。

 

「あ、あの俺、ジャンボステーキのBセット。コーンスープね」

 

「………」

 

「かしこまりました~」

いつも通りダンはステーキセットを頼み、

ガロアは片手でも食べやすいようなものを紙に書いて頼む。

 

「……」

 

「……」

何が楽しくて若い男が二人テーブルを挟んで黙って見つめ合わなければいけないのか。

世間の意見はこの状況にそのようなものとなるだろうがガロアは何かを促すことも無くただダンとその後ろの虚空を半々ずつ見つめダンは唇を震わせている。

 

「あのさ、あのー、あれ」

 

「……」

アノアノ繰り返すダンの言葉は要点すら掴めない。

水を取りに行きたいが今はそうしてはいけない、となんとなく思う。

 

「グレートウォールを破壊したのってお前だろ?」

 

「……、…!?」

ただただ普通に頷いた後に気が付く。

今日依頼として届き、今日成功したミッションを何故ダンが知っているのか。

 

「やっぱりお前か…。いや、俺は…そう、アスタ・ラ・ビスタにいたんだ」

 

「……」

詳しくはわからないが、あの町で何が起こっていたのかは想像がつく。

「町」とは人が住む場所であり、そこに戦火が上がるということは多くの非戦闘員が巻き込まれることを意味する。

付き合いが長いわけではないが、この調子のいい男がそんな作戦に参加するのは想像できない。

 

 

 

「いや、別にだからなんだってわけじゃないんだけどさ」

別に、とは口にしつつもグレートウォールが破壊されたことにより包囲網に防ぎきれない穴が出現、

それに気が付いた住民はテロ集団の兵士の先導もあって大量に逃亡した。

任務は失敗、特にダンは敵民間人を見逃していたこともばれて報酬も無し。

大損も大損なのだがそんなことは問題では無い。

 

「……」

 

「正義の味方って言うけど、どこが正義なんだろうな…」

大量に逃げたのなら何故あの親子は理不尽に死ななければならなかったのか。

なぜテロ集団と呼ばれるような連中が人命救助を優先して動いたのか。

ならば、自分の今日の行動は正義だったのか。誰でもない自分に誇れるような。

 

「……」

ガロアは答えない。

だがガロアはその問いに対して自分なりの絶対の回答を持っている。

話せないし、話す気もないし、それが普遍の真実だとも思ってはいないが。

 

「俺、わからなくなったよ…名を挙げて、最強無敵のヒーローにって思っていたけどそれって沢山の任務に成功してってことだろう?罪もない人を殺して…」

ああ。言ってしまった。罪もない人達であったと。それを殺したと。

現実がどうであれ、自分自身は殺すべきでないと思う様な人達を自分の勲功の為に殺してしまったのだと。

企業が、力ある者が貼るレッテルなど実のところ関係ない。

清く正しく生きたいのであれば自分の信ずるところに背いて生きるべきではないのだ。

でも、もう遅い。

 

「俺さ、カニスと友達なんだ」

 

「……」

 

「多分、いやきっと一番の友達だ。あいつもそう思ってくれている。…でもな、お前には分からないかもしれないけど、独立傭兵って言ったって大抵は贔屓にしている企業があるんだ」

 

「……」

こぞって雇われるガロアにはピンとこないが、名も力もない傭兵は企業に名を売るため、

優先して新商品と仕事を回してもらうため、やりたくもない仕事でも受ける物なのだ。

 

「俺はGA。カニスはローゼンタール。このまま戦い続ければいつか俺はあいつと戦うんだ」

 

「……」

 

「わかってるんだ。戦いたくないのならやめちまえばいいって。でも、もう出来ない。俺にはその権利が無くなったんだよ…」

そこで我儘を言うのならば、今日自分の信念を無視し、生きるために殺した人たちは何のために死んだ…いや自分に殺されたというのか。

最早自分は止まることは出来ない。泳ぐのを止めれば死ぬ魚のように。

 

「あいつの方が強いってのも知っている。でも死にたくねえ。戦いたくもねえ。…どうすりゃいいんだ…。ガロア、教えてくれ…お前はなんで戦えるんだ?

戦ったら死ぬかもしれないって相手に。絶対的な相手に」

ダンの言う相手、というのはAFのことでもあり敵対する、あるいは自分の贔屓する企業の事でもある。

 

 

 

「……」

理由なら、ある。

かつてのリンクス戦争の英雄、アナトリアの傭兵は修理も満足にいかない愛機のルブニールを駆り不可能と紙一重のミッションを全て成功で納めてきた。

そんな背水の陣で生き延び続けた彼と自分では今でなおその力にはいかんともしがたい開きがあるだろう。

だから。多少不利になった程度で退くわけにはいかない。

勝利が難しそうだからと尻尾を巻くわけにはいかない。

その背中に追いつくのではなく、追い越さなければならない。

ならば回り道などという生ぬるい選択は許されないのだ。

明確な言葉で表現していたわけではないがセレンは心配してくれているのだろう。だが、それでもだ。

 

「……、」

そう簡単に言葉にしていい事なのではないが、今のダンには自分の答えを示すべきだろう。

紙とペンをとろうとし、ダンに止められる。

 

「いや、いい。知っているよ。戦う理由なんて人それぞれだ。それを信じぬける芯の強さが大事だってことも知っている。だから、でも、だとしたら、俺の信じた…いや、縋ってきた正義っていう言葉は…」

 

「ガロア様?」

後ろからか細い声が聞こえダンは言葉を止めガロアは振り向く。

 

「リ、リリウム様?どうしたんです?こんな時間にお一人で外にいらっしゃるなんて…」

と、言う様な時間でもないのだが確かにリリウムがこの時間に一人でカラード管轄外にいるのは珍しいことだった。

 

「いえ…その、色々と…。…?ガロア様?そのお怪我は?」

今回のグレートウォール撃破を予想していたかのように先じて王小龍の指示により大量に株の売り約束を浴びせかけており、

今日のガロアの任務完了を以て王の見通しと策略により、BFFはマザーウィルを一から建造しなおしてなお余るだけの資金を獲得、

逆にGAは株価の低下、及び主戦力の一つの喪失により大幅な縮小を余儀なくされ、とうとう総資本においてBFFとの立場が逆転するに至った。

今後は王率いるBFF主導のもと、GA陣営もといBFF陣営が形作られていくだろう。

今現在BFFはそんな嬉しい混乱の最中にあり、普段は王のそばから離れないリリウムだが、

本日の多忙さに王はまるで若返るかのようで、

それを手伝うのは喜びも減らしてしまう様な気がして何となく憚られ、社内でボーッとしていても邪魔だろうし、暇だな、と思いカラードに来たのだ。

 

「……」

 

「ミッション中の負傷だそうです」

 

「まあ、その手では…あの、ご一緒しても?」

 

「あ、あの!俺、もう実は飯食ってたんですけどなんとなくまた注文しちゃって!よかったらリリウム様代わりに食べてくれませんか?あ、もちろん会計は俺がしておきますから」

一から十まで全部嘘。

ただ、今までダンが自分にしていた話をリリウムには聞かれたくないのだろうという事に察しがつき、

その瞳の不安定な光の反射につい自分も席を立とうとするがダンは半ば睨むようにこちらを見て矢継ぎ早に言葉を口にする。

 

「お前はまだだろ?奢るから食っていけ!ちゃんとリリウム様を送って差し上げろ!夜道は危険だからな」

普段のダンならまずあり得ない気遣いの言葉、いや、普段のダンならこの場に留まり聞く聞かないに関わらずずっと話をしていたはずだ。

早足で去るダンとすれ違いに店員が来て料理を置いていく。

事情を理解していない店員は当然ステーキセットはガロアの対面の席に置く。

そしてリリウムはガロアの隣に座り、

自然体でラブコメじみた…ロイ辺りが見たら「この甲斐甲斐しさなら王のジジイは老後も安心だな」等と失礼な感想をかましそうな親切行動をしようとしたが、

片手で食べられるものを注文している上、利き腕は無事なガロアは「ですが…」と何度も繰り返すリリウムを何とか対面に座らせた。

ちなみにステーキセットはリリウムには多かった。

 

 

 

 

 

 

「あれ?何もいない…」

豪運を自称する男、パッチ、ザ・グッドラックは今日も小規模のノーマルの殲滅というみみっちいミッションを受けて砂漠地帯に飛んできたが、

そこには何もいなかった。

 

「まいったなオイ…出撃費負担なんてごめんだぜ俺は…」

システムを通常モードに移行し、カラードへの通信を試みる。

本来ならこういった仕事はオペレーターに任せる物なのだが、

吝嗇、爪に火を灯すと言った言葉が実に合うパッチはオペレーターを雇う金も惜しみ、それらを全て自分でこなしている。

だが本人は「能力の高い自分にはそんなものは必要ない」と思っており、

通信機器の知識にも深い自分は凄い、などと自画自賛を惜しまない。

それでも比較的経歴の長い辺り、その考えは完全に間違っているとは言えないが、

今までの仕事で赤字になったミッションも報告書の書き上げで寝不足になったことも正しいとは言えないし、

導くものもいなかった彼は未だにランク27止まりとなっている。

それこそオペレーターを雇っていたり、もっと戦場で勘を磨いていたのなら気が付いていただろう。

 

今、ここら一帯は強烈なジャミングを受け電波障害が起きていることに。

 

『SIGNAL LOST』

 

「あれ~!?頼むぜ~…空にあんなに馬鹿でかい飛行機浮かべられるのになんで電波弱いところが出てくるんだよ…ケチらねえでしっかり人口衛星浮かべろ、衛星っ」

ぶつぶつと砂漠で独り言を言うパッチはオアシスの夢を見て死に行く放浪者よりも救いがたい。

 

『こんにちは』

 

「…え!?」

その声が聞こえると同時にカメラからの映像が消える。

パッチには見えていないが唐突に出現したその赤茶けたネクストはパッチのネクスト「ノーカウント」のカメラアイに深々と指を突っ込んでいた。

そのまま肩に腕を回して話を続ける。

 

『お話があって参りました』

 

「ひぃ!?なんだあんた!?こ、この辺には何もいなかった!レーダーにもかからなかったのに!」

 

『まぁまぁ。落ち着いて。多分殺されませんからコックピット解放してくれませんか?』

慇懃無礼なその言葉にはぞっとするような冷酷さが潜んでおりパッチは言われたとおりにせざるを得ない。

 

「…ヒィイィイ!な、なんだあんたたちは!」

コックピットを開くとそこには不気味な緑色の光を放つ砲身があった。

数秒遅れてそこに四脚のネクストがいることに気が付く。

レーダーには本当に何も映っていなかった。

熱源探知もしっかりした。

なぜ、何も映らなかったのか。

種は簡単で四脚のネクストは瓦解した建物の陰に全てのシステムを切って潜んでいた、それだけだ。

音も熱も無くレーダー上ではそこらへんの鉄くずと完全に同化していた。

常識的に考えて通常、戦場で全システムをダウンさせるなどという自殺行為をすることはありえないのでパッチは気がつけなかった。

 

『名前は?』

 

「あ、あんた…」

 

『名前は?』

銃口を突き付けてるネクストから通信が入る。

 

「パ、パッチ、ザ・グットラックだ」

 

『…カラードランク27、豪運を自称するリンクス、か…』

 

「あ、あんたらカラードの所属じゃないな?なんでネクストを…」

 

『豪運!素晴らしい!今日の出会いに感謝しましょう!』

至極当然の疑問は肩に手を回したネクストからの通信にかき消される。

 

『いや、全く運がいい!もしもあなたがこんなしょうもないミッションを受ける小物でなければ!もしもあなたが独立傭兵でなければ!消していましたよ!』

 

「え、へ、へぇ?」

 

『時々赤字…ほう…、お前、金が欲しくないか?その様子だとまだその機体分の金も入っていないだろう?…やるよ』

 

『そのかわり少しだけ協力してほしいんです』

断れば殺される、というのは最早脳みそに血液を回さなくても分かる。

だが。

 

「待て待て待て、待ってくれ!金が入ってもあんたらテロリストに加担したとなればカラードから追い出される!いや、殺される!金があっても意味がねえよそんなの!」

 

『いやいやいや…』

赤茶けたネクストは肩から手を放し、四脚のネクストも銃身を下げる。

 

『何も街を襲って金を奪えとか、カラードを襲撃しろと言っているわけではない』

2人はこれまでのやり取りでパッチの性格という物を完全に把握していた。

即ち、保身である。

身の安全が保証され、金が入るのならば、建前として渋るだろうがこちらに引き込めるだろう。

 

「そ、そんな…」

 

『何、簡単なことですよ』

 

『ガロア・A・ヴェデットを知っているな?』

 

「あ、ああ」

今目の前にいるこいつ等ほどではないが、

あの化け物もやはりパッチにとっては絶対に敵に回したくない相手であり、

独立傭兵である以上、いつでも当たる可能性があると踏んでいたパッチはその動向は欠かさず調べていた。

 

『彼が暇な時、かつ他のリンクスに依頼が回っている日を調べて教えてください』

 

『全員が出払うことは無いというのは知っている。あくまで一番リンクスが出払う日、ということでいい』

 

「ま、待て。あいつは今怪我をしていて少なくともこれから一か月は暇だ…!多分」

 

『とは?なんですか?』

 

『何かミッション中に怪我をしたとかでしばらくはネクストに乗れないんだそうだ!も、もういいだろう』

 

「……」

 

『いや、実に素晴らしい!早速役に立ってくれましたね!さぞかし、カラードでも優秀なのでしょう』

 

『だがそれだけでは足りない』

 

「も、もう知らねえよ!」

 

『どういう怪我なのかを教えろ』

 

「知らねえんだって!」

 

『なら調べろ。…金は先に渡しておく。しっかり仕事出来たら追加でやる』

四脚のネクストが言うと、赤茶けたネクストがトランクを差し出す。

 

『30万コームあります。役立てて下さい』

 

「さ、さんじゅう!?」

 

『我々とコンタクトの取れる通信機もあります』

 

『通信の知識もあるんだろう?』

 

「あ、ああ」

 

『では、行ってください。くれぐれも…』

 

「わ、分かってる!」

パッチは言うや否や転げるようにしてその場を去る。

何という事だ。

断る暇もなく仲間内に引き込まれてしまった。

だが、今コックピットにあるこの金。

これだけあればしばらくは金策に頭を痛めることも無い。

自称豪運のパッチは自分の運に感謝しながら、人生で初めて悪運へと繋がる選択をしてしまった。




有澤 隆文

身長172cm 体重78kg 

既婚。娘が一人。

およそ百年前に日本の企業を統合、支配した有澤一族の一人。
間違いなく社長ではあるが、有澤一族全体で株の51%を保有している中の一人であるため、全ての権限があるという訳では無い。
AMS適性があった為に社長(矢面)に祀り上げられたと言った方が正しい。世界最大の検索サイトで有澤隆文を調べると一発目に自分のアイコラが出てくる。
仮に死んでもとりあえず問題なく会社は回るが、一応企業の顔の一人であるし敏腕なので扱いは軽く無い。

日本は国家解体戦争以前も後もあまり変わらず、島国であるため汚染も割と逃れている。
未だに一億人程日本国には人が住んでおり、コロニーでなく国としての様相を保っているのは元日本だけ。
それでも有澤重工が支配してからは、堂々と軍が配置され徴兵制になり、と平和からはほど遠くなってしまったが…。

今日も日本のインターネットで影武者だと言われてコラ画像が作られていると思うと少しやる気がなくなる有澤であった。

グレートウォール破壊の責任を取らされそうになったが、結局この男以上に社長(矢面)を出来る男が居らず、BFFからの支援もあり未だに社長。やったぜ。


趣味
BON SAI
ON SEN

好きな物
SUSHI
MISO SIRU


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不明ネクスト+ノーカウント撃破

「なんだこりゃ?ゴミか?」

ガロアが買ってきてシンクの下の収納に置いていたナツメグを見てセレンは首をかしげる。

飯に行って来いとは言ったものの自分も何も口にしてはおらず、今から追いかけるのもなんだか恥ずかしい。

幸い家に食料があるので作ってみるか、と決心し作業に取り掛かった。

 

…が。

一人前ずつ小分けにされラップで包まれていた挽肉は解凍されることも調味料と混ぜ合わされることも無く油を引いたフライパンにそのまま乗っけて放置され、

パンを焼いておくか、とオーブンにぶち込まれたパンは既に5分以上最大火力で焼かれており、さらに追加で20分焼かれることをデジタル表記で示している。

 

「なんだっけ、ハンバーグには氷と牛乳で美味くなるんだっけ」

油に沈む冷凍挽肉に氷をガラガラと入れ、半リットル残っていたパックの牛乳をドボドボと入れていく。

 

「凍ってるし、氷も入ってるし、強火でいいか…」

火にかけられて溶けていく氷を見て腕を組みながらセレンは思う。

なんで溶けて水になるのに氷を入れると美味くなるんだろうと。

 

さらに腕を組み待つこと五分。

オーブンはもくもくと煙を上げ、火災報知機が反応しけたたましい音を上げ、途中で買い物をしてきたのか袋を下げたガロアがその惨状を見て袋をどさりと落とした。

 

 

「おかしいな。聞いた通りに作ったんだが」

正真正銘のゴミと炭を作り、あわや火事になりかけたのを偶然タイミングよく帰ってきたガロアが何とか止め、出前のピザを頼んで今に至る。

どうしてこうなるのか、と頭を抱えるガロアの前でLサイズのピザを二枚ペロリと平らげ指を舐めながらセレンはさらに言う。

 

「また今度やってみるか」

 

「!!」

不屈の精神と言えば聞こえはいいがなんでこんな時に限ってそんなに意欲に燃え上がるのか。

さらなる惨事を防ぐ為…でもなんでもなく後始末は間違いなく自分になることを想像して椅子から立ち上がり全力でノーとジェスチャーする。

 

「…ふーん。まぁいいや。風呂の準備しろ」

 

「……」

ああ、これはまたいつか果敢にトライするつもりだな、とは思ったが止める気にもなれなかった。

どちらにせよ、苦労するのはガロアだった。

 

 

前の家にいた時は手に怪我をしたときはよく身体を洗ったりしてやっていたが、こっちに来てからは初めてだった。

二人で入るには少々手狭だ。一応の気遣いとして水着を下に履かせたガロアを座らせてセレンはシャツとスポーツウェアのパンツのみとなりシャワーをガロアにかけている。

 

(狭い…というか、こいつが大きくなったんだ)

確か前に身長を測った時にはもう190cm近かった。今までの成長具合から考えてもう190後半になっているかもしれない。

よく絡まる癖毛にシャンプーをしながら考える。確かにあのメイ・グリンフィールドの言っていたように、貧相な子供の身体から大人の男の身体になっていた。

 

(たった三年でここまで大きくなるもんなのかな)

初めて出会った時の身長は150cmくらいだったか。頭のてっぺんに頬杖つけるような小ささだったのに今は自分の頭がガロアの肩の位置にある。

まだ年齢的に大人とは言えないが、もう子供の身体でも年齢でも無い。そんなことを考えながら身体を洗う。

あくまで、そっと、ばれないようにだが手を触れてみると、男らしくゴツゴツとした肌の下にはしなやかに鍛えられた筋肉があるが自己主張は激しくなく、静かに骨に纏われている。なるほど魅力的だ。

身体が大人になっているならもしかして、と少しだけ水着の方に目が行ってしまった。

 

「……?」

 

「わっ!?なんでもない、なんでもないぞ」

ガロアが怪訝な顔をして振り向いてきた。鏡があることをすっかり忘れていた。きっとこんな顔をされるぐらいには変な顔で見てしまっていたのだろう。

しかし大人になっているとして、男になっているとして、自分に興味は出てこないのだろうか。この見た目は自分の物じゃないとはいえ、美しいと分類されるような見た目だという事は嫌という程知っている。

それこそ街に出ればほぼ毎日のようにナンパされていたのだから。

 

(それとも…やっぱり…)

結局ガロアは霞のなんなのかという事は全く分からなかった。だが出会った時に14歳だったのならばそれ以前に知っていたという事。

それならば同じ見た目をしている自分にそういった劣情を抱かないのも当たり前なのかもしれない。…そう思うと少しだけ心が痛んだのが自分でもよく分からなかった。

 

(でも…)

だとしたら自分はガロアの事をどう思っているのだろう。

家族という物が根本から存在しようのない自分はあくまで言葉には出さずに頭の中で何度も思っていた。『きっと弟とかいたらこんな感じ』と。

その度に、そんなはずはない、血も繋がっていないのだからと自分で否定していた。

だがガロアは金を稼ぐようになって、自分で自分の家を勝手に探して借りれる様になったはずなのに自分と一緒にいて頼ってくれている。

というか一緒にいるのが当たり前になってしまった。

 

ここまではいつも考えること。

そして思うのは『アナトリアの傭兵を倒したらどうなるんだろう』ということだった。尋常では無い執念をかけているのは分かる。

だからこそ、その打倒も夢ではないとは思うがそれが終わったらどうなってしまうのか。空っぽになってしまうというのが一番リアルで一番嫌な未来だった。

まだ10代の子供だというのにそんな人生は最悪だ。

何度も堂々巡りする思考。そしていつも行きつくのは『その時も一緒にいてやればいい』という結論だった。

でもそうしたらもう普通の年頃の男の子なのだから、とまで考えたとき、ボディタオルが取り上げられた。

 

「……」

 

「あ、そうか。出ているよ」

頭と背中、そして怪我をしていない方の腕は洗ったのでもう自分はこれ以上洗う必要がない。

別に洗えと言われれば全身でも洗うのだがと思ったが、何故追い出されたかと考えると、

ガロアもちゃんと大人の男としてそういう恥ずかしいだとかの概念があって、どうやら自分をとりあえずは女として認識しているらしいという事に気が付いたセレンだった。

 

 

 

 

 

 

 

「グレートウォールも…?」

暫くぶりに立ち寄ったカラードでばったりと出会ったロイに食事に誘われ、

情報収集ついでその誘いに乗ったウィンはグレートウォール撃破の旨を聞き息を一つつく。

 

「ああ。これでガロアは主要AFを全部片づけちまったんじゃないのか?一周回ってバランスが戻ったって感じだな」

 

「私がいない間にまた一つか…」

 

「上手く戦力が低下した隙をついたみたいだけど、やっぱ無事ではすまなかったみたいだぜ」

 

「どういうことだ?」

 

「左腕と肋骨にヒビだとさ」

 

「今のあいつに一矢報いる奴がいるとは信じられんな…」

直接共同で戦ったわけではないが音に聞こえるその化け物染みた強さからして、

弱っているグレートウォールに怪我をさせられる、というのはどうもピンとこない。

 

「しかしウィンディー、そろそろしっかり仕事受けないとお前…」

 

「わかっているさ」

世界に不穏な動きあり。

その気配は調べれば調べる程色濃く、分かっているとはいうもののそれから目を離すことは出来ない。

報酬が出るわけでもなく、むしろ全て自費負担なので得することなど何一つもないのだがウィンは進んでたった一人で水面下で活動している。

 

「ランク抜かれちまうぞ?」

 

「そしたらロイも抜かれるだろうが」

 

「あ、そうね、あはははは」

またロイと呼んでくれたことが嬉しく手厳しいその返し言葉も嬉しくロイは笑う。

いや、自分はこんなにウブだっただろうかとまた笑う。

 

「カラードに帰ってきてばったりと俺に会うなんて縁があるんじゃないの」

 

「馬鹿を言うな」

 

「はっは。しっかし、心に信念がある奴はやっぱり強いな。迷いがない」

 

「…ガロア・A・ヴェデットの事か?」

 

「お前の事でもある。ウィンディー。一人でこそこそ動くのもいいが、いつだって俺はお前の力になるぜ」

ずいっと机に乗り出し近づくロイの肩に手をやり座らせ、大きく息を吐きウィンは言う。

 

「分かったから席につけ。…ありがとう」

だが、自分が好きで動いていることなのだ。

ロイをそんなことに巻き込むわけにはいかない。

危険な潜入も増えてきた今日この頃の自分の行動を思い返しているとロイは言葉を続ける。

 

「だがオッツダルヴァは別だな。あいつも確かに強ぇが…ありゃあ信念なんかじゃ動いちゃいねえ。まるで機械だよ」

 

「…!」

ギクリ、と動いた心を紅茶の入ったカップを口に持っていくことで何とか誤魔化す。

タイミングがいいのか、勘が鋭いのか。

 

「なぁ、ウィンディー、本当に俺はお前の力になるぜ。いつだって、言ってくれ」

 

「お前は…知っているのか?」

勘が鋭いの一言では済まないその立て続けの言葉にウィンディーは努めて本題をぼやかしながら問いかける。

 

「…なんの話だかな」

 

「……」

へっ、と明後日の方向を見るロイを見てウィンはこの男が異性に好かれるのは見てくれだけではないのだな、と思いながら話題を変える。

 

「お前にも、あるのか?戦う理由というものが」

 

「…あるさ。でもそういうのはぺらぺらと喋るようなもんじゃあないんだろ?ウィンディー」

この場にダンがいたらショックに顎を地面まで落とすような言葉にウィンは小さく笑い答える。

 

「…そうだな。しかし、この前の借りもある。何かあったら言え」

 

「男はそういうのを女に求めないもんさ」

 

「…男だ女だと相変わらずうるさい奴だ。…だが、お前のような奴は、嫌いじゃない」

その言葉にロイは目をひん剥いて驚いた。

 

 

 

 

 

食事は出かけるか、出前。

風呂は背中と右腕だけ洗ってもらう。

その生活は2週間で終わり今では運動以外の行動なら許可されている。

骨に入ったヒビも若さにはかなわず完治へと向かい後一週間もすれば運動も出来るだろう。

既に痛みは無い。

 

とは言え安静にしておくに越したことは無く暇を持て余したガロアは図書館で本を借り家で読む生活が続いていた。

 

「何を読んでいるんだ?」

リビングで頬杖ついて本を読んでいると買い物(スイーツ)から帰ってきたセレンが声をかけてくる。

ガロアが暇ならセレンも暇なのだ。話しながら如雨露に水を入れており、そのまま花に水をやりに行くのだろう。きっとこの会話も他愛もない挨拶のようなものなのだ。

 

「……」

 

「え?数学の本?へー」

本の説明をすると花に水をやり終えたセレンが隣に座り覗き込んでくる。

 

「数学の本なのか?これが?ページが数字で書いてある以外、見開き丸々数字がないじゃないか」

ガロアの読んでいる本はトポロジー、つまり位相幾何学に関する本であり開いているページは位相を取り扱った章である。

この分野は数学の中でも特に集合に構造を与えるという一見、数には関係のなさそうな事を行っておりセレンの言った言葉は感想として実に的を射ている。

 

「一応、ハイスクール卒業程度の勉強ならやらされたんだがな」

そんな面白いんだかどうかも分からない本を只管打読するガロアを自分も頬杖つきながら眺めてふと思う。

もしも、こんな時勢でなかったら。もしも普通に育っていたのなら。

器量もよく、天才肌のこいつは一体どうなっていたのだろう。

今現在17歳のガロアは、本来ならば将来の選択について頭を悩ますような年齢である。

そういえば、自分もこんな生まれじゃなかったらどうしていたのだろう。

 

「なぁ、もし」

こんな問いかけ、意味がないことが分かっている。

世界は汚染され、企業の支配は続き、隠しようのない汚泥が日々日常をじわりじわりと侵食している。

 

「戦いが終わったらお前はどうしたい?」

それはセレンが日々ガロアの事を思い悩み考えていたこと。このタイミングで聞いたのは意味があったことではない。

そして、この「戦い」という言葉はガロアにとっての戦い、つまりホワイトグリントの撃破であり、

今現在も世界を混沌に貶め続けている何かとの決着、二つのそれを含んでいた。

 

「……」

一方のガロアはその問いに答えあぐねていた。

ホワイトグリントを撃破した後の事なんて考えてもいなかった。

ただ生きているんだろうぐらいにしか考えてなかったし、それでよかった。

だが、もしも勝ったのならばそれでも自分は生き世界は続いていく。

続く世界の中でただ浮雲のように生きる自分。夢寐にも存在しないだろう、そんなもの。

 

ホワイトグリントに勝ち、さらにその後の何かにも決着をつけたさらにその後の世界。

そんな我儘が現実になることはないだろう、そう思いつつもガロアは遠慮がちに読んでいる本を指さした。

 

もしも自分がこんな生き方じゃなかったら、と時々考えていた生活は今の生活からあまりにもかけ離れたものだった。

 

紙に書いたり、ケータイに打ち込むことも出来た。

でも、そうやってはっきりと言葉にするのは憚られるかのようにただ、指で指し示すだけだった。

 

「数学を学びたいのか…。勉強がしたいんだな。なら…大学に行くのが一番手っ取り早いのかな」

果たしてセレンはその意図を正確に読み取った。

言葉は無くとも、二人の心に通じ合う何かは確かにある。

だが。

大学と呼ばれるものはクレイドルにあるものと、企業の管轄下に置かれた物のみ。

通えるのも極めて裕福な家の者のみであり、今現在リンクスであり、根なし草のガロアがそれを成せるのはそれこそ夢のような話だろう。

数学者であったというガロアの育て親の事をほんの少し想像する。

人物像など知らないし、ガロアも語らない。

しかし、まだ小さく頭脳も発展途上の子供であったガロアに難解な数学を伝え、ガロアは真っ直ぐにその父を慕っている。

それしか伝えられる物が無かったのだと想像するにきっと不器用な人物であったのだろう。

しかし、同時にそこには真心があったに違いない。

これほどまでにガロアは父がくれたものを大切にしているのだから。

そして言葉を続ける。

 

「私は…スイーツ専門店でも開いてみたりしたいな。甘いものが好きだからってのは短絡的すぎるか」

 

「……」

 

「そ、そんな顔するなよ。戦いが終わったら暇なんだ。パティシエとしての技術を学ぶ時間も十分にあるさ」

この前あんなことになったばかりなのに?

と顔に書いてあるガロアにセレンは唇を尖らせて言い(?)返す。

セレンは気が付いていない。

オペレーターになる前、自分が何者で何になりたいのかも分からない時期があったということを。

その時からその選択肢はあったはずだ。なのに思いつかなかった。

ガロアがいなかったのならば、セレンは未だに自分が何者であるかのよすがすら得られず自問自答の迷宮で膝を抱えていただろう。

今、彼女はそんなありふれた願いをさらりと口にし、そしてそんな未来には当たり前のようにガロアがいる。

 

少なからず、彼女は救われていた。

 

 

 

「…でな!金はあるから、売れなくてもいい。その代り好きな物に好きな値段をかけたいんだ!それでな…」

ついつい盛り上がった未来への希望を楽しそうに語るセレンの表情はもう20歳だというのになお子供のようなそれであり、

ガロアも優しい表情で本を閉じ、話を聞き、頷く。

 

この時がずっと続けばいいのに。

2人で始めた生活でそう思える平和で少年期に大切な時間は何度かあった。

 

でも、いつだってその瞬間は終わりを迎え現実に戻らなければならない時が来る。

 

メールの着信音が聞こえる。

セレンが言葉を切り、一度固く目と口を閉じた後パソコンに向かう。

 

「不明ネクストがキタサキジャンクションを占拠しているらしい…緊急依頼だ。出撃しなければならない…。病み上がりなのに、か」

断ることは出来ず、絶つこともない現実。

戦いは未だ続いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やれやれ、折角バーで一杯やろうって時に…」

輸送ヘリの中、隣のマイブリスから通信が入る。

 

「お互い大変だよな。よくよく考えてみりゃ、何か起こすのはいつもあちらさんで、俺たちは後手に回るしかねえ…敵がこっちの都合を考えるはずないもんな…」

 

「……」

ガロアもガロアで、先ほどまでのセレンとの会話を心地よく感じており、

そんな平和な会話が永遠とは言わずとも、分針が一回りするくらいには続けばいいと思っていた。

楽しい時間を邪魔された怒り、つまりガロアは初めて私憤で任務に赴き敵を叩こうとしていた。

 

「へぇ」

ロイはその沈黙から何かを感じ取る。

元々顔の作りが整っているロイではあるがそれだけでモテてきたのではない。

細かな気遣い、表情から察する相手の気持ち、対人間力においてロイは非常に恵まれた才覚を持つ。

その経験と勘から出撃前に見たガロアの表情を見て察した。

 

あれは女といい感じになっているときに邪魔された時の男の顔だ。

戦闘以外ではとんとお子様だと思っていたが、あいつもあれで結構やるもんだ。

 

 

 

 

『…なんだ?ジャミングか?』

 

「?」

セレンからざらついた通信が入り、画面を確認すると作戦領域内に妨害電波が確認されていることが見て取れる。

 

『気…つけ…予想…敵…』

ザザーッと音が絶える。

今この戦場では自分とマイブリス以外に味方はいない。

運搬ヘリは運搬ヘリであり、しかも自動航行なので戦力としては数えられない。

 

「……」

 

「こっちも確認した。…ちくしょう、ネクスト持ってる時点でまさかとは思ったが、ただのテロリストじゃねえ」

通常のテロリストは広範囲にわたるジャミング装置などまず持っていない。

ジャミング装置を用いて市街地を襲撃、などよりも威力のある兵器を以て電撃戦で制圧するのがコストもかからず手っ取り早いからだ。

さらに言えばネクストを所持していること自体がまずあり得ない。

 

「気ぃつけろよ」

 

 

 

 

「き、来やがった…」

運搬ヘリのハッチが開き、二機のネクストが投下される。

 

「やっぱり関わるべきじゃなかったんだ…」

事の起こりは今から二時間前に遡る。

 

ここ二週間にわたり情報を流し続けたパッチにとうとう待ち焦がれたその言葉が来る。

『これにて任務終了です。お金を振り込むわけにも行きませんのでこちらにネクストで来てください。

キタサキジャンクションを制圧している小規模ノーマル部隊の撃破、という依頼が出されているはずですから』

 

『あ、ああ。確かに。わかった。向かうよ』

金がもらえるとなればその足取りも軽い。

意気揚々と準備をして現場へ向かうパッチだったが、その日が報告していた『ガロアが暇で他のリンクスもほとんどいない日』であることに気が付くべきだった。

 

『…確認してください』

 

『な、70万コーム。確かに受け取ったぜ。じゃあ俺はこれで…』

 

『待て』

 

『ブ、ブッパ・ズ・ガン!まだなんか用があるのか』

この謎のテロリスト、二人とも苦手であるが特にこの四脚のネクストを駆るこちらの男は抑揚のない喋り方と言い、

人生が暴力そのものであるような経歴と言い好きにはなれなかった。

まだPQの方はまともな戦士として戦っていた経歴がある分マシだが正直目くそ鼻くそである。

2人の経歴を調べて関わらなきゃよかった、と後悔した数は10回では済まない。

 

『暴れているテロリストがいませんでした、キタサキジャンクションも無事でした、じゃすまないでしょう』

 

『一緒に破壊工作をするんだ』

 

『ふ、ふざけんな!映像が記録されるんだ、カラードに戻ったら一発でばれるぞ!』

 

『私があなたが来る前にここで飛び回った映像と差し替えます』

 

『金を受け取ったんだ、やるか死ぬか選べ』

 

『わ、わかったよ…』

こうしてパッチは人生で最悪の選択をしてしまったのだ。

 

 

 

 

「分かっている。やることはやるさ。約束は守れよ、ブッパ・ズ・ガン。面倒はごめんだ 」

約束、それはこの辺り全体にジャミングをかけリコンとネクストからの映像と音声を受け取れないようにすること、

ミッション成功後の辻褄を合わせて無事に帰れるようにすることである。

つまりここであの二機のネクストをやれば何事もなく帰れるのだ。

 

『……』

ブッパは押し黙りパッチのノーカウントに銃口を向ける。

もちろんそんな約束を守るつもりは、無い。

ジャミングに関しては自分たちの為にしているが。

 

「あ、あいつは!」

片方はガロア・A・ヴェデット。

それは予想してた。そいつと当たるのは仕方がないとして、もう一機。

ロイ・ザーランド。

独立傭兵の中で最強に位置する伊達男。

普段なら全力で当たらないようにする相手。最悪だ。

100万コームでこいつらと当たるなんて割に合わない。

 

「ふ、ふっ、ふぅ~。あああああああああ!!」

だが後ろではブッパが自分に銃口を向けている。

最早、前に行くしかない。

パッチは覚悟を決めて飛んだ。

 

 

 

 

 

「マイブリス、行けるぜ。あんまり気は進まねえがな」

その通信と同時に敵の逆関節ネクストが飛びたつ。

 

『ああああああ!!』

 

「なんだあいつ…カラードのパッチ、だっけか?何やってんだあのタコ」

ロックオン可能距離に入り、その機体の上に名前とエンブレムが表示される。

 

「馬鹿だなあいつ…なんで突っ込んで…!!!?」

その時ロイは緑の閃光を放ちながら迫る機体に気が付き、そのエンブレムを見て目を見開く。

敵機ゆえ、パイロット名は表示されないがそのエンブレムこそ、ロイがカラードにいる理由そのものだった。

例え愛しのウィンディーのエンブレムを忘れることがあってもこのエンブレムだけは忘れることは無いだろう。

回線を開きあらん限りの憎しみを込めて叫ぶ。

 

「ブッパ・ズ・ガン!!会いたかったぜ!!」

 

 

 

「……!?」

少なくともガロアの目ではロイはマイペースな男ぐらいにしか映っていなかった。

ここまで怒りを露わにして叫ぶことなど想像もしていなかった。

 

『お前はあの雑魚をやれ!!あの四脚は、俺が殺ッッす!!』

怒気を隠そうともせず飛び出すマイブリスに敵の四脚も反応し飛び出す。

 

 

 

 

『…なぜ俺の名を知っている』

ブッパもブッパで気にはなったようでプライベート回線で声をかけてくる。

 

「心当たりはねえか」

 

『あり過ぎてわからん』

 

「…クズが!!知る必要はねえ」

 

『ああ、無いな』

 

「お前はここで死ぬからな!」

 

『お前はここで死ぬのだからな』

 

 

 

「ヒッ、ヒイイイイイ!」

迫りくる黒い機体から全力で遠ざかりピスピスとライフルで攻撃をする…が一発も当たらない。

苦し紛れにECMを散布するがそもそも視認されていては意味がない。

今のところ戦闘スタイルの違いで無傷だがそれもいつまでもつか。

本来ならガロアの戦闘スタイルと自分のそれなら自分は圧倒的に有利なはずだが、実力の差がそれを完全に埋めていた。

 

「ぎゃあ!」

ズバン、と一閃右腕が切り取られバランスがおかしくなる。

 

「支援、足りないぞ!約束が違うじゃないか! 」

喚き散らしながらもなんとか所定の位置につく。

ブッパはロイにくぎ付けなのが良いのかどうかは微妙なところだが、二人の世界にいるのならそれでよい。

数的有利はこちらにある。

 

 

 

 

「……!」

今まで全力で後退していた逆関節ネクストがその場でふらふらと浮かんでいることに違和感を感じ、

とっさにその場の空中で仰向けになり、本来後ろに下がるためのクイックブーストを着火しガロアは急激に高度を下げた。

 

 

 

「な、なんで避けられるんだ!死角だったろ!?PQ、もっと撃てよぉ!」

 

『黙ってください、殺しますよ』

 

「ひぃ!」

その言葉と共にPQのネクスト鎧モグラが地面から姿を現す。

鎧モグラだけの特殊な能力。

それは地面を航行出来ることにあった。

レーダーにもかからず奇襲も容易であり、何より遁走もしやすい。

この能力を活かして今までも戦場で活躍してきたのだ。

だが、酸素の都合上あまり長くは潜っていられないし、

ばれたら対応策はそれなりにある。

パッチが叫んだせいでその存在は完全にばれ、その姿を現さずを得なくなる。

アレフ・ゼロに積んであるロケットで爆撃をされれば甚大な被害は免れないからだ。

 

 

 

 

「ミサイル・カーニバルです。派手にいきましょう。巻き込まれないでくださいね、ブッパ・ズ・ガン 」

その言葉と同時に全砲門を開放して目に見えるネクスト全てにミサイルをばらまく。

ブッパなら躱せるだろう。パッチはどうでもいい。

その通信を受けブッパは難なく躱したが、マイブリスには何発か当たる。

 

『余計な横やり入れんじゃねえ!!』

通信と共にレーザーライフルが飛んでくるがそんな感情見え見えの攻撃が当たるわけない。

 

「っ!!」

はい、回避。

と思った瞬間後ろからグレネードが飛んでくる。

先ほどのミサイルを全てかわし同時にグレネードまで発射するとは流石だ。

 

「アッハハァ!一緒に死ぬまで殺し合いましょう!!」

 

『ヒィイイ!』

約一名、場に合わぬ悲鳴を垂れ流しているものがいるが、とにかく混沌とした戦場が幕を開けた。

 

 

 

 

 

(クソッ…厄介だ…相性が悪い!)

 

『俺を殺すんじゃなかったのか』

 

「うるせぇ!」

怒喝を発しながらも幾分か冷静になった頭で考える。

相手は四脚、ならば空中から攻めるのが定石だが、手にハンドミサイルを装備し浮かんでいる相手を叩き落とさんとしてくる上、自分の機体は空中戦向きではない。

しかし地上戦を挑めばその機動性でかく乱されれば最後、最悪の兵器コジマキャノンの餌食だ。

自分の重量機では実に相性が悪い。

ガロアならばマシンガンでコジマキャノンのチャージを阻止できる上ミサイルも撃ち落とせるため相性が良かった。

普段ならば仲間に通信を入れ相手を入れ替えるところだが。

 

(こいつだけは、俺の手で!!)

敵のコジマキャノンのチャージはもう終わっている。

隙を見せた瞬間に発射されるだろう。

苦し紛れにガトリングを撃つが集弾性の悪さが災いしかすりもしない。

だが、ロイは焦らずに作戦を考え一つ一つを評価し、そしてその中の一つを実行に移した。

 

「でああああああああ!!」

元来、自分は戦闘中に叫んだり熱くなったりする方ではない。

だが、心の中にふつふつと湧き上がる何かを抑え切れず、ロイは叫んだ。

 

愚行としか言いようのない真っ直ぐな突進。

ブッパは鼻で笑いコジマキャノンを発射した。

 

直撃だった。

だがそれは突き出された左腕とガトリングを溶かすだけに終わり、

PAも削れ、バランスも崩れ、ロイは激痛に気を失いそうになりながらもブッパのPAを突き破りマイブリスのハイレーザーライフルを寸分違わずコックピットに向けた。

 

『しまっ』

後悔の言葉すらも吐き出せずブッパの身体は塵も残さず消し飛び、パイロットの死亡を確認したブッパのネクストのコンピューターは速やかに自爆を実行した。

 

「うおおおお!!」

小規模ではあるものの正真正銘のコジマ爆発に巻き込まれマイブリスも吹き飛ぶ。

だが、生き残った。

全身が痛いし、もしかしたら今の爆発で冗談抜きに寿命が縮んだかもしれない。

それでもまだ生きている。

一瞬のミスが命取り。命は線香花火よりも脆く落ちていく。

これこそが戦場のあるべき姿だった。

 

「やった…」

ギギギ、と音を立てながら首を曲げもう一方の戦場も見る。

どうやらあちらの決着ももうすぐのようだ。

 

 

 

 

「くっ…死にましたか、ブッパ・ズ・ガン」

敵は自分が奇襲型であることを見抜いて真っ直ぐに攻撃を仕掛けてくる。

元来自分は仲間の攻撃に紛れて致命の一撃を食らわせるスタイルなのだが、

その仲間はスナイパーライフルで当たりもしない攻撃を安全な距離からパスパス撃っているだけでかく乱にもなっていない。

ブッパとのコンビならお互い、どちらが目を向けられてももう片方が一撃で相手を殺せる手段を持っていたというのに。

主兵力のコジマミサイルの砲身は叩き斬られ、他のミサイルの弾切れも近い。

いや、本当なら砲身が斬られたときにコアが切り裂かれているはずだった。

間違いない。

こいつは自分を生かしたまま連れ帰るつもりだ。

 

「まだまだです。おちませんよ、私の鎧土竜は」

味方の死に混乱していないという意志を発する。

していないはずがないと言うのに。

 

『……』

だが敵のリンクスであるガロアは何も反応せずひたすら苛烈な攻撃を繰り返してくる。

喋れないという情報は正しく、その姿はいっそ不気味だ。

 

(もう、ダメですねこれは)

非情なまでに正確なマシンガンの波状攻撃にPAは先ほどからずっとレッドライン、

辛うじて直撃は避けているが、グレネードとロケットの爆風が機体の少しずつ限界へと近づけていく。

 

「まだまだ、まだまだで…!」

 

 

 

「……?」

最後のミサイルを地面に発射した鎧モグラは砂煙に紛れて消えた。

逃げたのだ。パッチを置き去りにして。

 

『え…?』

 

「……」

 

『え?え?』

パッチが現状を完全に把握する前にアレフ・ゼロが近づき右腕も叩き斬る。

 

『待っ…』

 

「……」

ガロアの怒りは収まらない。

半ダルマと化した逆関節の腰を、武器を投げ捨てがっしりとホールドし、限界高度まで引っ張り上げそのまま自由落下する。

 

『あ、あ、マズイ、頼むああああ』

ブースターを滅茶苦茶に吹かすが倒立したまま高度を上げられるネクストはいくらなんでも存在しない。

ガロアは右側のサイドブースターのみを着火し落下に回転力をつける。

 

『やめああああああああああああ!!』

二つの機体は錐もみ回転をしながら熱砂へと落下していった。

 

 

 

「げええええええ、ゲホッ、ガハッ」

目が回る。ひどい頭痛に加えて、数時間座った後に立ったみたいに酷く視界がもうろうとする。

止めどない吐き気が身体中を巡り吐しゃ物となって鼻と口から出てくる。

 

足が上に浮かんでいた。

いや、違う。これは上下が逆になっているんだ。

収まらぬ吐き気を我慢しながら目を開くと、変わらずそこは真っ暗だった。

カメラが…いや、頭部が抗え切れない衝撃によって叩き潰されたのだった。

ついていない。

 

 

 

 

「死んだんじゃねーのか」

辛うじて立ち上がりながら面白い格好で地面に埋まるノーカウントを見てロイは呟く。

 

「ありゃ相当頭に来てるな」

しかしガロアはまだ許していないようでその脚を掴んで引っ張り上げて地面に投げ捨てた。

 

 

 

 

 

 

頭部が中華料理の皿よりも平べったく潰れているのを見て確認し、ブレードを振り降ろし、薄皮…いや装甲一枚を絶妙な加減で斬ると、中からパッチの姿が現れた。

投降しろ等と口に出せずとも、目の前に突き付けられた蒼閃の刃はパッチの恐怖を極限まで煽り、

耐えきれなくなったパッチは吐瀉物と涙と鼻水と汗にまみれた顔を梅干しを食べた老人の唇よりも歪めながら小便を漏らした。

それでもまだ生きているのは豪運の賜物か。

 

『……』

あの振り上げられたブレードは脚を斬ろうとしている。俺を逃がさないつもりだ。

過呼吸気味の息を吸い込み生き残るための言葉を口にする。

 

「待ってくれ!降参だ!俺は指示された通りやっただけだ…あいつらがいなけりゃ、戦う意味もない」

アレフ・ゼロの腕が止まる。

さらに言葉を続ける。

 

「利用されてただけであっちの事なんかなにも知らねえ!本当だ!殺さないでくれ!それに、あんた達はまだ生きてる。

ノーカウントだ、ノーカウント!な、分かるだろ?同じリンクスじゃないか、数少ないリンクスが殺し合うなんて馬鹿げてるだろ?」

 

 

 

『な?なんだ?何が起きている?』

あのミサイル男が消えてジャミングが解消されたのか、セレンからの通信が入るがまるで状況が理解できていない様子。

 

「…??」

自分だってそうだ。

自分は死ぬつもりも無く、ただなんとなく敵対していただけと言いたいのか?

それだけで戦っていたのか?生き残っているからノーカン??

意味が分からない。

 

『…すげえな、こいつ…大物だ、感動した… 』

後ろでは立ち上がったロイがあきれ果てた声でそんな感想を口にする。

銃口は既に下げており、戦闘の意志は見られない。

 

「……」

なんだか、さっきまで自分を包んでいた怒りがどこかへ霧散してしまったようだ。

さっさとセレンの元に帰りたい。それでいいような気がする。

今ここでこいつを殺すよりは泳がせた方が価値があるのかも?

等と自問自答していると、影も残さんばかりのスピードでノーカウントは飛び去っていく。

そのスピードを何故戦闘に活かさないのだ。

 

『お、俺は帰る!すまねえな!』

勝手にお礼を言われたがどうも釈然としないでいると、セレンから通信が入る。

 

『カラードの裏切り者がいたのか。しかし、帰るってどこに帰るんだ?

企業管轄下には帰れない。本物の阿呆だな。とりあえず、ミッション終了だ。帰って来い』

 

「……」

一機は自爆、二機を取り逃がしたとなると成功とはいえないが、

兎に角危険極まりないテロリストを退けたのは事実。

やりきれない気持ちを整理して、ガタが来ているマイブリスに手を貸そうとすると通信が返る。

 

『あー、先に帰っていてくれ。俺は、寄るところがあるからよ』

 

「……」

こんなガタガタの機体でどこに行くというのか、修理して報告し、金を受け取ってからの方がいいのでは、

といろいろと思うところはあったがマイブリスもぷすんぷすんと大ダメージブーストを吹かし離脱してしまう。

ぽつんと戦場に残されたガロアはお前もさっさと帰って来い、というセレンの声が聞こえるまでぼんやりとしていた。

 




本当はもう、セレンにとってネクストだとかリンクスだとかどうでもいいことなのです。
ですがそれが無ければガロアと一緒にいる理由がないと分かっているセレンは何も言えません


セレンはガロアを本当は優しい人間だと思っています
しかし、作中では破壊的な性格をした人間だと表現されています

セレンが勘違いしているのか、それともセレンだけがガロアの本質を見抜いているのか。どちらなのでしょうか。


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ロイ・ザーランド

「オーライ!オーライ!」

夕焼けに染まる赤い砂漠で、巨大な火を囲むようにして幾つものトレーラー、テント、ノーマルがあり、

人々は空から来た巨人から吹く風にテントが引き飛ばされないように押えながら巨人が着陸する場所を確保する。

 

がしゃん、と大仰な音を立てて巨人の胸部が開き中から男が出てくる。

 

「よう、お前ら!帰ったぞ!」

中から現れた人物を確認するとテントやトレーラーから老若男女70人ほどがぞろぞろと出てきて、めいめいに声をかける。

 

「お、お、お帰り!ロイ!」

 

「兄貴!今から飯だ!食ってくんだろ!」

 

「なんだこりゃ!マイブリスがボロボロじゃねえか!」

 

「おいちゃんだーれ?」

 

 

「おう、食ってく食ってく。酒はあるんだろうな!」

慣れた様子で5m以上の高さから飛び降りて着地する。

 

「よう、兄貴。一年ぶりじゃないか」

飛び降りたロイに身長2mはあろうかという髭面のむくつけき男が声をかけてくる。

傍から見れば兄貴と呼ぶべき人物と呼ばれるべき人物が逆に見えるだろう。

 

「ウェイド、なんか変わり無かったか?」

自分の為に誂えられたのだろう、巨大なキャンプファイアーの前にたった今置かれた椅子に向かって歩きながら尋ねる。

 

「そうだな…兄貴がいない間に子供が六人生まれたよ。で、二人死んだ。エリーとハリムだ」

 

「!…ハリムの野郎も死んだのか。残念だ」

幼いころからの友人の一人である者の死を聞き無念に顔を歪める。

 

「後で墓参りしてやってくれ…といっても、骨壺があるだけだがな」

 

「そのことだ。明日、俺とお前、マイキーとショーンを連れて故郷に行くぞ。本当なら…ハリムも連れていきたかったがな。灰を撒いてやろう」

 

「なんで突然?」

髭面の無骨な男に似合わぬおろおろとした表情で尋ねる。

ロイを含むその五人にとって、故郷とは帰るべき場所でもあるが同時に絶望の街でもある。

そこに五人、いや四人で向かうのは何か意味があるはずだ。

 

「…後で話してやる。酒だ。あと飯」

どさりと椅子に座り背筋を伸ばし、そう言うとウェイドはすたこらさっさと走って取りに行く。

ロイとウェイドと呼ばれた男のこの力関係は何年たっても変わらないものだった。

 

「ロイ、見てやってくれ。これがうちの娘と息子だ。娘はあんたがこの前来た時は幼かったし、息子は見ていなかったろ?」

パイロットスーツのチャックを緩め持ってきてもらった酒を呷っていると、病的に細い男が女の子と赤ん坊を抱え、ぎょろつく目を細めながらロイを見ている。

これでも笑いかけているつもりらしい。

だが、こんなナリでもこの男は昔よりは大分太った方なのだ。

 

「おいちゃんだーれ?」

女の子の方は父親の細い脚に隠れながらロイに聞いてくる。

 

「おいちゃん?俺かぁ?はっはっ。うん、そう俺はただのおじちゃんさ。…お前に似なくてよかったじゃないの。この子は別嬪になるぜ」

膝をつき、女の子の頭をなでながら痩せ男にぶっきらぼうに言葉を投げる。

 

「そうだろうとも!息子もあんたみたいないい男になるといいと思ってな…ロイってんだ」

 

「ほー」

周りは火で明るく、そこらで男も女も騒いで歌っているが、そんなことも気にせずに赤ん坊はぐっすり寝ている。

ロイが指で額に触れると鬱陶しそうに手で払いのけた。

 

「図太いねこりゃ。俺みたいな女たらしになるなよ」

ロイがそれを見て痩せ男と共にへっへっへ、と顔に似合っていない笑いを漏らしていると

ブルカと呼ばれる、イスラム圏で女性が顔を隠すために使われる布を被った女性が近づいてくる。

 

「ロイ!」

 

「おお?どうしたんだミゼル、またそのけったいな布つけてよ。もういらねえだろ?」

訳知り顔でミゼルと呼ばれた女性を痩せ男はからかう。

 

「タイミングってものがあるだろう、この!」

 

「おお、怖い怖い!」

えんやこらと2人の子供を抱えながらどこかへ行く痩せ男。

からかいつつも何か気を利かせてくれたようだ。

 

「その、ロイ…見てくれ」

するり、と慣れた様子でブルカを外す。

褐色の肌に艶やかな黒髪、少し高めの鼻に薄い唇、色の香る目、

街を歩けばだれもが振り向くような美人がそこにはいた。

 

「…!すっかりよくなったな!いや、もう完治って言っていいんじゃねぇか、これは」

 

「治療のお蔭もあるんだけど、つい二か月ほど前に旅医者が立ち寄ったの」

 

「…旅医者?」

聞きなれない単語に反応しながらあくまで自然にその艶やかな黒髪を撫で付ける。

ワザとでもなんでもなくロイは本当に自然にそのような行為をしている。

 

「ええ。世界中を歩き回ってる、とか言ってたわ。びっこ引きながら歩いていたから多分脚が悪いんだと思うんだけど…変わった人もいるのね。日焼けしてたから絶対とは言えないけど…イエローじゃないかしら」

髪をなでるロイの手に自分の手を重ねながら美女は言う。

 

「そいつがどうかしたのかい」

 

「私の顔…本当は完全には治りきらなかったの。痕が少し残ってしまって…でもその医者が整形してくれたの。整形と言っても元々の顔の写真と同じにしてもらっただけよ。

本当に、感謝してもしきれない。ロイとあの医者…ミドには」

 

(…ミド?…?どっかで聞いた名前だ)

ミド、という名前に本当に少しだけ聞き覚えがあった気がするが後ろのたき火がパチリと弾けると同時に記憶の手綱が手放されてしまう。

 

「……」

 

「……」

何かを言ってもらいたそうな顔をしている。

ロイはその言葉を知っている。

自分にそのような目を向ける女性の思いも。

しかしロイは言わない。言えば喜ぶその言葉は、もっと良いタイミングがあるのだと知っているから。

 

「…私さ、…、美人だろ?いや、ごめん。ロイに綺麗だって言ってほしかったんだ」

少し俯くと火に照らされた顔のパーツが完璧な影を作る。

間違いなく、美人だ。

 

「おいおい、言ってほしかっただって?馬鹿言うな」

 

「…?」

おちょくるように両肩をすくめるロイ。

その言葉がロイ以外の人物から発された物でなければ彼女は深く、普通の女性がその言葉を受けるよりもずっと深く傷ついていただろう。

だがロイが人をいたずらに傷をつけるような人物でないことを知る彼女はただ疑問を顔に浮かべる。

 

「最初に会った時に言っただろう?」

 

「……!」

 

彼女、ミゼル・ラバーナムとロイの出会いは一年前のことである。

 

 

この砂漠でロイが率いる、約70人のメンバーからなる元盗賊団「ファミリー」は国家解体戦争の後まもなくしてできたならず者の集団だった。

企業が支配するコロニーはデストピアと言って差し支えの無い物であったが、それでもその中で暮らせるものはマシで、

もともと貧民街に暮らす者たちや社会的に弱い立場にあった者たちは「公共の福祉」「最大多数の幸福」といった国の持つ一応の建前である枷を失った新たな支配者たる企業により完全に排斥された。

ある者は行き倒れ、ある者は殺され、ある者は攫われ非道な人体実験の道具にされる。

利益の元に倫理を踏みつぶす支配者の元では弱い者達が生き残るためには少なからず犯罪に手を染めざるを得なかった。

 

50歳にもなるベテランのレイヴン、ロベルト・セブンスフォルドは実直な武人であり、国家が解体される直前まで国の為故郷の為に企業と戦い、

そして生き延びはしたものの戦争は国家の敗北という予想もしない形で終わった。

頭が潰されれば残った者はただの逆賊である。

皮肉にもロベルトは腕の立つレイヴンであり、企業側の戦力も命もそれなりに奪った過去があったためその腕があっても企業の元で働けなかった。

と、言ってもロベルトに企業の元で働くつもりなど無かったが。

 

その彼が追い出され、今日の口を糊するのにも苦労しているような者10名前後を集めて作り上げたのがこの組織、「ファミリー」であった。

盗賊と言っても弱い者から奪うのではなく、あくまでも企業のごく小さな工場や、企業からコロニーへの配給トラックを襲って物資を奪っていた。

ノーマルに乗って企業に仇成す彼は十分に目立つ存在であったのであろうが、

幸いにもそれと時期を同じくして自分達が活動している地域でネクストをも用いて派手に活動する「マグリブ解放戦線」という名の反政府組織があったので彼が槍玉にあげられることは無かった。

 

メンバーは徐々に増えていき、ロイを含む五人の少年がファミリーに入ってきたのは十五年前。

そしていつからか「ファミリー」は盗賊団というよりは街や村単位から依頼される仕事を請け負う傭兵集団としての色合いが強まっていったが、転機を迎えたのは三年前。

リンクス、そして「ファミリー」のリーダーとなっていたロイはリンクスとして稼いだ金でカラードで物資を買い、

それを「ファミリー」に持ち込み、村々を渡り物々交換でもなんでもいいから商売をしろ、と指示をしてからである。

 

厳格な意味での資本主義が支配するこの世界では多量の物資の流れはやはり力となり、その地域と「ファミリー」に小さくは無い富と活気をもたらした。

そして今、「ファミリー」は完全に盗賊行為をやめ、物資を運ぶ隊商かつ傭兵を抱える集団となっていた。

始まりは一人の老兵が身を守るために立ち上げた組織は大きくなり、いつしかそれは子供も大人も老人もいる一つの大きな家族となっていた。

これこそがロイが守りたいものであり、ロイの世界であった。

 

一年前、カラードから「ファミリー」の元へ戻ったロイは指示を出しつつたどり着いた街で何をするでもなくぶらぶらと歩いていた。

 

「暑いな…酒でも飲みてぇが、商品からくすねたらロベルトがうるせぇからな…」

元々自分が稼いだ金で仕入れた商品に手をつけて何が悪いんでぃ、と心の中で悪態をつきながらも、

街の景色を楽しむように歩いていく。二、三回ほど来たことがあるこの街、久方ぶりに来てみれば随分と活気がある街となっていた。

その大きな理由の一つが物の流れ、つまりロイが始めることとなった街から街へと渡り歩き必要なものを買い売りする商売にあるのだが、

そんな難しいことは特に考えずただ街の活気を楽しむ。

 

「お、ちゃんと冷えた酒売ってんだろうな」

随分とボロい看板だがどうやら商店らしい名前が書いてある店に入る。

店の中はむわりと暑く、日に照らされた外の方がマシなレベルだが幸いにも飲み物は冷えて陳列されている。

 

さて、どれにしようかと悩んでいると入り口から顔を隠した怪しげな人物が小走りで商品をとり会計に持っていく。

 

「……」

 

「お、お前、また来たのか!!もういい、金はそこに置け、俺には触るなよ!?さっさと出て行ってくれ!!」

こんなに暑い店の中でよくまあ絞りかすにならないもんだという感想を先ほど抱いた小太りの店主が怪しげな客に向かって吐き捨てる。

顔を隠した人物はさっと商品をとって店から出て行ってしまった。

入店から一分も経っていないだろう。

 

(…ん…?)

すれ違いざまに鼻に香ったあの芳香。

あの肌の匂い方は女だ。それも飛び切り美人の。

 

「オヤジ、あの女はなんだい?」

酒と気持ち多めの料金を置いてロイは尋ねる。

 

「ああ?ありゃこの街の厄介もんだよ。元は結構な美人だったんだが、何かの病気なのか、憑りつかれたのか知らねえが、

顔がぶくぶくと腫れて化け物みてえな顔になっちまったんだ。親もあいつのことを家から追っ払って今は街のはずれに住んでるよ。

うつされちゃたまんねから本当は店に来てほしくねえし、出来れば街から消えてほしいんだがな」

料金をそそくさとしまった店主は口早に答える。

 

「うつるのか?」

 

「知らねえよ、そんなこたぁ。さぁ、ただでさえ暑いんだからもう何も買わねえならさっさと出てってくんな!」

 

「ふーん…あっそ」

店の外に出て酒を呷りながらロイはまた街をぶらりと歩く。

ここ5日ほどこの街であてどなくぶらついているがあの店主が言うように顔が醜く腫れた人物などとはすれ違った記憶がない。

それに見た限りでは走るぐらいの元気はあるようだったし体型も痩せてたり、また不自然に太っているようには見えなかった。

 

「感染力が強いわけでも体に致命的な被害を与えるわけでもない、のか?遺伝かな。いや、でも親に追い出されたって言ってたしな」

ロイは学は無いが頭が悪いわけではない。

人よりも優れた目と頭を持つ者特有の好奇心が首をもたげる。

 

「……次、出会ったら決めるか」

愚昧な者は未知の物に恐れを抱き排除する。

明哲な者はその本質を知ろうとしその上で判断する。

酒を飲み切ったロイは連れ込み宿に一人で入りその夜を過ごすことに決めた。

 

砂漠に吹く風からは戦の匂いがする。

この匂いは嫌いじゃねえ。

でも、俺はやっぱり女の匂いのほうが好きだな。

ひょうひょうと一人酒を空け意味があるのだか無いのだか理解しがたいことを繰り返し考えながらむにゃむにゃと眠りについた。

 

 

 

 

 

「いた」

砂漠の風を肩で切り歩くロイはその女を見つけた。

日陰を人に慣れない小動物のように小走りで歩くその女の前でロイは跪き大げさなセリフを吐く。

 

「見目麗しいお嬢さん。どうか全てを捨ててこの俺についてきてくれないか」

普通の男が言えば失笑もののセリフだがロイがその言葉を言えばどんな女性もドキリとする。

例えその言葉が今日限りの気の迷いであることが察せても。

しかし。

 

「…消えて。私に関わらないで」

その女はその言葉を吐き捨てると同時に走り去ろうとする。

 

「……」

ロイは確信した。

この女は絶望している。この街に。この世界に。あるいは、自分に。

希望なんか降ってこないのだ、と。人と関わることをやめた人間に希望などあるものか。人間ならば。

 

そして決めたのだった。

 

「だが断る。こんなご時世に女が独り歩きなんざ攫ってくれと言っているようなもんだぜ!」

すぐに追いつくとロイはその女を木材でも抱えるように肩に乗せ街を走る。

その光景を見た街の者は何人もいたが誰一人として止めようとはしなかった。

 

 

 

 

「……スン」

水場のそばに建てたテントの中で酒をちびちびと飲みながらロベルトは鼻を鳴らす。

既に60を超えて「ファミリー」をロイに任せたからか…いやそれだけでは説明が付かない程度には最近身体が悪い。

だが、このまま沢山の自分の家族に囲まれて死ぬのは悪くない。

天涯孤独でしかも企業に追われるような存在だった自分にその結末は悪くない…どころか望外の幸せと言ってもいい。

近頃のロベルトはそんな同じ答えを…しかし自分にとっては宝のような現実を繰り返しなぞっては酒を飲み満足げに息を漏らす毎日だった。

 

「…ああん?」

気が付くとテントの入り口にロイが立っていた。

 

「よう、ロベルト」

 

「降ろして!離して!人さらい!!」

年老いたとはいえ元腕利きのレイヴンの自分が入り口に人が立っても(しかもこんな騒がしい荷物まで持っているのに)気が付かないとはつくづく衰えたものだ。

 

「…うちはとうとう人さらいに手を出すようになったのか?あんまりいただけねえよなぁそりゃあ」

 

「…どう思う」

どさりと女を降ろし、入り口を閉じながらロイはその女の顔に雑に巻いてあった布をとる。

 

「やめて!何するの!」

女は叫ぶがロイはお構いなしだ。

 

「……街の者はなんて言っていた」

 

「なんかに憑りつかれたとか。でもよ、馬鹿でかい飛行機が何千万人も乗せて飛び回る時代にそんな怪奇譚はちょっとな」

 

「……え」

女はロイは腕を組み言ったその言葉に呆然とする。

何となくだが、今まで自分にぶつけられた否定的な言葉とは毛色が違う。

 

「…全くだ。コジマだのネクストだの…けったいな…こんなに技術が進んだってのにまさか人の考えが時代を逆行するとはな」

 

「わかるのか、ロベルト」

ロイには学は無いが頭はある。

最近は半ば置物と化しているロベルトだが、沢山の経験を積み重ねと年を取った彼ならばもしかして知るところがあるのではないかと当たりをつけていたのだ。

 

「こいつはらい病だ。恐らくな。ずっと昔、こいつはハンセン病と呼ばれてこの病気に罹った奴はその恐ろしげな見た目から迫害を受けていたんだ」

 

「……」

 

「ほら、私は病気なのよ!もういいから放っておいて!!うつったら…」

 

「こいつの感染能力はかなり低い。というよりも体質によって感染が決まると言っていいし、ほとんどの人間は罹るようにはなってねえ」

 

「…治療法は?」

 

「……え?…え??」

 

「ある。化学療法がな。見たところまだ発症して間もないしなんとでもなるだろ。まぁ、バカ高い金がふんだくられるだろうがな」

 

「…そうだ、ロベルト。俺はあんたにずっと文句が言いたかったんだ」

 

「ああん?」

 

「俺が稼いだ金で買ったものを俺が使うことになんであんたはいちいち文句を言うんだぁ?おぉ?俺が金を自由に使うことをなんであんたに止められなきゃならねえ?」

 

「ねぇ…、何を話して」

 

「言うじゃねえかガキが」

 

「ガキじゃねえしファミリーのリーダーは俺だろ。オ・レ!あんたが俺をリーダーだと認めたんだ。だから金の使い道も俺が決めていい道理なんだよ」

 

「…そりゃ道理だな。ああ」

お前をリンクスに仕立て上げたのは俺だし、お前をガキから大人に育てたのも俺だ。

とは言わずに酒を飲みながら答える。ロベルトは上方に曲がろうとする唇を酒の瓶で隠した。

 

「金、使うぜ。商品も俺が自由にする」

 

「…好きにしろ」

さっさと出ていくロイを見送りロベルトはニヤリと笑う。

本当に、望外の幸せと言っていい。

転げに転げ落ちたはずの状況。ただ今を生きる為に必死だったはずが、どういう因果かこんな結果になっている。

長生きも悪くない。血混じりの痰を吐き捨てた後、またロベルトは酒をちびりちびりと飲み始めた。

 

そして彼女、ミゼル・ラバーナムは「ファミリー」の一員となった。

乱暴に顔に布を巻くのではなく、ちゃんと顔を隠す目的の元に文化的に作られた布をロイから渡され、治療を受けることになっていく。

自分の顔が何かに映るのが嫌で明かりもつけずに一人泣いた夜。

どこにぶつけていいかも分からない怒りと、何を悔やむのかもわからない後悔を抱きながら昔の写真を見て呆然とした昼。

美しく明るい容姿。

その事を誇りに思っていた彼女はその美貌を取り上げられ元々持っていたはずの自尊心に精神が耐えきれず、ただただ暗い場所で生きるしかなかった。

しかし元をたどればみんなどこか脛に傷のある「ファミリー」の元で昼は平等に仕事を与えられ、夜は一緒に食事をしていくうちに彼女は徐々に本来の性格を取り戻していった。

彼女の顔も完全とはいかないまでもあまり目立たないまでになり、その顔布を人前で取り外すことも出来るようになっていた。

 

 

 

 

 

「な?」

完璧なウインクをするロイは火に背を向けている為その顔は見えないが、簡単に想像がつく。

 

「あ、あ、…そうか…私、もっとちゃんと聞いておけばよかったな…」

 

「さーて、俺はそろそろ寝るかな」

このままいけば健康な男女2人が自然に作り出す雰囲気が出てくるということを経験から知っているロイは話を切り上げわざとらしく伸びをする。

 

「…ねぇ、ロイ。寝るなら私もテントに行っていい?」

想いひとひら、愛の告白の相似であるその言葉をロイはやんわりと受け流す。

 

「寝る前に愛しい人へのラブレターを書くつもりだからな。恥ずかしいから勘弁してくれよな」

 

「…その人と私はどっちが先に出会っていたの?」

 

「さぁ、な。おんなじくらいじゃないか」

 

「ずるいね、ロイは。どうしてあの時私を助けてくれたの?こんなことされたら誰だって…」

 

「俺は美人の味方だからさ。…おやすみ、ミゼル。ちゃんと寝ろよ」

想いを受け流し、背を向けた彼女が昔よりずっと明るくなっている。それだけでも価値はあった。

昔の自分なら抱いてくれと言われたら一も二も無くその言葉通りにしていたはずだが、今日のこの言葉に後悔はない。

その満足感と今日達成された長年の悲願を胸に抱いてロイはぐっすりと眠った。

 

 

 

 

ショーン、ウェイド、マイキー、ロイの四人は花束と、そしてロイはそれに加えハリムであったものの灰を入れた壺を抱いて五人の故郷である街であった場所へやってきた。

 

この場所が街であった、と言われれば、ああ、そうなのかもね、という答えが返ってきそうなくらいには五人の故郷は街の形を成していない。

鉄くずと薬莢、辛うじて立っているボロボロの壁。

それがこの場所の全てだ。

 

「ね、ねえ。ロイ。なんでみんなでここに来たのかな?」

マイキーがどもりながら尋ねてくる。

 

「…俺は…分かる。ロイ、やったんだろ」

昔から察しがいい方であったショーンは故郷に行くぞ、と告げたときから気が付いていたようだった。

 

「ああ。やった。ブッパ・ズ・ガンを殺した。一片の塵も残さず消し飛ばしてった。今頃地獄で裁きを受けてんだろ」

 

「ま、まじか!兄貴!」

 

「…ああ。だから、今日は故郷に報告にな」

 

 

 

今から15年前。

ロイ、ウェイド、マイキー、ショーン、そしてハリムは貧しいながらも健やかに育つ子供たちで、

ロイはその五人組の中でいい言い方をすればリーダー、ぶっちゃけた言い方をすればガキ大将だった。

 

夜遅くに子供が出歩くのを親が認めないのはいつの時代も共通したことだが、

親同士が知り合いであったこともあり、あいつの家に遊びに行くから遅くなる、

と言えば夜遅くまで遊んでいても平気だった。

 

その日も五人は集まって最近夢中になって作っていた街から外れた場所にある秘密基地にそれぞれいろんなものを持ち込んで遊んでいた。

 

「あ、あ、あれ?」

 

「お?」

ロイの見守る中でマイキーの作るトランプタワーが崩れた。

 

「兄貴、また息吹きかけたのか?」

 

「アホ野郎。地震かなんかだろ」

 

「…ロイ、なんか変だ」

ショーンが外を見ながら言う。

 

「あんだよ」

 

「もう日が沈んでるはずなのに…西が明るい」

 

「西って…」

誰かが持ち込んだコンパスを見ながらロイが言う。

 

「俺たちの家があるほうだ。みんな、よく聞いてみろ」

音割れした音楽を流していた機械のスイッチを切り、ハリムが口に人差し指を当てる。

 

…ン

…ーン

ガ…ガ…ガガガ

…ドーン

 

「は、は、花火かな」

 

「…!」

マイキーが的外れな事を言う。

少なくともロイにはそう思え、嫌な予感が言葉になる前にロイは駆け出していた。

 

「ロイ!!」

四人は駆け出すロイの背中を追いかけ、街の近くの小高い丘で止まったロイの横に並び呆然とする。

 

「え…?」

 

「な、なんだよ、これ…」

火、火、火。

街は、五人の街は火に包まれていた。

辺りにはいくつものノーマルや武装した男どもがいる。

 

何を、どう見たって街が襲われている。

 

 

 

怖い盗賊がいるから夜遅くに外に出るんじゃないよ

 

 

 

 

どの親も口を酸っぱくして子に言い聞かせていた言葉である。

 

「マ、ママーッ!!ママーッ!!」

マイキーが駆け出す。

ロイは、なぜかは分からないがとっさにその腕を引き頭を地面に押さえつけた。

 

「離せ!!離せよ!!ロイ!!」

いつも気弱なマイキーがこんな、しかも自分に向かってこんな言葉遣いをしたことなど初めてである。

だがロイはそれを上回る剣幕で叫ぶ。

 

「黙れ!行くな!!殺される!…あいつら、ただの盗賊じゃない!」

 

「殺してる…みんな…」

ハリムが顔を真っ青にして呟く。

火に目が慣れてきて、よく目を凝らすと動く人は皆撃たれ、斬られ、焼かれていく。

 

(母さん!!)

今、撃たれたのはロイの母親だった。家に隠れていて、それもバレていなかったのに何故か外に出たのだ。

その理由は簡潔だった。今も外で遊んでいる自分達の元へ行こうとしていたのだ。

 

「頭を下げろお前ら!しゃがめ!!」

ロイは叫び五人は一様に丘に伏せる。

 

「あ、ああ…」

ただ見ているしかできない。

いつも偉そうな口をきく自分は結局のところどうしようもないぐらい子供なのだと、現実が教えてくる。

秘密基地に引き返してしまいたい。

というか、そっちの方が安全なはずだ。

なのにどういうわけかロイは身体が動かずその目は煉獄から離すことが出来なかった。

 

可燃性の液体をまき散らしさらに火をつけ、ノーマルの中の一機が手で指示を出し撤退していく。

 

「あいつが…頭か…」

凍り付く頭と火に焼き付く目、に飛び込むエンブレム。原始的な暴力を表すようなそのエンブレム。

 

ロイの中ではその日の記憶は結構あいまいだ。

だが、そのエンブレムだけは不自然なまでに鮮明に記憶に残った。

 

 

 

「父さん…母さん…」

ウェイドが呆然自失といった感じで呟く。

基地に戻ったが今でも外を見ればまだ西の空は明るい。

 

「お、俺は…」

 

「ロイ…?」

顔面蒼白なショーンが尋ねるような縋るような声を出す。

 

「殺してやる…殺してやるぞ…」

 

「ろ、ロイ?な、何言ってるんだよ!あんなのどうするんだよう」

 

「あいつと、同じなら…あの機械に乗ってたら俺の方が絶対に強い!いつか絶対に…!殺してやるぞ…あの野郎…」

 

「でも…ロイ…」

その先の言葉をハリムが続けなくてもみんな分かっていた。

だからと言ってこれからどうするのかと。

突然放り出された五人の子供。

 

食料も飲み物もわずかしかない。

どうなるかなんてことは言わなくても誰にだって想像がついていた。

ただロイがうわごとのように呟く怨嗟の誓いが狭い秘密基地の中に反響していた。

 

 

 

 

「…ひでぇな」

焼き尽くされた街を見てロベルトは呟く。

 

「なんですか、これは」

 

「ブッパ・ズ・ガンの仕業だろう」

 

「誰ですそれ」

ノーマルの中に響く声に、目の前の悲惨な光景を目を細めながら見渡しながら答える。

 

「俺と同じで、元々国家側についていた腕利きのレイヴンだ。俺が俺なりにやってるように、奴も奴なりに生きようとしているんだろう」

 

「正直、ぶつかりたくないですね」

 

「ああ。奴は腕利きだが、それ以上に良心のタガが飛んでいる。人を殺すことをなんとも思っちゃいない野郎だ。会いたくは、ねえな」

 

「ロベルトさん!!あっちに、死にかけのガキどもが!」

 

「ああん?」

 

 

 

「…ぁ」

 

「目が覚めたか、ガキ。ほら、水だ、飲め。何があったか覚えてるか」

 

「殺してやる…」

 

「ああん?」

 

「殺してやる!離せ!!」

 

「………とりあえず、水を飲め」

 

乾燥地帯に四日間、ほとんど食料も飲み物も無い子供が五人、生き残ったのは奇跡としか言いようがなかった。

 

こうして五人は「ファミリー」に入ることになった。

 

 

 

 

 

「ようやく、一区切りか」

手を合わせ終わり神妙な顔でロイは呟く。

普段は飄々としているが昨日今日と真面目な顔をし過ぎて正直肩が疲れた。

 

「さーて、お前ら帰るとする…」

 

「兄貴!コルセールの連中から救援要請が来てる!ノーマルの襲撃にあってるらしい!」

 

「ああ?フランは何してやがる」

コルセール。

北アフリカ、つまり自分達「ファミリー」が活動している地域と被る場所を縄張りにして動いている傭兵集団である。

自分達と同じくカラードに登録されているリンクス、フランソワ=ネリスを長に持っており、

お互いに貴重な情報を共有し合う同盟なような関係を持つ団体でもあった。

 

「今カラードから帰っている途中らしい!急がねえと!」

 

「ちっ…マイキー!ファミリーに連絡を取れ!マイブリスを…ああっ!くそ!ぶっ壊れてるんだ!なんでもいいからノーマルを一機オートで全速力で東南に向かわせろってな!」

 

「わ、わかった」

 

「…だがロイ、どうする」

 

「どうするもこうするもねえ!乗れ!」

二年前、大は小を兼ねるだろ…多分。という理由で購入した大型トラックに五人は乗り込む。

今日もここまでこれに乗ってきたのだ。

 

「アクセルべた踏みだ!」

 

「無理だよ兄貴!あんま状態がよくねえからイカれちまうよ!」

 

「うるせえな!どうせこんなポンコツ近いうちにぶっ壊れるんだ!!だったら今日ついでにスクラップにしちまうぞ!!」

 

「ああああああああああああ!!」

ギャリギャリギャリ!!とタイヤとエンジンからあまりよろしくない音を立ててトラックは急発進した。

 

「み、見えたよ!ロイ!」

荷台から双眼鏡で除くマイキーが大声を張り上げる。

エンジンが金切り声をあげて叫びでもしないと聞こえないのだ。

 

「ミサイルランチャーあるだろ!かませ!」

 

「う、うん!」

 

「あひぃ!?」

ショーンが水にぬれた繊維をいきなりロイの耳に突っ込み思わずロイは変な声を出す。

直後に衝撃と爆音が来たが耳栓のお蔭で大分ましになった。

 

「あ、当たったよ!」

 

「よっしゃ!このまま突っ込むから武器持って飛び降りる準備しろ!!」

どうやらコールセル側のノーマルと交戦をしていたらしい正体不明のノーマルがギギギッとこちらを向く。

 

「ンアーッ!!」

ウェイドが奇怪な叫びをあげて着地に失敗する。

 

「ロイ!こいつ、ハリムを殺したノーマルにそっくりだ!」

以前から世界中に現れ暴れまわり被害を及ぼしていた正体不明のノーマル達。

その毒牙にとうとう自分達までもが…

 

「なにぃ!?…お、来た!」

普通のノーマルよりも一回り以上小さいその正体不明の敵は上に乗った元トラックの鉄くずをどかすのに躍起になっている。

そこに丁度良く先ほど要請していたノーマルが来た。

 

「お前ら、援護しろ!俺に当てたらケツを蹴っ飛ばしてやるからな!」

するするとノーマルのコックピットまで辿りつき、操縦桿を握りしめ起き上がろうとするノーマルを踏みつける。

とりあえずはコックピットを吹き飛ばして終わりだ、と思った瞬間。

 

「な…!?」

踏みつけたノーマルが自分の機体の足を掴みその上から引きずりおろした。

自分の機体よりも一回り小さいこの機体が、だ。

 

「うおおお!?馬鹿かてめぇ!?」

体勢を大幅に崩しながらもその手を撃つ。

なんとか逃れたもののロイは冷静ではいられない。

 

(この機体…何度か戦ったが接近戦は初めてだったなそういや…)

だが、確かこの機体のもつ武装はどれも異様な威力を誇ったはずだ。

それに加えしぶとく、固い。しかもあの機体、俺の機体の脚を掴んで振り回そうとした。

そんな動き、ノーマルで出来る物なのか?

 

普通のノーマルにしては小さいが、ずんぐりむっくりとしたボディ。

頑丈そうな脚にはこれまた頑強そうな盾がついており、手にした武器も肩のハンガーに付けられた銃も並の口径には見えない。

 

自分の腕にはかなり自信があるが冷や汗が一つたらりと垂れる。

 

「クソッ!」

かなりの量の弾を至近距離で撃ち続け、ようやく機能停止に追い込んだ…と思いきや大規模な自爆をし、ロイは派手に巻き込まれる。

一瞬誰か巻き込まれなかったかとひやひやしたが、敵ノーマル自体が小型なこともあり一応被害はない。

ロイの機体は中破以上の損害だが。

 

「…!やっべえな…」

目標を変えたのか、他にいた五体のノーマルがこちらに無機質なカメラアイを向ける。

コルセール側のノーマルは大破は免れているもののどれも被害甚大だ。

 

目標達成した次の日に死ぬなんて笑い話にもならねえ、と鼻をヒクリと動かしたその瞬間、敵ノーマルの二体が鉄くずになった。

 

『助かったわ、ロイ』

 

「おせーよ」

カラード所属のタンク型ネクスト、バッカニアが遠方におり、ロイは息を吐いた。

増援がこんなにありがたかったのはあの日、ガロアがアレフ・ゼロに乗って飛んできたとき以来だった。

 

 

 

「本当、助かったわ。あんたたちが来てなかったらコルセールは終わってたかも」

バッカニアから降りたその女性は茶色い髪を首に届かないぐらいの長さでざんばらに切っており、

元々は白色の人種であったのだろう肌は日に焼け健康的な色合いを示しており、そして何故か目の下、鼻を真横にとおってそこだけ日焼けを嫌うかのように赤くなっていた。

ダボつく長ズボンにタンクトップ、胸のふくらみは…残念ながらなだらかとしか言えない。

そばかす少々、そんな身体のパーツも相まって幼く見えるが彼女はごろつきと言っても差し支えない傭兵集団コールセルをその腕で纏める女傑だった。

 

「…いや、辛かったぜ、マジで」

 

「兄貴ー、俺、腕折れてるよ…」

2mを超える大男、ウェイドだけは着地に失敗しており思い切り負傷していた。

 

「あんた達、手当てしてやんな。あとあのトラックも直してやんな!」

 

「へいっ」

 

「いや、トラックはいい。どうせスクラップ寸前だったしな」

 

「…そうかい?ところでロイ、あんたなんでマイブリスで来なかった?」

 

「いや、今故障中」

 

「やややや、やっぱ強かったんだね。相当ボロボロだもんね」

マイキーは何故か普段の倍はどもりながらも会話に混ざろうとしてくる。

その顔が真っ赤なのは戦闘の余韻…ではないだろう。

 

「ボロボロ?あんたが?」

 

「ブ、ブ、ブッパ・ズ・ガンとやりあったんだって」

もじもじとマイキーは言葉をつづけ、ショーンは興味無さそうにコールセルの連中から貰った水を飲みながらタバコを吸っている。

 

「…!やったのか」

 

「ああ」

 

「一人で?」

 

「いや、三対二だったんだが…味方が馬鹿強い奴だったからな。他の二体は引き受けてくれたから、ほとんど一対一の状況に持ち込めた」

 

「馬鹿強い?オッツダルヴァ辺りか?」

彼女自身そんなにランクの高い方ではないが、ロイの順位も強さも知っている。

そのロイをして馬鹿強い、と言わせるとなればそれくらいしか思い浮かばない。

 

「そんなランク高い奴じゃねーよ。ガロア・A・ヴェデットだ。知ってるか?あんたよりも順位は上かな」

 

「はっ…!ガロア!ガロアだって?知ってるとも」

その言葉と同時に周りの男どもも口々に苦々しい笑みをこぼす。

 

「あん?知り合いか?」

 

「いいや…もう時効だろうから言うけど、何年か前にその坊やの誘拐の依頼を受けて…失敗してんのさ、あたしたちは」

 

「…ふーん」

 

「あの頃からケモノみてえな小僧だったからな。強くなっても不思議じゃねえ」

と言う男は当時、ガロア誘拐作戦の指揮を執った男その人である。

 

「それに鬼みてえな女がお守りについていた。あ~、思い出したくねえ」

あの日胸部に殺意の籠った一撃を叩き込まれ心臓が止まった状態からなんとか蘇生した男が頭を大げさに抱え叫ぶ。

 

「鬼…?は?セレン・ヘイズのことか?髪が黒くて青い目した美人のことか?」

確かに冷たい印象は受けたが鬼とはどういう事だろうか。

 

「そんな名前なのか。そういやえらい美人だったな。二度と会いたくねえ、その女にもガキにも」

 

「はぁ~…」

 

「ロ、ロイは勝てる?そいつに?」

 

「俺が…?あいつに?」

そう多くは無いが何度か同じ戦場に立っている。

だが未だに敵対したことは無い。

しかし、敵対したとして勝てるのだろうか。あの………………怪物に。

 

「…あのよ、依頼主を聞いていいか」

質問には答えず、そんな言葉を口にする。

本来はそんなことを聞くのはマナー違反だし、普通は教えないものなのだが、なぜだかどうしてもロイは気になり尋ねた。

 

「アスピナ機関だよ。いや、アスピナ機関の一部による独断なのかもしれん。躁うつ病みたいなテンションした男から依頼があったんだけど…どうもあたしはあの組織は好きじゃないね。リンクス戦争のころから」

 

「…しかしあのノーマルはなんだ?バカみたいに硬いし信じられない口径の武器も積んでやがる」

話が突然切り替わったように見える。

しかし、これはロイの全くの勘でしかないが、何故かこの話は一つながりであるような気がした。

 

「さあね。はっきりしてんのは迷惑だってことだけだ」

 

「ハ、ハ、ハリスも…でも情報が少なすぎてどこを叩けばいいか分からないんだ」

 

「こっちも似たり寄ったりさ。防戦一方。出て来たら追い返すぐらいしか出来ない」

 

「…なんだってんだ?一体」

ロイの嫌な勘はかなりよく当たる方だが、今のところ情報が少なすぎる。

断定するには情報がかなり乏しいがそれでもロイには一つの確信があった。

 

近いうちに何かが起きると。

 




ブッパ・ズ・ガン

身長166cm 体重62kg

出身 ソマリア

ミシェル・フーコーは『狂人は社会が定義する』、と言ったが誰がどこからどう見ても正気じゃない人格破綻者。
国軍に入り牙を砥いでいたが、本当はその力を思うままに使える日を待っていた。
国家解体戦争で国がなくなり自分がテロリストになった時でさえ、「自分の時代が来た」と喜んでいた。
もうテロリスト、指名手配犯という烙印が押されてしまったので我慢することも無く、道行く人に因縁をつけていきなり殺害したり、金があるのに強盗したり、気に入らない店を街ごと焼き払ったりと無茶苦茶だった。妙なカリスマ性があり、ブッパに賛同し付き従う男たちも数多くいたのがまた話を厄介にした。
そんな男にAMS適性があったのは神の悪意としか言いようがない。
メルツェルがこの男をスカウトしたのは戦闘力を買ったということもあるが、手綱をつけておかなければ危険だと察知したから。
だが、ブッパが入ったのはORCAの目的に賛同したのではなく、リリアナの元リーダーがメンバーにいると知っていつか殺す為だった。
自分と同じ存在、同類を食う事によって至上の喜びが得られると考えた。

しかしその目的を果たす前にロイに殺されてしまった。
天罰だろう。


この作品には最初から最後まで救いようのない悪人という物が登場しませんでした(モブは除く)。
なので作中で一言もしゃべらなかったブッパには救いようのない悪人になってもらいました。すいません。


趣味
少なくとも半年以上飼ったペットの餌を抜いて餓死するのを見ること
わざとコジマ粒子を巻き散らすこと

好きなもの
ミルクチョコレート(幼い頃に一度だけ親に貰って好物になった)
作者が吸血鬼と噂されている日本の漫画(連載中)



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The Beginning

 

『アナトリアの傭兵

 

こちらはカラードランク1、オッツダルヴァだ。

 

カラードを介さず、貴殿に個人的な依頼をしたい。

 

無論、報酬は支払う。

 

今から12日後、我々はラインアークに襲撃を仕掛ける手筈となっている。

 

だが、カラードとしては無辜の市民の大量虐殺等という世間からの支持を下げるような真似はしないはずだ。

 

恐らくは私にラインアークの主戦力、つまりホワイトグリントを撃破するよう依頼が来るはずだ。

 

そして一機で出撃させるような愚もしないだろう。

 

私は僚機としてアレフ・ゼロを選択する。

 

ランクこそ低いものの、今までの戦績を考えればこの戦場でも役不足は無いはずだ。

 

ここからが依頼だ。

 

ホワイトグリントとステイシス、アレフ・ゼロとの戦闘の最中、私がそちらにプライベート回線で合図を送る。

 

そうしたら一気に海上まで移動するのでそれを追いかけ、ブースターを狙い撃ちしてもらいたい。

 

当たらなくてもいいが、要するに私が貴殿に海上で落とされ沈められたように見えるよう、一芝居うってもらいたいのだ。

 

報酬も支払うし、カラードのランク1の首を取れ、平和を手にするとなれば損は無いだろう。

 

だが、アレフ・ゼロのリンクス…ガロア・A・ヴェデットは貴殿の蒔いた種だ。もう知っているだろう。

 

その日でなくても彼はいずれ貴殿と対峙する。

 

そちらは貴殿が対処するべきなのだ。運命から逃げるな。

 

よい返事を待っている』

 

 

 

 

ジャラリと音を立てながらいくつもの小さな金属の玉が指につままれる。

 

カラードの運動場にてガロアはコップに入った金属の玉…

今では地上からほとんど消えた娯楽に使われた道具、パチンコ玉を左手にいくつか掴みそして放り投げた。

宙に浮かんだ玉は最初は固まって飛んだが、速度がゼロとなるころには離ればなれになり、

そしてバラバラになった玉が日の光を反射しながらガロアの周りに落ちてくる。

 

見える。

軌道が視える。

数は17。あの玉が一番早く落ち、あの玉が一番遅く落ちる。

ぎょろぎょろと波紋を浮かべる眼球を動かし二本の腕を散らす。

それは傍目には乱雑に空をはたいているかのようにしか見えなかっただろう。

 

「……」

全ての玉は地に着くことなくガロアの掌に納められていた。

 

生まれた時から自分と共にあったこの眼。

眼に見える全ては莫大な情報を含みながらもしかし理路整然と一瞬で頭に染み込んできた。

揺れる枝葉の動きも、一斉に飛び立つ鳥たちの舞い散る羽根の数も軌道も、

コーヒーを注ぐポットの液体の動きでさえも、

全ては赤子がやがて立つことを知るように、

言葉を口にすることを知るように、

自然と自分の理の内側にあった。

それがガロアの普通であり、自然であった。

 

…ただ、話せないという事も、ガロアの普通であり自然であった。

 

そしてその眼は、理由はあるのかすら定かではないが、

リンクスになってからというもののますます冴えわたり、

見上げた空に浮かぶ雲が散り散りになった先のその数すらも当然のように頭に浮かんできた。

 

 

だが。

得意を語ることをしないガロアは同様に苦手も語らないが…

彼は射撃が苦手だった。

 

まだ自分の戦闘スタイルを決める前、

セレンのスタイルに倣いガロアも中、遠距離の装備で固めてシミュレーションに挑んでいたが、全く話にならなかった。

ミサイルを全て撃ち落とすという神業染みた真似をするガロアだが、

それは自分に向かってくるという絶対の規則の元、辿る軌道に重ねて発射していただけの事、動いているようで実のところ動いていない的に当てているような感覚だった。

だが、縦横無尽に上へ下へ横へと動きまわるネクストに自分も動きながら弾を当てるという真似は、

例えロックオン等のネクストからの補助があっても、少なくとも彼にとっては至難の技だった。

マシンガンを選んだのは近距離での乱射の為。

グレネードとミサイルを選んだのはせめて爆風だけにでも巻き込む為。

事実、これまでの戦いで両肩に積む実弾兵器はリンクスとの戦闘に於いてほとんど命中していない。

特に強敵との戦いが多くなったここ最近ではそれはますます顕著となっている。

 

せいぜい二流の射撃センス。

もともとノーマルやネクスト用の訓練をしていなかったのだから、これはある意味当然か、

と当時のセレンはある意味妥当な結論を、今まで神がかったセンスを見せていた少年がここまで来て難儀をする姿に対して下した。

年端も行かぬガロアではあるが、その手に銃を握った経験があると言っていたのでこれも当り前のように最高の結果を出すものだと思っていたのだが、

ライフルの命中率は低く、スナイパーライフルに至っては最早持たせない方がマシというレベルだった。

がっかり、とはいかないまでも、これから一流のリンクスに仕立てるのは長い道のりだと覚悟を改めるセレンの傍らで、

ガロアは自分の力の無さにセレンの何百倍も強い感情で力の無さを呪い、奥歯も砕け散らんほどに歯噛みしていた。

 

人に教える何てことはセレンも初めてだったから、とりあえずありきたりな装備で普通に普通に、あくまで普通にやらせていた。

だが何となくセレンの勘は告げていた。近接戦闘の方が向いているのではないか、と。

どこからどう見ても普通の子供では無いし、尋常の吸収力では無いのに普通のカリキュラムでやっている自分の方が間違っているのではないか、と。

 

理由を付ければ、組手をしているときに時折放つ獣のような殺気や、怪我は多くともすぐに治るその身体、身体中に刻まれた傷痕、

そして日に日に磨かれていく格闘センスからそう思ったのかもしれない。

 

ものは試しだとある日ブレードのみを持たせ、セレンもブレードのみの装備にし、その日も二人は電子の世界で向かい合った。

 

その時セレンは、ガロアとガロアの操る機体に刃物とブレードが異様に似合う事に気が付いたが黙っていた。

 

 

 

ガロアにしても驚きという他なかった。

ものの10秒もしないうちにシリエジオが自分の前でスパークを散らしながら機能停止している。

震えながら汗に濡れる自分の手を見る。

 

悪戯な神によりおよそ肉体的に恵まれない少年に与えられた無二の格闘センス。

痩せぎすな身体に込められたその才能が、本来なら数十年の修行を経て開花するところを、機械の巨人の身体を得ることによって電子的に無理矢理引き出され、解放された。

考えなくても自分が次に動かすべき部位が分かり、相手の力の流れが分かる。

 

夢のように動く手足、

羽根のように軽い身体、

翻弄される相手、

訳も分からずただセレンを見下ろしている自分…。

 

 

超人の目覚め!

 

 

以来ガロアは命を削るようにその身体を鍛え続けた。

自分の肉体が強靭になればネクストもそれに応えるという、

セレンの言葉と本能が教える理屈抜きの叫びを妄信して。

 

肉体的に恵まれなかったその身体は重ね続けられる地獄のような訓練と燃える魂にいつしか着いてくるようになり、

大きく、強靭に成長した。

 

そして、ガロアが自分に課した修行の最後の段階が今、終わった。

 

ホワイトグリントが肩に積むあのミサイルは、途中で分裂しまた追いかけてくるという優れもの。

八つに分裂し自分を追いかけてくる、とは分かっていてもそれを認識し直すのにも数瞬とはいえスキが生じ、

避ければその方向に正確な射撃が飛んでくるか、下手すればまごついている間に接近され強烈なアサルトアーマーを喰らう羽目になる。

分裂する前に撃ち落とせれば文句は無いが、どうやらその分裂のタイミングは決まっていないようであり、確実な迎撃は無理と断定せざるを得なかった。

 

だが、それも地道に続けてきた習練と成長した眼により、その軌道すらも最早完全に見切るようになった。

 

準備は整った。

シミュレーションと実戦が違うことなど百も承知だ。

もう後は正々堂々と相対し、倒すのみ。

 

「……」

パチンコ玉が入った手を握るとギチギチと音を立てる。

見上げた空に浮かぶ雲の流れが異様に速い。

後ろを振り向かずともわかる。

 

…来た。

 

「ガロア・A・ヴェデット」

うなじがピリピリとざわめくのを感じながらその言葉の主に背を向けたまま耳を傾ける。

 

そこには鷹のような眼光をした男がいた。

 

「話がある」

一度しか会った事がない。

投げかけられた言葉もごく少ない。

 

そもそも自分が何なのか。

考えた事もないし、答えなど無いのかもしれない。

だが、分かるのだ。

 

「来い」

オッツダルヴァは自分と同類の人間だと。

 

 

 

 

「企業連はラインアークを陥すことを決めた」

ウェーブのかかった黒髪、鋭い眼。

そしてこの前会ったときと寸分変わらぬ無表情。オッツダルヴァは淡々と告げる。

 

「!…、…とうとうか」

カラードにあるオッツダルヴァの自室にガロアと共に招かれたセレンは極力表情を変えないようにしながら答え、身震いする。

この話を自分達にしている理由が分かるからだ。

ついにガロアはその執念で此処まで来てしまった。

 

「……」

 

「ホワイトグリントを撃破する。私と来い、ガロア・A・ヴェデット。貴様はこの任務に不足の無い力を付けた」

 

「……」

 

(ガロアが…笑ってる…)

身体が小さく震えるのがさっきから止まらない。

それは確かに笑っているものの笑顔などと呼べるようなものでは到底なく、

例えるならば牙をむく肉食獣だ。

二人のぶつかり合う視線が弾けて空気に混ざりこの部屋を異質な空間にしてしまっているかのようだ。

 

(なんて部屋だ…)

二人の顔に視線をやることが出来なくなり部屋を見渡す。

がらんどう、という表現を超えて最早空虚でしかない。

ガロアの物の少ない部屋よりも物が無い。

ノートパソコンとベッド、それだけだ。

カラードのランク一位…天才だと聞いていたが、そもそも人間なのかこいつは。

全く変わらぬ表情といい、闘う為の機械とでも言われた方がよっぽどしっくりくる。

 

「……」

 

「あ!おい!ガロア!」

ガロアが踵を返し出口へと歩き出す。

いつの間に話が終わったというのか。

 

「三日後のPM11:00だ」

 

「……」

 

「いつ話がまとまったんだ!おいって!」

当然答えが返ってくることも無く、ただ扉が開く音だけが聞こえる。

 

世界がうねり始めた。

 

 

 

 

 

その背中から交差する白き閃光を放ち私から遠ざかって行く。

いつだってあの光が私達を守ってきた。

 

必ず帰ってくる。

そう言って遠くへ飛んでいって

 

必ず帰ってきた。

 

 

大丈夫。今日だって絶対に帰ってくる。

いつもみたいに帰ってくる。

ああ、でも。

ずっとそう。私はその背中を見ながら祈ることしか出来なかった。

今だって画面の前で手を合わせてる。帰ってくるって分かっていても、守ってくれているってわかっていても、

その背中を見送るのはいつもいつでも苦しい。

 

『フィオナ』

 

「うん…」

通信が入ってくる。

彼が私の名前を呼んでくれる、それだけで幸せなのに、世界はそれだけでただあるということを許してくれない。

 

『オペレーターの仕事は…』

 

「祈ることじゃない。一緒に戦う事…」

 

『そうだ。必ず…帰ってくる』

誓いをその名に刻んだ機体は砕けても、その誓いまでは砕けなかった。

いつからか出撃前には必ず言うようになった言葉を今日も贈ってくる。

 

「分かっている…分かっているわ…。全力でサポートします」

 

『……』

 

「敵機は二体。ランク1・ステイシス及びランク17・アレフ・ゼロ。二機の航行スピード、依然変わらず後三分で領域に侵入します」

大丈夫。もっと苦しい状況はいくらでもあった。

四機同時に相手したことも、数えきれない軍勢を相手にしたことも、化け物のような兵器を相手にしたこともあった。

全部、勝ってきた。

今回の敵は二機。たった二機だ。ランク1とだって戦って勝利してきた。

 

『あの二人だったら』勝てる。

 



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ホワイトグリント撃破

『こちらホワイト・グリント、オペレーターです。貴方達は、ラインアークの主権領域を侵犯しています。速やかに退去してください…さもなければ、実力で排除します 』

 

冷たい声が聞こえる。それはガロアにも聞こえているようだ。

別段感想があるわけでもないが、オッツダルヴァというキャラクターに合わせたセリフを吐く。

 

「フン、フィオナ・イェルネフェルトか…アナトリア失陥の元凶が、何を偉そうに 」

 

「……」

バチリ、と足元にあった石つぶてが弾ける。

自分の周囲に展開された揺れる感情に合わせてPAが蠕動している。

 

『…どうしても、戦うしかないのですね…リアクティブレシーバー全展開』

 

『!?…これは…ある程度は予想していたが…ガロア、こちらの通信はあちらに筒抜けだ…ホームなのだから、この程度…当たり前…、か』

 

「……」

 

『いけるな?貴様。見せてみろ…お前の持つ可能性…』

 

『ミッション開始!ネクスト、ホワイト・グリントを撃破する…ランク1との二人掛りだ、これ以上は望めん…ガロア…!』

 

「……」

セレンの声、オッツダルヴァの声、フィオナ・イェルネフェルトの声、波の音、風の音。

全て雑音だ。空気を引き裂き音の壁を突き破り飛来する質量が奏でる轟音…交差する白い閃光。

 

ほんの一瞬の間にガロアは過去の凄惨な記憶を追体験していた。

 

(眼があった奴は皆殺しだ!!)

地に伏して血を流す怪物を足蹴に叫ぶ自分の姿。叫んでいる、というのは幻覚で当然声は出ていない。

 

(今日から俺がこの世界を地獄に変えてやる)

白い肌を隅々まで血に染めて牙を剥くガロアはもう人間では無かった。

 

ガロアの生きた世界は生と死が永劫回帰する地獄だった。

 

アナトリアの傭兵は何もかもを間違え自分のような存在を生んだ。

 

「……」

夢にまで見た、この光景。

気づけば起動しているブレードがブスブスと音を立てて道路を焦がす。

ゴギン、という怪音がまさかアレフ・ゼロのメインブースターが最大まで開ききった音だとはオッツダルヴァもそちらを見るまでは信じられなかった。

 

黒い閃光と白い閃光が激突した。

 

始まってしまった。

セレンは、ガロアが何も考えなしに突っ込んでいったのではないかと一瞬ヒヤリとしたが、

考えてみればホワイトグリントの一番厄介なあのアサルトアーマーはネクストの仕様上オーバードブーストの最中にはまともな威力の物は絶対に使えない。

ならばそこに速攻で斬りかかるのは正解だ。ガロアは冷静だった。

だが敵もさる者、相対的に3000km以上の速度で突っ込んでくるアレフ・ゼロの斬撃を止めた。

そこに放たれたステイシスの弾丸はただ道路に穴を空けるのみだった。

 

「……!?」

ビリビリと左腕がしびれる。

あれで決まるとは思ってなどいなかったが左上段から振り下ろした斬撃、避けるか、腕で受け止めるか、あるいは苦し紛れにアサルトアーマーを出すか…

そのどれが来ても対応できるように体が答えを出していた。

 

だが、ホワイトグリントはその右足をバレエダンサーのように高く掲げて受け止め、左腕を柔らかにひざ裏に挟み込んでいた。

広がっていた蒼い複眼が全てこちらに向き、両の腕のライフルがコックピットに向けられるのがやけにゆっくりと見えた。

 

 

激突の勢い消えぬまま後ろに急激に加速したため以前負った傷がやや痛む。

あのまま腕を振りほどいていなかったら死んでいた。

身体に流れていた血が加速して流れ出ていた汗が全て冷水となっている。

シミュレーションどころか実戦でも想像だにしていなかった対応。

一合かち合っただけで分かる。

ホワイトグリントは強い。今まで自分の目の前に立った何よりも。

 

「……」

ガロアは血が沸騰するような昂ぶりと身体を凍らすような冷や汗の矛盾の中で激しく笑いながらアレフ・ゼロを動かした。

 

『焦るな。こちらは二人がかりなのだ』

オッツダルヴァからの通信を聞きながらセレンは二機と上空から送られてくる映像を見て違和感を覚える。

多対一の基本を守り、ホワイトグリントの前後から挟撃をしかける二機。

正面からのレーザー、後方からのグレネード、さらに斜め上から飛んで来るPMミサイルを全て回避しながら…

全く後ろを見ることもせずに真後ろのアレフ・ゼロにライフルを命中させる。

 

(まただ…!また見てもいないのに当たる!)

音を聞いて場所にあたりをつけて撃ったとかそういうレベルではない。

ガロアは自分が叩き込んだ通り、不規則に動き、単純なロックオンだけではまず普通の弾には当たらないし、

目の前にいたって当てることは難しいと言うのは自分が一番、嫌というほど知っている。

 

不規則な動きから搭乗者の癖を見抜き、次の動きを予想して当てる。

超一流の射撃手ならば少なからず可能かもしれない。

 

それを観察し、見ていたのならば!

 

(なんだこいつ…根本的に何か違うぞ!)

最初のミッションでガロアが尻尾を巻くようにホワイトグリントとの戦闘を避けて帰ってきたときの言葉…『シミュレーションと違った』

あれはその額面通りの言葉ではなかったのか。

だが、余計なことを言っても混乱をさらに煽るだけかもしれないし、通信は全て傍受されている。

 

オペレーターとしてやってきたのに、ここまで来て何もすることが出来ない。

リンクスにも、オペレーターにも結局自分は…

 

(違う!)

今の自分の仕事はガロアだけでは見れない部分まで観察して発見しそれを伝えることだ。

絶対に見逃さない…いかなるヒントも!

 

『的になるつもりか!』

 

「…!」

挟まれたまま押しも押されぬ戦闘を続けていた突然ホワイトグリントは急上昇をする。

そして心待ちにしていたチャンス、分裂ミサイルが発射される。

全て撃ち落として間隙置かずに攻撃を叩き込む!

 

天に坐す天使のように空を駆けるホワイトグリントの動きの全てを目に収めんと目を見開き…

 

「!!!」

拡張強化された視覚に容赦なく太陽の光が注がれ目が焼かれた。

 

『三日後のPM11:00だ』

作戦開始時刻、作戦エリアまでの航行時間、ラインアークの位置する緯度。

今、太陽は真上にあった。

 

「…ーッ!!」

苦し紛れに粒子の鎧を解き放ち、直後コックピットにいる自分をも揺らす轟音。

なんとかミサイルの直撃を免れる。

だが、これでしばらく自分は丸裸になってしまう。

 

(ガロア・A・ヴェデットの目の秘密を掴んでいるな…当たり前か)

ガロアよりも幾分か冷静なオッツダルヴァは流れるようにホワイトグリントに追いすがり、適性距離を保ちながら考える。

カラードでも恐らく最強の二人の攻撃を捌きながら冷静に時間を計算し、作戦を成功させる胆力…

 

(伝説以上の化け物だ…アナトリアの傭兵)

馬鹿げた噂話の数々。

下らぬと一蹴していた自分が如何に愚かであることか。

この男は…確かに魅入られている。超越した何かに。

間違いなく超一流の自分達を相手取って優勢を保っている。

 

正面から相対しているオッツダルヴァはかすかだが、しかし明らかであるはずの違和感に気が付けない。

彼もこの場で命を懸けて戦っていればあるいはその答に気が付いていたかもしれない。

だがしかし、オッツダルヴァはこの史上最高とも言える戦場で打算のみを駆け巡らせていた所為で、いくらかその勘を鈍らせてしまっていた。

 

『いったん距離を取れ!!!』

セレンが今まで聞いたことの無いような声で怒鳴ってくる。

言われなくても、この状態では不利を通り越して自殺だ。

 

「…!」

少々無茶な加速で身体中に軋みが入り特に全ての関節が細い釘が束になって刺されたように痛む。

ゴゥッ、という音は自分の機体が風を切る音…だけではなく、後ろからホワイトグリントが周到に追撃を仕掛けてきていた。

そうか、通信は敵に筒抜けだった。

さっきのセレンの怒号は自分がピンチだとむざむざ敵に教えていたのか。

やけに冷えた頭の一部が冷酷に答え合わせをしている。

 

紛れようとしたビル群に届きそうもない、と思った時。

 

バシュン、と音を立てて一筋のレーザーが空を切り裂き、海の一部が蒸発した。

 

『尻拭いなど、あまり趣味じゃないのだが』

 

「…!?」

速い。数瞬前までステイシスはホワイトグリントを追ってかなりの高度にいたはずだ。

しかし今、ステイシスはホワイトグリントを追い抜き、あろうことか間に立ちしかも一撃撃ちこむほどの余裕があった。

 

「……」

今まで見た中で一番速かったあのフラジールならばこの動きも可能なのかもしれないが、この男はその速度をモノにしている。

ランク1はやはり伊達ではない。

 

突如として広がった光が周囲を白に染めた。

 

フラッシュロケットが放たれたのだ。

アレフ・ゼロは陰さえも溶かし消えてなくなった。

 

(PAが回復するまで隠れる…まぁ、賢い選択だな)

しかし、強烈な閃光で強制的に目がくらむ時間があったとは言え、

十数mもある機械の巨人を気配すらなく隠すその透遁能力。

 

(やはりこいつは…)

煌びやかな光輝く戦績よりも闇に隠れ闇に死ぬ方が相応しい能力、少なくともそう思える。

 

「少しだけ、遊ぼうか」

プライベート回線でホワイトグリントに話しかけるオッツダルヴァ。

この男と自分、どちらが強いのか。

カラードから消える前にその答えだけは…

 

「…え?」

その数瞬の光景を見た、オッツダルヴァも、ホワイトグリントのパイロットも、

セレンもフィオナも、ラインアークの人々も、カラードの通信技術士も全く意味が理解できていなかった。

 

グレネードもロケットも実弾兵器の中では遅い部類に入る。

ライフルやマシンガンには当然の事、下手すればいつしかの試合のようにネクストにすら純粋な速度で追い越されることもあるぐらいだ。

 

二つの重なる轟音。

今、向かい合うステイシスとホワイトグリントの下をロケットとグレネードが通過し、マシンガンの弾に撃ち抜かれて大爆発を起こした。

 

「…何?」

時間にして一秒にも満たないが、確かにステイシスとホワイトグリントの動きが止まった。

 

意味がわからないのだ。

あの距離で爆発が起こってもダメージにはならないし、目くらましにもならない。ザバザバと同心円状に波を立てる海。

そもそも目の前でそれをやられたとしても、そんなことに集中するのならちゃんと当てればいいのにという感想しか出てこないだろう。

 

ステイシスのリンクスも、ホワイトグリントのリンクスもその声に違わぬ優秀な戦士である。

故に考えてしまった。この行動になんの意味があるのだろうと。これが次のどういう攻撃につながるのだろうと。

今までその解を看破出来たからこそ、ここまで生き残れたのだから。

もしもう少し頭の回転が鈍ければ。

意味が分からないし意味なんかないだろう、という結論に…つまり正解に至れただろう。

あるいは、この戦いに至るまでにどこぞの戦場で死んでいたか。

 

一瞬早く気づいたのはセレンとフィオナだった。

ビルの屋上から、猟銃に撃たれた鴉のように真っ逆さまに『音もなく』落ちていくアレフ・ゼロ。

電源そのものが切れており、落ちる機体が空気を退ける音は未だざわめく波の音と風の音にかき消されている。

二機の視線は今もさざ波が立つ海に。

 

高度がホワイトグリントと重なった瞬間、アレフ・ゼロは全ての電源を起動した。

 

(当たった!!)

それはセレンとフィオナ、二人の感想だった。

驚嘆の声を思わず漏らしそうになるセレン、悲痛な悲鳴を叫びそうになるフィオナ。

だが現実は確信を上回っていた。

 

『避…っ!』

 

「!?」

その通信よりも先にガロアが気づくのは当然の事だった。今、目の前で見ていたのだから。

頭からコアの上部を切り裂くはずだったその斬撃は、

完璧なタイミングで腰部を曲げたホワイトグリントに完全に避けられていた。

カウンターのアサルトアーマーが起動し、緑の粒子がこちらに向かってくるのがやけにゆっくりと見えた。

 

メキメキッビキッ、と外と中から音が響く。肉を裂き骨が軋む音だった。

 

斬ったと確信してなお心を置き油断しないこと、残心。

そして、このホワイトグリントは全くシミュレーションとは別物だ、という意識。

 

その二つの心構えが無かったら出来なかっただろう。

超が付くほど急激に…それこそ身体に重大な被害を与える程飛び退るなんてことは。

ガンッ、と音を立てて着地…失敗する。どうやら海上のビル群から海上道路まで跳んだようだ。

 

「…ッッブッ」

だがどういうことだ。

後ろに急激に下がったのならば、その慣性の法則から来る力は背中に来るはずだ。

ボウリング玉を腹に投げつけられたかのような感覚。息を吐いた瞬間に吹き出る鼻血。

明らかに、正面から衝撃が来ている。

 

(避けた!?完璧なタイミングだった!上からの映像を見ている私ですら直前まで気が付かなかったんだぞ…!?)

この戦場に関わるものでラインアーク勢以外は完全な混乱に陥っていた。

 

(フィオナ・イェルネフェルトが指示を出したか?いや、ありえない!爆発から一秒弱、屋上からホワイトグリントの高度まで三分の一秒もかかっていないんだ…)

もし仮に万が一ひょっとして避けろと指示を出せていたとしても、どういう攻撃が来るかと、細かな指示を出せる時間は絶対になかった。

指示が通っていたのなら…クイックブーストを使っていたはずだ。ネクストの常識として、前へ右へ左へ、あるいは激突を目論んで後ろへ。

しかし現実は完璧なタイミングの攻撃に対する完璧な回避。

達人の見切り…いや、見てすらいないのに見切った。

 

(見て…いや…まさか…)

未だに思考が纏まることは無いがとりあえず、圧倒的な現実としてわかることはある。

 

ホワイトグリントのアサルトアーマーの直撃を受けたビルの窓ガラスは全て割れ、鉄骨は歪んで曲がり、コンクリートにヒビが入っている。

アレフ・ゼロのAPは7割弱吹き飛び、バイタルサインが示している…ガロアが、ネクストの内側にいたガロアが怪我を負っている。

中距離にいたステイシスもPAが完全に消し飛び、幾分かAPにもダメージを負っている。

アサルトアーマーの直撃を受けた物質は中身を壊滅的に撹拌されぐずぐずに溶ける…はずだ。

だが、これは…それだけではない。

 

(強烈な斥力!!)

セレンも企業も出会ったことの無い未知の技術だった。

 

信じられない答と同時にセレンは叫ぶ。

 

「ステイシス!!」

 

『分かっている!!』

 

ギシギシと悲鳴を上げる身体と機体に鞭を打ち起き上が…れない。ステイシスが全速力で距離を取ろうとしているのがどこかのニュースでも見ているかのように現実感がない。

ステイシスが一番得意とする距離でもアサルトアーマーの影響を受けるとなれば、距離を離すしかない。

しかし、ホワイトグリントは何故か自分を殺す最大のチャンスでもあるこの瞬間にこちらを見向きもせずにステイシスを追う。

 

ぱすん

 

一番威力の低いグレネードを撃った時もあんな情けのない音がした記憶がある。

その音と共にステイシスが背部から煙をあげて急激に高度を下げていく。

 

『メインブースタがイカれただと!狙ったか、ホワイト・グリント!よりによって海上で…クッ、ダメだ、飛べん!ゴボッ…浸水だと?ザーッ…鹿な…こ…ゴボボッ……最期……!認…ザーッこんなザーーーー』

 

完全に沈んだ。

ノイズだけを垂れ流す通信。

人間は何分呼吸をしないと死ぬのだったか。

 

戦闘開始から2分10秒、あまりにもあっけなくランク1はやられ自分も大ダメージを負っている。

 

ふわり、とラインアークの中心へと向かう道へ降り立つホワイトグリント。

両の手に持つライフルをこちらに向ける

 

…のではなく、その先にある何かを守るように緩やかに両腕を広げる。

アレフ・ゼロはところどころにスパークを上げながら両膝をつき、ガロアは血と唾液で顔を汚している。

 

撃たないのか。

自分を。

 

『____!_____!!』

耳に入る声よりも大きく、静けさに耳を澄ました時の音が耳朶をうつ。

 

この後ろにいる人を守れればそれでいいと言うのか。

その力を以て、荒れ狂うのではなく弱き民を守護っているというのか。

 

ああ…素晴らしい事じゃないか。ラインアークの英雄。

 

なんて美しく。理想的で…理不尽なんだ。

 

人は皆それぞれが善と信じる物と悪と信じる物を持つ。

父が教えてくれた。だから争いは無くならない。

 

どちらも正しいと信じて戦い続ける人々。

 

あの白き守護神は己が善に従い、空に上れず死に行く民を理不尽に守り、脅かす者を正しく倒す。

 

強い者には権利がある。

己の善こそが正義だと主張し押し付ける権利が。

 

弱い者には義務がある。

強者の正義に従うかさもなくばこの世界から退場する義務が。

 

父はリンクスだった。兵士だった。父は負けて死んだ。

勝ち残った「奴」の主張は、きっと「理不尽に襲った父を正しく殺した」なのだろう。

正しい理由により父は死んだのだ。父は暴走する傭兵が世界に多大な損害を与える未来を食い止める為に赴いたというのに、それでも正しい理由により殺された。

強者の理不尽こそが正義なのだ。

 

そして自分はどうやらその正しい理由とやらに奪われたらしい。

父の大きく無骨な手で頭を撫でられる日常を、拙い言葉で学問を伝えてくれる日々を。

ただそれがあれば自分はそれでよかったのに。その世界の形が自分の正しさだったのに。

 

自分は世界に呑まれるだけの弱者だった。

 

力の無い自分はその正義が示す現実にただ従うしか無かった。

 

何故自分は正しく守られず、理不尽に奪われる側だったのか。

 

あの強大で正しく清廉な力は何故自分から理不尽に奪ったのか。

 

何故向こう側の弱者は守られ自分はあちら側の者と同じようにあの背中を見て祈ることが出来なかったのか。

 

何故勝手な都合で選別がなされたのか。何故自分は正義の庇護から漏れていたのか。

 

そこには何の理由もなかった。まさしく理不尽だった。

 

ブチッ、と普通は人間の身体から出ない音とともに額が裂けて肉が覗き血が流れる。

 

あいつが、許せない。

理不尽に守り理不尽に殺すあいつが。

 

自分も殺してきた。

リンクスになってからも、なる前からも、もう何十何百という人間を殺してきた。

 

勝ち残った自分は「正しく相手を殺した」のだ。

今生きている自分が正しいと言わずして何だと言うんだ。

 

「……ブッ…ぐっ…」

肉体が精神に抗議するように、鼻と口から新たな血が出てきた。

 

いいや。違う。自分はただ自分の為に敵と決めつけたものを殺してきた。

 

理不尽に生き、理不尽に殺し、理不尽に死ぬ。それがこの世界なのだ。

 

今更正当化するつもりなどない。

 

そして「奴」に正当化させることも許さない。

 

理不尽も、正しさも全部独り善がりなんだ。それを為す者、感じる者の。

 

最早それで構わない。

 

理不尽でいい。どうせ…もう戻りはしない。

 

どうせ…もう守られるモノは何も、ない。

 

ただ、許せないんだ。許すことが、出来なかった。

 

理由を知っても身体を突き動かす感情は許してくれなかった。

 

自分の「正義」が「悪」だと言うならば、かつて自分から理不尽に奪ったように、示してくれ。

 

お前の守る平穏こそが俺にとっての暴力なのだ

 

「何…あれ…」

擦れた声を漏らし震える。

椅子がカタカタと音を立て、後ろにいる通信士も呆然と顔を青くして画面に映るその光景を見ている。

 

糸の切れた操り人形のように沈黙し膝立ちで微動だにしなくなっていたアレフ・ゼロ。

戦闘の意志を失くしたのか、斥力の受け所が悪く意識を失ったのか。

 

あと10秒も待っていたら戦闘中止の声をあげていただろう。

 

ガクガクガクガクとオーバードーズで死ぬ寸前の人間のように異常に震えながらおかしな体勢で立ち上がったアレフ・ゼロの周囲に、濁った金魚鉢を激しく揺らしたかのようにコジマ粒子が揺れる。

やがて…水音が立っていると錯覚するほどの高密度な粒子の揺れが収まり、完全な円形と化した。

その濃度は最早、光すら逃さぬ黒に染まっているかのよう。

機体の影の視認も難しいほど視界が遮られる中で、カメラアイの紅い輝きがゆらりと動く。

 

どこまでも白いホワイトグリントに相対する真っ黒なアレフ・ゼロはアナトリアの傭兵の歩んできた人生と存在そのものに対するアンチテーゼのようだった。

 

そのどす黒い殺意を乗せた眼光はフィオナに理屈では無い感覚的な衝動を起こした。

 

大人しい性格の自分が。

争いを好まない自分が。

こんな指示をする日が来るなんて、思わなかった。

 

「その人を殺してください!絶対に逃がしてはダメ!!」

 

なぜ『逃がすな』と命令したのか、フィオナにも分からなかった。

 

顔中の血管が浮かんでいるのが分かる。スーツの中もきっとそうなのだろう。ボコボコとあちこちが膨らんでは萎み繰り返す。

ドロドロとしまりの悪い蛇口のように口と鼻から血が出て、眼ははち切れんばかりに充血している。

 

才能の代わりに身体を。

修練の代わりに魂を。

 

アレフ・ゼロが要求してくる。

ストローで吸われるように徐々に、だが確実に奪い取られていく、自分。

 

ドドドドドドドドドドドドド、と命を急かすドラムロールのようなあり得ない速度の心臓の鼓動が耳から洩れるように聞こえる。

 

理知的で優しげな青い眼光がこちらを見つめてくる。

 

知っているぞ。その姿、その力。俺はお前のような奴も殺して食ってここまで来た。

 

お前は何も守れやしない。

 

お前のせいで何もかもがこれから壊れる。

 

それを全て一つ一つ噛みしめて悔いながら死ね。

 

「……」

視界が赤く染まり、つーっ、と一筋血の涙が流れた。

最高の気分だった。

一対一。

文句なく、どっちの理不尽が正しいのか決められる。

 

お前と真逆の道を歩んできた俺を殺せるか?

 

ブレードを起動しながら振り下ろす。

建造中だった橋はその動作だけで分断され、橋では無い何かになった。

ホワイトグリントがライフルをこちらに向けた。

 

そう、それでいい。俺を殺してみろ。

 

「何?」

爆音が聞こえて橋が崩壊した。

それはなんとか見えたが、今、もう目の前でアレフ・ゼロがブレードを振りかぶっている。

左にグレネード、右にロケットの弾頭が見える。

上に避けるしかない。アナトリアの傭兵…マグナスは驚く時間もなかった。

 

『…グッブ…ガボッ…』

言葉の話せないガロア・A・ヴェデットから入ってくる通信は不気味な水音。この音は知っている。

血を、吐いている。

苦し紛れに上に避けたが、ブレードが掠り、さらに放たれるマシンガンがガリガリとAPを削る。

事前に入手している情報では、この男、相当にAMS適性が高く、自分のようにネクストに乗るたびに身も心も削り血を吐くような粗製では無かったはずだ。

急激に削れたAPに対し警告音が鳴り響きさらに緊急回避を続ける。

まだホワイトグリントのPAが回復していない。

アサルトアーマー主体で戦うこの機体のPA回復速度は恐らくは現存するネクストの中でも最高の物であるはず。

なのに何故、奴のネクストはPAを復帰させ、自分は丸裸のままなのだ?

道路にいたはずのアレフ・ゼロが瞬きの間に頭上に回り込み、ネクストの推力を全て注ぎ込んだ凶悪な踵落としを叩き込んでくる。

 

「ぐっ…!?」

空中で踏みとどまれるはずもなく、ホワイトグリントは隕石と化し、ラインアークの建築物に甚大な被害を与え大穴を空けながら海まで叩き落とされる。

間髪入れずに聞こえる轟音、グレネードが来る!

 

『し、心拍数280…!?ガロア、もういい!!帰って来てくれ!死ぬ、死んでしまう!!』

 

また雑音が聞こえる。

うるさい。俺に指図をするな。

 

「…ッ…ブ…」

真っ直ぐに追撃する自分に正確に放たれるライフル。

速度の違う二つの弾丸が緩急をつけて飛んでくるが、見えている。

 

「!」

ホワイトグリントの周りに清らかな緑閃が浮かぶ。

奴のPAも回復した。

 

来た。PAの回復に気を取られた一瞬、奴の両肩からミサイルが放たれる。

今は自分の方が上にいる。先ほどのような不覚はあり得ない。

ミサイルが自分の元に来るまでに辿る軌道が線となって眼に浮かび、そこに弾丸を重ねるように撃つ。

当たる直前に弾けて八つに分かれ、八股の怒りが二つ、16のミサイルが自分に向かってくる。

全部見えている。マシンガンの弾倉にある弾は22発、問題ない。

ごく短い周期的な音を奏でながら飛んでゆく16の弾丸。

 

その全てが分裂ミサイルを撃ち落と…せなかった。

 

「なにぃーッ!?!」

容赦なくアレフ・ゼロに当たるミサイル、桁を減らすAP、レッドラインを超えっぱなしのバイタルサイン、セレンの脳内はあらゆる懸念に支配されていたが、

今目撃した光景を抱えて全ての懸念を思考の端にやり、考察を開始する。

当たったミサイルは10発。6発は撃ち落とされたが、問題は撃ち落とされなかった方だ。

 

先ほどのアレフ・ゼロからの映像をスローにしてもう一度見る。

撃ち落とされなかったミサイル、その全てが当たる直前に不自然に弾道をうねらせマシンガンの弾を「回避」していた。

ガロアは外していない。避けられたのだ。ミサイルに。

 

「……」

執拗に撤退しろ、と繰り返すのをやめてデータバンクから情報を取り出す。きっと自分がどれだけ叫んでもガロアは帰ってこない。

悲痛な現実がセレンの頭に靄をかからせる。ならばせめて、自分に出来ることはガロアが生き残れるようにすること。

 

戦場からの二つの映像、再生され停止された戦場の画、アレフ・ゼロの情報、バイタルサイン、カラードからの通信、データバンクへのアクセス情報

 

画面に表示される情報は既に両の目で処理できる量を遥かに超えている。汗が顎を伝いタッチパネルにぱたり、ぱたりと小さな水たまりを作っていく。

冷房のきいている部屋なのに汗が止まらない。上着を脱ぎ捨て顔を拭い、極めて冷静に必要な情報だけを抜き出していく。

 

アナトリアの傭兵、その半生を。

 

「……」

伺っている…機会を。

先ほどまでは自分から距離をとるばかりだったホワイトグリントが積極的にインファイトを仕掛けてくる。

あのアサルトアーマーはコジマ粒子の爆発だけではなく、正体も意味も分からないが中心から強力な斥力が発生しダメージを与えてくる。

外と中、両方に。

先ほどアサルトアーマーを食らったときに海上道路まで退避したのはガロアにとっても予想外だった。

そこまで飛ぶ程に出力した覚えなどない。

ダメージは負ったがPAが剥がれたというのならすぐにでも斬りかかり決着をつけるつもりだった。

あそこまで飛んだ理由、そして身体の前方にかかった圧力。

奴が飛ばし、自分が飛んだから道路まで届いたのだ。

それだけのヒントでガロアはその攻撃の要訣を看破していた。していたが。

 

滅茶苦茶だあんなもの。

近距離戦なら出しただけ得する必殺の一撃だ。

それこそ中身と外殻の距離が遠く、替えがいくらでも存在するアームズフォートならばまだ勝ち目があるだろう。

だが、あの力がある限り、MT、ノーマル、ネクストではまず勝てない。

 

流した血の分だけ冷静になる頭。

しかしそれと同時に自分の命を吸い上げ続けるアレフ・ゼロが悪魔が囁くように教えてくる。勝機を。

 

ミサイルの音が聞こえた。

 

「今度こそ…!」

最初に当てたアサルトアーマー、直撃した10発のミサイル、何度かよけきれずに掠めているライフル。

このミサイルで間違いなくあの機体のAPは0となる!

爆発に包まれたアレフ・ゼロをホワイトグリントと空から送られる映像で見て確信するフィオナ。

あの禍々しい姿に心の底から凍り付いたが、ホワイトグリントと戦って勝てる者など存在するはずがないのだ。

 

「…え」

だが続く映像は爆風と煙を切り裂き飛び出す悪魔の姿を映す。

 

(叩き落としたの!?全部!?)

迫る16のミサイルを全て斬ったというのか。

いや、違う。

叩き落としたのは確かだが、アレフ・ゼロの右手にあったマシンガンは最早ただの鉄くずと化している。

両の手に持つ武器で対応したのだろう。それだけでも人間離れしているが、そこからすぐ反撃に移るあの姿は噂に違わず化け物染みている。

だが、唯一スピードのあった遠距離武器であるマシンガンを失い、直撃ではないものの爆風を受けて確実なダメージを負っている。代償はそれなりにあったようだ。

 

「……」

ミサイル全てを叩き落としたことに少なからず動揺したのか一瞬のスキができ、そこへ縦に並べるようにアレフ・ゼロはロケットとグレネードを放つ。

さらに動きを読み右手のマシンガンを思い切り投げつける。

優雅とは言えない体勢で海上道路に着地するホワイトグリント。

予想通り。

 

「カッ!!」

崩れた姿勢を正す時間も与えずに斬りかかると、噛みしめた歯から危険を知らせるような高音が鳴った。

が、それも躱されブレードが虚しく地に刺さり、それと同時にホワイトグリントを取り巻く翡翠色の光が収縮する。

そう動くことも知っていた。

 

奇妙な光景。

ホワイトグリントのカメラが映し出すのは敵の中心で渦巻きながら収縮していくどす黒いコジマ粒子。

 

「……何だと?」

向こうもアサルトアーマーを使ってくる!

だが今更発動を止められるはずもないし、残りのAPから考えても吹き飛ぶのは向こうだ。

ラインアークに、フィオナに仇為す悪魔。塵も残さず消し飛んでしまえ。

 

「きゃっ…!」

轟音と共に映し出されるホワイトグリントからの映像は真緑に染まる。

だが、その隣で映る上空からの映像。これは…

 

「アサルトアーマーどうしがぶつかってる…!?」

ホワイトグリントの放つ清らかな光に、この世の全ての憂いを凝縮したかのような殺意が拮抗している。

拮抗するはずがない。

斥力をあの距離で受けているなら吹き飛んでいるはずなのに。

 

「……!…!!」

突き刺したブレードを軸にして放った回し蹴りと共に発動したアサルトアーマー。

黒い意志が荒れ狂う暴力に動きを与えてその脚に合わせ一点、集中するかのように拮抗しホワイトグリントのアサルトアーマーを打ち破った。

反動でほんの少しだけ動きが止まっているホワイトグリントの姿をガロアは見逃さなかった。

不可思議な体勢から放たれたロケットとグレネードはしかし、超至近距離ゆえに外れることなく全てホワイトグリントに直撃し、

そこに渦巻いていた光も闇もホワイトグリントも、そしてアレフ・ゼロ自身も吹き飛ばした。

 

『___ァ!ガロア!!』

 

「……」

青い空が見える。

ああ、自分は仰向けに倒れているのか。

意識が一瞬トんでしまったらしい。

逆流した鼻血が肺に入り、咳き込む。

カラードに登録されている中では比較的細身である機体のホワイトグリント。

PAも無く、三連ロケットとグレネードの直撃を受けて機能停止に追い込まれないはずがない。

起き上がるとあちこちの塗装が剥げたホワイトグリントが紫電のスパークをあげながら倒れている。

 

だが知っている。あれはあくまで許容範囲以上のダメージを負い、

リンクス、ネクスト間の接続が強制的に切断されただけだという事を。

 

即ち、まだあの中身は生きている。

 

アナトリアの傭兵が!

 

遠のく意識に鞭を打ち血を吐きブレードにエネルギーを注ぎ込む。

一歩進むごとに身体中が悲鳴を上げている。あのまま空を見たまま意識を手放せていたのならどれだけ幸せだったろう。

 

だが…

唐突に父を奪われひたすら暗い感情に身を沈めていた四年間。

強くなることを主軸に只管前に進み続けた三年間。

自分の青春そのものであった…怒り。

 

この手で奴を惨たらしく殺して、ようやく終わる。

これで、自分は…………どうなるんだろう。

 

その時、蒼い複眼から怒りの圧力を漏らしながらホワイトグリントはこちらを睨み、立ち上がった。

 

複雑に絡み合うようにぶつかり合い、離れては激しく撃ち合う二機の映像を見ながらセレンはそっと告げる。

 

「…もう聞こえているのかもわからない。お前がどういう状況なのか想像もできない。でも、話すから。この言葉がお前の耳に届いてくれることを願う」

ぶつかる度に警報を鳴り、どこかしらが壊れていくアレフ・ゼロ。

ホワイトグリントもその破滅からは逃れられず、二機がぶつかる度に黒と白の塵が舞う。

 

「その機体は二人乗りだ。マグナス・バッティ・カーチスとジョシュア・オブライエン。二人がその機体に乗っている」

あの複眼。凡そ360度全てが見渡せているのだろうが、人間の視界は約180度。一度に前後を認識することは例えネクストに意識を拡張されても出来る物ではない。

あのミサイル。発射した後の軌道を操作する技術はかなり前からあったし、それを積む兵器だってあるだろう。だが機体を操作しながらミサイルも操ることは例えネクストであれ不可能だ。

あの異様なコア。細身な機体に似合わず大きく堅牢なコアは中身を守るためなのか、しかし弱点を大きくしてどうするというのだろう。あの速さなら避けられるのだから余計な重さは削ればいいのに。

あの再起動。強制的に切断されたリンクを別の人物が再接続すればなるほど、すぐに再起動出来るだろう。基地に帰り、代わりの人物を乗せてやれば。

 

二人の人物が乗っていると考えれば全ての辻褄が合っていた。

 

(あの爆発で生きていたのか…二人が)

アナトリアは現在存在しない。

かつてロイが住んでいた街のように壊滅的被害を受けたのではなく、

そこに在ったものがその欠片も残さずこの地上から消滅している。

 

公式に残るアナトリアの傭兵最後の戦いで死んだとされていたリンクスは三人。

 

マグナス・バッティ・カーチス

ジョシュア・オブライエン

セロ

 

されていた、というのはコロニー・アナトリアは人類の歴史の中で間違いなく最大であろう爆発により堅牢な機体であったアレサですら痕跡すら残らず一切合財が消えていたからだ。

普通、爆発に巻き込まれても死体が確認できないのならば行方不明とされるはずだがそうならなかったのは、異様な爆発跡。

半径数十キロの巨大なクレーター内には一切の生物、ごく小さな虫ですら存在せず、あらゆる命が消滅していたからだ。

人類史に残る日本での核の爆発でもその中で生き残った者がいたというのに。

 

アナトリアの傭兵が生きている、というように認識が改められたのはそのパートナーであるイェルネフェルト博士の娘がラインアークでホワイトグリントのオペレータをしていたからだ。

何より…あそこまで強いリンクスをアナトリアの傭兵以外に誰も知らなかったからだ。

 

だが、その認識すらも間違っていたのだ。

 

元々ホワイトグリントはジョシュア・オブライエンの機体だというのに。

 

誰も考えなかったのも無理はない。

二人の強力なリンクスがいるのならば二機のネクストに乗せた方がよほど使えるというのにあえて一機に搭乗させるというありえない発想。

それがこの簡単なタネに霞をかけ誰も近づけなかったのだ。そもそもネクストは凡人なら操るのに十数人の息の合ったパイロットが必要だ、というのはネクストの開発史を学んでいる者ならば誰だって知っていることなのだ。

 

何よりも今までホワイトグリントの前に立って食い下がった者すらいなかったのだから、その力を目の当たりにしても語る者がなかったのだ。

 

今日、今この瞬間も剣戟を交え、刃鳴散らすガロア以外は。

 

「向こうにばれた!」

アレフ・ゼロに入る通信を聞き、驚き戸惑いながらも通信をする。

これでもうカラードにもその正体を掴まれ、これまで以上に厳しい戦いが強いられるようになるだろう。

 

『優秀なオペレーターがあちらにいたか…』

ジョシュアも驚きが隠せていないようだ。

先ほど操縦をしていたマグナスに代わって現在ホワイトグリントの主操作をしているのはジョシュア。

余計なゆさぶりをかけるような言葉を言わなければよかったか。

 

『構わない。分かったところでどうなるものでもない』

大がかりな手品のタネは案外簡単なものであり、

そのタネが分かったところでどうしようもならない物の方が多い。

 

「そう…そうよね…」

愛しい人の声。

そうだ。今までだってこの人は多くを語ることも無くその背中で私を守ってきてくれたんだ。

 

『倒してください…絶対に!』

 

「当然だ。…マギー、ミサイルだ」

 

「ああ」

後ろからの声と同時に発射されたミサイル。

右肩の発射口は潰されていてダメだったがもう片方は生きていたようだ。

タッチパネルに表示される赤い光点に両手の親指以外の全ての指で触れるとその光点は一気に散らばりマグナスの触れた指に追随するように動く。

複雑に動かしながらも敵の元へとミサイルを向かわせる…が、ダメ。

 

「全て斬られた」

ロストしたミサイルの情報を淡々と口にするマグナス。

 

「強いな…」

先ほどの十発が捌かれたのだからたったの八発では陽動にすらならない。

 

「そうだな。こいつは今まで戦った者の中で一番強い」

 

「ああ…」

不吉な言葉に対し苦々しく返すジョシュア。

自分にとってもそうだ。

今まで戦った者の中で一番強い。

 

すなわち、マグナスよりも!

 

(その力で……貴様は何を守る?)

マグナスの頭の中でかつて敵に言われた言葉が浮かぶ。

汚い手を使って殺したあのリンクスは…自分の目から見て、正しい人間だった。

清い理由の為に戦い、身を削り、守っている人間…。

 

それを卑怯な手で理不尽に奪った自分を彼の仲間は許さず、復讐をしかけてきた。

だがその復讐…いや正しき報復も叩き潰し食らいながら今日ここまで生きてきた。

 

リンクスになってから苦しくなかった戦いなど一度も無かった。

あいつの頭部のスタビライザーも覚えている…サーダナ。

苦しい条件下であったもののなんとか勝利を収めた。

それでも奴は今まで葬った中でもかなり強い方だった。

 

あの子供は復讐に来ている。

理不尽に奪った自分に怒り、悲しみ、殺すために。

 

きっと正義はあの子に、いや…いつからなのかはもう覚えてもいないがきっと正義なんてずっと自分の側にない。

ただの贖罪。

 

それでも、死ねない。

正しさを食いつぶし、暴力を振るいなんとか生き残った今日。そして自分の背中を見ている愛しい人。

 

「負けられん」

淡々と、しかしその目に炎を宿らせながらマグナスは呟いた。

 

肩に少女を乗せた男が青ざめながらビルに取り付けられた巨大スクリーンに映る映像…ラインアークの外れで起こっている戦闘を見ていた。

 

日曜日。愛しい娘と散歩をしていた男は突然始まったその戦闘をニュースで知り、その後ここで呆けたように見ていた。

カラードのランク1として鳴らした青い機体を圧倒的な実力で倒し、もう一機もボロボロ。

 

これまでずっとラインアークはあの英雄的機体、ホワイトグリントに守られてきた。今日だって。

映し出される映像を見ながら男の顔からはいつしか血の気が引いていた。

 

もう一機はランク17だと言っていた。上から17番目ってことだろう?そんなに強くないんだろう?

途中、異様な姿で迫ってきたあの機体を見てもホワイトグリントなら追い払えると、そう信じて疑わなかった。

 

だが今…これは…押されている?ホワイトグリントが?

いやいや、違う!そう思うのは自分が素人だからだ!最初に二対一でも圧倒してたのにそんなことがあるわけない!

 

「きれいね」

 

「は?え?」

肩に登り、自分の頭にしがみつく娘が呟く。

何を言っているんだ、こんな時に、という言葉はスクリーンをよくよく見て引っ込んでしまう。

 

そうなる運命だったと言われても信じてしまうほど綺麗に絡み合う二機。

ホワイトグリントの背中から噴出される交差する白い閃光。

敵の黒い機体の背中から噴出される炎がその背中の白い大型のスタビライザーを照らし、

まるで翼の生えた白い巨人と黒い巨人が、天使と悪魔が全てをかけて戦っているようだ

 

間に挟まれる人間の建築物はその戦いの余波に耐えられず次々と崩壊していく。

 

火花を散らしぶつかる二機から剥げ落ちる塗装がキラキラと海に落ちていき、それは天使と悪魔の羽が散っていくかのよう。

 

自分達の運命がかかったその戦いは紛れもなく…

 

「ああ…綺麗だな…」

 

「やめて!退いてください!」

フィオナは叫ぶ。

もう自分に出来ることなんてそれぐらいしかない。

 

「貴方に何が分かるの!?ただ力を持っただけの子供が…ホワイトグリントはここにいる数百万の人々を守っているのよ!」

信じられないことだ。だが、確かに少しずつ、ホワイトグリントが押されている。

このままでは…。

 

「復讐!?その二人を殺して…貴方にここに住む人たちの命まで奪う権利があるの!?正しいことをしていると胸を張って言えるの!?」

痛々しい。

フィオナの事ではなく、フィオナがアレフ・ゼロに抱いている感想である。

ただ怒りに任せて力を振るい、壊れていくその姿は…痛々しく…悲しい。

たかが17歳の子供だというのに死を覚悟して殺しに来ているというのだ。

未来への希望、その全てを贄に。

だがそれを奪ったのは紛れもないマグナスだというのはフィオナにも分かっていた。

 

「あ、貴方は…貴方は、昔の私達と同じです…考えてください。何のために戦うのか…その力を…」

ブツン、とアレフ・ゼロとの通信が一方的に切られる。

これは…中から切られたんじゃない!

 

「あっちのオペレーターが!?」

 

『余計な横やりを入れるな…どっちが正しいかなんてのは勝者が決めることだろう』

明らかにこちらに向けて放たれたその言葉。

ラインアークの用いている変則周波数を解析して声をかけてきたというのか。

 

「あ、あなた…分かっているの!?死ぬわ、このままだと、あの子も!!」

 

『そんなことは!!お前なんかよりもずっと分かっている!!』

 

「じゃあ何故!?」

死ぬとわかっていながらこの言葉。フィオナには理解できない。

 

オペレーターとリンクスの関係なんてものは金の繋がり以上の物が無いのが普通なのだから、フィオナの疑問の方が間違っているのだが、この場面に関して言えばそれは的を射ていた。

 

『あいつには…それが全てだからだ』

そして絞り出すような声で耳に入ってきたその言葉は、あの黒い悪魔と同じくらい痛々しかった。

 

「!?」

奴のPAが回復した。

ガロアが認識すると同時にホワイトグリントが一気に距離を詰めてくる。

もはや3桁にまで減っている自分のAP、PAも回復していない。

次食らえば間違いなく負ける…いや、死ぬ。

 

「背を向けた!?追うぞ!」

 

「ああ」

ジョシュアの声に頷きながらもマグナスは違和感を覚える。

本気で逃走するつもりならば全ての武器をパージしてわき目もふらずに逃げてしまえばいいのだ。

それに気づかない程愚鈍な相手か?

 

「……」

眉を顰めその後姿を注視するマグナス。

その背中からはやはり戦いの意志が消えていない。

 

「!」

ビル群に紛れ込もうとしているのか。

確かにあの時一瞬で姿を消したのは驚いたが、全方向が見えているこの機体にまたあんな作戦で挑むつもりか。

あのオペレーターからも伝えられて分かっているはずだ。

 

「何!」

 

「!」

突然遁走をやめこちらを向くアレフ・ゼロ。

いや、こちらを向くというのは正しい表現とは言い難い。

勢いそのままお辞儀をするように回転、倒立してこちらを向き、閃光を放ってきた。

 

「ッ!!」

 

(しまった!)

観察していたのが仇になった。二人同時に目を焼かれる。

本来ならば光を遮る膜も搭載されているというのに。

 

響く轟音。

それに紛れるように小さく何かが弾ける音した。

 

見えていないながらもジョシュアはクイックブーストで後ろに下がる。

当たることは無かったロケットとグレネードが水を大量に巻き上げる。

 

「ジョシュアァ!!」

 

「分かっている!」

外したんじゃない。これは目隠し。

あの時聞こえた音は間違いない、オーバードブースターの着火音だ。

 

(あの時…)

自分が初めて負けたあの時。

この音を聞きながら自分は攻撃を受け間違えるという愚を犯した。

アレサの持っていた試作型アサルトアーマーだったら完璧なカウンターが出来たはずだった。

…そうして今自分はこうしている。

 

あの時自分が勝てなかったのが正しかったのか間違いなのかは断定できない。

 

(だが…今!今度こそは負けん!!)

 

「おおおぉおぉ!!」

圧倒的な質量が壁となって襲い掛かってくるような圧。

これが殺気だというのならば大したものだ。

今まで起こした中でも最高の威力のアサルトアーマー。

間違いなく凶悪なオーバーヒートを起こしてもう今日はPAを展開することすらできないだろう。

だが、それで構わない。これで終わりだ!

 

「手ごたえありだ」

マギーが言うまでもなく、わかる。反作用により自分も押し返されるようなこの感覚は、間違いなく直撃している。

そして巻き上がった海水を突き抜けてきたのは

 

こちらに倒れこんでくる巨大なビルだった。

 

バターのように斬って、蹴り倒したビルを見て、顔にある穴という穴から血を出しながらガロアは眼をぎょろぎょろと動かす。

 

「…ブッ…ガハッ…」

ホワイトグリント最後のアサルトアーマーで幾分か砕けたビル。

圧倒的質量に叩き落とされ、海に沈んだが、それでもその隙間をくぐって浮かびあがってくるはずだ。

だが。

砕ける様も倒れこむ瞬間もぶつかる瞬間も全て見ていた。

 

最後のオーバードブーストを着火する。

 

ホワイトグリントが出てくる場所は分かっていた。

 

波が揺れ、水しぶきが上がる一見ほかの場所と何も変わらない荒れる海の一点。

 

「ッッッガッゲボッッッ!!」

声があったならば叫んでいたのだろう。本能が叫べと言うが声の無い自分の口から出たのは血の泡。

右手を伸ばし、たった今浮かんできたホワイトグリントの頭を掴み、奥歯も砕け散らん程の力で歯を食いしばったガロアは…

 

「…~~~~~~ッッッ!!!」

本来ならばあり得ない出力をアレフ・ゼロにもたらし、その頭部を果物のように握り潰してブレードを一閃した。

 

「……」

頭が砕かれる直前に見えた振り上げるブレード。

その瞬間からまだ0.01秒もたっていないのだと、極限まで遅くなった時間の中でマグナスは知る。

 

あの時アマジーグが最後に自分へ投げかけたあの言葉。

 

そうか。

まるで呪いだ。

どこまでいっても解けることなく永遠に縛り続ける呪い。

 

最後にマグナスは静かに笑いその言葉を口にした。

 

『終わりか…あるいは貴様も…』

 

「……」

左上から振り下ろしたそのブレードは不協和音を立てながらホワイトグリントに壊滅的なダメージを与え、右腕を斬り落としコアに地獄の裂け目のような痕を残し、左脚を溶かして海に叩き落とした。

 

終わった。

勝った。

 

だが勝利の余韻に浸る間もなく、激痛がガロアの身体を襲う。

 

「……」

生き残らねば。生きて、正しかったのは自分だと示さねば。

断続的に途切れるブーストで何度か沈みかけながらもなんとか海上道路を支える柱の傍まで辿りつき、

起動しなくなったブレードの柄を思い切り叩きつけその手まで柱に食い込ませる。そしてアレフ・ゼロはその動きを止めた。

 

プツッ、とリンクが切断され、視界が聴覚が思考が、世界がコックピットの中に戻される。

悲しくもないのに出てきた涙を拭うとそれは透明な滴ではなく真っ赤な血。

 

「……」

狭いコックピットの中が真っ赤に染まっている。

鼻から下を拭うと大量の血が滴り落ちる。

胸がズキズキと痛み、吐血が止まらない。

これは、全部自分の血なのか?

 

特に最後の…オーバードブーストを吹かしながら直角に曲がることを繰り返しビルの周囲を斬ったあの動きが良くなかった。

時速2000km近くの速さで直角に曲がるなんて行為が人体にどんな影響を及ぼすかなんて想像しなくても分かる。

 

血が止まらない。

折れた肋骨が肺に食い込んでいるのか。

それとも内臓自体が傷ついているのか。

 

自分は正しかったと示す?

誰に?

 

考えが最後まで纏まることはついになく、その眼はグルンと上を向きガロアは気を失った。




AC4をクリアして、ACfAをプレイしてホワイトグリントに初めて対峙したときに思ったのは「何やってんだこいつ??」でした。
世界をメチャクチャにしたわ卑怯な手でアマジーグを殺したわと散々しておきながら結局ラインアークの守護神ですからね。

アナトリアの傭兵を恨んでいる人間がいないわけがない。

そんなわけでアナトリアの傭兵と真逆の存在としてガロアを作りました。

ところでホワイトグリントのアサルトアーマーに斥力をつけてしまいましたがそれにはしっかりと理由があります。
ACfAを初めてプレイしたとき、オープニングの最後でホワイトグリントがアサルトアーマーをかましたのを見てワクワクしました。
高校生の間で流行っていたマカンコウサッポウのように中心から外へと全ての物を弾き飛ばす力。そりゃあもう楽しみでした。

ですがゲームを実際にプレイしてがっかり。

「斥力じゃないじゃん!!」

建物のそばで使ってもただ崩れるだけ、敵にはただダメージを与えるだけ。
オープニングでは確かにド派手な斥力を起こしているのに…。

という訳でホワイトグリントだけが使える能力としました。
ちなみにホワイトグリントだけが使える理由も作中で出てきますよ。


これからガロアには企業に従う道、ORCAに入る道、そして自分で考え行動するオリジナルルートがあるわけですが…
とりあえずゲームのように企業連ルートから投稿していきます。




というか乙樽水没のタイミング完璧すぎると自分で思った(自画自賛)


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企業連ルート
からっぽ


人は、運命を避けようとしてとった道でしばしば運命に出会う


「ホワイト・グリントは戦闘不能 ステイシスは海中に没し、オッツダルヴァは生死不明、か。やりすぎだな、メルツェル」

薄明りの部屋、真っ白な髪を短く刈り込んだ短髪の男が一枚の紙を見ながら話す。

一切の油断ない厳しい目つき、深く刻まれた眉間の皺。

歴戦の戦士…という言葉通りの見た目だが歴戦というには声が若い。

 

「よく言う。誰が手間を掛けさせたのか」

メルツェルと呼ばれた男はややずれた四角く太い縁のメガネを直しながらチェス盤に向かい一人で駒を動かしている。

知性を湛えて薄く引き伸ばしたかのような緋色の瞳とその口から出る軽口が海藻のような髪が醸し出す重い雰囲気を飛ばしている。

 

「…楽しいか?」

一人でチェス盤にもくもくと向かい合うメルツェルに尋ねる。

 

「いいや、全然」

 

「そうか…」

自分もチェスのルールは分かるが、メルツェルの相手には全くならず、

それどころかこの「ORCA旅団」にもメルツェルに敵う相手は存在しない。

一人の時間をつぶすなら自分対自分の勝負をする方が長引いていい、らしい。

 

「誘うんだろう?」

 

「ああ。強いだけの阿呆でもないようだ。試すぐらいの価値はあるだろう。状況は既に手遅れだが、同時に緩慢だ。今更焦ることでもあるまいよ」

それに…とは口にしない。こんなことを口にすればメルツェルはきっと笑うだろう。まるで乙女だな、と。

だが、初めてあった日から感じるのだ。

奴と自分は同類だと。

いや、同類…もっといい言葉もある気がするがそれに当てはまる言葉が思いつかない。

簡単な言葉のような気がするのだが。

 

「さて、協力はしたものの…どうかな?ガロアは七月革命に参加できなかったからな…」

ポーンを動かす。

あれはどうやら…チェックメイトか。

 

「どういうことだ?」

 

「お前は少し歴史の勉強もした方がいい」

 

「……」

 

そんな二人が軽口を叩きあう夜と時を同じくして、ガロアの意識は覚醒した。

 

「…?…!」

眼を開けても真っ暗だった。

何も見えない。

ギシギシという身体を無理やり起き上がらせるとそこがベッドの上で、自分には布団が掛けられていることが分かった。

 

「……」

額に纏わりついている何かを取る。これは…包帯か。

取るとまずかったかもしれない。

 

(……)

笑えばいい。

なぜ、暗い部屋でぼけっとしているんだ。

声なんて便利なものがあればきっと大声で笑ってる。

そうだろう?

 

「……」

声は出ない。

 

あの時叫ぼうとして出たのは血泡。

あの戦いは、紛れもない現実だった。

自分は勝ったんだ。

 

「……」

あいつより強い。自分はあのホワイトグリントより強かった。

つまり、自分が正しかったんだ。

 

「……」

なんで?

奴は光り輝く太陽の元で大切なものを守り、自分は暗い部屋の中で声をあげることも出来ずにうつむいている?

 

「……」

なんで?

こんなに…虚しいんだろう。

 

いや…わかっていた。

何も戻ってこないなんてことは。

ただ、奴を倒せればそれでよかったはずだ。

こうなることなんて、最初からわかっていたはずだ。

 

もう、何もない。

家族も、拠り所も。

 

「!」

珍奇な音が響く壁を見ると白く弱弱しい文字が浮かんでいる。

 

6/6 0:00

日付が変わったことを知らせる音だった。

 

「……」

誰も知らない、祝わない。

当然だ。誰にも伝えていないのだから。

 

今日は自分の…

ガロア・アルメニア・ヴェデットの18歳の誕生日だった。

 

一人ぼっちで空っぽの18歳がそこにはいた。

 

「まずはおめでとう。念願の復讐を果たした気分はどうだ?」

 

「!?」

いつからそこにいた?

入り口は開いていない。

風も気配もなくそこにその女はいた。

今宵は新月、その上厚い雲がかかりクレイドルの光すら通さず、影もなく忍び込むには絶好の日であった。

 

「ウィン・D・ファンションだ。お前に話があってきた」

 

「……」

似たようなセリフでオッツダルヴァに誘われたのがあの戦いの引き金だったことを思い出し、知らず知らず掛け布団を掴む手に力が籠る。

 

「あれから一週間…今のお前は私やリリウムを差し置いて「カラード」最強のリンクスという呼び声が高い」

 

「……」

一週間も自分は寝込んでいたのか。

一週間休んでこの身体の痛み…相当の重症だったのか。

どこか他人事のように自分の身体の状態を想像する。

しかし今カラードという言葉を随分と語気を強めて言わなかったか?

 

「悔しくもあるが…事実だろう。前時代最強のリンクスが二人共乗っていたとは驚いたが、あのホワイトグリントと真っ向からぶつかり打ち破ったお前の力…本物だ。最早私ではお前を倒せないだろう」

 

「……」

こいつは何が言いたいのか。

こんな夜更けに明かりもつけずに忍び込んでわざわざ褒めに来たのか?

 

「だが今まで拠り所にしてきた目標を失った今、お前はどうだ?何が残っている?」

 

「何もないだろう?空っぽ、空っぽなんだよお前は。最強になった男が張りぼてとは…喜劇だな。戦いで死ねない最強なんてのは得てしてそんなものだ」

 

「……」

怒る気になれない。

その通りだ。この女が言うことは何一つとして間違っていない。

 

「これからお前が戦う連中も同じだ。奴らは…死に場所を求めている」

 

「…?」

唐突に何を言い出している?

混乱するガロアだがそちらに目を向けても何も見えない。

明かりをつけるにもスイッチは入り口にあり、自分は身体が痛くて動けそうもない。

 

「私はこれまでずっと止めようとやれることはやってきた…だが、ダメだった。うねり始める時代の流れは私一人の力では止めようもなかった」

 

「??」

 

「ORCA旅団。これから全世界を敵に回す集団の名だ」

 

「……」

 

「そこに所属していたリンクスは12人!文句なく、歴史上最悪最大のテロリスト集団だ」

 

「…?」

いた?

過去形なのが気になるが尋ねられないし、筆談の道具も光もない。

 

「そう。いた、だ。今は9…いや、10かな。お前も覚えがあるだろう?近頃現れたイレギュラーリンクス共…ブッパ・ズ・ガンとPQ、ラスター18はそのメンバーだった」

 

「!」

 

「そしてその集団を纏めるのが旅団長のマクシミリアン・テルミドール。強いぞ。恐らくはお前よりも、な」

 

「お前の生まれも力をつけてきた理由も納得のいく物だが、奴は文字通り生まれからして違う。戦うために生まれ戦いの中で死ぬ為に生まれた男だ」

 

「奴らの戦う理由はこうだ。現在のクレイドル体制により人は生まれながらに格差が生じ、さらにその高度を維持するために地上の汚染は進み、罪のない人たちの苦しみはますます進む…」

 

「さらに、その汚染はいずれ空まで届きいずれは人類が腐敗する。だからそうなる前に全員地上に引きずりおろす、と。なるほど、聞こえは良い。正しい理由かもしれん」

 

「だが、現在地上にいる人間4億人…この内のどれだけが安定した生活を送れている?大半は今日明日の食い扶持を確保するだけでも精一杯な者ばかりだ」

 

「……」

そうだ。自分はあの戦いでその内のいくらかの者の安寧をぶち壊したのだ。

後悔は無い。悪いとも思っちゃいない。だが、どうしてか身体は震える。

 

「そんな中で空から大量の人が降りてきたらどうなる?それも自分たちの苦しい生活の原因だったモノがのうのうと降りて来たら…」

 

「人間は例え資源が有り余っていても奪い合い、自分の物にしなければ気が済まない生き物だ。それが戦いが終わらない理由であり、世界がこうなった理由でもあり、私たちのような化け物が生み出された理由なのだ」

 

「殺し合いだ。人が人を喰らう羅刹国がこの世界に顕現する。かつてない規模の戦争が起こり夥しい数の人が死ぬ!」

 

「…こんな少し考えれば気づくことも分からんほど馬鹿な連中でもあるまい。言っただろう、奴らは死に場所を求めている。空っぽだからな。戦いの中でしか自分を示せない張りぼてだからな」

 

「お前も誘われるぞ。力のみが増長し中身のないその身体。奴らはきっとお前を仲間にしようとする」

 

「……」

正直、どうでもよかった。

誘うなら勝手に誘ってくれ。殺し合うなら勝手に殺し合ってくれ。

自分を使ってたくさんの人を殺すというのならそれも結構。

どうでもいい。

 

「…今のお前は誇れる存在か?お前は正しく導かれ清く成長したか?」

 

「……」

 

「そんな事、あるわけ無い。親を失い復讐を胸に憤怒を喰らいながら生きてきた子供が、まともに成長するわけがない!」

 

「……」

褒めてたと思ったら、なんだ今度は。馬鹿にしているのか。

でも、いい。

好きなように言えばいいさ。

 

「…大切な者の喪失は人を歪めるよな、ガロア・A・ヴェデット。お前も、まともだったはずなんだ。…ぞくぞくと出てくるぞ。お前のような鬼が、憎しみで歪んだ者が!これからの戦いで!」

 

「…!」

自分のような者が?増える?

この世界に?

…それは…最悪、なんだろう。きっと。

ひたすら怒りに生きて、残るのは抜け殻になった自分だけ。

そんな奴が増えるなんてのは。

 

「空っぽのお前に身勝手な大義名分を吹き込もうとする奴ら…ORCA旅団だけじゃない。沢山現れるだろう」

 

「……」

 

「私がお前に理由を与えてやる!私と共に戦え!奴らの望む死に場所をお前なら用意できる!私がお前を導いてやる!」

 

「……」

闇に紛れる女から発せられる誘い。

ORCA旅団とやらにしてもそうだし自分だってそうだが、あの女も闇だ。自分が正しいと信じて動かず、その為に人の命を消すことをも厭わない。

 

「また会おう。…願わくば味方で。じゃあな」

 

「……」

言いたいことを言いたいだけ勝手に言い散らかしたその女はベッドを横切り窓を開け飛び降りてしまった。

あれは…光り輝く聖戦への誘い文句なんてものでは決してなかった。

高圧的で身勝手で…、しかしガロアの止まりかけていた心がほんの少しだけ、動く。

 

「ガロア…?気が付いたのか!」

ここ一週間ガロアに付きっきりで傍にいたセレンだが、

トイレに行くついでに飲み物を買っていたわずか五分の隙にウィン・D・ファンションは潜入していた。

 

「……」

今宵は新月。

窓の傍で開きっぱなしの窓からの風を受け揺れるその花に、ガロアが気が付くことはついになかった。

 

それが運命の分かれ目となった。




今のガロアに何も無いことを知って…
というよりもホワイトグリントを倒したらガロアに何も無くなることを分かってこのタイミングでガロア君を誘惑しにきました。
悪いお姉さんですね。

パートナーはこれからウィン・Dとなるわけですが、作中でも表現されている通り、ウィン・Dは男は好きじゃないのでガロアがウィン・Dを好きになったりウィン・Dがガロアを好きになったりする甘い展開は一切ありません。


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サイレント・アバランチ撃破

「どうだ?」

南極。

ゴテゴテの防寒具に身を包んだ男がエネルギーのたっぷり詰まったチョコバーを力の限り噛みながら尋ねる。

凍り付いたチョコバーは歯の圧力にも負けることなくただ唾液に濡れていく。

 

「まあ待て」

応える男も同様にバッチリ防寒しておりそれどころか少し汗をかいている。

尋ねた男はチョコバーにかじりついているだけだがもう一人の男は何やら大仰な機械を展開し弄繰り回している。

望遠鏡だろうか。

だが天気は生憎の雪であり星など見えるはずもない。

その望遠鏡から伸びる太いコードは男たちの後ろに佇む二機の赤と緑の巨人の内、ずんぐりとした緑の機体に接続されていた。

 

「電源も確保…これで大丈夫だろう」

機械を弄繰り回していた男が乾いたハンカチで額を拭うと見る間に凍っていく。

 

「ちっ…折角オーロラが見えると思ったのによ…」

チョコバーをハンマーで砕きながらそんなことを呟く。

大雪、吹雪というわけではないがそれは厚い雲に覆われている。

 

「南極だからと言っても毎日オーロラが見える訳ではない。時期も大事だし、太陽の活動も影響してくる」

 

「あっそ。なんか手伝うか?」

 

「ならコーヒーを入れてくれ…寒くてかなわん」

 

「あいよ。しかし、俄かには信じがたいな」

 

「何がだ?」

 

「あのガロア・A・ヴェデットだよ。依頼にあったとは言え…あの怪我が一か月経たずと完治するわけがねえ。ましてや出撃なんてよ」

 

「だからわざわざこうしているのだろう」

あのホワイトグリント戦から23日。

カラードにいる誰もが知ることとなったその戦い、そして結末。

映像もニュースも流れたのだ、当然この二人…ウィスとイェーイの耳にも入ってくる。

あっという間にオッツダルヴァを戦闘不能に追い込んだホワイトグリントに正面から勝利を収めたガロア・A・ヴェデット。

 

その勝利の意味は大きく、ランク1も不在の今、彼こそが一番だという声も大きい。

だが、勝利の代価もそれなりに支払ったようで全身余すところなくボロボロになった彼は入院していたはずだ。

調べたところその怪我はどう考えたって完治に1、2か月はかかる。

機械ならばまだしも、人間には限界がある。

 

そこにウィスとイェーイに舞い込んできた依頼…

「サイレント・アバランチがアレフ・ゼロに襲撃されているから撃退してくれ」

という物。

 

普段なら絶対に断っていた。例えこっちにさらに味方が二機ついたところであの魑魅魍魎の類と戦うのはごめんだ。

ホワイトグリント戦で見たあの異様な姿とコジマ粒子の奔流はウィスとイェーイのみならず正常な感性を持つ者全てを震え上がらせた。

しかし大けがを負ったというのもまた事実。

だというのに依頼する企業も企業だが出撃する方も相当イカれている。

 

しかしこれは好機とも捉えられる。

あんな怪我で出撃できるはずがないが、もし本当にいるのならば。

そこに怪我の影響が表れていたら。

あのホワイトグリントを打ち倒したアレフ・ゼロの首を取れる。一気に成り上がれるのだ。

コンビ戦主体で戦う自分たちはランクが低い…が、そんなのもあのコジマお化けを倒せば関係ない。

 

という訳でこんな奇怪な機械を持ち出して作戦領域の外の外から内側を見てみようと言うのだ。

もしも不調なんて様子が全く見られずに暴れまわるアレフ・ゼロがいても、

逆にそんなものがいなくても、即作戦放棄して観光でもしながら帰るつもりだった。

 

「よし、準備完了だ」

 

「お」

 

「……」

スコープを覗いて光量を調節しながらピントを合わせる。

 

「いた…本当にいた…」

それは丁度サイレント・アバランチのうち一機にブレードを突き立てている場面だった。

 

はい、終了。撤退、撤退で~す。帰りま~す。

 

という声をあげるまでに気が付く。

アレフ・ゼロは遠目からも分かるくらいにはボロボロである。

恐らくは攻撃を幾度も受けているのだろう。スフィア防衛部隊とサイレント・アバランチに。

 

「どうなんだ?イェーイ」

 

「ボロボロだ…それに…」

 

「マジか?それに、なんだよ」

 

「動きが悪い」

油が足りていないカラクリのような動きは近距離主体のアレフ・ゼロであれば本来ありえない動きだ。

 

「行くか?」

 

「……ああ」

しかし、スコープからすっ、と目を離すか離さないかのその瞬間。

アレフ・ゼロの紅い眼光がこちらを向いた。

 

「ひっ!?」

驚きは鼻より出でて、即座にツララになる。

 

「おい、大丈夫か?」

地面に尻をつく相方を見て滑ってこけたのかと呆れ気味に声をかけるウィス。

 

「あ…いや、なんでもない…大丈夫だ」

クールな雰囲気漂わせる知的なイェーイはカラードでも人気の美男子だが、

その実彼は超がつくほどのビビりだった。

ウィスとコンビでいるのも、遠距離戦主体なのも、慎重なのも、今回の念入りな準備も全てその臆病心からの物だった。

 

驚きはしたが、自分の機体エメラルドラクーンですら影も見えぬこの距離。

多少の雪に加えダメ押しのECMまで展開されていてまさかこちらに勘づくはずがない。

 

(ありえぬことだ…)

跳ねる心臓を落ち着けながらもう一度相方と作戦を確認する。

 

「いいか、ウィス。奴の戦闘の引き出しは多いが…」

 

「もう耳にタコが出来る程聞いたぜ?」

 

「いいから黙って聞け。死にたくはないだろう?何度確認してもやりすぎということはないんだ」

 

「わかったよ、続けろ、イェーイ」

勇み足で少々無鉄砲なウィスはイェーイとは実にいいコンビである。

 

「そう、かなり多いが中距離以上でほぼ一つの手しか打ってこない」

 

「マシンガンでPAを削って…」

 

「そうだ。グレネードかロケットの爆風でダメージを与える。それしかない。特別な環境でなければまず直撃させてくることはない」

黙れと言って五秒も経たないうちに口を動かす相方に少しがっくりきたがちゃんと覚えているならいい。

 

「射撃が苦手なんだろ。俺と同じで」

 

「そう、お前と同じだ。そして射撃の才に恵まれないものとして、この戦法は理にかなっている。だからお前はそのスタイルを選び取ったのだからな」

 

「そしてお前がサポートする。今まで通りだろ」

 

やっぱり全部は覚えていなかった相方にうなだれながら話を続ける。

 

「……、今回は余計な事を考えるな。グレネードとマシンガンで攻撃そして回避。それだけでいい。奴のマシンガンは片手のみ。一方のお前は武器腕のマシンガン。単純に計算してPAを削る速度は倍だ」

 

「余計な事って言われても後はミサイルしかねーよ」

 

「それが余計だと言うんだ!理屈はわからんがあいつは射撃センスが無いのになぜかミサイル全てを撃ち落とすことが出来るんだ!目の前でミサイルを撃つなんて隙を晒せば即惨殺されるぞ!

…相手は手負い、そして俺も遠距離から支援する。削り合いなら絶対にこちらが勝つ。近づかないでロケット、グレネード、フラッシュだけに気をつければいい。マシンガンは当たっても構わない」

 

「まあその三つならよく見てれば避けられるからな」

 

「その通りだ。さて…もうそろそろサイレント・アバランチも全滅する頃だろう。行くぞ」

 

「おう!下剋上だ!」

アレフ・ゼロの姿を見た時点で撤退しておくべきだった、

と後悔する将来の自分の姿を本来なら先ほどの悪寒から勘付けていたイェーイだが、

やはり彼も眼がくらんでいたのだ。その勲功に。

 

 

 

 

「サイレント・アバランチの排除を確認。ミッション完了だ…。…、…早く帰って来い」

AP40%を切っている。

いかにサイレント・アバランチといえど本来のガロアなら弾薬を使わずに完封することすら出来たはずだ。それをこれだけのダメージ受けるぐらいには身体の影響がでかい…。

依頼してくる企業もおかしいがそれを受けるガロアもガロアだ。

まだ病院のベッドの上にいたガロアに、私がいない隙に依頼を持ち込んだのはオーメルのあの嫌味な仲介人か?

 

(私がその場にいたらぶん殴って追い返していたのに…)

いや、その場と言わず今度見かけたらあのモヤシ眼鏡を思い切り殴り倒して二度と近づく気も起きないようにしてやる。

 

通り魔と大して差の無い思考を般若の表情で頭に浮かべるセレンはその時あってはならない情報を目にする。

 

「敵機!!ネクスト二機!!撤退を…いや、ダメだ!もう遅い!」

ECMか雪のせいか、とにかく捕捉が遅れてしまったがそれは間違いなく二機のネクスト。

ランク25,26のスカーレットフォックスとエメラルドラクーンのコンビ。

単なる二機の増援ではなく、歴としたコンビとして活躍しているリンクス。

それでも、本当ならばガロアの相手なんかではない。だがこの状況では。

 

 

『ガロア…!』

 

「……」

セレンの心配そうな声を聞きながらしかしその増援はなんとなく予感していた。

ボロボロにされている今、そんなこと言うべきではないが今回の任務は今までの任務の中でも群を抜いて簡単だった。

増援が無いというのはなんとなくありえないんじゃないかと思っていた。

そして途中で感じた明らかな視線のそれ。

 

しかし…。

幼いころに動物に噛まれ一週間以上高熱で寝込み意識が遠のきながらもなんとか飯を食いトイレに行き服を着替え生き延びた。そんな記憶がある。

今の気分はその記憶の中にある感覚に近い。

勝てるだろうか。

 

 

 

 

 

 

「ふん…サイレント・アバランチも過去の遺物だな。最初から任せておけばよかったものを 」

あたりの惨状を見まわしながらもふらついているアレフ・ゼロを見て強気に口を開く。

 

『…まあな』

相方が重々しげな声を発する。

あいつは相変わらずビビりだ。頭が良くても度胸が無くちゃ勝てるもんも勝てねえ。

 

「俺達は上に行く。あんたには踏み台になってもらうさ。悪く思うなよ」

 

『…悪いな』

悪いと思うなら襲わなければいいって話だ。

 

「死んでくれえええ!!」

両腕のマシンガンをアレフ・ゼロに向けると同時に相手も動き出す。

が、少し遅い。動き出したアレフ・ゼロのPAを少しずつマシンガンが削っていく。

 

(さあ、どう動く!?右か!?左か!?それとも上!?どう動いても削りつくしてやる!)

 

ガリガリと当たるマシンガンの弾を全て受けながらアレフ・ゼロは…ただ真っ直ぐとこちらに向かってきた。

 

(全く避けない!?)

完全に予想外。

以前動画で見たように中距離でふらふらと不規則に浮かびながらマシンガンを撃ってくる物だと思い込んでいた。

 

全ての弾をその身に受けながらも最短距離で自分の元へ来たアレフ・ゼロ。

当然PAは完全に削り切れてはいない。

 

『ウィス!』

相方の怒声。

分かっているが、もうこの距離と角度ではグレネードを撃てない、撃っても当たらないしスキが出来る。

そして、相手の左腕のブレードはすでに起動している!

避けねば!避ければ隙が出来るのは向こうも同じこと!

 

「……!」

ヒュン、とブレードが間抜けに空を薙ぐ音がする。

避けた!完璧に避けた!

迅かったが、真上90度の角度から兜割りのように振り下ろしてきたその腕は左に動くだけで避けれた。

反撃を!…。

 

「…あ?」

あれ。

 

右手のマシンガンが無い。

さっきまであったのに。

その腕を真っ直ぐ広げて自分が避けた方へ…。

 

 

 

 

「ウィス!」

怒鳴ったのはアレフ・ゼロがマシンガンを捨てているのが見えていたから。

その意図までは分からなかったが、今なら分かる。

 

『くそ!離せ!』

 

「…あ…あぁ」

ラグビーかレスリングのように飛びついてきたアレフ・ゼロはそのまま二機でもつれ合ったまま雪積もる地面へ落下、スカーレットフォックスをそりか何かのように押えこみつつ雪煙をあげながらこちらへ向かってくる。

 

ウィスと何度も模擬戦をしているイェーイにはわかる。

武器腕は負荷は少ないがその可動域も少ない。内側に入り込まれたらもう引き離す術がない。

普通の腕ならば押しのけることも出来るだろうしし、アサルトアーマーを搭載していれば話は別だったかもしれないが。

 

「…っ」

ミサイルは使えない。

雪煙に邪魔されロック出来ないし、万が一に当てずっぽうでウィスに当たったら笑い話にもならない。

自分程腕のある射手ならここからライフルで当てることも出来たかもしれないが、ウィスが下手に暴れているせいで照準が定まらない。

 

「ウィス!暴れるな!」

 

『馬鹿言うな!こいつはアサルトアーマーを積んでいるんだぞ!』

 

(違う、そうじゃない!そんなことは分かっている!)

相方との意思の齟齬によりさらに一手遅れ、二機はもう目の前にいた。

 

「…っ!」

地面から刈り取るように振られたブレード。

ジャンプして避けたと思ったが遅かった。

ぎりぎり足が通るぐらいしかない大きさの粗雑な落とし穴に足を突っ込み皮膚がでろでろに剥けてしまったかのような痛みが脳に送り込まれ下に目をやると、両脚とも膝から下が無くなっていた。

 

「やはりな…」

受けるべきではなかった。

 

『があぁああああ!!』

懸念した通りの0距離のアサルトアーマーを喰らいダメ出しとばかりに斬撃を貰うウィス。

 

『…手負いを襲い、なお負けるか…』

とりあえずは死んではいないようだ。

とりあえずだが。

 

『……』

芋虫の如く転がる自分達を見もしないでアレフ・ゼロは不安定な速度で飛び去ってしまった。

ここはBFFの基地だから贔屓にしている自分たちが死ぬことは無いだろうが…

任務失敗に加えウィスの機体の損傷は特に酷い。

ここから持ち直すのには莫大な借金をするしかない。

 

『ちくしょおおおおおお!!』

相方の叫びを聞きながらイェーイは先刻の間違った判断を悔いるしかなかった。

 

 

 

その頃。

最近伸びだした髪をアシンメトリに切り、もう思い残すことも無いと自分に言い聞かせながらハリは荷物をまとめたカラードの自分の部屋へと戻った。

 

暗い部屋へと一歩踏み出し、ドアが閉まる前に電気をつけようとしたその瞬間。

 

「テルミドールについて知っているこトを全て話セ」

 

「……!」

闇から伸びてきたナイフを持つ手が背後からハリの喉に添えられた。

 

「……もウ一度言う」

 

「下を見てください」

 

「!」

侵入者が言われるままに視線を下へと向けると、ハリの太腿の拳銃ホルスターから既にピストルが抜かれそっと侵入者の腹に押し当てられていた。

 

「後ろを取るのならば手を使えなくするのが基本ですよ。何のために太腿にホルスターがあると思っているのですか?」

 

「……」

お互いの命に王手をかけながら二人とも動かない。

この状況ならば先に動いた方が相手の命を取ることになるのは間違いないだろう。

それをしない理由は単純で、お互いに必要なのが命ではなく情報であるからだ。

 

「それにナイフは横に当てるんじゃなくて縦に刺すんです。でないと重要な血管や気管に届かないでしょう?」

 

「…!」

その言葉は全く適当に言った言葉であり、ナイフによる正しい暗殺の仕方などハリは知らない。

ただ、その言葉で侵入者の気配が揺らいだのをハリは見逃さなかった。間違いなく、素人だ。部屋に侵入されていたのは驚いたが。

 

「…慣れないことはするものではないですよ、ウィン・D・ファンション」

 

「!!」

侵入者、いやウィンは動揺のあまり一秒弱硬直した隙にハリは気体のように腕の間から抜け銃を突きつける。

 

「…テルミドールはあなたが嗅ぎまわっているのを知っています」

 

「…ならば何故放置していた…?」

髪を覆い隠すフードとマスク、変声機を取り外し尋ねるウィン。

殺意が無いのは向こうも同じようだ。

 

「あなた一人が動いたところで何も変わらないからですよ。戦況の話ではありません」

 

「どういうことだ」

ハリが拳銃を収めるのを確認してナイフをしまう。しかし言っている意味がイマイチつかめない。

 

「…はぁ…。荷物をまとめてしまったからちょっと大変ですね…飲み物は出せませんよ」

 

「いらん」

何やら小さくまとめた荷物をごそごそと漁り出したハリにウィンはなんだか毒気が抜けてしまい、壁にもたれながら時間が過ぎるのを待つしかなかった。

どうやらノートパソコンを取り出したようだ。

 

「見た方が早いでしょうからね。今から1か月ほど前、ガロア・A・ヴェデットに企業連からある極秘任務が下されました」

 

「…?」

インテリオルが収集できる限りの任務記録は見ている。

苛烈ではあったものの極秘と言えるような任務は無かったはずだ。

と、記憶に頭を巡らせていると取り出されたノートパソコンに動画が映る。

どうやらこれはアレフ・ゼロのカメラからの映像らしい。

 

「反体制派の過激組織リリアナにクレイドル21が占拠されたのを殲滅せよ、との任務でした」

 

「馬鹿な…そんな暴力集団が警備の穴をついてクレイドルまで上がれるものか!」

 

「…運が良かったんでしょう。ここら辺はあまり重要ではないので飛ばします…。ここからです。分かりますか?」

動画がコマ送りされ、画面に映る風景が星空のみとなった瞬間、間違いなく兵器の形状をした物が現れ、アレフ・ゼロに、周囲にいた自律型ネクストに攻撃を始めた。

 

「な…なんだこれは…自律兵器か…?」

 

「あなた、クレイドルから降りてきたのでしたよね、確か」

 

「あ、ああ」

 

「思いませんでした?水も酸素も食料も全部クレイドルで生産できるのに、なんで地球の衛星軌道上を飛び回っているのかって。

もちろん理由なんていくらでもあるでしょうけど、地球を汚し続けながら飛び回る正当な理由になるとは思えません」

 

「!まさか!」

さっきの自律兵器が地球を覆い尽くしているのだとしたら。

 

「理解が早くて助かります。他の企業の宇宙進出を阻止するためだけに各企業から打ち上げられた無数の自律兵器…アサルトセルが数十年以上も前から地球を睨み続けています」

 

「待て…もしかして国家解体戦争は…」

 

「そう。宇宙進出を狙うのは企業だけじゃない。国家プロジェクトもある。この事実を隠匿するためだけに起こされた戦争なのです」

 

「……」

顔から血が引いていくのがはっきりとわかった。

まさか、独善的だと決めつけていたORCA旅団の目的は。

 

「我々の目的はアサルトセルの一掃です。このままでは人類は逃げ場が無くなり壊死します。そうでなくとも宇宙というフロンティア無くして進歩はあり得ません」

 

「私がどうしたところで変わらないと言うのは…」

 

「そういうことです。クレイドルを降ろすための口実として多少の揺さぶりは必要となるでしょうが…

各企業の上層部にとっても悩みの種のアサルトセルを取り除くという我々の活動を建前以上の邪魔をしてくるはずがありません」

 

「……あぁ…」

最初から負けが決まっている勝負。

だから自分は泳がされていたのか。

ここまで大規模なテロ組織が企業の支援なしで動けるはずがないと警戒しながらカラードを一人で嗅ぎまわっていた日々。

馬鹿らしい。トップがその行動を支援する理由があったというのか。空回りを繰り返していただけとは。それでもこのままいけば大勢の人が死ぬというのは分かっているが、ここから反撃する手が思いつかない。

 

「それでも戦うと言うのならどうぞご自由に。テルミドールとあなた…どっちが強いかは自分が一番わかっているのでは?もし…思うところあるのならばただ放っておいてください」

言うや否やさっさと荷物を纏めて鍵をかけることもなく部屋から背筋を伸ばしながら出て行ってしまった。

 

「……」

情報を引き出し、可能なら戦力の一つであろうハリを無力化する、と意気込んでいた今日の行動が…

いや、それどころか世界の平和の為だと薄ら寒い大義の元に動き回っていたここ一年以上の全てが無に帰して崩れる音が聞こえ、ウィンは何も無い暗い部屋で膝をついた。

 

 

 

 

その頃、(勝手に)ウィンのパートナーとなっていたガロアは完全に意識を失っていた

 

「ガロア…」

消え入りそうな擦れる声を出す自分を沈みかけた太陽が窓から見ている。

 

「……」

夕陽に照らされているガロアの寝顔は苦痛に歪んでいる。

ピクリ、と動き額に置いた濡れ手拭いがずれる。

 

「…っ!ッッ!」

 

「暴れるな…!落ち着いてくれ…!頼む…」

夢見が悪いのか。身体が痛むのか。苦しげにベッドで暴れ悶えるが未だにその眼が開く気配はない。

なるべく痛くないように、力はこめず、かといってベッドから転げ落ちたりしないように押える。

ピーッと、押えていた腕の脇から音が鳴る。

 

「38度…7分…下がらないか…」

カラードに帰還したアレフ・ゼロ。

いつまで経っても更衣室から出てこないガロアに嫌な予感がしたセレンは更衣室を抜けて発着場へ駆けた。

途中カニスが運悪くパンツを脱いでおり生娘のような悲鳴を上げていたが気にしている余裕なんかなかった。

 

案の定コックピットの中で唾液を垂らし項垂れたまま気を失っているガロアをなんとか抱え引きずりながら部屋まで戻ってきた。

体力のない頃からぶっ倒れるまで身体を鍛えて自分が部屋まで運んでくることはそれこそ数えきれないほどあった。

あの頃より大きく、重くなり頑丈に成長したはずなのに目の前にいるガロアはそんな事実なんて全て夢であるかのように弱弱しく、儚い。

 

ホワイトグリント戦でカラードに回収されたガロアが血だまりの中でピクリとも動かずにいたのを見て心底血の気が引いたものだ。

一週間寝込みはしたがなんとか覚醒してくれたのを喜んだのも束の間、またこれだ。

 

「なんでだよ…もう、やめてしまえばいいじゃないか…」

念願だったホワイトグリントを倒して金もある。

もうやめてしまえばいいんだ。リンクスなんて。戦いなんて。

 

「なのに…なんで…」

悲願を遂げた今でもボロボロの身体を引き摺ってお前は戦う?

もう戦う必要なんかないだろう?

このまま死ぬまで戦うつもりか?

 

「親を失って…一人で…ただ身体を鍛え続けて…ワケの分からない機械に繋がれて…そして死ぬのか…?」

人は時に答える者がいないと分かっていても口に出して問いかけたくなる時がある。

その問いに答えが無いとしても。

 

「そんな人生って…まともに生まれてきたはずのお前が…たった17歳のお前が…」

まるで花火のように打ち上がり、大輪の花を咲かして虚空に散っていく。

他人はそれを見て羨むのか。

手の届かない空に浮かんだそれを。

あるいは決して自分ではなれない華々しさに。

でも誰も散る花火のことは考えない。

散った花火のことは考えない。

 

「じゃあ…お前は一体…何のために生まれてきたんだよ…」

父の死により狂わされた人生を、その元凶にケリをつけて死ぬ。

狂いっぱなしの人生をそのまま投げるのか。

自分の人生に漕ぎ出さないのか。

これではまるで…これが自分の人生だと言わんばかりだ。

怒り悲しみ同情…そのどれともつかぬ感情に震えベッドの端を力なく叩くセレン。

その耳に聞き覚えのある音が聞こえる。

 

「……」

備え付けのコンピュータに届いている二通のメール。

その一方を開く。

 

『アルテリア・カーパルス防衛

ローゼンタール社からの依頼です。

つい先ほど、これから十日後に不明ネクスト機によるカーパルス襲撃の情報が得られました。

詳細は確認されておらず、信ぴょう性にも疑問が残る情報ですが』

 

途中までしか読まなかった。読めなかった。

 

「ふっっっっざっっっけるな!!!」

拳闘の教科書に載ってもおかしくない、脚の位置取りからなる重心の取り方は完璧かつ腰の入ったお手本のようなストレートをスクリーンに叩き込んだ。

コンピュータの画面は派手な音を立てて砕け散り中の機械はぐちゃぐちゃ、煙を吹いている。

当然、セレンの右手も無事では済まない。

 

「お前らで何とかしろクソ野郎のクソ企業!!何かあるとすぐ頼ってきやがって!!そのくせっ…!」

怒鳴り散らかしながらさらに回し蹴りを叩き込もうとしたとき、後ろから音が聞こえた。

 

「…っ、ガロア!まだ寝ていろ!動いちゃダメだ」

血まみれの右腕のことなんか髪に掠りもせず吹き飛んでいき即座に駆け寄りベッドに押し戻そうとする。

が、ガロアはふらつきながら虚ろな顔で逆にセレンをリビングの椅子にすとんと座らせた。

 

「……え?」

呆気にとられるセレンをよそにパチリと明かりを点けて何か箱のようなものを持ってきて自分の隣に座る。

 

「なに…?」

箱から何かを取り出し、呼吸の虚を突いたかのようにするりと傷ついた右腕を手に取られる。

 

「あ…」

救急箱だった。

テキパキと、というわけではないがそれでも淀みなく、手にしたピンセットで食い込んだガラスを取っていく。

 

 

この家に引きずってくる過程で知り合いにこそ会わなかったものの沢山の人にすれ違った。

過ぎゆく人、人、人。

じろりと見てくる目、目、目。

誰一人として手を貸そうとしなかった。

今までもガロアは十分化け物扱いはされていたがその戦い方はあくまでクレバーで外連味のない作戦による、言ってしまえばどこまでも現実的な強さだった。被弾だってするし怪我もする。

だがこの度のホワイトグリント戦で見せたあの異様は正常な感性の人々を遠ざけ、弱い人々は完全に一線を引くようになってしまった。

ただ避けるように歩き、すれ違うやおっかないものでも見るかのように一瞥。

ひそひそと聞こえる言葉。

化け物。危険。兵器。近づくな。

 

「…うっ…」

ベッドの傍にいたときも、コンピューターを叩き壊した時も、

いや、それどころか生まれてこのかた…少なくとも自我を得てからは一度だって経験したことはなかったはずだ。

涙がはらりはらりと両目から止まらずに流れる。

 

(…私…泣いているのか…)

 

敵を、お前らの敵を倒したんだぞ。

お前たちが強い兵器を望んだのだろう。

それなのにこれか。

 

そんなことを主張する気にもなれなかった。

どいつもこいつもガロアの中身は考えることはせずにただ兵器としてその戦闘力と危険性のみを見るばかり。

 

「うっ…ひぐっ…」

優しい奴なのに。戦いだけじゃないのに。

目の前にいるこいつは、本当は人の痛みに敏感で、聡く、そして優しい。

痛みに敏感で愛情深く無ければそもそも父の敵討ちなどしないだろう。ましてや最強のリンクスに敵討ちなんて通常の神経ではできない。

壊されたのだ。時代に、戦争に。そして壊れたものはもう戻らない。

 

「えぐっ…、!」

少女のように泣きじゃくるセレンの涙をそっと指で拭い頬に手を当ててくる。

やはりまだ大分辛そうな顔にある、二つの眼が語っている。

『痛いか?』と。

 

「痛くなんか…痛くなんか、ないよ…ガロア…」

 

「……」

理由は分からないが泣きじゃくるセレンの涙を拭いつつ治療を続けるガロア。

彼が自分達の元に届いたもう一通のメールに気が付くことはとうとう無かった。

 



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作戦開始

「久しぶりの再会はどうだった、ジュリアス」

いつの間にか後ろで壁にもたれて腕を組むジュリアス・エメリーにメルツェルは声をかける。

 

「…別に…。何も面白いことも無く終わったよ」

大したことなどないように語る彼女だが、今日彼女は地上に存在するあらゆる施設の中でも最重要の施設のうちの一つ、アルテリア・カーパルスを制圧していた。

だが、大したことではなかったという感想は本物でありそれは彼女の強さに他ならない。

 

くるりくるとうねる西洋の魔女のような黒髪を肩まで伸ばし目の下、口元と覆う様な髪はどう見ても明るい雰囲気は演出していない。

真っ赤なバラのような色をした唇を微かに緩く下方に曲げ、大きなネコ目も細めて憂い気な表情をしている彼女はまともな格好や表情を繕えばきっと美人なのであろうが、

その姿はそう思われるのを拒否しているかのようだった。

そしてその表情はいつもよりやや暗いことにメルツェルは気が付いていたが何か言いだす前に言葉を口にした。

 

「トーティエントを増援に出したのはお前だろう。余計な事を」

 

「まあそう言うな。彼を知り己を知れば百戦殆うからず、と言うだろう」

 

「それは私が負けるという意味か」

 

「勝負に絶対はあるまい?ジュリアス・エメリー」

 

「…ふん」

 

「くくっ…だがお前の言うガロア・A・ヴェデットという小僧は来なかったぞ。ジェラルドと…ダリオとかいうガキだ」

ガロアとランク11のダリオを子供扱いして話す四十路ほどの男の名前はトーティエント。ジュリアスとジェラルドとの戦いを陰から見ていたダリオ・エンピオを撃破したのはこの男だ。

かつてカラードでもランク一桁にいた強者であり、自分と敵の強さを理解する賢さも持っている。

自分を知る、つまり自分の体調までも。

超近距離戦向けの攻撃的機体・グレイグルームを操る彼の身は通常よりも遥かに速くコジマに蝕まれ既にボロボロ。

実のところまだ30半ばにも達していないほどの年齢なのだが、こけた頬に目の下の隈、カサカサの唇に薄くなった髪からは正しい年齢が判断できない。

コジマに汚染される速度も症状も人それぞれなのだが彼はその中でも特に酷い方だった。

 

「だが、その日のどのミッションにも出ていないことは確認しているのだったろう?案外寝込んでたりしてメールも読んでくれてないのかもしれんよ」

ははは、と軽い声で笑う好々爺は白髪に深い皺と丸く出たお腹、やや弛んだ目元といい歳を食っているのは間違いないだろうが、

少なくとも見た目の上では表情や雰囲気などからトーティエントとそこまで変わらない年齢のようにも見えてしまう。

笑顔はそれだけで人を若々しく見せるのだろうか。

そしてその後ろからその10倍は大きな笑い声が響く。

 

「ハーッ!!あっはっはっはっ!!あのラブコールが無視されてんのか!わざわざかっこよくテルミドールがボイスまでつけたのによ!だぁーっはっははは!!」

 

(暑苦しい…)

と、ジュリアスがストローでコーヒーを飲みながらさりげなく目を逸らしたその男の名はヴァオー。

ぴっちりとした黒シャツにはこれ見よがしに筋肉が浮かんでおり、迷彩柄の長ズボンの下がどのようなのかは想像に難くない。

黒光りした顔で白い歯をむき出しながらジュリアスでは決してできない角度で口を曲げて笑っており髪の一本もない頭に光が反射している。

 

「ハッハー!!」

腰に手を当てたままぴくぴくと胸筋を動かし誰となく見せつけるその容姿はジュリアスの好みと完全な真逆であった。

一緒の組織にいなかったら目を合わせることだってしなかったはずだ。

ジュリアスの好みのタイプの男は金髪青目で背筋は真っ直ぐとしてハンサムな王子様のような男なのだ…とは誰にも言っていない。

 

「…来なかったのならそれでも構わん。次の作戦からハリも参加する」

 

「テルミドール…!ウルナはどうした」

先じてメルツェルとその時に一緒にいたヴァオーにだけは顔を見せていたテルミドールだったがその他のメンバーには声すらかけていなかった。

 

「PQに任せた」

 

「やあ、どうもどうも」

悪びれなく眼鏡のずれを直しつつ片手をあげ軽快に挨拶をするPQ。

 

「貴様…」

勝手な行動をしORCAの存在を世間にちらつかせしかも戦力の一つまで失ったPQの行動はジュリアスだけでなく、

どのメンバーからしても容認しがたい物であったが、貴重な戦力を、しかもネクストをそれだけで失うのはあまりにも痛かった。

 

「長らく待たせたな…。最悪の反動勢力、ORCA旅団のお披露目だ。諸君、派手にいこう…。始まりだ…!」

声こそ上がらぬものの色めき立つ室内。

 

「……」

その中でただ一人、爬虫類のように体温を変化させず、周囲にさして興味を示さず煙草を吸う男が一人。

そこに声をかけるのは今の今までこの男と同様に黙りこくっていたもう一人の男だった。

 

「…勝手な真似はするな」

隙の無い歩み、自然と圧のある声、鷹のような眼光。

短く、しかしその内の闘気により立つかのような獅子のような髪。

こけているのではなく一切の贅肉を削ぎ落したうえで細った頬。

左腰には相当な業物であることが伺える日本刀が帯刀されている。

その顔を斜めに横切るようについた傷はかなり古い物だということがわかる。

真改はこの部屋でただ一人、部屋の隅で煙草を吸う男の空気の違いに気が付いていた。

 

「……」

誰となれ合うことも無く、

輪にも混じることなく一人で佇んでいるのはこの男の常だったのだが、

真改はほんの少しの混じり気、嫌な予感を敏感に察知していた。

いたが、何もしていないのに自分の一存で押さえつける訳にもいかない。

聞いているのか聞いていないのかもわからないこの男の態度も普段の通りであり、その不安を説明できるものは何一つないからだ。

結局一言言う以外には何もできず真改はその場を離れる。

 

 

「……」

ジジジと音を立てながら吸い上げ、白煙を吐き出す。

 

「……」

 

「……」

 

(……)

 

(……懐かしい…。楽しい再会になりそうだなぁ…………)

オールドキングはこの日久々に心からの笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

暗雲と不自然な光が織姫と彦星の逢瀬を絶つ七月七日。

一年に一度だけの二人の時間は悲しくも引き裂かれその声すら届くことは無い。

心が通じ合っているから、遠くにいても寂しくないなんて話は綺麗事で、

心が通じ合っているからこそ何度だって言葉を交わし抱き合いたい。

そんな二人の願いは世界の力にいとも容易くねじ切られる。

 

 

「……」

 

「もう痛まない?そんなはずないだろう。ゆっくり休んでくれ…」

まだ包帯も取れていないガロアが椅子に座り痛くないと伝えてくるが、だったら行動の端々に苦しい顔をしないでほしい。

本当ならベッドに叩き込んで縛りつけてやりたいところだが、何を焦っているのか諌めても直ぐに動き出し冬眠前の熊のように部屋をうろうろとしている。

 

世間では同時多発した史上最大規模のテロだとか騒がれているが知ったことではない。

いや、むしろそんなヤマには今のガロアを絶対に巻き込まないでほしい。

もう分かっている。そんな事を知ればこいつはすぐに戦いの場に飛び込んで行ってしまう。

関係のない事だろう、と説得しても無駄という事も。

とにかく放っておいてほしかったので煙を上げるゴミになったコンピューターはゴミの日にゴミ捨て場に放り込み(ちなみに捨て方は間違っているのは言うまでもない)、

半ば強制的にガロアを家に閉じ込めている。

 

(しかし…)

 

「……」

この焦燥感の溢れる表情。

長い間体を鍛えれてないとか、訓練をしていないとかそういう類の物ではないのだろう。

きっと感じ取っているのだ。

その恐ろしいまでに鋭い直感で今の世界の動きを。

 

ピンポーン、とからっとぼけた音がセレンの暗い心を砕くように部屋に響いた。

 

「……」

 

「…待っていろ」

恐らく自分とガロアが想像したことは一致している。

先日の擦過傷と切り傷で未だに赤らむガーゼと包帯のついた右手を腰にやり、「それ」を確かめながら玄関の扉を開く。

 

「ミッションが…」

オーメルのミッション仲介人の眼鏡男が要件を言うより速く左手でネクタイを掴み上げ、足払いをしひねり上げる。

 

「よく来た…よく来たよ…えぇ?」

 

「ク、クレイドルが…」

 

「黙れ…」

腰に差していた今時珍しい回転式の拳銃を取り出し額に押し当てる。

 

「ひっ」

 

「ぶち撒くぞ…脳漿…自分達でどうにかしろ…私のリンクスが怪我をしていることもその具合も貴様らが一番知っているだろうが…」

蒼い眼にありったけの怒りを込めて睨み、誰もが美人と評する顔を歪みに歪め桜色の唇から腹の底に響くような言葉をひねり出す。

 

「そ…それでも貴方がたの力が必要なのです」

 

「勘違いするなよ貴様…お前らにあるのは依頼する相手を選ぶ権利、私たちにあるのは受けるか決める権利だ」

撃鉄に指をかけコキリ、と音を立てながら親指を引き発射準備をする。包帯にほんのり血がにじむ。

 

「う、撃っても構いません!一億人の命がかかっているのです!」

 

「何?」

ピクリと気配が緩んだのを感じたのか一気に捲し立てるかのように口を動かす。

 

「今世間を騒がせているテロ集団のメンバーが僚機を複数連れてクレイドル03に向かっているのです!お願いします、もう時間が無い!

その中にいるネクストを倒せるほどの戦力は今日全て出払ってしまっているのです!無理は承知しています!それでも!」

 

「そんな危険な相手を大けがしているガロアに任せるというのか…?いい度胸だ貴様…、!」

 

「……」

 

「ガロア…」

肩に手を置かれ振り返る。

ああ、今自分はきっと情けない表情をしているのだろう。

あふれ出る感情が抑えきれない。

 

「……」

 

「……分かってる。分かってるよ…いい、もういい。行っていい。行け…。だけど、一つだけ約束してくれ」

こうなったらもう誰にも止められない。

波紋の浮かぶ眼が透明な炎を宿している。

 

「絶対に死なないって」

 

「……」

こくりと頷き上着を羽織って外へ向かうその背中を見つめている今の感情は何?

悲しみ?悔しさ?

なんだっていい。

結局、こうなったら自分に出来ることは一つだけ。

死なないように精一杯サポートするだけだ。

 

 

 

 

 

 

「………」

曇り空の地上では見えなくてもここからならはっきり見える、ミルキーウェイ。

地上で曇っていたら逢えないんだっけか。

…それでも、一年に一回でも逢えるチャンスがあるのならば幸せなことなのだろう。

 

「……」

喜怒哀楽、どの表情にも当てはまらぬその表情、虚無。

目の前で行われている大量殺戮を見てもピクリとも心が動かない。

 

「…アイムシンカー…トゥートゥー、トゥートゥトゥー…アイムシンカー…」

どこかで聞き覚えの合ったうろ覚えの曲を口ずさむ。

一人部屋で煙草を吸っているときも、

クレイドルのエンジンに穴を空けているときでも変わらない、一繋がりの心。

うつろ。

 

 

 

『ロランはどこへ行きたいの?』

 

『君と一緒なら、どこへでも』

 

「……」

 

『ロランはこの世界が好き?』

 

『君がいるから、好きだ』

 

「……」

 

うつろ。

 

 

 

 

 




どうでもいい話かもしれませんが、自分はこの作品の中でジュリアスとジェラルドの関係が一番好きです。
そのうち二人の過去もやるので待て、過去編。

ちなみにこの後アディはセレンにぼこぼこにされました。

ガロアに締め上げられセレンにタコ殴りにされて…散々ですね。
もうこのコンビには関わらない方がいいんじゃないかな…


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オールドキングの生まれた日

「私、ロランが好き」

 

「え……」

 

CE7年。

国家解体戦争以後にリンクスとなりNo.29を授かり、

その後も世界最強の兵器の名に恥じぬ活躍を見せながらもさしたる興奮も感慨もない日々を過ごしていたロラン・アンドレヴィッチ・オレニコフは人生最大の衝撃に直面していた。

 

「待ってくれ…俺は…その、何もない…つまらない男だ」

イクバールの所有する通常兵器開発工場の暗い倉庫に突然呼び出され、愛の告白。

 

「そんなことないわ。ストイックで、強くて、でもひけらかすこともせずに黙々と仕事をこなして。素敵だと思うわ」

 

「エリザベス…でも、君が俺を好きになる理由が分からないんだ…」

 

「好きになることに理由が必要?あなたが私に必ず挨拶をして、時々話しかけてくれた。それだけで十分よ」

 

「でも、でも、その…」

 

「他の女性にはそんなことしないのにね」

 

「うぅ……」

未だ醒めぬ驚きと喜びの渦中で気づかれていた、という事実に顔が赤くなるのを感じる。

 

「ずっと私を見ていたよね。他の人に紛れて。気が付かないと思った?」

 

「あ、あぁ…その…それは…君が…あんまりにも…」

綺麗だったから、という言葉は口の中でもごもごという音になり外に出ない。

生まれて27年、女性と付き合ったことはおろか5分以上話したことすらない自分にどうしてそのような言葉が口に出せようか。

被っていた帽子のつばをつまみ深くかぶって俯くが、彼女がおよそ160cmなのに対し自分は182cm。

赤い顔ももごもごやってる口も全部見られているんだろう。

 

「でも、お互い様ね」

 

「…え?」

 

「私もあなたの事をずっと見ていたから」

 

「え?え?」

知らなかった知らなかったそんなこと。

そちらを振り向けば目が合う機会が何度もあったという事か。

 

「私も相当だし…このまま待ってても何も進まないだろうから、私から言っちゃった」

 

「う、うぅ…俺も…俺も君が好きだ…エリザベス…でも、君は若いし周りにもっといい男が…」

 

「そうやって今まで自分の感情も言いたいことも言わずに過ごしてきたの…?それに、若いって言ってもあなたと四つしか変わらないわ。おじさんみたいなこと言わないで」

 

「す、すまない…」

癖のようにまた帽子のつばを掴み顔を隠す。

そんな癖は自分にはないのだが。

 

「んんー…じゃあ、ひとつわがまま言っていい?」

 

「え、は、え…」

からかうような笑みを浮かべてはいたが、なんとなく悪いことは言われないそんな気がした。

 

「抱きしめてほしいの」

その言葉だけで鼻につんとした衝撃が駆け抜けて腰が砕けそうになった。

俺、童貞なんだって。死ぬからやめてくれ。

 

「私も勇気を出したんだから、ね。そっちから…」

薄暗い倉庫だが彼女が両手をこちらに向けて広げているのがわかる。

 

「……あぁ」

いかなる戦闘でも冷や汗すらかかなかった自分が震えている。

もう、どうとでもなれと歩み寄り抱き寄せる。

 

「……」

 

「……」

いい香りだ。それに柔らかい。

ごつごつした自分の身体とは大違いだ。

それに…それに…頭に霞がかかる。

何時間も運動したかのように熱い。

喉がカラカラだ。

 

(俺は…誰かにこうされたこともこうしたこともない…)

誰の人生にだって普通にある筈の愛しいものへの抱擁というものをロランは今日、初めて味わっていた。

 

「…震えてる。好意を受けるのは怖い?」

 

「いや…、あぁ…そうなんだ…それに、人を抱きしめるなんて初めてで…」

呟くように答えるが、そうなのか?

そんな難しいこと考えたことない。

 

「私も抱きしめられるなんて初めてよ…素敵…あなたに包まれているみたい」

むさい男の多いイクバールの、ことさらむさい倉庫で日が暮れてからこんな展開が起こっているなんて誰も想像しないだろう。

 

「……ああ…。今日は…もう遅いから…」

数に限りがあるわけでもないのにその感触を楽しむのが急にもったいないような気がして引き離してしまう。

 

「…遅いから、送ってよね?」

 

「…あぁ、うん…」

 

エリザベス・ウォルポールはイクバールに所属する若いメカニックだった。

金色の髪、透けるような白い肌。

少々幼い顔つきに常にはにかんでいるかのような唇と大きな目とエメラルドの瞳に長いまつ毛。

柔らかなラインを描く身体。

童話に出る、若く好奇心旺盛なお姫様が飛び出してきたかのような女性で、

男臭いイクバールの特に男臭い機械だらけの工場で彼女は正に一輪の花であり、他にも数は少ないがいるにはいた女性と一線を画す美しさによってそこにいる男は誰もが彼女の性格と容姿に惹かれていた。

ロランも当然その一人ではあったものの、最初からそんな幸せはあり得ないとどこか線を引いており、

熱いアピールを捧げる男どもからは一歩、いや、五歩ほど引いて見ているだけであった。

そんな自分にこんな幸せが突然降ってくるなんて今でも信じられなかった。

 

色気のかけらもないジープをがたんごとん運転しながら彼女に示された道をたどりその家へ。

 

「ありがと。…また明日ね」

 

「…ああ。…また、明日」

くるりとスカートを翻してアパートの二階へと向かう彼女の背中を見送りながら考える。

 

(あの道は…どう考えても遠回りだったな…)

エリザベスが指し示す道を右へ左へ、正しく右往左往とジープをぷすんぷすん言わせながら走らせここまで来たが、方向感覚には結構自信があるからわかる。

もっと早く、半分くらいの時間でここまでこれたはずだ。

 

(なんで………。…俺と一緒にいたかったから…か?)

むむむ、とにやけそうな口元を引き締め努めて心を落ち着かせながらエンジンをかけた。

 

二人がこんな関係になる運命だったというのならば、きっと二人が出会った日は世界で一番記念すべき日なのだと信じて疑わなかった。

 

 

 

「お肉が好きなの?」

 

「ん?…ああ…。特に考えたことも無かったが…そうだな、好物だ」

日曜日。

少し遠出して元ロシア連邦の首都、モスクワへ。

ロランのネクストが格納されており、エリザベスの職場でもあるイクバールの子会社、テクノクラートの工場から三時間ほどジープに乗りやってきたのだ。

 

ちなみにイクバールは南アジア、テクノクラートはロシア全土を支配している。

…となっているが国家解体戦争の折にロシアの主要都市を占領したのはサーダナ率いるバーラッド部隊とその時バーラッド部隊隊員であったロランであり、実質両地域ともイクバールの支配となっている。

テクノクラートにもオリジナルリンクスが一人いることにはいるのだが正直リンクスの中でもかなり戦力として数えがたく、その上自分勝手なので、

結局のところ支配を親企業であるイクバールに頼らざるを得なくなっているのがテクノクラートの泣き所である。

他企業と一線を画す兵器を作っている…と言えば聞こえはいいが、その方向性も今のところかなり怪しいものだ。

また、南アジアと国土面積一位であったロシアを実質支配しているイクバールだが、全企業の中で間違いなく最大のその支配地域を完全に掌握できているかと問われれば勿論そんなことは無く、

イクバール・テクノクラートの管理コロニー外でもかなりの人々が生活している。

 

とはいえ、それは寒さ厳しいタイガの森の中や、永久凍土の上でセイウチなどを狩りながら生活している人々等が大半で、元から国の庇護保障の類から外れていた自立している民族や部族ばかりであり、

そこに反逆の意志などが見られようはずもなく、両企業はそういった人々の支配は諦め広い国土に点々と住む彼らを放っていた。

 

「モスクワって寒いわね。いつもこうなのかしら?」

 

「いや…夏はそれなりに暑いんだが…冬だしな…」

エリザベスが切っては口にするサケのホイル焼きの皿から目を離し窓の外へ眼を向けると雪が降っていた。

 

「…後で車にチェーンを巻かないといけないな」

 

「手伝うわ。そういう機械いじりって好きなの」

と言うエリザベスの言葉はこちらに話を合わせているのではなく、メカニックの彼女としての本心なのだろう。

 

「…君はロシア出身じゃない…のか?気候の話もそうだが、名前も…」

 

「うん、そう。私はイングランド出身なの」

 

「…どうしてこっちへ?」

 

「どうして…かぁ。そういえばそんなに深く考えたことなかったかなぁ。少し長くなるかも」

 

「…聞きたいんだ」

 

「そうね…。イギリスの名家、ウォルポール家の一人娘として政府官僚の父母の間に生まれた私はしっかりとした教育を受け、

政治家になるはずだったのが機械への興味が強くなってしまい大学の機械工学科へ進学…。ローゼンタールとイクバール、迷ったけどイクバールに就職することにしたのでした」

 

「…あまり長くないんじゃないか?」

ぽつりと感想を言うロランだが、今一度エリザベスをまじまじと眺めてみるとなるほど、名家のお嬢様のような気品がある…気がする。

少なくとも童話の中から飛び出してきたお姫様という印象は全くのはずれではなかったようだ。

 

「一息で私の半生語り終えちゃった」

 

「どうしてイクバールに?…両親は何も言ってこないのか?一人娘を閉鎖的なロシアに送るなんてことは…」

 

「もうロシアは無いけどね。ローゼンタールのデザインも好きだったけど、イクバールの作るノーマルやネクストの方が曲線的で綺麗じゃない?だからかな?

…両親は七年前、私が高校生の時に死んだわ…。国家解体戦争に巻き込まれて。政府の官僚だったって言ったでしょ?」

 

「す、すまない…」

 

「いいの。悲しいことだけど、世界最大の価値観転覆にしては死人がほとんどいないと言っていいくらいなんだから。…あなたは?」

 

「俺…?」

 

「そう。あなたの過去。私だって知りたいわ。あなたがどうしてここにいるのかを」

 

「つまらないと思う…」

 

「いいからいいから」

白い歯をちらりと見せるその笑顔につい帽子のつばをつまんで顔を隠したくなったが、しまった。

食事中だから帽子を被っていなかったんだ。

 

「…オレニコフ家は代々軍人の…いや、戦う男の家系だったんだ。俺は父アンドレイの子、次男として生まれた」

 

「お兄さんがいるの?」

 

「ああ…だが、もう十年以上口をきいていない」

 

「え?」

 

恵まれた環境、厳しくも理解ある両親の元で育ったのであろう彼女にはそんな不和は理解できないのだろうか。

怪訝な顔をしてこちらを見てくる。

 

「…お袋は俺を産んだ時に死んだ。早産の上、物凄い難産でな、まるでこの世に産まれてくることを拒んでいるかのようだったと聞かされている」

 

「……?」

 

「…親父はお袋の命を奪って生まれた俺の事を許さなかった。およそ愛情を受けた覚えはない。…ただ厳しく躾けられ育てられた」

 

「で、でも、厳しくするのが愛情だったってことも…」

 

「…ああ、そうなのかもしれない。…でももう分からない」

 

「どうして…?」

 

「親父ももう死んでいる。戦場で生き、戦場で死ぬ、という家訓通りに七年前の国家解体戦争で国の方についてな。…皮肉なことだが、親父の駆るノーマルを討ち取ったのはバーラッド部隊だった」

 

「そんな…!」

 

「…話を続けよう。…親父の態度が兄にも伝わっていたのだろう。子供は親の真似をして育つものだからな。兄も俺を邪険に扱うようになっていた。

…そして、このことがますます親父と兄を苛立たせたのだろうが、俺は何をやっても兄よりうまくできたんだ。…でもそれは俺のせいじゃない。別にやりたくてやっているわけでもなかったんだ…」

 

「ロラン…」

 

「…長男が家を継ぐことがオレニコフ家の決まりだったからな。兄が見合いで妻を娶り、いよいよ家に居場所が無くなったと感じた俺は家を飛び出した。…11年前の話だ」

 

「……」

 

「…イクバールの私兵として入隊した。飛び出したはいいが、俺は戦い以外に生きる術を知らなかったからだ。同期に…年は上だったがアジェイ…いや、サーダナがいた。

大学と大学院で数学を修めたと言っていたが、今考えてみれば…意味がわからん」

 

「…サーダナ様と!?へー…」

イクバールの魔術師の異名を持つ最高のリンクスの一人、サーダナ。

同じリンクスであるロランが知り合いなのは納得だがそんな前から知り合いだったのは驚きだ。

 

「奴は相当に変わり者だった。怪しげな人体実験と言ってもいいような物も嬉々として志願し受け、リンクスとなり…何よりも部隊でも孤立していた俺の友となったのが特に変わっていたな」

 

「……」

 

「全く不思議な事だが、お世辞にも戦闘向きとは言えない体格だったのに、ノーマルに乗った途端奴は人後に落ちることはまずなかった。

…作戦立案なども意表をついているようで理路整然としていて、訓練でも自分に厳しかった。…そんな奴がバーラッド部隊の隊長となるのは不思議じゃない…ようで不思議だ」

 

「確かに戦いに向いている、って感じじゃないよね。ひょろーんとしてて肉が付いていないというか…でも不思議って?強くて自分に厳しいなら隊長の資格十分なんじゃない?」

 

「…資格の面で見ればそうだ。自分にも他人にも厳しく、不言実行…、だが、奴は人がとにかく嫌いなんだ。

普段はまず他人を寄せ付けないし、無駄口を利くことも無いし、とんでもない辺鄙な場所に住んでいる。…だからこそ俺の友なのかもしれない。…そんな奴が今、赤子を拾って育てているというのは…青天の霹靂だ」

 

「え!?知らなかった…。だから最近あんまりイクバールのどこにも顔を出さないのかしら」

イクバールの最高戦力、それもリンクスナンバー2、ともなれば簡単なミッションには参加しないだろうし、我儘も言えるのだろうがまさかそんな理由だったとはエリザベスは全く想像もつかなかった。

 

「…俺がイクバールに入り、バーラッド部隊の所属となって三年、奴からリンクス適性検査を受けてみろと勧められた。…正直、昇進にも名誉にも興味が無かったんだが、

友の提案を無下にはできなかった。…そして俺には素質があったんだ。そうしてリンクスとしてやってきて今に至る…これぐらいか」

その才能の少しでも兄の方に行っていれば少しは家族との関係も変わったのだろうか、と思うことは何度もあった。

勉学も自分の方が出来てしまう、背も自分の方が10cm以上高く筋肉もついている。およそ才能と呼ぶべき物に愛されてきたが、それに関して自分が幸福だと思ったことはなかった。

 

「へー…」

というエリザベスの顔はにこにこと…いや、これはにやにやという表現の方が合うのだろうか。

 

「ど、どうしたんだ」

 

「あなたの人生を聞きたいな、って言ったのに半分以上はサーダナ様のお話なのね」

 

「あっ、む…、いや、これは…」

何故そんなに慌てるんだ、と自分でも思うぐらいに挙動不審に手を動かし空を切る。

 

「いいのいいの。人は人と関わって出来ていくものなんだから…よかったね…お友達が出来て」

 

「…む…。君は…友人は?」

 

「…そつなく、荒立てず、人付き合いをこなしてきたけどこれといった友人はいないわ」

 

「…馬鹿な…。君の周りにはいつも人がいるじゃないか」

いつも五歩ほど引いて彼女を見てきたからわかる。

いつだって彼女の周りには人がいて、そんな中で彼女は完璧な笑顔を植物に与える純麗な水のように振りまいてきた。

 

「…大学生までは女の子の…友達って呼べる子もいたわ。でも、ドライなモノね。大学に行ってからは連絡すら取らなくなっちゃった。

男性は環境に慣れようとするけど女性は環境を作ろうとするの。…私は彼女達の環境には望ましくない存在だったのかもね」

 

「……?…すまない、よくわからないんだが…」

 

「…わからなくていいわ。そのままのロランでいいの。…そう、でもあなたの言う通り。大学の機械工学科に入ってから…女性がほとんどいなくて、

関わるのは男性だけになったわ。…私が右に行けば右に。左に行けば左に。耳触りのいい言葉を投げかけてくるけど、彼らは一体私の何を見ていたの?

何もしていない私にその言葉をかけて、他の女性にその言葉をあげない理由は何?…そう考えたとき、答は容姿しかなかった…。見ただけでわかることなんて、見た目しかないんだもの。

…ごめんなさい…私、傲慢よね…」

 

「その…」

言えない。自分も最初は彼女の容姿に惹かれていたなんて。

食べ終えた肉の乗っていた皿で顔を隠したい。

 

「去年、イクバールに入社して、私たちがいる場所に配属されても結局状況は同じだったわ。うんざりだったの。私の中を見てくれる人はいないのかって。ありきたりだけど思っていたわ」

 

「……」

 

「あなたもその中の一人だった」

 

「う…」

返す言葉もない。

ここで上手い言い訳も出来ない自分にどうして彼女は好意を寄せて…つまり、一般的に言うところのデートなどに付き合ってくれているのだろうか。

 

「でもね、他の人と違うところがあったわ」

 

「……?」

 

「サーダナ様を除いて敵う人がいない程のリンクスで、間違いなくあそこにいる中では一番の出世頭…いや、あんなところにいるのがおかしいくらいの人だったのに、

そういうことを嵩にかけて口説いてこなかった。みんな私を褒めちぎって、自分を大きく見せようとするのに」

 

(自分に自信がなかっただけなんだよ、エリザベス。俺はそんな大それたことが出来るような人間じゃないんだ)

 

「挨拶だけは必ずしてくれて、時々は世間話もした。大雨なのに、いい天気だな、って言ってきたことあるよね」

 

「…そ、そうだったかな…」

話しかけるのにいっぱいいっぱいでそんなこと忘れていた。

 

「でも、それだけ。それ以外は遠巻きに私をちらってみて、それで終わり。…ずっと考えていたの。あの人はなんで凄い人なのにひけらかさないんだろう。

私だけじゃなくて、それ以外の誰にも自慢することなく、私にそれ以上踏み込むことなく…でも会ったら必ず挨拶をしてくれて」

 

「……」

 

「あぁ、あの人。また私にだけ挨拶して行っちゃった…って。人との付き合い方が、距離の取り方が上手くないのかなって。好意を持っていてもそれを上手く見せる方法を知らないのかなって。

色々考えているうちに、あなたを目で追うようになっていた。明日も声をかけてくるのかな、って。…気が付いたら、いつも考えるようになっていて…好きになっていた。…簡単な女ね」

 

「…そんなこと…その…」

 

「でもね、甘い言葉を吐いて、好意を飾りたてて、自分の欲望をまるで私の為の物のように見せる…小慣れた男性よりも、遠巻きに見ているだけのその不器用さが綺麗で清潔に見えたの」

 

「…あ、ありがとう…」

貶されているワケでは…いや、むしろ褒められている…のだろうか。

とりあえず自分の顔が赤くなっていることは間違いない。

 

「さ、外に行こう?まだまだ日が暮れるまで時間があるじゃない。雪でもなんでもずっとここでおしゃべりしているのはもったいないわ」

 

「…ああ」

席を立ち、伝票を持ってレジに向かう。

 

「待って。折半でしょ?似合わないことしないで?」

 

「い、いや…それに俺の方が食べたから…」

さらに言えば決して女性に奢ろうなどという気の利いた考えからではなく、

レストランに誰かと来たことなどないロランはいつも通り伝票を持っていつも通り払おうとしただけなのだ。

 

「いいからいいから。ね?」

 

「…ああ…すまない」

 

 

 

店を出て目の前を駆けていくエリザベス。

茶色いブーツから軽快な音を立て、黒いストッキングを隠す厚手の黒いチェックのワンピースをひらめかせコートを片手に走る彼女はただただ素敵で…

 

(走る…?どこへ?)

反応が浅瀬に寄せる波よりもゆったりと遅れるロランをよそにエリザベスは雑貨店に入り何かを手にして出てきた。

 

「これ…傘」

 

「…あ…そうか…雪…」

 

「はい!」

はい、と傘を差しだしてくるエリザベスだが、

帽子を被ってる自分よりも金髪を雪に濡らす彼女の方がよほど必要なのではないか。

 

「俺は…帽子を被っているから…」

 

「唐変木!」

 

「は?え?」

 

 

その存在は知っていた。

まさか自分がそれをやることになるなんて。

 

「……」

骨董品のブリキのおもちゃのようにカタカタ歩く自分の右手には傘、左腕にはエリザベスが腕を絡めている。

 

「うっ、つ、次はどこへ行くんだ…」

 

「うーむ…次はあそこのブティックに吶喊しましょう、ロラン曹長」

顎を突き出ししかめっ面をし、努めて渋い声を出すエリザベス。

 

「むむむっ…」

そのあんまりにも似合っていない姿に思わずにやける顔を引き締める。

 

 

と、言うからには自分の服を見るモノだと思っていたのだが。

 

「ほら…かっこいいよ…いっつも同じ格好だもんね。折角背も高いんだし、もう少し自分に興味持ちなさいな」

 

「…、…あ」

姿見に映るその姿は、ブラウンのブーツに紺色のジーンズ、ベージュのタートルネックに灰色のPコートを合わせ、

少々たれ目で三白眼だが、ロシア人男性らしい白い肌に茶髪がよく似合うどこに出しても恥ずかしくない美青年だった。

 

「今度ぼさぼさの髪も切りに行こうね。普段はどうしてるの?」

 

「…自分で…」

 

「はぁ…。あそこにも美容室くらいあるんだから、ね?」

 

「あ、ああ…」

 

結局自分の服を見繕うだけでブティックから出る。

こんな美人とデートしていることもそうだが、自分がこんな親切を受けている事が信じられない。

呆然自失と言った様子で相合傘で歩く二人の前で、走り回っていた五歳くらいの男の子が突然滑って転んだ。

 

「あ!」

 

「…あ…。だ、大丈夫か…」

 

「ううぅ…わあぁん!!ええぇん!…いぃぃい!」

慌てて駆け寄るがその子は冬の格好をしている為一見どこを怪我しているかがわからない。

 

「泣かないでくれ…どこが痛いんだ…お、親はどこだ…」

おろおろとするロランの前で子供はますます大声をあげて泣き出す。

 

「ほらほら、男の子なんだから泣かないの。飴食べる?」

 

「うう……うん…グスッ」

火のついたように泣いていた子供はエリザベスが頭を撫でながら飴を差し出すとゆっくりと泣き止む。

 

「お家は?」

 

「…あっち…」

 

「そう。滑るからあんまり走っちゃダメだよ?ね?」

 

「うん…飴もう一個ちょうだい?」

 

「いいよ…ほら。もう痛くない?」

ただおろおろとしていた自分と違ってエリザベスが相手しただけであっという間に泣き止んであろうことか笑顔すら浮かぶ。

 

「うわ!ありがとうお姉ちゃん!アンナにもこの飴あげるんだ!」

走っちゃダメ、という言葉の20秒も経っていないというのに走って行ってしまう子供。

 

「……」

ぽかん、としているだけの自分に声をかけてくるエリザベスへの反応が五秒は遅れた。

 

「ねぇ。ねぇってば」

 

「え、ああ。…え?」

 

「子供は好き?」

いつの間にか自分の隣にいるエリザベスがそんなことを尋ねてくる。

何の気もなしに聞いているようで重要な事を聞いている気配が出ている。

…が、不器用そのもののロランは気の利いた答えなど出せずに結局正直に答えてしまう。

 

「いや…苦手だ…と思う」

 

「どうして?」

 

「…笑顔を作るのが苦手だからだ」

 

「ふーん…。笑顔って作るものでもないと思うけど。ちょっと笑ってみてよ」

 

「…え?いや、何?」

 

「ほら、笑って笑って」

 

「よ、よし…」

一般人が三階から飛び降りるぐらいの勇気を使って笑顔を作ってみる。

 

ニ゙ッ!

 

「あはははははは!何それ!?顔面神経痛!?あはははは!」

 

「顔面神経痛…そうだな…」

実に言い得て妙な表現に柄にもなく落ち込むロラン。

 

「…あの、ごめんね?言い過ぎたわ」

 

「いや…いいんだ。それよりも…」

 

「なあに?」

 

「来週も、一緒に…どこかに行かないか」

家を飛び出した日以来の決断を以ての発言。

今日という日に太陽が昇ってからずっと考えていた言葉。

この言葉を言うためにどれだけ口をもごもごさせていたか。

 

にっ、と笑って答える彼女は今まで見た何よりも美しい。

 

「ロランはどこへ行きたいの?」

 

「君と一緒なら、どこへでも」

 

 

『……』

 

 

(…………………………………………)

 

 

「ねぇ、ロラン。恋が続く時間って知ってる?」

 

「あの…二年間までが恋愛感情という奴か…?」

 

「そう、それ。私たちが付き合ってもう何年?」

 

「二年と…半年」

 

「そして出会ってから三年以上!…今でも、ううん、あの頃よりもずっとあなたのことが好きよ、ロラン」

 

「俺もだ…リザ」

リザからの衝撃的な告白から二年半。

あの時と同じ場所同じ時間にロランはリザを呼び出していた。

 

「こんな暗がりで…私はどうされちゃうのかしら?」

 

「茶化さないでくれ…、リザ。…聞いてくれ」

 

「うん…」

 

びしりと踵を合わせて直立しているのは礼儀とか雰囲気とかではなく、ただただ緊張しているからだ。

 

「君と出会う前の俺はきっと生きていなかったんだ」

 

「感慨もなく、怒りも喜びも悲しみもない。ただ明日も心臓を動かすために戦って飯を食う…。それだけが俺の人生の全てだった」

 

「君と出会ってから全てが変わったんだ。景色に色が付いて、明日が来るのが楽しみで、今日を過ごして週末を迎えるのを喜んでいた」

 

「今でも笑うのは苦手だけど、君が俺を変えてくれたんだ。君が俺を生かしてくれた」

 

「この喜びはきっと…今この瞬間では伝えきれない。いや、明日明後日明々後日までかけても言い切れない」

 

「もし言い尽くすことが出来たとしても、俺は何度でも何度でもその喜びを君に伝えたいんだ。君と一緒なら不幸になっても構わない。結婚してくれ、リザ。残りの人生を俺と一緒に過ごしてほしい」

 

何百回と練習したその言葉をついに噛むことなく言い終え懐から指輪を取り出す。

この指輪にしたってリザの指の大きさをふとした時に覚えてからずっと記憶から消さずに、一カ月もかかって選んだものだ。

 

「…うん、ありがとう…。口下手なあなただからきっと一生懸命考えてくれたんでしょう?でもね…」

 

「……」

 

「不幸にはならないわ。こんな時代だけど、一緒に幸せになりましょう…ロラン」

そしてその左手の薬指にそっと指輪をはめる。

その感触をきっと自分は一生忘れないだろう。

 

「はっ…はは…」

思わず口からもれた声は喜びか。涙と共に感情が溢れてくる。

戦場でどんな強敵と相対しても何も感じないのに、情けない事に今の自分は腰が砕けて地面にへたり込んでしまっている。

 

「相変わらず笑顔が下手ね…。でも、よかった。二年半もあなた…私、てっきりあなたは魔法使いになりたいのかと思ってた」

 

「…イクバールの魔法使いはサーダナだけで十分だ」

 

「サーダナ様は魔術師じゃなかったかしら?…ロラン、抱きしめて」

 

「…ああ」

二年半前とは違いなめらかにその身体を自分の腕の中に迎え入れる。

しかし、その感触と喜びは二年半前と全く変わらない。

 

「…ふふ。寿退社、しちゃおうかな」

 

「へ!?リザ、折角機械のそばにいれるのに…」

 

「それよりもあなたの傍にいて、家からあなたを送り出して、あなたを待ちたいわ。…機械よりあなたのことを愛しているんですもの」

 

「あ、ああ…」

 

「家、買いに行きましょう?」

 

「ああ、そうだな…」

 

この瞬間を閉じ込めてしまいたいと何度思ったことか。

だが、それ以上に光る日々がこれからもあるのならば、閉じ込めて眺めるのではなく先に進もう。

 

 

 

次の日リザは辞職届を出した。

付き合っていることをサーダナ以外に言っていなかった為、突然の退職に職場の男の誰もが驚いていた。

彼女の薬指に光る物に気が付いたとき、思わず涙する男も一人や二人ではなかった。

 

…そして誰も俺の薬指の指輪には気が付かなかった。

 

結婚式は開かなかった。

二人とも特に友人も多くなく、サーダナを呼んでも素晴らしい祝辞が貰えるとは想像も出来なかったからだ。

その代り週末にはすぐに土地と家を買いに行った。

幸せの絶頂だった。

 

 

…幸せの、絶頂だった。

 

 

「ここにしよう!」

 

「…何もないぞ」

モンゴルとロシアの元国境線を跨ぐアルタイ山脈の麓。

アネモネやポピー、サクラソウなどが辺り一面に咲く花々と木々の中に開けた土地にぽっかりと土だけの場所があり、そこを指さすリザ。

 

「ここで家を作って、お花畑を作って…戦いから帰ってくるあなたを待つわ」

花畑の中でチェックのスカートを翻す、白いブラウスがよく似合う彼女はここに咲くどんな花よりも美しい。

まるで一つの絵画のように完成された風景だ。

…練習もしていないのにこんな言葉は言えないが、と鼻の下を伸ばしながら考えていた。

 

「わかった…。そうしよう。この近くにもイクバールの基地はある。そこにネクストもろとも移ろう」

近くと言っても広いロシア、車で3時間近くかかるが仕事とリザのこと以外に時間の使い道を知らない自分にとってはその程度は構わない。

 

イクバールの子会社の子会社の子会社の建築会社に連絡を取りそこに二人で考えた家を注文する。

プロポーズからわずか一週間、少々急ぎすぎのようにも思えたが、二人の生活を想像すると気を落ち着けてゆっくりとなんていうことは自分もリザも到底できなかった。

 

 

 

(…………………………………)

 

さらに一年と半年。

二人での生活も慣れ、リザの料理がこの世のどんなものよりも美味いと思えるようになり、二人で想像した花畑が脳内の光景に負けない程美しく壮麗になったある日。

結婚後、遠慮していたのか、気後れしていたのか、あまり連絡を取らなくなっていたサーダナから突然通信機器にコールが入った。

 

「どうした…」

 

『折り入って頼みがあるんだが』

 

「……?」

久々の友の声は気のせいか少し慌てているような気がした。

 

『実は明後日から一週間、私の息子の面倒を見てほしいんだ。どうしても外せないミッションが入ってしまった』

 

「…あ?そんなもの、いつもみたいに霞に任せればいいだろう?」

自分が言えたことではないが極端に友人の少ないサーダナだが、霞スミカというリンクスの知り合いがいたはずだ。

仕事の時はいつも預かってもらっていると言っていたのは気のせいではないはずだ。何故企業も違う…どころか女も人間も嫌いだったサーダナにそんな知り合いがいたのか分からないが。

 

『もうそこまで連れていく時間が無いんだ、頼む。私の家の位置情報を送る』

 

「待て、俺にも仕事があるんだぞ」

話がかみ合っていない…が、そういえばサーダナとの会話はかみ合うことの方が珍しかった。

 

『大丈夫だ。明日から5日間の有休を申請してあるから安心してくれ』

 

「お、おい…勝手に…お、俺が子供の面倒を見られるような奴だと思うのか」

何て奴だ。こんなとこで自分の地位の特権をフル活用して。

 

『その内お前も子供の面倒を見るようになるだろう。予行練習しておけ』

 

「そういう…」

 

『名前はガロア。賢い子だ。もうトイレも風呂も一人で大丈夫だし大抵のことは全部一人で出来る。手は煩わせん。飯だけ都合立ててやってくれ。

とりあえず三日分のシチューを用意しておくから温めれば食べられる』

 

「ちょ、ちょっと待…」

 

『では頼んだぞ』

 

「…あ…」

久しぶりの友との会話はほぼ一方通行で終わってしまった。なんだなんだ。

…もう少し話してもいいじゃないか。

 

「どうしたの?」

キッチンから料理の匂いと共にリザの声が聞こえてくる。

 

「…サーダナから子供の面倒を見てくれと頼まれた」

 

「へぇ、いいじゃない。行ってきなさいな。それにサーダナ様が育てている子…気にならない?」

 

「それは…そうだが…五日間は留守になる…」

 

「それはちょっと寂しい…かな。お土産話を期待しているわ。いい子だといいわね」

 

「…ああ。…なんて場所だ…。ここから車で60時間はかかるぞ…。もう行かなければ…」

車ではなく電車か何かで行ったらいいのに、という話ではあるかもしれないが、国家解体戦争以降大きく変わったのが交通事情であった。

飛行機は公的な用事で許可証が無ければまず乗れないし、

鉄道やバスも一週間以上前から申請し、目玉が飛び出るような金額を払わなければならない。

インフラに大きなダメージを与えることなく成功した革命だがその生活様式は大きく変わってしまった。

 

ここイクバール、テクノクラートの支配域では広大な土地ゆえ個人の車の使用は禁止されていないが、

他の企業の支配域では一定間隔ごとに検問があるという噂だ。

 

 

なんて場所だ、といいつつもロラン達の住んでいる場所も周囲10kmに住んでいる人はおらず、人付き合いと言えば、朝牛乳を届けてくれる若い女性だけであった。

山を下れば大きいとは言えないまでもそれなりに栄えている街が二つほどあるのだが…ここに住んでいる彼らもまぁ、相当なモノ好きであった。

牛乳を届ける女性もこの家が無ければ勤務時間がだいぶ減るのであろうが…。

ちなみにロランはイクバールの基地へ向かう時は毎朝必ず自宅の北にある街を通る。

そこを通らなければ行けない…ということは無いのだろうが、舗装された道路を通りたいのならばその街を通過するしかない。

 

「基地からヘリか何か借りたら?」

 

「…私用では使えない。…ジェット機あたりを一機買うか?いや…でも維持費が…」

 

「あら。まだ行ってもいないのにもう次に頼まれた時の事を考えているの?」

 

「………」

 

「からかいすぎちゃったかしら。…今作っているのはお弁当にするから、気を付けて行って?」

 

「ああ…本当にすまない」

 

「いいじゃないの…お友達からの頼みなんだから、ね?」

 

「…む…」

 

 

ロランの家からジープを飛ばして北西に5,500km。

北極圏最大の都市、ムルマンスク。

…からさらに東に40km。

 

人を避けるようにその家はあった。

 

「なんて場所だ…」

雪を被った針葉樹の森の中に唐突にあるその一見木造の異質な家。こんなところに人の住む家があると考えて来るものはまずいないだろう。

隣にある馬鹿でかい倉庫はネクスト格納庫なのだろうか。とりあえずカラなのは間違いない。

その横に鎮座しているのは自家発電機だろうか。

よく見ると屋根にはソーラーパネルらしきものが付いている。

ロランには気が付けなくてもしょうがないが、地下を通って近くの川では水力発電もしている。

おまけに雪を利用するのだろう、巨大な浄水器もあり、後は食料さえ確保できれば一生この地で生きていけるだろう。

 

(イクバールにも住んでいる場所を報告していないんだったか?…まぁネクストがあればどこへでもすぐ飛んでいけるのだろうが…)

なるほど、人嫌いの男が隠遁生活を送るにはよい場所…なんだろう。

温かい暖炉の傍で本を読みながら日がな一日を過ごしていたはずのサーダナを想像すると似合いすぎている。

 

問題は…

(どう考えても子供の成育にいい環境ではない気が…)

世を逃れ静かに暮らす孤独な男にはこれ以上ない住処ではあるが、サーダナが育てている子はどのように育っているのだろう。

 

「…む」

 

「……」

などと考えていると家の入口で自分の身長と同じくらいのシャベルでえっちらおっちらと雪かきをする男の子とばったり出くわした。

 

 

 

 

「…むぅ…」

窓際の椅子に座り外を眺めながら紅茶を口にする。

雪は降っていないがこの曇り空では今晩あたりまた雪が降るかもしれない。

…と、窓の外を眺めながらよしなしごとに頭を巡らせるほどロランは老けてはいないが、仕方がない。

何せ何もないのだ。

 

ゴツい本棚がいくつもあり、読めば時間つぶしになるのだろうが、

「老子道徳経」だの「論理哲学論考」だの「リー群論」だの一ページ目からまず頭に入ってこなさそうな本ばかりが収められている。

それもそういった本にありがちな「置物化した難しそうな本」といった様態ではなくどれも何度も何度も読まれ捲られ大切にされてきたかのように劣化している。

劣化しているのに大切というのは矛盾しているようだが、本という物の役割を考えるのならば人の手に何度も捲られ垢や汗で劣化していくのが本当に大切にされているという事なのだろう。

 

まあ本はいい。読まないからいい。どうせ読み始めたところで一週間では読めない。

だがテレビはおろかラジオ、音楽再生機の類もないというのはどういうことだ。

 

「……」

さっきの子供は暖炉の前の机とセットの椅子で幼児らしい柔らかな頬に手を当てながら「呉書」と書かれた分厚い本を読んでいる。

 

子供の育成など人類全体を集めても下から数えた方が早いと、自信をもって言えるくらいには興味関心があるほうではないが、あれは絶対に「ない」と言い切れる。

あれぐらいの年頃なら絵本か、せめておもちゃの一つでも与えた方がいいに決まっている。

というか欲しがらないのか…と、考えて完全に外界からの接触が絶たれたこの世界ではそういった物の存在を知ることが出来ないのかも、と気が付く。

 

「……」

自分の顔ほどもある本をめくるスピードは、本当に「読んでいる」ように見える。

退屈しのぎに捲っているとか、カッコつけて読んでいるふりをしている…といった感じではない。現に眼が文章を追って…

 

(なんだ…?あの眼は…)

水面に石を投げ込んだかのような波紋が浮かぶ眼。

瞳の輪郭が異様に際立っているとでも言えばいいのだろうか。それにしては輪が多い気がする。

だがその異常以外は至って普通の…少々小さいが普通の子供のように見える。

目鼻立ちは割と整っているがまだまだ子供のそれであり、鼻の頭が赤い。

可愛らしい赤毛はところどころ癖でくるくるなっており、子供っぽさが更に強調されている。

 

「…む」

 

「……」

まじまじと見ていたのに気が付いたのかその独特な眼でこちらを見返してくる。

…何か話した方がいいのだろうか。

 

「ガロア…親父は好きか?」

 

「……」

こくこくこく、と三回も頷いて肯定の意を返し、また本に目を向けてしまう。

 

(親父が好き…か)

少なくとも自分には理解しがたいことだし、サーダナが父親に向いているとは逆立ちしても言えないが、あれだけ頷くからには相当に慕われているのだろう。

 

(…ん?)

頷くこと自体は問題ではない。

その答えを口にしなかったことがロランの中に引っかかる。

 

うるさいだとか騒がしいだとか、そういう感じの言葉をこねくり合わせて出来るのが子供だと思っていたロランにとってガロアは静かすぎた。

家に招き入れてくれた時もそうだが、今この瞬間まで一言も発していない。

 

だが、心のどこかに傷を負って人と話すのが極端に苦手になってしまった虐待被害の少年…といった感じでは全くなく、

他人であるはずの自分が同じ空間にいるというのに全く気にせずに図太く本を読み、自分の目の前にあるすっかり冷めてしまったこの紅茶を出してくれた。

 

拾ったと言っていた時から計算すると五才だろうか。

その年齢の子供が騒ぎもせず、わがままも言わず難しい書を読み、茶を入れ客人をもてなし、雪かきをする。

…もしかすると、語るも涙、誰に言っても信用されないレベルの全く手がかからない賢い子なのではないだろうか。

 

聞き流していたが、そういえばサーダナはこの子を賢い子だと言っていた。

あの人嫌いが人を世辞やそれに類する感情で人を褒めるようなことは無かった…と思う。

とりあえず分かることはこれぐらい賢い子でなかったらサーダナに子育てなんか出来たはずがない、ということだ。

 

「…ガロア、飯にしよう。もう温まっただろう」

子供の目の前で右往左往する友を想像し少しだけ笑って口にした。

 

「……」

 

「……」

一定のリズムでスプーンに乗せたシチューを口に運ぶ二人。

口数の多いロランではなかったが、それでも普段はリザが結構話してくれるので食卓は賑やかだった。

が、無口の二人が向かい合って食事をするとこうなってしまうのか。

 

「……」

それにこのシチュー。

…あまり美味しくない。

なんだろう。味が薄いからか?野菜がいちいち大きいからか?変なところで隠せていない隠し味が効いているからか?

…リザの作る料理が恋しい。

 

「…美味いか?」

このシチューはお前にとって美味しいのか、と聞いたつもりだった。

するとガロアはスプーンを置きスケッチブックを取り出しそこに何かを書き出した。

 

「…あ?」

 

『二人で食べると美味しい』

 

「…お前、喋れないのか!?」

 

「…?」

 

「いや、すまない…聞いていなかったんだ」

無口なんかじゃなかった。

喋る口が無かったのだ、そもそも。

なんでこんな大事なことを先に伝えてくれないんだ。

 

(一言足りな過ぎる…)

 

「?…?」

額に手をやる自分の前でガロアは困惑している。

喋れないのが普通で、サーダナが始めからそのことを知っていたのなら、誰かにこのような反応をされるのは初めてだったのかもしれない。

 

「…いや…そうだな…。二人で食べると、美味いよな…」

 

「……」

喋れないという事はともかく、この幼子が示した単純明快な答えはロランにとってもよくよく知るところである。

そう、食事は一人で食べるよりも二人で食べた方が美味しいのだ。味が変わるという意味ではなく。

もしそういう理論が成り立つのならば、きっと二人より三人の方が。

 

(子供…か…)

少しだけ、自分の未来のことを考えて、分かりやすくけれども重要な事実を示してくれたこの賢い子供に笑顔を作る。

 

ニ゙ッ

 

「……」

 

「な、なんだその顔は…」

無口ではあるが感情表現が苦手という訳ではないようで、ロランの顔面神経痛に対して実に微妙な顔で反応を示してくれたガロアであった。

 

 

 

 

 

そしてさらに二年と半年後。

勲功には全く興味が無かったものの元々戦うこと以外に自己表現をする術を極端に知らないロランは着々とその名をあげ、

もはやこの世界では知らぬ者がいない程の強者となっていた。

サーダナが滅多に動かない今、黙々と任務をこなすロランはイクバールから実に重宝されていた。

そんな名誉はさておき、彼にとってもっと喜ばしく重要で楽しみな事が一つあった。

 

「考えたんだ」

 

「何を?」

抜けるような青空の下で花に水をやるリザにぽそっと声をかける。

 

「名前…その子の名前だ」

 

「まだ性別が分かったばっかりなのよ?あわてないでも…」

 

「ああ…。だが、最近はそれしか考えられなくて些か仕事への集中も欠くようになってしまってな…」

 

「じゃあ、教えて?」

 

「…花の名前にしようと、思っていたんだ。君が育てた花、俺は好きだ。そこからとろうとずっと思ってた」

目の前いっぱいに広がる花々を見ながらまたぽつりと言う。

元々咲いていたアネモネやポピーサクラソウだけでなく、アルメリアやヒナギクにユリ…色とりどりの花が植えられている。

 

「うん」

 

「…リリアナというのはどうだろう」

 

「ユリの花?」

 

「…そうだ。綺麗な花はそれだけで美しいが…そこに静謐で廉直な気品がある花はそうない。…俺はユリが一番好きなんだ」

風に揺れながら花弁を垂らすその白い花を見ながら言う。思えばいつからリザと淀まずに話せるようになっただろう。

もうずいぶん長いこと一緒にいる気がする。

 

「…私もずいぶんいっぱい名前を考えたけど…あなたが言うのなら、この子の名前はきっとそうなのね」

 

「ああ…。会う日が楽しみだ」

眺めていた足元のユリに影がかかる。いつの間にかリザは目の前にいた。

 

「その割には随分憂いのある顔をしているのね…。あなた、無表情な方だと思うけどずっと一緒にいるからわかるわ」

 

「……」

いつからか、リザと一緒に住むようになってからはもう頭の隅を過るようになっていた事がある。

 

「教えて?」

 

「何故、戦いは無くならないんだ?」

 

「……」

 

「君がいるこの世界を…この娘が生まれてくるこの世界を少しでも平和に…綺麗に…俺の…俺の家族が傷つかない世界であるようにしたい…」

隣に座るリザのお腹をそっと撫でながら言葉を続ける。

 

「……」

 

「誰だってそう思っているはずだろう…?何故戦いは終わらない?何故俺は人を殺し続けているんだ…?」

 

「ロラン、それは違うわ」

 

「…?」

 

「殺しに理由なんてない方がいい」

 

「何を…何を言っているんだ…?理由なく殺すなんて…」

 

「じゃあ…あなたが正しいと信じる正義の元に殺した人たちは誰がどう見ても誰にとっても完全な悪だった?」

 

「それは…」

そんなはずある訳ない。未だ全世界で起こる「テロ」と称される暴動、戦闘。

その首謀者のほとんどが国の為に戦っている兵士達。

反徒共、と企業は言うがあの国家解体戦争ではまさしく自分たちが国に仇成す反徒であったはずだ。

それに国などは関係なくごく小さな盗みや強盗をするものだって家族を、あるいは自分が生きる為に戦っている。

それが間違いだと言うのならば、最早それは生きる為に殺すことを義務付けられているこの世界の生き物全てが罪深いのだろう。

 

「そう。もしあなたが正義を選び取るならば、悪という烙印を一方的に押し付けられる人々が必ず生まれる。

正義と決めて守るものを選び、そうでないものを殺す。そうして理不尽に怒る者は生まれる。どうしたって殺した人物に関わる全てを消すなんて事は出来ないんだから、必ず一方的な正義に怒る者が出てくるわ」

 

「……」

今までにない厳しい顔で言うリザはまるで自分を叱っているかのようだ。

 

「あるいは神ならば、正義と認められない全てを消滅させることが出来るんでしょう。もしかしたら、それが出来る者を神と言うのかもしれない」

 

「…じゃあ、俺は…」

 

「この世に正義なんて何一つないわ。たった一つの悪があるだけ」

 

「それは…?」

 

「独善よ。自分の正しいと思ったことを押し付けること。正しいと思って人を殺すなんてことは結局より多くの死をまき散らすだけよ」

 

「…だから…」

 

「そう。だから殺しに理由なんてない方がいい。道具であったほうがいい。理由を求めればその瞬間に悪が生まれるのよ。正義に従った瞬間に生まれるの。銃にも刀にも…牙にも爪にも罪は無いわ」

 

「…う…」

誰もが戦う時に感じる矛盾。国を家族を自分を守るために戦う敵は果たして悪なのか。

悪なのではない。悪と決めているだけなのだ。そして自分も正義ではない。

 

「聞いてロラン…。本当の人間はきっと、動物と同じように、野を駆け山を跳び歌を歌うのが正しい姿なのよ。

動物が獲物を食い殺す姿を間違っていると思う人は誰もいないわ。でも人が人を殺す姿は間違っていると誰もが思っている」

 

「間違っているじゃないか!どんな動物でもいじめや排斥はあってもお互いに永遠に殺し合う様な真似はしていない!」

つくづく返す言葉の無かったロランだがそこだけはなんとしても間違いだと言いたい。もしそうだというのならば、自分達の生きるこの世界は、この子供が生まれてくるこの世界は地獄そのものだ。

 

「そう、あなたは正しいわ。間違っているのはこの世界の方よ」

 

「どういうことなんだ…」

 

「99%の富を1%の人間が握っている…誰もが間違っていると言うし、私たちはその歪みに苦しめられている」

 

「じゃあそいつらを裁けば…」

 

「違うのロラン。間違っているのはきっと残りの99%の人間の方。悪い…と言っているわけではないのだけど」

 

「意味が…意味が分からない…君が、俺が間違っているのか」

 

「この世は弱い生き物ほど多く生まれ強い生き物ほど少なく生まれるようにできているわ。それが食物連鎖、この世のバランスだからよ。

人間はせいぜい一度に一人。頑張って二人。三人以上はほとんどないわ。百獣の王のライオンですら一度に三匹は産んで、多い時は六匹は産むのに」

 

「……」

 

「人間はこの世界で一番の生き物だからそれでいいと宣う者もいるわ。一番強い、すなわち人間こそが神だと。でも生態系の環、食物連鎖からは逃れられずに世界を破壊し共食いをしている」

 

「……」

 

「多すぎたのよ。人は。この世界を壊しかねない程に」

 

「…じゃあ、殺して殺して、それでいつか正しい形になるのか!?」

生命と正義、人間の業を直視する勇気が持てず、弱気を掻き消すように大声をあげる。

前までの自分は何も考えずに戦うただの駒だった。エリザベスと一緒になってから自分はいつの間にか…人間になっていたのだろう。

 

「そこまではわからない…。でもロラン、黒い鳥の話は知っているでしょう?」

 

「知っている…。サーダナに聞かされたからな…全てを焼き尽くす死を告げる鳥、だろう」

この世界に生きる者ならば大抵の人間は黒い鳥、という終末の使者の話は知っている。だが詳しい内容までは知らない。

 

「正しくはこうよ」

リザは戯曲のように仰々しくその物語を口にする。

 

今からずっとずっと昔…この世界は古の王…一人の王によって支配されていたの。企業が君臨するこの世界とは比べ物にならない、完全なる支配。約束された秩序と繁栄。

…それがユートピアなのかディストピアなのかはわからないけど、その王は最早神だった。悪とみなした者は完全に消滅させることができたから。

その王が言っていたことなのよ。

自分が支配する前…世界がこの形になる前にどこからか生まれどこからか飛んできた黒い鳥が理由無く世界を巻き込む戦いの引き金となり悉くを焼き尽くした。

戦う人々を、護られる人々を、正義、悪…決めつけ合う混沌の人々を。徹底的な破壊…。黒い鳥はただただ壊していき、それに巻き込まれて人々も…。

でもそれはやり直しの切っ掛けでもあったの。王はその世界を治め、君臨した。でも王は言ったわ。

いずれ自分の統治するこの世界にも混乱が現れる。そこに手を差し伸べるとき、また黒い鳥が飛んできて世界を、秩序を、自分すらも粉々にする、と。

そうしてこの世界は繰り返されていく。…黒い鳥は再生とやり直しを司る。

 

「…そんな話だったのか…」

 

「黒い鳥はその王とは別の神であったとも言われているわ」

 

「…?」

 

「火山の噴火で人が死んで火山に怒りをぶつける?地震で人が死んで、地震に戦争を仕掛ける人がいる?嵐で作物が荒らされて嵐を断罪しようとする人がいる?

今も昔も変わらないわ…ただ祈るだけ。風、火、大地、雨…人々は分け隔てない純粋な暴力を神と呼んで恐れ、崇めたのよ。誰かにだけ一方的に降りかかる暴力を正義、あるいは悪と人間が言うようにね」

 

「…結局、君は黒い鳥が正しい、と?」

一気に遠大な話になってしまい急についていけなくなったロラン。

 

「そういうことじゃないわ。正しいとか、そういうものでもないし、来てほしいとも思っていない」

 

「…子供の顔を見る前に世界の終わりなんてのは冗談でも笑えない話だ」

 

「そうよね…。ねぇ、ロラン?こんな…こんなどうしようもない世界だけど…」

 

「……」

 

「ロランはこの世界が好き?」

 

「君がいるから、好きだ」

世界の全てだった。

 

つまらない、何の為に心臓を動かして昨日も今日も戦っているのか分からなかった。

たった一人の人間が自分の心に踏みこんできたおかげで全てが変わったのだった。

自分にとってエリザベスとお腹の中の子がこの世界の全てだったのだ。

 

 

 

(……………………………………………………)

 

 

 

 

考えてみれば俺は強いから生き残ったというよりも、運が良かったから生き残ってしまって強くなってしまったんだ。

 

運が悪かったのか良かったのか。

その日はとにかく邪魔されることが多かった。

何かから自分を遠ざけるかのように。

 

 

 

鎮圧を命じられたテロ部隊がゲリラ戦をしかけてきて予想の倍の…一週間もかかってしまったこともそうだし、

ようやく基地にたどり着いた時に積み上げてあった物資を崩してしまって積みなおすのにそうとう手間がかかったこともそう。

帰ろうとしてガソリンが切れていることに気が付いたこともそうだ。なぜ、その日に切れていたのか未だに理解できない。

その前の日や、次の日ではダメだったのか。

 

『先にご飯を食べてくれ。遅くなりそうだ』

電話でもメールでもよかった。そう伝えようとしていたのに、崩れた物資に埋もれたときに通信端末が壊れてしまっていた。

そうでも伝えないともうすぐ生まれようとしている赤ん坊がいる身体だというのにも関わらず、食卓でずっと待っているだろうから。

昼間に今日の夕方には帰れそうだなんて連絡してしまっているから尚更だろう。

 

ジープを飛ばしに飛ばして帰っても夕餉の時間は大分過ぎる。

 

山道をライトで照らしながら事故を起こさぬ最低限のラインを守りながら走る。

 

「……?」

違和感に気が付いていた。

未だ豊かな自然があるモンゴルとロシアの元国境付近。

その山道を自宅へ向けて走れば走る程…動物たちが向こうからやってきている気がする。

暗くてよくわからないが、すれ違う鳥は全て自分が向かう側から飛んできていないか。

さらに夜道ゆえに確認することも出来なかったが、

ロランの腰に取り付けられた…ここ数年である程度の文化を持つ者ならば携帯することが当然となったコジマ汚染計測器がその針をちろちろと左右に揺らしていた。

 

「停電か…?」

自分の家まで行くのに使うトンネル。

その先には小さな町があり、そこから車で山道を20分登ってようやく家へとたどり着く。

そのトンネルはいつも薄く明かりが点いていたのだが今日は真っ暗だ。

 

ガリガリ

 

圧し掛かる不安のような暗闇をジープのライトで照らしながら先へ進む。

空洞に響く音があちこちに反響してリアルな悪夢に迷いこんでしまったかのような錯覚に襲われる。

 

ガリガリ

 

「…!?」

出口が見えた。

明かりがついていないのに、あんなにもくっきりと。

星と満月が空を満たす時よりもはっきりと。

 

 

 

トンネルを抜けるとそこは地獄だった。

 

ガリガリ

 

「なんだ…!?これは…!?」

街が火に覆われている。

道路に車だったモノの残骸が燃えて塞いでおりジープではこれ以上進めない。

既に火が上がってそれなりの時間がたっているのだろうか、動物の気配も人の気配もない。

ただ燃えてはいけない物も燃えやすい物も燃える音だけがパチパチ、ガリガリとあたりに響き渡っている。

 

ガリガリ

 

「テロか!?こんな街を!?」

こんな戦略的価値が低い街をテロリストが襲うとは到底考えられないが目の前にあるそれだけがただただ現実。

とにかく取り残されている人がいてはいけない。

探し出して救助しなければ。

そう思い車から飛び降り街へと走り出して気が付く。

腰に取りつけているコジマ汚染計測器がガリガリと針を振り切っていることを。

さっきからなっているガリガリという音は、これ。

 

「コジマ汚染…!こ、…あ…」

コジマミサイルやその類ではない。

それならばもっと徹底的に街が破壊されているはずだ。

 

ネクストの襲撃があったんだ。

 

「…!」

駆け出していた。

車で20分かかる山道を脚で、なんてどれだけ時間がかかるかなんてのは考えるまでもない。ただ脚が動いた。

 

動物の気配が、人の気配がない。

ただ、よく見ればその形をした黒いモノがその辺に転がっている。

 

まさか。

襲撃したネクストの目的は

 

(俺?)

 

「いやだ…ウソだ…」

駆けていく。焦げた街を抜け、黒ずんだ人を飛び越え、燃える山を駆けあがっていく。

 

「あ、あ、リザ、リザ…お、…あ…」

身体のあちこちに火傷を負いながらようやくたどり着いたその土地。

二人の家は既に倒壊していた。焼けこげ、いくつもの倒れた柱の塊と化している。

 

一緒に住んだあの温かな家が、リザが愛した花畑が、地獄を飾りたてる炎に抱かれている。

 

「そんな…まさ…!」

ドクンと心臓が跳ね上がる。

倒れ、炎に包まれる細い柱が見えた。

 

いや、違う。

あれは焦げた柱なんかじゃない。

リザと何年も暮らしてきた家だ。柱の一本一本でさえ思い出で、記憶に刻まれている。

あんなに細い柱は無かった。

 

黒焦げたその細長い何かの先に炎の光を受けて輝く物を見た。

 

そう、それはまるで永遠の愛を誓うための指輪のような…

 

ドクン

 

「リザ!!!」

 

やはりその日は運が悪かったのか。

この世界の流れを決める何かは駆け寄らせてくれさえしなかった。

 

「ああ゙っ!!」

倒れこんできた木に道を塞がれ、さらに連なる倒木に右腕を挟まれる。

 

「うっ…あああああああ」

痛みも熱も無視して一気に腕を引き抜く。

肉が引裂け血が噴き出る。

勢いで尻餅をついたとき、乾燥した木から上がる炎が顔を舐めでろりと皮が剥がれた。

 

「え…」

立ち上がろうと腕をついたそこで質量の殆どない何かに触れる感覚がする。

 

ドクン

 

「あ…う…リリアナ…」

炎に抱かれてなお形を保っているその花を手が焼けるのも構わずにそっと手に取る。

 

北の街も東の街も火をあげており、夜空が赤く染まっていた。

 

ドクン

 

コジマ汚染計測器は振り切ってしまい先ほどからガーガーと音を立てている。

 

「あ…」

手の上に乗せた花が炎に焼かればらりと崩れた。

 

 

『黒い鳥が理由無く世界を悉く焼き尽くした』

 

 

「い、いやだ…」

花畑の上で踊る炎を払うように、四つん這いになりながら手を揺らすがどこへも消えてはくれない。

身体中を襲っているはずの痛みは全く脳に届いていなかった。

 

ドクン

 

『徹底的な破壊…』

 

「リ、リザ…君がいないと俺は…」

火の上で呆けている自分の身も容赦なく焼かれていく。

 

ガーガー

 

「ダメなんだ…君が…君じゃないと…君がいないと…この世界は…」

倒木に手をかけて押す。だがそれは当然のようにピクリとも動かず手のひらに滲む血を沸騰させるだけ。

身体を舐めていた火はいよいよ燃えうつり自分の身をも焼こうとし始めた。

 

ドクン

 

『黒い鳥が飛んできて世界を、秩序を粉々にする』

 

 

「違う…君がいるから…この世界が…」

もうわかっている。さっき見えたのは何も家だけではない。

家も花畑も森も山も…人も。全部燃えている。

 

ドクン

 

髪に火が燃え移った。

肺に煙が入ったのか、あるいは汚染にやられたか、猛烈に咳き込み血を吐く。

 

「ゲホッ、ガッ…グッ…ゴボッ…あ゙、あ、…リザ…いやだ…」

 

ガーガー

 

『黒い鳥は再生とやり直しを司る』

 

「…やり直…し…黒い、鳥…」

 

燃える森で呆然と膝で立つ。

痛みや熱さは感じていないのに、汗が吹き出ているのをイカれているのに一部だけ冷静な頭が感じ取っていた。

 

ガーガー

 

耳に響く火の音、計測器の警報。

 

吐いた血がかかり、唯一つだけ火が消えた黒焦げの一輪の花。

 

 

うつろな記憶。

 

 

 

 

 

その日、ロラン・アンドレヴィッチ・オレニコフはイクバールから姿を消した。

 

 

 

 

企業から一定の距離を置くリンクスの住まいが厳重な防衛システムに守られている理由。

考えてみれば当たり前の事だった。一騎当千の兵器となるネクストの動力源たるリンクスを抹殺しようなんて考えは当然のように浮かんでくる。

だからこそ、企業からリンクスはおいそれと離れて暮らせないし、そうしたいのならば自分の身を守れるだけの設備が整った場所で暮らすか…あるいは誰にもその住処を知られてはならない。

リリウム・ウォルコットは王小龍と共にBFFで最も堅牢と言っても過言ではない基地にある屋敷で暮らしているし、

ウィン・D・ファンションが住む土地はそこら中にガードロボが24時間体制でうろつき、不埒な侵入者を射殺するし、対空砲が8門もある屋敷は半径20kmに近づいた余所者を警告の後に撃ち落とす。

ローディーにしてもその他の企業管轄街から離れて暮らすリンクスにしても、皆厳重な警戒の元で自分の身を守っている。

 

サーダナには先見の明があった。

国家解体戦争の折は互いに手を取り合い、同じ方向を向いて戦った企業同士であってもいずれは互いに利益を求め争うようになり、自分や他のリンクスが直接命を狙われるようになるのだろうと。

人嫌いのサーダナが人に守られずに安全に過ごす方法はすぐに頭に浮かんだ。

 

誰にも言わずに誰にも見つからない場所に一人で住んでしまえばいいのだ。

たとえ考え付いたとしても、それを実行できるのはリンクスに限らず全人類の中でもごく限られた者だけであろうが、

金があり、力があり、親しい者が極めて少なかった彼はそれが可能だったのだ。

 

その途轍もなく捻くれた考えによって一人の少年が生き延びて後の世界を大きく変えていくこととなるのは全くの偶然だった。

 

それはセレンとガロアが出会う六年も前の、どこにも報じられない大きな事件であった。

 

 

 

 

 

 

 




エリザベスは悪女という訳では無いのですが、彼女が少々特異な考えを持っていた事が後々のオールドキングの誕生に繋がってしまいます。
彼女がいなければ歴史は大きく変わっていたでしょう。


この世界に根付いている黒い鳥の伝説ですが、それと対の存在である古き王という存在も同時に語り継がれています。
黒い鳥が『全てを焼き尽くす暴力』と言われているように、古き王にも『管理者』という別名が存在します。

黒い鳥が破壊と再生を司るなら、古き王は秩序と繁栄を司ると言った感じです。
誰にも平等な圧倒的な暴力か、誰一人逃れられない完全な支配はどちらも神に限りなく近い存在になりうる…という話です。


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クレイドル03防衛

ロランは未だに幸福の七年間の中を彷徨い縋りながら生きていた。

戦う事で生きていく事しか知らない彼が戦いの外で死ぬことは遂になかった。

 

今日も彼は求めるように戦いただ生き残る。生き残ってしまう。

 

「……」

最近になって思ったことだが死ぬことにあんまり意味は無い。

生きていることには結構意味がある。と思う。

ただ、今どうして自分が生きているのか、わからない。

今日この日までしたことの裁きが下っていないだけなのか、それとも間違ったことをしてきた訳ではなかったのか。

リザが殺されたのはリザが間違っていたからなのか。どっちだっていい。

 

このまま何も自分を止められずに終わるならばそれはそれで目的に達する。

殺されたなら殺されたで…会えるんだろうか。あの世という物があるのならば。

 

「……」

何千回も同じことを考えている。

いつかそれが変わることを信じて。

だが現実は変わらず脳みそが溶けてきたような感じがする。

でも見えているものは何も変わらない。

変わらない。

 

 

黒煙をあげる5つのクレイドルがもがき苦しむように高度を上げ地球を閉鎖する自律兵器から集中砲火を受けている。

その中の一つのクレイドルの上でネクスト・リザは巨大なエンジンに背を預けて脚を伸ばして座っている。

両手のライフルとショットガンを傍に放り、両手を頭の後ろで組み流星のような弾丸が降り注ぐのただ見ていた。

 

「……」

この流れ星は願いを叶えない。

ただ命を奪い去っていくだけ。

一定のリズムでミシン目のようにクレイドルに撃ちこまれていく弾丸は一度に幾つの命を奪っているのだろう。

それとも下層に避難してぶるぶる震えながら辛うじて生きながらえているのだろうか。

 

「……」

自律型ネクストがエンジンの一つを爆破する。

クレイドルに大きな地震が起こりリザの姿勢が少しだけずれた。

 

 

ピピピッ

 

「……」

画面に表示される自律型ネクストの数が急に減り始めた。

空に浮かぶ自律兵器に落とされているんじゃない。

最初に落とされた奴の傍から次々に落とされていってる。

 

「……」

ケロイド状になった皮膚が固まった、死人のような手でコードを手に取り首のジャックに差し込む。

腕を枕にして一晩寝たような痺れが四肢に数秒広がった。

 

「…ハァ」

溜息と同時に油圧が上がり銃を手に取りながらゆっくりと立ち上がる。

のんびりしている間に自律型ネクストは残り一機だけになっていた。

 

今日ここに誰が来るのかは、わかっていた。

 

「…久しぶりだなぁ…ガロアぁ…」

 

 

 

 

「なんだこれは…地獄か?」

アレフ・ゼロから送られてくる映像のみだが、どこもかしこもこうならばそれは地獄に違いない。

襲撃者の追撃から逃れるように高度を上げたクレイドルに突き刺さる無数のレールガンの光、無差別にクレイドルを焼く自律型ネクストの数々。

その一撃一撃で両手で数え切れぬ数の人が死んでいるというのに一向に攻撃の雨がやむことは無い。

 

「何故高度を…!」

攻撃されるのに何故高度を上げたのか、という言葉が全て出てくる前に理解する。

知らないんだ。恐らくあの中にいる人は誰も下から命を狙う者だけでなく、上からも命を狙う物があるということを。

ただただ襲撃してくるネクストの限界高度まで上げようとして…網にかかったのだ。

 

(だから私たちに依頼が来たのか…)

今この敵に対応できるだけのリンクスが出払っているという言葉に嘘は無いだろう。

だが、それでも雑魚リンクスを4~5人集めれば汚染はともかくそれなりに対処できたはずだ。

ただ、そうなると最早この空に浮かぶ自律兵器の数々を隠し通すことはテロリストの対応と同時進行することは不可能だったのだろう。

だからガロアに依頼が来たのだ。その存在を知っていて話す口を持たず、そして強いガロアに。

 

 

「今動いている自律型ネクストの数…23機!急げ!一秒ごとに数百人は死んでいるぞ!!正義感で言っているんじゃないぞ!!

このまま遅れれば遅れる程…例え勝ってもお前が恨まれることになるんだ!!」

 

『……!』

しばし呆然とその惨状を見ていたアレフ・ゼロが一番近くにいた自律型ネクストを撃ち落とす。

今のところ怪我の影響は見えていない。

 

クレイドルからアレフ・ゼロへ泣き叫ぶような通信が入る。

 

『リンクス!何をしているんだ!既に数百万人の死傷者が出ている!』

 

「今やっているだろう!!」

怒鳴り返すセレンも同様に相当焦っている。

クレイドルがコジマ汚染を避けるためにネクストを警備に使っていないのは少し考えれば誰だって分かることだがそれならば何故もっとまともな警備を増やさない?

その答えは簡単で、巨大な資本なしにはネクストは動かせず、通常ならばただのテロ組織がネクストを持つことなどあり得ないからだ。

 

「高度を下げろ!!」

 

『何故だ!下からテロリストどもが…』

 

「いいから早く!!」

わけがわからずとも指示に従い高度を下げていくクレイドル。

だが、もがく様に魔の手から逃れよう逃れようとうねりながら高度を上げていったクレイドルは、今更高度を下げても到底自律兵器の射程圏内からは逃れられなかった。

 

『くそ…地上のクソどもめ…!這い回ってないでとっとと死ねばよかったものを…!』

 

「……!!」

あまりにも勝手な言い草につい手に力が入りキーボードの一部を握りつぶしてしまった。

 

選ばれた者が上に住みそうでないものが下で苦しむ。

実に分かりやすい差別は当然のように選民意識を生んでいた。

 

カッとなり、つい返す言葉が頭の中で巡り始めたとき、残りの自律型ネクストが一機になったことが画面に表示された。

 

「よし、そいつを落とし…」

 

待てよ?ネクストがいると言っていなかったか?

こんな自動人形なんかではなくて…

そう気が付くのと通信が聞こえたのは同時だった。

 

『…久しぶりだなぁ…ガロアぁ…』

 

「!?」

臓腑に舌を入れられるような悍ましいその声は確かにガロアの名前を呼び

画面に表示されるガロアの心電図が崩れるように異常を示した。

 

『……!』

 

「誰だ…貴様…!」

そのネクストはレールガンが雨あられと降り注ぐクレイドルの上を大雨の日に傘を差さずにぶらつく傾奇者のようにゆるりと歩いていた。

 

『…?オペレーターか?』

首筋の三寸後ろで囁かれたかと錯覚するほどにねばついた声を出しながらそのリンクスはアレフ・ゼロ越しにこちらを見ている。

 

「答えろ貴様…久しぶりとはどういうことだ!?」

 

『…この状況じゃなくてそれを尋ねるのか…。そうか…今はお前がガロアを…』

ふわりと浮かびアレフ・ゼロの目の前まで幽霊のように近づく道中、一つのレールガンがそのネクストの右肩を掠めていったがまるで意に介していない。

 

『飯はちゃんと食べているか…?』

 

『……』

 

「な…」

 

『夜は…ちゃんと眠れているか?』

 

『……』

 

「なんだ…こいつは…」

動揺している。見える訳ではないが、恐らくガロアは今、せまいコックピットの中で子供の用に自分の肩を抱いて震えている。

動揺している。送られてくるその映像、アレフ・ゼロの目の前に立つネクストの頭頂にあるその独特な曲線のスタビライザーは、ガロアが唯一持っていたネクストのパーツと同一のものだった。

 

『元気で今日までやってこれたか…?』

 

『……』

 

「お前…お前は一体なんだ!?」

摩擦熱で光をあげる弾丸が飛び交う中で親戚の子供と世間話をするかのように声をかけるこの男が今回の事件の主犯なのか。

 

『……』

 

『……』

 

「クソッ、ガロア!この空域にいるネクストがまともなはずがない!こいつが主犯だ!聞こえているのか!」

 

『…ガロアが育った場所を知っているだろう?』

 

「…あ?」

場違いな声場違いな雰囲気場違いな問答。

突如として現れた不気味なネクストに崩されイラついていた調子が一瞬素に戻り、その答えが浮かぶ。

…ロシアの田舎であったはずだ。

 

『点と点は調べても線は想像つかなかったのか』

 

「…なんだと…?」

 

『この世界で…たかだか10歳の子供が一人で生きられるか…?飛行機はおろか車も運転できない子供がどうやってそこからインテリオルの管轄街まで行く…?』

 

「お前は…」

ガロアは自分から人間関係を明かさなかった。話せる、話せないではなく、明かさなかったのである。

それは関わった人間の数が極端に少ないということも理由の一つではあるが、一番の理由は命の恩人でありながら世界的なテロリストと成り果てたその男の陰も出さぬためであった。

 

『俺は…ガロアが子供の頃を見てきて生き残ったこの世界唯一の大人で…』

幼子の頭を撫でようとするかのようにその右腕を柔らかく上げ

 

『ガロアの敵だ』

その引き金を引いた。

 

(よく避けた!…だが…)

ほぼゼロ距離で放たれたその銃撃を回避したのは流石だが、普段なら迷わず、

それも当たる瞬間まで気づかないようなレベルの斬撃を繰り出せる距離で攻撃することも距離を離すことも無くただその場に浮いているだけ。あり得ない。

 

『斬れよ。ガロア…』

 

『…、…』

どちらが死ぬか分からない程の強敵も、ほとんど抵抗も出来ない雑魚も平等に蹴散らしてきたガロアが心を先に刈り取られている。

 

『…なら死ぬだけだ』

 

『……』

再び攻撃。全て回避してはいるがその避け方には異様な恐怖が映っている。

直撃すれば即死は免れない暴力の雨が空を裂くこの空間でも全く物怖じしていなかったというのに。

そしてこの恐怖はこの男に対する物ではない。この男へ攻撃することへの恐怖だった。

 

「お前…お前は一体何なんだ…?」

 

『…お前はガロアの何を知っている』

質問返しについ口が止まる。

本人の口から何も聞けない自分が一体どれだけ本質に触れているのか、いや触れられてきたのか。

 

「ガロアは…」

 

『そうだ…お前の思っている通りだ』

 

「え…?」

依然として攻撃の手は緩められず、当たりはしていないものの、やはりガロアから攻撃を仕掛けることは無い。

これだけ動き回ってまだダメージを負っていないのは奇跡だ。

 

『聡く…優しく…真っ白な…こいつが育った土地と同じくらい…真っ白な子供だった。俺以外のガロアの知る者は全員死んで、一人ぼっちだったからだ』

 

『止める者は誰もいなかったはずだ。正す者も誰もいなかったはずだ。理解する者も。ガロアの正義はガロアだけの物だからだ。だから今日まで誰でも殺せたんだ。…だから今日まで知らなかったんだ…』

 

「何を言っている…?」

 

『分かりやすく言ってやる。ガロアは俺を殺せない。自分の知り合いを、思い出を一緒に斬ることが出来ないんだよ』

 

「…あ」

考えたことが無かったが、カラードという物が持つ異常性。

それは昨日顔を突き合わせていた者が今日殺し合うという可能性があるという事。

ガロアは今日この日まで知った顔の者と戦場で向かい合うことが無かった。

単純に友人が少ないという事もあるし、見知った人物がある意味でガロアの敵に回るような相手では無かったという二つの点が大きい。

知己を、しかもさっきの話が本当ならば幼いころからの繋がりでその上命の恩人である男を殺せるというのか。

 

「クソ…ガロア、目の前を見ろ!そいつは大量殺人犯で…お前を明確に殺そうとしているんだぞ!」

一方でセレンは自分がメチャクチャなことを言っていると分かっていた。優しい子供だったというし、今でもそうであると信じたい。

だからこそガロアはこの男を斬れない。それは他の誰かが、カラードの道行く他人が言うよりはずっとガロアは人間だったということだからだ。

そうあってほしいと願っているのに自分は今、ガロアにこの男を殺せと言っている。

 

『……』

 

『それがわかってるから…苦しんでいるんじゃねえか…。大人なら…子供の成長を見守ってやらなきゃな』

 

 

 

 

「……」

セレンの言葉が刺さる。

そうだ、目の前に立ったこの人を、人々を今まさに殺そうとするこの人を、自分に攻撃してくるこの人を倒さなければならない。

ショットガンが連発される。

 

「……」

範囲の広いそれを避けれているのは自分が弾が広がり始める前の距離にいるからだ。

本当なら斬っているはずのこの距離に。

でも攻撃は出来ない。

父が死んでから今の自分がここにいるのはこの人物のお蔭以外の何物でもないからだ。

 

 

『お前は生きろ。生きて…この世界を見てみろ』

遠い昔に目の前のこの人に言われたはずの言葉が霞んでくる。

 

 

 

「…、…」

何故自分には言葉が無いんだ。撃たないでくれ、こんなことはやめてくれ。

自分はあなたを殺したくない。そう言いたい、伝えたいのにこんな機械の中ではそれも出来ない。

今まで敵を目の前にしたときに湧いてきたふつふつとした熱く、けれども心の底を冷やした何かが出てこない。

 

無理だ。自分は義務感では人を殺せない。

 

 

 

 

 

「……あくまで俺を殺さないつもりか…」

これだけ攻撃しているのに、これだけ弾丸が上から降ってきているのに掠りもせずに避けている。それだけでも一流のリンクスになったということに一切の疑いは無い。

あのオペレーターは人が死んでいることを使って焚き付けようとしていたがそれは無理だ。

 

人と…特に幼い頃に殆ど人と関わらず、その上唐突に父を奪われたガロアは、

恐らくは会ったことも無い人間というものが薄ら透明にしか想像できないだろうし、

理不尽に死ぬとなってもこの世界はそういうルールなのだと心の底にまで染みついているだろう。

だから少なくとも人が死ぬという事に関して特別怒ったり心を動かす事は無いはずだ。

人は勝手な理由で死ぬし殺される。その考えが幼い日にガロアの世界に刻まれたからだ。

そしてその考えを実行してきたはずだ。今日この日まで。勝手に死んで欲しくない人間が目の前に現れるこの日まで。

 

「白かったお前が真っ黒になったな。でもそれは遍く夜の黒さじゃねえ。ただ犇めく人の中で肩をぶつけあいながらつけられちまった汚れだ」

それじゃあダメなんだ。真っ白な世界でただ一人で決めたあの誓い、進むべき道を、自分の命を使ってでも思い出させなければならない。

選んで殺す暴力など天災にはなれないのだ。今日が自分の命が消滅する日だと、オールドキングは決めていた。

 

『……』

 

「なあ…ガロア…企業側につくとか…人類を守るとか…俺はどうでもいいんだがよ…」

 

『……』

全てを地上に縛りつけようとする悪意が天の川が流れていくように降る中で二人は阿呆のように立つ。

 

そうだ。今ここにあるこの殺伐として茫漠とした世界こそがガロアがいるべき世界なんだ。

交わらせてはいけない。同化させてはいけない。ガロア以外が辿る全ての者の人生に。

だから。思い出させるんだ。

最後の甘さを断ち切らせるのだ。

 

 

 

「こいつは殺す…こいつは殺さないなんてしていると…なっちまうぞ、アナトリアの傭兵と…おんなじに、よ」

 

いつか白い世界で純白の少年が出した答え。

それは今一度、世界で一番汚れた大人によって呼び起された。

 

『…、…………  …………』

 

 

 

 

「……へはは…素晴らしい…」

ヒュゥ、と喉から息が漏れる声が耳に届いた。

瞬間、戦場から音が消えた。

 

 

 

オオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアア

 

音が消えたのではない。

別の不気味な音にかき消されているのだ。

 

『貴様何を…ガロ…ア?』

アレフ・ゼロの出す慟哭のような軋みにこの空間の音全てがかき消されている。過剰な排熱による幾つもの壊れた楽器が奏でるような音の原因は不明だ。

ただ一つ、その軋みに乗せた感情だけが鮮明。

 

俺はそうはならない。殺してやる。…と。

 

「そうか…聞こえているぞ、ガロア…お前の言葉が…」

溶けていく。

ガロアのネクストが、空虚な宇宙の闇と一体になっていく。

揺籃の時間もいよいよ終わり、世界最悪の災禍が孵化しようとしていた。

 

(王になるんだろ?ガロア。お前がそう思ったのはお前には大切なものも守りたいものも何一つなかったからだ)

そうだ。目の前に立つ相手の生殺与奪を選んじゃいけない。悉く消せ。自分が正しいと思うのならば。

 

(もう人間には戻れやしないんだよ、お前は)

さあ、自分の見る世界こそが本物だと、俺を殺して示せ。

王は誰にも平等な恐怖でなければならないのだ。

 

 

 

無粋なのか、単純にAIに沿ってターゲットを変えただけなのか。

巨大な浮遊物にひたすら刃を這わせていた自律型ネクストがアレフ・ゼロの真後ろから斬りかかった。

だがその刃がアレフ・ゼロに触れることはなかった。

 

『……』

十年住んだ家から出るときに見もせずに傘立てから傘を手に取るように、さりげなく後ろに差し出した左腕のブレードが自律型ネクストのコアを捉え、ずぶりと刺さっていた。

 

ジジジジジ、と鉄板に肉を押し付けるような音が響く。

 

『……』

切り捨てることも抜くこともせず、ただそのブレードを刺し続けている。

ふわりと同じ高さに立っている二機のネクストが嘘のように、その機体は重力に逆らえずに少しずつ落ち赤熱した傷口が広がっていき…やがて機能を停止した。

 

『……』

熱と電気を効率的に伝えるための液体金属が派手に飛び散り、アレフ・ゼロのカメラアイにかかる。

急激な気温の低下に逆らうことなく液体は固体となり、その線はアレフ・ゼロの消えることの無い銀白の涙となった。

最後の人間らしさをガロアは捨てたのだと、オールドキングは当然のように理解できた。今から自分はあの子供に惨殺される。

 

「泣いていい…呪っていい…それがお前の道だからだ…」

自分自身に言い聞かせるようにオールドキングは呟きながら一挙一投足も見逃さぬと目を見開く。

この冷たく纏わりつく死の熱。殺気だ。コックピットの中にいる自分の喉元にすら匕首を押し当てられているかのような錯覚がする。素晴らしい。

あまつさえ涙をはらはらと流す、最後にあった時と全く変わらないままの幼いガロアの姿までもが見えている。

 

「そうだ…この圧だ…この覚悟だ…  、!!!」

眼前にただの機械の塊と化した自律型ネクストが投げられた。

 

「…っ!」

一瞬、ほんの一瞬目を離した隙にはこの広い空間に自分一人になっていた。

 

「どこに…!」

逃げたのではない。

先ほどの殺意は本気で殺すという覚悟の元でなければ出ない。

ケモノが戯れに放つものとは濃度が違った。

 

「う…!」

斜め後ろからロケットが飛来する。避けた先のレールガンに当たらなかったのは運が良かった。

と、考えがまとまる前に下方からロケットが飛んでくる。オーバードブーストを起動しているのと等しいレベルでこの空間を動きまわっているのに全く見えない。

 

「ぐ…」

この真っ暗な星空に浮かぶ無機質な兵器の殺意と同化している。

元々のアレフ・ゼロの色も相まって全く見えない。まるでそれが自然であるかのようだ。

 

「は…!」

見ろ。やはりお前は選んで殺すことを許された弱い人間じゃねえんだ。

災害のように平等に、機械のように残酷にあるのがお前の正道だ。

 

『……』

 

「が…!は、ははっ!」

僅かににじみ出た気配を頼りに身を引いたがライフルがゾブリと音を立てながら斬られた。

空き缶を放るように使えなくなったライフルを捨て感覚を研ぎ澄ませる。

目で見ようとしてはダメだ。見た瞬間には全て終わっている。

 

そう思い視界から意識を捨てた瞬間に真正面からのグレネードに無様に当たった。

 

「おぐっ!ごっ…」

釈迦の手の上の猿のように転がされている。手加減をしているつもりなど無いのに、自分が全く相手にならない。

 

『……』

 

「当て…て…後悔してんなよガロアァア!俺はお前を殺しに来たんだ!!お前は俺を殺すんだよぉ!!」

薄い空気を伝って欠片だけ聞こえた嗚咽。だがその涙は正しい。

 

「そうだガロア…誰もが生きていくうちに誰かとぶつかって折れていくんだ、考えを曲げていくんだ!自分の考えを永遠に通したいならぶつかる相手は選べない…敵も、愛する者もだ…

選んでいたらそれは正しさじゃねぇ…ただの卑屈な自己満足なんだよ…ガロア…お前が正しいなら今ここで俺を殺せぇえぇ!!」

 

『……』

ガロアは最初から分かっていた。理解したくなかったのだ。この男がここに現れた理由を。

分かっていた。

アナトリアの傭兵の矛盾を示すため、自分の正しさを打ち立てる為にここまで来た自分の誓いがやはり捻じれ始めていることを。

それはもう避けようのない事なのかもしれない。互いに関わり合いながら生きていく人間という生物の避けられぬ定めなのだと。

もし…もしそれでも原初の思いを通すのなら、過去を、思い出を恩人として全て背負って敵として現れたこの男を殺さなければならない。

 

メチャクチャにクイックブーストを吹かしながらターンを連発している間にもアレフ・ゼロは影すらも見えなかった。だというのに今度は完全に左腕を落とされていた。

 

「おおっ…あっ…」

焼き鏝を押し付けられるかのような幻痛と歪な喜びに顔が歪む。

 

「ふーっ…ふーっ…」

だがしかし。

おかしい。あの殺意は本物だった。

今この戦場を支配している空気も間違いなく俺を殺す決意に繋ぎとめられている。

なのに何故。

 

『……』

 

「…なんだ…一体…これは…」

半端な攻撃しかしてこないのだ。これでは俺は死なない。

しかし俺を生かして帰す気はもう捨てているという意思が呼吸から伝わってくる矛盾。

 

濃厚となり満ちる蘭麝。

幾度となく鼻一杯に吸い込んだこの暗い愉悦の香り。死の匂い。

間違いなく俺は1分後には死んでいる。

だと言うのにこの意の無さはなんだ。

 

姿も見えず意も見えぬ相手がお前を殺そうとしている。打ち勝て。さもなくば殺されろ。

意地の悪い坊主の禅問答のような謎が、答えを引っ提げて後ろから飛びかかって来た。

 

「こんな見え見えな…」

最早対抗手段の無い左側から斬りかかってくる。こんな当たり前の攻撃で俺を殺せるか。

 

『……』

そう思った時にはもう遅かった。

 

「あ……?」

気取れるはずが無かった。

躱したブレードは宙を斬った。その後の攻撃に圧は無かったのだ。

ただ右腕のマシンガンで、ドミノを倒すようにとんっと優しく小突かれた。それだけたった。

 

『……』

 

「……あ」

気づいたときにはもうオールドキングのネクスト、リザを空に浮かぶ自律兵器のレールガンは貫ぬいていた。

 

げほっ、と咳き込み目が眩んだほんの数瞬の間に、アレフ・ゼロが紅い複眼から涙を流しながらブレードを振りかぶる光景がリザが最後にオールドキングに送った映像だった。

次の瞬間にめった切りにされ即座にネクストから強制切断された。

 

ビー、ビー、ビー

 

虚しく音が響くばかりだった。

 

「……おあぁ…、…」

画面はブラックアウトしている。頭部も斬られたのだろう。恐らくは、あのスタビライザーごと。確かにガロアは思い出ごと自分を斬った。

警告音が鳴り響き、真っ赤に照らされる狭いコックピット内部。

だが、真っ赤なのはそのせいだけではなかった。

レールガンが直撃した際にコックピット内で吹き荒れたいくつもの小さな爆発は無数の破片をオールドキングの体内にねじ込んでいた。

 

「リザが…俺を…離したかよ…」

PAにも守られていない外部装甲は既に絡み合った破壊の数々に耐えきれず溶け出し、エンブレムに描かれた女性を縛る鎖を焼き焦がした。

 

「ひ…は…ガロア…お前が…やはり…お前が…黒い鳥だ…壊せ…何もかも、壊してしまえ…」

でももう今となってはそれももういい。そして、その声も既にガロアに届いていない。

自分は裁かれた。

 

(俺を裁くのはガロアだったか…)

 

「え、は、はははは…」

顔面神経痛と言われた頃よりも余程自然に出たその笑みは涙と血に濡れていた。

 

「!」

真っ赤になった世界で得た確かな感触。

自分の身体が無数の手に掴まれて落ちて行っている。

死後の世界はあったのか。じゃあ、探し続ければいずれ君に…

 

「君に…君にようやく会えるよ…待たせてしまったな…」

リザ。俺もようやく君のところへ行ける。

そっちにはリリアナもいるのか。

焼け爛れた顔でもちゃんと俺だとわかるか。

随分と遠回りしてしまったよ。

ようやく君のところまで落ちて…

 

「あ…?」

落ちて行くとは何だ。

何故俺は昇って行かない。何故あの日全てを焼き尽くした炎のように上向き、何故煙のように昇って行かないのか。

最早この世に五秒としがみ付くだけの余力も残されていなかったが、その全ての力を首に込め後ろを見る。

 

(お前らは…)

目から、耳から、鼻から、体中から血を流しながら嗤う人々。

会ったことも無いのにわかる。こいつらは、俺が殺してきた人間だ。

 

(リ、リザ…どこだ…俺を…君は…どこに…リザ…リリアナ?リリアナは…どうした…?)

死後の世界があるとして。

リザが、リリアナがそこに逝けていたとして。

彼が彼女と同じ場所へ行ける訳が無かった。

落ちて行く。地獄へ。

ユリの花はどこにもなく、血の色の彼岸花が彼を包み花びらが身を寸刻みにしていく。

 

(会えない…会えないのか…もう君と…あれが最後だったのか…)

あの日、幾重にも折り重ねられた燃える柱の中に見えた真っ黒な細腕が、自分の肩を掴むどす黒い腕と重なる。

 

(う、嘘だ…い、いやだ…あ、ああ゙、)

 

 

 

 

『……リイィイ゙イイザアァ゙ァアガァガッガガガァアアア…ザーッ、ザーッガガ……』

 

「女の名前か…?そんな馬鹿な…そんなはずが…」

地獄のふたをずらしてしまった時に漏れ聞こえた断末魔のような声がセレンの耳に届く。

10秒前に完全にシグナルロストし、レーダーから消え通信も絶対に届くはずの無い距離まで落ちて行ったというのに。

あの声は聞き間違えようもなくガロアの心をきりきりと締め付けていた男の物だった。

考えても仕方がないことだし気のせいなのかもしれない。

…なのにどうしてもその声が鼓膜に染みついて離れなかった。

 

『……』

 

「ガロア、ミッション完…!…っ…よく聞いてくれガロア…受けたくないなら受けなくていいからな…」

この戦場に、この地獄にケリをつけてもまだ世界中で戦争が起こっている。

再び戦い始めたガロアを世界が巻き込まないはずが無かった。

 

 

 

(……)

何をやっているんだろう。

自分は何かとんでもない間違いをしているんじゃないのか?

どうして自分の恩人をこの手で地獄に落としたのだろう?

 

間違った道に行ってないはずだ。だって生き残っているんだから。勝った奴が正しい、強い奴が生き残る。どこにも間違いは無いはずだ。

じゃあなんで殺したくない人まで殺しているんだろう。

 

「…?…??……、…」

頭の芯が揺さぶられるような頭痛から逃れる様にガロアは地上へと飛んだ。



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衛星軌道掃射砲破壊

「…テルミドールがああは言ったものの、お前が天才なのは間違いないと、そう思うよ」

 

「どういうことです?」

幾つもの照明に照らされた格納庫の中で化け物のような機体を何を思うでもなくただぼんやりと眺めていたハリは唐突に後ろからメルツェルから声をかけられた。

 

「お前の口から聞いた経歴を私も調べたのだ。ただの記録ではなく、声で、人でな」

 

「……?」

この集団に入るにあたって嘘など吐いていないし、これまで何度かORCA旅団としての任務に当たってきた。

まだ信じられていなかったというのだろうか。

 

「飽いていたのだろう?」

 

「なんのことやら」

とぼけるように言うがメルツェルの言いたいことはよくわかる。

だからこそ同意したくない。

 

「リンクス戦争で両親を失いアスピナ機関でリンクスになった。その経歴に間違いは無かった」

 

「……」

 

「だがお前は別段両親を失ったからリンクスになったという訳ではないのだろう?」

 

「…悲しかったですよ、普通に」

親戚たちの誰もが悲しむ中で、自分がしっかりしないといけないのだと言い聞かせて淡々と父母の葬式の準備を行った記憶が蘇る。

しっかりした息子だと言う人がいる中で冷たい息子だ、悲しくないのかと陰で言われていたのだ。まだ13歳の子供だったというのに。悲しく無いはずがなかった。

涙を見せて同情をしてもらいたい相手がいなかったから誰もいない所で静かに少しだけ泣いた。

ありとあらゆる事に恵まれた才能があった。

だがそこには他人からの嫉妬という切り離せない感情が付いて回り、人並み外れた才能のせいで冷酷な人間なのだという訳の分からない、余程冷酷な評価すらもあった。

自分はただ理路整然と動いていただけなのに。だがその反面、今までの人生において口に出さずとも取るに足らない愚鈍な人々をそっと見下していた面や行動があったことをハリ自身否めない。

 

「そういうことではない。人は誰もが何かに夢中に、あるいは夢中になれる物を探しながら死んでいく。

だが、お前は天賦の才があるが故に何にも熱中できなかった。他人が血と汗で到達する地点に散歩のような労力で辿り着いてしまう。お前を誘った時の返事をよく覚えているよ」

 

 

 

『別にいいですよ。どっちにいてもそのうち死ぬでしょうし』

自分の命をまるで要らないもののように投げ捨てるようなその言葉は、投げやりな態度からの物ではなかった。

あらゆる事が簡単で、それ故に極みへ到達する熱意を持てない。ただただ才能を無駄遣いしていく日々。

それならばせめて自分の命で意味あることを成そうとでも思ったのだろうか。

 

 

 

 

 

「こちらについても一つもメリットが無いと言ってましたよね。今思うと変な誘い文句です」

 

「…自分の命を使って何かを遂げること、それがメリットなのかもしれないと思ったのだろう」

 

「その通りです。敵いませんね」

 

「…才能を持つ者も、熱意を持つ者も存外その辺にいるものだ。だが、大成する者はその両方を兼ね備えていなければならない。急激にランクを上げた独立傭兵。それがお前だった。

ぴたりとランクが止まった理由は簡単だ。勝てないと思ったからではなく、どれも手に届く範疇だと分かってしまったから急にやる気が無くなったのだろう」

化け物…アレサを見上げるハリの後ろから声をかけているためメルツェルからその表情は見えない。

 

「ウィン・D・ファンションもリリウム・ウォルコットも…あるいはオッツダルヴァも普通に倒せるな、と思っていました。そもそも始まった瞬間に目の前に敵がいるというオーダーマッチ自体が私にとってこの上なく有利ですからね」

 

「…驕りではない。恐らくは正しいだろう。テルミドールは認めんかもしれんが」

 

「さぁ…実戦なら勝てないと思いますよ、彼には」

 

「そのお前がガロア・A・ヴェデットに自分をぶつけてほしいと嘆願してきたのは心底驚いたものだ」

 

「…なんででしょうね。ネクストに乗って熱くなってくると急にこう…心が沸騰するんです。それだけの為にネクストに乗っていると言ってもいいです。後のことは…女性も金も、全部飾りなんですよ。

本当に、どうしてなんでしょうか。あの人の…ガロア・A・ヴェデットを見たとき、その瞬間に魂が震え、頭に血をのぼらせながら思ったんです。こいつだけは俺の手で倒したい、と。…嫉妬…ですね」

およそ誰もが羨むステイタスの全てが手に届く範疇にあったハリはその日までその感情を感じた事が無かった。

自分以上の才能を持つガロアに嫉妬をしているのだろう。初めてのその感情を…およそ普通の人ならば感じたくないその感情をハリはいつまでも覚えていた。

 

「さらなる才能を目の当たりにしての嫉心だと?それは恐らく違う」

 

「そういってくれるのはありがたいです。でも私は認めてしまっているんです。彼の才能を。同時に妬んでいる」

 

「そっちではない。ガロア・A・ヴェデットの才能の方だ」

 

「……?」

 

「飽いていない、奴は。かといって熱意という類の物を持っているのでない」

 

「復讐心じゃないんですか」

 

「直接戦ったわけではないからそれはわからん。奴の底…根源、それをお前が見るんだ。そして打ち破れ」

 

「この機体を…」

 

「そうだ。乗れば死ぬぞ。構わないのだろう?」

 

「ええ。命の使いどころを探すためにこちらに来たのですから。…どうやらそれは正解だった」

タラップが音を立て降りてくる。

 

「勝て。ハリ。奴をお前の手で叩き潰して見せろ。案ずるな…私もすぐそちらに行く」

 

「…そしたらチェスのルール教えてください。すぐに負かして差し上げますよ」

一度も振り返ることの無かったハリの表情はメルツェルには分からない。

しかし、その背中は今から死に行く者としてはあまりに真っ直ぐで、足取りには迷いが無かった。

 

ハリは気が付いていなかった。

確かにガロアは戦闘の才能という一点で見ればこの世界に並ぶ者がいない程のものを持っている。

だが天才というのは得てしてどこかしらのバランスが著しく崩壊しているものだ。ガロアが捨てた物、壊された物をハリは知らない。

ありとあらゆる才に恵まれ、それでも人としてのバランスを保てているハリ自身が普通の人が望める最後の幸福である高みにいるということには気が付かなかった。

それ以上の高みに行くのならば、一つずつ売り飛ばして捨てていかなければならないのだ。

自分が人間である証を。

 

 

 

 

自然の風に作られた砂の紋様を6機のネクストが崩していく。

今この場に吹き荒れる風は全て人が作りしモノに起こされている。

 

「ぐぅ…う…なんということだ…」

 

『ふん…テぺス…馬鹿なことを…』

スティレットの声は嘲笑っているようにも聞こえるが、その根幹のところでは自分が死のうが生きようがどうでもよさそうだ。

 

『仲間と思ってはいなかったが…お前がこんな所で死ぬ器だったとはな』

そう沢山の言葉を交わした訳でもないが、懐かしい声は聞き間違えようがない。

ORCAには自分をテぺスと呼ぶ者はいない。

敵に回った自分に思うところがあるのか、ほんの少し攻撃に緩みが出ているフィードバックと、かつて肩を並べたときの姿と一切変わらぬ様子で苛烈に畳みかけてくるレ・ザネ・フォル。

 

「ぐ…まさか…」

アンビエントの後方からの攻撃を先読みして飛んだ先のルーラーの斬撃を避けれたのは運が悪かったがストリクスクアドロのスナイパーキャノンの直撃を喰らった。

 

『テぺス、企業に楯突く者がどうなるか、貴様もよく知っているだろうに』

 

「年老いて陰謀屋になるよりはマシではないか…?」

 

『好きに言うがよい』

 

(しかしこれは…まさか…)

たった一機のネクストの為に五機のネクストを投入してきた。

それも最近有り触れている才能だけの子供でも、雑魚でもなく、正真正銘上位のリンクスを5機だ。

しかもそのうち四機がランク一桁というのだからすさまじい。

 

『防御に回るなんて愚かね。それで勝てる道理が無いわ』

 

「おおっ!?」

ルーラーの斬撃に背面に装備したアサルトキャノンの一部が削れた。これでは恐らくもう発射は出来ない。

と、言っても先ほどからずっとPAは0のままだし回復する暇も隙も無い。

 

(誰ぞが…助言をしたか)

ORCA旅団が所持している衛星破壊砲基地は全部で七つ。

まさかここだけが敵にばれたなどという話があるはずがない。

全世界に対し宣戦布告をし、今まさしく世界は一つとなりORCAを殲滅せんとしているのだから。

 

(私を殺すためか…)

見つかった基地全てに戦力を分散させるのではなくここに集中させた。

つまり、クレイドルに突き付けられたこの巨大な兵器がこのままでは決して放たれないことを知っている者が指示したのだ。

恐らくは…アサルト・セルの存在を知る者。それイコール絶大な権力者と言ってよい。それが指示をしたのだ。

全人類が地上に降りた後に邪魔になるであろうリンクスである自分を。

年を食って実力もあり、人脈も太い自分を。

 

『お別れだな…テぺス』

 

『…さよならだ。お互いに年を取り過ぎたな』

 

『結局生き残るのは陰謀屋だったな』

 

「まさか…ここで終わりとは…な」

その名を知る者が一斉に別れを告げてくる。

そしてその声の合致は決して偶然などではなく、消耗の末にまさしく動きが鈍った瞬間だった。

 

ネオニダスのネクスト、月輪は落とした皿が割れるかのようにバラバラに砕け、傷だらけのコアが小さな爆発を起こした。

 

 

 

 

砕け散ったネクストの元に集まりスキャンするが有益な情報となりえる物は何もなさそうだ。

三つあった衛星軌道掃射砲も全て破壊されどうやらこの戦場はもう終わりのようだ。

 

「これで終わりですか?ならすぐに次の…」

 

『避けろリリウム!』

 

「っ!」

遠巻きに見ていた王の声に反応して避けられたのはアンビエントとルーラーだけだった。

比較的鈍重なフィードバックは回避敵わず巻き込まれてしまい、深刻なダメージを負っている。

レ・ザネ・フォルはたった今その場に作られたクレーターの中心でドロドロに溶けながら煙を上げており控えめに考えても中身は生きていない。

 

ズズンッ

 

という着地音は軽量級のアンビエントではまず出せないだろう。

 

『銀翁…あなたとそれほど親しかったという訳でもありませんが…仇は討たせてもらいます』

独り言ではない。オープン回線でその声は聞こえてくる。

この静かな青年の声があれから聞こえているのだろうか。あれから?

 

「な…なんですかこれは…」

今から自分は間違いなく殺される。そう確信させるほどの化け物がいた。

 

『プロトタイプネクスト…!』

 

『アレサね…まさか実物を見るのが戦う日になるとは思ってなかったわ』

 

『……』

アレサと呼ばれた化け物はそれ以上何か言葉を発することなく、

一般的なネクストの体高ほどある凶悪な大きさのガトリングを地面に叩きつけた瞬間、接近してきた。

 

「ひぅ…!」

ノーモーションからのアサルトアーマーを貰いAPが大きく削れるアンビエント。

全身を粗雑な注射針で刺されるような痛みにリリウムは顔を歪めた。

 

『ぐ…済まない、撤退する』

機体構成上、先ほどのネクスト戦で一番ダメージを負っていたフィードバックは先に限界を迎えたようだ。

 

『リリウム、距離を離せ!あれの動きは尋常ではないぞ!』

 

「はい!」

言われて後ろに下がるが、ジグザグと…あれはもしかしてクイックブーストなのだろうか。

少なくとも自分には瞬間移動としか思えないような動きで射線に入らぬように接近してくる。

 

『ぐっ…!!信じられないわ…中の人、死ぬわよ』

ガトリングをばら撒いくその俊敏な巨人は時々放たれた弾を追い抜きさえしている。

しかもそのガトリングもさっき数発掠めただけなのにAPがごっそり持っていかれている。一発一発がアンビエントの持つ突撃型ライフルと同等の威力があるかもしれない。

 

『くあっ…!』

PAのない今がチャンス、と斬りかかったルーラーが身の丈ほどもあるレーザーライフルでぶん殴られる。

肺の中の息が残さず漏れる音と共に奇怪な声が聞こえた。

 

「なぜ!?」

弾丸に追いつくような加速をして。

凶悪なライフルのような弾を信じられないような勢いで撃ち続けながら。

なぜ中身が無事なのか。

 

『無事ではない!あれは一度乗れば生きては帰れん。そういう機体だ。だから今は逃げてればよい!』

 

「は、はい!」

王の指示に従い、倒れたルーラーにコジマキャノンを向けるアレサに背を向けると、

 

『逃がしません』

そこにもアレサがいた。

 

「あ…れ…」

今後ろにいたのに回り込んできたのか。死ぬ。

化け物。リザイアは無事なのか。

死ぬ。さっきアレサがチャージしてたコジマキャノンが充てんされたままだ。

黒い悪魔が空から迎えにやってきていた。死…

 

『ぐがっ!!』

 

「……あ」

空から降りてきたアレフ・ゼロはクイックブーストの推力を全て踵からアレサに叩き込み、

軽業師のようにくるくると空中で幾つものひねりを挟み込みながら着地した。

その回転の瞬間に煌めく青い筋のようなものが光って見えたのは気のせいだろうか。

 

「ガロア様!…?……ひっ!?」

怪物に襲われているお姫様を助けに来た騎士。

そんな出来過ぎた物語の中心になったような気がして感情を乗せた声をあげた。

が、それは気のせいだとすぐに悟った。

 

『……』

よく笑う、という感じではなかった。

鈍感だし、少々変わったセンスをしているが、それでも時々ほんのり薄く笑う、

夜に浮かぶ月のような温かい少年だった。

あのホワイトグリント戦を見ても、理知的で優しい面が本当の彼なのだろうと信じていた。

いや、信じていたかったのかもしれない。

だが、今目の前で自分に背を向ける機体から吹き付ける黄泉の風のような排熱は、もう記憶の中のガロアがいないことを教えてくれる。

だらりと力を抜いて敵の前に立つその姿はたんぽぽの綿毛が散る程度の風で掻き消えてしまいそうなほど存在感が薄い。

これではまるで…

 

 

『三機とも、撤退しろ』

 

「いや、まだリリウムは大丈夫です!」

どろどろと抑えられずに漏れ出てくる不吉な比喩が唐突にアレフ・ゼロのオペレーターからの通信によりかき消された。

 

『まだやれるわ』

 

『……』

どこをどう考えたって四機で袋にした方が勝率が高いに決まっている。

しかし、戦いを続けると言いながらも心の底では不吉な矛盾に気づいているかのようにしこりがあるし、王は撤退勧告をただ黙して聞いている。

 

『違う。巻き込まれて死にたくないなら消えろという意味だ』

 

「……!」

ガロアを一番近くで見て一番知っているはずのオペレーターからのその言葉は、リリウムの嫌な予感の決定的な裏付けとなった。

世間の評価は間違っていなかった。救援に来てくれたというのにまるで心は救われていない。

 

遂にガロアは怪物となってしまったのだ。全てを焼き尽くす暴力の塊に。

 

 

『リリウム、退くぞ』

 

「…はい」

 

『任せるわ、アレフ・ゼロ』

尾を引くような白い線を残しながら飛び去るアンビエントに連なって残りの二機も空の彼方へ消えていった。

 

『……』

 

 

 

 

「…悪魔は地面を割って這い出てくるものですよ」

口がきけないのは知っている。派手な戦闘をするタイプでないのも分かっている。

なのに、目の前にいるというのにこの存在感の薄さは何だ?

嵐の前の静けさのようだった。

 

『……』

 

「オールドキングを倒してきたんですよね?一応お礼を…は?」

どうせ言葉を交わせないのだから会話を切るという概念もあるまい、とガトリングを構えようとした瞬間に右腕がピクリとも動かないことに気がついた。

 

『……』

 

「え…?」

柳の下の幽霊のように動かないアレフ・ゼロの前でアレサも微動だにしていない。

一見どちらも動いていないだけのように見えるが…。

 

(ガトリングが…腕の関節が切れてる…)

肘関節と肩関節にうっすらと赤い線が入っており、見た目はおぼろげながらもそれは内部で深刻な破壊を起こしていた。

 

(う…砲門が全部斬られている…?!)

連射銃に相応しくない大きさの五つある砲門全てが斬られている。

ただそれだけでなく切断面が一致していないのだ。直線で斬られていない。

五つの砲門全てがそれぞれ切り付けられ不揃いな竹やりを束ねたかのようになっていた。

 

(…とんでもない…)

何よりも背筋を凍らすのが、斬られたことをこの瞬間まで気取れなかったという事だ。

ガトリングはともかく腕まで斬られているのに痛みも感触も無かった。

それはつまり…

 

(気づかないうちに死ぬことになる…のか…)

斬られても気付かないのなら気付かないうちに生身を貫かれあの世にいるということもあり得る。

 

(距離を…!!!)

冷え切った頭でとにかく距離を取らなければヤバいと判断し後ろにクイックブーストを吹かしたほんの100分の1秒後にアレサがいた場所をブレードが焦がしていた。

 

『……、…』

 

(見えない…心が冷えてる…これでは…)

ハリの特異な才能。

それはごく僅かな時間にAMS適性が10倍以上に跳ね上がるという事だった。

元のAMS適性もそれなりに高い方だったが、その能力が発動した後のハリのクーラスナヤの動きは正しく前人未到の境界を突破していた。

ただし、その状態に至るには二つある条件のどちらかを満たさなければならない。

 

『……』

 

「くっ!」

弾けたフラッシュロケットに目を焼かれながらも辛うじてグレネードを躱す。

先ほどから体中を伝う汗は氷水のように冷たい。

ハリの能力解放条件の一つ。それは感情の高揚。

意識的、無意識的に関わらず感情が昂ぶると常人とは比べ物にならない量のエンドルフィンが分泌され多幸感、高揚感と共にAMS適性が跳ね上がる。

オーダーマッチの前はわざとハイになるために雄たけびをあげながら腕をぶん回していたりしたため、一部では二重人格なのではと言われていたほどだ。

だが、その状態になった自分は無敵だった。ネクストに乗らなければこの高揚も能力も知ることは無かっただろう。

そしてもう一つの発動条件。

 

(…この際だ…仕方ない!)

 

『……』

わざと浅く避け既に使い物にならなくなっていた右腕を斬らせた。

 

「ぐあぅ!!…う…ぅ…ぅあ…あ、ああ」

多少後ろに下がっていた分、切断には至らなかったが、目の前に紫電が弾け熱と痛みを限界まで押し固めたような苦痛が流れ込んでくる。

 

『……』

 

「あ…あ、は。…た…きた…」

大げさによろめきながら呟く。

この方法はやっぱり嫌いだ。

でも、でも、湧き上がる感情がもう…

 

「キタアアアアアアアア゙アアアアアア!!!」

痛みが完全に遮断され丸太を手足に縛りつけられているかのような重みを感じていた四肢が空気の抵抗すら感じないかのように動きだす。

 

「いくぞああああああああ!!!」

 

『…!』

砂を蹴り上げ隠れたところに突進しアサルトアーマーを叩き込む。当たった。

 

「なんだぁ!?やっぱそこにいんじゃねえか!!コケオドシ野郎がよおおおお!?」

もう一つの条件。

それは痛みを受けアドレナリンを分泌させることにより、痛覚を麻痺させるとともに大量のエンドルフィンを相乗させ分泌すること。

常人の数倍の量で分泌されるアドレナリンとエンドルフィンの効果により溢れる多幸感を受けながら痛みを完全に遮断する。

さらに副作用により感情が天井知らずに爆発し、跳ね上がるAMS適性によってハリは恐れを知らぬ最強の戦士となる。

ただし、その効果もって三分。

しかし今までその三分間を耐え抜いた敵などいなかった。

ましてこの機体ならば!

 

「楽しいだろおぁ!?ヴェデット君よおおおおおお!!」

動かぬ右腕を柱をぶん回すように遠心力で叩きつける。

 

『……』

が、砂煙をあげるのは吹き飛んだ黒い機体ではなく不恰好な野菜のように斬られた巨大ガトリングの残骸とこちらへ突進してくるアレフ・ゼロであった。

 

「バカが!!舐めるな!!」

目の前に突進してきた小兵に対し煮えたぎる怒りを込めながら前方にクイックブーストを吹かした。

 

『!!』

避けるのではなくぶつかってくるのは予想外だったのか、アレフ・ゼロはまともにぶちかましを喰らい無様に砂地に背をつける。

質量と推力の違いがもろにあらわれておりアレサは全くバランスを崩さぬままレーザーライフルを構える。

 

『……』

 

「かっこつけてんじゃあ…ねぇ!!」

レーザーライフルを発射した瞬間にまたもや右腕を振り回し、今度は右側から斬りかかってきていたアレフ・ゼロに直撃させる。

ゴガン、という響きがアレフ・ゼロの装甲を傷つけた音だと思うと溢れ出る愉悦が止まらなかった。

 

「喚け!泣け!!テメェはここで死ぬんだよおぉおおお!!!」

 

『……』

コジマキャノンをチャージし始めたアレサにしかしアレフ・ゼロは冷静にマシンガンを当てチャージを中断させながら体勢を整える。

 

「そんな鼻くそみてえな攻撃でえええええ!!すかしてんじゃねえぞおお!!!」

嫉妬に塗れながら爪を噛み、何度も見たアレフ・ゼロの戦闘ビデオ。

あの映像と寸分違わぬ速度の跳び蹴りに対応し脚を突き出す。

重量の差は明確で、アレフ・ゼロは一方的に吹き飛んだ。

 

『…!!!』

なだらかな砂丘に巨大な人型の跡をつけながら転がっていく。

あんなみっともない奴にさっきまでビビっていたなんて自分で自分が情けない。

 

「これでも俺に勝つってのかゴミ虫が!!」

今攻撃を畳みかければ勝てる。冷静な部分ではそれが理解できている。

だが、なんとしてもこいつだけは屈服させたい。

 

『……』

転がる勢いを利用してひらりと立ち上がるアレフ・ゼロ。

その姿は先ほどのように朧ではないが、勝利の意志が見えている。

蒼いブレードを起動させ再度格闘戦をしかけようとしている。

そしてそんなリンクスとして尊敬を覚えてしまう様な純な姿がさらにハリの嫉妬と怒りを煽った。

 

「そういうところがムカつくんだよおおおおおお!!!!てめえええのおおおおおお!!……お?」

ハエみたいに!何度まとわりついてきても無駄だ。吹き飛ばしてやる、と思い突進を開始した瞬間にふと気が付く。

右手に持っている武器が違う。あれはなんだ?マシンガンは??

ちらりと先ほどアレフ・ゼロが転がっていた跡を見ると確かに砂地にマシンガンが落ちていた。

まるで手品師だ。その意味が分からないが。

と、ほんの三分の一秒の間だけ、謎に頭を傾げながらも目を戻した瞬間、手に持っていたそれ…元々はアレフ・ゼロの右肩についていたロケットが弾倉ごと投げつけられた。

 

 

ハリが何かを考える前にアレサは強烈な爆発に巻き込まれた。

 

 

「ご…お…あ…」

最初にアレサが作り出したクレーターにも勝る程の大穴が出来ていた。

その中心でアレサはあちこちで電流を奔らせながら跪く。

投げ飛ばしたロケットの弾倉にグレネードを当て、残りのロケット分の大爆発を一度に起こす。

言葉にしてみれば簡単だが、それを目の前でやれてその意図まで正確に読み取れるものがいるだろうか。

自分には無理だったし、どんな攻撃が来てもアレフ・ゼロの攻撃一発では沈まないという自信の元に突進していた状態では物理的に回避不可能だった。

 

「あぐ…お…」

目の前で広がる爆発の光に目は焼かれ、無数の羽虫が頭の中に入ってしまったかのように耳がうわんうわんと鳴っている。

馬鹿でかいレーザーライフルを盾にしてなんとか生きてはいるがそれでもアレサでなかったら木っ端みじんになっていただろう。

 

『……』

揺らぐ視界の中で黒い影がクレーターの外に降り立ちゆっくりと近づいてくる。

どちらも意図してやった訳ではないが、歩み寄ってくるアレフ・ゼロに跪いてるこの状況はこれ以上ないくらい明確に実力差を示しているかのようだった。

 

「上等だあああああああ!!」

もう左腕も動かない。

関係ない。アサルトアーマーがある。体格でも勝ってる。

 

痛みは無いながらもがくつく膝を打ち、立ち上がろうとしたその瞬間。

 

ぷちん

 

「…い…痛っ…」

時間切れだ。声も挙げられない程の激痛が身体中を襲う。

両腕を肩から切断されそこに錆びた鉄棒をぶち込まれたかのような焼ける痛みに息がまともに出来ない。

でもそんなことよりも。

 

「ぐ…ぅ…」

頭が痛い。脳の内側から細長い虫が食い散らかしている、何かが頭の中で暴れているようだった。

 

「あ…あれ…」

顔を覆うように頭を押さえるとぬるりと奇妙な感触がした。

 

「そうか…私は…」

目からどろどろと血が溢れている。

耳鳴りは先ほどから全く止まず、外耳に触るとどす黒い緑色の液体が漏れ出ていた。

勝敗如何に関わらず、この機体に乗れば死ぬんだった。そうだった。

 

『……』

 

「でも…勝ちたかった…」

頭を掴まれ持ち上げられる。

当然こちらの方が大きいので浮かせることは出来ず、膝立ちとなるがコアを斬りつけるのには十分だろう。

 

(自爆機能が付いていないのか)

実験機であり、元より乗った者は死の運命から逃れられぬこの機体にそんな気の利いた物はついていなかった。

真っ赤な視界の中でさらに紅い眼がこちらを見てくる。

ああ、それなのに、こいつは自分を見ていない。

 

『……』

 

(!そうか…)

存在感が希薄だったのは弱った生命力からというよりは、蝶になる前の蛹のように魂に全く動きがなかったからだ。

今、その殻にひびが入った。嵐の前の静けさという表現は間違いでは無かったのだ。

 

(悪…本物の悪魔じゃないですか、あなた)

そこから覗くなにかは既に人間でも生き物でも無い。既に人間性は食い尽くされ、ただの荒れ狂う暴力そのものとなっている。

ハリはその姿にガロアがこれから辿る結末を見た。そしてその結末を念頭において今一度いままでのガロアの戦いを振り返ると、あまりにも最悪。

ただただ戦禍を広げ死者を増やしているだけだった。

 

(あなたが壊れるのが楽しみです)

振りかぶられたブレードはコアに近づくにつれて速度を落としゆっくりゆっくりと近づいているように見えた。

走馬灯が駆け抜ける。記憶を、経験を探ってももうここから助かる方法は無い。

 

「こっちに来るのを…楽しみにしていますよ…」

ハリは紅い眼が自分を見つめる中、死に際の恐怖を満漢全席を味わうほどの時間をかけてゆっくり刻まれながら死亡した。



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ウィン・D・ファンション

あまり笑わない子だった。

というよりもいつもむっつりしている顔、という感じだった。

ツリ目でへの字口、おまけに大人しいのでほとんどの大人は気難しい子だと勘違いしていた。

実際遊園地に連れて行っても父の肩の上でむっつりしながらパレードを見ていたし、ソフトクリームを食べても、美味しいとは言う物の全く笑ってはいなかった。

しかし両親はこの子はよくよく物を見ているから笑う暇が無いんだ、賢い子なのだと確信していた。

 

遊園地に連れていった三日後、クレヨンでがりがり描き上げた絵は、あの時のパレードと寸分違わぬ模写であった。しかも自分が掴まっている父の頭まで描いてあるというおまけつきである。

意味のある言葉を喋るのも早かったし、本もすらすらと読んですぐに覚えた。

この子は賢い子なのだと、両親が確信するに足る理由はそれこそ数えきれないくらいあった。実に将来が楽しみな子であった。

 

国家解体戦争により一家の故郷であるデンマークも漏れなく戦火に包まれた。

が、彼らの住んでいた土地が特に島国であったこともあり、大きな混乱は無く首都が制圧されるだけでインフラに大したダメージを与えることも無く非常に速やかに支配者の交換は終わった。

その一帯はレオーネメカニカに管理されることとなったが、一家の父がレオーネメカニカの社員であったこともあり、暮らしは変わることなく…いや、むしろさらに裕福になった。

 

「ウィニー、何を見てるんだい?」

その日、スヴェンは庭の木に足をひっかけぶら下がったまま動かない4歳の娘を見て何となく声をかけた。

 

「かぜ」

 

「風?見えないだろう、そんなもの」

木の上にいる娘を見ながら当然の答えを返す。

あれ、そういえばどうやってこの子はあそこまで登ったのだろう。

 

「見えるよ。木がうごいているもん」

 

「へぇ。ほー…」

確かに木の枝の揺れを見れば風の動きが見えるとも言えるのだろうが…それを風を見ていると言い切る娘はやはり天才だろうか。

それとも親バカなのだろうか。

 

「見ててどうなんだ?」

 

「せかいがうごいている」

 

「…そうだな」

何を言っているのかさっぱりわからないが、ここで否定するのはよくない。

分かったようにおごそかな顔をして腕を組みながら頷いていると、ウィンはくるりと空中で一回転しながら着地した。

 

「……!」

 

「おなかへっちゃった」

 

「ウィニー、危ないから高いところに登ったり降りたりしちゃダメだよ」

根っからのホワイトカラーの自分は空中で回転どころか木の上に登ることを考えただけで鳥肌物なのに、つくづくこの子は神に愛されている。

でも、危ない物は、危ない。

 

「…はーい」

 

「…お土産があるよ」

 

「ほんと?たのしみ」

と言う娘の顔はどう見たって楽しみだという顔ではない。

どちらかというと嫌いなおかずを食べなさいと言われた顔に近い。

 

(あんまり家にいないからなぁ)

連日朝から晩まで出勤し、時には日曜日も働きに出るが、それでも世間の他の者に比べれば遥かにマシな暮らしをしていることは間違いない。

それでも変わらずむっつりとした顔をしながら部屋に入る娘に妻は『嬉しそうな顔しちゃって』なんて声をかけており、未だに娘の表情の細やかな変化が読み取れないのはやはり少し寂しい。

休暇が増えればいいのだが、国家解体からまだ一年も経っていない今では休めば休むだけ世間の歪みが加速度的に増えるからそうもいかなかった。

 

「わ。なにこれ?ぜんぶ私の?」

 

「そうだ、全部おまえのだよ」

 

「あなた、どうして?他にもお人形とか」

 

「わたしはこっちの方がいい。ありがとう、お父さん」

 

「ほらな、ウィニーもこう言っている!」

 

「もう…」

50冊以上ある本の山の前で変わらずむっつりしている娘を見て妻のミアは少々呆れている。

 

「……」

実を言うと、本が大当たりということを知っていたのではなかった。

1歳辺りから急激に言葉を覚え始め、貪欲に本を読むようになっていたウィンはついに父の書斎の本にまで手を出し始めた。

組成式の辞典なんか見て何が楽しいんだろう、とは思ったもののまあいいかと放っておいた自分が間抜けだった。

幾つもの難解な本の中にカバーだけ変えて紛れ込ませていた…いわゆるポルノブックもまじまじと読んでいたのだ。

それもかなり終わりの方まで。慌てて取り上げたが、自分のせいなので怒るわけにもいかなかった。

何よりもむっつりとこちらを見上げる娘の顔ははっきりと悲しそうであったから。

本が読みたいなら読ませればいいんだろ、と書店でランダムに本を選んで買ってきたという訳なのだった。

いつの日かあのポルノブックの意味を知った時にウィンは自分を軽蔑するだろうか。それとも忘れているだろうか。…賢い娘は多分忘れていないだろう。

それでもあの下劣な本達を手放せない自分が悲しかった。

 

「……」

 

(ミア、ウィンは何を読んでる?)

娘の部屋をそっと覗いている妻の後ろから小さく声をかける。

 

(…え…と…ファンタジー大図鑑…?かな…)

 

(へぇ…意外だな)

ウィンが初めに興味を持って読み始めたのは現実にはいない生物や伝説の出来事をまとめた図鑑だった。

その下に置いてある化学入門書を読むものだと勝手に思い込んでいたし、そういう期待も無かったと言えばうそになる。

 

(…確かに楽しそうだ)

だが、むっつりと唇を曲げながらも時々眉をあげたりほんのすこしだけ笑う姿は実に楽しそうだった。

買ってきてよかったと言い、妻の肩をそっと叩き部屋に戻る。明日も仕事なのだ。

一年のうち7分の6も働いてるなんて正直嫌になってくるが、帰れば娘の成長と妻の嬉しそうな顔を見ることが出来る。それだけでも働く価値はあるとむにゃむにゃ考えながらスヴェンは眠りに落ちていった。

 

(……)

その夜。

 

(あった。むずかしそうな本の中にはかならずあるんだ)

父も母も世界も眠る丑三つ時。

ウィンはそっと目を覚まし父の書斎に忍び込んでいた。

 

『こ、これは俺のじゃないんだ!勝手に入っていたんだ!捨てておくから貸しなさい!』

 

『……』

そう言いながら取り上げられた女の人の裸が載った本。

絶対に捨てていない。そう確信したウィンは溢れる好奇心に従い再びその本を手にしていた。

 

ぺら

(……うわ)

 

ぺら

(……うへ)

 

ぺら

(…きれい)

さっきまで読んでいた本もとても面白かった。

この本に載っている女の人は…そう、セイレーンとかマーメイドとかと同じくらい綺麗だ。

 

ぺら

(でもお母さんがはだかになってもこんなんじゃないな…)

直球に失礼な感想を抱くのも子供だから仕方がないのか。

勿論ポルノブックに載っている女性だって撮影にあたって修正されたり光加減を調整したりと時間をかけてるものだし、普段から身体を磨いているのだがそれがウィンには分からない。

 

ぺら

(……)

 

好奇心は眠気に飲み込まれる朝方まで収まらず、朝食の時間に卑猥な本に埋もれて眠る娘の姿を発見し、激昂しながら怒鳴り散らかす妻に頭も上がらずスヴェンはその日会社に遅刻した。

 

「おーい、またウィンが本を抱えてがり勉してるぞ!!」

 

「ケニー、こいつ人より本が好きなんだよ!」

 

「やーい!」

 

「……」

何がやーいなのか。

小学生になったウィンは三年生になっても特に友達を作らずにずっと図書館にいた。

あまりべらべらと喋る方でもなく常にむっつりしているとなれば、自然と出来ていく人の輪からあぶれてしまうのも子供なので残酷だが仕方がないと言える。

 

今日も今日とて帰り道にやんちゃ小僧のケネスとその取り巻きの男の子たちによくわからない言葉で馬鹿にされるウィン。

 

「……」

 

「なんとかいえよ!ウィン!」

ケネスが指でちょいちょい、と合図をする。

 

「ほら、おいかけてみろよ!」

 

「あっ!」

その合図と同時に男の子の一人が本を奪って走り去ってしまう。

図書館から借りた本なのに!

 

「……」

 

「お?怒ってんの?怒ってんのウィン」

そろそろ悪ガキどもは気が付くべきであった。

いつもむっつりしているウィンの顔がむっつりを越えて憤怒の仁王の顔になっていることを。

図書室でもからかわれ、教室でも消しゴムを投げられ、廊下で髪を引っ張られ、トイレまで追いかけられて。

もう限界だった。

 

「待てこ…!きゃあ!!」

走って追いかけようとした瞬間にケネスにスカートを捲られた。

 

「白!!」

その瞬間、頭が穿いているパンツよりも真っ白になりスカートを押えるよりも先に後ろにいるケネスに手が出てしまった。

 

「こん…のぉお!!」

 

バッコォォンッッ!!

 

「アバアアッッ!?!」

 

「…あれ?」

確かに思い切りぶん殴りはした。でも、せいぜい鼻血が出るくらいだと思っていた。

しかし現実のケネスは滅茶苦茶に回転しながら血と白い…歯を巻き散らかし3m以上も吹っ飛んでいた。

 

「すいませんでした!!本当にすいません!!」

夜。父親に手を引かれケネスの家までウィンは連れてかれていた。

 

「いやいや、聞けばこちらがからかいすぎたという話ですし…」

 

「女の子相手にいじめなんてうちの息子が悪いですよ、それは」

 

「……」

ウィンの頭に手をかけ何度もぺこぺこと頭を下げる。

ケネスの両親はそういっているが、当のケネスは粗悪品のスイカのように頬が大きく膨れ歯が何本も欠けている。

正当防衛、しかも一発だったと何人の子供が顔から血の気を引かせながら証言していたが信じられない。

 

「せめて治療費だけでも…」

 

「いいじゃないですか、歯もそのうち生えてきますから」

 

「女の子にぶっとばされて治療費をいただいたなんて恥ずかしすぎるじゃないですか?ねぇあなた」

夫婦はもういいから、と笑顔で言ってくれているがそうですか、それではと言って去るにはケネスの顔は痛々しすぎた。

 

「もうヒいよ、おイさん」

 

「え?いや、でも…」

それまで黙って見ていたケネスは一歩前に出て口のあちこちから空気を漏らしながらそう言う。

 

「フィン、ホれもわるハった。ホめんよ」

 

「…うん、ごめん」

父に何度も頭を下げさせられながらも終始むっつりしながら口を閉じていたウィンはその時初めて謝罪の言葉を口にする。

 

「だからさ…ヒにしないで、あヒたからホれらと普通にあホぼうぜ」

 

「…うん」

むっつりとしかしはっきりとウィンは頷く。

親としても全然友達と遊ばない娘のことは気になっていたのだが。

 

「いやはや、真っ直ぐに育っていらっしゃいますね…ケネス君は」

 

「これくらいで拗ねるような育て方をしていませんから」

 

「よかったらこれから仲良くしてあげてください」

 

「いや、こちらこそ…本当にすいませんでした」

あまり遅くまで頭を下げていても迷惑だろう。

赤黒いケネスの顔を見るとかなり気が重いが、背を向けウィンの手を引いた。

 

「フィン、またあヒたな」

 

「…うん」

 

その後、家に戻り夕食も済ませ、ウィンを座らせ向き合う。

 

「ウィニーお前な…」

 

「……」

 

「ウィン!あなたね…歯が十二本も折れていたのよ!」

珍しく娘に声を荒げる妻。

ここは男親の自分が騒ぐより任せた方がいいかもしれない。

 

「せめて二本までにしておきなさい!」

 

「……」

 

「ちょっと待て」

全く論点の違う思いもよらぬ妻の主張にずっこけながら突っ込む。

 

「あら、これくらいの年ごろならケンカするぐらい元気な方がいいじゃない」

 

「ウィニーは女の子なんだぞ」

 

「私はこれくらいの年ごろはいつも男の子とケンカしていたわ」

 

「……」

もう長いこと一緒にいるので違和感が無くなっていたが、

がりひょろ研究者の自分とどうして付き合っていたのか、と自分でも疑問に思うほどミアは活発な女性だった。

とはいえやはり男の子と殴り合い…しかもあんな怪我をさせてしまうなんて親としてはとても容認できない。

 

「お父さん?」

 

「ウィニー…あれ、本当に一回しか殴っていないのかい?」

 

「うん。飛んで行っちゃった」

 

「スヴェン、そんなに凄い怪我をしていたの?」

 

「…ああ。少々信じがたいが…。ウィニー、それが本当なら…明日、近くにキックボクシングのジムがあるからそこへ行こう」

 

「べつに人を殴りたいわけじゃないんだけど、お父さん」

 

「いいじゃない、ウィン。行ってきなさい。折角強いんだからもったい無いわ」

 

「…わかった」

借りてきた本、読みたいのにな。

そう思いながらもウィンは、ケネスを殴り飛ばした右こぶしがじんじんといつまでも熱を帯びているのを見てまぁそれもいいか、と納得した。

 

「お風呂入る」

 

「ああ」

 

がらがらと風呂場の扉を閉めてスカートも下着も全部まとめて籠に入れる。

 

「…うん。やっぱり違う」

風呂場にある洗面台の鏡に映る自分の姿を見て独り言ちる。

 

見事に割れた腹筋、流し込まれた鋼のような二の腕、極端な密度となり一見普通の細さの背筋、指を押し当てても全く指が沈むことの無い太腿。

 

「…他の子はもっと…ほそいけど丸いのに…」

テストも常に百点であり、何をやらせてもすぐに出来てしまうので運動も一番であったのは当然の事なのだろう、と両親の感覚は麻痺していた。

このくらいの年ごろの女の子なら、いや、男の子でも、痩せていても多少は脂肪がついて丸みを帯びておりまだ筋肉の発達がどうのなどと理論を語れるような身体をしているはずがなかった。

 

普通に服を着て歩いている分にはウィンも痩せ型の女の子であり、小学校に上がるとともに一人で風呂に入り始めたので両親も気が付くことは無かった。

だが…ある時期を境に栄養は全て筋肉に吸収されるようになり、運動するでもなく日に日に締まっていく身体。既にウィンの身体は体脂肪率7%を切っていた。

自分で気が付いたのはプールに入るときに他の女の子の身体を見てからだ。

それからだんだん自分の身体は何かおかしいのではないか、と思い始めていた。

そしてその疑念は今日、確信へと変わった。

 

天からウィンへのギフト。それは頭脳ではなくその肉体にあった。

これから鍛えていけばあらゆるスポーツで超一流になるであろうその肉体を、今日のウィンは結局『変な身体だなぁ』と思うだけで終わってしまった。

 

「ハれ?」

 

「あ」

次の日。

父に連れられてキックボクシングのジムに来たウィンは丁度着替えている最中のケネスに会った。

 

「み、見んなよ」

 

「…その身体で強いの?」

恥ずかしそうに上半身をケネスは隠しているが、ぶっちゃけ見れるような箇所がどこにもない。

 

「こら、ウィン!」

 

「フ、フるへー!これでも同い年の中じゃ一番フよいんだぞ!」

いきなり失礼かました自分を父は軽く頭をはたいたが、その時後ろから背の高い男性がやってきた。

 

「入会希望ですか?」

 

「あ、はいそうなんです」

 

「コーチ、ホれ、こいつに昨日ぶっとばされたんだ」

 

「え!?この子にか?!」

 

「あ、いや、本当にその件は…」

と、父は何故かコーチと呼ばれた大男にまで頭を下げる。

 

「いやいや、ケニーはジムの同年代の中で一番強い子なんですよ!」

 

「ふーん…本当だったんだ」

 

「名前は?これから一緒に頑張ろうな」

手を差し出す大男から一瞬だけ目を逸らし辺りを見渡す。

リングの中で殴り合う人達。

軋むサンドバッグの音。

汗のにおい。

何故だろう。初めて来たのにここが自分にとって居心地がいい場所だと言い切れた。

 

「…ウィン・D・ファンションです。よろしくお願いします」

 

五年後。十三歳になったウィンはこの日、他のジムから来た十五歳の少年と非公式の試合をしていた。

加減は要らないから思い切りやってくれと釘を刺したうえで。

 

「シっ!!」

 

「ぐぁ…」

2ラウンドの1分31秒。

こんな女の子に本気もクソもあるかとしかけられた舐めた攻撃を全てさばき首筋にハイキックを一撃。

その一撃で相手の少年は鼻血を噴きながら白目をむき昏倒した。

 

「タ、タンカもってこい!」

 

「アーニエルがやられるなんて!」

泡を吹き白目を剥いた少年が運ばれていく傍ら、静かにリングを降りる。

 

「よくやったぞウィンディー!」

 

「お前やっぱりすげえよ!」

 

「ありがとうございます、コーチ」

 

「あ…」

相も変わらず普段からむっつりとはしているものの、

あの日ケネスをぶっ飛ばして以来何人も友達と呼べるような存在が出来て、よく笑うとはいかないまでも時々唇を噛みながらはにかむようになっていた。

その姿は普段の強さにおよそ似つかわしくない可憐な少女のそれであり、大人たちは将来絶対美人になると太鼓判を押し、ケネスはたまにウィンが笑うたびに顔を赤らめる。

 

「ウィニー、おめでとう」

 

「父さん」

非公式の試合であり、休日でもないのに父は仕事を切り上げ見に来てくれていたようだ。

 

「お父さん、見ていましたか!今の試合!この子は凄い選手になります、いやもうなっていますよ!」

 

「いやいや…お恥ずかしい」

肉体のぶつかり合いなど生まれてこのかたしたことの無いスヴェンにとって今の試合はなんとなくすごかったんだろうな、くらいしか言えない。

だが、コーチはその理解の無い男に身振り手振り今の試合が如何に凄いかを教えてくる。

 

「彼はウィンディーより16kgも重いんですよ!身長だって20cm以上高い!その首元まで脚をあげてもバランスが崩れない体幹の強さ!思い切りの良さ!身体の柔らかさ!一撃の破壊力!

全て一流の格闘家に必須の条件なんですよ!見てください…この脚を!神がくれたとしか思えない…!」

 

「……」

 

「は、はぁ」

見てください、と言われても普段から見慣れている娘の脚を見てもどうとも思えない。

確かにまじまじと見ればあちこちに傷がつきながらも光を反射して輝くその脚は金属のような筋肉が詰め込まれており、世界を転覆させたあのネクストの機能的な脚の造りにも似ている。

とは言え、普通に娘の脚だ。

 

「おじさん、もっと他のスポーツもやらせるべきだぜ!この前の体力測定の結果見てないのかよ!」

 

「いや、うん?見たよ。凄かったよね」

 

「凄いなんてもんじゃないんだって!全部一番なんだぞ、男子も入れて!走り幅跳び7mってどんだけ凄いかわっかんないかなー」

 

「人のことを化け物みたいに言うな」

 

「あてっ」

まるで自分のことのように喚くケネスの頭をウィンは小突く。

ただ父はおろおろとしている。

 

「父さん、今日はご飯…」

 

「ああ、今日はご馳走にするって母さんが言っていたよ」

さらに仕事が忙しくなった父はとうとう日曜日以外は家で夕食を取らなくなっていた。

そのおかげで裕福な暮らしが出来ているし、キックボクシングを続けていられるのだと思えば文句など言えようはずもないがそれでもやはり寂しかったのだ。

 

その夜。

 

「コーチはああ言っていたが、お前はどうしたいんだ?」

 

「…何を?」

 

「まだ将来の事は早いんじゃない?」

 

「そういうことか…」

父は今日コーチやケネスから捲し立てるように言われたことについて思うことがあったようだ。

ウィンは別に両親と話さない方では無いし、思春期の女の子特有の特に父親に対する苛烈な反抗期を迎えてもいなかったが、それでも避けている話題が二つあった。

一つは自分の恋愛のことである。

 

「もう十三だしな。そろそろ考えてもいいだろう?」

 

「……ちょっと待ってて」

そしてもう一つは将来についてだった。実は考えていることはあった。

が、それを言い出せば母はともかく父がずっこけることは間違いないと思っていたので言い出せなかったのだ。

 

「これ…覚えている?」

 

「これは…昔買ってあげた…」

ボロボロになったその本は、大きな三日月の下で雄々しく飛ぶペガサスが表紙に描かれており、大きく「ファンタジー大図鑑」と書いてある。

 

「…ウィン?」

 

「ど、どういうことなんだい、ウィニー」

 

「そういうことなんだ、父さん、母さん。私はここに書かれているような不思議を探しに行きたい」

 

「……」

 

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ。本気なのか?」

母は神妙にこちらを見て、父はおろおろとしながら尋ねてくる。

 

「本気」

 

「待ってくれ、お前は勉強もスポーツも一番で、他のなんにだってなれるんだぞ」

 

「だからだよ。だから退屈なんだ父さん。勉強もスポーツも…まるで私の想像の外を出ない。埋まらないんだ…」

 

「……」

 

「で、でもそんなことの為に普通の生活を捨てるのか。それにそこに書いてあることだって人間が創った物なんだぞ」

 

「普通の生活が尊いってのは分かるんだ。でも、同じくらいそれを捨てたいんだ…私は。それに…全てが全て嘘なの?私にはそうは思えない」

ぺらぺらとページを捲る。偶然開かれたそのページを父に見せた。

そこには焼けこげる街の中で争う人々の頭上を飛ぶカラスの姿が描かれていた。

 

「見て…例えばこの…ダークレイブン…黒い鳥。世界中で語り継がれているこの伝説がまるっきり嘘なの?同じようなもの、似たような物じゃなくて、世界中のどこでも黒い鳥という名前で伝説になっているんだ。本当にそんな偶然があり得るの?」

 

「もしデタラメだったらどうするんだ、ウィニー」

 

「それを確かめに行きたいんだ。…いや、それを確かめに行く過程にこそ価値があると私は思っている。その時きっと私の胸は焦がれた感情に満たされている。そんな気がするんだ」

 

「…う」

そのページを開いたのは偶然なのかどうかはわからないが、黒い鳥。

レオーネメカニカの研究者のスヴェンは何度も耳にしていた。

そして確かに世界は何度も文明が破壊され再生されたとしか思えないような、そんな無視できない証拠も挙がっているのだ。

いや、むしろその証拠から生まれた伝説が黒い鳥と言ってもいいのかもしれない。

 

鍛えられた身体で世界を巡り優れた頭脳で伝説を紐解く。なるほど、考えてみればそれならばウィンに出来るだろうし、きっと満足するだろう。

何よりも、つまらなそうにむっつりとするのではなく心からの満開の笑みをその顔に広げられるのだろう。

 

「世界がこんなに広くて、人間がこんなに小さくて、こんなに風が吹いているのに全て嘘ってことの方が信じられないんだ、私は」

この世界にはどれだけ浸かっても満足しつくせない物がある筈だ、そうだろう、と静かに…それでも激しい光を湛えた目で父を見る。

 

「ウィニー…」

 

「さ!あなたも、ウィンも!ご飯食べ終わったんだし片づけてね!まだまだ先の話なんだからいいじゃない」

 

「「母さん…」」

真剣な顔で母を見るその顔はやはりその父にしてその娘ありと言えるくらいに雰囲気や表情が似ている。

 

「……」

むっつりと表情を戻し、皿を台所へと運んでいると急に母がその自分によく似た顔を寄せてこっそりと話しかけてきた。

 

(私はあなたの夢を否定しないわ…ウィン)

 

(母さん…!)

 

(ただし…もしその夢を追いたいのなら…)

 

(……?)

 

(あなたが退屈と決めた全てに勝ち続けなさい、わかった?)

そうだ。もし勝ちもしていない現実に、一番でもいない何かを退屈と呼ぶのならばそれはただの逃避でしかない。

勉強の出来ない者が「こんなの何に役に立つんだ」と言ったり、運動の出来ない者が「部活動でスポ根なんてくだらない」と言うのと何も変わらない。

もしもそう言い切りたいのであれば、全てに打ち勝った上でその言葉を口にしてこそ、それは次のステージへの言葉となる。

 

(わかった、母さん)

自分だけの夢を追うために母から出された課題。

一番であり続けること。それは理不尽な厳しさなどではなく、当然のことだと少なくともウィンは思った。

父も母も、別に自分に何もかもをこなす超人になれと思っていたわけではなかっただろう。

だが、それでも。父が作り母が守るこの普通、日常を退屈だと言い捨てたいのならばそう言える人物でなくてはならない。

 

その日を境に何をしなくても一番のウィンは何をするにも一番であるために研鑽を重ねるようになり、どんな分野でも最早彼女の陰を踏む人物もその地域にはいなくなっていた。

 

「お前のことが好きだったんだよ!」

 

「…は?」

高校生活も半分以上過ぎたある日、どういう腐れ縁なのか高校まで同じだったケネスに帰り道、そんなことを言われた。

 

「……?」

 

「いや、違う違う、お前に言ってるんだ」

それは私に言っているのか?と心底疑問に思いもしかして後ろに誰かいたりして、と振り向くとそんな事を言われる。

 

「どういうことだ」

 

「お前のことが好きなんだ!付き合ってくれ、ウィンディー」

 

「嫌だ」

言い切り再び歩き出す。

 

「あ、え、ウっソ!?もう終わり!?ちょっと待ってくれ、ずっと好きだったんだ」

 

「ずっと?」

歩みを止めない自分につんのめるようにしてついてくるケネス。

 

「小学校の時からだよ!」

 

「私がジムに入っていたころからか」

 

「違う、ずっと前!初めて会った時からだ!」

 

「お前私のこといじめていたじゃないか。あれで好かれると思っているのか」

 

「…う、いや…」

 

「それにお前の左側の歯をほとんど叩き折ったんだぞ、私は」

 

「いやー、あれは痛かったな…」

 

「それじゃ、私はこっちだから」

バスを降りていつも別れる道でいつも通りに曲がる。

 

「待ってくれ、話を聞いてくれ」

 

「聞いたぞ」

ケネスは真っ直ぐ自分の家の方へ行かずについてくる。

私の家まで着いてくるつもりなのだろうか。

…ストーカーの歯を折っても罪にはならないのだろうか。

 

「好きな奴でもいるのか!?」

 

「いない。……?」

聞かれて、ふと足を止め思い返す。

小中高と、自分が会話する女子も、他のグループの女子も話題の中心はいつも一緒だった。

だれそれが好きで、だれとだれが付き合っている。よくも飽きもせずに続けられるものだと感心していたが、

そういえば自分は好いた男がいた試しがない。母から「好きな男の子は出来た?」と聞かれても常に「いない」と答えてそのうち答えるのも馬鹿らしくなってしまった記憶が蘇る。

 

「じゃあ俺の何がダメなんだ!」

 

「何がって…」

金髪に緑の眼、少々面長だが整った顔ではあり(何回もボコボコにしているのによく整ったものである)、背も高く相変わらず続けているキックボクシングもかなり強い方だとは思う。

勉学も浮ついてはおらず、自分も通っている地元で一番の高校でもしっかり授業についてきている。

学校で群れたりチャラついているのは気に入らないが、誰かを虐めているようなことは無く、むしろカツアゲされているオタク学生を助けたりと女子の間からも評判はかなりいい。

そういった意味では別に人間的に嫌いではないし、頻繁に一緒に帰ったりしているが、そういえばなんでこいつのことを好きにならなかったのだろう、自分は。

…よくわからないが、これだけプラス要素がそろっているのに好かなかったなのならばそれは多分…

 

「全部?」

 

「ズコーッ」

自分で効果音を出しながら盛大にずっこけるケネス。

別に嫌いなわけでは無いのだが、好きという訳ではない。ただただ友人としか言えない。

 

「くそう…ウィンディー」

 

「もう私の家なのだが」

とうとう家の前まで来やがった。

 

「俺は絶対あきらめないからなああ!!」

天を仰ぎ叫ぶその姿は…………………………………………近所迷惑だった。

 

「…でね、本当にケニーったらしつこいのよ!別れたはずなのに未練がましいったら!」

と、迷惑そうに言うその台詞には多分に自慢が混ざっている。

 

「へぇ」

 

「夜中まで電話してきて…家の前に来て…あり得なくない!?」

 

「そうだな」

 

(絶対あきらめないんじゃなかったのか。まぁどうでもいいけど)

 

高度約10000m。

リンクス戦争による汚染度の爆発的な上昇により一時期は100億を越えたその人口は約三割ほど減少し、人類は尻尾に火のついた鼠のように慌てながらこの巨大な飛行機を作り上げ空へと非難した。

やはり被害は目も当てられぬほど甚大ではあったが、それでも人類の宝である学者や貴重らしい政治屋達は優先して詰め込まれたおかげでクレイドルでの生活は何一つ困ることは無い。

レオーネメカニカの管理職についていた父のコネもあり、危げなくクレイドル04へと移住したファンション家だが、

クレイドルへの持ち込み荷物は一人トランク一個というルールの元、思い出の品も家も全てを置き去りにしてここまで来ていた。

 

「でね、他の男子が心配してくれてさ、…ねぇ、聞いてる?」

 

「聞いているよ」

クレイドル内にある大学のカフェテリアで延々とつまらない話を聞かされている。

 

自分は何をしている?

全てが人により作られ、人により完結していくこのだだっ広くて狭苦しい空間で私は生きているのか。

明日も明後日もここで作られた空気を吸い、ここで作られた食料を口にして。死ぬ日まで。

 

(まるで巨大な棺桶だ、ここは)

幼い頃の夢はもう叶わない。

地上は汚染され誰も降りようともせず、人に作られ人だけが暮らすこの飛行機には一つも幻想は乗っていない。

ただ塞き合う人だけだ。くだらない。20歳になった自分は全てを持っているようで何も手にしていない。

 

「ジェシカ!ここにいたのか!」

 

「ケネス!あなたとは終わったはずよ!」

 

(くだらない)

目の前で寸劇を繰り広げる二人にただ溜息しか出ない。

いつから世界はこんなにつまらなくなったのだろう。

 

「俺たちは運命の二人だろう!」

 

「違うの!あなたはあなたの幸せを探して!それが私の幸せでもあるの!」

 

「もうやめておけ…一度終わったのになぜ付きまとう」

 

(これ以上醜い会話を私の前で続けないでくれ、キレそうだ)

別にこの女の為では無い。何よりも脳細胞がプチプチと死滅していきそうな会話を聞かされている自分の為にウィンは怒っていた。

 

「ウ、ウィンディー…」

 

「そうよ!もう終わったじゃない!」

 

「一度手に入った物が手から離れたら誰だって惜しくなるだろう、人間なら!」

こいつはこんなに鬱陶しい奴だったのか。

必要以上に親しくならないで正解だったようだ。

 

「物って…私は物なの!サイテー!」

 

「ああ!待ってくれジェシカ!」

 

「……ようやく静かになったな」

わざと追いつけるような速度で走るジェシカを追いかけるケネス。

死ぬまでこの棺桶でやっていてくれ。

 

(一度手に入れたもの…か)

何気なく踏みしめていたあの大地。

何気なく受けて髪を梳いていったあの風。

草の匂い。太陽の光。雨。雪。虹。

 

もう二度と手に入らない。でも、出来るならもう一度…

 

(ああ、そうか…)

自分はあの大地に焦がれている。

人だけではなく生きとし生ける物全てが織りなし成り立つあの地球に。

 

(不思議を見つけに…神話…黒い鳥…)

嵩張るから一冊だって持ってこれなかった。

勿論あの本も地上に置き去りだ。

 

(そういえば…勝手に神話なんてのは空想の世界の話、過去の話だと決めつけていたのは私だったのかもしれない…)

冷静に考えてみれば、ほんの一握りの選ばれた人間だけが操れる巨人を駆り、たった数十人の人間が世界を転覆させ、あまつさえ地球をも沈めんとしている。

こんな状況がお伽噺でなくちゃなんなんだ。数百、数千年後の人間はその話を聞いて信じるだろうか。

今、この瞬間の世界が。ネクストなんてものが動いている今この時代こそがいつか神話となるそれなのではないか。

 

「……!」

詰め込まれた才能に似合わぬ波立たぬ日々。

退屈を煮詰めたような空飛ぶ棺桶の中で薄いビニールを被せられ続けるような息苦しい狭い世界。

 

(…戻ろう、地球に。あそこが私の居場所なんだ。あの世界を取り戻そう)

 

ガシャアン!

 

「今…なんて言ったんだい…」

その言葉を口にしたとき、口をあんぐりと開きながら父は持っていたグラスを派手に落とした。

 

「私は地球に降りる。リンクスになる」

 

「……」

母はただ黙って聞いていた。

 

「待ってくれ…大勢死んだんだぞ…他でもない、その汚れた地球で!」

 

「ここにいても私もいつか死ぬんだ」

 

「お前の…お前の才能が…神様から与えられた才能が…何をやっても完璧なお前があの地獄へ行くのか!?」

 

「才能があっても無くてもここでは意味なく死んでいくだけだ。でも地上なら死ぬ意味と生きる理由が見つかるような気がするんだ」

 

「……」

 

「バカを言うな…バカを…」

 

「ウィン…」

 

「母さん…」

母は自分の気持ちをよく理解してくれていた。

それでもやはり止めたいのであろうことはその目から流れる涙で十分に分かる。

物心が付いてから、母に普通以上の苦労という苦労をかけた覚えはない。

自分は手のかからない娘だったと自覚している。今、自分は一気に親不孝を叩きつけているのだろう。

 

「本当にあなたにとって人間だけの世界は退屈だったのね」

 

「母さん…父さんも…愛している。ここまで育ててくれてありがとう」

むっつりと曲がっていた口は何時しか自然に笑えるようになっており、

不愛想な自分がここまで成長できたのはこの両親の元であったからだろう。

 

「分かった…。聞きなさい」

 

「…うん」

 

「来週、インテリオルの施設に行ってAMS適性の検査をしよう。父さんが口をきいてやるから…」

 

「…親不孝な娘だよ、ごめん」

 

「…いい。自分の思う娘の幸せと、本当の娘の幸せが違っただけなんだ。ただ…」

 

「……」

 

「そこで適性が無かったら、ちゃんと大学に行って卒業するんだぞ、いいな?」

 

「…ああ」

ただの勘。根拠を問われれば何となくとしか言えない。

でも自分はきっとその才能がある。

創造主とか、神とかそういう何者かに選ばれている人種なのだろうと、その確信だけはあった。

 

果たして私にその才能はあった。

それも飛び切りの…少なくともインテリオルの所属リンクスよりは完全に上の才能が。

 

父は…母も、ただ泣いていた。

地上に降りる私を見送るとき、目を腫らしながらも笑って送ってくれた。

その笑顔が私の見る最後の両親の顔だった。

 

コジマを持たず、作らず、持ち込ませず。

 

コジマ汚染によってあやうく滅びかけた人類がそのルールをクレイドル空域に作っているのは当たり前のことだった。

コジマの塊のネクストなどもっての外、リンクスも当然立ち入れない。

そもそも全人類に一握りしかいないリンクスがそこらに転がっているはずがないのでそんなルールは公表されてはいなかったが。

 

つまり、リンクスになった私はもう二度と空へと戻ることが出来なくなったのだ。

まあ元々地上からクレイドルを自由に行き来する体制すらまともに整っていなかったが。

とにかくもう、両親とも会えない。そういうことだ。どこかで両親はそれを察していたのかもしれない。

最後に笑顔で送ってくれて良かった。

おかげで今でも思い出す両親の顔は笑っている。…目は腫れているけど。つくづく私は親不孝な娘だ。

 

高いAMS適性を持った私をインテリオルのリンクス養成所は大喜びで地上に降ろし迎えてくれた。

 

久しぶりにその身に受ける地上の風は随分と乾いており、寂しげであったがそれでも私の満たされぬ心を鮮やかに攫っていった。

 

だが、地上でも待ち受けていたのは退屈だった。

既にリンクスになることが確定していた私は特別なカリキュラムを受け、他の生徒と混じることはほとんど無かった。

混じったとしてもやはり自分は何をしても一番で、特別なカリキュラム自体も特に危げなく進んでいった。

 

22歳、リンクスになった私は初めて人を殺した。

 

『家族がいるんだ、やめてくれ!!』

 

テロ組織の鎮圧という名目だったが、私の目にはどうもそうは映らなかった。

必死に生きている、ただそれだけに見えたが見逃すことは許されなかった。

なぜ『人類はほとんど全員空に飛び立った』と言われているのにこうも世界中で人が生きているのだろう。

…後の世界にはそんな事実は無かったことにされ伝えられるのだろうか。

地上もやはり息苦しかったが、それでも空にいるよりはマシだった。生きながら死んでいるという悲しみの息苦しさではなく、生きる為にもがき苦しんでいるという息苦しさだと分かっていたからだ。

自分が今、歴史を生きているという感じがした。

 

何十回目だったか。ランク12となっていた自分にあるミッションが舞い込んだ。

 

『大型ミサイル基地破壊』

 

そんなものテロ組織が所持していることがばれた時点で破壊される理由としては十分だったが、

なによりも優先して破壊されるべき理由があった。

 

そのミサイルが向いている先がクレイドルだったのだ。

それがクレイドル04に向けられていると知った自分は怒りに任せるままにその基地を徹底的に殲滅した。

だが、気づいてしまった。

 

残骸となったノーマルが幾重にも重なり、施設の全てが真っ赤な炎に飲まれている。

蚊ほどの効果もないアサルトライフルで撃ってきていたちっぽけな人間も残さず抹殺した。

 

「………あぁ…」

 

『ミッション完了だ。帰投しろ』

その当時に契約していた女性オペレーターがなんの感慨もなく淡々と告げる。

 

「少しだけ…寄り道をしたいんだ。頼む。ほんの二時間でいい。依頼金の半分をやるから」

 

『…まあ金さえ貰えれば文句は無い。ちゃんと帰って来い』

 

「すまないな」

礼を言う最中に通信が切られたがまあいい。どちらにせよ、金の繋がりだ。

 

「……」

システムを通常モードに移行し、リンクを切る。

全速力で行けばここから20分もかからない。

今までどうして行こうという気にならなかったのか分からない。

どうして今行こうと思ったのかもわからない。だが、行かなければ。生まれ故郷へ。

 

「………」

雲が矢のように後ろに飛んでいき徐々に太陽が近づいてくる。

時速2000km。まさしく神話に語り継がれるような…人類には過ぎた代物だ、このネクストという物は。

 

「………企業じゃなくて、クレイドルを狙っている理由…」

地上に住んで早二年。

空にいては決して分からなかったこの感情。

自分達が地上を這い回っている中あの馬鹿でかい飛行機の中では人間が悠悠自適と暮らし、ただ上に来るだけで太陽を独り占めし光を奪い去る。

それだけでも怒りと嫉妬を煽るのには十分だ。

かつて歴史上にこれほどまでにはっきりと差別が目に見える形になっている時代があっただろうか。

でもそれだけでは攻撃にまでは至らないだろう。

もう一つ、あるはずだ。地上のいる人々が堪えきれない怒りをため込む理由が。

 

かつてのデンマークの首都、コペンハーゲン。

生まれ故郷にウィンはやってきた。

 

「……やっぱりか…」

 

人と水路、カラフルな煉瓦の家が並んだその街は、川は枯れ果て道路は荒れ、家は崩れその地面の殆どが砂となっていた。

 

あそこを曲がると自分の家だ。

ネクストに搭載された汚染計測器がレッドゾーンを示している。

 

「…はっ…はは」

そこだけ切り取られたように昔のまま…なんてことがあるはずは無く、かつて走り回った庭に草一本生えておらず、

木は折れ、家は完全に砂となっていた。

 

「…当たり前だ…あんな馬鹿でかい物…」

それに乗って浮かんでいると、そこが大地だと勘違いしていると気づかない、考えられない。

あんな巨大な物が重力に逆らっていくつも浮かんでいる方がどうかしている。

 

「…地球を…食いつぶすほどのエネルギーがいるんだよな…」

クレイドルを浮かべる為にさらにコジマ粒子をぶちまけ地上の人の苦しみはさらに深まり空の人々は何も気づかずゆったりと暮らす。

こんな理不尽があるのか。

いいや、それよりも。

 

「砂に…全部砂になっちまった…」

肥大した人間が生きていくためだけにこの地球も、そこに存在したのかもしれない幻想も全て砂になっていく。

さらさらさらさらと地球が育んだ何もかもを食い潰し砂にしていく人類。

 

もう、自分が取り戻したかった地球は存在しない。

今更取り返しても、地球は最早全ての人の重みには耐えられない。

 

この世界は死にかけている。そして危い。

 

「結局…降りてきても私はただ死ぬだけか…」

ネクストの手で家だった砂を手に取るが大雑把なネクストの手の隙間から全て零れ落ちて風に飛ばされてしまう。

 

「父さん…母さん…ごめん…」

あの制止を聞いておけばよかった、あの涙に絆されてしまえばよかったという後悔は何の役にも立たず時間はただ前に進む。

なら、せめて。せめて家族は守ろう。優しくて、面白くて、大好きだったあの家族を。

 

回り回ってたどり着いたその決意。

有り余る才能をその身に受けても結局やることは『家族を守る』という父と母と同じ行動だった。

 

「…ディー!ウィンディー!!」

 

「…!…う…またか…」

帰って泥のように眠りレイラに叩き起こされる。

それがこの頃の常だった。

 

そして何度も見る過去の夢。

私は…後悔しているのか、ずっと。

 

「ミッションが来てるわ…ORCA旅団の本拠地が分かったって」

 

「………」

 

「ウィンディー…?」

 

「行きたくない…」

いつもへの字口で強気な表情で胸を張って歩いていたウィンが、ベッドの上で膝を抱えて俯いている。

 

「な…ねぇ、どうしたの…?」

 

「この戦いの結果はもう決まっているよ…」

 

「ちょ、どういう」

 

「勝っても負けても!私が死んでも生き残っても皆死ぬ!なら私が戦う意味なんてあるのか!?私は…私は、あんなものに乗っても結局家族も守れない…」

 

「………」

 

「もういいだろう…?休ませてくれ…」

 

「よく…わからないけど、これは企業のマッチポンプだってこと?」

 

「いや…ああ…そうなのかもな…」

 

「だったら行って、ウィンディー」

 

「な…」

死んで欲しくない、頑張り過ぎないでと普段からしつこく言ってくる彼女からの意外すぎるその言葉。

 

「私は…どうせ死ぬんなら、ウィンディーが諦めた世界よりもウィンディーが戦った世界で死にたい!分かっているよ…この世界は汚れすぎている。私もきっとその一つなんだよね…」

レイラが首筋にかかる髪をのけると鈍色に光るジャックが見えた。

 

「…う」

 

「私もリンクスだったんだよね、多分。きっとこの世界が腐っていく手伝いをしていたんだ。でも今更やり直したくても私にはもう力も記憶もない…。でも、ウィンディーなら…お願い。

行って、ウィンディー。最後まであなたの正義を貫き通して!その為にあの機械に乗って人を数えきれないほど殺してきたんでしょう!?今更折れるなんて許さない!」

両手でシャツを掴み縋るように叫ぶレイラの目からは大粒の滴が零れ落ちる。

 

「…そうだな…。私は…殺してきたんだ…」

涙をそっと拭いその手を握る。あの時家族の涙に絆されておけばよかったという後悔がまた頭に入りこんでくる。

今、自分はこの涙を止める為に動くべきなのかそうでないのか。どちらが正解なのかは分からない。

 

「沢山…沢山殺してきたんだ…私の行く道が正義だと信じて…」

なぜか、自分がまきこんだあの傷だらけの空っぽの少年の事が頭に浮かぶ。

彼は今も痛む身体に鞭を打ちながら戦っているのだろうか。

 

「そうだ…私が…私が始めたことなんだ。逃げてはいけないんだ…。レイラ…」

 

「うん」

 

「行くよ。準備は出来ているな?」

ベッドから飛び降りシャツを脱ぐ。

 

「大丈夫!さぁ、顔を洗って着替えてきて!」

 

「よし!」

折れかけた心に火を灯し我が道を行く。

築き上げた屍の山を踏みしめながら。



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ORCA旅団本隊撃破

元GA本社、ビッグボックス。

取り囲むように迫ってくる汚染から尻を捲るように人が消えたその巨大な墓標は、元々死ぬつもりのテロリストにとっては実に都合のよい隠れ家であった。

しぶとく生きながら各地に潜伏していると考えテロリストの住処を探す企業は、まさか汚染に囲まれるその地域に人が住んでいるとは考えもしなかった。

 

「取引は完了した」

随分と人が少なくなったその部屋でメルツェルは告げた。

 

「!早すぎないか」

テルミドールの予想ではさらに戦力を削らなければその暗い腹の内側を見せないはずだった。

 

「……」

 

「オールドキングの独断行動が効いたらしい。…忌々しいことだがな」

企業にしてもある程度の破壊が起こらなければ降伏するつもりなど無かった。

だが、唐突にクレイドル空域に現れ狂気と共に数百万人の命を奪ったそのネクストの姿は世間にとっても企業にとってもあまりにも危険過ぎた。

これ以上の死人が出る前に、さっさと事を済ましてほしい。それが企業の総意となった。

破壊からの再生が経済の循環の糧となるとは言え、人がいなければ金も経済も全く意味がないのだから。

 

「……」

 

「そうか…なら」

 

「ここが私とヴァオー。お前と真改がクラニアムだ」

 

「…分かった」

 

「お前が!?馬鹿を言うな、相手は恐らくウィン・D・ファンションだぞ」

 

「それが大事なんだ」

 

「ハッハー!!!ダイエットマニアのがりひょろの機体と削り合いかよ!!楽しいなあオイ!!」

騒ぐヴァオーにそれ以外の三人は全て耳を塞ぐ。

 

「…理由を教えてくれないか」

 

「今企業にあるリンクスの中で彼女だけが唯一独自の正義感で行動している…言わば最右派なんだ」

 

「……」

 

「それを企業に正しく認識させなければならない。本隊を叩かせ、大した戦力でもない私とヴァオーを殺させることによってな」

 

「ぬわぁんだそりゃぁ!!どういうふかし方だそりゃあ!?」

 

「独断行動でクラニアムの前に立ち塞がれ万が一にもお前がやられれば全てが水の泡になる。どちらにも何の得もなく、ただ人が死ぬだけになる」

ウィンの行動が企業にとって害だとはっきり認識させる為に死ぬ。メルツェルはそう言いきっている。

 

「私が負けるとでも?」

 

「万が一、だ。死ぬ気でかかられて相打ちに持ち込まれては意味がない、お前は生き残らなければならないんだ。不安の芽をつぶす為にもウィン・Dは企業に抑え込ませる。

…今、この基地の位置情報と共に、戦闘終了の報をカラード全体に広めている。ここで俺たちが殺され彼女の暴走を抑え込めればそれで良し、だ」

 

「………」

 

「細かい事はわかんねぇけど勝てばいいんだろう勝てば!?ハッハー!!この僧帽筋を見ろや!ぬぅん!!」

いきなり服を破きだすヴァオーはとりあえず置いといて話を進める。

 

「そうだ…勝て、メルツェル。抑え込め!この基地の全ての機能を起動させれば不可能でもないはずだ」

 

「…なるべくならな。さぁ、時間だ。行け。そろそろ来る。…真改、テルミドールを…頼む」

 

「……分かった」

 

「メルツェル…あの時…私についてきてくれたおかげで私は…」

 

「ああ、分かっている。何も言うな。上手く生き残ったら、酒でも飲もう」

 

「…私は下戸だ」

 

「知ってるよ」

袖を引きすぎては全てが台無しになる。

二人は早足で部屋を出ていった。

 

「ヴァオー、行けるか」

 

「いつでも、ヌゥン!ダブルバイセプス!行けるぜぇぇえ!!」

 

「…そうか」

メルツェルは予測していた。

地上に降りた人類がまず取るであろう行動。

それはコジマ技術の完全なる放棄。これ以上自分達の首を絞めるような真似をするほど人類は愚かではない、と流石に信じたい。

世界をこんな状況に追い込んだ技術は憎悪の対象になるはずだろう。

まず間違いなくネクストは完全に処分される。

そして今回のオールドキングの行動でリンクスの未来自体も怪しくなった。

良心のタガが外れたリンクスはその気になれば簡単に億単位の人間を殺す。

それを心底理解した企業、いや世界はもうリンクスという恐怖の権化の存在を許さないだろう。

そして自分達も必ず世界的に指名手配を受ける。

 

「……」

汚染の進行を阻止するためのテロを起こして人の命を奪っておきながら自分達だけ生き残るためにネクストに乗りコジマ粒子を振りまくような矛盾は許されるはずがない。

かといってネクストに乗らない指名手配されたリンクスが世間と企業から生き伸びる方法は皆無に等しいだろう。

何しろ空に浮かぶ七十億の人が地上に降りてほんのわずかな生存可能地域で犇めくことになるのだから、その目から逃れる術は無い。

結局、どちらにどう転んでもORCA旅団の未来は死だった。

だが、それでもせめて救いのある死を求めるのならば。

 

「……私はポーン…犠牲駒だ。テルミドール、お前はキングだ。何としても生き残れ。そしてなるべくなら…幸せになれ。お前にだってそれくらいの権利はあるだろう」

 

「なああぁにぶつぶつ言ってんだぁ!!?来たぜぇ!!行かねぇのかよ!!」

 

「…いや、行こうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

『ORCA旅団、メルツェルだ!ビッグボックスへようこそ!歓迎しよう、盛大にな! 』

 

『ハッハー!!!ウィン・D・ファンションにガロア・A・ヴェデットかぁ!!残って正解だったぜぇ!!』

 

『……』

 

「吹きあがるなよ…テロリストども!!」

ビルの屋上から二機のネクストが出現する。

片方は知らないが、もう片方はかつてレイレナードの養成所を首席で卒業した副団長のメルツェルだろう。

相当な策士と音に聞こえているし、今回のテロも全てこいつの策略に違いない。気をつけねば。

 

『ウィンディー!ビルが…動いている!気を付けて!』

 

「なんだと…どういう発想だ…」

 

驚いている暇も無く、飛んできた砲撃を何とか回避する。

 

「くっ!」

 

『気を付けて!当たった瞬間に木っ端みじんになるわ』

 

「わかってる!…!」

 

『……』

 

「勝手な奴だ…!」

自分が空中で無理な体勢で巨大な弾を躱したせいで少々たじろぐ隙にアレフ・ゼロは一直線に飛んで行ってしまった。

 

『ハーッ!てめえの相手は俺だぁ!デタラメに強ぇんだろ!?』

 

「怖くないのか…?」

一撃死の砲門が無数に向けられる中を躊躇もせずに飛んでいく。

まるで蔓延する死は空気と大差ないと言わんばかりに。

 

(なんだ…?何かが…)

前に一度だけ奴の機体の背中を見たことがある。そういえばあの時に奴が来ていなかったら死んでいたかもしれない。

なんというか、その時よりもずっと…どす黒い空気を醸し出している気がする。

 

(気のせいだ、そんなもの)

自分で思っておきながらあり得ないと自己否定をし、こちらに向かってくる敵に目を向ける。

 

『お相手しよう、ウィン・D・ファンション』

 

「ふん…どう見ても機体の相性が悪いぞ、きさ」

 

『ぐぁ…うおぅ』

 

「え?」

 

『な』

 

「……ぅ」

あり得ない。

確かに鈍重なタンクにフラッシュロケット搭載のブレード機は相性が悪かっただろう。

それでも、まだ戦闘開始して十秒も経っていないと言うのに。

 

『……』

 

『め、滅茶苦茶ね…あの人…』

 

「……」

白いタンクは刺身のようにおろされバラバラに吹き飛んでいた。

 

(大砲を利用したのか!)

そうか、奴は自分に向かって撃たれた大砲を直撃させてから斬ったのか。不気味な焦げ跡がビルの屋上についている。

だが、冷静にわかってはいても、味方なのは知っていても。

 

(寒気が止まらない…)

あんな奴を引き込んで本当に…

 

『ヴァオー?死んだのか?嘘だろう?』

 

(……?なんだ?)

戦場でぼけっとしていた自分も相当間抜けだが、相手のリンクス…メルツェルは頓狂な声をあげてながらただ浮いている。

 

『待ってくれ…私は、まだ何も言って…嘘だろう?』

 

「……?仲間の死は初めてじゃないだろう」

この隙に撃ってしまえばよかったのに、その声がまるで海に投げ出された子犬のようでつい声をかけてしまった。

 

『ウィン・D・ファンション…貴様…クソ!』

 

「!くっ!躁鬱病か!?不気味な奴だ…」

かと思えば唐突に大型ミサイルを発射してきた。

勿論そんなのに当たるわけもないが、ここが一撃死の攻撃飛び交う戦場であることを今一度頭に叩き込む。

 

『クソ、クソ!あいつは、暑苦しい奴で!』

仲間の死は初めてではない。

 

「なんだお前は…!」

 

『あんな、あんなあっさり死ぬ奴じゃなかった!もっと…』

ただ、メルツェルは戦力というよりは司令塔の立場で指示を出しており、今回の一連の作戦でクラニアム制圧以外は前線に立ったことが無い。

もっと言えばメルツェルが養成所を卒業した年にリンクス戦争が起こり、しばらく地下に潜っていた為人を殺したことすら無かった。

 

「阿呆か?そういうものだろう」

そう言いながらレーザーを撃つ。威力の高い攻撃を放つと、何となく感覚で当たった、当たらなかったというのが分かる。

これは当たらないだろうな、と思ったのにあっさりと当たってしまった。

 

『ぐぁ!違う、そんなあいつはあっさりじゃなくてもっとこってりと…ああ、違う、私は、俺は、クソ!』

自分達の戦いに正義があると信じてこそ、死ぬとしてもその死に際はもっと華々しいものなのだとメルツェルは勝手に思っていた。

 

「…戦場で仲間が死ぬのは初めてか?…そんなものだよ」

だが、戦場に、戦争に華も英雄も無く、ただ死ぬときはあっさりと死んでいく。誰であれ。

そんな単純ながら戦場で実際に経験しないと決して味わえないおぞましい感覚にメルツェルは取り乱していた。

静かに退場したのがORCAで一番騒がしいヴァオーだったというのがさらに混乱に拍車をかける。

 

『私は、じゃあ今まで、ぐっ!』

今まで指示した戦いに華々しさなど無く、敵も当然味方もただの事実として死んでいっている。

 

「そうだ。お前らが起こしたことだろう」

 

『そんな、クソ、ハァ、罪は人類全員が、私たちは……!、……………』

 

メルツェルのネクスト・オープニングは青いブレードに真後ろから突かれていた。

アレフ・ゼロの紅い眼が剣呑な光を湛えた。

 

そう、戦場では実にあっさり人が死ぬ。

それが戦力差があると言うのならばなおさらだ。

 

「戦争に美しさなど無い。それを勘違いして殺してきた者の数だけ地獄で謝罪してこい」

戦闘開始から42秒、レイテルパラッシュ、アレフ・ゼロ共にほぼ無傷のままあまりにもあっけなくORCA旅団本隊襲撃作戦は終了した。



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クラニアムへ

「それは決定なのですか、大人」

 

「そうだ」

 

「ですが、そんなことを認めたら市井の方々は…」

 

「リリウム」

 

「…はい」

 

「どんなに力を得ても我々は道具だ。それに戦っても戦わずとも結果が同じならば危険は犯さない方がいいだろう」

 

「……」

 

「……せめて、地上に降りてきた後に出来る限り人が死なぬように尽力するとしよう」

 

「…わかりました」

 

 

 

 

カラードの一室。

強制帰還命令を受けてウィンは呼び出されていた。

その会議室には普段いるような記録係も他のリンクスもおらずただ王小龍だけがいた。

 

「もう一度言う。ORCAからは、一切の手を引く。これはカラードの、ひいては企業の、正式決定だ」

 

「理由は?」

とうとう来たか。ウィンはそう思いながら一応、理由を尋ねた。

 

「説明の必要は認められない…これまでと同様に」

 

(……?苦しそうだな)

普段と変わらず傲岸不遜で厭味ったらしい態度ではあるが、

会話の節々で顔を歪めたり声が上ずったりしている。

 

「ただ黙って見ていろとの命令なのだ…死ねと言われているわけではない」

 

(老人を殴るのは気が進まないが…仕方ない。まぁこいつの場合は大丈夫だろう)

机を挟んで向こう側にいるが机を蹴り上げ、避けた方向から肘をこめかみにあてる。

よし、やろう。

 

「妙な気は起こすでない」

 

「!」

 

「カラードの人員や格納庫の整備班にも連絡は行っている」

 

「……」

 

「さらには企業連から腕利きの部隊があちこちに配置されている。ここから動くことは出来ん。お前も。…私もだ」

 

「……?…もっと俗物だと思っていたよ、王大人」

 

「…何の話だ」

 

「いいや、もういい。私は行く。止めたければ今ここで私を殺すしかないぞ」

 

「…勝手にしろ。どちらにせよ、格納庫まで辿りつけん」

 

「……ふん」

 

と、会議室で牙を見せ合う威嚇のようなやり取りが繰り広げられている中、

ガロアは入り口近くの壁にもたれながら掌で両目を覆うようにしてじっとしていた。

 

(……ガロア様!)

今朝からずっと具合の悪そうだった王の様子が気になってしまい、待っていろと指示された場所を離れてリリウムはここまで来てしまった。

 

(助けてもらったお礼を申し上げないと…)

偶然見つけただけではあるが、増援として来てもらわなければ死んでいたとずっと思っており、是非お礼を言わなくてはならないと思っていた。

だが。

 

(声が…かけられない…)

自分が近づいていることには気が付かれている。

手の指の隙間から波紋の浮かぶ灰色の眼がじっとこちらを見ている。

 

(……)

その眼に見られただけで蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまう。

今までも何度となく見たその眼だが精々色が薄いな、じっと見ていると目が回りそうだくらいにしか思っていなかった。

だが、今のあの眼はまるで白く濁っていて底の見えない井戸のようだ。

 

「……っ」

どうしていいかわからなくなりかけていた時、力強く会議室の扉が開かれた。

 

「ウィンディー様?」

 

「リリウム?…王小龍の体調が悪そうだ。私が目の前にいては休むことも出来ないだろうから出てきた。早く看病してやれ」

 

「は、はい…あの…」

これからどうするおつもりですか。

これからどうするか。

二人がそう言いかけた瞬間ガロアがウィンに何かを投げた。

 

「これは…インカムか?」

小型ながら耳に差し込む部分とマイクらしき部分、さらにはカメラであろうレンズがついており、相当高価な物である事が伺える。

 

「……?」

つけろ、とジェスチャーするガロアに従いカメラが前を向くように装着する。

 

『ウィン・D・ファンション。聴こえているな?』

ジジジ、と多少ノイズ交じりではあるがこの声とこの状況から察するにこの声の主は一人しかいないだろう。

 

「お前は…確かオペレーターの…」

 

『セレン・ヘイズだ。私のリンクスを誘惑したんだ。今更イモを引くような真似は許さん』

 

「だが…どうやって」

 

『指示に従え。ナビゲーションをする』

 

「…わかった」

目をやるとガロアの方にも同じインカムが着けられており、完全に運命共同体となっているようだ。

 

「ウィンディー様…?ガロア様?」

 

「……」

 

「リリウム…止めるなよ」

 

「……はい」

頭に軽く手を乗せた後二人は走り去ってしまう。

 

「……リリウムは臆病ものです…」

人を殺せても、リンクスとしての腕を上げても自分の道を信じて戦うことはリリウムにはできない。

彼女が王から教わったのは身を守る手段だけだからだ。危険を承知で進むことなどもっての外だ。

 

「…行ったか…」

 

「大人!お身体に障ります、動かないで」

部屋から咳き込みながら出てくる王は血飛沫をわずかに吐き出しており、この状態で歩き回るなどとても許せない。

 

「…止めても聞かんとは思ったが…馬鹿どもめ」

 

「大人…」

 

「リリウム、よく見ておけ。お前と年も境遇も同じ少年が今、世界の変革の瀬戸際に立っている姿を…」

手にべっとりとついた血を見て王は言う。

恐らくはもうネクストにも乗れないだろうし、先も長くない。

ならその後リリウムを導くのは誰だ?誰も信用できないこの世界で。

誰にも任せられない、そんな事。

だから、せめて。自分がいなくなった後も自力で生きていける強さを、あのひたすら我が道を行く少年から学び取ってほしい。

 

「お薬を…」

 

「よい。…我々の出番はこれで終わりだ。指示通り、全て終わるまではじっとしていよう」

 

「……わかりました」

 

 

 

ひたすら走る。走る走る。

指示に従い右へ左へ。

 

「こっちは格納庫じゃないぞ!」

 

『わかっている。このまま突っ込んでも捕まるだけだ。先にやることがある』

 

「……」

 

「…わかった」

 

『止まれ。そこだ』

ひた走るガロアは物凄い速さであり、このまま置いてかれるのは癪だと思い速度を上げた瞬間に止められややつんのめる。

 

「ここは」

 

『中央電源管理室だ。中央塔の電源やネットワークの制御は全てここでされている。予想通り、出口に向かう道以外は手薄だな』

 

「それは分かる。だが管理人のカードキーが無ければ入れないぞ」

 

『ハッキングしようと言う訳じゃないんだ。…ガロア、入り口の右側3m、下の方に小さな金属の扉があるな?破れ』

 

「破れだと?」

今所持している武器は刃渡り17cmほどのナイフと9mm弾を発射する拳銃だけだ。

これでは少々手こずりそうだが、何か手段があるのだろうか。

そう思い目を向けると、ガロアは右足をやや後ろにし、重心を下げていた。

 

「何を」

 

ウィンが言葉を言いきる前にガロアは強烈な前蹴りを叩き込んだ

 

「……」

 

「あ」

たった一撃で、頑丈に見える金属の扉がかなりへこみ一部が捲れてしまっている。

 

『剥がせ』

 

 

「……」

 

ギ、ギ、ギギィ

と音を立てながらお菓子の箱のふたを剥がすようにメリメリと金属の扉を引っぺがそうとしている。

 

『何をしている?お前も手伝え』

 

「あ、ああ」

 

「……」

大分捲れていた金属扉の端を二人で掴み、一気に引きはがすと中には明らかに重要そうなコードやら線やらが走っていた。

 

『全部千切ってしまえ』

 

「……」

 

ブチブチブチィ!

 

あまり聞きたくない類の音と共にそのコード全てを力技でガロアが千切ると途端に辺りが暗くなる。

傾いている日の光と非常灯の明かりのみが通路を照らしている。

 

『これで中央塔の非常灯と一部の監視カメラ以外は全て強制シャットダウンだ。混乱に乗じて格納庫に忍び込むぞ』

 

「滅茶苦茶だ!とんでもない損害が出るぞ!」

 

『まぁそうだろうな』

 

「それに監視カメラが生きていては…」

 

『大丈夫だ。全システムの掌握は不可能でも、一部だけ乗っ取るのは容易い。残った監視カメラは全てこちらの物だ』

 

「……」

 

「そちらは大丈夫なのか」

 

『有事に際してオペレータールームと格納庫の電源が独立しているのは知っての通りだ。入り口も…』

 

 

 

 

 

「まぁ、多少無茶な方法ではあるが塞いであるしな」

中央塔からの主電源の供給が絶たれ、予備電源のみで暗くなったオペレータールーム。

入り口の前には椅子や机が組まれて置かれ、おまけに扉がガスバーナーで溶かされしっかりと接合されていた。

 

 

 

 

 

 

「溶接した!?出るのはどうするんだ!?」

 

『それは後で考えよう。さぁ走れ!そこを右に曲がった後すぐに左だ』

 

「……」

 

「…ああ、もう、分かったよ!」

滅茶苦茶に無茶苦茶を重ねる二人にたじろぐが、指示された瞬間に走って行ってしまうガロアを見て舌打ちをする。

ネクストに乗っていてもいなくても勝手な奴だ!

 

足音を気にせず同じような通路をとにかく走り抜ける。

ここ一年以上、カラードの中央塔をうろつくことなど無かったためナビゲートなしでは迷っていただろう。

 

「な、あ!止まれ!ウィン・D・ファンションだな!部屋で大人しくしていろとの指示があっただろう!」

偶然目の前の交差点を横切った兵士がアサルトライフルをこちらに向けてくる。

…まさか発砲許可もされているのだろうか。

 

(…射線を避けて顎に掌底…いや、首筋に蹴りか!?…出来るか…?)

今まで銃を持った相手に徒手空拳で挑んだことない。

わずか一秒ほど狼狽していると脇を風のようにすり抜けた影が兵士に迫った。

 

「フシッ…!」

 

(今の音知っている)

身体の中の力を一撃に込めて爆発させるときに出てしまう呼気だ。

その考えが纏まる前に今度は金属が派手にへしゃげる音が聞こえた。

兵士が手に持っていたアサルトライフルごとガロアに蹴り上げられてアサルトライフルがただの鉄くずと化した音だった。

 

反射的に目を瞑ると同時にガッシャアァンッ!と言う音と共にガラスの破片が降り注いできた。

 

「な…」

たった一回の攻撃で兵士は2m以上浮き上がり天井の蛍光灯にぶつかりながらバウンドして昏倒していた。

腕は変な方向に折れ、銃身はへし曲がっており、ぴくりと動かない兵士からはとろとろと血が流れている。

 

(馬力が…違い過ぎる…)

自分が賢しく技を考えている間に銃の上からの一撃でこの有様だ。

技や精神で優越できるレベルを遥かに超えている。

…確かにカラードでひたすら延々と身体を鍛えていると聞いてはいたが、化け物だこいつは。

 

「死んだんじゃないのか…。おい、あまり無茶はするな…」

 

『心配はいらん。とにかく走れ!奴らもうクラニアムに到達したぞ』

 

「何!?クソ!」

 

「……」

血だまりの中で沈黙している兵士を置いてまた走り出すとガロアの右腕の包帯がずれていた。

 

「……」

鬱陶しそうに引きちぎり、ポイ捨てした包帯の下からは同体積の鉄よりも重いのではないのかと思えるほど見事に引き締まった筋肉をつけた腕が現れた。

元から持っていたウィンの筋肉とは違い、0からここまで鍛え上げられた芸術品のような筋肉。

ガロアが普段は厚着をしている上、ウィンは運動場には行かないのでその身体を見るのは初めてだった。

 

(どういう身体をしているんだ…つくづく、敵では無くてよかった)

味方でよかった、ではなく敵でなくてよかったという思考は、ほぼ完璧な天才である故独り善がりになってしまいがちだと言うウィンの欠点の表れでもあるのだがそれに気が付くことは無い。

 

『突き当りのT字路、右に曲がって左に兵士2人。左に曲がって右で兵士三人。左の方がいい』

 

「何故!」

 

『三人の内二人はライフル置いて談笑しているアホだ。残りの一人を無力化すれば容易いだろう。一瞬で決めろ』

 

「分かった!」

拳銃を抜き壁に腰掛けながら談笑している兵士の脚を撃ちぬく。

 

「あがっ!」

 

「なんだおま…!…ぐ…え…」

てっきりガロアも銃を抜くものだと思っていたが、素手のまま突っ込んでいった。

狼狽える兵士の左胸に、一見力を押えたかのような掌打を食らわせるとそれだけで血を吐きながら倒れていった。

 

(今の動きは!?)

発勁に更に殺意を込めた浸透勁に違いない。あの攻撃で兵士の体内の重要な器官がメチャクチャになって叫ぶことも許されなかった。

 

「つぁあ!!」

 

「……」

ライフルで殴り掛かってきた兵士の攻撃をわざわざ回転して避け背中からの体当たり。

相当な体重が乗っていたのだろう。兵士はおもちゃのように吹き飛んでいった。

 

「筋肉馬鹿じゃなかったのか…」

確か鉄山靠と呼ばれるれっきとした技だったはずだ。

 

「ぐ…お前ら…」

 

『脚を撃った奴の意識を奪え』

 

「あ、ああ」

一概に意識を奪うと言っても簡単ではないと思いながら拳銃を逆さに持ち頭を打とうとした瞬間ガロアが顎を蹴りぬき速やかに気絶させた。

 

「お前、なにか格闘技でも修めているのか?」

 

「……」

 

『いいから走れ。ガロアの心配はいらない。3年間、たっぷり格闘術を仕込んである。次の十字路を右、そのあとすぐ左、右、三本目を右だ』

ナビゲートに従いながら走ると、人の気配はするのに全く兵士と出会わない。

 

「……なぜそんなことを?リンクスに格闘技なんてそこまで必要か?」

 

「……」

 

『…今のお前達にとってはただの不気味なリンクスにしか見えていないだろうが、私が出会った頃はAMS適性が高くてもまだ小さな子供だったんだ』

 

「……?」

身の丈は少なく見積もっても195cm、体重も90kg以上は確実にある。

それに加えて隙の無い格闘術、化け物染みたリンクスとしての才能。

小さな子供と言われても想像すらつかない。

 

『肉親も頼れる大人もいない、そんな子供にこのクソみたいな世界でせめて自分の身を守る手段を教えて何が悪い?お前達がどう思おうとガロアだって普通の人間なんだ』

 

「……」

 

「……すまない」

無駄口を叩かず冷静に指示をしてきたセレンの言葉に力が籠ったのを感じ余計な詮索だったと恥じ入る。

 

「……」

 

『そこだ。下の蓋を開けろ』

 

「蓋?」

 

「……」

指示されたとおりに四角く縁のある蓋を開けるとそこは何とか人一人が身体を這いずれば進めるような空間があった。

 

「なんだこれは」

 

『水害対策だ。走り回って分からないかもしれないがお前たちは今地下にいる。そこを通れ』

大雨にやる水害等を防ぐ為に作られた外郭放水路へと続く意図して作られた水の通り道である。

 

「……」

 

「…本気か」

言われたままにさっさと入ってしまうガロア。

当然通路と違い綺麗に掃除されているはずもないその場所に速やかに入るのはちょっとした勇気が必要だった。

 

「ええい、クソ!」

 

「……」

 

(…こんな鼠みたいな真似をしていると知ったら父さんと母さんはなんて思うだろう)

前を行くガロアは明かりもつけずにがさがさと進むが、流石にそこまで度胸は据わっていなかった。

銃に取り付けられていたフラッシュライトを点け、明かりを頼りに匍匐前進するが、あちこちがぬるぬるして錆びており苔が生えているこの空間、見えていない方がよかった。

 

「…!」

 

「なんだ?何か見つけたのか」

チラつくライトに反射し行く手に何かが見えたのだろうか。ガロアの動きが僅かに止まるが、先ほど包帯を投げ捨てたのと同じように目の前にあったそれをつまんで投げ捨ててしまった。

 

「ん…ひ、ご、ご、ご、ごきごき…!」

脇に投げ捨てたもののすぐにカサカサと動き出した黒光りするそれは手のひらほどの大きさもあるゴキブリだった。

大抵の女性が、いや、人類がそうであるように例にもれずウィンもそれは大嫌いだった。

 

『騒ぐな。まあ誰にも聞こえんとは思うが…温室育ちか?』

 

「少なくともこんなクソ穴よりはいいところに住んでた!…貴様、モタクサするな!急げこの!!」

 

「……」

前を行くガロアの足を拳銃でビシビシ叩きながら急かす。

もしかして気づいていないだけで身体に虫が纏わりついているのかもしれないと思うとぞわぞわする。

 

『…上だ。思い切り押せ』

 

「……」

 

「よし!上だな!?出られるんだな!?」

少々派手な音を立てながら蓋を開くとそこは丁度エレベーターの前だった。

 

「うっ…クソ…汚い…。…エレベーター動いていないぞ」

体中が数か月洗っていない排水溝に突っ込んだスポンジのようになってしまっている。

この服はもう廃棄決定だ。とりあえず手だけでも拭いボタンを押すが反応は無い。

 

『電気が通っていないからな。動かないエレベーターは見張らないだろうと思ってな。…待ってろ動かす。予想より早かったおかげでまだ時間がかかる』

 

「……」

 

「…クソ…もうこれはいらん…お前も身体を拭け」

汚れたジャケットを脱ぎ裏側で身体を拭ったあと、ぼーっとしているガロアにジャケットを投げ渡す。

本当に何を考えているかわからない奴だ。

 

「どれくらいかかる?」

 

『三分だな。急ぎすぎだ。一応アルテリアにも防衛機構はあるし、ただ破壊するだけではクレイドルが墜落してしまうから目的通りならば時間をかけてシステムを掌握しているはずだ』

 

カチャカチャとノイズ交じりに聞こえる音はキーボードの音だろう。

霞スミカのクローンだから当然リンクスなのだろうと思っていたがオペレーターとしてかなり優秀らしい。

それでも三分ここで待ちぼうけは気持ち的に辛い。

 

「…何故私に協力する?言っておくが何のメリットも無いぞ。…まあ金が欲しいならやるが、企業の通貨のコームをこの後私たちが使えるかどうか怪しいものだ」

 

『…ガロアがそうしたいと思っているんだ。ならそれで十分だ』

 

「……」

 

「そう…か」

リンクスのクローンと天涯孤独の子供。

三年間、と言っていたからにはリンクスになる前から戦闘技術だけではなく色々な事を教え、支えてきたのだろう。

そしてそれはきっと企業の保護や安全なんかよりもよっぽど価値のある繋がりになったに違いない。

自分の密かなガロアへの誘いをただ一人、打ち明けるくらいには。

地球に一人で降りてきて数年、偶然得た繋がり、記憶喪失の傷ついた自分のオペレーター…いや、家族を思いだす。

そうか、この少年と自分は似ているのか。

 

「いいものだ、パートナーとは」

 

『なんだ?突然』

 

「きっとガロア・A・ヴェデットはお前の存在に数えきれないくらい救われているのだろうな」

 

「……」

 

『まさか。救われているのは私の方だ』

 

「だから、いいものなんだ」

昔聞いた話。日本という国では人を表す言葉が中国の文字で「人」と書かれるらしいが、

それは人という物は人と人が支え合って成り立っているからそう書くのだと聞いたことがある。

 

ピンッ、という音とともに一帯の電気が付きエレベーターの扉が開いた。

 

「……」

 

「巻き込んで済まなかったな。お前たち二人が戦いの後もいい関係でいられる事を願うよ」

 

「……」

 

『お前は噂程冷たい女ではないな。…さて、開けばもう格納庫だが当然一番厳重に守られているだろう。素早く、静かに突破しろ』

 

「最後の最後でそれか」

 

「……」

 

「まぁいい。お前、守ってくれよ。ちょっとは」

 

「……」

やはり無表情でボケーッとしている。

何も考えていないのか、それとも色々考えているのか。

 

がくんと上昇が止まり扉が開く。

と、その瞬間に人が数人表れた。

 

「!」

ガロアが有無を言わさずに躍りかかる。

 

「わーっ!!待って待って!」

 

「…ん?」

それは厳めしい武装をした兵士ではなく技術者やブルーカラーの整備班達だった。

 

「お二人のネクストは整備してありもういつでも発進できます!」

 

「…?」

 

「??」

 

『は』

セレンが鼻で笑った。

 

 

エレベーターの中から連れられ案内される道中、何人もの兵士がふんじばられて転がっていた。

 

 

「あなたを尊敬しているのです!ウィン・D・ファンション!」

 

「卑劣な暴力にこんな形で屈してはなりません!」

 

「戦って勝ち取ってください!」

 

「パイロットスーツです!あちらで着替えてすぐ発進を!」

 

「な…一体…」

レイテルパラッシュもアレフ・ゼロも新品と見紛う程完璧に整備してある。

 

『お前一人で戦っているわけではなかった、ということだ。コツコツと四年間リンクスとして積み上げてきた物がお前にはあったようだな』

この一年、ひたすら一人で闇から闇へ、危ない橋をいくつも渡りそれでも上手くいかずに辿り着いてしまった今日。

それでも、最悪なんかでは決してなかった。

 

「…ありがとう。必ず勝ってくる」

 

 

 

 

 

「…レイラ、聞こえるな」

数時間ぶりのレイテルパラッシュの中だと言うのに随分と新鮮な気持ちだ。

 

『ええ。行くのね、ウィンディー』

 

「ああ。…これが終わったら、二人で旅行でも行くか」

 

『終わってからもう一度誘ってちょうだい?ハッチ開いたわ!』

 

「よし!レイテルパラッシュ、ウィン・D・ファンション、出る!」

 

 

 

 

 

 

 




技一覧

・鉄山靠
鍛えた背筋を勢いを付けてぶつける技。ガロアのような大男にやられたら鉄板がぶつかってくるようなもので、失神不可避。
大地をしっかり踏みしめるのがコツ。

・浸透勁
身体の内部を破壊する技。見た目の派手さも音も無いので暗殺向き。
内臓の上からあてられると転げ回る程痛いが、特に心臓の上からあてられると下手しなくても死ぬ可能性がある。
今までの人生の憂さ晴らしをこの一撃でしてやる!というくらいの気を込めないと成功しない。

・ガロアキック
ひたすら鍛えた身体から繰り出される『若さ』を存分に乗せた脳筋キック。相手は死ぬ。
その辺のおじさんにやれば十メートルは吹き飛ぶ。
セレンから教わった技術を一切無視、まさにレベルをあげて物理で殴る一撃必殺なのだ。

・ウィン・Dの拳銃
ホローポイント弾なので体内に弾が変形して残り非常に痛いし手術も必要。武器選択からウィン・Dの冷徹さが見え隠れする。


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アルテリアクラニアム防衛

アルテリアクラニアム。

他のアルテリアと違い唯一地下に作られたそれは、規格外の耐久力と防衛設備を誇り、例え核ミサイルが1万発降り注いできても破壊されることは無い。

このクラニアムは他のクラニアムからエネルギーを中継し全てのクレイドルに送る中継局で、唯一全企業共同出資で開発されている。

地下に侵入し徹底的な破壊をしてしまうと不時着ではなく墜落になってしまう為、ORCA旅団は目的の為にはどうしてもここに侵入し、

時間をかけてエネルギー供給量を減らし、海などに落ちないようにしながら全てのクレイドルを降ろす必要があった。

そしてここの施設にある最重要区画は企業の重要人物の虹彩、指紋、静脈、声紋認証が必要でありそれがどうしてもテルミドールがクラニアムに行くまで生き残らねばならない理由だった。

 

 

今回、企業側は降伏を認めたもののここからも部隊を完全に撤退させれば後に企業が完全降伏した事実が職員に明かされてしまう危険があった為、建前として防衛担当の兵士たちは残されていた。

降伏したわけでは無いと言うポーズを示すためだけに彼らは全員殺された。

 

『……テルミドール』

 

「ああ、今開ける」

真改が全て言うまでもなくリンクを外しコックピットを開こうとする。

 

『違う。来た』

 

「来た?…まさか」

 

『レイテルパラッシュとアレフ・ゼロだ』

 

「……喜んでいるのか?」

 

『…少しな』

 

「………つまり」

 

『ガロア・A・ヴェデットは俺が仕留める』

 

「分かった。…来るぞ!」

 

 

 

 

『もうすぐクラニアム中枢だ。お前たちには、感謝している…嬉しかったよ 』

たとえネクストが10機乗ってもまだスカスカなくらいだだ広いエレベーターの中そんなことを言ってくる。

 

「……」

 

『終わってから言え、そんなことは。とはいえ、そうだな…。戦って戦って…その果てがここだというのならば…存外甘い男なのだな、お前は』

 

「……」

 

『まあ、そんな傭兵も悪くないがな 』

 

「……」

エレベーターの扉が仰々しい音を立てながら開く。

全開になったものの、その先はネクスト一機がぎりぎり通れる程の幅しかない。

 

『成程な。大勢来てもここで出てきた阿呆を順に狙い撃ちして粉々にするわけだ』

 

「……」

 

『お前たち、やはり、腐っては生きられぬか』

 

『テルミドール!…久しぶりだな』

 

『やはり気づいていたか。食えない女だ』

 

「……?」

 

『今ここにいる四人の戦いが世界の運命を決める。ネクストなどという異形を駆り、リンクスなどという化け物になって戦った終着点がここならば、悪くないだろう』

 

「……」

 

『ロマンチックな事を言うじゃないか。だが、どう言ってもお前らがテロリストなのには変わりない』

 

『そんなものは歴史でいくらでも塗り替えられてきた』

 

「……」

 

『その通りだな…。聞け、ガロア・A・ヴェデット』

ウィンが声をかけてくる。この言葉が終わった時、戦いの火ぶたは切って落とされるのだろう。

 

「……」

 

『一見、世界は平和でもいつも誰かが動き戦っている。こうしてここまで人類が続いてきたのだ。表に出る英雄の数百倍も闇に生き闇に死ぬ者達が世界の在り様を決めてきた』

 

「……」

 

『勝て。お前ならそれが出来るはずだ』

 

『…来い!!』

 

二つの輝く光が向かってくるのが見える。

あのやり取りの中でも示されていた通り、向かってくる者達もまた光を背負っており、悪と断じることは出来ない。

ただ決めるだけだ。どちらがより強く正しいのかを。

 

最後の戦いの幕が切って落とされた。

 

 

 

『ウィン・D・ファンション。貴様は一度私に負けているだろう』

 

『あの時と同じか確かめてみろ』

飛び出すと同時に短い会話を交わし、そうするのが当然のようにダークレッドのネクストに突撃するレイテルパラッシュ。

 

「……?」

意味の分からない会話を聞いてぶつかり合う二機に一瞬だけガロアは視線を向けてしまう。

 

『気を取られるな!前を見ろ!』

 

「!!」

気を離していたわけでは無かった。本当につい一瞬前まで大分遠くにいた白い機体は眼を戻した時にはもう眼前にいた。

 

『……』

咄嗟に目の前に出したブレードでなんとかその斬撃を受け止める。

フラジールと…いや、爆発力ならばフラジールより上だった。

 

ギギギギジジジジ、という火花散る音がレイテルパラッシュのいる場所から届く銃撃音を打ち消していく。

 

アレフ・ゼロの蒼いブレードと敵の紫電のブレードがぶつかり合いもう片手のマシンガンも相手のマシンガンと押し合い拮抗している。

 

『……』

 

「!!」

ひたすら鍛えてきた日々から裏打ちされるイメージを打ち砕き、相手の機体はアレフ・ゼロとのつばぜり合いを押し切った。

 

「……」

アレフ・ゼロの胸部に僅かに焦げ跡が付いている。

どうやら機体の出力だけでなくブレードの性能もあちらが勝っているようだ。

 

『……』

 

「!」

マシンガンを正確に向けてきながら超高速の一閃が見える。

かがむことで紫の光の線を何とか回避したが、冷や汗が浮かんでくる。

あのブレードは絶対に当たってはダメだ。理由は分からないが今まで相対したどの兵器よりも危険だと勘が告げていた。

だがそれと同時に自分の命が今この瞬間にも消滅するかもしれないという感覚がちりちりと焼け付く感情を呼び起こしてくる。

 

「……」

さらに接近して斬りかかってくる敵機を蹴っ飛ばし、引きながらマシンガンの弾を撒き同時にグレネードを発射する。

だが余裕で回避されてしまった。回避されるのは当然だと考えていた。だからこそ地面に向けて放った。

だというのに、マシンガンはいくらかPAを削ってくれたがグレネードの爆風は掠りもしなかった。

…あの肩のブースターはなんだ。

 

『そいつ…そのブレード!』

 

「!!」

セレンの通信に耳を傾けた隙とも言えないような一瞬の時間に目が焼かれた。

敵機からのフラッシュロケットが直撃していた。

 

「……」

眼にカメラのように焼きつけられた光景を頼りに頭上に虫の卵のように並ぶエネルギータンクの陰に隠れた瞬間、敵機はエネルギータンクごと切り捨てながらこちらに向かってきた。

 

「!!」

 

『…!ハハハッ!』

反射的に起動したブレードが相手のコアを僅かに傷つけたのを感じてか相手は何故か笑っていた。

だがどういう訳か、ガロアにはその感覚が分かる様な気がした。

一発でも当たれば死ぬというのに、きっと声があったら今の自分も笑っているだろう。

 

『ムーンライトだ!レイレナードがほんの数本しか生産していなかった根本から異なる発想のブレード…なぜこいつが…』

最早セレンの通信はほとんど雑音としか感じていなかった。互いにブレードを振り、必死に冷静に避け激しくぶつかり合う。

しかしその数秒後、示し合わせたようにお互いの動きが一転して止まった。

 

『ブレード…マシンガンにフラッシュロケット…お前の機体構成にそっくりだ…』

 

「……」

違うのはあの背中のブースターだ。

同じタイプの戦いをするネクスト。

もしまともにぶつかり合えば単純に力量が上の方が勝つ。それもごく僅かな時間で。

ガロアは笑っていた。ホワイトグリントを破壊した今でさえも心躍る強敵との戦いがあるとは思ってもみなかった。

 

『絶対にぶつかり合うな!距離を取れ!鍔迫り合いになったら間違いなく押し切られるぞ!!』

 

「!!」

150mはあった彼我の距離が一瞬で詰められ横薙ぎの斬撃が飛んでくる。。

空中でブリッジするような体勢で無理やり回避したが、セレンと出会って以来何度も骨を外されては入れられ、関節の可動域を広げられていなければ今の動きは想像すら出来なかった。

それでも機械には多少無茶な動きであったようで背部が軋んでいる。

 

「……」

とにかく敵が背を向けている今が隙だ。

 

そう思っていたらいきなり蹴られた。空中での回転蹴り故威力は乗っていないがそれでも動揺する。

つい今さっき『同じタイプ』だと考えたばかりなのだ。

それなら同じような戦闘をするだろうし、こちらがどう動くかも容易く想像がつくだろう。

だが、逆も然りだ。ガロアは燃え上がる様な感情に煽られながらも努めて気持ちを落ち着けた。

 

 

 

 

 

「……」

数発のマシンガンが掠った程度で全くと言っていいほどダメージは無い。しかしそれは向こうも同じだ。

自分と同じ戦法を選び取りアナトリアの傭兵を打ち破りとうとうこのステージにまで来た猛者。

まだ片手で数えるぐらいしか攻撃していないしされていないがもう分かった。

こいつは今まで戦った近距離型の中では一番強い。湧き上がる感情を抑えても笑顔が溢れてくるのは真改の人生で初めての経験だった。

 

「…!」

着地した瞬間に斬りかかってきたのを回避する。

瞬間足払いが来たのを飛び上がりながら斬りかかるがまさかの頭突きで手首を弾かれ未遂に終わる。

紅い眼光が鋭くコックピットの中の自分を射抜いてくる。

 

「この感覚…!」

何故アンジェは全てを捨て戦いを選び戦いの中で死んだのか。

大した戦闘も経験せずに地下に潜ることになり、その後もおよそ好敵手と呼べるものには恵まれなかった為、今日までまるで理解できなかったが今ならわかる。

アンジェの見ていた世界が。

最強を決める舞台で命のやり取りをする。人生においてこれほどまでに心躍り魂が高揚する瞬間は他にないだろう。

 

『……』

 

「行くぞ…!」

互いにマシンガンでけん制しつつ接近する。

この距離なら自分のブレードの方が先に届く。

そう思いながら斬りかかると奇妙な感触が手に残った。

ブレード同士がぶつかって弾かれるような感触でも、堅いネクストを斬った感触でもない。

 

「!?」

自分のブレードとぶつかりあったのは相手の右手のマシンガンだった。

 

「つっ!!」

バターにナイフを入れる程度の抵抗で容易く切られたアレフ・ゼロのマシンガンだが、それでもまだ敵機の右手に握られていたマシンガンの半身がスプリットムーンの頭部に当たりその瞬間僅かに視界が奪われる。

頭部に当たる直前にアレフ・ゼロがブレードを持つ左腕を激しく動かしたのが視界に入っていた幸運のお蔭ですぐにクイックブーストで避けることが出来た。

 

「く…」

相手が無理な体勢でブレードを起動していたこともあり、何とか避けられたがそれでも肩の一部とマシンガンが斬られた。

これで自分の攻撃手段はブレードのみだ。

 

『……』

着地したアレフ・ゼロはマシンガンを捨てた後、地面から一歩も動かずに制止している。

パシュンッ、と間抜けな音を立てて放ったフラッシュロケットが直撃したがまるで無反応。

 

『……』

 

「……」

目を閉じているのか、気にしていないのか。

どちらにせよ肩に乗せたグレネードとロケットに当たるほど自分のネクスト・スプリットムーンはのろくない。

それは相手だって百も承知のはずだ。

そしてあの右足を前に出し、左脚を屈めた構え。ならば狙っているのは。

 

(…居合か)

相手が間合いに入った瞬間に斬る抜刀術。

守における攻のみに全神経を集中させたそれは、達人が行えば斬りかかってきた者は攻撃だけに意識が向く瞬間に斬られ、死んでも斬られたことに気が付かない。

 

(まやかしだ)

しかしそれは才能のある者が剣一本で数十年修行にひたすら励みようやく到達できるか否かの域。

真剣など握った経験があるはずもなく、齢20にも達していない少年がその極意を手にしているはずがない。

 

(ブレードの範囲、運動性能…すべてこちらが上だ。斬る!!)

例え間合いに入った時点で斬りかかることが可能だとしてもこちらの方が間合いは広く速い。

小細工をしてこないというのならばそれでもいい。この手で、この剣で奴を斬る。

本当はこの距離からでも攻撃する手段がスプリットムーンにはもう一つだけあった。

だが真改はあえてその選択を捨てていた。アレフ・ゼロが曲がりなりにも自分の前で居合いの構えを取っているということを、小狡い手を使ってうやむやにするのは何よりも自分自身が許せなかった。

たとえこれがORCAの最後の局面であろうとも。

 

(確信がある)

オーバードブーストを着火する。

空気が吸い込まれる音が響く。

奴にも聞こえているだろう。

 

(奴に打ち勝った時、俺は到達する。人生最高の刻…!)

数えきれぬほどの敵を切り捨ててきたアンジェが追い求めていた最高の瞬間。武の頂点。

この男ならきっとそれを見せてくれる。

 

加速が始まる。

スプリットムーンなら二分の一秒で時速2000kmに達する。

躱してみろ。対応してみろ。と挑発的な感情がさらに真改を笑わせた。

 

(!)

全く動きの無かったアレフ・ゼロの肩から突然火が噴いた。

天井に向けて放たれたロケットとグレネードは空のエネルギータンクを砕き、破片が雨となって降り注いだ。

 

(見えなくなった…だが!)

大きな破片を避けながらアレフ・ゼロがいた場所に紫電のブレードを空気を切り裂きながら振りぬいた。

 

ザンッ、とネクスト一機を両断する心地の良い音がクラニアムに響き渡った。

 

「ぐ…お…」

テルミドールは伝えていなかった。

ガロアが目にした物の数と軌道を見切る特異な眼を持っている事を。

忘れていたという事ではなく、スプリットムーンの武装に、ミサイルなどそれが弱点になるような武装が積まれていなかったから言ってなかっただけだ。

そしてそれが運命の分かれ道となった。

 

『……』

突撃の邪魔となる大きな破片を回避するであろうことを予見していたガロアにとってスプリットムーンが辿る軌道を見切ることは実に容易かった。

 

「……無念…」

スライスされたハムのように斬られたスプリットムーンの右半身は勝手な方角に飛んでいき壁にぶつかって制止した。

残った左半身もバチバチと煙を昇らせながら倒れている。

 

『……』

見下ろすアレフ・ゼロの視線は何も語っていない。

自爆することを知っているのだろう。

 

 

≪私を殺しに来い、真改。もしも私を殺せたのならばその時は…天下無双を名乗れ。この世でお前に勝てる人間はいないだろう≫

ずっとその背中を追い続けた姉から貰った言葉が走馬灯になり思いだされる。自分の知る限りアンジェほど強さに異様な執着を見せて何もかも捨てた人間はいなかった。

だがそれでも彼女はアナトリアの傭兵に負け、目指した境地には辿り着けなかった。

 

 

(アンジェ…)

そして結局自分も同じく辿り着けなかった。アンジェの見えた世界が、その理由がようやく理解できたというに。

アンジェと同じように最強という名の頂点に指をかけてあと一歩のところで敗北してしまった。ただ、無念。

 

最後に真改は、息子も娘も戦争屋になって実家を飛び出し、今も一人寂しく生きているであろう自分の父親のことを思い出した。

そして真改の身体はスプリットムーンの機能が停止するとともに速やかにその心と共に砕け散った。

 

 

 

 

 

飛び回る二つの機体は一定の間隔を広げ、または縮めながら削り合っていく。

どちらも相当な達人であることが伺えるがそれでも軍配はややダークレッドの逆脚機体に上がるか。

 

『まさか…真改が』

 

「今のあいつは正しく百戦錬磨だ。…お前は些か腕が鈍ったか?カラードから重宝されるようになり、まともな仕事は無くなったからな」

 

『それはこちらのセリフだな。それとも後ろはやはり見えないものか』

 

(PMミサイルか?!いつの間に!?)

相手のネクスト、アンサングの肩に積まれた異形のミサイルは特殊な軌道を辿り死角から迫ってくる。

発射される瞬間を見落としたというのか。僅かに後方に目をやるがそこには二機のネクスト以外何も無かった。

 

「キサ…がぁっ!!」

こすい手を。そう叫ぼうとした瞬間に距離を詰められレーザーバズーカとプラズマキャノンをほぼ0距離で数発当てられた。

ぎりぎりコアへの直撃は避け即死は免れたがそれでも甚大なダメージを受け直ちにレイテルパラッシュとの接続が切られた。

 

『気を張っているのさ結局…お前も、私を前にしてな』

 

「……く」

 

『そこで見ているがいい、ウィン・D・ファンション。…お前が何を求めたのか 』

 

「く…お前より…奴のほうが強い…」

コアへの直撃を避けたのではない。わざと攻撃をコア以外にされた。結末を見届けさせるためにだろう。

 

『ふん』

無様だがこうなってはもう何もできない。

後は託すしかない。世界の運命をまだまだ子供のあのリンクスに。

 

 

 

 

 

『死んでもらおう』

言葉と共に肩から放たれたミサイルを目で追って気が付く。

 

「……!」

全て見えてはいる。辿る軌道も分かる。

だが大きく曲がるその攻撃を眼で追うと敵機が視界から消えてしまった。

 

「!!」

なんとか全て躱した途端にレーザーバズーカが掠めていった。

 

『気が付いたか。そうだ。このミサイルはお前の為だけに角度を変えてある』

 

「……!」

ぐるぐると螺旋を描く様に迫ってくるミサイル。

見えているが、ぼーっと見ているだけでは反撃に移れない。

 

『ミサイルを目で追えばアンサングが見えない。かといって私だけを見る訳にはいかない。それにマシンガンが無いとなれば、如何にいい眼を持っていようともな』

 

「!!」

気が付いている。誰にも教えなかった自分の眼の秘密に。

 

(……)

見えないのならそれはそれでいい。辿る軌跡も速さも分かっている。

ならば何秒後に自分のところに来るのかも分かっている。

あえて何も見ずに発射から数秒後、虫を払うようにブレードを振ると飛んできたミサイルが爆発を起こした。

その隙を逃さずに撃ちこまれるレーザーバズーカを避ける。

 

『逃がしはしない』

その動きすらも想定済みなのか、動揺せずに苛烈に攻撃を仕掛けてくる。

 

「……」

確かにこれはマズイ。弱点を上手く突かれているし眼の秘密に気づかれたのもかなり動揺した。

何より近づかせないように攻撃してくるというのは如何ともしがたい。

だが既にガロアの眼には勝利への戦略が詰将棋のように見えていた。

 

「……」

PMミサイルを回避するように飛び、そのまま天井に無数にぶら下がるエネルギータンクの隙間に潜り込む。

 

『何…!』

放たれていたミサイルはエネルギータンクに阻まれてこちらに届く前に爆発していた。

これが壊れたことで後で何か被害があるのだろうが知ったことでは無い。

 

 

また過去の記憶が蘇ってきた。

白い森の中で間抜けな獲物がこちらの位置にも気付かずに狼狽しているところを後ろから首を射て仕留めた記憶だ。

あの森の木も、この大量のエネルギータンクも同じだ。動かないならば全ては自分の身を隠す為の囮になる。

 

 

『く…がっ!』

 

「……」

動揺の隙を突きまずは右腕のライフルを切り落とす。

もう嬲り殺しは確定した。コアの中でガロアは不気味な笑顔に顔を歪めた。

 

 

 

 

『……』

 

「く…!そんな、そんなわけがあるか!」

一瞬だけ見えた影に向かってレーザーキャノンを放つが外れる。

当然だ。ロックオンもされていないのに当たるはずがない。冷静さを欠いている。

見えない。

 

『……』

 

「なんということだ…!」

真改を最後の作戦まで残しておいたのは偶然や真改の実力ゆえ生き残ったという事ではなく、

狭いクラニアムの中なら近距離格闘戦のみに主眼を置いたスプリットムーンが一番役に立つだろうというメルツェルの采配だった。

果たしてその読みは間違っていなかったと、格闘戦を仕掛けてくるアレフ・ゼロが如実に示している。

こちらの攻撃は障害物に邪魔されて当たらず、下がろうとしてもすぐに背中がぶつかりアンサングのスピードが全く活かせない。

かと言って地上に降りればグレネードとロケットで滅茶苦茶に爆撃され完全に回避することは難しく、レイテルパラッシュとの戦闘で多少ながらもダメージを負い、

そもそもが頑丈ではないアンサングには僅かな実弾攻撃でも大きな痛手となる。加えて。

 

『……』

 

「どこだ…おあっ!?」

危なかった。つい今まで自分がいた場所をブレードが裂いている。

…あの日ホワイトグリント戦でこの目で見た巨大なネクストの存在そのものを霧のようにかき消してしまうほどの透遁技。

目にもとまらない程早いのではなく視界に入らない。獲物をいたぶる様にして遊ぶ残酷な肉食獣のような気配がコアの中にまで届く。

このままでは…

 

 

 

 

『まさか、そんな!そんなことがあるか!あってたまるか!!』

 

『……』

 

「やはり…」

動かなくなったレイテルパラッシュの中で頂点の戦いを見ながらウィンは呟く。

ウィンの見立てではほぼ二人の実力は伯仲。

だが、それでも僅かにガロアの方が上だった。

テルミドールが実戦から離れている間も身も心も削りながら戦い続けたガロアの力は、生まれたその日から戦いを宿命づけられていたテルミドールの力を髪の毛一本分程の差で上回っていた。

 

『ぐっ、クソ!負けるわけにはいかないんだ!人類の為に!』

 

『……』

脇から見ているウィンですらも、死角から飛び出したアレフ・ゼロに寸前まで気が付かなかった。

今度は大型のレーザーバズーカの砲身が斬られた。あれではもう撃てないだろう。

まるで王手がもう見えているかのようにじわりじわりと一歩づつ追い込まれていくアンサング。

アレフ・ゼロのAPも削られてはいるがもう勝負は見えてしまっている。

 

「…あれ?」

その戦いをその場で見るただ一人の観客のウィンは、何故か涙を流していた。

 

『あああああああ!父さん!母さああん!!』

 

『……』

テルミドールが錯乱したところに無慈悲にグレネードが直撃する。

 

『がああぁあ!!』

カラードで奴が感情らしい感情を見せたところなど見た事が無い。

命の際まで来てやっと見えた心の底らしきものはあまりにも痛々しい。

 

『ウィンディー…?どうしたの?』

嗚咽が聞こえたのか、レイラから通信が入る。

 

「なんで…なんで…涙が…」

調べていくうちに僅かな点からだが垣間見えたマクシミリアン・テルミドールの人生が思いだされる。

酷い物だった。調査が及ばなかった彼の過去も自分の想像を下回るような楽な人生ではなかっただろう。

 

「…何故…同じクローンでこうも違う…」

ふと思い浮かぶ霞スミカのクローンの顔。

会ったことも数えるほどしかないし、会話もほとんどしていない。

だが、控えめに言っても彼女は幸せそうだった。

企業の勝手な理由で生み出され戦うことを義務付けられたその命。

テルミドールは小さな希望のよすがもたった三歳の時に奪い去られ戦うか処分かの道しか残されていなかった。

それでも戦い続けるテルミドールはその希望の拠り所を「人類」という幻想に求めるしかなかったのだろう。

 

『貴様に!貴様に!!私の運命の崇高さが分かってたまるか!!』

 

『……』

 

「見てきたはずだろう…テルミドール…人という物を…」

彼が見てきた人間という物は全て底知れぬ悪意の権化でしかなかったはずだ。

悪意と偽善の狭間から産み落とされ、ただただ拝金主義の豚どもの償いの為だけにすり潰されてきた人生でどうして人に希望を持てるというのか。

 

『ウィンディー?ねぇ、ウィンディー?大丈夫?!どこか怪我したの!?』

 

「本当なら…お前たちは…」

流しても意味がない、ここで流すべきではない何の慰めにもならないとわかっていても涙が止まらない。

命を懸けて削り凌ぎ合う二人。

本当ならあの二人は…

 

『ぐああああぁああああああ!!』

 

『……』

 

「あ……」

勝負は全く地味に、そして必然のようにロケットの爆風をアンサングが避けきれずに決した。

 

『くぅ…うっ…心しておけ…お前たちの惰弱な発想が、人類を壊死させるのだと… 」

 

「……」

勝敗が決してなお大義からの言葉のみを口にするテルミドール。大義しか縋る物が無い人生なんてあまりにも空虚ではないか。

小さくアンサングのコアが爆発し煙が昇っていくがこんな地下深くでは天国へと行くことも許されないだろう。

それでも、彼は妄信するしかなかったのだろう。

絶望から再起する人類という物を。

手を取り協力し宇宙を目指す「人類という幻想」を。

例えそれが虚構だと気が付いていても。

 

(人類…お前の言う人類なんて…お前を産み落としたのも…お前が戦う理由を勝手に作ったのも今の人類だろ…お前が縋る人類…そんなもの)

現在の人類は間接的に殺人をし、安全な所から人をなじり、その不幸さえも極上の糧とばかりに喜び食らう肥え膨らんだ薄気味悪い何かにすぎない。

テルミドールの言う人類。そんなものは。

熱いものがさらに頬を伝っていった。

 

「人類など、どこにもいないさ…オッツダルヴァ…」

もういい。ただ、何もかもを忘れて眠ってくれ。

 

不思議なことにウィンは最後に敵に向かって祈りを捧げていた。

アレフ・ゼロの紅い複眼がそんな感傷的な自分も戦死した敵も嘲笑うように光っていた。

 




「人類の為にがんばるぞい!」
テルミドールがそう思えるような人類なんて本当はいませんでした。

でもその幻想しか縋る物はなかった、というオチ。

彼の過去はまだまだ先の話ですが、一切の救いがありません。
いや…あるにはあるのですが、その鍵を握っているのがウィン・Dなので彼が救われるのは難しいでしょう。


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救われない答

強者は弱者を支配し弱者は強者を使役する。
人の中で生きていく限りその宿命から逃れる事は出来ない。


カラード中央塔内部を並んで歩く三人のリンクスと後ろから着いていく二人のリンクス。

三羽鳥の揃い踏みである。

 

企業連提供の画一的なスーツに身を包み歩くセレンと王小龍の前には、

真鍮製の胸当てと籠手を光に反射させ、厳めしい女性騎士の出で立ちで背筋を伸ばし、

インテリオル製の弾は出ない純金の銃剣を携え後頭部で高く結った茶色い髪を揺らしながらカツカツとブーツから音を立てながら歩くウィン・D・ファンション。

 

天女の衣のような銀糸のドレスを纏ってお伽噺のような透明なガラスの靴を履き、

透明なガラスの靴と名門ウォルコット家の家宝として永く伝わってきた「銀嶺のアミュレット」には瞳と同じ色をした荘厳なエメラルドが輝いているが、

身に付ける物全ての輝きにも劣らない存在感と艶麗さを醸し出しながらリリウム・ウォルコットも静かに歩いている。

 

左に銀貴の姫、右に真鍮の女騎士。

両手に花の様で二人の間を歩く男は普段野暮ったく眼にかかる赤い癖毛を全て整髪剤で後ろにまとめ上げ、

モール編みの布或が装着された赤いショルダーノッチのチュニックに、正装用のズボンである黒いトラウザーズと皮のブーツをパリッと身に付け、

左肩から掛けられた大仰な黒い布製の大綬には各企業とコロニーからこれまでの戦績とこの戦いの勝利を讃えた大小様々な勲章が殺めてきた者の生首のように所狭しと並びぶら下がっている。

左腰に帯刀されたその剣は1400年前から存在していたとされるオーメル支配圏に伝わる鞘から決して抜けない神剣・フラガラッハであり、その剣は全てを斬り断ち断面は永遠に分かたれたままであったという。

 

鍛え上げられた肉体と伸びやかに育った上背を包むその堅苦しい服装はどこをとっても二重丸以上が与えられる…

はずなのに、セレンもガロアも、ここにいる五人全てが何故かその恰好が似合っていないと思っているのは先ほどからガロアの頭をちくりと過る違和感と無関係ではない。

 

「シャンとしろ。今のお前は誰もが認めるランク1なのだぞ…ガロア・A・ヴェデット」

これまでの功績、そして今回打ち破ったORCA旅団団長、マクシミリアン・テルミドールがカラードのランク1、オッツダルヴァであったことが公表され、

その実力を煌びやかな賛美で褒めそやし名実ともに問題なしという事で(勝手に)ガロアはカラードのランク1となっていた。

 

「……」

それ自体に文句があるわけでもない。

自分が最強だということを疑っているのではない。

だが、自分が求めた答えはこんな称号だったのだろうか。

もっと根本的な何かを見落としているような気がするのだ。

また頭がちくりと痛む。違和感。

 

五人が歩いた先にあったのは至って普通のエレベーターであった。

カラード中央塔において階段で昇れるのはこの階までであり、この上へはこのエレベーターに乗るしかなく普段は立ち入り禁止にもなっている。

とはいうものの普通の人もカラード関係者もこれ以上の階へ行く必要は無いのだが。

 

 

オオオオオオオオオオオオ!

 

「……!」

最上階まで上がり開いた扉から出た五人を迎えたのはカラード管轄街のほぼ全域を見渡せる円形のバルコニーと一つの唸る風となった眼下の人々の歓喜の声であった。

晴天には数々のクレイドルも高度を下げ集まってきており、まさしく世界最大のパレードが今始まろうとしていた。

どんなよすがにも依ることなくひたすら勝利と栄光を積み重ね続けてこの地位まで上り詰めたガロアは全ての民の希望でもありどんな不純物も一切介す余地のない純粋な強さの象徴でもあった。

 

「見ろ。お前が守った人々なのだ、ランク1」

 

ズキンッ!

 

「!!」

自分より一歩下がった位置からのウィンの声に今度は違和感程度ではなくかなりの頭痛が頭に走る。

 

「ガロア様…?」

 

「……」

か細く心配そうな声をあげるリリウムの声を無視して左腰に帯びているフラガラッハを手首の運動で半回転させ左手で柄を、右手で鞘を掴み肉体と心気の力を有りっ丈込めて引き抜かんとする。

 

「何を馬鹿な事をしておる…?抜けぬ刀だと貴様もその眼で見たであろう」

小柄な老人が携えて持ってきたこの神剣は、傍に控えていたプロレスラーのような大男が万力のような力を込めてなお鞘から抜けることは無かった。

老人が言うには神剣云々よりも決して抜けないこの刀を最強の自分が帯刀していることが重要であるとのことだった。

世界最大規模の革命も企業の勝利に終わり、抜けない神剣は二度と戦いが起こらない事の象徴となる、と。

 

ビキッ

 

「……!!」

柄から何かがパラパラと落ちる。

 

ビキキッ…ズズズズズ…

 

「な…」

 

「大人…これは…!?」

 

パラパラと落ちた粉のような物の正体、それは錆。

鞘から姿を現した凡そ三尺の刀身は全て黒く変色するほど錆びており刃は余すことなく欠けていた。

 

ズキンッ

 

 

企業の言う二度と起きることの無い戦い、即ち平和の象徴はその全てが腐食していた。

 

『……』

 

頭痛と共に脳裏を過ったホワイトグリントの蒼い眼光に驚き刀を落とす。

 

カシャァン

 

安物の陶器の方がまだ小気味よい音を立てるのだろうと思えるくらい情けない音を立てながらフラガラッハの刀身は地面に当たるとともに粉々になった。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

その異様にガロア以外の四人は口を開くことも動くことも忘れ枯れ木のように突っ立ている。

 

構わずガロアはバルコニーの柵までふらふらと歩み乗り出して眼下を見下ろす。

人、人、人。

狂気と紙一重の歓喜に叫び歌う弱き民。

 

作り出してきたはずの物は爆炎。斬撃。劫火。

そして平和と憎悪。

 

 

『終わりか…あるいは貴様も…』

 

あれ。

 

なんだこれは。

 

誰にとっても平等な暴力だったはずだ。

目の前に立つ敵を全てなぎ倒して、ひたすら身体を鍛え腕を磨き、ひたすら憎んで憎んだ奴の全てを否定するために戦ってきたというのに。

 

まるで同じことをしている。

憎み恨み殺したアナトリアの傭兵と同じ道を辿っている。

汚し続けた手で人々を守るという矛盾を。

 

 

 

 

人は時として自分が一番憎悪したモノになる。

 

 

 

 

ここまで何人の人間を殺してどれだけの人間を不幸に叩き込んだのだろう。

そしてこの手でカラードを守っていた。この手で作り出した矛盾は自分がそうだったように自分を殺したいほど憎む人間も生んだだろう。

何もかも、やっていることはアナトリアの傭兵と同じだった。

自分と同じ人間を生みたくなかっただけなのに。殺したくない者を殺してまでここに来たというのに。

 

骸を積み重ね踏みにじった道の涯、結末がこれか。

 

 

「……」

 

「…!」

 

「!」

柵を両の手で掴みながら崩れ落ちたガロアの姿にこの世界で長く生きてきた王小龍はある音を聞いた。それは心が折れる音。

 

 

そしてその意味まで理解してきたのはずっと一緒にここまできたセレンだけであった。

 

「ガロア!」

一も二も無く床に落ちた錆びついた剣の欠片を踏み越えガロアの元へと駆け寄るセレン。

肩に手をかけ、こちらを向かせたガロアのその顔は止めどなく零れる涙に濡れている。

自分が受けた訓練と同等の厳しい訓練をこれまで課し、それに加えて地獄のような特訓を自分から進んで受けても一粒もこぼれなかったガロアの涙が、川のように溢れている。

父の死から今日この日までに流れたはずだった涙がガロアに一斉に去来した。

 

「もういい…もういい。行こう、ガロア」

 

「どうしたのですか…?」

 

「な、待て!どこへ行くんだ!これからだというのに…」

糸の切れた操り人形のように力ないガロアを肩にその場を去ろうとするのを止めようとしたウィンだが、二人の顔を見て言葉が途中で止まってしまった。

 

「…後は頼む、王小龍」

 

「…早く連れていくが良い」

年と共に刻まれた眉間の皺を深く寄せたっぷり五秒間程目を瞑った後に唸るように声を王は出した。

もうだめだ。理由は分からないが、あの少年は壊れてしまった。

 

 

ふらつきながらエレベーターに乗る二人の背中が三人の、いやカラードの人々が最後に見た二人の姿であった。

 

セレン・ヘイズとガロア・A・ヴェデットはその日から地球に生きる全ての人々の目の内から消えた。

 

 

 

 

 

 

ある企業の幹部の日記

 

『締括』

 

CE 23 8/4

 

尊い平和は守られた。

そうアピールするための馬鹿げた乱痴気騒ぎとパレードが今日ようやく終わった。

 

CE23 7/7に起こったクレイドル03襲撃事件はリンクス、ひいてはネクストという存在の不安定さを露呈した。

幸い未遂に終わったがそれでもこの事件での死者は900万人を超えており、しかもそれを止めたのもリンクスであった。

もしも敵う者のいないリンクスがその作戦を決行に移していたとすれば、たった一人により空前絶後の被害を人類はこうむっていただろう。

また、今回の世界最大規模の革命も数人のリンクス主導の元に行われていた。

 

個人の逸脱行為により公共の福祉、人民の生命が脅かされる可能性のある現況は速やかに正されるべきである。

 

現在世界各地に散らばるORCA旅団の残党とテロ組織を来るX/XXに全企業合同作戦により壊滅させた後に企業に確認されている三十余名のリンクス及びネクスト全てを「処分」することが決定された。

 

各企業の代表からの調印も既に得ており、この度の一斉処分によって人類全体の平和への道が開けることを願うばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

企業連ルート 完

 

BAD END




アナトリアの傭兵のようにならないようにと選んだ道でガロアはまさしくアナトリアの傭兵と同じ存在となっていました。
人生の全てだったその怒りは反旗を翻すようにガロア自身に向けられガロアの心を粉々にしました。

何がいけなかったのでしょうか。カラードについて戦ったのがそもそも間違いだったのでしょうか。

それならば、今度はカラードから離れてみましょう。
いざ、ORCAルート。


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ORCAルート
真の強者


ピピピッ

 

 

「!!………?」

深く深く落ちていくような眠りの世界にいたはずだった。

夢さえも見ることは無かった。

何をこの世界に忘れ自分は何のために目覚めたのだろう。

 

「………」

起きれない。痛みがどうのというよりも身体自体が起きるという行動を拒否しているかのようだ。

 

「……?」

辺りを見回すが殆どが闇に包まれており自分の眼が本当に開いているのかどうか怪しくなり眼をこする。

どうやら手と首は動くらしい。

 

「……」

電子音で目が覚めた気がするのだが…そういえばさっきの電子音は自分の部屋に置いてある目覚ましとは違う音だった。

身体を横たえているベッドの右側へと目をやると薄い黄色に輝く光点を見つける。

 

「…ッ、…」

光へと手を伸ばすと体中が悲鳴を上げたが何とか届いた。

何やら四角い板のようなものの一部が光っているらしい。

 

「……??…!」

暫くまな板程の大きさのそれを触ってみたり小突いてみたりしてようやくその正体が分かった。

ラップトップだ。セレンが家以外でも仕事をする必要があるときに持ち歩いていた物だ。

 

「……」

先ほどの電子音は恐らくメールだろう。

光点がある方を表にし、自分の方へ向けて、一見ただの金属の板のそれのいくつかの場所を一定のリズムでタップすると、空間に画面が浮かび上がり、金属の板にキーボードと同様の配列の光が薄い青色で浮かび上がってきた。

機密事項の塊のそれは当然ロックがされていたが、ことガロアに関しては隠す必要も無かったのでセレンは何度かガロアの前でロック解除をしており、ガロアもたまたまそれを覚えていた。

 

「……?」

やはりメールが来ていた。

だが差出人不明とはどういうことだ。

こう言ってしまえば残酷だがセレンも自分も悲しくなってくるほど交友関係が狭く、突然メールを送ってくるような存在はちょっと想像できない。

スパムの類だろうか。とりあえず開いてみる。これで本当にスパムでラップトップにバグでも起きたらセレンにどやされそうだが…。

 

『初見となる。こちらマクシミリアン・テルミドールだ』

 

「……」

突然のボイスと共に再生された大げさな映像にやっぱりスパムだったと思い閉じようとする。

 

『念願の復讐を果たした気分はどうだろうか?そして六月六日は君の誕生日だろう。まずはおめでとうと言っておこうか』

 

「!?」

スパムじゃない!

芝居かかった男の声が告げたその言葉に思わず固まりラップトップを落としそうになる。

誰にも話したことの無い誕生日を何故この男が知っているのか。

いや、それよりも自分は一体どれだけ寝ていたというのか。

 

『まぁそれはいい。終わった後に消してもよし、カラードに報告してもよし。とりあえず最後まで聞いてほしい』

 

「……」

急に跳ね上がった心臓に胸が痛くなり顔を歪めるが努めて呼吸を平常にし耳を傾ける。

 

『一部の者はクレイドルに逃れ、清浄な空に暮らし、一部の者は地上に残され、汚染された大地に暮らす。

クレイドルを維持するために、大地の汚染は更に深刻化し。それは、清浄な空をすら侵食しはじめている』

 

「……」

そんなことは知っているが正直なところどうでもいい。

今、差別が分かりやすい形になっているだけでこれまでだって世界はずっとそういうものだったじゃないか。

 

『クレイドルは、矛盾を抱えた延命装置にすぎない。このままでは、人は活力を失い、諦観の内に壊死するだろう。これは扇動だが、同時に事実だ』

 

「……」

そんなことよりも憎いアナトリアの傭兵を殺し生き残った今、どうやって自分の正しさを示すかが大事だ。

やっぱ消しておくか。

 

『ガロア・A・ヴェデット。君は紛うことなき強者。だが、強者となりその汚れた手で弱者を救うという行為は矛盾になるとは思わないか』

 

「!」

 

『君に全ての弱者を救えるか?君が殺した者の肉親は貴様を憎んでいるだろう。それをも救えるか?無理だろう。他でもない君に奪われたのに救われるなどという喜劇を怨嗟を上げる弱者が認められるはずがない』

 

「……」

核心だった。あと一秒その言葉が遅ければ消していたメールから核心を突く声がする。

 

『矛盾なき強者とは全てに平等である者のことだ。このまま企業の傀儡を続ければ君はいずれ矛盾に飲まれて死ぬ』

 

「……」

 

『全ての人間を大地に降ろす。GAのアルテリア施設、ウルナに侵入し、全てのアルテリアを破壊してほしい。だが、指をくわえて見ているのもいいだろう。

あるいは我々と敵対するのも構わない。この行為は全ての人類、我々も含む全ての人間を戦いの場に降ろすということだ。

それでも祀り上げられた強者ではなく真の強者でありたいのならば我らとともに来てもらおう。示してみろ。君がこの世の何よりも強く、正しいという事を』

 

「……」

ボイスはそこで終わっていた。

どうやって自分の正しさを示すか。

それを他人に理解してもらう必要は無い。

ただ誰にとっても平等な存在であればいい、それだけだった。

アナトリアの傭兵に抱いていた怒りの根源、矛盾。

今の自分ならそれらを全て振り切ってしまえるのか。

 

その時病室にドササッという妙な音が響いた。

 

「うわっ!お前いつ起きた!?ダメだダメだ!まだ寝てなくては!置け!そんなもの……あれ?」

ここ一週間、ずっとこの病室で過ごしてたセレンは丁度先ほど飲料が尽きてしまったので自販機まで10本ほど買いに席を外していたのだが、

その僅か五分程の間にガロアが目を覚ましラップトップを弄っていることに驚き全てのボトルを落としてしまった。

そして何よりも驚いたのが、きっと起き上がったガロアは生きる目的を失い空虚な顔をしているだろうと予想していたのに、まるで初ミッションに赴く前夜のような意志に溢れる眼をしていたことだった。

 

 

 

 

 

 

ORCA旅団の所有する基地の一つ。

今ここにはガロア・A・ヴェデットのオペレータであるセレン・ヘイズが来ているはずだった。

やや暗い照明の廊下をテルミドールはメルツェルと並んで歩く。

 

「テルミドール。一つ不思議なんだが」

 

「なんだ?」

旅団長のテルミドールに気安く声をかける者は変わり者の多いORCA旅団の中でも少ない。

団長だから、威圧感があるからという事ではない。

日によって熱っぽい扇動家のようであれば、唐突に冷めた言葉を吐き出す諦観者でもあり、かと思えばロマンチックなことを嘯きだす。

言わば途轍もなく気難しい人であり普通に付き合うには大いに問題がある人物なのだ。

故に気安く声をかける人物は多くない。

 

「何故ガロア・A・ヴェデットの誕生日を知っていたのだ?カラードにそんなものを登録する規則はあったか?」

 

「分からん」

歩きながら首をかしげ、大げさに手を横に広げる。

どうやら今日のテルミドールは機嫌がいいようだ。

 

「…どういうことだ?」

 

「いや、分からん。ただ、私には確信があった。奴の生まれた日は六月六日だ」

 

「……」

何を言っているのかメルツェルにはさっぱり分からない。勘なのかどうなのか、それにしても当たっていたというのだから恐ろしい。

 

「誰がセレン・ヘイズをここまで連れてきた?」

 

「銀翁だ」

私が案内人になろう、と言いながらぽんと腹太鼓を叩き笑っていたあの顔は面白い物でも見に行くかとでも言わんばかりだった。

 

「あまりからかい過ぎてなければいいが」

 

「さて、どうだろうな」

 

 

 

そのほんの少し前。

ガロアがネクストに乗り発進すると同時にカラードを出て迎えに来た人物に連れられてきた建物の中でセレンは口を開いた。

 

「ガロアは無事なんだろうな」

 

「ほっほ。まぁ簡単なテストだからな。ようはカラードに敵対する覚悟があるかどうか、それだけ見れればよかったのだよ。ほれ、もう任務完了の報が入っとる。

なかなかやりおるな。一発の弾も使わず、攻撃も喰らっていないそうだ」

 

「ふん…当然だ。ところで…」

 

「…む?」

目の前でずっと顰め面をしているセレンを見ているのが楽しくて仕方ないとばかりに先ほどからずっと口角を上げているネオニダスにセレンはドスの利いた声をあげる。

 

「大分老けた上に、かなり太っていたから気が付かなかったが…お前、テペス=Vだな?前時代の企業のリンクスがこんなところで何をやっている?」

 

「…お前さんは霞スミカと全く似ておらんの。まさしく生き写しだというのに。クローンでも性格までは似んか」

テルミドールの懸念はばっちり当たっておりネオニダスはセレンをからかいだす。

 

「私は私だ。クローン人間は自分を生きる権利すらないと?」

クローンという事を何故知っているのかとも思ったがこの年まで生きたリンクスだ、色々知っていることもあるのだろうとセレンは勝手に納得する。

 

「……。いいや、そんなことは思ってはおらんよ。ORCAでそんなことを思ってる輩はおらん」

額に青筋を浮かべるセレンはネオニダスの知る柔らかい笑みを浮かべる霞スミカと全く正反対で、本当に面白い物を見てしまった、と吹き出すのをこらえた後に言葉を続ける。

 

「…どういうことだ?」

 

「もうすぐ私らのリーダーが来る。その時わかるぞ」

と言うと同時に扉がガラリと開く。

 

「ORCA旅団副団長のメルツェルだ。よろしく頼む、ガロア・A・ヴェデットのオペレーター」

 

「ん…?」

差し出された右手を無視し後ろに立つ白髪の男に目をやる。

 

「団長のマクシミリアン・テルミドールだ。まさかオペレーターもついてくるとはな。その分は働いてもらう」

 

「ん!?お前…」

自分がまだ10代だった頃、覚えさせられたリンクスの名前とレオーネメカニカが所持していた顔写真。

全てのリンクスの結末も知っている。…あくまでレオーネメカニカが集めた情報なのでそれが正しいとは限らないが。

 

「……」

 

「ベルリオーズ…か?生きていたのか?老け…いや若く…あ…?」

小さな黒目には一切の油断なく、眉間の深い皺に固く引き結ばれた口。

少々小さめの鼻の横にある目の下にもまた隈の混じった皺がありその顔は忘れようもなく昔見たベルリオーズの顔だった。

だが記憶の中の顔よりは幾分か若い顔立ちであり、それなのに本来の年に相応しくない白髪で染まった髪は実際の年齢を煙に巻いている。

取り乱すセレンの姿をメルツェルもネオニダスもただ黙ってみている。

 

「……分からぬか?」

 

「まさか…お前も…」

 

「そうだ。私もリンクスのクローンだ」

 

「だから…テルミドールか」

テルミドールとベルリオーズ。

二つの名前はただ子音を変えただけの言葉遊びのような名前であり、レイレナードの残党中心のORCA旅団の団長がその名を名乗れば知る者はすぐ気が付くだろう。

 

「そうだ。気が付く者は震えればいい。企業の勝手な理由で私は作り上げられ弄ばれてきた」

 

「…大義からの行動ではなかったのか」

 

「大義だけを語り人の上に立とうとする人間なんて気持ちが悪いだろう?我々は人間だ。感情の乗らない事に生きていくという悲劇は避けるべきだ」

そう冷静に語るメルツェルのほうがどうして団長ではないのか、とセレンは少しだけ疑問に思う。

 

「いいや。大義はある。だが、理由を問われれば私怨だ。しかし…」

 

「……?」

と言った瞬間にガロアが部屋に入ってきた。

顔以外の見えるはずの肌全てが包帯に覆われており、ガロアの選択はなるべく尊重したいセレンだがその姿を見ただけでもう今回こんな事を始めるということに反対だった。

 

「来たか。クローズプランの説明をする。一度しか説明しないからよく聞け」

 

(…機嫌が悪くなったな、テルミドール)

 

「ガロアを休ませてやりたいから早くしてくれ」

 

「空に浮かぶ無数の自律兵器を覚えているな?」

 

「!」

 

「待て、貴様何故それを知っている」

セレンの利き腕がぴくっと動くのをガロアはあえて止めない。

危く死ぬところだったあのミッション。理由が理由ならぶっ飛ばしてもおつりが来るはずだ。

 

「私があの作戦を指揮したからな」

 

「哈ッ!!」

眼鏡をくいっと上げるメルツェルの前歯ごと吹き飛ばさんばかりの勢いで人中に向かって真っ直ぐ放たれたセレンの順突きはネオニダスがその肩を引いたことによって宙を切った。

 

「…私に…触るな!」

 

「まあまあ…人生塞翁が馬、知らぬが仏と言うだろう?結局縁あってここにいるではないか」

 

「これで最後だ。私に触るな。その手首、いらないのか」

あ、これはヤバいな、と思いセレンを諌めようとガロアが動こうとしたときネオニダスがまた油を注ぐような発言をする。

 

「…やれやれ。全くもってお前さんは霞に似とらんのう。同じように生きろとは言わんが少しは短気を直す為にも見習ったらどうだ?」

 

「……!」

確認できるだけでも三つの血管を顔に浮かび上がらせたセレンはその手首の関節を外そうと手を伸ばしたが、狭い部屋を凄まじい怒気が埋め尽くしていくのを感じた。

それと同時に狭い部屋に凄まじい轟音が響き渡った。ガロアが壁に拳を叩き込み大穴を空けた音だった。

 

「……」

その怒りの理由をガロアは上手く言葉には出来ないだろうし、しようとすることも無い。

最初こそ霞スミカに似ている(実際はDNAレベルで同じだったわけだが)という、ただそれだけでセレンについていったガロアだったが、今では彼の中でセレンはセレン、霞は霞と明確に分かたれており、

口にはせずともセレンを唯一無二の存在、自分の師として尊敬し敬愛していた。だが、ガロアがそれを自覚しておらず、セレンに伝えたことが無いのはある種の悲劇でもある。

それでも今の言葉はセレンのアイデンティティの問題に深く踏み込んだ発言だと理解し、拳を握っていた。

 

つまるところセレンが傷つくようなことを言われればガロアが怒る様になっていたし、ガロアが傷つけばセレンが怒る様になっていたのだ。

まるでタチの悪いびっくり箱である。

ここ三年でそんな事は全くなかったのでガロア本人が気が付いていなくても仕方ないが。

 

「なるほど…」

大音量の音楽の低温が腹に響くような圧力を感じ一歩引くネオニダス。

テルミドールもメルツェルも一見平静だが、本当に平然としているのはテルミドールだけであり、メルツェルは細かく震える指でずれた眼鏡を直そうとしてぺとりとレンズに指紋が付いた。

 

「…もういい、ガロア。さっさと話を続けてくれ」

邪魔な包帯を引き千切りずんずんと前に進むガロアを止めるセレン。もう数秒遅ければネオニダスは出荷前の肉のように解体されていただろう。

 

「あれが世界中の空を覆っている。人類は宇宙に行けない」

 

「……」

 

「誰がそんな…いや、当然企業か。待て…それなら」

 

「察しがいいな。国家解体戦争の理由はその事実の秘匿だ。そんな理由でも武力があれば出来てしまうのだ。つくづくこの世界は強い者に左右されるようになっているらしい」

 

「……」

僅かに語気を強めたその言葉を耳にしてテルミドールに眼をやると彼もこちらを見ていた。

 

「エーレンベルクを知っているな?」

 

「GAの観測衛星の破壊を防ぐ為に破壊された衛星軌道掃射砲だろう」

 

「それは嘘だ。あんなものが浮かんでいて観測衛星が浮かんでいられるはずがない。レイレナードとアクアビットの意志に気が付いた他の企業全てが叩き潰しに来ただけだ」

 

「意志?」

 

「地球を覆う自律兵器…アサルト・セルを全て焼き払い人類の宇宙への道を開く意志だ。無論、あのような巨大な兵器が光を上げれば世界中から詰問されるだろう。その時明かすつもりだったのだ。

レイレナードとアクアビットは企業の罪をな。当然この二つの企業にも罪はあったがそれでも前へ進もうという意志はあった」

 

「……」

 

「現在クレイドルには下を監視するためのカメラの類は一切取り付けられていない。何故だかわかるか」

 

「けん制か…。下らんな。いや、自分達の罪も認められない駄々をこねる稚児のような企業が残ったと考えれば妥当か」

 

「その通りだ。見られていては堪らないような事をどの企業もこの地球でやっているのだろう。…まぁお蔭で我々も堂々と行動できているがな」

 

「……」

 

「衛星軌道掃射砲の基地を全世界に7つ所有している。このまま発射してもアサルト・セルをクレイドルごと焼き払えるが、宇宙への道を開いたとしても人がいなくては意味がないからな。それに衛星軌道掃射砲にはコジマエネルギー由来の莫大なエネルギーが必要だ。その為にもクレイドルには地上に降りてきてもらう」

 

「待て。他の兵器でアサルト・セルは消せないのか。それに自分達が苦しんでいる現況のクレイドルの住民がのうのうと降りてきてみろ。まず殺し合いになるぞ」

 

「ダメだ。完膚なきまでに消滅させないとデブリになる。殺し合いになる?知ったことではない」

 

「……」

 

「なに?本気か?貴様」

 

「セレン・ヘイズ。お前のその怒りの根源はどこだ?こんなことになる前から一部の人々は全てを吸い上げられ一部の人々が贅を尽くしていただろう。誰かがそれを本気で怒り変えようとしたか?

したとして変わったか?植えつけられた価値観で物事を語るな。人は残酷で、生き物は殺さなければ生きられず、強い生き物にのみ生きる権利があり、人類全体に罪があるだろう?

それにそうなったとしてもお前たちは生き残るだろう?強い生き物なのだからな。…どうやらガロア・A・ヴェデットの方はわかっているようだぞ」

 

「…ガロア」

 

「……」

その眼は普段と変わらず灰色で何の感情も表していない。

幼くして父を亡くして一人で生きてきたガロアの倫理観は無に等しくある意味で何も植えつけられていない一番純粋な人間の姿であるとも言えた。即ち無関心。人は他人の生死に興味を持たない。

自分の世界が変わらないのならばそれでいいというのが大半の人としての在り方だ。

人が死ぬという事に対する義憤は植えつけられた倫理からのものでしかなく、それを除けば人は、生き物は自分が生き残ればそれでよいのだ。

 

「…話を続けてくれ」

 

「大筋は以上だ。出来るならば全ての衛星軌道掃射砲は守りたいが、一基でも残っていればそれでいい。

最後にアルテリア・クラニアムを制圧し、私の生体情報を使い、中に入りクレイドルを降ろす。以上だ。…ガロア・A・ヴェデット。長々と話したが細かいことは関係ない。

目の前に立つ全てを叩き潰せ。ただお前が最強でありつづければそれで全てが平等な状態に戻される」

 

「……」

ピリピリと首筋を刺すような空気が流れる。

思わず目を背けそうになった時セレンは違和感を覚えた

 

(…この空気…どこかで…)

 

「一つ忠告しておく。互いになれ合わない方がいい。直接会うのも精々あと一回か二回だろう」

壁にもたれていたメルツェルが口を開く。

 

「何故?」

 

「この作戦でほとんどのメンバーは死ぬだろう。腐敗していても企業はやはりこの世界の支配者だ。そう甘くは無い」

 

「…貴様はそれでいいのか?テペス」

 

「私は先が短いからな。死ぬにしても意味があった方がいい」

 

(嘘だな)

目を左上に逸らしながら答えるネオニダスの言葉に直感的に嘘を感じる。

 

「貴様らはそれでいいのか?達観するほど年を取っているようには見えんぞ」

 

「…話はここまでだ。このビルはお前たちの好きに使え。ネクスト格納庫の方には必要な人員がいる。食料も飲料も十分にある。どうせ誰も使っていない、空に逃げた人類から捨てられた建物だからな」

背を向け口早に言い切るとテルミドールはさっさと出て行ってしまいメルツェルもそれに続いた。

椅子に腰かけていたネオニダスもよっこらせ、と立ち上がり出ていこうとする。

 

「待て。あの二人は何故自分の人生を生きずに死のうとする?私は…それでも自分の道を見つけて…その…結構、なんだかんだ恵まれていると思う」

 

「…お前さんが出会ったのがそこの少年であったように、テルミドールが出会ったのがメルツェルだからだ。これ以上はもはやワシの口からは語り切れないし、想像も及ばない程企業の闇は深い。

…先ほどはすまんかったな。お前さんはお前さんでいいんだろうよ。大事にしろよ、そのリンクス」

膨れた身体をのしのしと音を立てながら行ってしまうネオニダス。

結局、誰一人として本心らしきものは明かすことは無かったように思える。

 

結局狭い部屋と広いビルに二人だけで放り出されてしまった。

もともと孤独な戦いをしてはいたが本当に二人ぼっちになってしまった、あの世界にはもう戻れないと思うと胸が僅かに痛むがガロアと離れる方がもっと嫌だったから今となってはどうでもいい。

 

家から出るときに持ってきたトランクを開きガロアに着替えを投げる。

着替えと必要な電子機器以外、そして花以外は全て置いてきてしまったしもう取りに戻ることは出来ない。

トランクを開く音も閉める音も狭い部屋にやけに大きく響いた。

 

「分かっているな?自分が何をしているか。お前は強い、それは間違いない。だがその強さを最後まで通せるか」

ただ強くあることそれが如何に困難な道なのか。

強さとは自分の道を迷いなく進めること、そこに障害あらば取り除けること。

今までもそうしてきたのだからこれからも出来ると思っているのだろうか。

 

「……?」

着替えを腕にかけながら何を言っているのかわからないと表情で返される。

 

「もうここまで来たんだ。いずれ分かるさ。とりあえず今日はもう休もう」

卑劣な敵も強敵もその手で叩き伏せると思っているのだろう。

だが、きっとそれでは済まない。カラードを、今まで自分がいた場所を敵に回すという事がどういうことか。

この作戦が佳境に入れば嫌でも分かるだろう。

 

 

 

 

ガロアがのんびりと着替えているころ、ローゼンタールの所有する基地にて一つの戦闘が終わった。

 

『チ…ゴキブリが…手間取らせやがって…』

 

(……う…やりすぎだろう……)

世界に宣戦布告したORCA旅団の一員であると思われる赤銅色のネクスト、

カニスとダリオ・エンピオは鎧土竜の撃破に向かったが、散々暴れまわり基地に甚大な被害を齎した上に最後はコアごと砕け散り結局被害以外には何も残らなかった。

恐らくは引きずり出して情報を絞り出すまでがローゼンタールの目的だったのだろうが『基地防衛』というミッションだったのにこうなっては報奨金が支払われるかも怪しい。

 

『何も残さねえで死にやがって…カスが…』

 

(だから上のランクには行きたくねぇんだ…)

だが、どちらかというとじわじわと苦しめる様に追いつめていたトラセンドに問題があったように思える。

今もぶつぶつと呪詛を漏らしながら倒れた鎧土竜にブレードをザクザクと突き立てている。

そうしたい気持ちも分かるが死体蹴りを延々と続けるダリオにカニスは心底引いてしまっている。

 

『敵機接近。GAからの刺客と思われます』

 

『あ?』

 

「何だって?」

確かに、今のうちに火事場泥棒のようにこの基地を潰して多少なりともダメージを負ったネクスト二機を倒せればGAにとって大きな利が生まれるだろう。

だがカニスとしてはすっかり気勢が削がれておりもう帰ってシャワーでも浴びて帰りたいところだ。

 

『敵ネクストの…』

 

『ランクは?』

 

「…?」

 

『え?』

 

『ランクはって聞いてんだよ。耳ついてんのかクソアマ』

 

『…ランク23です』

 

(…誰だっけ)

 

『またゴミか…下らねえ…おい、お前。……カニス!』

 

「え?」

 

『行け。片づけてこい。ガキの使いじゃねぇんだ。ランク23如き一人で出来るだろ?』

 

「わ、わかったから…」

いつの間にか目の前に立っていて、ブレードをコアを焦がすような距離で突きつけてくるトラセンドに諸手を上げながら言葉を返す。

 

『負けても殺す。勝っても無様なら殺す。イラつかせたら殺す。さっさと行け』

 

「う…あ、ああ」

トラセンドから目を離さずに後ろに下がり東へと向かう。

奴から目を離したら後ろから撃たれるような気がしてならず、何度もスクラップになった基地の兵器にぶつかりながらようやく視界から外れた。

 

「ふう…でもランク23か…」

自分より一つ下のリンクス。

たしかタンクを使う女だったはずだ。大分前にオーダーマッチで勝利しているし、共同でミッションに当たったこともある。

多少ダメージを負っているとはいえ問題なく勝てるだろう。

 

「…あれ?」

東から来ているとの情報に従い飛んできたがどうにも変だ。

倒れているノーマルや破壊されてる自動砲台にはどう見てもブレードに斬られたとしか思えない痕が残っている。

 

「まさか…」

ブレード使いで絶対に当たりたくないと思っていたのはランク12のルーラーとランク17のアレフ・ゼロだけであり、片やカラードを裏切り、もう片方はローゼンタールには表向きは敵対していない。

だとするとこれはなんだ?

 

『カニス…』

 

「お前…!?」

巨大な砲台の陰から出てきたその機体は、このカラーリングはセンス無さすぎ、と笑いながら何度も言ってはその度にこの配色が最高なの!

と返されてきたダン・モロのネクスト、セレブリティ・アッシュだった。

 

『ダリオって奴はこの先だろ?どいてくれ…』

 

「ちょっと待て…何言ってんだ…?訳がわからねえよ、ダン」

訳が分からないと言いながらも解はもう出ている。

ランクを上げてここまで来たのだろう。こいつの機体にはブレードが付いている。

 

『俺が…俺がランク23だ!どいてくれカニス!!お前はターゲットじゃない。ミッションと嘯いて逸脱行為を繰り返すダリオ・エンピオの抹殺が俺のミッションだ』

つまり、一山いくらの独立傭兵の自分の生死は関係ないのだ。

もちろんそれはダンにも言える。自分もダンもただの捨石か。

 

「…ダリオが…?」

思い浮かぶのはじわじわと相手を嬲りその死体まで穢していくトラセンドの姿。

ぶるぶるっと身体の芯から身震いをする。

あんなのにかかって行ったらどうなるかは想像に難くない。

 

「ダメだ、行かせられねえ」

 

『いつまでも俺に勝てると思っているのか!?お前にだってもう勝てる!!』

 

「馬鹿野郎!俺に勝てても奴に勝てるのか!?俺よりもずっと…強いんだぞあのクソ野郎は!」

 

『なぁ…カニス。なんで到底勝てなそうな相手にも向かっていけるんだろうな?なんで散歩にでも行くみたいに企業に弓引けるんだろうな?かっこよすぎるよな…』

 

「ガロアか…!もうあいつを追うなって言っただろ!違う生き物なんだよ奴は!!見てる世界が違うんだろうが!!さっさと帰れ!!」

ダンはブレードを積んでいてもそのヘタレっぷりにより切り込める距離に踏み込むことが無かった。

だと言うのに周りにある残骸は明らかにブレード主体の戦い方だ。あの人外の怪物と同じように。

 

『い、嫌だ!ここで逃げたらもうあの子達に顔向けできねえ!!』

 

「なんでこんなミッションを受けたんだ!!本当に行く気か!?」

 

『もう名誉も正義もいらねぇ…!それでも戦う!!』

 

「死んでもか」

ネクストの脚がぶるぶると震えているように見える。

きっとあのコアの中では小便漏らしそうな程びびっているのだろう。

だと言うのに何故退かないのか。

 

『押しとおる…!』

 

「行かせねえ…!」

 

 

 

 

そんな二機のネクストが激突しているなんてつゆ知らず、セレンとガロアはビルの中を見て回っていた。

 

「ここは…アルドラの子会社だったのかな、元々は」

 

「……」

地上十二階建のビルだが、

二階までは砂で埋まっており、一見廃墟だが全ての電気も点くし、所々で清掃用のロボットが主人のいないビルの掃除をしながら動き回っている。

 

「…どこに食料があるのかも言わなかったな、あいつら」

色々な区画を見て回るが、営業部だ企画部だと腹の足しになりそうなものは無い。

見る限りではまだこのビルは無人になってから一年も経っていないのだろう。

クレイドル体制になった後も、空に上がる権利がありながら地上にいた人はそれなりの数がいて、その中の一つが企業に携わる人々だった。

現在カラード管轄街や企業管轄街に生きている人々もそれに分類される。

汚染がじわじわ広がりとうとうビルを捨て空に逃げたか、別の街へと非難したか。

まだそんなに時間がたっていないと言うのに風にさらされて二階まで砂に埋まってしまっているこの現状を鑑みるに社員が転がるように逃げていったのは想像しやすい。

今はまだ風に乗って砂が飛んでくる程度だがその内ここも完全な汚染に曝されるだろう。

 

「ん?」

肩を指でちょいちょいとつつかれ振り向くとガロアがケータイに何か文字を書いて出していた。

基本的に自分から話しかけ、首を動かすだけでコミュニケーションを取るガロアが自分から何かを伝えようとする事は実は珍しい。

 

『テルミドールはオッツダルヴァだった』

推理小説のネタバレのように簡潔に衝撃の一文がそこにはかかれていた。

 

「え?なぜ?」

 

「……?」

問いても首をかしげるばかり。

 

「理由は無い?何となく?どういうことだ?」

しかし、先ほどのテルミドールとガロアの間に生まれていた刺すような空気には覚えがあった。

ホワイトグリント撃破の前にオッツダルヴァの部屋に呼ばれた時のそれとそっくりだったのだ。

だが顔も違うし、口調も違う。

辻褄が合っているところは合っているが合っていない所はとことん合っていない。

何言ってんだか、と思っているとガロアが隣からいなくなった。

 

「あ、おい。そんなところに何の用があるんだ」

ガロアが唐突に扉を開けて入っていったのは医務室。

まだ身体が痛むのだろうか。だとしたらこの場所は覚えておかなければならない。

 

「……」

 

「あ、なるほどな…」

AEDの横にはいくつものランプのついた地図が貼られていた。

多少のけが人ならばここに来るだろうが、突然の心臓麻痺や一刻も争う大けがをした物が出てしまった時に直ぐにその場に駆けつけなければならない。

おそらくはけが人が出た場所にランプが光り見てすぐに分かるようになっていたのだろう。

電話で大声を上げるよりはよほど効率的だ。

 

「……」

 

「食料は購買部かな。多分」

 

「……」

 

開けっ放しの扉をくぐりさっさと行こうとするガロアを引き留める。

 

「待て待て。写真に撮っておこう。こう広くてはここまで来るのも一苦労だからな」

 

「……」

写真を撮っている間、ぼけっと後ろで立っているガロアは初めて会った頃とは比べ物にならない程に背が伸びてしまった。

というかまた伸びた気がする。自分も女としては背の高い方だが、この高さの男は街でもとんと見なかった。

 

「どうせ次の作戦が始まるまで暇だし、久しぶりに身体検査でもするか」

このままこのだだっ広いビルの中で何もせずに過ごしていれば脳みその皺が無くなってしまいそうだ。

かといって暇を潰せるものが企業のビルであるここにあるとも思えない。

身体を強くするために吐くまでタンパク質を食わせ、日に日に大きくなっていったという懐かしい記憶を思い出しついそんなことを言ってしまう。

 

 

 

「……」

 

「これは?」

 

「……」

 

「これは?」

 

「……」

 

「うーん…昔から眼が良かったからな…お前は…」

壁に視力検査用のランドルト環の紙を貼り、その逆の壁際に立たせて検査をしているがガロアは全てを当てている。

 

「えーと…通常5mのところ7mだから…多分お前の視力は2.8かな。というかそれ以上は計れん」

 

「……」

一方のセレンはデスクワークに追われブルーライトを容赦なく放つ画面を見過ぎて視力は0.5を切り、所々では眼鏡をかけるようになっていた。

 

「体重計ろう。はい、乗って」

 

「……」

今時珍しいアナログ式の体重計を奥から引っ張り出してくる。

視力聴力検査はセレン自身もやっていたのに体重計には乗らないのは女性だからだろうか。

 

「95.4kg…増えたなぁ。最初41kgしかなかったんだぞ」

 

「……」

髪をくしゃくしゃとかきながらガロアは思い出す。

長いようであっという間だった三年間。

最初の頃は体力作りのための走り込みでぶっ倒れた自分をセレンが片手で持ち上げて帰っていたというのにあれから50kgも増えたというのか。

 

「……」

セレンに鬼のように食事を詰め込まれに詰め込まれ、栄養補給の後はひたすら身体を鍛えさせられた。

毎日が限界への挑戦だった。痛みを与えるのならばその身を以て痛みを知らなければならないと言われ何度も殴られ張り倒され絞め落とされブン投げられ、骨折した回数も何十回あるだろうか。

 

「身長も計っとくか。お前は服とか買わないし、いつもゆったりとした服しか着ないからアレだが知っておいて損は無いだろう」

 

「……」

社員の健康診断に年に一度だけ使うのであろう、クモの巣が張り錆びついた身長計を運んでくる。

 

「197.6cm!この前計った時は188cmだったか?まだ成長期ってことか」

実はガロアはインテリオル管轄街に来るまで自分の身長と体重を知らなかった。

なにせ比べる人がいなかったので小さいとも大きいとも思っていなかったが、

リンクス養成所に入ってから自分が相当小柄な方だとわかったのだ。

 

「あ、ちゃんと足を揃えろ。まともに計れないぞ」

 

「……」

下を向き自分の足をまじまじと眺めるセレンの瞳は長い睫毛がかかりよく見えない。

昔はいつもセレンの胸の高さから見上げていたというのに、いまでは首の下にセレンの頭がある。

自分は強く大きくなった。それは間違いない。

 

当然だが、下にいるときは下にいるときにしか、上にいるときは上にいるときにしか見えない物がある。

上に行けば全てが見渡せるなんて考えは一方的で傲慢な考えだ。

強くなるうちに、自分は何かを忘れてしまったのだろうか。セレンの先ほどの言葉を思いだしてそんなことを考えていた。

 

 

 

圧倒的な強者であるガロアがそう考えている頃、強くあろうとする弱者と弱く見せかけようとする強者の戦いが終わりかけていた。

 

「ハァ…く…マジかよ…」

 

『ぐ…ふっ…カニス…』

戦闘開始から7分。

多少のダメージが元々自機にあったとはいえ僅かに、それでも確実にカニスは押されていた。

 

(ランク15くらいまでだったら問題なく勝てたはずだ…俺は!…それは気のせいだったのか!?)

 

『どけ…カニス…』

機体のあちこちから火花を散らしているセレブリティ・アッシュ。

中のダンは激痛と頭痛に襲われ吐き気を催しているだろう。分かる。なぜなら

 

(俺もそうだから)

おえっと上がってきた吐瀉物をかなり無理して飲み込み声をひねり出す。

 

「そんなボロボロで行って勝てるわけねえだろ…いいから退け…!」

 

『うるせぇ!俺は…!…、…』

 

ズブッ、と嫌な音が聞こえてカニスは何かを理解する前に顔を青くした。

 

『時間切れだ、ガキども…何をもたくさしてやがった』

 

「ダン…!」

削り切っていたPAの後ろからブレードで一突き。

セレブリティ・アッシュのコアはトラセンドの剣に貫かれていた。

 

『無様な戦い方しやがって…お前も死ぬか?』

動かなくなったそれをゴミのように捨てるのがやけにゆっくりと見えた・

 

「あああぁああぁあああ!!!」

 

『…はぁ?』

 

「テメェ!!テメェ!!」

手に持っているものが銃だということも忘れて殴りかかる。

その全てが虚しく空を切った。

 

『……』

 

「クソ野郎!クソ野郎!テメェみてぇなクソがダンを…がっ!!!」

 

『なんだ?お前、突然ハッキョーしやがって。飛んじまったか?』

 

「……う…」

闇雲に突っ掛った自分も悪かったのだろう。

だがそれは本当にあっさりと、顔も歪むような臭気と共に波打つ激痛を乗せて訪れた。

 

「うああああああぁあああ!!!」

コックピットの下部に穴が開き膝から下が溶けてなくなっていた。

いともあっさりと斬られたのだ。

 

『まぁいいや。死んどけ』

 

「ああ、う、ぐ」

溶けた機械と同化した部分以外から血がだくだくと流れている。

もう死ぬすぐ死ぬ痛ぇ殺してくれ。

瞬時にあらゆる記憶が頭を駆け巡り痛みに塗りつぶされたが、その濁流は一つの言葉となり口から出た。

 

「…弱ぇ」

 

『あ?』

 

「テメェは弱ぇ。テメェよりガロアの方が強ぇ!!テメェよりも化け物染みた奴なんてうじゃうじゃいんだ!!」

 

『…勝手に言ってろ』

振り下ろされるブレードが見える。

この速度だったら躱せたな、俺は。

やっぱ出世しておけばよかった。

 

「ケケケッ!!殺されちまえ!テメェなんかガロアに…」

 

カニスが言葉を言いきる前にトラセンドは何の感情も示さずにコアを切り刻んだ。

 

「……おい、オペレーター。ついでに反乱分子を一名殺した。カラードに報告しておけ」

 

『…はい』

 

「……ふんっ」

物言わぬ骸と化した二機のネクストを蹴っ飛ばし通信を一方的に切り鼻を鳴らす。

 

「ガロア・A・ヴェデット…?あんなガキがなんだってんだ」

何も言うつもりは無かった。

なのに奴が戦う姿を想像した途端肌が粟立った。

内にけぶった感情…不安を掻き消すように呟きもう一度サベージビーストだった物を蹴飛ばした。




カニス


身長173cm 体重63kg


出身 メキシコ

カニスは頂点に立つ者以外はいずれ必ず壁に当たるということを知っており、自分の才能の多寡も熟知している。
その気になれば恐らくカラードのランク一桁にもなれただろうし、いざとなったらORCAの下位メンバーにも勝てるだろう。
だがいつか必ず負けるのならば今この場所でぬくぬくとしている方が賢いと信じており、AMS適性という才能も運が良かったに過ぎないと考えている。
自分より少し後にリンクスになったダンが大声で、しかも本気で自分の夢を語る姿を愚かだと思いながらもその一方でそれが素晴らしいことだと思っており、彼のしつこいぐらいの夢の語りを聞くのは嫌いじゃない。時々うっとうしいが。
しかし確実にこのままではダンがいつか命を失うことになるというのも感じており、それをいつ言うべきか悩んでいた。
賢いのは間違いないがニヒルな性格になりきれない善のお節介な部分がカニスの弱点だろう。
リンクスとしての名前はウルフよりも弱そうな印象を受けるカニスにした。


趣味
飲み物や食事を僅かに残して贅沢を感じること
日焼けサロン

好きなもの
猫カフェ(こっそり一人で行っている)
ダンのくだらない話に突っ込みを入れること


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アルテリア・カーパルス襲撃

五日後。

本当に何の沙汰も無くガロアとセレンは宿直室で寝て起きて、ビルの中をうろつくという何をしているのだかわからない日々を送っていた。

 

しーん

 

「つまらんもんだな」

 

「……」

 

「人のいない食堂ってのは」

社内食堂。

百五十はあろうかという椅子の中の二つに座り、大鍋で茹でた麺にレトルトのミートソースをかけて二人で黙々と食べている。

がらんどうな食堂にある大型のモニタにも当然何も映ってはおらず確かにつまらない。

最初の三日ぐらいはどんな難題が飛ぶのやらと身構えていたが何の報せも無くただただ二人で過ごしていた。

ちょっとアレフ・ゼロを見に行こうとしたら格納庫の前でORCAお抱えの整備班に止められた。

どうもまだ完全に信頼はされていないらしい。

 

「……」

自分の機体の傍にすら寄らせてもらえなかったガロアは明らかに不機嫌であった。

 

『ミッションを連絡する』

 

「ぶっ!!」

ビル全体に突然声が響き渡りモニタに文字が映し出される。

さきほどまで自分以外に声を発する者がいなかった食堂内に想定外の大声が響いてセレンは思わず半分口にしていた麺を思い切り噴出した。

 

『ローゼンタールグループの所有するアルテリア、カーパルスを襲撃してほしい』

 

「メルツェル…だったか?の声か…?」

鼻からも出てしまった麺を手で隠して啜りながら声の主を推測する。

 

「……」

 

『既に二機、ORCA旅団のリンクスが向かっているが万が一にそなえて出撃してほしい。相手はランク5、ノブリス・オブリージュとなるはずだ。場所は既にネクストに送信してある。すぐに向かってくれ』

 

「……、…」

 

「…これならビルの中のどこにいても聞こえるということか…あっ!あーっ!!すまない!!」

放送があってから微動だにしていなかったガロアの顔には噴き出した麺とソースがたっぷりとかかっていた。

 

 

 

 

カーパルス。

抱き合うようにして停止している二機のネクストはどちらもコアから煙が上がっている。

 

つい今の今まで動いていた二機のネクストも、変わった造りのネクストの方が前もって重大なダメージを負っていたこともあり先に動きを停止した。

 

『所詮…二流だったと』

 

「さっさと死ね。…あ?…なんだこいつら。ほっといても死ぬのか」

最後の言葉をいう事も許さずに赤いネクストから放たれたレーザーが直撃すると同時にコアが小さく弾けた。

 

「ちっ…お前みたいな絞りカスを殺しても何にもならねえんだよ…」

動きを止めたネクスト、グレイグルームを蹴倒す。

 

「さっさと殺せよ!二機でかかってんだから出来ただろ?クソが!」

コアが吹き飛び最早動く筈もないネクストの骸をひたすら蹴り続けるトラセンド。

ダリオ・エンピオのイラつきには訳がある。

 

ローゼンタールの最高ネクスト、ノブリス・オブリージュが二機のネクストにかかられいたぶられているのを影から見ていたダリオはそのままノブリスがやられ、

残った手負いの二機を倒すことを考えていた。どんな勝利でも二機のネクスト撃破。それもかなりの強敵。報奨金はいくらになるか想像もつかない。

 

だが現実はノブリスのリンクス、ジェラルドが必死に白いイレギュラーネクストのリンクスに何事かを叫び続け、

白いネクストの動きが動揺と共に鈍るとともに変わった形のネクストの動きも揺らいでいった。

 

動きの鈍った二機の動きに対応しかなりのところまでノブリスは二機とも追いつめた。

そして先に動きを止めた白いネクストにライフルとブレードを放り投げ詰め寄り何事かを声かけていた。

もう止めてくれ、だとかもういいだろうとか。そんな感じだった気がする。

 

白いネクストが限界だというのは間違いなかった。だがイタチの最後っ屁とでも言うべきか、やはり限界が見えていたノブリスのコアにハイレーザーを撃ちこむと同時に白いネクストのコアも爆散した。

変わった形の軽量機はただその二機を黙って見ていた。その姿は泣いているようにも見えたが、アサルトアーマーの連発でPAが切れていたそいつに遠慮なく襲い掛かり倒した。

 

 

生き残ったのは俺だ。

一機仕留めることも出来た。

だというのになんだ、この後味の悪さは。

 

「クソがぁあああ!」

 

コアがいかれているのだから当然の結果かもしれないが蹴られ続けたグレイグルームはついにバラバラになった。

 

「……チッ」

 

『……』

 

その時ダリオの背筋を悪寒が駆け抜けた。

 

「……あ?…………!!」

黒い悪魔が見下ろしていた。

 

 

 

ガン、ガンとネクストがネクストを蹴る異様な音がする。

 

「……」

 

『なんだ…あいつは…』

金属がぶつかる音以外は何もないカーパルスの外壁にそっと降り立ち中を見渡す。

抱き合うように動かず煙を噴き上げる二機の白いネクストの傍で何かを蹴り続ける赤いネクストがいた。

 

『クソがぁあああ!』

 

「……」

 

『敵…か?』

 

「!」

 

『気づかれたか』

 

「……」

 

『アレフ・ゼロかよ…』

音も無く地に降りたったアレフ・ゼロにぶつけられたのは不細工な殺気であった。

凡そ美意識など何も無い、獣のような殺気であった。

 

「……」

 

『てめぇ…ずっと見てたのか?なんで不意打ちでもなんでもして殺しに来ねえ』

 

「……」

 

『時代遅れの一騎打ちみてぇな真似をしたクソガキども…貴族の務めだとか大層な御託…』

 

「……」

 

『なんだ?馬鹿ばっかか?ダンとかいうガキもカニスもジェラルドも…テメェも』

 

「…!」

その必要があったのか?言葉があったらガロアはそう言っていただろう。

抱き合うネクストを赤いネクストが斬りつけて二機の上半身は崩れ落ち傍の水へと沈んでいった。

 

『バカにしやがって…』

 

「……」

動かぬ三機のネクストの中身がどのような人物だったかは知らない。

 

『カニス…?…ダン?貴様、何を…?』

 

『はぁ?あのガキどもの知り合いか?女。俺が殺してやったんだよ!弱ぇくせにほえやがって!後ろからザックリとよぉ!傑作だろ!?貴族の誇りも必死の努力とやらもそれで死ぬんだからよ!

カニスもハッキョーして襲い掛かってきやがって!!あの世に送ってやったよ!!仲良くな!!』

 

『……』

 

「……」

ましてやその三人がどういう関係だったかなんて知るはずもない。

ダンもカニスも…騒がしいあの二人が死んでいたとは。

 

「……」

 

 

 

 

 

(俺さ、カニスと友達なんだ)

 

ガロアに友はいない。

いたこともない。

 

だが今の言葉が侮辱だというのはなんとなく理解できていた。

 

 

 

 

 

 

戦うのが避けられない運命だったとしても、何故二人の戦いの中で死なせてやらなかったのだろう。

何故動かないネクストを斬ったのだろう。

 

「……」

ガロアは激怒していた。自分とセレンのこと以外でここまで怒るのは初めての経験であった。

それはカニスやダンと親しい仲であったから、とかそういう理由では無い。

 

自分はアナトリアの傭兵を恨んだ。

だが、少なくとも自分は真正面から誰が見てもフェアに奴を撃破した。

 

例えばラインアークに侵入し中身だけを撃ち殺したり、フィオナ・イェルネフェルトを人質に取って殺すという方法もあっただろう。

そうしなかったのは自分の正しさを示す為に奴の力の全てを受け止めて叩き潰す必要があったからだ。

つまり、自分の誇りの為に戦っていた。

 

『テメェを殺せばまぁ、いくらかは昇進すんだろ』

 

「……」

昇進。

その為に死人を愚弄する必要があったのだろうか。

 

『おら、来いよ。どうせ紛いモンだろテメェも』

 

「……」

こいつの戦いには誇りが無い。それに対して激怒していたのだ。

こういう男を罰する…無論、自分に罰する権利があるかどうかは誰にも分からない。

だが、罰するとしたら。心の底から悔い、反省させ、慙愧の涙を流させるためには。

奴の信じている力という物を一つずつ屈辱的なまでに真っ直ぐな方法ですり潰していかなければならない。

 

『あ?』

 

ガチャン、という音にダリオは汚い言葉を吐くのもやめて固まった。

 

「……」

 

 

(十全の精神と肉体そろってようやく一人前のリンクスだと私は考える)

 

 

いつだかセレンにその言葉を貰い思ったこと。

子供でもネクストに乗れば簡単に人を殺せる。

それもあっけなく。

あっけない死は自然の摂理なのだろうからそれ自体を否定しない。

だが、もし皆最初は獣として生まれたはずの人を人たらしめている物があるとするならば。

 

「……」

成熟した精神だけだろう。

この男にはそれが無い。ただ武器を手にしただけの子供。悪鬼だ。逃がさない。

ガロアはダリオ・エンピオのプライドを徹底的に潰してからここで討つ事を決めた。

 

 

 

 

 

「…なんだ?気狂いか、こいつ」

完全に武装解除したアレフ・ゼロが目の前で構えている。

意味が分からない。

 

『ガロア。お前の考えていることはよく分かる。どちらにしろもうカラードに弓を引いているんだ。負ければ同じこと。必ず勝て』

 

「…は?おい、なんだ?こいつの首をタダでくれるってのか?」

 

『この期に及んでまだそれか。澱んでいるよ貴様は。例えどれだけの武器に身を包んでも…矮小なお前自身は隠せん。素手のガロアにすら勝てないだろう』

 

「なにを…」

ゾクッ、と背筋が凍るような感覚がした。人格こそ最悪かもしれないがそれでも何人ものリンクスを殺し、アームズフォートをも落としてきたダリオにとって恐怖で凍り付くのは初めての経験だった。

真っ黒なアレフ・ゼロが爆発するような火を噴き一瞬白く染まった。

 

「おうっ…!」

蛇のようにうねる腕がトラセンドの頭とコアに拳をぶつけていた。

 

「くっ…」

ダメージは2000弱。威力で言えばそこまでの脅威では無い。だが。

 

(プライマルアーマーが効かない!?)

ブレードがその間合いにも関わらず圧倒的な強さを誇る理由。

それはネクストの回りを薄く覆うコジマ粒子の守りが全く意味を成さないからである。

どれだけの密度で守られていてもブレードはやすやすとコジマ粒子を切り身を裂く。

ネクスト自身の堅牢さもあるとはいえ、どんなブレードも届けば筆舌に尽くしがたいダメージを与えられるのだ。

そしてそれは誰も考えなかったことだし、やらなかったことだがネクスト同士の徒手空拳にも同じことがいえた。

プライマルアーマーはプライマルアーマーとぶつかり打ち消されてしまい、その衝撃はもろに機体に届いてしまう。

しかもそれだけではない。

 

「ぐぅ…う」

人の形をした物に人の形をした物が殴られる。

そのイメージは実際の衝撃以上の物を繋がれたコードを通って生々しく伝えてくる。

無論、現実にネクストにも中にもダメージはあるのだが、今ダリオは腹を実際に殴られ息が止まる痛みに悶えていた。

 

(距離…くそ、距離だ!)

気づけば目の前にいた事に動揺し二発も貰ってしまったが、何も武器を持っていないんだ。

距離を離せば問題じゃない。

 

『……』

 

「ふっ…ふっ…」

浮かび上がる自分を何も持たないアレフ・ゼロが見上げてくる。

 

『……』

また目の前にいた。

反射的にブレードを振った腕を掴まれて壁際まで投げ飛ばされたのを、なんとか叩きつけられる寸前に持ちなおす。

 

「かっ、撃たなければ!」

動揺じゃない。もはや…見惚れていた。その流れるような動き、潔さに。

 

『……』

 

「ぐぬ…クソが!」

放った右腕と左肩のレーザーはただ地に穴を穿つだけに終わる。

速い。目にも止まらぬ速さだった。黒い残像は真昼間の光の中に夜のように広がっていき、その中心で線となって動く紅い眼光が根源的な恐怖を煽る。

かろうじて避けた胴回し回転蹴りはカーパルスの巨大な砲台を一撃で吹き飛ばした。

 

「どうしてだ!!?」

さらに距離を離し、ロックオン限界ぎりぎりまで下がる。

苦し紛れで何発か撃つが近くでさえ避けられた弾がこの距離から当たるはずもない。

 

「くっそ!!」

当然だが、両手両肩に武器を積んだ自分が無様に下がるよりも何も持たないで真っ直ぐ前に飛ぶ奴の方が余程速い。

 

(見切れるわけがねぇ!!)

今まで相手にしてきたどんな奴だって武器を手にしていたのだ。

何も手にしないで駆けるネクストの速さなど想像もつかない。

 

ドッ、という音の出所がトラセンドのコアだとダリオは気が付かなかった。

 

「ご…おおおおおおお!!」

跳び蹴りを食らった。また当たるまでわからなかった。

吹き飛ぶ勢いそのまま苦し紛れにオーバードブーストを着火し転がるように逃げる。

 

「あああああああ!!」

チェインガンを乱射するが一発も当たらない。ロックオンすらしてないのだから仕方がないが。

 

(大丈夫…銃があれば近寄らずに殺せるんだ…俺の方が有利だ…)

その考えが徹底的にずれていることに気が付いたのはすぐだった。

 

(待てよ)

 

(弾が切れたら…どうなるんだ?)

有利に立っている人間がすべきことはその地位であぐらをかくことではない。

それが失われたときにはどうなるのかと恐怖し、失わないようにはどうするべきかと考えることである。

恐怖こそが人の本気を100%に引きずり出す。太陽を背に黒い悪魔が目の前にいた。

 

「くあっ…カァ!!」

人中、鳩尾、股間。

人体ならその箇所に打撃が決まれば勝負は決するであろう三発を受け咄嗟に左腕のブレードにエネルギーを送り込んだ。

 

『……!』

 

「ハァッ!ブレードまで捨てて馬鹿だなテメェは!」

恐怖で研ぎすまされたダリオの、元々は戦士として優れていた神経は、アレフ・ゼロの肩についているフラッシュロケットを僅かに焦がしていた。

 

『……』

 

「シャァ!」

一瞬の驚きがあの中身…ガロア・A・ヴェデットに見えたのを機に果敢に攻め立てる。

 

「……ケッ」

全力で振ったブレードをいともたやすく潜り抜けやがった。

だが、それでいい。

 

(この距離なら関係なく死ぬんだろ?!)

先ほどの白いネクストがしたように右腕に握ったレーザーライフルをコアに突きつける。

 

(勝ったッッ!!)

 

『…よくやった』

 

「あ…れ?」

ぱしっと腕を掴まれたとき、ダリオは呆けたように立つことしか出来なかった。

相手のオペレーターの声は未だにこちらに聞こえているのも作戦の一部なのだろうか。

そんなことしか考えられなかった。

 

メキィ

 

「うぐ、ああああああああああ!!」

瞬き。

それぐらいの時間しかなかったのにもう両腕の外側にいた。

左手に掴まれた右腕は回転するアレフ・ゼロの勢いに逆らえずにへし折られてしまっていた。

 

いつか狼藉者たちがガロアを誘拐しに来た時に激昂したセレンが繰り出した技をそのままガロアはアレフ・ゼロに乗って再現していた。

 

『……』

ずしんずしんと音を立てて迫ってくるアレフ・ゼロは戦場の王であるかのように悠然と、しかし堂々と歩いている。

カニスの言っていた通り、この男は強い。強い!例え自分がどれだけの策を弄してどれだけ卑怯な手を使っても叩き潰されるだろう。

 

「はぁ…あぁ…おい、オペレーターの女」

 

『…なんだ』

 

「馬鹿なんて言って悪かった。こいつは強い。…尊敬するぜ」

 

『ほう…』

 

「だがな…それでも勝つのは俺なんだよ!があぁああああああ!!」

 

「うっ、ふっ…うっ…いてぇ…」

肩につけたキャノンとチェインガンをパージしながら使い物にならなくなった右腕を斬り落とした。

幻であるはずなのにそれでもバーナーで炙られるような痛みが右腕を襲っている上バランスが取れない。

もうこの首についているコードを取ってしまいたい…が、それでは殺される。

 

『ほう』

 

「右腕もねえ…これで…俺の方が速いだろ!?」

 

『ただのクズではなかったか』

 

「らぁあああああ!!」

生まれて初めて死に物狂いという境地で繰り出したブレードの斬撃はしかし、なんともないと言わんばかりにあっさりと躱される。

少々不自然な格好から繰り出されたカウンターはこれでもかというほど中身に響いてくる。

 

「ぐっ…」

さっきより速くなっているというのに何故今度は掠りもしない?

何故また当てられている?

 

『……』

 

「ふっ!」

融通無碍とでもいうのだろうか。一撃一撃にたっぷりと殺意を乗せて繰り出しているというのに、明らかに人体には存在しない部位のスタビライザーにすら当たらない。

 

(野郎…一発で死ぬ剣を…さらりと避けやがって!)

 

「おおっ!!」

更に一歩、深く踏み出して剣を振ろうとしたとき、踏み出した膝を踏み台にして正中線に四発もの攻撃を入れられた。

昔何かの本で読んだ…確かカラテだかジュードーだかの必殺技だった。こんな動きをあっさりと出来るのはイメージの力だけでは無い。

よほど普段も身体を鍛えているのだろう。その時ダリオは尊敬の念と共に、その動きを美しいと思っている自分に気が付いた。

 

(不思議だ。体中が痛いが…右腕の痛みが消えている)

 

『……』

 

(それに…)

 

「おぉ!!」

死ぬかもしれない。その際に来てダリオは一歩だけ戦士として進歩したのか、振ったブレードがアレフ・ゼロのヘッドに傷をつける。

 

(掠った!!)

 

「はぁっ…はぁ…」

 

(…楽しいだと…!…だが……)

 

ピーピーピーピー

 

「…へっ」

画面に表示されているAPは既に9割を切っており、あちこちに異常が生じている。

もう、持たない。

 

(俺が今まで馬鹿にしてきた物…俺が今までかなぐり捨ててきた物…ようやく今…遅すぎたな)

 

「おおおおおおああああああああああ!!」

 

今までで最速の一撃を繰り出す。

音を置き去りに空気を薙いでその首へ。

 

『……』

 

見えたのはブレードを持つその手が自分のコアの方へぐいっとアレフ・ゼロの手によって曲げられる瞬間だった。

 

(あれ?さっきまで見えていなかったのになんで見えてんだ?)

 

(これなら勝てるだろ!)

 

(でもこの位置はどうしても避けられねえか)

 

(なんだよ…打ちのめして倒すんじゃなかったのか)

 

(俺は…俺の手によって死ぬのか?…似合いだな)

 

「…ハッ」

 

最期にダリオは心からの称賛をガロアに送っていた。

自分にそんな感情があったとは知らなかった。

静かに笑ったダリオは、今まで何人もの人間にそうしてきたように、ブレードの斬撃によって塵も残さずにこの世から消滅した。

 

 

 

 

 

 

 

「……これは…」

 

互いが武器を放りだし戦う異様な戦闘を大勢のカラード関係者、そして少数のORCA旅団のメンバーが見ていた。

真改もその一人である。

 

「……」

近接最強なのは奴だと、いつしか音に聞こえていた。

だから本当はORCAに入らずに敵対していてくれと願っていた、とは誰にも言えていない。

 

アンジェを殺したアナトリアの傭兵を殺した男。

是非とも自分の手で斬りたかった。

 

感情が、やはり揺れていたのか?

復讐ともなんとも言えぬ思いをアナトリアの傭兵に抱く日々はこの男の手により唐突に終わらされた。

 

天下無双。

 

アンジェが求めていた言葉、境地。

未だに彼女の影も踏めていない。

本当に少しだけだが、分かってはいた。

暗い感情を乗せて届くものではないと。

純粋に目の前に立つ相手を薙ぎ倒し、到達する頂…天の下に双つと無き者。

自分は燻っている。

 

「…く…」

腐れきった相手すらもまるで抱擁するかのようにその心に引き込んでしまった。然し、その代償は死。

 

見惚れてしまうほどの美しさ。

自分にその妙境の美は存在しない。

 

「…俺は…」

真改は死していよいよ触れることすら敵わなくなったアンジェの影を未だに追い続けている。



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月光

ブブブブ…と不快な音がする。

 

「チッ…こんな砂だらけの所にもいるのか」

三日後。

結局武器を使わないまま勝利したのは格好良かったし美しいとも思ったが、

投げ捨てた四つの武装を不器用な八百屋のように腕に抱えて飛んで戻ってきた姿は、どうもあの戦場での姿と一致しなかった

 

食堂の椅子の一つに座り周りを飛ぶハエを手で払いながらセレンは食事が出来上がるのをぽつんと待っていた。

 

犬か猫のように鼻からくんくんと息を吸い込む。

 

「やっぱカレーかな」

 

このビルはもしかしたら指定避難所か何かだったのかもしれない。

地下室があった。

数えてはいないが300組を超える寝袋と巨大な倉庫には冷凍された食料が山ほどあった。

 

がちがちに凍ってはいたが色のいい野菜と鶏肉を両手で持てる分だけ持って上がり、何を作るのかを予想していたらスパイスのきいた香ばしい匂いが漂ってきた。

 

ブブブブ…

 

「えーい…まったく…」

机に止まったり飛んだりを繰り返すハエを払うがふらふらしながらもどこかへ行ったりはしない。

 

(ガロアの料理…七点…切ることは無いよな、十点中だとして。そういえば)

16歳でほっぽり出されて放浪することになり、その間はほとんど外食だったが高い金出しても不味いものは不味かったし、安くても旨い物は旨かった。

大言壮語の似非料理店と報われない名店が犇き合う中でもガロアの作る料理はかなり美味しい部類に入ると思う。気取った料理では無く家庭料理と呼ばれる物を作るが気取ってないが故に、

肩肘張らずに食べられて全て美味しい。

 

(なんでだ?)

10歳で育て親が死んでいたとしてそれまでに料理を教えられたのだろうか。

百歩譲ってそうだったとしても、一人の食卓に手間暇かけた料理をする気になるだろうか。

 

(わからん。しかし暇だな)

書類作成やら何やらの雑務に追われることも無くなった代わりに本も音楽も映像も無い。

これで一人ぼっちだったらとっくにおかしくなっている。

 

(か、悟りでも開いているか。たまらんな、そんなの)

 

「……」

 

「ん?もう出来たのか?」

 

「……」

 

「ああ、そうか。煮込む時間が必要なのか」

 

「……」

ガロアが文字にして言葉を伝えてこようとしなかった理由は二つある。

一つは元々が何かを人に主張するような性格ではないからだろう。

もう一つは

 

「何分くらい?」

 

「……」

 

「20分くらい?わかったわかった」

三年以上二人で過ごしているうちに簡単な意思疎通なら表情と緩慢な身振り手振りで分かるようになっていたからだ。

 

「……」

 

「ところで」

 

「?」

 

「これをさっき見つけたんだ。飲もう」

中国語が書かれたラベルが貼られ透明な液体に満たされた瓶とコップを二つ机の下から取り出す。

 

「……」

 

「有澤圏の酒だが、旨いもんは誰が頂いても旨い!もうお前も飲んでも味が分かる年ごろだろう?」

 

正直興味はなかったが、断ったら一人で寂しく飲むのだろうと思うとガロアは断れなかった。

 

「…………」

左党は甘い物が苦手なはずなのにセレンは菓子も酒も渦潮のように吸収していく。

舌が馬鹿になったりしないのだろうか。

 

「……」

とくとくと注がれた酒は常温のままであまり美味しそうには見えない。

拙いイメージでしかないが、カラードの広告では爽やかな女性が冷えたビールを思い切り飲んで美味そうに声をあげていた。

多くも無い冷たくも無いこんなものが本当に美味しいのだろうか。

 

「いいんだよ、ぬるくて。そっちの方が風味があるからな」

と言いながらくいっと飲んでるセレンの顔は本当に美味そうだ。

 

「……」

そういうなら飲んでみるか、とコップに注がれた酒をガロアは全て口に入れた。

 

「あ、バカ!!」

 

「ブーッ!!」

 

「……」

 

「……」

全然美味しくなかった。

顔中から日本酒を滴らせているセレンの目は死んでいる。

 

 

 

「…私が悪かった。もう酒は飲まなくていい」

一気に口にしたのも驚いたが全部噴き出したのも驚いた。

多分もともとが酒に合わない体質なんだろうなと言い聞かせながら顔をハンカチで拭う。

 

「……」

 

「…あ」

拭いきれてなかった滴が目に入り数秒目をつむる。

かなり染みた。というか顔が酒臭い。

 

ブブブブ…

 

「……」

 

「…え?」

目をこすり顔を上げると先ほどと変わらぬ無表情のガロアが口の端を酒に濡らしながら左手を控えめに挙手するようにあげていた。

人差し指と中指の間にはハエが生きたまま挟まっている。

 

(……)

最近になってようやく分かったことだがガロアは眼が半端ではなく良い。

ただ視力がいいとかの問題ではなく、動体視力だとかそういう諸々の目に関する能力全てが優れている。

 

「……」

 

ブブブ…ブ

 

「……え!?」

ぱっと手放したハエは元気に飛び立って行ったがほんの一秒後には突然落下していた。

 

(…死んでる…)

虫も鳥も墜落して苦しみながら死ぬことはあれど、空中で突然死ぬという事があるのだろうか。

少なくとも自分は聞いたことが無い。

 

(命を奪うことだけに特化した手…)

自分自身、ひたすら強くなるために身体を鍛え、そしてガロアの身体を鍛えたから分かる。

ガロアの手に薄くぼんやりとある張り詰めた気はリンクスなんて関係なく武闘家としても最上級のものだ。

それを見てセレンは心の中の戦いを好む面が震えながら出てきたのを感じていた。

 

「ガロア、手伝え。…ぃいよいしょ!」

 

「…?」

突然机を力づくで押し始めるセレン。

当然隣の机、さらに隣の机にぶつかり徐々に動かなくなっていく。

 

「こんなもんか」

 

「…??」

訳も分からずガロアも手伝い、自分達の周りから机が押しやられて全て端に行った。

もうすぐ食事が出来上がるというのに何がしたいのか。ガロアは首をかしげているとセレンが突然上着を脱ぎだした。

確かにちょっとした運動にはなったがそこまで暑くなったか、と言葉があったら言っていただろう。

 

「もう大分長い事…組手をしていない。…久しぶりに…煮込み終わるまででいいからどうだ?」

 

「……!」

自分が構えると同時にガロアも飛び退り構えを取った。

いい反応だ。久しぶりだというのにちゃんと気取れている。

腰を落として重心を下げ、手は柔らかく開き関節と内部破壊に重点を置いた構え。自分と同じだ。当然といえば当然だ。教えてきたのは自分なのだから。だが。

 

「…舐めるな。あの時ネクストでした構えはそれではないだろう?」

 

「…!……」

 

(!…それがお前が選び取った形…)

開いた左手を前に腰より下に下げ、右手は顎の高さで固く握られている。

足は肩幅ほど開いているが重心は見ただけではわからない。

 

(剛柔一体…!女の私ではまず無理だ)

固く握られた右手は拳銃を突きつけられているよりもよほど迫力がある。

一撃でも当たれば筋肉が爆ぜ骨は砕けるだろう。

開かれた左手は子供の頭を撫でるかの如く柔らかく、空気の通り道を邪魔していない。

構えその物に無駄が無く殺気も無い。この場にある空気とカレーの匂いに混ざってしまっているかのようだ。

 

(何故…?ネクストに乗って戦っていただけなのに強くなっているんだ…?)

勿論身体をひたすら鍛えていたのは知っているがそれでも素手の相手と向き合う機会など一度たりとも無かったはずだ。

 

むらむらとセレンの内側に試合いたいという好奇心が湧いてくる。

物心つく前から鍛えられた技術、身体が通用するのかどうか。

そこまで考えてセレンはいつの間にか自分が挑む側になっていたことに気が付く。

 

「今まで…一度も本気で相手していなかった」

 

「……」

 

(知っているって顔だな)

 

「本気を出す。急所を狙え。私も狙う。手加減していることが分かれば殺す」

 

「……」

 

「心技体。勝負を決める三つの要素だ。覚えているだろう?」

 

「……」

 

「だが、客観的な評価としては二つしかない。体格と技術だ。その二つとも劣っている相手にはまず勝てない。体格はお前が上だが…さて、どうなるか」

 

「……」

 

「……」

 

シーン…と、無音の音が二人の耳に届いた。

 

 

 

 

(……!)

刹那、右手が掴まれていた。

 

(相変わらず…!呼吸の間を読む天分だけは変わってない!)

腕を取られ身体の構造には逆らえずにその場でグルンと回転させられながら、その勢いでガロアの後頭部に蹴りを飛ばす。下手をすれば死ぬかもしれない攻撃だが、ガロアは問題なく避けるだろう。

 

ミシッ

 

(指かっ!)

鋭い痛みに蹴りが止まってしまう。

右手を掴んでいたはずのガロアの左手はいつの間にか親指の付け根を掴んでいた。

 

どっ、と胸に重い衝撃が響いた。指の痛みと胸の痛みに同時に襲われ脳みそはショートしていた。

 

(しまっ…)

 

空気が肺から抜けると同時に吹き飛ばされる。まるで口から吐く息で空を駆け抜けているかのような錯覚に陥りながら先ほど端に寄せた机にぶつかり身体中に鈍い痛みが走った。

ここで追い詰めろ、甘さを見せるな、と痛みに麻痺する頭で考えていると素晴らしいタイミングで追撃を繰り出したガロアの拳が見えた。

 

地震が起きたと勘違いするような音はガロアの鋼の拳が顔の数cm横に刺さる音だった。

 

「…勝負ありか…。…強くなったな、お前」

 

「……」

拳が離れた床には僅かにヒビが入っている。

床の材質など知らないが、それでも人ほどの重さが10人以上乗っても壊れ無いはずの床にヒビを入れる一撃。どれだけの内功がその身体に渦巻いているのだろうか。

 

「……」

 

「…もう飯も出来るか。机は戻しておく」

くるりと踵を返し厨房に向かう背中に声をかける。

恐らくは分かっているのだろう。自分が怪我をしていないということが。

手加減したら殺す、と言っておきながら多大な気遣いが混じる程の加減をされてしまった。

 

(昔から…呼吸の間を読むことの才能と…もう一つ。底が知れないことだけは変わっていない。もう私ではあいつの底は見えない)

体格、技術、眼、呼吸。

四つの才能に愛されたガロアは時代が時代ならその体一つで世界の頂に立っていただろう。

 

(何故この時代に生まれたのか…意味があることなのか…。それに、分かっているのかガロア)

右手を取った瞬間に今まで自分がガロアにしてきたように関節を外すことも出来ただろうし、頭を中心に回転していたあの瞬間に人中に打撃を叩き込む事も出来たはずだ。

あのまま親指も折れていただろうし、掌底ではなく拳で衝いていたのなら肋骨を折ることも出来ていただろう。

何よりも、あのまま掴んだ手を離さずに衝撃を身体の内側に残していればあの場で強制的に引き起こされていたヘーリング・ブロイエル反射により意識は抵抗も許さず刈り取られていたはず。

 

現実は胸の脂肪に守られ肺どころか筋肉にも響いてない。ただ派手に飛ばされただけだ。

胸の脂肪が無かったところで精々打ち身程度だろう。攻撃された自分がこれだけの事をわかっているんだ。

ガロアは全部わかっているだろうし、もしかしたらそれ以上の隙があったのかもしれない。

 

(そして最後に私の顔に打撃を叩きこまなかった)

 

(私の頭を砕かなかった)

当然、世間的に見ても100%正しい判断だし、自分だってあんなことで死にたくない。

だが、そんな正気で以て進めるような選択なのだろうか。自分が所属していたところと敵対するということは。

今ガロアが歩んでいる道は。

 

(もうお前より弱い私では何も言えん。…でも)

ガロアは分かっているのだろうか?自分の弱さ。怒りの根源を。

それにケリをつけるか狂気に身を委ねない限りは死ぬこととなるだろう。

 

「……」

 

「分かった分かった。今行くよ」

バキバキに折れた机を見ながらぶつぶつと言っていると気が付けば真横にガロアがいた。

もうとっくに食事の準備は出来ていた。

 

(まぁ…ガロアに殺されなくて良かったけど…)

 

(ん?でも他の奴に殺されるのはもっと嫌だな)

 

(あれ?なんか変な事考えている?)

 

「…?」

 

「…んん?」

 

「「?」」

丁度二人で同時に首を傾げている時、セレンのパソコンに一通のメールが届いていた。

 

 

 

 

「なんだこれ。メールが届いてる」

 

「?」

食後、風呂に入りやることも無いからさっさと寝てしまおうと宿直室に戻るとセレンのラップトップにメールが来ていることに気が付く。

カラードの明確な裏切り者になった自分達に今更メールが来るはずもないし、ミッション連絡ではないのも確かだ。

無題のメールぽつんと未読のままが残っている。

 

「?とりあえず見てみるか」

 

「……」

 

 

『天下無双になれ

 

   月光を託す 

 

     真改』

 

 

「?」

 

「ジャパニーズ…日本語だ、これは。中国の文字にこの丸っこい文字が混じっているのは多分日本語だと思う」

 

「……」

 

「世界公用語が英語になった時代にわざわざ日本語でメールを書くか?普通」

幾度もの混乱を経たものの、国家解体戦争以前に経済の中心がほとんど欧州と米国となり、ここ百年の間で英語を話せないものは地球上でもほぼ0と言ってよかった。

日本やインドネシアなどの閉鎖的な島国でも、独特な文化こそあれどそれでもバイリンガルとなっているのが普通であり、他人に送るメールで英語以外を使うのは少々常識が無いと思える。

 

「……」

 

「いや、私は日本語は読めないよ。日本語はな…。まぁでもこれだけ短い文章なら…」

画面の上で青く選択された部分が翻訳され、詳しい意味も出てくる。

 

「天下無双…天の下に双つと無き者。最強の称号、比類なき者、だと」

 

「……?」

 

「月光は…普通に月の光だ。ちょっと意味がわからんな?」

 

「…?」

 

「真改…少なくともコンピューターの辞書の中では日本国の刀鍛冶としか書いていない。数百年以上前の人物だ。…なんだこれは」

 

「…?」

 

「…んん?」

 

「「?」」

またしても同時に首を傾げる二人は三年間の同居生活で少なからず行動が似るようになっていた。

 

 





若干18歳で並ぶ者のいない程の武闘家となっているガロアですが、この異様なまでの力を付けるの代わりにあるリスクを背負っており、それが企業連ルートの最後の方でも表れていました。
ORCAルートではあまり関係ないので忘れちゃって構いませんが、どんな力にも代償がつくものです。セレンがこの若さでこれだけ強いのも物心つく前からひたすら鍛えられたお陰なのですから。

当然ですが、セレンとガロアの使う技は似ています。
ですが、セレンは相手の攻撃を返して相手の身体を破壊する技が得意なのに対し、ガロアは相手の攻撃を受け流して吹き飛ばす技の方が得意です。

あまり本編には関係ないか…



がろあ は げっこう を てにいれた !

一応レギュレーション最新でもアレフ・ゼロに月光を積むことは出来ます。
というか普通にミッションクリアを目指すなら月光の方がいいです。

セレンはガロアが元仲間を殺せないのではないか、と勘づいています。
テルミドールの言う誰にも平等な強さをきちんと最後まで通せるのでしょうか。

次はリリウムの過去です。


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リリウム・ウォルコット

国家解体戦争以前。

企業の間で着々と超兵器・アーマードコア・ネクストを一人で操れる一握りの天才、リンクスという存在が発見・認識されるようになってきた頃。

 

数世紀に渡って軍事兵器開発の名門であったウォルコット家当主夫婦の間から二卵性双生児が生まれた。

後にオリジナルリンクスとなるフランシスカ・ユージーン姉弟である。

 

その姉弟が両方ともAMS適性を有することが発覚したのは11歳の春。

年齢も技術も全く関係の無い最強の兵器を操る素質をその姉弟が持っていたというのは偶然か。

数世紀に渡る兵器開発販売の繁栄のうらはら、既存の兵器を全く寄せ付けないネクストの開発が進んでいく中でのウォルコット家の立場は非常に危ういものとなっていたのだ。

どれだけ兵器開発に精を入れても敵対する企業や一族に一人でもリンクスが生まれれば完全に力関係は逆転してしまうのである。それほどまでにネクストは既存の兵器から隔絶した存在だった。

そんな中で生まれた二人を両親がリンクスにしない訳が無かった。

二人が15歳の時にとうとう行われた国家解体戦争での戦績も上々、ウォルコット家は一時期の微妙な立場が嘘のようなV字復活を遂げた。

 

核兵器が台頭していた時代から、いや、そのずっとずっと前から人間の行動は変わっていない。

強い兵器があるのならばもっと所有したい。

 

その考えは当然のようにどの企業もどの一族も持つようになる。

その結果がテルミドールやセレンのようなクローンであり、リリウムのような存在である。

 

発想は同じでもリリウムは全く違うアプローチの元生み出された。

 

それは姉弟の両親が存命だったこと、その両親の元から生まれた二人が二人ともAMS適性を持っていたことから始まった研究である。

 

ユージーンとフランシスカの遺伝子データを元に父の精子、母の卵子から最も姉弟と遺伝子適合率の高い子を作る。

理想的な精子はすぐに見つかり直ちに冷凍保存されたが、卵子については中々許容範囲内の物が見つかることは無かった。

何しろ月に一つだけのチャンスであり、下手すれば毎日一億以上生産できる男のそれとはワケが違う。

 

プロジェクトの始動から約8年。奇跡のような確率で理想的な数値の卵子を発見できた。

直ちに受精は行われ、母の胎内で育っていくその女の子こそがリリウムであった。

その時母は47歳、父は51歳。母の閉経はその半年後だった。

ユージーン、フランシスカは共に20歳であり、二人の姉弟に非常によく似たリリウムは両親にとっては少し早い孫のようで、姉弟にとっては妹というよりは子供に近かった。

予想通り、いや予想以上。姉弟を上回るAMS適性を持って生まれたその赤ん坊を両親も大層仲の良かった姉弟も珠のように大事に可愛がった。

 

姉弟と違って最初からリンクスとなることが決められているリリウムを両親は優秀なリンクスであり既に大人となっていた姉弟の元に預けていた。

リリウムは姉弟のよく言う「間違えてお父さんって呼んでもいいぞ」「内緒でお母さんって呼んでみない?」という冗談が好きだった。

口にはしなかったがリリウムにとっては両親が4人いるようなものだった。

訓練は厳しかったし、戦いも好きにはなれなかったが4人が褒めてくれる、ただそれだけでリリウムは幸せだった。

 

 

 

そんな幸福の日々はリリウム10歳の時たった一人のイレギュラーリンクスにより崩壊した。

BFF本社クイーンズランス、BFF最高リンクスのメアリー・シェリー、南極のスフィアの元で防衛・抵抗を続けていたサイレントアバランチ及び部隊率いるウォルコット姉弟。

その全てがたった一人の男の手により悉く破壊された。

男はただ大切な人を守りたい、失いたくない一心で戦い続けており、その戦いは戦死者の数百倍もの不幸を生み出した。ガロアもリリウムもその一人だった。

 

 

「なんなんですか?お父さんは?お母さんは?」

 

「リリウム様…こちらへ!」

両親は既にクイーンズランスと共に沈み、「これからは私たちがお父さんお母さんだからね」と抱きしめ戦いに赴いた姉弟も既にこの世にいない。

三人のリンクスを抱え強権的な態度でBFFを率いていたウォルコット家は元々難癖は色々とつけられていたが、

姉弟が南極で抵抗を続けたせいでサイレントアバランチもスフィアも失ってしまった、という決定的な理由の元この戦争での損害のほとんどの責任を押し付けられ今日、崩壊しようとしていた。

 

「い、いや…怖い…」

 

「貴女がウォルコット家の未来なんです…お願い、走って!」

広い館に鳴り響く銃声。ウォルコット家に10年以上仕えリリウムが生まれたときから傍にいるメイドに手を引かれ走る。

GA雇いのゴロツキ共に来た依頼。

兵器及び設計図の奪取、金品の確保、そして抵抗する者の抹殺。

GA正規部隊では無く雇われ傭兵が来たのは後々に有りうる責任追及を逃れる為であった。

単純に傭兵たちから商品を買い取っただけとでも言っておけばよい。

 

 

いつの時代も敗者の扱いは変わらない。

 

 

 

「こちらへ…っ!!」

 

「あ、え?どうしたの!?アリーシャ?ねぇ、あ、ねぇ…」

 

「…お願い…逃げて…」

後ろから放たれた乱雑な銃撃は幸か不幸かリリウムには当たらなかったが致命的な器官を幾つも破壊しながらメイドの身体を貫いた。

 

「いや…血が…」

 

「………」

背中からどろどろと真っ赤な血を流しながら既に動かなくなったメイドの前でしゃがみ込み震えるリリウムの前に三人の男が立った。

 

「おい、女まで殺すなよ」

 

「お前も撃っただろうがよ」

 

「待て、このガキ、とんでもない上玉だぞ」

太った禿げ頭の男に乱暴に顎を掴まれ血と涙に汚れた顔を舐め回すように見られる。

下卑た笑いをする男に息をするのも忘れ動くことすら出来ない。

 

「はぁ?まだ胸も膨らんでねぇぞ」

 

「まぁでもダンナ方に売り飛ばせばいい金にはなりそうだな」

 

「……」

 

「震えちまってるぜ…カワイーなぁお嬢ちゃん」

ウォルコット家の虎の子のリリウムはリンクスであることを公表していないどころかその存在すらも外部には隠伏されており、

この子供がまさかウォルコット家の正統な跡継ぎでリンクスであるなどということは男たちに想像すら出来ない。

その存在が隠されていたのは危険に晒したくないという愛情ゆえか、単純な隠し玉として扱う戦略だったのかはもう確かめようも無い。

 

「…ひ…ひぅ…」

 

「ちょっとこっちにおいで」

売り飛ばせば金になるどころか同量の宝石よりも価値がある希少な存在だとはつゆ知らずに倉庫へ引き摺りこむ。

 

「電気つかねーぞ」

 

「派手にやったからな…で、どうするんだよ」

 

「……ふっ、うっ…」

 

「味見」

壁に突き飛ばされ痛みに呻いていると陰に隠れてよく見えないが太った男が下半身を露わにしたのが分かる。

 

「え…?」

 

「やめろよ、壊れちまう。価値が下がっちまうだろ」

 

「今のうちにほぐしといた方がいいだろう?今度一杯奢るからよ、な?」

 

「変態ヤローが。まぁ好きにしろよ。どうせ歩合制ってワケでもないからな」

 

「こ…来ないで…やめて…」

意味は全く分からないが、自分の知る男という物とは全く違う恐怖が舌なめずりと共に歩み寄ってくる。

 

「た、助けて…ディア…」

ずっと手に持って走っていた熊のぬいぐるみも壁際に投げ飛ばされており、辛い時や苦しい時に相談を聞いてくれた彼女は何も答えずにただ虚ろな命のない目でこちらを見ている。

 

「暴れるなよ、お嬢ちゃん」

その手がリリウムの小さな服を引き千切る。本能か、とっさに胸と股を隠してしまいそのいじらしい行動がさらに太った男の興奮を煽った瞬間。

 

タカァン

 

「誰だテメェ!?」

軽く響く音。男には馴染み深い拳銃が発砲される男だった。

 

「……」

 

「…こっ…おぁ…」

振り返った時には既に仲間の一人が脳漿をまき散らして倒れており、正体を尋ね終わる前にいつの間にか入ってきた男から投げられたナイフがもう一人の仲間の首に深々と刺さっていた。

 

一見細身に見える白髪交じりの壮年の男。血なまぐさいこの場に似合わぬ高級そうなスーツに身を包み左目にはモノクルがかかっている。

 

「てめっ…!」

太った男は激昂し腰に手をやるが、先ほどズボンを脱いだばかりであり、その他の武器も全て部屋の入り口付近に置いてある。

一瞬ヒヤリとしたがよくよく見れば男は左手で杖をついており若くも見えない。

体格に勝る自分なら武器が無くても抑え込めると判断し飛びかかる。

 

「…大男総身に知恵が回らず、か」

 

ガガガガッ!

 

「あがっ!!」

飛びかかる男にモノクルの男は杖を構え目にも留まらぬ速さで突き、四肢の関節を破壊した。

 

「うぅう…いてぇ…」

 

「少し黙っていてもらおうか。リリウム・ウォルコットだな?」

 

「…………はい」

不思議だった。さっきまで歯の根も合わない程に震え、目を瞑れば動かなくなって弛緩したメイドの生気の無い顔が思い出され何もされずとも心が壊れる寸前だったというのに、

今、目の前で繰り広げられた鮮血飛び散る悍ましい光景を前にして震えは止まっていた。

 

「最初の授業と行こう。これはなんだ?」

 

「これ…?」

 

「なんでもよい」

 

「……」

これ、と言われて冷え切った頭で辺りを見渡す。

血をまき散らし既に動かない死体、呻く男。

耳をすませば銃声に悲鳴は未だに鳴りやまない。

 

「世界…?」

何か深いことを考えたのでもないのに口を出た答。

 

「そうだ。どこに行っても変わらぬ。弱者も敗者も奪われ弄ばれる。そうならないためには?」

男は淡々と告げながら拳銃を取り出しマガジンを確認してからリリウムの足元に投げる。

 

カラカラとやけに軽い音で目の前に落ちたそれはいとも容易く人の命を奪いさる。

 

「…だ、ダメです…できません…」

銃を手に取ったものの、ここでこの銃を渡された理由は分かる。

目の前で下半身を出したまま転がり呻く男を撃て、と言われているのだ。

 

「何故だ?こ奴らはお前の家を焼き使用人を殺しお前自身も蹂躙しようとしたではないか」

 

「分かりません…でも、でも殺したらおんなじに…」

 

「そうだ。強くならねば自分の大切な者も、その身すらも守れぬ。だが、同じではない。守るためにその力を使うのだ。ただ泣きわめき助けられるのを待つ者は真っ先に死ぬ」

 

「リリウムの事を知って…」

 

「お前の父と母から頼まれている。何かあったらよろしく頼むと。だが私は荷物を抱える程お人よしではない。その力の使い方を教える以上の事は出来ん」

 

「…うぅ…やめてくれ…頼む…」

 

「……」

 

「さっさと選ぶことだ。ここで延々と話しているほど暇でもない」

 

「……あ、あなたは…あなた達は…どうしてリリウムに…リリウムのお家に…」

 

「知らねぇ…金、金貰っただけだから…頼む…」

 

「家を壊して!人を殺して!あ、アリーシャも殺して!!勝手な事を言わないで!!」

 

タァン、と火薬の臭いに紛れて人の命を奪う軽い音が響いた。

 

「ハァ…ハァ…」

撃っていない。自分は撃っていないのに男の頭には大穴が開きもう動いてはいなかった。

 

「それでいい。その怒りを忘れるな。そうなりたくなかったら強くなるのだ」

杖の男の右手には硝煙を上げる銃が握られている。リリウムに渡した銃の弾はもともと全て抜かれていた。

 

「あなたは…」

 

「私の名は王小龍。一緒に来てもらうぞ」

 

 

 

 

数年後のある日。

BFF所有の基地にある居住区の一つに14歳となったリリウムは呼び出されていた。

 

「大人、お呼びでしょうか」

 

「リリウム、その少年の事を調べてほしい」

 

「この方は…?」

王が指さす机には一枚の紙が置いてあり、顔写真と名前、出身地などが断片的に書かれており察するに一人の人物のプロフィールなのだという事が分かる。

 

「先日インテリオルで新たに生まれたリンクスだ。見てみろ、そのAMS適性を」

 

「……!」

 

「お前も来年には15になる。兄と姉がそうだったようにお前にも戦場に出てもらう。その前に危険となりうる要素はしっかりと把握しておくべきだ」

 

「一体…この方は」

 

「長い間、人を見てきたが…お前を天才というのならば、その少年は何か意味があってこの時代に送られてきた化け物だ。…あくまで数値の上ではな。それ以外のことを調べ上げてきなさい」

 

「分かりました」

 

「……」

部屋から出ていくリリウムの方を見もせずにじっと背を向けている王。

ドアが閉まる音と共に振り向き机の中を探る。

口からは血が細い線となりながら垂れていた。

 

「……う…ふぅ…」

ハンカチで血を拭い薬を服用し、紅茶を一気に流し込んでようやく一息つく。

突然の喀血はタイミングを選んではくれない。

一週間全く元気かと思えば三十分ずっと咳き込みながら血を吐くこともある。

 

「……」

窓の外に広がる基地を見下ろす。見渡す限りの兵器も人も王の指一本で動かせ、その気になればその兵器すらもやすやすと壊滅できる超兵器をこの身で操ることも出来る。

先ほどのハンカチも紅茶のカップも普通に買える物とは価値が5桁ほど違う。

およそ名誉とか地位だとか呼ばれる物もほしいままにし、金も唸るほどある。

 

「……」

だが、60を超えてようやく分かった。

自分には何もない。何一つない。

 

「……」

きっと自分が死んだ日には壮大な葬儀が執り行われるのだろう。誰も悲しまずに。

そして遺した物はハゲタカが死骸をつつく様にして何も残されないだろう。

 

「……」

人を信じず、信じられず、家族も作らずに裏切り奸計策略…その行き着く果てがこれとはなんともこっけいな話だ。

信じなかった結果信じてくれる者もいない。

 

「リリウム…」

よい拾い物だと、これを有効に使ってもっと自分の力を誇示していこうと、それくらいにしか思っていなかった。

そんな自分の性格をよく把握しているからこそウォルコット夫妻は自分にリリウムを任せたのだろう。

リンクスの戦略的価値をよく理解している自分ならばリリウムを粗雑に扱うことは無いはずだ、と。

そしてそれは間違ってはいなかったのだが。

 

「…ふん…まさかな…」

何も残っていない自分の汚い手を握るあの小さな手には全幅の信頼があった。

道具としてしか見ていない自分に何故あのような目を向けられるのだろうか。

どこに行くにも、何をするにも大人大人、と。甘えたい盛りを過ぎた今でもだ。

 

「……」

この五年間、付きっきりで育て、教育をしてきた中でわかったこと。

それはリリウムが徹底的に戦いには向いていない性格だという事だ。

あんな目に遭いながらも人を信じ、愛してしまう。

人間の善なる部分だけが切り取られて生まれてきたような少女だった。

 

「……」

どうしてそんな子にこの世で最も罪深い兵器を扱う才能が宿っているのだろうか。

しかし、その反面その才能が無かったらもうリリウムはこの世にいないか嬲られるだけ嬲られて廃人になっていただろう。

あまりにも悪意が過ぎる矛盾。

 

「……何故…」

自分の性格を知りつつも、強くあらねば、価値が無ければ生きていくことすら難しいこの現状を理解し淡々と訓練をこなしていくその様は見ていて痛々しくすらある。

その姿と純粋な目は王の猜疑心と欲に凝り固まった心を日に日に溶かしていった。

今まで誰にも負けずにこの地位まで登り詰めた王の世界を壊したのは今まで出会った中で一番弱い存在だった。

 

「……う…」

本当ならばもう訓練などもやめにして普通に生かしてやりたい。

だが、その才能も周りに知れ渡ってしまった今、そう生きることも許されない。

いや、自分が生きているうちはそんな我儘が許されても、自分がいなくなればそれこそハゲタカに啄まれていく遺した物の中にはリリウムも含まれるのだろう。

 

「…あり得ぬ…あり得ぬだろう…」

また流れてくる血をハンカチで拭い乱暴に屑籠に投げ捨てる。

自分がいなくなっても生きる力をあの子に授けてほしい。

その為には災厄の象徴に乗せて一番危険な場所へと送り込まなければならない。

ひたすら厳しく訓練をするしかない。

これまで悪事に散々用いてきた頭脳はこんな時に限って何の策も出してはくれない。

 

「せめて…」

まだ。まだ、今の内なら自分もネクストに乗れる。

あの子が一人で立てる様になるまでは自分もネクストに乗って守っていく。

乗れば乗る程寿命は縮まるだろう。それでも。

もう自分にはそれ以外の方法が思いつかないから。

 

 

 

 

(おい…あれ…)

 

(しっ…目を合わせるな…)

 

(王の新しいオモチャかよ…まだガキじゃねぇか…)

 

(いくぞ…)

 

 

「……」

すれ違う人が自分を檻に入れられた猛獣でも見るかのようにちらりと見ては去っていく。

また大人の悪口を言っているのだろう。言い返せない自分がちょっと嫌になるが、大人自身は何も言わなくていいと言っている。

 

(…どうして?)

散々悪評の聞こえる王小龍だが、リリウムの目にはどうしてもただの寂しそうなおじいさんとしか映っていなかった。

何がここまで彼らを怯え竦ませ評判を落としているのか。リリウムにはわからない。

 

「……」

王と出会ったあの日から一年ほどは夜泣きが酷かったらしい。

らしい、というのは自分ではそんな記憶がさっぱり無く、王から言われて知っただけだから。

ただ、一つだけそれを裏付ける確信のようなものがある。

 

酷くおぼろげな夢。

不協和音のような銃声が鳴り響く中をひたすらに走っていた。

目の前で自分の手を引き走る女性の脚にぬたぬたと何かが絡みついて倒れこむ。

どうしてかまともに呼吸も出来ず、走る気力もわかずに女性の前で涙を流す事しか出来なかったが、それでもぬたぬたと絡みつく何かはとうとう女性の身体を完全に包み込んでしまい、

自分の脚にまで迫ってきた。とうとう動きたくても動けなくなった瞬間に大きな手が自分の手を掴んで足も地面につかぬ速度で引っぱっていく。

自分の身体に纏わりついていた何かは剥がれ落ち、流れる空気が風となり肺に流れ込んでいつの間にか息も出来るようになっていた。

 

ひんやりとした汗が身体をべたつかせる中、目を覚ますと、自分のベッドの傍の椅子に腰かけ、左手を握ったまま片手で杖をつきフクロウのように眠っている王の姿があった。

 

記憶はその一度限りだが、それまでもずっとそうしてくれていたに違いないと、左手の感触とカーペットについた椅子の脚の跡が教えてくれた。

 

「……」

最初は王の傍にいなければ歩くことも出来なかったBFFの基地を胸を張り堂々と歩く。

王の道具だとかオモチャだとか囁かれていることはどうだっていい。

大切なのはあの日、王が閉じかけた自分の世界を壊して助け出してくれたのだという事実だけだ。

 

「……」

戦いは好きではないが、それでも最近調子の悪そうな大人を守るためならばあの巨人に乗り込む日が来ても怖くない。

いつまでも守られているのではなく、いつか自分を救ってくれた恩を返したい。それだけだ。

 

「よし!調べます!」

鍵を開けて情報管理室に入る。自分には珍しく気合を入れる声なんてあげてしまった。

 

「…どうしましょう」

気合を入れたのはいいが、調べろと言われても漠然としすぎてどこから手をつけていいのか分からない。

暫く紙を眺めてあることに気が付いた。

 

「……あれ?」

ガロア・アルメニア・ヴェデットと名前はなっているが、母の欄に何もなく、父の欄にアジェイ・ガーレとあるのみ。

 

「養子?」

苗字が完全に違うし、もっと言えばその名を聞く国すら違う様な気がする。

 

「…単語『アジェイ・ガーレ』を含む言葉をすべて出してください」

ぼんやりと白く輝く画面に声をかけると数秒のローディングを経て検索結果が表示される。

 

「多すぎます…。…じゃあ、この人とこの人」

ぶわっと出てきた人物一覧から何人かを適当に指さし情報を見る。

どうも旧ネパール周辺によくある名前のようだ。

 

「…『アルメニアの地図』」

今度は量も多くは無く、瞬時に表示される。

東ヨーロッパ周辺の地図と共に中心に旧アルメニア王国が出るがそこでまた変な事に気が付く。

 

「出身がロシアのムルマンスク?」

出身国をミドルネームとする風習は国家解体戦争以降に自分の出身を主張するために急速に広まったが、名前と書いてある出身、親の名前が全く一致してこない。

顔を見るとオランダ系の赤い癖毛に灰色の眼。まさか全部デタラメに記入してあるのだろうか。

 

「……?」

一向に情報が纏まらず、ほけっとその顔を見ていると眼の部分にインクが滲んでいることに気が付く。

 

「??あれ?違う?」

眼だけ、それも両目が滲むなんて変だな、と思いよく見ると滲んでいるのではなくその眼にいくつもの渦が巻いているのだと分かった。

 

(変な眼…)

 

「…『ムルマンスク』」

とりあえず育った環境でも見てみるかと思い情報を呼び出す。

人口は完全に0。

数年前まではまだ人が住んでいたようだがテクノクラート・アルゼブラの支配を逃れている代わりに配給も流通も無く、

調べれば調べる程不便さにかけてはこの下がないほどの街であり、住んでいる者も相当な頑固者か変人としか言えない。

その数少ない者達も少しずつ他の街やコロニーに流れ、リンクス戦争の汚染を境に残った者もクレイドルに乗せられ完全に無人の街と化している。

写真を見れば別に汚染が進んでいるという事も無いのだが見渡す限りの雪に包まれた針葉樹林にツンドラオオカミや時々白熊、

いかにも冷たそうな川などどう考えてもまともな人が生きていける環境ではなかった。

 

「……」

行き詰った。

もっとこう…別のアプローチは無いのだろうか。

 

「…どうしてリンクスに?」

もしこんな辺鄙な場所に住んでいるとしたらリンクスなど頭にも浮かんでこないはずだ。

なにせこんな戦略的価値の無い街にはネクストどころか兵士の一人すら攻めてくるはずがない。

食料を求める盗賊などが来るかもしれないがそれでももっと栄えた場所を襲うだろう。

普通に生きていればアーマード・コアなるものの存在を耳にしているかいないかがぎりぎりの線だ。

 

「…育て親がリンクス…軍関係者、とか?『アジェイ・ガーレ リンクス』」

 

「!」

一件、一件だけが該当した。いきなり大当たりだ。

 

「でもそんなリンクス聞いたことも…あ、偽名!?」

王もリリウムも本名だが最近のリンクスの中では偽名を使う者も珍しくは無い。

該当者のプロフィールのウィンドウを開き詳しく見る。

 

『アジェイ・ガーレ 

 

旧イクバールの最高リンクス・サーダナと同一人物

バーラッド部隊隊長 数学者 神学者 配偶者は無し

 

CE15年 ゼクステクス世界空港をバーラッド部隊を率い襲撃したがマグナス・バッティ・カーチスに撃破され死亡した 享年46歳』

 

 

「!!!」

線が繋がった。

 

「この方は…!」

時々は考えていたことだ。

ついにそれを実行するまでの怒りを持てなかったし、そうできない自分を情けなく思った日も多々あった。

自分の家が崩壊した元凶を考えれば間違いなくその男だと言えるのに、とうとう真っ当な怒りをぶつけることも出来ずにこの日まで来てしまった。

リンクスになってアナトリアの傭兵に復讐すること。

王がそんなことは考えていてはキリがないから放っておけと言っていたのも事実だろうが、それよりも現存するリンクスの中で間違いなく一番危険な相手という事実の方が大きい。

それなのにこの少年は一人で立ち向かおうとしている。自分にはない感情、怒りにかられて。

 

「…映像記録を…」

スパイから送られてきているインテリオル管轄街の出入者の映像を遡って調べる。

ちなみにこれくらいの情報の偸盗ならどの企業も行っており、それは暗黙の了解とされている。

盗まれてもあまり不利では無い情報と絶対に盗まれたくない情報という物が存在し、出入者の映像自体は前者、この少年の情報は後者であろう。

 

「……!小さい…?」

紙に書いてあることが正しいのならば自分と同い年のはずだが随分と小さい。

と言うよりも戦闘全般に向く体格には全く見えない。

ガラガラと身体と同じくらいの大きさのトランクを引き摺り街へ入っていく。

 

「金属探知」

映像が黒と白の輪郭のみになり、ぼんやりと金属が白く浮かび上がる。

銃や刃物の類は身に着けていないようだが、トランクに軽く1mはありそうな金属の輪郭が浮かぶ。

トランクの中身はほとんどそれで埋まっており、どちらかと言えばその荷物に合わせて大きなトランクを選んだ印象が持てる。

 

「…?ブーメランでしょうか?」

あんな大きな金属のブーメランがあるわけ無かろうと王がいたら呆れながら言いそうだが、リリウムはしばらく考え込んだ後にこの形をどこかで見たことを思い出した。

 

「あ…!『ネクスト アートマン』」

何度もシミュレーション内で戦ってきた最高峰ネクストの画像を出す。

 

「頭部のスタビライザー!」

もう今では電子の世界にだけある企業が生産していたスタビライザーの形は先ほどの少年が引き摺っていたトランクの中の曲線と完全に一致していた。

 

 

 

早足で駆けながら王がいた部屋へと入る。

この衝撃を上手く伝えられるだろうか。

この広い世界にはこんな人もいたのだと。

 

「何かわかったのかね」

 

「この方の目的はホワイトグリントの撃破です」

 

ぴくっ、といつからか刻まれていた王の皺が動く。

 

「何故だ?」

 

「この方はリンクス・サーダナの子…恐らくは養子です」

 

「奴が…?」

王はもう10年以上会っていないサーダナの顔を思い浮かべながらその尊大な態度や話し方を思い出す。

出会う者の大半は彼の持つ地位と雰囲気に飲まれ騙されていたのであろうが、自分には分かる。自分と同じだ。

人を信じられず、人を信じず、取り繕った自分しか人に見せられない現代人としての落伍者。偽りの塊。

そんな男が血も繋がっていない子供を育てるなどと、冗談もいいところだ。

 

「あり得んな、同姓同名の別人だろう。奴の性格はよく知っておる」

 

「……」

 

「なんだね?」

同族嫌悪なのだろう、つい感情が籠って吐き捨てる様に言うとリリウムはそんな自分を見て小さく笑っていた。

 

「それはどうでしょう?人は…変わっていく物ですから」

 

「………間違いではないな」

ついさっきまで自分が考えていたことも、過去の自分が見たらあり得ないと吐き捨てていたのだろう。

だとしたら、サーダナも変えられたのだろうか。この少年に。

 

「しかし、なぜホワイトグリントの撃破だと思うのかね」

 

「リリウムがもっともっと不幸に不平に怒りをぶつけられる人間だったなら…そうしていると思いますから」

 

「…詳しく話してみなさい」

 

「一時期はアナトリアの傭兵を恨もうとしたこともありました。ですが…」

 

「……」

 

「調べれば調べる程、分かるのはただ彼が必死だったという事だけ…。私利私欲の為に戦うのではなく、ただ大切なモノを守りたかっただけ…それしか見えてきませんでした」

 

「……」

 

「大人の仰る通り、人の中にも獣にも劣るような者もいるとは思います。そういった獣から身を守るために力をつけなければならないことも。…でも…リリウムはこの力で『人間』を殺せません…」

 

「…結局、最初に出会った時も我が身の不幸よりも物や人が身勝手な理由で破壊されていることに怒っておったからな、お前は。…では何故この少年はアナトリアの傭兵に立ち向かおうとしていると言いきれるのかね」

 

「ある日突然自分にとって大切な方が殺されて不幸に叩き落とされる…リリウムもこの方も同じです。何もしていない…ただ生きていただけなのにいきなり地獄に落とされた事への怒りはよく分かります」

 

「……」

 

「それでも普通に生きてきて、ラインアークの守護神となったホワイトグリントの噂を耳にし姿を見たらどう思うのでしょうか。企業側のリリウムでもアナトリアの傭兵の行動は正しいと思ってしまうのに」

 

「自分の大切な者を殺され、その相手は英雄と讃えられあたかも正義そのものであるかのように扱われる。自分にとって大切な者が殺されたのが正しい理由なのか、そうでないのかは重要ではなくて、

突然奪われた上に相手には何の裁きも下らずに讃えられ、自分だけが弱い立場のまま…悪であるかのように扱われる。そんな状況が堪らなく許せなくなったのだと思います」

 

「…最初の授業で『その怒りを覚えていろ』と言った理由がわかるかね」

 

「はい。怒りはその人そのもの…身を焼く怒りは偽れず、その人がどういう人物かを如実に示すからではないかと思います。…きっとこの人は…もう一人のリリウムなんです」

 

「お前はお前だ、リリウム。怒りが人を表すのならばその怒りを飲み込み先に進んでこそ人は人として成長していけるのだ」

 

「大人がそう言ってくれるのは嬉しいんです。でも…少しだけ…この人が羨ましい…」

 

「……」

修羅の道か人の道かを問うのならば、やはり人の道を生かしてやりたい。

しかし冷たい機械のように怒りを忘れていてはいずれ人ですら無くなるのもまた事実。その先に待つのは生臭坊主の語る釈迦ぐらいか。

リリウムは揺らいでいる。この少年から何かを感じ取ってほしいと思う自分もあれば、絶対に見習ってほしくないと思う自分もいる。

 

「いずれ…敵対することもあるやも知れぬ。その日に負けぬように訓練には手は抜かん。よいな」

 

「はい、王大人」

 

 

 

季節は瞬く間に過ぎていき、リリウムも17歳。カラードランク1からは転落したもののそれでも不動のランク2としてカラードの顔となった頃。

あの少年はカラードにいた。

 

 

 

あ、カニス!

 

……

 

ようお前、前評判は聞いているぜ。仲間が必要な時は俺を呼べよ。楽させてやるぜ

 

……

 

 

やんややんやと騒ぐ二人の少年の間で一人、明らかに周囲の温度と違う蛇のような静けさと冷たさの少年が見える。

影からそっと様子を見ていたが、どうやら喋れないという情報の確かさ以上に根っから泰然自若な性格のように見える。

だがそんなことよりも…

 

(大きい…!背が伸びている!あの時よりもずっと!)

隣の変わった格好した少年も中々ひょろりとした長身ではあるが少なくとも上背では劣っていない。

まだパイロットスーツのままなのがちょっと不思議だが、その上からでもはっきり分かるくらいに引き締まった筋肉に包まれた身体。

 

(たった三年で…)

身長の伸びは年齢が年齢だからまぁ置いておくにしても、厚着をしていても隠せなかったあの痩せぎすの小さな身体が三年でここまで変わるのは尋常な事ではない。

鍛えたのだろう、想像を絶するほどに。その日々を支えてきたのが狂おしい程の怒りだとしたら…

 

とくん、と一つ大きく胸が高鳴った。

 

(…?何か不思議な感じ…。とりあえず声をかけてみないと…)

 

 

「あの、少しよろしいでしょうか」

 

「!」

 

「リ、リリリリリリリウム様!はっはは初めまして!俺、ダン・モロっていいいます!あなたのファンです!」

 

「存じております。初めまして、ダン様」

 

「……」

 

(声をかける前からこちらに気づいていた…?)

顔を赤くして押し黙る・騒ぐ二人の間で静かにこちらを見つめる眼は何かを言う前からこちらを見ていたような気がする。

 

「ガロア様、初めまして。リリウム・ウォルコットと申します。突然不躾ですが、リリウムと同い年のリンクスと伺いまして…どうでしょう?一緒にお食事でも」

 

「はいはいはいはい!!行きます!俺、どこにでも行きます!食事!食事行きます!」

 

「お前には言っていないだろ…」

 

「……」

あたふたする二人とは対照的に表情も変えずに頷いてただこちらを見るだけ。

だがその渦巻く灰色の眼の奥には隠しようの無い感情が見えている。

怒り狂う鬼などでは無かった。だが先ほどの冷たく静かな蛇のようだという感想も全く的を射ていない。

静かな眼の奥には押しとどめられ極限まで濃縮された、全てを焼き切る青い焔ような修験な光が剣呑に輝いている。

 

とくん

 

(…?また…)

 

「行きましょう行きましょう!リリウム様!行きましょう!!」

 

「は、はい」

 

邂逅のようで必然、もう一人の自分との出会い。

もしかしたら自分が歩んでいたかもしれない道を行く少年との出会いは僅かな火照りをリリウムの心に残していった。




ガロアはリリウムが持っていないものを全て持っています。
そしてリリウムはそんなガロアに、出会う前から淡い憧れを抱いていました。

裏を返すとリリウムはガロアが持っていないものを持っているということでもありますが、しかし超自分主義のガロアはそれに気付くことはありませんし、
リリウムが自分に対して抱いている感情に気が付くこともありません。

性犯罪被害に遭いかけたことはリリウムのトラウマになり今まで自分によってくる男を好きになったことはありませんでしたが、
ガロアが自分にそもそも興味がないということが逆にリリウムがそんな感情を抱くきっかけになってしまいました。とことん報われない恋です。


そして次のミッションでガロアとリリウムは戦う事になるのですが…
どうなるんでしょうね(すっとぼけ)


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衛星軌道掃射砲防衛

『凄いというか…信じられんな…これは』

 

「……」

衛星軌道掃射砲攻撃作戦が開始されたから守ってくれ、と言われ戦場に辿り着いて早10分。

何か手違いでもあったのか敵が現れる気配はない。

 

『調べて分かった。真改という名前のリンクスがレイレナードにいたのだな』

ブレードを変えたと出撃時に告げられ、何勝手な事をしてくれるんだ、という怒りも取りつけられた『それ』を見てすぐに引いてしまった。

レイレナードがオリジナルリンクス、アンジェの為だけに生産した根本から発想の異なるブレード、MOONLIGHT。

 

『手に入れようと思っても手に入る物ではないぞ』

 

「……」

ブレードの中にそのまま小さなジェネレーターを埋め込んでしまうという思いついても普通はやらない考えから生まれた一振りは、

普通のブレードよりも重いものの、全くエネルギー消費が無く、それでいて威力・範囲共に桁違いの名刀である。

その上通常のブレード同様に機体からエネルギーを回せば刀身の長さは一時的にネクストよりも大きくなるという信じられない機能まで備えている。

ただし量産するには需要に対しあまりにもコストがかかりすぎる為、レイレナード無き今、ムーンライトは生産されていない。

 

「……」

重量が変わり微妙にずれた重心に慣れるために敵が来るまでの間ブレードを振り回していたが、そろそろ納得の行く振り方も出来てきた。

…それにしても敵が来ない。もう一度空気を薙ぐと通った線がムーンライトの熱で景色ごと歪んだ。

 

 

 

 

 

 

「…どういう考えがあってのことなのだか…」

三つあるうちの衛星軌道掃射砲のうち、湖を挟んでこちら側に一基、向こう側に二基あり、

自分のネクスト、月輪は一基を、アレフ・ゼロは二基の防衛を担当することになる。

守る数は実力で決まったというよりも機動性から決定された。まぁその点には全く文句は無い。

いざとなれば飛んでいく速度で勝負が決まってしまうのだから。

 

『……』

 

「……わからんのう」

寡黙で常に何かを考え込んで全く人に心を開かない男、真改が何を思って二つしかないムーンライトの片割れをあの少年にくれてしまったのか、その意図は理解できない。

 

『……』

 

「…だが、なるほど…」

その理由は分からないが、こうあるのが正しいと考えてしまう。

アレフ・ゼロが先ほどから素振りめいたことをしているが、あの紫電のブレードを装備している姿の安定さ…得も言われぬ一体感。

動かず停止している姿も、ブレードが空を切り裂く姿も完成された造形の芸術品のよう。

一度しかあの少年に会っていないが、どうしてか刃物が良く似合う様な気がしたのは何故なのだろうか。

 

「…いるのよな…たまにああいう輩が…」

重たいブレードを腕で振るのではなく身体全体を余すところなく使って振りぬいている。

その身体の使い方もバランスも勘が教えてくれているのだとしたら、それは武器に、ブレードに愛されているとしかいいようがない。

…見てみたい。彼が敵を切り裂く姿を。きっとそれは血なまぐさい戦場の風景の一つとは思えない程奇麗な光景なのだろう。

 

「…!来た!囲まれておるぞ!」

 

 

 

 

『囲まれておるぞ!』

 

『ようやく戦闘開始か。ノーマル多数接近』

 

「……!」

来たか。わらわらと蟻のように頭数そろえてノーマル共が。

 

『ひっ…アレフ・ゼロだ…!』

 

『退くな!数で畳めばそれでおしまいだ!』

 

(……?)

セレンの声も敵の声もほとんど聞こえていなかった。

ムーンライトが敵が現れると同時に歓喜するように震えはじめたのだ。

驚く間もなく、剣に引っぱられるようにアレフ・ゼロは前に踏みだした。

 

『あ…?』

 

『あ…れ…』

 

五機のノーマルが一気に機能停止に陥った。

最初のノーマルが崩れ落ちる前に五機目のノーマルはコアを切り裂かれ、動かなくなったノーマルの中で二機は斬られているというのに倒れもせずに立ったままその場で止まっていた。

 

「…!……」

格別に重い剣だった。腕で振っていてはダメなのだと理解する。

ブレードが行こうとするべきところへ空気を邪魔せず弛緩させた身体ごと使って導く。

何故ブレードがここまで自分から動こうとしているように感じるのか、ガロアは理解が出来なかった。

 

『な、なんだよこいつ…』

 

「…、……??」

もっとだ。もっと上手くこのブレードを使える。もっと斬ればきっともっと上手くなる。

そう自分が感じていたことにガロアは数秒して気が付いた。まるでブレードがこちらをも操ろうとしているかのようだった。

 

『おかしいですよあいつ!!滅茶苦茶動いたと思ったら急に止まって!!』

 

『退くな退くな!!休めるな!!畳みかけろ!』

 

「……」

 

 

3分後、そこには40機のノーマルの残骸が転がっていた。

 

『なんだあいつら…目標は衛星軌道掃射砲の破壊だろう?何故お前に向かってきたんだ?』

 

「……」

人間は本能として恐ろしいものに対峙した時に目を離すことが出来ない。

目を離した隙に飛びかかられたら、恐ろしい目にあわされたら。

そんな迷妄した考えが頭の中を埋め尽くし結果、最悪の結末を迎えることになる。

敵わぬとわかれば一目散に逃げ出す、そんな臆病さがある者はこの戦場にはいないのかもしれないが。

 

「……」

そんな事実はともかくとしてばったばったと斬り倒していくうちに改善されたブレードを振り、じんと痺れる左腕を見ていると…

 

『アームズフォートだ!もう一基の掃射砲に向かっている!』

 

「…!」

目をやると確かに水平線の彼方から円形をした巨大な何かがこちらに向かってきており、急ぎその場へオーバードブーストを吹かし飛んでいく。

 

『イクリプスだ!ここは一端距離をとってロケットで…』

 

「!!」

セレンの声が完全に届く前にガロアはほとんど無意識のうちに空に飛び出していた。

 

 

 

 

 

「え……?」

オーバーヒートの情報が伝わってきた。

ジェネレーターが過剰消費されたエネルギーに耐えきれずに蒸気をあげて停止している状態になっていることを告げている。

それでも数秒で収まるのだろうが、戦場で数秒間ブーストを使えずに突っ立っているなんて論外だ。

 

「お前なんでこ…!…イクリプスが…」

着地して動かなくなったアレフ・ゼロを見て声をあげた瞬間、すれ違い、掃射砲に向かって飛ぶイクリプスがパンケーキのようにぱっくりと真ん中から斬り割られ墜落していくのを見た。

 

『……』

 

「なんて奴だ…いや、ブレードが凄まじいのか?」

少々無茶のきくジェネレーターを一瞬でオーバーヒートさせるほどのエネルギーで以て一刀両断。

リスクもリターンも大きいがどちらにしろ正気の沙汰ではない。

 

『……』

だがそれはガロア自身もまともな考えだとも思っていなかった。

斬り終わり、機体が動くようになった今、なんて馬鹿げたことをしたんだと震えたくらいである。

すれ違うほんの一瞬の間にガロアの頭の中を巡った様々な考えが左手のブレードに握り潰され勝手に身体が動いた。そんな感覚。

 

『やっぱりとんでもないわね、貴方』

 

『…!』

 

「!誰だ貴様」

墜落したイクリプスの残骸からラクダ色の細身のネクストが飛び出してくる。

 

『初めまして。私はリザイア…って言ってもわからないわよね。貴方、他人に興味なんて無さそうだもの。でも、私はずっと前から貴方を知っている』

 

『…?』

 

「どういうことだ」

戦場で敵からの通信は珍しいことでは無いのだが、何故かセレンの鼻頭がひくつく。

話し方か?距離感か?何故か分からないがこの女は『自分』の敵であると勘が断じている。

 

『例え口が利けなくとも…あんな鳴り物入りで入って戦績もパーフェクト…目立たない筈がない。でもそんなことはどうでもいいことでね…』

 

『……』

 

「…?」

 

『毎週日曜日はよく図書館にいたでしょ?私も本が好きで…そこにいる貴方をよく見ていたわ』

 

『…?』

 

「あ゙~?何が言いたいんだ貴様」

こんな声が自分でも出せるとは思わなかったという程ドスの入った声を出してしまう。

 

『でもね…これも同じくらい好きなのよね』

ブンッ、と右手に持つブレードを目にも留まらぬ速さで振り砂を焦がす。

 

『……??』

 

(なんだこいつ)

 

『大学を出て…企業に就職して…なんでこんなことをしているのか…。貴方ならわかるでしょう?理知の光と蛮性は矛盾しない。図書館で見かけてすぐに分かったわ。

あなたの内側にある獣性。一見冷静な人に見えても渦巻いているのよ。自分と相手ならどちらが強いのか。示したい。力と血で以て…ってね。同類よ』

 

『……』

 

「戦場なんだから殺し合うのは当たり前だろうが」

などと口で言いながらもこの女の言っていることは分かる。

つい先日、食堂でガロアと対峙した時に湧き上がった静かな激情。

どちらが強いのか?自分と相手、どっちがより優れているのか?確かめたいと希求する本能。

 

『戦う為に全てを捨ててリンクスになったのに…活躍すればするほど、ランクを上げればあげる程ミッションに出してもらえなくなっちゃってね…だからそのランクでカラードを裏切った貴方が羨ましい』

 

『……』

 

「……」

 

『でもね、感謝もしている。貴方がオーダーマッチでいつか挑戦してくる日を楽しみにしていたけど…敵に回ったのならもう言うことは無いわ』

言葉と共に左手のショットガンを明後日の方向に投げるリザイアのネクスト、ルーラー。

 

『……』

 

「これは…」

先日のトラセンド戦の再現か?何がどうなっているんだ、と混乱しているとアレフ・ゼロも右手のマシンガンを砂に突き刺し手放してしまう。

 

「馬鹿野郎!そんな誘いに乗る必要があるのか!?」

矛盾している。分かってはいるがガロアの身を案じる一心で口から出る言葉は考えと真逆となる。

 

『嬉しいわ。でも、近距離戦に特化した私の機体の方が有利なのは明白』

 

『……』

 

『だから…戦場の常。私を倒せたらそのまま私を好きにしてちょうだい。…私は…あなたに抱かれたいの』

 

『????』

 

「だーっ!!なんだお前は!!」

机をどかどかと叩きながら叫ぶ。

今ここにネクストがあったら乗って飛んでいき即ぶっ飛ばしてやりたい。

この女は徹底的に私の敵だ。ずっと一緒に暮らしていて分かったのだ。ガロアは不思議なことに恋も性もほとんど分かっていないらしい。

そりゃいつかはそう言う事を学ぶ必要もあるのだろうが、今こんな女に接触するのは免許取りたての子供をF1マシンに乗せるような物だ。害でしかない。

 

『うるさいわね…誰よ貴女』

 

「オペレーターだ!!オペレータァーっ!!私のリンクスを誘惑するな!!淫売め!」

 

『失礼ね。これでもこの年までそれなりに綺麗に生きてきたつもりよ。…さぁ、とことん殺り合いましょ!!』

 

『……』

 

(…?どうしたんだ?ガロア)

当然のことだが、ガロアからの通信は沈黙しか返ってこないが、小さく溜息が聞こえた。それはまるで目の前に現れたルーラーに一切興味が無く、「つまらない」とでも言っているかのようだった。

 

 

 

 

戦場に似合わない会話が繰り広げられる少し前、アレフ・ゼロがノーマルの大軍をなぎ倒していく中、

ネオニダスのネクスト、月輪も同様に迫りくるノーマルを撃破していた。

 

「少しつまらんなぁ」

ちらりとアレフ・ゼロに目を向けると明らかにこちらよりも多い…下手すれば倍近くの数のノーマルが詰めかけている。

おまけに遠くの空に見えるあの機体は年でボケた目のせいとかなければアームズフォートだろう。

それだけあっちの方が危険視されているという事なのだろうか、と少しだけ拗ねているとバシュン、と耳に音が届いた。

だが歴戦の戦士として優れた勘を持つネオニダスはその音が耳に届く前にもう回避していた。

 

『……』

見上げれば太陽を背にする形で細身ながら優美な姿をした薄紫のネクストがいた。

100人に聞いたら100人が女性が乗っていそうだと答えるそのネクスト、アンビエントに乗るリンクスこそリリウム・ウォルコットである。

 

「ほほ。お嬢ちゃん、王小龍はどうしたのかね?」

 

『大人は…体調が悪く臥せていらっしゃいます』

 

「ほぉ。あの男が人に弱みを見せるとはな」

 

『これ以上お気を崩されないようにするためにも…あなた方はここで排除します』

若干17歳ながら事実上のカラードのトップに立っているだけはある、立派な圧は例えORCAの猛者を率いていたとしても勝負は怪しいだろう。

どうにも気にくわなかった王も、人に物事を教える才は認めねばなるまい。

 

「…ならんのう…。私はあの子らの行く末を最後まで見届けると決めとるのよ」

 

 

 

 

対岸でもネクストの戦闘が開始され、いよいよこの戦場も大詰めとなっている中、リザイアは心中の苛立ちと不安を隠せなくなってきていた。

 

『……』

 

(また…!!)

この勝負は公平なように見えて実にリザイアの有利になる様に仕組んでいた。

まずショットガンを放ったはいいが他の武装は手放していない。

当然、この後も戦場に残るであろうアレフ・ゼロがほいほいとつけたり外したり出来ない背部の装備を外すはずも無いが、

飛び道具を捨ててブレードのみと一見公平に見せかけて、背部に取り付けられた重たいグレネードとロケットが枷にならない筈がない。

ルーラーに取り付けられた軽いミサイルとレーダーと比べれば天地の差だ。

それに加えて軽量級のルーラーでは中量級のアレフ・ゼロと元々のスピードが違う上に肩に取り付けられた追加ブースターがある。

これはまだオーメルのリンクス、つまりオッツダルヴァと自分以外には明かされていない秘密兵器であり、オッツダルヴァが消えた今それを知るのは自分のみの隠し玉だった。

相手が引かずにブレードに応じてくれると言うのならばバックやフロントのブースターより遥かに重要なのがサイドのブーストのはず。

あちらは当然のように肩部のフラッシュロケットは使っていないがこちらは堂々と追加ブースターを使っている。

使うな、と言われてもオートで発動するのだから無理な話だが。

さらには刀身は短いが居合い刀と呼ばれるほど出の速いブレードを用いている。

これだけ有利な条件が揃っているというのに全く優勢では無く…いや、驚異的な回避性能のお蔭で直撃こそしていないものの劣勢なのは間違いなく自分だった。

 

切っ先が音速を超えていることを示す音が聞こえる。今の斬撃だって間違いなく下手くそな物では無かったはずだ。

 

(また…!どうして!?)

攻撃の悉くが躱される。

実のところ、近接戦を申し込んだのは、アレフ・ゼロの汎用性、ミサイルを全て見切る眼のよさなどを把握し、それならばいっそブレード一本の方が勝率があると見込んでの申し出だったのに。

さらに踏み込んで斬りかかると一歩動いただけで避けられて敵のブレードが飛んでくる。信じられない圧力だ。

 

「くっ…!!」

アレフ・ゼロはほとんどその場から動いていない。ただ首がこちら側を向いているだけ。

スピードで劣るのだから釣られて動き回らないのは当然の選択だと分かってはいても、周囲をぐるぐる踊らされていると思うと頭に血が上る。

斬りかかった所を躱されてカウンターでブレードが飛んでくる。

不満を口にしたりはしないが、ブレードの色も範囲も明らかに動画で見たものとは違う。裏切ってから装備を変えたというのか。

しかし、だからと言って普通の勝負になれば空に浮かんだまま帰ってこないでずっと爆撃されるだろう。不利なのは明白だ。

 

多少のリスクを冒して一気に踏み込み三回腕を振ると指揮棒を振りまわした時のようにヒュンヒュンと高い音が聞こえた。つまり当たっていない。

 

『……』

 

(……!)

その全てが躱されたが確かに見た。一撃目を躱した直後に二撃目を振る前には躱せる場所に立っていたのを。

 

(眼…眼がいいんだ)

だが、いかに動体視力が良いと言えどクイックブーストに乗せて放たれたブレードの切っ先はマッハ4は超えている。計ったことは無いが。

そんなものを見切れる生物がこの世にいるはずがない。となると…

 

『……』

 

(起こりを見られている…)

攻撃が始まる前の身体の動き、意識の先端を捉えられてしまっているのだろう。

先ほどから息も上がってしまい平静からは遠い状態だ。

 

(整えなくては)

一旦動き回るのを止め、息を吐いた瞬間

 

(!!)

アレフ・ゼロの機体がピクッと微かに震えるのを見て反射的にブレードを振った。

 

ガッ

 

(しまった!!)

横薙ぎに振るったブレードは完全に空を斬り、しゃがみ込みながら脚に放たれた蹴りに思い切りつんのめり無様に転げる。

 

『……』

 

(危なかった…!)

普段の癖で斬りこむ時にクイックブーストを吹かしていたお陰で転んだ後もその勢いでアレフ・ゼロの攻撃範囲外に逃れられた。

過剰な反応だったかもしれないが、それでもあんな一撃死のブレードを持った機体が少しでも動けば反応してしまうのが当然だろう。

 

(私より10も年下の子供に!)

悔しいが翻弄されている。あのブレードから目を離せないしこの距離であの左手を動かす事は言葉の無い恫喝に近い。

 

『ブレード以外も使った方がいいんじゃないか?』

 

『……』

 

「うるさいっ…!」

相手のオペレーターからの嘲笑交じりの声にいら立ちを隠さずに答える。

それ以外の武器を使ったら圧倒的に不利になるのは自分なのだ。

だからといってアレフ・ゼロのように蹴りや拳で殴るなどの真似は付け焼刃ではできない。

 

(というかやらないのよ…普通は!)

腕が、脚が当たる距離ならば斬った方が断然いいのだから。ブレードを持っているのなら誰がやったって当然斬るに決まっている。

蹴られたり殴られたりすれば多少はびっくりするし、ネクストならば衝撃が伝えられて痛み苦しみはあれどやはり斬られた方が怖い。

どう考えてもネクストで人間のように格闘の練習している方がトチ狂っているのだ。

 

(だけど…)

認めるしかないだろう。その理外の修練こそが、アレフ・ゼロの説明不能な不気味な強さに繋がっていると。

 

『……』

 

(その代り…見えてきた!)

ルーラーの超音速のブレードと違い、刀身に差があるとはいえアレフ・ゼロのブレードの速さは全く見えないという訳ではない。

ここまで何回も踏み込み、ぎりぎりで避けてきた甲斐あってようやくその刀身の長さが計れた。これならもう見切れる。

 

(ここから反撃を……っ!!)

 

ザンッ、とここに来て初めて何かが切れる音がした。まだ攻撃していないのにどうして、と考える前に回避行動をとっていた。

 

(自分から攻撃してきた…どうして意識が切り替わる瞬間を読めるの?!…でも残念ね、もう見切って…、ッ痛っ!?)

自分でもなんだかやけに頭が回っているな、と思った瞬間に激痛。

眩んだ視界の中でアレフ・ゼロの足元にブレードを持った右手が落ちているのが見えた。

 

 

 

 

『どうして!?なんで!?』

 

「……」

泡食っている敵の前でガロアは特になんとも思っていない顔。

何てことは無い、この一回限りムーンライトに機体からエネルギーを少しだけ回したのだ。

 

『後は一方的に終わらせられるな』

やってしまえやってしまえ、と心の声が聞こえてきそうなセレンの声。

 

「……」

この女の言葉には思うところがあり少々不利な勝負も受けたが全くつまらなかった。

さっさと終わらせてしまおう。そう考えるガロアは最早自分でも違和感を覚えなくなってしまう程に自然に力に取りこまれてしまっていた。

 

『ひ、引き分けね!この勝負、次回に持ち越し!』

 

『は?』

 

「?」

訳の分からないことを言い出した。

 

『確かに強かったわ、アレフ・ゼロ。でもまたいつか必ず貴方を殺しに来る』

 

『二度と来るな』

 

「……」

 

『後はウォルコット嬢に任せるわ』

 

「……?……!!!!!」

ウォルコット、と言いながらとんでもない速さで空の彼方に消えていったルーラーは放っておき、もう一方の戦場に目をやった瞬間、空気を爆砕せんばかりの轟音と衝撃がアレフ・ゼロを襲った。

 

 

 

 

ウォルコット家が斜陽の時代に苦し紛れに作り出したオーバーテクノロジー一歩手前の超兵器。

攻撃的な技術の粋であるその兵器に付けられた価値は全くの0。

例えネクストでも積めば重量過多は免れず、発射すれば有澤製のタンクでも反動で木っ端みじんに砕け散る。

敵を殺すことだけを意識しすぎて並大抵の機体・リンクスでは扱う事すら出来ず、起動出来たとして、外しても当てても使用者はまず間違いなく死ぬ。

かつてコロニー・アナトリアを襲った最悪の機体「アレサ」ですらこの兵器の前では良心的に見える。

即座に敵を殺しその場を離脱すればまだ生き残れるのだから。

 

それ自体がACに積まれる武器程もある21の薬室が蠕動しながら超高熱の蒸気を排出し、平均的ネクストの体高を完全に超える銃身の先にある、大型の二脚銃架が砂に降ろされ大きな穴を穿っている。

その超兵器『ヒュージキャノン』を積んだ四脚ネクストは、全ての武装を外し、もうこの先にジェネレーターが使えなくなっても構わないという程無茶な出力でオーバードブーストを吹かし、

それでも通常の半分以下の速度でようやく今回の作戦が行われているエリアの一歩手前まで来れたのだ。大型タンカーが用いるような錨を四つある脚からそれぞれ地面に降ろして食い込ませている。

 

既にチャージは完了しているがまだ撃ってはいけない。ここで外しては何の意味も無い。

コックピット内の温度は既に150度を超え、細く開かれ小刻みに震える目からは蒸発した体液が筋となって昇る。

まだだ。ノイズ交じりに映るモニターの先では明らかに苦戦しているのが見て取れるが、二機とも動き回るこの状況では確実には当てられない。だからまだだ。

パキパキと音を立てながら爪が浮き上がって沸騰した血液が赤い蒸気となり狭いコックピットを染めていく。白い髪にはとうとう火が付いてしまった。

痛みと熱で転げ回りたい衝動を抑えながら巨大な砲身を握りしめその時を待つ。

40年以上前、まだノーマルにすら乗ってない頃から始めたスナイパーという役。近づくことを避けて見えない場所から、安全な場所から敵を、時には味方を殺してこの年まで生きてきた。

狙撃主として生きてきた自分のラスト・ショットがまさか生き残るためでなく生かすための物となるとは想像もしなかった。だからこそ、絶対に外せない。

 

「…!」

赤くなった視界の中で銀色の機体の動きが一瞬止まり緑色の光線を発射する。

 

「リ…リ…ウ、ム」

開いた口から覗いた舌は灰となってボロリと崩れ落ち、

 

 

 

王小龍、生涯最後の弾丸が発射された。

 

 

 

 

 

 

「くぅ…!」

強い。カラードの外にこんなに強いネクストがいたなんて信じられない。

普段ある援護がないということを差し引いても強すぎる。かつて一度だけ負けた相手、オッツダルヴァとも張っているかもしれない。

今日死ぬんだな、とリリウムは頭の冷静な部分で残酷に理解していた。

 

『弱い。お前さんには命の輝き…魅力が無い…。対応者なのだ。戦士では無いのよ。…それではな』

月輪に緑の光が集まってゆく。

 

ドッ!!

 

「え!?」

目の前でアサルトキャノンを発射した月輪が一瞬にして嵐のような風と轟音と共に遥か彼方、衛星軌道掃射砲まで吹き飛び、掃射砲もろとも崩れ落ちた。

 

『…ガガ…王小龍…変わったな…ザ…お前さんも…あっちで会うことがあるならば…ガガガ…話でもザー』

下半身が完全に吹き飛びカタカタと震えていた月輪が何事かを呟き静かにコアが爆発した。

だが今はそんなことよりも。

 

「え…?」

砂地に一直線に残る焦げ跡の先。

そこには見慣れた四脚が煙を噴きながら倒れる姿があり、コアが地面についた瞬間に凶悪なコジマ爆発を引き起こした。

 

 

 

 

『いやあぁあああああああああああああああああ!!!!』

 

「!?」

強烈な爆発のあった方へと向かう途中、絹を裂くような悲鳴がガロアの耳に届いた。

 

『ストリクスクアドロだ!月輪を一撃でスクラップにしたレールキャノンをぶっ放して自分も崩壊した!…あんな物を撃てばどうなるかなんて分かるだろうに!』

ネクストを巨大な塔のような掃射砲ごと一撃で破壊せしめる核弾頭。

そんな物を使えばどうなるかなんてことは作用と反作用を学んだばかりの中学生でも分かるだろう。

 

「…!」

つまり、分かっていながら使ったのだ。自分の死を覚悟していたのだ。

 

『……』

 

『ネクスト、アンビエントだ…』

 

「!」

強烈なコジマ汚染の中心、四脚のネクストの残骸の傍で力なく膝をつくアンビエントを見て、

あまりの痛ましさに見ていられず敵だという事も忘れて汚染地から引き摺りながら連れ出す。

 

『……』

 

『……』

 

「……」

砂塵が巻き起こり硝煙があちこちから上がる戦場で二機のネクストは音も無く向かい合う。

一人のリンクスは言葉を失い、もう一人のリンクスは言葉を持っていなかった。

 

『BFFに…リリウムと…大人が住んでいた基地に…見たことも無い女性と女の子が訪ねてきたんです』

 

『…?』

 

「……??」

突然訳の分からぬことをぼやく様に話し始めたが『住んでいた』と言っているからには悲しいかな、正気ではあるのだろう。

 

『がめつくて…名誉と昇進だけしか頭になかったあの人が…どうして最後はあんなに愚直に死んでいったのか…あのネクストに乗っている人はどんな人なのかって…』

 

『……?』

 

「…!!」

 

『今カラードで一番強いのはあなただと聞いたから…殺してください…倒してください…アレフ・ゼロを…と』

 

『……あ…、…』

 

「……」

セレンの呆けたような声とリリウムの絶望の声。

ガロアはこれから自分が行うべきことを静かに理解していた。

その一方で理解したくなかった。

 

『リリウムも余り…好きではありませんでした…誰でも彼でも見下したようなことばかり言って…尊大で傲慢で…でも…奥さんもお子様もいたんですね…あんなに泣いてくれる人が…』

 

『ねぇ…ガロア様…嫌いでも好きでも人間は…人間なんです。人は人でそれぞれ繋がりがあります…』

 

「……」

 

『リリウムを…殺さないのですか?カラードのリンクスですよ』

 

「…、…」

 

『ガロア様が戦う理由…よくわかります。本当は知っています』

 

「……?」

 

『リリウムも…お父さん…お母さん、それに兄さんと姉さんを殺されているんです…アナトリアの傭兵に…』

 

「…!!」

 

『……』

セレンは知っていた。というよりも軍事に少しでも詳しいものならばウォルコット家の事は誰だって知っている。

その一族がどういう結末を辿ったかも。だからこそ、一人生き残ったリリウムもリンクスとしての価値しか見い出されずに拾われた傀儡だろうと思い込んでいた。

 

『大好きだった!悲しかった…恨もうともしました…』

 

『でも…出来なかった…アナトリアの傭兵にも守る人がいて…その為に戦っていると思うと…』

 

『分かっています。よく分かります。怒っていたんですよね、ガロア様は…。家族を奪っておいて守りたいなんて勝手な事を言わないでくれって、自分を不幸に貶めながらそんな事許せないって』

 

『お金も名誉も欲しくない…ただ殺したかったんですよね。リリウムも…そんなものはいらない。ただ、守りたかった』

 

「……」

 

『あのノーマルにも…イクリプスにも…何か意味があったのか無かったのか…祝福されたのかされなかったのか…この世に生まれ落ちた人が何人も乗っていました。幼い子供がいた人、病に犯された人、

ただ何となく生きていた人、何かを夢見た人、お金の為だけに戦っていた人…』

 

「……」

 

『ガロア様が、終わらせたのです。その人達の人生を』

 

「……」

 

『ふふ、うふふ。分かっていてやっているのですよね…。その覚悟の上でホワイトグリントも斬ったのですよね…ふふ』

 

『彼らを殺して…リリウムは殺さないのですか?どうして、あの中からリリウムを…放っておけば…死んでいたのに…』

 

『殺すのも殺されるのもこの世界ではもう当たり前のことですものね…でも…でも…あなた方が起こした戦争で…た、大人も死んじゃった…またリリウムは一人ぼっち…』

 

「……」

 

『リリウムを…こんな怪物を…誰が色眼鏡なしで見てくれるというのですか?おべっか、畏敬、崇拝…もう…いや…もう誰もリリウムを見てくれる人はいない…』

 

「……」

 

『誰かを殺しておいて、誰かを殺さないという選択をすれば、そこに矛盾が生まれてしまう。リリウムは…それを分かって怒りを忘れようとして、人を許そうとして、

守ろうとして、ここまで来ました。ガロア様が…それが分かっても、許さず、殺してここまで来たように』

 

『初めはあなたと同じでも…選んだ道は違ったのです。あなたとは決して交わらない…何がその違いを作ったのかは分からないけれど…。…リリウムは、あなたの敵です。ガロア様』

 

「……!」

 

『その道を行くと言うのなら、曲がらないで』

 

「……」

死のうとしている。ここでもうそのまま離脱したとしても、彼女はあの場に留まり続けていずれは汚染され尽くして死ぬだろう。

結果だけを考えれば、時間の問題だ。放っておけばいずれ死ぬ。

 

『……』

セレンは何も言わない。ガロアがカラードを裏切ると決めたその時からずっと考えていてとうとう言い出せなかった事を今、リリウム・ウォルコットが問うている。

ガロアが選んだ道は修羅の道。その道を進むのならば果てには好嫌関わらずに屍が積み上がる。

今、試されている。信念を持って突き進むか、人間らしい弱さと共に沈み溺死するか。

 

「……」

そう、同じことだ。放っておけば勝手に死ぬだろう。

それでも、リリウムの言う通り殺さなければ自分の選んだ道は成り立たない。

この手を彼女の血で汚さなければ成り立たない。

 

「……」

何をそんなに嫌がるのだろうか。

下衆と断じたあの男を殺したのと何が違う?

 

「……」

何も、違うはずがない。

同じように家族がいて、大切な人がいて、自分の手で未来と共に命を奪い去った。

例え今この場であの細身のネクストを抱え離脱しても結局生まれた矛盾の怒りは彼女にまで向くだろう。どうしてあなたは殺されなかったのかと。

 

「……」

殺さねばならない。カラードを裏切ると決めた日から。

いやもっと前、アナトリアの傭兵を殺すと決めた日から、何よりも恨んだ歪みを生まぬために誰よりも強くなり、自分は自分の正義だけを信じて目の前に立つ者全てを倒していくと決めたのだから。

 

『…ガロア様…』

 

「……」

直立していたネクストに意志を送り込み、緩やかに構えてブレードを起動する。

今までのどの戦いの前よりも肌が泡立ち、震えと共に熱い息。そして本当に少しだけ、涙が零れた。

この異様なブレードは無粋なまでにこれから吸う命を感じて大きく震えていた。

 

『リリウム・ウォルコット。…礼を言う。ありがとう』

 

『いいえ、いいんです…リリウムも、殺します。本当はガロア様を殺したくない。あなた方の言う事が全部間違っているとも思えない。それでも』

 

「……」

 

構えたまま向き合う二機。

凪いでいた砂漠にふわりと風が吹いたとき、二機のネクストは激突した。

 

 

 

 

『…!』

 

『…!…!!』

画面に映る戦闘は明らかに実力に差があり、片方が1ダメージを与えればもう片方が10ダメージを与えていると言っていいほどだ。

元々月輪にかなりの損傷を与えられていたこともあり決着までは時間がかからないだろう。

 

「……」

セレンはその自殺としか言えない行為に一つの答えを得ていた。

ダリオ・エンピオが自分の腕を引き千切ってでも向かい死んでいき、

自分でも殺されるならガロアがいいと訳の分からぬことを考えていた理由。

 

平等な時間の中でいずれは必ず骸を晒し砂となる命。

戦いに生きる者ならば誰もが持つ、戦いで死ぬのならばせめて訳の分からない下衆に殺されるよりも自分よりも強い者と戦って美しく散りたいという散華の願い。

この男と戦って死にたい。濁っていないこの男ならば望む死にざまを与えてくれる。

ガロアと対峙するとそんな気持ちになってしまう。もしそれだけの器があり、戦う者全てを屠る道にいるのならば。

やはり曲がることは許されない。誰かに利用されることなどますます許されない。ただ己の道をのみ真っ直ぐ進む強い男であってほしい。

 

「…強くなれ、ガロア。この世界の誰よりも」

 

 

 

 

(あぁ…)

駒のように回転しながらアンビエントの肩に落とされたアレフ・ゼロの踵の力に逆らえず地面に叩き落とされた瞬間にグレネードの炎が右腕を溶かす。

 

『……』

 

(幸せ…)

アレフ・ゼロの紅い複眼には怒りも恨みも籠っていない。ただただ純粋な血のような赤。

手加減の一切ない苛烈な攻撃がリリウムの命を燃やしていく。

 

『……』

 

(嬉しい…ダリオ様もきっとこうやって……こんなに強くて真っ直ぐな人に倒されるというのなら…最後がこれなら…まるで…)

他でもないこの人の手で自分の命が散らされていくという幸福。

強いということはただそれだけで価値がある。それは奸計や打算などこの世のあらゆる汚さをも正面から打ち砕ける力だからだ。

これだけの強さ。一体どれだけの才能と執念でどれだけの時間をつぎ込んでその位置に到達したのか。

自分がこれまでに積み上げていた全てが一つ一つ焼かれて砕かれて丸裸になっていく。

最後に残った弱い自分はガロアに心からの惜しみない称賛を贈っていた。そしてそんな感情とは関係なく、あるいはリリウムがそう望んだように今度はアンビエントの左腕が斬り飛ばされた。

 

(まるで夢を見ているみたい…!)

大切な人を守れなかったという慙愧、消えゆく命への痛惜、業火に炙られるかのような激痛が大量の涙となり顔を濡らし、失禁しながらもリリウムは確かに笑った。

 

求める様に差し出したどろどろの右腕は弾き飛ばされ、すみれ色の刀が鬼が哭くような音を立てながら振り下ろされる。

 

(純粋な眼……)

ただ力のみを求めたガロアの灰色の眼が目の前の紅い複眼と重なる。

自分とガロア、どちらが正しかったのかなんて決められない。ただ結果だけを見るならば、ガロアはその強さで今日も眼前の敵を…自分を殺して生き残る。

自分は守ることも生き残ることも出来なかった。それでもいつか自分を壊そうとした汚らわしい男達に自分の人生を終わらせられるよりもずっと良かった。

もしも殺されることが避けられない運命だったのならば、どこまでも純粋なこの男に殺されたかった。

 

(素敵です、ガロア様…純粋で混じり気が無くて…誰だって同じ眼で見るあなたが…そんなあなたが好きでした)

最後にリリウムは気が付いた。王の強さである知恵や戦略、企業の扱う金も兵器も全ては純粋な力に対抗するため、あるいはそれに近付くための物だったのだ。

純粋な力の前では全てが平等に消滅するのみだからだ。だからガロアはどんな相手でも同じ眼で見ていたのだ。

自分も同じ眼で見てくれるんだと。そんな風に思っていたのだろう。

 

「………言えばよかったなぁ」

最後に残った後悔も力の前では何の意味もなく、リリウムはブレードに貫かれ死亡した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

王の後を追うリリウムを苦しみも無く一瞬で終わらせたのはガロアの優しさだったのか、それは誰にも分からない。

ただガロアは静かに泣いていた。

 

『ミッション完了だ』

 

 

 

 

 

元アルドラ十二階建てのビルに戻り、ガロアは屋上で両膝を顎の下に抱えて砂漠に飲まれた街を見ていた。

小さな体を閉じる様に三角座りをして物思いにふける。

十歳前後からインテリオルに来るまでの間、ガロアはずっとそうして自分と向き合ってきた。

 

街も人も喧騒も無い。あるのは時間だけ。一人で考える時間は腐る程あった。

さらさらと流れる川、しんしんと降る雪、木の実を運ぶ虫、土に還る死骸。

時間は彼の前で平等だった。即ち、皆死ぬということ。

 

あの箱庭のような世界は夢だったのではないか。

そう思える程に目の前には砂しかない。

いや、砂に埋もれている無数の民家はある。

一つの大きな企業によって支えられた企業城下町。

他に大きなビルが無いことを考えればそれがこの街だったのだろう。

 

砂でも民家でも同じ。

自然が生み出した砂漠などでは無く人の業が生み出した砂。

人の技で埋め尽くされていた頃と何も変わっていない。この場所には自然などなかったのだ。

 

大きく強くなった身体を幼い頃と同様に抱えて目の前に広がるのは人の砂。

あるいは精神世界の顕現のよう。

 

小さくて弱くても自分の眼の前には全てがあったあの頃が100年以上前のことのようだ。

 

帰りたい。

厳しくも自分の全てだったあの世界へ。

 

「ここにいたのか。…やけに髪に砂が絡む。嫌な場所だ」

 

「……」

いつの間にか後ろにいたのか、セレンが声をかけてくる。

 

「後悔しているか?」

 

「……」

 

「悲しいか?」

 

「……」

 

「もう終わりにしたいか?」

 

「……」

全ての問いに首を横に振る。

そうじゃない。そういう訳では無い。

 

「そうだろうな。当ててやるよ」

そう言いながらセレンは隣に自分と同じ体勢で座り込む。

ああ、小さい。初めて会った頃はあんなに大きかったのに。

 

「……」

 

「寂しいんだろ」

 

「……」

あの勝手に騒がしかった連中も、少しくすぐったいような感情を示してくれていたあの少女ももういない。

出会う前は寂しくなどなかったのに。

 

「一度手にした物を何もかも手放して進む。そんな道が寂寞としていない筈がない…お前の選んだ道だ」

 

「……」

そうか。だから故郷に帰りたいなどと思ってしまったのか。

心に入り広げてきた物を捨てて、ぽっかり空いた空間に入れる何かを探そうとして。

 

「友人だと、そう思っていたのか」

 

「……」

初めてだった。

もう会えないと分かってようやく寂しくなる。

一緒にいるときは時に嬉しく、それでも自分の目的を忘れてしまいそうで、時に煩わしく感じていたあの存在を、友と言うのか。

ガロアは友という存在を、全て失ってこの手で殺してその時初めて知った。

それは18歳まで生きた人間としては考えられないようなことだった。

この年まで友がいた事がなかったなんて普通はあり得ないことだ。セレンも同じだったので気が付かなかった。

 

「向こうもそう思っていたんだろう」

 

「……」

乾いた風はセレンの髪を梳いていくが自分の癖毛はただ揺れるだけ。

 

「彼女は他の誰でもない、お前を選んで殺されたんだ。分かるだろう。大切な者が…驚くほどあっさりと死んでいくこの世界で…殺される相手を選べるのならば地獄の中の幸福だったのかもしれん。

お前は思いを汲んだんだ。逃げる子供を後ろから撃ったというようなことは無く、誇りを持って戦った」

 

「……」

 

「だが、世間はそう思ってはいない」

 

「…?」

 

「ただお前に殺されたとだけ伝えられ、カラード全体がお前を恨んでいるらしい。…自分では怪物だと言っていたがそれでも人に好かれる人物だったのだろう」

 

「……」

 

「だが誰もお前を殺しには来ない。強いことを知っているからだ。実質カラードのトップだった者まで倒した奴に誰が真正面から挑みに来る?」

 

「……」

 

「もう、強くなっても心を埋めることは出来ない。だから後は心を強くしろ。傷を舐め合う事を拒んでここまできたのだから」

 

「……」

 

「弱い生き物は…群れるものだからな。そう考えると人間はこの世で一番弱い生き物だったのかもしれない」

 

「……」

寂しかったのだ。

群れて傷を舐め合い過ごすよりも真正面から受け止めてくれる存在が欲しかった。

世界で一番憎んだアナトリアの傭兵だがその反面、世界で一番尊敬もしていたのかもしれない。

世界の全てを敵に回し寒風を受けてなお立つその強さを。自分のワガママだけを通そうとするその我を。

だからこそ、いつの間にか人々を守り傷を舐め合うようになったアナトリアの傭兵が許せずに壊してしまった。

 

「強くなれ。身体だけじゃない。心もだ。一人ですべてに向かって立てる強さを手に入れろ。もう誰も、お前を理解できる場所にはいないのだから」

 

「……?」

 

「どうした?」

 

「……!」

その時ガロアはいつか見た鋭い視線を思いだした。この世の全てが敵だといわんばかりの目。

そうだ。一人だけいるのだ。

自分と同じく積み上げたものを捨てて強さのみで孤高に立っている男が。

あの男なら自分を理解してくれるだろう。

 

そしてガロアはいつまでも、全てを捨ててでも自分のそばにいてくれるセレンの事は理解しないまま、立ち上がった。

セレンが自分のそばにガロアがいるのを当たり前だと思っているように、ガロアもセレンが隣にいてくれることを当たり前だと思い込み気が付かなかったのだ。

誰かがそばにいてくれるということの尊さを。

 

 

 

 

オーン…

オーン…

 

巨大な鯨の鳴き声のような音を立てながら宙を浮かぶ傘のような機械の浮かぶ地面の下には三機のネクストが這いつくばっている。

既に二機はコアから煙を噴き全く動いていない。

残った一機もあちこちからスパークを走らせ大破寸前である。

 

生き残っているのは実力が他の二機よりもあったというよりは、

中距離で銃撃戦を挑む二機よりも近距離でブレードを用いるこの機体、スプリットムーンの方が上手く攻撃の死角に潜り込むことが出来たというだけである。

 

「!ゲェェッ!!」

後頭部を鈍器で殴られたかのような頭痛に視界が揺らぎ真改は思い切り嘔吐する。

このアームズフォート・アンサラーの前ではどんな手だれでも関係なく地に這いつくばる事になる。

ゆっくりと、だが確実に周囲のビルは砂になっていき、自分の意識も同様に砂になっていくかのようだ。

動かなくなったクラースナヤとリザも同様に形を崩していく。

 

(なんてことだ)

いつかは起こると真改は確信していた。だがそれが今日だとは。オールドキングは唐突に裏切った。それは発作のようでもあった。

敵のアームズフォートを目の前にして、リザは突然クラースナヤに攻撃を始めたのだった。やはりあんな奴は仲間に入れるべきでは無かった。

ハリは死亡し、何とかオールドキングを斬ったがそんなこととは関係なくアームズフォートは苛烈に攻撃を仕掛けてきた。そして今自分は死にかけている。

だがどちらにしろ同じことだったかもしれない。一機で、自分だけで向かってもこの超兵器を倒せるとは到底思えなかったからだ。

 

「う…ああぁぁあああああ!!」

中心部。どこに人が乗っているか皆目見当もつかないが、乗っているのならばそこだろう。

巨大な棘が幾つも付いた球体に向かって最後の一刀を振る。

 

シュゥウウゥ…

 

(アサルト…アーマー…)

収縮した緑の閃光が嵐となって吹き荒れブレードを持つ右腕を、ヘッドをコアを溶かしていく。

そんなにゆっくり見える訳ない。アサルトアーマーは一瞬の稲光なのだから。

 

ああ、走馬灯か。真改は自分の死をゆっくりと理解した。

そして見るのはやはり戦いだけを求めて全てを捨てた姉の姿だった。

 

(アンジェ…見ろ…)

溶け消えていく自分の機体と命を感じながら真改はただ思う。

 

(もう…剣で頂点に立つような時代じゃない…)

 

(圧倒的な力と数で蹂躙…それが世界だろう…一体…何になりたかったんだ…アンジェ…)

かつて同じ屋根の下で育ち、やがて個の力に飲まれて飛び出した女性、アンジェ。

彼女の考えを、目指した物を見ようとしてここまで来たがついにそれを見ることは叶わなかった。

なぜ?どうして?と答えが返ってくることない疑問を繰り返しながら最後に、月光を託した少年の事を少しだけ思い出して真改は砂となった。

 

 

 

 

 




王 小龍

身長163cm 体重51kg

出身 中華人民共和国

非常に優れた才覚の持ち主であり、また自分の能力に絶対の自信がある反面誰のことも信用してこなかった。
スナイパーとして一兵卒からメキメキと出世し、BFFでもその地位を確かな物としたが、その一方で自分を信用してくれる者は誰もいなかった。
故メアリー・シェリーの才能を見抜き力を与えたり、BFFに多大な貢献をしたりと成功を一つ一つあげていけばキリがないが、コジマの毒に侵され肺を患った頃になって自分には何一つ残っていないことに気が付いた。人を信用しない者は信用されることもまたないのだ。
そんな時、リリウムだけは自分に無条件に全幅の信頼を置いてくれているということに気が付いてしまったのが彼の天国と地獄の始まりだった。
リリウムは戦いに向いていない、戦わせたくないと思う自分と戦わないリリウムには価値がないと冷静に判断している自分に常に苦しんでいた。

ORCAルートではリリウムの為に死を選んだがその時、王は自分の想像していた自分の最期よりも遥かに心が救われていることを知った。
だがそのすぐ後にリリウムが自分を追ってガロアに殺された現実はなんとも救いがない。

自分を老獪で知性的なイメージを持つフクロウに例えているが、心の中ではリリウムの事を尻尾を振りながらついてくる犬のようだと思っていた。
裏では未だに地球上に多く存在する華僑を纏め上げる存在であり、その上いくつもの国の言語を話せるという高性能じいちゃん。
グレートウォールを失ってしまいあわやという状況に陥った有澤を支援したのも王であり、堪能な日本語で憔悴している有澤を「がんばれ♡がんばれ♡」と励まして傀儡にした。

見た目は小柄な老人だが杖術の達人なので杖を持った王に近づくと危ない。


趣味
仏跳牆を作ること
鼻毛を抜くこと(人前では決してやらない)


好きなもの
ボルトアクションのライフルのコッキング
新品の本のにおい




もしも親が殺されたりしていなければ、ガロアは普通に優しい子に育っていたのでしょう。
本当に力だけに執着する存在だった亡き友を思ったりしませんから。
げに恐ろしきは戦争なり、ってことですね。

ここまで来てしまったガロアは理解者を求め始めました。
横を向けばセレンがいてくれることを分からないガロアは愚か者に見えるし、実際大馬鹿者なのですが、
実はガロアは強くありたいと思っていると同時に自分を育ててくれたセレンにだけは最後の弱さを見せたくないという最後の意地っ張りなプライドを持っています。

親が一番自分の甘えを許してくれることを分かっている反面、せめて親にだけでも強がっていたい子供のようなものです。



なんて書きましたがそれで戦争を起こそうなんてこと、他の人から見たらたまったもんじゃありませんね。
そんなしょうもないわがままですら通せてしまうからリンクスというのは普通の弱い人々にとっては途轍もない脅威なのです。



次は真改とアンジェの過去編です。
自分は特に時代劇や座頭市のようなど派手な剣戟が好きなのでその要素を盛り込みました。
真改の見た目は劇場版ナデシコの北辰でイメージしていただけると私の頭の中の真改の見た目に近いです。


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アンジェと真改

人口増加、止まぬテロ。

食糧不足、不安定な新技術も舐る様に使い倒し人間の業に地球がいよいよ耐えかねた頃…国家解体戦争の12年前。

 

テロリストの巣と呼ばれるほどに治安が悪化、

反体制勢力が聖戦の名の元に政府を崩壊させ時代に先駆けて国という概念が無くなったアフガニスタンは超好戦的な蛮族の住処という周辺国家の認識に違わず、手当たり次第に拉致略奪を繰り返し、

ここにある元病院でも国籍不明の子供が佃煮にできる程ごった返していた。

国籍も無い子供たちは犯罪行為の手先には最適であり、今日もまた男子は洗脳教育の果てに死をも恐れぬ兵士となり、新たな兵士を作り死をばら撒いていく。

女子も器量が良ければどこかに売り飛ばされ、そうでなければ明日にでも爆弾を抱えて国連軍の基地へと走らされるだろう。

隣国に生まれ、神の子と呼ばれた聖人は奇跡と呼ばれるような行為で人々を救いながらある日、

愛情も夢も知らずにペンの代わりに銃を持たされるこの世界に訪れ、10も数えぬ子供に背中から撃たれて人間滅ぶべしと呪詞を血と共に撒き散らしながら憤死した。

 

 

 

 

明日は6つになるこの娘もどこかの国の成金に売られる筈だった。

 

 

 

 

 

ドッ!!!

 

 

「あ…う…?」

目を開けるともうそこは地獄だった。

昨日もおとといと同じように同じくらいの年ごろの女の子たちと一つの毛布に5人でくるまって寝ていたはずなのに。

 

きーん、と耳鳴りは止まず三日間何も食べなかった日のように目の前が揺れている。

倒れた柱が壁の間で偶然隙間を作り自分がその間にいるということが分かった。先ほどの爆音の正体がだんだんと分かってきた。

他の女の子たちは吹き飛ばされ即死しているか、血を出しながら呻いているか。

 

『……』

アーマードコアの無機質なカメラアイが狭い窓から中を覗き込んだ。

 

「う…あ…!!」

咄嗟に目の前で動かなくなっていた女の子を掴んで自分の上に乗せる。

その瞬間、部屋の中を弾丸の嵐が暴れまわり生死関わらずそこにあった人間を全て挽肉にしていった。

 

「う…」

自分の上に乗せたときはまだ人の形をしていた肉袋をどけるとびしゃりと音を立ててバラバラに散った。

 

「げ…ぇ…あっ!」

むせ返るような血の臭いと呼吸も出来ない程の硝煙に晒され思い切り嘔吐いたが昨日の夜に食べた半分だけのカビたパン以外は胃液しか出なかった。

 

 

 

世界各国で起こるテロ、反乱。

もはや国に逆らう者の数の方が多いのではないか。そうだと言うのならば最大多数の最大幸福の考えから悪は国ではないのか。

そう思える程あちこちに戦争の火種が転がっている。

国際連合は、国家を超える世界政府は存在しないというアナキズムを完全に捨て、今の状態は国益にも地球益にとっても害悪という決断の元に、

積極的に国政に介入し世界を仕切っていたが、既に自分たち国連軍だけでは力不足と考え企業の力に頼ることにした。

この判断が益々国から企業に力を流すことになり、後の国家解体戦争へと繋がる。

 

 

 

「ふっ…ふっ…はっ…」

過呼吸気味の息をわざと止める。

こんな空気を吸い込むぐらいなら死んだ方がましだと脳が言うが本能は生きようとする。

 

「……えぐっ…」

もう空っぽの胃袋がせり上がるのを努めて抑え、普段はカギがかけられて出ることも許されない扉の外へとよろめきながら抜ける。

吐き気は止まらず口から胃袋が出てきそうだった。

 

「……」

階段を一つ降りるとそれより下は炎が上がっておりこれ以上下の階に行けそうにはない。

同様に扉ごと壊れた部屋に入ると目に入ってきたのは大人の死体。この女は自分達に食事を持って来たりしていた女だったと思う。

実際は大人と呼べるような年でもなく、子供たちの教育と世話、そして性欲処理の為にわざと残されたまだ14の少女だったのだが死体となった今、それはもう関係のないことだ。

 

「げほっ…ごっ…ごほっ」

充満した煙に涙を流し咳き込みながらその部屋に入ると上の階とさして状況は変わらず血塗れの死体が転がっているだけだった。

違うのは転がっているのがまだ乳飲み子ほどの大きさにしか育っていない子達だということだろうか。

倒壊した柱と壁の先に別の部屋が見えるが炎に巻かれて行けそうにない。

 

「どうしよう…どうしよう…」

辺りを見渡しても死体以外には何もない。

下へと続く階段からは火が上がって出る手段も無い。

 

「…!」

その時、死体の下で何かが動くのを見た。

細い腕に力を込めて屍をどけるとまだ一歳ぐらいの黒い髪の男の子が顔に大きな傷をつけ肉を覗かせながら気を失っていた。

 

「……」

何か考えがあったわけでもないし、このまま放っておいても自分もこの子も死ぬと思いながら何故かその子を腕に抱き、くるんだ毛布を首に回してしっかりと固定する。

 

「……」

水道の水は当然ながら出ない。それは昨日今日の話では無く物心ついたときにはもう出ていなかった。

転がる女の服を脱がせて血をまぶす。

 

「うっ…」

腹の底からの悪寒がまた襲い吐きそうになるのを抑える。

まだだ、これではまだ血が足りない。

 

「ううっ…!」

引き裂かれ飛び出たはらわたの中に突っ込み血でぐっしょりと濡れた服を頭からかぶる。

 

他に行ける場所も無い。

倒壊した柱と壁の大人ならまず通れない隙間を芋虫のように這いずりながら進む。

 

「ぐっ…うっ…!!」

渦巻く炎が背を焼くが血濡れの服のおかげでまだマシだ。

熱された鉄板のような床になるべく直接手を触れないようにして先ほど見えた部屋に進んだ。

彼女は気が付くことは無いがあと一分もあの部屋にいれば煙に巻かれて倒れるか、酸欠で意識を失って他の死体と同じように焼かれていただろう。

 

「……」

この部屋も地獄には変わりないが火の手は届いていない。

二つあるベッドには髭面の男の死体が転がっている。

 

「うっ…」

おちついたら急に背中が痛んできた。

被っていた服を投げ捨て背中に恐る恐る触れる。

ぬるりと付いた血がは誰の物かはわからない。だが朦朧としていた意識に鞭を打つような痛みから背中の状況は察するに余りある。

 

「……」

この部屋は自分たちがいた家畜小屋のような部屋と比べれば随分と良い環境だ。恐らくは大人だけが…あの女が言っていたように正しく成長した大人だけが入れる部屋なのだろう。

だが、そんなことよりもこれがあるのがいい。

 

「く…の…!」

窓にかかって幾つもの大穴があいたカーテンを引き落とす。

急いで端どうしを結んで、最後の部分を死体の乗ったベッドの脚に結び付けた。

ついでに男の腰についていた回転式拳銃を拾う。

 

「だいじょうぶ…だいじょうぶだから…」

窓からカーテンだったものの端を投げ捨てる。

地上五階建ての建造物の四階。飛び降りれば自分なら間違いなく死ぬ。腕にいるこの子も一緒に。

 

大丈夫、と言い聞かせて一気にカーテンを伝って滑り降りた。

 

キュキュキュキュッ!!

 

「くぁあ…あ…!」

貧相な尻から無様に着地してしまったがどこも折れていないしまだ歩ける。

手を見るとずる剥けた皮の下からどんどんと血が溢れてきていた。

 

「…逃げなきゃ…!」

そこら中から悲鳴と銃声が聞こえ敵がどこにいるかもわからない。

火の手の上がった街は真昼よりも明るい。

そばにあったどぶ板を外しその中に潜り込むと酷い悪臭がしたがそれでもさっきよりは大分ましだと思える。

 

(……どこへ?)

どこへ行けばいいのかわからぬまま蜘蛛やゴキブリ、木っ端のような虫々の溢れる狭い穴を這い進んでいく。

何故最初から今まで自分の意志と行動がこんなにも生きる方向へと向いているのかわからない。

 

「…あ!」

光が見えた。そこへ向かい必死に進むと泥にまみれた小さな堀へと出た。

ゲリラ戦に備えてそこら中に作られていた塹壕である。

もっとも企業の急襲によりその塹壕は全く意味をなしていなかったが。

 

「…ガキ?」

 

タァン!

 

「……!」

突然大人が飛び降りてきたのを見て、反射的に手にしていた銃の引き金を引いてしまった。

 

「あっ…!」

偶然、放たれた弾丸は男の脳に穴を穿ち、即座に命を奪い去った。

拳銃の衝撃に耐えられずに尻餅をつき、銃は水たまりの中に落ちてしまう。

 

「はっ…あ…」

敵だったのだろうか。いや、例えどちら側でも大人は彼女にとって同様に敵だと思えた。

水に濡れて使えなくなった銃をその場に捨て走る。

 

(どこに行けば…)

ひたすら小さな堀を進んでいくと梯子が見えた。

幼児を抱えたまま、まだ幼い彼女が梯子をのぼるだけでも一苦労だったが、

なんとか上がり切る。

 

「え…」

そこには先ほどとは比べ物にならない数の死体が山となって積み上がっていた。

 

ガシャン、無機質かつ巨大な質量を持った音が聞こえた。

 

「あ…」

建物の間から巨大な銃を構えたアーマードコアが出て、感情を示さないカメラアイが彼女にピントを合わせた。

一秒後にはミンチになっている。残酷な死の想像は防衛本能を働かせ彼女は気を失った。

 

 

 

 

 

「子供…?」

男の任務は塹壕を通って出てくる兵士を迎え撃つこと。

アーマードコア一機を配備する代わりに他に戦力は置いていない。

それだけ人間とアーマードコアの間には戦力差があった。下手に人間の兵士を配備するよりはよっぽど合理的で効果的。

ただ出てきた者を撃っていればいい楽な任務だった。

 

最初の頃はわらわらと出てきた、(どちらでもあまり変わりはないが)武器を持った、もしくは持っていない男たち。

そして10分ほど前からは鼠一匹通ることも無くなり別のエリアに移動しようかと思った矢先に飛び出してきた人影。

それは血塗れの子供だった。

 

「任務は殲滅だ…悪く思うな」

ここら一帯を包囲し、建物の入り口に全て火をつけ中に掃射。

さらに隣国には不干渉を前もって要請してあるので、亡命した者も逃れる術は無い。

 

極めて危険な洗脳教育をしているこの地域では例え子供ですらも逃すことは許されない。そういう話だった。

現に小型ながら強力な爆弾を抱えた子供が自爆するのをニュースで何度も見ているし、男の同僚も何人か死んでいる。

 

今倒れた子供も何かを抱えていた。

不用意に近づいて爆発に巻き込まれるのはごめんだ。

 

「……!?あ…?」

今、手の中の何かが確かに動いた。

動く爆弾なんて聞いたことがない。

 

引き金にかけていた指を外し、銃先で倒れた少女をひっくり返す。

 

「!イエローか!?」

極東以外ではほとんど見ることの無くなったマイノリティの人種、黄色人種。

血で汚れていてよく分からないが毛布にくるまれ抱えられてる子のあの肌の色、髪の色は間違いなく黄色人種のそれだ。

よくよく見てみれば抱えている女の子の肌は白く髪は金色。この顔立ちなら将来は間違いなく美人になるのであろうがこんな場所ではそれも不運だとしか言えない。

 

「ならここで殺しておいた方が…」

再び引き金に指をかける。

しかし、まだ小学生にもなっていないであろう少女が子供一人を抱えてあの包囲網を抜けてきたというのか。

しかも、明らかに姉弟でもなんでもないはずの子を抱えながら。

周囲の全ての国に戦争を売るような場所でこんな子が育っていたとは。

 

「………!!」

とうとうその引き金はひけなかった。

自分自身、そんな人間らしい感傷が残っているとは思ってもいなかった。

 

 

 

 

 

男の名前は井上竹光(たけみつ)。

何十代にも渡り日本国で剣に携わり生きてきた井上家、その分家の末裔である。

居合術として知れた山口一刀流の流れを継ぐ居合いの達人、辻月丹が開いた無外流を海外にも広めんという、竹光曰く「時代錯誤の考え」の元、

宗家は日本に残り分家の子だった竹光の曽祖父・実光がカナダで道場を開いた。

そのまま一世紀近く道場はカナダの田舎町で受け継がれ、それなりに教え子もいたが、この四代目免許皆伝、井上竹光はとんでもない享楽者だった。

道場経営の金で飲む打つ買うの三拍子、免許皆伝の剣の腕はあるというのにことあるごとに「時代遅れ」「今更流行らない」と繰り返し、

そんな師範の姿に弟子たちは幻滅し次々と辞めていき、父・正光の死と共に道場経営を止めてしまったのが27歳の夏。

別に戦いが好きとか血が好きという訳でもなかったが、「今、一番需要がありそう」という理由だけで傭兵を始めた。

果たしてその読みは大当たりで一月ごとに即戦力となる傭兵の需要は高まっていき、引く手あまたの戦場である日、中身が死んでいたアーマードコアを拾い、

借金をしながらその機体を修理をしてとうとう彼はレイヴンとなった。

それなりの腕のレイヴンだった彼は適当に戦場を渡り歩き、残骸を拾っては売って、敵を殺してなどとしているうちに金もたまっていった。

後の先だの守破離だの好きでも嫌いでもなかった教えはもしかしたら役に立っていたのかもしれないな、と敵機の残骸の前で無精ひげをこすりながら思い、

そろそろ金もあるし、せめて爺さんたちが大事にしてきたあの道場ぐらいは守ってやるかとの思いに至った38歳の夏、彼は二人の子供を拾った。

 

なんで自分が子どもなんか拾うのかな、と自問自答したがその理由の一つには、40を前にしても未だに妻も子も…つまり跡継ぎがいなかったことが一割くらいは関係あるのかもしれない。

跡を継がせよう、とはさらさら考えてはいなかったが、もしかしたら…という思いはあった。いくら立派な道場があっても人がいなければただの廃墟である。

10年以上乗ったアーマードコアを売り飛ばして、7年間務めたBFFを辞め、カナダの田舎に二人の子供を引き連れて彼は帰った。

一瞬だけ日本に行こうか、とも考えたが彼の故郷はカナダの古ぼけた道場だと思い出が言っていた。

 

出身地がばれないように闇医者に診せた二人の子供には消せない傷痕が残った。

上の女の子はともかく、下の男の子はもしかしたら戦場で拾った…いや、自分達が焼き払った街で拾ったなどと言わなくてもいいかもと思ったがどうやらそれは許されないらしい。

別に許してほしかったわけでもないが、これぐらいの傷も消せないヤブ医者にまともに払う金があると思っているのかよ、と思い切り値切り、戸籍をごまかして二人の子供を井上姓へと入れた。

下の男の子は置いといて、金髪碧眼の上の女の子はどう見ても養子だったが。

 

 

その少女…アンジェは戦いから連れ帰って暫くはほとんど口を効かなかった。

名前を聞き出すのに一か月かかったくらいだ。無理もない。あんな地獄を抜けてきたのだ。PTSDを患っていて当然だ。あるいは自分を恨んでいるのかもしれない。

馬鹿だな、と思いながらも正直に伝えたからだ。「あの街を焼いたのは自分達だ」と。

心的障害を負っている割には食事も普通にしていたし、無理やり入れた小学校にも普通に通っていた。自分は医者じゃないし、よく分からないが案外こんなものなのかもしれんな、と判断したのは誤りだった。

 

たった6歳だったその少女の心の中にはそれ以上におどろおどろしいしい物が目覚めて巣食い育っていたのだとわかったのはそれから十年も経ってのことだった。

 

下の子の名前は分からなかった。

年は多分一歳くらいなのだろうとしか言えなかった。

だが、日に日に出来上がっていく顔立ちはエラは立たず、目は細くは無いが大きくも無く全体的にのっぺりとした顔、モンゴロイドの中でも間違いなく極東の島、日本人の物であった。

じゃあ日本らしい名前を付けるか、と思っても子供どころか嫁を見つけることすら考えていなかった竹光はご先祖の名前に肖って真改と名付けた。というかそれ以外思い浮かばなかった。

祖父も父もそうだったように自分も家では日本語で話していたら子供たちもいつの間にか家の中では日本語で話すようになり、気が付けば奇妙な一家が出来上がっていた。

 

 

一言に子育てと言っても竹光に子供らに伝えられることなど何もなかった。

何を伝えればいいのかもわからないというのに自分の顔の皺が出来るよりも早く子供らの背は伸び真改はあっという間に言葉を覚えていく。

しかし、竹光は思い出した。自分が10の頃に亡くなった母はともかく父は自分に何を教えたというのか。

正直何一つない。剣以外には。

 

こんなものが一体何の役に立つのだ、と思っていた剣を…いや、剣道を彼は子供たちに伝え始めた。真改3歳、アンジェが8歳の頃である。

繰り返し聞かされた道という物の教えを九官鳥のように伝えることで子供たちも道に沿った人間形成が成されていったように思える。

口にすることで40を超えて初めて教えの本質を理解するということも有ったし、もしかしたら父もそうだったのかもしれないと遅まきながらに思ったものだ。

教え云々はともかくこの剣という物は嫌いではなかったなと三尺八寸のささくれだった竹刀を削りながら考えていた。

 

相手と試合い対峙する感触は何とも言えぬ喜びがある。普段の稽古で暑いし寒いし臭いし重いし痛いし良い所なしだと思っていてもそれだけは別だった。

物心ついたときから竹刀を握らせていた真改はまぁそうだとして、アンジェが異様なほど剣に憑りつかれていったのは驚いた。

普通とはいった物の日々を半ば死人のような、薄皮に覆われているような刺激の無い顔で学校に通っていたというのに竹刀を握った瞬間に目にぞっとするような光が差すのは魅入られているかのよう。

少しだけ後悔をしながらも、自分とアンジェ、真改の三人ではつまらなかろうと月謝もそこそこにして門下生を募ってみたら平和を絵にかいたような田舎に退屈し、持て余すものが多かったのか、

全盛期には届かないとはいえ20人前後の子達が集まった。

 

真改には「剣道」の才能があった。

アンジェには「剣」の才能があった。

 

二人を拾って10年も過ぎた頃。

 

起きるのもだるい真冬の朝。

門下生が来る前に胴着に着替えて真改とアンジェは向き合った。

たかだか12歳前後の男の子と17歳の女性では敵うはずも無い。

だがあくまでそれは身体スペック上の話。

剣道はあらゆる武道の中で最も体格が関係が無いと言われる。

 

既に試合開始から20秒…構えたまま真改は動かず、アンジェは明らかにいらだっている。

 

(やっぱ筋がいいな)

二人に剣を教え始めて7年。傭兵を始める前と後を入れても真改ほど筋のいい剣士は見ていない。

左手を臍の上でぴたりと止めて切っ先は自分より20cmは高い面の向こうのアンジェの眉間に突きつけられ動いていない。

右手は添えられるだけで力は入っておらず、袴に隠れた足元は右前左後ろの形を正しく保ちながらすり足で少しづつ間合いを近づけていっている。

 

一方のアンジェは剣を突き付けられながら苛立ち竹刀を弾いたり揺らしたりしている。

自分より背の小さい真改に何故打ちこめないのか。

答は完全に正中線に保たれた構えにある。どのような奇策を弄しても有効打となる頭、右手、喉、胴への攻撃は最小の動作で捌かれてしまい隙を作ることになりかねない。

さらに言えば下手に打ち込めば突きつけられた竹刀に自分から刺さりに行くことになってしまい普通はそれだけの覚悟はまず持てない。

じりじりと縮められている間合いは横から見れば一目瞭然なのだが、目元に突き付けられた竹刀は点としか見えず、結果として近づいていることが分からない。

足を見ようにも袴で完全に隠れてしまっているのだ。

 

(奇策を弄するよりも結局基本に忠実なのが一番理に適ってる…俺がそう悟ったのはいつだったかな)

既にアンジェも真改も道場で敵う相手はいない。自分を除いてだが。

そのアンジェすらも今日、真改は食おうとしている。

 

もう真改の間合いに入っている。なのに真改が打ちこめないのは何故か。

アンジェから漏れてくるただならぬ殺気のせいである。およそ健康的なスポーツには似つかわしくない粘ついた雰囲気。

生まれつきの気質かどうかは知りようもないが、アンジェは剣道を教えた頃は相手を圧殺せんばかりの殺気を発していた。

真改の剣が理の剣、美しさが宿っているとすればアンジェの剣には魔が籠っている。

 

刺すような寒さ、外は雪だ。

だというのにほとんど動いても無い二人は汗をかいていることが面の外からもうかがい知れる。

理か魔か。二人の年が逆だったのならば間違いなく真改の理が大人が子供をあやすように制していただろう。

 

(…動く!)

アンジェの脚が爆発し突き出すような面。沿えるだけの右手は雑巾を絞る様に内側に捩じられており文句の無い面だった。

 

(フェイントだ)

岡目八目…ではなく真改も察していた。殺気が切っ先に乗っていないし、何より声が出ていない。

力点は左手…の下の腰にあった。あのまま腰からぶつかり鍔迫り合いの後に場外に押し出すつもりだろう。

無論、体格で劣る真改はそれに拮抗できるはずも無い。

剣道は竹刀を落せば落とした方が、場外に出たら出た方が反則となる。

戦場で発展した武道と考えれば、武器を落とした時点で死ぬのは当然のこと。

断崖絶壁の上だと思えばいかなる言い訳を用意しても外に出た時点で死である。

二回の反則で一本、二本先取で勝負ありとなる。

 

(うまいな…)

真改も鍔迫り合いに応じると見せてするりといなしてしまい、アンジェが大きくつんのめる。

体勢を崩しながらも素晴らしい速さで放たれた面を、真改が首を曲げながら大きく子供らしい声とは裏腹にえげつない小手を決めた。

声も出てしっかり抜けて残心も問題ない。間違いなく一本である。

 

「小手あり」

 

「く…」

 

「……」

剣道に体格は関係ない。

実力が低ければ体格差に押されることもあるだろうが大事なのはスピード、当て勘、動体視力である。

身長差があればそれだけ当てやすい部分と当てにくい部分が出てくるし、体重から来る当たりの強さも力学を理解している者ならば簡単にいなしてしまう。

それらを証明するように剣道には他のスポーツでは当然の階級差が無い。牛若丸と弁慶の話を思いだして竹光は静かに笑った。

特に真改は当て勘に天賦の才があった。アンジェの面を首を曲げて肩で受けながら不自然な体勢で放った小手は見事に吸い込まれていき小気味よい音を立てた。

 

「二本目…」

 

「待て」

 

「?」

 

「納得がいかない」

 

「当たってたの分かってるだろうが」

 

「……」

 

「そうじゃない。私の一撃が先に首を斬り飛ばして勝っていたはずだ」

アンジェの言葉に合わせて真改が文句を言うように首をこすった。あれは確かに痛かっただろう。本物の剣だったら今頃真改の首は足元に転がっている。

 

「あのなぁ~…これは剣道だから」

 

「それが間違っていると言うんだ!!剣の道の癖に何故ぴしぴし打ち合う?一の太刀にて全てが決まるのが剣だろう?」

 

「……」

 

「まぁそれが間違っているとは言わねえよ。お前が真剣に剣に挑んでいるのも知っている。ただ真改の剣には理が…」

 

「理があるのはわかっている。だがそれではダメだ。ダメなんだ…」

ぶつぶつと言いながらアンジェは小手を外し面を外し胴紐もほどき始めた。

 

「…何?」

 

(馬鹿だなぁ、ほんと)

考えていることはよく分かる。アンジェが求めているのは本当の剣。それを丈夫な防具に守られ安全な竹刀で得られるはずがないとか考えてしまっているのだろう。ねじが飛んでいる。

真面目か不真面目かは今はもう非常に答えにくいがそれでも割と長い事剣の道に携わってきた。真改は確かに随一の才能があるし、それだけでも剣道の盛んな日本に行っておけばよかったと思ったくらいだ。

だがアンジェの剣も見たこともないような鬼気迫る迫力が籠っている。それを『剣道』で出し切るのは難しいだろう。

 

「何しているの…?」

 

「黙っていろ」

 

(本物のアホだ)

今度はするすると剣道着まで脱ぎ始め袴だけになってしまった。

下着を着けていない白い肌の上には柔らかな双丘と痛ましくうねる火傷の痕が自然の作った刺青のように浮かんでいる。

初対面時の感想通り美しく育った顔に高く縛った金髪という完璧な健康武道少女の美をその傷がさらに際立てている。

これならばあらゆる男どもから言い寄られよう。

噛み殺すような視線とぎりぎり食いしばられた口元を無視できるのならば。

飲む打つ買うの乱れた生活をしていた竹光も女は大好きだったが不思議な事に美しく育ったアンジェに対しては食指はぴくりとも動かなかった。確かに美人だと認識しているのに。

 

病気の日には、どうせ仕事があるわけでもないしと誰に聞かせているのかわからない言い訳を呟きながら一晩中傍で見守り、

寝小便した日にはガキがあんな目に合えば仕方ねぇよな、と言いながら下着を洗い風呂に入れ、

気が付けば自分の白髪が増えるのと同じくして初潮が来て、胸が膨らんで、四肢が伸びやかに育って。

そんな日々を毎日見てきた竹光に劣情が起こりようはずも無かったのである。

そう、いつの間にか親心が芽生えていた。

 

 

「さぁ、二本目だ」

ぶんぶんと空を裂く音と共に素振りをしてから言う。

 

「怪我するよ…」

 

「やってみろ」

 

「ダメだよ姉さん」

 

「姉さんと呼ぶな!!」

物心ついたときから一緒に屋根の下で暮らしている者を姉と、父と呼んで何が悪いのか。

真改は自分を父と呼びアンジェを姉と呼ぶが、その度にアンジェは自分を姉と言うな、と怒るか無視を決め込んだ。

ある日どうしてなのか、と聞いたら「知るか。呼ばれたくない訳じゃない。ただダメなんだ」と返された。

元々こういう性格なのか、やはりあの日歪んでしまったのか。とりあえず今のアンジェは理屈の通じない馬鹿だとしか説明できない。

 

「来い」

 

「知らないからな」

口では強気な事を言いながらも真改の剣先からは凛とした気が消えてしまっている。

迫力に食われてしまっているのだ。

 

(ヤバいな)

姉弟のつもりで育ててきたというのにアンジェの手には一切の情も映っていない。

真改は剣に好かれているがアンジェは憑りつかれてしまっている。

 

「だ、ダメだ…姉さん」

 

「真改ぃいいいいぃい!!」

裂帛の怒喝と共に面一閃。鮮やかな一撃は速やかに真改の意識を彼方へと消し飛ばした。

 

 

 

 

「マジかよ…お前…」

面を受けるとともに気を失い前に倒れた真改の面を外す。

後頭部から倒れなくてよかった。面の上から意識を奪う程の威力は無かったはずだが…気合だけで意識を食ったのだ。

脱ぎ捨てられた剣道着を枕にして寝かせておく。

 

「クソォオッ!!ダメだ!!ダメだ!!」

 

「何がダメなんだ。もう終わりだ。朝飯にするぞ」

 

「ふざけるなよ…次はお前だ竹光」

 

「はぁ?はぁ…」

ぽい、と真改が落とした竹刀を放り投げてくるアンジェ。

 

「竹刀を投げるな…。それに長さが違う。ちゃんとサブハチ使うから」

真改の横に竹刀を置き、神前に置いていた三尺八寸の竹刀の傍に座り手ぬぐいを頭に巻き始める。

 

「いらないだろうそんなもの」

 

「なんだって?」

 

「私はつけない。お前はそんなものをつけるのか」

 

「……」

意地になっているな、とは自分でも思ったがつい言葉に乗せられて防具をつけずに向き合ってしまう。

 

「…ふぅーっ…」

 

(う…お…なんてヤロウだ)

立ち上る汗の蒸気が陽炎のように剣先を歪めていく。

先ほど真改に切っ先突きつけられてイラついていたのが嘘のようにピシリととどまり動いていないのに歪んで見えると言う矛盾。

 

(ダメだ…目を…)

剣先に吸い込まれるような錯覚を打ち払う為に視線を目に移す。

 

「……」

 

(…う)

額の汗が目に入っても瞬き一つしていない。

猛禽類のような目でこちらを睨めつけてくる。

 

(俺が…この目を作ったのか)

戦場から拾ったころは普通の生活をしながらも半死人のような目をしていたのに今のこの目は…自分の命までも欲している。

…ダメだ、打てない。

脚が竦んで打てないし、昨日今日会った奴ならともかく十年寝食を共にしたアンジェを打つことは出来ない。

なぜ?お前は出来るんだ、そんなことが。

 

「参った。降参」

 

「なんだと…」

切っ先は下げたが戦闘から心を離していない。自分が構えた瞬間にでも打ちこんでくるだろう。

 

「ダメだ。戈を止めると書いて武だと言ったろ。お前の武にはもう勝てん」

 

「戈で止めるとも読めるだろう。さぁ!!」

 

「いいや、ダメだ」

 

「子なんて思わなくていい!!親だと思っていないから!!私を殺しにこい!!」

 

(参ったな…見抜かれてやんの…)

竹刀の先に情が映っていたのを見たのか、道場の床を踏み抜かんばかりの地団太を踏む。

どうしようか、と助け船を探し見回すがまだ朝7時前。助け舟どころか鳥の声すら朧だ。

 

「…うぇ…」

 

「お!真改、大丈夫か大丈夫か!?」

ふらふらと起き上がった真改にわざとらしく駆け寄る。

別に脳に深刻なダメージがあったわけでは無かったのだから直ぐに起きるのは当然だ。

 

「もう剣道は飽き飽きなんだよ…」

 

「なんだって?」

 

「剣術を私に教えろ、無外流居合術免許皆伝、井上竹光」

 

「…え…?何?」

突然の展開についていけなくなった真改が年相応の呆けた声をあげた。

 

「参ったな…お前…何になりたいんだよ…」

曽祖父の代からある道場の裏の家の一室、書斎。

書斎としては全く使わずに自分は物置にしていたがそこに真改やアンジェが入り込んでカビた本を読んでいるのは知っていた。

まぁ本なんだし読んだ方がいいだろうと思い放っておいた。幸い教育に悪い類の本では無く剣術指南書やら思想書やら時代小説やらだったのだから。

しかし、ブン投げておいた印可目録まで見られていたとは。

 

「何に、だと?」

ビシビシと、整った顔が崩れていき歯を剥きながら目が歪む。剣に狂う者の目だ。

まさかこんな時代にそんなのを見るとは思わなかった。

 

「……」

姉と呼び慕う女性の顔が変貌していく様を、次の言葉は真改の心の奥底まで刻まれることになる。

そしてそのただ一言が真改の人生までをも狂わせた。

 

「天下無双」

その表情の奥深くには人の命を喰らう魔物が棲んでいた。

 

(悪影響…受けてんね…)

何を読んでそんなことを言い始めた?

しかも夢見がちな子供が遊び半分に言うそれとは違う。臓腑からの響きが言葉に籠っている。

 

(……)

美人なのだから、放っておけばそのうちいい男を捕まえて幸せになると思っていたのだが。

自分は一体何を作り上げてしまったのか。

 

「さぁ…早く!!」

 

「はぁ~…ちょい待ち」

これは下手にのらりくらりと躱し続けるよりも一度心を折っておいた方がいい。

そう判断して、道場の端の板を剥がし始める。

 

「父さん、何してるの」

 

「いやぁ~…」

いつの間にやら、子供たちが寝静まった後に女を買いに行くのではなく、夜な夜な研ぐようになっていた先代の宝を取り出す。

 

「それは…」

 

「なんでかなぁ…こうなることが分かっていたのか…期待していたのか…馬鹿だねぇ俺も」

木箱に収められたそれは、紫の幔幕と見紛うばかりに美しい柄を鈍色の柄頭が支えており、妖しく光る鶴丸の鍔が舐るようにこちらを見る。

 

「日本刀だ…」

真改が呆然とした様子でぽそりと言う。

 

「見ろ」

鞘から抜いた刀身には見ているだけで眩暈を起こすような直刃が浮かび、粒が細かくはっきりと華やかな沸が見る者全てを魅了する。

 

「……」

 

「俺の先祖も先祖…大先祖の井上真改…の大阪正宗…」

 

ぎょっ

 

真改とアンジェ、二人して思い切り目を剥いてぎょっとする。

他に話は無いのかと思えるくらいには酔っぱらうと必ず話していた先祖の刀工の話。

半信半疑ではあったが、田舎だとしても日本以外に立派な道場を構え、竹刀を持って相対してもかなり手加減されているのが分かり、

おまけにこの間書斎でトイレットペーパーのような家系図を見つけてしまった。流石に信じざるを得なかった。

とどめにこの刀である。まさかあれは…

 

「…に憧れた俺の曽祖父が打った三尺三寸の大太刀、『木洩れ日丸』だ」

 

「なんだ」

肩透かしを食らい一気に気が抜けてしまうアンジェ。だが、偽物の刀にしては随分と、と思った。

 

「そうだ。模造して作られたとは言え執念に近い物が籠っている。分かる奴に売れば多分ン万ドルにはなるだろうな」

 

「…すごい」

 

「…はっ。老後の年金代わりにとっておいた方がいいんじゃないか」

 

「馬鹿野郎。ガキどもにおまんまの心配されるほど年食っちゃいねえ。まだ47だ。(ん?48だっけ?)」

 

「…で、いきなりそんなものを出してどうしようと?」

 

(…興味無さそうなフリしてもばればれ。目が刀を追っちゃってるぜ、アンジェ)

 

「どうせ俺のことヒゲ無職とか思ってんだろ。天下無双だが弁膜症だか知らんが世の中の壁の高さって奴を教えてやる」

 

「そこまでは思ってないんだが」

 

「……どうするの?父さん」

 

「庭に出ろ。真改もだ」

道場で今の今まで稽古をしていたのだから当然だが、竹光は裸足のまま外に出る。

 

「……」

 

「……」

三日前に降った雪が何にも踏み込まれた跡すら残さずに残っており、裸足で踏み込むと少しだけ足が沈んでジンとした。

 

「木洩れ日は木の葉の間を縫う光。それに倣う柔の刀が木洩れ日丸だ。居合いは柔と速の力学の世界。よ~く目ん玉ひん剥いて見とけよガキども」

自分が先代から言われていた言葉をそのままに子供たちに伝えて帯の左側に鞘を入れて帯刀する。庭にいくつも生えている竹の前でふぅ、と息を吐いた。

 

 

 

「一世紀…本流から外れて大分変っちまったかもしれんが、それでも大筋は変わらねぇ。初の太刀で制し次の太刀で殺す、居合い」

 

「……!」

アンジェがただの酔っぱらい無職だと思っていた竹光を中心にざざざと風が流れる。

いつの間にか普段の尻の位置にまで下げた腰、支える左脚に伸ばした右脚。

 

「す………はぁ…」

 

(!!)

右手が完全な弧を描いて左手の支える木洩れ日丸へと伸びた。

 

ザザンッ、と平和ボケした田舎に似合わない鋭い音が乾いた朝の中に響いた。

 

「つむじ風。どうよ」

 

「……!!」

 

「……」

真改は口と目を大きく開いてあんぐりとしているがアンジェは目を閉じていた。

今の光景を忘れないように瞳の裏へ焼き付けようとする、半分以上本能からの行動だった。

刀身が鞘から抜けた瞬間には最高速度で竹の間をすり抜けた。

問題は次だ。鞘に添えてあった左手がいつの間にか柄を握って返す刀を斬撃にせしめた。

初太刀の斬撃の速度。次太刀の両の手からくる重さ。速さと重さで作られるエネルギーは、二つの太刀を完全に同等の斬撃にしていた。

その証拠に。

 

(斬れた竹が…落ちていない…)

斜め下から斬られ、次に斜め上から一閃。

全く同じ斬撃でなければ切れた竹は倒れて雪に埋もれていただろう。

 

「まだだ」

 

「え…?」

 

「何?」

庭にあるあまり足を入れない倉庫へとごそごそ入り何やら取り出す。

 

「ほいっ」

最初と何も変わらず立っていた竹を指でつつくとそれだけで倒れ葉にかかった雪が落ちてきた。

 

「何をしている?」

 

「まぁまぁ、見てろや」

するするすると慣れた手つきで斬った竹に畳表をくくりあっという間に何かのオブジェクトを作り出す。

 

「なにこれ?」

 

「…!これは」

 

 

 

 

 

(アンジェは気づいたか)

青竹を畳表で巻き、きつく縛った物は試し切りによく用いられる。

と、いうのもその感触が人体に非常によく似るからとのこと。

 

(人なんて斬ったことないから知らんがね)

竹光は意地悪く、大人げなく笑っていた。

 

「……」

 

「……」

 

「ほら。斬ってみ。人と同じくらいの固さだ」

鞘に納めた木洩れ日丸を手渡し、巻き藁の前に立たせる。

 

(まぁ無理だろ。巻き藁は俺だって2回に1回はしくじるんだ)

肉を切らせて骨を断つとの言葉通り、人体を骨ごと一刀両断するのは並大抵のことでは無い。

大抵は肉に勢いを殺され骨に食い込みもう刀は使えなくなる。

さっきの素竹の居合いですら成功するか内心ドキドキのヒゲ無職だったのだ。

さらに意地の悪いことに、あの見せた技。あれは竹光が先代の構想からヒントを得て10年以上かかってようやく完成させ、それでも精神統一に1分以上かかる超難易度の物。

おまけに剣の重さを利用して引き斬る通常の斬撃とはかけ離れた、斜め下からの速さだけの初太刀。

一回見ただけで出来るはずがない。

底意地は悪いが、これで剣への変な思いは捨てて普通の女の子に戻ってくれたらいいのだが。

 

(………戻って…?)

戻るとは何だ。最初に会った時から血にまみれていた少女だったというのに。

 

「!」

 

「姉さん…」

 

「……」

 

(…なんてことだ)

居合い…つまり鞘から抜いて斬る動作しか見せていないのに、最初から抜いて両手を額の高さへ構えた大上段。

あれならば振り下ろす事だけに意識を集中すればいい。女の細腕でも十分な速さが乗っていれば刀身の重さだけで食い込んで、後は引くだけで両断出来る。

 

(勘か…?最初からあの形を選び取るとは…)

 

「…………!」

 

ザザンッ、再び響いた音は、不思議と最初の物よりも粘度の高い音だった。

 

「これで満足か?」

 

「うおぉ……」

 

(燕返し…!)

初太刀は振り下ろす事だけに意識を集中し、振り下ろした刀を手首の動きだけで返して振り上げる。

完全な次太刀だった。

 

「……ダメだな。私は人が斬りたいんじゃない」

 

「え?」

 

「なんだって?じゃあ何がしたいんだ」

 

「強い奴を斬りたい」

 

「ね、姉さん…」

 

(壁の高さを見せつけるつもりが…大失敗だ)

完全に目覚めてしまった。いや、見誤っていたのか。ただ憑りつかれていたのではなく、本物だったという事だ。アンジェの剣への渇望、力への欲求が。

 

「…飯にしよう、とりあえず」

 

「これは?」

 

「…お前にやるよ。持っていてもどうせ使わん」

 

「…ふん。用意してくる」

 

「父さん…」

 

「……」

もうアンジェがこれからどこへ行き、どうなるのかが完全に分からない。

いや、最初から分かっていなかったのかもしれない。ただこうあるべきと自分で決めつけていただけか。

 

「父さん…姉さんは一体何になりたいの?どうしたいの?」

 

「……ちょ、そこに座れ真改」

縁側を指さし座らせて自分も隣に座る。

言葉も覚えていなかった子供がよくもまぁこんなに大きく育ったものだ。

 

「俺は…お前らを拾うまで長い事傭兵をやってきたから分かる」

 

「……」

 

「あいつを拾った時…まだ物心もついていないお前を抱えてたった6歳のあいつは…大人ですら生き残れないような生き死にの際をくぐってきた」

 

「…どういうこと?」

 

「まぁ聞け。ちょくちょく話したろ。俺たちが焼き尽くしたあの国の生存者は0。お前ら二人を除いてな。そんな死線をガキが経験したらどうなるか…」

 

「……」

 

「精神がイかれちまうんだ。二つあるが、どっちかにな」

 

「二つ?」

 

「一つは壊れること。もう一つは…生きている実感が無くなること。こうなると、命のやり取りでしか命を感じ取れなくなっちまう」

 

「……」

 

「というかね。ちょくちょく生まれるんだよ。生きながらにして生きている実感が薄い奴。生死の境を見なきゃ命が実感できない奴。でもな、大抵は自分がそういう生き物だとは分からない」

 

「どうして?」

 

「分かるときがまさしく命の危機だからよ!分かった時には死んでる。でもな、そういった危険な時にこそ頭が冴え、生き残り勝ち残ることに全神経を向けられる奴がいるんだ。それがアンジェみたいな奴」

 

「……」

 

「さっきも言った通り…長い事傭兵やってきたからわかる。そういうやつをたくさん見てきたが、たいていはすぐに死んじまう。臆病なくらいがちょうどいいんだ。長生きするには。だから…」

 

「……父さんは」

 

「ん?」

 

「姉さんに普通に生きてほしかったんだね」

 

「……」

素直に慕ってくれる真改に救われているような気もすれば、一緒にいると湧き上がる後ろめたい気持ちを、突き放しながらも自分を憎んでいる訳では無いアンジェが消し去ってくれているような気もする。

矛盾しているのだろうが、そんなアンジェに普通に生きてほしかった。

 

「姉さんは…俺のことが嫌いなのかな…いつもいつも…」

 

「いや…そうじゃないよ。あいつは俺を憎んでいる訳でもお前を嫌っている訳でもない」

 

「じゃあなんで?」

 

「…分からん、俺には。違う生き物だから、とか大馬鹿だからとしか言えん。燃え上がってやりどころのない感情を…天下無双というただの言葉にぶつけているだけ…そう、思っていたんだがな」

 

「…俺、姉さんと話してくる」

 

「料理の邪魔してやるなよ」

 

 

 

 

「……」

分からない。分からない。

同じ屋根の下にいて、同じように育って、どうしてあそこまで自分と違うのか。

父や姉の剣に憧れ必死に素振りをし身体を鍛えてきたのに、姉の剣とは全く違う。映る物が違う。

『天下無双』ってなんだ?一体何になりたいんだ?

 

「……なんだ、真改」

 

「……あ」

味噌汁温めながらねぎを刻むアンジェの横顔には竹刀や剣を握っているときのような鬼気がなく、普通に美人だと思える。

少なくとも真改が関わってきた大人や、すれ違ってきた女性の中では一番美しいはずだ。

 

「ね、…姉さんは」

また無視されている。でもいい。とりあえず耳に音は入っているのだから、言葉を続ける。

 

「美人なんだからさ…彼氏とか…」

 

「真改!…いや、いい機会だ言っておく」

ダン、と音をたてながら強くまな板に包丁を叩きつける。

 

「……」

 

「そんな物じゃ…まるで埋まらない…心が満たされないんだ…命が感じられないんだ。…下らん」

 

「…どうして、姉さんって呼んじゃダメなの…?」

 

「知らん。…いや…。お前は強くなるだろうよ。才能がある。その時に竹光みたいに変な情を持ち込まれては困るんだ…多分…だからかな…そうなんだろうな…」

 

ピンポーン

 

「……?」

ぶつぶつと何事かを言いながら必要以上にねぎを刻む姉の手を止めようとしたとき、滅多に聞こえないチャイムが鳴った。

 

「…何故道場の入り口では無くこの家の呼び鈴が鳴る?」

 

「俺が出る」

 

玄関へと向かい少し考えて、まぁ胴着のままだし裸足でもいいかと扉を開くとそこには田舎に似つかわしくないスーツで身を固めた男がいた。

 

 

 

 

 

「…という訳で我がレイレナードは適性者を探し回っているのです」

突然訪れた男はレイレナードから来たと言い、慣れぬ座布団の上で靴を脱いであぐらをかいている。

 

「さいですか」

そんな珍しい客を竹光はめんどくさそうに応対していた。

 

「……」

 

「……」

 

「無論、検査に協力してくれるだけでも謝礼は十分に致します。適性が無くてもよし。あっても協力する意思が無ければそれでもよし。要するにどういった人物に適性があるのか、データを集めたいのです」

 

「はぁ」

 

「……」

 

「……」

 

「是非…」

 

「帰ってくれんか」

 

「何故です?」

 

「レイレナード…ずっと北にある湖にけったいな建物おっ建てて喜んでた戦争屋だろ。見ての通り…ここには子供とヒゲ無職しかいない」

それよりも気になっていることがある。

その適性を持つ奴を探すというのはまあいい。企業に携わる者…特に私兵を中心に調べ終えたら次は近くの街に金をチラつかせながら降りていく…ここまでは想像がつく。

こんな奴が来ているならば、こんな田舎だ。すぐにでも噂になるだろうに全く耳にしなかった。

いの一番に自分を尋ねてきた、その理由が気にかかるのだ。

 

「長い間…戦場で生き延びた傭兵、タケミツ・イノウエ。是非、あなたに協力していただきたいのです」

 

(やっぱりね)

先ほどの話では適性というのは完全にランダム。適性があったとして戦争のせの字も知らない青びょうたんではそのネクストとやらを操れるのかも怪しい。

だから先に自分のようなベテラン含む、戦争経験者を訪ねて回っているのだ。他の企業との取り合いになる前に。

 

「……」

 

「……」

 

「今はただのヒゲ無職だ。アルコールにやられてまともに操縦桿も握れねーよ」

 

「ネクストならば関係ないのです!脳髄さえあれば!地上最高の力を手にできるのですよ!そのチャンスを…」

 

「私が行く」

 

「は?」

 

「姉さん!?」

 

「強い奴と…戦えるんだな?」

 

「それは…はい、適性があれば…」

 

「行こう。止めるなよ。結局あんたは親じゃないんだ…とは言え」

 

「アン…」

自分でも何を言おうとしたのかは分からなかったが、とにかく何か言わなくてはと思い名前を呼びきる前にアンジェが自分の目の前で姿勢を正し正座をする。

 

「……!」

 

「姉さ」

 

「ここまで育てて頂いた恩は一生忘れません。十年間、ありがとうございました。私は家を出ます」

綺麗に手をつき深々と下げた頭から垂れる金髪が床板に広がる様を見て、竹光も真改も何も言うことが出来なかった。

 

 

 

 

その晩。

アンジェが作っていった最後の味噌汁を啜りながら真改と竹光は向かい合って座った。

 

「間違えたなズズッ」

 

「え?何?」

味噌汁をすする音でよく聞こえなかった。

 

「育て方…というより」

 

「?」

 

「生まれた時代を…千年ほど」

 

「……」

 

「引き金一つで100からの命が消し飛ぶ時代に…刀の一対一のやり取りで最強を決めたいなんて…時代錯誤もいいとこすぎる。そう思うだろ?アホだと思うだろ?」

 

「…うん」

 

「でもな…」

 

「え?」

 

「剣に生きて剣に死ぬ…そんな馬鹿が一番溢れかえったのが…矢だの鉄砲だのが戦場で跋扈し始めたときだったんだよ」

 

「……」

 

「何事も…消えゆくときは派手に美しくってか?ハハハ…アホだな…ほんと」

 

「父さん…泣いて…」

 

「あいつの味噌汁…最後まで…しょっぱかったな…料理も出来ねぇ女なんざ…」

 

「……」

 

 

 

 

 

二年の月日が経った。

その間、報せは無くとも毎月必ずレイレナードから金子が送られてきた。

本当にリンクスとかいうのになってしまったのか、あるいはレイレナードに就職でもしてノーマル乗りにでもなったのか。

 

父はたった二年でぐっと老けこんだ。酒で手をやられたとか、そんなことは全然なく、48にして30後半と言っても差し支えない程若々しく強かった父の背は見る見るうちに丸まり…

背はいつの間にか自分の方が高くなっていた。今の父は還暦過ぎた老人と言われても分からないだろう。剣筋にも艶が無くなった。

 

とうとう、送られてくる金には一切手を付けなかった。

 

その間に世間ではとんでもない事件が起こった。

あの時にレイレナードの男が言っていたリンクス…そのリンクスがたった26人で世界を敵に回し、国という概念を破壊してしまった。僅か一か月の間のことである。

通貨と管理者は変わったものの、平和ボケした田舎町自体は大して変わらなかった。

通貨が変わったといっても、地元ではそのままカナダドルが使えるし、企業通貨のコームにも変えてもらえる。

管理者が変わっても下っ端役人は変わらないし、全世界を巻き込む戦争が起こったというのに何かが壊れたようには見えない。

姉はどうしているのだろうか。

天下無双とかいう妄言を今も追っているのか。途方も無い現実に飲み込まれてしまったのか。

それでも金は送られてくる。父はただ酒を飲んで管を巻く。

 

そんなある日。

 

『悪しき体制に終止符 国家解体戦争から三か月』

 

「……」

日課の素振りを終え、手首の柔軟性を高めるために酒瓶を左手で掴み手首でくるくると回しながらなんとなくテレビを見ていた。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

画面に映るネクストは常識では考えられないような動きをしながら国の防衛網を突破していく。

その中で一際鮮烈な戦い方をする一機を見たとき口をついて声が出た。

 

「…姉さん!?」

 

「!?ど、どけ!真改!!」

後ろでぼんやりと酒を飲んでいた父がテレビの前まで這い寄り食い入るように画面を見つめる。

 

「これ…姉さんだろ…親父…」

 

「あ…う…あ……」

歴史に名前を刻んだ26人の名を美辞麗句で飾りたてるテレビの中の女は三か月前までは企業を名指しで批判していた記憶がある。

いや、そんなことよりも。

 

「No.3アンジェ…間違いない…姉さんだよ親父…」

 

「あ、あ…おう…おう…」

 

「……!」

報せは無かったし、今どうしているかな、なんてぼやくことも無かった。

だが父がどう思っていたのか、それはくしゃくしゃにした顔から零れる滴が雄弁に語っていた。

 

 

 

それでもやはり手紙の一つも来ないし、姉は姿を見せなかった。

各地で勃発するテロは国があった頃とさして変わらない…いや、もっとひどいようにも見えた。

噂ではアフリカの方ではネクストが反企業勢力として戦っているらしいし、最後まで国の方について戦っていた最強のレイヴンも未だに戦い続けているらしい。

国家解体戦争から十年。地球の環境は明らかに悪化していた。

 

 

真改二十三歳の夏。

父から免許皆伝を受けた。あの時見た居合い術含め、父の持つ技で自分が再現できない物は何一つない。

ここ無外流居合術道場五代目当主は自分。自分は強い、誰よりも。だというのに。

只管剣に打ち込んだが、姉の言っていた事は見えてこない。天下無双?何故?姉は強かった。それではダメなのか。何をそんなにこだわる?

何故そうまでして戦いたがった?何のために?

 

(何故…?)

一番強いのは自分だし誰よりも剣に打ち込んできたというのに、何故自分は未だに姉の背中を追いかけているのだろうか。

 

悶々とした思いは何万回素振りをしても打ち払えない。

邪念、邪念、と思い続けてきたがもしかして邪念では無く、それこそが剣の道の正道なのか。

 

答える者はいない。一番強いのが自分なのに誰に聞けると言うのか。

 

 

 

 

 

そんな自問自答を繰り返して数年後のある日、報せが来た。ただ金が送られてくるのではなく、しっかりとした文字の含まれた報せである。

 

それを見た瞬間、父を引っ張り車に乗せて田舎道を北へと飛ばした。

姉が意識不明の重体だというレイレナードからの報告だった。

 

 

 

 

 

「姉さん!?」

 

「アンジェ!」

 

「……」

酸素補給機に繋がれ、右目を横切る様に施された包帯にはほんのり血が滲んでいる。

一通り手術は終わったが意識が戻らない…そういう話だった。

 

「……うぁ…」

 

「アンジェ!しっかりしろ!コラ!」

 

「……」

大人の顔…いや、多少肌に張りが無くなったし髪の艶が減った気がする。

当たり前だ。最後に会った時からもう14年経っているのだから。

酸素補給機の内側が曇らない。自律呼吸がほとんど出来ていないのか。

 

「姉さん!!何やってるんだ!!おい!天下無双になるんじゃないのか!!姉さん!!」

 

「……」

 

「ふざけるな!!こんなところで!!姉さん!!」

 

「……」

 

「お、お、俺の方が」

全く反応しない姉に何故その言葉をかけたのかは今となっては分からない。

ただ、後になって思えば姉を叩き起こすのにはその言葉しかなかった。それは自然と口にしていたのだろう。

 

「俺の方がもう…強い、姉さん」

 

「……………姉、さんと…呼ぶな…」

閉じられっぱなしだった左目がぎょろりと真改を睨んだ。

大人になっても、目だけは変わってない。

 

「アンジェ!?」

 

「姉さん!」

 

「……………老けたな…竹光……お前…真改…?なのか…?」

 

「バカ野郎」

 

「そうだ…姉さん…」

 

「姉さん、って…呼ぶな……いくつだ…今……」

 

「25だ。免許皆伝も受けた」

 

「……戦って戦って……そんなに時間が経っていたのか……はっ…」

目つきが朧になり、また意識が飛びそうになってるのを見てヤバいと思ったが先に父が声をかけていた。

 

「誰にやられた?こりゃあ…戦闘の傷だな?」

 

「ふっ…ふっ…うっ…伝説…最強のレイヴン…伊達じゃなかった…」

 

「レイヴン…!?」

 

「ノーマルにお前がやられたのか!?あんな化け物に乗って!?」

 

「強かった…本当に強かった…命!命が…実感できた…!私、うっ…は、あの男に会うために生き延びて…戦って…ここまで来たんだ…」

 

「……マグナスか!!生きていたのかあの野郎!!」

 

「斬った…ふぅ…」

 

「!勝ったのか、姉さん」

 

「この手で斬った…はっ、…ははっ…本当に強かった…何故…」

 

「……?」

 

「何故あいつは…レイヴンなんだ…?…もう…もう…いないのか…あいつは…」

 

「!!」

 

「アンジェ、おい!!」

すぅ、と薄く息を吐くと同時に一粒の涙がアンジェの目から零れていく。

 

「つまらん……」

 

「お、俺が!俺が姉さんを殺しに行く!!」

 

「真改…?」

 

「…はっ…本当、か…」

閉じかけた目に再び光が宿り真改を睨んでくる。

薄く消えようとしていた命が嘘のようだ。

 

「本当だ!だからそれまで死ぬんじゃない!」

 

「はっ…はは…」

 

「……」

暫くの沈黙。父はただ黙ってアンジェの顔を見ていた。

 

「ふっ、くっ…殺しに…来い…」

再び閉じられた瞼だが、その顔からは死に行く者の弱さは消えていた。

この瞬間、真改の行く道は決まったのだった。

 

 

 

 

「親父、これ」

 

「………本気か」

容体は安定し、病室の外へと追い出された。

車のキーを押し付ける。このまま戻る気は無い。

 

「本気だ。…アンジェを止めるのは俺しかいない」

 

「……雑魚を幾ら斬ったところで満たされずに今日までひたすら殺し続けてきたんだろう」

 

「…?」

 

「全力でぶつかる相手がぶつかってようやく命が見える。で、殺して殺して…一人になる」

 

「……」

 

「自分の強さを示さないと強いと分からない…生きていることが感じられない。アンジェは世界一弱いのに強いという矛盾を抱えて生きてきたんだろうよ。そしてこれからも」

 

「…親父?」

 

「俺ぁ遊び人でな。酒も女も博打も好きで…家族なんて考えたことも無かった。だが…お前に父と呼ばれる日々…悪くなかった」

 

「…ああ」

 

「戦いの中で生まれて剣で育ったお前達が、いずれは戦場に戻るのは、あるいは定めだったのかもしれん。行け…アンジェの所へ。…出来るなら殺さずにケリをつけろ」

 

「今までありがとう、親父」

 

「…元気でな」

小さくなった背を丸めて去っていく父をいつまでも見つめていた自分は何を考えていたのだろうか。

こうして、唐突に出来上がった奇妙な家族は離散した。

 

 

 

ネクスト…ノーマル…どちらでもよかった。

もう躊躇わない。姉の背中を追う。理では突き詰められない鬼気を凝縮したかのようなあの剣を、姉の追い求めた理想をこの手に。

どういう運命のいたずらか、万人に一人の才能、AMS適性が真改にはあった。

 

三年の厳しい訓練の後、彼はレイレナードのテストパイロットとなった。

厳しいと言うのは客観的な評価であり、真改にとっては今一つ厳しいとも思えなかったが。

当初はネクストに標準的な装備が付けられ、それなりの成果は出していたものの、真改としてはイマイチだった。

トレーナーから言われたように頭の中でコックピットをイメージするよりも、何十万回と剣を振り続けた手をイメージした方がずっと上手くいく。

 

元々があまり口を開くのが好きな方ではない真改はそれを言うべきか言わざるべきかテストパイロット生の寮で悩んでいたある日。

 

「……?」

なんだか騒がしい。良くも悪くも個性的な人物の多いリンクス候補生が一堂に騒ぐような物などあるのだろうか、とちらりと騒ぎの中心に目を向ける

 

「…!」

木洩れ日丸を腰に差しゆらりと歩くその女の顔には流れるような金髪がかかり、右目にかかる眼帯にはネクスト『オルレア』のエンブレムが象られている。

 

(アンジェ…!)

自分がレイレナードに所属してからも一度も会いに来ることは無かったのに何故?

 

現存するリンクスの中で最も魅力のある戦い方をする、あらゆる兵士の憧れのリンクス。

ついに始まった企業同士の戦争でも既に何人もの敵ネクストを撃破しており、確実に勝てる作戦を組んで複数戦を仕掛けるベルリオーズよりも一対一ならば強いのではないかとすらまことしやかに言われている。

きらきらと分かりやすい目で憧れの視線を投げかける女性社員に薄く笑いながら手を振ると黄色い声が上がった。

 

(擬態…)

企業の中で生きていくうちに抜き身の殺気を隠す方法を覚えたのだろうか。

上手い事演技をしているが猛禽類のような目だけは変わっておらずにこちらに一直線に向かってくる。

 

「いい男になったな真改」

目の前で立ち止まり日本語で話しかけてくるアンジェの姿に周囲は首を傾げている。

突然耳慣れない言語を口にしたのもそうだろうし、何よりも周囲と全く交わらない自分に話しかけているのが不思議で仕方ないのだろう。

 

「アンジェ…」

 

「…これは免許皆伝のお前が持つ方がいいだろう」

 

「……」

突き付けられた木洩れ日丸にはかつて見られなかった禍々しさが宿っている。

一体どういう使い方をすればここまでの妖気を帯びると言うのか。

下緒におよそ趣味とは思えないような銀色のペンダントのような物が巻き付いているのが気になる。

 

「お前に私の月光をやる。…ずっと思っていた。木洩れ日…日の光など血には似合わん。屍に照り返す月の光こそ刀の名を冠するのにふさわしい」

 

「……ムーンライトを?」

 

「予備の二本だが、もう必要ない。もし次の戦いを生き残ったならば私はレイレナードを抜ける。最早ここにいては敵を得られない」

 

「……」

 

「私を殺しに来い、真改。もしも私を殺せたのならばその時は…天下無双を名乗れ。この世でお前に勝てる人間はいないだろう」

 

「アンジェ…」

 

「はっはっ。ようやく…姉さんと呼ばなくなったな…それでいい。それでいいんだよ…。じゃあな。私は頂に行く」

心からの笑顔。初めて見たが途轍もなく歪んでいる。それでいて一切の邪念が無い純粋さも見える。

けたけたとひとしきり笑ったアンジェはくるりと踵を返して去って行った。

本当にこれだけの為に来たのか?と木洩れ日丸を握りしめる。

 

「……」

 

「…お前…あのアンジェとどういう…?」

 

「……?」

誰にも話しかけないし、話さないのが常だった自分に唐突に後ろから声がかけられる。

若い…アンジェが家を飛び出したのもこれくらいの年頃だったか。16,7ぐらいの癖の強い黒髪をボブカットにし大きな猫目と真っ赤な唇をした娘がそこにいた。

 

「……」

 

「……」

この娘も口が動く方ではないのか。よくまぁ話しかけられたものだ。

 

「……」

 

「……知り合いだ」

 

「……ほう」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁああぁ……」

狭い工場の中で熱い息を吐く。

 

懐かしい。

あの時と真逆だ。

閉所では機動性に圧倒的に優れたネクストでもスピードを殺され優位性を保てないと嫌と言う程教えられた。

 

「……ふぅううぅぅ……」

強固なPAに守られていてもブレードによる一撃は防ぎきれなかった。失くした右目が疼く。

如何に強烈な武器を持っていても障害物に阻まれた挙句当たらなければ意味がないのだった。

 

何もかもがあの時と逆だ。

 

(来た)

ビシッ、と鋭い痛みが身体中の古傷から奔った。

あのシャッターの向こうから感じるプレッシャー。あの時と…いや、あの時よりも…凄まじい。まさしく逢魔。

 

『……』

 

「アナトリアの傭兵か」

 

月光を起動しシャッターを切り裂く。

 

「できる、と聞いている」

 

飛び出してきたネクストはノーマルの頃と同じアセンブルのままだった。

粘つく殺気を隠そうともせずに敵機はレーザーブレードを起動した。中身を確認するまでも無い。あの男だ。

 

(生きているって感じがするだろう?)

今日こそ間違いなく自分か奴かのどちらかが死ぬ。

この感覚。地位も名誉も脱ぎ捨てて命がむき出しになる様なこの感覚を求めて生きてきたのだ。

 

命を大事にしろと誰もが分かったように言う。

自分の命が何の為にあるのか分からないのが。

たった一発だけの弾丸だ。それは誰だって分かっている。

だがそれを撃たないまま死ぬなんて、そんなんでなんのために命があるのか分かるものか。

 

「ははっ…!いくぞ!!」

アンジェの耳には土砂降りの雨のような音が聞こえていた。そしてアナトリアの傭兵のネクストが全てを鮮やかに打ち砕き自分に向かってくる姿すらも。

どちらかが死ぬまで終わらない本物の死合。今や如何なる世界の事情も相手や自分を取り巻く全ても滑稽な幻想だった。ここにはミッションどころか恨みや憎しみなんて感情すらもない。

邪魔な肉も骨をも捨てて斬り合いただ一つの魂となろう。

 

『……』

コロニーを守るために戦う、なんて似あわないことをしていたアナトリアの傭兵が笑ったように見えた。

好きなんだろう?お前も。

 

 

……そして真改はとうとうその背中に永遠に追いつくことが出来なくなった。

 




アンジェ

身長167cm 体重59kg

出身 フランス

殲滅戦の行われた街で多大な幸運によって生き残った6歳のアンジェと真改はベテランのレイヴンで居合術の達人でもある井上竹光の元で育てられることとなる。
拾われてから暫くは塞ぎこんでいたが、その間ずっと死の気配があまりにも濃厚な戦場において数々の機転を見せて生き延びた日の事を思いだしており、数年の月日を経て自分があの戦場に焦がれていることに気が付き力に固執し始める。

暴力の前では法律も地位も何の役にも立たないというのは人間の築き上げてきた文化に対しては悲劇なのかもしれないが、アンジェは一方で暴力の前では誰もがそんなものを脱ぎ捨ててただ一つの個のみとなると考え、暴力が一番生き物の命を光らせると考えた。
そしてその頂点には何が待っているのか、それを知るために全てを捨てた。
同じ屋根の元で弟として育った真改や、拾ってくれた竹光を嫌っていたのかと言われれば当然そんな事は無く、真改は可愛い弟だったし竹光には感謝していたが、心の中で凶悪に育った欲求に負けてしまった。

もちろん戸籍上の名前はアンジェ・イノウエ
なんてゴロの悪さだ…
日本語と英語を喋れるバイリンガル。

ちなみに拉致被害者であるアンジェの本当の両親は生きていたのだが、国家解体戦争で死亡している。

最強の男マグナス・バッティ・カーチスを自分の運命の男だと思い、閉所に誘いこんで一対一の決闘を行い殺されたが、一つも恨んでなどいない。
その後月光の一つはマグナスに持っていかれた。

書かなかったことの一つに、17歳年下のメカニックの少年に熱心にアプローチされてアナトリアの傭兵と戦う前に一晩だけ…というエピソードがあったが、どこに入れるべきか悩んだ末、入れなかった。

趣味
素振り
刀の手入れ


好きなもの
スイカ
再々々々々々々々放送しているセレブリティアッシュ



純粋に最強の座を目指していたアンジェとその真似をしていた真改では、アンジェですら到達できなかったその目標を達成できるわけがない…と真改は気が付いてガロアに月光を託しました。
遠回しのラブコールみたいなものです。ガロアの目指す誰にとっても平等な暴力というのは世界最強の座と同じものですから。


竹光は時代が時代なら相当な禄を貰っていた剣豪になっていたでしょう。
彼のイメージは伊藤一刀斎です。

ちなみにベルリオーズの見た目はノーマン・リーダスをイメージしています。渋い。

さりげなくジュリアスが登場しています。


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アンサラー撃破

ざくざくと音を立てながら砂の大地を歩くアレフ・ゼロを見た瞬間、04ノーマル部隊隊員は全員一瞬息が止まった。

 

(アレフ・ゼロだ…!)

 

(ちくしょう!あいつ…リリウム様を!)

 

(馬鹿野郎!俺たちじゃ束になっても勝てねえ)

通信で会話しているのにひそひそ声で話す意味はあったのか、とりあえずアレフ・ゼロはノーマル部隊の存在には気づいておらずに砂に埋もれた街を何か探すように歩き回っている。

 

(!伏せろ)

 

『……!』

 

何かが斬れる音に続いて派手に砂が舞いあがった。

突然紅い複眼をこちらに向けたかと思えば視界を邪魔していた建物を切り裂いたのだ。

直前に隊長が伏せを指示していなかったら見つかっていたかもしれない。

 

(ひっ…!)

 

(う…)

 

『……』

 

(なんだよ一体…)

 

『……』

 

(行っちまった…)

 

(びびったぁ~…)

 

(どうする?)

全機揃って死体の如く砂地に伏せながらひそひそと相談する。

どうするといってもノーマルが束になっても傷一つ与えられないアレフ・ゼロを自分達だけでどうにかできるはずもない。

 

(放っておけ)

同じく死体役に徹しながらも普段と変わらぬ偉そうな口調でそのような事を言う。

 

(隊長?)

 

(いいんですか?)

 

(そうか。あっちには…)

 

「アンサラーがいる」

 

 

 

 

 

『……』

ざくざくと歩きながら指示された場所周辺を探すが一向に『アンサラー』などというアームズフォートは見えてこない。

 

(ネクスト三機がかりで勝てなかったアームズフォートだと…?…もし本当なら…遭遇しない方がいいような気もするが)

各企業の主戦力アームズフォートを悉く破壊してきたが、どれもこれも安心して挑めるような代物では無かった。

ここに来てのオーメル・インテリオルの隠し玉アームズフォート。そんなものが今まで以下だとは思えない。

願わくば出会わずに終わりたいが、どうもそのアームズフォートを破壊しておかないと後々の作戦遂行に差し支えるらしい。

正直、ORCA旅団の目的なんかどうでもいいセレンはもうこれ以上ガロアが怪我しないことを願うばかりである。

 

『……!』

 

「ん?」

激しく風が吹き、砂塵で視界も定まらなくなってきた中でガロアが何かを見つけたらしい。

 

『……』

 

「ネクスト…待て。そのエンブレムは…スプリットムーンか。そのネクストのリンクスが真改だ。…結局、意図を聞けないまま死んでしまったか…」

 

『……』

 

「…ムーンライト…壊れているな。いや、全ての武装がイかれている。一体…どんな化け物と戦ったらこうなるんだ」

その数百メートル東にはさらに二機のネクストが半分砂に埋もれて転がっているのだが、それに気が付く前にセレンとガロアの耳に奇妙な音が届いた。

 

 

……ーン…

 

『…?』

 

「…?なんだ…?」

何やら生き物の遠吠えのような物が風を縫って聞こえてくる。

こんな砂漠で、馬鹿なとセレンは思うが本当に聞こえる。

 

『…?…?』

 

「…!行くのか?」

ブーストを吹かし砂嵐を掻き分け進んでいく。

 

…ーン…

 

『………』

 

「確かに聞こえる…なんだこれは…」

 

……オーン…

 

『……!!』

 

「あれは!?」

砂塵に落とされた微かな影は、布が取れて骨組みだけになった傘のように見える。

だが、傘の骨というには幾つもの棘のような物が中心から生え、伸びた骨にも暴力的な気配のする何かが無数に付着している。

何よりも、人を雨から守る傘にしては大きすぎる。

 

『……』

 

「アンサラー、…か…あんな物が宙に浮かぶとは…」

 

オーン…

オーン…

 

不気味な低い音を発するアンサラーはまた一人獲物を見つけたことを喜んでいるかのようだ。

 

『……!』

 

「やる気か、ガロア…。とりあえず、あんな物が浮いているのに無茶していない訳がない。骨組みを壊していけ」

今やはっきりと見える様になったそれは、ネクストの世界からすれば非常にゆったりした速度で綿毛のようにふわふわと浮いている。

 

(何故…?確かに不気味だがネクスト三機でかかって落とせないような相手か?)

あんな鈍亀ではどんな攻撃も避けられないだろう。

それこそグレネードかロケットあたりを叩き込んでやれば…

 

『!…グ、ゲェエエエエエェ!!』

ビタビタビタという音と共に突然の吐瀉音が聞こえた。

訳も分からぬ突然の嘔吐。

 

「ガロア!?どうし…!コジマ汚染!!奴ら…地上をどうするつもりだ!?」

小一時間もいれば健康な人間でももがき死ぬレベルの重度汚染。

コジマ実験施設の最奥ですらここまでの汚染はないだろう。

 

『……』

 

オーン…

オーン…

 

企業が搾取し殺した者達の怨念のような声が砂漠に響き渡りガロアのバイタルサインが一気におかしくなっていく。

 

『…!』

 

そんな不調を振り払うように、浮かんだままほとんどその場から動かないアンサラーに向けて背部からグレネードとロケットを発射した。

幾らセンスが無くてもあれだけ大きな的が動いていなければ外しようがない。

 

(そうだよ…誰だってそうするのに…何故…?)

セレンの不安は数瞬後に空中で弾けた二つの爆発を見て確信に変わった。

 

「迎撃システムだ!!ダメだ、ロケットとグレネードは効かない!」

叫んだ瞬間に遠くからは骨と見えた巨大な翼から無数のミサイルが放たれる。

豊作に歓喜する蝗の群れのようにアレフ・ゼロにミサイルが迫ってくる。

 

『……!!』

 

「コジマミサイルか…!」

恐らくは真っ直ぐ立ってもいられない程の頭痛と嘔吐感に襲われているのだろうに平常通りに全てのミサイルを撃ち落とした瞬間に緑の粒子が弾け、

とうとうプライマルアーマーが完璧に剥がれてしまった。

 

『…ガッ…カッ、ゲボッ!』

さらにヘッドセットを通して耳に嘔吐の音が響く。

思い切り胃をぶん殴ってもこうはならないというのに。

 

「…ダメだ…退避しろ…」

どさくさに紛れて放ったマシンガンの弾までもが直撃する前に蒸発する様を見てセレンは脊髄が凍り付き汗が冷水になっていくのを感じながら命じた。

 

 

 

 

『退避しろ!聞こえないのか!!』

 

「……」

怖い。勝てる訳がない。

今までの強敵との戦いで怒りや狂気で隠してきた感情、恐怖が一気に湧き上がり臓腑を包む。

やはり自分は間違っていなかった。暴力こそがこの世で最も強い力なのだ。その前にはちんけな戦略やプライドなど命と共に砂となる。

 

「……!?」

役立たずの武器を捨て、さぁ尻尾を巻いて逃げる準備が出来た、と思ったのに何故かムーンライトを起動し構える。

表面上は間違いなく怯え竦んでいる心の底からの声と、ムーンライトからの声がシンクロしたような気がした。『ふざけるな』と。

 

「…!…??」

飛んできたミサイルを転がるように回避し、狙い放たれたレーザーをエネルギーを送りこんだムーンライトで弾き飛ばす。

最初の回避はともかく、今の行動は神技だった。

 

『ガロア?!何をしている!?そこに突っ立てるだけでも寿命が縮んでいくんだぞ!』

 

「……」

ああ、またずれた事言っている。セレンはなんだかんだ自分には甘い。そういうことじゃない。自分の道はそういうものじゃないはずだ。

 

「……」

それにしてもこのブレード。

この前にしてもそうだ。自分で動かしていたと言うよりも、まるでこのブレードが動きたい場所に手を添えて動かしていたような…

 

今もまるで…というか今、生き死にの際にいるからか。

聞こえる。ブレードから恫喝、いや叱咤するかのような声が。

『戦えっッッ!!!!』……と。

このブレードは一体どんな奴が使っていたんだろうか?

 

『耳がやられたのか!?大丈夫か!?』

 

「……」

大丈夫。耳はやられていない。やられていたのは、心だ。

人をここまでさんざ殺しておきながら今更腰が引ける。

そんなこと許される筈がない。

 

 

 

(その道を行くと言うのなら、曲がらないで)

 

 

 

 

「……」

今ここで心が折れたら、曲がってしまう。

何の為に友を殺してまでここに来たというのか。いざという時に尻尾を巻いて逃げる為では無いはずだ。

 

「……」

混濁とした意識の中でやけにブレードを持つ左腕だけがはっきりと感じられる。

だが、勝ち残るのにこれではダメだろう。

 

「……」

やけに色んな事が頭に浮かんでくる。さっきのレーザーキャノンから多分まだ三秒も経っていないというのに。

 

「……ふーっ…」

狭いコックピットの中、ガロアは静かに息を吐いた。

生き死にの際まで久々に来た。通常の神経の者なら失禁して逃げ回っている場面のはずが、ガロアは笑っていた。

好きなんだろうな。命のやり取り、それ自体が。

霞む頭の中でそう思いながら右手の小指と薬指を握り…

 

べきっ

 

思い切り逆方向にへし折った。

 

『何の音だ!?おい!!』

 

「……ッッ!!」

ネクストからのフィードバック等では無く怪我を伴うリアルな激痛がどこかふわついていた意識を身体の中に引き戻し、倦怠感と嘔吐感がどこかへとんでいく。

この痛み。どうせ死ねば痛みもない。死は一瞬で全てを攫っていく。

 

「……」

今一度…この戦場で猛る心を以て勝ち残りたい。

ここに来てガロアの心は激怒とはまた別の感情に駆られて燃え上がっていた。

身体を裂くような魂の高揚は一生のうちに何回も味わえる物では無い。

すなわち、絶体絶命、敗色の濃い敵に相対したときのみだ。

 

ブレードが慟哭するのに合わせて振ると、大した速度も出ていないのにヒュゥンッ、と空を斬る音がした。

 

「……」

ブレードの導く動きに身体を合わせて、今度は思い切り振ると眼に入ってすらいなかったレーザーを弾きとばした。

 

『ガロアっ…!』

 

「……」

のろい。あの毒の空気みたいなのが無ければこいつは全然大したこと無い。

先ほどまでの怯えた心が嘘のようにガロアは空高くに浮かぶアンサラーを見下していた。

 

どちらが王か決めよう。

 

そんな事を何度も思う人生というのはそうそうないのだろう。

自分の前にはあまりにも強大な王たる者が何度も立ちはだかった。

その全てをここまで破壊してきたのだ。

 

「…ふーっ……」

ブレードがカタカタと震えさっさと動かせ、と伝えてくる。

 

「……」

走馬灯の如く、過去の全ての戦いが脳内を駆け巡っていく。

ここまでの経験の中からただ一つ導き出された勝利の鍵がレーザーキャノンがブレードとぶつかり弾ける音と混ざり合う。

勝利の鍵が頭に浮かんだ。その鍵は不思議なことに今まで戦った敵の中で一番弱い者との戦いであった。

 

月光を構える。

先ほどのような硬さも無く、腰も引けていない。

 

「……」

誰一人としてわけ隔てることの無い暴力たらんと覚悟し戦いに臨んできた。

しかしその戦いは苦節に満ち、強者たらんと決意した自分をも飲み込まんとする弱者の大群。

 

千の肯定を以て一の否定を肯定とする。さもなくば消す。

そのおぞましき群れはまさしく幼い時分のガロアを苦しめてきた理不尽な暴力そのものだった。

 

今の自分はあらゆる理不尽を蹴散らす圧倒的な個の力か、負けて死ぬ雑魚かの瀬戸際にいる。

 

「……」

あれはなんなんだ。あの断末魔のような音を上げるデカブツは。

理不尽な暴力を振るう弱者という矛盾が生み出した怪物か。

 

「……」

新体操のリボンのようにくるりと柔らかく廻した月光はその螺旋の角度に寸分の狂いも生じることなく中心へと向かいアレフ・ゼロの機体を紫電の光で覆い隠した。

その電刃が中心に到達した瞬間、本来なら一連の動作で起こったであろう風が一遍に吹き荒れガロアの髪は全て逆立ち、砂地に超自然的な波紋を残した。

 

『……っ!』

 

その理論の極致とも言える動きに敵もセレンも見惚れて、一瞬動きを止めてしまった事を誰が責められようか。

 

「……」

この動きだ。

言葉にすればそうなるのだろうか。

既にガロアは思考をやめて、ひたすらに鍛えた身体とここまで生き残ってきた運命、そして異様に震えるムーンライトに身を任せていた。

 

ぴたりと時間が止まった戦場で、鯨が潮を吹くようにアンサラーがミサイルを吐き出すと同時にアレフ・ゼロは動いた。

 

巨大な弾丸となったアレフ・ゼロは、途中でぶつかった廃ビルを木っ端みじんに打ち砕きながらアンサラーへと向かう。

 

かつて対峙した中で最も弱いと断言できる敵、ノーカウント。

最後に奴の機体を掴みあげて回転しながら地に叩き落としたあの動きを、アレフ・ゼロは柔らかく動く手首による月光の回転をさらに追加して再現していた。

月光がそうしろと言っているかのようだった。

 

呆気にとられていたアンサラーの中身などどこ吹く風、アレフ・ゼロは翼の一つを斬り飛ばした。いや、貫通したと表現するべきか。

ズブッ、とおよそ機械同士がぶつかりあったとは思えない音が戦場に響いた。

 

 

 

 

『……』

 

「ガロア!?何をしているんだ」

映し出される映像は目まぐるしく回転している。見ているだけで気持ち悪くなってきた。

ブレードを起動しながら高速回転し突撃する。

確かに出来ないことは無いのだろうが、誰がそんな無茶苦茶を実践する?

実際、この送られてくるアレフ・ゼロからの映像は人間の目でどうにかなるものではない。

 

『……』

ゾンッ、と不気味な音をたててまた一つ、翼が捥がれた。

 

(か…勝つのか…?)

 

バチィン、と耳がどうしてもいやがる様な高い音が響く。

 

「……う…!」

思わず目を逸らしてしまったが、放たれたレーザーキャノンはアレフ・ゼロを取り巻くブレードの光に弾かれ全く意味を成していない。

追う形となったミサイルはアンサラーの上へ下へと移動するアレフ・ゼロを追いきれずに無様にも自分に当たってしまっている。

 

『……』

 

(か、勝てる!)

セレンがそう思っている間にもアンサラーの上部にあるミサイル発射口が破壊された。

 

(なのに…この感じは何だ?)

勝利をほぼ確信しているのに心の底を舐めるざらりとした紙やすりのような違和感。

 

『……』

次々と翼を切り落としたアレフ・ゼロはとうとうアンサラーの中心へと向かっていく。

 

(そうだよ…これくらい…出来ないことはないだろう)

別に格闘機じゃなくてもそれなりの速度があれば、レーザーキャノンもミサイルも落ち着けば躱せるだろう。

攻撃が出来ないだけで。

 

(…!待てよ…)

ブレードで今ザクザクと斬れているのはいい。

しかしスプリットムーンもブレードを持っていたではないか。それもあのムーンライトを。

 

(何か…誘い込まれているような…)

わざとあの弱点にしか見えない中心部を隙だらけにしている気がする。

 

その時セレンの脳裏に浮かんだ物は万遍なく破壊しつくされたスプリットムーンの残骸。あのような破壊が出来る兵器を、一つ知っている。

点と線が結びついた瞬間、肌は粟立ち、瞳孔は猫科の動物のように開いた。

 

「アサルトアーマーだ!!」

 

 

 

『アサルトアーマーだ!!』

 

「……」

もう遅い。

目の前にある中心部にコジマ粒子が収縮していく。

 

あの残骸を見たときから、思っていた。

自分と武装がそっくりだと。

 

それでいて負けたのは単純に弱かったからなのか、はたまた弱点を突かれたからなのか。

 

今となってはどちらでもいい。月光が教えてくれた勝利の鍵。その最後のピースは右腕に掴んでいた。

コジマ粒子の奔流が襲い掛かる直前にアレフ・ゼロは右腕に掴んでいた最初に斬ったビルの瓦礫を投げつけた。

その直後に荒れ狂う破壊の波が周囲一帯を飲みこんだ。

 

 

「……」

 

『生きてる…のか?』

回転を止めたアレフ・ゼロは投げつけた瓦礫の影で流れに逆らう川魚のようにに身体を伸ばして隠れていた。

 

瓦礫は砂となり、アレフ・ゼロの部位のあちこちからアラートが出ているが、それでもまだ動いている。

アサルトアーマーを潜りぬけたのだ。

 

『ガロア…!』

 

「……」

 

オーン…

 

オーン…

 

命乞いをするかのような唸り声。

地面を這う全てを砂にしてきた暴力の塊が断末魔を上げる。

もうその姿には支配者の威光など欠片も無く、台風の日に引きずりまわされてぼろきれになった傘のようだった。

 

天を背に負い、泣きじゃくるアンサラーをアレフ・ゼロの紅い複眼が射抜いた。

その瞬間アンサラーの乗組員は生まれたことすらも後悔しながらこれから自分がどうなるのかを察した。

 

「……!!」

最大出力の月光は天高くまで伸びて雲一つない蒼穹を裂き、

 

 

ザンッ

 

 

企業の答を真っ二つに叩き斬った。

 

 

 

 

 

 

 

『以上だ。勝手な行動は許さん。ウィン・D・ファンション』

 

「なるほど…大した管理者だ。偉そうに、非戦闘員を守る、そんな格好すらつけられないか」

 

『好きに言うがいい。だが貴様の地位も力も企業あってのものだという事を忘れるな』

 

「……」

会議室のモニターが暗転する。

会議室、とはいうものの人間はウィン一人しかいない。

ローディーもスティレットもいつの間にやら今回の戦争で死んでいたらしい。

ランク一桁で生き残ったのは自分とロイだけ。

独立傭兵のロイには依頼を断る権利もあったと考えれば今回の戦争は完全に企業側の敗北。

降伏も理解できなくはない。

 

「ふん」

ウィンにはどんでん返しの秘策がある。

自分自身でもあまり実行に移したくは無かったがここまで来た以上はなりふり構ってはいられない。

このままクレイドルが地上に降りれば大勢の人間が…いや、格好つけずに言えば家族が死ぬ。

 

(だが…どうする?)

恐らくはネクスト格納庫にたどり着くまでには兵が配置され、ネクストも出撃できないようにされているだろう。

ここからそこまでの道程を無傷で突破するのはあまりに薄い可能性だ。

 

(やるしかないか…!)

使いたくは無かったが大事の前の小事、ホルスターから拳銃を抜き、扉を開けて先ほど兵士が立っていた方に銃を突きつける。

 

「!?」

しかし小銃を携えて直立していたはずの兵士は鼻血を出しながら気絶しており、代わりによく知る男がそこには立っていた。

 

「よう、ウィンディー。さっさと格納庫まで行くぞ」

 

「ロイ!?何故!?」

耳をすませば蜂の巣をつついたような騒ぎが聞こえ、

一際騒がしい左側に目をやれば2mはあろうかという髭面の大男がカラードの兵士を殴り飛ばしていた。

 

「いつだって俺はお前の力になるぜ、って言っただろ。企業もORCAも知ったこっちゃねえが俺はお前の味方だ」

大男に親指を立てながら恥ずかしげも無くそんな事を言うロイの顔には気後れが無い。

 

「すまない…ロイ。力を貸してくれ!」

 

「合点承知!!」

 

ロイ・ザーランドとウィン・D・ファンション一行がカラードで兵士を殴り倒しながら格納庫へと進んでいる頃、ガロアはボロボロのアレフ・ゼロと共に帰還した。

 

 

 

 

「自分で折っただとぉ゙~?」

ボロボロのアレフ・ゼロのコックピットから降りてきたガロアが吐瀉物に汚れていたのはまぁいいとして、変な方向に曲がり赤黒く変色した右手の指を見て顎が落ちた。

 

「……」

 

「バカか!?バカなんだな!?」

残念ながら自分は医者ではないので添え木と包帯で固定するくらいの応急処置しかできない。

静かな医務室で喚き散らしているのは自分だけで、何とも無さそうな顔をしているガロアを前にしていると騒いでいる自分の方が間抜けに思える。

 

「……」

処置が終わり手から顔に視線を移すとにかっ、と笑うガロアの顔。

 

「ふぬーっ!!こんガキャあ!!何を、何を笑っているんだ!!何を!!」

かーっと頭に血が上り怪我人の上、今さっき戦場から戻ってきたばかりだという事も忘れてガロアの両耳を頬ごとギチギチと思い切り引っ張る。

 

「…!…!」

 

「お前が、お前が、この!…お前は…口が利けないから…」

顔の皮を伸ばしていた指からだんだん力が抜けていく。

 

「……」

 

「ネクストに乗っているときは…しょっちゅう指示を無視しやがる…お前は口が利けないから…反応がないと途端に不安になる」

 

「……」

 

「しかし…」

 

(強くなれと言ったのは自分だからな…罪悪感もある)

 

(吹っ切れた…訳ではなさそうだな。ただ進んでいるだけか。己の道だと信じた道を)

 

「お前右利きなのになんで右手の指を折ったんだ?せめて左にしろ」

いや、それも違うけど、と自分に突っ込む。

 

「……」

もちろん言葉で答えが返ってくることも無く、ガロアはただ左手をじっと見ている。

 

(…そういえばブレードはずっと左手に…だからか?)

 

「……」

 

(天下無双だが最強だが知らんが…なるだろうよ。ならなければ生き残れないんだから)

 

「……」

 

(でも…そんなただの言葉に何の意味があるんだ?何故ガロアにあんな物を送った?分からん…)

 

我執が変わり果てた先の言葉の意味をセレンが考え込んでいるとき、この戦争の最終戦が始まろうとしていた。




超級覇王電影弾やんけ!


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アルテリア・クラニアム襲撃

アルテリア・クラニアム中枢。

主要機関部の扉を開いて出てきたレイテルパラッシュの前にはマイブリスが騎士のように立っている。

全く、似合わない。

剣を掲げる自分が守られていることも、あの男が騎士を気取っていることも。

 

「すまないな、ロイ。最後まで私なんかに付き合わせてしまって」

男を好きになれないように生まれた、と気が付いたのはいつだったか。

自分よりもずっと年下の少女に一目惚れしてしまった時だったか。

そんな彼女も殺されて、今の自分は義務感と意地で動く抜け殻だ。

 

『おいおい、どうしたんだ?いつもみたいに辛辣に当たればいいじゃないかよ。似合わないぜ』

 

「勝っても得られるものは無い。負けて失うものは大きい。…それに、あんなに大勢の仲間がいるのならラインアークに行くか…それこそ、お前の仲間だと言えばカラードでも働き口があっただろう。何故そうしなかった?」

 

『なぁに。好きなように生きて好きなように死ぬ。誰のためでもなく。それが俺らのやり方さ。俺は望んでお前についてるんだ。美人の涙が最優先ってな』

何気なく核心を逸らしてはいるが、ロイはロナルドからの『巨大になった組織はそのうち腐敗する。自分達の力で生きていけ』という言葉に従ってきただけだ。

結局その言葉は正しく、ラインアークは言うまでもなく、今回の戦争も企業の膿から起きたようなものだ。

 

「だが、私はこれまでお前の好意を…私は…男は好きになれないらしい。だがもし、それでもお前が望むのなら…」

このように生まれたからには処女のまま死ぬのだろうと思っていたが…もしそうでないとしたら、もし相手を選ぶことが出来るのなら、それがロイならば文句は無い。

感謝に義理をなんとか上乗せすれば好意に出来ないこともないだろう。自分が普通だったら間違いなく惚れていたのだろうな、とは思う。

 

『相手に見返りを求めない親切を好意って言うのさ。フラれんのも男の仕事だ』

 

「……そうか」

 

『それに、女なんてのは買いに行けばいくらでもいる。もっと言えばよ、こんな時代なんだから、好みの女の身体だけ欲しいのなら組み敷いちまえばいい。けどな、それじゃあ心は貰えない。

金や力では身体は手に入っても心は手に入らない。何がこの世で一番美味いかって…そりゃぁ…人の心が一番美味いだろう?それが好きな女の物ならなおさらさ。もう、お前から貰ったよ。十分死ねるさ』

 

「…ふん。馬鹿を言うな。勝って、生き残るんだよ。死にはしない」

だがこれから来る相手はどちらをとっても最悪の相手。生き残りを意識して動きを鈍らせればまず死ぬだろう。

 

『そうだな。…っと…。お客さんだぜ、ウィンディー。想像通りのな』

 

「…!待て、ロイ。構えなくていい」

段差を越えて現れたダークレッドの機体にレーザーライフルを向けようとしたマイブリスを言葉で制する。

 

『なんだって?』

 

『お前たち…やはり腐っては生きられぬか』

 

「よく来た。マクシミリアン・テルミドール」

まずはこちらの土俵に引きずり込まなくてはならない。

残念だが、例え二機でかかっても勝率は低いだろうし、何よりもまだあの憎いガロア・A・ヴェデットが残っている。

 

『……?今更話し合うつもりか、ウィン・D・ファンション』

 

「どうするつもりだ?私たちと戦って勝ち、その上で侵入するつもりか?無事で済むとでも?」

 

『私に勝てるのかどうかは自分が一番分かっているのではないか?…それに万に一つ、私が死ぬような事があっても…』

 

よし。引き込めた。後は心を抉るだけだ。

 

「…そうだな。まだガロア・A・ヴェデットも残っているからな」

 

『その通りだ。お前たちでは奴は殺せん』

 

「全くもってその通りだな。…くっ…あっはっはっはっはっ!!」

 

『ウィンディー?』

 

『…何を笑う?』

 

「何を?何をだって?!これは滑稽…いや傑作だ!!あっはっはっはっはっ!!」

 

『何が言いたい』

 

「貴様は旅団長なのだろう?元カラードランク1・オッツダルヴァ」

 

『!?』

 

『…やはり気づいていたか』

 

「いや…傑作。旅団長と名乗りながらも、どうせ作戦計画はほとんどあのメルツェルがやっていたのだろう?強さこそが貴様を旅団長足らしめるものだったというのに…」

 

『……』

 

「その強さもガロア・A・ヴェデットに劣るとなっては…くっく…貴様は何のためのリーダーだったのだ?ランク1はおかざりか?」

 

『貴様…』

 

「ベルリオーズのクローン人間としてただ一つ持って生まれた使命すらも奪われるとは!!貴様は…何のために生まれたのだ?道化か?はっはっはっはっ!!最初からいなくてよかったんじゃないか!?何も残ってないじゃないか!!」

 

『な?!』

 

『くっ…貴様…どこまで…』

 

「いやいや…くっく…そんな男が…戦いもせずに負けを認めるとは…くっ…これが笑わずにいられるか」

 

『勘違いするなよ貴様。あくまで奴とお前たちが戦った場合の話だ。私と奴が戦えば私が勝つに決まっている』

 

「ほう…。ならば証明してみせるか?出来るのか?貴様に」

来た。テルミドールの頭に血が上っているのを感じる。

このまま誘い込めればこちらの勝ちだ。

 

『何だと?』

 

「貴様は、貴様と戦い終わった後の私たちにガロア・A・ヴェデットは勝つと言ったな。逆に貴様は奴を倒した後のダメージを負った私たちを倒せるのか?」

 

『当然の事だ』

それは当然のことだろう。万全の今ですら勝てるかどうか怪しいのに。だが大事なのは、奴のプライドを徹底的に煽ることだ。

そして既に食いついてきている。

 

「作り物の偽物だらけの貴様の人生の中で…その強さだけは本物だった。オッツダルヴァ。それを証明してみせろ」

ウィンの言葉と同時に主要機関部の扉が開く。

ロイが道中、「こんなもの何に使うんだ?」と言っていたそれは、ラインアークが回収した後ウィンが買い取り修理しておいた青いネクスト・ステイシスだった。

 

『これは…!ウィンディー…』

 

『…ステイシスか!…貴様…』

 

「行け。ガロア・A・ヴェデットは私たちが相手をする。その戦闘の勝者を貴様は倒してみせろ。貴様の最強だけは作り物ではない本物であることを証明してみせろ」

 

『………ふん。いいだろうウィン・D・ファンション…!貴様の安い挑発に乗ってやる…!』

 

 

 

 

 

(なんだこりゃ…どういうことだ…)

信じられない光景。

ORCA旅団長、マクシミリアン・テルミドールのダークレッドの機体が自分達がまさに守らなければならなかった扉を開けて入っていく。

 

(いいのかよ…つーか、さっきの…)

狂気じみた笑い声に嘲笑交じりの言葉。

 

(えげつねぇ)

言葉だけで敵のリーダーを戦いの場から降ろしたのは流石だが、その抉るような言葉も、初耳の過去も同様にえげつない。

ただのランク1ではないと思っていたが…企業連は一体どこまで腐っているのか。

 

『軽蔑するか?』

見透かされたのかと思う程完璧なタイミングで通信が入る。

その声にはほんの少しだけ悔いとも悲しみとも取れるような色が混じっている。

元々が正義感溢れるウィンからすればあのような言葉を用いること自体、気が進まなかったのだろう。

 

「まぁ、間違っているかどうかなんてのは…勝ってから考えりゃいい事だからな。けど、いいのかよ。あんな簡単に中に入れちまって」

 

『無論、あの中の機械類を全て叩き壊せばクレイドルは墜落するがそれは奴らの目的ではない。エネルギーの供給を緩やかに断ち、地上に降ろさなければならない。

例え中に入っても1時間やそこらで終わるような作業では無い』

 

「…いや、そういうことじゃ…」

 

『ガロア・A・ヴェデットはテルミドールを焚き付けて三人で叩く。当然だ。その後すぐにテルミドールも殺す。それでこの馬鹿げた戦いも終わりだ。卑怯だなんだと言われても、最早勝つ為の手段は選ばん』

 

「…きれいごと言って戦争に勝てるってんならそもそも戦争なんか起こらねえ。お前は正しいよ、ウィンディー。…うっ!?」

 

『…なんだ…これは…』

ロイが感じると同時にウィンも感じたようだ。

身体中に至近距離から刃物を突き立てられいるかのような悪寒。

 

「来やがったか…強い…あの時一緒に戦った時より遥かに…!化け物がよ…」

語気を強めて悪寒を振り払おうとするがそれすらも馬鹿馬鹿しく映る程桁外れの圧力。

 

『気を抜くな、ロイ…』

凍りつく空気の中で二人の頭の中での言葉はほぼ一致していた。

小賢しい策を弄したところで、数の優位があったところで、勝てる相手なのか…?これが。

 

『……』

 

「!」

 

『!』

100m程離れた段差の上にはいつの間にやらアレフ・ゼロがいた。あちこちからスパークを迸らせ武器も左腕にブレードしか持っていない。

アンサラー撃破からまだ半日も経っておらず、修理は全く間に合っていなかったのだ。

だがそれでも、相対しただけで背骨全部が氷に置き換わったかのような感覚は、勝てるとか有利だといった言葉すら口にさせてはくれなかった。

 

幾つもの死線を潜り抜け、一人戦場で生き残ってきたガロアはもはやカラードのランク一桁のリンクスですら恐怖を覚えるようになっていた。

 

純粋な力のみで全ての上に君臨する王。そんなものが本当にいるとは。

 

『キ…サマ…』

 

(まずい!!)

完全に及び腰になっていた意識がウィンの恨みの籠った声で現実に叩き戻される。

まずい。共闘で大事なのは意識と息を合わせることだ。怒り心頭のウィンと心まで冷えた自分では行動がちぐはぐになり互いの足を引っ張りかねない。

 

『リリウムの仇をとらせてもらうぞ!!』

ここまで冷静…いや、冷血を保ってきたが、リリウムを殺した張本人を目の前にしてウィンの心の底からマグマのような怒りが湧き上がり、抑え切れない衝動が身体を突き動かした。

 

『……』

飛びかかろうとするレイテルパラッシュをアレフ・ゼロの紅い複眼が冷酷に淡々と捉えていたのを見て、ダメだと思いながらも更にロイはぞっとする。

きっと今の体温を計れば20度くらいだろう。

 

「よせ!!ウィンディー!!」

せめて盾になろうと、らしくないことを考えてしまったのが運の尽きだった。

いや、もしかしたらそうなるように誘い込まれていたのかもしれない。

低く構えたアレフ・ゼロのブレードが大蛇のように伸びた。

錯覚では無く実際に伸びたように見えた。

 

あの表情のほとんどないガロアがコアの中で凶悪に笑っているのが見えたような気がした。

そこまでがロイ・ザーランドが認識できた現実だった。

 

戦場と化したはずのクラニアムにたった一回の斬撃音が響き渡り、その後には静けさだけが残った。

 

マイブリスのコアは切り裂かれてロイは即死し、レイテルパラッシュも半身を消し飛ばされその場に沈黙した。

この分ではウィン・D・ファンションも生きてはいないだろう。

 

『……』

 

「なんともあっけない…。お前が強くなりすぎた…、というよりもこの二人の頭に血が上り過ぎていたな」

イクリプスやアンサラーを両断した一撃。

当然、ジェネレーターが悲鳴を上げてはいるものの初手の一撃で二機を撃破してしまった。

冷静ではなかったとはいえ、たった数秒でランク一桁二人を殺してしまった。

ガロアは強くなり過ぎた。ガロアの才能に気付き徹底的に武を叩き込みその力を伸ばしてきたが、最早前人未到の域にいる。

あの凶悪な眼は二人の動きをコマ送りのアニメのように捉えていたのだろう。

 

『……!』

戦いの終わり。

少なくともセレンにはそう思えたが、ガロアは目的の扉から尋常ならざる雰囲気を感じて飛び退いた。

その直後に重厚な扉がわずかに開いた途端に線となったレーザーが放たれた。

開ききった扉の中からかつて二度ほど共闘した記憶のある紺碧の軽量二脚機が姿を現した。

 

「ステイシス…?」

水没したはずだ、とかオッツダルヴァのネクスト、だとか情報が頭を駆け巡る中突如ステイシスがアレフ・ゼロへ攻撃を仕掛けていく。

何故か何もかもガロアも分かっていたかのように攻撃を潜り抜けてステイシスの元へと駆けていた。

 

「テルミドール…裏切ったか…元より、貴様等のはじめたことだろうが! 」

意味不明な裏切りに困惑交じりの怒りを吐き出す。

あの時ガロアがオッツダルヴァがテルミドールだと分かった理由は未だに分からない。

だが、その言葉が当たっていたのだと断じるには十分な現実だった。

 

『テルミドールは既に死んだ。ここにいるのは、ランク1、オッツダルヴァだ 』

 

『……』

その言葉を聞いてガロアはまるで笑っているかのようだった。

声は聞こえないのにセレンはガロアが今笑っていることを確信できた。

強い者は強い者を求める。自分の強さを受け止めて理解してくれる者を求めるのだ。

 

『私が…私こそが最強なのだ!貴様に…貴様如きにORCAは渡さん!!』

 

「なにを…!?」

PMミサイルを発射しながら影を置き去りにせんばかりの爆発的速度で消えていく。

 

「……なんだ?」

PMミサイルは壁にぶち当たり弾けた。

回避が難しい角度を飛ぶのがPMミサイルの特徴なので、障害物にぶつかることも多々あるのだが今のミサイルはアレフ・ゼロに向かうそぶりすら見せなかった。

恐らくはロックオンが完了していないうちに発射されたのだろう。

 

(冷静さが無い…?)

滅茶苦茶にライフルを撃ちはじめるが、どれも精細さに欠けており、スピードで遥かに劣っているアレフ・ゼロにほとんど当たりもしない。

そもそもこんな閉所でブレードを積んだ機体にスピード勝負を挑むことが間違いなのだがそれが分からない程間抜けな人物だっただろうか。

そう考えた瞬間に緑の閃光がセレンとガロアの目を焼いた。

 

『……!』

 

「ぐ…無茶苦茶だ…!」

身を隠す場所も無いと言うのに中途半端な場所でのアサルトアーマー。PAが削られいくらかAPも減る。

それでも元々修理が追いついていなかったのもあり、APはいきなり40%を切った。

 

 

 

 

 

 

 

「……」

しかしガロアは緑の閃光でステイシスの視界も奪われた瞬間に壁を蹴って背をとっていた。

空中で舞踏家のように回転し、エネルギータンクの破片が雪のように降り注ぐ中でガロアはブレード一本しかない上APも半分以下という絶体絶命の状況を楽しんでいた。

 

『ぐはっ…!』

勘づいて何とかブレードは避けたが思い切り殴り飛ばされ地面へと無様に叩き込まれたが落下の間に放ったライフルがアレフ・ゼロの装甲を削っていく。

 

『なにがどうなってる…オッツダルヴァも、テルミドールも…こんな人物だったか?』

 

「……」

転がるステイシスにムーンライトの一撃。

だがカウンター気味に撃たれたレーザーバズーカを避けきれずに右手が消し飛んだ。

まるでこちらがそう動くと分かっているかのような素晴らしい反応だった。痛む右腕を感じる脳は歓喜の渦に飲みこまれた。

これから抱擁するかのようにこの男も力で飲みこむのだ。

 

『真改のムーンライト?!何が…何がお前にあるというんだ!あああああああああ!!!』

緑の粒子が中心に集まっていくのが見える。絶対に避けなくてはダメだ。

そう頭では完全に理解しながらガロアはステイシスの元へと回転しながら飛んだ。

 

「……カッ!!」

回転した身体から脚を竹トンボのように開き、中身にいやというほど響く、コアへの三連撃を当てるとコジマ粒子の収縮が中断した。

 

『がっ…!』

さらにブレードで斬ろうと欲をかいた瞬間に右肩にライフルを当てられた。

ミシミシと、外から出はなく中から軋む音が聞こえた。もうアレフ・ゼロの中身も限界だ。

だというのにこの音は喜悦の声のようだった。それが自分のものか、アレフ・ゼロのものか…はたまた妖気を帯びたブレードのものか分からないがどうでもいいしこれでいい。

 

『負けるか!私が!!』

 

「……」

強い。精細さは無いが、そこには不気味な気迫がある。

まるで一撃一撃を命そのものをぶつけられているかのような攻撃だ。

ホワイトグリント戦以来の生死の崖を覗き込むほどの削り合い。このやりとりが欲しかった。

当然、ムーンライトの機能を知っていたのか、ブレードを振り被った瞬間にステイシスは回避しており、その後ろの壁に巨大な爪痕が刻まれた。

 

 

 

飛ぶ二機の間に火花が散る。

スピードで翻弄しようとしてもすぐに距離を詰められ、格闘戦をしかけようとしてもカウンターをとられる。

プライマルアーマーも無い二機のネクストは途轍もない勢いで傷だらけになっていく。

だがアレフ・ゼロのAPも20%を切った。終わりは近い。

ブレードで斬りかかると左腕が払われそのままライフルを突きつけられるのを殴り飛ばそうとすると足で受け止められる。

引けばいい。中距離で戦えばいい。そういう戦略の機体なのだから、と思いながらもそうはしないと分かっていた。

 

足払いからの掌底。

ブーストの勢いを余さずに利用したその攻撃は細身のステイシスを吹き飛ばしエネルギータンクを砕きながら壁に激突させた。

 

『く……』

 

「……」

痛みに呻いたその隙を逃さずに距離を詰めて斬りかかる。

 

『私が…!私は!!貴様よりも!!』

通常では考えられない速度で回復したPAで即座にアサルトアーマー。

先ほど抱いた感想と違わず、命そのものを削ってぶつけてくるかのような攻撃がアレフ・ゼロを包んだ。

 

だが。

 

「…!」

考えることは同じだったようだ。

アレフ・ゼロの周囲のコジマ粒子が荒れ狂い周囲を無差別に襲い、ステイシスのコジマ粒子とぶつかり合う。

さらにアレフ・ゼロは機体を回転させながらムーンライトを起動する。

コジマ粒子に激しく塗装と装甲を削られ、黒い霧を発して白い骨組みだけになりながら斬りかかるその姿はまさしく死神だった。

全ての時間が溶けてなくなってこの瞬間だけを保存してしまいたい。ガロアは全身の痛みと喜びに笑いながらステイシスを斬った。

 

「………」

手にはじぃんと熱い感触が残っていた。

APは残り二桁しかないし、ジェネレータもアサルトアーマーとムーンライトへの過剰出力により致命的なオーバーヒートを起こした上、

今の攻撃でムーンライトもどこかがいかれてしまったらしい。それでも生き残った。今この瞬間が一番命のありがたさ、強さを感じれる。

 

「く………」

 

「……」

斬り開かれたコアからテルミドールが見えている。

破片が食い込んだ身体のあちこちからは血が流れており、ボロボロになったパイロットスーツは度重なるアサルトアーマーによるコジマ汚染からは守ってはくれない。

あれではもう、長くは生きられないだろう。

 

「……」

セレンはテルミドールが裏切ったと言っていた。確かにそうだろう。

だが、自分はこうなることを望んでいた。戦って戦った自分の全てを、運命ごとぶつけてなお生きていられる相手を欲していた。

 

 

 

 

バシュウ、と戦いの終わった戦場に音が響いた。

 

『な…!馬鹿野郎!!何やってるんだ!!』

 

「……」

破壊度合いで言えば動かなくなったステイシスとほぼ同じアレフ・ゼロの背中から蒸気を吹き上げながらガロアが出てくる。

クレイドルの薄暗い明かりがステイシスの蒼いボディに反射してガロアの顔が、眼がよく見える。

 

(私を…私を強かったと…そう言ってくれているのか…)

使命を忘れ、自分にのみ執着し襲い掛かった。

言葉に乗せて、ガロアを巻き込み、言葉に乗せられて、ガロアを襲った。

道化と嘲笑われたが、この状況こそ正しく道化だ。だがそれでも。

 

「お…おま、…お前と…戦えてよかった…」

そんな短い言葉を口にしただけで血を吐いた。もう間もなく死ぬのだろう。

 

「……」

言葉を話せないガロアからは何も返ってこない。

だがその眼は雄弁に語っている。いや、先の戦いの中で語り合った。

 

「お…前も、強かった…」

 

「……」

痙攣しながらも笑った自分を見てガロアも静かに笑っていた。

 

(……!)

魂が身体から抜けていく。その死の際に来て高速で回転し始めた頭で情報が一つに繋がっていく。

何故ウィン・D・ファンションが自分の過去を知っていたのか。何故自分だけがガロア・A・ヴェデットの誕生日を知っていたのか。何故初めて会ったような気がしなかったのか。何が『同類』だったのか。

今、ようやく一つに繋がった。証拠は何一つないが、確信だけはあった。

 

「そうか…!ガロア。私とお前は…」

 

ボォン!!

 

何かを言い出そうとした瞬間にテルミドールはコックピットごと弾けてただの肉片となった。

 

「!!」

ウィン・D・ファンションの最後の知計。

結果的に大量の死者を出したこのテロリストたちを元々生かしておく気などなかった。

それは例え一時的に味方に引き込んだとはいえ、テルミドールも同様。

ORCA旅団のネクストに倣い、ステイシスのAPが0になったらコックピットを爆発させるように仕組んでいたのだ。

 

「……!」

 

『………ガロア』

 

「……」

 

『終わりにしよう』

 

こうして世界最大のテロは、最重要リンクス5人、主要リンクス7人の全員死亡、さらにカラードのランク一桁のリンクスの全員死亡を以て終結した。

生き残ったORCAのリンクスはガロアただ一人であった。




ひたすらに強さだけを求めた二人は理解者になり得るはずでした。
そして最後にテルミドールは何かに気が付いたようですが…それを口に擦る前に爆死しました。

目の前の全てを薙ぎ倒しとうとうガロアは戦場の王となりました。
そしてこれからクレイドルが降り、この世界全てが戦場になります。


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君臨し、そして沈黙する

生あるものとして逸脱した行為。

強きは当然ながら、弱きも保護され同じように生き延びる世界だ。

人は当たり前の淘汰に逆らいながらも自然の摂理には逆らえずにずるずると地球を蝕み続けてきた。

 

金、武力、カリスマ。

どれでもいい。

力がある者が生き残り、力なき者から奪われ死んでいくという自然からの視点では正しい形に今、人類は戻された。

一人の人として超越した力を持った存在、リンクスによって。

 

 

 

アルドラの廃ビルのすぐそばの砂地の上で塗装と装甲が剥がれて骨組みの大部分が見えてしまったネクストが跪いている。

傍には動かなくなった大型のブレードが墓標のように突き立てられていた。

 

「……」

 

「……」

曇天の空を眺める男女が二人。

体格がよく、赤い癖毛が目立つ男の方は砂の上に足を広げて座り、真っ直ぐ艶のある黒い髪を肩まで伸ばした女はその男より一歩下がって後ろ手を組んで立っている。

 

鉛色の空には雲以外の何も浮かんでいない。

クレイドルは全て地上に降ろされた。後の全てをORCAの残党に任せたセレンとガロアは自分達の成したことの最後を今、見届けようとしている。

 

 

ドッ

 

 

「…あ」

地平線の彼方から光の柱が雲に突き刺さり大穴を空けた。衛星軌道掃射砲はここからは見えないがその光は十分に見える。

最初は小さな穴だったが津波が押し寄せる様に青一色に染まり、空から一切の雲は消えうせ、すがすがしい碧空がセレンとガロアの上に広がった。

 

「……」

 

「ふーん…」

綺麗だな。10秒くらいその感動に浸ったが、それだけだ。

 

企業はセレン・ヘイズとガロア・A・ヴェデットの二人を最重要指名手配犯、史上最悪の犯罪者として世界中のコロニーに通達した。

だが、どのコロニーも押し寄せる空からの大量の人と、各地で起こる犯罪への対応で手いっぱいであり、

残った二桁台のリンクス達も誰もが認める最強のリンクスにどうして挑戦しようなんて気が起きようか。

現在世界各地で人が生きれる僅かな土地で僅かな資源を奪い合い大小関わらず無数の紛争が勃発しており、

それもこれもこの二人のせいだ、と企業は騒ぎ立てるが小市民にとってはそんなお伽噺のように大きな事実よりも今、食べる物にすら困っているという小さな現実の方が大事だった。

 

「……」

 

ガリガリ、と奇妙な音がした。

 

「……ん?」

 

ガロアが砂地に何やら棒で文字を書き出す。

見慣れない文字に一瞬戸惑う。

 

「……」

 

『天下無双?』

 

「ん?ああ。そうだろう。もうお前に勝てる人間はいないだろう」

 

天の下に双つと無き者。

だが、結局天の下にいてはどれだけ大きくなってもどれだけ地に落ちても天の高さは変わらず、いずれは朽ち果てる人の身。

天下無双となりてそれを誇る強敵も無しと言うのならば。

 

(つま)

 

「どうした?」

 

(らねーーー……)

父を亡くした日から強くならなければ、強くなりたい、ただそれだけだった。

 

ガロアには二つの目的があった。それは夢と呼ぶには血なまぐさい物だった。

一つは自分の力でアナトリアの傭兵を倒すこと。もう一つは個の力のみでただ一人、この世界に純粋な力の王として君臨することだった。

 

つまらないはずだ。

ガロアは知っていた。

このつまらなさ、満たされなさを。

 

 

 

かつてガロアは一つの鎖された世界に力で君臨した王だった。

 

 

 

 

『つまらない』

ガリガリと砂に率直な感想を書いていく。

 

「やっぱりか。お前は別に最強とかそういうのになりたかった訳ではなかったからな。勝手に周りが称号やラベルをつけて騒いでいただけだ。最初からお前はお前だったのにな」

 

「……」

 

「それで、なってしまうとつまらない、か。まぁそんなものかもしれないな、最強というものは」

 

(背中…大きくなったのになぁ。…そういえば、いつからだろう。お前の背中を見る方が多くなったのは。お前の後ろから声をかけることが多くなったのは)

 

「……」

 

(自分をひたすら信じてどんどん強くなっていくお前は…自分すら分からなくなっていた私にとって眩しすぎた。…隣に立っていられない程に)

 

「ガロア。これからどうする?」

 

(俺が欲しかったのはこんな世界だったのかな…寂しいだけだ)

最初は一人だった。

戦って戦って、そうしてまた一番最初に戻っただけ。

なのにどうしてこんなに寂しいのか。最強となったガロアの心に訪れたのは静かな寂しさだけだった。

進んできた道、信じてきた物をその場に置いていくようにして軽く立ち上がる。

 

「どうした?」

 

 

くあっ

 

 

「……、……」

後ろから声をかけてくるセレンの方に向きながら、今までのガロアからすればあり得ない程気の抜けた顔で天を仰ぎながら大あくび。

 

「はっ。なんだその気の抜けた顔」

久しぶりにこちらを振り向いて自分の顔を見たガロアは今まで見たことも無いような抜けた顔をしていた。

いつもいつもある程度気の張った顔と言えばよいのか、涼しげでいて、それとなく眉根に力が入っていたからわからなかったが、こんなにも優しい顔をしていたのか。

 

 

ガリガリ

 

『帰ろう』

 

「帰ろうって…どこへ?」

 

ガリガリ

 

『故郷』

 

「故郷って…お前の?」

 

「……」

 

「…いいさ。私も行こう。着いていくよ」

 

「……」

 

「行く当てがないから…じゃなくて、お前と一緒の道に、な。寂しい思いはもう十分しただろう?………お互いにな」

そう言うとガロアはにっ、と笑った。年相応の大人になりかけの子供の笑顔だった。

 

「ふん!まぁ…ん…ゴホン、なんだ。お前、そっちの顔の方が似合ってるよ」

 

「……」

 

砂になった街の上で笑い合う男女が二人。男に手を引かれて女はネクストに乗りこんだ。

 

 

 

 

 

その後、僅かな街やコロニーに押し寄せる人々とは正反対に、誰も住めないような厳しい自然が支配する土地へと飛んでいくボロボロのネクストの姿があった。

 

 

憎しみの黒い塗装も、最強の力を示す武装も、全て失ったネクストは地上最強の兵器にもかかわらず不思議と何の暴力性も感じさせなかった。

 

 

かつて二人の人間が住み、一人が帰らぬ人となり、一人が去った家があった。

その家ではいつからか再び二人の人間が住むようになった。

 

 

 

そしてこの日、全世界で人類史上最も長く最も熾烈な戦争が始まった。

 

 

ORCAルート 完

 

NORMAL END

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ただいま、ウォーキートーキー』

 

「!!ガロア様!大きくなられて…お帰りなさいマセ。ずっとお待ちしておりマシタ」

 

『ああ、もうどこにも行かないよ』

 

「お母さんは嬉しいデス…」

 

「なんだ…?こいつは」

 

「ナッ!?スミカ様!?ナ、ナゼ!?」

 

「なんだと…なんだこいつは、ガロア!?」

 

『……』

 

 

END




今回はノーマルエンドです。
ガロアの心も折れず、セレンの心労もようやく終わりました。
ですがその代り、企業連ルートでウィン・Dが予言したように世界中でかつてない規模の戦争が始まりました。

ガロアとセレン、二人の主人公のことだけを考えれば悪くないエンディングなのかもしれませんが…ハッピーエンドとは口が裂けても言えません。

最後に唐突に新キャラが登場しましたが、詳しいことは過去編「Lapse of Time」まで秘密です。

お待ちかね、人類種の天敵ルートに行きましょう。


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虐殺ルート
ラインアーク防衛


怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ


「なぜ……?」

ガロアのいない部屋でセレンは頭を抱えて呟く。

 

とうとうラインアークを表立って攻撃することを決定した企業連はまずホワイトグリントを落とすことにした。

そこまではいいし、当然の事だと思える。オッツダルヴァが自分の所へ来てガロアはどこかと訪ねてきた。

運動場、図書館、いそうなところを全て探し回ったがいなかった。走れど叫べど影すら見えぬ事実が言い知れぬ不安となりセレンを包んだ。

まだ6月だというのにまとわりつくような暑さと嘲笑う様なセミの声が余計に不安を煽った。

 

ガロアのアレフ・ゼロが格納してあった場所の職員が全員気を失った状態で発見されたのはそれから10分後の事だった。

誰一人として死亡していなかったのは幸いだったが、セレンには分かった。この急所への容赦ない攻撃を経て気絶させる術は自分がガロアに教えたものだ。

向かった先はラインアーク。先に気が付けばよかったのだが、家にあるコンピューターにラインアークから企業の攻撃に対しての防衛の依頼が来ていたのだ。

ガロアはそれを見て何を考えていたのか、受けてしまったのだ。

企業に縛られていない独立傭兵だから勿論依頼しようと思えば金さえあれば誰だって雇うことは出来る。リンクスを一定以上の拘束はせずに、全体の管理下に置く。

それがリンクス戦争以降のルールだったからだ。だが、それでも企業連の攻撃を防ぐ為にカラードの管理下に置かれたリンクスを、それもガロアを雇うのは常識的な発想とは思えない。

まさか全く調べていなかったのだろうか。ガロアの過去の事を。

 

出撃してしまった物はもうどうしようもない。これ以上戦場を乱してほしくないカラードはセレンに自宅謹慎を命じた。とはいえ、もうこうなってはオペレーターとして何を言うべきなのか思いつかなかった。

 

「どうして…?何を考えている…?」

ほんの少しだが、何かが狂い始めていた。

 

 

 

 

 

「……」

狭いコックピットの中でガロアは光から逃れる下水道のクソ虫のように息を潜めている。

 

今一度、自分の標的の真価を見定める為、他の誰にもアナトリアの傭兵は殺させない為、理由と言えばその二点だけで今回のミッションを受諾した。

 

だが、受けるべきでは無かった。殺すと決めたのならば、必要以上の事を知るべきでは無かった。

どんなに極悪非道と決めつけても、どんなに聖人君子に思えても、人間は人間なのだから。

 

 

初めて見た、アナトリアの傭兵とパートナーのフィオナ・イェルネフェルト。

相対したときから心の底で疼いた感覚、それは後ろめたさだった。

 

この二人が二人でいるときの柔らかな空気、笑顔。

そこには一つの汚れも悪も無く、またアナトリアの傭兵を取り巻く人々も笑顔。完全に信頼し、アナトリアの傭兵は自分の帰る場所を守っている。

あまり得意ではないのであろう奴のその笑みをからかう人々は同様に汚れがない。

 

そしてパートナーのフィオナには………

 

(……)

 

これのどこが間違っているんだ?

奴が正しいと思われているのはもちろん、自分でも奴は正しい行いをしていると、どこかで思ってしまっていたのが許せなかった。

父を奪っておいて、突然自分を不幸に叩き込んでおいて、そう思われているのも、自分で思ってしまっているのも。

 

目の前で見て、決意を改めようと思ったのが間違いだった。

 

この男は正しい。間違ったことなどしていない。

 

ただ生きていただけの弱い自分から奪い、ただ生きていただけの弱い誰かを守る矛盾した悪。

そう思っていた。勝手に決めるなと憤っていた。

 

 

違った。

 

どうやら奴は正しかった。

 

奴は正義で、俺は悪だった。

 

俺は悪だったんだ。

 

守られる価値など一片も無かったのだ。

 

 

奴に勝てば奴の築き上げた全てがそっくりそのまま自分のものになるとでも思っていたのか?

無理だ。自分にはああやって笑顔を見せて、笑顔を守ることなど出来ない。

 

守られればあの中で笑えたとでも?

無理だ。自分には…。自分は元から…。

 

 

見ろ。

俺もお前と同じように戦って戦ってここまで来たのに。

お前は真っ白で、俺は真っ黒のままだ。

 

俺はお前にはなれない。

 

俺みたいな奴はあのまま一生雪の森に閉じこもっておけばよかったのだ。

 

 

 

 

 

 

粘つくような空気が息苦しい。

何か起こるかもしれない。何か、とても嫌なことが起こるかもしれない。

二人は全く口を開いていなかったというのにそんな同じことを考えていた。

 

「倒そうなどとは絶対に考えるな。引きつける、それだけでいい。あくまで目的はホワイトグリントだ」

 

「…はい、大丈夫です」

パートナーにガロア・A・ヴェデットを選ぶはずだったのがまさかの敵対に仕方なく別のパートナーを選ぶことになった。

戦力的な面で言えばリリウム・ウォルコットやウィン・D・ファンションあたりを選ぶべきだったのだが、あくまでもオッツダルヴァの目的は別にあり、

ガロアを倒すよりも引きつけておいて欲しいということで、戦闘時間で言えば一番ガロアに食い下がった記録があり、

まともに戦おうとしなければ相手がどんなネクストでも一番生き残れるはずのCUBEを選択した。

オーメルとも資金援助の面で関係の深いアスピナ機関ということもあり、それ自体は滞り無く進んだ。

 

「どうかしたのか」

やや歯切れの悪いCUBEにそんな言葉を投げかけてしまうのは『オッツダルヴァ』のキャラでは無かったな、と思う。

 

「いえ…嫌な天気ですね」

 

「……」

のしかかる様な灰色の曇天が空を支配しており、しつこく纏わりつくような熱気と湿気が肌を濡らす。

 

嫌な天気だった。

 

 

ザーッ…

 

ラインアークの領域に入る頃には生身なら目も開けていられない程の大雨が降っていた。

カラードの管理街からここまでまるで雨雲が追いかけてきたかのようだ。混戦は必至と思える。

 

 

 

『こちらホワイト・グリント、オペレーターです。貴方達は、ラインアークの主権領域を侵犯しています。速やかに退去してください。さもなければ、実力で排除します 』

 

重たい雨に映る二つの影。

ホワイト・グリントとアレフ・ゼロだ。

白い影に蒼い複眼、黒い影に紅い複眼が並び立つ様子は一つの絵画のようだ。

 

『フン、フィオナ・イェルネフェルトか。アナトリア失陥の元凶が、何を偉そうに』

 

(何か…変ですね…)

違和感を置き去りに淡々と進んでいく会話。

それがますますCUBEの違和感を強くする。

CUBEの目には雨の帳の向こうでなお鈍く光るアレフ・ゼロが何よりも危険だと映っていた。

危険な敵だというのは分かっている。そうではなく、何かが引っ掛かった。

 

 

 

 

 

絶望と怒りの先には希望など無かった。どこまで行っても真っ暗。

 

じゃあ俺はどうすればよかったんだ?どこに希望があったんだ?

 

お前は正義。だがそれでも。

俺が悪でお前が正義だとしても。

自分の感情には嘘を吐けない。

 

俺はお前を許せないんだよ…

 

 

 

 

 

 

『……』

 

『なっ…?』

 

「えっ?」

 

雨に遮られて影となっていた二機の姿がようやくまともに見える距離まで来た。

気の進まなさを無視して、臨戦態勢をとり構えていた銃が揺れる。

 

ホワイト・グリントのコアの中心から蒼刃のブレードが突き出ていた。

 

 

ザーッ…

 

 

ホワイト・グリントの頭部から光が消えると同時にブレードが引き抜かれた。

その時暗い穴から赤い蒸気が上がった。ブレードの熱で人の身体がいとも簡単に蒸発したのだ。すなわち、ホワイトグリントの中身が。

 

力なく崩れ落ちたホワイト・グリントの背後から、雨に濡れて鈍く光る黒い機体が紅い眼を血走らせるようにして現れた。

 

「……」

ターゲットは完全に沈黙している。作戦終了。

 

『……』

だが、もう帰ろうなんて思う事すら許されない禍々しい雰囲気。

実際に見たことがあるわけでは無いが、アレフ・ゼロから放たれてくるその雰囲気は手負いの獣が飛びかかってくる前の空気を連想させた。

 

『貴様…』

 

『……』

 

「あ……」

飛びかかってくるか、と構えた瞬間に遥か彼方へ飛び去って行ってしまった。

 

沈黙する二機。ラインアークからもカラードからも通信は入ってこない。

現実感のないつかみどころのない空気の中でただ大粒の雨に打たれるホワイト・グリントの残骸だけが嫌に写実的だった。




時間は戻って、ホワイトグリント撃破ではなく何故かラインアーク防衛を受けてしまった未来です。


十全な精神と肉体が揃って一人前のリンクスだ、とセレンが序盤で主張していたと思います。
セレンはガロアの目的であるアナトリアの傭兵への復讐を知ってもそれを否定しなかった。
結局どれだけ誰かが適当な口出しをしても自分の心の決着は本人にしかつけられないからです。

だからセレンはガロアの中にある才能や力を徹底的に真っ直ぐに育てようとしました。
凶悪な兵器を用いて殺したり、卑怯な手で勝っても救われないのは本人の心だからです。

勝利の前にはそんなものは下らないのかもしれませんが、見栄や誇りを捨てたらあっという間に獣に身を落としてしまいます。

今回ガロアはそんな教えを全て捨てて憎しみだけが先行して後ろから刺し殺してしまいました。

何よりも、自分を修羅の道に叩き込んだマグナスのしていることを正しいと思ってしまった瞬間、自分の今まで犯してきた罪や殺した者の数を自覚して壊れてしまいました。

バッドエンド確定です。

ガロアが正しい、間違っているというのはとりあえずは置いておいて、
正面から撃破していればまだ救いはあったかもしれないのに。

ちなみにジョシュアはフラジールをマグナスはステイシスに目を向けておくという作戦だったので二人ともアレフ・ゼロのバックスタブに気付きませんでした。


以降、このルートに一切の救いはないのでここは読まないのも手かもしれません。



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あらしのよるに

ザーッ…

 

カラード管轄街も数年に一度レベルの土砂降りに襲われていた。叩きつけるような雨と風の中で出歩くような物好きはそういない。

夜22時半、街灯に照らされた黒髪を雨に濡らしながらセレンはようやく帰宅した。

マンションのエントランスで傘を閉じて数秒ほど立ち止まり意を決したようにまた歩き出す。

 

今回のカラードの作戦を事前に察知しホワイト・グリントを撃破しただけであり、裏切りでは無い。

それを企業連に説明するときにオッツダルヴァも口利きをしてくれたのは甚だ意外だったが助かった。

100%憎悪からの行動だと誰もが分かってはいても、企業連は損をした訳でもなく(むしろ得をしている)、結局その処罰は無期限の戦闘禁止という寛大極まる処置で終わった。

企業が総力をあげてラインアークを潰しに行くよりも、一人の独立傭兵の逸脱行為という事にしておいた方が遥かに民衆からの反感は抑えられる。

ガロアは誰もやりたがらない汚れ仕事を進んで引き受けて、その恨みを一身に背負ったことになる。

 

罰を与えるにしても放逐した結果、敵対企業やテロ組織に抱え込まれては堪らないし、

既にカラードの主戦力として数えられるガロアをこのまま殺処分したり戦闘に永遠に出さないということも有り得ない。

結局、パワーバランスを保つというカラードの建前上謹慎という形になったのだ。

ほとぼりが冷めた頃にまた何事も無かったかのように依頼が来るようになるだろう。

それが1週間後か、1か月後か、あるいは1年後かはわからない。

 

だが、今のガロアにはゆっくり休む時間が何よりも必要だと考えていたセレンにとってその戦闘禁止及び謹慎はむしろありがたかった。

 

髪の先から水滴を滴らせながら25階でエレベータを降りて扉の前に立つ。

 

「……」

ポケットからキーをとって鍵を開ける。普段なら2秒もかからない動作にたっぷり10秒も時間をかけて扉を開ける。

自宅なのに。戸惑っているのだろう。

 

「……ガロア?いないのか?」

いないはずがない。この重く沈み込んだ雰囲気。

だが明かりが点いていないのは何故だろうか。あまり考えられないがもう寝ているという可能性もある。

 

ザーッ…

 

「……」

後ろ手に扉を閉めると、静かな部屋に反響するように、急に雨音が激しく聞こえるようになった。

 

廊下を歩くとびちゃびちゃと音が立つ。ストッキングも雨に濡れてしまったようで、玄関口の薄橙の頼りない灯りが浮かび上がらせる足跡からは歩幅が狭くなっていることが分かる。

 

「……」

リビングに続く扉を開けてもやはり明かりは点いておらず誰もいない。

左手に行けば自分の部屋、右手に行けばガロアの部屋。

濡れた服を着替えることもせずに当然のようにガロアの部屋を覗いた。

 

「……?」

人の気配はするが何もいない。机とベッド以外には何もない。

殺風景なその部屋はガロアの空虚な心が外に出てしまったかのよう。

およそ子供らしい趣味も付き合いも一切持つことなく力だけに執着したということが如実に表れている部屋だった。

 

カッ、と稲光が部屋の中を照らし遅れて雷鳴が轟いた。

 

「!」

その一瞬にカーテンに遮られたベランダから人影が見えた。

 

「ガロア!?何やっているんだ馬鹿野郎!」

カーテンを退けて掃き出し窓を開くとそこには余すところなくびしょ濡れとなったガロアがいた。

 

「……」

 

「風邪……肺炎なんかになったらどうするんだ!」

無言でいるのは常の事だが今のガロアが纏う枯れ尾花よりも希薄な空気は、下手な幽霊よりも余程幽霊じみている。

 

「……」

 

がっ 

 

「…あっ」

手を思い切り引いて部屋の中に入った時にガロアが段差にけっつまずいた。

出会ったばかりのあの頃ならいざ知らず、鍛え上げられ鋭敏に磨き上げられたガロアが今更そんなものにつまずくとは思えない。

それだけ弱っているのか。雨に打たれて身体を、命を手放そうとしてしまっていたのか。

 

「……」

だがそんな憶測よりもこの現実の方が大事だ。

 

(押し倒された…?)

右手を引いていたのに、気が付けば両手が頭上で押さえられてベッドの上にいる。

両手を横切る様に右腕が乗せられて体重をかけられており動くことが出来ない。

そんなまさか、と思った。三年間一緒にいてそんな雰囲気になることすらなかったのだ。

自分に対する異性としての興味も、そういう欲自体もない人間だと思っていたのに。

そう思っている間にガロアの空いていた左手が万力のような力で上着を引き千切っていった。

糸が切れる音、布が裂ける音が暗く物の無い部屋に響く。

 

「…え…っ、…」

晒された素肌に滴る水滴が身体を震わせる。

再び空いたその手でこれからどうするつもりなんだ、と聞く必要も無いだろう。

 

「……」

 

「……」

上に圧し掛かったガロアの顔は見えない。明かりも無く、微かに窓から入る明かりも逆光となってしまっている。

それでももう明らかだ。自分を犯そうとしている。

 

(冷たい…)

ぱたぱたと垂れてくる水滴はベッドをもぐしょぐしょに濡らして冷やしている。

だがそれ以上に押さえつけている腕の冷たさは際立っていた。

雨に濡れて帰ってきた自分の身体が温いと錯覚してしまうぐらいには。

空虚な心、冷たい身体。どこへ行けばいいのか、何をすればいいのか。この八年間の執念の拠り所を破壊したことによる欠如。

全てのやり場をなくしてしまっているのだろう。

 

(大きくなったな…)

最初に出会った時から随分と大きくなったのに今が一番弱弱しい。

この三年間の幸せだった記憶が頭に巡る。それはガロアの成長の記録でもあった。そう、自分はその間ずっと幸せだったのだ。

冷たいガロアの身体とは逆に、力で勝る相手に組み敷かれている恐怖とその相手がガロアであるという後ろ暗い小さな喜びがセレンの下腹をじんと熱くした。

無論、力で押さえつけられているとはいえ、ここから返す術はいくらでもある。

だがセレンはあえて今の状況を変えようとはしなかった。ざぁざぁと響く音が天と地を繋ぐ雨のものであるように、ガロアから滴るこの水が自分達の心も身体も繋げようとしているように思えた。

 

「……」

 

「いいよ…どうしたいんだ…?」

向かう先のなくなった全て、そのやり場が自分の身体だとしても、例え貪るように求められたとしても。

目的をなくした迷子となってしまったガロアがいつかまた真っ直ぐ歩けるようになるのならそれでいい。

その相手が、自分とずっと一緒にいたガロアなら構わなかった。

なんだろう、本当はこうやって抱かれたかったし抱きしめてやりたかったのかもしれない。

 

「……」

しかし、ガロアは動かない。電池が切れてしまったかのように沈黙していた。

 

(…そうか)

年を考えて遡れば分かることだが、ガロアの育て親が死んだのは恐らくガロアがまだ10歳の頃。

それから学校にも行かずに人のいない場所で一人で生きて、14の時にいきなりインテリオル管轄街に来たのだ。

恐らくは、まともな性教育など受けていないだろうし、ちゃんとした性知識などあるかどうかも怪しい。

書物や人から断片的に得られる知識があったとしてもその知識は朧すぎて、どこからどうしていいのかも分かっていないに違いない。

ましてやいきなり女を押し倒し服を引き千切るなんて無法から入ってしまっているのだから、なおのこと分からないだろう。

その時だった。

 

「…!」

偶然、ガロアの鼻筋を伝った水滴が僅かに開かれたセレンの口の中へと入っていった。

 

後に起こる全ての事を鑑みれば、そのたった一つの偶然こそが天の悪意だったのかもしれない。

 

「泣い…ているのか?ガロア…」

ただの雨水と言うにはその水滴は塩からかった。

圧し掛かったガロアからどぐん、と心臓が胸を突き破る程に跳ねる音が聞こえた。

 

「…!!」

 

「ガロア!!」

その言葉を発したとたん、ガロアは自分を置いて玄関へと走って行った。

 

「どこへ行くんだ!」

 

そっとしておいた方がいいかも、とか今は下着だけになってしまっているからとか、そんな聞こえのいい言い訳は全部かなぐり捨ててその背中を追いかけるべきだった。

言うべきだったのだ。そんなことはどうだっていいから一緒にいると、心の底から思っていた事を。抱きしめてやるべきだったのだ。本当の欲求に素直に従って。

 

その後悔がこれからセレンの心を重く永く、支配することになる。

 

 

 

 

歩いて何がある?

もう行き詰まりだろう。 

目標も、生きがいも、全て今日この手で壊したというのに。

 

無意味に戦い生き続けてこれ以上何があると言うのか。

 

俺を救い上げてくれる蜘蛛の糸でもあるというのか。仮にあったとしてももう自分にはその価値がない。

 

俺は何をしようとした?

自分を拾ってここまで育ててくれたセレンさえも裏切ろうとしたのか。

 

「……」

セレンが自分を受け入れてくれたことが嬉しくて、怖かった。

受け入れてもらう価値など無かったというのに。

何をやっているのだと、頬の一つでも張ってもらったほうがまだよかった。

 

「……」

人のせいにしている。

自分が悪いのに。

どこから、どうして自分は悪だったのだろう。

父を奪った人間を憎むことがダメだったのだとしたら、憎んだ自分自体そもそもが悪だったのだろうか。

生まれた時から。

 

(…俺が悪い…俺が…俺が…)

もう、どこにも行けない。

帰る場所も無い。

 

 

 

ザーッ…

 

 

誰一人外にいない大雨の夜、ビルに挟まれた裏路地でガロアは歩みを止めた。

このまま酸性の雨が身体も心も溶かしてしまえばいいのに。そう思って。

その場で膝をつき動くのも止めようとした時、後ろから声がかけられた。

今日、自分の運命は決定的に変わる。自分が変えていく運命というものから世界の流れによってどうしても逆らえない運命という物に。

その声を聞いた瞬間にガロアは確信していた。

 

 

 

「ガロア…」

どこから入り、どのようにしてガロアの場所を見つけたのか。

三年前にガロアをリンクスの世界に連れてきた男、ロラン・アンドレヴィッチ・オレニコフだった。

爛れた肌と顔を濡らすこの男もまた傘も差していない。

 

「……」

 

「生きて生きて…生き延びて…見た世界はどうだった…」

言葉を話せないガロアにその質問をしてまともに返ってくるはずがない。

だが、その表情は十分に感想を語っていた。

 

(…ガロアも…結局壊されちまった…この世界に…)

三年前よりも遥かに大きくなったその身体。

だが、その身に宿っていた焦げ付くほどの決意はもう見えない。

 

「ガロア…」

 

「……」

 

「ガロア…」

地面にへたり込んだまま動かないガロアの目線の高さまでしゃがみその眼を見る。

叩きつけるような雨で垂れた髪がかかってほとんど眼は見えないが、涙が溢れていることが分かる。

 

「俺には…お前の気持ちが分かるぞ…」

 

「……」

 

「分かるんだ、ガロア…いちっ、一度でも…」

 

「……」

 

「なっ、失くして、しまうと…」

あれっ、と自分の頬を伝う物に気が付いて思う。

後ろから刺して復讐を遂げるという道を辿ったガロアの様子を見に来たつもりだった。

その様子次第では引き込んで利用しようとすら思っていた。

だがロランは、その壊れた姿に在りし日の自分を重ねていた。

もう縋る物さえも無くなり闇に身を堕としたその姿は過去の自分だった。

しがみ付いて生きている運命は殺人兵器の自分という部分、それのみ。唐突に、未来の希望も幸福も全てが一度に灰と炭になったあの日を思いだした。

 

あんなにも強かったのに、取り巻く現実には勝てなかった。自分も、ガロアも。

 

「もう…戻れない、ん、だよな…あ、…あ、あ…う…あ…ガロア…あぁあ…俺は……あああ…」

冷えた身体を雨に打たせて小さな子供のように泣きじゃくるガロアを抱きしめながらロランは嗚咽を漏らしながら泣いた。

 

ただその身体を抱きしめてその存在を肯定する事。

その相手が天使であれ悪魔であれ、それが今のガロアには一番必要な事だった。

 

「う…ああ、お…うあ…ああああ、…うぉおあぁ…、あっ…うっ…」

 

「……」

 

「おっ俺、…俺たちは…なぜ選ばれた…?何故力があった…」

目の前のガロアの眼から光が消え、ガロアを何も無い0の子供からここまでのリンクスに育てた化け物染みた精神力が、冷たい雨に晒され夜の街の闇へと解き放たれて行くのが見えた。

分かるよ。俺もそうだった。奪われ尽くして力だけが残ると、どっちが自分だかも分からなくなるんだよな。

 

「……」

 

「うっ、ただ…ただ不幸を生み出して…ああ…不幸になっていくだけだというのに…分かるんだ……俺たちは…本当はただ……ただ…」

自分の半分も生きていない子供を捕まえて何を言っているというのか。

ただ、今のガロアなら答えをくれなくても理解してくれるのではないか、そう思えた。

 

「もう…もう…終わりにしよう、ガロア…こんな世界は……もう、戻れないから…もう、耐えられないから…」

ああ、ガロアが飲みこまれた。失意と絶望に。

そうだろう、ガロア。力はあるのにそれだけで、世界は俺たちを虐げるばかりだよな。

 

 

 

 

(ロランはこの世界が好き?)

 

(君がいるから好きだ)

 

その言葉に嘘はなかった。心からの言葉だった。君がいるからこの世界が大好きだった。

なのに今、自分は望んでもいなかった力にしがみ付いてこの世界をたださまようだけの存在だよ。

 

一人ぼっちになっても、止まない鼓動、止まない愛、止まない傷。

いっそのことこの愛も記憶も忘れられたら楽だったろうに。

 

 

止まない雨。

 

 

ガロアがこうなることは本当は最初から分かっていたのかもしれない。

あの年で父を失って本当の本当に一人ぼっちになった子供の心が壊れないはずがない。

ガロアはただ誤魔化していただけだ。燃え上がる怒り、それのみによって。

もう耐えられなかった。何も無いこの現実も、ガロアを破壊したこの世界にも。

 

「この世界が俺たちを見捨てるのなら…俺たちも…この世界を…」

 

「………………………、……」

 

 

そしてガロア・A・ヴェデットはカラードから姿を消した。




俺たちは本当はただ




なんだったのでしょうか。

どうすればこうならなかったのか、その根本的な原因を考えれば簡単なのですが、わかったところでもう戻ることは出来ません。


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クレイドル03破壊

三機のクレイドルが既に煙を上げて大陸と海洋に落ちていった。

大爆発を起こすか、海の底に沈むか。どちらにせよ中の人間は生き延びることは出来ないだろう。

残りの二機のクレイドルも空の自律兵器から次々に攻撃を受けて何もせずともそのうち大破するだろう。

 

 

図体ばかり大きく、何の装甲も無いエンジンにショットガンを突きつける。

 

「あいむしんかー…とぅーとぅー…とぅー」

リザの上半身が埋まるほどの大穴があき、途端にエンジンが煙を上げた。

足元の馬鹿でかい棺桶から魂の震えを感じる。

 

『……』

アレフ・ゼロがもう一つエンジンにブレードを刺しこむと、クレイドル全体に大きな揺れが広がった。

 

「八千万」

 

『……』

自分もそうだが、特にガロアも何か感想があるというわけでもないらしい。

何の意味があってか、命が、意志が宿っていた物質がただの原子の結合へと変わっていく。

ただそれだけだ。

 

(そうだよな…もう、動かないよな…何を見ても…)

 

『……』

 

『ガロア!?ガロア!?何を…何をしているんだ!?ガロア!!聞こえていないのか!!』

 

「あ…?」

 

『やめろ!!やめてくれ!!』

 

(なんだ…?ガロアが話せないことを分かっていない…いや、この声のかけ方は……ああ、なるほど)

 

『お前…!!…お前が…ガロアを!!』

 

(現実を受け入れられないのか)

 

『唆した…いや、脅したのか!?許せん…』

 

「くく…」

まるで分かっていない。違う。一つの面しか見えていない。

 

『何がおかしい!!』

 

「お前が誰だか知らんが…お前の思っている通り、ガロアは純粋な子だ。…この世界で一番透明な子だったろう」

 

『だからこんなことを…』

 

「お前が…ガロアをこれまで育てていたのか?くくっ…何を見ていたんだ…人を見るのは苦手か…?」

 

『何を言っているんだ貴様!!今すぐ止めろ!!』

 

「純粋…そう、純粋だ。友も知り合いもおらず、父が死んでから以降、俺もガロアとはなるべく関わらないようにしていた」

 

『!?お前…お前はなんだ…?』

正体を問うてくるあたり、今までに自分の事を伝えていなかったのか。

だが、どっちにしても自分が誰かと聞いてくることはこの場では場違いだ。

 

「そんな中で一人で考えて考えて…考えてガロアはアナトリアの傭兵を殺そうと決めたんだ。誰にも唆されず、一人で、な」

それはある種の賭けのようなものでもあった。親を殺されたガロアは一人でどういう結論を出すか、と。

ときどき立ち寄ってはそっと食料を置いていき、父が死んでから実に4年もの間会わず、会話もせずにあとはあの白い森に放置していた。

アナトリアの傭兵が悪い…どころか誰が父を殺したかもすら言っていない。本当にただ生かしていただけだ。あそこには人も住んでいない。

死ぬならばそれもよし、生きているなら生かす、それだけだった。

 

そして出てきたのは恨みの化け物だった。ガロアは自分で考え抜いた結果誰にも相談せずに一人でアナトリアの傭兵を殺そうと決めたのだ。

何一つ持たない子供がよりによって世界最強の男を。それを支えるのは一体何だったのだろうか。

 

『なに…?』

 

「ガロアが初めて戦場に出て人を殺した日、後悔していたか?してないだろう?ガロアは善悪の基準を全て自分で決めて、自分の裁量だけで人を殺す。こいつは生まれながらの…悪だったんだよ」

強すぎる鋼の心だったのだろう。そしてその心は強すぎるが故に人の言うことなど全く聞かない。

自分にAMS適性があることすら知らない子供がアナトリアの傭兵を殺すと決意し行動するのはそれほど異様なことなのだ。

そしてガロアは復讐、その為だけにミッションを受けて人を殺し続けた。そこにはポリシーも何も無い。

ただただ自分が憎んでいるから、その目の前に立つ奴は邪魔だからとそれだけだった。

 

正義はない。だが悪はある。自分の都合だけで人を殺す者、裁く者はどうしたって悪なのだ。

 

『そんなことはない!!そんなことはない!!』

悲鳴のような声で否定する声。

サーダナはどう思うのだろうか。

もうどうだっていいが。

 

「そうか…?そうかもしれんな。実際はどうだかわからん…ガロアは口が利けないからな…。だが…悪でないならば…どっちにも傾く可能性のある危い純粋な子だったんだ。…それは…分かるだろう?

誰にもその心を曲げられない存在なら行きつく先は絶対的な正義か悪かだ。…そしてガロアは自分を悪だと認めてしまった」

人は自分が正しい側だと思えるのならいくらでも残酷になれる。それ自体が人の性の悪たるところなのかもしれない。

だが、真に自分を悪だと思い何もかもがどうでもよくなった人間は最早何をしても何も感じなくなってしまう。

 

『なんなんだ…何が言いたいんだ』

 

「分かりやすく言ってやろうか…。お前が今のガロアを作った。この世界から、この地獄からガロアを救い出せなかった。お前は…失敗したんだ」

 

『う…あ…』

オペレーターの女の心が折れるのと同時に最後のクレイドルがアレフ・ゼロのブレードで滅茶苦茶に切り裂かれてとうとう落ちていった。

 

「一億」

誰もやったことない事をど派手にやる…ということは普通は心が動き感動や咆哮をもたらすはずだ。

それが最高に極まった行動だ、一億人の大虐殺など。

 

『……』

 

「何か感じるか…?」

 

『……』

反応は無い。

先ほどの通信も全て聞こえていたはずだ。

ブレードでクレイドルを斬った生々しい感触はまだ残っているはずだ。

それでも反応は無い。

 

「まだまだ腐るほどいるがな…面倒だが、先は長いぜ、ガロア」

やはりもう、何も感じやしない。あるいはもう死んでいるのかもしれない。ロランはそう思いながら地上へと飛んだ。

 

 

 

どこか空想じみた話だった。

ガロアがカラードから抜けて18日で全ての主要都市は襲撃を受け、同時に激しい汚染により人が住める土地ではなくなった。

当然ながら、リンクスも人であり主要都市では汚染からは逃れられない。

特に基地を狙ったアレフ・ゼロの攻撃と、居住区を狙ったリザの攻撃により、倉庫番をしていたネクストはほぼ壊滅。

迎撃に出たリンクスも、超一級の腕前を持つガロアとオールドキングの前になすすべもなく沈んでいった。

さらにORCA旅団に所属していたオールドキングは各地に潜伏していたORCAの基地も容赦なく叩き、

一月も経たないうちにリンクスの数だけでもこの世界から五分の四が消えていた。

 

 

とある基地。

 

イクバールを抜けたロランだがORCA旅団に入るまでの間、どの企業も抱えてはいるものの、数も少なく戦力の象徴となるオリジナルリンクスには任せられないような黒い仕事を率先して受けていた。

企業に所属していないもののオリジナルリンクスの上位をも上回る実力者の上、金さえもらえば何でもやるロランをどの企業も大いに重用した。

とはいえ、あまり表だって協力してその繋がりが白日の元に曝されては元も子もないので、どの企業も整備できる工場を作るだけ作って全て彼に任せていた。

これらの場所を知っている者は元々少なく、知っていた者は既に皆殺しにされている。

結局企業の腹黒い所業の数々のツケが返ってきていると考えられる。

 

 

『必ず来てくれると、信じている』

 

「……」

GPS機能付きのこのケータイを持ってきたのはミスでもないし、何か意図があったわけでもない。セレンがそれを企業にばらしたのならそれもよし、何も言わなくてもそれでもよい、と思っての事だった。

今となっては震えることも無くなったケータイに突然メールが来たのは少し驚いたが、場所も時間も書いていない。

これではどうすればいいのか分からない。

 

「見ろ、ガロア」

 

「!」

ケータイを閉じて思案に暮れているとロランが手に持った情報端末を渡してくる。

 

 

『ミッションの概要を説明します

 

ミッション・オブジェクティブは

大規模アルテリア施設、カーパルスの占拠です

 

今回は、細かなミッション・プランはありません

あなたにすべて任せます

あらゆる障害を排除して、目的を達成してください

 

ミッションの概要は以上です

 

ユニオンは、人々の安全と、世界の安定を望んでおり

その要となるのが、このミッションです

 

あなたであれば、よいお返事を頂けることと信じています』

 

 

「……」

見え見えの罠なのは置いておいて差出人がインテリオルとなっているところに目が行く。

 

「俺宛にミッションの連絡が来るのはいつ以来だ…」

 

「……」

 

「罠だ。これ以上ないくらいわかりやすい、な」

 

「……」

 

「ただ…」

 

「……」

アンサラー含む主要アームズフォートも全て基地ごと叩き潰した今、ここで自分達を殺しに来るのは。

 

「残ったリンクスを一掃できる。トップのリンクスはみんな雲隠れしていたからな…だが、これで終わりだ。はっきり分かるぜ…」

雲隠れしていた、と言う時にボロボロのオールドキングの顔が僅かに歪んでいたのをガロアは気が付いていたが何も反応しなかった。

 

「……」

 

「世界が何を望んでいるのか、がな…」

 

「……」

この戦いに勝てば自分達を止める戦力はもう地上に存在しない。

後は心変わりでもしない限り滅びの一途を辿ることになるのだろう。

 

萌芽した悪意の種。

人は人によって滅びようとしている。

自然の流れなのか、これで終わりだという人間種の意志か。

 

「……」

だが、そんな世界の運命を決める最後の戦いを前にしてガロアはまるで似合わない感情に支配されていた。

 

 

(…セレンに…会いたい)

思えば出会ってから三年間、ほとんど毎日一緒にいた。こんなに長い間離れたのは初めてだ。

寝食を共にして、鍛えられてしごかれて、怪我を治している間に座学を教えられてまたぶっ飛ばされて。

思えばまだセレンも十代の女性だったというのにその時間の全てを自分に捧げてくれていた。

いつの間にか、自分の後ろにいるようになってて気が付かなかった。

たまたま拾っただけの自分に対して、どうしてそこまで?

信じられない程の献身だった。

 

「……」

こんな簡単なことになんで今まで気が付かなかったんだろう。

ずっと一緒にいたのに、ただただアナトリアの傭兵に対する怒りと憎悪だけ。

彼女は毎日ずっとそばにいてくれたというのにその尊さがどうして分からなかったのか。

 

「……」

いや、気が付くことも出来たはずだ。どこからか、その感情はあったはずなのに。

立ち止まって、振り返るということを意識的にしていなかったせいだ。

 

 

「……」

もう、遅い。

 

「ガロア…行くぞ…………。…、…ありがとうよ…こんな俺に……付き合ってくれて…」

 

「……」

いつだって、遅すぎた。

自分も、この男も。

 

ガロアはセレンとの最後の繋がりであるケータイをへし折り捨てて最後の戦場へと向かった。




実際ガロアが最初から悪いともセレンが失敗したとも言いきれないのですが…
ガロアに力を与えたのはセレンですから責任の所在を辿ればやっぱりセレンも悪いことになっちゃいますよね。

オールドキングはセレンの心をバッキバキに折った訳ですが、バッドエンド確定のこのルートがそれで済むはずもないです。


死んだ人間はもう戻ってこない、それはしょうがないことだとしても今自分には何があるのか。それを一度でも振り返ることが出来たのならばガロアも何か変わっていたのかもしれません。


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アルテリア・カーパルス占拠

「やはり…誰もいないか…」

クレイドルの要となるアルテリア施設の一つ、カーパルス。

平時からの十重二十重の防衛機構は一つとして動いておらず、人っ子一人いない。

 

『……』

 

「さて…どこから来…?」

 

とぷん、と音を立ててアレフ・ゼロが水の下へと沈むのを見た。

これから世界で一番苛烈な殺し合いが行われるというのにその意の無さは近所の八百屋にでも買い物に行くかのようだった。

 

「あ…?」

ノーマルもネクストも、結局は有人機であることが決定的となり、完全な密封は出来ていない。

また、汎用性を保つために各部位ごとにパーツの換装が出来ることも仇となり水中での漏電は免れず、

ネクストの冷却機構を以てしても漏電の負荷に耐えきれずに徐々に回路が焼き切れていく。

一体ガロアが何をしたいのか、全く分からなかった。

 

 

 

 

「……」

ステイシスの中でオッツダルヴァはただ沈黙していた。

 

『……』

 

『……』

 

『……』

残る三機も同様である。

 

「……」

企業も、ORCA旅団も、どこか現実離れした速度で淡々と壊されていく世界に対応できなかった。

水泡が弾ける様に、この悪夢のような現実から醒めるのではないかと誰もが思いたかった。

 

「……くそっ」

ORCA旅団は崩壊した。

いや、最早ORCA旅団があっても意味がない。

クレイドルの半分は叩き落とされ、企業も民衆も等しく致命傷を負った。

 

「……」

通常モードで海上を疾走するステイシス。

普段はFCSや機体制御に回されているエネルギーが全てジェネレーターとブースターのみに回されている。

レーダーの縮尺が一秒ごとに大きくなっていく中心には二つの赤い光点。リザとアレフ・ゼロがいるのだ。恐らくは罠だと分かってきているのだろう。

殺さねばならない。これまでの全てを無駄にしない為にも。

いや、ここで殺すことに成功しても人類は持ち直せるのか…

 

『オッツダルヴァ!!』

 

「…?」

 

『下だ!!』

 

「な…!!」

レーダーの拡大がオーバードブーストに最大までエネルギーを叩き込んで移動するネクストの速度に追いついていなかった。

たった今、拡大されたレーダーには確かに真下に一つ、光点が表示されていた。

 

 

暗い海の底から全てを断つ乱刃を手にした悪魔が極悪な粒子を迸らせながら飛びかかってきた。

その場にいた全員が濃厚な死のイメージに凍り付いた。

 

 

『あ…』

 

『ガ…ロア…様…』

 

『リリウム!リリウム!!ク…ソッッ!!』

 

「なんだと…!」

飛び出した瞬間にアサルトアーマーが放たれた。

緑の閃光に目が眩んだほんの数瞬の間にフィードバックは真っ二つにされ、二つの刃がアンビエントのコアを貫いていた。

 

(真改の月光…!!)

アレフ・ゼロの全ての武装は外されており、その代わりに両手には見慣れたブレードが装備されていた。

ORCA旅団の基地を強襲し奪い取った武装である。

 

「信じられん!!」

直ちにメインシステムを戦闘モードに切り替えると莫大な情報が首のジャックを伝って頭に流れ込んでくる。

 

(死ぬつもりか…!)

まさか海の下に潜んでいつ来るかわからない自分達を待ち伏せしていたとは。

死を覚悟というラインを完全に超えている。死のうとしていると言った方がいい。

 

誰がどこから来る、ということも分かっていなかったはずだ。海に潜ってこちらに来たのも、完全に水没する前に自分達が飛来したのもとんでもない不運だった。

ガロアは試している。全力、というよりは自分の死すらも覚悟した戦術をとって、果たして自分は本当に生きるのか死ぬのかを。

世界の意志を問うている。

 

「貴様の相手は…」

アンビエントを細切れにしたアレフ・ゼロの濡れたヘッドがこちらを見る。

自分も歴戦の戦士のはずだ。誰よりも辛い訓練を耐え抜いて頂点にいたはずだ。

そのはずなのに切り刻んだ味方機をもう忘れてこちらを見るその姿にゾッとする。

自分も追い付かれたらああやってゴミのように切り刻まれてすぐに忘れられてしまうのだろうか。

その不安を振り払うように武器を構えたその瞬間。

 

「かっ…」

後ろから強烈な衝撃が飛んでくる。

先ほどのアサルトアーマーでプライマルアーマーは消えており、何にも緩衝されていない生の衝撃が中身のオッツダルヴァを激しく揺らした。

 

『俺だよ』

 

「貴様…!」

ネクスト、リザがこちらにショットガンを向け舌なめずりするように揺らした。

 

『殺してやるぞ貴様ら!!』

 

『戦争屋風情が、偉そうに…選んで殺すのが、そんなに上等かね 』

 

「異常者が…やはり殺しておくべきだった!!」

今更隠すつもりも無い。もうORCAも無いのだから隠しておく意味は無いだろう。

誘うようにカーパルスの壁の中に飛んだリザを二機のネクストは激昂を隠そうともせずに追った。

 

 

「……」

海に落下したアンビエントがたてた波が収まる頃になっても増援の気配はない。

 

「……」

来ると信じている。その言葉があったから来たというのに。

普通ならここでその言葉も罠だったと思うのだろうか。

だが、セレンはそんなこすい嘘で自分を騙すような器用な人間ではない。

恐らくは、考えていることは同じはずだ。

なら、さっさと残りの木っ端を片づけてしまおう。

 

 

 

 

「く、ぅ…お…」

強い。流石にORCAのリーダーだけはある。

レイテルパラッシュも確実にレーザーを当ててきている。

ミサイルは超高速で動きまわる二機にロックを吸われまともに機能していない。

さらに苛烈にしかけられた攻撃を避けた先でステイシスが待ち構えていた。

しまった、と思う暇もなくアサルトアーマーが装甲を溶かし肌を焼く。

 

『殺人鬼め…貴様には地獄すら生ぬるい…』

 

「そうだ…俺の心を打ち砕け…」

ああ、まただ。また頭に浮かびやがる。

俺の何もかもを奪ったあの日が。あの時も俺への怒りの炎が全てを奪っていったのか?

だったらくれてやるというのに。ここまで来てようやく終わってくれるのか?

全身のダメージのフィードバックはネクストの見せる幻覚のはずだ。だというのにロランの身体にあの日負った致死ギリギリの火傷が聖痕のように赤く浮かびあがり血が吹き出た。

待ち焦がれた終わりが来てくれた。

 

『終わりだ』

 

「…ガロ…ア…」

レーザーバズーカがコアを直撃する直前、オールドキングがこの世で最後に見たものはステイシスを貫くアレフ・ゼロの姿だった。

 

とうとう生まれたのだ。自分も含む、この世に生きるあらゆる生命と引き換えに全てを焼き尽くす化け物が。あの底すら知れぬ深い闇の眼。自分とは器が違う。

ロランは笑いながらも泣いていた。

 

(リザ………)

 

どうしてなんだ。

 

それが自分の人生の大半を占める言葉だった。

母の命を奪って生まれた?どうして、俺はそんなことがしたかった訳じゃない。

なぜお前の方ばかりに才能があるだって?俺はそんなこと望んでいた訳じゃない。

どうしてAMS適性なんて力があったんだ。もっと正義の味方のような、誰もが好くような人間が持つべき力だったはずだ。俺はそんなもの別に欲しくなかった。

 

だから、どうしてかは分からないけどリザが俺を選んでくれた時、理由なく全てを決めてきた神とかいうものに初めて感謝したんだ。

 

なのに。

 

どうして、どうしてどうして。俺には、俺たちにはただいたずらに力ばかりが与えられてそれ以外の全てが奪われたんだ。

 

俺にはお前の本当の苦しみが分かる。俺と同じだ。

 

たった一つだけなんだ。

 

俺たちは、ただ幸せになりたかった。それだけだったんだよな。

 

俺たちは互いに世界から見捨てられ、虐げられ、理解しあった。そこには一切の救いはなかったがそれでも…

 

「よかったぜ…お前とは…」

苦しむのが自分一人でなくてよかった。最後にアレフ・ゼロと眼があった気がした。

力以外の全てが奪われたガロアは過去の自分だった。その力はどうするかはお前が決めていいさ。俺にはどうなるか分かるけどな。

 

(もう一度だけでも…会いたかった…)

地獄に落ちていく。ああ、そうだろうな。それだけの事をしてきたよ。どうせ地獄に落ちるのならどうして早くに裁かれなかったんだ。

どうして幸せになることが許されずに地獄へと落ちていくのだろう。どうしたらリザと会えたのだろう。生まれてくるはずだった娘と幸せな家庭を持てたというのか。

あのまま歯を食いしばって生きていればまた幸せになれたとでも?馬鹿を言うな。俺の幸せは全て焼き尽くされて残ったのはこの力ばかりの身体だけだった。

極限まで薄く伸ばされた時間の中でステイシスが細切れにされていくのを認識すると同時にロランの身体は砕け散り、肉体から魂が解放された。

 

そこから上がった煙は人類史上最悪の殺人鬼の魂とは思えない程に透明だった。

 

 

お前の幸せも、俺の幸せもどうして消えてしまったんだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

『……』

 

「オッツダルヴァ…くそっ…」

無機質な紅い複眼がこちらを見てくる。

命の宿っていない、背筋が凍るような目線だ。

 

『……』

 

「貴様は本当に人間か?関わる人間を…ことごとく死なせて…」

ガロア自身も知らないガロアの過去の全てを知るウィンは、切り裂いたステイシスを何の感想も無く、ゴミを捨てる様に海に捨てる様を見てゾッとする。

望んでか望まずか、過去に彼に関わった者はウィンの知る限りではセレン・ヘイズただ一人を除いて全員死んでいる。

歩く災禍、本物の死神。陳腐な表現は現実感がないが、自分以外全滅していることは間違いない現実だった。

 

『……』

 

(次は私の番か…?くそっ、くそっ、くそっ!!)

ノーモーションで飛びかかってくるアレフ・ゼロから距離をとりつつも頭の冷静な部分ではもう敵う相手ではない、と呟いている。

カラードの最上位四人でかかってもう自分しか残っていない。そういえばセレン・ヘイズも四人でかかっても勝てるかどうかと言っていた。

オッツダルヴァもといマクシミリアン・テルミドール率いるORCA旅団との水面下での争いも自分では必死でやっていたつもりだったのに、

あれが全て茶番だったのではないか、そう思ってしまう程この男はあっさり舞台ごと破壊してしまった。チェスの基盤と駒を壊すように、地球という盤面と人という駒を。駄々っ子が癇癪を起こすように。

 

『……』

 

「戦争を起こさないためには人間がいなくなればいいということか?ふざけるなよ…」

そんな高尚な考えで動いていたわけでは無いのだが、どちらにせよガロアは答えられないし、ウィンもそのことは分かっている。

時間をなんとか稼いで勝ち目を探そうとしているのだ。揺れ動くアレフ・ゼロに両腕を突き出し狙いをつける。だが。

 

「がはっ!?」

距離をとっていた筈がいきなりブレードが伸びて両腕が切断された。

電気的に伝えられる痛みに呻いた瞬間、つんのめった機体に痛烈な蹴りを入れられ壁に激突させられた。

 

「げうっ…あっ…悪魔め…」

壁から離れる前にさらに蹴りがもう一発。レイテルパラッシュのコアが壁にのめり込み身動きが取れなくなったところに真下と右にそれぞれブレードが刺さる。

もう五秒後に自分がどうなるかウィンは確信した。

 

『……』

 

「お前は…何なんだ…」

真下と真横から迫る連斬を避ける術はなく、辞世の句を詠むことも許されずにウィン・D・ファンションは塵も残さず消滅した。

 

 

 

 

 

 

 

「……」

四つに分断されたレイテルパラッシュが間抜けな音を立てて地面に落ちた。

壁に刻まれたブレードの跡は偶然にも巨大な十字架となっていた。

それはカーパルスに散ったリンクスへの追悼か。

それともこれから死に行く人類の墓標か。

知る者はいない。

 

「……」

比較的平らな場所を選んで着地してゆっくりと周囲を見渡す。

ネクストの残骸が転がるばかりで波の音以外は非常に静かである。

両手のムーンライトに全てのエネルギーを送り紫電のブレードを翼を広げるように構えて回転すると、カーパルスにあった壁も含めて全てが切り刻まれた。

青い空の下、立っているのは自分だけだった。

 

「……」

また、一人になってしまった。

こちらに来てからはもう二度と味わいたくないと思っていた感情、すなわち孤独。

 

「……」

自分の選択でここまで来た。

それに、自分にはこの荒涼とした世界がお似合いだ。

だが。

 

(…セレンに…会いたい)

もう自分にはその資格も無い。会って殺されるかもしれない。

それでも、会いたい。そしてセレンは必ず来てくれる。

この自分だけが立っている戦場にどれだけ時間をかけても必ず来てくれる。

 

 

 

 

 

そしてガロアの思った通り。

夜のとばりが空に降ろされ始めてから少し、西の彼方から桜色に輝く機体が夕陽を受けて憂いを含んだ紫色に染まりながら高速で飛来した。

 

シミュレーションで一番戦った機体、シリエジオだ。

 

 

『待っていてくれたのか…信じていたよ。ふふ。あいつら…みんなお前を殺せる気でいやがった…お前が殺せないことは…お前の強さは…私が一番分かっている。…屁でもなかっただろう?』

 

「…、…」

この声が。

 

『もう…こうなってしまった以上…どうにもならないから…聞いてくれ…』

 

「……」

この感覚が。

なんて愛おしいのか。

 

『お前が成長していくたびに、お前がミッションを成功させるたびに、喜んでいるうらはら…ずっとある思いが私の中でくすぶっていたんだ』

 

「……」

駆け寄って抱きしめたい。そんな幼子のような衝動がガロアを突き動かそうとした。

だが、ガロアはそれを伝える言葉を持たない。

それにこんな機械の身体ではそれも叶わない。何よりもそんな資格も無い。

 

『私なら出来たのだろうか、と。なぁ、ガロア。…どう思う?私は結局…お前には勝てなくなってしまったから…』

ガシャン、と音を立てながら手にした武器を向けてきた。

 

「……」

もう、やるしかないのだろう。

チリチリと肌を刺すこの感覚は紛れも無い殺気。自分を殺しに来たのだ。

なのにその声に愛情が混じっているのを感じ、愛おしいとすら思ってしまう。

ああ、やっぱり自分は、セレンの事が…

 

 

 

 

 

 

 

 

「でもそれは許されない事だった。私は霞スミカじゃない、そう決めたのに」

ガロアの成長が喜ばしかった。誇らしかった。だが一方で、その輝かしい光はセレンの中の闇を確実に浮き彫りにしていった。

リンクスのコピーで最高のリンクスとなるべく育てられたセレンの心はやはり戦いに惹かれていたのだ。

あるいは、ガロアがリンクスになっても凡庸な戦士だったらその思いに気づかずにいられたのかもしれない。

だが、今となってはそんな思いはどうだっていい。人は誰もが表に出せない思いの一つや二つは抱えているものなのだから。

 

『……』

 

「お前がいなくなってから…今一度、振り返った」

 

『……』

 

「お前の事以外まるでない私には…振り返って…思い出したんだ」

 

「お前の肉を打つ感触…お前の骨を砕く衝撃。甘美な…」

 

「狂おしい…」

レールガンとレーザーを構えた手が震える。

ああ、まさかこの手で、ガロアを守り育てたこの手でガロアに銃を向けるなんて。

どうしようもない悲しみと後ろ暗い喜び、相反する二つの感情がセレンの顔を歪め熱い滴が頬を濡らす。

 

『……』

 

「誰よりも私がお前を知っている。お前の強さ、お前の動き、お前の戦いを。ずっとそばで見てきたんだ」

 

「お前が誰かに傷つけられるのは許せない。お前が誰かに殺されることなど絶対に許せない」

怪我をして欲しくない、と思いながらもこの手で何度も傷つけていた矛盾。

 

『……』

 

「お前は…私の物なのだから…」

そういう事なのだろう。

例え言葉が返ってこなくても…いや、何も言わずに、ただ黙って自分にひた向きに着いてきてくれたからこそ、あたかも物言わぬ所有物のように愛してしまっていたのだろう。

 

16歳になるまで人とほとんど人らしい関係を持つことも無く戦う為に育てられ、自由になった後も人とまともな関係を持つことなどまるでなかった。その術を知らなかった。

そんな中で自分を頼ってくる存在なんて初めてだった。しかもそれが自分以外に頼る者もいない子供だとなればなお一層のことだった。

焼け付くような独占欲と歪んでいると自覚することすらできない愛情が心を支配し、当然ガロアは自分の物なのだと思うようになっていた。

 

 

その結果、自分の元から離れてしまったと分かった時にはこれ以上ないくらいに取り乱した。

 

もう、自分の元に戻らない、戻ることが許されないというのならば。

 

 

『……』

 

「私だけがお前を傷つけていい。私だけがお前を殺していい。…お前だけが…私を殺していい。だから…」

せめてこの手で。

…いや、違う。誰にもそんなことはさせない、許さない。自分が、自分だけが、自分のこの手で終わらたい。

 

『…、…』

 

「始めよう。お前を、殺す」

 

『……』

 

星々がちりばめられた夜空にせせら笑うように浮かんだ下弦の月が見下ろす中で、二機のネクストが激突し、稲光がカーパルスを照らした。




開幕コジマキャノンをぶっぱなしてごり押しした思い出。

カーパルス内に入ってくるまでただ飛んでいるだけの四機に容赦ない攻撃です。

多分ネクストにも戦闘モードと通常モードあるだろうな、ということで入れました。


しかし、これよりトライ&エラーしたミッションって他のゲームでもないなぁ


セレンのセリフはさりげなくVDのマギーをオマージュしています。

多少の独占欲はあったとは言えセレンはどのルートでもガロアの事を何よりも大事にしています。
そしてガロアはそのことをセレンから離れてようやく気が付きました。

遅すぎる。


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黒い鳥

文明は崩壊した。

ことの始まりから僅か4か月で空に浮かぶクレイドルは一つ残らず叩き落とされ、

宗主たる企業もクレイドルに移住していた首脳陣の死に次いで点在する都市を執拗に襲撃するアレフ・ゼロを打ち負かすことは出来ず、

破壊され、汚染され、かつて企業と呼ばれた世界の支配者は消えてなくなった。それはつまりこれまで連綿と紡がれてきた文化と技術が失われたことを意味する。

いくらか残った企業と関係の無い、あるいは企業に反対する武装勢力も少しでも派手な活動をすればどこからかアレフ・ゼロが飛来して悉くを焼き尽くしていった。

都市で身を寄せて大人数でいるとアレフ・ゼロを呼び寄せる結果になると分かった頃にはもう手遅れだった。

現在の世界人口5400万人。最盛期の200分の1以下にまでその数を減らした。

 

分かってはいても人々は安定を求めて群れずにはいられない。

文化の発展を、食料の供給を、人々の交流を。

それが無ければ「人間」は成り立たず、進化してこなかったからだ。

だが、その僅かに起こった希望の種火すらもアレフ・ゼロは踏みつぶすように執拗に消していった。

 

既に世界にガロア・A・ヴェデットの名はおろか、アレフ・ゼロの名を知る者すらいない。

ただ、皆口々に「黒い鳥」と呟きながら指紋が消える程手を合わせ祈る。

自分達にその無慈悲な災害が降りかからないように。

あるいは毎日のように来る武装した悪漢たちに裁きが下されるように、と。

 

人類は刻一刻とその数を減らしている。

氷は溶け、草木は枯れ、動物は死に絶えていく。

最後の戦いでの勝利はガロアの他と圧倒的に隔絶した実力によるものだが彼がここまで生き延びた事もそんな力を身に付けた事も、

そして選択を誤ってしまったことも全てが地球による人類への滅びの意志によるものなのかもしれない。

 

 

 

 

 

あちこちが汚れた服を着る少女が太陽に熱される砂漠を走る。

まだ10歳にもなっていないくらいだろうか。

どちらにしろこんなところに幼い子供が一人でいるのはただ事ではない。

 

 

「はっ…はっ…きゃっ!」

砂漠を走る少女は何もない場所で転んでしまう。

躓いたわけでは無く、長い事まともに食事をしていなかったことに加え、ペース配分も考えずに思い切り走ってしまい脚が藁になっていたのだ。

 

「うっ…ううっ…」

怪我はそこまででも無いのだが、もう立ち上がる気力も無いようだ。

相当恐ろしい目にあい、命からがら逃げてきたように見える。

じりじりと身体を舐る太陽にますます気力体力が奪われていく。

とうとう膝を抱えて泣き出してしまった。

 

「ひっ…うぐっ…誰か…助けて…お父さん…お母さん」

 

「……」

 

「えっ…?」

自分を覆うように影が出来ている。

顔を上げるとそこには背が高く赤い癖毛と渦を巻くような眼が特徴的な青年がいた。

こんなところで人に会うなんて。ゆったりとしたマントのようなボロ布には砂がこれでもかというほどついており、

砂漠に長い事生身でいることが伺えた。

 

「……」

 

「あ…ありがとう…」

ぐぃっ、と手を引かれ立ち上がる。

一見細身に見えるがそこからは想像できない程の力があり、溢れるような生命力を感じた。

立ち上がるとその青年は見上げる程大きく少女の知るどんな人間よりも長身であることが分かる。

 

「……」

 

「あ、あの!」

この人ならもしかして、何とかしてくれるかもしれない。

そんな考えが頭に出て少女の口を動かした。

 

「……」

 

「助けて!お父さんとお母さんが…町が…悪い人に襲われて…」

 

「……」

 

「あ、あっちに…あるから…」

何の反応も帰ってこない。

確かにそこにいるのに、確かにさっき触れたのに。

もしや、既に自分は死んでいて幽霊にでもなってしまったのだろうか。

あるいは…

 

「……」

 

「お兄ちゃんは…何?ゆうれい?それとも…天使様?」

天国へ続く螺旋階段のような眼がじっと少女の顔を見つめる。

こんな眼をした人間がいるのだろうか。天使か、と訪ねると青年は静かに笑った。

 

「……」

 

「こ、これ…今日のごはんにしようと思ってたの…あげるから…」

少女が所々破れたポケットの中から出したのは萎びてはいるものの赤く熟れたリンゴ。

汚染された今の世界ではここまで育った果実にはそれなりの価値がある。

 

「……」

 

「あ…」

青年がマントの下から左腕を伸ばしそのリンゴをそっと受け取った。

少女からは見えなかったがマントに隠された右腕では同時にこの場にそぐわぬ精密な機械のスイッチが押されていた。

 

 

ゴォオオオオオオ

 

「く、黒い鳥…」

青年がリンゴを受け取って五秒もしないうちに地平線の彼方から黒い巨人が眩い閃光を奔らせながら飛んできた。

 

「……」

 

「お兄ちゃんは…」

結局最初から最後まで何も答えることは無く、

砂漠の上で跪き停止した巨人に青年はするすると登り、背中に飲み込まれて消えた。

 

「わ…!きれい…!」

その瞬間、どこか機械的だった巨人の動きに命が吹き込まれたかのような精細さが浮かびながら飛び上がった。

緑の粒子が迸り、光の屈折が少女の頭上に小さな虹を架ける。

 

ゴウッ!!

 

「本当にいたんだ…!」

まるで夢だったのではないかと思う程、出会いも別れもあっという間だったが飛んでいった方角には確かに砂が風の模様を作っている。自分の住む町の方角だ。

それに目を瞑れば、今そこにいるかのように思い返せるあの巨人…黒い鳥の力強さ。瞼の裏に焼き付いている。

きっと自分が帰る頃には悪い奴らはみんな退治されてしまっているだろう。

自分が黒い鳥を呼んだんだ、そう皆に自慢しよう。

 

「帰ろ…、あれ?」

自分の足跡と風の模様が続く方へと向いた瞬間、目の前が真っ赤になる。

 

「え…?なにこれ…」

次々と結膜の毛細血管が破裂していき血の涙が溢れ、最後は黒かった瞳まで血の赤に染まりとうとう何も見えなくなる。

それと同時に喉からせり上がるようにして血が零れた。

 

「…う…」

がくがくと震える細い脚が血尿に染まり少女は血だまりの中に倒れた。

 

「……」

何も見えなくなった世界で少女が思い出せるのは両親の顔でも狂宴に叫ぶ悪漢共の姿でもなく、黒い巨人の紅い眼がこちらを冷淡に見つめてくる姿だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

壊れていたり、劣化している場所などほとんどないのに誰も住んでいない奇妙なゴーストタウンの軍事基地でガロアはリンゴを齧りながら機械を操作していた。

汚染さえ気にしなければ物資も食料も腐るほどあり、大破していたりパーツが欠けていなければ元のデザイン通りにネクストの姿を修繕してくれるこの街はガロアにとっては都合がよかった。

 

機械の操作を終えると巨大なフックがネクストを釣り上げコンテナへと収納していく。

2時間もあれば僅かな損傷も完全に修復され弾薬も満タンになって出てくる。

ただ、直らない箇所が一つ。

大きな0の上に鳥の羽と剣で描かれていたエンブレムが燃えてしまい、僅かに焦げ付いた羽が残るのみとなった。

ペイントデータがあれば元に戻るのだが置いてきてしまったらしい。

どちらにせよネクストはおろか、まともなノーマルすらとんと見かけないこの状況では最早エンブレムに意味など無いのだが。

 

 

「……!」

ぽとり、とリンゴを落とす。

 

「……」

そのリンゴが砕けると同時にガロアは力なくその場に目を見開いたまま倒れた。

 

「…………、……」

そしてそのまま二度と動くことは無かった。

地球に犇めいていたほとんどの人類と動物を道連れに人類史上最大の邪悪、ガロア・A・ヴェデットは19年という短い生涯を終えた。

この世に生を受けた日から呪いのように染みついていたその眼の円環は憑き物が落ちる様に消えてなくなっていた。

 

 

 

「……」

その僅か10分後、VOB整備兵の作業服とガスマスクに赤外線ゴーグルといった画一的な装備に身を包んだ一人の人物がガロアの死体までやってきた。

 

「……」

ガスマスクの上からでは顔は見えないが、死体の傍で膝をつき愛でる様に頬を撫でるその動作からは女性的な物が感じられる。

溢れる思いに腕が震えるのを努めて抑えながらガスマスクの人物は見開かれていたガロアの瞼をそっと閉じた。

 

「…っ…」

明らかに体格的に劣るというのに、その死体を両腕で抱えてガスマスクの人物は巨大な廃墟と化した都市から姿を消した。

 

 

 

 

ザッ ザッ

 

「……」

嬌艶な黒髪に砂を絡ませながらシャベルで穴を掘り砂の山を作っていくその女はセレン・ヘイズその人である。

 

ザッ 

 

「……」

一年前、まだぎりぎりの所で形を保っていた企業が仕掛けた最終戦に参加したセレンはその場で殺されることは無かった。

生き残ったのではなく、明らかに殺さないように意識して倒された。

その動きを世界の誰よりも知っている自信はあった。実際次の動き、その次の動きと分かっていた。だが身体が付いていかなかった。

あっという間に四肢を切断され、プライマルアーマーを切ったアレフ・ゼロにコアを抱えられ汚染の無い場所まで連れていかれて、捨てられた。

連れていってくれたなら、と今でも思っている。

 

ガッ

 

『R.I.P Galois Armenia Vedett』

木で作った簡素な十字架をたてる。誰も名前を憶えていない者の墓に一体どれだけの意味があると言うのだろうか。

誰が見たって世界に何億とある墓碑の一つだとしか思わないだろう。まさか世界をこんな有様に追い込んだ張本人の墓だなんて想像すらしないだろう。

だが、それでいいのかもしれない。死んでいった者の分だけその墓に一人一人唾を吐きかけていくことですら百年や二百年では済まないのだから。

 

「……」

セレンに企業から責任追及が来ることは無かった。

そうなる前に企業自体が崩壊していた。企業の重役は勿論のこと関わる人まで一人残らず殺され、アームズフォートもネクストも悉くが破壊されていた。

そこから一年の間、長いようで短いアレフ・ゼロとガロアを追いかける旅があった。

バイクやヘリを乗り継ぎ、その腕っぷしと頭脳でここまで生き残ることはそれほど難しいことでは無かった。

見目麗しい女性を手籠めにしようという男の魔の手が迫ることも一度や二度ではなかったが、その度に皆殺しにして食料を奪う自分も、もうとっくに浮かばれる存在ではないと知った。

 

「……」

生き残ることが難しくなくても追いかけることは困難を極めた。まだ残る都市でもネクストを格納したり修理したり出来るような場所は無く、かと思えばそんな都市も次の日には殲滅されている。

残ったのはネクストの存在を知らない、知っていても精々オリジナルリンクスまでという程度の文化の集落に住む人々である。

いつからか「アレフ・ゼロを知らないか」ではなく「黒い鳥を見なかったか」と聞く様になっていた。

とは言え、目撃したという情報があってもネクストが本気で移動すれば半日後には地球の裏側にいるのだ。

仮にその情報が本物でも追いつくのは雲を掴むように困難だった。

セレンはそんな集落や村々の外で一人でキャンプをしていた。

元々人に馴染めない性格だったし、後ろめたさもあったが何よりもガロアもこの瞬間に一人なのだと思うと自分だけ人の中で生きていくのが気が引けてしまい自ら風餐露宿の道を選んだ。

その生活を続けて半年。もしかして人が住むような場所にいないのではないか、と気が付いた。

ガロアはいつだって勝とうとしていても生き延びようなどとはしていなかった。

もう汚染が進み人が住んでいなくてもまだ都市機構自体は生きている場所ならば腐るほどある。

その考えに至り世界各地を放浪しようやく、超高速移動物体による風紋を発見しそれを追いかけた。

だがやはりもう二度と交わることは無い運命だったのか、そこで見つけたのはまだ温かいガロアの死体だった。

 

 

 

 

「……」

震えてガチガチと歯を鳴らしながらひたすら十字架のたつ墓の前で手を合わせて祈る。

だがどの神に何を祈ればいいのか分からない。

ほとんどの宗教はすでに崩壊しており、今一番世界で祈られている存在が黒い鳥なのだから。

 

(お前は死んでどこに行けるんだ…)

地獄では手が余るだろうし天国には勿論行けないだろう。

完全な消滅か、あるいは輪廻転生か。

 

(私はお前に捨てられたのかと…ならいっそ…殺してしまおうと…)

そう思っていたのに、ガロアは自分だけは殺さずに明らかに命が助かるようにしていった。

 

(お前は私を…どう思っていたんだ?なんで殺さなかった?殺さないのなら…何故私を連れていってくれなかった?)

 

(着いて来いと、そう言ってくれれば着いていったよ…どうなろうとも…勝手に生み出しておいて…勝手に捨てたこんな世界より…私に生きる理由をくれた…お前の方が…大切だったんだから…)

だがガロアにはそれを伝える言葉が無く、あったとしてもこの道にセレンを引き込むつもりは無かった。

ガロアにとって自分を育て導いてくれたセレンは正しさの象徴でもあったからだ。

しかし当のセレンはそんな立派な物ではなく、結局誰かに由って自分を立たせている弱い人間の一人だった。

 

(お前の師であるとか、年上なのだからとか、押えこまれて動けないからとか、そんな言い訳で本心に気づかないフリをしていないで…あの時ただただ抱きしめていればよかった…)

例え力を得ても歪んでいても、時にガロアが優しくしてくれることが嬉しくて。ずっとこのままでいるのだと。変わらないのだと信じてしまいたかった。

人は物では無い。ずっと近くにあるとは限らないし、変わらないという事もあり得ない。

それに気が付けなかったセレンを責める者も、もういない。

 

(お前の事が…………好きだった……。許してくれ……愛がどういうことなのかすら…受けたことがないから…分からなかったんだ)

その言葉の欠片でも気取らずに真っ直ぐぶつけていればあるいは何かが変わっていたのかもしれない。

それが例え、クレイドルを落とし何億人もの人々を虐殺した後でも、その言葉があればガロアは止まっていたかもしれない。

だが既に全ては後の祭り。砂に染み込む涙がもう戻らないように、死んでしまった人々もガロアももう元には戻らない。

 

「さよなら、ガロア…」

そのままそこで枯れ果ててしまいたかった。

だがこれ以上この世界にいないガロアの存在に縋っていてはガロアは安らかに眠ることさえも出来ない。

セレンはゆっくりと立ち上がった。その目にはもう一切の光はなかった。




次が最終話なんですけど、自分でも見ていて気分が悪くなるくらいだったんで鬱ENDとか嫌いな人は読まない方がいいかもです。


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セレン・ヘイズの記憶

胡蝶の夢


今日も退屈な一日の幕開けだ。

結構な物語の中で、世を達観した主人公たちのそんな言葉が最初に出てくる。

 

「……」

私の場合本当にそうとしか言いようがないんだよ。

朝っぱらからそんな陰鬱なことを考えながら、16歳の少女、セレン・ヘイズは目を覚ました。

 

「昨日は何したっけ…」

というか、昨日もそんなこと言っていた。何をしたんだっけと寝ぼけた頭でしばらく考えて部屋に袋から出されないまま置いてあった服が見えた。

そうだ、あれを買ったんだ。買い物しているときはちょっと楽しかったけど、結局…。

そう考えて袋を蹴っ飛ばし、セレンは台所へと向かった。

 

冷蔵庫から取り出した牛乳を一気飲みしてシンクに投げ捨てる。

食器とゴミが溜まったシンクにはカビと埃にまみれており、クモの巣まで張っている。

 

どの部屋を見てもゴミだらけ…いや、本当はゴミでは無い物が大部分なのだが、履かれない靴や着ない服などゴミ同然だ。

とても16歳のうら若き乙女が住んでいるとは思えない。

 

「……ぐずっ…」

椅子に座ってぼけーっと壁を眺めて鼻をならしていたら30分経過していた。

今、自分が若く貴重な時間を無駄遣いしているというのは分かる。

ならばどうしろと?

 

「分かっている…」

家で腐っていても何も始まりやしない。外に出ることだ、とりあえずは。この完結した小さな世界では何も起きない。

いっそのこと大地震でも起こってくれればいいのに。

 

自分はプライドが高い、ということは分かっていた。

最強のリンクスとなるのだと、当然の選民意識を物心ついた頃から叩き込まれ、受け入れ育ってきたのだ。

今更それを変えることは出来ない。人に見下されるのは嫌だ。だから外に出るときは精一杯飾りたてる。

例え誰かと会う訳でなくても、ぼろを纏ってゾンビみたいな顔で外を歩く理由にはならないはずだ。

 

外はもうすっかり秋だった。いや、もうそろそろ冬だ。冷たく乾燥した風が髪を絡ませていくのを避ける様にして襟を立てながら歩く。

昨日は服を買って…どこで食事したんだっけ。おかしいな。別に頭は悪く無いはずなのにこんなに記憶が朧だなんて。

 

じゃあ今日はどうしよう。

 

(…本でも買おう)

ふらふらと本屋に入ってからそう考える。普通は入る前にそうやって考えるのだろうが…。

 

(なんにしよう)

本棚を眺めていると小さな少年が知恵と勇気を振り絞って怪物たちを倒すファンタジー物が目に入る。

私の方が十分怪物だけどな、と髪に隠れたジャックを触って自嘲気味に笑うとすれ違う男が明らかに一目惚れした様子で通り過ぎ棚にぶつかっていった。

 

「……」

結局店員のおすすめ、とポップがついた本を適当に買ってしまった。

ようするに余計なことを考えてしまうこの頭を何かで埋めて、時間が潰せればそれでいいんだ。

 

適当な喫茶店に入り、カフェラテを注文し外の席に座る。

肌寒いが、騒がしい店内にいる気にはなれなかった。というよりも、何かを変えるような出会いを求めているくせにむやみやたらに声をかけられるのが嫌なのだ。

 

「一人?誰かと待ち合わせしてんの?」

向かいの席に馴れ馴れしくパリッと服も髪もキめた優男が座った。

しっかりとコーヒーカップも置いている。

 

(こんな風にな…)

へそ曲がりなんだろう、自分は。何かが変わってほしいのにこうやって声をかけられるのが嫌なんだ。

 

「あ、それ、俺も読んだよ」

 

「……」

無視しているというのに顔を近づけて声をかけてくる。その自信はどこから出てくるんだ、となじってやりたい。

 

「その作者の前の作品、映画化されているじゃん」

 

「何の用だ」

冷たい声を出したはずなのに、反応を示したのが嬉しい、と言わんばかりに男の顔は輝いた。

 

「なんか声をかけられるの待っている感じだったからさ」

 

「……」

間違っちゃいない。変化を欲しているのだ。頭も心も腐らすような日常を吹き飛ばす変化を。

 

「どう?暇なら俺と見に行かない?」

 

「一人で行け…」

ダメだ。ファーストインプレッションで心が動かされなかった。

この男ではきっと何も変えられやしない。お前の求めている出会いとは違うんだ…とそれを説明するのも面倒極まりない。

 

「そんな事言ってさ。暗い顔して、失恋だろ?」

 

(…勝手なことを…)

やはり自分はプライドが高い。自分が失恋しただと?その一言で怒りにふつふつと火が付く。

 

「ね、お勧めの本もうちにあるしさ。良かったら貸してあげるし」

 

「いらない」

 

「奢ってあげるよ。慈善事業みたいなもんだ。困っている人がほっておけなくてさ」

男がそう言って自分の手に触れた瞬間、一気に沸点に達した。やたらと胸元で揺れるペンダントが怒りを煽ってきているような気がした。

 

「消えろ!!」

手にカップを持ったままビンタすると男は顔に熱々のコーヒーを被って吹き飛んでいった。

そしてそのまま道路でうつ伏せになって動かなくなった。

自分より弱い男などお断りだ。そう思う反面、自分より強い男などそうそういないことも分かっていた。

だが、そんな軟弱な男に自分がはいはいと着いて行くと思われたのが頭に来る。

何よりも自分の見た目や、話術といった自分の価値に自信を持っているその態度が気に食わなかった。

本をしまってレジに向かう。

 

「すまなかった。カップ、弁償する。それともう一杯カフェラテを頼む。持ち帰りでな」

 

「は、はい」

 

怯えた店員の目を見てようやく、やってしまったと思った。

暫くはあの喫茶店には行けないな。

 

だが少なくとも家で腐っているよりは良かった。

一時の激昂が自分を取り巻くどうしようもない日々の事を忘れさせてくれた。

 

平和に子供たちが遊んでいる公園のベンチで座って本を読む。

 

いろんな本を読みながら思うことだ。

中には歯の浮くようなラブロマンスや童話なんかもあった。

 

シンデレラは愛では無いと思う。

美女と野獣は真の愛だと思う。

悪いドラゴンに囚われた姫を助けに行く勇者も愛だと思う。

 

愛はどうすれば見えるのかは難しい。

 

要約すれば…

 

誰もが認めるようなイケメンが、大好きだ!と言って、それを主人公の女が、私もよ!と返す。

 

…それで終わるどうしようもない小説を読んだことがある。やけに世間からは評価されていてドラマ化もしていたが。

自分の感想は「いいな、単純で」だった。今読んでいる本もまさしくそんな感じだ。なんでこんなのが話題になるんだ。

 

そんなもん、上っ面の言葉で取り繕っていないだけ出会ってニオイで確かめて交尾する動物の方がまだ幾分かマシだ。

やはりその間に時間とドラマがあるからこそ、その愛が本物だと信じたくなるのだ。

 

街で声をかけてくる男は私を愛しているから声をかけるのだろうか。

 

どんな敵がいたとしても立ち向かってでも自分を連れ去りに来るか?

美女と野獣のように、自分の見た目が違っても?

早い話、この皮がなかったとしても?

 

(嘘を吐くな)

誰がそんなのに声をかけるんだ。

知らないだろう。自分は世間が怪物と評価する「リンクス」という存在だということを。

あるいは怪物なら自分を愛してくれるかもな。

 

その時セレンの足元にボールが転がってきた。

子供がダッシュでこちらに来るのを、辿りつく前にボールを蹴り返す。

ヒールがボールを蹴るのに向いているはずがなく、やや変な方向へと飛んでいったが子供たちは大声で礼を言ってボールを追いかけていった。

 

「……」

あの子供には母親がいて、その母親には夫がいる。

家族がいる。

誰にだって。

当たり前だ。

 

(私にはいないんだ)

そんな当たり前の物が…自分には、クローン人間には存在しない。

 

(別に…愛じゃなくてもいい)

自分を認めてくれる何かが、誰かが欲しい。そんな存在はいるのだろうか。

だが世間からはAMS適性という才能一つに恵まれただけで化け物と言う評価になってしまうらしい。

それまでの人生なんか、人格なんか関係ない。

 

力を付ける為に自分がどれだけ汗を流したか、どれだけ血を流したか、どれだけ訓練をしたか。

 

関係ない。リンクスは化け物なのだ。

 

いつか自分を見た目でなく認めてくれる人…例えば目が見えない人や、まだ幼い子供と繋がりが出来たとして。

自分はリンクスの上クローン人間なんだと言えるだろうか。

あなたに過去がある様に、自分にも過去があると。

 

自分はまともな生まれの人間でもまともな人間でもないと。

 

(出来るわけがないよ…)

自分ですら自分の事を異様な存在だと思っているのに、馬鹿馬鹿しい。

 

ならば自分で自分のアイデンティティーを見つけに行くしかないのだろう。

でもどうしろと?

 

(…今日はもう帰ろう)

今は何時なんだろう。この時期で日も沈んでいないからまだ3時4時とかだろう。

まだ読みかけの小説をゴミ箱にぶち込んでセレンは帰路についた。

 

 

 

 

「くぁ…ふぁー…あ…あぁ…あ」

ベッドの上で大あくびをする。どうせ誰も見ていないと思うとこんな顔も出来るもんだ。

出前の食事を好きなように好きなだけ食べてようやくパンパンだった腹も少しへこんできた。

栄養管理されていない食事というのは悪く無い。だが…

 

(一人で食ってもうまくない。つまらない)

そう考えてからまた自嘲する。一人だとつまらないなんて、誰かと食事したことなんかない癖に。

蛍光灯に透かして細かい傷だらけの手の甲を見る。

 

「……」

何のために身体を鍛えたんだろう。

何のために訓練を積み重ねたんだろう。

 

(何のために…生きているんだろう)

解放されたとしても、染み付いた習慣はなかなか消えないものだ。

しっかりと食事をとったら運動がしたくなってきた。

 

「…走るか」

何よりも、過去に積み重ねてきたことを全てやめてしまっては、気が付けば一番なりたくないものになってしまう気がするのだ。

 

 

 

 

何時間走っていただろうか。もっと走れ、と言われれば多分夜明けまで走れるがとりあえずいい汗をかいたな、と考えてゆっくりと足を止めるとそこは昼間に来た公園だった。

もうすでに虫の鳴く季節でも無いらしく、色の抜けた葉が散る公園にはもう誰もいなかった。

 

「……ふーっ…」

意識する前に一本の小さな木の前に立っており、自然と身体は弛緩し熱い息を吐きだした。

 

「はっ!!」

どっ、と鈍い音が響き木が揺れる。発勁を放った…つもりだったのだが、葉が落ちるのみ。失敗だ。

木に凹みが出来たがこれなら全力で蹴った方がマシだろう。

 

「肘間接が鈍ってる…」

毎日やっていた事でもやらなければあっという間に錆びつく。

多分うまく体重を伝えられていないだろう。よく思い返してみれば大地をちゃんと踏みしめていなかった。

 

(勁能く発すれば…)

今一度息を吐き内功に意識を集中する。自分は一つの流れだ。その流れを意識するのだ。

 

「ふっ!!」

セレンを中心に円となった風が巻き起こり、その手が木に触れた瞬間。

一気に数週間後の姿になったかのようにバッと一斉に葉が散った。

そのすぐ後に手の触れた箇所に亀裂が入り、派手な音を立てながら木が倒れた。

 

(やりすぎた!やりすぎた!)

 

「はっはっは!!」

笑っていい様な事態では無いのだが、大笑いしながら家へと走る。

懐かしい思い出が浮かんできた。

 

基本的に他の候補生と違って最強のリンクスとなることを決められていた自分は当然他の者とは違ったカリキュラムを物心つく前から叩き込まれてきた。

だが組手などはどうしても一人ではできる物では無く、インテリオルの養成所から連れてこられた者達を相手にさせられた。

性別も年齢も体格もバラバラだったが、一致しているのはどいつも自分以下だったということ。

自分より30kgも重い者を投げ飛ばし、20cmも背が高い者の関節を外して全てに勝利してきた。

 

「…ちっ」

そんな連中が、自分以下だった連中が、リンクスになっているのかと思うと頭がおかしくなりそうだ。

その誰よりも努力したという自信はあるというのに!!

 

「ああ…くそ…」

走っているうちにマンションに辿りついてしまった。

誰も待っていない、誰も自分を見ない埃臭いマンションに。

ここは自分の棺桶なんだ。なら引っ越せばいいだろう、と思うがそう言うことではないのだ。

 

玄関に入って鍵を閉めると適当に汗濡れの服を脱ぎ散らかす。どうせ洗濯カゴはいっぱいで入りやしない。

 

 

風呂場に入ってお湯の蛇口をひねるとキュッと高い音がしたのがやけにムカついた。

頭から一気にお湯を被るとさらさらとした黒髪が流れ額や肌に張りついていく。

 

「……」

曇る鏡に映る自分の身体をまじまじと見る。生まれた時から戦士として改造を続けて完成された身体。

極めて優れた栄養状態のお陰でオリジナルの霞よりも身長体重共に上回っているらしい。

 

「なんなんだよもう…」

それでもやはり女性として育った大きな胸や丸い尻に目が行く。

これから10年前後が食べ頃だとして、今がその始まり。当然熟してはいないが、一番瑞々しい時期なのだろう。

それを考えるたびにセレンはゾッとするのだ。霞を抱いた男もこの世界のどこかにまだいるのだろうか、と。

 

この身体と同じ身体を。この顔と同じ顔を。

 

「くそっ…ふざけるな…!私の身体だ!私の…お前のせいで…!なんでこんな…!」

仮にもインテリオルの管轄している街に住んでいるのだ。そんな男とすれ違うこともあるかもしれない。

もしもそんな男と街中で出会った時に、この身体を隅々まで味わった記憶をその男だけが勝手に思い出し舌なめずりをするのだとしたら、と考えたら今すぐにでもこの皮を剥いでしまいたかった。

誰にも心も身体も許していないというのに!

自分の身体が自分だけの物では無いという気持ち悪さ、恐怖はどれだけ頭を回しても離れてくれない。

 

頭を掻きまわす陰鬱な考えはたった一つの原因から来ている。

自分はクローン人間だということ。

元になった人間がいなければこの悩みすらも浮かんでこなかったはずだというジレンマ。

 

最早何が何だか分からなくなってくる。自分はこの世界でたった一つの個であるということは何に対しても最初の原動力のはずだ。自分にはそれが無い。

本当なら今頃オリジナルにとってかわって戦場を駆けていたはずなのに。結局自分はコピーどころかまともな人間ですらない。

 

 

 

 

身体を拭いたタオルをそのまま枕に巻いてベッドに身体を投げだす。

 

「まぶしい…」

何が?と考えてとりあえず目に入った中で一番眩しかった蛍光灯を消す。

 

今日こそは何かが変わるかも、とおしゃれをして外に出かける。

男でなくてもいい。

女でなくてもいい。

出会いでなくてもいい。

何か、生温い酸に身体をじくじくと溶かされていくような日常を変える何かが起きるのではと期待して。

 

結局そんなことは一つも起こらない。

夜にはすっかり明日への希望もなくなって、明日の美の為に髪をブローする気もなくなる。

そして朝になるとちょっとだけ朝日と共に淡い希望が浮かんできて夜には打ちのめされている。毎日だ!

 

この街のどいつもこいつも誰かと繋がって何かをしている。

 

(私は?なんなんだ?)

何と繋がり何をしているというのだろうか。何かあるのだろうか。

一流のスポーツ選手や芸術家、あるいはたった一つの愛の為に全てを捨てる主人公のように、自分の身も心も焼き焦がしてしまうような途轍もない出会いが、いつか自分の人生にも。

この空の下で、自分と出会う何かがいるのだろうか。

 

 

 

(……)

 

(……)

 

(……)

 

ちゅんちゅんと窓の外から鳥の声が聞こえありがちな朝を迎えた。

 

「あ………なんだ夢か」

そうして身体を起こすと左手に痛みが走る。

なんでこんな怪我したんだっけ、と昨日も考えていた。

正直そんなこと考えても意味ない。毎日生傷だらけになっているんだから。

 

「ふっ…」

普通の人間ならば身体の傷や怪我を見れば溜息の一つでも吐くのだろう。

だがセレンはその傷を見て笑った。

 

「くぁ…ふぁー…あ…あぁ…あ」

大あくびをしながら立ち上がる。疲れも完全にはとれていないし、本当ならまだ寝ていたい。今は六時前だから寝ててもいいはずだ。

でもそんなだらしないことを今の自分は言えない。

 

(なぜなら…)

と考えを頭の中で自己完結させて隣の部屋に入るともう起きていた。

あくびをしながら目をこすっている辺り、自分と同じぐらいのタイミングで起きたのだろう。いいことだ。

 

「おはよう、ガロア」

 

「……」

 

(私は師だから)

言葉は返ってこないが、二人して同じタイミングで首を回すとべきべきという音が共鳴した。

さぁ今日も厳しくいくのだ。

 

 

 

体育館に入って向き合う。

ランニングを終えて自分も汗だくだがガロアはさらに息が上がりっぱなしだ。

だがこうやって心臓を鍛えなければネクストの負荷には耐えられない。

今日も血や吐瀉物で体育館は汚れるだろうが清掃費込みだから構いやしない。

 

「……オェップ」

今日はとうとう一回も気絶しなかった…とはいえ既にサッカーでフルタイムを走り回った選手のように何もしていないのに吐きかけている。

朝も昼もめちゃめちゃ食わせたから吐くとしたら盛大に行くだろう。

午前中いっぱいは全てシミュレータマシンに乗っていたから精神もくたくたに消耗しているはずだ

 

「体格が劣るものは…相手の虚を突く。それが突破口だ。突いてみろ」

背は伸びたとはいえまだまだ小さい。おまけに力でも劣っているのだ。自分の虚を突くしかないだろう。

一度だらんと力を抜いた後、サポーターとバンテージで固めた腕を構えてくる。運動もそうだが勉強もあるから手を怪我してもらっては困るから一応そうしている。

極力その辺は加減しているが怪我した後にやっちまったと言っても何にもならない。虚ろだった灰色の眼に力が籠ったその瞬間、ダンッと音を立てて踏みこんできた。

 

(速くなっているな!)

今日も昨日より進歩している。あの拳で自分を殴ろうとしているというのに自然に笑ってしまう。

一撃一撃が確実に威力が強くなっている拳を全て受け流す。上背はまだまだ小さいがそろそろ同い年の子供にも負けなくなっているかもしれない。

 

(!…うまい)

しっかり握って固めた拳に見せかけて一発だけ貫手の形で手が飛んでくる。

狙いは脇の下だろう。他の攻撃は全て正中線を狙っているのだ。普通は対応が遅れる。

 

「ところが、技術で翻弄される。どうするかは…考えるんだ。戦場では…誰かに教えを請う暇はそうないぞ」

貫手に合わせて手首を掴む。

 

「……??」

そのまま押しこむとガロアはがくんと膝をついた。

訳の分からないという顔をしているが合気とはそういう物だ。

意思とは関係なく身体の仕組みを利用しているのだから。

自分が生まれて十数年毎日毎日叩き込まれた技術を体系的に一つずつ教えてもいい。

だがそれでは時間がかかる。何よりもガロアならその技を受けていくうちに覚えるという確信がセレンにはあった。

 

「…!!」

さてどうするのかと見ていたらその場で側宙して技を外された。少々派手過ぎるが及第点だ。

空中で回転しながら飛ばしてくる蹴りにカウンターを叩き込んだつもりがいなされていた。素晴らしい眼をしている。

 

「よける、いなす…正しいが…まだある筈だ。相手の攻撃を受けないための何かが」

言いながら構えを変えてデトロイトスタイルのポーズをとる。

ここでこのスタイルを選択するのは悪手だ。ガロアはもうこれからフリッカージャブが飛んでくるのを見抜いているだろう。

それでいい。一瞬の判断力をつけさせるために、たまに外れの選択をするのだ。

 

「そうだ。息を付かせない攻撃も正しい」

上手く拳の威力が最大にならない位置を取り、低く構えて脚に蹴りを放ったかと思えば飛んで踵落としをしてくる。

言葉では褒めながらも全て流しており、ガロアの身体にも疲労が溜まっていくだろう。まだまだ脚が短く上手く届いていないのが減点だがそれでも悪くはない。

 

「フシッ!」

空中に飛び上がろうとしたガロアの、一瞬後に顎があるであろう位置にジャブを放つ。

 

(なに!?)

幻覚…いや、フェイントだ。

というよりも本当に飛び上がろうとしたのを自分のジャブを見て強制的にやめたという感じだ。

この眼は天性の才能なのだろう。驚いている自分の人中に拳が飛んでくる。

 

「もう一つ。『先』だ。これを制すればずっと自分の攻撃だけが届く」

今度はガロアが驚愕する番だった。

ガロアの腕が伸びきる前に拳がセレンの細い指先一つで止められていた。

状況を判断し行動に移す隙とも言えぬ一瞬の間に足払いをすると、軽いガロアの身体は簡単に一回転してしまった。

しまった、頭を打つかもと思ったが。

 

(っ、素晴らしい!)

片手を床に着けて倒立したまま顔に蹴りを放ってきた。

避けるのがやや遅れて前髪が少し切れてしまった。

日に日にアビリティーが上がってる。もうひ弱な子供とは言えなくなった。

成長を見る、ということがこんなに楽しいとは。今のセレンにかつて身を腐らせていた退屈はこれっぽっちも無かった。

だがずっと頭を下にしたままで大丈夫なはずも無く、立ち上がった時は隙だらけだった。

少々強めにリバーブローを打つ。

 

「グッ、!ブッ…」

前まではこれで吹き飛んで床の上を転げ回っていた。体重も増えたのだ。

だが我慢出来るものじゃないはずだ。動きが止まっているガロアの腹にもう一発拳を入れる。

 

(!?出たっ!)

入ったと思った拳は掴まれていた。明らかに眼つきが変わり癖の強い赤毛が逆立っている。

掴まれた拳がみしみしと痛みを伝えてくる。握力が完全に測定値を越えていた。

 

(痛み、そして怒りで出るのか)

ガロアの中で眠る巨大な怪物性。危機に瀕するといきなりリミッターが外れて身体スペックの限界の能力が引きだされる。

腕を掴まれて動けないまま肘を振ると空を斬る音と同時に生々しい音が聞こえた。ガロアの額がセレンの肘で切れた音だ。

 

「…!!」

流れた血に視界を奪われると同時に手の拘束が緩む。

その機にその場で回転して頭の後ろで縛っていた髪を顔に叩きつける。

これで完全に視界を奪った。

 

(今日はこれで終わりだ)

よくやった、と後でたっぷり褒めてやろう。そう思いながら回転の勢いを緩めず地面に手をつき、回る足でガロアの顎を挟んだ。

 

(よしっ!首を刈った!)

今の一撃で脳はシェイクされ完全に意識を吹き飛ばしただろう。そう思ってほんの少し気を緩めた瞬間。

 

ダァン!!

 

「!!?!!?」

体育館に響き渡った大きな音は自分がぶっ飛ばされて床に叩きつけられた音だった。

受け身すら取れなかったのは完全に終了したと思っていたからだ。

 

(なんだ!?何が起きた!?)

 

(純粋に力で押し返されたのか?…やっぱり男の子だな…だがまだ、そこまでの膂力は…)

床で擦れて火傷した部分をちらりと見て、ガロアに目を向ける。

 

(いや、違う!勁だ!)

握られた両手首はへその下あたりで甲の側へと曲げられ、指同士がつくほどの距離で静止している。

両脚は弛緩しているようでしっかりと大地を踏みしめている。全身から勁を発する為の忠実な構えになっていた。

 

(馬鹿な…全身から発する方はまだ教えていないだろう…化獣め!)

打投極絞、全てにおいて自分が勝っているはずだ。自分の方が強い、当たり前に強いのにそう思ってしまうのは何故なのだろうか。

そう、時にガロアは途轍もなく獣染みているのだ。だがおかしい。あの感触は確実に脳を揺らして意識を飛ばしたはずなのに。

 

(…出たか…なんなんだお前は)

気絶している。それは間違いないのに何故かゆらゆらと揺れながらも倒れない。

ガロアの脚に芯を入れている何かがある。セレンは気が付かないがその時、体育館を含む運動場の周りから動物が逃げ出していた。

何かが眠っている。半端なことでは目覚めない何かが。恐らく引き金は…恐怖、怒り、痛み、危険…。普通に生活していれば出てこない

命の際になると出てくるものがガロアの中にはある。そしてその何かが必要だった環境で過去、生活していたということだ。

 

「おい、…ガロア?」

反応はなくゆらゆらと揺れながらも立っているだけ。もしかして立ちながら気を失っているのかもしれない。

わざと足音を大きくたてながら近づいても反応はない。

 

「大丈夫か…?…、!!!」

肩に手をかけると同時に…矛盾しているようだが意識のない眼で強烈に睨まれた。

呼吸を吐いて筋肉を締め、身体を丸めて腕を前で交差する。本能からの防御行動だった。

そしてその0.01秒後にセレンは再びぶっ飛ばされた。

 

「痛っ…!!」

痛みを自覚するのと同時に鎖骨から腹部にかけて腕を通ってななめ一直線に刃物で斬られたように出血する。

凄まじい速さでしなる腕が肌を肉ごと抉り飛ばしていったのだ。ガロアの指先からは血が滴っていた。

 

「!まずい!」

今度こそ完全に気絶したガロアはぐらりと床に倒れそうになる。

あわや顔面強打、鼻骨バキ折れ骨折というところを何とか滑りこんで胸で受け止める。

 

「……」

 

(あっ、戻ってる)

その顔にはもう先ほどの獣性はなかった。あろうことか安らかに寝息を立てている。

あの一撃で全てを出しきったのだ。とんでもないことだ。

AMS適性と同じ様に、天賦の才というものは絶対にある。ガロアを見ているとよく分かる。

 

(養成所の連中の目は節穴か?いや、画一的な教え方だったら気が付かなかっただろうな…)

別に人を見る目があるとは思わないし人と関わった数も少ない。それでも確信できる。

信じられない程の大器だということが。

普段は無口…なのは当然としても、あまり感情を表に出さず冷静なのにたまに出すこの化け物染みた部分。

どこから来て何が目的なのか分からない、思考は堂々巡りする。

教えてもくれない。

 

(まぁそれは自分も教えてないからおあいこだ)

間抜け面で寝息を立てているガロアを背負って体育館に鍵をかける。

腕が痛むのを感じる。

簡単な止血はしたが家でしっかり治療しないといけないかもな、と考えながら夕暮れの街を歩く。

 

ガロアは最初の時点で霞を知っていると言ってきた。

それでも何も言ってこないのは不思議だが自分で言いだす勇気はない。

なんとなく、お互いに秘密があると分かり切っているからこそこんな関係でいられるんだろうなと思った。

 

「…、…!…?」

 

「おっと…まだ休んでいていい。家帰ったら飯食って勉強だ」

目を覚ましたガロアが背中から降りようと腕に力を込めるが、上手く力が入らずまた背中に身体を投げだしたのを感じて声をかける。

 

「……」

 

「軽い軽い。もっと体重増やさなきゃな…な?」

申し訳なさそうな顔しているんだろうな、と思ってそんな事を言う。

確かに体重を増やさなくてはいけないが…それでも今日二回も吹っ飛ばされたのは事実だ。

まだ自分より全然軽いというのに。

 

「んー…前は50kgだったか?今は53kg…?とかかな。今度また計るか」

 

「……」

 

(ああー…楽しいな…)

十数年生きてこんなに誰かに頼られ世話をするなんて初めてだ。

ずきずきと身体は痛むしかなり疲れた。それでも楽しいとしか言いようがない。

そういえば自分は今までリンクスとなるための訓練を受けて楽しいなんて思ったこともなかった。

初めてのことだらけだ。夕暮れの帰り道、ガロアの体重を感じながらセレンはもう一度楽しいな、という思いを胸いっぱいに満喫した。

 

 

 

 

 

「……ウップ」

吐きます、もう吐きます、と青い顔したガロアの前には教材とチョコケーキ、甘ーいココア。そのどれに手を付けても吐き気が増すだろう。

ガロアが作った料理なのだから不味いという訳でなく、単純に食べ過ぎだ。というよりもセレンに食べさせられたのだ。

 

「えー…と…まだ弾道計算の範囲だな。微分方程式だ」

セレンは同じ量の食事をとったわけだが全く平気そうだ。

おまけにケーキも自分の分は平らげてしまった。

二人とも身体のあちこちに絆創膏と包帯を付けてはいるがとりあえず元気ではある。

 

「……オエッ」

 

「これは…えー…リッカチ型だから…」

そー…っとガロアの後ろから手を回しガロアの分のケーキのイチゴを取りながら今日の部分の授業に入る。

 

「……」

だがガロアは指示も聞かずに問題を解き始めてしまった。

それを見て自分の言っていた事が違っていたということに気が付く。

 

「あ、ベルヌーイ?そだな」

本当に勉強に関しては全く文句が言えない。まるで自分の前に優秀な教師に勉強を教えられていたかのようだ、とイチゴを頬張りながら考える。

本来なら勉学の為にもっと時間をとるのだろうが、この点に置いては教えることは無いか、あったとしてもすぐに吸収してしまうのでかなりの時間を肉体改造とシミュレータマシンに回せる。

自分が飲みこむのに時間がかかった箇所をさらさら解くガロアを見て溜息を吐く。

 

(可愛げない奴)

ココアを飲んでいるところをわざと頬を強めに指で押すとココアが吹き出た。

 

「!? !?」

 

「なはは、ぴゅーって出た、ぴゅーって」

 

「!!」

言葉は当然出てこないが、口が利けたら文句の一つでも言ってくるのだろうなという顔をしながら手で押してくる。

からかいすぎたか、少し怒っているようだ。

 

「お?まだやるか?もうくたくたのくせに」

額を指で小突くと動物のように喉を鳴らしながら机をぼかぼか叩き始めた。漫画やアニメだったら頭からぷんぷんと蒸気が出ているだろう。

勉強の時間を邪魔しているのは分かるが、どうせ完璧に出来ているのだ、可愛くない。

 

「後で風呂入れよ。汗臭いぞ」

外にいるときは気が付かなかったが隣に座ると分かる。

つんとした汗の臭いが相当漂ってくる。

 

「……」

 

「え?私も?…そりゃそうだな、うん」

お前も臭い、とノートに…書かれたわけではないがしかめっ面で指を指されて気が付く。

同じだけ運動しているのだから当たり前だ。

 

「じゃあ風呂入ってくる。終わらせておけよ」

 

「……」

机を拭いているガロアのそばに置いてあるケーキを一つまみ取って口に入れる。

 

「うん。美味い」

ガロアはむすっとしていたが文句は言ってこなかった(言えないが)。

毎日こんなことをしていて思った。二人で食べるとどんなものでも美味しい。

たとえこのケーキがスーパーの安い量産品でもだ。この百倍は高いケーキも食べたことがあるというのに。

 

指を綺麗に舐めとって洗濯物の溜まっていない洗濯カゴに服を入れたセレンは機嫌よさげに鼻歌を歌いながら風呂に入った。

 

 

 

 

 

「ふぁー…」

風呂から上がってほかほかと湯気を頭からあげているセレンはあくびを噛み殺そうともせず大きく口を開けて機械的にテキストに丸をつけていく。

見ろ、全問正解だ。可愛くない。これで変なミスでもしていれば…いや、しない方が望ましいのだろうが。

 

(髪乾かそうかな…)

頭の上で縛ってあげた髪に触れる。放置すればダメージが溜まるのは知っているが。

 

(ま、どうせ明日もボサボサになるだろうしな。今は色気より訓練だ訓練)

いつの間にかもう日も変わろうとしている。時間が過ぎるのが早すぎて眩暈がしそうだ。

もう一度大あくびしているといつの間にか出てきていたガロアがほかほかしながらこちらを見ていた。

大口開けているのを全部見ていたのだろうに、笑いも目を逸らしもしないのを見て逆に恥ずかしくなってくる。

 

「歯はどうなった?どれ」

口を開かせて中を見ると、奥歯が一本ない。既に血は出ておらず痛くはなさそうだ。

先日力加減を間違えてパンチしたときに歯が飛んでいってしまったのだ。

 

「……」

 

「ふむ、今度差し歯にしてもらうか」

喋れないから発音は関係ないにしても食事がしにくかろう、と思いながら無意識に唇をぷにぷにといじっていたら、嫌がるように離れた。

それを見てなんだか吹きだしてしまう。

 

「明日は日曜だから休みだ。お前の料理もいいが…何かどっか、うまいものでも食べに行こうな」

癖の強い髪を掻き分けてがしがしと強く頭をなでる。

着々と背は伸びている。いつかこんなふうに出来なくなるくらい大きくなる日も来るのだろうか。

 

「……」

 

(あっ。笑った)

厳しくしても泣きわめくどころかいやな顔一つしない。そんなところがやはり人間性をあまり感じさせない。垣間見える怪物性のせいもあるだろう。

だが、優しくするとたまに笑う。その時は素直に可愛いと思う。そういえば自分もよく笑うようになった。

 

(弟がいるのってこんな気分なのかな)

自然にそう考えてから、今日初めて少しだけ暗い気分になる。

 

(…何を馬鹿なことを)

今は師と弟子。将来はオペレーターと傭兵。いずれ戦場に弟を送る姉なんて血なまぐさい血縁があるか。

自分には家族なんていないのだ。

 

「……」

 

「うん、寝るか」

ガロアもあくびをしたのを見てそう言うと、ガロアは踵を返して自分のベッドのある部屋へと向かってしまう。

 

「おい、ガロア」

自分に家族はいない。だがそれでも。

 

「おやすみ」

挨拶は返ってこないがこうやって言えることが大事なのだ。

ガロアはまた少しだけ笑って部屋に引っ込んでいった。

 

 

(なんで喋れないんだろうなー…今度病院に連れて行ってみるか)

こんなことを考えているうちに眠っているんだろう。

ベッドの中で考える。

そうしたら自分のことをなんと呼ぶのだろうか。

 

(普通にセレンとかかな…もしかして、お姉ちゃんとか?まさかな)

まさかな、とは思ったがそんな想像をしたとき自然と脚がばたばたとして派手に埃を立ててしまった。

 

(明日晴れればいいな…)

そんなことを思う日が来るなんて思わなかった。

そのうちセレンは幸せな想像をしているうちに眠りについてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぱちり、と何かが弾けた。

 

「!……、あ……あぁ…」

焚火が弾けた音だった。揺らめく炎を見ているうちに眠ってしまったのか。

時計を見ると最後に見た時から30分も経っていなかった。

それなのになんて長い夢だったのだろう。

 

「…あ…ぅ…」

暖かい布団で心地よい疲れに沈みながら寝たはずだ。

星空の下、砂漠の上で寝たんじゃない。あっちが本当の私なんだ。戻りたい。戻らせてくれ。

 

「うあぁ………」

もう一度眠ろうと目を閉じたら大粒の涙が零れた。浅く速い呼吸が身体を震わせる。

 

(どうしてあんな夢を…)

幸せだった。これさえあればもう何もいらない、と思えるほど。

どうしてそんな物を見せてまたこの現実に叩き込むんだ?

 

「ガロア……」

あっちに歩けば数日前に埋めたガロアが眠る墓がある。

もう腐敗しているだろうか。まだ人の形を保っているだろうか。

どっちでもいい。抱きしめに行きたい。ぼろぼろと涙を零すセレンの元に近づく集団があった。

 

「お、お、女だ…」

集団の一人の男がセレンの前に回り込んで唖然とした顔で言う。

 

「ガロア…今行く…」

 

「す、すげぇ…すげぇいい女だ、おい、お、俺がこいつ見つけたからな!俺が先だ!」

 

「何?次は俺だからな、コラ!」

 

「待っていろ…ガロア」

うるさく騒ぐ男達のことなど最初から頭になかった。

 

「へ?」

その声を出した男以外も同じ感想しか出なかった。なにやってんだ?と。

セレンのそばで俺が先だ、と主張していた男の顎に拳銃が突きつけられていた。

 

「今度はちゃんと…正直になるから…」

男の脳漿が後頭部から砂漠に巻き散らかされた。

 

「なんだぁーっ!!?」

セレンは倒れようとする男の身体を盾にして、武装した悪漢たちの脳天に一つずつ、機械的に穴を空けていく。

 

「……」

男達から放たれる弾丸が盾にした男の死体をぐちゃぐちゃにしていくが、セレンには掠りもしなかったのが幸運かも不運かも分からない。

 

カチカチ、と引き金が無為になる音がした。

 

「……」

13の死体が転がる砂漠でセレンは一人立っていた。

丁度全員殺したところで弾が切れたのだ。幸運なのか、不運なのか。

 

「すぐ行くから…もうちょっとだけ…待っていて…」

放り投げた男の死体から順に漁って食料と武器を奪っていく。

やたらと重武装のこの男達は食料も豊富に持っていた。どうしてかなんて考えるまでもない。

自分と同じだ。奪って回っていたのだろう。

 

「あ……」

ころん、と男の死体の懐から何かが転がってきた。

手榴弾だった。まるで自分に見つかるべく転がり出てきたかのようだった。

 

あの夢は。全て本当にあったことのはずだ。

今、自分は地獄で這いまわる餓鬼のように死体を漁っている。

なんでだっけ……

 

「もう………、……いい……もういい…分かった…」

手榴弾と拳銃を手にして、そう呟きながらセレンは立ち上がった。

 

「今、そっちに行くから…会いに行くからな、ガロア」

そうして手榴弾のピンを抜く。

セレンは目を閉じてこめかみに銃口を当てて引き金を引いた。

 

頭蓋が砕け散り、黒い髪が地面に着く寸前にセレンの身体は粉々に吹き飛んだ。

 

 

漠々たる砂漠はその全てを包み込み、やがて何もかもを砂へと変えて何も残さなかった。

 

 

 

 

天敵ルート END

 

The Worst Ending Ever

 

 

 

 

何もかもを焼き尽くす死を告げる鳥…なぁんてねぇ

あたし、そんなの話にしか聞いていなかったけど、本当にいたのね

 

あーあ

これからこの世界で死ぬまで役割を果たさなくちゃいけないなんて、面倒ねぇ。とりあえず、話し相手になってちょうだい

 

世界最強の存在になって…この世の何もかもが思い通りにできたはずなのに

何がそんなに気に入らなかったのかしら…?

 

 

そうねぇ…まずは

ガロア君はどこから変わったのか、もう一度見てみたいわぁ…ウォーキートーキー

 

END




ガロア君とアナトリアの傭兵には決定的な違いがあります。

ガロア君はこれまで受けたミッション、戦いの中で、それが救援にせよ襲撃にせよただの一度たりとも誰かの為に戦っていないんです。
全部自分の為に、自分の為だけに戦っています。

コロニーアナトリアとフィオナを守るために戦い続けたアナトリアの傭兵とは真逆です。


そしてもう一つ大事なことがあります。
この世の全てがどうでもよくなり破壊しつくしても、セレンだけは殺したくなかったという事実。

その二つがオリジナルルートへの鍵となります。

その前に過去編に行きましょう。

とはいえ過去編もオリジナルルートもぶっちゃければどっちもオリジナルということになりますし、ACfA以外から出るキャラもいます。分からない時は気軽に聞いてください。

今までもちょこっとだけそんな場面ありましたが…完全にガロア君を物語の中心にするために、過去編の真ん中らへんから彼は喋りまくります。と言っても()でですが。


それにしてもセレンが可哀想だ。


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Lapse Of Time 
国家解体戦争


春には春の花が咲き
秋には秋の花が咲く
私の花は何んの色
咲くならそっとスミレ色
目立たぬように咲きましょう
目立てば誰かが手折ります
手折られ花は恨み花
涙色した風下さい
涙色した水下さい



Armored Core farbeyond Aleph Lapse Of Time


宣戦布告二時間前。

ECMを散布しながら飛ぶ輸送機の中でカリカリしているアジェイの元に声をかける者がいた。

 

「あなた、イクバールのサーダナね」

 

「…何の用だ」

バーラッド部隊の中でも自分に声をかけてくる者はいない。

規律を乱すな、一人一つの弾丸となれ。しかし戦いで死のうと思うな、生を全うすべし。

その言葉を毎日繰り返し聞かせた隊員が戦闘の直前になって自分に声をかけてくるとは思えない。

だとすると合流したレオーネメカニカのノーマル部隊の者か、そこのリンクスか。

 

「今回の作戦手出しは無用。プライマルアーマーも展開しないで、ただ住民の避難指示にだけ専念して」

 

「本気か?貴様は…」

大抵の人間にとってブラックボックスのネクストだが、

ネクストをネクスト足らしめる要素の一つ、プライマルアーマーについて知っているのは技術屋かリンクスしかいない。

となるとこの女は。

 

「霞スミカか。何のつもりだ。死ぬのは勝手だが…戦争なのだぞ。そんな仏心を見せて死んで戦況が揺らげば結局ますます人が死ぬ」

戦場に似合わない美人がそこにはいた。少なくとも男臭いイクバールにこのような女性はいない。

高価な墨汁で描かれた墨絵のような黒髪は白い肌とサファイアのような蒼い目を際立たせ、桜色をした唇がつやつやと薄暗い輸送機の中で光を反射している。

年は自分より少し下くらいなのだろうか、だというのに十代の肌よりもシミも皺もない珠の肌。滑らかな曲線の鼻は顔のバランスを保ちながらも目立っていない。

神が直接のみをとって作りあげたかのような美だった。

 

「人をこれ以上殺さない為の戦争よ。これで世界は変わる」

 

「どうだか…」

 

「限られた人間だけが強大な力を持つことによってのみ世界が安定に向かう。選ばれた理由がそうであると信じたい」

 

「好きにするがいい。ただし、貴様が撃破されたらどれだけ人を殺さないようにやっていたとしても私には関係ない。徹底的にやる」

 

「どうぞご自由に」

自信をその柔らかな笑顔に浮かべ、黒い髪を翻して霞は去って行った。

すれ違う兵士は皆、戦闘の直前だというのに顔を緩ませてしまっている。

 

 

「選ばれた?殺さない?何を言っているんだ…命にあまり意味は無い。…勝手に言っていろ…偽善者め…。生き死にの際に行かないで本音が出るものか…あんな顔をしていてもその下で何を考えているのか」

積み荷に座り水をチビチビと飲みながらぶつぶつと独り言を言うアジェイと霞は同じリンクスで、極めて優秀な人材でありながら正反対の性格をしていた。

と、言うよりも生まれながらにして考え方が違うと言った方がよかったのかもしれない。

霞がこんな世界でも性善説を信じ、例え戦いが起こってもその戦いで平和を勝ち取っていく人の姿を信じているのならば、

アジェイは人は醜い生き物で戦い奪う為だけに生きていると考えており、どんなに善人に見えても、逆にどんなに悪人に見えても、元々根本から人を信頼していない。

結局こんな状況までどん詰まってしまった人類などさっさと滅んで然るべきだと考えていた。

ぶつぶつと、チビチビと、もう空になった飲料ボトルを口にやってるうちに作戦開始五分前となっていた。

 

 

 

 

 

 

『交通機関、閉鎖完了しました』

 

『住民の避難もまもなく完了します』

 

「警戒態勢のまま、待機」

元々各企業の動きに敏感になっていたこともあるし、度重なるテロや反乱に国の総戦力が落ちに落ちていることもあったが、あっけなく市街地の占領は終わった。

全戦力はどうやら首都の中でも重要な機関だけを守っているらしい。

迫りくるACから国民を守ることすら早々に放棄して銀行や議事堂など人がいなければそもそも意味の無い物を守ろうとしている様は上から見ていて滑稽ですらある。

いや、憐れみすら感じる。

 

「…くだらん」

アメリカ、ロシア、インドは既に落ちたと通信が入ってくる。

全世界を一斉に落とすのではなく(そもそもネクストの数が足りない)、超大国、主要地域大国を落として周辺国の降伏を迫る、とのことだったが、

なんともあっけない。人類が依り代にしていた国家とはここまで脆いものだったのか。

 

「…!」

戦争が起きているにしては、ACがあちこちで見られる以外には火の手どころか煙すら上がっておらず、

まるで低予算の戦争映画を観ているようだと思いながら海上300m前後でふわふわと浮いていると警報が聞こえた。

 

「……」

相変わらず、このクイックブーストというものはワケが分からない、とアートマンに向かって放たれたミサイルを悠々と避けながら思う。

この加速度を中に人が乗っていながら実現するとはどういう技術なのだろう。

自分が大学で数学を学ぶ傍ら受講した物理ではそんな技術は欠片も教えられなかった。

 

 

「…ふぅ…怖いな…怖い…」

ぶんぶんとハエのように飛び回る高速戦闘機が七機。

ACにすら敵わないその戦闘機が怖いのではなく、絶対に勝てないと分かっていながら向かってくるその様が怖いのである。

 

「……」

また放たれたミサイルは本気で動くアートマンよりも遅い。

PAがあればダメージにすらならないし、当たったところで豆鉄砲をぶつけられた程度の痛みしかない。

今の異様な動きで敵う相手じゃないと分かったのだろうに。

 

 

 

「お前達は何のために死ぬ?敵わぬとわかって何故向かってくる?何のために?即座に降伏したと見られたくない国の意地のために?くだらない…国はそんなに価値のあるものか?」

ぶつぶつと、誰にも聞かれない言葉を狭いコックピットの中で呟きながらショットガンを放つ。

一発で三機が砕け海に散っていく。

 

「弾単価36cだから…一機に二人乗りだとして…一人6c?そんなものなのか…人間の価値は…」

残った四機も叩き落とすともう攻撃は来なくなった。

未だ陥落したとの通信は入ってこないが…意味不明な戯言を言っていた霞はどうなったのだろう。

 

 

「見に行くか…」

ネクストならばここから全速力で20秒もしないうちにシリエジオの戦闘区域に入る。

ぶつぶつと独り言を言いながら霞スミカのシリエジオが戦闘しているであろう区域へと飛ぶアートマン。

 

 

 

 

人間音痴。

一言で言えばサーダナことアジェイ・ガーレは人間音痴だろう。

ネパールのヒマラヤ近くにある裕福な家庭の十三人兄弟の三人目として生まれたアジェイ。

父親は一人だが母親は四人。一夫多妻。だが父はどの子も妻も平等に愛していた。

 

しかし、アジェイは物心ついたときからその家族に猜疑的な目を向け続け馴染むことは無かった。

二番目の妻が父の金で遊び回り男娼を買っていたのを目撃してしまっていたことも理由としてはあるだろうし、

父が仕事仕事の仕事人間であまり家に顔を出さなかったこともあるだろう。

だが、根本のところでアジェイは人としてずれてしまっていたのが一番の原因だろう。

要するに、人を信じる。ただそれだけがどうしても出来なかったのだ。その誰もが生まれながらに持っているはずの能力とすら呼べない物をどこかで失くしてしまっていたのだ。

 

両親に聞かされた誕生日ですらも信じられず、生まれた病院の記録を調べ役所の戸籍まで見た。

 

国境、幸福、金、美、神。あらゆる概念を共有し生きる人々。共有していれば味方、家族。していなければ他人、敵。

人はそんなに簡単に左右される安っぽい存在なのか。

 

概念を共有しているという感覚は錯覚だ、と自分の違和感を言葉にできたのは十歳の時。

その皮の下では何を考えているのか分からない他人と、概念を共有しているという理由だけで同じ場所で過ごすということに耐えられなかった。

 

母の出す料理すらも信じられず、自分で鳥や動物を撃ち、捌いて食うようになっていた。

恰幅のいい家族の中でアジェイだけは痩せ細りギラギラと幽鬼のような目だけが爛々と光っていた。

 

家族に馴染めないアジェイをだんだん父も母も兄弟も避けるようになり、

彼が優秀なのをいいことに留学という名目で家から追い出してしまったのが16の春。

 

絶対と呼べるものも何一つないと思える世界の中で出会った数学。

数学の証明には美しさがあった。

正しいと証明されれば永遠に正しいまま。

 

だが、長い事没頭したものの結局数学上の正しさも正しいと決めた公理の上で成り立つ物。

不完全性定理を理解するようになってからはまた何が何やら分からなくなってきた。

 

正しい、間違っていると決められない曖昧なことが多すぎる。

特に人間という生き物が絡むと尚更だ。

 

そうこうしているうちに自分まで分からなくなってきた。

自分を表せる記号なんて一つも無い。大量の書物に頼っても結局人の言葉では自分を表せない。

他人どころか自分すらわからないこの世界でどうやって生きていけると言うのか。

自分が正しいとも言えないのに一体何が正しいと言えるのか。

 

ただ、どうやらこの世界での人間は倫理を抜きにすれば、力ある者が正しいとされるらしい。

それならば分かりやすいし、動物的でまだいい、と思い軍に入った。

両親には報告すらしなかったし、手紙すら来ることも無かった。

連絡をとろうと思えば10秒もかからなかったのに。

 

20年以上人間をやってきて分かったことだが、人間の世界で生きていく上では、

殺人や強盗なんかよりも、人に馴染めないで生きていくことが一番の重罪らしい。

あいつは自分達とは違う。ただそれだけの理由で排斥しようとする人々。

 

お前たちと関わりたくないだけなのに、お前たちも自分と関わりたくないだろうに何故排斥という形で自分に関わろうとする?

いくらアジェイがそう主張しても変人だと一笑に付されて終わる。

 

 

ならば仕方がない。この世界で生きていくためにも、人前で人に尊敬され畏れられるような自分を演じる事にした。

 

 

それっぽい事を言っておけばリンクスだの数学者だの神学者だのという肩書に目がくらんで人々は称賛する。

あんな人が言っているのだからきっと正しい事なのだろうと。その下らなさには笑うしかなかった。今自分が言った言葉をあのレイシストやあの失業者が言ったら戯言だと一笑に付すんだろう?くだらない。

人は理解の及ばないものを持ち上げるか、排除するか、あるいは無視するか。その三つしかしない。

 

それならとりあえずは持ち上げられていた方がいいだろう。

唾と罵倒よりも尊敬と金の方がまだ使えるのだから。

 

 

 

 

「なに…?」

一見すれば戦場。

だが、ノーマルは頭部や腕部脚部を潰されているのみでコアに損傷はなく、戦車も砲身がひん曲げられているだけ。

墜落した戦闘機からも脱出した跡がある。

軍人らしき者どもは皆武装解除してその場に伏せているが誰一人として怪我をしていない。

 

『何か用?もうこっちは終わっているけど』

 

後ろから表れた桜色のネクストには傷一つついておらず、PAも全く展開していない。

まさかそんな、と思った瞬間作戦終了の通信が入った。

本当に一人も殺すことなく国家転覆を成し遂げてしまった。

 

「……」

 

『為せば成る、何事も、ってね。最初から諦める方がよっぽど簡単なのかもしれないけど』

 

「ふん」

まだ何か言いたそうだったがそんな物を聞きたくないし、終わった以上ネクストがこの場にいる理由は無い。

これで反撃すれば今度こそそれを口実に容赦なく叩き潰されると分かっているのは国の方だろう。いや、『元』国だったもの、か。

 

 

 

「ふん…まぁその正義感を押し付けてこないだけ…実践しているだけ…他の偽善者よりマシか…だがそれがどこまで持つか…」

ぶつぶつと言いながら飛んでいくアートマン。

結局ショットガンを4発使った以外は損傷も死者も無く作戦は終了。

霞スミカは各企業に存在するリンクスの中でもエースとして早速頭一つ抜けた存在となった。

 

 

 

 

 

「お疲れさまです!」

 

「はい。お疲れ様」

レオーネの基地に戻り、敬礼を返しながらちゃきちゃきと歩き、人のいない所で壁に手をついた。

 

「……?」

なんだか頭痛がする。

貧血の時のように頭がフラフラする。

というよりも脚が覚束ない。

 

「実戦は初めてだから…緊張していたのかな…」

耳鳴りまでしてきた。

確かにネクストはシミュレータマシンでもそのストレスは何とも言えない辛さがあるが、

いくら長い間操縦していたからとは言え、降りた後も異常が出るなんてことがあるだろうか。

まさかコジマ汚染?いや、プライマルアーマーを展開していなかったのにそんな事があるか?

 

「はぁ…」

月の物よりも身体にずっしりくるだるさを隠し、背筋を伸ばして医務室まで歩いた。

 

 

 

「どうですか?まさか…コジマ汚染とか?」

一通りの簡単な検査と質問が終わり、不安を隠せずに医師に質問する。

 

「高血圧ですな」

まさか重病だったり…と内心はらはらしていた霞の肩を透かすような耳慣れた生活習慣病。

 

「高血圧?」

 

「そうです。お酒とか…コーヒー。食塩の取り過ぎとか」

 

「あっ」

コーヒーと酒を好む霞は特にコーヒーとブランデーを混ぜたフレンチ・コーヒーが大好物だった。

そういえば度数40を超えるようなブランデーを大量に入れてがぶがぶ飲んでいたような気もする。

やはり戦争を前にしてピリピリしていたのだろうか、ここ一か月は毎日毎晩瓶一本以上空けていた。

おまけに塩辛いものも大好きと来ている。25で生活習慣病の代表の高血圧に罹るとは恥ずかしいが、原因を言われれば両手では数えきれないほどあげられる。

 

「お薬出しますか?」

 

「大丈夫です。どうもありがとうございます」

さっきまでの重たい気持ちが全て恥に入れ替わり、顔を赤くしながら手を激しく横に振る。

とりあえず、身体に悪そうなものは控えよう。…いや、半分くらいにしておこう。

後がつかえているので、この場で長々と対策について話すわけにもいかない。後でゆっくりと調べればいいだろう。

 

 

「……んっ」

医務室を出るとまた一つ、大きな頭痛の波が来て身体が揺らいだ。

膝が笑う。高血圧にはこんな症状もあったんだっけ?

 

「どうかしましたか?」

歩いていた女性職員が心配そうに肩を支えてくれる。

 

「いや…初めてのネクストでの出撃で疲れちゃっただけ」

 

「素晴らしい戦績でしたね!貴女が味方でよかったです」

 

「そう…かしら?」

 

「ええ!」

早いところ帰って寝てしまいたいが、尊敬の眼差しを向けて興奮気味に話す職員を置いて去ってしまうのも印象が悪いだろう。

そう思って話に付き合い始めると、なんと一時間も拘束された。

 

その後、ようやく霞は家に帰り暖かいベッドで眠ることが出来た。

だが、基地の簡易的な医務室で簡単な検査ではなく、大病院でしっかりとした検査を受けていれば気づいていただろう。

これらの症状が恐ろしい病の産声に過ぎないという事に。

 




正統派美人の霞と後のランク2、サーダナの登場です。
二人はおよそ真逆の性格をしており、お互いにいい印象を持ちませんでした。

王小龍はプロフィールで「人を信じれない」と書いていましたが、サーダナの場合は更に人が嫌いで人を怖がっています。

そんなサーダナと霞はどうやってガロアの人生に関わってくるのか、お楽しみに。…と言ってもまだガロアは生まれてすらいません。

副題の「Lapse Of Time」はArmored Core Silent LineのBGMのタイトルから取っています。
名曲なのでぜひ聞いていただきたいです。


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人の進化

ソフィー・スティルチェスは幸運な少女だった。少なくとも自分ではそう思っていた。

孤児院で育ちながらも類希なる頭脳のお陰で国から奨学金を受けて大学に行くことが出来たし、

国家解体戦争で国という概念が無くなってからもその才能を見込まれてメガコングロマリットの一つ、レイレナードに研究員として拾われた。

 

ただ、なんだかついていないなーと思うのがカリフォルニアから遠く離れたグルジアという国の最南端にあるド田舎の研究所まで飛ばされたかと思えば、誰もいない部屋で二時間も待たされていることである。

大学からずっと着ている白衣もしっかりクリーニングに出してピシッと決めてきたのに最初からこれでは先が思いやられる。

本当に国家解体戦争で一番の活躍した企業なのだろうか。

 

「……外に出ちゃダメかな…」

とにかく暇。窓から見える外の風景はただただ草原ばかり。

オフの日とかはどう暇を潰すのだろう、と頭の中が暇で一杯になり五分後。

部屋の外に出る決意をした。

 

「……」

キィ、と遠慮がちに音をたてながら扉を開き暫く歩く。

向こうに曲がったら確か出口のはずだ。人と会うはずなのに出ても仕方がないだろう、と施設の奥に入る道を行く。

 

「あ」

 

「ん?何か?」

歩いていると同じく白衣を着た男性とすれ違った。着こなし具合から見て相当ここでの生活は長いのだろう。

 

「あの…ヴェデット博士を知りませんか?今日会う予定なのですが」

相当優れた学者だと聞いていたからそれなりに有名なはず。

聞けばすぐに分かるだろうと思ったが帰ってきたのは微妙な答え。

 

「ヴェデット…?いや、知らんね」

 

「あれ?」

 

「そんなに職員は多くないから…全員の名前を把握しているつもりなんだが」

 

「?ガブリエル・アルメニア・ヴェデット博士です。ここにはいないと?」

 

「新しく入ってきた人かもしれんね。二日前に入ってきた人がいるんだが…みんなドクター・ジラフと呼んでいるんだ。名前が分からない人といえばその人だけだからな」

 

「ジラフ?」

 

「見ればわかるよ。おっ…といかん。まだ休憩時間じゃないからね、すまんね」

 

「あ…」

結局有効な情報を何も得られないままヨレヨレ白衣の男性は去ってしまう。

そういえば自分もここで働くという事ならば挨拶くらいはしておいた方が良かったかもしれない。

 

「もう…人の事散々待たせて…。それにしてもジラフって…」

昔図鑑で見た記憶がある。かつて地上にいた最も背の高い哺乳類だろう。

あんな動物が地上にいた事など信じられないが、そういうあだ名がつくということは相当背の高い人物なのだろうか。

 

と、思っていたらとんでもなく背の高い男性が自販機の前で飲み物を買っている場面に出くわした。

 

(こ、この人だ!!絶対この人がドクター・ジラフだ!!)

 

「?見学かい?あれ?この研究所は見学オッケーだったのかな…」

自分より頭二つは大きい。2m10…いや、もっとあるかもしれない。

天井に頭が届いてしまっている。

 

(巨人症!?いや、顔にその特徴が表れていない。アフリカの背が高い部族とか?いや…白人だ…)

ひょろ~ん、としたその男は黒めの茶髪にブラウンのたれ目、やや鼻が高すぎる気もするが、顎も額も出ておらず、顔だけ見れば普通だし太っている訳でもない。

だが、異様に高いその身長はなるほど、ジラフと呼ばれるだけある。威圧感があまりないのは長いまつ毛のおかげだろうか。

 

「えーと、君どこから来たの?」

 

「あ、あの…」

思い切り首を上に向けながら声をかける。そんな経験初めてだ。

 

「どうしたのかな?」

 

「ヴェデット博士ですか…?」

 

「そうだよ。よくわかったね?」

とうとうヴェデット博士は前かがみになってしまった。

大人にこうやって膝を曲げて話しかけられるのは何年振りだろう。

 

「私、ソフィー・スティルチェスです…」

 

 

 

「え!!?は!!?」

ガブリエルは大層驚いた。

自分の異動と共に母校のカリフォルニア大学から研究員として一人女性が来る、とは聞いていた。

さて、どんな女性だろう。美人だったらいいな、とのんきに思っていたら確かに美人だがまだ子供だ。

 

「あの…待ち合わせの時間…13時って聞いていたんですけど…」

 

「あれ!?3時じゃなかったっけ!?ご、ごめんよ。というか君がソフィー?カリフォルニア大学から?」

 

「そうです」

 

「ご、ごめん、聞き間違えたのかな…だって君…」

 

「ええ、17です」

 

「はぁー…」

考えていることをずばり言い当てた、と言うよりは自分のような反応をする者が大半だったのだろう。

大学に行かずに二年間遊び、大学に入った後も一回留年した自分からすると飛び級なんて夢のまた夢だ。

 

(い、いるもんだなぁ…)

天才美少女科学者なんていうのは空想の中だけの存在かと思っていた。

緩やかなウェーブのかかった赤い癖毛に加えて灰色の目は優しげな二重で覆われており、可愛らしい鼻の頭はアクセントのように赤くなっていてほんの少し散りばめられたそばかすがお茶目だ。

全体的に文句の無い美少女だというのに更に頭までいいときたか。言われてみれば白衣がよく似合っている。

現在33歳の自分と倍近く年齢が違うというのに少しドキッとしてしまった自分が情けない。

これまで遊んでいる割には女性経験が無かったから免疫がないことは仕方がないと言えば仕方ないのだがこれは犯罪的ではないか。

 

「あの、でっかいですね…」

 

「ん?ああ、221cmあるんだ。皆僕の事は見上げてくるよ。はっはっは…って…ん?君も女性にしては…」

大げさに笑いながらふと気が付く。

出会う人出会う人みんな見下ろしているから中々気が付かないが、この少女、かなり背が高いのではないか?

白衣が似合っていると言ったが、着こなしていると言った方がいい。すらりと伸びた脚が見えており、背丈で考えればどう見ても少女では無い。

 

「一応、180cmあります。大学でも大人に交じってバスケットやっていました」

 

「はぇー…」

 

「あの…戻った方がいいんじゃ…」

 

「あっ、あ、そうだね。でも何するか聞いていないんだよね…。あっ、君も何か飲むかい」

 

「じゃあ一つお願いします」

おろおろしっぱなしのガブリエルに対しソフィーはだいぶ落ち着いていた。

ガブリエルはその大人びた様子にまたまたドキッとしていたが今度は顔には出さなかった。

 

 

 

元の部屋に戻ってさらに二時間。

結局何も始まらない。

ただここで待て、と指示があっただけなのでひたすら待つ…と言っても人形のようにぼーっとしていても仕方がないのでどちらともなく話すようになっていた。

 

「リンクスだったんですか?」

 

「そう。オリジナルリンクスNo.23はミッシングになっていただろう?国家解体戦争終わってすぐに辞めちゃったからね」

 

「何故…?」

 

「何故って?」

ガブリエルの頭に思い浮かんだ答えは二つあったが、どういう質問なのか今一つ分からないため聞き返す。

 

「何故リンクスになったんですか?」

 

「ああ…別になりたいからなろうとした訳では無くてね…。考えてみれば分かると思うけど、AMS適性を持つ人をどうやって探す?」

 

「え?それは…ああ、そうか。そうですね」

 

「そう。まずは会社に関係ある人物から検査していくだろう。最初は私兵から。次はお抱えの研究者や社員かね。僕はレイレナードの研究員だったからね。AMS適性があってそのままリンクスになったのさ」

 

「でもどうして辞めちゃったんですか?」

 

「僕はね、混沌極まる世界をいったんやり直して富を再分配しなおす、という考えに共感して協力しだけなんだ。それ以降の企業同士の小競り合いに参加するつもりは無かったからね。それに…」

 

「それに?」

 

「コックピットが狭くてねぇ!はっはっは!好きになれなかったのさ!」

 

「ふふっ」

優れた学者という話だったがそれを鼻にかけるような様子もなく、

とんでもなく背が高いというのに威圧感も無いこの人物にソフィーは素直に好感を抱いていた。

少々ギークっぽいが高慢な学者なんかよりはよっぽどいい。ただ、この人が戦場で戦う様はあんまり想像できないが。

 

「君は…アメリカ人じゃないな?その背の高さ…髪と目の色は…オランダか」

 

「そうです。出身はオランダだと思います」

 

「思う?」

どこからどう見てもオランダ人じゃないか、しかも今そうだと言ったじゃないか、と思ってガブリエルは怪訝な顔をした。

 

「孤児だったので。国から奨学金と援助を受けてカリフォルニア大学に14歳から通っていたので国が無くなった時は驚きました」

 

「あぁ…」

17歳でレイレナードの研究所に来るなど並大抵ではないと思っていたが、なるほど。

14歳から大学生とは半端ではない。自分など14歳のころは学校をさぼってエロ本を買い漁っていたのに、とガブリエルはしょうもない感動をしていた。

 

「レイレナードに拾われたのは幸運でした。でなければ今頃肉体労働かゴミ漁りか…いや…もしかしたら。…そういえば…10歳の女の子も大学にいたけれど…どうしたのかな…」

 

「んー…まぁ天才児なら企業が拾ってくれると思うよ。それに国家解体戦争では軍関係者以外はあまり死人は出ていない訳だし」

 

「だといいんですけれど…。ヴェデット博士は何の研究を?」

 

「脳科学だよ。特にAMSについて新しい論文を書いたばかりでね…」

 

「あれ?私は遺伝子工学の分野を研究していたのですが…この研究所って一体…」

 

沈黙を保っていたスクリーンに突然映像が映し出され、更に部屋の照明が薄暗くなった。

 

『レイモンドだ。久しいな、ガブリエル』

 

「!!」

 

「…?」

ふにゃふにゃとしていた顔を一気に厳しくしたガブリエルを見てソフィーは対照的に疑問を浮かべてぼんやりとしていた。

 

レイモンド、とはまぁその辺によくある名前のはずだ。だがその名はレイレナード所属のリンクスにとっては違う。

ベルリオーズと対をなす、レイレナードお抱えの優秀なオペレーター…と言われている。

奇妙なのがレイレナードのどのリンクスのオペレーターもレイモンドと名乗り、同時に何人もの作戦指揮をしたこともある。

変声機を用いているために男か女か、そもそも実在する人物なのかすら分からない。

分かっているのは機械的に淡々と優れた作戦を指示するということのみだった。

何人もいるか、あるいは作戦指示をする優れたAIだろうと考えられている。

 

『ミッションを説明する』

 

「……馬鹿な…私はもうリンクスではないというのに…」

 

「え?え?」

ソフィーが状況についていけずに戸惑っているとスクリーンの映像がスライドショーとなった。

 

『現在、レイレナードではある研究を進めている』

 

「それが私になんの関係が?」

 

(これは!?)

スライドショーの示す物は、その分野を専門としているものでなければ分からないだろう。

優秀な遺伝子工学博士であるソフィーは一発で理解できた。

 

『きたる戦争へ向けての準備だ』

 

「戦争…?」

 

「博士、ダメッ!!」

クローン、それも完全な人クローンの生成という人類が手を触れてはいけないパンドラの箱だ。

そして戦争という言葉。何を作る気なのかもうソフィーには分かっていた。

 

「!?なんなんだ一体…」

 

『既に我々で27体生成したがどれも使い物にならず処分した。その時に提出されたのが君の論文だった。奇跡的なタイミングの助け舟だ』

 

「処分!?処分って言ったの!?」

 

『まぁ見ろ』

ガブリエルとソフィーは同じことを感じていた。何かとても不穏なことに巻き込まれていると。

そして流れた映像は意外なことに頭の中の想像よりも平和だった。地球圏から脱出しようとするロケットがボボボと光を上げながら高度を上げていく。

だがそろそろ酸素も無くなろうという高度に差し掛かった瞬間、大爆発を起こした。

 

「なんだ…これは…?」

 

『見えるか、あの無数の自律兵器が。アサルト・セルと呼ばれる自律兵器だ。普段は光学迷彩でその姿を隠している』

 

「それが戦争となんの関係があるんですか!!」

警戒範囲に見知らぬ動物が入ってきたネコのように毛を逆立ててソフィーが噛みつくように言葉を吐きだす。

 

『このアサルト・セルは地球を覆うようにして無数に存在する。各企業が敵対企業の宇宙開発を妨害する為だけに無差別に放ち、その結果人類の宇宙への道は閉ざされた。その事実を隠ぺいするため、また、支配権を企業に移すために起こす戦争でようやく企業は手を取り合ったが…遅かったな。もっと早くに協力すべきだった』

 

『国家解体戦争から二か月。既にかつて手を取り合った企業同士でも縺れが出てきている。平和維持等の建前も無い企業は伸び伸びと戦争をしてコジマ粒子をばら撒き、人類は壊死するだろう』

 

「ならば戦争など起こさなければいいじゃないですか」

 

『我々の目的はアサルト・セルの一掃。だがそれは各企業の協力は到底受けられるものでもなければ妨害も必至。罪を受け入れるには企業は大きくなりすぎたのだよ。となればレイレナードに登録されたリンクス五名では戦力不足だ』

 

「私にリンクスに戻れと?」

 

(やっぱり!!)

AMSの研究者と遺伝子工学の博士を集めて何をしようというのか。

人クローンの生成などとは比べ物にならない戦力の確保、リンクスの量産だろう。

 

『いいや。だが着眼点は正しい。現在のリンクス候補生を入れてもまだ足りない。地球の限界までもって50年と我々は考えている。その間に…』

 

「間に?」

 

『君たちにリンクスを作ってもらう。ランク1、ベルリオーズのクローンをな。その理論が確立されれば量産も可能になるだろう』

 

「ふざ…」

ふざけないで、とソフィーが言おうとした瞬間、風を切る音とともに轟音が響き渡った。

 

「ふざけるな!!」

直径5mはあろうかという机がその手で叩き割られていた。

終止ふにゃっとした表情でへらへらと笑っていたその顔には凄まじい怒りが浮かんでおり、ぎりぎりと奥歯が噛みしめられる音も聞こえる。

握りしめられた両の手からは木の破片が突き刺さった部分以外からも血が出ており、その様子にソフィーは胸糞悪くなっていた気分がほんの少しだけ落ち着いた。

 

「あんたらが言う富の再分配も新しい平和もまるでない!!その上新しい戦争の準備!?人クローン!?馬鹿にするのも大概にしろ!!」

 

『……』

 

「今日限りレイレナードを辞めさせていただく」

 

『君もその片棒を担いでしまっているというのは分かっているのだろう?』

 

「…!」

 

『君も戦争に加担した。ここで協力しなくてもいずれ人は大勢死ぬ。だが君が協力すれば…』

 

「ヴェデット博士、行きましょう。こんな戯言に耳を貸す必要は…」

 

『なるほど。ヴェデット博士は確かに替えが利く存在ではないが、君程度の遺伝子工学の知識を持ったものならいくらでもいるし、これからも出てくるだろう。その若さでその才能というのは惜しいが…よかろう。行きたまえ。…それで、どこへ行くと言うのだね?親もいない、身元を引き受ける者もいない君が。コロニーの外で暮らすか?おおかた汚染にやられて死ぬか、レイプされて惨たらしく死ぬかだな』

 

「こ、の…!」

 

「貴様、何てことを…!」

怒りに震えて顔を真っ赤にするソフィーと対照的にガブリエルは顔を青くしていく。

 

『何が違う?われわれの望む形…戦いに特化して作られた人間…デザインド、強化人間もすでにいる。人は兵器なのだ。兵器を操る人もまた』

 

「……」

 

『君の書きあげたAMS適性の発生理論…素晴らしい。だがあれが全てでは無いな?』

 

「!何故…そう思うのです…」

 

『君は優秀だった。優秀すぎたな。逆に行動に怪しさが増した。全ての論文を手書きのみにし、データには保存せず、下書きは燃やす。時には多言語、キーの不明な暗号を交えて要の部分は全て君の頭の中にだけある』

 

『解き明かしたのだろう。AMS適性の全てを』

 

(うそ…!)

完全にランダムと言われていたAMS適性を持つ者達。

それを手に入れる為にどの企業も躍起になって人を捕まえては検査をしていた、というのはもう誰でも知っている話だ。

 

『人類の可能性…だが一方で危険過ぎる。君の研究は…他の研究者や人類の好奇心の先端、希望でもあった。しかし同時に…人の踏みこんではならない領域をも冒した』

 

『想像していたのだろう。これは優生学の暴走を招き、努力では決して覆せない支配階級と新人類の誕生の引き金となり旧人類は隷属化されると』

 

(なんてことを…)

言われてみればその通りだ。もしもAMS適性を持つ者の完全な特定が可能になったら?

30人以下で世界をひっくり返した兵器を操る才能を持つ者とそうでないもの。恐怖と力。

隣で拳から血を流しているガブリエルの研究は差別の極みへの鍵でもあった。

 

『我々は…いや、我々だけでは無い。知ればどの企業も、君にあらゆる苦痛を以て情報を引きずり出そうとするだろう。たった数十人で国家の解体を成し遂げたリンクスの量産!それは核の保有など問題にもならない圧倒的武力となる』

 

『君が見せたのは一つだけ。それだけならば特定は不可能、育成も不可能だ』

 

『しかしわざわざ探す必要は無いのだ。我々にはランク1を育成したカリキュラムとランク1の遺伝子がある。君なら、出来るはずだ。次のクローンにAMS適性を発生させることが』

 

「……!…!!」

 

『約束しよう。報酬はもちろん、君の研究は忘れると。君の頭の中だけに置いておくと。我々は追及しない』

 

「ふざけないで。例え踏みにじられても…踏みにじる側にはなりません。やめさせていただきます」

今日の朝受け取ったばかりのIDカードその他諸々を地面に叩きつけ立ち去ろうとする。

 

「ダメだ、ソフィー!行ってはいけない!!」

 

「痛っ…!」

出て行こうとする自分の腕をガブリエルの大きな手があざが残る程強く掴んでいた。

離して、と怒鳴りそうになってその必死な表情に気が付く。あの顔は保身では無くこちらの身を心の底から思ってくれている顔だった。その理由は分からない。

だが短いやりとりでも分かることはある。

例え悪魔の発見をしたとしても、殺人兵器としての才能があっても、この男自身は絶対に悪者では無いのだと。

 

『コジマ汚染は消えない。その場に百年、二百年と残り続ける。有毒…なのは承知の上だろう』

 

「……」

 

『だがそれだけではない。コジマの毒は…ありとあらゆる生物にとって最悪の影響を及ぼす性質がある。それはほぼ永続する残留性と駆け合わさって凶悪極まりない毒となる。見るがいい』

今度のスライドショーは中学生でも理解できる専門的な知識を必要としない簡潔な物だった。

そして同時にソフィーもガブリエルも顔を歪めて真っ青にしていく。

 

(こんな…なんでこんなことを分かっていながら…)

 

『時間がない。50年で地球はコジマに覆われると言ったな。その後残るのは…簡単に想像できるだろう。死の惑星だ』

 

『分かるか。戦いが長引いても勝てばいいという物ではないのだ。速やかに、確実に勝利しなければならない。そしてコジマを用いずに速やかな勝利というのは相手もコジマを用いる以上不可能なのだ。

ヴェデット博士。そんなつもりはなかったのかもしれん。だが、この地球全ての生物の生命がもう君の肩にかかっているのだ』

 

「私が…必要なのですか」

 

(あ…)

その時、その表情からソフィーは一つ嘘を見抜いた。リンクスをやめたのは先ほど言っていた理由からでは無い。

単純に戦いや人の死が嫌になったのだろう。戦う姿が想像できない、と思ったのは間違いではなかった。この人はそもそも戦いに向く性格では無かったのだ。

ましてやこの研究を一人でなど。支えなければならない。その心が分かる者が。

 

『精子でなくても遺伝情報があればいくらでもクローンは作れる。外殻となる卵子については…』

 

「いりません。どこから手に入れたのか考えるだけで吐き気がします」

自分の才能に感謝したことは一度や二度では無い。

そうでなければ親も金もない自分がどうなっていたか。

初潮も来ていなさそうな子が『$10』と書かれたプラカードを持って道を歩いているところを下卑た男達が路地裏に連れ込むのを見たことがある。

それとこの企業のどこが違うというのか。

 

『だが…』

 

「私の卵子を使います。核を取り除く作業もこちらで致しますので介入しないでください」

 

「そ…、…!」

後先の考えていないソフィーの言葉にガブリエルは何かを言おうとしたが口を噤んでしまった。

ソフィーはそれに気が付いていたが何も言わなかった。

 

『では、また明日この場所で。次は朝九時に来たまえ』

 

「……」

 

「ヴェデット博士…」

 

「……」

 

「手…ちゃんと消毒しないと…」

 

「ん?ああ、ごめんよ…」

 

だらだらと血が流れるその手は見た目以上の大けがで、完治に長い時間がかかったが、

叩き壊した机は次の日には新品に替えられていたのがいかにも下衆な企業らしくて嫌だったのをソフィーはいつまでも覚えていた。

 

 

ガブリエルはこの少女の危うさを感じとっていた。伊達に彼女の倍を生きてはいないし、人の生死を目の前で見てきたわけでは無い。

ほんの少しだが、あの発言からこれからこの少女がどうなるか、その未来が垣間見えたような気がしたのだ。

だが、あくまでそう感じただけであって確証はどこにもない。結局言いよどんでいる間に話が終了してしまった。

その想像は間違いでは無かったと気が付くのはすぐだった。

 

 

そしてソフィーは後になってから気が付いた。

自分がいきなりレイレナードという大企業の研究員という誰もが羨むキャリアに抜擢されたのは何も才能と幸運に恵まれたからではなかったのだ。

若く優秀というのはそれだけで周りからの期待の目もあるものだし、何よりも大抵はよいところの生まれだ。

 

自分は家族も後ろ盾も守る者もない、孤児。才能に恵まれただけの子供。

さらに若い自分は敵対企業とのコネクションの存在する可能性も限りなく低く、いざとなれば処分しても誰も文句は言わない。

レイレナードにとってありとあらゆる面が都合の良い存在だったのだ。

 

もしもあの時、勢いづいて外に飛び出していたら簡単に消されていただろう。

ガブリエルはそれに気が付いて守ってくれたのだ。一瞬の判断だが、あれが全てだった。あの判断がなければ今頃死んでいるか…薬漬けにでもされてどこかの変態に売られていたかもしれない。

自分が支えていかなければならない。想像すら出来ない重荷を背負ってしまったあの人を。せめてものお返しとして。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分は…中学生になった時点で190cmあった。

だがイジメだとか支配だとか嫌いで…大して勉強もせず、運動もせずひたすらエロ本を買い漁っていた。

そんな自分をからかったり後ろから蹴っ飛ばしてくる奴もいたが、果てしなくどうでもよかった。

頑丈な身体のお陰で別に痛くもかゆくもなかった。やろうと思えば片手で吹き飛ばせるのにどうでもよかった。

どうでもよかったのだ。そんなちっぽけなことは。

 

 

いつも考えていた。

強さとはなんだろうと。

虐待や支配といった暴力とは切っても切り離せないそんなものが嫌いな自分が何故そんなことを考えるのだろう。

やはり男だからだろうか。

 

国や企業が弱者から吸い上げ虐げる。

でも強さってのはそういうものじゃないだろう?

分かってはいる。強くなければそんなことは出来ない。

 

でも…強いというのは弱いの反対だとか、敗者の逆にいるものだとか、そんな相対的な物か?

 

そうじゃないだろう。

強さというのは強い者に挑むことなのだ。

 

ありんこのようにちっぽけな存在でも自分の価値を一切疑わずに城や国に挑むような存在だ。

 

それこそが強さだ。

強きを語るのに弱者の存在などどうだっていいはずだ。

 

 

 

獣の四肢、爪、牙。

それこそが獣の強さ。

ならば人の強さは?

頭脳にある筈だ。だからこそ脳科学の道へと進んだ。

 

 

 

 

『あの時』までの人という種の強さは……

 

統率、綿密な作戦、優秀な技術。

それが絡みあって何百何千年も進んできたものだったはずだ。

人の優れた頭脳…とやらから捻り出される。

 

 

それが突然の逆行を開始したのだ!!

圧倒的な個の力の時代へと。神話の時代へと。

 

完全に統率され綿密な作戦と優秀な技術で作りあげられた軍隊を蹴散らす巨大な個たち。

個の力が万の軍勢を打ち負かすという、語り継いでいた神々の存在するような時代に。

脳にあった。その強さは脳から由来するものだったが、小賢しい集団の強さを使うのでは無く、その他大勢の有象無象と隔絶した神の与えし強烈無比な個の才能だった。

 

 

ここにきて逆行した!!人の強さとは集団の強さだったはずが!!完全な個の強さに!!だがそれは逆行では無かった!!

 

 

 

人類は進化したのだ!!

 

 

 

もうそろそろ極まってくる。強さの極点が表れるのだ

あらゆる小賢しいところから全く離れて存在する強者が。

 

 

だが偶然神から賜った才能を責任と信じてリンクスとなった自分は結局進化など見なかった。

 

こんなものだっけ。強さとは。

強くなって弱い人々を脅かして国家を転覆させる。

圧倒的な力で虫を潰すように殺していく。

 

なんなんだ一体。

やりたくない、そんなことは。

幼子を抱いて必死に逃げ回る母を焼くのが強さか?

 

気付けばリンクスをやめていた。そんなことがしたかったんじゃない。そんなものが見たかったんじゃない。

やはり強さとは弱さの逆にあり、弱さがなければ存在し得ないものだったのだろうか。

何にも影響されない、夜空に輝く星のような強さ。

そんなものは所詮自分で作りあげた幻想だったのか。

 

 

逆行するなんて、人の進化は愚かだと言っているかのようだった。

違うだろう。それは進化じゃない。ただの欲望だ。欲望に振り回されている。企業もリンクスも国も、ほとんどすべての人も。

 

逆行に見えたあれは絶対に進化だったはずだ。

 

 

進化というものは。

少ない細胞から出来たほとんど差異のないゴミのような生物から何億何十億という年月をかけて様々な多様化をしながら行われてきた。鳥、獣、人間へと姿を変えて。

 

強い者を見つけてそのコピーをいくつも作り出す?単細胞生物を細胞分裂させるみたいに?

そんなの進化の道程と真逆じゃないか!!

 

 

どうして生物は生死を重ねて先に進むのか。

差異を重ねて作り出す為だ。

頂点を。

 

それが極まったのなら。

出るはずだ、あの力で。突然頂点に立つ存在が。

今は出ずとも。

 

 

 

国家解体?戦果を競った上でのランク?何か違うだろう。

 

合理主義で理想的かつ成功率の高い作戦を忠実に行う優秀な軍人が一番でした?

まるで進化していない!!違うはずだ!!

それは強いだろう!!当たり前だ!!でも違うだろう!!

 

ランク3のアンジェを初めとしてリンクスは身勝手な者も多かった。

良かれ悪かれ力に固執した者が。

 

その先が、それが極まった先があるはずなのだ。生物が誰にも唆されずとも必死に進化して追い求めている先が。

 

この先に、この先にいるはずなのだ。他と隔絶した力、予測不可能な異分子が。

 

その先は。

もっと極めて理不尽に存在し、あらゆる小賢しい物から切り離された場所に発生するのではないか。

 

警報機が鳴りさえしない突発的な地震のように。

防波堤の数倍の高さで全てを飲みこむ津波のように。

ほんの少しの身震いで星々を簡単に焼き尽くす太陽のように。

 

一切自分の価値を疑わない絶対的な強者。

 

 

イレギュラーが!!

 

 

 

 

 

 

 

自分がリンクスになることを電話したら両親はやんわりと反対してきた。お前は優しい性格なんだから、お前は頭がいいのだから、と。

それでもこの力は責任の伴う物だと思ったのだ。核兵器の発射ボタンみたいに誰でも持てるものでは無いのだから、理由があると思った。

でも、それが国の解体だなんて言うくだらないものだとは思わなかったさ。

 

 

あれからもう随分長い事両親には会っていない。

なんであの研究を一部でも発表したんだろう。人として、研究者として見てみたかっただけのその果てを。

 

胸を張りたかったのかもしれない。

ほら、別に殺人兵器じゃなくとも、僕はちゃんとまともな科学者として頑張っているよと。

 

田舎で一人息子が帰らなくなって久しく、しょんぼりとしているであろう両親を。

 

いつか帰れるのかな。故郷のアルメニアへ。

でも、今は…胸を張れることと真逆の事をしているんだ。

 

 

 

 

それから六か月。

無事にソフィーの卵子から核を抜き、ベルリオーズの核を移植し終え、

大型の培養器でクローンはすくすくと育っていた。

 

 

 

ガブリエルは椅子に座って夢を見ていた。

 

………人は夢を見る………

 

これが始まりだった。

 

「ん……?」

肩に暖かい物がかかったのが逆に目を覚ますきっかけになった。

もう少し深い眠りだったら、もう朝まで寝ていたかもしれないが。

 

「あ、ごめんなさい…起こしてしまいました…」

 

「…すまない。大丈夫だ」

肩にかけられていたのはソフィーの白衣だった。

白衣を彼女の肩にかけなおし、鼻をすすると甘い匂いがした。

 

「お夜食です。遅くまで大変でしょうから…」

机の上にはまだ湯気のたっている作りたてのアップルパイがあった。

奇しくもそれはガブリエルが小さな頃から大好物だったものだった。

 

「はは、ありがとう。君が作ったのかい」

 

「はい。オランダ風のアップルパイです。お菓子を作るのが好きで…」

 

「へぇ………美味しい、美味しいよこれ」

さくさくほくほくとした甘いアップルパイにクルミの風味が効いていて実に美味しく温かい味だった。

高価な物では無いが毎日でも食べたくなる味だ。

 

「よかった」

 

「なんでアップルパイなんだい?手間がかかるだろう?」

 

「私、小さい頃から沢山勉強していたんです。孤児の私にはそれしかなかったから」

 

「ふむ」

と、簡単に返事をするがそれからこの若さでここまで優秀な科学者になるというのは途轍もないことだ。

たくさんべんきょー、なんて簡単な一言では済まされる物では無い。

 

「院長先生が勉強しなさい、才能を伸ばしなさい、それがあなたを助けてくれるって言ってくれたから」

 

「……」

 

「夜遅くまで勉強しているときに他の子に内緒でそっと作ってくれたんです。それが大好きで…。私の思い出の味なんです」

 

「くっ…」

じーん、と鼻まで涙が込み上がる。

汚いところが何一つない素晴らしい若さと才能、そして努力。

生まれてくる世界を、時間を間違えたんじゃないか。

故郷から離れてこんな後ろ暗い実験に巻き込まれて。

 

もう一口アップルパイを口にするともう限界だった。涙が溢れそうになって天井を見上げる。

 

 

 

「あの……?」

ぷるぷると震えながら天井を見上げるガブリエルに恐る恐る声をかける。

こんなに背が高い人がさらに上を見ているのだ。まるで天井にキスでもしようとしているかのようだ。

 

「大丈夫だ!!」

 

「わっ!?」

壁が覆いかぶさってきたかのようだった。

突然決壊したように涙を流すガブリエルに抱きしめられていた。

 

「私が君を巻き込んでしまった!恥じ入っている!」

 

「あ、あの…」

院長先生、となぜか頭に浮かんだ。

自分が幼い頃には既に年老いていて常ににこにこしていた優しいおばあちゃんだった。

だから孤児だったことも不幸だとは思っていなかった。そのおばあちゃんに抱きしめられた時を思いだしたのはどうしてなのだろう。

 

「だけど、必ず故郷に返してあげるから!」

 

「あ、あの!別に故郷なんて」

別に国を思ったことなんてない。望郷なんて知らない。だからこそ点々とアメリカに行ったりここに来たり…レイレナードが欲した根なし草なのだ。

どうしてこんなに?そう思ったが、この人はまた自分とは違うタイプなのだろう。名前にも故郷を入れて常にそこを思っているという。

この人はこんな時代でもなんだか温かい。

 

「必ず!僕が君を守る!」

肩をがっしり掴まれて叫ぶガブリエルの方が子供のように泣いていた。

 

「!!」

 

「何年かかっても君を必ず故郷に返す!私が必ず責任を取る!」

てんで的外れの事を言っている。

あなたと違って故郷を思っているタイプの人間では無いんだって。皆が皆同じ考えじゃないんだから。

だから別にそんなこと言わなくてもいいんだって。

ここに来たのも、来ることを選んだのも自分なんだって。

 

(!)

そこまで考えてようやく気が付いた。今もう一度自分の事を抱きしめたこの大きなガブリエルがどうしてあの年老いて小さく枯れていた優しい院長先生と重なったのかが。

この人は自分を子供として扱い、大人として責任を感じているのだ。

 

背は高く、周囲の誰よりも優秀な頭脳を持つ自分を異質な存在だと誰もが思っていた。そして誰も彼女をただの子供だとは思わなかった。

それで構わなかった。周りに負けないように、時代に翻弄される子供のままじゃないようにと頑張ってきたのだから。誰もが飲まれる不幸から逃げれるように。

 

自分よりも優秀で大きくて、そして優しいこの人の前なら、自分は肩ひじ張らずに弱い子供でいられる。

最初は幸運だと思っていた事は不運ばかりだったかもしれないけど。

それでもこの人に出会えてよかった。

ナイアガラの滝のようにぼろぼろと涙を流して抱擁してくるガブリエルの背にそっと手を回してソフィーは子供のように甘えた。

 

ソフィーはそれを後になって振り返ってから気が付いたが男の人にそんなことをしたのは初めてだった。

 

 

 

 

落ち着いてみればとんでもないことをしでかしてしまった。

 

(あばばば…)

子供のはずだ。自分の半分しか生きていないのだから。だから子供扱いするのは間違っていると言いきれない。

それでも17というのはそこまで子供ではない。いくら年が下で子供のように扱っても、もう出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる『女性』なのだ。

 

「あの、あのののの、せくっ、はら、とかに…」

 

「何を言っているんです?」

『変態科学者、未成年にセクハラ、現行犯逮捕』という記事になって世界中に知れ渡り両親がそれを知って泣く。

そんな自殺したくなる様な未来を想像して顔を真っ青にしながら培養器の前で実験体を見るソフィーに声をかけたらけろりと声を返された。

 

(ありゃ?)

全く不快な感想を抱いていなさそうだった。

この年になって初めて勢いで『女性』を抱きしめてしまってどうなるか、とガタガタ震えていたのに。

 

ソフィーは培養器の中の赤子を見ていた。

既に核の移植も終わり、大きな仕事も残っていない筈の彼女が帰らなかった理由をガブリエルはよく知っている。

仕事の合間合間にこうしてこの部屋に来ては育っていく胎児の姿を見ているのだ。

その姿はまるで…

 

「これは…何を?」

胎児の頭にペーストされた幾つもの電極を指さして尋ねてくる。

そういえば詳しい説明をしていなかったか。

 

「AMS適性の多寡と有無は三つの要素からなる。一つは不可欠な要素であり先天的に決まっていて、残りの二つが発生の鍵となる。私は…その全てを知っている。だが細かいことは聞かないでほしい。とにかく、先天的にAMS適性を持てる者と持てない者は確かにいて、そこからAMS適性が発生するかどうかは二つの要素によって決まるんだ」

単純な好奇心だった。それがこんな人の尊厳を踏みにじるような結果に繋がるなんて思ってもいなかった。

だがそうだとしても、罪は罪なのだ。その全ては、墓まで持っていかなければならない。

 

「その中の一つを用いているのですよね」

 

「夢なんだ」

 

「夢?ですか?」

 

「そう。通常胎児も30週間を超えたあたりから夢を見始める。AMS適性を持つ者はその夢を見始めるのが極端に早い、という仮説のもと進めていったのが僕の研究の一つだ。

さらに言うと早産の確率が非常に高いことも言える。現存するリンクス、さらには候補生の中で…分かっている限りでは全員が早産、つまり十月十日待たずして生まれている。

早くに夢を見始めて早くにこの世に生を受ける。…何かの意志を感じるよ。勿論僕も早産で生まれた。28週で産まれたらしい。脳の発達の違いが脳が出来上がる前に作られてAMS適性の有無につながるのだろう」

 

「じゃあこの電極は…」

 

「夢を見せている。専門的な話を避けて説明すれば、リンクスとなる様な者が胎児の頃見ると考えられる夢だ。まだ外の世界を見ていない胎児が何を見ると言うのか…僕にはわからないが…

昔読んだ東洋の小説では胎児の見る夢はおよそ悪夢だと書かれていた。我々もそんな悪夢を母の胎内で見てから生まれているのだろうか…」

まだ濡れている目の周りをハンカチで拭きながら話していると、すっ、と培養器にソフィーが手を添えた。

 

「ごめんね…」

 

「!」

 

「せめて今だけは…」

 

「……」

 

「あなたに幸せな夢を見せてあげたかった…」

 

(やっぱりか…)

自分の卵子を使うと言い出した時に感じた一抹の不安。

そしてこの数か月の行動。もう間違いないだろう。

ソフィーはこの子に対して母性を抱いてしまっている。

思えば、科学的ながらも自分の卵子を使い自分で作った子供だ。

そういう感情を抱いても全く不思議ではない。

 

天才だろうが科学者だろうがまだ子供だろうが、彼女は『女性』なのだ。

既に自分は逃れられない罪を背負ってしまった。ガブリエルはまた顔を上げてソフィーから見えないようにしながら唇を噛んだ。

 

神よ、子供が子供らしくいられない世界なんて。

 

 

「…まぁ、リンクスになるために訓練があるとはいえ…それが不幸に繋がるとは限らない」

 

「…?」

 

「それに…なんだかんだ…今の僕は結構幸せだと思うしね。まさか一日中訓練漬けということも無いだろう。それ以外の時間ではきちんと幸せを感じれるような子に…してあげよう」

嘘ばっかりだ。

償いなんかにはなりはしないし、幸せでもない。もしもこの培養器の中の子にAMS適性があり、量産可能なのだと分かればその量産されたクローンがどうなるのかなんて考えるまでもない。

例えこの子だけを幸せにしたとしてもそれはただの誤魔化しでしかないのだ。

それでもこの若く才能に溢れた学者から少しでも罪の意識を削ぐ為にガブリエルはそんな言葉を口にした。

 

 

 

ガブリエルの不幸は、才能に似合わず優しい性格をしていたことだろう。

才能に恵まれればいいというものでもないのだ。

 

持てる知識、技術の全てを使い、憔悴しながらもずっとこの研究所で寝泊まりしているのも、この培養器の中の子供を絶対に処分などさせない為だった。

例えその成功が凶悪な実験と巨大な戦争に繋がるとしても。彼は両親の言った通り、優しい人間だった。

 

 

 

「……はい。………ヴェデット博士。いつか…いつかは帰りましょう」

 

「え?」

 

「いつか、ご両親の元へ。故郷へ…博士は胸を張って」

 

 

 

奇妙な様子だった。誰もやりたがらない無給の時間外労働を進んで二人でやり、それも楽しそうだというのは。

少なくともレイレナードの抱える優秀な研究者たちには不思議に映っていた。

 

 

 

 

 

 

さらに二か月後。

培養器の中で7か月と半月を経てNo.28と呼ばれるクローンは誕生した。

AMS適性も問題なくあり、体重も3200gと健康そのもの。

後はこの子が優秀な兵士となれるかどうかだが、その点はネクストが誕生する前から極めて優秀な軍人でノーマルもネクストも誰よりも上手く使いこなしていたベルリオーズのクローンということもあり、

そこは心配されていなかった。いや、むしろ教育を始める年齢を考えればベルリオーズよりも遥かにすぐれたリンクスになるだろうと予想されていた。

 

その夜。

宿直として研究所にずっといた二人は保育器に入った赤子の前にやってきた。

 

「そろそろ二時間ですから…」

 

「ああ…ええと、これで人肌くらいなのかな…」

時代も技術もいくら進んでも乳飲み子のミルクを温めるのは変わらない。

人肌って自分の手で触って分かるものなのだろうか、肌と同じ温度じゃわからないんじゃないの、と思っていたらひょいと哺乳瓶が取り上げられた。

 

「これくらいで大丈夫ですよ」

ひょいひょい、と保育器の中から赤子を取り出して抱きながらミルクをあげる様は17、18の少女にしては随分手馴れている。

 

「…?なんだか随分…」

 

「孤児院で赤ちゃんの世話とかもしていましたから…懐かしいなぁ。まだ生まれて間もない子を捨てていく人もいたんですよ。信じられません」

 

「……」

 

「この子の名前…」

 

「名前?」

 

「オッツダルヴァ、ってどうですか?皆揃ってNo.28じゃああんまりにも可哀想じゃないですか」

 

「…そうだね…。いいんじゃないかな」

そう言いながらミルクをやる姿は母性愛に溢れてしまっている。

いざこの子を戦場に送るとなった時どうなるか心配でならない。

自分も心配だ。ずっと珠のように壊れ物のように世話をして誕生したこの子供が可愛くないはずがない。戦場に送りたいはずがない。

と、言ってもそれは少なく見積もっても12,3年は先の話だが。

 

「はい。抱いてあげてください」

 

「え?うっ…とっと…」

割とおっちょこちょいの自分が2mの高さから落としてしまった日にはこの子、オッツダルヴァの寿命は1日で終わりかねない。

自然とその場であぐらをかきながら抱くことになった。

 

「こう…背中をこうしてあげて」

 

「へ…?こう?」

肩に頭を乗せたオッツダルヴァの背をソフィーが目の前でやっているようにして撫でる。

 

「…けぽっ」

 

「よしよし…」

 

「あ、げっぷか。いやぁ…赤子というのは凄いな…小さくて何もできないのに、もう身体は出来上がっている…いや凄い…」

細い指で頭を撫でる様を見ながら故郷を思い出す。

ここから国境だった線を越えてすぐに実家があるというのにもう何年も家に帰っていない。

ずっと故郷を思ってはいるからこそ、故郷に近いこの研究所に呼ばれたとき、すぐに来てしまったのだろう。……両親に会いたくなった。

 

頭が激しく動かないようにしてそっと腕に抱く。

げっぷをしたと思ったらあっという間に眠ってしまった。

何度かベルリオーズには会ったことがあるがまだその面影らしきものは見えない。

それともこんな可愛らしい顔も、度重なる戦いを経ればあんな厳めしい顔になるのだろうか。

 

「弟や妹とかは…」

 

「一人っ子さ。ワガママほうだいに育って結局この年さ。両親とはもう…10年くらい会っていないねえ。連絡はたまにしているんだが」

 

「え?おいくつなんです?」

いくつだと思っていたのだろうか、「この年」とか「10年」という単語を聞いてソフィーは目を見開く。

 

「33だよ。もうすぐ34になる」

 

「えー!まだ20代だとてっきり…」

見た目が全く老けていないこともあるが何よりも言動が若々しいこともあり彼女の脳内では20代後半で設定されていたのだった。

 

「はっは。もうおっさんだよ」

故郷を思いだしても帰れないだろう。

今、会いに行くにしても気まずいし、何よりもこんな実験の中心人物となっているのをひた隠して何食わぬ顔で会いに行くのは後ろめたい。

遅い時の子だったこともあり大層可愛がられたが結局何一つ恩返しをしていない。両親はもう既に70歳を過ぎている。

 

(せめて嫁さんぐらい見つけておくんだった…)

そこまで考えが至った時にソフィーと目が合った。犯罪的だ。

子供なんだってこの子は、と自分に言い聞かせる。

 

「何を考えているんです?」

 

「あ、いや、何でもないよ」

まだ手を出してはいけない年齢だろう、じゃあもっと年いってたらよかったのか、そしたら相手にすらされないだろう、

と脳内会議を白熱させて顔を赤青させるガブリエルを見て、ソフィーは何となくガブリエルが腕に抱きっぱなしだったオッツダルヴァを取り上げたのだった。




オッツダルヴァはこうして生まれました。

ガブリエルの苗字、ソフィーの顔立ちからしてもうこの二人がなんなのかあからさまですね。


オリジナルリンクスだというのにガブリエルの名はランク含めてあらゆる情報から徹底的に削除されています。
彼の持つAMSの知識は今後の世界をひっくり返しかねない物だからです。

三つの要素と書きましたが、一つに先天的にどうしようもなく決まる要素があり、それをもガブリエルは特定しています。
またその人間がAMS適性を獲得できるかどうかは早産の胎児が見る夢ともう一つの要素に由るわけなのですが…それは後々。


集団の強さは個の強さを押しつぶす人間の歴史でもある筈です。
ところがAMS適性という才能はネクストという悪魔を駆り、たった一人でも何万人の人間を叩き潰せるのです。
結束し、強くなっていくはずの人間の歴史、進化が唐突に個人に行き着いたのです。


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Verdict Day

二人の出会いから約四年。

オッツダルヴァと名付けられた実験体28号はAMS適性、心身共に極めて健康に育っていた。

二人のオッツダルヴァへの態度が伝播したのか、最初は実験道具を扱うように慎重に接するくらいでしかなかった所員もなんだかんだ子供らしく笑い泣くオッツダルヴァを可愛がるようになっていた。

そして。

 

「おとうと?」

 

「そう…あと八か月もしたら生まれてくるのよ」

ソフィーがまだ目立たないお腹にオッツダルヴァの手をよせて触らせる。

 

「そうしたらオッツダルヴァはお兄さんだな」

ガブリエルは四捨五入したら40になる年になったというのに相も変わらずあまり老けていない。

同僚の誰それがソフィーにアタックしてフラれた、という話を耳にしていてもたってもいられなくなった。犯罪的だし変態的かもしれないが構いやしない。この少女が好きになってしまっていたのだ。

玉砕覚悟、100回はフラれるぞと意気込んで交際を申し込んだのが三年前。

元々が美人だし、同僚も普通にフったとなっては自分みたいなウドの大木ではまず上手くいかないだろうと思っていたがあっさりと「こちらこそよろしくお願いします」、と言われてひっくり返った。

ソフィーを連れて超が付くほど久しぶりに実家のある故郷に帰り、16も年が離れた女性を「嫁です」、と紹介したら両親も泡を吹いてひっくり返った。

現在は国境を越え、ガブリエルの祖国でもあるアルメニアで二人で暮らしている。

国境を越える、と言ってもこの研究所がグルジアの最南端のど田舎にあることもあって、車で一時間半も飛ばせばつく距離だ。

両親に子供が出来たことを伝えたら多いに喜んで二日に一回はソフィーの体調はどうなのか、と連絡してくる始末だ。

 

 

「へー…?八か月って…240日?」

 

「そうだ。賢いな」

 

「…そろそろ時間ね。行かなくちゃ」

三歳になってから本格的な教育を開始することが決定されたオッツダルヴァは朝早くから車に乗せられ別の基地に移動し、

日が暮れてから帰ってくる。まだ三歳の子供には大分ハードなのでは、と思うが少なくともオッツダルヴァの家であるこの研究所では幸せそうにしており、

夫婦となったガブリエルもソフィーもその笑顔には罪悪感から救われる気持ちだ。

 

「…うん」

 

「どうしたんだい?」

 

「ほんとうはね、あっちの先生むずかしいことばかり言うしやさしくないからきらい」

 

「……」

その言葉を聞いて顔に影が差すソフィー。

自分達に出来ることは何もないのが情けないし、罪の意識がより一層心に食い込む。

 

「でもね…おとうとを守れるくらいつよくなりたいから、がんばる」

 

「!」

 

「!…そうだな。お兄さんだもんな。頑張ってきなさい」

 

「うん!」

健気に笑い駆けていくその背を見る二人の表情は非常に複雑だ。

せめてここでは幸せに、という思いは実現できている。

しかし二人は戦場に送りたくない、そんな危険な場所に行ってほしくないとずっと思っている。

特に前線で戦った経験のあるガブリエルは尚更だ。

死なないように強くなってもらう。しかしその訓練は辛く厳しい。

たった三歳の子にそこまでする必要があるのかと怒鳴り込みたい気持ちをもう何度も飲み込んで、あの子と人類の未来の為だと言い聞かせている。

いずれ戦場に出る運命ならば、せめて死なぬように強くなるしかない。

戦場では中途半端に強い者から死んでいく。

 

「あなた…ちゃんと用意しておきましたか?」

 

「もちろん」

と言った瞬間に、数少ない同僚もにやっと笑い声をかけてくる。

 

「実は」

 

「私たちも」

 

「用意してきたんです」

その手には色とりどりの包装がなされた箱。ケーキとオモチャか何かだろうか。

今日はクリスマス。こちらでのオッツダルヴァの管理は一任されているため、クリスマスプレゼントをあげてケーキを一緒に食べることくらいは許されるはずだ。

 

「あら…」

 

「はっは。君たちも強制残業かな。ところでもうケーキは買ってあるよ?」

 

「……え?」

 

都合4ホールあるケーキに固まる研究者一同を遠巻きに眺めている男がいた。

 

 

 

 

 

 

「……いずれ戦場に送る子供に情をかけるなど…」

陰からその様子をつぶさに観察する男はソフィーが配属された日に声をかけた男である。

 

(あの二人が男女の仲になるとは…未だに信じられん)

ちなみに三年ほど前ソフィーにフラれたのもこの男である。

 

「……ちっ」

何故こんな遠巻きから眺めているのか。それはあの輪に入れないから…という事ではなく、

この研究所の成果を盗み他の企業に横流しにしているのがこの男だからである。

どちらにせよ時期が来ればいずれここからは離れるつもりなので必要以上に馴染む必要ない、というのは男の言い訳で本当はソフィーに未練たらたらであった。

だが、急成長したためにネクスト以外の産業が覚束ないレイレナードと、長い間腰を据えて発展してきた他の企業ではいざ戦争が起こった時に危いのはレイレナードだろう、と踏んでいたというのもある。

果たして男の予感は当たっており、そう遠くない未来、彼はこの研究所を離れることになる。

 

 

 

 

 

 

その頃。

旧ロシア、北極圏最大の街、ムルマンスク…からさらに東に40km。

さらさらと流れる川の傍でしんしんと降る雪を頭に積もらせながら、アジェイは半ば以上枯れ木と化していた。

 

ち~ん。ご臨終です…。

と、テロップが流れても不思議ではない程動きがない。

 

既に川べりの平らな石の上に座って18時間。

雪とも森とも川ともオーロラともつかずにぼけーっと眺めながら無精髭が伸び放題伸びた顔をたき火で暖める姿は正しく世を離る世捨て人そのものだった。

 

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

(……死のう)

 

(死んで…ここの土に還ろう。もう…この世は…いい…)

何もかもがつまらない。

何もかもがくだらない。

たかが人間に馴染めなかっただけでこれだ。

もうあの家で本を読み動物を狩って生きていく生活にも飽いた。

これ以上生きても…いや、これまでも何一つ楽しいことなど無かった。

誰もが畏れる自分を演じ続けるうちに自分が何なのかすら分からなくなり、ここ半年は誰とも会話していない。

自分が分からなければ、誰とも交わらなければ自分がはっきり浮かぶだろう、という考えだったが逆だ。

川の流れを眺めてオーロラの輝きを見ているうちに自分というちっぽけな存在を捉えることすら難しくなってきた。

もうそろそろこの自然に戻ろう。

 

ピピピッ

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「…?」

もう三か月以上振動すらしていなかった連絡用携帯電子機器が音を上げる。

バーラッド部隊もロランにほとんど任せ、もうミッション受けたくないです、と言ってからイクバールからもミッションの連絡は来ていない。

今更誰が自分に連絡してくるというのだろうか。

 

「…うぅ…」

急に機械的な光を放つ画面に焦点を合わせたため目が痛い。

暫く画面を眺めてそこに表示されているのが文字だという事にようやく気が付く。

 

『ミッション連絡

 

レイレナードの極秘研究施設を破壊してください

 

この研究所では人を人とも思わない極悪非道な実験をしており、人類の未来の為、企業の正義の為、関係者を生かしておくわけには行きません。

 

ランク1、ベルリオーズが出てくる可能性があるため、ランク2、サーダナ様にも出撃していただかなければなりません。

 

さらにもう一機、ネクストが乱入してくる可能性がありますが、そちらは作戦決行のタイミング次第で抑えられます。

 

作戦決行はまだ数か月先になる予定ですが、いつでも出撃できるように備えておいてください』

 

 

 

「……?」

場所も日時も内容も書いておらずにただ備えておけ、と書いてある。

久々に来たミッション連絡がこうだと早速やる気が無くなってくる。(元から無い)

 

(ベルリオーズ…嫌だな…)

かつて二度ほど共同作戦に当たったことがある。

彼自身も極めて優秀なリンクスにも関わらず、不利な戦いは決してせず、多数で小数を潰すやり方で多大な戦果をあげてきた。

もしバーラッド部隊を動かすとなったらその辺の紛争が尻尾を巻いて逃げ出すような激しい戦争になるだろう。

一対一ならばあまり負ける気はしないのだが、恐らく指揮官としての能力は彼の方が上だ。

扇動も上手く、それなのに自分は戦場の熱に中てられることなく常に冷静。

ランク3のアンジェもそれはもう恐ろしい女性だったが、ベルリオーズも決して戦いたい部類の人間では無い。

 

(嫌だな…もうほっといてくれないか…死んだことにして…他のリンクスに任せればいいだろう…)

企業の正義というからにはレイレナード以外の企業にとっては完全に不利益となる研究でもしているのか。

 

(そういえば霞は…?あれほどの腕でランク16…?未だに信じられん…)

自分がランク2にいることについては不満も文句も無く、まぁこんなもんだろう、もう放っておいてくれ、としか思わなかったが、

あの霞スミカが国家解体戦争が終わってみればランク16というのが信じられない。しかも同社のリンクスにランクを抜かれているとはどういうことだ。

正直霞にはネクスト戦になったら勝てないかも、と思ったのにランク16で、霞以上の腕があるはずのレオーネメカニカのリンクスは自分よりずっと下のランクにいる。

 

(…途中で戦いが嫌になったか…それとも病気かなにかで戦線離脱したか…)

俗世への関心はそのまま生きる欲求に代わる。

アジェイはせめて次のミッションまでは生きてみるか…と頭に雪を積もらせながら頼りない決心をした。

 

 

 

 

 

六月五日、夜。

かなり大きくなったお腹に耳を当て、オッツダルヴァは眠たい目をこすりながら尋ねる。

 

「名前は?なににするの?」

 

「顔を見てからだねえ」

性別は妊娠が発覚した時点で分かったが、顔についてはまだ分からない。

出来れば自分の様なでくの坊ではなく妻に似てほしいものだと願っている。

男の子は母親に似るものだから、と自分に何度言い聞かせたか。

 

「あなたの名前も生まれた後に決めたから…」

 

「おとうさん」

 

「ん?」

 

「弟も…リンクスになるの?」

 

「……」

 

「いや…それは、まだ分からないな。…オッツダルヴァみたいに強い子じゃないかもしれないしね…それになれる人となれない人は決まっているんだ」

その無垢な質問に夫妻は心臓を締め上げるような罪悪感に襲われる。

オッツダルヴァですらリンクスにしたくないと思っているのにどうしてこの子をわざわざ戦場に送る様な真似をするというのか。

 

「ふーん…でもどっちでもいいよ」

 

「……」

 

「どうして?」

 

「僕が守るから!もうお父さんより強いかも!」

 

「はっはっは。言うなぁ!」

 

「……」

 

「本当だよ!もう機械の中のお父さんには負けなく…お母さん?」

 

「……うっ…」

 

「どうしたんだい?」

先ほどからソフィーは押し黙っており、ふとガブリエルがそちらに目をやるとダラダラと汗をかきながら小さく震えていた。

 

 

 

「痛っ…」

先ほど不意にきたお腹へのズウンとした痛み。

一度波は引いたが30秒も経たないうちにまた痛みが襲いその場にしゃがみ込む。

 

(これは…)

寄せては返す痛みの波。

痛い痛いと話には聞いていたがこれは。

 

「まさか…?」

 

「お母さん?」

 

「どうしたんですか?」

誰もが心配そうな目で見てくる。

信じがたい。まだ八か月しか経っていないのに。

 

 

 

『弟も…リンクスになるの?』

 

 

 

(そんな…ことって…まさか…?)

と、ゆっくり思う暇も強烈な痛みが襲ってくる。

まるで強烈な意志によってさっさとこの世界に出せと催促しているかのようだった。

 

「すまない、後は任せる」

ガブリエルが滅多に見せない真面目な表情で同僚に手早く引継ぎの連絡をする。

 

「任せてください。早く行って!」

 

「お母さん?お母さん?どうしたの!?」

 

「オッツダルヴァ…」

大丈夫、心配しないでと答えたいが、この痛みではまともに言葉を紡ぐことも難しいし、

そもそも大丈夫な顔を作れない。

 

「弟が生まれるんだよ。オッツダルヴァ。次に会うときは弟を連れてくる。それまで…」

 

「うん。まっている。一人でもがんばるから…」

 

「…いい子ね、オッツダルヴァ。愛している」

オッツダルヴァの額にキスをするソフィーを急かしたい気持ちを必死に抑えてガブリエルは荷物を纏める。

 

「早く!ここから病院までかなりかかりますよ!!」

 

「分かっている!」

 

 

 

蜂の巣を突いたような大騒ぎだ。

近くに行って確かめるまでも無い。

もう産まれそうなのだろう。

 

(作戦開始だな…じゃあな、お人よし研究者共)

そうして男は短くどこかと通信をした後研究所から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かつて…人類は核兵器を求め…際限なく作り…非常に危うい状況に立たされた」

久々に姿を現した隊長の前で隊員は直立不動のまま話を聞いている。

 

「……」

 

「リンクスを量産する…そんな同じ道を辿ろうというのか」

 

「……」

 

「いや…リンクスには人としての意志がある分さらに危うい」

痩せこけ目がぎょろつき、髭が伸び放題伸びているその様には隊員たちも震え上がっている。

今までどこへ行っていたのか、と誰もが思ったがその様子から察するに恐らくは自分達が日夜励んでいる訓練よりも余程厳しい日々を過ごしてきたのだろう。

 

「……」

 

「それに加え、人クローンの生成など人間に許された領域では無い」

 

「……」

 

「最重要ターゲットは4人、この4人には確実に死んでもらう。それ以外の人物の安全も確保する義務は我々にはない」

 

「……」

 

「やるなら徹底的にだ。よいな」

 

「「「「はっ!!」」」」

 

 

 

バーラッド部隊の三分の一を動かし、さらには他の部隊からも多数のノーマルが投入される予定だという。

 

(人クローン…リンクスの量産…馬鹿げている。歴史から全く学ばんとは…)

正直な話、ミッションの詳細を受けるまではやる気は全くなかった。

だがミッション説明で受けたのはレイレナードがリンクス量産の理論の確立に躍起になり、既に何体もの実験体を作っては「処分」しているという揺るがぬ証拠の数々。

誰も信じてはいないし、命を尊いと思っているような人間では無いアジェイだが、レイレナードの行為は人の尊厳を踏みにじるばかりではなく、

自分達が勝ち取ったバランスをまた壊そうとしている愚昧な行動だと思えた。

 

それにこれ以上人を増やす?しかもリンクスを?

ただの人でさえ何を考えているか分からない厄介な生き物なのに、その上地上最悪の力を持った者達を…それも元は同じ人間を量産するなど、一体どんな混沌とした世界を作るつもりなのか。

普通にどの企業も手を付けている食用動物のクローンでさえもかなり疑問が残っているが、人間をこれ以上増やしたところで百害あって一利なしなのは間違いない。

 

(これが悪でなくて何だというのだ…)

最重要ターゲット4人。

二人は学者で、残りの二人はレイレナードでも重要なポストについているエリートらしい。

後者には特に興味は無いが、学者の片割れには見覚えがある。

 

(学者だったのか?なんとも似合わない…いや、私も人のことは言えないか)

一度だけ共同で戦ったことのある、常識外れの巨躯のせいでネクストの中に入るのにも随分と難儀していた。

腕もそこまででは無かった。一応リンクスネームを記憶していたつもりだったが、端末の画面に表示される顔写真の下の本名を見た途端にその記憶が煙のようにどこかに行ってしまった。

まぁリンクスとしての名前はそこまで重要ではない。それよりも引っかかるのは。

 

(タイミングを見計らえば…?どういうことだ…?)

ベルリオーズに加え、乱入の可能性があったネクスト、とは間違いなくこの男の駆るネクストの事だろう。

それがタイミング次第では抑えられるとはどういうことなのだろう。

まさか飯や風呂の瞬間を狙って襲うなどとそんな幼稚な作戦ではあるまい。

今日…いや、もう昨日の夜遅くという事になるが、そこで突然作戦開始を告げられたからには何か理由があるのだろう。

 

(まぁいい…余計な事は考えるな…集中しろ集中…)

 

相変わらずぶつぶつとアジェイことサーダナが独り言ちている中、この世界に一人の赤子が産声をあげて生まれていた。

 

 

 

 

早朝4時。

普段ならオッツダルヴァは当然の事、泊まり込みの職員もぐっすり寝こけている時間である。

職員の一人に電話がかかってきたのをオッツダルヴァは察知して、起き上がり傍に駆け寄った。

 

「だれ!?」

 

「生まれたようですよ……、…弟さんが」

 

「ほんと!やっ…!!」

 

喜ぶ暇もなく、ズズゥン、と直下型地震のような振動に続いて警報音が鳴り響き施設は赤い非常灯に染められた。

 

 

 

 

 

4時30分。

増援に来たレイレナードのノーマル部隊をバーラッド部隊に任せ、警戒しながらレーダーを注視していると、

ノーマルではありえない速度で向かってくる物体を感知し、アジェイはすぐに迎え撃つためにその場へと急行した。

 

悪い予感というのは大体当たってしまうからタチが悪い。

 

最悪の相手、ベルリオーズのネクスト、シュープリスがその場にいた。

 

『やはり来たか。潰させてもらう』

 

「…!」

何もこんな朝早くからそんな熱心に仕事しなくてもいいだろう、と自分の事は棚に上げて毒づいた瞬間にシュープリスは攻撃をしかけてきた。

 

 

 

 

 

 

確かに今まで戦った敵の中でも最も強かった。

だが、幸運だったのが機体構成がこちらに有利に働いたことだろうか。

まずベルリオーズの機体、シュープリスは地上ではこれ以上ない程の速度で動くが、空中…つまり三次元的な動きに向く機体では無い。

上空の死角からの攻撃を得手とするアートマンとは実に相性が悪い上に、全ての武装をアリーヤの苦手な実弾に寄せていたのは幸運だった。

フレアの使いどころが非常にうまく、背部のミサイルはほとんど意味を成していなかったが、それは向こうの背部に装着されたグレネードも同じこと。

少なくとも鈍亀ではないアートマンが空中にいる間にグレネードを直撃させるのはほぼ不可能な上、発射角度の関係上爆風に巻き込むという選択肢も無い。

 

覚えている。

奴は空中の敵は素直に味方のネクストやノーマルに任せていた。

いや、確か自分の見た限りではラフカットという名の逆間接ネクストが傍で補佐に着いていたはずだ。

この男はやはり一人で戦う様な無茶をする男では無い。

 

実弾飛び交う壮絶な削り合いの末、先にAPが尽きたのはシュープリスの方だった。

有利な条件の内一つでも無かったのならば敗北していたのはアートマンの方だっただろう。

 

 

 

『なるほど…優秀なリンクスだ』

 

「ここは私の勝利だ」

強がってはいるもののAPは20%を切っている。

このまま玉砕覚悟で突っ込まれたら死ぬのは自分かもしれない…が、ベルリオーズがそういう男ではないことは分かっている。

 

『またの機会に勝負は預けよう。だが覚えておくがいい。世界は私達が変える』

 

「……」

素直に飛び去っていってくれるのはありがたいが、どうもその背中には不吉な気配を感じる。

ノーマル部隊を任せた方はとりあえずそのままにしておき、研究所に向かわせたバーラッド部隊の三番隊の長に通信を入れる。

 

「イルビス、状況を報告せよ」

ザーッ、と一瞬混線したのちに返答が返ってくる。

 

『レイレナードのノーマル多数!さらに他企業のノーマル・MTが闖入しています!中でもGAのノーマルは明らかに敵対的、その上ネクスト・プリミティブライトとラフカットが戦闘を行っており戦死者が多数出ています!』

 

「…!ターゲットは!?」

研究所にシュープリスを行かせないように足止めしていたつもりがされていたとは。

やけにあっさり退くな、とは思ったが。

 

『最重要ターゲット内二名の死亡が報告されています!しかし、残りの二名が見当たりません!』

 

「誰だ!」

 

『ソフィー・スティルチェスとガブリエル・A・ヴェデットの二名です!既に敵に拿捕された可能性もあります!』

 

「私は周囲の探索を開始する!引き続き研究所の探索を続けろ。妨害する者には容赦するな!」

 

『了解!』

 

「くっ…」

やられた。

最重要ターゲットの内この二人こそがこの悪魔の研究の中核なのだ。

あの二人をレイレナードが確保していたらそれだけで作戦は失敗したようなものだし、敵対企業に確保されていても結果は同じだ。

 

 

 

 

 

同時刻。

砂の大地に足跡を残して走る大男の姿があった。

その腕には女性を抱えており、その女性の顔は憔悴しきっている。

 

 

「あなた…もう私はおろしてください…この子を連れて…行って…ください…」

 

「何を言うんだ!こっちに…この方向に行けばレイレナードの基地があるから…耐えてくれ!」

ただでさえ出産直後だというのに水分すらとる暇もなく外に転がるように逃げて逃走を始めた。

電話の向こうから異常な音が聞こえたのは不幸中の幸いだった。

それが無ければ妻もろとも病院で殺されていたに違いない。

 

走れるはずがない妻を抱えて走る。初めて自分が並はずれた体格をしていてよかったと思う。

妻と生まれたばかりの息子を抱えて走っても重たいと思うことは無い。

既に車にはエンジンを入れた瞬間に吹き飛ぶ爆弾が付けられていた。

気が付けたのは良かったが解除の仕方も分からなかったのでひたすら走っている。

後ろから追われているような気配は纏わりついて消えない。

 

「えぅ…えええ…」

 

「ああ…泣かないでくれ…」

 

「あなたには…強いお兄ちゃんがいるのよ…きっと生きているから…泣かないで…」

至って健康な状態で生まれ、願いどおりに妻に良く似た息子が泣きじゃくる。

当然だ。まだ乳すらもあげていないというのだから。

オッツダルヴァがどうなったか気になる。こんな時の為に逃走用ルートはあったはずだが、あの子の手を引いて誰かが連れて行ってくれただろうか。

罪悪感に苛まれながら、いつかはこんな裁きの日が来るのではないかと思っていたがとうとう来てしまった。

よりによってこんな日に!息子が産声をあげた日にそんな日が訪れなくてもいいじゃないか。

自分が十分に罪深い存在だというのは分かっているし、妻もその業からは逃れられないだろう。だがせめてこの子だけは。

 

(何故…この日に…しかも出産の時間に被って…。!!…まさか…裏切り者が…)

 

ドドドドッ、と背中に熱い衝撃がはしった。

 

「ぶっ…ぐっ…」

 

「痛っ…!あなた…血が…」

やられた。こんな見晴らしのいい砂漠だというのにスナイパーとは。どれだけの距離から撃たれたのか、視認すらできない。

背中から貫通した弾がソフィーの肩をも掠め、二人の鮮血が赤子の顔を濡らす。

 

「…い…行きなさい…」

 

「あなた!」

 

「い…いいから…必ず追いつくから…」

激痛に膝を折り、その場に落としてしまいそうになったのを必死に抑えてソフィーをそっと地面に降ろす。

 

「でも…」

 

「早く行くんだ!!その子まで死なせたいのか!!…大丈夫…あっちに行けばレイレナードの基地がある…助けを呼んでくれれば…」

出会ってから初めて妻に怒鳴りつけてしまった。

その助けが来る頃には出血で死んでいるだろう。

ああ、良かった。こんな身体に生まれたおかげで、妻と息子に大した怪我も無い。

ガブリエルは顔にある穴という穴から血を噴き出しながら笑っていた。

 

「か…必ず…助けを呼んできますから…」

『死なせたいのか』、ってどういうこと?誰のこと?

聞きたいことは山ほどあるが行かなければならないことはソフィーには理解できていた。

 

「うん…頼むよ…」

辛いだろうに、息子を抱えておかしなバランスで走る妻を見て涙が溢れた。

こんな時になって手放してしまったあの悪魔の力が惜しい。

 

 

 

 

 

「どうだ?」

血だまりを広げていくガブリエルから後方2500m地点、三人の男が伏せて構えた超長射程のスナイパーライフルから硝煙が上がっていた。

内一つのライフルは他のそれとは異なる、松葉づえのような奇妙なデザインをしている。

 

「グッド。二人ともヒットしています。それにターゲットBが走って行った方は…」

双眼鏡を手にした男が尋ねた男に答える。

 

「コジマ汚染地域か」

 

「そうです」

 

「とことんついていない一家だったな。引き上げよう」

力を求める時代の中で生まれたレオーネメカニカ製特殊スナイパーライフル。

そのライフルは射程もさることながら、他のライフルとは一線を画すある特徴があった。

 

 

 

 

 

「う…ぐっ…」

体内に残るホローポイント弾じゃなかったのが幸いだ。

四つ身体に空いた穴からは全て弾が外に出ている。

 

研究所からそのまま着ていた白衣を引き千切り、ポケットから大型のホッチキスを取り出す。

 

「ふっ…ふう…」

自分の体格ならば2Lまでの出血はなんとか耐えられるだろう。重要な臓器に損傷が無いように感じられるのも救いだ。激痛には変わりないが。

 

「あ…っ!!?」

大型のホッチキスを傷口に当て、雑ながらも傷口を閉じようとした時、急に眩暈がしてその場に倒れる。

 

「う…あ…?」

だくだくと血が流れていく感覚だけがやけに鮮明な中、手足が急速に痺れて動かなくなってくる。

さらに眩暈は続き目の前が見えなくなってきた。

 

(神経毒!!?テトロドトキシン…いや…ボツリヌストキシンか!?だが…作用が速すぎる…)

レオーネメカニカの開発したその銃は髪よりも細い針を弾丸と同時にマッハ4で発射することができる。逆にその針だけを発射すれば例え当たっても外れても対象に気づかれることは無い。

身体の一部に命中すればそこから蚊が唾液を注入するように、対象に気づかれずに致命的な神経毒を確実な致死量分注ぎ込んでいく。

スナイパーの安全も確保され、ライフルとしての殺傷能力も暗殺能力も申し分ないそのライフルはレオーネメカニカをして傑作と呼ばれていた。

 

(…ソフィー……オッツダルヴァ………息子を…)

そして急速に意識を失ったガブリエルの目が開かれることはもう無かった。

 

 

 

 

 

 

…あああぁん…

 

「……?」

砂漠に風の跡を残しながら飛ぶアートマンが奇妙な音を捉えた。

 

…ふやぁあああ…

 

「赤子の…泣き声…?」

一端戦闘モードは解除し、音源を探る。

ここから5.5km東、となっているがあり得ない。

 

(人の…それも赤子の声がそんなに届くものか…それに…)

ここから5.5km東と言われてもそちらはコジマ汚染地域だ。

マップを見ればくっきりと色分けされている。

まだ戦争で死んだ者の声だと言われた方が現実味がある。

 

…ほぇあぁああああ…

 

「……耳がおかしくなったのか?」

確かに乳飲み子が大泣きする声だ。それに耳がおかしくなったというのならば先にアートマンの不調を疑わなければならない。

 

「……5km程度なら…」

ネクストの速度なら往復でも1分かからない。

さっさとターゲットを探さなければ、と頭では分かっていてもアジェイはどうしてもそれが気になってしまった。

気が付けば声のする方向へと舵をとり飛んでいた。

 

「!」

そしてすぐに砂だらけの大地に似合わぬ物を見つけた。

 

「死体……」

ネクストの高さから見ても分かる並はずれた巨躯と明らかに致死量の血だまり。

 

「……」

僅かだがコジマ汚染がある。

通常モードに切り替えてジャックを外し、画一的な耐コジマ装備に着替える。

 

「……ふぅ…」

捕まるところの多いアートマンでも降りるのには気を使う。

さらに息のしにくいガスマスクなんてしているから尚更だ。

 

「……馬鹿な奴だ…」

巨岩のような身体を思い切り転がして顔を確認する。

確かに昔一度会い、今回の作戦の最重要ターゲットとされていたガブリエル・A・ヴェデットだった。

ただただリンクスをやって企業の庇護の下にいればよかっただろうに何故わざわざどの企業からも反感を買う様な真似をしたのか。

そんなに頭の切れない男だったのだろうか。

 

(……?何故……?)

幾つもの穴は銃弾によるものだろう。

だが、必ず殺せと命令しているバーラッド部隊が発見したり、戦場のどさくさに紛れて死んでしまったのならまだしも、どうしてこんなところでポツンと死んでいるのだろう。

建前などクソ食らえだ。

リンクスをクローン、量産する術を知るこの男をどの企業も喉から手が出る程欲しがるはずだ。殺して何の得がある?何故連れて行かずに殺した?

 

「!…足跡!」

地に足をつけて初めて気が付いたが、足跡がさらに続いている。

 

(どういうことだ…?)

だが、ここまで続いた足跡は一つ、さらに奥へと進む足跡も一つ。

 

(…これは…?)

死体から靴を脱がし、ここまで続いていた足跡に重ねるとぴったりと大きさがあったが、

ここから去っていく足跡とは比べる必要もないくらいにサイズが違う。

 

(…この大きさ…深さ…体重は60kg前後と言ったところ…女か?だが…足跡が一つだったのは…)

 

(抱えていた?…何故?抱えて移動せねばならない程の怪我をしていたとでも?…とりあえず、追うか…)

幸運なことに無風であるため、この足跡は暫く消えないだろう。喉の奥に突っ掛る様な違和感を一度無視して、ホルスターから拳銃を取り出して足跡を辿る。

 

「……?」

足跡からも獲物の情報はかなり得られる、というのは幼い頃から動物を狩って生きていたアジェイの経験だった。

足取りは覚束ないし、だんだんと歩幅も小さくなってくる。

 

(やはり怪我を…?…!)

と考えいたとき、足跡は無くなり、代わりに人間が芋虫のように這いずったような跡になった。

そしてそこから100mも行った緩やかな丘の先で動かなくなっている女を見つけた。

 

(死んでいる…?そこまでの深手だったのか?それとも…)

コジマ汚染計測器を見れば既に生身の人間が一時間と生きていけないような汚染レベルの場所だ。

いくら耐コジマ用の装備をしているとはいえあまりこの場に長居したくはない。

 

「……?」

近づいてもピクリとも動かない赤毛の女は間違いなくソフィー・スティルチェスの死体だろう。

不思議なのが俯せになって倒れているのではなく、前かがみに何か大切な物でも抱えるようにして死んでいる事だ。

 

「…一体…、うっ!?」

 

「……」

 

「…な、な…」

顔を確認するために死体に手を触れ首を回した瞬間、最重要ターゲットの一人の顔と腕の隙間から何かが見えた。

 

「なん…だと…」

固く結ばれた腕をほどくとまだ生まれて間もないと見える赤子が出てきた。

その肌は赤ん坊という名の通りほんのりと赤い。

顔は血に染まり瞼は力なく閉じられている。

 

「夫婦だったのか…?いや…それよりも…」

このターゲットの男女が夫婦だったとは知らなかった。

散りばめられた違和感の点が線となり急速に答へと繋がる。

 

「タイミング…って…出産…か…?は、はは…」

それはつまり…この生まれたばかりの赤子から住む場所も両親も奪い去ったという事か。

 

「……」

まだ生きてはいるのだろう。弱弱しく呼吸をしているが、この場所ではそう長くはあるまい。

 

 

 

 

 

『これが悪でなくて何だというのだ…』

 

 

 

 

 

「ひっ…うっ…ふっ…あ…」

先刻自分が心の中で呟いた言葉が頭で反響し、身体を小さく震わせていく。

これが悪でないならなんだ、と言うのならば。

生まれたその日に両親も何もかも奪った自分達が悪でなくて何だと言うのだろう。

 

「う、う、…わああああああ!!」

やってしまった。

世俗にはびこる概念の共有錯覚劇。

一方的な視点からの正義・悪の決めつけ。

悪も正義も無いと分かっていたはずなのに、一方的に悪と決めてしまった。

本当に憎むべき悪だったのか?ただ我が子を守ろうとその腕にきつく抱きながら死んだあの女が、

子を産んだばかりの妻を抱えて砂漠を走ったあの男が、本当に憎むべき悪であると今でも言えるか?

 

自分は悪ではないのか?

 

「……」

弱弱しく息をするばかりだった赤子の瞼が開かれ、

幾つもの円を浮かべる眼が狼狽するアジェイを射抜く。

 

「うあああああああ!!…!ぶっ、げええぇええ!!」

大の男が女のような悲鳴を上げながら赤子に拳銃を突きつけるが、その手は震え照準は定まらない。

急激なストレスが頭蓋内を暴れ回り、吐しゃ物がガスマスクの隙間から漏れて砂漠の砂に染み込んだ。

 

正義だと、悪だと、世界が勝手に決めていたルールに従い裁き合う人々、そして果ては戦争。

物心ついたころからそれが怖くて堪らなくて、そんなものにうんざりして飽き飽きして、

なるべく人と関わらないように、この年になってはそれから逃げるようにして生きてきたというのに。

気が付けば正義と悪が簡単に入れ替わる世界。

その感覚は国家解体戦争で極まり、世を離れた。

だというのに。

 

戻ってきた途端にこれだ。

 

「……」

 

この赤子が何をした?

ただ生まれてきただけなのに、両親を殺され汚染された砂漠に放られ挙句に自分のような訳の分からない世捨て人に撃ち殺されるのか? 

 

「……」

ほとんど身体を動かすことも無い赤子の眼から静かに一粒、透明な滴が零れる。

まるで今終わろうとしている自分の命を理解しているかのようだ。

 

「う、はっ…、だ、大丈夫だ!!!撃たない!!撃たない!!」

 

「……」

無垢な瞳はただアジェイを問いかける様に見つめる。もう泣き声すらも無かった。

 

「こ、こいつか!?こんなもの!!こんなもの!!」

半分正気を失いながらアジェイは手にしていた拳銃を赤子とは逆方向に放り投げた。

 

「……」

 

「う、う…お…おお…だ、だい!大丈夫だ!!大丈夫だ!!お前は悪くない、悪くないから!」

ざくざくとみっともない音をたてながら赤子の元へと駆け寄り、母親の手から引きはがしにかかる。

 

「すまない…すまない…おお、うっ…」

その手は死してなお離すことを拒むように赤子の身体を掴んでいたが、

今この瞬間もコジマ粒子が赤子の身体を蝕み続けている事を知るアジェイは加減もクソもなく思い切り引っ張り、無様に尻餅をつく。

 

「……」

 

「う…わ、…あ、わああああああ!!」

狂乱しながらアートマンの待つ場所へと赤子を抱えて駆けるアジェイ。

その途中で先ほどまでこの赤子に突き付けていた拳銃を踏みつけていたがそれに気が付くことは無かった。

 

 

 

 

 

 

アジェイはこれから人生を振り返って何度も思うことになる。

 

自分の人生が変わった日とは

家族に追いだされて留学したときでもない

イクバールに入ったときでもない

AMS適性を持つと知ったときでもない

今日この日だったと

 

 

 

この出会いは世界を………

 

少なくともアジェイの頑なに鎖されていた世界を変えた。




ガブリエル・アルメニア・ヴェデット


身長221cm 体重109kg 

出身 アルメニア


世界一美人の多い国、アルメニアの大牧場の一人息子。
両親が割と高齢になってからの待望の息子だったので大層可愛がられどんどん食べたい物を食べさせたら何故か縦に大きくなった。
12歳時点で190cmあった。
可愛がられ、ワガママほうだいに育てられたが粗暴な性格にはならずのんびりとした性格になった。
手が大きく綺麗だったのでピアノを習わされ、才能もあったが飽きっぽかったのでやめてしまった。
滅多に怒ることは無く、学校でも異様な背の高さのせいで悪目立ちして面倒な仕事などを押し付けられたが普通に引き受けていた。
彼のことを間の抜けた人間だと思う者もいたが、実際は平和の存在を感じ取りのんびりできる幸福を知っている人間だった。
その性格のよさもあって友人は多かったが見た目と性格のギャップがあり過ぎた事、さらにスポーツを一切やらなかったことからか女性とは縁が無かった。
アナトリアン・シェパードのエルという名の巨大な牧羊犬を飼っており、体の大きいガブリエルには特に懐いていた。
エルの死を境にふらふらと遊ぶのをやめて勉強しアメリカの大学へと入学した。だがのんきな性格は直らず留年はした。
もともと優秀な頭脳を持っていたのでレイレナードに就職した。
戦いは好まない性格だが、世界を見てきた彼はAMS適性を責任の伴う力と考えリンクスになった。
戦いは好まないと言っても純粋に強さの頂点を見てみたいという願望はあった。だが純粋な強さの頂点などはなく、現実はひたすら残酷だった。
彼は戦いがトラウマになりリンクスをやめた。

名前の発音はゲイブリエルの方が近い。

実は両親はCE23年時点でも高齢ながら生きていたが、天敵ルートで獣になったガロアに殺されている、という作中で描かれなかったストーリーがある。
しかも孫が生まれるのを楽しみにしていたというのに。
ガロアが自分達の孫だと知らなかったのがせめてもの救いか。


趣味
つまらない映画を上映している映画館で寝ること
美人の胸の谷間を上から覗き込むこと(滅多にばれない)

好きな物
アップルパイにバニラアイスをたっぷり乗せたもの
モッツアレラ



ソフィー・スティルチェス

身長180cm 体重61kg

出身 オランダ


オランダの孤児院で育つ。
ソフィーという名は孤児院の院長が幼い頃から際立っていたその賢さから名付けた。
頭もよく、優しく、おまけに美人とほぼ完ぺきな人物で孤児院の子供たちからもとても親しまれていた。
誰が親なのか、どうして自分がここにいるのかは分からないし興味もあまりないが与えられた才能をしっかりと育てようと考え勉強に励んだ。
その考えは院長からの教えの影響もかなり大きい。
14歳から奨学金でアメリカの大学に通い遺伝子工学を学んだ。
孤児院の院長が亡くなった時に一度だけ帰国したが、その頃には孤児院に自分の知る顔はもういなくなっており、その時初めて自分には家族がいないことを実感した。
バスケをやっていたが身長が高いからというだけでスポーツが得意という訳では無い。
ガブリエルの性格に心地よい温かさを感じて惹かれていたが、その好感には自分が携わってしまったことに対する後ろめたさと、その苦しみを共有できる人が欲しかったという気持ちが混じっていたことは否めない。それでもそんな『甘え』をガブリエルが許してくれる存在だったのは彼女の救いだった。


趣味
子供をあやすこと
耳かき(少々強くかなり奥まで掃除するのが好きだが、本人は恥ずかしい趣味だと思っており人に話したことは無い)

好きな物
歯ごたえがあって甘いお菓子
ラ・カンパネラ








オッツダルヴァとガロアは本当は兄弟として育つはずだったのです。
それがどういう運命の悪戯か、三つのルート全てで殺し合う羽目に…


ガロアは生まれた瞬間に全てを失った不幸な子なのか。
それとも生まれた瞬間に周りを戦火に包んだ生きる災害なのか。

悩むところです。



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失ったもの、取り返したもの

イクバール管轄コロニー…ではなく、コロニー外にある企業に認可されていない闇医者の元へぐったりとした赤子を連れて、アジェイは訪れていた。

 

「喋れない?」

自分といい勝負のガリガリの医者の話を聞いて目を剥く。法外の金をふんだくっているのだから飯には困らないはずだが。

 

「はい。脱水症状も見られましたがそちらはもう大丈夫ですが…この子は生涯口を利けるようにはならんでしょうな」

 

「どういうことですか?」

ミルクを与えられ点滴を打たれて今はぐっすり眠っている赤ん坊だが、喋れないなんてことはあり得ないはずだ。

他でもないあの赤子の泣き声を聞いてあそこまで飛んでいったのだから。

 

「酷い炎症を起こしていた上、多少の出血も見られましたが…こちらをご覧ください」

 

「これは?」

これは、と聞いたが見てすぐに分かった。声帯の写真だ。赤く爛れ、所々から出血している。

 

「あの子の声帯の写真ですな。全く動きがみられませんでした。反回神経麻痺…詳しく言うと両側声帯麻痺です」

 

「しかしそれならば…」

何かの書物で読んだ記憶があるが、遅くとも半年もあれば回復するはずだ。

それなのに「生涯口が利けない」とはどういうことだろうか。

 

「で、さらにこちらです」

 

「…?」

さらに続けて見せられた写真は脳のスキャンだろうか。

医師でも、その方面の心得があるわけでもないので見てもよくわからない。

 

「この部分…ブローカ野、一般には言語野と言われる部分ですが…」

 

(言語野!)

ここまで聞けば何を言わんとしているかは察せた。

 

「酷く損傷しています。脳のほかの部分が補って回復することもあるかもしれません。それでも失語症は免れないでしょう。

良くて運動性失語…聞いていることは分かっても自分の思っていることが言葉にできない状態ですな。軽度であれば筆談なども出来ますが…」

 

「……」

 

「こうなると食道発声も人工声帯も意味がない。…いや、なんというか…症状だけを見ると、まるで話すという機能を奪われてしまったかのような…」

 

「な、治らないんですか」

 

「私どもでは…」

 

「そ、それでは困りまする!」

 

「まする…?」

 

「あ、いや…」

これ以上この子供から何を奪うというのか、と思ったが医者が匙を投げているところに舌を多少かみながら食ってかかってもどうしようもないだろう。

 

「飲み込みやすい物を…と言うところですが、まだ乳飲み子ですな?ミルクを与えていれば炎症の方は自然と治るでしょう」

 

「……」

 

「では、お帰りはあちらで」

 

「何!?私がこの子を…」

 

「?」

 

「あ、いや、何でもないです」

それはつまりこの子を連れて帰れという事か。

とはいえ、コロニーの外のこんな場所で放置しても1日と生きてはいられないだろうし、コロニーでも今更孤児等引き取る場所があるとは思えない。

それにここで死なせてしまってはあの場から助け出した意味がない。

 

「……」

 

「あ、お、起きたのか」

外を歩いているといつの間にか眼を開いてこちらを見ていた。

そういえばこの眼について聞くのを忘れていたが、見えてはいるのだろう。

 

「よ、よしよし…」

弟も妹も腕に抱くどころか自分から近づくことさえしなかった自分がまさか血も繋がっていない他人の赤子を抱いてあやすとは。

 

「……」

 

「お前は…その声の全てを使って…私を呼んだのか…?しかし…よりにもよって呼んだのが私とは…ついていないな…」

 

(だが他の者なら殺していたかもしれん…)

思うところがあり過ぎて抱きながら色々と考えていると物言わぬ赤子の眼に涙が溜まっていく。

 

「い、いや、殺さんぞ。殺さん。殺さん。私は大丈夫だ…」

 

「……」

 

にこっ

 

「ひっ」

 

(救いがない…)

ただ自分を見て笑っただけの赤子に心底怯えてしまった。

いよいよもって救いがない。大丈夫だ、殺さない、とは言った物のこの子を死なせずに育てられるのだろうか。

 

 

 

 

三週間がたった。

ただでさえ地球上でもワースト100に入る程子育てに向く人物ではないと自信を持って言えるのに、それに加えて声が出せない赤子の世話は非常に大変だった。

オムツが汚れていてもぽろぽろと不快感に涙を流すだけで決して声は上げない。

更に当然ながら夜泣きもしない、と言えば聞こえはいいが乳を与える時間になってもこちらにはわからないのだ。

 

結果として、すやすやと眠る赤子の前で椅子に座りこっくりこっくりと半分寝ながら、赤子が目を覚ますとミルクをやる。

そんな生活を三週間も続けたアジェイは完全にグロッキーだった。

 

 

 

さらさらと流れる小川の前で赤子を抱えてアジェイは座ったまま寝ている。

目の前には釣竿が置かれていることから分かる通り、自分の飯を確保するために釣りをしていたのだが、

三匹ほど釣ったあたりで眠りの世界に落ちてしまった。

ひげむくじゃらの中年男がすやすやと眠る赤子を抱えながら寝ている姿はそこだけ見れば結構絵になっている。

 

そんなとき、ぴくっと竿が動いた。

 

「ん…ああ?あ…魚が…かかったか…」

畳んだコートの上に赤子を乗せて慌てて釣竿に手を伸ばすが時すでに遅し。逃げられてしまったようだ。

 

「……はぁ…」

三週間なんとかやってきたし、二、三時間起きに目が覚めるということも慣れてきた。

 

(とはいえ私には…この子を育てる…自信がない…。自分の飯も確保できないようでは…)

 

「…まぁ、三匹いれば……う?」

この子が来てから独り言が増えた気がする。

元々かなり多い方だったが、会話でもしているつもりなのだろうか。

例え成長しても言葉は返ってこないというのに。

と物思いにふけっているとぷ~んと漂う臭い。

 

「……」

 

「…よしよし。まぁ、生きている証拠だからな…しょうがない…」

全く泣きも騒ぎもしない赤ん坊の布おむつを替えて、さてどうするかと思案する。

家にも替えはあるし、ここにも一枚替えは持ってきたが、実はこの子が来てから洗濯の回数がかなり増えたのだ。

布おむつにしたせいなのは間違いないが、紙おむつにしても捨てる場所がないし(外にポイ捨てするのはなんとなく嫌い)、洗濯といっても川まで来て服を一枚一枚洗っているのだ。

この汚れ物をわざわざ持ち帰らなくてもいいだろう。

 

「…洗うか」

 

「……」

赤ん坊が興味深そうな目で見る中、水にちゃぷちゃぷとつけるとどんどん汚れが落ちていく。

 

(…この汚れも魚にとって栄養なのか?…それにしても冷たいな…やはり…)

六月とは言え、北極圏なのだ。

川を流れる水は凍ってはいないがそれでも身を切る様に冷たい。

 

「……」

 

「つめ、つ、へ、へ、へぁーっくしょ!!」

 

「!」

手を伝って凍えていく身体はくしゃみを引き起こし、うとうとしていた赤子が目を覚ました。

 

「あ、あーっ!!」

くしゃみの勢いでつい手を離してしまい流れに乗ってゆらゆらと布おむつが流れていく。

 

「い、いかん!」

 

「……」

 

「いひひひひ、ひぃーっ…冷たい…」

下半身に見つけていた物を全て脱ぎ川に音を立てながら入っていく。

意外と川底はぬめっており、少々気色が悪いがそれ以上に冷たくて仕方ない。

気温は10度を下回っておりこの中で川に入るなどアホもいいところだ。

 

「はははは…寒い寒い…うっふっふっふ…」

あまりの間抜け加減に自分でも可笑しくなりながらもうついでだ、と布おむつを洗っていく。

 

「寒い…寒い…寒い…いや、寒いと言うから寒いんだ…」

 

「なんだったかな…心頭滅却すれば火もまた涼し、だったかな…そんな言葉があったな…ううぅ…」

 

「熱い…熱い…熱い…」

 

ざぼん

 

「ざぼん…ざぼん…ざぼん……………ざぼん?」

途中から口ずさんでいる言葉が変わっていることに元の音が聞こえてからたっぷり十秒かかってから気が付く。

 

「…わーっ!!わーっ!!わーっ!!」

どんぶらこ、と赤子が小さく波を立てながら浮かんでいた。

 

「わーっ!!うおぁっ!!」

手にしていた布おむつを放り投げて駆け出す。

だが、慌てて駆け寄った結果、思い切りぬめりに足をとられてこけてしまう。

どぱぁん、と派手な音を立てて水が高く上がった。

 

「わーっはっははははは!!寒寒寒…さささあさあさ…寒…」

コントのようなずっこけ方に爆笑しながら歯を鳴らして震える。

そうしている間にも赤子はゆっくりと流れていき、それ以上にこの凍てつく寒さが急速に体力を奪い取っているだろう。

 

(泣き声をあげて助けを求めることもできないのか!!)

この冷たさ、あの小さな体では心臓麻痺もあり得る、と頭に浮かび四足歩行しながらキャッチする。

なんとか心臓は止まっていなかったが身体はがくがくと震え目は見開かれている。

 

「つつつつ冷たかったよなななな…」

 

「……」

 

「かかかか帰るぞぞぞぞ」

とりあえず荷物はその場に全て置いておき、我が家に走る。

暖炉の火をつけっぱなしにしておいて良かった、とアジェイは少々呑気な事を思いながら走っていた。

 

 

 

 

 

 

「……はぁ…」

時々木が弾ける音を立てながら燃える暖炉の前に座って眠る赤子を抱く。

もう完全に育てる自信が無くなった。

まだ温暖な6月だったから良かったものの雪降る季節だったら間違いなく死んでいただろう。それもあっさりと。

 

「何故私が育てているのだろうか…同情か?今更?…今まで何人殺してきたと思っている…」

 

「もう捨ててしまえば…いや、そうすればいよいよ私も生きる価値がないだろう…」

 

「…?この前まで死のうと思っていたのに…何を…?」

 

「…どちらにしろ…こんな場所では…この子は私がいなければすぐに死んでしまう…」

 

「誰かに…いや…そんな知り合いはいない…ロランは…ダメだ。絶対に子育てには向いていない…」

イクバールで訓練に打ち込んでいた時代に知り合い、唯一ほんの少しだけ本音を打ち明けられた男、ロラン。

かなり年下だったが奴には自分と似た物を感じた。

人を信じられない、馴染めない変わり者。自分が考えすぎてわからなくなったのと逆に奴は思考をやめて訓練に打ち込んでいた。

日が暮れて同期が女を買いに行くか飯でも食いに行くかと騒いでいる中一人黙々と帰る準備をしていたあの後姿は今でも覚えている。

 

「……」

ぶつぶつと独り言を言うアジェイをいつの間にやら赤子が目を覚まして見つめていた。

 

にこっ

 

「…っ…」

 

(この子の笑顔を見るたびに…怯えて目を逸らしてしまうのはなぜだろう…後ろめたいのか…?)

原因不明の震えを抑えながらそっと指を顔に近づけたとき、赤子は笑いながら小さな手でその指を掴んだ。

その時だった。

 

「か…!あ…、は!?」

ビリビリと脊髄に強烈な電流が流れた。

握られた小さな手から求め続けた答が津波のように押し寄せ流れ込んできたのだ。

 

 

 

政治家の言う『国民の皆様の信頼に応えて』だとか娼婦の言う『あなただけしかいないの』とかいう言葉を信じる人間は馬鹿と言ってしまっても問題ないだろう。

アジェイにとってはあらゆる人の吐きだす言葉全てがそれと同レベルに聞こえていた。根本的に人を信用していなかったからだ。

 

だがこれは一生に一度の誓いや血の繋がりにかけてなどという生易しい物では無い!

この赤ん坊は自分がいなければ『本当に』この世界に存在できない。この場所には自分しかいない。すなわち、全ての信頼が自分のみにあるという絶対的な証拠なのだ!

頼り切ることによってのみしかこの子は成長が成し遂げられない!

 

この子は自分がいなければ何もできない、何者にもなれない。ただ死んでいく。

自分がいなければ存在も保てない程弱い者が持つ本物の信頼。

全てを自分に預けてくれているのだ。

 

自分がいなければこの子はいない。こうして手を握ることすら出来なかったのだ!

 

(この子がいなければ私は)

何もかもがどうでもよくなっていた日々に比べて今はどうだ。

どうでもよかった自分という存在にこの子の全てがかかっている。自分という存在の上にこの子は生きている。

それはつまり。

 

(この子がいなければ私は何者でもない!!)

自分を信じてくれる者こそが自分という存在を確かなものとしてくれるのだ。

アジェイはわなわなと震えながら今までの苦しみの全ての原因を理解した。

 

なぜ私は人に馴染めない、なぜ私は人を信じられない。私は人間ではないのか。

そう考えて考えて分からなくて、それでもここまで生きてきた。

 

馴染めなかったんじゃない。

自分から捨てていたのだ。

信じられなかったんじゃない。

自分が信じることをやめていたのだ。

 

 

この小さな手には、この純粋な眼には100%本物の信頼がある。

赤ん坊は目の前の人物をただ信じることしかできない。

そうしなければ生きていけない。

目の前の人間が与える食事を口にし、与えられた寝床で睡眠をとらなければただ死んでいく。

 

初めは持っていたはずのそれを、いつの間にか自分は捨てていたのか。

 

(だから…怖かったのか…この眼が…自分の捨てた物を持っているこの眼が…)

 

「……」

いつの間にか赤子は両手で自分の指を握っていた。

弱弱しい赤子だが、その手には溢れんばかりの生命の輝きと温もりがある。

人も動物も生まれたときには持っているはずの信じる力。この子供の小さな身体はそれで満ちている。

 

(…なんて愛しい。…ああ…私は…この自分の感情にただ従って生きていれば…人間だったんだ)

自分を信じてくれる人間がいて、それを愛する。それが全てだった。

気が付けば大粒の涙がぼろぼろと零れていた。

生まれてこの方泣いた記憶など無い。

 

とるに足らぬ愚物が溢れるこの世界。異物は排斥しようと群れる割には弱い人間。

誰にも負けず、だが誰も信じずに生きてきたこの世界でアジェイのコンクリートのように凝り固まった心をぶち壊し、

その矮小で弱い本心の奥底を開いたのは、声をあげることすら出来ない赤ん坊だった。

 

信じることが出来なければ信じられることもない。そんなよくある言葉をこの子は誰に教わらずとも実践していたのだ。

 

「私がいなければ死んでしまう…。わ、私が…私がいなければ…か…」

 

「お、お前は絶対に死なせん。お前の信頼を絶対に裏切らんぞ…私が守ってやる…いいな?」

 

「……」

 

にこっ

 

言葉が通じたのかどうかは分からないが、笑顔を返してくる。

アジェイには分かりようもないが、この赤ん坊は声は上げないものの特別よく笑う子だった。

 

「はっ…はは…今度は…目を逸らさない…お前を見ているぞ」

 

「……」

と、思えば今度は目に涙を浮かべはじめた。

ミルクは先ほどあげたばかりだし、オムツも汚れていない。

一体何を泣くというのか。

 

「ああ、よしよし、泣くな泣くな…いい子だ…あ、ああ。そうだ…そうだ…」

声をあげずにただ涙を零す赤ん坊を一端椅子の上に置いて、本棚をがさがさと漁り一冊の本を持ってくる。

 

「お前の…名前を決めていなかったな…。そんなものを…私が決めていいのか…戸惑っていたんだ」

 

「……」

赤子の涙はなおも止まらない。

 

「よしよし…泣くな…。私がお前の親だ…。親だから名前も決めるんだ…」

伸び放題伸びた髭を撫でながら涙をぬぐい、本を開く。

 

「見ろ…この少年を…世間からは認められず…何度も叩きのめされ…それでも強く、自分の道を行った。例え認められなくても、必要とされなくても」

 

「あらん限りの勇気を奮って自分の道を生き抜いた強い少年だ。…お前の名をこの少年からあやかろう。お前はガロア。ガロアだ。強く生きるんだ」

 

「……」

 

にこっ

 

「はっ…はは…気に入ったか?よしよし…ガロアはいい子だな…。この少年にはそれでもただ一人味方がいた。…父だ。私がお前の父となるからな…信じろ、これからずっと」

本を放りその手に抱く。当たり前だがとても軽い。軽いが、ここに命があると思うとそれだけで重い。

思えばこうして感情のおもむくままにこの手にこの子を抱いたのは初めてだった。

 

「親を失い…私なんかに拾われて…運が悪いと思っていた」

 

「逆だ。ガロア。運が悪いんじゃない。運がいいんだ…驚くほど。私でなければ殺されていたか無視されていた。川に落ちたのもこの時期じゃなかったら死んでいた」

 

「……」

 

にこっ

 

「わ、私もきっと運がいい…死なない…お前を育てる…死なないぞ…」

 

 

 

その日アジェイは初めてガロアと名付けた赤子の横で眠った。

記憶にある限りでは、誰かの隣で眠った経験は無い。

自分より遥かに小さいガロアの隣はただ、温かかった。

 

 

「…………と…」

ぱっと目を覚ます。

隣を見ればガロアも目を覚まし涙を浮かべていた。

ばっちり授乳の時間だ。

 

「よしよし…ガロアは賢いな…」

目の前に哺乳瓶を持っていくと手で掴んでそのまま口元に持っていくその姿は素直に賢いと思う。

と、思っているアジェイはすでに親ばかに片足突っ込んでいた。

 

「…ん?あ…」

そういえば釣りの道具と魚を置きっぱなしである。

明日取りに行こうかと思ったが、折角釣った魚が夜中に獣に食われてしまうかもしれないし、

その弾みで釣竿が流されてしまうかもしれない。

 

 

 

 

 

「よーしよし…寒いけど外に行こうな…」

返事が返ってこないと分かっていても声をかけ続けるその姿は正しく世間に見られる親の姿のそれである。

違うのは例えどれだけ時間がたっても声は決して返ってこない点だろうか。

だが名前を付けてから数時間。アジェイは元々多かった独り言を、話しかけるという行為に昇華させ内心喜んでいた。

 

100m先まで照らすビームライトを手にして川までの道とも呼べぬ道を歩く。

オオカミや肉食動物に出くわさないか少し心配だが、往復で1kmあるかないかの道だ。一応銃もある。大丈夫だろう。

以前の自分ならそこで死んだらただ土に還るだけだ、と考えていたが今は絶対に死にたくはない。

 

「そういえば…」

ガロアガロアと声をかけていたが。

 

……ッ

……ッ

 

「ガロアというのは名字だったな…」

普通にガロア理論と呼ばれる理論があり、誰もが彼をガロアを呼んでいたから忘れていた。

 

……スッ

……スッ

 

 

「名前からとった方が良かったか?」

 

……ドスッ

……ドスッ

 

 

「ちょっと変えて…エヴァ…とか…エヴァンジェとか…」

とは言うものの既にその名前で頭に馴染んでしまった感じはある。

 

…ドスッ

…ドスッ

 

「まぁいい。私は変に思わん…それでいいだろう」

などとぶつぶつと言っているうちに川岸についた。

荒らされた様子はなく、全ての荷物は無事にそのままで置いてある。

 

ドスッ

ドスッ

 

「……?」

内側の世界に籠っていて気が付かなかったが先ほどから響いているこの音は何だ?

 

「…うっ!?」

ビームライトで周囲を照らすと対岸に異様な生物がいた。

 

ドスン!ドスン!

 

雪よりも白い毛皮に血のような赤い目をしたオスのヘラジカがひたすら木に頭をぶつけている。

 

「ヘラ…ジカ?…あの白さ…アルビノか?何故こんな時間に…群れは?…何故あんなことを?…あの大きさはまだ…子供じゃないか…」

その目に狂気を浮かべながら辺りの木に頭をぶつけ続けるヘラジカはまだほんのりとしか角が生えていない。

生後1年…下手したらまだ半年程度かもしれない。

 

「色が違いすぎて群れから追い出されたか?…いや…凶暴過ぎたのか?」

どの動物にも言えることだが、異質な存在・弱い存在はただそれだけで群れからいじめを受けて追い出される。

さらにこちらもどの動物にも言えることだが、生まれながらに気性が荒く手が付けられない凶暴な動物もいる。

 

 

「ブオオオオオオオオオオ!!」

 

「……!」

 

「う…お…!」

血がダラダラと流れる頭を震わせ、臓腑に響き渡り森全体を揺らすかのような低い鳴き声を放つ。

これが子供の鹿の鳴き声とは信じられない。

震える森に驚きガロアも目を覚ましヘラジカに目をやる。

 

「…う!?」

目があった。今にも飛びかかってきそうな剣呑な雰囲気を体中から発していたが、間の川はどうすることも出来なかったらしい。

踵を返し夜の森の中へと消えていく。

 

「なんだ…?あれは…」

狩りは成長していない子供を狙うものだがアレは別だ。

基本的に人を見れば動物は逃げるものだが、アレはなりふり構わず襲い掛かってくるかもしれない。

 

外気と冷えた心にぶるりと震えながらアジェイは荷物を手早くまとめ家へと走った。




喋る機能だけ奪ったのは神じゃなくて作者の底意地の悪さだぞ

ガロア君が喋れなかったのはコジマ汚染患者だったからなんですね。
その代わりにあの眼を手に入れました。

ガロアは声を失いましたが、アジェイは信じる心を取り戻しました。


最後にアルビノのヘラジカが登場しましたが後々大事になってくるキャラ(?)です。
ヘラジカというのは馬鹿でかい鹿です。ご存知ない方は是非検索していただけるとその怖さが分かるかと。

名前が危うくエヴァンジェになるところを回避しました。


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霞スミカとの再会

働かねば。

 

ガロアを拾ってから一年と四か月。流石に休暇を取り過ぎた。

イクバールから毎日のように連絡が来るし巷ではサーダナ死亡説まで流れているらしい。

約一年前までなら別にクビになっても構わんと思っていた。

だが、流石は天才学者夫婦の息子だけあり、非常に物覚えが早いガロアをいずれ自分のような人間失格者の元からまともな生活に戻してやりたいと思っていた。

せめて大学…いや、ハイスクールぐらいからは企業管轄街のどっかの学校にいれてやりたい。そこまでは勉強は見れてもそこから先は記憶が危うげになってきているところもあるし、

何よりも人と交わることを覚えないまま成長してしまうだろう。自分が変人で人と交われる性質ではないことは分かっていた。だからこそガロアは普通に生きるべきだ。

相変わらず声帯は震えず声を出すことは無かったが、それでも非常に多い自分の独り言を可愛らしい耳でよく聞いて覚えているらしく、あらゆる言葉に正しい反応を示すようになってきている。

自分がこのまま枯れ果てていくだけの金はあったがガロアをコロニーに送って生活させて自分も生きていくだけの金と言われると足りない。

ネクストを所持する代わりに修理費も弾薬費も管理費も全部自分で持つ、という契約だから少々かつかつなのだ。

 

働かねば。

 

ここまで労働の意欲に燃えたのは初めてだった。

リンクスと言うのは一種の特権階級で、一回出撃するだけでたとえアジェイのようにしていてもその辺の普通の労働者数か月分の給与が修理費弾薬費などを差し引いても貰える。

つまりそこまで仕事人間にならなくてもいいという事だ。訓練を除けばだが。

問題は時々仕事に出るとしてガロアをどうするかと言う事だ。

あちこちの回路が錆びている脳をフル回転させたが誰も思い浮かばない。

当たり前だ。友と呼べる存在がまず一人しかおらず、そいつは自分によく似て人と交わることが出来ない。

赤子を預けても何かの拍子で大けがさせてしまいかねない。それに奴は仕事人間だ。子供を預かるほど暇ではないだろう。

かといって高い金出して誰かに預けるか、と考えても攫われたり、身代金を要求されたりしたら…いや、こう考える時点でもう人を信じられていないのか。

しかしどうすればいい。街中をこの子を背負って拡声器を持って誰かこの子を預かってくれませんか、とでも叫べばいいのか。

百歩譲って反応してくれる人がいたとしてそれが善人とは限らない。いや、仮に善人でも自分をリンクスと知ればどういう反応をするか…。

 

脳の海馬を絞れるだけ絞って自分の人生の中で「善人」と呼べる者はいなかったかを検索する。口ばかりでなく、行動の伴った善人だ。

三日ほどむにゃむにゃと考えてようやく一人思いついた。住んでいる場所も知らないし一回しか会ったことはないがそれでもきっと奴なら預かった子供を危険に晒すような真似をしない。

探そう。探して、恥を忍んで頼みに行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リンクスを辞める事になってすでに五年近く。国家解体戦争もネクストに乗って戦ったのも泡沫の夢だったのではないか。

そう思える程に何の刺激も無い日々。ただ好物を食らい好きな音楽を聞きながら本を読んで、そのうち死ぬ。それもそんなに遠くない未来。

霞は何かの宗教を信じているわけでは無いが、それでも神がいるのなら問いてみたい。

自分は何のために生まれて何のためにリンクスになり、何故道半ばで諦めねばならず、今こうして無為に日々を過ごしているのかと。

 

 

ピンポーン、という軽快な音が寝ているのか起きているのかすら微妙な自分の脳を揺り動かした。

 

「……はい?」

本のページを捲りながらも一つも文字なんか読まずにただ目を通していた。

そんな折に突然チャイムの音。

最初の一年くらいは来客はたくさんあったが今となってはもう誰も訪ねては来ない。

チャイムが鳴るのですら何か月ぶりか。よっこいしょ、と立ち上がるのにはおおげさな声を出しながら玄関へと向かった。

 

「……」

 

「……」

ドアを開けると髭面のっぽの男が幼い子供と大きな荷物を抱えて突っ立ていた。

 

「………どちら様?」

 

「……あー……」

 

「はい?」

その男は厳めしい見た目に反して歯切れが悪かった。

 

「サ……」

 

「サ?」

サ?なんのことだろう。酒の注文はしていなかったはずだが。

 

「……」

 

「サーダナだ。私は」

アジェイが自分からサーダナと名乗ることは実は初めてだった。

大抵の人はサーダナ様、と声をかけてくるし、声をかけてこない相手は無理して関わろうともせずに無視していたからだ。

 

「………はい?」

一瞬何のことだか分からなかったが、言われて思い出す。

大分見た目が変わったがこの男は確かに昔一度だけ会ったことがある。

イクバールの最高リンクス、サーダナだ。

気づけなかったのも無理はない。見た目が変わったこと以上に自分を訪ねてくる理由が全く分からなかったからだ。

 

「……」

 

「……」

抱えた子供はサーダナの腕の中ですやすやと眠っている。顔立ちからしてまだ一歳くらいだろうか。

 

「……」

既に一分以上玄関前で扉を開けたまま立っている。

流石にご近所にもそろそろ迷惑だろう。

 

「……コーヒーでも…飲む?」

 

「頼もう」

 

結局意味の分からない雰囲気に押され霞が折れることになった。

 

「……」

 

「……」

机を挟んで誰かが座っているなんていつ以来の事だろうか。

というか仕事関係以外の男を家に上げたのは初めてだ。

それがまさかこんな変な男だとは想像もしなかった。

 

「三つ聞きたいことがあるんだけど」

 

「なんだ」

人の家に勝手に来訪してきて尊大な態度は崩れていない。

ああ、そうだ。こういう男だった、あの時も。

 

「その子は何?」

未だにサーダナの肩に頭を預けてぐっすり眠るその子の頭には大きな帽子が被せられているが、

燃えるような赤毛が覗いている。だがサーダナは髭まで真っ黒であり、一見して血のつながりは無い。

 

「む…息子だ…」

 

「へー…(嘘下手っ)」

目がパチンコの玉のようにあちこちに飛んでから答えが返ってきた。

誰が聞いても本当だとは信じないだろう。

 

「…………」

 

「名前は?」

 

「ガロアだ」

 

「ふーん…今いくつ?」

さて、拾い子が養子か…どちらにしてもこの質問に淀みなく答えられるだろうか。

 

「一歳と四か月だ」

 

「……」

迷いなく答えた。本当の子供でないのならばそこは曖昧になるはずだが。

さて、本当に息子なのか、あるいは…生まれたその日に拾ったか。もしくは…奪ったか。

 

「ちょっと抱かせてもらっていい?」

 

「……」

 

(うわっ…嫌そうな顔…本当に何しに来たの…)

家に上がった手前仕方ない、嫌で嫌でしょうがないけど仕方ない。

そう声に出ているのではないかと思えるほど嫌そうな顔でしぶしぶとガロアと呼んだその子を渡してきた。

 

「へー…」

一歳四か月と言う言葉は間違っていないのだろう、それくらいの大きさ、顔立ちだ。帽子の下から覗くくりくり癖毛が可愛らしい。

だがこの年齢にしてすでにやや出来上がっている顔。息子と言われなければ女の子だと勘違いしていた。将来はきっと美男子になるだろう。

というかまっっっっっっっっっったくサーダナに似ていない。

事情がさっぱり掴めない。

 

「……」

『?』を巻き散らしていると眠りこけていたガロアがぱっと目を覚ました。

 

「…!」

変わった眼だ。灰色の眼に浮かぶ波紋が吸引力とでも呼ぶべき不思議な何かを持っている。

だがそれ以上にこの眼に浮かぶ輝き。死に行く自分とは真逆、強烈無比な生きる力を感じると共に予感する。

この子は途轍もない大器になる。

宗教など信じているわけでは無いが、それでも生まれたときからイエスを神の子だと騒いだ信者の気持ちが分かる気がする。

30を超えた元リンクスの自分がたかだか一歳の子供の眼を見て心底背筋が凍り付き肌が粟立っているなんて。

だが、神の子と喚きたくなる神聖さよりももっと生々しい何かがその眼に宿っているような気がする。

 

話だけ聞けば第三者は笑うであろう感想を頭の中で述べてごくりと生唾を飲んでいると目を覚ましたガロアはゆるりと手を伸ばし霞のブラウスの胸元のボタンを外しはじめた。

 

「な!なんてことを!ガロア!」

 

「?お腹が空いているんでしょう?」

ボタンを外したのは一歳にしてはちょっと理にかなった行動で驚いたが、サーダナの反応も気になる。

そういえばこの子の母親、つまり妻のことを聞いていなかった。

 

「台所を借りる!」

 

「あ…」

うんともすんとも言っていないのに鞄を漁ってミルクらしき物を持ってすっ飛んで行ってしまった。

聞きたいことの二つ目。その荷物は何?ということだが、鞄の中からは子供の服やミルク、離乳食なんかが見える。まさか…

 

「……」

なんて考えているうちにブラまでもずらされてしまった。

賢いなぁと感心する反面、この顔でこの行動からして将来とんでもない女泣かせになったりしてと冗談半分に考える。

 

「よしよし。勝手なお父さんですねー…私のおっぱいは苦っいコーヒーの味がすると思うよ?」

 

「……」

 

 

 

 

 

 

流れで結局ガロアをあやす霞から離れてアジェイはミルクを温めることに悪戦苦闘していた。

ネクストという最先端技術の粋を乗りこなしながらも、暮らしは酷く原始的なアジェイは霞の家のキッチンにある物がイマイチ使いこなせない。

 

(リンクスを辞めたのか…やはり…。…魅力が減った…)

ようやく操作を終えてお湯に指を突っ込みながら考え込む。

戦士としての凛とした気を発していたあの頃の魅力は無くなった。

思えばそういった魅力を感じたのはベルリオーズと霞だけだった。

ランク3のアンジェは魅力というよりは妖気を感じた。おっかない。

ランク16止まりの原因はやはりリンクスとしての活動をやめたからか。

何故か、は大事ではない。今元気そうならそれで十分だ。

 

「あづっ!!あづ!?あっ!?もう温まってる…?」

恐るべき最新技術。設定した温度になるまで10秒もかからなかった。

 

 

 

 

リビングに戻ると案外楽しそうにあやしていたが、ガロアはこちらに気が付くと、ぷにぷにの頬に頬ずりしてくる霞の顔に思い切り手を押し付けて否定の構えをした。

 

「随分騒がしかったけど。はい。かして、それ」

許可する前に哺乳瓶を奪い取られたが、それを霞が猫なで声を出しながら口に近づける前にガロアが奪い取り勝手に飲み始めてしまった。

 

「……」

 

「…ふっ」

ガロアは賢い子だ。誰が親なのかがしっかり理解している。

先ほどいきなり霞のブラウスのボタンを外しはじめたのは驚いたが。

一度でも母の乳を受けたことがあったのだろうか。いや、時間から考えてそれは無い。となると本能か。

多少の罪悪感に胸を痛めていると霞が怪訝な顔で声をかけてきた。

 

「何笑っているの?」

 

「いや…」

 

「ところで二つ目の質問なんだけど」

 

「なんだ」

 

「何しに来たの?」

 

「……」

正念場だ。ここで上手い事おだてほめそやし乗せて遠まわしにガロアを預かってもらう事を承諾してもらう。

 

「いや、本当に。というか私の家がよくわかったわね。仮にもイクバールのリンクスなのに」

 

「ガロアを預かってほしい」

 

「え?何?」

 

「……」

遠まわしに頼むつもりがどうしてこうなった。

仕方が無いじゃないか。まともに人と話すなんていつ以来だ。

 

「よく聞こえなかったんだけど。いや、なんか聞き間違いしちゃって」

 

「一週間でいい!金も出す!仕事をしなければならないんだ」

 

「は?ちょっと…私とあなた一回しか会っていないしそんな仲でもないでしょう?」

 

「私だって貴様は気に入らない」

 

「はあぁ?」

 

「偽善者ぶって皮の一枚下で何が蠢いているかわからない人間のことなど」

 

「帰って。もう帰って。というか奥さんに頼みなさいよ」

 

「り、離婚した。あ、いや、違う。死んだ」

別れただけでは仕事の間子供を預かってもらえない理由にはならない。

結婚などクソ食らえだが妻がいて死別したことにした。

 

「ちょっと、ねぇこの子あなたの子じゃないでしょ?」

 

「わ、私の子だっ!?」

なんでバレているんだ、と心臓が跳ねて声が上ずってしまった。

 

「だいたい偽善者って何よ変人!いきなり来たかと思えばそんなこと言いだして!」

 

「そうだ偽善者だ!貴様は偽善者だ!」

大相撲の横綱並のがぶり寄りでガロアを抱く霞に詰め寄る。

 

「帰れっっ!!」

怒りに任せて怒鳴りながら霞は思う。

誰かに対して感情を露わにして怒鳴ったのなんていつ以来だろうか。

 

「それでもマシな偽善者だ!頼む!この子に罪は無いはずだ!貴様なら…この子をちゃんと預かってくれる」

 

「はぁ?はぁ…本気で言っているの?」

 

「そうだ。人は人が苦しんでいることが分かっていても…目の前で捨てた食事で救える命があることが分かっていてもなんとも思わない。それでいて自分は善人だと思い込んでいる、

口だけの偽善者だ。…だが貴様は違う。どこまで本気かはわからないにしても、口にしたことを実践していた。貴様が預かる、と言えばしっかりと預かってくれる」

 

「……」

 

「……」

 

「はぁ…。この子に罪は無いって事は正しいわ。分かった。預かる」

 

「助かる。あの鞄に必要な物と金は入っている」

 

「お金はいりません。その代り」

 

「なんだ」

 

「今すぐに出てって。この子はしっかりと預かります。でもあなたのことは正直嫌いだわ」

霞からしてみれば当然の事である。

親しくも無いのに突然押しかけ暴言を吐いた挙句に子供を預かれなんて勝手もいいところだ。

だが誰かが自分を忘れずに訪ねてきてくれたこと、言葉は悪いながらも一応信頼してくれている様子なのはちょっと嬉しかった。顔には出さないが。

 

「…そういう貴様だから、ガロアを預けられる。…この子を、頼む」

 

「はいはい、もう分かったから」

 

 

 

 

腕に抱く幼児の頭を一回だけ撫でてサーダナはさっさと出てってしまう。

あっちもあっちで自分の事は好いていないようだしここにいるのも落ち着かなかったようだ。

お互い様だ、と玄関に向けて舌を出して鼻を鳴らす。

 

「……」

ガロアと呼ばれたその子は自分の腕の中で呆然とした顔でサーダナが消えた玄関を眺めている。

 

「あー、ほらほら…よしよし。あなたのお父さん…勝手な人ね…。でも…必死なのね…」

 

「……」

 

「……」

無口な子だ。このくらいの年の子供と言えば何かあればすぐに泣く、ぐらいの認識で丁度いいはずなのだが家に来てから全くうんともすんとも発していない。

 

「……」

そのうち玄関を見つめたままぽろぽろと泣き出してしまった。

喚きもぐずりもせずにただ大粒の涙を流していく愛くるしい様は久々に人と触れ合った霞の心を見事に射抜いた。

 

「か、可愛い!?可愛すぎる!!ほらほら!スミカおねーちゃんって呼んでみて?」

もうおばさんなんじゃないですかね、と冷静な意見を出してくる脳の一部は無視する。

まだお姉さんでいけるはずだ。…多分。

 

「……」

 

「まだ言葉は分からないかな?ス・ミ・カ・お・ね・え・さ・ん、よ。ほら、口を動かしてみて?」

 

「……」

自分が大げさに口を動かすのに合わせてぱくぱくと酸欠の金魚のように口を動かしてはいるが全く声が出ない。

 

「待って」

 

「……」

 

「ガロア…あなた…喋れないの…?」

 

「……」

こくっ、とさも当然のようにガロアは頷いた。質問に対して完璧に答えているかのようだ。

 

「えっ!?私の話していること分かるの!?というか本当に喋れないの!?」

 

「……」

またもや頷く。それがなに?お父さんは、という顔をしている。

 

「…………………驚いた…」

口が利けない。そんな大切なことも言わずに置いて行ってしまったのか。

あるいはこの子が口を利けないという生活に慣れ過ぎてしまったのか。

しかしもう言葉がわかるとはなかなか賢い。

いや、いくら賢くても沢山言葉を投げかけられなければ覚えないはずだ。

ということは。

 

(夜な夜な話しかけていた、とか?)

別に夜な夜なやる必要は無いのだが……。

 

『ほ~らガロアちゃん、ミルクおいちいでちゅね~』

 

『一緒にお風呂入りましょうね~』

 

「ってな感じ?…あははははは!!似合わな過ぎ!!あっははははは!!」

髭面の変人男がそんな言葉を毎日毎晩投げかけている姿を想像して爆笑しながら膝を叩く。

心から笑ったのはいつ以来だろうか。

こうまで笑うのは失礼なのだろうが、霞の想像はそこまで間違っていない。

実際にアジェイはいつでもどこでもガロアを連れて歩き話しかけるのを楽しみにしており、そしてガロアはどんどん言葉を吸収して覚えていった。

 

(いやー、笑った…。変な人だけど…悪い人じゃないのかな…)

 

「ねぇ…お父さんのこと好き?」

 

「……」

こくこくっ、と二回も頭を縦に振った。

しかし賢い子だ。

 

「へー…あんな変わった人でもねぇ…」

 

「……」

 

「普通は久しぶりに会ったら…今は何しているのか…とか…聞くよね…」

 

「……」

 

 

霞スミカを蝕んだ難病。

筋萎縮性側索硬化症、通称ALSと呼ばれるその病気は四肢の筋肉の動きを緩やかに奪っていき、全身へと広がり最後は呼吸筋も麻痺して死に至る。

医療技術の進んだこの時代でも完全な治療法は見つかっておらず、一度痩せ細り失われた筋肉、破壊された運動神経は元に戻らない。

せいぜい進行を遅らせるのが限界だと言われ、もって15年生きられるかどうかと告げられた。それでも長くなった方なんです、という医師の声はひたすら遠かった。

それでも残り半月の国家解体戦争に参加することぐらいは出来たのだろうが、

その病名を知らされた途端に何故かネクストに乗っても自分が伸びやかに戦う姿がイメージできなくなってしまった。

想像の世界までも侵食され彼女は戦士としての道が絶たれた。

その一方で他のALS患者とは違う治療法を提案された。

 

それは彼女の全てとも言えるAMS適性と引き換えにして行われる手術だった。

 

元々AMSは身体に障害を持った人を社会復帰させるための技術、つまり義肢をよりしなやかに扱う為の技術だったのだが、

その過程で適性の無い者には想像を絶する苦痛を伴うことが判明し頓挫した。その代わりに着目されたのが兵器としての有用性だ。

そうして出来たネクストだが、そこまで細かい挙動を必要としない脚はともかくとして例えば腕を四本に増やしたりしてみれば違和感が強まり著しくパフォーマンスが低下する。

その点では身体の延長、つまり義肢の技術だというところがよく表れている。

 

一見健康に見える霞だが、その皮膚の下には人工筋肉・神経が埋まっており、感覚としては普段からネクストに乗っているとでも言えばよいか。ちゃんとAMS適性があれば慣れてしまえばなんてことはない。

サーダナは皮の一枚下で何が蠢いているかわからないと言っていたがまさしくその通りだ。皮の一枚下では自然的では無い物がこれでもかと言う程埋まっている。

もしAMS適性が無ければもう今頃はまともに喋ることも物を飲み込むことも出来ず、日がな一日痩せ細り人工筋肉以外無くなった腕を眺めながらベッドの上で腐っていったのかもしれない。

だが四肢と口回りの筋肉の代用品を入れた時点で限界が訪れた。もうこれ以上は彼女のAMS適性では耐えられない。生きていけても廃人になってしまうだろう。

呼吸器系の筋肉をそっくり作り変える事も出来なくは無かったが、それでも動けなくなれば意味がないし、

何よりも生きた人間から生きたまま呼吸器系の筋肉を抜き取り、生きたまま入れ替えるような技術は無い。

そんな技術があったのならば死んだ人間も生き返る世界になっていただろう。

 

きっと治療法を見つけ出してみせます

 

そうレオーネメカニカの者は言っていたがそのまま五年が経った。

今でも自分は戦えると、自分に課された運命を乗り越えてみせると信じたい。

だが時間は残酷に過ぎていき、致死率100%の病に罹った霞に誰もがどう対応していいかわからずに訪ねる者もなくなり、そして死の足音は少しずつ近づいてくる。

 

レオーネメカニカとしてもランク1も夢では無かった霞スミカという存在を諦めきれなかった。

だが、リンクスの価値は非常に高いがそれでも一定以上の動きは出来ず、ネクストにも乗れない彼女は最早…

 

きっと大丈夫、きっと大丈夫。

そう信じていたくてもどこかでもう自分は諦められているのだろう、とも思っていた。

その想像は当たっていた。もし仮に治療法が見つかってもその後に予想されるリハビリや一からの訓練の時間を考えるといずれ訪れるであろうリンクス同士の戦争に到底間に合わない。

レオーネメカニカは霞スミカは諦めていなかったが『この霞スミカ』はもうとっくに諦めていた。

 

いずれ表情を作ることも出来なくなり死んでいく。

その想像がどれだけ霞を苦しめたかは筆舌に尽くしがたいが、それでも他の患者よりは遥かにマシなんだといつの間にか霞は上よりも下を見るようになってしまっていた。

 

霞スミカはここにいる。誰も見向きもしないがここにいる。いつだってそう思ってきた。

 

 

だが、かつて戦場で一陣の凛とした風となり吹き荒れたリンクス・霞スミカはもうどこにもいなかった。

 

 

「……う…」

先ほどの爆笑から一転、ガロアを抱いたままはらはらと涙を流す霞。

最初の頃はそれこそ毎日のように泣いて荒れたが、ここ最近ではすっかり涙も枯れたというのに、何故?

 

「……」

そんな霞を見てガロアはいつも自分が泣いたときに父がしてくれているように、そっと指で涙を拭った。




こんなに小さい頃からガロアは霞を知っていたのです。

セレンを見たら驚きますよね、そりゃ。


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ウォーキートーキー

ガロアは二歳になった。

信じられない速度で言葉を覚えていくガロアはとうとう本を読み始めた。

 

「……」

 

(面白いわけないと思うんだが…)

『自然について』と名付けられた哲学書をゆっくりと読んでいるガロア。まぁ理解は出来ていないだろう。

理解できなくても文字を覚えられるのならいい……いいのはいい。それにしたって面白いはずがないのだが…やはりこれでいいのだろうかとは思う。

無理して街で絵本でも買うべきなのだろうか。いや、でも本人はあまりそういうのを欲しがっていないし、そういう価値観の押しつけもよくないだろう。

とは言えオモチャの一つくらいあってもバチは当たらないはずだ。

ただの丸太から一週間かけて作ったオモチャをガロアの前に出す。

 

「ガロア。これはマトリョーシカという人形だ」

 

「……」

きょとんとしている。

そりゃそうだろう。可愛く顔を作るつもりが何故か、胃痛に苦しむ四十代男の顔が出来てしまったのだから。

 

「ただの人形では無い。これは…こうして開けると…開けると…ぬぬぬ」

中に三つほど順に小さな人形を入れたのだがおかしい、開かない。

 

「……」

 

「ふっ…、くっ…がっ…がっ…くぐくぐうぐぐぐぐ…」

開かない。

ガロアが何をしているの、という眼で見てくる。

違うこれはそういう物じゃないんだ。

 

「がっ…ぬぅあっ!!!」

 

がっ!

 

100%中の100%、子供のおもちゃに大人の本気の力を込めた瞬間にアジェイ作のガラクタは開き、

中から飛び出した人形も空中分解した。

最後に出てきた借金地獄に溺れて苦悶する二十代男の顔した人形が顔に思い切り当たってひっくり返る。

 

 

「……」

ガロアはそれを見て声を出さずにけたけたと笑っているが、違うこれはそういうおもちゃじゃない。

 

(まぁ…いいか…楽しんだのなら…)

 

「……」

と、思っていると紙になにやら書き始めた。

大抵は文字だったり言葉だったりするのだがガロアは時々訳の分からない絵のような物を描く。

 

(天才…当然か。優秀な学者の間に生まれた子だからな…)

霞がこの子は信じられないくらい頭がいい、拾って正解だ、と大騒ぎしていた。ギフテッドに相応しい教育をしてやれとも言われた。

結局自分の息子だという嘘は最初から最後まで一切信じてもらえなかった。

日に日に出来上がっていくその顔は、ターゲットとして殺しに行った女、ソフィー・スティルチェスの面影が色濃く見える。

アジェイにはそこまでしか考えが及ばないが、ガロアは本当に驚くほどソフィーに似ている。

例えばソフィーの幼い頃を知る人物が今のガロアを見たらひっくり返るだろう。そう言えるくらいには生き写しなのだ。

そう考えているうちに何かを描きあげたらしい。

 

「何を描いたんだ…?見せてくれないか」

 

「……」

横に無造作に引かれた線の集まりだった。

全人類、誰に見せてもゴミとしか言えないようなその絵だがアジェイにだけはよく分かった。

 

「川…か…?これは…」

なぜ分かったのか自分でも分からない。

ただこの線の集まりがよくガロアを抱えて眺めたり魚を釣ったりする川に見えた。

 

「……!流れか!流れが書いてあるんだ」

目を瞑ってガロアが来る前から何百時間と見続けた川を思い浮かべる。

岩を避けて通る水、光が反射されて映る線。

川の流れだけが見事に再現されていた。

 

「……」

 

(訳が分からん…どういうことなんだ…)

ただ見ているだけで流れが見えるだけなのだろうか。百歩譲って見えたとしてここにこうして描けるのだろうか。

一度見た景色を完璧に再現して描く自閉症の画家というのは昔いた。ただその人物は瞬間記憶という才能を得ていただけだ。

今ガロアが何気なくやったこの行動。完全に理解の外の才能だ。

 

「ちょっと待ってくれ…じゃあ…三日前に書いた…これは?」

またまたゴミにしか見えない楕円の集まりが描かれた紙。

アジェイにもただの落書きにしか見えなかったが、こうした思い出の品々は全て保管していた。

 

「……」

ガロアはなんでそんな事を聞くんだろうという顔をしながら、すっと窓の外にある木を指さした。

 

「……む?……!」

木の枝が風を受けてそこに付いた葉が揺れる様子、その軌道…つまるところまた流れが完全に再現されている。

 

「……」

 

「素晴らしい眼を持っているな…」

口が利けなくなった代わりに得た天からのギフトだろうか。

同心円状の模様が浮かぶ眼を持つガロアは何ともなさそうな顔をしている。

 

「100個以上の丸が…全部あの葉の動きか…」

 

「……」

 

「なんだ…?」

違う、そうじゃないと首を横に振ったガロアが何かを紙に書きだす。

 

『131』

 

「……?どういうことだ…?」

紙に突然書かれた数字に困惑していると、ガロアは自分が手にする絵と外の枝を指さす。

そこまでされてようやく分かった。ここに描かれている楕円の数と葉の数だ。

 

「確かに…」

楕円の数は131個あり、枝に付いた葉の数は131より少ないがそれは単純に落ちてしまったからだろう。

 

「……」

 

(待て…数が分かったところでこうも正確に絵が描けるのものか…?)

同じような形をした葉が何枚あるかを正確に数えるだけでも一苦労なのに、

揺れ動く葉の動きを数え間違えず、写し間違えずに描けるものなのだろうか。

 

「まさか…。ガロア、ちょっと見ていなさい」

 

「……」

ガロアがその不思議な眼で見る中で、ポケットの中から散弾銃のペレット弾を適当に掴みとり箱の中にばら撒き蓋をする。

その間僅か2秒。

 

「今…弾はいくつあった?」

 

「……?」

 

「いや、間違ってもいい。何個に見えた?」

 

『97』

 

(一瞬で…?)

突然の質問に戸惑ってはいたが、数を答えることに関しては完全にノータイム。

思い起こすそぶりすらなかった。

 

「……合っている…」

かっきり97個。その小さな粒を数えるだけで自分は1分もかかったと言うのに。

 

「……」

 

(これがガロアの見ている世界…?こんな眼を持っていて身体や脳に影響は出ない物なのか…?)

鉄臭い指を口元にやり考える。

異様な眼。明らかに現生人類の物…いや、今世界に生きるどんな生き物とも違う異質な眼を持っている。

自我を持った日からそんな能力があるならば恐らくは不思議に思う事すら無かっただろう。

正しく、この子の頭の中には無限がある。人間が得られる才能と言えるものの領域を超えてしまっているような気がしてならない。

声を失った代わりにこの能力では釣り合わないのではないだろうか。

 

「……?」

 

「いや、何でもない。大丈夫だ」

 

「……」

黙り込んで考え始めた自分に不安交じりの眼を向けるガロアに言葉をかけるがその眼から不安の色は消えない。

 

「さて…霞の所に行こう、ガロア」

そんな視線を向けられるのに耐えられなくなり、つい予定を繰り上げて、

考えていたよりも早くその言葉を口にしてしまう。まだまだ後二時間は余裕があったのに。

 

「!」

ガロアがにぱっと顔を緩めて椅子から降りる。

何にでも興味を持つ年頃だ。やはり賑やかな町にいた方が楽しいのだろうか。

と思うもののこっちにいて霞の所に行きたいと自分から主張することは無い。

なんというか、自然にかなり馴染んでいるように見える。ここにいる方が落ち着いているとでも言うべきか。

自然にいる方が自然に見える、と言葉遊びのような感想が浮かんでくる。

そういえばもう七回ほど霞に預けているが毎回ぶつぶつ文句を言いながらも断らないし、ガロアもよく懐いている。

少なくともあの時霞に預けようと考えた自分は間違っていなかったようだ。

 

などと考えているうちにガロアは一人で着替えを済ませてしまった。

二歳児と言うのはここまで賢く理にかなった行動をするものなのだろうか。

少なくとも自分は二歳のころの記憶など無い。

実はまだ自分の準備も終わっていなかったので急いで準備を終えて向かうことにした。

 

 

 

 

 

「頼みたい」

 

「はい、わかりました…と言いたいところだけどね、あなたせめて事前に連絡しようとかそういう気遣いは無いの?」

いつの間にか抱えることの無くなったガロアの手を引き霞の家のチャイムを鳴らすといつものように面倒くさそうな顔をして霞が出てきた。

 

「連絡先を知らん」

 

(人の住んでいるところを勝手に調べておいて今更…やっぱりこの人ダメだ…私…)

正直な話、たまに来るガロアは可愛くて仕方ないし訪問が唯一の楽しみだと言ってもいいくらいだがやはりこの男は根本的に人としてダメだ。

 

「…はぁ…。ほら、これ…」

そう返ってくるのでは、とうすうすと予想していた霞は連絡先を書いた紙を渡す。

今まで幾人もの男に連絡先を聞かれてはやんわりと断ってきたのにこんな人間失格一歩手前の変人に渡すことになるとは。

それにこの男とは間違っても恋仲になどなりたくない。

病気になる前に、リンクスになる前にちゃんと恋愛をしておくんだった。

 

「いつも暇そうだが」

 

(デリカシー無いなぁ…)

ああ、そうだよ毎日24時間暇で暇でしょうがないよ確かに合っているよ。

言っていることは合っている。

だがそれでもピキッと来る発言だ。

 

「都合の悪い時でもあるのか」

 

(折角…ガロアが遊びに来るんならそれなりの用意はしておきたいじゃない)

と、ツンデレとでも表現するべきなのだろうか、微妙な感情に唇をとんがらせる。

遊びに来ているわけでは無い、という事実は脳みそから消しておく。

 

「では頼んだ」

 

「はいはい…」

どっと疲れた。さっさとガロアを置いて行ってくれ、と思った瞬間。

 

「お客様デスカ!?」

機械的な声が霞の家の奥から響いてきた。

 

「……?一人では無かったのか…?」

 

「ああ…もう…」

ややこしくなりそうだったからあえて言わなかったのに。

 

「ムムムッ!?どなたデスカ!?不審者デスカ!?明らかに不審者!!ワタクシが相手になりマス!!」

大きさで言えば130cmくらいの金属の箱のような物に赤い光点が付いた機械がするすると床を滑るように出てきて、

箱の部分からトングのような手がついた腕を出して空中にジャブを放っている。

 

「なんだ…これは…」

 

「……」

 

「お客さんよ、やめなさい。これはね…」

霞が目頭を押さえながら謎の物体の正体を口にしようとする前に物体自ら名を名乗った。

 

「ワタクシはHKCWTM-2200!スミカ様にはウォーキートーキーと呼ばれていマス!近代技術を結集した一家に一台の家政婦デス!!お子様のお世話もお手のモノ!!さぁ、こっちにイラッシャイ!!」

 

「……」

明らかにガロアに向かって言っているのだろうが当のガロアはすっかり怯えてしまいサーダナの長い脚の影に隠れてしまっている。

そんないじらしい様子に霞はきゅんと来たが隣でやかましく騒ぐ機械が全てをぶち壊す。

 

 

 

「大丈夫!そんなお子様の為に!ナント!!ビートボックス機能搭載!!ドゥビドゥビシュビドゥバブブボボボ」

 

 

 

(何故…)

目の前で大騒ぎを開始した機械を前にしてアジェイも固まってしまっている。

 

「ブゥーッチブゥーッチビビビバババ」

 

(普通に音楽再生機能を付けなかった…?)

 

「……」

 

「アッ!まだ怯えていマスネ!悲しいデス!と言ってもコレはそういう反応に対してはこう言う感情を示せというプログラム、つまり哲学的ゾンビ的な」

 

「霞…これは…大丈夫なのか…ガロアは…」

 

「大丈夫…、…悪い機械じゃないから」

 

「頼んだぞ。…頼んだぞ」

念を押したかったがどう念を押せばいいのかわからないアジェイは結局同じ言葉を二度繰り返す。

 

「はいはい…」

サーダナが去ると今度は自分の脚にしがみついてなんとかウォーキートーキーから距離をとろうとするガロア。

数か月ぶりに会ったが、会うたびに成長して会うたびに可愛くなっていく。

 

「ボクちゃん!!お名前はナント!?…ムムッ!?両側声帯麻痺、言語野に軽度の障害確認。口が利けないのデスか?」

 

「……」

 

「さぁ、ガロア。中に入ろうね。今は寒いから」

 

レオーネメカニカから一か月前に突然送られてきたこの機械HKCWTM-2200。

ただのうるさい機械ではなく、数千万通りの会話パターンを持ち、途轍もない桁の記憶容量を有し、

介護から料理洗濯家事全般が完璧にこなせる上に病院のCTスキャンも裸足で逃げ出す高性能スキャンを搭載した自律行動型AI、ということらしい。

今はまだ非売品でその試作品がいずれは介護が必要になるであろう霞の元に送られてきたが、どうにも空気が読めなくて困る。

まぁ機械に空気を読めと言うのが無理な話なのかもしれないが。

 

「……」

 

「ガロア様と言うのデスか!よろしくお願いシマス!」

 

「ほら、怖くないから、ね?」

 

「……」

怯えるガロアをウォーキートーキーの傍まで抱きかかえて運ぶ。重くなった。

 

「髪、伸びたね。そろそろ切らなくちゃ」

そういう気遣いをあの男に求めるのは間違いなのかもしれないが、前髪以外ガロアは生まれたときからほとんど切られていない。

少々ぼさぼさで野性的だが、昔の児童文学に出てくる赤毛の何とやらそのものだ。

見た目は完全に女の子であり、ウォーキートーキーのようにスキャンでもしない限りは性別は絶対に間違えてしまうだろう。

母親に似たんだろうな、男の子は母親に似るものだからなぁ、と霞は思う。少しだけ、今は亡き弟のことを思い出した。

 

「でもでも…」

いったんウォーキートーキーにガロアを任せてタンスを漁る。

このまま絶対髪は切られないだろうし、顔も可愛くなると確信していた霞はこの間ある物を街で購入しガロアが来るのを心待ちにしていた。

 

「髪を切る前に…女の子の服…着てみよっか…」

アジェイがいなくなった途端にやりたい放題である。

 

「ガ・ロ・ア・ちゃん!服を……………」

 

「ハイ!これでさっぱりしマシたね!!男の子はこれくらいの髪の長さがいいのデス!」

 

「……」

 

「……………」

リビングに戻ったらウォーキートーキーが身体からハサミ付きアームを伸ばしてすっかりガロアの髪を短く切りそろえてしまっていた。

 

「命令。髪を片付けたら部屋に戻りなさい」

やかましく勝手な事を多々するウォーキートーキーだが、「命令」と言うと素直に従うあたりはロボットだ。

 

「了解デス」

 

「……」

 

「…ココアでも入れてあげる」

すっかり髪の短くなったガロアを見て肩を落としながらトボトボと台所へと歩く。

よく考えれば家政婦ロボだと言っているのだから飲み物を入れることくらいやってくれてもいいじゃないか。

 

 

 

 

「ハイ、よく似合ってマスよ」

 

「それがワタクシの仕事デスから」

 

 

 

「……?何をやってるの?」

口をぱくぱくと動かすガロアの前でウォーキートーキーは髪を片付けながらまるで会話するかのように言葉を投げかけている。

 

「お話デス」

 

「え?分かるの?」

 

「ワタクシほど高性能になると声が無くても口の動き・表情などから分かりマス」

 

「し、知らなかったそんな機能…」

 

「スミカ様には必要のない機能デスから言いませんデシタ」

 

「ガ、ガロア!私は誰!?」

 

「……」

口だけを動かしているがこれで分かっているのだろうか。

 

「なんて?なんて言っているの?」

 

「スミカお姉さんと言っていマス」

 

「よし!!よし!!ベニッシモ!!」

 

「ガロア様、スミカ様の年齢から考えるとお姉さんではなく」

 

「命令。黙りなさい」

 

「了解デス」

 

「……」

 

(お姉さん…お姉さん…フフフ…生きていて良かった…良かった…)

 

「……」

無言でガッツポーズを繰り返す霞を見て今度はウォーキートーキーにしがみ付いて怯えるガロアだった。




以前からちょくちょくその名が出てきた「ウォーキートーキー」の登場です。


ウォーキートーキーの自己紹介からも分かる通り、設定で言えば西暦2200年です。
とはいえちょっと違う歴史を歩んでいますので…例えばこの世界ではiPS細胞が発見されていなかったりします。
それが後々大切なのかと聞かれればそうでもないので覚えなくても大丈夫です。

ウォーキートーキーはガロアと会話出来る『この世界唯一の』存在です。
それは結構大事なことなので覚えておくといいかもしれません。


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バック

月日はあっという間に流れていき、ガロアは5歳になっていた。

当然時間は誰にも平等でアジェイも42歳となっていた。

いつの間にかイクバールの女と結婚していたロランと、霞の助けもありそこそこ働こうと思えば働ける状況だったのだが、アジェイは必要以上に金を貯めようとはしなかった。

彼が人の次に嫌いな物が金だったのだ。

 

昼前。

川べりでたき火を焚いて火をくべながらアジェイはガロアに何よりも大事だと思っていることを教えていた。

 

「見ていろ」

ナイフを取り出して自分の指に少し傷をつける。

じんわりと赤い血が流れ、地面へと滴っていく。

 

「血が出ているな?…ガロア、手を出すんだ。少し痛いぞ」

 

「…!」

自分にもしたようにガロアの指に少しだけ切り傷をつける。

 

「お前からも血が出た。…見ろ」

新緑芽吹く木にナイフを鋭く投げる。

訓練された動きで投げられたナイフは空を裂いて木の枝に突き刺さった。

 

「…樹液が流れ出ているだろう?」

 

「……」

 

「この流れがあることが生きているという事だ」

そのままナイフの食い込んだ枝を折りたき火に放り投げながら言葉を続ける。

ガロアはただ真剣に聞いている。

 

「では、生きているという事が流れるという事ならば…生きるという事は?」

 

「……?」

 

「この水たまりを見てみなさい」

川のすぐそばには石で囲まれた水たまりがあり、黒く澱んでいる。

アジェイが数週間前に川の流れから切り離しておいたものだ。

 

「腐ってしまっているな?流れていないからだ…」

水を囲み流れを止めている石垣を崩して元の川へと戻していく。

 

「これであの水は川に取り込まれ、あの川は強くなった」

 

「生きるという事は殺すことだ。人間も動物も植物も内側の流れは放っておけば自然に外へと流れだしてしまう」

 

「……」

 

「その前に取り込まなければならない。他の命から流れを。あの川は生きている。だがその流れをバラバラにしてしまえばあの水たまりのように死んでしまう」

 

「……」

 

「死なない為に殺して流れを取り込む。だが…流れを取り込み続けてもいずれ私と言う器もお前と言う器も壊れてなくなる」

 

「……」

 

「この世に正義も悪も無い。流れ移ろい変わっていく。絶対と言える物などただ一つを除いてなにもない」

口にしながらアジェイは自分の人生を振り返る。

人の中にいて何が一番馴染めなかったか、というと殺さなければ生きれないということや物事は移ろうというそんな簡単な事実を遠ざけて見えないふりをしているうちに本当に見えなくなってしまった人々だった。

 

「生きている者は必ず死ぬという事だ。そうしたら器は砂となり水となり空気となる。この世界の一部に戻る」

 

「万物は流転する。この間読んだ本に書いてあっただろう」

 

「……」

 

「金…文化…それ自体を否定するつもりはない。だが、それが前に出過ぎて人はその本質が見えなくなってしまった。…もう、数千年も」

 

「……」

まだ子供のガロアには難しすぎた話かもしれない。

それでも今のうちに命について教えなければこのガロアの純粋な眼も曇ってしまうだろう。

 

「黒い鳥の話をしたな。それに何度も本で読んだだろう」

 

「……」

 

「人がその真実を忘れて澱み続けたとき、一度0に戻す神の使いとされる『何か』だ」

ただの伝説や神話なのだろうか?どうしてもアジェイにはそうは思えなかった。

平和を欲して戦い続ける矛盾した人々。それは善でも悪でも無いごく普通の自然に生きる動物の姿でもある。

破壊と再生、死と生は不変の真理だ。人間だけがそれから逃れて永遠の繁栄を得られるなんて思うのは傲慢もいいところだ。

 

「この場所は厳しくも自然のルールが保たれている。だが、今の世界では徒に生き物が死んでいき流れに戻ることなく破壊されていく」

 

「もうすぐ現れることになる…」

世界を敵に回してなおそれを叩き潰せる力を持ち、世界を巻き込む戦争を起こす生物など存在しない。

恐らくは常人の身では及びもつかない程の力を持ったリンクスが『今回の』黒い鳥なのだろうとアジェイは予想している。

そうは言うものの『前回の』それがなんなのかなんて知らないし、本当に存在していたのかすら分からないのだから。

 

 

昔は早く来い、早く来い、こんな世界は滅びて然るべきだ、と祈っていた。

だが、人は人によって滅びるのが必然だと分かっていてもアジェイは今ガロアが生きるこの世界に滅んでほしくない。

ただ、ガロアに生きていてほしい。この子が理不尽に死んでいくなど許せない。

 

きっともう少ししたら途轍もない力を持った存在が生まれる。その時は我が身全てを焼くことになっても守る。

 

人の世から離れ、動物のように自然に従って生きていたアジェイだが、いつの間にか彼は自分はなるまいなるまいと思い続けていた『人間』になっていた。

大切な者を守るために戦う、遥か昔から続いた人の姿に。

その純粋な思いこそが正義を生み悪を生む原因となると分かっていても、その瞬間が訪れればアジェイは戦うことになるだろう。

 

理屈を長々と語ってきたアジェイだが結局その思いは理屈では無い。ただ感情だけがある。

だとすれば正義が生まれ悪が生まれ争うのも必然の流れではないのかと、先ほどの言葉と矛盾した気付きを無視しながら言葉を続けた。

 

「お前も五歳になった。そろそろ生を食らう事を覚えなければならない年頃だ…これをやろう」

軽めだが殺傷能力の高い両刃ナイフ、小さめだがてこの原理をフル活用して威力を底上げした弓、そして反動のほとんどが吸収される拳銃。

アジェイはガロアが離乳食を卒業し、普通の食事となる前からガロアを連れて動物を狩り、血抜きし捌く様子を見せていた。

そしてその日の獲物が食卓に乗る。上手く狩れない時は三日以上水と保存食の燻製しか食べれない日もあった。

生きる為には殺さなくてはならないという理解を芯までしてもらう為、いざという時に腰が引けないようにする為にはどうすればいいか、と考えた不器用な親心からの結果だった。

 

「……」

今までは練習で的や小さく弱い動物を相手にするときだけ持たせていた道具を渡されてガロアは少々困惑している。

 

「大丈夫だ…練習通りにやるだけだ。…さて…まずは獲物を…」

 

「……」

 

「なに…?」

足跡か何か見つけて獲物を探さなければ、と思った時にガロアが自分の後ろを指さした。

その指の向こうには一本の木があり、その上には雪風景とほぼ同化していたが確かに鳥が止まっていた。

 

(視力どうこうの問題じゃない…)

野生の獣のような鋭敏な感覚を持っている。

これがガロアが自然に馴染んでいると思った原因だろうか。

 

「よし、あの鳥を狩るぞ。まずは獲物が届く距離まで近づく」

 

「……」

 

 

ゆっくりと鳥の視界に入らないよう静かに歩を進めていく。

雪に勢いよく足を入れてしまえば不自然な音が出てしまう。

あくまで自然に、川の音に溶け込むほど小さな音で進んでいく。

 

ぱきっ

 

「……!」

ガロアが踏みしめた雪の下に木の枝でもあったのか、何かが折れる高い音が響き渡り、

周囲を時々見るだけで、あとは木を突いていた鳥がこちらに目を向けた。

 

(落ち着け…気が逸れるまでじっとして…周囲と同化するんだ)

鳥の目はただこちらをじっと見ており、怪しい動きを一つでもしたらどこかへ飛んで行ってしまうだろう。

待たなければならない。警戒すべき対象ではない、ただの風景だと鳥が勘違いして再び木の中の虫か何かに注意が向くまで。

 

「……」

 

(素晴らしい…気配がほとんどない。天性のハンターか…)

ガロアの呼吸の音は川の流れと同じリズムを刻み、弛緩した体中の筋肉から個にしがみついてるエネルギーが消えていく。

見ていても人型の岩か何かと勘違いしてしまいそうな程に存在感が希薄になっている。

 

動きを止めて視線も感じられない二つの人らしきものを鳥は暫く見つめていたが、結局目を離して木を啄み始める。

 

「……」

 

「……」

どちらともなく歩き始めて彼我の距離およそ40m程まで詰める。

 

「……」

頷き合い、遠距離武器のうち拳銃を選び取り構える。

 

「……」

何も言わない。

練習も何十回としてきたし、構え方にも問題は無い。

今ここで余計な事を騒いで集中を削いではいけない。

 

 

 

パスッ、という音とともに煙が上がった。

 

 

(当たった!)

血飛沫を上げながら木の影へと落下していく鳥。

恐らくは何が起こったかすらわからぬまま絶命しただろう。

いたずらに苦しめることも無く終わらせた文句の無い一発。

このまま成長すればこの地で生きていくのに全く問題の無いハンターになるだろう。

 

「……」

ガサガサと、抑える必要の無くなった足音をたっぷりと立てながら木の裏へと落ちていった鳥の元へとガロアは一直線に走っていく。

 

(落ちていった場所が分かるのか…?さて…鳥の捌き方を教えなけれ…!?)

ドッと派手な音を立てながらガロアがすっ飛んでくる。

ゴロゴロと雪を身体中に纏わりつかせて転がっていき、5m程転がって倒れたまま動かなくなってしまった。

 

「ブルルルル……」

雪の色に紛れて木の影から現れたそれは目算で体高4m、角の幅は2m以上ある真っ白なヘラジカだった。

 

「バック!!?」

自分の事は無視して転がったまま気を失ったガロアに唾液をダラダラと垂らしながら狂気を孕んだ赤い目を向けている。

 

「クソッ!!」

手にした散弾銃を二発放ったが、そいつは身体中から血を流しながらも全く気にも留めていない。

 

「何て奴だ!」

散弾銃を放り投げ、ガロアの元へと走る。

 

「ブオオオオオオオオオオオ!!!」

 

大地ごと森を揺らす雄叫びがアジェイの耳をつんざく。

あちこちから鳥が飛び立ち、獣がその爆音地から逃げようと走る音が耳に届く。

 

重たい荷物は全てその場に置きガロアを抱えて焚火の元まで走る。

その数秒後に地響きのような足音が聞こえてきた。

スピードは倍以上の差がある。

間に合うかどうか怪しい。

 

「おおおおおおお!!」

一瞬の判断が命取りになる。ガロアを落とさないようにして、焚火を思い切り蹴飛ばす。

 

「……!」

火の粉に怯んでその化物…『バック』の動きが止まる。

やはり獣だ。一応は、と思ったが怯んでいるというよりもうざったそうにしているだけだった。

 

「消えろ!」

火のついた棒を手にし、傍に置いてあったガス噴射ボトルを用いて火炎を噴射していく。

 

「ブルルル…」

普通の獣ならば一目散に逃げていくものだが、バックはそれでも退かず、

白い毛皮に火がついてようやく退散していった。

 

「はぁ…なんてことだ…っ、いかん、ガロア!」

 

「……」

気絶したガロアは額から血を流して全く動いていなかった。

 

 

 

 

夜。

ガロアが殺した鳥を回収して家へと帰ったアジェイはガロアの包帯を変えながらあの鹿について話をしていた。

 

「服と雪に守られたな…無事でよかった」

額を切った事と腹に青あざが出来ていた事以外には大きな怪我も無く、20分もしたら自然とガロアは目を覚ましていた。

 

「……」

 

「奴の名はバック。と言っても私が名付けたのだが…ここら一帯の森を縄張りにして暴れ回っているヘラジカだ」

 

「……」

 

「そうだ。奴は群れに属していない」

筆談も出来るが、アジェイは五年間ガロアを育てて共に暮らしていくうちに何が言いたいのかが表情で大体分かるようになっていた。

 

「一匹だけで森をのし歩き、目に入った物を殺して回る暴君だ。五年前…お前は一度会っている…と言ってもあの時お前は赤ん坊だったしバックも小鹿だったから覚えてはいないだろうな…」

 

「……」

 

「いいや、分からん。何故か時々ああいう暴力の化身みたいな怪物が生まれてヌシと呼ばれる」

 

「……」

 

「とにかく、奴を見たらすぐに逃げろ。こちらに気付いていたら木に登るんだ。わかったな」

 

「………………………」

ほんのわずかな時間だったが記憶に残ったあの異様。

神々しさすら感じた純粋な暴力性はガロアの心に深く刻まれた。

 

ガロアはその純粋な暴力の向こうに神の姿を見たような気がしたのだ。ただ、言葉に出来なかった。

 

そして不思議と怪我を負わされたのにバックを恨んでなどいない自分に気が付いたのだった。




ジョシュアもアナトリアの傭兵も大切な者を守るために強くなった訳ですが、果たして同じ思いを抱いたサーダナは…AC4の結果で言えば、…まぁ…

バックは「Buck」というスペルなのですが、意味は「牡鹿」です。そのまんまやんけ!

ガロアは殺して食うことを覚えました。アジェイの言葉に間違いはありませんが、純粋なガロアはこの特殊な教育のおかげで殺すということに対して罪悪感を抱かなくなってしまいました。もちろんそこには人も含まれてしまっています。

これで後々どうなるかは…今まで見た通りです。初めてのミッションの時ですら大した感想も無くノーマルを切り裂き人を殺していました。


今回は短かったか。


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死の足音が聞こえるよ

『最近来ないけどもう仕事はしていないの?』

 

「…?なんだ…?」

ガロアも八歳となり、なんだかんだ自分の食料は自分で確保できるほどに成長し、

自分が高校や大学に通っていたころに読んでいた本の半分を読破するほど勉学の才を見せるようになっていた。

自分はもう人の世に戻るつもりはないが、やはりガロアはちゃんとした機関で教育を受けるべきだと思うようになっていた頃、アジェイの元に一通のメールが届いた。

霞からである。連絡先を貰ってから、自分から必要な事だけを書いたメールを送ることはあっても霞からメールが届くことなどまず無かった。

一体どういう風の吹き回しなのだろう。

 

「…人を無職みたいに言うのか…」

別に仕事をしていないわけでは無い。ロランが頼めば面倒を見てくれるという事もあるし、

何よりも多少ならば留守番させても心配なくなったことが大きい。

そういえばもう8か月くらい霞の所には預けていないのか。

その間全く働いていないとでも思っているのだろうか。

 

「……!!」

 

「…?どうした」

今朝狩った小鹿を捌いていたガロアがいつの間にか後ろからそのメールを見て顔を青ざめさせていた。

 

「……」

アジェイよりもよっぽどその人柄に触れ言葉を投げかけられているガロアには、その短いメールから助けを求める声が聞こえたような気がしたのだ。

何故助けが必要なのかはよく分からないが酷く嫌な予感がしていた。

 

「何?霞のところに行きたい?」

これまた初めての経験である。そっちに行けば行ったで楽しそうだが、

この森で動物に噛みつかれ突き飛ばされながらも狩って生きていく生活がよほど肌に合っているのか、

自分から街へ行きたいと主張したことは無い。

もちろんイクバールに戻って仕事をしようとすればいくらでもあるにはある。

 

「……」

 

「……わかった。行こうか」

ならばバーラッド部隊の様子でも見に行くか。

ロランにバーラッド部隊隊長とリンクスの二足の草鞋を履いたままにさせているのは大変だろうし、

部下のイルビスがそろそろ隊を任せられる器に成長したのではないかと思う頃だ。

その日、アジェイは初めて霞に「メールの返信」をした。

 

 

 

 

玄関に出てきたのがウォーキートーキーだけだからやはりおかしいとは思っていた。

アジェイは特に何も思わずに行ってしまったようだが、ガロアを包む嫌な予感は確信になっていた。

 

「来てくれて…ありがとう…ガロアが…あのメール見て…来たいって言てくれたのでしょう…?」

 

「……!!」

ベッドに横たわり喉と口からチューブを伸ばして弱弱しくこちらに微笑む霞の姿があった。

一気に病気が進行した。

…というよりも四肢の運動神経は既に破壊されており順当に呼吸器へと進行したのである。

取り繕われている四肢と顔の筋肉、舌などは何とか動かせるが嚥下障害が起こって呼吸も困難な状態になっており、

ウォーキートーキーの介護なしでは用を足すこともまともに出来なくなっていた。もうそこには凛とした戦士も美しい女性もなく、消えゆく存在の儚さだけがひたすら現実的だった。

 

「スミカ様、あまり声をお出しにならない方がよろしいかと思いマス」

ウォーキートーキーには声を出さなくても会話を成立させる機能もあり、その言葉は当然の物だ。だが。

 

「人と…お話ししたくて…」

非常にゆっくりとした動きで首がこちらを向く。

弱弱しくも目には正気の光があり、ガロアを愛おしそうに見つめている。

 

「……」

結局霞はアジェイにもガロアにもどうしてリンクスを辞めてどのような病気に罹っているのか説明しなかったが、

その姿は百の言葉よりも雄弁にガロアにその正体を教えた。

 

「ごめんねガ…ロア…おねーさん…寂しくて…」

言葉になりきれなかった空気の流れる音が言葉を擦れさせていくのは痛々しいと言う他ない。

 

「……」

この部屋で、この街で一人、ただゆっくりと身体が蝕まれていくのを見続けるのか。

街にはこんなに人がいるのにどうして誰も訪ねてこないのだろう。

どうして誰も苦しみを分かち合おうとしないのだろう。

 

こんなに集まってもみんな他人か。

そんなの森の中で一人で生きるよりもずっと苦しいではないか。

これでは一人ぼっちなのが際立ってしまうだろう。

 

善など無いのでは?弱きに苦しむ者に救いが差し伸べられない世界なんて。

 

「目も見える…あなたの顔がよく見える…耳も聞こえる…息遣いが…よく聞こえる…なのに…まるで意味がない…私は…」

 

「……」

 

「外には人がたくさんいて…沢山の音がするの…なのに…私の鼓動だけが…」

 

「……」

ガロアの眼には映っていた。

霞を包む命の輝きが霧となり空気に混じって分からなくなっていく様が。

今まで何匹も殺してきた動物たちがその身体から急速に解き放っていく様にも似ていて。

ようやく理解した。あの悪寒。この人はもうすぐ世界に戻るのだと。砂となり空気となり水となる。

霞スミカと言う意思を取り巻く物質が解放されていくのだ。

 

「死の足音が聞こえるよ…ガロア…」

自分の何倍も生きているはずの大人の目から零れた透明な涙はガロアの心に正体不明の震えを与えてくる。。

 

「……!」

 

「怖い…!怖いよ…」

枕を濡らす涙は川のようにさらさらと流れて染み込んでいく。命そのものである『流れ』が外に少しずつ出て行っているかのようだった。

今は自分が見ている。

けれどその濡れた涙を感じるのも動かない身体を持った自分一人だとしたらそれは恐ろしい孤独だろう。

 

「……」

どうして自分に言葉は無いのだろう。話したいと言われても話せない。

ただ投げかけられる言葉に反応するだけ。

口をぱくぱくと動かしても喉は震えない。

今の自分の気持ちを、考えを、思いを伝えられたら。そう思うことは数えきれないくらいあってどこから後悔すればいいのかも分からなかった。

 

「泣かないで…ガロア…私は…弱い大人だね…」

止まることなく霞の目から涙は溢れていくが、灰色の眼から涙を零すガロアを見て後ろ向きだった霞の気分が少しだけまともになってきた。

人の為に泣いてくれる人が生まれる。そんな世界で生きていた。ただそれだけで、人の為に戦った価値はあったと。

 

「……、…」

別に自分自身が弱っているわけでは無いのに、何故か覚束ない足をふらつかせながら霞の元に歩み寄る。

手で頬に触れると既にかなり冷たい。もう…自分が殺してきた動物達と同じ感触がするのが嫌だった。

骨ばった霞の手がそっと重ねられたのが更にガロアの心に突き刺さった。あんなに元気で美しかった人が、どうして、と。

 

「私ね、昔…弟がい、たの」

 

「……」

その手を振り払って何か紙に書いてしまいたかった。もう喋るなと。

一言ずつ、命が漏れだしていくのがガロアには分かるのだ。ウォーキートーキーはカメラアイを明滅させながら沈黙していた。

 

「だから、…お願い、そばに…いて」

 

「……」

ガロアはぼんやりと思考が上手くまとまらない頭をなんとか縦に振っていた。

 

アジェイの教えたこの世の絶対の真理。

生きている者は死ぬ。

だがガロアの中にはもう一つの真理が出来ていた。

 

死んだ者は戻らない。

 

殺した動物も切り倒した木も死んだ人も永遠に「それ」に戻ることは無く、世界へと還る。

アジェイは家族を切り捨て友人をほとんど作ることもせず、この年まで生きていたためその事実を重要視してはいなかったが、

どうしてかガロアの心にはその事実がしかと刻まれていた。

あるいは感受性の特別高い子供だったのかもしれない。

 

「……」

この人はもうすぐこの世界からいなくなる。

その後に残るのは霞スミカという人を作っていたただの物質。

永遠に戻ってくることは無い。

 

 

10日後、ガロアを連れに戻ったアジェイはその時初めて霞が重大な病に侵されている事を知った。

 

「霞………?なんだそれは…………」

ベッドの上から動かず、いくつものチューブに繋がれた霞、そばで座るガロア。

予想だにしていなかった光景だった。

 

「聞くのが……遅すぎる…のよ……」

 

「……」

 

「サーダナ…ありがとう…あの時…あなたが押しかけてこなかったら…私は…」

 

「……礼を言われるような事は何もしていない」

まさかまさかのお礼を言われて背を向ける。

礼を言うべきなのは自分の方だと言うのに、どうしてこうも捻くれてしまっているのだろうか。

 

「……」

そしてどうして自分のような者のそばにいてガロアは捻くれずに育ってくれているのだろうか。

思うに自分なんかよりも余程人間として出来ている霞からの教えが大きかったのではないだろうか。

 

「行くのね…ガロア…」

 

「……」

 

「ありがとう…」

 

「……」

引き留めないのは強がりも多少はあるのだろう。

だが、きっとずっと傍にいられて弱っていく姿を見られるのも同様に辛いのだろう。

見られていては安らかに眠ることも出来ない。

人としての最後の矜持を持たせなければならない。

これ以上傍にいてやりたいと思うのはきっと自分のわがままなのだ。

ガロアは後ろ髪を引かれる気持ちに踏ん切りをつけて椅子から立つ。

 

「お帰りデスか、ガロア様。寂しいデス。と言ってもコレはそういう反応に対してはこう言う感情を示せというプログラム、つまり哲学的ゾンビ的な…」

 

「世話になった、霞」

 

「……」

 

「いいの…また…いつでも来ていいから…」

 

「……」

無理だ。恐らく次にここに来るような時期にはこの人はこの世界から去っている。

きっとこの姿が最後に自分が見るこの人の姿になる。その後は悠久の別れになる。

自分の身体が朽ち果てて、自分だった何かだけになっても会えるかどうか。

 

「さようなら、ガロア」

 

「……」

 

10日間もそばにいて、結局自分は身の周りの小さな世話と話を聞くくらいしか出来なかった。

後はしんしんと泣く霞に合わせて涙を零すくらいだった。その間、一度でも霞の調子がよくなったことはなかった。

 

人は死ぬ。自分は何も出来ない。何も言えない。

 

どうして自分には言葉がないの、と誰かに尋ねるのも無駄なことだというのは分かっていた。

 

 

 

これは当たり前のことなんだ。自分はいつもやっている。

だから、そんなことに一々心を壊されていたらきっと持たないから、感情を動かさないようにしよう。

幼心にガロアはそう自分に言い聞かせていた。




霞スミカ

身長175cm 体重63kg


出身 イタリア

ごく平凡な家で8つ下の弟と父母、そしてその祖父母と暮らしていたが10歳のある日、お使いから帰ってくるとそこには家がなかった。
とある宗教の一部の過激派が正当な復讐を理由に起こした無差別テロに巻き込まれたのだった。
すでに大企業として成長したオーメルの経済搾取から起こる貧困に対する抗議ということだったが、
何故それが自分の家が巻き込まれる理由になったのか。そこにはどれだけ聞いても納得の行く理由など無いのだろう。
怒りと悲しみに囚われながら児童養護施設で過ごし、いつか力を付けて腐敗したテロ組織を消滅させることを誓ったが、
あるとき憎んだテロリストにも家族がいてここでテロリストを殲滅すれば結局自分も憎まれる存在になるということを知った。
人を殺すという事はこの世で最も取り返しのつかないことなのだ。そして霞は不殺で平和を目指すという最も困難な道を選んだ。
殺さない方が余程難しいという事が自分の怒りからも分かる彼女はその全てを訓練に打ち込んだ。
誰よりも力を付けた上に、その人格と考えの全てが人の尊敬を集めたが彼女には親しい友も恋人も存在しなかった。
そんなものを作る余裕がなかったし、作ろうとしてももう彼女を子供の頃のように色眼鏡なしで見る人間はいなかった。
歩もうとした道は違えど、結局彼女も力に全てを捧げたのちのガロアと同じだった。
欲した力も失い、自分の手に何も残らず身体も命も失われていくのみだった時に偶然来たガロアは何よりも救いだったに違いない。
あるいは昔に亡くなった弟にその姿を重ねていたのかもしれない。
才色兼備の霞に対し人々は称賛を惜しまず名誉も地位もあったがその人生は恵まれていたのかは疑問が残る。
霞スミカという名前はもちろん偽名で彼女の父方の先祖が過去に日本の霞町、現在で言うところの麻布に住んでいたという話から付けたものである。


自分が病気でなかったらガロアを引きとってしまいたいとさえ思っていたが、病気でなかったらそもそもそんなことも出来ないことは分かっている。
また、ガロアを手放したくない一方で街で普通に生活させた方がいいと考えているサーダナにも気が付いていたがやはり何も言えなかった。



そんなに美人なら、そんなに才能に溢れているなら、殺人兵器じゃなくてもやることあったんじゃないの。
そう誰もが思うような美人で優れた人格の人をあえて戦いのみに没頭させて悲壮感を出しました。

ネクストに乗って誰も殺さないというのは途轍もなく難しい挑戦です。
その意気は良かったのですが…


趣味
つまみながら酒を飲むこと
くたくたに疲れた夜にお気に入りの映画を見ること

好きなもの
ブラックコーヒー
チップチューンの曲







人は人を助けない。
人は死ぬ。
動物と同じで特別なんかじゃない。

大切な人すらもゆっくりと消えていく様を見てガロアの中にこの世界の残酷さがたっぷりと刻まれてしまいました。


素晴らしいリンクスだとしても人間なんですね。
壊れてしまいます。


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___サーダナも…いつかはいなくなる…だから、ウォーキートーキー…___

 

___ハイ、スミカ様___

 

__私に光をくれた…あの子を…守ってあげて…__

 

__了解デス__

 

 

 

 

ガロアも9歳になった。今年で10歳になる。

つまりもう拾って9年になるわけだ。

自分も年をとるわけだな、と45歳、立派な中年となったアジェイはナイフを研ぐガロアを見ながら岩の上に座って感慨深げに息を吐いた。

 

懸念が何度も何度もアジェイの頭を巡る。

かつて伝説のレイヴンとまで恐れられノーマルに乗りながら旧国家側で何年も戦い何機ものネクストを叩き伏せてきた男が生きておりリンクスになった。

アジェイには先見の明があった。

その男、金の為に依頼を受けて昨日の味方すらも殺しており、その腕も超一級。

このまま行けばいずれ世界を巻き込むような戦争が起きる。ただの戦争ならばまだいいが、ネクストはコジマ粒子を巻き散らかす動く汚染源であり、

そんなものが主役になって暴れ回ればどうなるかなんてことは実に分かりやすい。地球が壊れてしまうだろう。

そんなことは誰だって分かっているのかもしれないがあちらがネクストを使うのならばこちらも使わざるを得ない。

汚染でいずれ死ぬにしても、今日死ぬのは誰だって嫌なのだから仕方がないと言えば仕方がない。

 

「……」

ネクストが格納してある倉庫の方を何となく見つめる。

誰もいない場所に身を隠すか重たく冷たい武装に身を包むことでしかリンクスはその身を守れない。

唯一の友、ロランは住処を襲撃(恐らくはネクストによって)されその姿を消してしまった。

いずれこの場所もネクストに襲撃されるのだろうか。

それとも汚染が届くのが先か。

ナイフを砥いでいるガロアの顔は平和そのもので、そんな未来を考えるのは馬鹿馬鹿しいことなのかもしれないが。

 

「……?」

寒風に震えながら倉庫のある南の空を見つめていると何か輝く物がこちらに向かってきているのを見つけた。

 

「まさか…」

まさかもう来たというのか。

噂をすれば影、とは言うがただ考えただけなのに。

 

「くっ!」

最悪だ。

ネクストのある倉庫の方から飛んできている。

そちらに走っても100%見つかる。

 

「いや、もう見つかって…………?…なんだ…?」

ネクスト…いや、ノーマルにしては随分小さい。

速度もACとは思えない。

 

「……!」

 

「どうした?」

ガロアも空の彼方に浮かぶ光に気づいていたが、光の中の物体が点となって見えた瞬間にその形が分かったらしい。

 

「……」

 

「なんなんだ?」

敵ではないらしい。

ガロアは大きさ的に敵わない動物や肉食動物を見つけたら一目散に逃げる。

そしてその見つける速さときたら森で長い事暮らすアジェイよりも余程速い。

視力検査をしたことは無いが、恐らく桁外れの視力を持っているのだろう。

 

「…………?」

 

「……なんだあれは…」

ロボットだった。

青と白が基調の…戦闘を意識した。

 

「……」

赤い目がこちらを捉えたが逃げるべきか撃つべきか。

戦闘を意識した形にしては小さすぎる気がする。

 

(なんだこれは…)

流線型の動きを意識した、ネクストにも似た造形のロボットが雪を溶かしながら自分とガロアの眼の前に着陸した。

武器は手にしていない…が、明らかに戦闘用の形ではないか。

手にしたショットガンで仕留められるだろうか。

それよりも背中に結んである唐草模様の風呂敷の方が気になる。

何が何の目的でここに来たのかがわからない。

分からないことの方が多くてどうしていいのかわからない。

 

「は?」

ガシャン、と音を立てていきなり頭がコアの内部に引っ込んでいった。

 

ガシャン!ガシャン!

 

「!?」

腕脚頭全てがコアに引っ込んでいき、最後は戦闘向きの形に見えたコアまでもが四角い箱になってしまった。

なんだか見た事がある様な形になっていく。

 

「フゥ、空の長旅は疲れマシタ。もちろんロボットなので疲れなどアリマセンがこう言うようにプログラムされていマス」

 

(やっぱりこいつかぁあーーーー!!!)

 

「コーヒーいただけマスカ?冗談デス」

 

「……」

 

(明らかに体積以上の物が引っ込んでいった…)

 

「ワタクシの食事はこれデス」

風呂敷を紐解き中からどさりと何かを乗せる台のような物が落ちた。

 

「…?…??」

 

(いや…そんなことより…何故この場所が分かった!?企業の襲撃か!?)

 

「この上に乗るだけで充電デキマス!便利デスネ!」

 

「……」

研いでいる途中のナイフを持ったままただ茫然としているガロアの前でしゃべり倒しているポンコツロボット。

企業の差し金にしても間抜けすぎる。百歩譲ってそうだとしても、いきなりネクストで襲撃をした方がいいに決まってる。

 

「お前…」

 

「何デスカ?」

 

「何しに来た?」

なんだか霞の所に初めて押しかけたときに同じやり取りをした気がする。

ああ、こんな気分だったのか。なんてのんきなことを考えていたのは後になって思えば間抜けだった。

 

 

 

 

「The end of energy.スミカ様が機能停止シマシタ」

 

「……」

 

「…!そうか…」

唐突に死の報せが届いた。

覚悟をしていたのだろうか、ガロアは驚いたりはしなかったが一瞬だけ髪が逆立った。

だがそんなガロアもナイフを見ているうちに治まっていった。

 

「…逝ったか…霞…」

少々驚いたが困惑はしない。

死なんてそんなものだ。あっけない。自分達が毎日していることだし、仮にも戦争屋だったのだから、なんでどうしてと喚いたりはしない。

きっと墓は無いだろう。研究対象として死んだ後も切り刻まれてホルマリン漬けといったところか。

ちゃんとした礼すら言えなかった。だが正直なところ、あまり感想は無い。悲しんでも悲しまなくても人は死ぬし、強くても美しくてもリンクスでも霞は人だった。それだけだ。

やはり礼くらいは言いたかった、と少しだけ後悔はしている。

まぁ…自分の事はいい。自分がまともな人としての感性を持っていないなんてことはとっくの昔に自覚している。

 

「……」

 

(子供はこういう時…泣くものではないのか)

ガロアは瞼を薄く開いて灰色の眼でナイフを見つめている。

その眼に悲しみや悔いは浮かんでおらずただ灰色だ。

厳しい自然の中で常に死と隣り合ってきたからなのだろうか。

それともあの10日間で心にケリをつけることが出来たのだろうか。

 

(何て眼だ…本当の本当に人の中以外で成長した人間というのはこういう眼をするのか…?)

アジェイは人の中で生まれ人の中で育ち、人から逃げた。自分というピースが世間のパズルにかみ合わないとよく分かったからだ。

ガロアの知る人間は三人しかいない。自分、霞、ロランだけだ。その一人が完全にこの世界から消えたという事を理解しているのだろうか。少ない分喪失は大きいはずなのに。

ガロアは感情の起伏が少ない。物心ついた頃から笑うにせよ泣くにせよ、腕を上げて喜ぶことも無く、悲しみに暮れて暴れることも無い。

赤ん坊の頃はとても感情豊かだったのに、環境のせいだろうか。

 

何度も何度も繰り返し思うことだ。自分はガロアを拾って育ててよかった。それは間違いない。だがガロアは自分に育てられて本当によかったのだろうかと。

純粋だとは思う。ただ、完全に純粋な水が人体にとって有毒なように、その最初から変わらない透明さが本当に少しだけ恐ろしいこともある。

自分の汚れた部分が浮き彫りにされるような怖さ、いずれこの純粋も汚れていくのかという想像の恐怖。

 

「……」

 

「ハイ。それだけではアリマセン」

 

「…?」

ぱくぱくとガロアが口を動かすと空の彼方から突然やってきた機械はさも当然のように反応を返す。

どういうことなのか。

 

「スミカ様からの最後の命令デス」

 

「…?」

 

(ガロアの言いたいことがわかるのか?ポンコツだと思ったが随分高性能な…)

目の前のやりとり一回だけで気が付いたアジェイは流石だが、今更気が付くのは遅すぎると言わざるを得ない。

 

「今日からガロア様がワタクシのご主人デス」

 

「……」

 

「………霞が?」

待て待て、と言いそうなのをガロアの手前ぐっと抑える。

つまりさっき風呂敷から出てきた充電器はあの家にこのクソやかましい機械も入れろという事なのか。

 

「そうデス。ガロア様を守れ、というご命令デス」

 

「…!」

 

「突然来て何を…」

 

「サーダナ様もいつかは機能停止シマス」

 

「……は…」

先ほどの懸念が形となって言葉を発しているようだった。

殺されるかもしれない。動物に襲われて動けなくなるかもしれない。何よりも、若くない。

ガロアをいずれ普通にコロニーに住ませて普通に学校に行かせるためには働かねばならず、

ネクストに乗って戦う以外にそんな金を稼ぐ方法を知らない。

 

「ワタクシは自分で自分を直せマス。シカシ人は機能停止したら終わりデス」

 

「……」

 

(ガロア…お前は何を考えている?)

ナイフに映る瞳が一瞬だけ揺れたのをサーダナは見逃さなかった。

自分はガロアによく語りかけていると思う。だがやはり、仕方のない事だなのだが、ガロアが自分の心の内をさらけ出して教えてくれることはほとんど無い。

なまじ賢いが故に何かを感じても内側で処理してしまうのだろう。

 

「スミカ様は言いマシタ」

 

「……」

 

「ガロア様は私に光をくれたト。だからお守りするのデス」

 

「……、…」

 

(ガロア…)

ようやく一滴だけ、ガロアの眼から涙が零れたのをアジェイは見逃さなかったが気づいていないフリをした。

きっとあれは十分理解して当然だと思っていることをそれでも受け入れきれない涙なのだろう。

だが身近な人間が死んだ経験が、悲しんだ経験が無いアジェイにはどう声をかけるべきか分からなかった。

 

 

 

ガロアが寝静まった夜、アジェイはガロアがいなかったころからそうしていたように川べりの岩に膝を抱えて座っていた。

長くなった髭をナイフで剃り落しながら川の音を聞く。この場所に来た時から何一つ変わらないと言うのに、自分は随分と変わった。

嫌いで仕方なかった人間に気が付けばなっていて、しかもそれを喜んでいる自分がいる。そんな自分を霞は笑っているのだろうか。

 

 

「……」

善悪を決めれば歪みが生まれる。

歪みが生まれれば憎しみが作られる。

 

(私は…それでも善悪を決めずにはいられない人間が怖くて怖くて…捨ててきたんだ…)

何よりもその理由が分からなかった。善だ悪だと飽きもせずに何千年も言い続ける人間。

だが、ようやく分かった。その原因はどうやら愛と呼ばれる物にあるらしい。

昔読んだ哲学者の著書の『愛からなされることは、いつも善悪の彼岸におこる』という一節を今、真に理解する。

例えば今ガロアに刃を突きつける者がいたら、その者を憎まずにはいられず、悪だと断じるのは間違いない。

例えどんな理由…それこそガロアの両親に恨みを持つ者が殺しに来たとしても、どんなに正当な理由を主張したとしても絶対に自分は許さないだろう。

ガロアを愛するが故に。

 

(お前は…優しい子だ…それに賢い…。光…か。霞…よく分かる…)

弱る霞の心を見抜いた聡さ、ただ傍にいようとした優しさ。

そんなガロアが理不尽に死ぬなんて事が許されてたまるか。

あの子がいなくなれば今度こそ自分は人間ではなくなる。

 

(黒い鳥…伝説のレイヴン…マグナス・バッティ・カーチスか…)

暴れ続けるその男は既に何人ものリンクスを殺害しており、かつて自分が対峙してとうとう殺すことが出来なかったアマジーグすらも屠ったと聞く。

このままいけば自分がかつて望んだように世界を巻き込む戦争が起きて汚染が加速度的に進んで世界は砂に包まれて終わりを迎えるだろう。

 

(ただここで震えていては…ガロアはいずれ汚染で死んでしまう…私はそれより早く寿命が来るかもしれん。だがガロア…お前は生きるべきなんだ)

もうガロアは自分がいなくても生きていける。

あの機械が言う通り、自分が死んで朽ち果ててもガロアを守り続けるだろう。

しかし汚染からは守れない。ある日やってくるコジマ汚染はガロアの未来を緩やかに鎖すだろう。ただでさえ既にいくらか汚染されてしまっているというのに。

 

このままここでガロアが成長していくのを見守る未来という想像は耐えがたい誘惑の手をアジェイに伸ばす。

だが、いざ汚染や戦火がここまで届いた時、自分はどうするのだろうか。

ただ悔いるのだろう。何故戦って止めようとしなかったのか、と。

 

 

嫌なら逃げだしてしまえ、という考えは大切な者がいるとき、一番あり得ない選択肢となる。

 

 

「……」

気が付けば、今日はそこまで寒くも無いのに歯の根が合わぬ程ガタガタと震えている。

そんな未来は許さない。なんとしても止めなければならない。他の誰でもなく、今、力を持つ自分が。

 

(そうか…私は…そのためにリンクスになったのか…)

AMS適性を当然の物として疑問にも思っていなかった。何故自分はリンクスという存在なのか…突き詰めていけば、何故生きているのか。

この力でガロアを守るため。本当はそうでないとしても、そうだと信じたい。そうであるのならば自分は…リンクスでよかった。

 

(今の私にとってはお前が全てだ…ガロア…正義でも悪でも構わん。私はお前を守る)

勝つのだ。正義でなくて構わないとするのならば、卑怯でもなんでもいいからどんな手段を使ってでも叩き潰す。

 

(数だ。数で潰す。だが…誰が私のサポートになる?ベルリオーズか?ダメだ、あの男は勝てる戦いしかしない。何よりも敵対的な私を信用するとは思えない。…アンジェか?いや、それも有り得ん。

奴は単独行動しかしない…最悪お互いの足を引っぱり合うことになりかねん。それにあの女は一度…)

 

(結局…バーラッド部隊か。ならばプライマルアーマーが使えない状況で襲撃をするか…。ノーマルに乗ったままオルレアと相打つような化け物だ。それでも五分とはいかぬか…)

最初は何かの冗談なのではないかと思えた、アンジェの駆るオルレアがただのノーマルに撃破されたという噂。

よくよく調べていけばあの伝説のレイヴンが相手だと言うではないか。そんな相手に策をいくら弄したところで虚しく響く。

戦闘スタイルの違いで戦果的にNo.3に落ち着いているが、自分の見立てでは奴は単騎ではベルリオーズよりも強かったように感じた。

出来ることなら今までのように戦いから生きて帰ってまたガロアの成長を見守りながら一緒に暮らしたい。

だが、万が一…いや、順当に考えて死ぬかもしれない。ならばその時のことを考えてするべきなのは。

 

(やはり…ロランを探して連絡を取る。あいつは恐らく裏世界に潜んでいるだけで、生きているだろう。共闘は出来ぬかもしれん。だが…)

きっとこのミッションの報酬は高くなる。そして…恐らくその危険性を考慮して少なくとも半分は前金で受け取れるだろう。

その金を全て使えば…例え自分がどうなったとしてもガロアはコロニーの寮に入ってまともに学生として生きていけるはずだ。

例えガロアの両親や自分自身は救いようのない咎人だとしても、ガロアは何の罪もない子供なのだ。

共闘はしてくれなくてもいい。ガロアを育てろとも言わない。ただ、自分が戻ってこれなかったときにその金をガロアの為に正しく使ってくれる人間が必要だった。

 

 

運命の日、9月7日。

アジェイは戦う覚悟を決めてから以降半年の間も努めて普通に過ごしていた。

全ての準備は整った。後はもうこの家を出るのみだった。

 

「こうして巨大な文明は大河の傍に出来上がっていったのデス!ハイ、よーく覚えておいてクダサイ!先生は厳しくいきマス!そういう風にプログラムされているのデス!!」

 

「……」

 

(なんだかんだ…私といるよりも余程教育にいい)

ウォーキートーキーと呼ばれた機械は料理をして洗濯をし、教育までもしっかりとガロアにしてくれている。

頭が痛くなるほど喧しいという点を除けば、ガロアの話し相手にもなってくれているようなので霞があの機械をよこしてくれてよかった。

 

(……私に戦えと。そういうことだったのかもしれんな…)

キャーキャー騒ぐウォーキートーキーに暖炉の前の椅子に座り少々気怠そうな眼を向けるガロアを見て少しだけ笑う。

この子が来なければ一生使うことの無かったであろうほうれい線周りの筋肉をさする。

もう何も思い残すことは無い。可能ならばまた戻ってくる。ただそれだけだ。戻って来たら、また一緒に静かに暮らしてガロアが大人になっていくのを見よう。

 

「さて…そろそろだ」

いつものように立ち、いつものように荷物を持ち、いつものように玄関に向かう。

暖炉の前の二人(?)に背を向けてアジェイは最後にもう一度笑った。

 

 

 

「……」

なぜか、ガロアは歩いてゆくアジェイの裾をぐいっと掴んでいた。

 

「……」

 

「ガロア?」

 

「……」

いつもと同じ背中だった。

その姿を見て咄嗟に裾を掴んだのはどうしてだろうか。

 

「ガロア様?どうしたのデス?」

 

「……」

 

「行ってくる」

 

「…、……」

伸び始めた癖のある赤毛がぼさぼさと生えたガロアの頭を撫でて再び背を向けるアジェイ。

 

「……」

きょとんとしているガロアはその背に何かを思い出そうとしていたが結局何も思い出せない。

何かをウォーキートーキーに話して伝えてもらうかとも思ったが何も思いつかない。

結局そのままアジェイは振り返ることなく出て行ってしまった。

 

最後の背中、最後の言葉。

 

 

あんまりにも滑らかに流れていったそれは、ガロアの頭に、心にどんな記憶よりも深く食い込んでいた。




アジェイ・ガーレ  (サーダナ)

身長 189cm  体重 71kg

出身 ネパール

この世の何もかもが信じられないおじさん。
作中の登場人物の中でもかなり有能かつ優秀だといえる人物だが人を信じるという当たり前のことがどうしても出来ずに内心常に周りに怯えていた。

ガロアを拾い育てたことでかろうじて人間らしい信じる心を取り戻したが、本人なりに必死になってもやっぱり人とは噛みあわず、自分勝手だと思われていたりなどと、やはり根本的に人としてのバランスを著しく欠いていたのだろう。作中で描写されている通り、霞に感謝していたりロランを友と思ってはいるが基本的に自己完結しているアジェイの世界は彼らがどうなってもあまり感想を抱かなかったことからもそのことが分かる。彼の関心はガロアに愛情を注ぐことしか無かった。しかしその深い愛情はガロアにもしっかり伝わっており、ガロアも真っ直ぐに愛を返してくれているが、後々にそれがガロアの人生を強烈に縛る鎖となる。

もう少しだけアジェイが人間として成熟して人に弱みを見せられる強さがあったのなら、彼がガロアを失うのが何よりも嫌だと考えていたのと同じく、ガロアもアジェイがいなくなるのが何よりも嫌だと、全く同じことを考えていたはずだということに気が付けただろう。
結果として、自分にとって大切なものが次々と消えていったガロアは次第に壊れていくことになる。

自分と一緒に過ごさなければガロアはもっと感情豊かな子になっていたのではと思っていた。
実はそれは間違っていない…が、アジェイが拾っていなければガロアは死んでいたので無駄な仮定である。


趣味
瞑想
武器の手入れ

好きなもの
紅茶
川のせせらぎ






心を動かさないように、って言っても幼い子供だから無理です。結局泣いてしまいました。
で、また大切な人が消えていくと。


サーダナが受けたミッションは、前金だけでもただの子供が大人に成長するまでに十分なお金でした。
それがガロアに直接行くようにしても意味がありませんでした。子供の上ガロアはお金の使い方を知らなかったからです。
必要なのはそのお金をちゃんとガロアの為に使ってくれる人でした。しかし…


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Everthing Fades

「おめでとう、メルツェル」

 

「はっ。ありがとうございます」

カナダ最南端の都市、サレーにあるレイレナードのコロニーで一人の優秀なリンクスが誕生した。

 

国家解体戦争で亡くなったのは実は軍関係者よりも非戦闘員の方が多いというのは企業が絶対に語らない事実の一つであろう。

比較的社会福祉が完成されているこのコロニーでは国家解体戦争で家族を失くした子供を引き取る施設があった。

 

すなわち軍の幼年学校である。CE1年時、まだ0歳だった少年は戸籍からメルツェルという名を含む本名全てが分かっていたがその姓は教えられることは無かった。

万が一にも自分のルーツを探って反逆の意志を作らない為である。

 

元々優秀な頭脳を持ち合わせており、手先も器用で座学の教師などからは将来は前線よりも技巧や作戦指揮に行くべきだと言われていた。

また、チェスや東洋の将棋に深い造詣があり、彼が11歳になる頃には教官ですらも敵わなくなっていた。

 

誰もが、いや、メルツェル本人ですらも前線には行かないだろうと思っていた筈が12歳の頃にやや少ないながらもAMS適性があると判明。

無論リンクスの存在は貴重だが、レイレナードはリンクスも多く、メルツェルの場合ならばそれ以外の道はあると説明がされたが、

数値となって表れた自分の才能を見て輝く目には最早リンクスになる以外の道は映っていなかった。

 

「君は何のために…リンクスに?」

 

「はっ。天から授かったこの力で世界を正しい方向へ導くためです」

海藻のようにうねる黒髪はラテン系の色が濃い顔にあまり似合ってはいないが、眼鏡の向こうに輝く目がそんな不調を全て吹き飛ばしている。

 

「……」

歴史と戦術を担当してたその男は6歳のころから9年間、この少年、メルツェルが育っていくのを見た。

少々甘いところもあるし、リンクスとしての才能は乏しいがそれでもまっすぐ正義感の強い少年に育った。

だからこそ前線は向かないと今でも思う。戦場で生き残るのは図抜けて強い者か卑怯者と臆病者だけだ。

中途半端に勇気だけある者は真っ先に死んでいく。

挫折を知らない目。輝く将来に一つの疑問も抱いていない。

 

「そうか…」

 

「?」

今回この幼年学校からリンクスになったのはメルツェルだけだがもう一人、別の場所で彼が担当したリンクスがいる。

あくまで勉強面しか見ていないその子供は完全にリンクスになるためだけに生まれ、世間が見れば虐待だとしか言えない程辛い訓練に身を投じている。

それもその子の意志は関係なく、ただその子供がそういう風に生まれたからというだけでだ。自分では何を思っても変えられない。その勇気がない。

その子供の前にある袋小路をどうにかすることも出来ないし、する気も起きない。立ち向かうには大きすぎる。ただ、出来るのならその子供にせめて…

 

「メルツェル…これをやろう」

 

「これはなんですか、教官殿」

教官と呼ばれた男は首から下げていた銀製と思われる丸いペンダントを渡す。

高価そうではあるが、何故これを今自分に渡そうとしたのかメルツェルにはよく分からなかった。

 

「明日から…お前は北西にあるレイレナードの基地に行くな?」

 

「はい」

 

「そこで暫く訓練を積んだ後いよいよリンクスとして戦う訳だ。お前はそこでテルミドールという名の者に会うだろう」

 

「?はい」

 

「そのペンダントをテルミドールに渡してくれ。もしいらないと言えば、受け取るまで付きまとえ。可能ならば受け取った後もだ」

 

(付きまとえって…?)

 

「よいな」

 

「はっ(よく分からんけど適当に返事しておくか)」

 

 

その頃、カナダにある巨大な湖、グレートスレーブ湖にほど近い街・イエローナイフのレイレナードが所有するリンクス養成所で、真改はオーロラが浮かぶ夜空の下、

父がアンジェへ、アンジェが自分へと渡した日本刀・木洩れ日丸を眺めていた。

 

(アンジェ…バカな…)

誰に告げることも無く、突然の単独行動を起こしたアンジェ。だがそんなアンジェを追う追撃部隊が発見したのは、レイレナードの廃工場でバラバラに刻まれたオルレアとアンジェの死体だった。

レイレナードはその事実を隠ぺいしようとしたが隠し通せるものではなく、人と交わらない真改の耳にもしっかりと入ってきた。

犯人は傭兵と言いながらも明らかにレイレナードに敵対的な行動をとり続けるリンクス、マグナス・バッティ・カーチスだと言う。

近々その男を誘い出すためにベルリオーズを中心とした大規模作戦が展開されるらしい。

その作戦に入れてくれと嘆願したがテストパイロットの自分の話を真に受けることなんかあるはずも無くあえなく却下された。

 

(幸せだったのか…?アンジェ…)

死体は回収されたがそれが父・竹光の元に戻ることは無い。

肉の一片に至るまで切り刻まれリンクスという生き物のデータを取られる。

そんな戦って戦って骨も残らない人生が幸せだったのか。

オーロラを受けて妖しく光る木洩れ日丸は何も答えてはくれない。

 

(大体…月光をやると言っておきながら…)

バラバラにされたオルレアからはムーンライトが奪い取られていたらしい。

敵の優れた兵器を奪取するのは当然の事だがそれでも頭にくる。

そしてアンジェが自分にやるといったムーンライトはどうなったのか。まさかレイレナードに「アンジェがくれるって言ったんです本当です」と言いに行くわけにもいくまい。

 

(結局…何も教えてくれないまま死んだな…アンジェ…)

悲しみがあまり多くないのはいずれこうなることが分かっていたからか。

それともこの結末がアンジェの望んだ物だと分かっているからか。

真改には分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も訓練は無かった。連日教官連中は慌ただしく動き回り、こちらの質問には何も答えない。

もう3週間、ただここにいるだけの日々が続いている。アンジェが撃破されたというのが本当ならこの騒ぎも分からなくはないが、それにしたって放っておきっぱなしというのは無いだろう。

テストパイロットや訓練生の根も葉もない噂や考えを聞きすぎてちょっと嫌になったジュリアスは夜風に当たりに外に出た時、真改が既に外で刀を眺めていることに気が付いた。

 

(変人…)

なぜか変わり者の多いリンクス候補生たちの中でもさらに外れた存在で、年も一回り上。

さらにいつも刃物を眺めているとなればその評価も仕方がない事だろう。

 

(男はああなのかと思ったが…あいつだけ違う)

自分の知る男は見栄っ張りでやかましくてそれでいて助平などうしようもない生き物だ。

あの男はそんな自分の知る生き物とは全く違う。

一言で言えば大人げない大人だ。いつも自分の世界に引きこもっている。

 

(ジェラルド…どうしている…)

やっぱり昔からの馴染みのジェラルド・ジェンドリンも見栄っ張りでやかましくて助平だった。

もう半年近くになる。アスピナ機関からレイレナードに来たのは。ジェラルドはローゼンタールに行った。

思えば十年も毎日会っていたジェラルドともう半年も会っていないというのは自分の中で凄く不自然なことだ。

いや、十年も会っていた人物ならば他にも何人もいた筈だが、今になって思い出せるのは全力で感情を表現する事しか知らないイヌっころみたいにこちらに走ってくるジェラルドだけだ。

 

(……いつか私を…)

真っ赤な唇から吐き出された熱い息は白く空気に混ざって消えていった。

 

 

 

 

 

アメリカ・カナダの元国境線だったラインを睨む基地はその日、敵対企業からの攻撃を受けて消滅しようとしていた。

 

「うおわああああああああああ!」

 

「……ついてくるな」

基地を走る二人の男は背は高くともまだ十四と十五の子供である。

ネクストは投入されてないが既に窓からは戦闘機やMT、ノーマルが敵味方相乱れて戦い合う様が見られる。

 

 

「止まれ!」

 

「わあああ!!」

その時、走る二人の少年の前に小銃を構えた男が飛び出してきた。

トリガーガードをすり抜けて引き金に指がかかっているのが見えてメルツェルは悲鳴をあげた。

 

「……」

タァンという音が響き、あっと言う間もなく白い髪をした少年は銃を抜いて男の眉間に穴を空けていた。

 

「死んだ!おい死んだぞ!敵か味方かも分からないのに!」

当然、倒れた男は動く筈もなく、それを見てメルツェルはさらに悲鳴とほとんど変わらない声で非難を叫ぶ。

と、叫び終わる前に胸倉を掴まれて持ち上げられた。

 

「どいつもこいつも…全員敵だ。邪魔をするならお前も殺す」

その顔は酷く歪んでいた。

歯が軋むように噛みしめられ、禍々しい皺を顔に描き、瞳に映る光までもが歪んでいる。

 

「ぐぉっ…げほっ…!」

 

「……」

 

(なんなんだよこいつ…ガキの癖に…)

降ろしたメルツェルを振り返ることもせずに白髪の少年、テルミドールはまた走っていってしまう。

文句を言うよりも早く去ってしまおうとするテルミドールをメルツェルは舌打ちしながら追った。

 

 

 

 

 

『え?あれがテルミドール?』

とりあえず教官から言われたことをしておくか、と首にぶら下げていたペンダントを見て思い、

寮の管理人にテルミドールと言う名の者はこの基地にいるかと尋ねたら面倒くさそうに指をさした先に白髪の少年がいた。

 

『大人だと思っていた…』

通常の兵士がこの年齢でなることは無い。リンクスという物が年齢に関係なく兵器として優秀すぎるだけなのだ。

この寮でもノーマル乗りやただの兵、技術屋などたくさんの人物がいるが皆自分より一回りか二回りは年上だ。

 

『あいつ…』

気にはなっていた。恐らくは自分と同い年くらいのものが何故ここにいるのか、とくればリンクスしかないだろう。

 

 

『おい!おーい!お前!テルミドールだな?』

 

『……』

 

『うっ…』

何て嫌な目だ。

ずっと一人でいるのは自分と同じで大人の中に中々馴染めないからだと思っていたが違う。

自分から人の中にいることを拒んでいるのだ、この少年は。

 

『あ、あのこれをお前に…』

 

『いらん』

 

『あ、おい!待てよ!おい!』

そんなやり取りが一週間以上続いてもこのペンダントを受け取ることは無かった。

だったら捨てちまえこんなもの、とも思ったが尊敬する教官のことも考えるとそれも出来ず、結局言葉通り付きまとうことになった。

 

 

「くあぁ…どうするんだ…」

 

「……」

遠くの山から基地を見るがどうも負けたらしい。いや、あれは降伏したといったところか。

ならばあそこで大人しくしていれば捕虜として殺されることも無かっただろう。

 

「おい…戻ろうぜ…捕虜になってもリンクスなら丁重に扱ってくれるだろう」

 

「間抜け野郎」

 

「は?」

 

「……」

 

「おい!どこ行くんだよこの野郎!」

ぼそっ、と馬鹿にしていった後にこちらを見向きもせずにまたテルミドールはどこかへ歩いていく。

 

「……」

 

「あー!!勝手にしろよ!!」

一端は走って逃げてきたはずの基地へと向かって歩き出した時に首のペンダントがちゃりんと音を立てた。

 

「……」

 

「……」

 

「…くそっ…待てよこの野郎!」

 

「なぜ着いてくる?」

 

「知らねえよ…そんなの…」

 

(そうだよ…捕虜になって…駒として扱われて媚びへつらう…そんな人生なんてクソ食らえだ。せっかくリンクスになったのに。とりあえずこいつは何かアテがありそうだし…着いていくか…)

 

「……」

 

「置いていくなよ」

メルツェルが黙々と考えているとまたテルミドールは先に行ってしまう。

 

「着いて来いなんて言っていないが」

 

「へっ!そうですか!」

 

二人ぼろぼろの世界の上を歩く少年たち。

この先に過酷な運命が待ち受けていることを知るはずもなく、ただ草木生い茂る山道を二人の少年が歩いていく姿は牧歌的な風情があった。

 

 

 

各地のレイレナード及びアクアビットの基地は次々と陥落していった。そしていよいよ世界的急成長を遂げたレイレナードにも最後の日が来る。

レイレナードの本社・エグザウィルが浮かぶグレートスレーブ湖のすぐ近くにあるイエローナイフ基地はエグザウィルを囲む基地で最後に残った基地であり、

この基地が陥落すればエグザウィルまでのネクスト進行ルートが確保される。水上にあるエグザウィルは非常に攻めにくいがネクストならば関係ない。

今日、このイエローナイフ基地は落とされそれが完了すると同時にエグザウィルへの攻撃が開始される予定だった。

 

だが今日も今日とて真改は刀を眺めて一人で黙っていた。

 

「……」

割り当てられた二段ベッドの下のベッドで横になり木洩れ日丸をただ眺める。

アンジェから渡されてからと言うものの刀に語り掛けるのが趣味なのではないかと言う程ずっと刀と対話していた。もちろん何も答は返ってこないが。

 

「……」

ずっと気になっている事がある。ほとんど人間をやめていたアンジェだったが、父が言うにまだ自分の名前も分からない子供だった自分を戦場から助け出したのは他でもないアンジェだったと。

その行動から感じられるひとかけらの人間性。そちらが本性だったのかは分からない。何しろ人間離れしたところばかりが記憶に残っている。

 

 

『戦場でまだガキのお前を抱えて走ったんだ。なぜってそりゃああいつが人間だからだろう』

父の声が頭に浮かんだ。

 

「…分からん」

 

「……」

妖しく光る刀身だけが現実で、頭の中で響く声は全てシャボン玉のように弾けて消えるような儚さがある。

自分は何故アンジェの背中をずっと追い続けているのだろうか。よく考えることだがそこに理論的な回答を用意できることは無い。

ただアンジェを自分の姉だと思っているからだ、と毎回そこに辿り着く。

 

ズズゥン

 

基地全体を揺らすような振動に真改の身体は跳ねた。

恐らくはミサイルが一斉に飛んできたのを撃ち落としでもしているのだろうか。

 

「…来るべき時が来たか…」

アンジェが殺された。ベルリオーズも死んだらしい。もうレイレナードも長くないだろうと自分は思っていたが、他の誰もがそんなことは顔にも出していなかった。

他のどの企業よりも先進的な技術があり、リンクスを抱えるレイレナードが負けるものかと誰もが思っていた。

きっと破竹の勢いで勝ち続けた日本国が戦争に負けた時もこんな雰囲気だったのだろう。

 

「はっ…結局リンクスにもなれずアンジェにも追いつけず…か。真改、似合いだな…」

どこまで行っても中途半端だ、自分は。自嘲気味に笑い、刀を持って真改は走り出した。

 

 

 

 

 

 

どっ、という音を立てて真改の手にした木洩れ日丸の柄が銃を手にした男の喉に当たった。

 

「げぅ…」

 

「……」

敵か味方かも分からないが、とりあえず分かるのはレイレナードはもう終わりだという事。

ここでブルブル震えていてもどういう事になるか分からない。何もかもが中途半端だがせめて自分の運命くらいは自分で決めたいじゃないか。

出会う者達を全て倒しながら真改は脱出を頭に駆けていた。

 

「…!」

駆けだした途端に身体中に穴を空けて死んでいる少年を発見した。会話したことすら無いが確かリンクス候補生の一人だったはずだ。

 

「子供が死ぬ戦争…どこまで行っても世界は変わらん…」

自分がこの年まで生き残れたのだってただ運が良かっただけに…いや。

 

 

 

『戦場でまだガキのお前を抱えて走ったんだ。なぜってそりゃああいつが人間だからだろう』

 

 

 

アンジェが助けていなければ自分はいなかったのだ。それだけが事実だ。

顔を横断する古傷がぴくりと動いた。

それと同時に轟音が響き渡り、天井に大きくひびが入った。ミサイルでも直撃したか、と思いながらなんとなく曲がり角に目をやったその時。

 

 

(あの子供は)

手に拳銃を持ち、落ちてくる天井を絶望的な目で見ている少女が目に入った。

一度だけ話しかけてきたことがあったっけか。

少女の頭の倍ほどの大きさがあるコンクリートが少女に向かって落ちていく。

 

「掴まれ!!」

叫んだのは何年振りだろう。

いや、自分から他人に声をかけたことすらいつぶりなのか分からない。その声は耳に届いているのだろうか。

この手は届くのだろうか。

 

「!!」

少女の大きなネコ目がこちらを見た。

軽い身体だった。思い切り引っ張ったらそれだけでこちらに飛んでくる。

 

「走れ!!」

 

「何故助けた…」

隣で走りながらも捻くれたことを言い始める。

 

「だったら何故手を伸ばした!死ぬなら後で死ね!!」

 

「勝手な事を…!!」

 

 

 

エグザウィル周辺基地への攻撃が開始され、押えこんでいる間に一機のネクストがエグザウィルに攻撃していた。

そしてそれと時を同じくしてアクアビット本社にも白いネクストが攻めてきており、あまりにもあっけなくアクアビットは壊滅した。

というのも、本来ならばアクアビット本社を防衛するはずだったネクスト、シルバーバレットのリンクス・テペス=Vが早々に防衛を放棄して逃走してしまったからである。

 

 

「さーて…死ぬのは嫌で逃げ出したものの…生き残ってどうしたらよいのやら…なんともつまらぬ人生よ…」

アクアビット本社から100kmほど離れた街で瓶ビールからそのまま飲んでいる男こそ、今日アクアビット本社の防衛を任されていたテペス=Vであった。

47歳という年の割には髪には艶があり皺が少ない。背も高く腹も出ていない。大きなサングラスの下の日焼けした肌で揺れる銀色のペンダントが小洒落ている。

 

「顔を変えて美味い物でも食べ歩くかね?」

壊滅したアクアビットの技術屋は生き残るだろうが自分たちリンクスは情報を取るだけ取られてその後は無茶なミッションを受けさせられてゴミのように死んで終わり。

ましてや自分ほど腕も情報も持っているリンクスならば敵が欲しがらない筈がない。同じアクアビットのリンクスのP.ダムは死んだとの話だがそれも怪しいものだ。

情報を絞るだけ絞られて…下手に容姿が良かったせいで変態共のオモチャにされているかもしれない。

 

「ほっ。食べ歩くついでに全世界の女を制覇すると言うのも面白い。…………いや…つまらんなぁ」

支配者たる企業が二つも崩壊したというのに空は依然青いまま。

この地上で這う人間がどうなったって天は変わらずそこにあるだけ。

例えリンクスという国をもひっくり返す化け物になっても空の下、地の上。ああ、つまらない。

まだ半分以上残っている瓶を放り投げてテペスは目的地を決めずに歩き出した。

 

 

 

民衆に語られているリンクス戦争はここでお仕舞。

この後、コロニー・アナトリアをジョシュア・オブライエンがプロトタイプネクストに乗って襲撃するがそれはジョシュアの単独行動として語られており、

リンクス戦争とは切り離されて考えられている。

 

CE15年、11月7日。レイレナード及びアクアビットの壊滅により史上最大の戦争、リンクス戦争は地球全土に消えない汚染という大きな傷痕を残して終了した。

 

11月10日。

真改はこの十年でずいぶんと荒れたカナダの土地をジュリアスを連れて歩いていた。

 

「空腹だ…」

 

「……」

 

「なぁ、腹が減ったんだが。どうすればいいんだ?」

 

「……」

 

(本当になんで私を助けたんだ…)

ジュリアスが肩を落としながら息を吐く。

 

だが真改も真改で頭を悩ませていた。

 

(道半ばだが…道場に戻るしかあるまい…だがこの子供はどうする?)

何回かシュミレーションでぶつかったことがあり、その時の戦績は4勝6敗。一言で言えばジュリアスの方がリンクスとしては強かった。

 

(だが…いくら強くても子供は子供だ…)

正直なところ、足手まといだ。

今この瞬間に命の危機にさらされているという訳でもないのにそう思う。腹は空いているが。

やはりわからない。何故アンジェは一人で歩くことも出来ない自分なんかを抱えて逃げたというのか。

 

『行動に理由を求めすぎるな。自分がこうしたいと思ったらそうしろ』

 

「……」

そんなことを言っていたのはアンジェが15歳の時だったか。

そういえば自分は何をするにしても理由を考えすぎる。でもそれが間違っているとは思えない。何をするにしても理由があった方がいいに決まっている。人間なんだから。

 

 

……オーン

 

そんな事を考えていると唐突に耳に響くイヌ科の動物の遠吠え。

 

「なんだ!?オオカミか!?」

 

「…コヨーテだ」

 

「コヨーテ!?肉食動物の!?クソッ、クソッ」

ジュリアスは大騒ぎして拳銃を構えているが、地球温暖化の影響で出没地域が変わったとはいえコヨーテ自体はあまり人間を襲う生き物ではないし、

大規模な群れで行動することも少ない。

 

「!!」

 

「!!」

大丈夫だろ、多分…と思った瞬間に目を血走らせたコヨーテが5匹飛び出してきた。

 

「こんなところで食われて死ぬなんてごめんだ!来るなら来い!」

 

「…下がっていろ」

 

「うあっ」

 

「……」

拳銃を構え威嚇するジュリアスの首根っこを掴んで自分の後ろに放り投げる。

さて、どうしたものか。人間を襲おうとするなんて相当腹をすかしているのだろうか。だがそれはこちらも同じことだ。

三日前から水しか飲んでいないのだ。

 

「すぅうううう…はぁぁあああ……」

呼吸を整えながら左脚を曲げて右脚を伸ばし、帯刀した木洩れ日丸の鍔に親指をかける。

 

「……」

よだれをダラダラと垂らすコヨーテが一様にたじろいだ。

その直感は正しい。真改の半径4.2mは刃が届く刃圏。そこに入った瞬間に両断するという自信でも気概でもなく、当然のように真改の頭にある想像を感じ取ってコヨーテはさらに一歩引いた。

 

(こちらも餓えている…)

地に跡を残しながら足をすってにじり寄り、一匹のコヨーテが間合いに入った。

真改の細い目がぎゅん、と開かれた瞬間に鋭い音が空を切った。

 

「な…」

 

「……」

鼻先から下腹部まで赤い花が咲く様に斬られたコヨーテは何も理解出来ないままに倒れ、でろりと腸がこぼれた。

 

どちらが狩られる側かを理解したのか、残ったコヨーテは文字通りに尻尾を巻くようにして逃げていった。

 

 

 

 

「食え…」

焚火で良く焼いたコヨーテの肉をジュリアスに差し出す。

この娘だって自分と同じだけ何も食べていないはずだ。

 

「嫌だそんなもの!!マイノリティーには犬肉を食う人種がいると聞いていたが…本当だったんだな!」

 

「なら食うな」

自分だって別に食いたくて犬の肉を食っているわけでは無い。

筋張っていて固くて臭くて美味しくないし、この娘が考えているように自分もこれは人の食い物ではないと思う。

 

ぐぅううぅ

 

「……」

 

「……」

ジュリアスを無視して無視してがつがつと食べているとアニメのように大きな腹の音が夜の道に響き渡った。

 

 

「……」

 

「くそっ…」

結局死ぬほどの空腹に勝てるはずも無く、ジュリアスはプライドを捨てて熱々の犬の肉にかぶりつく。

 

「くそぉ…」

全然美味しくない。なのにこんなにも美味しい。いや、ありがたい。

普段当然のように受け取っていた食事と言う物がこんなにもありがたい物だったとは。

外の世界ではごみを漁って這い回りその日の食事すら危うい人々もいる。

君たちリンクスはその点、恵まれている存在だ、とまだ10歳になる前に言われたことを何となくでしか聞いていなかった。

 

「……」

自分の分は食べ終わったのか、何を言うでもなく小さな黒目で男はこちらを見てくる。

火の影が照らしだす男の顔の傷は相当に古い物だという事が分かる。

 

「お前…お前名前はなんて言うんだ」

 

「……真改」

 

「シン…クァイ?変わった名前だな…。本名を聞いているんだが」

 

「本名だ」

 

「チャイニーズか?いや…そのサムライソード…ジャパニーズか。やはりあの国の人々はソードを持ち歩いているのか」

 

「……」

真改は血だけで言えば日本人だし日本語を話すのに、正しい日本国はどういう姿なのかは実はよく分からない。

物心ついたときにはカナダで育ち、自分が唯一知る日本人が剣術の師範だったため、むしろジュリアスがイメージしている日本像は真改の思う日本像とよく一致していた。

 

(不愛想な男だ…)

だんまりを決め込んだ真改は無視しているのではなく、わからないから答えないだけなのだが、印象は悪い。

 

「年は?」

 

「……」

実は自分の誕生日すら知らない真改はとりあえず26という事になっているがそれもよく分からない。

拾われた時が多分一歳くらいだった、という時点でいろいろ怪しい。

 

(なんだこの男…他人に興味が無いのか…名前すら尋ねてこないとは)

 

「……」

 

「……」

普段は無口なジュリアスと同じで、実際は色々と考えた結果口を開いていないだけなのだが、口もきいていないのにそんなことが分かるわけない。

どうせこの男が火守をしてくれるだろう、とジャケットを枕にしてジュリアスは横になってしまった。

 

 

 

(このまま帰るのか…?折角…首にこんな穴まで空けて…)

木洩れ日丸を抱えたまま首のジャックを触る真改。

何も喋らなくなった娘の首元からも金属製のジャックが何かを答える様に鈍く光っていた。

 

 

 

 

 

「あああ…もう…どうすんだよ…もう…」

 

「……」

コロニーから外れた場所にある、老夫婦が営業する小さなホテルの一室にテルミドールとメルツェルはいた。

オロオロとするメルツェルとは対照的にテルミドールは備え付けのコンピューターを静かにいじっている。

 

「お前も考えろよ、おい!」

 

「なぜ私に付きまとう…?」

 

「俺が金を持っていなかったらオメーは野垂れ死にだよ!ばーか!!」

チラリとうざったそうな顔でメルツェルを見るテルミドールだが、このホテルはメルツェルが借りたものだ。

何て自分勝手な奴だ、クソ野郎、と暗い天井を仰いでからメルツェルはベッドを叩く。

 

「ふん。見ろ」

 

「あ…?」

コンピューターの画面にはニュースサイトが映され、明日の天気と同じ文字サイズでレイレナードとアクアビットが崩壊したことが載っていた。

 

「は…?崩壊…?」

 

「……」

 

「え…?こんなあっけなく…」

 

「私たちリンクスは道具だ。使命を失えばそれで終わりだ」

出会った日から変わらない静かな表情でテルミドールは呟く。

 

「本気か?」

企業が崩壊したのは驚いたが、それ以上に自分を道具だと断じたテルミドールのセリフが引っ掛かる。

 

「これから私たちはどこへ行く?何をする?企業が無ければネクストを動かすことも出来んのだ、私たちは」

 

「本気で言っているのか…?この世に生まれて…道具だと!?道具で終わりだと!?」

 

「私にはそれしかない!!」

 

(なんだ?こいつ…テンションの上下が激しすぎる)

声を荒げたのは自分が先だったが、冷淡な表情から一転顔を真っ赤にして怒り出すテルミドールの姿は、奇妙な違和感がある。

その不安定さは精神に異常を抱えているかのようだった。

 

「お前は人間だろうが。ここまで連綿と紡がれてきた命の果てだろう?道具ってことはねーよ」

 

「私に父さんも母さんもいない!!」

 

「俺だっていないよ」

こんな時代だ、戦争孤児なんてものは別に珍しくもなんともない。

それに冷たい事を言えば、企業としても切り刻んで実験台にするのは身寄りのない子供の方がやりやすいだろう。

 

「違う…いる…いや、いないんだ…違う…」

 

「…?(なんだこいつ…病気か?)」

支離滅裂な事を言いながらコンピューター前の椅子にしがみ付き泣き始めるテルミドールに心底引いているとコンピューターの画面に当然のように表示されていた一文が目に飛びこんだ。

 

 

『歴史研究家の権威ジョバンニ・フレーゲル自殺』

 

 

「なんだって…?」

 

「ぐずっ…」

鼻を啜りながら泣いているテルミドールをどかしてその記事に目を通す。

 

「まさか…自殺なんて…あの人が自殺なんか…」

割と真面目に真っ直ぐとどの教官も慕っていたがその中でも特に尊敬していた歴史・戦術担当の教官の死。メルツェルの首にぶら下がるペンダントも他でもないこの人から貰ったものだ。

レイレナードが負けたから悲観して死んだのか?そんなセンチメンタルな人だったのだろうか。

 

「疑わしきは抹殺…といったところか。歴史の教師だったから…知っていたのだろうな」

訳知り顔で何やら呟くテルミドール。

 

「なんだって?お前、何を知っているんだ?」

当初の目的と大分違ってしまっているが、この少年からその理由とやらを聞きださねばならないとメルツェルは心に固く決める。何よりも普通に気になる。

 

「ふん。お前に教えたところでどうなるというのだ」

 

「かっこつけんなよ老け顔」

 

「老けてない!!」

 

(おっ…こいつ悪口には反応するのか…。煽り耐性が低いんだな)

 

「訂正しろ」

 

「やなこっ…ん?」

狭いホテルの部屋でまたもみ合いへし合いになりそうな空気になった途端、メルツェルの首に下がった銀のペンダントが不思議な光を放ち始めた。

 

 

 

 

 

「ふぁ………?」

酔いつぶれて外で寝ていたテペスはふと目を覚まして立ち小便をしていた。

ちなみに現在の時刻は平日の午前10時、酔っぱらいが外をうろつく時間では決してない。

 

「にゃんだ…?」

首にぶら下げた銀のペンダントがほんわりと輝いている。

ずっと前にアクアビットから受け取った勲章のペンダント。

こんな機能あったっけか、と首から外して手に取るとぱかりと開いた。

 

『CLOSE PLAN

45.659822, -82.957290

 

CE15 12.31』

 

 

「あん……?」

そこに彫られていた文章は一番最後が日付だという事以外一切わからない。

暫く眺めていてもやはりよく分からず、出しっぱなしの×××が秋風にさらされて小さく縮み上がった。

 

 

 

 

 

 

 

『CLOSE PLAN

45.659822, -82.957290

 

CE15 12.31』

 

「なんだこれ?」

メルツェルにはよく分からなかったが、テルミドールはそれを見た瞬間に飛びかかってきた。

 

「寄越せ!!」

 

「ふざけんな!」

元々テルミドールに渡せと言われたものだが、その中身を見た途端に血相を変えて飛びかかってくるとは。

何もかもが意味が分からないが、やはりこの少年は教官の死に繋がる事実を、あるいは吐き気を催すようなこの世の邪悪の存在を知っている。

 

「それは私の物なのだろう!!」

 

「今はもう俺のだ!!」

 

「ふざけるな!」

 

「おーっと…待てよ…待て」

拳を振り上げるテルミドールを諌める。悲しい事に、この少年にはケンカで勝てないことはよく分かった。

かけている眼鏡を今壊されたら直す当てもない。

 

「こいつで決めよう」

サイドテーブルの上で置物と化して埃を被っているチェスを指さす。

 

「ふん。こんな子供の遊びで…」

 

(子供だろうがよ)

そういうメルツェルもまだ世間一般では子供の内に入る。まだ世の中の酸いも甘いも知らない純粋な15歳の少年なのだ。

 

「俺に勝ったらやるよ。ついでに持ち金も全部やる」

 

「ふん」

 

「ただし、俺が勝ったらお前が知っていることを全て教えろ。いいな?」

 

「好奇心は猫を殺すとはよく言ったものだ。どうなっても私は知らんぞ」

 

「おおー、いいともいいとも(こいつ扱いやすっ)」

テルミドールに背を向けて埃だらけのチェス盤に息を吹きかけるメルツェル。

その顔には面白くてたまらないといった風ないびつながらも子供らしい笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

ジェラルドはバカだった。それも飛び切りの。

 

初めて会ったのは五歳の時。

 

最初からリンクスになることが決まっていた存在。

それが私であり、ジェラルドであり、ジョシュア・オブライエンのような先輩リンクス達だった。

 

無論、AMS適性はあるがそれでも戦闘には向かない者もいる中で、特に戦闘の才能とAMS適性に優れた存在が各施設から一か所に集められた。

 

「好きだ!!」

 

「え?」

両方の鼻の穴から水っぱなを垂らしている金髪の同い年くらいの子供が開口一番に叫んだ言葉がそれだった。

 

「好きだ!!うおおおおおおお!好きだ!!君の名前を教えてくれ!!」

 

「え?え?」

研究員の白い服に鼻水をつけながら引きずられていくその姿。

消えるまでずっと好きだ好きだと叫んでいた。

 

ジェラルドはバカだった。

 

結局他のリンクス候補に名前を教えるのが先だった。

 

会うたびに好きだと叫びながら突撃してきた。

言われた回数は真面目に一万回を超えるかもしれない。

 

 

「好きだ!!」

 

「……」

何年も何年も言い続けていた。

そんなことを言いはじめて四年目だったか。目的が変わり始めたのは。

 

「好きだ!!」

 

「だからどうしたいんだ?」

 

「俺のものになってくれ!!」

 

「……」

ジェラルドはバカだった。

 

「言いたいことがよく分からない…」

 

「君が好きだから!!俺のものにしたい!!」

 

「…??人を所有したいのなら…勝てばいい。敗者は勝者の物だ。そう教わっただろう」

 

「よっしゃああああ!!」

と言ったとたんに殴り掛かってきた。ジェラルドはバカだった。

 

「……」

 

「うわあああああ!!痛いよおおおおお!!」

 

「……」

しかも弱かった。

足を引っ掛けて転ばしただけで泣きながら走り去ってしまった。

 

 

でも、その日から毎日好きだと言いながら突っかかって来るようになったっけか。

好きだ好きだと叫びながら拳を振り回して襲い掛かる姿に周りは困惑していた。

 

ネクストのシミュレーションを開始した後も当然のように勝負を挑んできた。

あまり弱くは無かった。

私以外には負けなしだった。というか私が強すぎた。職員は喜んでいた。ジェラルドは鼻水を垂らして泣いていた。

ジェラルドはバカだった。

 

「好きだ!!好きだ!!わあああああああ!!」

 

「なぁ…」

十三歳になってようやく俺の物にしたいだとかの裏の意味も考えるようになっていた。

その意味を考えるとすごく恥ずかしかったのを思い出すだけでも恥ずかしい。

 

「ずっとそうやって言ってるけど…初めて会った時からさ」

 

「そうだ!!ユリー!!君が好きだ!!」

そういえばジェラルドだけだ。私の事をユリーと呼んでいたのは。

懐かしい。そうやって呼ぶどころか、名前を呼び合う様な友すらいなかったもんな、こっちでは。

 

「完全に見た目だけなのか。中身は?」

 

「可愛いから好きだ!!中身なんて見えないから分からん!!」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

ジェラルドはバカだった。

 

「他の女の所に行けよ…お前なら…」

私はへそ曲がりだった。ずっと変わらずにそう言ってくれて嬉しいと、一言いえばよかったのに言うことが出来なかった。

だってそうじゃないか。会った時からずっと言い続けている言葉に今更違う反応をするなんて恥ずかしくて悔しい真似が出来るか?

…こんな中身なんて気に入るはずがないだろうな。いや、それでも見た目がと騒ぐのだろうか。

 

豊穣な麦のような直毛の金髪を伸ばして汚染を逃れた海のような青い目。

私の真っ黒い髪、真っ黒い目とは分かりやすいくらいに真逆で………正直、好みだった。

その金髪を心ゆくまで触ってみたかった。

 

 

「嫌だ、そんなの」

 

「?」

平日の昼間はコロニー・アスピナの普通の学校に通っている。

そこでも普通に他の女性と交わりがあるはずだ。

 

というかそこでも好きだ好きだと叫びながら迫ってくるのはちょっと迷惑だった。

 

「うおおおおおおおおおおお!!絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に嫌だ!!!」

 

「……」

ぶわっ、と花が咲く様に顔中の穴から水分を出した姿をスローモーションで再生できるほどよく覚えている。

 

「だってそしたらユリー!!君も他の男の所に行くかもしれない!!」

 

「…行かないよ」

その時の私の声はあまりにも小さすぎた。

いや、ジェラルドがうるさすぎたんだ。

 

「嫌だあああああああああああああああ!!」

 

「……」

道中にあるもの全てをなぎ倒して走り去っていくあの姿の滑稽さときたら。

それだけで何度もからかいたくなるほどに面白い光景だった。

 

 

 

 

 

「うおおおおおおおお!!うお、うおおおおおお!?うおおおおおおお!!」

 

「……」

当然の事だった。私が一番、ジェラルドが二番ときたら同じ場所に行くはずがない。

顧客へのサービスのバランスを考えればバラバラになるのが当然だ。

 

「うわあああああああ!?ぬっ!?わあああああああああ!!」

 

「……」

その日は好きだとは言わずにずっと泣いていた。

太陽が真上にある前から沈んだ後までずっと隣で泣き叫んでいた。よくもまぁ体内の水分が無くならなかったものだ。

 

「いやあああだああああああああああああああああああ!!」

 

「丁度良く…敵対企業だ。私を倒しに来い、ジェラルド」

 

「うおおおおおおおおお!!君がいなくなるのが!!嫌だ!!俺の物にならないとしても!!俺の傍からいなくなるのが嫌だ!!」

 

「……」

 

「わああああああああああああ!!」

 

「分かった」

 

「びぃいいいいいいいいいいいい!!」

 

「お前が私を倒すまで…私は誰の物にもならない」

私にはその言葉が限界だった。ジェラルドが好きと叫んだ回数が一万回以上あっても私は結局…

いや、でも、ジェラルドだってその言葉で私が何を考えているのか気が付けばよかったんだ。

 

「え?」

 

「それでいいだろう?ほら、夜が明ける…お別れだ」

 

「ユリー…うぅううぅ…」

気が付けば20時間近く泣き叫んでいたジェラルドの傍に私はいた。

自分でも付き合いがいいなと思ったが、勇気がないなとも思っていた。

 

 

 

ジェラルドはバカだった。

私はへそ曲がりだった。

 

 

 

 

 

 

「……?」

パチッという音が聞こえたのはどうやらすぐそばのたき火が弾けた音のようだ。

真改、と名乗った男は刀を抱えまま目を閉じている。寝ているのだろうか。

 

「……」

こっちに来てから半年。気が付けば十六歳になっていた。

ジェラルドの誕生日は…まだ日付が変わっていないのなら明後日のはずだ。ほんの少しの間だけ、ジェラルドより自分は年上だった。

 

「……」

この半年の間、考えているのはジェラルドの事ばかり。

いや、もう心の中でくらいは正直になろう。ずっと前からジェラルドの事ばかり考えている。

 

 

ジェラルドはバカだった

私は…大バカだった。

 

 

 

(中身なんて見えないから分からん、か。でも分かる…お前は一途だった。それは間違いないだろう。…十年も!つっけんどんな態度をとっていた私を…嬉しくないはずがないだろう…)

どこか…どこかで素直になっていれば違う未来があったのだろうか。

 

しかし現実はこの変な男と道端で犬の肉を食べて寝ていると。

なんだこれは。どういうことだ。

 

「ん…?」

真改が抱える日本刀、と呼ばれる物の紐?らしきものに絡みついた銀色のペンダントのような何かが輝いている。

なんというか、この変人の趣味とは思えないようなペンダントだ。

 

「……」

炎に集まる虫のようについそのペンダントに手を伸ばしてしまう。

そしてそれに手が触れた瞬間

 

ヒュッ

 

「…!」

 

「何をしている」

 

「……」

野生動物のように後ろに跳ね飛んだ真改が抜刀した刀を額に突き付けていた。

 

「ペンダントが…」

 

「…?」

言われてようやく鈍く光るペンダントに気が付いたようだ。

刀を鞘に納めた真改がペンダントを手に取ると抵抗も無くぱかりと開いた。

 

『CLOSE PLAN

45.659822, -82.957290

 

CE15 12.31

 

月光はここにある』

 

「…!!」

 

「なんだこれは…?最後のは…日本語?か?」

開いたペンダントの中には、機械的な美しい文字が刻まれており、その下にさらにジュリアスには読めない文字が明らかに人間の手で刻んであった。

 

 

 

 

「そ、そんな…僕が…いや、私がこんな子供の遊びに…」

 

「弱いな…お前」

既に十二回もやっている。

負ける度に眠かったからだとか、見間違えて駒を置いたとかいちゃもんをつけてきたが実に弱い。

思考が読みやすいとでも言うか。キャラが安定しないが、思考は単純だ。自分はこういう単純な奴は嫌いじゃない。

 

「くそっ、もう一回だ。次は勝つぞ!」

 

「別にいいが…ようやく分かった」

すっかり最初の目的を忘れチェスに熱中するテルミドールだが、その間にメルツェルはずっと考えていたのだ。

 

「何が?」

 

「これだ」

 

『CLOSE PLAN

45.659822, -82.957290

 

CE15 12.31』

 

「そうだ!それを寄越せ!」

 

「お前…結構頭が悪いな」

飛びかかろうとしてくるテルミドールをいったん席に押さえつけて言葉を続ける。

 

「一体なんだと言うんだ!」

 

「この数字は場所だ。即ち、緯度と経度。考えてみれば最後のが日付だとしたらこの数字は場所を示すと考えるのが妥当だ」

暗号か、何かのパスワードか、それとも意味などないのかといろいろ考えたが結局は場所を示しているとしか考えられなかった。

 

「なに…?」

 

「さて…ここはどこなのかな…、と」

コンピューターの地図アプリケーションを開いて緯度、経度と見立てた数字を打ちこんでいく。

 

「ここは…」

 

「五大湖、か。グレートダック島…一応レイレナードの支配領域だな。こんなところに…つまり、集まれという事か?もう負けたのにか?」

 

「……」

 

「お前…そろそろ知っていることを話してもらうぞ。このペンダントならやるからさ」

 

「……ふん」

 

「ああ、そうかい。ならいつまでも付きまとうからな」

鼻を鳴らして顔を背けるテルミドールに、親がいないと知りつつも親の顔が見てみたい、と言いたくなる。

どちらにしろここに書いてある期限らしき日まではまだまだ時間がある。その日までに聞き出せればいい。

むしろ問題なのが。

 

「ここからずー……っと東…。長旅になるな」

 

「お前も来るつもりか」

 

「男二人旅…オクノホソミチを思いだすなー…」

なんていいつつも、読んだことは無い。誰が何のために書いたかを知っているだけだ。

 

「何だそれは?」

 

「お前は少し文学の勉強をするべきだな。お前はソラだ。俺がバショウ。分からんだろ?腕っぷしが強くても。ん?お前バカそうだもんな」

 

「…………」

 

やはりテルミドールは煽りに弱く、顔を真っ赤にして震えていた。

 

 

 

 

 

 

 

「んあ…?つまり…地球のほぼ真裏じゃないか!?」

テペスは場所の確認をした後自分が今いる場所を思い出してズキズキと頭痛のする頭の中で地球儀を回し、酒臭い息を噴き出してぶっ倒れた。

 

 

ORCA旅団設立の少し前、最初の五人がまだ出会う前の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………その少年は唐突に孤独に放り出された。

明日への希望も未来への夢もなく、見渡す景色全てが生命の流転する美しくも残酷な自然のみだった。

 

打ちひしがれる悲しみの中で少年の野生は徐々に目覚め、人類最悪の災禍は開花しようとしていた。




ネオニダス

身長 176cm 体重 69kg(CE23年時点では88kg)

出身 オーストラリア(アボリジニ)


「結婚してくれるって言ったのに!」

「言ってない」

「言ったじゃない!」

「言ってねーっつってんだろ!」

「最低!!死ね!!」


この男が人生で一番多く女性とやりとりした言葉である。ちなみに結婚するって実際言っている。避妊はしない。
ロイ・ザーランドと負けず劣らずのいい男だが、根が浮気性なので結局生涯の伴侶は見つけられなかった。

CE23年時点で55才なのだが全然元気な好々爺。人をからかうのが好きというちょっとアレな部分がある。
「好きなように生きて、好きなように死ぬ。誰のためでもなく」という言葉が好きでその通りに自分勝手に生きていた。
AMS適性もラッキーだったなこりゃ、ぐらいにしか思っていなかった。
責任感という物もまるでなく、優秀なリンクスだったが最後はあっさりとアクアビットを捨てた。

遊んで遊んで遊びつくして退屈だなー、と思っているときに喧嘩ばかりしている二人の少年に出会う。メルツェルとテルミドールである。
日によってテンションの差は激しいが、感情豊かなテルミドールと、本当は優しい性格のメルツェルの行く末を案じており、保護者代わりになって二人を支えながらクローズプランを進めた。みんな腹に何かしら一物抱えている最初の五人のメンバーを気にかけている。そこにはかつての自分勝手さはなかった。
二人の喧嘩を止めた数は多いが、二人の喧嘩を煽った数も凄く多い。
アクアビットとレイレナードの残党を集めた影の功労者だが、自分は老兵だと理解しており、テルミドールとメルツェルからは一歩引いて二人の行く先を見守っている。

ドラキュラなんじゃないかと言われるほど年をとらなかったが他人の世話を焼くような行動をし始めた途端に老けた。
最近一番ショックだったのはジュリアスに加齢臭がキツイと言われたこと。もう女抱けないのかも、とさめざめと泣いた。



趣味
人をからかうこと
テルミドールとメルツェルの喧嘩を煽ること

好きなもの
脂っこい食事
酒(果実酒)


最初の五人について

ジュリアスはむすっとしているし、真改は何も話さないし、メルツェルとテルミドールは喧嘩ばかりするし。
全員が仲いいわけでも性格がいいわけでもない。年も考え方も育ちもバラバラの五人が理由は様々あれど一つの目的のためにまとまるのはとても大変でした。

いわばテイルズのパーティーのような感じです。

真改はまだ見ぬ強敵を倒してアンジェを理解する為に
ジュリアスはジェラルドとの戦いの末に彼の物になる為に
テルミドールは人類の為に(無理やりではあるが)
メルツェルは友を支える為に
ネオニダスはメルツェルとテルミドールの行く末を見届ける為に

そしてそれぞれがクローズプランに一定以上の共感を以て協力しています。





さて、お待ちかね、次からいよいよガロア君が喋り出します。


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Born to be Bone

地獄というものがあるならば
子供の眼に子供らしい輝きの一切がない
ああこれを地獄というのだ


アジェイが家に帰らなくなってから二週間を過ぎた頃、ウォーキートーキーは執拗に「ワタクシをお母さんと呼びなサイ」とガロアに迫る様になっていた。

そしてガロアはそれを言われるたびに頑なに拒否し、アジェイが出て行ってから一か月、とうとう大喧嘩になった。

 

「お母さんと…」

 

『うるさい!!うるさいうるさいうるさい!!黙れ!!お前は人間じゃないだろうが!!』

 

「デスガ、それでもガロア様はワタクシをお母さんと呼ぶのデス!子供には親が必要なのデス!」

 

『俺の親は…俺の親は一人しかいねぇ!!』

はた目からは機械が一人で騒いでいるようにしか見えないが、それでも会話は成立している。

 

「そうデス!デスからワタクシが」

 

『命令だ!!あっちの部屋に引っ込んで一生出てくるんじゃねえ!!』

 

「了解デス」

リビングの隣の部屋…アジェイの寝室だった部屋を指さし命令を出すと、

今の今まで金切り声をあげてケンカしていたのが嘘のようにキュルキュルと音を立てながらウォーキートーキーは引っ込んでいってしまった。

そのあまりにも機械的な動作を見てガロアはほんの少しだけ悲しげな顔をする。

 

(お前は…機械なんだ…ウォーキートーキー…)

機械らしくそのコンピューターの中でカチカチと計算して確率でも出したのだろう。

つまり、父がこの世にいない確率を。そしてあんなことを口走り始めたのだ。

だがガロアはその現実を認めたくなかった。

 

(死んだって…認めたらもうお終いだろうが…)

分かっている。もう帰っては来ないという事。

だが、あの日ウォーキートーキーが飛んできたように、死の報せでも来ない限りは絶対に認めてはいけない。

そう考えていた時。

 

トスン

 

 

(なんだ…?)

大きな振り子がついた時計から何かが落ちるような音がした。

だが時計自体に壊れたような様子はなく、相も変わらず冷酷に時間を刻んでいる。

 

「……」

直ぐに音の正体は見つかった。

時計の裏に封筒が落ちている。

 

「……」

差出人は誰か、そんなことは考えなくても分かる。

静かに瞼を閉じて椅子に座った後、意を決してナイフで封筒を切ると一通の手紙が出てきた。

 

 

 

 

この手紙は私が1ヶ月帰ってこなかったら出るようになっている。

即ち、私はもうこの世にはいないのだろう。

 

リンクスなのだ、それは覚悟していた。死ぬのを恐れてはいない。

ただ一つ心残りがあるならばお前だ、ガロア。

 

お前が生まれた日、6/6。

私はリンクスとして、悪を断たんとして、

私の中の正義に基づいて依頼を受けていた。

 

お前の本当の両親の抹殺だった。

 

調べた限りでは凡そ容認できぬ世界の理に背く大罪を為している悪人として、私が裁くことを決めたのだ。

 

だが、私がそこにたどり着いた時には既に二人とも殺されていた。

あるいは、私がその引き金となり、結果的に二人が死ぬことになったのかもしれない。

 

 

他の誰でもない私がお前を、赤子だったお前を見つけ出したのは本当に偶然だった。

コジマ汚染の中で既に命を落としていた母の腕にきつく抱きしめられ、まるでお前が死ぬのだけは防ぐかのようだった。

 

本来ならば母と共に神の元へと送られていたはずのお前は声を失くし母の乳を飲むことすらも許されなかったが、しかしこの世に生を受けて私に見つけられて生き延びたのだ。

お前は生きるべきだったのだ。

神に生かされたのだ。

 

その深い母の愛の姿を見て、決めたのだ。

例えどんなに矛盾していようと、お前を生かし育てていこうと。

 

お前の名前はガロア・アルメニア・ヴェデット。

6/6はお前の誕生した日であるとともにお前の本当の両親の命日だ。

 

今となってはもうお前の両親が本当に悪だったのかすらわからない。

常々話していたな、この世には正義も悪もないと。見方によって変わるだけだ。

私の目にはどうしようもない悪に見えたその行為もやむにやまれぬ、いや、正義と信じるに足る理由があったのかもしれぬ。

 

 

故に、ここでは何が起こったかは記さない。

自分で悪とも正義とも断じることが出来なくなった今、一方的な視点でお前の両親が死んだ理由を語ることは私には出来ない。

 

いつか、その意志があるのならば。

自分でその答を探してくれ。

まだ幼いお前にこんな事実を突きつけてしまうことを心苦しく思っている。

だが、お前は賢い子だ。本当に必要な事ならばいずれその真実に辿り着けるだろう。

 

ずっと言い出すべきだった。

 

お前の両親の事を。

お前の両親も、お前も殺そうとしていたことを。

お前の両親の死に少なからず携わっていたことを。

 

出来なかった。

救いがたいほど罪深いということも、その権利がないことも、矛盾していることもわかっていた。

お前の笑顔を見る度に、日に日に親に似てくるお前を見る度に、

成長を喜ぶと共に私は苦しんでいた。

 

 

それでも、私はお前の父でありたかった。

 

だから。

 

今更もうお前に許してくれなどと言えない。

 

もし、私を許さないと言うのならばそれでも構わない。

 

ただ、これだけはお前に伝えることを許してほしい。

 

 

私はお前を愛している。

 

 

アジェイ・ガーレ

 

 

 

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

ドサッ、という音がガロアを現実に引き戻す。

 

玄関から何かが聞こえたのだ。

 

(誰?!誰が…)

だが扉を開けてもそこには誰もおらず、

今の音は屋根から雪が落ちた音だった。

 

(あ、…雪かきを…しなきゃな…)

人の作る明かりが一切無い暗い森が玄関を開け放ったガロアを包み込もうとして冷たい風を吹かしてくる。

 

(夜って…こんなに深くて広いのか…そうか…)

 

 

「……」

 

 

『私はお前を愛している』

 

 

「……」

ほんのり雪に照り返す月明かりを受けて森を縫う道とも呼べぬ道を歩いていく。

 

「……」

何度も何度も、記憶がある前から来ている川のほとりに辿り着いた。

ここまでの道は明かりが無くても来れる程にこの場所はガロアの原風景だった。

 

「……」

オーロラを纏う月が映る川を覗き込むとそこにはうっすらと赤毛に灰色の眼をした少年が映っていた。

水面に映るガロアの顔は、アジェイとは違い過ぎた。

そしてそんなことはずっと前から分かっていた。

 

(どうにもこうにもならねえよ…俺は…父さんの子じゃない…知ってたよ…)

例えば霞の言葉を、例えばアジェイの反応をガロアは見て聞いてこの年まで生きてきた。反応していなかっただけだ。

ただ口が利けないだけなのだ。

ぱくぱくと口を動かしても音は出ない。

声という物が、皆が当たり前に使っているそれがどういう物なのかがわからない。

 

(いつかは聞きたかったんだよ…どうして俺を拾ったのかって…人間が嫌いだったんだろう、父さん…。いつか聞こう、いつかは聞けると思ってたんだ…)

霞に対する反応や距離感からもよく分かったし、霞自身が「この方がサーダナにはいい」と言っていたことからもよく分かった。

父は人間が嫌いだった。それがどうしてかはよく分からないが、それよりも、もしそうならどうして自分を拾ったのかが分からなかった。

最後の手紙にはああ書いてあったがそんな義務感や使命感で動くような人ではないことはよく分かっている。

 

(父さんはなんで死んだ?黒い鳥って奴と戦って?くそっ…生きるために殺してきた…だから殺される…分かっているよ…)

 

(ただ…)

 

(教えてほしい事がまだたくさんあったんだ…)

ぱたぱたと透明な滴が水面を揺らしていく。

殺さなければ生きられない。相手は父を殺して生きた。

そうは分かっていてもただただ悲しい。涙ばかりが溢れてくる。

 

霞の死にはまだ覚悟の余裕があった。

弱っていく姿を見る時間が、そして別れを受け入れる時間が。ガロアにとって死とはいつもそばにある物だったから、長い時間をかけて覚悟を決めていた。

だがアジェイは最後にあったときも自分の足で歩き、大きな手で頭を撫でて家を出ていった。

断崖絶壁のようにいきなり目の前に何もなくなったかのような唐突な死が訪れた。

どうしていいのか分からない。ただ悲しい。

 

(なんで…?どうして俺は生まれた?どうして俺はまだ生きている?)

 

(どいつもこいつも産んでくれなんて頼んでいない。理不尽にこの世に生を与えられ必ず奪われる。世界は残酷すぎる…どうして俺は生きている?)

 

(俺は何を…何を…)

両刃のナイフの刃の部分を右手で思い切り握って引き抜く。

緩やかに流れる川にぱっと花が咲く様に赤い血が垂れていく。

 

(この…血が流れるだけの肉箱を運ぶためだけに生きているのか?)

 

(殺さなければ生きられない!?)

 

(殺されれば他の流れに取り込まれる…じゃあなんで生きるんだ!!)

 

(分からねえ…)

霞や父の死を考えると同時に浮かぶのは自分が今まで生きる為に殺してきた動物たちの死体の虚ろな目。

ガロアの大切な人の死と、動物達の死のどこに違いがあるのかが分からない。分からないままでそこに涙を流したら思考の敗北を受け入れてしまうような気がする。

だがそれでも、涙が流れるのはどうしてなのか。答える人もいない。

 

「…っ…っ…」

 

(大切な事を何も言わないまま…何も聞いてくれないまま皆…皆いなくなる……)

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

(父さん……)

ガロアは考える。今まで人類が追い求めてきた答えを探して。

 

 

 

ガロアがアジェイの遺書を読むのと時を同じくして、アジェイの死は闇に潜伏していたロランの元にも伝わっていた。

 

「……アジェイ…死んだ…か…」

国際的なテロリストの首領となっていた自分をどうやって探したかはあまり重要ではない。

自分よりよほど頭のいい男だったし、その手段をペラペラと人に話すような男でも無かった。

問題は遺書に全財産を譲る、ガロアの事を頼むと書いてあることだ。

 

「人を…信頼するなよ…お前はそんな奴じゃなかっただろう…」

 

(こんなクソみたいな世界で…俺のようなクソ野郎にそんなことを頼むとは…馬鹿もいいところだ…)

 

「安心しろ…ちゃんと…殺しておいてやる…」

企業の裏仕事を請け負うようになってからロランの負の感情は完全に振り切っていた。

こんな世界は滅びてしかるべし。

その思いしかなく、こんな世界で子供が一人で生きていくということも苦でしかないと決めつけていた。

 

「頼る大人も…人間もいないあんなと…」

 

(誰も…?)

ふ、と違和感がロランの心に差し込む。

 

長きにわたって自分をずっと苦しめていたのが人間だと言うのならば、ガロアはどうなるのだろうか。

 

『人は人と関わって出来ていくもの』

 

最愛の妻が昔くれた言葉が頭の中でこだまする。

 

アジェイは死んだ。霞も死んだ。ガロアは、あの賢い子供はあの森で一人で生きている。きっと育ての親が死んだことを理解して、それでも動物を殺して生きていくだろう。

その果てに出来上がる物は何か。

人間は人間と関わって出来ていくと言うのならば、これからガロアはどうなっていくのか。一人ぼっちの人間はどうなるのだろう。

 

ニチッ、という音を立てて溶けて半分以上くっついていた唇が裂けて血が出た。

何年振りかの心からの笑顔だった。

 

(面白い…どうなるか…見届けてやる…ガロア…)

 

ロランは人間を超えた怪物が生まれることを望んでいた。

すなわち、この世を焼き尽くす黒い鳥が生まれることを。

アナトリアの傭兵も結局道半ばで死んだ。残ったのは汚染された世界だけ。

 

この汚染された世界の中で、人に汚されずに生きているガロアは限りなく透明に近い。

オセロのように、純粋な白が純粋な黒に転化していくのならばガロアはきっと…

 

思えばロランの予感はいつも当たっていた。それも悪い事ばかりが。

だが、今回のこの予感。途轍もなく強大な何かが生まれるというこの予感が当たってくれるというのならば。

 

 

 

 

 

そんな闇に蠢動する思いもつゆ知らず、ガロアはその短い生涯をもう終えてしまおうとしていた。

 

 

「……」

川の傍の石の上に、かつてアジェイがしていたように座り頭と鼻の上に雪を積もらせている。

身体にかかった雪の溶ける速度は非常に遅く、ガロアの体温が深刻なラインまで低下していることを示していた。

水分を失った唇には血の気が無く、肉体は軋んで既にまともに動かす事もままならない。

通常は肉体が朽ち果てて魂が解放されるが、先に魂がその身を出ていこうとしていた。

既に意志は魂を手放している。後は肉体から離れるだけだ。

 

 

(まだ…まだ生きているのか…どれだけ時間が経った?……もういいよ…いらない…生きていたって…。なんで俺は生きているんだ…分かんねえ…だって何千年も考えて…分からねえんだろ…誰も…それっぽいこと言う奴もいるけど…あるのか?答え…。でも…欲しいよな…答えが…だって…太陽が昇っても…月が出てもどこに進んでいいかわからない…)

 

 

この思考の時間は僅か0.05秒。この世の全てに平等な時間から離れてガロアの体感時間が完全に歪んでいた。

生死の狭間を漂う魂が時間という絶対の概念を無視し始めている。

 

 

(……あのシカ…オオカミに食われて死ぬ…)

川を超えて2km先で歩くヘラジカのメスがオオカミの群れに狙われているのをほぼ大地と一体化してしまったガロアの身体は正確に感じ取っていた。

元々魂の癒着が希薄だったのか。普段から研ぎ澄まされて獣じみていた第六感が完全な進化を遂げていた。

 

(魚が…跳ねる…)

そう思った五秒後に目の前の川で魚が跳ねた。

 

かつて幾人もの宗教家が、あるいは武芸者が至ろうとして一握りの者しか至れなかった妙境へ、ガロアは命を手放すことで達していた。

命を手放すことで世界そのものである自然に戻り、感じ取る。

眼は最早うっすらとしか開かれておらず、僅かな視界も最早映っているだけで見ていない。

氷のように冷えた耳に届く音、しかし感じる鴉雀無声。何も聞こえていない。

 

(……死ぬのは怖くない…世界に戻るだけだ…でも、もう会えない…寂しいよ…寂しい…この世界は静かすぎるんだ…)

極みに達したとて最早残り少ない命。

 

(まぁ…もういい…)

渾然一体、梵我一如の果てを見たガロアの命はもう持たない。

 

(万物は流転する…死んだら俺が肉体を手放すだけだ…)

呼吸の一つ一つから命が外へと出て行きただの空気になる。

 

(不自然なんだ…意識を持っていることが…)

そしてガロアの意識は。

 

(ただ流れを運んでいる途中で浮き上がった水泡みたいなもんだ…意識なんて…あってもなくても変わらない存在…世界は一つの流れだ)

闇へと溶けていく。

 

(だから…もういいだろう…捨ててしまおう…何もかもを…)

その時、溶けて消えたかと思われた意識は美しい何かを感じ取った。

 

(花が……見える……)

こんな寒い場所に咲くような花では無い。

鮮やかでも派手でも無く、薄い桃色でそっと咲いている花だ。

あの世の川を渡った先にある花畑という訳では無い。

 

(俺…だ………)

あと少しで死ねる。どうやら次はあの花になるらしい。

花もいい、鳥もいい………と思ってから何故鳥なのか?と疑問が浮かんだ。

 

(鳥が………目の前…)

このまま放っておけば一時間後には冷たい岩と同化していたはずのガロアの前に一匹の鳥が舞い降りた。

 

「チチチ…」

ほとんど自然と一体化しているもののまだ息がある、しかし動いてはおらず危険も感じ取れないガロアに興味を抱いたのか、その鳥は頻繁に首を傾げながらガロアを見ている。

 

(言葉にした瞬間には…過去になっている…)

 

(感じ取れ…)

身体から離脱していた魂が再び重なり、左手に握ったナイフが、右手の切り傷が、身体中の鈍痛が、何よりも空腹が戻ってきた。

 

「……」

 

「…チッ…」

 

「……」

 

「チチ…」

 

ヒュッ

 

鳥の動体視力はそのナイフが振り下ろされる光景を全て捉えていた。

決して速くない。その大きさも色もよく分かるくらいには。だが、避けれないという事も同時に分かった。

目の前のよく分からない物体から興味を失い、飛び立とうとした瞬間。翼を広げた瞬間に刃が振り下ろされたのだ。

見えてはいる。しかし避けられない。鳥は好奇心の代償をその命で支払うことになった。

 

 

 

 

 

 

「……」

よく焼けた鶏肉を味付けもせずがつがつと口にしていく。

久々の固形物に臓器が驚いているようで腹が痛いが、それよりも空腹の方が辛い。

 

(寒い…いや…それよりも…)

焚火を焚いて身体を温めている今よりも、雪を被っていた先ほどの方が絶対に寒いはずなのに、

復活した神経は今の方が寒いと告げていた。

 

(俺は…何を…しているんだ…?)

と、考えた瞬間に口からぶじゅりと血が出てきた。

 

「…!?」

 

(なんだ?吐血…いや違う…歯肉から出血…)

 

(それに体中が痛いしだるい…)

 

(そうか…)

 

(壊血病か…くそっ…)

アジェイが仕事をしなくとも時々家を留守にして街に出ていた理由。

それは野菜を買いに行くためだった。

一年の内八か月が雪で覆われるこの地方で野菜を栽培することは容易でなく、それはビタミンが確保できないことを意味する。

まだガロアが幼い頃は西へ行った街に人が住んでいたが、ここ最近ではそこにも人はいなくなり、アジェイはわざわざ野菜を買う為だけに家を留守にして遠く離れた街へ行っていた。

冷凍庫にはもう野菜の備蓄は無い。

このまま食事をしなくてもガロアはビタミンCの欠乏でどちらにしろ死んでいたのだ。

 

 

(もう何日野菜を食べていない?……このままでは…)

ふらふらと南にある崖まで歩いてきた。

300mほどしか距離がないはずだがそれでも10分以上移動に時間がかかった。

日がよく当たるこの場所では青々とした針葉樹の木々が冬でもある。

 

 

(まずい…最悪にまずい…)

むしりとった葉を口に入れていくが美味しいはずも無く、尖った針葉はガロアの弱った口内をズタズタにしていく。

 

「…ゲハッ…」

結局飲み込むことが出来ずに地面に葉を吐き出してしまった。

 

ザッ、と雪を踏みしめる音が聞こえた。

その音は深く広く、森に広がるようだった。

 

「……!」

足音。人の物ではない。

いや、この地面の揺れは。

 

「ブルルル…」

 

(バック!!)

並の木の枝よりも太いその角が目に入ると同時に、ガロアは本能的に手を腕の前で交差させた。

 

「ブオオォ!!」

 

(ぐぁっ…)

何とか突進を腹に受けることは避けられたが、10m以上の高さがある崖から突き飛ばされた。

 

(クソ野郎…)

ああ、これが走馬灯か。思ったほど時間はゆっくりにならないや、と思った瞬間。

 

ズボッ

 

「……」

獣でさえも踏み込まないのか、静かに開けた窪地の雪に間抜けにも頭から埋まってしまった。

 

(あの…クソ野郎…畜生がぁ…ふざけやがって…)

さらさらの雪から頭を抜いて身体中に付着した雪を払う。

 

(だが…聞いたぞ…)

今自分が落下した瞬間に感じた他の生命の身じろぎ。

左手にナイフを握りしめ、崖の傍まで歩いていく。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

(ここだ!!)

深い雪に勢いをつけてナイフを突き立てると肘までも埋まった。

ズブリと雪を掻き分ける以外の感触がガロアの臓腑に響き渡り、白い雪が赤く染まっていく。

その腕を抜くとナイフの先には既に絶命した丸々と太ったユキウサギが刺さっていた。

 

「……」

血がダラダラと流れる口を思い切り開いて動かなくなったウサギの腹に齧りついた。

 

ブジュッ、ブシュウ、と下品な獣が咀嚼するかのような音がガロアの耳に届く。

そんなことを気にしていられなかった。

 

「…ペッ…」

血を吐き出し、骨をナイフと腕で引き千切り生肉を腹に収めていく。

 

(不味い…さっきほどじゃないけど…)

心臓を噛み潰すとガロアの白い肌までもが真っ赤に染まった。

先ほどから鼻で呼吸をしていない。生の兎肉はえぐみが強く、臭いも強くてとてもじゃないが食べられたものではない。

それでも動物の生肉には豊富なビタミンCがあり、壊血病を治すための手段としては全く無駄ではない。

実際ビタミンCは動物の肉に含まれているものの熱に弱く、熱と共に破壊されてしまう事を先祖からの知恵で知るイヌイットは今でも生で動物の肉を食べる。

無論、これは応急処置でありこのまま火で殺菌もせずに生肉を食していけばいずれ何かしらの菌にやられてしまうだろう。

 

 

「……」

気が付けば辺り一面が赤い血に染まっており、ガロアの服も真っ赤だった。

狂犬病に罹った犬に食い散らかされたような兎の死体の前で口元を赤く染めたガロアは虚ろな目をしている。

 

(血を啜って…生肉食って…獣みたいに…)

 

(何をやっているんだ…?死のうとしたのに…)

先ほどまで死のうとしていたのに、今自分は醜いまでに生き残ろうとしていた。

そこに思考は殆どなく、動物のように本能で動いていた。

だが、それでもやめようと思えば出来たはずだ。

 

(だって父さん…ここで死んだら)

こびりついた血がゆっくりと流されていく。

 

(父さんが助けてくれた意味すら無くなってしまう…)

血にまみれながらガロアは子供らしく、しかし声は上げずに大泣きする。

真っ赤だった顔の血が涙で洗い流されていく姿はそれでも純粋であろうとする子供らしさの顕れか。

 

(生きていることの意味はよく分からないけど…それでも父さんは俺を生かしてくれた…)

 

(その意味が分かるまでは…生きなきゃ…)

自分の物か、そうでないのかも分からない血を滴らせながら遠回りをして家へと歩いていく。

ずるずると重たい身体を引き摺りながらようやく家の傍まで辿りついた時、不思議な物を見た。

 

(!?人の…足跡!?)

自分の物ではない。

ここ何日もこの辺りは歩いておらず、仮に歩いていたとしても雪で埋もれて消されているはずだ。

 

(この大きさ…歩幅からして…)

地面に這いつくばり足跡を調べ上げていく。

今一つ目的は分からないが足跡の情報から一人の人物が浮かび上がる。

 

(身長は180前後…体重80kg強…ロランおじさんか!?生きていたのか?)

残念ながら父の物では無かったがそれでも、一年以上も前に行方不明になった古くから知る男の足跡だと知り久しく無かった喜びが湧き上がる。

いや、もしかしたら父の事も何か知っているかもしれない。

 

(あれ…?)

だが足跡を辿ると不思議な事に家ではなく、ネクストが格納されていた倉庫の方へと足跡が続いていた。

 

(鍵が…開いている…)

父はここに立ち入ることを禁じていたし、実際危険な兵器があることを知っていたため入ろうとも思っていなかった上普段は鍵がかかっていた。

無論、父がいなくなってからもずっと鍵はかかっていた。こんなところに一体何の用があると言うのか。

 

(誰もいない…)

初めて入ったが基本的にはがらんどうだ。

鍵がつきっぱなしのスノーモービルやネクストの部品、もう何か月も触られた様子の無いコンピューター等があるがそれでもやはり主役のネクストが無ければ空っぽなのは当然か。

 

(……!!)

雪混じりの足跡が続く先、そこには幾つかの袋が置いてあり、今ガロアの身体が一番欲している野菜が見えた。

 

「…!…!」

キャベツを掴みとりそのまま齧りつく。

歯の隙間に挟まるし芯は固いがそんなことを気にしている程余裕はない。

 

(うまい…うまい!くそっ…こんなに野菜は美味しかったのか…)

結局そのままキャベツを一玉丸々食べてしまい、さらに入っていたトマトも飲み込むように食べてしまった。

今日の食事量は普段の五倍を軽く上回っており、生きる本能が身体中を刺激した結果なのかもしれない。

また、そのことをガロアが知ることは永遠にないだろうが、ガロアの本当の父親・ガブリエルがガロアと同じ10歳の頃に口にしていた量とほぼ同じだった。

 

「……」

ようやく気分が落ち着いてはぁはぁと息を吐く。

袋の中を覗くと、この地方では最早手に入れることの出来ない調味料や野菜類さらにはハチミツなどの糖分が少なく見積もっても一か月分は入っていた。

 

(ありがたい…だけど…ロランおじさん…どうして会いに来ないんだ…礼を言いたいのに…。いや…会いたいのに…)

いくら考えても分からず、結局ロランは姿を現さない。その場に居続けてもしょうがないので食い散らかした野菜を片付けて、倉庫の扉を閉めて家へと向かった。

 

(調味料か…。久々の野菜…美味しかったけど…やっぱりそのままかぶりつくのはダメだよな…獣じゃなくて人間なんだから…)

10kg近くはありそうな袋をなんとか家までもっていき、玄関に放置して父の部屋の扉を開く。

 

「……」

 

(電源が切れてやがる…当たり前か…)

一生出てくるなと命令したウォーキートーキーは入り口の前で動作停止している。

二日に一回は充電しないと動かなくなるという話だったから当然だが。

 

(くっ…クソ重い…よく空を飛んでここまで来たもんだ…この野郎…)

充電器のある二階の自分の部屋まで、ウォーキートーキーの腕を引っ張りなんとか持っていく。

何回も階段に当たったし、充電器をこっちに持ってきた方が早かったと途中で気が付いたがそれでもなんとか二階の充電器の上まで持っていくことが出来た。

 

「……」

 

(つ、疲れた…ああ、身体がまた重くなってきた…)

 

「………ムムッ!?ガロア様!?血だらけではないデスカ!!」

 

『俺の血じゃねぇ…それより…ごめんな…ウォーキートーキー…ごめん。俺に…料理を教えてくれないか…』

 

「……いいのデス。ジジジ…子供は…親にガガガ…反抗するものデスカラ。料理、ハイ。お教えしますトモ」

 

(なんだ…?)

反応が随分遅かったし、赤いカメラアイは途中途中で点滅していたし機械から鳴ってはいけない類の音が聞こえたような気がした。

 

(故障しても直せないぞ…自分で直せるんじゃなかったのか?)

 

「さぁ、ワタクシをお母さんと呼びなサイ!!」

 

『それは嫌だ』

 

「ヌッ!?」

 

『風呂…入ってくるよ』

 

 

 

身体から血が流れていく。

殺した生き物の血か、自分の血かはどうでもよかった。

お互いに食い合ってどちらかがどちらかの血となり肉となり生きていくだけのこの世界だ。

 

どっちの血だ、なんて考えることに何の意味がある?

 

そう『意味』だ。

 

まだ分からない。いつ分かるんだろう。

俺が『生きる意味』って奴は。いつか答えが見つかるのか。

 

それともどっかの生き物が俺を取りこんで俺の代わりに生きる意味を探そうとするのだろうか。

 

今は苦しい。

いつかその意味が見つかれば苦しみは無くなってくれるのか。

誰か教えてくれ。

 

 

「……」

風呂から上がったガロアは丁寧に身体から水気を取っていく。

正直、あんな風に過ごして風邪や大した病気に罹っていないのは奇跡としか言いようがない。

 

(生きろってのか)

何かに生かされているのか、自分の持っている生命力か。

身体を冷やさない為にも乱暴に髪をドライヤーで乾かしていく。

髪が伸びていた。爪も髪も当然のように伸びている。生きている証拠だった。

 

「お待ちくだサイ」

 

『…なに?』

 

「ガロア様も10歳。ジジジ…そろそろ身だしなみに気を使わなくてはなりマセン」

 

『…?……??…なに?どういうこと?』

 

「髪をただ乾かすのではなく、きちんとセットして冷風でバッチリきめるのデス」

 

『…それで?どうするんだ?』

 

「質問の意味が分かりマセン」

 

『身だしなみに気を使ってどうするの』

 

「デスカラ、」

 

『誰が俺の身だしなみを見るんだ?』

 

「ガッ、ガガガ…」

 

『ここに俺とお前以外の誰がいるんだ?…父さんは………………死んだ。俺が見た目に気を使ってウォーキートーキーはどうするんだ?』

 

「ソ、ソレハ…」

 

『意味を…意味を教えてくれ。生きるよ。生きるけど、意味を教えてくれ』

 

「……」

冷たい言葉をぶつけ続けるととうとうウォーキートーキーは無機質なカメラアイを明滅させたまま黙ってしまった。

自分は人間だが、ウォーキートーキーは機械だった。

 

『寝る』

 

「…ハイ。おやすみなさいマセ」

 

その日ガロアは抗生物質を投与した後に久しぶりにベッドで寝た。

一度は生命を手放しかけた経験は、生への欲求の再確認となった。

 

だが生への欲求はあってもその意味は分からなかった。

 

ガロア10歳。まだまだこの深い森での孤独な戦いは続いていく。




愛しているという言葉はガロアにとってこれ以上ないほど大切な宝ですが同時に人生を大きく縛る強烈な呪いにもなりました。

この時点ではまだアナトリアの傭兵を恨んではいません。殺した殺されたなんて普段から自分もやっていることだからです。
とはいえ、人間と動物を同じように考えているガロアは純粋なのか危険なのか…。



ガロア君の後の搭乗機になるアレフ・ゼロとは数学用語なのですが、ℵ₀とかNとかで表されます。
ガロア・A・ヴェデットという名前はGalois A Vedettと書くわけですが…名前の由来はサーダナがぶつぶつと語っていましたが、名字はどう決まったのかなというとですね。
アレフ・ゼロを表すNとA Vedett を並び替えるとVendetta(復讐)になります。復讐ありきの主人公です。恐ろしい恐ろしい。

これからガロア君が怒りや嫉妬、狂気に取りこまれて獣へと堕ちていく姿をお楽しみください。


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Withering to Death

ガロアは台所で小さな手を忙しく動かしながら野菜を切っているが、

その隣でウォーキートーキーはさらに体(?)中を忙しく動かしながらやいのやいの騒いでおり、ガロアはちょっと迷惑そうだ。

 

「駄目デス!!固い野菜からナベに入れるのデス!」

 

『味なんか分からんだろ?ウォーキートーキーは』

 

「分かりマス。例えばサーダナ様の作るシチューは野菜の切り方、入れる順番、調味料の量、等で大幅減点されて22点デス。我慢すれば食べれないことも無いというレベルデシタ。違いマスカ?」

 

『……』

 

「高性能なんデスヨ、ワタクシは!さぁ、固い物から順番に!」

 

『分かった分かった』

 

出来上がったシチューはとりあえず指示通りに作っただけはあり、普段のウォーキートーキーのそれと同じくらい美味しそうだ。

 

「いただきマス、デス。ガロア様。ハイ、手を合わせテ」

 

『俺が仕留めて俺が作った。誰にいただきますと言えと?』

 

「いただきマスと言うのデス!サァ!」

 

『…いただきます』

大騒ぎするウォーキートーキーのアドバイスにより、作っていたシチューは父のそれより断然美味しく出来てしまいちょっと複雑な気分になっている。

 

『結構うま…』

 

「64点デスカネ。肉の臭みがやや残っているのが残念デス」

 

『……外に行く』

 

「何をするのデス?雪が降っていマスヨ」

 

『狩り』

 

「お肉の備蓄は十分あるように思えマスガ」

 

『うるせぇよ…』

 

「分かりマシタ。デスガお気をつけてくだサイ。ガガガ…心配なのデス。ジジッ…もちろんこれはこういうようにプログラムされているだけで実際にワタクシが心配という感情を」

 

スピーカーがよく回ると表現すべきなのだろうか、喋れないガロアの分も補って余りある程喋りまくるウォーキートーキーの言葉を途中で聞くのをやめてガロアは外に出た。

 

(今日も寒い…)

こんな寒い日は洗濯をしたくないが、それでも清潔を保たなければ病気になってしまう。ガロアは知ることはないが、アジェイはガロアが家に来てからガロアの面倒を見る為に洗濯機を買って家に設置していた。

それが無かったら今日もこの寒空の下で川か何かで水に浸かりながら洗濯しなければならなかっただろう。

 

「……」

いつものように、そしてアジェイもそうしていたように、ガロアは川の傍で焚火に当たって何事かを考え込んでいる。

 

「……」

ウォーキートーキーを再起動したのはいいものの、ガトリングのように放たれる言葉から逃れるようにガロアは一日の大半を外で過ごすようになっていた。

焚き火のそばにいてもなお刺すようなその冷気は、自分の身体をより一層細らせていくような気がした。

 

(不味くは…無かった。でも…)

 

(美味しくなくても…二人で父さんと食べる方が美味しかった。美味しくても…一人で食べるのはただ悲しい…)

感情はある。だが感じるのは悲しいということばかり。この場所に一人でいても喜びはない。

 

(一人、か…)

 

「……」

どうしてウォーキートーキーにもっと温かく接してやることが出来ないのか、そのことをずっと考えていた。

嫌っているという訳では決して無い。その存在に少なからず安堵し、この白い孤独の中で発狂に至らずに済んでいる。

 

(ワタクシのことをお母さんと呼びなサイ!)

ならばなぜ、自分は最初にその言葉を言われたときにどうしても口に出来なかったのだろうか。お母さんと。

その理由が最初はわからなかった。

 

「……」

ガロアが手に持つ一冊の本はロボット工学に関する本だ。

アジェイにも好む本、そうでもない本はあったらしく、本棚の端で新品同然で置いてあった物である。

 

(ロボット三原則…か)

人を苛立たせるだけなのに『実際にそう思っているのではなくそう返すようにプログラムされているからだ』と何度も口にする。

一度、そう言うのはやめろと言ったがこうやって言うのはプログラムされているからだと返された。

 

(お母さんと呼べと言うのはまあいい…でも本当に母親になるなんてプログラムがあるのか?)

 

(そんなものあるはずがないよな…ロボットで一番あっちゃいけないのはどうやら…人間になろうとすることらしいからな)

 

(だから自分は人間じゃないと、使用者に知らせるためにああやって言ってるんだ。そういう風に製作者にわざと作られたんだ)

 

「……」

 

(押しつぶされそうだ…)

ウォーキートーキーがいなければもうとっくに人間をやめているか死んでいるかしているだろうに、ウォーキートーキーがいるがゆえに苦しみが深くなる。

結局人間がここには…自分一人だと思い知らされる。孤独ばかりが光っていく。

 

(まぁ…それでもいないよりはずっといい…ずっといいんだけどよ…)

霞が死の際に寂しさに耐えられなくなりガロアを呼んだ理由が今になって分かった。

あの頃はお喋りなウォーキートーキーがいるのになんでそこまで寂しいのだろうかと思っていたが、

スピーカーから出る声は時々全く同じトーンでいつか聞いた言葉を発し、冷たい身体は人とはほど遠く、そして何より機械的な見た目はあくまで孤独を紛らわすために作られた物では無かったのだ。

 

 

 

(…なに?なんだって?)

森を歩いていると、声が聞こえる。声のする方へと赴くとそこにはガロアの身長を軽く超える大きな岩があった。

底の方には深緑に染まった苔が生えており、恐らくは自分の数十倍の年月をこの場で過ごしてきたのだろう。

 

(なんだ…?砕けたいのか?)

他人が見ればそれは気狂いの子供がただただ岩を見つめているだけに見えるだろう。

この間命を失いかけてから、この静かな森は非常に騒がしい物となっていた。あらゆる物質、生物が固有の音を出しており時にはその音に意味すら込められているように聞こえる。

どれもこれもがあるがままに在るために生きて、死ぬ。その音はそれぞれが自分勝手でありながら美しい。

もしかして本当に気が狂ってしまったのかもしれない。しかし、それを指摘する者はおらずガロアの自意識は確かにそれを捉えている。圧倒的な孤独の代わりにガロアの現実は誰にも侵食されない。

 

(……?なんで?岩をやめたい?ずっと岩だったくせに)

岩から聞こえる音が砕けたい砕けたいと言ってくる。意味が分からないしやる気が起きない。何よりもこんな貧弱な自分に頼むなんて間違っている。

 

(他のケダモノに言え。あっちにいる熊っこに言えばいいだろ)

ガロアが指差した先…先と言っても明らかに人間の視覚聴覚で認識出来る距離ではない場所に確かにまだ幼い熊がいた。

子供ではあるが、それでも同じ子供のガロアよりはずっと膂力があるはずだ。

 

(俺は知らん)

歩き去ろうとすると更に大きな音で語り掛けてくる。流れる川に石を投げ込むような心落ち着く音だが、これを延々と聞かされ続けるのはたまらない。

なぜ自分なんだと思うが考えてみれば当たり前かもしれない。普通のことだが、動物は生きる為に自分勝手なのだ。誰が好き好んで岩の言う事など聞くというのか。

 

(ああもう…なんだよ)

試しに蹴っ飛ばしてみるが、当然びくともしない。

 

(…砕けたいなら、教えろ)

お人よしだなと思ったが、その前にキチガイだと思った。誰に言ってもこんなこと信じないだろう。…と言っても言う相手がいないが。

ぼんやりと岩を眺めているとある一点が光っているように見えた。もちろん岩は光を出してなどいないが、ガロアの灰色の眼には確かに光が映っていた。

 

(ここか?)

さして力も込めずにナイフを押しこむと不思議なことに泥と同じくらいの柔らかさで先端が沈んでいった。

柄を掴んで思い切り押しこむと一気にヒビが広がった。

 

(よし、待ってろ)

そのままナイフを蹴り上げると見る見るうちにヒビが全体に広がり、数百年にわたってこの地の歴史を見てきた岩は砕けて石になった。

 

(………!水だ…)

岩が鎮座していた場所から地を割って水が噴き出しており、それは今まで見たどんな液体よりも輝いて見えた。

手に一掬いして飲んでみると体の中の不純物まで浄化されるような透き通った味で、これをあの岩が妨げていたのならなるほど、確かに砕けてしまいたかっただろう。

後で料理に使おう、と水筒に水を入れていく。

 

(……どこに行くんだ)

地面に耳を当てると水の流れる音がさらさらと届いてくる。まだまだ噴き出てくるようだった。

流れていく先を見ると川の方へと続いていた。どうも川に合流したかったらしい。この水はその後どうなるんだろう、と着いて行くことにした。

 

(……ん?なんだ…?何か……?)

川のせせらぎに紛れいくつもの足音、そして地響きが耳に届く。

川のそばにあるロープがぶらさがった幾つもの木の一つにロープを伝って登っていく。

 

(……バックか!?あれは…)

川の向こう側、かなり遠くガロアの視力をもってしてもぎりぎり見える地点で白く巨大なヘラジカが角を振りかざし暴れ回っているのが見える。

元々狂気を孕んだ目と共に暴れまわる化け物だったが、流石に空中に攻撃するほどイカれてはいないだろう。

 

(オオカミ…ホッキョクオオカミか…?)

よく見ると何頭もの犬型の動物の影が見える。目を細めると真っ白なオオカミとそうでない灰色のオオカミが見えた。

ツンドラオオカミと生息範囲の広がったホッキョクオオカミの交配種であるが、どちらにしろ下手すれば2m近く、60kg以上にまで成長する肉食獣は警戒すべきである。

 

(馬鹿な奴らだ…よりにもよってバックを襲うなんて…)

子供のシカやウサギ、キツネも探せばいるのになんで襲うのかなと思った瞬間に、勢いよく振られた頑強な角が当たったオオカミが宙に浮いて木の枝に突き刺さって即死した。

 

(信じられねぇ…10mは飛んだぞ…)

怪物じみたその力もさることながら、体高は角まで入れれば4mに届きそうな程であり、体重も少なく見積もっても1トンはあるだろう。

その巨躯だけでも危険極まりないが、バックは完全に気が触れており、目に入った生物をお構いなしに殺して回って屍の山を築き上げている。

 

(!…逃げていく…当然だな)

オオカミが蜘蛛の子を散らすように逃げていくが、そのうちの一頭を追ってバックは森の奥に消えていった。

 

(回収は…不可能か…)

木の枝に刺さったオオカミの死体を見て眼を細めて息を吐く。

川の向こう側に渡る手段はいくつもあるが、地上10mの高さにある枝に刺さった死体を回収するのは危険だし、

仮に出来ても川のこちら側へもってくる方法が思いつかない。引きずっていけば出来ないこともないだろうが、そこまでのリスクを冒すようなものではない。

 

(どうせまたどっかで動物の死体を見かけるはず…)

アジェイがいた頃から、ガロアが物心ついたころから、この森でぐちゃぐちゃになったまだ温かい動物の死体を見つけたことが数えきれないほどある。

アジェイは何も言わずに回収していたが、あれは間違いなくバックに殺された動物だろう。

殺すだけで食べない肉食動物など少なくともこの森では見たことがない。そんな事を考えているとガッ、と言う金属的な音が聞こえた。

 

(……罠にかかったか。…オオカミはあんまり美味くはないんだが…文句は言えないか)

必死に逃げていて罠にも気が付かなかったのか、いつの間にか一頭のオオカミが川を渡ってこちら側に来ており、雪に埋もれたとらばさみに見事に足を挟まれて喚いていた。

 

「……」

罠の上の木まで、木から木へと移動して、辿りついたら幹にロープを巻いていく。

きゅんきゅんと肉食動物にしては情けない鼻声をあげながら罠をなんとかしようとしているが、そうしている間にも血がじわじわと広がっていく。

もし仮に外れたとしても足の骨は粉砕されており、白い雪の上で弱った動物が痕跡を隠しながら逃げきれるものでは無い。

 

(苦しいか…今終わらせてやる…)

そこまで考えてふと、木の枝に突き刺さっているオオカミに眼を向ける。

 

(本当に…命ってなんなんだろう?あのオオカミはやがて骨となり…土となる。俺がここで罠にかかったオオカミを殺して食っても俺だっていずれ土に還る。

あのオオカミとこのオオカミになんの違いがある?動いているかいないかだけだ)

 

 

(じゃあ…必ず土に戻るのなら…何故生きる?生き物は…なぜ生まれる?)

ガロアの問い自体は人間だれしもが持ち、そして何千年も考えても出なかったものである。

そこから各々が自分自身の答を見つけたり、あるいは宗教に縋ったりするものだが、

ガロアのこの当たり前の疑問を答えてくれる大人がいなかった事と育った環境、そして何よりも目の前の光景が良くなかった。

 

(…結局命にあんまり意味は無いんだろうな…過程はどうあれ皆死んで…同じ流れに戻るからな。…今は…俺の流れになれ…いずれ俺も骨となり…土となる…それだけだ)

いつの間にかガロアは人として最も危険な部類に入るであろう考えを持つようになっていた。

人の命だけが尊いと思う様な傲慢さは無いが、命を大切にしようという考えも無い。

既に思想だけを見ればガロアは人ではない。言葉を交わす人間もおらずに動物を殺して森で一人生きるガロアは人と言うよりも頭の良い獣であった。

これほど危険な考えの子供が人間社会から隔離されているのは幸運なのか不運なのか。それはまだ誰にも分からない。

ガロアはまだ善でも悪でも無い。

 

(……一撃で殺す。お前は先にこの世界から出て行くんだ)

腰にしっかりとロープを巻いてナイフを手にする。

銃があればよかったのだが、木を登るときに置いてきてしまった。

手負いの動物はたまに信じられぬ力で思わぬ反撃をしてくることがあるので、遠くから一方的に殺すか、

気づかれないようにとどめを刺すのが良い。

 

「……」

音もなく木の上から跳んだガロアにオオカミは最後まで気が付かないまま、足に食い込んだ罠に必死だった。

 

ズンッ 

刃が全て首の後ろから刺さり、喉から切っ先が飛び出てオオカミはワケも分からぬまま絶命した。

 

「……」

ガロアが先ほど考えた通り、苦しみも無く一撃で死んでいった。

一方は木の幹に、もう一方は腰に結び付けたロープはガロアが地面に足がつく前に身体を止めた。

相当の衝撃だったが分厚い服とナイフの刺さったオオカミが衝撃を分散させてくれたおかげで恐らくは青あざが少し残った程度だろう。

 

 

(あの場で生き残っても…俺に殺されて死ぬ…。変わらないよ、どっちにしても…この世界は苦しみだ)

ほんの数秒考え込んだ後がっちりと食い込んだ罠に手を伸ばそうとして届かず、

ロープをほどこうとした時に地鳴りが近づいてくるのが聞こえた。

 

(バック!!)

いつの間に川を渡ったのか、赤い目をギラギラと光らせて純白のヘラジカがこちらに一直線に走ってきていた。

 

(くそぉ!!)

身体に結び付けたロープを伝って急いで昇っていく。

 

「ブオオオオォオオオオ!!」

 

(っ…あぶねぇ…)

足にその角が掠っただけで軽いガロアの身体は振り子のように揺られ、片足のブーツは遠くへと飛んでいった。

あのままの勢いで直撃していたらガロアの身体中の骨が砕かれ即死していただろう。間一髪である。

 

「ブルルル……」

 

(キチガイジカが!クソッたれ…)

どうあっても殺したいのか、ドスン!!ドスン!!とガロアの登った木を執拗に揺らしており、木が軋み始めている。

だが木が折れるよりも早くバランスが崩れてガロアは落ちてしまうだろう。

ガロアは知らないが、バックにこれだけ襲われても命があるのはこの森でガロアだけであり、その点だけ考えるとこの森の生態系の頂点は、

荒れ狂う暴力の化身のようなバックか、またはとびきり頭のいい獣のガロアか定まっていなかった。

交差する二匹の視線は互いの生き方を認めているのだろうか。

 

(仕方がない…)

もしも銃があれば一方的に攻撃が出来るが、それでもバックには半端な銃ではまず効かない。

結局こちらが逃げるか、あちらを追い払うしかない。

治療に用いる消毒用エタノールをポケットから取り出しバックにかけていく。

 

「ブルルル…」

 

(どうなってんだ…野郎…)

不快そうな声はあげたがそれでもその場からは去らずに木の周りをうろうろしている。

普通の動物ならエタノールの刺激臭だけでも転げまわりそうなものだが、しかし鼻にもかかったというのに目を血走らせたまま殺気だけを振りまいている。

 

(これでどうだ)

焚火に火をつける時に使うマッチに火をつけてバックに投げつける。

 

「ブルルロォ……」

 

(なんなんだこいつは…)

身体に火がついても暫くはその場を離れなかったが、やがて肉が焼けるような臭いがしだしてようやくバックはその場を去っていった。

 

 

(あーあ…ぐちゃぐちゃだ…)

地面に置いておいたオオカミの死体は踏み荒らされて口と尻から血が飛び出しており、

動かした途端にどういう訳か喉元の傷口から臓器が飛び出た。

 

(…そうだ。薪が足んねえんだ。今のうちに持って帰ろう)

当然だが、ガロアの小さな身体から出る力などたかが知れている。この森の動物の中でいえば下から数えた方が早いだろう。

 

ひゅっ、と息を吐いて大きく、ゆっくりとナイフを木の枝に向かって振る。枝と言ってもそれなりの太さだ。例え大人の力であったとしても、それを折ったり切ったりするのは難儀したはずだった。

だというのに大して速くもないその刃は、歪で不完全なはずの人の腕から繰り出されたとは思えない程綺麗な真円を描き、音もなく木の枝を切り落とした。

この大自然との渾然一体を経験したガロアの身体には理が宿っていた。刃をどのように振れば、この物体を解体するにはどこから切りこめばいいのか、それが無意識のうちに分かっていた。

ただただガロアにとっては自然…音を聞いてその声に任せて動いているだけだった。

 

(後で乾燥させよう)

ずしりと重たい枝を持ってもう一度ぐちゃぐちゃの死体を見る。

 

(どうしよう…エタノール使っちゃった…)

マッチならまだまだあるし、時間をかければ火も熾せるからいいものの、消毒用エタノールは自分では作れないしそんなに数も無い。

とりあえずの処置として、擦り傷に樹液を塗りこんでいきながら考えにふける。

 

(やはり…この前考えた通り…)

三週間前にロランが届けたのであろう食料も底が見えており、いつ次が来るのかは分からない。そもそも次など無いのかもしれない。

銃の弾も潤沢とは言えず、足りないものをあげていけば正直きりがない。アジェイがいない中でこの森から出たことの無いガロアは内心怖くて仕方が無かったが、一つの決心をした。

 

 

 

「ワタクシもついて行きたいのデスガ」

 

『どちらにしろ一人乗りなんだ。この家をしっかり守れ』

がらがらの倉庫で見つけたスノーモービルの上でガロアは雪から眼を守るためにゴーグルをかける。

大人が使うその乗り物は身長140cmにも満たないガロアにはサイズ的に合っているとは言い難く、短い手足を精いっぱいに伸ばしている。

 

「了解デス。くれぐれもお気をつけてくだサイ」

 

『うん、分かってる』

当然免許などなく運転の仕方なども知らなかったが、一応の操作方法はコンピューターで調べたらすぐに出てきた。

直近の街まで約42km。この機械があれば30分で行ける。人は既に住んでいないらしいがそれでも何か物資が見つかるかもしれない。

 

『じゃあな』

 

「ハイ」

 

ガロアなら森の中では決して出したくないけたたましい音を立て、ウォーキートーキーが見守る中スノーモービルは西へ向かって走っていった。

 

 

 

 

(酷い雪だ…なにもこんな日でなくても良かったかもしれねぇ…)

10分ほど走ったら舗装された道路が見えてきて、そこからフルスピードで走れている。

ここまで視界の悪い日なら普通は車に乗らないものだが、幸いにもこの辺りの道路を走るような車も人ももういない。

 

 

(!そろそろか…)

途中からぽつりぽつりとなら民家らしきものはあったが一々そこを虱潰しに探して回るのはあまり頭のいい考えとは言えない。

最初の民家から20分、100km/hでとばしてようやく街らしきものが見えてきた。

 

(さて…)

適当な場所でスノーモービルを止めて降りたガロアは一応迷わないように歩きながら目的の店を探す。

 

(すぐに見つかればいいんだが…)

食料品店とドラッグストア、そして銃弾販売店を目当てに街に来たが銃弾については少し探した程度では見つからないかもしれない。そもそもの需要が前者の二つに比べて少なすぎるからだ。

だがそれでも、人々が街を去るときには銃弾よりも食料を重視して持って行ったはずだ。一件銃を取り扱う店が見つかれば銃弾はかなりあるだろうとガロアは考えている。

 

(ドラッグストアか。すぐに見つかってよかった)

アジェイと違い、英語以外話せないガロアだがそれでもこの地方で生きていく以上は一応ある程度のロシア語を読むことができ、

ドラッグストアと書かれた看板を読むことも難なく出来た。

 

(シャッターが閉まっている…仕方がないな)

裏手に回り、換気扇の高さまでゴミ箱やらを積み上げて昇って、入り口を金具でこじ開けていくと子供ならぎりぎり通れそうな穴となった。

 

(汚ぇ…まあいいや)

ゴム製の手袋のお陰で滑ることも無く中に入ることができたが、やはり服はかなり汚れてしまった。

 

「……」

案の定店内は真っ暗だが、懐中電灯を点けるとまだかなりの商品が残っていた。

 

(そりゃそうか)

パニックが起こって我先に移動したのではなく、一人、また一人とコロニーや他の街に移り住んだのだから、当然誰かに奪われるようなことも無く残っている。

 

「……」

薬や消毒薬の期限を確かめながらバッグに放り込んでいく。抗生物質や鎮痛剤があったのはありがたかった。枝が突き刺さった時などはこれがないと痛みで治療もままならない。

一番前の棚に置いてある商品の期限を見るにこの店が無人になってから7~8か月といったところだろうか。

 

リンクス戦争によって急激に広がった汚染がじわじわと迫ってくることに耐えられなくなった店主は祖父から代々受け継いできたこの店をやむなく捨ててコロニーに逃げたのだ。

その頃には既にこの広い街に三桁も人は住んでいなかった。

 

(!ありがたい)

健康食品なのか何なのかよく分からないが、消費期限が切れていないブロック型の栄養に優れたクッキーのようなものを見つけ、一端薬を漁るのをやめて齧りつく。

 

(普通の食べ物は無いのか…?)

電気はまだ来ているようで、スイッチを入れれば照明はついたが冷蔵庫にはアイスや飲み物などわざわざ持ち帰るには値しない物ばかりある。

 

(…?二階があるのか)

盲点になっていたがレジの後ろに二階へと続く階段があることに気が付く。

服に付いた汚れを払いながらガロアは階段をのぼった。

ここでレジに全く眼が向かないのはやはり人の社会で生きていないからなのだろうか。どうせレジの中は空だが。

 

(…ここには人が住んでいたのかな)

服やらテレビやらには残念ながらあまり興味が無いし持ち帰る気もさらさら無い。

奥へと進むとキッチンらしき場所がありさらには家庭用のゴツい見た目の冷蔵庫があった。

 

(!もしかして!)

世界に広く普及している冷蔵庫は、四季の移ろいによる気候の変化が激しい環境の極東にある島国の大企業有澤で作られた物が殆どであり、

その性能は例え傷みやすい生肉を入れても電気さえあれば、元々の品質にもよるが1~5年は保存できるという、他の企業をして変態と言わしめた超技術の塊である。

 

(やった!!)

開けた冷蔵庫の中には野菜や肉などがかなり置いてあり、それらを詰め込んでいくとバッグがどんどんと埋まっていく。

 

(これは…挽肉?牛か?…懐かしいな)

昔、三年ほど前に霞に手を引かれて連れていかれたレストランで食べたハンバーグが確か牛の挽肉から出来る物だったと記憶している。

一度しか食べたことがないがあれはとても美味しかった。帰ったらウォーキートーキーに作り方を聞こうと思いバッグに詰め込んでいく。

 

(ついでにこっちにも何かないかな…)

なんだか少しワクワクしながらキッチンの棚を開いていく。

食器類がほとんどだが冷凍の必要のない食材などもそれなりにあり、ほくほくしながら手に取っていく。

 

(ほっとけーき?なんだそりゃ。まぁいいや、持って帰ろう…)

 

(ティーパックだ。紅茶…暫く飲んでないや。持って帰るかな…)

ホットケーキの粉やティーパックなどの多少の嗜好品も手に入れ、バッグの六割が埋まった。

 

(一応…これくらいにしておくか)

まだまだ街を探索する気なのだ。あまり欲張ってもいけない。

それにこの場所を覚えておけばまたこれる。

 

(………二人…爺さんと婆さんが住んでいたのか?)

一階へ続く階段に幾つもの写真が額縁に飾られていることに今更気が付く。

若い男女がどこか知らない場所で笑顔でいる写真、男児二人に女児一人と両親らしき男女が写った写真、

年老いた男女が店の前で笑う写真。階段の写真がこの家に住んでいた者の人生を語る。

 

ズキン

 

(……さっさと…次の場所へ行こう)

先ほどまでの浮かれた気分から一転、胸を締め付けるような不思議な痛みにガロアは幼い顔を歪めながら換気扇の穴から外へと出ていった。

 

 

 

 

(寒い…しかもなんか気分が悪いな…帰るか…。……?)

胸のあたりのムカムカに悩まされて歩いていると一件の変わった形の店が眼に入った。

店の外にも席が置いてあるカフェテラスである。一見して人はいないがシャッターは閉まっておらず、入り口も鍵がかかっているいないに関わらずガラス叩き割れば中に簡単に入れそうだ。

 

 

(よし…入るか……?………!!!)

侵入を決意した瞬間、雪に人影が映るのを見た。

まさか人に会うとは思わなかった。

暫く固まっていると、人影が手に持った何かをこちらに向けるのが見えて反射的にその場にしゃがんだ。

その数瞬後に問答無用の銃撃がガロアを襲う。

 

(ショットガン!?ふざけやがって!!痛ぇ!!)

しかも壁に空いた大穴から察するに大型の動物以外にはまず使わない散弾銃用の弾、バックショットを放ったことが分かる。

当然、人に向けて放つような物ではない。

素晴らしい反射と直感で何とか直撃は躱したがそれでも右腕を弾が掠めていき少量の出血とうずくまりたいほどの痛みがガロアを襲った。

 

(ああ、クソッ!!)

こちらにも銃はあるがどう考えても不利だし、射撃はあまり得意な方ではない。

急いでカフェの裏手に回ると裏口のドアが見えた。

 

(頼む!)

一か八かでドアノブに手をかけると幸運にも施錠されておらず、店内に入ることが出来た。

即座に鍵を閉めると間髪置かずにドアノブを乱暴に開けようとする音が聞こえた。

 

(……これじゃダメだ!)

数秒ほど、回転しようとするドアノブを呆然と見ていたが、このままではいけないことに気が付き、すぐに表口に走る。

 

さほど広くは無いが店内にもいくつかの机と椅子があり、そのうちの一つ、端に固定された机の脚にロープを結んで、ロープのもう片方を持ったまま店の奥のレジの裏まで走り滑り込む。

息を吐く暇もなく、入り口のガラスが派手な音を立てて叩き割られ、先ほど銃を放った男が割れたガラスを踏み越えて慎重に店内に入ってきた。

 

(……やはり一人か…ならば…)

レジのそばに転がる空きビンに映る陰から侵入者を確認する。

 

(まだだ…焦るな……)

男は辺りを見回しながらゆっくりと奥へと歩を進めており銃を構えたまま警戒を解いていない。

 

「…ガキでもなんでも殺す!殺すんだ!この街の物は俺たちの物だ!!」

その声は今のうちに逃げろと言っているようにも聞こえる。

獣が威嚇するのは、戦って怪我したり死にたくなどないからだ。

だが、もしも対峙したのならば本当にこの男は自分を殺すだろう。

 

(……俺を殺すだと?)

死ぬ。ああ、今日もまた一匹殺したからな。

それだけだ。変わらないさ。

そう思っているはずなのに。

 

(やれるもんなら…)

ふつふつと激情がガロアの頭を支配していく。

 

(やってみろよ!)

男はたるんでいるロープが机の脚に結ばれている事にも気が付かずに超えていき、

周囲を警戒するその視線がガロアから見て右側、つまり空きビンが落ちてない方を向いた瞬間に、ガロアは空きビンを拾い上げて入口へと思い切り投げた。

 

ガシャン、とガラスの砕ける軽快な音が店内に響いた。

 

「この野郎!そこか!」

男が銃を構えたまま振り返り走り出すと同時にガロアは手にしたロープを思い切り引いた。

 

「ぐぉっ!?」

 

(死ね!)

両手で散弾銃を持っていた事、思い切り走ったことが災いし、

ロープに脚が引っ掛かり顔面から前のめりに転んだ男に向かって風のように飛び出たガロアはその首元へと左手のナイフを突き刺した。

 

「かはっ…ごぼっ…」

深々と突き刺さったナイフは頸動脈と気管を致命的なまでに切り裂いた。

 

(よし)

そのまま一気に、あえて周囲の血管を巻き込むように乱暴に引き抜くと壊れた蛇口のように血が噴き出て男は速やかに絶命した。

 

(…?刺した手ごたえがてんでねぇ。水袋を刺したみたいだ。屈強な筋肉も毛皮もなきゃ当たり前か…)

刃物を刺すにしても抜くにしても手ごたえが無さすぎる。

だがそれでも男の首には明らかに致命傷の穴が空いており、人間の身体の空虚さと脆さに少々不快感を催しながらナイフを置く。

 

(……散弾銃…弾を持っているのか?)

心臓の音を耳元で感じるような緊張が解けていきそのまま男の身体を漁り始める。

 

ガロアにとって人に遭遇するのは不運だったが、男にとっての人生最大の不運は出会ったのがガロアだったことだ。二人がこの場所に今日来たのは全くの偶然、いや、不幸だった。

せめて男が何も考えずに逃げていればまだ何とかなったかもしれないが、ガロアがただの小さな子供にしか見えなかったことが、

今なら人を呼ばれることも無く簡単に殺せるのではないかという勘違いを生んでしまった。

 

 

(うん…結構な数の弾を持っていたな)

ガロアのバッグも8割程埋まり、そろそろ帰ることを考えてもいい。

 

(その前に…)

置いておいた血塗れのナイフで男の服を切り裂いていく。

 

(全部持って帰るわけにはいかないからな。栄養価の高そうな部位を持って帰ろう)

罪も罰も人も倫理も無い場所で生きてきたガロアが死体となった男の肉を持ち帰ろうと思ったのはごく自然な事であった。

今までも殺した生き物を食べてきたのに、ここに来てこの死体を食べないという選択肢は元から無かった。ただ、持ち帰るには大きいから切ろう。普通にそう考えていた。

 

 

アジェイはよくガロアを育てた。

アジェイを知る人物が今のガロアを見て、アジェイが育てた子供ですと言われれば誰もが驚くだろう。

だが彼は人としての道徳を教えることをすっかり忘れていた。

しかし、人と関わらない場所に住んでいたということを考えればそれも仕方がないのかもしれない。

人が人を食べてはいけないなんてことは人の社会で生きていればどこかで覚えることだが、それが無かったガロアにとって目の前の死体はもうただの肉である。

ガロアは言葉遊びでもなんでもなく、本当に人の命と動物の命との間に差を感じていない。それは現代社会から見たら純粋なのか、悪魔なのか。

ごく普通に死体に刃物を押し込もうとするその姿に今は無きガロアの両親が見たら泣き叫ぶだろうか。あるいはアジェイが見たら悔いるだろうか。

 

 

(腹を割くと臭みが酷いだろうな…太腿の肉がいいか。…のこぎりがないから難儀しそうだ…)

さも当然のように餓鬼道に踏み出そうとした瞬間、足音がガロアの耳に届く。

 

(人がこっちに走ってくる!発砲音のせいか!?ガラスが割れる音のせいか!?クソッ、考えている時間がない!!)

死体の肌に食い込む寸前だったナイフを、男の服で血を拭って懐にしまい、裏口へと走る。

 

(三人…一人は子供か?…視認されずに仕留めるのは無理そうだ)

足跡から確認できる歩幅から走ってくる人数と年齢を把握する。

 

(……まぁ肉の備蓄はあるからいい)

裏口から外へ出て、そのまま路地裏から街の外へと抜けようとした瞬間に声が届いた。

 

「いやああああああああ!!あなた!!あなた!!」

 

「お父さああん!!お父さぁあん!!」

 

「親父!!薬…いや、包帯があるから!!お袋!!消毒しなきゃ!!」

 

「あなた!!しっかりして!!お願い…あなた…」

 

(……、…)

カフェから出てくる様子も無かったので、少々危険だが陰から店内を除くと、そこには三人の人間がいた。

特に血だまりに沈む男の死体のそばで泣き叫んでいる女児は自分と同い年くらいのように見える。

 

南西から迫るコジマ汚染に住処を追いやられ、人々は逃げ惑ったが大抵は気候の厳しくない南へと逃げており、

この家族は珍しく北へ北へと逃げていた。強盗のように無人の店に押し入り商品を奪い、時には出くわした人を撃ち殺していたがそれもこれも家族を守るために必死になった結果だった。

ガロアとここで遭遇してしまったのは人生で最大最後の不幸だった。あと二か月も待っていれば人々を受け入れて空を飛ぶ飛行機が完成したというのに。

 

 

 

(……)

 

「おと、おとう、さん…うっ…うっ…」

 

ズキン

 

(………っ、……)

泣き崩れる女児を見てまたしても不可解な痛みがガロアの胸を締め付けていく。

その痛みで動けなくなる前にガロアは足跡を立てないようにそそくさとその場を去っていった。

 

(…あそこで臓物ぶちまけて死んでたのは俺かもしれなかったんだ)

 

(…そうしたら…もうお前らみたいに泣いてくれる人もいないんだ…俺には…)

 

(……身を守っただけだ…)

 

(お前はそこで骨になれ)

 

『命にあんまり意味は無い』

と断じる自分。その一方で父や霞の死に泣く自分。

矛盾している事には気が付かないふりをしてスノーモービルまで歩いていく。

 

(あー…痛ってぇ…)

結局、銃弾が掠った傷は大したことなく既に血は止まっていた。

どこまでか血痕が続いていたかもしれないが、足跡と共に雪で埋もれてしまっている。

 

(ふん………帰るか……)

痛む右腕を消毒して包帯を巻いて、ガロアは再びスノーモービルのエンジンをかけた。

 

(どこに…どれだけ…行っても)

通りに並ぶ店が責め立てるように自分を見ているような気がした。

生き残るためにやったんだ、と弁明する口はない。

 

(俺は俺から逃げられない)

生きている限りはガロアは苦しみから逃れられなかった。

 

 

 

 

 

誰にも話すことは無いが、ガロアは10歳の時に既に人を殺めている。

 

ガロアが悪いのか、と問えばその答えは出ないが、

あえて言うのならば殺さなければ殺されていた、子供がそんな状況に置かれているこの世界が悪いのだろう。

 

胸の痛みも、頭の中で首をもたげた矛盾も無視して街から去るガロアの姿は雪に飲まれて消えていった。




大山倍達もびっくりのナチュラル山籠もりですからね。自然への馴染み方が半端ないです。


罪を感じる心、人間性もガロア君にはあったのに自衛のためにそれを封じてしまったことが分かるでしょうか。
何よりも最悪なのがこのイベントでガロア君の頭に「人間も獣と変わらず危険だ」と刻まれてしまったことでしょう。

また一つガロア君は獣に近づいてしまいました。

次回、いよいよ過去編ラスト。


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NO WAY BACK

幾重にも爛れし腸の咲く地獄 永久までも君に残さん


結局ロラン(だとガロアは確信している)が食料を持ってこなくなるということは無かった。

間隔はバラバラだがそれでも食料が完全に尽きる前にいつの間にかそっと置いておいてくれるその食料がなければ栄養の偏りによってガロアはとうに死んでいたかもしれない。

 

あの街にもあの後何度か行ったがあれ以来そこで人に遭遇することは無かった。男の死体は血痕を残して消えていた。

というよりも世界そのものがスカスカになってしまったのではないか、と車一つない街の大通りをスノーモービルで100km/hで爆走しながら思ったのが11歳の初夏。

 

コンピューターで世界情勢を調べたところ、リンクス戦争とやらで世界の汚染が深刻になり大半の人々は空に浮かぶバケモノ飛行機へと逃げたらしい。

どうも世界がそうなった原因をたどるとアナトリアの傭兵と呼ばれる一人のリンクスの戦いが引き金となったらしい。

父を含むオリジナルリンクスのほとんどが殺害、または戦闘不能に追い込まれどうやら世界を支配していたらしい企業とやらの内二つが壊滅、

世界はボロボロになり、原因となったアナトリアの傭兵ことマグナス・バッティ・カーチスともう一人の原因、

ジョシュア・オブライエンごとコロニーアナトリアはちりも残さず吹き飛んで戦争は終わったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

結局金のために戦ったアナトリアの傭兵、世界の破滅を止めるため、あるいは企業の為に戦ったリンクスたちのどっちが正しかったのかはよくわからない。

 

分かるのは父が言っていた黒い鳥なんてものはいなかったのだ、ということだ。

当たり前だ。たった一人の人間が世界を滅ぼす引き金になるなんてありえない、ってことは考えればすぐにわかることだろうに。

 

 

まぁ別にいいさ。どうせみんなそのうち死んで土になるんだ。

父さんも、スミカさんも、本当の両親も俺よりは早かったってだけだ。

この森で動物を狩って、いずれ体が朽ち果てて、死んで終わり。

構わないよ、変わらないから、どっちにしても。同じくらい苦しいだけだ。

そう、生きることは苦しいんだ。

生きる意味を探して今日まで生きてきたけど、それしか分からなかった。

苦しいのに、生きる理由は分からないのに、今日も生きる理由を探して生きている。

 

 

 

 

 

CE19年 晩秋

14歳になったガロアは本来ならば中学校で友人とともに勉強しながら将来の夢を語り合うような年齢である。

本当の両親から受け継いだ才能と、幼いころから貪るように読んだ本、そしてウォーキートーキーの教育のおかげで、

同い年の子供に比べれば圧倒的に頭脳面ですぐれてはいるものの、やはり人として大事な要素がいくつも欠落してしまっている。

 

 

「……」

木の前でしゃがんでいるガロアの前には蟻にたかられる蜘蛛の死骸があり、そのそばの木では今まさにサナギが蝶に生まれ変わろうとしていた。

 

 

「……」

見始めて5時間、ゆっくりと、ゆっくりと開いたサナギからやはりゆっくりと、ゆっくりと白い蝶が羽を広げていく。

 

 

(綺麗だ。…でも…やっぱりわからない…)

その見事に生まれ変わる姿に美しさを感じる正しい感性を持ちながらもガロアには地べたで蟻にたかられる蜘蛛の死骸とその蝶の何が違うのかが説明できない。

そして羽も乾き、いざ飛び立たんとした蝶をそっとガロアは両手の中に入れる。

 

(今…ここに…命とやらがある)

手の隙間の中に蠢く存在を感じる。確かにこの中に命は存在する。見えていないのはあえて見えないようにしているからだ。

動きと重さだけで命を感じている。

 

(これで消えた)

ぐしゃっ、と握りしめると重さは変わっていないのに動きはなくなってしまった。命が消えたのだ。

 

(命…命ってなんだ…)

手の中で圧死した蝶をそのまま口へと運ぶ。

 

(まずい…味気ないな…)

美しく変身した直後に自分の胃袋に直行した蝶と蟻の巣へと細かく砕かれ運ばれていく蜘蛛。

ここに何の差があるのか。ついでに木に張りついていたミミズも土を払ってから口に運んでさらに考え込むがやめてしまった。

 

(まぁいいや…考えてわかるものでもないだろう。……でも考えるのか…それが人間の仕事か、本能か…)

すっと立ち上がったガロアは10歳のころに比べればさすがに背は伸びていたがそれでも145cm、39kgとかなり頼りない体格をしている。

ウォーキートーキーの教えもあり、料理の腕は上がったがそれでも一人で作って一人で食べる食事には楽しみはなく、作業のような感覚に近い。

隠し味だって自分が入れているのだから全然隠れてないだろ、というガロアの言葉にウォーキートーキーはガガガ、とかジジジ、とかノイズを混ぜながら、わけのわからない反論をしていた。

そんなこともあり、ガロアの食べる食事量は成長期の男子としては少ないと言わざるを得ない量だった。

 

(…だれか来る!)

手についた蝶の汁を舐めている時にかすかな人間の足音を聞き取ったガロアは音をたてないように木の上へとのぼった。

そう多くはないが今までにも何度か人間が迷い込んでくることがあった。

だが大抵は本当に迷ってしまった人で、そのままいけば凍死か獣に殺されるかだったし、楽な方へと歩く思考を持つ普通の人間ならまずガロアの家まで辿りつけない。

問題なのは明らかに略奪の意思のある者だ。そういう者たちに対しては「的確に」処理しなければならない。

 

「北に行けばバンディットはいないという考えは正しかったな」

 

「だが食料もない。どうするんだ?そろそろ尽きる」

話しながら歩いて来たのはアサルトライフルを持った二人の男だった。

迷ったのではなく選んでここまで来たらしい。

 

「俺たちと同じ考えにたどり着いた者は必ずいるはずだ。北へ北へと逃げた者達がな。見ろ。カスミ網まで張ってある。明らかに何者かがここで狩猟して生きている。生活の場がある」

 

「奪うのか?」

 

「こんな時代だ。コロニーに近づくだけで無警告で射殺されるなかで生きるために人を殺して何が悪い?奪うんだ」

 

(もっともだな)

上下関係は見られない二人だが、片方の男の意見はすべて的を射ておりガロアは静かに同意した。

 

だが男は冷静な意見は述べられてもまさかこんな場所で小さな子供が木の上からミミズクのように自分達を見下ろしているとは思わなかったようだ。

 

「…やっぱり不気味だ。戻らないか?」

 

「何故?」

 

「俺の田舎で大人がガキによく言っていたんだ。暗くて深い森の奥には人知を超えた何かが住んでいて…森を荒らす者を飲みこむってな」

 

「……」

その時、何羽かの鳥がギャアギャアと声をあげながら飛び去って行き、二人は必要以上に身体を強張らせた。

ガロアにとって見ればうるさく鳴く鳥なんてのは静かに潜んでいる獣よりはよっぽどありがたいのだが、

そういった精神を持ってしまっていること自体が普通の社会で生きる人間からかけ離れているということなのだろう。

 

「森が怒っている…」

 

「馬鹿なことを言うな。…やはり人がいるようだ。さっき見えた煙は焚火が何かだったようだな」

ガロアがいる木とは別の木に不自然に巻き付けられたロープを男が指さす。

 

「…確かに。しかし何の意味が?こりゃ」

カスミ網の用途は分かってもそのロープの意味は分からなかったようだ。

先ほどから意見を仰いでばかりの男がそのロープに近づいた時だった。

 

(…バカが)

 

ガッ

 

「ああ!!?ぐっ!?」

そのオブジェは『獣にとっては』意味などなかった。

ただ意味を探ろうとする人間を引き寄せて注意を引くための罠だった。逆に罠を仕掛けたガロアにはあの場所に罠があると分かる目印となる。

足元のトラばさみに足を砕かれ男は呻く。

さらにトラばさみに絡まっていたまた別のロープの一部が切れて一気に男の首元に巻き付いた。

 

「ぅごっ、ごぁ、か」

 

「なんだ!?くそ、罠か!?持ちこたえろ!」

ロープの片方に巻きつけられた岩が落ちると同時に締まり、男は足にトラばさみが挟まったまま木に吊るされた。

首はぎりぎりと締まっており、なんとかはずそうと指でひっかくが肌を傷つけるばかりで食い込んだロープはどうにもできない。

 

「!あっ、がっ!!」

 

「待ってろ!今、くそ、このロープ、ワイヤーが入っている!」

 

「違っ、ぐぶっ」

ロープを切るのに必死な男は、とうとう吊るされた男の言いたいことを勘違いしたままだった。

吊るされた男の目にははっきりと弓矢でこちらを狙う子供の姿が見えているのに。こんなに暗く深い森に子供が?と消えゆく命を感じながらゆっくりと冷静なことを考えていた。

 

どすっ、と音がして鮮血を首からまき散らしながら必死にロープを切ろうとしていた男は声も出さずに絶命した。

 

(…、…やっぱり…近づかなければ…)

灰色の眼をした少年が何の感情も見せずにただ自分が死にゆく姿を木の上から見つめているのが現実なのかすら分らぬまま男は窒息死した。

 

 

 

 

 

(…明日、また様子を見に来よう)

裸にして吊るした二人の死体の足元に罠を仕掛けたガロアは、二人の衣服で作ったロープの強度を今一度確認しながら思った。

運が良ければこの死体を食べに来た動物が罠にかかるはずだ。そうでなくとも好奇心旺盛な動物ならば近づいてにおいを嗅いだりする。

そのまま死体を食べてしまえばよかったのかもしれないがこの前読んだ医学書では、人が人の肉を食べた場合に罹る病気についての記述があり、それはかなり治療が困難な物だった。

 

(…有効活用…とは違うか)

労力に見合っているかと言えば微妙だ。腐って利用できなくなった肉を使った方がずっと楽なのだから。

期待していた荷物も大した物はなかった。今更銃が増えてもありがたくない。銃弾は口径が合わなかった。

 

首をくくられて息絶えた男のポケットに入っていた『ずっとあなたと一緒に サラ』と裏に彫られていたもう動いていない腕時計を遠くに放り投げ、

弓で殺された男のバッグに入っていたサラミを齧る。かさばるだけだというのにボードゲームの駒と板が大事にしまわれていたが、ルールが分からないので捨てた。

ウォーキートーキーに聞けば教えてくれるのだろうが、どうでもよかった。何やらなんのために使うのか分からない薬と、小さな袋に入ったぬるぬるしたゴムのような物を手に入れたが、

これは何かの使い道があるのかもしれない。持ち帰って調べて見ることにした。

 

(血の臭いがする…あー……血の臭いがとれねぇ……)

どれだけ消毒しても手から血の臭いが消えてくれないような気がする。

そのうち手を洗い過ぎて血が滲んできてしまった。もう一度臭いを嗅いで顔をしかめた後ガロアは立ち上がった。

 

(もう五回目か…)

この森で(と言っても相当広い森だが)、人と出くわすのはもう五度目となる。ガロアは知る由はないが、赤道から緯度±60度以下の場所、

つまり人の過ごしやすい場所が主な戦場だったためやはり汚染が酷く、最早汚染を逃れている場所は北極南極にごく近い場所か海の上あるいは島国ぐらいしか無かった。

無論、探せば汚染を逃れている場所は点在しているが、地上を這い回る人々が汚染に怯えてその場所に留まるよりも、汚染を避けてそう動くのは当然の事だった。

 

(……来なければ死ななかった)

そんなことはガロアには関係ない。自分の縄張りだと思っている場所に踏みこんだら殺すだけだ。森で迷わずに歩くのはかなりの慣れが必要だ。

あのままいけばどうせ他の獣かバックに殺されていたとは思うが、もし万が一ひょっとして自分の家を発見された場合、大人二人と真正面から戦って勝つ自信はない。

子供だから助けてくれるかも、許してくれるかも、なんて考えは最初からなかった。物心がついた時からだ。だからこそ、今もこの場所で生きている。

何よりも、最初に街で出会った人間に殺されかけてから、ガロアにとっては人というのも獣と同じくらい危ない存在でしか無かった。

 

(変わらねえよ。俺もお前らもそのうち土に戻る。それだけだ)

 

(でも………バックに殺されたらもっとぐちゃぐちゃになっていた)

自分が直接この森で人を殺めたのは三回だが、人の死体や白骨化した遺体を見たのは10回では済まない。

食い荒らされているものもあったが、踏みにじられて骨交じりの肉団子になっていた死体はバックに殺された物だろう。

死ぬにしてもあんな死に方はごめんだ。そう思いながら食料をがつがつと乱暴に口に入れていく。家にいると行儀よくしろとウォーキートーキーがうるさいのだ。

どうせ誰も見ていないのに行儀良くしてなんの得がある?この世界には自分しかいないのだ。自分が行儀悪くしても機嫌を悪くする人間も叱る大人もいない。

ガロアの精神はこの白い孤独の中で確実に摩耗し、徐々に人間性が削ぎ落されていっていた。それもこれもただ生きる為だった。

本来なら青春を謳歌し、恋をして性を知る年なのにただ一日を生きることしか頭になかった。

 

その時、ぴくりとガロアの癖毛が動いた。

 

「…!」

ガロアは反射的にそばの草むらに向かってショットガンを向けた。

 

引き金を引くのとオオカミが飛びかかってくるのは同時だった。

気の抜けたような高い音が森にこだまして鳥が一斉に飛び立った。

 

(馬鹿な奴…狙うなら隣の肉袋を狙えばよかったのに…)

頭蓋が砕け散って即死したオオカミは明らかに自分を狙っていた。血の臭いに釣られてきたのだろうが何故よりにもよって生きている獲物を狙うのか。

既にガロアの研ぎすまされた感覚は人間の域を超越していた。その代り、もう人間をほとんどやめてしまっていた。

 

(……あ?)

しゃがみ込んでオオカミの脚を縄で括っていると更に草むらから何かが飛び出してきた。

 

(…!犬!?)

銃を構えるのが間に合わず、熊の皮から作ったガントレットのついた右手を差し出すと、首輪の付いた犬が唸り声をあげながら噛みついた。

人間もそうだが、動物達はそれ以上に敏感に察知して汚染から逃げていたのだった。

この場所はそんな動物達が集まる野生の宝庫となっており、その点だけで見ればこの場所に限ってはどの時代よりも命の溢れる大自然となっていた。

 

骨が軋むような痛みを堪えながら周囲を見渡す。

人の姿は無く、その犬の目を見れば隠しようのない憎しみが浮かんでいた。

 

(飼い犬だったのか…人を恨んでいるのか?)

殺意よりも憎しみが先行し、命よりも痛みを与えようと必死に噛みついてくる。

押し倒されて死体となったオオカミの上に乗ってしまった。

 

(捨てられたのか?主人を失ったのか?可哀想に)

こんな時代だ。捨てられることもあるだろうし、主人を失うことも珍しいことでは無いだろう。そしてどちらにしろそれは人間のせいだった。

間違いなく命の危機だというのにガロアは腕の痛み以外に何も感じていなかった。

 

(でも死ね)

腰から抜いたナイフを目玉に刺しこむと大した抵抗もなく柄まで入っていった。ピクピクと動いていたが中を掻きまわすように動かすと完全に動かなくなった。

 

(雌…狼の方は雄か。…一匹狼と番だったのかな。はぐれ者同士お似合いだな)

死体を重ねてその上に座る。この野犬にそそのかされて襲ってきたのか、それとも元々馬鹿だったのか。もうさして興味が無かった。何を考えようが事実としてこれはただの死体だ。

ガントレットを外すと血が滲んでいた。牙で傷がつけられたのではなく、金具がズレてしまったらしい。放っておくには少々傷が深く広かった。

 

(しょうがねえ)

布を噛んで食いしばり、消毒薬をかける。痛みで涙が滲んだがそれでも生きている感覚はした。

そのまま布を食いしばりながら針で傷口を縫っていく。

 

人と獣の死体の傍で小さな子供が何の感情も無い顔で傷を縫っている光景は異様だったが、それを見る者は誰もいなかった。

今のガロアは蛹のように心に動きがない。その殻を割って出てくるのは果たして。

 

蝶では無いことだけは確かだろう。

 

 

 

「……」

倉庫に向かって歩く足音も小さいが、何故か足だけは体に不釣り合いなほど大きく、

きちんと栄養を摂取していれば大きくなっていたのであろうことは間違いない。

この年にしては小さい、と言いつつもアジェイがガロアが10歳になる前に買った服はさすがに小さくなっており、

かなりぶかぶかだがアジェイの服を折りに折って着ている。街からとってこようとはたまに思ったが、結局食料と薬と弾薬で一杯になるのでやめた。

ちなみにアジェイと今のガロアの身長差は40cm以上あり、そんな服が似合うはずがない。

殺したオオカミと野犬をずるずると引きずって冷凍庫に入れる。予定外の収穫だが、それでも明日も狩りはやめない。何もしていないと頭がおかしくなりそうだった。

 

(一応…明日の天気を見たら家に帰ろう)

倉庫にあるコンピューターで天気などが見られることがわかってからはほぼ毎日起動している。

眼に絶対の自信がある分、視界がかなり限定される大雪の日の狩りや戦いなんかは出来る限り避けたい。

今は短いながらも雪の降らない夏なのでそう天気を心配する必要はないが雨なんかはやはり避けていきたい。

 

(明日は…晴れか。それなら………………ん?)

正直なところ、あまり当てにはならない天気予報のサイトを見ていると一つのニュースが眼に飛び込んできた。

 

 

『ラインアークの英雄ホワイトグリントのリンクスはやはりアナトリアの傭兵説が濃厚か』

 

 

(え…?)

 

 

 

叩きつけるような雨音が二重窓を超えて耳に届く。やはり天気予報は当てにならない。人工衛星で空から見ているくせにここまで外しまくるのはどういう事なんだ。

まだ外で空気を感じて空を見た方が天気は当てられる。

 

家に帰って夕飯を作って食べて、窓際の椅子に座る。

ずっと上の空…いや、一つの事を考え続けていた。

 

(生きていた…?あの戦いに全部勝って生き残ったってことか?)

 

海馬から誤作動のように眼球の裏に映し出される映像は殺した動物の割いた腸。

 

(そうか…そうだよな…父さんは負けた。奴は生き残った。それだけだよな)

 

人を殺した時の不快な感触が鮮明に蘇る。見開かれた虚ろな目には何も映ってはいない。

 

(俺も…俺もやっていることだ…殺して生き残る…そういう風に出来ちまっているんだ…この世界は…)

今日も殺した。この前も殺した。悪いことでは無い。だってそういう世界なんだから。

これが悪いなら今生きている人間は全員救いようのない悪だろう。

 

≪英雄≫

 

≪ラインアークの守護神≫

 

≪民衆からの支持≫

 

過呼吸による酸素供給不足で曖昧になった視界で見た文字の数々が脳をきりきりと締め付けていく。

 

(それが正しい世界の形なのは間違いないのに…なら…この俺の苦しみはどこから来る?)

父の遺書を見て以来、痛み以外では流れなかった涙が熱く流れてくる。

頭痛、発汗。明らかに普通の状態では無かったガロアに洗い物をしていたウォーキートーキーが声をかけてきた。

 

「ガロア様、体調が優れないようデスガ」

 

「……」

角ばった身体に泡をつけながら出す機械的な声が頭に響き渡る。

 

「ガロア様?」

 

『ウォーキートーキー…英雄ってなんだ?』

 

「英雄?Heroのことデスカ?敬慕の的となる人物、もしくは物語の主人公デス。一般的には弱きを助け強きを挫く勇気ある者が英雄と呼ばれて尊敬されマス」

 

『正義の味方ってことか?』

 

「そうデスネ…同義という訳では決してありマセンガ、偽りの英雄でなければ、人の道に背きながらなれる英雄なんてモノはアリマセン。正義の味方と言っても差し支えないデス」

 

頭と胸を壊そうとする痛みが最大になった。それってつまりどういうことなんだ?

 

『俺は強いのか?』

 

「質問の意味が分かりマセン。デスガ、身長、体重も恵まれているとは言エズ、加えてガロア様は言葉が話せマセン。その上幼くして家族を失う事になりマシタ。身体的かつ社会的弱者、という評価が妥当デショウ」

機械的に、言葉を避けるようなことはせずにズバズバと言ってくる。

 

≪弱きを助け強気を挫く者、英雄≫

 

(…?なんだ…?なんなんだ?)

 

「どうかしマシタカ?」

 

『続けよう。俺は悪か?』

 

「質問の意味が分かりマセン。デスガ、ガガガ…、ワタクシの観さ、イエ、見た限りでは悪と評される行動をしているようには見えマセン。ガロア様はただ生きているダケデス」

 

「……」

 

「タダシ」

 

『ただし?』

 

「正義でアルカ、と聞かれるとそれは決めかねマス。人道的な行動をしようにもこの場所では何もできませんカラ」

 

『そうか……俺は…悪でも正義でもないのか‥』

 

「そもそも正義と悪というのは一方的な決めつけであることが大半デス。だから戦争は終わらナイ。多くの賢人がそう言いマス」

 

≪常々話していたな、この世には正義も悪もないと。見方によって変わるだけだ≫

 

(く…う…あが…気持ちが…悪…い…)

雨音。傾く視界。ガロアの記憶はここで一端途切れている。

 

 

人であれば伸びる愛憎の鎖からは逃れられず、愛憎広がり善悪生まれる。生き物の中で唯一人間だけに課せられた業。

 

ガロアは立ち向かう。立ち向かわねば最早ガロアがガロアとして生きることが出来なくなるからだ。

 

 

 

「…………!……」

気が付けば部屋のベッドの上にいた。

 

(…気絶?…したのか……)

時間は分からないが、午後11時以降だということは分かる。

設定でウォーキートーキーは11時以降は充電器の上で待機モードになるようにしており、

実際今、ウォーキートーキーは机の隣の充電器の上でスリープモードになっているからだ。

 

「……」

いつの間にか寝間着になっていた。よくまぁあんなトングもどきみたいな手で器用に人間の服を着替えさせられるものだ。

ベッドから降りて額にべっとりとついた汗をぬぐい部屋の出口へと歩いていく。

 

「どこに…ジジッ…行くのデスカ」

赤いカメラアイも切れており、完全にスリープになっていると思っていたウォーキートーキーから声が聞こえてくる。

 

『待機モードになっているんじゃなかったのか』

 

「ガッ、ガガガ…心配ナノデス」

 

(また…プログラムだからってやつか?頼むからこれ以上…俺を…)

 

『命令だ。明日の朝までその上で黙ってじっとしてろ』

 

「了解デス」

 

(いらつかせないでくれ…)

 

 

 

 

 

 

 

 

夕刻の雨が嘘のように外は静まり返っている。

森の動物たちは息を潜めているかのようだ。

 

(狩ろうにも…これじゃあな…)

家から持ち出した猟銃を置いて森を歩き出す。

この辺りは水はけがよく雨が降っても翌日には乾いた土のみが残るが、流石に数時間前に降った雨が消えてなくなることは無かったようだ。

靴に纏わりつく泥が気色悪い。

 

(…オーロラか…)

細い月を隠すように空に浮かぶオーロラはまるで星が砕けて夜空を覆う霧になっているかのよう。

 

(苦しい……一人ぼっちだ…)

満天の星と輝く月、煌めくオーロラの下で泥に足を取られながら歩く。

冬の気配が近づいてきたのか肌を刺すような寒気を感じ、一層孤独が際立つ。

 

(俺は何なんだ…こんな森で…父を殺した男が祀り上げられているのを知って苦しんでいる…)

 

(でも…そもそもなんで苦しんでいるのかが分からねえ…)

 

(……前からずっと…苦しかったけどな…。生きることは…苦しみなんだ…)

誰か助けて。

これぐらいの年の子供ならば、どうしようもない苦悩に苛まれたときにそう叫ぶのが普通なのだろう。

ガロアにはそう言う大人もいない。そう言う言葉も無い。そう言おうとする考えも無い。

生きるも死ぬも全てが自分の責任の世界で生きているからだ。…………苦しくないわけがなかった。

 

 

…オオオオオオ…

 

(この声…バックか!?)

地響きのような音はあの化け物鹿から発されたものに違いない。

思えば腐れ縁とも言うべき長い付き合いだ。父の話通りならば奴は自分と同い年だと言う。

 

(………!?ホッキョクグマ!?なんでここまで!?)

木の上に登り、声のした方を向くと月明かりを反射する白い毛皮が見えた。

バックかと思えば身体中から血を流すホッキョクグマだった。時々ならば見かけることも有るが、それでもこの時期にここまで降りてくるのは珍しい。

 

 

「ブオォオオオオオオ!!!」

 

 

(バック!!)

木陰から飛び出した白い影は間違いなくこの森の暴君、アルビノのヘラジカのものだった。

手負いのホッキョクグマに向かって突進し間の木々をへし折っていく。

 

(地形を変える気か!!あの野郎!!それにしても…デカい!)

地上最大の肉食獣であるはずのホッキョクグマが仔犬のようなサイズに見えてしまう。

それぐらい桁外れにバックは大きい。巨大な角がまともに当たりホッキョクグマの両腕から骨が飛び出た。

 

(もうだめだな…あいつは…)

と思った瞬間に突進を受け止めきれなかったホッキョクグマは崖に激突しバックの角に挟まれて口と肛門から臓物を噴き出して絶命した。

 

(運の悪い奴…大人しく海でアザラシでも捕っていればよかったものを…)

ピクリとも動かなくなった死体に眼をやり記憶を探っていく。確かホッキョクグマの肉は寄生虫に気を付けなければならなかったはずだ。

体重7~800kgはあるように見える。しばらくは食事に困らないだろう。

 

(……あ?)

その時、ガロアは信じられない物を眼にした。あらゆる動物学者にとっては当然の光景かもしれないが、ガロアの知るバックには絶対に有り得なかったことだ。

何頭ものヘラジカがホッキョクグマの死体から離れていくバックの元へと寄り添っていくではないか。

 

(な…?あ……?どういう…ことだ…?)

ヘラジカは元々群れをなして生きていく動物だが、あの気狂い鹿は同族だろうが肉食獣だろうが突き殺して何物も近づけなかったはず。

ガロアが混乱していると一頭のメスのヘラジカがバックの首に自らの首を擦りつけて息を吐いた。

 

(群れの…長になっていたのか?お前…あれだけ…殺しておいて今更…?)

何頭もの鹿の先頭に立って歩きはじめるバックの赤い目にはかつてのような狂気は見られない。

泰然自若と構えてそれでいて威風堂々としている。ちらりと視界を何かが横切った。

 

(…初雪か。また…長い雪の季節が始まる…)

いつの間にか雲がかかった鈍色の空からはしんしんと雪が降り始めて、この森で一番巨大な動物の姿を白く掻き消していく。

 

(アナトリアの傭兵は英雄…お前は森の王…俺は…俺はなんだ?…俺だけが何も変わっちゃいねぇ…)

 

(…っ…。…………!!)

木上でぎりぎりと歯を食いしばり鳴らしていると雪の向こうからバックの赤い眼光がガロアを射抜いた。

 

(見つかった!!クソ!!武器を持っていない!!……え?)

細い木の枝の上で狼狽してしまい、落下しそうになっているとその視線は興味を失くしたかのようにふいっと別の方向を向いてしまった。

 

(そんな…お前…もう俺を殺しに来ないのか…)

幾つもの足音と共に遠ざかって行くバックの気配。

そんな感覚が自分だけが何も変わっていないのではないかという思いに拍車をかける。

 

(群れの敵だったのか?あのホッキョクグマは…)

何故?奴に近寄る動物など、同種も自分も含めていなかったというのに。

何故そんな奴が長になっているんだ。

 

(!…そうか…お前…)

先ほどの首を愛おしげにすり合う姿が思い出される。

 

(殺すのをやめて…弱い奴を救うようになったのか?ただの暴力の塊には…何も寄ってくるはずがないもんな…)

いつからか。それは分からない。ただ分かるのはいつの間にかバックは強い敵を追い払い、弱い同族を守るようになっていた。

それがそのまま長になっていたのだろう。

 

(散々殺しておいて…今更群れを守れればそれでいいだと…そんなことが許されると思ってんのか)

森を歩けば血の臭い、辿れば簡単に見つかる無残な死体。辺り一面を踏み散らかした蹄の跡。

気が付けばそんな暴力の権化に一方的な親しみでも覚えていたのか、純粋な暴力の塊のバックは嫌いでは無かった。

バックとの凌ぎ合いはガロアに生の感覚を与えてくれる数少ない戦いだった。

 

血肉が沸騰するような怒りで赤い癖毛が逆立つ。ガロアの掴んだ場所から木に殺意が染み込んでいき、葉がはらりはらりと落ちていく。

敏感な小動物や虫は来る冬への冬眠を中断し逃げ出していく。

 

人は生きている限り何かに夢中になり狂乱する時がいつか必ずくる。

心の中に燃え上がるのを今か今かと待っている火種やろうそくがいくつもあるのだ。

 

一つのろうそくもついておらず、死んだように生きていたガロアの火種の全てに突然火が付いた。

 

小さな身体を食い破らんばかりの凶悪な殺意だった。

 

 

(俺もお前も…今更変われやしねぇ。虫のいいことを考えすぎたな…いよいよ…お前も土に還るときが来た)

鼓動は幼い身体を爆発させそうな速さとなっておりガロアの身体に触れた雪が次々と溶けていく。

 

(お前は王じゃない)

食いしばった歯からは毒を持つ蛇が鳴らすような音がなり、渦巻く灰色の眼が剣呑な光を放った。

 

生まれては死ぬという自然が守られているこの森で、新しい獣が一匹生まれた。

 

 

 

例年よりも遥かに厳しい冬が来た。連日のように叩きつける雪がこの地方に住まう生き物全ての命を奪おうとする。

生い茂る木々と濃い雪は5m先も見えない程だ。

バックは分厚い毛皮に雪を受けながら森を歩き回っていた。

 

群れの長になったはいいが、何故か昨日から一匹足りない。

群れからはぐれるなんてことはよくあることで、ヘラジカの巡回するコースは決まっているのでぐるぐると動いていればいずれ再会できる。

だがそんなことが問題なのではない。森一帯を濃厚に包む殺気、そして漂ってくる血の臭い。野生の獣の勘は最大級の危険の鐘を鳴らしていた。

 

「ブルルルル…」

オオカミよりも白熊よりも危険な動物がこの辺りにいる。

 

 

 

 

(そうだ…ここにいるぞクソ野郎…俺を殺しに来い。殺してやる)

 

 

 

 

「ブルルッ」

血の臭いと殺気が強くなる方へと巨大な蹄を雪に埋もれさせて歩を進めるその姿に恐れはなく、まさしく森の王者であった。

 

出入り口…少なくとも四足歩行の動物が出入りできる場所はそこしかない窪地に足を踏み入れる。

そしてそこには探し続けたはぐれた群れの一匹、メスのヘラジカの惨殺死体があった。

 

「ブオオオオオオオオオオ!!」

 

 

(このメスはテメェの子供を身籠っていたな?)

 

 

「ブルルル……」

バックの赤い目に暫くは欠片も無かった狂気が宿り始める。

荒々しく切り刻まれたその死体の首は皮一枚でなんとかつながっているが、

噛み裂かれたようにギザギザと痕がついた腹からは趣味の悪い芸術作品のように腸が飛び散り心臓肝臓が外に転がり出ている。

当然、生きていない。犯人の隠しきれない残酷さがにじみ出ているかのようだった。

 

 

(美味かったぞ…テメェの子供は…)

 

 

バックの目の裏でまるで見てきたかの様にそのメスの死に様が再現されて行く。

頭上から強襲され、凶悪な武器で嬲り殺され、引き裂かれていく様が。悪魔の所業だった。

 

 

「……」

鼻をつく血の臭いに紛れて感じる人間の臭い。この死体の周囲で一番濃厚になっているのは当然だろう。殺したのはその人間しかいないのだから。

何度となく遭遇し何度となく逃げられた人間の姿が思い返される。

 

(そうだよ…人間の気配を感じるだろ…?でもどこにいるかわからねえだろ?怒れよ、怒れバック…)

 

「…ブルルッ…」

死体から何本もの縄が伸びて周囲の木々に結びついているが、バックにはそれが何なのかはよく分からない。だが、人間の仕業だという事はよく理解できた。

 

対面の崖には赤い血で大きく「BUCK,NO WAY BACK」と書かれていた。もちろんバックにはその意味など理解は出来ない。

だが、野生の暴力の権化であるバックの勘が告げていた。森の王である自分に挑む者が来るのだと。

 

「……」

死体の腹から伸びる縄の一本の向かう先へと目を向けた瞬間、

 

ズルッと死体から腸が零れた。

 

(死ね!!)

身体中に縄を巻いて血塗れのガロアが手にチェーンソーを持ってメスのヘラジカの死体の中から飛び出したのだ。

 

ビィイイイイイイイン!!と自然の中では聞くことの出来ない不快な高音が響き渡る。

 

「……!!」

 

(もう遅ぇ!!)

ガロアの手で唸りをあげるチェーンソーは街で手に入れた電気とガソリンで動く最新式で、エンジンをかける必要も無くスイッチ一つで起動し、

僅か0.2秒で秒間回転数が500に届くという森林伐採用には過ぎた代物だった。

 

ガッ

 

(嘘だろ)

だが、そんな文明の利器もバックの角に触れた瞬間に思い切り弾かれ明後日の方向へと吹き飛んでしまった。

 

「ブォアアアアア!!」

 

(死、んだか)

ガロアのその感想に反してドンッ、と軽い音が響いた。

バックはただ軽く小突いただけだった。それでも巨大な白熊を一撃で圧殺せしめるバックだ。

ただそれだけでガロアの小さな身体は木の葉のように宙を回転しながら舞い、その頭突きをもろに受けた右腕はあらぬ方向へと曲がり、

ヤマアラシの針のような毛に削られた首筋の肌がぐずぐずになってしまっている。そのまま崖にまで吹き飛ばされ思いきり衝突した。

 

(ぐっ………)

衝突した時に首が可動域を超えて上向いてしまい、一瞬意識が飛んだ。

 

「ブルル……」

弾き飛ばしたガロアに数秒目を向けたあと、バックは出口へと方向転換してしまう。

その目には既に狂気も敵意も無い。

 

(ぐ…ぅ…何を…見下してやがる…ケダモノがぁ…)

その対比のように地にひれ伏しているガロアは焦げ付くほどの怒りに心臓の鼓動を速め、歯の隙間から血の泡を噴きながら森へ帰ろうとするバックを狂気の宿る眼で見つめる。

言葉は出なかったが空を切り裂く呼気が喉から出た。異様な呼吸が更に鼓動を速める。

 

(憐れんでんじゃねぇぞ!!?)

動かなくなった右腕に括り付けておいたナイフを掴み、身体中に巻き付けておいた縄を全て断ち切った。

 

その瞬間、窪地の周りの木々からシュルシュルと何かがほどける音が聞こえ、出口へと向かうバックに縄で括られた丸太がダース単位で襲い掛かり避けきれずに衝突した。

 

「オッ、アアッ」

ブランコのように勢いをつけた丸太に脚をやられたと見え、立ち上がろうとして右前脚が上手く動かずにバックは再び地に伏せた。

 

「シッッッ!!!」

空気が爆ぜる音を歯の隙間から出しながらナイフを投げる。

もちろんガロアはナイフ投げの訓練など受けていないしフォームも滅茶苦茶だったために真っ直ぐには飛ばずに回転しながらバックへと向かう。

刃の部分が当たるだけでも上等だったはずだ。しかしガロアの死神めいた悪運のせいか、その刃はバックの右目に突き刺さった。

神様だとか、勝負を決める何かそれらしきものがいたとして、この時点でそれがどちらに味方しているかは明白だった。

 

「ガッ、!!…」

 

(吼えるだろう?)

怒り、痛み、爆発する感情。バックは次の瞬間吼える。間違いない。

だがそれを実行に移すにはどんな生物でも必要な過程がある。息を思い切り吸いこむことだ。

へし折れた右腕の痛みはアドレナリンにかき消されどこかへ消えていた。今にも空気を肺一杯に吸いこもうとするバックに懐から取り出した袋を投げ付けると黒い粉が舞った。

ガロアがいくつもの弾丸を分解して取り出した火薬である。黒い霧が一気にバックの中へと吸いこまれていく。バックに銃は通用しない。だが。

 

(ぐちゃぐちゃにしてやる)

空に舞う火薬にライターで火を付けた。

 

ボッ、と自然ではあり得ない音が森を成す木を揺らす。

ガロアは爆発に巻き込まれなかった。足が雪に埋まった状態だというのに、その場から後ろへ数mも跳んで退いていた。

明らかに肉体の限界を引きだしている。爆発にもろに巻き込まれてしまったバックは、焼けた肺から血を吐き、純白の毛皮も焦げて煙をあげている。

 

「グガァアアアアアアア!!!」

血を口から巻き散らかしながら、小動物ならそれだけで命を失いかねない爆音でバックは吼え、鼓膜を超えてガロアの三半規管までもが揺れて堪えられない吐き気が襲いかかった。

 

「グッ、ブッ!げぇえええええ、!!……、…ペッ」

吐き気に逆らえずにガロアは不気味に膨らんだ腹の中身をぶちまけた。

身体中を血に染めたガロアの口から更に深い赤色の物が出てくる。胃液にまみれた獣の肉である。

最後に吐きだした物は丸い形をしていた。もうすぐ生まれていたであろうバックの仔の目玉であった。

 

「ガァアアアアアア!!」

バックの赤い目に狂気が戻ってくる。この姿をしたバックに近寄る生き物など皆無のはずなのにガロアはそれを見て口の中の肉を吐きだしてから極上の喜びだと言わんばかりに笑った。

 

(この仔は母の屍の腹で俺に貪り食われて外の世界も見れずに死んだ…お前の仔だからだ、バック)

 

「ブルルルル…!」

ふらつく脚も、痛みも無視してバックがこちらに向かってくる。

街で見るトラックよりも大きいその圧倒的な存在感はやはり森の王に違いない。

 

(何も戻らねえ、戻れやしねえんだ)

ブチブチと乱暴にボタンを引き千切って血染めのコートを投げ捨てる。

 

「ブルアアアアアアア!!」

 

(ここで惨たらしく死ぬがいい)

真っ赤に染まったマフラーがバックとガロアを結ぶ赤い糸のように雪原の上に落ちた。

 

獣は勝てない相手には挑まない。だがガロアの頭の中に響くのだ。

代償を恐れるな。死を恐れるな。戦えと。悪魔、亡霊、鬼。そう呼ばれる者共の声なのだろう。

 

(ああ…分かっている…こんなもん…惜しくもなんともねえ…いつだって捨ててやるさ、この一瞬を魂に賭けて生きれるのなら)

体温が上昇していく。ガロアの周囲に薄い膜でもあるかのように、ガロアの肌に触れるかどうかの場所で雪は溶けていく。

地獄へと続く螺旋階段のような眼が強烈な光を帯びた。

 

(テメェと俺の…)

背中にくくり付けた小さなガロアには大きすぎる大型のナイフを左手に握る。アジェイが用いていた物だった。

 

(本能の違いを教えてやる!!)

爆発的な鼓動を続ける心臓が全身に血液を過剰に送り、血に染まった顔が更に赤くなった。

今この瞬間、ガロアの脳が設けていた身体のリミッターが完全に壊れ、握りしめたナイフの柄にヒビが入る。

殺し合う二匹の獣を包む空気すらもその場から逃げる様に二匹を中心に風が巻き起こり、樹上の雪が落下していく。

 

「オアアアアアアア!!」

天を仰ぎ咆哮するバックに向けて痛む身体を広げたガロアも歯を剥く。

ガロアの小さな体から冥々たるどす黒い殺気が漏れだしバックの咆哮と共鳴し森を揺らしていく。

遠くでその戦いを感じ取っていた老熊が心臓麻痺を起こした。

 

(そうだ!!その姿がお前の本当の姿だろう、バック!!殺してやる、殺してやるぞ)

地割れが大地を裂くように波紋の浮かぶ灰色の眼が充血して赤く染まっていく。その瞬間ガロアの体感する時間の速度は限りなく0に近づいた。

動きのない地面は音も立てずに崩れて視界から消え去り白い空は黒く染まった。動く物だけがガロアの眼に映る。無数に降る雪の数すら刹那の時間で数え終わり、真後ろで落下する木の葉すらも捉える。

右脳がフル回転し、こちらへと向かって全速力で走るバックの歩幅を誤差なく捉え、辿る軌道の全てを映し出した。

この瞬間、バックの運命は決まった。一秒後にバックがいる場所に踏みこみ喉を裂く自分の姿すらも見えたのだ。

耳に届く全ての音が生死関わりなく奏でられる生命のワルツ。自分も、バックですらも弱肉強食の舞台で踊るだけの演者だった。

 

「オオオオオオオ!!」

頭を下げて突き出された巨岩と見紛うばかりの角を、一歩前に踏み出して地を舐める様に深く潜り込んで回避する。

バックの赤い目は、更に身体中を赤くしたガロアが凶暴に笑うのを最後に見ていた。

 

「カッ!!」

ガロアが真っ赤に染まった歯を打ち鳴らす高音が雪原に響き渡る。

砕ける程に噛みしめた歯を通じて左腕、脊髄、右脚が一直線となり地面を完全な形で踏みしめた。

 

ズブッ、とバックの鎧のような筋肉を冷たい金属が貫いた。

 

(じゃあな。テメェの…白さが嫌いだった)

体高は3倍、体重に至っては20倍近くの差があり、生物としてまともにぶつかり合えば敵うはずも無く、手にしたナイフも普通ならば体重が足りずに毛皮に弾かれる筈だった。

だが、小さなガロアを突き飛ばすためにバックが頭を下げた事、偶然にもガロアのナイフから軸足となった右脚までが地面に一直線となった事が作用し、

バックはさながら大地から生えた剣に自分の全体重を乗せて喉から刺さりにいくことになった。

 

「……」

勢いをつけて走り出したのが急に止まれるはずも無く、ガロアに大量の血を浴びせてぱっくりと気管が縦に裂けたバックは断末魔をあげることも無く死んでいった。

 

「カッ…ガハッ…カッ…」

魂から叫ぼうとして吐き出す空気は声帯を揺らさないがそれでも喉をズタズタに切っていき、ガロアは血を吐き出した。

喀血しても叫ぶまねごとをやめずにバックの死体の前で天を仰ぐ。

 

(俺がこの森の王だッッ!!!)

動かなくなったバックの角を踏みつけて森へと叫ぶ。もちろん声は出ていない。

 

(こいつに代わって俺が秩序になる!!)

音は出ていなくても森に住む全ての獣は生態系の頂点が入れ替わったことを鋭敏に察知していた。

 

(怯えろ!!竦め!!これからは俺が支配する!!俺が脅かしてやる!!眼があった奴は皆殺しだ!!)

新たな王の君臨に森がざわめく。これからはどんな動物もガロアの姿を認め次第逃げだすだろう。その証拠に…

 

(ウルフパックの…長か…)

崖の上から一目で歴戦の戦士だと分かる様なオオカミを先頭に群狼がガロアを見下ろしていた。

ガロアは小さな子供で、しかもそばには良質な肉の死体が転がっている。千載一遇のチャンスのはずだった。

 

(殺すぞ)

ガロアの渦巻く悪意の波紋が浮かぶ眼と目を合わせぬように全てのオオカミが尻尾を巻いて逃げだした。

かつてのバックがそうであったように、ガロアはこの瞬間に狂王になった。

 

「……」

バックの虚ろになった赤い目が自分の方を見ていることに気が付き、あどけない顔を邪悪な笑みで歪めて、ガロアは声を出さずに口を動かしバックの死体に囁いた。

 

『大丈夫。今日から俺がこの世界を地獄に変えてやる』

 

 

 

 

 

(父さん、見てよ)

 

ズズッ ズズッ

 

(こんなデカい獲物を仕留めたんだ。俺がやったんだよ)

 

(暫くは罠の点検だけでいいよね)

 

(だから、もっと色々教えてくれよ)

 

ズズッ ズズッ

 

(もっといっぱい…まだまだ教えてもらいたいことがあるんだ、俺)

 

(もっといっぱい、あったんだ。……あったんだ…それだけだったんだ……)

 

ズズッ ズズッ

 

「……ジジッ、……ムムッ?」

ガロアの命令で家の周りの雪かきをしていたウォーキートーキーは奇妙な音が接近してくることを感知した。

 

「ナッ……」

雪の上をなめくじのようにゆっくりと滑るそりの上にはウォーキートーキーの記憶領域にある偶蹄類からは完全に逸した大きさのシカが乗っていた。

それを引いているのは同年代の子供よりも小さな身体をした真っ赤なガロアだった。

 

「ナンデスカ…それハ!?」

 

『……晩飯』

ウォーキートーキーの記憶領域にある『子供』とタグづけられた画像とその姿はかけ離れ過ぎていた。

 

 

 

幸いにも性質の悪い折れ方はしておらず、一か月もすれば治るハズ、とウォーキートーキーが治療してくれた右腕を見ながら、

ただの肉になったバックを焼いた物を口に入れていく。

 

(美味いな…極上だ…)

焼いて塩をまぶしただけの鹿肉を口に運びながら外を歩く。

森は静まり返っていた。

 

(当たり前だ…)

バックを殺したところで代わりに群れの長になれるという訳でもない。

王になったからと言って傅く者がいる訳でもない。この暗い森の一人ぼっちの王なんて一体どれだけの価値があるんだ。

 

(俺はあと…どのくらい生きればいいんだろうな…バック…)

バックは敵だった。それも何度も自分の命を脅かしプライドにまで砂をかけた敵だった。

なのにどうしてかただの肉となり果てたバックに語りかけてしまう。

 

(戻れやしない、分かっているよ)

戻りたい時が、大切だった時間がずっと頭の中にある。時間は前にだけ進み、何も戻ってこない。

じゃあ、どうして。誰がこの地獄に自分を叩き込んだ?

 

(でも戻れないとして、先に進むしかないとして)

 

(生きて生きて殺して食ってまた戦って)

 

 

 

 

 

(この戦いの向こうに、『答え』はあるのか?)

 

もうガロアに答えてくれるものはいなかった。

 

 

 

 

≪ラインアークの英雄≫

 

 

(クソッ…)

不快な記憶が脳を掠めて気分が悪くなる。

バックを殺す準備をしている間はなんとか忘れられていたが、それでももうこれからは向き合っていくしかない。

何故、自分はこんなに苦しんでいるのかを。

 

(平和の為に…弱い者の為に…戦うだと?平和が欲しくて戦争を起こしていちゃ世話がねえ)

 

(何が平和だ。何が悪だ。そんなに平和が欲しけりゃ…誰とも関わらなきゃいいだろう。ここには正義も悪も無い…)

ガロアがその考えに至ったのは幼さ、そして関わった人間が極端に少ないがため。

人の中で生きながら我を絶対として突き進むのならば、いずれ敵だけでなく味方や友ともぶつかることになるということには気が付かない。知らないからだ。友というものを。味方と呼べるものを。

人の中で歩いていけばすれ違う人だけではなく横を歩く人とも身体がぶつかるものなのだから。

 

(お前が正義なら…俺は…俺は何だ?父を奪われて…動物を殺して血を啜って生きている俺は…)

 

(悪なのか?ただ生きていただけなんだけどな…訳が分からねぇ)

 

(だって…正義の味方で…弱き民の希望とやらなんだろう?俺には希望でもなんでもない…ただお前が…)

 

(憎い)

この世に蔓延るあらゆる人の悪意から隔絶され、限りなく純粋に育ってきたはずのガロアの心に次々と芽生えてくる。

嫉妬、怒り、殺意、狂気。

純粋ゆえに危うかったガロアの心が闇に取り込まれて行く。

 

(何故俺は…悪なんだ)

暗い森は厚い雲に覆われいかなる光も届かない。

ただ幽鬼のように眼をぎらつかせる少年が歩く音のみが響く。

 

(…?あ…月が…)

気づかぬ間に足元に出来ていた影を辿って空に眼をやるとまんまるい月が覗いていた。

 

(暗い森…が…)

月の生み出した光が辺りを照らし、森に形を与えて黒一色だった世界に影を作る。

 

(そうか…正義も悪も無い…ただ…)

光が無ければそこは一切の闇だったはずだ。

 

(正義が生まれると悪も生まれる…そういう風になっているのか…)

世界が真に平和で人が完全に善なる存在ならば、正義という概念そのものが必要なかったはずだ。

そして生まれた正義は零れた物を悪とみなす。

 

(一体どれだけの人間を殺して…どれだけの人間を地獄に落としての英雄様なんだ…いったい何人俺のような人間が呻いて這い回っているんだ)

 

(そりゃそうだ…誰だって最初から強くは無いんだ…戦って…戦って…磨き上げなきゃな…)

敵の死体の上に立たなければ英雄はあり得ない。悪と決めた者どもの不幸の上に英雄の守る平和は存在できる。

 

(ただでさえ殺して奪わなきゃ生きられないんだ…そんなに守る物があったら…犠牲が必要だよな…夥しい量の)

人と接することが無くなってから早四年。

ガロアはとうとう人としての最後の欠片を投げ捨てようとしていた。

 

(許せねぇ…やるならなぜ徹底的にやらねぇ?戦争を起こしておいて…世界を滅茶苦茶にしておいて…父を殺しておいて…今更誰かを守るだと?

そんなことが許されると思ってんのか…それが正義だと思ってんのか。それが…どれだけ俺を苦しめているか…分かる筈もねえだろうな…)

心臓の動悸がまたもやおかしくなる。

肌が赤く染まり身体中の血管がぼこぼこと不気味に蠢く。鼓動に合わせて指先が激しく震えていた。

 

(俺が王だ…紛い物め…俺が王になる…!)

力には代償を。

ガロアは………孤独、障害、コジマの汚染に加え、生物にとって未来や希望とも言うべき『ある物』を生まれた日から失う代わりに凶悪な力を得ていた。

そんなもの欲してなどいなかったというのに。

 

(群れなんぞクソ食らえだ…力だ……力だけだ…個として力のみが生き残るためのたった一つの保障だ…)

脳に障害を負った影響による身体能力のリミッターの破壊。

 

(今は俺が悪でいい…そういうことにしておいてやる)

人の領域を超えた眼、獣の勘。

 

(だが…強くなった俺はテメェを殺すぞ…その時は英雄様もろとも守られている民衆も…)

神から、あるいは悪魔から授かった……

 

(皆殺しだ)

 

周囲の全てが死に絶えても生き残る豪運。AMS適性。

 

 

そして制御不能の爆発的感情。

世界の頂点に独り立つ魂の資質だった。

 

 

……ぽっかりと空いたガロアの心の孔に怪物が巣食った。

 

この世で最も高等な生物は最後の進化を遂げた。

そして進化し頂点に立った生物にその『ある物』はもう必要無かった。

 

 

その日、後にこの世界に生きる全ての者を巻き込む化物が生まれてしまった。

 

その化物を生んだのがこの世界ならば、後に起こる戦いも破滅も世界の意志なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

あっという間にCE20年となった。国家解体戦争から20年、世界は驚くほど悪い方向に転がっていった。

それでもしぶとく人間は生き延びようとしており、滅んではいない。

だが、もうそう遠くない未来に人間は人間の業に飲まれて消滅するだろう。

 

ロランは今はガロアだけが住む家の近くにヘリを降ろして、食料の詰まった袋を手にして歩き出す。

 

(最後に会ったのは…五年か?いや、六年前か?どうなったか…)

死んではいないというのは分かる。置いていった食料が毎回無くなっていることからもよくわかる。

ただ、まともに生きているかどうかは分からない。

 

(俺だったら…こんな場所に一人でいたら…発狂してしまうがな…)

ザクザクと雪に足跡をつけながら倉庫の前まで来た。

こんな単純で未来の見えない事をよく今日まで続けてきたものだ。自分でも感心する。

 

凍り付いて固くなった扉に力を入れて開こうとすると、想像よりも軽く開いた。

 

「……」

 

「ガロ…ア…?」

布団と食料、そして幾つもの本が置かれた傍の椅子に座る赤毛の少年は間違いなくガロアだろう。

年にしては小さい気もするが、それでもあの顔、あの髪、そして何よりもあの眼は間違えようがない。

 

(一体何が…あったんだ…?)

自分より遥かに…例えば、やろうと思えばこの手で簡単に捻り殺せるほど小さく弱いはずのガロアから漏れ出るこの圧力。

底すら知れぬ深く暗い闇から這い出てきた化物のようだった。

 

『今まで世話になった』

 

「あ…?」

もともと書いていたのか、そばにあった紙を取り出すとそこには文章が書いてあった。

こんな場所で人と関わらずに暮らしても字を書くことは忘れなかったらしい。

 

『最後に頼みがある』

 

「なんだ…言ってみろ…」

食料を届けていた人間が自分だという事を知っていたのか。いや、それよりもよく一目見て自分のことを「ロラン」だと認識できたものだ。

それほどよく見えるのか、あの眼は。

 

『リンクスになる。連れて行ってくれ』

 

「………。何故?」

一瞬笑みがこぼれそうになるのを抑えて問う。

 

『アナトリアの傭兵は力の使い方を間違えた。だから殺す』

 

「どう間違えた?」

 

『誰かを守って誰かを殺しているから世界は壊れてしまった。誰よりも強い者は目の前に立った者を』

 

「……」

 

『全員殺さなくてはならない。そうしてようやく』

 

「……」

 

『正義も悪も無くなる』

 

「……いい。実にいいぞ…ガロアァ…」

この考え、この表情。

愛する者も無く、命を奪い奪われる日常に身を置いてようやく得られるものだ。

これこそが自分が求めていた思考の持ち主だ。おまけに雪のように純粋な状態からこの答えを出したという生粋の鬼の子だ。

誰にそそのかされるでも無く、ガロアは自然に闇に取りこまれた。

 

「だがガロア…リンクスはなろうとしてなれるものではないぞ…知っているのか?」

それ自体が何となく馬鹿げた話だというのは理屈では無く本能で察していた。

こういう奴が選ばれてしまうから世界は理不尽で面白い。

 

『俺はリンクスになる。俺が王となる』

ビリビリと臓腑が震える。ガロアの小さな身体から漏れる異様な気配が形となり自分の心臓を握っているかのようだった。

萌芽した悪意の芽は、地獄を見て生きてきたロランの目にはよく映っていた。この凄まじいまでの大器は世界を業火に包むだろう。

 

「へはっ、はっ、ははははははははははは!!面白え…!連れて行ってやる…連れて行ってやるぞガロア!!お前の目の前に立つ敵をどいつもこいつもぶっ殺せ!!」

古き王と名乗っていた自分はまさしく古き王だったのだ。この小さな少年こそが骸の重なる戦場に一人立つ王だ。

 

「……」

 

「お前ならなれるさ!!この世界で最高のリンクス…、暴力の化身に!!災害に!!」

 

「……」

 

「お前は生きろ。生きて…この世界を見てみろ」

 

「……」

 

友と語り合う経験も、親に将来の希望を身振り手振りで話す経験も無く、少年の夢は復讐となった。

 

ガロアの人生は生まれた日から血に塗れている。

いったい誰が望んでそんな事になったのか。……少なくとも、本人は望んでいなかった。

 

 

 

 

 

 

こんなことをしていてリンクスになれるのか。

インテリオル管轄街に来て三日が経った。

 

学力テストに身体能力検査。

二つを総合してぎりぎりの合格だったらしい。

どうやら俺は身体が小さく力も弱いらしい。

 

所長の挨拶やら部屋の割り当てやらで訓練らしいことは何もせぬまま三日だ。

来週から始める、とは聞いたがよく分からん。

 

やはり街は…人は好きになれない。こんなに人がいても俺は一人なんだ、そういうことが身にしみる。

 

だが怖い物など何一つとしてなかった。失うものがないからだ。

命だけがある。だがどうでもいい。生きていたって苦しいだけだ。

何も俺を食えなかったからまだ生きている。それだけなんだ。

 

 

 

 

『俺はもうお前と会うことは無いだろうガロア。俺はテロリストなんだよ』

 

『……』

 

『リリアナって組織の長だ。もし…お前がリンクスになって俺の敵に回るようなことがあったら…殺すぜ。お前も俺をきちんと殺せ』

 

『……』

 

 

 

 

時間は平等で、世界はゆっくりと変わっていた。

父もスミカさんも死んでロランおじさんはテロリスト。

俺だけが、何も変わっていない。

 

森の王になっても捨ててしまった。

 

俺はガロア・A・ヴェデット。でもその中身はなんなんだろう。誰も俺を知らない。俺自身でさえも。

 

「おい。オイ!お前」

 

(…?俺か?)

 

「お前だよ!不思議そうな顔してんじゃねえよ」

 

「口だけじゃなく耳も遠いのか?」

 

「どうしようもないな」

 

後ろから声をかけられたかと思えばよく分からないことを喚く三人組。

 

「お前みたいにちびっこくて喋れねえ奴がリンクスだと!?笑わせんな」

 

「どうやって周りと意思疎通するんだよ?戦闘中に筆談でもするのか?」

 

「人生をかけてギャグとか面白すぎるだろ」

 

(なんだ?こいつら)

三人組の特に真ん中の奴は背も高く、目つきも鋭い。

こういう血気盛んな奴が兵士に向くと言うのはまだ分かるが残りの二人はなんなのだろう。

 

(取り巻き?まだ三日しか経ってないのにもう?…それで生きていけるのか?)

 

「おいおい、何シカトこいてんだ?一辺死ぬか?テメェ」

 

「いいじゃん、やっちゃおうぜ」

 

「どうせ喋れないんだしよ」

 

(いっぺんしぬって何だ?死んだらもう戻ってこれないだろう?でもまぁ…俺を殺して食おうってんなら…)

 

 

 

(仕方ないよな)

 

 

 

 

「な…なんだよ…その眼は…」

 

「こ、こいつやっぱりおかしいんだよ!!」

 

「普通喋れないのにこんなところに来ねえもん!!」

ガロアに詰め寄っていた三人の身体が小刻みに震えはじめる。

原因不明の震えが何となく、目の前で口も開かないこのちびっこい少年のせいなのではないかぐらいにしか分からないが、それは認めたくない。

平和な街でのびのびと暮らしていた少年達は、純粋な暴力が服を着て歩いていると言っても過言では無いガロアの異様さに気が付かなかった。

 

(……あまり美味しくなさそうだけど…まぁいいか)

戦闘が始まったとして、並はずれた視力以外は体格も技術も全て劣っているガロアだが、ただ一点、命を奪った数という点で圧倒的に違い過ぎた。

既にこの時点でどちらが捕食者なのか、三人の魂は理解していたようだ。殺意が三人を包んでいき、ガロアの口が黄泉の風のような呼気を吐きだしながらその歯を覗かせた。

 

「テメェ!!」

 

「やばい!教官だ!!」

 

「なんでこんな時間に!?」

真ん中の体格のいい少年が拳を振り上げようとした瞬間に、取り巻きが声をあげる。

 

「クソッ、テメェ、夜を楽しみにしてろよ!!死んだ方がマシだってくらいに殺してやるからな!!」

捨て台詞を残し、野生動物もびっくりの速さでどこかへ去ってしまう三人組。

残されたガロアは何も言えずにただそこにいる。

 

「……」

 

(何を言ってるんだ…死んだ者は戻らない。壊した物は戻らない。俺はこんなことをしていて本当にリンクスになれるのか)

ぶかぶかの服は、あえてガロアが選んで持ってきたものだ。

これから大きくなるのだから、今ぴったりのサイズの服などいらない、と。だがこんなことをしていて強く、大きくなどなれるのだろうか。

 

(でももう戻れない。死んだ者は戻らないのと同じ…)

 

「と、言われてもな…」

 

(!!?!!?)

ガロアの耳に飛び込んできたその声を聞き間違えようはずもない。

ガロアが記憶している人間の声などほとんどいないのだから。

 

「別に見たからと言って見た目で才能がわかるわけでも…ん?」 

記憶に違わぬ声と同じく、記憶と違わぬその姿。

 

(戻らない…嘘だ……戻らないはずだ…どうして…)

まるであの日の弱弱しい姿が、あるいは死の報せが嘘だったかのように。

いや、自分と会ったことすら無かったというように。

青い目がこちらを見てくる。

 

「……?」

 

(スミカさん…)

 

 

人の溢れる街の中で自分を見つけられない少女。

人のいない自然で自分が分からなくなった少年。

 

二人の出会いは必然か、偶然か。物語は進んでいく。

 

 

 

 

 

Lapse Of Time 完




FUCK BUCK,NO WAY BACKの方が語感がいいかなと思ったけどお下品なんでやめましたでございますわ。うんち。


この主人公、ガロア・A・ヴェデットを作るにあたって考えた要素は三つです。
一つ目は純粋さ。
言ってしまえば何色にも簡単に染まる危うさです。
二つ目が強さ。
AMS適性や肉体的な部分もそうですが、何よりも凶悪な精神を養うために厳しい自然の中で生き抜いてもらいました。
最後が心の穴。
アナトリアの傭兵が手に入れて、ガロアからなくなったもの…大切な人の存在です。
要するに、アナトリアの傭兵と真逆の存在、真逆の戦う理由を、と考えて作ったのが彼です。
首輪付きの曲である「Scorcher」が良く似合う男になるように、と。
オリ主とは言え、ACシリーズの主人公は性格も何も分かりませんからね。
fAだって若い男としかわからなかったので、頑張って(妄想して)最強たる存在を作りあげました。
後は…AC主人公だから喋れないよねとかいう安易な考えが……。


実はガロア君、セレンと出会った時が一番危険だったんですね。
そこからしっかりと教育されて一応は力の使い方を覚えます。それで強くなったのか弱くなったのかは…うーん。

脳のリミッターが外れると100%の力が出ますが、当然身体は耐えられないので人間は固く制約を受けています。
ガロア君のそれはコジマ汚染の影響でガバガバのユルユルになっています。で、セレンの元で鍛えて頑強な肉体を手に入れて…大変な怪物になりました。
脳のリミッター解除についてはセレンの記憶やホワイトグリント戦なんかは分かりやすく表現されていました。早くからはガロアを誘拐しに来た連中に相対したときなんかも出ています。
ただし、PAの急速回復はその辺とは関係ないです。また別の話。


ガロアの見た目は初期から赤毛、灰色の眼とオランダ人の特徴を色濃く書いていましたが、母親にそっくりだったんですね。
男の子は母親に似るものですから。ちなみに体格は父親に似てくる訳です。

見た目のモデルも決まっていまして、
14歳くらいまでは「二の国」の主人公、オリバーとタイ・シンプキンスを混ぜたような非常に可愛らしい見た目をしていました。
そこからセレンと出会って成長していき、「リアル」という漫画の登場人物である戸川清春とフロムソフトウェアから発売されたAnother Century's Episode3のベルクトを足して二で割ったような見た目になります。

NO WAY BACKと書いていますが、あれはどちらかというとガロア君が自分自身に言い聞かせているようです。
戻りたいのに戻れないからもう進むしか無くなっちゃったんですね。

でもそう誓った瞬間に霞スミカと同じ見た目のセレンが現れた訳ですからもうガロアの思考回路は弾け飛んでしまいました。






次からオリジナルルートの投稿となりますが…

今までは暴力的な表現を考えてR-15タグをつけていましたが、これからは性的な表現もヤンジャンくらいのレベルで入ります。
苦手な方は気を付けてください。


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予告
オリジナルルート、次回予告


『これで満足か、秩序を、世界を破壊する、それがお前の望みなのか。我々は必要だった。だからこそ我々は生まれた。秩序無くして人は生きてゆけん。例え、それが偽りであってもだ』

 

『我々には管理するものが必要だ。我々は我々だけで生きるべきではないのだ。全ては理想のため…復活のため』

 

『君が何を求めているのか我々にはわからない 秩序を打ち壊すことで、何が得られるというのか だが、我々にはもう君を止められない 行くがいい、そして君が為したことが何を生むのかそれを見届けるがいい』

 

『選択はなされました。もしその選択が過ちならば、正されなければなりません』

 

『人があれを支配するなど、もとより無理だったのだ…』

 

『昔話をしてあげる。世界が破滅に向かっていた頃の話よ。

神様は人間を救いたいと思ってた。

だから、手を差し伸べた。

でもそのたびに、人間の中から邪魔者が現れた。

神様の作ろうとする秩序を、壊してしまう者。

神様は困惑した。

人間は救われることを、望んでいないのかって』

 

 

 

 

『俺はそうは思わん、戦いこそが人間の可能性なのかもしれん』

 

 

 

 

 

秩序と繁栄 管理者、古の王

 

破壊と再生 全てを焼き尽くす暴力、黒い鳥

 

人はどこまで強く、愚かになれるのか

 

歴史は繰り返すのか

 

 

全ては幻想なのだろうか……?

 

 

 

 

 

 

 

 

無限、Alephを超えた先にある物は?

 

この戦いの向こうに、『答え』は有るのか…?

 

 

 

 

 

 

 

過去を斬り捨てた。

未来は力に捧げた。

 

死を恐れていなかったガロアに、死はとうとう訪れなかった。

 

復讐を果たしたガロアにはもう何一つとして残っていなかった。

 

そんなガロアのそばにはいつもセレンがいた。

 

 

二人の子供は成長する。

もう二人はストレイドではない。

 

 

もしも二人が互いに何を思っているのかを認め合うことが出来たのならば、何かが変わるのだろうか。

 

それは、守るべき存在の為に世界最強へと上り詰めたあの男のように。

 

 

 

 

 

 

 

機械化された記憶たち、そしてイレギュラー。

 

世界各地に残る伝承。

 

 

『あんな物がある時点で…俺たちの存在価値は…』

 

 

 

『恐らくはあの湖の下に、何か重大な情報がある』

 

 

 

『これは…火星…?だよな…』

 

『なんだ…?こんな衛星…知らないぞ、俺は…』

 

『こいつ…空…宇宙か?宇宙を見ているのか、お前は…一体…?』

 

 

 

 

 

 

『まだだ…俺はまだ…戦える…』

 

 

 

 

歴史を解き明かし、戦え

今を掴みとれ

 

自分達が、過去を乗り越えられる存在だというのならば証明してみせろ

 

 

Armored Core farbeyond Aleph

 

最終章

 

【Another Perfect Wonder】




答えは存在します。

その為にガロアはまだまだ戦い続けます。


ホワイトグリントを撃破し、入院している場面からスタートとなります。


お楽しみに。



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Another Perfect Wonder


あなたは愛される
愛されることから逃れられない
たとえあなたがすべての人を憎むとしても
たとえあなたが人生を憎むとしても
自分自身を憎むとしても



Armored Core farbeyond Aleph Another Perfect Wonder


殺した。

 

殺した。

 

 

殺した!!

 

 

 

どうしてこんなことになっちまったんだろうな。

生きる為に殺す?そんなことで俺の腹は膨れていない。

 

敵を切り裂いても…ただ胸から何かが抜け落ちていくばかり…

いつからなんだ…生きる為に殺すんじゃなくて…いつの間にか殺すために生きていたな…

 

 

 

 

はじめはただ………悲しかった。

そして、父さんを殺した奴が憎かったんだ。

それだけだったのに…。

あの森で父さんと…動物を狩って、本を読んで、雪をかいて…ずっとそうしていたかった。

それが出来なくなって…気が付けば沢山人を殺してきた。

もう、戻れないんだ。

 

 

 

 

 

 

逆間接のネクストが動き回り、眼にも留まらぬ速さで一機、また一機と敵機を撃墜していく。

戦闘開始から3分待たずに敵は全滅してしまった。

 

(強いな、あのネクスト…)

 

 

基地に戻ったその逆間接のネクストの背部から目つきが悪く背の高い男が出てきて、

基地の人間が全員頭を下げている。

 

(ん…?あれ、父さんだ?随分若いな。…強かったんだな…)

 

出撃しては敵を殲滅するその姿は正しく鬼。

それでも敵を倒して基地に戻った後、周りに頭を下げさせたまま一人で帰っていく姿が印象的だった。

 

(人が嫌いだったもんな…。人を殺して人を避けて…父さんリンクスじゃなかったらヤバかったろうな)

 

(あれ…?なんだあれ)

幾度も出撃を見ていくたびに、段々とガロアの知るアジェイの姿になっていく。

気が付けば髭がぼさぼさに生えて痩せ果てたアジェイが赤子を抱えて何事かを叫びながら砂漠を走っていた。

 

(俺か…?)

 

(ん?)

 

(あれ?)

育っていくガロアを見て不器用な笑みを浮かべるアジェイを見ながらあることに気が付く。

 

(父さんも…あいつと同じじゃないか)

 

(殺して殺して…でも、俺のことは守って育てて)

 

(俺は…。……いや、知っていたさ)

 

(でも…やっぱり憎かったんだよ。父さんを殺した人間が生きていて祀り上げられているなんて。殺してやろうと思った。だって憎いんだ、しょうがねえ)

 

(そうさ。殺しておいて今更守るななんて…後からとってつけた言い訳だよ。憎いから殺す。それだけだ)

 

(でも…よくよく俺って何なんだ?)

 

(父さんもあいつも…守っていた。守るために戦うようになっていた)

 

(俺だけが…俺だけが意味も無く荒れ狂っていただけだったのか…。救えねえ)

 

(でも…失ったんだ…孤独だったんだ…悲しかったんだ)

 

(気付くのが遅すぎる…そうだ…いつだって俺は気が付くのが遅すぎるんだ)

 

(回り道をしてきた。沢山間違ってきた。もう…失いたくない…あんな思いは…いやなんだ…。力も無く…失って…ただ泣くだけなんて…。ようやく力が手に入ったんだ。もう失うことは…)

 

(……?失う?何を?これ以上俺が何を失うってんだよ…)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど…大きくなったな、No.24」

その男を呼び出すのは簡単だった。

何故なら…セレンから受け取った携帯に唯一登録されていたのがその男だったからだ。

 

「……」

セレンと出会ってから二年、セレンと同じくらいの身長になった俺はなるほど、大きくなっただろう。

よく見ればこの男はリンクス養成学校の教官じゃないか。懐かしい。

 

「ふん…それを聞いてどうすると言うんだ?しかし…不思議だな。お前は霞と面識があったのか?そんな話は知らないが」

 

「……」

人と関わった数が極端に少ないので、最初のうちは全く同じ顔の人間と言うのも割といるのかもと思っていた。

だが、あれだけ似ていてしかも元リンクスとなれば、馬鹿でも血縁関係を疑うだろう。街で過ごして分かったが人間の顔で同じ顔というのは中々ないものらしい。

妹か、親戚か…あるいは娘だったり。セレンも俺の事を色々調べているようだがあまり俺の過去は教えることは出来ない。

万が一ロランおじさんに迷惑が掛かってしまったらそれこそ恩に仇を返すことになってしまうからな。

でも、俺だってセレンの事は気になる。つまり一体…彼女は何なのか。

 

「まあいい。どうせお前は喋れないのだからな。教えてやる。セレン・ヘイズは霞スミカのクローンだ。リンクスになるために生まれた」

 

「……」

なんだそりゃ。じゃあ今はなんで…

 

「だが、霞スミカの死が確かな情報となりどこかからリークしてしまい、もうセレン・ヘイズをリンクスとして使うことは出来なくなった」

 

「……」

使う?使うって何だ?

 

「顔を変えて機体を変えても…DNAまでは変えられない。万が一にも霞スミカのクローンがインテリオルでリンクスをやっているなんてばれてみろ」

 

「……」

なぁ。この話にはさ。

 

「セレン・ヘイズは…むしろインテリオルにとって不利益な存在になったんだ」

 

「……」

セレンがどう思っているかなんて全くないよな。

道具みたいに作っていらなくなったらポイ、か。

そりゃ誰だって産んでくれって頼んで生まれる訳じゃないさ。

勝手に命が与えられて必ずその命は奪われる。

でも、死ぬまでの間は何をしたって自由のはずだろう?それをお前らは…

 

「だが…今お前をリンクスとして育てるという役割が見つかったのはいい。今のお前を見ればどういう指導をしているのかもわかる。

元々リンクスであり、技術・頭脳共に申し分ないセレン・ヘイズは最高のリンクス育成者になるだろう。リンクスの見る世界はリンクスでなければ分からんからな」

 

「……」

勝手に決めるなよ。

大体あの人は先生として尊敬しきるには…だらしなさすぎる。

 

「お前も…」

 

「……」

もういいや。聞いていて胸糞が悪い。帰ろう。

 

「行くのか。精々…あの娘のそばで…学ぶといい」

 

「……」

言われなくてもそうするつもりだ。気が向いたらぶっ潰してやるからな。気分が悪い。

 

 

そうして去るガロアは後ろを振り向くことは無く、教官だった男の微妙な表情の変化に気が付くことは無かった。

 

 

 

「あー、クソ…むかむかする」

 

「勝手に生んでおいて…勝手に役割を決めておいて…ダメでした、さよなら…ってか?」

 

「ふざけんなよ。なんだよそれ…」

 

「でも、しょうがねえじゃねえか。世界はそういう風に出来ている。殺し殺され奪い奪われ利用し利用され。強くなってようやく…しがらみから一つずつ逃げていけるんだろ?」

 

「セレンは奪われただけじゃないか」

 

「いやいや…なんでそんなに怒っているんだ。どこでもあることじゃないか。こんなこと」

 

「なんでって…そりゃ…あれ?俺…喋れてるな?」

という事は夢か。ああ、明晰夢というやつか。

いつも夢の中では饒舌で…夢からさめるといつも通り、俺は喋れないんだ。

 

「というか、お前、俺か?ああ…もう…これは完璧に夢だ」

 

「答えろよ。なんで怒ってるんだ?」

 

「お前…俺なら俺に口答えするなよ。あれ、なんか頭おかしくなっちゃったかな」

 

「どうせ他人だろう?セレン・ヘイズが死んでもお前は死なない。お前は一人で生きていけるじゃないか。今までだって…誰かが死んでもお前は生き延びただろう。強い生き物なのだから」

 

「お前は本当に俺か!?ふざけたことばかり言いやがって!!」

とうとうそいつ…?に掴みかかってしまった。

見た目は完全に俺だけどなんだか背が俺よりも低い。何よりも頭に来る。

 

「じゃあなんで怒っているんだ?今だって…お前は何故怒る?」

 

「そりゃあ怒るだろう!セレンの事をそんな…物みたいに扱いやがって!!」

 

「だから。どうしてそれで怒るんだ?」

 

「だって…だってさ…」

 

「……」

 

「セレンは俺の大切な人だ。だから怒るんだ」

 

「……」

 

「あ…?お前…?」

笑った。そう思った瞬間、胸倉をつかんでいたそいつの服装が変わっていき、ざわざわと髪が伸びていく。

肌にはそばかすが浮かび上がり、髪と服以外はあまり変わっていないのにすっかり女性になってしまった。

セレンより少し年上くらいだろうか。呆気に取られていると…

 

「わぷっ」

思い切り抱きしめられた。というか俺じゃなかったのか。どうも意見が合わないと思っていたんだ。

 

「……」

 

「何?なんだって?聞こえないぞ?というか離してくれないか」

さっきまでべらべらと言いたいことを話していたわりには今度は口をぱくぱくと動かすだけになってしまった。

聞こえないと言いながら引きはがすと隣から肩を叩かれる。

 

「……」

 

「ん?…おおっ?誰だ、おっさん」

びっくりするほど背の高い男が隣にいた。

やはり何事かを話そうと口を動かしているが何も聞こえない。現実と真逆だ。

 

「……」

 

「変な夢だなぁ…誰なんだい、あんたら。…ん?おっさん、リンクスなのか?」

ここ最近は人を見上げる経験なんか無かったな、と思いながら隣の男を見上げると首に光るジャックを見つける。

 

「……」

頭を指さし何事かをジェスチャー混じりに話している。ように見えるだけだ。

 

「だから聞こえないって。それにしてもあんたみたいなリンクスいたか?」

 

「……」

 

「わぷっ」

また女性の方に抱きしめられた。言っちゃなんだがこんなに自分とそっくりな奴に抱きしめられてもそんなに嬉しくない。くすぐったいだけだ。

 

「……」

 

「分かった分かった!なんか知らんがよく分かったから離してくれ!」

 

「……」

 

「……」

 

「ん?行くのか。あー、分かったよ。じゃあな」

今気が付いたが二人とも白衣だ。何かの研究者なのだろうか。

なれなれしく手を振る二人に溜息を吐きながら手を振り返す。

なれなれしい夢ってのは聞いたことがない。

そんなことを思いながら二人が歩く先に眼をやる。

 

「……!と…父さん?」

遠くで昔のように岩の上で座る男は間違いなくガロアが父と心で呼んだ男に違いなかった。

 

「父さん!!父さん!!」

 

「……」

いつの間にか前を行く二人は消えていた。

しかし走れど走れど近づけない。

父の視線がこっちに向いた。

 

「行かないでくれ!!もう一人は嫌なんだ!!」

 

「……」

こちらを見て何秒もしないうちに立ち上がってしまう。

 

「嘘だろ!?もう行っちゃうのかよ!!分かってるんだ…俺はもう死にかけているんだろう!?」

 

「……」

 

「もう…俺は生きていても…殺す事しかできない…なんでこうなったのか俺にも分からないけど…もう…」

 

「……」

 

「俺も連れてってくれ!!殺して…殺して…何もなかった!!何もなかったんだよ!!」

 

「……」

背を向けて「あちら側」に歩くその背中は…ああ、そうだ。

最後に家を出ていったあの背中と同じなんだ。

 

「待ってくれ…待ってくれ父さん!!行かないで!!もうこの世界には何も無いんだ!!」

 

「……」

 

 

 

「…!!!」

真っ暗闇だった。

 

(痛っっってぇ…!!)

父を追う時に伸ばした手が虚しく空を切っていた。

ここは…どこだ?

 

(ベッドの上?…痛い…身体中が痛い…)

勢いで寝たまま起き上がったらしい。どれだけ夢に入れ込んでしまっているのか。

 

(何故俺は…あんな夢を…)

身体中に違和感と痛みがあるが、特に違和感が酷い額に手をやり、はりついた何かを引きはがす。

 

(包帯…そうか…俺はアナトリアの…クソッたれ傭兵をぶっ殺して…)

 

(生き残ったのか)

 

(今何時だ?ここはどこだ?痛くて動けねえ…)

見回しても暗くてよく分からないが、うすぼんやりと壁に6/3と浮かんでいるのが見えた。

 

(三日も寝てたのか?まるで…長い長い旅をしてきたような感覚だ…。でも…帰ってきちまった…このクソみたいな世界に)

 

(アナトリアの傭兵を殺して…なんだ?何もないよな…)

 

(…聖人だろうが悪魔だろうが憎いもんは憎い。それの何がいけないんだ…)

 

(でも…自分が正しいのか間違っているのかも分からなくなってきちまった…ああ…もう…)

 

 

「…?」

ふわり、と夏が訪れる前の夜の柔らかく温かい風が吹いた。

 

(窓が開いて…ん?)

外からの僅かな光で窓際に何かが置いてある事に気が付く。

 

(あれは…アルメリアか?)

かつてリリウムにあれこれ言われてセレンに贈ったややこしい名前の花。

ArmeriaとArmeniaなんて見間違えるなと言う方が無理だろう。結果、買ってしまった。

気に入ってくれたようで何よりだが、自分はこれ以外にあの人に何が出来ただろう。大きな恩を受けておきながら何も返していない。

いや、自分のような人間に何が返せるというのか。この手で殺す以外に何かをした覚えはない。

 

(ん?なんであの花が…わっ!!)

気が付かなかった自分も相当間抜けだろう。

ベッドの横の椅子に座って崩れ落ちるようにしてベッドの端に頭を乗せて爆睡しているセレンがいた。

 

(びっくりした…。え?ずっとここにいるってことか?)

夜が白み始め、眠りこけるセレンの顔が照らされる。

 

(やっぱり…美人、だよな。俺みたいなのはもう放っておいて…恋人でも見つけたらいいのに…)

風になびくと光る天鵝絨のような黒髪は広がって艶めき、桜色の唇はこの世のどんな花よりも美しい。

明日もまたあのサファイアのように蒼い目でこちらを真っ直ぐ見てくれるのか。そう思うだけでなんだか元気になるような気がした。

 

(こんなに美人なのに…俺のそばにいていいのか…。どうしてか…俺に関わった人はみんな壊れちまうんだ…)

実は出会う女性が悉く美人に類されるという数奇な人生を送っているガロアだが相当面食いなのか、美人と評した女性は二人しかいない。セレンはその一人だ。

だからこそ引け目がある。自分みたいに殺す事しかできない男が傍にいてはいつまでもセレンは幸せにならない。

 

(となると…俺の身体が治ったら…最初にすることは…)

セレンの傍から消えてなくなる事、だろう。どうせ自分にはまともな人生なんか待ってやしない。

どこぞの企業のリンクスになって使い捨てにでもされよう。

そんな自虐的思考100%の考えをしているとセレンが起きた。

 

「んぁ…?あっ!?起きていたのか!?」

 

(あーあ…よだれが…それに寝癖も…)

ぱっと顔から眠気が退散するがベッドに付けていた方の髪はぐしゃぐしゃで、口元からは幾つもよだれの線が付いている。

それなのに表情だけはばっちり目覚めているのは違和感ありまくりだ。

 

「よかった…もう起きないんじゃないかって…」

 

(…ずっとここにいたのか。ダメだろ。セレンは若いのに…そんなことに時間使ったら)

 

「ずっと言おうと思っていたんだ」

 

(?)

 

「この戦いが終わったら…お前は…自分の事をいらないだとか、消えてしまえだとか…投げやりな事を考えるんじゃないかって思ってて」

セレンにもそんな時期があり、思い当たる節どころか思い当たる部分しかなかったからこそ、分かっていたのだ。

 

(やべぇな、当たってる)

やはり伊達に三年以上も一緒に住んではいない。考えが筒抜けだ。

 

その時、窓の外から爽やかな鳥の声が聞こえた。夜明けの時間だった。

たとえこの世界のどこの誰がどれだけ身体も心も傷ついてもまた陽は昇る。

 

なんでだろう。この日の出は自分の為にある様な気がした。

 

「だから…そう、だから。お前がどう思おうと関係ない。世界中の誰が謗ろうと関係ない!どんな目で見てこようと知るもんか!!」

顔を出した太陽が優しく放つ朝日が窓から差し込み、セレンの白い肌を照らし蒼い瞳がきらきらと輝いていく。それはどんな宝石よりも価値がある。

 

 

あの瞬間に人生が激しく変わったな。

後になってそう思う瞬間というのは誰にでもある。

そして人はある程度の経験を積むと、その瞬間の寸前に何かが起こると感じ取ることがある。魂が予感しているとでも言うべきか。

 

「……」

何かとても大切な言葉を贈られる、この言葉は自分の人生を変えて何よりも綺麗な宝物になる、とガロアの空っぽの心と頭がそう告げてぶるりと寒くもないのに大きく震えた。

 

 

「私がいる!私がお前のそばにいる!お前は、幸せになっていいんだ」

 

その時の衝撃をガロアは死ぬまで忘れないだろう。

頭を思いきり殴られたかのように一瞬意識が遠のき、歓喜が鼻から上がってきて眼と鼻の間あたりがつんと痛み何でもない病室の空気まで分かる様な。

 

どうしてそんな言葉を目を逸らさずに真っ直ぐに言えるのだろう?

何もかもが、どこを切り取っても綺麗な言葉だった。そこには微塵の打算も無く、真心があるのみ。

 

こじれにこじれたガロアの心が洗い流されていく。

ああ、何かが自分の中で今、変わった。

 

 

どうして生きているの?   

 

 

ガロアの頭に浮かび続けていたそんな捻くれた疑問が静かに、静かに消えていく。

 

(どうしてかだって…?)

どくんと心臓が大きく動いて、当たり前のように『だってこの人がいるから』、と思えた。

 

なんでそんなに?

朝日の光を受けて、疚しいところなど何一つないと言わんばかりにそんな事が自分に言えるんだ?

同じセリフを同じ場所で同じように、他の誰かに言われても絶対に信じられないのに、この人のこの言葉は心から信じられる。

 

 

(痛っ…!)

太陽を受けて輝くセレンも、桜色の唇から出る声もあんまりにも綺麗で、何故か心臓が大きく跳ね上がりひびの入った肋骨が痛む。

何かが心の中でもがいて鼓動がおかしくなっている。

顔が赤く染まっていき痛みのせいだけではなく呼吸が乱れた。

 

コミカルに表現するのならば、二頭身のアレフ・ゼロがぱたぱたと飛びながらガロアの胸についたギザギザでボロボロのハートをグレネードで木っ端みじんにしていったのだ。

 

(あれ…この人…)

そう、空っぽになって自暴自棄になりかけたガロアの心を埋めたもの。それは…

 

 

 

 

(本当に綺麗だ)

恋心だった。

 

 

 

 

 

 

(どうしたんだ…固まっちゃって…)

セレンにしてみれば単純な事だった。

『お前を心配している。お前のそばにいる』

ずっと思っていながらも伝えられなかったその言葉を伝えられた。

 

「……」

ただそれだけでガロアの魂にまで食い込んでいた価値観が壊され、作り直され、別の物に変わった。

 

(何かまずいこと言ったか?私は…)

 

「……」

あくまでも切欠に過ぎず、元々ガロアの心のどこかに有ったものだが、とにかく目標を果たして空っぽになったガロアの心を埋めたのは恋。

それは間違いない。

 

ただ…普通は、乳飲み子の時に母親に、幼稚園の時に保母に、少年時代に同級生に…ゆっくりと確実に経験を積んでようやく理解できる恋と言う物は、

まともに少年時代を過ごさず、同い年の子供もおらず、しかも一時期は人を食料程度にしか見てなかったガロアにとって理解が難しすぎた。

 

その上セレンは出会った時からガロアにとっては大人であり正しさと強さの象徴であり、しかも師と来ている。

その人に恋をしたなんてことに気が付くのは、幼稚園児にウォッカを一気飲みさせて味を理解させるよりも難しい。

 

(気を…失ったのか?いや…そういう訳でも無さそうだが…)

だがそれはセレンとて同じこと。まともな少年時代を過ごしておらず、兵器として育てられて。

そして捨てられてこの広い世界で迷子になって彷徨って。出会ったガロアはその時はまだ小さな子供。自分より30cm近くも背が低い子供だったのだ。

異常な早さで大きく逞しくなっていくガロアにいつの間にやら異性に向ける目を持っていたが、セレンもそれには気が付かない。

三年で急に子供から大人の男になったガロアをいきなり異性として捉えるのはやはり無理がある。

ただ、自分はガロアの保護者だ、先生だとかいう義務感交じりの言葉が先に出てしまう。口には出せないが弟のように思っていたなんてことも原因の一つだろう。

 

「……」

 

「あっ。お前、包帯取っちゃったのか?ダメじゃないか、ちゃんとつけていないと…」

切れ目が入ってしまっている額に顔を近づけるとがくんと動きが止まる。

 

(あれ?)

包帯で肌がほとんど隠されたガロアの手が、自分の手の上に重ねられていた。いつの間に?

 

「……」

 

(あれ?あれ?なんか変だぞ?)

いつも自分に向ける視線とは完全に別物の視線がセレンの蒼い瞳を射抜く。

ぐるぐると渦巻くその灰色の眼がセレンの思考を操ろうとしているかのようだった。

 

「……」

恋という物をしらなくても。本能に従えばいい。ほとんど脳みそを停止させたガロアは自分でも気が付かないうちにその手を重ねていた。

 

(待て待て待て。何かよく分からなくなってきた)

 

「……」

なんでそんなに見つめてくるんだ、何かが起きるのか。

もしかして、いやまさかとヒヨコの代わりに妄想が頭の周りを回る。

 

コンコン

 

(いや、待て!風呂に入ったのは三日前だぞ!!歯ももう三日も磨いていない!ん!?何を考えているんだ!?)

 

「……」

 

(うおおおおおおお!?何が何だかさっぱり分からん?!)

結局脳みそがショートしたセレンは顔を真っ赤にしながら目を閉じてその場に固まってしまった。

これから何が起こっても構わない、そう思ったのだが。

 

「おはようございます」

 

「わあああああああああ!!」

 

ゴッッ

 

「!!!………」

 

 

あらぬ方向から声をかけられてパニック状態に陥ったセレンは思わずガロアに全力で頭突きをかましてしまい、

まだまだ回復していないガロアは鼻血を噴いてそのまま気絶した。

 




何かが起こる前に、何かを起こす前に、ガロア君はセレンが自分にとって大切な人だと気が付けました。
セレンにとってはずっとそうだったんですけどね。

これで何かが変わるはずです。






RAVEN WOODが閉鎖することになってかなり悲しいです…


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はじめて君としゃべった

(…?なんか色々考えていた気がするんだが…忘れちまった)

額をさすりながら入り口に眼をやるとどこかで見たような中肉中背の男が立っていた。

セレンも入り口を見て怪訝な顔をしている。

 

「すいません。何か邪魔してしまいましたか?」

 

(何の話だ?というか誰だっけ)

 

「…別に邪魔したなんて事は無いが!!決して無いが!!!何時だと思っている!!朝の五時だぞ、五時!!」

朝の五時だというのに、病院だというのに、セレンは動物園に連れてこられて一日目のゴリラのように腕を振り上げて大声をあげていた。

 

「早起きなんです」

 

(早すぎだ)

 

「早すぎだ!!」

なんだか最近はセレンが自分の言いたい事を代わりに言ってくれている気がする。

それとも長い間一緒にいることで考えが似てしまったのだろうか。

 

「というか貴様は誰だ!ノックもしないで!!」

 

「しました」

 

(そうだっけ…聞こえなかった)

 

「聞こえなかったんだが。それで貴様は誰だ」

 

「CUBEです。ガロアさんとはオーダーマッチで戦いましたし、ミッションもご一緒したこともあります」

 

(あー…あったなそんなこと)

 

「CUBE?ああ、あの変なネクストの」

セレンが歯に衣を着せぬ言い方で言葉を投げつける。どうもさっきから怒っているような気もする。

 

「そうです。その変なネクストのリンクスです」

 

「で?何の用だ」

 

「お礼に」

 

(お礼?)

 

「お礼?ガロア、お前何かしたのか?」

 

「していますよ。以前、不明ネクストとの戦いの時に私は間一髪のところをガロアさんに救われています。あれが無かったら私は生きていません」

 

(………忘れていた。あったな、そういえば)

その後の戦いと、敵ネクストの自爆の方が強烈ですっかり忘れていた。

しかし別に礼が欲しくてしたわけでもない。

 

(…?じゃあなんで助けたんだろうか?)

頭をひねり続けている自分の姿にCUBEは忘れているものだと判断したらしい。

 

「ま、覚えていてもいなくてもどちらでもいいのです。とにかく、あなたにお礼を」

 

「そうか。次からは時間を考えてくれると助かる」

 

(その通りだな)

 

「ガロアさん」

CUBEの無表情かな顔がこちらを向き黒い目がガロアをじっと見た。

なぜだかその時ガロアは、これが人生の岐路になるという事を感じていた。またかよ、と。

 

 

 

 

 

「声が欲しくありませんか?」

 

 

 

 

 

「え…?」

 

(は…?な…?)

何を言っているのかよく分からない。いや、よく分かるからこそ混乱する。

 

「すまん、よく分からないのだが」

 

「ガロアさんが望むのなら、声を与えられます」

 

(望むならってお前…)

 

「いや、待ってくれ。どうやって?」

 

(そんなもん…)

 

「手術をします」

 

(欲しいに決まっている!!)

今までどれだけ、周りの誰もが持っていて自分だけになかったそれを欲していたか。

どれだけ伝えたい言葉があったか。数えきれない。

 

「…本人の返事はいらないようですね」

そんなに顔に出ていたのか、自分が何か行動を起こす前に承諾したことになってしまった。

 

「待て。だが声帯の麻痺に加えて言語野に障害があるのに手術してどうにかなるものなのか」

 

「普通の人ならば無理です。ですがリンクスなら可能です」

 

「…!それはつまり…」

 

「はい。AMS適性があれば」

 

「そうか…?だが、大丈夫なのか?」

 

(あれ…?なんか…動かない物をAMSで動かすって…どこかで…)

ふっ、と何かが記憶の濁流の中で追憶の網に引っかかる。

CUBEに言われるまでもなく、そのヒントは知っていたような気がする。

 

「何を隠そう…私もAMSにより今の身体を得た人間だからです」

 

「何?」

 

(あ…。スミカさんが昔…やっていたのが…これか)

遠い遠い、幼い頃の記憶。まだ戦争もAMSも理解できない時になんとなく説明された気がする。

そうか、これが。

 

「10年ほど前、家族旅行中に交通事故に遭いまして。それで家族は即死、私も身体は全く動かせず口もきけない目も見えない触覚も無い。唯一耳だけが聞こえる状態で病院をたらい回しにされまして…」

 

(悲惨だな…おい)

 

「そのまま8年。耳が聞こえるだけの状態で呼吸補助器と点滴で生きていました。周りからは邪魔者厄介者扱いされて、医者からは匙を投げられて」

 

「悲惨だな…。いや、すまん」

 

「そうですね。ですが私は8年、ずっと諦めませんでした。再び歩く日を、世界をこの目でまた見る日を想像して希望を持ち続けました。それが良かった」

 

(んん?希望を持てば動けるようになるってか?そりゃ違うだろう)

 

「AMS適性の高さは3つの要素で決まります。そのうちの一つが想像力です」

 

「想像力?」

 

「そうです。妄想でも空想でもなんでもいい。頭で思い描く力。それがAMS適性を育てる要因になります。ですが…現実の戦闘は想像通りに行かない物。ベテランの兵士程それをよく知るからこそ、AMS適性と戦士としての優秀さがかみ合うことは少ない…」

手痛い敗北を思い出し俯くCUBEだがその表情は変わらない。

 

「つまりどういうことだ」

 

「ガロアさんのAMS適性は歴代で2番目です。私が歴代最高のAMS適性保持者でした」

 

(ああ…そういうことか…)

 

「!?お前が!?しかし…でした、とはどういうことだ」

 

「ひたすら再び自由に動ける日を想像していた私のAMS適性の高さに興味を持ったアスピナ機関は私にある契約を持ちかけました」

 

「!そうか、それは…動けるようにする代わりに…」

 

「リンクスとなり、フラジールのパイロットになれ、ということです。本当ならば全身を完全に回復できたのですが…ネクストの操作分を回したところ表情筋が動かせなくなりました」

 

(あんな変なのに乗るのが契約…割に合わねぇなあ)

シミュレーションで戦った時に現実にこんな動きが出来るもんかと思ったが本当にあの速さそのままで動いていたし、CUBEも振り回されていた。

しかもあの紙耐久。あんなのに乗って戦場に出るなんてほぼ自殺だ。

 

「私の手術をしてくれたアスピナ機関の者がガロアさんに興味を持ちまして…珍しい症状だから是非見てみたいと」

 

「珍しい?」

 

(変な動物みたいに言うのやめてくれ)

 

「声帯麻痺に言語野障害。まるで言葉を奪う事だけを意図したような障害だと言っていました。コジマ汚染ですよね?」

 

(まぁ…そうらしいな)

その言葉にうなずくと途端に身体に激痛が走った。

これは多分むち打ち症もある。

なんで自分だけ喋れないんだろう、と思ったことは一度や二度では無い。特に街に来て、セレンに出会ってからは…

 

(……?俺…セレンに何を言いたいんだろう)

言いたいことがあるなら筆談でも構わないはずだ。

言葉だけが原因じゃない。自分は本当に言いたい言葉、その答えをまだ掴んでいないのだ。

 

「伝えたかった言葉、話したかった事がたくさんあってそれをずっと考えていたのでしょう?あなたのAMS適性を見てすぐわかりました」

 

「ガロア…。私は…その…お前が喋れるようになったら…それは、素晴らしい事だと思う」

そして、それでも正直アスピナ機関は怪しいと思う、とはセレンは口にしなかった。

AMSがいくらか下がる、と言われているのにセレンの頭の中には「NO」が一つもなかった。

 

「想像通りにあなたは喋れるようになります。どうでしょう?私なりのお礼です」

 

(…そんなもの…)

その言葉を断る理由は無かった。

 

 

 

二日後。

 

 

「やぁー!!君ね!!君がガロア・アルメニア・ヴェデット君ね!!会えてうれしいよ!アハハ!」

 

(何だこの人…)

アスピナ機関から来た学者なのか医者なのかよく分からない黒髪の男が耳まで裂けんばかりの笑顔でこちらを見てくる。

その顔にはいくつもの刺青があり本当にホワイトカラーなのか怪しい。

 

「よろしくよろしく!アッハッハ!!」

差し出された手にまで暴力的な刺青が入っており、ここまで来て急に手術が不安になってくる。

間違って気管にぶっすりメスを刺しても『間違えちゃった!!アッハッハ!!』ですまされそうだ。

 

(ん………?)

握った手をぶんぶんと振られ、少々肩が痛んだがそれ以上に違和感を感じる。

セレンなんかは手とかはやはり女性だからか結構冷たかったりするがこの人の手はそれ以上に冷たいような気がした。

氷枕でもいじっていたのだろうか。

 

「はい!!じゃあここに寝てもらおうかな!!明日の朝くらいまでは寝てもらうよ!その間に色々調べるついでに声をあげるよ!!大丈夫!すぐに喋れるようになるさ!!」

 

(怖いなぁ…)

男が手に持った呼吸器のような物をつけたら強制的に眠らされるのだろうか。

身動きも取れずに、いきなりこの男に寝かされて手術をしたのであろうCUBEに少し同情する。

 

「最初に話したい人間はいるかい!?いるだろう!?大丈夫!!君が目覚める時間は伝えておくよ!!」

 

(うわ…怖い…)

 

(そういえば…俺が入院する前も手術したのかなあ)

 

(最初から気絶してたからな…そっちの方が気楽だわ)

 

(しかし…すぐに…?手術がそんなに簡単に…?まぁ、いいや)

 

(最初に、か…そりゃ…最初はセレ…ン…に…)

色々考えたいことはあったが、呼吸器から流れ込んでくる気体を吸い込むうちに意識がどこかへ行ってしまった。

 

 

 

そうだった。俺、セレンのこと大事に思っていたんだ。

そりゃそうだ。だって、こんな俺とずっと一緒にいてくれた。

なんだろうな、血は繋がっていなくても一緒にいてくれたって人が結構いるんだな。そんな人がいなかったら俺はそもそもこの世界にいないのか。

 

ああ、今だって脇目もふらずにこっちに走ってくる。

 

 

(ん………?)

目を開けるとこの前見た天井が入ってくる。

 

(またこれか……)

病院のベッドで気が付けば朝。なんかそんなパターンが多い気がする。

いや、数えてもリンクスになってから二回しかないはずだがやけに多い気がするのはなんでだろう。

 

(もう…声が…出るのか?)

食事をするときのように口を開き、自分が言葉を口にする想像をいざしようとした瞬間。

 

「ガロア!!」

セレンが飛び込んできた。

一旦家に帰っていたらしく。部屋に飛び込んできたセレンの服装は最後に会った時と変わっていた。

しかし、まだ六時だというのに…CUBEの事を言えない。

きっと家でずっとそわそわしていたのだろうな、と思うと言葉よりも先に笑顔が出た。

 

(最初は…この人の名前を…)

 

「よかった…あの医者…あんなノリで手術なんてふざけた奴だと思って…大丈夫か?」

 

「セ…れん」

 

(!本当に声が出る……)

 

「!!!それが…。それが、お前の声なんだな…。何か…言いたいことがあるか?いや、なくてもいい。もっと声を聞かせてくれ」

自分でも目を見開いて驚いたが、セレンはそれ以上に驚いていた。これは本当に現実なんだろうか。夢よりも奇跡じみている。

 

「こ…あ…俺…」

 

「うんうん。どうしたんだ?」

涙ぐみながら話を嬉しそうに聞くセレンを見てつい自分も目頭が熱くなり鼻呼吸が辛くなる。

感情がぐちゃぐちゃになっていく。

なんだったか、色々言いたいことがあったのに一気に分からなくなってしまった。

セレンに言いたいことなんかたくさんある。大したことないことから小さなことまで。まずは何を?

 

「俺…」

 

「ゆっくりでいい」

 

(もっと…あ、え、なんだっけ…いっぱい言いたいことあるんだよ…他にもさ…何か…何か…)

言葉が見つからない、という言葉がよく分からなかった。言いたいことを言うだけなのに何故言葉が見つからないんだと思っていた。

それはこういう事だったのか。何を言っていいのかわからないという事。

視線をあちこちに飛ばしてふと、あることに気が付く。

 

「え、あ…お、俺…」

 

「ああ…なんだ?」

 

 

 

 

 

 

「俺…今日…誕生日だ…」

時計の上に表示される日付の文字。6/6。

ガロアの18回目の誕生日だった。

ガロアが生まれて初めて口にした主張。

それは自分の誕生した日を伝えて願わくばセレンに自分が年を重ねたことを祝ってほしいということだった。

 

 

 

 

 

「誕生…日?」

 

「うん…」

 

「……」

セレンには誕生日がない。正確にはいつかが決められない。

受精卵が出来た日か?試験管の中で手足が動いた日か?はたまた培養器から出てきた日か?

 

昔、いつだったか覚えていないが、誕生日と言う物の存在を知ってなんとなく担任だった男にお前に誕生日はあるのかと尋ねたことがある。

当たり前だ、と答えられて気分が悪くなりながら誕生日なんか下らんと一蹴した。自分になくてもしょうがないよな。いつにすればいいのかもわからないんだから、と思う自分が嫌だった。

世間を歩く誰もが誕生日を持っていてその日に祝ってくれる家族や友人、恋人、大切な人がいる。

そんなことを知って誕生日なんかクソ食らえと思ったのが16歳、外に放り出された時だったか。

そうか。ガロアにも誕生日があるのか。

 

「18歳の?」

 

「そう」

クソ食らえ。そう思っていたのに。

 

 

 

「お、お、お、おめでとう!!そうか!!おめでとう!!祝おう!!祝ってやるぞ!!ガロア!!」

説明不能にこんなにも嬉しいのは何故だろう。騒ぐ自分を馬鹿みたいに口を開けてガロアが見てくる。

やばい、また目頭が熱くなってきた。戦いしか頭になかった子供の初めての自己主張がこんなにもきらりとした物だなんて、この感動を誰にどうやって説明すればいい?

 

「ケーキを買おう!!でっかい奴を!ちゃんとローソクを18本さして…ひ、火をつけて…」

あ、やばい。頬に涙が伝ってしまった。というかなんで泣いているんだろう。

それってあれだろう?生まれてきてよかったなと思いたいから言ったんじゃないか?

 

(私はずっとお前が生まれてよかったと思っている。生きていてよかったと思っている)

祝う人がどうして祝ってくれるか、そこまで考えたことはなかった。

だから羨ましくて誕生日なんてものが嫌いだったのかもしれない。

 

「セれ、ン…どうし、て泣いているんだ?」

 

「馬鹿野郎、な、泣いてなんかいるか!!人もたくさん呼ぶぞ!!メイだろ…えーと…それから…えー…」

涙を拭って指を折りつつ友人の名をあげていく。乱暴に拭ったから少し化粧が崩れたかもしれない。

 

(私…友達少ないなぁ…………)

歓喜の涙から一転、虚しい現実に引き戻され口角が一気に60度下がった。

 

 

 

(相変わらず…表情がよく変わるなぁ…)

指を一本まげて固まってしまったセレンを見てガロアは静かに笑う。

 

(そっか…祝ってくれるのか…俺の誕生日を…)

自分の誕生日は自分の本当の両親の命日としか思わなかったあの頃を思い出して感情が揺れる。

 

(セレンは…この人は…俺を…)

そうだ、言いたいことを言おう。もう伝えたいことを伝えられずに落ち込むことも無いんだ。

 

「セレン」

 

「ん、ん?」

色々考えても本当にメイ以外に友人と呼べる存在が思い浮かばなかったセレンはガロアの声に急に現実に引き戻される。

 

「セレンは綺麗だな」

言いたいことを、思っていることを言うんだ。それしかガロアの頭にはなかった。

 

「あ?え?は?」

 

(うわ、すげえ)

白い肌が一転、見る見るうちに茹でたカニのように赤く染まっていく。

 

(言葉ってすげえんだ)

思ったことをその場で口に出して相手が反応してくれるという当たり前のことがガロアにとっては何よりも温かい感触となって包んでくる。

 

「ば、バカお前急に何を言い出して」

 

「今まで会った人の中で一番綺麗だ。本当にそう思っている」

 

「ふ、ふ、は…、み、水を買ってくる!!」

 

「……病院の廊下を走るなよ…」

綺麗に回れ右をして、完璧な短距離走のフォームで走り去っていくセレンの背中に声をかける。

 

 

「あっは。はっはっはっは!!すっげえ!!どいつもこいつもこんなものを持っていたのか!!凄いじゃんかこれ!!あっはっは!!これが笑い声か!?はっはっは!!」

思っていた言葉を口にすると感情が膨れるという事も新発見だ。これは凄い物を手に入れてしまった。

カンカンに怒るセレンを口だけで完封するなんて日も来るのかもしれない。

 

「いやー…そしたら先に手が出るか。セレンの場合。はっは…あー、喉が渇いたな…いや…これは口に出さなくてもいいか…」

水を買ってくるとか言っていたが多分あれは30分は帰ってこない。そうか。言葉を口にすると喉が渇く物なのか。

まだ言いたいと思っていることと、思っていても口に出さないようにする言葉を上手く分けられないが構いやしない。

今まで18年間言いたいことも言えなかった分だけ言いたいことを言いまくってやる。

 

「いててて…」

痛む身体に力を込めてベッドから立ち上がる。大けがなのは間違いないが、一応はもう動ける。

 

(水飲んでいいのかな。まぁ…あの医者もなんも言ってなかったし…いいだろ)

普段の三分の一程度の速度で入り口に向かいドアを開く。それにしても身体が痛い。

 

ドッ

 

「きゃあ!」

 

(痛ぇ)

ラブコメのような速度で看護師とぶつかってしまったが体重の関係は非情で自分はよろめいた程度だが、看護師は吹き飛んで手に持っていた何枚もの書類が散った。

 

(あー…えーとこの場合は…)

 

「大丈夫か?いつつつ…」

生まれて初めての心配を口にしながら腰を曲げるがやはり痛い。

書類を拾うのを手伝おうとしたが、ちょっと無理そうだ。

 

「あ、大丈夫ですよ。無理なさらず。ごめんなさい」

よく考えたら看護婦の方が悪いような気もする。病院で部屋から出た患者とぶつかるなんて。

 

「悪いな」

結局、のろのろと腰を曲げたり伸ばしたりしているうちに看護師は書類を拾い終わってしまった。

 

「37,38,39…大変!一枚足りない!」

ああ、こんな怪談だかなんだかを昔ウォーキートーキーに聞かされたっけと関係のない事を思いだす。

 

「ん?どっかに飛んで行っちまったか?」

と、そこまで言って奇妙な事に気が付く。

 

(あれ!?)

書類が散っていくシーンも、看護師が転ぶシーンも、ついでに言えば看護師のパンツも全てこの目で見ている。

なのに散らばった書類の数が分からない。

 

「あれ!!?」

ガロアの灰色の目に生まれた日から染みついていた同心円状の模様はすっかりと消えてなくなっていた。




二つ目のAMS適性の要素は想像力です。

ガロア君のAMS適性の高さは上から二番目だったこと、覚えていましたか?




18禁コーナーに入れるよ!やったね!


ちなみにノックはしています。


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少年らしい日

病院を出て四日が経った。

六月も半ばに入りだんだんと暑くなってきており、ガロアが普段着にしているアジェイの服もそろそろ暑苦しいと言いたくなってきた。

 

「どうだ?身体の調子は」

 

「まぁまぁ…だな。ところどころギシギシ言ってるけどそれよりも身体を動かしたい」

 

「ダメだ。少なくとも…七月半ばまではミッションも訓練もお預けだ」

 

「分かった分かった」

やることも無いしミッションに出よう、と言ったら鼻っ面にパンチを叩き込まれた。

こんなのも避けられないのにミッションに出られると思うな、とのことだ。もっともかもしれない。

お預け、と言わんばかりにコンピューターは電源が落とされ見えないように袋がかけられておまけに鍵までついている。

 

(そこまでして見ねぇよ…)

 

「しかしお前はあれだな。思ったよりも…」

 

「え?何?」

セレンにしては歯切れの悪い言葉をポツポツと言い出し、しまいには黙ってしまった。

 

「いや、何でもない。ところでお前、他に何かしたいことはあるか?」

 

(と言われてもなぁ…)

ここ数日ずっと軟禁状態で外にも出してもらえていないため、何かしたいかと聞かれればとりあえず外に出たい。

思えば、ロシアにいた頃も暇さえあれば読書か外出かだった。今は本が無いのでどちらにせよ外に出たい。

 

「あー…そういえば料理がしたいな。暫くしてない気がする」

 

「そうか。………材料が無いし…じゃあ買いに行こうか」

 

(よし。セレンが単純で良かった)

外に出たいと言ったら条件反射のようにNOと言われるがワンクッション入れるとこれだ。

なんにしても単純なのはいい事だと思う。

 

「ところで…お前はなんで料理が出来るんだ?お前は何をして過ごしていた?」

 

(今これを聞くのか…まぁセレンに友達がいないのはよく知っているし…全部話してもロランおじさんの迷惑になることはないだろうが…)

 

(一から十まで説明するのが面倒くさいなぁ)

 

「うーん…ちょっと説明しきれん」

 

「……」

 

「機会があれば連れていく。俺が育った場所へ。多分その方が早い」

あの小喧しいロボットは直接見せた方が早いだろう。というか言葉で上手く説明できない。

 

「連れていく?私を?」

 

「ん?そう」

 

「……はぁ。そんなあっさりと…」

 

「何面白い顔してんの」

 

「なっ、お前失礼な!!やっぱりお前は…」

 

「え?何?」

 

「何でもない。私が勝手に思っていたことだ」

 

「そうかい」

何気ない会話、とりとめもない内容。これこそが自分が何よりも欲していたものだ。

コーヒーのカップで口を隠しながら静かに笑う。ああ、でもやっぱり。

 

(もっと前に欲しかった…)

仕方のない事だ。あっちにいて、父が生きていたころは自分にAMS適性があることすら分かっていなかったのだから。

 

 

 

「じゃあそろそろ外に行くか?丁度お前の…」

 

「その前に」

 

「え?」

 

「掃除だ。俺がいない間になんでこんなに散らかっちまったんだ?」

自分が意識を失っている三日間はまだセレンは病院にいたからいい。

だがそれから10日とちょっとしか経っていないのになぜこうも家が散らかっているのか。

ピザの箱が重ねられ、ビニール袋がそこらへんに投げられ、洗濯物が落ちて、洗い物が溜まっている。

美人と汚部屋というのはまた何故か似合う気がしたが、それとこれとは話は別だ。

 

「そんなに汚くないだろう」

 

「汚ぇよ!見ろ!セレンの部屋のドアからストッキングがはみ出ている!」

 

「あれはタイツだ」

 

「そういうことじゃない!」

そもそもがこの人が霞スミカと徹底的に違うと思い知らされた原因の一つがこのだらしなさだ。

どこでも寝るし片づけは出来ないし洗い物もしない。

 

「お前はなんでそんなに口うるさいんだ?」

 

「…それも今度教えるから、ほら、自分の部屋だけでいいから掃除して」

なんでと言われればあの家政婦ロボットの影響が大きいだろう。

飲み切ったカップを持って台所へ行くがなんということだ、シンクが完全に埋まってしまっている。

 

「まあ待て。汚いのは分かった。認めてやる。しかしだな、それは私が掃除が苦手だからだ」

 

「そうだろうな、そうだろうとも」

 

「だからお前が私の部屋とリビングとキッチンを掃除しろ。私はお前の部屋を掃除して正しい片づけ方を見習おう」

 

「うん。うん?」

 

 

 

 

「あれ?俺は多分騙されたな?」

シェイクされた虫かごのようにぐちゃぐちゃのセレンの部屋に立ってようやく丸め込まれたことに気が付く。

 

(まぁ…俺が掃除した方が絶対いいんだろうけどよ…)

置きっぱなしの服や靴などはとりあえず放置して、お菓子の箱などの確実にゴミと断言できるものから順にゴミ袋に放り込んでいく。

さらにゴミ箱に溜まったゴミを逆さにしてゴミ袋へと入れていく。

 

「んっ!?」

ティッシュだの空の化粧品だのに紛れて一つ、捨てていいのかわからない物が紛れていることに気が付く。

 

「これは…」

ゴミ袋に手を突っ込取り出したそれは女性用下着、白いショーツだった。

見たところ着古した感じは無い。

 

(本当にゴミなのか?というか使用済みなのか?わからねぇ…)

同じ服を何年も着るガロアと違い、酷い時は買ったその日に服を捨てるセレンのことだ。全く履いていなくても捨てているという事はあるかもしれない。

だがそれと同じくらい間違ってゴミ箱に入れてしまった可能性もある。

 

これを両手の指でつまみながら『なぁ、これってゴミなの?』なんて聞いた日にはまた派手にぶん殴られそうだ。

 

この下着をセレンが履いていたのかも、と思ったらどうしてか困惑してそのショーツを取り落としてしまった。

今までだって普通に洗濯してきたはずなのに何か変だ。

 

(……もう…)

結局ゴミなのかどうかよく分からないのでその辺に置いておくことにする。

何故か手の平でがっしりと掴む気になれず、指の先っぽで壊れ物に触れるようにそっと掴んで部屋の端にやった。

後でこの辺の衣類と一緒に洗濯すればどうせ使うだろう。

もう自分は居候などでは無く、稼ぎ手なので別に自分が率先して家事をやることもないのだが、セレンに任せると結局自分の仕事が増えることになるので自分でやっている。

 

(あれじゃ…いくら見た目良くてもなぁ…恋人が出来ないだろうな…)

 

「いや、別に出来なくていいだろ」

 

(あれ?自分で思ったことを自分で否定している?)

 

(そういえば……俺が今でもセレンと一緒にいる理由ってなんなんだろう?もう一人でもいいはずだろ)

 

(どうしたんだ俺は…最近精神分裂気味じゃないか?大丈夫かな)

これ以上ゴミが入らないゴミ袋にゴミを必死に詰め込んでいる自分に気が付いて、これはもうダメかも、と思いつつ自分の部屋に行く。

 

「……」

 

(何やってんだ…)

机とベッドしかないから当たり前と言えば当たり前だが、することが無かったのか、セレンはガロアのベッドの上に座ってこっくりこっくりと頭を揺らしながら寝息を立てている。

 

「セレン」

 

「……」

そんなに深く眠れるはずも無いだろうに反応はない。

なんて隙だらけなんだ。自分を訓練しているときと本当に同一人物だと思えない。

 

(本当になんて隙だらけなんだ)

ガロアが考えていたのはその『隙』では無かった。

曲がりなりにも男のベッドで寝息を立てているという状況にふと疑問が湧いて変な感情までもが沸き起こったのだ。

もちろん『そういう事』は知っている。でもこの人と自分はそんなんじゃない。それにこれは隙とか油断じゃなくて、自分への信頼のはずだ。

 

「……セレン!」

 

「む!?ん!?飯か!?飯か!?」

 

「寝てただろ」

 

「精神統一をしていたんだ」

あまりにもド下手くそな言い訳に追及する気も無くなる。

 

(だとしても俺の部屋でしなくてもいいだろうに…)

 

「なんだ?もう掃除は終わったぞ、私は」

何もしてないだろ、というツッコミは終わりそうも無いのでやめておいてゴミ袋を突き出す。

 

「ゴミを捨ててきてくれないか?」

 

「んん?ああ、分かった。捨ててくる。…ふぁ~…」

立ち上がって大あくびをするセレンにやっぱり寝てただろ、と言いたくなる。

 

「ゴミ捨て場は分かるか?捨て方はわかるのか?」

 

「馬鹿に…するな…ふぁ…」

セレンの座っていた場所、特別温かそうだな。ちょっと触れてみたい。

そう自然に考えて目を逸らす。なんだかおかしい。考えが変な方向にずれることが多い。

 

(しかし…大丈夫かなぁ…ゴミ捨てれるかなぁ…)

ここ一年くらいですっかりどっちが保護者か分からなくなってしまったのは自分だけだろうか。

仕事は完璧にこなすし、武術戦術も完璧で師としては全く文句が無いのだが。

 

「例えばコレ。タンスが開けっ放しってセンスもわからねえ…ぶつけたら痛いだろうに…」

セレンを一応外に出るまで見送り、セレンの部屋に戻って肩を落とす。まだまだ時間がかかりそうだ。

まぁまだ午前中だし別にいいのだが。

 

「ん…?」

タンスを閉めようとした時に何かが光っていることに気が付いた。

 

「…ラップトップか?えー…確かこうして…」

セレンが外でも任務報告だとかやらなくてはいけないことがあるときに使っていたラップトップだ。自分が何もしていない今は必要ないらしい。

当然のようにロックを解除して見ていくと、かなりの依頼が来ていることが分かった。

 

「………俺が大けがした事、知っているんだよな…企業は…。おもむろに潰したくなってくるぜ、クソ」

真面目にガロアが行動に移せば、かつてのリンクス戦争のように企業を気分で叩き潰すことも出来る。

と、その時一件だけ差出人不明のメールが来ていることに気が付いた。

 

「んん?セレンにそんな知り合いはいないだろ。……見るか」

口ではそう言いながらも、もしも自分の知らない男とかから連絡が来ていたら嫌だなと、何故かそう思ってしまい開いてしまう。

 

 

 

『初見となる。こちらマクシミリアン・テルミドールだ

念願の復讐を果たした気分はどうだろうか?そして六月六日は貴様の誕生日だろう。まずはおめでとうと言っておこうか。

まぁそれはいい。終わった後に消してもよし、カラードに報告してもよし。とりあえず最後まで聞いてほしい。

一部の者はクレイドルに逃れ、清浄な空に暮らし、一部の者は地上に残され、汚染された大地に暮らす。

クレイドルを維持するために、大地の汚染は更に深刻化し。それは、清浄な空をすら侵食しはじめている。

クレイドルは、矛盾を抱えた延命装置にすぎない。このままでは、人は活力を失い、諦観の内に壊死するだろう。これは扇動だが、同時に事実だ。

ガロア・A・ヴェデット。貴様は紛うことなき強者。だが、強者となりその汚れた手で弱者を救うという行為をするのは矛盾になるとは思わないか。

貴様に全ての弱者を救えるか?貴様が殺した者の肉親は貴様を憎んでいるだろう。それをも救えるか?無理だろう。

他でもない貴様に奪われたのに貴様に救われるなどという喜劇を怨嗟を上げる弱者が認められるはずがない。

矛盾なき強者とは全てに平等である者のことだ。このまま企業の傀儡を続ければ貴様はいずれ矛盾に飲まれて死ぬ。

全ての人間を大地に降ろす。GAのアルテリア施設、ウルナに侵入し、全てのアルテリアを破壊してほしい。だが、指をくわえて見ているのもいいだろう。

あるいは我々と敵対するのも構わない。この行為は全ての人類、我々も含む全ての人間を戦いの場に降ろすということだ。

それでも祀り上げられた強者ではなく真の強者でありたいのならば我らとともに来てもらおう。示してみろ。貴様がこの世の何よりも強く、正しいという事を』

 

 

 

(なんだこりゃ…一方的に喋り倒しやがって…)

 

(なんで俺の誕生日を知っているんだ?まぁ…セレンに話したし…どっかで誰か聞いていたのかな)

 

(それにしても…矛盾なき強者か…)

強者は誰かに守られて強くなる。例えこの世界の全てを憎むような者でもどこかで誰かに守られている。必ず。じゃなければ強者になる前に死んでいるからだ。

自分もそう。父に守られていた。父は強かった。だがそれでも自分を守った。あの恨んで恨んで仕方の無かったアナトリアの傭兵ですらそうなのだろう。

だから矛盾の無い強者なんか存在しない。

 

(強烈なラブコールだ。前の俺ならコロッと落ちてたかも)

本当につい最近気が付いたことだ。この世に生きていくのならば誰かを守って守られて、誰かを愛して愛されて。そうでないと人間をやっていられないんだ。

このマクシミリアン・テルミドールとやらが言う強者は最早人間ではない。化け物だ。

 

(というか)

 

(指をくわえて見ていろ、って言われても動けねぇんだよ。報告するのも…面倒くさいなぁ。どうぞ企業と共倒れになってくださいってんだ)

 

「ん…?」

何かが引っ掛かる。

この前CUBEが自分を訪ねてこんな嬉しい贈り物をくれたことを切っ掛けに、退屈な病院内で過去のミッションを一つ一つ思い返していたのだ。

 

「こいつらが俺を誘う理由…」

後は特にお礼を言われるようなことはしていないが、企業に明らかに敵対的な彼らの言葉と、過去の不穏なミッションの情報を結び付けていく。

 

「………ダメで元々だしな。適当にかましてみるか」

折角喋れるようになったのだし、適当にあれこれ喋ってみるか、とセレンが聞いたらげんこつが飛びそうな事を考えながらガロアはマイクにスイッチを入れた。

 

 

 

 

ORCA旅団が所有する基地の一つ。

テルミドールがコーヒーを飲んでいるとメルツェルが怒鳴り込んできた。

 

「テルミドール!!来い!!」

 

「なんだ?酒ならば飲まないぞ」

 

「違う!そんなんじゃない」

眼鏡から見える瞳は明らかに怒りが混じっている。

メルツェルと口喧嘩するのはよくあることだが、自分と殴り合いのケンカをしても勝てないメルツェルがここまで怒り心頭になるのは珍しい。

 

「なんだ?どうした?」

この前メルツェルが大事にしていた酒を間違えてこぼしてしまったのがばれたのだろうか。その時は開き直ろう。

 

「見ろ!!ガロア・A・ヴェデットからメールが返ってきた!」

 

「そうか。返事はどうだった?」

なんだ興奮しているだけか。何か衝撃的な事でも書かれていたのだろうか、と落ち着いてコーヒーを飲む。

 

「飲んどる場合かーッ! 聞け!!」

 

「……聞け?」

何か話がかみ合わないな、と思ったとたんにボイスが再生された。

 

 

『ガロア・アルメニア・ヴェデットだ。俺が殺したイレギュラーリンクス。あれはそっちのメンバーだろ?謝らねぇぞ。こっちも大変だったしな。

企業と敵対するってのは良いな。俺も企業は嫌いだ。協力してやりたいと思うよ。で、あんたらの本当の目的は空に浮かぶ危なっかしい物のことだろ?、なら少し待っていてくれないか。そっちに協力したいとは思うけど今、大けがしてんだよ。知っているだろ?七月の…十八日まで待っていてくれないか?その日にできればちょっと話そう。待ち合わせ場所とか、

指定してくれれば行くよ。それじゃ』

 

「…あれ?」

 

「テルミドール!!ガロア・A・ヴェデットは喋れないんじゃなかったのか!!そう言っていただろう!!」

メルツェルはキレまくっているがテルミドールは慌てるしかない。

 

「本当だ!目の前で何が起こってもしゃべらなかったのをこの目で見ている!!」

 

「声が目で分かるかこの馬鹿!!」

 

「馬鹿とは何だ!!」

と、言いながらもメルツェルの言う事ももっともである。

 

「クソッ…喋れないリンクスにクローンのオペレーターだというからアサルト・セルも見せたというのに…奴が触れ回ったらどうする気だ!」

 

「いや…大丈夫…だと思う」

 

「この大馬鹿野郎!!馬鹿!!馬鹿!!大馬鹿!!単細胞!!間抜け!!すっとこどっこい!!」

 

「く、大体お前も簡単にアサルト・セルなど見せなければよかったんだ!!」

 

「そうでもしないとインパクトがないと言ったのも奴が喋れないと言ったのもお前だ!!」

 

「ぐぬぬ…」

 

 

ガロアが声を手に入れたことにより少しずつ、歯車が狂い始めていた。

 

 

 

 

街を歩くセレンとガロア。

一見普通だが、ガロアの服の下では包帯が幾重にも巻かれており、まだ骨に入ったヒビなども完治していない。

 

(うるせぇ。街は)

 

(人の声と人の作る音しか聞こえねえ)

 

(あれもこれも…人が作った物だ)

 

(じゃあ……なんで、…なんでお前だけ喋れるんだ?お前も人が作った物なんだろう?)

 

(……一度、帰りたいな…)

 

ガロアが物思いに耽っているとセレンがそんなガロアの胸中も知らずに声をかけてきた。

 

「やっぱりお前が掃除するとこざっぱりしすぎるな」

 

「全部手の届くところに出しておくのがおかしいんだって」

 

「私はそうは思わん」

 

「もう………いいや」

16歳になるまで戦うこと以外は学んでいなかったとなればもう仕方がない事なのだろう。

口で言ってすぐに直る物でもない。

 

「まずは…」

 

「まずは?」

あれ?食料を買いに行くんじゃなかったのか、と思うと同時に意外な言葉が飛び出した。

 

「お前の服を買いに行くぞ」

 

「は?服?この服まだ着れるぜ?」

そう言いながら父の物だった服を見せる。別に綻んでもいないし、破れてもいない。十年選手ぐらいはいっているかもしれないが。

 

「そうじゃない。もう夏になる。お前は夏でもぶかぶかだったその服を着ていたが…やはりダメだろう。それに今ではつんつるてんじゃないか」

 

「つんつるてん?馬鹿な…あれ?」

父の身長は190cm近くあったはずだ。だが、セレンの言う通り、昔は何重にも折りたたんでいた裾がいつの間にか脛が見えるまでになっていた。

今自分は身長どれだけあるのだろうか。周りを見回すと、道行く全ての人間が自分より頭一つ背が低かった。

 

「なんで…ずっとそんなぶかぶかの長袖を着ていたんだ?やっぱり…」

ガロアが育ての親の事を忘れない為だろうか、などと深い理由を考えていたセレンは服を買おうと言ってもガロアが別段否定しなかった事を不思議に思い一歩踏み込んだことを聞く。

 

「ん?俺の住んでいたところは寒かったから長袖しかほとんど無かったんだ。父さんのを着ていたのはそのうち大きくなるからと思っていたからだ」

 

「それだけ?」

 

「それだけ」

 

「………あ、そう。服、買うぞ」

 

「?分かったよ」

 

セレンの後ろを飼い犬よろしくついて行くことになる。

服を売っている店の場所など知らないからだ。

 

 

 

「これは?」

 

「うーん…」

 

「これなんかどうだ?」

 

「ダメだ、やっぱよく分からねえ」

 

「ふむ…」

ブティックでこれなんかいいんじゃないか、と思った服をセレンは見せていくがガロアはどれに対しても今一つの反応しか見せない。

つむじが見える程チビッこかったあの頃から月日も経ち、ずいぶんと背も高くなりスタイルもよいのだからそれなりの格好をすればかなり良い感じだと思うのだが。

 

「セレンに任せる。どれだけ見ても分からん」

 

「…そうか」

たまに思う事だが、ガロアはあまり自分の身体に頓着が無いのだろうか。

服が短くなったことだって普通に気が付きそうなものだが。

 

「じゃあ…これとこれと…」

自分が普段服を買うノリで次々に手に取っていく。

 

「バカバカ、何やってんだ」

 

「バカとは何だ!お前が任せるって言ったから買ってるんじゃないか」

 

「必要な分だけ買えよ。持ち帰れる分だけさ。大体収納が俺のベッドの下の引き出ししかないだろう」

 

「何を言っているのか分からない。タンスを買えばいいじゃないか」

 

「…………」

 

(あ、あ、この野郎。最近よく分かってきたぞ。こいつのこの顔は呆れている顔だ。師にそんな顔をするなんてとんでもない奴だ)

 

(だが…ここは大人の私が怒りを抑えて…)

 

「それなら欲しい物を言え。これがかっこいいとか…おしゃれだとか」

 

「……よくわからない。やっぱりいらないんじゃないかなぁ」

お互いに常識が無いどうしとは言え、曲がりなりにも街中で育ったセレンと、森で人と関わらずに生きてきたガロアではセンスに壊滅的なまでの差がある。

それについて、まだガロアの過去を知らないセレンはやっぱりファッションには興味が無いのかな、としか思えない。

 

「お前は…なんというか常識がないなあ」

 

「セレンに言われたくないんだが」

 

「どういうことだ!?」

 

「そう言う事だ」

まさかの返しだった。いつも色々上から教えてやっているつもりがこんな風に思われていたとは。

だが、よくよく考えてみればこういう点はアレだが掃除洗濯料理など生きていくのに必要なスキルはガロアの方が高い……というか自分はない。

そう思うと自分達の凸凹は上手く噛みあっている気がする。いつかガロアがいなくなったら自分はどうなるんだろう、と思ったら何故かとても胸が痛み、考えるのを辞めてしまった。

 

「………まあいい。次は…」

食材か、ケーキか。痛む事とか考えると食材が先かな、と思っていると。

 

「セレンの服じゃないのか?」

 

「え?」

 

「大分服捨てたし…買い過ぎないならいいんじゃないのか」

 

「う?うん?分かった」

 

「…………」

 

(この野郎…今度のこの顔は…どうしちゃったんだろうこの人って顔だな)

 

(どうしたもこうしたも…そういえば。私は…いつの間にか無駄遣いをしなくなった?)

 

(いつからだ?ガロアと住んで一年もした頃からかな)

 

(そりゃそうか。服も靴も下着も心を埋めようとして買っていたんだ。…結局どんなに高価な衣類で身を包んでも中身は空っぽだったけどな…。でも今は…)

まだまだ常識に照らし合わせれば修正していくべき個所は多々あるが、それでもガロアと暮らすうちに悪癖の一つ、浪費癖は無くなっていた。

それに使う暇も無かったのだ。

今でこそガロアが金を稼いでくれているし(セレンが勝手に金を使っても何も文句を言わない)、ガロアに生活を支えられているといえばそうなのだが、ガロアがリンクスになるまでほとんどの金をガロアに使っていた。

それでもその為の消費は贅沢な物を買うよりずっと楽しかったし意味のある物だった。

 

「どうするんだ?」

 

「あ、うん。分かった。行こうか」

メンズコーナーからレディースコーナーへと移動していく。

その時、すれ違う何人かがこちらを見てひそひそと話し合うのを見た。

 

「……」

 

(あ…。この前の…ホワイトグリント戦のせい…か)

セレンでさえも慄き、未だにそこに触れる話題は出せない程だ。

あの映像が大々的に放映されたカラードの庇護下にある人々がガロアにどういう印象を抱くかなんてのは実に想像しやすい。恐怖しかないだろう。

今ここをただ歩いているだけのガロアだが、怒ればコジマ粒子を巻き散らしながらネクストで襲撃してくるかもしれないのだ。そうじゃない、と言い張っても民衆にそんなことは分からない。

いつ爆発するかわからない不発弾と何ら違いは無い。

体格のいい厳つい男が歩いていたらそれだけで怖い。銃を持った者が構えておらずに立っているだけでも普通は目を離せない。

リンクスはそんな物を遥かに超える恐怖の存在なのだ。

 

「……」

 

(飄々としているな…何も気にしていないのか?本当に?)

さっきの人々の反応は絶対に見えたはずだ。

いや、それどころか鋭いガロアの事だ。道中自分が気が付いていないだけでガロアは幾つもの誹謗中傷を耳にしているかもしれない。

自分を自分では無く、ただの怪物・兵器としてしか見られない辛さをよく知るセレンはぐっと唇を噛んだ後、半ば以上自分の気分を変える為に似合わないことを口にしてみた。

 

「お、お前が可愛いって思った服を選んでほしい!!かなー…なんて…思ったり…」

 

「うん」

世間の目を受け流すと同様にセレンの精一杯の勇気も飄々と流してしまったガロアにセレンは素直に悲しくなる。

 

(しょっぱい反応だ…昔は可愛い子供だったのに…)

実のところ見た目は著しく変わっても、中身自体はそう変わっていないガロアだが、

それでも訓練に肩で息をしながら着いてきて、しょっちゅう怪我をして、ぽんと頭に手を置ける大きさだった頃は思い返してみれば可愛かった。

鼻の上がちょっと赤かったのも子供っぽくて可愛かったのに今ではそんなことは全くない。

 

「これなんか似合うだろ」

 

「ん?似合う?私にか?」

 

「他に誰がいる?」

 

「……はぁ」

かと思えばこれだ。差し出された水色のロングワンピースは確かにこれからの季節に良さそうだし色も悪くない。

胸元が寂しいからネックレスでも合わせていきたい。

 

「似合う?か?」

差し出された服を目の前で自分の身体に重ねて広げる。

 

「うん。というか何を着ても可愛いしな」

あくまでも淡々と口から砂糖を吐き出すようなセリフを言うガロア。

 

「……………」

そういえばそうだ。こいつはあんまり表情が変わらないんだ。

そう思いながらまた自分の顔が食べごろのリンゴのように赤くなっていくのを感じる。

 

結局顔に血がのぼってしまい、実は先ほどガロアがものすごく照れて口数が少なくなっていたという事実には気が付かないまま、言われるがままにいくつも服を買い外に出た。

 

 

舗装された道路を歩くとカツカツと音が出て、街を行く人々の隙間に吸い込まれていく。

昔のガロアにはとてもではないが馴染めない風景だ。

 

 

「んー…食材を買いに行くか?それとも昼飯をどこかで食べるのもいいし…」

 

(悪くねえ…いや…嘘。かなり楽しいな)

じろじろ見てくる奴らが多い事を除けばかなり楽しい時間だ。

なんだかんだすっかり機嫌がよくなりあれこれ他愛もない事を話すセレンは見ていて素直に無邪気で可愛いと思える。

 

「いや、でも今夜沢山作ってくれるのなら…昼を抜くってのもいい」

 

(ああ…なのに…なんで)

瞬きをすると瞼の裏に映るのは解体した動物の虚ろな目。

 

「もう献立は考えているのか?」

 

(幸せなのに…)

人の首にナイフを突き刺した時の拍子抜けするような感触が左手に鮮明によみがえる。

 

「ガロア?」

 

(思い出すのは…こんなことばかり…)

鹿の体内で鼻が麻痺するほど嗅いだ血の臭いが今するのは気のせいのはずだ。

だがどれもこれも過去に自分がやったことじゃないか。本当の事だったんだ。今こんなに楽しいのが嘘みたいに。

あれとこれが一繋がりの現実だとはとても信じられないが記憶は本物だ。

 

「ガロア?どうした?」

 

「!!」

気付けば自分を飲むように包み込んでいた死体共の幻想から、セレンの声で急に引き戻される。

 

「わっ!?何!?なんだガロア!?」

右手に持っていた買い物袋を取り落として無意識にセレンの手を強く握っていた。

 

(…なんでだ。ゆる…許されないのか…結局は…)

『戻れない、戻れやしない』と何度も思ったし、それを相手にも苛烈にぶつけてきた。戻れない、その言葉が自分に噛みつき始めている。

でも何をしても戻れないというのなら、自分は野垂れ死ぬしか無かったのだろうか。

 

「ちょっと…痛い…」

思い切りその手を握ってしまいセレンが細く声をあげるのも気が付かずに背筋を冷やしていく。

 

(クソ…俺は……。ん…?あのガキ…)

 

「え…?何なんだ、お前…大丈夫か?」

目の前10m先を風船を持って歩く少女が目に入る。五歳くらいだろうか。

いつの間にかセレンの手は離していた。

 

(あの歩幅…後五歩であの缶にけっつまづくな…)

不法投棄された缶が地面に転がっており、間違いなくあの少女はその缶の真上に足をやってしまい、恐らくは転ぶだろう。

 

(……)

 

「……」

 

「…チッ」

何か理屈を考える前に身体が飛び出していた。

置き去りにされた袋がぽすんと呑気な音を立てる。

 

がっ

 

そんな音が出たのではと思う程間抜けに少女は缶を踏んでいた。

 

「きゃっ」

 

(間に合わなかったか!!なら!)

既に缶を踏んで後ろに向かって勢いよく倒れた少女に手を差し伸べる。このままでは後頭部強打コースだ。

 

『戻れない』

例えばここで見過ごしても、大怪我したとしても。戻れないなんて。

 

 

「よっ!」

転ぶ勢いを利用してそのまま後方にくるんっと一回転させてしまった。

風船の紐が絡んだがそれはご愛敬だ。

 

「わぁ!」

 

「っ…と」

 

「ガロア!?お前…」

 

(…?何をした?なんで…?散々殺してきた手で今更…?人を…助けたのか)

 

「なぁに?今の!?」

 

(殺す事しか出来ない手だと…)

この手が遥かに小さかった頃からずっと血に染まっていた。

人も動物も殺し続け、洗っても洗っても血の臭いが取れないと思う程だったのに。

 

「お兄ちゃん!今のもう一回やって!」

 

「え…?あ、いや…あぶねぇからダメだ…」

 

「えぇー…」

そんな会話をしながら少女から手を放すと再び周囲からひそひそ声が聞こえる。

取って食おうとしたようにでも見えたのか。そうだろうな。自分は化物だものな。

 

「もう…行け。足元気をつけろよ」

 

「はーい…」

気をつけろ、と言うのに少女は前も見ずに風船だけに目を向けて走り去っていく。

 

 

 

セレンは今の光景を見てやっぱり、と考える。

どこかの誰かはガロアを恐ろしい兵器だと、復讐鬼だというのかもしれない。それでも。

 

「……ガロア」

ガロアが落とした袋も持ってガロアのそばに駆ける。

おこがましいことなのかもしれないが、それでもガロアのそばにいてやろうと思った。

 

「なんだ」

 

「なんであの女の子が転ぶ時に助けた?」

 

「……分からねえ」

 

(ずっと思っていたが…ガロアはいろんなことを考えすぎる。考えすぎている。実際は、考え抜いた果てじゃなくて…とっさの行動で人は出るものだ。お前は自分をなんだと思っている?)

 

「なんで…CUBEを助けた?」

 

(善だよ。何も考えずに手を差し出した。それが人間だ。そんなお前だから…力を持っていいんだ。例え復讐を望む子供であったとしても、お前は力を持ってよかったんだ)

力を与えたのは自分だ。なんで途中で辞めなかったんだろうと問われればそれはやはり大半は自分の為だ。あの日々は何よりも楽しかったから。

だが、どんなに怪物や化物に見えても父を失ったことを悲しみ力を欲した、という理由自体がセレンにとってはとても人間らしい物に思えたのだ。

 

「そりゃあ…」

 

「そりゃあ?」

 

「知っている奴が…目の前で死んだら気分が悪いだろう…」

などと捻くれたことを言ってみるが明確な理由などガロアにも分からなかった。ただ、身体が動いたのだとしか。

 

「……」

 

「何かおかしかったか?」

そんなガロアを見てセレンは満足気に笑っている。少しくすぐったいが、ガロアは悪い気分ではなかった。

 

「なんでもないよ。行こうか、ガロア」

 

「……うん」

足りないところが多すぎる二人だが、それでも出会った時と変わらず、セレンはガロアよりも精神的に大人でガロアが迷った時には引っ張っていってくれる。

そんな関係を上手く言葉にできなくても、それがガロアがセレンを全幅に信頼する何よりも大きな理由だった。

 

「!あれは…」

セレンが視線を先にやって歩を止める。周囲と明らかに違う空気を醸し出しながら歩き、写真を撮られたり声をかけられながら歩いている女性がいた。

セレンの見る方向を見てガロアもそれに気が付く。

 

(ん…?リリウムか?一人で…少し寂しそうだな)

時々握手を求められていたり、とにかく悪い顔で見ている者は一人もいない。イメージ戦略というのは恐ろしい。

 

(そりゃあ…蔑まれるよりは尊敬される方がいいんだろうけどさ…人を殺しておいて笑顔を振りまくなんて俺には出来ねえよ)

お前も俺も同じ存在のはずだ、と思う。怪我をして動けない間にセレンと話をしたり調べたりして知ったウォルコット家の歴史を思い出す。

向こうもこちらに気が付いたのか足早に駆け寄ってくるが、隣のセレンが凄い顔をしている事に気が付く。

 

「……」

 

(そうだった…よく分からないけど…セレンはリリウムの事を凄い警戒しているんだよな…)

セレンの警戒心の高さも異常だが、ガロアもガロアでまた罪深い男だった。

 

「…お、あ…う…」

酸素不足の金魚のように口をぱくぱくさせながら瞬きもせずにセレンはこちらに来るリリウムを見ている。

 

(ん?あれ…なんかこの顔は違くないか?)

 

(照れているときの顔だ。何か言いたいことがあるのか?)

 

「こんにちは。ガロア様、セレン様」

 

「リ、リリ、リリウム・ウォルコット!!」

 

「はい?」

 

「そ、その。ガロアがくれた花は、綺麗に育っている」

 

「私は嬉しかったんだ。だ、だから、ありがとう」

 

「……はい。喜んでいただけて何よりです」

 

(悪くねぇ。俺に礼を言っておけなんて言いながら。…自分から言うのか。悪くねぇ)

実はお礼だけではなく、いつだかにかなり悪い態度で接してしまったことも謝りたいと思っているセレンだったが、そこまではまだ勇気が足りないようだ。

 

リリウムはリリウムでこれといった悪感情はもう特に無かったところに礼を言われてただ驚いた。

それよりもガロアがセレンの方を見て小さく笑っているのが気にかかっていた。普段笑ったりしないからこそ、時々笑うその姿は…、と。

 

「これから…ケっ、ケーキを買いに行く。大きいのを買う。リリウム・ウォルコットも来い。いや…来るといい」

 

「ケーキですか?ご一緒していいのなら是非。それと、普通にリリウムとお呼びください」

 

「う、うん。それに食事も沢山作る。ガロアが。だから食べていけばいいんじゃないか」

 

「そこは俺なのかよ」

 

「え!?」

 

「料理したいって言っていただろう」

 

「ガ、ガロア様…?」

 

「そうだけどさ」

ガタガタの言葉でリリウムを食事に招待したはいいが何故か自分まで派手に巻き込まれていることにガロアは気が付いて文句を言う。

 

「こ、声が…」

 

「あ…そうか」

 

(あ。そういえばセレン以外の知人には話しかけてもいねえや。俺も大概友人が少ないと言うか…)

 

 

「恥ずかしがり屋だったのですか!?ものすごく!」

これはしたり、とばかりに翠の目をまんまると大きく開いててんで的外れな事を言い始める。

 

 

「……」

 

「……」

 

「うん、そうなんだ」

 

「しょうもない嘘をつくな、嘘を」

 

「いてっ」

一から十まで説明するのもかったるく、もうそういう事でいいやとうなずいたらセレンからパンチが飛んできた。

 

「まぁいいや。じゃあリリウムも来いよ」

 

「はい。…?」

 

(……!)

ガロアがぶっきらぼうにリリウムに声をかけると三人を見る周囲の雰囲気がにわかに悪くなり始めた事をセレンは感じる。

やっていることも、過去も、二人はほとんど同じなのになぜこうも扱いに差が出てしまうのかと思い少しだけ胸が苦しくなる。

ガロアは飄々として何も感じて無さそうだが、リリウムはその空気の変化に気が付いてしまったようだ。

 

「…リリウム。お前はガロアが…怖くは無いのか」

 

「セレン。そ…」

 

「黙っていろ、ガロア」

 

「……」

 

「リリウムが…ガロア様を?」

どういう質問なのだろう、と思うと同時にリリウムは答えに気が付いた。

この前の戦いでの異様はカラード中で話のタネになり、そして世間からの評価は悪鬼、復讐鬼など散々な物ばかりだ。

だが、今リリウムの目の前で買い物袋をぶら下げているガロアも、この前一緒に贈り物を選んでいたガロアも普通に同い年の男の子という風にしか見えなかった。

それに、誰だって心に暗い部分の一つや二つはあるだろう。全てが明るく清潔な人間なんていないのだ。

 

「…ガロア様は、ガロア様ですから」

 

「……」

 

「……」

リリウムの答を聞いて黙ったまま口角を少しだけ上げるセレンとガロア、二人の笑顔はよく似ていて少しだけリリウムの胸が疼いた。

 

「リリウム、お前好物はなんだ?作ってやるよ」

 

「え?はい、辛い物が…」

 

「甘い物は好きか?美味しい店を知っているから買って帰ろう」

 

「は、はい」

 

セレンは気が付かない。

以前なら誰かがガロアと親しくしているだけでかなり機嫌が悪くなっていたのに、今はガロアの印象が悪くなかったという事を聞いてむしろリリウムへの好感度が上がったくらいだ。

人間扱いされずに放り出された後に一番親しくした人間が言葉を口にできない少年ではやはりどうしても、まともな人間関係を築けずにガロアを自分の物として見てしまう、いわゆる独占欲があった。

ガロアを怖がらずにいてくれるこの少女への心証はセレンの中で大きく変化した。

 

ガロアが声を手に入れた事で少しずつ、大きなことから小さなことまで、少しずつ変わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

外に出る口実だったとはいえ、料理は嫌いじゃない。

いや、元々そんなに嫌いじゃなかったんだ。一人で作って一人で食べると言う行為の虚しさに嫌気がさしていただけだ。

食べてくれる人がいるのなら、それで喜んでくれるのなら、それがセレンなら。作るのは楽しい。

 

「はいよ。本当に辛いから気を付けて食えよ」

机に持ってきた大鍋の中にはいかにも辛そうなスープに具がゴロゴロと入っており、

なんだかんだ昼飯を抜いてしまったセレンと辛い物が好物のリリウムの鼻をつく刺激臭が胃袋を堪らなく締め付ける。

 

「これはなんだ?」

 

「チリコンカンですね!」

 

「よく知っているな。まだあるから先に食べていろよ」

 

「美味しいのか?」

などとセレンは軽口を叩くがこれが不味いはずがない。かきこみすぎて喉につまらないか心配だ。

 

「んー…控えめに言って…クソ美味え」

 

 

機嫌良さそうにそう言いながら台所に他の料理も取りに行ってしまうガロアの背中をリリウムもセレンも不思議そうに見つめている。

 

 

 

(何か…想像していた性格と違います)

ひそひそとセレンの耳にリリウムが小声で感想を述べるとセレンも三回ほど頷いて肯定する。

 

(やっぱり!そう思うだろう?なんというかもっと…)

文字通り無口だったガロアの振る舞いだけで想像していた性格はもっと冷淡な物だと思っていたが、思ったより口も悪いし軽口も多い。

声を手に入れても全く喋らないよりはいいのかもしれないが。

 

(どんな性格だと思っていたんだ?)

 

(もっとクールな性格かなーなんて…)

 

「うわっ!!」

 

「きゃあ!!」

いつの間にかひそひそ話に混じっていたガロアに二人そろって黄色い悲鳴をあげる。

 

「喋れなかっただけで頭ん中で色々ぐるぐる考えていたのさ。バカに見えて賢い奴もいれば、冷静に見えて何も考えてねえ奴もいる。見ただけじゃ分からねえだろ」

 

「……」

 

「……」

やはり、想像していた性格とかけ離れたガロアの言葉に特にリリウムはあんぐりとしている。

 

「はい。まずパスタ。ソースもたくさんあるから適当に食えばいい」

 

「美味しそうです!」

 

「チーズは…あ、もう置いてあるのか」

流れをぶったぎって料理を置き始めたが、それがなんとも美味そうで結局セレンは空腹に負けて空気を戻されてしまう。

 

「サラダも食えよ。野菜を食わないとエラい事になるぞ」

 

「どうなるんですか?」

 

「血を吐く」

ガロアの言葉にからからと笑うリリウムだが、セレンは何となく今のトーンが真面目だったような気がした。

だが、どうも最近は調子が狂いっぱなしなので多分気のせいだろうと思う事にする。

 

「ハンバーグカレー。ハンバーグのお代わりもある。たくさん作った。辛口」

 

「…?あれ?」

 

「タコス。これとこれは辛いから…まあ好きに食べろ」

 

「何か…」

 

「シーフードドリア。魚は平気か?」

 

「大丈夫です。じゃ、なくて…何か多くないですか…?」

もりもりと机の上に置かれた食事は軽く10人前はある。お代わりもあるぞ、なんて言っていたが全品に手を付けられるかも怪しい。

 

「「なにが?」」

 

「あれ?」

何か自分が間違ったことを言ったんじゃないかと思ってしまう程、セレンとガロアは見事にハモる。

リリウムは軽くパニックに陥った。

 

「「いただきまーす」」

 

「い、いただきます」

 

当然のように手を合わせて食べ始めるガロアとセレンに遅れずにリリウムも口に運び始める。

どれもかなり美味しかったがやはり全てに手を付けることは不可能だった。

自分がぎりぎり一人前食べたのに対しどう見ても二人は五人前ずつくらい食べていた。

ガロアが初めてこの世界に来た日にどのような見た目だったかを知っているリリウムは、

パンパンの胃袋に苦しみながら、ガロアがこれだけ大きく育ったことに心から納得していた。

 

 

「シュークリームもロールケーキもあるぞ」

 

「も、もう…食べられません…」

 

「何だ…つまらんな。ガロア、私はロールケーキを食べたい」

 

「分かった。俺は洗い物をしてくるからな」

絶対に三人で食べる大きさでは無いチョコケーキをも平らげてまだこれである。

リリウムは青息吐息で目を回している。

 

「あの…なんであんなに大きなケーキを…?」

今セレンが食べているケーキは普通に女性が一回で食べるサイズに見える。

正直今は食料を目にするのも嫌だが。

 

「うん?ああ…この前ガロアの誕生日でな。でも入院中だったし、退院した後に祝ってやろうと………あ」

 

「お誕生日だったのですか!?」

祝いの品も言葉も無くただあがりこんで食事をいただいてしまった、どうしようと狼狽するリリウムの前でセレンも抜けた顔で目を泳がせている。

 

「しまった!!ローソクをつけるのを忘れていた!!ハッピーバースデーの歌を歌っていない!!」

 

「……」

そういえば忙しく動いているのはガロアだけでセレンは何もしていなかった気がする。

一体どういう関係なのだろう、よく分からなくなってきたとリリウムが混乱していると。

 

「いや…いいよ、別に」

まだ洗い物の途中なのか手に泡をつけたガロアが台所からばつの悪い顔で半身を覗かせていた。

 

「だって祝いたいじゃないか」

 

「そうですよ」

 

「いや…その…祝ってくれるだけで…嬉しいからよ…もう十分だ」

灰色の目を明後日の方向へやりながら要領を得ない言い方でぼそぼそと話すガロアにセレンはピンと来る。

 

「照れているのか?」

 

「……く…ぬ…」

全くその通り、10歳のころから祝う人間もおらず、

誰にも話してもいなかった誕生日はただ自分が一つ歳をとるだけの日だったのにこんなに純粋に祝ってもらえるなんて思っていなかったガロアは今、人生でも最大級に照れている。

 

「…………」

年齢よりもずっと子供らしい表情でぐっと唇をかんだ後背を向けて無言で台所に戻っていってしまった。

 

(か、可愛いです…)

 

(イケる!イケるぞ!)

何がイケるのか、セレンは自分でも説明できないが、今のはイケる。表情があまり変わらないだけで、さっきの言葉通りガロアは頭の中で色々考えているらしい。

 

「よし、ケーキにローソクはもうしょうがないとして、とりあえず人を呼ぼう」

 

「誕生日パーティですか?ここで?」

 

「そうだな」

この時点で名門ウォルコット家の跡継ぎで王の秘蔵っ子のリリウムとセレンの考えるそれは重大な乖離が生じていることに二人は気が付かない。

 

(とりあえず………メイしかいない…)

通信機器の電話帳を見ても教師だった男とガロア、そしてメイしかいない。改めて悲しい現実に思わずため息を零しながら電話をかける。

 

「…………………出ないな」

どれだけ鳴らしても出ない。もしかしたらミッションに出ていたりするのかもしれない。

 

「今日突然招待するのは…それぞれ都合もあるでしょうし…」

 

「そうだな。リリウムは何故ここに来ていた?」

 

「今日はお仕事も無かったので…エアーラインシステムを乗り継げば一時間でここまで来れるので、来てしまいました」

 

「ほう」

 

「有澤圏のお菓子なんですけど…落雁っていうお菓子がカラード管理街で売っているんです。それが大好きなんですけどBFFの方では売っていなくて」

 

「甘いやつか!?」

 

「とっても甘いですよ」

 

そんな二人がとても女子らしい会話で盛り上がる中、台所にいたガロアはドアが乱暴にノックされるのを聞いた。

 

「……」

会話が盛り上がっているところを水差すのもあれだし、もう喋れるようになったのだから受け答えも出来るはずだと思いドアを開く。

 

そういえば人が訪ねてくるなんてそうないことだ。

 

 

「あ゙~ガロア君また涼しげな顔をして~!セレンを困らせているんだろ!!少しは女の子の気持ちを知りなさいよ!!」

 

(酒臭っ!!)

顔を真っ赤にして細い目を愉快そうに曲げたメイ・グリンフィールドがドアの前に立っていた。

 

「セレンを出しなさい!!あの子が私に電話してきたから゙わざわざ来たのよ!!」

 

(ん…?こいつ…?)

酩酊しているメイはもういいとして、荷物のように肩に担がれている面白頭はダン・モロに違いない。

先ほどから全く反応が無く、どうやら意識が無いようだ。

 

「早く!!」

 

「分かった分かったちょっと待ってろ」

手に持っていたウィスキーのビンを振り回して今にもダンごと落としてしまいそうだ。

セレンは一体何を考えてこんな人を呼んでしまったのだろう。

 

「そうよ!私はお客さんよ!」

 

(うざっ)

先ほどまでの照れ倒した気分が一転濃厚な酒の臭いに気分を悪くする。

父は酒を全く飲まなかったが多分自分も酒はダメなのだろう。

 

「あっ!!?!なんでガロア君喋っているの!!?」

 

(もう…さっさとセレンに任せよう…)

声を出すと反応がみんな違うというのは面白いが、この酔っぱらいに説明したところで理解できるかどうか分からない。

頭の上に佃煮にできる程クエスチョンマークを浮かべたメイを置いてセレンを呼びに行った。

 

 

 

 

「だからな?ガロアが18になったから誕生日を一緒に祝おうと思ったんだ」

 

「ふむふむ。よく分からないわ」

 

「……」

 

(本当にセレンが呼んだのかよ…)

まともとは言い難いがそれでも受け答えが出来ているメイに対してダンは椅子の上で置物と化している。

一応自律呼吸は出来ているようだが。

 

「ああ~…リリウムちゃん相変わらず可愛い~…好き」

 

「っ…お酒臭いです…」

リリウムに思い切り抱き着く光景はメイが酔っぱらっていなかったらまだ綺麗な光景だったのかもしれないが、乱れた髪に赤い顔のその姿は生娘に絡む酔っぱらい以外の何者でもない。

 

「ん~?つまり?ガロア君が18歳になったってこと?」

 

「そうです。先日お誕生日だと…」

 

「じゃあこれあげる。うぶっ…プレゼント」

途中で戻しそうになりながら懐から取り出したのはやはり酒。

栓も空いていないし、高級品なのはなんとなくわかるが別にうれしくない。

 

「俺は18だぞ。飲めねえ」

 

「なぁ゙~に言ってんのよ!18だと飲める場所の方が多いでしょう!!」

 

「……」

 

「む゙~…うえっ…。じゃあ…セレンにあげる…美味しく飲んで…」

 

「おお?あっ!有澤圏の山廃仕込みの酒…いいやつじゃないか!!」

 

(そうなのか)

セレンはまだ20のはずなのになんでこんなにお酒に慣れ親しんでいるのか。

セレンには辛い夜に酒に逃げていた時期がある…何てことは知らないガロアはただ疑問を浮かべる。

 

「じゃあ…私帰るから…リリウムちゃん、お別れのキスして…」

 

「ごめんなさい…」

 

「う~…ケチィ~……」

 

「……」

ほぼ死体と化したダンを抱えて出て行ってしまうメイ。

結局酒の臭いを巻き散らかしながら酒を置いていっただけだ。酒お化けだ。

 

「あの二人どういう関係なんだ?訳が分からん。セレンは分かるか?」

 

「いや…よく分からん。でもいい酒だぁ…」

 

「恋人でしょうか?そうは見えませんでしたが…」

三人で頭を傾げるが、結局よく分からない。

後日聞くと言う手段もあるが、かなり面倒だ。

 

「でもガロアも18なんだし飲んでもいいだろ」

 

「いらねぇ」

 

「リリウムもお付き合いで少したしなむ程度ですが…たまに頂いています」

 

「酒なんか消毒と料理にしか使ったことない」

 

「「消毒…?」」

セレンとリリウムの疑問が合致して微妙な空気になった時、リリウムの左手の中指に嵌められていた指輪が光って震えた。

 

「はい、大人」

 

『リリウム、もう帰路についているのか』

指をなぞった途端にしわがれた男の声が聞こえた。

どうやら電話らしいが明らかに自分とセレンが使っている物より5つほど世代が進んでいる。

 

「いいえ、これからです」

 

『なっ、大ばか者!今日は休日ダイヤだ!』

 

「あっ」

 

(そういえばそうか)

公共エアラインシステムなどまず使わないガロアには分からないが休日と平日で運行状況が違うのはいつの時代でもどこの場所でも違う。

時計を見れば既に23時になろうとしていた。

 

『…もうよい。今どこにおるのだ』

 

「はい、セレン様とガロア様のご自宅にお招きいただき…」

 

『なんだと!?何故そうなる!?』

 

「?」

 

「?」

 

「?」

三人とも王がなぜここまで狼狽えるのか分からないが、王にとっては牙むき出しで情緒不安定のセレンと全く女性の気持ちを理解しないガロアのコンビなどほぼ敵でしかない。

 

「よくわからんがリリウムは責任をもって明日の朝まで預かろう、王小龍」

 

『ふざけるな!リリウムはまだ18だぞ!外泊など…くっ、せめて小僧に手錠を付けて別の部屋に置いておけ。手を出さんとも限らん』

 

「出さねぇよ。そっちこそふざけんな。孫離れしろよな、爺さん」

ガロアから飛び出した口ぎたない言葉にセレンとリリウムがぎょっとしていると本日三人目の反応が返ってくる。

 

『小僧か?貴様、口が…』

 

「喋れるようになったんだよ。そういうこともあるだろうが」

いちいちAMSがー、手術がー、等と説明するのも、このまま電話越しで話し続けるのも面倒なので適当に答えてしまう。

 

『無いわ!!』

 

「ないだろう、普通」

 

「自然回復したとしても…突然流暢に話し出すケースは稀かと…」

 

(おお…なんだ…全方位から否定されてやがる…)

いちいち説明するのは面倒なことなのかもしれないが、面倒だからと適当に細かな嘘を積み重ねると後々大変なことになる…なんてことはガロアにはまだ分からない。

 

「それに…大人とは…血の繋がりはありません」

 

「ん?違うのか?」

 

『そうだ。小僧、さ』

 

「でも血のつながりだけが家族か?血が繋がってなくても家族。そういうこともあるだろう」

むしろそれを否定してしまえば自分すらも何が何だか分からなくなってくるのだ。

ガロアはその言葉を他でもない自分の為に言っていた。

 

『……』

 

「…あると思います」

 

(…同じ感覚で言ったのにどうしてこうも反応が違う…言葉ってのは難しいもんだな)

その言葉は王と既に家族のいないリリウム、そしてセレンの心の深くまで染み込んだが、

そういう感情の機微には疎いガロアは何も気が付かない。

 

『ふん。いいだろう。ただし絶対に小僧とリリウムを同じ部屋で寝かせることは認められん。よいな』

 

「当然だ。こちらとしてもそんな乱れた生活は許せん」

 

「?」

 

「?」

 

『寝間着はリリー・テネンバウムのシルクの物を使え。朝は必ず牛乳だ。歯ブラシは』

 

「うるせえなあ、もう」

リリウムが先ほどなぞった方向と逆方向になぞったら通話は切れてしまった。

今更そんな寝間着など買いに行けるか。

 

「あっ、大人…」

 

「もう18だろ。ここまで干渉するのもされるのもおかしいんじゃないか?寝間着はセレンの借りろ。足りないものはコンビニで買えばいい」

時間を確認してから急に眠たくなってきた。もう洗い物もしたし、洗濯もした。おまけに日中布団を干しておいたからよく眠れそうだ。

風呂に入って寝てしまおう。

 

「まぁそれはそれでいいんだが」

 

「だが?」

 

「確かにお前とリリウムを一緒の部屋に寝かせる訳にはいかん」

 

「はぁ」

 

「はい」

 

「しかし私の部屋に寝かそうにも狭くて二人は寝れん」

 

(セレンが悪いんじゃないのか)

 

「だからお前が私の部屋で寝て、リリウムと私がお前の部屋で寝ればいい。予備の布団もあるしな」

 

「はい」

 

「うん。うん?」

 

 

 

「あれ?俺は何か騙されたのか?」

片付けたとはいえ、それでも服が積み重ねてある部屋のベッドの上で少し考えるがどこでこうなったのかよく分からない。

 

「分からん。俺は舌戦が向かないのか。まぁ…まだ喋れるようになって10日も経っていないしな…」

風呂から上がって湯気を頭から立ち上らせながら悩むがよく分からない。

セレンとリリウムは買い物に行ってしまった。あんまり遅くに女性が歩くのはどうだろうと思うがセレンがいれば半端な不審者は瞬殺されてしまうだろう。

 

露出狂が二人の前に飛び出すが、何か行動に移す前にセレンにぶっ飛ばされている光景を想像して一人で笑いながら布団の準備をする。

 

ピピピッ

 

「ん?」

いざ寝ようとした時に、どこかで聞き覚えのある音がタンスから聞こえてくる。

 

「あれ?ラップトップに…返信が来たのか」

そういえば昼間にかなり適当なことを言いながらボイスメールを送った気がする。

送ったメールを思い返しながらやはり無題のメールを開く。

 

『良いだろう。七月十八日の午前十時に○○前まで来い。迎えをこちらから寄越す。一つ、警告をしておく。ウィン・D・ファンションには気を付けろ』

 

「なんか随分短いな」

昼間に聞いた迫真のボイスメールから一転、かなり短くしかもテンションも低めに聞こえる。

なんというか、親に怒られた子供が渋々出した謝罪の言葉みたいだ。

 

「気を付けろ…?よくわからん…」

具体的に何を気を付けろというのか。それに独立傭兵なのだからいつかぶつかることもあるだろう。

今一つ何が言いたいのか分からない。

 

「…寝よ」

もういいや。考えても仕方がないことだ。

セレンもなんだかリリウムと上手くやっているみたいだし、何よりも眠い。

電気を消してベッドにもぐりこみ布団を被る。

 

(…!いい…匂いがする…)

時々セレンの髪からふわりと香る匂いを百倍濃くしたような匂いが鼻腔を刺激して脳が誤作動を起こしだす。

 

(…?でもそれだけじゃないな…シャンプーもリンスも俺と同じはずなんだから…これが…女性の匂いって奴なのか)

誰も見ていないがそれでも、顔がほころぶのを拒むように唇を噛んでほんのり顔を赤くする。

 

(あれ…?この匂いは…あの夢の…)

夢の中で抱きしめられた女性からもこんな匂いがしたような気がする。

 

(気がするって…会ったことも無い脳内人物なんか…)

気のせいだろう、そんなもの。そう思い目を閉じるとすぐに意識がまどろみ、太陽をよく浴びてふかふか布団で深い眠りに落ちていった。

 

気が付くことは一生ないかもしれないが、ガロアは今日、初めて十代の少年らしい一日を過ごしたのだった。

 

 

 

 

 

 

「もうガロア様は…」

 

「寝ているだろうな。あいつは寝付きが良いからな…」

ガロアが眠りに落ちてから一時間後、ついでに中央塔の銭湯で風呂を済ましてきてしまった二人が帰ってきた。

誰か一緒に風呂に入るのはリリウムにとってもう何年も無い事だった。

 

「私が寝ているときのルームウェアを貸そう」

 

「このままでも…」

 

「洗濯もしていないんだ。そのままでは気持ちが悪いだろう」

すっかりレム睡眠に入ってしまっているガロアがいる部屋へとセレンはそっと入っていく。

 

「あーあ…また布団を蹴っ飛ばして…」

眠りこけるガロアの片脚はベッドからはみ出ており、掛け布団は弾き飛ばされている。

ちゃんとした体勢に直して布団をかけなおすその姿は恋人というよりも母親に近い。

 

「どこに置いたっけ…ガロアが整理したから分からなくなった…」

ぶつぶついいながらタンスを漁るセレンは、暗さも相まって相当探しにくそうだ。

 

(……!ガロア様って…)

扉の隙間から差し込む光でぼんやりと見える寝顔は随分と優しげな表情をしており、普段どれだけ顔に力が入っているのかが分かる。

 

(やっぱり…恨んでいくうちに…そうなってしまったのですか?)

当然、そんな踏み込んだ話を聞く勇気はリリウムにはない。そんな勇気があるのならば…

 

「これでいいか?」

 

「え?あっ、はい!ありがとうございます」

よく見ていなかったが、何か既に服を差し出してくれていた。

少しぞんざいな返事になってしまったかもしれない。

 

「じゃあ…ここで騒いでガロアが起きてもいけないし…部屋に行こう」

 

「はい」

と、いう程の距離も無い。隣のドアだった。

 

「お、布団をもう敷いてくれているぞ。割と気が利く奴だ」

 

(え…?これがガロア様のお部屋…?)

ベッドとその下の引き出し、そして机以外にはトランクしかなく、

夜逃げ前と言っても分からない程だ。先ほど垣間見たセレンの部屋とはあまりにも対照的すぎる。

 

「どうした?」

 

「これは…リリウムの為に…片づけておいてくれたのでしょうか?」

 

「?…ああ、違うよ。あいつの部屋は元々これだけだ」

 

「なんだか…」

 

「少ない、か?言いたいことは分かる。まぁとりあえず着替えろ」

 

「…はい」

言われるがままに着替えさせられた服は不思議な事にぴったりだった。

セレンとリリウムはパッと見ただけでも20cmほど身長差がありそうなのだが。

 

「やはりぴったりだったか」

 

「…?」

 

「買ったはいいがサイズが小さくて着ていなかったんだ。もしよかったら持って帰ってくれ」

 

「…はい。ありがとうございます」

普通服は試着…最低でもサイズくらい見て買う物ではないだろうか。

そう思っているうちにパッパとセレンも目の前で着替えてしまった。

銭湯でも思ったが相当にスタイルがいい。

 

(いいなぁ…ああ…やっぱり…)

こんなに綺麗な人と2人で暮らしていて、何も無いはずがない。

 

「ガロアはこの部屋ではほとんど寝ることしかしないからな」

とすんとベッドに腰掛けながらお前も座れとジェスチャーしてくる。

 

「えっ…と…じゃあそれ以外の時間は一体何をして…」

 

「ひたすら身体を鍛えているか…シミュレータマシンに籠っているか…後は図書館に行くくらいだな」

 

「………ずっとお聞きする機会が無くて…」

 

「?」

 

「やはり…ガロア様は…アナトリアの傭兵を…」

 

「ああ…」

セレンがリリウムの過去を知る様に、リリウムがガロアの過去を知っていても不思議ではない。

となれば、自分と同じ境遇で年も同じ少年がとった行動が気にならない筈がない。セレンは一人納得していた。

 

「分からん。この前まで話すことも出来なかったし、何を聞いても何も答えてくれなかった。かと思えばさらっととんでもない事を言い出すし…正直、三年も一緒にいて分からないことの方が多いくらいさ」

 

「……」

 

「ただ…あいつは出会った頃からまるで変わっていない。最初からずっと自分に厳しかった。…私は…あいつに会ってから結構変わったと思う」

 

「…そうですね」

カラードに登録されたのが今年の二月終わりごろ。まだリンクスデビューしてから四か月も経っていないがそれでも、セレンの中身が著しく変わっているのはリリウムもよく分かる。

王がセレンの事をまず間違いなく昔いたリンクスのクローンだと言っていた。それがどのような育ち方をしたかは分からないが少なくとも温かく幸せな家庭などではないだろう。

きっとそれがガロアと出会って日々変わっていってるのだろう。

 

 

もちろんリリウムのその考えは正しいが、それだけではない。

わがまま放題好き放題に浪費する生活をやめて、オペレーターとして仕事をして人と関わるうちにセレン自身が丸くなっていったということももちろんある。本人は気が付かないだろうが。

 

「出会った頃の写真とかは?」

 

「無いんだ。今思うともったいないことをした。昔はこんなに小さかったのに今じゃあんなに大きくなった」

 

「それに…とても痩せていましたよね」

 

「…?何故そこまで知っている?」

 

「…本当はあの時セレン様が思っていらっしゃった通り、ガロア様にあの時声をかけたのは情報収集の為です」

 

「……」

なるほど。あそこまでキリキリ警戒するのはやりすぎだったかもしれないが、完全に間違いだったという訳でもないようだ。

セレンはそう考えながら、あの時あんなことをしたというのに、今は家に招いて一緒に食事をし、風呂に入り隣に座って寝間着姿で話をしている…そんな人生という物の柔軟性に静かに驚いていた。

 

「ガロア様がジャックを埋め込まれた時からその存在を知っていました。いずれ敵になるかもしれない方ならば、調べるのも当然の事だと」

 

「…まぁ、な」

敵になるかもしれない、そんな状況自体は変わっていない。

いつか戦場で殺し合うかもしれないんだぞ、と思うが言えない。

だからといって近づく人間すべてを敵とみなして警戒していては……何よりもガロアの為に良くない。

 

(もう……じゃあリンクスなんか…)

ガロアの為に良くないって?だったらネクストなんて殺人兵器に乗るのが子供に良いものか。

ズキンと心が痛んだ原因は複雑だが、その一つはやはり…ガロアに力を与えたのが自分だからだろう。

自分にだけは…言ってしまえば自分は狂犬の飼い主だ。ガロアは自分にだけは牙を剥かないが、裏を返せば周囲の全ての敵となる可能性もある。

それがガロアにとって友である人間だとしても。ガロアがカラードの首輪付きである以上は…

 

「ですが…ガロア様はそれ以上にリリウムによく似ていました。気が付けば…情報収集の相手だと、それだけとは思えなくなっていました」

 

「……」

 

「リリウムは…大人に出会っていなかったらどうなっていたか分かりません。ガロア様がセレン様に出会ってよかった。だから今のガロア様は…」

 

「怖くない、か?」

 

「はい」

 

(……あいつも、変わったということなのか?…それこそ、何も話していないだけで色々考えていると言ったように…)

かと言って、お前は変わったな!偉いぞ!なんて言ったらまた変な目で見られるのかもしれない。いや、別にそのことに反応をする必要は無いのか。

 

「すまなかったな」

 

「え?」

 

「この前はお前に…酷いことを」

 

「いえ…。大人の指示があったのも本当の事ですし…」

 

「お前がいなければあの花が私に贈られることも無かったのだろう。あいつに女性に贈り物をするような繊細な部分はちょっと無いからな」

冗談交じりに笑いながらそんなことを言うセレンにつられてリリウムも笑ってしまう。

見目麗しい女性が二人笑い合う姿はただそれだけで良い物だ。

 

「だが、どうしてそういう流れになったんだ?」

 

「あっ…それは…ロイ様とガロア様が有意義なお金の使い道を話していて…」

 

(と言っても一方的なんだろうな…それしかないし)

 

「リリウムが贈り物が良い、と言いましたら」

 

「ああなったと」

 

「はい。大切な人への贈り物、って。…だから…セレン様が…先にガロア様と出会ったセレン様が……少し羨ましい」

 

「…憧れています、ガロア様に。あの強さに。小さな子供だったとしても、相手がどれだけ強大でも、世界に押しつぶされずに自分を信じ続けて強くなったガロア様に。……ごめんなさい」

 

(……そうだろうな。同じ境遇で、ガロアは真っ向から立ち向かい勝ったんだから。……ん…?…あれ…!?)

うつむきしなをつくるリリウムのその表情に何かを感じる。

と、同時に自分の中にある何かに気づきかけた。そう、それは丁度鏡を見るのに似ていて、自分が持っていながらも見えなかった感情が…

 

ドンッ

 

「わっ!」

 

「きゃっ!」

ガロアが寝ている部屋の壁から衝撃音。

壁を殴ったような音だ。

 

「騒がしくしすぎましたか…?」

 

「いや、多分寝がえりで壁をぶん殴ったんだと思う。あいつは寝相が悪いからな」

 

「…でもそろそろ…」

 

「そうだな。どちらにしろ寝た方がいいな」

既に深夜一時半。これ以上の夜更かしは肌にもよくないし、ここで話し込んでいてガロアが起きることになったら流石に可哀想だ。

 

「じゃあお前は…」

 

「リリウムは下のお布団で大丈夫です。ガロア様のベッドはセレン様が」

 

「そうか?じゃあ電気を消すぞ」

 

「はい。おやすみなさい」

ぱちんと電気を消して布団に潜り込み深く息を吐く。

 

(…!!…が、がろあのにおいが…すっ、する…)

一気に目が覚めてしまった。運動場でたっぷり汗をかいた後に横を通った時に漂ってくる匂い。

ただでさえそれでちょっと心臓が跳ねてしまうのにいきなり全身が包まれた。死にそうだ。

 

(ななんなん…なんで…同じ洗剤同じシャンプーでこうなるんだ…)

混乱しながらも何故か手は勝手に動いて布団を鼻まで持っていってしまい思い切り息を吸い込んでしまう。

日中干したお陰で太陽の香り、そしてやっぱりガロアの匂いがする。

 

(……あわわわわ…えらい事だ…えらい事だ…)

何がえらい事なのか自分でもよく分からないまま鼻の高さまで布団を被り、ぐるぐると脳内をよからぬ妄想が駆けているうちに眠りに落ちてしまったが、

初夏の夜に冷房もかけずに布団をがっつり被って寝たセレンは朝には汗でびしょびしょだった。

 

 

そして次の日。

無事にリリウムはカラード管轄街のあるコロニーベラルーシから、王と住む屋敷のあるウクライナへと飛んでいった。

 

セレンはずっと目を回しており結局ガロアに変な目で見られた。

 




セレンもセレンで何やら大変ですが、ガロアもガロアで自分が刺激的な状況にいることに気が付いたようです。

虐殺ルートで見た通り、ガロアが劣情を抱いて何か粗相をしてもセレンは怒りません。
しかし、それはエロゲならハッピーエンドかもしれませんが、ダメです。そうはいきません。


虐殺ルートのラストを見直してこれを見ると平和過ぎて笑ってしまいます。
でも、平和すぎると何か嫌な事が起こりそうだって気がしませんか?
特にゲームや漫画なんかだと…


既に欠片ほどの不穏は顔を出しています。
企業連ルートでも出ていたアレです。



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一人で抱え込んでしまうタイプ

七月に入った。世界は相変わらず汚染に囲まれて、重量オーバーのエレベーターのような閉塞感に溢れているけど俺はまだミッションに出してもらえない。

身体中の包帯もほとんど取れたとはいえ確かに死んでもおかしくないくらいの大けがをしていたんだからしょうがない。

それはいい。

そうじゃなくて。

 

誰なんだ。俺をずっと見ている奴は…。

 

 

 

ミーン…ミーン…

 

「ガロア、知っているか?」

開け放った窓の向こうから届く蝉の鳴き声を聞いて、

セレンがアイスキャンディーを口元でくるくる回しながら何事かを話し出す。

 

「ん?」

 

「このセミという虫は大昔はほとんどこちらに生息していなかったそうだ。それが何百年か前に東洋から持ち込まれて、気候が変化したのもあり爆発的に繁殖したらしい」

 

「そうか。…ちょっと外に出てくる」

 

「え?何しに?」

 

「…蝉取り、かなぁ…」

 

「は?」

 

なんでそうなるんだ、という顔をしたセレンを置いてすっと家を出てしまう。

蒸すような熱気、耳をつんざくようなセミの声と人々の喧騒。

それに紛れて確かに感じるこの気配。殺気。

 

(下手くそな尾行しやがって…誰だ…俺に恨みがある奴…とか?)

正直身に覚えがありすぎる。三日ほど前、セミが鳴きはじめると同時に気が付けば監視されていた。

目的が分からないがこれだけ殺気むんむんなのに、ラブレターを渡す機会を伺う美少女という事もあるまい。

 

(……誘いに乗ってやるか…)

街を歩くと人々が避けていく。ホワイトグリント戦での悪評もそうだが、それ以上に今のガロアは身長195cm以上、体重90kg以上とかなり威圧的な見た目の上に顔に険が入っているという事が大きい。

人々が避けていくのに合わせてガロアも人々を避けて歩くとあっという間に人気のない路地裏に来てしまった。

虚しく埃を被ったまま電源の入っている自販機は静けさを演出していた。

 

(さて……)

 

(もういいだろう?)

濃厚になる敵意。

暫く戦場に出ていなかったが、やはりこうして磨いていないと勘が鈍ってしまう。

 

(…来る!!)

ビリビリと流れる直感を信じて、左腕を曲げて首と平行になる様に拳を素早く顎元まで持ってくる。

その途端、暗闇で目立たないように艶消しの黒一色に塗られた縄がガロアの首を左腕ごとくくった。

 

「!!」

 

(いきなり首か!!)

ガロアが攻撃に対応した事に驚いたのか、ガロアの真後ろにいつの間にか陣取った野暮ったいマントにフードを被った人物が動揺する。

 

(掴む!!)

自由に動く右腕で狼藉者に手を伸ばした瞬間、あっさりと縄が解かれる。

 

(はっ!器用な野郎だ)

まるで蛇が絡みつく様に、一秒の半分にも満たない時間でマントの人物の両足がガロアの首に絡み、両手がしっかりとガロアの右手首を掴んでいた。

空中での腕ひしぎ十字固めである。それをほとんどよどみなく成功させたことから並の武術家では無い事が伺えた。

 

「……」

 

(く…の…野郎…)

だが、本来なら地面に引き倒されてそのまま右腕をへし折られたはずが、ガロアは右腕一本でその者を支えて重心を保ってしまっている。

90kgの身体で片腕倒立腕立て伏せを成功させるガロアのバランス感覚と筋力に対するには、この人物の体重64kgではやや足りなかった。

 

「…!!」

 

(木っ端みじんになれ!!)

鼻から大量の息を吐きだしたガロアの脊柱起立筋が異常な隆起を見せて右腕が地面に叩きつけられた。

 

「……」

 

(なかなか…身軽だな)

叩きつけたと見えたのは幻覚で、気が付けばその人物は右腕を離して空中で離脱していた。

 

「……」

 

(身長…175cm前後…体重は恐らく65kg前後…さて…誰なんだ?こいつは)

普通の身長に普通の体重であり、ちょっと考えただけでも候補が多すぎる。

それに加えてそもそもガロアと面識のある人物ではない可能性も十分大きい。

ガスマスクもつけており、フードとマントも相まって、この時期にこんな格好で外にいるのはただ変態としか言えない。

 

「……」

マントの人物はガロアとある程度の距離をとったまま、拳を顎の高さまで上げて小刻みにリズムをとりながら小さくジャンプを始める。

一見して巧妙にボクシングのスタイルにみせかけているが。

 

(上半身を全てこちらに向けている…)

通常、拳での攻撃の威力向上を望むのならば相手に対し半身に構える。そうしなければ腰の入ったパンチが打てずに本来の威力の半分も出せないからだ。

 

(それにこの音…)

ザッ、ザッと地面を蹴る音から察するにあの野暮ったいマントの下にはカモシカのようにしなやかな筋肉で覆われた脚が隠れているのだろう。

 

(この重心……キックか…。キックボクシングとかかな…多分…よく知らんけど)

脚に自信を持った構えでリズムを刻むその姿。

 

(綺麗だ。こいつはすげえのが来たな)

先ほどのやり取りで並の相手でないことは分かったが、敵意丸出しでなお敬意を払いたくなってしまう程に綺麗な構えは、古代ギリシャの完成された像のようだ。

それが生き生きと命を持って動いている姿は最早そんな像よりも遥かに美しい。

 

(おっ、おっ…あっ…これ…この感覚…)

ガロアは思い出していた。途轍もない強敵に出会った時に起こる、酸欠と間違える程の極限の集中状態を。

目に入る雪ですら気にならず、バックの輪郭だけを捉えたあの瞬間を。今にもぶっ倒れそうな中で暑い体育館で向かってくるセレンの動きがやけにゆっくりと見えたあの瞬間を。

 

(懐かしい……お前も、…好きなんだろ)

ありとあらゆる手段がある中であえて素手を選択して襲ってきたという事実、それのみから相手の好戦的な部分を感じ取る。

暫く命のやり取りから離れて鈍っていた何かが目を覚ます。

 

「……」

暫く距離を調整していたが、リズムも距離も理想的になったのか、襲撃者は急激に動きを速めた。

 

(来た!)

かなりの速度で放たれた拳を一つは避けて一つは手首で軌道を逸らす。

 

セレンの教えでは、『絶対に攻撃を受けるな。いなすか避けろ』とのことだった。

そもそも人体は殴り合いに向いていない。骨までのクッションがない拳が体に当たればどういう受け方をしてもダメージは貰ってしまう。

ところが避けるかいなすかすれば、相手に疲れだけが溜まっていく。

 

(バンテージを巻いてやがる…準備のいいやつだな)

殴り合いに向いていないというのは、殴る方も同じで肉と骨で固められた人体を殴り続ければ手もダメージを受けていく。

つまり前もって、あの奇襲が失敗したときにはボコボコにする準備をしてきたということだ。

 

(面白ぇ!!)

 

「!」

 

ふらふらと攻撃を避けるだけだったガロアがにわかに歯をむいて笑ったを見て襲撃者の動きが僅かに止まる。

 

(楽しませてくれ)

初めてガロアが構えた。右手は額の高さ、左手は腰よりも下で握り半身を相手に向けている。

 

「…?」

それは格闘技の経験が長いマントの人物でも見たことの無い構えだった。

疑問に動きを止め、瞬きをした次の瞬間には三発も拳を当てられていた。

 

「!?」

あの構え。至近距離まで接近されるとどちらかの拳が視界から消えてしまう。

そしてどちらかに注目した瞬間には拳が叩きこまれている。

 

(いきなり防戦一方になってしまったな?どうするんだ?)

ガロアがセレンから教わった格闘技には名前は無い。だがあえて言うのならばジークンドーとブラジリアン柔術と拳法を混ぜた物に加えて八極拳を混合した実戦派格闘技。

小さなガロアでも相手に勝てる様にと教え込まれた技術は、関節や急所への攻撃を最大限に利用した理に適った格闘技であり、他のスポーツ格闘技とは一線を画している。

まだこの相手には行っていないだけで、相手を絶命せしめる急所への攻撃もいくつも習得している。

 

「……」

 

(距離をとったか…いい判断だ)

敵の主砲が脚だとするのならば、わざわざ拳の打ち合いに付き合う必要は無い。間合いも威力も拳とは段違いなのだから。

 

 

一方で襲撃者は困惑していた。両手が見えないのは人体の構造上もう仕方がないこととして、何故見えている拳まで見切れないのか。

襲撃者がガロアの拳を見切れない理由。それは拳の打ち方にあった。

現在どのスポーツでも主流とされているパンチは突き出しながら捻るという過程がある。威力を乗せるという観点からはそれは正しい。

だが人の腕は捻ったりせずに真っ直ぐ伸ばせば反動ですぐに伸ばした腕が返ってくるように出来ている。

それを利用して拳を横にせずに打つパンチを縦拳という。威力は低いが、速度は既に人の反射神経で全て避け切るには困難な域に達している。

また、威力に関しても低いと表現したもののガロアの筋力・体重をもってすればそれだけで並のパンチよりも威力がある。

 

 

 

(行くぞ!!)

ふっと息を吐いたガロアは一足で飛び込む。

だが更に一歩踏みこもうとしたところに脚に蹴りを入れられた。

 

(なるほど…)

ローキックによるストッピングで攻撃が先じて封じられてしまったのだ。

やはり脚か?そう思うのと実際に襲撃者の脚から凶悪な蹴りが放たれるのは同時だった。

 

(おっと)

間髪入れずに上段へ、刃物を振り上げるような蹴りがガロアの伸びた髪を掠め僅かに飛ばしていく。

鼻にちょっとでも当たれば簡単に折れてしまうだろう。ざわざわとこの強敵への敬意と闘争心が湧き上がり、構えを崩さないようにそっと肘を前に出す。

 

「…!」

ガッ、と石と石がぶつかりあったかのような音が響く。

 

(……いつまで我慢できる?)

さらに連続で振り上げられた敵の左脚に今度は完全に対応し、肘で受け流した。

人体でも最も固い部位の一つである肘が当たったのは脛。

ダメージを見せるような動きはしていないが本当ならば膝をついて休みたいはずだ。

 

(おっ)

完全に脚が主体になった。それと同時に敵からの殺意も感じる。

信じがたい速度で繰り出され空を薙ぐ中段への蹴りを回避する。

ああ、楽しい。ガロアはまたしても笑っていた。

 

(…なんだ!?)

だが襲撃者は今までの攻撃とは一転、その勢いが止まることなくコマのように回転し、ガロアは脳内で最大レベルで鳴らされた警報に従い横へと転がった。

 

ドゴンッ、という音が聞こえた。

これが人体に当たったらどうなるかなんて想像もしたくない。

 

(後ろ回し蹴り!!そんなのがキックボクシングにあるのか!?)

勢いをそのまま次に活かして放った回し蹴りはコンクリートの壁に当たり大きな亀裂を残していた。

次は当てる、と言わんばかりにまたこちらに向き直り構えてくる。

 

(こいつは…強い。それもかなり…)

 

(だが…スポーツマンだな。唖門が丸見えだ)

首の真後ろ、脊髄にある人体の最大急所の経穴・唖門が回転の間丸見えだった。

そこを全力で突けば下手しなくても命を失う事がある。

 

(それに…今漂ってきた匂い…。セレンもするから分かる…化粧の匂いだ)

 

(こいつ…もしかして…女か?)

 

 

 

 

襲撃者……ウィン・D・ファンションは焦っていた。

クレイドルから降りてきてもキックボクシングの練習をさぼったことは無い。それどころか新たな格闘技を修めたくらいだ。

ネクストを降りての人対人ならば自分はリンクスの中で一番強い。その自信があったのに、最高の一撃すらも回避されてしまった。

 

(何故だ!?)

恐らく今後発見されることは無いであろうネクストとAMSによる感覚拡張の恩恵。

弱弱しい肉体から解き放たれ、想像の世界において人がひたすら身体を鍛えた先にあるはずの完璧な肉体を先じて得るという経験によるギフト。

その人物が今後数十年の修行を経て目覚める格闘センスの強制開花だ。

肉体に恵まれずにいた幼い頃から宿っていたガロアの随一の格闘センスは桁外れのAMS適性により鍵が壊され、戦場で近接戦を選び続けることで完全に目覚めていた。

桁外れのAMS適性と格闘センス。この二つを持つ者でなければこの恩恵は得られない。

恐らくは、この先誰にも発見されることはない性質だろう。そんなものは数値化できないし、ガロア本人ですら気が付いていないのだから。

 

(大丈夫だ…落ちつけ…私のキックが封じられた訳じゃないんだ)

鉄板仕込みのブーツによるキック。まだまともに当たっていないせいで気が付いていないだろうが、これを食らえばどんな人間でも倒れるのは間違いない。

今一度、攻撃に移ろうとした瞬間。

 

「……」

 

(!!呼吸の裏をかかれた!?)

既にガロアは拳が届く距離まで接近していた。慌ててウィンはローキックを繰り出す。

だが。

 

「……」

 

(!!?)

客観的に見ていたらみっともないぞこの馬鹿、と罵声の一つでも浴びせたくなるほど見事に空ぶっていた。

そしてそんな隙をガロアが見逃すはずもなく、顔に拳を二発入れられガスマスクでは防ぎきれずに鼻血が噴き出る。

 

(こ、こいつ…リズムが変わっている!?)

格闘技においてリズムを読むことは重要な技術の一つだ。

慣れた者程、自分のリズムに従い相手に流されずに戦う

だが、中にはそのリズムが変動してしまう者がいる。

ガロアはまさしくそれであり、しかも気分でリズムを変えてしまう最悪の相手だった。

ウィンが放ったローキックは回避というよりも、その一歩手前で止まったガロアに当たることなく虚しく空を切ったのだ。

 

ガロアの拳がガスマスクで守られた顔面にさらに何発も入る。ガスマスクの中で衝撃が響き頭がくらくらしてきた。

 

(な…何故…)

頭の高さで構えた拳で今まで相手のパンチを余裕をもってガードが出来たはずなのに、この男はするするとガードを抜けて当ててくる。

グローブ無しでの殴り合いの経験はほとんどなく、しかもその相手のほとんどを蹴り一発で倒してきたウィンは気が付かないが、

グローブがない分ガードの面積が小さくなっているのだ。もちろんガロアの当て勘が優れていることもあるが、

ついグローブがあるような感覚で防ごうとしてしまっているウィンの拳はガロアの拳を防げない。

 

(なんだ!?こいつのスタイルは!?八極拳!?ジークンドーか!?違う…分からん!!)

 

「カッ!!」

 

「ひっ!!」

危険な昆虫が牙を打ち鳴らすように、ガロアが歯を食いしばり歯と歯がぶつかる高い音が耳に届く。

普段は何も考えていなさそうな顔でただ突っ立っている男とは思えない程凶悪な顔を見てウィンは咄嗟にその場に頭を抱えてしゃがみ込んだ。

その数瞬後にウィンの頭があった位置をガロアの腕が掠めていき、フードの一部に切れ目を入れていった。

 

ゴッシャァン!!とおよそ人が出せるような音とは思えない音が路地裏に響く。

 

(…化け物め!!)

埃を被って人々から忘れ去られていた自販機の商品陳列部のプラスチックを一気にぶち抜き、ガロアの左腕が半ばほどまで埋まっていた。

あの高さは丁度ウィンの顔がある場所だった。頭が固いということに関しては自信はあるが、あんな物に生きて耐えられる自信はない。

 

「……」

 

(速さもダメ、技術もダメ、力もダメ。あ…?どうすれば倒せるんだ…?こいつ…)

引き抜いた腕からは少量の出血が認められたがそれを全く気にしたそぶりも見せずにこちらに歩み寄ってくる姿に、ウィンは初めて敵に恐怖と言う物を抱いた。

 

(仕方がない…暫く動けないようになってもらうだけだ!!)

 

 

 

 

 

「……」

スラリと襲撃者が懐からナイフを出したのを見てガロアは急激に白けていくのを感じる。

というか実際に白けていた。さっきまでの凶暴な満面の笑みから一転、四日連続で晩飯にカレーが出た子供のような顔をしていた。

 

(…んだよ…つまんねぇ…)

 

「……」

見せつける様に光るナイフを見ても特に恐怖は無い。

あの森にはあんな物よりも恐ろしい牙と爪を持った動物がたくさんいた。

 

(それに病み上がりだってのに襲い掛かってきやがって…)

 

(ん!?それが分かった上で襲撃してきてバカスカ蹴ってくれたのか!?)

 

(なんだか許せんぞ…こいつ…)

 

「……」

とりあえず二、三発ぶん殴ろうとした途端にナイフが振られて接近を止められる。

お世辞にもその動きは上手いとは言えなかった。

 

(…?なんだ?)

その動きに妙な違和感を感じる。

 

(そういえば…変だ)

セレンもそう言っていたし、自分もそうだからよく分かるが、本当に相手を殺す気なら刃物はぎりぎりまで隠しておいて一瞬で刺すのが良い。

あんなふうに見せびらかしていては相手に警戒されて避けられてしまうのは当然だ。

 

(もう一回近づいてみるか)

 

「……」

血が出ている腕をわざと大振りにしながら近づくと相手は数歩引きながらナイフを振りまわした。

 

(やっぱり…)

攻撃が正中線を狙っていない。

身体の真ん中を狙って刺しに行けば、急所じゃなくてもどこかに刺さるかもしれないというのに、この襲撃者は伸ばした拳を斬り付けようとしてきた。

 

(…思えば最初から…殺意が足りなかった気がする)

 

(なんだ?殺すほどでは無いけど、怪我をしてほしいくらいの恨みを俺に持つ相手ってことか?)

 

(…分からん。尋問しようにも知らんそんなもん)

 

(それによく見たら…不細工だなぁ…)

先ほどの構えは思わず見とれてしまう程綺麗だったというのに、今、刃物を構えて前のめりになっている姿は控えめに言っても美しくは無い。

美しく無ければ死ね…という訳では無いがかなり興が削がれた。

 

(もういいや。死なない程度にクシャクシャにして…セレンの所に連れて行こう)

この相手が自分を殺す気がない、というのならば。危険だが一つ賭けに出てみるのもいいかもしれない。

 

(行くぞ!!)

 

「!!」

 

(ここだ!!)

飛び出したガロアの腕に向かって斬り付けられたナイフに向かって、ガロアは顔を勢いよく近づけた。

 

「!!?」

 

(やっぱりか!!)

殺意がないのなら顔には刺さないだろうと思った通り、少し右頬に切り傷がついてしまったが面白いくらいに隙だらけだ。

ナイフを持った腕を掴んで持ち上げると、自分より20cmも背が低かった襲撃者は浮かびあがってしまった。

 

「…!…!!」

浮かびながらも懸命に蹴りを放とうとしていたが、キリキリと手に力を込めて骨を砕こうとすると痛みで動きが止まった。

 

(吹っ飛べ!!)

そのままナイフを持った手を掴んだまま、空いた方の手で相手の胸へセレン直伝の発勁を叩き込んだ。

 

どっ、と空気の入った肺に攻撃が染みわたる音を出しながら襲撃者は吹き飛んでいく。

 

「…っ!…っ!」

 

(あー……失敗だ…。腰も入っていないし、足も相手の方を向いていなかったか)

襲撃者は膝をついて苦しんでいるが、それでも失敗。本当ならば気絶させていたはずだ。

殺さないように加減をし過ぎてしまった。だがそれよりも。

 

(今のは……)

手にまだ残った柔らかな感触。

柔らかい防具なんてものがあるのならば別だが、さっきの匂いといい、この感触は女性の胸に違いないだろう。

 

 

(……………………柔らかくて気持ち良かったな…)

手に残る感触を今一度思い出そうとするが霧散するように消えて行ってしまうのがなんとも惜しい。

 

(!いけねえ!こんな事考えていたらセレンに怒られる!)

胸に触れた手を、水滴を飛ばすように振り、厳しい顔つきに戻す。

無論、セレンとの組手で胸に手が触れることなど何度もあったがそんなことを気にしている余裕は無かった。

つまりこの女はセレンより弱いのだ。……なんで怒られるんだろ、と今は関係ない事が少しだけ頭をよぎった。

 

 

 

 

 

「……」

 

(くっ…こ…あ…)

内臓が沸騰するような痛みと嘔吐感に必死に抵抗するがそれでもまだ立ち上がれない。

ガロアは厳しい顔つきでこちらを見ながら、鋭く空を切る様に手を振っている。

 

(クソッ…これからが本気という事か!?)

実際はそんなことは思っておらず、ちょっと顔を出してしまったスケベ心を努めて追い払っているだけなのだが最早ここまで考えていることに差があると滑稽である。

 

「……」

特に攻めてくる様子も無く、自分が立ち上がるのを待っているその姿に苛立ちを覚える。

相手にでは無い。自分にだ。

 

(つくづく…女というものは戦いに向いていない…)

肉体的資質に恵まれていたとはいえ、日に日に丸く女性らしくなっていった身体。

下腹部の鈍痛と共に月一の生理は必ず来る。体重は中々増えず、筋肉よりも遥かに脂肪がつきやすい。

 

「……」

 

(それでも…!ここで貴様を止める!)

やはり刃物で一方的に攻撃するのは逡巡があったが、もう加減はしない。この男は刃物を持っていても勝てない程に実力に開きがある。

生身でもそれほどの力を持った男というのがどれだけ危険か。どちらにしろここまで来ればもう後戻りできない。

刃物を構えてから初めて自分から突っ込んでいく。

最早多少刺さっても構わんとメチャクチャにナイフを振る。

 

ガチンッと耳に届いた音がなんだか分からなかった。まさかこの男は鉄で出来ているとでも?

 

(なんだと!!?クソッ…!)

信じられない。振り回していた刃物に噛みついて止めてしまっていたのだ。もちろん刃がついてない方を噛んでいるが、そんなことが人間に可能なのだろうか。

一瞬で様々な事を考えならがらホルスターから拳銃を手にする。

 

(脚をもらう!!)

 

「……」

 

だがウィンが銃を構えきる前にガロアも拳銃を抜いており、自分と相手の銃口が重なり合った。

 

(しまっ)

一瞬の思考停止。ガロアの持っている銃は今は珍しい六連リボルバーだった。

昔何かの映画で、銃口どうしをくっつけた場合は自分の持つオートマチックの銃は撃てなくなるとかいうシーンを見たような…

そんな考えが纏まる前に銃弾が発射されウィンの拳銃が破壊されて手が痺れた。だが驚いている暇もなかった。

 

ズゥンッ、だとかビシッ、だとかそんな音が一気に聞こえた気がする。

身体の重心を一気にウィンの膝の高さまで下げたガロアを中心にアスファルトに大きくヒビが入っていたのだ。

 

「受けてみろ。全力の勁」

ガロアの顔に走るいくつもの血管が異様に膨らんで顔が真っ赤になっていた。

 

(喋っ…死…!)

なんで喋ってんだ、という疑問が口から出る暇も無かった。

人生でここまで驚きが連続したことはこれまでなかったし、これからもあり得ないだろう。

感情は時に爆発だ。暴走する感情を大体の人間は身体で処理できない。だがもしその爆発を外へと正しく叩きだせる肉体があったのならばそれは凄いことになるはずだ。

 

ガロアは今から爆発する。

 

 

ウィンは男が嫌いだった。

ただ女が好きという訳ではない。男が嫌いだった。

汚い。汚いのだ!

女と男の身体を比べてここが綺麗じゃないあそこがダメだとかじゃなくて、比べると汚い。

男というだけでもう好感度マイナス100だった。人生でそれでもまともに接してきた男など家族を含めて片手で数える程しかいない。

 

嫌いな物には?

嫌いな物にはなんなのか。

 

負けたくないのだ。逃げたくないのだ。頭を下げたくないのだ。プライドを明け渡したくないのだ。

 

ごめんなさいと。

そのウィンが、ごめんなさいと口走りそうになった。許してもらって逃げたくなった。こんなことをして悪かったと心から反省しそうになった。

 

(お父さん…お母さん…)

ウィンはほんの数瞬の間に………走馬灯を見ていた。

 

そしてやっぱり。

 

絶対に死ぬもんかと思った。もうむやみやたらに人に襲い掛かるのはやめよう、とも。

 

「ぬああぁあああ!!」

ウィンは後先考えずにその場から回避した。プールに飛び込む水泳選手のようにアスファルトに飛び込んだのだ。

回避とは相手の攻撃をくらわないということではない。怪我をしないようにその場から移動して、次の瞬間には相手に反撃するために備えることを言う。

だがウィンは身体を全力で投げだした。腕がアスファルトでずるずるに剥けてしまうかもしれない。頭を打って血が吹き出るかもしれない。

そんなことはどうでもよかった。例え肉が見える程身体が擦れようと、打ち所が悪くて目が覚めた時には病院にいようと、ガロアの次の攻撃だけはくらいたくなかった。

そうでもしなければ次の瞬間に死んでいたのは間違いなかったからだ。

 

「喝ッッ!!」

発された勁は大穴の空いていた自動販売機に裂帛の気合と共にガロアの背中から叩き込まれ、地面のひびとは比べ物にならない程の破壊をもたらした。

工場で潰された廃自動車のように、元が何が何だか分からなくなった自販機は建物の壁にめり込み壁に超巨大な蜘蛛の巣のような破壊の跡を入れていた。

ただ叩きつけられたのなら可愛いものだ。数百キロはある自動販売機が『く』の字に曲がって壁に突き刺さっていると表現した方がいい。

後にこの場を訪れた者は交通事故があったのかと思うだろう。まさか人と人同士が戦った跡だとは夢にも思うまい。

 

毎日頑張って汗を流してなんてレベルじゃない。

 

知っている。命のやり取りのみで磨かれるものがあるということ。

この少年の何倍ものリンクスとしてのキャリアはそのまま何倍もの命のやり取りの経験のはずだ。

 

足りない。それでは足りなかった。どちらかが必ず死ぬ。そんな世界から…この男は自分と違う世界から来た。

 

ウィンの耳に届く心臓の早鐘の音はウィンの物では無かった。ガロアの物だった。

壁にめり込んだ自動販売機をガロアが小突くと派手な音を立てながら落下した。

それと同時に爆発的な心臓の鼓動から来る血液の供給過多によって真っ赤に染まっていたガロアの肌の色が戻っていった。

 

(なんだお前っ、リンク…、ネクストいらないだろ、くそっ)

歯の根も合わぬほど震えて小便を漏らす寸前だったウィンの元に近づいてきたガロアは、暴力的な何かをする訳でも無く、そっとマスクを取っていった。

 

 

 

 

 

「…やっぱり…ウィン・D・ファンションだ。何してんだ?」

あの時、メールで来た警告。ウィン・D・ファンションには気を付けろと言った文章。

何が何だかよく分からなかったが確かに危険な女だったようだ、とガロアはのんきに言葉を発した。

 

「や、やや…やっぱり…?知っていたのか?いや…貴様、喋れたのか?!」

 

「質問に質問で返すなよ…。喋れるぜ。男子三日会わざれば刮目して見よって言うだろ」

やはり皆最初は驚く。正直その反応にも飽きてきた。

そしてこの女にもまともに教える気はない。ましてや突然襲い掛かって刃物や銃まで持ちだしてきた相手に詳しく教える意味などあるのだろうか。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「あっ。括目しても意味ないか」

格言を口にしたら襲撃犯であるウィン・D・ファンションがバカみたいな顔をして固まってしまったのはなんでだろう、

と少し考えたがそういえば喋れるようになったかどうかなんて見ても分からない。固まってしまうのも無理はない。

 

(なんだ…?私は…こんなうすら馬鹿を脅威とみなして襲い掛かったのか…?)

ウィンは困惑していた。襲っているのが自分であるという事を知っていたかのような反応を見せたかと思えば今の間抜けな言葉。

この男はなんなのだ?

 

「…なんで俺のことを襲ったの?」

ぽかんと呆けているウィンに質問をぶつける。

 

「その前に質問に答えろ。私が襲撃することを知っていたのか?」

 

(俺が先に質問したんだけど…まぁいいか)

 

「親切なテロリストが教えてくれた」

 

「なっ、貴様、やはり!!」

身構えるその様子でガロアは何かを感じ取る。

 

「なぁ、もしかして…敵に回る前に怪我させて戦場に出れないようにしようとした、とかか?」

自分も人間なので怪我をすれば戦場に出ることは出来ない、というのはここ最近の記憶からよく分かる。

ホワイトグリント戦で大怪我してから未だに戦場に出れていないのだ。

 

「……」

図星か。顔によく出ている。表情を隠すのが非常に下手くそだ。

もしかしてそのためにガスマスクなんてしていたのかもしれない。

 

(それで襲撃しようってなるのは凄い思考回路だ。…俺と同じタイプだな。一人で抱え込んで考えすぎてしまうタイプ…)

自分もつい最近までそうだったから、もう怒るにも怒れない。

 

「…今日何日だっけ」

 

「何?」

 

「何日だっけ」

 

「七月…四日だが」

 

「じゃああれだ。明後日、ちょっと話そう」

 

その言葉は脈略がなさ過ぎてウィンは暫く理解が出来なかった。

 

「な…は?ふざけるな!今ここで貴様を逃がしたら…通報するだろう!!」

武器を持って襲い掛かっておいて何を言っているのだろうか。ウィンは自分でも何がなんだか分からなくなってくる。

 

「はぁ?ウィン・D・ファンションが俺を殺そうと街中で襲い掛かってきたんです、って?」

 

「……」

 

「お前こそふざけんなよ。俺みたいなぽっと出の根なし草を四年間こつこつ積み上げてきたあんたが襲う理由をどうやって説明するんだ」

 

(あれ…?なんだ?何がどうなっているんだ?私は…これは褒められているのか?)

 

「無視されるか…下手すれば俺が逮捕されちまうだろ、そんなもん。正直なところ、お前が襲い掛かってきた時点で大分詰みに近いんだ俺は」

 

「…だが…お前に何のメリットも無いだろうが」

襲撃して、しかも返り討ちにあいながら見逃されようとしているぶっ飛んだ現実が飲み込めずにウィンはつい抗議の声をあげてしまう。

 

「…あんた…ちょっと俺と似ている。一人で抱え込んでしまうタイプ。だからあんたのことを見ていられないから…かなぁ」

 

「……」

 

「一人で戦って…全員を敵と決めつけるなよ。死ぬぞ。別にいいけど」

 

(なんだこいつ…毒気が無さすぎる…。いや、でも…さっきの言葉から既にORCAと接触しているのは間違いないというのに…)

既に武器も無く、攻撃する気力もないウィンだが、一応の義務感はまだある。生身ですらこれだけの破壊を周りに巻き散らせる人間なのだ。

この男が敵に回る事だけはやはり避けなければならない。

そう思った時、複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。

 

「……!やべぇ!!警察か!?」

 

「…曲がりなりにも街中で銃を撃ったからな。誰かが通報したのだろう」

 

「後は頼んだ!!俺は帰る!!また後で連絡する!!」

 

「……」

そう言いながら綺麗なフォームで走っていってしまう後姿があまりにも間抜けで、ウィンを支えていた義務感までもがぽっきりと折れてしまった。

 

 

 

 

「失礼します!こちらで発砲音が…!あ、あなたは!?」

 

「……」

 

「ウィン・D・ファンション!?…あ、あの、ここらで不審者を見かけませんでしたか!?」

 

(……笑い話だな)

あの男が言う通り、最初から自分が不審者・犯罪者という考えは警察の頭にはなかった。

いつからだろう。自分の周りは敵だらけなのだと錯覚して迷走を始めていたのは。

あのまま襲撃に成功していたら、ずっと一人で戦い続けて惨めに殺されていたのだろうか。

 

「あの…?」

 

「ああ。ここで身長2m以上はあるアゴ髭の生えた男と交戦してな。残念ながら取り逃がした」

 

「なんと…!」

 

「リンクスを直接襲うとは!」

 

(はっ…どうしようもない…馬鹿だな、私は)

結局、ウィンは心の中で自嘲しながら嘘を吐くことになった。

思えば生まれて初めての完全敗北だったが、その心中はあまり悪くは無かった。

 

 

 

 

 

(さて…どうなるかな…)

自宅マンションのエレベーターの中でセレンから譲り受けた骨董品ものの拳銃を眺めながら考え込む。

後で話し合おう。そう言っていくうちに、どうも完全に敵対し合っている二つの意志の話を聞かなければならなくなった。

喋れないときは敵に対して暴力で応えるしかなかったからこそ、今はなるべく話をしてみようと思っているが、どうにも面倒なことになってしまった。

 

(まぁもう動き出しちまった…止まらねえだろ)

何となく、一発撃ってしまったリボルバーの弾倉を回して元の位置に戻して懐にしまう。

 

ふぅ、と息を吐いて気を抜くと同時に裸にして吊るした人間の死体の姿がフラッシュバックする。

 

(うっ…?…くそ…なんだってんだよ…)

ここ数週間、ずっとである。場所も時間も選ばずに突然血なまぐさい過去がフラッシュバックしては激しい頭痛が頭を揺らす。

 

(訳が分からねぇ…)

自分達の住む階に到着し、部屋の前に立つ。

 

「ただいま」

 

「おかえ………ん!?」

 

「?」

一体何をしていたのかは分からないが、ドアを開けるとセレンはわざわざパタパタと走って出迎えてくれた。

なんだかその姿を見て顔がほころんでしまう。

だが、セレンは自分の顔を見るなりいきなり表情を歪めていった。

 

「お前…おま、それはなんだ!?」

 

「?俺の顔に何かついているか?」

カタカタと震えながら自分の顔を指さしてくるが本気で何が何だかわからない。

 

「頬!!頬から血が出ている!!」

 

(やべえ!!ナイフで切られてそのまんまだ!!)

アドレナリンが分泌されて気づいていなかったが、結構深い傷で今もまだたらたらと血が流れており、

帰り道すれ違った人々をドン引きさせていた。

 

「あの、これは」

 

「切り傷だな!?それは!!何があった!!」

 

(あ、詰んだ)

もう誤魔化しようがない。適当に、転んで怪我をしたとでも言おうと思ったが一発で見抜かれてしまった。流石だ。

 

「誰にやられた!」

 

「お…大きなおじさんに…」

 

「お前よりもか?!」

 

「に、2mくらい。髭の生えた怖いおじさんに襲われた…」

 

「そいつはどうしたんだ!!」

 

「に、逃げた。いや、捕まえようとしたんだけど…負けた」

 

「負けた!?お前が!?なんてことだ…こっちに来い!」

 

「え?何?」

 

「治療して警察に知らせるんだよ!」

 

「いや…警察に言わなくてもいいんじゃないかなー…なんて」

やばい。なんだかよく分からないけど話がどんどん大きくなっていく。

 

「お前が捕まえられないような危ない大男がうろついているんだぞ?警察に通報しない方がおかしいだろうが!」

 

(なんも言えねぇ。もうどうとでもなれ)

言う事言う事が全て正論過ぎて、思考を放棄したガロアは流されるままに治療を受けた。

 

 

その日、カラード管轄街でリンクスを襲う髭面大男という都市伝説が誕生して人々を震え上がらせたのはまた別の話。




自動販売機くん

190cm 300kg

カラード管轄外の裏道でひっそりと酔っぱらいのおじさんや失恋したOLにほっとする味の飲み物を提供してきたベテラン自動販売機。
時にはおじさんの愚痴を聞き、時にはOLの相談を黙って聞き役に徹してきたが、ガロアの全力の攻撃を受けて見事に破壊され粗大ごみになった。

名物はカラードソーダ。


享年8歳。




一桁ランカーとの戦い(肉弾)

ガロアもアレですがウィン・Dも相当強いです
その辺の兵士ではまず相手にならないでしょう
ですがその前に常識を学ぶべき


内側から弾けるような激情を外に開放する術をガロアはセレンから教わってしまいました。
しかしそれは『武』という名の枷にもなっています。

『武』と『暴力』

ガロアはどっちが強いのでしょうか。

ところで彼がときどきスケベ心が出るのはやはり父親似ですね。


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未確認AF撃破

『久々のミッションにこんな怪しげなモノを受けるとは…何を考えている?』

 

「アームズフォートなんか動かねえただの的じゃねえか。ネクストやるよりよっぽど楽だ。報酬も高かったしな」

輸送機の中でセレンからの通信。それ自体が久々で心にじーん、と来たが、それ以上にオペレーターからの言葉に通信で答えるという当たり前の事が出来たという事に感動して震える。

 

『まったく…』

 

『なぁ…あのさ…』

 

「え?」

共同で任務に当たるセレブリティ・アッシュから通信が入る。

 

『お前って…喋れなかったよな?何の説明も無かったけど…いつの間に?』

 

「俺、この間お前の前で普通に話していたけどな」

 

『えぇ…?記憶にないんだが…』

 

「話していたよ。なぁ?セレン」

 

『まあな』

 

「ほら」

 

『あれぇ…?』

 

『お喋りは終わりだ。間もなく作戦領域に入る。準備しろ』

 

「分かった」

前まではこの通信が全て一方的だったのに、今は言葉が返せる。

こんな何気ない返事も素晴らしい。

 

『俺の経験から言えば、こんな任務ほど、実際は肩透かしさ まあ、あまり緊張するなよ』

 

「ふーん」

 

『ハハハッ…緊張するなよ 』

 

(お前こそガチガチに緊張しているだろ)

全ての通信に(震え声)と入っていてもおかしくない程声が震えている。

報酬は高かったが、仲介人すらも厄介な任務と言っていた。そんなに怖いなら何故受けたのだろう。

 

『降下!』

 

ザンッ、と砂の上に着地する。

セレブリティ・アッシュは足をとられて転びかけていた。

 

『ミッション開始!未確認AFをすべて排除する。情報が少ない、慎重に行動しろ 』

 

(AMS適性が常に下がった状態になっている…って話だが別段変わったところは無いな…)

接敵する前に機体中を少し動かすが別になんてことは無い。

どうもAMS適性が下がったというようなそれが感じられない。

 

(なんで?声帯はそこまで使う部分じゃないってこと?)

ここに来る前にも何度もシミュレータマシンに乗って確認したが、目の調子が悪いこと意外は別に変わったことはなかった。

 

(そうかなぁ…かなり複雑な動きを要すると思うんだが…)

なんで違和感がないのだろう。

なんで目がおかしくなったんだろう、と同じ疑問がずっと頭の中に居座っている。

 

『…?おい…あれ…なんかおかしいぞ?』

 

「ん?」

既に飛び上がっていたセレブリティ・アッシュについて行くと確かに何かおかしいランドクラブが見えた。

 

『敵AFを確認、ランドクラブの改造型だ。砲塔部が、ソルディオス砲に置き換えられている。最悪のコジマキャノンだ。いいな、避けるんだぞ。ソルディオスとは…トーラスめ、よくよく好きと見えるな… 』

 

『ソルディオス!?世界を滅茶苦茶にした原因の筆頭じゃないか!』

 

「なんだ…?」

だが、その分厄介な遠距離砲も無く、ロックオンが出来るところまで近づけてしまった。

 

「動いてなくないか?」

設置されているソルディオス砲が全部こちらに放たれる…ということも無く、本当にこれが目標なのかも怪しくなってきた。

その瞬間。

 

『おわっ!!』

 

『分離飛行だと!気をつけろ!敵ソルディオス砲、自律しているぞ!あんなものを浮かべて喜ぶか、変態どもが! 』

 

巨大な球体が一気に浮かび上がり、警戒も無く近づいた二機のネクストを囲むように展開された。

 

(浮いた…?あんな物が本当に浮くのか…?)

確かに驚いたが、それ以上に違和感を感じる。こんな技術があり得るのだろうか。

実際に目の前で浮いている以上何も言えないが。

 

ゾクッ、と背筋に悪寒が走りその場でしゃがむとスタビライザーをギリギリ掠めるか否かの位置にコジマキャノンが飛んできた。

 

「おおっ!?」

数瞬前にコアがあった場所だ。明確な殺意が感じられる。

自律兵器の割には実に正確にこちらを狙って攻撃してきた。

 

「変態球か、面白くなってきたな」

ビルの陰に飛び込んで観察を開始する。

…暇も無く、回り込まれていた。

キュルキュルとその銃口を狭める姿は獲物を見つけて瞳孔を縮める肉食動物のようだった。

叫ぶ時間すらも無く荒れ狂うコジマ粒子が発射された。

 

『ガロア!!』

 

「大丈夫」

無様に転がりながら避けてしまったが今のところ無傷だ。

びっくりするほど呆気ない一撃死の世界。戻ってきたな、という感じがちりちりとするが何故かねばつく違和感がさっきからずっとある。

 

『ビルが…』

 

(うわぁ…)

巻き込まれたビルがドロドロに融解しているのは見ていて気持ちいい物ではない。

例えネクストでもあれに当たれば無事に済まないだろう。

 

『うわぁあっ!!』

 

(あっちも苦労しているな…)

常に飛び回っているわけでは無く、空中で静止、高速移動を繰り返している。

 

(あれって…クイックブーストか?…となると…まさか…)

マシンガンで攻撃をするが、明らかに威力が減退している。

 

『プライマルアーマー!!クソッ…こんなのが六機も…!』

 

(となるとアサルトアーマーもあるだろうな…。しかし六機か…。やっぱり『一瞬で』数えられなくなっている。アレフ・ゼロの名折れだな…)

前まではやろうと思えば砂粒の数ですら簡単に数え終わっていたのに。

無限の名前を冠した自分の機体に少し済まなく思いながら、回避に専念しているとある性質に気が付く。

 

(!!なぜ今…撃たなかった?)

チャージも完了しており、明らかに攻撃チャンスだ、という瞬間があった。ACに乗る者なら百人が百人あのタイミングで発射するはずだと言えるくらいには。

だというのに隙を見せてもコジマキャノンは発射されず、その後に間抜けなタイミングで放たれた。

 

『うわぁあ!!無理だ!!避けらんねえ!!』

 

「……」

大騒ぎするセレブリティ・アッシュの方に目をやるとそれは一目瞭然だった。

 

(オービットの動き…誤差はあるが…あれは…円運動か!その中心は…)

あのランドクラブだ。ランドクラブを守る様に動き、ランドクラブに当たる様な角度では発射されていない。

当然と言えば当然だ。ゴキブリごと家を吹き飛ばす人間がいないのと同じだろう。

 

「よく見ろ!!逃げるな!!目を開けろ!!」

 

『おおっ!!?なんだ!?なんだ!?』

説明するほどの余裕は無かったのでオーバードブーストを起動してセレブリティ・アッシュに接近し、抱えてしまう。

久々に乗ったネクストでの超高速移動は臍の下あたりにぎゅんぎゅんと熱い何かが溜まっていくようでガロアは笑っていた。

何よりも、さっきからずっとアレフ・ゼロも喜んでいるかのように感じるのだ。言葉にすれば『待っていた』とか『おかえり』とかだろうか。

そんなまさかな、とは思うが。

 

『何をしている!?ガロア!!』

 

「見ていろ!!」

そのままランドクラブについた砲台と傍にいるノーマルをロケットとグレネードで吹き飛ばし、ランドクラブのすぐそばまで辿りつく。

 

『うああああもうダメだあああああああ……あれ?』

 

『攻撃が…来ない?…そうか!』

もどかしげにクイックブーストを連発し動き回ってはいるものの、分離飛行したソルディオス砲は全く攻撃を仕掛けてこない。

 

「帰る場所が無くなったら困るってことだな。さぁ、あの面白球をぶっ壊してやろうぜ」

 

『お、おう』

 

 

なかなか粘って回避をし続けたソルディオス砲だが、それでもやはり反撃の手段が無ければ一方的に攻撃され続けるしかない。

ガロアの最初の言葉通りただの的だった。結局ソルディオス砲は全て撃ち落とされて、ランドクラブも切り刻まれて終了。

度肝を抜くような敵だったが、終わってみれば楽勝、ガロアに至っては弾薬費しかかからなかった。

 

しかし、ダンは安心していたがガロアは奇妙な感覚が抜けなかった。

弾薬費しかかからなかった、と書いたがそこはやはり最初にガロアが言った通り、AFなど接敵してしまえばただの的だ。

そのはずなのに、それを相手に何故かガロアもダンもかなりの数を外している。

無人機にしてはクイックブーストによる回避が異様にうまかったのだ。

 

 

『全目標の排除を確認。ミッション完了だ 』

 

『はぁ…はは。やっぱり肩透かしだったな』

 

『あんな化け物を相手に…よくやったな。…本当に 』

 

「セレン」

 

『これからも…あんなのと戦う事になるのか?ガロアが?…そんな事…なぜ…?もう…いいだろ…なんで…?』

 

「セレン!」

回線を開きっぱなしで何かよく分からない事をぶつぶつと呟くセレンにちょっと強めに声をかける。

 

『え?あ!なんだ?』

 

「セレン…あんな技術があり得ると思うか?欠陥だらけだったけどよ…。あんな物が空を飛んで攻撃するなんて普通に考えておかしい」

確かクイックブーストはAMS適性を持つリンクスでなければ使えない機能だったはずだ。

今の機械では演算性能が足りず、人間の脳をCPUの一部として力を借りなければ出来ないと、リンクスなら誰だって知っている。

それをああもやすやすと再現したのはどういうことだろうか。

自律型ネクストですらあんなオモチャみたいなものなのに何故いきなりこんなものが?何かがおかしい。

ダンが逃げ回っていたのを見るに普通のネクスト相手には十分すぎる戦力になる。

それに今までのAFとは何かが違う気がする。今まではどれもこれも巨大な戦力で押しつぶすというコンセプトが見える感じだったのに、

何故かこれはピンポイント…そう、言うなればACやネクストの中身を抹殺するような兵器に見えるのだ。

何よりも、これが大切な実験機なら何故回収に来ない?何故ただやすやすと破壊させる?

 

(戦闘データの収集の為に…?)

既に量産体制は整い後はネクストとの戦闘を重ねてこまかな修正を重ねていくだけ…だとしたら恐ろしい話だ。

機械ゆえに数に限りもなく、息の合う合わないというのもない。

 

『実際にあったのだから…仕方がないだろう』

 

「その通りだが…あんな物がある時点で…俺たちの存在価値は…」

 

あんな物が…『人を必要とせずに動くあんな物』が作れるのに、どうして俺たちはネクストに乗って戦い続けている?

俺たちが命を賭ける理由になるのか?何かおかしくないか?企業はそれを思わないのか?こんな技術をどこか一社だけが独占していていいのか?

 

ガロアの頭に次々と疑問が浮かんでは消えていく。

 

『…何の話をしているんだ?お前ら』

 

久々のミッションは大成功だったのにも関わらず誰一人としていい顔をしていない。

セレンには不安を、ガロアには一抹の違和感を残しながらこの日のミッションは終了した。

 

 

そしてダンには…

 

 

「くっそおおおおお!!なんでだ!!」

 

「はい、お疲れさま」

あのミッションの後、メイにオーダーマッチを申し込んだダンだが惜しくも敗れてしまった。

まばらにいた観戦客もやっぱりなという顔で帰っていく。

ランクを上げたとはいえ、23のダンと18のメイではやはりまだ埋められない差があったようだ。

 

「くそぉ…なんでだ…なんで…」

 

「……」

ダンは悔しがっているが実のところ、そこまで実力に差があったようには思えない。

一回ブレードを当てられたのは特に驚いた。もっと武装を上手く使っていればあるいは…

 

(やっぱり…影響を受けるなという方がおかしいのかしら)

あまりブレードを扱うのが得意なようには見えない。ブレード含む近接型武装は努力以上にセンスが問われる部分が大きい。

それなのにそんな事実を無視してブレードをぶん回しているのはやはりあのガロア・A・ヴェデットの影響が大きいのだろう。

同年代の少年があんな活躍をしていてダンが影響を受けない筈がない。

 

(そこまでセンスが悪いとは思えないんだけど…)

蛮勇でもなんでも、とりあえず腰の引けた戦い方はやらなくなったしヘタレでもなくなった。

勝ちはしなかったが、自分より4つ年下という事を考えればまだ19歳のダンは普通に有望株のはずだ。

 

「ダン君。奢ってあげるから一緒に夜ご飯食べない?」

 

「いいよ…俺帰る」

 

「女性の誘いを断るの?」

 

「行かねえって…一人で行けよ」

 

「いいから来なさい」

 

「くえっ」

誘っても背中を向けて断り続けるダンにしびれを切らしたメイは後ろからしがみ付き、お手本のような滑らかさでダンを絞め落としてどこかへと引き摺って行った。

 

 

 

 

 

 

「さ、食べなさいな。しょげてご飯を食べなくなるような年でもないでしょう」

 

「いらねぇってのに…」

気が付けばよくいくレストランにいて、ダンがいつも食べているステーキセットが勝手に注文されていた。

 

「あの戦い方はダンくんには合わない。やめなさい」

直球だが、こういうタイプには回りくどい言い方をしても意味がないだろうと判断してのことだ。

 

「…ガロアみたいに戦うなってか?」

 

「よく分かっているじゃない」

 

「カニスにも同じことを言われたからな…。違う生き物だから、追うな、死ぬぞってな」

 

「賢い子ね。敵方でもそういう賢い人物は尊敬するわ」

 

「敵ってあんた…」

 

「敵よ。独立傭兵と言ってもローゼンタールに尻尾を振っているのでしょう」

 

「……」

 

「私たちも同じ。GAに尻尾を振って仕事を回してもらって生かしてもらっている。戦場に立てないリンクスには価値がないもの」

ふと頭によぎる疑問はきっと誰もが一度は思っていることだ。この街で生きて、この街で知り合い、この街で友になった者と殺し合えなんて…狂っていると。

でも誰もそれに逆らう気が起きないのは支配者の巨大さ、冷酷さを分かっているからだ。

 

「……でも、」

 

「カニス君はあなたと戦いたくないからそうやって警告してくれたんでしょうね」

 

「でも、もう止まれねえんだ!!俺は…あの家族を助けられなかった…」

 

「……」

メイにはそれが具体的に何を言っているのかは分からない。だが言いたいことはわかる。

戦場に立ちながらも人間性を捨てられない人物ならば誰もがダンが言うようなトラウマを持っているからだ。

 

「責任を取ることと命を投げ捨てることを同じだと思うのよね、バカだから」

 

「てめっ…!」

 

「敵兵を殺すのは良くて、その家族を守れないのはダメ。命が失われているのは同じなのに?バカね」

 

「この野郎…!!大体あんた、バカだと思うならなんで俺に付きまとうんだ!!」

 

「さぁね。…羨ましいのかもね、バカなダン君が。バカじゃないと…何かに酔っぱらわないと…やっていられないじゃない。でも…バカだと生きていけない…この世の中は…」

 

「…………」

頼んだ食事に手も付けずに細長い指で目元を覆うメイは泣いているようにも笑っているようにも見える。

メイ本人にもそれはよくわかっていなかった。

 

「待てよ…じゃあガロアは…」

 

「大バカよ。あらゆるバカの中から選び抜かれしネジのとれたバカ。ダン君のバカさとはレベルが違うわ」

 

「…?」

 

「視界がこうなっているからね。ギュパーって。他のものは目に入らないから戦うしかない」

後ろで心配そうな目を向けるセレンのことを振り返ることもせずに戦いに赴くガロアを思い出しながら、

顔を両手で横から挟むようにして前にスライドさせる。前しか見えていないガロアの視界のつもりである。

 

「でもそれが…」

 

「憧れちゃう?そうよね。ほとんどが謎で復讐を望み戦い続ける少年…なんてあんまりにも物語の主人公らしくてかっこいいものね」

 

「……」

そう。その自分の命すら顧みない猪突猛進加減と、何も寄せ付けず、尻尾を振らずに戦う姿はまさしくダンの想像する強さを求めた主人公の像である。

 

「でもね。謎に満ちた人生なんてものが幸せなはずがないわ」

 

「どういうことだ?」

 

「普通はどこでどの学校に行って何をして何が趣味かなんて、調べれば大体わかるものなのに…あの子の場合はほとんどが謎」

 

「……」

 

「ダン君がテレビでヒーローが活躍しているのを見て夢を広げている間に、私が綺麗な服を選んでいる間に、あの子がどんな人生を送ってきたのか…」

 

「……」

 

「見ている分にはカッコいいかもね。憧れる気持ちもわかるわ。でもカニス君の言うとおり、私たちとは違う生き物。何もかもをかなぐり捨てて戦える?おまけにあの子はこの間まで声を出すこともできなかったのよ」

 

「う……」

 

「どこまで行っても我。自分しか見えていない。自分のために、自分の想いで戦う。だから寄り添う思いにすら気が付かない」

 

「?」

 

「例えば…リリウムちゃんはガロア君に憧れているけど、それを彼が気付くことは一生ないでしょうね」

以前はガロアの強さを見て、取り入ろうとしたこともあったが、

そんな周りをほとんど見ていないガロアに付き添うセレンの想いや、その報われなさ加減を見ているうちに、気が付けばメイは少しガロアに怒っていた。

それはなんだかんだ言いながら、あの何を考えているか非常に分かりやすいセレンのことを友人だと思っているからかもしれない。

 

「えぇ!!?マジか………………」

ショックを受けたのか面白い髪型の頭を肩の高さまで落とすダン。

思えば付き合ってもいない男性とこれだけ長く一緒にいたことはないというのに、こちらに気があるそぶりも見せないのはなんだか腹が立つ。

リリウムやセレンのようなどエライ美人だとは間違っても言えないが、自分はそこまで魅力のない女だろうか。

まぁそんなことを口に出したりはしないが。

 

「私…『セレブリティ・アッシュ』を見たわ。暇な時間にちょくちょくね」

 

「!」

 

「完全無欠のヒーローじゃなかったわね。時には負けて、時には泣いて。時には戦う意味を見失って、それでも支えられて立ち上がって」

 

「……」

 

「少しずつ強くなっていった。だけどそれ以上に敵は強大…それでも立ち向かう。そんな姿に憧れたんじゃないの?」

 

「……」

 

「幼稚だけど、人気なだけあるわ。分かりやすくて、好きになる。…ダン君は気が付かないうちに正義の味方を自分の中で計り知れないものにしちゃっているんじゃない?」

 

「でも俺は…強くなりたい。誰かを守れる強さが…ヒーローになりたいんだ。迷っている暇なんか…」

 

「あっちこっち迷ってもいいじゃない。一本道をひた進めばそれだけ先に進めるだろうけど…

迷って迷って色んな所をかき分けて行ったダン君の前には…きっと誰よりもたくさんの道が広がっているわ」

くるくると言葉遊びのようにダンのダメな部分を補うように言う。

ガロアの強さはそのまま彼の欠点に直結するように、人の要素でどうしようもなくただダメな部分なんてものはそんなになくて、大体は言い換えればいい部分になったりするのだ。

……そしてそれが上手くなると誤魔化し上手にもなって自分ですらも分からなくなってくるが。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「何?面白い顔して」

 

「あんた…結構いい女なんだな」

 

「よく言われるわ。ありがとう」

いい女なんかじゃない。

どこかで現実に屈して自分の道を進むことを諦めてしまった卑屈な女だ。もう何がしたかったのかすら…。

 

(それに…)

 

(言うのが遅いのよ…今更褒めて…)

 

「とりあえず飯食お。冷めちゃったぜ。何か元気でたし、奢るよ。この前結構金が入ったんだ」

 

「あらそう?じゃあウェイターさん、これとこれとこれとこれ。全部一気に持ってきて」

と、指さしたものは全て酒。

 

「ず、ずいぶん飲むんだな?いいけどよ」

 

「レディだけ酔わせるつもり?ダン君も飲むのよ」

 

「やだやだ俺酒は苦手なんだって!!」

 

「話を聞いてあげたじゃない」

 

「あんたが連れてきたんだろ!」

 

結局ダンは会計までに潰れてしまい、またメイがダンを担いで帰ることになったが、その日は悪酔いはしなかった。




ガロアは何か違和感感じまくりのようですが、セレンはセレンで思うところがあるようです。


メイとダン、フラグ立っていますねー…
ダンの鈍感ぶりもまたいい感じ

メイは良妻賢母タイプですかね
おっぱい大きいし。そんでもっておっぱい大きいし。


実際はランドクラブのそばにいてもオービット君バカスカ撃ってきますけどね
オリジナル設定です


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何故戦うのか

日曜日。

昨日も一昨日もひたすら走って登ってぶん回してと体を鍛えていたガロアだが、昔セレンに言われた通りに一応日曜日は訓練をやめている。

 

「……」

最近、ガロアが図書館で借りる本の中にちょっと毛色が違うものが混ざるようになった。

幼いころに読まなかった分を取り返すように童話を読んでいるのだ。

 

「……」

なぜ借りるだけなのか、買えばいいのにとセレンは言うが自分でも理由はよく分からない。買おうと思えば本屋ごと買えるのだが。

昔の名残で余計なものを持ち帰らないようにしているのかもしれないし、

あるいは今の住処が自分の家ではないと思ってしまっているから物を増やす気になれないと思っているからかもしれない。

 

素朴なタッチの表紙の児童書を片手で読むガロアは難解な書物を両手で読んでいたころに比べて随分成長した。

先日服を買いに行った際に計った身長、体重は198cm、99kgだった。完全にアジェイより…いや、すでにガロアの知る大人の誰よりも大きくなってしまった。

 

(こんなものを…小さなころから読んでいれば…甘っちょろい人間が出来上がるに決まっている…)

ほとんどの児童書には酷悪な現実も血もない。綺麗な世界と綺麗な未来、そして少しの戦いと美しい勝利だけが描かれている。

 

(でも…生き残るために…人を殺す子供よりはよっぽどいいかもな…)

首を切って31発の弾丸を手に入れた。それだけのことだったはずなのに初めての殺人は今になってガロアの脳裏にフラッシュバックしては苦しめる。

精肉工場の豚のように人間の死体を木に吊るしていた自分は何も考えていなかった。純粋に、本当に正義も悪も無い真っ新な状態からそんな残酷なことをしていたのだ。

 

「分かっているよ…分かっている…」

ぶつぶつと言いながらページを捲る。

やばい、今のページをちゃんと読んでいなかったかもしれない。

 

 

『心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ』

 

 

(…心で見る?)

捲ったページに書いてあるセリフを見てふと瞼をなぞる。

自分の目こそがこの世の誰よりもこの世界が見えていると自信があった。

そしてそれがいつの間にか失われてしまったが、特に何かが大きく変わった感じが無いのはもとから何も見えていなかったからだろうか。

この世界の全てが見通せると、自信があったのにこっちに来てセレンには教えられてばかりだったのだ。本当は何も見えていないというのは間違っていないかもしれない。

 

(分からねえ…多すぎるんだ…分からないことが…)

しかし、分からないことがあるのならば誰かに聞けばよいという考えはガロアの中にはほとんどない。

周りに頼れる大人がいなかった期間はあまりにも長すぎて、言葉を得てからの時間はまだ短すぎた。

 

 

 

 

 

 

あんまりこの話題は出したくなかった。

踏みこみ過ぎれば絶対に、出てくるはずだからだ。

 

じゃあ今一緒にいる理由って何?と。

 

それでももういい。

何がどうなってそうなったのか分からないが、ほとんど何もない自室で児童書を読みふけっているガロアにセレンは勇気を出して声をかけた。

 

「なぁ、ガロア」

 

「……ん?…まだ昼飯には早いだろ?」

 

「違う、そうじゃない」

一瞬きょとんとしていたのも無理はない。ここ数日思い悩みすぎて自分から声をかけていなかったのだから。

 

「……?」

 

「もう、やめないか」

 

「?何が言いたいかよく分からない、セレン。大丈夫か?」

 

「お、おま、お前は…」

 

「?」

 

「アナトリアの傭兵へ復讐するためにリンクスになったんだろう?!」

言ってしまった。誰だって分かってはいることだが、こんなことを本人に言える人間はいない。

 

「そうだ」

そしてあっさり認めてしまった。相変わらず泰然自若としている。

だがそれでいい。何故ならガロアは積み重ねて圧倒的な差をひっくり返し勝利したのだから。

あれは誰にも恥じることない綺麗な勝利なのだから。

 

「そうか……やっぱり、そうだよな…」

 

「……それを聞くためにここ数日うんうん悩んでいたのか?」

 

「ち、違う。そうじゃないんだ」

 

「じゃあ何なんだ?やめる、って何を?」

 

「リンクスをだ。もう、戦う必要もないだろう。お前は勝った。死にかけたが、それでも勝ったし喋れるようにもなった。もういいだろう。戦いは終わりのはずだ」

もう自分の人生に漕ぎ出せばいいのにとずっと思っていた。

そりゃあ簡単じゃないだろう。昨日まで殺人兵器に乗っていたのに明日は学校に通ってカフェでバイトとはいくまい。それでももう終わったはずだ。

ずっと思っていたと書いているが、セレンは本当は最初から『そんなことしなくても』、とも思っていた。その先には何も無いだろう、と。

予想していた通り復讐を遂げたからと言って何か変わったわけでは無い。

来る日も来る日も物事は続いて行き、ミッションは来る。いつ死ぬか分からない危険なミッションが!

 

「…リンクスをやめろって?戦う必要がないって?」

 

「そうだ。もうやめろ、ガロア。今が天辺、ここで打ち止めだ。これ以上は…」

だがこれ以上ガロアが戦う理由は無いのだ。

そしてこれ以上あんな常識はずれのバケモノの相手をしてもらいたくないのだ。

 

「生きる限り戦いだ。殺すことでしか動物は生きられねえ。リンクスをやめても結局戦いは終わらない」

 

(何だそれは…。どういう人生を送ったらそういう考えになるんだ…)

 

「どっちにしても変わらない」

 

「死んでしまうぞ!これからもあんなバケモノと戦い続ければ!」

 

「そうしたら死ぬだけだ」

 

「…!!」

分からない。どうしてこういう考え方なのか。どうして自分が死ぬということをこんな平然とした顔で言えるのかが。

お前はそんなに壊れた人間じゃないはずだ、というのは自分の頭で勝手に作りあげたイメージなのだろうか。

 

「やめないか、なんて悠長な言い方をしたのがいけなかった。もうやめろ。リンクスを!!」

 

「やめねぇ」

 

「なんでだ!!」

 

「もう戻れねえからだ」

 

「……!?くっ、この…師の言うことが聞けないのか!!」

ゾッとした。『戻れない』と口にしたガロアの灰色の目の奥に一瞬夥しい量の鮮血と死体が見えたような気がしたのだ。

ああ、確かにこれはただでは戻れないだろうとすぐに納得してしまった。

これはガロアがここまで病的に頑固なのと無関係ではないだろう。

 

「リンクスなのは俺だ」

 

「だったらお前のオペレーターなんかやめ…やめ………!」

やめてやる、その一言が言えない。自分がオペレーターでなくなったら、もはや自分よりも強いであろうガロアのそばにいる理由は何なんだろう。

勇気がなくて言えていない言葉が本当はたくさんある。

お前のそばにいるではなく、これからもそばにいたいと素直になれたら楽なのに。

あれがあれば、これがあればとみんなワガママを言うが、あったところでそう簡単ではないのだ。

言いたいことを言える口があっても言えないこともある。

 

「セレンが俺のオペレーターじゃなきゃ嫌だ」

その言葉は救いだ。自分と同じくガロアも自分に依存している。

ならそれでいいじゃないか。嬉しいよ。ずっと一緒にいよう。

でもそれではダメなんだと思う自分もいて、残念なことにガロアはそっちの気持ちの方が大きいのだろう。

 

「リンクスやめろ!!」

 

「やめねぇ」

 

「私がオペレーターをやめ、……やめたら!!?」

 

「セレンがオペレーターじゃないと嫌だ」

 

「こ、の、…訳のわからないことを言うなぁ!!」

温まりまくった頭が勝手に身体を突き動かし、突きを放っていた。

だがその攻撃はいとも簡単にいなされ、頭ががっしりと掴まれていた。

頸椎外しか、首投げか、と決定打となりうる攻撃を予想していたのに。

 

「……。熱はないよなぁ」

どうも熱か何かで正気を失っていたと思われたらしい。

ここ最近ずっと、こんなにも色々考えていたのにその一言で片づけられるとは。

 

「…!!」

ビキビキと指先に力が籠る。物心つく前から鍛え上げられ、磨かれた指先によるセレンの貫手は喉や腹などの柔らかい場所なら衣服ごと貫く槍となる。

格闘の相手をするとして、最初は使っていなかった技術もいくつかある。これはその一つだ。あまりにも大怪我をする可能性が高いからと。

今はそれでいい。怪我をすればとりあえずミッションに出ないのだから。あくまで浅くだが、それでも病院に直行するように喉へと貫手を繰り出す。

 

「組手か。久しぶりだ」

 

「あっ…!?」

自分の出せる最高の速度の貫手は簡単に掴まれ、手首を捻られ勝手に膝が着いてしまった。

何度かガロアを相手に出した合気の技だ。完全に自分の物にしてしまっている。昔と全く変わらず、この男は底知れない才能を持っている。

空いた手で顔面を衝くのか、そう思ったのにパッと手が離されて解放されてしまった。

手加減をされている。

自分はもう、ガロアの師ではないのか。それならば。

 

自分がガロアといる理由は?

 

(ないよ!!ないさ!!だが!!)

膝を着いた状態から地面を蹴って出したストレートは今度はガロアの横っ面に思いきり刺さった。

当てるつもりでしたのだから当然なのに、セレンはその時『なんで?』と頭に浮かんだ。

 

「ふっ!」

 

「がっ!?」

疑問が纏まる間もなくガロアのカウンターパンチが頬に当たり口の中が切れた。

ぷちん、とセレンの頭の中に音が響いた。

殴られたことにではない。ガロアが喋れない頃から喧嘩なんてしょっちゅうしていたし、殴り合いだって頻繁にしていた。

だがガロアの体格ならば、今のタイミングのカウンターで自分の顔をぐちゃぐちゃにして反対側の壁まで吹き飛ばしていたはずだ。

確かに口の中は切れたが、晩飯の頃には忘れている程度の怪我だ。こっちに気を使って加減してくれているのだ。

どちらも無傷ではプライドが傷つくだろうと。だが大怪我はしないようにと。

むしろその魂胆が見えてしまいセレンは完全にキレた。

 

「本気でやれッ!!」

本気でやったら死ぬのは自分か?頭にそう浮かびながらもセレンは叫び、スカートが捲れるのも気にせずにハイキックを放ったが上体をそらしただけでかわされてしまった。

前ならこめかみがあの位置にあったのに、今空ぶった場所は顎の高さだった。

 

「この…!大きくなりやがって!!」

 

「精神を鍛えるにはまず肉体を鍛えなければならない、だろ」

 

「破ッ!!」

自分よりもう強くなっただろうとは思うが、完全にそうとは言いきれない。

と、いうのも全てのステータスでセレンが劣っているわけでは無いし、仮にそうだとしてもそういうのは算数的な足し算では無い。

力で止められないならば技術で止める。

どれだけ実力が離れていても、こめかみに掠っただけで、顎の薄皮一枚に当たっただけで決することはある。

勝負は一瞬の稲光なのだ。自分でもこれ以上はないという程の速度、角度でフックがガロアのこめかみに向かう。

 

当たった!!ガロアの膝が崩れてその顔が自分の視界の下にと沈んでいくのが見える。

 

「ははっ。すげえ浮いた」

 

「…!!」

当たったと見えたのは気のせいだった。自分の出した全ての力を利用されて宙に浮かされていたのだ。あろうことか天井に頭がつく高さにまで浮いている。

 

「これ以上口出しするな」

どんっ、と押されてこれから臀部に訪れるであろう床の固い衝撃に目をきつく閉じたらぼすんと間抜けな音が響いた。

押された先はガロアのベットの上だった。そこまで計算済みだったと?

 

「今まで自分がやっていた事を全てすっぱりとやめて新たな人生に漕ぎ出す?そんなこと可能なのか」

 

「可能かどうかなんて」

 

「ああ、そうだ。分からないな。だが可能だとして、それは本当に自分か?変われねえんだ、そうそうな」

 

「!」

それはかつての自分が思い悩んでいた事と全く同じことだった。

出来るわけがないのだ。自分というのは人生という連続した道の先にあるもので、断絶した存在では無いのだから。

結局自分は人生で培った技術を伝える者という、普通に有り得る道の先の存在になった。現実的に、続いた道の先に有る者に。

 

「俺は殺して食って生きてきた今までも。そしてこれからも」

 

(なんだそれは)

ガロアの言葉の意味は分からないが、言いたいことは分かる。やめる気は無いのだろう。

 

すっぱりと。

それが出来たのなら自分はケーキ屋の看板娘にでもなって笑顔を振りまいていたのかもしれない。

自分にもできなかったことをガロアに無理やり押し付けようとしていたのだ。それは確かに『師』のすべきことではない。

 

「少し早いけど昼飯にするか。……カルシウムがたっぷり入ったヤツな」

 

「……!!」

ベッドに倒れこんだ自分をそのままにしてドアに向かって行ってしまうガロア。

話がこのまま終わってしまうと感じると同時に思い出すのは、コジマ砲でぐちゃぐちゃに融解したビル。

もしあれがガロアのネクストに当たっていたら…コアごとどろどろに溶けて原型も無くなってしまうのだろうか。

誰が?他でもない、ガロアが。砂漠の上で、意味不明な兵器に撃たれて狭いコアの中で溶けて死んでしまう。

 

「う、お、あ…そんなこと…許せるか…」

復讐を成し遂げたあとは戦場でぐちゃみそになっておしまい。

残されたのは結局空っぽのセレン・ヘイズ一人だけ。何一つ救いがない。そんな結末。

 

「うおおおおおおおおおお!!!」

そう遠くない未来に起こることだと、確信に似た想像が頭を埋めていくのをかき消すようにセレンは叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「…は?」

セレンが何か叫んだと思ったら後ろから抱きついてきた。セレンみたいな美人に抱きつかれるのは嬉しいが、なんで?ガロアの頭が疑問で一杯になる。

両腕の上からきつく抱きしめられて、前に回した手はばっちりと組んである。そう、これは確かジャーマン…

 

「絶対にぃぃいいいいい!!駄目だあああああああ!!!」

 

「ああああぁあぁぁぁ!!?」

 

メインイベントを張るプロレスラーでも目をひん剥くような見事なジャーマンスープレックス。

腕を押さえられていては受け身を取れるはずもなく、セレンより30kg近く重いはずのガロアはベッドに叩きこまれ、

負荷に耐えられなかったベッドは哀れにも脚が二本折れた。

 

 

「あああぁ!?ベッドが!?」

嫌な音が聞こえたのは現実だと示すように、ベッドの上で無様に横になっている自分の平衡感覚が斜めったまま横になっているという不自然を知らせる。

 

「ベッドは壊れても買いなおせばいい!!」

起き上がる暇もなくマウントポジションを取られておまけに両腕の関節を取られた。

これでは反撃できない。

 

「この!!」

 

「あがっ!!」

見目麗しい女性に似合わない豪快なテレフォンパンチがガロアの頬に刺さる。

 

「それでもお前は!!」

 

「痛ぇ!!」

バキィ、と頭に響く。

後頭部がベッドに着いて衝撃が逃げられない状態で真っ直ぐパンチがぶち込まれた。

 

「お前は!!」

 

「ふぐっ!」

胸倉を掴まれて引きあげられた勢いをそのままにまた殴られ大きくバウンドする。

もう技術もクソも無い。滅茶苦茶だ。

 

「お前は!!!…お前は買いなおせない……お前は一人しかいない…。死んだら、そこで終わりなんだ…」

 

(…なんで…俺をぼこぼこにしているセレンのほうが…こんな顔しているんだ…)

飛び散った鼻血がベッドを汚している。もうこのベッドはゴミ捨て場行きだろう。

 

「大学に行け!私がなんとかしてやるから…顔を変えて…ジャックを取り外して…普通の人間として生きるんだ」

 

「…っ。大学…いいな。はっ。だがそれは本当に俺なのか?ただ逃げているだけじゃないか?このクソみたいな現実から」

ようやくセレンが何を言いたいかわかってくると同時に、何かに気付きかける。

だが、セレンの言うことは正しくもあるが同時に逃避でしか無いということもわかる。

散々人を殺しておいて今更「危なそうだからやめます」、なんて腑抜けたことは…他でもない自分で許せない。

 

「……!」

いつの間にか押さえられていた腕の片方が自由になっていた。

関節技を自分から外してしまうなんて珍しい。

 

「それでも」

 

「うるせえな!!なんで、関係ねぇだろ!俺が戦おうが、どこで死のうが!!」

言っていることは間違っていないのに、ガロアは今、自分がとても残酷なことを言っているとすぐに気が付いた。

セレンは自分の上で憤怒と悲愴をかき混ぜたような顔をしていた。

 

ホワイトグリントと戦っているときもそんなことを言っていた。やめろ、帰って来いと。

自分は…指図するなと思っていた。

 

なら謝るか?間違ったことは言っていないのに。

 

「そんなこと、言わないで」

セレンは…初めてかもしれない。

その隠しておきたい心情を飾ることなく正直に吐露した。

 

(あ……)

ガロアはその時、一つ成長をした。

学んだのだ。

 

正論は時に人を傷つけることもある、と。

 

正しいことばかりでは生きていけない。

 

(……俺の、俺は、正しかったろ…アナトリアの傭兵は間違っていた)

だがその過程でどれだけの人間を殺したのか。そして守護神を失ったラインアークは…

 

 

そしてガロアは静かに理解した。

人が戦う理由が。戦いが終わらず、やめない理由が。

それを教えてくれたのはやはりセレンだった。

どれだけ自分が大きくなっても、強くなってもセレンは自分よりも大人でたくさんのことを教えてくれるのだ。

 

(なら…やっぱり戦いはやめられねぇ)

そしてセレンの望みは叶わない。いつかセレンは気が付く日が来るのだろうか。

セレンの願いとガロアが本心から望んでいることが似ているようで完全にすれ違っているということが。

 

「後は…何が…何が欲しいんだ?お前が望むならなんだってしてやる!」

 

「まずはそこからどけ」

 

「うるさいっ!!」

 

(理不尽だっ!?)

望みを言ったら殴られた。

 

「とにかく…なんだってしてやる。だから…もう戦うのをやめろ…死んでしまう…。お前は…お前は私にとって替えが利かない…一人しかいないんだよ…」

言葉の最後のほうは死にかけの蚊の羽音よりも小さくなり、顔を自分の胸に沈めてしまった。

 

(何が、ほしいかだと。決まっている…俺は、ずっと前から)

ガロアの欲しいもの、望みはある意味幼い頃から全く変わっていなかった。

それが無くなり歪んでしまい、暴走したがそれでもガロアは帰ってきた。自分の本当の望んだことに。

 

「何を…笑っている…」

 

「ようやく…わかったんだ。人間が…戦い続ける理由って奴が。戦いが終わらない理由が…俺が…生きてきた理由が…だから俺は、俺の望むままに生きる」

 

「…?」

 

「とりあえずどけよ」

 

「!!!」

 

「あ?」

こんな押さえつけられて関節を極められた状態ではまともに話すことも出来ないと思い、上に乗るセレンをどかそうと手を伸ばしたら前にどこかで味わった心地よい柔らかさが手に広がった。

 

「…!!…!!」

 

「あ、わ…あ…」

全くの偶然だが伸ばした右手はセレンの胸を思い切り掴んでいた。

こんなの全然ラッキースケベなんかじゃないと、最初から分かっていた。

 

「わああああああああああ!!!」

 

「あああああああああああ!!?」

 

 

そこからの記憶は一分ほどセレンもガロアも無かった。

一言で言えばセレンがガロアの事をタコ殴りにしていた。

ガロアは自分が悪いと思ったので何も出来ないまま殴られ続けた。

 

 

「どさくさに紛れて!!何をしているんだお前は!!お前は!!お前は!!」

 

「ち、ちがっ、…ぶっ…」

言い訳をすることも出来なかった。詰まった鼻から息を吸いこんだら血が逆流してきて口から血が吹き出た。

 

「む。そうだ」

 

「ゔぅ~……?」

 

「私を抱け。私の身体を…す、好きなようにすればいい。欲しいだろう!?」

 

「……あぇ?」

何を言っているのか分からない。

『抱け』という意味が分からないのではない。

 

(何がどうなっているんだ…性行為って…関節極めてぼこぼこにしてから迫るものだっけ…)

と思いつつも昔見た鹿の交尾は、確かに押さえつけながらしていた記憶がある。でもあれはオスが上だったような気がする。

でも結局自分はそんな隙だらけの二匹を纏めて殺して食べていた。なんでこんなことばかり思い出すのだろう。

 

「お前ぐらいの年頃なら異性の身体に興味があるだろう」

 

「あ゙、ある」

それは間違いない。それもこんな美人の身体を好きにしていいと言われて嬉しくないはずがない。

こんなにぼこぼこにされて出血していなかったら下半身に血液が巡って行ってしまっていただろう。

そうしたらもう言い訳も出来ない。

 

「そうだろう。だ、だからその欲求を好きなだけ満たせばいい。金もあるんだ。文句ない生活だろう!?」

 

「じゃあ俺に!!日がな一日女を抱いて美味い飯食って好きなだけ寝て脳細胞死滅させてろってのか!!」

 

「そうだ!!これから戦いに負ければ…脳細胞死滅じゃすまないだろうが!!もう戦いをやめろ!!」

 

「うるせぇ!!俺の行く道が正義だとは言わねえ。だが俺の戦いは俺だけのものだ。命を賭して敵を蹴散らす。俺は戦う。戦うんだ!!」

 

「うぅー、うっ、頼む、から、ど、どこにも…行、ぐ…く…こ、ん…のぉ…」

がーっ、とガロアの口からマシンガンのように出た言葉に打ちのめされ、ガリガリと頭を掻いて髪を振り乱したセレンは熱暴走寸前のコンピューターのように理解不能な音を発し始める。

 

「……だ、だいじょ」

 

「バカ野郎がぁ!!」

 

(ヘッドバットか!!)

胸倉を掴まれたまま、セレンの頭が空を切りながら近づいてきた。

セレンの頭の固さ(中も外も)をよく知るガロアは頭突きの衝撃に備えて顎を引き、額の厚い部分で受ける姿勢を取る。

 

ガブッ

 

「ガブッ?」

セレンの桜色の唇から覗く白い歯が、ガロアの首筋に深々と食い込んでいた。

ブシュッ、ブチッ、と嫌な音が身体の中から音が響く。

 

「ぐ、ぅ、あがっ!」

拳で殴られる痛みを倍ほど先鋭化させた刺激が首から広がり思わず声が出る。

腕を押し付け離そうとするが力を振り絞って組みついているようでビクともしない。

 

「が、ぐ、ぐああああああああ!!」

 

「……、…」

これ以上痛みが続いたらぶん殴ってでも引き剥がしてしまう、と思った瞬間、セレンが顔を上げて血に染まった唇を拭った。

その表情は言葉では説明できない程の不機嫌に満ち満ちている。

 

「ぷっ!!」

 

「……!」

血混じりの唾液を顔に向かって思い切り吐き棄てられた。

首には冗談では済まない傷の深さで歯形が浮かび、だらだらと出血している。

 

「勝手にしろ!バカ野郎!!」

 

「うあぁ…」

バターン!!と上下三階に渡って響き渡ったのではないかと思う程の音を立ててドアを閉めてセレンは自分の部屋に引っ込んでいってしまった。

殴られた顔の痛みはもうそうでもないし、鼻血も止まっているが首の痛みは半端ではない。

そっと指で触ると唾液と血で濡れた先に、見なくても痛々しいと分かる傷があった。

 

その時最近よく鳴るような気がするチャイムの音がピンポンと聞こえた。

 

(誰だ…?)

だがセレンは部屋に引っ込んだままうんともすんとも言わない。

下手に声をかけてまた噛みつかれてはたまらないので、噛み跡を手で隠しながら玄関のドアを開いた。

 

「……」

 

「なにをどたんばたんやって…うぉ!?お前どうした!?ぼこぼこじゃねえか!」

ダンが立っていた。

 

「??なんだ?どういうことだ?」

 

「あれ?俺お前らの下の部屋に住んでいるんだけど。2408号室。言ってなかったっけ」

 

(知らなかった…)

 

「で、どうしたんだよお前。ぼこぼこだし、首から血が出ているし…」

 

「え、え、えー…」

まさかセレンにぼこぼこにされて性交を迫られて噛みつかれました、なんて言うわけにはいかない。

 

「お、大きなおじさんが暴れていった」

 

「!!マジかよ…リンクスを狙う大男…マジでいるのか…戸締りしっかりしておこ…」

 

「は??」

 

 

こうして、都市伝説に新たな1ページが追加された。

 

 

 

 

その夜。

ぶっ壊れたベッドは仕方がないのでその隣に布団を敷いたガロアが寝てから二時間も経った頃、セレンはふらりと起きてトイレに入っていた。

 

「ちっ」

廊下に響き渡る大きな舌打ちをしながら出てきたセレン。

月に一度必ず来る体調変化、生理だった。

重くない…どころか痛みも怠さもない、非常に軽い部類だったがそれでも股から血が出るのは煩わしい。

台所でコップに水道水をついで一気飲みする。

 

「ぶはぁ!」

カルキの味がほのかにして実に不味い水道水を飲み干してコップをシンクに置く。

水を一杯飲んだだけのそのコップを洗うのはもちろん明日のガロアだ。

 

「……ちっ」

また舌打ちをする。

初潮は11歳の頃だった。それが来るとすぐに研究員から一通り性についての教育を受けた。

要は繁殖に必要な機能らしいが、何故か女にだけその苦労は毎月あるらしい。

だがそれよりも不思議だったのは私にそんな機能は必要なのか、ということだった。

戦場に立ち人を殺すことを生まれる前から決められていた自分が、命をこの世に生み出す機能など必要なのだろうか、と。

 

レオーネメカニカとしてもそれは余計な機能だった。どこかでまかり間違って子供を作られてしまっては堪らない。

だが体調のちょっとした変化でリンクスが使い物にならなくなる可能性があることを霞スミカの一件でよく知るレオーネメカニカの研究者は、

下手に刺激することを恐れて子宮や卵巣を摘出するような真似はしなかった。

結果としてセレンには女性としての機能が丸々残っている。

 

「……」

リビングに戻り電気をつけずに椅子に座ってなんとなくガロアの寝る部屋を見る。

 

ちなみにこのマンションは全ての部屋が同じ構造をしており、玄関からすぐ左にトイレ、もう少し先の左に風呂があり、

さらに行くと大きなキッチンがある。

そこから扉を開くと十六畳のリビングダイニングがある。この時点でセレンの私物が散らかり狭さを感じるようになる。

その先に二つのドアがあり左がセレンの部屋、右がガロアの部屋となっており共に十畳の広さがある。

つまり2LDKとはいえ二人で暮らすには広すぎるくらいであり、事実、貧乏性のダンなどは一室しか使っていない。(彼女ができたら同棲するんだ!などと考えていた)

このような部屋に無償で住めている時点で価値が落ちたとはいえリンクスの特権階級ぶりが垣間見える。

 

 

そーっとガロアの部屋のドアを開く。

 

「…あ、やっぱり」

右側の壁にくっつけるようにして置いてあるベッドの隣に布団を敷いて寝ているが、

掛け布団を蹴っ飛ばして布団からはみ出し腹を出して寝ている。

 

「しょうがない奴だ…」

重たい体を正しい位置まで直し、布団をかけなおす。

誰かに言われるまでもなく自然にそうするその姿は母親そのものであり、

かつてウォーキートーキーもガロアが布団を蹴っ飛ばすたびにこうして直していた。

 

「あ……」

首につけていた絆創膏も寝相の悪さがたたってとれてしまったようだ。

もう血は出ていないが思い切り噛みついたため相当に傷は深く、きっと跡が残るだろう。

ガロアの白い肌に雪に足跡を残すようにくっきりと赤く残った自分の歯型はとても痛そうで…

 

「……??」

なんだかぞくぞくとした。

訳の分からない感情をとりあえず無視して絆創膏を貼りなおす。

 

「なんだか…目が覚めちまったな。……メイからもらった酒でも飲むか」

寝る前に酒を飲んでいるとガロアに微妙な顔をされるので何となくしていないが、

寝てからは文句も言えまい。言葉を得たばかりでは寝言も言えぬだろう。

そう思い台所から酒瓶とグラスを持ってくる。

 

 

 

「……美味い!!」

テーレッテレーとSEが聞こえてきそうなほど見事な笑顔を咲かせる。

 

「酒の肴は…ガロアの寝顔か?なはは…悪くないんじゃないかな」

メイもそうだがセレンも酒好きのわりに相当酔いやすい。

コップ一杯でいい気分になってきてしまった。

 

「大人に…なったなぁ…あんなに激しく主張するなんて…」

14歳の子供だったのがいつの間にか18歳だ。当然主張の一つや二つも出てくるだろう。

 

「あんなに私の言うことを聞かないなんて…。あの頃は可愛かったのになぁ。写真を撮っておけばよかった、本当に」

ガロアは急激に成長しすぎたしセレンは人というものをよくわかっていなかった。

昼間に性行為を迫ったかと思えば夜には母親のようなことを言い出す。

今の今でも親の目と女性としての目の間で揺れており、その絶妙なバランスが思春期の男女を二人で何年も同じ場所で生活をさせても過ちを起こさせなかった。

 

「ん…?でも、可愛かったけど…思えばあの頃から…」

滅茶苦茶な訓練をするし、勝手に部屋は片付けるしで、戦場でこちらの指示を無視する今とあまり変わっていない。

 

「…あの頃から制御不能なところはあったのか?主張する口がなかっただけで」

 

「………しょうがない奴だ」

 

「セレンがオペレーターじゃないと嫌だ、か。こいつには…私がいないとダメなんだな。ダメな奴だ…ふふっ」

ペースを落とさずに酒を胃袋に注ぎながら月明りに照らされるガロアの寝顔を見てふと思う。

 

「……なんか…」

寝ているガロアの髪を上げて額から下だけを見る。

昼間に殴りすぎてちょっと歪んでいるがその顔は…

 

「こいつ…女顔なんだな。体格と…普段の顔つきのせいで気が付かなかったけど…」

普段のガロアは顔に力が入りすぎてぶっちゃけて言ってしまえば悪人面であるが、

ぐっすりと眠りの世界に落ち込んだガロアの顔からは魔が落ちており元の形がよく分かる。

 

「男前…じゃなくて…紅顔の美少年って奴かな。綺麗な顔だ」

その顔は20年以上前にガロアの父、ガブリエルが惚れてしまったソフィーに生き写しであり、

もう少し身長が小さくて筋肉がなく、髪を伸ばしていたら双子と言っても通用するほどであった。

 

「背も高いし強いとなれば…もうちょっと顔から力を抜けば近づいてくる女もいるだろうに」

 

(それはやだな…)

 

「ん?」

心からそっと上がった声は耳を傾けた瞬間に消え失せてしまった。

 

「待てよ?ガロアが普通の生活を送ったら…いずれ…結婚相手なりなんなりを見つけて私のもとからいなくなる…の、か」

大きくなった体で運命の女性を抱えて自分のもとから去っていくガロア、それをハンカチを噛み泣きながら見送る自分…。

 

「うおおおおおお!?いやだ!?いやすぎる!!くあああああ!!」

ここまでの言葉が全てセレンの独り言というのは驚きという他ない。

独り言の世界選手権があれば入賞間違いなしだろう。

 

「うぅー…いやだ…畜生…」

ほろ酔い幸せ気分から一転、涙酒である。

 

「あれ…?ガロアが私の元から去るということは…」

 

「私もパートナーを見つけてガロアの元からいなくなる可能性もあるということか…?」

レオーネメカニカ改めインテリオルからお払い箱になってから一年、街を歩いているだけで最低一日一人は男に声をかけられた。

ああだこうだと耳聞こえのいい美辞麗句を並べても結局は自分を生殖相手として認めたから性行為をしようという誘い。

下手に暇つぶしに読んだ女性誌で性の知識を身に着けていたことも相まって、飾り立てた姿で飾り立てた言葉で近寄ってくる男が気持ち悪くて仕方がなかった。

一体何人の男をぶっ飛ばしたことか。

それよりも気に入らなかったのが「見た目」で自分を選んできたことだ。自分にとって自分の容姿は自分のものではない。

この姿は「霞スミカ」のものだからだ。

 

「気持ちが悪い…こんな生殖機能など…。…?」

 

「でも昼間はガロアに…」

結局何事もなく終わってしまったが、もしもガロアに生殖相手と認められたとしたならばそれは別に悪い気はしない。

気持ち悪くもない。

 

(いや、むしろ…それに…ガロアになら綺麗だって言われるのは……)

 

「…?氷とってこよ」

何かよく分からないことを考え出したので一旦思考をやめて氷を持ってくる。

 

 

 

「……」

カランと音を立ててまたグラスが空になる。

一升あった瓶が半分もなくなってしまっていた。アルコール度数などを鑑みても明らかに飲みすぎである。

 

「しかし…女みたいな顔だなぁ。寝ている間に化粧とかしたら怒るかな…」

やはりDNAまで同じだから仕方がないのか、霞が十数年前に考えたことと同じようなことを考え始める。

 

「…母親に似たのか?お前は…育ての親のことばかりで…全然そっちのことは…」

 

「気にならないのか?本当の両親のことが」

もちろん全く気にならないわけではない。

だがガロアは本当の両親のことを調べて大好きな父の罪を見てしまうのを怖がっているのだった。

本人は自覚していない。ただ、「自分を産んだだけの奴に興味なんかない」と自分に言い聞かせているのみである。

 

「私は…気になるよ。お前がどこから来て…どこへ行くのか…」

出会った時が14才ならば、14年分の歴史が、人格形成の道があったはずだ。

これだけ一緒にいた相手の過去を知りたいと思うのは間違ったことではないはずだ。

 

「はっ…思えば…私ほど単純な人間もいまい。戦闘用に作られて何も出来ぬまま捨てられたクローン。それだけだ。親もいない」

 

「親…親か。親になるっていうことは…やっぱりそういう相手がいて…」

そのとき、セレンの脳内に時々浮かんでいた疑問が再浮上する。

 

「私に手を出さなかったんじゃなくて…手の出し方を知らないのか!?やっぱり…」

10歳の時に親を亡くして一人で生きてきたのならば性教育をしてくれる大人がいなかったはずだ。

生きるために大事な知識ではないが、人間社会で生きていくのには大事な知識である。

 

「な、ななな、ならば…大人で師匠のわわわ私が最初から教える…べき…か?」

何故か緊張し酒で赤くなった顔がもっと赤くなるが、どうやって切り出せばよいのだろう。

まさか「そこに座れ!これから性の授業を始める」なんてやるわけにもいかない。

そもそも座学に関してはガロアに教えることはほとんどなかったのだ。今更どうやって「授業」なんてやるのか。

 

「う、お、おおお…必要なことだ…だがどうすればいいかわからん…うぬぬ…」

ぶつぶつと頭を抱えて悩みながらまた酒を胃袋に注いでいく。

 

「う、う…ガロアも大人になっているんだ…。ちゃんと知識もあるかもしれん…。今日だってしっかり主張を…」

 

 

『命を賭して敵を蹴散らす』

 

 

(敵?)

言葉にして出した主張の中に混じっていた一つの違和感を感じる言葉。

 

(お前の今の敵って誰なんだ?ガロア…)

不倶戴天の敵であったアナトリアの傭兵を打ち負かした今、ガロアにとっての敵とは何なのだろうか。

独立傭兵という建前上、どの企業も敵になりうるがそういうことでは無いだろう。

最強のリンクスを倒し、各企業の主力AFも難なく叩き壊したガロアが「敵」と呼ぶ者はなんなのだろうか。

 

(分からん…)

 

(こうなったら…)

 

(飲もう。そうしよう)

 

結局独り言とグラスを口に運ぶ作業を繰り返しているうちに外は白み始め、気が付けばセレンは眠っていた。

そしてセレンが眠りに落ちてから二時間後。

 

 

 

 

「……ん…!!?」

目を開けると目の前3cmの距離にセレンの艶やかな唇があり、一発で最高に目が覚めた。

だがそれ以上にガロアから眠気を引っぺがすものが部屋に充満していた。

 

「…!?ゔあぁ!!臭ぇ!!」

文字通り、目と鼻の先にあるセレンの唇からは純然たる酒の臭いが濃厚に漂い、部屋もこれ以上無いくらいに酒臭い。

しかもよく見ればセレンは、自分の部屋で寝ているのはまぁいいとして何もかけずに酒瓶を抱いて寝ている。

 

「何やってんだこの人!?何やってんだこの人!?」

 

「ゔ~…頭痛い…」

大騒ぎしながら換気の為に窓を開けるとセレンがぼやきながら目を覚ました。

 

「おい、大丈夫…」

 

「ガ、ガロア…」

 

「ん?」

 

「お、おしべは…めしべに花粉を飛ばして繁殖するんだ…」

脈略無く意味の分からない事を勝手に言って布団に倒れこむセレン。

 

(本当にやべえ…ダメだこの人…俺がいないと…)

ぶっ倒れたセレンの顔は二日酔いの一言で済ますにはちょっと見逃せないくらい赤く、おでこに手を当てると案の定熱があった。

訳の分からない事を言い出したのは酒じゃなくて熱のせいだったのか、と顔をサーッと青くする。意識が混濁するほどの熱はちょっとじゃすまない程マズいのではないか。

 

「ああもうこの馬鹿!!」

 

「師にむかって…バカとか言うな…」

 

「大馬鹿だろ!!」

悪口にはしっかり反応するセレンの軽い身体を抱えて布団の中に入れる。

抱えたままセレンの部屋まで行ってもいいが、物の多いあの部屋で何かに躓いてセレンをブン投げてしまったら目も当てられない。

 

「……」

布団に入れて三秒で眠りに落ちており、騒いでいた自分一人が間抜けに思える。

 

「あ」

とりあえず窓は閉めておくか、と思った瞬間、

 

「ん~…?」

首の後ろに両腕を回され、

 

「わぷっ」

思い切り抱きしめられて鼻が胸の谷間に不時着した。

 

「…………」

酒と汗の臭いに混じって凄くいい匂いがする。いや、この汗の匂いも嫌いじゃない……というか好きだ。ずっと嗅いでいたいかもしれない。

それに柔らかくて温かくて心地がいい。このまままた一緒の布団で寝てしまおうかな、とそんな考えが頭に浮かぶ。

 

「……!!うぬっ」

寝ぼけて自分の頭を抱く腕を剥がして布団の中にしまう。

 

「…?……??…なんなんだ………セレン…しっかり寝ろよ」

目覚めから五分で色々な刺激を受けた頭をぶんぶんと振って部屋からそっと出ていくガロア。

 

色々考えてパンクしてしまった結果おしべとめしべの話なんかしてしまったセレンだが、心配せずとも少しずつではあるがちゃんと知識を付けていっている。思春期なのだから。

そして同時に人としての良識…例えばここでセレンを襲う様な真似は恩を仇で返すようなものだ、とか考える頭も身に着けていっていることが、セレンのもどかしい悩みの種にもなっている。

身体は大きくなってもガロアはまだまだ人として成長の途中である。




セレンの必死の説得はガロア君の中の何かを変えたようですが、それはセレンの望んだ変化では無かったようです。無念。


何故セレンはガロアにそういう目で見られても嫌だと感じないのでしょうか。
好きだから!主人公だから!ずっと一緒にいたから!
とかではないですよ。ちゃんと理由があります。



ガロア君は人が戦う理由が分かったようです。
でもそれをペラペラしゃべっても物語にならないので、彼に戦って傷つきながら証明してもらいましょう。

ところでガロア君が読んでいた本が何か、分かりますか?


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Orca's nest

カラード管轄街から外へと向かう道にある、廃病院の前でガロアは座ったまま案内人を待っていた。

一応リンクスには一定の自由が保障され、コロニーの外に出るにしても何の制約も無いが、それでも誰がいつ外に出たかなどの記録は残る。

 

それを改ざんするためにも案内人と共に外に出ろとの事だった。

 

(つまりそれだけ組織力のある相手という事か?…いや、どちらかというと組織の大きさよりも企業とグルじゃないときついんじゃないか)

待ち合わせに美人が来てデートに行くというのならまだしも、テロリストのお仲間が来てその中枢へ連れていかれるのだ。緊張しない筈がない。

 

(心で見る…ねぇ)

先日本で読んだそんな一文が思い出される。

普通の大人ならば一笑に付すような文だがガロアには思うところがあった。

 

(そういえば…昔はやっていたな。10歳の頃…俺は…あの時見てもいない物を見ていた。確かに見ていたし当然の事だと思っていた。そういうことか?)

300年も前の児童文学書に対してここまで真剣に考える十八歳はいないだろう。それもコウノトリを信じているようなピュアな少年では無く、金で人を殺す傭兵なのだ。笑えて来る。

 

(とはいえ…あの感覚は…俺の中にあったはずだ。街の中じゃ…人が多すぎて忘れていたけど…思い出せ…)

目を閉じて辺りの気配を探る。だが、襲撃があった時に危険な区域ということもあり、ほとんど人がいないため気配もクソもない。

 

(……!誰か来る!人が…)

 

(これは…車!!)

 

(…車?…音で聞いた方が早いじゃないか…もう…バカか…)

すっと目を開けると、いかにも若者が好きそうな赤いスポーツカーが目の前で止まった。自分がミーハーな女性だったらこの時点でほいほいついて行ってしまうのだろうか。

 

「初めまして、こんにちは」

 

「誰だいあんた。どっかで会ったことあったっけか」

栗色の茶髪をツーブロックで今風に仕上げてサングラスをした自分と同い年くらいの顔立ちのいい男が出てきた。

傭兵業で稼いだ金を好きなように使ったらこうなるのだろうか。

 

「猿芝居はいりません。ハリです。ランクも年齢もキャリアもあなたより上なので覚えておいてもらいたいですね」

 

「……ふーん」

金もあり、いい男でランクも高いとなれば現状に何の不満もないだろうにどうしてテロリストなんかやっているのだろう。

サングラスを外すことも握手を交わすことも無く、乗れ、とジェスチャーされて素直に乗り込む。

高級車独特のシートに沈み込むような座り心地が素晴らしかった。

 

 

 

「…さて、今から目隠しと手錠をしてもらいます。理由はお分かりですね?」

 

「……まぁいいけど。いきなりズドンしてポイとかやめてくれよ」

多少のリスクは覚悟していたが、管轄街から出て10分でいきなり拘束と来た。

視界を布か何かで制限されて手錠で車にくくり付けられる。

 

(…1分…いや、30秒で解けるかなこのくらいなら)

手に触れた感触で分かるがこの手錠は電子管理されるような高級品でもなければディンプルキーを使う様な複雑な物でもない。

いざという時は手に握ったヘアピンで逃げられる…と思う。

セレンにこんな技術まで教えられたときは必要性が分からなかったが、例えば誘拐されたときなんかに自力で脱出するために必要な技術だったのだ。

 

「……」

 

(話しかけてこないな。…まぁ馴れ馴れしくされるよりいいか)

運転に集中しているという感じではない。というよりも運転に集中が必要なペーパードライバーだったらこんな車には乗らないだろう。

 

(警戒心…じゃないな。この息遣い…敵意?)

 

(まぁ…当然か。少なくとも仲間を一人ぶっ殺しているしな…ん?あれは自殺だったような…)

 

(しかし…思い出してきたぞ。あの感覚…。隣に一人、十代の男がいる!…なんて。………くぁ…暇だ)

 

(…………)

 

(………)

 

(……)

コロニーの外で十代の少年が手錠で拘束されてもう一人の十代の少年の隣で押し黙っている、

というのは何も知らない人が見たら珍奇な…いや、直接的に言えばゲイのプレイの一環と思われてもおかしくない光景だった。

 

 

 

「着きました」

 

「…もう?」

 

「目隠しは外します。手錠はそのままで」

 

「……ふーん…」

いつの間にか砂漠に埋もれたビルの前にいた。スピードメーターを見れば時速600km/hまで出るようなので相当遠くまで来ているのかもしれない。

 

「どうぞ」

 

「……」

入り口は砂で埋もれているらしく、二階の窓から入り、ハリと名乗った男について行く。

 

「……」

 

「……」

両開きの大きな扉を開けると真っ暗だった。ただでさえ廊下も薄暗かったのにこれでは中は何も見えない。

入れ、と顎で示されて入るとハリは自分の後ろに立ち腕をそっと押えてきた。

 

(別に暴れやしねぇよ…それにしても…これで俺だけが丸見えってことか…)

薄暗くも、多少明かりがあった廊下からの光に照らされて自分の一挙一投足は見られているのだろう。

 

(……カマかけてみるか…。この息遣い…気配の数…思い出せ…)

靴で床を叩き響き方を感じ取る。この警戒心を交えて観察されている感覚は不思議とあの森と近かった。

今なら分かる。もし外れてもその時はその時だ。

 

 

「…九人?このハリって奴もリンクスなんだよな?お前ら全員リンクスか?十人もリンクスがいる組織なのか」

 

「「「「「!!!」」」」」

 

(大当たりか)

空気が騒めくがそれ以上に、自分の腕を押えているハリに震えと若干の発汗が認められた。

恐らくはこの腕で脈を計って嘘を見抜くつもりだったのだろうが、別にここに嘘を吐きに来たわけでは無い。

 

「旅団長のマクシミリアン・テルミドールだ。まだ握手は出来ないな」

深い影の向こうから現れたのは白い髪に黒い目がよく映える歴戦の戦士といった風貌の男だった。

歴戦というにはまだ若いような気もするが団長と言うからには感じた第一印象は間違っていないのだろう。

 

「…?俺、あんたとどこかで会ったか?」

不思議とその視線、聞こえる鼓動に覚えがあるが、会った記憶はない。

カマをもっとかけてやろうと思ったことも忘れて素直に質問してしまう。

 

「っ!?気のせいではないか」

 

(会った事あるのか?…あるんだな?…どこだ…)

あからさまに異な反応をしたのを見逃さなかった。

光の下に出てきてくれたのはありがたい。

だが一体どこで会ったというのだろう?

 

「…さて、話をしようと持ち掛けたのは君だ。何を話そうと?」

 

「うん…まず、あの空の危なっかしいのがあんたらの本当の目的だな?」

 

「…アサルト・セルが我々の目的だといつ気が付いた」

 

「へぇー…アサルト・セルって言うのか。あの自律兵器は」

 

「……?」

 

「俺が言っていた『空の危なっかしい奴』ってのはクレイドルの事だ。あんなもんがいつ落ちてくるかなんて思えば危なっかしい事この上無いだろ」

 

「!!」

 

「まぁいいや。話を続ける」

見事に墓穴を掘ってくれた旅団長とやらに親しみを覚える。強さがどれだけのものかはわからないが、この男は御しやすい。

 

「……」

 

「つまりそのアサルト・セルとやらが地球を覆っていて人類は宇宙に出れないまま、クレイドル体制のせいで汚染死する。それを回避するのが目的だな?」

 

「その通りだ。企業の罪であるアサルト・セル、それを隠蔽するために行われた国家解体戦争。その禊を人類の為にも実行するのが我々だ」

 

「へぇ…」

最早隠す意味も無し。ここで死ぬか仲間になるか、としか考えていないのだろう。

まぁこんなテロ組織なら当然だが、やはりこいつらも抱え込んで終わりだ。人類の為にだがなんだが知らんが人がそんな事であっさり死ねるものか。

そうするしか無い、と思い込んでいるのだろう。

そんな暗い目的ただ一つの為に人が完全にまとまりきれるだろうか。ましてやそれぞれが力あるリンクスならば。

 

「…………」

 

「聞いてくれ。多分この世界で一番アナトリアの傭兵の事を考えていたのは俺だ。まるで恋をしているみたいに。理由は分かっているんだろ、どうせ」

 

「復讐か」

 

「そうだ。褒められたことじゃないけどな。とにかく誰よりも奴の事を考えていた。この四年間」

 

「……」

 

「すると企業の行動にちょっとおかしな部分が見えてくる」

 

「それは?」

 

「ラインアークなんか放っておけばいいだろう?クレイドル体制に批判と言ったって基本的に1万メートルも下の地べたで吠えている連中がなんだってんだ」

 

「……」

 

「クレイドルに直接攻撃をしてくる訳でもない。いや、むしろされれば叩き潰す口実になるってのはどっちも分かっていた事だろう」

 

「つまり?」

 

「ホワイトグリントにさえ気を付ければラインアークは企業がそこまで目の敵にするようなもんじゃない。しかもそこそこの商売の相手でもあるんだ。むしろ放っておいた方が利益になる。つまり」

 

「潰したい理由があった…?」

 

「俺はそう考える。ホワイトグリントを撃破した後に俺に来た依頼でラインアーク関係の物は『メガリス破壊』とか『ラインアーク支援団体襲撃』とか…」

 

「嫌がらせだな」

 

「そうだ。直接ラインアークを叩けという依頼は全く無かった。そんなに嫌いなら、クレイドル体制に批判的な奴らなんて潰しちまえばいいだろう?俺なら出来るし理由もあった。皆殺しにしろと言われればした」

 

「……」

 

「抵抗する力も無い人々を虐殺したら民衆は批判するかもしれんが、情報統制をして一年もすれば忘れるさ。所詮自分が攻撃されるわけじゃないからな。それが人間だろう?」

 

「ラインアークを直接攻撃できない理由が…」

 

「ある。エグザウィルを襲撃したのがアナトリアの傭兵なのは知っているだろう。多分、この中にもレイレナードの残党は紛れているはずだ」

 

「……」

 

「調べていけばエグザウィルを破壊した直後からだ。オーメルグループからのアナトリアへの執拗な攻撃が始まったのは」

 

「……?」

 

「ジョシュア・オブライエンのアナトリア襲撃もオーメルが裏にいたというのは有名な話だろう。そしてその行動を他の企業も消極的に黙認している」

 

「……」

 

「現在エグザウィル跡地はオーメルグループが管理している。似たような建築物を再建する…と言いながらもただ管理しているだけで何もしていない」

 

「…何が言いたい?」

 

「金がかかるのにずっと管理する理由はあるのか?水の上の建築物にとらわれ過ぎている、俺たちは。恐らくはあの湖の下に、何か重大な情報がある」

 

「…!」

 

「恐らくは消し去りたい部類の情報だろうな。技術の情報ならば、レイレナードから流れた研究者から得たはずだ」

 

「……」

 

「そしてその情報は厳重に…例え核ミサイルが100万発降り注いでも開かないような場所にあるんだろう。そこを開く鍵を…」

 

「ラインアークが握っていると?」

 

「そうだ。アナトリアの傭兵はエグザウィルを襲撃したときに鍵を見つけたんだろう。恐らく今はフィオナ・イェルネフェルトが持っている」

 

「だから嫌がらせを…」

 

「そうだ。今ちくちくと企業から嫌がらせを受けながらも踏ん張って交渉しているんだろう。その鍵の値段を…恐らくは住民全ての命の保障と引き換えにな」

 

「そうか…直接攻撃して鍵がミッシングになったら困るのは…」

 

「他でもない企業だからだ。だが一つ、この仮定には問題が残っている」

 

「なんだ?」

 

「ホワイトグリントがいればエグザウィル跡地を奪う事も出来たはずだ。そうして鍵を使って情報を手に入れればよかった。例えば…あんたらの言うアサルト・セルの詳細な情報ならば」

 

「クレイドル体制へのこれ以上ないジョーカーになる…、か」

 

「そうだ。それをしなかったし、企業もその可能性を知りながら放っておいた理由があるに違いない」

 

「それは?」

 

「レイレナードの重要人物の生体情報が必要なのだと考える。声紋、指紋、虹彩、網膜、静脈。鍵を持っていてもその全てが重要人物に該当する人物でなければ開かないのだろう。

そして恐らくはレイレナードの重要人物…幹部なんかは全部企業が管理しているはずだ。後はレイレナードの主要リンクス…ベルリオーズやアンジェくらいしか…どちらも死んでるがな」

 

「…!!」

 

「つまりまず最初に企業からレイレナードの重要人物を誘拐するのが」

 

『その必要は無いだろう?マクシミリアン・テルミドール』

言葉を手に入れてから間違いなく一番口を動かしている、と思いながら言葉を続けているとガロアの胸元から女性の声が響いた。

 

「「「「「!!!」」」」」

 

「てめっ、この野郎!!ふざけんなよウィン・D・ファンション!!」

周囲から一斉に銃を向けられ、背中からもハリが銃を突き付けているのを感じながら冷や汗を流す。

 

『養成所でも一番の頭脳の持ち主だったと聞いていたが…なるほど。よく頭が回ることだ』

 

「今のこの状況は頭が悪すぎる!!」

 

「…どういうことか説明してもらおうか、ガロア・A・ヴェデット」

テルミドールが額のど真ん中に銃を突き付けながら迫ってくる。

 

「どうもこうも」

 

『お前がいれば重要人物など必要は無いだろう?ベルリオーズのクローンのお前ならば』

 

「は?」

 

「!!貴様…ウィン・D・ファンション…何故それを…」

 

『お前が知らないことも知っているぞ。お前は今、自分がどれだけ奇妙な運命に弄ばれているか分かっていないだろうがな。目の前のガロア・A・ヴェデットが自分にとってどういう存在か分かるまい?』

 

「……なにを…?やはり貴様が一番警戒すべき敵だったか」

 

『いや、むしろその逆だ。話次第では協力しよう』

 

(なんかすごい蚊帳の外にされているけど怖いから黙っておこ…)

手錠をされていては手をあげることも出来ず、複数の銃口を向けられてガロアはだんだん投げやりな気分になってきた。

せっかく言葉を手に入れたのだからすぐに暴力では無く、口を動かしてどうにかできるならしていこうと思ったが、どう考えたってこうなるなら普通に戦った方がまだ安全だった。

 

「何?」

 

『私は人々の命を………。いや。その場に飛び込んだガロア・A・ヴェデットのクソ度胸に敬意を表して…格好つけるのをやめよう。クレイドルに、家族がいる』

 

「……」

 

(わざわざ降りてきたのか?何を考えているんだ…)

 

『家族を守りたい。だが、このままいけばいずれ全員死ぬ運命だ。少しでも助かる可能性があるのならば協力しよう』

 

「…もし、結局我々が最初の予定通りに行動したら?」

 

『その時は私が全身全霊を以て貴様らの敵となる』

 

「ふん。だがインテリオルに長くいたお前が今更敵対できるのか?」

 

『リンクスは…企業の都合のいい捨てゴマでは無い』

 

「…?」

 

『人だ。それを忘れた企業がしっぺ返しを食らう日は、いつか来る』

 

「面白い…」

 

「いいな。ウィン・D・ファンション。あんたの事嫌いだったけどちょっと好きになってきたぞ」

皮肉の籠った声を出すガロア。帰ったら二、三発ぶん殴ってやりたいとも思っていた。

ガロアには女だから加減するという考えは一切なかった。

なにしろ人生で一番関わった女性は強さの塊だったし、このウィン・D・ファンションですらも暴力万歳の脳筋女なのだから。

 

『嬉しくない。他を当たれ』

 

「はっ。言うじゃねえか。…テルミドール…でいいのか?あんたは」

 

「なんだ」

 

「ラインアークに俺が行く。ホワイトグリントをぶっ倒したのは他でもねぇ俺だ。俺が交渉して鍵を貰う」

 

「ここ一か月あまり…ラインアークの生活を考えるに…お前は死ぬほど恨まれているぞ」

 

『死ぬつもりか?』

 

「大丈夫だ。恨みじゃ人は死なないって死ぬほど知っているからよ」

 

「……」

 

『……』

 

「ラインアークに連絡を取ってその鍵とやらの存在の裏をとってくれないか。その後ラインアークに行く日にちが決まったなら教えてくれ」

 

「待て。交渉と言ったが何をこちらは渡す?」

 

「まぁ…俺が勝ったんだからつべこべ言わずに全部寄越せ!!って…」

 

『ふざけるな』

 

「…言ってもいいんだけど。奴らが今何よりも欲しがっているのは住民の命の保障なんかじゃない」

 

「………」

 

「企業とも渡り合える戦力のはずだ。この団体まるごとラインアークに移っちまえばいいだろ」

 

「なっ……」

 

「どうせ企業と敵対する気ならこんなカビ臭ぇビルに引っ込んでいる理由なんかねえだろ。世界をクソに放り込んだクソ企業に陰から文句言ってんなよ!!」

テルミドールと額を突き合わせて発破をかける。この男が本当のリーダーだったかどうかも怪しかったが、ウィンの反応を見るにリーダーで間違いないのだろう。

大体世界を敵に回すと言いながら、こんなところでこそこそしている時点でもうやられ役臭いのだ。企業が間違っているというのならば、堂々と主張すべきだ。

 

「いいだろう…」

 

「テルミドール!!」

ハリが拳銃を突きつけるのも忘れて叫ぶ。いつの間にかもう誰もガロアに銃口を向けていなかった。

 

「また近いうちに連絡させてもらおう。どちらにせよ、もうお前に企業の下での居場所は無いと思え。準備をしておくんだな」

 

「…ああ」

 

「ハリ。送り返してやれ」

 

「…分かりました」

 

(ふぅ…なんとかなったか…もうこんな緊張はごめんだ)

結局交渉は思った以上に上手くいった。

ますます自分だけではどうしようもならない状況に転がっていってしまったがもうこうなったら後は野となれ山となれだ。

だが、ほっと息をつくガロアの後ろでハリがギリギリと歯を食いしばっている事には誰も気が付かなかった。




会話多すぎて笑う

アナトリアの傭兵は大変な物を盗んでいきました

これからガロア君はラインアークに乗りこむことになります。
どうなるかは…続きをお楽しみに。


RAVENWOODに投稿していた方は全部消滅していました。
新天地がどうやら出来るみたいで、そこがどうなるかは今は静かに見ています。
どうなるか決まったらそっちにも投稿するかどうかを考えます。

でももうここだけでいいんじゃないかな……


それにしてもガロア君はよく頭が回りますね


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レッドラム+スタルカ撃破

リンクス戦争は終結した。誰もが予想しなかった、企業の崩壊を経て。

やれやれ、うちが潰されなくて良かった…

という安堵の声を聞いてテクノクラートの秘蔵のリンクスだった当時33歳のド・スは苦笑いをした。

 

「テクノクラートは潰されるほど目立っとらんじゃろう…」

リンクス戦争が始まる前にテクノクラート唯一のオリジナルはアナトリアの傭兵に軽くひねり殺され、戦争に参加するまでも無く終了した。

潰されなくて良かった、じゃなくて潰す価値も無かった、だ。

 

「お話しがあります」

 

「なんじゃ」

オペレーターの男が話しかけてくる。

こんな時期にミッションなんてあるのだろうか。

あるのならばそれはあまりいいミッションではないだろう。しかもまだ自分はほとんど実戦に参加していない新米リンクスだと言うのに。

 

「こちらへ…話は道中」

 

「ふむ」

コツコツ歩くオペレーターについて行くが、ちょっと嫌な感じがして鼻がひくつく。

あの場所では話せないような話という事なのだろうか。

 

「…イクバール支配圏である封建的支配をしていた一族が、リンクス戦争に巻き込まれて壊滅しました」

 

「……」

 

「その程度ならばよくある話なのでして…その一族の生き残り…ジェルミ家の正統血族のご令嬢を縁あって引き取ることになったのですが」

 

「政治的価値が」

 

「ええ。全くありませんでした。既にその地方は建前上は民主的指導者の下、オーメルの支配下におかれており、ジェルミ家が圧力的支配をしていたこともあって、

民衆からの支持も無いに等しくこれ以上彼女にお金をかける価値もありません」

 

(やはりのう。やることなすことちぐはぐなんじゃ、テクノクラートは)

 

「…と思われていました」

 

「なんじゃあ?ようわからんのだが」

 

「AMS適性があったのです」

 

「ほう。して、ワシになんの関係があるのかの」

 

「これからはリンクスといえどチームワークが重要になってくるとテクノクラートは考えています」

 

「…?」

 

「長期ミッションになります。彼女を引き取り、リンクスとして育て上げ、あなたのパートナーとしてください」

 

「……」

結局負担は企業では無く自分に来るのか。そっと溜息をついていると、どうやらその女性がいる部屋についたらしい。

 

「………………」

むっつりと口を曲げて眉を顰めている、いかにも良家のお嬢様風の女の子がいた。

褐色の肌に金髪金目がよく似合い、ますます高貴な雰囲気を醸し出している。頭が痛くなってきた。

 

「彼女です」

 

「ガキじゃが」

 

「ガキって何よ!!オヤジ!!」

開口一番金切り声である。これを引き取る?本当に?

 

「ええ、子供です。まだ11歳です」

 

「老け顔!!」

 

「リンクスに?」

 

「鷲鼻!!」

 

「そうです」

 

「黒髪!!」

 

「……」

悪口にすらなっていない。

そりゃこの娘の綺麗な金髪に比べれば自分のようなぼさぼさの黒髪は見下したくもなるかもしれないが。

 

「ハゲ!!」

 

「ハゲとらんわ」

確かに髪を全て後ろに縛って額が出ているせいでハゲているように見えるがハゲではない。…多分。

しっかり寝る前に髪のケアもしているし、ワカメも沢山食べている。脂は控えているし、性欲はもともと枯れている。

ハゲていない。ハゲていないぞ。

 

「何よ!!」

 

「……」

これをリンクスに育てて自分のパートナーにしようというのか。これを?これを??今も自分に罵詈雑言を飛ばし続けるこの口汚い娘を?

 

「野蛮人!!お母さまを返せ!!」

 

「ワシゃ知らん」

 

「この!!」

 

「……」

今度は飛びかかってきた。首根っこを捕まえ猫のように持ち上げるがそれでも暴れ続けている。

よく見てみれば、残念なことに上玉だ。リンクスにならないというのならどこぞの娼館に流されて終わりだろう。

考えてみれば、まだ11歳の女の子がいきなり家族を奪われ住む場所を追われて最後は男に食い物にされて病気を貰っておしまいなんて悲惨すぎる。

 

「…はぁ…。分かった。ワシが育てよう」

 

「ふざけないで!!誰があんたみたいな男に…」

 

「ありがとうございます」

 

「話を聞けーっっ!!」

 

そうして奇妙な共同生活が始まった。

やれ一緒に下着を洗うなだの、やれこんな物は食べられないだの、やれこんな所で寝れないだの口を動かせば文句しか言わない娘だったが、

それでもリンクスとしての才能はあったのかメキメキと才覚を伸ばしていった。自分よりもランクが上がった時は少し複雑な気分だった。

40歳の誕生日に一言だけ、『おめでと』と言われたとき、ド・スは少しだけ泣いた。結婚もしないで四十路に入ったことに気が付いたのだ。

 

 

 

そして八年後。

自分が長い事住んできたPA-N51で沈黙しているネクスト、スタルカの中で立派な中年となったド・スはため息を吐く。

 

『うふふ…うふ…イルビス様の仇…私が取ってあげるわ…』

 

「…はぁ…」

あれから八年。思えばよく育てたと自分で自分を褒めたくなるが。

 

『穴だらけにしてあげるわ…ガロア・A・ヴェデット…うふふ…』

 

「育て方を間違えた…」

流石に19歳になって口の悪さや粗暴さは鳴りを潜めたが何故かこんな嗜虐心溢れる性格になってしまった。

 

『何か言った?』

 

「…何も言っとらん」

何よりもネクストが破壊されただけでイルビスは別に死んでいない。入院しているが。

何故かあの少年がカラードに登録されてからずっと執心しており、仇討ちというのもただの口実だ。

 

『ああ…楽しみ…どんな悲鳴をあげるのかしら…』

 

(ワシ…どこで間違ったんじゃろ…)

がんばれド・ス。お前は間違っていないぞド・ス。シャミアが元々そういう性格だったというだけだ。

そう自分に言い聞かせてド・スは今日も溜息をつく。

化け物染みて強いと聞くアレフ・ゼロ。何事も無く勝てればいいのだが。

 

 

 

物凄い霧だ。あちらこちらで何かが蠢いている気配がするが何も見えない。

 

(丁度いい…心の目だ…心の目…)

目の能力が下がっていても、この霧ならどっちにしても意味がない。

雪で5m先も見えなかった幼き日々を思いだす。

それでもあの日々の自分は獲物の位置が分かっていた。昔出来ていた事を今やるだけなんだ。

 

カシン、カシン、と何かが周期的に動く音があちこちから聞こえる。

 

『ミッション開始。敵ネクスト、2機を撃破する。この霧に加え、ECMも展開されている…奴ら、闇討ちをやるつもりだ…慎重に動けよ』

 

『こちらメリーゲート。作戦行動を開始するわ。いやな霧…シャミアには相応しいわね…派手にやる。いぶりだすわ』

 

(感じるぞ…魂の震えが…敵の気配…)

色々と入る通信は全くガロアの耳に届いておらず、あろうことかガロアは深い霧の覆う戦場で目を閉じていた。

 

(20…いや…21か…?なんだかブリーフィングで聞いたよりも多い…この中から二機を探して叩っ壊すのか…)

一定のリズムで飛び上がり、また着地を繰り返す物が何機もある。恐らくはノーマルがかく乱のためにそうしているのだろう。

無論、ネクストに襲われれば例え目標でなくとも殺される。そういう覚悟は嫌いではないが、今はやめてほしい。

 

『殊勝な羊たちね。わざわざ狼の餌場にでてくるのだから…戻れないわよ、あなたたち。…イルビス様の仇は討たせてもらうわ』

 

(今動いた奴がこの女か?…仇?……)

 

『………そういうことじゃ。えぐらせてもらうで、GA』

 

「全部で21機か。予定より随分と多い…」

ああ、この感覚。そうだ、思いだした。街にいて分かるはずがなかったのだ。

常に命の危機がそばにあり、周りの全てが敵という状況だったからこそ、磨かれていたというのに。

あんな生ぬるい世界では錆びつき失われていくのも当然だ。

 

『!?』

 

『この霧で見えるはずが…!?』

 

「簡単にばらすなよ、阿呆。オオカミも殺す…牡鹿もいるのに、よぉ!」

後ろから突如来たショットガンを避けて肘を叩き込む。気が付けばすぐそばにいた危険な野生動物と違い、音も気配も分かりやすかった。

 

『くあっ…何故!?』

コアに肘が当たったようで赤いネクストの胸部が不気味にへこんでしまっていた。

急な攻撃でバランスが崩れたレッドラムは地面に歪な跡を残しながら加速していく。

 

「不細工な殺気だ、女。霧じゃ足りなかった」

言葉は便利だ。

怒りは信じられない力を引きだすこともあるが、大抵は行動の衝動的な単純化を招きいい結果にならない(そこまで分かっていても自分の怒りは止められなかったが)。

適当になじるだけで相手を怒らせられるならこんなに便利な物は中々ない。

 

『…!!絶対に殺すわ…』

 

「………ふーん…」

更に殺気は膨れ上がったが不思議な事に霧の中へと引っ込んでいってしまう。

このまま近くで戦い続ければ不利なのは自分だと判断したのだろうか。

 

(待てよ?)

 

(狼の餌場なんてふざけた事を言っていたが…)

 

(俺はどうやって狩りをしていた?)

 

(……やるじゃねぇか!!ふざけやがって)

 

 

 

 

 

「……」

シャミアがキレているのは演技ではないと分かるがそれでもよく引きつけておいてくれた十分だ。ド・スは息を潜めて機会を待つ。

緑色のネクストがまた明後日の方向にいるノーマルを撃ち落としている姿がビルの隙間からよく見える。

 

「……」

緑のネクストがこちらに完全に背を向けた。

 

(ここ!!)

右手の射突型ブレードをコアのコックピットへ向けて突撃する。

技術的に常に後塵を拝してきたテクノクラートが発狂してとうとう作り上げてしまった最悪の兵器、KIKU。

非常に当てにくいが、一度まともに当たったが最後、パイルに搭載されたソナーが鼓動の聞こえる場所、

つまりリンクスの乗っている部分まで到達し小規模な爆発を起こすという非人道的と言われても仕方がない兵器だった。

 

(当たっ……)

当たった。そう思った瞬間に霧の中から黒いネクストが飛び出して緑のネクストを突き飛ばし、こちらに一撃を入れていった。

 

「おおっ!?小僧…やるのう…」

だがそれでも、向こうのブレードはこちらのマシンガンを切っただけに終わったが、こちらの射突型ブレードは緑のネクストの左肩から下を吹き飛ばしたのを視認していた。

 

 

 

 

 

(狩りは弱いやつから狙うのが定石…やるな、こいつら。…メリーゲートはもうダメそうだな)

一撃でAPが8割ほど持っていかれているのが確認できた。

しかも主武装のバズーカを持つ左腕が吹き飛ばされたとなれば最早戦力としては期待できない。

 

『あ…ありがとう…ガロア君』

 

「…別に助けたわけじゃない。あんたを狙ってくるって分かっていながら黙っていたからな」

事実だ。目的が分かっていればその瞬間を狙って殺せると思っていた。だが実際の敵の速さは想像を上回っており、目で追えずにしとめ切れなかった。

目が前の状態なら殺せていたというのに。そういえばこれは久々の対ネクスト戦ではないか。果たしてこれだけ不利な状況が揃って生き残れるだろうか。

 

(まぁ…その時は死ぬだけだ)

自分の『不利』を一つずつ確認していると、そのうちの一つが声をかけてくる。

 

『それでも…ありがとう』

 

「…退け、メリーゲート。お前の機体じゃ不利過ぎる」

 

『でも…』

 

「尻拭いにまで手を回せないって言ってんだ!!邪魔だ!!帰れ!!」

 

『…分かった。ごめんなさい、メリーゲート退避するわ』

 

「ちっ…」

 

『…お前はどうするんだ?ガロア。勝てない相手ではないと思うが、この状況…お前だって不利だ』

 

「ああ…。うん。いや…」

それは分かっている。BFF製の遠距離用FCSとヘッドにでもしておくべきだった。

 

(……?)

ヘッドを変えておけば良かった、そう思った時、ジャックを通してアレフ・ゼロから何かが伝わってきた。

それは無言の非難のような感覚で、静電気のような痛みまで伴っていた。

 

(何か不機嫌なのか?お前)

思えば初めて乗った時から何かが違った。

このネクストはずっと自分に語りかけてくる。

シミュレーションの世界のアレフ・ゼロとは全く似て非なる物だ。

一体この機体はなんなのだろう?

 

「女。俺が仇だって?」

とりあえずそんな戦闘中に考えるべきことではないことは置いておいて、レッドラムのリンクスに声をかける。

 

『戦闘中にお喋りとは余裕ね。…そうよ、イルビス様の仇取らせてもらうわ』

 

「…受けてやる」

仇、と聞いてちくりと心が痛んだ。

このまま背を向けて逃げれば遺恨を残してしまう。ここで叩き潰すか、自分が負けて死ぬかだ。

醜く生き延びれば……自分が恨んだあの男と全く同じになってしまう。戦いはやめられない。

 

(……そこか!!)

ドウッ、という反動を残して放ったグレネードはノーマルを木っ端みじんにする。

砕け散ったあのACの中にも人はいたのだろうか。囮であると分かっていながらどうして死ねるのだろう。

 

「ぅおっと」

 

『チィっ!!』

すかさずに射突型ブレードを持ったネクストが攻撃してきたのをぎりぎりで回避する。

 

(上手い…くそっ。集団で戦うのに慣れてやがるな)

考える暇も無く四脚のネクストがショットガンに交えてアサルトアーマーをぶつけてきた。

どれも回避してはいるもののこちらの攻撃もカウンターの一発しか当たっていない。

 

(まいった。攻撃が来れば分かるが…見えねえんじゃこっちから攻撃のしようがない。ジリ貧だ)

 

(霧が邪魔なんだよな…霧が…)

 

(…ああ)

 

(じゃあ吹き飛ばすか)

 

 

 

 

 

『アレフ・ゼロが何か不審な動きを始めました』

 

「…何?」

ノーマルのパイロットからの通信が入るが、ここからでは見えない。

不審と言っても何が不審なのだろうか。

 

『飛び上がって…あ、あ、う、うわ…』

 

「おい!どうした!…何じゃあ…あれは…」

もう見えた。深い霧の奥深く、空中で緑の光が収縮していくのを。

 

(アサルトアーマー?だが溜めが長すぎる…まるでコジマ爆発でも起こそうとしているような…)

ぎゅんぎゅんと中心に集まっていくコジマ粒子の輝きは不穏すぎるが、下手に刺激してコジマ爆発を本当に起こすわけにもいかない。

と、思った瞬間

 

カッッッ!!!

 

「ぬおっ!!」

 

『きゃあっ!!』

 

通常のアサルトアーマーの何倍もの規模のアサルトアーマーが周囲の霧全てを呑み込んだ。

 

「霧が!!」

 

『晴れた…!?』

 

普通のアサルトアーマーは有効射程距離が決まっており、それ以上の距離では効果がない。

というのも、それ以上それ以上と欲張れば攻撃力自体が失われてしまうからだ。

だが、攻撃力を気にせずにマニュアル操作で距離を制限せずに解放すれば当然数kmに渡ってコジマの波が広がっていく。

オーバーヒートしてその後の戦闘で使えなくなることを無視して全てを開放すればその波の到達する距離は計り知れない。

 

解放されたコジマ粒子は空中を漂う水分子を分解し、弾き飛ばして濃霧で覆われるのが常のPA-N51に青空と太陽を覗かせた。

太陽の光を背に受けて宙に浮かぶ黒いネクストはこの世のどんな物よりも不吉な影を落としている。

 

『そこにいたか。来いよ、ホラ。女』

 

『な……めんじゃないわよ!!』

 

「シャミア!!!」

幼い頃のような激情を隠そうともせずに宙に浮かぶアレフ・ゼロに飛びかかっていくシャミアのネクスト、レッドラム。

四脚だと言うのに空中戦を挑むのがどれだけの愚かか分かっていないのか。

 

『殺す!!』

 

「よせシャミア!!分からないのか!!」

確かにもう相手はPAもアサルトアーマーもオーバードブーストも今日は使えないだろう。

だが、あれだけ有利な条件が揃っていて仕留められなかった相手だというのに、こちらの有利はほとんど消えてしまった今、あの突撃は自殺行為にしか見えない。

 

『…ふん』

 

『くぁ…が…』

 

「シャミア…!!」

制止を振り切り飛びかかったレッドラムは一呼吸の内に腰から下と分離してた。

 

 

 

 

『く…そ…絶対に…絶対に許さないわ…』

 

「生きてんのか。運が良かったな」

コアを狙って両断したはずが、少し低かったようだ。

墜落した赤いネクストの元へと行くと腰から下が取れたまま呪詛を吐いていた。

どちらにしろこれではもう戦闘能力は無い。

 

もぞもぞと足を捥がれた蜘蛛のように動く赤いネクストをぐりぐりと踏みつけて辺りを見渡す。

もう一機はビルの隙間に隠れたようだ。ランクはこのネクストより下だったが幾分か冷静に思える。

 

「どこに消えた…」

力を込めて踏みつけたまま回線をオープンにして聞こえる様に呟く。

 

『踏むな!!見下すな!!』

 

「うるせぇなぁ…停止したネクストへの攻撃は禁止されているから攻撃してねえだけだ。切り刻まれて食われねえだけマシだろ?女。負けたんだから黙って這いつくばっていろよ、コラ」

オープン回線で罵り動けなくなったネクストをさらに踏みつける。わざと中に響くようにコアの上を数度蹴った。

 

『女女って!!私にはシャミア・ラヴィラヴィという名前があるのよ!!』

 

「そうか。黙っていろ、女」

 

『ぐぅう…くっ…うっ…この野郎…』

 

 

 

 

 

(シャミア…じゃけん、女は向かんのんじゃ…)

ぐりぐりと踏みつけて辱めている姿を見て突っ込んでいきそうになるのを努めて抑える。

あれはこちらを誘い出すための作戦だ。聞いていたよりも随分と頭の切れる男だ。

ここから狙い撃ちしようにも、マシンガンは壊されたし、残ったロケットも散布型ミサイルも停止したレッドラムを巻き込んでしまう。

恐らくはそれを分かっているからこそあの場から動かずにレッドラムを踏みつけ続けているのだろう。

 

(やるしかない…)

そうなればこの射突型ブレードで一撃で殺すしかない。

奴ののろまなグレネードとロケットには当たらない自信があるし、アサルトアーマーも封じられている。

分は悪くないが、もしも負けた時の事を考えると失うものが多すぎる。

 

「くっ……おおおおおおお!!」

ビルから飛び出して雄たけびをあげるとアレフ・ゼロの紅い複眼がこちらを捉えた。

 

『ド・ス?!』

 

「おおおぉおお!!!ハラショー!!」

 

『…真っ直ぐ来るのか』

 

ガッ、という音が爽やかな青空の覗くPA-N51に響いた。

 

(なっ…そんな…)

間合いに入る直前、ド・スの赤いネクスト、スタルカは何かにぶつかった。

アレフ・ゼロが動けなくなったレッドラムのコアをこちらに蹴っ飛ばしてきたのである。

反射的に突き出していた射突型ブレードを引っ込めてしまう。

 

『凡骨め。消えろ』

 

ああ、そうだな。と、ド・スはその言葉に全く同意していた。

下手な情にかられて全てを失うことになるとは。

バランスを完全に崩し、隙だらけのスタルカに迫るブレードを避ける術はもうなかった。

 

「がああっ!!!」

ヘッドと右腕を斬られた。

頭が引き千切られるような幻痛によって視界が暗闇に落ち、数瞬後ネクストから強制的にリンクが解除された。

 

『へぇ。二人とも生きているのか。ターゲットはお前らだけだ。よかったな。ノーマルを展開していたお陰で傷が浅いだ…死なずに済む』

 

「くっ…この街が終わりとはのぅ…」

このままこのネクストは撤退し、PA-N51はGAに奪われるだろう。

自分達はノーマル部隊に回収されて命は助かるだろうが、防衛失敗だ。

それよりも。

 

(攻撃出来なかった…)

あの場でレッドラムを気にせずにブレードを突き出していれば勝敗は真逆だっただろう。

まず間違いなくシャミアの命と引き換えに。結局自分は同情してシャミアを預かることになった日からこの日の敗北は決まっていたのだ。

そもそも所属している企業を冷めた目で見ていた時点からダメだったのかもしれない。

 

「ワシらしいの…つくづく…」

自嘲ぎみに呟くがそれは誰にも届かない。

それでいい。自分に言っているだけなのだから。

 

『絶対に…殺してやる…』

 

『…いつでも来いよ』

 

 

 

 

 

再び深い霧に包まれながらカラード管轄街へと向かって飛ぶ。

 

「セレン。イルビスって…」

 

『お前が倒したネクスト、マロースのリンクスだ』

 

「そうかい」

 

『どうした?ミッションは成功だ。もっと喜ばないのか』

 

「気が付けば俺も恨まれる側か…笑えるな…」

 

『…ガロア?』

 

 

その日の夕飯はちょっぴり味付けが薄かったと、セレンに文句を言われた。

 

 

 

そして後日。

 

 

「テテテテテテ、テロ組織だとおおおおおおお!!?」

日曜日の真昼間、子連れの親が笑って歩くカラード管轄街にあるマンションの中から悲鳴のような叫びが響き渡った。

 

「…そう。誘われた」

絶対にキレると思っていたのでずるずると話さないままここまで来てしまったがやはり説明しない訳にはいかないだろう。

ORCA旅団の前で口が回ったのが嘘みたいに要領を得ない説明をしたが遠まわしに言ってもやはりダメだった。

完全にブチギレている。

 

「入るのか!?」

 

「…多分」

両手を頬に強く押しあてて典型的な大ショック顔、完全にあっちょんぶりけ状態になっているセレンに少し引く。

 

「あわわわわ…そ、そんな悪い子に育てた覚えはない!!この!!この!!」

机に置いてあるコップやボトルをブン投げ、投げる物が無くなったら飛びかかってきた。

 

「わーっ!!すぐに暴力に訴えるのはよくねえ!!」

 

「リンクスばかり集めた組織が暴力以外に何が出来るんだ!!一緒に茶でも飲もうってのか!!」

襟首を掴みがくんがくんと揺らしながら正論を叫ぶセレン。

顔に口角泡とばしながら頭を揺らしまくるのは正常な判断を妨げるには十分だったがそれでもガロアは主張をやめない。

 

「リンクスだって兵器じゃねえ!!…人だ!!」

 

「テロの意味を知っているのかこの馬鹿!!」

 

「…まぁ落ち着けよ。国家解体戦争のときは企業側が国に仇成すテロ組織だったわけだ」

 

「ぐ…ぐぬ…くの…」

肩を押えられて座らせられるセレン。馬鹿力に押さえつけられて立ち上がることも出来ず、徐々にボルテージが下がってくる。

運命の女性を抱えて自分の元から去るのではなく、まさかテロ組織に誘われて行ってしまおうとするとは想定外だった。

まだ運命の女性を見つけたと言ってくれた方が幾分かマシだった。

 

「その時にはセレンにも来てほしい」

 

「う、うぬぬ…」

 

「無茶を言っているのは分かっている。カラードの庇護から逃れて、企業の作る安寧を捨てて、それでも俺と来てほしい」

 

(なんだよそれっ、それでも俺と来てほしいって!!それだけで言えよ!!)

この世のどんな男にそんな事を言われても絶対について行かないがガロアに言われれば着いて行く。

こいつには自分が必要なのだということが分かるからだ。でなければ簡単に死んでしまう。

自分がいなければダメなくせになんて自分勝手な男なんだ。

 

「セレンがオペレーターじゃないと俺は嫌だ」

 

「ぐっ、く、クソ…お前…」

だがこれは自分がオペレーターだとかそういう問題じゃない。

世界を敵に回して無事に済むはずがない。自分がついて行ったところでどうにかなるものでもないだろう。

 

「……でも…来ないなら仕方がない。正しい判断だ」

 

「い、いや…そういう事じゃ…」

ダメだ、この話の流れは。もう説得タイムは終わったという雰囲気になっている。

なんでもう話は終わりですみたいな空気を出すんだ。

 

そんなに簡単に諦められるほど自分は軽い存在なのか?

頭に嫌な疑問が広がっていく。

 

「その時はこれまでに稼いだ金は全部置いていく。この前話していた…スイーツ専門店でも始めればいいさ。この街で一番デカい店を作れるだろ」

 

(違う!確かにそんな店を経営出来たら楽しいだろう……)

 

「………やらなきゃならねぇんだ…力があるなら…」

 

(でも…お前がいなきゃダメなんだ…お前がいたからそんな未来があったらいいと思えたんだ)

セレンは自覚していた。

16にして人生に希望を持てず自分を見つけられずに迷子になっていた日々から、明日を楽しみにして寝れるようになったのは他でもない目の前のガロアがそばにいてくれたからだと。

ガロアの為だけではない。きっとそんなガロアがいなくなればまた自分はダメになってしまう。

ガロアが死ぬのも嫌だ、自分がダメになるのも嫌だ、ガロアが自分のそばからいなくなるのも嫌だ。

駄々っ子のようにワガママが頭を埋めていきこんがらがってくる。そしてパンクした頭のせいで、ガロアが発した言葉は耳に入っても理解は出来ていなかった。

 

「まぁ…何か追及されても頑張ってしらをきってくれ」

 

「ぐ…ちょっと出かけてくる」

 

「?どこに?」

 

「甘い物でも食べてくる。夕飯には帰る。今日は、きょ、今日は炒飯が食べたい」

 

「分かった…いってらっしゃい…?」

 

ぽかんとしているガロアを置いて外に出る。

考える時間が必要だった。

今までもそうだったが、こういう時に止めてもまず聞く耳を持たない。

殴っても蹴っても投げても…噛みついても止められないだろう。

だとすると自分はついて行くべきなのだろうか。

そこが極寒の凍土でも水が枯れた砂漠でも着いて来いと言われれば行く。

だがガロアが今から行こうとしている場所はさらに過酷な戦場なのだ。

ミッションもクソも無い。全てのミッションを一遍に受けて戦うのと同じだ。

 

「どうすりゃいいんだ…」

暴力でも説得でも止まらない。身体をやると言っても受け取ってくれない。

なんでなんだ。戦いをやめてずっと一緒にいよう、それではダメなのか。

なんなんだ、今までよりも過酷な戦場に行くから着いてきてくれって。そんなんで着いてくる女がいると思っているのか。

もう見ているしかないのだろうか。何となく周りを見渡すと、一件の店が目に入る。

 

いかがわしいポスターには悩ましげなポーズをとった女性の姿があり、

開けっ放しのドアからは子供は使い道が想像も出来ないような…いわゆる大人のオモチャや十八歳未満は見る事すら出来ない本が置かれていた。

どこの街でもある程度発展すればすぐに出来てしまうその道の専門店だった。

 

(そういえば…教育を受けなくてもああいうのは目に入るもんだ)

 

(ガロアは…ああいう店には行かないのだろうか。…図書館以外に行かないのか)

 

(興味が無いのかな…。それとも私には魅力がないのか…)

セレンに魅力がないわけでも、ガロアが女性に興味が無いわけでもない。

ただガロアは今、常に命を脅かし脅かされるようなこともないこの街で、戦っていない時は本人なりにゆったりと普通の生活を楽しんでいるだけだ。

ホワイトグリントも倒したガロアにはようやくそんな余裕も出来ていた。………というのに。

 

「セレン…?何をやっているの…?あんな店をじっと見て…」

 

「どわっ!!?」

十八歳未満お断りの店に入る勇気も無い高校生男子のようにずっと眺めていたセレンの背後から突然声がかけられ、セレンは口から心臓が発射されるかと思った。

 

「……?」

 

「ななな、なんだ…メイか…後ろからいきなり声をかけないでくれ…間違えて撃ってしまいそうだ」

 

「昔そんな漫画の主人公いたよね。…暇なら付き合ってくれない?」

 

「はぁ?…はぁ。うん、いいぞ」

 

 

誘ってすぐにフラリとついてきたセレンだが、それが男…いや他の人物ならば着いてくるどころか話すら通じないことをよく知っている。

自分勝手なガロアに対し先日ちょっと怒っていたメイだが、セレンも同じくらい自分の事しか考えていないことを知っているのだ。

この辺では一番美味しいはずのマカロンを食べながら上の空なのは多分。

 

「まーたガロア君のことを考えているの?」

 

「…?どうして分かる?」

 

「あなたが悩んでいるときはいつもガロア君のこと」

 

「……」

 

(本当に分かりやすいったらない)

図星なのを全く隠し切れずに明後日の方向に目を向けている。

しかし、ガロアの事を考えていたとしてそれがなんであんな場所をじっと見ることになるのだろうか。よく分からない。

単純そのものの性格だが、突飛なところもあるのが付き合っていて面白い。

 

「他に考えることは無いの?」

 

「私は…ガロアのオペレーターだし…」

 

(答になってなさ過ぎて笑うしか…)

こんな美人がずっと一人の男の事を考えているのはもったいないと思うが、それはそれでお伽噺のように美しいことだとも思える。

ダメな男に惚れる美人と言うのはいつの時代もいるものだが、そういうのとはまた違うし、暴力で逃げられないようにして依存させ、縛りつけられている訳でもない。

ただただあのガロア・A・ヴェデットが制御不能な存在で、セレンがその背中を追いかけているだけだ。

本来なら、あんな年齢から一緒にいるのだからうまく立ち回れば自分に依存させて離れないようにもできたはずだ。

それこそ女の夢と言ってもいい、一から自分の好きなように教育して自分しか見ない男に。

どっちがダメというかどっちもダメだ。

 

「ガロア君、あの時…口は悪いけど…私を死なせないようにしたのよね」

 

「うん?ああ…それは…そうだろうな」

セレンにはその言葉に思うところがあった。

あまり多くは無いが、思い返してみればガロアはほとんどの共同作戦で味方の命を救う様な事をしているのだ。

それが本来のガロアの姿だとセレンは信じたいが…。

 

「お礼を言っておいて。どうせ私が言っても適当に流されるだけだと思うし」

 

「…そうだな…最近分かったが…あいつは相当捻くれているからな…。分かった。伝えておこう」

 

「捻くれている…そうね。あのままだとガロア君がいずれ死んじゃうね。ちゃんと止めるか、協力しないと。どちらにしろ、一緒にいないと」

何よりも、ずっと一緒にいることがセレンの為にもガロアの為にもなるだろう。

 

「……!!」

その言葉を聞いてセレンは見るのも痛々しい悲愴な顔をしていた。

 

「ねぇ」

 

「ん?」

 

「好きだって言いなよ。ガロア君に」

自分の事を考えると、ある異性のことが浮かぶ。頭からずっと離れない。

それが自分の幸せだと言うのならば、それこそが恋なのだろう。自分の事しか考えていないはずなのにそれがガロアの事になっているのだから。

こういうタイプはとにかく一歩前に出ないと何も始まりやしない。

あの少年が何一つない子供からあそこまでの力を得る為に何を捨てたかなんて考えるまでもない。そんな細やかな気付きが出来る心があるとは思えないのだ。

 

「なぁ、んばな、何を言っている?!」

 

「違うの?」

 

「おままま、お前、私はガロアがこんなに小さな頃から一緒にいるんだぞ!?保護者だぞ、私は」

立ち上がって胸のあたりの高さで手をひらひらと振るセレン。

大げさだなぁとメイは思ったがそれは事実だった。

この三年間でガロアは実に50cm近く身長を伸ばしており、遅れてきた成長期とは言えそれでもその成長曲線は異常と言う他なかった。

そんなガロアの成長にセレンの頭がついて行けないのも無理はない。

 

(オペレーターって言っておきながら…これ以上はおせっかい…なのかなぁ)

 

実は好き合っているセレンとガロアだが、普通の恋とは違い精神的な部分で超えるべき壁が多すぎる。

ガロアもセレンも成長しなければならないのだ。

 

一生このままなのかな、面白いからそれはそれでいいけど、と思いながらあたふたするセレンをさらにからかうメイであった。




純正ドSお嬢様のシャミアと枯れ系おじさんのド・スの登場です。
彼らの存在自体は、大分前に書かれていましたが登場がかなり遅れました。
この二人の関係、好きですね~





次はいよいよガロア君がラインアークに行きます。
次話のタイトルは『対峙』なのですが…
彼はラインアークで何を見るのでしょうか。

虐殺ルートの序盤で彼の心を徹底的に破壊したものを彼はこれから見ることになります。
一体何と『対峙』するのでしょう?

それはガロア君にとって一番大切で一番恐ろしいものです。


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対峙

「鍵」の存在は確かに確認された。

そしてその取引…企業との交渉の要である鍵の譲渡との引き換えにガロア・A・ヴェデット含むORCA旅団のラインアークへの移籍の交渉は、

ホワイトグリントを倒したガロアがすることになった。

企業やORCAが仲介することなく、ラインアークを窮地に追いやったガロア本人が交渉すると言う子供でも分かりやすい物だった。

ホワイトグリントを持たないラインアークは最早その交渉の要求を拒むことは出来なかった。

交渉の場に立つための要求の一つとして、互いに武装解除する事があった。ネクストの持ち込みは勿論、交渉の場に爆竹の一つでも持ち込むことは許されない。

ORCA旅団長マクシミリアン・テルミドールとラインアークからの恨みを一身に負うガロア・A・ヴェデットを乗せてヘリは飛ぶ。

 

工事現場のような場所でヘリから降りたガロアを迎えたのは無数の敵意だった。そういえば交渉の場の人数制限はしていない。

交渉人と思われる男がこちらに歩いてくる後ろで恐らくは兵だと思われる人間たち、全てがガロアに憎しみの籠った視線を向けていた。

 

(俺の行動の…結果か…)

歩いてくる男は一見してそれなりの地位にあると分かる様な格好で、堂々と歩いてきているようにも見えるが後ろにこれだけぞろぞろ味方を引きつれていては虚勢にしか見えない。

 

「首長のブロック・セラノです」

差し出された右手を見るが、その手には敬意などは微塵も存在していない。

丁寧な言葉で包まれているが声にも敵意が溢れかえっている。

 

「ガロア・アルメニア・ヴェデットだ」

ピリッ、とその声が届く範囲にいた者の雰囲気が変わったのを感じる。

 

(信じられるか)

首長と名乗った男に右手を差し出し、その手が触れた瞬間

 

「!!」

左手を首長の懐に突っ込むと出てきたのはライターだった。

だがその奇妙な装飾のついたライターを空に向けて火を付けると弾丸が発射される。

護身用に作られた仕込み銃に違いなかった。

 

「おっと…いかんなぁ首長。交渉の条件忘れたのか?」

隙あらば自分を殺そうとしていたのか、あるいは首長ともなれば当然なのかもしれないが、自衛の為か。

だがどちらにせよ正真正銘非武装で来た自分とテルミドールに対してラインアークの答はこれ。

もっとも……自分は人を殺すのに……

 

武器などいらないが。

 

「失礼な!何をして」

 

「黙れ。大物ぶるな、さえずるな。そんなもん、ラップよりも防御力ねえんだ…!」

盾にするように首長を自分の前に持ってきて周囲に見える様に口に銃口を突っ込む。

周囲の敵意が膨れ上がり明らかに殺意さえ抱いている者さえいる。

 

「首長だか社長だか知らんが…俺が全力で殴ればまぁ死ぬぞ。普通は立場がアレだから出会わんのだろうが、もう目の前に立っちまった」

 

「は…、はが…」

 

「意味ないだろ。法律も倫理も。……立場も。庇護が消えたら我が身のみだ。消えた。負けたからな」

 

「貴様、何をしているのか分かっているのか!?」

テルミドールは金切り声をあげるが既に後の祭りだ。

一度転がってしまったものを止めるのはただ留め続けるよりはるかに難しく、そして元に戻すのは不可能に近い。

 

「お前は」

 

「…!…!」

カチャカチャと首長の口の中でライターを歯に当ててイライラしながらテルミドールに言葉をぶつけていく。

 

「なんなんだよ………仮にも戦士なら勝者と敗者の間に割って入る真似は恥じろ。負けてもいない相手に貪られる屈辱を与えるつもりか?」

 

「何を言っているんだ貴様」

 

「いたよ昔。勝手に俺の森に入ってきて、どうしようもなく腹が減ったからって俺が仕留めた獲物を持っていった奴。それとは全然関係なく死んだけどな、そいつ。弱かったからな」

 

「…!!」

 

「お前はその土俵に入っていないだろ。消え失せろ」

 

「く…、う」

テルミドールはガロアが何を言っているのか半分も理解できていなかった。

ただ、その『土俵に入っていない』という言葉だけが刺さった。自分の強さを疑ったことは無い。

だがあの時、あの勝負だけは、まともにやっていないということは今、自分が普通に生きていることが証明になってしまっている。

それでも薄汚れた策士でなく、戦士でありたいなら……テルミドールは沈黙するしか無かった。

 

交渉は開始1秒で決裂した。

それが分かった者から順々に懐から銃や武器を抜いてくる。

 

「まぁ、普通探らねーもんな。懐なんて。ああは言っても」

ガロアに向けられる銃はそのままほとんど自分にも向けられていることに気が付いている首長はガタガタ震えながらガロアの目を見てくる。

全てガロアの言う通りだった。普通は相手の懐を探らない。これから受け入れてもらおうとしているのにそうするのは『あなたを信用していないのです』と言っているようなものだ。

気の短い国家だったら即開戦である。『武器を持つな』というのは『信用しろ』という意味だったのにラインアークはそれを逆手に取った。…いや、取ろうとした。

最初からどっちも信用していないのだ。

 

「あるいは…企業ほどデカくないから下に見たか?分かってんのか?現実が。お前らを照らす太陽は………俺に食われたってことが」

首長の口に銃を突っ込み人の輪の中へ歩いて行きながら大きく息を吸い込む。

オーバードブーストを起動するような空気の音がガロアの喉から漏れた。

 

 

 

「聞こえてねえ奴がいるみてえだからもう一度言ってやる!!俺が!!このガロア・アルメニア・ヴェデットが!!真っ黒なネクストに乗って!!ホワイトグリントをぶっ壊して!!お前らを追い込んだ!!怖いか!!悔しいか!!恨め!!憎しめ!!怒れ!!本当に俺を殺したいくらい恨んでいるのなら!!俺がやったように殺してみせろ!!!」

 

腹がビリビリと震えた。首長の耳がつぶれる程の大声で叫び、この場所の隅々まで声を響き渡らせる。

今一つ何が何だか理解できていなかった者達もようやく自分がどういう人物で何をしに来たか分かったらしい。

魂が凡そ耐えきれないのではと思う程の質量を持った憎しみの視線がガロアに刺さる。

 

「…実に……」

そんな血液が沸騰しそうなほどの憎悪を目を閉じながら感じ、丸飲みして味わうようにしていたガロアだが、感情に異物が混じっていることに気が付き、

半ば首長を引き摺る様にして歩き一人だけ違う感情を見せる男の前に立つ。

 

まだ年は20歳になったばかりくらいだろうか。あどけなさが残る白く滑らかな肌をした顔には緑色の目が静かな感情を奏でて浮かび、黒に近い茶髪がより落ち着きを見せている。

こんな状況の中でも落ち着いて煙草を吸っているというのも異常だが、なによりも荷箱の上に座るその大人しそうな男が纏う静謐な空気には覚えがあった。

レッドラムのリンクスに仇だと言われた時の自分と同じ空気、同じ表情であった。

 

「俺は戦いの中で生まれた。大体それで終わりだ。あとは生きようとしたら戦っていた。戦って、戦ううちに、戦っている俺が俺なのか、平々凡々としている俺が俺なのか分からなくなっちまったっ…!」

首長の耳元で早口のように呟いたガロアは次の言葉を大きく、ゆっくりと口にした。

 

「なぁ、アナトリアの傭兵。……嫌われているな、流石に…死神に」

 

「「なっ!!?」」

テルミドールと首長は同時に驚き声をあげる。ガロアの言葉を聞いていた周囲の者も同様に信じられないといった目で自分とその男を見る。

まずばれるはずがない、と首長は思っていた。

アナトリアの傭兵…マグナスは極端にメディアへの露出を嫌い、アナトリアの傭兵の声ですら知る人物は少なく、

ラインアーク全体でもマグナス・バッティ・カーチスがどのような人物かを知る者は軍関係者を入れても50人程度であり、

民間人はまずどのような見た目をしているかも知らないからだ。

 

テルミドールも周りの人物も驚くのには理由があった。国家解体戦争以前からレイヴンとして活躍していたことを考えればアナトリアの傭兵はどう考えても40歳を超えているはずなのに、

まだ20そこそこに見えるこの男がマグナスと呼ばれ、呼ばれた方も否定していないことに驚いていたのだ。

今はもう前線で活躍しているのはマグナス一人だろうし、これから作られることもないだろう。

ノーマルACをさらに上手く強力に扱う為に改造された強化人間と呼ばれる物の生き残りだった。

強化人間に老いは無い。

20歳前後の容姿で成長、または老化が止まってしまい、戦闘に最も適応した年齢の期間が長くなる。その代わり老後は存在しない。

しっかりと医療機関で定期健診を受けていれば普通に100歳以上まで生きられるこの時代で、個人差はあるが50手前から60前後で老衰も無く、つい昨日まで戦っていた者でもぱったりと死ぬ。それが強化人間だ。

 

 

男の周りにいた人物が一斉に拳銃を抜きガロアに向けるのを、その男はそっと手をあげてやめさせた。

 

「強化人間か、貴様…哀れな旧世代の遺物が」

首長をバスケットボールのように遠くに放り投げて言葉を吐きだし銃を構える。

 

「……」

 

「いつっ、いつまでもっ、この世にしがみ付きやがって、俺がっ引導を渡して、やる」

マグナスは何も言わずにただガロアを静かに見つめている。

なんだその目は、なんだその目は、と怒りとどす黒い感情がガロアの中にぶくぶくと湧いてくる。

 

「俺がなぜ、きさま、の前まで、力をつけ…て、来たか…わかるか」

ピキピキ、と何かにひびが入る様な音がガロアの頭に響いていた。

 

「貴様の守る全てを」

ガロアの中に棲みついた純粋な暴力の塊の怪物、あるいは神が声をかけてくる。

 

(皆殺しにするためだ)

その言葉は口から出なかった。

代わりに幼い姿のガロアが心の内で、かつて誓った姿そのままで呟いていた。

 

「お前だけが、お前だけが、お前だけが!!」

見渡す限りの人間全てが敵。自分はただ一人。どうしてなのだろう。

この男こそが世界をメチャクチャにした原因だというのに。誰も分かっていないのだろうか。

 

「がっ!!、あっ、か!…ふっ、うっ」

ピキピキという音が鳴り止まなかった。

 

 

その場にいる全ての人間はガロアが変貌していくその姿から目が離せなかった。

そして、後に『今までの人生で一番怖かったことは?』と訊かれれば全員がこの瞬間をあげるだろう。

 

あの穏やかな顔をした茶髪の少年がホワイトグリントのリンクスなのだと知って、誰もがある意味で納得していた。

分かりやすい。あの白いネクストに、守護神に乗るのならばこういう優しげで静かな空気を纏った男だろうと。

 

だがあの暴力の権化のような黒いネクストのリンクスだと名乗った男は、ただでさえ危険を示すような赤い髪に感情の分からない灰色の目をした険しい顔つきの大男だったのに、

目があちこちに飛んでぴくぴくと震えながら肌がどんどんと赤く赤く染まり完全に化け物となった。

 

一目見ただけで彼我の戦力差を把握してしまい絶対に勝てないと分かる生き物の存在を、その場にいた人間は言葉も無く理解した。

この男はネクストなど無くても人を紙のように引き裂き殺すだけの力があるということを。

 

 

「おまっ、え、俺のなんじゅぶ、倍、ひところしって、こんなことしブッ、グッ」

加速した心臓が急速に体温を上昇させ、細かな動作が出来なくなり、呂律が回らなくなる。

口の端から泡となった唾液が正気とともに垂れて消えてゆく。

脳の設けたリミッターが壊れ、理性が霞んでいき本能だけが残る。

 

「……」

 

いつからか。ガロアは自分の最強を疑わなくなった。

カラードのランクも他人の評価も全く気にしておらず、ただ最強の自分が一人いた。

実際、己が肉体のみで挑みガロアに勝てる人間はこの世界に存在しない。完全に開花したのだ。

 

なのになぜ、ガロアは目の前のマグナスに手が出せないのか。

少しでも攻撃を…いや、マグナスが刃物に手をかけただけでもガロアの最後の理性は決壊し攻撃に移れる。

 

だが、マグナスはただ静かにガロアを見るのみ。

 

 

「強化、人間のくせに、たたかっうための、いきもののくせに」

何故だ。上り詰めたはずだ。この男の強さまで。そして凌駕したのだ。

 

打ちのめした!!勝利した!!叩っ斬った!!食らい尽くし君臨した!!

 

なのにどうしてこの男にだけ銃を抜いてくれる人間が?

 

自分が力に全てを捧げて、振りまわされてきたのに対し、この男は制御し手に入れているのか。

手に入れているのだ。何を語ることも出来なくなった犠牲者たちの上に。

 

「なにもっ、かも…じゃまだ」

さぁ、今すぐ周りの雑魚どもを消して、もう一度俺とお前だけで決着をつけよう。

抵抗しろ。泣き叫べ。刃物を使え。銃を使っても構わない。

 

素手でバラバラにしてやる。

 

「……」

マグナスはただ沈黙を続けている。

 

 

 

 

怪物から放たれる怒りと嫉妬の炎が南国にあるラインアークの気温を急激に上昇させる………幻覚。

幻覚だ。温度計は32度だった。海から吹く風のおかげでそう悪くはない、気持ちのいい汗をかける。

だがその場にいる全員が肌が焦げる程熱いと感じてしまっていたのならば、それは幻覚なのだろうか。

ガロアの中で渦巻く感情が、それぞれの現実をも侵食し始めていた。

 

 

「フィオナ!行くな」

ガロア・アルメニア・ヴェデットと名乗った少年がマグナスに銃を突きつけ恐ろしい怪物に変わっていくのを見て思わず駆け出しそうになったところをジョシュアが止める。

 

「ジョシュア…」

 

「来るべき物が来たんだ…ここであの少年を殺すのは容易い…だが…見ているんだ」

マグナスよりも年が下なのに明らかに年を食っていることが分かるその顔の皺を深めてジョシュアは呟く。

ここであの恨みの化け物の少年が殺されても、逆にあの少年がマグナスを殺してもそれが終わりの始まりになるとジョシュアはどこかで理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ラインアークの、リンクス、戦争のっ、英雄、英雄!!」

 

「……」

 

「いいさ、好きなだけ守れば…王は何もかっ、もに平等な貴き暴力だ」

 

「……」

 

「俺には、もう…誰も」

 

(違う、ある)

意識を現実に引き戻すような激しい頭痛がした。

言いかけてガロアは今一度我が身を振り返る。

 

 

初めてその人にあった日から、いつの間にか中身に隙間が出来て入ってきた。

心に、生活に。最初は10パーセントくらいだったか。

 

だがそれでも多い。

自分の為に力を付けるつもりが、一日に十回頑張ろうと思ったらそのうち一回はセレンの期待に応えたいと思うようになっていたのだ。

 

今はどれくらいあの人が自分の心にいるのだろうか。

ずっと考えている気がする。ああ、こんな時でさえも。

 

細かな血管が弾けて鼻から血が吹き出た。

 

(殺して、何も無かったって思っただろ)

ここでこの男を殺せば…自分には分かる。

セレンは責めやしない。それでも、きっと悲しむのだろうと。

自分が傷つけばあの人も傷つき怒る。同じだ。この男の周りにいる者達と。

たった一人だけでもいてくれたのだ。自分の身を心から案じてくれる存在が。

 

「おっ、ぐっ、俺にだっで、守りたい人くらい、いる。い゙るんだ」

もう自分でも何が起きて何を言っているのか分からなかった。

ここに来て、この場面で、この男の前でガロアは泣いていたのだ。文字通り、顔を真っ赤にして。

鬼が哭いたという表現はまさにこの為にあった。

 

「……。フィオナ」

 

「……!!」

呼ばれて出てきた女性こそがアナトリアの傭兵のパートナー、フィオナ・イェルネフェルトなのだろう。

その手には一辺10cmほどの薄ぼんやりと光る直方体を持っており、恐らくはあれが鍵だ。

鍵と言うよりは情報の記録機、メモリーのようにも見える。となるとエグザウィルの下にあるのはあの直方体から情報を再生する機械なのだろう。

だがそれよりもガロアの頭を揺さぶる光景が目に飛び込み混乱を招く。

 

「こ、こどもがっ、いる、いるのっか」

その大きなお腹はあまり知識の無いガロアでも明らかに中に子供が入っているのだという事が分かった。

あろうことか、それを見た瞬間にガロアは思ったのだ。

アナトリアの傭兵が生きていてよかったと。親がいなくならなくて良かったと。

あのお腹の中の子に、18年前の自分を重ねてしまっていた。

 

 

もうこの時点で、ガロアの心に後に決定的となる崩壊の亀裂は入っていた。

 

 

「何、か月だ」

思わず体調はどうなんだ、栄養状態はどうなんだと聞きそうになり、その反面ラインアークを後がない状況に追い込んだのは自分なのだという事実がガロアを苦しめる。

親がどうだとして、守られる者がどうだとして。これから生まれてくるあの子供には一切の罪がないというのに。

自分がしてきたことの最後の一歩だ。後一押しでこの幸福は壊れる。この拳をあの女の腹に打ち込むことで全て終わりだ。全力を出す必要も無い。

 

「八か月だ」

淡々と答えるマグナスは最初に座った位置から動いておらず、引き金を引けば殺せる状況には変わりない。

この左手の人差し指にもう少し力を加えるだけで全てが終わる。

 

あのお腹の中の子の親を奪うのだ。いつか自分がそうされたように。

 

「うっ、ぐ?ふっ、おま、え…」

食べごろの大きさだ。

あの日のように、この女も引き裂いて赤子を引きずり出し目の前で食ってやればいい。

心の中で残酷さを喰らって大きく育った化物がそう声をかけてくる。

目が充血し映る景色全てが真っ赤になった。これだけ赤ければもう何を殺しても変わりない。

 

「……」

 

「このっ野郎、俺から…親を奪っておいて、親に、なるだと。そんなの、一体っどれだけの人間からお前が、家族を奪ったか分かってんのか」

もう死んでいるだけで。力がなかっただけで。

どれだけの人間がここに立ちお前を撃ちたいと思っているのか分かっているのか。考えたことはあるのか。

なんだその目は。なぜなにも言い訳をしないんだ。

口から出る音にならずとも責め立てる言葉は次々と頭に浮かんでくる。

 

「俺もっ、お前も…そんな幸福を受けられる存在か!!?ゴミみたいに死ぬんだ…!俺と一緒に!!その女も、そのっ、こど、もも…俺は」

アジェイが帰らなくなってからセレンと出会うまで、完全に人として道を踏み外していた四年間。

当たり前のように人を殺して奪い、生肉を食らい血を啜り、あらゆる生き物の心臓を止めてここまで来た。

 

腹を空かせた肉食獣のように喉を鳴らしながらフィオナを睨むと、それだけでフィオナは竦み…そしてマグナスはそのとき初めてピクリと動いた。

自分があと一歩でも前に出れば攻撃してくるだろう。周りにいた男たちもまた一斉に大小さまざまな銃を突きつけてくる。

 

(こいつら、こんなもんで俺を殺せると思ってやがる)

ぱたぱたと地面に垂れていく鼻血と唾液の音が一つずつ理性を消していく。

 

だが同じなのだ。

父はあれだけ強く、ネクストに乗り国を解体し弱い人々を殺すということをしながらも、赤子だった自分を守り育てた。

セレンも自分が傷つけられればその相手がなんであろうと激怒し攻撃するだろう。

 

自分だってそうだ。セレンを殺そうとするものがいるのならば、それが世界であろうとも許さない。クローンだからなんて知ったことではない。リンクスだからって関係ない。

自分はセレンを大切に思っている。それだけが自分にとっての現実で後はクソほどどうでもいい。

 

自分もこの男と、同じになってしまっている。

 

逃げられない。戻れない。人の世界に組みこまれてしまっている。

なんということだろう。せっかく最強になったのに、『人間』になってしまっている。

 

強くなんてなっていないじゃないか!!

 

なら、この手でセレンさえも消してしまえば、もう自分は空に輝く星のように何にも邪魔されないたった独りの最強になれる。

 

「……ぐうっ、ぶ、ぅ…」

そんなことが出来るはずがない。世界の何を壊してどこで誰が死んでも、セレンだけは。

ひとりぼっちになってからあんなに優しく、大事にされたのは初めてだったから。

だからこそ、セレンは今この世界で唯一、自分にとって大切な人なのだ。

 

「殺して殺して…俺はな゙んのた、めに、ここまで来たんだ?」

どうして、あれだけ完膚なきまでに倒したのに。

 

「……」

今でも頭の中に、……こいつと俺のどちらが強いんだ、という疑問が浮かぶのだろうか。

 

「決まっている、お前を殺すためだ」

いつの間にか下がっていた腕をもう一度持ち上げる。

だがその銃口を真っ直ぐとマグナスの額に向けることは出来なかった。銃をあげようとする左手を右手が必死に押さえつけている。

殺意と理性の拮抗だった。むしろ純粋な怒りに取りこまれているよりも身体に悪い。

速まるだけの鼓動ならまだしも、遅くなってまた速くなってと繰り返し、一秒ごとに心臓に強烈な負担がかかる。

頭の中でぷつぷつと小さな血管が切れてじわじわと何かが広がっていくような感覚がする。

 

「……」

 

「殺してやるっ、お前が生きているせいで…俺はずっと…」

大粒の涙が手に零れてマグナスを心配そうに見つめるフィオナの顔ごと視界が歪んでいく。

呼吸が安定せず浅く速く、鼻は液体で塞がってしまい口でみっともなく呼吸をしている。

 

「……」

 

「テメェを殺して…父さんを…お、あ、あぁ?」

いつか夢で見た、赤子の自分を拾って、叫んで走っていた父の姿が何故かこの男と重なる。

殺してどうするのだろう。もうこの世界のどこにもいない父に報告でもするというのか。

 

「……」

 

「う、お、お…お…あ、あ゙あ゙あぁあああぁあ゙あ゙ああああああああああああ!!!」

 

 

 

『関係ない。皆殺しだ』

 

『うるせぇ』

 

ちかちかと頭の中に響く声。

もうどちらが自分なのかも分からなかった。

 

ガロアの身体が今までで一番赤く染まり、心拍数は人生で最高値に到達した。次の瞬間に、周りの人間を全て殺していても不思議では無かった。

 

そして…金属のひしゃげる気味の悪い音が青空の下のラインアークに響き渡った。

 

 

 

「てめぇに…うっ…協力してやる…ぐっ…ラインアークに…ひぐっ…クソ野郎…」

銃を握り潰して血塗れの両手を見ながら呟く。

膝をついて泣きながら絞り出すように、思っている事と逆のことを言っていた。

ああ、いったい自分は何を言っているのだろう。八年間の苦しみをまだ背負うというのか。

 

「絶対に死なせない。お前も、その女も、その子供も」

 

自分の愛した父のあの姿を守るために。

矛盾だらけの頭と行動の中で、その心にだけは嘘偽りがなかった。

 

 

 

(俺たち人殺しの人生なんてもれなくクソまみれのはずだろう?)

その言葉はどうしてか、河原の焚火のそばで赤子の自分を抱えて笑う父の姿と共に浮かんできた。

 

(全然クソじゃない)

人を殺して生きていたはずの父が作ってくれたあの日々はクソなんかじゃなく、値段の付けられない宝だった。

 

 

自分にとって金も名誉も地位もまるで意味がない。

死ぬからだ。懐に腐るほど金を入れた小太りの男も、偉そうなバッヂを襟に沢山つけた禿親父も、チャンピオンベルトを腰に巻いた筋骨隆々の男も、自分の全力のキック一撃で。

昇天するのだ。金もバッヂもベルトもあの世まではついて行かない。

 

ガロアにとって強さとは、死をも恐れずに戦い勝利し、そして生き残ることだった。

故にガロアは強い者にのみ敬意を払い、それがこの世界から死んで消えたとしても心の片隅で覚えている。自分を動かす、絶対の自信の一つとして。あのバックですらも。

だが自分はずっと覚えている。あの日…自分に負けて自爆して消し飛んだあの男も、負けても無様に生きているこの男も。強い、と。

 

強いってなんだ。

この世界には俺の知らない強さがある。

 

結局この男は二言しか言葉を発していない。

俺は負けたのだろうか?少なくとも勝ってはいないだろうな。

 

もうセレンのところへ帰ろう。

何かを言って同情なんかされたくないが、普通に少しの話をして、美味しい物でも作って笑ってもらいたい。

自分は新しい宝を持っている。

 

 

 

 

「…持っていけ」

直方体がテルミドールの手に渡されるのをどこか遠くで見ながら鼻をすする。

まだ涙は止まらない。

 

「いいだろう。ORCA旅団はラインアークに協力する。だが二つ」

 

「……」

 

「ORCAとラインアークは基本的には別の勢力だ。あくまでも傘下では無い。そしてもう一つ」

 

「……」

 

「エグザウィルに一緒に来てもらうぞ、アナトリアの傭兵。貴様しか場所を知らんだろう」

 

「分かった」

 

「ふん…良かっだな゙…話が纏まって…俺は…帰る…」

掌は血塗れなので手の甲で鼻水と涙を拭い踵を返す。

なんでか無性にセレンに会いたかった。早く帰りたい。

美味しい物を作ってあげよう。冷蔵庫にいい感じのチーズと鶏肉があるんだ。

そのあとは一緒にケーキでも食べたい。あまり甘い物は好きじゃないんだが。

 

「待て」

 

「んだよぉお!!!もう!!!」

後ろから声をかけられ半ギレで振り返るとマグナスはタバコを吸いながらのほほんとした顔で立っていた。

いらっときた自分を誰も責められないだろう。

 

「食事をしていかないのか?ラインアークの海産物は絶品だ」

煙草の火を消して灰皿に押しこんで立ち上がるその姿は、まるで今から一緒に行こうとでも言っているようにも見える。

 

「バカなのか?お前は…」

ついさっきまで銃を突き付けていた相手に対してあまりにも気の抜けた一言。

バカなのか、と言いつつも一番のバカは自分のような気がして仕方がないままガロアはヘリに向かった。

 

 

また後日、連絡が来ることになった。

その時、自分はラインアークに移住するのだ。

この世で最も憎んだはずの男が守った場所を守るために。

 

何がどうなっているのか…もう自分でも分からなかった。




マグナス・バッティ・カーチス

身長 169cm 体重 80kg

出身 ???

国家解体戦争以前、最強と呼ばれたレイヴンであり強化人間。
自分がどこの生まれで何の為に生きているかなどまるで興味が無く、植え付けられた強烈な闘争本能の赴くままに戦っていた。
国家解体後も国側で戦っていたのは何かの信念の為では無くまだ見ぬ強敵と戦う為。恐らくは作中で一番純粋に戦いに好かれ戦いを好いた男。

アンジェの駆るオルレアと相打ち死にかけながら彷徨っていたところを、当時16歳のフィオナに助けられる。
何故かは分からないが、その時フィオナに完全メタメタドロドロに一目惚れされる。
しかしマグナスは助けられたことには感謝していたものの子供であるフィオナに全く興味が無く、繰り返されるアプローチを全て無碍にしていた。

だがフィオナの親であり、これまたマグナスを匿ってくれた恩人でもあるイェルネフェルト博士の死、コロニーアナトリアの危機にマグナスは力を貸すことに。

その時にフィオナに「戦わなくていい、戦ってほしくない」と毎日毎日言われ絶対に生きて帰ってくると誓ってネクストに「ルヴニール」と名付けた。

戦っていくうちに、自分をずっと案じて優しくしてくれるフィオナと、生まれて初めて誰かの為に戦っている自分に気が付く。
誰かに優しくされたことも生まれて初めてだったことに気が付き、即座にマグナスはフィオナにプロポーズをしていた。
「うるさい」「あっちにいけ」「お前に興味ない」「消えろ」「寝るから出て行け」
という言葉を合わせて1000回は言われたというのに、「俺と結婚してくれ」の一言でフィオナの全ては吹き飛んだ。
フィオナは一秒でOKしてすぐに寝室に向かった。

その後身体も精神もボロボロになるまで戦い続け、戦友のジョシュア、そしてフィオナとともにアナトリアを去った。
その際アナトリアは未知の兵器で完全に消滅している。

昔は死ぬことなど全く恐れてはいなかったが、今は愛するフィオナと生まれてくる子供の為に何があっても生きて帰るつもりである。

誰かを守り戦うということをしているうちに、味方と呼べる物ができていることにも気が付いたマグナスは、
本能で戦うのではなく理性で考え行動し戦うThinkerになった。

本来は粗暴で自分勝手な性格をしているが、今はそれを感情に流されて表に出さないように抑えている。
それが無表情かつ冷静沈着な彼の性格に繋がり、非常に誤解を生みやすい。
今では常に理性的な判断で物事に当たるが、理性と感情を混ぜない為に、冷たい人間、ずれた人間だと思われることも多々ある。

コロニーアナトリアにおけるジョシュアとの決戦の時には既に大分消耗し憔悴していたが、強化人間の特性のおかげですぐに元気になった。
そもそもの寿命は短いのに変わりはないが。

極悪生命力を支える為に三大欲求全てがブーストされており、常人の五倍は食事をとり、寝ようと思えば24時間寝続けられ、女を10人連続で相手出来る。
レイヴン時代は稼いだ金で食いまくり、女を買いまくっていたので世界一強いレイヴンだったのに一銭たりとも残っていなかった。
老化しないため、今でも性欲お化けのド変態であるが、フィオナが身重であることもあり残念ながら作中でそれが描写されることはないだろう。
改造された身体は非常に筋肉質で、見た目に反して異様な体重がある。

実はガロアが目の前で濃厚な殺気を出して『俺と死ぬまで殺し合おう』という雰囲気と共に挑発してきていたとき、彼も心底うずうずしていた。
10年前だったら喜んで殺し合っていただろう。


趣味
将棋
釣り

好きなもの
戦い
タバコ

マグナスはあらゆる面でガロアの反対…というよりもガロアより成長している人間です。
ちゃっかり生きていました。



ガロアは強くなったのでしょうか。

前までのガロアはこのフィオナの姿を見ただけで勝手に自壊していました。
今は自分にも大切な存在がいて、その人も自分を思ってくれていると気が付いていることがぎりぎりガロアを支えてくれています。

ガロアの感情に呼応して身体のリミッターは外れて主に心臓の動きを中心に強化されますが、もちろん無事では済みません。
心臓はそれだけボロボロになるし、記憶の混濁や理性の消失と共に幻覚が見えるなど…。
力には当然代償が伴うのです。

それ自体ガロアが望んだものではなかったのですが……。



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戦う道

「で?上手いこと行かなかったらどうするって?」

 

「そのままお前たちの敵に回るだけだ」

 

「……」

 

「ほぅ…わざわざ家に上がり込んでそんな言葉を使うとは相当に自信家か?」

机の上のティーカップを正しい姿勢で口に運ぶウィンにこめかみに怒りを浮かび上がらせながらメンチを切っているセレンを見て背中が冷える。

セレンもケンカ腰なのはどうかと思うが、ウィンもかなり横柄な態度なのではないか。

そもそもこの家のコンピューターに連絡を寄越すという事自体が何かおかしいのだ。各々にメールでも送ればいいものの何故ORCAの連中はこの家で待っておけなどと言ったのだろうか。

 

「もしくはって……お前…、まぁ…セレンは強いからやめておけ。俺はこの人に教わったんだ」

 

「なに?」

その言葉にウィンがぴくっと反応したことに対してセレンもさらに鼻息荒く突っかかっていこうとするのを押えているとコンピューターに連絡が入る。

 

「来たか」

 

「開くぞ?」

まあ許可をとるまでも無い。

この家の住人は自分なのだから自分が開くことになんの不思議も無いはずだ。

 

『私は副旅団長のメルツェル。今から作戦を説明するがその前に今回得た情報を聞いてほしい』

 

「何か収穫はあったのか?」

 

『ガロア・A・ヴェデット。まずは君に礼を言わなければならない。ありがとう』

 

「なんだよ急に…」

テロ組織の手伝いをしていて『ありがとう』なんて、遠すぎる言葉ではないか?もしくはそう思いこんでいるだけか。

 

『非常に有意義な情報を入手し、我々の作戦は大幅に修正されることとなった。まずはアサルトセルの性質についてだ』

 

「……」

画面につぎつぎと図面らしきものが開かれていくがそれだけではイマイチよく分からない。

 

『どの企業も差はあるが大体13000m以上に達した物体の真上を取りレールガンで攻撃するようになっている。真上からでなければ攻撃精度が著しく低下するからだ』

 

「そういえば普段は見えないよな?」

 

『その通りだ。攻撃対象となりうるものが地上から高度12000m以上にない場合は太陽光からのエネルギーを用いて光学迷彩で見えないようになっている』

 

「それで?」

 

『ここからが新しく分かったことだ。まずアサルトセルは攻撃圏内に二つ以上の物体がある場合、表面積の大きなものから攻撃していく』

 

「宇宙開発を阻止するためなら当たり前だな」

 

『そうだ。次にアサルトセルは自傷行為を避ける。何かにぶつかったり、攻撃を受けに行くような真似はしない』

 

「まだ他にあるのか」

 

『そして、一機では破壊できない物には集まってくる性質がある。その速度は時速2000km、平均的なネクストを上回る』

 

「つまりネクストではどうしようも無いという事か?ならばどうする」

ウィンの言葉通り、オーバードブーストでも2000km出るネクストは中々いないというのにそんな物をどうするというのだろう。

新しい情報とやらを手に入れてむしろどうしようもなくなった気がする。

 

『まあ待て。そもそもネクストの攻撃力程度ではデブリになってしまい結局意味がないのだ。この図を見てほしい』

 

「世界地図…か?」

セレンがぼやくが世界地図にしか見えないその図の上には点々と赤い光点が集まる箇所がいくつかある。

 

『アサルトセルはユーラシア大陸・アフリカ大陸・北アメリカ大陸・南アメリカ大陸・オーストラリア大陸・南極大陸の上に主に陣取っている。このことから我々は別の作戦を立案した』

 

「聞かせてみろ」

 

『ガロア・A・ヴェデット。クレイドル21を知っているな?建造中の』

 

「どうせあの作戦、あんたらが裏にいたんだろう?」

ミッションを思い返しても、あのミッションだけは本当になんだったんだとしか言えない。

自分にあれを見せるためだけに自律型ネクストを使い捨てにしたのは…もったいない気がする。

 

「な、聞いていないぞ!!それは本当か!?貴様!!ガロア!!」

 

「知らん知らん、なんも知らんって」

 

『謝罪は後でさせてもらう。エーレンベルクは知っているか?』

 

「…レイレナードの衛星軌道掃射砲か。それがどうした」

ぎゃーぎゃーと(主にセレンが始めた)ケンカをする二人を放っておいてウィンが話を進める。

 

『現在我々は全世界にエーレンベルクのある基地を七基所有している。大体一つの基地に三基はエーレンベルクがあり、その威力ならばクレイドルごと跡形も無くアサルトセルを焼き払える』

 

「それが分かっているからこそ私は貴様らと敵対するつもりだったのだ。どうするつもりか聞かせてもらおう」

 

『新造建築されたクレイドル21は現在六機空に浮かんでおり、まだ人が住んでいない。クレイドルはそのほとんどが居住区であり、メインエンジンが破壊されたり分断されない限りは墜落も無い』

 

「そうか!!クレイドル21を使って」

頬をぎちぎちとつねってくるセレンを押しのけながらガロアが言う。

セレンの気を逸らそうとしたが、ダメだった。最近あちこちに行っては悪い連中と付き合い始めたガロアに対しての怒りは収まらなかった。

 

『その通りだ。6つの大陸の上にクレイドル21を長時間浮かせていればアサルトセルは自ずとその上に集まってくる。そこを焼き払えばわざわざクレイドルを地上に降ろさずとも…』

 

「すげぇ、いけるんじゃないかそれ」

 

『ただし問題がある。企業からクレイドルの操作手段、つまりアルテリアを奪うか貰うかしなければならない訳だが当然奴らは認めない。アサルトセルを隠すために国をひっくり返した連中だからな。

一応、パイプを使って何人かに打診したがけんもほろろだ。そんな大規模な作戦が人々に隠せるはずも無いからな。間違いなく戦いになる』

 

「……」

 

「戦い!ほら、戦いって!コラ!!」

腕を押えられたセレンがガロアの耳元で叫ぶ。

ガロアはセレンが言いたいことは十分分かっていたがとりあえず黙っていた。

 

『もう一つは、先ほど話したクレイドルの耐久力だ。クレイドル21を手に入れた後、メインエンジンをアサルトセルのレールガンに…少なくとも三時間は耐えれる耐久力が欲しい。

その為の工事をするとなるとラインアーク、ORCA旅団の全技術者を動員しても一か月は最低かかる。つまりアルテリアを破壊では無く、奪取し守る…長期戦になる』

 

「戦力的にはどうなると考えている?」

 

『ウィン・D・ファンション。もしお前がこちらにつくとしても後リンクス三人は欲しいところだ。それも企業連から引き抜ければ向こうの戦力は下がり一石二鳥だ』

 

「……」

 

『もう一度最初から説明する。アルテリアを奪取し、クレイドル21の耐久力を構築する間は防衛する。その間にクラニアムから余剰エネルギーを衛星軌道掃射砲に回していく。

さらにその後、クレイドル21の高度を上げてアサルトセルの攻撃に晒させるわけだが、その状態になったら最低六機のネクストに大気圏まで上がってもらい、

アサルトセルを包囲するように電磁バリアを張ってもらいたい。電磁バリアと言っても大したものではない。農家の害獣よけの電気柵のような物を周囲に囲むように設置してもらうだけだ。

そうしてアサルトセルが逃げれなくなったところを一気に焼き払う。また掃射する際は一基の掃射砲で真下から撃つよりも、

数基で斜めから発射して交差する点にアサルトセルが位置するようにした方がより効果的だ。デブリすら残さずに消滅させるためにはむしろ必須だと言える。

急ぎ、クレイドルを新しく建築すれば汚染が地球を食らい尽くす前に全人類はクレイドルに上がれるはずだ。その後は宇宙開発に移るわけだが…それ以降の事は今は置いておこう』

 

「それだけか?…悪くは無いが、危い作戦だ。一つも負けられん」

オペレーターとしてやってきた頭でチンチンガシャガシャと勝率を計算したうえなのだろう、セレンは苦い顔をする。

 

『そうだな。後は民衆の支持が欲しい。今回様々な企業の闇が露見した。例えばオーメルだが…人道支援の名の元に極貧国にパンを無償提供していた。するとどうなる?』

 

「…その国のパンが売れなくなるわな」

急に話がミクロになってきた。ガロアは話の高低差に一瞬くらりとした。

それだけ企業という物が大きなことまで小さなことまで関わっているからだろう。

 

『そうだ。さらに公共事業と言って給与の良い仕事を用意した。すると小麦農家は馬鹿らしくなり、小麦の生産をやめたんだ。その土地をオーメルは高値で買い取った』

 

「それで公共事業は撤退か?」

 

『鋭いな、ガロア・A・ヴェデット。こうして自分達の土地となった農地で二束三文の給与で農夫を一日中働かせて民は餓え、オーメルは潤った。…オーメルを例に挙げたがどの企業も似たようなものだ。

BFFなんかは旧アフガニスタンのテロリストに裏で武器を回しておきながらワザと戦争を起こしたなんて話もある。…そもそもORCAが裏仕事を請け負う代わりにオーメルから資金援助を受けていた事さえある』

 

「ふーん…分かっちゃいたけど…腐っているな…どこもかしこも…」

 

『証拠は挙がっている。電撃戦でアルテリアを奪う間、どこかでこれらの事実を暴露し企業の求心力を落とす。その際にラインアークに主導に立ってもらい今回の作戦を人々に説明する。本来はレイレナードにもこういう闇はあり、他企業にも掴まれていたのだろう。お互いの秘密を秘匿するという暗黙の了解の元、これらの事実は葬り去られていたのだ。今となってはそのレイレナードも無い。全てを光の下へと晒そう。民主主義がいいとは思ってない…だが、企業の支配がいかに強引な物だったかはもう誰も疑うことは無い』

 

「流石…レイレナードの養成所を首席で出ただけはあるな、メルツェル」

 

『……ふん…どこまで…。だがお前は味方につくのだな?』

 

「…いいだろう。今こそ、企業と手を切るときなのかもしれん」

 

『先日お前はリンクスは企業の捨て駒でなく人だと言ったな。今回のブリーフィングの内容を全てお前の情報端末に送っておいた。それを使ってお前の信用するリンクス…人を説得してみせろ』

 

「…あとは?」

 

『ラインアークの受け入れ状態は既に整っている。八月十日、正午にラインアークに来い。以上だ』

 

ぷつっと通話は途絶えてしまう。

 

「さて…メルツェルは最低あと三人はリンクスが欲しいと言っていた。一人心当たりがある。私はもう行く」

 

「誰だ?」

 

「私の誘いに乗ったのなら…教えよう。ガロア・A・ヴェデット、セレン・ヘイズ。後日、お前たちをある場所に連れていく。私の知る事を全て教える」

 

「…?お前が私の何を知っていると言うんだ?」

 

「そうだな…なぁ、リンクスというのは何人いると思う?この地球に」

 

「……?100…とかか?候補生入れてもそれくらいだろ」

唐突な質問にガロアは全く別のことを考えていた。

今思えば何故この女があんなに強かったのだろうということだった。

普通にしていれば美人だし、なんら文句のつけようもない。見た目じゃないんだな、結局は、とセレンを見て思う。

外見なんてただの器だ。ようは中に何が入っているかだ。そこまで考えて先日のアナトリアの傭兵の事も思いだした。

 

「ウン十億いて100だぞ。それなのに…アレだ、地上に降りて…思ったのは。意外と世間はセマイ、な」

 

「ここはカラードだぞ。リンクスがその辺にいてもおかしくない」

あれ?と言った後に思った。

この女の言う世間というのはそういうことだろうかなと。

 

「お前は化物だ。なんか知らんが唐突に生まれちまった…月くらいの大きさで向かってくる隕石みたいなもんだ。説明は後からいくらでもしようがあるが…とりあえず避けられん。そう思うだろう?」

 

「……。何故それを私に言う?」

化物とか言っちゃって、今の言葉でセレンが突っかかっていくかな…と思ったら少しの沈黙の後に質問返しをしていた。

この世界で一番セレンの事を分かっているのはガロアだろう。だがそれでもガロアはまだまだセレンの事が分かっていない。

 

「だが化物だろうとリンクスだろうと意外と手の平の上だ。神様とかのな」

 

「何言ってんだ?ロマンチストか?」

ガロアが養成所に入ってすぐに聞かされたのはこのウィン・Dのことだった。完全なエリートでリンクスとはかくあるべし、といったように語られていた。

そしていざガロアがリンクスになれば既にランク3という遥かな高みにいた。

だが現実のこの女はいきなり襲い掛かってきたりあっさりテロリストの仲間になろうとしたり神様がどうのと言いだしたりと結構ぶっ飛んでいる。

 

「あのときは…もう二度としないと思ったが…根っこのところは変えられん。あれから考えていたよ。どうすればキめられたかな」

 

(その前にいきなり襲わなければいいだろう)

この意見に関してはまるっきりガロアが正しかった。

運動場か何かで申し込まれればガロアだって普通に相手にしていた。

ガロア自身、そうやって身体を動かす事は嫌いではないから退院してからすぐに運動をしたくなったのだ。だが…

 

「またやろう」

 

「ぜってぇやんねぇよバカかお前は」

どうやらこの女の中では気持ちのいい敗北になっていたらしいが、斬り傷も顔に残ったし警察沙汰になったしでガロアの中ではかなり悪い思い出だった。

 

「ふっ……男は嫌いだが…お前は嫌いだな、特別嫌いだ」

ウィンが来た時にガロアが出した紅茶をクイッと飲み干し背筋を伸ばしたままウィンは出口に向かっていく。

 

「……」

 

「……」

リンクスというのは変な奴ばっかりだ。

ガロアもセレンももうどう反応していいか分からず餌を待つ鯉のように口をぽかんと開けていた。

 

「最悪だが……リリウムのところにお前が行け」

 

「俺?お前が行けよ、なんでリリウムなんだ」

ランク2と言うくらいならそれは強いのだろうが、あの少女がこんなことに巻き込まれていいのだろうか。

百歩譲ってそれでいいとして、何故自分が?

 

「お前…これから間違いなく女関係で苦労するし、それで泣かすようなことがあったらぶん殴ってやる」

ちらりと振り返ったウィンの視線は異様なほど鋭く、この女には負ける要素がないと思っていたはずのガロアは何故かたじろいだ。

そしてそれ以上は何も言わず、ウィンは出て行った。

 

「…フェミニストってやつだろ…つまりいてっ!!」

同意を求めたわけじゃないが、セレンにそう言うと派手にビンタされた。

力はそこまで強く無かったが、どうしてかかなり痛かった。

 

「私はフェミニストでもないし、あの女の味方でもない。だがあの女の言う事は正しい。リリウムが来るにしろ、来ないにしろ…行ってみるべきだ」

 

「……なんで?」

 

「お前が男だからとかは関係ない。教える気も無い。そういう事は…自分で知った方が価値がある。多分な」

 

「……」

教えてくれよ。

その言葉は何故か口から出ずに、パクパクと口を動かすだけに終わった。

自分とあの少女がなんだというのか。

 

『まだそこに誰かおるかね?』

 

「わっ!!」

 

「ぎゃっ!!」

突然声が出たコンピューターよりも、セレンの迫真の声と顔に驚いて情けない悲鳴をあげてしまう。

 

『今日の4時にジェラルド・ジェンドリンという男が中央塔に訪れるはずなんだが』

 

「それがどうしたんだよ」

 

「…ノブリス・オブリージュのリンクスか。随分固い男だと聞く。勧誘は無理だろう…」

 

『ジュリアス・エメリーが会いたがっていたと伝えてくれ』

 

「……?女か?そりゃ」

ジュリアス、と言われたがそれは一般的に男の名前のはずだ。

それともゲイなのだろうか。

 

『そうだ。そう言えば、恐らく来てくれるはずだ』

 

またプツンと切れてしまった。このORCA旅団とやらは言いたいことを一方的に言って終わる奴が多すぎる。

 

「…。じゃあ4時10分前に中央塔の入り口でいいか?セレン」

時計を確認すると現在は9時前。時間は十分にある。

 

「いいだろう。…あまりリリウムを揺さぶってやるなよ」

 

「?…うん」

 

 

外はもうすっかり真夏だった。

カラード管轄外にも小中高、そして大学はある。

夏休みとか言う奴だろう、恐らくはカラードでもいい地位についているであろう者達の子供…お嬢さんお坊ちゃんが車に乗ってガロアの前を通り過ぎていった。

 

(大学に行けって…?無茶言いやがる…)

先ほどの同年代の少年達の中に自分がいるということを想像して、あまりにも似あわな過ぎて一人で噴き出す。

自動販売機で冷たい紅茶を買って一気飲みする。

 

(じゃあどの辺から?)

どの年齢から学校とかに行っていれば無理なく馴染めていたのだろう。

『中学くらいからはちゃんと学校に行こう、ガロア』と父に言われたことを思い出す。

『この森と父さんから離れるならそんなの別にいらない』とは思っていたが。

 

(……あと数年もすればあの子供も学校に……?)

八か月だと言っていたあのアナトリアの傭兵の子供は何事もなければ二か月後にはこの世に生まれて、数年後には学校や幼稚園なんかに行くのだろう。

そして帰ってくるのだろう。家族の元に。父が守る世界と母が守る家に。

 

「……!!」

手にした缶は一瞬で歪な形に握り潰されていた。

そんなこと許せない。だが生まれてくる子供には罪がない。自分がかつては何の罪もなかったのと同じだ。

先ほどのウィンの話がどうという訳では無いが、神がいるならそれは人の悪意をこねくり回して出来ているのだろう。

 

「家族………家族……?」

それはふとした気付きだった。

あの時、自分はどうしてセレンのところに『帰ろう』と思ったんだろう。

今でも自分がセレンと一緒にいて、セレンが自分と一緒にいてくれる理由ってなんなのだろうか。

 

「痛っ、いたい……」

まただ。いつからだろう、頭の中に何度も何度も訳の分からないグロテスクな光景が浮かぶのは。

しかもそれは過去にあったことだ。昔を思いだすなんてレベルじゃない。とんでもない頭痛と共に訪れる。

群発頭痛という病気は知っているが幻覚まではなかったはずだ。

あろうことか、その幻覚は行動を暴力的な方向へ進めようと操ろうとしてくる。

 

(じゃあ俺は俺に勝ったんだ)

もしも思うままに、楽な方にと流れていたら、今頃はあのフィオナ・イェルネフェルトは殺されて細切れにされたアナトリアの傭兵と一緒に海に撒かれている。

それでも自分はまともに生きている。

 

(……でもなんで俺をリリウムのところへ?)

呼吸を落ち着けて頭痛を遠くにやりながら考える。

話せる様になって『年』経っていないのだ。まだ『カ月』しか経っていない。

おしゃべり経験値なんて赤ちゃんといい勝負なのにどうして二人して行けと?

 

(分からない。分からないが…分からないことは教えろ、だけではダメだよな)

そう考える様になったガロアは、ほんの少しだが成長していた。

 

ほとんどアナトリアの傭兵と自分以外に興味がなかった脳みそを動かし思いだしていく。

 

誰でも知っている。ウォルコット家の令嬢で、ウォルコット家はアナトリアの傭兵によって徹底的に壊滅させられた。

さらにこの前調べて分かった。

そしてリリウムは王小龍に引きとられて、事実上ウォルコット家も王小龍の手にある。

王小龍の悪評の根は多々あれどそれはかなり大きい。漁夫の利で全てを手にした男、と。

本当に血縁関係も何も無かったらしい。

 

だがそういうことじゃないはずだ。

結局リリウムは王小龍と一緒にいるし、どう見たってリリウムは王を敬愛し、王はリリウムを大切にしていた。過保護気味だとは思ったが。

 

(……。そうか…俺とお前は同じなのか……だから俺に声をかけたのか?)

全然気にしたことも無かった。そんなこと。どうしてか、なんて。

二人して同じ理由で同じように人生に大打撃を与えられて…このまま自分がカラードを離れればいきなり殺し合うことになるかもしれない。

交わるはずも無かったであろう人生の二人が、たった一人の男の行動によってそうなるなんて。

もしも、それを話に行ってそれで決定的に敵対することになってしまったとしても、やはり理由を知らないよりはましだろう。

同じ道にいた自分と戦う理由が。

 

他の誰でもない、このガロア・A・ヴェデットが選択を与えて答えを出させてやれ、ということだったのかもしれない。

あの二人が自分を行かせたのは。

 

(そうだな。いきなり敵に回って殺したら…なんも分からないまんま死んじまうもんな。知りたいよな)

せっかく話せる様になったのだから……だとしたら、この為に言葉というのを使ってみよう。

 

「リリウム、お前の人生は…あるいは今日…変わるかもな。今行く」

突然に大きく人生が変わる日というのはある。リリウムにとってそれが今日だった。

そしてその切っ掛けは意を決してリリウムのいる場所へと歩きはじめた。

 

でも、自分の意見を言えるのならば、戦いたくないとガロアは思っていた。

綺麗な女の子だから、とかは全く関係なく……ただ単純にそんな結末は悲しすぎるとガロア自身思ったのだ。

 

だが、これからは殺したくない者はもう殺さなくてもいい。

殺したい奴を殺さないことが出来たのだから。

 

 

 

 

………ガロアはまだ気付いていなかった。

自分自身、全く純粋であったはずの頃から普通に残酷で、ここに至るまでに自分の為だけに人を殺してきた存在だということを。

自分の為だけに人を殺す者とは一体なんなのか。それはまだガロアの頭にはない。

 

 

 

 

そういえば飛行機に乗るのは生まれて初めてだった。

誰もいなかったから良かったものの、大きな音を立てながら沢山の人を乗せて飛ぶ飛行機は何故だかとても怖く、隣にセレンでもいたら震えながら手を握りでもしていたかもしれない。

カラード管轄街のあるコロニーベラルーシから南東にあるコロニーウクライナ…の外にある王とリリウムが住むBFFの基地へと行く。

別に距離的には飛行機を使う程でもないのだが、時間短縮のためだ。

 

 

「でけぇ…」

前に自分達が住んでいた家の1000倍くらいの広さがあるのではないかという屋敷に案内される。

門番に『リリウムに会いに来たんだけど』と伝えた途端に銃を突き付けられたのは驚いたが、名を名乗ったら中の者と何やら通信した後に意外にもすぐに通してくれた。

この屋敷も基地も丸ごと、BFFから独立した王の私兵らしい。

一体何がどうなってそうなったのか分からないが、数百年前にこの地で起きた原子力事故のせいで汚染され、

その汚染が無くなっても風評のせいで誰も住む人がいなかったところを王が土地を安く買い上げて基地にしたらしい。

今現在は汚染どころか皮肉なことにこの地球上でも上から三つに入るくらいには安全な場所だとか。

 

 

 

 

 

「…という事だ」

資料を渡して一気に説明したがリリウムは固まったまま動かない。

それはそうだろう。国家解体戦争の原因からリンクス戦争の発端まで遡って話してしまいには宇宙だなんだと話が飛び過ぎだ。

表情は固まったままだが開け放った窓から吹きこむ風がチュニックを揺らしていく。

やっぱり長ズボンとシャツにぼさぼさの髪の自分と違い色々とオシャレだな、なんてあまり関係の無いことが頭に浮かぶ。

 

「…リ、…リリウムにそれを伝えて…どうしようと言うのですか?」

 

「単刀直入に言う。お前の力が必要だから来い」

 

「…!」

予想はしていたのか、そこまで驚きはしなかったが、リリウムは目線と首を別の方へ向ける。

 

「人に答えを求めるな」

小さな頭を掴んでこちらへ向けなおすがその表情は混乱の色が濃い。

 

「で、ですが…」

 

「思うところがあるから爺さんも黙っているんだろ。なぁ?」

リリウムが見た自分の斜め後ろに向かって声を投げかける。

 

「全く…祖父の目の前で孫娘を誘惑するとは…どういう教育を受けたらそうなるのだ」

 

「連れていくな、とも行くなとも言わないんだな?やっぱり」

孫娘、祖父という言葉を聞き心の中で少しだけ笑う。

どうもこの男の評判はよろしくないが、噂では分からないことの方が多い。

そりゃそうだ。少なくとも陰でこそこそ噂をして叩いている者よりは自分の方がこの男の事を知っている。

 

「……」

王は複雑な感情に胸を痛めながらも静かに笑う。

この少年が敵となるかもしれない、といつか思った自分は間違っていなかった。

まさかこんな形でリリウムを連れ去ろうとするとは。

だが、今こそリリウムを自立させるときなのかもしれないと言う直感を信じ、こちらに答えを求めるリリウムの目をあえて無視する。

 

 

 

「そ…そのお話が本当なら…リリウムも、大人も、…ガロア様も?」

 

「死ぬな。全員。でも元々そんなもんだろう?世界は」

 

「え?」

 

「俺の本当の親も、育ててくれた人も…俺を可愛がってくれた人も…死んだ。人は死ぬ。それも驚くほどあっけなくな。あの日が最後の別れなんて、思わなかった」

 

「……」

 

「あっけなくてもなんでも俺にとっては大切な人で…俺は…その度に泣いていたよ。泣くくらいしか出来なかったからな。でも今は違う。力がある。力があるのに、大切な人が死んだとき、どう思うか…」

 

「う、うう…」

ガロアの言葉が一つ一つ、王の保護の下で心の奥底で厳重に封じられてきたトラウマをほじくり返していく。

唐突に何もかもが失われたあの日が。

 

「どうしてあの時、動かなかったんだろう、戦わなかったんだろう…って泣くんだろうな。もしそうなら結局ガキの頃から何も変わっちゃいねぇ。なら俺は戦う。大切な人がいる。今度は死なせない」

 

「ガ、ガロア様の…大切な人…セレン様の事ですか…?」

 

「そうだ」

 

「………ガロア様がおっしゃっている事は…正しいと思います…でも…」

結局自分では決められずに王の方を見てしまう。そんな自分にリリウムは心底嫌気がさしていたが今更そう簡単に変わることなど出来ない。

 

「爺さん」

 

「ふん。リリウムは私の所有物ではない。自分で説得するがよい」

どちらかと言うと親の持つ厳しい優しさからの言葉に聞こえるが、その突き放すような言葉にリリウムは酷く衝撃を受けているようだ。

 

「はぁ…。正直なところ、説得しろと言われてもな…俺の心の内側をそっくり渡せたら楽なのに」

あれこれ言う事を用意していたはずが、親の仇の前で泣き出してしまったという苦い思い出が頭に浮かび、ガロアはまた溜息が出る。

 

「……」

 

「だから思うままに言う事にする。俺は動物を狩って…いや、殺して食ってガキの頃を過ごしてきた。14までな」

 

「え…?あんなところで…?」

 

「?知っているのか?まぁいいや。そうだ、お前の言う通り、『あんなところ』だ。人間が人間らしく生きるのはちょっと無理な環境だった。大体狙うのは子供の動物だった」

 

「……」

 

「一撃で殺せないこともあった。みんな訳が分からない、どうしてって顔をしていたけど、それでも文句は言えねえな。それが生きるってことだし俺だって死ぬ可能性があった」

 

「……」

 

「どんな時でもあっけなく終わりが来る可能性がある。本人にとっても、周りにとっても。えっ?これで終わり?ってな。その時…正義の為に死ぬとか、悪の限りを尽くして死ぬとか…変わりは無い。

身体が自分の物じゃなくなって動かなくなるだけだ。だから俺はせめて自分に正直に戦って死にたい。呆気なく死ぬにせよ、苦しんで死ぬにせよ、劇的に死ぬにせよ、自分に正直にな」

 

「…、う…」

リリウムの中に全く存在しなかった概念が、ガロアの言葉から、目から、耳から流れ込んできてその場にへたり込みそうになるが、腕を引っ張られて座ることも許されなかった。

王はそれを見ながらも何も言わない。

 

「お前の身体は何で出来ている?血と肉と骨とかそんな話じゃねえぞ。お前が食ったもので出来てんだよ。

間接的か直接的かは知らないけどな、自分が生きる為に何かを殺しているんだ。自分は生きたいから代りにお前が死ねって言う勝手な都合で。

正しい理由なら死ねるのか?間違った理由はお前を殺さないのか?違うだろう…死ぬときは死ぬ。殺す時はどんなに理由をつけても殺している。だから強いリンクスのお前は今日まで生きてこれた。

そして明日もお前の勝手な理由で何かの命を奪って取り込んでいくんだ」

 

「で、ですが…リリウムはBFFの…」

 

「BFFの女王じゃなくてお前に話しているんだ。正しいと思えることをしても、悪行をしても、何かに依存してもお前の心臓はいずれ止まる」

 

「あっ…!」

ガロアの長い指がとんっと胸に、正確には心臓の真上に当てられてリズムが狂う。

正直、今この瞬間に心臓が止まってしまいそうだった。

 

「……。例え強大な基地の真ん中にいても、最強の兵器に乗ろうとも、心の弱さは守れねぇ」

そしてそんな自分の矮小な心を見抜いているかのようなガロアの言葉が突き刺さる。

 

「自分が死ねる理由の為に戦え。その上で生きればいい」

 

「……」

 

「それでも…所属企業や…誰かが掲げた『正しそうな理由』の為に戦うと言うのならばそれもいいだろう。その時は敵としてぶっ潰す。それが嫌なら戦いをやめてどっかで野垂れ生きてろ」

 

「……ううぅ」

どうしてそんなに簡単に?怖くないの?その疑問はそのまま自分の弱さだというのは分かっている。

 

「俺も…お前がどうしていたか、知っている。何を考えたかも、分かったような気がした」

 

「え?」

 

「思わないのか?思ったことないのか?この力があの時にあれば、あの時に戦えていたのならって」

そういうガロアが首のジャックに触れてくる。その逆の手でガロアは自分自身のジャックに触れていた。

思わないかって、そんなこと何度も思ったに決まっている。もしかしたらガロアよりも強く思っていたかもしれない。

あの時にはもう既に自分はリンクスになると決まっていたのにいざという時に逃げ回ることしか出来なかった。

 

「世界、常識、法律、ルール。全ては暴力に先手を取られてしまう。その一撃が取り返しのつかない致命的なものであるとき、後悔は深く重いものになる。死んだ人間は戻らないから」

 

「後悔…ガロア様でも…あるのですか…」

こんなに大きく強い人が?その手にそっと触れて思う。

この力強い手ならば、目の前に立つ敵全てを粉砕出来るはずなのに。

 

「あるよ、あるに決まっているさ。実際俺は強かった。それは正しかったんだ。ならなんで、もっと前から…」

 

「……」

そう、ガロアは強かったのだ。その化け物染みた才能も執念も。

その力があったなら、もっと前から使い方を知っていたのなら…

 

(ああならずに…済んだのかもしれない…)

家族を失うことなんてなく、今でも。大好きだった家族と、王と一緒に昼下がりにみんなでお茶でも飲んでいたのかもしれない。

 

「きっと…後悔のない人生なんてない。だが…取り戻せる後悔もあるんだと俺は思う。後悔を取り戻し克服したとき、前よりも遥かに強くなる」

感情の薄く見えるガロアの灰色の目に全てを焼きつくすような火が付いた。

最初から完璧に強かったわけでは無い。打ちのめされ、叩き潰され、それでも負けずに後悔を喰らったからこそガロアは強くなったのだ。

 

(リリウムも強く…)

どくんとまた心臓のリズムが狂う。だがそれは、痛いところを突かれて冷や汗をかくようなそれでは無かった。

この男、ガロアは強い。強い!屈辱も後悔も乗り越える強さがある。

弱い自分と正反対の、たとえどんなにちっぽけでも強い者に全力で噛みつける心の強さ。

それも頭を使った手練手管などない、虚飾のない純粋に積みあげられたものだ。

 

(ガロア様は…綺麗…)

惹かれる、強烈に。

昔、弱い自分を強姦し壊そうとした男の下卑た部分とは真逆、宇宙の端と端にいる。

親近感だけでガロアが怖く無かったのではない。本物の強さは怖くないのだ。弱さとは無関係の部分にあるから。

 

「なぜ…ガロア様はリリウムを…?」

 

「…俺一人なら、世界がどうなろうが生きていく自信はある。ただ、誰かを守るってなると俺一人の力だけでは到底足りないらしいんだ…どうもな」

 

「そのために…世界の支配者を敵に回してもいいと…?」

 

「それを滅ぼすことになってもだ。脅かす奴は全員蹴散らす」

ガロアの目から出ていた火花がぼんっ、と弾けて部屋に広がったのかと思った。

凄まじいまでの破壊力の言葉だった。王の帽子がふわりと5cmほど浮いた。

本気でやるつもりだ。いざとなれば企業をも叩き潰すなんてことを。

 

「…!!」

羨ましい。こんなにも想われているセレンが本当に羨ましいと思うと同時に、リリウムにも大切な人はいる。

地獄に落ちかけた自分の手を掴みここまで育て上げてきた…そう、ガロアにとってのセレンのような存在、王が。

老い先が短いとは分かっている。王も自分でそう言っている。

それでも。いつかは死んでしまうとしても。これからの世界を生きていってほしい。

 

この強さだ。小さな子供が世界最強の存在を倒すと誓ったこの強さ。

この強さがあれば次に待ち受ける後悔など無くなるかもしれない。

強くなりたい。心から強くなりたい。

 

そしていつかは強くなってこう言える勇気が欲しい。

 

(ガロア様が好きだって)

きっと長い道のりになる。それでもいつかはしっかり自分を認めたうえで見てもらって力強く抱きしめられたい。

 

リリウムはまともに恋をしたことがなかった。

すぐに王に引きとられたおかげで男性恐怖症にまではならなかったが、同年代の少年に恋をしたとして、その先にある行為があの日の恐怖と結びつき恋が出来なかった。

 

「い…」

今まではただ憧れていただけだったのに。

リリウムは、はっきりと憧れが恋に変わったのを自覚していた。

 

「……」

 

「う…ううぅ…い…」

 

「……」

ボロボロと泣くリリウムの目から零れる涙はあの日ラインアークで泣いたガロアと同じ色をしていた。

自分の信じていた物を壊して、新たな物を受け入れるという魂の痛みを伴う涙だった。

 

「行きます!リリウムを…連れて行ってください!」

リリウムは一歩だけ、強くなることが出来た。

 

「よく言った」

泣きながら叫ぶリリウムとは対照的にガロアは歯をむき凶暴な笑みを浮かべた。

 

 

「…ふん。小僧…だがそれでは足りぬだろう」

リリウムが自立した。少々乱暴だし、勧誘としては最悪な形の上、男に…しかも他の女に惚れている男に連れていかれると言うのは悔しいが、

そのリリウムの自立こそが王が最も欲していながら自分ではどうしようも無かったことだ。

 

「爺さんも来るのか?」

 

「いや。私が行ったところで大した戦力にはなりはせん。その代り…」

 

「?」

 

「情報を回してやる。貴様らが動きやすいように、私が得た情報を全て横流しにしてやる」

恐らくは今回のリリウムの決心は自分を守るためにだろう。

だが、それはもういい。どちらにせよこの身体では長くない。

それをリリウムが自分で決めたという事が大事なのだ。ならばその手助けをしてやらねば。

 

「そうか。助かる。…リリウム。明日の正午、ネクストに乗ってラインアークに飛んでいけ。既に受け入れの状況は整っているはずだ」

 

「…はい!」

その声には迷いも後悔も無く、心地よい響きがあった。

王は帽子のつばで顔を隠しながら優しく笑った。

きっと今のお前なら、自分がいなくなった後の世界でも生きていける。

そう言ってやりたいが、言葉にしては全てが台無しになることは分かっていた。

 

「爺さんとゆっくり別れを済ませな。なーに、戦いが終わったらまた会えるさ。…生きていりゃこの地球のどこにいたって会えるんだから」

 

「小僧」

 

「ん?」

 

「これからリリウムを…頼む」

 

「…ああ」

 

 

 

同時刻、カラード中央塔のシミュレーションルーム前で話し込むセレンとメイの姿があった。

 

「…本気?」

流石に年齢分の落ち着きがあるのか、固まりはしなかったがそれでもリリウムと同様混乱は避けられなかった。

 

「本気だ」

 

「百歩譲って本気だとしてもそれにあなたが着いて行く理由はあるの?…黙っててあげるからそんなことはやめなさい」

放っておけば死にに行くから一緒にいろ、と忠告したのにこれだ。明らかに死に急いでいる。

 

「あいつが…ガロアがようやく復讐の呪縛から離れて自分の道を行こうとしているんだ。私は着いて行きたい」

 

「そのために命を賭けるの?」

 

「ガロアが…オペレーターは私じゃないと嫌だと言っていた。だから…私がついていってやるんだ」

 

(…ふーん…そんな事言っていたんだ…)

前しか見えなかったあの少年の中で何かが変わったことは確かだ。

それでもあの強さを保てるのか、あるいは…。

 

「!リリウム・ウォルコットはこちらにつくらしい。王小龍も、戦力としてこちらには来ないが情報提供してくれるとの事だ」

レトロな音が鳴ったこれまた古い携帯を見たセレンがそんなことを言う。

 

「もしかして、ガロア君が説得に行ったの?」

 

「そうだが?」

 

「ふーん…いいの?リリウムちゃんが来て?」

 

「……私が行くよりガロアが行った方がいいと思ったんだが…?」

 

(難しい子だなぁ…単純に見えるんだけど…)

だが面白い。ウィン・D・ファンションも裏切ったという話だし、ガロアが説得に行ったのならリリウムが落ちたのは間違いないだろう。

戦況もどうやら悪くはない。

 

「なんで私を誘ったの?自分で言うのも悲しいけど…そんなに強くないし、危なくなったら絶対に逃げるよ?」

 

「え…?友達…だからじゃないかな」

 

「友達?」

 

「ち、違うのか…な。友達って…そういうものだと思っていたんだが」

 

(友達だと思うけど…この子どういう人生を送ってきたんだろう)

セレンがクローン人間で、16歳まで普通の人間としての生活を送っていなかったことを知らないメイはセレンが単純な理由も複雑な理由も当然分からない。

 

(友達、か…損得勘定なんかしていないんだろうな…私を誘う意味なんかないって言っているのに)

 

(GAはBFFに支配されてしまったし…所属していても明るい未来はあるのかな…いっそこの革命に成功したのなら…)

 

(ああ…また損得でものを考えている。セレンは自分の心の声に従って動いていると言うのに)

ダンを、ガロアをバカと表現したメイだが、セレンも大概馬鹿だと思う。

そしてそんな馬鹿達を羨ましく思う自分。羨ましいのなら、なってしまえばいい。

今まで賢く立ち回ってきて心から救われた事なんて一度だって…

顔に張りついた笑顔と生ぬるい評価だけだ。一度しかない人生を救われずに生きてみるか…ならもういっそのことぶん投げてみるか。

このままここにいれば状況がかなり悪くなるのは間違いないのだから。

 

「しょうがないなあ…」

 

「!じゃあ!」

 

「もう一人、連れて行っていいんだったら…行くわ」

 

「もう一人?」

 

「ダン君、聞いているんでしょう?」

 

「何だと?」

その言葉と共にロッカールームからそっと複雑な表情をしたダン・モロが出てきた。

最近ずっとメイと一緒にいるがやはり恋人なのだろうか、とセレンは思ったが口には出さなかった。

 

「あ、お…その…俺…」

 

「……言いたいことがあるのならはっきり言いなさい」

 

「い、一度企業の言いなりに…なって…力の無い人まで巻き込んで…」

 

「……」

 

「ああ…いいのかな、俺なんかが行っても」

 

「気にするなとも言わないし、しょうがないとも言わないわ。ただ、その人たちを殺せと命令した企業にまだいたいのなら…好きになさい」

そういう人間じゃない、そう分かっていて焚き付ける。

なんで自分はこの少年の成長が見たいんだろう?理由を考えてもよく分からなかったが、今はそんな『理』で説明できる状況では無い。

こんな自分でも分かるのだ。世界が変わる風が吹いていると。ならばヘタレだけども敏感なあの少年はもっと激しく感じ取っているだろう。

 

「い、いやだ。…俺、俺なんかじゃ…ガロアに比べて全然力にならないかもしれないけど…ヒーローになりたい!戦う!」

 

「…一緒に行くわ、ダン君」

 

「決まりだな。これで三人だ。目が出てきた、という事か」

 

「目?」

 

「どういう事か、俺にも説明してくれよ」

 

「最低、後三人はリンクスが欲しいと言われていたんだ。…ウィン・Dが誰かを説得に行ったがリンクスの引き抜きなどそう簡単に行くものでもないだろう。今が上手くいきすぎなんだ」

 

(下手くそな勧誘って自覚はあったのね)

 

 

 

 

その頃ウィンはやはりというか当然と言うか、ロイを呼びつけて話をしていた。

ロイが自分に好意を持っていることを知っていての事である。リリウムがガロアに好意を持っていることを知りながら行かせておいて自分は人の思いを利用するのは嫌だ、とは口が裂けても言えなかった。

 

「そこで私たちは…」

 

「いいぜ。力になる」

 

「えっ?」

話し半ばでまだどうしてくれとも言っていないのに求めていた答が返ってきた。

 

「前にも言った通り、俺はお前の味方さ、ウィンディー」

 

「…だが、企業を裏切ることに…」

 

「独立傭兵だからな」

 

「……」

確かにその通りなのだがそんなに簡単に決めていいものなのだろうか。

 

「それに…ラインアークにも変革の機が訪れているってんなら…今がそういうときなのかもしれねえ」

 

「どういうことだ?」

 

「仲間…いや、家族がいるんだ。70人程。そいつらも連れていく。全員技術なり戦闘経験なりあるからよ、大丈夫だろう。来る者拒まずがラインアークだったよな。………俺ってカッコいいねぇ」

 

「家族が70人??」

すっとぼけた男だと思っていたがここに来て理解できない類のボケを言い始める。

からかわれているのだろうか。

最後の言葉は完璧に無視する。

 

「あと…そうだな。二人。リンクスに心当たりがある。そいつらも誘おう。多分、そのうちの一人は誘えば二つ返事で来ると思うぜ。俺と似ているからよ」

 

「…?そうか。もう一人は?」

 

「んー…多分今頃酒でも飲んでいんだろ。行こうぜ、ウィンディー」

 

そう言われて連れていかれたのは街外れの知る人ぞ知ると言った感じの小洒落たバーだった。

こんな店にロイのような男に連れてこられただけで普通の女性だったらもうメスの顔してメロメロになってしまうのだろうか。

もしかしてさっきのは口実でここに連れてくるのが目的なのだろうか。

 

「お、いたいた。おっさん!」

 

「久しぶりだな。…!ウィン・D・ファンションか?」

 

「ローディー…!」

四人は座れる席を一人で使ってちびちびと高価そうな酒を飲んでいる壮年の男は、所属企業だけで言えば間違いなく一番の敵だった男だ。

 

「何故…お前が?」

 

「まあ待てよ。そういきり立つなよ、二人とも。とりあえずキープしてあるボトルを頼んでくる」

ロイがカウンターに行く間にローディーの対面に座る。

王ほど陰謀屋ではないし、オッツダルヴァほど毒舌でもないが、老獪で舌も回るうえ腕も立ち、普通ならば挨拶もしない仲の男なのだ。

間違っても一緒にバーで酒を飲み語り合う様な間柄では無い。

 

「…お前が私に用があるようだな?」

 

「ロイの話次第だ」

 

「……」

 

「……」

 

「そう険悪になるなって。ほら、ウィンディー。飲むか?」

 

「いらん」

酒を飲みながら話せるような内容でも無い。

考えることもなくその杯を一蹴した。

 

「はぁー…。まぁいいや。ウィンディー。さっきの資料をそのままオッサンに見せてやりな」

 

「……」

ぼりぼりと頭をかくロイの言葉通り、

手渡しもせずに机の上にぱさりと音を立てて投げられた資料をローディーは手に取った。

 

 

 

 

 

「…それで?私にどうしろと?」

 

「それは…」

 

「いい。ウィンディー。俺が言う。おっさん、カラードを裏切れ」

 

「…リンクスは企業の駒だ。企業あってのリンクスではないか」

思考停止している。それは分かっていたがローディーは既にその思考を数十年前にやめてしまっている。

だがローディーの心の奥底のソレは『随分と面白く、激しいことをやろうとしている』と羨ましがっていた。

 

「こんな汚れた企業の下でいいのか?…って言うのは無駄か」

 

「今更驚きもしないな。上に行くために私もあらゆる手を使った。企業も支配者たるためにあらゆる手を使ったそれだけなんだろう」

いつからだろうか。そんな汚れを受け入れていたのは。

このまんまじゃ出世できないな、と考えた時だったと思うがそれがいつのことだかもう覚えていない。

 

「貴様…」

 

「お前には分からんだろう。たった四年でランク3にいるお前には。私は粗製だった。ノーマルの相手が関の山…その通りだった。正当な評価だった」

いつからだろうか。純粋に人々の為に戦いたいという気持ちも忘れて、そんな汚れは当然の物だと思うようになっていたのは。

 

「……」

 

「粗製だったからこそ頭も体も使って上り詰めようとしたのだ。それだけだ。粗製という評価も、英雄という評価も、企業があってこそだ」

置いたグラスがカランと音を立てるが、さっき口に運んだ時と量が全く変わっていない。

 

「おっさん」

 

「私と戦うつもりか、ロイ」

 

「今までと変わらねえさ。俺はやりたくないことはやらねえ。おっさんが敵に回ったら尻尾を巻いて逃げるとするさ。まだまだ聴いていない曲があるからな」

やりたくないことはやらないなんてよくもまぁ子供みたいなことを言える。

だがそれはいつだかにロイに言った『自分自身の声を聞こえないふりをし続けると…本当に聞こえなくなってしまう』という言葉がまた別の形になって帰ってきたかのようだった。

もうほとんど聞こえなくなっている、自分の内側の声。それで恐らくは3年もしたら完全に成仏して、割と長生きした自分は病院のベッドで結局何を成したかも分からない人生を振り返りながら死ぬのだろう。

 

「裏切るのなら裏切ればいい。お前たちを倒す。それだけだ」

だが、ウィン・D・ファンションが裏切ったとなれば自分が勝てる可能性はあるのだろうか。

いや、そこで勝った先に何があるのだろうか。知っているはずだ。ここまで勝ってきても得たのは実態のよく分からない作られた名誉と企業の保障する金だけだったのだから。

自分が欲しかったもの。それは…

 

「おっさん、もう頭を動かすのをやめろ。今まで十分やってきて何も無かったんだろう?だから、もう自分のやりたいようにやれ」

 

自分に誇れる自分だった。だがそれを無視しなければここまで生きてこれなかったのだ。

子供は大人に憧れるし18禁コーナーののれんの奥に進む日を楽しみにしている。

逆に大人になればなるほど口では説明できないような張り詰めた汚さに疲れて、鼻水を腕で直接拭ってかぴかぴにしながら走った日々の輝きに憧れてしまうことになる。

いつかは子供だった大人の少年時代のイデアだけを抽出したソレ…名付けるならば『おっさん魂』は少年のように叫んでいた。『やってみたい』と。

ローディーは祖父の部屋にあったCDをかすかすになるまで聴いた日を思いだした。バンドの名前はなんだったか。英語で歌っていなかったがそのアルバムの名前はHigh Timeだった。

 

「自分のやりたいようにやって…」

 

「自分自身の声を聞こえないふりをし続けると本当に聞こえなくなってしまう、だろ?覚えているぜ。酔っぱらいでも、老兵でも、あんたは強い!まだ遅くねえ…いや、力をつけた今だからこそだろ!」

ため込んだ鬱憤を加齢臭と共にぶっ放してやれ、と言葉を続けるロイを羨ましいと思うが実際自分はもう本当に中年で力も出ない。

 

「だが…頭ごなしに生きてきた今を、そうだとしても簡単に捨てることは」

 

「リリウムがこちらについて、王小龍が情報提供者になってくれるということが先ほど連絡が来た。王小龍は…思ったほど俗な人間ではなかったようだな?ローディー」

 

(!あの陰謀屋が…)

遅くは無いのか。もう40も過ぎていると言うのに、誇れる自分なんていう青臭い物を追ってもいいのか。

だが老獪さを捨てた自分がぼろぼろで弾切れの武器腕を泣きながらぶりぶりとぶん回しながら戦っても全然強くない気がする。

ああ、でも。

酒浸りの劣悪AMS適性の脳みそを抱えて病院で『何のために生きていたんだっけ』と自問自答しながら生きるよりそうやってみっともなく死んだ方がいい気がする。

 

「おっさん。あっちでも…酒は一緒に飲めるぜ?あと、女もいるしな」

そう言ってくれるのか。女は別にいらない。

なんだかんだ、この後も数十年ぼーっと生きるよりも愛着のあるフィードバックと数カ月で燃え尽きた方がかっこいい。

上からどっしり押えつけてくる世界の手にぷちっと潰されるのは…、それは誇れる自分に違いない。

 

「私は想像よりも身体にガタが来ていて一日ちょっと歩いただけでも小便が真っ黄色になるぞ」

 

「俺の頭の中はドっピンクだ!!」

だが現実として自分は中年なのだと言ったらロイは明後日の方向の答えを返してきた。

ウィンはゴミを見るような目でロイを見ていた。

 

「…いいだろう。日にちを教えてもらおうか。…ロイ。向こうではいい酒を奢ってもらうぞ」

 

「いいぜ」

 

「…悪くない。悪くないな、ローディー。…少しだけな」

 

ウィンの言う通り、リンクスは人だ。

言葉に心揺さぶられ、一人一人に想いや願いがある。

 

初めは小さな出来事だった。

一人の少年に大切な人が出来た。

それだけだったのに、いつの間にやら世界に風が吹いていた。

 

 

 

 

 

 

四時きっかり十分前。

中央塔入り口で落ち合った二人は内部を歩きながらジェラルド・ジェンドリンを探す。

一応前情報は調べてあり、カラードのヒロインがリリウムなら、みんなの優しい王子さま、つまり完全無欠のヒーローがこのジェラルドという男なのらしい。

非常に優しく安定した性格で、見た目もモロにお伽噺の王子さまのようであり、何よりも強いという完璧超人。

一回カラードに来ればそれだけで10人以上の女性に言い寄られるという、世の男から嫉妬を集めただけで蒸し殺せてしまうような男だった。

問題はそいつがどこにいるかという事だ。一概に中央塔と言えどかなり広い。四時に来る…だけでは今更ながら情報が足りなさすぎる

 

「考えてみれば、カラードってのは都合のいい存在だな」

 

「どうしたんだ?ガロア」

 

「危ない兵器はみんなひとつの場所に集めて分かりやすく管理しておこうって…いずれ殺しあうかもしれない「人間」の顔を突き合わせてな」

 

「……」

 

「狂っている。俺たちは人間扱いされていねえ」

 

「怒っているのか?」

 

「人間扱いされてないんだ、セレン。俺達は…」

 

「…確かにな。分かりやすい特権だけ与えて縛りつける。企業の腹黒さは最初から丸見えと言っても過言では無かったか」

 

「リンクスがこの街に住めば安全ってのも、こっちは攻撃しない…だからお前も攻撃するなよって。その暗黙の了解があるからだ」

 

「……」

 

「むしろ向こうから攻撃されたら報復という名の下に攻撃しやすくなるってな。それが分かっているからこの街は安全なんだ。絶妙…砂粒一滴で崩壊するようなバランスの安全だ」

 

「それを捨てるのは…どうなんだろうな。惜しいような…スカッとするような」

 

「おっ。あいつだ。セレン、頼む」

目の前を歩く男はロイのような女を狂わせるイケメンでは無く、女を夢の世界に連れて行ってくれそうな完璧に整った顔をしている。

綺麗な金髪が眉にかかり、青い目は歩いているだけなのにどこまでもまっすぐ前を見ている。ジェラルド・ジェンドリンに間違いなかった。

 

「…ああ」

返事をするやいなや、セレンは駆け出しジェラルドの後ろに回り腕を押えてしまう。

 

「な、なにをする!?」

こう言ってはアレだが女性に駆け寄られ激しいボディタッチをされるのも常のジェラルドは関節を極められるまで害意に気が付かなかった。

 

「よう。ちょっと時間をもらうぞ」

 

「君は!ガロア・A・ヴェデットだな!?何をするんだ!」

 

(騒がれちゃ困るからな………お、丁度いい)

すぐ横の会議室が都合よく、鍵もかかっておらず誰も居ぬままだったのでそこに連れ込む。

これでセレンとジェラルドの性別が逆だったら完璧に婦女暴行罪の現行犯逮捕間違いなしだろう。

 

「何が目的なんだ!」

 

「暴れんな。ちょっと話があるだけだからよ」

 

「これが話をする態度か!?離せ!!」

 

「セレン、片腕だけ離してやれ」

 

「ああ」

片腕が自由になればもう片腕を外す方法などいくらでもあるが、やはりジェラルドはセレンには手を出さない。

女性には手を出さない主義という奴なのだろうか。泣けてくる。もっとも、ここで手を出せば三秒以内に骨を折られている可能性が高いが。

 

「なんなんだ一体!離せ!」

 

「うるさい。うるさい。うるさいぞ。少し黙れ」

まるでだだをこねる五歳児のようにうるさいと連呼しながら机をガロアが数度ブッ叩くとそれだけで頑丈そうな円卓は壊れてしまった。

 

「………!」

ガロアが目の前で机を破壊していくのを見てジェラルドは甘いマスクを青ざめさせて鼻水を流しながら後ろに下がろうとしている。

 

「……」

セレンはもう慣れてしまったが確かに目の前でこんな大男が机を破壊し始めたらこの世界の誰だってこうなるだろう。

なんだろう、育て方を大なり小なり間違った気がする、とセレンが思っていることも知らずにガロアがジェラルドに資料を差し出した。

 

「は、は、話をしたいのならばせめてアポイントを取ってほしいものだ!こんな乱暴な手を取らずとも…」

手渡した資料を片手で器用に読んでいくジェラルド。

ページを捲る度に、面白い程顔が青くなっていくのが見えた。

 

「読んだか?」

 

「……」

 

「なんだっけ?貴族の誇り?素晴らしいことだ。民衆を犠牲にして上が甘い汁を啜るのが貴族の誇りなら俺もあやかりてえもんだ」

 

「く…何が言いたい…!」

 

「まぁまぁ。話はここからなんだが」

 

「…言ってみろ。一応は聞いてやる…!」

 

「仲間にジュリアス・エメリーって女がいるんだけどな」

 

「!!!!!」

青い目玉が飛び出た、と思う程分かりやすい反応が返ってきてガロアの頭の中で瞬時にシナリオが出来上がった。

一体どういう関係なのかは知らないが、要は色恋沙汰なのだろう。だったら自分が悪役になればそれでいいはずだ。

 

「こいつがもう…毎日のようにジェラルドに会いたい、ジェラルドは元気にしているだろうか、こんなことになるなんて、ってうるさくてな」

 

「ユリーが…そんな…まさか…生きていたのか!?」

 

「このまんまじゃテメェ使い物にならねえから、一応来るように説得はしてやる、とは言ったんだ。ま、でも来なくてもいいぜ」

 

「!?どういうことだ」

今にも飛びかかってきそうなジェラルドの金髪を掻き分けて耳元で囁く。

自分で言うのもなんだが、体格からしてスペックが違い過ぎる。

ガロアが軽くパンチしただけでもジェラルドは入院コースに間違いなのに、そんなことも忘れて飛びかかろうとしているのだ。

それだけそのジュリアスとかいう女に思い入れがあるのだろう。

 

「ジュリアスはいい女だな。俺たちむさい男としちゃあそんな昔の男の事をぶつぶつ言われてちゃ興ざめだ」

 

「貴様…!!ユリーに何をするつもりだ!!」

 

「明日の正午。ネクストに乗ってラインアークに飛べ。女一人を見捨てるのが貴族の誇りってんならそれでもいいぜ。そうだと言うのなら…まだ誰も手を出しちゃいねえが…もう知らん」

 

「…卑怯な…!!」

 

「じゃあな。セレン、行こう」

 

「ああ」

セレンが極めていた腕を離すと、ミュージカルのように大げさにそこに膝をつくジェラルド。これは多分…迷った果てに来るだろう。

あの男が言っていたことは正しかった。

 

 

 

 

(それにしても…ハマり役だったな…)

元々が悪人面だし背も高いからそういう卑劣な事を言うのは物凄く似合っていたような気がする。

 

「なぁ、ガロア」

 

「ん?」

 

「その…ジュリアス・エメリーという女は…そんなにいい女なのか?」

自分でもそこは聞くところじゃないだろう、と心の中でツッコんでしまうがもう聞いてしまったものは仕方がない。

それに気になるのも確かだ。

 

「え?知らん。そんな女がいるのかどうかも知らん」

 

「えぇ?」

 

「あれでのこのこ来たってんなら周りを囲ってステレオで協力しろ協力しろって言えば洗脳されるだろ。単純そうだったし」

 

「…はぁ…」

 

「もし従わなくてもどっかに放り込んで戦いが終わるまでパンでも与えて閉じ込めておきゃいい。カラードのランク5を封殺出来るんだ。戦うよりゃずっといいだろ」

 

(…こいつ…頭がよく回るなぁ…しかも悪い方に…。なんでこんな子に育っちゃったんだろう…)

セレンの教育は関係なく喋れなかっただけで元々こういう性格だったのだが、それが分からないセレンはちょっぴり罪悪感を感じはじめる。

 

「口は災いの元と言うんだぞ?ガロア」

 

「嘘も方便ってな。さ、連絡する奴にして、飯食って荷物まとめようぜ」

今日明日で全ての決心をさせるというのは少々性急な話だったが、冷静に考える時間を与えてしまった結果、やはりやめよう等と言わせないためのメルツェルの指示だった。

 

 

 

 

二人の家には沢山の物がある。

さらに、とてもではないが運べない量の物がセレンの部屋にはあった。

だが、最初にセレンが持って行こうと思ったのはガロアから貰ったアルメリアの花だけだった。

 

「それはトランクに入らないから手で持つことになるぜ?」

 

「私はこれだけあれば後は何でもいい」

 

意地でも見栄でも無く、本当にそう思っていた。

買い続けた服も靴も、もういらなかった。

 

結局ガロアの元々持っていたトランクに二人の服を少しずつだけ詰めて終わった。

 

二人の服を一人分の荷物にしてしまうことに何故だかセレンは少し笑みがこぼれ、ガロアに不思議な顔をされた。




前回マグナスのプロフィールを載せましたが、当然彼の全てを書いた訳ではありません。

「優しくされたのは生まれて初めて」と書いていましたがそれはマグナスの主観です。実は彼はある年齢までの記憶がほとんどありません。
実際は彼も人間なのでちゃんと親がいて家族がいて、としているはずなのですがそれらの記憶をほぼ失くしています。

彼の人生もストーリーも考えましたが、それは物語のラスト、根幹にあまりにも関わり過ぎているので文章にはしませんでした。

とはいえ一番気になるのはやはり第一話から出ちゃっている彼の名前のことだと思いますがそれはおいおい。





プリピャチは相変わらず立ち入り禁止だろうなと作者は考えていますが、今後作品にその設定が関わってくることはないです(断言)

うっかりフラグを立ててしまったぞどうするんだガロア


ダンはカニスに何も言いませんでした。何故なら絶対に止めてくるのは分かっているし、大げんかになるのも分かっているからです。
カニスは絶対に来ないということも、自分の気持ちが止められないということも。

ただし、今のダンは自由を手に入れました。戦場でカニスと出会ったらダンは戦わないという選択肢を持てるようになったのです。


こんだけ大戦力を揃えればイケるでしょ!!

なんて甘くないんだよなぁ


次回、ジェラルド プロポーズするの巻



ツイッター始めました。 @k_knot_ac
彼氏いるの?とかパンツの色は?とか聞いてください。


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人は人に会うために生まれてくる

国家解体戦争を経てリンクス及びネクストという物の凄まじさを経験した企業は、挙って二つの研究を進めた。

一つは自律型ネクスト。

もう一つがリンクスの量産、つまりクローンリンクスにAMS適性を発現させることであった。

 

自律型ネクストはどの企業もある程度の成果を上げることは出来たが、大成功とは言えなかった。

基本となるOSは、ネクストとACの形が変わらない事から無人ACに用いられていた物でもよかった。

しかしリンクスの操るネクストとは天と地ほどの戦力差があった。処理能力の限界からクイックブーストを使用できず、無人ACと同じく複雑な命令はこなせない。

結果、自律型ネクストも無人ACと同じく限定的な作戦にしか起用されず、コストも桁違いであるためそれが主流となることは無かった。

 

 

だがAMS適性の発現についてはただ一組の夫婦を除いて誰一人として現実にすることが出来なかった。

完全な人クローンの生成は出来ても、AMS適性は何故か発現させることが出来ない。

人間などこの世界に何十億もいる物をこれ以上増やしても何の意味もない。

リンクスという物にのみ、他のあらゆる人種、種族から隔絶した多大な価値があるのだ。

 

ある夫婦がその方法を手に入れたことを知った企業はあらゆる手を使ってかすめ取り、我が物にしようとした。

そしてその方法を入手した企業は次にその夫婦の抹殺を目論んだ。

どんぱちやるだけが戦争では無い。『敵の技術を盗んででも』兵器を開発し、そして相手の有効な戦力を潰すことも戦争だ。

 

企業にどんな思惑があり、夫婦がどのような人柄だったかは関係なく、人の価値を著しく変転させてしまうその研究は人には許されざる神の領域だった。

その通行料をソフィーとガブリエルは命で支払うことになってしまった。

 

神の怒りに触れることはどんな罪よりも重いのだ。

企業は偶然にもその『二人の息子』によってこれ以上ない危機に追いやられその代償を支払うことになる。

『二人の息子』は…これも偶然か、互いにクローンという企業の闇に対して並々ならぬ怒りを抱いていた。

一人は闇から闇へと何かに誘われるように力の持ち主を集い、もう一人は神か悪魔からか与えられた力を磨き抜いたのだった。

 

企業の崩壊する日は近い。

 

……あるいは人類の。

 

 

 

 

 

早朝。

かつてORCAの団員二人が送り込まれたインテリオルの実験工場で爆音が響き渡った。

 

「はーっはっはっは!!」

滅茶苦茶に武器を乱射しながらレイテルパラッシュが暴れ回っているのだ。

敵の攻撃を回避することなどを全く意識せず、ただひたすらに手にした武器で荒れ狂うということは口では説明できないほど気分がいい。

 

「これは最高だ!!」

四年間こつこつと積み上げてきた分だけ溜めていたフラストレーションを一気に解放し、ウィンは久しぶりに生き生きとしていた。

いや、人生で一番輝いている瞬間と言ってもいいかもしれない。

無人のギガベースが大きな音を立てて哀れにも崩れ落ちた。

 

『な、なにをしているのです!?ウィン・D・ファンション!』

時間帯が時間帯だけに、ほとんどが休息をとっていた職員や兵が飛び起きて通信を入れてくる。

 

「聞け!!私はカラードを裏切る!!家族がいる者!恋人がいる者!まだ死にたくない者!退け!」

 

『何を…何を言っているのですか!?』

 

「もし突撃を命令するような司令官がいるとしたらその者から吹き飛ばす!私に勝てるかどうかはそちらが一番分かっているはずだ!」

 

『本気ですか!?』

 

「本気だ!だがお前たちを殺すつもりはない!全員逃げろ!」

また一つ、無人のアームズフォートを高級な鉄くずに変えていく。

ORCAの連中が襲撃したのなら何か重要な物でもあるのだろう。それが何かは分からないが手土産に全てを破壊していってやる。

どうせ敵対することになるのならば、変に仏心を見せない方がいい。それで長引けば余計泥沼になるのだから。

 

『くっ…退避!総員退避しろ!!』

 

「それで…いいっ!!」

守った場所を、地位をぶち壊していくこのカタルシス。

抑え込まれた性的欲求を一気に満たすのと似た快感がウィンの脳髄を駆け巡る。

既にオペレーターのレイラは荷物をヘリに乗せてラインアークに飛んでいる。

そうだろうとは思っていたが、やっぱり二つ返事でOKしてくれたのがさらにウィンの背中を押した。

 

「ははは!!楽しすぎるぞこれは!!」

手にした銃を地面に置いて戦艦をボコボコ殴り歪な鉄塊に変えていく。

昔ウィンがプレイしたレトロもレトロなゲームにこんなボーナスステージがあった気がする。

これを修理するなら最初から作り直した方がマシだろうというくらいに破壊してとどめの一発の蹴りを叩き込むと、レイテルパラッシュの細い脚では威力足りずにコケてしまった。

気を取り直して立ち上がる。

 

「そうらっ!!」

戦闘中にもあげないような声で倉庫の分厚い扉をブレードで焼き切る。

リンクスになって様々なミッションを受けてきたが、それでもやはりウィンが愛していたミッションは強敵との戦いと破壊だった。

後ろ暗い襲撃やMT部隊の一方的な蹂躙などは好きでは無かった。

 

「はっはー!!…ん?」

アームズフォートとノーマルしか置いてなかったが、ここに来てネクストの影がある。

なんだこれは、誰の物だ?とまで考えてウィンはそのネクストの正体に気が付いた。

 

「……!これは…。…いい土産になりそうだな」

ウィンは自分ならば決してしないであろうと思っていた邪悪な笑みを浮かべて倉庫番と化していたそのネクストを持ち上げた。

 

 

 

 

アフリカ。

傭兵集団「ファミリー」と「コルセール」、計120人の人々は巨大なキャンプファイアを囲み、長の二人が前に立ち話すのを黙って聞いていた。

燃え盛る火の影を受けながらロイは叫ぶ。

 

「以上だ!前々からヤバかったけどな、いよいよもって世界がやべぇ!!」

 

「テメェら!好きなように生きて好きなように死ぬ!!おお、それでいいだろうよ!!」

 

「だが理不尽に死ぬことになるんだ、このまんまじゃよぉ!!」

 

「ただ黙って奪われるだけの存在か!?俺たちは!!」

 

「違うだろ!!カミさんがいる奴、ガキがいる奴、犬飼ってる奴!!色々いるけどなぁ、奪われていいのか!?よくねえだろ!!」

 

「じゃあどうすんだ!!戦うんだよ!!馬鹿野郎ども!!」

 

ウォオオオオオオオオ!!!

 

「Are you ready to ROCK!?ハッ!一度言ってみたかったんだ!!」

ロイが腕を上げるのに合わせて手に持つ武器をそれぞれ掲げて叫ぶ者達。中には松葉づえやレンチを掲げて叫んでいる者もいる。

ジャケットを脱いで肩にかけたロイの身体は引き締まっており、その顔に似あわずにゴツゴツとしていた。

砂漠で生き、砂漠で死ぬ戦士の肉体であった。普段はお茶らけたロイ・ザーランドの本質は結局のところ戦いに魅かれる戦士だったのだ。

 

「あたしからは無いね。野郎ども、黙ってあたしについてきな!!」

フランソワ=ネリスの言葉は実に単純であったが、それだけでコルセールの血の気の多い傭兵連中は雄たけびをあげた。

性別は違うはずだがロイとネリスの身体付きはどうしてか似ている。

二人が違う傭兵集団の頭でありながら非常に気があっているのもそんなところから説得力がある。

 

「よーし、ラインアークに行くぞ!!バカども!!さっさとヘリに乗れってんだ!!」

ロイのその言葉と同時にヘリに荷物と人が積み込まれていく。そんなロイの元に杖をついた老人、ロベルト・セブンスフォルドが近づいてくる。

 

「ったく…どうするってんだ…クソガキが…」

血混じりの痰を吐き捨てて暴言も吐く。

 

「ロベルト、あんたもやることがあるだろうが」

 

「ああん?」

 

「医者に見てもらうんだよ。ちゃんとした場所にいるちゃんとした医者にな」

 

「余計な気ぃ回してんじゃねえよ。…あっ、テメェ!」

ロベルトが飲もうとした酒を奪い取り、ロイは飲み干してしまう。

 

「死ぬなら…世界がもう一遍変わるところ見てから死のうぜ!?あんとき拾ってくれた礼に…おもしれえもん見せてやるよ!」

 

「けっ…ガキが…」

捻くれた性格というのは中々直らない。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。

それが年を食った老人ならば尚更だ。本心では喜んでいるはずなのに悪態を吐くロベルトをロイはがっしりと抱きしめた。

 

「愛してるぜ、ロベルト」

 

「何人の女に言ってきた?あん?」

やめろ、気色悪いとばかりにロイを突き飛ばすがロベルトはその言葉で涙が滲んでしまった。

 

「男には言ったことねえよ。あんたのやってきたことは誰に言っても誇れる素晴らしいことだ。テレビに出てちやほやされている連中の何百倍もな。埋もれている称賛されるべき物ってのを俺は知ってんだ」

遠くがよく見える老眼のその目には涙を通してヘリへと向かう元気な子供や彼の『家族』の姿が見える。

 

「ガキが…つっぱりやがって…」

悪態をつきながらヘリに向かうロベルトの顔にはボロボロの歯がよく見える笑顔が浮かぶ。

世界に新しい風が吹こうとしている。その風がまさかあの時拾ったぼろくずみたいな子供が今、起こそうとしているとは。

長生きもしてみるものだ。今までの気まぐれな行動の結果を見届けるという行為はそれだけでも案外楽しいものかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラインアークのネクスト発着場の壁のそばで座るハリは、自分と反対の壁に寄りかかってセレンと話すガロアを明らかに敵意が混じってしまっている目でじっと見ていた。

 

「……くそっ」

奴の頓狂な行動が何か物事をいい事に転がしていっている。それは分かっている。いや、分かっているからこそ気に入らなかった。

オペレーターだかなんだか知らないが女連れと言うのも気に入らない。何しろ自分はそこそこ長い付き合いのオペレーターとお別れしてきたのだ。

奴と自分の何が違うのだろうか。考えても何も分からず妬心ばかりが膨れ上がっていく。

 

 

 

 

 

「あ…」

 

「はっ。本当に来やがった…」

天使のようなデザインをしたネクスト、ノブリス・オブリージュがPAを切ってマニュアル操作で歩きながら入ってくる。

それを遠くから眺めていた黒髪の女が猫のように敏感にぴくりと動いた。

これで最後らしいが、自分を含めて九機のネクストがここラインアークに来ていた。

その全員がORCA旅団と合流するのならば、こちらのリンクスはジョシュアとマグナスも入れて21人となる。

現在カラードには行方不明のパッチと傭兵では無いCUBEを除いてリンクスは16人。

無論、全兵力では圧倒的に負けているし向こうにはアームズフォートもあるが、

リンクスが単純な数とみなしていい存在ではないことは企業が一番分かっているはずだ。

状況は少なく見積もっても五分以上になる。ガロアだけでなくセレンもそう感じていた。

 

「あ。飛び降りたぞ…」

 

「なんだぁ?バカだったのか?あの野郎は」

ノブリスの背部から出てきたジェラルドはそのまま10m近い高さから飛び降りて、見事な五点着地。

まだ衝撃が身体に残っているだろうに、そんなこともお構いなしに猛然と走り出す。

先ほど反応した黒髪の女の方へ。

 

「うわああああぁぁああああ!!ユリー!!ユリー!!」

母親に置いて行かれた幼児のように、大の男が目と鼻から水分を放出しながら叫んでいる。

当然声変わりもして、体つきもしっかりとした大人であるはずなのに、なびく金髪に透明な涙を絡ませ走るその姿は何故か良く似合っていた。

 

「ジェラルド…」

戸惑い気味だったジュリアスの表情を無視して大型肉食動物が獲物に噛みつくような熱い抱擁をかました。

 

「……」

 

「セレン、すげぇ…あれ…」

 

「俺が間違っていた!!俺が間違っていたんだ!!勇気が無くてごめんよ!!ユリー!!」

 

「あ…」

いったん抱擁をやめ、ジェラルドが懐から何かを取りだす。

それは遠くから見ても分かる大きな宝石のついた所謂結婚指輪などと呼ばれる物だった。

 

ジェラルドが昨日、リンクスを引退して以降自分の師であったレオハルトに勇気を出して全てを話したら怒るどころか質のいい宝石を扱う店を教えてくれた。

カラードに来て、ランクを上げてからのジェラルドはモテてモテてモテまくっていたが、それでも彼は女性の手を握ったことすらなかった。

ジュリアスの手を、指を忘れぬために。その指輪のサイズは間違いなくぴったりのはずであった。

 

「けっ、結婚してくらはい!!ユリー!!」

 

「う…え…う…あっ…その…、!!…はい…」

返事を聞くや否やジェラルドはそのまま再度熱い抱擁をし、腰を思い切りジュリアスの方へと曲げながらかぶりつくようなキスをした。

ジュリアスもおずおずとだがジェラルドの首に手を回し完全に愛し合う者同士の接吻の図となる。

 

それを見ていた者はセレンもガロアも含めて口をあんぐりと開けて状況に全くついていけていない。

次々と来るネクストを遠くから確認していたメルツェルとテルミドールも埴輪のように目と口を丸めて言葉も出なかった。

八年もネオニダスの元で姉弟同然に育ってきた女の意外過ぎる一面に二人はコメントを出すことも出来なかった。メルツェルはお祝いの文を頭で少し考えてやめた。

テルミドールは子供が生まれたら髪の色はどうなるんだろうと考えて、また深い混乱の中に落ちていった。

 

「嘘から出たまことか…。幸せそうじゃんか」

ガロアとしても適当な事しか言っていなかったのにこんなことになるとは思っておらずに頭をぽりぽりと掻いた。

最近になって思うようになったがもしかしたらもしかして、リンクスというのは頭のネジが外れた人間が多いのではないだろうか。

必要条件でも十分条件でもないだろうが、統計をとったら絶対に外れている人間の方が多い。

 

(いいなぁ…羨ましい)

そんな光景を前にしてセレンはただ羨ましいと思った。

 

(…?羨ましい?…散々男をブン投げておいて…?)

でもあれは間違いなく女の幸せの頂点だと思う。

周りの目も全く気にならない程なのだから。

 

(そもそもガロアがそばにいたら結婚なんかしないだろうな…)

というか結婚なんてする気も無い。でもそれを羨んでいる自分がいる。

結婚ってなんだろう?小学生あたりからコツコツとやってみればわかるかも。

隣でぬぼーっと立っている馬鹿のっぽのガロアは結婚や恋愛とかと最も遠い部類の人間に見える。自分と同類だ。

さっぱり分からない。

なんだか過去の自分を否定するようなことをいろいろと考えていた自分に疑問が生じて考え込んでいると、肩を突かれる。

 

「おい…なぁ…セレン。セレンって…」

 

「…ん?なんだ?」

 

「あれ…あれなんだ…?俺分からない…」

ガロアが物を尋ねるなんて最近じゃ無かったことだな、と思いつつガロアが指を指す方を見た。

 

「なんだ…あれは…」

日焼けしたボディービルダーのような身体にスクール水着とニーソックスを着た男がいた。

いや、男かどうかも分からない。顔は化粧をやりすぎたように白塗りされ、口紅が耳元まで塗られており、シャンプーハットを付けた髪の無い頭の上には象の形をした如雨露が乗っている。

おまけにスクール水着にはひらひらと白いレースがついており、ガロアの言葉通りなんだあれはとしか言えない。いや、一言で言えば変態だ。

 

「うあぁ…」

 

「ひっ」

柱の影から運動部のエースに想いを寄せる女学生のように、抱き合うジュリアスとジェラルドを見ていたその生命体がこちらの視線に気が付いたのか、

こちらをぐりんと向いてどこからが口か分からない唇を広げて笑った。小学生だったらそれだけでトラウマになっている。

 

((食われる!!))

二人がそう思った瞬間。

 

「ついてきてほしい」

 

「「ぎゃあっ!!」」

いつの間にか横にいたウィンに声をかけられて二人して口から心臓を覗かせた。

 

「…?なんだ?何か邪魔したか?」

そういうウィンの隣には白い髪を短く刈り込んだテルミドールもおり、怪訝な顔でこちらを見ている。

 

「いや…」

 

「…なんでもない…」

 

「? そうか。ヘリに乗ってくれ。昨日話した通り、私の知る全てを教えよう」

 

「? ここじゃダメなのか?…!!お前は!?」

テルミドールの顔を見たセレンが驚き咄嗟に距離をとる。

ガロアにはその行動の意味が分からなかった。

 

「そう気を張るな、セレン・ヘイズ。私はお前と同じだ」

 

「!…まさか…そんな…私以外に…」

 

(…ああ。セレンは…ベルリオーズの顔を知っていたのかな…)

既にセレンのこともテルミドールのこともクローンだと知るガロアはただ表情を変えずにそう考えていた。

 

「早くしろ。ヘリの準備はもう出来ている」

 

「ああ。セレン、行くぞほら」

 

「……」

 

実はまだ荷物も持ったままのガロアとセレンだが、本格的に動き出す前に知っておいてほしいという、あまり説明になっていないウィンの言葉に負けて荷物ごとヘリに乗り込んだ。

兵器運搬用のヘリなのか、荷物を持っていても全く狭くは無かったが。

ヘリのパイロットは何故か風変わりなマスクをした女性だったしテルミドールとウィンは一言も雑談などしない。セレンもテルミドールと会ってから押し黙ってしまっている。

どいつもこいつも訳アリといった感じだった。誰かが話していなければ場が沈黙している、というのはガロアの生きていた18年間で当たり前の事だったがそれでも空気が重かった。

 

3時間ほど飛んで着陸した場所は寂れた街のすぐそばの砂漠地帯だった。こんなところで何をしようというのだろう。

まさかいきなりウィンが自分を撃ったりして、と考えていると先にウィンが降りて行ってしまった。

そっと外を覗くといかにもあの街の住民とみえる痩せて無精ひげの生えた中年男がいた。

 

「…? 誰だいあんた?」

 

「お前からこれを受け取った者だ」

そう言いながらウィンは手にした一冊の手帳のような物を見せる。

説明が少ないんだよいつもいつも、とガロアは思う。全くもって状況が理解できない。

 

「!!あんた、女だったのか!いや、そうじゃなくて…一体何をしに来たんだ?もう会う事もないはずだろう?」

 

「…降りてこい」

 

「?」

ここまで何一つ意味が分からないままガロアもセレンも降りる。

テルミドールはヘリの中からその男を見てからずっと何かを考え込んでいた。

 

「一体こんなところで何を…」

 

「!!?お、お前は…!?…!!まさか!!?ああああ!!すまない!!許してくれ!!」

ガロアが不満げに疑問を漏らしながらヘリを降りて、その顔を男が見た途端に恐ろしい物でも見る様に男は崩れ落ちて転げながらガロアから距離をとる。

 

「ああ?人の顔見て転げまわるのが趣味なのか、おっさん」

恐ろしい物を見るようなすっかり視線にも慣れてしまっていたガロアだがそこまでビビられるのは流石に心外だった。

 

「落ち着け。話に来ただけだ。私はな」

 

「う、あ…ああ。…だがまさか…そんな…」

 

(なんだ?この男は…)

明らかにガロアと初対面のはずなのに、何かを知っている。というよりも恐れている。

セレンは眉を顰めて頭を回転させるが何もわからずとりあえず黙っておくことにした。

 

「テルミドール。何をしている?降りてこい」

 

「貴様…貴様、どこかで見た顔だ…。どこで…」

テルミドールがドアに体重をかけて頭を押さえる様にしながら降りてくる。

その顔には尋常ではない汗が浮かんでおり余裕がない。

 

「!!まさか…お前…28号か!?生きていたのか!?」

 

「…?誰なんだ…貴様は…」

 

(28号?テルミドールを作るプロジェクトにでも携わったのか?)

自分も32人目にして偶然AMS適性があっただけという事を知るセレンは当たらずも遠からずの答が頭に浮かぶ。

だがガロアがいる今、変なことは言えない。

 

「ガロア。自分の名前を言ってみろ、全部だ」

 

「俺か?というかあんた、初めて俺の事をフルネームで呼ばなかったな、ウィン・D・ファンション」

 

「いいから言ってみろ」

 

「…?ガロア・アルメニア・ヴェデット…」

 

「!!!そうか…そうだったのか…やはり…俺を…裁きに来たのか?」

 

「はぁ?おっさん、あんたは何なんだよ」

全てを理解した男は脂汗を流しながらも観念した顔となりその場に座る。

 

「私が説明しよう。今から22年前、ここから北東にあるグルジアという国でレイレナードの研究所があった。ここである男女が出会い、そしていつか来る戦いに備えて研究が行われた。リンクスを量産すると言う計画のもとにな」

 

「そこで生まれたのがテルミドールだと?それにガロアがなんの関係がある?」

 

「その男女の名は、ソフィー・スティルチェスとガブリエル・アルメニア・ヴェデット。…お前の本当の両親だ、ガロア・アルメニア・ヴェデット」

 

「…!俺の…?」

 

「だがその研究所は今から18年前の6月6日に、倫理逸脱の粛清という名目で企業からの襲撃に遭った。そこには…サーダナも参加していた。そしてここにいる当時三歳だったテルミドールとこの男以外は全員死亡している」

 

「待て…私は…違う…」

頭を押えてその場にへたり込むテルミドールを無視してウィンは話を続ける。

 

「何故その日が襲撃に選ばれたか。ガブリエル・A・ヴェデットを戦闘に参加させないためだ。その日が出産の日でガブリエルは妻のソフィーに付き添い研究所を離れていたからな」

 

「ちょっと待てよ…俺の…本当の父親が戦闘に参加しない?訳が分からねえぞ」

 

「ガブリエルは優秀な研究者であると同時にオリジナルリンクスだった。お前は本来より二か月も早くこの世に生まれた。だがそれでも完璧なタイミングであの研究所が襲われたのは…」

 

 

「お前こそが裏切り者だからだろう」

 

 

砂の上に座る男を見下ろし冷ややかな声で告げるウィンを見ながら、男は青ざめた顔で頷いた。

 

「小さな子供だけが通れる頑丈な隠し通路の存在でテルミドールは助かったが…お前が生き残っていることだけは何度考えても不自然だった。さて…お前を裁くとしてそれは私ではない。

ここにいるガロア・A・ヴェデットとマクシミリアン・テルミドール、そしてセレン・ヘイズにその権利がある」

 

「待て。私が何故関係がある?」

 

「…お前はどこに、リンクスのクローン技術を横流ししていた?」

ウィンはすでにその答えに見当はついているが、改めて男に聞く。

セレンはその時、びりっと背中に変な電流が奔った気がした。予感と呼ばれるものだが何を予感したのかまでは分からなかった。

 

「………レオーネ…メカニカだ…」

そしてぽつりと呟いた男の答が全てだった。

 

「!!!!」

何故自分達三人はここに連れてこられたのか、そして昨日のウィンが言った言葉。

 

(ガロアの両親がいなければ…私は生まれていなかったのか…)

セレンもガロアもテルミドールも。

この世に生を受けた由来を辿れば、ガロアの両親の存在だった。

親がいなければ子はいないというのは当たり前の話だが、それにしても奇妙な物語だ。

どうして自分を含む三人は育った場所も環境もバラバラだったいうのに出会ってしまったのだろう。

 

「ふーん…会ったことも無い両親の話をされても…ピンと来ねえけどさ…おっさん、何か言いたいことはあるかい」

 

「ああ…、いや…俺には今、家族がいる。だからこそ…俺のしたことが許されることじゃないというのは分かっている。殺すというのなら…殺してくれていい。それにしても…」

 

「?」

 

「…本当に…母親にそっくりだな…ガロア・アルメニア・ヴェデット…」

かつて男が密かに焦がれ、劣情を抱いていたソフィーと目の前のガロアの顔は全くと言っていいほど同じだった。

テルミドールがガロアの顔を見るたびにその面影を思いだしてしまう程に。

 

「お、おお…貴様…貴様が…父さんと母さんを…うう?ああ…なんのことだ…?く、う、う…」

うずくまったまま要点の掴めないことを呻きだすテルミドール。

 

「……」

ウィンが疑問だったのは何故ここまで企業に振り回され、しかも企業の元にいながら最初の目的通りに動いているのに両親のことを調べようともしていなかったのかということだった。

もしも自分の両親が企業にされたことを覚えていたのならば、企業に所属して企業の罪を精算しようなんてことをするだろうか。

 

「28号…いや、オッツダルヴァ。お前は二人にとても愛されていた…よく覚えているよ…そして何よりも心待ちにしていたな…」

 

「ぐううううう!!」

とうとう頭を押さえて悲鳴のような声を上げだした。

 

(やはり…洗脳と催眠か…テルミドール…)

根拠不明の怒りと憎しみに苛まれてストレスを溜め続け、髪の毛まで真っ白になってしまったテルミドールをずっと観察してウィンはその理由を根拠から積み上げながら推測していた。

恐らくはその愛情がいけなかっただろう。必要ないと判断したレイレナードは両親とテルミドールの出生に関わる記憶を消そうとしたに違いない。

だが人の記憶も想いもそう簡単に消せるものではなく、

強行的に行われた催眠による一部の記憶へのアクセス遮断はテルミドール及びオッツダルヴァの分裂して破たんしたような性格を作り上げてしまった。

それが幼いころの大部分の記憶となればそれも無理はないだろう。幼い頃の記憶というのはつまりその人物の根っこの部分なのだから。

 

「弟が生まれてくることを楽しみにしていたな、お前は…」

 

「あああぁあああああ!!」

幼いころにかけられた洗脳と催眠が壊れ、塞き止められていたダムが決壊するように記憶が濁流となり流れ込んでくる。

何故こんな大切なことを忘れていたのだろう、という後悔を与える暇もなく記憶がテルミドールの瞳の裏で次々と再生されていく。

父に抱きしめられた日々を、母のお腹に手を触れて弟の誕生を心待ちにしていた日々を。

 

「会えてよかったな…弟と…」

 

「あ………」

テルミドールの隣で困惑して立っているこの少年こそが、幼いころにリンクスになって守ろうと決めた弟だったのだ。彼は自分が生きる理由をもうとっくに見つけていたのだった。

 

 

「ずっと…お前を忘れていた愚かな兄を…許してくれ…ガロア…」

 

 

「……」

自分の脚に縋りつき涙を零す白髪の男を見てガロアはただただ困惑している。

同類だとか、通じるところがあるどころではなかった。本来ならば兄弟として、はらからとして一緒に生きていたはずの人間だったのだ。

テルミドールがガロアを見て感じていた違和感を、ガロア自身がその獣の勘で鏡を見るように感じとっていたのだった。

 

「これからは…兄が…お前を…守る………僕は、オッツダルヴァなんだ………父さんと母さんが…つけてくれた名前だったんだ…」

 

「…う…お…?」

理解は出来てはいるが頭がついていかない。

家族を失い、何もかもを捨てて飛び出したあの日がフラッシュバックする。

今更再会だと?この俺に?と。

 

 

『血が繋がってなくても家族。そういうこともあるだろう』

 

 

いつか自分が口にした言葉が頭の中でいつまでもぐるぐると渦巻いていた。

 

血が繋がっていなくても家族という言葉が真実ならば、自分は。

そこまで考えてガロアは、隣で自分と同じくらい困惑しているセレンが自分にとってどういう存在か気が付いたのだった。




結婚おめでとうございまーす
仲人はネオニダスですかね(独身だけど)

実際の八年も面倒を見てきた女の子な訳ですからぐっとくると思いますよ。
最後の一押しも自分でしたわけだし。


結局レオーネ改めインテリオルのリンクス量産計画は頓挫しました。
情報のリークのせいでもう霞の遺伝子は使えませんし、今更量産しても間に合わないというのもありますが、何よりもこの男の伝え方が不十分だったので完全な量産が出来なかったのです。

事実、ガブリエルとソフィーは互いに完璧なコンビネーションで一発でオッツダルヴァを生み出していますが、インテリオルはセレンを生み出すまでに31回も失敗しているというのは第二話を見ていただければ分かると思います。
じゃあ人員を増やせばいいじゃん、という訳にも行かないんです。人間の犯せる罪の中でも最悪の部類に入る物ですから動員する人材も限られますし、規模を大きくすればそれだけリークしやすくなります。
何よりも金と時間がかかりますしね。一から作るのは。



これからガロアは『武の極み』に挑むことになります。
虐殺ルートで見せたのが『暴力の極み』であるならば、それはどうなるのでしょうか。
武も暴力も似て非なるものなのですが……


ハリの嫉妬が膨れ上がっていますね。
戦力とよく回る頭という面以外では全てに勝っているハリなのに……
いずれガロアに喧嘩を売ることになるでしょう
その時ガロア君が普通にぼこぼこにして終わるのか、言葉巧みに説得するのかは…お楽しみに。


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少女S

結局ガロアもオッツダルヴァも、そしてセレンもその男をどうすることはなかった。

ガロアは元々どうする気も無かったし、そこでオッツダルヴァが泣きながらも男を殺さなかった理由はうまく言葉にできないが分かるような気がした。

 

人のどうしようもないところに宿命という物がある気がしないか?

ウィンはそう言って去っていった。

 

 

確かに、この世界には人にはどうしようもない物があるらしい。

川を流れる水のように流れる場所は決まっていて、それでも自由に流れるものなのだろう。

 

ガロアはずっと帰りたいと思っていた。セレンを連れて自分が育った場所へ。

 

 

 

 

「ほら、セレン。掴まれ」

 

「ああ」

別に掴まらなくても登れる、とは言わずに素直にその手を取りアレフゼロの背部に入る。

帰ってからすぐに出撃、ということもなくテルミドールもといオッツダルヴァが言うには戦力が増えた分作戦を練り直す時間が必要だという。

メルツェルに聞かなくちゃ、友達なんだあいつは、とあどけない顔で言われてガロアはまたぽかんとしてしまった。

 

「俺が後ろ、セレンが前だ」

ならばその隙間のような時間に、前に言った通りセレンを自分が育った場所に連れていきたいと言ったらオッツダルヴァもウィンもすんなりと許可した。

ダメだと言われてもガロアは無理やり連れて行ったが。

 

「そうだな。…荷物は?」

 

「足元でいいだろ」

荷物もそのまま持ったまま、久々にネクストのコックピットに乗り込む。

明らかに二人は座れるような場所ではないが頑張って座る。

自然とガロアに後ろから抱きしめられるような形になってしまいセレンは顔を赤くしたが、

これは仕方がないのだと心の中で必死に繰り返して気持ちを落ち着ける。

体重的にガロアが前では圧し潰されてしまうし、呼吸もできない。この形ならマニュアル操作も出来るし前も見える。

 

「行くぞ」

 

「う、うん」

と言っても位置情報を打ち込んだ後は勝手にアレフ・ゼロが企業の支配領域および目の届く場所に入らないように飛んでくれる。

いざというときのために首にリンクもしてあるので戦闘になってもノーマル程度なら何とかなる。Gがかかり過ぎないように動けばいいだけの話だ。

 

(ああ…ネクストで飛ぶのってこんな感じだった…それに…昔もこうしてガロアを…)

初めてガロアと出会った時、自分はガロアを後ろに乗せて…そんな遠い記憶を思い出すセレン。

 

「懐かしいな…」

そしてぽつりと口をついて言葉が出てしまう。

 

「ああ、あの時もセレンの後ろで…バイクに乗ってな。あの時はセレンの背中のほうが大きかったんだけどな」

 

「…よく分かったな」

 

「俺とセレンって結構考えていることは大体同じだからな。分かるよ」

 

「…そうか」

 

「セレン」

 

「ん?」

 

「セレンは温かいな。それに凄くいい匂いがする」

黒い髪に鼻をうずめながら声の振動で肌が揺れるような距離でガロアがそんなことを言い始める。

 

「……」

 

「俺はこの匂いが好きなんだ。昔から変わらない」

セレンは何も答えなかったが、聞こえているのは間違いない。

髪から覗く耳が真っ赤になってしまっている。

もう一度髪に鼻をうずめてガロアは思い切り息を吸い込む。

シャンプーと汗の匂いの中に薄く香水の香りがする。

少しドキドキするが、それ以上に、自分を支え続けて強くしてくれた安心できる匂いだ。

 

(なんでずっと一緒にいてくれたんだろ)

そう思っているのはお互い様なのだとガロアもセレンも気が付かないのがややこしいのかもしれない。

さっきガロアが言ったようにセレンとガロアが考えていることは本当は大体同じなのに。

人間が愛おしいものに何故かしてしまうようにガロアは綺麗な髪の生えた頭に頬をすった。

 

「……」

顔を真っ赤にしているセレンだが決して怒ってはいない。

どんなに眉目秀麗な男でもこんな事は決して許さないのに、ガロアにこうされている事に対してはどうしようとも思えなかった。

 

 

 

 

 

「そろそろか。セレン。…セレン?」

 

「……」

 

(そういやよく寝るよな、セレンって)

気が付けばセレンはその腕にアルメニアの花を持ったままガロアに背を預けて眠りに落ちてしまっていた。

育った場所が場所だけに絶対にベッド以外では眠らないガロアに対し、セレンはどこでも暇さえあれば寝てしまう。

 

「セレン。もう起きろよ」

 

「…ん…ん?もう着くのか?」

 

「うん。もう着く」

 

「森しかないが」

眼下に広がる光景をそのまま口にしたセレンだが、そうとしか言えない。

 

「森だな」

 

「…?…あ。なにか見えてきたな」

 

「あそこにアレフ・ゼロを入れる」

着地し、そのまま降りて行ってしまうガロア。

倉庫の小さな扉を開き中に入ってから数秒後、ネクストでも十分入れる大きさのハッチが開いた。

その中にアレフ・ゼロを入れて、二人して人が出入りするための扉から出る。

下ばかり見ていて気が付かなかったがもう日が沈み始めていた。

 

(懐かしい……俺にも望郷とか、そんなのあったんだな……)

ザザザザと木を揺らす風、人のほとんどいない世界がガロアの中で錆びつきかけていた物を呼び起こしてくる。

今までガロアの中のあちこちでぐちゃぐちゃに燃えていた物が鋭く…今までの人生が、身体の中で勝手気ままに叫んでいる感情が、全てが一つになっていく。

 

(渾然一体か…!)

生まれて初めて本物の自然の世界に来てそわそわしているセレンとは逆にガロアはこれ以上ない程集中していた。

不思議なことに、己の中の全てを纏めあげようと意識すると周囲の世界も見えてくるのだ。

幼い頃の自分がこれを何も考えずにやっていたのだ。ちりちりと命のざわめきを感じる木に目を向けて身体の中で固まった自分の塊をぶつける。

 

ばっ、という大きな音が立ったと思う程一斉に鳥がその木から飛び立っていった。

 

(………!おっと、よだれが…)

だらしなく開かれた口の端からよだれが垂れていたことにすら気が付かない程の完全な集中はいよいよ達人の域に入っている。

死に物狂いで鍛えた分、感覚が尖りに尖っていた。

 

(でも数は分からないや…)

今までは数えなくても勝手に頭に入ってきた落ちる葉の数は全く分からない。

ただ多いとしか。

 

(今だったらバックを素手で相手出来るかも)

一瞬だけ考えてすぐにそりゃ無理か、と思いなおした。

あの時も、いつもいつも作戦が全部上手く行っただけだ。

アナトリアの傭兵にその気がなくても、あの兵士の中の一人でも引き金を引いていれば簡単に死んでいた。

 

(俺は…運が良かったから生き残っただけなのかも)

だが本当に運がいいなら両親もアジェイも死んでいないだろう。

そう考えて、飛び立った鳥を目で追うセレンを見る。

 

(運が良かったのかな………少なくとも…)

この出会いだけは、とガロアは笑った。

 

「あ…あっ!あれはオーロラか!?」

鳥を追って空を見上げていたセレンが子供のように空を指さして言う。

 

「ん?そうか、もうその時期か。そうだ、オーロラだな」

 

「へぇー…へぇー…初めて見た…綺麗だな…」

 

「……」

正直なところ、もう見飽きているのでそれ自体にはなんとも思わないが、

小学生のようにはしゃぐセレンを見て少し嬉しくなる。

 

(この世界はクソだ。クソまみれだ。でも…)

何かに感動できる。感動できる何かがある。ならば、どれだけ世界がクソだとしても生きていく価値はあるはずだ。

自分がいた頃よりも小さくなったような気がする森とオーロラを見ながらガロアは小さく笑った。

 

何かを失っただけで地獄になるこの世界は、何かを手に入れるだけでそう悪くはない。

 

「あ」

 

「お」

今更じっくり見ても綺麗とはなぁ…と思いながら見ていると一筋の光、流れ星がオーロラが覆う夜空に流れた。

 

二人してそれを見つけたのは小さな奇跡だったのかもしれない。

 

 

「何か願い事をしたか?ガロア」

 

「そんなガキみてえに…いや……………、……うん。したよ」

 

「何を?」

 

「…セレンがどうか幸せになりますようにってな」

それは主語を入れ替えればセレンが願ったことと全く同じだった。三回は繰り返せなかったが。

 

「…また考えていることは同じだから分かるって奴か?あまりからかうな」

 

「……そうか…」

 

(…あれ…?)

唇をとんがらせて少し拗ねながら言葉を返したが、そんな雰囲気ではないことに気が付く。

ガロアは薄く笑いながらこちらを見ており、その顔は普段のしかめっ面ではなく優しい空気を纏っている。

何かガロアがとても大切な事を言ったような気がしてその真意を問おうとしたが、その時一陣の風がざぁっと吹いた。

 

「あっ」

流されて顔にかかった髪を手櫛で直した時にはガロアはもう歩き出しており、

まるでそこにあったふんわりとして優しい思いを冷たい風が全てを攫って行ってしまったかのようだった。

 

この空気ならこれは聞けるこれは聞けないという質問はあるだろう。

ゴミ捨て場で女の子に告白をするのは最悪だし、合コンで学歴をひたすら聞く女も最悪だ。風俗店で始まる前に幼い頃の夢を語るのもかなりズレている。

『今言ったことはどれくらい本気なの?』と、それを訊ける空気は冷たい風が掴んで持っていってしまった。

 

「どこに行くんだ?」

 

「こっちに家がある。というか見えるだろう?」

 

「ん……?あれか?森の中の家ってのは…童話でよく見るが…実際は厳しいものなのか?」

よーく目を凝らすと森の奥も奥、かなり向こうに家らしきものが見える。

 

「うん」

 

「ふーむ…」

自分の想像していた森とは少し違う。なんというか、とても静かだ。

ここで食料の調達なんて考えられない。見渡す限り動物の姿なんか一匹も見えない。

さっき見た鳥で終わりだ。

歩いて行くと枝を踏んでしまいパキリと音を立てた。

 

「あまり遠くに行くなよ。土地勘のない奴が森で迷ったら死ぬぞ」

 

「動物はいないんだな」

 

「いるぜ。今セレンが枝を踏んだ時、そこから見ていた兎が逃げた」

まさか。周りを見回しても虫すら目に入ってこない。

地面に這って探せば虫ぐらいは見つかるだろうが、そうしたところで小動物が見つかるとは思えない。

 

「へぇ…?あの山には何があるんだ?」

何があるんだって見渡す限りの自然だろうけど。そう思いながらもセレンは聞いていた。

 

「え?」

 

「ほら、あそこだけ…何かおかしくないか?」

セレンの指さす…北の方にはまるで巨大なピラミッドのように鋭角な山がある。

崖や斜面はあってもなだらかなこの辺りで何故か少しだけ違和感を感じる山だ。

 

「え……?」

ガロアはきょとんとしていた。何しろ物心ついたときから見ていた景色に疑問を持つ方がおかしい。

『楊貴妃は 綺麗な顔で 豚を食い』という川柳があるのと同じだろう。

例えば生まれたころから肉を生で食べていた人種が余所者に「信じられない、野蛮だ」と言われてもそれのどこが変なのか理解できないのと似ている。

だがセレンの言う通り、地質的に考えてもあの山は周りからほんの少しだけ目立っている。どうしてあそこだけ盛り上がっているのだろう。

 

「行ったことは?」

 

「ないよ…ない。あんなところでは狩れる物もいないだろうしな」

 

「誰かが行ったりとか?」

 

「少なくとも俺は知らない。この時代にあんなところに好き好んでいくやつがいるとは思えない」

 

「ふーん…なら」

ちょっと明日にでも行ってみないか、と言おうとしたらガロアも同じことを考えていたようだ。

 

「アレフ・ゼロに乗って行ってみるか」

本来なら命の危険を覚悟するような場所、例えエベレストの山頂だろうとネクストならばひとっとびで行ける。

戦争戦争戦争、とそんなことばかりに使わないでこんな風に使ってやればネクストも開発者も喜ぶんじゃないかとガロアはなんとなく思った。

 

「うん。二人でちょっと景色でも見てみようか」

別段そこまで好奇心を駆り立てられ頭を掻きむしるほど気になる!という訳でも無いのだがそういう変わったピクニックも面白そうだ、とセレンはのんきに考えていた。

 

「ほら、…。行こう」

 

「そうだな…ん?…なんだあれは」

しばらく歩くとセレンの目の先には入り口で落ち葉を掃く四角いロボットの姿があった。

あれもガロアの家の物なのだろうか。

 

「ただいま、ウォーキートーキー」

 

「!!?ガロア様!?ズイブンと大きく…いや、それよりもお声が出る様になったのデスカ!?」

 

「まあな。ちゃんと家を守っていたか?」

ガロアとのやりとりを見るに、少なくともセレンが見たことないレベルで高性能なロボットだと分かる。

 

「オオ…お帰りなさいマセ。もちろん、いつガロア様が帰ってきてもいいようにしてアリマス。しかし…本当に大きく…。最後に会った時より51cmも背が伸び…スミカ様!!?」

 

「なん…だと…」

こんな高性能なロボット、あり得るのだろうかと考えているとそのロボットがとんでもないことを言いだした。

 

「ア…、アレ…ガガガ…スミ、スミスミ、スミカ様はピー…機能停止したハズ…ジジジ」

 

「なんだ…このポンコツは」

 

「スミカ様!折角久しぶりに会えたのにポンコツとはどういうことデスカ!!

ワタクシは怒っています!!と言ってもコレはそういう反応に対してはこう言う感情を示せというプログラム、つまり哲学的ゾンビ的な」

 

「それも教えるよ。入りな、セレン。ようこそ、俺の育った家へ」

 

 

ガロアが出ていった日からずっと無用の長物となっていた暖炉に火をつけてガロアは話し出す。

セレンの知らない14年間、父の手紙、そしてガロアの心中を。

それはセレンが思っていたよりもずっと温かく、それでいて「人の歩んだ道」を語っているにはあまりにも登場人物が少なく、

そしてセレンが思っていたよりもずっと過酷だった。むしろその真の迫る様な苦しみが、ガロアが何一つ嘘を吐かずに明かしてくれているのだという証明になった。

 

「…こうして、惨めな気持ちに耐えられなくなった俺はクソアナトリアの傭兵をぶっ殺す為に何もかもを捨てて家を出たのに、何故かまだアナトリアの傭兵は生きているのでした…と」

 

「……」

 

「調べても…分かんなかったろ。知っている人間も記録もないからな。養成所に入るときも…嘘は何一つ書いていなかったんだけどどれ一つとして俺を表す記号にはならなかった」

 

「…知っていたのか。調べていた事を」

 

「何となくな。俺はこの森で…父さんがいなくなってから…少しずつ…少しずつ…」

 

「……」

 

「心を削っていったよ」

 

「…!」

初めて出会った時のあの獣のようなガロアを思い出した。

人としての心を完全に摩耗させた人間の姿はああいうものなのか。

 

「何か他に聞きたいことはあるかい」

 

「人を…10歳の時に?」

 

「殺した。奪った弾丸は31発。後は缶詰5個。家族がいて死体を見て泣いていた。死体は無いけど、まだ血痕はあっちにある街に残っているよ」

 

「……」

 

「一歩間違えば俺が死んでいた。それだけだ。死んだ男も文句は言えないよな。ほんのちょっとしゃがむタイミングが遅れていたら俺は死んでいた」

 

「お前は…死ぬことを…」

 

「生き物は生きる為に他の命を奪う。そいつが死んでいいタイミングでなんか殺していない。だから俺もある日突然誰かに、何かに殺されてもそういうことなんだろう。

ああ…そういえば。結局やる時間なかったけど俺はその死体をバラバラにして持って帰って食べるつもりだったんだなぁ。それ以外にも…森に来た奴を何人か殺していた」

 

「でも、私にはそんな風には見えなかった、お前は」

 

「何も喋っていなかったからな。途中まで人も頭がいい生き物で、死ねばただの食い物。それだけだと思っていた。セレンに育てられてから、その考え方が変わった」

 

「……。お前、どうやってインテリオル管轄街まで来た?ここまでだってネクストで来たくらいなのに…」

 

「ああ…。さっき言ったロランおじさんに頼んで連れてきてもらった。この人がいなければ俺は死んでいた。だからセレンには俺の過去を一切教えなかった」

 

「どういうことだ」

 

「元気にテロリストをやっているって言ってた。リリアナのリーダーだって。今は何をしているのかな…。でも…テロリストでもなんでも俺の恩人だ。見方で善か悪かなんてすぐに変わっちまう。いや…本人ですら…簡単に善に悪に…変わる物なのか」

ガロアはロランがORCAに所属していることを知らない。

ウィンから聞かされて全員の名前を知っているが、オールドキングと名乗っているリンクスがロランだとは知らないのだ。

 

「……」

 

「昨日は老人に席を譲った奴が…明日は盲人の杖をわざと蹴るかもしれない。考え方と言うか…気分の違いで。あるいは…何かがちょっと噛みあわなくなるだけで。人は壊れていく…変わっていく…」

 

「お前は…壊れていると?自分でそう思うのか?」

 

「…。殺そう殺そうと思っていた…アナトリアの傭兵の目の前で…銃を持った俺は…どうしたと思う?銃をぶっ壊して子供みたいにボロボロ泣いたんだよ!…はぁ…情けねえ」

 

「……」

 

「そんで…そんなことを一番知られたくないセレンに話している俺って何なんだろう?…自分でも自分が分かんなくなってくる…いや、ずっと分からねえ」

 

「……」

 

「どうしてこうなったのか分からねえ。正しいことかも…間違ったことなのかも…。気が付くのは…ずっと後になってからだ。自分が壊れているのか正常なのかももう…分からねえ…」

顔を隠すように覆った大きな手の隙間から暖炉の火を受けて輝く滴が落ちていく。

ガロアは成長し、大きく、強く……それこそこの世界で敵う者などいないほど強くなったはずなのに幼い頃には無かった涙を流すようになってしまった。

 

「……」

そこで涙を流すのならば正常だと、そう思っていながらも何も言えない。

ガロアがセレンの前で泣くのは初めてだった。殴っても蹴っ飛ばしても数時間ぶっ続けて走らせても一粒も零さなかったのに。

どう声をかけるのか、あるいはどう反応するのが一番良いのかと考えているうちにガロアは泣き止み顔を上げていた。

 

「ウォーキートーキー。………ウォーキートーキー!コラ!センサー壊れてんのか!」

 

「ハイ。なんデスカ!ガロア様がワタクシの見えない所からワタクシを呼ぶのは初めてデスネ」

 

「まだバックはあるだろ?一キロぐらい、切って解凍して持ってきてくれ。あと野菜も。台所に置いたらもう今日は休んでいい」

 

「了解デス」

 

(バック…?何のことだ?…まぁいい。ガロアが…全てを教えてくれたのなら…私も自分と向き合って伝えるべきなのか…)

実はガロアがセレンがクローンだという事をとっくに知っているとはつゆ知らず、口を開く。

それだけでも普通の女の子が思い人に好きだと伝える五倍の勇気は必要だった。

 

「なぁ、ガロア」

 

「?」

 

「霞スミカは…お前の何だ?」

 

「なんだって言われても…何だろう。ちょくちょく俺を預かって面倒見てくれた人かな。ああ、ここは話した事を繰り返しているだけか。うん…そして…」

 

「そして?」

 

「俺に命を教えてくれた人」

 

「…?よく分からないのだが」

 

「そこの部分を話していなかったか。スミカさんはALSの患者だった。俺はあの人が弱っていく様を、そばでずっと見続けていた。…人は死ぬ。あの人が命を使って教えてくれたことだ」

 

「ALS!?ただ死んだとしか…聞かされていなかった…」

 

「そう。俺もスミカさんがこの世からいなくなった後に病名を知った。父の持っていた本を漁って…」

 

「…はっ、う…。わ、わたしは、…」

もうこれ以上自分の事を隠しているのは不可能だ。もう、言うしかない。

自分はクローン人間なのだと。お前の知るその霞と全く同じ生物なのだと。どんな顔をするのか。一緒にはいてくれないだろう。

 

失うのか。

 

だがそれでも、それを隠しておくことは不誠実なのではないかと内側に響く声に負けて事実をさらけ出そうと口を開いたとき。

 

「知っているよ。もう苦しまなくていい」

 

「あ…?」

 

「セレンは霞スミカのクローンだ。知っている。ずっと前から」

 

「な、え?」

自分が本当は人間として外を堂々と歩ける人間では無く、最初から戦闘兵器として作られた存在だとしたらガロアはどうするのか。

ずっと言えなかったのに。

 

「とっくに、知っている」

想像は虚ろだったがいつも残酷だった。告げたらきっと冷ややかな目で理解できない物を見てしまったかのように一瞥して出て行くのだろうと頭の中で思っていた。

喋れないから罵倒も疑問も口にしない。ただ秋の冷たい風が冬を運んで去るようにいなくなるのだろうと。

しかし今のガロアは灰色の目に暖炉の火を映して優しい声を出している。ついこの間手に入れた声で。そんなことは想像すらしてなかった。

 

(知っていたのに一緒に来てくれって言ったの?)

心の声が、幸せな結末を教えてくれている。だが猜疑心に包まれた理性は簡単に目の前の事実を信じさせてくれなかった。

 

「そんな…、いや、知っていたのなら何故私と一緒にいた?」

 

「どういうこと?」

 

「気持ち悪くないのか?私はお前のよく知る霞スミカのクローンなんだぞ!?見た目も全く同じなんだ!」

 

「さっきも言ったけど、何か少し違うだけで人は変わっていく。セレンはセレンだ。霞スミカじゃない」

 

「ああ…う…いや、でも、この姿は霞スミカの物だ!!私は、セレン・ヘイズはこの身体の中にしかいない!!見える訳でもないのに適当なことを言うな!!」

ガロアは何一つ間違ったことを言っていないのに、優しいのに、だんだんと声が荒くなる。

がりがりと頭を掻きむしってから、生まれてから20年間ずっと影のように纏わりついてきた自分の問題をとうとうぶつけてしまう。

 

「はっ。そうだな、見えないな。でも俺、セレンの性格好きだけど。これじゃダメなのか?…『かんじんなことは、目に見えない』。俺の目は…な。見えてないんだ」

単純だから分かりやすくて、とは言わないが、ほとんど一方通行のコミュニケーションしか知らないガロアにとって、

喜怒哀楽も表情も実に分かりやすいセレンはとても話しやすかった。そんな分かりやすいセレンの性格をガロアは実に好いていた。

ガロアのよく見える目で肝心なことは何も見えていなかった。見ることが出来ない物だった。

 

だがその言葉は。

 

「私の…性格?…中身の、事か?」

セレンが最も人生で欲していた言葉だったのかもしれない。

DNAが血が遺伝子が同じでも、歩んできた道が違い、中身を認める人が違えばそれだけでもう違う人物なのだ。

だが研究者もレオーネメカニカもセレンの中身などは一切見ずに、ただ戦闘兵器としての目線しか向けなかったのだ。その16年があって、どうして人と交われようか。

しかしガロアは言いきってくれたのだ。霞スミカもセレン・ヘイズもよく知るガロアが、上っ面の気持ち悪い言葉だけではなく本心から。

「あなたの中身が好きだ」と。

どうして本心だと分かるのか?簡単だ。ずっと前に知ったというのにそれでも一緒にいてくれたのだから。

 

「…。なんでこうなっているのか、分からねえ。父さんは、俺は賢いから真実に辿り着けると書いてくれていたけど…別に何か目的を持って動いていたわけじゃない。話せるようになって。

何かが少し変わって。テロリストに入ったかと思えば、色んな奴が流れて。何故か血の繋がっていない兄貴なんてのが出来て。どうしてこうなったのか全然わからない」

 

「……」

 

「今までの行動が正解なのか、間違っているのか…そもそも正解も間違いも無いのか。…でも、一つだけ、正解だったと思えることがある」

 

「…?」

 

「偶然でもなんでも構わねえんだ。これだけは正解だと思っている。俺は…セレンに会えてよかった。また大切な人が出来たんだ。セレンと飯食うと美味いし、いい匂いもするしな!あれ?これは中身じゃない?」

ガロアは本当によく笑うようになった。

最初に会った頃の非人間的な印象がまるで嘘だったかのように。

だがよく笑うようになったのは、ガロアが変わったからというだけではない。

 

(あ)

綺麗な言葉を投げかけてくる男はそれこそ数えきれないほどいたのに。

 

(私はガロアが好きなんだ)

それでも、ずっと一緒にいてなお飾らないその言葉はセレンの心の針を完全に振り切らせて、心の中にあっても無視していた感情を浮き彫りにした。

 

(もう理屈がどうとかじゃなく好きなんだ。どうしようもないくらいに)

自分だけの物、その人物だけの物と考えてしまうと命に大した価値は無いし、老若男女貧富貴賤関係なくそれぞれの命の違いも無い。いずれは死ぬし、今は生きているだけなのだ。

ただそこにあるだけと考えるのならば、そうなるのだろう。

誰かにとって大切。そうなって初めて命に価値が出てくるのだ。

命の価値は誰かにとってはゴミのようで、誰かにとっては地球よりも重い。

大切な人だという、ガロアのその言葉がセレンにとっての自分自身の作り物だと思っていた命の価値をこれ以上なく感じさせてくれた。

 

「クローン、クローン!そうだな。セレンはクローンなんだろうな。だけど…どこの誰がどこでどんなふうに言おうと…俺に力をくれてここまで育ててくれたのはセレンなんだ。霞スミカじゃない。俺にとってセレンはただ一つだ」

あの灰色の目は明確に、霞ではない自分を見ている。

 

(……もっと私を見て)

セレンは勘違いをしていた。ガロアが霞を知っているということは恐怖だと。それは逆だったのだ。

ガロアはこの世界で唯一、自分に本当のアイデンティティをくれる存在だった。

ガロアは霞と自分とそれぞれ共に違う時間を過ごした本当の経験があるから、「セレン・ヘイズと霞スミカは違う存在だ」という言葉を本心から言えるのだ。

誰かが例え同じ言葉を本心から言ったとしてもそれが本当だと確信は持てない。だがガロアが本気で言えば、それはガロアの過去と事実が本当の事だと証明してくれる。

 

霞という人間を知りながら、自分がクローンだと知りながら、ガロアはずっと自分を一人の人間として認めていてくれたのだ。

見てくれだけでも、言葉だけでもなく、心から。

自分はそのことをなんとなく、今まで過ごした時間から知っていたのだろう。だからこそその上でガロアから綺麗だと言われるのは嫌では無かったのだ。

もう完全にセレンは信じ切った。あの日の出会いは運命の出会いだったと。

馬鹿みたいに広い世界でこれまた愉快な動物畜生と同じようにまぐわって際限なく増え続ける何十億という人間がいる中で、『自分』を教えてくれる人間と億分の一の確率で出会えたのだから。

 

 

 

(もう最後の最後ですれ違うのは嫌だ)

そんな経験はないはずなのに、セレンの頭に魂からの声がこだました。

 

 

 

「……動物を掻っ捌いていたころから随分と遠くまで来た。なのに本当にやろうとおもっていたことは何一つできていない」

 

「散々人を殺して地球を汚染して…なのにこれだ。どうして…こうなってんのか何一つ分からねえ、結局。俺は…」

どうして。なんでなの。出会いは偶然だったのか。ここまで来たのは神の悪戯なのか。ガロアの頭を渦巻く疑問と運命。

その答を小さく弱い人間には一つの言葉でしか言えない。

 

「私は…」

 

 

あるいはこうやって言えたことも。

 

 

「ガロアが好きだ」

 

 

奇跡としか。

 

 

 

 

 

 

「うん」

しかしその反応は淡泊だった。

 

(あれ…?)

考える前に言葉になって出てしまった「好きだ」という声に今になって心臓は大暴れしているというのに、ガロアはそれを聞いてさも当然のように返事をした。

もしかして別の単語でも言っていたんじゃないかと思ってしまう。

 

「ガ、ガロアは?」

 

「好きだよ」

 

(あれ?なんか違うな…ってそうだ!!見た目も綺麗だって言われていた!!中身も好きだと言われたばかりじゃないか!!)

人と交わった数だけ、会話した数だけ、街で歩いた経験だけセレンがその感情を自覚するのはガロアより数歩分早かった。

 

「あ、あえ、その…私より好きな女はいるか?」

 

「いない」

 

「……あれぇ?」

 

「14の頃から一緒にいて、今もこんなことになってんのに一緒にいるんだ。嫌いなわけない」

だがガロアにはまだ恋も愛も理解するには早すぎたようだ。

 

「いや、…」

 

「セレンだって、俺の事が嫌いなわけ無いさ」

他の男がそんなセリフを吐いたら虫唾が走る。だがこれは、まだ小さく弱かった頃から自分を頼って一緒にいたという経験から来る信頼なのだ。

 

「いや、その…原因と結果的なことではなくてな?もう、理由不明にって言うか…感情優先の好意っていうか…んん?」

そう、信頼なのだ。自分の言う好きとは何かが違う。

 

「どうしちゃったの?大丈夫か?」

何をいまさら、という顔で聞いてくるガロアは実に不思議そうで、自分が間違ったことを言っているのではないかという気分にさえなってくる。

 

「んん?うん。大丈夫…?」

そういえばそれを、好きだと伝えてどうしたいのだろう。

ずっと一緒にいるし、ガロアも私の事を好いてくれているのは間違いないし、大切にされているのだとも感じる。

だけどそれをどうしてほしくて伝えたのだろう。これ以上何を求めているのだろう。

そもそも言う必要があったのだろうか。よく分からなくなってきた。今度メイに聞けばいいのだろうか。

 

「お食事の準備ができマシタ」

 

「あれ?作っちゃったのか?」

 

「ハイ。何やら話が進んでいるようだったノデ。こんなスミカ様は見たことがアリマセン」

 

「…?ウォーキートーキー…何か変わったか?バグか?…まぁいいや。飯にするか、セレン」

 

「あ、ああ」

 

ウォーキートーキーと呼ばれた風変わりなロボットの作った料理は驚くほどガロアの作る料理と似ていた。つまり美味しかったという事だ。

ガロアは何故料理が出来るのか、何故基本的に自己完結でなんでもやってしまうのか。それはこのロボットがサーダナが死んでから口うるさく教育を施したからだろう。

教えてやる、と言ってここに連れてきたのはそういう事だったのかもしれない。

 

「凄い美味かった。でもバックってなんなんだ?」

ガロアが食器を下げてしまい、これを洗ったらもう今日は休んでいいとロボットに指示している中ふと一つ疑問が浮かび聞いてみる。

 

「シカだ」

 

「シカ?確かにシカはバックとも言うが…この辺にシカがいるのか?」

 

「うん。こんくらいあるやつだった」

わざわざ椅子の上に立って天井近くで手の平をひらひらとさせている。

既に見上げるような身長のガロアがさらにこんな表現するシカなんているものか。

 

「ふっ。なんだそれは。そんな化け物がいるか」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

(あれ?…まさか本当のことだと?…まさかな)

 

「……」

 

「霞は…どんな人間だった?」

ひたすら否定し続けた人間がどのようだったかなんて聞く日が来るとは思わなかった。

しかもそれをガロアに聞くなんて、例えば出会ったばかりの自分に言えばあり得ないと否定されただろう。

しかし今は何故かすんなりと聞くことが出来た。もう自分と霞は違う存在だと、はっきりと言い切れるからかもしれない。

…そう言うにはまた別の勇気が必要かもしれないが。

 

「そうだなぁ…30歳過ぎているのに…おねーさんと自分のことを呼んでいた。俺にも呼ばせていた」

 

「えぇ…」

困惑しながらドン引きする。なんというか、一言で言えば聞かなければよかったと思った。

 

「後は…たまに俺に女の子の格好させてた。今考えるとおかしいことだったな…気が付かなかったけど。…なんでかな。色々思い出はあるのに…こんなしょうもないことしか思い出せねぇや」

 

(く…何故か私が恥ずかしい…)

しかも気持ちが分かってしまう。初めて会った時でさえかなり女の子寄りの中性的な見た目だったのだ。

もっと昔はどうだったのか…。考えるだけでもお腹いっぱいになってくる。

 

「あ!昔の写真無いのか!?」

 

「ねぇ」

 

「む…。しかし…狩りで暮らしていた、か。最初は運動神経も体力も無かったのになぁお前」

 

「それも大事だけど狩りは動かない方が大事なんだ。それにじっとして…周りと一体化していると周りの事が分かってくる」

 

「なんだそれは。だが大きくなってよかったじゃないか、どちらにせよ。小さいままよりはずっといい」

 

「……。強く…なったつもりだったんだけどなぁ。結局、殺せなかった。引き金一つ引くことすら出来なかったんだ」

 

「……」

 

「何で生きてんだこの野郎って思ったけど、殺していなくて良かったなって思っている自分がいたんだ。あまりの自己矛盾ぶりに笑えてくる」

 

「いいや…それはお前が本当に強くなった証拠だと思うよ」

それでも許すという事を出来る人間は本当に強い。

許している訳じゃない、出来なかっただけだと言っているがそんな風に成長したガロアを誇らしく思うセレンは恋心を自覚してもまだ母親のようだ。

セレンはずっと、ガロアのことを誇りに思っていた。今ではそんなガロアを育てた自分ですらも誇れそうだ。

 

「何を言っているのか分からねえよ、セレン。俺が…ガキだからかなぁ…」

 

「……」

 

「自分で考えた事、自分で決めたことに従って自分だけで動いていた。でも俺は…喋れねぇから喋れねぇ分だけ……自分の頭の中にある言葉の海に溺れていたんだ」

 

(…私には…お前がいくら強くなっても時々ひどく儚く見えていたよ。…ああ、言えないな…どうしてかな…)

ガロアの強さは自信という目に見えない柱に支えられた張りぼての強さ。それが壊れたらどうなるんだろう。

鍛えた身体も、AMS適性も消え失せるわけでは無い。ないが…。

 

「ただ…セレンにぶっ倒れるまで走らされたり、締め上げられて気絶するときは頭の中の海は空っぽだったな」

 

「動かないから余計な事を考えるんだ。私が身体をひたすら鍛えさせたのは正しかったってことだ」

暗い空気になるのを拒むように軽い調子でそんなことを言い始めるが、ガロアは悪い思い出という顔はしていない。

 

「その割にはセレンは俺がミッションで怪我することを心配しすぎなんだよ。何十回セレンに骨を折られた?たぶん鼻の骨だけでも五回はある。歯もぼろぼろ」

 

「でもお前も最後の方は…私の指を折ったり肋骨にヒビを入れてくれたりしてたな」

 

「身長が同じになったくらいの頃か!」

 

「その頃はまだ私の方が圧倒的だっただろ!」

 

「はっは。いや…うん、そうだな…俺の先生だもんな………、強かったよ、本当に」

 

「……」

今では逆に手を抜かれる程に強くなってしまったガロアが少し悲しそうな顔をしたのをセレンは見逃さなかった。

それどころかガロアに勝てる人間はいるのだろうか。腕も立ち力もあり頭も回るガロアに勝てる人間などそうはいない。

その点ではもうガロアの横に立ち理解することはいつの間にか出来なくなっていたのかもしれない。

世界最強の男すらも倒したガロアを力で理解する者はこの世界にいるだろうか。

頂点に一人立つ、ってどんな気分なんだろう。美しい物語のように聞こえるが……。

 

「後は?何が知りたい?全部教えてやるよ。…いや…セレンには知っておいてほしい。きっと、人間が生きるってそういうことなんだ」

 

「……うーん…。また、気になることがあったら聞くさ」

 

「そうか。セレン。上と横、どっちが好きだ?」

 

「ん?…上?かな…」

 

「分かった。じゃあ上の部屋で寝てくれ」

 

「?」

 

「もう寝る時間だ。俺のベッドがある。ウォーキートーキーがこまめに掃除しておいてくれていたからすぐに寝れるだろ。俺はあっちで寝る。おやすみ」

 

「ん?ああ、おやすみ…?」

さっさとトランクから自分の寝間着を持って隣の部屋に引っ込んでいってしまうガロア。

確かに聞きたいことはもう思い浮かばなかったが、もっと話したかったのに、と完璧に恋する乙女の思考になりながらも、

また明日もあるさ、と思い直して着替えを済ます。

今までもずっと一緒にいたのだから明日もいるのは当然の事だと思うセレンだが、それも一つの奇跡だとは気が付かなかった。

好いた人とずっと一緒にいれるという幸福はこの世の何にも代えがたいものだと。

 

 

ガロアはその幸福を受け入れられる存在だと、その価値がある人間だと自分で思っているのだろうか。

それはセレンも、ガロア本人ですらもまだ気付いていない。

 

 

「ここ…ガロアの部屋か?」

二階に上がり入った部屋は、屋根裏部屋を改装したと言う感じであまり広くは無いが、あの時のガロアの身体の大きさを考えるに十分なのだろう。

ベッドと机、本棚があり、本棚にはずらりと頭痛がしそうな本が並んでいること以外は典型的な子供の部屋と言った感じだ。

 

「……」

別に開けちゃダメとは言われていないよな、と心の中で言い訳しつつ引き出しを開ければ、ちょっと意味が分からない落書きや、

小さな手でペンを握って書いたのであろう数式の写しなどがわんさか出てくる。

 

「……!本当にハンターだったのか…」

二段目の引き出しには銃やナイフ、弾薬などが細かくキチンと分けられた状態で入っており、柄が砕けたナイフには隠しようも無い血の曇りがある。

 

「………?なんだ?これ…」

机の上にガロアらしくない、しかし子供ならば当然あるであろうオモチャが置いてあることに気が付いたがどうもおかしい。

胃痛に苦しむ四十代男、妻の弁当が不味い三十代男、借金地獄に溺れて苦悶する二十代男といった感じの顔をした丸い人形が置かれている。

一見して呪いの人形にしか見えない。

 

「…?…??……寝るか」

机を漁っていたのを見られたのがちょっと後ろめたく、

全ての人形を後ろに向けて電気を消し布団に入る。

 

(…!子供のころから…ガロアの匂いがするんだな…)

ベッドは子供用にしては大きく、きっと長い間使うことを想定して作られた物に違いない。

ほんのり生まれたての獣の臭いに混じって出会った頃とあまり変わらない匂いがする。

 

(匂いが…一番記憶を呼び起こす…なんだっけ…何効果って言うんだったかな…)

鼻に毛布を寄せて息を吸い込み目を薄く閉じる。

誰も見ていないのをいい事に、自覚した恋心の赴くままに思い切り毛布を抱きしめる。

 

(いい匂いだ。…後ろからじゃなくて正面から…ちゃんと抱きしめてほしい…)

 

(ああ、そうか。そういうことを言えるようになりたかったんだ。そう言える仲に…)

仲に、仲に、と考えるがガロアは自分のワガママは大抵聞いてくれる。

それがガロアの往く道の妨げにならない限りは。

 

(言いに行こうかな)

毛布を身体の内に巻き込むように抱えて思う。

寝つきのいいガロアはもう眠っているだろう。だから…

ねぇ、起きて。優しく抱きしめてくれ、と。

起こしてそう言えば訳が分からないとかそんなことを言いながら寝ぼけた顔で望みを叶えてくれるだろう。

でもそうじゃない。

自分と同じくらいどきどきしてほしい。

自分だけをもっともっと見てほしい。

違う、そうじゃなくて、とぐるぐる考えながら毛布を抱きしめていると。

 

「何をしているのデスカ」

 

「どあっ!!?」

突然声をかけられて驚きのあまり毛布をちゃぶ台を返すようにブン投げてしまう。

真面目に今は口から心臓が30cmほど発射されたと思う。

 

「顔までお布団をかけてしまうと寝苦しいデスヨ」

 

「おま、お前…いつから…」

机の横の充電器の上で待機状態になっていたウォーキートーキーが紅い目でこちらを見ていた。

 

「最初からいましたガ」

 

「お、おおう…」

 

「スミカ様は昔みたいにガロア様を抱擁しないのデスカ?」

 

「は、は!?そんなことをしていたのか!?」

 

「記憶障害デスカ?会うと必ずしてイマシタ」

 

(なんて奴だ…誰も見ていないのをいい事に…)

先ほどの自分の行動を完全に棚に上げて心の中で責め始める。

そのすぐ後にあることを思いつく。

 

「あー…ウォーキートーキー?」

 

「ハイ」

 

「昔の記憶を映し出す…なんてことは出来るのか?」

 

「デキマス」

 

「よし!最初にガロアに出会った時の画像なんかあるか!?」

これだけ高性能なロボットならもしかして、と思ったことがどんぴしゃり。

見事に高画質投影機としての機能も兼ね備えていた。

 

「今から16年前デスネ」

パッ、と暗い部屋の壁に画像が映し出される。

 

(うおぉ!!?すごい!!よくやった!!ポンコツ!!)

無精ひげの長身の男…恐らくはサーダナだろう。

そのサーダナの長い脚の後ろに隠れながらぶかぶかの帽子を被った頭を出す赤毛の子供はまさしく幼い頃のガロアに違いなかった。

想像通り、いや想像以上に可愛らしく、髪は全然切っていなかったのかぼさぼさではあるが長めで頬まで覆う赤い癖毛が実に愛らしい。

なんでなのかは分からないがちょっと怯えた表情なのが実にグッドだ。

 

「ほ、他は!?…ではなくて…。私が女の子の格好をさせた時があったよな?見てみたくなった」

このロボットが自分を霞だと思っているのならもうそれでいいや、と思いフルでその権力を利用していく。

 

「ガロア様が6歳の時のものデスネ。あの時スミカ様は狂喜乱舞していまシタ」

また映された画像にはお菓子で作られた家と人形の前できょとんとした表情で座っている子供がおり、

童話に出てくるお転婆な農家の女の子の格好をしていてそれがまた表情と相まって実に似合っている。

 

「ちくしょう!グッジョブだ!クソッ!」

素晴らしいと言わざるを得ない。その後ろで転げ回りながら写真を撮っている女は自分と同じ顔をしていた。何やってんだ、と呆れるし悔しくもあるがその感性はよく分かる。

やっぱり根幹の部分では同じところがあるのは仕方がないのか…と思いながらもガッツポーズが止まらない。

今のガロアも別に悪くは無い、悪くは無いのだが、かなりドギツイ性格になってしまったのでこの時のあどけないガロアに触れていた霞がうらやましくて仕方がない。

 

「結局ガロア様はほとんどこのお菓子を食べれませんデシタ。デスガ、スミカ様は大喜びしてイマシタネ」

 

「ああ!そうだろうな!…あとは…そうだな、何か…記憶に残った写真とかないか?」

コンピューターに繋いでデータを全部見るという訳にも行かないのでそう聞いたのだが、基本的に自我がないウォーキートーキーに対してその言葉は無茶な要求だった。

しかし。

 

「ジジジッ…。ソウデスネ…ワタクシの中で衝撃的、とタグ付けられたのはこれデス」

 

「え…?なんだ…これ…は…」

ぱっと変わった画像はそれまでの物とあまりにも雰囲気が違い過ぎて、映っている人物が同じだと気が付くのに10秒以上かかった。

 

「14歳。ガロア様が出ていく少し前デス」

身体中が真っ赤になる程血に染まり、右腕は明らかに折れていると分かる程変な方向へと曲がっている。

口にナイフをくわえながら凶暴な笑みを浮かべているのは間違いなく自分が会った頃のガロアであり、それまでの画像からの変貌ぶりに心底震える。

何よりも理解が及ばないのがガロアの後ろで引きずっている小さな山のようなものは白いシカの死体だ。だがそれすらも喰らったのはこの魔物のようになってしまったガロアに違いないのだろう。

 

「なんなんだこれは…」

獣のような眼には渦巻くような憎悪が浮かび上がっており、口元から滴る血はガロアのものかそのシカのものかすら分からない。

あるいは怪物なら私を愛してくれるかも、と皮肉った記憶が蘇る。

なんということだ、ガロアは自分なんか比べ物にならない、本当の怪物だったのだ。

 

(でも、例え怪物でも)

今の自分にはガロアが全てなのだ。彼が自分を心から認めてくれているからこそ、自信を持ってセレン・ヘイズでいられる。

もし、もしもガロアがいなくなってしまったとすれば……最早自分は消滅するしか術がない。

 

実に不思議なことだった。それは赤子だったガロアに対し、アジェイがこの家で抱いた感情と全く同じだった。

神の作る偶然というのは、人知れずに起こっていることなのかもしれない。それは例えば人の心の中で。

 

「バック、とサーダナ様は呼んでイマシタ。この森一帯のヌシで、白熊ですら正面から殺す化け物デス。体重は約1t、体高は4m近くアリマシタ」

 

「これを…ガロアが倒したのか?」

 

「ソウデス。死因は明らかに喉の切り傷デシタ」

 

「ガロアは…何か、言っていたのか?」

 

「『俺が王だ』ト。その後まもなくしてガロア様はこの家を守れと命令して去っていきマシタ」

 

「……」

 

「ワタクシの中で」

 

「?」

 

「ガロア様は悲しい子供、と認識されてイマス。スミカ様が一度機能停止する直前、最後に会った時のガロア様の表情の感情分布は…」

 

(死ぬ前にも会っていると…言っていたな…そういえば…)

 

「ソウデスネ…スミカ様が何度も見たのにまた見た…悲しい映画の結末を見るヨウナ…そんな諦念の顔デシタ。アノような顔をする子供は悲しいト」

 

「……」

ガロアの言っていたことに何一つ嘘は無かった。その行動にも。

なぜ愚直なまでに力を求めていたのか。なぜ自分の死ですら当然の事のように言っていたのか。

力が全ての世界で常に生死と隣り合わせで生きてきた結果がそれなのだろう。

それが全てだったガロアの価値観を、今更自分が殴って蹴って噛みついたところで変えられるはずがなかったのだ。

 

(私じゃ…止められないのか?やっぱり…)

その異常なまでに強い精神はあの怪物性と直結している。そう分かってももうそれを止める術が分からない。

 

「その顔デス。ガロア様もスミカ様もよくしてイマシタ」

 

「……。もういい。私は寝る」

 

「分かりマシタ。おやすみナサイ」

 

「…ああ」

 

 

不思議な夢を見た。

出会ったばかりのガロアに戦闘技術を教えるのではなく、家族のように…例えば姉や母のように可愛がって色々なところに連れていくも、

結局力を求めてどこかへと行ってしまうというやけにリアルな夢だった。私とガロアには今の関係以外は無かったのだろうか。

自問自答してもこの現状は何も変わらない。不満はほとんど無いのに、不安ばかりがある。戦いしかない人生に幸せはあるのか?

本当にこれ以外の道で私とガロアが交わることは無かったのだろうか。

次の日は別に目覚ましがかかっていたりしたわけでは無かったが、朝が思いのほか寒く、早く起きてしまった。

 

 

 

最上位リンクス含む複数のリンクスの集団謀反に企業は声をそろえて批判した。

だが、リンクスの顔ともいえるリリウム・ウォルコットとジェラルド・ジェンドリン、

そして企業に忠誠であり続けたウィン・D・ファンションが裏切ったことは、ラインアークから発表された企業の恥部の何よりもの説得力となった。

結果、複数の企業の兵士から技術者、果ては役人までもが裏切りラインアークに移ることとなった。

 

現在はそこから持ち込まれた情報と新しく参入した戦力を元に作戦を練り直しながら、

主に企業の独占していた食料生産地をORCA組がラインアークを拠点の中心としつつも元々所有していた基地から不定期に襲撃し奪っている。

ホワイトグリント破壊から2か月、食糧事情に苦しんでいた人々は久々に腹いっぱいの食事が出来るようになった。

ガロア達カラードからの裏切り組は今は特にやることがない。

ネクストの整備・格納スペースはORCA及び企業の技術者、さらにORCAの資金で購入した工事ロボットらをどれだけ働かせても1週間はかかるとのことだった。

ただ置いておくことといつでも出撃できるようにしておくのはワケが違う。

本格的な戦いが始まるのはラインアークが全てのネクストの帰れる場所として機能するようになり、作戦が整ってからだ。




ガロアはようやく自分の事を知ってほしいという当たり前の欲求を持てるくらいには人間になりました。


ガロアが霞のことを知っているというのはセレンの最大の恐怖でもありました。
ですがそれは裏を返せばガロアは、霞とセレン、見た目が同じ二人の中身が本当に違うということを証明できるこの世界でただ一つの存在だったのです。
セレンはそれに本当はとっくに気が付いていましたが、怖くて考えるのをやめていただけです。

しかし、虐殺ルートのラストでセレンは「今度は正直になる」と言っていましたが…好きと分かった途端に即告白ですからね。
単純か!


恋する乙女は誰にも止められません。
セレンがガロアを思う気持ちには最早ひとかけらも後ろめたさが残っていないので……

セレンはこれから恋愛の「れ」の字も知らないガロアに熱烈なアプローチをしかけることになるでしょう
果たして童貞も童貞、真正童貞のガロア君はどう反応するでしょうか?


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最後の一押しは突然に

朝、随分と小さくなった気のするキッチンで軽い朝食を作っていると起こす前にセレンが起きてきた。

めちゃめちゃに冷たい水で顔を洗わせて食事を出すと、こっちの方が美味しいよと言ってくれた。

言ってしまえばなんだが、ウォーキートーキーと同じ作り方のはずなのに。今日のセレンは朝から何か変だった。

 

「よーし、行ってみるか」

 

「ああ」

二人でもこもこと厚着を着こんで外に出る。

今は雪の季節では無いが、あの山の天辺にはどう見ても雪が積もっており溶けていない。

 

「どこに行くのデスカ」

 

「ああ?あの山だ。まぁ昼までには帰ってくるさ」

ついっと山の方を指さすと、普段あれだけ口の回るウォーキートーキーは何かを考え込む(?)かのようにカメラアイを数秒点滅させた。

ん?と思う前にはもう反応は返ってきたが。

 

「何故デスカ?」

 

「何故って…気になるからだよ」

 

「単純に山に登ってみたいよな」

セレンの答えはなんだかアホみたいだったがまぁそれも理由としてはある。

せっかくこんなネクストなんかに乗っているのだからそういうこともしてみたい。

 

「ピピッ…分かりマシタ。お気をつけて」

 

「うん」

 

起動の方が時間がかかったくらいだ、という感じだった。

肉眼で見える場所などネクストならばあくびする間に行けてしまう。

 

「どこに降りるかな」

 

「あっ。あそこどうだ」

昨日と同じく自分の上に座っている形のセレンだが、何となく身体をさらに寄せてきているような気がする。

 

(……?…?なんだろ)

変な感じがする。何かが変わった気がする。心の中だけじゃなくて…例えば今はセレンの耳が赤い。

寒いからだろうな、ということにしてセレンの指さした場所へと飛ぶ。

 

「ふーん。大丈夫そうだな」

恐る恐る足をつけてみて息を吐く。鋭角な山、しかも雪山の頂上なのだ。

つるっと滑ればごろごろと下まで滑り落ちてセレンの頭にゲロを吐くことになりかねない。

 

「全然雪が溶けていないんだな」

気温の問題もある。春だろうと夏だろうとこの地域は、木陰や洞窟などありとあらゆる場所で氷が張り、雪が残っている時間の忘却の場所だ。

三角形の頂点に立つ訳にはいかないので、頂点より少し下がったところにAC一機がなんとか立てるぐらいの段差、スペースがあってとんがり帽子のような頂点がそのスペースに影を落としている場所に着地する。

 

『_____、__』

 

「は…?うそだろ…」

 

「え?何?ガロア、なんか言ったか」

 

「あ、いや…」

森にいた頃は生きていてもいなくても、それぞれの物体は意味のある音を出していて、それが聞こえるのが当たり前だった。

街に行ってからはそれが消えてしまった……が。アレフ・ゼロだけは不思議なことに語りかけてくる。事あるごとに、ピンチの時に。

今もまさに意味のある言葉でジャックを通して語りかけてきたかのように思えて反応してしまった。

言葉に出してしまったのは、まだ言葉を得てそう月日が経っていないからだろう。

 

「ここ…なんかある」

 

「何言っているんだ?お前」

鋭角な山の頂点を成している部分を見る。

このスペースから一番上までの高さは8mくらいだろうか。この雪の中に何かがあると、そう感じる。

 

「ちょっと待って、セレン」

 

「は?おい、雪崩が起きるって、おい!」

セレンの言葉を無視してブレードをマニュアルで起動し、ゆっくりと目の前に立つ壁を成す雪を溶かしていく。

普通なら土が出てくるはずだ。そう思っていた。だが。

 

「なんだと…」

溶けた雪から出てきたのは一機の朽ちたACだった。

ネクストには見えないがノーマルかと言われればまた風変わりな機体だった。

 

「人知れず…ここで戦った者がいたという事か?…偶然見つけたのか?」

こんな戦いだらけの世界だ。偶然ACを見つけるなんてこともあるといえばあるだろう。

 

「なんだ…?こいつ…ここで何していたんだ…?」

間違いなく、この10年20年の間のことではない。

父も自分も何年も眺めて景色として存在したこの山はずっとこの形だった。

一晩でこのACを隠すほどの雪は降らないし、自分と父に気付かれずにこの場所に来て朽ち果てるなんて不可能だ。

 

「アーマードコアが兵器として広く普及したのはおよそ150年前…もしかしたらこの場所で…一世紀以上眠っていたのかもしれんな」

 

「どこ製の…?」

ネクストの全兵装を把握しているわけでは無いし、ノーマルならなおさらだ。

レイレナードのように急成長し消えていった兵器開発企業も少なくはないのだから。

それにしても見た事が無い機体だ。手にした武器一つをとってもグレネードランチャーとライフルを混ぜたかのような奇妙な物を持っている。

 

「………お前なぁ」

 

「え?」

 

「女と二人でこんなところまで来てスクラップACの談義?馬鹿か?」

 

「え?え?」

ちらっとこっちを見たセレンは何故か不機嫌そうだった。

確かに、山に登って景色を見ようとか言っていたがここまで拗ねる程か?

 

「もういい。好きなだけ調べていりゃいいさ。私は外にいる」

そう言ってセレンは勝手に降りて行ってしまった。

カメラに映るセレンは景色を眺めながらも明らかに不機嫌だ。

 

(なんだよ…そんな怒るほどか?)

ガロアは未だにセレンの気持ちにも自分の気持ちにも気が付かない。

セレンが怒るのも当たり前だった。

 

「ま、いいや」

セレンが開けたアレフ・ゼロの背部から凍える寒気を肌に受けながら外に出る。

景色を楽しむのはとりあえず後だ。

 

『…あんな物がある時点で…俺たちの存在価値は…』

あの日、未確認AFを撃破したときの自分の言葉が思いだされる。

 

(なんでそんなことを今?)

自問自答をしながらそのACの肩へと乗る。

 

「中身は…いない」

人型で背部から入るなど、基本的な構造は同じだ。もしかしたら最初期のACで、この辺で何かしらの作戦でもあったのかもしれない。

あの大自然を思うに考えにくいが。雪を掻き分けて開きっぱなしだったもう人のいないコアへと入る。

 

「もう動かない、当たり前か」

雪に埋もれて凍り付いたACはどこを適当に触っても全く反応しない。

 

「うーん」

がちゃがちゃと操縦桿を触るが反応はなし。モニターにも何も映らない。

 

「なんだこりゃ…見た事もない文字だ」

変なことに気が付いた。

各スイッチに書いてある文字や、所々にある文字、全てが読めない。見た事も無い文字で書かれていた。

 

「ん…?」

サンバイザーにビニールに入れられた何かがあることに気が付く。

取り出してみるとそれは何枚かの写真と文字の書かれた紙のようだった。ビニールに入っていたおかげで雪に濡れているということも無い。

 

「……?何語?」

画像と文字が入り混じったその紙は作戦指令書のようにも見えるが…全く読めない。

 

「これは…火星…?だよな…」

取り出した写真に写る赤い星は恐らく火星のはずだ。

太陽系で他にこんな星は知らない。昔何度も何度も星々の図巻を見て空を眺めたことがあるから分かる。

それなのに疑問が残るのは。

 

「なんだ…?こんな衛星…知らないぞ、俺は…」

火星を取り巻く二つの衛星とその軌道がある。

名前らしきものが書いてあるが読めない。

 

「ダイモス…だろ?これ…なんだ?どういうことだ?」

火星の衛星は一つしか無いはずだ。悪戯か?と思ったが悪戯にしては手が込み過ぎているし意味が分からない。

おぼろげな知識でガロアが覚えている火星というものは、太陽系の中で地球以外で一番人類が生きていける可能性のある地球以外の星、だとか水があるらしいとか…。

火星古代文明なんて眉唾物の噂について大真面目に語っている本も図書館にあった気がするが、自分は馬鹿馬鹿しいと一蹴して手に取りもしなかった。

人が生きていけそうなら文明があるかも?なんて子供のような発想だ。

 

「……?」

写真を裏返すとまたしても解読不能の文字が書いてある。

だが常識から言ってここには日付が数字で書いてあるはず。

恐らくは数字であるはずだ。しっかりと「/」が所々に入っている。

だが数字すらも意味不明の文字で表す必要があるのだろうか。

 

(極秘ミッションでも受けていたのか…?)

と、なれば作戦説明の書類や資料を全て暗号化したか。

だがそれでもACの内部まで暗号化する理由があるのだろうか。

 

(一体何を…?こんな場所で…)

そこまで考えて何かに気が付き外に出る。

昨日のセレンの言葉通り、この山はここらで一番高い。

そしてその頂上ならば何もかもが見渡せる。

 

「こいつ…空…宇宙か?宇宙を見ているのか、お前は…一体…?」

そのACのヘッドはどういう訳か、下を見ていなかった。空を…宇宙を見上げる形で停止していたのだ。

高い場所から偵察の為に下を見下ろすミッションなら、まぁあるだろう。納得も出来る。何故この機体は空を見る?

 

「……?なんだ…これ…」

二枚目の写真には白く細身の機体が写っていたがこれまた意味不明。

細長い腕、細長い脚、小さくも大きくもないが頑強そうなコア。

左腕からは青白いブレードらしき物が光を帯びて出ており、その周囲にはこの前戦ったソルディオスオービットを極限まで小さくしたような自律兵器が飛び回っている。

そしてそのコアの…人間で言えば脊髄、もしくは首の後ろに当たる部分から尾長鶏の尾のように伸びている三日月のような物は砲台だろうか?

アーマードコア・ネクストは人一人が操れる兵器の中では間違いなく最強の兵器のはずだ。それなのにガロアはこの機体の写真を一目見てびりびりとその強さを察した。

理屈なんてチンケな物では無い。強者を求めて戦い続ける細胞を持つ者だけにある通常の思考とかけ離れた部分にある能力。

きっとアナトリアの傭兵もこれを見た瞬間にその戦力が分かるはずだ。

 

(こんなものがいたのか…?俺が知らないだけで…)

最新最強、それがネクストのはずなのに…この機体と戦って勝てるかどうか分からない。

いったいどれだけ昔の物なのか分からないこの機体に。最新兵器のネクストが。

どの進化の過程で生まれた機体なんだろう。セレンから教わった様々な企業のネクスト、AC、MTを思い出すがどの遺伝子も継いでいない。

この写真の機体も、よく見ればこのACも。人型なだけだ。

 

「……」

だが三枚目は実に簡潔だった。写真では無く一枚の絵だった。

 

「黒い鳥の伝承…?」

鳥ともACとも言える黒い『何か』が空を飛び争い合う人々を俯瞰している絵だった。

何かの偶然。それは間違いない。自分は何かを見つけた。これはいつのものなのだろう?

 

父から教えられたその神話の記憶が蘇る。

破壊され、再生し…繰り返す世界という世界の真理を端的に表したような壮大だが分かりやすい話だった。

万物は流転するのだ。

 

(何度も繰り返しているだと?繁栄して自滅して?)

そんな馬鹿な、と独りごちる。

世界中にある本も写真も、絵画も。今まで人類が数千年にわたって歩いてきた歴史を描いている。

そこには滅亡も復興も無い。牛歩ではあるし争い続けているが、それでも一歩一歩人類は進んできた。

 

「だったら…何故…」

黒い鳥という世界中に広まった伝承はどの地域でも同じく、世界は滅んでは復活を繰り返してきたという内容なのか。

分かるのは…黒い鳥といい、リンクスの量産といい、空飛ぶ変態球といい人間の力への渇望は底がないということだ。

 

(なんだ…?こんな寒い場所とは言え…何故ほとんど劣化もしていない?)

少なくとも10年20年の物では無い。セレンの言う通り、一世紀以上もここにあったのだとしたら…全く劣化しない写真なんてかなりの技術、というよりも未だ開発されていない技術なのでは?

だが自分はまだ18年しか生きていない。この世界の事なんて、分からないことの方が断然多い。

 

「なんなんだ…お前は…」

目を閉じてコックピットの中で耳を澄ますが当然何も聞こえやしない。人工的に作られた物だからだ。

森は相変わらず騒がしかった。自然はただそれだけで固有の音を出す。

 

(じゃあなんでお前だけは…?)

コックピットから顔を出して雪の光の反射を黒々と受けるアレフ・ゼロを見る。何故、こいつだけは『声』を感じるのだろうか。

もう一度耳を済ませるとはっきりとそれは聞こえた。

 

「アホー、ガロアのアホー。何やってんだよアホー」

…セレンの声だった。

 

「お、おお。分かった、分かった。今そっちに行く」

かなりキレ気味の声で叫んでくるセレンの声に首を引っ込めながら写真と書類をポケットに入れる。

誰かに…とりあえず後で誰かに聞こう。ラインアークの図書館で調べるのもいいし、専門家も一人や二人ならいるだろう。

ただ分かるのは、今ここでセレンに「あの中でこんなの見つけたけどこれって何」と聞いたらますます不機嫌になるであろうことだけだった。

 

『___、___』

 

(……。信じられるか、そんなこと…)

このACからは聞こえなかったが、代わりにまたアレフ・ゼロからの声が聞こえる。

これが自分の脳内が作り出した幻覚なのかどうか分からない。

最近、自分は何を信じていいのか分からなくなっている。己が力のみを信じるよりもよっぽど難しい状態にいる。

なぁ、俺のネクストは喋るんだ。……とそんな事を言っても誰が信じてくれるというのか。

だが現実、このネクスト…アレフ・ゼロはいつも力を貸してくれて、そして先ほどの囁きすらも真実だった。

事実としてアレフ・ゼロはかなり自分の命を吸っていると思う。だとしたら、魂の繋がりの一つや二つ、出来ていても不思議ではない。

 

(何を馬鹿なことを……)

何を信じていいのか…自分すらも信じられないが、ただ一つ、この人の事だけは信じられる。

そんな女性の元へ行くと彼女はもう不機嫌そのものだった。

 

「なーに、やってたんだ?あぁ?」

 

「いや…」

ここでまた何か無粋なことを言ったらまた怒ることが分かるガロアは黙っているしかない。

座れ、とジェスチャーするセレンに従い、セレンの隣に座る。雪の上に座るのは冷たいのでアレフ・ゼロの足の上だが。

 

「ほら。あのポンコツが持たせてくれた」

 

「ん?」

渡されたのは水筒だった。開けると湯気が上がり、芳しい匂いがする。

紅茶の香りだ。

 

「素晴らしい景色だ」

 

「うーん…確かに…」

右には青い海、上には雲一つない空、そして眼下には見渡す限りの緑の森。

あそこで自分は獣に身を落としながらも強く育った。血と死の場所だ。

十何年も育った場所なのに見る角度が違うだけでこんなに違うなんて。

 

(いや…違う…?…んじゃないか…?)

セレンと見るから綺麗なのかも、と論理的では無い思いが浮かんで首を傾げる。

ちらっと隣を見ると大分セレンとの距離が近い気がした。

 

「??…??」

どうしてだか顔が赤くなるのを感じた。

セレンの顔も赤いのは寒いからなのだろうか。

その肌に触れたらひんやりとしているのだろうな、と考えるとさらにかっかとしてきた。

その時、ふわりと優しい香りがガロアを包んだ。もう何年も知っているセレンの匂いだった。

隣のセレンが肩に巻いていて体温まで移ったショールを広げて一緒にかけてくれたのだ。

 

「寒いだろ。慣れていても」

なんとなく、それは言い訳だと分かった。

ショールが落ちないように、と言わんばかりにさらに近づいてくる。

 

(……?…なにこれ…?)

何かがおかしい。自分のセレンへの感情も、セレンの自分に対する態度も。

何故か昨日の夜、好きだと言われたことを思い出した。

 

(知っているよ…?)

なんで今更?そんなことを?言わなくても分かっていることまで言うべきなのか?

そんな…口に出すのはちょっと照れくさい事まで。

何をため込んでいるのかも分からないまま溜息を吐くと、それは普段よりも白い気がした。その中に答えが紛れ込んで出て行ってしまったかのようだった。

 

見た目はもう少年期も終わり、大人の風貌になったが、その中身はほとんど変わっていない。

少しだけ頬を赤らめ隣できょとんと間抜け面をしているガロアを見て、セレンはなんだかなと同様に白い息を吐いた。

女を引っ掛けまくる浮気者よりは百倍いいんだが、これはこれで問題だ、と。

 

「……ここから見てもお前の家は見つかりにくいな」

 

「……ほんとだ。よく出来てるな」

来た場所が分かっているからこそ、そこに目をこらせば家らしきものが見つかるが、普通に飛行機が真上を通過してもまず見つからないだろう。

結局あの森で暮らしている間にもあの家まで余所者が来ることはなかったし、やはり相当に人の世から逃れることを考えて作られた家らしい。

 

「ここで人知れず…お前は…」

最後まで聞こえなかった。冷たい風が吹いてセレンの髪を流して口を塞いでしまったからだ。

ただ、いい香りがした。寒いと匂いがよく分かる様な気がする。

ここからならばバックと自分が殺しあった場所も見える。……随分と遠くまで来た。

 

「…いったん家に帰ろう。腹が減っただろう?セレン」

 

「そだな」

 

もう一度だけ、人知れずに眠っていたACを振り返り、ガロアはアレフ・ゼロに乗り家へと帰った。

 

 

 

 

特に何を話すでもなく、二人で暖炉に当たっていたがセレンは5秒ごとくらいにガロアの顔を見ていた。

普段のように眉を顰めず、顔に力も入っておらず、優しげな瞳で暖炉を見つめるガロア。親を殺されず、自分とも出会わず普通に高校に通っていたらこうなっていたのだろう。

力を与えたのは紛れも無い自分だからこそ、ガロアが傷つくことに罪悪感も痛みも伴う。

それでも自分と会わない未来なんて嫌なんだ、とセレンは静かに思っていた。

 

「…行かなくちゃな」

 

「ああ」

ずっとこのままでいれればいいのに、と思っていたのは間違いなくセレンだけではない。

ガロアの目にはずっと安らぎと葛藤が映っていたがそれでもガロアは戦いに戻ることを決意した。

ならば自分だけがいつまでも悩んでいる訳にはいかない。

 

「ウォーキートーキー」

 

「ハイ。行くのデスカ、ガロア様」

 

「ああ」

 

「分かりマシタ。また、ワタクシはこの家を守ってイマス」

 

「いや、それはもういい。……どうやら、俺の帰る場所はもうここじゃないらしいんだ」

 

「?」

 

「どういうことデスカ?」

 

「お前、ついて来い」

 

「ソッ、ソレハ?」

 

「このポンコツを連れていくという事か?だがどうやって?」

アレフ・ゼロの手に乗せれば持っていけないことも無いだろうが、武装を両手に装備しておりそれもちょっと難しい。

 

「あの時は呆気に取られてたけど…お前、飛べるだろ?」

 

「えぇ?」

どこからどう見ても飛ぶ体型では無いじゃないか、と思った瞬間。

 

「ハイ」

あっという間に変形して戦闘を意識した形になってしまった。背中にはウィングブースターが装着されており、カラーリングまで変わるという変態っぷりだ。

 

(ん?なんか…どこかで見たような…)

その形と言い色と言い見覚えが少しあるのだが詳細が思い出せない。

 

「街に行って色々見てから分かったけどお前、相当性能いいだろ?機械いじりは得意か?」

 

「ムムッ!!もちろんデス!!車の不調からネクストの整備までお任せクダサイ!!」

 

「よし。命令だ。着いて来い、ウォーキートーキー。一緒にラインアークまで行くぞ。荷物まとめてこい」

 

「ジジジッ…了解デス!!」

そのまま戦闘を意識した形で家の入口まで走っていき、入り口にウィングを引っ掛かってずっこけてから変身しなおし中に入っていく。

 

「セレン。行くぞ」

 

「あ、ああ」

 

家に鍵をかけてアレフ・ゼロに乗り南東へと飛ぶ。

風呂敷を持ったウォーキートーキーが、手で掴まっているとはいえ時速1500km/hで飛んでいるはずのアレフ・ゼロに着いてきているのは少し目を疑いたくなった。

 

ホワイトグリント一機しか無かったから仕方がないことだが、ラインアークにはネクストを置いておける場所が一か所しかなく、

首都から見て北端にある基地だった。一応その場所が企業(主にオーメル)から攻め込まれるとすれば一番危険な場所であり、それ以外の東南北はノーマルと固定砲台でなんとか守っている状況だ。

他のコロニーとは違い、外の守りは固めている代わりに、内側の守りは極端に薄い。最早守っていないと言ってもよく、治安もあまりいいとは言えない。

だがそれでも内側のゴロツキと企業の嫌がらせのどちらを処理するかと言えばやはり企業からのちょっかいの方が被害が大きいので外を守らざるを得ないのだ。

ネクストが北端にある以上当然だが、リンクス達もそのすぐ近くに住むことになった。ネクストは本気を出せば時速2000kmでカッとんでいけるが、人は頑張っても時速40km出せるかどうか。

緊急時にいかに早くネクストに乗りこめるかが重要なのだと言う。マグナスもジョシュアも場所は公開されてはいないがネクストの近くに住んでいる。

 

ロシアの田舎から帰還したアレフ・ゼロを最初に迎えたのは愛機セレブリティ・アッシュを磨くダンだった。一大決心をしてこっちに来たのは良いものの仕事も無く、娯楽も無い。

街までバスや車を使えば行けないことは無いが片道一時間近くかかるしあまり治安がよろしくないというので一人で行くのはちょっと怖かった。メイを誘おうと思ったが怖いんで着いてきてとは言えない。

 

「ん…?ガロアが帰ってきたのか。…いいなぁ…女連れて帰省なんて…」

ダンの頭の中ではセレンを両親に紹介するガロアの姿が浮かんでいるが、ガロアには家族がいないことをすっかり忘れてしまっている。

 

「…狭いコックピットの中で二人…はぁ…」

ため息がセレブリティ・アッシュのボディを曇らせる。

と、その時アレフ・ゼロから降りるガロアの隣にとんでもないものがいることに気が付いた。

 

 

 

 

「う、おおお…お?お…それは…」

 

「?なんか用か?」

 

「セレブリティ・アッシュだあぁあああ!!?すげえぇ!?なんで!?なんで動いてるんだ!!?」

風呂敷を抱えたウォーキートーキーの元に掃除道具を放り投げて駆け寄るダン。

それと同時にセレンは納得していた。

 

(ああ…あのネクストに似ているんだ…)

ウォーキートーキーのカラーリングはまんまあのセレブリティ・アッシュと同じであり、形も心なしか似ている。

製作者の遊び心の表れなのだろうか。

 

「コンニチハ」

 

「キェエエエエエアアアア!!シャベッタアアアアア!!?」

 

「…?セレブリティ・アッシュってあのエンブレムの奴じゃねえのか?」

 

「馬鹿野郎!!あいつと合体変形ロボット、二人は一つでセレブリティ・アッシュだろうが!!」

 

「ふーん。ウォーキートーキー。この人に暫くついて行って。んで、仕事を貰ってくれ」

 

「了解デス」

 

「え!!?俺に!!?」

 

「うん」

 

「やった!!行こうぜセレブリティ・アッシュ!!」

 

「ワタクシはそのような名前ではアリマセン」

と、言うウォーキートーキーの言葉をまるっきり無視してそのボディを抱えてどこかへと走り去っていってしまうダン。

まぁなんにせよ面倒事を引き受けてくれる奴がいてよかった。

 

「いいのか?」

 

「任せておけば仕事を見つけるだろ。…さて、どうすっか…ちょっとここからどうしていいのか分からなくなった」

 

「さっきの…ダン・モロに聞けばよかったんじゃないか?」

 

「…そうだったな」

 

「まあいい」

アレフ・ゼロのレッグの上に座るガロアのそばに、セレンももたれ掛かる。

別にここでじっとしている必要性は欠片も無いのだが、ここは静かだ。

セレンの心情の変化もあるが、二人は静かに二人でいることもまた好むようになっていた。

 

「一気に暑くなったな…」

ガロアの家からこの場所の気温の差はなんと30度以上ある。

羽織っていた上着を脱ぐと肌には珠の様な汗が粒となり浮いていた。

 

(…セレンは…汗っかきだな)

さらさらの汗をかくセレンがガロアと同じ量の食事をとりながらも、ガロアほど運動していないのにも関わらず全く太らないのはその異様に高い基礎代謝のせいだった。

逆にガロアは普段ほとんど汗をかかない。

これは生育環境のせいであり、少ないエネルギーで生命活動が維持できるようになってしまっているからだ。その代り激しい運動で食事分のカロリーを消費してしまっている。

 

(…水も滴るいい女とか言うしな。綺麗だ)

下着一歩手前のタンクトップとなったセレンが手で扇ぐと胸の谷間に汗が線となって流れていったのをついじっと見つめてしまう。

 

「…?なんだ?」

 

「セレンは汗っかきだな」

 

「…ダメかな」

 

「いや。魅力的だと思う」

 

「…っ…っ…、…」

 

(…あれ?) 

普段なら思った通りにセレンを褒めれば馬鹿なことを言うな、と言いながら走り去ってしまうのに何故か今日のセレンは何かに耐える様に顔を赤くし汗をダラダラと垂らしながらその場に留まっていた。

 

(変なの…)

下を向いて赤くなってしまったセレンから目を離し何となく遠くを見る。

すると。

 

「んん!?」

乗用車が明らかに殺意の籠った速度でこちらに爆走してくるのが見えた。

 

「おおおお!?」

 

「…?どうしたガロア」

 

「こっちに来い!!」

説明している暇も無かったのでセレンの身体を抱えてアレフ・ゼロに登る。

その二秒後には自分達がいた場所を派手に巻き込みながら急ブレーキでその車は止まった。

 

「なんだ!?なんだ!?」

 

「……」

今さら大騒ぎするセレンはひとまず放っておき拳銃を抜く。

 

「出てこい。手を頭の後ろに組んでゆっくりとな」

 

「ご、ごめんなさい…」

 

「あ、…あんた…」

言葉通り、手をあげながら出てきた人物を見てガロアは肩を落としながら拳銃をしまった。

 

 

 

 

「なぁ…もう鍵渡して行ってくれていいよ…」

 

「私もそう思う」

 

「いえ…少しは動いた方がいいんです」

大きなお腹を抱えて隣で歩くフィオナ・イェルネフェルトは、遠くから飛んできたアレフ・ゼロを見てわざわざセレンとガロアが住む場所へと案内するために来てくれたのだと言う。

その気持ちはありがたいが、最初の登場からここに来るまで危なっかしくて仕方がない。ブレーキと間違えた、と言っていたが間違えたにしてもアクセルをどれだけべた踏みすればあの速度になるのか。

途中も何もないところで何度も転びそうになっておりその度にセレンと2人でひやりとしている。アラサーの人妻妊婦のドジっ子なんて嬉しくない。

 

「ここは食堂です。朝六時から夜九時まで開いていますので利用してください。あっちは大浴場ですが…男女共用で時間で分けられています」

 

「……そうかい」

 

「……」

案内された場所はネクストを置いた倉庫から徒歩で海上道路を20分ほど歩いた場所にある海の上のビルだった。

津波とか大丈夫なんだろうな…と思うが周りにも同じように建物が建っているし、ホワイトグリントのアサルトアーマーでも倒壊しなかったのは知っているので何も言わない。

既に他のリンクスや兵士なんかもここにいるらしい。

 

「貴方達の部屋は14階の3号室です」

14階、と言って海の上に建っていることもあり、普通の14階よりも遥かに高い所にあるらしい。

 

「……もう家に帰って休めよ」

 

「折角なので最後まで案内させてください。そんなに気を使ってくれなくて大丈夫」

 

「……」

自分が誰だか分かっているのか?とは言う気にもなれないが、さっきから子供扱いされているのもガロアは気に入らない。

記憶によればこの女は自分らよりも年上ではあるので確かに自分やセレンは子供に見えるだろうが。

それでもこの前までここをぶっ潰すためにやってきた自分の元に警備兵の一人も携えずにのこのこやってくるのは流石に警戒心が無さすぎやしないか。

 

「あっ」

食堂からエレベーターのある場所へと続く階段で見事に足を滑らせるフィオナ。

 

「ばっ…」

セレンが手を伸ばすが間に合わない。

 

「大馬鹿野郎!!」

何階の何号室まで聞いたからもういいや、とエレベーターに向かっていたガロアが叫んで荷物を放り、上っていた階段を一気に飛び降りる。

 

「あ゙ァッ!!」

 

くるん

 

この体勢ではどう受け止めても激しく身体に負担がかかると判断したガロアは空中ですれ違う瞬間に一回転させて勢いを殺し、

階段の一番下で受け止める。階段を七つの高さから落ちて、あわや大惨事となるところだったのをベッドに立ったままから横になる程度の衝撃で済ませることに成功し怪我も一つも無い。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

三人とも目を丸くしたまま黙ってしまっていたが、フィオナを抱えたガロアが自己嫌悪に顔を歪めながらフィオナを降ろしてずかずかとエレベーターへと向かってしまう。

 

「ふざけんな!!馬鹿野郎!!こぁ…ここであんたが怪我したら俺らのせいになるだろうが!!」

別にそんなことを思ってはいないのだが必死に今の咄嗟の行動に理由をつけて叫び、八つ当たり気味にエレベーターのボタンを叩く。

 

「…ありがとう」

 

「……!!…!!」

それ以上は何も答えずに肩を怒らせたままエレベーターの扉の前で押し黙っている。

 

「…じゃあ、あなたが後でお礼を言っておいてくれませんか?」

ガロアにも聞こえる距離でセレンにそんなことを言い始め、ガロアの怒りはかなりのレベルに達したがひたすら黙っている。

 

「……些か不用心すぎないか」

セレンもフィオナの警戒の無さに呆れ、少し不機嫌に答える。

 

「今の行動で十分です」

 

「そんなことだから…いや、なんでもない」

 

 

エレベーターから降りた三人だが、ガロアはずっとフィオナの後ろにいた。

セレンにはその不愉快そのものだという顔でフィオナの後ろに立つガロアが、フィオナが転んでも対応できるようにしているようにしか見えなかった。

ガロアには見えないように少しだけ笑っていると、フィオナがまた呑気に口を開き始める。

 

「…ラインアークはそもそも地球環境保護を訴える団体が元になって出来ています。この場所はこの汚染された地球の中でも未だに美しさが保たれています」

 

「……」

 

「この部屋です。貴方達は同じ部屋に住んでいるのでしたよね?ちゃんとそういう風にしておきましたから」

 

「余計なお世話だってんだ!!」

 

「?」

ガロアは既に話を聞いておらず、ほとんど反射的にキレた言葉で返しているがセレンにはフィオナのその言葉がいまいち理解できなかった。

 

「ではここで。何かありましたらまた」

 

「ああそうかよ!!」

手渡された鍵を、指に触れないように奪い取りさっさと部屋に入っていってしまうガロア。

乱暴だがセレンにはその気持ちがよく分かった。

 

「…足元に気を付けて帰れ」

 

「待ってください」

 

「?」

 

「あなたは…あの時のオペレーター…。…恋人同士だったのね」

 

「……」

半分ほど誤解が混ざっているが否定する気が二つの意味で起きず黙ったまま話を聞く。

 

「私たちによく似ている。こんなことを私が言える立場ではないかもしれないけど…ずっとあの子のそばにいてあげて」

 

「…言われずともそのつもりだ」

 

「…そう」

 

扉を閉めるまでこちらを見ていたフィオナの視線を背中に感じながら部屋に入る。

ごそごそと荷物をしまうガロアを視界の端に入れながらその部屋を見てセレンは動きを止めた。

 

(なに…?)

恋人同士。ちゃんとそういう風に。

意味が分からなかったが今一発で分かった。

1Kというあまり広くない部屋で、入り口の横にはシャワー付きトイレがある。

そこから行くとすぐに広いとは言えないキッチンがあり、部屋の奥には大きな窓とベランダ。

その窓に寄せる様にしてある机には椅子が四つあるが、まあそれはいい。

問題は。

 

(余計な事を言ったのは誰だ!!?)

ベッドが一つしかなかった。

 

(同じ部屋…同じ部屋に住んでいるが!!誰が同じベッドで寝ていると言った!!?)

丁寧に枕は二つあり、少々部屋は狭くなってしまうが二人でも十分寝れる大きさだ。

恋心を自覚した昨日の今日でこれは刺激的すぎる。

 

「セレン?」

 

「だぁっっっ!!?」

秋の雨雲が広がるよりも早く頭を埋め尽くした妄想に動きを停止しているところに声をかけられ変な声をあげてしまう。

 

「…?花、どこに置く?」

 

「あ…いや、…机に置くか」

 

「うん」

先ほどの不機嫌が嘘のように鎮まった表情で白い机に花を置くガロア。

 

(お前…何も思わないのか…?それともバカなのか…?)

セレンは悩んだまま部屋に入ってから一歩も動かないが、答えは簡単、バカなのである。

男女の恋模様などさっぱりの頭を持っているのだ。

 

「…ん?へぇ…これは…」

窓からの景色が素晴らしいことに気が付き、机に花を置いて荷物を整理するガロアの横を通り過ぎてベランダに出る。

雪山からの景色から一転、これだ。

世界広しといえども一日にいっぺんにそれを体験する人生などそうそうあるまい。

 

「……」

どこまでも青い海が広がっており、大きな夕日に照らされて輝く海はそれだけで掛け値なしの価値がある。

 

「綺麗だな」

いつの間にか横にはガロアがおり、手すりに寄りかかって同じ方角を見ている。

 

「ああ。地球環境の保護など偽善の理由でしか聞いたことが無かったが…だが、その言い分も分からなくも無いな」

 

「……」

隣で同じく手すりにもたれるセレンの顔を見てガロアは思う。ただ、綺麗だと。

霞と同じ見た目がどうとかセレンはぐちぐちと言っていたが、この笑顔はセレンの意思が作っている物なのだから、綺麗だと言って何が悪いのか。

 

「セレン」

 

「ん?」

 

「セレンの瞳が海と同じ色をしている」

夕日に照って輝くセレンの青い目は、地平線の先で夕陽と交わる海と同じ色をしており、

ガロアにとっては青い海よりもよっぽど価値があった。

瞳と同じ色の景色を眺めるセレンの目は合わせ鏡のようにどこまでも深くまで続いているようにも見える。

 

「……」

 

「綺麗だなぁ」

頭に浮かんだ言葉をほいほいと口にしてしまうガロア。

それがどれだけセレンの心をかき乱すかも知らずに。

 

「…!……」

顔をどんどんと赤くしながらもセレンは何か決心したかのように、腰を曲げて手すりにもたれるガロアの肩に頭を乗せた。

 

「!」

触れた部分からセレンの感情が流れ込んでくるような錯覚と共にガロアも顔を赤くしていく。

今まで数えるのも馬鹿らしくなるくらい触れ合ってきたはずなのに、そのどれとも違う感覚がガロアの平常心を壊す。

 

(う…わ…なんだこれ…)

肩の皮膚を沈めるその頭は手で優しく払えば無くなってしまいそうな程軽く感じるのに、その存在感たるやまるで全神経が肩に集中しているのではないかと思えてしまう程だ。

ガロアの好きなセレンの匂いが潮風に乗って顔を撫でて思考が止まった時、ガロアの右手がセレンの左手に触れた。

 

どんどん住む部屋が狭くなっていくし、余計な気を回されたのは頭に来るがそんなことは今は全てどうでもいい。

セレンは自分の気持ちに素直になって行動した。

 

(!…どうなっているんだ…一体……)

セレンの細い指がするりとガロアの長い指に絡みついている。

反射的に握り返してしまった事に驚いたように震えたが結局そのまま手を放すようなことは無かった。

 

(なんなんだ…?…??…なにこれ…)

ほんの少し右を向いてセレンの顔を見ることが出来ずにカカシみたいに夕陽を見続けている。

幼い頃父の無骨な手で握られた時とも、霞に街に出るときにはぐれないように握られたのとも違う、心臓を握られてしまっているかのような感覚。

 

今まであったあらゆる精神の高揚は血の臭いと暗い感情と共にあった。

なのに今は清潔な風とどこまでも青い海を紅に染める太陽と、それら全てをあわせても足りないくらいに綺麗な女性によって人生で一番高揚している。

何一つ、ガロアの人生にはなかったものだ。身体を引き裂くほどの殺意に駆られて森を飛び出したあの日、こんなことが待っているなんて思ってもいなかった。

静かな二人の世界には血の臭いも暗い感情も一切ない。

 

(これって…?ダメだ、分からない…俺にはいろいろ…足りなさすぎる…)

こんなに心臓が早鐘を打つ理由。街で歩いてそう言った人々を見たり、本を読んで異性と触れ合えばこうなるものだというのは知っていたが、

こうなってしまっているのが自分に女性経験が全くないからなのか、セレンが美人だからなのか、それともこうしているのが「セレンだから」なのかが分からない。

 

(だったら…)

簡単だ。今ここでこの手を引いて抱き寄せてしまえばいいのだ。だというのに。

 

(また…くそ…分かっている…)

破壊した物が、殺害した人々が、血の色を眼の裏に広げて腹に声が響く。

俺たちは何のために死んだんだ?そう凄まじい頭痛と共に問いかけてくる。

 

(そうだ…俺は…戦う事しか出来ない…)

初めて人を殺した日、逃げるという選択肢は頭に無かった。

殺して奪うか殺されて奪われるか、それしか考えていなかった。

自分はそういう人間なんだということを、セレンと出会って頭のいい獣から人へとなって、つくづく思い知らされている。

 

「……」

手を放すと肩にかかっていた体重もすっと消えてしまった。

こちらをじっと見ている視線を頬に感じるがもう遅い。

 

「…まだ片付けがある…。…!」

横を通り部屋に戻ろうとした時に吹いた風でセレンの髪から流れた香りとちらと見えた寂しそうな表情がガロアの頭を埋めていた言葉と赤い想像を消し飛ばした。

 

そして頭に浮かんだのは…どうしてのだろうか。マグナスとフィオナ、愛し合い夫婦となった二人の姿だった。

 

俺の頭にこれ以上入ってくんな、俺はお前が羨ましいんだ。そんなことばっかり繰り返される。

……ガロアの頭はもうぐちゃぐちゃだった。

 

 

身体が勝手に動きだしていた。

 

「あっ…」

そして考える前にもう行動は終わっていた。

 

「…!」

後ろから思い切り抱きしめてしまった。急な行動に声をあげたもののそれを拒否するようなそぶりは無く、

むしろ自分の手に女性らしく柔らかく冷たい手を重ねてくれている。そういえばずっと一緒にいてもこうしたことなんか一回も無かった。

 

いつからなのかはもう覚えていない。

『俺とセレンってなんなんだろう?』

そう考えるようになったのは。

 

ガロアは男女の関係という物を知らない。

男は分かる。女も分かる。動物が行う繁殖の為のセックスも分かる。

だが男女の関係は分からない。

 

それはガロアが大切な時期に全く人と関わらずに過ごしたことや、娯楽のための漫画やテレビなんかに見向きもしなかったことも原因としてはあるだろう。

だがもっと根本的に…男女の健やかな愛の最も身近な例となるべき父母の愛を知らなかったからだ。

 

今夜ガロアはその知識を増やして脳に刻みつけることになるのだろう。

 

 

(耳赤い…)

さっきまで何を考えていたんだっけ、と思いながらさらに抱き寄せると可愛らしい耳に鼻が触れた。

大切なものは大体失ってから分かる。一緒にいるのが当たり前になっていた……はずなのにこの人がこんなに大切で愛しい。

黒い髪をかきわけるとうなじにジャックがあった。自分と同じだ。

否定したい過去があるなら、ここも嫌いなのか?俺はそんなことはない。とぼんやりと思ったことが頭の中で言葉として形になる。

もうまともな思考をしていなかった。ぼーっとした頭でガロアはそこに口を付ける。舌が痺れる金属の味としょっぱく甘い汗の味がした。

 

「うあぁっ」

一体どんな感覚だったのだろう、嬌声をあげながらセレンはその場に座り込んでしまった。

 

(…何やってんだ俺は……)

何も責めることなく、青い目に涙を溜めながらこちらをとろんとした目で見てくるセレンを見て、超えてはいけないラインをあと数ミリで超えるところだったことに今更ながら気が付く。

自分はどうかしてしまっているんだ、と言い聞かせるが言い聞かせているのもどうかしている自分なのにいかほどの効果があるのだろう。

 

「……」

 

「…夕飯にしよう」

座り込んだセレンの腕を掴んで立たせる。

食材も無いのに何言ってんだ、と思いながら部屋に入るとシャツの裾をくいと掴まれた。

 

「…待って」

やはりそれは払えば簡単に離れてしまいそうな力だった。

追及されるのではない。そう確信を持てたのはどうしてか分からないが、その時の声はどう聞いても非難の色が無かった。

 

「ちゃんと…正面から抱きしめて…ほし…ぃ」

 

「……!」

 

最後の方はよく聞こえなかった。声が小さくなっていってしまったからというのもある。

だがそれ以上に感情に任せて、セレンを抱きしめてしまっていたせいだろう。

 

 

陽は完全に沈み、部屋は輪郭を残して闇に落ちた。

セレンの目から一筋の涙が零れたが、その理由は本人にすら分からなかった。

 




ちょっと詰め込み過ぎたかな。
一日のうちに雪山の山頂に行って、南国の海も見るって夢がありませんか?



マグナス「あの少年は自分に勝った」
フィオナ「マジでか」

みたいなやりとりをガロアがラインアークに来た日の夜にしたせいでフィオナもマグナスもガロアに警戒心をほとんど抱いていません。
それがガロアをこれ以上なくイライラさせます。

ちなみにガロアとセレンの新しい家(?)はラインアークが新しく建造していたリゾートホテルです。
急に来たORCAの連中とリンクス達を同じところに放りこみました。なので食堂も浴場もあります。

この世界には火星の衛星「フォボス」は存在しません。

それがどういうことか、分かる方は色々想像を巡らしていただければ……
意味が分からない方でも問題は特にありません。


前にもどっかで書きましたけど、この世界ではキリストの復活だとかと同じレベルで黒い鳥という伝説が根付いています。
詳しく知っている者、いない者の差はあれど、共通してそれが現れた時、世界に大破壊が起きると信じられています。

歴史的観点で言っても今この文明以前にも何度か文明が存在し、その都度大破壊が起きているのではないかとまことしやかに語られていますが、確たる証拠が出てこないといった感じです。

SFなので言う必要もないと思いますが、現実の私達と似たような歴史を歩みながらも全く違う世界とお考え下さい。まぁあんな質量の物がふわふわ浮いてどんぱちしている時点でね…
あえて言うなら、今から数千年先の世界でまた同じような歴史を繰り返しており、その間に文明が滅びる程の大破壊が何度か起きている(ただしその確たる証拠が見つかってない)世界と考えるといいかもしれません。



物語は主人公に魅力がないとダメだと思いますが、どうでしょう?
ガロア君は魅力ある主人公していますか?



いいところで次回に引っぱて伸ばすのがコツって聞いたから次の投稿は1145141919931893810年後になります。
地球くんもいよいよ爆発して全員粉々になったころまた会いましょう。


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Fall

鼓動が聞こえる。自分の身体とセレンの中から激しく聞こえる。準備運動なしで寝起きにいきなり100m走ってもこうはならない。

こんな風に自分の心臓の音が聞こえているのは恥ずかしいと思うが、きっとセレンもそう思っている。

綺麗な肌だ。同じだけ身体を鍛えているはずなのにしっとりしてすべすべしている。触れるもの全てを受け入れるような感触だ。

その時ガロアは自分が何も考えずに抱き寄せたセレンの肌を撫でるように触っていたことに気が付いた。

 

「ちがっ、おかしいこんなっ」

口で言い訳をしながらその腕を全く離さないでいた。

全く違くない。知っている。知識とか上っ面の言葉だけじゃなくて。

どうしたってセレンは女だ。

 

(お、おんっ…なっ…)

若く健康なガロアの身体は、寄り添う女性の感覚に鋭敏に反応していた。

自制など効くはずもなく下半身に血液が過剰に流し込まれ怒張し唇が震える。

何をしたらいいか分からない。何をしたいかはたくさんあり過ぎてまた分からない。

天才両親から受け継いだ素晴らしい脳みそは仕事をさぼって沈黙し、18年間自分なりに必死に生きてきて積み上げた経験は全く役に立たなかった。

そんなガロアをセレンが青い目で何もかもを吸いこむように見てくる。だが非難は一切混じっておらず、ただ潤んでいるとしか。

その目で俺を見ないでくれ。その目でずっと俺を見ていてくれ。と真逆の言葉がいっぺんに浮かんだ。

普通の少年が何年もかけて少しずつ経験していくことをたった数分で一気に詰め込まれてガロアの脳は完全にショートしていた。

 

「……」

熱い膨らみを下腹部で感じながらも離れようとも突き飛ばそうともせずにセレンはさらに頬を胸板に愛おしげにすり寄せてきた。

その身体はあんなに強く鋭い拳を放つものだとはとても信じられない程柔らかく儚い。ガロアは逆に突き飛ばしてしまいそうになったのを、それはダメだとさらに引き寄せてしまう。

 

(う、うそだ、こんなことで心臓が爆発、しちまう)

自分から抱きしめていたはずが、セレンがこちらを求める力の方が強かったのか、あるいは困惑が脚にきたのか、

ベッドにつっかかりセレンを抱きしめたまま、とさっと優しい音を立てて後ろに倒れてしまった。

自分の腕を振り払って一緒に倒れないようにすることも出来たはずが全く離れようとしない。

 

「……」

セレンが胸に乗せていた顔を上げた。満天の星空の光を反射する青い目は真昼の夜空のようだった。

愛おしい、愛おしいって何?頭の中で馬鹿な疑問がちらちらとぶつかっていたが、一つだけ分かることがあった。

キスだ。これからキスすることになる。互いの頭の中に何があるのか、完全に分かってしまっていた。自分の人生にそんなものがあるなんて想像すらしていなかった。

淫靡な誘い水の色をする目に操られて唇を近づけようとすると、それよりも早くセレンの方から近づいてきた。

 

(…あ………?!)

大げさに表現されるような音は出なかった。そっとくっついただけ。

その時ガロアは脊髄に電信柱ごとぶち込み電流を流されたかのように髪が全て逆立ち、自分のいる場所に穴が空いてどこまでも落ちていく感覚がした。

実際に落ちた訳では無いが、何かに落ちた。たった三秒くらいの間にこれまでずっと一緒にいた時間が光に近い速度で駆け抜けていったがその過去のどれ一つとして違う事をしている。

二人でいろんなことをしたとは思うが、まだ知らない二人の世界がある。

そこには甘いもしょっぱいも無い。というよりも味なんか分かる程頭が冷静では無い。

ただ柔らかいということだけがやけにリアルで、現実に戻ってきたガロアはもっともっとと感触を求めてその唇をさらに唇で甘噛みする。

その行動は二人同じタイミングで始めていた。恐らくは身体で一番柔らかい部分の感触を知覚できるであろう舌で唇をなぞる。

 

「「!」」

舌が触れあったのに驚き、またしても二人して同じタイミングで舌を引っ込めてしまうがどちらともなくまた触れあい絡みだし自然と甘い唾液が流れ込んでくる。

いつからか?どちらからなのか?は分からないが、握られていたガロアの右手とセレンの左手でお互いの汗が混ざり合い、その触感はそこはかとなく官能的で快感すら感じてしまう。

 

(きっ、きっ、す…された)

にちゃりと音を立てて離れた口には舌と舌で銀の橋が架かっており月の光を受けて優しく光っている。

熱い息が顔にかかり妖しい香りが容赦なく本能を揺さぶる。また青い目で見てくるが、今だけは何を考えているか完全に分かった。『もっとしよう』と言っているのだろう。

その銀糸が切れて落ちてしまうのを惜しむようにまたどちらからともなく口を口で蓋して今度は遠慮が薄れて口腔内をも舌で味わう。

もう何も考えていなかった。今ここがどこで自分がどんな人間かも頭にはなく本能で動いている。

 

全てを捨ててここまで来て、自分は何を得たの?

 

「…ガロア…私…違うんだ…そんなもの、…あ、…!!…違う、違う!何も違くない!!」

口を離して言い訳をしようとしたセレンの中で何かが壊れた。プライドとか、理性とか、そんな感じの何かを纏めてどこかに放り投げたのだろう。

むき出しにした欲望がセレンの目の奥に映っているのを見てガロアは自分が何に落ちたのか…いや、落ちていたのか気が付いた。

そして何かを言う前にまた唇を重ねられる。透視でもするかのように見開いてこちらを見ていた青い目が観念したかのように閉じたのを見てガロアも目を閉じてしまった。

目を閉じると周りの世界が分かる。……はずなのに波の音と鼓動しか分からない。男と女の身体の凹凸はちょうど合致するようになっていて重なると分からなくなってしまうのだ。

そこまで来てようやくガロアは、ベッドに倒れ込んでからセレンを抱きしめていた腕を一度も離していないことに気が付いた。

 

「何が、何が起こっている、んだ俺は」

 

「分からない…、なら…分からなくていいから。いいからな」

ようやく自由になった口から出た疑問は何も答えを得られない。

暑い暑い南国の夜にこんな息をはぁはぁと荒げてまぁ、自分達は馬鹿なんじゃないだろうか。

何かを想像してそれを頭の中でこねくり回すかのように右上を見て…左上を見て、と目線を動かしたセレンが意を決したようにちろりと赤い舌を出す。

なにをしているの?と言葉が出る前にその舌が肌に触れてそのまま首をなぞり、まだ少し残っているこの間の噛み傷に熱く触れた。

 

「うあ…」

情けない声が出た。ぬめる舌が残す唾液がてらてらと光る様が、セレンの桜色の唇が、自分の肌に触れている想像があまりにも鮮明に浮かび説明できない快感となる。

傷痕をなぞる様にねぶる舌が生き物のように動いて肌を濡らしていく。そんなことをするように突き動かしてしまう感情は理解できすぎる。

先ほどの首筋の肌の味をガロアはまだ覚えている。不思議なことにそれを自分は甘いと感じていた。この身体はどこでも甘い味がするのだろうか。

セレンの身体を押しのけんばかりの隆起は痛いほどで、これまでの行為だけで二人の性器は完全に濡れそぼり身体も心も性交の準備を終えてしまっていた。

 

「このまま…」

セレンが何を言おうとしているのか、また分かる様な気がした。が。

 

コンコン

 

「ガロアー?いんのかー?」

 

「うわっっ!!?」

 

「ぬあーっ!!?」

完全に二人の世界になっていた部屋を現実に引き戻す非情なノックはガロアを跳ね上げ、また同時にセレンも猫のように飛び上がりなんと天井の10cm下まで到達した。

 

「お…俺が出る…」

 

「う、うん」

電気をつけると真っ赤な顔をして身体中に汗をかいたセレンがベッドの上におり、恐らくは自分もそうなのだろうと考えいったん気分を落ち着けてドアに向かう。

落ち着けるも何も、少なくとも下半身のそれはあの一瞬で完全に萎えていた。

 

「誰?」

 

「ようガロア。さっきの叫び声なんだ?まぁいいや。飯食いに行こうぜ。お前ら昨日いなかったじゃんか」

呑気な顔をしたダンの頭からは湯気が上がっており、首からは手ぬぐいが下がっている。多分風呂上りかなんかなんだろう。

 

「…ちょっと待っててくれ」

扉を閉めてセレンの方に向き直る。

続きは?と言う気にはもうお互いになれなかった。

 

「飯、行くか」

 

「…うん」

 

 

 

食券を買って食堂で食べたはいいが美味しかったのかどうかどころか何をどれだけ食べたかも覚えておらず、終止セレンと2人で魂が頭から出ている状態でいた事をダンに変な目で見られた。

わざわざ中心の街まで行って何かを買わなくてもいいようにという親切心でこの食堂があるだとか、

もうすぐ男の入浴時間が終わるからさっさと入れだとか言われたがやはりほとんど覚えていないまま部屋に戻った。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「風呂入ってくる…」

 

「分かった…」

 

さっきああなったのが何か悪い感情のせいなんじゃないかと思えるほどぎこちないし、口も動かない。

確かに異性としてほんの一端を交えたというのに今の距離感はどうなっているんだ、と思うがどうしようもないしどうしようとも思わないまま建物の中を歩く。

 

(…ウォーキートーキーがどうなったか聞くの忘れてた…)

あの勢いならばそのまま部屋に持って帰って分解したかもしれない、なんて思ってからさらに思いだす。

 

(そうだ、あの写真……あれ?)

ポケットに入れておいた写真と書類がなくなっていた。

どこかに落としたか、あるいは家においてきてしまったか。

なんで?あれ?と困惑していると濃いタバコの臭いが漂ってきた。

 

「……」

 

「…!!ロラ、ンおじ、な…?なんで…ここにいるんだ?」

 

「ガロア……」

血で膨れ固まった唇に煙草をくわえ、ドロドロに溶けた顔。

左目の瞼が上下ほとんど繋がっており、その下から見える眼球も白く濁っていて、髪はほとんど生えておらず溶けた髪の毛が皮膚の下に埋まっているのが明かりの下でよく見える。

その手はお手本のような大火傷の痕があり、全体的に誰が見てもゾンビとしか言えないその人物こそガロアをリンクスの道に運んだ男であった。

 

「…?ORCAにいたのか?部屋はどこだよ?俺、喋れるようになったんだ。いろいろ話したいことが…」

 

「……。ガロア。馴れ合うな。今は同じ方向を向いていても…いずれ殺し合う未来も有り得るだろう…その時引き金を引けなきゃ…今度は死ぬのはお前だ…」

 

「…あんた…一体…」

 

「…おもしれえ成長したなぁ…最後まで…見届けてやるよ…。だがな…よく聞いておくんだ、ガロア」

 

「?」

 

「俺は多分この地球で誰よりも人間をぶっ殺してきた。誰よりも人間の死に携わってきた。だから分かる」

 

「…何が言いてえんだ?」

 

「お前、このままいけば…何よりも酷い目に遭って死ぬぞ。いい方向に向かっている…誰もがそう思っているかもしれねえが、それはお前の道じゃねえ。このまま行けばお前は…お前だけが全てを失う」

 

「……」

 

「まぁ…信じなくてもいいし、信じて抗うのもいいし、戦うのをやめてもいい。…どうせ、皆死ぬからな…。今は…お前の味方だ。じゃあな…」

一体どこから現れたのか全く分からなかったが、そのまま煙草の煙を漂わせながらガロアが来た道を歩いてどこかへと行ってしまう。

 

「…………あの人…」

結局言いたいことは何一つ言えぬまま去ってしまったロランの行った道を見た後に風呂へと歩く。

 

(死ぬ…か。…………。その通りだ)

少なくとも両手では数えきれないほどの数あった死の危機を驚異的な悪運としぶとい生存本能で生き延びてきたガロアだが、

その両方が告げていた。自分は死へと続く道にいると。

 

(……殺してきて…今更死にたくねえってケツ捲るのはありえねえもんな)

途中にあった岩盤浴だとかサウナだとか書いてあった場所を全部無視してさっさと脱衣所に入り服を脱ぐ。

 

(……戦って勝てなかったら死ぬだけだ…そこだけは森にいた頃から変わってねえ)

そんなことを考えながら蛇口をひねり出てきた湯を浴びると、首元の乾いた唾液が元に戻り少しだけぬめる。

 

「…おわっ…」

他に誰も入ってはいないが、努めて下半身に血液が行かないように気分を落ち着ける。

 

(なんてこった……)

またまた記憶が確かではないうちに頭も身体も洗い終わってしまい、その場に突っ立っていても仕方がないので口元まで湯船に浸かる。

ぶくぶくと沈んでいくが本当は宇宙の果てまでぶっ飛んでしまいたかった。

死んでも構わない、何一つ失うものなんてありゃしないのだから。そう思っていた自分に。

 

好きな人がで

 

「うるせっ、うるせっ」

頭の中の考えを追い払うように拳を空に向かって放つと数発が壁に当たりひびが入った。

またあの夫婦の姿がフラッシュバックする。

 

「また出てきやがって、このやろう!!とことん俺の人生をくるくるくるくる狂わせやがって!!磁石か俺とお前は!!」

風呂のお湯をばしゃばしゃと散らして発狂するが、自分は奴に影響なんか与えちゃいない。

自分だけがおかしくなっていく。

 

「俺、俺は…?」

ホワイトグリント戦からこっち、ガロアはほとんどセレンのこと「しか」考えていない。

もちろんずっと慕ってはいた。

 

「すっ、す、好…??え……?」

昨日セレンから言われた好きだという言葉。今日唐突に叩きつけられた未知の衝撃。

セレンと自分の間には「大人」「先生」「子供」という概念の壁があってそんなもの成り立たなかったはずなのにいきなり全部ぶっ壊れた。

ガロアの精神年齢は10歳前後からあまり進歩していない。もちろん性についての興味もあるし知識もおぼろげながらだがあるしそう言う目でセレンを見た事もある。

ただ、それと好意を結び付けられない。知らないからだ。結果として、そんな行為の存在を知らない子供のようにひたすらセレンを何よりも慕っていただけだ。

今日までは。

 

「好きってこういうこと……だったのか……」

ようやく、ようやく。

あんな行為に及ぶという強硬策に出てようやくガロアはセレンへの好意を自覚した。

入れ違っていた理解にようやく気が付くが時すでに色々と遅し。

最早そんな葛藤をすっ飛ばしてセレンは今部屋で一人悶々としている。

 

「でも、ダメだ。俺は戦っているから…困難な道だって、分かってたろ…」

ようやく幼稚さが抜け、恋を理解し性欲と結びつけることが出来たガロアだが……

彼はメイの言う通り大バカで、もう少し分類して言えば真面目すぎた。

ガロアの頭の中で、今ここで思考停止してセレンを抱いてしまうこととあの時アナトリアの傭兵を思考停止して殺してしまうのが違う事だとはどうしても思えなかったのだ。

自分の望む道にハッピーエンドなどなかったと分かったのだから。ここで終われない、と。

 

(落ちていくのはあっという間だろうな…。俺にはそんな堕落は許されない。何もまだ成していない。最初に決心したことすらやり遂げずに、人を殺しまくった自分には…そんな堕落は…)

目を瞑ればセレンの笑顔よりも頭痛と共に赤い血が咲く。自分はとっくのとうに矛盾しているし、この世界で矛盾していない人間などいない。

それを忘れて堕落するか、戦い、抗い続けるか。ガロアの頭の中にはそれしか無かった。中庸と言う言葉は存在しない。それを堕落だと思い込んでしまっている。

これこそ大バカの思考である。柔軟さが全くなく、何か人に尋ねようという選択肢が最初からない。

いや、今までなら分からないことはセレンに聞いていたが、これをセレンに聞くわけにはいかず、聞ける大人もとうにいない。

 

「女は……やばいんだ…」

人生をかけてこつこつと天高くまで積み上げてきた物の隣にキス一発で並んでしまった。こんなものがこの世界にあるなんて。

 

(だめだやっぱり…なんかすごいこんらんしてきた)

あの拳も、あの蹴りも、あの血も汗も。あのキス一回で何もかもが上塗りされた。

なんという不条理、生命の鎖という物は!

何百何千回とセレンパンチをくらってきたが、この初恋パンチは本当にやばかった。

ガロアは傾国という言葉の本質を知った。本当に何もかもが傾くのだ。女一人で。

積み上げに積みあげたガロアの中の何よりも高い自信、天下無双ガロア城が一発で吹き飛んでしまった。

 

(今はダメだ…今こんなことに気を取られたら死ぬから…)

ガロアは知っていた。死んでもいいやと思っていたからこそ自分は強かったと。

だが前までは死ぬことすら怖く無かったというのに、こう考えてしまっている時点でもう自分の中身が作り変えられてしまっていることにガロアは気付けない。

もう手遅れなほどセレン・ヘイズという存在がガロアの中に入ってしまっていた。

 

(今はこの気持ちだけは…ミジンコよりも小さくしておこう)

しかし、生きたいと思って戦えばガロアは腰が引けていつかは戦場で致命傷を負うことになるだろう。

ロランの言った通り、既に逃れられない死への道にガロアは入ってしまっていた。

 

(忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ)

ガロアの絶対強者としての本能が『無残な死』を避けるための行動を起こし始めた。

理性と感情と絡み合い心臓が加速していく。どくんどくんという鼓動が恋のざわめきを上塗りして風化させていく。

顔が真っ赤になっていき、風呂場の熱から逃れる様にガロアは縁に乗り出して風呂場のタイルを見た。

 

ぶぴっ、と奇妙な音を立てて鼻血が噴き出た。そして………

 

「……………………?………全部忘れた……?」

アホそのものの顔をして頭からたんぽぽの綿毛のようなふんわりとした物を飛ばしながら斜め上を見るガロア。

ガロアは、自分が持つ異常な集中力…最強の一因を今日、初めてどうしようもなく馬鹿なことに使ってしまった。

もちろん実際に全てを忘れたわけでは無いが、あの時味わった感情はどこかに消え失せ、結果、ガロアは若く燃え上がる様な情熱的な恋を封じてしまった。

 

(やることは変わらねえ。俺は戦う。終わるまで。やりたいことはその後にやったらいい)

どうしようどうしようと枕を抱えてじたばたしているセレンのことはつゆ知らず、どうしようもないこじれた決心をするガロア。

セレンの悶々とする日々はまだまだ終わらないようだ。

 

(それに…何かこの世界はおかしい…。それとケリをつけなくちゃならねぇ…。企業か?それとも別の何かか?分からねえが…)

いつからかは分からないが、この世界には何か歯車の噛みあわない部分がある。アレフ・ゼロもあの山でそう囁いてきた。

そこで見つけたアーマードコアと写真も、あの変態球もその一部のような気がする。

 

(…でも…そのクソさ加減が無ければ…セレンは生まれなかったのか…。…俺は…)

思考が堂々巡りに入りかけた途端、風呂場の扉ががらりと開いた。

 

「……」

 

(うわっ!あの時の変態!)

入ってきたのはムキムキの身体に白塗りの顔をした、いつか見て心底震えた変態だった。

 

「……」

 

にたぁ…

 

またしてもこちらを見て唇を裂きながら満面の笑顔を見せた。

 

(…うおぉ…早く上がろう…)

絶対に関わるな、という本能の声に従いガロアはそそくさと風呂から上がった。

 

 

 

食堂で食事をしてからベッドの上でじたばたしたり顔を赤くして既に30分が経っていた。

それでもセレンは未だにベッドの上で暴れていた。

 

「ぬおおぉおぉ…」

頭の中で妄想が爆裂し止まらない。あの肌の味が、舌の絡みが頭から離れない。考えも無くどうしてあんなふうに動けたのか。

たかだか生殖行為のはずなのに、というかそこまで行っていないのにとんでもなく気持ちよかった。

 

いつから?

セレンの頭にとりあえず浮かんだのはそれだった。いつからそんな目で?と。

 

偶然拾った子供は初めはぎくしゃくとしていたが、すぐに大切な存在になっていた。

話すことも出来ず、自分がいなければ生きていけない存在だというのだから尚更だった。

いつの間にか、これがあるのだから生きていけるのだというほどになっていた。

 

それが子供から『男』になっていたのだ。世の中にどれだけ女がいるかはしらないが、こんなにも幸せな者がいるだろうか。

自分の大切な者も、アイデンティティそのものも、恋も全てが一つにあるなんて。

 

それがいきなり…何を思ったのか抱きしめてきたのだ。

あの時プロポーズされて周囲が見えなくなった二人の気持ちが実によく分かった。

実際あの瞬間にこの世界の全ても今までの自分の苦しみも何もかもどうでもよくなってしまった。

 

今の状況は言うなれば腹ペコの時に目の前に大好物が好きなだけ盛られた状態だ。どこにどのように手を付けても極上の幸せが手に入る。

だがそうなってくるとどうしていいのか分からなくなってくる。あれもいいこれもいい、となるがいっぺんに味わうことは出来ない。

 

「くぉおお…どうするんだ…」

このベッド、どう枕を離したとしても、大男のガロアが寝てしまえば身体のどこかが触れ合う大きさだという事に気が付き本日20回目のパンチを枕に入れた。

 

「枕…ぺちゃんこになるから殴らない方がいいと思うぞ」

 

「ああぁっ!!?」

 

「……」

いつの間にか後ろにガロアがいた。

 

「いつからいた!!?」

 

「え?なんか…唸っているときから…」

 

(…ずっと唸っているから分からん…バカか私は…)

 

「風呂入ってこれば?時間になったよ」

 

「あ、ああ。入ってくる」

促されるまま部屋の外に出て、気が付く。

 

(風呂に入れ!?風呂に入れってそういう事か!?)

そういう事ではないのだが、そういう気になってしまった。

今のセレンの頭を絞れば間違いなく濃い桃色の液体が出てくるだろう。

 

「……ん?」

頭の中を完璧に熱暴走させながら歩いていると道中、酒瓶を抱えまま寝ている男を見つける。

 

(…ラインアークの治安はあまり良くないと聞くからな…)

とはいえ建物の中でまでこれはどうなんだろう、と思いながらその寝こけている人物の前を通り過ぎた時、あることに気が付く。

 

(首に…ジャック!?リンクスか!?今の男!?)

小太りの白髪交じりの男だが、よ~く見てみると、かつてのアクアビットのトップリンクス、テペス=Vだった。

それなりの色男だったはずだが酷い有様だ。

 

(…放っておこう)

今はそこまで本格的に行動開始していないとはいえこれは酷すぎる。

かと言ってここで介抱するほどお人よしではないし、酒瓶を抱いたまま実に幸せそうな顔をしているので無視を決め込む。

 

「んん!?待たれよ!!」

 

(うわ!起きた)

顔を背けて通り過ぎようとした途端、目がカッと開きこちらを見てきた。

 

「お前さん、霞のクローンの…」

 

「……」

詰め寄ってくるテペスの視線をまともに受けずにいたセレンだが、どうやらこの男は霞と面識があるらしい。

どっちでもいいが、あと5cm近づいたら顔面に掌底叩き込んで前歯全部吹き飛ばしてやる、と思っていたら。

 

「いや、良かった良かった。ちゃんとパートナーを見つけたわけだ」

 

「…?何の話だ」

 

「霞が死んだという情報をリークしたのはテルミドール…ああ、いや、オッツダルヴァだからなぁ」

 

「…!」

それこそセレンの人生の転機の最大の原因の一つだろう。

そのお陰でセレンはリンクスとしての道を断たれたのだから。それがいい事なのか、悪いことなのかと聞かれれば今はそれでよかったのだとはっきり言えるが。

 

「同じクローンとして捨てておけなかったんだろうなぁ。まぁクローンでもなんでもパートナーを見つけられたのならお互い良かったわな」

 

「…なんの話だがさっぱり分からないのだが」

 

「あの二人には不思議な魅力があるだろう。テルミドール…おっと、オッツダルヴァは心が弱いし、メルツェルは甘すぎる。二人とも完璧ではないが、二人でいると実に完璧に思える」

 

「…?」

何しろそのメルツェルと言う人物と会ったことが無いのだ。

何を言いたいのかよく分からないが得てして酔っぱらいというのはこういう物かもしれない。

 

「大事にしろよ、あの少年を」

そう言うとまたそのまま倒れて寝込んでしまった。

ジュリアスの件もそうだが、テペス改めネオニダスにはかなりお節介なところがあった。

 

(…言いたいことだけ言って…)

どっかの部屋に放り込んだ方がいいのかもしれないがそこまでする義理も無い。

さっきのダンにしてもそうだがもしかしてリンクスは全員この建物に入れられているのだろうか。

確かにその方が管理しやすいかもしれないが、リンクスは自分勝手な人物も多いのでそれがあまりいい事だとは思えない。

 

 

風呂の雰囲気は中々に良く、さっと服を脱いで中に入る。

汗っかきなのは自覚している分、セレンは風呂が好きだった。

また、ガロアは付き合いが悪かったが広い風呂に入れる有澤圏の公衆浴場、銭湯はかなり気に入っていた。

 

湯煙が広がっており、ほとんど先は見えないがどうやら誰もいないようだ。

部屋でもシャワーは使えたし当然と言えば当然かもしれないが、この広い浴場を独り占めできるのは嬉しい。

 

(…身体綺麗に洗っておこう…)

もう完全にその気になっているセレンは今まで見た「そういうもの」の中で使っていたと記憶される部分を特に念入りに洗っていくが、

当のガロアは何をしているかと言えばコンビニを発見して紅茶とグラスを買っていた。

 

(今日だけじゃない…明日も明後日も同じ場所で寝るんだ…どうするんだ…)

皮膚が蒸発するほど綺麗に洗い、湯船に鼻まで浸かって、既にのぼせたのではないかという程顔を赤くするが、

当のガロアはフライパンを比べながら選んでいた。

 

(ああ…でも…)

でも、本当にいつからだったんだろう。

人と関わりようのないあの場所で命を磨きあげて出てきた毒蟲の壺の生き残りのような飛び切りの野生をその腹に潜めた少年が。

それでも何も喋ることもせずにただ自分の後ろを姉に着いてくる弟のようにトコトコと着いてきていた少年だったあの頃から。

そんな目で自分を見ていたのだとしたら。

 

「ぶっ、これはヤ、バい」

3時間は風呂に入ったかのように真っ赤になった顔から自然な帰結のように噴き出た鼻血が湯に入ってしまわないように、なんとか抑える。

 

(そんなの断れん)

やっぱりというかしょうがないのか。霞に似てセレンにも少々ショタコンの気があった。

しかし何度考えても最強だとしか思えない。邪魔される要素のない恋愛だ。

ガロアは卵から孵った瞬間の雛のように自分しか見ていない。

 

そしてただ一つの目的の為に一心不乱に打ち込み、才能と混ざり合って出来上がった完璧な身体。

自分と一緒に作った雄として最上の身体なのだ。

 

「やば、い」

耳からヤカンのように蒸気が噴出された。

何が何やら分からないし環境が信じられないほど目まぐるしく変わっていくが、もしかして今の自分は今までで一番幸せなのではないだろうか。

 

だが大きな問題が一つ残っている。

 

(あいつ…明らかに混乱していた。やっぱりよく分かっていないんだ)

学校にも行っていない、友達もいない。

となると当然、ガロアは今まで恋すらしたことがないという結論になる。

そして雑多な情報で溢れかえる低俗な雑誌もテレビなんかにも全く興味を示していなかった。

恋人同士の情愛なんかさっぱり分かっていないだろう。

 

「こいっ、恋ぶっ!!」

またもや噴き出した鼻血を風呂の外に垂らして流す。

どくどく流れるが全く頭は冷えない。

純粋な状態から始めて最初から最後まで自分好みに出来る。たまらない女の夢の一つだ。

 

(あいつ、『男』になっていたんだ…いつの間に…)

それならもう全部あげていいと思ってしまった。

どっちにしたってガロアがいなくなればもう自分なんて空っぽなのだから。

 

(違うっ、いいじゃない。あげたい、だ…)

ああ、まさかあんなに捻くれて拗れていた自分がこんな考えを持つ日が来るなんて人生って奴はさっぱりなあんちくしょうなんだ。

でも実際問題どうやって入っていいか分からない。

流れに全てを任せてしまえば記憶まで流れて、終わった後に何も思いだせなくなりそうだ。

 

「あなた、ガロア君の恋人?」

 

「だぁっ!!?」

完全に自分一人だと思っていたら後ろから声。

しかもいつかのメイのような優しく細い声ではなく、男の図太い声だった。

 

「あら?…変ねぇ。その肌…」

 

「あわわわわ、おま、おま、おまま前…」

日焼けして鍛えられた身体に白塗りの顔とシャンプーハット。

頭に括り付けられた象の如雨露からは動くたびにお湯が流れている。

 

ぷにっ

 

「あなた、処女ね」

本能的に隠していたセレンの胸を突っついて一言。

 

「わーーーーーーーーーっ!!!!」

ラインアークに悲鳴が響き渡った。

頭が追い付く前に状況がどんどん更新されていき負荷が倍増していく。

ここ最近頭のついていけない出来事が起きすぎてセレンの脳みそはややオーバーヒート気味だった。

 

「ガロア君…いい身体しているわねぇ」

 

「な、なんだお前!?変態!!ガロアを変な目で見るな!!?」

言葉遣いとくねくねとした動きで察した。初めて見たが、これがオカマという奴なのだろう。

明らかに自分の胸を触った時よりもガロアの身体について口にしている時の方が顔が歪んでいる。

 

「あなたもそう思わないの?ずっと一緒にいるんでしょう?」

 

「……」

思うに決まっているがここでどう返事をしてもエライことになりそうだ。

 

「あの腕で力強く抱かれて…」

 

「……」

 

「首筋に歯を柔らかくたてて…」

 

(ああああ)

思うところがありすぎて、なんでここにいるんだと抗議することも忘れてごくりと生唾を飲み込んでしまう。

 

「触れてみたい…引っ掻きたい…」

 

「……」

 

「んあああああああああああん!!!」

 

「わーーーーーーーーーっ!!!」

艶めかしく叫んだ変態に合わせてセレンもまた叫ぶ。

 

「身体をあんなに念入りに洗って…」

 

「う…うあぁ…」

 

「今か今かと悶々…堪らないわ…恋する乙女の顔…」

 

「や、やめろ…来るな…来る、んじゃない……」

徐々にこちらに近づいてくる変態から距離をとろうとすると、風呂の縁に肘が当たった。

 

「悲鳴が聞こえたから何かと思えばやっぱり!何をしているんですか!!アブさん!!今は女性の時間です!!」

もはやこれまで、と思った瞬間入り口ががらりと開きフィオナが入ってきた。

 

「いやぁね。心は女性のつ・も・り」

 

「早く出てください!」

引きずられていく変態が扉が閉まる瞬間にこちらにバチンと音まで聞こえてきそうなウィンクを飛ばし、セレンは思わず目を逸らす。

 

「なんだあの変態は…ん?」

 

「アブ?」

その名前とラインアークには切っても切り離せない関係がある。

 

「あのアブ・マーシュ?」

あの奇抜なファッションをした変態こそが、ホワイトグリントを一から設計した稀代の天才アーキテクト、アブ・マーシュであった。

 

 

 

(なんだろう…。どこかで誰かにアブについて何か言われていた気がするんだが…)

風呂からあがって温度の上がった頭をさらに上げるような行為をして湯気を出していく。

思い出そうにもここ半年はちょっと色々な事があり過ぎたし、味方であれ敵であれ色々な人と出会い過ぎた。

なんて考えているうちに部屋の前に着いてしまって一気に現実感の無い現実に帰ってきてしまった。

 

(ど、どうやって部屋に入るっ!?何食わぬ顔か!?それとも)

 

「早く部屋に入んなよ」

 

「おあぁ!!?」

丁度買い物から帰ってきたガロアが後ろにいた。

もう心臓が痛い。もう持たない。

 

「…?」

 

「なんでどいつもこいつも後ろから声をかけるんだ!!バカにして、してんか!?」

とは言えドアの10㎝手前で立ちながらぶつぶつと独り言を言っている人物に後ろ以外から声をかけるのは難しいだろう。

 

「紅茶買ってきた。氷入れて飲むだろ?」

 

「え、お、うん。の、飲む」

 

パックの紅茶を入れて氷で冷まして机で飲む。

パックの割にはなかなか美味い…のは割とどうでもよくて、

向かいのガロアがぽえっとした顔で海の上の月を見ているのが気になった。

自分はこんなにどぎまぎしているのにどうしてこんなに平静…悪く言えば間抜け面していられるのか。

なんというか、先ほどの記憶をどっかに置いてきてしまったかのようだ。

 

「月はどこでも同じだな」

 

「え?」

 

「…セレンはそれでもリンクスになろうって思わなかったのか?…多分、洗脳に近い行為をされたんじゃないか。リンクスになることこそ使命、みたいな」

 

「……ああ、されたな。お前はお前では無い、霞になれってな。…実際映像で見る霞は…お前と比べても見劣りしない程強く、魅力的だった」

 

「そうだったのか。…まぁだからこそ」

 

「私は作られた訳だ。…未練もある。お前が輝かしい勝利を打ち立てる様を見ていて少し嫉妬することもあった」

 

「……」

 

「だが、今はお前の師となりオペレーターになって良かったと思っている。ついてきて良かったって。本当だ」

 

「……」

その言葉を聞いて何を思ったのかガロアは黙ったまま笑っている。

 

「…よく笑うようになったな、お前は」

 

「そうか?」

 

「昔のお前は全く笑わなかった。訓練の事しか頭にないと言う感じだった。…正直、私のように教育を詰め込まれたわけでもないのにどうしてそこまで、と思っていたよ」

 

「…セレンのお陰だ。前までは笑っても見てくれる人なんかいなかったし、笑えるようなこと自体なかった。今は…嬉しいことも楽しいこともある」

それがどれだけ素晴らしい事か、一人で長い事過ごしてきたガロアは知っている。

ウォーキートーキーが面白い話をしようとしても、時々前と全く同じ話を同じトーンで話す時、改めてここに人間は自分だけという事を思い知らされて顔を凍らせていた。

それに対する反応までもが機械らしく同じだった時は無性に夜が怖くなりベッドに籠り朝が来るのを待っていたものだ。

だからこそ、セレンの身体を求めるのではなく幸せと笑顔が欲しい。

そんな聖人君子のようなことを考えているガロアだが、残念なことにガロアが考えるセレンの幸せが実際のそれと一致していないことに気が付かない。

 

「…なら、良かったよ」

紅茶の香りがそうしたのか、ガロアの何気ない会話がそうしたのかは分からないが、いつの間にか気分は落ち着いていた。

 

落ち着いてみればかなりいい雰囲気だ。

月は綺麗だし、その光に照らされる海は無数の光を反射している。

空の星々はデスクワークで視力が下がった自分の目でも星座がわかるくらいにははっきりと輝いている。

心から好きだと言える相手と二人でそんな世界にいるなんて。冷たい紅茶の中でカランと氷が音を立てて波音に紛れていく。

もしかしなくても、自分は普通にこの状況にわくわくしている?

 

「部屋が同じになったから寝る時間を揃えねえとな」

 

「ぶほっ!!」

口と鼻、三つの穴から紅茶をカップに噴射する。

その言葉はセレンの落ち着いていた頭をまた沸騰させた。

ガロアは遅くとも日付が変わって一時間以内に寝てしまうが、セレンはガロアのオペレーターの傍ら修理依頼や弾薬の注文などやることはいつも目白押しで、夜中まで起きていることも珍しくない。

だが今はそれも全てラインアークに任せやることと言えばオペレーターの仕事だけなので普通の時間に寝るのも出来なくはない。

やはり問題なのはベッドが一つしかない事だろう。

部屋の構造的に二つ置いてもどうせ隣り合う事になっていたんだろうがあからさますぎる。

かと言って別の部屋になるのはそれはそれで嫌だったが。

 

「というかもう眠い。まだやることはあるか?」

 

「なななななない!!」

 

「じゃあ電気消して寝よう」

 

「ど、どうぞ」

自分が悩んでいたのが嘘みたいにとんとん拍子で事は進み、気が付けばベッドの左側にはガロアがいた。

考えていた通り、肩と肩が触れ合う。

 

(どどどどうなるんだ…いや、どうすれば…)

 

(何か…何をされるんだ…)

 

(………………………)

 

(…?)

多分まだ2、3分しか経っていないが、何もアクションが無いことを不思議に思い、

勇気を振り絞って左を見る。

 

「……」

 

(こいつ…)

 

(寝てやがる…)

安らかな顔で寝息を立てているガロアの姿があった。

ガロアは寝相は悪いが寝付きは鬼のように早い。

それは知っていたがそういう問題ではないだろう。

 

(どういう神経しているんだこの野郎)

石像のように固まる必要も無いと分かり、首だけでなく身体ごと左を向く。

こんな状況で健康な十代男が眠りこけるなんていうのは明らかにおかしい。多分自分は間違っていない。

 

(…なんだ…ほっとしているのか…がっかりしているのか…)

考えるだけで毛細血管が爆発しそうになるような事は何も現実に起こらなかったことには安堵しているが、

手を出されなかった事は………本心を言ってしまえば、残念極まりない。

 

(…母親に似ている…かぁ…)

腰が砕ける程あの男は驚いていたが、きっとそのガロアの本当の母親は美人だったに違いない。

身体は傷だらけだし、顔にもナイフによる切り傷が残ってしまっているが、それでも綺麗な顔立ちをしている。

夕刻の感触を求めてまた何も考えずに顔を寄せてしまうが。

 

(…寝てるのにしても面白くない)

思い返してみればこの前酒を飲んだ時も枕もとであれだけ騒いでも朝まで起きなかったのだ。

きっと何の反応も無いに違いない。

 

(でも…隣で寝ているんだし…)

 

(抱き着くくらいはいいよな?)

何も答えはしないが、多分いいと言ってくれるはずだと自己完結し身を寄せる。

耳を肌着につけるとゆっくりと落ち着いた鼓動の音までも聞こえてくる。

 

(うーん…幸せだ…)

温かいガロアの身体にそのまま密着し、ひしひしと幸福を感じて目を閉じる。

セレンはただこうしているだけで幸せなのだが恥ずかしくてとても口にすることは出来ず、結果ガロアはそれに気が付かない。

かなり思い通じ合ってはいるもののそれでもまだすれ違いはある。

なんだかんだ今日も今日とて色々あり過ぎて疲れていたセレンはそのまますぐに眠りに落ちた。




12話でカミソリジョニーが言った通り、ガロアは自分を振り返ってようやくアブ・マーシュに出会いました。
長かったねー

次回はサービス回です。
これから激しい戦場に行くしね。


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「…?寒っ!」

朝が来た、とはいえまだ早朝のようだ。部屋は暗く、よく見えない。

セレンは何度か目をこすり辺りを見回す。

 

(……毛布が蹴っ飛ばされている)

海の上にあるということで、冷えるだろうと何枚かかけていた毛布がすべて蹴っ飛ばされていた。

だがそれよりも気になるのは。

 

(なんだこれ…)

ぐっすり眠っているガロアの手が首元から服の下に入れられており、間違えて頭の方から手を入れられた腹話術人形のようになっている。

胸に手が触れているラッキースケベ…みたいな事は無く、胸の上には固い肘が置かれており、困惑しかない。

なんなんだこれは、と困り果てていると寝ぼけたガロアがバッと思い切り腕を振り上げ、寝間着のボタンが全て飛び白い双丘が露わになった。

 

「!!」

見ている訳でもワザとでもないと分かっていても胸を反射的に隠してしまう。それがよくなかった。

 

ドゴンッ

 

「ごあっ!?…か…」

振り上げた腕はそのままの勢いで落下し、薄っすらと腹筋が浮かぶセレンの腹に強烈な裏拳が叩き込まれた。

 

「ぐぅ…あ…が…」

寝ぼけた頭から記憶を吹き飛ばさんばかりの強烈な目覚ましに蹲ってうめく。

もちろん本気で繰り出された攻撃では無いとは言え、寝起きにこれはかなりキツイ。

 

(家庭内暴力だ…)

それは違うだろう、と意外と冷静な頭の一部が告げるも横隔膜がせり上がり呼吸が出来ずに言葉にならない言葉を漏らしていると。

 

「…あ…?朝……か。おはよう。…何やってんの?」

何も知らないガロアが平和そのものの顔で起き上がった。

 

「ぐ…うぐ…」

常識外れの寝相の悪さを本人は全く知らずにのんきな顔で聞いてくる。

 

「あれ?まだこんな時間だ。まだ寝てていいよ。疲れてると逆に早起きになるんだよなぁ」

 

「こ…この…」

腹を抱えて蹲っているのを疲れているの一言で自分自身で納得してしまうガロアの神経が改めて分からなくなる。

体勢のせいもあり、服のボタンが飛んでいる事にも気が付いていない。

 

「飯食って格納庫で運動してくる。…ったく…シミュレータもミッションも無いんじゃ身体がなまっちまう」

 

「お…おま…お前…」

完全に聞く耳持たず。

さっさと顔を洗ったガロアは着替えとタオルを持って出て行ってしまった。

 

「馬鹿野郎…が」

誰にも聞かれない言葉を漏らした後セレンはそのまま気を失うように眠りに落ちた。

 

 

なんだか様子がおかしかったセレンを置いて部屋の外に出たガロアは、隣の部屋からも同じタイミングで出てきた人物に気が付いた。

 

(あ?)

部屋から出てきた金髪の男は自分が言葉巧みにこちらに連れてきたジェラルドに間違いなく、

なんだ隣にいたのかよ、と思うと同時に開いた扉から裸体をブランケットで隠したジュリアスが見えた。

そのまま自分の存在に気付かずに二人は激熱のキスをした。

絵面だけで言えば童話の王子様がお姫様では無く美人だが嫉妬深い魔女の方を選んだという感じだ。

完全に二人の世界に入っているその空気は見ていられず思わず目を逸らしてしまう。ちょっとイラッと来るし羨ましい。

自然に、自分とセレンがああなったらと考えるが今までの生活から変わり過ぎてあまりの似合わなさ加減に頭痛がする。

 

戦いなんか無い世界でああできれば幸せなんだろうが。

 

(…………?)

ところが戦いだらけのこの世界で幸せを掴んでいる存在を知っている。

もう自分が何を考えているのか、さっぱり分からない。

完全にお互い以外目に入っていない二人の後ろを大きな体を小さくして通り過ぎようとすると。

 

「あ!君!」

 

(すごいイライラしてきた)

扉を閉めたジェラルドがこちらに気が付いて声をかけてきた。

関わりたくないから身体を小さく丸めてカサカサと移動していたというのに。

 

「君はとんでもない嘘つきだな!ジュリアスと言っていることが全然違うじゃないか!!」

 

「だが感謝している!だから」

 

「だからなんだよ」

 

「この事を周りに言いふらさないでくれ!」

昔は恥も外聞もなくジュリアスに突撃していたジェラルドだったが、優秀な師の元で育てられたジェラルドはきちんとそういう概念も理解するようになっており、

公衆の面前でプロポーズしておきながらも(連日)足繁くジュリアスの元に通っている事を言いふらされるのは流石に恥ずかしいようだ。

 

「……」

 

「き、君も女性と一緒の部屋にいるんだろう!?」

今だって爽やかな顔をして外に出たはいいが、別に戦いに赴くとかそういうわけでもなく、ただ単純に無くなってしまった避妊具を買いに外に出たのだ。

 

(うざい)

言いふらすも何も、こいつらの存在なんて今この瞬間まで忘れていたのにこれだ。

うざったいったらありゃしなかった。

 

「聞いているのか!?」

 

「うるせえ」

 

「え?」

 

「何も見てねえし聞いてねえ。だから」

 

「だ、だから?」

 

「さっさと俺の目の前から消えろ!!」

 

「す…すまなかった!」

腰を曲げてジェラルドと鼻が付くような距離でガーッと凄むと何故かジェラルドは涙を目に溜めて今出た部屋に引っ込んでいった。

 

(野郎…まさか声とか聞こえてこないだろうな…)

窓を開けっぱなしだったので波と風の音でかき消されて壁からは何も聞こえてこなかったが、実は耳をすませば隣の部屋から一晩中喜悦の声が響いていたのだ。

部屋を替えてもらおうかな、と思ったがそうなるとあのフィオナ・イェルネフェルトに会いに行かねばならないことに気が付く。

頭をガシガシと掻き結局本当に何も見なかったことにして格納庫へと向かった。

 

 

 

 

「身体がなまっちまう…か。気持ちは分かるな…」

食堂でコックが目をひん剥くような量を平らげて自分で紅茶を入れて一服してもまだ朝の9時。

平和なのはいい事だが平和すぎる。もちろん戦いが始まってほしいと思っているわけでは無いが。

 

「…後で様子でも見に行くかなぁ…」

雑務も無いが娯楽も無い。単調な波の音を聞いているとまた眠気が出てきた。

ラインアークのあるここソロモン諸島では既に気温30度近いが海の上という事もありさほど暑くは無い。

過ごしやすいが、それだけだ。と、その時カーテンを揺らす風に紛れてノックの音が聞こえる。

 

「ん?」

欠伸を噛み殺して、まだ見慣れない扉を開くとそこにはリリウムがいた。

 

「おはようございます、セレン様」

 

「ああ、おはよう。どうしたんだ?」

 

「ガロア様はいらっしゃいますか?」

 

「いや…身体を動かしに格納庫へ行ってしまったよ」

 

「そうですか…。お二人にお土産をお持ちしたのですが…」

 

「そうか?紅茶もある、上がっていくといい」

 

「はい」

 

セレンは紅茶をいれながら考えていた。自分がそうだから分かるようになったがこの少女は完全にガロアに好意がある。なんということだ。

かと言ってそれを追っ払うような真似をすればガロアはいい顔をしないだろうし、わざわざ土産まで持ってきてもらっているのにそれはひどすぎる。

それにガロアへの好意という点を除けば礼儀正しいし悪いところなど一つも見当たらないし、自分が過去に取った態度も無かったことのように接してくれるその人間性は性別関係なく好感を持てる。

 

(じゃあどうすりゃいいんだ)

その辺をよーく考えてみれば…それを言うならあの時ガロアに説得に行かせたこと自体が失策だ。

というか、もしかしたらもしかして、これからガロアが色んな女から言い寄られる可能性もないことはないかもしれない。

リンクスになったのは半年前ということは今までの人生から考えて、同年代の女性と一気に関わり始めたのもそこからだ。

それが嫌なら閉じ込めておけばいいのか、と言えばそうじゃないだろう。それを言ってしまえばこんなテロ計画に参加していること自体からダメだ。

閉じ込めるならそこから閉じ込めていた。ガロアにとって必要であろう自主性と自分の独占欲のバランスが取れない。

 

「ほら。ガロアはしばらく戻らないと思うぞ」

紅茶を置いて席に着く。セレンは本日三杯目の紅茶だ。

 

「ありがとうございます。あの…」

 

「ん?」

 

「セレン様とガロア様は…その、同じベッドで…」

王の元から離れるという決意を経て少し成長したリリウムは、眺めているのでも待っているのでもなく自分の意志でガロアにアプローチしようと考える様になっていた。まさしくセレンの恐れている事態だ。

だがそんなリリウムの清らかな乙女の意志もベッドに枕が二つという圧倒的な現実の前に早くも崩れてしまった。同じ屋根の下どころか、これは………普通に考えてもうダメだろうと。

 

「ああ」

 

「そう…ですか…」

 

「だがな」

 

「?」

 

「あいつはベッドに入って一分で寝やがった!!信じられるか!?私が…私が馬鹿なのか!?いや、少なくとも馬鹿を見た」

 

「…?」

年頃の男女が同じベッドで寝るなど…しかもリリウムから見てもセレンは相当の美人なのだ。

何もないはずがないと思っていた。しかし、少々失礼だがリリウムから見てセレンは嘘をつけるような器用な性格じゃないし、

目の前のセレンは本気で拗ねて怒っている。そこから見るにセレンがガロアに好意があるのは間違いないが。

 

「あり得るのか!?そんなこと!?」

 

「あり…得ないと思います…?」

 

「だよ…なぁ?」

 

「……」

そう、あり得ない。だがリリウムには一つ思い当たるところがあった。

自分を拾っていつしか家族のようになっていた王の存在だ。

一切の隙無く王を敬愛してはいるがそこに異性としての目は全くない。

年が離れすぎていたというのもあるし王がそもそもそういう接し方をしなかったのもあるが。

そういえばガロアはセレンを大事な人だとは言っていたが好きだとは一言も言っていなかった。

自分がその立場だったらやはり王のことは大切な人だと表現していただろう。

これはもしかすると全然チャンスがあるのかもしれない、とリリウムは思い始める。

 

「そうだ。土産って…まさか街に行ったのか?」

あまり治安はよくないと聞く中心街にリリウムのような可憐な少女が歩いていたらどうなるかは想像したくないと思ってセレンはそう聞くと。

 

「はい。ウィンディー様のお誘いで」

 

「ふーん…」

そう何度も話したわけではないが、ウィンのあの体つきも目線も格闘技を修めている者特有のものだった。

女二人というのはよくないかもしれないが、それなら大丈夫だろう。

 

「お土産のビターチョコです」

 

「ああ、ありがとう。…折角だし、ガロアが帰ってきてから食べるか」

 

「チョコを買ってきましたが…ガロア様のお好きな食べ物は何なのでしょう?」

 

「…そういえば知らないな。なんでも食べるしなんでも作るからなぁ…あいつ」

 

「趣味とかは…」

 

「多分…料理と読書じゃないかなぁ。自己完結している部分が多すぎるからな…。苦手なものとかあるんだろうか」

ガロアから聞いた話によれば虫も平気で食べるというし、運動も勉強も今は隙が無い上、悪知恵もよく働く。射撃が得意ではないが、苦手という程ではない。

考えてみればガロアがこれは嫌だと主張したことは、自分がオペレーターをやめるという事に対してだけだった。セレンはその事実に気が付いて少しだけ照れた。

 

「あまり…想像できませんね…」

 

「…うーん…。聞きに行くか?話せるようになったんだしな。そのチョコと…何か飲み物でも持って格納庫のほうへ行こう」

 

「あっ!」

 

「なんだ?」

 

「忘れていました!ウィンディー様から言伝が…」

 

「?」

 

「三番格納庫に土産がある、と…」

 

「…?ちょっとよく分からないな…私に?ガロアじゃなくて?」

 

「はい。セレン様に、と」

 

「うーん?見に行くか?」

と席を立とうとしたとき、またノックの音が聞こえて同時に扉の向こうから声が響く。

 

「おーい。ガロアー、いんだろー」

 

「…またあいつか…」

昨日と同じく、中の人を考えないタイミングでの訪問にため息が出る。

 

「なんだ?」

扉を開けるとダンだけではなくメイもいた。

 

「おはよう、セレン。上がっていい?」

 

「ん?ああ」

 

「あああああああ!?リリウム様!?こんちは!!」

 

「おはようございます」

 

一応椅子は四つあるが一気に狭くなってしまった。

特に美人三人に囲まれたダンのテンションは天井知らずで鼻息が荒い。

 

「どうしたんだ?」

 

「おう、ガロアを誘って海に行こうかなって思ってよ」

 

「海だと?」

 

「ええ。エレベーターの一番下で降りてすぐに入れる場所があるみたい。水着も下のコンビニで売っているし…」

 

「素敵ですね…。でも…」

 

「そうだ。そんな遊んでいる場合なのか?」

 

「遊んでいる場合じゃないってのは分かるけどよ、あと三、四日もすりゃ本格的に動き出して遊ぶことなんかできなくなるぜ。部屋でボーっとしているよりはいいだろ?」

正論ではある。電撃戦でアルテリアを同時襲撃し、今度はそれを守り続けなければならない。

どうしたって忙しくはなるのだ。

 

「うーん…でも…ガロアは来るのかな…」

 

「あいつ何してんの?」

 

「格納庫に運動をしに行ったよ。今頃走っているか…筋トレしているか…」

 

「…あいつ…バカなのか?脳みそまで筋肉でできているのか?」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

あまりにもマイペースなガロアの行動に呆れたダンの言葉に誰も否定できない。

セレンですらもずっと思っていた事なのだから。

 

「…とりあえず、迎えに行ってみるよ…」

 

「水着の心配はしないで。セレンとガロア君の分はもう買っちゃった」

 

「? そうか。先にリリウムを連れて行っていてくれ。ついでに寄るところがあるんだ」

 

「分かったわ」

 

 

ついでだからそのウィンの土産とやらを見てみようじゃないか、と日の照り付ける道路を歩くこと20分。

急速にただの格納庫からネクストの整備スペースへと変わっていった格納庫へと着いた。

今もあわただしく無人工事機が指示を受けて動き回っており、セレンは邪魔にならないように端を歩きながら三番格納庫へと入った。

 

どれが自分への土産なのか、詳しく言われていないから分からん。

と思っていたが、すぐにどれがそうなのか分かってしまった。

 

「な…あ…これは…」

ウィンがインテリオルの工場から奪い取り持ってきたセレンへの土産。それは。

 

「シリエジオ…」

幼いころから搭乗を運命づけられると同時に憧れ、同時に嫌悪したセレンの複雑な内心の象徴ともいえる桜色のネクスト、シリエジオだった。

そういえばウィンはインテリオルのトップリンクスだった。

 

『セレンはそれでもリンクスになろうって思わなかったのか?』

ガロアの言葉と未練。

代わりになるアイデンティティを求めてさまよった日々がフラッシュバックする。

 

「わ…私は…」

ガロアのオペレーターなのだからこれはいらない。

口にする必要もない。心の中で思ってしまえばいいのにその一文はどうしてもまともに作れなかった。

自分のかつての憧れそのものが目の前にあるなんて。

 

「……。いや、今は考えるのはよそう」

これに乗って戦えと強要されたわけでもない。ただ自分に持ってこられただけ。どうしようとも自分の勝手なはずだと言い聞かせて、その場を離れた。

 

 

すぐにガロアは見つかった。多分アレフ・ゼロのそばにいるだろうな、と思ったら大正解だった。

上半身の服は脱いでおり、汗で濡れた身体をちょこちょこと動かしながらガロアはスタビライザーに何かしている。

別に自分のネクストに愛着を持つのはいいのだが、あんなにネクストとべたべたしているリンクスって何か変だ。

 

(なんだ?リンゴ?)

脚部のスタビライザーに結び付けた紐の先についているのは一個の赤いリンゴだった。

何をしているのだろうと、思った瞬間にガロアがそのリンゴに向けて目にも留まらぬ速さの蹴りを数発放った。

 

(速い!!)

しかし当たったのだろうか?砕けていないし、紐もほとんど揺れていない。

一体なんの訓練をしているのか。自分が教えた鍛錬の中でこんなものはなかった。

歩み寄るのも止めて思わず見惚れていると、リンゴからやや離れたガロアが地面を踏みしめて、中空に掌底を放った。

 

(空気に通った!?)

発勁の形だけを真似るのは難しくない。しかしその破壊力を通すのは固体でなければ難しい。

だというのに今ガロアが放った発勁は空気にまで通っていった。そしてその先のリンゴが綺麗に割れて落ちていった。

 

(まだ強くなるのか…!)

目的を達したのだからもうやめろ、なんて馬鹿な説得だった。

最早ガロアはブレーキのぶっ壊れた暴走列車だ。際限なく強くなる。

しかし当のガロアはふう、と息を吐いて楽しそうに割れたリンゴをアレフ・ゼロに見せる様に掲げている。

ちょっと…いや、かなりやばいかもしれない。

 

「よこせ、よこせホラ」

慌てて駆けよってガロアの手にあったリンゴをひったくる。

 

「あ、セレン」

 

(うまい!)

つい齧ってしまったそのリンゴを見て驚く。割れているのではなかった。綺麗に切れていたのだ。

粗雑な包丁で切ると断面が押しつぶされたかのようで汚いのだが、この断面はまるで鋭利な刃物で切られたかのようだ。

先ほどの蹴りはリンゴを切るために放っていたのだ。嫌だが…とても嫌だが、やはりガロアは何よりも、戦っているときが一番綺麗だと思ってしまう。

 

「あのさ…なんでそんな強く…」

言いかけてやめてしまう。愚問もいいところだ。馬になんで走るのが速いの?と聞くくらい馬鹿げている。

雑念がないのだ。こんなに純粋に力を欲して貪欲に求め続けた存在を他に知らない。単純にその願いが神か何かに叶えられただけだ。

きっと武道家として目指すべき精神に達しているのだろう。なにしろ金も名誉も地位も生き残るのには何の役にも立たない地域で生きてきたのだから全くそういう薄汚さが刷り込まれていない。

自分のように、そういう風に生まれたからなどという言い訳すらせずに、ただ強くあろうとしている。

しかしひたすら求めた強さの辿りつく場所とは何なのだろう?その先に何があるのだろう?何が待つにせよ、もう極まるまで止まらないだろう。

 

「んあ?こいつが、教えてくれるンだ。俺はこいつと強くなった」

ぼけーっと口を半開きでアホのように答えるガロアは当然のようにアレフ・ゼロを指さす。

本当にヤバいかもしれない。ネクストを機械以上のものとして扱ってしまっている。そのとき、セレンは少々変なことに気が付いた。

 

「あれ?パーツが…」

アレフ・ゼロの武装がブレードとフラッシュロケット以外無くなってしまっていた。

ネクストの武装を盗む者など中々いないし、いたとしても誰にも見られずに運び出すのは不可能に近い。

何か理由があるのだろうか?

 

「ああ、そうなんだよ。知らないか?」

 

「いや、分からんぞ…?ラインアークが修理でもしているのかも?」

 

「まぁいいや。で?何か用か?」

さらっと話の主導を握るガロアに対し、セレンはつい思ってもいないことを口にする。

 

「用がなければ来てはダメなのか?」

 

「いいや。嬉しいけど」

 

「……」

が、ダメ。セレンの意地の悪い言葉はさらっと激甘な言葉で返されて結局セレンが黙り込むことになる。

 

「?」

 

「あ…あ、その…海に行かないか?」

 

「海?泳ぎに?今日?」

 

「ああ」

 

「いいよ。でもまだスクワット500回と腕立て300回とランニング3時間が残っているから後でな」

 

「後って!夕方になるだろうがお前!」

 

「でも身体動かさなきゃなまるし」

取り付く島もない。

思い返してみれば過去に何度か一人で運動しているガロアを無理やり連れて行ったときはかなり不機嫌そうだった。

だがここで一つ、うまい言い訳を思いつく。

 

「水泳は…相当ハードな全身運動なんだぞ?全くやったことなかったけどな」

 

「そうなのか?」

 

「ああ。走るよりもよほど鍛えられるし、普段使わない筋肉を使える」

 

「…分かった。行くよ」

 

(ガロアが単純でよかった)

ころっと意見を変えたガロアに心の中でガッツポーズをするセレン。

お互いにお互いのことを単純だと思っているいいコンビだった。

 

 

 

 

「可愛いじゃない。すごくいいわ」

 

「派手…なんじゃないか…」

わざわざ待っていてくれたメイが渡してくれた水着は赤いビキニでフリルが付いており、ボトムの腰の部分は紐で結ばれている。

言っちゃあれだがかなり煽情的でこのまま出ていくのはかなり恥ずかしい。

 

「それぐらいでいいの。ガロア君バカなんだから」

 

「…?そういえばリリウムは?」

何故そこからガロアがバカということになるのかよく分からなかったのでとりあえず置いておいて、一緒に行かせたはずのリリウムの行方を尋ねる。

 

「まだ水着を選んでいたわ。すっごい悩んでいた」

 

「なんで?」

 

「水着姿を見れば普通の男なら反応するからよ」

 

「!」

やっとガロアがバカだといった理由が分かった。メイは自分のガロアへの気持ちにいつからかはわからないが気が付いていたし、

きっとリリウムのことも分かっているのだろう。だからこそリリウムは水着を悩んで選ぶし自分も中々に派手な水着を渡されたのだ。

あんなことをした後でも同じベッドで何もせずに爆睡する大馬鹿なのだから刺激的にいったほうがいいのかもしれない。

 

「ちゃ…ちゃんと見てくれるかな…」

 

「大丈夫でしょう。目がついているんだし。行こっか」

 

 

そんな会話がなされているとも知らずガロアは今、ちょっとした問題に直面していた。

 

(水着を着ているときからずっと違和感があった…)

海は広いな大きいなと騒ぐダンの横で眉を顰めながら男子競技用の水着に触れる。(ちなみにダンの水着にはどこかで見たようなロボットがプリントされている)

 

(俺は…)

 

(泳いだことがない)

森で駆けて木に登り、ネクストに乗っては空を飛ぶガロアだがこれまでの人生で海どころか泳ぐという行為には全く縁が無かった。

 

(それに…なんだか怖い)

何故か分からないが大きな水が怖い。

泳いだことがないのだから当然おぼれた経験もないはずなのになぜだろう。

 

 

「うわぁ…ガロア君すごい身体しているね…」

後ろから水着に着替えたセレンとメイが来ており、努めてビビッていることを顔に出さずに振り返る。

 

「な!すげぇ身体しているよなこいつ!細っこく見えるのにガチガチ」

ガチガチと言いながら拳で軽くこちらをガンガンと叩いてくるダン。だがガロアの目にはセレンしか入っていなかった。

言葉が出ないほど綺麗なので何も言わないままでいると。

 

「って…あんたもすげえ身体してんな…」

ダンがセレンの身体を見て息を漏らす。

女性としての美しさが損なわれない最高の基準での筋肉が付いたセレンの身体は二の腕や太もも、腹筋にもはっきりと分かる筋肉がついていて太陽の光を受けて影ができている。

メイほどでないにしろ胸も大きくスタイルも良いとくればダンの言葉にもうなずける。

 

「じろじろ見るな」

 

パン、と軽快な音が響いた。

 

「あぱっ!?」

強烈なビンタを左頬にくらい赤い紅葉がくっきりと浮かんでダンの左の鼻孔から血が出る。

 

「ダン君、私には何かないの?」

 

「え?…胸でっかいな」

黄色い三角ビキニを吹き飛ばさんばかりの大きさの胸は、

セレンの四つも上の大きさのKカップであり、確かにまずそれしか感想が浮かばない。

パレオから伸びる脚がセクシーだとか他にも言いようがあっただろうに、ダンはそれしか言わなかった。

 

「それだけ…?」

 

「え?うん」

 

またしても同じような音が砂浜に響く。

 

「なぱっ!?」

今度は右頬にビンタをもらったダンはとうとう両方の鼻孔から血を出し、はたから見れば海辺によくいるナンパに失敗した男だった。

 

「……」

 

「ガロア…その…どうだ?」

顔を水着と同じくらい赤くしながらそんなことを聞いてくるセレン。

どうだと言われても胸も腰も尻も顔も含めて全てがどストライクで結局綺麗だとしか言えないが、

下手な事を言うと隣のダンのようになりそうだ。

 

「うん」

この答え方がベストなはず、とガロアは軽く頷いて終わる。

 

「……」

ベストなはずがセレンは肩を落とし明らかに落ち込んでいた。

羞恥を押えて勇気を出したというのにガロアのあまりに淡泊な反応に少々目に涙が溜まっていた。

 

「いてっ!」

そこに、まさかのメイからの軽いビンタが飛んできた。

意外過ぎて避けることも出来なかった。

 

「ガロア君、女性の水着姿には…こういうときは、綺麗だねって言うものなの」

 

「…はぁ」

何故だろう。この前邪魔だとか言って戦場から追っ払った程度には力の差がある筈なのに全く逆らえない。

これが年の差という奴なのだろうか。そう思っていると。

 

「お待たせしました」

砂浜に小さく足跡を付けながらリリウムが走ってきた。

白いチューブトップで胸の過度な露出を避けた水着はリリウムの印象に良く似合っており、髪や肌の色と相まってとても清潔だ。

 

「うん。綺麗だな」

メイの言葉に従って今度は選択を間違えない。

その言葉が耳に届きリリウムが顔を真っ赤にした瞬間。

 

バァン!!

 

「あだぁっっ!!?」

今日一番のビンタがセレンからガロアの左頬へと送られた。

両方の鼻の穴から血が噴き出し結局男は全員鼻血を出すという何とも滑稽な光景に。

 

「!?」

 

「ふん!!もう知らん!!泳ぐ!! 行くぞメイ!!」

驚き固まるリリウムを置いてメイの手を引き海に行ってしまうセレン。

 

 

「なぁガロア。俺、分かったことがあるんだけどよ」

 

「え?」

 

「女はビンタする。間違いない」

 

「……。リリウムはビンタするのか?」

 

「え?え?…いえ…リリウムは泳ぎます」

 

「ですよね!行きましょう、リリウム様!」

 

「ガロア様は?」

 

「……顔洗って準備運動してから行く」

 

海に何の恐れも無く入る四人を横目に水道で顔を洗い流し、入念に準備運動をする。

なんで自分でもこんなに怖がっているかは分からないが、一歩間違えれば死ぬという認識は間違っていないはずだ。

 

(こえー…海こえーな…)

もうここまでくればはっきりと分かる。泳ぎたくない。怖い。

ここで体育座りして日没までなんとか誤魔化せないだろうか。本当に怖い。

渺茫とした海のどこかには人よりも遥かに大きな生物もいて、セレンやダンが足を突っ込んでいる海から続いた場所にいるのだ。

陸ならまだしも海の中では絶対に勝てない巨大生物がそのどこかには必ずいて、それと同じ場所にいるのだという恐怖。

こんな情けない事を誰にも言う事は出来ず、砂浜にしゃがんで貝殻をつっついていると人影がガロアの影と被った。

 

「あの…ガロア様」

 

「…?どうした?」

メイが持ってきていたビーチボールで三人が海の中で遊んでいるのにわざわざ抜けてリリウムがここまで来ていた。

何か話したいことでもあるのだろうか。

 

「リリウムは…」

 

「…?」

 

「アナトリアの傭兵に銃を向けて…撃たなかった…ガロア様の答…リリウムは正しいと思います」

 

「誰から聞…いや、それは重要じゃない、か。…別に高尚な理由があったわけじゃない。俺が臆病だっただけだ」

それを聞いてやはりウォルコット家の歴史を思い出してしまう。

リリウムには怒りは無かったのか、とは聞けない。何故なら復讐の為に力を欲したなんていうのは褒められた動機では無いと自分で分かっているからだ。

殺してほしく無かったのか、とはますます聞けない。今の自分には出来ないから。

 

「いいえ、勇気ある行動です」

 

「好きに思えばいい」

 

「なので…リリウムも…少し勇気を出します。そのまま…どうかそのまま、しゃがんだままで。ガロア様が立ち上がるだけで…届かなくなってしまう」

 

「え?」

つっついていた貝殻から顔をあげると自分と同じく砂浜にしゃがんだリリウムの顔が目の前にあった。

綺麗な翠色をした目にはなにやら固い決心が浮かんでおり、訳が分からずたじろいで尻餅をついてしまう。

 

「なっ、なに…」

海水に濡れてひんやりとした手が顔に添えられて逃げることも出来なくなった。

そして王小龍とセレンが大激怒している顔が頭に浮かんだのと同時に頬に柔らかい唇が付けられた。ひんやりとしているのにぬくい。

言葉にならない言い訳を考えているうちにその唇は離れていってしまう。

 

「先に行っていますね」

混乱極まっている自分とは対照的にすっきりとした顔で笑ったリリウムはそう言って海へと駆けていった。

 

(うぎぎ…もうなんも、何一つわからっ、わからねえ…なんで?)

18にして今まで異性どころか人間の知り合いすらほとんどいなかった人生から一転、モテ期が来ているガロアはようやくリリウムが自分に好意を持っている事に気が付く。

だが、何故リリウムが自分にそんな感情を抱いたのかが分からなかった。ガロアは感情を理屈で考えすぎるのが大きな欠点だった。

そしてまた一つ、ゆるゆるだった頭のネジが外れてしまったガロアはふらふらと海に向かって歩き出した。

 

 

 

 

(ああ…美人三人と海で遊ぶなんて…俺幸せ…)

メイはともかくとしてセレンとリリウムはダンの事をなんとも思っちゃいないし、

ビーチボールにしてはセレンのサーブは威力が高すぎるが、それでも今日のイベントはカラードを裏切って半ばやけくそになっていたダンの心を癒していた。

そんな時、視界の端で何かが暴れているのが目に入った。

 

「ん?」

 

「どうしたの?」

 

「なぁ…あれ…」

 

「ガロア様…ですね。あれは…どう見ても…」

 

「溺れているぞ!!?」

 

「うわーっ!!?」

 

波にさらわれて沖へと流れていくガロアをセレンが猛スピードで追う。

その間にもただ引き返す波に捕まっているだけとは思えない程の速度でガロアは沖に引かれ、沈んでいく。

白目をむいて口から海水をガブガブ飲んでいるガロアが見えたセレンは人生でもここまで必死に泳いだことはなかったという速さで泳いでガロアに追いつき、なんとか砂浜に戻すことに成功した。

 

「げほっ、がはっ…」

 

「大丈夫かよ、おい!」

 

「お前…泳げないのか!?」

 

「セ、セレン…」

セレンに掴まれて陸へと戻るまでの間、ガロアは何故か懐かしい夢を見ていた。

水にどんぶらこと流されて溺れる夢だった。何故そんな悪夢を懐かしいと感じたのかは分からないが。

 

「な、なんだ?」

 

「海は…しょっぱい…」

飲み込んだ海水を吐き出しながら五歳児のような事を言うガロアに一同は困惑している。

 

「意外ね…てっきり水泳も出来るかと思っていた」

 

「俺は…泳いだことがない」

 

「そうだったのか!?そんなこと、私は聞いてないぞ!?」

 

「……無念」

ゲボッ、と咳き込むとまたしても口から海水が大量に出て砂浜に染み込んでいき、ガロアはその場に力なく倒れた。

 

「取りあえず少し休めよ。なっ?俺たちはここにいるから泳いでいていいぜ」

 

「だが…」

 

「セレン」

 

「え?」

 

「後で…泳ぎ方を教えてくれ」

 

「あ、ああ。分かった!」

セレンはこの場を離れることを渋っていたが、その言葉を聞いて海に向かう。

今度はどんどん流されていくビーチボールに気が付き三人ともきりきりまいで追っかけている。

 

「…人間の身体が水に浮く方がおかしいんだ…」

運動がそれほど得意では無かった頃を思い出し大きな体を丸めて少しいじけるガロアにダンは笑いかける。

 

「いや、お前でも苦手なことあったんだな。なんか親近感湧くぜ」

 

「……」

 

「そういやお前さ…」

 

「ん?」

気が付けば自分とダンの二人しかいなかった。

まさかダンまでキスしてくるんじゃないだろうか、と身構えていると。

 

「なんでリリウム様を誘ったんだ?」

 

「え?…なんで、今それを?」

もう最近話の脈略というものがさっぱり分からない。

というよりも言葉という物はやっぱり難しすぎる。

 

「全然革命って感じじゃないじゃん!部屋でベートーベンの月光って感じじゃん!似合わない!なんで来たのかも分かんねぇ」

 

「……勝手に、カラードから抜けて…それで戦うのは…悲しすぎると思ったんだ。だから言ってみようって」

ダンから渡されたペットボトルの水を飲んで、ガロアはセレンにも言っていなかった本心を初めて吐露する。

ガロアは『友達』という言葉を知っていてもまだその概念をうまく理解できていない。

ただ、ダンがそんなことを聞いてきたとき、いつもダンと一緒にいたあの派手な男を思い出した。

 

「俺はカニスに言えなかった。いや、言わなかったの方が正しいか」

 

「……」

その男の話をする、となんとなく分かっていた。

いつかダンが自分に思いつめた顔で話してきたように。

 

「でももう、戦うとしても殺し合わなくてもいいんだ、俺たちはさ。なんつーか、馬鹿なことをしているのかもだけど。でも、ずっとマシだ」

 

「……俺が…言ったことと同じなのか」

これも強さなのかも、とガロアは思った。嫌なことを素直に嫌だと主張できる勇気。

ところが、嫌なこと苦しいこと、したく無いことでも歯を食いしばってやり通すことも強さには違いない。

この世界には自分の知らない強さと言う物があって、この少年はそれを持っているのだろう。戦えば勝つのは間違いなく自分だというのに、そこに強さがあるなんて。

 

「セレブリティアッシュも俺のもんだ!持ち逃げしてやった!支払い終わってないけど!もう金貰って人殺しなんてしなくてイんだ!」

 

「俺が…戦場でサベージビーストに会ったら」

殺さないでおこうか、と言いたくなかった。それはガロアがその昔怒ったアナトリアの傭兵そのままの姿だからだ。

それでもその姿を羨ましいと思っている自分がずっと心の中にいる。そんなもの、取り出して海に沈めてしまいたかった。

またじくりと頭が痛んだ。

 

「心配すんな。カニスはお前と戦わない。お前を見たら一目散に逃げるさ」

 

「分かるのか」

 

「友達だからな。敵になっても」

 

「…お前、強いんだな。俺の知っている『強さ』は…」

今の自分は強くなった。だが目指した強さと少し違う気がする。小さな身体と知恵のみでバックに立ち向かったあの日の自分には目指した強さがあった。

例え身体が弱くとも、過ぎた理不尽にはNoと言えることこそが強さなのだと思う。だとしたらその強さはこのダンにはある。

自分には今でも…あるのだろうか。

 

「お前ほどじゃねぇさ」

 

「いやそんなことはねぇ…と…思う。そういえばいつもあのメイ・グリンフィールドと一緒にいるけど、なんでだ」

さりげなく気にはなっていたものの、わざわざ聞くほどのことでは無く、そんな暇も無かったがせっかくの機会なので聞いてみる。

 

「え?分からん。なんか一緒にいる。話しやすいしな」

 

「ふーん…」

セレンと自分のケースで考えれば少なくとも一定以上の好意がダンにあるんじゃないか、とは思うが下手な事は口にしないでおく。

自分がそういう事に全く不慣れだという事は知っている。

 

「でもおっぱい大きいよな」

 

「………そうだな」

さっきそれで引っ叩かれたばっかりじゃないか、と思うが悲しいかな、男という生き物はこう言われるとついついそちらを見てしまう。

水しぶきの中で胸をたゆんたゆんに揺らすメイは目に毒だ。なんとなく家の中で無防備に歩きまわっていたころのセレンを思い出す。

そこでおっぱいを一つお願いします、とか言ったらぶっ殺

 

(されないかも…?)

ガロアは確実にバカになっていた。突如始まって駆け抜けていく18歳の青春がガロアの頭をとろっとろに溶かしてしまっていた。

もう考えても一切分からない。とりあえずダンがそうしているようにメイの揺れる胸を見ていると。

 

「何を見ている?」

 

「おあっ!?」

 

「うわっ!?」

いつの間にかセレンが自分の後ろから自分の視線の先を見つめていた。

 

「う、うみ…みてた…」

 

「そ、そうだ。ガロアの言う通り。海を見ていたんだ」

 

「ほう…やはり胸は大きい方が好きか」

実のところ会話を途中から聞いていたセレンは表情を変わらず嫉妬交じりの怒りのボルテージを上げており、

どんな返答が返ってきても、いやらしい目で女性を見るなだとか言って追及するつもりだった。

しかしガロアはもう確実に馬鹿になっていたのだ。

 

「俺はセレンのおっぱいのことを考えていたんだ!!」

昨日の初恋キスに加えて、次々と起こるどう反応していいかも分からないイベントの連続でガロアの頭のネジはダース単位で吹き飛んでおり、最早横になったら脳みそがこぼれてしまうレベルに達していた。

 

ダンはその言葉を聞いて思いきりずっこけて砂浜に頭を不時着させた。

セレンは160km/h、ド直球のガロアのセリフを聞いて

 

「そっ、それならいい!!」

としか言えなかった。

 

 

 

結局何度も海で手を引かれ泳ぐ練習はしたが、全く泳げるようにならなかった。

波に足を取られて転んだり、鼻に海水が入って思い切り咳き込むガロアはなんだか昔に戻ったようで、泳げるようにはならなかったがセレンは中々楽しかった。

 

 

「いや、結構楽しかったな?」

部屋に戻りシャワーから出たセレンは満足気だ。

 

「普通に運動するより疲れた」

 

「いい運動になったってことだろう」

そのまんまベッドに身を投げ出すセレンを見て、ガロアは買い物袋から昨日買ってきた物を取り出す。

 

「セレン、これ使え」

それはドライヤーだった。

こっちに持ってきた物は服と花とほんの少しの化粧品だけだったのでまさかと思っていたがやっぱり昨日も髪を乾かさなかった。

話し込んでいて渡すのを忘れていたそれを差し出す。

 

「え?乾くだろ、そのうち」

やっぱりというかなんというか、当然のように聞く耳を持たない。

 

「いや、そのまま寝っ転がられたら枕が濡れる。それに潮風に晒して痛ませるのは良くないだろう」

 

「いいじゃないか、それくらい」

 

「ダメだ。折角美人なんだから」

 

「……」

もしかしてガロアには恥という概念が無いのだろうかとセレンは思う。

何故こうもするするとこんな言葉を吐き出せるのか、と。

 

「面倒なら俺がやってやるから」

 

「…じゃあ…お、お願いするとしようか…」

俯いて濡れた髪で顔を隠してぼそぼそと肯定する。

 

「はいよ」

頼まれてタオルでよく水をきり弱いブローで乾かしていく。

 

「……」

 

(黒い髪はあれだ、なんでだ、どこまでも綺麗だコレ)

海から戻ってもガロアの頭は壊れっぱなしだった。

自分でもよく分からないことを考えながら黒髪を乾かしていくとセレンがドライヤーの音に紛れて何かを聞いてくる。

 

「その…」

 

「ん?」

 

「…リリウムの方が綺麗だったか?」

 

(…これは…嫉妬?か?)

ここ半年で初めて目にする感情が多すぎて分類が追い付かないが、セレンが自分に好意があると言う前提で考えるのならばそういうことだろう。

二人を取り巻く世界だけでなく、二人の関係までも意味不明な速度で変質していき本当に頭がついていかない。

 

「いや、セレンの方が綺麗だったけど。なんか今までよりも」

とりあえず意味のある文字列を口にできたが、既にガロアのお子様脳はかなり駄目になっていた。

 

「そうか…その…。嬉しい」

 

(…綺麗な髪だなぁって、もうなにがなんだか)

指を入れるとするりと流れてしまいほとんど指にかからず最高級の絹の様な輝きを放っている。

またまた理性がはち切れ昨日の様な粗相を犯してしまいそうになる。自分の理性とやらがどこにあるのかもよく分からない。

 

「乾いたか?」

 

「アッハッハッハ、さっぱり分からん」

乾いている。

そうじゃなくて、もう自分の頭の中で何が起こっているのか分からな過ぎてガロアは笑うしか無かった。

 

「!?」

 

「全然分からん本当、ハッハッハ」

ドライヤーのスイッチを切ってけたけた笑いながら髪に鼻をつけるといい匂いがした。

もう笑いが止まらなかった。

 

「少し落ちつけっ!?後遺症が出たか!?出ちゃったのか!?」

ばんっ、と両手で顔を挟まれ、セレンが青くなった顔で見てくる。

セレンが何を言っているのか、何を心配しているのかも分からない。

 

「はっ?」

 

「なんか、オカシーと思ったんだ!18年間ウンともスンとも言わなかったのに…ぽんっと話しだしたかと思えばテロリストの仲間入りして」

 

「違う、セレンの髪が綺麗だから」

何一つとして会話が噛みあっていなかった。

ガロアは一応事実しか口にしていないし、おかしいから笑っているだけなのだが。

 

「あああ、もう、髪ならホラ、全然触ればいい!親も兄弟もいないから誰もしなかったが、いいから!!」

 

「よし」

差し出された黒い髪を手で掬い、未だ波にゆらゆらと揺られているような感じのする頭が指示するがままに口を付ける。

 

「バカかっ!?」

セレンももうありとあらゆること全てがさっぱり分からずガロアの顔にパンチを叩き込んだ。

 

「……?…………飯にしよう」

ガードも出来ずにクリティカルヒットしたそのパンチでガロアは吹き飛ばされてベッドから派手に落ちたが、

そのお陰で遥か後方に置いてきてしまった理性やらその他もろもろが頭の中に戻ってきてようやくまともな言葉を言えた。だがそれが今までの会話と雰囲気が合っておらずまたセレンを混乱させた。

 

「?? ?? 晩飯?お前が作るのか?」

 

「材料買ってきた」

ふらふらと台所まで歩いたガロアが開いた冷蔵庫の隙間から一食分くらいの鶏肉(つまり大量)と調味料なんかが見えて、

ガロアの料理の味を思い出しセレンの腹が鳴る。

 

「……料理が趣味なのか?」

 

「趣味…うん…まぁ趣味かな」

 

「含みがある言い方だな」

 

「セレンが美味しそうに食べてくれるから料理するのが好きなんだ。じゃあ晩飯作るから待ってな」

 

散々甘い言葉を言って訳の分からない行動をして、結局台所に引っ込んていったガロアの背を見て枕に顔を埋めてばたばたする。

実家で言われた「好き」という言葉は何か違った気がしたがもうこれでいいんじゃないか。

これ以上は血管が持たないし、結局あの「好き」がそういうことだったのかもしれない。だとすれば手を出してこない意味がよく分からないが。

 

(ガロアが作る晩飯か…随分久しぶりの様な気がするな…晩…晩!?また夜が来る…どうするんだ…)

一緒に寝るのはいい。というか素晴らしい。問題はあの鬼の様な寝相だ。

あんなものを毎日繰り返されては身体中青あざだらけになってしまう。

とは言え他に寝る場所は無い。

結局うまい解決策は思いつかないままガロアの使っていた枕を抱えて延々と悩んでいた。

 

 

 

 

(…どうしちゃったんだ…?)

料理を持ってきたガロアはベッドの上でぶつぶつと悩んでいるセレンを見て顔を青くする。

自分も色々とダメになった気はするが、セレンもかなり来ちゃってる気がする。

 

(最近…環境が目まぐるしく変わったからな…やっぱり疲れさせてしまったか…)

微妙に正解に近い想像をしながら皿を机の上に置いていく。

セレンは相変わらず悩んでいた。

 

 

(ようするに…寝ているときに攻撃されるから避けられないんだ)

 

(つまり…事前に防ぐか見ていればいい)

 

(…なんで…一緒に寝るのに攻撃とかいう話になるんだ…)

脳内会議で表情をころころと変えていき、それがまたガロアを不安にさせるがセレンは気が付かない。

もう二人は昨日のキスから頭の中の大事な部分がいくつも完全にイカれてしまっていた。

 

(とにかく攻撃モーションに移さない…となれば…)

 

「ガロア」

 

「え?」

 

「手を繋いで寝よう」

 

「えぇ?」

これは名案、とセレンは提案したがそれがますますガロアを心配させた。

何がどうなってそうなるのか、とは思ったがセレンと手を繋いで寝るというのは単純に嬉しい気がした。

 

「…それはなんだ?」

 

「チキンの山賊焼きだ。沢山あるからいくらでも食べてくれ」

 

「そうか。じゃあ頂こうかな」

 

何か頓狂なことを言っていたセレンだったが結局相当な数の鶏肉を平らげたし、

実にいい笑顔で美味しいと言っていたので疲れていると思ったのは気のせいなのかなとガロアは思っていた。

だが。

 

 

 

「はははは歯も磨いたし…寝るぞ、ガロア」

 

「うん。…うん?」

差し出された左手とセレンの顔を交互に見る。

 

「手を繋ぐぞ」

 

「本気だったのか」

 

「本気だ!?嫌か!?」

声を上ずらせながら迫ってくるセレンには逆らってはいけない迫力が生まれている。

もう自分達の関係はどこに行ってしまっているのか分からない。

 

「いや、嬉しい」

 

「じゃあホラ!さあ!」

 

「…ベッドに入ってからでいいんじゃないか」

ここからベッドまで歩いて、ベッドに上がって、毛布を掛けてなんて事を片手のふさがった状態で二人でするなんて煩わしい事この上ない。

 

「じゃあ早く入れ!もう!」

 

「なんでカリカリしてんだ?」

 

「誰のせいだと思っているんだ!」

 

(俺か…?)

ちょっとよく原因が分からないがセレンが怒っているときは頭を低くして怒りが通り過ぎるのをひたすら待つしかない。

ベッドに入ると乱暴に手を握ってきた。

 

「……」

 

「……」

 

「セレン」

 

「なんだ」

 

「俺…誰かの手を握るの…凄い久しぶりだ」

 

「……」

そういえばぶっ倒れたガロアを担いだり、肩を貸したことはあっても手を握るなんてことは無かったな、とセレンは思い出していた。

今までに無意識に握ってしまったのは別として。

 

「どうしてこうなっているのかはよく分からないけど…こうしているだけで凄い幸せだ。ずっと…こうして誰かに俺の右手を握ってほしかったのかもしれない」

 

「…これくらいで幸せだって言うなら…明日からも」

 

「うん」

乱暴に握っていた手を緩めて、どちらともなく指を絡ませる。

 

「セレン」

 

「なんだ」

 

「セレンが着いて来てくれて…良かった…」

 

(あ、寝た)

すとんと音が聞こえてきそうな程見事に夢の世界に落ちたガロア。

その横顔は大げさでもなんでもなく本当に幸せそうだ。

 

(結局…ガロアが私をどう思っているかは…分からない。何が起きているのかも)

 

(でも…一緒にいて幸せだと言うならそれでいいか…)

どちらかと言えば昨日のような事がちょっとした事件だったのだ。

自分も自分であんな風に身体の繋がりを求めなくてもこうしているだけで十分すぎる程幸福を感じられる。

波に揺られる感触の残る身体と左手の温かさを味わっているうちにセレンも眠りに落ちていた。

 

 

そして次の朝。

 

「ん…」

昨日とは違いやけに温かく、少々喉の渇きが強くなり目を開ける。

 

(うわっ!)

夜中にどのように動いたかは分からないが取りあえず毛布は蹴られていない。

手が繋がっているのだから当然だが、自分と逆方向には向いていなかった。

 

(こ…こうなるのか…い、いいんじゃないかな…)

だが今度は手はガロアの方に引き寄せられて、顔が自分の胸の中に埋もれていた。

すやすやと寝息を立てているが息苦しくないのだろうか。

その寝顔は小さい頃から変わらない。

 

(身体が大きくなっても…まだ子供だな…か、可愛い…)

これでガロアの意識が覚醒していて何らかの反応を示していたら、反射的にパンチを飛ばしていたかもしれないが、寝ていてこうなった分にはどうとも思わない。

 

(そういえば…本当の母親の乳も飲んだことないんだっけか…)

ガロアが住んでいた家で読んだ手紙の内容と言葉、そして自分の胸に顔を埋めて眠る穏やかな表情が母性本能を刺激しついついその頭を引き寄せてしまう。

思いだせば思いだすほど涙腺にキてしまう。

 

(…やっぱり一人ぼっちは寂しかったよな…そうだよな…)

考えている事とは裏腹にぎちぎちと締め付けてガロアの呼吸を妨げていく。

 

「あ」

 

「……、…」

目を覚ましたガロアが寝ぼけ眼で胸元からこちらを見ていた。

それと同時に自分がしていた事に気が付き固まってしまう。

やばい、何を言われるのか、と思った瞬間。

 

(うおおぉ!?)

寝ぼけていたのか、小さな女の子が巨大なテディベアにするようにぎゅうっと思い切りセレンを抱き寄せてまた眠ってしまう。

 

(おおお…今日も絶対手を繋ごう…)

ガロアの無意識の暴力を防ぐ為の苦し紛れの対抗策がこういう結果になるとは思わなかった。

そのまま幸せ一杯の表情で抱き返しながら固く決心するセレンであった。




ガロア君壊れてしまいました。
セレンもいい感じに壊れていますね。

フロム作品の主人公は泳げないんだぞ。

次はいよいよ本格的に作戦開始です。


実は、部屋に戻ってそのまま引っ込みがつかなくなってしまったジェラルドとジュリアスの間に子供が出来てしまいます。
それが物語に大きく絡むことはありませんが……


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一世一代の告白

デイビッド、息子よ。聞いてくれ。これから俺は多分死ぬ。

ああ、いや。別に今から帰ろうと思えば帰れる。死のうとしているわけじゃないし、誰に強制されたわけでもない。

 

俺はもうお前の兄貴が赤ん坊の頃から数えて30年も父親をやってきたな。

もう長い事セックスレスだが、神に誓って浮気はしていない。本当だ。母ちゃんはちょっと疑っていたけど、本当だ。

俺には…母ちゃんやお前らと同じくらい大事な物があった、それだけだったんだ。

 

お前は普通に大学に行って、普通に歯医者になって、普通に嫁さん見つけたよな。

俺はそれをとても誇らしく思っている。いいんだ。それでいいんだ。おかしいのは『俺ら』の方なんだ。

 

なぁ、デイビッド。この世界には…結構いるんだ。強さが一番で、他のことはどうでもいいって奴はよ。俺もそうだった…いや、そうなんだ。

信じられないか?そうだろうよ、俺は父親をやっていたから。お前たちの前では。

 

俺にとって強くあることは何よりも大事なことだった。

でも、そんな俺にも強さと同じくらい大事なもんが出来ちまった。

30年連れ添った母ちゃんさ。

 

俺は、女を選んだ。ほっときゃいずれ誰かの女になるし、そうじゃなくともどんな綺麗な女も必ずババァになる。実際今の母ちゃんはぶくぶく太って立派なババァになったしな。

旬は今だけだったから。理屈に走って、強さを裏切っちまった。

 

家が出来て、ガキが三人も…ぽんぽこ出来て。大事なもんが増えちまった。

 

するとどうだ。戦う意味が少しぼやけた。

それからどれだけの時間を捧げても、ずっとぼやけていた。

後悔はしてねえが、ずっとぼやけていた。

俺の強さでお前らを守って、ずっと父親をやれたから後悔はしてねぇがよ…

 

カレンもきっとあと数年もしたら彼氏を連れてくるんだろう。結婚して、子供を生むんだろう。

きっと俺はその男を殴るだろうな。それがどんなにいい男でも、娘にはどこにも行ってほしくないんだ。それでもやっぱり祝福しなくちゃならないから、泣きながら祝福するんだ。

 

だがそれは俺がいなくても起こるイベントなんだ。

俺の代わりにお前とお前の兄貴…スペンサーと一緒にその男を力いっぱい殴れ。そして一緒に祝福しろ。

俺の代わりにお前らがいるから。

 

 

でもな、デイビッド。ここで戦う事だけは、俺の代わりはいない。

俺が戦わなきゃ起こらないイベントなんだ。

 

分かるか。この瞬間、俺は主人公になれるんだ。ぼやけていた強さが、何よりも輝いて。

そいつと戦うという事だけは、俺が勇気を奮わなきゃ起こらないから。

 

そうだ、ネクストだ。どうせ隠してもばれちまうだろうから言ってやるよ。来たのは奴だ、ガロア・A・ヴェデットなんだ。

ああそうだな。奴が変な行動を起こしたせいで、俺は未だにクレイドルに戻れずに地上にいる。孫の顔を拝めるはずの出産予定日にも仕事が入っている。

 

お前から見た俺は……そうか、ありがとよ。そう言ってくれて。救われる気分だ。てっきりダメ親父だって言われるもんかと思っていたぜ。

 

ぼやけても、他に大切なもんが出来ても。

俺は数十年積み重ねてきた。

あいつらネクストなんてのが出てきやがったせいで、俺らはどうしたって一生名も無き兵士Aであることは間違いなかったのに。

だが…一番になれないと分かっていても…それでも俺は積み重ねてきた。

 

俺は一番になるために積み重ねてきたんじゃない。

 

強い奴と戦いたかった。その願いが今日、叶うんだ。

 

お前たちが幸せになることは…もう、叶った。俺の最後の願いが叶うんだ。

 

いいや、やめないさ。もう止めるな。分かるだろう?

 

俺は、これから俺の意志で戦う。

もしも帰って来なかったらお前と、……その時の俺は大佐になってんだろうな。

嫁さんの間にこれから生まれてくる子にたまに言ってやってくれ。

 

 

 

お前の爺さんは、この世界で一番強い男と戦って死んだってな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに六日後、全ての準備が整ったという事でカラードからこちらに来たリンクスのみ集められ作戦が説明されることとなった。

メルツェルとオッツダルヴァの話によればORCAが当初予定していたメンバーが襲う場所は変わらず、さらにそこに防衛として割り当てられるだろうと予測されていたネクストを襲撃に回すとの事だった。

例えばカーパルスにはジュリアスとジェラルドが行くという。戦力としてもそうだが何よりも、混乱を誘発し出来れば戦闘を避け、可能ならば寝返らせるためだと言う。

ラインアークの防衛はマグナスとジョシュアに新たにネクスト(と言ってもリンクス戦争の頃と同じものだが)が与えられ、その二機が守ることになるという話だ。

 

「………そしてガロア、お前の役目は現在アルゼブラが支配しているリッチランドの防衛戦力を殲滅し、こちらから手配する守備部隊が到着するまで防衛することだ」

 

「え?リッチランド?」

カラードから結構リンクスが移ったんだな、と周りの顔を見ていると、オッツダルヴァに急にミッションの説明をされて焦る。

聞いていなかったのではなく、聞こえたから焦っているのだ。

 

「アルテリアを襲撃するとともにリッチランドを奪い企業の体力を奪う。兵糧攻めだ。全面戦争は避けたいし、電撃戦では意味がないのだ」

 

「いや、待ってくれ。俺がアルテリアのほうがいいんじゃないのか」

てっきり激しい戦場に送られる物だと思っていたので拍子抜けしてしまうし、隣のセレンもぽかんとしている。

 

「リッチランドはGAとアルゼブラの支配域がぶつかる場所にあり、食料生産量も非常に豊富だ。両企業に睨みを利かせられ、ダメージも絶大、さらに食料も確保できると…一石三鳥だ」

 

「重要なのは分かったけどよ、そんなこ」

 

「自分が受けたミッションを覚えているか?ガロア」

 

「まぁ…」

やけに優しい声をかけてくるテルミドール改めオッツダルヴァの言葉に顔を逸らしながら答える。

一番最初からラインアークを襲って各企業のフラグシップをぶっ壊してとどめに最強のネクストのホワイトグリントを破壊と来た。

思い返してみれば中々ハードだった。

 

「お前が受けたミッションはどれも極めて難度が高く重要な物ばかりだった。この意味が分かるか、ガロア」

 

「ああ…そういう事か」

セレンは眉を動かさずになるほどといった顔をしているが、前線で暴れまわる以外に能が無いガロアにはよく分からない。

 

「ランクは関係ない。企業が一番恐れているのがお前だ。我々もお前を勧誘する前は一番警戒すべきリンクスとして扱っていた」

 

「俺が動くこと自体が陽動になるってことか?」

 

「そうだ。元カラードリンクスによる各地のアルテリア同時襲撃に加えて、最重要戦力であるお前がリッチランドに行けば何か重大な意味があると考えるだろう」

 

「ふーん…」

 

「逆に言えばどこに行こうと結局お前が行く場所が一番激しい戦場になる可能性もあるという事を忘れるな」

 

「……」

その言葉にセレンは苦々しい顔になる。

やはり自分を危ない場所に行かせたくないのだろうが今の言葉通りならばどこに行っても同じだというのも分かっているらしく何も言わない。

 

「元々ラインアークはアスピナ機関とも提携関係にあり、技術及び資源の提供をしてくれている。今回ラインアークの二人にネクストが来たのもそのコネクションのお陰だ」

 

「分からねえな。オーメルとアスピナは完全に上下関係にあるんじゃないのか」

となると元アスピナの天才アーキテクトがホワイトグリント開発に手を貸した理由も分からなくなってくるが。

 

「それは正しくない。正しくはオーメルが金に物を言わせてアスピナを取り込もうとしたのだ。だがアスピナは優秀なリンクスによる実験データを欲しがっていた。それにそちらの方が将来的に価値がある」

 

「なるほどな」

そういえば極めて高いAMS適性を持ち戦場で戦闘データをとっていたジョシュア・オブライエンもかつてはアスピナ所属だった。

 

「だがそれだけに不気味だ。同じく技術屋体質のトーラスとの繋がりも示唆されている。奴らは実験データが得られればそれでいいのかもしれん」

 

「結構不安多いんだな」

 

「…まだある。アンサラー計画というのは公にも知られているがそれがどういう物なのか、情報の欠片すらない。またそれ以上に不気味なのがこの間確認されたソルディオス・オービットだ」

 

「あの変態球か?」

 

「そうだ。技術的に完全に我々の知る技術を超えている。我々はこれをアンサラー以上の脅威と見ている。というよりもネクストよりその二つが主たる脅威と言った方がいいな」

 

「近い、オッツダルヴァ、近いぞ」

何かの本で男のパーソナルスペースは正面に広いと聞いたことがある。

そこに他人が入ってくると機嫌が悪くなる距離ということだが、オッツダルヴァはそこに軽々と入ってきている。

オッツダルヴァの頭の中で何が起こったのか、少なくともガロアには分からないので困惑するしかない。

 

「……。基本的に私たちの作戦が人類全体の発展と幸福に繋がることは企業側も理解している。ここでアルテリアを襲撃し、企業の戦力を減らせば恐らくは早めに降伏するだろう」

ガロアの言葉に少しだけ沈黙したオッツダルヴァが数歩下がり、また言葉を続ける。

 

「維持費をこちらに丸投げしてしまおうってか」

 

「その通りだ。勝てないと分かれば降伏するだろう。企業上層部はその後は私たちにいったん管理を任せるはずだ」

 

「問題はその間、か?」

セレンの言う通り、その間黙って指をくわえて見ているほど企業も抜けてはいないだろう。

 

「そうだ。管理を丸投げした後、アルテリアに回していたはずの資金や資源そして戦力をどう動かすかはカラードのスパイや王小龍からの情報次第だな。だが予想はつく」

 

「どういうことだ」

 

「今回の作戦、到底民衆にその真意を隠し通せるものではない。それが分かってるからこそ企業は交渉も跳ねのけてきた。恥も外聞も捨てた企業はアサルトセルを掃射した後に一斉に我々に攻撃しアルテリアを奪い返しに来るだろう。あくまで自分達が人民の命と発展の足掛かりであるためにな。声だけ喧しい主導者には誰もついてこない」

 

「待てよ。そんな事みすみす許すはずないだろ」

 

「そうだ。だから…その時狙われるのはまず企業上位に所属していたリンクスと、お前だろうな、ガロア」

 

「……」

 

「話し合い次第だが、私たちは同時に新たなクレイドルの建設を進めたい。汚染された地球から残る4億人の人類を全て空に逃す。その後の宇宙開発自体はクレイドルでもできる」

 

「結局ケツに火が付いた状態なのは変わらねえんだな」

 

「汚染が消えるわけでは無いからな。逃げ場がない状態を打破するための作戦だ。…ところでガロア、オッツダルヴァじゃない」

 

「へ?」

 

「兄さんだ。ほら。大事なことだ」

 

「……」

繰り返しになるが、オッツダルヴァの頭の中で何が起きているのか、ガロアは分かっていない。

それにここ最近人との関係があまりにも目まぐるしく変わり過ぎて既に脳みそはパンク寸前なのだ。

ガロアは色々言おうとして結局口をぱくぱくさせることしか出来なかった。

 

「オッツダルヴァ、後にしろ、後に。大事かどうかはとりあえずいいから、今はそういうときじゃない」

ガロアに詰め寄っていたオッツダルヴァの肩を引いて、メルツェルが前に立つ。かなり落ち着いた知性的な雰囲気の持ち主で、何人ものリンクスの注目を浴びても堂々としている。

手にしていた紙の束を読み上げていたオッツダルヴァだが、その作戦を練ったのはメルツェルだろうとウィンは言っていた。

だったら何故自分でORCAを率いていないのかはガロアにもよく分からない。

 

「…私は戦争孤児。そしてテルミ…いや、オッツダルヴァはクローンだ。戦いによって生まれたり運命を捻じ曲げられたものもリンクスには多い。そんな世界だ、ここはな」

 

「……」

セレンは生まれず、ガロアが普通の家族と育ち普通に学校に行っていた未来。

そんな未来を二人同時に思い描き、あまりにも朧な想像に俯いてしまう。

 

「戦争など、どちらも始めた時点で悪だ。どんなに綺麗な理由があってもこれからの戦いで死ぬ者はいて、あるいは路頭に迷う者も出るだろう。だが…誰かがやらなきゃならないことなんてものがあるとしたら…それは偶然でもなんでも、力がある者がやらなくてはらないんだ。力には責任が伴うものだ。それでもやはり、これから人生が壊れる者は表れることになる。どうしてもな」

 

「……」

 

「だが願わくば…この戦いでこれから訪れる未来に、私達の様な子供が少なくなることを祈っている。綺麗事に聞こえるか?割と本心だ。そういう事に、命を賭けるなら悪く無いと思っていたのさ。以上だ」

 

(いい事言うじゃんか)

そう思いながらガロアは考える。

戦いによって生まれて作られ出会ってきたこれまでの全てを完全に間違った道だとは思っていない。

常々思う事だが物事に正しいも間違いも無い。本人がどう思うか、それだけだ。色々あれど、セレンに出会えたこの人生をガロアはそう悪く思ってはいない。

ただ…未だに自分を許せていない。あらゆる罪に対して。ガロアは真面目すぎた。

 

「行こう、セレン」

 

「ああ」

既にオペレーターであるセレンの情報端末には作戦概要、及び開始時刻は示されている。

いよいよもって戦いが始まる。

 

 

 

 

「ん?」

廊下を歩いているとふと奇妙な気配に気が付き辺りを見回す。

 

「どうした?ガロア」

 

「いや…何か変な気配が…。どうしたんだ?変な顔して」

セレンがこちらを見て凄い顔をしている。

いや、正確には自分の後ろ辺りか。お化けでも見たような顔してどうしたんだ、と思いながら振り返ると。

 

「……」

 

「うああぁっ!!!」

妖怪がいた。今の今まで、そう、セレンの方に向くまで何もいなかったのに突然現れた顔を白く塗った男。

こっちを満面の笑みで見ながら…手をすりすりと艶めかしく触ってきた。

 

「いいわぁ…戦い以外何も知らない手…ぞくぞくしちゃう…あなたはそんな子じゃないのにねぇ…」

 

「ひぃぃ!!なんだお前は!!?」

 

「あなたは不思議な子ね…あれほど悪辣にふるまっておきながら…あんなに綺麗な涙が流せるなんて…良いわぁ…あなたみたいなウブな男の子………好・き」

そう、この変態はガロアが初めてラインアークに来た日にも遠くから双眼鏡で眺めており、そのやり取りと泣き顔を見てガロアを完全に気に入ってしまったのだ。

 

色々な意味で。

 

「で、でで、出た…」

さりげなくガロアに抱き着いてしまっているセレンだが、ガロアもセレンも目の前の妖怪に気を取られて気が付いていない。

 

「誰だよこいつ!?」

 

「あたし?アブ・マーシュ。ガロア君、こっちに来ない?」

初対面とは思えない馴れ馴れしさで腕を組みガロアを暗がりに連れていこうとするアブ。

 

「いいい嫌だ!あっち行ってくれ!……?は?アブってあの?」

 

「そうよん。あなたがメチャクチャに壊したホワイトグリントを作ったのはあ・た・し」

 

「……」

気まずくて黙ったのではない。

語気を強めながら放ったウィンクがあまりにも吐き気催す物だったので口を閉じざるを得なかったのだ。

 

「おおおま、お前ガロアに何の用だ!ガロアにそんな趣味はない!」

 

「ちょっとぐらいいいじゃないのぅ。減るモノでもないんだし。ガロア君にプレゼントがあるのよ」

 

「いいいいらない…いらない。離してくれ」

減るモノって、何をするつもりだったのか想像するだけで緩やかな死を迎えてしまいそうだ。

 

「悪い物じゃないわよ」

 

「……一体何をくれると言うんだ?」

その動きは不気味そのものだしガロアにべたべたと触るのをセレンは許せなかったが、あの天才アーキテクトがいい物と呼ぶのならばあるいは本当にいい物なのかもしれない。

 

「ネクストよ」

 

「は?」

 

「んもう。もう耳が遠いの?ネ・ク・ス・ト。あたしがガロア君の戦い方に合わせて作った奴、あげるわ」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。あんた、ネクストなんてそうほいほい渡せるものでも作れるものでもないだろう」

と、言うが実はアブはガロアが協力すると言ったその日から戦闘データを集め作っていたのだ。その上。

 

「ホワイトグリントみたいな超性能の奴じゃないわ。あの斥力発生装置はあたししか作れないから1年はかかるしね。普通のネクストに機能を追加した奴よん。お金はあたしが出してあげたわ」

 

「待て。あんたか。アレフ・ゼロから武装引っぺがした奴は」

 

「そうよ。ダメだった?」

 

「何か言えよ!!当たり前だろ!!」

 

「新しいネクストあげるってば」

 

「いや…でも…」

 

「なぁによぅ」

 

「…アレフ・ゼロが寂しそうだった」

 

「機械の心が分かるの?」

 

「知るか、んなもん。でも…あいつ俺の事結構好きだと思う」

ピンチに追い込まれたことは多々あれどその度にあのネクストは力を貸してくれた。

ガロアはずっとそんな気がしているのだ。つまり、あのネクストは自分の事が好きなのだと。

 

「…………」

口裂け女もとい、口裂け男の如く口を真横に広げて無言で笑う様はセレンとガロアを壁際まで引かせた。

 

「ますます気に入ったわぁ。ついてらっしゃい」

前を行くアブのニーソックスから覗く黒々と焼けたひざ裏の関節が実に気持ち悪い。

 

(どうすりゃいいんだセレン)

 

(……。気色悪いがネクストをくれると言うなら貰っておこうじゃないか)

ひそひそと会話して意見をまとめ、とりあえずアブがどんな行動に移っても回避できる間隔を保ちついて行った。

 

 

アレフ・ゼロが格納されている隣の倉庫に連れられてなんとも間抜けな顔をする。

隣でやっていたことにも気がつかずに体を鍛えながら頭をかしげていたなんて間抜けもいいところだ。

 

「これ?」

 

「そうよ。これ」

 

「アレフ・ゼロじゃんか」

見た目はほとんどアレフ・ゼロのままである。

ただ背部にグレネードもロケットも無いしところどころに小さな穴があいているし脚部にでかでかと自分の名前が書かれているが、

それでも新旧ホワイトグリントほどの違いは見えない。

 

「見た目を変える程の時間は無かったのよ。そうね…まずは…」

 

「マシンガンしか無かったらガロア死んじゃうだろ!」

 

「落ち着きなさいよ、もう。あの肩部を見てちょうだい」

怒るセレンにガロアも黙って同意する。グレネードとロケットをどこへ消したと言うのか。

 

「フラッシュロケットだな。…?なんか大きいぞ?」

 

「そうなのよ。ガロア君、あなたこの形に決めてからオーバードブースター以外何も変えていないじゃない?」

 

「そうだな」

 

「ネクストもノーマルもMTやAFに比べて優れているのは状況に応じて武装を柔軟に変更できるところにあるのよ」

 

「ガロアはそのメリットを潰していると?」

 

「その通りよ。だから…フラッシュロケットにグレネードもロケットも埋め込んじゃいました」

 

「は?」

 

「もう換装は出来ない。その代わり接合部やもろもろが必要無くなったお陰で重さが3分の1にできたのよ。弾薬は両方に半分ずつ入っているわ」

 

「へぇー…」

つまり軽くなったということだ。

確かに武装を変える気も無かったし、ここではどちらにしろ変えられないだろうから良い改造かもしれない。

 

「それで…ガロア君の今までの戦いを見たのよ。あなた、とにかくブレードを使うのが上手いのね。しかも格闘センスが半端じゃないと」

 

「そんで?じゃあ両方の手にブレードを持たせようと思ったとか?」

だがそこは変わらず右手にはマシンガンがある。

もしかしたら銃剣よろしくあそこからブレードが出たりなんかしているかもしれない。

 

「ジュパジュパジュパジュパァッッッ!!!ムムムッ!!?」

 

「「!?」」

突然目の前で自分の指をしゃぶり始めたアブに、セレンとガロアは二人でドン引きし抱き合う。

 

「ツメが甘いわぁ!!!」

と言いながらマニキュアやネイルアートでゴテゴテの爪をガロアに目の前10cmの距離で見せて来る。

 

「ご…ごめんなさい…」

 

(ガロアが謝った!?)

セレンに(だけ)は優しいし、そんな大それた間違いを犯すような事も無かったがセレンは知っている。ガロアは決して謝らない。

口が利けなかった頃からも、バツの悪そうな顔すらしなかった。

それがこんなわけのわからない場面で謝罪するとは。

 

「あたし昔から格闘漫画とか好きでねぇ」

 

「……」

 

「……」

固まっている二人を置いて話を続けるアブ。

しかも脈略が無いと来ている。

 

「頭の秘孔を突いた!とか好きなんだけどずっと思っていたことがあるのよ」

 

「な、何を?」

 

「刃物で刺せばいいじゃないって」

 

「……」

不粋もいいとこだが確かに美意識を無視すれば殴れるなら刺した方が早いし強い。

 

「という訳で肘、膝、つま先、かかとからブレードが出るようにしたの」

 

「ははぁ」

ところどころに空いている穴はそういう事だったのか。

 

「余剰分の積載量はほとんどそっちに回したわ。さらに運動性能をあなたの身体性能に合わせて飛躍的にアップさせたわ。その分フィードバックも凄いけど」

 

「待てよ。俺の身体性能なんてもんをなんであんたが知っているんだ。それにフィードバックが凄いってなんだ」

 

「格闘家は肌で空気を感じ痛みで緊張感を得るわ。そういうことよ。それに…あなたの身体性能、知っているわよぅ」

 

「だから何故だと聞いているのに!」

自分ですら完全には知らないことをさも知っているかのように話すアブにつっかかるセレン。

 

「出ていらっしゃい」

 

「ハイ、アブ様」

 

「ウォーキートーキー…?」

 

「あたしがこの子を作ったのよ」

 

「「……」」

セレンとガロアは同時に別々の疑問が浮かび黙る。

レオ―ネが作ったものではなかったのか、と思うガロアに対し、

こんな高性能なロボットを作る技術をアブが独占することを何故世間が許しているのか、とセレンは思う。

 

「ワタクシはガロア様の身体性能も成長率も筋配分も全て把握していマス」

 

「そういう事よ。この子と一緒に作ったこのネクストはまさしくあなたのもう一つの身体と言えるわ!」

 

「……そうか。ところで二つ気になるんだが」

 

「なぁに?」

 

「名前とエンブレムが違う。俺の出身はアルメニアだ。一応」

大きな0の上に剣と羽で描かれていたはずのNが、見覚えのある花の絵の上でただ大きくRと描いてあるのみ。

脚に書いてある名前もGalois.Armeria.Vedettになっている。

 

「もう国なんて古臭いもの捨てちゃいなさいよ。それに知っているわよ。この子がアルメリアの花をわざわざ持ってきて大事に育てているの」

 

「な!?なんで!?どこで見てたんだ貴様!!?」

 

(この子かぁ)

自分の中で大人の象徴のセレンがこの子と呼ばれるのにガロアは違和感を覚えるが、セレンはまだぴちぴちの20歳。

十分子供といえる歳である。

 

「ガロア君から贈られた物なんじゃなぁい?花言葉は思いやり…。いいわぁ…あなた達、ほんと好き」

 

「「……」」

多分悪い印象を持たれてはいないのだろうが『好き』というトーンがあまりにも不気味でそれどころではない。

 

「自然数Nの濃度はアレフ・ゼロ。実数Rの濃度はアレフ。だからこのネクストの名前は…アレフよ!NをRに変えるついでにArmeniaもArmeriaに変えちゃった」

変えちゃった、なんてノリで人の名前を変えていい物ではないと思うが、アブの短い言葉にガロアは少し興味を引かれる。

 

「?よく知っているな。アーキテクトなのに数学を専攻していたのか?」

 

「違うわよぅ!ただあなたよりずーーっと長生きしてるだ・け」

 

「アブ様は昔とファッションが変わりマセン」

 

(…長生き?)

アブのウィンクを避けながら違和感を覚えるが、顔は真っ白に塗られており身体はムキムキ。

歳は見た目からは全く分からない。

 

「今日からこのアレフに乗って戦ってちょうだい。ちなみにホワイトグリントほどじゃないけどオーバードブーストを着火したときに遊び心が出るようにしたわ」

 

「……」

 

『__、__』

 

「いや、別に俺が望んだわけじゃ…」

そこまで口にしてはっとガロアは我に返る。またすぐ近くにいるアレフ・ゼロが声をかけてきたかのような気がした。まるで文句を言ってきたかのようだった。

唐突に独り言を言いだしたかのように見える自分を見てセレンは『?』を両目に浮かべている。アブは気持ち悪い顔をしている。

 

幻覚を見ているのかもしれない。ネクストとリンクすることによる精神汚染は誰だって知っている。

だがそれはAMS適性の低い粗製が無茶をしたときに起こることのはずだ。まさか自分が、と思うが…。

アレフ・ゼロのことは好きだし、どこまでも着いてきてくれたこの機体に愛着もある。

だがネクストは機械なのだ。それ以上のことは…ヤバい領域に踏みこんでいるかもしれない。狂人は自分が狂っていると理解できないのが厄介なのだ。

いったん離れるべきなのかもしれない。この身体の方はともかくとして、精神の方がどうにかなりそうだ。

 

「そうか。アレフ…あー、ゼロの方はどうするんだ」

今まで口にしなかっただけで心の中ではアレフ・ゼロをアレフと呼んでいたガロアは少し混乱しながら言いなおす。

 

「パーツどりにでも使うかもね」

 

「これからの戦い次第デス」

 

「やめろ!置いておけ!」

ああ、また。

論理的に考えてそんな怒るような事でもないのに。

同時に二機を使う訳でも無いのだから、バラしてしまうのが普通にいい。

 

「ま。別にいいわ。資金難も脱しているし」

 

「ふーん…。でもいいのか?こんな物を俺に…住民だって」

 

「勘違いしないでちょうだい」

 

「は?」

 

「善意のプレゼントなんかじゃないわ。わからないの?」

 

「…どう言う事だ?ガロアに何を言いたい?」

 

「『働け!!』って言ってんのよ!あなたが壊したホワイトグリントの分まで、身を粉にしてね。言わば先行投資よ。はい。この専用のスーツを着ないと動かないからね」

 

「……。面白いじゃねえか。先にコックピット行って中で作戦開始まで待ってるぜ、セレン」

にぃ、と笑いスーツを乱暴に奪い取ってそのまま背を向けてアレフの元へと行こうとしてしまうガロア。

その背にアブが声をかける。

 

「ちょっと待ちなさい、ガロア君」

 

「何だよ?」

 

「私あなたのお父さんのこと知っているわ」

 

「……」

 

「!?」

セレンがさらに驚く中でガロアは歩みを止め背中で言葉を聞く。

 

「本当のお父さんの方よ。興味ない?」

 

「ねぇな。セレン、先に行っている」

無いわけでは無い。ただそれを作戦前に聞いて余計なことを考えて怪我なんてしたくない。

そんな言い訳をしながら過去から逃げる様にしてガロアはアレフの方に足早に行ってしまった。

 

「その…アブ・マーシュ」

 

「なぁに?」

 

「私は…知りたい。どんな人物だったのかを」

 

「…好きな人からの贈り物は値段関係なく一番大事になっちゃうのよねぇ」

 

「んなっ!?今はその話をしていないだろう!!」

そのこと自体は否定はせずに怒り出すセレンを見てアブは実に面白そうである。

今更ながらセレンの好意は周りから見てバレバレもいいところであり、そういうゴシップが好きで美人をからかうのが好きなアブにとってはいい獲物であった。

 

「いいわぁ。教えてあげる。そうねぇ…大きかったわ」

 

(大きい…?)

と言われてもセレンの知る中でガロアより背の高い人物はいない。

出会った頃はセレンの知る中で一番小さい人物だったというのにまことに成長とは不思議な物である。

 

「多分今あなたが考えている人の20㎝は大きいわ」

 

「な!?馬鹿な!?ガロアは2m近いんだぞ!220cmだと!?」

 

「ええ、そのぐらいあったわ」

 

「…お前、私をからかっているのか?」

身長2mの人間と言うだけでかなり少ないのにさらに2m20cmともなればスポーツ選手でも滅多にいない。

さらにアブの話を鵜呑みにすれば過去にレイレナード、レオーネメカニカ、アスピナ機関を経てここにいるというのだ。

少々信じがたい経歴だ。

 

「もっと面白いことがあるわ」

 

「なんだ」

 

「アレフ・ゼロのパーツは中古でしょ?」

 

「まぁ…」

独立傭兵として始めたガロアが企業から新品を回してもらえるはずも無く、中古のパーツをレストアした物を組み合わせたものを買う事になったのは当然である。

その分値段は低かったが。

 

「あの頭部…ガロア君のお父さんの機体が使っていた物よ」

 

「!!…本当か?」

全身の情報を統制しフィードバックまでの全てを計算し外の世界とリンクスを繋ぐ、コアに続いてネクストの最重要パーツの頭部を二十年以上の時を超えてガロアが使っている、とこの男は言っているのだ。

からかっているも何もガロア自身つい最近まで本当の親がレイレナードのリンクスだったこと自体を知らなかったのだ。それに嘘を吐く理由もない。

 

「今までなかった?ピンチの時にネクストがあり得ない動作をしてガロア君の戦いを手助けしたこと」

 

「……」

直近で言えばあのホワイトグリント戦での通常の倍の速度で回復したPAだろう。

もちろん損傷は酷くその後修理費がかさんだが、あれがなければ死んでいた。

 

「ガロア君のお父さんが…今でも息子を助けようとしているのかもね」

 

「アニミズムか?天才アーキテクトのアブ・マーシュともあろう男が」

 

「長生きしたおじいちゃんおばあちゃんほどそういう事を言うじゃない?経験上そうだとしか言えないようなことがあるからそう言うんじゃない?」

 

(いくつだ?この男)

気色悪いことを除けば、言っていることは一々的を射ているしデタラメも言っていないのは年の功を感じるが、

やはり年齢は分からない。それに長生きだとしてもそれだけでは説明できない部分が多すぎる。

 

「ネクストとリンクスは…繋がる。目で見て口で聞かせて手で動かしてなんてレベルじゃないわ。分かるでしょう?セレン・ヘイズ、あなたも…」

 

「……」

答えはしなかったが、セレンはその言葉の意味を理解していた。

確かに、リンクしたときのあの感覚はどれだけ口で説明しても説明しつくせない。

もう一つの身体を想像で操れるのだ。自分の身体は確かにそこにあるというのに。

 

「10年生きたら10年分だけ、100年なら100年分の時間が脳みそには詰まっている。たかだか1kgちょっとの………肉に」

 

(なんだこいつは)

アブの厚化粧の奥にある目に射抜かれゾっとしたセレンは一歩引いていた。

今までの変態染みた発言の気持ち悪さからではない。

世界中のアーキテクトの憧れの天才。その才気の一端に触れた気がした。

 

「満漢全席の料理を絞ってたった一滴の雫にしてもまだ足りない濃度のものをネクストは直接見ている。本当は義肢の技術だったのに、気が付けば視覚も聴覚もネクストが補うようになっていた」

 

「……」

 

「あたしにはAMS適性がないからあなたたちが何を感じているのか分からない。そして…あなたたちは…あれだけのAMS適性を持ったガロア君が何を…見ているのかも。神を?あるいは悪魔を?」

 

「なんだってんだ一体」

 

「アームが飛べば斬られたように痛み、ヘッドが砕ければ気を失う。いつかガロア君のお父さんの頭となっていたあれには…脳の奥の何かが…同化している、とか」

 

「どうかしているのはお前だ」

短いやり取りだったが、セレンは確信していた。

この男は自分が関わってきた中でもぶっちぎりで一番の天才だ。

言っていることのほとんどが理解できない。

 

「じゃあ、頑張ってちょうだい」

そうしてアブは、いつの間にか別の場所で作業にうつっていたウォーキートーキーの元に頭の上の如雨露をくるくると回しながら行ってしまった。

 

(…今でも助けようしている?だったら…戦わないようにした方がよっぽどいいだろう…。助けても戦いは終わらない…)

子供に戦争に行ってほしいなんて思う親がどこにいるのか。

ほんの少しではあるが親の気持ちと言う物が分かる様な気がするセレンは、そう思いながらちらとアレフ・ゼロを見たが鈍く光を反射するばかりで当然何も答えなかった。

 

 

 

 

「そっちはどうだ?ガロア」

なれないラインアークの指令室で周辺機器の所在を手触りで確かめながら通信を入れる。

一々手元を見て弄っていたら時間がいくらあっても足りない、というのはオペレーターをやっていて覚えた事だ。

 

『よく出来ているな、これは。俺の身体イメージと確かに重なる。人間のうっすい視線まで感じる程鋭いリンクが出来ている。後は実戦次第だが…』

 

「そうだな。シミュレーションで訓練出来ないのは少々不安だが…武装自体はそう変わっていないからな。慎重に戦え」

 

『分かった』

 

「よし。作戦開始時刻だ」

 

『行くか』

PAの影響が被害とならない位置まで浮かび上がった時にあることに気が付く。

 

「ガロア。スタビライザーからブーストが…」

コア背部に二つ着いた翼の様なスタビライザーの三つの先端とレッグバックの尾羽のようなスタビライザーの六つの先端からそれぞれ火が出ており独立して別々の方向へと動いている。

いわばほとんど飾りだったオーメル製大型スタビライザーが一気に追加ブースターとなっていたのだ。

 

『みたいだな。空中での動きも自由自在だ』

画面に表示されるデータを統合すると、システムを通常モード、つまり武装にエネルギーを回さない状態かつ理想的な気候でのオーバードブーストによる最高速度は2000km/h弱。

換装による柔軟性を犠牲にして運動性能が爆上げされている。

 

「お前の到着に前後して各地アルテリアへの攻撃が開始される。リッチランドの現在の戦力はノーマル部隊とギガベース三基だ。油断するな」

 

『了解。出るぞ!』

アレフを中心にソニックウェーブが広がり数瞬後には遥か彼方に飛んでいった。

 

「おお…!遊び心…なるほどな…」

ガロアからは絶対に見えないが、アレフの背部に二つあるオーバードブースト噴射口から出たエネルギーの波紋が円となって重なり、丁度∞の記号を空に作りながら飛んでいた。

 

 

 

 

これも仕方ないことだ。

他の連中は結構グチグチ言っているが、学もない、頭もない…頑丈さだけが取り柄です、なんて連中が大企業で高給を取るにはある程度は仕方が無いことなんだ。

本当だったら、今頃は休暇に入ってクレイドルに上がって孫が生まれるのを家族と一緒に待っていられた。

 

なのにリンクス共の集団謀反に加えてラインアークからの宣戦布告のせいで時間外労働、休日出勤の連発だ。

クレイドルの自分の家ではなく、地上にあるしみったれた共同部屋で寝て過ごすハメになっている。

 

『少佐!ECMが散布されています!』

 

「……!何か来るか」

吸っていたタバコをそのまま狭いACのコックピット内の足元に落として踏みつぶす。

ペダルに足をかけて、息を吐く。ああ、来やがった。もう感覚で分かる。怪物級の敵がここに来る。

休みも返上させて働かせる企業に言いたい文句なんて山ほどあるが、ここに戦力を置いた企業の判断は間違っていなかったということだ。

 

『ア、アレッ……』

なんか見えたらすぐに報告しろ、と言う前に空から凄まじい速度で黒い巨人が降りてきた。

着地と同時に風が巻き起こり、作物が吹き飛んでいく。

 

「マジか~…いきなり?いきなりこういう日が来るのかよ」

操縦桿から手を離して、コックピット中に乱雑に貼ってあった写真を手に取る。

そしてそこに映る紅い眼光の黒い機体にそっと口付けた。

 

『一度だけ忠告しておく』

 

「おっ…喋れるようになったってマジだったんだな」

三基のアームズフォートから次々と放たれる主砲を翼を広げるように背中から火を出しながら避けるその機体から、この戦場にいる全ての者へと通信が入る。

 

『退け。抵抗してもさして変わらない。死というものは想像よりもずっとそばにある。……例えば今日、そこにいる』

 

(想像よりも…かっこいいじゃねえか…)

ノーマルでは決して出来ない動きで、AFからの砲撃をするすると躱しながらカフェで机を挟んで話すかのように平然と声をかけてくる。

命が一秒で消える戦場だというのに、その落ち着き方は、下手な脅しよりもずっと不気味で背筋が凍り鳥肌が立つ。

 

『無粋な真似をするな、そこのアームズフォートども。中の司令官がそう命令したか?固まって集団でいれば怖くないか?関係ない。退かないなら死ぬことになる』

 

「お前ら…手を出すなよ」

部下のAC部隊に指示を出す。例えこの10倍の数のノーマルがいたって意味は無い。

そんなもの…ノーマル乗りは20年前に知ってしまっている。

 

『想像するんだ。愛する人間、愛する場所、帰りたい世界を。どこにある?……二度と帰れなくなる。それすらも捨ててかかってくるのなら…全てを捨てられる人間は強い。たとえネクストなど無くとも』

 

「……」

懐をがさごそ漁って携帯を取り出す。

戦場で敵がいながら操縦桿から手を離すなんて阿呆のやることだが、奴は未だに全く攻撃を仕掛けないで回避に専念している。

 

『これ以上は……ただ、敬意を以て殺す。ここは戦場だ。そして……向かってきた者は忘れない。それ以外は…もういらない』

ズドン、と分厚い鉄で覆われたコアの中にも大きく響く音が響いた。

黒いネクストがギガベースに突撃した音だった。その数秒後に反対側からネクストが出てきて、あっと思う間もなくギガベースが崩れ落ちた。

 

「お前ら、戦いたいか?勝てると思うか?怒らないから正直に」

 

『いやです、無理でずっ!!絶対に無理!!』

部下に尋ねると全員一致で無理無理と飛んでくる。

そんな僅かなやり取りの間に、崩れ落ちたギガベースがまな板の上の魚のように切り刻まれていった。

他の部隊のノーマル達も向かっていくが赤ちゃんと大人以上の戦力差だ。近づく機体から順に一瞬でスクラップになっていく。

 

「撤退だ。後で何か言われたら俺が命令したと…逆らったら殺すって言われたってな…そう言っておけ」

自分が残っていては先に行きにくかろうと、ペダルを踏みこみ先だって戦線から離脱する。

受け持った部下たちがついてくるのを確認しながら、やかましくアームズフォートから通信が入る無線を携帯を握ったほうの手で切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リッチランドの至る所で煙が上がっている。ギガベースは既に壊滅状態であった。

最初に避難勧告は出したが元々の企業の性格に加えてガロアに恨みがありすぎるアルゼブラが素直にはいそうですかと退く訳もなく徹底抗戦の構えで来た。

いなくなったのはいくらかのノーマル達だったが、正直戦力にそう変わりはない。

 

「らぁっ!!」

前から放たれたギガベースの砲撃をしゃがんで避けつつ、後ろから射突型ブレードで攻撃しようとしてきたノーマルをつま先のブレードで解体していく。

作戦の目的上PAを展開していないが、ショットガンが少々掠った以外はほとんどダメージも負っていない。

 

「おおおおおお!!」

ノーマルの防衛を失ったギガベースにロケットを放ちながら突進し、ブレードで切り裂く。

 

「まだだ!!」

全身からブレードを展開し力技で内部に入り込んでいく。

中に入ろうとしてくるという、アームズフォートの想定を超えた攻撃に乗員はパニックに陥っている。

 

「ここだ!!」

メインエンジンと思われる熱源を発見し、ムエタイに見られるような肘による攻撃で五分刻みにした。

これでギガベースは全て沈黙した。装甲も、鉄も全てを切り裂いて上部から出ると周りにはもう動く物はなかった。

 

『周囲に敵影なし。ラインアークから防衛戦力が来るまで30分。予想よりも早く終わったな』

 

「ああ」

地面に降り立つと、脚にびりっとしびれが来た。

 

『どうだ。その機体は』

 

「やっている事自体にそう違いはないんだが…その一撃一撃の威力が上がった感じだ」

膝を叩き込むのも肘で打つのもつま先で蹴り上げるのもアレフ・ゼロの頃からやっていたことだ。

今まではそれを起点に攻撃をしていたわけだが今はそれで勝負が決まってしまう。確かにガロアの戦い方に良く合った機体のようだ。

他のリンクス…例えガロアより優秀なリンクスが使ってもあまり違いは感じられないだろう。

 

『GAには現在動きが見られん。アルテリアへの対応で精いっぱいなのもあるが…』

 

「リンクスがいないんだろ」

 

『そうだ』

専属だったローディーとメイが裏切り、懇意にしていたダンもこちら方。

ドン・カーネルは以前の戦いで死にはしなかったが大けがを負い現在も入院中だという。

無論リンクス候補生やNSSPの参加者などを入れればネクストを動かせる存在はそれなりにいるにはいるが、今のガロアにぶつけるのは自殺とそう変わりはない。

 

「現在の戦況は?」

 

『アンビエントとノブリス・オブリージュが向かったアルテリアは姿を見た途端に投降したそうだ。他はまだ交戦中だ。お前も作戦完了まで気を抜くな』

 

「了解……あ?」

 

『なんだと?』

この戦場は終わったはずだ。それでも敵が来る可能性はあるから気は抜いていなかった。

それなのにセレンとガロア、二人して間抜けな声をあげたのは、西から飛んできたのがなんの変哲もないノーマルだったからだ。

 

(なんだ?さっき逃げていった奴か?)

全部を覚えているわけでは無いが、似たようなカラーリングの機体が戦場から十何機か退いて行くのを見た気がする。

何をしに今更戻ってきたと言うのか。

 

『ふっふっふ。お前、首謀者、悪魔、最悪のテロリスト…散々言われてんぞ、企業に。随分出世しちまったな』

 

「…!?」

ノーマル一機など、消費税にもなりやしない。

瞬きする間に三枚おろしに出来る。いざ飛びかかろうとしたらやたらと馴れ馴れしく通信が入ってきた。

 

『お前らの起こしたソレで、俺は家に帰れてねえんだ』

 

「知ったことか。お前も戦士なら」

 

『その通りだ。それでいーんだ。生きとし生けるもの全員自分勝手に動いて迷惑かける世の中だからな、ガロア・A・ヴェデット』

 

「……なんだ?お前は」 『なんだこいつは?』

セレンとガロアの言葉がタイミングも内容も被ってしまった。

 

『聞いてくれ。これは俺の…プロポーズも超えた一世一代の告白なんだ』

 

「……?」

 

『才能なんて言葉じゃ到底足りないよな。その若さで…その強さは。俺はファンなんだ、お前の』

 

「ファ、なに?」 『なんだって?』

やはりというか、セレンもガロアもそのノーマルからの通信が全く理解できなかった。

 

『不思議か?でもよ、アンビエントやノブリスにミーハーなガキどもがキャーキャー言ってんだ。おかしくないだろ?お前にも、憧れている奴の一人や二人いてもよ』

 

「それでなんだ…?握手か…?いや、……分かる。お前…」

握手してください、サインくださいなんて言うために来たのではない。

なんとなくではなく、雰囲気が、放つ空気が敵のそれなのだ。しかもまことに不思議なことに、その空気はネクスト級の強敵の持つものだった。

 

『分かるだろう?やっぱり、俺の想像した通りの…想像した以上の…会いたかった、お前のような奴に』

 

「……」

ガロアは…ネクストを降りてしまいたかった。

ネクストとノーマルの戦力差は絶望的なまでにある。感じるのだ、これほどの強敵は滅多に出会える物では無い、と。

それなのに自分はネクストで奴はノーマルだった。例えどれだけの情熱があったとしても。

 

『ガキなんてのは世の中の不条理と親のゲンコに泣きわめくだけの存在なんだ。普通は、世界最強の男に挑もうなんて考えねえ。相当キレたガキだ。弱っちいはずのガキに、最高の武が宿っているなんてよ。憧れちまったよ。俺の三分の一しか生きてねえお前に』

 

「…やるか。もう」

ピリピリとこめかみに流れる電流にもう耐えられそうにない。

ガロアは好物を前に我慢できる性格ではない。

 

『最後まで聞いてくれよ。きっと今日で最後だからよお。……当ててやるよ。お前は…その反面…きっとこの世界の誰よりもアナトリアの傭兵に憧れていた。違うか?』

 

「……。なんでそう思った?」 『こいつ…』

 

『デカいことを…企業を倒すなんてデカいことをやるんだな。どうかつまらない終わり方を、死に方をしないでくれ。強い者にはずっと強くいてほしい。でないと…強い者に憧れた奴の人生そのものまで否定されちまうからよ』

 

(………)

その男の願いは、そのままかつてのガロアの思いを冷静な部分だけ抽出して言葉にしたかのようだった。

父がアナトリアの傭兵に殺されたと分かっても、その時ガロアは恨んでいなかった。強さが全ての世界で生きていたガロアは、さらに強いアナトリアの傭兵の存在を当然だと思っていた。

100人が強くあろうとしたら、99人は背中を追う側になる。頂点はただ一つしかない。

だがアナトリアの傭兵はつまらない奴になってしまった。敵を作りまくり、世界をメチャクチャにしておきながら、たかだか数百万の人間を守るなんていうつまらない存在に。

その時の怒りが、嫉妬や狂気と混じり合って今のガロアになったのだ。強さが全ての世界で、頂点にいた男のなり果てたその姿は、自分の行こうとした道すらもつまらなくなると否定されたかのようだった。

 

『分かるさ。そして、強い奴はただ強いだけで満足しない。強い奴を求め続けるから。こんな本能がある限りはどうしたって戦いは』

 

「無くならない」

 

『……。ここで俺はお前に立ち向かう。それで俺はもう、勝とうが負けようが』

 

「強い、か」

 

『さすが、母ちゃんよりも俺を理解してやがる』

強い者は認められたいのだ。積み重ねた日々を。磨き上げた技を。

100万人の有象無象共の尊敬など欲していない。強い者にこそ!認められたいのだ。

そこで勝っても負けても命をド真ん中に置いてやり取りをすれば、相手の記憶に残る。それが最大の賛辞になる。

だからこそ、強い者同士…例え会ったことがなくとも、お互いに友だと思っている。

会えばその瞬間にどちらかの死が決まるとしても、この世界で最高の理解者なのだ。芸術品をその辺の犬っころに見せても分からないのと同じだ。

 

『ノーマルでネクストに一矢報いた奴は二人しか知らん』

 

「三人目になりたいか?」

どうせこのリッチランドをラインアークのノーマル部隊がたどり着くまで確保していなければならない。

ならば、多少会話が伸びたところで構わない。ここには残骸と死体、そして自分達しかいないのだから。

 

『…それでも勝ったわけじゃない。ちょっと傷つけたのと、頑張って引き分けたのと。そうだとしても俺たちは沸き立った。ザマーミロ、ネクストのヤローめってな』

 

「……」

 

『今が最後なんだ。お前が生まれるずっと前から積み重ねてきた物を保てるのは。もう何年、いや、何カ月…?もすれば一つずつ抜け落ちていくんだろうな。髪の毛みたいに』

 

『お前にとっちゃ俺はただのノーマルかもしれん。だがこれは…俺の人生の、これだって瞬間なんだ!恨むだろうな、俺のガキ共も、母ちゃんも。だがいいんだ。戦争は、例え人殺しの業が絡んでも、互いに英雄が存在するから美しい』

 

(来るか…)

『敵機』が右手に着けた物理ブレードを展開する。

物理ブレードと言えば射突型ブレードが主流の時代だというのに、その敵が持っているのは鋼鉄を切り裂くなんて馬鹿げた考えのブレードだった。

弾薬費はかからない、エネルギーは使わない。利点はそれだけだ。戦いが終われば何時間も何十時間も研ぎ続けなければならないし、パキッと折れればそれで終わりだ。

なんでそんな物を付けているのか。理屈では無いのだろう。それと同時に、他の一切の装備がついていないことにも気が付いた。出せる最高のスピードを確保して斬る、それしか考えていないのだ。

ガロアの高揚した意識をアレフが汲み取ってスタビライザーに取りつけられた追加ブースターが光った。

 

『しかしまぁ…結構やってくれたな。だが気にすんなよ。俺らは死ぬのも仕事の内だし、覚悟が出来てないで死んでも、そんなんで戦場に立っている方がおかしいんだ。仮にも高給取りならな』

 

「……」

ブースターは起動していない。だが追加ブースターが断続的に火をあげ、アレフはその場で浮かびあがった。

 

『俺にも勝って、企業のワケワカランありがたいクソ兵器にも勝って、勝って勝って勝ちまくって。お前になれなかった俺たちの代わりに見てきてくれ、武の極み』

 

「来い」

 

『ふっふっふ。この戦場は奪われるし、きっと俺の家族は俺を失って悲しみのどん底だぁ。それでもよ』

 

『戦いの神さん』

 

『ありがとよ』

切れ切れの言葉を言いきったその男は時代遅れのブーストを必死に吹かしてこちらに向かってきた。

すかさずにグレネードを打ち込む。自分の魂に誓って、手は抜かない。

しかし、一撃で中身までも焼いたであろうグレネードはそのノーマルに掠りもせずに遥か後方に飛んでいった。

 

(時代遅れの動き………素晴らしい)

クイックブーストを持たないノーマル特有の、ロックオンを逆手に取ったブーストを吹かしては止める動きだった。

古臭く、泥臭い…勝ちを拾いに行くための美しくない動き。

だがそれでも、ロケットやグレネードは辛うじて避けられるがネクスト同士の戦いでは陽動程度にしかならないマシンガンでそのノーマルは削られていく。

たった数発直撃しただけで、盾にするように突きだされていたそのノーマルの左腕は吹き飛んだ。

 

『おおおぉおおおおお!!』

愚直に向かってくるその敵は、やはりノーマルだ。鈍すぎる。

後ろにゆっくり下がるだけでも追いつけないし、飛びあがって爆撃すればそれで終わる。

だが。そんな相手のどうしようもない部分を舐るようなみみっちい攻撃はこの敵と自分の間にいらなかった。

足を止めて、意識を集中して僅かに機体の重心をずらす。ガリガリと、躱したと思ったブレードが左腕を掠めていった。

しかしそれは同時に終わりを意味していた。もうここから攻撃する手段をこのノーマルは持たない。

 

ここで自分達が求めているのは。

 

例え相手がどこの何様であろうと真っ正面から破壊する……

 

(一撃ッ!!)

ドズン、と轟音を立てながら右足を前に踏みだし敵機の足を踏みつける。

揺れる地面から突き離されるように敵機は浮きあがるところを、足を踏みつけられそれもかなわず、伸びきった脚の関節だけが虚しく壊れた。

そしてアレフは踏みこんだ足から返ってくる力をそのまま右肘に込めて相手のコアに叩きつけた。

 

ガロアの頭の中であらゆる選択があった。近接だけでも実に20通りの勝利パターンがあった。

そしてこの肘からの体当たり…裡門頂肘を選んだのは、生身の人が放てる最大の威力の攻撃がそれだからだ。ネクストに乗っていても、いなくとも、一撃で相手の心の臓を止めるのならばこれを選ぶ。

ありとあらゆる作戦、強さを、正面から叩き潰す一撃。その肘から来る衝撃だけで中身の人間の鼓膜は張り裂け心臓は止まるはずだった。

しかしそれだけに終わらず、アレフの肘から接触と同時に伸びたブレードは中の人間を貫き、肌が焦げ肉が焼ける痛みを伝える刹那の時間も許さずにこの世界から消滅させた。

 

「まだだっ…!」

極限まで鍛え上げられた肺が、すうっと一瞬で外と中の空気を入れ替える。

人を、ノーマルを超えた動きを。爆発するイメージがジャックを通してアレフに伝わり、アレフはその場で持てる出力の全てを以てクイックブーストを用い、高速でターンをした。

左脚から着地しそのクイックターンの勢いを地面に全て押しこむと、直下型地震のようなズゥンッという地響きと共に、アレフとそのノーマルを中心に巨大なクレーターがその場に出来上がった。

そこから起きた地割れが近くの山まで次々と伸びて土砂崩れを引き起こす。

 

「覇ッッ!!」

作用と反作用から起こった凶悪な運動量は頑丈なネクストの背中を通じて全てがそのノーマルに叩き込まれた。

重さ数十トンはあるはずのそのノーマルはまるで機関車に跳ね飛ばされた子犬のように手足と胴体を分離させながら数百m上空まで打ち上がり、爆散した。

衝突の衝撃で周囲の木々も作物も地面も捲れ上がって吹き飛んでいた。

 

「…見事だ。お前の強さ。……やめねえさ。俺が最強となったからには」

ビリビリと、中身のガロアまで背中の感触が伝わっていた。

そして奇妙なことに、攻撃が掠った左腕の痛みが、脳が作り出す幻痛などではなく、本当にガロアの左腕をズキンズキンと痛めていた。

 

『……』

セレンはその言葉を聞いて、何も言えなかった。

いつかは戦いなどやめて自分だけを見てほしいという願いを胸に秘めることしか出来ない。

 

「そして……なんで……………………邪魔しに来るッ!!」

いきなりフルスロットルでキレたガロアがその場でクイックターンをして放った斬撃は、後ろから一撃で殺そうとしていたそのネクスト…レッドラムのショットガンとスラッグを切り裂いていた。

今のガロアは最高の最高に感覚が冴えわたっていた。

 

『なんで!?なんで!?』

 

『あ……!? すまん、ガロア!気付かなかった!!』

セレンとシャミアの通信が被って耳がキンキンする。

あの戦いの余韻に浸って敵の事を思いだしながら今日を終えたかった。

だが戦いというのは得てしてこういうものなのだ。結局は。綺麗に終わることなど滅多にない。

 

「相方はどうした?」

周囲の状況を見ながら、レッドラムもPAを展開していないことを確認する。当然と言えば当然だ。

取り返しましたが使えなくなっちゃいました、じゃ話にならないからだ。

この間戦った敵だからもちろん覚えているが、コンビで活動してかつ状況戦を好むという話だったがどういうことだろう。

 

『あなたを殺しに来たのよ…話に来たんじゃない!』

 

「帰れ。殺すぞ」

 

『やってみなさいよ…!』

 

ザンッ、というその音がシャミアの言葉をかき消していた。

 

「いいだろう」

ころんとアレフの足元に四角い何かが落ちている。

 

『え…?何、これ』

 

「……」

アレフがたった今踏みつぶしたソレは、レッドラムに積まれていたジェネレーターだった。

四脚のネクストに作物の実る畑の上を走り回られては堪らない。そう考えたガロアの初手は、まさかの王手だった。

シャミアがその攻撃を見切れなかったのは、その斬撃がシミュレーションで何度も見た『アレフ・ゼロ』の速さを遥かに超えていたからだ。

不運なのは、ガロアが機体を乗り変えたのが、まさしくシャミアが怒りにかられてガロアを殺しに来た今日だったということだろう。

まさか火の車のラインアークで一人だけ、しかもラインアークを追い込んだ主犯が機体を乗り換えているなど夢にも思うまい。

 

『うそっ、うそっ』

斬撃のダメージ自体は大したことなかったが各種ブースターへのエネルギー供給が絶たれ、最早レッドラムは節足動物のように地面を這う事しかできない。

 

「……」

 

『く、この!!』

まともな移動手段も失われたレッドラムがアレフにライフルを向ける。

が、引き金を引くどころかロックオンが出来る前にライフルは叩き斬られた。

 

「折角拾った命を…。今度は助からない」

無情にも二つに割れて地面に刺さったライフルを踏み越えてアレフが歩み寄る。

 

『あ…あ、…いや…来ないで、な、何するつもり』

先ほどまでの溢れんばかりの殺意はなりを潜めてもぞもぞと後ずさり何とかアレフから距離をとろうとするレッドラム。

容赦なくやれと教えたのは自分だからセレンは何も言わないがどこからどう見ても今はガロアが悪役である。

 

「……?死ぬんだろ」

 

『うそっ、死ぬって本当に!?』

 

「? なんだ?それは女のアレか?女だけの命乞いか?」

ガロアの頭の中に、知識としては一応あった概念が再生されていく。

今この女の頭の中にあるのは、命だけは保証するから代わりに兵士の慰み者に……とかいうそれだろう。

なるほど、戦争だ。そんなこともあるだろう。だがこの場合は残念ということになるのだろうが、ガロアは全くそんなことに興味が無かった。

 

「ああ、そうか。今まで自分がやってきたからそういう発想が出たのか?……それなら来世、別の男に懇願しろ」

この距離なら絶対に外さないという距離でガロアはブレードを振った。

 

『おおおおお!!』

 

「……。遅かったな」

だがブレードが切り裂いたのは空気だけだった。

武装を全て外して全速力で飛んできたスタルカがラグビーのタックルのようにレッドラムに組み付きアレフのブレードから二機とも難を逃れる。

 

『ド・ス!?どうして!?』

シャミアが勝手に出撃したと気付いてスタルカに乗るまで30秒、シャミアがリッチランドに来てからスタルカがここに辿り着くまでに30秒、ギリギリの時間差だった。

あと1秒遅ければシャミアもここに幾つも折り重なった骸の一つとなっていただろう。

 

『アホウ!勝手なことばっかりしよってからに!!』

 

ガン!

 

『痛い!何するのよ!』

怒り心頭なのがネクストからも見て取れるフルスイングげんこつがレッドラムの頭部を揺らす。

 

『なんだこれは。ガロア、構わん。畳んでしまえ』

 

「……そのつもりだ」

目の前で寸劇を広げているが、ほとんど攻撃手段の無いネクストが二機。このチャンスを逃がすつもりはない。

 

『すまん!!』

 

『あ!!放せ!放しなさい!!ド・ス!!』

タックルして掴んだままのレッドラムを抱えて一目散に来た方向へと飛んでいくスタルカ。

子供のようにレッドラムがスタルカの背部を手で叩いているのが何とも言えない哀愁がある。

 

「なんだありゃ…どうする、セレン?」

 

『……。お前のミッションはそこの確保だ。放っておけ』

100%負けない相手だが、遮二無二逃げる相手に追いつくのはアレフの運動性能でも少し時間がかかるし、その間にGAに占拠されたら意味がない。

 

「了解」

 

その後何かが攻め込んでくるという事も無く、一人ぽつんとラインアークの守備部隊がたどり着くのを待っていたガロア。

アレフの初出陣は大成功に終わったといえるだろう。

あまり話しかけたくはないがアブに礼を言うべきなのかな、と思うセレンであった。

 

 

ガロアはいつまでも、ずきずきと痛む左腕を見ながら今日戦った男のことを考えていた。

強くない強敵というものを。

 




主人公パワーアップ後、最初の敵はまさかまさかのただのノーマルです。
モテ期だぞ、やったねガロア君(白目)

ホワイトグリントは二人で乗らなきゃまともに動かないし、アレフはバカみたいなAMS適性が必要なうえ、ダメージがもろにガロアの身体にまで来るマゾい機体です。力には代償が必要なんです。
ただでパワーアップは出来ません。

アブはジョニーとは別な意味でイっている機体を作ります。


敗北は死、というのは元々ガロアの頭の真ん中にあった概念なので、アレフは自分に合った機体だとガロアは考えているようです。
それでもアレフ・ゼロのことが気になるようですが…


このノーマル乗りの少佐はモブキャラなのでもう出てくることはありませんが、結構好きですね。


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家族

9月、それは避けられぬ運命のように始まった。

正体不明の複数のネクスト機に加え各企業の有力ネクストによるアルテリア施設の同時襲撃。

その全ては成功しクレイドルと企業は拠って立つエネルギー基盤を大きく揺るがされた

 

そして、ORCA旅団と、旅団長オッツダルヴァの名でごく短い声明が、世界に発信される。

 

We shall liquidate the companies.

 

それは、全ての企業に対しての明確な宣戦であった。

 

企業は安全な経済戦争を放り出し、狂気の反動勢力に対することを余儀なくされ、

人々を錯綜する情報から守るという名目の元クレイドルと地上との交流を遮断した。

 

決着の時は近いだろう。

 

 

 

 

全てのアルテリア施設の収奪成功は当然の事としてジェラルド、そしてリリウムが向かったアルテリア施設がそのままこちらに寝返ったのが嬉しい誤算だった。

そのカリスマ性も理由としてはあるだろうが、積み上げてきた信頼と真摯な呼びかけが金と戦力だけをチラつかせる企業よりも現場の人々の心を動かしたのだ。

強さだけを追求するガロアでは決してできない事だろう。この辺りも考慮した作戦だったのかは分からないが。

 

 

 

 

夜。

清掃ロボットがちょろちょろと動いている以外には、もう人もいない格納庫でガロアはアレフの中で目を閉じていた。

 

「ダメだな…お前は…ネクストだ」

ジャックからコードを抜いて当たり前のことを口にする。ジャックに繋げても、専用のスーツを着ないとアレフは動かせない。

アレフは強い。自分の動きに合致した機能も相まって凄まじく強い。だがそれ以上の…アレフ・ゼロに乗っていた時のような奇妙な一体感はない。

この機体自体に文句があるわけでない。あの時のノーマルとの戦いで蚯蚓腫れの線が浮かんだ左腕をさすりながら思う。

 

中古の粗悪品だからなのか、あるいは何かしらの波長が変に合って精神が引き込まれてしまったのか。

負荷はアレフの方が高いが、使い続ければ廃人になるのはゼロの方なのかもしれない。

 

(……会いに行こうかな)

アレフ・ゼロがいる隣の格納庫を見て自然にそう思ってから気が付く。

今自分が『会いに行こう』などと考えていた事を。

当然の事として、セレンからは一通りネクストによる精神汚染の事例の説明も受けた。

幻覚から始まり、言語能力の破壊、感情の破壊、もしくは躁うつ病のように抑制が効かなくなる。

AMS適性の高い自分には関係のない世界だったが、ネクストに乗らずともその訓練の過程でストレスで死ぬ者すらいたらしい。

カラードのリンクスでは無かったが単純な言葉を抑揚のない声でしか喋れなくなったリンクスもいたという。

 

今がその第一段階だとしたら…

 

『___、__』

 

「悪い…俺はもう…お前には乗らない方がいいみたいだ。今、分かっているうちに…」

まただ。また聞こえたような気がする。これが最後の返事だ。もう何か頭の中に響いても何も反応しない方がいい。

セレンには言えない。帰ってくる言葉は間違いなく『もうやめろ』だろうから。医者にもかかれない。ネクストに乗っている者特有の疾患など普通の医者では分かるまい。

 

「いざとなれば我が身のみ…どんな局面でも一番頼れるのは…」

アレフから降りたガロアは、暗い格納庫で静かに立っていた人形に向き合った。

少々くすんだその人形はメイド服が着せられており、マネキンにしてはやけに表情が愁いを含んでおり、身体はやたらと柔らかく胸が大きかった。

ゴミ捨て場に捨ててあったそれを、丁度いいやとここまで担いで持ってきたのだ。ガロアは気にしていなかったがその光景はどこからどう見ても変態だった。

 

「……」

倒れないぎりぎりのところで身体を弛緩させて人形の前に立つ。

既に3分が経過しており、半開きの目は瞬きをしていなかった。誰がどう見ても変態である。

 

18という若さで最強の座をその手に掴みとったガロアだが、あのノーマル乗りに中てられたのか、心の奥底にあるむらむらとした焦げ付く感情がずっと抑えられなかった。

その熱をぶつけられるものを際限なく欲してしまっている。

理屈も頭の中にはあった。最強の存在にかつて自分が求めた物を、最強となった自分だけが勝手な都合で逃げるわけにはいかない。

それでも曲がりたくないなら、逃げられない、やめられないと。

 

(分かっている…柔軟さが必要だ、足りてないとか言うんだろ…どいつもこいつも…)

息を吐いて、構えのない状態からいきなり放った目突きは人形の目の部分を削り取っていく。

 

(でも俺は俺の中に俺を押しこめて強くなった!やめたら終わりだ。何かあと一つでも壊れたら)

凄まじい速さの三連撃が、顔の急所を抉り取り、人形が倒れようとしたのを足を踏みながら腕を引っ張り肘関節を破壊する。

買えば結構な値段がするその人形が一秒ごとにゴミへと近づいていく。

 

(強くなってやる!!)

指先を固めて繰り出した三本貫手が人形の両わき腹に刺さった。

一体どれだけセレンに負けたか、もう数を数えるのも馬鹿らしいがそれでもやはり食らいたくない技はあった。

どの技も痛み、苦しみはあるがその中でもこの貫手はガード不能でどこで受けても大出血するという性格の悪い技だった。

こうしろああしろと教わったわけでは無いが、ガロアは今日その技も習得したことになる。

 

強くなって、終わりはあるの?

 

(知るかそんなもんっ!!)

 

どこに行くの?

 

(知らねえよ!!強くならなきゃ!!)

子供のような疑問が頭の中に渦巻くのを払うようにジークンドーの構えを取って人形を破壊していく。

頸動脈を攻撃して相手の意識を奪う手刀を両手で人形の首に当てると、哀れにも物言わぬ人形の首は、鋭利な刃物で斬首されたかのように真上に飛んでいった。

 

強くなってどこに行くのか、終わりはあるのか。

それは単純な疑問だが、悟ったような態度を取る偉ぶった大人も、捻くれていない純粋な子供もそれには答えられない。

誰も知らない。強くなったら殺し合いの螺旋に入っていくことになるのに、わざわざ強くなるのはどうしてかなんて。

危ないからやめろ、なんて言葉は…正しいのに。

 

気付いたら本当にいつの間にか、強さと殺し合いの螺旋に子供だった自分はいた。

その頂点の自分はどこに行くというのか。今でも分からない。その先に何があるのか。

 

だが終わりは分かる。死だ。死ねば終わる。相手の記憶に残って…それは誇らしいが死は死だ。それ以上でも以下でも無い。

やめないのならいつかは必ず老い衰え…あるいは怪我をして動け無い時にでも襲われて死ぬのだろう。

あのノーマル乗りもその証明なのだ。

 

「じゃあなんでっ!!俺に負けたあの野郎が生きてんだっ!!」

また酷い頭痛が襲ってくる。いつからあったことなのかはもう分からないが、これも精神汚染が原因なのだろうか。

痛みを消し飛ばすように息を排出して足を地面に叩きつけると地面に大きく亀裂が走り人形が浮きあがった。

身体の中でむらむらと渦巻く内攻を、その場で回転したガロアが背中から全てを人形にぶつけると、人形はバッドで打たれたボールのように吹き飛んでいった。

壁にぶつかり大きく壁に破壊が起きたがそれだけに終わらず、偶然にも胸からぶつかった人形は素晴らしい弾力で跳ね返り、電源が入りっぱなしだったアレフの肘にぶつかった。

どういう作用が起きてそうなったのか…アレフの肘からエネルギーブレードが伸びて人形に当たり、長い間ある男と何度も夜を共にしたその人形は消し炭も残さず消滅した。

さらにラインアークが大慌てで作った急ごしらえのタラップにブレードが切れ目を入れて崩れ落ちようとしていた。

 

だがもうガロアには何も見えていない、聞こえていなかった。

身長3m、体重500kgの立ち上がった熊のような大男がその目には映っていた。

いつかバックですらもこの手で屠れる程の圧倒的強さを、と念じ続けた結果である。

ぎゅるぎゅると高速回転する右脳が、敵が凶悪なパンチを放ってくる姿を映し出す。

ガードは出来ないだろう。受ければ負けは必至。かといって避け続けても攻撃に転じなければ勝ちはない…が、この体重差ではまともな攻撃は通らない。

 

「なら関節だ!!」

関節には速さも力もない。あるのは骨の構造から来る必然のみ。

 

伸びた腕に絡みつき、そのまま相手の腕を折ったつもり…だった。

 

「あっ、空中…?」

当然全ては幻覚で、ガロアは空気でも抱きしめるかのように空中に浮いていた。

そして重力に従って落下していき、頭から思い切り地面にぶつかった。

 

「ぁだっ!!って!!いっでぇえ!!」

頭を抱えて転げ回ると、それと同時にタラップが崩れ落ち、ただの鉄の塊となってガロアの周囲にガンガンと降ってくる。

奇跡的に一つも当たることは無かったが、掠りでもしていたら即病院行きだっただろう。

 

「!? なんだこりゃあぁあっ!?」

ようやく我に返ったガロアが叫ぶ。

見渡すと地面に大穴があき、壁にはクレーター、そしてタラップは崩れ落ちておりアレフが赤い目でくすくすと笑うように見ていた。

 

「!? !?」

たんこぶをさすりながら顔の隣10㎝に落ちていた鉄を見て心臓が一気にバクバクしてくる。

その心臓の早鐘のせいなのか、急にセレンに会いたくなってしまった。馬鹿馬鹿しい。毎日顔を合わせているのに会いたいとはどういうことなのか。

 

「……帰ろ」

 

やっぱり何も言ってこないアレフに目をやり、一瞬ゼロの方に行きたくなったが、しっかり自分を戒めてとりあえずぶっ壊れたタラップを端に寄せる。

何か言われたら、こればっかりは自分が完璧に悪いからちゃんと弁償しよう。

そう思いながらシャツを脱いで帰路についたガロアの後ろで、ゴミと化した人形の首を清掃ロボットが拾い上げて背負っていたダストボックスに入れた。

 

 

 

 

 

 

 

「よし…よし!ここだ!」

部屋に戻ったガロアは、相変わらず風呂に入っても髪を乾かさず、濡れた髪を投げだしてベッドの上で退屈そうにしていたセレンの髪を丁寧に乾かしてから台所で何やら怪しげな物を作っていた。

 

「出来た」

謎の液体だったはずが急激におたまの上で膨らみ固体となったそれは、不思議と甘い香りを漂わせていた。

 

「セレン、これ食べてくれ」

 

「?何だ?これは」

ベッドの上で何をするでもなくうとうととし始めていたセレンにそのお菓子のような物をキッチンペーパーで包んで渡す。

ベッドで物を食べるのは行儀が悪いが汁物でもないしまぁいいだろう。

 

「カルメ焼きって奴」

 

「…?…!甘い!素朴だけど…美味しいな」

さくっと軽快な音を立てて口に入った途端に溶けたカルメ焼きと呼ばれる甘菓子はまだ3つほどガロアの手にある皿の上に乗っており、

その皿をそのまま柔らかいベッドの上に置く。

 

「そうか。なら良かった。セレン…甘い物が好きなのにこの辺大して甘いもの売ってないからなぁ」

 

「だから作ってくれたのか?」

と言いながら早くも二つ目に手を付ける。

言葉だけの賛辞では無く、本当に気に入ったようだ。

 

「そう」

 

「よくこんな物の作り方を知っていたな」

 

「東洋のお菓子なんだけど簡単に作れる。昔…ウォーキートーキーが作り方を教えてくれたんだ。『子供は甘い物を食べるのデス』とか言ってな」

 

「そうだな…普通はな。あ」

 

「ん?」

 

「全部食べてしまった…あぁ…」

 

「いいよ。これくらいで良けりゃいつでも作ってやる」

元々がそこまで甘い物が好きという訳でもないしセレンの為に作った物だったので、気に入ってもらえたのが単純に嬉しくガロアは何も考えずに笑った。

 

(…本当によく笑うようになったな)

出会った頃は全く笑わない子供だったし、ガロアの過去を、人生を考えるとこうやって年相応に笑っているのはむしろ奇跡だとさえセレンには思えた。

その怒りも恨みも忘れた顔を見るとやはり考えてしまうのは、ガロアに普通の人生は許されなかったのかということだ。

 

「どうした?足りないか?」

 

「いや…お前…本当に自分の両親のことが気にならないのか?知りたくないのか?本当に?」

 

「…なんだ突然」

 

「いいから」

 

「……。怖いんだ」

 

「怖い?」

 

「オッツダルヴァは…どうやら心から俺の両親を敬愛している。そういう人物だったということだ」

 

「……」

 

「もし…もし俺の本当の親が哀惜すべきような人物だったと分かった時…俺がどう思うのか…。…怖い。知りたくない」

その表情は戦場で敵を鏖殺する最強のリンクスとはとても思えない。

あの時戦場で見せた、気高くも好戦的な姿からはずっと遠い。

 

「…大きくなってもまだ子供か…」

セレンもただアブから聞いたこと以外には何も知らないが、やはりこれを見る限りは自分と違って本当なら戦争屋などやるような子ではなかったのではないかと思ってしまう。

 

「……」

 

「でも羨ましい」

 

「え?」

 

「私には本当に私しかいない。霞に家族はいたのかもしれないがそれは霞の肉親だ。私の家族じゃない」

 

「……」

 

「私にはそんなもの…家族は一人もいない。羨ましい葛藤だよ、ガロア」

ベッドから足を投げだしてそんなことをぽそぽそと言っているセレンを見て、ガロアはセレンがどんな言葉が欲しいかが分かってしまった。

当たり前だと思っていた事だが、口にしたことは無い。というよりも当たり前のことというのは口にしないことの方が多いのだ。

今から言うその言葉も嘘では無い。だからガロアは、それをセレンが欲しているなら当たり前のように自分はこう思っていると言ってあげようと思った。

 

後から思えばそれが後々ガロアを酷く苦しめることとなった。

思っているだけなら何も変わらないし、何を思っても自由だ。ただし口に出して、それが誰かの耳に届けばもうそれは秘め事ではない。

たった一言でも何もかもが、世界が変わってしまうことがあるから言葉というのは恐ろしい。たかが空気の振動だというのに口にした言葉は人を生かしも殺しもする。

 

「俺は…今日も…、あぁ…ラインアークに行ったあの日もだったな…いつからだっけ。覚えてないけど…」

 

「…?」

 

「セレンのところに帰ろう、帰りたいって思っていた。だって」

まただ、もうやめてくれとガロアは言ってしまいたかった。

アナトリアの傭兵がずっと頭の中にいる。会ったことはないが、友であるジョシュアと妻であるフィオナと一緒にいる姿が浮かぶ。

あれは何と言うんだろうか。

 

「血じゃないんだ、セレン」

あそこにいた者共は誰一人として血が繋がっているわけでもなんでもなかったはずだ。

ジョシュア・オブライエンなど最後は凶暴な兵器に乗ってアナトリアを襲撃したというのにそれでも助けて。

フィオナは半分は自分では無いモノをお腹に宿してあんなに幸せそうだ。

 

あのとき、自分が周りの人間に銃を向けていたら、奴は…マグナスは自分の前に再び敵となって立ちふさがったのだろう。

奴の周りの人間がそうしたように。

 

「ガロア…?」

 

「血なんてくだらん。流れているだけのものなんて」

 

「…!」

 

「人と人の繋がりなんてものは…多分…」

セレンと霞の肉親は血が繋がっていても親じゃない、家族じゃない。

ならば家族ってなんなんだろう。自分と父は血の一滴も繋がっていなかった。それでも家族だったはずだ。

書面上の物でも契約上のものでも誰かに認められるものでもないとしたらなんなのだろう。

その答えはガロアには一つしか無かった。

 

「俺はセレンのところに帰るんだ。だから、きっとセレンは世界でたった一人の俺の家族なんだろう」

ガロアの帰る場所はいつの間にかセレンのいる場所になっていた。父がいなくなった日から、家に帰る楽しみはなくなった。

辞書をひいてもこの家族という意味はきっと分からないだろう。

 

その時のセレンの顔は笑ってはいなかったが、内側で喜びが弾けすぎて表情を作れないのだとすぐに分かった。

ああ、言ってよかった。照れくさかったがやっぱりこんなことが出来るなら喋れるようになってよかった。

きっともっとあるのだろう。言えば喜ぶような言葉が。いつかそれが分かったらまた言ってあげよう。

 

 

「ずっと言ってほしかったんだ、そうやって」

 

「知っている。俺がそうやって思っていたことに気付いたのも……つい最近だ」

 

「そうやって言ってくれって、言ってもしかたないことだから…言えなかったんだ、私は」

セレンは体の外側にどう出して表現していいか分からない程の感動に揺さぶられながらも思いだしていた。

確かにガロアは故郷に帰ったあの日、自分の帰る場所はここでは無いと言っていた。なんでそんなことを聞き逃してしまっていたのだろう。

そして言われてみればその通り。セレンの住む家はこれまでそこそこ変わってきたがその家に思い入れなど無い。

自分も、帰る場所となったのはガロアがいるところだった。

 

「どうした?」

 

「あのな…その…私、私は…知らない事なのに…勝手にお前のことを弟のように思っていたんだ…笑わないでくれ…」

笑わないだろうな、バカにも絶対にしない。そうだ。ガロアは血の繋がりなんか一切ない男を父と呼んで幼い頃を過ごしていたのだ。

 

「笑わないさ」

ほらやっぱり、と思ってから、セレンは今ここに自分一人だったらはしゃぎ回る程嬉しい気分でいることに気が付いた。

 

「じゃ、じゃあ!お姉ちゃんって呼んでみないか!ほら」

 

「呼ばない」

 

「なんで!」

 

「なんでって、なんで」

 

「オッツダルヴァがあれ、兄なら私だって姉だ!というかずっと姉だ!」

ささやかな…こう思うことも卑怯なのかもしれないが、ここまで振りまわされたことを考えればすごくささやかな願いのはずだ。

本当に言いたいことは他にもある。家族に戦場に行ってほしいなんて思うか?と言ってやりたいがそれは前も同じやり取りをしたから。

ガロアからそれがなくなったらもうガロアじゃないというのもなんとなくは分かっていた。

だからせめて、このささやかな願いはぜひとも叶えてほしい。

 

「こ、壊っ…怖っ…」

しかしガロアは少し引いていた。欲張り過ぎたかもしれない。

欲張り?そんな馬鹿な。ちょっと口にすればそれでいいだけなのだ。ガロアには何の損も無いのだから。

 

「お前にそうやって呼ばれてみたかったんだ!!」

 

「お、おお?ああ?」

 

「はい、言って!」

横から冷静に自分を見たらぶん殴ってでも止めたい恥ずかしい光景かもしれないが。

とにかく必死だった。

 

「お姉…ちゃん…」

気分としては釣り針をガロアの口の中に放り込んで言葉を引っ張り出したかのような感覚だった。

だがそれでも確かに言った。そしてガロアは引きすぎてベッドから落ちていった。

 

「!! 言ったな?言ってしまったな?もう言ったんだからな?」

 

「……」

ベッドのわきから頭だけ出してこちらを見てくるガロアは怯えているが、それでももう口に出してしまったのだ。

 

「口に出せば途端に変わる。私の世界も、お前の世界も。言ってしまったならそれはもう…私はお前の姉だ」

 

「…………はぁ」

自分の座っている場所の隣を二、三度叩くと困惑しっぱなしのガロアはとりあえずそこに座ってきた。

もう一度、言われたことを思い出して一人でじーんとしていた。

 

「もういち」

 

「もう!言わん!」

そうだろうな、とは思った。

思ってもないことを言われてもそこまで嬉しくはない。

だが、言葉に出して言ってくれたことが大事なのだ。

オッツダルヴァにも言わなかったのに自分には言ってくれた。改めて感無量だ。

 

ガロアはずっと混乱していた。というよりも喋れるようになってから混乱していない日の方が少ない。

もう何が何だかさっぱりわからん、わけわからん。そんなことを一日に三回は思っている。

目に数えきれない程の『?』を浮かべていたら、ますますガロアを混乱させる出来事が起きた。

 

セレンが自分との距離を測り始めた、と思ったらそのままこちらに倒れ込み膝の上に頭を乗せてきた。

風呂上がりの分かりやすい芳香が広がって一気にガロアを包み込む。

 

「なに、なにしてんの?え?」

 

「家族ってんならこれぐらいはしてもいいだろ?」

 

「んん…?うん」

よく分かってないが取りあえず肯定しておく。

確かにいつの間にかうとうと来て父の膝の上で寝ていたこともあったが、セレンの考えていることとは違うのは言うまでもない。

深読みすればプロポーズとも取れてしまう自分の言葉に気が付かないガロアは二転三転する空気に頭がやられてしまっていた。

 

「その…だな」

 

「……………はっ。え?何?」

 

「髪を触ってくれないか」

 

「……え?」

さっき十分触ったでしょ、と言おうと思ったがどうしてかその言葉が出ない程セレンの頼みは魅力的だった。

 

「お前に髪を触られるのが好きなんだ」

 

「……うん」

その理論で行くとセレンは永遠に自分で髪を乾かさないんじゃないか、という冷静な言葉は頭の隅に追いやられる。

 

「…!……」

 

「……」

指を入れると水のように抵抗なく黒髪が流れていく。

さっきも触っていたはずの髪なのに今はどうしてこんなに指先に神経が集中してしまっているのか。

折角綺麗に整えた髪を乱さないようにそっと触っていくと。

 

「ふぁ…」

 

「…!」

耳に指先が触れてしまいセレンが艶のある声を出す。

 

「……」

そっと身体を傾け気づかれないように顔を覗き込むとセレンは目を細めて明らかにうっとりとした表情をしていた。

困惑とともに本能が顔を出してくるのを感じる。不思議と、さきほど格納庫で人形を破壊していた時と同じ感覚だった。

 

「いつの間にこんなに馬鹿デカくなったんだか…」

頭を乗せた膝にそっと触れてくるセレンは確かに軽い。

頭が軽いとかそういう意味では無い。昔に比べて自分が大きくなったのだろう。

初めの頃は片手でセレンに抱えられていたのに、今ではまず身長からして出来ない。

 

「……」

姉じゃないだろう、オッツダルヴァはともかくとして。

そう思っていたが、姉じゃないとしたらなんなんだろう。

セレンの言う通り、この何年かの関係は血という点を除けばまるで姉弟のようだった。

姉じゃないけど家族って?

 

「手…」

 

「!…え?」

髪越しに肌に触れていた右手を両手で優しく取り顔に触れさせてくる。

形の良い鼻とつやつやと潤う唇に指が触れてガロアは表情を変えはしなかったが心臓が跳ねてしまった。

 

「…甘い匂いがする」

 

「そりゃあな…」

と答えきる前に指先が急に暖かい感触に包まれた。

 

「え?」

 

「あ」

脳の活動が停止していたセレンは思い赴くままに人差し指を咥えてしまいガロアの声で一瞬で我に返った。

 

「……」

 

「……む…」

膝の上の頭を動かし目と目を合わせて、わざわざ何かを確認してからセレンは再び指を口に入れてしまった。

しかも今度は指先では無く第二関節まで。

 

「え?」

 

「……」

ガロアは驚いてはいたが嫌がっていたのではない事を確かめたセレンは、流れに任せて咥えた指に舌を当てる。

 

(え?)

状況が相変わらず理解できないしセレンももう考えるのはほぼやめているが、指を口に入れて舌を這わすその姿は性的魅力に溢れすぎている。

 

(う…)

相変わらずうっとりとした顔で指を濡らし爪の間に舌先を優しく入れてくる。

経験したことの無い異感覚に驚き指を曲げると頬が内側から指の形に膨らんだのが見え、またこちらをちらりと見たセレンと目があった。

 

(やば…い…)

舌も内頬もぬるりとして柔らかく指を包み、時々当たる歯の固さがその白さを思い出させてくる。

唇の隙間から漏れる息は信じられない程熱くセレンの頭が太腿の上にあるというのに急速に下半身に熱を持った血液が集まってくる。

 

「……」

セレンは髪を掻き分けて起き上がる存在を感じて、前に腹部に感じた熱いそれの感触がリアルに蘇ってくるのを感じていた。

結局最後まで行かなかった甘い記憶に再び色籠りの息を吐いて口からたっぷり濡れた人差し指を出し掌に口付ける。

 

(あ…あ…)

掌の上で躍り指の隙間に潜りなぞるだけで身体が熱くなるその舌が身体に触れたらどうなるのだろうと自然に思ってしまうと同時に実際に自分の身体をその舌が這った記憶を思い出し、

いよいよもって本能と理性がぶつかり合いを始め思考が止まってしまう。

 

「……ここらへんからしょっぱいぞ」

甘い匂いと自分の唾液の匂いがしながらもほんのり手汗で塩気のある手を味わい尽くしたセレンは、

異物を口に入れてしまって唾液が溢れる唇を唾液の糸を引いて湿った音を立てながら開き、手首を甘噛みする。

 

「うぅあっ!」

思わず快感を得ている声をガロアはあげてしまった。

セレンは更に口づけを交えながら舌で腱をなぞり肉に優しく歯を立てていく。

こりこりとセレンのぬくい口の中で腱が舌で動かされているのが分かる。

なにしてんの、とその一言が言えない。やめてくれとは思っていないからだ。

 

(か…カーテンのひだの数を数えよう…)

このままでは本能に負けると悟ったガロアは視線を動かそうとするが自分の腕に愛おしそうに口付けるセレンの顔が目に入ってしまい瞬きすらできない。

前と違い部屋の照明はしっかりとついているのでどういう表情をしているのかもよく見える。

恍惚として潤んだ瞳の光はこれが極上の喜びとばかりに滲んでおり妖艶の一言。

 

「ああ…また、どんだけ身体動かしてきたんだ…?」

口を離したセレンがあくまでも自然に唇の周りを舐めてから首元に鼻を近づけてくる。

お互いに同じ高さに座っているはずなのにセレンは膝立ちになっており、確かに自分は大きくなった。

だがそんな素朴な感想が頭の中にまとまる前にセレンが舌で首元を耳まで舐め上げて背筋が痺れるようにぞくぞくした。

 

「汗臭い、汗臭いぞお前」

 

「ふ、風呂入って寝、ね…」

 

「汗をかくと髪がもっとくるくるになるのは昔から変わらないな」

髪に鼻をうずめてそんなことを言ってくる。

汗臭いと言うのならなんでそんなことをするんだ。

いつの間にやら二本の腕が自分の首に蛇のように絡みついて抱き着いている形となっていた。

 

「着いて来いって。全てを捨てて着いてきてくれだって?」

 

「……」

 

「分かっているのか?それがどういうことなのか。ホントならどれだけ人生を賭けて言うべき言葉か」

耳元で囁いてくるその声は、言葉自体は責め立てているようでも、声色は何かを掻き立てようとしているかのようだった。

 

「も、もう夜だから、寝…」

 

「それを言って女が本当に着いてきたってことがどういうことか。世界が変わったのか?お前はきっと言葉という物をまだまだ分かっていないんだろう」

耳元から口を離してどこまでも真っ直ぐに目を見てくる。目を逸らすことも顔を横に向けることも出来なかった。

あ、これはもしかしてと思ったらもうセレンの綺麗な形の鼻が目の下にあった。またキスされたのだ。明るい部屋でこの距離で見ると本当に目が青い。

どうしてこの距離でもずっと目を開いて自分を見てくるのだろう。ふと思考が現実に戻って唇の柔らかさを頭が理解しようとしたがその前に離れていった。

 

「でも…実際には血は繋がっていない。そうだよな。そういう本能が避けるリスク的なものも無い。あるのは理性だけだろう?」

思っていても何も変わらない。その代り、言葉にしたらその途端に世界が変わってしまうかもしれない。

言葉にはそんな力がある。

セレンは今、二人の世界を進んで変えようとしている。

 

「同じベッドで寝ているって、何?」

 

「な、なにって…」

血も繋がっていない男女が同じ場所で寝るということ。

知っている。それがどういうことなのか。でも別にそんなのが欲しいわけではない。

そう思っているのに頭がぐわんぐわんする。もしかしてこれはあれなのだろうか。

戦いの…強い敵と相対して命揺さぶられた後に起きる、子孫を残す為の生物としての保存本能。

さっきもずっと求めていた。むらむらと燃え上がる熱をぶつけられる物を。

 

それは女でも?

 

(俺にそんなものが…)

森にいた頃からあったろうと思ったがあの頃には雌などいなかった。

精通もしておらずひたすら狩って食って寝ていた。もしも雌がいたならどうなっていたのだろうか。

 

「何も思わない?本当に?」

やめてくれ。弱くなってしまうから。一本しかないんだ。自分の芯は。

あいつらみたいにあれもこれも出来る程器用じゃないんだ。

押しこめた自分が壊れたら、死んでしまう。帰ってこれなくなるんだよ。

 

「思、!」

何も言うな、言い訳するな。

そう言うかのように口が口で塞がれ、そのまま首に絡んでいた腕に力が込められて身体を捻りながら引き倒された。

 

「……」

押し倒した訳では無いが、押し倒した形にされていた。

だがそうだとしても、もう気分は押し倒しているような物だった。

腕をふりほどいてベッドの外に転がり出て、そのまま今日の夜は外で寝ることも出来たはずだ。

なのに今、自分はしっかりと組み敷いてそのうえ暴れないようにとでもするかのようにセレンの肩に手をおいて体重をかけていた。

 

「そうだろう」

しかも目の前の雌は小指の先ほども拒んでいない。

人間だって獣だったし、どこまで進化しても獣の先にいる。

戦えば、本能が首をもたげる。

 

「……」

瞳孔が興奮で小さくなっているのだろうなと、あまり関係のないことが頭に浮かんだ。

仕留めた獲物にその場で齧りついた記憶が蘇る。それと同じように口を近づけると顔に手を当てて止められた。

 

「何も分からなくなる前に言うけど……これからすることは一つも間違いじゃないからな」

ぷつっと頭の中で何かが切れた。

それはマジギレのマジギレをしたときの前後不覚になる感覚と似ていた。

数秒後に僅かに意識が戻った時はもうその桜色の唇に噛みつくように口付けていた。

 

「ん…」

それに驚いた様子は全くなく、むしろ待っていたとばかりに自分の上で照明の光遮るガロアの首にセレンは腕をきつく回す。

この前の様な恐る恐るでは無く最初からその気満々に口にかぶりつく。

二人の頭の中の大事な線は何本も切れており目からは理知の光が消え、理性を脱ぎ捨てて本能むき出しの二匹の獣になっていた。

 

「う…ふっ…」

熱の籠った荒い呼吸が部屋の空気をかき混ぜていく。

手から甘い匂いがすると言っていたが柔らかい口の中も溶けた砂糖の甘い味で満ち満ちており、

自分が作って自分でそれなりの美味しさだと評価を下したそれはセレンの口にほんのり残っているだけで至高の味がする。

 

「はっ…」

鼻と鼻をこするようにして口の周りを濡らしていく。

身体の一部が密着してもまだ足りないと主張するように首の後ろと後頭部に添えられた手は引き寄せてくる。

 

「うあぁ…うっ…」

髪を掻き分けてくすぐるように耳に触れると繋がった口を通してセレンのよがる声が身体に響く。

耳が弱いのではないかという疑惑が確信に変わり濡れた唇を離して耳元に持っていく。

 

「あああっ!」

呼気が耳に触れただけなのだがセレンは今日一番の声量で叫んだ。

想像以上の反応に驚きながら舌で口周りを濡らして外耳をそっと唇で噛む。

 

「うっ…!!…っ!!」

止めようもなく出る声を、目に涙を溜めながらセレンは咄嗟に口を手で塞いだ。

噛んだ唇をどちらのものとも分からない唾液を潤滑油にして舌を外耳に触れさせながら滑らせると痙攣するように震えセレンの目の端から涙が零れていった。

タイミングを意地悪く合わせて口を塞ぐ手をどかし、そのまま可愛らしい耳たぶを吸い上げた。

 

「ふぁああっ!!…あっ、…はっ…」

引き千切る程にガロアの髪を掴み嬌声をあげ、セレンはぐったりと脱力してしまった。

 

「……」

もう引き返せない所まで来たのを欠片ほど残っていた理性で悟り、さらに欲望の赴くままに手を伸ばそうとした時、

口を塞いでいたセレンの手をどかした手が掴まれていたことに気が付く。

そのまま指と指を絡めてセレンが口を開いた。

 

「もっと…!」

喜悦満面の表情で漏らした言葉が耳に届き、濁流の如き激情が血液より速く身体中に巡っていく。

 

「……!」

 

「あぁ…ガロア…」

セレンの背中に腕を回し腰が浮くほど抱きしめて、ぼすんと胸に顔を埋める。

今日もわざわざ風呂場まで行って大きな風呂を楽しんだセレンは、寝間着のまま外に出るわけにもいかなかったので今日着ていた服のままで行ったのだが、

間抜けにも着替えを持っていくのを忘れていたので風呂上がりの今も今日着た服そのままだった。

 

胸の感触を顔で楽しみながら、暑いラインアークで一日着て汗とフェロモンがたっぷりと染みついた服の濃厚な匂いで肺を満たすように大きく息を吸い込んでは吐く。

熱い息が胸の上に広がりセレンは大病で高熱を出した時のように震えた。存分に堪能しとうとう上着のボタンに手を伸ばす。

 

「…あっ」

ボタンを次々と外していく指が胸に触れた時またセレンが声をあげた。

肌を晒すまで下着を入れて三枚。

ガロアの癖毛に遮られてはいるが電気が煌々と付いていることにセレンは今更ながら気が付き、

電気を消してと言おうと思ったが全部見て欲しい様な気もして、このままガロアの表情を見続けるのも悪くないと思い、まぁいいかと結論付けてセレンはガロアの頬にキスをした。

偶然にもそこはリリウムに口付けられた場所であり、ガロアはその事を忘れた事は無かったが、今セレンの唇で上塗りされたことを虚ろな頭で確かに喜んでいた。

 

「……」

こんな時は完璧に黙り込んでしまうガロアの頭の中でどうするか、どうしてもいいという会話が行われるうちにブラウスのボタンが全て外れてしまった。

体型がよく分かるベージュのキャミソールが白い肌を際立たせる。見えている肌の部分はこの前の水着よりも全然少ないのに誘惑の力は段違いだ。

自分で袖から腕を抜いたセレンはよく絡まる癖毛に指を埋めて頭を引き寄せてくる。まだまだ足りない。もっともっと。と声が聞こえてきそうな位分かりやすい行動。

呼吸は互いに浅く速い。横隔膜がまともに機能していない。

 

「…っ!……」

重なる舌を越えて歯茎の形を確かめる様に丁寧になぞってくる。

目を薄く開くとセレンもこちらを淫靡な光を湛えた目でこちらを見ていた。

安定しない呼吸が熱を持って鼻腔から漏れお互いの人中を湿らせていく。

これ以上なく幸せだという顔で口内を舐るその全てから好きだと声が聞こえてくるようだ。

 

(俺も好きだ)

何か色々考えていたような気がするがそれ以外に考えられない。なんかもう何もかもがどうでもよくなってしまっていた。

自分もセレンが好きだ。ならそれでいいじゃないか。

これこそがガロアの一番恐れていた思考だった。そうなってしまえばもう戻ってこれない。戦いでも恐怖が先行してしまう。

100万だけ、強さが大事なら、100万1だけセレンが大事になっていた。

ガロアは欲張りな人間では無い。これ一つでいい、と本当に思えてそれだけに生きるということが出来る人間である。

数にしてみればたった1の違いでどうでもよくなる。いつもいつも戦いばっかり。一緒に痛みも血も死もない世界やそんな場所に行きたくなってしまった。

 

互いに高まっていくのを感じながら、キャミソールの胸元に指を引っ掛けて下ろすと下着の着いた胸がぶるんと弾みながらはみ出た。

 

「……」

その目には恥じらいは浮かんでいても否定は全く浮かんでいなかった。

自分の身体がセレンより30kg近く重いことも忘れて力を抜いて倒れ込むように上に乗る。

シャツと下着、二枚の布を隔てて触れ合う肌がもどかしいが今はこの感触を楽しみたい。

ぎりぎり苦しさの無い圧迫感の心地よさを感じながらセレンは首に唇を寄せる。

 

「私のところに帰ってくるだけじゃ足りない…」

 

「うおぁあぁ…」

艶めくセレンの唇がガロアの首に隙間を作らず密着し吸い上げてくる。

動かないように手足で締め付けながら呼吸の続く限り吸い上げた部分には雪原に血を流したかのように赤い跡が付いていた。

 

「誰にも、何にも渡さない」

実に満足気な笑顔で顔を歪めるがそれでもまだ足りないとばかりに、わざと湿った水音を立てながら足跡のように赤い執着の証を散らしていく。

上に乗ったガロアが言葉も無く身体中から力を奪われ自分の上に倒れているのを感じたセレンは埃も立たない程優しく横に転がして上に乗る。

 

「……」

何も考えられないという顔しているガロアの顎をさらに持ち上げ見えたのどぼとけを口に含む。

いつ声変わりしたのかなどは知りようもないが昔はここまで男性的に膨らんでいなかったはずだ、と思い出に浸りながら舌でなぞるとガロアが唾を飲み込む音と動きがダイレクトに伝わってきた。

興奮しているのだと分かりセレンはまた肌が熱くなる。この肌の熱をもっと伝えたいと思うと同時にガロアのシャツの裾を掴んでシャツをはぎ取っていた。

傷だらけの胸板に掌を触れるとガロアの肌も同様に火照り早鐘を打つ鼓動が伝わってくる。

下にずらされたキャミソールを脱ぎベッドの外に放り投げ顔を胸の上に乗せると頭に手が添えられた。

 

「よく見ていろ」

そう言わなくてもガロアの視線が釘付けなのが分かっていた。

垂れる髪を邪魔にならないようにかき上げて胸板を舌で濡らし傷がない場所で唇を止めて吸い上げていく。

ガロアはセレンが付けた傷だらけの自分の胸に新しく所有の証が赤く出来上がるところを目に焼き付けて震えた。

 

「ふう…ふっ、…どうし、たい…?」

スカートスーツ越しに伝わる怒張の熱がじんわりと伝わるのを二人で感じながらセレンは浅い呼吸に紛れそんな事を言う。

ねっとりとした腰つきと誘う様な目にガロアはまるで操られるかのようにスカートのホックを外してしまった。

 

「……」

重力に従ってガロアの上に落ちたスカートから脚を抜く時に、水分を吸って色濃く変色したクロッチが目に入る。

 

「!……」

自分の股の間にくぎ付けになっている視線にセレンは気が付いたが、顔を赤くし俯きながらも隠そうとはしなかった。

そのまま動かないセレンの腕を引くと抵抗することも無くガロアの上に倒れ込んできた。

お互いに顔を手で優しく包み目と目で意思疎通をし、唇をはみながらセレンはガロアのスウェットのさらに下の下着に指をかける。

もう二人はこのまま生物としての義務を全うしようとしていた。

が。

 

ピリリリリリ

 

「「!!!」」

机の上に置いていたガロアのケータイが着信音を鳴らした。

 

「わっ…!」

夢見心地だった二人の意識を一気に現実に引き戻し、セレンは今更下着の晒された胸と下半身を腕で隠した。

二人ともなんとなくまた邪魔が入るかも、と脳細胞の一部で感じていたがその通り。例え夜遅くでも邪魔は来るのだ。

 

「え…?」

ガロアはただ困惑している。

 

「誰だ…?お前誰かに電話番号を教えたのか?」

大事な部分を隠しながらもガロアの上からもどかずにセレンは疑問を口にする。

今でこそよく口が回るが、ほんのちょっと前まで話すことが出来なかったガロアが誰かに電話番号を教える意味などないはずだからだ。

 

「いや…」

 

「…出るか?」

 

「うん…」

思い切り水を差されてこれ以上続きをしようなどという気になるはずも無く、

すっと上からどいたセレンの体重を残念に思いながら電話に出た。

 

「誰?」

 

『小僧!!東に飛べ!!』

 

「は?…あんた、爺さんか?」

いきなり怒鳴りながら訳の分からない指示を出す男は王小龍だった。

 

『リリウムが待ち伏せされている!!情報はもうお前のオペレータの端末に送っておる!!さっさと走れ!!』

 

(待ち伏せ…完全降伏に見せかけて情報を流す裏切り者がいたか)

無論本当にリリウムに敬意を抱き武器を降ろした者が大半なのだろうが、

アンビエントと正面からぶつかるのは避けたかったから降伏しただけの者、目先の金欲しさに情報を横流しする者などもいたのだろう。

 

「ガロア、行くのか」

年に似合わぬ大声はセレンの耳にも届いており、さらにセレンはそんな事を聞かなくても行くのだろうな、と思っていた。

 

「行くしかねえだろ。セレンも指令室に走れ」

シャツをさっさと着てしまったガロアだが、下着になるまでひん剥かれた(半分は自分で脱いだものだが)セレンは急いで服を着始める。

 

「先に行っている」

 

「ああ。………………はぁ」

完全に戦う男の顔になって部屋を出て行ったガロアの背中に聞こえない程小さな溜息を投げかけてセレンも服を着替える。

 

危ない戦場に行ってほしくない。

戦うのは百歩譲って許すとしても、なんで死に直結するような場所に自ら進んで行くのか。

死んでもいいやなんて思わないでほしい。これからも自分のところに帰ってきてほしい。

心だけでは足りないのなら身体を使ってでも繋ぎ止めようとしたのに邪魔された。

 

セレンは…ガロアが思っていること、してほしいことと真逆の事をしていることに気が付かないまま部屋を出た。

 

 

 

アレフの中でジャックにコードを繋いで情報が送られてくるのを待つ。

電源を落とすのを忘れていたが、結果として良かったかもしれない。すぐにでも飛べる。

 

(……。邪魔が入って残念だが…良かった)

 

(あのまま最後までいってたら…多分…戦いたくない…いや、死にたくないと思うようになる)

 

(死にたくないと思えば死んじまうような戦い方をしているんだ)

アレフの武装を見ても今までの戦い方を見ても分かりやすい。

命を差し出して受け取ろうとした敵を斬り殺すというハイリスクハイリターンの一歩間違えれば死ぬような戦い方をしている。

 

(俺の強さはまやかしだ。奴とは違う)

ガロアが強かったのはこの世に希望がなかったから。だから怖いものなど何も無かった。夜の孤独に比べれば何もかもが陳腐だったから。

だからこそ、もしも希望が出来ればあっさりと死ぬだろう。それがもう目の前にある。

死にたくないと思わないようにしよう。死んでしまうから。そう思っている時点で矛盾だとは気が付いていたが無視した。

 

(でも…あんな風に誘われたら我慢できない…俺…しょうもない…)

決心しておいてこれだ、と自己嫌悪に陥るがそれも仕方が無いこと。

体力精力有り余る18歳の少年がセレンほどの美人の、しかも自分が好いている女性の誘惑に耐えれるはずも無い。

 

 

『位置情報を送る。もう行け。ここからどんなに飛ばしても10分はかかるぞ!』

 

「了解」

時間にして一分も考えていなかった。

セレンの話し方も完全に仕事モードに入っている。

 

『確認出来た敵はネクスト四機とのことだ。絶対に勝てない』

 

「四機……!何故そう思う?」

アレフを宙に浮かべて情報が送られた場所へと通常モードで飛ぶ。

 

『アンビエントの総火力では全て当てても削り切れん。アサルトアーマーも無い』

 

「よってたかって一人の女を殺しにか…いよいよ戦争染みてきたな」

 

アレフが発進して10分後。

ラインアークに帰還しようとしたアンビエントを四機のネクストが襲撃した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ とあるラインアークの夜

 

~~~ヴァオーのハッピー筋肉~~~

 

今日もヴァオーは食べていた。

食堂で肉を注文しまくり食べていた。

愛しの筋肉たちを育て上げる為だ。

 

「ハムッ、ハフハフ、ハフッ!!」

 

彼の頭の中はいつだってシンプルなのだ。

楽しく!戦い!筋肉!女!

それさえあればどこでも大体ハッピーだ。トラブルがあっても筋肉は強い、最後まで裏切らない。

 

「フモッ、!!?ぶっ、び、んび、美人!!」

ヴァオーは見た。やたらめったら胸のデカい女の隣で、黒髪艶やかな絶滅危惧種級の美人がいたのを。

どうやら食事は終わったようで出口から出て行ってしまった。

 

なんということだ。点数で言えば53点の食事をかきこんで、優れたトレーニング施設も無いので仕方なく基本的な筋トレしかしなかった今日だとしても。

あんな美人を抱いてその後に隣で優しく寝かせてもらえればそれだけで最高の一日になる。

 

「んっ、んんん、ん、……行くぜ」

水を飲み干したコップを机に強めに置くと、タンと高い音が鳴り黒光りする筋肉が膨らんだ。

もう大分夜も更け、こんな時間まで食事している者の方が少ない。既にキッチンには誰もおらず、客もまばらだ。

今から走ればすぐに追いつく。見逃さない。

 

ドガッシャン、と訳の分からない音が響きヴァオーの毛のないつるつるの頭に皿が一枚落ちて割れた。

 

「どきどきしたな?」

頭がついて行かない、という状況は割とよくある。ヴァオーのように刹那的に何も考えずに生きていれば。

その感覚の為に生きているような気もするし、普通に生きていては味わえないからだ。

だが今のこの状況は間違いなく今までで一番頭がついて行っていない。

目の前に大男が立っていた。そして天井に食堂の机が刺さっていた。ウン十kgある机をこの男が蹴りあげたのだ。

 

(ガロア・A・ヴェデット!!)

唐突に現れた。まるで稲妻のように。

この男がORCAの基地に乗りこんできたとき、暗くてよく見えなかったが意外と綺麗な顔立ちをしている。

だがその顔は既に殺気に満ちている。

 

「顔から想像力が発射されてんぞ、どきどきも許さねえ」

 

(俺よりデカい!きたっ、突然に!!)

そう、こんなイベントは…目の前に突然強敵が現れるなんて人生は正気で生きてきてはあり得ないのだ。

 

「世界の半分は女だ」

 

(スタイルはなんだ?関係ねぇ、俺の右腕は…)

自分を見ているのか、全く見ていないのか分からない灰色の目はカメレオンの目のようにあちこちをぎょろぎょろと見ては最後に自分に戻ってくる。

 

「そいつらと好きなだけ乳繰り合って種を撒け。なんだ…億だ、億人いるんだぞ。億やるよ。お前がどこのいくつの女を押し倒そうと知ったことか」

 

(大砲だ)

まともに話し合う気などない。

こっちも、奴も。ヴァオーは地面を踏みしめて、左肩を相手に見せる様に立った。

彼はかつて、ヘヴィ級ボクサーのチャンピオンになると期待されていた男だった。

 

「なんなら男も持っていけ。お前がどの男の股間に顔を突っ込んで突っ込まれようがまるでどうでもいい。オーケーだヤリまくれ」

 

(一撃だ、一撃で吹っ飛ばしてやるぜ)

しかし、ヴァオーはやめてしまった。ボクシングを。愛していなかったのではない。

ただ彼は筋肉を愛しすぎた。フックもジャブもやらず、彼のしてきたことは筋肉をつけてストレートの威力をあげる。それのみ。

こうしてボクサーでは無いと周囲から言われたヴァオーはボクシングをやめてしまった。

実際彼はボクサーでは無い。ただし、そのストレートの破壊力はヘヴィ級のチャンピオンをも大きく超えているのは間違いない。

パンチを受ける為に作られたゲームセンターのパンチングマシーンを破壊したのは三年前のことだ。

 

「その代りセレンにはどきどきすることも許さん。許さん。絶対に許さん。お前の理由が完全に完璧に正当でも知らん。許さん。許さん」

相変わらずその目には正気が宿っていない。何か一つでも気に食わないことを言えばそのまま月まで蹴り飛ばすという顔をしている。

唐突に現れた未知すぎる強敵、圧倒的なキチガイ。そして実力者。

感情の沸点が違う。正気はピンポン玉のように弾けてどこかに飛んでいってしまったようだ。

こんなのが美味くも不味くもない食堂の飯を3kgほど胃袋に入れた後にいきなり出現するのだから人生とは面白く、訳が分からん。

 

「ハッハー!俺の、むぅん!!この筋肉を見て挑むのか!?」

ぼこん、とヴァオーの上半身を中心とした筋肉が膨らみ、タンクトップが千切れた。

見た目だけで言えばガロアのそれよりも確実に上である。

 

 

ヴァオー    vs    ガロア・A・ヴェデット

ORCA旅団         無所属

ボクシング         我流

195cm 117kg       201cm 102kg

 

 

「好きだぜぇ、お前みたいなやつ」

テロップが浮かぶとしたらこんな感じか。ゴングは無いけどな、と想像して構えを取る。

無駄なフェイントはいらない。一撃で大砲をぶっ放す。

 

「スリランカ……違う……ナンプラー…違う………なんだったかな」

 

「吹っ飛べ!!」

ヴァオーの渾身の右ストレートが放たれた。

地面に彼の大きな足跡がくっきりと残ってしまう程に踏みしめられて撃たれたその大砲は脆弱な人間の身体など一撃で壊れて死ぬ。

 

一撃で死ぬはずだった。

 

「スリジャヤワルダナプラコッテだ」

ヴァオーが人生をかけて作りあげた芸術品のようなストレートはガロアの胸の前で拳が掴まれて不発に終わっていた。

ガロアはその場から一歩も動いていないにも関わらず威力が全て吸収されていた。

 

(なんだこりゃ!?!?『キ』とか言う奴か!?何が起こってんだ!!?)

そんな物はガロアは使っていない。やや内股気味に大地を踏み、拳の威力がマックスになる前に受けただけだ。

だが大部分の原因は…放っておけば一分後にセレンに熱烈なアプローチをしていたであろうヴァオーに対しての怒りによってガロアの脳のリミッターが外れたことだった。

 

「俺は!!そんなもん信じぶぶぅ…」

言葉を言いきる前に重心を一気に下げたガロアの手の平がヴァオーの肝臓の上に当たっていた。

そんなもんで俺の腹筋を、と思った瞬間に急激に身体中を絞られるような苦しみが襲ってくる。

 

「ガキの頃、その地名を知って珍しく面白く感じて一日機嫌がよかった」

 

「う…ご…?」

皮膚に痛みはほとんどないというのに肝臓が悲鳴を上げている。

ヴァオーは生まれたての小鹿のように脚を震わせとうとう膝を着いてしまった。

 

「あっちにある、俺の体内磁石は狂わん。次はそこまで吹っ飛ばしてやる」

びっ、と明後日の方向を指さして何事かを言ったガロアはそのまま去っていった。

結局最初から最後まで完全に自分の世界、自分の感情に引きこもってヴァオーを倒してしまった。

 

「か、かか……」

負けたのか?勝負が始まった、と思ったばかりなのに。

自分が知っている『敵』とか『相手』とは全く異質だった。こちらを一切見てくれなかった。

どう反応していいのかも分からないまま腹で渦巻く痛みにうずくまっていると誰かが近づいてきた。

 

「あの…大丈夫…ですか?」

先ほどとは別の稲妻がヴァオーを撃ちぬいた。

 

(美人!!)

銀色に近い金髪、薄めのピンクの唇、大して明るくもない食堂ですらきらきらと輝く翠の目が卵型の美しい頭部に完璧な配置で置かれている。

少し小柄ではあるがこれまた見事な美人だった。

 

「あの……」

 

「名前を教エボオオオオオオオ!!」

 

「きゃああああああああ!!」

 

そしてヴァオーは胃袋から3kg分の晩飯をぶちまけて吐瀉物の海に沈んだ。

 

 

 

 

おまけ2

 

♡♡♡メルツェルとの出会い♡♡♡

 

 

ズドン、と音が響いた。

サンドバックが天井まで打ち上げられた音だった。

 

「あー、もう一回言ってくれ」

 

「君が欲しい」

 

「フンヌッ!!」

サンドバックにストレートをぶち込むとまたもや天井に届いて、鎖がギシギシと音を立てながら振り子のように揺れる。

そのメガネの男のセリフがいまいちよく分からず、とりあえず頭がこんがらがる前にストレスを外に出した。

 

「うちは…なんというか、兵器の集まりのはずなのにどいつもこいつも腹になんかしら抱えて頭を動かしている。組織として足りないのは…バカだ。君が欲しい、バカが欲しい。うちにはいない、完全に純粋な戦闘タイプだ」

 

「???」

褒めているのかバカにしているのかも分からなかった。

自分のこの筋肉を見て正面からバカにしてくるやつなどまずいないし、実際バカにしているような雰囲気でもないが、言っていることは完全にバカにしている。

 

「手が付けられない奴がいる。ブッパという…体重は君の半分くらいなんだろうが、一度暴れると手が着けられなくなる厄介者だ。君なら抑えられそうだ」

 

「……。サンドバック殴ってみろ。話はそれからだ」

分かったのは仲間に誘われているらしい、ということだけだった。

ならば大事なのは、自分の愛する筋肉をそこに使う価値があるかどうかだった。

 

「ふむ。いいだろう」

 

(………なんだそりゃ)

サンドバックの前に立ったその男はもう構えからしてダメだった。そして予想通り……

 

「ハイッ!」

 

パキャッと男の手から骨になにかしらのダメージが来た音がしてサンドバックが僅かに揺れた。

 

「ああっ!?痛っ、いった!?なんで!?あっ!?」

命のない…つまりその点で言えば蟻んこ以下の物に完全敗北し、拳を抱えて男は地面を転げ回っている。

 

「サンドバックは固いンだぜ」

砂袋なのだから当たり前といえば当たり前だ。

もっとも、このサンドバックの中身は砂では無いが……それでも製造されているサンドバックの中でも最も固く重い部類の物だった。

拳を固くし、威力を上げるための物だ。間違っても格闘技の「か」の字も知らない素人がグローブも着けずに殴っていい物では無い。

 

「くぁあぁああ~……痛っ……」

 

「だが面白えな。名前はなんだ?」

 

「むむむ…メルツェル……」

 

「そうか。ムムム・メルツェル。美人はいるのか?」

筋肉の次に大事なのはそれだった。

例え宇宙に行こうが深海に行こうがそこに美人がいれば男にとってそこは天国なのだ。

今のヴァオーは極寒の真冬のように女性に縁が無かった。環境が悪い気もする。

ここ最近受けるミッションはどうも自分の力を活かせる単純明快な物でなく、携わっているだけで精神が摩耗するような疲れる物ばかりだ。

成功率も悪いし性交率は0だ。

 

「……」

その質問を聞いて痛みでうまく動かないメルツェルの脳が回転を始めた。

 

メルツェルはジェラルドとジュリアスのことがなんとなーくだが、それでも8割方は想像がついていた。

 

想い人がカラードにいて、その人にだけ愛されたいダイヤモンド級の超頑固。

ところがその男はド腐れ企業王国の王子様になって女がよりどりみどりになってしまいましたとさ。

 

そんな感じだと思っていた。

ジュリアスはORCAの男と一定以上仲良くしようとしない。

美味しい物を食べれば一瞬素に戻って素直に『美味しい』と言ったりするがすぐにむっつり黙り込んでしまう。

そして部屋に戻る。つまり、孤立している寂しそうな女だ。

 

どう見ても。

どー見ても、自分の前にいる黒光りした筋肉ダルマではジュリアスの心は埋められないとメルツェルは思った。

 

だが。

 

「…いるぞ。やたら可愛いくせに女を捨ててますみたいな気張っちゃったやつが」

 

「大好物だぜ、そういうの」

 

「未だにそいつに勝ってない。強いぞ」

……メルツェルはとりあえず嘘は吐かなかった。

 

「どんなだ。どんな見た目なんだ?」

 

「黒髪で…真っ赤なぷるぷるの唇をした美人だ」

 

「恋人は?」

 

「……………………いない!!」

 

「おっ、おっ、おっ。行きたくなってきたぜ、行きたくなってきたぜぇおい。だが…後一押し足りねえな」

 

「ふっ……この世界には…単純なパワーだけではどうしようもない強さがある」

 

「ん?」

そう言ったメルツェルは懐から何かを取り出した。

それはチェスボードと駒だった。そんなものを持ち歩くならグローブを持ち歩けとヴァオーは思ったがお互い様だった。

 

「これで君を…完っ膚なきまでに完璧に倒す倒す倒す!倒す!!チェスは分かるか?」

相当慣れ親しんでいるようで、痛んだ手を使わずに片手であっという間に駒を並べて床に置いてしまった。

 

「分かるぜ。パソコンに入っていたからな、ゲーム」

 

「パソコンが使えるのか!」

 

「今お前が俺を馬鹿にしたことも分かるぜ」

 

「……………。これも。これも。これもこれも」

メルツェルが次々と駒を拾い上げてはガリッと噛んで横に除けていく。

 

「使わないで勝ってやる。しかも……この指二本はペキ折れている右手で指してやる」

そしてナイトとルークはメルツェルの陣営から無くなった。

将棋と違い、チェスは死んだ駒は戻らない。数の均衡が最初から崩れているのは圧倒的に不利だ。

 

「お前みたいなやつ、好きだぜ」

 

そして不敵な笑みとセリフで始めたというのに。

 

ヴァオーは普通に負けた。

元々チェス含むボードゲーム自体がヴァオーは弱かったのもあるがそれ以上にメルツェルがあまりにもふざけた強さだった。

考えてすらいなかったのだ。ヴァオーが駒を持ち上げて、置いた一秒後にはまたヴァオーの番になっていた。

痛む手でひぃひぃ言いながら颯爽と駒を進めて……キング以外の全ての駒が盤外に吹き飛んでいた。

 

「私は君には敵わない。ネクストに乗ってもな。だが……」

 

「……」

 

「君の力を何倍にも引きだせる。君を一番上手く使えるのは君じゃない。私だ。つまらんミッションをしこしこ受ける必要はもうない。面白い戦場に送ってやるさ」

真っ赤に腫れ上がった右手をプラプラと揺らしながら言う言葉には巨大で頑丈な自信が見え隠れする。

ヴァオーが自分の右ストレートに持っている自信にも負けない頭脳に対する圧倒的自信だった。

 

「……!!もっと来い!もっと俺を動かしてみろ!」

きんきらに輝く白い歯を大きく見せて笑いながらヴァオーは笑う。

企業の鍔ぜり合う陰謀の隙間から零れ落ちてくるようなクソミッションはもう飽き飽きだった。

着いて行けば面白いことが起こる。ヴァオーは後先を考えたりしない。ただ、どの道を選べば面白いかすらも分からなかったからこんなところで腐っていただけだった。

 

「一緒に世界をひっくり返しに行こうじゃないか」

タイプで言えばまさしくヴァオーと真逆のその男、メルツェルの知性光るメガネの奥にある目が熱い炎を出した。

 

「ヘッ!!悪くねえ!楽しませてくれよ!メルツェルッ!!」

その炎はヴァオーにも燃えうつり、ヴァオーはもう一度サンドバックを力いっぱいぶん殴った。

とうとうサンドバックを吊るす鎖は千切れ飛び、ヴァオーは自分を縛る企業の首輪を破壊した。

 

 

こうして、ヴァオーはORCA旅団に入ることになった。

ジュリアスには全く相手にしてもらえなかった。

 




ヴァオー

身長195cm 体重117kg

出身 アメリカ・テキサス

元々ストリートファイトに明け暮れていた脳筋男。
異常な強さを買われてボクシングの世界に入るが、
トレーナーの指示に従わない滅茶苦茶なトレーニングをすることと、過剰搭載された筋肉の燃費が悪く、12R戦い抜けないと言われてボクシングをやめた。
実際、パンチ力は世界最高の威力と言われていたが、実戦ではフットワークの軽い相手に翻弄され幾度か負けを重ねていた。
だが今だにそのパンチの記録は破られていない。

無職となってどうしようかと街をうろついているときに、GAのトレーニング施設が高水準であることを知りGAに。
そこでAMS適性があることが発覚し、リンクスになるが、イマイチパッとしないミッションを回されイライラしているところにメルツェルが来た。
黒人の上に日焼けが好きなため、最早黒色が服を着て歩いているレベル。
タバコは吸わないが大酒飲み。しかし、酒の味はよくわかっていないらしく、ネオニダスに渡された酒に全部『美味い!!』と答えていたら呆れられた。
単純明快な奴が好きで理屈っぽい人間は好きでは無いが、メルツェルとは気が合う

ガロアから喧嘩を売られ即買ったが戦闘スタイルの相性が悪すぎて負けてしまった。
ネクストの装備も非常に相性が悪い。

モデルはレノックス・ルイス

趣味
筋トレ
知恵の輪(ときどき破壊してしまう)

好きなこと
メルツェルとチェスをすること
カミソリで体毛をつるつるにすること



机くん

身長 70cm 体重 58kg

食堂の机。
ガロアに蹴りあげられて天井に突き刺さった。
この机はそのまま廃棄処分されたが、なんとヴァオーが弁償している。
『俺が負けたからな』ということである。
なんて気のいい奴なんだ。



高級ダッチワイフちゃん

身長 160cm 体重 38kg

金はあるが女とテロリストの仲間入りしたせいで全く女に縁が無かったORCAの技術者が買った夜の恋人。
ラインアークに来て心機一転、彼女を作るんだと決めてゴミ捨て場に捨てたのをガロアが拾って破壊した。
やっぱり捨てるのは彼女が出来てからでも…と思って拾いに行ったがそこにはもう恋人の姿は無かった。
ちなみに捨て方を間違えているので本当だったら回収はされなかった。





ヴァオーがこのあとほとんど見せ場がないことに気が付いて彼が主役のエピソードを書きました。

好きだと自覚していない頃から、二人の時間を邪魔されただけでパッチをぼこぼこにしたガロアですからね。
ヴァオーはナンパしようとした相手が悪かった。


18禁じゃないだろう、多分。
To Loveるよりも先に行っていないからへーきへーき。

リリウムが大ピンチです。
待て、次回。


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獣を飼う女

月も無い曇天の夜、6つの光が瞬いている。

アンビエントのAPは既に30%を切っており、この時点で普段は王がミッションを放棄していたのだが。

 

『もう諦めろ!お嬢サマ!』

 

『…悪いな』

 

「…こんなところで…」

普段やっている様に側面に回り込むが、取り付いているスカーレットフォックスに遠くから観察しているエメラルドラクーンが指示を送っているらしく、

こちらの位置を正確に掴みながらメチャクチャにマシンガンを撃ってくる。

 

「ウィンディー様…」

わざわざ救援に来てくれたのに敵機のレ・ザネ・フォルに抑えられているレイテルパラッシュのいると思われる方角に目をやると、

どん、と腹に鈍い衝撃が響いた。

 

『油断するとは。人の事を気にしている余裕がまだあるか?ウォルコット嬢』

 

「くぅ…」

ブラインドボルトのバズーカがいやらしいタイミングで刺さったのだ。

実弾の直撃はマズイ。もうアンビエントは停止寸前だった。

 

『リリウム!!クッソ…!』

リリウムが夜襲されることを知って、怒り狂ってここまで飛んできたウィンだが、イマイチその実力を出しきれていない。

 

『…馬鹿なことをしたものだ…ウィン・D…』

レイテルパラッシュに取り付いているレ・ザネ・フォルは中身が経験豊富なリンクスとはいえタンク型の上どの攻撃も速くないし、ウィンが1年前に負かしているのだ。

本来ならば相手にすらならないはずだ。

だが夜襲に備えて敵機は全てネクスト用暗視カメラに換装しており、動きが一方的に筒抜けなのである。

その上ECMが高濃度展開されているため、アンビエントもレイテルパラッシュもブーストの僅かな光で敵の場所を判断するしかないがライフルやマシンガンの弾に至ってはもう見えないから勘で避けるしかない。

 

『汚い手段を認めたら企業に勝てると思うか…?まぁいい…』

しかもレ・ザネ・フォルのリンクス、スティレットはかつて負かした相手とはいえ、インテリオルでずっと戦い続けてきたためウィンの戦い方を知り尽くしている。

とどめの一撃を叩き込むために位置を悟られるリスクを冒してコジマライフルをチャージしていく。

だがその時。

 

『ウィス!西だ!何か来る!』

 

『ああ?』

 

「え…?」

モニターの端、真っ黒な空に二つの光の輪が浮かび無限の記号を象りながらこちらに近づいてくる。

戦場の誰もが敵か味方か、あるいは魔かすら分からない空を裂く不気味な光に目を奪われた、その瞬間。

 

「!!」

 

『がっ……!』

ほとんど闇に包まれていた戦場を、一瞬爆発的な光が包んだ。

その戦場で暗視カメラを積んでいた全ての機体のリンクスが激しく目を焼かれた。

赤外線と可視光を極限まで拾って闇を見通す暗視カメラだが、フラッシュロケットには赤外線も多分に含まれている。

 

『な、なん…!?』

遠くで二機を狙い撃ちしていたイェーイの目には、運悪くフラッシュロケットが直撃してしまい完全に動きが止まっていたレ・ザネ・フォルに蹴りを叩き込むネクストの姿が見えた。

 

 

 

 

 

 

「セレン」

 

『ランク6、レ・ザネ・フォル、ランク13、ブラインドボルト、ランク25、スカーレットフォックス、ランク26エメラルドラクーンだ』

フラッシュロケットで確認した敵機の名を読み上げていくその声は、敵にとっては断頭台へ進む囚人が名を読み上げられるのにも似た響きがある。

この中で一番の強敵は間違いなくランク6のオリジナル、スティレットだろう。

 

「四人か…悪くない…夜食にはちと足りない連中だがな…ウィン・D。リリウムを連れて帰れ」

ガロアは今もまだむらむらとした殺気とも性欲ともつかない熱を内側に抱えていた。

…どころか、暴発寸前だった。ガロアの目に映るのは、かつてこの地上で行われた最も厳しい戦い、ランク1を含めた四対一の戦場であった。

ここで自分の内にあるどろどろと赤熱する何かを全て放出してその伝説を塗り変えてしまいたかった。最強の名の元に。

 

『四機だぞ!敵うものか!』

 

『ガロア様!?無茶です!』

 

「さっさと消えろ。間違って殺されたくなかったらな」

その戦いの記録は事細かに覚えている。

アナトリアの傭兵はその作戦に少々遅れてしまい、結果としてその戦場に先にいた二人のリンクスが重傷を負いネクストに乗れなくなってしまった。

それをどう思う訳でも無いが、はっきりこの二人は邪魔だ。死んでほしくないというのもあるが、自分は守る様な戦いには向いていない。

というよりも今も戦う理由としてその時の奴とは違う。

 

『……!行くぞリリウム!』

 

『…はい』

 

(…………?誰も動かねえな…)

レイテルパラッシュがアンビエントを連れて西の空へと消えていくのを敵はただ黙って見ていた。

敵が動いてブーストの光やマズルフラッシュを出さなければ手の出しようがないガロアは敵の行動を待っていたが何も起こらない。

蛇ににらまれた蛙のように全機動いていなかったが、レ・ザネ・フォルだけは動かないではなく動けないと言った方が正しかったようだ。

 

『足からブレード…?風変わりな…だが結果は結果だな』

 

「……!」

雲の隙間から一瞬だけ月が覗き届いた光がレ・ザネ・フォルを闇から引きずり出した。

ガロアとしてもそこまで狙った訳では無かったが、その機体のコアには大きく直線の切れ目が走り、右腕が地面に落ちてしまっていた。

 

しかしそれは一瞬だけ見えたガロアよりも、その場にいた他のリンクス達の方が分かっていた。

今回の作戦の為にお互いの機体状況をリアルタイムに確認できるようにしていたため、レ・ザネ・フォルのAPが3桁まで削られてしまっているのがはっきりと見えていた。

激昂したウィンに半分までAPが減らされていたとはいえ、たった一撃でオリジナルリンクスがこうなったというのは、ガロアの悪評と相まってその中でも新米リンクスであるウィスとイェーイを心底怯えさせた。

かかっていかないのは単純な理由だ。始まってしまえばもう止まらない。特に戦闘スタイル的に真っ先に死ぬのはウィスだと本人たちは理解していたからだ。

勝つ、負けるが死に直結する相手など今日は望んでいなかったのだ。

 

『私を最初に一撃で仕留めたならそれはもう、気運がそう傾いているということなのだろう。…それも当然だな…よってたかって夜襲なんて後ろ向きなことをして…』

システムを通常モードに戻したと、目の光からガロアは分かった。

残った一本の腕を降ろしてレ・ザネ・フォルは宙に浮かんだ。

 

『この戦場はお前の勝ちだ。……また会おう…フフ』

そうして撤退するとも言わずにオーバードブーストを着火しレ・ザネ・フォルは空の彼方へと消えてしまった。

 

(なんだ…減っちまった…残念なのか?俺は……つまらん)

軽量機に攪乱されてタンクの一撃が一番怖い。しかもスナイパーがいるとしたら尚更だろう。

そこで一番怖いタンクを退けられたのはラッキーのはず。

それなのにガロアは何故か舌打ちをしていた。さっきの女の言葉通り、傾いている。勘が告げていた。

数では向こうが勝っているし、状況も不利には違いないのだが、今のこの流れからして今日死ぬのは自分では無いと。

どちらが死ぬかも分からない戦いはここにはない。何よりも、向こうがそういった覚悟で挑んできていないのだ。本当なら四機で一機を圧殺する楽なミッションだったのだから。

 

急に気が抜けてぐぐ~…と腹が鳴った。

 

「……」

減ったといえば腹が減った。性欲も収まっていない。風呂に入りたいし疲れている。

何よりも内側に募った熱のせいでいらいらしてくる。こいつらにはこれをぶつけきれやしないだろう。

今日の夜はセレンの柔らかい身体を抱きしめて眠りたくなった。

 

それにしてもいつまでもかかってこない。

それもそうだろう。恐らくターゲットはリリウムただ一人。アルテリアの求心力を落とす為の作戦だったのだ。自分のような野良犬などリリウムが消えた今、相手にする理由はない。

倒したところで報酬も出ないだろう。既に作戦は失敗のはずだ。

戦いを求めてきた自分とは本質が違う。

 

「…のこぎりで適当な大きさに切った後は…」

こんな連中といくら戦ってもまるで満たされない。

怯えているのだろう。当たり前といえば当たり前だ。運が良かったとはいえ、一撃で一桁ランカーのオリジナルを退けたのだから。

その上、敵にはまだこのアレフの特性が分かっていないはず。じゃあ脅して終われるならそれでいい。

もうさっさと帰ってしまいたかったガロアは小さく口を開いてぼそぼそと話始めた。

 

 

 

 

『…のこぎりで適当な大きさに切った後は…』

 

「…?」

喋れるようになったとは聞いていたが突然意味の分からないことを言い始めたガロアの言葉にイェーイは言い知れぬ不安を覚えて冷や汗を垂らす。

いや、正直さっきから冷や汗垂れっぱなしだった。楽な任務だったはずなのに、いきなり一番戦いたくない敵が空から降ってきたのだから。

 

『臭みを取るためにネギと一緒に骨ごと丁寧に煮込んで肉を剥がす』

 

(さっき…なんて言った?あの男は)

聞き間違いかもしれないが、『四人』、『夜食』とか言っていたような気がする。

イェーイの嫌な汗は額に髪の毛をはりつかせて更に不快感を増した。

 

『細切れにして香辛料を混ぜて丸めてカラッと揚げたら出来上がりだ。はらわたは美味くねえから豚の餌にでもするか…あるいは牛のモツだとでも言って売るか…』

 

「……!!」

イェーイは全身の血の気がサーッと引くのを感じていた。相方のウィスもその言葉の意味を理解して引いている。

前にこの男の素性を調べた時に、どうやってあんな場所で暮らしているのかと思っていたが…完全に人間をやめている。

 

『…いいか。俺にとっちゃほんのちょっとの違いしかねえんだ。このまま帰って夜食を食うのとお前らをバラすのとはな』

マシンガンを地面に突き刺し小さく指の隙間を作ってそこから紅い複眼を覗かせる。

 

『今すぐ消えろ。かかってくるってんなら………それでもいい。ただ死ぬだけと思うなよ』

宙に浮いたその黒いネクストが腕を広げると同時に全身から翼が広がる様にブレードが展開し、スタビライザーからも火が出て辺りを照らす。

暗視カメラで見てもなおまだ闇に溶けようとするその機体は不吉そのものだった。

 

「……ウィス」

 

『分かってる…ダメだ、こいつに関わっちゃ…』

非常に珍しくウィスは最初から素直に指示に従おうとする。

既にアンビエントを逃した時点で任務失敗だ。その上この男に刻まれて腹におさまるなんてごめんだ。

まったく、この男だけは何を考えているのか分からない。

 

「撤退する」

 

 

 

 

尻尾を巻く様に帰っていく僚機を見ながらブラインドボルトのリンクス、ヤンは考えていた。

長い事リンクスをやっているが、生き残る秘訣は一つしかない。

勝てない相手とは絶対に戦わないこと。当然の事だがそれが出来ない奴が多すぎる。

その時点で勝てなくても牙を磨いていずれ討てばよいのだ。無理なミッションは受けない。それでいい。

そんな生存本能に優れたヤンは紅い複眼に睨まれた時点で理解した。

 

「……これは…」

生きる世界が違う。あるいはさっきの食人をほのめかす言葉は冗談なのかもしれないが、それでも食う側食われる側で分けたら自分は哀れな羊だろう。

リンクスになってたった半年でいきなり世界最大のテロの主犯になった男なのだ。この圧力も納得だ。

 

『……………殺しに来ているならば殺される覚悟もあるってことか。いいだろう』

地面に刺したマシンガンを抜いてさらに空にフラッシュロケットを放ち、光でこちらを確認した敵機がブラインドボルトを睨んだ。

 

「いや…。撤退する。作戦は失敗だ。お前も退け」

 

 

 

 

(…?さっきの奴が最後だったはずだが…)

適当なことを言ったら全員退いてくれてラッキーだな、と思っていたら最後に撤退した男が奇妙なことを言っていた。

『お前』とは誰の事だろうか。

 

『敵機接近!速い!来るぞ!!』

 

「なんだって?」

まだ味方がいたらしい。

遠くから眺めていたという事だろうか。用心深い事だ、とガロアは呟いた。

血肉湧き踊る戦いが出来るかと思えばこけおどしで、帰れるかと思えば、そうでなかったり。

もうテンションはガタガタだった。

 

『初めまして…にな、きゃあっ!』

目の前に着地した軽量級ネクストにフラッシュロケットを放つ。

 

「セレン」

 

『ランク12、ルーラーだ』

 

「ルーラー?」

今回の作戦において、このルーラーの役目は佳境に入った戦場に静かに入り、手にした最速を誇るブレードでそっととどめを刺す事だった。

だが退け、というヤンの言葉を無視して出てきてしまった。

 

『オッツダルヴァのいなくなったオーメルの現トップだ。人と交わらんオッツダルヴァと違い重要な作戦も任される上、優れた頭脳で極々中枢で作戦立案もするブレインでもあるらしい』

 

「へぇ…」

 

『いきなり好戦的ね…さっきみたいに消えろと言わないのかしら』

 

「いや、あんたに用がある」

また今日のようなことを仕掛けられればいつかは取り返しのつかない被害が出てしまうかもしれない。

自分一人ならどんぱち戦うだけでもいいが、戦場を俯瞰するなら情報が必要だ。

この女を連れて行かなくてはならない。それにまたこんなことが起きて、夜半に駆り出されるのはもうごめんだった。

 

『いいわ…その感じ。極めていい…あなたに会いたかった…さぁ…』

 

「……」

その話が終わる前にガロアは踏みこんでいた。

次の言葉は『戦いましょう』とかだろう。

 

『!?…来てよかった…』

見えてはいないがルーラーは最初の位置から動いていなかった。

だが最速で振ったはずのブレードは敵のブレードで受け止められていた。速さはどうやら向こうの方が上のようだ。

止められた左腕の剣はそのままにして蹴りを放ちさらに爪先からブレードを出すとそれも受け止められた。

随分と速い。しかし、ブレードを起動している間はその光で僅かに敵の姿が分かる。だからこそ攻撃をやめない。

 

「何者だ…?」

ブレードとブーストの光だけではない。

どうしてか、不思議なことにその女の気配はまるで獣のように濃く、感覚で嗅ぎつけられる。

 

『あなたと同じよ。これで無粋でつまらない今日も面白くなる!!』

 

「……」

そういうことなのだろうか、とガロアは思った。

味方四機が退いていったのだ。そっと退くことも、黙って自分がいなくなるのを待つことも出来たのに。

わざわざ戦いを求めてここに来た。

 

『…!…強いわね…キツイかしら』

どんなに速くても、剣の数が違う。

達人ならばともかく、一本のブレードで受け止めきれるものでは無い。

爆発的な速度で後ろに下がったルーラーは一気に散布ミサイルをばら撒いてきた。

 

「……」

だがガロアはそう動くことも分かっていた。

少し笑った後に、数瞬後に訪れる衝撃と痛みに備えて息を吐いて身体中に力を入れた。

 

 

 

全くの予想外だった。

予想外といえば、各部位からブレードが飛び出すようになっていたのも驚いたが、それは相手が蹴る殴るという荒業を繰り出してくると事前に分かっていたので、なんとか避けられていた。

だが、十中八九、横に広がる散布ミサイルを上に飛んで回避すると思ったのに全く避けずに向かってきたのだ。

それもネクストの中でも可能な限りの速さと性能を求めたはずのルーラーが逃げきれないほどのスピードで。

今度は何も対応できなかった。

 

ぷつん、と何かが切れる感触がした。

 

「え…?痛っ…!?」

リザイアは驚く暇も無く、一瞬の痛みに襲われ、そして痛みはすぐに引いていった。

訳も分からずとりあえず動こうとしたが全く動けなかった。

そして気が付く。手足が斬り飛ばされ、ただのダルマになっていた。

剣戟の音とミサイルの爆発音で気が付かなかったが、アレフはあの一瞬でオーバードブーストを起動していたのだった。

散布ミサイルがほぼ全て直撃していたが、もちろんそれだけではAPが全く減っていなかったアレフは仕留めきれなかった。

 

『いつつ……。あんたに用がある。一緒に来てもらうぞ』

 

「……いいよ」

まさかこんなに圧倒的にやられるとは思わなかったが、その場で殺されずに連れていってくれるというならそれはそれでリザイアにとって好都合だった。

 

『?』

 

やけにあっさり認めたな、とガロアは思いつつも大荷物を届ける宅配会社の社員のようにルーラーのコアを持って西に飛ぶ。

ちなみに王に尻を蹴っ飛ばされて出撃した今回の出撃に給与は出ない。完全に理不尽な時間外労働であった。

ルーラーのコアの中で、負けて連れて行かれるという状況なのにも関わらずリザイアがばかりにほくそ笑んでいたのにガロアが気づくはずも無かった。

 

 

この世界にはガロアの知らない強さはまだまだある。

 

 

 

 

持ち帰ったルーラーのコアから首根っこ引っ掴んで出したリザイアがやたら猫撫で声で話しかけてくるのを無視しラインアークの兵に預ける。

 

「情報絞りとっておけ」

 

「え!?ガロア君行っちゃうの!?ガロア君が私に聞くんじゃないの!?」

 

「せいぜい役立つ情報出してくれ」

散布ミサイルをくらってから、身体中に思い切り砂利をぶつけられたようにしばらくじんじんと痛かった。細かな痣が身体に出来ていたが、これくらいなら数日で治るだろう。

しかし、自分はあの女と会った事あったっけか、とは表情に出さずにとっとと着替えて格納庫から出るとセレンが待っていてくれた。

 

「疲れたか?」

 

「全然。ただあの爺さんが番号を知っていたことに驚きだ。プライベートは無いのかよ」

 

「…………。暫くレイテルパラッシュとアンビエントは動けん」

ガロアのケータイの場所が24時間いつでも分かる仕様にしてあるセレンはガロアの口からプライベートと初めて聞いてギクッとしながら話題を逸らす。

 

「結構やられていたか。まぁ…死ななくて良かったんじゃないか」

 

「リザイアはどうした?何故連れてきた?」

街灯のほとんどないラインアークを歩く。月明かりに照らされた影が伸びてアスファルトに映っている。地面を歩く音が軽快に響いて心地よかった。

そこに波の音が混じって聞こえてロマンチックと言えばロマンチックかもしれないが防犯対策的観点で言えば…悪い。

 

「情報を絞り出す為に兵士に渡した」

 

「女だぞ?尋問で済むか?」

 

「……。戦争だからな。仏心見せて勝てるならいいけどそうはいかねえだろ。俺がいかなきゃリリウムはあそこで普通に死んでいた。そういうことなんだろう」

 

「……」

淡々と人間性を踏みにじる言葉を言うガロア。その表情は暗くてよく見えない。

メルツェルの言う戦禍で捻じ曲げられた子供の一人であるガロアはやはりその心もどこか壊れてしまっているのだろうか。

そんな時にあることに気が付く。

 

(あれ?ガロアって…本当は優しい奴だと思っていたけど…私にだけ…優しい?…のか?)

メイにもウィンにもリリウムにも邪魔だの消えろだの散々言うのに、

自分には気持ち言葉使いも優しいような気がするし、酷い事を言う様な事も滅多に無い。

さっきの敵への通信も今までの言葉からも、よくよく考えてみればガロアが生まれもった性格は結構底意地が悪いのだろうか。

それが自分にだけ優しいものだから本当は優しい子だったなどと勘違いしてしまったのだろうか。

 

「あっ」

どんぴしゃり、正解に辿り着いたセレンだったが考えすぎて石ころに躓いてしまった。

 

「おっと。大丈夫か。暗いからな」

膝から着地し、あわやずるずるの擦り傷出来上がり、という所でひょいっと効果音が出そうな程軽々と両脇に手を入れられ持ち上げられた。

昔は真逆で、何も無いところでも時々転ぶガロアをセレンが腕を掴んで守ると言う感じだったのにいつの間にこうなったのか。

 

「うおぉ…す、すまん」

同じ目線まで持ち上げられて降ろされる。また背が伸びたこいつ、と思っていると手を差し出す影が見えた。

 

「手、繋ぐか。危ないもんな」

 

「う、うん。…!」

さりげなく出しているし、いつも寝るときに繋いでいる(ガロアは理由を知らない)が、

それでも部屋では無く外で繋ぐというのは少し照れくさく手を伸ばすのに時間をかけていると雲の隙間から月が覗き、ガロアの首に幾つも残された赤い跡が見えた。

 

「月が高い…もう寝る時間だってのに」

 

「く、首…」

言った後に言わなきゃ良かったと思ったがもう遅い。

ぽえっとした顔で空を見ていたガロアが顔を薄っすら赤くして差し出していた手で首を隠してしまった。

 

「……帰るぞ」

すたすたと月に照らされ出した道を先に行ってしまう。

実は相当照れ屋なんじゃないか、と自分の事を棚に上げて思うセレン。

 

「!………」

多分何も言わないはずだ、と考えその右手をひったくる様にして握る。

むっ、という顔はしたが特に何も言わないまま薄っすらと顔を赤いままにしていた。

 

「……」

そのまま視線には気が付いているがあえて無視していることが丸わかりなガロアの髪が潮風に揺れるのを見ていると結構その髪が伸びた事に気が付く。

 

「髪、伸びたな」

強い髪の癖が重力に負けてくにゃんと下がってしまっている。

前は目がほとんど隠れていたが、今は見えているので前髪らへんは自分で切っているのだろうが。

 

「リンクスになってから切っていないからな」

 

「ふーん…そう言えばここでは誰に髪を切ってもらえばいいんだ…」

最初に髪が伸びた時に、それを指摘したら自分で切ろうとしたので金を持たせて自分が行く美容院に行かせたという記憶が蘇る。

ちりちりという訳ではないのだが、とにかく癖が強く水に濡らしても指で伸ばしてもくるんと戻ってしまういかんともしがたい髪で、結局量と長さが減るだけだった。

 

「うーん…」

 

(そうか…長いと重力に負けて真っ直ぐになっていくのか…)

母親似だという話だし、もしかしたらガロアの母は癖毛を伸ばして何とかしていたのかもしれない。

このまま伸ばせば母親そっくりになるのかも、と思ったが顔はともかくとして今のガロアは身長2mの体格のいい大男なのだ。

これで髪を伸ばせばアンバランス過ぎるだろう。

 

「ああ。ウォーキートーキーに切ってもらおう」

 

「えぇ?あのポンコツそんな機能まであるのか?」

 

「ある。あいつに切ってもらっていた」

 

「高性能だなぁ…」

 

「今ポンコツって…まぁいいや」

そんな話をしているうちに部屋に着いてしまった。

 

「…!」

 

「…!」

二人して部屋に入った途端に固まる。

熱気の籠る部屋の澱んだ空気には男女が抱き合った後の独特の性臭がほんのり残っており、

何よりも乱れたベッドの上に下着含むセレンの服が投げ捨てられている。

 

「「……」」

濡れた下着にしわだらけの服で治安の悪いラインアークを出歩くのもどうかと思い着替えていったのだが、急いでいた所為で帰ってくるときのことを完全に忘れていた。

握った手にじんわりと汗が浮かぶのが分かる。

 

「つ、続、つ続、つ…」

 

「……。洗濯は明日だ」

気狂いの鳥のように舌を鳴らすセレンを置いてガロアはさっさと服を纏めて椅子の上に置いてベッドを直してしまう。

窓を開けると中の空気がすぐに入れ替わっていった。

 

「その……」

 

「もう遅いから今日は寝るぞ」

言いたいことは分かり過ぎるが、眠いのもまた事実だしやっぱりそんな事に気を取られていては自分は死ぬと思ったガロアはベッドを指さす。

腹減った、むらむらする、眠い。三大欲求全てに襲われているがどうもやはり睡眠欲が一番強い物のようだ。

 

「ううぅ…うん」

 

「……」

さっさと電気を消してベッドに入り込んでしまうガロア。その顔は今にも眠りに落ちてしまいそうだ。

 

「手…手を」

 

「……」

濃厚な匂いがまだ残るベッドの中でまどろむ目をしながらガロアは伸ばされた手を握った。

 

(ん?今日は寝る?今日『は』?それってつまり…)

頭が冴え渡りぎんぎんのセレンの横で身体をほんわかと温かくしながら眠りに入ろうとするガロアは、あの戦場で思った通りにセレンを思い切り抱き寄せた。

 

(んんんん!?寝るんじゃなかったのか!?)

 

「……」

 

(あ。寝た…。勝手な奴だ…)

大きくなった身体で包むように体を曲げてそのまま寝息を立て始めた。

大きくなってもまだ子供だと、と言ったが自分に抱き着きながら安らかに寝息を立てる姿は本当に子供そのものだ。

熱くなっては邪魔されて、熱くなっては肩透かしされてと繰り返されたが、今、目の前で汚いことは何も知らない子供のように眠るガロアにどうする気はもう起きない。

そういえば甘い物食べたのにまだ歯を磨いていない、磨かなくては、と思いながらも絶妙な温かさに逆らえずにセレンもそのまま眠りに落ちてしまった。

 

 

 

リリウムはぜひお礼が言いたいと思っていた。ウィンは「年上の女性への言葉遣いとは思えん、あんな奴」とぷりぷり怒っていたが助けられたことは間違いない。

とりあえず食事にでも誘おう。こっちに来てから一人で食事することが多かったリリウムは意を決してノックをした。

 

「………」

 

「おはよ…う…ございます…」

いつも寝癖の様な髪だがさらに輪をかけて髪はぐちゃぐちゃで、目は4分の3が閉じている。

寝違えたのだろうか、首元を押えており、少なくとも上機嫌とは言えない顔で50cm上からリリウムを見下ろしている。

よくよく考えてみれば自分でさえベッドに入れたのが2時を回っていたのだ。

下手するとまだ4時間も寝ていないのかもしれない。

 

「……おはよう。何か用か?」

 

「いえ…一緒にお食事でも…」

 

「食堂に?」

 

「はい」

 

「………。もう朝か…」

 

「……」

やはり寝不足のようだ。

ちらりとガロアの後ろを見るとセレンもまだ眠っている。

 

「……待っててくれないか」

 

「!は、はい!」

ぐぅ、と腹の虫が鳴く音が聞こえて灰色の目が少し大きく開いた。

ぱたんと扉が閉められて五分後、やはりまだ眠そうなセレンの手を引いたガロアが出てきたのであった。

 

 

 

 

襟の高い服を着て首に付いた跡を隠したガロアは両手に料理を持ちながら立ち止まっていた。

食事を置かせてくれ、と言う隙も無い程オッツダルヴァが優しく声をかけてくるのだ。

 

「ちゃんと食事はとっているか?」

 

「食べているだろ」

両手に計4皿ある料理を見せるように動かす。

が、全くオッツダルヴァの目には入っていないようだ。

 

「野菜もバランスよく食べないと大きくなれないぞ」

 

「大きくなったよもう」

オッツダルヴァも身長で言えば十分兵士としては問題ない部類だが、それでもなお大男と化したガロアとは15cmも差がある。

何をどう見て大きくなれないなどと言えるのか。

 

「何か悩みはあるか?」

 

「腹が減った」

 

「うむ…そうか。ラインアークの食糧事情は未だに改善されたとは言い難いからな…」

 

「…………」

もう無視して席につこうかな、と既にセレンとリリウムが座って食事をしている方を見ているとずっと黙っていたメルツェルが口を開いた。

 

「オッツダルヴァ」

 

「ああ…。その、なんだ。ガロア」

 

「なんだ」

 

「兄さんは折り入ってお前に頼みがあるんだが」

 

「……」

オッツダルヴァはどうやら自分が生まれる前から知っていたらしいがガロアはそんなことこれっぽっちも知らない。

それなのにいきなり兄さん兄さん、と言われても困惑しかできない。セレンにお姉ちゃんと言っておいてなんだが。

 

「昨日お前が連れてきたリザイアだが…何も話さないのだ」

 

「言葉が出やすくなるように歯の一本や二本でも抜いてやればいいだろ」

 

「ラインアークではそういう事は出来ないらしい」

 

(そんな甘っちょろい考えだから…負けてばかりなんだろ…)

ラインアークは骨の髄まで甘い。あのアナトリアの傭兵もその空気にやられてしまったのだろうか。

それとも奴がラインアークを変えたのだろうか。

 

「ついては…お前に尋問してもらいたい。本人もそれを希望している」

 

「は!?嫌だよ!オーメルにいてしかもトップだったんだから、自分で聞けばいいじゃんか!」

 

「いや…その…」

 

「?」

 

「私は…その…誰ともほとんど話さなかったから。それに…あの女少し怖い」

俯きながらぼそっと漏らした我らがリーダーの情けない言葉にメルツェルは表情を変えずに心で泣いた。

 

「俺なんてまだ喋れるようになって3か月だぞ!」

 

「大丈夫、ここに聞いてほしいことはリストアップしてきたから」

 

「じゃあもう自分で聞けよ!」

質問をリストアップした紙と端末を懐から出して下手くそな笑顔を見せるオッツダルヴァにキレ気味のガロアだがメルツェルは何も言わない。

 

「頼む…」

 

「……」

 

「頼む…」

 

「……………はぁ…もう…分かった…」

その場に食事を置いて端末を受け取り、席に着く。

 

「本当か!?そうだ…今度…うむむ…」

 

「いや…いい…何もしなくていいから…」

何か何か、と言っておろおろするオッツダルヴァをメルツェルに任せて追っ払う。

 

「ああ……もおおおおおおおおおおお!!」

渦潮の如き勢いで食事を吸い込んで食堂から出て行ってしまうガロアをセレンとリリウムは何事かと見た後、目を合わせてそっと後ろからついて行った。

 

 

 

扉を開けて頭を下げながら入った部屋では昨日コアから引っ張り出したままの姿のリザイアが座って食事を終えた食器の前でコーヒーを飲んでいた。

少なくとも髪を全部刈られ顔が青く腫れあがっていてもおかしくないだろうと思っていたのに、鍵が外にある部屋に入れられている以外は実に優雅に過ごしている。

 

「こんにちはガロア君。また大きくなったわね。バスケット選手みたい」

肩まで伸ばしたダークブラウンの髪にかかる黒メガネが知的な雰囲気を醸し出しており、

レンズの下のユダヤ系の茶色い目が穏やかな視線を投げかけてくる。歳で言えばフィオナと同じくらいだろうか。

 

(……?どっかで会ったことあるかなぁ…)

話したことがないだけで何十回もすれ違っているが、それを一方的に記憶しているのはリザイアのみでガロアは疑問符を浮かべていく。

少なくともこんな目で見られるような仲の人では無い。はずだ。

 

「ガロア君が取り調べしてくれるの?」

 

「……。あんたが呼んだんだろ」

机を挟んだ椅子に座るとずいっと顔を寄せてきた。

反射的に引いてしまう。

 

「悪鬼だとかオーメルの仲介人に暴力をふるったとか言われているけど…ふーん…」

 

「……」

悪鬼はともかくとして後者は事実だ。

もしかして昨日の作戦もあの仲介人がリンクス達に運んでいったのだろうか。

彼だけが悪いのではないのだろうが、一発ぶん殴っておけば良かった。

 

「中々の美少年ね、やっぱり。まぁそっちはどうでもいいんだけど」

 

「そっち…?どうでもいい?」

なんのこっちゃ、と思ったがガロアはその時何かを感じ取って髪の先がピリピリと動いたかのような気がした。

 

「んー…うん。こうしない?ちゃんと質問に答えてあげるから…」

 

「は?」

 

「一回質問するごとにガロア君も私の質問に答えて?」

 

「…………。いいよ」

張り倒しても怒鳴ってもいけない中でどうやって情報を絞り出すか、と考えていたところにこの提案だ。

何を聞かれるか分からないが、正しく答えろとは言われていないので適当に答えればいいや、と思いその提案を引き受ける。

そんな会話が繰り広げられる部屋をそっと覗く二つの影があった。

 

 

(リザイア様とガロア様はお知り合いなのですか?)

 

(わ…分からん…?)

ほんのちょっと開いた扉の隙間から髪が触れ合う距離で中を覗くリリウムとセレンだが、特にセレンは困惑していた。

あんなに親し気に話すような女性が知り合いにいたのだろうか。もしかして情報を聞き出すというのは口実で、会うために連れてきたのではないかと。

 

 

 

「本名は何ていうんだ」

 

「キアラン・マルチネスよ。ガロア君の名前は本名なの?」

 

「……そうだ(本当)。出身は?」

 

「ヨハネスブルグ。ガロア君はアルメニア出身なのにロシア育ちなんだっけ?」

 

「…そうだ(本当)。歳は?」

なんで知っているんだこいつ、とちょっと表情に出たが角度が悪くリリウムとセレンにその顔は見えない。

 

「29よ。まだ若く見える?ガロア君の好きな食べ物は?」

 

「ヴェニソン(本当)。アンサラー計画ってのはなんだ」

 

「今そんなの食べられるところあるの?」

 

「さっさと答えろ」

 

「そうね…。アームズフォートの弱点って分かるかしら」

 

「……。的がデカくて近づかれたらどうしようもないことか」

 

「流石何度もジャイアントキリングをしただけあるわ。その通り。その弱点を克服しようとしたのがアンサラーと呼ばれるアームズフォートよ。全部は知らないけど…」

 

「もっと話せ」

 

「その前に…。ガロア君の好みのタイプは?」

 

「……分かりにくい人かな(大嘘)」

 

 

 

(なんだと……)

 

(…セレン様じゃ…ない?)

しれっと真逆の事を言ったガロアだが、リリウムはともかく、自分は結構単純だと最近は自覚しているセレンはショックを受けていた。

 

 

 

「あら……それは悪くないわ」

 

「さっさと続きを話せ」

 

「うーん…。浮くのよ。それでアサルトアーマーもついてる。あとは…形を知っているってくらいかしら」

 

「浮く?アサルトアーマー…?ふーん…。じゃあ形をこの紙に描け」

 

「待って。好きな人はいる?」

 

「いる(本当)」

 

 

(誰だ!!?)

 

(分かりにくい人って誰ですか!?)

 

 

「どんな人?」

 

「いいからさっさと描け」

 

 

(いいから誰か言ってくれ!)

 

(誰ですか!?)

 

 

「こんな感じ…だったかしら。展開するらしいけど、その形がどうなるか分からないわ」

 

「………。お前…絵が下手だなぁ……うーん……下手だ……」

知的な見た目に似合わず、くるくるとした可愛らしい絵を描いたのはいいとして、

どう見ても兵器には見えない。店先に置き忘れた傘のような見た目だが、これがアームズフォートとはどういうことなのか。

 

「失礼ね。で、どんな人か教えてくれない?」

 

「金髪で黒目の東洋人(大嘘)」

 

「えっ!?」

 

 

(く、黒髪が好きなんじゃ…)

 

(金髪…)

そんな知り合いがいたのだろうか、と調べ上げた交友関係を思い返すリザイアを見ながら大ショックを受けるセレンと、

自分のも金髪に入れていいのだろうか、と思うリリウム。これが全て大嘘だとは夢にも思っていなかった。

 

 

「今企業ではどういう計画を立てている?知っていることは全部話せ」

 

「あくまでオーメルのことしか知らないけど…そうね…。これは貴方達が襲撃する前からだけど…クレイドルを全体的に改装していたわ」

 

「?どんな?」

 

「そこまでは知らないわ。ねぇガロア君。シャツで隠れた首元…見せてくれない?」

 

「!!」

 

 

(!!)

 

(?)

質問の意味が分からないリリウムだがセレンとガロアは顔を一気に赤くする。

 

 

(なんだこの女…)

これでは嘘を吐くわけにもいかず、ねっとりとした視線を向けてくるリザイアの目を見ないように顔を背けながら襟を開いた。

それにしてもさっきから距離が近い。馴れ馴れしい。

 

「へぇ……」

 

「………他には!?」

昨日の今日でまだくっきりと残る跡を鼻息がかかるような距離でガロアを見てくるリザイア。

その距離感にセレンは飛び込みたい衝動に駆られるが努めて抑える。

 

「うーん…。後は企業がコロニーに無差別に攻撃を仕掛ける貴方達に怒っているってことかしらね。全体的な意見は置いといても、そんな暴力集団に民衆は任せられないって。為政者がなんだろうと興味ないけどその点は賛成ね」

 

「……?知らねえぞそんなの。そんな余裕が俺たちにあると思うか」

 

「でも自爆兵器とかで実際にもうかなり被害が出ているけど?ガロア君たちも一枚岩じゃないんじゃないの?」

 

(…互いに銃を撃ち合っていると思ってちゃ話し合いが纏まらないのも当たり前か…)

しかし誰が何の為に?ORCAやラインアークがそんな行動をする理由はない。長引けば総戦力で劣っているこちらが不利なのは明白だし、そんなところに戦力を回す余裕がない。

だが企業の過激派や、そういった思想を持つ者達が独断で動いたとして何の得があるのか。

戦争で経済は潤うとしても、既にこれは経済戦争では無い。そんなことをして民からの信頼を完全に失えばいよいよ終わりだ。

地球に未だうようよと犇めくテロリスト達の仕業だとしても、民を狙う理由は?こんなに世界が激しく動いている今、テロを起こしても意味が薄い。

争う二大勢力が互いになすり付け合い、戦いが長引くだけだ。

 

(……!全くの第三勢力?)

この目的意識が完全に別のところにある様な行動に、既存の敵からは超えた思惑を感じる。

だがやはり分からない。そうだとしても、名乗りをあげなければ、この女が言うように相手の仕業だと思うのが大半だろう。ただ戦いが熾烈に長引くだけだ。

戦いが長引いたとしてどうなる?ガロアの思考が、新たな視点を得て頭の中にあるあらゆる点を線で繋ごうとしたとき、リザイアが口を開いた。

 

「女性経験はある?いや…。女性を抱いたことはある?」

 

「…は?あ…ある(嘘)」

あまりにも話題が変わり過ぎて少し反応が遅れてしまった。

あんな物を見せた以上無いと言えばまた変なことを聞かれそうだと嘘を吐くが。

 

 

(そんな馬鹿な!?)

外の二人に大打撃を与えていた。

 

(えっ!?)

ガチョン、と分かりやすいくらいショックを受けているセレンを見て更にリリウムは驚く。

相手がセレンじゃないという事はつまりどういうことなのだろうか、とリリウムが考えているうちに話は進んでいく。

 

 

 

 

「経験豊富なのはいい事だわ」

 

「……他には?」

 

「そうね…知っているわ」

 

「……?何を?」

 

「あなたの心の中の………そうね………獣」

 

「!!」

ぶわっ、と女から広がったその気にガロアは思わず椅子を引いて構えを取った。

その姿にガロアはかつてどす黒い怒りと狂気に飲みこまれていった幼い自分の姿を見た。

セレンと出会う前の自分だった。

 

「届くのよ。ちりちりと…まぁ、あなたに比べたら小さいから…その点は魅力的な雌では無いかもね」

 

「なんの話をしている…」

一晩経って潮が引くように忘れかけていた熱が身体の中に一気に戻ってくる。

何の話を、と言ったがガロアにはもう予想が付いていた。

 

「でも…人間社会のはぐれもの同士…舐め合うのもいいでしょう?」

 

「獣みたいにか、ふざけるな」

アナトリアの傭兵の前でなんとか抑え込んた物が身体の奥から出てこようとしてくる。

握りしめていた机の端にひびが入った。

 

「ほら出た。完全に消しているつもりでも、分かる人には分かるのよ。極上の雄を見つけた獣の雌はどうすると思う?人が作り出した理性がなかったら…」

 

「……俺は嘘を吐いた。女を抱いたことなど無い」

その言葉に外の二人はほっとしていたが、リザイアはその言葉を聞いてにんまりと笑った。

まだ10代のガロアには決してできないであろう歪んだ笑みだった。

 

「関係ないわ。五万年くらい前ならあなたは凄まじくモテたわ。なぜならあなたは他の雄が集団で四苦八苦する獲物を一人で狩れるから。毎日毎日取っ替え引っ替えくんずほぐれつ出来たはずよ。本能で選ばれてね」

 

(こいつ…見ているのか…俺の中の……雑魚の癖に)

だが強い弱いなど関係ない。

確かに、あの一瞬で生き死にがどうでもよくなる感覚は生死に直結する強さ弱さなんかどうでもいい。

しかし、今までの相手は雄だっただけで、もしもそれが雌なら…、自分が獣なら…。

 

「あなたのなかの獣…せっかくのそれ、他の普通の雌と、何も持っていないゼロの女と掛け合わせたら次の代で消えちゃうわ。嘘ばっかりの世の中で…」

考え込んでいて気が付くのが遅れた。

人生に待ち受けるいくつかの修羅場を超えてある程度熟した女の、色香る唇がもう目と鼻の先にあった。

 

(あぶねぇ!!)

咄嗟に口の前に掌を差し出すのと、リザイアの唇がそこに付くのは同時だった。

ふうっ、と息を吐こうとしたら、がりっと手に鋭い痛みが走った。

 

「いって!!」

反射的にビンタしてしまっていた。

そこまで力は入れていないのだが、リザイアが吹き飛びそうになったのを痛みの残る手で引いて止める。

リザイアの唇からは血が出ていたが、明らかにそれはガロアの血も混ざっていた。

 

(女に、手ぇあげた…俺より弱い女に)

歯形から血のにじむ左掌を見て冷や汗をかきながら内側の凶暴性が顔を出してくるのを感じる。

それと同時に凄まじい頭痛が走って視界が赤くなった。タイミングは不明だがこれが出ると変に頭が痛くなる。

 

「…別に訴えたりしないわ。さぁ、その次は何?」

頬を赤く腫らしているというのにさも楽しそうに机を乗り出して近寄ってくる。

 

「寄るなッ!!」

その女と自分の間の空間を斬る様に手刀を繰り出すと机がぱっくりと割れて食器や紙などが転げ落ちた。

 

「出たわね……そのまま落ち着いたりしてはダメよ」

 

「それ以上余計なことごたごた言ったらぶっ飛ばすぞ」

胸倉を引っ張って凄むが全くビビっていない。

戦場で相手をすれば絶対に負けないというのに。

仮にもカラードのランク1だったオッツダルヴァがこの女を怖がっていた理由が少し分かった。

 

「…どうぞ」

 

(こんな女がいるのか…。……!)

その時、千切れそうな程に引っ張った服の奥、ブラの紐の近くに小さく紋章の入ったワッペンが見えた。

どこかで見た覚えがある気がする紋章だった。そして同時に、机から落ちた食器から豚肉が零れているのが見えた。

わざわざそれだけ残しているのだ。

 

「お前、何人だ…?……! スペインか!」

 

「……!!」

その紋章はずっと昔いたスペインの異端審問官の紋章で、ユダヤ教イスラム教へ最悪の弾圧をしていた者達の物だった。

しかし、不思議なことにリザイアは豚肉を食べないというユダヤ教の食事規定を守っている。

ユダヤ教は700年前にスペインから追い出されて、市民権を得たのは僅か100年前だ。それでも徐々に力を失っていた国側の苦し紛れの決定に過ぎない。

今まで言った言葉のどこからどこまでが本当か分からなくなってきた。

リザイアはこの時になってようやく慌てた顔をして離れていった。

外の二人はもう全く会話に着いていけていなかった。ガロアが暴力を振るっているようにもリザイアがからかっているようにも見えるしどうしていいかさっぱり分からなかった。

 

「大嘘吐きめ…」

胸倉から手を離した腕に歯を立てる。

つーっ、と赤い血が流れた。

 

「……」

 

「俺は大分無敵だが、見ろ。血が出るしちゃんと死ぬ」

 

「……」

リザイアは黙りこんだままさっきまでの様子が嘘のように何も話さなくなったが、

その顔をまた歪めて笑った。まるでこの状況を楽しんでいるようだ。

 

「口先だけなら無敵か?許せん。翻弄されるだけと思うなよ。座れ」

自分の知る戦いとは別次元の戦いだ。

会話じゃない、質問をするんだったと気分を落ち着けて座る。

リザイアはその顔から気分を逆撫でにするような笑顔は消えていたがそれでも楽しそうだった。

 

「……。特技は?」

 

「料理よ」

ガロアの趣味が料理だというのは調査済みのリザイアはここで合わせてくるが、

それをここで聞くことなのだろうか?と不思議に思っていた。

 

「ふん。最終学歴は?」

 

「UCで臨床心理博士まで」

 

「今までの経歴に嘘偽りはないか?本当に?」

 

「ええ。ガロア君、年上の女性は好き?」

 

「……。年下が好きだ(大嘘)」

 

 

 

(え…え…)

 

(お…同い年はダメですか…)

リリウムの誕生日は五月にあるので厳密には年上に入るのだが、それでも二人はショックを受ける。

 

 

 

「ふーむ…。おお!おめでとう!!」

 

「え?」

 

「食堂の料理人が募集中だったから申し込んでおいたぞ!」

ラインアークのホテルの食堂の料理人募集の旨が書いてあるページを端末に映してリザイアに見せる。

本当は申し込んでなどいないが、オッツダルヴァにリザイアを食堂で働かせるようにしてくれとメールを送ったら二秒で返信が返ってきてその通りになった。

オーメルのリンクス・リザイアは死に、ラインアークのコック・リザイア誕生である。

 

「え?え?」

 

「月給21コーム。頑張ってくれ。それじゃ」

 

「え?え?え?」

相当な食わせ物であり、ガロアを(リリウムとセレン含む)かなり揺さぶったリザイアだったが、この場はガロアの勝ちのようだった。

状況が理解できずにリザイアは頓狂な声をあげるが、ガロアは気にせずに席を立ってしまう。

 

 

(やばい!出てくる!)

 

(お、押さないでください!)

 

 

 

「……?何やってんだ?」

部屋から出たガロアが見たものは廊下の床で絡み合うようにして抱き合うセレンとリリウムだった。

 

「あ、いや…」

 

「ガロア様、その…金髪で黒目の東洋人なんて…」

 

「ああ?見ていたのか?」

 

「う」

ぎくっとした表情を隠す事もしないセレンを見てガロアは誤解が生まれていることを察する。

 

「嘘だ、ほとんど嘘しか言っていない。俺もあの女も」

 

「はぁ…?」

 

「曲者の大嘘付きだ。……何がヨハネスブルクだ。…なんなんだあの女…嫌いだ」

そう言ってガロアは二人を置いてリザイアに噛まれた手をさすりながらすたすたと歩き去ってしまった。

残されたリリウムとセレンは相変わらず状況に着いていけずぼけっとしていた。

 

「どういうことですか…?」

 

「分からん…?何も分からん……」

 

一分ほど混乱していたリザイアだったが、まぁいいわと呟いて部屋で再び落ち着きを取り戻して笑ったのを誰も見ていなかった。

結果として捕虜となって働くことになってしまったが、彼女はこの状況を楽しんでいた。

 




サーッ(迫真)
お ま た せ

実際戦闘開始していたらガロアはかなり苦戦していたでしょう。
敵の数もそうですが、闇夜だというのがキツい。
AC4の懐かしのミッションを思いだします。

次の投稿いつになるんだオラァンと気になる方はツイッターをフォローしてくださると嬉しいです。
活動報告だと大仰になってしまって…ついツイッターでぼそぼそ呟くだけで終わってしまいます


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腐敗

日曜日。

やはりセレンの言い付けは守り訓練はしていないガロアはベッドの上に座り退屈な午後をのんびり過ごしていた。

ガロアがどこかに留まって防衛するという事は無く、支援要請が来てから飛んでいくという風にされている。

ラインアークのあるソロモン諸島の位置的にもアレフの戦闘スタイル的にもそちらの方がいいとはメルツェルの言葉。

ちなみにもう一人、遊撃手としてORCAからガロアと似た戦闘スタイルの男がいるという。

 

先日、尋問(?)を終えた後オッツダルヴァが何か不便はないか、欲しい物はないか、と言ってきたので本が読みたいと言ったらそのままガロアに手渡していた端末をくれた。

ラインアークにも図書館はあるが、ラインアークの市民権がある訳ではないガロアでは借りられないし、読むためだけに何時間もかけて行くのは嫌だったので重宝している。

電子機器などセレンから渡されたケータイ以外持っていなかったガロアは今もふらふらと見ているのは宗教史だ。

リザイアことキアランはぶつぶつ文句を言いながらも下っ端として忙しく働いている時の表情は悪くなく、

食堂に行くと必ず声をかけてきてくれるが、結局何故彼女がガロアにあんなにも馴れ馴れしいのか少なくともセレンには分かっていなかった。

 

「何を見ているんだ?」

 

「……!」

横から覗いてくるのではなく、セレンはわざわざ端末を持った腕を掻き分けて脚の間に座って端末を見ようとしてきた。

顎の下に柔らかい髪が位置して一気に文字が目に入らなくなる。

 

「なんだ…? 宗教史? お前…」

もしかしてポルノサイトでも見ているのかも、とセレンは思ったがその真逆。

クソくだらない掲示板なんかで時間つぶしでもしているのなら年相応で可愛らしいが、

暇つぶしに宗教の勉強をする18歳っていいのだろうか、と悩むが昔から時間つぶしと言えば父の残した本しかなかったのでガロアの一人での過ごし方と言えばこれくらいしかない。

 

「……セレン」

 

「…ダメか?」

 

「いや」

 

「…うん。だろ。あんまり画面を見過ぎると目が悪くなるぞ」

ぷちっと電源を切って脇に投げたセレンはガロアの腕を自分で自分の首元に回し、実に幸せそうに息をついた。

 

「……」

先日の会話以来、距離感が縮んだ…いや、有り体に言えばものすごくべたべたしてくるようになった。

最早自分が先生なんだとかいった意固地なプライドも無くなってしまったようだ。

セレンもセレンで恋心を自覚しているので、くっついてもガロアが全く嫌がっていないことに気をよくして、

場をわきまえてはいるが二人でいるときはずっと触れ合っているようにしていた。

 

その目はもう自分以外の何もかもを見ていない。

いや、昔からそうだったのかもしれない。

誰かに関わって世話をして、という人生で初めての経験が嬉しくて楽しくて仕方が無かったのだろう。

自分もそうだった。また誰かに関われて嬉しかった。なのに自分は戦いをやめていない。

自分の人生を変えたのはアナトリアの傭兵でも、自分を縛っているのは自分だというのは分かっていた。

じゃあやめてしまえと、そういう訳にはいかない。この手で殺した者達の為にも。

 

 

「ふー…」

効能たっぷりの温泉に浸かる様な表情でセレンはガロアの大きな身体に沈み込んでくる。

 

「……セレン」

 

「……嫌か?」

 

「嫌じゃない」

 

「…うん。だろ」

そう、嫌じゃない。嫌じゃないからこそ困っているのだ。

沈み込むように身体を押し付けてくるのはいいのだが、柔らかい尻たぶが優しくダメな部分を刺激し実にいけない。

どっか違うところを見て気を逸らそうにも波の音しか聞こえ無い中でセレンの体重が圧倒的にリアルすぎる。

 

「何もすることが無いなら抱きしめてくれないか」

 

「…うん」

そのまま言われるがままに脚も腕も内側に丸めて閉じ込めるように抱きしめてしまう。

またセレンが小さくなったなぁ、と自然と思ってから、ああまた背が伸びたのかと気付く。

いつからか急激に背が伸び始めて気が付くと子供と大人が男と女になっていた。

力が欲しい、大きくなりたいとは思っていたが少々大きくなりすぎたんじゃないか。

 

「はぁ…」

 

(暑くないのかな)

海の上で涼しいとは言え本日の室内気温も30度を超えている。

身体は幸せで埋め尽くされたと言わんばかりに幸福色の溜息を吐いているが、じんわり首筋に汗が浮かんでいる。

冷房を付ければいいと思うがもう動く気になれない。ずっとこのままこうしていたかった。

 

「ガロア」

 

「え?」

 

「幸せだ」

 

「…うん」

 

「お前が話せるようになってから…お前がくれた言葉が…私を…。…いろいろあったけど…私にはこれだけでいい」

結局ガロアが自分を女性として好いてくれているのかはセレンはよくわからなかったが、

今はそれでいいと思えた。家族だというのならばこれからもずっと一緒にいてくれるというのだから。

最初から自分には存在せず、未来永劫あり得ないと思っていた普通の幸福がどういうことかいつのまにかそこにあったという気付きと多幸感はいくら舌を回しても語りつくせない。

好きだし、一緒にいてくれるならもうそれでいいやとセレンは思う。

 

「俺も…幸せだ」

セレンの頭にある、言葉にしようのない焦がれた思いがひしひしと伝わってくる。

これから金を持ってどこか遠くに二人で行けたらどれだけ幸せなんだろう。そう思うが。

 

(いたい……)

酷い頭痛と幻覚がガロアを襲ってくる。

まるで幸せなど許さないと、そう言わんばかりだ。

 

あの時、憎いアナトリアの傭兵の前で初めて本音を叫んだ。

勝手な理由で人を散々地獄に叩き込んでおいて何故今更幸せになれるのか。

倒せば自分が正しい存在だと証明されると思い込みたかった。

そんなはずがないのに。

 

(俺には出来ない…)

人は誰でもどこかしら矛盾している。愛ゆえに、あるいは人間らしさゆえに。

それは分かっていてもその矛盾に長い間苦しんできたというのに、さらに自分で矛盾を作り出すことなど出来ない。

ここでセレンを連れてどこかへ逃げれば、もうそこで自分を支えてきた圧倒的な我が壊れてしまうというのは考えなくても分かる。

考えすぎだとかセレンは言うんだろうが、そういう風に出来ているのだから仕方が無い。間違っているのはもういい。いつか裁きは来るものだとして。

それまでは自分が行くべきと信じた道を行かなければならない。甘い堕落の道では無く、困難溢れる修羅の道を。だから。

 

「セレン」

 

「なんだ」

 

「……いつか…セレンがもっと幸せになれる世界が来る」

 

「…? なんだかお前らしくないことを言うな」

 

「え?」

 

「具体的じゃない。そんな事を言う様な奴だったかな…お前は」

顎の下におさまっていたセレンの首がゆっくり回ってこっちを見てくる。

青い目に透かされて心の内が全て見られているような気分になってしまう。

 

「……」

 

「首の跡が消えているな」

 

「……」

気が付けば目線が下がって自分の首元を見ながらそんなことを言っていた。

からかわれているとは分かっても思考が速度を落としていく。

 

「……もう一度…」

 

「恥ずかしいからダメだっ」

もはや隠そうともせずこれからの行動を口にしながら首元に唇を近づけてきたセレンの顔を押しのける。

何か少しでも違っていたらこの人がこんな…情熱的な愛情表現をしてくる人だとは知らないままだっただろう。

じゃあもしかしたら、自分以外の男とこうしていた未来があるのかも?と考えたら心がちくちくと痛んだ。

 

「ほー…お前でも恥ずかしいという感情があるのかね」

 

「あるに決まっている」

というよりもその跡を隠しもせずに歩いた時の周りの反応を考えると面倒極まりない、という理由の方が大きい。

だがそれも言い訳と言えば言い訳で。

 

「嫌なのか?」

 

「嫌…じゃない、けど…」

 

「そうだろう?」

 

「うぁっ!」

結局過程はどうあれ首に噛みつかれた。

最近はもう、ついやってしまっただとか無意識にでは無く、分かっていながらからかうように多彩な性的アピールをしてくる。

これもこうならなければ分からなかったことだが、セレンには猫の様な噛み癖があり事あるごとに身体の節々を甘噛みしてくる。

 

「……ふふ…真っ赤だ。外で運動している割には肌が白いから…良く目立つぞ」

 

「……」

口付けていた場所をそっと指で触ると楕円形にぬるりとしている。

襟の高いシャツを着ても見え隠れするかもしれない。しゃくれた犬のように肩をいからせながら首を引っ込めていくしかない。

 

「……またあのお菓子が食べたくなったなぁ」

 

「…え?…え!?」

唐突過ぎる話題変換、面舵180度といった感じで関連性が全くない言葉を口にした。

 

「お前が作ってくれた奴。また食べたい」

 

「…あ、…うん。食べたいなら…作るけど…」

それは構わないのだが、のしかかりながら鼻先10cmの距離で言う様な事なのだろうか。

 

「じゃあ作ってくれ」

 

「…材料がないから…買ってくる」

 

「楽しみに待っていよう」

 

「……」

先日の会話でそんなに心境に変化があったのか。

それがいい事なのか悪いことなのかはいったん置いておいて、かなり自分をからかうようになっているのは何故だ。

襲わないと思っているからでは無く、それでも良いと思っているからに違いない。

そうなったらそうなったでいいし、そうでなくても一々反応する自分を見るのがさぞ楽しいのだろう。

セレンは単純なのに底意地が悪いところがあるし、今までも言葉巧み(?)に気が付けば変な状況になっていることがよくあった気がする。

この辺はやはり自分より長く生きているし、ちゃんと生まれた時から喋ることが出来たことによる差なのだろうか。そうじゃないとは思うがよく分からない。

 

フードを羽織って頭を掻きながら大きな身体を屈めて外に出て行ったガロアの背中を見送ったセレンは一人静かにふきだして笑った。

 

「……」

努めて表情を変えないようにしながら灰色の目を白黒させている様は大きくなっても可愛らしい。

小さい頃からそういうぽかんとするときの顔と寝顔は変わらない。

 

「……はぁ…。ずっと…何か……悩んでいるよな……一人で……。私には話せないことなのか…」

なし崩し的に行為に及ぶのも別にいいが、少ないとは言っても昔より豊かになった表情からは分かるのだ。

何かをずっと思い悩んでいる。自分には言えないのか、自分だから言えないのかは分からないが。

 

「………そのうち…分かる日が来るのかな…思いも…悩みも…」

それに今はからかっているだけで面白いが、やはりそういう事をするのならばちゃんと好意を確認したい…が、それが実に難しい。

聞いても当然普通に好きだと返ってくるのだろうが…聞けば聞くほど馬鹿を見るのは目に見えている。

よくよく他の人への話し方などを観察しても明らかに自分だけ扱いが違うがそれがどうしてなのかとなると理由をガロアはちゃんと説明してくれるのだろうか。いや、出来るのだろうか。

分かってはいるが、ガロアはどうしようもなくお子様だから。

 

しかし、結局家族と言われても色々な形があるわけだ。

やっぱり具体的にどういうポジションがいいかと問われれば…………などと一人顔を赤くしていたが、ふと悪い予感がして考える前にベッドから飛び退いていた。

 

(誰か来る…誰だ!?)

複数の足音…恐らくは男の物が扉の前で止まった。

その響きには隠しようもない害意が溢れている。

 

(……なんだこいつら)

どやどやと遠慮なく踏み込んでくる数人の男たちは皆下卑た笑みを浮かべている。

 

「騒ぐんじゃねえぞ」

 

(そう言えば鍵をかけていなかったな)

普通は恐怖で言葉も出ない場面なのだろうが、全員間合いに入っていながら隙だらけという時点でセレンに恐怖は微塵もなかった。

こんな男たちよりも怖い存在などいくらでも知っているのだ。

 

「よぉあんた」

 

「……」

 

「ガロア・A・ヴェデットの女だな?一緒に来てもらうぞ」

 

「…!」

全員倒すのは訳ないが、部屋をこいつらの汚らしい血で汚すのは嫌だなと思っていたセレンはその言葉を聞いて素直について行くことにした。

 

 

 

 

 

ビニール袋を長い人差し指にぶら下げながらガロアは考えていた。

ずっと前から頭の中でちらりと浮かんでは消えていた考えだが最近は追い出そうとしても居座り続ける。

アナトリアの傭兵が正義の体現者とされることで自分が悪だと決めつけられているように思ってしまい、その頭の中の妄想を消し去るためにひたすら身体を鍛え続けて戦いとうとう打ち勝ったというのに。

自分は悪であるという考えが全く頭から消えないのは何故か。

 

(多分…殺した分だけ守った数も多いんだろうよ…知っている。コロニーアナトリアを守るために戦っていたんだ)

自分にはない。殺して守ったのはちっぽけな自分のみ。

自分が自分の為だけに、動物を殺すように人を殺してきた。

あの日対峙して以来、消えようとしてくれない。

自分は悪なのではないか。生まれながらに死をばら撒く生き物だったのではないか。

 

セレンが自分を好いてくれている。自分もセレンが好きだ。

普通の人間ならそれでいいのだろう。それが一番の幸せなのだろう。

 

(俺にそんな権利があるのか?)

散々殺しておいて自分だけ幸せに生きるという権利があるのか。

後悔するならどこから?どこで悔いが?

物心ついたときから殺す事にためらいなど一片も無かった人間なのに。

この手で人を愛せるだろうか。

 

(……なんでかな…俺が…)

自分が愛した人間は皆死んでいく。温かい家庭を作れたのであろう本当の両親の命ですらも生まれた日に消えている。

唯一生き残っているロランでさえ間違いなくまともな人生を送っていないのは一目瞭然だ。

お前のせいじゃない、とセレンは言うのだろうが小さな頃からそれがガロアの現実だったのだからもう変えられない。

どれだけ大きくなってもどれだけ身体を鍛えても心の弱い部分は全く変わらない。

真実に辿りつけるほど賢くても、真実を受け入れられるほど強くはなかった。

 

(…! 鍵をかけていなかったか)

首の跡を隠す事に気を取られて鍵をかけ忘れていたらしい。

それだけのことであり、取られて困る様な貴重品があるわけでもないのだが、何故だか全身の毛が逆立つような悪寒に襲われたガロアは飛び込むように扉を開く。

 

「……セレン………」

もぬけの殻の部屋はべたつくような湿気とともにうすら寒さすら感じる。

染みついたような害意と嗅いだことの無い妙な臭い。

 

「…!…!!」

久方ぶりに沸き起こった獣染みた第六感に従いガロアはビニール袋を放り出して駆け出した。

 

 

 

ガロア達が住む場所から10分ほど歩いた建造途中の建築物の一室。

部屋の奥で雑に縛られたセレンは男たちに囲まれて立っていた。

 

「すげえ上玉だ」

 

「さっさと始めようぜ?」

 

「待てよ、俺が先だろ」

 

「……」

気遣いが全くない。レディに対して、とかでは無く、逃げないようにする配慮の方だ。

縛られているものの横だけにぐるぐる巻いただけ。縛られるときに潜水する前のように思い切り息を吸い込み肺周りを膨らましたため、一見縛られているが実際は胸に引っかかっているだけだ。

息を吐けばそのまま縄は落ちてしまうだろう。

 

「眉一つ動かさねえとは…大した女だな」

 

「……」

 

「女連れとは羨ましいな? カラード最強の戦士とやらは」

 

「じゃんけんで順番を決めておこうぜ」

 

(犯す順番を決めているのか? 尋問をするんじゃなかったのか? まともに統率すらされていないではないか)

男の言った通り、本当に眉の一つも動かさずに部屋を観察していくが、考えれば考える程、来て損だったかもしれないと思う。

 

「どうせ初物じゃねぇんだから多少使っても構わねえだろ!」

 

「まずは体に聞こうぜ」

 

(…ガロアの事を聞く気配はないな)

芋づる式にガロアに害する組織を引きずり出すつもりでここまで来たのはいいが、人数が増えるわけでもないし、何かを聞き出そうともしない。

何よりも男しかいない。ガロアに恨みがあるのが男しかいないはずがないのに。

 

「いくらで買われたんだ?ん?」

皮膚が固い男の指がセレンの頬をなぞり髪で隠れたこめかみがひくつく。

 

(…気色悪い)

拳銃は没収されているがこんな閉所ならあまり関係ない。

数だけは多いが酒を飲みながらだべっていたり武器を放ってじゃんけんをしていたりと隙だらけだ。

 

「まずはここからだ」

 

何から始める気なのか、そもそも終着点はどこなのかなど知ったことでは無いが、スカートをナイフで裂かれてセレンは表情を変えずに怒りを沸点まで上げた。

 

(殺すか)

 

ドスッ、と奇妙な音が暗い部屋にいる男たちの耳に届いた。

 

「ぶっ!? ぷっ…」

セレンを除くそこにいた誰もが状況を理解できていなかった。

たった今ナイフでスカートを切り裂いていた男の喉ぼとけを潰してセレンの人差し指と中指が深々と刺さっていた。

 

「な…!」

状況を飲み込み始めた男たちが飛びかかろうとした時。

 

頑丈なはずの金属の扉が一気にひしゃげて吹き飛び、哀れにも一人の男を巻き込んで壁際まで吹き飛んだ。

男たちの視線を集めて立つガロアは10分全力で走ってもほとんどかかない汗を顔中にかきながら肩で息をしていた

 

「がああぁあああ゙ああああ!!」

咆哮したガロアが吹き飛んだその扉に体当たりすると、壁と扉に挟まれた男は踏みつぶされた蟻のように圧死し、一気に血が出てきた。

誰かが反応する前に、酒を飲んでいた男からガロアはビンを取り上げてその男の頭で叩き割り、鋭利に尖った凶器と化した瓶で男の顔を抉り飛ばした。

 

「ガロア!?走って…来たのか?」

 

「…セレン……」

わざわざ説明はしないが、ガロアは前もって携帯でセレンの場所を確認してここまで全力で走ってきていたのだ。

だが、その全力疾走だけでは説明できないほどの異常な発汗がガロアに認められた。

 

(…怒って…いる…)

扉の外からの光を灰色の目が剣呑に反射しながら男どもを震え上がらせる。

そういえばガロアが怒ったのを見るのはこれが初めてなんじゃないか。

リンクスになった動機を考えればずっと怒っていたとも言えるし、フィオナといた時もずっとイライラしていたが結局すぐに機嫌は戻っていた。

男にナイフを突きつけられてもまるで恐れなど無かったセレンだが、部屋を埋め尽くし沸騰するような怒気に脊髄を引きずり出されるような根源的な恐怖を感じる。

 

「ガッ、うっ、…ぐぶ…ふはっははは…」

ギチッ、ギチッとどうすれば人間の体から出るのか想像もできないような音がガロアの身体から聞こえてくる。

異常な速度の鼓動が細い体積に詰め込まれていた筋肉に血液を過剰に供給しバンプアップして、ほっそりした見た目からゴツゴツとした筋骨隆々の大男になっていく。

筋肉が赤く膨れ上がっていくその様子は殺気が部屋に広がっていく様と似ていた。

ここまでのどす黒い怒りはガロアの人生で初めてだった。ガロアの理性が消えてなくなってしまった。

 

「おぉ!?ネクストに乗ってねえテメぇなんざっ!! がっ!!?」

ガロアよりも背が高く、贅肉を過剰搭載した男がバールをふりあげながらガロアに近づいた途端、状況が理解できないといった類の悲鳴をあげた。

そして男たちの足元に何かが湿度の高い音を立てながら転がった。

 

「うあああ!?」

 

「ひっ!?」

 

「撒いてやる、海にっ、腑っ」

セレンには遠くてよく見えなかったがそれは先ほどまで眼窩に埋まっていた、血管のついた大男の目玉だった。

ガロアの長い指の第二関節まで大男の眼に突き刺さっており、大男は未だに状況が理解できていない。

 

「ぐっ、うぶぶ…」

目玉が取れたというのに大男は痛みで騒ぐことも許されなかった。

大男の首を締め付けたガロアの左手の指は皮膚に深々と食い込み血が滲んでいる。

150kgはありそうな大男の身体が圧倒的な膂力に逆らうことも出来ずに宙に持ち上げられた。

大男の黒ずんだ爪がガロアの腕を引っ掻いていくが外すことはかなわず、喉が潰され口から血が噴き出た。

もうあの男はダメだ。セレンがそう思った瞬間。

 

ゴッシャァン、と耳をふさぎたくなるような音を立てて壁に叩きつけられた大男の後頭部はかち割れ壁に脳漿が広がった。

残ったもう一方の目玉も飛び出て大男は一瞬で絶命した。生物としての格の違いをまざまざと見せつけられ、日常的に暴力で生きていた男どもの顔が恐怖に染まった。

 

「なんで…俺にっ、俺にかかってこない…お前たちは、お前たちはっ!!」

絶命した大男の頭にガロアがさらにストンピングをするととうとう大男の首から上は無くなってしまった。

飛び散った血以上に赤く染まったガロアの顔、その口から唾液がぱたぱたと垂れていく。

 

セレンは気が付いていた。

ラインアークから帰った日から何かが変わり、むやみやたらに闘うだけの暴力ではなくなっていたことに。

姿を表さないようになっていた獣が完全に抑え込まれ、戦い方までも変わったのだ。

 

セレン本人としてはそれは完全には賛成ではなかった。

下手な優しさを見せて敵兵を逃がしたとしてもまたどこかで彼らは戦って長引くし、下手に手を抜けばさらに遺恨が残る。

徹底して逆らう気も起きないほど叩くのが結果的に一番早いというのは誰でもわかることだ。

 

それでも、ガロアの獣じみた理性の無い部分がなりを潜めて人間らしくなったのはセレンにとってとても嬉しい事だったから何も言えなかった。

だというのに。

 

目覚めてしまった。叩き起こされてしまった。

自分に暴力の魔の手が迫ったことに対し、ガロアの激情と絡み合った獣が引きずり出されてしまったのだ。

 

父がいなくなったことに対し長い間噴き出る怒りが鎮火しなかったガロアだ。

この怒りもある意味当然なのかもしれないが…セレンは自分の軽率な行動を後悔した。

 

 

「なめんな!!」

 

「……!」

銃を構えてガロアに向けようとした男の脚を、しゃがみ込んだセレンは引っ掛けて転ばし、首を踏みつけ絶命させる。

それと同時にガロアも目の前でバットを振り上げた男の頭蓋骨を捻り頸椎との接続を断った。

 

「おおぉ!」

 

「……」

刃渡り30cmはあろうかという大きさのナイフを突き出した男の腕を、ガロアが恐れも無く掴んだのと相手との距離を詰めるのはほんの一瞬だった。

 

「あっ!!? あがっ!!? ああああがががあああ!?」

ごぼごぼと悲鳴に水音が混じるのはガロアが頸動脈を周りの筋肉ごと噛み千切っていたからだった。

夥しい量の出血が部屋を血の臭いで埋めていく。隙というほど大きなものではないが、その光景を見てセレンの動きが止まる。

バイティングなんて教えた事は無い。噛み千切った肉をぐちゃぐちゃと咀嚼するガロアの目は冷静なのが恐ろしかった。

 

「………べっ」

黄色い脂肪と真っ赤な肉を口から吐きだしたガロアは血を流しながらももぞもぞと死から遠ざかろうとする男の頭を踏みつぶした。

 

「ひっ」

すっかり怯えている男の元にガロアが風のように踏みこんでいく。

綺麗な女を好きなようにできる。それだけの日だったはずなのに、まさか今日が命日だとは思ってもいなかった男の腹にカマイタチのような速さでガロアの貫手が二本、突き刺さった。

どちゃどちゃと生々しい音を立てて引っこ抜かれて落ちた臓物の上に男が倒れてピクリとも動かなくなった。

 

 

「野郎!!」

最後に残った男が散弾銃を構える。

 

「そんな飛び道具なんざで俺が殺れるかッッ!!」

ガロアの怒声で男の体がすくんだのをセレンは見逃さなかった。

 

「…! ガロア!」

 

狭い部屋の中で散弾銃の発砲音が鼓膜を激しく叩く。

だが男が放った弾は仲間の死体に穴を増やすだけに終わり、

 

「「…!」」

 

ボギィッッ

 

軸足で勢いを付けて回転したセレンとガロアの回し蹴りを首の両側から受けて、衝撃を逃すことも敵わずに首の骨が粉々になった。

 

「ううう…動くんじゃねえ!」

 

「…!悪あがきを…」

だが全員を倒したと一瞬の油断をつくように先ほど瓶で顔を抉られた男がガロアの後頭部に拳銃を突き付けていた。

ガロアの腰に拳銃があるのを見つけた男の賭けだった。

 

「撃ってみろっ、俺を、俺のっ、脳みそばらかしてみろっ!!」

 

「……!?」

いくら戦力差があっても頭を撃たれれば間違いなく死ぬのに、何を考えているのか。

セレンは動きが一瞬遅れてしまったが、その時間で十分だった。

 

「死ね」

今までもそういう事を何度もやってきたのだろう。

男はトイレのレバーを引くよりも軽くその引き金を引いた。

 

カチッ

 

「!!……?」

 

「え?」

 

「……」

何故か弾は出ることは無く、セレンと男が呆気に取られている数瞬にガロアは男の膝を蹴り砕いた。

 

「ぐがっ、がっ!? テメェ!」

 

「……」

慌てて刃物を突き出した男の腕を両腕を一緒に掴んだガロアは、その場で力を込めて無理やり一回転させる。

両腕を固定されたまま回転が出来るはずなく、ボゴンという音を立てて男の両腕の関節はいとも簡単に外れて壁際に投げられた。

 

「うぐっ、が、いてぇええぇ!! くそ…」

 

「へはっは、なんで…どうしてだ…その気も、ねぇのに、…今まで生き残っちまった…………。…ふぅ…はぁ……。……聞きたいことがある」

何故弾丸が発射されなかったのか、とセレンが聞く前にガロアは壁に持たれて座る形となった男の髪を掴みあげた。

戦いが終り、焼けた鉄板の上の水が蒸発するように、ガロアの身体から赤色が抜けて体温が下がっていった。

急激にガロアは冷静になっていくが、その緩急のかかった負荷に心臓がなんともないわけが無かった。

 

「ううぅ…なんでここが分かった…」

 

「…臭いだ。テメェらみてぇなゴミは腐った臭いがするからすぐわかる。それと」

冷静な声、冷静な顔のままガロアはいきなり男の顔に拳を叩き込んだ。それだけで男のシンナーでがたがたの前歯はほとんど飛んでしまった。

 

「ぐぅっ!!?」

 

「聞きたいことがある、と言った。聞きたいことがあるか?じゃない。低能め」

ちなみにガロアは質問にまともに答えてなどいない。実際はセレンから貰った携帯はお互いに位置が分かるからここまでこれただけなのだ。

 

「さっきのデカブツの言った通り、ネクストから降りたリンクスはただの人間だ。お前が思ったようにリンクスでも鉛玉で頭を掻きまわされりゃ死ぬ」

 

「いてぇ…ちくしょう…」

 

「じゃあなんでネクストに乗っていない俺を襲わなかった?」

 

「決まってんだろ! その女をぐちゃぐちゃに犯してその前でテメェをバラバラにして殺す為だよ!」

やけくそになったのか、男は唾を撒き散らしながら汚物の様な言葉を吐く。

 

「男しか、いないのはどうしてだ」

ガロアの目が怒りで充血していく次にガロアが爆発すれば男はただの肉塊になるというのに。

男の命運も最早これまでだろうか。

 

「……」

セレンは結局のところその理由を分かっているため何も言わない。

男は痛いところ突かれたように、痛みから来るだけのものではない脂汗を流しながら俯く。

 

「て、てめぇがラインアークを…」

 

「違うだろ…そうやって理由を付けて、正当性を得たような気になって…ただセレンを凌辱しようとしただけだ…」

髪を掴んだまま男の頭を何度も壁に打ちつける。一応殺さないようにと加減はしていくがそれでも壁にスタンプを押すように赤色が広がっていく。

そのまま殺す事は簡単なのにあえて嬲っているガロアの姿に何も言えなかったセレンは、ようやく自分が怯えていることに気が付いた。

 

「がっ!! う、う…」

 

「正しいと思える理由があれば何でもできるよな。遠慮なく嬲って踏みにじれるよな………どこにでもいやがる…お前らみたいなゴミは…」

 

「こ、お」

 

「お前たちはどこにいてもどんな理由を持っても変わらねえ、人を踏みにじるだけのゴミだ。ここできっちり処理してやる」

 

「格好つけんじゃねぇ!!」

 

「……?」

 

「いくらでその女買ったんだ!? 羨ましいなぁリンクス様は!? よぉ!! 一つ才能に恵まれただけで殺すも買うも好き放題か!!?」

それが今回の犯罪行為の理由にはなっていないことに男は気が付かずになんとか行動を正当化しようと喚き散らす。

 

「……ふふっ、そうかよ……」

ふーっ、ふーっと弱った獲物を前にした肉食動物のようにガロアの呼吸が荒くなり、顔に浮かぶ血管が蠕動する。

もう見ていられないと、セレンは思った。ガロアの怒りは正しいし、この男たちは生かす価値などない。

それでもこれ以上は色々な意味でまずいと感じたのだ。

 

「女、コラ!いくらでしゃぶっ!!?」

セレンの蹴りを顔面に貰って男の歯はとうとう全て抜けてしまった。

そのまま言葉を続けていればセレンを侮辱するような言葉が延々と出ていたのだろうが、セレンは自分の為ではなくガロアの為にその男を蹴り飛ばしていた。

 

「ガロアは私に千回負けた。だからこそ強い。貴様らのような連中には永遠に分かるまい」

 

「……セレン」

 

「こんなクズの命をお前が背負う必要は無い」

なにより、セレン自身がこれ以上ガロアが獣になっていくのを見るのが怖かった。

武と暴力は行為は同じでも違う。そして力はどうしたって人間には必要だ。

だからこそガロアには徹底的に武を叩き込んできたし、だからこそガロアはホワイトグリントを正面から叩き潰すことが出来た。

だがそれでも、ガロアの心の中、奥深くの闇に巣食う暴力の獣は消せていなかった。

 

「…ああ…」

 

「……」

 

「どうして…こうなる…」

正気に返って辺りを見回すと血にまみれた死体の数々。

口からは食い千切った肉の血が垂れる。ガロアは酷い頭痛に痛む頭ではっきり絶望していた。

世界に押しつぶされないように強さを求めたつもりが、いつの間にか周りを…自分の大切なものをすら巻き込んでしまっていることに。

 

「…?」

 

(なんで……俺の行く場所は…こうなる?)

長い間許せなかった敵を倒しても。ほんの一掴みの幸せを得ても。

自分の行く場所には血と死体。どこまで行っても煙のように纏わりついてくる。

何か悪魔染みた激運が勝手にガロアの命を守って、その代わりに周りが割をくう。

望んだわけでもないというのにガロアの人生は最強の代償にずっと血に塗れていた。

 

 

 

その後駆け付けた警備隊により事態は収拾した。

男たちはラインアークでも札付きの悪人共でどいつもこいつも何も生産せずに奪ってばかりの前科者ばかりだった。

加害者側が死亡8名、重体1名に対し被害者側が少々服が破れて汚れがあったというだけというのは過剰防衛も疑われそうになったが、

加害者がそもそもラインアークでも持て余す悪人であったことと武装していたこともあり、取り調べもそこそこにガロア達は帰れることになった。

生き残った男も目出度く追放が決定した。

 



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暴力は無差別に周りを巻き込む

マグナスとジョシュアは久しぶりに二人でゆっくり時間を過ごしていた。

フィオナの妊娠が発覚したり、ラインアークが危機に追い込まれたりと友とのんびり語らう暇もなかったのだ。

 

もちろん今もそんな場合ではないが、とりあえず差し迫った危機はない。

あくまで何かあればすぐにネクストの元に駆け付けられる場所にある店で、二人は昼間から酒を飲んでいた。

 

フィオナが待っているから5時には帰る、とマグナスが言ったのを聞いてジョシュアは少しだけ笑った。

 

「すっかり、私の方が年をくってしまったな」

ジョシュアはそう言って隣でガブガブと酒を飲むマグナスを見るが、相変わらず20そこそこにしか見えない。

自分の方が年下…というのはこんな事をして、こんな年ならばもう関係ないのかもしれないが、それでも昔はそれなりにハンサムな男だったジョシュアは全く老化しないマグナスを少しだけ羨ましく思った。

 

「……」

またマグナスはグラスを空にした。

見た目に似あわず…だが伝説のレイヴンというイメージには良く合ってマグナスはまさしくうわばみで、タバコも鬼のように吸う。

それでいて健康なのだから羨ましい。

 

「もうすぐだな」

 

「ああ」

 

「気分はどうだ?」

最初は気遣う余裕もなかった。

いざ子供が出来て生まれそう、となったときに撃破されてしまったのだからどうなるのかと思ったがこの調子ならば無事に子供はこの世界に生まれることが出来るだろう。

 

「…昔は…この瞬間だけ生きていればいいと…戦っているときはずっと思っていた。だが今は、俺はなんとしても生きる。そんな意味では…強化人間になって、寿命が縮んだことが残念だ。俺はいつまで子供の成長を見守れるのだろうか」

 

「そう、か。そうだな。…だが、それでいいのだろう」

力それのみに固執すればそれは凄まじく強い。

これから先に生きる何十年もの時間をその瞬間のみに使ってしまおうとするのだから。

しかし、その強さ以外は…あの少年はどうなるのか、とジョシュアは考える。

恋人がいるのは意外だったが。マグナスはあの日からずっとあの少年は変わったと言っているが、そこにマグナス自身の罪の意識があるのかどうかは語ってくれない。

余計な心配をかけて身体に負担をかけない為にフィオナにも話していないのだろう。

 

「……自分がどこの出身かも覚えていないのだろう?」

マグナスが何をどれだけ一人で抱えているかを全て把握する術はない。

ほとんど自分の事を語ることをしてくれないからだ。いつか過去を聞いたら強化人間手術を受けて記憶を失くしたと言っていた。

 

「強化人間手術で失われる物は大きい。人格の破綻、感情の破壊…それに比べれば、俺の記憶喪失などマシな方だ」

 

「……。……! その名前は? 誰が?」

そこまで聞いて初めて気になった。マグナス・バッティ・カーチスという名前はいつから名乗った物なのだろうか。

誰もが知っている伝説の傭兵としての記号だから誰もその由来など気にはしないのだろうが…。

 

「俺が目が覚めた時、研究所が襲撃されていた。なんとか生き残って逃げ伸びたが、その時自分がいた部屋に書いてあったのがその名前だ。結局俺以外は皆死んで…拉致なのか、進んで手術を受けたのかも分からん。今から…30年以上前の話だ」

 

「ふむ」

 

「だが一つ、覚えていることがある。何度も繰り返し聞かされてきたのだろう。言葉を扱うことや、歩くことと同じようにそれは忘れていなかった」

 

「なんだ?」

 

「話していたのは…俺の母か、祖母なのだろう。寝る前に何度も聞かされた記憶が、おぼろげだがある。黒い鳥の話だ」

 

「ふっ。子供を寝かしつけるときに聞かせる話か?」

 

「俺もそう思うがな。……神様は人間を救いたいと思っていた。だから、手を差し伸べた。だがそのたびに、人間の中から邪魔者が現れた。神様の作ろうとする秩序を、壊してしまう者。神様は困惑したらしい。人間は救われることを、望んでいないのかとな」

 

「ますます、子供に聞かせる話だとは思えん。……あれこれ指図されたくない、それだけだろう。お前もレイヴンだったんだから、分かるんじゃないか」

 

「そうかもしれんな。だが神様は人間を救ってあげたかった。だから先に邪魔者を見つけ出して、殺すことにしたんだ。そいつは「黒い鳥」と呼ばれたらしい。何もかもを黒く焼き尽くす、死を告げる鳥。これは、本当の話だと…。ずっと昔の、俺の何代も前の祖母が見た出来事らしい。黒い鳥とは? 神様とは? 考えて思ったのが…地上で蠢く人間たちと全く違う視点を持った存在…」

 

「……」

ジョシュアはツッコむかどうか迷っていた。記憶がないのならば、当然幼い頃から学んだはずの人類の歴史を忘れていても仕方がないからだ。

どう考えてもその話が事実のはずがない。この西暦2200年になるまでにそんな話は……。しかし、黒い鳥という伝承は確かに世界中にある。

だがそれにしても、それを実際に見たという話は初めて聞いた。マグナスの記憶の混濁なのだろうか。やはり深くはツッコまない方がいいのかもしれない。

そう考えていると一人の兵士が駆けこんできた。

 

「失礼します!」

 

「何事だ」

 

その兵士からの短い説明を受けてマグナスはすぐに席を立った。

少しやらなくてはならないことが出来たな、と表情を変えずに呟いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

西に沈む太陽の光を受けて影を落としながらとぼとぼとガロアとセレンは歩いて帰っていた。

 

(俺が…俺がいたから…)

相手がどうであれ、結局自分の存在が理由となっていた。

自分が恨まれているというのは分かっていることだった。それは自分の周りにも及ぶ。

…それも分かっていた。自分ですら、何かが違えばアナトリアの傭兵の守る全てを踏みつぶしていくつもりだったのだから。

ずきずきと頭が痛む。一体何なのだろう。

 

「もう夕方だ…はぁ」

何もしゃべらないガロアの隣でセレンはわざとらしく声を出すが無反応ガロアは無反応。

 

(俺がいたからセレンが襲われた。俺の大切な人は皆…)

結局どうやったってこうなるのかという思いが頭を渦巻く。

戦いからは離れられないし、離れることは出来ない。

 

「もうすぐ夕飯の時間だ。何か食べよう。な?」

 

(セレンの幸せな未来に…………俺は要らないんだろうな)

自虐でもなんでもなく、本当にそう思ってしまう。

いつからか始まった頭痛や幻覚、自分が何かしらの精神疾患や妄想に囚われているのは間違いないだろう。

だがこれは妄想では無い。生まれた日から自分の家族はみんな壊れていなくなった。それはどうしようもなく事実なのだ。

自分にはそれがあればあとはどうでもいいというのに。いつから、どうしてこうなってしまったのだろうか。

 

「先に部屋に戻るのか? いいぞ。そうしよう」

 

(戦いが終わったら…)

今日この手が届く場所でなんとか間に合った。

それでもいつか、かつてそうだったように壊れてしまうのだろうか。

どうしてだろう、いつも自分は戦いの中心にいる。

 

「ガロア!」

 

「!…!? セレン?」

いつの間にか部屋に入っていた。

 

「大丈夫か?」

 

「セレン…どうしてあんなところに行ったんだ」

 

「え?…お前の敵を調べようと思って…わざとついて行ったんだ」

 

「行かないでくれそんなもの」

 

「私があんな奴らに、!」

言葉が終わる前にセレンは抱きしめられていた。

いつかのように熱の籠った抱擁では無く、怖い夢を見た子供が親に縋りつくようだった。

 

「俺は怖かった。俺は心配だった」

 

「な、おい…」

 

「別にいいからそんなのは! 俺は……強くなっただろう? 何が来たって正面から叩き潰せる」

 

「……」

 

「これじゃあ…何の為に強くなったのか…」

奪ってきた。奪われてきた。ガロアの少年時代にはほとんどそれしか無い。シンプルな人生。

だからこそ、今になって奪われることに極端に怯えている。

小さく震える大きな身体を抱き返してセレンは初めてほとんど無敵に見えるガロアが恐れる物の一端に触れたような気がした。

 

「悪かった。もうしないよ」

よかった。元に戻ったとは言いにくいが少なくとも一番危険な精神状態からは脱した。

ガロアの激しい怒りが部屋に広まっていくあの時、その中心のガロアはむしろその怒りに進んで取りこまれようとしているかのようだった。

自分はガロアにそんな風になってほしくない、と思っているときおかしなことに気が付いた。

 

「…………」

 

(……? 何のためにって…ガロアが強くなったのはアナトリアの傭兵を倒す為だろう?)

 

「……」

 

(……! 私が…いるからか?)

ふと浮かんだ考え。それはガロアは自分がそばにいるから戦っているのではないかということ。

ほとんど根拠のない思いつきの割にはそれは実に真実に近かった。女としての冴えわたった勘だった。

 

「セレン、俺は……この世界の誰よりも暴力の理不尽な怖さを知っている。人間がどれだけ進化しても、いざという時の暴力には力で対抗しなければ壊れる、壊されてしまう。自分も、大切な人も」

 

(大切っ……)

今はそんな場合じゃないというのは分かっていても、しっかりと耳元でそう言われて顔が熱くなってくる。

そう言おうと意識して言ったという感じではない。当たり前にそう思っているから出た言葉のようだった。

心の中で当たり前にそう思ってくれているのだと思うと、セレンはもうそれだけで嬉しくてたまらなくなって強く抱き返してしまった。

 

「強くなるから、もっと。俺は強くなるから。セレンの為に」

とうとう口に出してしまったその一言は精神崩壊へと続く道だ。

ガロアが必死に頭を振り絞って出した答えはそれがギリギリだった。

自分がいるから周りまでも巻き込まれる。それでも離れたくはないからそれもなんとか出来るように強くなると。

 

「それって、……」

アナトリアの傭兵とやってることがほとんど同じなんだよ。

そう口には出せない。下手な事を言えば今度は自己嫌悪に苛まれてどうにかなってしまうかもしれない。

どれだけ身体を鍛えても心の弱い部分が確かにガロアの中にある。

 

「俺の周りで、なんでっ……俺を嫌いにならないでくれ」

 

(なにそれっ)

セレンは爆発するように一気に顔が赤くなった。

そんなことで嫌いになるわけが無いし、そもそも自分の身くらい自分で守れる。

それでも、その弱ったガロアのいじらしい言葉はセレンの心の奥のくすぐられたらやばい部分に999ポイントのダメージを与えた。

自分にはガロア以外いない。もしもガロアがいなくなればまた自分が分からなくなってしまう。

そうはっきり自覚しているのにこの自分に依存しきっている言葉。もうはちきれそうだった。

 

「……そんな事無かったから分からなかったけど」

 

「え?」

 

「セレンが男に触れられたりするのが嫌だ」

はうっ、とセレンはよろめいた。

依存、嫉妬、独占欲。

嫌いな人間から受けるのと好きな人間から受けるのとでこれほどまでに感触が違うものは無いだろう。

自分の好きな男からこう言われることはもう一つの女の憧れのような物だ。とうとうセレンははちきれた。

 

「ならない、ならないっ! 嫌いにならない! お前以外に身体を許すことも絶対ない!!」

 

「!」

 

「あ!? く、こっ、そうだ、絶対だ」

最近口を滑らすことが多すぎるのではないか。

ぽかんとした顔で徐々に顔を赤くするガロアを見てさらに顔を赤くする。

言い直そうとしても、簡潔にして率直な自分の本音を今更訂正することは出来ず、する気も起こらずまた言いなおす。

 

「…うん」

 

「……」

抱き着いたまま離れようとしないガロアの体重を支え切れずベッドに腰掛ける。

膝をついて自分の太腿の上に頭を乗せるガロアを見ても変な気持ちにならないのはなんでだろうと思いながら癖毛を撫でて気が付く。

 

(! あ…甘えている?のか? ガロアが?…は、あ…こんなの初めてだ…)

撫でられているガロアの表情は何を考えているかは分からないが、嫌そうな顔はしていない。

少々はにかんでいる…ようにも見えるような気がしなくもない。

 

(…ガロアも初めてなのかも…誰かに甘えるのって)

少なくとも母に甘えるという経験は絶対になかったはずだ。

自分も一人だがガロアも一人。

お互いになくてはならない存在なのだ。

そう考えると同時に母性本能までもがくすぐられてこれまでに無い程愛おしく思える。

 

「よ…よしよし」

 

「!……」

途端にぎこちない動きで上ずった声で頭を撫でてくるセレンのお陰でようやくメチャクチャだったガロアの気分が落ち着いてくる。

 

「大丈夫か?気分は…お、落ち着いたか」

 

「…ああ。飯だっけ…行こうか」

 

「…いや、まだ早いだろう?」

 

「…何?」

さっきとセレンが言っていることがまるで違うが、そんなことというのは結構あって、そういう時は大体言いたいことがあるのだとガロアは知っていた。

 

「甘えたいときは甘えておけ」

無論、セレンとて誰かに甘えた経験などほとんどないが、それでも食事を持ってきてくれるおばさんや歴史の先生など多少は話ができたし、甘えられる大人もいた。後日左遷させられたが。

過去を全て否定したい時期もあったが、自分という存在を受け入れた今になってそういう経験も必要だったのだと言える。

 

「何を馬鹿なことを…行くなら行くぞ」

そっぽを向く瞬間にちらりと見えたガロアは唇を噛みながらつぐんでおり明らかに何かを堪えている。

やっぱり強く大きくなった手前、プライドやら何やらが邪魔しているのだろうとセレンは察する。

 

「いいから。遠慮するな」

立ち上がって1秒もせずに腕を引かれてガロアはセレンの隣に座らせられた。

 

「……」

 

「ほら。おいでガロア」

 

「もう、もういいから」

 

「よくない。私、お前はなんでも出来る奴だと思って、だから…実際そうだから、誰かに甘えたことって全然ないだろ」

 

「……」

 

「甘えない人間って、強い、強いよそりゃ。全部自分の中で片づけられるんだから。でも、私は…お前と会ってから身の周りとかの世話されて…お前は私じゃもうよくわかんないくらい強いけど、甘えない人間って、人間じゃなくなるよ」

 

(甘えるってなんだ? 人間ってなんだ)

そんなクソ弱さをどうして出してもいいなんて言うのだろうか。ほんのちょっとの時間、出してしまっただけでも自分は自己嫌悪と恥で今すぐここから逃げだしてしまいたいのに。

それでもくらくらしてくる。艶やかな唇に大きな胸。こんなに打ちひしがれているときは、柔らかい身体に埋もれて胸いっぱいに幸せな匂いを吸いこみたい。

ガロアは今日爆発した様々な感情と頭痛に耐えきれずくらくらに加えてぼーっとまでしてきてしまった。

 

「だからほら」

知らないことが多すぎる。

本当ならその知らない感情が入るべき場所に強さが代わりに居座っているような感じだったのだ。

 

(……当たり前か)

腕を広げておいでおいでとするセレンの表情は10年以上前に霞が自分にそうしたのと全く同じ顔をしている。

そう言ったら怒るのかな、と思いながら懐かしさと耐えがたい誘惑に負けてガロアは飛び込んでしまった。

やっぱり自分は弱くなっているかも、と思いながら。

 

「……私はそれでもお前よりは大人なんだ」

出会ってからこれまでガロアがセレンを年上として尊重することはあっても甘えたり弱さを見せることなどほとんど皆無だった。

セレンがそのあたり下手くそだったこともあるかもしれないが、ガロアに子供らしさが許されるような人生じゃなかったのが一番いけなかったのだろう。

 

「…ごめん」

 

「家族だっていうなら…家族は守って守られるだけのものでもないだろう? 何かあったら言え」

 

(頭痛いんだ…凄く痛いんだよ…最近ずっとなんだ、戦っているときのほうが楽なんだ……痛ぇ……)

頭の中で蛇がのたうち回っているかのようだった。ずきんずきんと痛んでまともに呼吸も出来ない。

そう言ってしまいたかった。ずっと頭が痛くて痛くてしょうがないと。だがこれだけセレンが自分を心配してくれているからこそ、そう言う訳にはいかない。

そしたらきっとセレンは力づくでも自分を連れて行って戦いをやめさせてしまうだろう。言えない。

 

ガロアの中で起こっている異変にとうとうセレンは気が付け無かった。

ガロアがそれを強い意志で表に出さなかったからというのもあるだろうが、ガロアが素直に甘えてきてくれているのがセレンはひたすら嬉しかったというのもある。

言葉は返ってこないが腕の間に頭を埋めながらガロアは更に力を入れてセレンを抱きしめてくる。

 

(不思議だな…)

同じ抱擁でも身体の底から熱が湧き上がる様なものと安心して息をつくような物があるのかと、この年になってセレンは新しい発見をする。

色々あり過ぎた日曜日だったが、今は非常に時間の流れがゆっくりだ。

夕暮れに橙色に染まる部屋の中でただ触れ合っているこの時間の尊さはどんな宝石も劣る。

 

コンコン

 

「……」

 

「……」

まーた水を差されるのかと二人無言で思いながらもう慣れたという様子でガロアは立ち上がり扉に向かった。

 

扉を開くとそこにいたのは。

 

「久しぶりだな」

 

「帰れ」

いつだってこの世で一番会いたくない男、アナトリアの傭兵ことマグナスだった。

 

「今日は済まなかったな。君たちがここに住んでいることがどうしてあんな連中に漏れたのか…」

 

「テメェのせいじゃねぇんだろ。百歩譲って本当に悪いと思ってんならさっさと消えろ」

セレンが混乱しながらこちらを見ている。当然だろう。この目の前に立つ男がアナトリアの傭兵だという事は話していないし、どんな見た目かも言っていない。

自分と同い年くらいに見える男にどうしてここまできつい言葉を吐いているのかが分からないのだろう。

 

「そうだな。だが以前、妻が危ないところに手を差し伸べてくれたと聞いた」

 

「あんたが外出させなきゃいいんだ。忙しいから帰れ」

今分かったがこの男、前時代最強のリンクス及び伝説のリンクス等という大層な肩書の割には随分小さい。

背丈で言えばセレンよりも低いし、体重も自分より30kgは低いだろう。

拳銃なんかなくてもぶん殴ればそれだけで殺せそうなのに、目の前にいてもイライラはするが殺す気になれないのは何故だろう。

 

「礼と言ってはなんだが…受け取ってくれ」

 

「いらねぇ。失せろ」

菓子折りか何かだろうか、手に持った箱を差し出してくるが心の底から受け取りたくない。

 

「俺にはもう必要無いがこの辺では手に入らないからな。なに、綺麗に洗ってあるから安心してくれ。君たちはまだまだ必要だろう」

 

「あぁ?」

君たち、というのが気になるが、前にも似たようなことを言われて受け取ったのがアレフだったなと思った隙に手渡されていた。

 

「改めて礼を言う。また会おう」

 

「ふざけろ」

神経を悉く逆撫でするその顔を拒否するように扉を閉じると部屋が揺れる程の音が出た。

見えていないのを知っていながらガロアは中指を立てる。

 

「……誰だ?」

 

「くそ…夫婦そろって噛みあわねえったら…」

 

「夫婦?」

夫婦と聞いてセレンの頭の中で候補の消去が始まっていく。

そもそもガロアが誰かの妻に出会ったことなど自分の記憶にある限りでは一回しかない。

そして今の『噛みあわない』という言葉。

 

「……」

 

「え!? あれがアナトリアの傭兵か!!?」

 

「そうだ」

 

「そんな馬鹿な!? お前と変わらない年頃だったぞ!?」

茶髪に緑の目をした普通の背の高さのすっとぼけた顔をした白人、少なくともそうにしか見えなかった。

 

「そうなんだからそうだとしか言えん」

 

「はぁー…?」

意味が分からないという顔をするセレンに説明すらしたくないガロアは窓際の机の上に箱を置いて沈黙する。

 

「これ…何かな。この辺では手に入らない貴重品?なんだろう…」

 

「……」

一応、耳を当ててみるが金属や紙のぶつかる音は聞こえても分かりやすい時限爆弾なんかの音は聞こえたりはしない。

そもそもそんな回りくどい真似をする必要は無いはずだ。

 

「開けてみればいいんじゃないか?」

 

「………仕方ねえ」

意を決して嫌で仕方が無い中でぱかっ、と開けてガロアとセレンは目をひん剥いた。

 

「…これは…」

 

「エロ本…」

恐らくは極上物なのだろう、確かにこの辺ではまず手に入らなそうな過激なエロ本が数冊丁寧に箱の中に収まっていた。

それを手に取り怒りでわななきながら『よく洗った』ってどういうことなんだと考えていると。

 

「こ…れ…は…」

 

「……。…んのや、ろぉ…」

数冊のエロ本に蓋をされて見えなかった部分には、ラインアークのビラに包まれた何かがいくつかあり、

セレンがそれを剥くと中から卑猥な形をしたモノが出てきた。いわゆる大人のおもちゃと呼ばれる物である。

子供がお腹に宿った今でこそもう使わなくなったアナトリアの傭兵秘蔵の猥褻物であった。

 

「……………」

 

「夫婦そろって舐め腐りやがって…」

呆気に取られながらセレンがスイッチを入れると元気にうぃんうぃんと音を立てて動き出した。

わざわざ電池まで新品にしてあるという間違った気の使い方をしていることにセレンもただ絶句するしかなく、ガロアを見ると怒りで歯の根も合わぬほど震えていた。

一日に二回もガロアが怒り心頭になる姿を見るとは、とちょっと間の抜けた事を考えていると手の中で踊る男性器を模した極太の黒い機械が取り上げられた。

 

「ぬぁあああああああああ!!」

建物全体が揺れる程の絶叫をしながらガロアはアナトリアの傭兵から愛の籠ったプレゼントを外にブン投げた。

 

 

その一分ほど前、砂浜。

意外にも暇だったダンとメイはまた泳ぎに来ており、

それじゃガロアとか誘おう、と言ったダンに対して、二人で行こうというメイの言葉に従うがまま平穏な日曜日を砂浜でゆったりと二人で過ごしていたのだ。

 

「…………だから私…ダン君のこと好きよ」

 

「うお…おう。その…メイ、さん」

 

「……メイって呼んで?」

 

「……。メ」

 

ザクザクザクザクッ!!

 

「きゃっ!?」

 

「おおっ!?」

何かが始まり動きだしたと思った瞬間に空から正体不明の物体が降ってきた。

 

「な…なに…?」

 

「こ…こいつは…」

砂浜に突き刺さった複数の物体の中でも音を立てている物を拾い上げるとそれはダンがたまに行くポルノショップなんかで見ては自分には縁が無いだろうな、

と思っていた大人のおもちゃ、しかも途中で枝分かれなんかしちゃっているという特にハイレベルな物だった。

手に取ったそれが元気に動くのと真逆に固まっていると、ダンの顔に一枚の紙が当たった。

 

「……」

そこには海に浮かぶラインアークの写真と共に『新自由都市宣言』と描かれていた。

『いい雰囲気』を邪魔するには最高の一品が空から降り注ぎメイは完全にやる気を無くしダンは呆然としながら呟いた。

 

「自由すぎるだろ……」




普通、自分の身を守るための力を付けるのですが、それが膨れ上がれば上がるほど周りも巻き込むようになります。

ガロアしかり、アナトリアの傭兵しかりです。

自分以外に大切な物がないならそれでもいいのでしょうが……


追記
二話連続投稿しています。
なんかおかしいぞ?となった方は前の話を。


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パルヴァライザー

『ミッションを説明する。準備をしながら聞け』

 

「了解」

いつも通り格納庫で運動をしていたら突然『ネクストに乗れ』とセレンからの電話。

何も無い時は本当に何も無いが、来るときは突然来る。

ミッションの取捨選択の権利がこちらにあったカラード所属の頃との一番の違いはそれだろう。

 

『アルテリアへの補給部隊が襲撃された。急ごしらえの補給ルートだから隙があったのかもしれん』

 

「それで襲撃犯を撃破しろって?」

 

『そうだ。今一つ情報は定かではないが、敵は自律型ネクスト数機らしい』

 

「らしい?それにまだそこにいるのか?」

 

『挙動などを見ていると既存の自律型ネクストと一致しない点が多すぎるらしい。場所については補給部隊がなんとか発信機を取り付けたお陰で位置は分かっている』

 

「外されている可能性は?」

 

『それは無い。一定間隔で動いているからな。見回り型らしい。休憩の必要無い機械ならではだ』

 

「了解。位置情報を」

 

『送った』

 

「よし。出るぞ!」

 

ラインアークを飛び出し、海を越えてまた陸地に入る。

 

暫く指示された方角へと飛んでいるとカラッとした晴天が一転、不気味な濃霧が立ち込める森へと変わっていた。

正確にはネクストの速度ゆえ、天気すらも違う場所へと容易く飛んだという事なのだが。

 

『! 誘われていたか?自律型の癖に…来るぞ!』

 

「…来い」

 

『ジジ……ビビッ』

 

(迅い!!)

反射的に左手と右肘のブレードを起動させて交差させた瞬間に、ギギギギと不協和音を立てて敵とアレフのブレードがぶつかりあっていた。

 

『ピッ。ガガッ…』

 

その機体を見た瞬間に、電話帳を子供が遊びでざーっと捲る様にセレンとガロアの頭の中で過去に知った機体たちの中から類似品の検索が始まった。

赤みがかったボディの所々が青く発光した奇妙な機体に昆虫の様な巨大なカメラアイ。肩に乗ったキャノン砲らしきものも不気味だが、何よりも異質なのがその両腕から直接伸びた青いブレードだろう。

 

『「なんだこいつ…」』

セレンとガロアは全く同じタイミングで全く同じ言葉を全く同じトーンで発していた。

自分達の知る人型兵器、アーマードコアという物から少し世界や次元が違うところにいるような存在が、いきなり目の前にいる。

 

「武器腕ブレードだと、そんなもん…ぐぬぬ…力…負け…する…」

運動性能が上がったはずのアレフですら押し切ろうとするその青いブレードはこの身に受けなくても威力を想像するのは容易い。

きっと鋼鉄ですらチーズのように切り裂くだろう。

 

『ギギッ…』

 

「なめ…んな…!!…!?」

鼻から大量の息を排出し、アレフの動きに合わせてガロアの両腕の筋肉が大きく膨らんだ時、ただならぬ悪寒を感じてガロアは空中でブリッジをするように腰を曲げた。

 

『ジジッ』

僅か10分の1秒後、不明機の背部に搭載されたレーザーキャノンが発射されアレフのコアがあった場所を撃ちぬいた。

 

「……AIだとそんなことも出来んのか」

腕の武器を使いながら背部の武器も使う。そんな事はリンクスの乗るネクストでは絶対にできないし、ノーマルでも強化人間でなければできない。

普段から腕が四本あったり二人乗りならば話はまた別だが、一度に両腕以上に処理のかかる部位を扱うのは無理がある。

 

「くそっ」

次々とノーモーションで放たれるレーザーキャノンを躱しながらマシンガンを放つが、どうにも効果は薄いようだ。

元々牽制用の武器ではあるが、PAがない事を抜きにしてもかなり頑丈らしい。カツカツと削るマシンガンを無視して猛然と両腕のブレードを振りながら飛びかかってきた。

 

(俺に近距離戦で…!)

未だにグレネードとロケットを発射していない。この距離では自分も巻き込まれてしまう…というよりも、近接特化の見た目通り、全く離れようとせずにブレードで攻撃してくる。

上段から振り下ろした左肘のブレードを、また振り上げるようにして、今度は左手のブレードで空を薙ぐが当たらない。

距離感を狂わすフェイントを交えた攻撃だが、コンピューターらしくミリ単位で見切って苛烈に攻撃を仕掛けてくる。

 

『なんてAIだ!お前とやり合うとは!』

 

「進化しているのか…」

迂闊な攻撃をすればカウンターで一撃死の可能性がある。

いったん引いてみようと思うが、異様なほどにぴったりとくっついて離れない。

 

(だが…それでも…AIでも可能な技術か?)

『こんな技術があるなら俺たちは必要か』と思う様な物に遭遇する事が最近多いような気がする。これも科学の進歩だと受け入れるべきなのか?

ほんの数秒の思考だったが敵未確認機はいきなり剣戟を中断して濃霧に包まれた森の中に飛び込んでしまう。

 

『くっ…この霧では熱源探知が出来ん!気を緩めるな…』

 

「面白くなってきたな…機械の癖に」

ロケットとグレネードでここら一帯を焼き払うことも出来るが、無慈悲なAIにその隙に斬られてはたまらない。

だが予想よりもAIが馬鹿なのか、折角隠れていたのに視界の外どころかど真ん中から飛びかかってくる。

 

(バラバラにしてやる!!)

意気込み燃える頭の中で冷静さを保った部分がぽつりとつぶやく。

興ざめだ。最初は驚いたがこんなのに全滅させられたのか?と。

 

そのあくびが出てしまう様な落胆はすぐに悪寒に変わった。

 

「っとぉ…」

 

『ギギッ。ガッ』

 

『ピッ』

間一髪、死角からの一撃を肘のブレードで受け止める。

前言撤回だ。馬鹿などでは無い。まさか二機いたのに一機で様子見していたとは。

いや、恐らくは二機目が到着したから森の中へと姿を隠したのだろう。

 

「二機いやがったのか…上等だ」

両手足合わせて一回で四連斬を叩き込める。

この前は言葉で脅して敵を帰してしまったが、四機を相手にしようとした自信は伊達では無い。

シミュレーションでも限度の四機を相手に毎日特訓をしていたのだ。

 

『違う!!』

 

「!!」

更に後ろから二機飛びかかってきたのを曲芸師そこのけの動きで躱して、最後にもう一機、正面からの斬撃を受け止める。

 

「五機………野郎!!」

冷や汗がたらりと垂れてくる。一機だけでも並のネクストよりも強い。

もちろん数機相手にすることが不利なのは間違いないが、一番不利なのは全員近接特化型の装備だということだ。

多対一の状況になって囲まれた場合の戦法はまず第一に各々の攻撃速度を分析することだ。

全員同時に攻撃しても、例えばレーザーライフルとロケットならばレーザーライフルの方が速いから順々に避けていけばいい。

だがこれでは同時に出された攻撃は全て同じ速さになってしまう。

 

『ギギギ…オモ…シロイ……』

 

「ああ!?」

喋った、と思った瞬間、鍔迫り合いしていた相手のブレードから光が発射されていきなり大ダメージを負っていた。

 

「ぐふっ…」

喀血はしなかったが、横隔膜がせり上がり、呼吸が出来なくなる。

咳き込んで粘つく唾を吐きながら後ろに下がる。

 

『光波…!? ガロア、大丈夫か!?』

 

「ぐうぅ…大丈夫…」

PAが一発で吹き飛びAPも4割ほど持っていかれた。

それ自体も懸念すべき事だが。

 

(いってぇ…メチャクチャいてぇ…)

声に出せばセレンにいらない心配をかけそうなので黙っているが、コアに当たった斬撃波がそのまま胸を袈裟斬りにされたような痛みが走った。

まだ痛みは引かず、刃物で斬られたときの独特の熱さが胸部を襲っている。

フィードバックもすごい、とアブは言っていたが本当に凄まじい。だがこの感覚の鋭さがなければ後ろからの攻撃は避けられなかった。

長所は見事だが短所は酷いの一言だ。身を粉にして働きなさいとはよく言ったものだ。このままでは本当に粉々になる。

 

「また森に…」

まるで一斉に指示を受けたかのように、ネクストのオーバードブーストと大差ない速度で全機森に引っ込んでいってしまった。

 

『今そっちに増援が向かっている!くそっ…なんだこいつら!?どこ製だ!?』

BFFグループ及びオーメルグループの可能性は非常に薄い。王小龍はこんな機体については何も言っていなかったしリザイアもあそこでこんな機体を隠し立てする理由はないだろう。

となるとインテリオルグループのトーラスの変態達が作ったか。

 

「まずいな…」

相手は機械なのだ。仲間ごと斬る事に対しては何の躊躇もないだろう。

四機に対応しているときに味方ごと斬られたら一気に死亡だ。

せめて武装がバラバラならそれぞれ対応の仕方も違うから良かったものの、『五機全て』が同じ装備というのはかなりマズイ。同じ速度で一度に突撃されたら何かを食らう羽目になる。

 

『来た!!』

 

「うおっとぉ!!」

森から飛び出した一機が光波を飛ばした隙に一気に別の二機が飛びかかってくる。機械だけあって合図も無しにコンビネーションが完璧すぎる。

どうやらあの機体以外は光波は出せないようだが、他の機体の斬撃を受け止めて隙を晒すわけにはいかない。

 

「引き撃ちしかねぇのか」

射撃は苦手なうえ、引きながら撃つなんていう戦法も得意では無い。

これだけ速い相手に鈍いグレネードが当たるだろうか、と思いながらも全ての機体が視界に入る様に動き発射する。

 

『当たった!よし!』

ロックオンに合わせて放った平凡その物の一撃はしかし、直撃して敵機を焦がす。

グレネードを撃った衝撃は肩に残りっぱなしだ。あまりグレネードやロケットを撃ちすぎると後日肩こり・筋肉痛になるかもしれない。

 

(クイックブーストはしない…AIなら当たり前か…あの変態球がおかしかったんだ)

AMSによる人間の脳みそからの演算補助がなくては本来成しえないのだ。

現に一番最初に戦場で戦った粗製そのもののリンクスはクイックブーストすらまともに出来ていなかった。

 

「!? なんだ?」

勝機はある、と砂一粒ほどの油断が混じった時、奇妙な光景を目にする。

唯一光波を出す正体不明機が他の二機の機体とブレードを交差させ、バイオリン奏者のように腕を動かした。

 

ギキキギキィイィイ、とまさしく嫌な音と表現するべき音が耳に叩き込まれる。

 

「ううおお!?」

 

『ぐあっ!!』

黒板を引っ掻く音を数十倍不快にさせた本能的に聞きたくない類の音が大音量で響き渡り森を揺らしていく。

セレンにも聞こえたようで二人して耳を押えて屈む。

 

「おおっ!? ぐ……ぬ…う…」

当然、機械にとっては何てことない音であり、不快音を出していない二機が斬りかかって来るのを何とか受け止める。

だが一機でもぎりぎりで踏ん張れるところだったのに二機を押し返せるはずも無く、地上の森に叩き込まれた。

 

「ちくしょう!!」

 

『ガロア!』

 

「大丈夫だ!!」

とは言ったものの恐れていた事態が起きた。

五機同時に斬撃を当てようと迫ってくるのが見える。

このままでは死ぬことを悟ったガロアは地面にマシンガンを突き刺し隣に生えていた巨木に抱き着く。

メリメリメリと音を立てて地面が盛り上がり根っこが引きずり出されて行く。

 

「ぬおぉおお……こんなとこ、ろでぇえ…」

アレフの出力を最大にして樹齢数百年はあろうかという木をそのまま引っこ抜いた。

 

「死ぬかあああああ!!!」

引っこ抜いた勢いで転びそうになるがクイックブーストを吹かしそのまま木をぶん回す。

全く同じ距離間隔にいたのが仇となり五機全てが木に当たって吹っ飛んだ。

ダメージはあまり無さそうだが、なんとか窮地を逃れた。のはいいが。

 

(まいったな…どいつが光波を出す奴かわかんなくなっちまった……前までなら見逃すことは無かったのに)

どういう事なのか考えても分からないが、目の調子がずっと前から悪い。

物の数を数えるスピードが格段に落ちたし、以前はあり得なかった一度見たものを別の物と間違える何ていう事も度々起きる。

今までは精々大群でもノーマル程度だったし、ミサイルもアレフの運動性能ならば回避できたがここに来て弱体化を痛感する。

グレネードが直撃した機体だけは焦げた装甲からなんとか分かるがこのままでは全ての機体から光波を警戒しなければならない。

 

「!くそっ」

だが考える時間もほとんどなく、バランスを持ちなおした五機はレーザーキャノンをマシンガンよりも濃い密度でばら撒いてくる。

 

(どうする…考えろ…)

みっともない手段だが、次に光波を出す奴を発見したら泥でもぶん投げようと考え右手でぬかるみを掬った時。

 

 

『ガガッ』

 

「増援か!?」

不明機に白を基調としたネクストが斬りかかっていた。残念ながら受け止められてはいるが。

背中の追加ブースターで増大した出力のお陰で不明機にも力負けしていない。

だがそれよりも不思議なのは、そのネクストの持つ紫電のブレードの刀身の大きさだった。

どう控えめに見ても自分のブレードの三倍の大きさはある。

 

『お前の援護に来たORCAのスプリットムーンだ。ガロア、間違って攻撃するなよ』

 

『………』

 

『ピピピッ』

 

『……!』

超級の大きさのブレードを受け止めた不明機のブレードからX字の光波が出力されたのをスプリットムーンはなんとか避ける。

 

「そいつだ!おいあんた!そいつを頼む!それだけでいい!」

 

『……』

そのガロアの言葉の後に、一番厄介な敵とまた剣戟を交えたあたり、間違いなく聞こえているはずだが返事は来ない。

普通ならこの過ぎた無口の時点で色々と猜疑的になりそうなものだが、身に覚えのありすぎるガロアは特に何も思わない。

 

『……コウカイ…スルゾ…』

 

『……!?』

また実に人間らしい言葉を発した不明機に対し、スプリットムーンのリンクスからはっと驚いたかのような息遣いが聞こえる。

だが装備だけを見れば、自分よりも近距離に特化している。とりあえず任せても問題ないだろう。

 

「こっちだ!! 機械人形共!!」

マシンガンを拾い、取り巻きの不明機に撃ちまくり挑発すると、即座にこちらにロックオンし直し向かってきた。

 

 

 

 

「……」

真改は不気味な敵に臆してはいなかったがそれでも攻めあぐねていた。

相手の間合いに入らずに何度もブレードを振るっているが信じがたい反応速度で全てを受け切られている。

しかもその合間合間に光波とレーザーキャノンが交えられ、結果ほとんど中距離以上での戦いになってしまっている。

近距離特化型同士がぶつかってこの距離を保って戦うなど通常あり得ないことだ。

 

『…ガッ。ジジッ…』

指揮者がクライマックスでジャンプして指揮棒と腕を振るうように未確認機が両腕を垂直に振り下ろすと光波が縦に並んで飛んできた。

恐ろしいことに、それはどちらにクイックブーストしても自分から当たりに行くことになるという絶妙な間隔だった。

一瞬、どうするべきかと躊躇していると、まだ振るった腕を戻してもいないというのに敵機から肩のレーザーキャノンが発射された。

 

「ぐっ……!」

見えていたのに避けられなかった。

両隣に光波を出され上下にはレーザーキャノンという反則の様な攻撃を出されどうすることも出来なかったのだ。

フラッシュロケットは効いていないし、マシンガンにしてもPAを削るため、もしくは相手の集中を削ぐ為の物だがこの機体には通用しているとは言い難い。

そいつを頼む、と言われたがもしかして一番厄介な敵を押し付けられたのではないだろうか、とちらりとアレフを見ると。

 

『惜しかったな』

アレフが見えない程に取り囲んでいた四機全てのコアからブレードが貫かれ停止していた。

全機ブレードを全速力で振っていたようだが表面が焦げる程の距離で躱され当たっていない。

 

(なんだと……!)

真改の頭の中で、昔父の書斎で見た幕末の強豪剣士達のエピソードが思いだされる。

文久の時代に出来上がった、恐らくは歴史上最後の凶悪剣客集団・新撰組によって確立された確実な暗殺方法、『三忍一殺』。

どう頑張っても両腕に一本ずつしか剣を持てないのだから三人で斬りかかれば確実に殺せるという物だ。事実、この状況になってからカラードは多対一のゲリラ戦を仕掛けている。

だがその三忍一殺ですら逃れ生きのびた豪傑はいたという。まさしく、今目の前で見ている少年のような__

真改がそう考えていた一秒にも満たない時間に、動かなくなった機体達が一斉に膨れ上がった。

 

ドゴォン、と典型的な爆発音が響いて森が一部消えてなくなった。

 

『ぬああっ!?』

全ての機体が自爆を起こしてアレフごと爆風の中に飲みこんだのだ。

 

「……!」

頑丈なネクストならあの程度では死にはしないだろうが、致命的なダメージを負ったはずだ。

あれではもう動けまい。自分がこの敵をやるしかない。

 

『ジ…ジ…ガガッ』

 

「……」

格闘戦主体のプログラムを忠実にされているのか、常に上を取ってから斬撃を繰り出し重力を乗せて威力をあげてきている。

明らかにORCAの所持している自律型ネクストより性能が上だ。

 

(あれは……オーバードブースト?)

クイックブーストをしてこないな、と思いながら二回の斬撃を躱した時、敵の背部のブースターに光が収縮するのが見えた。

カウンターを狙うか回避に専念するか、と考えが纏まる前に敵はネクストによる感覚拡張ですら捉えきれない速度で飛んできた。

 

『おいコラ……』

 

「……!」

反射的にムーンライトに全てのエネルギーを叩き込み、防御の構えを取った時、敵機の片腕がアレフに掴まれていた。

その全身からスパークを散らし、恐らくAP20%を切っていることが見て取れる。

 

『仲間がいねえテメェなんざああああああ』

 

『ガガッ、ガッ!? ジジジ!』

 

「…!!」

腕を掴んだままオーバードブーストに火をつけたアレフは高速で回転し、渦潮に巻き込まれる小舟のように未確認機をぶん回して地面に思いきり叩きつけた。

 

『ガーッ。ジジ…』

甚大なダメージを負ったことは間違いない、と思うと同時に、

 

『らあっ!!!』

 

「…!」

アレフがまな板の上に乗せた魚のように未確認機をバラバラにしてしまった。

 

『ミッション終了か……なんだったんだ一体』

 

「……」

 

『おい、あんた、助かったぞ』

 

「……」

礼を言われているが、結局あの少年が一人で全てを片づけてしまった。今まで見た事も無いような難敵だったというのに。

真改には確信があった。補給部隊が襲われたという話だったし、それも事実なのだろう。

だが恐らくは、それは撒き餌だ。この少年がおびき出されたのだ。言い換えればこの少年が戦いに好かれ戦いを引き寄せている。

 

(試合いたい…!)

ORCAの目的に一定以上の賛同をしているからこそ、行動を共にしているのは間違いない。

だが、真改の真の目的は想像もつかない強敵と戦う事。その先にある物を見ることによって、アンジェの考えていたことを知ることだ。

心の中に燃え上がる炎を受けてムーンライトの刀身が伸縮を繰り返すのをアレフはある程度の警戒を含んだ目で見てきていた。

 

今は斬りかかるわけにはいかない。こんなボロボロのアレフに……いや、この少年に勝ってもしょうがない。

この場ではそのまま帰ったが、真改はある危険な決心をしていた。

 




ついに出てきてしまいました。

タグにACLRを追加するべきかな。


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変な奴ばっかだ

 

「つつつ…」

 

「我慢しろ」

戦いの翌日の朝。起きたセレンがまずしたことはガロアの全身に湿布を貼ることだった。

戦いから帰ったアレフの損傷も、修理はなんとか出来るものの酷い物だった。だがしかしそんな事よりもセレンを困惑させている現実があった。

パイロットスーツを脱いだガロアの胸を斜めに横切る様に打ち身と、更に全身に青あざが残っていたのだ。あろうことか、斜めに横切った打ち身の一番深い場所では皮膚に切れ目が入っていた。

ネクストに乗っていて痛みを感じることはあるがあくまでそれは脳に送られた幻の痛み。だがこれは明らかに脳が感じる痛み以上のことが実際にガロアの身体に起こっている。

やはりこの機体は返そう、そう思った時。

 

「でもゼロだったら死んでたぞ、俺」

 

「え?……よく分かったな。そんなに分かりやすいかな…」

 

「いや……まぁ、うん。とにかくアレフは必要だろ。リスクを避けて戦争は出来ない」

 

「……。朝飯に行くか」

 

「うん」

あの機体も危険だが、確かにアレフ・ゼロに乗り続けるのも精神的な意味で不安だ。

じゃあもう戦いやめてくれ、と言えないのがセレンのもどかしいところだった。

 

 

 

 

 

 

食堂に行き、偶然その場にいたリリウムと朝飯を食べながら味わうこともほとんどせずに上の空でガロアはずっと考えていた。

 

(喋った…よな…)

 

(喋ることも…ある…か?)

ウォーキートーキーなんかは(同じ言葉を言う事はあれど)ガトリングのように喋りまくるし、

アレフ・ゼロでさえ野太い男の声で『システム、戦闘モード起動』とかは言う。まぁそれはプログラムされていることなのだが。

 

(……。どこ製だって…。あんなもんが作れるならリンクスなんているか?作れないことは無いけどコストが高いとかか?)

ネクスト特有の攻撃はしてこなかったが、一部ではネクストをすら上回る動きをしていた。

普通のリンクスなら殺されていたはずだ。あんな技術を出し惜しみする理由が企業にあるのだろうか。

もしもコストが嵩むとなれば、今回五機いっぺんにスクラップにして何かが変わっただろうか。あんなものは生産されないに越したことは無い。

もしも量産体制なんか整ってしまったら世界が地獄になる。

 

「ガロア、おい」

 

「え?」

 

「食べ終えたのなら下げた方が…」

 

「ん?……そうだな」

いつの間にやら自分の目の前の皿は四枚とも綺麗空っぽになっており、自分はただスプーンをくるくると回していた。

 

 

 

「あ、ガロア君」

 

「……。ちゃんと働いてんのか」

返却口の大きなシンクの前でじゃぶじゃぶと皿を洗っているリザイアに声をかけられる。

 

「ええ」

 

「意外と様になっているな」

そんなセレンの言葉を聞きながらガロアはポケットから端末を取り出した。

 

「聞きたいことがあるんだが」

 

「あ、その前に」

 

「何だ」

 

「美味しかった?」

 

「あ? なんだって?」

その言葉でガロアはぼけーっと先ほど何も考えずに口にかきこんでいた食事の味を思いだしていた。

なんというか…どっちつかずの、パンチのない味だった。もう少しキッチンが広くて食料が調達できるならわざわざここに来ようとは思わないだろう。

 

「私が作ったのも食べてくれているみたいだから」

 

「皿洗いじゃないのか」

 

「どうだった?」

 

「……お…」

底の見えない崖を覗きこんでいるというのに、何も思わずに前に一歩踏みだすような軽さでガロアは口を開いた。

 

(((美味しかった!?)))

リリウムもリザイアもその言葉を言うのかと思ったが、セレンだけはそのすぐ後にそれは絶対にないと思いなおした。そして。

 

「俺が作った方が美味い」

倦怠期の男女ならそれだけで別れ話に発展するような言葉をガロアが言った瞬間、夢から覚めるような高い音が響いた。

 

「バカかお前は!」

 

「失礼すぎます!」

リザイアが溜息をついて肩を落とすと同時にセレンとリリウム、左右からきついビンタが飛んできて手に顔を挟まれる。

 

(何故だ……)

と、ガロアは思うが失礼だバカだという二人の言葉も正しい。

だがそれよりも二人の心の中にあったのは、味うんぬんよりも『自分が料理を作ったりしたらどういう反応をされるのだろうか?』という疑問であった。

そしてガロアの料理の腕を知る二人は、リザイアへの回答は歯に衣を着せぬガロアの事だ、自分達ももし料理を作った時にはそのままそう言われるのだろうと思っていた。

その通りである。一般的に女性の仕事とされる料理洗濯洗い物掃除を未だにやっている理由ですら『自分がやった方が早いから』である。

異性どころか人間とも関わっていなかった長い時間があるガロアに今更女性へ気の利いた答えを出せというのも無理な話なのかもしれないが。

 

「……。まぁいいわ。お世辞よりは。で、聞きたいことって何かしら」

 

「これ、知らないか?」

昨日の無人機の画像を見せるが見ると同時に何これ、という顔をする。

この女に関しては言葉よりもこういう節々の動作を観察する方がいいはずだとガロアは思っていた。

 

「何これ? ノーマル?…には見えないわね」

 

「いや、知らねえならいい。皿洗い頑張ってくれ」

オーメルはインテリオルと提携関係にあったはずだし、となるとインテリオルグループの可能性も薄い。

ならば…独自性を保ち続けているアルゼブラとかだろうか。確かにあそこならやりそうな気がしなくもないが。

 

「待って」

 

「仕事中話すのはもうやめておけ」

 

「お願いがあるんだけど」

 

「……」

 

「お化粧品を買ってきてくれない?」

いいとも悪いとも言う前に話を聞かされ、むっとしていたら、さらにその言葉を聞いて困惑する。

 

「はぁ?」

 

「こっちに持ってきていないの。近くにはまともに買える店もないし。……人から借りているけどそれも限界があるし。ね?」

 

「は? 我慢しろそんなもん。いらんだろ」

何言ってんだこいつ、と思いながら振り返りさっさと行こうとするがリリウムもセレンもその場を動かない。

 

「いえ、必要です。絶対」

 

「お前は起きて顔洗ってそのまま外にいけるからいいよな」

 

「……なんだソリャ……」

今日に限って女性陣が味方をしてくれないのは何故だろう。

だがセレンの言葉通り、自分なんか起きて着替えて顔洗って寝癖を掻きまわしてただの癖にして外に出て行ってしまう。五分もかからない。

今更ガロアにすっぴんを隠す事も無いセレンだが、それでも外に出るときは薄化粧をするし、ガロアと外に出るときは普段より五割増しで力を入れて化粧をする。

化粧をするなら何故髪の手入れはほとんどしないんだ、それも乙女心か(違う)、などとガロアは考えるが、どちらにしろそんなものを買いに行くのは面倒でしかない。

 

「他を当たってくれ。悪いがこの後は運動の時間だ」

 

「全身そんな状態で運動するつもりか? 治りが遅くなるぞ」

 

「……急な出撃があるかもしれない」

 

「ガロア様の機体……どんなに急いでも一週間は修理にかかるそうですが」

 

「……」

これは暗に行けと言っているのか、と思う。

実際はちょっとは女の苦労を思い知れ、とセレンもリリウムも少々意地悪く思っているだけなのだが。

 

「ああー…こんなに窮屈なら…出て行っちゃおうかなー…なんて」

大げさに頬に手を当て息を吐く割烹着姿のリザイア。

 

「そしたらバラバラにして魚の餌だ」

 

「その手間とお使い、どっちがいい?ガロア君」

脅すような言葉も全く効いていない。

実際出て行ったら放っておくことが見抜かれているのだろうか。

 

「……。しょうがねぇ」

 

「はい、お願い」

そう言いながら差し出された紙には買ってきてほしい物が綺麗な筆記体で書かれている。

 

(最初から俺が行く前提だったのか……この女……)

言葉巧みと言うよりは、最初からどうなってもこうなることが分かっていたという感じだ。

舌打ちしながら受け取った紙を見る……が。

恐らくはメーカーと化粧品の商品名なのであろうオシャレな名前が羅列されているが意味不明の一言。

ガロアにとっては数式や化学式の100倍は取っつきにくい。

 

「なんだこりゃさっぱり分からん。全然だめだ。それに売っている場所も知らねえ。多分俺は適任じゃねえぞ、オイ。ホントに」

 

「場所も商品名も…分かります」

ガロアの手にある、つき返そうとしたメモを背伸びしながら見ていたリリウムが声をあげる。

 

「そうか? じゃあお前……」

一人で行け、とまた株を下げるような発言をする前に口を閉じる。結局被害はほとんど無かったがセレンが悪意に満ちた性犯罪に巻き込まれたことを思い出す。

そんな危ないところを一人で行かせるのはダメだと思うし、王からリリウムを頼むとも言われている。

 

「……お前も行け!」

 

「!……そうするよ」

自分が言おうとしていたことを見抜いたかのようにセレンが少し厳しめの声をあげてガロアは身体を小さくしてその場で跳ねた。

 

「お願いね、ガロア君。お金渡すから裏に来て。あんまり関係ない人をどかどか入れたら怒られちゃうから、ガロア君だけね」

手を合わせてウィンクをしてくるが、もうすぐ30歳になろうという女がそんなことをしても可愛くない。

というかちゃんと帽子の中に髪をしまえよな、と文句ばかり浮かぶ中で疑問が一つ混じる。

 

「……ん?行け?セレンは来ないのか?」

 

「……やることがあるんだ。お前たちで行って来い」

 

「来ないのか」

 

「……行きたいのはやまやまだがな」

 

「……そうか。金を受け取ったら行くから。部屋に自分の荷物を取りに行ってそのまま待っていてくれ、リリウム」

 

「……。はい」

今のガロアとセレンのやり取りで二人の、言葉で言い表しにくい温かくほっとする綿のような関係をぼんやりと感じ取ったリリウムはほんのりへこみながら返事をした。

 

 

キッチンに入ると中々興味を引く物が多かった。

一気に揚げ物を揚げられる業務用フライヤーなんかはあったら便利そうだ。

料理を一々分けて作業するのは効率が悪いのだ。

 

(しかし……じゃあなんだったんだ、あの自律兵器は)

技術的にオーメルグループ以外に作れると思えない。そもそも出し惜しみしていたにしても何故今頃出したのだろうか。

目は開いていても何も見ていないといった感じで考えに没頭しながらリザイアに着いて行く。

 

「……?」

キッチンの裏にある扉を開けて通路に入るとリザイアは帽子を取ってしまった。

何か嫌な予感がする。

 

「ロッカールームとかしっかりしてあって意外だった。結構うれしいものね、そんなのでも」

 

「……そうか」

鍵をあけたリザイアに促されるままにロッカールームに入ってから気が付く。

なんで自分が先に入っているんだ?と。そもそもここまで来る理由自体よく考えればない。

何かまずったか、と振り返った時にはもう遅かった。

 

「さぁ、これで誰も入れない」

後ろ手に鍵をかけて出口の扉に仁王立ちしているリザイアがいた。

よく見てみたらドアノブには鍵穴しか無かった。この部屋は鍵を持つ者しか入れないし出れないようだ。意外にも防犯的な観点からしてしっかりしている。

 

「……この女…」

誘いこまれたのだ。

それに気付かずにぼけぼけと違うことを考えてここまで来てしまった。

 

「悪いお姉さんには気を付けないとダメよ」

 

「反省しているよ」

ここは尋問の為の部屋では無い。

ここには何の監視の目も無い。

あるのは個人の諍いだけだ。

キレているようには見えなかっただろうし、実際キレてもいなかった。だがこの女に対して優しくしよう、説得しようという考えはガロアの頭に最初からなかった。

ガロアはその長い脚を思い切り振り被って蹴りを放った。

 

「! いきなり……」

天井に刺さるかな、あるいはぐしゃぐしゃかな、どちらにしろ一撃だと思ったら、リザイアはその品の良さが伺えるような綺麗な手をガロアの脚にそっと付けた。

そして、あと0.3秒で力がダイレクトに伝わって浮きあがるところをそのまま横方向に力を加えてきた。

 

(化勁か!! なんだ…持っているじゃないか…)

真上に向けて蹴りを放ったはずなのに勢いそのままに、その場でバレリーナのようにくるくると回ってしまった。

攻撃のベクトルを変えられたのだ。いきなり追い込まれたときにこの女が出したのは武の方だった。身を守る技術もしっかり身に付けている。

養成所で身に着けたのか、それ以外なのかは知らないし興味もないが。自分の蹴りを流せるだけの力はあるということだ。

 

「なるほどね、気に入らない雌は殺してもいいと……らしいわ。とても」

 

「なんだ……それは、あー…太極拳だっけか。俺の全力の勁も流せるか?」

自然と口の端が釣り上がっていた。

今日は絶対に下手な運動は出来ない、させてもらえないと思っていたがこんなイベントが待っているとは。

腰を落として息を吸いこみ血液の酸素を入れ替えていく。左脚と右手が接触と同時に直線になる様に緩く構えを取る。

 

「浸透勁ね……それはくらいたくないわ。いたぶり……残酷に…望むところだけど、一撃で無慈悲にっていう形の慈悲はごめんね」

だがいざ攻撃を放とうとしたら降参だと言わんばかりに両手をあげてしまった。

いくらなんでも無抵抗の相手に全力の攻撃を打ち込んでも楽しく無い。

 

「……。もういい。さっさと金を出せ」

 

「まるで強盗みたいなセリフね。でもそれで終わり?」

 

「……」

 

「避妊しなくていい。終わったら変な気を遣わずに出て行ってくれて構わないから」

そう言い始めていきなり割烹着を脱ぎ始めた。

恥も外聞もないのかと思ったが、確かにここには二人しかいないし、誰も入ってこない、出れない。

 

「お前っ」

ずきん、とまた頭が痛みだした。

この女が自分と近いから変に引きずり出してくる。

 

「神に誓って変な病気も持っていない」

 

「この、大嘘吐きめっ、何が神に誓ってだ!」

こんな女のパンチを100発貰ったところで堪えやしないが、その言葉の一つ一つで頭痛が酷くなっていき、足元がぐらついた。

やはりこの女は嫌いだった。

 

「お互い様ね。あの…セレン・ヘイズ、オペレーターにも黙っていてあげる。何も言わないわ」

 

「……」

脳細胞をじくじくと溶かすような痛みを振り切る様に一気に息を吐き、その場から一歩踏みだす。

 

「殴り倒していく? さぁどうぞ。本当のあなたをそのまま見せていて」

 

「お前……お前、何が目的だ」

 

「……理性の無い雄なら……雌を犯すか邪魔とみなして殺すか……どっち?」

 

(本当のだと……)

裸になるか、キレて暴力を振るうか。どちらにしても中身をぶちまけることになる。

だがそれだけではない。この女はそれを見たがっていて、どういう訳かそれを引きだす術を心得ている。

心とはまた別の『中身』に触れてくる。そう思っていると実際にガロアの胸にリザイアが触れてきた。

 

(痛ってええええええ、頭、割れる!!)

先日の犯罪者たちを引き裂いて殺した時と同等の頭痛がガロアを襲ってくる。

まるで内側で殺意が意思を持って身体を食い破ろうとしているようだ。

 

「お前とっ、話していると、調子が狂う!」

リザイアを突き飛ばして、そのまま逆の壁際までガロアは引いてしまった。どんな強敵でも不退転で通す自信があるのに、どうなっているのか。

だが、そんな自分を見てリザイアは実に楽しそうにこちらに向かってゆっくりと歩いてきた。

 

「あなたを初めて見た日、私はね、その場に本を落として走ったわ。動物園に。でも全然違う……やはり飼いならされているから?」

 

「……」

 

「人は高度になっていけばいくほど嘘……嘘嘘嘘、嘘ばかり……あなたはどこから来たの?ロシア、だけじゃないはず。恐らく嘘の入り込む隙間が全くないほどシンプルな世界で生きてきた。嘘で守られるはずのヒトの命をそんな環境に晒すと……こうなるのね」

 

「暴力が…」

近づくな、と言おうとしたのにガロアは全く別の言葉を言っていた。

たらりと嫌な汗が垂れる。

 

「命を輝かせる。顔がいい?高学歴?エリート……? 下らないわ。裸になってもまだ何かを着たがる人ばかり。いざとなったら原始人みたいに手と足だけで戦わなくてはいけないなんて、想像もしていないんでしょうね」

 

「くそっ、嘘つきめ、それも嘘か?」

 

「ガロア君の言う通り、私ほど嘘を重ねてきた人間はいないわ。いつどこでも……そうそう出会えない、あなたみたいな……」

 

「それ以上っ、言葉を重ねるな!!」

奈落の底に落ちながら幼い頃に戻っていくような感覚だった。

三大欲求の一つがない代わりにどす黒い殺意があったような日々に。

 

「あなたに溶けるまで抱かれたい。さぁ」

 

「やめろ!脱ぐな!外すな!へし折るぞ、その指!」

目の前でゆっくりとブラウスのボタンを外し始めたのを見て、慌てて外れたそばからつけなおしていく。

まるで服を着るのを嫌がる三歳児に無理やり服を着せているかのようだった。

 

「どうぞ」

 

(なにがなんでもか、この女……)

折れるものなら折ってみろ、とその細く白い指を差し出してくる。

一体全体何がそんなに楽しくて引きずり出そうとしてくるのか。そんなに見たいのだったら森の奥にでも引っ込んでしばらく生きていけばいい。

もうかなりリリウムを待たせている気がする。いや、そもそも化粧品がどうのというのはこの女の口実だろうか。

どっちにしてもさっさとここから出たかった。

 

「さぁ、どうするの?」

 

「こうする」

リザイアの問いかけに答えるよりも早く脇に手を入れてリザイアを持ち上げ、鍵のかかったドアの前まで連れて行く。

 

「分かった。お前はそこに立っていろ。どうせ最後までやらなきゃどく気はないんだろ」

 

「その通りよ」

 

「じゃあそのまま見てろ。お前のせいだからな」

リザイアを扉の前に立たせたまま隣の壁と向き合い適度に距離をとる。

やったことがあるわけでは無いが、恐らくは出来るはずだ。

重心を下に下にとさげ、内攻を練りあげていく。

極限まで高まり、一気に踏みこむと初めてリザイアがまさしく『げっ』とショックを受けた顔で必死に止めてきた。

抱き着いてくる形だったが、先ほど指先で触れてきたような嫌な感触では無かった。

 

「壁を壊す気!?」

 

「そうだ」

既に被害は出ている。

踏みこんだ場所にガロアの大きな足跡がくっきりと残ってしまっていた。

 

「そっ、それは困る」

 

「じゃあ。どけ!」

 

「はぁ……メチャクチャね」

 

「お互い様だろ」

リザイアが鍵をあけたのを見てようやくほっと一息つく。

朝からどっと疲れた。

 

「買ってきてね」

 

「そしたらもう俺に関わるな」

 

相当嫌われたものだ、普通男が女には言わないような捨て台詞を残してガロアはリザイアを置いて足早に去っていた。

 

「……」

脱ぎ捨てた割烹着を黙って着るリザイア。

景気よく脱いだはいいが、普通に勤務時間だ。

たかが5分くらいのやりとりだったが、担当がその場から離れるのは早速大問題だろう。

クビにならなければいいが。

 

「隠せなくなるわ……いずれ。そのときは先を見せてね……あなたなら辿りつく」

剥きだしにした闘争本能の先に、とリザイアは言葉を続けてロッカールームから去った。

 

同類に対するその獣のような第六感は当たっており、ガロアは近いうちにそれを隠しきれなくなる。

もうそう遠く無い未来のことだった。

 

結局お金は渡さなかった。そもそもまだ給料を貰っていないから当然のことだった。

 

 

 

 

リリウムの部屋に行きノックをするとなんとまだ準備が出来ていないと声が返ってきた。

荷物を取るだけなのに何をしてんだ、と更にしばらく待っていたらがんばってお洒落をして、綺麗に化粧で顔を整えたリリウムが出てきた。

流石に唐変木なガロアでもリリウムが何を考えているのか色々と分かってしまい、少しだけ緊張した。

確かに女性に化粧品は必要なようだ。それだけで、その日に対する気合や思いまで見えてしまう。

 

どうすりゃいいんだこれは、と困惑する心を隠して二人で廊下を歩いているとガロアは背筋にビリビリと何かを感じ取った。

リリウムはその時は何も気が付かなかったが、曲がり角を曲がって実際に『それ』を見て気が付いた。

 

 

「……」

 

(なんだあのヤル気満々は……)

 

(サムライ…ですか……?)

 

歩く二人の10mほど先で顔を横切るような古傷のある東洋人が壁際で何をするでもなくただ立っていた。左腰に帯刀して。

リリウムはなんでカタナを持った人が立っているんだろう、ぐらいにしか思わなかったが、ガロアの目にはその男の半径4mほどに透明な円があるように感じられた。

巧妙にただ立っているように見せかけているが、僅かに前傾した上半身、肩幅ほどに開いた足、見開くでも閉じるでもなく細めたまま全く瞬きをしていない目、そして何より鍔に指がかかっている。

顔を斜めに横切る傷が足音を聞いてひくついており、間違いなく斬りかかってくる。

 

(……強そうだ)

ウィン・Dとは違い、完全に刃物を使うための環境に身を置き修練を重ねたのだろう。

刀とのあの一体感は並大抵のことではない。自分にはわかる。

奴は自分に対して勝負を仕掛けようとしてきている。理由は分からないが、それだけは分かるし、こういう分かりやすい展開は嫌いじゃない。

本能的衝動に負けて構えようとしてから、隣で完全に混乱しているリリウムに気が付く。

 

(……やっぱお前……リンクス向いていないよ……)

その戦いぶりを見た事があるわけでは無いが、王小龍とのコンビで教科書的な戦い方をすると聞いたことがある。

根本的に優等生なのだろうが、それだけだ。その先に行くための嗅覚が備わっていない。ここでリリウムを巻き込めない。

 

(リリウム、目を瞑れ。そしてそこに立っていてくれ)

 

(な、え? なんですか?)

小声でぼそぼそと語りかけるとリリウムは当然疑問を投げかけてきた。

 

(あれだ……あれ、…ほら、……お願いだ)

 

(……。分かりました)

全く要領を得ていない説明をしたガロアの『お願い』にリリウムはただ素直に応じてくれた。

あまりにもあっさりしていたので、一瞬疑問が湧いたがそれもすぐにどうでもよくなった。

ひそひそと話していた自分達の声も聞こえているだろうに、あのサムライマンは全く動いていない。反応していない。

 

(……円に揺らぎがない……踏みこむ隙間の波がない)

動かない、と言ったって生きている限りはどうしても呼吸や心臓の動きがある筈だ。

なのにその間合いに少しも変化がない。

 

(やられるのは……俺か?)

間合いに一歩でも入れば次の瞬間に斬られているイメージが浮かぶ。

これは自分がそう思ってしまったというよりも、あのサムライが頭の中の光景を絶対の自信に電波のように乗せて飛ばしてきていたのを受け取ってしまったからだろう。

ナイフを抜いて構える。刃物を使った訓練はセレンからほとんど受けていない。刃物を持った相手に対する訓練だけだ。

それでも自分だって長い間ナイフを使ってきたのだ。これで受けて、次の踏みこみで壁に埋めるほどの一撃を叩き込む。

 

「……」

 

「……」

飛びかかる前の虎のように前のめりに構えたガロアはまばたきをすることすら忘れて、口を半開きしたままその瞬間を待っていた。

身体から魂が発射されそうな程集中し、目と口と鼻から液体が零れても少しも気が付かなかった。

 

「あの……?」

意味不明の沈黙に耐えかねてリリウムが口を開いた瞬間にガロアは一気にそのサムライ……真改の間合いに踏みこんだ。

 

細い目が開かれ鷹のような鋭い眼光がガロアの目線とぶつかった。

銀色の刃が高い音を立てながら向かってくる。

 

(なぜ、抜いている俺の方が遅い!?)

このナイフで受け止めて、と考えていたが、まともに受け止める形になる前にガロアの首を裂く位置に刃はあった。

相手の刀は帯刀してあって、相手の刀の方が自分のナイフよりも大きいし重いはずなのに。だが理不尽に文句を言うのは生き残ってからだ。

とっさに、掌底に使うつもりだった右手もナイフを握らせて首元に持っていく。

 

ギンッ、と金属がぶつかる感覚と音が響くとガロアは想像していたのに。

 

(うッそ!?)

安物という訳でも手入れをしていなかった訳でも無いのに、ガロアのナイフに敵の刀の刃が食いこんでいく。

だがそれでもなんとか軌道をずらすことが出来た。あっけなく首を切り裂いていたはずの刀は、気が付けば真改の腰の鞘に再び戻っていた。

 

(なんだこれは……)

折れた、ではなく斬れたナイフの断面を見るガロアの目の瞳孔が小さくなっていく。

どこもギザギザとしておらず、美しい断面となっている。鉱石同士がぶつかってこうなるなんて自然ではあり得ない。

小型携帯型レーザーブレードなんていうおもしろグッズでも無い。

あの刀は正真正銘ただの金属だった。

 

「……」

攻撃してみろ、と男が言っているようだった。

そこに立っているだけなのだがまた鍔に親指がかかっている。

この距離なら次は斬り殺される。目を開いてしまったリリウムは顎が外れる程口を開いていた。

 

「モナリザって見た事あるか」

 

「……」

 

「俺はない」

ダダダダ、と癇癪を起こした車のエンジンが暴発するような音が響き、真改は一瞬身がすくみ、リリウムは飛びあがった。

ガロアがいきなり拳銃を抜いて真改の足元に連射した音だった。その行動は全く真改の想定外だった。

抜刀が一瞬遅れた。

 

「……!」

そしてまだ刀身が完全に抜ける前に真改の右手はガロアに掴まれてしまっていた。

 

「すげぇ、まるで宝石だ…」

身体をがっちりと押えこみ、ぎりぎりと腕を動かして刀を完全に抜かせる。

その輝きはガロアが今まで見てきた刃物の中で一番美しかった。

芸術品など全く理解できないガロアだが、その価値は理屈を超えて一瞬で分かってしまった。

 

「誰が作った……? いや、違う。念が籠っているって奴か!」

人差し指でそっと触れるとそれだけで血が流れ出た。

刀身を流れて落ちた血は、流れた赤い跡すら刃に残せなかった。

この刀はどれだけの人を斬っても切れ味が落ちないとでもいうのだろうか。

 

「誰が、何の何を込めて研いだ? 相当大切にされていたんだな、長い間」

 

「!!」

無表情を貫き通していた真改の顔が初めて変わった。

だがガロアの中ではもう話は終わっていた。

 

「変な奴ばっかだ。でも、いいもん見たなぁ……リリウム、行こう」

 

「は、はい」

真改から手を離してリリウムを呼ぶとリリウムは慌てて駆け寄ってきた。

ガロアにとってはやはりというか、リリウムが間合いに入っても真改はいきなり斬りかかったりしなかった。

未だに血が止まらない指先を口に含んで少し笑ったガロアはそのまま廊下を進んでいった。

 

「……なんだと…まさか…」

廊下を曲がるときに後ろから聞こえた言葉はガロアの知らない言語であり、何を言っているかさっぱり分からなかったが追いかけてくるような気配はなかった。

 

「??」

リリウムはひたすら混乱していた。

 

 

 

 

「……」

長い間アンジェの事を考えているうちに行動までアンジェに似てきてしまった真改は、

自分が口が上手い方ではないと自覚していたので悪いやり方だと知りながらもガロアに喧嘩を仕掛けた。

ブレードに憑かれていると言ってもいい程才に恵まれたガロアが、命を差し出すような戦い方をするガロアが、どんな思いを抱いているのかを知るために。

だが戦いは途中で終わってしまった。なぜあれだけ強くて戦いに好かれているのに、これ以上の戦いを望まないのだろう、と疑問に思ったが普通は刃物を持った男からの日中の喧嘩など買うはずも無い。

 

「……何ということだ…」

だがそんなことはもうどうでも良かった。ガロアが何気なく放った言葉が全てだった。

再び抜いた木洩れ日丸は錆も一切なく妖しく輝いている。その光にアンジェの怨念とも言える物が籠っていると感じていたがそれは正しかった。

繊細な日本刀は最低でも一カ月に一回は手入れをしなければ錆びつき腐食してしまい使い物にならなくなる。

だがアンジェの手元に数年あってなおこの輝き。その光は人間性を捨て去ったはずのアンジェが木洩れ日丸に向き合い研磨していなければあり得なかったはずだ。

リンクスに日本刀など必要ない、と断言できる。その上ネクストに乗って戦場で思うまま望むまま暴れまわったアンジェに刀などますます要らなかっただろう。

つまり、手元にある間はずっと手入れをしていたのだ。自分が学んだ剣の道を、父の教えを忘れることなく。

 

「……親父…」

戦闘狂だったことは間違いないし人間をやめかけていたことも間違いない。それでもアンジェは一緒に育った血の繋がっていない家族を忘れてなどいなかったのだ。

長い長い回り道をして真改は今日突然、ようやくずっと手元にあった答に辿り着いた。

 

「真改…? その、なんだ…? これはなんなんだ?…すまん、まったく分からん、分かる様に説明してくれないか」

銃声を聞いて飛んできた……のではなくそこはメルツェルの部屋の前だったのだ。

拳銃を持って寝癖と寝間着フル装備で混乱を顔中にいっぱいにしたメルツェルが真改に尋ねてくる。

 

「俺がやった」

 

「ファッ!?」

 

「ふっ……」

 

「わ、笑っ……!? 笑ってる場合か!! だ、弾痕がモロだ、モロについているぞ!! 真改!!」

 

 

真改の長い旅は終わりを告げたのだった。

真改は久しぶりに心から笑うことが出来た。





井上 真改

身長 175cm 体重 71kg

出身 日本(育ちはカナダ)

父となった竹光の元で、普通に学校に行き、普通に育ったはずなのにアンジェの背を追ってリンクス→テロリストとなってしまった。
アンジェもアンジェだがそんな道を行く真改も十分な変人だった。
剣術の師範だった父をして「これほどの才能の持ち主は見た事が無い」と言わせたほどで、実際に彼と剣を持って向かい合い勝てる人間はアンジェを除いていない。彼の剣には理が宿っている。だが、「理」とは「突き詰めれば誰でも再現可能」という意味であり個の極みには達していない。
あのまま道場でひたすら修行を繰り返していれば辿りつけたのか、それともこの経験を活かしていつかはその極みに辿りつくのかは誰にも分からないが、
少なくともアンジェが何を考えていたのかは分かった。
アンジェは家族を愛していたのだと確信を得たのだった。

ORCAでやるべきことが終わったら父の元に戻って道場を継ごうと考えているが、果たしてどうなるだろうか。
まだ未来は決まっていない。


趣味
ルービックキューブ
こよりを使ってくしゃみ

好きなこと
有澤圏の酒をちびちび飲むこと
メルツェルとヴァオーの一方的なチェスの試合を横目で見ること


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中心

ラインアークの中心へと向かうトロリーバスに乗り込んだガロアとリリウム。

ガタガタ揺れるし速くもないが環境に優しく経済的なトロリーバスは無料で使えてラインアークの人々にも親しまれている。

こんな場所から中心に向かう人はいないらしく客は自分達しかいなかった。

 

「さっきの方……日本人でしたね。ORCAのメンバーでしょうか?」

 

「ん? やっぱり日本人だったのか? 東洋人なのは分かるが…」

貸し切り状態なのだからゆったりと座ればいいのにわざわざデカい図体をした自分の隣にちょこんと座ったリリウムが言葉を発する。

 

「日本語を話していました」

 

「日本語が分かるのか」

 

「ほんの少しなら」

GAグループ改めBFFグループの有澤重工の重役と食事やら接待やらをする機会も多かったリリウムは一応の教養として多少の会話程度の日本語を王から習っていた。

実は王は英語以外に日本語、中国語、韓国語、スペイン語、ロシア語、フランス語を不自由なく話せるという言語への造詣が深い面があるのだがそれを知る人物は意外と少ない。

 

「ふーん…」

 

「どうしていきなり襲い掛かってきたのでしょう?」

 

「俺が呼んだ……」

なんとなく、自分があの男を呼びよせたような気がするし、あの男もそれを求めていた気がする。

腰にぶら下げているあの刀は示威行為のためなどでは無く、本当に生活の一部なのだろう。

リリウムがいたから最後までというのは踏みとどまれていたが、二人きりだったらどちらかが死んでいたのだろうか。

そう考えた時、少しだけ『嫌だな』と思ってしまった。突然死……人生なんてそんなものだと思っていたのに、自分の中でまた何かが変わったのだろうか。

 

「え?」

 

「あ、いや、そういうことじゃない。そういうことじゃないんだが……」

リリウムの反応が普通だ。そんなことを言われれば疑問以外浮かばないのが当然だろう。

自分ですら言っていることが理論的では無いと思っているのに。

 

「少し……怖かったです」

そりゃ怖いだろう。いきなりダンピラを持った男が目の前に立っていたら。

リンクスにとって一番警戒するべきことは『中身』への直接攻撃なのだから。

 

「大丈夫だろ。お前を襲う様な奴じゃない」

ほんの数秒しか本気でぶつかっていないのに、何時間も会話してその中身が分かったような気分だった。

この前のノーマル乗りも、いつか自爆したネクストのリンクスも、言ってしまえばマグナスですらも。口先ではいくらでもなんとでも言えるが戦い方に嘘は吐けない。

死に直結する物だからだ。

 

(あの二人は真逆だな)

今日戦った(?)二人の男女はまるで真逆だった。あの男は名前すら知らない、どこの誰だかも分からないのに僅かな時間だが本気で戦ったおかげでその本質が深く分かった。

なのにあの女は何を考えているのか全く分からない。あの女はひょっとしたら自分を怒らせるために周りに行くかも、と考えて少し溜息が出た。

 

「あの方は……サムライでしょうか?」

 

「いいや。あの国では侍は19世紀の初頭にはほぼ絶滅しているし、銃刀法違反もある。今はあんなものを許可なく持ちあるいているだけで違法のはずだ」

リリウムの言葉を受けてウォーキートーキーから受けた教育と過去に貪る様に読んだ本の知識を思い出していく。

しかし実際、日本刀と呼ばれるサムライソードは初めて見た。

 

「兵器開発が活発になった今でも銃規制が解禁されていない唯一の国ですよね」

有澤重工などという実弾系の名門企業が君臨する国だというのに未だにあの国では一般人は銃を携帯できない。

 

「だが……英語の圧力に屈して言語統一がなされた今でも独自性を保ち国内では頑なに日本語を話し続ける民族だからな。あるいは侍も存在しているのかもしれないな」

 

「どうしてそんなことが?」

 

「島国だから。……だけじゃ無い。島国なのに他の国の言葉が公用語になった国などかなりある」

 

「では……どうしてでしょう?」

 

「そもそもあの国が言語圧力に屈したはずが独自性を保っていたというのは初めてのことでは無い」

がたたんとバスが縦に揺れるとリリウムはその場で一瞬宙に浮いた。

椅子から転げ落ちないようにリリウムの腕を掴む。

よくよく考えてみれば、父がいなくなってから暫くの間、誰とも関わらずに生きてきたというのにその間に世界の知識を加速度的に増やしていたなんて変な話だ。

 

「? 日本国はずっと日本国だったと記憶しています」

 

「中国……あー、昔は隋とかだな。その頃からの交易と自国より発展した国からの自然な圧力により日本の公式文書なんかは漢文で書かれていた。だが中国大陸で内乱が多発し国力が下がった時に時の大使により遣唐使と呼ばれる物が廃止された」

 

「えー…と、スガワラ……? でしたっけ」

 

「そうだ。菅原道真が中国大陸に見切りを付けた瞬間だ。それと同時に当時の大歌人、紀貫之がわざわざ万葉仮名で土佐日記を女が書いたものとして世に出した」

よく知っているな、とは言わない。

あんな馬鹿でかい屋敷に住む名門一族のお嬢様なのだからそれくらいの教育は受けていて当然なのだろう。

 

「何故ですか?」

 

「その当時漢文で字を書くという行為自体が高貴な仕事だったんだ。女性には認められていなかった……というよりは出来ないと考えられていた。だがこの際に国力をあげるには日本の独自の言語を進化させる必要があるとしてわざわざ漢語よりレベルの低かった日本語を使った、と言われているらしい。実際はどうだか知らんが、お陰で日本語がレベルの高い言語となったんだ」

 

「言語にレベルなんてあるのですか?」

 

「言葉と文化は密接にして分かたれない物だが、科学レベルという観点だけでは言語にはレベルの差がある。例えば14世紀前後まではフランスでの学位論文、あるいは高度な文章というのはまずラテン語で書かれた物でなければ認められなかった。コギト・エルゴ・スムだってラテン語だ」

 

「方法序説ですよね」

王の書斎にあった哲学書だったが10ページ読んだ時点でギブアップした思い出がリリウムにはある。

それでもその一文は有名なので知ってはいた。

 

「うん、そう。で、無論その時点でフランス語は存在していたが田舎者や字が読めない者が話す言語だった。だが転機が訪れた」

 

「あ、知っています。宗教戦争ですね」

 

「そうだ。パスカルがイエズス会を批判するために書いたプロヴァンシャルは、パスカルほど優れた科学者が書いたというのにも関わらずフランス語で書かれた。学のない者でも読めるようにするためだ」

 

「ですがプロヴァンシャルは……」

 

「そうだ。その後最も正しいフランス語の教材となった。批判の為に書かれた本なのにな。パスカルのように優れた科学者が手を付けた事でフランス語が進化したというのは間違いない」

 

「結局どうして日本語はまだ日本人に親しまれているんですか?」

 

「さっき言った言語レベルの話だ。科学力が全体的に低い国が手っ取り早く国民の学力をあげるには、優れた科学力を持つ国の真似をすることだ。そして最も優れた真似の仕方は言語そのものを真似ること。その国と交流もしやすくなるからだ」

 

「?」

 

「だが日本は19世紀に入って海外の言葉を日本語に片っ端から翻訳しまくって日本語に置き直した。科学レベルの遅れはあれど先に土壌が豊かになったんだ」

 

「無理に英語を取り込む必要が無くなったという事ですね」

 

「フィリピンなんかは英語を取り込むのは実に早かった。元々タガログ語と英語が公用語だったからだ」

 

「それは……どうしてでしょう?」

 

「教育現場に於いてタガログ語では表現できない概念が多すぎた。だからその概念がある英語を取り込んでしまっていたんだ」

 

「今英語が世界公用語になっているのは…」

 

「やはり英語圏の技術革新が大きかったのかもな。コジマ技術の発見で日本が先端に立ったのも一瞬で、その応用のネクスト技術は全て英語圏で開発された。日本に関しては義務教育以降の教育を全て英語にせよと100年前に国からお達しがあった」

 

「事件になりましたよね。大規模なデモが起きたとか」

 

「日本の大学の教授陣は声をあげて反対し、学生と共にストライキをしたわけだ。言語の吸収が科学力の吸収の手っ取り早い手段というのは間違いない。

だが一番科学力の高い言語に統一して元々の言語を忘れるという事は文化的な喪失に他ならないし、多様性を殺す。多様性失くして進化の道はあり得ない。まぁ結果論として日本語は失われなかったがな。

弾圧の中で新たな文化・概念が生まれるという事も珍しくないからなぁ。タップダンスなんかはその最も分かりやすい例だろう。侍文化もまた言語圧力の中で復古した……のかもな」

 

「そういえば……『もったいない』って元々日本語なんですよね。昔はこの概念がなかったって考えると不思議です」

 

「もったいないという感覚を説明するのに一体どれだけの言葉が必要だ? それを一言で理解できるようになっただけでも言語の多様性は驚くべき物があるはずだ。しかもこのもったいないという言葉、日本では『恐れ多い』という意味にもなると聞く。なぜそうなるのかは知らんが」

 

「政府からの英語教育の強制は英語圏の国々の圧力があったって分かったんですよね」

 

「多様性こそが人間の一番優れた点であり尊重されるべき物であるはずだ。だからこそ最初から全てを決められた人間などが……あっていいはずが無いんだ」

その言葉にほのかな怒りが見えてやはりセレンの事だろうか、と思うリリウム。

だが、自分も作られた人間だという事をリリウムは知らない。

王はその事実を知ってはいるが実際リリウムと家族の間に愛はあったし、そのことをリリウムが知る必要も無いと判断し、その事実は墓場まで持っていくつもりだった。

 

「ガロア様は…学校は」

 

「行ったことない」

 

「ではセレン様に教わったのですか?」

 

「いや。セレンにも勉強を教えてもらったりはしたけど……全部リンクス養成所で教わる内容だ。本で読んだりしたんだよ、こっちに来る前にな」

 

「……」

という事は14歳までにこの知識を蓄えていたという事だ。

王や優秀な家庭教師から教育を受けてリリウムも14歳の時点でかなりのレベルに達していたがそれでもこの知識量は驚きと言う他ない。

文学と歴史の知識に裏打ちされた深い知性は戦闘時の鬼の様な動きからは想像も出来ない。

何故リンクスにならなければいけなかったのだろう、他に道は無かったのだろうか、と実はガロアが初めてリリウムにあった日にリリウムに抱いた印象と同じことを考えていると目的地に到着した。

一方的な知識の披露は得てして女性には敬遠されがちだが、受けた教育の程度の差はあれど二人とも知識の到達度が非常に高かったためこの会話はこの上なく有意義な物だった。

 

 

 

 

その頃セレンはアレフの前で髪を高く結い、コンピューターと向き合っていた。

着いて行きたいのはやまやまだったが、やれるときにやれることはやっておかなければならない。

今回修理が必要になったのはいい機会だと考えて、FRSメモリの変更やまた大きくなったガロアの体格に合わせて調節をしていく。

先日身長体重を測ったところ大台に乗って203cm、104kgと超一流スポーツ選手そこのけの身体になっていた。

些か、いや、大分デカくなりすぎだがアブの話を鵜呑みにするならば遺伝的にまだまだ大きくなる可能性がある。

180cm近い自分ですら顔を見るには見上げねばならず、リリウムとならぶと最早親子ほども身長差がある。

ウィングスパンは220cmあり、ベッドが実に窮屈そうだ。

 

(この際だから…服でも買ってこりゃいいんだが。あいつは絶対自分から言いださないだろうからな…リリウムが気を利かせてくれればあるいは…)

セレンは沢山の服をカラードに置いてきたが、ガロアは着れなくなったので捨ててきたと言った方が良い。

ズボンに至っては3着しかない。そもそもが2mの大男に合う服自体が少ない。どうしているかな……とついつい考えてしまいちょっと集中が途切れがちなセレンであった。

 

 

 

ガロア達はようやく頼まれていた物を買い終わった。

 

え?それってこれじゃないの?

メーカーが違います、製造元が違います

 

というやりとりを10回ほど繰り返したが化粧品といえば口紅くらいしか知らないガロアにとっては全くもって意味不明だった。

化粧品店で化粧品を見ていると店員にデートですか?と声をかけられてリリウムが照れたりするなんてイベントもあったがとりあえず目的の品は買えた。

 

普段は50km走ってようやく疲れるくらいなのに、たかだか3時間街を歩いただけでどっと疲れた。

 

『コータロイド率いるFreQuency、新譜発売 連続初週売り上げ一位記録更新』

 

(……疲れた)

リリウムが飲み物を買ってくると言ってその場を離れている間、ガロアは何をするでもなく手提げ袋を持ったまま何の興味もないポスターの前でぼけーっと突っ立ていた。

 

「音楽を聴いたりするのですか?」

飲み物を両手に持って帰ってきたリリウムが、ポスターを熱心に見ていると勘違いしたのかそんなことを聞いてくる。

 

「いや……全然。リリウムは聴くのか?」

手渡してくれた飲み物のヒンヤリとした感じを心地よく思いながら聞き返す。

 

「クラシックなら…」

どちらかというと聴くよりも弾く側なのだが、あえて言うのならば聴くジャンルはそれぐらいしかない。

テレビも雑誌も読まないガロアとリリウムは実は同じくらい世間の流行に疎い。

 

「……」

 

「あの」

 

「え?」

 

「てっ……手」

 

「手?」

 

「手を繋ぐとか、もう……ダメですか?」

 

「……!」

飲み物を持っていない方の手を差し出すリリウムの顔はもう一瞬で世界の終わりみたいな顔をしていた。

今日も今日とて色々ありすぎて、リリウムがその内にどんな感情を抱いているのかということをすっかり忘れてしまっていた。

そんなに勇気を出して言う事でも無いはずだ、たかだか手の触れ合いなんて。そう思って右手を見る。

 

(……この手は……)

寝るときにいつも、母を信頼する子供のようにセレンに預けている手だ。

美人なのは見れば分かる。健気に自分を変えたいと思って行動した強さがあるのも知っている。

今更ながら、目の前の少女が自分に好意を投げかけてくれていることに重みが出てきてしまった。

何も考えずに動物みたいに、それこそリザイアの言う通りに手当たり次第にやれば脳みそとろとろの幸せそうな人生は送れるのだろう。

それでも、手の先一部だけでも渡してしまえば何か自分の中で大切な物が壊れそうだった。

ガロアはやはり未だに恋という男女の間の感情が理解しきれていない。

 

(誰も悪くない……はずだよな)

下手な断り方をすればそれでリリウムは酷く傷付くだろう。

好意を持つこと持たれることに悪い部分など一つもないのに、そこに男と女が混じると厄介なことになる。

傷付けたくない、リリウムはそうなるべき人間じゃない、と思いながら悩んでいると意外なウマイ言い訳を思いついた。

 

「手……大変だと思うけど、多分……」

 

「あっ」

ガロアがだらんと手を下に垂らしてもリリウムの肩の位置に腕があるのだ。

昔どこかで見た、小さな宇宙人が二人の男に挟まれて手を掴まれている写真とどっこいななんともみっともない姿になってしまう。

言われてリリウムも気が付いたようだった。

ガロアとそう変わりないレベルで恋愛が分からないリリウムの中で、憧れといえば夕暮れの砂浜や賑やかな街で尊敬できる男性と手を繋いで、溢れる思いを静かに揺蕩わせながら歩くこと……だったが、この身長差は少々想定外すぎる。

 

「ああするか?」

と、ガロアが指差した先には5,6歳ぐらいの女の子を肩車している恐らくは父親であろう男の姿があった。

確かに身長差でいえばそっちの方がお似合いだ。

 

「………………いえ……いいです……」

 

「……」

傷つきはしなかったががっくりとうなだれるリリウムの綺麗なうなじを見ながらガロアはほっと息を吐いた。

戦場で適当な敵を相手するより余程緊張してしまう。

 

だがこれでは結局リリウムの心に決着をつけたことにはなっていない。

いつか、ちゃんとはっきりと理由をつけて断るべきだったと思う日も来るのかもしれない。

 

 

 

ボォーン

 

 

 

「?」

そんな中身のあるようでない会話をしていると街中に低い音が響き渡った。

音のする方を見ると大きなスクリーンがはめ込まれた巨大なアナログ時計があり、丁度12時を指している。

 

「でかい時計だな」

 

「平等の象徴だそうです」

 

「何故知っている?」

 

「一回来た事があります」

 

「……? 腹減ったな」

誰かと来た事でもあるのだろうか、と思ったがそこまで興味があるわけでもなく、昼の鐘を聞いて鳴り始めた腹に素直な感想を出す。

 

「何か食べましょうか」

 

「海産物が美味いらしい」

 

「どうして知っているのですか」

 

「………小耳にはさんだ」

 

「?」

その間の意味が理解できないリリウムであったが、ガロアの言う通り、辺りには魚料理メインの店がこれでもかという程ある。

 

適当な店に入りリリウムの6倍以上はある魚料理を食べながら思い返す。森にいた頃でも川で釣りをして魚を捌くことは多々あったが、

海魚などは食べられなかったし、カラード管理街も海に面していなかった為わざわざ高い海産物を食べるという選択はなかった。

食べ終わった後、外で魚屋を見ながら土産に海魚を買っていって何か作ってあげようかなと思っていると香ばしい匂い。

屋台で売っているイカ焼きに二人そろって釣られて買ってしまう。

リリウムはこんな物を買うのも食べるのも初めてだったし、外で歩きながら食べるのはちょっと行儀が悪いけど今はいいかなと思い、折角だから羽を伸ばしてイカ焼きにかぶりつく。

 

(……うーん…)

今はイカ焼きしか見えていないといった調子で一生懸命に自分の顔ほどもあるイカに噛みついているリリウムは普通に可愛いと思う。

戦争屋であるにも関わらず、カラードである種アイドルのような扱いを受けていたのも納得できる程顔立ちは可愛らしく整っており、セレンとはまた別の方向性の美しさがある。

街を行く男どもは皆振り返って隣にいる大男(自分)を見てぎょっとして去っていく。自分がいなければ声の一つでもかけられていたのだろう。

と、思う程には可愛いのだが、男としての欲求はともかくとして好きになる……というような事は無い。

好きになるということ自体がまだよく分からない。好きになるとかいつからどうしてのことなのだろうか。

 

(可愛いけど……セレンの方が……)

そもそも三年以上も一緒にいて時間をかけて女性として好きになったのだ。最初から今に至るまでセレンは間違いなく美人だったというのに女性だと意識したのはつい最近なのだ。

自分は顔では女性を選ばないのだろう。そうでないにしてもそれを知るには恋愛の経験が少なすぎる。

言葉で説明できるようなものでもないような気がするが、あえて言うのならリリウムの様な可愛らしい女の子よりも年上で気の強い女性の方が好きなのかもしれない。

 

(でも……)

だが知っている。

何を捨てて……いや、何もかもを捨ててリリウムがここに来たのは何故なのか。

ここで『それは自分の為だろ』と思う程、ガロアは自惚れ屋でもなかった。

 

「あのな、リリウム」

 

「はい」

こういう大雑把で庶民的な物は食べ慣れていないのだろう、イカについていたソースで汚れた口の周りを拭いてやりながら言葉を続ける。

 

「強くなりたいって偉いよ。強いことは別に偉くないからな」

 

「……ですが、強いことはそれだけで尊敬を集めます」

 

「それはな、何もかも最初から強くはないからだ。強くなる過程があったからだ。なら一番偉いのはライオンか? アームズフォートか? 核ミサイルか?」

 

「お前は偉いと思うよ。いや……他にも……」

一体どれだけのリンクスが自分の起こしたとんちんかんな行動でラインアークに来て、その中のどれだけの人間が打算を抜きにしてこちらに来たのだろう。

普通に、どちらにも関わらずに放っておけばそのどちらにも致命的なまでに死人が出ていたのだろうか。

 

「……」

何が何やら分からないが、今いきなりガロアに認められ、褒められていることを理解したリリウムはどう言っていいのかも分からず、内側の喜びを表現しようもなくまた一口イカを口に入れた。

 

「俺は強かっただけだ。そうしなきゃ死んでいたから。それだけだ」

 

「……その、それでも」

 

「終わったら、ちゃんと爺さんのところに帰れよ。俺はな……」

 

「……ぁ」

 

(大切な人の為に戦う……俺は……もし、そうならやっぱり……)

ごにょごにょと尻すぼみに何も言わなくなってしまったリリウムを見て眉をしかめる。

ガロアは静かに自分が歪んだ最初の理由と感情を思い返していた。子供だった自分は誰にどうしてほしかったのか。

今はもうよく思いだせない。あの侍男と最後まで戦った時、死ぬかもしれないと考えた時に『嫌だ』と思った理由と根は同じような気がした。

 

「あの、ガロア様……お洋服を見たいのですが…」

 

「服? ああ、いいけど」

自分みたいに格好に無頓着な野郎ならともかく、純正お嬢様のリリウムに何も無い狭い部屋でしかも服も置いてきたというのはキツかろう。

リリウムが気分良さそうに歩いて行く方向へと従者のようにのしのしと着いて行った。

 

高級店にでも入るのかと思ったがそういう訳でも無かった。安価ながら良品質な男もの女もの両製品を扱う普通の店だった。

いつも思う事だが動物はオスが派手に飾りたてるのが基本なのに、どうして人間に限っては女性の方が着飾ることへの興味が強いのだろう。

まだ喋れなかった頃、日曜日は大抵街にセレンと一緒に(というよりも守られながら)食材を買いに行ったが、二回に一回は服を買いに行くのに強制的に付き合わされた。

セレンが数時間かけて服を選ぶのに対し、何か選べと言われたガロアは一分もかからなかった。それでいいのか、と毎回聞かれたが隠すところが隠せて寒さが防げればそれでいいと思っていた。

女性と二人で出掛けて別の女性の事を考えるという大変失礼なことを先ほどからしているガロアだが、幸いリリウムは服を物色するのに夢中で気が付いていなかった。

 

「どっちが似合いますか?」

 

「え? こっち」

 

「じゃあこっちを買いましょう」

 

(やべっ、反射的に答えちゃった)

両手に服を持っていたのは分かったが何も考えずに左側を選んでいた。

どっちも似合うのだろうからどっちも買えばいいのに、と思ったが全室あの間取りならあまり服を置く場所も無いか、と勝手に一人で納得する。

 

「ガロア様は服を買わないのですか?」

 

「ん? 今ある服で十分だ。ちゃんと洗濯すればまだまだ使えるしな」

 

「……」

そういうことじゃないんだけど、とリリウムは思うがよくよく店内を見てみればガロアの体格に合う服がない。

モデル顔負けの10頭身なのだがデカければスタイルがいいという物でもない。

だが自分と同い年の少年が洒落っ気の1mmも無いジーパンに無地の白シャツとパーカーで終わりというのはどうなんだろう。

 

「行くか」

天井からぶら下がる広告に頭をぶつけないように下げながら歩くガロアを見て思いつく。

 

「帽子とか…。これはどうでしょう?」

 

「帽子?」

言われるがままに手渡された帽子を頭に被せると帽子のつばで上側が見えなくなった。

要所要所で頭をぶつけてしまいそうだ。

 

「……」

癖毛もいい感じに抑えられるし似合ってないことはないが如何せん背が高すぎてどんな帽子かすらわからない。

目に影が落とされて威圧感が倍増している。

 

「いいや」

 

「そうですね……」

 

結局リリウムの服を数着買うだけに終わり、レジで会計を済ませて外に出ると向かいが酒店であることに気が付く。

 

(酒…か……)

正直酒は臭いからしてあまり好きでは無い。料理には使うがそれだけだ。

セレンは出会った頃からよく酒を飲むが、酒癖もよくないしだらしないからあまり飲まない方がいいとは思う。

だがこっちに来て以来酒は一切飲んでいない。

特に文句らしきことは言っていないが嗜好品の類が極端に制限されている今、相当ストレスだって溜まっているだろう。

折角街まで来たのだから一本くらい買っていってもバチは当たるまい。

 

 

「お酒は苦手なのでは?」

 

「いや、セレンが飲むからな」

 

「何か買っていきますか?」

ずっとセレンの事を考えていたのだろうか、と考えるとリリウムは心がちくりと痛んだが口にはしない。

 

「そうするか」

 

まだ10代の二人には少々早い店の中を物色するが、興味もないし付き合いでも全く飲まないガロアには何がいいのかよく分からない。

高いのを買えばいいのだろうか、と思ったがセレンは高級志向という訳では無い。

店員に美味い酒はどれですか、なんて聞くのもアホらしい。

そんな時96%と小さく書かれた酒の瓶を見つける。よく分からないが多分濃い方が美味いんじゃなかろうか、と思いそのままレジに持っていく。

リリウムは絶対良くないと思ったが、セレンがどれだけ酒を飲むのかを知らないため何も言えなかった。

 

「そのパーカーお気に入りなのですか?」

店から出た後リリウムが自分を見上げながらそんなことを言ってくる。

 

「…よく見ているな」

 

「最近よく着ていますよね」

 

「……」

何度も上塗りするかのように首に付けられた跡が恥ずかしいから隠す為、とは口が裂けても言えない。

それにしてもよく見ている。確かに毎日どこかしらですれ違うがいつも話しかけているという訳ではないのに。

やはりあれだろうか、好きな人は自然と目で追うとかいう。自意識過剰なのではないかと心の一部が言うが、それ以上にリリウムの行動の節々から好意が見え隠れする。

嬉しく無いわけでは無いが、本当にどうしていいか分からない。

 

「おにーさん、新聞買わない?」

 

「んあっ?」

話題変わり過ぎだろ、と思いながら隣を見るとそれはリリウムでは無く、視線の遥か下でガロアに新聞を差し出す女の子の声だった。

 

「ラインアーク安定の経済成長、だってさ。買わない?」

だが差し出された新聞にはでかでかと『同時多発テロ、揺れるメガコングロマリット』と書かれている。

 

「書いてあることが違うぞ」

 

「あ、あれ? あ! それは昨日の記事だった…」

 

「字が読めないのか?」

 

「……?」

リリウムにはすぐには分からなかったが、平日のこんな時間に働いている子供がまともな教育を受けているかは怪しい。

 

「うん」

 

「おいガキ、学校はどうした」

少々興味が出たガロアは新聞を受け取りながら女の子と同じ目線まで頭を下げる。

 

「お金がないから行けないよ。働かないと」

しゃがんでようやく目線が同じになる様な男によく声をかけたな、とガロアはひっそりと思った。

 

「親は?」

 

「いない」

 

「!……戦争で…ですか?」

 

「ううん。最初からいないの」

 

「……」

来るもの拒まずを謳うラインアークだが社会問題の一つとして捨て子問題がある。

無論、経済的に困窮している者がわざわざラインアークまで来て子供を捨てて帰るなどという余裕がある筈がない。

権力者が経済的理由以外で生きていてもらっては都合が悪い子を捨てていくという例がそれなりにあり、それと同じくしてやはり戦争孤児もかなり多い。

 

「買ってやるからちょっとこっち来い」

自分の三分の一ほどの重さしかない女の子の首根っこを掴んで連れて行こうとする。

 

「え?え? あたしまだそういうの出来ないよ!」

 

「何言ってんだ」

多少暴れたが首から吊るされては大した抵抗も出来るはずも無く、連れられるままに路地裏に来てしまった。

何をするつもりなんだろう、とリリウムは不思議そうな顔をしている。

 

「お前、どうやって暮らしているんだ?」

 

「あたし、新聞売らないと……」

 

「買ってやるから」

 

「うーん……」

 

「学校に行かずに働いてんのか?お前まだ12、3歳とかだろ」

 

「みんなそうだよ。済むところと食べる物を用意してもらう代わりに働いているの。それがルールだから」

 

(そんなもの当たり前だとは思うけどな……。だけどなぁ……)

自分が小さかった頃や父の教えを思い出すとラインアークの強いること自体は間違っていないとは思うが、目の前の少女が当然のようにそんな事を言う姿にどうしてか心が痛む。

 

「働いたお金で学校に行ったりしないのですか…?」

 

「服とか買わなきゃダメだし……休日はご飯でないし……学校も高いんだ。しょうがないよ…。身体売って手っ取り早く学校に行っている子もいるけど……病気とか怖いもん」

さらりと出たとんでもない発言にリリウムは顔を引きつらせるがガロアは顰め面のまま。

 

(子供ってのは弱いな…。……弱い…もんなんだな……)

そうして文字も読めないまま成長した子供は過酷な肉体労働をする羽目になる。

ラインアークもホワイトグリントに頼りきりの割には街の人々がそんなに不満が無さそうだったのはそういう者達が一身に苦労を請け負ってくれているからなのだろう。

自由主義と言えば聞こえはいいが、この世界では弱い者が生きる術すら強い者に確保されてしまい困窮にあえぐしかない。

ガロアはこの子ぐらいの年にはほとんど一人で生きていたこともあり、弱い者は勝手に死ねという考えだったというのに。

 

(親とか……いるよな…弱いんだから…。クソっ……)

そんな事を考えるとまた怒りが湧いてくる。

そう、子供には親が必要なのだ。守ってくれる存在という理由以外にも、理由をあげていけばきりがない。

子供から親を奪うことなど許されることでは無く、それゆえ、人を勝手な理由で殺していく行為は悪なのだ。

だからこそアナトリアの傭兵を許せず、だからこそ殺せない。もうすぐマグナスは親になる。こういう世の中の当たり前の成り立ちのようなものを考えると酷く頭が痛む。

 

「ガロア様?」

 

「引き留めて悪かったな。その新聞全部買ってやるよ」

 

「ほんと!?」

鞄の中の新聞を全て渡されるのと引き換えに、財布の中身を全て渡す。

上手くやりくりすれば一年は暮らせるほどの金がある筈だ。

 

「さぁ、もう行け。多い分はお前のにしていい。学校に行け。でも誰にも金を持っているところを見せるなよ」

 

「うん! ありがとうおにーさん!」

 

「悪いな。見ての通り、金が無くなっちまったから買い物は終了だな」

駆けていく女の子の背中を見ながらリリウムに声をかける。

 

「そうですね」

すっからかんの財布と大量の新聞を抱えたガロアを見てリリウムは嬉しそうに笑っていた。

 

「随分嬉しそうだな」

 

「小さい子に優しいんですね」

 

「……ここには撃ち殺して食える間抜けな動物もいないからな」

 

「……」

ガロアが何を言いたいのかはよく分からなかったが、そんな事よりも今、少女にした行動の方が大事だ。

ぼけっとしているし、洒落っ気の欠片も無いし、気の利いたジョークも言わないし、女性に対して気遣いがあるわけでもない。

最初はシンパシーと興味、そして命令だけで接触したが、自分はこの人を好きになって良かったとリリウムは静かに思っていた。

 

「さて……この新聞どうすっかな」

鞄から出されたむき出しの新聞を両手に抱えて屈託なく笑うガロアはリリウムの今日一番の思い出となった。

 




さりげなく未来史も書いていくスタイル。

日本もいずれ英語圏の圧力に屈するでしょう。
300年後には純粋な日本人はいなくなると言われていますし。
アーマードコアが登場する以外は、あんまり見当外れな未来ではないかと思います。


ガロア君、歴史に詳しいですね。
きちんと父やウォーキートーキーに教えられたからです。
これがのちのち結構大事なことになっていきます。
歴史というのは誰かの主観を通して得られたものですから。


例えクレイドルやコジマ、アサルトセルを解決してもこの世界は問題だらけです。



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中心 ウィン・D編

少し時間は戻り、ラインアークに移って一日目の出来事です。


ラインアークは結構気に入った。気候も悪く無いし、青い空と吹き抜ける潮風が気持ちがいい。

地球は想像以上にボロボロだったが、この季節感だけは一年中適度な気温に保たれているクレイドルでは味わえない。

あそこには太陽も風も夜も星もないのだから。

 

 

こんなに気持ちのいい目覚めって中々ないだろうな。

そう思いながらウィンは一枚だけのブランケットを横にずらして大あくびをしながら起きた。

太陽の光を受けてきらきら光る白いカーテンが爽やかな風で揺れている。

二度寝をしようとも思えない程見事な朝だ。寄せては返す波の音が眠気をさらっていく。

 

「……。うへっ、可愛い」

隣ですーすーと寝息をたてるレイラの可愛いこと可愛いこと。

顔の傷ももう気にならなくなった。むしろアクセントになっていていいじゃないか。

これにケチをつけるような奴がいたら木星あたりまで蹴りあげてやる。

寝ているのをそのままに、大きな人形を抱きあげるようにして顔を寄せる。

毎晩毎晩、この柔らかい身体で寝るのが最高の癒しだった。

 

「………普通に起こしてよう」

 

「いいじゃないか、いいじゃないか」

眠そうに目をこするレイラがぼやくように文句を言うが無視して頬と頬をこすり合わせる。

このつやつやとした肌は若い女性にしかない。それだけで保護されるべきだと思う。

 

「ご飯…どうしようか…」

 

「下に食堂があるって話だし、行こうか」

 

 

食堂までの道中考えていた。

かなりの値段がした屋敷を勢いよく中身と土地ごと全部捨ててきてしまった訳だがどうなるのだろう。

まぁ、今はすこぶる機嫌はいいのだが、終わった後またあそこに帰れるのだろうか?

というよりも……自分はまた両親に会えるのだろうか。『全てを捨てて先へと行く』という選択を自分は人生で二度もしている訳だ。

中々決断に満ちた人生ではないか。

 

(全てじゃないか)

我が身のみで地上に来たあの時とは違い、今はパートナーが着いてきてくれている訳だ、と隣の少女に目をやった。

少女、と表現したが背も高く凛々しいウィンに比べるとそう見えるだけという話であり、ウィンは本当は彼女が何者で年齢がいくつなのかも知っている。

本当はレイラとウィンが呼ぶこの少女はウィンと同い年だった。

 

メルツェルの話では作戦が終わったら自分達も急いで宇宙に行くという。それは強制なのだろうか。いや、多分そうでなくとも地球にいたいなんて言ったら誰もが説得しようとするだろう。

そうなるとあの家には帰れない。それはそれで構わないのだが……それにしても、そんなにもコジマ粒子というのはどうしようもない物なのだろうか。

世界がこんな状況に追い込まれても何も出来ず、それでも使わずにはいられないあたりに人間のどうしようもなさがよく表れてしまっている気がする。

それに、今こんなに争っているのに全員宇宙に上がった途端に平和になるなんてあり得ない。

今までは地球という巨大な依り代の上でどんぱちやっていたのだが、それと同じテンションで宇宙で争えばあっという間にクレイドルは沈んでしまう。

ネクストを一切持ちこまないなんてことが出来るのだろうか。

 

「レイテルパラッシュって女の子みたいだよね、女性の騎士様」

大して美味く無い食事を口にしているとレイラがそんなことを言ってきた。

まぁ確かに、あの機体を見て性別をつけるならば男にはなるまい。

 

「なんでそう思った?」

 

「そうじゃなかったらウィンディー乗らないよね」

少しどきっとした。

自分が全く男が苦手……という以上のことはばれてはいまいと思うがそれでも。

でも自分に全く男っ気がないことに対してもしかしたら何かを感じているかもしれない。

 

「ふむ。インテリオルの機体は女性的だよな、なんとなく」

あくまでその言葉にはショックを受けていないというように、さらっと言葉を返す。

言われてさらに考えてみるが、どいつもこいつも乗っている機体が「らしい」と言える。

ローディーの乗る機体は武骨で特異な戦法一点を練りあげた機体という感じがするし、ロイのマイブリスもよく似合っている。

リリウムの乗るアンビエントは誰がどう見ても女性が乗っていると言うだろう。あの小憎たらしいガロアの乗るアレフ・ゼロの黒い配色と装備も実に本人と似合っている。

 

「今日はウィンディーどうするの? 出撃は出来ないし、する必要も無いし」

 

「うーん」

実を言うとウィンディーの頭の中で今、明確にやりたいことというのは一つだけある。

ガロアにもう一度正々堂々再戦を申し込み勝つことだ。勘だが、ああは言っていたものの普通に申し込めば断りはしないだろう。

 

勝利よりも敗北を見直すのが強くなるために大事なことなのだが、プライドに大きな傷を付けるためにそれをやる者は少ない。

あれから結構な夜を敗北を思い返すことに使っていた。調べてみたところ、多分使っていたのは八極拳とジークンドーだろう。

踏みこみを邪魔して、その隙に脚にタックルをしかけて腱を切れば勝てるんじゃないだろうか。サブミッションはまだそこまで得意では無いが。

問題はこのレイラやあのオペレーターが嫌がるであろうこと、そして何よりも張本人がラインアークにいないことだった。

 

実はガロアの使う技はそれだけでは無いし、かなり手加減もされていたということをウィンはまだ知らない。

 

 

「街に観光にでも行って来たら?」

 

「うん? 行くか?」

南国の太陽と風を受ける活気のいい街で食べ歩きながら綺麗な服を見て回って化粧品を選び合って、そんな想像だけで心癒される。

心が暗くなる様な出来事ばかりが起きるもんだから、そんな当たり前の日常が眩しい。

この少女が何かを欲しがることはないが、色々と買ってやりたいというのはこっちの気持ちなのだ。

もしかして未だに居候だとかそんな後ろめたいことを思ってしまっているのだろうか。

 

「ううん。格納庫での作業の仕方も確認しなきゃいけないし、挨拶もしなきゃ。一人じゃ寂しいだろうから、リリウムちゃんを誘いなよ」

 

「何か買ってきてほしい物はあるか?」

ピンポイントでリリウムと言ったことに対する驚きと、頭の下がる様な働きっぷりに対する感謝が入り混じって結局ありきたりなことしか言えなかった。

 

「甘い物と……あとなんだっけ、魚の卵?で美味しいのがあるって聞いた」

 

「じゃ、買ってくるよ。夕方には帰るから待っててくれ」

 

そうと決まったら善(?)は急げだ。

格納庫の方に向かったレイラと別れてすぐにリリウムの元へと向かった。

そうだろうなと思った通り、やはりリリウムも暇そうだった。当たり前だ。ここには何も無さすぎる。

今日一日暇だろうから中心街に行こう、と言ったら『はい』と一言で着いてきてくれたのが心をほっこり温かくさせた。

 

今日も今日とてラインアークは赤道の熱い太陽光に晒されていた。

やはり出かけるのは女同士に限る。

これは多分自分が男が好きでもそう思うのだろう。

変に気張る必要も無く、すごく欲しいわけでもない沢山の品々をこれが部屋にあったらなんて中身のない感想を言い合いながら通りに並ぶ店を巡り巡る楽しさ。

小腹が空いたら甘い匂いに誘われるがままに買う……前に二人であれがいいこれがいいなんて会話で無駄その物に思える時間を過ごして、違う味を買う。

男は男同士、女は女同士でいるのが普通は楽しい。ましてや自分のような人間ならなおさらだ。

 

 

「ウィンディー様は戦いが終わったらどうするのですか?」

 

「えっ?」

ひとしきり買い物をした後に唐突に言われて思わず馬鹿みたいな声をあげてしまった。

こう言ってしまうと悲しいが、いつも自分が積極的に話しかけてリリウムは聞き役に徹している。

ましてや自分から何か重そうな質問をしてくることは滅多にない。ただ、それは自分に対してだけでは無く、生い立ちから考えても誰に対してもそうなのだろうと思っていた。

 

「そう長くはかからない作戦ですから」

 

「作戦ね……。リリウムはどうしたいとかあるのか」

完全なテロ行為と企業にはみなされているがもう既に企業の基盤はガタガタで終わった後も企業連が存在しているかどうかは分からない。

それにテロといっても一般市民を脅かして無理な主張をしているわけではないから立派な作戦なのだろう。

しかしまぁ、大事な話だ。よく考えてみれば自分もリリウムの年の頃にはどの大学のどの学部でどんな勉強をしたいかとか結構考えていた。

親や教師にああだこうだ言われ、自分の主張をあれこれ説明して。本来ならそういう年齢なのだ。

 

「リリウムは小さい頃……ぜんそくが酷かったんです」

その言葉を聞いてウィンの右脳が回転して一気に想像が広がった。

白を基調とした部屋の清潔なベッドでこんこんと咳をする小さい頃のリリウムを想像すると、

 

(守ってやりたい……!)

となるわけだ。深刻ではないがある程度には病弱な幼少期……そんなもの似合い過ぎている。

そんなウィンの脳内を知るはずも無くリリウムは言葉を続ける。

 

「そこでずっとかかっていたお医者様がすごく素敵な人で、だからリリウムはお医者様になりたいんです」

 

「いいっ、すごくいい!!」

大人になるにつれて生じる薄汚さが一切ない綺麗な夢だ。

もう魂をかけて応援してやりたい。病気になって診断してもらいたい。

 

「AMS適性があれば、手術中に手の震えを抑える為の器具や、人の手よりも細かい操作を出来る機械の手なんかも扱えますから」

 

(そんなのあるんだ)

ネクストはあんな大きさだが、確かに小さくすればAMS適性のある者なら、人の手ではいじくりにくい場所も器用に切除できる機械を自分の手のように扱うことも出来るはずだ。

ちょっとした手先の狂いが生死に直結するのだから、悪くはない発想だ。

暗いところばかり目立つ技術だがそんなところもあるとは知らなかった。問題はまず量産されないということだろう。

 

「大人もそれがいいと」

 

「え、本当に?」

 

「? はい」

 

(ふーん……あの陰謀屋がなぁ……)

悪い噂ばかりが先行するし、実際にインテリオルだって奴に出し抜かれて被害をこうむったことは一度や二度では無い。

レオーネメカニカだったころから……もっと言えば国家解体戦争が終わった直後から奴は淡々と自分の利益と敵対企業の不利益を重ねてきた。

それでも家族に見せる顔と外の顔は違うのかもしれない。家族といっても奴は独身だが。

さらに考えてみれば奴が懐刀のリリウムをこんなところに送ることを承諾したこと自体、噂から想像される男と重ね合わせればおかしいことなのだ。

 

「ウィンディー様は?」

 

「うーん……。私がクレイドルから降りてきたのは知っているか?」

そういえばこれを家族ではない誰かに話したことなどなかった。

というよりも、人にペラペラしゃべる様な夢では無いと分かっているからだった。

ただ、それを適当な言葉で誤魔化すことも出来たが、リリウムには素直になってみたいと思った。

 

「はい」

 

「歴史観って、人によって違うだろ? 特に国が違えばますますな。私はこう思う、俺はこう思ったなんてディベートをゼミでもやらされたよ」

ウィンは大学で歴史を専攻していた。そこで得るものがなかったかと言えば嘘になるのだが、思ったよりも得るものが少なかったというのは間違いない。

教授ごとに主義主張が違うというのに、学生は必死にノートをとって単位を取るためだけの勉強。そして後はクソくだらない恋だの愛だのをやっていて、何の為にそこにいるのかが分かっていない連中ばかりだった。そんなくだらなさに嫌気がさしていたからやめた、というのも間違いでは無いが、実を言うともっと簡単な理由がある。

 

「大学に通っていたのですか? 知りませんでした」

 

「やめちゃったけどな。でも、黒い鳥という伝承はどこにでもある。どこでも同じ。なんでだ? 地上に降りて実際に調べても分からん」

その簡単な理由というのは、実は歴史というのは人から聞いたことを鵜呑みにしていては何も始まらないと分かったからだった。

積極的に調べて、時には自分の目で見てというのを繰り返さないと、出来上がるのは教わった歴史の共通部分だけをそつなく語る機械だ。

真実ではなく、歴史を語るだけの人間になってしまう。ましてや地球で繰り返されたことを地球から離れて語るなんて愚の骨頂だ。

 

「ですが、終末論や末法思想は結局どの宗教にもあるような気がします」

 

「オーパーツってあるだろ。いや、例えばの話だぞ」

 

「はい……?」

リリウムがどれだけいい子でどれだけ可愛くてもその反応は今までのその他大勢と大して変わらなかった。

少し困惑したように笑って返事をして、それでも語尾には疑問が混じる様な__

 

「おかしいって思っただろ、今。ちょっと変なこと言っているぞこの人、って」

 

「い、いえ、そんな」

 

「それでいいんだ。それが普通だから。長い間積み重ねられて強固になったパラダイムの仕業だ。それは世界中にあって、そうなると……おかしなことになってくる」

 

「……?」

 

「あり得ない場所からあり得ない物が出て、あり得ない結果が出た時……その事実は私達が作りあげてきた常識と歴史観になんとかつじつまを合わされて、それでもダメなら実際に見てない者達から笑われ否定されるんだ。事実や真実は人が認識する歴史によって蹂躙される。そんなことは今まで何度だって起こってきた」

 

「どういうことですか?」

 

「コペルニクスやガリレオの地動説は真実にも関わらず否定され、主張した本人の命すらも奪われそうになった。真実なのに、だ」

 

「それは宗教的に認められなかったからではないですか?」

 

「そういう事を積み重ねると、『我が国の行為こそが正義』みたいな最悪極まった悪が出来上がってしまうんだよ。私が……地面をほっくり返したらペガサスの死体を見つけました、地球には昔ペガサスがいましたと言ったら信じるか?」

 

「その……ウィンディー様がそういうなら」

やっぱりいい子だな、とその困惑交じりの笑顔を見てウィンは思った。

なるべく否定しないように、思っていたとしても相手を傷つけることは言わないように。

その反面、そういう角が立つ行為をなんとか避けようとする人間は戦争屋なんかには向いていないとも思う。

 

「いや、いいんだ。それは私もあり得ないと思うから。じゃあ、どっかの知らない人がそう主張していたら……信じないだろ? 笑っちゃうだろ? 酷い奴は陰から叩き始めるよ」

 

「……」

リリウムの表情が少し暗くなった。

もしかしたら、王小龍があることないこと言われて、それに加えて自分自身も色々と暗い噂をされている面もあるということに対してなのかも、とウィンは思った。

そしてそれは当たっていたのだが、それをウィンが口にしようと思うことはなかった。

 

「……マンモスの氷漬けみたいに雪山からACとか出ちゃったりしたら……歴史がひっくり返るはずなのに、誰も信じちゃくれないだろ?」

 

「そんな、まさか」

 

「そうだよな。そんなまさか、だ。でも出ちゃったら、何十億ものそんなまさかとの戦いさ。今はインターネットなんかある分ますます苛烈な攻撃が来る」

 

「見れば信じます! 見れば誰だって」

 

「世界中の人間にどうやって見せる? 映像でも画像でも今の時代誰も信じないさ。いや、直接見ても信じないかもな。誰もが知らない途轍もない真実を知った時、人はどうなるんだ?」

 

「……?」

 

「手がガタガタ震えるだろうな。これがあれば世界をひっくり返すことだって、って想像して。そして絶望すると思う。真実は自分の手にあるのに、世界中が敵になるなんてって。だからな、私は別に歴史をひっくり返すような発見をしてやろうなんて思っているわけじゃない。それはもっと気骨のある奴に任せる。私は、私の真実を抱いて死にたい。その為に地上に来たんだよ」

それはウィンの性格がよく表れた言葉だった。真実は自分だけが知っていればよい、誰に知られる必要も無い、と。

優秀すぎるが故の弱点だろう。一人でできるから、一人で突っ走り他者の理解を求めない。それがリンクス、戦争屋としての彼女にも表れているのは実に危険なことだった。

実は今の状況が彼女にとってとても恵まれているということは恐らく一生分からないだろうし、そもそも誰もそんな恩着せがましいことは言わないだろう。

 

「……」

もうついていけない、と言わんばかりにリリウムはぽかんと口を開けて黙ってしまっていた。

戦争が終わって自分がこれから昔願った通りに世界を放浪したとしても誰に理解されなくとも構わない。

両親ですら、認めてくれなかったことなのだから。

 

「……ところが、地球が、この地球が……私達が立っているこの世界が全ての過去ごと砂になろうとしている。認められるか、そんなこと。私の宝を捨てろと言うのか」

 

「この作戦が終わったら宇宙に行くことになるんですよ……?」

 

「そうなっても、石に噛みついてでもこの地球に戻ってくる。全部が砂になる前に。いや、もしかしたら私はみんな宇宙に行ったとしても行かないかもな」

 

「い、いやですそんな……」

悲愴な顔をするリリウムの想像通り、そうなったらもう二度と会うことはない強制的な別れになるだろう。

だがそれはウィンとリリウムの『夢』というものに対する考えの違いだ。

ウィンにとって『夢』とはその為に命を賭けて殉じる為の物だった。

両親を守り、地球を守ったならあとはもう自分の為に生きてみたい。

そもそも誰にだっているはずだ。

今までの人生で知りあったが、もう二度と会わないだろうなという人間の一人や二人は。

ただ別れの言葉を言っていないだけで、さよならだけが人生なのだとウィンは思っている。

 

「……うーん、後は……運動がしたいなぁ」

あんまり重い話ばかり続けても仕方が無い。

本当は『戦いたい』なのだが、そんなことを言えばまたリリウムは自分が傷ついたかのように動揺するだろうからぼやかして言った。

 

「運動施設もありませんから、大変ですよね」

 

「うんうん」

 

「あ、でも。ガロア様は毎日あちこち走り回っていますよ」

 

「子犬か!!」

脳の中を見られたかのようにガロアの名が出てきたことに驚き、リリウムがその名を出したことに心が痛み、

そしてその行動のあまりにも馬鹿っぽさに叫んでしまった。

 

「ウィンディー様も一緒に運動してみては?」

 

「いや、それは……。いい。ま、近いうちにやりたいことといえば思いきり身体を動かしたいかなぁ。戦争終わって暇になったらジムにでも行こうかな」

その言葉が地雷だった。

 

「あ、そうです。戦争が終わったらリリウムはガロア様に好きだと伝えます」

最後まで聞くことは出来なかった。

最近ラインアークで問題になっている違法駐輪された自転車にぶつかり、薙ぎ倒しながらど派手に埃を立ててウィンは転んだ。

リリウムの口から飛び出して耳に入った爆弾が頭に入って大爆発したかのように、髪を高く結ってポニーテールにしていたゴムが切れて茶色い髪がばらけてしまった。

からからと回る車輪を見下ろしながら頭がぐわんぐわんと揺れていた。

リリウムがガロアにいくらか好意を持っているのは分かってはいた。それでも、まだ喋れるようになってそう日の経っていないあの男はどんな魔法を使ってこのいたいけな少女を完璧に落としたというのだろう。

大ダメージを負った心が昔遊んだゲームのように『メディーック! メディーック!』と叫んでいた。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

「どど、どうして……?」

大丈夫大丈夫と、大丈夫ではないがとりあえず手でジェスチャーしながら立ち上がり尋ねる。

ますます傷口を広げるということは分かっているがそう聞いてしまう。

 

「憧れているからです」

 

「いや、そうじゃなくて、理由」

 

「強いからです」

 

「私だって強っ……、……!」

残念ながら完膚なきまでに負けている。かといってネクストで戦いを挑むわけにもいかない。

そもそもそういうことではないということに気が付いてもう黙るしか無かった。

 

「だから絶対に生き残ります。絶対です」

今まで見た事もないような固い決意を見せるリリウムの顔は強く、そしてその強さの一部は間違いなく恋から来ていると見てわかった。

 

「そ、っ、そうか‥…ががっ、ががが、がんばれ……」

もうダメだ。元々報われないだろうとは分かっていた。

それでも口に出さなければ自分はリリウムととてもいい関係で、リリウムは恐ろしい老人に守られたお嬢様で下手な男など付け入る隙など無かったというのに。

もう遥か遠くに行ってしまった。普通の世界に。いや、それも勘違いだ。元々リリウムはそっちの世界の住人だったということだ。

 

「あの……?」

 

「がんばれっ、がんばるんだぞ」

困惑するリリウムを胸に抱き寄せてから一気に泣いた。泣いているということにリリウムが気が付かないように、嗚咽を必死に抑えて。

抱き寄せたのも泣き顔を見せない為だった。誰を恨んでいいのかも分からない。これは誰も悪く無いのだから。

取り落とした袋の中にあるケーキが崩れてしまったかもしれないと冷静な頭の一部で思っていた。

 

 

それからはどうやってリリウムと別れてどうやって部屋に戻ったのかも覚えていなかった。

 

ぐちゃぐちゃのケーキを置いて油臭くなっていたレイラの胸でウィンはわんわんと子供のように泣いた。

近いうちに始まる作戦に変に引きずらないようにとわざと声をあげて思いきり泣いたのだ。

そんなウィンをよしよしと慰めるレイラがやっぱりこうなっちゃったか、と呟いたのはウィンの耳には届かなかった。




時系列的にはガロアとセレンがロシアに行っているときなのですが、どこに入れようか悩んだ結果ここに持ってきました。

さよならだけが人生だ
は、漢詩の勧酒を井伏鱒二が訳したものだったんじゃないかな、多分。記憶曖昧ですが。


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I wanna take you away from here

「お帰り。服とか買ってきたか?」

ご自由にお取りくださいと箱の中に新聞をぶち込んでガロアが部屋に戻るとセレンが少々疲れた顔で椅子に座りながら紅茶を飲んでいた。

食堂で食事をするついでに格納庫を見てきたからガロアは知っているが、セレンはずっとアレフの調整をしていてくれたのだ。

もちろん、そんな事を恩着せがましくセレンは言わない。

 

「服?」

 

「なんだ、折角街に行ったのに。買っていないのか」

 

「ずっとアレフの調整していてくれたんだろう?」

 

「ん? ああ」

 

「酒を買ってきたから飲んでくれ」

 

「……お前は私が酒を飲むのは好きじゃないと思っていた」

 

「飲み過ぎてぶっ倒れたりしなけりゃいいよ」

ガロアがリンクスになってからも2回ほどそんな記憶があるが、大体被害を被るのはガロアだしだらしないからあまりよくないとは思っているがやめろとまでは言っていない。

 

「そうか。ならありがたく頂こう」

渡された瓶にアルコール96%と書いてあるのを発見してセレンは表情を変えずにぎょっとする。

よりにもよって何故こういうのを買ってくるのか。

 

「ああ、魚もあるから何か作ろうか?」

 

「いや、それはいい。一緒に飲まないか?」

 

「やめておく。多分俺は酒はダメなんだ。父さんもそうだったし」

 

「料理にも酒は使うだろう? ダメってことは無いだろう」

お前の言う父さんとは血が繋がっていないだろう、とは思ったが口に出さない。

それに酔っぱらったガロアというのも見てみたい気もする。

 

「あんま気が進まないなぁ」

 

「一緒に月見て管を巻こう。付き合え」

 

「……分かったよ」

 

「よし来た」

ガロアを椅子に座らせて素早く氷とグラス、ジンジャーエールなどを持ってくる。

昔はまだ年が年だけに誘う事も出来ずに一人酒だったが、二人で酒が飲めるようになったと思うと一気に大人になったなぁと実感する。

 

「ほら、飲んでみろ」

ジンジャーエールで割った酒に氷を入れて渡す。

小さいグラスだから一気にいっても大丈夫だろう。

 

「……」

と、思っていた矢先に本当に一気に飲んでしまった。

こういうクソ度胸はどこから来ているのか。

 

「どうだ?」

 

「……思ったよりは飲みにくくないな」

超高度のアルコールを氷とジンジャーエールで誤魔化しているから独特の酒の味も目立たなかったのだろう。

吐き出すような真似もせず、割と気に入ったのか自分で入れ始める。

 

「そうか。ならもっと飲むといい。街で何をしていた?」

 

「化粧品買って……飯食って……あとはリリウムが服を見たいとか言っていたから見に行った」

 

「化粧品はどうした?」

 

「渡しておくようにリリウムに頼んだ。あの女は苦手だ」

 

「お前の恫喝まがいの言葉も効いていなかったしな」

 

「……」

何も答えずにグラスを一気に空にしていく。

 

「お前は服は買わなかったのか」

 

「リリウムが……帽子なんかいいんじゃないかとか……言ってたけど……やめた」

 

「ふーん? 別に悪くはないと思うがな」

 

「魚料理が美味かった。俺はそんなに魚料理は得意じゃないから……今度一緒に食べに行こう」

 

「……デートの誘いか?」

 

「………………………」

ちょっとからかったところ、黙ってまたグラスを空にしてしまった。口が悪く、人の裏をかくようなことばかり言う割にはこういう率直な言葉には弱い。

顔が赤くなっているのは酒が回ったからなのか照れているからなのか。

そういえばこれで何杯目なのだろうか。

 

「街はどうだった?」

 

「賑わっていた。でも俺は……人が多いところは好きじゃないんだ」

 

「森で育ったからか」

 

「分からない。ああ……でもなんか……人が多いと怖くなる」

 

「?」

 

「あんなに人がいても全員繋がっているわけじゃない。むしろほとんどが誰かにとっていなくてもいい存在……綺麗な街程残酷だ」

 

「……酔っているのか?」

なんだかよく分からないことを言い始めたのは酒が回ってしまったからだろうか。

 

「……酒は初めてだから分からない」

と、言いつつまたグラスを空ける。自分はまだ一杯しか飲んでいないのだが。

 

「まぁそうだよな」

 

「………」

 

「少しは垢ぬけてくるかな……なんて思っていたが……変わらないか。カラードでもそうだったもんな。俗っぽさが全然染みつかないというか」

 

ゴン

 

「ゴン?」

奇妙な音がしてガロアの方を見るとグラスを持ったまま机に頭を打ちつけて寝ていた。

瓶を見ると3分の2が無くなっていた。いくらなんでも飲み過ぎである。

 

「……初めてだと加減を知らなさ過ぎるな」

寝てしまったものは仕方が無いし、もういい時間だから寝るのもいいだろう。

 

「く…ぬ…重くなった……この……」

全身の筋肉に力を入れて何とか1mも離れていないベッドまで運ぶ。

100kgもあるのだ、多少引きずってしまったのは仕方が無いだろう。

昔は片手で持ち上げられたのによくまぁこんなに大きくなったものだ。

 

(……風呂に行こうかな)

そんな事を考えながら毛布を掛けようとしたとき、ぱっと目を開いたガロアと目があった。

 

「あれ? 起きたのか」

 

「……」

 

「……大丈夫か?」

真っ赤に充血した目でセレンを見つめるガロアは例えるならば、ホラー映画でありがちな今にもヒロインに飛びかからんとするゾンビ化した元仲間といった感じだった。

そしてその言葉通りにガロアがセレンに飛びかかってきた。

 

「え?」

いきなり抱き着かれ、引き寄せられる。

馬鹿力だということもあるが、その抱擁に逆らう理由もなく引かれるがままセレンはそのままベッドに倒れ込んでしまった。

とりあえず今のところ困惑の方が強かった。

 

「んん……」

 

(うわ! なんだこれは?!)

ガロアは胸に抱き寄せたセレンの頭に愛おし気に顔を擦りつけているが、セレンはその胸からとんでもない速さの動悸を聞いた。

普段マラソンで鍛えて心拍数はかなり低いはずなのに。

 

「お前、酔っ、!!」

言い終える前に口を口で塞がれる。

自分だって飲んでいたはずなのに、それでも異様だと思えるほど濃厚なアルコール臭がする。

欲求が前面に出てしまっているかのように舌が突き入れられ、困惑するばかりで合わせることも出来ない。

こんな雰囲気もクソもない状況では驚くばかりだ。

 

「ぷあっ、なんだ!? どうした!?」

後五秒口が塞がれていたらタップしていた、というところでようやく解放された。

相手のことを全く考えていない独り善がりな口付けを受けて、こんなことをする奴だったのかと思ってしまう。

 

「やっぱり……」

 

「な、なに?」

 

「セレンが一番綺麗だ」

 

「え? うわっ!?」

唐突な褒め言葉に力が抜けた途端、横に押し倒され、抵抗する間もなく服が引っ張られてボタンが全て飛んでいった。

 

「んあぅっ、本気か!?」

ブラの下から手を突っ込まれて乱暴に胸を触られて何とも言い難い変な声が出てしまう。

 

「本気だ」

と言うガロアの目は真っ赤に充血しすわっている。

 

(あ、正気じゃない)

本気なのかもしれないが正気が遥か彼方にすっ飛んでいってしまったようだ。

なんということだ。酒とガロアは絶対に混ぜてはいけないものだった。

 

「ん、ふっ……んんんんっっ!!」

またもや乱暴にキスをされる。

こんな突然、しかも酒にやられて正気を失った状態でなんて嫌に決まっているがそれでも強引なキスを完全に拒めない。

びしびしと身体を叩いてはみるがまるで収まる気配がない。押し返そうにも力では完全に敵わない。

無論ここから返す方法はいくらでもあるが、股間を蹴り上げるだとか指を折るだとか、当然だが相手のことを考慮していない技ばかり。

ガロアを傷つけずに収める方法は無い。もう為すがままにされるしかないのか。

 

「くぅ、ふ……」

その舌を噛むなんて出来るはずも無く、なんとか押し返そうとして結局舌を絡める形になってしまい、否が応にも身体が反応し発熱してくる。

 

「やめてくれ……」

 

「やめない」

やり取りは出来ているのに意思が通じない恐怖は言葉にできない。

 

「せめて風呂に」

ならそれはそれでいい。今日も一日暑いラインアークで働き詰めだったのだ。

こんな汚れた身体を一方的に見られるのは嫌だ。

 

「行かせない」

絶対に逃がさないとばかりに体重をかけ、さらに腕を押えつけてくる。

今まで見た事もない、本能にだけ支配されてしまった目だった。

 

「うう……。避妊具とか……」

 

「いらない」

いらないと言うならそれはそれで構わない。だが正真正銘初めてなのだ。いくらなんでも酒に酔った勢いでなんてのはごめんだ。

しかもこれで次の日に何も覚えていなかったりしたら目も当てられない。思いも分からずこんなことになっては自分の為にもガロアの為にも絶対に良く無いはずだ。

 

「うう、く……ぬああ……やめろ!!」

抜けていく力を何とか腕に込め直して押し返す。

空を切りながら振った手がガロアの頬に当たり、パァンと大きな音を立てた。

音は派手だがそこまで痛くは無いはずだ。これで正気に戻ってくれればいいのだが。

 

「……」

叩かれて少し赤くなった頬をさすりながらさっきまでの動きから一転してほとんど停止してしまった。

 

(……どうなったんだ?)

と、思ったのも束の間、ビンタしたはずなのに何故かにやりと笑い始めた。

 

「悪かったよ」

 

「う? うん? 分かればいいんだ」

だが今の笑顔は何だったのか、と問う前に腕を引っ張って起こされた。

 

「出過ぎた真似だった」

 

「んん? まぁ、その、こんなんじゃなくて……普通にしてくれれば……」

何かよく分からないことを言い始めたな、と思いながらずらされたブラを直す。

ぶつぶつ呟いているこの言葉を普段本人にはっきりと言えればいいのに。

そう思っていると。

 

ビリィ、とまた不可解な音が響いた。

 

「な……何をしているんだ? ただでさえ少ないのに」

パーカーを放り投げたと思ったら下のシャツを破り捨ててしまった。

普通片手で紙を千切る様に布を引き裂けるものなのだろうか。相変わらずとんでもない馬鹿力をしている。

 

「何度も何度も……重ね掛けしてくれたお陰で分かった」

薄くなった跡の上に上塗りされたキスマークを長い指で指すガロア。

 

「……」

確かに自分がからかい半分に付けたものだが、こうもはっきりと目の前で言われると恥ずかしいやら照れるやら。

 

「俺はセレンの物だったんだ」

 

(どうしちゃったんだ……)

その言葉が嬉しくないかそうでないかと問われれば嬉しいがそれ以前に目に正気の光が全く戻っていない。

どうしていいか分からず、たじろいでいると座っていてもやはり高い場所にある頭を赤毛が残像で線になるような速さで下げてきた。

 

「な……何をしているんだ?」

意識を失ったんじゃないか、と思う程自分の太腿の上に頭を乗せて動かないガロアに問いかけるが返事は返ってこない。

 

「……」

黙りこくったガロアは理性の全くない目をしたまま両手の指を沈み込ませた太腿にストッキング越しに口付けた。

 

「う、はっ、はぁ!! ははは、やめろって! お前はそんな事をする奴じゃないだろう!」

することも無くぶらぶらとしていた頃にしょうがなく暇つぶしに女性雑誌を読み漁っていたこともあり相当に耳年増なセレンは脚に口付けされることに意味を知っており、

それ故か訳の分からない感覚とともに電流が背筋を駆け抜ける。くすぐったさもあるがこれは非常にヤバい。

 

「セレンの脚……綺麗だ」

 

「うっ、は……やめ……」

自分勝手で誰にも敬語を使わず傲岸不遜、とその我の強さを挙げていけばキリがないガロアが頭を垂れて自分の脚にキスをしているという光景。

絶対に自分以外には何があってもしないのだろう、そう思うと頭がどうにかなりそうなほど倒錯的だ。

やめさせようと頭に手をやるが力が入らず、じんわりと太腿がぬるく濡らされていくのを感じる。

 

「嫌か」

 

「……うぅ」

自分が普段ガロアをからかう時に言っているセリフだ。こんな気分で聞いていたのか。

嫌ではないが、恥ずかしくて顔から火が出そうだ。

 

「よいしょ」

 

「え? うわぁ!」

太腿にあった手が脛まで移動して掴んだと思ったらそのまま上に引っぱりあげられて頭がベッドに投げだされる。

捲れるスカートを押えるだけで精いっぱいだった。

 

「セレンの脚って長くて綺麗で……いいにおいだ」

 

「んなっ、何をしているんだ、お前は!」

普段は理性で抑えているだけで年頃の男子なら誰だって持っている少々変態的な欲求、性的嗜好をもはや隠そうともしていなかった。

掴んだ足の裏に鼻を押し付けて森の中でリラックスするかのように大きく息を吸い込み、吐きだされた熱い息が足裏をくすぐり背筋がぞくぞくする。

 

「汗かな。ちょっとだけすっぱいにおいがする」

 

「うああ!! 言うな言うな!! やめろ!!」

くそ暑いラインアークで一日中働きながら履いていたストッキングが靴の中でどれだけ蒸れていたかなんて考えるまでもないし、綺麗なはずも無い。

ましてやどんな臭いがするか、それを今めちゃくちゃに嗅がれていると考えると頭がおかしくなりそうだ。

涙目になりながらげしげし蹴りを入れるが、こんな体勢で放った蹴りがガロアを動かせるはずも無い。

 

「やめない。いいにおいだ」

 

「う、ふっ、うぅ……やめて……」

恥ずかしすぎて過呼吸気味になってきたが、燃え上がる様な羞恥の中に僅かだが確かに分類不可能な快感がある。

 

「照れているのか?」

 

「違う、違う……恥ずかしいからもう……ああっ!」

鼻がようやく離れたかと思ったら右足の親指と人差し指がぱっくりと咥えられるという行動に官能を刺激されて声をあげてしまう。

正直脳みそがとろけるほど気持ちいいがまさかもっとしてくれなんて言えるはずがない。

 

「……」

指の間を唾液で濡らしながら爪と指を甘噛みし、ストッキング越しに足の裏を舐めてくる。

直接的な快感もあるが、視覚的な非現実感と感覚のリアルが脳内でぶつかりあって鳥肌が浮かび上がる。

声をあげないようにと歯形が残る程に人差し指の背を噛むが、まともな神経が弛緩してしまっているのか口の端から唾液が零れてしまった。

 

「や、うぅ……やめてくれ……頭がおかしくなりそうだ……」

 

「セレンもこの前俺の指を口に入れていただろ」

足と手じゃ何もかも違い過ぎる、と今のガロアに言っても無駄だろう。

もうこのまま欲望の赴くままにされるしかないのか。

 

「もう……限界だ……もうダメだ……」

 

「ガロア? 大丈夫か……?」

自分の脚を持ちながら虚ろな目でぶつぶつとうわごとを言い始めたガロアが心配になり、今何をしているのか、ということはとりあえず置いておいて声をかける。

 

「セレン!!!!」

 

「どわぁっ!!? な、なに?」

100m先にいる耳の遠い老人を呼ぶような大声を唐突に出され、セレンは脚を掴まれたまま腰の筋肉だけでその場から30cm以上浮き上がりながら返事をした。

 

「こんな戦い、もうやめて……俺と一緒にどこか遠くへ行こう」

 

「……?……え?」

唐突に出されたその言葉の意味が分かると同時に、込みあげる喜びと圧倒的な違和感を一緒に感じて困惑する。

その言葉は自分が求めていた物そのものだ。そうだ。戦いをやめて一緒にどこか戦いの無い遠い場所へ行けるのなら、それ以上の幸せはない。

それを願うあまり暴力まで振るってしまったことだってあるのに、ここに来てなぜ違和感を感じるのだろう。

 

だが、それでも。

 

「うん、連れて行って」

嬉しかった。誰にも邪魔されない二人だけの世界に行ってしまいたい。

例えその言葉が正気を失った状態から出ていて、口先だけの物だったとしても。

 

「……」

 

「好きだガロア。一緒に、戦いのない場所で暮らそう」

そんな場所がどこにあるというんだ。ガロアも自分も分かっている。きっと、だからガロアは逃げないのだろう。

だがガロアも自分のその言葉を聞いて顔を真っ赤にしたまま穏やかに笑った。

そんな風に笑えるんじゃないか。ずっとそうやって笑えばいいと思う。

 

絶対に良くない、酒の勢いなんて。そんな浮ついたものは自分はそもそも嫌いだったはずだ。

でも今自分の上にガロアがいて、自分の事しか見ていない。ずっとこうされたかった。

ダメだいいんだ、と背反する考えが回る頭を捨てて本能のままに酒臭いガロアに腕を回してキスをしてしまう。

もう戻れない。どんな言い訳も出来なくなった。

 

 

「俺はセレン以外の何もいらない」

もう一度言ってと、言う前に抱きしめられ、自分がいつもするように首筋に噛みつかれた。

 

「うあ、ああっ、くっうぅうぅうう!!」

水音が響き渡る程に激しく吸われて反射的に力を込めて抱きしめ返してしまう。

めくるめく快感を抑えることはかなわず、脚をよじらせながら声をあげ目を細める。

その先を受け入れようと思っただけで身体が燃えるようだった。もうこれでいい。幸せと言う他ない、そう思った時。

 

「……」

 

「……? あれ? おい……」

首から唇が離れたのを感じたが、それが「離した」ではなく「離れた」ことに違和感を感じ、上に乗ったまま動かないガロアの身体をつつく。

 

「なんだと…こいつ……。寝やがった……」

アルコールの分解が少しは進んだのか、心拍数は普通になっており、ガロアは自分の上で実に安らかな顔で寝息を立てていた。

 

 

 

 

 

「う……」

窓からほんのり光が差し込む時間、ガロアはカラカラに乾いた喉が張りつくような感覚に苦しみながら目覚めた。

 

「いっ、いてぇ……」

息を吸うたびに頭の中で蚯蚓がのたうち回る様な痛みがする。

 

「……………起きたか」

隣には明らかに寝不足という顔をしたセレンがいた。寝不足というよりは寝ていないという顔だ。

 

「頭……いたい」

 

「……96度だからな」

 

「なんの発射角だ? それ? ……顔洗ってくる。いてぇ……」

 

 

 

(……やっぱり何も覚えていなかったか)

ふらふらと洗面台に向かうガロアの背を見ながら、昨日勢いで最後までいかなくて良かったと心から思う。

別に嫌なわけでは無いが、流石に最後までしたのに覚えていませんでしたなんていうのはやっぱり悲しすぎる。もっと自制心をしっかり持とう。

結局一睡も出来なかったが、興奮して寝れなかったという訳では無い。もちろんそれも少しはあるが。

ずっと引っかかっていたのだ。

 

(昨日の言葉は……全部本音なのではないか…?)

そう、ガロアは今まで「戦うのをやめない、戦う」とは言っていても「戦いたい、戦いが好きだ」とは言っていない。むしろ「もう戻れない」などの後ろ向きな言葉の方が多かった。

よくよく考えてみれば昨日の言葉が全てでたらめだと考える方が難しい。ガロアの今の願いはもしかしてものすごく単純で、それを素直に表せていないだけなのではないか?

 

(だとしたら……)

本当はもう戦いをやめたいかどうかは置いておいて。

 

(昨日のあれは……普段は我慢しているという事か?)

真っ赤に跡が残っているのであろう首を指で触りながら疑問符を浮かべる。

少々変態的ではあったし強引だったが間違いなく真っ直ぐな好意と欲求に基づいた行為だった。

 

(……? 結局……私を女性として好いてくれているのか?)

だとしたらシラフの時に自分を襲わない理由が分からない。

女性に興味が無いわけでは無いのは知っているし、今までだってちゃんと10代の男子らしく敏感に反応していた。

言ってしまえばなんだが、かなり誘惑染みた真似をしているとも思う。

 

(我慢をしているのか? なんで? それともやっぱり私の事はなんとも思っていなくて……生物的に反応しているだけなのか?)

実際はガロアが物事を0か100でしか考えられない不器用な人物で、息の抜き方すら知らないというだけなのだが、

ガロア本人から自分を女性として好きだという一言が貰えていないばかりに悶々と悩むばかり。

せめてそれを聞く勇気があればいいのだが、どうやらそれが一番難しいらしい。

ただ一つだけわかるのは……

 

(ガロアは……戦いをやめるなんて絶対に言わない)

本音がどうであれ、頑固の塊のガロアがそんな事を、しかも自分に言う様な真似は絶対にしないという事だけは分かる。

 

(それでも……連れていってくれよ……どこか遠くへ……こんな血なまぐさい世界はもう……)

考えていると顔を洗ったというのに全くさっぱりしていないガロアが戻ってきた。

 

「頭痛い……今日、日曜だし……もう少し寝るよ俺」

普段ならありえない、起きた後にまた布団に入る愚行をするガロア。

 

「私ももう少し寝……」

 

「ん? これは……」

セレンもぼやくようにそう言いながら横になろうとした時、ガロアはセレンの首元に赤い跡があるのを見つける。

 

「!!」

丁度跡があるのであろう位置を触られ声にならない声を出すセレン。

 

「どっかにぶつけたのか?」

場所的にも色的にもキスマークと呼ばれる物に見えるが、セレンが自分以外の男に触れられただけでどういう反応をするか、ガロアは知っているし、ほとんど毎日一緒にいるのだ。

それはあり得ない。となるとどこかにぶつけたのだろうと思いガロアは素直に口に出した。

 

「こ…ぉ…んのぉ……」

 

「は?」

 

「馬鹿野郎がぁっ!!」

 

「あがっ!?」

風を切る音とともに振られた肘がガロアのアゴを鋭く打ち抜き、酒のせいでフラフラのガロアはそのまま速やかに意識を失った。

 

「ふざけるな! まったく……」

だが、言葉と感情とはあべこべになんだかすっきりしたセレンはぶっ倒れたガロアの身体に抱き着きそのまま眠りに落ちた。

二人が目を覚ましたのはすっかり日が暮れてからだった。

 




教訓:人が嫌がることややりたがらないことをさせない、やらない♡


次回。
ガロア、南極に行く
ガロア、フレンチクルーラーと戦う

の二本立てでお送りします。


ジンジャーエールで割ると全然普通に飲めるからタチが悪い


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スフィア防衛 -GREY LOTUS-

「段々寒そうになってきたな」

 

『こっちは暑い。羨ましい限りだ』

 

「ネクストの中じゃ分からんけどな」

南極に向けて飛ぶアレフの中で外を眺めながら欠伸をする。

どういう手を使ったのか、気が付けば王所有の南極のスフィア施設からエネルギー供給がなされており、

財政的にもかなり助かっている。この調子なら後一カ月以内にアサルトセルを一掃出来そうだとメルツェルは言う。

今はそこを防衛しているダンとメイと交代に行く途中。なんで二機で守っているところを交代で自分一機だけ送られるんだとは少し思うが、まぁいいだろう。

もうそろそろ2時間近く飛んでいるが暇だ。襲撃も無いのはいい事だが。

 

『なぁ、街に一緒に食事に行こう、って言ったこと……覚えているか?』

 

「覚えているかってなんだ? ついこの間の話じゃないか」

ところがその直後のことは全て忘れていたのでセレンが確認するのもうなずける行動だ。

 

『これが終わったら……』

 

「そうだな。行こうか」

 

『それは……その……』

 

「……デートなんだろうな。一緒に行こうよ」

 

『……楽しみにしている』

戦闘兵器に乗っているにしては少し桃色すぎる通信をしながら飛んでいく。

輸送機では無くネクストそのままで行かなければならないあたりにラインアークの苦しさが如実に表れていると思いながらもう一度大あくびをしていると。

 

『敵襲だ!』

 

「何!? どこだ!?」

見渡す限りの海、全て青のどこに敵がいるというのか。

 

『スフィアが敵の大群に襲撃されているぞ!……クソ、こんな時までECMを展開しているからほとんど通信が出来ない! 急げ!』

 

「これ以上速く飛べねえ!」

システムを通常モードに落とし全ての出力をオーバードブーストに回しているのだ。

これ以上のエネルギーを回すとなれば耐G装置を破壊するなどしなければならない。

 

『気持ちもだ!』

 

「……」

無茶苦茶だと思いながらも、せめて戦場に着いてすぐに戦闘に移れるようにジャックを差し込み接続しておいた。

 

 

 

重厚な装甲に包まれたノーマルがメリーゲートのバズーカを受けて爆散した。

だが、その爆風から逃れる様に動いたメリーゲートにさらに後ろから来たノーマルが強烈な蹴りを叩き込んだ。

 

『きゃあ!!』

 

「メイ!! おおっ!?」

一瞬気を取られた隙に巨大な目玉に脚が二本生えた化け物としか言いようがない奇妙な機械から放たれた凶悪な弾丸がセレブリティアッシュを掠めていった。

 

「ぐっ! 痛っ……」

即死級の弾丸を何とか回避できたのは良かったが、体勢を崩したところに間髪入れず幾つものオービットがレーザーを放ち、

空中に張り巡らされたピアノ線に肌を切り裂かれるような痛みに襲われたダンは呻く。

 

既にノーマル20機を撃破しているはずだが、まだ30機以上残っている。それだけならまだしも、目玉の化け物の動きが強烈であり、更に絶望的なのが空に浮かぶ回転する不気味な円盤だ。

銅鑼を中心にフィンを無理やり何枚か差し込んだような形をしており、そこから射出されるオービット、奇妙なミサイル、レーザーキャノンとライフル、どれもが食らいたくはない威力をしている。

どの機体も付着した雪が解けたのか不気味に表面が濡れている。

 

「こいつら……どっから来やがった!?」

自分達やサイレントアバランチが防衛についていることに加えて、基地という性質上これだけの数の部隊を気付かれずに空から送り込むのはまず無理な話だ。

 

『全く揺らぎがない……おかしいわ』

また一機メリーゲートが敵機をスクラップに変えていくが、ここまでの連携が出来ているのに仲間がやられても全く気にする素振りすらない。

 

「一体……!?」

言葉を言い終える前にダンは空飛ぶ円盤がノーマルに気を取られているメリーゲートの真上に高速移動したのを見た。

忠告をする暇も無く発射された青い閃光がメリーゲートに直撃した。

 

『うあぁっ!!?』

GA製の頑強な機体に救われて何とか貫通はしていないが大ダメージには違いないだろう。

その上レーザーにはお世辞にも強いとは言えない機体構成なのだ。

PAが剥がれたその瞬間を狙って目玉の化け物が縦に回転しながら突撃しようとしている。

考える前にダンはもう機体を動かしていた。

 

「がぁああっ!!!」

横から化け物を突き飛ばそうとしたのに腕が両方とも吹き飛びPAも一気に消し飛ばされた。

何とか方向をずらすことは出来たが、結局は結末を遅らせただけなのか。

動けなくなったセレブリティアッシュに無機質に狙いを定め容赦なくとどめを刺そうと目玉の化け物がまた回転を始めた。

 

「メイ、逃げろ……!」

やけにゆっくりと迫ってくると感じながら発した言葉はもしかして最後の言葉なのかもしれない、

こんなところでこんなものに殺されるのか、

死ぬ前に童貞卒業したかった、

と一秒にも満たない時間で相当量の事を考えていると。

 

ザンッ、と音を立てて目玉の化け物が二つに分かれた。

 

「え?」

すぐ目の前に黒い影が割り込み、真っ二つに割れた化け物が明後日の方向に飛んでいって大爆発を起こした。

 

『なんだあの変なのは。中の奴目ぇ回さないのか』

黒いネクスト、アレフが白い翼のスタビライザーをその背に立つ者にのみ見せるようにして雪原に立っていた。

 

「うわあああ!? 大好きだお前!!」

一瞬諦めた命をこれからもまだ生きれるという喜びは感謝以上の気持ちになって口から飛び出た。

 

『ガロア君……』

 

『何言ってんだ』

ど派手に入ってきたからなのか、主戦力を撃破されたからなのか、あるいはガロアだからなのかは分からないが、一気に雪よりも冷たい視線がアレフに集まる。

取り囲んだノーマルが一斉に飛びかかってくる。メイはそれが大口径のライフルよりも威力のある厄介な攻撃であることを知っていたがもう忠告する時間はなかった。

 

『雑魚が。粋がってんじゃねえ』

ゴオッ、と風を切る音を立て雪原に綺麗な新円を描きながら回転したアレフは取り囲んでいたノーマルを全て切り裂く。

昔映画で見た、バイクがその場でエンジンを吹かしながら回転したような跡が派手に残った。

 

(強い……!)

味方だと分かっていてもゾッとするような強さ。

クイックターンとオーバードブーストを織り交ぜて動いていた、というのは見てわかるがどういう頭をしていたらそんな動きを瞬時に実行できるのか。

危険な戦場で見動きすら出来なくなっている事を忘れて見惚れてしまう。

 

『メリーゲート。セレブリティアッシュを連れて引っ込んでろ』

 

『な……本気? この数を一人で相手するつもり?』

 

『メイ、動けない者をかばって戦う方が大変なのは分かるだろう』

ガロアの意志がどうだったのかは分からないが、オペレーターのセレンの通信が入る。

動けないことは無いが、かといって腕がないのでは戦力としても数えられないだろう。

 

『……分かった。メリーゲート、撤退するわ。ダン君、動ける?』

 

「すまねぇ」

白く染まる大地の上を黒い機体が風のように動き跡を残していくのを背に、セレブリティアッシュはメリーゲートが切り開いた道を飛んでいった。

 

 

 

味方機が飛び去る気配を感じながらガロアはふと自分がまだ喋ることの出来なかったときにダンから言われた言葉を思い出す。

 

(俺さ、カニスと友達なんだ)

 

誰にだって死んでほしく無い者、戦いたくない者がいて、誰かを守ろうとして命をかけるその行為は掛け替えなく尊い。

 

「ちっ」

間に合わなかったが、あの時セレブリティアッシュが変な機体の前に飛び出て身を挺してメリーゲートを守った姿は、規模は違えどガロアの目の前でラインアークを背にして守る意志を見せたホワイトグリントと重なる。

 

『どうした』

いつの間にかECMは消えている。今はECMを展開していた方が不利になるという基地側の判断だろうか。

 

「なんでもねぇ」

と言った瞬間にガロアはとんでもない物を見た。

敵機の中の一機が味方を踏み台にして飛びあがったと思ったら、背中から大きく火を吹いてこちらに向かってきたのだ。

 

(クイックブースト!?)

ノーマルが馬鹿な、と思う暇も無い。

そういえばこの機体はいつか不明機とされていたORCAのネクストと戦った時に現れた機体と同じ系統に見える。

企業の兵器でも無い、ORCAの兵器でも無いこいつらは一体__

 

『大丈夫か!?』

着地を全く考えずに放ってきたドロップキックを横に飛び退って避けるとセレンが通信を入れてくる。

 

「こいつら、クイックブースト……!」

 

『違う! いや、分かっている、お前の言いたいことは! いつか戦った不明ノーマルだろこいつら! 中に人間が入っていないと考えていい! それにクイックブーストじゃない!』

 

「何を、……!」

敵機が何かを持ち上げたのが見えた。

それは味方だった。武器や岩を持ち上げるならともかく、味方を持ち上げるなんて。

 

(なんだその動きは)

今度は避けられなかった。ゴッ、と重たい音が響く。

 

「いっ」

ぶん投げられて飛んできた敵ノーマルの膝蹴りがアレフのヘッドに突き刺さった音だった。

その膝にはいかにも頑丈そうな鋼鉄の盾が取りつけられており、想像以上のダメージが通ってくる。

 

「い加減にしろッ!!」

クイックブーストを吹かしてその場で回転し背部を叩きつけると敵ノーマルは砲丸投げの球のように吹き飛んで、もう一機のノーマルにぶつかり砕け散った。

 

『コジマ粒子を使っていない! こいつら、コジマを使わないでこんな動きを……!』

 

「クソッたれ!」

先ほどの蹴りで両方の鼻から派手に血が出てきた。今の一撃でAPが5000も減ってしまった。

一気に鼻から肺の中の空気を噴出し鼻血を止める。幸いにして折れていないようだが未だにずきずきしている。

いったん距離をとろうと浮かびあがってようやく気が付く。

 

(こいつら、飛べないのか!)

ある意味鈍重そうな見た目通りに、空を飛ぶことも出来ずに地上で這いまわる敵機を夜の森のフクロウのように急降下しては一機ずつバラバラにし、またはロケットで粉々にしていく。

 

『奇妙な機体だ。武器の口径はネクストより上だが……ジャンプすらまともに出来んとは』

 

「空中に浮いていればとりあえずは大丈夫だな」

空に浮かんでいる間は大口径ながらも躱すのは容易い武器で攻撃してくるが、

地に降りた瞬間に生き残った人間を見つけたゾンビのように到来してくる。

 

『あの二機は空戦向けでは無かったからな。……!? なんだ!?』

 

「なんだこいつは!?」

空に浮かぶ奇妙な回転円盤は攻撃もしなければ邪魔もしてこなかったのでとりあえず放っておいたのだが、人の赤子程の大きさの物を大量に吐きだしたかと思えばいきなりアレフを囲んできた。

遠い昔、ガロアを攫いに来た連中や、さらに幼い頃の森の肉食獣の視線のようなザラリとした殺気を感じる。

 

「ぬおっ!?」

ブーストがなければまず無理であろう姿勢を空中でした途端、機体の隙間をすり抜けていく。

一発一発は大したこと無さそうだがあれだけの数が直撃すれば少しまずいだろう。

 

『オービット……? 馬鹿な』

周囲を取り囲むオービットを一つ一つ丁寧に切り裂いていくとセレンの声が耳に入る。

確かに馬鹿な、だ。この前の変態球でさえとんでもない機体性能だと断言出来たというのに。

主に二つ、驚くべき点がある。

一つはあの大きさで自律して浮かべていること。

あの中にコンピューターの他に浮かぶ為の装置が入っているはず。

単純なロケットですらその全容量の内三分の二が燃料なのだ。一体どういう技術なのか。

もう一つはこのオービットがアレフを中心にして攻撃してきていることだ。

以前のソルディオスオービットは改造されたランドクラブが中心、いわゆる司令塔となり動いていたのに、

このオービットは明らかにアレフを中心に据えて動いている。敵機を中心に設定しこれだけの数のオービットを操る演算能力。

あり得ない。第一にこの大きさの自律兵器なら要人を一人一人選んで暗殺することすら可能なはずだ。こんな兵器が今まで世に出ていなかったというのか。

 

「くそっ、なめるな!!」

蜘蛛の巣にかかった蝶のように空中で動きながらも余裕しゃくしゃくでゆっくり回転する円盤にグレネードを飛ばす。

だが。

 

『避けた!?』

 

「……こいつもか」

砂漠で対峙したオービットのように決定打になるような攻撃は急速に加速して回避している。

だがクイックブーストというには派手さが無いようにも見えるが。

 

『各パーツの大きさとエンジンのサイズを考えるにこいつも無人だろうな……何がどうなっている』

 

「分解して調べる!」

円盤から繰り出された奇妙なミサイルを、翼型のスタビライザーを改造したブースターの噴射の微妙な推力で避けながら近づいていく。

いつだってそうだがこういう機体は近接攻撃にどうしようもなく弱いものだ。

 

『また避けた!』

 

「見えてる!!」

避けられることは予想済みだった。最初から機械の反応速度に人間のシナプスの出力程度で勝とうなんて思ってはいない。

機械的に予想通りの距離まで移動した円盤にロケットを放つ。ロックオンがなくてもこれならば外れない。

 

ガキィン、という音が聞こえて最初に浮かんだのは疑問だった。

ロケットが直撃してそんな音が出るものか?

 

「なんだと……この野郎……」

当たってはいた。だが今の音、そして何事もなかったかのように輝く機体。弾かれたのだ。

一瞬だけ目を閉じて思い出す。先ほどの回避とそれ以前で確かに違った点が一つあった。

今は高速で回転しているのだ。

 

「機械が……味な真似をするじゃないか」

さらに繰り出されるレーザーを回避しながら着地地点のノーマルを蹴っ飛ばすと大げさに爆発した。

 

『解析した! 効いていないんじゃない! 弾かれている! 恐らくあの回転で角度を付けて受けているから実弾兵器は回転中は効かない!』

送られてきた映像を停止出来るから、という理由を考慮してもセレンのその分析力はかなり優秀だ。

セレンはセレンなりに必死にサポートしてくれているのだろう。

 

「レーザー兵器はブレードしかねぇ」

また一機、ノーマルを解体しながらぼやく。

さて、中々困ったことになってきた。

 

『停止した隙に最大火力を叩き込め!』

そりゃそうだ、と思っていると空中を滑る様に動きだした円盤が自分の真下に大口径のレーザーキャノンをメチャクチャに撃ちながらこちらに迫ってきた。

あれはやばい、と本能的に察する。

 

『逃げろ!』

 

「味方もすっ飛ばしているぞ!」

オーバードブーストを着火して直線状の敵を切り裂きながら逃げるアレフを追う円盤は、味方機すらも巻き込みながらこちらに向かってくる。

破壊されていくノーマルには哀愁すらなく、破壊される方もする方も淡々としている。

 

『上だ! 砲門は上には無い! 飛べ!』

このまま地上の大掃除を代行してもらうのも悪くはないが間違って当たりでもしたらシャレにならない。

 

「ええいクソ!」

夏のやぶ蚊のように纏わりつくオービットをブレードで払いながらマシンガンを撃ってみるが全く効果が見られない。

しかも回転をやめているときに当ててもあまりダメージになっていないようだ。

 

『固いか。まずいな……ジリ貧だ』

 

「回転を止めてかつ回避の隙に最大火力……どうする」

マシンガンは気にしていないようだが、何か特別な熱源探知機でも積んでいるのか、ロケットとグレネードは必ず回避している。

 

『避けているという事は効果があるという事だが……』

 

「……! そうか」

効果があるものを避けているのだ。ならば。

 

「お前だ!!」

こちらに銃口を向けていたノーマルの元に急降下し武器を叩き落としてハンガーを切り裂く。

一瞬で相手のノーマルは攻撃手段はなくなった。

 

「空中散歩だ、鈍亀」

手から武器を放したアレフは蹴りを入れてこようとするノーマルを柔らかく抱きしめ空を飛ぶ。

多少円盤からのミサイルが当たり、身体中が痛んだが今は無視する。

 

『何をしている?!』

 

「実験だ」

ノーマルと空中で熱い抱擁をしたまま円盤にグレネードとロケットを放つ。

当然のように円盤は滑らかに回避した。

 

「ここ!!」

今ここにまたロケットを撃ちこんでも弾かれるか避けられるかしてしまうのだろう。

そう思いながら円盤に向かってノーマルをブン投げた。どう考えても攻撃にはならないだろうが果たして。

 

『……回転が止まった!』

直撃したノーマルはやはり円盤にとってダメージにはなっていなかったようだが、腕や足、部品がフィンの隙間に入り込み動きを阻害している。

すかさず接近しブレードを起動するとやはり機械的な反応速度で離れていったが、クイックブーストで追いすがる。

 

「ゲームオーバーだ!」

初太刀で大ダメージを与えた後、アレフは円盤に乗って墜落するまでの間切り刻み続けた。

それが決め手になったのかは定かではないが、やはり円盤は爆散し後には何も残さなかった。

その後何機かノーマルは残っていたが、当然アレフの相手にはならなかった。

 

 

 

「良くやった。ミッション完了だ」

寒そうな映像が送られてくるのを見ながら汗を拭いてセレンは言う。

二つの意味で画面の向こう側に行きたいものだ。

 

『地形が変わっちまったな』

 

「気にするな。……だが」

結局何の為の部隊だったのだろう。基地の襲撃にしてはスフィアや重要施設から離れすぎている。

ガロアが来た後は明らかにガロアを狙っていた。もしも冷静に基地を破壊することを考えたら、足止めと基地へ向かう部隊に分ける。

無論、全機でかかってもどうしようも出来なかったガロアを分散した戦力でどうにかできるとは思えないが。

思えば最初からリンクスを狙っていた気がする。確かにリンクスの集団謀反がこの度の戦争の理由だが、この違和感は何なのだろう。

結局考えは纏まらずその後に頭にあったことと言えばこれから一週間ガロアと離れ離れなのは寂しいな、という事だった。




武器は……ちくわしか持ってねえ


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南極

細く皺だらけの手に持っていたのは一冊の本だった。

表紙には『最後の人間』と書かれたその本を静かに在り続ける墓の前に置く。

 

その墓に書いてある名前は女性の名前のようだが恐らくその名を持つ者が誰なのかを知る者はほとんどいないだろう。

彼女もまた孤児だった。

奇妙な子供で才能に溢れてはいたが、何故かどろどろとおどろおどろしくも幻想的なゴシック小説を好んで読んでいた。

この本は彼女の特にお気に入りだった作家の作品だ。

自分はリンクスとなった彼女がこの作家からあやかってその名を名乗った理由を知る少ない人物だろう。

 

自分にとって自分以外の全ては自分の為に利用されるためだけにあると、そう思っていた。

立派に育て上げた彼女の面目躍如たる活躍も全ては自分の利益に帰結し、見事に命すらも消費した。

 

「……」

王は今になってそんな過去の自分がどれだけ愚かだったかを思い知っている。

自分の為だけに生きて死ぬ人生にどれだけの価値があるというのだろう。

それが分かったのは彼女がこの地で死んでからずっと後になってからだった。

 

戦士は戦場で生き戦場で死ぬという自分の言葉通りに死んだ彼女には帰るべき場所も無かった。

GAを吸収し、南極の基地を取りあげてようやく墓を作ってやることが出来た。

これからこの極寒の世界で彼女の遺体は何万年も眠り続けるだろう。

 

「もうすぐ私もそちらに逝く。言いたいこともたくさんあるだろう。その全てはその時に聞こう」

 

「今の私は何をしていると思う? お前を殺した男に協力しているのだ。リリウムの未来と幸せを守るために、だ。リリウムが誰なのかすらお前は知るまいな。怒りも当然だろう。嫉妬しているか? 案ずるな、もうすぐそちらに逝く」

ただただ利用されていただけだと彼女は気付いていたのだろうか。あるいは今ようやくそれを知ったのだろうか。

今更許してくれなどとは言えない。だからこそ、もうこの世界から離れて彼女の話をそばでずっと聞いてやらねばならない。

 

老体に堪える寒さに襟を立てた王はもう一度だけ手を合わせてその場を去った。

 

彼女の本名を知る者はほとんどいない。

ましてやその死を悼む者など__

 

メアリー・シェリーは南極で眠り続ける。

 

 

 

 

 

 

ガロアは基地にアレフを預けた後、寝泊りする部屋に直行はせずにただブラブラしていた。

それなりの規模の基地だけあり、普通の商店街なんかもあったりする。少なくとも小さい頃に本で知ったこの世の果てとは随分違う。

親子連れがいるのも基地内で結婚したりしたものがいるからなのだろう。

 

ゴン、と看板に頭を思い切りぶつけてガロアはその場にうずくまった。実際はそこまでダメージは無かったのだが……

 

(いてぇー……帰りたい……)

戦っているときはそんな余裕がないからなのかは分からないが、それ以外の時はつい余計なことを考えてしまう。

幸せそうな親子連れの姿を見てセレンの元にもう今すぐにでも帰りたくなった。

 

(なんでここはこんなに寒いんだ……)

これだけ寒いとあの森で一人ぼっちだった時を思いだしそうになる。

気候の問題もあるのだろうが、あの人と出会ってから寒かったことはなかったなと思いながらぶつかった看板を見る。

 

「スシ……は日本の料理じゃなかったのか」

そこは一件の飲食店だった。海産物が美味いラインアークでも見なかった東洋の魚料理の店がでん、と構えてあるのは不思議だ。

ラインアークの魚の味を思い出すと腹がぐうとなった。

 

(………入るか)

自分の見た目が威圧感に溢れている事は知っている。セレンは背が高いから気が付かなかったが、いつの間にか自分は世の大抵の人間を意識しないでも見下す高さにいたのだ。

そんな男が店先で突っ立ているだけで営業妨害ものだろう。

 

「らっしゃい!」

威勢のいい男は一目見て日本人と分かる黒髪黒目の胴長短足の中年だった。

 

(そういえば……一人で食事処に入るのは初めてだ)

今まではどこの店に行くにしても自主的に行くことは無かったし、誰かが必ずいた。

そもそもガロアにとっては未だに食事は自分で調達するものだという意識が大きい。

 

「そちらにどうぞ」

最初の掛け声は日本語だったがその後は流暢な英語だった。聞き取りやすいが正直似合わない。

飯食っているときに色々喋りかけられるのだろうか、ちょっと嫌だなと思いながらもカウンター席を指されてしまったのでそこに座った。

 

「何にしましょう」

 

「……適当で」

出された熱いお茶をありがたく啜りながら壁にかけてあるメニューらしきものを見るが正直さっぱり分からない。

 

「あいよ。初めてだね、新しく雇われた人かな?」

 

「……そんなところだ」

清潔にしてはいるのだろうが素手で料理を作り始め、米の前でマスクもせずに喋り出すのは文化なのだろうか。

本当の事を言うのも、喋りかけないでくれというのも面倒なので適当に話を合わせる。

 

「ああー、珍しかったんだろ? 魚を食っていたらお兄さんみたいに大きくならないもんな!」

 

「……」

 

「はい、どうぞ」

目の前に木で出来た平らな皿のような物が置かれさらにその上に二つ、茶色く焼けた肉のような何かがシャリに乗った物が出される。

寿司というのは赤いのではないか。

 

「これはなんだ」

 

「まぁ食べてみてください。いきなり魚臭いのを出すと大抵の一見さんは来なくなっちゃうんですよ。あ、醤油はいりません」

 

「……」

プラスチック以外なら何でも食べるし、実際生の兎から虫まで食べたガロアだ。

今更魚臭かろうが気にはしないが、言われた通りに一つ口に放り込む。

 

(! ……肉じゃない。魚だ。でも、普通の肉よりうまい……)

米に染み込んだ酢の匂いと上に乗った魚を炙ったことによる塩気が見事に混ざり合い、口の中で温かに溶けていく。

米の量も焼き加減も丁度良く、寒い南極で最初に口にした物がこれならばありがたい。

 

「マグロだな」

 

「お! お客さん、いい舌しているね」

 

「食べた事がある」

巧妙に欧米人に食べやすく作られたそれは炙りトロと呼ばれる物で、寿司という料理の範疇でメインにはならないが多くの者に親しまれている。

以前ラインアークで食べたマグロはインドマグロでここにあるのは本マグロだから正確には違うのだが、ともかく魚種を判別できる程度にはガロアはいい舌をしていた。

 

「じゃあこれはどうだい」

 

「……」

薄いピンク色の、今度は間違いなく見た目からして寿司だといえる物を醤油にそっとつけて口に入れる。

味はだいぶ違うようにも感じるが食感が同じだった。

 

「これもマグロだ。さっき食べた奴と同じ部分じゃないか」

 

「そうそう! いや、いいね。これとか……どうだい? 普通の人は場所を聞くと引いちゃうから先入観なしに食べてくれないか」

 

「……?」

存外、今食べている物の話を聞きながら食事をするというのも悪く無い物だ。

そう思いながら出された物を口に入れる。食感はまたもや似ているし、味で言えばほぼ同じ。だが歯ごたえがあり、総合的に評価すればこちらが上だった。

 

「同じ魚か? でも食感が……」

 

「それね、マグロの脳天なんですよ」

 

「脳? 馬鹿な。魚の脳みそなんかこんなにデカく無いだろう」

 

「あー、いやいや。脳じゃなくて脳天です。脳の上の部分。一匹からほんの少ししか取れないから貴重なんですがね、来る方は皆部位を聞いて尻込みしてしまってね。味が分かる人にしか出さないんです」

 

「……へぇ」

つまりそれだけ高価、という事なのだろう。こっちのことをよいしょしながらも儲けることを忘れていない。

客商売を長く続けているとこう、上手くなってしまうのだろうか。

 

「日本人以外で寿司をそこまで食べ分けられるのは珍しいですねえ。出身はどちらで?」

 

「…………アルメニアだ」

多分アルメニアだ、としか言えないし育った場所はロシアなのだが。

 

「へ? 聞いたことないですねぇ」

 

「東欧だ。何故……こんな場所で寿司店を?」

しかも珍しさだけで勝負をしているのではなく、しっかりと美味しい。

中の職人もしっかりと日本人だというこだわりようだ。

 

「いやぁねぇ、地球温暖化で氷が溶けて水面上昇だとか言うじゃないですか」

 

「?」

 

「でもね、ここ30年、一年を通して寒い土地の氷がほとんど溶けてくれたお陰で新しい交易ルートが拓かれてその場での漁業も盛んになったんですよ」

 

「南極は大陸だから関係ないだろ」

 

「あ、分かっちゃった? 一本取られたね」

 

そんな中身のある様な無い様な話をしながらも次々に握られていく寿司を次々と胃袋に収め着々と会計がかさんでいるその頃。

 

 

脚に包帯を巻いて松葉杖を突いて歩くダンの横でメイは溜息を吐く。

 

「もう……こんな怪我をして……」

 

「帰りは輸送機だって言うし、いいだろ」

修理費が嵩んだのは痛いが、それでもプラマイで言えばややプラスなのだ。

……これで暫く働けなくなったわけだが。

 

「ありがとう」

 

「気にすんな」

まだ二人は付き合ってはいない。

でももうすぐそうなるのだろうと、まだ女性と付き合った経験すらないダンでもその雰囲気を敏感に感じ取っていた。

 

「でも、ああいう助けは要らないわ」

 

「なんだって?」

 

「好きなように生きて好きなように死ぬ。私たちはそういう生き物のはずよ。何よりも……ダン君みたいな独立傭兵は」

 

「……」

その言葉は半ば以上本心なのだろうし、そのままメイのこれまでの人生を集約したようなものでもあった。

ダンの人生観とはまるで違う。咄嗟の行動であったがあの時の感情にダンは後悔していない。いや、やっぱり死んでいたら後悔していたのかもしれないが。

 

「私は私の責任で死ぬわ」

 

「そうかい」

その割にはここ最近ずっと自分の面倒を見てきたではないか。

とはダンは言わなかった。メイの言葉はダンを死なせまいと少し突き放しているのだとも、ほんのちょっとだけ精神的に成長したダンには分かるからだ。

確かに今ならば自分一人でいれば引き際をしっかり心得て、前のように蛮勇を奮うことも無くいざとなればすぐに撤退できるだろうが……

 

「……。ダン君、前までなら反論していた」

 

「どうだったかな」

 

「……」

成長したことを感じ取る瞬間という奴だろうか、とメイは思った。

隣を歩くダンの背中は一回り大きくなったような気がする。

正直ダンみたいな贅肉も筋肉も無い身体も、特徴の無い髪も、逆に特徴あり過ぎる服もまるで好みではないのにどうして惹かれるようになったのだろう。

とりあえず今、隣でこうして歩いているのは悪くない…のだが。一つだけ気になっていることがあった。

ダンがカラードで何も伝えずに置いてきた彼の親友の事だった。

 

 

 

 

 

 

「茶碗蒸しです。お熱いので気を付けて」

食いも食ったり百貫を腹の中に収めてようやく腹七分目といったところだった。

 

(美味かった。……美味かったけど)

 

(……セレンと食うから美味いんだよなぁ……何にでも感想をくれるし)

ちびちびと表情を変えずに茶碗蒸しを食べ続けるガロアだが、その脳内は茶碗蒸しよりも余程とろけている。

 

(ずー…っとセレンの事考えているんだなぁ……俺)

セレンだったら何て言うだろう、セレンに作ってあげたい。

そればかりだった。一人で食事をするなんて実に久しぶりだ。

こうなって初めて分かるのが自分がどれだけセレンを好いていたのかという事だった。

 

(………どれだけ支えられていたか、ってことか。一週間……長いなあ)

時差はあれど、今この瞬間セレンとガロアは実は同じことを考えている。

出会ってからこれだけ長い間離れるのは初めてのことだった。

 

(ちゃんと洗濯できるかな……髪を乾かせるんだろうか。……心配だ)

一応、16歳から17歳までの一年は一人で過ごしていたわけだし、周りに知り合いもいるのでどうにもならないことはないのだろうが心配だ。

ポケットの中の携帯につい手を伸ばしたくなる。先ほどまでネクストの中から言葉を交わしていたというのにもう声を聞きたい。

多分、要件なんかあってもなくても喜んではくれるのだろう。自分がそうだからわかる。

でもこれ以上いけば止まれなくなる。人はそれぞれああだこうだ言うだろうが自分はそういう風に出来ているのを知っている。

ガロアはでこぼこの坂道に乗せた箱型の自分が情愛の重力に引かれるのを理性の摩擦でなんとか抑えているような気分だった。

それでも重力には逆らえずにずるずると確かな傷を付けながら少しずつ滑り落ちていくのを感じる。落ちきればきっともう戻れない。

 

「らっしゃい! あっ、どうも!」

 

「ここにいたか、小僧」

 

「……」

小僧、と聞こえて振り返れば王が店の入り口にいた。以前あった時よりも厚着をしている。

どうしてここにいることが分かったのか、とは思ったがこの基地全体が王の手の中だろうし想像しなくても方法なんか両手で数え切れないくらいある。

久しぶりにその老人の姿を見てあれっ、と疑問が浮かんできた。しっかり立っているように見えても呼吸は弱弱しく、突き飛ばしただけで昇天してしまいそうだ。

具体的な年齢は知らないが、前までは顔に皺があって白髪があっても若々しく見えたのに今は年相応と言えるような見た目だ。

リリウムと離れたからか、と思ったがそれだけなはずがない。

 

「こういう時は普通、最初に挨拶に来るものだ」

店主は勝手に席に着いた王に何も言わずにボトルを持ってきた。

だが王から声をかけられている自分を不思議そうな顔で見ている。

 

「ふーん」

基地の危機を救った礼を言うものではないのか、とは言わない。

別に礼を言ってもらっても嬉しくないしそれが仕事だったのだ。

 

「他人のよしなしごとにまるで興味を示さないその態度……見事にサーダナに似ておるわ。挨拶の仕方も教わらなかったか」

 

「……」

ぴくっと反応したのをきっとこの老獪な男は見逃していないのだろう。

 

「まあよい。小僧、お前はこの戦いが終わったらどうするのだ」

 

「……リリウムはどうしているのかを聞きに来たのかと思ってたんだが」

 

「変な気を回さなくとも毎日連絡を取っておるわ」

 

「あっ、そう……」

 

「さっさと答えんか」

どうしてこうも高圧的なのだろう。

大人がみんなこうだという訳では無い。この老人が特別そうなのだろう。

 

「……別に……戦い続けるだけだろうな」

 

「聞き方が悪かったな。何をしたいのか、を聞いているのだ」

 

「…………………無い」

ある。本当はセレンとどこか争いのない場所でゆっくり暮らして、きちんと勉強をしたい。

小さい頃の夢だ。その立派になった姿を父に見せてやりたいと思っていたし、だからこそ父が街に送って勉強をさせると言ってからはちゃんと勉強をしていた。

現実は殺人兵器に乗って汚染をばら撒きながら戦っている、なんとも笑える話だ。立派になった姿とはなんだったのだろう。

 

「ふん。小僧……いいか、お前はこの世のさまざまな苦しみから身をひくことができる。それはお前の自由に委ねられているし、お前の性分次第だ」

説教をしに来たのだろうか。高圧的だが、その本質はいつかのセレンと同じことを言っているのだ。子供が考えすぎるな、今やれることを楽しみ青春を謳歌しろ、と。

だがセレンはそれを言うには若すぎると思ったし、この老人はほぼ他人だとガロアは思っていた。

 

「……けれどもまさに『この身を引くこと』こそ、ひょっとすると俺の避けることのできる唯一の苦しみであるかもしれない。口出しするなよ、爺さん」

 

「……!」

それは王の説教臭い言葉に対する完全な答えだった。受け答えがとんちが効いていて完璧、という意味では無く、実は王の言葉は若い頃に読んだ本の一節だったのだ。

ガロアの言葉はその続きである。若かった王はその前半部分だけを気に入り、それを座右の銘として生きてきたのだ。今になって後半にこそ真実があったと分かってはいるが。

 

「子供の説教に使える一節じゃないだろ」

 

「賢しい子供というのはいつの時代も可愛くない物だ」

リリウムがこの前、ガロアは自分など足元も及ばない程賢い、と言っていたのを王は電話で聞いた。最高の環境で最高のレベルまで教育したリリウムがそんな馬鹿なと思っていたが。

一体サーダナはどういう教育を施したのだろうか。まだ10も数えぬ子供だったはずのガロアに。

 

「……」

 

「リリウムは……お前たちの戦いが勝利に終わった後、大学へ行かせる。なに、すぐに入学できるだけの素養はある」

 

「ふーん」

それがいいだろう。戦いに引き込んでおいてなんだが、あの少女はとことん戦いに向いていないとガロアは確信している。

 

「……小僧、お前は……」

 

「爺さん、痩せたか?」

王が何かまた説教染みた事を言いだす前に先ほどから気になっていたことを口にする。

というよりはぐっと老け込んだようにも見える。厚着を着こんだその下は恐らくみすぼらしく痩せているのだろう。

食事処に来たというのに何も食べずに酒の水割りだけを飲んでいる。

 

「ふん、割と人を見ておるな」

 

「いや、というか……ちゃんと定期健診とか受けているか」

 

「いらぬ世話だ」

 

「そんなにリリウムと離れるのは辛かったか?」

 

「……」

 

「……もう行く」

終止高圧的だった王に一矢報いて満足したガロアは会計を頼む。

 

(……ほっ!!? たっ……高……)

食べた量で割ると、大体一貫で食堂の一番高いメニューくらいの値段になる。

そうか、寿司は高いのか。別に金に執着がある訳では無いのだが一人でこんなに使っていいのだろうか。

 

「私が持つか? 小僧」

 

「いらん」

ばっさりと一言で断り、さっさと会計を済ませてのれんを大きな身体を縮めてくぐり出て行ってしまうガロア。

愛想も無く、礼儀も無い。悉く、リリウムと正反対の性格。

 

「全く……あんな男のどこがいいのだ……」

と、いいつつもリリウムにはない物を、良い物も悪い物もすべて持っているのは見てわかる。だからこそ正反対で、だからこそ惹かれてしまったのだろう。

ガロアが手当たり次第に女に手を出すような下衆では無かったのは救いだが、リリウムに全く興味が無いという事実も今の王の悩みの種である。

小さく咳き込んで手についた血を見て王は静かに笑った。

明らかな身体の異常も急速に近づいてくる死も今の王には怖く無かった。

これからどんな辛いことがやってきても負けずに自分で考える強さとそれを支えてくれる友をリリウムは得たのだから。

この世への未練が一つずつ溶けて無くなっていくような気分だった。



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破滅の影

メイは修理されたメリーゲートを点検しながらその視界の端で、ずっとそわそわしているセレンを見ていた。

わざわざクソ暑い格納庫にずっといるのは仕事で仕方がなくいる人間か、あるいは誰かを待つ人間か。

今日はガロアが帰ってくる日だったはずだ。会いたいとも寂しいとも漏らしてはいなかったし、ずっと携帯をいじるような真似もしていなかった。

まぁあの少年にこまめに連絡を取るという気を回せるような繊細さがあるとは思えないが。

とにもかくにもその姿は恋する乙女そのものである。ましてや戦いから帰ってくる男を迎えるとなれば尚更だろう。

女の自分から見てもいじらしいし、そんな心を独り占めしているガロアがなんだか憎らしい。

 

(幸せ者だなぁ……ガロア君)

もう一時間もああして待っているが、ちゃんと到着予定時刻は伝えているのだろうか。多分伝えていないのだろうなぁ、なんて考えていて30分後。

ようやく南の空から黒い機体が青空を背負って飛んできた。あれから襲撃も無かったようで、損傷も全く見受けられない。

 

すとん、と音を立ててネクストの背から着地したガロアは普段と変わらず眉根にしわを寄せて機嫌が悪いんだか最悪なんだか判別不能な顔をしている。

無表情にも色々あるがあれはあの表情が定位置で動くことがほとんどないタイプの無表情だ。笑顔が張りついたような自分とは逆に人間関係で苦労しそうだが、性格的に問題ないのだろう。

 

あの顔の下ではあー、疲れた、とでも思っているのだろうか。

その時セレンが早歩きで近づいていきガロアもそれに気が付く。

その瞬間の二人の顔たるやもう見ているこっちが幸せになってきそうな位だった。

ガロアは眉根の皺が無くなり、ほんっとうにうっすらとだが笑みを浮かべ、

セレンはセレンで普段は表情と言葉遣いのせいで冷たい印象を受けがちな美人なのに今だけは田舎の教会で評判の優しいシスターのような顔になっている。どちらかというとそっちの表情の方が似合っている。

モデルと真っ向から立ち向かえる180cm近い長身のセレンはそこらの男じゃとても釣り合わないが、顔はともかく身長差的にはガロアととてもお似合いだ。

 

もう完全に好きじゃん、という感じだがなんというかあまりにも初々しい気がする。

見せつける様に抱き着いて甘い言葉を吐くのでもなく、お互いに駆け寄るのでもない。

まだ何かが始まる前の予感を二人が感じているその一歩前のような空気を二人で出してぽつぽつ言葉を交わしている。

 

思い合っていても結ばれない男女というのは結構あるものだが、あの二人はなぜだがその気配が少し強い気がする。

それよりも不思議なのが。

 

(あれー……?)

なぜ同じベッドで寝ているのにあんなに初心なように見えてしまうのか。

実はメイこそがガロアとセレンが同じ部屋で寝ていると伝えた張本人であり、誤解されて同じベッドで寝ていることになってしまっていると気付きながらもまぁいいやと訂正しなかった張本人でもある。

余計な気を回した犯人はしれっとした顔をしてその光景を見ていた。

 

 

「どうだった、南極は」

 

「寒かったな」

 

「こっちは……暑かった」

 

「そうか」

 

「うん」

無粋な者がいればこの会話を生産性が1mmもない馬鹿みたいな会話だと頭を掻きむしるのだろうか。

だがこんな意味のない会話の中に二人の小さな幸せは確かにあった。この前までガロアが口を利けなかったことを思えばセレンは尚更嬉しい。

 

「疲れているか?」

 

「いいや」

 

「その、今から行かないか? 中心街に……。いや、本当は疲れているならいいんだぞ?」

 

「……行こうか」

大して疲れていないのは本当の事。しかし日曜でも無い平日の昼下がりにガロアが本来はするはずの訓練のことを考えずにその言葉を素直に受けたのは、

二人とも気が付いていないが途轍もない大きな一歩だった。超自分主義のガロアにしてみれば絶対に有り得ないセリフだったはず。

 

「本当か? じゃあ着替え」

 

「ガロア君! 今すぐ出撃よ!」

 

「おっ!?」

 

「んな!?」

煙のように二人の間に割り込んで現れたアブが声をあげた。

遠くから見ていたメイでさえ一体いつの間に現れたのか認識できなかった。

 

「ネクストが襲撃してきているわ。早く行ってちょうだい」

 

「ちょ……っと待て。俺は今帰ってきたばかりなんだ」

 

「そんな物アナトリアの傭兵に任せればいいだろう」

 

「今ならガロア君すぐ出撃できるでしょ? こうしている間にも足止めの防衛部隊や設備が攻撃されているから早ければ早い程いいのよ」

 

「そんなもんお前俺が……」

 

「アレフの調子は随分良さそうね?」

 

「……」

 

「ガロア君も気に入っているんでしょ? ねぇん?」

こう言われると途端にばつが悪くなる。後になって知ったことだが、実はあのアレフの素体となったものはこのアブが私財で全て購入しており、言うなればガロアのスポンサーだった。

じゃあいらねぇ、とはこれだけ使い倒した今となっては言えないし、その分ラインアークの為に働けと確かに言われている。

 

「ちっ……」

怒鳴ったり物に当たったりする訳では無いが、額に青筋が浮かんでおりガロアの怒りは明白だ。

しかし舌打ちをしたガロアは今降りたアレフにさっさと乗り込んでいってしまった。

アブは口を裂いて笑っておりセレンは肩を落としながらオペレータールームに向かった。

 

 

 

「いるんでしょう? さっさと出しなさい!」

ラインアーク主権領域最南端開発地区で、レッドラムは暴れまわりながらしきりにガロアを出せと繰り返している。

中心街や重要施設には固定砲台や軍隊が設置されているが、財政の厳しいラインアークではここには精々ノーマル程度しか配備できず、アブの言葉通り一分一秒ごとに被害が増えていく。

 

「……! 来たわね」

シャミアの望みを聞いたわけでは無いのだが、黒いネクストが超高速で接近してくるのを捉えてショットガンを構える。

ロックオンが完了する前にはもうショットガンの射程圏内にいた。

 

『……』

前は色々と挑発的なことを言ってきたが今日は何も言ってこない。

それならそれで構わないとレッドラムは引き金を引いた。

 

(! 二段クイックブースト……)

敵機の背から出た光が一瞬収縮した後に倍ほどの光量を吐き出し左斜め前に瞬間移動していた。

シャミアでも地上戦でそれなりによく使う技術だが、使えない者は100年かけても絶対に使えない。

それだけでこの相手の才能の多寡が想定の最低値を超えているのは間違いない事を察する。

移動した先に突撃ライフルを向けたその時。

 

(消え……)

放たれた弾丸は霞のような残像をかき消すだけに終わり、本体は更に右斜め前に移動していた。

二段クイックブーストを二段クイックブーストで返すという針の穴を連続で通すような絶技。シャミアでも整った環境で意識して三回に一回出来るか出来ないか、といった技だった。

当然戦場でベストなタイミングで使えるような物では無い。

すでに全身からブレードの光が煌めいているのが見える。近づかせるべきではなかった。そう思った時には全てが遅かった。

 

その後シャミアが見たのはレッドラムの四つもある脚と二本の腕が宙に舞う光景だった。

 

オペレーションシステムを立ち上げていたセレンも、開発地区でゲリラ戦を強いられていたノーマル部隊も、ラインアークの指令室も絶句するしかなかった。

計測不能、一瞬で勝負が決してしまった。さんざん暴れまわって被害を出してくれたレッドラムはねじが一斉に抜けた人形のようにバラバラになり、コアがひときわ大きな音を立てて地面に落ちた。

ラインアークの重役はこのネクストが今は味方にいる幸運にひたすら感謝した。

 

「三度目……馬鹿な奴」

今の今まで黒い閃光のように動いたアレフはゆっくりとレッドラムのコアを抱え上げた。

 

『な……なに、どうするつもり……』

見えていなくても持ち上げられたのは分かったのだろうか、弱弱しい声の通信が入ってくる。どうやらようやく敗北を理解したらしいが飲み込むことは出来ないらしい。

 

「来てもらう」

確か今はこの女が実質アルゼブラのトップリンクスのはずだ。

もしかするとここ最近の未確認機の情報を持っているのかもしれない。

これでアルゼブラすらも知らないとなればどうしよう、と頭の中で淡々と状況の認識を進めていく。

 

『い、いや……連れて行って何をする気……』

 

「………。お前が想像していることを全部じっくりやってから……全身すり潰しておしまいだ」

ガロア自身そんな事をするつもりは全くないが、やはりようやく帰ってきたのに戦いに繰り出された怒りからついそんな嘘を言ったのだろう。

シャミアはコックピットの中で声にならない声を上げて震え上がり、通信を聞いていたセレンはやっぱりガロアって性格悪いかも、と思った。

 

 

情報次第ではすぐに動いてもらうから待機していてくれ、とアブに鼻と鼻がつくような距離で言われてガロアはつい頷いてしまった。

あの化け物に迫られるとどうしても強く跳ね除けられない。レッドラムのコアごとラインアークの兵士に渡したガロアはしょうがなく部屋までセレンと歩く。

 

「せっかく、天気がいいのに」

 

「……仕方ねぇ」

まだ日中、しかも雲一つ無いいい天気でクレイドルが呑気に浮いているのにどこにも行けないのは少々辛い。

いや、どこにも行くなと言われているから辛いのかもしれない。

 

「あっちで何をしていた? 襲撃はあれ以降なかったんだろう?」

 

「……こっちと変わらないな。走って、運動して……」

王と少し話したことは別に伝えなくてもいいか、と思った。

ここで美人の女性に誘われていたとなれば後ろめたさでもあるのだろうが枯れ木のような老人に奇妙な説教を頂いた話などここでしても仕方が無い。

 

「それだけか?」

 

「……そうだな」

あとはずっとセレンの事を考えていました、なんて言えるわけがない。

かちかちに踏み固められた雪をなんとなく手に取った時にセレンの冷たい指がふと恋しくなったことを思いだす。

今、手が届く場所にあるこの指は、こんな暑い中でもやはり冷たいのだろうか。

いてもいなくてもずっと同じ人の事ばかり考えてやがる、と表情を変えぬまま部屋に入る。

どうして自分の部屋に入る度に頭を下げなければならないんだ、もう少し大きくしてくれと思うが約180cmあるセレンが普通に入れるのだから別に小さくはないのだろう。

 

「私は……」

扉が静かな音を立てて閉じると同時にそっと身体を寄せてきた。

 

「う」

胸板に手を置かれ、少しだけはみ出した指が首に触れたがやはり冷たく声が出てしまう。

 

「ずっとお前のことを考えていた」

贅肉の少ない胸板にそのままセレンが鼻を埋めてくる。

セレンの愛情表現はずっとストレートだ。もしくは自分が捻くれているだけなのかもしれない。

一週間離れていたからだろうか。ほんの少し指先が触れている、ただそれだけで弱い電気が走っているかのように肌がしびれる。

どうしてこんなに甘い匂いがするのか、最初からクライマックスだ。

 

「やることもなくて退屈で、食事か睡眠か……それだけで」

ちらりと台所に目をやるとやはり洗い物が溜まっている。料理の前に洗い物が先だな、と少しずれたことを考える。

 

「もし……お前がいなくなったら毎日こうなるのかと想像してしまって……ぞっとしたよ」

ガロアがおらず、やることが強制的にないのだから羽でも伸ばせば、とセレンはメイに言われたが、どうしていいのかさっぱり分からなかった16歳の頃に戻ってしまったかのようだった。

むしろガロアと一緒にいることを知ってしまった分だけ孤独感ばかりが募り、一人で寝る肌寂しさに耐えられずとうとう生まれて初めて自分で慰めるなんて真似をしてしまっていた。

 

「……とりあえず、座ろう」

腰のあたりにどろりとする熱が溜まっていくのを避ける様にガロアは肩を優しく押すが、その時の切なそうな顔はどちらかというと肩に触れられた喜びが滲んでいるようだった。

 

「……そうだよな。喉乾いていないか。暑いだろう?」

 

「いや、大丈夫」

部屋の中は蒸し熱く、すぐに冷房を入れたがそもそも汗をあまりかかないガロアは喉は乾いていない。

 

「ならもっと話そう。静かに過ごすのもいい。だが、一週間も口をきいていないと静かなのは寂しいものだ」

同じことを感じていたんだなと思いながら手を引かれるままベッドに座らされる。

 

(俺が話せる様になる前からセレンはよく話していたよな)

当たり前のように自分の脚の間に座ってくるセレンのつむじを見ながら思い出す。

誰かに中身があるない関係なく話せるという経験自体がセレンには楽しく、そして人と関わらずに暮らしていたガロアにとっても嬉しいものだった。

今になって思えばそんな小さな積み重ねが自分を「人間」にしていったのではないかとガロアは思う。

 

(……また……)

ネクストに乗っているときだけは忘れられるというのに、また血まみれの過去がフラッシュバックする。

人間を刺し殺した感想は「手ごたえがないな」だったか。その一言でその人物が生きてきた何十年と未来を片づけた。

身体がどれだけ強くなっても、人間に近づくたびに心が弱くなっていってるのは間違いない。今になって振り返れば自分は。

絶対だと思っていた価値観は壊されるのではなく優しく包み込まれて変わっていき、棘となり過去を刺す。

 

 

「話をしよう、と言ってもな」

 

「う、うん」

隣に座らなくてよかった。このポジションなら顔を見られない。

今の自分がどんな顔をしているのかは分からないが、絶対に見られたくない顔をしていることは分かる。

 

「ケータイもあるんだ。電話でもメールでもしたらいい、そう思ったんだが……」

 

(同じことを考えていたんだな……)

セレンと自分の思考回路が似てきてしまったのか、それとも恋をする者はみんなこう考えるのかは分からないが。

 

「電話しようにも何を話すか。普段そんな実りあることを話していない事に気が付いたんだ」

 

「……」

悉くお互いに同じ悩みをしていた訳だが、実は充電器を忘れていたので三日目で電池が切れていました、とは言えない。

今もスクリーンは暗転したまま、なんの操作も受け付けない。

 

「……あ? お前……」

 

「あっ」

触れ合う肌から何か伝わったのか、止める前にポケットから携帯を抜きとられた。

 

「ほぉー。つまり全く無駄な葛藤だったわけか」

ボタンを押しても何の反応も示さない青いケータイを手にしてセレンはねっとりと言葉を出す。

 

「いや、その……三日目くらいで電池切れたから……」

 

「それで連絡が付かないことに気が付いて悶々とすることになっていたかもしれないと」

 

「……………」

嫌味だが、正しい言葉になんとも言えなくなる。

電池が切れた事を知ってからの四日間は持ち運んですらいなかったが、きっとその間もセレンは肌身離さず持っていたのだろう。

 

「……私の方が馬鹿を見ることが多い」

 

「いや、でも……連絡してくれたら普通に嬉しかったと思う」

素直な言葉を口にすると、息を急激に吸い込んだ時のひゅっ、という音が聞こえた後に大きく息を吐く音が届いた。

それと同時に全体重を預けてくる。何も言わずに甘えてきているのだろう、耳が赤い。

 

(柔らかい)

鞭のようにしなり骨を砕く拳を繰り出す身体は、しかし力を抜くと自分の角ばった自分の身体にフィットするようにくっついてくる。

女の身体というのはどうしても柔らかい物なのだろうか。

 

「最近、どうしていいか分からないんだ」

 

「何?」

 

「自分が作られた命だってことは分かっている。生まれた時から自分の命に愛は無く、利用する為に作られた。五年前まで私はセレン・ヘイズでは無く32号と呼ばれていた」

 

「……」

隠せると思っていたのかは知らなかったが、実に三年以上も自分の口からは話そうとしなかったその事実を口にするのは腹を割いて内臓を見せるように痛みが伴う物なのだろう。

それを根掘り葉掘り聞かれるのは日中に道行く男に恥部を開いて見せつけるよりも屈辱的な事であるはずだ。特に自分に言うのは。

自分がそれを知っているという事実を隠し続ける事は不可能で永遠に歪みが存在することになると思ってたからこそ、あの日に知っていると告げて、そしてそれ以降はその事を話題に上げることは無かった。

平気な顔をしていても今なお彼女の根幹に深く食い込む問題には違いない。

しかしそれを今、自分からほじくり返そうとしてる。

 

「なのに最近は……まるで生臭坊主みたいに……生きていることに感謝なんかしてしまっている。お前が呼んでくれるから、セレン・ヘイズで良かったと思えている」

 

「……」

いい事なのではないか、そう思うが言葉の節々から自分はそういう幸福に値する人間なのかという疑問が伝わってくる。

 

「それでもやはり企業は私を作ったという事実を忘れないし、それが現実なんだろう。どうしても……。お前の言ってた綺麗な街ほど残酷という言葉、この一週間で少し分かる様になった気がする」

 

「……大丈夫だ」

多分今はそうして欲しいのだろうと察して静かに腕に力を込めて引き寄せる。

鼻が触れた黒髪からはやはり甘くいい匂いがした。

 

「……」

 

「悪い、あまり口が上手い方じゃないから……全部を平たく片づけるようなこと、言えない。でも、大丈夫。なんとかなるから」

 

「……最近のお前は少し変だな。お前はそう言う事を言う奴じゃない」

腕の中で身体を捻って青い目をこちらに向けてくる。

猫が甘える様に身体をすり寄せる中で目には疑問が浮かんでいる。

 

「……、話せる様になって半年も経っていないんだ。何を言いそうかなんて分かるのかよ」

女の勘、という言葉はあって男の勘という言葉は無いように、女性の勘はどうしてこんなに鋭いのだろうか。

 

「お前の……性格的にだ」

頬に伸ばした冷たい指先は心の中の秘めた事を全て吸いだそうとしているかのようだ。

割と単純な性格だというのは知っているがそれでも妖しさと呼べる物がある。

 

「お前……そういえば全然髭が生えないな」

 

「そうだな」

顎に触れる掌の滑らかな感触を楽しみながら考える。

小さい頃からそのうち生えてくると思ったが結局この年までほとんど生えなかった。

カラードに入るまでガロアの知る大人の男はみんな髭を生やしていたので大人は生える物だと思っていたのだが、

今でも数週間放っておいてようやく、梅雨の時期に丸裸で置いておいたパンのカビのようなものがちょろりと生えるだけ。

 

「ひげそりも全然使わないしな」

一緒に暮らし始めた時にセレンが使うだろうと思い買ってきたひげそりはほとんど使った形跡がない。

箱から出ているから使ってはいるのだろうがそれでもガロアがそれを使っているところをセレンは見た事が無い。

ちなみにまだ17歳だったセレンがひげそりを買ってレジの店員の青年が衝撃を受けてその日一日元気をなくした、というのは関係のない話だ。

 

「……伸ばすか? すごい時間かかるだろうけど」

父が本を読みながらひげを触りナイフでのびっぱなしに伸びたひげを切るのをみてさりげなく憧れていたガロアはそんな事を言うが。

 

「やめろ」

セレンは一瞬で否定した。これほど大男に成長したのだからひげを生やしても悪くはないんだろうが、

顔的に絶対に似合わないしひげだらけの暑苦しい男はセレンは好きじゃなかった。

 

「………そうか。父さんが似合っていたから……俺もって思ったんだが」

 

「……」

血が繋がっていないことを忘れていないか、と言おうと思ってセレンにふとある考えが浮かぶ。

というよりも今までなぜ思いつかなかったのかが不思議なくらい当たり前のことだった。

 

「お前……」

 

「え? 何?」

 

「あ、いや……」

 

(本当の親が死んでいたとしても……)

自分の両親の名前も職業も出身地も分かっている。

セレン自身はクローン人間のため霞の肉親はいても自分の肉親は100%存在しないが、

ガロアの祖父母なんかはいるはずだ。地球でひっそりと生きているのか、クレイドルにいるのか、あるいはもう死んでいるのか。

だが、ここまで分かっていれば探そうと思えばすぐに探せる。

もしも生きていたのなら、もしも自分達の孫が実は生きているなんてことを知ったのならば。

 

「どうしたんだよ」

 

「……あ」

そこまで考えて悟る。ガロア自身が絶対に会いに行かない。

言葉の節々から分かるがガロアは自分が戦争屋であることを誇っていない。

自分が人殺しであることを受け入れていてもそれを上手く心の内で処理できていない。

例え肉親が生きていたとしても、今の自分を見せに行くような真似はしないだろう。

 

「……なんかして欲しい事あるか。食べたい物とかあるなら作るぞ。今日は無理だけどな」

セレンの挙動不審を自分がいない間に色々苦労したのかな、と結論付けたガロアはてんで的外れなことを言う。

 

「……」

性格悪いなと先ほど思ったが、それでも自分には優しいところを見て、急にガロアの腕の中にいる今の自分が恥ずかしくなり顔を赤くする。

して欲しいことがあるかと言われれば、作ってほしい料理もあるし一緒に出掛けたいとかもある。

アルメリアの花の株分けをしたいからその道具が欲しいなんていう女性らしいことも考えてはいたが。

 

「なんでもいいぞ、別に」

 

「……あー…それは……どの程度までの……」

 

「なんもねーのか? なら洗い物したいんだが」

 

「いや、あ、ある!」

実はそれよりもガロアと離れている間に一人で悶々と思い出していたことがある。

もう二度とあり得ないことだと思っていたが、なんでもいいと言っているしこのさい恥よりも欲求に素直になろうとセレンは思ってしまった。

 

「なに?」

 

「……」

 

「何だその顔」

口に詰め込んだものを一気に飲みこんでのどに詰まらせたような顔でセレンは何かを言いだそうとしている。

セレンがこういう顔をしているときは大抵いい事にならないのをガロアは思いだす。

一番近い思い出ではぶん殴られて噛みつかれてベッドが壊れた。

 

「く、首に……」

 

「……?」

冷房を付けているのに気が付けばセレンの血管が透き通る程白い首筋には汗が浮かんでいた。

 

「跡を付けてほしい、赤く」

 

「なんだって?」

そうきたか。

既に首まで真っ赤になりながら訳の分からないことを言いだした。

暑くて頭がゆだっている……ということではなさそうだが。

 

「元はと言えばお前がしたんだ! ももももう一度!」

 

「何言ってんだ!? 記憶が混乱しているのか!?」

そんな事は無く記憶に問題があるのはガロアの方だが、間違いなく今、頭に問題がある発言をしているのはセレンの方だ。

 

「別に難しいことは言っていないはずだ!」

 

「恥ずかしいから嫌だ!」

 

「私だって恥ずかしかった!」

 

「?? そんなもん人に見られたら俺がやったってすぐわかるじゃねぇか!」

どうも時制が一致しない会話になっていることに疑問を抱くがささいな問題だ。

 

「わ、忘れられないんだ……」

 

「……?……??」

やっぱり疲れているのだろうか。

それとも自分の耳がおかしいのだろうか。

 

「人に見られたら恥ずかしいというのなら、ほら、ここに」

 

「いぃ……!」

上着を肌着ごと首から肩まで引っ張り下げて、セレンの光を反射する雪のような首が露わになる。

ブラの肩紐が見えてしまい目を逸らす。

 

「ここなら普段は見えない」

ナイスアイディアみたいなトーンで言っているがその前にアイディアを出す脳みそに問題がある。

 

「……」

珠のような汗の浮くその首に口を付けたいと思ったことは一度や二度では無い。

この一週間だって何度その身体を思い出したことか。

 

「完全に嫌だというなら……しなくてもいいが……」

 

「そういうわけじゃ……ない……んだけど……」

もしその首に唇を付けて肌を吸えば、想像どおりの本能を刺激するような声をあげるのだろう。

そんなの絶対に我慢が効くわけない。毎晩毎晩隣に寝るだけで劣情がせり上がるのをこっそり自慰をして抑えているのにこうも激しく誘惑されては耐えられない。

 

「ああ、私はお前がいない間……特に寝る前に隣を見て何も無いのが寂しくて寂しくて、手でも切り落としてそばにおいておけば良かったと思ったくらいだった」

 

(俺は……ここまで想われているのか)

 

「だから、一つくらい……何でもいいんだろう?」

そうだ、確かになんでもいいと言ったし難しいことでもない。

おまけに嫌な事ですらないのだ。

セレンの目が本気中の本気で『くれ』と言っていた。

 

「……わかった。そのまま、首を出していて」

 

「うん」

 

「……」

既に蕩けた顔をしてその瞬間を待つセレンの顔を見て生唾を思わず飲んでしまう。

理性を失くして勢いだけでやるのではなく、自分の意志でたった十何センチ顔を動かすという事はまるで気の遠くなる様のようだ。

自分はいつまで理性を保っていられるのだろうか。

 

(どうしてこんなに綺麗なんだ)

自然の中で雨風に晒されて育った木々のように真っ直ぐな筋に薄く浮かぶ血管、透明な汗に光る絹の様な肌。

自分とほとんど同じ生活をしているはずなのに何がここまで違うのだろう。

自分の脚の上でこちらを向いて座るセレンの首に顔を近づけていく。

鼻が肌までティッシュ一枚分ほどの距離になると芳しい香りと共に肌の熱が伝わってくる。

 

「焦らすな」

鼻息にくすぐられるのが耐えられなくなったのか、セレンは口を開くが焦らしているわけじゃない。

理性をしっかり保ちながらこんな行為をするという事はほとんど矛盾に近い。

 

「はあっ……!」

とうとう口が付いた時に感じた湿気はセレンの肌の物か自分の唇の物かは分からない。

だが正直な話、セレンの肌の方がよほど自分の唇より潤っている。

もう最初から声を抑えようともしていない。首を吸う力を入れると同時に頭を引き寄せてくる。

 

「……どうなった?」

 

「赤い……」

白い肌にぬらりと光る赤い跡は幼い頃に雪に血を垂らしながら歩いた日々と重なる。

自分の原風景とこの人が重なるのはなんでなのだろう。

 

「どこに、どうやって、どんなふうにしたか。今度は全部覚えておけよ」

 

「……ああ」

何を言っているのかやはり今一つ分からない部分があるが、跡がついた部分を嬉しそうになぞった指を舐めるその姿をどうして忘れられようか。

そう思っていると突き飛ばすよりはやや優しいくらいの力で押してきた。

 

「お前はいつ大人になったんだろうな」

 

「……」

そのまま押し倒されたベッドから舞い上がった匂いは全部セレンの物だった。

一週間いないだけで自分の匂いまでも消えてしまったのか。

 

「昔はちびっこくて可愛い子だったのに……大きくなるのが早すぎて気が付けなかったよ」

 

「……」

腹筋の上で指を踊らせるセレンのそんな言葉を聞いて気が付いた。

 

「なんだ?」

 

「そういえば今の俺の年ぐらいが、セレンが俺に出会ったぐらいの年なんだよな」

 

「そうだな」

 

「俺は全然大人になった気がしない。あの頃はセレンが大人に見えたけど実はそうでもないんだな」

 

「……」

ガロアの言葉は真実であり、年下がいるから年上でいようとするし、子供がいるから大人でいようとする。人というのはそんなものだった。

セレンだって最初は、いや、今でも時々うまく大人であるようにふるまうことが出来ない。そうして大人のふりをしているうちに成長して心も大人になる。

 

「案外20とか21もそう大人じゃないんじゃないの」

逆もまた真で、大人がいるから子供は子供でいられる。だからこそ子供には一緒にいる大人が必要なのだ。

そうでなければガロアのように自分一人で生きようとした結果、人としての道も踏み外しかねない。

 

「可愛くない奴」

そう言う事を理解できるようになるくらいにはガロアも大人になっているという事なのだろう。

そうは言いながらも本当はガロアのことが可愛くて仕方が無いのだが、想いが溢れだしてついセレンの動きが止まった時、ガロアがセレンの頬に口づけをした。

 

「……珍しいな」

こんな幼児がするようなキスよりもずっと進んだことを何度もしているのだが、ガロアが自分からすすんでそういう事をしてくるのは初めてだった。

 

「……俺も寂しかった」

本当に小さな、蚊の鳴くような声でぼそっとガロアはその心の内を漏らした。

 

「……」

やけに素直なのはやはりその言葉通り、ガロアも寂しかったからだろう。

 

「一人の方が生きていくのは楽だ。自分の事だけを考えてりゃいい。でも一人は嫌いだ」

 

「分かるよ。よく分かる。そうだよな」

そのままセレンもガロアの頬に何度も口づけをし始める。

その部屋の空気を固めてしまえば甘い甘い砂糖になるだろうと思えるほどなのに、ガロアの頭は割れるように痛んでいた。

 

(なんでかな……病気かな)

幸せなはずだ。自分の好きな人にこうまで好かれているという事は。

なのに頭の中は赤い電気が散るかのように酷い頭痛がする。まともであろうとする度に、幸せだと感じるたびにこうなるのはどうしてなのだろう。

日に日にじわじわと酷くなってくる。ネクストに乗っているときだけは全くこんなことにはならないのは何故だろう。

いよいよ頭が爆発して身体が割れてしまいそうだった。

 

 

「とりあえず今日はそばにいてくれればいい」

 

「ああ」

 

「……どこか具合でも悪いのか?」

妄想とともに頭痛に苛まれているのが表情にも表れてしまっていたのか、下から見上げながら聞いてくる。

 

「時差ボケ、だな」

誤魔化す為に口を開いたが、それはそれで嘘では無い。

普段ならまだ外を走り回って転げ回っている時間だがもう目がしぱしぱしてきている。

 

「ふーん……もうほぼ鉄人になっててもひょんなところで人間だな……。うん……確かに身体がぽかぽかしている」

 

「人を超合金みたいに」

 

「お前は……寒い場所で育ったのにどうして温かい手をしているんだろうな」

ガロアの右手をセレンが両手で握りしめてくるがそれでもまだガロアの手がはみ出す。

いつの間にセレンより手が大きくなったのか覚えていない。

 

「そんなことない」

 

「あるさ。少なくとも私にとってはそうだ」

 

「……そうか」

いつも右手をセレンに預けて寝ているからだろうか。上に乗ったセレンの温かさもあって少々うとうとしてきた。

 

(森は……つっかえる物が多かったなあ)

すっころばないように小さい頃はいつもアジェイに右手を引かれて森を歩いていた、そんな思い出が蘇る。

夢の中だけは優しいことばかりだ。

 

「眠いか?」

 

「……うん」

 

「どこうか」

 

「いや、軽いし……いいよ」

本当に重さなどほとんど感じてはいないが、セレンの体重は67kgもありとても軽いですませられるような物では無い。

 

「私も眠くなってきた気がする……」

二人して体温の放出を始めて温かみを感じて眠気が出始める。

セレンもセレンで今日帰ってくるのが楽しみでついつい眠りが浅くなっていたのだ。

 

「……」

 

(あ、もう……寝ている)

眠いと言って僅か数十秒でガロアは眠りに落ちてしまった。

左腕でがっちり固定されて自分が身動きできなくなっている事にも気が付くが、

喉も乾いていないしトイレも今は平気。それよりも眠気がどんどん強くなってくる。

 

(しみじみ幸せだ……想像もしていなかった……)

窓際の椅子に座り波風の音を聞きながらぼんやりとアルメリアの花を眺めていた一週間の間、考えていたのは自分の過去のこととガロアの事だった。

霞のようになれと言われ自分の名前すらなかった日々。自分と同じ人間がいて外でのうのうと暮らしていてしかも朝から晩まで訓練に打ち込んでいる自分よりも強いという。

憧れると同時にいつか自分の手で殺してやると思う程までに恨んでいたのに勝手に死んでいて。

こんな人生になんの価値があるのだろうと考えることは出来てもその価値は全部自分以外に決められた。

幼い自分がそれ以外に道がないと言われたのならばそれにすがるしかないのは当然のことだろう。

だというのに勝手に放り出された自分にどんな未来の希望が持てようか。

戸籍も無いから学校に行くこともまともに働くことも出来ない。

 

(辛いことしか無かった……未来の希望なんか一個も無かった……)

その渦中にいたときは一滴も流れなかった涙が今になって出てくる。辛いことというのは後になって思いだして泣く物なのだろう。

部屋で一人でいては孤独に苛まれるが街に出ても誰一人として自分の孤独を紛らわしてくれる物など無く、そもそも自分が何なのかすら分からなかった。

自分が美しい容姿だというのは知っていた。だがその皮を全て引っぺがしてしまいたいと思っていたのに近寄って褒め言葉を投げてくる男はただ気分を逆撫でするだけだった。

 

(どうしてこうなったのか分からないとお前は言ったな……私にも分からないよ……)

生まれながらにして戦いの元にいた自分が戦いの輪廻から逃れることなど結局出来るはずも無く、自分だけの理由を求めて誰かしらを育て、オペレーターになろうとした。

その時はただ自分のあるのかも分からない希望とアイデンティティーを求めていただけだった。

あの時出会ったのが、あの時選んだのがどうしてガロアだったのか。

運命だという言葉にしてしまうと陳腐になってしまうが、運命としか言えない。

あの養成所で珍客の自分を誰もが見ていた。やはり自分の容姿を舐めまわすような視線もあった。

しかしガロアの視線にだけはそういった汚い感情が一切なかった。それが全ての始まりだった。

理由を辿ると霞が引き合わせたということになるのだろうか。

 

(希望はあったんだ……そうなるようになってたんだ……)

そこから先の過去はもうほとんどガロアとの思い出と言っていい。

あっという間の4年間だった。自分が分からないだとか辛いだとか考えている暇も無かった。

一体自分はどれだけこの赤毛の少年に救われているのか。

10年前の自分に会ったならば、未来はそう悪くないと言うのだろう。

人生を生きる喜びを貰えたのだ。

ただ……もう少しわがままを言えるのなら。

 

(抱いてほしい……)

寝息とともにゆっくり上下する胸の奥、強い鼓動を耳に聞きながら唇を震わす。

女の悦びが欲しい。もっと自分を見てほしい。こんなに好きでそばにいるのだから。そうセレンが考えるのも年を考えれば当然の事だった。

当然未経験だから知らないが、きっと幸せなのだろう。本能がそう言っている。

これぐらいの年の男ならば好きでなくても隣に年頃の女性がいれば普通に手を出す物だ。自分だって拒否する素振りすら見せていないのに(時と場合にもよるが)。

それに自分の事を嫌っていないとも言いきれるし、女性として見ているとも言いきれる。

まったく意味が分からない。こんな性格で敬虔なキリスト教徒だったりするのだろうか。

すれ違う日々がセレンの心身を焦がしもっと自分の事を見てほしい、認めてほしいという欲求が沸点に達していた。

もう本当に足りないのだ。わがままなのは分かっているが。人としての信頼も性欲肉欲情欲から切り離した子供のような愛情ももう十分だ。お人形のように大切にされるのももう結構。

もっと有機的に、この焦げ付きそうな程の身体の感覚をどうにかしてほしい。前までは繋ぎ止める為の手段の一つだと、目的意識も混じっていたがそれも薄れた。

頭の中に好きだという感情以外ない。好きで好きでどうにかなってしまいそうだ。少なくとも馬鹿になっていることが自分でもよく分かった。

 

(どうしてだ? ダメなのか? 私では……)

『あなたは私の全てなの』とそんな馬鹿馬鹿しいことをまさか自分が思う日が来るなんて思ってもいなかった。

だが酸っぱいブドウの理論のように馬鹿にしながらも内心憧れているところはあったのだろう。

友達も恋人も、もちろん家族もいなかった。あの日出会った子供が今ではその全部なのだから全てとしか言えない。

 

(……、恋人じゃないよな)

そう思いなおしてしゅんとなる。

この世界で一番自分という存在を認めてくれているのは間違いないし、全てをくれているというのにどうしてそこから一歩先に行けないのか。

悪人面から一転、間抜け面一歩手前で眠るガロアの顔に顔を寄せていく。

本当に眠っているときだけは顔から魔が落ちている。

殺さないぎりぎりのレベルで毎日ぶっ飛ばしてここまで強く磨き上げたのは自分なのだと思いながら唇に触れていると下腹がもやもやと熱くなってくる。

もうその相手は出来ない。ガロアは強くなりすぎた。

 

(…………。ああ…ダメだなぁ…私は……)

とうとうここまでやってしまった、と小さく自己嫌悪をしながらも止められず寝ているガロアに口付ける。

もちろん反応は返ってこない。

 

(……柔らかい…起きるかな……)

このまま起きないならそれでよし、起きたとしても怒りはしないのだろうと思いながら夢見心地で口だけ使って遊んでいるうちに本当にそのまま夢の世界へと落ちてしまった。

 

 

 

軽い、とは言っても呼吸も阻害されるし寝返りも出来ない訳でそれからほんの少ししてガロアは目を覚ましてしまった。

ここで真夜中までぐっすり眠っていてはいつまでも生活リズムが治らないから悪いことでは無いのだが。

 

「……うっ」

目を開けると今にも触れてしまいそうな距離に熟れた桃のような唇が入ってくる。

これだけ美しい物がこれだけ無防備にあるという事実。人間に狩りつくされ絶滅した動物もやはり無防備だったのか。

 

(俺はまだ夢を見ているのか)

どれだけ眠っていたのかは分からない。電気のついていない部屋に夕陽が差し込んで長い睫毛が影を落としている。

幸福そうな顔で寝息を立てるセレンはガロアの知るどんな物よりも綺麗だった。

 

(俺は馬鹿なのか?)

手の届く距離にある果実にどうして手を伸ばさないのか。

自分は愛されて生まれてきたらしい。人を愛することは素晴らしいことらしい。

自分だってそうしたい。

そうしたいのに、頭の中ではずっと銃声と血で満たされている。

 

(日に日に酷くなりやがる……)

ガロアの高いAMS適性は恩恵ばかりをもたらしたわけでは無かった。

ガロアの力への渇望に応える様に隠されていた才能を引きずり出した。

だがそれと同時にその力を得るに至るまでに必要だったはずの夥しい数の戦いと血を要求してくる。

大いなる力には代償が伴うのは当然の話なのだ。

その精神汚染はもう、ガロアが戦えなくなるその日まで消えることは無い。そしてその痛みはこの世界が平和に向かう戦いに参加すればするほど酷くなっていく。

ガロアはその原因を知ることは無いが、その苦しみを自分にはふさわしい事だと受け入れてしまっていた。

 

(生きることは苦しいって……小さい頃思ったっけか)

殺した動物から血抜きをしていて気が付いたら夜になり隣には誰もいない恐怖。

真綿で首を締めるような苦しみがどこに行ってもあった。

 

(これは苦しみじゃない……幸せって言うんだ)

この戦争が終わったら、この世界が平和になったら自分の居場所はどこにあるのだろうか。

蚯蚓が脳内でのたうつ様な痛みの中で考えても答えは出ない。

セレンのそばにいれば心は安らぐが痛みが止まらない。いつも突然に襲ってくる。

戦いが無くなったらずっと痛み続けるのか。

 

「あ…………俺は……」

痛みながらも冴え続ける頭の中に浮かぶ映像。

あのままインテリオルの養成所にいれば今ごろ自分は既に「鍵」を強奪し、汚れ仕事を押し付けられていると知りながらもラインアークに住む人々を嬉々として地上から欠片も無く消し去っていた。

その姿には人間性は残っていない。インテリオルのマインドコントロールはガロアの心の中の獣を殺さず否定せず優しく餌をあげ続け見事に育てあげた。

想像だと言うにはあまりにも鮮明で、否定しようにもあまりにも自分の精神世界に似合った映像だった。

 

「おかしくなっちまったか……」

それはまた一つのあり得た世界だった。

殺して殺すその世界の自分は生き生きとしており、頭痛などは皆無といった様子だった。

アレフ・ゼロとは違う機体に乗って西へ東へ生身の人も機械も平等に吹き飛ばしていく。

そして……そして戦いの無い日は……

 

「……………」

ベッドしかない部屋で一人、大きくなった身体で膝を抱えて日が沈むのを眺めているだけ。

灰色の眼の渦は殺しの螺旋にどこまでも落ちていった証のようだった。

セレンと出会っていなくてもいずれは自分の力でホワイトグリントを壊しアナトリアの傭兵も殺していたのだ。

その未来との違いは今のガロアには分かりやすかった。

 

「この人がいたから俺は……」

目の前でみっともなく口を開けてよだれを口の端からこぼして眠るセレンは美人を台無しにしている。

ずっと昔からだらしないことこの上なかった。師として尊敬しきるにはあまりにも人間として社会で生きていくため欠落しているところが多すぎた。

初めて人のために料理をした。初めて人の分まで皿を洗った。初めて朝日の中で人の服を干した。初めて人の為に何かをした。

この人がいたから自分は人間になれたのだとガロアは今になって気が付いた。

 

「み、みっともない」

あと少しで身体が濡れてしまうというところでセレンの口を袖で拭く。

 

「……うあ…」

袖についた口紅を見てようやく気が付いた。

今日のセレンは普段よりもほんの少しだけ化粧が濃かった。

今日は自分が帰ってくるから。いじらしい女心だった。

 

「そんなことしなくても俺は……」

 

(セレンの事が何よりも好きなのに)

良心が揺れるのと同じくらい目玉があちこちに揺れてむらむらと抑えていた欲求が溢れ出てくる。

そんなことをしなくても大好きなんだと口にしたらきっと死んでしまう。

 

「起きてたら……それだけじゃすまないからな」

自分に言い訳しながら痛む頭を下げて口紅がにじんでしまった唇に口付けた。

 

(あ)

セレンと目があった。

いつの間にか心の中の言葉が口から出ており、しかもそれを全部耳元で言っていたのだ。

割と眠りの浅いセレンが目覚め無いわけがなかった。むしろ今の今までよく眠れていたものだ。

 

「……」

起き上がったセレンが指先で自分の唇に触れながら花開くように笑顔を広げていく。

 

「違うんだ」

言い訳は一つも思い浮かばない。

 

「何が違うんだ。いや……もういい」

寝起きにしては酷く冷静な声を出しながら抱き着いてきた。

セレンからしてみればたった数十分前の願いが神か何かに叶えられたかのような幸福だった。

 

「抱いてくれ」

耳元で囁かれたその言葉でガロアは鈍器で後頭部を殴られたかのような衝撃を受けた。

そしてガロアは。

 

「うん」

どろりと鼻血が出た。

 

「……?! なんだ……どうしたんだお前……」

現実に女性から迫られて鼻血を出すなんて現象はないし、あったとしてもたった一言でそこまでなるような男でもない。

唐突な出血はどこかしらの異常の証拠だ。そのコミカルな様子に似合わない程セレンは血の気が引いていた。

 

「あれ、なに……これ……」

後頭部を殴られたかのような衝撃がガロアの頭の中で未だに続いている。頭の中で銅鑼が鳴り続けているようだった。

ガロアの脳内だけの幻痛だったはずがとうとう身体に異常を起こした。

 

「ティッシュ……ほら。どうした?」

 

「うん……大丈夫」

 

(嘘だ)

痛みを隠しながら鼻血を拭くガロアの言葉の嘘をすぐに見抜いたセレンだったが、

つい先日隅々見た全く異常の見られないガロアの身体検査結果以上の情報がない。

 

「ぶっ、ぶっつけたんだ……大丈夫。ホラ、もう止まった」

 

(考えすぎ…なの……か?)

確かに止まっている。乾燥していたり鼻炎であれば僅かな刺激で鼻血が出ることも珍しくはない。

少々考えたくないことだが、自分がまだ夢の世界にいる間に激しく鼻をほじっていたなんてこともあるのかも。

 

「顔洗ってくる……どいてくれ」

 

「……ああ」

行かないでくれとは言えなかった。

すっ、と離れていくと同時に急激に二人を包んでいた夢のような柔らかい空気も消えていく。

ずっと欲していた物は鼻血一つで壊れる脆い物だった。

 

コンコン、ともう大分慣れてしまった音が聞こえる。

 

「誰か来たな」

 

「俺が出る」

流石に鼻血を出しながらじゃまずいかと思ったガロアが血を拭いながら扉を開けると、そこには鼻血どころでは無い客がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰も知らない、知るはずがない。

コジマに汚染されきって虫の一匹すらも生きていけない地域で、無人の機械が動き回りあるネクストを完成させた。

不思議なことにその機体にはコックピットに人の入る隙間がなく、その代りに精密な機械が入れられていた。

 

闇に溶ける色合いの機体は汚染されたこの世界こそが自分のいる場所だと言わんばかりの存在感を放っていた。

 

その姿はかつてのリンクス戦争の英雄が駆ったラインアークの守護神とよく似ていた。

 



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レッドライン

扉を開いてそこにいた男が最初にしたことは口を開くことだった。

 

「! 鼻血が出ているぞ……大丈夫か」

 

「いや……お前……」

来客はメルツェルとオッツダルヴァだった。その二人が来た時点でもう要件は察しているのだが。

自分の鼻血を指摘する前にまず鏡を見てこいと言いたかった。

オッツダルヴァは顔があちこち腫れあがり頬には赤い手形、メルツェルもメガネのレンズが片方ないし髪の毛が不自然に引き千切られた形跡がある。

 

「正当防衛くらいはいいと思うんだが…」

 

「お前が連れてきたあの女が……大暴れをしてお前を連れてこいと言って聞かないのだ」

そういうオッツダルヴァの口からは血が歯の隙間に浸透しているのが見える。

 

「行ってくれないか」

メルツェルが口を開くともう片方のレンズもメガネから落ちてただの耳かけとなった。

 

「…………わかった」

ふざけんじゃねぇ、働き詰めなんだぞこの野郎、とはとても言う気にはなれなかった。

 

 

 

シャミア・ラヴィラヴィは元々ある地方を支配していた一族の正統後継者だった。

父はシャミアが生まれる前に死んでいたが、それを継いで母がその地方を治めていた。

世界情勢を見るに、民衆の意見を全く取り入れていなかった一方的な支配だったとはいえその支配はそう悪い物では無かった。

不満もそこまで大きくなく、罪に対する罰が異様に重いこと以外は識字率も幸福度も高く地方政治としてはかなりのレベルに達していた。

実際窓割れ理論を元にした罪に対する罰の異様な重さに対しての批判はそれなりにあり、巷ではブラッディウィドウなんて蔑称で呼ばれたりもしたが、犯罪の抑止に一役買っていたことに間違いはなかった。

その面だけで言えば独裁者として、政治家としてシャミアの母は理想的だったのかもしれない。

だがどうしてかこの女は重犯罪者を自分の手で刻んで処理することを好む異様な性癖があり、死刑宣告を受けた罪人が出るたびに嬉々として目的のない拷問を繰り返しては殺していた。

一人で家を支えて地方を治めるストレスがあったから、若くして夫が死んだから、と理由をあげればキリがないしもちろん許されることでは無い。

だがそれでもその支配に満足していたはずの民衆はその女の所業が白日の下に晒されたとき、自分達が受けた恩恵を全て忘れ、一方的に暗君の烙印を押し付けて処刑した。

 

それでもシャミアはそんな母が大好きだったし母もシャミアを大層可愛がっていた。

その女が悪だったのかどうかの判断は難しいが、少なくともシャミアにとっては何よりも大切なものだった。

そんな母の元で育って幼い頃からその姿を見てきたからなのか、民衆に一方的に嬲られ処刑される母の姿を見てしまったからなのか、

シャミアの三大欲求に新たに暴力への欲求が植え付けられていた。それはド・スの元で育てられても消えることは無かったし、

サディスティックな性格をしたイルビスというパートナーを得てしまいむしろ開花してしまった。

 

 

 

(何を聞けばいいのか聞くの忘れていた……。……頭痛い……頭……)

 

(着いてきてしまった……)

そう考えながら歩くガロアの10歩後ろではセレンがそーっと着いて行っている。

追い返さなかった自分も悪いのだが、あんな凶暴な女の元にガロアを送って何かされてはたまらない。

いざとなれば乱入も辞さない所存だ。

 

 

 

部屋の前に辿り着いて扉を開くとそこには褐色金髪の女が椅子にがっちりと縛りつけられてこちらを金目で睨んでいた。顔は真っ赤であり相当に暴れた事が伺える。

 

「こんなところに私を縛りつけて……私を犯す気でしょう! 変態!」

 

「ふざけたこと言っているぞ……お前が呼んだんだろ」

開口一番、もう帰ろうかなという気分になってくるような事を言ってくる。

だが驚いたのはシャミアの方だった。

 

「呼んだ!? 呼んだって……あなたが? ガロア・A・ヴェデット?」

 

「そうだ」

頭を下げながら部屋に入ってきて扉を閉める大男は確かに顔はシャミアの知るガロアとほぼ一致している。

 

(聞いてない……聞いていないこんなこと……)

シャミアがガロアの事を知ったのは自分がリンクスとしてデビューしてすぐの三年前。

化け物染みたAMS適性を持つ少年がいずれリンクスになるということをド・スに聞かされた時だった。

その時に見た一枚の写真は男だが女だが分からない顔をした小さな少年であり、その才能あふれる少年を戦場で打ち負かして連れ帰り踏みにじることを楽しみにしていた。

その嗜虐心ゆえ、先輩であったイルビスとも気があったしリンクスが自分の天職なのだと思っていた。

どこで間違ったのか。天井に頭がつくほどの大男の顔はあの写真とあまり変わっていないが一言で言えばアンバランス。男の子が遊ぶ兵隊人形に女の子が遊ぶ着せ替え人形の頭を付け替えたようだ。

だがその顔には怒りとも不機嫌ともとれない悪感情で満ちており、シャミアは今の自分の置かれた状況と、自分が今までそういう人達に何をしてきたかを思い出して一気に冷や汗が出た。

 

 

「おいガキ。お前がアルゼブラのシャミア・ラヴィラヴィで間違いないな?」

 

「…………」

お前より二つ年上だ、と口を開けない。

あの目。ごみでも見るかのような目だ。きっと何をしても心は痛まないだろう。

 

「答えろ」

 

「……そうよ」

 

「ふん。なんだ。出された物を食べていないのか」

机の上には食事とコップ一杯の水があるが、手を付けた形跡はない。

 

「あなたたちが縛ったんでしょう……!」

暴れたのは自分という事は棚に上げる。

あんないたいけな少年ならば二人きりでいれば篭絡する自信があったが突破口が見いだせない。

 

「喉乾いたろ。飲め」

 

「ふん! どうせ自白剤でも入っているんでしょう!」

どちらにせよ手足も縛られていては飲めない。

 

「質問にペラペラ答えるような都合のいい薬なんて存在しねーよ」

 

「敵地で出された物をそう簡単に口にすると思う!? 毒かもしれないのに!」

 

「そんな面倒なことするならあそこでてめぇを殺していた。早く飲め」

 

「手が縛られているのが見えないの……!」

 

「首が動くだろ。犬みてーに這いつくばって飲むんだよ」

 

「……!……!」

三日も水分を取らなければ人は死に至る。

それをよく知るシャミアは芋虫のように縛りつけて一日以上放置した捕虜の前に皿に入れて水を出したということが何度もある。

中にはそれでもプライドを捨てずに顔から飲もうとしなかった者もいたが、結局自分の見ていない場所では鼻を皿に突っ込むようにして水を舐めていた。

監視カメラで見ていた自分はそれを見て心の底から随喜していた。だがこの男の目にはそんな歪んだ欲望が一切ない。

自分とは違い目的では無く、手段としてプライドを裂こうとしているのか。

 

「そうか。最初に言っておくが決して殺しはしない」

 

「……」

 

「死体は喋れないからな。じゃあ飲ましてやる」

コップをずいっと口元に差し出される。

傷だらけの長い手、揺れる水面に反射する水。

水にもにおいがあったとは知らなかった。

もう何時間水を飲んでいないだろう。アルゼブラの基地を出発する前に飲んだきりだから7時間は水を飲んでいない。

 

「いや……」

顔から迎えに行くのはいやだが、敵の手で飲まされるのもごめんだ。だが縄をほどけと言っても無理な話だろう。

 

「手間かけさせんな」

 

「……」

喉が渇いた。カラカラに貼りついてしまっており、舌からも水分が失われている。

今意地を張ってもどうせあと一日放置されたら自分も獣みたいに顔から迎えに行くことになるのだろう。

最悪の二択に散々葛藤した後、シャミアは生理的欲求に屈して水に口をつけた。

 

「はっ。意地張らずにいりゃあいいんだよ」

 

「ふっ!!……ざまぁないわ」

やってしまったかもとは少し思ったがその言葉に頭に来たシャミアは口に含んだ分の水を全て霧にして顔に吹きかけてやった。

表情は変わらないが前髪から水滴を垂らしながら呆然としており、コップの水面が静かに揺れていた。

だがシャミアはそんな表情をする人間を知っている。

そこらのぽんち不良とは一線を画した本物の人殺しの顔だ。

キレるときは喚くこともせず無表情で爆発し、次の瞬間には全てが終わっている。

 

(くっ、くる!!)

シャミアの予想した通りのいきなりの暴力。……ではなかった。

もっと性質が悪いかもしれない。椅子に縛られているというのに、あろうことかガロアはそのまま椅子を蹴っ飛ばしてきたのだ。

外でのぞき見しているセレンは青ざめ、シャミアは覚悟を決める時間もなく一秒後に後頭部に訪れるであろう衝撃を想像して歯を食いしばった。

 

「……!! ふざっ、うぶぅ!! むゔっ!!」

床に激突する10㎝手前で椅子の一部を掴まれたおかげでぶつからなかった。

だが暴言を吐きだそうと口を開いた瞬間に口にコップをねじ込まれた。

 

「ぐっ! ぶっ!! んんっっ!?」

径が小さいコップだったおかげで歯が折れたり口の中が傷つくようなことは無かったが、

それでも急激に食道に流しこまれた水分を女性の小さな喉が処理できるはずも無く、鼻から水が逆流する。

 

「……」

しかしご丁寧に鼻をつまんできており、結局生物としての反射をなんとか抑えながら水を飲み切るしかなかった。

 

「がほっ、うぶっ、げぇっ……うっ…あ……」

コップが空になってようやく起こされ、乱暴にコップを引き抜かれる。

逆流した水と胃液がどろりと縁についていた。

シャミアの顔は涙と水で一気にぐちゃぐちゃになっておりすでに心の半分以上が恐怖に屈していた。

 

「……」

コップの縁についた粘ついた胃液を指で拭きとりながらこちらを見るガロアの目は相変わらず虫でも見るかのよう。

 

「ぐっ、はぁ…はぁ…どうする…つもり……」

 

「腹も減ったろ。普通出撃の前には食わないもんな」

この男が何を考えているのかさっぱり分からない。聞きたいことがあるのならばさっさと聞けばいい。

正しく答えるとは限らないが、それでもいきなり拷問を始める方がどうかしている。

だがその原因は自分にあると言う事も因果が巡り巡って自分に帰ってきていることもシャミアは気が付かない。

 

「ふざけないで……ど」

 

「毒なんか入ってねぇよ。ほら」

置いてあったシチューを一口スプーンですくって見える様に口に入れて飲みこむ。

 

「ほれ、あーんしろ」

 

「…………」

歯を唇を巻き込んで食いしばり精いっぱい拒否の意志を示す。だがもう既に涙目であった。

 

「手間かけさせんなって言ったろ」

 

「…………」

何よりも怖いのは絶対に助けが来ないという事実。この狭い部屋は敵地のど真ん中に存在し、自分はと言えば企業から飛び出すようにしてここまで来てしまったのだ。

目の前の男を殺したいがばかりに。しかし目の前の男は少し面倒くさそうな顔をしただけで殺意も敵意も無い。

静かな部屋で古ぼけたライトから出る橙色の光の中で泳ぐ埃がやけに目についた。

 

「食事を拒む精神病患者ってのもいるんだ」

 

「な……何の話?」

 

「どうすると思う?」

 

「こうやって無理やり縛りつけて食べさせるっての?!」

 

「それもあるけどな、非効率的なんだよ。19世紀末のドイツでは実に画期的な方法が作られた」

 

「…………」

 

「細かく砕いてケツの穴からぶち込んで蓋をするんだ。時間もかからないし患者も傷つかない。どっちがいいんだ」

もう一度スプーンが口元に近づけられてくる。これを拒めば先ほどのように前触れなく椅子を蹴っ倒されて服を千切られて今の言葉通りの辱めを受けることになるのだろうか。

そして腹は確かに空いている。もう半日は何も食べていないし出撃に備えて胃袋も空っぽにしてある。

 

「うぅ……」

結局恐怖と空腹に屈してスプーンを口にした。

今まで1週間以上食事を抜いて寝かせないでも耐えたものもいるのに自分のなんて情けない事か。

 

「また吐きだされたらたまらんからな」

そんなつもりは全くなかったのに口元を馬鹿力で大きな手で塞がれる。

 

「んんっ!! んーっ!!」

自分でやって見ると分かるがそうされると口内の物を咀嚼するのも難しいのだ。

なんとか飲み込んだ喉の動きが見えたのかたっぷり20秒かけてようやく手が離れていった。

 

「うっ……うっ……」

 

「泣くなよ。まだ始まったばかりだろ」

 

ほんの一時間前まで自分を優しく抱きしめていたガロアの口から出た言葉にセレンは震えた。

自分にだけ優しい、というのは悪くないがこれは少々やり過ぎのような気がする。

 

「お願い……普通に食べさせて……」

 

「普通に食べさせているだろ」

 

「片手! 片手だけなら逃げられないから!」

 

「ほどけってか」

 

「……」

 

「いいぜ」

かと思えばさらりと大の男が二人がかりで1時間以上かけてなんとか縛った縄をほどいてしまった。

しかも全部である。

 

「何を考えているの……あなた?」

 

「さっさと食え」

実のところ何を考えているわけでもなく、ここでシャミアがどんな抵抗をしてきても抑え込む自信がガロアにはあるし、逆に何かしてきた方が遠慮する必要も無くなっていいと思っているだけなのだが。

 

 

 

結局食べている間ただ見ているだけで何かをしてくる訳でも無く、シャミアも食事を投げたり机をひっくり返すような真似はしなかった。

水のお代わりを頼んだらちゃんととってきてくれた。水道水だったが。

 

「どうだった」

 

「全然美味しくなんかないわよ……」

空腹だったことも手伝ったとはいえ完食して言うセリフでは無いなとは自分で思った。

 

「だろうな。今日の味付けは俺も悪いと思った」

 

(何が目的なの? この男……)

あろうことか和やかな雰囲気すら流れてしまっている。

今ここで暴れようという気が全く起きないのは先ほどのほんの短い時間に刻まれた恐怖からかまた別の感情からか。

 

「お前、育ちいいだろ」

 

「! ……なぜそう思うの」

 

「食べ方がいい」

唐突な話題だがこの男、実によく見ている。だが今この男がしている行動の意味が分からない。

使い終わったスプーンをシャツの裾で綺麗に拭いているのだ。世界のどこにそんな行為をする文化があるのだろうか。

 

「メリハリのある味はやはり自然に美味しい物を食べて育った物を使うに限る」

 

「?」

 

「まずは血抜きだ。逆さに吊るして喉を裂く」

 

「次に腹を開いてモツを抜く。食べられる部分と食べられない部分を分けなきゃいけないし、洗浄も必要だ」

 

「……お肉の処理の話?」

今の手順は子供の頃に行った食肉処理場で従業員がブタにやっていたものとそのまま同じだ。

空中に向かってすっ、すっと手で肉を捌いていくその姿は何故かとても似合っており、あろうことか新鮮な血の臭いまでするような気がした。

 

「綺麗に解体したら軽く火で炙ると毛が消えてくれる。そうすると皮もパリパリになって一石二鳥だ」

 

「……」

そんな話を聞いて、昔食べた中華料理がそんな作り方だったことを思い出しまた腹が減ってくる。

実はあれだけでは全然足りなかった。お代わりといえばくれるのだろうか。水もくれたのだからもしかするともしかするともしかするかもしれない。

 

「俺が作ってやる」

 

「あなた料理が出来るの?」

 

「少なくともこれより美味い。ただ……生きたままやるのは初めてだ。切断するのと炙るのどっちが先がいいか……」

 

「なんの話……? お肉は切ってから暫く置いておかないと美味しくないのよ」

自分が何の為に何故ここにいるのかも忘れて間抜けにもそんなことを口にした瞬間だった。

綺麗に拭いたスプーンをガロアが大きく振り上げたのが見えた。

 

ダァンッッ!!

 

覗いていたセレンは驚きで20cm、シャミアは驚きと衝撃でその場から30cm浮かび上がった。

机の上に乗せられた手のほんの数ミリ横にスプーンが深々とめり込んでいた。

 

「『お前』の肉を解体すんだよ。生きたまま切り裂いて目の前で肉を焼いてやる」

 

「……!!」

理解しがたい言葉と後には灰すらも残さない程に燃え上がる残虐性の浮かぶ目に射抜かれ、怯え竦み動きが止まっている間に、ガロアはまるで水あめ細工の形でも変えるような気軽さで突き刺したスプーンをひん曲げ、シャミアの手首は曲がったスプーンに覆われてしまった。

もうこれでまともに見動きは出来ない。

 

「しっかり料理した肉をお前の知り合いに一人ずつ食わせてやる。感想を聞いた後にお前の肉だと言ってゲロを吐いた音まで録音してお前の耳元で24時間延々流し続けてやる」

 

「先に両腕から料理する。自分のケツも拭けなくなった状態で最低でも1年は生かしてやるからな」

 

「ひっ、はっ、本気!? ラインアークでそんなこと、でき、出来ないんじゃ」

本気、と目に書いてあった。自分と同じ種類の人間だと感じた。

やると言ったら本気でやるし、やめてくれという懇願をたっぷり聞いてからやるタイプの人間だ。

 

「確かに法律もルールも人を守る。罰と言う形で『後から』な。戦争屋のくせにそれもわからないのか? いつだって暴力が先にくる。切り取られた自分の手足が人の腹に収まった後に訴える気力があるか」

言葉に合わせてごりごりとひん曲げられたスプーンが手首に食いこんでくる。

この力なら例え刃物がなくても自分を解体することが出来るだろう。

 

「お、お願い、やめ、やめて……」

手足を失い精神が壊れた後にこの男が罰されてももう何も救いになりはしない。

そうなりたくなければ今この男にひたすら懇願するしかない。

今になってシャミアは自分が今まで何をしてきたのかを理解し始めた。

 

「一度だけチャンスをやる。俺の質問に全ていいえと答えろ」

 

「……」

動かせなくなった手首には指が当てられており、脈を測られている。

一度心音を異常にしてから平常に戻し、そこから嘘を見抜くという尋問方法だろう。

何か一つでもへまをすればすぐに拷問に移るに違いない。

 

「分かったか」

 

「わ、分かったから……だから、ぁがっ!?」

言葉を言い終わる前に上前歯を掴まれていた。

 

「いいえ、だ」

 

「……!」

みきみきと音を立て痛み始める前歯が力ずくで抜かれる未来を想像してプライドを捨ててぶんぶんと頭を縦に振る。

 

「ちっ……頭悪いな……」

 

「いいえ!! いいえ!!」

 

「そうだ。これから俺の言葉にアホみてぇにいいえとだけ反応してりゃいい」

 

(怖い……!)

怒りやプライドを押しつぶすほどの圧倒的な恐怖という物を生まれて初めて感じていたシャミアは既に壊れたカスタネットのようにガチガチと歯を鳴らしていた。

 

 

 

一応激しい暴力を振るう事無く、シャミアの心を潰したガロアは静かに質問を始めた。

先ほどまで頭が爆発するほどだった痛みは不思議なことにすっかりと消えていた。

 

「残りのカブラカンは普段通りの巡航ルートにいるのか?」

 

「……いいえ」

どうやら普段通りでは無いらしい。だがそれはガロアが一機壊したからなのかもしれない。

 

「お前はカブラカンのルートを知っているな?」

 

「いいえ」

これについて本当に知らないらしい。思えばBFF製のマザーウィルを守っていたネクストはBFFの機体では無かったし、リザイアにしてもそうだったが、

アームズフォートとリンクスはあまり企業で関わりがないのかもしれない。

 

「こいつらを知っているか」

ガロアが今までに見た未確認機の写真を見せていく。

 

「いいえ」

 

「……最悪の想像ばかりが……当たるのか」

だがノーマルとネクストが全く同じ現場に立たないなんてことは無い。

ORCAもオーメルもBFFもアルゼブラも知らないし、インテリオルの機密情報室に入ることが出来たウィン・Dでさえも知らないと言っていたこれらの機体。

ガロアの中でいくつも答えの候補はあったがその中でも最悪の想像が正解である可能性が高まる。

 

「……」

 

「まだ聞くべき事はあるのかもしれねえが……最後だ」

 

「……」

 

「イルビス・オーンスタイン、死んでないだろ」

 

「! いいえ……」

 

「やっぱりか。なんかおかしいとは思っていたが……何だったんだ? お前は」

確かに撃破はした。だがマロースを撃破した場所は支配領域だったし、コアを貫いた訳でも無い。

極寒の地域ではあったがノーマル部隊もまだ残っていた。あれで死ぬはずがないと思ってはいたが。

 

「……」

 

「俺の事が好きなのか?」

 

「いいえ!!」

 

「ふーん。まぁいいや。これで終わりだ」

顔を真っ赤にして否定するシャミアを見て、こんな手の込んだことをしなくても顔だけ見ていれば大体の嘘は見抜けたかもしれないなと思う。

 

(しかし……これで確信できた。あの機体どもは既存の技術じゃない。いや、人間が乗れる機体じゃない、どれもこれも)

考え込んでいるガロアにシャミアが何秒か躊躇った後に何かを言おうとした時、扉が派手な音を立てて開いた。

 

「ガロア! 敵ネクストの襲撃だ!」

 

「また? 俺じゃなきゃダメなのか」

 

「格納庫に一番近いところにいるのがお前だから、らしい。急げ」

 

「ラインアークの守りはザルなのか? ったく……」

 

文句を言っている間にも状況が変わってしまいそうなのでとりあえずシャミアはその場に置いて出撃した。

奇妙なことに、敵機に居住区のごく近くまで侵入されたという割には被害が全くないという事だった。

全く攻撃をせずにここまで高速で侵入できる機体と言ったらせいぜいアスピナの変態ネクストか、あるいはVOBか。

だがこんな訳の分からない作戦にVOBまで使う価値があるのだろうか、と思っていたら敵機が見えた。

 

「なんだありゃ……」

一見して軽量級ネクストだが、両手両肩はもちろんのこと、脚から腰まで無理やりにECM発生装置を付けており、

視認できる距離では完璧にレーダーが潰されていた。積載量オーバーの歩くECM発生装置だが、確かにあの機体ならば視認さえ避ければここまで侵入できてもおかしくない。

 

「そこのネクスト。何しに来たのかしらんが魚の餌になりたくなかったら帰れ」

だがその警告に言葉が返ってくることは無く、代わりにそのネクストは腰の後ろから棒状の何かを抜いた。

 

(! 腰部に取りつけるブレードなんか開発されていたのか?)

そのネクストが棒状の何かを掲げた時、夜の闇に白が広がった。

 

「は?」

 

『白…旗か……?』

パタパタと風に揺られるだけでは無く、規則的に腕で揺らすそれはよく見れば肌着や雑巾やらをつぎはぎに紡いでネクストサイズにした白旗だった。

 

『あれは……ランク19スタルカだ』

 

「わざわざ解体されに来たのか」

 

『取引に来た。話を聞いてくれんか?』

 

「何言ってんだ? 百歩譲って取引したいことがあったとしてネクストに乗ってここまで来て取引だと? バカか?」

 

『非礼は承知の上じゃ』

 

「まぁいい。なんだ」

 

『シャミアを返してくれんか』

見た目はだいぶ変わっているしあの時は霧でよく見えなかったが、確かにこの機体は最初にレッドラムと戦った時にコンビだったネクストだった。

 

「返せだと? あの女から捕まりに来たんだぜ。おいそれと渡すわけにはいかんなぁ」

実はもうシャミアに興味が無くなっていたガロアだったが、確かに返せと言われてはいそうですかとリンクスを渡すわけにはいかない。

周りもそれを認めることはないだろう。

 

『あんたらにシャミアを御しきれるとは思えん。噛み千切られる前に』

 

「リンクスだぜ? そんな事するよりも価値のある使い方があるだろ」

 

『……どちらにせよ、そちらの言う事を聞くとは思えん。暴れたじゃろう』

 

「……。お前、さては……企業が止めるのを振り切ってここまで来ただろ?」

企業からの通信で取引を持ちかけるのではなくこの男が一人でここまで来た理由となると、時間を惜しんで一刻も早くあの女を取り戻す為だろう。

度重なる命令違反をしてネクストまで失ったリンクスを企業が下手に出て取り返そうとしてくるとは考えにくい。

だがその価値を値踏みしている間にも、女性としての尊厳を踏みにじられているのではと考えるのは間違いでは無い。

この男は果たしてあの女の何なのだろうか。

 

『……隠すつもりは無い』

 

「で? お前は何を代わりにくれるんだ」

 

『この機体をやる。ラインアークの為に戦えというのならワシは戦おう』

リンクス、ネクストの価値が落ちたとはいえ未だにネクストの資産価値は非常に高い。

売り飛ばせば数十年は遊んで暮らせる金が手に入ることは間違いない。

もっとも……売り飛ばせるルートがあるのならばの話だが。

 

「自分から捕虜になりに来るのか? もうネクストもないあの女を取り戻す為に? お前になんの得がある? そんな話をどう信じろってんだ」

例えばこの男の身体に小型の爆弾でも埋まっているかもしれない、などなど疑いだせばキリがない。

 

『示せる証拠は一つもないが……あの娘が親を亡くしてからワシが育ててきた』

 

「……」

 

『口が悪くとも、全く言う事を聞かなくともワシにとっては大切な娘なんじゃ。信じてくれ。……信じてくれとしか……言えん』

 

(……そういうことか)

食事の様子を見ながら一つ疑問があった。

リリウムと似た隠せない上品さと食事作法。自分のような根なし草とは違って相当に育ちがいい事が伺えるのにどうしてリンクスなどやっているのだろう、という事だ。

無論ウォルコット家のように元々が兵器開発で富を得たからこそリンクスを輩出して……という話もあるかもしれないがリンクスの数を考えるにそれは少数派のはずだ。

何よりも、親を失くして育てられるという話をガロアが頭から否定するのは難しかった。

 

「いいだろう。だがお前、無事で済むとは思うな。リンクスなんか手足切り落としても脊髄と頭さえ残っていりゃ戦えるんだからな」

むしろ人権を無視すれば逃走などされない分そっちのほうが都合がいいはずだ。

最後の質問だった。我が身を犠牲にしてでも救いたいのか、と。

 

『構わん』

淡々と告げた恐ろしい言葉にノータイムでイエスと答えた。

シャミアがそれで解放されるのならそれでもいいと言うのか。

 

(……どいつもこいつも……)

ガロアにはもうスタルカを撃破しようという気が持てなかった。

シャミアを尋問しているときには治まっていた頭痛がまたちくりと頭を刺した。

 

 

 

「武器をワシから没収しないのか」

ド・スは拘束もされず武器も没収されなかったことに驚いていたが。

 

「武器に手をかけた方が分かりやすい」

ガロア・A・ヴェデットだと名乗った男が三年前に見た写真からは想像も出来ない程大きかったことに殊更驚いていた。

一見細身に見えるが、鋼のような腕、傷だらけの手、打撃の要の背筋は服の下からでも分かる程鍛え上げられている。

視線にも歩き方にも一切の隙が無く、自分が銃やナイフに手をかけた途端に殺されるだろう。

下手くそな兵士10人で囲ませるよりはずっといい。

 

(……強い)

16歳から軍にいたド・スはサンボの達人でもあり、大会でも戦場でも自分より大きな男などいくらでも倒してきた。

だが磨き上げた格闘家としての勘が告げている。自分が武器を持とうとも、この男が片手しか使わなかろうと絶対に敵わない。

歳で言えば自分の半分のはずだが、余程桁外れの才能と訓練に打ち込む執念があったのだろう。

 

「解放するのはいい。だがネクストだけじゃ足りねえ」

 

「そうなると思って、全て持ってきた」

16歳から今日まで働いて働いた全ての金が入ったカードを渡す。

特にリンクスになってからの稼ぎを考えるにかなりの額があるはずだ。

 

「ちゃんと入ってんだろうな」

やはりノータイムで出されたカードを受け取りながらそんな事を言うが、ガロアは既に疑ってなどいない。

確認すればすぐに分かることだし、こういう部類の人間がここに来てそんな狡い嘘を吐くとはガロアには思えなかった。

 

「ワシは無駄遣いは好かん」

そのお陰でド・スはシャミアに散々文句を言われたし、シャミアがリンクスになってからも浪費癖はついに直らなかったが。

 

「あの女は何が出来る? 暫くはネクストは使えないんでな」

働いてもらうとなればバラバラにしたレッドラムを直さなくてはならないがいかんせん、バラバラにしすぎた。

買った方が早いくらいかもしれない。

 

「一応ノーマルの操縦と修理が出来る。……じゃが」

 

「あ?」

 

「あの娘は押えつけても怒鳴りつけてもやりたくないことはやらんだろう。……人じゃ。リンクスだとてのう」

 

「……」

 

「……その分、ワシが戦おう」

 

「ふーん……」

全てを捨てて何を得る?などという愚問をする気にもなれなかった。

シャミアのいる部屋の前には先にセレンが待っていた。

 

「「……」」

あのやり取りは全てセレンも聞いていた。お互いに目だけ見てうなずき扉を開く。

 

机に刺さったスプーンをなんとかとろうとするシャミアがいた。

とろうにも片手ではどうすることも出来ず、強く引っ張っても机の方が持ち上がってしまう。

 

「終わりだ。行け」

さんざんシャミアが難儀していたスプーンをガロアはいとも簡単に引っこ抜く。

 

「……!? ド・ス!? どうし」

 

ゴン、と鈍い音が響いた。

 

「馬鹿たれが!」

少なくともこれくらいの年になったらまず受けないであろうげんこつを頭に受けて目をちかちかさせるシャミア。

話している途中だったから舌を噛んだかもしれない。

 

「!! ……何を」

と言いきる前に跡が残る程強烈なビンタがシャミアの頬にささった。

 

「……」

今まで散々わがまま言ってもあまり怒らなかったド・スがシャミアに手をあげたのは思えばこれが初めてだった。

少し冷静になってようやく状況が分かってくる。特に偉くもなんともないド・スがどうやって敵地の中心であるここまで来たのか。

何の感情も無い目で見ているガロアの視線に気が付いてようやくド・スが何を捨てて何の為にここまで来たのかを理解した。

 

「……ごめんなさい」

 

「もうええわい」

じんじんとする頬をさすりながら呆然とした顔で謝るシャミアを見てド・スは鼻から息をふん、と漏らしてそう言った。

 

(俺も……そうだったな……)

怒られるような事は言えなかったし、怒られるようなこともそうそうしなかったガロアだったが、散々入るなと言われていたオオカミの縄張りに兎を追って入った時は烈火のごとくアジェイに怒られた。

その時はただ引っ叩かれた頬が痛くて泣いていたがその意味が分かったのはずっと後になってからだった。

そう、大きくなってアジェイがいなくなってからだった。

 

「後々ラインアークからお前らに指示が来るだろう。それまではどっかのホテルにでも泊まれ」

先ほど受け取ったカードをガロアが投げるとド・スは上手いこと受け取ったが不思議そうな顔をしている。

 

「ええのか」

 

「ここはそういう場所じゃないらしいんでな。後は知らん」

 

もう興味は失せた、と言わんばかりに背を向けるガロアを見てシャミアは先ほど一瞬でもこの男に屈服した時の屈辱を思いだした。

実際には痛いことなどほとんどされていないのに、ただの啖呵だけで自分が普段やるよりも余程効率よく情報を引きだされてしまったのだ。

これほどの屈辱は後にも先にも存在しないだろう。今まで捉えた全ての人間を痛みと苦しみでひれ伏させ、足を舐めさせてきたというのに。

これから先、この屈辱は永遠に消えないだろう。この男をなんとしても倒さない限りは。その機会は今しかない。そう考えた時にはもうシャミアはド・スの腰にあったナイフを抜いていた。

 

頸動脈に向かって突きだされたナイフをガロアはやけにゆっくりと見ていた。

 

(馬鹿なのか、この女)

そう思う反面、なんだかこれを望んでいた自分もいるような気がしながらその腕を掴む。

 

「この、殺してやるわ!」

 

(っ…痛、いた……あ、いてぇ…っ……)

ぴきぴきと頭にヒビが入る様な頭痛がして視界が赤く染まっていく。

さっきまでの言葉は本当にただのはったりだったか?

ただの脅しじゃなくて本当の本当に解体してやるつもりだったんじゃないか?

そしたらきっと凄いスッキリしたんだろうな。そんな幻覚に呻きながら視界の中で赤く染まるシャミアの腕を掴んできりきりと足の届かない高さまで持ち上げる。

 

 

「シャ……!」

ド・スはその光景を見て一も二も無く飛び出そうとした。

どう見たってシャミアが悪いのが分かったが、どうしてか今から間違いなくシャミアが殺されると直感が告げていたのだ。

 

「動くな」

だが、何もしゃべらずにいた黒髪の女がいつの間にか自分の背後にいて頭に拳銃を突き付けていた。

トリガーには既に指がかかっており、抵抗どころか身じろぎ一つで頭が吹き飛ぶだろう。

しかし自分が拳銃を突き付けられるまで気取れないとは、この女も相当強いというのか。嫌になってくる。

 

 

 

セレンが銃を男に突きつけながらもセーフティーを外していないのを見てガロアは努めて気持ちを落ち着けようと努力する。

 

(殺すな、殺しちゃダメだ……)

だが頭の中の考えとは裏腹にシャミアの腕を掴んでいた手にはどんどん力が込められ、あと数百グラムでシャミアの腕の骨が砕けるのが分かった。

このまま肉団子にしちまおう、と頭の中で何かが言っている。それはダメだ、とガロアはシャミアの命の為に、そして何よりも自分自身の為に右手を伸ばした。

ガロアの右手の伸ばした四本指がシャミアの胸を突くように触れた瞬間。

 

「きゃあっ!!」

開かれていた手が拳になっていたと思ったらシャミアが数m先の廊下で尻餅をついていた。

 

対象物に指先をつけて、指の長さだけ勢いを付けて相手を吹き飛ばす技、寸勁。

派手に吹き飛んではいるが、衝撃は全て体外に逃されている。せいぜい尻が痛いくらいだろう。

 

(痛い、クソ……バラバラにしてやりたい……)

近づいたら次は間違いなくこの女を殺してしまう。

そう思っているのに地面にへたり込んでいるシャミアの元へと歩んでしまう。

 

「この……!」

今まさに命の危機が迫っていることも知らず、立ち上がり反撃しようとしたシャミアの左膝を踏みつける様に足を出すと、立ち上がり損ねてシャミアは自分に跪くような形になってしまう。

何かが頭の中にいる。恐らくは自分を突き動かしてバックを殺させたり、セレンを強姦しようとした男どもを惨殺した凶暴性とか獣性とか呼ばれる物だ。

自分の一部のはずの『それ』はいつからか独立して意思を持ち、あろうことか自分を操ろうとすらしてくる。どうしてそんなことを?

自分としてはもうこの女には興味もなかったしどこへなりとでも行けと思っていた。だがこのままでは自分が死んでしまう。頭が食い破られてしまう。最大限の『譲歩』が必要だ。

ガロアは真っ赤になる景色の中で自分に憎悪の視線を向けるシャミアへと湧き上がる殺意を抑えながら手を伸ばした。

 

 

 

 

「そんなことをしてゆ、あ゙っ!?」

膝を足蹴にされ、肩を手で押えつけられて全く動けない所にシャミアは更に舌を掴まれて呼吸も出来なくなった。

引き千切られるのか、手をこのまま突っ込まれるのか。どちらにしても無事では済まない。そんな想像をして震える。

 

「お前は俺に負けた。三度も。そうだろ。どういうことか分かるか。教えてやる」

 

「こ……ぉあ……」

ぎりぎりと舌を挟まれ力づくで引っ張り出される痛みと息苦しさに目じりからじわじわと涙が出てくる。

電灯の光を背から受けて灰色の目だけが爛々と光を反射しており目が離せない。

だがどうしてか、その時シャミアはガロアから散々与えられた痛みと恐怖、屈辱によって胸の奥がじんわりと滲むような感覚がしていた。

何もかもが初めてでそれがどういうことか全く分からなかったが……

 

「俺が王だ! お前の全ては俺の物だ! 黙って俺に従え!!」

どくん、とその言葉でシャミアの金色の瞳が揺れる。

 

「あ!!……は……」

シャミアは自分が望んだ世界が、幾重にも鮮血が咲く地獄がこの男の目の奥にあるのを見た。

きっとこの男は自分を解体するのに本当に何の感慨も抱かないのだろう。

なぜここまで執着してたのか自分でも分からなかったが今、分かった。

この男は自分よりも、自分の母よりも遥かに格上の存在、自分の焦がれた世界を作り出す者だったのだ。

魂がそれを鋭く感知していたのだろう。燃えるような赤毛が光を受けながら揺らめいている姿は信じがたいほどに悪魔染みている。

この男と一緒にいれば自分の望む世界を見せてくれる。それなら全てを捧げてもいい。心拍数が上昇して身体の中から声が響くかのように自然にそう思えた。

 

 

「はい!!!」

そしてシャミアは落ちた。

 

 

「「あ」」

冷静に事を見守っていたセレンも、拳銃を頭に突きつけられているド・スも同時に声をあげた。

シャミアの瞳がハート型に変わったのではないのかと思う程見事な落ちっぷりだった。

 

「いいだろう」

ガロアが手と足を離してもシャミアは跪いたまま目を輝かせている。

 

「お前は俺の言う事を全て聞く。そうだろ」

 

「なんでも命令してください!!」

 

「よし。じゃああの男と一緒に行動しろ」

 

「はい!」

 

(シャミア……馬鹿か……)

 

(ガロア……お前……どうしてそんな悪い子に育っちゃったんだ……)

言葉を変えただけで結局それはラインアークの指示を聞けというのと何も変わっていない。

 

「セレン、行こう」

 

「あ、ああ」

あれどうなるんだろう……と三度ほど振り返ってようやくセレンは前をすたすた行ってしまうガロアに着いて行った。

 

「シャミア……」

どう頑張ってもシャミアの残虐な性格は直らず、せめて男でも作ればまだなんとかなるかもと思っていたが、

リンクスになって見つけたのはイルビスというシャミアに負けず劣らずの拷問大好き男。

そしてお互いに異性として意識していないというよりは相手を切り刻むのに忙しすぎて目に入らないという感じだった。

ようやく普通の年頃の女の子らしく恋をしたのかと思えばよりにもよってあんな男である。

 

「………え?」

未だに目がハート型のシャミアはほとんど上の空で答える。

 

「あの男はお前に合わん。やめておけ」

 

「なによ!!」

 

親の心子知らずとでも言うのだろうか。

ド・スは結局溜息しかつけなかった。

 

 

 

 

おまけ

 

 

今になって思うのは、お前たちは人のせいにすることしか出来ないのか、ということだ。

生活基盤の崩壊はリンクス戦争の余波であり、確かに彼らのせいではないし、自分達ではどうしようもなかったことだろう。

だがそれは私の母にとっても同じだ。領主だろうと王だろうと、一機で国すらもひっくり返せる化け物をどうすることが出来る?

そんな言い訳すらも許されなかった。

彼らは常に誰かのせいにしていたいのだ。自分が生きていること、死ぬことを納得して母が作るルールに任せていたくせに、望み通りにいかなければそれに怒る。

だったら何故自己責任で生きていかなかったのか、それを問うには遅すぎた。

 

「ここまでのようね」

 

「お母さま?」

とうとう屋敷の端、寝室にまで追い込まれた。

かんぬきをかけた扉を叩く音は一秒ごとに激しくなり、ミキミキと今にも砕けそうな音がする。

使用人も全員殺されたようで、民を狂気に飲みこんだ濁流は止まる気配はない。

 

「ここに入って、少しだって動いてはダメよ」

服が沢山かかったクローゼットに自分を押しこんで扉を閉めると同時に母は服を脱ぎ始めた。

僅かな隙間から見たその光景はあまりにも現実離れし過ぎていて、今でもはっきりと細部まで思いだせる。

寝るときに着用している生地の薄いキャミソールとガーターを着けた身体中にベルトが巻かれて、そこには数えきれない程の刃物と銃が取りつけられていた。

 

「聞きなさい」

押し寄せる人々を止める扉は軋んでおり、外からは怒号が台風のように飛んでくる。

落ち着ける要素などまるでないのに母は風呂上がりに熱いコーヒーでも飲むかのようにゆっくりと平然と銃の弾を一つ一つ確認しながら口を開いた。

 

「お星さまは願いを叶えない、神はちっぽけな人間など見てはいない、真の平等など実現できない、人は他人を助けない、思い続けても夢は叶わないから勝つしかない、どんな不幸が起きても太陽は昇るし、どんな幸せもいずれは時間が全てを消し去る。連綿と紡がれて生まれた命は簡単に踏みつぶされ殺されるし生まれればどうしても最後には死ぬ。私達は獣の頃から残酷と怨嗟を重ねて進化した。それでも人も生物ならばこの世界に誰もが認めるハッピーエンドは一つしか無い。沢山の子孫と愛する人達に囲まれて死ぬこと……。なのにバッドエンドは何百何千万とある……何故?」

 

「人が悪と決めた物は本能に根ざす物ばかり……。つまり」

 

「人の」

 

「本質は」

 

「『悪』」

それはおよそ10歳前後の子供に言う言葉では無いだろう。

だが今思えば、自分には……いや、世界にはそれが必要だった。

子供に綺麗事ばかり並べる大人ではなく、たまにはえげつないほどの現実を見せつける大人が。

そうでもなければこの残酷極まる世界でのんびりぼけっと成長した子供は何も出来ぬままあっさりと死ぬことになる。

 

「悪虐の限りを尽くしたものが一番人間だということを忘れてはいけない」

 

「見なさい。アナトリアの傭兵……この世界で一番強い男の戦いの余波、ほんの身震いで私達はこの理不尽の沼に叩き落とされた」

忘れようたって忘れられる物では無い。

命を作るための鍬を担いで叫びながらこちらに向かって走る民を、全ての怒りを何かのせいにして荒れ狂う人々を。

 

「限りなく人の命を蹂躙する者こそがこの星の頂点、王よ。いつか見つけて」

 

「動物だった頃から何も変わらないわ。どこの誰さまがどんな綺麗事を宣おうが、結局一番強い者が偉い。どうしても」

 

「人の本質は『悪』。それでも……シャミア、遺言」

開け放ったベランダの縁に立った母の最後の言葉だった。

 

「愛しているわ」

そして母はナイフと銃を抜いて飛び降りた。

 

 

企業を名乗る集団が助けに来た時にはもう遅かった。

母はまさしく嬲り殺しという言葉に相応しいほどに徹底的に踏みにじられて殺されていた。

 

 

人の命をまるで消しゴムのカスのように消し飛ばす、この世界最高の強さの塊に出会ったのはそれから数年後のことだった。




ガロア君が精神汚染によってどんどん壊れていきますが彼は戦争後もまともに生きていけるのでしょうか。


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融合

結局昨日はあの後ガロアは何もしてこなかった。疲れてしまったのか興ざめしてしまったのか、あるいは別の理由かは分からないし尋ねることも出来ない。

だが、ほんのささいなことではあるがどうしてもあの鼻血が関係ある様な気がしてならないセレンはしかし何も言えなかった。

 

「あ」

 

「どうした?」

朝目覚めて二人で食堂に向かっているとガロアが声をあげた。

 

「ケータイ忘れた」

 

「別にいらないだろ」

この前の王小龍のようなイレギュラーは別として相変わらずガロアのケータイにはセレン以外は登録されていないし、

二人でいるのだから必要ないだろう。

 

「この前みたいに誰かに連れて行かれるようなことがあったら困る。とってくるから先に行っていてくれ」

 

「……分かった」

あれは攫われたのではなく自分から着いて行ったのだが、普通に心配してくれるのはくすぐったいながらも嬉しかった。

 

 

 

 

「なんだかガロア君大変ね」

ちゅるん、とパスタの端を口に吸いこみながらメイが言う。

 

「何がだ?」

 

「帰ってきてすぐに出撃したんでしょう?しかも二回も」

 

「まぁ……」

むしろその出撃の合間のイベントの方が大変だったのではないかと思うが。

 

「あ、来た。セレンと一緒に来ないの珍しいね」

 

「……」

ちら、と見ると食事の注文をしているようだが相変わらずリザイアにからかわれているようだ。

よーく耳をすませてみる。

 

 

「今日の午後はオフなんだけど一緒にお出かけしない?」

 

「しない」

 

「この前お買い物してきてくれた分のお金も色を付けて返したいし」

 

「いらねぇから仕事に集中しろ」

 

「これ、連絡先。いつでも連絡していいからね」

そう言ってリザイアはガロアに何やら紙切れを手渡した。

まさか連絡はしないだろうが後であの紙は没収だ、とセレンが思っているとガロアはいきなりその紙をびりびりに破いて飲みこんでしまった。

 

「明日には糞になっている」

 

リザイアもあの手この手で誘っているようだがけんもほろろ。

しかしそれ以上に気になるのはあの言葉遣い。

 

(あいつ……女に優しくないなぁ)

かと言って男に優しいのかと言えばそうでもないのが、どちらにせよ人当たりが最悪なのは決していい事でない。

やはり大事な時期に森で人と関わらずに暮らしていた影響なのだろうか。

セレンも最近は随分と人への接し方に気を使うようになってきた。

それはガロアという人間と一緒に過ごしてきたからこそなのだが。

そんな事を考えていると顔中に絆創膏を貼ったオッツダルヴァがガロアに近づいていった。

 

 

 

「あの女に何もされなかったか」

 

「されてない」

 

「ラインアークは暑いな。熱中症には気を付けろよ」

 

「大丈夫」

 

「何かしてほしいこととかないか?  働き詰めだからな」

 

「何も無い」

 

「じゃ、じゃあこれどうだ? この前街で買ってきたんだ。メルツェルが言うに若者の間で流行っている本だそうだ」

オッツダルヴァが懐から取り出した本には何やら気持ちの悪い虫のようなイラストが描かれており、『そしてAMIDAに恋をする』と大きくタイトルが書かれている。

あんなのいらん、とセレンは思ったがガロアも全く同じことを考えていたようだった。

 

「いらん」

 

「いらっ、がっ、くっ!……チェ、チェスはどうだ? 一緒にやろう」

仮にもリンクスなのだから懐には拳銃くらいいれておけばいいのに次に出てきたのは携帯チェス盤だった。

 

「ルール知らない」

あまりにも淡白なガロアの反応。あれこれアピールするオッツダルヴァに対してなんと七文字以上の言葉を返していない。

とうとうオッツダルヴァはチェス盤を取り落とした。散ったコマはオッツダルヴァの砕けた心のようだった。

 

「もっと兄を頼ってくれ。お父さんとお母さんに顔向けできないんだ」

袖を目に当てておいおい泣き始めたオッツダルヴァにセレンはドン引きする。気持ちは分からないでもない。自分もガロアにあんな冷淡な反応を返されたら泣いてしまうかもしれない。

だがどうしてあそこまで、と思うがセレンに分からないのも無理はない。

記憶が一気に戻ったオッツダルヴァにとっては楽しみにしていた弟がいきなり生まれていきなり18歳になっていたような感覚なのだ。

おまけにその副作用かやや幼児退行してしまっている。

 

「……」

意味が分からないのはガロアも同様で、今だ知らぬ強敵と出会ったときとも目的不明の誘惑をしてくる美女と相対したときとも違う、全く経験のしたことの無い気持ちの悪い汗を背中にびっしょりとかいていた。

何か下手な事を言えばもっと泣きだすかもしれないので何も言えない。

誰か助けてくれと心から思ったのはガロアにとって初めてのことだった。

 

 

 

(……極端だな……)

なんとか頑張ってお節介を焼こうとするオッツダルヴァは、再婚した母親についてきた弟に不器用ながらも接してみようとする兄のようだ。

 

「あれ……一応オーメルのオッツダルヴァ? なんだよね? 見た目が全然違うけど」

 

「一応な」

 

「なんでガロア君にあんなに? 人と関わるのが嫌いだったのに、あの人」

 

「……説明すると長いんだ、本当に」

 

「あれ? あれって……カラードの……」

 

「ん?」

自分が食べ終わるまでにガロアは解放されるのだろうか、と考えているといつの間にかガロアとオッツダルヴァの間に何度か見た顔だが名前の知らない男が立っていた。

 

 

 

「ハリ?」

 

「……」

ラインアークで買ったのだろうか、南国カラーのハワイシャツとネックレスを朝からパリッと合わせたその男はガロアが過去に一度だけ話したことのあるORCAの最年少メンバーだった。

 

「俺に何か用か」

 

「ヴェデットさん、私と勝負をしてくれませんか」

 

「え?」

 

「ハリ? 何を言っている?」

 

「テルミドールは黙っていてください。これは私の問題です」

情けない我らがリーダーオッツダルヴァはその一言でしょげてしまう。

 

「勝負? 何それ」

 

「決めようではありませんか。どちらが優れているのかを。……ここにはシミュレーションマシンもない。実弾を使用してもいい」

 

「興味ない」

 

「俺はお前が気に入らねえ!」

ハリにしてみれば当たり前のことだった。

暗澹とした殺戮集団だったORCA旅団に新しい風を吹き込み、オールドキングを除いて全員どこか変わってしまった。

滅多に口を開くことすら無かったジュリアスに至っては左手薬指の指輪を眺めては鼻歌なんかを歌っている始末。

おまけにリーダーにはやたら気にいられているときた。

自尊心が特に強い年頃で、また自信家であるハリがガロアの存在を意識しないはずがなかった。

 

「あっそう」

 

「俺はお前に負けた覚えなんかねぇ! 勝負しろ!」

 

(……どいつもこいつも自分勝手な……)

百歩譲ってその勝負とやらを受けるとして、勝ち負けがどうしたというのだ。

ガロアから見てハリはありとあらゆるところが恵まれている人間に見える。

感性もガロアのように壊れていないし、客観的に判断しても異常な強さとよく回る頭以外にガロアがハリに勝っているところなどない。

 

「お前に勝っているところが必要なんだ。苦手なことは何だ!」

 

「たくさんあるんだなぁそれが」

 

「らぁっっ!!」

その言葉が耳に入るや否やハリは鋭く拳を放った。

簡単に避けられるはずのその攻撃は、精神的に疲弊しきっていたガロアの頬に思い切り当たって鼻血が噴き出た。

 

「……」

 

「来い!」

 

「……」

ああ、死んだ。

それを見ていた誰もがそう思った。

もう見た目からして体重身長合わせて50は差がある相手によくも挑めたものだ。

騒ぎ立てているハリに対してガロアは虚ろな目をして斜め上を見ていた。

オッツダルヴァはおろおろして、リザイアはもっと面白いことになれと言わんばかりの表情でガロアを見ていた。

 

(なんで……? 俺とお前の間には何も無いだろう?)

周囲の人間関係はガロアの意志と関係なく目まぐるしく変わっていく。

恨みを買う様な行動は多々しているが、この男に何をしたというのだろう。

オシャレでハンサムで、ラインアークの生活も満喫しているように見えるのに。カラードでのランクも自分より上だったと言っていた。

いったいもう何が不満だというのだろう。自分は抱きたい女も抱けず、痛む頭に日々苛まれているというのに。

 

「さぁどうした!」

どっ、とハリのボディーブローがガロアの腹筋に刺さる。

攻撃それ自体は悪く無いが体重差と身体の頑強さに差がありすぎてほとんど効いていないが……

 

(…………)

ガロアは思いだしていた。

この間自分がランニングをしているときにハリが海にいた女に軽く声をかけてちょっと散歩にでも行くような苦労で女をゲットしていたのを。

ああいう人間もいるんだな、リンクスでも、とその時は思っていた。

もうそれでいいじゃないか。十分恵まれている生活だろう。羨ましいと思う。自分には出来ないから。ずっとそっち側にいてくれ。なんでわざわざ恵まれている状況からこっちに来ようとするんだ。

自分は戦いだけに集中しようとして、だからこそ強いのに。

 

なんだかんだ自分だって18歳の人間の男だ。異性の肌に焦がれることだって全然ある。夢にまで見る日だってある。

それを軽く手に入れて遊ぶような人が世の中にはいるというのがよく分からないし、それが自分に嫉妬する理由はもっと分からない。

背中にかいていた気持ち悪い汗がシャツを肌にひっつけ、ブブブブ、と不快な羽音を立てて飛んでいた蠅がガロアの腕に止まった。

 

肉体的にではなく、取り巻く人間関係によって疲れ切っていたガロアの口から次に出た言葉はその場にいた人間全員を凍りつかせた。

 

「童貞だ俺は。なんでそうなるんだ」

 

「は?」

ハリのその言葉はその喧嘩もどきを観戦していた全ての人間の感想と一致していた。

こいつは何を言っているんだ?

と思う前にガロアの手がハリの首を掴んだ。

 

「変な奴ばっかりがァ!! あああッ!!」

そうしてガロアはハリが何かを反応する前にソフトボールのようにハリをぶん投げる。

スタイルがいいというよりも細身だったハリは背の高さにしては軽い体重のせいで驚愕の表情のまま10m以上飛んで壁に激突した。

何も言わず、オッツダルヴァがガロアに話しかけているところから黙って見ていたメルツェルは慌ててハリの元へ駆け出した。

 

「なんなんだよもう……どいつもこいつも……ほっておいてくれよ……」

ガロアはそのまま飯も食べずにぶつぶつと何事かを言いながら外に出て行ってしまった。

 

 

ふらふらとゾンビのように出て行くガロアを唖然と見ていたハリの元にメルツェルが駆けよってくる。

 

「大丈夫か!?」

 

「メルツェル……童貞って?」

 

「馬鹿、あの年であの強さを手に入れるのに何をどれだけ犠牲にしたかなんて簡単に分かるだろう! 遊んでないんだよ!」

 

「あの年で童貞なんて本当にいるんですね」

痛む背を無視して埃を払いながらハリは立ち上がる。

ガロアの言葉は脈略がなく意味の分からない一言だったが、なんだかそんなあまりにもみっともない奴に嫉妬していた自分が一気に馬鹿馬鹿しくなった。

 

「オッツダルヴァも童貞だぞ」

 

「ははっ、そうなんですか」

短く馬鹿にするように笑ったハリを見てオッツダルヴァはまた悲愴な表情をした。

 

 

 

 

そんなやり取りを遠くから見ていたメイは一言。

 

「ガロア君……どうしちゃったの」

 

「……うーん」

セレンも呆然としており、追いかけるべきかしばらく放っておくべきか悩んでいるようだ。

 

「というかさ」

先ほどの言葉の中で一つ気になった部分がある。

 

「なんだ?」

 

「一緒に寝ているんだよね? 何もしていないの?」

まさかな、とは思っていたが本人が童貞だと言っていた。公衆の面前で恥ずかし気も無く言う神経は凄い。

もっとも、あの時のガロアの神経がまともだとは言い難いが。

 

「えー……その……」

 

「……」

 

「て、手を繋いで寝ている」

 

「ずこーっ」

照れ照れに照れて何を言いだすのかと思えば幼稚園児みたいな言葉が飛びでてメイは思い切りずっこけた。

 

「え、え? うっそぉ……」

どう見たってセレンの事が好きだと思うが、好きあっている二人が同じベッドにいて何も無いというのはちょっとあり得ない。

しかも二人の年齢的に、例え好意がなくても勢いで肉体関係が出来てもおかしくないというのに。

 

「本当だ」

 

「だってガロア君のこと好きでしょう?」

 

「……………………」

この前のように必死で否定して話を逸らすのではなく、フォークを持ったまま顔を真っ赤にしたままゆっくりと頷いた。

何か心の中で進展があったのだろう。

 

「私は、その……別に構わないのに……。あいつが何を考えているのか……」

 

「ああ……なるほど……。うん……多分、待っていればいいと思うよ」

女は抱かれると情が深まるが、男は性欲と愛の違いがはっきりとしてしまって興味が薄れてしまうことがある。

男は性欲に振り回されることが多いが女性の場合は愛の確認の意味合いが非常に強いのだ。

好きあっていて、しかもこんなにも分かりやすいのにガロアが手を出していない理由は恐らく。

 

(大事にされているんだよ、それは)

性欲を切り離してなお好きで大事だから簡単に手を出してこないのだろう。

肉体関係から始まる恋なんて大抵ろくな結末にならないし、そんなことをしなくてもガロアはセレンを完全に好いている。

そういえばそもそも三年以上一緒に暮らして何も無かったというのだ。言い方によっては超プラトニックなのかもしれない。

 

「……でも……」

それでもやはり不安にはなってしまうのだろう。

愛を誓い合った夫婦でさえも行為がなければ徐々に女性は不安を募らせてしまうのだから。男は街に発散する場所が多い分尚更だ。

好きだ好きだで止まらなくなるのはどうかと思うが、隣に寝ていてもなお手出しされなければ本当に自分を好きなのか分からなくてもしょうがない。

そっとしておいてもいいとは思うがここは一つセレンの背中を押してやろうかと思う。

 

「うーん……じゃあセクシーな下着でも着れば?」

あんな部屋じゃどうやったって間違って着替えが見られてしまう事もあるだろう。

18歳の男の子がそんなものを見た日にはゲイでも無い限りは飛び込んでくるはずだ。

 

「……うん、その……無理だと思う」

 

「なんで?」

 

「下着もあいつが洗濯しているから」

 

「ずここーっ」

あんまりにもどうしようもない事実に椅子ごとずっこける。

ガロアもガロアだが自分の下着も洗濯させているセレンもどうなんだ。

 

「どうすればいいんだろう」

そんな事を聞いてくるあたりセレンの方は間違いなく進展を望んでいるのだろう。しかし。

 

「おかしいなぁ」

 

「何がだ」

 

「普通……いつ命を失ってもおかしくない戦場に出るなら保存本能が働くはずだけど」

実際メイ自身もリンクスになってから性的欲求がかなり増えたし、今だってダンからの犬が尻尾を振りまくる様な直球の誘いを、軽い女だと思われたくないというだけでやんわり断り続けているがいつ本能に負けるか分からない。

 

「あいつが命の危機を感じる程の敵?」

 

「命を脅かすほどの敵がいないってこと? 強すぎるってのも考えものね」

昨日二回も出撃して、両方ともネクストが相手だったはずなのに全くの無傷だったと聞く。

 

「でも私はそんな敵に現れてほしくない」

 

「そう、ね」

結局それが最優先なのか。

二人はお似合いだと思うがこれから先一体どうなるのかな……と思いながらメイは最後の一口を口に入れた。

 

 

 

 

そのすぐ後に王小龍から連絡が入り、戦う準備が出来ていたガロアとウィンがアルテリア・カーパルスに送られることになった。

 

「そのミセス・テレジアってのはランクいくつなんだ」

カーパルスに向かいレイテルパラッシュと並んで飛ぶが特にウィンと話すようなことも無いし、

いきなり襲われた思い出もあるので話す気も無い。

 

『29だ』

 

「……? 29ってあの、なんだっけ……やかましい男より一個上だろ? 何故爺さんは『最大戦力を送れ』とか言ってラインアークもそれに応じたんだ」

 

『ランクが大してあてにならんことはラインアークが一番分かっているからだろう』

 

「そうだけどよ」

かなりの戦いの経験を積んできたとは思うが後にも先にも死にかけたのはホワイトグリント戦だけだ。

まぁあれは二人乗りだったということもあるが。

 

『というのは冗談だ。このミセステレジアという女は国家解体戦争にも参加したオリジナルだ』

 

「ん……? それで29? 嘘だろ? 23年間もリンクスをやって生き残ってその位置?」

 

『それが不気味なところだ。使っている武装は企業分け隔てなく最新式の物を使い、オーダーマッチも一切受け付けていない。黒い噂が広がり過ぎて本当はいないんじゃないかと言われていたくらいだ』

 

「一応武装は見たし、シミュレーションでも何回か戦った。だが平凡としか言えねえ。今いくつなんだその女は」

 

『不明だ。だが最年少リンクスは14歳だったというから、どんなに若くても40代、普通に考えて50、60といったところか』

 

「経験を軽んじるつもりはないけどよ、敵うと思ってんのか。一機で」

 

『分からん……。しかし、周到に用意された作戦であることは間違いない』

 

「なぜ?」

 

『カーパルスの近くでアームズフォートが確認され護衛のネクストがそちらに向かうと同時に畳みかけてきたらしい。どうも目的は破壊に思える』

 

「その護衛のネクストは?」

 

『アームズフォートを退けはしたが損傷がでかくてラインアークに帰ってきた。まぁランク20代ということを考えればアームズフォートを落としただけでも大金星だ』

 

「つまり……」

 

『増援は期待するな。お前たち二機で片づけるんだ』

 

「了解」

 

 

セレンとガロアと同じようなやり取りをウィンとオペレーターのレイラもしていた。

 

『だからウィンディーとそっちのヴェデットさんでなんとかするしかないの』

 

「まぁ、大丈夫だろう。正直……奴の強さは嫌というほど知っている」

 

『………うん』

 

「レイラ?どうした?」

 

『うん……ごめん。なんか……ちょっと変な感じがして……』

 

「……? 無理はするな。向こうのオペレーターに任せて休んでもいいんだぞ」

 

『……大丈夫。もう着くよ』

 

「ああ。見えている」

 

『!? 何……これ……まだ一分しか経っていないのに……』

 

「どうし……!!? 防衛部隊が全滅!? いや……これは……」

生き物の気配どころかまともに動いている機械すらなく黒煙が空に立ち上り、あちこちでプラズマが弾けている。

コジマ汚染もかなりのもので分厚い装甲とPAに守られたネクストでなければ死んでいただろう。

そのPAですらもじわじわと減ってはジェネレータの出力で持ちなおしてを繰り返している。

 

『この感じ……やべぇのが来るぞ』

今の今まで通信すらしてこなかったガロアが声をかけてくる。

言われなくても既にウィンの第六感は最大級の警鐘を鳴らしていた。

 

「……いた!」

問答をするまでもなく、あれが犯人だろう。

ミセステレジアのネクスト、カリオンがいた。シミュレーションに登録されている通りの武装に見えるが一点、明らかに異な武装……いや、武装なのかも分からない奇妙な物が搭載されていた。

それだけでネクスト一機分くらいの重量がありそうな機械の塊を背に背負っており、山のように見えるそれはよく目を凝らすと棒状の何か、

そう、言うなればプラズマキャノンのようなものの集まりでありその一つ一つが不気味に蠕動している。

 

(なんだあいつは)

この状況で撤退しろなどと日和ったことを言うはずもなく、レイテルパラッシュはレールガンを放った。

ガロアも同じ考えだったようで何も言わずにいきなりグレネードを発射していた。しかし。

 

『ふざけてんのかよあいつ……』

 

「なんだと!?」

確かに命中したはずなのに全く動揺も無く、こちらに向かってくる。

損傷を覚悟の上で、ということではない。グレネードとレールガンの直撃を受けながらわずかしか損傷が見られずカリオンの周囲には水底の汚泥のようなコジマの光が輝いている。

 

(なんて硬度のPAだ。しかしあれでは……中の人間が……)

その硬度はリミッターを解除すれば出来ないことでは無い。

ただし、中の人間も当然コジマ汚染で命を失うことになるはず。

 

『楽しい夢を見たの。もういつのことだったか覚えていないの』

 

「何?」

カリオンから通信。しかしそれは何か目的を持って話しかけてきたと言うより通信を切り忘れたまま独り言をつぶやいているようにも聞こえる。

それと同時にカリオンの背の用途が分からない鈍色の金属の塊が動きだしカリオンの前面に配置された。

 

『お山にね、綺麗なお花畑があってね』

塊にある数えきれない程の穴に急激に緑の光が収縮していく。

 

(くそっ、信じたくはなかったが!)

あれは一つ一つが本当にキャノンなのだろう。砲門が向いていない方へとクイックブーストで逃れてブレードに意識を集中させていく。

 

『家があったの』

 

『馬鹿野郎が!!』

その声が聞こえると同時に感じたのは腕を掴まれる感覚、そして一気に前面のほぼ180度に広がった砲門を見た。

 

「うあっ!!」

次いで視界が乱雑に回転する。ブン投げられた。

 

『ぬああ!!』

レイテルパラッシュがアレフに宙に放り投げられてから瞬きほどの間を置いて砲門全てから光が発射されてアレフの黒い機影が飲みこまれた。

 

「くっ、生きているか!?」

ガロアの方がその兵器の範囲を見抜くのが早かったのだろう。

あのままでは恐らく死んでいた。

 

『あーっ!! この野郎が!!』

 

「無事か! 良かった!!」

アレフの周囲の金属や地面に独特の跡が残っている。

あの一瞬でアサルトアーマーを使って相殺したのだろう。化け物染みた反応速度だ。

レイテルパラッシュもその余波を受けて僅かにダメージを負っている。

 

『無事じゃねえ!! うかうかしてんじゃねえぞ!!』

声だけ聞けば元気だがなるほど、確かにアレフのAPは半分を切っているし今もコジマ汚染によりじわじわとAPが減っていってる。

 

『中に女の人がいてね』

砲門がレイテルパラッシュのいる上に向く。

 

「この!!」

ハイレーザーを放ったが今度はあの砲門自体に弾かれた。あの武装は盾にもなっているのか。

 

『踏みつぶしたら死んじゃったぁ! だから燃やしてお花畑の中で踊ったの。ねぇ、だから』

 

『……うぅ、ぐ…ウィンディー…』

 

「レイラ!? どうした?!」

必死に砲門から逃れる様に三次元的に動いているとオペレーターが苦痛にうめくような声を出す。

 

『一緒に踊ろおおおぉおお!!』

 

『私……私……ああ……私は、そいつにやられたの! ウィンディー!』

 

「!? レイラ、記憶が」

 

『痛ああああいいぃいい!!』

二発目の全門一斉発射が行われる。

だがその光が消えた時、カリオンに積まれた謎の兵器の5分の1が切り落とされていた。

 

『クソッ! あの武器が邪魔くせぇ!! 守りにもなっている! 機体にブレードも効かねえ!!』

 

「……! あの背中の奴がコジマジェネレータも兼ねているのかもしれん! そこなら斬撃が通るんだな!? 切り落とすぞ!」

考えてみればいくらネクストとはいえあれだけの攻撃力、数のキャノンにエネルギーを供給してなお動けるはずがない。あの兵器自体にジェネレーターを積んでいると考えたほうが自然だ。

その証拠に動きはかなり鈍重だ。

レイラの様子が気になるが、そちらに気を取られていたらまず殺される。

 

『いい! お前はかく乱しろ!! 俺が解体していく!!』

効かないのなら邪魔だと判断したのか、既にアレフからはブレード以外の武装が外されており、あれならばMAXスピードはレイテルパラッシュをも上回るはずだ。

しかしPAがまだ回復していない今、危険極まりない。だがブレードしか効かないならばガロアに任せた方がよく、生存できるかどうかは自分がいかにかく乱できるかにかかっている。

 

「死ぬなよ」

 

『よく言うぜ』

砲門の集合体の隙間から本体を狙って攻撃を入れていく。

大したダメージにはなっていないのだろうが、それでもちくちくと射撃されてじわじわとダメージが溜まっていくのは鬱陶しいらしい。

 

『あうぅっ、うーっ、邪魔しないで!』

 

『かっ!!』

カリオンの視線がこちらに向いた隙にアレフの斬撃がきまる。

今回はそこだけを狙ったのが功を奏したのか、砲門の半分以上が切り落とされた。

本体が見えたところにレールガンを放つと明らかに先ほどよりもダメージが通っている。

 

『いや、きらい、きらい!!』

 

(よし、冷静さを欠いてきた!)

最初から冷静でも正気でも無かったように思えるがとにかく攻撃に精細さを欠いている。

左手のミサイルを放ってきたがロックオンが出来ていなかったらしい。当然だ。あんな鈍重な機体がレイテルパラッシュを捉えられるものか。

 

『だっ!!』

 

(上手い! やはり…強い…)

今度の一撃は砲門ではなく、機体とキャノンの間に僅かに存在する接続部を切った。

間抜けな音がした後にキャノンがずずぅん、と音を立てて落ちた。

 

『うーっ、あーっ、どうして、どうしてどうして』

 

「ここで終わらせる!」

何を考えているのか、カリオンはブーストすら吹かすことなくその場に立ち止まったまま震えはじめた。

下手に射撃して刺激を与えるよりもここで一気にコアを貫いた方がいい。ブレードを起動させて突進するとアレフも同じ選択をしたのが見えた。

 

『どうしてっ!! あ゙っ、邪魔をするのおおっっ!!』

 

(馬鹿な)

カリオンのコアの中からさらに四本の腕が出てくるのがやけにゆっくりと見えた。

 

『ぐあっ!』

 

「痛つっ!」

完全なカウンターとなる一撃が直撃する。アレフとレイテルパラッシュはバズーカの直撃を受けて同時に吹っ飛んだ。

レイテルパラッシュはまだ交戦可能だがアレフはそろそろ危うい。

 

『いい、ああ!! 痛い痛い痛い!! あああああ』

 

(え?)

撤退しろ、という言葉が口から出る前にカリオンの右側についていた三本の腕がずるりと取れた。

 

『おいたもいい加減にしろよ、コラ』

 

(化け物め)

そう思ったが、どっちに対してのことだがウィン自身分からなかった。

しかし、あの瞬間のカウンターにさらにカウンターを入れていたというのか。確かに距離で言えばもうブレードの届く距離だったのかもしれないが。

 

『もういや!! きらい!!』

驚きとともに硬直していたがそんな隙をついてカリオンは残った左腕のライフルをこちらに向けてきた。

しかしもう二本の腕はアレフの方を向いている。ネクストというものの成り立ちを知っていればいる程あり得ない動作だった。

 

『なんだよこいつは!! 腕がもともと六本あんのか!?』

するするとミサイルとバズーカを避けながらもアレフが距離を詰めていく。

 

『ああ、ダメ、ダメ! もう…我慢できない……あああっ!!』

 

「またか!」

今度は肩から複数のミサイル発射口が現れた。

やばい、と思う暇も無く全ての発射口からミサイルが発射される。

なんとか回避したミサイルが地面に当たると同時にまき散らかされた緑の粒子を見てぞっとする。

 

『これ全部コジマミサイルか!? ふざけた真似を……』

メチャクチャに動き回るカリオンのミサイル発射口からはテンポよく隙間なくミサイルが放たれており攻撃しようにも回避に専念しないと大惨事になる。

 

「! 何をしている!?」

その時、自分と同じく回避に集中しているアレフがカリオンの右腕を拾い上げるのを見た。

 

『返してやる!!』

アレフがミサイルを回避しながら振りかぶって投げたロケット付きの左腕はカリオンに当たることは無かったが、

カリオンから発射されたミサイルの一つに当たった。

カリオンの至近距離で爆発したコジマミサイルは次々と誘爆し、やはり無理がどこかにあったのか次いでカリオンの背で大爆発が起きる。

 

「『ここだ!!』」

ぐらついていたカリオンにレイテルパラッシュのレーザーキャノンとアレフの斬撃が直撃する。

それでもまだ分厚いPAを保っていたのは驚きだったが、しかし大ダメージだったようだ。

脚が切り落とされコアの三分の一が欠けて火を噴いている。最早戦えるようには見えないが、この不気味な敵を生かして帰すわけにいかない。

 

『ああ、違うの。まだ、まだ戦えるから、お願い、ダメ…いやっ、いやっ』

 

「……?」

アサルトアーマーか?と思ったがやけにタメが長い。考えている間にもぎゅんぎゅんとコアに緑の光が集まっていく。

 

『離れろウィン・D・ファンション!!』

 

「!!」

スピーカーがぶっ壊れるのではないかと思う程の大声に反射的にカリオンから離れていく。

既にアレフは尻尾を巻く様に遠くまで離れていた。

 

収縮していた緑の光が一気に解き放たれ周囲の空気を含む全てを巻き込んだ。

 

『くっ!!』

 

「なんてことを……」

大規模なコジマ爆発を起こし周囲の地面とアルテリアを大幅に削ってカリオンは塵も残さずに消滅した。

 

 

 

 

『あの女はAMS適性という壁を超えた唯一の存在と呼ばれていた。聞こえはいいけど、その真相はネクストとの完全なる融合よ。コアから出ることも出来ず、手足も切り落とされて頭と胴体だけになっている。あれはもう人間じゃない。ネクストの動力源となってしまっているのよ……。私はそれを知ってしまって……それで……』

レイラの通信を聞きながらあちこちからスパークを迸らせているアレフと並んで飛ぶ。

ガロアは何も言ってこない。あの化け物との戦いについてあちらはあちらで何かを考えているのだろうか。

 

「……信じられん。何か思いだしたか? 他には」

 

『何も…もっと大事なことが…あったんだけど思いだせ、ない……ごめんね……あいつに…やられたことしか…』

 

「そう、か」

せめて自分の事くらいは思いだしてもいいではないか。神は相変わらず残酷だった。

ウィンはレイラと呼ぶその女性が本当は誰で何なのかを知っているが、その過去にどんなトラウマを抱えているかを知らないからあえて今日までほじくり返すような真似はしなかった。

そして案の定、レイラは過去に企業の闇に飲まれていたのだった。

 

『おい、ウィン・D』

 

「なんだ? そちらは無事なのか?」

ガロアからぶっきらぼうな通信が入ってくる。戦場なのだから仕方が無いし、命も救われたのも認めねばならないが、それでも年上への言葉遣いがなっていないと思う。

それも育ちを考えれば仕方のない事だが。

 

『無事に見えんのか?……しばらく出撃できねえよ、クソ』

 

「なら暫く休めばいいだろう。さっきは助かった。感謝している。それで、何の用だ」

 

『いや、用ってほどじゃねえけど……こそこそ嗅ぎまわっているあんたなら何か思うところあるかもと思ってな』

 

「……」

こそこそ嗅ぎまわっていると来た。

その通りなのだが、言い方というものがあるだろう。

 

『ありゃあ……ガキの声だった。セレンは40、50代のはずだと言っていたのに』

そう、そこはウィンも気になっていたところだった。声が若いとかそういうレベルでは無い。

女性にもあるはずの変声期を迎えてすらいない、幼い少女のような声だったのだ。

 

「……。分からん。一応、情報を集められるだけ集めておこう」

 

『そうしてくれ』

 

不気味な敵を排除することには成功したものの作戦で言えば失敗。

ラインアークは貴重なエネルギー供給源であるアルテリアの一つを失った。

既に衛星軌道掃射砲へのエネルギーは確保できているが、それでもそれは苦しい敗北であった。




ちなみにオッツダルヴァの見た目がカラードの時と違うのは簡単、カツラとルパンが使う様な変装マスクを使っていたからです。
ちなみに通気性が最悪だったのでそのまま出歩くのをなるべく避けたくてずっと部屋に引きこもっていました。


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最後の安息

不気味な敵を倒した翌日ガロアは案の定身体中の痛みで目覚めた。

 

「あー……いてぇ」

威力を何とか軽減させたとはいえ至近距離であの馬鹿げた兵器を身体中に浴びたのは痛かった。

あちこちに青あざが残っている。以前の不明機戦ほど痛くはないが結局アレフはボロボロ。ウィンは休めばいいだろう、と言っていたがどうしようか。

 

「おはよう。やっぱり身体は痛いのか」

セレンの右手を起こさないようにそっと離したが野生動物のようにぱっと目覚めてしまった。

 

「そこまでじゃないけどな」

 

「今日はどうするんだ?ちなみに日曜日だぞ」

 

「……訓練はしない。一応」

 

「しないことを聞いているんじゃない」

 

「……」

 

「ほら、あるだろう。やることが」

 

「ああ。部屋の掃除しないとな」

自分はなるべく綺麗に使っているつもりだがセレンと一緒にいる以上やはり散らかってしまっている。

 

「……お前」

一分程度のやり取りでセレンはみるみる不機嫌になっていく。

自分は何か間違えているのだろうか。

 

「何か言いたいことでもあるのか」

 

「約束しただろう!この前!」

 

「あ……。デートに行こうって」

 

「女の口からここまで言わせるのはどうなんだ」

 

「……じゃあ、行こうか」

 

「ふん。ずっと楽しみにしていたと言うのに、お前はすっかり忘れていたのか。脳みそまで筋肉になってしまっているんだろ」

 

「悪かった」

朝からベッドの上で女性にねちねち文句を言われることほど疲れることは無い。

とはいえこれは確かに自分が悪い。

 

「……。お出かけでも買い物でも無く、からかいでも言葉遊びでも無く本当にデートなんだな?」

 

「う…、うん」

改めてそう言われると照れてくる。顔を少しずつ赤くしていくガロアを見てセレンはようやく満足したのか鼻を鳴らした。

 

「私はデートなんかしたことない。しっかりエスコートしてくれよ」

俺もしたことねえ、エスコートなんてどうすりゃいいか分からん……と言えばまた不機嫌になるんだろうな、と思ったガロアは腹痛に苦しむようにうんうん言うしかなかった。

 

 

朝食もそこそこにしてさっさと着替える。

ガロアは20秒で済んでしまったが、セレンはじっくりと服を選んで楽しそうに化粧をしてた。

ああやばい、本当にデートなんだなと今更になって悩み始めるガロア。なにをすればいいかなんて本当に1mmも知らない。

とりあえずは機嫌の良さそうなセレンを連れて悩みながらトロリーバスに乗り込んだ。

 

「どっちがいい?」

どうせガラガラを超えて自分とセレンしか乗客がいないのだから悠々と座ればいいのだが、隣に座らないってことはまずないだろうと思う。

 

「窓際は暑そうだから通路側にするよ」

 

「そうかい」

 

「しっかし、のんきな乗り物だな」

 

「ネクストに比べるとなぁ」

動きもさることながら扉の閉まる速度までもがゆっくり。

昨日は時速2000kmで飛び回って今日はこれ。緩急のあり過ぎる人生だ。

 

「がらがらだな」

 

「こっちから行くやつも来るやつもいないみたいだ。なのになんでこんなバスあんだろう」

 

「理由はあるぞ」

 

「?」

 

「私たちが住んでいるあの建物はそもそも新築のリゾートホテル、そしてあそこは観光地にする予定だったそうだ」

 

「え、そうなの!?」

確かに台所も小さいしシャワー室しかない割には食堂や銭湯、果ては一階に水着を売っている売店のある浜辺まであっておかしいとは思っていた。

 

「だからバスもあるんだ。ラインアークは財政や立場が苦しいとは言え位置的に考えればゆったり過ごして泳いで食事をするにはいい場所だ」

 

「ふーん…俺たちはそこに住んでいるのか……」

 

「観光客を呼ぶよりもリンクスが金を稼いでくれた方が100倍は効率がいいからな」

 

「なるほどなぁ……」

ガロアはこんなんだし、ダンやパッチのような人物もいるがそれでもリンクスは医者や弁護士、音楽家などよりも遥かに選ばれた者しかなれないし、

時間当たりの稼ぎで言えばこの地球上でもトップに入る職業だろう。命をかけて戦っているわけだし緩やかなコジマ汚染で命を削っていることを考えれば当然とも言えるが。

 

隣に座るのんきそのものの顔をしたガロアを見ながらセレンはじっとガロアの手を見ていた。

 

(……)

ぼけーっとした顔で窓から差し込む日を顔に受けているガロアの無防備な右手に手をやる。

恥ずかしさもあるが、正真正銘のデートと言うからには手ぐらい繋いでもいいのではないだろうか。

 

「……!」

 

(あ、照れてる)

聞いているこっちが絶句するような恥ずかしい言葉を平然と言う癖に、こういう『普通の事』にはとことん弱いのはどうしてだろう。

年相応の男の子らしく顔を少し赤らめ黙ってしまっている。

何故か、となればそれはやはり人間社会で過ごした時間が短いために、色んな感覚がズレてしまっているからだろう。

それに加えて所々は初めて異性の存在を意識した子供のように初心なのだ。

 

(肌が固くなったなぁ)

昔は雪国育ちらしくきめ細やかで滑らかな白い肌だったのに今は傷だらけでごつごつとした男の肌になってしまった。

感慨にふけりながら手の肌をすりすり触っているとさらにむすっとした顔をして照れ隠ししはじめた。

 

「……」

いつまでも海と道路しかない窓を眺めながら鼻の頭を赤くしているガロアを見てふいに胸が高鳴る。

 

(少しはこっち見ろよ、バカ)

真面目に話しているときの真剣な視線と灰色の目を思いながらセレンは自分の頭の高さにある肩にそっと頭を乗せた。

 

 

 

日曜日だからなのか、この前リリウムと来た時よりも騒がしいラインアーク中心街にやってきた。

パフォーマーが好き勝手に歌を歌い芸をしているのは見ているだけでまぁ面白い。

 

「よし、……どこに行くか」

 

「適当に歩こう、ガロア」

 

「えっ」

それでいいの?と頭に浮かぶ。

あれこれと以前来た時にあった店とかを思い出しながら考えていたのにそんな適当でいいのか。

 

「お。見ろ。猿まわしだ」

セレンの指さす方を見ると数匹の猿を操る男がいて、周囲の観客が空き缶にお金を投げている。

 

(そういや猿って食ったことないなぁ)

セレンが純粋に楽しみながら見ている隣でそんなしょうもないことを考えだすガロア。

猿まわしというもの自体は知っているがガロアにとって動物は食って食われてする存在であり、それ以上でもそれ以下でもない。

あれもあれで猿は餌が貰えるし飼い主も金を稼げるからそれでいいのか。

 

「お前……何を考えている」

 

「え? あ、いや……楽しいなと」

 

「もう終わっているんだが」

 

「……」

鋭い。だがいくらガロアでもここで『猿を食べたらどんな味がするのか考えていました』なんて言ったらセレンがどんな顔をするのかは分かるので沈黙。

 

「……。何か食べるか」

 

「魚料理が美味いぞ」

 

「前に来た時の感想か?」

 

「いや……小耳に挟んでな」

 

「? まぁ、そう言うなら海鮮料理にしようか。でも折角だから色々食べたい」

 

「分かったよ」

 

適当に見つけた料理店に入り机が埋まる程の量を頼んで二人で胃袋にどんどんと入れていく。

ソイソースをかけると美味い、生でも美味いと二人で言い合いながらガロアは思う。

 

(リリウムとも楽しかったけど……やっぱ……セレンと飯食った方がいいな。沢山食べるし)

どちらかというとセレンがガロアの胃袋を拡張していったのだが二人してテンポよく食べて感想を言い合うのはそれだけで楽しい。

一人で食べるより誰かと、誰かと食べるよりセレンと食べた方が美味しい。

街にきて大分経った今でも金を出して食事するより自分で食料を調達した方がいいと思っているが、これだけは森にいては分からなかっただろう。

 

「なぁ」

 

「ん?」

やたら歯ごたえのいいタコが入った謎の球体を頑張って噛んでいるとセレンが声をかけてくる。

 

「料理がしたい。今度こそ」

 

「……本気か?」

今までも何度かそんなやる気は出していたがその度にどういう発想をしたら出来上がるのか、そもそも何を想定して作ったのか分からないものが出来上がっていた。

そしてその後片付けをするのは全部自分なのだ。本音を言えば頼むからそんな気を起こさないでほしい。

 

「教えてくれ」

セレンが特に菓子が好きで自分で作ってみたいと思っているのは知っている。

今まで自分が喋れなかった時は一から十まで書いて教えるよりも自分が作る方が100倍早かったし美味かったからそれで良かったのだが、

確かに今ならそこは違うあれはこうだと逐一指示できるからハードルが少し下がったかもしれない。

 

「……ちゃんと言うこと聞いてくれれば」

 

「本当か!? じゃあ帰りに材料買っていこう」

 

「じゃあ最初は簡単な奴から始めような」

 

「えっ、クイニーアマンが作りたい」

食べたいの間違いじゃないのか。

どうして自転車でF1レースに挑むような真似をするのか。

 

「簡単な奴から始めような」

 

「でも」

 

「始めような」

 

「分かったよ。優しくない奴め」

 

「……」

その挑戦を認めただけでも十分な優しさなのだ。

恐らくそんな物を作り出したら謎物体が出来上がるか自分が作っているかのどちらかだろう。

 

「さて……どこに行くかな。前に来ただろう? 何か面白そうな場所はあったか?」

 

「面白そうな、ねぇ……」

リリウムの買い物に付き合って子供に金をあげただけだった。

レジャースポットみたいな場所はあったにはあったが自分もリリウムも見向きもしなかった。

 

「……思えば、そんな場所は一度も連れて行ってやらなかったな」

 

「まぁ……」

自分と同い年くらいの少年がゲームセンターに入っていく横で自分は自転車に乗ったセレンに怒鳴られながら走っていた。

だがそれが良かったのか悪かったのかと問われれば断然良かったのだが。

 

「同年代の友達どころか知り合いすらいなかったのに、漫画やテレビの話にも付き合ってやれなかった」

 

「漫画なんか1ページも読んだことなかったしテレビなんて俺の家になかったから別にそれは……」

ガロアは気にするなという意味を込めて言っているのだが、その言葉はますますセレンの心に刺さる。

 

「……もっと可愛がってやればよかった」

 

「いやー、十分だ。……ああ。確かカジノがあったぞ」

 

「カジノ」

レオーネから出て一年の間でセレンは男遊び以外の遊びは大体やったがカジノには年齢制限があり行ったことがない。

もう18歳はとうに過ぎたのでいつでも行けたのだが、ガロアと出会ってからは毎日があっと言うまでそんな暇自体がなかった。

 

「行くか? 俺はカジノが何なのかさえよく分からないけど、派手だったぞ」

 

「はで」

完全に外見しか見ていない感想だが、育ちと生活を考えれば仕方が無い。

金もぶっちゃけ有り余っているわけだしいいかもしれない。

 

「じゃあ行くか」

 

「そうだな」

 

 

会計を済ませて記憶を頼りに少々迷いながら歩くこと20分、そのカジノとやらに辿り着いた。

確かにガロアの言葉通り見た目は派手だった。

 

(ラインアークの経済状況がいまいちわからん)

こんなものぶっ潰して工場にでもした方がいいんじゃないか、と思うが一時期ラインアークの経済を追い込んだのは他でも無い自分達なので黙っておく。

ただ客不足なのは否めないのか、服装のチェックも年齢確認も無くどうぞどうぞで入れられた。

子供(に見える人間)以外は全部入れてむしりとるつもりなのかもしれない。

 

「なにをやればいいのかさっぱりだ」

 

「ルーレットか?」

 

「ルーレット?」

それなりに人が集まっている台を指さすセレンだがガロアはルーレットなんて言葉しか知らない。

 

「ルーレットには必勝法がある」

 

「はぁ」

必勝法なんてあったらカジノ儲からないんじゃないか、とガロアは思ったがとりあえず聞いてみることにした。

 

「赤か黒か、好きな方にかけて負けたら次の賭け金を倍にしていくんだ。そうすれば資金的に青天井の私達に負けは無い」

 

「無理だろ」

 

「え?」

 

「だってほら……赤と黒じゃない場所が二個ある。0と00って書いてあるな。あれで期待値下げて儲けてんだろ。それにカジノ側が最大賭け額を決めてしまっている……んだよな? あれは」

どういう視力をしているのか、20mは離れているルーレットの文字を読んでずばり正しいことを言うガロア。

 

(……適当に知識をひけらかすのはもうやめよう…)

本に書いてあった知識をそのまま言ってみたセレンだがまさしく生兵法は大怪我の基。危うく大損するところだった。

少ししょげながら席に着く。

 

「でも賭けようと思えば車が買えるくらいの金まで賭けられるんだな」

ディーラーがボールを投げてボールがくるくると盤の上で回っているのをぼけーっと見ながらガロアがつぶやく。

 

「まぁ……最初だし……ちびちびと、!!? 何やってんだお前!!?」

そう言った矢先に既にガロアは賭けてしまっていた。しかも最大限度額を一点張り。

 

「え?」

 

「根拠でもあるのか?!」

 

「ない」

 

「わああああああ!! と……」

 

「ここまでです」

取り消しと叫ぼうとしたが間に合わず既にベットは動かせなくなった。

 

「ギャンブルって一か八かなんだろ」

 

「ああああ!! なんてことを!!」

車を買える分のお金が溶けていく。そうだった。こういう馬鹿だった。

ガロアがリンクスになって金の管理の苦労を知ってから大分ケチになった自覚があるセレンだが、ガロアは全く金に頓着がない。

食材はなるべくいい物を安く買っているのは単にウォーキートーキーの教育が良かっただけ。

金なんてケツを拭く紙にもなりゃしないを地で行く生活を十年以上送っていたのだ。今も平然とした顔でボールを眺めているがセレンは顔が真っ青だった。

 

「お。当たった」

ころん、とボールがくぼみに落ちたのを見てガロアが呟いた。

 

「は? え?」

終止ムンクの叫びのような表情になっていたがそういえばどの数に賭けたのかを見ることすら忘れていた。

ギャンブルの醍醐味であるどこまでも落ちていくような感覚を初っ端から味わってふわふわとした頭で数を見ると確かにガロアが全ての金をぽんと置いた場所にボールが入っていた。

周囲から歓声が上がりベルがけたたましく鳴っている。

 

「なんだこりゃ。全然つまらん」

36倍、一気に高級車を新車で買えるだけになって返ってきたのを見てつまらんで一蹴。

隣でちびちびのんびりと賭けていた老夫婦が二人して心臓麻痺でも起こしたかのような顔で見ていた。

 

「お……? お……あ、お前……」

 

「別のゲームにしよ」

 

「ちょっと、待て。もう一度賭けてみろ」

 

「えぇ? もういいよ。これつまらん」

 

「いいから。どうせ勝ったんだから今から35回負けても損にならない。だろ?」

ちんちんがしゃがしゃと頭の中で生々しい計算をしてガロアに迫るセレン。

いつになく脂ぎった様子のセレンにちょっと引きながらもガロアは言われた通りまたマキシマムで一点賭けをした。

今度は回っているボールすら見ていない。ディーラーの顔が少しだけひくついた。

 

(……)

 

「また当たった。なんだこれ」

0.1%以下の確率のはずの一点賭けの二連勝をしてしまい周囲の人間はガロアと同じ場所に賭ける為にとうとう席に着き、ディーラーの顔が歪んだ。

 

(……もしかして)

 

「よく分からん。他のところに行こう」

 

「よ、よし。ちょっとスロットやってみろ」

 

「? うん。……? どうやるんだこれ」

 

「先に台を選べ」

 

「え? んじゃこれ」

 

「コインをそうそう、入れて。で、ここのボタンを押して止めるんだ」

このコイン一枚で大体三日分の食費なのだがここは三枚入れさせる。

 

「じゃあセレンがやんなよ」

 

「いや、お前が止めろ」

 

「? はぁ。どうすりゃ勝ちなんだこれ」

目押しどころかルールすら分かっていないガロアが適当にボタンを押していく。

 

(まさか……)

ぺし、ぺしと押したらいきなり『JACKPOT』の文字が二つ並ぶ。

 

(まさか!!)

最後のボタンをぶっきらぼうに押すと見事に『JACKPOT』の文字が三つ並んだ。

 

「ん? 当たりなのか? でもなんも出ないな」

コインが出るはずの場所をちらっと見ながらぼやくガロアだが店内に豪奢な音楽が響き天井のジャックポットの数字が光った。

すぐに店員がすっ飛んでくる。

 

(どういう運をしているんだこいつ?!)

セレンは飛んできた店員とガロアのやりとりをBGMに今一度ガロアの人生を振り返っていた。

そもそもはガロアが生まれた日。あの作戦で生き残ったのは裏切り者の男とオッツダルヴァ、そしてガロアだけだった。

まだ研究員に逃されたオッツダルヴァはいいとして、0歳ではいはいすら出来なかったガロアだけが偶然にも生き残って偶然にもサーダナに見つけられ静かに育て上げられた。

そして偶然にも広い広い街で自分に出会い欲していた力を身に着けた。AMS適性も桁外れだった。

 

「え? いいのですか?」

 

「だって税金とか分からん」

 

(こ、これは……)

今までも数々の強敵にぶつかりながらも命だけは落としていない。

つまるところガロアはとんでもない強運の持ち主なのではないか。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「うん、もういいから」

何事かを話し終えた店員は来た時と同じ速度でどこかへ行ってしまった。

 

(これから毎日ここに来てこいつに賭け事をやらせれば……)

得てしてこういったギャンブルというのは欲深い人間ほど負けて、興味がない人間ほど勝つのだ。

金への関心の無さでいえばガロアに敵う人間など地球上にほとんどいないだろう。

だが興味が無いという事は。

 

「セレン、次行くか」

 

「……あ? あれ? お前、何も貰って……ないのか? 店を出るときに受け取るのか?」

 

「いや、税金がーとか手続きがーとかうるさいからあれに寄付した」

ガロアが指さす先には恵まれない子供・孤児への支援のポスターがある。

 

「……は?」

そう。興味が無いという事は。

失うことにも関心がないという事なのだ。そういう人間だからこそ勝つ。世の中は上手くできていた。

 

「くぁ……あふ……」

下手したら家一件買えるほどの金が一瞬で手のひらから抜け落ちたという現実に目の前が真っ白になったセレンはその場に崩れ落ちガロアは頭を掻いていた。

リセットされた天井の数字がやたらと眩しかった。

 

 

 

「お前は経費管理の苦労を少しは知ればいいんだ……くそ……この馬鹿野郎……ああ……なんてことを……」

他にもゲームはあったがどんなに賭けてももうあれ以上の当たりはあり得ないのでセレンはやる気すら起きなかった。

ギャンブル狂が卒倒するほどの大当たりをしたはずなのに肩を落として出て行くセレンとけろっとした顔のガロアを見て他の客は首をかしげていた。

僅か10分の出来事だったのにセレンは寿命が10年は縮んだような気がした。

 

「悪かったって」

損したわけでは無い。むしろ金は増えたというのにカジノを出てからずっとぐちぐちと文句を言っている。

この様子ではこの前子供に持っていた金を全部渡しちゃったなんて言った日にはどうなるか。

 

「あ、おにーさん!」

 

「?」

 

「!!」

スピークオブザデビルどころではない。ちょっと考えただけなのに声をかけられた方を振り向けばあの時の少女が新聞を持って立っていた。

 

「この前は、!!」

余計なことを言う前にマッハで口を手で塞ぐ。

 

「……? なんだ? この子は」

 

(……! 分かったよ。ちゃんと口裏合わせてあげる。おにーさんも隅に置けないねぇ)

ぽかんとしているセレンを見て多分何かを勘違いした少女がひそひそと言ってくる。

 

「この前ぶつかってこけそうなところに手を貸した。そんだけだ」

 

「そうそう」

 

「ふーん? まぁお前はデカいからな」

少々腑に落ちないがどこが納得いかないのかよく分からないという顔をしながら一応言葉を返してくる。

 

「学校はどうしたんだお前」

 

「行っているよ。ありがとう」

 

「??」

何故お礼を言われるのかやはり分からないセレンは蚊帳の外だ。

 

「昼間だぞ。早速さぼんなよ」

 

「今日は日曜日だよ」

 

「……?」

 

「日曜日は学校ないんだよ?」

 

「あ、ああ。そうだったな」

学校なんて行ったことがないので基本的なルールも身についていないガロアは今聞いてそんな当たり前のことを思い出した。

 

「邪魔しちゃ悪いからもう行くね。またね」

 

「ああ」

盛大に勘違いしたまま走り去っていく少女の背を見る。

日曜日も仕事とは恐れ入るが学校に行けているのならよかった。

 

「なんだ? あの子は。やたらお前のことを気に入っていたな」

最近やたらとガロアの周りに好感を抱いている女性が多い気がするセレンはちょっぴり言葉に棘が混じる。

 

「さ、さぁな」

 

「学校……か。どうしてそんな話に?」

 

「ど、どうしてだろうな」

 

「……お前さ」

 

「え?」

 

「もうすぐ最終作戦も始まるだろ」

 

「ああ」

 

「終わったらネクスト売っぱらって大学に行け」

 

「……」

 

「普通に子供は学校に行くべきだと思っているんだろう?」

 

「……」

単純な人なのにどうしてこう勘は鋭いのだろうと思いながら首の後ろに手を回したらリンクスの証のジャックに手が触れた。

 

「行けよ。正直お前が戦争屋で腐っていくのはもったいない」

 

「いや、俺は」

 

「自分は普通の子供じゃないつもりか? もうぶっ飛ばして強要はしないしここまでお前のわがままも聞いた。だから今度こそ言う事を聞け。お前は……」

 

「セレン!」

 

「!」

 

「……全部終わってからにしよう。そういう話は。戦争屋に未来の話をするな」

 

「……。まぁ、どうせあと一、二回の出撃で終わるはずだからな。ちゃんと考えておけよ。しっかりと勉強したいんだろう?」

 

(……分かってんだ、そんな事は)

自分には本当の両親という物がいて優秀な研究者で難解な本の内容をすらすらと理解できる頭も自分だけの物では無くその親から貰ったものだろういう事も、

だからこそしっかりと勉強してまともな進むべき道を選んだ方がいいという事も。

 

(ああ……また……)

ずきん、と頭痛がはしり脳内で鮮血の惨状が描き出される。

もういいから思考停止して戦えと言わんばかりに。

いっそいつかの白昼夢のように戦う機械になれたら楽なのだろうに。

立ち止まって目を開きながら何も見ていないでいるとセレンの冷たい手が右手に触れた。

 

「大丈夫か?」

 

「あ、ああ」

 

「まぁ……18歳って言ったら本当は進路に悩む時期なんだ。ゆっくり考えればいいさ」

 

「セレンは……」

 

「これが選んだ道ということだ。選ぶのも自由なら嫌になって投げるのも自由というのはいい事だ」

 

(……ありがたいな、本当に)

自分なんかと一緒にいていいのか、と言いそうになったが多分蹴っ飛ばされて不機嫌になるんだろう。

 

「そういや……、あー……なんでもねぇや」

 

「言え」

 

「……セレンいつ21歳になるんだ?」

セレンには恐らく誕生日がないということに考えが至ったのに言葉の圧力に屈してしまった。

 

「そうだなぁ……じゃあ21歳でいいや。私は今から21歳だ」

 

「え、そんな適当でいいのか」

一瞬だがすごい悩んだというのにこのフランクさ。

ついこの前までは本当はセレンにとってデリケートな話題だったのだが今はそこは明確になっている。

 

「お前が年をとったら私も次いで年をとる。分かりやすいじゃないか」

 

(なんかすごいこと言っている)

そのアバウトさもすごいが、それってプロポーズみたいじゃないか。

多分指摘したら……やっぱり顔を真っ赤にして蹴っ飛ばされるのだろうなと思ってガロアはまた沈黙した。

 

「小腹が空いたな」

 

「……だな」

既に普通の人間が一日に摂取して苦しむ量を食べたというのに二人して腹をぐぅと鳴らす。

 

「カフェがある」

 

「カフェだって?」

 

「そう言えば連れて行ったことなかったな」

セレンはまだ一人だった時に腐る程ある時間をつぶす為に頻繁にカフェに行っていた(そしてナンパされていた)が、

ガロアと一緒になってからは行ったことない。食事をするにもとにかく体の小さかったガロアには沢山食べれる店に連れて行ったからだ。

そして当然ガロアは行ったことがない。

 

「はぁ」

 

「行くか」

 

「食い物あるのか」

 

「ある」

 

「へぇー」

 

 

セレンの言う通り、軽食ではあるがそれなりに食事がありガロアは紅茶とクロワッサンを、

セレンはピザトーストとコーヒーを頼んだ。

 

「お前、紅茶が好きなのか?」

 

「……いや、慣れている飲み物と言うか」

 

「?」

 

「小さい頃から紅茶だけは家にあった。……多分、父さんが好きだったんだろうな」

 

「なるほどなぁ」

セレンも口を動かしながらミルクをコーヒーに入れていく。

 

(……そういやスミカさんもブラックコーヒーが好きだったっけ)

と思った瞬間シュガースティックを数本引き千切って一気にぶち込みガロアは紅茶を噴き出した。

黒いコーヒーの上に砂糖の山が出来上がった。

 

(……スミカさんは……お菓子をよく買ってくれたけどあんまり食べなかったな)

今思うととあの人はあまり甘い物が好きでは無かったのかもしれない。

セレンのこれはどう考えてもいきすぎだが。

 

(やっぱ違うんだよ。セレンは霞スミカじゃない)

死んだ人間は戻らないし例えDNAが同じでも育つ環境が違えばそれはもう違う人間。

そう、例えば自分が普通に本当の両親の元で育っていたなら今頃どうなっているかは分からないがそれは今の自分とはかけ離れた姿をしているのだろう。

 

 

大きな身体を少し丸めて紅茶を飲むガロアを見てセレンもセレンで少し考え事をしていた。

 

(間抜けな顔だ)

ガリガリと豆を挽く音が鳴る厨房をぼへっとしている顔で見ているガロア。何も考えて無さそうな顔だが、いつか言っていたようにあれでいて色々と考えているのだろう。

相変わらず顔に力が入り過ぎだとは思うが、セレンはそんな気の抜けたガロアの顔は結構好きだった。

だがその顔が凄惨そのものになるときも知っており、その時はセレンも恐怖を感じてしまう程だ。

 

(私があの男たちの元に行ってしまった時……ためらいもなく次々に殺していた……あの女を尋問していた時……生き生きしていなかったか?)

出会ったばかりの頃は特に凄かった。

この小さな体のどこにそんなエネルギーがあるのかと何度も思ったし、さらに体力的に追い込まれたときは心の内がさらけ出されたかのような鬼気迫る空気を出していた。

自分が女だからなのかは知らないがあの臓腑を握り潰されるような迫力を味わう時、まだ自分に勝てる要素は無いはずだと知りながらも心底ぞっとしていた。

 

(目が……違うんだ……目が……その時のガロアは)

誰にだって裏の顔や二面性はある。自分だってうじうじとどうしようもない過去を思い悩む暗い面がある。

いや、むしろそれが半分以上自分なのだと言ってしまってもいいかもしれない。

誰にでもあると分かっていながら感じるこの不安は何なのだろう。

 

(そうだ……この言いようのない不安……暴力はお前をも破滅させる……。お前は強いと分かっているのに……そのイメージが消えないんだ)

女の勘に理由はない。だがその勘はいつも真実に近い。それが好いている男に対しての物となれば尚更だ。

ぶん殴って噛みついてでもやめさせようとした理由と説明できなかった不安にようやく合う言葉が出てくる。

リンクスも兵士もどこかで好戦的な面はあるはずなのにどうしてガロアのそれだけは破滅の気配が極めて濃厚なのだろう。

あの姿は好戦的というよりは獰猛だとか凶悪という表現の方が合っている。そして獰猛な生き物の周りからは何もかもが消え去りそれ自体も死に絶える。

常にそうでないのが救いだが、戦いに赴いて命の危機に晒されたり激怒したりするとその部分は顔を出す。

 

(大丈夫だ……あと二回程度の出撃……いや、もう一回で終わりにしてもらおう。これ以上は……)

 

「最初は……あれだな」

 

「え? なんだ?」

 

「いや、最初に作る簡単な料理」

セレンが考えていた事とあんまりにもかけ離れた平和な話題に少し気が楽になり笑みが漏れる。

 

「なににするんだ?」

 

「ゆで卵とか」

 

「バカにしているのか?」

茹でておしまいの料理とも言えない物をくそ真面目なトーンで提案するとは流石に頭に来る。

だがガロアは今までの失敗を考えたうえで真面目に言っているのだ。

 

「ダメか?」

 

「いくらなんでも舐めすぎなんじゃないか」

 

「……」

 

「隣で間違える前に言ってくれればそう大変なことにはならないだろう!」

ところがセレンの性格的に何か言う前に包丁で指ごとイったり砂糖を袋から一気に入れそうなのでガロアは困っているのだ。

ふん、と鼻を鳴らしながらピザトーストを口に放り込むセレンを見てガロアは思いつく。

 

「それ、美味いか?」

 

「? まぁ、美味いよ」

 

「じゃあそれを……いや、それっぽい奴作ろう」

 

「本当か? これ美味いぞ? 私で作れるのか?」

 

「本当に手間暇かかって大変なら頼んで5分で出てこねぇよ。大丈夫」

 

「……まぁこれが最初なら、悪くはないかな」

 

「よーし、んじゃそろそろ行くか」

 

「そうだな」

 

そういえばいつからかガロアが自分からああしようこうしようと主張するようになった。

いや、元々そういう性格だったが喋れなかったから主張できなかっただけなのかもしれないが、こちらの意見を仰ぐだけのイエスマンじゃないのは嬉しい。

まぁよくよくリンクスになった動機を考えてみればどんな性格だったかは分かりそうなものだが。

喋る様になる前は静かでクールな性格を想像していたがこういう性格は悪くない。それでいて自分の事を尊重してくれているのも分かる。

本当に強く頼もしくなったし、もう師として何も教えることは無いが、その分完全に女性目線で見ることが出来る。

ずばっと自分のやること行く先を決められる決断力は普通に魅力的だ。……あまり決断力があり過ぎるのも問題だが。

ホワイトグリントを倒した張本人がラインアークで食べ歩くなんて誰が想像しただろう。

 

「どうした? 黙りこくって」

 

「あ、いや。なんでもないぞ」

 

「さて、甘い物でも食べるか? 結構あったぞ、そういう店」

 

「今は腹も膨れているし、いいかな。それより服を見よう」

 

「服ねぇ。女性用の服を売っている店なんて知らないから探すしかないぞ」

 

「いいや。私のじゃない。お前の服を、だ」

折角スタイルがいい(一応)……といえるのだから、少しくらい着飾ってもいいと思う。

 

「リリウムと同じこと言っているな」

 

「? なら何故服を買わなかった?」

 

「ないんだよ。俺に合うサイズが」

 

「…………」

それはもうカラードにいるときから頭を痛めていた問題だった。パッと見ただけでもすれ違う長身の男より二回りは大きい。

着ているTシャツだってXが三つ以上付くようないわゆる太っている人が着る物を着ているのだ。一見細身だが首や二の腕から覗く筋肉の密度は金属並だ。

骨密度も半端ではないのは栄養管理のおかげなのか、もともとそうなる素質があったのか。

身体を鍛えるなとは言わないがそろそろ冗談では無く脳みそまで筋肉になりそうだ。

 

「セレンだって服を見たいだろ。俺はいいから探そうぜ。見た限りあっち側に洋服店が並んでいるな」

もちろん自分だって服を見てみたいが、少しはガロアをオシャレや娯楽に目を向けさせないと本当に戦いしか頭にない人間になってしまう。

1kmは離れている場所を高い場所から見てそんな事を言いだすガロアを見上げて一つ思いつく。

 

「そうだな。アクセサリーが見たい」

 

「? ま、場所もとらないし、ちゃんと片づけるならいいよ」

 

 

一緒に店内に入って隣で感想を言わなければならないのだろうな、とそういう事になれない頭で考えていたら意外や意外、「どうせ分からないのだろうから外で待っていろ」とセレンに言われた。

確かにその通りなのだが、冷房の効いた店内にいたかった。またコータロイドは新曲を出すらしい。これで80年連続でシングルを出しているとか。

興味の湧かないポスターを見ながらペットボトルを飲んでいたらセレンがもう出てきた。

 

「ガロア。ピアスとか興味ないか?」

 

「え? ピアスって宗教的文化的な奴じゃないの」

 

「オシャレでもするんだよ、アホ」

一体何百年前の概念が頭に居座っているというのか、真面目なトーンで返されセレンは少し困った顔をする。

 

「ふーん。でも興味ない」

やっぱりなという顔をするセレンを目にしながら言葉を言い終えるとまた頭に激痛が走る。

 

(痛っ……。違う……興味が無いじゃなくて、俺みたいな人間には必要のない物だ、だろ?……くそ、分かってる……アレフが直ったら戦うから……)

最初は数日に一回程度だったのがここ最近は毎日眩暈がするほど強烈な頭痛と幻覚が襲う。

それも決まって平和を満喫しているときに。その理由をガロアは知らないがどうすれば収まるかは知っていた。

戦うのみである。自分に言い聞かせていくと霧が晴れるように頭痛は消えていった。

 

「ま、そういうと思っていた」

 

「? なのにわざわざ聞いたのか?」

 

「だからもう買ってしまった。さぁこれはもう着けざるを得ないな」

 

「はぁ」

そう言って見せてきた手の中には二つの青いティアドロップのピアスがあった。

この青いピアスはセレンの方が似合いそうなのだが。

 

「涙の形はお前の星座の形なんだそうだ。つけろ」

 

「セレンそういうこと信じるのか?」

 

「うっ……。いいからつけろ? な?」

そんなことはこれっぽちも信じてはいないセレンはさくっと見抜かれて戸惑うがもう買ってしまったのだ。

ごり押していく。

 

「……。分かったよ。買っちゃたんならしょうがない」

 

「わーっ! バカ! ちゃんと穴を空ける機械があるんだよ!」

躊躇も一切なく手から取ったピアスを耳に持っていったガロアをなんとか止める。

あと0.5秒遅かったら道の真ん中でえぐいことになっていたかもしれない。

 

「え、そうなの」

 

「それに片方は私のだ」

 

「?」

 

「買ったらついでに穴を空けてくれるんだ。ほら、行こう」

 

「?? はぁ」

いつになく強引なセレンに手を引かれ強制的に耳たぶに穴を空けられた。

元から穴が空いていたセレンは右耳に、ガロアは左耳にピアスを付けることになった。

 

「どうだ?」

 

「思ったほど痛く無かったし、思ったほど気にならないな」

耳までかかる赤い癖毛からちらりと覗く青い涙型のピアスは威圧感を緩やかにするいい感じのアクセントになっている。

ちょっと高かったが買って良かったとセレンは思う。

 

「そんなもんだ。でもそれはそのまま2カ月はつけっぱなしにしてもらうぞ」

 

「はぁーっ。寝にくそうだ」

 

「気にならんよ」

 

「でもピアスって普通両耳に着けるものなんじゃないの」

 

「……気にするな」

セレンの右耳を見ながら自分の左耳をこりこりと間抜け面で触るガロアはその意味など分かっていなさそうだ。

分かっていたらここまで女心の分からない人間にならなかっただろうが。

 

「? よく分からんけど、まぁ……」

 

「もう、お前の方が私より強いからな。これからは……」

 

「セレンから自分の負けを認めるのは初めてだな」

 

「教え子には最終的に抜かされることが最大の恩返しなんだろうさ」

 

「その割には微妙な表情だな」

 

「もっと常識とか教えておけば良かったとも思っている」

 

「そうか」

でもセレンもだらしないし常識あまりないと思う、とは心の中で言うだけにしておく。

 

「しかし、テレビも見ない、漫画も読まないでどうやって暇つぶししていたんだ」

どちらからともなく適当に歩きはじめ適当な会話を始める。

ちらっとセレンの方を見ると青い目がこちらを真っ直ぐ見ており、よく向かいから来る人とぶつからないものだと思ったが、

向かいから来る人の方がセレンを見ている。

 

(そうだよな……やっぱ美人だよな。みんなこっちを見ている)

そんなセレンがどうして自分なんかを好いてくれているのかが分からない。

偶然の出会いや奇妙な縁はあったとは言え、セレンの生い立ちを考えるにこの好意は刷り込みに近い物があるのではないだろうか。

さんざん考えたがどうしてもセレンが自分のそばにいて幸せになる未来が浮かばない。

考えるだけで腹の底あたりが締め付けられるような気分になるが、やはり自分ではなくてもこの世界のどこかにセレンを幸せにしてくれる男がいるんじゃないか。

色々と頭の中で考えを巡らせながらも会話を途切れさせないように口を開く。

 

「動物のケツを追っかけまわして皮を剥いで肉を捌いて、矢を作ってナイフを砥いだら日は暮れていたからな。潰す暇はあんまりなかった」

 

「でも本は結構読んでいたんだよな?」

 

「父さんが残してくれた物だ。街に調達に行けばテレビも漫画もあったけど……かさばるし興味もなかった」

 

「あんな場所で10歳から……あ、いや……お前の育った場所をバカにしているわけじゃないんだ」

 

「セレンはやっぱり綺麗だな」

 

「!!……藪から棒に……。なにを……」

自分でも唐突過ぎたとは思う。セレンはいきなり背中を押されたよりもあたふたしている。

 

(このやり取り……)

同じ質問には同じ答えをする機械と生存競争だけのあの森では決して得られなかったもの。

自分のただ一言が誰かの心を揺らしているということ。それが如何に大切な物かは一度無くなってしまったからこそ分かる。

人と獣の違いは頭のよさや姿かたちなんかじゃなくてただそこだけにあるのかもしれない。

 

「セレン、のど乾いただろ」

顔を真っ赤にして汗を流すセレンはうだるような暑さのラインアークであることを考えてもちょっと汗をかきすぎだ。

 

「え!? う、うん」

そしてセレンは二転三転する話の展開についていけないようだ。

 

「あれ、買ってくる。その日陰で待っていな」

 

「え?」

話が飲みこめたときにはもうガロアは少し離れた場所でマンゴーラッシーを売っている屋台に並んでしまっていた。

 

(あいつなりに気を使ってくれているのかな)

ハンカチで汗を拭きながら言われた通りに木陰で待つ。

確かに暑いし、のども乾いたがこの中で屋台にならぶのは暑がりのセレンには少しきつい。

 

(でもそういう時は暑かろうと寒かろうと一緒に並びたいものなんだよ、まったく)

並ぶ人達の中で一人だけ背が高すぎるガロアはまんま出る杭と言った感じだ。

 

(性格も悪いし口も悪い。おまけに泳げない)

 

(なんだあいつ、結構ダメダメだ)

 

(漫画なんかでよくある、能力を五角形だか六角形にしたようなグラフがあったら……あいつのは製造ミスの菓子みたいな形をしているんだろうな)

普段はかけていない眼鏡をかけるとガロアの左耳に青い光が見えて少しだけ嬉しくなってほほ笑んだ。

むこうから帰ってくるとき、あの良すぎる目なら自分の右耳の青い光も見えるのだろう。

そんな事を考えていると。

 

「Tú tienes una sonrisa bonita!」

 

「は?」

狭い木陰の中で、いつの間にか隣に立っていた男がいきなり声をかけてきた。

日焼けした肌からは少々やり過ぎなほどの香水の匂いが漂ってきており、その発信源に目をやると濃い胸毛が目についた。

 

「Que ojos bonitos tienes……me gustan tus ojos!」

 

(はぁ……いつぶりだ? こういうの)

英語が世界公用語となりどんな国の者でも最低限の日常会話は出来るであろうこの時代にあえて耳慣れない言語で話しかけ、なし崩し的に関係を築こうとする典型的なナンパだ。

 

「Eres muy guapa!……? Que’ tal si salimos juntos esta noche? 」

どうせ分かるまいとでも思っているのだろう、耳が腐りそうなことを言ってくる。

そう、普通なら分からないだろう。だがセレンは0歳の頃から世界中の言語を常に耳に聞かされて教育されており、

今はそれを有効に使う機会はないが大体の言語なら理解できる。今はもうほとんど人の住んでいない中国大陸の言語や日本語なんかはそもそも耳にする機会も無かったので分からないが。

あれこれ話しかけてくるこんなナンパ男は、普段だったら蹴っ飛ばしてお終いだが、今日は楽しいデートなのだ。

なるべくそんな暴力的な事は避けていきたい。

 

「……Tengo novio y nos vamos a casar」

どんな男も一撃で心が折れるような返し。セレンもセレンでこの場にガロアがいないのをいい事にさらっととんでもないことを言っている。

だがセレンの流暢なスペイン語を聞いたナンパ男は嬉しそうに口笛を吹き、諦めるどころか一層勢いを増して迫ってきた。

 

「No importa!vamos、ひぃ!?」

あと1cm近づいたらぶん殴っていた、という所でナンパ男はUFOキャッチャーの景品のように頭を掴まれて持ち上げられた。

 

「なんか用か」

 

「え、っは、お、お幸せに!!」

ガロアに高く持ち上げられた男は過呼吸気味になりながらなんとか降りると、普通に英語を口にし、香水の匂いを撒き散らしながら脱兎のごとく逃げていった。

 

(やっぱり……怖いよなぁ……)

誰だっていきなり頭を掴まれて持ち上げられたら怖いだろうが、

さらにあの灰色の目は実際はどう思っていようと冷たく見えてしまう。しかも遥か上から見下してくるのだ。

何度か転びかけながら逃げていく男の背中を見てセレンは小指の先ほど同情した。

 

「お幸せにだぁ? あの野郎、普通に英語喋れんじゃねーか」

 

「!!……お前、話を聞いていたのか?」

 

「聞いていたけど全然わかんなかった。迷子か? あのおっさん」

カップを受け取りながらその言葉を聞いてほっとする。

もしも意味が分かっていたのならこの場で頭を抱えて悶絶していたところだ。

 

「……よくいる身体目当てのナンパだよ」

 

「え? ぶっ飛ばしていいか? あいつ」

 

「もう消えたよ。それよりお前、本当に全く分からなかったのか?」

 

「だから分からなかったって。何語なんだあれ」

 

「スペイン語だ。英語以外分からないのか? お前」

 

「後は……ロシア語がちょっとわかるくらいか。セレン、スペイン語も分かるんだな。知らなかった」

 

「大体の国の言葉は分かる」

 

「へー。すげぇ」

 

「……」

別に凄いことなんかない。0歳の頃から耳にしていたことなのだから脳が覚えて当然だし、そもそも完璧な教育を受けてきたのだ。

だがそれでも素直に尊敬の眼差しを向けられるのは悪くない。そういえばガロアがこんな目で自分を見てくるのはいつ以来だろう。

 

「今話している言葉以外なんて覚える気にもなれねえ。すげえ」

 

「……Eres lo más importante en mi vida」

 

「え? 何て? 分からないって」

 

「何でもない、ばか」

本当に分かっていないガロアだが、自分が何て言いそうかくらいは予想が付かないのか。

いや、それとも言いたいことをちゃんと言える勇気がない自分がダメなのか。

心地よくこんがらがる感情を乗っけて、自分の腹ほどの高さにあるガロアの尻を蹴っ飛ばした。

 

「いてっ。なんだよ」

 

「たまには蹴らせろ。この!」

 

「いてぇって、なんなんだ」

 

「うるさい」

 

その後も訳の分からないという顔をするガロアの尻を蹴っ飛ばすこと13回、日が暮れるまで適当に食べ歩き、食堂より遥かに美味しい食事をたっぷりと晩飯として食べてからのんびりと帰った。

ガロアは普通にシャワーで済ませたがセレンは相変わらず大きな風呂が好きなようで銭湯に行っている。

ガロアはベランダで手すりに大きな身体をもたれかけさせながら暗い海を見ていた。

 

(どこに行っても夜は暗いもんだな)

森も海も夜になると何も見えないのは同じ。

ただ音だけが違う。木のさざめきが懐かしい。

 

(……俺は生き残れるんだろうか。でも、生き延びてもまた戦っているんだろうな。そしたらいつかは負ける……今まで負けていないのは結局先送りにしているだけだ)

 

(結局考えはまとまらねぇ。人殺しが正義を語るな。人を殺しておいて中途半端で降りるな。殺さないで平和が実現できるものか。どれも正しいのに全部正しいとするならこの世は地獄だ)

人の歴史は戦いの歴史。殺して奪い合う狂気はどこから生まれるのか。もう全ての根源を潰すにはこの世界は毒され過ぎた。

ガロアはすでに自分なりの答えを、いつかセレンにぶん殴られながら戦いをやめろと言われたときに得ている。いや、本当はそのずっと前から知っていたのかもしれない。

だが答えが必ずしも清潔で救いであるとは限らない。黙りこくったまま波の音を聞いていると扉の方から音が聞こえた。

 

「何か面白い物でも見えるのか?」

 

「いいや、海しか見えないな」

隣に立って同じく水平線を見つめるセレンからはまだほかほかと湯気がたっており、風呂に入ってきたにしては奇妙な匂いがした。

かいだことのある匂いだがよく思いだせず、顔をしかめているとそれに気が付いたセレンが答えを口にした。

 

「ああ……風呂にゆずが入っていたんだ」

 

「ゆず? 柑橘類の? なんだ? 食うためか?」

温泉に卵という話は知っているが、なんでわざわざ湯船に果物を入れておくのか分からない。

 

「なんでも肌にいいそうだ。ほら」

差し出された手を触ると肌は白磁のようにすべすべとしている。

格闘技に長く携わっているのなら当然の事だが、手にはいくつもの傷がある。

傷が癒える前にまた開いてを繰り返して痕になってしまうのだ。傷が一切ないから美しいのではなく、それを含めて美しい。

 

「……髪、乾かすか?」

 

「そうだな。頼むよ」

 

帰ってきてからも毎晩、当然のようにセレンの髪を乾かしている。

セレンも当然のように乾かされている。

つやつやと照明の光を反射する黒髪を見てガロアに疑問が浮かんだ。

 

「俺がいないときはどうしていたんだ」

セレンももう成人している訳だから手入れをしなければ徐々に輝きを保てなくなるだろう。

枝毛も痛みも見えないのは昔からだったが、これで全く手入れをしていなかったというのはあり得ない。

 

「お前が褒めてくれるから……ちゃんと乾かしていたぞ」

ドライヤーの音にかき消されそうな声はセレンの性格に似合わない。

後ろからでは見えないが、どんな表情をしているのかは分かりやすい。

 

「そうか」

それに『じゃあもう自分でやろうよ……』とは思うが、嫌では無い。

暖風に運ばれてくるセレンの髪の香りは自分の人生の中でも一番好きな匂いだ。

安らぎというものに匂いがあるとしたらきっとこんな感じなのだろう。

そんな事を考えていると、セレンが何もしていなかった手で自分の肩を叩いていることに気が付いた。

 

「肩、凝っているのか」

 

「ん? まぁ、多少はな」

 

「少し揉んでやろうか」

 

「お前がそういう『弟子らしい』ことを言うのは初めてだな」

 

「そうかもしれんな。どうする?」

 

「是非頼むよ。いや、本当はマッサージ器なんかあったら使いたいし買おうかとも思ったが、それって凄く年取った気分になるだろ? だから自分の手で揉みほぐすしか無かったんだ、今まで」

さっと髪を高くまとめ上げるその姿は実に女性らしく、どこから髪留めを出したのだろうなんてことを考えてしまう。

 

「年取った気分ねぇ……」

そう言いながら肩に手を触れると驚くほど固かった。

女の身体がそうなのかセレンの身体だからそうなのかは知らないが、どこだって柔らかかったからなおのことその固さには驚いた。

 

「もう少し強くてもいい」

 

「ふーん。じゃあ、ま。強くするぜ」

自分でもこれは少し痛いんじゃないのかと思うぐらいの力を込めて凝り固まった筋肉をほぐしていく。

 

「はぁー……風呂上がりに肩もみ……極楽だなぁこれは」

 

「年寄りくせえこと言うなよな」

年寄りという言葉で思いだしたのは一気に老け込んだように見えた王小龍のことだった。

リリウムもこんなふうにすることがあるのだろうか。あの老人の性格からして自分から頼むことはまずないのだろうが。

 

(そういや……俺はこんなことしようともしたことなかったし頼まれたことも無かった)

そうしたら父は喜んだのだろうか、照れ隠しでもしたのだろうか。

今ではもう永遠に分からない。今になって後悔がさらに溢れてくる。

いつだって遅すぎると思うが、だからこそ後悔と言うのだろう。

 

「とはいえもう10代ではないからな……」

 

「どうしたらこうなっちまうんだ?」

 

「普段から前かがみになりすぎていたり、明るい画面をずっと見ていたりするとなるみたいだな」

 

(いや、それだけじゃねえな)

肩越しに見える胸元を見て考える。

 

(あの乳オバケほどじゃないけど……セレンのも普通に大きいんだ。多分。こんなもん常にぶらさげてりゃ肩もこるだろうな……)

最初に関わった女性は霞で次がセレン。そして街に物資を調達しに行って目に入ったポルノブックの表紙の女性なんかも大抵は大きかったから最近になるまで気が付かなかった。

多分リリウムとかあのリザイアくらいの大きさが普通なのだろう。よく考えてみればあれだけ食べているのだからどこかに栄養が行かなければおかしい。

 

「何を考えている?」

 

(鋭い! なんでだ……)

ほんのちょっとやましいことを考えただけなのにセレンの青い目がいつの間にかこちらを見ていた。

怒っているわけではないのだろうがきっと考えていた事は見透かされているのだろう。

青い目の中にある黒い瞳は海にぽっかりとあいたブルーホールのようだ。

 

「……」

セレンは確かに怒ったり照れたりしてはいなかった。

男と女の目線は決定的に違い、そして分かりやすい。

今ガロアは確実に後ろから自分の胸元を見ていた。

男ならよっぽど変人でもない限りは誰だってすることだろうし、そのことについて責めるつもりはセレンにはない。

いや、むしろそれはいいのだがやはりそうなると疑問が出てくる。

 

「ど、どうした?もう肩はいいのか?」

 

「キスをしていいか?」

 

「え?……!?」

 

「……」

唐突だったかもしれないが、デートだと言ったのだから終わりに口付けの一つくらいあってもおかしくはないだろう。

目玉があちこちに飛んでから頷くガロアはどう見ても嫌がってはいない。

だがその表情は戸惑いの色が混じっている。なぜ戸惑うのか?それは分からないが何か迷いがあるのだろう。

その迷いが何なのか、自分に原因があるのか、ガロアの個人的な理由なのかは分からないし聞いても教えてくれないのは分かり切っている。

 

(ならばそれはなぜ?)

女性として見られてないということはないはずだ。特に先日、寝ている自分にいたずらや助平な行為をするのではなくキスをしただけというのが大事なのだとセレンは思う。

それだけにとどめていたということに純粋な恋心と真心があるのだと自分の経験から分かる。

性欲だけで動いているのか、それとも本心からなのかは見分けるには結局共に過ごした時間しかない。

三年間一緒にいて異性だということを忘れるほどに間違いが一歩も無かったのにここにきて何かが変わり始めている。

それはおそらく、自分と同じ理由だろう。つい最近その恋心を自覚し始めたのだ。

どうしても分からないのがガロアがそこで踏み止まって戸惑う理由だ。本能で動くだけの獣を良いとは思わないが本能を殺し切るのを美徳だとも思っていない。

 

「そんなこと……」

 

「聞くなよ、か?」

待つようにそっと目を閉じたガロアはやはり自分からことを起こそうとする意志が少ないように思える。

大切なのは自分の心なのだと言い聞かせて少し乾いた唇に近づいた。

 

(下睫毛が綺麗だな)

この距離で薄く目を開けるとよく分かる。眉を顰めなければ本当は目は真ん丸だし鼻筋も整っている

女に生まれていたらさぞかし美人だっただろう。

 

(もしガロアが女に生まれていたら、それでも私はこうしていたのだろうか)

それでも自分は『その』人物をこの世界で一番大切に思うようになっていたに違いない。心が救われたこと、一緒に過ごした時間に性別は関係なかったからだ。

だが、男であること、女であることは想像以上に大切なことだと、一秒でも長く触れていたいと、そう思いながら感じる。

 

「私を……ガロア」

 

「……?」

 

「抱きたいと思ったことはあるか? 心から愛おしくなってしまってどうしようもなく、そんなことが」

 

「……ある!」

戸惑いをかき消してしまうほどその言葉にも表情にも嘘はない。

はしたないことを言葉にしているのだろうが今ここで自分たちの間にある心に汚れはないはずだ。

 

「分からない……一体お前が何を考えているのか。私が……」

ここまで言い切ってどうして最後の一かけらが足りないのか。

そして自分はどうして満足できないのか。

 

「でも……そういうのは勢いでしていいものではないだろう」

 

「……確かにな」

自分は構わないと思っていても酒の勢いだけで迫られたときは拒否していた。

この言葉は一切の隙が無く正しいのだが、同時にガロアが綺麗な正論でこの場の感情を押し込めてしまおうとしてしまっていることも感じた。

男は相手がいやがっても無理やり出来るかもしれない(心はもう手に入らないだろう)が女は拒否されたらそれまでだ。

 

「それに……セレンはほら、嫁入り前の身体なんだから」

 

(YOMEIRIMAE……)

正しく美しいことを言っているのかもしれないが、嫁入る前に出る家が元々なく、肉親も戸籍もない自分に言う言葉じゃないことは分かっているはず。

いろいろとずれたことを言っているがそれはきっと大事にしてくれているからこそなのだろう。

 

「ほら、買ってきた材料で作ってみよう。昼間に言っていたやつ」

 

「……うん」

単純なもので、「うん」と言うと同時にぐうと腹が鳴った。

そう、これくらい……寝る1時間くらい前にああいうジャンクで温かい物が食べたくなるのだ。

しかし自分に作れるのだろうか。

 

「おいでよ、セレン」

 

「ああ」

おいでよ、とは随分ではないか。

いつから立場が逆転して自分について来いと言うようになったのだろう。

 

「さて、俺の指示には従ってくれよ」

 

「分かった分かった」

台所に置かれている食材のパンやチーズ、ベーコンなんかには文句ないが、コップが一つ置いてあるのがよく分からない。

 

「はい、まずはコップの底で食パンの真ん中に跡をつけて」

 

「?……これって料理なのか?」

とりあえず言われたとおりにコップの底をパンに押し付けると丸くへこんだがここまででは子供のいたずらにしか見えない。

 

「よし、卵を焼こう」

 

「おお」

手際よくさっと油をひき、熱すると片手で卵を割った。

 

「そしてこれをさっきのパンの上に乗せる」

 

「その為にへこましたのか? でもまだ早くないか?」

2分もしないうちにフライ返しでパンの上に乗っけたのはいいがまだ半熟にすらなっていない。

黄身がうまいことへこんだ部分にはまって零れないがだからどうしたと言うのだろう。

 

「セレンも焼いてみな」

 

「ああ」

さっき割と簡単にやっていたし、と思い片手でシンクの角にたたきつけようとして止められた。

 

「卵を消し飛ばすつもりか? そんなに振りかぶって。両手でちゃんと割ってくれ」

 

「でもお前簡単そうにやっていたじゃないか」

 

「なれれば出来るようになるから今は俺の指示に従ってくれ」

 

「ふーん。まぁいい」

これくらいなら落ち着けば出来ないことははず。

力をこめすぎずにヒビをつけフライパンの上に乗せる。

 

「その辺でいい。俺がやったみたいにパンに乗せて」

 

「よし……よし、うまくできたぞ」

一瞬黄身から落っこちていきそうになったがなんとかへっこみに乗せることに成功した。

 

「で、こうする」

 

「……あまり難しいことはないな」

その上に最初から切ってあるベーコンを三枚、黄身を隠すように乗せていく。

 

「コショウは三回振ればいい」

 

「三回の理由はあるのか?」

 

「慣れだ。使っていくうちに味の濃さが分かるようになる」

 

(いつも調味料で失敗するんだがな……私は)

コショウを山盛りになるほど入れたり、油がひたひたになるまで入れたり、

特にそういった点で加減が利かないのは分かっているのだがレシピを見ても適量としか書いていないのが頭にくる。

その点こうやって「三回振れ」と言ってくれるのはありがたい。

 

「で、さらにこうする」

袋からさらに二つの食パンを出したガロアは一枚を自分によこしてその上にマヨネーズをかける。

 

「ここからどうするんだ?」

 

「こうしてこう」

熱すると溶けるチーズをのせてその上にケチャップとバジルをかけた。この時点で焼いたらどういう味になるのか分かってきた。

 

「そんで全部オーブンで焼く。まぁ……4分かな」

 

「それも経験か?」

 

「そんなところだ。特に焼くことに関してはガキの頃から何度もやってきた。そこを間違いはしねえ。焼き足りなきゃさらに焼けばいいしな」

話をしながらもガロアの目はオーブンの中を注視している。

万が一にも焼きすぎになりそうになってもすぐに取り出せるだろう。

 

「で、焼きあがったわけだ」

 

「どうするんだ?」

 

「なに、簡単だ。ベーコンが乗っているほうとチーズが乗っているほうをはさむように重ねる。それだけ」

 

「なるほど……」

いい感じの焼き加減と焦げが付いたパンに挟まれた具の味を想像するだけでよだれが溢れそうになってくる。

 

「ほら。食べてみろ。セレンが作ったやつだぞ」

 

「……うまい! あれ!? いけるぞこれ!」

 

「な?」

 

「へぇー……」

ベーコンの下の卵は固くもなく、丁度いい半熟。最初に焼いていなかったら恐らくまだ黄身がどろりと零れてきただろう。いや、その前にパンにうまく乗らなかったかもしれない。

想像通りにチーズとケチャップ、マヨネーズは合うし店で出ているのと比べても遜色ない。本当に大して時間がかからず出来てしまった。

 

「難しくなかったはずだ。これで次から作れる。普通の料理もレシピ通りにやればまぁまぁ作れるんだ。最初はアレンジとか考えなくていい」

 

「ふむ。料理人にもなろうと思えばなれるんじゃないか? お前」

 

「……さて、歯を磨いて寝るか」

 

(また話をそらした……そんなに自分の幸せな未来は想像できないのか?)

すっと自分の横を通り過ぎるときにほんの少しだけ見えた目には静かな悲しみの感情が浮かんでいる。

それを癒そうにも原因を本人が語らないことにはできないし、もしかしたらその原因が自分なのかもしれない。

 

 

「いつも思っていたが……この歯磨きは変な味がするな」

二人で洗面台の前で立っているとぼそりとガロアが呟いた。

こんな何気ないことを話せるようになったのを聞いて、声が出るようになって良かったと本当に思う。

まぁそれはそれとして。

 

「確かに。しそラムネ味ってなんだ? 意味の分からないセンスだ……」

 

「俺がガキの頃に使っていた奴のほうがよかった……」

 

「歯磨き粉なんかも取ってきたのか?」

 

「そうだ。あそこでやばいのは怪我したり動物に追い掛け回されることじゃない。どうしようもない病気にかかることだ。虫歯もやばいから歯が摩擦でなくなるほど磨いていた」

 

「そう言われると大事だな……そういうものを街から取っていたのか? というかそうならもう街に住んでしまえばよかったのに」

 

「食料の調達が難しい。それに他の人間が来た形跡もあった。それなりに大きい街だったからな。実際初めて行ったときに殺されかけたし、危ないから10回も行かなかった」

 

「ふーん……普通は動物を狩って捌くほうが難しいと思うが」

 

「育った環境と知識の違いだ。俺にとっては他の言語を話したりピアノを弾くほうがよっぽど難しく思える」

 

「確かにピアノは理解不能の世界だな」

 

「だろ」

 

「ふむ」

電動歯ブラシでドリリリと磨きながら思うのは、こういう何気ない会話のリズムが合うのは大切だということだ。

それはつまり二人でいて退屈することがないということなのだから。

 

 

「よし、寝るか」

鏡の前で二人でいーっとすると白い歯が見えた。

セレンはどうだか知らないがガロアはその三分の一はセレンに叩き折られて差し歯である。

『歯を食いしばれッ!』と言われて二分の一秒後には数mは吹き飛ぶパンチが顔に刺さるのだ。

しかし歯を食いしばらなければ死んでいた可能性もある。よく顔の形が変わらなかったものだ。

いや、変わった結果がこれなのかもしれない。

 

「やれやれだ」

歯の様子を確かめていると唐突にセレンは肩をすくめた。

 

「何がだ?」

 

「何でもない、あほ。寝るんだろ」

 

 

ベッドに入るとやはりというか、想像通り、セレンはこちら側を向いて横になった。

 

「今日は中々…………。いや、とても楽しかった」

 

「そうか」

 

「エスコートは下手くそだがな」

掛け布団の下で目を細めながら指を口元に持っていってはんなりと笑うセレンのこの表情を世界で自分以外に誰も知らない。

 

「無茶言うな……女に慣れてないんだ、これっぽちも」

 

「ま、そっちのほうがいいがな……」

そう言って黙ったセレンはこちらを見つめたまま何かを待っている。

多分今自分がしようとしたこと、するべきことを待っているのだろう。

 

(感情は別として手を出すべきではない……そうすれば全てが無に帰ってしまう……そんな予感が……俺は絶対にこの人に手を出したらダメだ)

自分一人の破滅ならば構わない。ずっとそうやって生きてきた。だがこの予感は全てを巻き込む不運の始まりを告げているような感覚がある。

でも、今ここでこうするのはお互いに何も間違っていないはずだ、そう思いながらその身体を抱き寄せると嬉しそうに寄り添ってきた。

 

「私たちは……こうされる経験が少なすぎた。そう思わないか」

 

「そうかもしれない」

胸元から聞こえる声と同時に頭痛が襲ってくる。

 

「ちょっと冷房効きすぎているから……丁度良く温かい」

 

「……。俺さ、セレンが嫌いなわけじゃないよ」

 

「何をいまさら。分かっている」

 

(悪い……これ以上は……脳みそが半分に割れちまいそうなんだ…)

抱いてくれの一言を聞いただけで鼻血が出て、今こうしているだけでも限界以上に潜水した時のような頭痛に苛まれている。

それでも自分が失ってきたものを考えれば今この腕の中にあるものは幸せなのだと思いながらゆっくりと眠りについた。

 

これ以上ないくらいに幸せだった。だが何故かその幸福は破滅の萌芽のような気がした。




Tú tienes una sonrisa bonita! 笑顔がいいね!

Que ojos bonitos tienes…me gustan tus ojos! なぁんて綺麗な目をしているんだ…その目が好きになっちまった!

Eres muy guapa!…?Que’ tal si salimos juntos esta noche?   ああ、可愛い!…今夜デートしないかい?

Tengo novio y nos vamos a casar               結婚する予定の彼氏がいるんだ

No importa!vamos、ひぃ!?          関係ないさ!さぁ、ひぃ!?


Eres lo más importante en mi vida         お前は私の人生で一番大事な人だよ




もうタイトルからして不穏

ああそうさ、これから心休まる話なんてない


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ガロアの夢

今年も寒くなった。飽きもせず降りしきる雪は生命などという物をバカにしているかのように簡単に命を奪っていく。

 

(今……俺いくつだっけ……)

仕留めたリスを肩に担いで歩きながらガロアはぼんやりと考えていた。

ざくざくと雪に小さな足跡が残っていく。

 

(ああ……、13か……次で14……俺はいつまで生きるんだろう)

何を目的で生きているのかも分からないままとりあえず獲物を狩って食っている。

 

(畜生共は繁殖すりゃいいんだろ。人間もそうなのか?)

だが繁殖しようにもメスもいないし、そもそもよく分からないと考えながら歩いていると何かが見えた。

 

人の姿だった。珍しいが全くないわけではない。一人のようだがなるべく関わらないか、殺すかしておいた方が身の為だ。

そんなことを考えながら木の影に隠れると、運が悪かったのかそれとも自分が悪いのか分からなかったが沿って地面に刺さっていた枝を踏んで折ってしまった。

しまった、と考えるのとパキッという高い音が辺りに響くのは同時だった。

 

「!?」

 

(ちっ)

銃を取り出そうとして手にリスの死体を持っていることに気が付く。

銃を取り出すのが一歩遅れてしまった。

 

「待って!」

 

(……?)

いきなり攻撃されると、それしか頭になかったガロアはその人間の意外な行動に動きを止める。

 

「お願い! 何か食料をください!」

 

「……?……??」

分厚い服を着ている上に顔も煤けてやつれていたためよく分からなかったがそれは女性だった。

少なくとも野生の獣や野盗のような敵意が感じられずに銃を降ろす。

 

「……? 子供……? どうしてこんなところに……?」

 

(女だ。一人でこんなところで何しているんだ)

年齢はよく分からないが年寄りという訳ではなさそうだ。

だが少なくともガロアよりは身長は高い。

 

(どうしようか)

食料を下さいと言っていた。手には肉もあるし、水筒も保存食もあるが当然渡してもメリットはない。

かといって放っておいて家までついてこられるのは避けたいが、殺そうにも一撃で仕留めなければ力で劣るのだから思わぬ反撃を喰らうかもしれない。

何よりも貴重な鉛玉を消費したく無かった。

 

「ここで何をしているの?」

 

(こっちのセリフだ。ここは俺の縄張りだ)

弱っているのは明らかなのに大人としての尊厳を失わないように見栄を張って、最初の接触よりも少々上から話しかけてくる。

少しだけ不快な感覚がした。

 

「……! まさかここに暮らしているの?」

身に着けた銃やクロスボウ、リスの死体に気が付いたのか、そんなまさかといったような声をあげてくる。

 

(女だ……繁殖……? この女と……?)

生物の三大欲求のうち、性欲だけはよく分かっていなかった。種としての義務が子孫を絶やさないことだというのは分かっている。

じゃあ今ここでこの女に銃を突き付けて繁殖の為に犯すのかと自分に問うが、腹が減った時には面倒でも料理をするといったような突き動かされる感じは全くしない。

 

(きもちわる………)

結局そんな気分には全くならなかった。あまりにもくだらない。

 

「一人……? お父さんは? お母さんは……?」

 

(帰ろう)

そんなことを聞かれても自分には答えられないし、答える術もない。

もしも自分一人だと知れば豹変して襲い掛かってくるかもしれない。

 

「待って!」

 

「……」

今度は冷静にショットガンに手をかけられた。

銃に手を付けたのを見て明らかに女の表情は変わった。

 

「お願い……もう何日も食べていないの……。何か……何か食べるものをください。動物を捕まえようとしても出来なくて……」

 

(なんだよそれ。だったら死ぬだけだろ……くだらねぇ……。でも……どうしよう……)

二つの選択があった。殺すか、食料を与えるか。

先ほども弾は使いたくないと考えた。手にした食料以外にも家に帰ればある。

もう一度考え直すがこの女に家まで着いてきてほしくない。

それに、自分のような子供に大人が頭を下げてお願いするのはどんな気分なんだろう。そう思うと引き金を引く気になれなかった。

 

「あ……! ありがとう……! ありがとう!」

 

「……」

自分でも馬鹿だなと思いつつも、リスの死体を放ってしまった。

これで寒い中外に何時間もいたのがパァになってしまった。

 

「! 待って、お願い!」

ガロアが踵を返して去っていくのを見た女は必死にガロアを呼び止める。

その理由はガロアには全く分からなかった。

 

(殺すぞ)

いらいらとしながら近くの木の枝を折り、雪に『BE GONE,AWAY WITH YOU』と書いて枝を投げ捨てる。

 

「……! で、でも、だってあなた」

 

「……」

その女の額に照準を合わせるのになんの戸惑いも無かった。

これ以上一言でも食い下がろうとすれば女の額には向こうが見通せるような穴が空くだろう。

 

「ご、ごめんなさい……」

 

(ふん)

弱い奴は結局死ぬのに、馬鹿馬鹿しい。そう思いながらガロアは女がついてこないのを確認してからも念には念を入れて足跡を消しながら家に帰った。

 

その夜、雪は止み空にこれでもかという程の流れ星が流れた。

流星群の一つ一つもこの眼はよく見えた。

夜空はもう一つの海のようで、自分には願いが一つもなかった。

 

 

次の日。

 

(あーあ。やっぱりな)

森を歩いていたらとてつもない血の臭いがしてそちらに赴くと目を背けたくなるほど凄惨に食い荒らされた女の死体があった。

 

(……熊にやられたな)

喉笛を食い千切られた女の目玉は抉られており、ギザギザに裂かれた腹の傷痕から犯人を察する。

生きようが死のうがどうでもよかったが、人の味を覚えた熊がこの辺りに出現してしまったということは覚えておかなければならない。

しかしそう考えると昨日の行動はまるっきり間違いだったという事になる。

 

(……! あ……)

はらわたを掻き分けて懐を漁ると昨日投げ渡したリスがそのまま出てきた。

何か手を付けた様子もないし、ライターや火をつける道具も無かった。火も起こせなかったし生で食う勇気もなかったようだ。

どちらにしろ死んでいたという事だ。気まぐれに助けてみようとしても結果は同じだった。

 

(当たり前だ。俺が誰かを助けられるような人間だったら……スミカさんや父さんを……)

 

自分は何も救えない。ただ殺して生きていくだけだ。

そう自分に言い聞かせながらガロアは森の奥に消えていった。

 

 

 

うだるような暑さの体育館の中、向き合うセレンが声をかけてくる。

 

「お前の才能を信じている。今日も手加減はしない。来い」

その言葉には愛情に裏打ちされた厳しさがあり、その目は自分の未来を一切の曇りなく信じてくれている。

 

(クソッ、もう俺のほうがでかい! 俺のほうが力が強い! なのに……どうして勝てるイメージが浮かばねえ……)

すでに身長はセレンを抜かし、体重に至っては男女の身体のつくりの違いからか10㎏以上の差がある。

それでもまだまだ勝てる気がしない。もうこの人に師事してから2年。シミュレーションでは負けなしなっても現実では一度も勝てていない。

機械に乗って勝ったからなんだというのか。後ろめたさなく、清潔に、完璧に打ち負かさなければ結局意味がないのだ。

 

(ここでこの人に勝たないと意味がない……! 俺があの森の王だったのに……! この世界の広さは……どうなってるんだ、クソッ)

体格の差を考えるのはずれているのかもしれない。そんなことをいえば昔自分の数十倍の体重の動物を仕留めているのだから。

 

「来ないならこっちか、!」

 

(ここだ!!)

呼吸が聞こえる。一瞬の油断、構えを解いたとき独特の呼気だ。

放たれたローキックは脚を刈り、セレン程度の体重のものならば地に手をつく……はずだ。

 

「蹴りの時に腕を上げて視界を狭めるな。常に相手を視界に収めろ」

だがなんなくローキックは回避され、放たれていた見えない角度からリバーブローが直撃する。一瞬痛みで動きが止まり、吐き気を堪えると口の端から唾液が零れた。

 

(くっ……)

身体を小さく屈めて腕で急所を全て咄嗟にガードしたが、それがミスだと気が付くと同時に指摘された。

 

「『防ぐな』。何度も言った」

その言葉を言いきる前に金属のように固められた貫手が腕に向かってきた。

 

(つっ!! いってぇ……)

身体にダメージが残るから防がないで避けろ、と常々言われている。

二の腕を掠めていった貫手は皮膚を抉り飛ばし大量の出血をもたらした。恐らくは動脈が傷ついたのだろう。

どの技も超一流だがセレンの貫手は最早このレベルにいる者が他にいないだろうと思えるほどの位置に達している。

どこで受けても衣服ごと貫かれ身体に傷がつく。爪で切られているなんて日和った攻撃では無く、本当に指先の力と速度で肉を抉り飛ばしているのだ。

どこで受けても傷を負うし今度はそこが急所になる。肉が露出したところに刺激を与えられる痛みは筆舌に尽くしがたい。

一体どれほどの時と鍛錬を経ればこのような威力になるのだろう。

セレンに聞いてもどう努力しても10年以上はかかるから無理だときっぱり言われてしまった。まだ20歳にもなっていないセレンがその言葉を言う時点でどんな人生を送ってきたのか想像するのも難しい。

 

(この!!)

シャツを引き千切り、その勢いでセレンに叩きつける。上手く行けば絡まり動きが止められるかもしれないし、服を掴まれる危険性も減る一石二鳥の攻撃。

しかしあっさりと躱されてしまった。だが、セレンが距離をとった隙に出血している二の腕にただの布切れになったシャツを巻きつけて止血する。

止めてこないということは致命傷ではないのだろうが、このままでは数分で動けなくなる。

逆にセレンが止めてきたときは本当に危ない時だ。以前掌底を食らった時に、痛みはそれほどでもなかったのにその場で訓練を止められたことがあるが、後で検査をしたら肺に骨が刺さっていた。

 

「服を脱ぐと痛いぞ」

セレンが踏み込んでくるのに合わせて顎にフックを放ったが、前蹴りで止められてしまった。

呼吸の裏をかいているのに、対応されてしまっている。

 

「卑怯な手を使っても構わんぞ。それでもお前はまだ私には勝てない」

 

(……もう知らねえぞ!!)

その言葉を受けて、即席の包帯をずらして腕に力を込めると血飛沫がセレンの顔にかかり、目つぶしとなった。

三本貫手で目を狙う。これが決まれば失明はせずとも数秒は動きが止まる。たった数秒、それでも数秒あればいくらでも攻撃のしようはある。

 

「あまいな」

二年も一緒にいたから行動が読まれていたのか、それとも分かりやすいのか、見事に避けられた。目の下を僅かに切ったがそれだけだ。

これが額だったら出血で視界が阻まれて後の戦闘が有利になったのだが目の下では大して意味がない。

 

(予想通りだ!)

ガロアの狙いはさらにその奥、頭の後ろでふわりと流れる黒髪だった。

卑怯なのは百も承知だが、そこを引っ張れば次の攻撃は直撃させられる。

相手が女であることを利用した攻撃は後ろめたさを残すがそれでも。

 

「狙いは良かったが最初の眼の動きで分かっていた」

決まった、と思ったら伸ばした腕が掴まれていた。

人食い鮫が本気で捕食するとき、横向きで噛みつくということを思い出した。

大きく視界を横切るように広げられた脚は防御よりも速く首に完璧に絡まる。

お手本のような三角締めは頸動脈を締め上げて速やかに意識を薄れさせていく。

組み技や絞め技を警戒して服を脱いだのに意味がなかった。もうここから返す手段はない。

 

(また負けか……クソ……)

あらゆる手を、卑怯な手を使っても正攻法で叩き潰されて勝てなかった。

この敗北は心に『絶対に勝てない』という現実を刻み込む。

だからこそセレンは後腐れなく勝つために真っ直ぐ強くなれというのだ。

正々堂々と誇りを持った戦いこそ『完璧な』勝利となるのだから。

 

(ちくしょう……また勝てなかった……)

ぎりぎりと締め付けてくる脚の向こうからセレンの冷ややかな青い目がこちらを見ていた。

暴力では無く武、後ろめたさのない本物の強さを湛えた光が映っている。

 

(経験じゃ勝てねえのは知っている……何でもくれてやる、だから力が欲しい……力が……金では買えない……過去は意味がない……出来る努力は全てしている……一体俺にはあと何が差し出せるんだ……くそ……力が……)

薄れた意識の中で最後に認識したのは自分が膝をついたことだけだった。

 

 

 

 

 

 

もうあと数カ月かなぁ。

そうセレンが繰り返すようになった。

自分でも分かる。確実に力がついてきた。もうそろそろ戦場にでてもいいタイミングだろう。

今日もセレンはそんな言葉を嬉しそうに、でも少し寂しそうに何の変哲もないファミレスで呟いていた。

 

「コーンスープとってきてくれ」

そう言ったセレンは右目に眼帯をしており、頬は痛々しく腫れている。

コーヒーカップを中指と親指で持つなんていう風変わりなことをしているのはセレンの利き手の人差し指がへし折れているからだ。

 

(わかった)

頷いた自分もセレンに負けず劣らずボロボロだった。

左肩は脱臼しているし、首の包帯の下ではまだ肉が抉れており、何か衝撃を与えればすぐにでも出血するだろう。

細かい骨もぴきぴき砕けている。それでも、いつの間にかあれだけ遠かったセレンと五分ほどの強さになっていた。

 

はたから見たら自分達はどう見えるのだろう。

若い男女がボロボロでファミレスで食事をしているなんて普通に目を引くはずだ。

まぁ、どう思われようと自分の人生には関わってこないのだから、どうでもいいことだ。

これだけわらわらと人がいても自分とは全く関わりのない人間なのだ、どいつもこいつも。

 

そう思いながらカップに自動でコーンスープが注がれていくのをぼんやり見ながらもう一個カップを手に取った。ついでに自分の分も注いでいこう。

こんなに簡単に食事って出来る物なんだ、と何度も繰り返し思っている。森での暮らしの方がまだ長いから未だに慣れない。

 

こぽこぽ音を立てながらコーンスープが機械的に注がれていくのを眺めているガロアの耳にそのとき、かき消されそうな程細いがそれでも間違えようのないセレンの声が聞こえてきた。

 

(!!)

首がちぎれ飛ぶほどの速度で振り向きセレンの座る椅子の方を見ると一人の男が声をかけていた。

そう言えばいつだかに言っていた気がする。『お前と一緒にいるようになってから男から声をかけられることがなくなった』とか。

ざわざわとうるさい喧騒を掻き分けてその二人の会話だけがガロアの耳に届く。10mは距離はあるが、そんなに離れた場所の音を気にするなど久々のことだった。

 

「やっぱそれって彼氏からの暴力でしょ? イケないと思うんだよね、俺はそういうの」

 

「……」

セレンは何の反応もしていないが、明らかに不機嫌だった。

最高にキレたときはあの人は無表情になるとガロアは経験から知っていた。

 

「偶然とはいえ、見ちゃったからさ、その怪我とか。助けなくちゃみたいに思って」

 

(理に適っているな)

そう、動物の群れでも一部の優れた雄が雌を独占する。

そっちの方が種を残すシステムとして優れているからだ。

雌が求めているのは子孫を問題なく育てられる環境と守ってくれる相手だ。

どこまでどれだけ進化しても自分達も所詮人間畜生。だからあのアプローチの仕方は間違っていない。

『今の雄の元では求める庇護は得られていないだろう? だから乗り変えろ』と言っているわけだ。

いつかはセレンも普通に男を見つけ幸せになるべきだし、そうなればいいと思っている。

なのにガロアはその会話を聞いてここ数カ月の中で一番イライラしていた。

 

「いやいや、童話のお姫様も王子様との出会いは運命じゃなくて偶然なんだぜ? 偶然を運命って呼んでいるワケ。ローマの休日だって言ってしまえば出会いはナンパさ」

 

「……」

男のアプローチの仕方は理屈としては間違っていないのだが、てんで的外れのことを言っているということには気づいていないようだった。

自分とセレンの関係は『庇護』で繋がっている、それは確かだ。だが逆なのだ、男の思うそれと。

 

(……そうだな。人生は突発的な偶然で出来ているな)

自分とセレンが今こうして繋がっているのだって全くもって何かの偶然以外の何物でもない。

みしみしと音を立てて握っていたカップにヒビが入った。

 

「なんなら今からそいつんとこ行こうか? その暴力男のところ」

男がセレンの手に何気なく手を触れるのと、ガロアの握っていたカップが砕けて弾け飛ぶのは同時だった。

 

「消えろ」

当然の結果として男はセレンに一蹴された。

いや、レジまでぶっ飛ばされなかっただけでも運が良かったのかもしれない。

 

「お、お客様! 大丈夫ですか!?」

 

「……」

突然手の中でカップが砕けたようにでも見えたのだろうか、店員の一人が声をかけてくる。

自分は口が利けないことをジェスチャーで示してから、バツの悪そうな顔で歩いて行く男を目で追う。

 

(あっ)

足早に歩く男の足がのろのろと歩いていた老婆の杖を蹴ってしまったのが見えた。

男はそれに気が付かずにトイレに入っていく。

わざとでは無い、偶然だ。それは分かっている。

 

(そうだな、人生は突然の偶然から出来ているな。お前は正しい)

老婆の杖を拾って散らばった財布を手渡して、お礼を言われるのも最後まで聞かずに肩をいからせながらガロアはトイレへと駆けこんだ。

セレンが待っていることももう頭にはなかった。

 

(突然、偶然に街の女を好きになるかもな)

トイレに入ると鏡の前で髪をいじっている男がいた。

 

(偶然婆さんを転ばすかもな)

いつからそうなのかはもう覚えていないがガロアは昔から自分の中で爆発する怒りを内側で上手く処理することのできない人間だった。

まるで野生の獣のように獰猛で、だからこそあの森でも生き残れた。そしてそれは未だに変わっていない。

 

「ぐっ? えっ?」

 

(偶然変な男に締め上げられることもあるかもよ)

まさかいきなり襲われるなどと夢にも思っていなかった男の首を掴み、ガロアはそのまま向かいの壁に男の身体を叩きつけた。

 

「なっ、ぶぶぶ……、何っ」

唐突のことに男はどう抵抗していいのかも分からないようだった。

首を強く掴んでくる腕を引っ掻くがガロアには全く通じない。

 

(あんなに美人で若いんだ。いずれは……。だがお前に100年セレンを幸せに出来るか? ダメだな)

 

「ひっ」

言葉を口にできないガロアの射殺すような視線に男は先ほどまでの強気な発言もなかったかのように震えた。

 

(あの人は、あの人だけは幸せになるべき人だ。一夜の共だとか訳の分からんことは他の雌共と好きなだけやればいい)

男の目から光が消えた。ぎりぎりと締め付けられ頸動脈のルートが塞がれてしまい落ちたのである。

それと同時にガロアも手を離した。

 

(死ね)

そのままトイレの床のタイルに顔を打ちつける前に、腰を落としたガロアの掌が男の腹部を打ち抜いた。

気絶から強制的に目覚めさせられた男は襲い来る吐き気に逆らえずに中身をぶちまけようとするが、

 

(ここで吐け)

男の髪の毛を掴んで個室の便器の中に突っ込む。

びちゃびちゃと吐瀉物を吐きだしながらもなおも抵抗してくる男をガロアは頭の中の細かい血管がぷちぷちと切れ続けるような怒りに任せて便器に押えつけた。

そのうち便器の縁が男の首にはまり、そのまま強く押えつけられたまま息が止まってしまい男は再び気絶した。

 

 

言葉巧みに近づくよりも余程動物的な__雌を取られることに対する根源的な怒りだった。

 

 

 

「遅い!」

 

「……」

たかだかコーンスープを二杯ついでくるのに五分もかかった事にセレンは少し怒っているようだった。

いや、多分この怒りはそれだけではないとガロアには分かっていた。

先ほど男に一瞬触れられていたセレンの手に恐る恐る手を伸ばす。

 

「? ゴミでもついてた?」

自分が傷だらけなことは全く気にしていないかのようにセレンが不思議そうに声をかけてくる。

その傷を付けたのは自分なのに。

だが知っている。この世界には怪我をして血を流すよりもよっぽど痛いことがあるということを。

 

「お前がいない間にデザート来たぞ。ほら、お前も食べろ、甘いもの。いらない? 食べないと」

 

(いずれは俺のそばから……でも俺……この人がいないとまた一人ぼっちだ)

憎い奴をこの手で殺すまでの命でいい。

それだけが願いだったのに、いつの間にかセレンの幸せという新たな願いが増えていることに気が付いたガロアは、その先を想像して怖くなってしまった。

手に触れたまま押し黙っているガロアをセレンはいつまでも不思議そうに見つめていた。




100話だけど暗い


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誕生

The battlefield is where my soul belongs.


「ぅあ゙……」

夢の中の自分の意識はまどろみ、ガロアは目を覚ました。

最近はもう夢の中ですら戦っている。ずっと暴力的な夢を見ている。

現実の戦いだけではもう負債を返しきれないと言われているかのようだった。

繰り返す悪夢は『お前は誰も救えない。殺し続けろ、戦い続けろ』と囁いてくる。

夢、夢と言ってもそれは実際に過去にあったことなのだ。

 

(三角締めが決まっても倒れるときに勢いを付けて頭を叩きつければ俺が勝っていた)

ごく自然に、夢の中の自分はどうしたら勝てたのかを考えていた。

思考が操られている、と認識していてもそれを回避することが出来ない。

 

(そういや俺………レストランでメチャクチャに食べたというのに金すら払っていなかった)

今も関わっているリンクス達と初めて出会ったあの日、レストランに誘われ勝手気ままに食べ、何も言わずにその場を去った。

今思うと滅茶苦茶だ。自分が如何にこの社会で角を立たせずに生きていくのに向いていないかがよく分かる。

 

(俺はセレンの幸せを……壊している?)

あの男がセレンを幸せに出来るとは思えない。

でも自分がいる限りはセレンはどこの誰のところにも行かない。

自分が幸せにしようにも、自分のような常識の全くない男に出来るのだろうか。

いや、それ以前に自分は戦いが終わっても生きているのだろうか。日に日に頭痛と幻覚が酷くなっていく。

 

(俺の願いは……)

セレンが幸せになりますように。今はもうそれだけだ。他には何も思っていない。多くは望んでいないと思う。

クローンの紛い物人間だとしても、幸せに。それだけだというのに、もう自分の限界は近いようだった。

誰に謝ればいい?

誰に請えばいい?

夢の中ですらもただ流れるだけの緩い幸せを許してくれない。現実でももう――。

 

「お前もか……」

 

「……ん?」

隣を見ると目を「3 3」にしたセレンが起き上がっていた。夢の中の目つきとは随分かけ離れている。

訓練の時の姿とのギャップに慣れるまで時間がかかったものだ。暗い部屋の中で時計に目をやると午前12時を回った頃だった。

 

「うるさいよな……」

 

「まったくだ……」

赤道にごく近いとはいえ、一応は南半球に位置するこの場所ではこの時期になってからの方が暑く、ここ数日は夜も冷房をかけて眠っていた。

それが問題だった。海の音は胎内の音に似ているからなのか、波の音がリズムよく聞こえても熟睡出来た。

窓を閉めるようになってから気が付いたが隣の部屋からずっっっっと獣のような喘ぎ声が聞こえてくるのだ。

もしやあの二人、ラインアークに移ってから毎日毎晩飽きもせずにしているのだろうか。体力も性欲もよく尽きないものだ。

 

「野郎……隣に人がいることわかってんのか? やるなら昼にやれ、クソ」

 

「……」

どちらかといえば夜にする方が正しいのだろうが、やたら耳触りで眠れないのは間違いないのでセレンは黙っておく。

隣の部屋に声が漏れるリゾートホテルってどうなんだろう。少なくとも付き合い始めのカップルにはお勧めできないんだろうな……とセレンがぼんやり思っていると。

 

「ドア蹴破って文句言ってくる」

 

「お前………まぁいい」

声から察するに今が一番盛り上がっているのだろうが、そこにドアを蹴破って入っていくなんて悪役そのものだし、こちらが恥ずかしい。

だがしかし、止める気力もなかった。

 

コンコン、とこんな時間にノックの音が響く。

 

「あ……? 向こうから詫びを入れに来やがったか。上等だ」

 

(……? 馬鹿な…?)

入り口近いガロアには聞こえていないのかもしれないが、声は今も聞こえている。

まさか一人でしてこんな声をあげている訳ではあるまい。しかしこの時間に来客というのは考えづらい。

 

「……誰だ? お前」

 

(誰だ?)

一見してただ者ではないことが察せる恐らくは40代の男が立っていた。

髭にまで白い部分があるがブラウンの髪からも目の力からも今が一番戦士として脂が乗った時期にいることが分かる。

ガロアよりは20cmほど低いだろうが体つきもがっしりしている。

どこかで見かけたような気もするが自分達との接点はないし、ましてやこんな時間にいきなり訪ねてこれるような仲では決してない。

 

「そうか。君とは初めてだったな、リンクス。知らないようだから先に自己紹介しておこう。私はジョシュア・オブライエンという」

 

(! あの男が……)

リンクスの絶対数の少なさから、どのリンクスからも最終目標とされるような者は少ない。

その中でこのレベルに達せれば間違いなく伝説となれるという数少ない男がそこにいた。

 

「ほー。じゃあ俺も、知らないようだから教えておいてやる。俺はテメェも嫌いだから二秒以内に視界から消え失せろ」

直接的な仇では無いにしても、仇の男と協力して本当に生き死にの際までガロアを追い詰めた張本人なのだ。

敵意むき出しの対応はむしろ当たり前に思えたし、こんな時間に訪ねてきたのだからなおさらだ。

 

「頼みが……いや、ミッションがあってそれを伝えに来た」

 

「テメェがやれ。失せろ。二度と来るな」

 

「もちろん私も参加する。そして受けられる資格のあるものは非常に少ないのだ。君と……そこのセレン・ヘイズ、二人へのミッションだ」

 

「あぁ?」

 

「……なんだと?」

 

 

ジョシュアの口から語られた『ミッション』の内容、そして自分達でなければ受けられないという理由はすぐに理解できたしその『ミッション』が来た原因も分かった。

その説明を聞いたときのガロアのとうてい説明しきれそうもない悲壮な顔と、受けると言った時の声色をセレンは生涯忘れることは無いだろう。

 

 

 

 

「うぅ……クソ野郎……何考えてんだ、クソ……でも……」

 

「……なら、何故受けた?」

 

「俺にも分からねえ……ああ、クソ! セレンは理解できるか!?」

 

「……半々だな」

 

ジョシュアの訪問から三十分後、二人は病院にいた。

依頼の内容はごく単純だった。入ってくる者は全て倒せ。それだけだ。

ガロアとセレンは一つの扉の前に立ち、この場所に通じる扉は二つ。非常階段とストレッチャーを通す為の大扉だけだ。

後ろの扉からは苦痛に呻く声が絶え間なく聞こえており、小さく励ますような声も聞こえてくる。

もうそろそろだったはずなのは知っていたが、とうとうその日が来た。フィオナ・イェルネフェルトの出産である。

今、この病院に入る者は厳重に検査され、金属の類は一切持ち込めない。当然、ガロアもセレンも果物ナイフすら持っておらず、完全に非武装の状態である。

『出産の間護衛してほしい』

それが依頼だった。自分達が選ばれた理由はよく分かる。素手という条件ならばどんな相手でも、何人でも速やかに制圧出来ることをマグナスもフィオナも以前の事件からよく知っているからだ。

確かに素手での護衛という点で自分達を選ぶのは間違っていない。3mの大男がガトリングガンを乱射しながら入ってきたりしない限りは問題なく守り通せるだろう。

 

問題なのは何故自分達にそれを依頼したのかということである。

リンクスとなってから負けなしだったマグナスにとって初めての敗北を与えたガロアは人生最大の敵だと言ってもいい。

そしてそうしたかった者も山ほどいるはずだし、今この状況で警戒しているのもそういう人物がいるということを正しく理解しているからなのだろう。

そのガロアによりにもよってこんな依頼を、それこそ信頼がなければあり得ない依頼をするのは理解しがたい。

しかしその反面、セレンにはそれをガロアに依頼する理由も分かる様な気がするのだ。

 

「くそったれ……俺が誰だか分かってんのか……!」

 

「なら……今すぐ押し入って全てを終わらせるか?」

ガロアがその気になれば、今新しい命が生まれようとしているこの部屋を、

100mを走るぐらいの時間で両親ごとただの肉塊に変えられるだろう。

 

「出来ると思うか……! そんなことが、俺に、俺に……!!」

口にはしないがガロアは今、いままでで一番激しい頭痛に襲われている。

理性は蜘蛛の糸よりも細く、いったん切れてしまえば頭の中にある惨劇を欲求のままにこの場所に顕現させてしまうだろう。

 

「……そうだよな」

ガロアの両親はガロアを出産するタイミングを狙って殺害された。間違いなくそこからガロアの人生は狂い始めたのだ。幸せな家庭を築けたはずの家族を、未来を全て奪われて。

知ってか知らずか、そんな惨劇を起こさせない為によりにもよって一番自分を憎んでいるガロアにアナトリアの傭兵は依頼したのだ。これ以上酷なことはそうないだろう。

 

「ちくしょう……誰でもいい……入ってきた奴は……」

 

「……」

 

「皆殺しだ……!」

 

(なんて顔を……するんだ)

今、この世で最も尊いものを守っている者だとは思えない程凄惨な顔つき、そしてその目は今にも涙が溢れそうであり、

その声はむしろ乱入者を望んでいるかのようにも聞こえる。悪意ある誰かが入ってきた瞬間にガロアは頭の中で弾ける感情を発散するかのように惨殺するだろう。

 

(私はどうすればいいんだ? どんな言葉をかけるのが正解なんだ?)

この苦しみを終わらせるにはガロアの背中を押して扉の中に入れてしまえばいい。

そしてとうとう人間も永遠にやめることになるのだろう。それは恐らく夥しい数の人間を巻き添えにする地獄へ続く道に他ならない。

しかし、ここで止めてもその怒りも苦しみも和らげる方法をセレンは知らない。

 

「なんで俺に……!! この力はそんな事の為に……クソッ、クソッ」

 

(胸が……痛い)

性善説も性悪説もセレンは信じていない。

生まれながらに聖なるものもいれば、突然変異のように悪意の権化のような狂人も生まれる。

きっとガロアは生まれながらに善だったのだろう。普通に生きていれば大きな身体と優れた頭で優しく人を助けて、そして当然その分助けられて、

その人格に相応しい温かく幸せな人生を歩めたはずだ。だが現実にはそうはならずに、ガロアは奪われ続ける人生にケリを付ける為にそんな善の性格を捨てて茨の道と知りつつも歩んできたのだ。

何もかもが反発するかのように現実がガロアを刺してくる。そんなガロアを救ってやれない事実にひたすら心が痛い。

だがここでガロアが新しく生まれる命を守ることは絶対に間違ったことでは無い。

しかしそれが苦しみでもある。逃げる選択肢はあり得なかった。どの道を選んでもガロアは苦しみ続けるのだろう。

 

(頼む、誰も入ってくるな……)

この中にいる家族の為では無く、ガロアの為にセレンは生まれて初めて信じてもいない神に祈った。

 

葛藤と苦しみは時間の経過を忘れさせた。

ここに来てから三時間も経った頃、扉の中からか細いが力強さを感じさせる確かな生命の産声が聞こえた。

 

(…………生まれた、のか……)

多分これはスピード出産とかいう奴で母子ともに健康に間違いないんだろう。

赤子の声も、中から聞こえてくる人物の声も歓喜に満ち満ちている。

握っていた拳に血が滲んでいることに今更気が付いたガロアは、もう帰ってもいいのかな、と思いながら同じく赤子の声を聞いて顔を上げたセレンに声をかけようとした。

 

「入ってくれ」

 

「……て、……!!」

中から出てきたマグナスに反射的に口汚い言葉を吐こうとしたが、今この瞬間にそんな事を口にするのは何よりも唾棄すべき行いだという事が先に分かり口を噤んだ。

 

「入る、理由がねぇ、だろうが……」

 

「護衛任務は護衛対象の安否確認を最後に必ずしなければならない。不要なトラブルを避ける為にもな」

悔しいがその言葉は全て正論。どんな任務でも確認せずにその場を離れて後でいちゃもんをつけられたら反論しようがないからだ。

だが、この男は正論を本当の意図を覆う隠れ蓑にしていることがセレンにもガロアにも理解は出来ていたが何も言えなかった。

 

中に入ると医師と助産師、そしてベッドの上には汗で着ている物まで全てびっしょりのフィオナ・イェルネフェルトがおり、その腕の中には今しがた生まれたに違いない赤子が抱かれていた。

丁度授乳の真っ最中であり、どこからどう見ても母子ともに問題ない。性別は見た目からはよく分からないのだがなんとなく女の子だと思った。

 

(うっ、……痛ぇ……)

全身の神経が棘になったかのような痛み。自分はこんなことをしてもらっていない。

何故?自分に最初からなかったものをこいつらは持っている?俺にはなかったのに、俺から奪ったのに。

頭の中でぐるぐると渦巻く疑問の答えは出てこないし、そこらに転がっている訳でも無い。

縋る様にセレンの方を見れば意外というかやはりというかその光景に心から感動しているようだった。

本当に親も家族もいない分、自分ではどうしようもない憧れがあったのだろう。

 

(俺だって……これが欲しかった……)

でもそれは許されないはず。自分もこの男も最悪の人殺しでそんな幸せを世界が許すはずがない。

奪われて何も無くなった。取り戻しに来ただけなのにこんなことになってしまった。今ここでこいつらを殺せば全てが『終わる』。

そう、『終わる』だけ。何も始まりはしないし何も戻ってこない。欲しかったものも幸福も何一つ。

自分と同じくアナトリアの傭兵に家族を殺された者はここで一体どうするのだろう。

泉のように幸福が噴き出すこの場所でただ一人、耐え難い痛みと苦しみに襲われている中、授乳が終わった赤子をマグナスが抱きあげこちらに近づいてきた。

やめろ。何も言うな。

 

「抱いてやってくれ」

くそ。何一つお前は俺の思い通りにならない。

 

「人殺しの、手なんだ」

一体どれだけの生き物の命を吸ってきたのかも分からない両の手を突きだしアナトリアの傭兵と腕の長さだけ距離をとる。

 

「俺もだ」

そうだ。お前もだ。なら、どうして?

静かに呟いたマグナスはガロアの手に赤子を乗せてしまった。

やろうと思えば一瞬でこの赤子を捻り殺せるのに。そうする可能性もある筈なのに、いとも簡単に。

果たしてガロアは首を締めることも放り投げることもせず、落とさないようにそっと赤子を抱えた。

 

「うっ、ぐっ……?」

怖がって泣く訳でも無く、愛に満たされた赤子は母の乳を飲み終えてすやすやと自分の手の中で眠っている。

頭に添えた手にただ力を込めるだけでも果物のように握り潰すことが出来るだろう。

自分が誰だか分かっているのか。お前の親をバラバラにして殺したいほど憎んでいるんだぞ。

この小さな身体はいつか引き摺った動物の死体よりもずっと軽いのに今まで手にしたどんなものよりも重い。

 

「うっ、あっ……ああぁ……」

ガロアは泣いていた。もう何をどうしていいのかも分からずにただ泣いた。

涙で視界が滲み前が見えなくなるほど泣いたのは育ての親が死んだと分かった時以来だろうか。

18年の人生で泣いた記憶はそんなにない。そのうち二回もよりにもよってこの男の前で涙を見せることになるとは。

 

「……」

その場にいる誰もが涙を流すガロアを呆けたように見ていた。

見る者にとってその滴はまだ何も知らない赤子のそれと同じくらい純粋に感じられた。ガロアの人生を知るセレンにも、ガロアの強さを知る夫妻にも。

どうしてそんな透明な涙が流せるのだろうか。

幼子が駄々をこねて玩具を壊すのと同じレベルで世界の宗主ですらも消滅させられるだけの力があるのだろうに、自分の力ではどうしようもない壁にぶつかってしまった子供のように。

 

 

(お前は正しかった)

滲んで消えていく視界の中で手の中に残った赤子の重さだけが現実へのよすがだった。

 

(俺は悪だった)

何も作り出せない。生み出せない。

守るつもりがますます争いを呼びこみ、理性的であろうとすればするほど行為も愛も脳の底から拒んで求めるのは戦いばかり。

戦って人を殺して、自分は憎しみと悲しみ以外に何を生み出せたのだろう。

 

人殺しが正義を語るな。人を殺しておいて中途半端で降りるな。殺さないで平和が実現できるものか。

それは全て正しい。それならば、それを知ってもなお何故人は手を汚しても明日への希望を捨てずに歩けるのだろうか。

その答はシンプルだった。未来は手の汚れていない子供が作る物だからだ。

何千年も時間をさかのぼり、善悪の概念はあっても国も村も法律すらも無かった時代に手を全く汚さずに生きのびて家族を守れた者はいたのだろうか。

いるはずがない。それが何よりも難しいことなのはガロア自身がよく知っている。

それでも人は手を汚して生きていく。今を生きる子供たちが、次に生まれる子供たちが、手を汚さなくても幸せに生きて幸せに死ねる理想の世界に行けるという事を信じて。

どれだけ世界が病んでいても。

 

(この……小さな子供こそが未来そのもので、俺は、俺は、それを奪い去るだけか)

殺して奪う以外に本当に知らない。悪と一口に言えどいろいろあるのだろう。財産を奪う、誰かの恋人を凌辱する、何よりも大切な子供を誘拐する。

自分はその中でも最悪だ。かすかな希望の未来すら残さず全てを飲みこむだけ。通ってきた道は全て黒く塗りつぶして終わり。

今まで、ずっとそうだった。

 

(いつから、どうして、俺は悪だったんだろう? でも、もういい。何も戻りはしない。この世界から失われたものは……)

自分は『この子』だったはずだ。

だが今の自分はその正反対の物になってしまった。

殺し殺されたの先に幸せなどないと誰よりも分かっていたのにこれだ。

 

少なくともこの男、マグナスは誰かを幸せにするために戦っていた。たとえその過程で誰かを殺し誰かを不幸に突き落としていたのだとしても。

他の人間だって殺す事で少なくとも何かを守っていた。大切な人間はもちろん、自分の命やプライドなんかもあるだろう。

なのに自分は、自分の命すらもいらなかったしプライドも途中で折れていたというのに。そんな亡者みたいな自分は自分の為だけに殺し続けてきた。

それこそが悪だ。力を手に入れる為に自分は善をどこかに捨ててしまった。

自分は誰かを不幸にするために殺しに殺してここまで来た。そして増長した力は実際にセレンすらも巻き込んでいる。何もかもが救えない。

関わった人間を次々と死なせて自分はどんな幸せを作ったというのだろう。

 

 

 

 

「結構な……ことじゃないか……」

涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになったガロアはようやく口を開いた。何分時間が経ったかは分からない。

腕の中の赤子は目を開いていたが特に暴れたりはしていない。

 

「この子には……親がいる……、……二人も」

決して乱暴にならないよう、それでも絶対に拒めないような形で赤子をマグナスに返す。

 

「結局……お前は正しかった。全てが終わったら……消えてやる」

 

「待、」

一瞬、蛍光灯がぶつりと暗くなり持ちなおした時にはガロアはマグナスに背を向けていた。

自分が背負うはずの業すらもガロアの中にある底すら知れぬ闇に吸い取られたような感覚をマグナスは感じていた。

自分の未来と幸福を守ることについてはこの少年がここに来たのは間違いでは無かった。

だが、この少年にとっては全てが、何もかもが間違いだったのではないか。

自分は何かとんでもない物をこの少年になすり付けてしまったのではないだろうか。

何かを言おうとしても全ては後の祭り。もうガロアは扉に手をかけていた。

 

「大事に育てろよ……セレン、行こう」

そうしてガロアはセレンが何か発する前に手を引いて暗い夜の中へと消えた。

 

 

 

深夜五時近くになってもガロアはまだ泣いていた。

もう一時間以上泣き続けている。部屋にはなんとか戻ってきたがセレンにはどう声をかけていいのか分からなかった。

自分と同様に生命の誕生に心が動かされただけではこうはならないだろう。だが何が起こっているのかが分からない。

 

「ガロア……ほら、もう寝た方がいい」

 

「いい、先に寝てくれ」

ただの一言なのだが、それがとてつもない異常のサインに思える。

同じベッドで寝るようになってからは必ず同じタイミングで寝ていたというのに。

 

「でも、寝ないと身体に響くぞ」

 

「じゃあ……俺、外に行ってくるから……先に寝ててくれ」

肩をこれ以上ないくらい落としたまま扉に向かうガロアの背中は初めて会った時よりも小さく感じられ、セレンは反射的に手を掴んでしまった。

 

「一体何年……そうやって一人で抱え込んできた? これからもそうするつもりか」

生命が愛によって正しくこの世界に誕生することの素晴らしさに心を打たれると同時に、ガロアの中で決定的な何かが壊れてしまったと感じている。

だが、何がどうなっても自分がそばにいるのだとガロアが病院で意識を取り戻した日に告げたその言葉に、心に一切の偽りはない。

 

「……」

掴んだ手は弱弱しく、しかしはっきりと拒絶の意志を込めて無言で振りほどかれた。

自分ではダメなのか。それとも誰でももうダメなのかは分からない。

 

「……」

ひぐっ、と嗚咽の音が背けたガロアの顔の方向から聞こえた。

子供のように顔をくしゃくしゃにして泣いているのだろうと思った時、どうしてか胸が高鳴るのを感じた。

女は『強い男』に魅かれるものだと思っていたし、今まで読んだどんな本に書いてある『女性の憧れの男』というのは色んな意味で強い男だった。

今のガロアの背中は最強のリンクスであるということも並ぶ者がいない武闘家だという事実も虚ろになる程に弱弱しく、そんな背中にどうしようもなく焦がれてしまう。

 

「行かないで」

今の言葉はちゃんと頭を通って出てきたのだろうか。

反射のように脊髄だけから出てきたのではないのかと思う程無意識に言葉を出していた。

しっかり腕まで掴んでいる。

 

「……」

油を差したドアを引くぐらいの力で振りほどけそうな腕が繋がったままガロアは黙っている。

ここでどんな言葉を言うのが正しいのだろうか。

 

「わたっ、私は……」

 

「女であることも、この見た目も、生まれる前から決まっていた」

 

「だから……、ああ、何て言えば……」

 

「……」

再び手が振りほどかれた。

どこへ行くのかは分からないが、一つだけこれは絶対だと言えるのはアナトリアの傭兵を殺しに行くのではないということ。

ほんの少し前までそれが全てだったのになんて皮肉なんだろう。あと三歩でガロアは出て行ってしまう。

一度も経験したことは無いのに、このままではそれが永遠の別れになることが理解できた。

言いたいことも伝えたいことも山ほどあるがあと三歩の内に言うとしたら自分は何を?

 

「好きだ。どこにも行かないでくれ」

言うべきことでは無く、言いたいことを。

これが最後になるのだとしたら。

 

「……」

 

「私は今……作られた物だとしても自分が女で良かったと心から思っている。お前が男だからだ。意味が分からないなら何度でも言うから」

 

「お前が私を大事にしてくれているのは分かる。でももう、それだけじゃ足りない」

 

「もっと愛してほしい。朝までずっと抱いていてほしい」

 

「近くにいるのにお前が遠く感じるのはどうしてなんだ」

それはガロアが自分の隣にいても泣いていることと無関係ではないだろう。

出会った時からそう。いつも一番近くにいるのが自分なのに、自分の事をほとんど見ていない。

それ以外の仄暗い何かを見ている。他の女を見ているとかならばまだ救いがある。

その視線の先の物に自分が打ち勝つことなど出来ないのだろう。

 

「みだらな女だと思わないでくれ……日に日に……そばにいるのに満ち足りなくなってしまったんだ」

言いきって思うのは結局自分の事しか言っていないということ。

慰めも励ましも一言も出てこなかった。そんなにたくさんの事は言っていないのだが息が切れている。

全部ぶちまけてしまったことに後悔する気持ちとようやく言えたと安堵する気持ちが半々で結局頭の中はぐちゃぐちゃのままだ。

だが、ここまで言っても分からないほど人間をやめてはいないだろう。その証拠にガロアは足を止めて涙色一色の顔をこちらに向けてきた。

得も言えぬ絶望はその顔から薄れていた。

 

 

 

「思わない」

セレンの心からの声は確かに届いていた。

壊すだけしか、戦うだけしか出来ないそんな自分でもこんなにも必要とされている。

女であることを、恋心を理由にした自分勝手な主張だったのかもしれないが、必要であるという主張は何よりもの救いだった。

 

「私たちも……ああなれればいい。いや、なればいい。そうだろう? この世界にお前も私も一人なんだから」

震えながら泣きそうな顔で笑っているから表情が崩れて少しぶさいくだ。セレンのこんな顔を見れるのは世界で自分だけなのだろう。

 

(でも、もう俺はだめかも……)

向き合うだけでいよいよもって頭の中の大事な血管がぶち切れそうだ。

 

(とことん壊れてやがる……俺は……)

黒と赤の絵の具の雨が降ったかのように目に映る全てが染まっていく。

自分の好きな匂いがするはずなのに血の臭いしかしない。

脳と身体が切り離せたら楽なんだろうにどうしようもなく人間という物は脳に支配されていた。

 

「セレン……」

肩に手をかけるだけでとうとう身体中に痛みが走った。

そんなガロアの外見は涙で濡れている以外に異常はなく、それがますますガロアの中で何が起こっているのかを分かりにくくした。

幸せな言葉が返ってくるという想像に一切の疑いを持たずセレンは静かに笑って待った。

 

「必ず帰ってくるから……ごめん」

その言葉を聞いて、セレンは合格を確信していたのに自分の番号がなかった受験生のように表情をこわばらせたまま固まった。

ガロアが扉の外に出て行き扉が閉まるまでセレンは現実を受け入れられなかった。

 

 

街灯の明らかに足りない道をガロアは波の音を聞きながらあてどなく歩いていた。

 

「あ……? なにこれ……」

涙を拭ったつもりがどす黒い血が手の平にべっとりと付いていた。

ホワイトグリント戦の古傷が開いたのか、全く別の原因なのかは知る由もないし興味もない。

 

(ああ……俺は……死ぬな……次の戦いで……一人……)

それだけが分かった。戦うことしか許されないのならいつかは必ず負ける。

分かっていたことだ。必ず来ると思っていた事が来る。それだけだ。

 

(ようやく……)

戦わなきゃ死ぬというのがガロアの人生だった。

それがいつの間にか戦う以外のことをしたら死ぬになっていた。

ホワイトグリント戦以降度々ガロアを苦しめどんどん頻度が上がっていた幻覚と頭痛は警告だったのだ。

 

 

 

 

「も~全員! ここに永住したらいいんじゃないっすかね~」

 

「バッカニアはぶっ壊れるし、冗談じゃないよ。あたしは。それに砂漠の方が肌に合っているね」

 

「まぁまぁ。改めて、帰る家があるってのはいい事だと思うぜ?」

ロイ・ザーランドとフランソワ・ネリスはその取り巻きとともに全員べろべろに酔っぱらいながら夜の道を歩いていた。

深夜に壊れたスピーカーのような音量で騒ぐ酔っぱらいというのはどこにでもいるものだ。

 

「この調子でウィンディーにプロポーズしようかな、俺」

何がこの調子なのか本人にも周りにも分かっていないが、歓声とともにやっちゃえやっちゃえと声が上がった。

このまま今が何時なのかも気にせずにロイはケータイを取り出してウィンに電話を掛けようとした。その時。

 

「お? あれは……最強のリンクスのガロア・A・ヴェデット君じゃないですか! ヘイ! レッドヘアードボイ!一緒に飲もう! よう!」

暗くてよく見えないがあの背の高さはガロア以外にあり得ないだろう。全力で絡むために大声をあげるとネリスの取り巻きの何人かがその名前を聞いて少々複雑な顔をした。

よもや自分達の顔、覚えていないだろうな、と囁いていると。

 

「うっ……?」

 

「えっ?」

街灯の元に姿を現したガロアは血涙を流しながら歩いており、こちらが間違いなく視界に入っているはずなのに全く見ていない。

それは無視というよりも、人が地べたを必死に歩く蟻に気付かずにいる様子に似ていた。

その場の全員の酔いが吹き飛び磁力で反発するように距離をとった。

結局ガロアは一切視線を向けることもなく、歩調を崩さずにずしんずしん、と歩いてどこかへと消えていった。

 

「あんたたち……良く生きてたねえ」

 

「そりゃないですよ……」

 

「あんな化け物だったのかい? リンクスといえども人間、……のはずなのに、完全に人間をやめているじゃないか」

 

「いや……あそこまでとんがってはいなかったはずだけどよ……」

ネリスの取り巻きが口を開く前にロイが答えたが、何があったのか全く分からない。

ただ、変わってしまったことは間違いない。

強い弱いで世界の人間を分ければ確実に強い、それも頂点にほど近い位置にいるはずのロイですら死を覚悟させられるほどだった。

 

「一体……何をしたらああなるんだ……?」

 

 

とぼとぼと歩いているととうとう道路が途切れてしまった。

この先はまだ開発していないのだろう。開発予定を示す看板もない。

未来へ続く道が誰にでもある中で、この暗く途切れた道は自分のどんづまった世界とよく合っていた。

 

(そうか……俺が差し出したのは……未来か)

だがそうだとしても一昔前の自分に後悔など無かっただろう。

幸せな未来なんてものが、一緒に生きていきたいと思える人が出てくるなんて思わなかったから。

 

(いつも悪い想像ばかりが現実になる)

セレンは自分のそばにいても幸せになれないし自分はセレンを幸せには出来ない。

気持ちの問題ではなく、そんなことをすればただ死ぬだけだろう。

もう考えただけでも頭が痛い。

 

ネクストに乗り続ける事による精神汚染は一般にも認知されていることだが、

それでもガロアの汚染度合いはAMS適性の高さから考えてもあり得ない程に異常だった。

 

戦えば傷つくのはどんな生き物でも当然の事。

だがもう自分は戦わなくても傷つき自壊していく。

生き物の枠を超越したのか、零れ落ちてしまったのか。

 

 

「ガガ……、ガロア様。どうしたのデスカ」

どこからつけていたのか、ウォーキートーキーがいつの間にか後ろにいた。

機械なのに心配そうな声を出している。あり得ないことなのだが、ウォーキートーキーは少しずつ人間らしくなっているような気がする。

それともこれもプログラムなんだろうか。

 

「ウォーキートーキー……悪ってなんだ」

 

「ジジジ……悪、デスカ? それは……」

 

「俺だ。俺だったんだよ。遠回りしても……戻る場所は同じだったんだ……」

ずいぶんと小さくなったウォーキートーキーのボディに縋りつき嗚咽を漏らす。

熱を持つ痛みが身体中に走る中で、冷えた機械の身体は心地よかった。

 

 

 

 

必ず帰ってくると言ったのにいつまでもガロアは帰ってこない。

片方だけ綺麗に整えられたベッドの上でガロアの寝間着に顔を埋めながら自慰をしたセレンは涙に溺れながら眠った。

誰かの不幸が誰かを幸せにするように、誰かの幸せが誰かを徹底的に不幸に叩き込むのもまたこの世界だった。




AC4でススやアマジーグを壊していた精神汚染そのものです。
ガロアほどのAMS適性があればそんなものとは無縁のはずなのに力を求めるあまりに彼は悪魔の契約をしてしまいました。
『身体がぶっ壊れて戦えなくなる日まで戦い続けるからその分の力をくれ』と。

結果、彼の中に元々眠っていた世界最高の格闘センスにシミュレーションの世界で先取りした経験が渡されガロアは世界最強になりました。
普通にあと20年くらい修行すれば世界最強の座につけたのに。

オリジナルルートの予告編で「未来は力に捧げた」って書いてあったのを覚えていますか?
「力には代償を」
当たり前なんですよ。



どちらも金を受け取って戦場に出ているので死んでも悪いも正しいもないです。
ですがガロアは金のためになんて思ったことが無く、動物を狩って食うのと同じ感覚で殺してきた日々があったので、その無自覚な悪を認識してしまい壊れてしまいました。
誰かを不幸に叩き込んでも誰かを、あるいは自分を幸せにするならまだ救いはありますが、ガロアはそんなことをせずに不幸をばら撒いていただけなのでした。

動物が進化した先の生物としての人間、知性を持つ生き物としての人間
その境目に人の定義する悪はあります


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Mechanized Memories

心が戦場だから誰にも救えない


最終作戦が始まった。

敵ネクストが上がってくることを想定して対ネクスト戦闘に特に長けた五機がクレイドル空域まで上がり、クレイドル21にくぎ付けになっているアサルトセルを電磁バリアで囲う。

衛星軌道掃射砲が発射されアサルトセルが一掃された後は企業から世界の主導権を奪わなければならないが、アルテリア、クレイドル、掃射砲の一つでも奪われれば敗北は確定する。

ここまで死者もそれほど多くなく、上手くやってこれているように見えるがそれは電撃戦で常に先手を取れていたからに過ぎない。

長期戦となれば物量で劣る方が勝てるはずも無いのだ。さらにアルテリアを一つ失っていることも痛い。

企業はもちろんクラニアム以外にもエネルギー供給施設を保持している。各企業の主要アームズフォートにも意図不明の動きが見られているようで、各地にネクストを配置せざるを得なかった。

 

朝起きるとベッドの隣がまだ温かったことにセレンは気が付いたがガロアはもういなかった。

その後最終作戦の説明がされたが、その時には既にガロアはネクストに乗りこんでいた。

やる気十分だというのならば構わないが、不安で仕方が無い。声をかけようにも既に戦地に赴いているガロアになんて声をかけたらいいのか分からなかった。

 

 

『衛星軌道掃射砲、発射まで後5、4』

無人のクレイドルに向かってレールガンを撃ちまくるアサルトセルは自傷行為を避けて電磁バリアから離れようとするがその過程でアサルトセル同士でぶつかり合っている。

金魚を入れ過ぎた金魚すくいのように滑稽な光景だった。

 

『3、2』

ビリビリと頭が痺れるのをガロアはずっと感じていた。

未だ慣れない幻覚を伴う頭痛では無く、命を落とす可能性が極めて高い敵と対峙する前に味わう第六感からの警告だった。

 

『1、0』

 

遥か10000m上空からでも視認可能な強烈な光が起こった。

その瞬間に注視していたクレイドル、アサルトセル諸共全てが光の中に溶けて消えていった。

遠くを見れば細い光が地球からまた上がっており、ここからでは流石に見えないがあの光の先でまた企業の罪が浄化されていっているのだろう。

 

『作戦完了だ』

 

「……? あり得ない」

 

『何がだ?』

久々に言葉を発したガロアに少々安堵の混じった声をかけるセレンだが、ガロアの言葉には不穏な響きがある。

 

「あっけなさすぎる……何故だ? これで本当に終わりなのか?」

まだまだこの後に企業に対してやることは山ほどあるはずだが、それでもリンクス集団謀反の最大の目的は達成された。

聞かなくてもこの目で見たのだからそれは分かる。だが何か不気味な気配がする。

それに昨日味わったリアルな死の予感。これで終わるはずがない。

ガロアは恐ろしい敵が近づいていることを予感していた。

 

 

 

 

 

親父が嫌いだった。

親父が母に優しく接していたところなどおよそ見た記憶がない。

年にほんの一、二回帰ってきては金を置いていくだけ。いや、あれは帰ってきているんじゃなかったんだろうな。

俺の母も妻なんかじゃなかったんだ。妾とかそんなところだろう。

じゃあ母は分かっていたのか?金を貰っては頭を下げて、殴られてもにこにこしていて。

金を貰って股を開く。娼婦じゃないか、そんなの。

そんなプライドのかけらもない母も嫌いだった。

クソ親父め。そんなにリンクスってのは偉いのか。金と地位さえあればそれでいいのか。

 

どこから話が漏れたのか、学校でも俺の親父がリンクスだという事がばれていた。

親父の評判はリンクス以前に人として最悪で、元は刑務所にいた囚人だとか手の付けられない悪党でAMS適性があったから出してもらえただけだだとか色々言われた。

俺に言うんじゃねえ。親父が最悪なのは俺も知っている。それでも自分が馬鹿にされたような気分になって、ふざけたことを言ってくる連中を殴り飛ばして踏みつぶし、唾を吐きかけてやった。

そうだ。俺を馬鹿にしているんだ。どうあっても俺の半分は親父から出来ているんだから。

母は学校に来てもひたすら謝っていた。この人はいつもいつも謝っている。

「人に暴力を振るってはいけない」と優しく怒られたが、じゃああんな親父とは縁を切れと言ったらなんにも言ってこなくなった。

 

 

そういえば親父から初めてかけてもらった言葉は「お前なんて名前だっけ」だったな。殴りかかったら逆に顔の形が変わる程殴られた。

母はひたすら親父に謝っていた。親父がいなくなった後に抱きしめられた。どうせ「親父に逆らうな」とか言われるだろうと思ったのに。

その時初めて理解した。プライドを捨てても親父にへいこらしていたのは全部俺の為だったのだ。

この時代に女手一つで子供を育ててまともな服を着せて学校に行かせるのがどれだけ大変なのかが分かった時にはもう遅かった。

何か恩返しらしいことを一つでもする時間もなく、母は病気で亡くなった。俺が16の時だった。

母が病気で入院しても、亡くなっても親父は姿を見せなかった。

病気の原因はあの親父のせいだ。決まっている。アナトリアの傭兵に殺されたらしいが、ざまぁみろだ。

そうじゃなくても俺がいつか殺していた。そのつもりでローゼンタールのリンクス養成所に入ったんだ。

その金もあのクソ親父に母が頭を下げて受け取った金なのだと思うだけで全身の血液が沸騰しそうだったが。

恩のある母の姓は名乗っても親父の姓は死んでも名乗る気は無かった。

 

結局最後の最後まで親父は親父らしいことを一つもしなかったし、母は幸福という物を一つも知らないで死んでいった。

リンクスがどれだけ偉いんだ。ただ運よく適性があっただけじゃないか。それだけであそこまで腐った人格になるのか。

俺を笑った奴も、リンクスも、クソみたいな世界にしている企業も、どいつもこいつも有罪だ。俺がリンクスになったら全員ぶっ殺してやる。

 

金を持っている奴が一番強いんだ。その上でリンクスなら最高だ。どうあっても逆らえない。

オーメルのオッツダルヴァは極めて優れたリンクスで金も唸るほどあるくせに人と関わろうとしない。きっと馬鹿なんだろう。

王小龍は金も力も地位もあるのに、年老いてやることといえば新しい玩具のガキに執心するだけ。あんな年になっても性欲が衰えないとは醜い。

 

リンクスになって数カ月たった日、奇妙な女に街で出会った。

レストランの使い走りのウェイトレスだった。一目見て、「ああ、この女は俺みたいな見た目が好みなんだ」と分かった。

既に金も地位もある程度あった俺はたまにはこういうずべたも悪くはないと思ってナンパしたら見事に引っかかった。

その過剰な自信ってのは持っている金と力から出てくるのだろうか。だとしたらもしかして俺は救えないのかも、とは思ったな。

 

妙なことになったのはそれからだった。度々連絡してくるし世話を焼こうとしてくる。初物だったのがまずかったのか。

「ちょっとした遊び心、気の迷いだっただけだ。お前みたいなブスは好きでもなんでもない。金をやるから失せろ」

そんな酷い言葉をぶつけた時に良心の呵責は少しも無かった。

それでも世話を焼いてきたし、酷い言葉をぶつけるとある日、「あなたの弱さを支えたいから」と言われた。

俺のどこが弱いんだとカッとなってその日初めて殴ってしまった。それでも俺のそばからいなくなろうとしなかった。わざと分かる様に他の女に連絡を取ったりしていたのに。

そんな日々を繰り返しているうちに……子供が出来てしまった。

ふざけんな。まだやることもやりたいことも沢山あるのにどうしてこう、よりにもよって一番強力な縁が出来ちまうんだ。

あれは俺の子供だ。それは分かっていても怖かった。責任と恐怖に挟まれてやることと言えば養育費を払いに時々その女の元を訪れるだけ。

 

そこまできてやっと分かった。

俺は親父と同じことをしている。

俺は親父とそっくりだ。

分かった時にはもう遅かった。

娘はたまに『帰ってくる』俺を見ては怯えている。

せっかく帰ってくる家だってのに。どうしてこうなったんだ。

 

リンクスだからそうなのか、それとも俺だからそうなのか。

でも、どんなリンクスも自分勝手な人殺しばかりじゃないか。

今回の集団謀反にしてもそうだ。余計な混乱を起こしやがって。

仕事は増えてますます家には帰れないし、エネルギープラントを奪ったりするもんだから俺の家の方まで被害が出た。

 

くそ。誰が悪いんだ。聞けば全ての事の発端はあいつだって言うじゃねえか。

最強のリンクスってのはどんな気分なんだ?お前も傲慢野郎か?

どうせしょうもない小物なんだろ。

殺してやるぞ。お前は俺の踏み台がお似合いだ。

 

 

 

 

『敵機接近! ……! 上から!?』

 

「なに……?」

確かにアサルトセルはクレイドルにくぎ付けだったから大気圏まで行くことも出来ただろう。

分からないのはどうして上に行くのかということだった。

無論、射撃が上からの方が有効なのは当然だがそれは地上での事。

障害物が何も無いこの空域で上に回っても労力の方が遥かに大きい。

邪魔しに来るとしたって何故今更?

もう終わってしまったというのに。

 

「うっ!?」

針の穴ぐらいの大きさのネクストが見えた時、胴体を狙った横薙ぎの攻撃が来た。

なんとか避けたが今のはどう見ても斬撃だった。

 

『ランク11、トラセンドだ。! ……なんだ? 見た事もない兵器を積んでいるぞ!』

左腕に取りつけられた甲殻類の殻のような金属には火を噴きながら蠢くいくつものフジツボのようなものが付いており、

その右腕にはアームズフォートでもまずあり得ない口径の大砲のような形状の金属が取り付けられ、そこから放出される熱は空間を歪めている。

目の前に立つ敵も味方も全て焼き払うというドス黒い殺意が形状からも見えている。

 

『ゴボッ……。テメェの首にかけられた1000万コーム……もらい受ける』

明らかに不調を来していることが伺える通信が入る。

一発攻撃をかました後に宣戦布告とはどうしようもなく小物臭いが、それよりもそんな体調で挑んでくるのが馬鹿らしい。

 

「違う。お前じゃない……俺を殺すのは」

自分がこの男に殺されるヴィジョンが浮かばない。確かに積んである兵器は凶悪だが、それだけだ。

自分の首に届くには今までの敵と比べてもこの男では遥かに力不足だと感じていた。

ならば、先ほど予感した恐ろしい敵とはなんなのだろうか。

 

 

 

 

「あ……?」

喋れた事にも驚いたが、それよりも今言われたことがダリオには理解できなかった。

 

『さっさと消えろ。俺と戦えば死ぬのはお前だ』

 

「あぁ?」

それだけ言うとガロア・A・ヴェデットのの機体はこちらに背を向けてしまった。

まるで戦うのにも値しない相手だと言わんばかりに。

どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがる。

 

『お前ではガロアを倒せん。即座にこの場を離れることだ』

相手のオペレータからわざわざ入ってきた通信が引き金となった。

 

「やってみろよッ!!」

機内温度の上昇と共に身体に異常をきたし鼻血が噴き出る。

目は充血し、血管が膨らむ。企業から渡されたこの兵器はアームズフォートだろうとネクストだろうと一撃でバターのように切り裂くがその代償は大きかった。

1秒ごとにAPと命が削られていく。どちらにせよ早く決めないと死ぬのは間違いなかった。

 

「おぉ!!」

敵機がこちらに向かってくるのと同時に巨大なブレードを振ると直線状に光が奔る。だが当然のように回避された。

近づかれたら負ける。情報以上に素早い。降下しながら相手から距離を取りもう一度振る。

また、避けられた。考えてみれば当然だ。いくらこの兵器の射程がとんでもなく長くても、こちらの振る腕が見えていたら見切るのは容易い。

ましてやあいつは近距離戦主体で戦ってきたのだから。

 

(待てよ? あいつなんで……撃ってこない?)

重量オーバーで鈍重になっているトラセンドだ。

ロックオンをしないで撃ってもお釣りが来るほどに当たるはずだ。そもそも相打ち上等のつもりで来たというのに。

 

「なめやがって……!」

それだけ自分の事を脅威と感じていないということなのだろう。

線で空間を切り裂いていくが掠りもしない。

だがそれでも作戦通り、後退しながら巨大なブレードを振りまわしていく。

その強さも、そして動きも予想通りだ。

この男はグレネードやロケットを空中で相手に当てることはまずしない。いや、出来ないと言った方がいいのか。

だから必ずブレードでとどめを刺しに来る。

 

『自殺志願者か? 望み通り殺してやる』

 

(!! 速い!!)

想定通りでは無かったのはその速さだ。アレフ・ゼロの武装から考えられる最大速度を大きく超えており、

反撃も間に合わずジェネレーターが切り取られる。

 

(だが……これでどうだ!!)

エネルギーを生成する装置がなければいかにネクストと言えどまともに動くことは出来ない。無論予備電源はあるがそれで戦うのは例えノーマル相手でも勝てるかどうか怪しい。

だが『作戦』にはそれで十分だった。

ゆっくりと、だが確実にトラセンドに積まれていた兵器に取りつけられたレバーを引いた。

 

薄暗い空に強烈な光がほとばしる。

 

『ぐぁっ!!』

 

「がぁっ!!」

その瞬間、トラセンドの左腕は小規模の核爆発を起こした。

ネクストの装甲ならば核爆発の一つや二つは問題ないし、特にPAで守られているアレフにはほとんどダメージは無かった。

だが現在の高度は14000m、その高度での大気濃度による核爆発はほんの数十mの範囲に置いてだが電磁パルスを発生させた。

通称EMPと呼ばれるそれは、生物の身体にはほとんど害は無いが、機械類の動作を強制的に中断させる致命的な効果があった。

 

『EMP!!? 何故だ!!? クソ!!』

だがEMPが現代の戦場で使われることはほとんど無い。指向性、つまり敵方だけに作用させる方法がないからだ。

さらには核爆発を伴う物がほとんどで人道的にも大いに問題があり、使用出来る場面は極少ない。

それに加え、ネクストをも麻痺させるほどの物は確かにあるが、出力が足りないので発射されるタイプの物は開発されていないし、それほど長い間拘束できずに回復されてしまう。

ネクストのジェネレーターやそれに比する程の出力があればその場でEMPを発生させられるだろうが、戦場で棒立ちになるそれは事実上の自殺に等しい。

その周囲の全てを犠牲にしてでもネクストを数十秒拘束したいという状況でなければまず使用されない。

そもそもネクストはその特性上相手の陣地に飛び込んで暴れまわるのを非常に得意としている。その場面で自分の陣地にいるネクスト相手にEMPを用いるのは悪手でしかない。

 

(くそ……やっぱり倒されるまでがミッションだったのかよ)

上から襲撃しろ、近づいて来たらEMPを使えという奇妙な注文。

出撃するだけで100万コームという破格のミッション。

 

(勝って勝って……最後に負ける運命か……お前も同じだ……それがどういう結果になるのかは分からないが、精々思い知るがいい)

上を向いたまま麻痺しているアレフには見えないだろうが、これからどうなるかは概要を聞いていたダリオには分かりやすかった。受け取った金は全て家族の元に行くようにしてある。

自分がどれだけ自分の血や運命というものに逆らえたのかは分からないが気分は割と清らかなまま、ジェネレーターを失ったトラセンドは大海の真ん中へと墜落していった。

 

 

 

『ガロア! 大丈夫か!? くそ、何が目的だ!?』

 

「大丈夫だ! あともう少しで回復する!! 作戦はどうなった!!」

未だ麻痺は解けていないが不幸中の幸いか、この下は海だ。

いつまでも潜っていれば如何にネクストでもまずいが、地面に叩きつけられるよりはよっぽどいい。

 

『作戦は成……! なんだこれは……クレイドルが! クレイドルが! あいつら…ジジッ…っから…ザザッ』

 

「なんだ!? どうしたんだ! 通信が……、!!」

雲の中に入ったから通信障害が起きたのか、と思った瞬間だった。

突如目の前に黒い機体が雲を掻き分けて出てきたのは。

 

 

 

「なんだ……!? 何が起きている……!?」

全てが突然だった。

この作戦以前から企業の静けさは不気味なほどだった。

一番最初の批判こそ声が大きかったもののその後の作戦はほとんど嫌がらせ以外に何も無く、

今回の最終作戦もガロアの言う通り、本当に終わりなのかと思う程呆気なかった。

そして今次々と入っている通信。

 

『クレイドルが大気圏外まで上昇している』

 

そしていつかリザイアの言っていた『クレイドルを改装している』という言葉の真意。

 

「あいつら……最初から地球を捨てるつもりだったのか……!」

宇宙開発が進まないのは技術の問題では無かった。空気も食料もクレイドル内で生産出来ているのだからむしろあの高度を保ったまま飛び続ける方が余程エネルギーの無駄だったのだ。

クレイドルは最初から宇宙船だったという事だ。ORCAの作戦が企業も黙認しているものだとしたらその可能性も十分あり得たのだ。

そして現在地球にクレイドルを追って大気圏外まで行ける宇宙船は存在していない。止めようにもネクストでは壊す以外の方法は無いし、押し返すことも出来ない。

そもそも今ここで宇宙に行く無辜の民を押し戻そうとすることは感情による行動以外のなんでもない。

つまり自分達は捨てられたのだ。この汚染された地球に。だがそれよりも不気味なのは。

 

「これ……は……ガロア……」

画面にはただ『SIGNAL LOST』とのみ映っている。

トラセンドの不気味な行動、何故アレフだけ襲撃されたのか。

そして画面が消える最後、雲の中で突然映ったあの黒い機体は。

出撃するたびに未確認機が現れるのがこの頃の常だったとはいえ今回は危なすぎる予感がする。

周囲が混乱にどよめくこの場所で、今自分は何を当てにすればいいのか。

いや、今は一分一秒が破滅に繋がる。勘が優れている方だとは思わないが、これは外れていたのなら外れていたでいい。

もしも当たっていたのなら。セレンは鍛えた肉体のみを頼りに真っ直ぐ駆け出した。

 

 

 

神様は人間を救いたいと思っていた。

だから、手を差し伸べた。

 

でもその度に人間の中から邪魔ものが現れた。

神様が作ろうとする秩序を、壊してしまう者…

 

神様は困惑した、

人間は救われることを、望んでいないのかって。

 

でも神様は人間を救ってあげたかった。

だから先に邪魔者を見つけ出して、殺すことにした。

 

そいつは「黒い鳥」って呼ばれたらしいわ。

何もかもを黒く焼き尽くす、死を告げる鳥。

 

 

 

「放せコラ!!」

麻痺からは立ち直ったもののアレフは完璧に拘束され全く見動きが取れていなかった。

雲を掻き分けて現れた四つの大型ブースターに翼の生えたジェット機のような機体はアレフより僅かに大きく、不気味なことに手が生えていた。

ECMが展開されており、通信も全くできない。ネクスト一機を抱えているというのにとんでもない速さで進んでいく。

 

「ぐ、うっ、ごぶっ!? げっ、な……」

PAが突然減少を始めたと思ったら、抗うことなど到底出来ない嘔吐感に襲われ吐瀉物と胃液をぶちまける。

重度コジマ汚染地域にでも入ってしまったのか。次から次へと事が起こり頭がついて行かない。

 

(離れた!!)

眩暈と頭痛、呼吸困難に見動きが取れなくなっている中で、拘束が緩んだのを感じ、アレフを掴んでいる謎の機体をブレードで切り刻む。

 

「手ごたえのねえ奴、だ」

謎の黒い機体には確かに切れ目が出来たが何の反応も無く、ただアレフを手放して飛んでいってしまった。

 

「変態球!?」

だが安心する暇も無く、いつか相手にしたソルディオスオービットが周囲を囲んでいた。

絶不調の身体は無視し回避に専念するが、いくつかの攻撃が装甲を掠めていき肌に焼けるような痛みが走る。

そしてこれは絶対に避けられないというコジマキャノンが発射された。

 

「あ゙あ゙!!」

出来るとも思っていなかったし、その動きをしたのは偶然だった。

コジマキャノンを左腕で払う動きをしたとき、偶然にその位置だけPAと呼んでいいのかすら分からないコジマ粒子の膜が発生しコジマキャノンを弾いた。

見ればPAは消えたが全くの0という訳では無く、0から僅かに増えたりまた0に戻ったりを繰り返している。

アレフの出力のお陰なのだろうか。だがPAよりは遥かに頼りないことは間違いない。

 

「! うっ……! 今のは……! マザーウィルか!? クソがァ!!」

ソルディオスオービットの隙間を縫って飛来してきたネクストを包み込むほどの大きさのある弾丸には見覚えがあった。

その姿は見えないがあのスピリットオブマザーウィルの物だろう。

眼下には大海原が広がっており、砂浜と逆方向から放たれている事が分かった。

海の上に立つマザーウィルが攻撃してきているのか、ここからでは見えない対岸からなのかは分からないが、少なくともマザーウィルのいる方までは辿りつけないだろう。

 

「こいつ……アンサラー……か?」

鯨の鳴き声のような音をする方を見ると砂浜の上に骨組みだけになった巨大な傘のような物が浮かんでいた。

あちこちにミサイル発射口やレーザーキャノン発射口が認められその中心には極悪な緑の光が爛々と輝いている。

コジマ汚染の原因は間違いなくこれのせいだった。更にその周囲には昔カブラカンを破壊した後にわらわらと出てきた自律兵器が数えきれないほど浮かんでおり全てがこちらに銃口を向けている。

ようやく頭が追い付いてきて分かった。こいつらは自分を殺す為だけに集まっているのだ。人類が宇宙に行くため、この地球で壊死しない為の作戦だというのは企業も承知はしていたはず。

だというのに限りある資源とエネルギーを今ここで自分を抹殺するためだけにつぎ込んだというのだ。なんとも愚かではないか。こんな人類の未来などもともとたかが知れていたのかもしれない。

 

「どいつもこいつも雁首揃えて……」

オープン回線にしてこの場にいる全ての者に、つまり敵に聞こえるように叫ぶ。

嘔吐感に押しつぶされて遠のく意識の中で、ガリガリに痩せた餓鬼が自分の身体に集っているようなイメージが浮かぶ。

こいつら俺が怖いんだ。俺に食われるのが怖いから先に食いに来やがったんだ。既にガロアの意識は戦場のどす黒い殺意に飲まれていた。

 

この感覚。森の王もあらゆる敵も葬ってきたこの感覚は内側の獣が、街に住むようになってから出来上がった理性を引き裂いて出てくる感覚だった。

 

「俺を食えんのか!!? テメェらごときが!! 俺を食えると、思ったのか!!?」

自分を殺してその後どうするのだろう。何故自分を殺すのだろう。

まさか他の連中にも同じような戦力が赴いているのだろうか。いや、あり得ない。

見て分かる。残存する対ネクスト戦力のほとんどが集結している。

今は関係のないそんな事ばかりが霞む意識の中で思い返され、かき消すように叫ぶ。

 

「やってみろ!! 蹴散らして!! 踏みつぶして!! ぶっ殺して……今ここにいる奴ら……一人も逃さねぇ……全員食ってやる!! 覚悟しろ!! 生まれてきたことを後悔させてやる!!」

その声は遠く離れた海岸でアレフに照準を合わせるマザーウィルの乗組員にまで届いており、戦場に立つ全員が魂を掴まれるような寒気に襲われた。

ここでガロアを仕留められなければ殺されるのは自分達の方だと一人一人がただ理解した。

 

『うーん……流石に人間離れしているねぇ……やっぱり』

 

「……!」

全身の毛が粟立つと共に唐突に分かった。

この声の持ち主こそが自分が何に代えても倒すべき敵だという事が。

この世界をどういうわけかいつも息苦しい物にしている元凶だという事が。

 

『いや、本当に滑稽だ。企業が何をして、何を考えていたのか本当に分からなかったのかい? ま、君はここで死ぬからどうでもいいんだけど! ぎゃはは!!』

声がやけにノイズが混じったようなざらざらとした感じだったのが耳についた。

その声の持ち主が乗っているであろうそれは赤いカラーリングの細身の機体で、ほとんど骨組みだけのように見え特に胴体部分は背骨しかない。

その背からは身体を丸々覆える程の巨大な赤い翼のような物が生えており金属とは思えない程柔軟に動いている。

コアのあるべき部分には光の球体が輝いており、全長だけで言えばネクストよりも大きいが『どこにも人が乗っていると思える部分がない』。

 

「出るもんが出やがったな……」

最悪の予想はいつも当たる。

いつからかはもう覚えていないが、その時から直感していた通りに真の敵は人間ではなかったのだ。

だが機械と人間を接続して戦う自分達ももう人間としての境を飛び越えてしまっているのかもしれない。

そう思えばそれほど驚くことでは無い。問題は、ここで絶対にこいつを倒さねばならないという事だ。

 

(自分の力が必要だろう?)と心の臓を切り裂いた奥深くにある獣が声をかけてくる。この獣がいたせいで自分だけは今日まで生き残ってしまった。

 

『へぇ。何を知っているんだい』

その異様な見た目からは想像も出来ない軽快な声でからかうように言ってくる。

マザーウィル、アンサラーの乗組員もただただ驚いてた。その機体は今回の作戦に参加すると聞かされていたどの兵器とも合致しておらず敵か味方かも分からない。

 

「お前はセレンの敵だ。それで十分だ。お前を殺す」

だがガロアにとっては簡単だった。この場にいる全てが敵で、全てを倒さなければ生き残れない。

そしてこの相手はセレンの敵だと言い決めつけている事は最早理屈では無かった。頭に声が響くのだ。こいつを殺せ、食ってしまえと。

 

(分かっている。どうせお前も俺の一部なんだろ。食い散らかしてやる)

コジマ汚染による不調が出ているのは明らかなのに気分は高揚し、身体中から気怠さが吹き飛んでいく。

プライマル・アーマーが消滅する寸前、獰猛な意思を反映して砂地に地割れのような模様を浮かべた。

 

『いーじゃん! 面白くなってきたじゃん! どうせ殺す事しか能のない存在の癖にさぁ!!  ……本当は好きじゃないんだ。こういうマジな勝負ってのは…オレのキャラじゃないしね。ま、やるんなら本気でやろうかぁ! そのほうが楽しいだろぉ! ハハハハッ!! なぁJ!!』

 

『……言葉など、既に意味をなさない』

 

「! ……お前は‥…」

『J』とその男が言った瞬間、先ほどアレフを掴んでこの戦場まで連れてきた謎の機体がまた姿を現し、アレフに切り刻まれた部品を次々にパージしながら本体を露出させた。

その姿は色と細部こそ違えど、かつてガロアが命を賭けて破壊したネクスト、ホワイトグリントそのものだった。

 

『この場所では力こそが全てだ』

そしてその声は、昨日聞いたばかりのジョシュア・オブライエンと全く同じものだった。ちりちりと脊髄が焼け付くように痺れる。

 

「強い……、な。まるで見当もつかない程……こんな出会いは二度と……俺は……お前のような奴と」

二人ぼっちで全てを賭けて戦ってみたかった。こいつがなんなのかなんてことはどうでもいい。

だが。計り知れないほどの強敵であるのにも関わらずさらに数の利を頼り、無数の味方を引き連れて自分を潰そうとしてくるそれはまさに暴力。

関係ない。相手が何を持ちだし何を引きつれようとも。それすらも培った全てを使い独りで粉砕すること、それこそが武。

例え己が悪であってもこの世界で最高の純粋な武は自分と共にある。鳥肌寒気立たせながらガロアは血を噴き笑う。

焼け付く意志を外へと形にして出したアレフの周囲に蛇ののたうちまわったような紋様が出来上がった。

 

 

 

困惑する人々が慌てふためきあちらへこちらへと目的無く歩き回る中、セレンが目的を持った目で駆け抜けていくのをアブは見ていた。

ラインアークで一番目立つ人間は?という問いに自信を持って「自分だ」と答えられるがそんな自分すら目に入っていなかったようだ。

 

「んっんー……今回の人類は宇宙に逃げちゃったようね」

喧騒の中で機械に話しかけるアブに周りの人間は気にも留めていない。

そもそもがこの男、年がら年中機械に話しかけているので今更誰も気にしないのだ。

 

「……」

 

「で、後はどうなると『思う?』あー……ウォーキートーキーって名前を付けてもらったのよね? ウォーキートーキー」

 

「ガロア様は生き残りマス。ワタクシは信じておりマス」

その答はアブの問いに対する答としては随分ずれているものだが、アブはその答がいたく気に入った。

最初から気が付いていたがこの機械の中でバグが起きている。機能として付けておきながらもあえて封じていた部分にヒビが入っている。

それはバグ、もしくは故障と呼んでもいいものなのだが、アブには直す気などさらさらなかった。

 

「ふぅん……『信じる』ねぇ。さて、どうなるのかしら……」

既に影も残っていないセレンの走って行った方を見てアブは厚化粧極まった顔を歪めた。

 

 

 

 

人の数だけで言えばガロア一人に対し四万人の兵力が集まるこの戦場は、人類史の中でも最も過酷な戦場だった。

弾丸が暴風雨のように吹き荒れる中で蟻が一匹紛れ込んでいるのに等しいこの状況下で、しかしガロアはまだ生き残っていた。

 

一騎当千、天下無双の頂点へと。

 

「ははっは……あはっは……あーっはははははっはははあああ!!!」

一秒毎に命が削られていき、血が止めどなく流れる。どう避けても機体を弾が掠めていき致命的な砲撃を避けるだけで精一杯だった。

身体の痛みは激しく、汚染により身体中の穴という穴から血が流れ、血管が幾つも破裂している。もうここから生きて帰ることなど出来ないだろう。

だというのにこの痛みが、銃声が、砲撃音が、なんと心を安らがせてくれることか。

この戦場こそが自分の魂の場所だったのだ。

外からの攻撃はアレフを削るが、内側の獰猛さが不調も敵も、自分自身の身体も飲みこんでいく。

 

 

ホワイトグリントのような機体が一斉にミサイルを放つ。

あの分裂ミサイルでは無く最初から多量のミサイルを放っているらしい。

どれも当たれば損傷はもとより、動きが止まってしまいその後集中砲火を受けることは明白だった。

絶対に当たってはならない。

 

「ああああああああ!!」

叫ばなければもう意識が飛んでいきそうだった。見る見るうちにAPが減っていく中で突如頭に「28」という数字が浮かんできた。

考える前にマシンガンを構えて引き金を引く。ガガガガと心地よい振動が腕にまで響き互いに音速を遥かに超えている弾丸とミサイルは無数の自律兵器を縫うように抜けて奇跡のような邂逅を果たした。

それは一昔前までの必然だった。

 

「眼が……戻っている!!」

自律兵器の数もソルディオスの数も、アンサラーに取りつけられた砲門の数も、次々と迫りくるミサイルの数も軌道も何もかもが自然に流れ込んでくる。

「もしかするとこれはコジマ汚染と何か関係があるのかもしれない」と頭を掠めたが今はどうでもいいことだ。偶然でも奇跡でもこの力を使って全てを叩き潰す。

泣いたつもりはないが眼の周りが濡れている。鼻からも出ているのだ、眼からも血が出ているのだろう。

出血量から考えてももう10分ももたない。

 

翼の生えた機体が細いレーザーを辺り一面にまき散らし、自律兵器はおろかソルディオスまでも撃墜しながら迫ってくる。

だが一つ一つが規則的に動きながら近づいてくるそれを無傷で回避するのは難しく無かった。

 

「くあっ!!」

避けた瞬間に、自分と同様にレーザーを掻い潜ってきた黒いホワイトグリントがブレードで攻撃してくる。

光波まで出る斬撃を全て避けることは出来たがネクストを上回る出力で叩き込まれた体当たりに吹き飛ばされる。

ラグビーボールのように空中で回転しながらガロアはこの敵がホワイトグリントよりも技術的にも機体的にも優れていることを悟った。

 

『面白かったけどここまでか? んん?』

その挑発に耳を傾けている暇はなかった。回転から体勢を立て直す前にソルディオスオービットがチャージを終えているのを目に捉えた。

 

「らあ゙っ!!!」

コジマキャノンを手で払うとバヂン、とネクストの中にいなければ鼓膜が弾け飛んでしまいそうな音を出しながらかき消えた。

 

(見たぞ!!)

今度は見えた。左手でPAとも呼べないようなコジマ粒子を展開したとき、わずかにコジマキャノンが逸れながら消えていったのを。

だが目を僅かに逸らした瞬間に凄まじい速度で戻ってきた黒いホワイトグリントが肩にかかと落としを叩き込んでくる。

 

「ゲハッ……」

べきべきと鎖骨が砕ける音が身体の内側から響き、地面に叩きつけられる。

 

(俺以外にこんな動きをする奴が……。……!!)

吐きだした血の味を認識する暇も無く、膝蹴りが飛んでくる。

 

「カッ!!」

その動きの全てを見切り、肘をコアにぶち込むと同時に肘部のブレードを起動する。

 

「!?」

それは先ほどからいる赤い翼の生えた機体でもホワイトグリントもどきでもなく、いつからか腐れ縁の出来てしまったような謎のノーマルだった。

目を周りに向けると次々と頑丈そうなヘリが未確認のノーマルを運んでは降下させている。

 

(動くのか!)

コアにブレードが刺さっているというのにまだ動こうとしてる。

確かに、人が操縦していないというのならばコアが貫かれようと無意味だろう。

反射的にマシンガンを砂地に突き刺して空いた右手でノーマルの頭を掴む。

 

「踊るがいい!!」

そのまま頭を握り潰したまま持ち上げてオーバードブーストを起動し、次々と迫ってくるノーマル達を大槌で砕くかのように持ち上げたノーマルをぶつけて破壊していく。

 

「うらあッ!!」

散々ぶつけられて全く動かなくなったノーマルを空に向かって投げるとアンサラーからのレーザーに直撃して砕け散った。

 

「俺を!! 殺すなら!! もっと来い!!」

ただの金属の塊のジャンクになったノーマル達を次から次へと空を飛ぶ二機に向かってぶん投げていく。

最後の一投はマザーウィルからの砲撃に直撃し空中で爆散した。

 

 

 

 

アンサラーの乗組員も世界中の基地、およびラインアーク関係者同様に混乱していた。

混乱の理由は違ったが原因は同じだった。突如現れアレフと交戦している二体の未確認機と次いで出現するノーマル達。

本部に照会を求めても回答が返ってこない。未確認の機体だ、と返ってくるのではなく、一切の通信が返ってこないのだ。

だが、だからといって攻撃をやめればアレフに殺される。もしや帰る場所が襲撃されてしまったのだろうか、もしや、もしやと憶測が憶測を呼び通常の半分の戦力も出せていなかった。

 

 

 

翼の機体が凶悪なキャノンを連射してくる。何故エネルギーが切れないのかと考えるのは無駄なことなのだろう。

必死に、しかし確実に避けながら一機のオービットに接近する。円運動の中心はアンサラーだった。

どう見てもアンサラーに収容される場所など無いのに、こいつらも進化しているという事か。

だが進化しても動きが一定では大した意味は無い。マザーウィルからの砲撃を避けながら、ブレードを根元まで突き刺す。

 

「でああああ!!」

そのままアンサラーの翼に叩きつける時、別のオービットがチャージを終えながらもまだ発射していないのが見えた。

いつ発射するかは分かりやすかった。アンサラーの翼から飛びあがると同時にロケットとグレネードの最大火力を叩き込み一枚の翼をバラバラにすると付きまとっていたいくつかの自律兵器が巻き込まれて爆発した。

黒いホワイトグリントからの執拗なライフルの射撃の回避はせずに腕で受け止める。右手の小指部分が吹き飛んだ時、尋常では無いリアルな痛みが走ったが無視しその瞬間に備える。

 

(来た!!)

達人の戦いでのみ起こる時間が何百分の一にも圧縮されたかのような感覚。

実に久々のそれを感じてガロアは自分がどれだけ過酷な戦場から遠ざかっていたかを痛感しながら、ソルディオスのコジマキャノンを弾くのではなく滑る様にして逸らした。

そのキャノンが向かう先にはガロアの死角から今まさにレーザーキャノンを放とうとしていた翼の機体がいた。

 

「ここで死ね!!」

コジマキャノンが細身の機体に直撃し空中で僅かに停止している隙に迫り機体中に仕込んだブレードを起動する。

その瞬間、確かにガロアは聞いた。

 

『大きすぎる……修正が必要だ……J』

 

(なんだと)

50cm間隔で切り刻んだ機体は間をおかずに爆散し後には何も残らなかった。

最後の言葉に耳に空気が詰まった程度の僅かな違和感を感じながらも黒いホワイトグリントに向き直り叫ぶ。

 

「あとはお前だけだ」

他にもまだ残っているというのに、その言葉を投げかけられた黒いホワイトグリントは笑ったように見えた。

 

(笑うかよ……クソ野郎……、……、見せてやるぜ、武の極み)

 

武と暴力、その二つがガロアの中にはある。

暴力とは己が力に自惚れ弱きを虐げ、弄び殺すこと。

武とは、力でありながらそんな暴力に真っ向して立ち向かうこと。

 

一人に対し圧倒的な数で叩き潰す、暴力の極み。

敵が何千何万いようが立ち向かう、武の極み。

ガロアはその頂点を命に賭けて暴力蔓延るこの世界に示そうとしていた。

 

 

 

 

 

その頃、カラード管轄街で、カミソリジョニーという名で活躍しているリンクスは混乱する人々の中をぼんやりと眺めながらネクスト、ダブルエッジの頭の上で電話を受けていた。

 

「いや……こっちも似たようなもんだな。オイラの知る限りでは重要人物は全員何らかの要件で今日までにクレイドルに上がっているぜ」

 

『じゃあやっぱり?』

 

「捨てたんだと思うぜ。人類が一致団結すりゃあ汚染が完璧に進む前に残った奴らも宇宙に逃げられると思うが……無理っしょ?」

 

『そうねぇ。もう始まっちゃったみたいね。あーあ……』

 

「ずいぶん気に入っていたみたいだけどよ、お前さん」

 

『そうなのよう! アレフの設計図を提出したらなんて言ったと思う? この程度なら問題なく殺せるから構わないって! あたしの技術をバカにしてるっての!?』

 

「いや、それによ。アレフ・ゼロに乗っているから強いのかも、って言ったのお前さんだろ? オイラもホワイトグリントとの戦いは見てたぜ? どう見ても不自然な力を出していたしな」

 

『実際そこなのよね。彼とアレフ・ゼロの間には何かしらの繋がりがあった。その不確定要素は断ち切る必要があった……んだけどねぇ』

 

「残念そうだな?」

 

『ちょっとねぇ。もうちょっとその奇跡じみた強さを見てたかったわ』

 

「今回はキツいぜ。コジマの海に沈めるんだ。腕がどーだかなんて関係ねーっ。奴さんは逃げないしな。そこで逃げるような奴ならそもそもイレギュラー認定なんかされない」

 

『ああん、もう。お気に入りのコだったのに』

 

「分かってんだろ、……オイラたちの心臓は」

 

『分かっているわ。しっかし、コジマ粒子なんて恐ろしい物をよくもね……人間の愚かさには底がないわぁ』

 

「その点は全く同意だな。しかし、ここで生き残るからイレギュラーなのか、イレギュラーだからここで殺されるのか……」

 

『永遠の課題ね。どちらにせよ忙しくなるわぁ』

 

「オイラはこのネクストってやつ、結構かっちょよくて好きだったんだがなぁ……」

電話を切ったカミソリジョニーは戦場にはほとんど出たためしがないダブルエッジのヘッドを撫でてから寝ころんだ。

 

 

 

翼を持つ黒衣の機械が舞いながら互いに全てを削りあっていく。

周りを舞う自律兵器は決着のつかない殺し合いにヤジを飛ばすように弾を吐く。

アレフのAPは残り4桁となった。既にコジマ汚染は生身の人間なら10秒で死ぬほどの濃度になっており、ガロアの命も残り少ない。

 

「があああああ!! ああっ!!!」

お互いに決定打が決まらない。先ほどまではもう一機の邪魔もあり、度々ピンチに陥ったが今は拮抗しており、

マシンガンとライフル以外にお互いにヒットしない。だがそれでもこのまま行けば負けるのはガロアだった。

 

(やはり……人間じゃないか……)

この重汚染区域と化したエリアでなお相手の黒いホワイトグリントはPAを展開している。

普通の人間が乗っているのならば死んでいるだろう。このPAの上からいくらマシンガンを当てても大したダメージにはならないだろう。

 

「おおっ!!」

向こうも同じことを思っていたのか、こちらと同じようにブレードを起動しながら接近してきた。

あの『中身』が人間では無いのだとしたらその考えを上回らなければ永遠に勝ちの目は現れない。

 

(死んでもいい!! 生き残ろうなんて思ってねえ!! だから! だからこいつを!! 目の前の敵を!!!)

このまま行けばゼロコンマ数秒後に敵機と激突するというところで、ガロアは命を差し出して初めて得られる直感に従い左方向にクイックブーストを吹かした。

ほんの一秒前までアレフがいた場所にマザーウィルの砲撃が刺さり人が数十人は入れそうな大穴が空いた。

すぐに激突と衝撃が同時に訪れる。隣で何も考えずに浮かんでいたソルディオスオービットにぶつかったのだ。

だが、起動してた左腕のブレードが深々と突き刺さっており、ガロアは考える前にそれを持ったまま空を飛んだ。

 

アンサラーの中心に緑の光が集まっていくのが見えた。そうだった。アンサラーはアサルトアーマーを使うと言っていた。

そう考えながらガロアは大きく振りかぶって既にただの巨大な金属の球となったソルディオスを投げつけた。

ガッシャァン、と轟音が響く。

 

(よし!!)

通常ではあり得ない質量の物体が中心部に直撃し、アンサラーはコジマ粒子の収縮を中断させられた。

一気にアンサラーへと向かうアレフを黒いホワイトグリントが追う。

 

「おおおおああああああ!!」

全身のブレードを起動し回転しながら巨大な弾丸と化したアレフがソルディオスの埋まった中心部にめり込んだ。

内部、という程広い内部では無かったが思考をやめメチャクチャにブレードで切り刻んでいく。

最後の断末魔をあげたアンサラーは裂けるチーズのように縦方向に分断されて崩れ落ちた。

 

『J』は予想されていなかった行動の連続にアレフの姿を見失っていた。

だが、黒いホワイトグリントのカメラ機能は既存のどのヘッドよりも優れており例えアレフが最高速度で動いても捉えられる。

『中身』の反応速度は関係ない。だがその時、崩れゆくアンサラーの残骸の中で明らかに反応速度を超える何かが動いた。

 

 

「ガラクタがァ!!」

崩れ落ち、残骸になったとはいえ、それでも一つ一つがアレフの総重量よりも遥かに重い。

アレフはオーバードブーストで最高速度を出しながら更に残骸を空中で踏み台にして三次元的にマッハ2を超える速度で動いていた。

黒いホワイトグリントがライフルを放った場所には既に自分はいなかった。そしてその隙を見逃さずに全力で足場を蹴ると太腿から多量の血が噴き出る。

身体中から飛び出たブレードが敵機の装甲を突き破り内部に入っていくのがよく見えた。

 

「俺が王だ!! てめぇは下だ!!」

分厚いPAと、普段ならばあり得ない速度のせいでいまいち上手くヒットしなかったがそれでも既存のどんなネクストでも一発で機能停止に追い込むくらいの威力はあったはずだ。

バラバラに出来なかったのは気に食わないが、今から野菜みたいに千切りにしてやればいい。

ふと右手に目をやると小指が変な方向に曲がっていることに気が付いた。

未だ残るソルディオスオービットと自律兵器の攻撃を避けながら小指を元の形に戻すと転げ回りたくなるような激痛が走った。

同時にPAが回復していく。

 

『ジェネレータ出力再上昇』

 

「あ……?」

倒したはずだろ、という言葉は出なかった。

機体の表面に幾つもの焦げ跡の線を残しながらもまだ動いており、肩部から生えた幾つもの触手が重力に逆らい蠢いている。

真っ黒だった機体の表面の部分部分が太陽のように輝きはじめ周囲のアンサラーの残骸が溶けだした。

そして、PAがみるみるうちに減っていく。

 

『オペレーション、パターン2』

 

「てめぇ……」

充血した眼と呼応するようにガロアの額の血管が弾けた。

 

『この程度……想定の範囲内だ』

 

「……、かはっ……」

既にアレフのAPは残り1000を切っていた。

息を吐くのと同時に粘ついたどす黒い血が口から出てきてしまった。

 

僅かな時間にこれから生きる数十年という時間を使う、灼熱の刻。

終わりが近づいてきたようだ。

 

「まぁ、ごぼっ……色々言いたいことも……聞きたいこともあるんだけどよ……」

 

『……』

 

「その、形をした奴にゃあ……負けてやる訳にはいかねえな……」

 

『……見せてみろ、貴様の力』

目に見える程の濃度となったコジマ粒子を巻き散らしながら敵は浮かびあがる。既に自分も敵機も満身創痍。だがそれでも交差する光を背から出して、ここで命を終わらせるとばかりに向かってきた。

 

人間としての限界がすぐそこにある。

少しでも気を抜けばそのまま意識がどこかに飛んでいきそうなほどに身体を覆う気怠さを右拳で思いきり地面を叩いて消し飛ばし、奮い立たせる。

生物がまともに聞けばそれだけで鼓膜が破れるような轟音を出しながら砂浜に大穴を穿ち、そして中のガロアの手の骨にひびが入った。

 

世界最高の戦いがここにはある。

ここで退いたら自分は一体なんだというのだ。

 

誰もが自分の中に自分では押せないスイッチがある。

心の中にいたずらに入りこんでくる者だけが押せるスイッチだ。

その先にある者こそが本当の自分なのだろう。

それをずっとずっと大事に隠したままの人生など――

 

「本気にさせたな」

ボロボロの機体を再び大地に立たせてガロアは敵機に向かった。

 

 

心の中の凶暴性の権化は敵をほとんど喰らい尽くし、ガロアの身体もほとんど残っていなかった。

ガロアの命ももう残り少ない。

 

 

 

 

 

 

ガロアが今まで勝ち抜いてきた自分の直感を信じて行動しているのと同じように、

ガロアの命が散ろうとしている戦場から数十km離れた地点で一心不乱にある方向へ向かって飛ぶ機体があった。

 

『オッツダルヴァ! 何をしている! 戻ってこい!!』

メルツェルがこの不測の事態にリーダーとしての自分を呼ぶ通信が入る。

 

「弟よ……今度こそは!!」

その勘は正しかった。

目にも留まらぬ速度でアンサングは東へと飛ぶ。

血の繋がっていない親とはるか昔に交わした言葉を守るために。

 

 

 

 

 

 

 

ああ、溶けていく。俺という存在が。もう本当に終わりみたいだ。

戦場に数多眠る死者の砂に、煙になっていく。

還っていく。俺が俺になる前の物に戻っていく。

溶け爛れて全てが乾き、時間が何もかもを連れ去っていく。

例えどこで誰が負けて、何が壊れようとも。

どこかで誰かが幸せになって、どこの誰かが不幸の底で噎せ返っても。全てはいつか流転する。

だが、それでも。

 

 

 

スラッグ弾がアレフのヘッドに当たり、その装甲を剥がした。

 

「ぐふっ……」

それだけのはずなのにそのダメージは中のガロアにまで響き、鼻の骨が曲がり眼窩底を骨折した。

 

最早動く気力もない。ブーストからは屁のような空気が漏れるだけで浮かぶことは出来ない。穴があるわけでも無いところからも血が滴り、魂はボロボロの身体にしがみ付いている状態だ。

 

それでも、最後の命の輝きと言わんばかりにガロアの眼が血を噴き出しながら見開き――そしてガロアの感じる時間が消え失せた。

 

黒いホワイトグリントから放たれる弾丸、無数の自律兵器から向かってくるスラッグ弾が全て止まって見えた。

その弾丸の一つ一つに彫ってある刻印ですらも見え、意識したときには全てが数え終わっていた。

避ける術はない、全方位からの攻撃。何よりも、ガロア自身もう動くイメージが出来なかった。

 

(……人間の歴史は……………)

 

ギン、と音を立ててスラッグ弾の中の一つが空中で弾けた。

それを皮切りにアレフに向かう弾丸全てがギギギギギギギギギンと無数の剣戟のような音を立てながら全てが融解しかき消された。

 

(辿りつけるかな……?)

 

アレフを中心に鋼鉄の壁よりも頑強なPAが展開された。気力で蘇ったなんて生半可な物では無い。

生きて帰ることは出来ない――ではなく。

 

ガロアはこの瞬間、命を捨てた。

 

(ふふ、ふ……よくぞ……ここまで……機械が………)

 

ネクストの絶対条件として絶対に内部にコジマ粒子を通してはならないという物があった。

この世界のあらゆる金属・物質を貫通するコジマを使いながらその条件は、ほとんど矛盾のようだった。

多くの研究者と技術者がその矛盾のギリギリのラインに擦り合わせて作ったのがネクストのコアだ。

それでも中には本当に僅かずつだがコジマは入ってきてリンクスを蝕んでいくし、濃度の高い場所ではますます防ぎきることは出来ない。

 

ガロアは命を捨てたのだ。セレンのそばにいるという未来すらも完全に。

 

 

(負けて生く……だ……と……)

徹底的に打ち負かしたはずのマグナスは愛する妻との間に子をもうけ、明日もこの世で最も愛する場所を守るために戦うのだろう。

 

「俺は勝って地獄に逝く」

この身はセレンの未来を守るためのモノだけでいい、と。

ギザギザと歪んだ心の底から本気でそう思えた。

 

「ゔ」

アレフの周囲で異常な濃度で展開されたコジマ粒子はコアの内部に一気に入りこんでガロアのボロボロの身体を食い荒らして、身体のありとあらゆる部位から血が吹きだした。

 

「おあああああああああぁあああああ!!」

 

咆哮と共に放たれた最後のアサルトアーマーは手では触れることの出来ないがそれでもこの世で最も固い物質の津波のようにアレフを中心に周囲に広がっていき、

自律兵器を霧にしてマザーウィルの巨大な弾丸すらも弾き返した。

 

 

 

 

『あ゙ぁ゙ッッ!!!』

魂の叫びが戦場にこだまし、周囲の砂と自律兵器を吹き飛ばしながらこちらへ向かってきた。世界の理そのものである無限の記号をその背に負って。

 

自律兵器のスラッグもこちらのライフルも全てをその身に受けながら最短距離で向かってくる。

人間では無い『J』は既に反撃までの最適解を叩きだしていた。

直線距離で向かってきた場合、こちらが今から逃げても加速度の問題で追い付かれる。ブースターも先ほどの斬撃で幾つか破損してしまっており、飛び上がることは出来ない。

だがその時にアレフに残っているエネルギー残量は僅か。そしてブレード一振りがぎりぎりであり、その場合一番広い攻撃範囲を持つ左腕のブレードを振るはず。

今までの戦いのパターンからも間違いないし、本人が気づいているのかは不明だがそういう嗜好があった。

『J』は今までの全てのガロアの戦いを知っていた。いや、ガロアがリンクスになる前、まだガロアがこのスタイルを選び出す前のシミュレーションマシーンでの戦いも全て知っている。

『J』はセレンよりもガロアの戦いの全てを知っていた。

 

『ごおおおおおおあああああ!!』

まさしく華々しく散る直前のような声をあげながら左手のブレード以外の全ての武装をブレードで無理やり切り離して捨てた。

だがそれも想定済み。ロケットもグレネードも元々残弾0だったのだ。それでもエネルギーの残量はそう変わらない。

ブレードの有効射程距離に入った瞬間に左方向にクイックブーストをすることで完全に攻撃手段を潰せる。

後は勝手に自滅するだろう。もちろんとどめは刺すつもりだが。

 

一瞬の思考の間にアレフがとうとう有効射程距離に入ってきた。『J』は既に攻撃をやめている。

ここで攻撃してしなくてももう停止するからだ。そして『J』が左方向へと急激に加速したとき、

 

 

 

 

アレフもそれに合わせるようにして左方向へクイックブーストを吹かしていた。

マシンガンを手放したその右手は固く握られていた。

 

 

 

 

 

(バカが)

 

(俺は右利きだ)

相手が人間では無い――機械ならば。

今までの自分の全ての戦いを知っているのかもしれない。それは予測出来ていた。

ネクストもシミュレーションマシンも機械なのだから、盗み見られていたかもと考えるのは当然の事だった。

ならばそれを超えるにはどうすればいいのか。それが難題だった。実際あらゆる動きを見透かされたように動き、あの斬撃とマシンガン以外はまともに当たりすらしなかった。

ガロアの戦闘経験の中でこれほどまで完璧に攻撃が回避されたことは無い。

つまり、自分にとって合理的でない、かつ効果的な攻撃をしなければならない。

そう考えた時、思い浮かんだのは何故か左腕にブレードを取りつけていたことだった。

 

(なんでだっけか)

初めて人を殺した時も、バックを殺した時も、あの時もあの時も。

左手で命を奪っていた。何かを意図したわけでは無い。

右利きなんだから右にブレードを付ければいいのに、とセレンに言われたときも、何故か変えなかった。

思い返せば今まで負けなしの戦闘の中でこれだけが理に適っていなかった。

全てが偶然。だがもし運命という物があるのならば。

この瞬間の為だったのかもしれない。

 

(……あ…………)

APは残り1だった。一秒にいくつ減っていたかは思いだせないが、もう一秒も無いのは確かだ。

本当に死ぬ。その瞬間の走馬灯。

戦ってばかりの血にまみれた人生の中のほんの一握りの温かい思い出。

利き腕を父に預けて森を歩いた日々。

隣に横たわるセレンと右手の指の一つ一つまで絡めて眠った夜。

利き腕だからこそ大切な人に預けておきたかったとか、この手だけは綺麗なままでいたかったとか、多分理由を取りつければそうなるんだろう。

だがやはり深い考えはない。

 

(やけに色々考えられるな)

目の前の黒いホワイトグリントはクイックブーストの反動であとほんのわずかの間は見動きが取れないはず。

対して自分は右拳を握りしめて、地面を力強く踏みしめている。

 

(そっか。限界か)

柔らかい砂地にも関わらず埋まった足を中心にして巨大なクレーターが出来上がる。衝撃が足から背を伝わって駆けあがり、全てのスタビライザーが吹き飛んだ。

 

「く だ、けち れ」

消えゆく命はもうまともに言葉を口にすることも許してくれなかった。

血を吐きながらも歯を食いしばる。

 

暴力を打ち砕く矛と化した右手が汚染の中心の敵機に突き刺さり鈍い音が響き渡った。

 

ガロアがこれから生きるはずだった全ての命をつぎ込んだ渾身の右ストレートは周囲の砂をはるか上空まで巻き上げる衝撃とともに黒いホワイトグリントのコアに直撃し、粉々に打ち砕いた。

もちろんPAもないアレフの右腕も無事で済むはずがなく、同時に骨組みごとバラバラになって肩部から先が花火のように飛び散っていった。

 

その攻撃がなくてももう限界だったのは間違いない。強制的にリンクが解除され身体中を蝕む激痛の中でも特に酷い右手に目をやった。

 

「ふふふ……何だコレ……」

指先からは肉が消滅し、バキバキになった骨がよく見える。

それどころか手首の部分は皮一枚しか残っておらず、骨も消し飛び右手はもうぶら下がっているだけで指も手の平も全く動かない。

頑丈なはずのパイロットスーツのあちこちから骨が飛び出ており、特に肘と肩からは軟骨のついた部分が生々しく飛び出しながら夥しい量の出血をしている。

 

(ぐちゃぐちゃだ……もう戻らねぇな……)

 

(そりゃそうだ……何一つ戻ることなんてねえ)

 

(壊れて生まれてまた壊れる)

 

(それが世界だからな)

 

(俺の番だ。それだけだ)

充血していたガロアの眼の渦は溶ける様に消えて、黒い瞳孔までもが灰色に侵食され何も見えなくなった。壊れた蛇口のように両耳から血がどろどろと流れていく。

 

(どっちでもいいさ)

 

(戻るだけだ。世界に)

ガロアが初めて殺した男の妻は道中強盗に襲われ三日三晩眠らされずに犯された後にずたずたにされて殺された。

兄は家族を守ろうとしたがその心虚しく撃ち殺され妹は今も娼館で食い物にされている。

それが現実の事かガロアの頭が作りだした幻かは分からない。

ただ、救いがないとすればガロアの心だ。

いつからか始まった戦争はガロアの心までも戦場へと変え今でも救われない。

終わらない戦争は何よりもガロアの心を蝕み、人生を修羅の道へと変えさせた。

 

『この世界は残酷だから仕方がないんだ』

その言葉だけをよすがに罪を感じる心を凍りつかせ、幼く弱い子供でありながら、生きる為に殺して奪いを繰り返し――ガロアは獣へと堕ちた。

 

(俺は死ぬべきなんだ)

数多の人間を地獄に落として自分は何を救ったのだろうか。

 

自分に最強と孤独を与えていた獣が心臓を取り出して齧りつくような幻覚が見える。そして手首がぼとりと音を立てて落ちた。

ガクガクと薬物中毒の末期患者のように身体が震え、魂が出て行こうとしている。

 

(ごめんセレン…………もう……手をつなげないな……)

 

(でも……これでもう終わったから………君は絶対に、ぜったいにしあわせになれ)

『敵』をバラバラにしたのはもう見えないこの目で見た。

だからもういい。終わりにしよう。

 

「テメェの……かちだ……クソやろう……のこさず食えよ? コラ……」

最後の瞬間というのは恐ろしくも優しく包み込む汚泥のようだった。

自分を作りあげてきた記憶、経験、残像のような全てがパズルのピースがバラバラになる様に抜け落ちて、言葉さえもまともに考えられず死の感覚を感じる自分というものさえも消えていく。大切な記憶とともに。

 

アレフの複眼から光が落ちると、バランスを崩して仰向けに倒れた。

 

 

(………………セレン……きみはしあわせに…………)

 

 

そして、倒れたアレフに自律兵器が殺到した。




残り十話です。


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Pull the blackout curtains down

明らかにアレフが倒れた後に放たれたマザーウィルの主砲には「停止したネクストへの攻撃は禁止」というルールを守ろうという意思も無くただ黒い殺意しか見えない。

 

「ガロアアァァァーッッ!!」

自機を追い抜きアレフに直撃した主砲を見てセレンはシリエジオの中で叫んだ。

自分の負けを認める言葉をガロアが戦場の中心で言ったのを確かにセレンは聞いた。

それが何を意味するのかは考えたくない。

アレフに向けてコジマキャノンをチャージするソルディオスに銃を突き刺し、自律兵器を踏みつぶしながら全速力で進む。

もう彼我の距離は数kmも無いのに宇宙の果てのように遠く感じる。

アレフにまとわりつきスラッグガンを狂ったように撃つ自律兵器は死体にたかる蠅のようだ。

 

「うあああああああああ!!」

ようやく辿りついたセレンは、腕が捥げヘッドが吹き飛びあちこちに大穴が空いたアレフを見て一瞬息を止める。

生身ならもう5秒で死ぬようなコジマ汚染の中で、ほんのすこしでもコアに穴が空いていたらもうお終いだ。

 

「ガロア! 今助けるから!! おい!!」

返事は返ってこない。その言葉はむしろ自分に向けての物だった。

 

「ひっ……」

残った左腕を掴んだ時、この世で最も頑丈な機械の一つに数えられるはずのネクストだというのに肩部があめ細工のようにどろりと溶けて再び地面に崩れ落ちた。

頭を掻きむしりたくなるような焦燥感を抑えながらそのボディを抱えた時、アレフに向けてソルディオスオービットがコジマキャノンを発射した。

 

「あ゙ぐっ!!」

一撃でAPが三分の一も持っていかれた。

そして今も自律兵器が弾の節約など一切考えずにスラッグガンを撃ってきている。

 

(…………ダメだ……)

ここまで来るのは難しいことでは無かった。

だが、全ての照準がアレフに向けられている中でネクスト一機を抱えてここから無事に脱出する方法が思い浮かばないし、

ここで応戦しても意味がない。必死にシリエジオに乗ってここまで来たというのにもう手詰まりだった。二つのソルディオスのチャージが終わった。

 

二人で死ねるなら。

そんな絶望にまみれた考えに頭が支配されてしまった時。

 

「っ……!」

片方はレーザーキャノンに貫かれ、もう片方は突如飛来したネクストに踏みつぶされた。

逆関節のダークレッドのそのネクストはこちらに一瞥をくれると叫んだ。

 

『くっ……早く連れて行け!! 早く!!』

 

「オッツダルヴァ!?……すまん!!」

そう言う間にもアンサングはアレフに狙いを付けるソルディオスを次々と撃破していく。

だが問題はある。射程数100kmに及ぶマザーウィルがこちらに狙いをつけているという事だ。

それに自律兵器もまだ数えるのも嫌になる程残っている。

 

『早く行ってください! マザーウィルは引き受けます!』

 

『信じられん……これは……』

 

『急げ! 手遅れになるぞ!』

アンサングに負けず劣らずのスピードで飛び回り自律兵器を切り裂いていくレイテルパラッシュも、

レーダーが潰され今どこにいるかは分からないが、声の持ち主のローディーとリリウムもここに来るまでに要領を得ない説明でセレンが必死に支援要請をしていた者達だった。

 

「頼んだ!」

全ての武装をパージし、絶対に落とさないようにかつ丁寧にアレフを抱えながらシリエジオはオーバードブーストを用い全力で戦場から離脱した。

 

 

その光景を見ながらローディーは呆けたように突っ立っていた。

 

(いくら戦争とは言え……これがたった一人の子供を殺す為に……?)

アンサングとレイテルパラッシュがシリエジオを追う兵器を次々と処理していくが、それが全てあのガロアを殺す為に集まったというのか。

いや、それどころか砂浜にはもう地面が見えない程の金属が散りばめられており、その一つ一つが元は殺人兵器だったことが伺える。

その中にはアンサラーと思われるAFの残骸まであり、それだけ暴れまわったとしたのならばこの戦力は決して過剰では無いのかもしれない。

 

(だが……それでも狂気だ……)

いくら強力な戦力とはいえたった一人の子供をこれだけの戦力で殺しに来るという事実に吐き気がする。

リンクスは企業失くしてあり得ない、とは思っていたがそれでもそんな企業に尻尾を振っていた過去を恥じ入る。

 

『ローディー様、マザーウィルを止めます!』

 

「……! ああ」

王がいなければ何も出来なかったあの少女がよくぞここまで成長したものだ。

そしてその成長を促したのも、この少女が好いていたのもあの少年に違いないのに、こんな場面に瀕してもなお自分のすべきことをはっきりと主張している。

 

(子供が凄惨な現実を見ても泣くことすら許されない世界か……私は立ち止まっている場合では無い)

砲撃が来る方へと飛ぶアンビエントに遅れぬようにフィードバックも戦闘モードを起動し飛んだ。

 

 

 

すっかり食道のおば……もといお姉さんと化していたリザイアも同様に困惑していた。

人類が宇宙に逃げた。自分達は置き去りにされた。それらは全て戦線離脱していたリザイアの知らないことだった。

だがそれも当然のこと。地上に残った企業の私兵、リンクスには何一つ知らされていなかったのだ。全てを切り捨てられたのだ。

そして宇宙に逃げた人類はコジマの関わる技術の一切を持ちこんでいない。もちろんリンクスもネクストも。同じ轍を踏まないようにということなのだろうが、

彼らは過去を清算するのではなく無かったことにした。それが正しいことなのかそうでないのかは誰にも分からない。

 

そんな中でリザイアは耳に入ってきた『ガロアが帰ってきた』という言葉に小走りで発着場に駆け出した。

恋ではなかった。だが、家系と嘘に縛られ続ける彼女にとって、そんなしがらみは一切なく自分に正直に戦い続けるガロアはリザイアにとってカラードにいる誰よりも眩しく、

汚れている自分の対極にいる存在のように思えたのだ。

 

「え……?」

昔、まだ彼女が幼い子供だった頃にトマトをぶつけあう祭を見たことがある。

タンカの上に乗せられたガロアはそれと同じくらい真っ赤に染まり、傍でオペレータの女が何やら叫んでいる。

肩から飛び出しているあれは……骨?上に乗せられているあれは手?腕はあそこにあるのに?

もしそうだとしたら痛いでは済まないだろうにピクリとも動いていない。

自分と違い何にも縛られないガロアに本当に少しだけ憧れを抱いていた。

自分より10以上も年が下の子供に馬鹿馬鹿しいとも思ったがそれでも。

 

あれが何もかもを剥きだしにして戦った先にあるものなのだとしたら。

 

「……」

人は嘘を着て安全を買う。

恐怖を知るからこそだ。

リザイアは今日初めて、恐怖を知った。

 

「あんなに強い人が……私は……運が良かっただけなのね……」

だが、そんなガロアでも戦いの輪廻と死の運命からは逃れられなかったようだ。

自分が唯一あらゆる皮を脱ぎ捨てて自分でいられる戦い。

いつから人殺しを神聖な行為に昇華させていたのだろうか。

冷たいアーマードコアの中にいてはそんな実感もわかなかったからなのかもしれない。

自分が勝ってきた今までも誰かをあんな風にして、そして自分もああなる可能性があったのだ。

ガロアに倒されたのは幸運だったのだ。

 

「身の程を……知ったわ……私……もう戦えない……」

リザイアはこの日、初めて戦いと恐怖という物を知り、そして戦意を永遠に失った。

 

 

 

 

マザーウィルはリリウムとローディーの言葉にすぐさま戦いを止めた。

アサルトセルが焼き払われることは一部の上官は知っていても、乗組員の誰もが自分達は地球に捨てられるという事を知らなかったのだ。

ただ「アレフを駆るガロア・A・ヴェデットを何にも優先して抹殺せよ」という命令があったのみだった。

 

その後、数日で全世界にある基地及び街、コロニーと連絡が取れて戦争は終結した。

そう、終結し、互いにもう戦う理由もなかったはず。それなのに何故か戦いは終わらない。

ラインアークの管轄する基地も、企業が管轄していたコロニーも断続的に襲撃されるのだ。

何度かの話し合い、そして戦場から持ち帰られたアレフの映像記録によりこの攻撃は、ラインアークでも地上に残った企業でも無い、全く別の第三勢力によるものだということが判明した。

分かったのは敵……『敵』と呼んでいいのかも分からないその存在は人間ではない何かという事であり、目的も規模も不明。

ただ明らかに人類全体に敵意がある。

絶え間ない攻撃は神出鬼没で互いに疑心暗鬼となり、いつ終わるのかも分からない攻撃は通常よりも遥かに早く企業も、ラインアークも、地球に残った人々を疲弊させていった。

僅か二週間で地球に残った戦力を持つ者達の五分の一が戦場から逃げるか、あるいは殺されていった。

そして防衛戦力の無くなったコロニーや街は感情のない無人兵器の攻撃により死の街へと姿を変えていく。

 

 

この戦いに終わりはあるのか?

 

 

誰もがそう思ったが、それは結局はるか昔から人類が抱いていた疑問と変わりないものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたの言った通りねぇ。ガロア君は確かに『生き残った』わ」

『敵』に攻撃されるコロニーを防衛し損傷したセレブリティアッシュを修理しながらアブは呟いた。

機械の音で通常の人間ならまず聞こえないその声をウォーキートーキーは聞きとって応える。

 

「イイエ。ガロア様は『死』にマシタ」

 

「ふぅー……ん。ま、いいわ。どうせあと50年しかないし、付き合ってあげる。でも、それでどうするの?」

 

「ガロア様は……ガガッジジジ……ガロア様は……まだ戦いマス」

 

「……あなたの方が付き合いが長いんだろうから……その言葉、信じたいけど……今度こそどうかしらね」

 

 

 

ガロアは奇跡的に生き残った。

複数の医師による30時間以上の手術の中で、何度も心臓も止まり自律呼吸すら危うかった。

右腕の治療は最早叶わず、肩から切断された。身体中に金属片が埋まってしまい肺や腸など臓器のいくつかを損傷し、特に腎臓は片方を完全に摘出しなければならなかった。

更に視力・聴力・味覚・嗅覚は完全に潰れてしまい、運動神経はコジマ粒子により徹底的に破壊され立ち上がるどころか動くこともほとんど出来ない上、何かの意思表示も出来ない。

脳死患者とほとんど変わらない状態だった。

 

 

「……さらにコジマ汚染も激しく、どれだけ尽くしても5年後まで生きている確率は……非常に低いとしか……。いえ、……正直な話、この衰弱から見て今月いっぱいが限界でしょう」

ガロアが身体に負った損傷と症状、そして受けた治療を事務的に説明されるだけで数十分を要した。

 

「……」

あの日から20日、ようやく呼び出されたセレンは黙ったままただ青ざめている。

 

「どうやら元々コジマ汚染患者だったようです。蓄積されていたコジマ粒子からも今回わかりました」

 

「動けない……と?」

 

「残念ながら、寝返りすらも……。本人の意識があるのかも分かりません。柔らかいものならかろうじて嚥下できますし、水も少しずつなら飲むことも出来ます。……ですが……」

 

「あぁ……、! そうだ! ガロアはAMS適性がある! だから、」

 

「確かに……その技術はあります。しかし……」

 

「しかしなんだ!?」

 

「AMS適性自体が数十万人に一人、あるかないかのものなのです。ましてや義肢に堪えるAMS適性を持つ患者は世界に数人いるかいないか……。AMSによる義肢技術を持つ医師はほとんどいないでしょう。もちろん、私もです」

 

「…………あ……」

当たり前の話だ。

そんな数百万人に一人に有効な治療法を何年もかけて覚えるよりも、数百万人がかかる病気の勉強をした方がいい。

そしてガロアは医者にとって特別じゃない。他に診るべき患者がいるのだ。特にこんな状況では。

 

ガロアは退院した。というよりも回復の見込みがないため「入院」が出来ないのだ。

それでも金を出せば普段なら病院で看護師と医師による適切な介護を受けられるが、それも普段ならばだ。

負傷者が日に日に増える今、どれだけ金を積んでも病院に置いておく訳にはいかない。

話は分かるが納得などどうして出来ようか。

現にガロアは喋れない状態から喋れるようになったのだ。

だがアスピナとは連絡が取れなかった。CUBEには連絡がついたがあの医者も行方不明らしい。

現場に出ている者以外ほとんどがクレイドルに移ってしまったという話だから、あの優秀な医者も行ってしまったのだろう。

どれだけ諦めないと言っても、今この世界にAMSに知識がある医者というものがいるだろうか。AMS適性を持つ人間はほとんどいないと一般に認知されて数十年たったというのに。

いや、いたとしてここまで連れてこれるだろうか。八方ふさがりだった。最早世界がガロアの命を捨てているとしか言えなかった。

 

どうしてガロアはあの戦場から逃げださずに戦ったのだろう。戦力の差は最早絶望的と言ってすらよかったのに。

映像で見たあの『敵』に言っていた「お前はセレンの敵だ」とはどういうことだったのだろう。

あの『敵』を破壊してガロアは何を得たのだろう。

疑問がどれだけ生じてももうガロアにはただの一つだって答える術はなかった。

 

 

 

 

 

 

ガロアは地獄に落ちた。

暗く深いどこかに意識は沈み、何も見えない、聞こえない。

凍りつくように寒く、焼け付くように熱いここから動けないのは無数の棘が身体中を貫いているからだ。

身じろぎしていないのに身じろぎしているようで、その度に棘が身体中に突き刺さり、痛みだけがあって全てを忘れて呆けることも出来ない。

もうどれだけこの世界にいるのかも分からない。時々粘土のような食感の味気ない物と水を口に入れられる。

いらないのに拒む力すらもない。

 

鬼や悪魔がいて罵倒しながら拷問してくれる方がまだよかった。ただただ一人ぼっちだ。

 

一人この無明の世界で永遠に痛みに苛まれ続けるのだろうか。

今までどれだけの人間を自分はここに叩き込んできたんだろう。

そう考えるとお似合いだった。こうして死にたかったのかもしれない。

 

そこに、ど真ん中にある自分という存在さえも徐々に溶けて分からなくなり痛みだけになる…………。

 

……………ということにはならなかった。

左手に自分をこの世界に繋ぎ止める楔が穿たれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いいさ……私がそばにいるって言っただろう?」

世界は戦い続けているがここは静かだ。

痛み止めが一定時間ごとに流れる機械と栄養剤の点滴に繋がれたベッドの上のガロアの手を握りながらセレンは呟く。

セレンがネクストに乗れることを知ったラインアークは当然のように戦場に出るよう要求してきたがその全てを断った。

その時にオッツダルヴァが味方に付き「ガロアのそばにいてやってくれ」と言ってくれたおかげもあり、ようやく何も気にせずに二人でいられる。

無明無音の世界にいるガロアがどんな孤独を味わっているのかは想像も出来ない。ただ触覚が生きているのならば握る手の感触も分かるはずだ。

 

「やっと……やっとお前の戦いは終わったな……」

本当の両親を奪われて、家族を奪われて、人間らしさを失くして。

他の子供がアニメを見て友達と将来の夢を語り合っているときに森で生きるのに必死になり、他の子供が夕方の部活動に力を入れている間に朝から晩まで身体を苛め抜いて、夢を見ず、妄想をせず。

ひたすらに今を必死に生き続けた果てに得たものがこれだというのならば。

 

「それで……いいのかよ……お前は……結局失ってばかりじゃないか……」

本当はもう殺してくれと思っているのかもしれない。

医者の話では痛み止めがあってもどうしようもないくらいの痛みがあるという話だから。

それでも、自分のわがままだと分かっていても生きていてほしい。

そして可能ならばまた言葉を交わしたい。

 

「もっとたくさんのことを言っておけばよかった……! こんなことになってから……言いたいことがたくさん思い浮かぶ……」

もうない事だと分かっていても、また抱きしめてほしい。だが掛け布団の上からでも分かる右腕部分の不自然なへこみ。

何度見ても本当に肩から先がない。長い指も、大きな手も力強い腕もまるごと消えてしまっている。

 

「お前の事が好きなんだ……どうしようもないくらいに……こんな風になっても……。でももう……何も……聞こえないんだな……」

全部自分のわがままだ。ここでガロアを失ったら本当にどうしていいのか分からない。どちらを向くのが『前』なのかも分からないのだ。とくにこんな世界では。

 

ガロアがリンクスになる本当の理由を知ったのはいつだったか。

 

強烈だった。

この世のあらゆる残酷さから保護されるべき年齢と弱さのはずの子供がよりにもよって世界最強に何の後ろ盾も無く挑もうとするその姿は。

 

自分は止められなかった。

 

「でも今度こそ、お前を全部から守ってやる」

その声が届いたのか、あるいは心が届いたのか。

 

「……!! ガロア……!?」

握力で言えば1kgもないだろう。だが今、確かにガロアは握り返してきた。

いや、握っているというよりもただ手を閉じているだけに近い。それでも、力なく開かれていないというだけで意識があり自分を認識してくれているのだと分かる。それだけで嬉しい。

死んでしまったらもう存在を確かめることすら出来なかったのだから。

 

 

 

 

 

自分が感じている全てはとっくに死んでしまった自分が作り出した幻想なのかもしれない。

五感のほぼ全てが潰された今、確かめる術もない。

 

だがそんなのは昔から変わらない。水槽の中の脳だとしても、感覚こそが全てで生きてきた。

冷静に理論をこねる頭に背反して理屈などクソ食らえと思い続けて来た今だ。

 

(……………………)

せっかく敵を倒して終わったのに何故こんな状態で生かされているのだろう。

何故神は自分を連れて行かないのだろう。

こうなると分かっていた。セレンは自分から離れない。だからこそ、さよならだと決めたのに。

それでも自分の中の物事を感じる全てが幸せだと言っている。酷い自分勝手だ。

 

(……………………)

それでセレンの人生は良かったのだろうか。

勝手に生み出されて、なんの偶然か手に入れた自由を、よりにもよって自分みたいな奴にくれて。

 

 

(……………………)

自分は父に愛されていた。

だから愛がどういう物かを知っている。

でもセレンは誰かに愛されたことがあるのだろうか。

どういう物か知っているのだろうか。そんな訳ない。今までのセレンの人生がドブの中のようなものだったのだと、自分は知っている。

形にも見えない愛という物を知らないはずなのに自分にこれまでずっと献身してくれていたのか。

 

(……………………)

今、願うのはこの痛みと苦しみ、そして束縛からの解放、死。

あるいは……この身体がもう一度動けば自分は……

 

 

(……………どうするんだろう……?)

 

 

 

 

「!……誰だ」

手を握り返されたことにただただ感動し、そのままずっと手を握っていたらノックが聞こえた。

だが今のセレンにその手を握り続ける以上に大事なことなど無く、その場で声を返すだけに終わった。

 

「少しだけ時間をもらえるか?」

 

「オッツダルヴァ……。……ああ」

その顔を見れば自分に戦えとかくだらないことを言いに来たのではないことが分かった。

 

「ガロア……腕が……!……? 寝ているのか?」

 

「……」

先ほどここに戻ってきたばかりでオッツダルヴァもそれを聞いてここまで来たのだろう。

つまり、ガロアが今どういう状態にあるのかを知らないのだ。

改めて、それを全て口にするのはセレンにも辛いことだった。

 

「なんということだ……ああ、私はお……」

 

「遅かったなんて言わないでくれ。ガロアは生きている」

 

「……。どうしようもないのか?」

 

「あるとしたら……AMS技術を用いた手術だ。だが……その技術を持った医師がいない」

 

「…………。すまない。私には医師の心当たりはない。……だが、探してみよう」

 

「頼む。でも……お前にもやることはあるのだろう」

 

「……。私は……遅かった……」

言うなと言ったのにオッツダルヴァはその言葉を口にした。

だが、その遅かったというのがあの戦場に辿り着くのがという意味では無いということがセレンにも分かった。

恐らくは出会う時期、あるいはガロアが誰なのかを気が付く時期のことなのだろう。

 

「また来る……何度でも」

 

「……ああ」

結局、ガロアに意識があることは言えなかった。

言えば彼もこの場を離れようとはしなくなるだろう。

オッツダルヴァが戦わなくなることは自分が戦わないのと比べ物にならないくらいの損失がある。

彼が心配しているのはよく分かるしそれはエゴなのかもしれないが。

開けっぱなしのドアへと歩いて行くオッツダルヴァの背は何となく自分と似ているような気がした。

 

 

「どうだった?」

自分と同じく、連日戦い続けているメルツェルが疲労の色が見える顔で聞いてくる。

だがメルツェルは中でのやり取りは全て聞いていた。

 

「……あぁ」

 

「泣くな、オッツダルヴァ。お前がリーダーなんだ。お前がぶれていたら私たちは誰について行けばいいんだ」

 

「分かっている……分かっているさ……」

 

「だが……お前がそういう奴だからこそ、リーダーなんだ」

 

「……?」

 

「いや、いい。さぁ行こう」

仲間を数として切り捨てる非情さではなく、打たれ弱く感傷的な部分があるのは幼い頃の記憶を取り戻す前からだった。

そんな男だからこそ、そしてそれでも強かったからこそ、まだ10代だったオッツダルヴァを皆がリーダーだと認めたのだ。

自分が弱い部分を支えていけばいい。メルツェルはそんな自分が優しいというよりは甘いという事が分かっていた。

だからこそ優秀であっても右も左も分からない子供の頃にオッツダルヴァに出会ってからここまでの付き合いになってしまったのだろう。

だがそんな生き方も、企業の駒になって命令されるだけの人生よりはずっといいと思っていた。

 

 

 

 

「……?……!! なんだ……? 何の臭いだ?」

本当に少しだがコミュニケーションが取れる事が分かった。

手のひらにゆっくりと文字を書いて、YESなら握る、NOなら握らない。そのルールのみでだが。

モールス信号でも教えておけばもっと複雑な会話も出来たかもしれないが、自分も知らないしこの状態のガロアがどこまで明瞭に意志を表せるか分からない。

喉が渇いたか、腹は減っていないか。

いくつかのやり取りを終えてそばにいるうちにセレンはベッドに頭を乗せて眠りに落ちてしまっていたが妙な臭いで目が覚めた。

 

「まさか……」

血が腐ってヘドロに混ぜたような臭いの元を辿ると布団の下だった。

聞こえるはずも無い謝罪を何度も口にしながらズボンを下着ごと降ろすと血尿と血便で下半身が真っ赤に染まっていた。

便意をはっきりと伝えることが出来なくても何かしらの異常があることは伝えられたはずだ。

もしかしたら便をした感覚がないのかもしれない。

そういえばおむつを渡されていたのをすっかり忘れていた。

あんなものをまだ18歳のガロアに使うなんてと思ったのは覚えている。だからこそ無意識に記憶から消してしまったのかもしれない。

 

「う……」

これほど血が混じったものが体内から出てくるということ。

一体どれほどの痛みがガロアを襲っているのだろう。

痛み止めを送る機械の音がやけに虚しく響く中で、血と汚物で汚れた下半身を丁寧に拭いて服を代えているとガロアの手が小さく震えていることに気が付いた。

 

「大丈夫だから……。いや、そうじゃないよな……ごめんな……」

もしも自分が全く動けない中で下半身を晒して汚物を処理されることを考えたら、その相手がガロアだったらそれがどれだけ屈辱か。

恥ずかしい、という言葉では足りない。ただでさえ小さい頃から自分の事は自分で出来る男だったのだから尚更だろう。ましてや年齢的に辛く無いはずがない。

もしかしなくても、ここに連れて帰ってきたのは残酷なことだったのかもしれない。

だが、確かに今のままでも辛いがあのまま離れっぱなしなのはもっと辛かった。ガロアがではない。自分がだ。

どこまで行っても自分自分。例え病院に置ける状況でもいろいろ言い訳を見つけて連れて帰ってしまっていたのだろう。

 

「よし……」

処理を終えて手を消毒したセレンは痩せたせいで作戦前に比べて随分軽くなった気がするガロアの身体を仰向けから横向きに直した。

2,3時間に一回は体位を変えないと血液の流れが悪くなりその部分が腐敗してしまう褥瘡というものが起きてしまうのだ。

何も持つことすら出来ないガロアが寝返りなどうてるはずもなく、どうしても人の手が必要になる。

だがその手間よりも軽くなった理由の方がセレンの涙腺を刺激した。

 

「腕……本当にないんだな……」

右側を下にしたときの抵抗の無さ、そして重さが現実を突きつける。

腕だけでは無い。このままそう遠く無いうちに全てを失くす。

 

「昔と同じだな……お前は静かで……でもそこにいて」

 

「そして……そして、……。静かにいなくなるのか……」

ガロアが全てを捨ててでも力を得ようとした気持ちが今になって分かる。

愛した人が傷つくことはまるで自分も傷つくようで、愛した者が失われることは心に穴が空くのに等しい。

ガロアの心に空いたその穴をあの場所で埋めたのは、自分は間違っていないと信じて戦うことだけだったのだろう。

変わったことは確かだ。心の部分だけでなく、片耳に光る青いピアスもそれを示す。

だが遅かったのだろう。オッツダルヴァの言葉とはまた違う意味で。

 

『水を買ってくる』

手のひらにゆっくりと文字を書くと弱弱しくだがはっきりと握られた。

きっと全部は飲めない。残った水は花にやることになるだろう。

あの花は何度でも咲くという。ガロアがいなくなった後も咲くのだろうか。

そんなことはもう考えたくもない。

 

廊下に出てすぐに気が付いた。

臓腑を直接握り潰されるようなこの感覚。

内側に渦巻く殺気を解放したときのガロアがそばにいるような感覚だった。

 

「だっ……誰だ……貴様……」

開いたドアの影から出てきた男を見てセレンは本気で歩く死体だと思ってしまった。

見える部分全てが焼けただれており、片方の瞼は溶けてくっついてしまっている。

今までセレンが関わったどんな人物よりも危険だという事がすぐに分かった。

そしてその格好は常夏のラインアークだというのに厚着で、そう、一昔前のガロアの格好にそっくりだった。

 

「……」

 

「……、な、ま、待て!」

呆気に取られているほんの数瞬の間に自分の隣をすり抜けてその男は部屋の中に入っていた。

 

「ガロア……」

 

「……!?」

静かに横たわったまま動かないガロアのベッドの横に膝をついた男は静かにつぶやく。

 

「結局……どこまで行っても……どれだけ強くなっても……」

 

「この世界に……救いは無いのか……ガロア……」

 

(……! この男が……)

いつかガロアが話していた、自分をリンクスになるための道を示した男。

この男こそがリリアナのリーダー、オールドキングだと知った。

セレンは誰がORCAのメンバーなのか、その全てを把握しているわけでは無い。

だからどうしてここにいるのかは分からない。

だがこの男が何を今考えているかもその言葉も、全てがセレンの心を映しているかのようだった。

 

 

 

 

 

時間は少し戻り、最終作戦から4日後のある海域。

 

 

「おーれー、はーパッチマーン、幸運の、はこびやー」

海の上を浮かぶ一人乗りにしては大きい船の上で、小太りの男が鼻をほじりながら器用に鼻歌を歌っていた。

 

「んんー、お! デカい鼻くそとれた」

小指にひっついた鼻くそを海に捨てた男、パッチはビールを飲みながら機械の様子を見る。

 

あの日、ガロアにボコボコに負けて死の一歩手前まで追い込まれたパッチだったが、プライドをかなぐり捨てた言葉を連発して何とか逃げおおせた。

当然、カラードには戻れなかったがテロ組織がノーカウントを高値で買い取ってくれ、その後パッチはサルベージ船を買い海に沈む幾つものACの残骸や金属を釣り上げては売ってを繰り返し、中々にリッチな生活を送っている。

その全てを幸運だとパッチは思っているし、実際この広い海で何度も残骸を釣り上げるのは並大抵の運では不可能だろう。しかしあの日ガロアに負けた事は幸運なのだろうか。

ORCAのPQやブッパ・ズ・ガンに出会ってしまったことは幸運なのだろうか。客観的に見ればどう考えてもツいていないはずだ。

しかしパッチは自分は運がいいと本当に心の底から思い続けている。

きっと死ぬ瞬間まで自分がアンラッキーだなんて思わないだろう。ある意味最強の男だった。

そして今日も……

 

「おおお!!? 水素吸蔵合金反応!!? ネ、ネクストだ!!?」

なんと今日は海底に沈むネクストを見つけてしまった。

今までリンクスの数もそう多くないのだから、一人一人の経歴を調べていけば誰のどのネクストなんてのはすぐ分かるだろう。

どこに売るのが一番いいかな、なんて考えるパッチはもう2週間も海の上におり、世界が今どんな状況にあるかなんてこれっぽっちも知らなかった。

 

 

 

「ちっ……はぁ」

水もとうとう無くなった。携帯食料は二日前に無くなっている。

放り投げたペットボトルは狭いコックピットの中で跳ね返りダリオの頭に当たった。

 

下が海だったこと、そして乗っていたのがこの世で最も頑丈な兵器の一つ、ネクストだったのは幸運だったのか、不運だったのか。

ダリオはまだ生きていた。ジェネレーターを切り取られたおかげでまともに動くことも出来ない。ブーストは当然動かせないし、海に叩きつけられた衝撃でトラセンドの手足もイかれている。

予備電源でギリギリ生命維持装置が動いて酸素を出し続けているだけ。

海底何千mにいるのかは分からないしこんな海の底では外に出る気も無いが、仰向けに倒れているおかげで出ることは出来ない。

殺されはしなかったが結果は同じだ。通信も出来ない。このまま飢え死にするか、あるいは……

 

「……」

手に持っている拳銃をもうずっといじっている。このまま頭をぶち抜いた方が楽なんじゃないか、ずっとそう思っている。

いっそあそこで殺してくれればよかったのに。

 

(またかよ…………)

こんな狭い空間にずっと閉じ込められて発狂しない理由がある。

画面の右側に見える物。あれは、なんというか、馬鹿馬鹿しいと思うがどこからどう見ても海底都市だった。あるいは海底で稼働する工場とでも言うか。

暗い空間で戦う事を想定して積んでいた暗視カメラのお陰で鮮明に見える。

アトランチスだとかムーだとかそんな眉唾物の話をどこかで見ては夢がある話だな、くらいにしか思っていなかったのに。

また一機、ACと思われる形の物が出てきてどこかへと海の底を歩いて消えていった。

 

(しかし……なんなんだ……こりゃ……。……俺は何を見ている? ……俺たちは何と戦ってきたんだ?)

断続的に出てくるACや兵器はどれも見覚えがある。前々から都市を唐突に襲撃しては、最後は自爆し証拠すら残さなかった奴らだ。

この場所で作られては何か目的を持ってどこかへと消えていく。自分の存在には気づいているはずだが、もう死ぬものだとして放っておいてるのだろうか。

あるいは指令に従う以外のことはしないのか。

そうだ。こんな海底をまともに動き続ける機械の中身が人間のはずがない。

断続的に出てくる機械を眺めてその理由を考えているおかげでまだ発狂していなかった。

この拳銃が自分の頭に向けられるのはいつになるだろう。

 

「!、うっ!?」

突然、ガクンという衝撃が起きかなり揺らされた後に海底から離れていく。

 

「……!? 釣りあげられている!!? なんだ!? 誰が!?」

 

 

 

 

「イエア!! イエス!! ローゼンタールの最新型だ!! ヒィヤァ!!」

釣りあげたネクストの前で一通り狂気乱舞した後、どんな人物が乗っていたのかを調べていく。しかしどこかで見た覚えがある機体だ。

 

「修理した方が高く売れるか!? いや、このままでも十分金持ちだ!! この機体は……トラ、せん……ど……」

臆病なパッチは危険なリンクスは全部覚えているが、その中でも一番関わってはいけないと思っていたリンクスのネクストだった。

それが分かると同時に頭に何かが突きつけられた。

 

「頭の後ろに手を組め」

 

「ひっ、ひぃ!!」

釣りあげた機械の『中身』が入っている事は想定していた。だから『掃除道具』もある。

だが誰が海底数千mに沈んでいる機体の中身が生きているなんて思う?

 

「そうだ。そのままうつ伏せになれ」

 

「ははは、はいぃ」

 

「……! テメェ……リンクスか? どういうことだ。おい、こっちを向け。怪しい真似したらぶっ放して海に捨てるぞ」

首のジャックを見られたのだろう。ゆっくりと後ろを向くと確かにカラードで一番関わってはいけない男、ダリオ・エンピオだった。

 

「確か……パッチとかいうブタだな? ブタなんだな? あ? コラ」

 

「ひぃぃ!! ブタです!! 私はブタです!!」

ゴリゴリと頭の形を変える程に銃が突きつけられ思わず失禁しながら返事をする。

 

「なんだ……どうなっているんだ……」

 

「お願いですぅ、許してくださいぃぃあなた様のネクストを売ろうなんてこれっぽちも考えていませんからぁあ……!」

 

「偶然か……? 死ななくてよかったのか……?」

 

「しゃぶります! ×××しゃぶりますから許して!!」

 

「触んじゃねえ!!」

 

「あがっ!!」

錯乱しながらダリオの股間に手を伸ばしていたパッチは蹴り飛ばされ無様に転げ回る。

 

「おい! この場所の座標は分かるか!?」

 

「わ、分かります、ひ、ひぃい」

胸倉を掴まれてまたもや銃を頭に突きつけられる。

見方を変えれば自分は命の恩人なのにこのダリオという男には感謝の気持ちなどこれっぽちもない。

 

「騒ぐんじゃねえブタが!」

 

「は、はいぃブタは黙ります、黙りますぅぅ……うぅ……うっ」

 

「俺はどうするべきだ……? 何をすればいい……?」

 

「あ、あの」

 

「おいブタ。今世界はどうなっている?」

 

「へ? あの、なんのことだかさっぱり?」

 

「ちっ。……飯はあるか」

 

「あ、ありますあります」

 

「……よし。持ってこい。それから金をやるから俺を近くのカラードの施設まで送れ」

 

「は、はい……うぅぅ……」

金、と言われてもネクストを売り飛ばす金には到底及ばないだろう。

いつぶりか、パッチはこの日久々にツいていないと思った。




ヒロインの前で脱糞する主人公
もう落ちるとこまで落ちたなぁ


パッチはしっかりちゃっかり生きていました


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戦い続ける歓びを

ガロアはいつ寝ていて起きているかのかは分からないがこれは絶対に寝言では無いのだろうとセレンは思った。

 

「う……は……えぅ……」

 

「何か言いたいことがあるのか?」

耳が聞こえないこともあるが、舌が上手く動かずまともな言葉すら発せなくなってしまったという事にただ泣きたくなるが、今はガロアが何かを伝えようという意思を持ったことを喜びその意思を汲み取ってやらねばならない。

 

『身体が痛いのか?』

 

「……」

 

『水か?』

 

「……」

 

『飯か?』

 

「……う」

手の平に書いた最後の言葉に反応し、手を握りながらガロアは重たそうに頭を縦に振った。

 

「そうか、よし」

栄養剤が点滴で入っていっているとはいえ、何か食べた方がいいに決まっている。

状態は良いとは言えないが、腹が減ったと主張してきたのはいい事だ。

台所に立ったセレンはすぐに食器とスプーンを持って戻ってくる。

 

「食べやすい物なんて売っていないから……頑張って作ってみたんだ」

こういう時に何を食べさせればいいのか、そして何だったら作れそうなのかを調べてセレンなりに必死になって作ったのが卵がゆだった。

熱すぎては食べるのも難儀するだろうと思い、かなりぬるくしてある。

 

「ほら……」

枕と掛け布団を重ねて背に当てて座らせる。

しっかりバランスを保たせないとそのまま倒れてしまいそうだ。

少なめに粥を乗せたスプーンを乾いてカサカサの唇に当てると小さく口を開いた。

嗅覚も無いからこの距離でも食事だと気が付かないらしい。

 

「……」

 

『美味いか?』

そう手の平に書いたら弱弱しく握り返された。味覚も無いというのに。ましてやそんな気遣いが出来る奴では無かったのに。何よりもこの粥は……自分で言うのも何だが全然美味しく無かった。

どうしてこんな状態になってそんな優しい嘘を吐きはじめるんだろう。

 

(どこかに行ってしまうとでも思っているのか?)

引き止める為に嘘を言っているのか、あるいは、あるいは……

色々と考えは浮かんでくるがそのどれもが悲しみ以外の感情を呼び出さずに涙が零れる。

 

「ぐっ、げぼっ……」

 

「あっ……」

考え込んでつい口に入れ過ぎてしまったのか、ガロアは弱弱しく咳き込み吐きだしてしまった。

 

「ごめんな」

 

「……」

口の周りを拭いていくが服の中まで汚れてしまっていることに気が付く。

どちらにせよ、そろそろ身体を拭こうと思っていた。

 

『もういらない?』

健康な時の量とは当然比べるまでもない。だが、その問いにイエスと返ってきた。

普段ならば無理にでも詰め込んでいたが今はもう物を飲みこむことさえ辛いらしい。

味覚がないということは何を口に入れられても味がしないという事だ。

味がしない物を延々と飲みこむ辛さは想像できない。

 

「……体を拭こうか」

シャツを脱がせると、当然の事だが痩せて傷ついた身体が出てくる。

傷はまだいい。だが日に日に細くなっていくことに耐えられない。

今月いっぱいが限度という言葉が現実味を帯びていく。

 

「……」

身体を拭いていると「視線」を感じた。

見えていない筈だが、ガロアが白内障の患者よりも遥かに真っ白く染まった目でこちらを見て静かに涙を流していた。

 

「泣くな……」

辛いだろう。ただでさえプライドと意地の塊のような男で、しかも18歳という年齢なのに頭の天辺から足の先まで全て女に世話をされているなんて。

 

「絶対に、死のうなんて考えるな」

ガロアの考えていることはよく分かっていた。

今の自分を恥じ、重荷だと考えているに違いない。

こんな状態では自殺も簡単には出来ないが。

 

コンコン、と単調で冷たいノックの音が聞こえる。

 

「……誰だ」

来客はそう多くはない。

何せ今も正体不明の敵と戦っている真っ最中で、見舞いに来ている暇などないからだ。

むしろオッツダルヴァはリーダーなのによくこれたものだ。

 

「容体はどうだ」

最初に会った時とまるで変わらぬ顔で入ってきたその男、マグナスを見た時セレンは自分の頭の中が沸騰する感情によってどうしようもなくぐちゃぐちゃになっていくのを感じた。

 

「……貴様!! くそ、何をしに来た! ガロアを、見るな!!」

子供が生まれたあの時は心の中で感動し、祝福さえしていた。

だがやはりどうしてもこの男はガロアとは相容れない存在のようだ。傷だらけの上半身を晒すガロアに布団をかけて間に立つ。

ガロアが何もかもを失ってきたのに対し、この男は妻を得て子供も授かり、守るべき家族があるという幸せを手に入れている。

それがどうしても許せない。ガロアの感じていた怒りがようやく分かったような気がした。

 

「出来れば彼と話がしたいのだが」

 

「知らないなら教えてやる! 視覚も嗅覚も味覚も聴覚も潰れた上に運動神経もずたぼろで動くこともできない! おまけに腕もなくした!」

 

「……」

 

「幸せか!? 守るべき家族がいるものな! 貴様には!」

 

「俺は」

 

「ガロアが何をした!? ガロアが何をしたんだ!? ただ生きていただけなのに奪われて奪われて! ここが最後に辿り着く場所だと!?」

 

「幸せだろう、アナトリアの傭兵……お前が自分の幸せを守るために戦ってガロアの人生は狂った……! 何が最強のリンクスだ! そんなもの!!……お前さえいなければ……、ガロアは今頃普通に学校に行って……クソ、お前が悪い!!」

違う、この男が完全に悪いんじゃない。憎むべき悪という物はもっと別のところにある。そう分かっていても怒りが抑えられず、許そうなどと思えない。

ガロアはこの感情に決着をつけたくて戦っていたのだろう。だがガロアの人生の歪みが自分との出会いを作ったのも知っている。

 

「そうか。意思疎通は出来ないのか」

 

「貴様……!」

今更何を聞きに来たというんだろう。小指の先っぽほどは気になるがどこまでも冷静なこの男の態度が気に食わずに腰の銃に手をかけた。

 

「……!」

 

「ガロア……どうして……」

怒声が空気を震わしたのを肌で感じたのだろうか。銃を抜きとろうとした腕をガロアは静かに掴んでいた。

どうして止めるのかとも思うし、止める理由もよく分かる。頭がおかしくなりそうだった。

ガロアがこんな状況になった元凶の男は明日も妻を愛でて子供の頭を撫で、そしてガロアは全てを失い死ぬ。

だがそれでも、マグナスのいる世界はガロアの欲しかった物そのものだからこそ、壊したかったし壊れてほしくないんだろう。

 

「とことん……ガロアを狂わせやがって! 出て行け!!」

 

「……日を改めよう」

 

「二度と来るな!!」

まだまだ中身が残っている皿をぶん投げたら冷静さを欠いていた割には見事にマグナスの頭にヒットした。

それでも表情を変えずにマグナスは皿を台所に置いて出て行った。

その終始冷静な様はますますセレンを怒らせたがガロアの手は離れなかった。

 

 

 

 

「だから、行くなと言ったのに」

何やら食事を頭からかぶって出てきたマグナスを見てジョシュアは言った。

 

「やはりダメだったか」

渡されたハンカチで顔を拭きながらマグナスは先ほどのセレンの姿を思い返す。

マグナスはあの二人について多くを知っているわけでは無い。ガロアは恐らくサーダナの知り合い以上の何かで、サーダナを殺した自分を憎んでいる。

そしてセレンは恐らくガロアのオペレーター以上の何かでガロアを傷つけるものを許さない。

分かっているのはそれだけなのだが、まるであの姿は母が子をあらゆる残酷な現実から守ろうとしているかのようだった。

先日母となり高潔なまでに強くなって家で子を守りながら待つフィオナは今日も自分の無事を祈っているのだろうか。

 

 

「確かにあの少年は何かを知っていた……あるいは勘づいていた。だが……聞けないだろうな、何も」

中からの怒声は全部聞こえていたジョシュアは頭を掻く。

正体も規模も分からない敵といつ終わるかも分からない戦いを続けるのは通常の比ではなく兵達に疲れが溜まっていく。

一番正体不明の敵と戦ってきたガロアは確かに何かを知った。あの戦いの映像記録での発言からも行動からも。だがもう何もかもが遅い。

このままでは常に後手に回り最後は疲弊しきってしまう。

 

「ミド・アウリエルを探そう」

 

「馬鹿な」

 

「俺の知る限りで唯一、AMSの知識を持つ医者だ」

 

「彼女が行方不明になってからもう何年経つ? 仮に生きていたとしてどう探す? 第一地球にいるとも限らんだろう」

リンクス戦争の最中で負傷により退役したオーメルのリンクス、ミド・アウリエルは元は医学を志した学生だった。

下半身不随となった彼女は再び大学に行き、医師となったとジョシュアもマグナスも風のうわさで聞いており、その時にAMSの医学的利用についてミドが学んだ可能性が非常に高い。

行方不明になった、との話だが下半身が動かない状態ではそれも難しいだろう。その技術で自分の下半身を動くようにした者に教えを請い、身につけているのではないか。

そうでなくともリンクスならばAMSの知識がある。自分達は医学の知識がないからどうしようもないだけなのだ。ガロアの身体を再び動かせるようにできるとすればまずそれだ。

だがミドがリンクスを辞めて大学に戻っているとき、マグナスもジョシュアもフィオナもアナトリアを離れて各地を流浪しており、連絡先は愚か今となっては生きているかどうかも分からない。

 

「退役したとはいえ金も地位もあったレオハルトも、最も権力のあるリンクスである王小龍も今回の事を知りもしなかった」

 

「何が言いたい?」

 

「このことからクレイドルにはリンクスは連れて行かれなかったのだと考えられる。生きているのなら地球にいるはずだ」

 

「彼女がAMSについての知識があっても技術があるとは限らないだろう」

 

「いや。もし生きていたのならば、必ず身につけているはずだ」

 

「何故だ?」

 

「ミド・アウリエルはたった10歳で大学に入学した天才児だった。何度か会ったことがあるが、知的好奇心の塊のような女性だった。AMS適性が発覚したのも自ら進んで実験を受けたからだ。何よりも彼女はまだ幼い頃に両親を失ってからも厳しい世界で生き抜いたタフな経験がある。生きているさ」

 

「で、どう探す?」

拙い希望だとはマグナスも分かっていた。

そもそもが何故行方不明になったのかも分からないのに。

 

「彼女はリンクスだった。リンクスの知り合いがいる素人よりも、リンクスの知り合いがいるリンクスの方が多いのは当たり前だろう。そしてこの地球上にリンクスは50人もいない」

 

「つまり? いや……まさか、マギー……」

 

「聞き込みだ」

原始的だな、とマグナス自身も思ったがそれ以上の方法は思いつかない。

 

「今がどういう時か分かっているのか? そんなことよりも俺たちは戦うべきじゃないか?」

 

「世界が……変わったとして、人間を変える力はない。変わるのもあくまで人間の意志だ。そして人間までもが変われば全てが終わると俺は思う」

 

「……」

 

「いらないもの、足手まといを切り捨てるのは簡単だ。同時に人間性も切り捨てることになるがな。何もかも切り捨てて生き残るのは残忍で利己的な人間だけ。もしそうならば、……そんな人類は滅んだ方がいい」

 

「……今、私のホワイトグリントとお前のルブニールは修理中だ。だがそれも後三日で終わると言ったところか」

 

「悪いな。付き合ってもらうぞ」

優しいだけでは生きてはいけないということはマグナスは誰よりも分かっている。

だが生きる為に優しさをすべて捨てたのなら、何の為に生きて、生きることに何の価値があるのか。

この世界でそれを見定めるのは非常に難しいし、時に下手くそな優しさはこれ以上ないくらいに人を傷つけることもある。

戦う為に改造された身体、植え付けられた強烈な闘争本能を抑えて冷静沈着な表情を保ったままマグナスは人が人である理由を探す為に、今日も人であろうとする。

 

 

 

自分はあとどれだけこの窓から月を見るのだろう。

ガロアがいなくなったとき、自分はどこに行くのだろう。

 

「満月だな」

水を浴びたアルメリアが月の光を反射する様子は生命が溢れているようだ。

気が付けばガロアにあげていたのと同じくらい、この花には愛情を注いでいる。

 

「……」

ダメだというのは分かっているが酒に頼っている。逃げる場所がないなら頭で作り出さなければならない。

何よりも、眠れない。3時間に一回は起きて体勢を変えてやらねばならないとか色々考えるとぐっすりと眠ることも出来ないのだ。

身体にも悪いだろう。何も食べていないのに酒をかっくらっているのだから。

食べなければいけないのは分かっているし、メイやリリウムも飯はしっかり食べて寝ろと言ってくる。

そんなことは分かっているが、喉を通らない。

 

「今思うとあの時が一番楽しかったかもな、ガロア」

目を閉じてまだ小さかった頃のガロアを思いだす。

あの時には異性としては見ておらず、恋なんてものは全く知らなかったがそれでも今と変わらず何よりも大切で生きる意味だった。

 

「……、……」

月の薄い灯りの中でガロアを見ると影が出来てよく分かる。ガロアはもう頬までこけてしまっている。

腕が一本ない分を差し引いても体重は軽いし、薄くなった筋肉越しに骨の形まで分かる。次の満月の晩はどうなるのだろう。

 

「分かっている……私まで倒れたら……誰がお前を守るんだ」

肌を人前で晒すのも日焼けするのも嫌いなセレンはこんな場所でも割と厚着で過ごしている。

普段はどちらともなくタイミングをずらして着替えていたのに、今はそんなことを気にする必要もないので一枚一枚ベッドの横の椅子の上で脱ぎ始めた。

 

「私は……」

ボタンを外すのも煩わしく、頭から無理やりに脱ぐと乱れた髪が広がった。

昔の自分に戻ったようだ。見た目に気を使う必要性を感じられない。

 

「お前の前で裸体を晒す日は……きっと人生で一番幸せな日になるんだと思っていた。……見えない……のか……」

そして聞こえないのも知っている。ぼそぼそと独り言以下の音量で呟きながらブラを外して寝間着に手をかけた。

月明かりに照らされる花、自分の乳房、そして動かないガロアを見て少しだけ何かを考えたセレンは掴んだ寝間着を床に落とした。

 

「そっちに行くぞ」

ショーツ一枚だけでベッドに入るのは実に久しぶりだった。

前までのように、ガロアの右側に横になると改めてそこに腕が無いことを実感してしまい脳が揺れる。

あの長くて繊細な指が、大きく頼りがいのある手の平が、逞しく金属のように固かった腕が全てない。

 

「ずるいよな……許してくれ」

あるはずの腕がないおかげで、抱き着くとこれ以上ないくらいにぴったりと身体がくっついた。

凹凸のはっきりとした自分の身体にガロアの身体を通して一秒ごとに消えようとしていく命が、そして焦がれた感触が伝わってくる。

 

(どうしてもいなくなるというのなら……この感触をずっと覚えておこう)

これから先、自分の肌を合わせたいと思う程に焦がれるような男は現れるのだろうか。

考えるだけで馬鹿馬鹿しくなってくる。ガロアがいなくても自分はそれを心の底から拒否していたのに、ここまで心を許したガロアを失った後に求めることなんて考えられない。

でも、そうだというのなら。この世界のどこに生きていく価値があるのだろう。

一人で呆けていくのは辛かった。この幸せを知った後でそこにまた放り込まれるというのならば、それは死ぬよりも辛いことだ。

ガロアには死のうなんて考えるなと言ったが――。

 

「……ずっと、一緒だ」

誰もが下手に励ますことも出来ず、ひたすら落ちていくだけ。

次第にセレンの考えも底なしに暗いものへとなっていった。

 

 

 

日が昇ってからずっと、自分のネクストが修理されているのを横目にマグナスは歩き回っていた。

 

「え? 知らないぜ」

 

「……そうか」

とりあえずリンクスには手当たり次第で聞いてみようとしてもう7人目。

最初に見た時より随分逞しくなった気がする少年に尋ねてみたが当然のようにNoと返された。

彼は確かGAと懇意にしていたリンクスだというし、当然と言えば当然だ。

 

「あんた、アナトリアの傭兵……」

 

「む?」

 

「別に今までのあんたの行動を否定するわけじゃないけど、ガロアには近づくなよ。お互いの為になんねーと思うよ。俺はな」

 

「……?」

 

「あいつがどうしたかは人づてだけど聞いた。殺されなくてよかったな。でも……あいつの人生にケリを付けられなかった。そしてもう付けることも出来ない。そっとしておいてやってくれよ」

 

「お前はあの少年の友なのか」

 

「あいつがどう思っているかは知らないけど、俺は一応そう思っている。そばにいてやりたいとも思うけどそれは俺の役目じゃねえ。もう時間がないなら、ずっと二人でいさせてやれ」

 

「助かるかもしれない、と言ったら?」

 

「……マジで言ってんのか?」

 

「あの少年のAMS適性の高さならあるいは……」

 

「……? なんの関係があんだ、それ」

 

「AMSは元々身体障碍者用に開発された技術だからよ、ダン君。動かなくなった部位も、使えなくなった神経もAMS適性があれば人工的に復活させられる。……その技術があれば。でしょう?」

この少年と同じ時期にラインアークに移った女がいつの間にか後ろにいて声をかけてきた。

 

「その通りだ」

 

「でも、知らないわ。他を当たってちょうだい。弾を補給したらすぐに行かなくちゃ」

 

「そういうことだ。さっきの言葉は撤回する。なんとしてもその女の人を探し出してくれ」

 

「出来るだけやってみよう」

 

 

 

マグナスが手当たり次第にリンクスを捕まえては話を聞いているとき、ジョシュアも同じくリンクスを捕まえては話を聞いていた。

 

(!……あの女性もリンクスか?)

全リンクスを把握しているわけではないとはいえ、あんなリンクスまでいたのだろうか。

上げた髪の下から見える鈍色のジャックを目で追うと鉄のマスクが目に入った。

 

「少し時間を頂けるか?」

 

「……? はい?」

 

「ミド・アウリエルという女性を知らないか?」

 

「ミ……?」

 

「……。失礼をしたな」

 

「いえ……、その……そのリンクスは知っている……」

 

「!」

リンクスとは言っていないのにリンクスだと言ってきた。

関係は分からないが、少なくとも全く知らないというわけではないようだ。

 

「あ、ごめんさい……やっぱり分からない」

 

「時間がないんだ。何か知っていることがあるなら小さなことでもいいから教えてほしい」

 

「だから知らないと言う、のに!」

 

「……?」

ふざけているのか本気なのか、何かを知っているはずなのに知らないという。

その女性が頭を抱えたときにマスクの下のグロテスクな火傷の痕が見えた。

 

「すまないが、それ以上の詮索はやめていただきたい」

 

(! ウィン・D・ファンション……)

彼女ほど企業に忠実で責任感の強い女性はいない、と聞いていたから裏切ってラインアークに来た時には驚いたものだ。

そして何故か今、敵を見るような目でこちらを見てくる。

 

「ウィンディー……?」

 

「行こう」

何か弁解らしいことをする前に何かを知っているであろうその女性はウィンに連れられてどこかに行ってしまった。

 

「…………何かしたか……?」

敵愾心こもった目で見られることは仕事柄少なくはないがただ話しかけただけでここまで牙を向けられたのは初めてかもしれない。

良くも悪くも個性的な人物の多いリンクスに聞いて回ることはただの聞き込みより遥かに難しいということにジョシュアは今更気が付いた。

 

 

 

 

 

もはやここにいる理由もない。

自分は次に何をすべきか、とりあえず王のところへ帰ろうと思ったらその場に残って戦えと言われた。

確かにあの場所は強固な戦力に守られており、有象無象の雑魚がいくら固まって攻めてきてもまず攻め落とせないだろう。

ならば弱い人々を守るために戦うというのは美しい理由だし、命をかけるのに十分な理由だとは思う。

だが、いくら倒しても波のように押し寄せてくる敵に終わりが見えない。

一機一機が弱くても、弾の数に限界があるし、精神力の終わりもある。

アンビエントも少しずつだがガタが来始めていた。

 

(人間じゃない敵……?……分かりません…………)

目的も規模も不明、ただ分かるのは人じゃないという事だけ。

完全にSFの世界の話だ。アサルト・セルが焼き払われたときは、のんきに『来年あたりにはあの屋敷を出て空で暮らしているのだろうか』なんて考えていたのに。

 

(……)

あの日、既に泣くだけ泣いた。自分にない強さをどこまでも手にしているあの少年があんな無残な姿で帰ってくるとは。

ガロアの他と隔絶した圧倒的な強さはどのリンクスも知っていたからこそ、誰もが言葉を失っていた。

だがそれよりも気の毒なのはセレン・ヘイズの方だろう。

痛いほど深い愛情を持っていたあの女性は日に日にやつれていく。動かなくなったガロアも、セレンももう見ているだけで辛い

 

(鍵……)

王は敵の正体を握る鍵は、まずガロアを何よりも優先して狙ったことにあるのではないかと言っていた。

国家解体戦争以来全く足並みの揃わなかった企業が一斉に下した判断、『ガロア・A・ヴェデットの抹殺』。

敵として考えれば確かにガロアは最悪の戦力だったかもしれない。だが何故あのタイミングでアレフの破壊を?

理由をこじつけようとすればいくらでもあげられるが、決定的な物はない。

まとまらない考えを抱えながらガロアとセレンのいる部屋へと見舞いに行くために歩く。

邪魔にならないように、そう長くは居座るつもりはなかったのだが。

 

「……!」

廊下の壁にもたれて動かないセレンを見つけた。

髪が乱れ、目の下に大きな隈を作っているのがここからでも分かる。

あんなに綺麗な人だったのに酷くやつれて見る影もない。

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

「……リリウムか」

 

「どうしてこんなところで……」

 

「水を買いに行こうと……思ったんだ。ちょっとふらっと来てしまってな」

 

「リリウムが買ってきますから、部屋で休んでいてください!」

 

「……。頼めるか? すまない……」

 

「……セレン様、眠れていますか? お食事は?」

 

「………」

 

「リリウムのお部屋でお休みになってください。冷蔵庫にお食事もありますから」

 

「だが……」

 

「お水はガロア様に? リリウムが届けてそばにいますから。このままではセレン様が先に倒れてしまいます」

 

「お前……やることがあるだろう?」

その言葉は裏を返せば、やることがないならば、という風にも捉えられた。

もしかしたら自分の親切は二人の時間を邪魔するようなものなのかもしれないとは思うが、このままでは本当に危険だ。

 

「アンビエントの修理と補給に半日はかかりますから大丈夫です。さぁ、リリウムのお部屋に行きましょう」

少々強引だが、手を引くとセレンは何も言わずについてきた。

自分の部屋に着くまでのほんの数分の間にも目が閉じかけては開いてを繰り返す。

この世で最も惨い拷問の一つが眠らせないことだと言うが、確かにこれは辛そうだった。

 

 

手渡された鍵で部屋に入ると明らかに雰囲気が重暗くなっていた。

奇妙なことだが、これだけ静かなのに誰かがいる気配はある。

 

「……!…………ガロア様」

久しぶりに会ったからこそ分かりやすい。

人はたった数週間でここまで痩せられるのか。

呼吸でわずかに上下する以外にはほとんど動きがなく、自分が入ってきたことにも気が付いていないようだ。

布団の上からでも右腕がないのが分かるし、セレンは何も言っていなかったが右腕どころかもう長くはないのも明らかだった。

生き残ったとは言え、こんなのはあんまりにも残酷だ。このまま死に行くのならなぜ生き残ったのだろう。

あの決戦でアナトリアの傭兵が生きていた事にも、自分が幼い頃に凌辱の果てに殺されなかったのも意味があるとは思う。だがこれはただただ残酷なだけだ。

生きていてくれてうれしいとは思う。しかしそれはあくまで一瞬の、しかも自分の感情だ。

意識はあると言っていたが、いったい彼は何を考えているのだろう。

 

「お水を……」

買ってきたペットボトルの水を口元まで運ぼうとして、横になったままではむせてしまうという事に気が付く。

上体を起こす為に左腕と背に手を回すと、その体温は異常なほど低かった。

圧縮したゴムのようだった腕からも筋肉が消え失せ、あろうことか皮が余り始めている。

 

「……?」

 

「え?」

気のせいかもしれないが、今の一瞬ガロアがあれっ?という顔をしたように見えた。

表情はほとんど変わらないはずなのだが奇妙なことだと思いながらも水を口に入れると少しずつだが取り込んでいく。

食事はどうしよう、と考えたがこの調子ではほとんど無理なのだろう。それに空腹になったら主張してくると言っていた。

 

「……」

それは、再び横にさせるときに勢いをつけて倒れ込まないようにと手を掴んだ時だった。

 

「!?、う、ぐ……? っ!?」

 

「!」

明確な拒絶だった。光の消えた目を見開いて手を振り払い、怯えるように何かを探している。

無明の世界で知らない者に抵抗も出来ないまま身体を触られたらそれは確かに恐怖だろう。

だが、もっと根本的に言えば、手の感触だけで知らない人物だと見抜かれたのだ。

 

(分かるんだ……こうなっても……)

何も分からない世界で、形が覚えられるほどにずっと手を握られていたのだろう。

それだけ付きっきりだったのならばあの憔悴も当たり前だ。

 

「お二人は……結ばれるべきです……なのに……」

この二人の絆のなんと強いことか。

ガロアの出生と育ちを知って、自分が先に出会っていれば何かが変わったのかなんて卑屈なことを考えるときもあった。

だがそんな小さなことで変わったり崩れたりするような関係では無かったのだ。

自分では支えにならないというこれ以上ないくらい分かりやすい拒絶なのに、不思議とそれに対する悲しみは無かった。

えげつない汚さばかりが目立つこの世界でとても綺麗な物を見つけた。

ガロアはセレンを大事な人だといい、セレンはガロアを何よりも大切にしている。

そこにはそれだけで掛け替えのない価値がある。

 

「……? だ……れ?」

リリウムの顔を手で触れながら、たったそれだけの短い言葉ですらも呂律も怪しいままに尋ねてくる。

 

「リリウムです」

 

「……」

 

「リリウム……で……す……」

 

「……」

どれだけ言っても耳には届かない。

ヒューヒューと秋の夜の風のような呼吸の音が返ってくるばかり。

拒絶されたことは悲しくない。

 

(もう……この人には…………)

ガロアの世界ではセレンとそれ以外の者に分かたれてしまい、認識すらしてもらえないということこそが悲しかった。

ここに確かに肉体はあるのに、精神はもう誰にも届かない世界に行ってしまった。

 

「今……何か、食べられる物を……」

とりあえず意識はあると分かったので買ってきたリンゴの皮をナイフで剥いていく。

慣れない作業で、あまりうまくはいかなかったが何かをしてあげたかった。

しかし、今のガロアは固形物を食べられないということをリリウムは知らない。

 

ガチャリ、とドアが開く音が聞こえた。

そういえば鍵をあけて入ってきたはいいが気が急いて閉めるのを忘れていたか。

セレンが戻ってくるには早すぎるような気もするが。

 

「えっ?」

男が立っていた。

大けがでもしてまだ治療中なのだろうか、両脚には矯正器具を付けており、口から覗く歯はボロボロ、異様な出で立ちだった。

だが何よりもおかしいのはその手に握られていた拳銃だった。

今まさにベッドに横たわっているガロアに向け引き金を引こうとしており――

 

「いやっ!!」

思わず男を突き飛ばした瞬間に弾丸が発射され、ガロアの頭のすぐ横に穴が空く。

 

「なんだぁああああこの野郎はよぉおおおおなんでまた別の女はべらせてんだああああ」

どう見ても悪いのはこの男なのに、いきなり逆上してもの凄い力で掴みかかってくる。

細身のリリウムは片手で軽く押されただけでベランダのそばにある机まで飛ばされてしまった。

 

「新しい女かよ? でももう何も出来ねえんだもんなぁあああ」

 

「なっ、やめ、なんなんですかあなたは!!」

首を絞められたまま椅子に座らされて思い切り押えつけられる。

多少の抵抗はしたが非力な少女の力では男の力に敵わなかった。

 

「ざまぁねぇよな、そう思うだろ!? 最強のリンクスだがなんだか知らねえが巡り巡ってツケが返ってきたなあっ!!」

そのまま口を開いて出した舌をゆっくりと首元に這わせてくる。

心底気色の悪い感覚にリリウムは鳥肌が立った。

 

(助け……)

思わずガロアの方に目をやるが助けるどころか、耳元数cmの距離に弾丸が当たったことも、男が入ってきたことにも気が付いていないようだ。

この男が言う通り何も出来ない。

 

「肌寂しいだろ、こんなんになっちまったらなんもしてもらえないもんな。おお……そうだそうだ、そのままこいつの顔を見ていろよ」

力で無理やり押えつけたまま身体のいたるところをまさぐってくる。

男が何を考えているのか、男がなんなのかが分かってきた。

ガロアに恨みがあって、今のガロアが動けないのをいいことに殺しに来たのだろう。

だが自分を見つけたから予定を変更して何もできないガロアの前で犯すつもりなのだ。

考えが追いつくと同時に男はベルトを外してズボンと下着を降ろした。

幼い頃のトラウマが一気に蘇り目を背けてしまう。

 

「いやっ、やめて!!」

だがガロアへの恨みは本物だとしても、それを理由に周りに悪意を巻き散らすこの男は本物の屑だということも分かる。

必死に暴れて細い脚で男の身体を蹴るが。

 

「暴れんじゃねえ!!」

 

「ゔっ」

その数倍の力で腹を殴られた。

息が詰まった瞬間に今度は顔を思い切り殴られる。

何度も何度も。自分より弱い者や女への暴力が如何に慣れているのかがその拳には表れていた。

そんな分かりやすい悪にさえまともな抵抗が出来ない。

リンクスになって、ネクストに乗って強くなったとしても本質的な部分で何も変わっていない。

何度も顔を殴られ意識が遠のいているとき、ネクストから降りてもひたすらに身体を鍛えていたガロアの姿を思いだした。

こんな時の為だったのか、と遅すぎる納得をする。そう、遅すぎる。

 

「誰か、助げっ」

 

「叫ぶなよ、分かんだろ、そんぐらいよおおおお!! 静かにすんだよォ静かにィイ――!! あァ――ッ!?」

口を開いて助けを呼ぼうとした瞬間にまた男の容赦ない拳を浴びせられる。

舌を噛み、口の中が切れて血が流れていく。抵抗する気力もなくなった途端に服が引き千切られた。

助けを呼ぶとして誰が来てくれるというのだろう。ほとんどの人間は戦いに出てこの建物の中にはいない。

セレンもあの様子では少なくともあと一時間は眠るだろう。あの日のように王が助けに来てくれることなどあり得ない。

髪を引っ張られて頭を無理やりあげられる。男の下卑た笑いが目に入った。

視界の右半分がぼやけているのは目の上が腫れてしまったからだろうか。こんなこと経験したことも無かった。

 

(結局……)

乾いた笑いが漏れてしまう。

結局あの時先送りにしただけなのか。

いや、もっとひどい。ここで自分はメチャクチャに犯された後に殺され、ガロアも殺されるだろう。

 

『弱者も敗者も奪われ弄ばれる。そうならないためには?』

かつての王の問いの答えを、優等生だった自分は分かってはいた。

自分の身を守る力を付けるしかないのだ。分かってはいたのに。

とうとう、身に付けていた衣類が全て剥ぎ取られた。

 

 

 

 

 

 

 

耳元に着弾した弾丸にすら気が付かないガロアの精神世界に変化が起こっていた。

それがガロアの夢なのかどうかは分からない。長い間痛みに襲われ続けまともに眠ることも出来ず、とうとうせん妄が始まっていたのだ。

 

(何をしに来た?)

身体中を棘に貫かれ動くことも出来ないまま痛みに苛まれ続ける自分を見下ろすアレフ・ゼロがいた。

 

『__、__』

 

(いつも同じことを言うんだな……)

戻ってきてくれ、戦おう、と。

まとめてしまえばその二つになる。

いつもアレフ・ゼロは同じことを言う。

そして凶悪な力を渡してくる。

 

(もう動けない……それに俺はこのまま……死にたいんだって、分かれよそれくらいは……)

あれだけ自分と密接に繋がっていたなら『自分の意志を汲む』ことぐらいできるだろうに。

こんなところにまで表れて同じことを繰り返す。

 

『__』

 

(痛ぎっ、あ゙っ!)

短い言葉の後に、無理やり身体を持ち上げられた。

凄まじい痛みが身体中を襲うが、自分を貫いていた棘から遠ざかっていく。

 

『__、__』

 

(…………)

何度も何度も繰り返す。

敵はまだいると。

 

『__、__』

例えば、すぐそこにいると。

 

 

 

 

どくん、と力強い音が聞こえた。

自分の心臓の音では無い。

 

(……えっ?)

男は自分の股ぐらをいじくるのに夢中で気が付いていないようだ。

音のする方に首を向けるとリリウムは信じがたい物を見た。

どくん、どくんとここからでもガロアの胸が脈動して跳ねるのが見える。

鼓動はやがて太鼓の音のように激しく早くなり、ガロアの肌がどんどん赤く染まっていく。

 

(ガロ……ア……様……)

ほとんど動くことすら出来なかったガロアがベッドの上に散らばったリンゴを掻き分けてナイフを掴む。

そして――

 

「おぐっ!? おっ? えっ?」

そのまま男の腹部……肝臓に深々とガロアの長い腕が持ったナイフが突きたてられていた。

ぶちぶちとガロアの身体中に付けられた管が抜ける音がする。

上体を起こしたガロアは目を見開いていた。

真っ赤、瞳孔の色すらもなく余すところなく赤く塗りつぶされたその目はアレフ・ゼロの複眼の色とよく似ていた。

 

「ぶっ……?」

爆発するかのように勢いを付けてガロアはナイフを男の腹から抜き、そのまま血濡れのナイフを男の首に突き刺す。

男は何が起こったのかを認識する前に息絶えていた。

 

ガロアには何も見えていない聞こえない。

こんな姿になってすらも命を奪う。死の隣に座り続けてガロアはいよいよ本当に死神に近づいていた。

悪意と敵意だけがガロアの精神世界に映りこんでいた。

 

「…………」

だが、そのままベッドに戻って布団をかけて管を入れ直してまた眠りにつく……なんてするはずも無く、ガロアもそのままベランダへと続くガラス戸に向かって倒れ込み、思いきり顔からぶつかる。

床に突っ伏すまでにガラスに垂直にガロアの顔から噴き出た血の線が描かれていた。

 

「ガロア様!!」

今の自分がどういう状態であるかも忘れてガロアを腕に抱く。

力なく口と目が開かれているのを見てぞっとしながら胸に耳をやると心臓が止まっていた。

さきほどの血のように赤い肌が嘘のように青白くなっている。

 

「いっ、いっ、いや!! 死なないで!!」

あの時目の前で息絶えたメイドとガロアが重なる。

何度か思ってしまったことだ。

あの時助かったのは運が良かったからでは無く、自分の代わりにメイドが撃たれたからではないのか?

女は殺さないと男達は言っていた。『自分の代わりに死なせてしまったのではないか?』

 

「そんなっ、まさか! いやです! だめ!!」

まさか今日ここでも。セレンは自分を信頼してくれたというのに。

また今日も自分の代わりに死ぬというのか。

小さな拳で何度もガロアの胸を叩く。やせ細った身体にこんなことをして逆効果なのではないだろうか、正しい心肺蘇生の方法はなんだったか。

渦巻く疑問と焦りがリリウムの頭の中を埋め尽くした時。

 

どんッ! とおよそ人の身体から出るとは思えない激しい音がガロアの胸から響く。

ガロアの心臓がまた動きだしたのだ。リリウムの願いが届いたというよりは、『何か』がガロアの魂を再びこの身体の牢獄に入れたかのようだったがそれでも。

 

「ああ、ああぁ……ああ……!」

ほんの数分の間に起こった津波のような感情と思い。

怒り、羞恥、屈辱、焦燥、悲しみ、安心、喜び。

まだ好きだと言えていない。あんな人には絶対に身体を許したくない。助けてくれた。

その全てに翻弄されて飲みこまれていく。

 

リリウムはガロアの口にキスをしていた。

順番は逆だが、まだ動悸が安定していないから肺に空気を送りこまなければ、と頭の中に浮かんだ言い訳も全てそれで吹き飛んでしまった。

 

セレンに対する酷い裏切りだと、ガロアはそんなことこれっぽちも望んでいないと分かりながらも何度も何度も唇を重ねてしまっていた。

もうガロアには何も分かっていない、心に入る隙間はないと知っているのに。

自分の世界を変えた少年に対する愛おしさと感謝が、痛め付けられた身体と対照的に輝くようにして弾けてしまったのだった。

 

 

セレンが戻ってきたのはそれから30分後のことだった。やはりよく眠れなかったセレンは部屋に戻ってその惨状を見て一発で目が覚めた。

何度も殴られたかのように腫れた顔をしたリリウムは何故か服を身に着けておらず、ベッドから転げ落ちてリリウムに抱えられているガロアは血だらけで、血だまりの中で絶命しているのは見覚えのある男だった。

 

『ガロア様が助けてくれた』

 

そのリリウムの言葉足らずの説明――およそ医師や無関係の人間ならば信じられないであろうそれを、セレンは簡単に納得してしまった。

 

自分でも、ましてやリリウムでも無い。助けようと思ってした訳でも無い。

死に行くガロアをこの世界に引き戻して起こしたのは敵意、悪意なのだ。

こんな状態になってもまだガロアは戦いに誘われているのだと。

 

 

 

 

 

 

「どうだ?」

 

「なしのつぶてだ」

ジョシュアもマグナスも二人して頭を抱えた。

分かってはいた事だが、希望が見えてこない。

 

「まだ聞いていないリンクスは?」

 

「……今帰ってきた者にはとりあえず聞いていないな」

ジョシュアの言葉に振り返ると、まだパイロットスーツを来た色男が歩いていた。

その周りには五人程、血の繋がりもうかがえない老人や子供、女性がおり誰だかは分からないが一見してとっつきやすそうな性格に見える。

 

「すまない。少し時間を頂けるか?」

 

「んん? なんか用かい、ジョシュア・オブライエン」

 

「私を知っているのか」

 

「知らない方がおかしいだろ。ああ、俺はロイ・ザーランド。まぁ覚えなくてもいい。男に覚えられてもな」

そう言うとロイの近くにいた歯の欠けた老人が愉快そうに笑った。こんな状況なのに笑顔を忘れていないとは強い者達だ。きっとこの男が負けるとはこれっぽちも思っていないのだろう。

顔は知らなかったがその名は以前から知っている。独立傭兵の中では一番上のランクにいた男だったはずだ。

 

「ミド・アウリエルという女性を知らないか?」

 

「……? どっかで聞いた名前だな。いや、悪い。今までにあった女は全部覚えているんだがな……」

 

「ちょっと待って。ミドって……医者のミド?」

実に豊かな表情でロイが顔をすまなそうにしたとき、隣にいた褐色肌の女が声をあげた。

 

「! 知っているのか!?」

 

「あー……それだ」

 

「黄色人種で、ちょっと脚が悪い医者だろう? 知っているさ。私はその人に手術をしてもらったんだ」

 

「!! 連絡先は分かるか!?」

これはもうほぼビンゴと言ってもいいのではないだろうか。

黄色人種で、身体に障害がありかつ医者。ここまで一致して他人という事は考えにくい。

 

「ああ、知っているよ。何か悪いとこが出たら連絡してくれって言われて」

 

「やった……マギー! おい、マギー!」

この幸運は自分の物なのだろうか、それともあの少年が引き寄せているものなのだろうか。

とにかく言えるのは途轍もない激運だということだけだ。思わずジョシュアは叫ぶ。

 

「……」

 

「マギー! 何をしているんだ!」

言い出しっぺの本人はというと明後日の方を向いたまま黙っていた。

 

「あの二人……片方はORCA旅団のメンバーで片方はカラードから来た者のはずだ。随分と親し気だが」

 

「……?」

視線の方に目をやると黒髪の女と金髪の男が隣り合って座りながら修理されているネクスト、ノブリス・オブリージュを見ていた。

その距離感は間違いなく男女の間にある壁を超えて繋がりあった者同士の物だった。

同じく、それを見たロイが口笛を鳴らす。

 

「……あの王子様がねぇ。女には優しくても絶対に手を出さなかったのに。よっぽど思い合っていたんだな」

金髪の男の方は知っていた。そもそもが有名人だったからだ。ローゼンタールの最高リンクス、ジェラルド・ジェンドリンだ。

だがそれよりも気になる言葉があった。

 

「いた? いたとは?」

 

「え? だって女の方がどう見ても固そうじゃないか。前に声かけたけど完全に無視されたしな。女に手を出さない男と固い女が結ばれる理由ときたら、昔からの縁とかだろ」

 

「……、……!」

ジェラルドの過去は知っていた。自分と同じくコロニーアスピナ及びアスピナ機関出身のはずだ。

ということはその頃からの縁?そこまで考えが及んだ時、嫌な予感が頭を掠めた。

 

「ミド・アウリエルに連絡はとれるか?」

 

「四日前に電話が来たばかりさ」

 

「あとで話をさせてほしい。彼女の治療を必要としている人がいるんだ」

 

「まぁ、いいけど来てくれるかわからないよ」

 

「迎えに行く。……すまない、少し気になることができた。話はまたあとで」

なんなんだ、という顔をするロイと褐色肌の女、ミゼルを後にジョシュアは隣り合って座るジュリアスとジェラルドの元へと向かった。

 

 

「ジョシュア・オブライエン……!」

 

「!! あなたに会えて光栄だ」

ジュリアスは声をあげ、ジェラルドに至っては立ち上がり敬礼までしてしまった。

そんなことをしなくていいとジェスチャーをしながらジョシュアは口を開いた。

 

「君は……ジェラルド・ジェンドリン。ローゼンタールの……」

 

「はい」

 

「そちらの……君の名は?」

 

「……ジュリアス……エメリー」

 

「どこに所属していた? ORCAの前だ」

 

「レイレナードだが……なぜ?」

さらりと言ったその言葉にはとてつもない悪意が潜んでいる。

 

「! 二人ともアスピナ出身だな? いつから企業に?」

 

「あなたが……。アナトリアを襲撃する半年前だ」

 

「……!!」

ジェラルドの言葉を聞いてジョシュアの脳は一気に回転を始めた。

 

ローゼンタールグループとレイレナードグループはリンクス戦争で敵だったはずだ。

それに新たに戦力としてリンクスをアスピナが送っていた?

 

かつてローゼンタールグループのオーメルからジョシュアに直接持ちかけられた依頼を思い出す。

もはや全てのリンクスを超越してコントロールの効かない存在となったマグナス・バッティ・カーチスの抹殺。

そして同様に個の持つ力としては危険すぎる領域にいるジョシュアの死。

自分たちが世界の混乱の中心だという自覚はあった。

だが何よりも、その依頼の受諾をしなければアスピナは企業から敵と認定されることとなり未来がなくなるという事実がジョシュアに苦しい決断をさせた。

 

帰る場所のある男が力をつけすぎることというのはそういうことなのだ。

「人間」は一人では生きていけない。その人物がどれだけ強くても周りの物が脆いことは避けられず、それは破滅への起爆剤となる。

二人が制御不能の力を得た時点でアスピナかアナトリア、どちらかに未来はなかったのだ。

 

一人で最後のミッションに赴くときに、最期に会ったあの男は、自分の教官であったあの男はすべてを察した顔で初めて神妙な声で言った。

「すまない」と。

 

そしてアスピナには平和が訪れた。

訪れたが。

 

最後の戦い、そして二人が姿を消せば平和になるはずだった。

 

オーメルの、いや、企業の主張は実際正しかった。

個人が過ぎた力を持つべきではないのだろう。

その主張が正しかったとして、なぜアスピナはまだあんな商売を続けていられる?

何故未だに兵器開発を続けている?

 

 

(すまないだと?)

だがあの男の行動は、戦争の種をばら撒いているのでは?

戦い争いあう勢力に同じだけの戦力を送るというのはどういうことか。

勝負がつかないことは変わらない。

変わるのは。

 

(人の死ぬ数……)

今起きている戦争と同じだった。

人が死ぬことだけを目的としているのならば全てが繋がる。

 

あの男の、自分の優秀な教官だったあの男の普段の不気味なつかみどころのなさと、あの時の神妙な表情。そのどちらが本性だったのか。

 

 

「主任……?」

 

「「え?」」

ジョシュアの言葉にジュリアスとジェラルドが同時に反応したそのとき。

 

『ようやく気が付いたのかい』

ジョシュアの胸ポケットに入っていた端末が勝手に起動し声が出てきた。

あの日のアレフ・ゼロとの戦いで自分の生存は世界に知られ、生きているのならアスピナにいる『主任』の耳にも届いていたはずだった。

だからいつか連絡が来るのではとは考えていたがこのタイミングとは。

 

「「「主任……」」」

三人の声は同時に同じ言葉を発した。

取り出した携帯端末に映っている男は塗りつぶされたような黒い髪よりも顔に彫られたいくつもの刺青のほうが目につき、袖からのぞく手にも暴力的なタトゥーがある。

初めて会った時から髪型が変わったりタトゥーが増えたりしていたが、何よりも老けないなと不思議に思っていた。

8年ぶりに見た彼はやはり全く年を取っておらず、見た目だけで言えばもう自分の方が年上になってしまったようにも思える。

 

『初めに言っておこう。アスピナは関係ないんだ。信じるか信じないかはそちらに任せるけどね。倒すべき敵と言うのならばそれは俺一人だ』

 

「……」

淡々と語り始めた男の言葉に三人は理解が追い付かずに固まる。

 

『じゃあ……フィナーレと行こうか』

 

 

 

 

『人類に宣戦布告する』

 

 

―――100年前の出来事を知っているだろうか?

 

ああ、知っているよ。あの国とあの国が戦争をして、あそこで大震災が起きて、ああなってああなったよ、と。

誰もが知る様な大事件を挙げていくだろう。

 

知っているのならばそれが事実だと証明できるだろうか?

人から聞いた話では無く、教師から教わった事ではなく、人の書いた書物を引用するのではなく、自らの手で。

この百年前の出来事は間違いなくあったことなのだと。

 

100年。同じことを周囲から言われ続ければ本当はあったことも無かったことになり、無かったことが本当にあったことになる。

『歴史』とはそういうものなのだ。事実をある人物の主観を通して見た物なれば、伝え聞く事柄はどうしても幾つもの人の意識に触れて歪められている。

 

人と人の間で起こる事実と歴史の認識のずれは人間が三次元存在である限り永遠の課題なのだろう。

今日も明日も、『我が国にはそんな記録はない』、『貴国は我が国に対しこのような振る舞いをした事実がある』と、最早解決のしようのない主張を人間は滅ぶまで繰り返すだろう。

 

100年でそうなるならば。

200年、300年――事実は物質よりも圧倒的に早く風化してしまう。

 

例え目に見えない何かが歩んでいるのを誰かが気付いたとしても。

それが誰かの手によって歪められれば…………

 

この世界には我々の知る『歴史』とは全く別の『事実』がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人類に宣戦布告する、と確かに聞こえた。

すでに1000万人近い死者が出ているという下地がなければ到底信じることはできなかったであろうその一言は、圧倒的にリアルな狂気を含んでいた。

 

 

『地球上の人類現在約3億8700万人。ちょっと多すぎるんだよな』

 

『人口が上から20までの都市に対して今から3週間後に攻撃をしかけるからさぁ』

淡々と述べられている言葉、数字はどこかふわふわと非現実的だった雰囲気を凍らせていく。

ジョシュアの端末から出てくるその言葉に気付かずに歩く人々のいる世界だけが現実でこれは夢なのではないか。

三人はまばたきすらも忘れていた。

 

『逃げてもいい。ま! 結果は変わらないと思うけど』

 

「……、……! 主任……あなたは一体……?」

 

『好きなように呼べよ。今まで通り、主任でもいいし……昔のように管理者と呼ぶのもいいし、伝承のように古の王と呼ぶのもいい』

 

(伝承?)

 

「本気で……、いや、あなたは何なのですか!?」

ジョシュアが引っ掛かった言葉の意味を考えているとジェラルドが声をあげた。

ジュリアスは黙ったまま状況をなんとか飲みこもうとしているが無理だろう。

 

『人は目に見えない事象が示す事を、信じるか、疑うかしかできない。自分から確かめるというのは実に難しい。でも、疑うのは疲れるんだよね。周りが信じていれば尚更、狂人扱いされるからな』

 

「……?」

 

『あったはずだ。どの文明とも類似点が見られない文字で書かれた書物。年代的にあり得ない地層から出てきてしまった機械。デフラグを逃れてしまった断片が。……俺はいつでも……どこにでもいたよ』

 

「……!」

その時ジョシュアは思いだしていた。

自分をプロトタイプネクストから引きずり出した後にアナトリアを襲撃してきたネクストを抹消するためにマグナスが起動した爆弾。

いや、あれは爆弾なのだろうか?一切の生物の存在を許さずそこにあったネクストを含むあらゆるものを砂にしたあの兵器はイェルネフェルト博士が『発掘したもの』だと言っていた。

今なおあの爆弾を超える威力の物は開発されていない、明らかなオーバーテクノロジーの産物。

学者たちが辿りついてしまった禁忌の力だとか、そういったものなのだろうと思っていた。

だが、『発掘』という言葉が正しいとするのなら。

 

「私達の歩んだ歴史は……」

 

『全ては幻想だ』

主任の答はシンプルだった。

抽象的で何にも答えていないようにも聞こえるが、恐らくは簡潔にまとめるとそうなってしまうのだろう。

 

『教え子にこんなことを言うのは心苦しいんだけどね、リンクスは一人残らず処分することが決定している。ジュリアス、ジェラルド』

 

『もちろんお前たちもだ』

 

「待て! その話が全て本当だったとしてそれを何故私達に告げた? 既に戦闘は始まっているというのに!」

そう、これではまるで準備しろと言っているかのよう。

もっと言ってしまえば遊んでいるかのようだ。

 

『一番ウザったいのは後からレジスタンスを形成されたりすることなんだよねぇ。あの時ああしていればまだ状況は、とか、突然で理解が追い付かなかったからとか、あぁ~……ウザいったらない』

 

『知るべきだ。決して覆せない力の差という物があるということを。人類最高戦力のあの彼でもそうだったように』

 

『自分達が全力で立ち向かっても敵わなかったということを覚えておいて欲しいんだよねぇ!』

 

「そうだとして無辜の民を狙う理由はなんだ!? あなたは一体なんなんだ!? 無抵抗の人々を虐殺するつもりか!? 人の心は無いのか!?」

既に一般人の死者の数は冗談じゃすまないだけ出ている。

今更良心に訴えかけるのは滑稽なことだというのは頭のどこかで気が付いていた。

 

『心……』

そう言うと主任は両の手の平を心臓があるはずの左胸へと突き刺した。

 

『そんなもの……どこにもなかった』

両手で開いた胸の中身は真っ暗な空洞だった。

三人が三人とも若い頃から知るその男が本当に人間では無かったのだという実感がそれを見てようやく湧いてくると共に背筋が凍った。

 

『かかっておいでよジョシュア。お前と……マグナス・バッティ・カーチスの二人ならあるいは、あるかもしれないだろう?』

 

「……」

逆だ。自分達が二人で戦った時のパフォーマンスは現状地球に存在するどんな戦力をも上回るはず。だからこそかつての企業はなすすべなく自分達の手で崩壊させられたのだ。

その戦力を正面から叩き潰されたとき、希望は一気に刈り取られるだろう。それこそが好都合だからこそそう言うのだろう。

 

『ま! まずが俺を見つけることだね! また会おう……会えるといいな、ジョシュア。待っているぞ』

 

 

 

 

 

残された映像の解析はすぐさま進められ、そのメッセージは現在ラインアークに所属するすべてのリンクスに速やかに伝えらた。

それから4時間後、来れるだけのリンクスが会議室に集められた。

 

「……そして、声紋も一致している」

コンピュータを操作するジョシュアが指し示すのは四つの声紋。

一つは黒いホワイトグリントの主の声、もう一つは自分の物。

一つは先ほどの主任の声、そしてもう一つはあの戦場にいたもう一つの未確認機から発せられていた声。

 

「奴らは……仮に奴らだとして、奴らは人間を電子化しコピーする技術がある。人間ではないといよりも、人間を超越した存在だったようだ」

 

「な……、じゃあどうすんだよ! バラバラにされても生きているってことだろう!?」

 

「……生きていると言っていいのかすら」

ダンがジョシュアに至極正論な言葉をぶつける。

生きているかどうかも分からない、機体を50cm刻みでバラバラにしても消滅しない相手をどう倒せと?

 

「……こいつらなんなんだよ! あんた、アスピナ出身だろ!?」

 

「こいつは」

その言葉に答えたのはその映像を何度も見たウィンだった。

 

「黒い鳥伝説に出てくる古の王、その伝承の存在そのものだ」

 

「! あんなお伽噺……」

一人の王によって全てが管理されていたというデストピアの伝説。

そこに出てきた黒い鳥が何もかもを黒く焼き尽くし、生き残ったものがまた繁栄を始めて今に至ったという誰でも知っている、誰もが信じないで笑う伝承。

そう、あくまで伝承だったはずだ。

 

「インテリオルグループはいくつかの研究で人類が過去に遥かに高度な文明を持っていた可能性を示唆する証拠を複数見つけていた。世間のパニックを避ける為に、そして確証が得られないが故に発表はされていなかったが」

ウィンは自分がリンクスになって後悔することは何度もあったがそれでも、力と権力を得てインテリオルの機密情報室に入る権利を得た時、そんな情報の数々を目にして心躍ったものだった。

幼い頃に夢見たお伽噺や伝承の真実の一端に触れたような気がして。そして今、その全てが現れた。

 

「で、でもよ」

 

「最早それが真実かそうでないかは重要では無い。大事なのは、本当にこいつらが私達の戦力をも軽く上回りかねない戦力と技術を有していると考えられることだ」

 

「目的はなんなの?」

メイの疑問もウィンの言う重要でない部分に入るのだろう。だがそれは誰もが気になることだった。

 

「恐らく、人類の殲滅では無い」

メルツェルの言葉にウィンだけが頷いた。

黒い鳥という言葉だけならば、イエス・キリストと同じくらいこの世界に生きる者にとって馴染み深い物だ。

だがその伝承を事細かに知る者は聖書の内容をすべて読んだ者と同じくらいしかいない。『しか』と言ってもそれは受け継がれてきたお伽噺の類としては圧倒的に知る者が多い部類に入るが。

 

「現在の地球上の人類が『多すぎる』と言った。そして伝承では古の王は人類を『支配』していた。隷属させていた訳では無い。国家解体戦争以降、広がり続けるコジマの汚染は止められない。あと半世紀もせずに地上を覆い尽くすだろう。新たなクレイドルの建設が追い付いたとしても、そこに誰が乗るかで争いはまた起こる。また汚染は広がる。このまま行けば……地球上の人間がどうなるかは分かりやすい。だが今ここで、少ないながらも人々を保護し、コジマ汚染が無くなるまで保護することが出来たのなら。それだけの力があるのなら……目的は『人類種の救済』だろう」

 

「俺たちリンクスの命と……何の関係もない人達の命を犠牲にしてか!」

 

「もちろん、到底認められるはずがない。だが……」

 

「どうすればいいのか分からない。その男を倒さなければならないのだとしてもどこにいるのかも分からない」

オッツダルヴァの言葉は全て正しい。目的に見当がついたところでどこにどう攻撃するのが有効なのか分からない上、敵の規模も不明。

このままでは確実に防戦一方になる。敵の本拠地があったとしてもガロアがバラバラにしたはずなのに生きて(?)いるのだ。どこから手を付けるべきなのか、煙を掴むような話だ。

 

「メルツェル、クレイドルとの連絡は?」

 

「ついていない」

 

「……そうか。王小龍に連絡を取り全てを伝えろ。少なくとも、攻撃される場所が分かっているのだから」

 

「民間人への発表は?」

 

「控えるべきだ。混乱し、逃げ惑いバラバラになってもらっては守ることすら出来ない」

マグナスの言葉にオッツダルヴァは頷きメルツェルは各コロニーの責任者及び王と連絡を取るために走った。

なんとかやることを見つけられたのは救いで、どうしていいのか分からないダンは今にも泣きそうだが同じような顔をしているメイのそばに寄り添って肩を抱いている。

 

予想が当たっているのなら全ての人間が死ぬことは無いのだろう。

だがリンクスだけはどうあっても処分されると言っていた。

最早戦場から逃げることすらままならない。

リンクスも人間だ。そんな人間が、どこに行っても逃げられず戦う事を強いられるこの現状で何を希望とすれば恐怖に押しつぶされずに最後まで戦い続けられるのだろうか。

それは誰にも分からなかった。

 

 

 

誰もが焦燥感にかられて口を回す部屋からセレンは結局一言も発さないまま抜けた。

 

『命を賭して敵を蹴散らす』

 

『お前はセレンの敵だ』

 

かつてガロアが言った言葉を思い出しながら首のジャックに触れて自分もリンクスであることを思いだす。

ガロアは正しかった。根拠を抜きにして、その恐ろしいまでに鋭い直感で自分に害なす存在を見抜き、戦っていたのだ。

誰にも言わなかったのは、恐らく誰も信じないから。それはそうだろう。今こうなってすら、誰もが半信半疑なのだから。

 

(でも、もういい。もういいんだ)

ガロアの戦いは終わった。ガロアがもうすぐ死に行くこの世界がどうなろうとどうでもいい。

自分もリンクスなのだから狙われるのだろう。理由としてはなんだろう?

脅威の排除だろうか。人類の数を減らした後の管理のことを考えて危険な戦力となりうる存在を前もって排除するということなのだろう。

つまり、ガロアはその中で最も危険な存在だったという事だ。ガロアがあの時逃げなかった理由がようやく分かった。

でも、本当にもういい。殺されるというのならばそれでも構わない。

三週間後と言っていたが、その時にはもうガロアは……。

だからどういう結末になろうと自分には関係のない話だ。

ふらふらと階段を昇ろうとして止まる。

そうだった、部屋は変えてもらったのだったと思いだし、セレンは幽霊のようにガロアの待つ部屋へと向かった。

 

 

 

 

 

 

上下の感覚もない暗く息苦しい世界でアレフ・ゼロが語りかけてくる。

戦え、戦えと。

 

(どうして戦うの?)

 

『__』

敵はまだいる、そこら中にいると。

 

(当たり前だろ……誰かが生きれば誰かが死ぬ。誰も彼もお仲間友達ってわけじゃないんだ)

 

『___』

 

(そうだろう、もういいだろう。疲れた)

敵がいるからまだ戦えと、いつになったら終わる?

戦いの螺旋に入り口はあっても出口などない。

結局あの男、マグナスだって戦いから逃れられていない。

 

『______、___!!』

明滅する複眼が答えを語りかける。

終わりなんていらない。何故戦うのか、実に分かりやすく簡単なことだった。この世界から戦いは消えない。例えば今日、どこかの誰かが何かを愛したとして、永遠にその番犬になると誓うのならば。

 

(…………。……そうか……そうだな……)

『どうして自分の思いを汲んでくれないのか』と思っていたがそれは違ったらしい。

この機体は自分の思いを何よりも純粋に、それこそ脳みそを切り開いた奥の奥を見たかのように汲み取っていたらしい。

 

(もう一度動けたらどうするって……?)

まだ自分が生きていることを知った時に浮かんで溶けた疑問に答えという形が与えられていく。

 

『…………』

 

(セレンの為に戦う。それだけだろう。何もかもが消えてなくなるまで)

 

『____、__』

その通りだ。腕が千切れ飛ぼうが目が見えなかろうが関係ない。

脳髄があればまだ戦える。

 

「ああ……待っていろ、ゼロ」

 

「俺が、お前と一緒に行ってやる。必ず戦いに戻るから……待っていてくれ」

 

 

 

「ガロア……?」

部屋に戻ったセレンは、薄く目を開けて、ベッドに横たわりながら空中に向かって話しかけるガロアの姿を見て困惑した。

寝言にしてははっきりとし過ぎている。耳が聞こえないのにこんなにしっかりと喋れるはずがない。

 

「ゼロって……アレフ・ゼロの事か?」

ガロアが意味のある言葉を発するのを聞くのは実に久しぶりだったというのに喜びは湧いてこなかった。

夢の世界にいるときだけはいつも顔から憑き物が落ちていたというのに、再びガロアの表情に火が灯っていた。

そう、戦う男の顔になっていた。

 

戦いがまだガロアを呼びよせていることに気が付いたセレンは、久々にガロアの意識がはっきりとしたというのに喜ぶことも出来ずに顔を青ざめさせた。




例えば……アブが敵側だというのは私達の視点からは分かりますが、ラインアークに長い事協力し、ガロアに新たにネクストを与えたアブを敵側だと疑うのは実際難しいでしょう。
怪しいふるまいは多々あれど、怪しい・奇怪な行動はアブもジョニーも常の事ですから。

一番怖いのはウイルスのように目に見えないのにどこにでもいる敵だと私は思っています。

ガロアくん、相変わらず生きているだけで呼びよせるように敵が来て周りにとばっちりが飛んでいくわけですが、
そんなのマグナスも似たようなもんですからね。
いや、正直数だけで言えばマグナスの方が敵は多いか……
後に誰が言い伝えてもマグナスは『元凶』と言われるでしょうし。
理由はどうあれ、人格はどうあれ。


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選択と答え

連絡のつく全てのリンクスにその状況は伝えられた。

最早かつて争った敵同士などと言っていられない状況だった。

現在地上にある戦力は全て展開され、各コロニーの防衛に回された。

3週間後と言ったがその間も嫌がらせのようにコロニーや施設への攻撃は続いており、探索と調査もままならかった。

 

そんな喧騒から遠く離れたある小さな小さな島にカニスはいた。

ラインアークが企業に対して戦争を始める前にネクストを売っぱらい、今まで稼いだ金で小さいながらも落ち着ける家がついたこの島を買ったのだ。

野菜も十分に取れるし魚も動物もある。船もあるので買いだしも問題なく出来る。

戦争なんか勝手にやっていてくれ、とカニスは日がな一日女を買ったり本を読んだり、時には泳いだりと優雅に過ごしていた。

 

これこそが与えられた才能と特権を賢く使った結果なんだ、とプールで浮かびながら青い空を見て自分に言い聞かせるように考えながらも虚しい感情に苛まれているとき、懐かしい友から連絡が来た。

 

「それ……全部本当か?」

 

『そうだ! だからカニス、』

 

「ほっとけよそんなもん! 逃げちまえ! 戦わないで逃げればネクストなら逃げきれる! 生き残れるだろうが!」

どうしているのだろうか、とは思っていた。馬鹿な夢に殉じる為にカラードを裏切ったと言うところまでは知っていた。

死んでいなくて良かったと思ったが、このままではやはり、どちらにしろ死ぬだろう。

 

『俺はお前の言っていることが分からねえ、カニス』

 

「なんでお前がそこまでするんだ。お前が人々の為に戦ってなんだってんだ。どこまで行っても俺たちは戦争の兵器で普通の人間とは違うし感謝もされない。弱い人間を救ってどうなるんだ? お前が一人助ける間にどれだけの人間が死ぬ? 力があるなら生きる為に使えよ、お前」

 

『違う! ここで戦わなきゃ救われないのは俺なんだ……俺だったんだよカニス! 俺はそうやって俺の為に戦っていたんだ。お前がお前の為に戦うのと同じだったんだ』

 

「お前……」

 

『命をかけるものはあった。俺だった』

 

「知るか!! 大馬鹿野郎が! 勝手にしろ!!」

怒鳴りつけて一方的に電話を切ってしまう。

どうして自分は怒るのだろうか。

 

「……どうすれば救われるかだって……?」

自分の怒りの理由を知っている。

自分の思う通りに、願った通りにならないから怒っている。

なぜ怒るのか。

 

「リンクスは殺されるだと……くそ」

たとえ馬鹿だとしても、自分みたいな賢しいやつよりもああいう奴が力を持った方がいい。そう思っていた。

でもそういう馬鹿は加減を、自分の力を知らないから見誤って死んでしまうんだ。あんなにいい奴でも。

しかしそういう場面で死を覚悟して戦えるような奴だからこそ自分はあいつに死んでほしくないと思っていたのだろう。全く矛盾している。

 

「俺は……お前が羨ましかったんだよ……ダン」

 

ネクストを売り払ってから、一時的な快楽に浸って忘れることは出来ても、

救われた気分になったことなど一度もない。自分の気持ちに正直に動いたことなど一度もないからだ。

いいや、それどころか今までだって一度もなかった。自分の為に戦っていたはずなのに。

ダンの救いが、自分の信じる正義の味方像になる為に戦うことだとしたら自分の救いは?『本当に自分の為に戦うということ』は?

 

絶対に死ぬ、間違っているそんなこと、と言いながら三度ほど壁を殴りつけたカニスは船に乗りこんで乱暴にエンジンをかけた。

 

 

 

意志の力がどれだけ人の身体に作用するのかは分かっていない。

ただ、何らかの形で作用するという事だけしか。

彼にとっては今までの人生で心の中にあった焼け付くような意志こそが良くも悪くもこの現実を引き寄せたものだった。そしてそれは今も変わらない。

 

「ぐ、ふ……う……!」

 

「……」

以前はたった数口しか食べなかった粥を何度も吐きだしながらももう三回もお代わりをしてどんどん口に入れていっている。飲みこむのも辛いのであろうに。

腹が減ったからもっと寄越せという主張にセレンが否定することも出来るはずも無く、ただ口に運んでいく。

 

「ふーっ……ふーっ……、……!」

身体が動いたのならば今すぐにでも飛び起きて走り出して行ってしまいそうな顔をしている。

開かれた目は白濁としながらもバチバチと電気が迸り火が付くのではと思えるほど強烈な意志が宿っている。

信じられないことだが、ただ漫然と死に向かっていくだけだったガロアがゆっくりとではあるが回復しつつあった。

無論全快にはほど遠いし、五感のうち四つが潰れているという状態自体は変わっていないが、自力で身体を起こせるようになってしまった。

だがその姿は回復というよりも残り少ない寿命を全て今につぎ込んでいるといった感じだった。

 

「もうやめて」

とうとうセレンは口に運ぶスプーンを止めてしまった。

生きようとするならいい。諸手をあげて喜ぶべき事だ。

だがこれは、もう誰がどう見ても戦いに赴くために無理やりに回復しようとしている。

言い換えれば、死ぬ為に生きようとしている。馬鹿げている。

 

「……、う……!」

 

「あっ」

手を動かすのをやめた自分とは逆に手探りで皿を掴んだガロアはそのままひったくって犬のように口からむかえに行って食い始めた。

このまま体力が回復してその場から動けるようにでもなったらガロアは文字通り、身体を引きずりながらでも戦場へと向かうだろう。

 

「お願いだから……どこにも行かないでくれ」

もちろん、聞こえていない。だが結局変わらないのだろう。

ガロアが今まで自分のそんな願いを聞いてくれたことなど一度も無いのだから。

自分にできることはどこかに行ってしまわないように縛りつけてしまうか、食事を与えないか。

どちらも残酷でどちらもやりたくない。ただ生きてそばにいてほしい、それだけなのにどうして世界もガロア自身も許してくれないのか。

溢れる感情を抑えられずにやせ細った身体を抱き寄せると器が小さく音を立てて落ちた。

 

「……」

しんしんと泣くセレンの声も聞こえない、姿も見えない中でガロアはただ一つだけ感じていた。

自分はやはり人を幸せになど出来ないと。出来ることはただ戦うだけだと。

 

 

 

 

 

「おかえり、ウィンディー。疲れていると思うけど……あと少ししたらヨーロッパに向かって。未確認機の情報があるの」

 

「分かった。弾薬を補給したらすぐに向かう」

先に見えない戦いを繰り返している。眠っているとき以外は常にパイロットスーツのままだ。

レイラの持ってきてくれた水を飲んで一息つくが、本音を……いや、わがままを言うのならば家に帰って広いベッドの上でぐっすり眠りたい。

カンナで削る様に出撃、帰還が繰り返されているこの場所に新たにヘリが降りてきた。

もう誰がどこにいるのかすら把握できていない。

と、思ったら中から出てきたのは会ったことの無い黒髪の女だった。どこかで見たような顔だが、はてどこで見たのだったか。

 

「ミド……?」

 

「え?」

レイラがその声をあげるのと、その黒髪の女がこちらに気が付くのは同時だった。

 

「セーラ……? 生きていたの!?」

 

「あ……ミ、ド……どうして……」

 

「! 記憶が……」

そうだ。あの女、どこかで見たと思ったら前時代のリンクス、ミド・アウリエルだ。

とっくに引退していたはずなのにどこからか引っ張ってこられたのか。

だがそれより大事なのはどういうことか、この女を見てレイラが、いやセーラの記憶が戻ってしまったということだ。

記憶喪失という物はどんなことがきっかけとなって記憶が戻るのかは分からないがまさかここで戻るとは。

 

「その仮面はどうしたの? 死んだって聞いていたのに」

 

「あ、その……これは……」

 

「待て。あなたは一体……?」

割りこんだ自分に一瞬疑問を抱いたような顔をしたが、自分の格好を見てすぐに合点が行ったように口を開いた。

 

「レオーネのリンクス? 私はこの子と同じ養成所にいたの。もう10年以上前の話だけど……新人の育成にでも回っていたの?」

 

「私……」

多大な勘違いをしているがそれ以上に、記憶が戻ってしまったセーラの方が心配だ。

どうにかこの場の進行をストップして、セーラのフォローに回れないかと思った時。

 

「久しぶりだ。ミド・アウリエル」

 

「!……相変わらず……年をとらないのね」

タイミングがいいんだか悪いんだか、やってきたアナトリアの傭兵が割り込んで会話をぶった切ってしまった。

 

「診てもらいたい患者がいる。それは道中話す。来てくれないか」

 

(患者?)

この女はリンクスじゃなかったのか?という考えと、患者とはあのガロア・A・ヴェデットのことだろうか?という考えが同時に出てウィンは一瞬思考が麻痺してしまった。

 

「……。またあとでお話ししましょう」

 

「う、うん」

 

「……大丈夫か? あー……」

アナトリアの傭兵とともに歩いて行ってしまうミドの背中を見ながら、さてどう呼ぶべきなのだろうかと迷っていると先に口を開いたのはセーラの方だった。

 

「ウィンディー! 思いだした、思いだしたの!」

 

「ああ、うん、分かるよ。大丈夫」

 

「違う! そうじゃなくて、まだ生きているのよ!!」

 

「んん?」

まるで自分の記憶がなくなっていた事、取り戻したことなど大した問題では無いと言わんばかりに何かを伝えようとしてくる。

しかし、生きているとは何の事だろう。

 

「延々とクローンによって増え続ける……だからカリオン(細胞核)」

 

「は?」

 

「カリオンと永遠に結ばれた女……だから『ミセス』・テレジア。まだいる、まだまだいるのよ。あいつは死んでいない!」

 

「……!」

ようやく理解したそれは絶望を上塗りするような情報だった。

ガロアと自分、二機がかりで苦戦したあの異様なネクストがまだ……どころか、まだまだいるという。

とにもかくにもここで泣いても笑っても何も変わらない。

記憶を取り戻したセーラの肩を抱いてウィンは一度部屋へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで? 患者って?」

 

「子供だ。まだ18なのに、死にかけている」

並んで歩く二人は年が10は違うのだが、マグナスの方が若く見える。

昔は何とも思わなかったが見た目の上で年をとらないのはやはり女として羨ましいとミドは思った。

 

「なぜ?」

 

「コジマ汚染で触覚以外の五感と運動神経を潰された」

 

「……残念だけど、そうなったら手は……」

 

「いや。あの少年はこの世界でも他に無い程のAMS適性がある」

 

「! リンクス……その子……?」

 

「そうだ。金はあるはずだ。なんなら俺が」

 

「お金はいりません。お金なら、腐る程あるから」

なるほど、それだけ言うAMS適性があるのならば時間をかければ治せないことも無いだろう。

だが、その前に聞かなくてはならないことがある。

 

「では何を?」

 

「どういう人か教えてほしい」

 

「…………純粋、なんだろう。少なくとも俺の目にはそう映った。誰よりも強いリンクスだった。それが仇となり、一番に狙われてしまった。そういえば、何故君はコロニーからいなくなった?」

 

「下半身が動かなくなって、AMS適性を失う代わりにまた動くようになったけど私はリンクスじゃなくなった」

 

「それで医者になろうとしたのか」

 

「そう。で、リンクスを辞めて分かったのよ。私は……正しい人間が力を持てば世界はいい方向に変わると思っていた。でもそれは違った。とても愚かしい考え」

 

「……?」

 

「人間なのに、獣みたいに争って。どう理由をつけたって、結局その本質は自分にとって都合の悪い人間を消しているだけ。企業の命令で戦ってきたけど、私は誰を救ったんだろう、って」

 

「……」

 

「あなたが奥さんと故郷を守るために戦ったことは否定しない。例え、世界をこんな状況にしたのがあなただとしても。でもその子の治療をするかどうかは私が決める」

 

「基準は?」

 

「その子を大切に思っている誰かがいるなら、その子が大切に思っている誰かがいるなら、治療する価値はある。力だけが増長した獣なら私はただ帰るだけ」

ミドがそこまでを淡々と言った時、マグナスは静かに笑った。

 

「なら、彼のいる部屋に行くといい。きっと君はその子を治療する」

 

「?」

よく分からなかったが、関係ない。

救う価値があるならば救えるだけ救う。それだけだ。

 

ゴミだめのようになってしまった地球で救いようのないように見える人々。

何の利益にも得にもなりやしない、そんなことを分かっていながらもミドは病にあえぐ人々を無償で救い続けた。

その時の笑顔、感謝、そして、

 

『あなたにまた会いたい』

 

というその言葉。きっとどんな物よりも価値があると思っている。

 

こんな世界でも人間を信じていたいのならばこの手で人を殺めるよりも治す方がきっと前に進める。

それでも自分が殺した人間の数の方が多いのかもしれないが、少なくともこの何年かで沢山の感謝を貰ってきた。

それは自分がリンクスをやっているとき、ついに一回も貰えなかったものだった。

 

 

 

 

今は眠っている。

だが目が覚めればまた食事を要求するのだろう。

どうしてこんなに戦いたがるんだろう。どうして自分は止められないのだろう。

自分が非力なのか、ガロアの意志が強すぎるのか。いや、それは簡単だ。

ガロアは強すぎる。身体能力やAMS適性の以前に、ガロアは怪物と言っても間違いない精神力を持っていた。心の強さが人間の強さなら、人間を怪物にするのも心だった。

でももう身体がついていっていない。ガロアの人生に、もう少しだけでも誰かに甘えられる優しい時間があったのならば何かが違ったかもしれないのに。

未来のことを何も考えないまま眠っているガロアの手を握っているとノックが聞こえた。

 

「誰だ」

 

「ガロア・A・ヴェデットさんはここにいますか?」

そう言って入ってきた女はだいぶ日焼けしているが、とりあえず黄色人種なのだと分かった。

中国大陸が工場のガスとコジマ汚染のダブルパンチで人が住めなくなり、イエローといえば日本以外にほとんどいなくなった今、こんなところで黄色人種に会うとは珍しい。

 

「何の用だ?」

知らない人物を部屋にあげてしまったという愚に気が付き、そっと腰の銃に手を伸ばす。

しかしその女はどこかで見たような顔でもあった。

 

「医者です。そちらがヴェデットさん?」

 

「!……そうだ」

 

「あなたは?」

 

「家族だ」

 

「……」

間髪入れずに答えたセレンの事をじっと見るミド。

ミドからはどう見たってこの二人の血が繋がっているようには見えなかった。

辺りの様子や、この女性の様子を見るに、ずっとそばにいたのだろうというのは分かった。

あの時のマグナスの言葉の意味が分かった。

この女性にとってこの少年はきっと何よりも大切なのだろうということも。

 

「私は、AMSについての知識があります」

 

「!!」

 

「その子を治療します。病院に行く準備をしてください」

 

「……分かった」

なんということだ。ガロアが命を手放そうとしているときは何も無かったのに、戦おうという意志を見せた途端にこれだ。

まるでガロアの意志が戦いの運命を引きつけてしまっているかのよう。いや、ガロアが戦う為に生まれた存在なのだと言ってもいいかもしれない。

それでも、治療の目途があるというのならば、その言葉を断る理由はなかった。

 

 

高いAMS適性がある、と言われても具体的に知らなかったミドは病院で改めてその検査をした。

途轍もない、少なくとも自分のAMS適性が塵のように思えてしまう程、化け物染みたAMS適性だった。

まだ18歳の子供にこんな能力が宿っているということ自体が恐ろしいことのようにも思えた。

 

(この子……どこかで……?)

ミドは検査の間ずっと気になっていた。

この顔に見覚えがある。そんなはずはないし、検査には関係のないことだからとりあえず気にしないことにした。

いずれこの少年が話せる様になったらどこかであったことがないか聞いてみようと思った。

 

だがもし聞けたとしても結局分からないだろう。

ミドがかなり昔に大学に在籍していた頃、自分と同じく飛び級を重ねていた少女がいた。

名前すらも知らなかったが一回り以上大きな人間が自分の周りにいる中で、お互いに自分と同じ子供が大学にいるということだけは認識していたのだ。

ソフィー・スティルチェスと生き写しのガロアの顔に既視感があっても、その点と点を結ぶことは出来ないだろう。

 

 

 

 

 

「一通り、検査は終わりました。それで……」

 

「待ってくれ。見覚えがあると思ったら……ミド・アウリエル。あなたはリンクスだな」

セレンはミドを知っていたがどこで見たのだろうと散々考えた後に名前を言われてようやく思いだした。

昔覚えさせられたリンクスの名前と顔。その中にあったものと似ている。言ってしまってはなんだが、シミュレーションの上では大して強く無かったから記憶にも残っていなかった。

 

「!……どうして? ジャックが見えた?」

 

「私もリンクスだからだ」

 

「……そう。でも今は医者です。説明を始めても?」

そう言われて渡されたカルテはよく分からない部分が多かったが、やはりというか退院した時よりも回復していた。

その分寿命を縮めているのだとしたら喜びにくい。だがそれよりも気になる部分があった。

 

(……!! なんだ!? どうなっている!?)

最後にガロアのAMS適性を見たのはいつだったか。というか一度しか見ていない。ガロアの首にジャックを取り付けた時だけだ。

その時も異常な数値だったのにさらにそこから倍近く跳ね上がっている。想像の力が直結するというCUBEの言葉が思いだされる。

 

(何を考えている……? ガロア……)

ベッドの上で麻酔をかけられ静かに寝ているガロアの顔を不安げに見る。

何を考えているかなんて、知っている。

 

「途轍もないAMS適性……それでも、全身と五感となると、全てのAMS適性と引き換えになります」

 

「!」

ミドは重々しく言ったが、セレンにとってそれは意外な吉報だった。

ガロアの意志的に、そして運命的に、身体が動いたらネクストに乗るためにAMS適性が上がってしまったと思ったのだが。

 

「だからもう」

 

「いいんだ。ガロアはもう戦わないから」

 

「……。そうですか。工程を分けて、手術には二週間かかります。私にしか出来ないから。暫くは外からの刺激に対してどういう反応をするか見なくてはいけないから面会謝絶になります。それと……」

 

「それと?」

 

「普通に生活できるようになるには時間がかかります。これからネクストに慣れるのと同じぐらいの時間で視力も聴力も回復していきます。それでも、最初は小さなラジコンを動かす事から訓練を始めたでしょう? それと同じで、まともに身体を動かせるようになるには……才能と努力次第です」

 

「……」

恐らく、ガロアならば立って歩く様になるまで一カ月もかからないだろう。最初の訓練の時点でその辺を五段飛ばしくらいで進んでしまったのだから。

戦争の開始まであと三週間という事実がちらりと頭を掠めたがそれは無視した。

 

「でも、何年生きれるかについては……保証できません。普通にネクストに乗っていたらここまで酷い汚染には……」

ああ、やっぱりだ。そこはAMS適性とは関係のない部分なのだから仕方が無いといえば仕方が無いことなのだ。

そして思いだした。最近のガロアの姿の印象が強すぎですっかり忘れてしまっていたが、医者からもう今月いっぱいなのだと宣告されていた。

 

「……。それでも……ガロアにもう一度、この世界に戻ってきてほしい」

結局自分の事になってしまう。もう一度自分を見てほしい。もう一度自分の声を聞いてほしい。

もう一度、片腕でもいいから抱きしめてほしい、と。

 

「……汚染が少なければ死ぬまでなんの症状も出ない人もいます。汚染が重くなればなるほど、症状が出るまでの時間が短くなって重さが酷くなる。だから重度汚染区域ではすぐに死ぬ」

 

「……?」

 

「言い換えればこの地球にいる人はもうみんな汚染されている。体内に多かれ少なかれコジマ粒子が蓄積してしまっている。自分の寿命が先か、毒されるのが先か……」

 

「……」

企業がなんとしても地球から逃げたがった訳だ。

置いてきぼりというよりも、これはもう静かな大量殺人に近い。

 

「ただ、担当医の言っていた、今月いっぱいってことに関しては無いって言いきれます」

 

「え?」

 

「多分栄養状態や睡眠不足による衰弱からの判断なのでしょうけど……医者という立場を抜きにして言わせてもらうと、こんなに生きる意志に溢れている人は見た事ありません」

確かに食事を無理にでも食べているし、顔に今日を生きる意思が戻っていた。

 

 

『必ず、戦いに戻るから』

 

(……!)

あれは寝言うわごとの類だと信じたい。だが……

 

「それにこのAMS適性の高さ……世界がこの子にまだ生きろと言っているみたいです」

常にガロアに対して残酷だったこの世界がガロアを生かそうとすること。それが何を意味するのかと考えた時、いい想像は出来なかった。

だがそれでも自分はガロアにどうしてもまた普通に動ける様になってほしかった。

よろしくお願いします、と。セレンは生まれて初めて心から人に頭を下げた。

 

 

 

 

 

アルテリアに押し寄せる怒涛の攻撃はその地に一切の生の存在を許さない。

開戦が3週間後となっていたが、今がこれなのにもし始まったらどうなるのだろうか。

 

『やっとわかってきたな……奴らの行動パターン』

 

「ええ、明らかに弱っている方を優先している」

トーティエントからの通信に答えながらスナイパーライフルの引き金を引いたら弾が出なかった。

もうそんなに撃ったか、と毒づきながら敵に投げつける。

 

特攻兵器と奇妙なノーマルに襲撃されているアルテリアに鎧土竜とグレイグルームが到着した途端、基地に攻撃していた全ての機体がこちらにターゲットを変えた。

そこにあるのは分かりやすいぐらいの殺意。強いものではなく、弱っている者から順に殺していくという簡潔さ。

リンクスは全員処分すると言っていたがなるほど、その手段は実に効率的だ。

 

『弾は?』

ここから二人が生きて帰ることは出来ないだろう。

 

「ありません。切れました」

弱っている方、APの低い方を追ってくるからだ。つまり一緒に逃げれば逃げ切れない。

どちらかが必ず追われる。

 

『アサルトアーマーだけか……』

 

「そうなりますね」

といっても鎧土竜のアサルトアーマーは選択肢の一つとは言い難い。

苦手な接近戦に対する補助的な役割の方が強いし何より慣れていない。

 

『海から、それも太平洋からだ』

今まで散々神出鬼没のこの機体たちに遅れをとっていたのはその言葉通り、どこから来ていたか分からなかったからだ。

ようやく分かった。今も二人の目の前で海から次々と出てきている。中に人間がいないとなれば確かに完全な密封も出来るだろう。

海中での戦闘を考慮しないのならばなおさらだ。これを伝えなくてはならない。

 

「……」

だが……通信が出来ない。今までの襲撃でほとんど情報が集まらなかったのはそういうことなのだろう。

ECMの濃度も異常だが、あらゆる通信が妨害されており、同じ戦場に立つグレイグルームからの通信もブツブツとノイズが混じっている。

奇襲をかけて通信をさせずに全滅させてきたのだろう。きっと知らないだけで既に潰されているコロニーや街もあるかもしれない。

 

『聞け、PQ』

 

「え?」

このまま行くとどちらも死ぬ。どっちが早いかの違いはあるだろうが、と淡々と想像して目を細めているとトーティエントからの通信が入った。

目を向けるとグレイグルームを覆うPAの濃度がどんどん上がっていっていた。

 

『人生は選択の連続だ。よく言われていることだな』

 

「何をしているのです?」

 

『だが、それが選択の時だというのはその時では分からないし、どれが正解でどれが間違いかも分からない。分かるのはずっと後になってからだ』

 

「あなた……リミッターを……」

ORCAのネクストは企業から買うものとはまた違う改造が施してある。

自爆機能や鎧土竜の地中潜航機能もそうだ。そしてグレイグルームに施された改造は内側からの操作でKP出力のリミッターを解除することだった。

だが当然、中身も無事では済まない。

 

『俺は17で淫売の母と飲んだくれの父の元を去った。リンクスとなりどんどん腕を上げた俺は20代で億万長者だ。26の時は馬鹿でかい家も買ったし、ある夜には別荘で10代の女の子三人と車が買えるくらいの値段の酒を浴びる程飲みながら一晩中遊んだ。その時は思ったもんだ。同年代の誰よりも成功している俺は誰よりも正解の選択を選び続けたのだと』

 

「私とあなたはそこまで親しい友人でもないでしょう? 馬鹿な真似はやめてください」

だがそれは正しい選択に思える。少なくとも今は。

この場でアサルトアーマーが主力のグレイグルームが囮として残り、地中に潜れる鎧土竜が逃げた方が格段に生き延びる確率は違うだろう。

 

『……そしてそれから一年後のことだ。コジマ汚染に蝕まれた身体に異変が起きたのはな。30になる前に髪も抜けて顔もボロボロ、おまけに40までは決して生きられないと言われた。どう考えても俺は選択を間違えたと思った』

 

「正解か間違いかなんて……」

そう、誰にも分からない。良かれと思ってしたことが悪い方向に転がることもあるし、なんとなく蹴った石に偶然当たってしまった人がそのおかげで突っ込んでくる車から逃れることもあるだろう。

分からないのだ。

 

『それからどれだけ経った時だったか……お前達ORCA旅団に誘われたのは。人生がどうでもよくなっていた俺はあっさりとお前達の仲間になった。自暴自棄になることで見えてくるものもある』

 

「……、何が言いたいのです?」

 

『俺の最後の選択が正解だったのか間違いだったのか。それを決めるのはお前だ、PQ。最後の最後、死ぬ間際で正解だと思えたのならば! 今までの人生全てが正解になる』

 

「……」

 

『このまま二人とも死ぬのは間違いだろう? お前は何がしたかったんだ、教えてくれ』

そう言いながら敵機の群れの中心でアサルトアーマーを連発するグレイグルームのAPは既に鎧土竜よりも低い。

 

「支配力の落ちた企業からオーストラリアのある土地を買い上げることでした。金と力だけでは足りなかったのです。馬鹿馬鹿しいと思いますよね」

 

『そうか……いつか正解だと思える道を選び取れ』

 

「あなたはそれでいいのですか? トーティエント」

 

『俺の名前はタオ・ミン。……覚えておいてくれ』

 

「……!」

その言葉を聞いて頷いたPQは一つ息を吐いたあと、地面に穴を空け始めた。

 

『行け! そして伝えろ。奴らは海から来る。太平洋だ!!』

 

最後の通信は届いたかは定かでは無い。

既に鎧土竜は地中深くに消えていた。

 

「一流は正解を選択し続けた者だと思っていたがな……ふん」

正解も間違いも選んできた『今日』は、どんな『明日』を作るのだろう。

グレイグルームが放ったアサルトアーマーは一際強い光と共に敵機を破壊した。

 

 

 

 

 

 

 

「海か……」

 

「太平洋からです。ただし、海中を移動することを考えれば一概には言いきれませんが」

PQの捲し立てるような言葉にジュリアスがポツリと反応しながらそっと自分の腹に触れるのをウィンは見逃さなかった。

死の後には生があるのがこの世の常で、誕生は希望だからこそ人は絶望的な状況にも立ち向かっていけるのだろう。

父も母も空の彼方へと行ってしまったが、今はレイラがいる。自分には誕生の希望というのは訪れることがないのは理解しているが、希望という物は理解していた。

 

「確かに、中身が人間でないのならば完全に密封してよいのだからな。海中ならばどちらにしろ戦闘がないのだから気密性を気にしなくてもよい」

 

「そうだ! 確かに俺たちが南極基地で襲われた時、こいつらは濡れていた! 空中のレーダーにもかからないでいきなり現れたのはそういうことか!?」

メルツェルの言葉にダンも早口で言葉を並べる。二人とも疲労の色は濃い。

戦場で戦士だけが戦うのならば、休む時間はある。だがこの地上に生きる全ての人間が、非力な一般人までもが巻き込まれて行くのならば休息は無い。

 

「コジマ汚染区域から……恐らくは無人のトラックが何台も走ってくるのを見た事がある」

もう何か月も前の話だ。

自分は確かあの時オッツダルヴァの生い立ちを調べていたのだっけ、とまだ何も起こっていなかったあの時を懐かしく思う。

 

「俺は行けるぜ!! メルツェル!!」

 

「やめろ。危険すぎる。何よりも、叩くべき頭を潰さなければこの戦いは終わらない」

そもそもがヴァオーの駆るタンクでは突入は出来てもまず生きて帰ってこれない。

それは他の機体でも同じだが、そんな場所に行くのは無駄死にと変わらない。藪蛇になりかねないのだ。

 

「なるほど……そもそも汚染されている場所は戦闘があった場所だ。そして戦闘があった場所というのは大抵は資源を巡って争っていた場所だ。そこから資源を回収し、海底で悠々と作っていたということか」

ウィンをはじめとして賢い面々は既に気が付いているようだった。この情報は益か害かで言えば益だ。

しかし絶望を煽る情報でもあった。

 

「だが地球の表面積の7割は海なのだ。太平洋と一言で言っても……海はつながっているのだぞ……」

海から来ていると分かっても、それをどうするのか。

海の中を探し回るのか。この広い海で?見つけたとして生きて帰ってこれるのか、そもそもどうやって戦うのか。

ますます敵の規模も技術も分からなくなってしまった。

 

(辛いだろうな)

会話したこともないジュリアスがほんの少しだけ顔を暗くしながら(元々明るいとは言えない顔だが)、腹をさするのを見てウィンは一口水を飲んだ。

どこからおかしくなったのだろうか、と考えるとやはりガロアが戦闘不能になった時からだろう。

誰にもなびかない、誰にも頼らない、孤高の強さを持っていたあの少年は紛れもない『キング』だったのだ。

彼がまだ戦えていたのなら、恐らくは平気な顔をしながら今も戦場で黒い疾風と化して敵を切り裂いていたに違いない。そしてその姿は優しい言葉なんかよりは余程励ましになったはずだ。

ORCA旅団も自分も、ガロアのぶっちぎりの強さを知っていたからこそ、その『キング』がとられた今、煙のように絡みつく絶望に取りこまれてしまっていた。

 

 

トーティエントの選択は正解となるときは来るのだろうか。それは誰にも分からないし、正解かどうかも誰が決めるのかも分からない。

少なくとも、PQは生き残った。PQは自分が生き残ったことを正解だと思える日が来るのだろうか。

 

最後の戦いまであと一日。

青空の中のやたらと大きく見える太陽が不安を駆り立てる午後、一機のヘリがラインアークの領域に入ってきた。

二人の男がそこにはいたが、武器は携帯しておらず抵抗もせずに拘束を受け入れた。

一人の男は鼻水を垂らしながら『どうしてこんなことに……』とぶつぶつ言っているだけだったが、もう一人の男の方が奇妙な要求をしてきた。

アナトリアの傭兵に会わせろ、と。

 

 

 

 

手錠をされた手に荷物を持って部屋に入ってきた男は、すらっとした長身のハンサムな男だったが、

その釣り上がった細い目からは強い猜疑心が現れているように感じられた。

ジョシュアもマグナスも同じ感想だった。

 

「……俺が『アナトリアの傭兵』だ」

 

「!? 見えねえな」

自らそう名乗る回数は多く無かったが、その反応はみんな大体同じだった。

最初から看破してきたのは思えばあの少年だけだ。

 

「名前は?」

 

「トラセンドのリンクス、って言えば分かるか? 名前よりそっちの方がいいだろ」

 

(! セレン・ヘイズには絶対に会わせるな)

 

(分かっている)

即座に耳打ちしてきたジョシュアの声に静かに答える。

問答無用で殺されるだろう。

 

「何の用で来た? 今がどういう状況か分かっているのか?」

 

「あのガキは……ガロア・A・ヴェデットは生きてんのか?……どうでもいいけどな」

 

「……」

 

「あの時……やられた俺は海の底で三日間……くらいかな。生きていた」

 

((!))

 

「夢でも見てんのかと思った。海底都市……って言えばいいのか。そんな感じの何かがあった。そしてそこから件の兵器共が湧き出てくるのを見ていた」

 

(……まさか)

先日のPQからの報告がなければ信じられなかったであろう情報。

このタイミングで来るのもこの男がそこから生還したのも奇跡としか言いようがない。

 

「位置情報と映像記録だ」

ぽいっと机の上に投げられた鞄からは機械がぶつかる音がした。

 

「あんときの作戦にほとんどつぎ込んだからカラードにはろくな戦力は残っちゃいない。残っている連中も各コロニーの防衛に努めるからどちらにしろ協力も出来ねえ」

 

「攻めるのはあんたたちの誰かだ。オッツダルヴァでも、リリウム・ウォルコットでも、アナトリアの傭兵……あんたでもいい」

 

「見返りに何が欲しい?」

 

「別にいらねえよ」

 

「何?」

 

「これで敵が勝っちまったら金も土地もこれっぽちも意味がねえ」

 

「なら何故わざわざここまで来た?」

合理的に淡々と質問を返すマグナスに対してダリオが返した言葉は、最初の印象からは最も遠い物だった。

 

「子供がいるんだ。そんだけだ」

 

そう言ったダリオは滞在時間僅か20分でパッチのケツを蹴ってヘリに乗り、さっさと帰ってしまった。

 

 

 

やることは決まった。

 

問題は誰が行くのか、だ。この限りなく生き残る確率の低い作戦に。

 

行くなら俺たちしかいないだろう、と前時代最強の二人のリンクスは頷き合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テレジア

 

身長 159㎝ 体重 50kg

 

 

出身 イギリス

 

※あくまでオリジナル・テレジアのもの

 

 

 

 

リンクして戦っていくうちに完全に意識がネクストに吸い取られてしまった女性リンクス。

ネクストに送られる単純な命令を徹底的にこなし、ネクストに接続されたどんな兵器も扱えるが、テレジア自身は食事の経口摂取も排泄すらも自分一人では出来ないただの『生きた燃料』状態となった。

 

クローンで生成された彼女ですらも、AMSの有無に関わらず、リンクした瞬間に完全に同化し、全テレジア間で記憶の共有が出来るようになる。

極々一部の者しか彼女の正体を知らないが、誰もがこれを神の領域と呼んだ。

カリオンと結ばれた、という意味で『ミセス』と呼ばれている。

教育をしなくてもカリオンと接続したらオリジナルの状態(正気では無いが)に戻るため、まともに教育もされず、一日三度の飯と一週間に二度の風呂以外は完全に放っておかれているという。

 

同時に何人でも動かせるが、コストと倫理上の問題で表立って派手に使われることは無かったが……。

現在も地球上のどこかで企業に置いてけぼりにされたテレジアが何十人と生きており、その権限は全て『主任』が握ってしまった。

 

 

 

趣味

???

???

 

好きなもの

???

???

 

 

 

 

タオ・ミン(トーティエント)

 

身長 174cm 体重57kg

 

 

出身 北朝鮮(拉致被害者の子孫)

 

 

17歳の頃、周りに文句を言い続けるだけの祖国と家族に嫌気がさして脱北。

その後各国を放浪した彼はアクアビットに入り、後にトーラスから出て独立傭兵のリンクスとなる。

優秀なリンクスだった彼はみるみるうちにカラードのランク一桁にまで食いこんだ。

グレイグルームがあまり弾薬費などがかからない機体ということもありかなりの大金持ちになって贅の限りを尽くしていた。

だが、元々個人差のあるコジマへの耐性だが、彼は特に弱かったのかあっと言う間に身体はボロボロになった。

自暴自棄になっていた時にメルツェルに誘われORCAに入る。

 

一人で国を捨て生きてきた経験が示しているが、かなりタフな人物である。しかし、もうすぐ死ぬということにだけはどうしようもなく耐えられなかったようだ。

だがORCAルートでの描写や命を捨ててPQを助けたことからも分かる通り、本来は情に溢れた人物でもあり、今となっては色々あったがORCAに入って良かったと思っていた。彼はここに死に場所を見つけに来たのだ。

 

彼の死に対してORCAの面々は様々な反応をしたが、一番その死を悼んだのはネオニダスであり、『彼の心の故郷はどこだったのだろうか?』と考えている。

 

ちなみにカミソリジョニーと知り合いではあるが正体は知らない。

 

趣味

ミキサーで自分だけのジュースを作ること

携帯ゲームで育てている電子モンスターの世話

 

好きなもの

あっさりした食事

Deep Purpleのアルバム『Machine Head』



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I only want you________gone.

『作戦を確認します』

 

『画面に表示されている座標にあるとされる海底都市をルブニールとホワイトグリントで攻撃します』

 

『敵戦力は不明、また何が有効な攻撃となるのかも一切不明です。臨機応変に対応してください』

 

『残存戦力は全て防衛に回る為、支援の可能性もありません。通信も妨害される可能性が非常に高いです』

 

『私達の保有する技術を遥かに超えた敵を相手にする、極めて危険な任務です』

 

『これまでで、最も過酷な戦闘になることは間違いありません』

 

『以上、作戦の確認を終了します。お願い、死なないで帰ってきて……』

 

 

 

時間は確実に進み、そして運命を決める評決の日は来た。

そこが敵の本拠地だという確信はない。だがこれ以上の情報も時間もない。

マグナスとジョシュアは海底4000mにあるというその場所へ、その地点の上から直接乗りこむ。

斜めから時間をかけて移動したりしなければネクストでも多少は海中で活動が出来る。後はその場所が空気のある場所かどうかで大分変わってくるが、時間の許す限り重要そうな部分を破壊していくしかない。

敵を倒したとしても人がいなくなっては意味がない。各コロニーに通常戦力とネクストを割かなければならないのはこちらも同じだった。

何よりも、大規模な作戦にすれば敵に知られる可能性がある。敵が人間では無いという恐怖は、どこでいつ聞かれているか分からないという疑惑を払拭することを許さなかった。

 

自分の肩に人類の運命がかかっているなどという大層なことは思わない。

今までと同じだ。愛しい家族を守るだけ。マグナスはルブニールの中で、こうなる前に一度だけ撮った娘と妻との写真を見てからネクストとリンクした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

住民全員が避難できるシェルターを持たないラインアークは学校や市民会館、病院などなるべく頑丈な場所に住民を避難させていた。

そして人々が理由の分からない不安に犇めくこの病院で、世界最悪の災禍は破壊の意志をその目にギラギラと光らせて動きだした。

 

面会謝絶と書いてあるこの部屋を訪ねる者はいない。

今日だけはあらゆるスケジュールが狂っていた。

 

「う……ぐ……ぉ……」

一本しかない腕で呼吸補助器を引き千切ったら一気に呼吸が苦しくなった。

粘度の高い液体の中で重りを付けながら動いているような感覚は抜けず、上体を起こすだけでもたっぷり10秒かかった。

目の周りの包帯を外すと視界は猛吹雪の日よりも酷く霞んでおり、色もよく分からない。

 

(羽虫が万匹……飛んでいる……)

耳元で数万匹の蠅が飛んでいるかのようにブンブンという音が鳴り止まない。視力も聴覚もまだ全く馴染んでいなかった。

 

ガロアは『全て』を欺いていた。手術が終わってからわずか三日後には少しだけだが本当はもう動けるようになっていた。

それを誤魔化して、まだ神経が馴染んでいないと見せかけていた。

 

「うあぁ……、……ぐあっ!!」

立ち上がろうとベッドのそばにあった物に手をかけると、それは自分の身体に繋がれていた何かの器具で、体重に耐えられず一緒に倒れてしまった。

鼻を床に強かに打ちつけ鼻血が噴き出る。

 

「ふっ……ふっ……」

床に広がるその血を舐めると僅かに血の味がした。

自分はまだ生きている。どうしてなのかはもうどうでもいい。生きているのなら。

 

「まだだ……俺はまだ……戦える……」

なめくじのように壁まで這いながら進み、壁に手を付けながらなんとか立ち上がった。

 

「あ…………?」

が、長い間横になっていたため起立性低血圧を起こし、気合や根性ではどうにもならない身体の反応によってガロアは失神してしまった。

倒れ込み、また顔を地面に強かに打ちつけるところをいくつものマジックハンドが受け止める。

 

「ガロア様」

 

「……ウォー……キー……」

ガロアには赤い光以外のほとんどが見えていなかったそれは、身体中からマジックハンドを出したウォーキートーキーだった。

 

「止め……るな……」

 

「…………」

ガロアの言葉には答えなかったが、その時ウォーキートーキーのボディから一本のコードが伸びてガロアの首のジャックに刺さった。

 

「!! あっ……!!」

言葉で説明するよりも、直接見せるよりも数百倍早く流れ込んでくる。

今までの出来事、そして今、人類が求めている『答』が。

 

『申し訳ありませんデシタ』

 

「へっ……はは……介護用ロボの癖に……なんでこないのかな……って思ってたけどよ……」

首を通してウォーキートーキーの言葉と『感情』が流れ込んでくる。

自分も身体に機械が埋め込まれてから分かった。バグなのかどうかは定かでは無いが、ウォーキートーキーは機械の制限を超えて人に近づこうとしていたのだ。

 

『お怒りも当然デス』

 

「怒って……ねぇ……よ……ただ……」

 

『止めまセン。ワタクシでは……ガロア様を止められまセン』

そう言いながらウォーキートーキーは病室にあったストレッチャーをセットして、ゆっくりとその上にガロアを横たえた。

 

「お前……」

 

『信じて……逋コ逕溘@縺セ縺吶くだサイ縺後ヰ繧ォ縺縺』

ノイズの混じる情報の中で、ウォーキートーキーから見た子供の頃の自分の姿が混じる。

父がいなくなってからあの森で自分が笑った回数は本当に少ないのにそのどれもが大切に記録されていた。

 

(信じて……か……変わったな……お前も……)

顔まで布をかけられてから全てを察し、動きを努めて止める。

 

カチャカチャと音を立てながらウォーキートーキーが変身していく。

やがてその姿は病院ならどこにでも配置されている、力仕事を請け負うロボットの姿になってガロアをストレッチャーごと運んだ。

ストレッチャーに乗った人らしき物に白い布がかけてあるそれを、止める者はいなかった。今の病院では当たり前の光景だった。

 

ガロアの姿が消えた事に看護師が気づいたのはそれから30分後のことだった。

 

 

裏口から出たウォーキートーキーはストレッチャーからガロアを優しく降ろして、ボディの内側から記憶装置を取り出した。

 

『これヲ』

 

「……」

小型のリムーバル・メディアと松葉杖が渡され、さらにそのメディアをどうするべきかも首から流れ込んでくる。

 

『ワタク……ジジジ……r諢丞峙縺励……ここまでデス』

 

『今まで……裏切り続けていまシタ……繝峨〒隱ュ縺ソ霎……ごめんナサイ』

 

「……いいさ」

全てが幻想。自分の信じる現実も、歩んできたと思っていた歴史も。

本当の事だと信じていたものが虚構だったと分かった時、人は何に縋ればいい?

自分の感情だけだろう。それだけは、その時感じているそれだけは自分にとって本当の事なのだから。観測者から独立した現実など存在し得ないのだから。

この機械は、自分を『思って』くれていた。それがやっと分かった。もうそれでいい。

 

 

 

この思いはプログラムされた物なのだろうか、と考えることさえもプログラムなのだろうか。どこまでも続く思考の果てに生じたバグはとうとう致命的な部分まで侵食し始めた。

首からコードを引き抜いたガロアが松葉杖に体重をかけながら牛のようにのろのろと歩いて行く姿を見送ったウォーキートーキーは、『ガロアは死んだ』という嘘の情報を最後まで送信しながら小さな爆発を起こした後、二度と動くことは無かった。

 

 

 

ほとんど役に立たない視界と、丸太を四肢にくくりつけられたような身体を引きずって、杖を頼りに歩いて行く道すがら、誰ともすれ違わなかった。避難しているのだろう。

遠くから聞こえてくる何かがはじける音、空気を裂くように何かが高速で移動する音は鼓膜を揺らしても認識できないが、腹を揺らす衝撃で分かる。

 

「……ごふっ」

この世界全てが戦場だ。だから自分はまだ生きている。戦場こそが自分の生きる世界なのだから。

驕りでもなんでもなく、自分こそが世界のあらゆる戦場の覇者となる存在だというのは自覚していた。数えきれぬほどの骸の上に。

ウォーキートーキーから渡された情報の中には数十億の人間の死体の上で死の惑星の王となっていた自分がいた。

きっとそれも自分なのだろう。いや、それこそが本当は自分が歩む道だったのかもしれないし、そうなろうとしていた。そこから外れてまともに生きようと考えたら、これだ。

想像に培われるAMSという個の力は強烈に世界を侵食し傅くものも一人もいない孤独な世界の王となる。個人の力が増長した果てならそれは当然の事。

 

俺はお前を殺して生きる。

 

そうやって生きてきた。

 

それだけが全てで、自分は全ての捕食者だった。隣には何もいなかった。

 

異様な量の汗が額から垂れて目に入り、充血した目からは血の涙が出た。毛細血管がプチプチと破裂していき、灰色の目が赤く染まる。本当ならまだ目を開くことすらしてはならない状態だったのだ。

杖で段差があることは分かっても身体がついて行かずにガロアは道に倒れ込む。

まともな受け身もとれずに身体中に擦り傷が出来てしまった。

 

「………」

自律神経もどうかなってしまっているのだろう。

しっかりと閉じることの出来ない口からは緑色に濁った唾液が出てきて道路に広がった。

 

(ぶっ壊してやる……ぶっ壊してやるぞ……)

このまま地面の上に身体を投げだして目を閉じてしまえば楽なのに、赤く染まった目に極限まで凝縮された殺意を宿らせてガロアは起き上がった。

 

本当に、倒れて寝てしまえば楽なのにね、とせせら笑う幻聴が聞こえる。

 

うるせぇ、と考えるだけでも意識が一つずつ薄れていきそうだった。

 

 

『奴』はもう、ずっと、気の遠くなる程の昔から人類を『見守って』きていたらしい。

間違った方向に行く人類を止めてはやり直させて、と繰り返してきた。

本当は『奴』は間違っていないのかもしれない。いや……正しいと思える。

この世界に蔓延るコジマの毒、悲しみの連鎖。人は今日も明日も不本意に斃れていく。

極めつけは数億の人間を見捨てた人間の行為だろう。人間らしさを失った人間に生きる価値など無いことはよく分かっている。

今の人間は間違った進化をした。贖罪がもう出来ないとしても、どこに罪の所在があるのか分からない物だとしても、やり直すべきだ。

自滅の一途を辿る人類は自分のような力の権化を生んでしまったのだろう。

 

『奴』は正しい。もっと早く動いてくれれば自分はこんなに苦しまずに済んだ、と言いたいくらいだ。それなら何故自分は重たい身体を動かすのだろう。

 

(セレン……)

冷たい松葉杖に触れるこの左手をあの人はどれだけ握っていてくれたんだろう。時間の感覚はとっくにないが、とにかくずっと一緒にいてくれた。

 

(正義も悪も死ね。どいつもこいつも俺を苦しめるだけだ。俺が全部ぶっ壊してやる)

誰かを、何かを守ろうとするとき、それが全てになる。それを害するものが正しくても間違っていても、自分にとっては最悪の敵となる。

愛する者が傷つけば、自分も傷つくから。だから戦いは終わらない。人は戦い続ける。

 

誰か守りたい人がいたとしても、その人を安全なところに閉じ込めて、というのは守っているとは言えない。ただ生かしているだけだ。

 

『人間』を守りたいのなら、その人の着ている服を、食べている食事を、住む家を、笑顔を。守らなくてはならない。

この世界のどんなものもそれ一つで存在していないから。誰かを守りたいのなら、どこかに連れ去って閉じ込めるだけではダメなのだ。

守りたい人の周りの世界も守らないといけない。それは全てを破壊することよりもよっぽど弱い行為に見えるのに、ずっと難しいことだった。

 

誰もがそれを望んでいる。分け合うには足りな過ぎる。だから戦いは終わらない。人は戦い続ける。ガロアの出した『答』だった。ようやく父が死んだ理由が、その時の気持ちが分かった。

人間は善であるがゆえに戦う。人間らしさが人間を殺す。そして善と正義は違う。

戦いは終わらない、この世界は地獄。それでも大切な人がいるのなら、この世界で生きていく価値はある。

 

そんな事を忘れて殺し続けた自分には生きる価値などない。今更そんな事が分かっても、もう遅い。でもまだ生きているのならば。

 

「ゼロ……いま……いく……いくからな……」

自分はもう半分以上機械になってしまっているからなのか、それかイカれてしまっているのか。

ここがどこだか分からなかったがずっと頭の中で声がする。アレフ・ゼロが自分を呼ぶ声だ。

病衣を血に染め身体中から命そのものであるあらゆる液体を流しながら、ガロアは身体を引き摺って声のする方へと向かった。

 

 

やめちまえよ、こんなこと。

毎日思っていた。それでもやめなかった。

 

 

いつだって、楽な道はもっと辛い道だった。

 

 

 

 

 

「凄いわ……完全に精神が肉体を凌駕している」

ラインアークの住人全てに避難命令が出されている中で、彼だけは外でのんびりとしていた。

ぶつぶつと意味の分からない事を呟きながら限界としか言えない身体を引き摺っていくガロアをアブ・マーシュ、ただ一人が遠くから眺めていた。

 

「素敵……本当に……これから先全ての経験を引き換えにしても惜しく無いものを見たわ……あなたにはあたしの50年の価値がある」

一気にタバコを吸い上げ頭の上の如雨露に灰を入れながら笑う。

いったいこの世界にどれだけ、肉体の全てを、人生の全てを、苦痛の全てを引き換えにしてでも前に進める人間がいるだろうか。

鋼の肉体も神の領域のAMS適性も人外の眼も最早ガロアにはない。だがそんなものは全てが飾りだった。

ガロアの根幹、ガロア・A・ヴェデットという存在の核にあるその圧倒的な我こそがガロアの最強の証だった。

 

「ずっと愛しているわぁ……ガロア君……。うふっ……いってらっしゃい……」

生きて帰れるはずがない。ましてや勝つなんて夢のような話だ。あの歩みは死への歩みなのだ。放っておいてもガロアは近いうちに死ぬというのに、わざわざ死にに行くのだ。

だがその死への旅路は、あらゆる人間に待ち受ける死という運命へと向かう人生の縮図のようであり、アブがこの200年生きてきた中で出会った何よりも尊かった。

誰だって必ず死ぬというのならば、『命はいつ使う?』

ガロアはその答を今、命を使って、誰に見せるためでも無く、示そうとしていた。

 

肺から吹きだした煙は白い輪となり、空に浮かんだその輪を戦闘機が突っ切るように飛んでいった。

 

 

 

 

 

 

空気があるのは幸運だったが、こんな場所で空気の存在する建築物を作れるほどの技術を持った相手というのは笑えない。

確かに海底都市らしきものはあり、そこにブレードで穴を空けて突入した途端、その穴は機械的に塞がれ通路に明かりが灯った。

 

「これは」

 

『……人が暮らせるようになっている……』

 

「……」

ジョシュアの言葉通り、今自分のいる場所は道路で、その脇には人の住居としか思えない物が建てられている。

窓から中を覗くとそこには何もなかったが。

 

「誘われているのか」

 

『そうとしか思えん』

明かりがついたと言っても自分達のいる道だけであり、明かりのついた道はずっと先へと続いている。

 

『待っている、と』

 

「何?」

 

『言われたんだ。この先にいるんだろう』

 

「……行くぞ」

いったいいつからこの場所は淡々と用意されていたのだろう。

ブーストに火をつけ車線に沿って行くとネクスト二機が乗ってもまだあり余る程のスペースがあるエレベーターを見つけた。

 

(この先に行って……俺は帰ってこられるのだろうか)

機体の名前はルブニール。戦う事しかなかった自分にもあった帰るべき場所へ帰るための誓いの名前。

だが、海底数千mから更に地下へ行くというのだ。まるで地獄へと続く道のよう。

 

『フィオナは……お前と会えてよかった』

 

「……」

 

『この世界はあまりにも大事な者を失いやすいから』

 

「……」

 

『強いお前でな』

 

「ああ」

ホワイトグリントと同時に一歩を踏みだすと当然のように自動的に動きだした。

地獄ではなくてもここは既に敵の腹の中なのだ。

 

どれだけ下ったかは不明だ。

時間を数えるのは忘れていたが、時速40kmは出ているエレベーターで時間を忘れるほど下ったということは冗談でもなんでもなく地の獄に辿りついてしまっていても不思議では無い。

 

「……」

止まった地点は行き止まりの真っ暗闇だったが、目の前に丸く穴が空いた。

行くしかないのだろう。ジョシュアも自分も黙りこみひたすらに進んでいくと光が見えた。もちろん地上の太陽などでは無い。

 

「!」

 

『ここは……?』

二機を迎えたのは円形の巨大な部屋だった。

中心の透明な柱の中には光が渦巻いており、壁にも光が走っている。

特に太い幾つもの青い光の線は中心の柱に向かい何かを送り続けているようにも見える。

間違いなく、重要な場所だ。ルブニールとホワイトグリントが同時に構えた時、二機が入ってきた穴が塞がり、代わりに対面の壁にACが一機入れるほどの穴が空いた。

 

「敵……?」

赤い角の生えた戦闘機のような物が轟音をあげながら入ってきた。

この威圧感。ただものである筈がない。長年の戦士としての直感が警告を鳴らしこめかみを不快な汗が流れた。

 

『待っていた』

その声と共に戦闘機は一瞬にして変形した。

異形の天使のようにも見えるその機体は、巨大な一対のブーストを翼のように肩から伸ばしており、火を噴きながら空中で静止している。

ブーストだけの物には見えない。あの翼は武器でもあるのだ。恐らくは既存のネクストの兵器を軽く上回る程の威力を持っているのだろう。

赤と黒のその機体には血の色のような角がヘッドに生えている。もしもあの少年が力を増長させ続けていたらこうなっていたのだろう、と今は関係のないことが思い浮かんだ。

左肩には9の数字が入ったエンブレムがあったがそれがどういう意味かは理解できなかった。

 

『ここを壊せ。そうすれば全てが終わる』

 

「……」

銃口を光の柱に向け、『主任』と呼ばれた男の声でそう言ってくるが、当然一発や二発で壊れるような代物では無いだろう。

 

『これからの戦い。全てが記録されている』

 

『お前たちの戦いが、最後の戦いがどうなるのかを』

 

『証明してみせろ。お前たちが……先へ行ける存在だという事を』

 

「……行くぞ!」

生きて帰れるのだろうか、という懸念。そして強固な意志で保っていた冷静な理性が強化人間としての闘争本能に焼かれていく。

努めてそうしないようにしてきた。だが今ここ、この瞬間に限ってはそれが正解のはずだと自分に言い聞かせて、ホワイトグリントと共にルブニールは敵機に飛びかかった。

 

 

 

 

 

 

見ろ。やはり俺を呼んでいるんだ。戦いが?それともアレフ・ゼロが?どっちもなんだろうな。

あの馬鹿でかい扉の向こうに、ゼロがいる。俺を欲しがっている。全部やるよ。待っていろ。

 

 

 

 

 

セレンのすべきことは決まっていた。

付き添うことも、病室に会いに行くことも出来ない自分は部屋の中で一人爪を噛んで待つのが正解なのでは無い。

自分のすべきこと。

それは。

 

(ガロアを止めること)

全てのリンクスが出ている中でこの格納庫に人が入ってくるはずがない。

病衣のあちこちを血に染めて、顔から人体にとって重要な液体をいくつも垂れ流す片腕の大男はガロアに違いない。

どうしてもう動けるのか、動けたとしてどうやって病院を抜け出してここまで来たのか。

気になることは山ほどあるがそういう要素を全てすり抜けてきたからガロアは今日この日まで生き残ったのだ。

そう、生き残ったのだ。生き残ったのは決して死ぬ為では無いはずだ。例え今日世界が滅びるとしても。

 

生きていてほしいのだから。

 

撃墜されなかった巨大なミサイルが海上道路に刺さりラインアークが大きく揺れた。

 

 

 

 

「行かせない。それ以上近づけば脚を撃つ」

 

「……」

かろうじて、扉の前に誰かが立っているのがガロアには見えた。

手に持っているのは銃だろう。

 

「こうでもしないとお前は止まらない」

 

「……」

何を言っているのかもよく聞こえない。ノイズに紛れて人の声のようなものが聞こえるが最早判別不能だ。

だがその扉の奥にアレフ・ゼロが自分を待っているという事だけは分かる。

いや、違う。『だけ』ではない。もう一つ分かることがある。あれはセレンだ。自分を止めに来たのだ。これ以上怪我をさせないために、明日もこの世界で生きていてほしいから自分に銃を向けている。

 

「君は絶対に俺を撃てない。だから……俺は……ごほっ……ぐっ、ぇ……」

愛する者に銃を突き付けるだろう?

善と正義は違うだろう?

 

濃い緑色の液体を口から吐きだすガロアを見て、セレンはもう何を言っていいのか分からず銃の照準をずらしてしまった。

 

「世界は………セレン……」

 

「……」

 

「意外と悪く無かっただろ?」

 

「……、……」

 

「こんな世界でも、……君に友達が出来て、好きな食べ物が見つけられて……笑うことが出来た」

 

「いやだ!! 行かないでくれ!! お前を愛しているんだ!! 撃つ……撃つぞ!! 本当に撃つぞ!!」

意味がないことをセレンはうすうす気が付いていた。

脚を撃とうが腕を撃とうがガロアは身体を引きずってでもこの扉の向こうに行ってしまう。

どれだけ怪我を負わせても意味がない。死を覚悟しているから心臓が止まるまで戦うのをやめない。そんな男に脅しで銃を突き付けてもどれだけの効果があるというのか。

 

「だから――」

 

「君を殺そうとする全てを」

 

「……!」

とうとう自分の目の前まで来てしまったガロアは今にもぶっ倒れそうだ。ろれつも上手く回っていないしところどころ発音も怪しい。

もしかして、耳が聞こえていないんじゃないか。目の前まで来たせいで構えていた銃はガロアの心臓の真上に止まっている。ガロアを止めるにはこの心臓を撃ち抜くしかない。

 

「君を否定しようとする全てを」

 

「君の世界を壊そうとする全てを――!!」

 

ズドンッ、とひときわ大きな揺れと共に鼓膜を突き破る様な轟音が後ろから響く。

 

「!!」

思わず振り返ると扉が無理やり強烈な力で開かれようとしており、その隙間から紅い光が見えた。

アレフ・ゼロの眼光だった。何がどうして、世界はここまでガロアの戦いの意志を汲もうとするのか。

どうして自分の愛は受け入れられない?

 

「俺の命にかけて蹴散らす。セレンの生きるこの世界を死んでも守る」

 

「違う!! ガロア!! どうして……その『世界』に自分を入れられないんだ!?」

ゴォン、と音が響いて扉が完全に開いた。ブレードを地面に突き刺して扉を開いたアレフ・ゼロはのろのろと歩いてくるガロアに跪いてコアの入り口を開けた。

その姿は歓喜に満ちているようにも感じられる。機械なのに。いや、機械のくせに。ガロアはお前の主だとしても、お前の息子だとしても、これから死にに行こうとしているのに!

 

 

きっと心に突き刺さるであろう言葉を言っているのだろう、とガロアは思った。

何も聞こえてはいない。だがセレンが何を言っているのか、何を言いそうなのかはガロアには全て分かる。分かったうえでガロアは歩みを止めない。

ガロアの見たサーダナからの愛は犠牲だった。人を守ることは我が身を犠牲にすることだった。

それは本当によく分かる。愛した者が傷つくよりは、自分が痛む方がずっとマシだから。きっと、セレンも、他の誰もが。

 

 

「人は……人は死ぬ、かっ……必ず死ぬ。どうしてかな……」

 

「やめてっ、やめてくれ!」

 

「死にたいときに死ねる奴なんかほとんどいない……大抵訳の分からないうちに死んで、さよならを言う時間もないんだ……俺も……」

 

「いやだ……いや、聞きたくない……」

 

(…………セレン……)

ここまで来てやっとガロアの目に見えたセレンの顔には色がついていないが、絶望とも悲しみとも取れる表情をしていた。

そうだろうな。さよならなんて聞きたくないよな。俺も嫌だよ。言いたくない。聞きたくなかった。

 

言葉を手に入れて色々な事を口にしてきた。

それでもまだ言いたかったこと沢山あるよ。

俺の言いたかったこと、言葉が欲しかった理由。

 

 

 

言えなかった言葉も。

 

 

 

(さよならだっけ)

自分も……さよならを言う事すら出来なかった。

でもそんな事を言いたかったんじゃない。

その為に言葉が欲しかったんじゃない。

 

(俺は死んでいたんだ。生きたいとも思っていなかった)

殺しても生きてもなんとも思わなかった日々。命がいらなかったからだ。

 

もう既に走馬灯が見えている。この状態で戦場に行く?馬鹿を言うな。

 

ああ、それにしても。

自分は何が言いたかったんだろう?今まで……

あの時、あの時、あの時に言葉があったなら何を言っていたのだろう。

どうして言葉が欲しかったんだろう。

何を言っていないのだろう。

 

(まだ……まだ答が出ていないの? 何が足りないんだ?)

 

 

最後に見た父の背中がフラッシュバックする。あれは今の俺だ。

 

あれが最後なら、さようならじゃなくて俺は。

 

あの時何を言っていれば、俺は……

 

最後に俺は何を?

 

ガロアの頭の中で思い出が太陽のように輝き回転をはじめる。

映し出すのは最初の後悔だった。何も言えなかった自分の記憶。

 

父さんが拾ってくれたおかげで俺は生きてこれたよ。

父さんが育ててくれたおかげで何よりも大切な人に出会えたよ。

だから父さん――

 

「あっ……」

駆け抜けた走馬灯がほんの僅かなシンプルな言葉を頭に浮かべる。

あった。ずっと言いたかったのに話せるようになってから一度も口にしていなかった言葉が。

そのとき、ガロアの目から血涙を洗い流すように一粒の透明な雫が流れた。それは獣だったガロアの心に残っていたほんの一握りの人間性だった。

今まで見たどんな物よりも綺麗な雫をこぼして儚く笑ったガロアを見てセレンは対照的に悲壮な顔をした。これが最後だと、セレンも分かってしまった。

 

覚束ない脚を支える為の松葉杖を投げ捨て、ガロアは体重を預けるように温かいセレンの身体を抱きしめた。

そして、最後の言葉を口にする。

 

 

 

「大好きだ。俺をここまで連れてきてくれてありがとう」

 

 

何年も、ずっと前から伝えたかった。愛している、ありがとうと。

それを伝える前に誰も彼も自分のそばから消えてゆく。それが伝えられなくて、自分はこんなにも歪んでしまった。

 

 

 

 

 

 

魂全てを置いていくような抱擁と、耳元ではっきりと呟かれた言葉。

セレンは銃を取り落とし、その時初めて自分が憧れていた愛というものの本質を知った。

 

自分を見てほしい、自分の存在を受け入れてほしい。自分の願いを叶えてほしい。それこそが幸せというのが恋だった。恋から出る好きというのは自分勝手な物だ。

もう戦うな。怪我するな。無理するな。思えば全ては自分勝手な感情から来ていたのかもしれない。自分は幸せが欲しかったから。

ならば愛とは。

相手を受け入れること。相手の世界を認めること。相手の願いを笑って支えること。

そしてそれは恋とは違ってとてつもない痛みをも伴うことがある。

相手の世界も願いも、自分のそれとはまるで違う事も時にはあって、それすらも受け入れることなのだから。

ガロアはずっと自分を愛してくれていた。

 

「行っでぐる゙……」

本当に良く笑うようになった。顔から血を流して、何もかもを失おうとして、どうして笑っていられるのか。

 

「……行ってこい」

自分が受け入れたからだ。ガロアの心からの願いを、言葉を。

片方しか無い手が頭に乗せられるのをセレンは涙を流しながらも笑った。

きっと笑顔が欲しかったんだろう。自分もそうだった。

恋ではガロアを止められない。愛はガロアのこの先を受け入れる。

だから自分は笑おう。それでいい。きっとガロアの魂は救われるから。

 

差し出されたアレフ・ゼロの手に乗ったガロアはコアの中へと消えていき、勝手に発進シークエンスとなって二重扉が閉じたのを聞いたセレンは、地面に取り落とした銃を涙で濡らした。

 

 

 

暗いコアの中でゼロが呼びかけてくる。

さぁ、戦え。望みを叶えてやると。

 

(どうして言いたかったのかな)

たった一人でも自分の存在を認めて愛してくれる存在がいるのならば、その人物は決して救いようのない人物などでは無く、その世界に存在する価値がある。

父がそうだったように、自分がそうだったように。

 

愛からおこる全ての善悪の彼岸。

人はそんな存在を探す為に人生を費やし、その存在を守るために時に自分の命をも消滅させる。

生きる価値が自分にはあるという答を守るために死さえも享受するのだ。こんなに心地のよく残酷な矛盾は他にない。

 

(俺をこの世界にいさせてくれたから……)

ガロアが本当に欲しかったのは、復讐を成し遂げた果てにある自分が正しかったのだという確信ではなかった。

ただ自分を愛してくれる存在が欲しかった。

 

 

 

遠回りを繰り返してようやく、ずっとそばにあった答に辿り着いた。




ガロア君は喋れるようになっても一度も「ありがとう」と言ったことがありませんでした。

この物語のタイトルは Armored Core farbeyond Alephであり、farbeyond Aleph Zeroではないのです。

ガロア君はアレフを超えて再びアレフ・ゼロの元に戻ってきました。

次の話は是非ACVのラスボス戦の名BGM「Stain」を聴きながら読んでほしいです。


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最後のゼロ

我が身既に鉄なり

我が心既に空なり

天魔覆滅



お前らネクストは

人を食って人を殺す悪魔だもんな

 

すげぇよ

 

人間を滅ぼす為に生まれたのか?

俺は美味しかったか?

 

最後に、そんなお前に人間を助けさせてやる

その代償に――

 

「さぁゼロ。俺の肉、俺の骨、俺の全てをくれてやる」

 

「だから」

 

「もう一度だけ……」

 

「俺の手となり足となれッ!!!」

ウォーキートーキーから受け取ったリムーバルメディアを力の限り突き刺すと同時にコードがガロアの首に飛んできた。

 

「があっ!!?……あっは…………」

自分という存在が吸い取られて行く感覚とともに視力聴力が復活していく。

いや、違う。ゼロが自分の目となり耳となっている。

 

「一緒に死線を潜り抜けてきたもんな。俺の事が大好きなんだろ? 共生共死だ、俺とお前は。……愛してるぞ」

身体中を覆っていた鈍痛、倦怠感が消えていく。

 

「俺は俺の命を消滅させたい時に使う……今日だッッ!!」

いつかは自分が自分でなくなるこの世界で死に方を選べるのならば、それはきっと自分のような人間にとっては望外の幸福なのだ。

殺した動物、燃やした木、壊した機械――人間。全てが脳内を駆け抜け蘇る。

奪わなければ奪われるだけだった人生。殺す以外に生きる術を知らなかった。

死にたくないという当たり前の感情ですら希薄だった。

それなのに利益不利益関係なく自分に何かをくれた人達。

もしその善なる姿が正しい人のあるべき姿だというのならば。

 

(俺はぶっこわれていたんだろうな……)

血管がボコボコと蠢き、耳からも血が出た。もう何もいらない。

 

「……行こう」

簡潔なマップに表示されている赤い光点を目指し、アレフ・ゼロは青空の中にあまねく夜のように飛び出した。

 

 

 

 

 

 

ボブ・イーストは臆病だが幸運な人間だったと言える。

全てが始まったあの日。アレフ・ゼロがホワイトグリントの留守中に襲撃してきたあの日、ボブは増援としてノーマルに乗って向かい、切り刻まれているはずだった。

だが彼は、一目見てその絶望的なまでの戦力差を確信して逃げた。上官にはメチャクチャに怒られ階級も下げられ、給料も減った。だがあの戦場にいたものがどうなったかを考えれば幸運だった。

何よりも、そこで生き延びたからこそ、その時付き合っていた彼女と結婚できた。

 

だがその幸運もここまでかもしれない。

逃げれば妻が死ぬかも、と思ってから戦場で死を覚悟する戦士たちの気持ちが分かった。

 

「ど、ど……どうしろってんだ」

キュルルルル、と奇妙な鳴き声だか駆動音だか分からない黒い鳥のような機械が動かなくなった仲間の機体を啄んでいる。

見た事も無い機体、見た事も無い攻撃力。ただただ不気味だ。

 

「うっ」

赤く、生命の存在を感じさせない目がこちらを見た。

怯えて竦んだ時にはもう、飛び上がってこちらに突撃していた。

 

『邪魔だ!!! どけッッ!!!』

 

ゴウッッッ!!

 

「うわああああああああ!!?」

嘴でコアを貫かれる瞬間、黒い暴風が自分の機体を弾き飛ばして鳥をチーズのようにスライスしていった。

暴風が過ぎ去った後は地面に線のように炎が走っていた。

 

「ア……アレフ・ゼロ……」

通り過ぎていっただけなのかもしれない。

だがそれだけで、この区域を襲っていた敵機は全てただのガラクタと成り果てていた。

 

 

 

「お゙お゙あ゙あ゙ああああああ!!」

ブレードで突き刺した敵機をさらに向かってくる特攻兵器に投げつける。

後ろから射突型ブレードでコアを狙ってきた敵のヘッドを掴んでそのまま力の限り右手を下に降ろすと縦に潰れた敵は前衛的なオブジェクトと化した。

中身が人間なら生きているはずはないが、踏みつぶされた虫のようにまだぴくぴくと動いていた。

 

「があッ!!」

怒喝の力をさらに右手に込めると、手の平からほんの数十cmほどだがコジマ粒子が噴出され、溶けた敵は地面と一体化する。

 

「……!」

コジマ粒子が想像通りに流動してくれる。もはやAMS適性が無いはずの自分が何故か機体を動かせる。

ウォーキートーキーの改造なのだろうか?それとも……

考えるのはあとでいい。いや、もう考えることは出来ないかもしれない。

今も命を吸われている感覚がするし、コアの内部にコジマ粒子が漏れてパイロットスーツを着ていない自分の身体を刻一刻と蝕んでいく。

一時間?30分?どちらでもいい。敵をこの手で殺す時に、一秒でも残っていれば。

 

その時、空からどこかで見たようなネクストが降りてきた。

ネクストだ。全てのネクストは今は味方のはずなのに。

 

『同じセリフ同じ時』

四脚のそのネクストを見たのはいつ以来だろうか。

もう自分の中で時間の感覚も日付の感覚もないから分からない。

 

『思わず口にするような』

一機だけでは無く、二機、三機、四機と降り立ってくる。

 

『ありふれたこの魔法で』

キーの外れた耳障りな声が何重にもなって耳に届く。

 

『――作りあげたよ』

基本となる形は全て同じネクストが四機――カリオンが攻めてくる。

歌声の一つ一つの声の高さが違い、まるで赤子のような儚げな声から夢見る年頃の少女の声まで重なって響き実に気味が悪い。

 

先頭にいるカリオンの右腕に取りつけられていたのは異様な兵器だった。

戦いに用いるとは到底思えないそれは六つのチェーンソーであり、急激に回転数を高めていく。

その六つ全てが固まって束になり軸ごと回転を始めた。どんなネクストであれ、くらえば即破壊されるだろう。

 

『だぁああああれもさわれなぁいいいいいい!!』

甲高い音を響かせて焦げ跡を地面に残しながら向かってくる。

 

「なんだそりゃ……」

不思議な感覚だった。恐怖すらもなく、向かってくる敵が如何に圧倒的であろうと今のガロアにはまるで相手が紙細工でできているかのように脆く見えてしまう。

手でくしゃっと握り潰しておしまいなほどに脆く。

 

左手のブレードをぶつければ間違いなく弾かれるだろう。かと言ってロケットもグレネードもマシンガンすらもない。敵機が展開した分厚いPAには色が付いて見えるほどだ。

カリオンのPAとアレフ・ゼロの頼りないPAが接触した瞬間――

 

「焼かれてみるか!?」

 

『ぎっ!? ぐっ!?』

右足を思い切り地面に叩きつけるとその周囲にクレータが出来上がりチェーンソーを持ったカリオンの身体が浮かびあがった。

そこから発した衝撃は中身にまで響いたのだろう。歪な悲鳴が聞こえてくる。

その隙を見逃さずに右腕を肩から切り落とし、まだ回転しているチェーンソーを拾う。

 

「お前が食え!!」

 

『あぎぎゃああ痛ぃがああああぁあああ!!』

コアに突きつけるとギャリギャリという音に混じって苦痛に満ち満ちた悲鳴が聞こえる。

動かなくなったカリオンを蹴りあげて陣形の崩れた他のカリオンに向かう。

 

「はははははッ!! 殺されに来たか!! 殺されに来たのか!! 全員地獄に送ってやるぞ!!」

一機、二機とカリオンを粉々にし、さらに向かってくるノーマル達を何機かバラバラにするととうとうチェーンソーの回転が止まった。

もう一機カリオンがいたはずだ、と周囲を睨むと――

 

『ルーララ――宇宙の――風に乗る――』

やや離れた場所でまるでロケットの打ち上げ台のような物を一から作りあげているカリオンが見えた。

そこにミサイルが設置されていく。カリオンのカメラアイは冷酷にこちらを見ており、味方ごと自分を吹き飛ばす気なのだろう。

 

「はっ……ははは」

使い物にならなくなったチェーンソーを投げ捨てる。

全身から電流を迸らせながら天を仰いだアレフ・ゼロに力が集まっていき周囲の地面に大きな地割れが起きた。

瞬間、紅い複眼から放たれた光が周囲の機体に何らかの影響を及ぼし数瞬動きを止めた。

 

「ぐうぅぅああ……! あ゙っっ!! があああああああ!!!」

緑の粒子が解放されて、地面が捲れあがり周囲の敵意が全て砂へと還っていく。

今にもミサイルを発射しようとしていたカリオンは自分が蒔いた種となったミサイルの大爆発に巻き込まれて消滅した。

 

「うおああァあアあああッッ!!」

最後の命を燃やして咆哮するガロアの息を止めんと、更に敵が押し寄せてくる。

 

津波のように迫ってくる敵を気体のようにすり抜けたアレフ・ゼロを追おうとした敵はその場で崩れ落ちた。

切り落とされた脚や胴体も気にせずに芋虫のように地面を這いながら遥か彼方へ飛んでいったアレフ・ゼロの方へと向かおうとしたが、ラインアークの部隊に破壊され後には残骸だけが残った。

 

 

 

 

あの時自分は街に攻め込んだ。

今、自分は街を守っている。

 

あの時自分はあの親子を守れなかった。

 

いや。自分は攻め込んだんだ。

過程はどうあれ、その結果は変わらないだろう?

 

 

いったい何なんだろうな俺は。

 

 

 

特攻兵器の性質上、重量機であるメリーゲートの方が直撃の回数が多かったようだ。

もうAPは3割も残っていない。自分も大して違いはない。

 

(過程はどうあれ……)

押し寄せてくる敵の数はもう数えるのも馬鹿馬鹿しい量だ。弾の数も少ない。ブレードもいつまでブレード自体が持つかわからない。

きっと無理だろう。過程はどうあれ、自分達は殺され、後ろにある街も焼かれる。

 

あの街と同じように。

 

「……! ダメだ! ダメだダメだ! 俺は!! ここで死んでもいい!!」

こちらに蹴りを叩き込もうとしてたノーマルに逆に蹴りを入れる。

脚の長さの違いからこちらの攻撃が一方的に決まったが、やはりガロアのように決定打には出来ない。

 

『何を言っているの!?』

 

「メイ……! 人は、きっと……安いプライドの為だけに生きるんだ。そんなもの捨てちまえばいくらでも生きようがあるのに。だから……だから、お前は逃げろ!!」

 

『バカ言わないで!! それに、』

そうだった。奴らは弱っている方を積極的に狙ってくるんだった。

過程はどうあれじゃない。過程こそが大事なんだ。

咄嗟にダンは自分の立つ地面に向けてミサイルを連射した。

爆風に巻き込まれてAPがみるみるうちに減っていきメリーゲートのAPを下回った。

 

「! ぐうっ……! これでどうだ!! こっちだ!! こっちに来い!! そうだ!!」

メリーゲートに向かっていった敵のほとんどがこちらにターゲットを変えてくる。

その中には前に自分が決定打を受けた目玉から二本の脚が生えた化け物もいた。

 

(! 死んだかも)

二本脚の機体が回転しながらこちらに突撃してくる。前もあれでやられたのだ。避けなくてはいけない。いけないのに。

先ほど蹴っ飛ばした敵機がセレブリティアッシュの足を掴んでいた。

前のようにガロアが助けに来てくれることなどもうないだろう。

やはり過程はどうあれ、自分は死ぬのか。

 

ドッ、と鈍い音が響いた。

 

『オラ!! ざけてんじゃねえ!! 蜂の巣にしてやる!!』

セレブリティアッシュに負けず劣らず派手なカラーリングの黄色いネクストが、化け物にレーザーを撃ちこみさらに踏みつけて徹底的に破壊した。

 

そう。過程が大事なのだ。彼には彼を思ってくれる友がいた。彼が迷いながらも戦ってきたその過程で。

 

『おいダン!!』

 

「カ、カニス……」

一度売ったネクストを買いなおすなんてしたものだからカニスは多額の借金を負ってしまった。

後悔は沢山している。だが今、女を逃がし街を救おうとしたダンの命を救えたということは後悔しながらもカニスが選んだこの道が間違いでは無かったということなのだ。

 

『ヤったか!!?』

 

「ヤってねぇ!!」

 

『童貞!!』

 

「うるせぇ!!」

脚に絡みついていた敵に改めてとどめを刺しながら叫ぶ。

 

『何それ……最低!』

セレブリティアッシュに敵の注目が集まったおかげでメリーゲートの負担は軽くなり、メリーゲートは集まっていた敵を吹き飛ばすことが出来た。

 

『おい!! こいつはいい男だぞ!! 俺が保証してやる』

 

「カニス、お前……マジで思ってんのか」

 

『デケぇ乳してんだから戦いが終わったら一発や二発くらいカマトトぶってねぇでヤらせてやれ!!』

 

(戦いが終わったら)

その言葉にどくんと心臓が跳ねる。地平線を見ると更に敵がこちらに向かっていた。

まるで無尽蔵に思える。絶望的だ。ただし、ほんの少し前までなら。

 

『信じらんない……!! でもそうね! 戦いが終わったら!! そろそろもう一歩踏み出してもいいよね!ダン君!』

 

「やったああああ!!」

今は希望がある。生き残れるという希望では無い。

もっとかすかで言葉にしてみたら失せてしまうようなものだ。

自分もメイも、カニスも一緒に死ぬのだろう。そうだとしても。

 

『よっしゃああああ!!』

 

『なんであなたまで喜ぶの!!』

 

 

結果は同じなのかもしれない。

だがその過程で心が救われていたのならば、その結果を受けるときに何かが違うはずだ。

 

自分はヒーローになれたのかな。

その疑問にはやっぱりイエスと言えない。

でも今、自分は自分を誇っている。

 

 

 

 

 

 

敵ごと地面に突き刺したブレードを支えに、さらに向かってくる敵のヘッドを両脚で挟み、

空中で三回転ほどしてから地面に叩きつけると動かなくなった。それはまるで邪悪さを象徴する逆さの十字架のようだった。

 

「ああ死ね死ね全員死ね!! 砂に還れ!! ぶっ壊してやる!!」

 

あの時、自分は世界で一番綺麗な言葉をこの口から紡いだんだと思う。話せるようになって良かった。

あれが最後だ。自分はこういう生き物なのだから。もう我慢する必要は無い。煉獄の炎のように焼け付く高揚に身を任せて金属を裂く不協和音からなる生命の挽歌を奏でる。

 

きっと自分は生きて帰れない。セレンとはもう会えない。

 

あの森が好きだった。思い返してみれば幼い頃、自分から主張すれば街に留まることも出来たのだろう。

自分はそれでも森に戻ることを選んでいた。心の中の獣の赴くままに動物たちと命を賭けて全てを奪い合うのが好きだったんだ。

 

命をこの手で奪うのが好きだった。そうでもしないと命が実感できなかった。

 

「はあ゙あああはっはっは!! あっはぁ!!」

結局のところ、自分にとって戦わないという選択肢は苦痛を伴う我慢だった。原因はどうあれそれが全てだ。

我慢というのは欲望や感情に流されないためのものだ。だがセレンと二人で過ごした四年で戦いたくないという思いも生まれてきた。人間になりかけていたからだ。二つの矛盾した感情があった。

もう、必要無い。心行くまで、身体がかすかすになるまで暴れればいい。

 

また一機、ただの鉄の塊に変えた時、ゴツい下半身をしたノーマルがこちらに蹴りを入れようと頑丈な盾の取り付けられた脚を振り上げたのが見えた。

 

「テメエらに俺を滅ぼせるか!!? テメエらに! 俺の心が!! 砕けるか!!?」

アレフ・ゼロの長い脚が振りあげられ、破壊の意志を反映したどす黒いコジマ粒子を爪先で輝かせた蹴りがノーマルの蹴りとぶつかり合い一方的に相手を吹き飛ばし粉々にした。

 

ブレードで敵を突き刺し、右手で別の敵のヘッドを握り潰していたアレフ・ゼロに、仲間も蹴散らしながら二本脚の目玉の化け物が回転して突撃してくる。

 

「がぁッッ!!」

カウンターでアレフ・ゼロが繰り出した頭突きは一角獣のようにヘッドの赤いスタビライザーを敵機に突き刺し、そのまま遥か上空まで化け物を突きあげた。

幾多の敵の残骸を踏みつけ、その眼を紅く光らせるアレフ・ゼロのその姿はまさしく戦場の王だった。

 

「ガラクタ共!! 俺を見ろ!! 俺が王だ!! 恐怖しろ!! 死を迎え入れろ!!」

天災のように道中にある全てをなぎ倒しながら目標地点へと進んでいく。

もう理由を考えても仕方のない事なのかもしれないが、どういうことかAPが一秒ごとに減っている。

きっと自分と同じく、アレフ・ゼロも限界を超えているのだろう。機械だからそれが分かりやすいだけだ。

だが限界を超えてなお人の命という燃料を得てアレフ・ゼロの複眼は赤く爛々と輝いており、残像を残しながら敵を切り裂いていく。

 

「くそ!! 俺は馬鹿か!!」

敵が途絶える気配はない。向かっている場所がもし敵の本拠地ならば、最短距離で本拠地に向かっている自分は最短距離で向かってくる敵にぶつかるということだ。

かといって迂回する時間もないし、迂回した先で敵と鉢合わせたら最悪だ。

 

その時、一機のタンク型ACがこちらにタックルを仕掛けてくるのが見えた。

 

(!)

極悪なコジマ粒子を纏った拳を突き刺そうとしたとき、遠距離から放たれたスナイパーキャノンがアレフ・ゼロに直撃し、もう動いていない電車まで吹き飛んだ。

 

『死んだはずだが……まぁいい。手段は選ばん』

 

『結果は変わりはない。……恐れるな。死ぬ時間が来ただけだ』

 

『見せてもらおう、傭兵。お前の持つ力』

 

明らかに他の機体とは格が違う三機の機体が通信を入れてくる。

画一的で見分けのつかない雑魚と違い、それぞれが武器を持った動物を象ったエンブレムを機体に持っていた。

声には僅かにノイズが混じっており、身体中に機械を埋め込まれた今なら分かる。あれはもう人間では無い。

 

「この野郎……もう……少ねぇってのに」

血へドを吐きながら考える。タンク型の中身が言っていた、『死んだはずだ』という言葉。

何を勘違いしているのか知らないが、もし敵全体がそう考えているのなら、自分が最初に敵に見られずに繰り出す攻撃は予想を超えた物になるはずだ。

勝機がある。

 

「てめぇらがいるから俺はおちおち安らかに眠ることも出来ねえ!!」

一番動きが速そうな軽量二脚の敵を見据えて声を捻り出しながら列車に腕をぶち込む。

全てのエネルギーが腕部のみに回され、ジェネレーターが焼け付くような熱を帯びた。

 

「邪魔をするってんなら……」

錆びついた電車の窓が衝撃で割れながら浮かび上がり、電線がぶちぶちと切れていく。

 

「邪魔するってんなら!!」

ネクストの重量を遥かに超える電車を持ち上げたアレフ・ゼロはそのまま三機に向かって投げつけた。

 

『!』

 

『どこに消えた』

 

『逃げるような男には見えなかったが……』

線となって迫る電車を避ける為に後ろに下がった三機は集まって周囲を見回す。

 

 

その時、その場所に夜が訪れた。三機が空を見上げた時にはもう遅かった。

黒い巨人が太陽を砕くように突きだした右拳には異様な濃度の緑の粒子が渦巻いており、温かなはずの太陽の光を全て遮っていたのだ。

 

「引きずりこんでやるッッ!!!」

 

カッ!!

 

右手を地面に叩きつけたほんの0.02秒後にネクストの歴史の中で一番凶悪なアサルトアーマーが放たれた。

 

宇宙からも観測できたその深緑の光は隕石の激突のような衝撃と共に如何なる命の存在も許さない熱となり、周囲の敵も木々も、空気すらも巻き込んで消滅させた。

超兵器の爆発のような跡の中心には塗装が完全に剥げ落ち真っ白になったアレフ・ゼロがただ一機立っているのみであり、今後数百年にわたってその地は生物の営みが許されない土地となるだろう。

やがて地獄に降るような黒い雨が大地に降り注ぎ始めた。

 

 

 

「く……ぁか……頭が……」

脳細胞全てが暴走しているかのような頭痛に耐えかね頭に手を触れると髪の毛がごっそりと抜け落ちた。

力を込めないようにもう一度触れてみたが、やはりパラパラと落ちていった。

 

(次は命まで持っていかれるな)

まだだ。まだダメだ。

そう思ったが、揺らぐ意識が戻る前に空の彼方からまた別の機体が飛んできた。

 

 

 

「光が見えた……まさかとは思ったが……ガロア……何故」

絶対に失敗するわけにはいかない作戦が今行われているものだとしたらその道中の安全も絶対でなくてはならなかった。

マグナスとジョシュアを護衛をして、無事にミッションを完遂したオッツダルヴァは直ちにラインアークに戻るために飛んでいたところ、遠くに巨大な緑の光を見た。

本当に、まさかと思ったが直感が『行け』と言ってきたのに逆らわずにその場所に行くと、丸く刈り取られたように砂だけになった土地に黒い雨を受ける白いアレフ・ゼロがいた。

 

『……オッツ……ダルヴァ』

 

「押し寄せてくるぞ、奴らも視認しているはずだ」

自分にも見えたあの光は敵にも見えているだろう。

だが一つ、気になることがあった。

重度の通信障害が起きている。ステイシスの故障では無い。あの機体に近づいてからだ。

今まで報告にあった未確認機のようにECMに加えて強烈な通信障害を起こす電波をあの機体が発している。

 

(誰がこんな改造を)

これならば一匹ずつ潰していけば仲間は呼ばれない。

だとしてもガロアが戦える身体では無いことは知っている。

 

『とめないでくれ』

 

「……」

これだ。この精神力こそがガロアの最強たる所以なのだ。

弟を守ると言ったあの言葉は、果たしてここでは何をするのが『守る』なのだろう。

 

「………………。行け、ガロア……私たちは……結局戦いでしか自己表現できない」

自分は弟を守れる程、自分の言葉を守れる程強く無かった。

今の自分にできる『守る』とは、ガロアの思いを汲んでやることだけだ。

 

「上へ飛べ! 上空からなら分からないはずだ! 私がここに残る!」

敵はここに向かってくる。ガロアにではなく、光の見えた方へと。自分がここで足止めをすればあるいはガロアはその望みを叶えられるのかもしれない。

その望みが何なのかは分からないが、それはいい。

 

『…………、……。ありがとよ、兄貴』

兄と言われた。初めて兄と言われた。

思わず両手の銃を降ろして涙を流している間にアレフ・ゼロは黒雲を突き抜けて遥か上空まで飛んでいってしまった。

 

「こんなに長く離れて……忘れていても……することが同じとは……ガロア、兄を許せ」

遠くから押し寄せてくる敵を認識しながらも、心から静かに笑った時。

 

『あの少年は何を望むのか……』

 

「!?」

突如聞こえた通信と上空から天使のように降りてきたその機体を見てオッツダルヴァはぞっとする。

間違いなくアレフ・ゼロは視界に入っていたはずだ。

 

『我々は……愚かな存在なれば……管理する者が必要だ』

白く細身のその機体には同様に細長い腕、細長い脚が付いており、小さくも大きくもないが頑強そうなコアが良く目立つ。

左腕のブレードを起動してこちらを見据え、明らかに敵意があることが分かる。

周囲にはいくつもの自律兵器が飛び回りコアから伸びた三日月のような砲台がこちらに向いた。

 

「弟の邪魔はさせん!!」

今までで一番の強敵だという事は見てわかるが、今までで一番奮い立っているオッツダルヴァは腹の底から叫ぶ。

かなりの老齢であることが伺えるしわがれた声があざける様に笑う通信が耳に届いた。

 

 

 

 

 

 

 

猛吹雪の中に輝く光は一つや二つでは済まない。

この吹雪で動きが鈍るのは恐怖を知る人間だからだ。

機械人形たちに恐怖はなく、視界が確保できない雪でも構わずに進んでくる。

雪の向こうにはアームズフォート級の大きさの四足歩行の巨大兵器がこちらに向かって歩いてきており、こちらの攻撃が届かない距離からレーザーキャノンやミサイルをばら撒いてくる。

 

「くっ……う」

射突型ブレードの最後の一発が相手に刺さった。もうまともな武装は自分にはない。

果敢に攻め立てるレッドラムが降りしきる雪の向こうでアサルトアーマーを放ったのが見えた。

先ほどからアサルトアーマー以外に何かをしているように見えないのは、弾が切れたからだろう。

 

「行け……シャミア! こいつらは弱っている方を」

自分はあの娘をあの時引きとってから何か出来たのだろうか。

結局シャミアの心に巣食う暴力の闇を取り除くことも出来なかった。

 

『いやよ!』

 

「何を言って」

 

『ずっと、一緒だったのに!! ふざけたことを言わないで』

 

「……」

あの日から今日この瞬間まで何一つ自分の言う事を聞かなかった。

年を重ねて乾燥した肌を一筋の涙が伝う。今までで一番絶望的な状況なのに、今までで一番心が救われているとは。

思えば自分は感動と言う物がこの年まで薄かった。単純にそういう何事にも熱くなれない性格なのだろう、とどこまでも冷静に思っていた。

今日も恐らくは負けて死ぬ。そう静かに思っていたのだが。

 

「ハラショー!!」

もう弾薬の入っていないブレードで敵ノーマルをぶん殴ると不細工にへこんだ。

ならば死ぬわけにはいかない。加齢臭がいやだとか騒がれるのだろうが、戦いが終わったらシャミアを抱きしめたいのだ。

あのアームズフォート級の敵には、そもそも対ネクスト戦を中心に考えられたアセンブリの自分達では敵わないかもしれない。

だがそれでも折れかけていた心に芯が入った。40年以上生きていて初めて心に火が付いた気分だった。今日が命日になるとしても、ド・スは人生最高の時を迎えていた。

 

 

 

 

 

 

 

最後のカリオンの動きが止まる。

また自爆をされてはたまらないと、残酷なことだと分かりながらもコアをきっちりブレードで貫いた。

 

「よし!」

汗だくになりながらウィンは声を上げる。

これでこの戦場はクリアだ。

 

『ウィンディー様! 上です!!』

既にAPが50%を切っているアンビエントが銃を空に向けると、鈍重そうな機体が降ってきた。

 

『こ、ここ、こっ、この姿、を見ろ、……策に溺れたもっ者の末路だ……、手を、つくしたつもりがこの様だ』

 

(なんだ!?)

バケツを刻んで作ったかのような特徴的なヘッドをしたその重量二脚の機体は一見して既存のノーマルにもネクストにも見えないが明らかに『アーマード・コア』だ。

だがそれよりも不気味なのは理解不能な言葉を呟きながらギチギチと油の切れた子供のおもちゃのように震えていることだった。

 

『人が、ガガガ、あれを支配するなど、元より無理だったのだ』

戦ったら互いに無事に済みそうにない機体だというのは分かる。

しかし、攻撃をしてこようとはせずに何事かをぶつぶつと呟いている。

 

「待て!! 戦わなくていいのなら」

何が何やらよく分からないが、敵という雰囲気は薄い。人間では無いのだろうが。

ウィンが説得をしようとした瞬間、イエローだった敵のカメラアイの光が真っ赤に染まった。

 

『破滅……人類の運命は決した』

強烈な殺気がウィンに叩きつけられる。

凶悪な兵器だと一目で分かる右手の大型のレーザーライフルをこちらに向けてきた。

 

『ウィンディー様!!』

アンビエントが正体不明機にライフルを撃ちながら体当たりをするが、体重の関係か敵機のバランスは崩れずその銃口をアンビエントに向けた。

思わずハイレーザーを発射するとこちらを見てもいないのに避けられる。

 

『いいだろう。私が相手になる。本当の強者はどちらなのか……試させてもらうぞ!!』

 

(何を言っている!?)

まるで話は通じないが分かるのはもうこの機体は敵なのだということだけ。

心の準備が出来ていない中でとにかく距離をとらなければ、と飛びあがった瞬間、空から大量の赤い特攻兵器が降り注いだ。

 

 

 

 

 

 

怒りが具現化したかのような粒子を纏ったネクストが雲を切り裂き流星のように海に飛び込んだのを知る者は誰もいない。

そう、誰もだ。彼は既にデータベースの中で死人にカテゴライズされていたのだ。

知るはずがない。死人の行動など。

 

「ゼロ……俺にも分かる」

海底都市だ!などと驚いている暇も無い。

この更に下に目標がいるのは分かるが細い通路を縦に赤いレーザーが幾つもあり、さらにその隙間を縫うようにして特攻兵器が向かってくる。

急がなくてはならない。だが急げば避けるのが困難になる。

今ここでダメージを覚悟してオーバードブーストで突っ切った方が結果的にはいいかもしれない、と考えた時いきなり地面に穴が空いた。

 

(!! 重力が!!?)

ただ穴が空いただけだったら落ちる前に脱出できたはずだ。

だがそれはかなわず、急激に下方向へとかけられた加速度に逆らえずにアレフ・ゼロは数100m下の大部屋に落下した。

 

『死んだと聞いていたが……そんなはずはないと思っていた』

緑に光るカメラアイがこちらを見据えてくる。

紫色の機体に積まれた兵器はどれも平均的に見えるがこの肌を刺すような感覚は知っている。

強いんだ。こいつも。なんでこんな奴ばかりが目の前にくるんだ。

 

『私の勘が貴様は来ると告げていた』

香水だろうか、フラスコだろうか。

背中にある瓶を後頭部に回した腕で抱く美女のエンブレムはその機体が醸し出す静かな雰囲気に似あわず妖艶だった。

 

「人間みてぇなこと言ってんじゃねえぞ……」

とりあえず強烈な重力は消えてくれた。立ち上がりながら思考を回転させていく。

あの細い道から脱出出来たのもよかったし、元々下へ行くつもりだったのだ。

最悪なのはこの相手が今まで戦った敵の中でも最強に類される実力を持っているのだろうということか。

 

『私は、……人間……だった。だが、支配されたとしても、こんな姿になったとしても変わらない物はある。……私はジジジー、ザザザ……Z』

 

「Z……テメぇで最後ってことか」

この前のあの機体の男は『J』と呼ばれていた。ジョシュアの『J』かアルファベットの『J』かは微妙なところだ。

 

『アルファベットの数だけいるという訳では無いが……お前の最後の相手という意味でなら……その通りだ』

すぐに交戦開始しなかったおかげでPAが回復した。もうAPの方は残り少ないし今も減っていっているがそれはもういい。

 

「どうでもいい……邪魔するってんならぶっ潰すッッ!!!」

 

『私とお前は同じだ。そして……一人しか存在できない。人は何故……私は何故戦い続けるのか。この戦いで……それが分かる気がする』

 

『お前を倒した、その時に』

 

「!!」

暗い部屋だが、それでも視界は良好のはずなのにその機体は溶ける様にして消えてしまった。

一瞬の戸惑いの後に影は消えずに残っていることに気が付いたが、さらにその数瞬後に影のある場所ではなく、その上の宙にいるのだと気付いたときにはもう遅かった。

嵐のような攻撃がアレフ・ゼロに全て直撃する。

 

「クソったれ!!」

この薄暗くだだっ広い部屋では塗装の禿げたアレフ・ゼロは目立ちすぎる。

ブレードを闇雲に振りまわしてもまず当たらないし、隙を晒すことになる。見た限りではネクストより頑丈そうには見えなかったからこちらの攻撃が当たれば一瞬のはずだ。

アサルトアーマーをやっても意味がないだろう。いや、むしろ悪い。外れた後はただやられるだけだ。あの時のような威力の物はもう無理だ。次は死ぬ。

仮に死なないにしてもこんな地下深くであんなことをすれば生き埋め間違いなしだ。

 

「俺とお前が!! なんだ!? 知らねえぞ、クソ!!!」

本当は、『Z』と名乗った女が何を言いたいのか分かっていた。

何故この女がこんな風になっても逆らう様子も見せずに戦うのかが。

 

『認めてしまえ。お前は戦いを呼び寄せる。だからまだ生きている。私達は戦いに好かれている。そしてただ……ひたすら強くなる。それだけだ』

 

「ぐぅうっ!!?」

分かってはいた事だ。ブレードしかないのは基本的に不利でしかない。おまけに敵は見えないしロックオンも出来ない。唯一影だけで認識できる。

そこまで考えが至った時、肩に取りつけられてはいたものの『人間が相手じゃないなら意味がない』と使っていなかったフラッシュロケットに意識がいった。

 

「がっ!? …………あ……」

ほんの一瞬の隙に強力なパルスキャノンが直撃し、薄くなっていたPAを貫いてコアに損傷を与えた。

内側であちらこちらが弾けて、飛んだ金属片がパイロットスーツの着ていないガロアを傷つけていく。その中で、顔に直撃した破片はガロアの意識を無慈悲に刈り取った。

 

薄れていく意識とアレフ・ゼロから送られてくる錯綜した情報が見せた幻影。

脳裏に映るのはアンビエントを蹂躙し、レイテルパラッシュを両断し、ステイシスを貫く映像。

挙句の果てには都市を襲撃し力のない人々を踏みつぶしさえしている。

 

(これが俺か。知っていたよ)

復讐は理由だ。自分には感情があった。心があった。

自分が、自分でその道を選んだ。そういう人間だったからだ。こういう未来もあったのだろう。

それにしても、本当に関わる人間全員死なせているとはつくづく自分は悪魔だ。

 

誰かを守るために戦うなんて。

意識をもう投げたしてしまおうとしたとき、アレフ・ゼロから電流が送られ無意識に両肩についていたフラッシュロケットをむしりとった。

 

 

 

 

 

(!?)

何をしている、と考えた瞬間にアレフ・ゼロはフラッシュロケットを地面に叩きつけていた。

強烈な閃光が部屋の中を照らしていく。『Z』が目を焼かれることはなくても相手の姿を見失ってしまった。

ただ死ぬ時間を引き延ばしただけにしか見えなかったが。

 

(影か!)

『Z』の操る機体、透明な『ファシネイター』から伸びる影が閃光によってはっきりと浮かんでいた。

 

『ぐ、うぎ、あ゙ぁああああ!!!』

 

(なんだ!?)

雄叫びではなく、今の声はまるで――悲鳴のようだった。

これはまずい。相手の行動に対し思考が一手ずつ遅れている。

このままでは決定打を放たれたときに対応できない。

そう考えた瞬間、アレフ・ゼロが見えないはずの自機に向かって飛びかかってきた。

 

(無駄だ!)

『J』と同じくガロアの、アレフ・ゼロの全てを知る『Z』はそのブレードの間合いをミリ単位で知っていた。

クイックブーストの持たない機体の為、急激に移動することは出来ないが、今後ろに下がった分で十分のはずだ。

 

(え?)

ブレードに注目したつもりが、アレフ・ゼロには左腕が無かった。

 

また思考が一手遅れた。その遅れを認識したときにはもう、ファシネイターのコアをアレフ・ゼロのブレードが焼いていた。

アレフ・ゼロの右腕が、ブレードを取りつけた左腕を持っていたのだ。

 

 

 

「あああああああ!!」

斬った!!

引き千切った左腕を持った右腕から伝わる感触。見えなかったが間違いなく斬った。

エネルギー供給が断たれた左腕のブレードから刀身が消えていく。

 

「……俺が……王だ……お前は負け犬だ……」

姿を現した敵は下半身と上半身が分断されており、既に動きも見えない。

 

「う……あ……?」

また意識が遠のいた。

口の中に何かが入っているという違和感に従い素直に口の中の物を吐きだしたら白い歯がいくつも出てきた。

 

「え……?」

右頬に手を添えたつもりが、あるはずの頬はなく、いきなり奥歯に触れた。さっきのあれで頬が丸ごと削り飛ばされたらしい。

瞬きがしにくいから変だと思えば目玉が飛び出ており、視界の半分はとうとう何も見えなくなってしまっている。

 

「あー……壊れちまったか……」

飛び出た右目を押しこんだが、眼球に直接触れたというのに痛みどころか違和感すらなかった。

ガロアからは分からないが目玉には縦に割る様な線が入っており、もう目玉としての機能を果たしていなかった。

 

(関係ねぇ。骨が砕けようと肉が裂けようと知ったことか)

どうせ生きて帰るつもりなど無い。今この瞬間を生きていればいい。頬からべろりと垂れた皮膚と肉を剥がして捨てると口を閉じているのに空気が口の中によく通ってきた。

画面が見えなくても、それはAPやPA、残エネルギーなどの情報が見えなくなるだけで視界はヘッドのカメラが潰されない限りは首のジャックから送られてくる。

だが今のはヤバかった。既にAPは3000を切っている。あの一撃で決められたのはラッキーパンチに近い。

 

行かなくては、と思ってから気が付いた。

 

(どこに?)

 

閉ざされた部屋であり、入ってきた穴もどこだったか分からない程完璧に塞がれている。

いや、分かったところであの道を今のAPで抜けられるとは思えない。

 

(うそ? これで終わり)

 

 

 

 

立ちすくむアレフ・ゼロを視界に捉えながら消えていこうとする『Z』は、ただの情報、そして魂へと戻る過程で気が付いた。

自分が過去の人物から生み出された存在だということは知っていた。それでいて戦っていたのは、負けるまでは目の前の敵と戦い続けるため。

ひたすら強くあればその先に自分の求めたものがあると信じていたから。

 

だというのに。

 

 

 

 

『私はただひたすらに強くあろうとした……』

 

『それが私の生きる理由であると信じていた……』

 

『やっと追い続けたものに手が届いた気がする……』

 

『レイヴン……その称号は』

 

『お前にこそふさわしい』

 

 

 

 

 

この部屋と同じように暗く、広い地下で自分は『あの男』に負けていた。

そして負けを認めて『あの男』の最後の礎になったことを誇りながら死んでいった。

 

そうか、自分はとっくに負けていたのか。

それに気付かず今日までこんな姿になってまで生きながらえていたとは。

まるで喜劇だ。

 

 

 

 

 

呆けながらも一秒ごとに死に行くガロアの耳に、ガァンと妙な音が届いた。

 

「!!…………なんだ……」

動かなくなったはずの敵機の上半身がハンドレールガンを構えて壁に大穴を空けていた。

そこからは地下へと続く道が見えている。

 

「まだ生きて……。いや、生きちゃいないか……。手向けてやる」

時間の無駄だと知りつつも、戦士としての敬意を払いながらその機体のコアを踏みつけてコジマ粒子を解放しぐずぐずに溶かした。

 

「先に逝っていろ、……俺も……もう少しだ」

 

アレフ・ゼロが飛び込んだ穴のその奥深く。

世界の命運を決める戦いの決着がつこうとしていた。

 

 

 

 

 

 

『……呆気ないな。全てが…………。お前たちはつまらん』

ルブニールのAPが0になった。ホワイトグリントの方もいち早く動きを止めている。

この二機がかかっても真正面から叩き潰されたという事実は残った人類から戦う意思を刈り取るだろう。

途轍もない強さだった……というよりも動きの全てが見透かされていたと言うべきか。

ボールをパスしようと目を向けた先に既に手を伸ばしているバスケのプロ選手のように、何もかもが手の平の上だった。

動きが止まったのと同時に急激に戦いの熱が引いていくのを感じる。

 

「……ジョシュア」

ネクストとの接続を外して、足元に置いていたロケットランチャーを持ち上げる。

重さ100kg近いそれはただのロケットランチャーではない。

かつてのアナトリアを消炭の一片すらも残さずに吹き飛ばした超兵器――イェルネフェルト博士が『発掘』した爆弾を発射するものだ。

この大きさでも周囲数十kmに渡って消し飛ばし、自分達もまず死ぬだろう。

 

『かまわん、やれ。マギー』

 

(フィオナ……マグノリア。さよならだな)

旧時代の兵士の自分だが、これまで自分は良く生きた方だ。だがそれでも、娘の成長をもっと見ていたかった。

骨の髄まで戦いの為に改造された男の目から、最期の涙が一滴だけ流れた。

 

『寂しくないよ。すぐに全員そっちに送ってあげるからさ』

リンクスは全員処分する、と言ったが『主任』は今回の作戦でネクスト及びコジマ粒子の技術に関して少しでも知識のある者は全員『処分』するつもりだった。

その知識を『次』に持ちこまれては意味がないのだ。

 

『ま、行ったこと無いからそっちなんてあるか知らないけどねぇ!! ぎゃははははは!!』

 

「!!」

ロケットランチャーを抱えるマグナスがコアから出る前に敵が向かってきた。

しかしその時マグナスは見た。壁が突然崩れて真っ白な機体が飛びこんでくるのを。

確かに、中のリンクスと目が合った。

 

 

(……お前は光……俺は闇……なんでだったのかな)

ルブニールに飛びかかっていく赤い機体の首に手をかけながらガロアは静かに思う。

自分は殺す事しかできない。こんな自分でも愛してくれた人はいた。

だがそれでも、自分が愛した物は皆壊れていく。

 

(お前は生きればいい。……出来る限りはな)

 

ガッシャァアン、と海底都市全体を揺らすような爆音が響き渡る。

一瞬の稲光のようだった。飛び込んだアレフ・ゼロは赤い機体のコアとヘッドの接続部に深々と右手を突き刺して中央の光の柱に自機もろとも叩きつけたのだ。

 

『主任』は全てを見透かしていた。ジョシュアやマグナス含む人類すべての動きを、抵抗を。

ただし、死人の動きはどうしたって見えない。

防御不可能の一撃必殺が突き刺さる。

 

 

「テメぇえええあああああああもう逃がさねええええああああああああ」

静謐で厳格、未来のかかった戦ではなく、全てを焼き尽くすような圧倒的な暴力。

粗にして蛮の原始的極まる攻撃は、しかし極めて効果的だった。

二機が隙を見て攻撃してもびくともしなかった光の柱にひびが入っていく。

それは完璧な王手だった。『主任』が避ければ取られてはいけない駒である光の柱が破壊されることは必至。

しかしこのままでも間違いなくアレフ・ゼロは『主任』ごと光の柱に突っ込んでいくだろう。

 

『なぜ生きて』

問答を投げかけながらも問答無用とばかりにブレードがアレフ・ゼロに向かってくる。

 

これで最後だ、振り絞れ。そう身体中に檄を飛ばし膝蹴りを繰り出す。

 

「ゲブッ……ぐうっ、グぶ、るっ、あ゙っああぁ!!」

悪運尽きたのか、振るわれたブレードへのカウンターとして叩き込んだ膝蹴りは相手の腕をへし折りはしたが、折れた腕についていたブレードがアレフ・ゼロのコアに突き刺さりガロアの左脚を消し飛ばした。

身体の中の血が足りない。呼吸をしようとしたら血が気道を塞いでいた。

スクリーンも砕けており、その向こう側から人体にとって益なはずのない光が入ってくる。だがそれでも相手の姿は見えていた。

ヘッドとヘッドを付き合わせその中身を残った方の目で射抜く。

 

「あるか……?……っぐぶ……あるかだと!!?」

解放されたコジマ粒子が赤い機体の内部に勢いをつけて入り込み敵の内部を次々と食い荒らしていく。

 

「テメェは俺と地獄に行くんだろうがぁッ!!」

身体中の穴から血を噴出するような叫びは敵の中で荒れ狂うコジマ粒子の流れを変えて敵機の両手足を吹き飛ばした。

 

「一緒に確かめに行こうぜえええええゲェあはははははははははは!! ははははははは!!」

笑い声が響き渡り部屋全体に振動が走る。それと同時にアレフ・ゼロが飛び込んできた穴から海水が入ってきた。

 

「あはーっははははははは!! ぎゃあはははははは!!」

塗装が完全に剥げ落ち真っ白になったアレフ・ゼロを、異様な光を放つ紅いカメラアイが周囲を鮮血の色に染め上げた。

この男も王だがガロアも王だった。ただしそれは壊れ行く世界に独り立つ、支配する者すらも誰一人いない王。

崩壊を始めたこの海底都市もガロアの世界だった。そして共に壊れていく。セレンが恐れてガロアが忘れようとしていた獣性が完全にガロアを取りこんだ。

 

(俺が……俺は………)

砕けた歯が覗く口からは血の蒸気が上がり右目がレンジに入れた生卵のように弾け飛んだが、それに押されるようにさらに力を込めたアレフ・ゼロの右手が敵のヘッドとコアの接続部に食いこんでいく。

狂気を含んだ笑い声と共に楽しかった思い出と命が身体中の穴からまろびでて蒸発していく。

何もかもが、自分を愛してくれた思い出が消えていく。強烈な電流がガロアの身体を貫き、抜けずに残っていた髪に火が付いて心臓が強制的に止まった。最早僅かにも命は残っていないだろう。

 

 

身体から離れていく魂が時空を極限まで歪めて泡沫の幻覚を見せてくる。

 

『奴らの望む死に場所をお前なら用意できる! 私がお前を導いてやる!』

 

(……)

 

『示してみろ。君がこの世の何よりも強く、正しいという事を』

 

(……)

 

『この世界が俺たちを見捨てるのなら……俺たちも……この世界を……』

 

(……)

 

(…………)

 

(…………………………)

 

『だから……そう、だから。お前がどう思おうと関係ない。世界中の誰が謗ろうと関係ない! どんな目で見てこようと知るもんか!!』

 

(!)

 

『私がいる! 私がお前のそばにいる! お前は、幸せになっていいんだ』

 

(本当は俺は……)

散々傷つけて嘘をついたな。

 

ごめん。

 

 

 

 

「俺が王だッッ!!!」

 

『……!』

名前すらも誰も知る者がいないその男が遥か過去に忘れた感情――『恐怖』が湧き上がってくる。

逃げることは出来ない。自分をデータにして転送することは出来ても、この場所を破壊されればそれで終わりだ。

そして悪魔は『主任』を確かに掴んでいた。

 

「あ゙あああああああああ!!!」

最後の雄叫びはアレフ・ゼロの背部を吹き飛ばす程の異常な出力のオーバードブーストを起動し、二機は光の柱の中に消えていった。

 



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Burial at Sea

われわれの救いは死である。しかし<この>死ではない。


 

肩に乗っていい?

その子供はそう尋ねてきた。

吹き抜ける風がどこどこまでも高い木の葉たちをザザザザァ、と揺らす。

 

「ああ、落ちるなよ」

その子供を肩に乗せると、落ちないようにだろうか、髪の毛を掴んできた。

痛くはない。自分は誰かの依り代になっていると思えば。

 

これはなんなんだろう、とその子供はまるでこの世界を支えるかのような大きさの木を指さして言った。

 

「なんなんだろうな。でも、人間に似ているな。一枚一枚はひとりぼっちに見えるのに、どこかで繋がっていて」

そして、時には憎い奴ほど太く繋がっていたり、と言いかけてやめる。

どうしてそんなことが起きるのかと言えば、きっとそれだけそいつのことを思ってしまっているからだろう。

まるで愛しい人を想うように。

 

「どこかに影が出来ればそれはどこかが日光をたっぷりと受けているということ。それでも一本の木からしてみれば光を受けないよりはずっとマシで……」

その子供はふんふんと頷きながら髪の毛の中に顔を埋めてくる。まともに聞いているのだろうか、難しすぎたか?

 

「そして葉は一枚一枚別に見えても結局木の一部……人間も、どこかで枯れてどこかで影が出来てもどこかで光を受けて青々とする木のように……また伸びやかに、か」

全員漏れなくドブの中にいるよりは誰かが光を受ければ種としては得をしている。

最大多数の幸福とは言い換えればどうしたって誰かが割を食うこと。

 

「独りじゃないって分かるなら、例え自分が酷い目にあってもそれが誰の為になるとしたら、きっと」

ああ、あそこの葉っぱは枯れている。上に重なる何枚もの葉が光を奪ってしまっているからだ。

でも木は潤う。自分含む誰もが光を受けないよりはずっと。

 

「自分は誰かの幸せを願える人間なんだということを幸福に思えるのが人間の素晴らしいところなんだろう」

自分の手が一切汚れていないと思っている人間が多すぎる。手を汚さなければ生きていけないと開き直っている人間も多すぎる。

その狭間にいて苦しむ人間こそが一番人間らしい心を持っているのかもしれない。

 

「人間には心があるからこの世界はどこまでもやれやれでどうしようもないところもあるけど、それでもな」

愚かさに限りはないが、人間にそのやれやれな心がある限りはどこまでも不死、永遠の命を紡げるのだろう。

獣のように本能のみに支配されるよりもずっと感動的に。

 

「誰かの幸福を願って、その為に自分が焼かれるならば、それも幸福だと……言えるなら。この世界に分け合うには幸せが足りなくたって、そう悪くないよな」

綺麗事なのかな、とは思う。だがそれを本当に感じているのなら、誰かに押し付けたりしないかぎりは綺麗事でも構わないじゃないか。

 

そう、それなら、本当の幸福は?

と。

先ほどまでその体格に似あったやや舌っ足らずな言葉遣いだったその子供は、急に落ち着いた雰囲気を言葉に織り交ぜながら優雅に肩から降り立った。

 

「なんだって?」

 

「待て」

 

「俺は、ここは」

 

 

 

「どこだ?…………?」

青い空が見えた。雲一つない青空だ。

自分は水の中で倒れていた。窒息するような深さでは無く、倒れていても耳が浸かる程度の深さだった。

 

「……?」

起き上がるとどこからか綺麗なハミングが聞こえてきた。名前は知らないが……確か……教会とかで歌われるようなやつ。そんな気がする。

教会なんて行ったことも無いからしらないが。

 

「なんだ……?」

周りの壁や柱は白い。青い空はどこまでも続くのかと思ったら、手すりの向こう側にまで青空が続いていた。

 

 

「ああ……??」

手すりから身を乗り出すと視界の下に雲が見えた。

ここはどこなのだろう。青々と茂りながらもよく手入れされた木々と花々、白く輝く大理石の床と柱。

宮殿のテラスや中庭のように見えるが、どんな王族の住む宮殿でも手すりの向こうを青空にするだけならまだしも手すりから乗り出した下の方に雲を持っていくことなど出来ないはずだ。

今になって気が付いたが右手がある。蒸発したはずの左脚も、弾け飛んだはずの目もある。

 

「そっか。死んだか」

身体に痛みもない。確かにあれで死ななければおかしい。

 

「ここどこだろ。地獄? には見えないな」

地獄ってのは地面の下にあるものだ。こんな空の上にある場所は……まるで。

 

「天国……? はっ……」

そんな場所があるなら誰でも行きたいと思うんだろう。

 

でも自分は違った。本当は自分は、死んだ後は完璧に消滅したかった。

 

「そうさ……皆死ぬんだ」

寂しい場所だ。水からあがって石造りのベンチを見つけたので座る。色とりどりの花の前で座れるとは中々いい場所だ。

歌声は聞こえても人の気配はしない。手すりの向こう側には雲を挟んで同じように浮かんでいる地面が見えるが、あそこに行く手段が分からない。

落ちたらどうなるんだろう。さらに空の向こう側には巨大な天使の銅像が見える。

 

「過程に意味は無い。みんな死ぬからな。……そう思っていた。それは間違いだったみたいだな」

七面倒くさい人間の脳から解放されて死んだ後にこんなに物事を考えられるなんて。

死んだ後に色々考えられるなら、やはり皆死ぬんだからなんて諦めて生きるよりも自分の望みのままに、誇らしく生きた方がいいのだろう。

 

「俺は……誇りを持って死んだ」

あの時、確かに感じた。奴が消滅していくのを。目的は果たせた。

 

 

ミッション完了だ、ってあの声で言ってほしい。

 

 

「やめてくれ……」

心にふと浮かびあがる願いにやめてくれと請う。

意識すればするほど消すことなど出来ない。

 

誇らしく生きるのはいい。天寿を全うした後も振り返って笑える。

誇らしく死ぬのはちょっと違うみたいだ。

 

「……セレン……もう君は殺されない。君の世界も……」

父は出来なかったのだろう。アナトリアの傭兵が暴走して世界を壊していくのを。

自分は父が出来なかったことが出来たのだ。願いは一つ。セレンの事が好きだと分かる前から、願いは一つだけだった。

 

「幸せになれよ。クソみたいな世界だけど……頑張れ。君なら……」

 

「幸せに……」

 

「しあわせ……」

願いは一つだけでも後悔はないとは限らない。

もう抑える理由もなくなった涙が白い地面を濡らしていく。

震える身体を抱いて抑え込もうとしても震えも嗚咽も収まらなかった。

 

「いずれ……きちんと住む場所を見つけて」

 

「……ちゃんと……似合いの男を見つけて……」

ぽたぽたと滴る涙は心の痛み、その穴から流れ出てくる。

 

(抱かれるのか)

綺麗に澄んだ水たまりの前で膝をついて項垂れると情けない顔で泣く自分が映っており、水面に波紋を作っていく。

 

「い……いるんだろうな……俺にもいたんだ……孤独も絶望も……心の傷も癒してくれる人が……この世界は……救いがあるもんだ」

幸せになってほしい。自分を失って悲しんだとしても、その傷を癒す優しい男と添い遂げればいい。幸せになればいい。

心から願っている。でも後悔はどうしてもある。

 

「だから、いつか出会うんだろうな……そんな男と……悲しい過去も、辛い思い出も忘れさせてくれるような……そして……」

あの笑顔が、優しい言葉が、柔らかい身体の抱擁が、自分では無い誰かのものになる。それがセレンの幸せになるというのなら、それを願う。そこに一切の曇りはない。

 

「俺を………忘れるのか……ああぁ……」

自分の足跡は血の上にあった。なんでそんな人生にしたんだと神なんて者がいるなら言ってやりたいが、最後の一歩が、セレンの為なら苦しんだ意味はあった。

この世界にうじゃうじゃといる人間どものどれだけにハッピーエンドが待っているというんだ。

死にたいときに死ねず、願いは叶わない、思いは届かないでそれでもそこそこになんとか生きていければ万事良いだろう、なんて世界だ。

それならばこれは望外の死だと言える。そして、それでも自分の心は痛み続ける。

 

(でももう……ここまで来たらかっこつける理由も……我慢する理由もないよな……)

 

 

「俺は……」

 

「俺はなんのためにいきていたんだろう」

この命が消滅した意味じゃない。その過程のことだ。

自分はただ苦しみ抜いて死に、そしてなお苦しむ。この自我はなにを受けたくて存在したのだろう。

 

「俺の大切な物は……幸せは……全部この手をすり抜けていきやがる……」

それは全部自分のせいなのだろうか。本当の両親を亡くしたことも、父を失ったことも。

あの世界で愛した女性と生きられなかったのも。

 

「ああ、俺のせいだ。突き離していた!……でも……俺が掴めば傷つく……。なんでなんだ。つよくなくたって、よかったのに」

この手は世界の誰よりも、どんな生物よりも強かった。

しかしその代償はとてつもなく大きかった。少なくとも自分にとってはそうだ。

 

「最強なんて、いらなかった」

 

(そうだな。奴は幸せを守るために戦った。俺は不幸を作るために戦った。救えねえな)

あの日、この手で抱いた赤子は未来の希望そのものだった。自分が敵を消滅させて、奴はこの先も家族と一緒に生きていくのだろう。

それは奴自身の手で掴みとっただけだ。奴のこれまでの行動の結果なのだ。自分はそんなことをしていなかった。全部が全部自分のせいではなくても、原因は自分にある部分もある。

知っている。分かっている。だからこそ、自分は死ぬべきだったのだ。

 

「でも……しあわせだったなぁ。……死んでもいいやって思うくらい……この時が永遠に続けばいいと思うくらい……」

今までで一番泣いている。水たまりの水位が上がるのではないかと思う程に涙が溢れてくる。

この顔をもっと早くに見せて、この弱音をもっと早くに言っていれば何かが変わったのだろうか。どうして強くなってしまったんだろう。

 

「ふ、ふつ、ふつうに……もっと早く……せめて……もっと早く……君と会う道はなかったのかな、なんで……おれは……」

自分の幸せも願いも、セレンの幸せと願いと同じだった。

でも、セレンの願いはもう叶わない。幸せを作ることは出来ない。

 

それでもいつかは家族になれる男を見つけ、子を作り、自分がいたことも、失った傷もゆっくりと薄れさせながら年老いていくのだろう。

 

自分のいない世界で。

 

「いやだ……忘れないで……いやだよ……」

顔を覆う指の隙間から何本もの線となって涙は流れる。

自分が思い出だけの存在になるなんて考えたくもないのに。

 

「こんな思いをするくらいなら……消えたかった……」

誇らしく死んだとしても後悔は残っていた。

このままこの場所で一人で後悔し続けるのならば、消えた方がずっとマシだった。

 

「君ともっと……一緒にいたかった……」

きっと父も同じく、自分ともっと一緒にいたかったと思っていたのだろう。

そしてやっぱり自分の幸せを願っていたのだろう。

 

(ごめん……俺……幸せになれなかった……)

誰にどうして謝ったのかすらも、分からなかった。

 

 

そしてガロアのいる世界とは違う世界で、今、戦いが終わった。

 

 

アレフ・ゼロとスプリットムーンがいつか共闘して倒した、赤銅色のボディに節々が青く光る機体と同系統と思われる機体たちが一斉に動きを止めた。

 

『いよっしゃあああああ童貞卒業だあああああ』

 

『終わった……? の……?』

敵機の動きは全て止まっており、中には今にも銃を発射するような格好で止まっているものすらもある。

恐らくは突入した二機が無事に作戦を成功させたのだろう。

 

「とりあえず……借金……どうすっかなぁ」

それはでもまぁ、後で考えればいいや。

カニスはサベージビーストの背部から出て二機に思い切り笑いながら手を振った。

 

 

 

 

ギリギリだった。

自分のAPはもう尽きていた。レッドラムももう数百も残っていなかった。

あと一分遅かったら自分達を踏みつぶして街を焼き尽くしていただろう四本脚の巨大兵器を呆けたように見つめる。

耳元に心臓があるかのようにバクバクと心臓が鳴っていた。

 

『ド・ス! 大丈夫!?』

 

「シャミア……」

普段ならば負けた敵に対して鞭を打つ様な言葉を吐くというのに今、シャミアはレッドラムを真っ直ぐにこちらに走らせながらそんな言葉を言ってきた。

成長したのかどうかはよく分からないが、戦いが終わったことよりもその言葉の方がただただ嬉しかった。

 

 

 

 

『これでやっと終わる』と。

その言葉を残し、重量二脚の機体は動きを停止した。

言葉を発するとき、再びカメラアイの色は黄色に戻ったのをウィンは見た。

 

「……!?」

それに合わせて降り注いでいた特攻兵器がその場で動きを止めて落下していく。

 

『ウィンディー様! 終わったのですか!?』

 

「いや、分からないが……」

だが、特攻兵器と次々に波のように押し寄せる敵機で埋め尽くされていた空は青く、雲一つなく輝いていた。

 

 

 

 

 

「マギー! 早くしろ! もうだめだろう! 見ろ! 火が出ている!」

流れてくる海水の勢いは激しいとまではいかないがそれでも着々と床を水で浸していく。

ジョシュアの言葉通り、光の中にかすかに見えるアレフ・ゼロは炎に巻かれており、電流が迸っている。

 

(なんてことを……)

ホワイトグリントに入って自分に繋ぎ直してさっさと脱出してフィオナのところに帰るべきだ。それは分かっている。

だがあの少年にも待っている者はいたはずなのに、本当に命を捨ててしまった。

せめて遺体だけでも持ち帰れないだろうか。そう思ったが、炎と電気に食い荒らされコジマ粒子の渦巻くあそこに踏み入ることは不可能だろう。

 

勝利したというのに。

マグナスは下を向いて重々しく瞼を閉じて数秒逡巡した後にホワイトグリントへと駆けた。

 

 

 

 

 

 

 

生まれ変わりとか、あるんだろうか。

まさかここにずっといるということもあるまい。

 

「あるのなら……あ、あるんなら……」

 

「ま、また……セレンに会いたい……とことん馬鹿野郎だ……今度はちゃんと……普通に…………」

知らなかった。自分はこんなにもあの人を好きだったんだということを。

平和な世界など自分の生きる世界では無いことは気が付いていた。

セレンには平和な世界で幸せに生きていてほしかった。自分のような男と結ばれるべきではないと思っていた。

それが全部本当の事だとしても、何故自分はもう少しだけ素直に自分の幸せを追い求められなかったのだろうか。

いいや、それを言うのならばどうして自分はあの日、復讐を心に刻んだのだろう。その先には一つも幸せなどないことは知っていたのに。

思えば思う程後悔は強くなっていく。

 

(俺には出来なかった……もしも……もしも本当にまたあの世界に生まれ変われるのなら……)

そばにいても幸せには出来なかった。知っている。最後の方はずっとセレンは自分のそばにいても泣いていたことを。

自分は人間にも獣にもなれきれなかった。なんだったら彼女を幸せに出来たのだろうか。

 

(君のそばで花になりたい)

あの花は、自分が贈ったあの花は何もせずともただ咲くだけでセレンを笑顔にしていた。

精一杯生きて咲く花は人々を笑顔にして、精一杯生きたつもりの自分は多くの人間を悲しみに叩き込んできたのだろう。

咲くならそっとすみれ色のあの花になりたい。そうすればまたあの笑顔が見れるのだろう。

 

(………………)

 

一陣のあたたかな風が花々の芳香と花弁を巻き上げ、涙に濡れるガロアの頬を撫でていった。

 

そこにいるのは最強のリンクスでも、戦場の王でもなんでもない、一人の弱い少年だった。

 

後悔は遅いから後悔という。それが活かされる日は来るのだろうか。

たとえそれが死人であっても。

 

 

 

光の渦の奥深く、真っ白なアレフ・ゼロのコアの中のガロアの身体には火が付きもう動いていない。

残った左目は半分に虚ろに開かれて生命の輝きはない。既に心臓は止まっており、呼吸も当然なくなっている。

 

ガロアが自分にはそれがお似合いだと思った通り、あるいはそう願ったように、

ガロアは戦いの中で死ぬことが出来た。




コロンビア(分かる人には分かるネタ)

やっぱり後悔しているじゃないか(憤怒)

でも死人に口なしだからね、しょうがないね


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Can you talk about deep-sea with me?

 

白と青、そして一人ぼっちのこの世界は自分のいたあの森とどこか似ていた。

悲しみも傷も全て自分一人のもの。ガロアは水たまりの水を顔にかけて顔を伝う涙を誤魔化した。

 

(死ぬってそう悪いことじゃない)

どこからか響くハミングは既に何週目だろうか。同じ曲がかかっており、後三周もしたら飽きてしまうだろう。

だが長く聖なる場所で愛されている曲だけはあり、流石に心は幾らか落ち着いてきていた。

 

(俺がもう何をどう思おうと……あっちには伝わらないってところがな)

人は死後の世界を知らない。知らないからこそ死を恐れ、利用する。

都合のいいときに限ってあの人は天国から見てくれているだとか、あっちで笑ってくれているだとか。

だがそれでいいのだ。この世界で自分が泣こうが笑おうが、何を思おうが向こうの世界には何一つ影響を及ぼさない。

だからこそ自分は力を求めてあの場所を飛び出せた。父が見ていて、父が自分に声をかけられたならば止めていたのだろうから。

それでいいのだ。自分はセレンにこれ以上何も出来ない。だからこそ、人は失った痛みすらも薄れさせて前に進んでいくことが出来る。

もっとも、その『前』がどういったものなのかはその時は分からないが……この世界ならもう大丈夫。

 

「……」

 

「……!」

男がこちらに向かって歩いてきていた。流れてくる曲に合わせて何やら歌を口ずさんでいる。

 

「For the Lord God Omnipotent reigneth……ハレルヤ、と」

 

(そうか。そんな歌詞だったか)

男が木からもぎ取ったリンゴの一つをこちらに投げてくるのを受けとるとニッと笑った。

 

「いやぁ……飛びかかってくるかと思ったんだが」

 

「俺はお前を確実に殺した。だろう?…………お前はあの時の医者」

向かってくる男はあの日自分に声を与えた医者だった。

そう、こうなってからよく考えてみればいくらAMS適性があったところで脳にまで障害があるのを今の技術でどうにか出来るはずがない。

恐らくは、自分達が持っていない類の技術を使ったのだろう。理由は分からないが。

 

「……うーん。こんな空高くに生るリンゴの癖に美味い。そう思わないか」

そういう男は所々が向こう側が透けるように見える。もう消滅が近いのだろう。

それと同時に自分はまだ死んでいない……いや、へばりついていることを知った。いつもそうだ。自分だけは生き残る。こんなときまで。

 

「……。だな」

奇妙なことに、この高度なら圧力がかからずに中身がすかすかの薄味になるはずなのに齧ったリンゴは蜜がたっぷり詰まってとても甘かった。

 

「ちょっと蜜が溢れるのがいただけないがご愛敬だな」

 

「……なんで俺はあの時お前に会えた? この手で……握手までした」

確かにちょっと冷たかったような気もするが、死体や機械という程冷たくはなく、表情も非常に豊かだった。

 

「三次元音響浮揚の技術は君たちは持っていなかったか」

 

「……?」

 

「しかし、やってくれたよ。ほんのちょこっとのバグ……取るに足らない木っ端の癖に」

吐き捨てるように言うべき台詞だというのに、言葉とは裏腹にその表情は少しだけ嬉しそうに見えた。

今もそうだが、さっきもそうだった。もう自分に対して敵対心を感じられない。それもあり飛びかかろうという気になれなかった。

 

「……退屈だろう。死路への旅立ちまで……付き合ってやる」

 

「そうかい。じゃあ、聞けよ。色々とさぁ」

 

「お前は何なんだ?」

 

「俺は人類の最後のストッパーだ」

 

「この場所も……」

大理石の手すりも、齧ったリンゴもまるで現実としか思えないが。

記憶か、あるいは記録から作り出された物なのだろう。

 

「そう、過去の場所だ。綺麗だろう? 俺はここが特に気に入ってる。天国に行けないなら作ってしまえばいいとは恐れ入ったね」

 

「でも……そこも滅びた。そうだろう」

 

男がうなずくと同時に雲の向こうに見えていた巨大な天使の像が音を立てて崩れ落ち、他にもいくつか浮かんでいる空中庭園に火が付きはじめた。

 

「偽りのアルカディアを作ろうとしては落ちて、それでも人はまだ上を目指し続ける。終わりの無い進化こそが人の業か? 自滅こそが辿るべき運命か?」

 

「……」

個の力の頂点とも言える兵器を作りあげ、地球を汚染し人類はゆりかごに乗って空へと旅立った。

この男の言う通り、何も変わってはいない。

 

「ある賢者は言った。民衆全てがもう少し賢ければ自分の状況こそが自分のいるべき場所だと甘んじることが出来るのにと。ある賢者は言った。民衆全てがもう少し愚かならば自分の置かれた状況を疑うことも無く日々を安寧に過ごせるのだろうと」

 

「……獣になっちまえばいい。本能だけに。この胸を空っぽに……未来も過去も覗けるような穴を空けてな……そうすれば苦しみは無い」

そして、人間でも無い。人間が人間であり続けるのは、

人間が人間を人間にしてくれるからだ。人は一人では存在できない。

 

「俺がこの姿になったのはずっと前のことだ。気が遠くなる程な」

 

「元々は人間だったのか。何故人間をやめた?」

 

「人類を守るためだ」

 

「その為に俺を殺そうとしたって?」

 

「その通りだ」

 

「……。ふん」

冗談では無い。だがこの男ほどの力と武力があれば世界の為に誰かを有無を言わさず抹殺することすらも正しいことにできてしまうのだろう。

その時ガロアはこの男が自分がかつて目指した物の果てだということに気が付いた。

 

「初めてのケースだった」

 

「?」

 

「何度も滅びようとしては俺が保護して……結局失敗した。全てを忘れさせる前に人間の中から邪魔者が現れた」

 

(黒い鳥……)

 

「俺の手を振り払って、まだ浄化の済んでいない地上に出て、結局争って、滅びかけて。何度も繰り返した」

男の言っている言葉は納得できる部分と納得できない部分が混在している。

この男の存在自体がそれの証明だとして、今までの人類の歴史と全く噛みあっていない。

 

「おい……人類の歴史は? キリストの生誕やWW2、あっただろう」

 

「初めてのケースだと言っただろう? 君たちは全てを……前の人類が滅びかけた技術も歴史も忘れた後に地上に出された人類の子孫だ。どれが本当にあったかを確かめる術はない」

 

「アフリカのイブは?」

 

「おいおい、君は遺伝子学者か? 違うだろ? 自分で調べたわけじゃなくて本や人から得た知識だろ? 炭素の半減期も自分で調べたわけじゃない。何かを発掘するにしても自分で地面を掘って自分で調べるわけじゃない。手分けをするだろう? それぞれの専門家が。1000年前の記録は本当の事だとどうやって信じる? 教えられたことを、専門家が言っているから正しいんだと思うのか?」

 

(……いつから? でも、WW2なら写真が)

そこまで考えて無駄だと悟る。それすらも作られた物なのかどうかを確かめる術は自分にはない。

実体験した者の本?それを書いた者は実在したのか?

 

自分の目で見た物以外は全てが誰かに作られた幻想の可能性がある。

 

(自分の目で見て調べた物なんか一個もねえのか)

ウォーキートーキーに教育を受けて、家にあった本を読んで歴史を、科学を知った。

この手で事実から積み上げた物などなかった。教えられたものを信じただけだ。

 

(俺が見た物は……あの雪山のAC……、……!)

あれすらも、人に聞いて調べてもらおうとしていた。

 

(手を加える隙はいくらでもあったという事か)

何か今の世界の歴史を丸ごとひっくり返すような発見をしてしまってもその全てを調べるのはその人だけではない。

もし仮にそうだとしても、発表するまでにいくらでも情報を改ざんできる。そうやって闇に葬ってきた真実が幾つもあるのだろう。

そうやって人類を監視してきた目がいくつもあったのだろう。アブ・マーシュやウォーキートーキーのように。

それでようやく分かった。あの日、山から持ち帰った写真や書類はウォーキートーキーにいつの間にかすり取られていたのだ。

もしかしたら今頃あの山ごと消し飛んでいるかもしれない。いや、笑えないが。

 

「ま、でもいたよ。DNAの塩基配列は嘘をつかない。その後の歴史をちゃんと知らないだけだ」

 

「全てを忘れるにしても、自分達を管理していた物の存在や自分達がいた場所の記憶くらいはある筈だ。それを伝えようとする奴もいただろ」

 

「簡単だ。第一世代の者達には脳にマイクロチップが埋まっていた。全員地下で生まれ地下から出た者だからな。何か余計なことを喋ろうとすれば……ボン!だ」

 

「……でも、完璧じゃなかった。伝承として残ってしまった」

その管理体制ならば3世代も時間を超えれば全てを忘れるはずだ。だが世界各地に黒い鳥や古き王は伝承として残っている。

これほどの力があるというのに杜撰さが目立つ様な気がする。

 

「まぁな。案外……君たちは二、三百年前に地上に出てきた全てを忘れた人類の子孫……なんてこともあるかもしれないぜ」

冗談じゃない、そう言いたいが人類を地下に閉じ込めている間に地上の設備を整えて、地上に出した第一世代の者達に子孫に何も伝えないように制限を設け、この男の手の者達が嘘の歴史を教え続ければ……100年もすれば残った人類は教えられた歴史以外は知らなくなる。

過去のことを確かめる術は残った伝承や遺跡などから調べるしかないのだから。

ところが伝承も歴史も作られてしまっているし、もし本当の歴史を示す物が出ても大抵はこの男の目に入り握り潰せてしまう。

 

「……俺の眼をなぜ奪った?」

まだ納得できないところはある。

今なら『声を与える』というのは手術をするための口実だというのは分かるが、どうしてあの眼が奪われたのか分からない。

 

「……何度も……何度も繰り返し味合わされてきた。『君たち』に……」

 

「なにを言っている?」

 

「ただ素養の持ち主を殺すだけではダメなんだ。次も、その次もあるのならば知らなければならない。何が『イレギュラー』へとつながるのか。君の場合は特異な眼だと、そう判断した」

 

「どうやら見誤っていたようだ。君の強さはそこでは無かった。……結局、失敗したのさ」

 

(何を笑っている……?)

そうだ。間違いなく討ち倒され、失敗しただのと言っているくせに何故かこの男は笑っている。

何がそんなにおかしいのか。

 

「……。『君たち』はどうしても生まれる。何故だ?」

 

「?」

 

「支配する俺を破壊する者。まるで何かに導かれるように。どれだけ完璧に近い予測をしても、それを上回る『イレギュラー』。いや……それこそ神の御業か」

 

 

 

「神を恐れているのか、お前でも」

 

「俺は、君が恐ろしいよ」

 

 

男の言葉と共にまた一つ滅びの記憶が再生されていく。

幾つもの空中庭園には火が付き青い空が赤く染まる程になっていく。

天国はあっという間に地獄になった。人の手で。

 

 

 

「……何故俺たちはダメだった?」

 

「ふーむ。実を言うと今から20年以上前……国家解体戦争なんてものが実行されてから既に処分は決まっていた」

 

(……処分)

いくら元が人間だろうが人類の為だろうが、人を殺すことを処分の一言で済ませるこの男はもう怪物なのだろう。

 

「さっさとやればいいものを。何を20年以上もダラダラしてやがった」

 

「数が多いとそれだけ長引く。長引くと意志は強固に残ってしまう。人類が一定の数まで減ってから実行する予定だった」

 

「クレイドルは?」

そう聞きながらもあんな不安定な飛行機がいつまでも残るはずがないとは思っていた。

クレイドル同士で戦争が始まれば、沈むのはあっという間だ。

 

「宇宙空間にあんな物で出た時点で全員死ぬ確率の方が高いだろ。そして……何故ダラダラしていたか? だったか」

 

「君が引き金になるはずだったんだよ」

 

(……やっぱりな)

この男を屠る前、あの女と戦った時に死にかけながら見た幻影は全くの嘘では無いのだろう。

 

「企業に付けば全てのリンクスが死ぬ。ORCAに付けば地球全体を巻き込む争いが起きて大勢が死ぬ。……もしくは君自身が大量の人間を死に追い込む。ほうっておけば俺が楽になるようになっていた」

 

「だが……」

 

「こうなったのは完全に想定外だ。あるいは……俺がその原因の一端を担ったか。余計なことをしなければよかったのかもしれん」

また笑った、と思った。

確かに不思議なことだろう。力の一つを奪ったはずがこうなるなんてのは。

 

自分は……なんだろうか。矛盾しているとは思うが、獣だった頃よりも弱くなったのに強くなった。

守る物が何もないというのは強い。だが絶対に守りたい物があるというのも同様に凄まじく強い。

 

自分の守りたかったもの、それを今一度思いだす。

 

「いや……。そうじゃない。俺は……分かる。そうなっていただろう未来が想像できる。俺にはその力もあった。この世界を……自分の思い通りに粘土みたいに変える力が。だが、そうじゃない」

 

「何が聞きたいんだ?」

 

「あの人に出会っていなかったら俺はどうなっていた?」

運命の分岐点なんていうのはその時には分からない。後になって振り返ってみて分かるものなのだろう。

あの時、あの場所で出会ったことから自分の運命は変わった。それは間違いない。自分は獣だった。

 

「んー、まぁ大別して二通りだな」

 

「……」

 

「養成所で同期を殺してしまいそのまま少年院へ。それかインテリオルで薬物に縛られて傀儡となるも薬物が切れて発狂した君は企業を叩き潰して終わり」

 

「今が一番マシな未来だと?」

 

「君らから見たらそうなんじゃないか。どこにどう転んでも君は戦いの中心だった。その才能も思想も、戦禍を望む世界が放っておくはずがないからな」

 

(一番マシな未来が……俺が死ぬことだとは……笑える)

平和な世界など自分が生きる世界では無く、世界は争いを続けていたから自分は生き残っていた。

生まれたその日から自分だけは争い合う世界の中で生き残っていた。

だとしたら本当に自分はどんな幸せを受ける為に生まれたのだろう?

手に入れたと思えばすり抜けていく。求めることすらも許されなかった。

 

「俺はもうすぐ消える」

 

「そうか。消えちまえ」

リンゴの最後の一口はほとんど透明になってしまった男の身体に吸い込まれて行く。

それと同時に自分達のいる空中庭園にまで火が回り始めた。いつの間にかアカペラの代わりに銃声と悲鳴が響くようになっていた。

自分の行く場所はいつもこうなる。もうそれでいい。

 

「ジジッ……ここまで、ガガガッ、何故君が入ってきたのか? この際それはどうでもいい。ジジッ……ピー……俺になれ、ガロア・A・ヴェデット」

声にノイズが混じりはじめ急に男の目が非常事態を示すランプのように赤くなった。

どうやら本題に入ったようだ。

 

「……」

何故接触してきたのだろう、とは思っていた。

この世界で一人きりでこの男が気の遠くなる様な時間を生きてきたのはやはり使命があるからに違いない。

そしてこの男は自分と似ている。だからこそ、その使命を受け継ぐ物を滅びる前に欲するはずだ。そしてそれは自分と同じ存在へと行くのだろう。

 

「小さな独裁国家の支配者が血迷って言うものとは違う。限りなく神に近い存在になれる。ま、修復に数百年かかるけどね。絶対の正義となり人類を守れ。後は何をしてもいい」

 

「いらねえ」

やはりそう来た。一昔前の自分ならその座に二つ返事で就いていたのだろう。そうなりたかった。

 

「……。この世界には全てがある。美味い食べ物も、過去に存在した絶世の美女も、美しい景色も。全てがある。直すのに時間はかかるがな」

男が手を振るだけでさっきもぎ取ったはずのリンゴがまた生った。

ここと現実にさして違いはないだろう。この座にいる者ならば現実も自分の思い通りに変えられるはずだ。

真の恐怖は目に見えない所にあり、それが意思をもって王となったとき、人はそれに太刀打ちする術を持たない。

革命を起こすにも姿も肉体も無い王をどうやって討つ?今回こうなったのも全ては幸運に幸運が次いだからだ。自分の生まれついてしまった戦いと勝利を望む星の凶悪性のおかげだろう。

 

(……!)

そうしてようやく気が付いた。どこか隙だらけなのだ。残ってしまった伝承も、弱点丸出しだった最後の戦いも。

この男は王だ。そしてそれは誰にも理解されない永遠の孤独と共にある。むしろ王と言う名と使命に縛られた奴隷だ。

この男のいる場所は天国などでは無い。むしろその逆、地獄だ。

 

「霞スミカか? データはあるから優先して復元したらいい。文字通り、永遠に一緒にいられる」

 

「違う。霞スミカじゃなくてセレン・ヘイズだ」

確かに、彼女が一緒ならばそこが地獄でもこの世の果てでも自分は進んでいける。

でも、この世界にはいない。

 

「DNAは同じだぞ」

 

「いいや。例えば俺が、本当の両親と一緒に普通の生活を送っていたら……DNAが同じでも」

 

「ないな。生まれてきたことでさえバグみたいな確率なのに。君の両親が普通の生活をしていたら出会わなかったし結ばれなかったからな。君の両親は『君の親になったから死んだ』んだよ」

知っていた。この世界がもっとマシで平和だったら自分の本当の両親は出会うことすら無かっただろう。

リンクスなんてものもなかった世界で、父は、アジェイは自分を拾う事も無かった。

この世界が腐っていたから自分は生まれた。環境が生んだ化け物が自分だ。どうして自分がそうだったんだろう。

 

「なら……もし仮にあったとしたらそれはもう俺じゃねえんだ。セレン・ヘイズも霞スミカではない」

 

「そうだとしても。彼女の育った環境を再現すればいい。DNAが同じなら君の知るその「セレン・ヘイズ」になるんだろ。時間はかかるけどな」

 

「……いらねぇ」

それも無理だ。あの時、獣と人間のぎりぎりの境界線にいた自分と出会ったことで、まともな人生を送っていなかったセレンも鏡を見て自分の姿を直していくように普通の感性を手に入れられるようになったのだ。再現不可能だ。

 

「確かに俺は君に負けた。だが本当にいらないのかい。勝者が全てを得る権利を持つのは当然の事だ」

 

「最強の力で目の前に立つすべてを叩き潰し……統治し、君臨する……絶対的正義。お前はかつての俺が目指していたものそのものだ。そしてその姿も知る者がいなくなれば本当に無敵なのだろう」

戦いの果ての絶対者になるか、負けて死ぬか。

それが自分の歩むと決めた道だった。目の前の全てを倒した者は何よりも強く、この世で一番強い奴が、全てを決める。正義も、悪も。全てを超越したただ一つの頂点ならば。

間違っていなかったはずだ。今その答が目の前にある。

 

「……」

 

「さぁ。お前との……話も飽いた。そろそろ消滅の頃合いだろう? やれ」

権限は移譲されていないならばこの世界にある物を削除する権利もこの男にまだあるはずだ。

 

「本気かい。長い間この世界にへばりついてきた俺ならばまだしも……君は18年しか生きていないだろ。見ろ。あっちの世界の君はもう死んでいる。……本当にいらないのか」

男が指し示した空間に穴が空き、自分の身体が映る。

手足は一本ずつ消えており、右目もはじけ飛んでいる。血の流れが止まっているのは既に心臓が止まっているからだろう。

見慣れたアレフ・ゼロのコアの中にも火が付いており、自分の身体が炎に巻かれて行く。業火が顔を舐めぐずぐずに焼け焦がしていっても悲鳴の一つもあげない。

死人は何も語らない。

 

「うっ……」

18年間付き合ってきた自分の身体が炎に飲まれて行くのを見て何も思わない訳がない。

もうこれで、本当に終わりだ。セレンを抱きしめることもあの声を聞くことも出来ない。

 

「俺は……消滅する定めだ……。もう、終わりなんだろ。さぁ、消せ。やれ!!!」

俺は誰かを幸せにすることなど出来ない。頭に声が響く。その通りだ。自分がこの世界の主になってもいずれ全てを消し去るだろう。

根本のところで自分は獣なのだから。昔から、感情を上手く操作することの出来ない人間だった。

 

「何故そこまで死を受け入れる?」

 

「この世界が、人間が……もし……これから進む先が滅びでないとするなら……そうでなければならないなら」

セレンの顔と腕に抱いたアナトリアの傭兵の子の重さが思い浮かぶ。

どんな人間にもそんな人がいたはずだ。自分が何も考えずに殺してきた人間にも。

自分の選択した未来の果て、その答はもう目の前にある。そして自分は負けて死ぬことを選ぶ。何故?

 

「悪は裁かれ……罪には罰が必ず下る世界にならなくてはならない!」

そういう世界であってほしい。あの子とセレンが生きる世界はそうなってほしい。

 

「……正義も悪も見方で変わるだけだ」

その言葉はかつての父の言葉と重なった。

自分もそう思っていた。正義も悪も見方によって変わり、だからこそ誰にも手が届かない最強の存在こそが絶対の正義になれるのだと。

 

「いいや違う!! 正義はない!! だが悪はある!! 自分の為だけに人の命を踏みにじる者はどうしたって悪だ!! 何人殺したと思っている……俺は俺の為だけに何人も殺した!!」

例えこうなったとしても罪が消えたわけじゃない。アナトリアの傭兵がそうしたように、自分も自分を恨む者を何人も作った。

そしてそうやって誰かを不幸にした分誰かを幸せにしたか?していない。出来なかった。

 

「俺が何をしたとしても……死んだ生き物が二度と帰らないってことは、人を殺したという罪だけはどうしても贖えない」

誰かを幸せに出来ないのならば、セレンの為に。自分に出来ることは消滅だけだ。

そして、何よりも自分は、セレンが自分のいない世界で自分の事を静かに忘れながら他の男と幸せになっていくのを見るなんて耐えられない。例え絶対者になれたとしても。

何よりもセレンの幸せを願っているのに、自分勝手だから。本当は一緒に幸せになりたかった。彼女と出会う前から、自分はただ幸せになりたかっただけなのにそれが許されなかった。

せめてもう一度だけ会いたい。だが、そうすればもう自分は死にたくなくなってしまうだろう。

 

「だから、世界が正しい方向に進まなければ滅ぶというのなら!!…………、……!…………手を汚さずとも生きていける世界になれるなら……」

この年で死ぬにはあらん限りの勇気を奮わなければならない。自分はどんな幸せを手にしてきたのだろう。

もうそれは分からない。だが誇るんだ。自分は愛した女を守って死ねたのだと。

 

「お前がいなくなる今、必ずそんな世界にならなくてはならない。今の俺には平和な世界が必要なんだ! もし、そうなら……」

 

「後悔はある!! 未練もある!! だが俺はここで罰せられるべきだ!! 消滅するべきなんだ!! さぁやれ!! もたくさしてんじゃねえッッ!!」

周りの世界は全て崩れ落ち、とうとう自分と男が立っている場所以外何も無くなった。壊れゆく世界で消えかけの男はただこちらを見ている。

 

「罰がお望みかい」

 

(……!)

手と顔しかまともに見えなくなった男の手に何かが渦巻いていく。

男の目から血のように赤い光は消えていた。

 

「ならば生き延びるがいい。君にはその権利と義務がある。罰という物。責任という物。弱者の生きる道。それを知るがいい」

 

(なんだと)

 

「何故……ジジッ、ガガッ……この世界に、ギギギ……一人で……ピッ、ずっとこんなことを……なんでかわかるかい」

男の表情は見えなくなった。だがその声は明るくなど無い。

やはり地獄だったのだろう。全てが幻想のこの世界で一人、もう自分はいない『現実』の為に生きていくことは。

男の手で渦巻いていた何かは光の玉になった。ここが地獄なら、これは『希望』だとか呼ばれるべきものなんだろうとガロアは静かに思った。

 

 

 

「愛しているんだ。君たちを」

 

 

 

(!)

何もかもがあっと言うまで頭がついて行かなかった。男が投げてきたそれを受け取るとそれは綺麗な花束になった。

コジマに汚染された地球からこれから消えて行く物だろう。だとすればこれはやはり希望だった。

そして受け取ると同時に地面が崩れ落ちガロアは落ちていった。このままどこまで落ちていくのかと考える間も無く空の彼方に黒い巨人が見える。

天使にも悪魔にも見えるその機体はガロアのもう一つの身体だと信じ切っていた物だった。

 

「行くがいい。そして君が成したことが何を生むのか、それを見届けるがいい」

その言葉を最後に男は完全に消滅した。壊れゆく世界でどこまでも落ちていくガロアをアレフ・ゼロが優しく受け止めた。

 

「ゼロ……嘘だろ……お前」

一緒に死ぬってのは嘘だったんだな、と。

アレフ・ゼロの紅い眼光の向こうを見てガロアは一筋涙を零した。

 

 

 

焼けて骨になろうとするガロアの身体に、ジャックを通して強烈な電撃が流れた。

心臓を直撃したその電流は強制的にガロアの心臓を再び動かし始める。

 

 

 

最下層から順に水で溢れていくと考えればまだ時間はある筈だ。

ジョシュアと言葉を交わしながらホワイトグリントの中でジャックにコードを挿そうとしたマグナスは信じられない物を見た。

 

「!?」

 

「ベイルアウト!? ネクストにそんな機能は無いはずだ!!」

光の柱の中へと消えていったアレフ・ゼロの背からその中身が吐きだされていた。

パラシュートもクッションも無く、運が悪ければそれだけで頭から着地し、死んでしまいそうなところを吐きだされた人間は、運よく浸水していた海水の上に着水してぷかりと浮かぶ。

 

「マギー! どこに行く!!」

 

「……」

素早く地面に降りて首まで浸かる水たまりとなった海水へと入っていく。

 

(!……酷い怪我だ。何故動けたんだ……)

あちこちに大火傷を負い、特に顔の怪我は酷い。髪は全て抜け落ち、顔の右半分が焼かれているがそれ以前にかなりの傷を負っていたように見える。

耐G性能のあるスーツを着ていないどころか防御性能なんか期待できそうもない病衣にはあちこちに血が滲んでおり全身がぐしゃぐしゃであることが伺える。

だが、焼かれたおかげで出血は抑えられており、吹き飛んでいる左脚も火傷は酷いが血は止まっていた。

ほとんど動きは見られなかった。だが僅かに呼吸をしているように見えたような気がしたマグナスはその胸に耳を当てると力強い鼓動が聞こえた。

 

「生きている……信じられん……この大怪我で……」

信じられないと驚く時間も惜しく、急いで肩にガロアを担いで水から上がった時、何かを呟く声が聞こえた。

 

「ぜ……ろ……」

 

「壁を突き抜けたか……! 絶対に死なせやしないぞ」

死んでいてもおかしくないどころか、死んでいなければおかしい傷でここまで戦った。間違いなく英雄だ。

ガロアの声に光の柱を振り返るともう電流も走っておらず、あるのは燃える二機の巨人だけだった。

ただの殺人兵器のはずなのに、あのネクストが最後にしたあり得ないはずのベイルアウトはまるでこの少年を死なせないようにしたかのようにも見えた。

 

「はな……せ…………くそやろう……」

相変わらず口が悪いが、これだけ意識がはっきりしているなら大丈夫だ、と足を進めた時、アレフ・ゼロに向かって伸ばしたガロアの手から何かが落ちた。

 

(……?)

それはどこにでもあるようなリムーバルメディアだった。何故こんなものが?

 

「生きているのか!? どっちでもいいから早くしろ!!」

色々と考える前にジョシュアに急かされたマグナスは、とりあえずそれを握ってホワイトグリントへと向かった。

 

 

 

 

 

この日の人類の勝利は本当に人類の為になる物なのか。

それはまだ誰にも分からない。




実は最初の構想の時点でガロア君にはここで死んでもらうつもりだったんですけどね。
目ん玉弾け飛んだり、手足ぶっ飛んだり、髪の毛消滅したりと取り返しのつかない怪我を負っているのはその名残です。

虐殺ルートを投稿し終えてから、それだとあんまりにもセレンが報われないかな……と思いまして。
英雄になったからなんだって感じでしょうし。

この主任はダクソで言えばさながら薪の王グウィンですかね。
一人で何千年も人類の為に。





次の話なのですが、ストーリーを投稿するのではなく、設定集(のようなもの)を投稿します。
結局敵の正体がよくわからなかったな、という方は見て、どうぞ。

でもネタバレ満載なので、最終話まで見なくていいやという方はそっちの方がいいと思います。


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設定集&短編『R.I.P.4/V』

これは109話まで読んで疑問が残っている・もう世界観を全て明かされても平気という方向けの設定集です。
重大なネタバレを含んでいますので、閲覧は自己責任でお願いします。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

管理者 (もしくは主任)

 

身長 ???cm 体重 ??kg

 

出身 ???(地球かどうかも定かでは無い)

 

古の王やIBISなど、様々な名称があり、『Hustler One』『Lana Nealsen』『Serre Croire』という具体的な名前まで残っているが、信憑性に欠けるとされていた。

 

その正体は今から〇千年前に作り出された最初の電子化された人間(ファンタズマビーイング)

もちろんただの凡人のファンタズマなどではなく人類最高の肉体、頭脳の持ち主たちを選りすぐり掛け合わせて生まれた存在。

この世界のあらゆるしがらみから隔絶した存在であり、作中では男のように描かれているが性別はなく、見た目も声も自由に変えられる。

 

彼(便宜上彼とする)は、ただ一つの目的の為にファンタズマ化された。

それは『人類を守れ』というものであり、彼が絶対に逆らえないただ一つの命令でもある。

 

管理者の予想から大きく逸脱した存在『イレギュラー』に対して、人類を守るために以下の二つの選択肢が存在した。

 

1.素養の持ち主の積極的処分

 

2.素養の持ち主の観察、イレギュラー化の要素の判断

 

そこで彼は夜警国家的な考えを持って、後者を選択し、かつての素養の持ち主も、後々イレギュラー化するガロアも観察することにした。

ガロアの強さの理由はその眼に存在すると判断して、手駒でありガロアに恩を持つCUBEをガロアの元へと行かせた。

ちなみにCUBE自身は彼の正体に気が付いていない。

手術が必要だったが、当然それらしい理由が必要であり、声を与えるということにした。

そういう理由にすればガロアもセレンも断らないと分かっていたからだ。

そして彼は『眼を奪うついでに』声を与えた。

だがガロアの強さは眼にあったというのは間違いだったようで、

完全に逸脱し、予測不可能の力を持ってしまったガロアを抹消しようとしたがそれも失敗し結局彼はガロアに破壊され消滅した。

 

 

 

無人AC『UNAC』と、人を電子化して隷属化する『ファンタズマ技術』を持っている。

UNACは度々登場し、ファンタズマ化されたかつての猛者たちもかなり登場した。

 

ファンタズマ化には二つの方法がある。

 

1.遺伝子データを用いて一から作る

 

2.本体をそのまま電子化

 

Jは1からジナイーダは2から。

 

1の場合には自由な思想教育が可能だが時間がかかる。

2の場合はそれまでの戦闘経験や記憶を引き継げるので手っ取り早く強力な戦士を作れる。

記憶の改竄や性格変更も可能だが、戦闘能力に著しい影響を及ぼす可能性がある。

 

死体の状態(特に脳)や環境にもよるが死後三日までならファンタズマ化可能。というよりもファンタズマビーイングとなる際に肉体は死を迎える。

 

強力な支配を受けてなお逆らおうとする者も多く、ジナイーダは完璧に支配を跳ね除け自分の意志のみで行動していた。

レオスは支配されていないが同意している。

 

また、虐殺ルートでガロアの死後、彼は速やかにガロアの死体を回収しファンタズマ化した。

自分にとっての大切な存在の記憶だけを忘れさせられ、ただひたすらに自分でも分からない何かに怒り続けるガロアはその後の世界で主任の最強の矛として人類に牙を剥いた。

 

それ以前にもガロアの遺伝子を欲しがり誘拐計画を実行したことがあるが、失敗に終わっている。

もっとも、その時は遺伝子を回収し身体を一通り調べた後に返すつもりではあった。

 

 

 

彼自身もファンタズマだが、他のそれとの違いは、彼だけが即座に他のデバイスに移動できるという権限を持っているということ。

作中で表現されている通り、完全に支配されている者とそうでない者がいるので謀反を防ぐ為でもある。

自分のコピーも作れるが権限やその他の問題のせいで劣化コピーしか作れず、戦力としても他のファンタズマの方がいいのでしていない。

 

また、かつてのあらゆる分野の天才たちの遺伝子データも保管しており遺伝子操作によるデザインドを作り出し各地に存在させ人類を監視させている。

カミソリジョニーが登場したときにアブ・マーシュの名も出たが、それは彼らが管理者に作り出された存在だからだ。

名前だけしか登場していないがコータロイドもその一人である。

一人一人が凡人とは比べ物にならない天才であるため、各研究機関や企業などの中枢に存在しており、過去の残滓の発見を握り潰し、最新技術を取りこんで報告したりしていた。

だがその情報統制と報告の義務さえ果たせば、(不満を募らせて裏切りを誘発させるような事態を防ぐ為にも)何をしても基本的には自由が与えられており、コータロイドのように音楽に没頭したりジョニーのように変なデザインのネクストを作り続ける者もいればアブのように男漁りに精を出す者もいる。

しかし、彼らは天才であるがその反面倫理観やセンスなどのネジが飛んでいる面が数多くみられる。

結局彼らの大元はガロアに完全に破壊されたが、彼らに言えるのは一つ。

別段喜んでも悲しんでもいないということだけだ。

 

 

人類が取り返しのつかないミスを犯したり、大戦争や大災害により絶滅の危機に瀕する度に保護していた。今回の取り返しのつかないミスはコジマ粒子の運用と国家解体戦争であり、その時点で人類の保護及び処分が決定していた。

当然彼らは世界最高の戦力を持つが、全ての人類を相手にしては流石に泥沼化が必至だったので戦争を煽り人類が一定数まで数を減らすのを待っていた。

 

元は人間だった彼は根本的に人類を愛しており、その為にこの任に何千年も一人で就いていた。

だが、度重なる失敗と神の意志を感じるようなイレギュラーの出現から、自分達の観察や庇護から解き放たれ真に自由になるべきなのではないか?

実は戦いこそが人間の可能性なのでは?と思うようになったが、『人類を守れ』というプログラムからは逃れられなかった。

人は月日とともに変わっていくもので、彼もやはり人だったのかもしれない。一言で言えば、彼は孤独とこの任務に疲れ果てていた。

 

言うなれば管理者は過去の全てであり、どちらにしろそれを超えなければ『戦いは人間の可能性』などといえない。

人類を試す為に、そして『過去を乗り越えてもらうために』正面からの戦争を申し込んだ。

 

作中で語られている通り、混沌極まり支配力が弱まったところを解き放つイレギュラーというものは度々経験してきたが、

支配の準備も終わり、完全な準備と戦力を整えたところを潰されたのは初めての、そして最後の経験だった。

 

ガロアに管理者の座に就け、と言ったがそれは彼の意志では無い。

だが最後の愛の告白は真実だ。

 

この勝利は果たして人類の為になるものなのだろうか。

 

趣味

???

???

 

好きなもの

???

人間

 

 

 

 

 

・登場したファンタズマビーイング達

 

レオス・クライン

 

ジャック・O

 

エヴァンジェ(自分から勝手に吸収されたためちゃんとファンタズマ化されていないが、主任から見たら使い勝手は変わらないので放置されていた)

 

ジナイーダ

 

J(隊長)

 

K

 

D

 

N

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・イレギュラーとは?

 

正しくは、

 

『管理者の予想から大きく外れた力の持ち主』を指す。

それ以上でもそれ以下でもない。

 

管理者にとっては管理を大幅に妨げる可能性のある邪魔な存在であり、最大の敵であると同時に、『どうして現れるのか?』と長い間研究されていた。

 

人と獣の明らかな違いの一つとして、人は血が繋がっていなくとも、あるいは見た事が無くとも、同じ時代に生きていなくとも、偉大な行いをした人々を口で伝えていく。

それがイレギュラー。

 

 

 

・黒い鳥とは?

 

イレギュラーと根は同じだが、そこから長い時間と形骸化を経て、何もかもを焼き尽くしやり直す為の存在という神の使いのような存在になってしまった。

管理する者を破壊したなど、断片的な情報は正しいが、各地の神話や伝承、風土と混じり合い利用されてどれが正しいのか分かる人間がいなくなった。

仏教においての末法思想と絡み合い、終末論者に利用されたりと元の形がほとんど分からなくなってしまったが、

それら宗教に利用されることによって爆発的に世界に広まり、世界中で『黒い鳥』は知られることとなった。

世界中で『黒い鳥』という伝承が存在することから実在した物なのではないか?と度々研究対象になったが上手く進まなかった。

 

虐殺ルートではガロアの死後でも、黒い鳥は終焉をもたらす絶対神として崇められている。

 

主任はそれを面白がり、その伝承にならって手の付けられない力の持ち主かつ周りを焼き尽くす暴力を黒い鳥と呼ぶ。

周りを片づけてくれれば主任はその後の作業が楽になるので少なくともイレギュラーよりは主任の味方という感覚。

 

 

 

 

・人類史

 

現生人類の誕生

   ↓

文字・文明の発生

発展←ここのどこかで管理者誕生

   ↓

大破壊&復興(数回 AC1~2世界、3世界へと続く)

   ↓

人類、再び地上へ(何百、あるいは何千年前の事か不明)

   ↓

再び発展、進歩しACfAの時代に

 

 

 

 

 

ゲームの順番で言うと

 

AC1、2世界(ネストと共に管理者『主任』誕生?)→3世界(保護失敗の描写が明確にあり)→V→人類は勝利したが地上は汚染されきっていたのでどうすることも出来ず滅亡寸前まで追い込まれる→保護→人類から全ての記憶を削除、地上に開放→4、fA世界→VD?

 

 

つまり、主任は滅びかけた人類の進歩を西暦〇〇〇〇年まで世界を戻そうとし、実際にそれが成功していた。

保存していた文化遺産をもう一度元にあった場所に戻し、文献を残し、街を、世界を作り直した。

 

 

人類を地下で保護している間に地上の復興に努め、またその間に後の古代遺跡となるような建造物をあえて作っていた。

その分野の専門家の遺伝子データも存在し、実際に昔あった建造物のデータもあったので時間さえあればそんなに難しいことではなかった。力仕事は機械に任せればいい。

この時代にこんな技術が?というものが出来てしまったのはご愛敬。

結局地上に放たれた後にその場で住みついたり、遺跡としてありがたがる連中も表れるのでますますわからなくなる。

ストーン・ヘンジなどはその一例。

 

いつからが『本当』の人類の歴史なのかは不明。

100年もの間、世界中で嘘の歴史を伝え続ければ、それは本当になってしまう。

世界中に存在する管理者の手の者達は嘘の歴史を伝え続けた。

特に、人類が再び地上に出てからの半世紀、役人・教師などは全て主任の手の者達であり、何も知らない子供たちに嘘の歴史を教え続け、全てを知る大人たちは何も言えなかった。

 

そして一世紀も時間が過ぎれば自分達が地下から出た事を知る者は誰もいなくなり、数百、あるいは数千年前に人類が経験した歴史を自分達の歴史と勘違いした人類が出来上がった。

 

 

それでも歴史を覆しかねない発見があったとして、

 

発見

研究者への依頼

検証

発表

 

というプロセスは絶対であり、そのどこかで手が加えられた。

特に、時代の特定などは単独で一般人が行えるものではなく、それが重大な証拠でありそうな物であればあるほど有能な研究者の元へと行ったので管理者の手の者の目に入りやすかった。その時点で99%を闇に葬れる。あるいは主任の手の者に直接依頼されることもあるというお笑い種もあった。

残った1%が世に出ても、作りあげられた歴史との整合性が取れず、愚昧な一般人に扱き下ろされそちらが間違いだと言われることに。

 

特にインターネットが発達してからは、あらゆる情報にアクセスでき集合知を利用できるようになったように見えて、管理者にとっては情報の改竄や偽装、削除などの工作がしやすくなってしまった。

 

人類の数千年の歴史の間に人類種の顔付きや体格などは徐々に変化しているが、身の周りの技術や文化が進歩したとしても人間の頭脳自体は世代ごとに進化するわけでは無い。

分かりやすく言えば、今の技術が500年前より進んでいるからといって今の人間が全員ダ・ヴィンチやオイラ―よりも頭がいいわけでは無い、ということ。

 

猿から大して進歩していない現生人類を、頭一つ分ほど進化した遺伝子の持ち主達がずっと支配していたということになる。

 

 

 

 

 

 

 

・結局ラストレイヴンでどんなルートに?

 

ラスジナルート。最後のパルヴァライザーは登場しなかった代わりにインターネサインの決定的な部分は生き残っていた。

 

ジャック→ストーリー通り死亡、後にファンタズマ化

エヴァンジェ→自分から取りこまれる(笑)

ジナイーダ→主人公に倒された後にファンタズマ化

主人公→どこかで死亡しファンタズマ化(作中に登場はしていないがどこかでリンクス達と戦っていたのだろう)

 

ジナイーダにインターネサインは破壊され、バーテックスは(数的にしょうがないが)滅びた。

力は低下していたがそれでも使命を持つ主任がアライアンスの残党に接触、後に力を取り戻し人類を『保護』した。

 

またその後に『イレギュラー』が表れ保護は失敗、Vの世界へ。

 

 

 

 

 

 

おまけ

 

虐殺ルートから数百年後のお話。

 

 

『R.I.P.4/V』

 

 

 

 

 

新しく手に入れたパーツの詳細を書いた書類にある数値を眺めて頭に叩きこんでいく。

自分は天才じゃない。少なくとも自分ではそう思っている。自分が今まで生き残れたのだって、そういう小さな一つ一つを積み重ねてきたからだ。

 

『だからこそ さよならなんだ このまま何も残らずに――』

 

(悲しい歌……)

適当な店で買った安いCDに入っている曲がイヤホンを通して流れ込んでくる。

明るい曲調なのになんだか悲しい歌詞だった。

と、考えていると頬に熱い物が押しあてられた。

 

「ひゃぁ!?」

 

「お疲れさま。コーヒー飲むでしょう?」

 

「あ、うん……驚かさないで。ありがとう、マギー」

イヤホンを外しながら、しまったとノエルは心の中で舌打ちをした。

どうやってコーヒーを入れているのか、見てみたいのにいつも忘れてしまう。

そっとコーヒーカップを置いたマギーの肩には、普段は髪に隠れている火傷の痕が見える。

服の奥にまで続くその痕は、きっと腕までも焼いていったのだろう。マギーには左腕が丸々ない。

 

(こんなに美人なのになぁ。何してた人なんだろ)

火傷の痕がちらりと見えるだとか、左腕が無いだとか、そういうことを除けばマギー……マグノリアはそんな不運なんか避けて通るべきだと言いたくなるくらいの美人だ。

こんな怪我を負うこと自体、信じられない。片腕しかないのにどうやってコーヒーを入れるのかということ以上にその人生でこれまで何をやっていたのかが気になるが、そう言ったことを聞こうとする時にマギーが放つ無言の圧力はやはり一般人のそれとは思えない。

分かるのは――

 

「だらしないったら……もう」

隣の椅子で大きないびきをかきながら眠るファットマンのお腹をマギーがぺしぺしと叩く。それでも起きる気配はなく、顔の上に乗せたエロ雑誌が軽く揺れた程度だった。

そもそもイヤホンで音楽を聴きながら書類を眺めていたのはファットマンのいびきがうるさかったからだ。

 

そう、分かるのは。

戦場で半ば伝説と化している幸運の運び屋であるファットマンと何かしらの繋がりがある……つまり、どうしたってマギーが戦場に携わる人間だったと言うことだ。

 

 

「疲れているんじゃない? そっとしておいてあげなよ」

 

「そんなわけないでしょ。更年期障害よ、まったく」

そう言ってマギーは後ろの机に置いてある二つのコーヒーカップを睨んだ。

わざわざ入れてきてあげたのだろう。

 

「あはは……もう60歳超えているんだもんね」

本人も『こんな爺さんでいいなら構わんぜ』と言って契約を結んでくれた。

格安だったが、まずそこからして幸運の始まりだったと思う。確かにいびきはうるさいし足は臭いが。

どこをとっても凄腕と言わざるを得ない運び屋だ。

 

「今度は何を買ったんだっけ?」

 

「うん、今度は……物理属性に強い盾ね。どの程度まで耐えられるか、しっかり頭に入れておかないと」

 

「ふーん……。またタワーから持ちだした技術で作り出したのかな」

 

「どうだろう……」

窓の向こうで吹き荒れる黄砂のさらに向こうに立つ、巨大な『タワー』を見る。

未知の技術の泉。三大勢力の戦争の原因の中心だ。

 

「あれは一体なんなんだろう?」

マギーの口にする疑問はこの世界のどんな人間でも一度は持つものだ。

だが誰もそれを真面目に調べようとはしない。それよりもそこから溢れだす技術を貪る方が大事だし、恩恵にあやかれるからだ。

ちょうど『石油は動物が腐敗せずに変化したモノから由来する』ということは知らずとも、燃える水という性質を知って利用する人間と似ているかもしれない。

 

動物が腐敗せずに土の中で変化したモノ?だから何?

要は燃える水でしょう?

と。大事なのはそこだろう、と。

 

「……。飛行機だと思う」

 

「何それ。ひょっとして冗談?」

 

「いや、本気なんだけど……」

一般人は近づけないし、望遠カメラも黄砂のせいで役に立たないため薄ぼんやりとしか見えない。

だがスケッチをしてみると、馬鹿でかい飛行機が墜落したのを要塞として改造した物のように見える。

そしてあらゆる技術や物を積んでいた飛行機から今も物を取り出しているのではないか。

少なくとも、ノエルはそれをあまりぶっ飛んだ想像だとは思っていない。

 

「それにしても、頭が下がるわ。こんなオフの時まで仕事に関わることをするなんて」

 

「私は……。天才でもないし、別段腕が良いわけでもない。一つ一つ積み上げていかないとあっという間に崩れ去ってしまうから」

ノエルの駆るAC『スコール』に決まった形はない。ミッションごとによくよく吟味して装備を大きく変える。

昨日はタンクにミサイルかと思えば明日は軽量逆間接にショットガンと、激しい天候変化(スコール)のように形を変える。

唯一変わらないのは風と雲、そして太陽を描いたエンブレムだけだった。装備をしょっちゅう買いかえるものだからミッション成功率は100%でも全然儲けは出ていない。

二人の給料を払って自分も食べていくのが精いっぱいだ。それでも何故、こんな傭兵なんて仕事をしているかと問われれば――分からない。ただ、心惹かれてしまったのだ。

 

「そうは思えないけどね。もう……最初の頃のあなたなら絶対にクリアできないミッションも……才能というのは本人も知らないところで……」

 

「え?」

なんだって?どういうこと?

と聞く前にファットマンが開きっぱなしにしていたパソコンから音が鳴った。

それまで何をしても起きなかったファットマンが目を覚ます。

 

「んあ……。仕事か。ノエル、受けるんだろ」

 

「ええ、もちろん」

数カ月前にこの世界に入った新人傭兵ノエルはまだ若干20歳という年齢だが、それでも仕事は多々入ってくる。

理由は二つある。

この世界から戦いという物が全く消えないから、というのは一番大きな理由だろう。

 

もう一つは――

 

 

『なんでミッションを断らないの?』

バラバラとヘリの駆動音に混じってマギーの通信が入る。

そう、ノエルは絶対にミッションを断らない。その評判は徐々に広まり、ノエルには仕事が舞いこんでくる。

 

「なんでだろう……。うっぷ……。強く……強くありたいから……かな」

この釣り下げられて揺られる感覚は好きじゃない。スコールの中で吐きそうになるのを抑えながらノエルは答える。

 

『…………そう』

ほとんど理由になっていないような答だったはずだが、マギーはやたらと重いトーンで短く返事した。

 

「そっ、それにほらっ! あんまりお仕事を断っていたらお給料が払えなくなるでしょう?」

 

『はっはっは。まぁ、そんな適当な理由でも生き残っているんだからたいしたラッキーマンだ。いや、ラッキーガールかな』

 

「ラッキーね……そうかも」

自分がどれだけ強いかはよく分からない。

ミッション成功率なんかを見たら結構強い気がするし、それだけ積み重ねてきたという自信もないわけではない。

だが上には上がいくらでもいるのだろう。よく分からない。

確かめてみたい気もする……、いや、気がするどころでは無い。その気持ちは日に日に強くなっていく。

 

『俺の爺さんの爺さんの……まぁいい、爺さんは、どうもものすごいラッキーマンだったらしい』

 

「そうなの?」

またファットマンの雑談が始まった。

仮にも戦場に向かうヘリを操縦しているのにこの緊張感の無さは呆れるが、これで数十年もの間戦場で運び屋をしながら生き残っていたのだからその危機を感じとる感覚は間違っていないのだろう。

それに、何よりもその年の功の光る話はどれも楽しく、緊張もほぐれるためひそかな楽しみでもある。

 

『ファットマンのお爺さん? ファットマンにもそんなのいるの?』

マギーの率直な感想に笑ってしまう。

ファットマン自体、もう白髪の生えたお爺さんだというのに。

 

『ああ、詳しくは知らんが、爺さんは戦士だったらしい。そんで、他のお仲間全員が死んでも爺さんだけは生き残ったんだとよ』

 

「本当の話?」

 

『仮に嘘でも爺さんが生き残ったのは本当だよな、はっはっは。じゃなきゃ、俺はここにはいないからな』

 

『おしゃべりは終わりよ。作戦領域に入るわ』

マギーがびしっと雑談を遮るとスクリーンに何やら機械仕掛けの鳥のような物が浮かぶ。

 

「なにこれ?」

 

『今回の目標よ。どうもその鳥みたいなのが数機、暴れまわっているみたいなの。ヴェニデはノエル以外にも複数の傭兵に依頼している上、自分達の陣営からもUNACや兵器を出撃させているみたい』

 

「強敵ってこと?」

 

『そうなるわ。降下する、衝撃に備えて』

 

こんな脆そうなプラモデルみたいなのが強いって?

冗談じゃない――そう思いながら地面に降り立つ。

ビーコンの設置された場所へと向かうと。

 

「なに……? これ……?」

今のこの世界では珍しくない光景だが、まるで死体のように兵器の残骸が散らばっている。

問題なのはどれもこれもまるで今切り裂かれたかのように煙をあげて沈黙しているということだろう。

 

『全滅だと!? 敵も味方も!? おいっ、どうなってやがる!!』

普段は温厚なファットマンがヴェニデの司令官に怒鳴る声が聞こえる。

ファットマンのように経験がなくても分かる。この濃厚な殺気。

異常な何かがこの戦場にはいる。

 

「い……た……」

そいつは丁度持ち上げたAC(恐らくこちらの味方だったのだろう)を引き裂いているところだった。

左腕にブレードのみといういさぎよすぎるアセンブリに、すらりとした大きめの体躯をした、現存のACとはまた別の『ACのような兵器』。

剣に傅く巨大なシカを模したエンブレムの横に「R.I.P.4/V」と表示されていた。血の色をしたヘッドの角が生々しい恐ろしさを醸し出している。

 

『死神部隊!? なぜここに!? ノエル、退きなさい!!』

 

「いや、もう……遅いみたい……」

起動したブレードでガリガリと地面に跡を付けながらこちらに残像が残る様な速度で向かってくる。道中にある鉄骨や残骸などを弾き、斬り飛ばしながらあくまで真っ直ぐ。

今から旋回してグラインドブーストを起動して、なんてしていたら後ろから袈裟斬りにされて終わるだけだ。噂に高い最強の死神部隊にこんなところで出くわすとは。

右手に持った盾に隠れるように小さく身体を屈めて立つ。

 

(やるしかない……!)

左肩のハンガーにかけていた射突型ブレードに持ち替える。

奴からはこの行動は見えていないはず。これだけの轟音を立てている物体が向かってきているという事。近づけばすぐに分かるし、最後に見た時の速度と彼我の距離から何秒後にここまで辿りつくかも予測がつく。

 

ガリガリガリガリという音がすぐそばまで近づき――途絶えた。

 

「ここっ!!」

突きだした射突型ブレードは敵のブレードに突き刺さり打ち砕いていた。ほっとしている暇などない。

すかさず脚を振り上げる。重量二脚のこの脚から繰り出される蹴りは最早交通事故のようなものだ。

どんな兵器もまともには耐えられない。

 

ガギンッと歯を思い切り食いしばる様な音がノエルの耳に届く。

スコールの放った蹴りが敵機の蹴りに相殺され止められていたのだ。

だが、これも想定の範囲内。右手の盾は既にバトルライフルに持ち替えている。これで――

 

(えっ?)

見えたのは敵が振りあげた鉄骨だった。

 

一秒後、ノエルの乗るスコールはラグビーボールのように回転しながら百メートル先まで吹っ飛ばされていた。

 

「うぅ゙……うっげぇえええええええ」

耳元でギーンという音が鳴り止まず、止められない吐き気が襲い掛かってきた。

ヘルメットの中でゲロに溺れる、と思ったが吐瀉物はどんどんと外に漏れていく。今の衝撃――鉄骨でのぶん殴りによってヘルメットも破損していたらしい。

鉄骨を投げ捨てた敵機がこちらに向かってくる。逃げなければ。ペダルを踏んだつもりが全然違うところを蹴っていた。今になって気が付いたが、どうやら倒れてしまっていたらしい。

逃げることも出来ずに、敵機に踏みつけられる。

 

『データ照合…………。ノエル・ディクソン……搭乗機『スコール』。契約オペレーター及び運び屋は………『ファットマン』と……ふふっははは……マグノリア……バッティ・カーチスか』

それは若い男の声だった。

一体どんな人物が乗っているのかも気になるがそれよりも気になるのは今飛び出してきた名前だった。

 

「マグノリア・バッティ・カーチス……EGFの、あの伝説の軍人!?」

 

『っ!!』

名前くらいならこの業界で生きる者なら誰だって知っている。

死んだとされていたその者の名をノエルが叫ぶとマギーから驚きを飲みこんだような声の通信が届いた。

 

『Jにやられただと……ふっふっふ……あのクソ野郎に……?』

 

(くそっ!)

なんとか操縦桿を握り、バトルライフルを敵機に向けるが。

 

『なめてんのか』

バギン、と右手を踏みつぶされる。

そもそもこんな体勢になっている時点で逆転の芽などほぼない。

 

『マグノリア・カーチス……お前のような人間が本当の自分を獲得したかったら……どうするか分かってんだろ』

首を掴まれ持ち上げられる。先ほどのこいつにやられていたACもこの格好から引き裂かれていたのを思い出し、思わず目を瞑る。

だが、そんなことはせずに、その場で敵機はスコールの頭を掴んだまま周りを見せつけるように動かす。

 

『…………』

 

『ここはどこだ?』

男から通信が入ってくる。見渡す限りの砂と機械の残骸を見せつけて男は何を求めているのか。

 

「なっ、なにを、あぐっ!?」

それは求める答えでは無いと言わんばかりに背中に膝蹴りが飛んでくる。

思い切り身体を揺さぶられて首が痛む。

 

『戦場…………』

蚊の鳴き声程にもかぼそいマギーの声が聞こえる。

まるで誘われるようにしてそれを口にしていた。

 

『そうだ。この世界は戦場。本当にお前のような人間が……自分を欲しがるなら戦って……戦って……勝つしかないんだよ。勝つしか。…………勝つしか』

 

『お前……お前は一体……』

腹の底から捻り出したような、ぞっとするような声でマギーがその男の通信に答える。

ノエルはその殺気が滴り落ちるような濃度の会話に着いていけなかった。

 

『分かってんだろ……お前も……ジジジーザザザァッのザザザザなら……戦うんだよ。それだけだろ……来いよ、戦場へ』

 

『くそっ、なんだってんだお前らは!! マギーは』

ファットマンが嘴を挟んでくる。ヴェニデに文句を言いながらもどうしても突っ込まずにはいられなかったようだ。

 

『腕が取れたからなんだ? もう戦えない? どこまで行っても自分からは逃げられないって、分かるだろ。俺は……、お前と戦いたい』

 

『!!』

 

(何そのっ、反応は!!)

実に血なまぐさい勧誘をされているというのに、それを聞いたマギーはまるで憧れの男に愛の告白でもされたかのように短く歓喜の声を上げた。

 

『……』

もう興味は、あるいは用がなくなったのかその場に投げ捨てられる。

圧倒的と言っていい程の強敵だ。

だが、それでも完全に勝機が無かったとは思えない。自分でも経験を積めばいずれは、と歯ぎしりする。

 

「待って!! 何が目的なの、あなた達は」

飛び去ろうとする敵機に声をかける。まともに答えてくれるとも思えないが。

 

『知るか』

嘘を吐いているとは何故か思えなかった。

この男は恐らく本当に知らないのだ。自分が何をしているのか、自分達の目的が何なのか。これだけの強さがありながら。

 

「あなたは何故戦うの!?」

その質問をノエルはまともに考えてから口にしてはいなかった。

ただ聞きたかったのだ。これほどの強さに到達している者は何を求めて戦うのか。

 

『…………。俺は……俺は……。何か……とても大切な物を忘れている気がする……それを取り戻したい、それだけだ』

 

「……!?」

何を言っているのか、どう二の句を継げばいいのか分からずに困惑しているとその機体は背を向けて飛び去っていった。

その背にはまるで天使のような翼が生えていた。

 

『おい、ノエル! 大丈夫か!?』

 

「ファットマン……」

身体中を動かして確認する。

首のむち打ちは間違いないだろう。だが、まだ耳鳴りはしているがそれ以外はもう大丈夫そうだ。

後で吐瀉物まみれのコアを掃除しなければならない。

 

『マギー。マギー! 聞こえているのか』

 

『……。!! ええ、大丈夫。……ヴェニデにくそったれって送っておいて。結果として、目標は全滅しているからこっちの手柄にしてやるわ。修理費も全部むしり取る。ふざけてるわ、本当に』

 

「マギー……大丈夫?」

エンジンを回したように口からどんどん言葉が飛び出すが、どうも無理をしているように聞こえる。

あの男の、感覚だけで話すような言葉の影響がどう考えても残っていた。

 

『大丈夫、心配しないで。今、そっちに迎えに行くから……』

 

「……」

 

だがその大丈夫という言葉は完全に嘘だった。

その後に訪れる最後の一押しによってマギーとは別れることになり、傭兵の頂点にまで上り詰めた自分はどうしてかマギーと戦う事になる。

 

始まりは突然、終わりも突然だった。

 

今もこの日のことを思いだすと、ミッションを受ける前にリピートで聴いていたあの曲の歌詞が浮かぶ。

 

 

だからこそ さよならなんだ このまま何も残らずに――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

!! WARNING !!

 

これ以降はさらに最終話まで見てもよく分からなかった or もう全部ネタバレされても構わないという方のみ読んでいってください。

109話までしか読んでいない、という方がこれ以降を読むと後の数話が非常につまらなくなる可能性があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・なぜさらに人類の数を減らそうとしたのか?

 

具体的には400万人前後まで減らしてから保護し、次は紀元前程度のレベルからやりなおさせるつもりだった。

 

 

・なぜ主任は今回の人類の破棄を決定したのか?

 

コジマ粒子の汚染の除去方法を知らずにそれを兵器に運用したため。

作中で多くの舞台が砂漠となっているのは理由がある。

 

コジマ粒子には生物の繁殖機能を奪う性質があった。

植物は受粉出来ずに枯れ、動物はどれだけ交尾しても子を孕めない。

 

命を紡いでいく生命に対してこれ以上ないほど凶悪な性質だが、企業はそれを『知りながら』運用していたため主任は処分を決定した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガロア・アルメニア・ヴェデット

 

 

身長 207cm 体重 109kg →82kg(戦争後)

 

 

出身 アルメニア

 

 

本作の主人公。

生きているだけで周りの人間の運命を巻き込む凶悪な星の元に生まれてきた。

ガロアがどういう選択をしてもこの世に生きる全ての人間の運命が変わるというまさに歩く災害。

身体能力もAMS適性も化け物と言って相違ないが、何よりもその精神が他と隔絶している。

それがコジマ粒子の影響なのか生まれつきなのかは誰も分からない。

だがコジマ粒子の影響で脳に障害を負ったせいで脳のリミッターがガロアの感情に呼応して非常に外れやすくなってしまった。

彼の特異な眼もコジマの影響であるが、人間には過ぎた眼なのであのまま放っておけばそのうち失明していた。

 

また、コジマ汚染の影響で生まれた日に『精子を生成する機能』を失っている。

過去編のラストに書かれていた「生物にとって未来や希望とも言うべき『ある物』」とは生殖機能のこと。

確かに頂点はただ一つだとすれば必要無いのかもしれないが……。

 

父母の才をしっかり受け継いだおかげで作中でも五本指に入る程の頭脳の持ち主だが、激情家で、不合理だと知りながらも感情優先で動くところがあり、本来の知性とぶつかりあっている。

実の父に似て非常にスケベでしかも美人以外は女として見てすらいないという最低としか言いようがない一面があるが、元々性格が悪く人付き合いも少ないので知る者はいない。

アジェイやセレンが感じたように、豪運の持ち主だが本人がそれで得したと思うことはほとんど無い。

幼い頃は母に似て女の子のような可愛らしい顔立ちだったが、性格のせいか、育った環境のせいかみるみるうちに悪人面になってしまった。

育った環境はさておき、子供の頃は可愛がられて育ったので本人も子供には基本的に優しい。

その反面、一人で厳しい環境を生き抜き王となった者として非常に気位が高く誰に対してもまず敬意を示さない為反感を買う事が多い。

 

作中最強人物だが、作中最頑固人物でもある。

まず自分の意見を曲げない硬骨漢。

 

 

全盛期の実力はマグナスと同等程度だが、イレギュラー認定されたのはその豪運のせい。

主任たちはAMSの全てをいち早く解き明かしており、母の胎内にいるときからガロアがAMS適性を持っていることを知っていた。

だが、その一方で研究所が襲撃されガロアの両親が殺されることも知っており、まず生き残るはずがないとしていた。

 

しかし、現実は生まれたばかりの0歳児だったガロアは主任たちの予想を超えて何故か生き残っており、街に姿を表した(霞の家を尋ねた時のことである)。

強力なAMS適性を持ち、予想を超える存在、つまりイレギュラーとなる可能性が非常に高いとしてガロアを監視するためだけにウォーキートーキーは作られた。

霞が死ぬ前にウォーキートーキーをガロアの元に送るというのも予想済みだった。

 

果たして、その懸念は間違っておらず、ガロアはすぐにイレギュラーとしての頭角を現し主任の幾つもの計算を超えて主任を破壊した。

 

 

 

 

趣味

 

料理

運動

 

好きなもの

セレンの笑顔

ネクストとリンクしたときの感覚




主任のイレギュラーに対してのアクションが1だったのがVDの財団ですね。その場合、幼いガロアが生きていたとバレた瞬間に殺されていたでしょう。
その辺も含めて運なのでしょうね。


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本当の願い

右手が妨げとなるなら
切り取り
捨ててしまえ

五体の一部を失ったとしても
全身が地獄に落ちない方が益なのだから


マタイによる福音書 5章27~30節


すれ違う人は皆怪訝な顔をしてこっちを見てくる。

戦争は終わったものの人類の被害はやはり大きかった。

リンクスの死者は奇跡的に出ていないが民間人、兵士の死者はあの一日だけで70万人に上り、負傷者はその倍に達する。

自分もその中の一人であり、この病院では珍しくもない部類の怪我人のはずだ。

だがそれでも目立つのは分かる。右腕は肩から消えてなくなり、左脚も膝から下が無くなってしまった。

服の下にも火傷はあるし、首からも見えているが中でも酷いのは顔だった。

抉れた部分が更に焼かれたせいでとてもではないが直視できない程グロテスクになっている。

横に裂けた唇も、抜糸はしてあるが縫った跡が痛々しい。

焼けたのはおおよそ顔の右半分側だけだがまともな左側が残っている分、元の顔が想像できてしまい益々悲惨だった。

短く生えてきた髪の下の頭皮も焼け爛れてガサガサしている。

なんで生き残ったのか今でも分からない。あのまま何もかも燃え尽きてしまえばよかったのに。なんでまだ苦しませるんだ、と思ったら右目の眼帯の下で涙が滲んだ。

右目の眼球が丸々はじけ飛んでしまった後遺症でこれから暫くは何もしなくても涙が溢れてしまうのだという。

 

「世話になった。ドクター・アウリエル」

セレンの押す車いすに乗って外に出たガロアは見送りに来た医師のミドに挨拶をした。

 

「いいえ。気を付けてください」

 

「ガロアの為にわざわざ……礼を言う」

 

「ここには私の助けを必要としている人がたくさんいますから」

ガロアの治療の為にここに来たミドがガロアの身体や顔に残った傷痕に整形を施さなかったのには二つ理由があった。

一つは他にも治療や手術を必要としている人が大勢いるから。ガロアの顔に多数残った傷を元に戻す為に時間を使うのならばその間に他に切羽詰まった者を治療した方がいい。

それは今、全世界どこでも同じ状況だったしミドは優秀で金では動かない医師だった。実際戻ってきたガロアに何よりも必要なのは折れた骨や火傷の治療、そしてリハビリであり、見た目は二の次だった。

 

「待ってくれ。ドクター」

それじゃ、と言って病院に戻ろうとしたミドをガロアは引き止める。

まだ目は上手くなじんでいない。遠ざかる背中もぼやけていた。

この世のどんな物でも見通せるほど優れていた目は今や老人のようにぼやけている。

この世界から見たくもない残酷な物が消えてからこうなるとはつくづく皮肉だ。

 

「ここでやることが落ち着いたらあなたはどうするんだ」

ミドは元リンクスだと、リハビリに付き添っていたセレンが言っていた。だから絶望的だった自分を治療出来たのだと

そんな元リンクスがこれからの世界でどうしていくのかが気になった。

 

「また、旅に出ます。今でも、その時も、どこかで私の治療を必要としている人がいるから」

 

「素晴らしいことだ」

ああ、実に素晴らしいことだ。戦争屋をして人を殺して金を受け取るより遥かに高潔だしこれからの世の中でも必要とされることだろう。

狡兎死して走狗烹らる。もうこの世界には鴉も山猫も必要無い。

 

「……、ありがとう。その言葉が欲しくて、ずっと世界を旅しているんです」

 

「……」

ガロアは今のミドの一瞬の間の微妙な表情と、これまでの病院でのセレンの態度、そして自分の持つ鋭い直感から自分の身にこれから何が起きるかを察していた。

自分がもう見た目を直す理由も、義足をつけて歩く訓練をする必要もない理由も。歩こうと思えば、四点杖を左手に持てば一本足歩行でゆっくりとだが動ける。

だから一人で用も足せるし、部屋の中を歩き回るぐらいなら問題ない。

それでも普通に歩くよりははるかに遅いから車椅子に頼らざるを得ないが、片腕なので普通の車いすを使うとなれば押す人が必要になってしまう。

 

「今、何月なんだろ」

病院に戻ってしまったミドから目を逸らしセレンに目を向ける。

片方しか目が無いから遠近感がおかしい。何よりこの顔がちゃんと見えないのが辛い。

 

「12月の終わりくらいだ。なんで?」

 

「そっか。なんでもない」

確か自分が一度動けなくなったのが10月だったからもう二か月以上経っているわけだ。

障碍者となってしまった自分に対して文句の一つも言わずにこの人は甲斐甲斐しく世話を焼いてくれている。

また涙が滲んだがそれが感情から出たものなのか、後遺症なのかは分からなかった。

 

 

バスに乗って部屋まで戻る道程でもすれ違う人間は自分の事を見てきた。

そうだろうな。分かっているよ。もう終わった戦争の生々しさを直視するのは嫌だろう?

勇敢な戦士たちが戦って世界を守ってくれた尊い戦争って言って美化したいよな。いずれ教科書に綺麗に書きたいよな。

こんな凄惨な物は見たくないよな。心配しなくても大丈夫だ。人類の歴史が示してきたように、汚いものは闇の中で消えていくから。

 

「おい……ウォーキートーキー」

部屋の中は綺麗だった。セレンが整理整頓しているからというよりは、ほとんどずっと病室にいたからだろう。

そんな部屋の中で全く動かなくなっていた機械を見て、思わず杖を使って立ち上がる。

 

「…………、すまない。言おうとは思っていたんだが」

セレンの声は遠い。まだ聴覚も上手く馴染んでいない。

アレフ・ゼロもウォーキートーキーも、自分のそばにある物は壊れていく。

どうしてみんな自分から離れていく?

 

「ずっと……気が付かなかった。ごめんな」

街に出て人と触れ合い、改めてこの機械と触れ合ってようやく分かった。この機械には感情があった。

だというのにこの結末はあんまりじゃないか。遅すぎたのか?やはり自分が悪いのか?

ウォーキートーキー、ウォーキートーキー、と何度か声をかけても何の反応も返ってこない。赤いランプが光るはずのアイは仄暗い灰色に染まっている。

あんなにうるさかったのに。一度くらい言えばよかった。お母さんって。感情があるというのなら、そうしたら喜んだだろうに。

 

「ガロア……」

 

「いや……いいんだ。機械は……壊れる」

ここで感情に溺れればセレンまで悲しみに引き込んでしまう。

流れる水滴を暑いから汗をかいたのだという事にして冷蔵庫に向かう。

 

「水か? 待っていろ」

 

「!……」

あっという間に追い付かれ有無を言わさずにベッドに座らされてしまった。勢いでサンダルが脱げてしまう。

カーテンと窓を開いて冷蔵庫に早足で向かうセレンの速度に自分はもう二度とついていけない。

そしてこの身体じゃどこかに行くのも難しい。行けたとしても追い付かれる。

 

「……水切らしていたから買ってくる。すぐ戻るから絶対にそこで待っていろ」

 

「あっ」

という間に外に行ってしまった。自分はもうセレンと一緒に歩けない。

ふわりと窓から入ってきた風に短い髪が揺られる。窓のそばには瑞々しく咲いたアルメリアがある。開花時期が違うのに咲いているのは気候のせいだろうか。

きっとどんなに忙しくても毎日水をあげていてくれたのだろう。

 

(ああ、きれい)

よくは見えないが窓辺の花も、窓の向こうの空も海もどこまでも綺麗なんだろう。

この世界ならもう、セレンはきっとうまく生きていける。

 

 

 

水のペットボトルを買って急いで戻ってきたセレンは思わずその光景に見惚れてしまった。

窓の外を静かにほほ笑みながら眺めているガロアの命は静かに光る湖畔のよう。

こんなに傷だらけなのに、こんなにボロボロなのに笑っている。どうしてなんだろう。

ガロアが全てを投げだして敵を討ったお陰であの時リンクスは全員生き残った。

ガロアだけが割を食った。なのにどうして笑えるんだろう。

 

「水……買ってきたぞ」

 

「………。……あ、……ありがとう」

 

(まだ……うまく聞こえないんだ)

うるさく入ったつもりはないが静かに入ろうと意識したつもりもない。

なのにここに来るまで自分に気が付かなかった。獣のようなアンテナを持っていたガロアが。

今のガロアはペーパーナイフを持った子供ですら殺せてしまう。自分が守らなければもうガロアはどうしようもない。

そう思いながらも感情はなんとか顔に出さないようにして蓋を開けたペットボトルを渡した。

 

 

 

 

当たり前のようにペットボトルの蓋を開けて渡してきたセレンを見てガロアは静かに静かに決心をした。

病院でもそうだった。歯磨き粉を付けるところから食事まで世話になりっぱなしだ。

 

(……もう……俺は……)

そう、もう自分一人ではペットボトルの蓋を開けることすら難しいのだ。

そんな誰でもできるようなことですら。自分にはセレンが必要だ。だがセレンが自分を必要とする理由がない。

感情で理論を壊すのはもうやめよう。

 

「ガロア……?」

 

「もう、別れの時間だ」

これ以上重荷になりたくない。これ以上苦労をかけられない。

そばで沈黙するウォーキートーキーを見て、光の中に消えたアレフ・ゼロを思いだす。

気のせいと言いきるには重なり過ぎた。

 

「え?」

 

「セレン、もう君は君の幸せを探しに行ける。料理も洗濯も洗い物もしっかりやってくれた。それに……普通に人と接せる様になったじゃないか……。君はもう、セレン・ヘイズだ」

 

「何を……何を言っているんだ?」

言葉でそう言いながらも、もうセレンはガロアが何を言おうとしているのかを分かってしまった。

 

分かりたくないだけだった。

 

「もう……この世界は……君を否定しない。君なら幸せになれる。美人だし……本当は優しくて健気なのを知っている。ずっと尽くしてくれた」

 

「なんで」

 

「クソッたれの企業も……神様気取りのイカれた機械ももういねぇ。この世の何も君を否定しない。君は君で存在理由を見つけられる。……いや、見つけられただろ。これからも……そうなるよ。ずっとそうなる」

 

「……一人になりたいのか? しばらくどこかに行っていようか?」

 

「そのまま、もう戻ってくるな。二度と」

 

「……!」

あえて酷い言葉で突き離そうとしている。これをセレンは知っていた。

こういうのもまた愛と言えるのが分かったから。

 

「金……金を……俺が稼いだやつ、全部やるから。好きなところに行って好きなことやれ」

そう言って金がたんまり入っているはずのカードをガロアはセレンに投げる。

 

「お、お前、本当に私が……それで喜ぶと思うのか」

確かに金はある。企業がいなくなっても通貨の価値は変わっていないし、小さな村なら土地ごと買えてしまうくらいには億万長者だ。

ガロアがリンクスとなり文字通り命も身体も削って稼いだ金だ。少なくとも五、六回は死にかけて身体のいろんな部位を欠損しているのだから、人生を五、六回買えるだけの金があることはむしろ当然だ。

四年間の対価にそれだけの金を受け取ることは、それだけで見れば破格の報酬だと言える。だがセレンにとっては違う。

 

「行け」

そう言ってガロアは無表情になって俯いてしまった。このまま本当にいなくなればガロアは涙で溺れ死ぬほど泣くだろう。

セレンもそうだから分かるのだ。だがその未来を回避するには壁が大きすぎる。ガロアがそれでいいと思ってしまっているのだ。セレンの知る誰よりも頑固なガロアの心を変える方法をセレンは未だに知らない。

 

「金の為に一緒にいたんじゃない」

これではダメだと。言った後にセレンは思った。

そんなことは二人とも分かっているはずだ。

 

「……」

黙ったまま表情を変えずに俯いているガロアを見て冷や汗がだくだくと流れていく。

どこから見ても怪我を負っている場所が目に入るというのに、こんな状態になっても弱音を吐いてくれない。

 

「お前が好きだって言ってくれたから。嬉しかった。私もお前が好きだ。どうしてそれではいけないんだ? 頼むから素直になってくれ」

今度の言葉はガロアの心をこれ以上なく揺らしていった。またガロアの眼帯の下で涙が滲んできていた。ガロアは命果てるその日まで泣き続けるのだろう。

一生消えない傷を身体にも心にもこれでもかというほど負って。

 

「なっているさ。君を愛している。この世界の……どんなことよりもだ。そして幸せになってほしい」

 

『お前を愛している』

遺書に書いてあったその言葉はガロアの今までの人生で貰った言葉の中で一番綺麗な宝物だった。

そしてまるで悪意のない呪いのようでもある。あの森でアジェイしか人間がいなかったのだ。

その生き方を追うのはどうしようもなく仕方のない事だ。

 

「なら……どうして?」

とうとう泣きだしてしまったセレンを見てガロアの心に棘が刺さる。

こんなにも想っている相手への精一杯の思いやりはどうして傷つけることになるのか、とガロアの頭の中に疑問が浮かんでは消える。

 

「………、………」

生命とは消滅するもの。愛とは犠牲。

それがガロアが人生で学んだものだった。

そしてガロアの歩いてきた道で関わったものはみんな壊れてしまった。

 

「も、もう、苦しまなくても、お前はだって……世界を……、……!」

確かに結果だけで言えばガロアは全世界の人間の命を救い未来を守った。

だがそれは結果の話。結果だけで言えばガロアは復讐の為に身に着けた力で人を散々殺しながらも結局目的の男は殺せていない。

そんな結果だけの話をしてもガロアの救いにはならないと気が付いてセレンは口を噤む。何を言えばガロアを傷つけないのか分からない。

ガロアはひたすら荒れ狂い敵を破壊し続けただけなのだ。

 

「リリウムを見て思った。俺は生まれながらに悪感情に取りこまれやすく出来ていたみたいだ」

 

「……間違ってなんかいないよ、そんなのは」

ガロアが死にかけた時、セレンも怒りに取りこまれ酷い八つ当たりをしていた。

アナトリアの傭兵がそれを責めなかったのはやはり自分達より生きた分だけそれが分かっていたからなんだろう。

ガロアの感情に何一つ間違いなど無い。愛する者の喪失による怒りも恨みもそれ自体が愛の重すぎるリスクのような物だ。

 

「気付いたら戻れない場所にいて取り返しのつかない罪を犯していたよ。ただ生きていただけのつもりだったのにそんなふうになったってことは……俺はこの世界で生きるのに向いていないからだろう。……もう行け」

そのくせ罪を感じる意識が芽生えてしまったのが余計に手に負えないだろう。

愛と感情に振りまわされるのがガロアの人生だ。

 

「私の想いはどうなる!?」

陳腐なドラマのように好きだといえば好きだとオウムのように返して終われば楽なのに。

相手のことを思っているつもりが自分の事だ。ガロアも全く同じ。どうしていいか分からずに頭を抱えて叫んでしまった。

 

「俺のそばにある物はみんな壊れる。俺の愛した人も。否定してみてくれ……俺を納得させてくれ。最後は……俺自身だ。まるで……悪い夢を見ているみたいだ」

あちこちが欠けた身体を重そうに起こし、ベッドの上で片方の目でこちらを見てくる。

その姿は戦場で静かに眠るアーマードコアの残骸によく似ていた。戦いが終わってしまえば、どれだけ強くてもどれだけ守ってくれていても厄介者扱いされる戦争兵器に似ている。

そう思ってしまったこと自体を否定したいがもう消せない。

 

「…………うぅ……」

そんなもん嘘っぱちだ、被害妄想だと言って笑うにはあまりにもガロアの周りの物は壊れすぎてガロアは生き残り過ぎてしまった。

ガロアは金も自分の命もどうでもいいと思っているのにそんなところだけ悪運に恵まれてしまっているのは……不運なのだろう。

これまでの周りの出来事が全部不運によるもので気のせいだとしても、もう積み重なり過ぎてしまった。

 

「だから……行け……俺のそばにいると死んじまう……一緒に……」

そうは言ってもこの身体ではもう戦えない。一人で生きようにも間抜けな兎ですら狩れないだろう。

翼の捥げた鳥は食われ、角の折れた鹿はのたれ死ぬ。自分も大した抵抗も出来ずに殺されるであろう――そんな未来をガロアは想像していた。

身体中ボロボロなのに痛みも苦しみも無いのがまるで嵐の前の静けさのようで不気味だった。

 

「私たちは家族だって……。お前は私のところに帰るって……」

 

「…………忘れろ……。いや、忘れる。時間が洗い流してくれる。怒りも悲しみも……喪失も」

 

「お前が……それを言うのか」

ガロアがそれを忘れるような人間では無かったことは行動が物語っている。

説得力がなさすぎる。もううまい言葉も見つからないくらいガロアもぎりぎりなのだ。

 

「全てを失ったとしても未来がある。君には……。……そして俺には今しかない」

 

「!!」

 

「……死に行く、……俺にはもう……も……なにも必要無い!!!」

 

「なんで……知っているの……?」

見た目はどうあれ身体の治療は終わっている。流石に吹き飛んだ目玉や手足は戻らないが、これから五感も元に戻っていく。

だが身体に蓄積したコジマ粒子だけはもうどうしようもなかった。一年後に生きているかどうかは分からない。

これだけコジマに侵されていればもう、いつどこで何が起きるか分からない。究極に切羽詰まった時限爆弾付きの身体だった。

不調が始まるまで半年もないだろうと言われた。だから醜くなった顔を整形することも出来なかった。

気の問題もあるだろうからガロアには一切言っていなかったのに。やはりその鋭い勘で気づいてしまっていた。

 

「俺を見ろ……もう戦いどころか……普通の生活も……まともに歩くことすら出来ない。なんで生きてんのかわかんねえぐらいにこんがり焼けてまるっきり化け物だ……必要か!? 幸せな未来に俺みたいなのが!!」

とうとうガロアは爆発してしまった。ごちゃまぜの感情の中にある愛はセレンを引き止めてしまうことを知って、それを消し飛ばす為にも辛い現実を突きつけていく。

ペットボトルの蓋すら開けられない自分がどんな幸福をあげられる?おまけに近いうちに死ぬというのだ。

早めに死ぬならまだ、とも思えるがそれを『救い』だと思ってしまっているのならば、そばにいることがどうしてセレンの幸福に繋がるのか。

ガロアももういっぱいいっぱいだった。自分の中の弱さすらも分からなくなる程度には。

 

「私にはお前が全てなんだ! お前じゃなきゃ嫌なんだ!!」

受けた痛みはすでに過去の物、訪れた平和を世界が噛みしめている中でどうして自分達は怒鳴りあっているのだろう。

互いに愛があるのに上手くいかない。ガロアの心の問題のはずなのに自分が悪いのではないかとすらセレンは思ってしまう。

 

「感傷が人間を殺すのは知っている……行け!! 愛も繋がりも……痛みを癒してくれたかと思えば……また大きな穴を作っていく……」

 

「……」

 

「もう……お願いだから……これ以上俺を苦しませないでくれ……もうダメなんだ……耐えられない……心も身体も」

片方だけ残ったガロアの目から涙が流れ、傷痕にそって歪な線を作っていく。

 

「ガロア……」

 

「こっちに来るんじゃねえ!!」

 

「……!!」

醜くなってしまった顔から透明な滴を零すその姿に少し歩み寄ってしまった途端に怒鳴られた。近づくことすらも否定されている。

だが、自分がいなくなった後に、数えきれない程の人々を救った英雄でありながらこの部屋で一人毒に侵されて死に行く未来を想像してぞっとする。

ガロアの周りで人が死に過ぎた。そして生きる為にガロアの心の中には暴力という獣が棲みついた。それはとうとうガロアの身体と未来までも食い潰そうとしている。

世界に不幸をばら撒きまくるか、世界の不幸をすべて請け負うか。ガロアは両極端な運命の元に生まれてしまっていた。それを変えるにはどうしたらいい?

セレンには何も分からなかった。

 

 

 

ガロアはセレンの番犬になっていたつもりなのに、今のセレンの顔はまるで飼い主に捨てられた犬のようだった。

セレンと同じようにガロアもどうしたらいい、どうしたらいいと頭を巡らしていく。

 

「……。分かっているよ……分かってる。想いは消えない。どうしたって……消えてくれないんだよな……。それが例え痛みなのだと分かっても……消すほうが辛いから」

 

「なら」

やめろ。その言葉がまた穴を空ける。俺の心はただ血を流し続けている。

そう言う前に、ガロアはあと何を自分は差し出せるか、感情がごちゃ混ぜになって回転の悪くなった頭を巡らせる。

 

「花を……」

 

「……」

消えゆくガロアとはこの部屋で逆に命を溢れさせているものがある。

ガロアがセレンに贈ったあの花だ。

 

「花を持っていけ……世話をすれば何度でも咲いて、新しい種はまた新しい花を咲かせる。あの花はきっと君の為に咲いているんだ。俺の為じゃない」

たった18年しか生きていない中で、この四年間はとても大きなものだった。今にも消えそうなろうそくの灯のようにゆらゆら揺れるたまゆらの命は二つの願いを叫んでいる。

どちらも自分に苦しみを残すが、片方は未来のない自分には必要のない物だとガロアは思いこむ。

あの男の言っていた通り、自分はこの世界をも握り潰すほどの存在だった。力では無い。その精神がだ。

この人に出会っていなかったら、自分はきっと人間では無い何かのままだった。

 

「……」

またセレンが泣いている。また泣かせてしまった。

自分といたばっかりに。自分のような人間に好意を寄せるから。だがそれでも。

 

「……嬉しかった。セレンには全てを貰った。こんな俺と一緒にいてくれて……ありがとう」

 

「……! それは、私が……」

私が言うべき言葉なんだ、とは言わなかった。

セレンはそれが別れの言葉になってしまうと理解したのだろう。

その通り、もう別れを告げているのだから。

 

(なんでいつも俺の前の……選択は苦しい物ばかり……)

暗い森を抜けた先は困難な選択に溢れていた。またここでも一つ、大きな傷を残す選択が現れる。

 

「私の幸せはお前といることなんだ……他には……」

セレンは同じ内容を言葉を変えて繰り返している。

本当にそれしか無いからなのだろう。その気持ちは知っている、よく分かる。

 

「あるさ……あるよ……見つかるさ。俺の幸せは、あの森で時々知らないことを教えてもらいながら父さんと一日一日を生きていくことだった。それだけだと思っていた」

 

「……」

 

「同じなんだ。あの森で俺は一人だった。セレンは街で人の中にいても一人だった。……でも外を見ろよ。俺は……こんなに世界が広くて、人がたくさんいるなんて知らなかった」

いつの間にか日が沈みかけていた。きっとこの世界は今どこまで行っても綺麗な物に出会えるのだろう。

片目では笑顔がよく見えない。片腕ではうまく抱きしめられない。片足では一緒に歩けない。

 

「だってお前と……」

 

「でも……いつか見つかるから……もう、行け」

 

「本当に……終わりなんだぞ……お前……まだ18だぞ……幸せなこと……全然知らないじゃないか」

 

「誰もが……この世界でいずれは朽ち果てて死ぬ。あの森にいても、戦場にいても、それは変わらない。この世界のルールだ。そんな世界で俺は愛すべき人を見つけて、守った。俺はもう、満足だ」

 

「愛してくれているなら……そこまで分かっているならなぜ?」

 

「仕方が無いじゃないか……だって…………」

死の際の後悔を知っている。それでもセレンに幸せになってほしい。

今ならまだ間に合う。最後まで離れられずに自分の死を見ればそれはセレンの心と未来に消えない傷を残すだろう。それほどに想われていることは知っている。

その後の何十年もの苦しみと、余命いくばくもない自分の苦しみなど天秤にかけるまでもない。

だがどっちがワガママなんだろうか?

セレンを突き離してその幸せを願う事か。それとも……

なんでこんなに難しいことばかりが目の前に来るのだろう。やはり自分の選択の積み重ねが作ったのだろうか。

 

「……」

顔中から水を流して美人を台無しにしている。

そんな顔をちゃんと綺麗に笑わせてくれる人もこの世界にはいるはずだ。

そんな場面は見たくない。でも、何もかもが消えてなくなってくれる死が待っているならもうそれでいい。

だからもう――

 

「俺と一緒にい……あぁ……」

俺と一緒にいたらセレンは幸せになれない。

そう言うべきなんだ。何よりも願っているのはセレンの幸せなのだから。

自分の欲した力が手に入ったからなのか、その前からなのか。

周りにある物がどんどん壊れていく。そしてその真ん中の自分はまるで得手だと言わんばかりに壊して壊して壊して。

 

「俺と一緒に……ぐっ、うっ……おお……おおあぁ、おぉ……」

あの死の際の後悔は?父は何て思っていたんだろう。

同じだ。幸せになってくれと思っていたのだろう。

まだ何かあった気がするが色々ありすぎて頭から抜け落ちてしまった。

 

「そうかもしれない……」

 

(生きていてほしい……死んでほしくないってなんで? なんで俺はそこに命をかけたんだろう。なんで父さんは命をかけたんだろう)

 

「お前のそばにあるものはみんな壊れるのかもしれない。私には否定できない……。でもお前は一つ勘違いしているよ」

 

(……)

幸せになってくれ。生きてほしい。その二つは矛盾するものでは無いはずだ。

何故生きていてほしいと思うのか。どうすれば矛盾せずに共存できるのか。

 

「だ、誰もお前のそばにいなければよかったなんて思っていない。……。ほら。私は……」

そう言ってセレンは笑った。あの日父と永遠に別れたときのように。

 

 

最後の別れのあの日も、父はいつものように頭を撫でて『行ってくる』と言っていた。『さよなら』とは言わなかった。

 

自分も『さよなら』は言っていない。

 

出来ることなら生きて帰ってくるつもりだったのだ。どうして帰ってくるかなんて、考えるまでもない。

父が出来なかったこと、父の本当の願い。

 

雪を転がして遊ぶ自分を、他に何をするでもなく微笑みながら眺めていた。

守りたかったものは自分ただ一人ではない。あの世界を守りたいというのは、あの風景を守りたいというのは、

 

(!…………あぁ……。ずっと一緒に……)

一緒にいてほしかったから死なないでほしかった。それだけだった。

自分も父も、戦う誰もが。

 

アナトリアの傭兵がどうして戦い、何故自分を連れ帰ったのか。

この為だったのだ。

 

ずっと同じだった。自分の本当の願いは――

 

「俺と一緒にいてくれ。これからも、ずっと」

 

 

気付けばガロアは言おうと思っていた言葉を言ったつもりが真逆の言葉を言っていた。

後悔をする間もなくベッドに前のめりに倒れ込む。

『俺と一緒にいたらセレンは幸せになれない』が『俺と一緒にいてくれ』になってしまった。

言った言葉に気が付いて、なんとか抑えていた涙が決壊したダムのように溢れてきた。

この人とずっと一緒にいたい。一緒にいて幸せになりたい。そんな簡単で当たり前の願いが叶わなくて、幸せを他に求めろと言っていた。

手に入らない物だと、作れない物だと父が帰らなくなったあの日から思い込んでいた。

 

(変わるべきなのは俺だった)

セレンの心では無くて自分の心を変えるべきだったのだ。

もしかしたらこのまま本当に二人で不幸に落ちていくのかもしれない。

でも、今回は違うかもしれない。命に関してはどうしようもなくても、残り少ない時間で自分もセレンも幸せになれる何かが、二人でいれば見つかるかもしれない。

何度も裏切られてきた微かな希望はやはり温かかった。そう思った時、残った人殺しの左腕がセレンに握られていた。

 

「やっと……言ってくれたな……」

そうだ。やっぱりセレンは笑っている方がいい。二人でいれば笑えるんだったら一緒にいたい。

 

「もういやなんだ……俺を一人にしないでくれ。ずっと一緒にいてくれ」

弱い奴は死んで強い奴が生き残るんだとずっと理屈で決めつけていた。獣として生きていたから。

本当は違う。卑怯でも臆病でもなんでもいいから生きて一緒にいてほしかった。ずっと前からそれだけだったのに。

 

「分かっている。もう二度と離れない。ずっと一緒だ」

ふくよかで温かいその胸に抱き寄せられたとき、とうとう眼帯の下のコットンも水分を吸いきれずに両目から涙が溢れてしまった。

 

ガロアが愛したものは皆壊れた。それは事実だ。

これからもそうなるかもしれないし、何よりもその思い出と戦いながら共に生きていくのはガロアにとって一番困難な道だろう。

 

(困難な道………………?)

アナトリアの傭兵と自分は途中まで同じ存在だったはずだ。力を求めて暴走した手の付けられない存在。

そんな生き物が人殺しの手で愛した者と共に生きていくということ。たとえそれがどんなに矛盾していても。

矛盾に溺れて死ぬよりも、矛盾を知って命を捨てて戦うよりも、矛盾を抱えて一緒に生きる方がもっと大変だっただろう。

自分は賢いフリをしながら思考停止して命と一緒に考えることを投げだしていたのだ。

 

(俺には足りなかったのか……セレンと生きる覚悟が……)

失うのを恐れるあまり手に入れることを拒んでいた。

アナトリアの傭兵は知っていて、実行していた。

ガロアが諦めようとしていたものを。

あの男は愛しい者を守って一緒に生きていた。強さだけではなく、生き残る強かさがあったのだ。

守るだけじゃない。一緒に不揃いな足を揃えて生きていくというとても難しい道。

 

(お前の勝ちだ……)

自分は奴と対峙したあの時に、負けを認めていたんだろう。

 

「ガロア……愛している」

どくんと心臓が揺れたのを感じる。これからもこの言葉をくれる人が一緒にいてくれるからという希望が揺らす。

死ななかったから。生き残ったおかげで。

 

「あ……俺も……、お、俺もセレンを愛している……愛していたんだ……ずっと」

愛した人にこの言葉を何度でも言えるという幸福は人生で初めての物で、一番の物だった。

いつまでも、いつまでもこのまなざしに刺さっていたい。生きている限りは。

 

 

(生きていてよかった)

 

苦しいのになんで生きるんだろう。

その理由は今でもはっきりとは分からないが、ガロアは心の底から生きていてよかったと思えた。

 

 

ガロアはその日、声をあげていつまでも幼子のように泣いた。

ガロアが声をあげて泣くのは、18年前にガロアが生まれたその日以来のことだった。

 

自分の存在を愛してくれる誰かを探すのが人の一生のあり方で、人はその為に死ぬことすらいとわない。

ならば最上の幸福とは、やはり認め合える者と生きていくことなのだろう。

 

何かに弾かれたようにこの世界で一人で迷子になっていた二人は、ようやくそんな存在を見つけた。

二人はこれからも喜びも悲しみも分かち合っていく。




感情と理屈の真ん中くらいで適当に、中庸を意識して生きていかないと大変なことになっちゃいます。
人間だって動物ですし。これからガロア君もそれを学んでいけるといいですね。


次の112話でいよいよ最終話なのですが。

ですが。

ですが。




わ、私は……小さい頃は……エロい仕事をしたかった。具体的な何かはなくてもとにかくエロいことをしたいエロエロガキだったんだ

大人になったらエロい仕事しているはずなのに大学で数学の講義を聴いている……なんでなんだ、エロいことがしたかったんだ、それだけなのに(最低)



悪魔「じゃあエロい話を書けよ」

私「え?」

悪魔「書け」

私「びゃあぁ書きまぁすぅうウゥうう」


悪魔が書けって言ったんだ。


というわけで最終話の前に18禁の話を投稿します。
ここに次話として投稿するわけにはいかないので『短編で投稿』します。

タイトルは『楓』。
読みたい方は作者ページから飛んでってください。
5/29の0時くらいに投稿します。

五万文字オーバーの渾身のエロ小説、見てってください。

読まなくてもあまり問題はないかと思いますが……最後にガロアとセレンにいい思いさせてあげようと考えて書きました。
ええやん、読んだろ!
という方はどうぞ。


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Day After Day

things are rolling on.


気怠い疲れはまだ残っているが、それでも一度身についた習慣というのは消えない物で、ガロアは日が昇ってすぐに目を覚ました。

 

「……」

身体に寄り添う様な柔らかい感触は随分と懐かしい物だった。

隣を見ると一糸まとわぬ姿のセレンがぴったりとくっついて寝息を立てている。

その姿に少しどきりとしたが、同時に自分も服を着ていないことに気が付く。

服を着よう。そう思って立ち上がるために杖を探すとベッドのすぐそば、手が届く位置に立てかけてあった。

 

「あ……セレンが……」

あんなところに杖を置いた記憶はない。恐らくは夜半に目覚めたセレンが置いておいてくれたのだろう。

眠りの浅いセレンだが、隣でごそごそと動いても目を覚ます気配はない。その顔には疲労の色が濃い。

確かに相当疲れた事は否めないが、それだけではないだろう。それにしても股間がひりひりする。一度にあれだけ使えば体のどこの部位だって疲れるのだから当然と言えば当然だが。

 

「いよっ……しょ」

杖を片足代わりに歩く、と書けば簡単に見えるが相当にバランスをとらなくてはならない。

もちろん進む速度はかなり遅い。腰の曲がった老人にすら追い抜かれてしまうだろう。

 

トイレから出て服を着る。パンツ、ズボンと履いてから気が付く。先に眼帯の下のコットンを変えなければ。

一晩分の涙を吸ってもう使い物にならないはずだ。よいしょよいしょと牛のように必死に洗面台の前に行き何とか眼帯を外す。

 

「……くそ、難しいか」

片手でコットンを替えるのはコツがいる、というかかなり難しい。歯を使ってみっともなくやらなくてはならない。

 

(……醜悪だな)

光の中で改めて鏡に映る自分の顔は酷い物だった。そういうバランスで人の関係というのはできているものじゃない。

それは知っているがそれでもこんな醜い男ではセレンのような美しい人とは客観的に見て釣り合わない。

綺麗な朝日が昇るのと対照的に暗い気持ちで眼帯にコットンをつけようとしていると、いきなり腕が伸びてきてコットンが取り上げられた。

 

「いい。私がやるから」

いつの間に起きたのか、昨日の夜、全てを見せ合ったというのにわざわざブランケットで身体を隠したセレンがここまで来ていた。

夜の顔とは別ということなのだろうか。結局自分には女の深さがわからない。

自分でもわかっているのだろうとは思うが、セレンほど単純な女性はなかなかいないというのに。

女心なんてものが全く分からない自分はきっと最後までセレンに苦労をかけるだろう。

 

「……おはよう」

 

「ああ。……おはよう、ガロア」

そっと眼帯を付けてくるセレンの首や肌にはいくつもの赤い跡があり、目は腫れている。

あれだけ泣いたのだから腫れていなければおかしいが。

 

「目が腫れている」

 

「お前もな」

だがそれだけではないだろう。

血の出ていない自分ですら使い過ぎて少しひりひりしているのに、セレンが無事なわけがない。

身体のどこかに不調とか起きていたりしないのだろうか。

 

「ありがとう。身体、大丈夫か、セレン」

眼帯を付けられて礼を言うと軽く唇に口を重ねられる。

おはようのキスだなんて、本当に自分とこの人はそういう関係になったんだなと再認識した。

 

「昨日……しているときはそうでもなかったけど……お腹のここらへんがじぃんと痛い」

セレンが下腹のあたりをさするとブランケットが身体に張りつき胸の形がはっきりと分かった。

昨日あの身体を思う存分味わったという事が未だに現実感がない。

 

「大丈夫……なのか?」

 

「うん、幸せだ」

 

「……? え?」

疑問をぶつける前に、背を向けて部屋に戻っていくセレンの尻が見えて目を逸らしてしまい、結局何も聞けなかった。

 

 

 

 

「……あっち向いてろ」

ベッドに座り、着替えているセレンをぼーっと見ていたら軽く頬を張られた。怒っているという感じでは無く少し笑っていたが。

昨日全部見せ合ったのに、と同じことを考えるが確かにじゃあ二人でいるときはずっと裸でいるのかと言われればそれは違うだろう。

 

(これはこれで悪くないや)

眼帯がずれないように気を付けながらシャツを着ていく。着せてやろうか、と言われたがそこまで世話になりたくない。

世話を焼くのは嬉しい物だ。それは分かっていてもそんな頭のてっぺんから足の先まで甘えていられない。

そう考えながらもたもたとシャツに腕を入れて頭を突っ込んでいると、いきなりシャツが下から引っ張られすっぽりと着せられた。

何をするんだ、と言う前にセレンが飛び込んできてそれから少し遅れて芳しい香りがぶつかってくる。

 

「もう少ししたら飯に行こう」

遠慮も無くきつく抱きしめながら言ってくる言葉の裏には、だから今はこうしていたいという響きがある。

睡眠にしろ食事にしろセレンの方が欲求に素直で自分はへそ曲がりなのだ。本当は自分も朝、目が覚めた時点でこうしたかった。

 

(変わったんだな……)

自分もセレンも、二人の関係も出会ってから相当に変化した。

変わっていないのはずっと一緒にいるということ。

そしてうぬぼれだと笑えないくらい本当に、自分という存在がセレンにとっての全てなのだという事だろう。

自分がいなくなったらどうするの?

そういつか問わなければならないが言いたくない。

ああ、自分は本当に変わった。昔の自分は死も含めて怖い物など何一つなかった。どこで何が壊れて自分が何を殺そうがどうでもよかった。

今は失うことも死ぬことも怖い。こんな殺人鬼ではなくまともな自分で出会いたかった。……アナトリアの傭兵も同じことを考えて生きているのだろうか。

プライドにかけて、絶対に聞くことはないだろうが、相手の記憶を消すことが出来るのなら是非とも訊ねてみたい。

 

「行こうか。腹減ったろ。昨日は……ほら、夜、食べなかったし」

 

「……ああ」

と言った瞬間にドンッ、と音が入り口から聞こえた。

 

一体なんなんだ?と冷静に思っている暇も無かった。

あの変態、アブ・マーシュがライオンが獲物に飛びかかる様な超攻撃的前傾姿勢でガロアに突撃してきていたのだ。

 

鍵かけていたのに。

 

そう思った時にはもう遅かった。

 

「あああああーっっ!!」

 

叫ぶセレンを無視し、ガロアをがっしりとホールドしたアブは、ズキュゥゥゥン!!(絶望)という効果音が出そうな程見事なキスをガロアにしていた。

 

魂を口から引きずり出されるようなキスを受けてガロアは天国に……いや、地獄に落ちるように気絶した。

 

 

「ガロアァアーッッ!!」

この変態をぶっ飛ばすのが先か、ガロアを手当てするのが先か、あるいはここからガロアを連れて逃げるのが先か。

考えている間にセレンは行動が一手遅れていた。

 

「あなたにもしてあ・げ・る」

 

「うわぁあああああ!!」

ぶっ倒れたガロアから離れたアブはセレンにも唇を突きだし迫ってきた。

この男とキスをするくらいなら死んだ方がマシだと本気で思う。

 

「いやだあああああああ」

 

「減るものじゃあないんだからいいじゃないのぅ」

こちらに圧し掛かろうとしてくるアブをなんとか止めるが徐々に押されていく。強姦される女性の恐怖という物が初めてわかった気がした。

それにしてもこの変態、なんという力だ。

 

「それにもう初めてじゃないんでしょう? んふ」

 

「へあっ!? あああそういう問題じゃないいぃい」

なんで知っているんだこの野郎、と叫ぶ余裕もない。

いきなり手詰まりか。拳銃は持っていない、手足は完璧に抑えられている。

ガロア以外に身体を許す気は無いと、そう思っていたのに。

 

「あら^~……じゃあガロア君に相手してもらうわ、むほほ」

ぱっとセレンから手を離したアブはスク水の股間についたチャックをカチャカチャと外しながら振り返ろうとしている。

自分の身体もダメだがガロアの身体はもっとダメだ。そんなことは断じて許せない。

 

「や、や、や、やめろおぉおお!!」

 

「あら」

 

「あ」

拳を握りしめてぶん殴ろうとしてようやく気が付いた。

ガロアがいなくなっていた。杖も無くなっている。

 

(よ、よかった……)

素晴らしい逃げ足だ。足一本失くしてこれは凄い。

自分もここから脱出して後で合流しなければ。

 

「ちっ。逃がしたか」

 

「!?」

やっぱりダメだ。この男は今ここで仕留める……最低でも股間を潰しておかないとガロアの貞操が危ない。

と、サイドテーブルの拳銃に手を伸ばした時。

 

「よっこ……いしょっと。あらあら……もう」

 

「何を……しているんだ?」

さっきからこの変態が何をしたいのかさっぱり分からない。

動作を停止していたウォーキートーキーを米俵でも担ぐように持ち上げている。

 

「ついていらっしゃいよ」

 

「は?」

 

「知りたいでしょう?」

 

「ちょっと……何を言っているのか分からないのだが」

 

「あら。ガロア君からなんにも聞いていないの? 本当に……あなたが生きていればどうでもよかったのね……」

 

「……?」

 

よっこらせ、とウォーキートーキーを担いで出て行こうとするアブは先ほどの意味不明の態度から一転、神妙な顔をしておりそれがますます意味が分からない。

だがウォーキートーキーを持っていこうとしている以上、はいどうぞと行かせるわけにもいかず、結局ついていくことになった。

 

こんな時期でも暑いラインアークを暫く歩いてようやく目的地らしき場所に辿りついた。

それなりの広さの工房といった感じの場所で機械のパーツらしきものや何が何やら分からない物まで乱雑に置いてあり、如何にもアーキテクトの工房と言った感じだ。

世界最高峰のアーキテクトの住処だと考えるとこんまい気もするが案外そんなものなのかもしれない。

 

「ふぅ。疲れたわ」

 

(汗をかいていないじゃないか……)

50kgもあるウォーキートーキーを担いでクソ暑いラインアークでしばらく歩いたというのに、疲れたというのは言葉だけで全くそんな様子はない。

部屋の中には尻を強調したいかがわしい男のポスターが貼ってある以外はやはり技術屋の部屋といった感じだ。

狭いのはラインアークの経済状況のせいなのか、この男の嗜好のせいなのかは分からない。

 

「座りなさい」

 

「はぁ」

ころころとこちらまで転がされた椅子に座る。

何か変なことされるのでは……とは思わなかった。ずっと真剣な顔をしているからだ。といってもその顔は白塗りで表情を深く読むことは出来ないが。

 

「これ、何か分かる?」

 

「リムーバルメディアか?それがなんなんだ」

さらっ、と股間からそれを出したのをツッコむ気にもなれなかった。

机の上に人間の腕と脚のような機械がおいてあるほうが気になった。新しいネクストの模型だったりするのだろうか。

 

「ガロア君が最後の戦いで持ち帰った物よ。数世代前の言語で書かれているからね。ここではあたししか読めないから時間かかっちゃった」

 

「ガロアが? ここでは?? ちょっと……意味が……」

 

「あたしたちは、ずーっと貴方達を見ていたわ」

 

「……?」

もっとこう、なんていうか、この男は人に理解してもらおうという考えがないのだろうか。

だが文句を言おうにもどこから言っていいのかもよくわからない。

結局アブがウォーキートーキーの背部を開いてガチャガチャといじり出すのを見ているしかなかった。

 

「そう、ずっとよ」

ウォーキートーキーから取り出したコードをコンピューターに接続すると数秒のローディングを経て日付の書かれたフォルダが浮かぶ。

なんだかすごく嫌な予感がした。

 

「ずっと、ね」

にたぁ、と気持ちの悪い笑顔をしたアブは昨日の日付のフォルダと中身のファイルを開いた。

果たして嫌な予感は当たっていた。

そこには昨日の夜ベッドの上でガロアと濃密に混じり合っている自分の映像が映っていたのだ。

 

「なぁ――なっんあなっ、やめろ!!」

記憶が蘇って顔が熱くなるが、傍から見るとなんて恥ずかしい!!

 

「もうここに来る前に保存しちゃってるからウォーキートーキーを壊しても意味ないわよ」

 

「けけっ消せ! 消せ!! この!……? ずっ…と?」

慌ててマウスをいじり全てを閉じてからようやくおかしな点に気が付く。

ここに来る前に、とこの男は言った。そんなはずはない。ずっとウォーキートーキーは部屋にいたのだから。

大体なんでこのポンコツは壊れて電源が落ちていても録画なんて出来ていたのだろう。

ずっとと言った。ずっとだと?

 

「この子は……例え壊れても、電源が切れてもその一番重要な任務である記録と送信はやめない」

 

(なんだと?)

家政婦じゃないのか? ずっとだって? 任務だって?

 

いつから? どうして?

 

「生には死を。罪には罰を。力には代償を。……いい言葉ね。ガロア君らしいわ。でもあたしはそこにもう一つの言葉を付け加えるわ」

呆然としているとまたアブがコンピューターを操作しだす。

全ての画像ファイルが開かれそこには幼子だったガロアから今現在のガロアまで全てが映っていた。

 

「勇者には永遠の誉れを」

 

「お前は……一体……なんなんだ?」

 

「うふふ。ずっとガロア君を見ていたわ。ちなみにお気に入りの写真はこれ」

頭の如雨露から取り出したその写真に写っているガロアは5歳や6歳といったところだろうか。

両方の鼻から水を垂らしながら満面の笑みでストーブに当たっており、後ろで霞が優しい笑顔で見ていた。

今となっては欠片も無い無邪気さが身体中から振り撒かれており、セレンは一瞬全てを忘れて言葉を叫んでいた。

 

「ファー!! 可愛い! じゃなくてお前、それ寄越せ、じゃなくて消せよ! 変態!」

言葉と行動は最早支離滅裂で、セレンはその写真をひったくっていた。

そして何かを言われる前に皺を伸ばしてポケットにしまっていた。この間僅か3秒。

 

「ウォーキートーキーに指示を送って勉強を教えたりとかもしていたわ。もう覚えが早いものだから可愛くて可愛くて」

 

「だったらもっとこう……性教育とかもしろよ!! あいつ恥の概念すらガタガタだったんだぞ!!」

違う、聞くべきところはそうじゃないだろう大馬鹿、と言った後に気が付き頭を掻きむしる。

 

「女の子もいないのに?」

 

「むっ」

確かにそうだ。あの環境で性教育なんてしたところで馬の耳に念仏、犬に論語レベルだ。

 

「それにいやぁよ」

 

「むむっ」

なんて奴だ。勝手にガロアの私生活を見ておきながらこの態度。許せん。

 

「あれぐらいの年頃の男の子が性に目覚めるのが見たいじゃない」

 

「むむむっ」

ふざけるな変態め、と思う反面分かってしまう自分もぶん殴りたかった。

 

「でもね」

 

「?」

 

「性に目覚める前に暴力に目覚めちゃった」

 

(あれが……)

かつてウォーキートーキーに見せられた、山のような巨体の獲物を引きずり血まみれで笑いながら魔物になっていたガロアの写真を思いだす。

それにしてもこの男は一体なんなんだろうか。

 

「……あの子は最初から最後まで、金にも名誉にも全く興味を示さなかった。ただ、自分を愛してくれた人への愛だけが彼を動かしていた。人間の一番綺麗なところよ。だからあの子が好きなの」

 

(ガロア……)

この男が何なのかはまだよく分からないがその言葉だけは全面的に同意だ。

だからこそ、自分はガロアの目的が分かった後でも力を持っていいと思ったのだから。

 

「教えてあげる。あたしはあなた達が最後に戦ったあの『敵』によって作り出された」

 

「は?」

あの結局人間だかどうだかも分からなかったアレから?

だが何故かセレンはすぐに納得してしまった。

この男もどうやったって普通の人間には見えない。

 

「あの『敵』の目的は人類の救済。それは分かっているのでしょう?」

 

「あ、ああ」

 

「あたしの仕事は報告と情報の改竄。不利な情報はすぐに書き換え、何かあれば報告を続けていた。何年も、何十年も」

 

「お、おま……敵……? だったのか…? というかいくつなんだお前」

敵にしてはなんだか行動が一貫していない。

結局教えてくれているようで何も分かりやしない。

 

「ざっと……あなたの十倍かしらね」

 

「おまっ、二百、二百歳!?」

医療技術の発達により、最高で196歳まで生きた女性は記録として残っているが唐突に言われても信じられない。

だが今までの全てを振り返るとこの男がそれだけ生きてきたのならば辻褄も合う。

 

「ダメよレディの年齢にそんな目くじら立てちゃ」

 

(私はなんなんだ)

 

「あなたたちの『敵』……『管理者』に対しあたし達は監視者と呼ばれているわ」

 

「基本的に私たちは何をしててもいい。情報寄越せと言われたら寄越す。何か異常があったら報告する。それだけが任務ね。世界中にあたしのように作り出された存在がいるわ」

 

「作り出されたって……親、親とかいないのか」

この飄々としている変態男にも自分のような悩みに苛まれていた時期があったのだろうか。

それともそのせいで壊れてこうなったのだろうか。

 

「過去の偉人から作り出されたのよ。そうねぇ……」

何やってんだ、と思うのももう疲れてしまった。

布巾で顔の白塗りをごしごしと落としたアブは意外にもその辺に結構いそうな顔つきでありながらどこかで見たような顔だった。

 

(……? なんか見た事ある顔だ……)

 

「これでどう?」

ぼさぼさの白髪のカツラを被ったアブはそう言って目を見開いておどけたように舌を出してみせた。

その顔はこの世界で生きて少しでも教育を受けた者なら誰でも知っている大科学者のものであった。

 

「お前……! アイン」

 

「さらに遺伝子組み換えにより、あらゆる病気に強く長生きするように作られている。ベースはその人だけど」

 

「デザインドヒューマンか!」

ただのクローンや作られた人間では無い。

倫理と技術に縛られた人間の夢の果ての一つ、人工的に作られた天才が目の前にいたのだ。

 

「そ。100%完璧な入り込む隙のないデザインドヒューマン」

 

(完璧な人間なのにおかまのゲイなのか……)

 

「ちなみにジョニーはオランダの著名な画家だった人物よ。作品は30点くらいしかないけどね」

 

(ジョニー……あれか?)

もう随分と前の記憶のような気がする、カミソリジョニーという男。

そういえばあの男もこいつと負けず劣らずのぶっ飛んだ男だった。

デザインドヒューマンはどうしてもこうなってしまうのか?

 

「でもね、やっぱり人間だから今までも裏切る子は何人もいたし、あたしもそう」

 

「なに?」

 

「ガロア君が死んだと報告していたのよ。それが決め手となった」

 

「なんで……?」

それがどうして決め手になったのかも気になるが、どうして裏切ったのかが気になる。

 

「あたし達はお金じゃ動かない。それは分かるでしょう? 稼ごうと思えばいくらでも稼げるし、必要なら『管理者』に報告すればいくらでも手に入るから」

 

「あ、ああ。じゃあなんで?」

 

「もういいの。十分生きたわ……いや、生きすぎたのね」

 

「みんな先にいなくなるわ。朝まで語り合った友も。愛した女も」

 

(存外まともな神経しているじゃないか)

そう言おうと思ったがやめたのは、それがガロアにいきなり襲い掛かりキスをかました理由にはならないからだろう。

 

「だから、愛ね。愛の為に動くわ、あたし達は」

ぶっ、と噴き出した。他の誰かが言えば綺麗な言葉なんだろうがこの男が言えばもうそれは気色悪いとしか言えない。

というか結局それなのか。

 

「変態!! ガロアに近づくな!!」

 

「あら~……ほんとうにぃ? いいのぉ?」

 

「な、なんだよ……」

 

「予言しておくわぁ。あなたはここに進んでガロア君を連れてくる」

 

「ない」

絶対に有り得ない、と断言できる。

例えアナトリアの傭兵の前に引っぱっていくことがあってもこの男の前には絶対に連れてこない。

あんなことをした後でよく言える物だ。

 

「どうして見限ったと思う? 今の人類を」

ようやく核心に迫る話を始めた。しかし、言われてみればなんだろう。

戦争が終わった後に聞いた海底都市の話や、その目的を考えるにやはり今の人類が愚かだったから保護してやり直させようとしたのだろう。

 

「そりゃあやっぱり……宇宙に行った奴らが地球に残った人間を見捨てたから? とかか?」

 

「違うわ。国家解体戦争の時点でもう決定していた」

 

「えぇ?」

そんな前から?と思ったが確かに、歴史を振り返ればたった二十数年の間でここまで地球の環境が滅びに近づいたことなどかつてなかっただろう。

そう考えると正しいような気もするが。

 

「ねぇ。ガロア君との間に子供が欲しいんでしょう」

 

「!!」

一気に顔が真っ赤になった。ふざけるな、何てことを、と頭にぐるぐると言葉が浮かぶがそのどれもが声となって出て行かない。

それを否定することは例えこの場だけだとしてもしたくなかった。

 

「せめて死ぬ前に子供が欲しいとでも思った? 若いんだからそんなに焦っちゃダメよ」

それはいずれ別の男が見つかるのだから生き急ぐなという意味だろうか。一人でこんな世界で子供と生きていくのは大変だからと。

ああ、それは正論だろう。誰もがそんな風に分かったような正論をぶつけてくるのだろう。

 

「ふざけるな」

そうだ。それこそふざけるなだ。耳触りのいい正論で自分とガロアの間に割りこまないでほしい。

今日の夜だってそのつもりだ。やっぱり何度考えてもどうしたってどうなったってこの世界でガロアと何かで繋がって生きていきたい。

 

「欲しいの?」

 

「……」

 

「それでも欲しいの?」

 

「うるさい! うるさい!! 欲しい! 欲しいよ!! 私はガロア以外の誰の物にもなりたくない!! 例えガロアがいなくなってもずっとガロアの家族でいたい!! ガロアの子供を生む!! 絶対に!!」

ずっとガロアの物でいたい。二人だけの世界を大切に思って死ぬまで生きたい。だけど一人で生きるなんてきっと耐えられない。他の男を見つけるなんて考えたくない。

馬鹿にしたけりゃするがいいさ。正論を好きなだけ言えばいい。女で良かったと思っているといつか言ったことを、今でも思っている。

自分はガロアが生きた証を何よりもはっきりとこの世界に残せる存在なのだから。一筋に自分の事を選んでくれたことを何よりも嬉しく誇りに思っている。その為の生物としての義務を果たしたい。

 

「私はっ、ガロアの子を生む」

客観的に見れば――鋼の肉体、最高の頭脳、強靭な精神、そして飛び切りの野生と――ガロアは雄として最上級の遺伝子を持っているのだろう。

人と関わり始めたガロアがいきなりモテはじめたのもそういう本能からして雌を惹きつけるどうしようもない部分があったのかもしれない。

だがそんなことはどうでもよかった。自分はガロアを愛している。それ以外の理由など無粋な嘘っぱちだ。

 

「……焦るのはよくない、けど。好きよ、あなたたち。美しいと思う」

 

「……なんだよ?」

 

「そうね……あなたの愛しいガロア君とあなたの家が帰ったら燃えていた! どうする?」

 

「なんなんだよもう!! 帰る!!」

怒り、悲しみ、慈しみ、愛……あらゆる感情が沸点に達した。

帰って今すぐにでもガロアに抱かれたかった。残された時間を思えばなんて無駄な時間だっただろう。

だが、そうは問屋が卸さないとばかりにアブは信じがたい力でセレンの腕を掴んでいた。

 

「答えなさい」

 

「水をかけて消すに決まってんだろう!! 大馬鹿かお前は!!」

 

「そうね。じゃあ、あなたの家がコジマに汚染されていたら? どうするの?」

 

「……!」

運び出して逃げる。それぐらいしか思いつかなかった。

言いたいことが分かってきた気がする。見限られた理由とはもしかして。

 

「そういうこと。対応策を作らないまま兵器に運用したから……どうすればコジマの毒は抑えられるのか、どうすればコジマは消えるのか。知らないままばら撒き続けた。目先の利益を追って。バカみたい」

 

(……)

確かにそれは愚かしいとしか言えない行動だろう。

目先の利益最優先で地球を汚染し続け居住地区までコジマの毒は及び、尻に火がつくように空に逃げたかと思えばそこにはアサルトセルがあって。

俯瞰してみれば人類全体バカみたいだとしか言いようがない。

 

「さっきの話、ガロア君にだけ執着するなってことじゃないわ」

 

「なんだよ……何が言いたいんだよ、もう……」

 

「倫理も法律も金もない場所で、彼の心にあったのは愛だけだったから」

 

(知っているよ……)

本人もそれでどうしようもなくなって泣いてしまうくらいにはそれに振りまわされる人生だったのだから。

途中で止まってくれとどれだけ願っても止まらないくらいに重たい愛がガロアの心にはあった。

 

「人間が目指すべき場所……損得だけで生きない人生、彼はそれを知っていた。さっき、あたし達はお金じゃ動かないって言ったでしょ」

 

「……それで?」

 

「じゃあ愛……愛を測ることをは出来るかしら」

 

(……ただ……大きいとしか…………)

自分も、ガロアも。それ以上のことは言えない。

 

「多分完全に計ることは不可能だけど、近づくことならできる。その人が愛する者にどれだけの物を差し出せるか、でね。人は自分の物を手放すのをいやがるもの。特にそれが自分の幸福につながっているものなら当たり前だけど、尚更ね。欲しい物の為にお金を払うのと同じだと思っているわ。何事にも対価は必要なのね」

そう言ってアブはガチャガチャと工具を取り出して机の上に置いてあった機械の手足を弄り出した。

説教をしたいのか、それともそれをいじりたいのかどっちかはっきりしてくれ。

どっちが大切なんだ。

 

「人はこれ以外は何もいらないというものに出会えるかしら? 人は本当に欲しいものに全てを差し出せるかしら?」

 

「私は出来る」

答えてから自分でも驚いていた。

考える間もなくそんなことを恥ずかし気も無く答えるなんて。

 

「いいことだわぁ……あたしは、二百年も生きてまだ見つけていない。あなたたちは出会ったのね。全てを差し出せるほど大切な物が」

 

「……寂しくないのか」

 

「そうねぇ……何とも言えないわ。……君の為なら死ねる、とかそんな言葉が普段陳腐に聞こえて笑っちゃうのはなんでだと思う?」

 

「そんなこと、」

ああ、そんな言葉今までに両手の指じゃ足りない程その日出会っただけの男に言われてきたよ。

くだらない。

 

「そんなこと、あるわけないと思うからよ。あり得ないことだから笑うの。でも、ガロア君に言われたら笑えないでしょう?」

 

「…………ぅ……」

そう心から言ってくれるであろう男は、なんということだろう、自分がこの世界で最もそうして欲しくない人間だったなんて。

悲劇もいいところだ。この男はふざけているようで核心を突く言葉を言う。

 

「彼は何を差し出した? およそ普通の人では一つたりとも手放せないものをすべて手放したわ」

 

「およそ人が望める幸福を全て満喫することの出来る……金、地位、名誉、過去、現在、未来、身体、……命。そして自身の最大の幸福であるあなた自身でさえも」

 

「……」

ズキンズキンと心が悲鳴を上げる。そういう男だから愛する価値があったと思えるのに、そうしてほしくないんだ。

なんて馬鹿げた矛盾だ。

 

「全てがあなたを愛するが故に……あなたさえも手放そうとした。あなたの幸福を一心に願うが故に!! あなたが欲しくて、じゃなくてあなたの幸福が欲しくてなのよ。これって言葉にしてみれば少ないけどとんでもない違いよ」

 

(分かっているよ……もうやめてくれ……)

最後の最後のところでガロアと自分が違ったのはそこだろう。

もちろんガロアには幸せになってほしかったが、自分も幸せになりたかった。

例えば自分より全てが優れていてガロアを大事にしてくれる女が現れたとして、自分は絶対にすんなりと身を引くことは出来ないだろう。

ガロアはそれをしようとしていた。一人で何もかもを負って死のうとしたのだ。

 

「あんなに賢くて才能に溢れた子だったのに。彼にはささやかな夢しかなかった。このままこの森でずっと暮らせれば幸せだって、それだけだったのよ。そしてそれは消えてなくなって……彼は幸せを諦めることを知った」

 

「……」

気が付けばアブの言葉を聞いて泣いていた。こんなふざけた格好をした変態に泣かされるなんて。

幸せを願うことが通じないのが当たり前になり、子供が子供らしく生きられなくなって戦って戦って。その先で。

 

(私を愛してくれたの?)

だったらもっとわがままを言えばよかったじゃないか、そう思ってもこの男の言う通り。ガロアの幸せは幼いときに消滅してそれが当たり前になった。

あんなにボロボロになって死ぬことになっても救われている、満足だって、なんで言えたのか。今は分かる。分かるがあんまりだ。

 

「二百年生きたあたしからすると……この世にかっこいい男なんて探せば腐る程いるけど、ガロア君は絶対に離しちゃだめよ。ようやく自分の欲に素直になったのだから」

 

(でも、もう……)

そんなこと言われなくても。

 

「二度とないと思いなさい。そんなことも、そんな人間との出会いも。少なくとも私の人生でそんな人間には出会えなかったわ。そんな人間だからこそ、彼は怪物だったし、勇者だった」

言われなくても知っている。

 

(もう……長くないんだって……)

どうしろというんだ、この逃げ場のない問答で。

 

ぼろぼろと泣くセレンを横目にアブは非情なのか、さして興味が無いのかひたすら機械の手足をいじっていた。

 

 

 

 

 

もうそろそろ戻ろうかな。

ガロアはそう思うたびに先ほどの悪魔のキスの感触に怯えて動けずに、砂浜の上で呆然としていた。

 

(どうしよう……)

まさか今でもあの変態と同じ部屋にいるのだろうか。

助けに行きたいが、今の自分では足手まといだというのも分かる。

 

(それに……)

考えるだけでも気が遠のくが、あの男は女には興味が無い……ように見えた。

 

だが……力がないというのがこんなにもどかしいなんて。長い事忘れていた。

海を眺めてぼんやりしていたガロアは、その男が隣に立って視界に入ってから初めてその存在に気が付いた。

 

 

「皮肉なことだ。お前によって窮地に追い込まれたラインアークは……お前によって救われたんだ。ありがとう」

相も変わらず何を思っているのか分からない顔でタバコを吸っているマグナスがそこにいた。

足音も聞こえなければタバコの臭いも分からなかった。自分はもう本当に弱い存在になってしまった。

 

「寝言を、言ってんなよ」

アブの近くには行きたくないがこの男のそばにいて話すのも嫌だ。

杖をついてガロアはゆっくりと立ち上がった。だが。

 

「ぐあっ」

砂地にうまく杖をつくことが出来ずにみっともなくこけてしまった。

 

「くそっ、くそっ」

飛んでいった杖の元まで這いずりながら進む。

片目しかなく視力も落ちているのですぐ先に落ちた松葉杖を掴むことすら難しい。

片腕片足では四つん這いになることも出来ずに這いつくばりながら松葉杖に手を伸ばし、距離感を間違えて弱々しく空を掴んでいる。

 

最強のリンクスであり、格闘技ですら誰も寄せ付けなかった男が何もない砂場で転んで立ち上がることすら難儀している。もはや子供でも縊り殺せそうな程だった。

欲していた力の全てを、健康な肉体を、これから先に生きたであろう人生を捨てて手に入れたものは何なのだろう。

 

そのあんまりにあんまりな光景を何故かマグナスは笑って見ていた。

 

 

「大丈夫か」

タバコを口に咥えたままガロアに手を貸そうとしたマグナスだが、ガロアはその手を思い切り払いのけた。

 

「触んじゃねえ!……テメェなんか嫌いだ……テメェに同情されることが!! テメェに力を貸されることが!! テメェに見下ろされることが!! どれだけの屈辱か分かるか!!?」

 

「……」

 

「テメェが……最低の薄汚い盗人で人殺しで強姦魔で大嘘付きなら……それだけで俺は救われたのに」

言いながら、ガロアはその言葉は既にマグナスを扱き下ろしてなどいない事に気が付いていた。

 

「お前に!! お前に!! お前に!! 命を救われただと!? クソ野郎!!」

 

「……恩を売るつもりでは無かった」

 

「うるせぇ、くたばっちまえ」

その言葉を言ったガロアは、どうしてかすぐに後悔した。

 

(俺が生きない未来を)

 

(家族と共にこいつは生きていく)

 

(俺の家族を奪ったこいつが)

 

(…………俺はお前のように生きてみたかったんだ)

認めたくないその願望がまた心に浮かびあがる。

それを認めたところでもう何もかも遅い。

 

「くそっ!!」

ジュッ、と耳触りの悪い音が響く。

ガロアがマグナスのタバコを握り潰して火を消した音だった。

 

「タバコやめろ、子供がいるんだから」

自分がその子供を生かしたのだろう、この命に賭けて。

そんなつもりじゃなかったのに、だから『ありがとう』なのだろう。

あの子供は希望だ。未来を生きる希望そのものだ。どうか、生きてほしい。自分のようにはならずに。

 

(俺の絶望が希望になるだなんて)

この男を殺さなかったのは間違っていないと思っている。

それでも悔しかった。自分だってセレンと幸せに生きて、家庭を築いて、一緒に。

そんな未来が欲しかった。自分のしたことの結果が積み重なった今だと知っていても。

 

「ガ」

 

「俺の!! 名前を!!! 呼ぶな!!!!」

遠い耳では自分がどれだけ大声を出しているのかも分からなかったが、とにかくはち切れんばかりの声を出した。

 

「父がくれた俺の名は!! お前が呼ぶための物じゃない!!」

立ち上がり、自分より遥かに小さいマグナスの胸倉を掴んで言葉を捻り出す。

なんだその冷静な目は、何を見ていやがる、と更にガロアの感情が揺れる。

 

「俺の名を子に言うな。俺の存在を子に伝えるな。お前だけが抱えていろ」

 

「俺がお前を打ち負かした! 俺はお前より強かった!! 俺はお前を殺せた!! 違うか!?」

 

「その通りだ」

マグナスはあっさりと認めてしまった。

 

「!……」

あれだけの強さがあってもそれはこの男の誇りでは無いのだ。

自分にとってはそれが全てで、その為に人生を費やしてきたのに。

とんだ勘違いをしていた。そこは土俵では無かったのだ。

 

「……お前の勝ちだ……」

この男に勝ちたかったら、自分は幸せになるべきだった。もう、遅い。

 

「……」

だが負けを認めた言葉を言ってもマグナスは特になんとも思っていなさそうだった。

ああ、そうだろうよ。家に帰って愛しい妻と愛すべき子がいるものな。それだけで十分だからな。

 

「救われろ。お前は憎まれているという事実に」

 

「……」

 

「せいぜい…………子供を大事にしろ。ぽっと死なねえよう……子供を置き去りにしないよう……長生きしろ、クソ野郎」

これぐらいしか言えなかった。負け犬の遠吠えにすらなっていない。

あそこで俺の代わりにお前が身体中イカれちまえばよかったんだ。

そうやって言えばよかったのに、この腕で抱いたあの赤子を思うと傷ついたのが自分で良かったとすら思ってしまうのがひたすら嫌だった。

とにかくもう、この場所にはいたくない。踵を返してカタツムリのようにゆっくりと砂浜から出て行く。

 

「……」

 

「なにぼけっと見てやがる!!」

海でも眺めていればいいものを、ボロボロの敗者の背中を見ているマグナスにまた憎まれ口を叩く。

 

「……お互い……男冥利に尽きるな」

 

「あぁ?」

何笑ってんだ。

そう思ったが何故か、初めて見たマグナスのその笑顔は自分の為に笑ってくれているような気がした。

 

ガロアの中には暗く深い絶望がずっとある。

救われたと思ったのは一瞬で、より一層深い闇に落ちてしまった。

セレンの前ではそんな顔をしたくない。一つでも笑っていられる希望が欲しい。

 

「子供の……名を、俺に教えられるか」

そう考えた時、どうしてそれを聞いたのかガロアには分からなかった。

だがきっと、その名前をガロアは死ぬまで忘れないだろう。

 

「マグノリア」

 

「いい……名前だ、な……じゃあな……二度と、俺の前に姿を現すな……」

マグノリア、それは確か花の名前だったはずだ。

その花はこれからもこの世界で生き続けて、例え死んだ後でも自分が守ったこの世界で子供たちが生きていく。

 

人は人を忘れない。

 

ぽたぽたと涙を流しながらも笑ったガロアは亀のように歩いて自分の部屋へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「既にクレイドル間の格差や軋轢も生じている。クレイドル同士の戦争になればあっという間に沈むわ。宇宙空間の船なんて、実に危うい」

 

「……」

二人だけの世界にずっといたいと思っているセレンを無視してアブはずっと大きな規模の話を続けている。

結局、この男はなんで自分をここに連れてきたのか。聞きたいがどうせ話は通じない。

 

「今はまだだけど、これからクレイドルに生まれる子供たちにとってそこがかけがいのない故郷になる。パトリオティズムが生じるのはすぐねぇ。支配する企業がそれをナショナリズムに挿げ替える方針にしたら……もう戦争まで秒読みね」

 

「……」

 

「クレイドルが向かった先は、……うーん、火星に戻ったけど……どうかしらね。人類を見てきたあたし達から言わせてもらえば……どうせすぐに戦争になると思うけど」

 

(戻った?)

火星に向かうのは分かる。人類が地球を捨てて宇宙に向かうとしたら、次の依り代にする大地は火星だろうとは思っていた。

テラフォーミングをして、家を作り、家畜を放ち、新たな歴史を作っていく。だが戻ったとは?

 

「強者はどこから発生する確率が高いかしら? あくまで確率の話だけど」

 

「……は?」

適当なことをぺらぺらと喋っているのを半分以上聞きながしていたらいきなりの質問だ。

一体着地点はどこなんだ。

 

「やっぱり優れた資質を持つ者が極上の教育を受けられる環境から出る確率の方が高いわよね」

 

「養成……所、の話か?」

自分のような人間はその確率から弾かれるのだろう。力を持つ側、与える側としても。

だとしたら、極上の教育が受けられる場所は企業が用意する養成所以外には考えられない。

 

「そうね。そしてそんなところならあたし達の目はある。分かりやすい。見つけやすい。ああ、この子は優れた才能を持ちいずれ素晴らしい戦士になる……とね。でも、あたし達にとって大事なのはそういうことじゃない」

 

「なんなんだ、一体。何が言いたいんだ」

 

「あたし達はAMS適性発生の理由原因を全て把握している。ガロア君がAMS適性を持っていることは母の胎内にいるときから分かっていた」

 

「……!」

 

「ガロア君は……本当は生まれるはずはなかった。ああ、あくまで確率の話よ? それだけ可能性が少なかったってコト。なのに生き残り、人知れず育った」

 

「待て、待てよ……」

話が分かりかけてくる。

戦争を起こすとして、大事なのはやはり相手の戦力の把握だ。

その点、今回のこいつらほど相手の戦力の把握するということに優れた者達はいないだろう。

ガロアは死んだと思われたのに生き残った。それはつまり。

 

「管理者……彼が畏れたのはまさしくそこよ。どんな戦力があるか、把握しているはずなのに監視の目を逃れてガロア君は生き残り、人知れず育っていたのよ。ガロア君が人目につく街に来た時にようやく彼はガロア君の生存を知ったの」

 

「お前、この、ポンコツは……」

ずっと見てきたという言葉を思いだす。

ガロアが初めて街に行ったのはいつだろう?

聞いたことはないがそれは恐らく霞を訪ねた日だろう。

 

「ウォーキートーキーは霞スミカの介護のためじゃない。ガロア君を監視・観察するために作られた。管理者があたしに指示してね」

 

(おかしいと……)

ポンコツポンコツと言うが、ネクスト含めこのウォーキートーキーほど高性能なロボットを未だにセレンは知らない。

それはつまり、敵が本当にすぐそばにいたということなのだろう。その違和感を感じてもずっとそばにあり続けた物を疑うことは難しい。

本当の敵はずっとガロアのそばにいた。

 

「分かる? あたし達が畏れたのは監視下で生まれる強者じゃない。予測を超えて突発的に発生する計り知れない存在……それを『イレギュラー』と呼んだ。……生まれながらにしてその予測不能の豪運と途轍もないAMS適性を兼ね備えたガロア君はイレギュラーになる可能性がある存在としてすぐに監視が決定した」

 

「イレギュラー……」

 

「管理者……と、あたし達の歴史はイレギュラーとの戦いの歴史よ。彼らの間には血の繋がりはない。理由もない。突然に生まれる彼らを観察し、知らなくてはならなかった。ガロア君は生きていた事さえ知られていなかったのに、あっという間に最強の座に上り詰めた。典型的なイレギュラーね。おっと……イレギュラーに典型とはこれ如何に。ま、あたしはイレギュラーと呼ばれる者を初めて見たけど……とんでもないと思うわ。ガロア君の生まれついた星の凶悪さに。可哀想なのは、元々そんな性格じゃなかったのにどうしても戦いと災いを呼び寄せてしまっていたことね」

 

「管理者……イレギュラーってなんなんだ?」

ようやく真実に迫った話ができる。既に今までの話だけでも頭はパンク寸前だ。

 

「人間は今まで何度も滅びかけてきた。その度に管理者が保護し、その間にぐちゃぐちゃの地上を清浄化した。その管理をいつも邪魔するのが管理者の予測から大きく外れた存在……イレギュラーだったの」

 

「滅びかけてきた?? 何を言っているんだ??」

 

「まぁ~……歴史に関しては地球のあちこちをほじくり返してみればいいわ。全部含めて人間の歴史なんだし。それがしたくて降りてきたコもいるくらいだし」

何が何やらさっぱり分からないし、それが誰なのかちょっと気になったが、この男にとっては100歳の老人でも『コ』なので聞くのはやめた。

 

「なら、何故……ガロアが強くなると分かっていたなら先に処分しなかった?」

 

「イレギュラーとの戦いの歴史だと言ったでしょう? ここで人類の保護に成功しても、次のイレギュラーは必ず現れる。観察が必要なの。それに……」

 

「それに?」

 

「じゃあ敵となり得る者は先じて全員殺してしまう? リンクスを……技術者を、レイヴンを? あたし達は人類の救済、そして進化を望んでいたのよ。そんなに手を加えたら正常な進化とは言えないじゃない」

 

「お前は……なんなんだ? 人間の味方なのか? 敵なのか?」

 

「そうねぇ……微妙。ここ……心臓に、管理者に仕込まれた小さな爆弾がある。250歳になれば勝手に爆発するわ。それに……」

 

「裏切っても爆発すると?」

 

「そゆこと。裏切り……彼の存在をばらしたことが発覚した際には即座に死が待っている。当然その相手にもね。でも、なんというか……もっと効率のいいシステムも作れたと思うわ。お金じゃ動かないあたし達だけど……気に入った人間には協力するし、愛し合うこともある。あくまで『人間』であるあたし達は仕事さえこなせばそれでもいいと管理者に言われていた」

 

「……その、管理者とやらは負けることを望んでいたと?」

この男も管理者とやらの目から見れば人間の括りに入る側だと言うのは分かったし、イレギュラーや現生人類にどんなコンタクトをしようと管理されているということを明かしさえしなければなんでもよかったのだろう。自由であるということこそが人をのびのびと進化させるのだから。だがそれでも確かにアブの言う通り、もっと完璧な管理体制を作れたはずだ。

完璧にごくごく近い強さだったのに、隙だらけだった。多分その気になれば、宣戦布告代わりに世界中の大都市に無敵艦隊を同時に送りこめただろうに。

 

「あるいは今までの人類を超えることを、とかね。管理者は歴史そのものだから、打倒できなければ今までの人類より進歩したのだと証明できないし。ま、今となっては分からないわ」

 

「……」

 

「言えるのは……あなたたちは、今までの全てと戦い、そして勝ち残ったということのみ。……人類という種を守ること。これは管理者の絶対の使命であり、決して逆らえないプログラムでもあった」

 

「人類種を守る……なら、何故私達はここまでだと判断された?」

 

「ガロア君との間に子供を欲しい……なら。何が一番嫌?」

ああもう。またほじくり返す。一体なんだと言うんだ。

だがここに来てようやくセレンは、この男がただの意地悪なんかでそんなことを言っているのではないことに気が付いた。

 

「元から…子供が作れないこと……?」

言ってからゾッとした。昨日、ガロアとの行為が終わった後の説明不能な絶望感がまた襲ってきた。

まさか。まさか!

 

「見なさい」

アブがコンピューターを操作すると早送りで、とてもよい環境で育っているのだろうと分かるいくつもの花が画面に映された。

だがその花は風が吹き、明らかに花粉が飛んでいると分かるのに早送りの果てに何も残さずに枯れ、後には何も残らなかった。

 

「コジマはっ、まさかっ!?」

 

「その通り。マウスで実験してもそうだった。汚染が一定以上進んだ雌の卵子は受精せず、雄は精子が死滅している。コジマは一定以上汚染した生物から生殖機能を奪いその場に残り続ける。いつまでも」

 

「やめろ!! もう言うな!!」

ぞくぞくと背筋に這いよる悪寒に負けて大声で叫んで耳を塞ぐ。

 

「ガロア君は精子を生成する機能を生まれた日に失っている」

だがその言葉は隙間を縫うようにしてセレンの耳に入ってきた。

 

「……」

ガロアはもうその血をこの世界に残すことすらも許されずに消滅していく。

何が最強だ、イレギュラーだ。生まれたその日から子孫を残すことも許されずにそんなものになって、一体そんな称号に何の価値がある?

自分はもう、どれだけ……例え溶ける程にガロアを愛しても女としての仕事を果たせない。必ず全てを失うことになる。これから何度ガロアと行為を重ねようとも文字通りそこには生産性がない。

そのアブの言葉は……これから近いうちにガロアが死ぬという確定した現実と絡みあい、これ以上ない程の絶望としてセレンを精神世界の汚泥に引きずり込んだ。

 

「マウスの実験でもそうだったし、患者の記録が残ってるけど、汚染されると死期を予感した身体が子孫を残そうとする。だけど皮肉なことにその時にはもう子供が作れなくなっている」

 

「そんなっ、そんな、本能で動いたみたいに言うな!! ガロアは、私を、あいっ……しているから動いたんだっ……!」

 

「……」

 

「企業は……、これを知らずに地球を汚染していたから……ダメだったと……」

コジマは消えない。誰だって知っている。だからこそ人類は逃げることしか出来なかったのだ。

生殖機能を奪うというのは確かに最悪の毒だろう。生き残った生物ですらそうなるというのならば、あのまま進めばいずれこの地球は死の惑星になっていた。

理由としては十分すぎる。戦いを止めて保護しなければ確実な絶滅が待っていたのだから。

だがそんなことですらもどうでもいい。ガロアには、最初からそれが無かったということがセレンを再起不能の絶望に叩き込む。

 

「違う。企業は知っていた。何人もの研究者が気付いたのに、それを口封じし、目先の欲にかられて戦争を起こした。クレイドルの建設はリンクス戦争よりずっと前から始まっていたのよ」

 

「……滅んでしまえばいい。救いようが、なさすぎる……」

八つ当たりのように吐きだしたその言葉は、自分が企業の自分勝手な都合から生み出されたこととも相まって半分以上本気で言ってしまっていた。

ガロアから何もかもを奪って、人類をも食い潰そうとした企業は人が生みだした物ならば本当に滅んでしまえばいい。

 

「コジマが繁殖機能を奪う。あらゆる種に対してこれ以上の脅威はないわ。大地震が来ても、津波が来ても……ノアの箱舟のように一対の雄雌が生き残っていればいずれ繁栄する可能性はある。それすらも奪う、まさに最悪」

アブがまたコンピューターをいじり出し、先ほどのリムーバルメディアを接続すると一切読めない文字で書かれた頭の痛くなる様な化学式らしきものが表示された。

 

「……?」

 

「言ったでしょう? 清浄化したって。管理者は……コジマが発見されてからずっと『これ』の開発を続けていた」

 

「………!」

また先ほどと同じような何本もの花の映像が映し出される。

だが今度は枯れた後に種が残り、新たに美しい花が一面に咲いた。

 

「ガロア君が持ち帰ったこのリムーバルメディアに入っていたこれは……名付けるならアンチコジマ、とかかしらねぇ。コジマ粒子を取りこみ、増殖しその場にいつまでも残り続ける」

 

持ち上げて落とすのが最悪のバッドエンドを作りあげる極上のスパイスだとしたら。

 

 

最高のハッピーエンドを作るのは?

 

 

ゆらゆらとセレンの身体を開いた奥底にある魂が光に満ちた何かを予感した。

 

「そっ、それはっ!?」

 

「とうとう、注射型の……つまりコジマ汚染患者やコジマに汚染された生物にも効果のあるアンチコジマが開発出来た」

 

「う、わ、あぁ!?」

どくんと心臓が胸を突き破らんばかりに跳ねてセレンは椅子から転げ落ちた。

アブが手に持つその注射は、この世界の全ての金をかき集めてでも手に入れたい宝物のようだった。

 

「……言ったでしょう? 『あなたはここに進んでガロア君を連れてくる』」

 

「連れてくるっ、ガロアを連れてくる!!」

精神が身体を置いて出ていきそうだった。

それに遅れないように走り出そうとしたらまたしてもアブに腕を掴まれていた。

この一瞬でこの男の事が大好きになったが、今はこの男をぶん殴ってでも駆け出したかった。

 

「最後まで聞きなさい。最高のハッピーエンドのおまけと……もう一人の勇者の話を結末まで」

 

「なんだよ、なんだよもう!!」

 

「アレフ・ゼロの事よ」

 

「…………」

セレンはその言葉を聞いて今の今まで忘れていたガロアのもう一人の相棒の事を思いだした。

普通のネクストとリンクス以上に繋がっていたのは確かだった。

大事な友達のようにアレフ・ゼロと触れ合っていたし、最後にアレフ・ゼロの元へと呼びよせられるようにガロアは身体を引き摺り、アレフ・ゼロは突然に動きだした。

ガロアの本当の父の何かが染みついていたとバカみたいなことをアブが言っていたことも。

 

「最後の最後は吐き出すようにして、ガロア君を追い出したって。彼の手にこの『希望』を持たせて」

 

「……聞きたかったんだ」

 

「なぁに?」

 

「なぜ……アレフ・ゼロは……、……いや、そこまでするならなぜ最初から戦いをやめさせなかった?」

 

「分からない?」

 

「私は……親はいないし、家族もいなかった。けど、親の気持ちは分かる、と思う。普通子供を戦場に送ったりしない」

自分が知る以前の幼い頃のガロアの姿を見たらそれは尚更だ。

あんなに可愛い子をどうして死と殺戮が渦巻く戦場に送れようか。

 

「どこまでいっても結局兵器は兵器。親にも友人にもなれない。ネクストに何を望むというの? 一緒にご飯を食べて、時には叱ってほしい?」

 

(……無理を言っているのか……)

生きる為に強くなるしかなかったガロアがその本心では頼れる存在を求めていたのは分かる。

いつかのアブの言葉のようにアレフ・ゼロもそんなガロアの心を覗いていたのだろうか。

 

「だとしたら、せめてガロア君が戦場で死なないようにと出来ることといえば力を貸すことだけ……かしらね。そして本当の願いを叶えられるだけ叶えてあげる……。戦場に送りたくないからって動くことを拒めば最悪別の機体を手に入れちゃうでしょ、ガロア君の性格的に」

 

「ああ……」

昨日ガロアは『俺のそばにいるものはみんな壊れる』と言っていた。死ぬとは言わずに壊れると言っていたのだ。

このウォーキートーキーはもちろん、アレフ・ゼロも入っていたのだろう。

考えているとアブがさっきからずっとガチャガチャといじっていた機械の手足を指さした。

 

「これ、出来上がったらあげるわ。ガロア君の新しい手足よ」

 

「え? え!?」

言われて改めて見てみるとそれは確かに、骨組みだけであるが大きさだけで言えばガロアの身体に合うような長さと大きさだった。

 

「これをAMSを用いて……」

 

「ちょ、ちょっと待って。ガロアはもうAMS適性がないんだって」

膝から下を失った脚ならともかく、肩から先を丸々失った右手なんかどうしようもない。

それこそAMS適性があれば別なのだろうがもうそれは身体を動かす為に使ってしまっている。

 

「あらぁ。腕や足がとれたネクストはもう使えない? そんなことないでしょう? 新たに付け替えれば」

 

「あっ」

そう。ガロアのAMS適性は無くなったのではなく『身体を動かす為に回した』のだ。

つまり、AMSというものの本来の使い方が出来る。ということだ。

それを思った時、やっぱりというか、セレンの頭の中でガロアに両腕で抱きしめてもらえる想像が浮かんだ。

それも一回や二回では無い。これから生きていく限り何千回でもしてもらえるのだ。

 

「ま、これから頑張って生きていくといいわ。ただ失った臓器に関してはこの時代ではiPS研究がされていないからダメ。義眼でも作ることね」

 

「この時代では?」

ガロアがこれから先も生きれる、手足も戻ると聞いてもう心は浮きあがりそうな程軽いが、その言葉に引っかかる。

これ以上隠し立てする理由はないだろうに。

 

「おっと。それ以上の詮索はいけない。あなたたちはこの時代を精一杯生き抜きなさい。それに、彼が罰を欲するというのならあえてね」

 

「罰って、あいつがいったい……!」

それは自分の物の見方なのだと、昨日ガロア自身が言っていた。

アナトリアの傭兵はアナトリアとラインアークの英雄で、多くの人々を救っていた事は事実だ。

だがその一方でガロアのように死ぬほど恨んでいる者だっている。

どんな理由を付けても、マグナスもガロアも人を殺して生きてきた。

その自覚すら無く生きていけば――

 

「死刑は人権無視だ、命への冒涜だから反対だ、なんてのはあたしからすればずれた考えよ。死刑ってのは被害にあった人への救いなの。殺したいほど憎んでいる人へのね。よくいろんな人が勘違いしてる……自分の命と引換なら何をしたっていいってね。死ぬつもりで大量殺人を犯して、死刑判決くらっても俺は死にたかったからついでに道連れにしてやった。ざまあみろだ、なんて言ってる罪人を死刑にしても罰にも救いにもならない」

それを聞いてセレンは、ガロアがラインアークに行ってマグナスを殺さなかったのがどうしてかようやく分かった気がした。

ガロアが強くなったのももちろんある。だがそれ以上にマグナスに自分を恨んでいる人間が存在しているということを知ってほしかったのだろう。

ましてガロアは戦いの勝者だったのだから、生殺与奪の権利は自然の摂理から言ってもあったはずだ。そしてマグナスはガロアのそんな心の一端に触れて不器用ながらもなんとか償おうとしていたのだ。

 

「本当の罪に対する罰、そして責任の取り方というのはもっとずっと地味でまっとうな道。罪を自覚しながら日々を生きていくことよ。十字架を背負うって言葉通りにね」

 

「……」

 

「マグナスはそれを知っていた。ガロアくんならできるでしょう。もう戦えないのだし、強くあることは出来ても強くはないから」

ストーキング、もといラインアークの監視カメラをずっと見ていたアブはガロアが恵まれない子供の為に募金したり、学校に行っていない子を学校に行くように仕向けたりしたことを知っていたのだ。

 

「ガロアは、これからどうすればいいと思う?」

つい一時間前ならこんなに真摯にこの男からアドバイスを求めることなどあり得ないとセレンは思っていただろう。

ただ今は素直に、自分の何倍も生きた人生の先輩からそれを聞いてみたかった。

 

「どうでしょうね? 償い、って言っても……今までは生きるため、身を守るため、戦場では仕事のため、殺しをしていた。恨んでいる人もいるでしょうけど、そんなこと言ったらどの兵士もリンクスも救いがないわ。彼が罪を意識する限りは自分を律し続ける。それでいいじゃない。多分……力を失くした弱い彼が生きていくことは……それが償いの道になると思うわ」

 

「……」

 

「何よりも」

 

「なに?」

 

「ガロア君はマグナスを殺さなかった。彼は生きていいのよ。許せる人間は許される価値がある」

そう言ってアブは笑った。

 

「そうだ、な」

多分その男が心から笑ったのは……少なくとも自分の前では初めてなんだろう。

素直にこちらも笑えるほどに澄んだ笑顔だった。

 

「連れてらっしゃい、ガロア君を」

 

「うん。…………あ」

席を立ったセレンはその言葉を言っていなかったことに気が付いた。

 

「なぁに?」

 

「ありがとう」

 

ふっ、と人間臭い笑い方をしたアブはもういいから早くいきなさい、とジェスチャーをした。

それ以上はセレンも何も言わず、太陽の照りつける道路に飛び出して駆け出した。

 

 

 

どたどたどた、と大きな足音がガロアの遠い耳にも聞こえ、先ほどの吐き気催す記憶が蘇りガロアはベッドから転げ落ちてベランダに向かった。

 

「ガロア!!」

 

「あ、セレン……」

入ってきたのは頬を赤らめ明らかに高揚したセレンだった。こんな表情を見るのは久しぶりだった。

安堵して、何かされなかったか、大丈夫かと聞こうと思ったら。

 

「アブ・マーシュのところへ行くぞ!!」

ほっとしたのも束の間、意味不明極まった言葉を言いだした。

 

「!? いやだ! 寿命が縮む!!」

 

「馬鹿野郎! 伸びるんだよ、ガロア!!」

 

「はっ!? あっ、あっ、いやああああだあああああああ」

 

絶叫するガロアをお姫様だっこで抱えたセレンは部屋に飛び込んできたのと同じ速さでそのままガロアを抱えて出て行った。

 

人がいなくなったその部屋に流れてきた風がカーテンをふわりとなびかせ、アルメリアが太陽の光をいっぱいに受けて命を輝かすかのように揺れていた。

 

 

 

自分の罪とトラウマに向き合って生きるのは何よりも苦しいだろう。それこそ消滅するよりも。

死んだ人間は戻らない。ならば罪のある人間を全て消せば終わるのだろうか。――終わるだろう、人間の生きる世界の方が。

誰もが何かしらの罪を抱えて生きていく。時には苦しみ、恨まれながら。

それでも自分にとって大切な何かを信じながら生きていく。

それが罪に対する罰でもあり、今日までの生に対する褒美でもある。

 

罪に対しての死は罰では無い。

それは罪によって痛みを与えられた者への救いだ。

 

本当の罰は罪を自覚した上で生きて償っていくことにある。

責任を取るというのは自分の命を投げだすことでは無い。

 

投げだせばそこでお終いなのだから。

 

もちろん、命を賭ければ何かを後に残せるような場面もあるだろう。

 

だがガロアの場合は違う。

これからもその命を削っていく過程で人の為になる何かを残し続けていくこと。

誰かを幸せにすること。たとえ人殺しの手だと分かっていても。

責任を取る道というのは、死のように派手で凄惨な物では無く、もっとずっと地味で全うな道なのだ。

不毛の大地を耕し続けることのように。

 

それをマグナスは分かっていた。

そしてガロアはそれをどこかで分かっていた。

だからガロアはあの場で引き金を引けなかった。

 

これからガロアはきっと生きるだろう。

アナトリアの傭兵のように生きて誰かを幸せにするために。

自分と生きていきたい者と一緒に。

 

 

 

 

 

 

 

 

屋上も開放しているって知っていたか?

帰ってきてセレンが口にしたのはそんな言葉だった。

良かったな、明日からも頑張ろう…………そんなことを言われるか、あるいはまた身体を求められるかだと思っていたのでガロアは面食らった。

 

 

「屋上来た事無いだろ、一人でこの前来たんだ」

 

「へぇ……うわぁ、すごい……」

よく見えない片方の目に映るのは、滲んだ星々にぼやけた月だった。

それが黒く染まった海に反射してどこまでも綺麗に輝いている。

景色が滲んでいたのは、視力のせいだけでは無かった。ガロアはそれを見てあまりにも澄んだその景色にただ涙を流していたのだ。

 

「世界は広いな。お前の言った通り……一人だと分からなかったよ」

 

「あっちには何があるんだろ。あっちには?」

世界からコジマが消える。どこどこまでも行ける。

別に旅人になりたいだとか、漂泊の思いがあった訳でも無いのに、そう聞いただけでガロアは両手で抱えきれない宝物を手に入れたようだった。

 

「ここから見渡せる場所全部……まとめて連れて行ってあげるよ」

 

「うん……」

セレンが隣に座るのに合わせて座ると、身体をそっと仰向けに倒れさせられた。

夜も熱いラインアークだが、こうするとシャツ越しに背中が冷えた地面に触れて涼しい。

大の字……といってもガロアはもう大の字ではないが、大の字で寝っ転がるとその上に自分よりも一回り半ほど小さいセレンが仰向けに寝てきた。

セレンのリアルな重さと背中の絶妙な柔らかさが心地よい。

 

「あっち、あれ、火星。クレイドルはあそこに向かったんだと」

 

「……」

まるで自分こそがガロア・A・ヴェデットの手足なのだ、と言わんばかりにガロアの上で空を指さすセレン。

隣に立ってあそこあそこ、とやればかなり認識に時間がかかるそんな行為も、二人重なっているお陰でその指の指す先がすぐに分かった。

あそこで輝いている星なのだろう、きっと。

 

「世界は無限に広いよな、ガロア。小さくしていたのは私達だ」

 

「ああ」

ぼやけた目で見る満天の星達のきらめく夜空までも滲んで、零れんばかりの光に溢れていた。

この世界は光で満ち溢れている、とどこまでも優しくなれた心で思えた。

マグノリアという名と、腕に抱いたあの赤子の感触が頭に浮かぶ。

どうかあの子も幸せに――ガロアはそんな綺麗で澄みきった願いを星空に投げかけて、上にいるセレンを片腕でそっと抱きしめた。

 

「どこまでも行けるから、行こうガロア」

 

「ああ……行こう。一緒に」

 

 

 

 

これで終わりでは無い。

二人の物語はこれからも続いていく。

 

 

 

Day After Day -来る日も来る日も-

 

things are rolling on. -物語は続いていく-

 

 

 

 

 

Armored Core farbeyond Aleph Another Perfect Wonder 

 

TRUE END

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

****************

 

これはもう何年も前の話。

この世界にまだ『オールドキング』というリンクスが生まれる前の話だ。

 

その日は夫が帰ってくるはずだったが、いつまでも帰ってこない。

きっと遅れているのだろう。大怪我を負っただとか、死んだだとか、そんなことは全く思わなかった。夫は妻の知る中で不器用ながらも最も強い人間だったからだ。

 

花畑の向こうに沈む夕陽を見ながら思った。『そうだ、今日はロランの好物を沢山作ってあげよう』と。

彼女のお腹の中にはもうすぐ生まれる女の子がいた。妊娠初期は安静にするに越したことはないが、臨月に入れば少しは運動した方がいい。それが遠回りにだが安産にも繋がる。

そう言っても夫は全く許してくれなかった。掃除や洗濯や料理、花への水やりも疲れた身体に鞭打ってやってくれてしまい、自分はお人形のように座っているしか無かった。

たまには運動したい、夫をねぎらいたい。その思いから彼女は日が暮れてから家を出て山を降りて街に向かった。

 

 

 

 

 

どこからともなく四本脚の悪魔が飛んできて街を焼き始めたのはそれから30分後の事だ。

 

 

 

 

『彼女』は牛乳配達を仕事とする素朴な女性で、新婚で幸せに満ち溢れた女性だった。

ただ不運だったのが――不運なのだろうか。これが不運だとなればこの世界には救いが無さすぎる。

彼女は善人だった。それが不運だった。

悪魔が街を焼く姿を見て街の人々は転がる様にして逃げていく。

当然彼女の夫も彼女の手を引いて逃げだそうとした。

その時に彼女の胸にあった思いと口にした言葉こそがあるいは未来を大きく変えたのかもしれない。

『待って、オレニコフさんが! 山の上にオレニコフさんが! お腹に赤ちゃんがいるのよ! 助けに行かなきゃ!』

牛乳を届ける朝のほんの数分に交わした会話の中でオレニコフ家の妻は『妊娠してからほとんど外に出ていない。夫が許してくれなくて』とぼやいていたのを彼女は羨ましいと思いながらも大変だなと思っていた。

今もそこにいるとしたら。

 

夫が止めるのも聞かず、新婚の証のきらきら光る指輪のついた手を振りながら彼女は山を登った。

しかしどういうことだろうか、家の中には誰もいる気配がない。

この家は鍵をかけないというのは知っていた。盗む物がないし、ここまで来るのは泥棒も大変だからだと言っていたが。

扉を開けて中に入ってみればやはり誰もいなかった。

もう避難してしまったのだろうか。

 

それならそれでよかった。

そう思って玄関に駆けていった瞬間、彼女は蟻のように踏みつぶされて即死した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後に『Verdict War』と呼ばれる最終戦争から一年。

生き残ったリンクス達も散り散りに散っていった。

 

世界中に散布されたアンチコジマはコジマと同じく何十、何百年とその場に留まり続ける。

それはどういうことか。つまり、コジマを用いた技術は強制的に使えなくなったという事だ。ネクストも、その他兵器ももう動かない。

そのことは世界中に報道された。コジマの放棄、地球の回復を、と。

 

自分が生かした少年は最終戦争で英雄になった。

文字通り、全てを削りながら戦ったその記録は知る者からは英雄譚のように語られているが、彼が戦った理由はよく分かる。

愛する人を守る、それだけの為だった。彼もまた、愛するその人がいるこの世界を愛していたのだ。

 

自分は――愛する人も生きる目的ももうなかった亡霊のような自分は、生き残ってしまった。

 

 

 

ちゅんちゅん、と平和な鳥の声が聞こえる。

あの時汚染され尽くし、焼け落ちたはずの山の木々は新しく芽吹いている。数十年もすればまたここは緑豊かな山になるのだろう。

さらさらという音は近くで流れる小川の音で、命を下流下流に運び続けている。

 

「リ……………ザ…………」

一体何年ぶりなのだろう。

オールドキングの名を捨てたロランはかつて自分の家のあった場所に戻ってきた。

毎日の天気予報のようにテレビやラジオで流れる『今日はあそこの除染が完了した。今日はここの汚染が消えた』というニュースがとうとう自分のかつての家のあった土地の名を挙げてから。

背丈の低い草が生い茂っており、この場が徹底的に破壊しつくされた痕跡ももうない。

崩れた家も、焼けた人の骨も砂になり、そして草に覆われたのだろう。

 

「ここに…………花を植える……君の好きだった花をたくさん……植えるから、また咲かすから」

どうして自分は死ななかったのだろう。あんなにも沢山の罪を犯したというのに、裁きは来なかったのだろう。

そしてロランは誘われるように魂の場所に戻ってきた。終の棲家にしてここで枯れ果てよう。

ボロボロの手で草を抜き、土を掻き分けて種を植えていく。どろどろに溶けた指の皮膚と半分融合してしまった指輪が汚れていく。

 

(ここでリザの好きだった花に囲まれて…………その依り代になろう)

抱え切れないほどの花や草木の種を植えていく。

人生の最期に差し掛かって自分の墓を用意していく老人のように。

明日世界が滅ぶとしてもリンゴの木を植える神学者のように。

 

いくら綺麗に花が咲いても、人はまた吹き飛ばす。

でも、植えるのもまた人だった。

 

いつの間にかぽろぽろと流れる涙が地面に黒く染み込んでいっていた。

その時だった。後ろから足音が聞こえたのは。

 

「誰っ……ロラン……?」

例え言葉の話し方を忘れたとしてその声だけは忘れないと思っていた、そのものの声が耳に届く。

 

「…………リ……ザ……?」

思い切り振り向くことが出来なかったのは重ねてきた罪の重さからか。

だがちらりと視界に入ったその姿は間違えようもないエリザベスの姿だった。

女一人でこの世界で生きていくのはどれだけ苦労したのだろう。汚れて艶のない髪、しわの増えた顔に傷だらけの手が次々と目に飛び込んでくる。

それでも芯の強さだけは変わっていないのが一目で分かる愛しの妻の姿だった。そしてその隣には――

 

「おっ……あっ?……き、君、の……名前は……?」

母のそばに寄り添うその少女ははっきりと怯えているように見える。

こんな姿をした人間を見たなら誰だってそうなるだろう。

 

「リリアナ……」

 

「う……おっ……」

歩く死体のような顔に幾つもの涙の線が流れていく。

どうして、なんでなんだと疑問と喜び、そして後悔が広がっていく。

神よなぜ、そうだというのならば、自分を引き止めてくれなかった?

この命を家族の為に使わせてくれなかった?

そこまで考えてはっと気づく。

 

(今からでも……使えと……?)

どうして死ななかったのだろうともう何年も思っていたこの命。

それを散らす理由が、回る歯車にはまったかのように動きだす。

 

「おじさん……誰……?」

 

「俺は……俺は君の――」

 

 

 

 

そして世界に再び緑が戻った。

これからもこの世界に花は咲き続けるだろう。

人がまた道を踏み外さない限りは…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暗い暗い海の底に誰も住んでいない、住んだことのない崩壊した巨大な都市がある。

更にその奥深くに冷たい海水に沈んだ巨大な機械があった。

 

そこにある幾つものひび割れたスクリーンの一つに、光が灯った。

 

そして最後の言葉をゆっくりと呟くように、文字が浮かびあがる。

 

 

『MISSION COMPLETE』

 

 

 

 

 

 

END

 

 

 




おしまいです。
これまで読んでくれた方、応援してくださった方、感想をくれた方、本当にありがとうございました。


主任がガロアに手渡した『希望』は世界中にマグノリアのような花を咲かすでしょう。
また人類が道を踏み外したりしなければ……。


ああ、最後に。
虐殺ルートの数百年後のマグノリアとこのルートのマグノリアは違う人物です。

歴史が変わったんです。
本当はマグナスの数百年後の子孫がマグノリアという名になるはずだったのが、マグナスが生きていたので娘にそのままマグノリアと名付けました。

あとがきは活動報告にでもします。
ほぼ自分語りになるでしょう。
『お前の自分語りなんか見たくないんじゃい!!』という方は、下の一文だけ読んでください。
色々あるけど言いたいことはそれだけです。






アーマード・コアをもっとやれ。



では、さようなら。またどこかで。


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