マルガレーテ《完結》 (日々あとむ)
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Prologue

 
新刊出なくてマジつらたん。
そんな色々な理由で書きました。
 


 

 

 ふと見上げれば、生い茂った木々の葉の隙間から見える空は灰色の雲が覆い尽くしていた。

 

「…………」

 

 山の天気は移ろいやすいと言うが、登り始めた当初とは完全に色を変えた空に、イビルアイは仮面で隠された表情を顰める。おそらく、このまま天気は崩れて雨が降り始めるだろう。そうなると人間では無いイビルアイはともかく――同じ冒険者である蒼の薔薇の他の四人は苦労するだろう。冷たい雨は体温を奪い、ぬかるんだ土は足を取って疲労を蓄積させる。視界だって雨で悪くなるし、もしかすると霧が出るかもしれない。

 しかし、イビルアイ達にはここで登山を中止するという選択肢は無い。いや、正確に言えば選べないのだ。

 ――そう、リ・エスティーゼ王国とバハルス帝国の間にあるアゼルリシア山脈。その山の一つを何故アダマンタイト級冒険者蒼の薔薇の五人が登っているのかと言うと――

 

 ――彼女達は此処に、英雄の誉れである“竜退治(ドラゴンスレイ)”を決行するためにやって来たのだから。

 

 ……話は、数日前に遡る。

 王国にある大都市の内の一つ、アゼルリシア山脈に近いエ・レエブルより蒼の薔薇に緊急要請が届いた。

 曰く、都市に近い山より巨大な雷が唸るのを見た――と。

 当然、単なる自然現象に思われたがそれが発生した場所と時期が悪かった。まだ梅雨の時期に程遠い季節、そしてアゼルリシア山脈――そう、この山々には一部地域に(ドラゴン)が生息している事が分かっていたのだ。

 起きるはずもない時期に起きた自然現象と、恐ろしい魔物の存在。仮に、(ドラゴン)が山脈を渡って人間の住む都市の近くに顔を出しているとすれば、時は一刻を争った。

 王国の冒険者の中で最高位冒険者であるアダマンタイト級は青の薔薇と朱の雫の二組のみ。両者とも王都に拠点を構えており、朱の雫は依頼で聖王国の近くまで出ていた。そのため、エ・レエブルより蒼の薔薇に緊急で指名依頼が入ったのだ。

 依頼内容は巨大な雷が発生した原因の究明。そして原因が想定されていた魔物と判断された場合――これを、速やかに退治すること。

 蒼の薔薇は急いで準備を整えると、早速エ・レエブルに赴き一日休んだ後、その巨大な雷が唸るのを発見したという山の一つを登り始めたのだ。

 

 ――そして、山を登っている内に天気が崩れ始めた。雨が降るのは時間の問題である。

 空の天気は既に翳り、今にも雨粒が降ってきそうだ。他の四人もそう思ったのだろう。リーダーのラキュースが足を止め口を開いた。

 

「皆、雨が降る前に雨風を凌げる所を探して休憩しましょう」

 

 ラキュースの言葉に全員が頷く。忍者のティアとティナや魔法詠唱者(マジック・キャスター)のイビルアイはともかく、神官のラキュースや戦士のガガーランは金属鎧を着ているため雨でぬかるんだ土を踏み締めながら山を登るのは厳しい。出来なくはないが、いざという時には疲労が蓄積して使いものにならないだろう。

 足を止めたティアは懐から地図を取り出す。この山の地図だ。それほど詳しく書かれてはいないが、しかし地図があるのと無いのでは全く違う。ティアが広げた地図をラキュースが覗き、その間イビルアイとティナ、ガガーランは周囲を警戒した。

 

「ティア、今の現在位置で一番近い洞窟はどこかしら?」

 

 アゼルリシア山脈には幾つもの鉱山がある。王国の六大貴族の一人ブルムラシュー侯は領土内に金鉱山とミスリル鉱山を持っているし、この山々の中には鍛冶が得意な山小人(ドワーフ)の王国がある事からもそれが伺えた。そのため、所々に洞窟があるのだ。――もっとも、その洞窟内を探索するのは自殺行為であるが。

 ラキュースの言葉にティアが答えている中、イビルアイは仮面越しに空を見つめ――すん、と鼻を鳴らす。隣でティナも鼻を鳴らしていた。

 

「どうしたよ?」

 

 その様子に気づいたガガーランがイビルアイとティナに話しかける。イビルアイが答える前に、ティナが口を開いた。

 

「たぶん、もう何処かでは降ってる。この辺りも雨が降るのは時間の問題」

 

「あー……そりゃまずいな」

 

 雨は視界を遮り、体臭などを消すためほとんどの魔物は自分の巣に籠り動かなくなるが、活発になるタイプの魔物も存在する。そういったタイプの魔物はそれほど強いわけではないが、搦め手を好んで使うために単純な強さとは別の手強さがある。

 ガガーランとティナが話している内にラキュースとティアの話も終わったのだろう。ラキュースがイビルアイ達に声をかけた。

 

「三人とも、ここから二〇〇メートルほど北東に登った先に洞窟があるわ。そこで雨風を凌ぎましょう」

 

 ラキュースの言葉に頷き、再び隊列を組み直して目的地へ向かう。そうして歩いていると、曇り空がゴロゴロと鳴り始め――遂に、ぽつりぽつりと雨が降り始めた。

 

「降ってきたか……」

 

 ぽつりと呟く。他の四人も空を見上げ、急いで北東にある洞窟へと向かった。

 洞窟に辿り着いた五人はまずティアとティナが内部を探り、魔物が棲みついていないか探る。そうして少ししてティアとティナが何もいない事を確認した後、イビルアイ達も中に入りこれ以上体温を奪われないために急いで火を起こした。火を起こした後はそれぞれ服を脱いで絞り、持っていたタオルなどで服を拭いて再び着る。そして火を囲んだ。

 

「ふぅ」

 

 全員で一息つく。雨が止むまでこの洞窟の中で暖をとるしかない。その間、それぞれで情報を整理した。

 

「ところで、やっぱり件の犯人は(ドラゴン)だと思う?」

 

 ラキュースがイビルアイを見つめ、訊ねる。イビルアイはラキュースの言葉に頷いた。

 

「ああ、十中八九な。電撃の魔法と言えば第三位階と第五位階に存在するが、(ドラゴン)ならば魔法を唱えずとも吐息(ブレス)で同じような現象を起こせるはずだ。第三位階も第五位階も通常の魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)には不可能な領域の高位魔法だが、(ドラゴン)が犯人ならば不思議はない」

 

 イビルアイの脳裏に評議国の知り合いが浮かんだ。彼の同族の中には第五位階魔法を使えるほどの個体がいるはずだが、彼はその上をいく。……まあ、彼がこのような場所にいるはずがないし、評議国の者達がわざわざこのアゼルリシア山脈の王国領土に現れるわけもない。おそらく、アゼルリシア山脈にいる(ドラゴン)の突然変異個体か何かなのだろう、とイビルアイは推測している。

 ……アゼルリシア山脈には確認されているだけでも、霜の竜(フロスト・ドラゴン)と呼ばれる種族の(ドラゴン)が生息している。その突然変異個体が今回の犯人だと思われた。

 

「しかし雷か……イビルアイ、悪ぃけどしっかり防御魔法を頼むぜ」

 

「分かっている」

 

 電撃系の攻撃は金属鎧によく通る。ガガーランやラキュースは鎧を着ており、回避を望む事は出来ない。そのため、イビルアイが電撃系統のダメージを防ぐ魔法で防御しなければならなかった。特に電撃系の魔法には付属で麻痺効果を働かせる類のものもあるので、注意が必要なのだ。彼の(ドラゴン)吐息(ブレス)がそのような効果を持っていないとは限らない。

 ……そして、そのような会話をしているとティアとティナはふと顔を上げた。ラキュースが首を傾げて二人を見る。

 

「どうしたの、二人とも」

 

「…………」

 

 ラキュースの言葉に返答せず、ティアとティナは片手を上げて全員の言葉を止めると二人は洞窟の外へと向かった。外はまだ雨が降っているが、二人は何かに気づいたようだった。

 

「……これは」

 

「ボス。動物達が逃げてる」

 

 二人の言葉にイビルアイ達も立ち上がって洞窟の外へ向かう。すると、この山に生息しているのであろう小動物達が必死になって走って山を駆け下りていくのが見えた。

 その異常な光景に、全員思わず目を見張る。

 

「どういうことだ?」

 

 思わず言葉を漏らすと、イビルアイの言葉を聞いたティアとティナが眉を顰めながら答える。

 

「雨の音で聞き取りにくいけど……何か物音が聞こえる」

 

「たぶん、そこが原因」

 

 その言葉を聞いたラキュースは少し考えると、口を開いた。

 

「急いで火を消して、そちらに向かいましょう。何か起こってるわ。……小動物が逃げ出すほどの、何かが」

 

「だな」

 

 ラキュースの言葉にガガーランが頷く。しかし全員同じ気持ちだ。イビルアイは火を消し、他の四人は荷物を纏めた。そして再び山を登る。

 ――そして一〇〇メートルほど登り進んだ頃だろうか、ティアとティナが次第に目を細めて全員が緊張感に包まれる中、その咆哮は聞こえた。

 

 ――――オォォォオオオオオ……

 

 それは木々だけでなく、降り注ぐ雨さえ揺らすほどの咆哮であり、まぎれもなく何らかの巨大生物の雄叫びであった。その咆哮に全員で顔を見合わせると、更に表情を引き締めて山を登る。歩を進める毎にティアとティナだけでなく、イビルアイ達の耳にも雨音以外が聞こえるようになっていった。

 大地が揺れる音。重なる金属音。イビルアイ達の体ごと揺らす雄叫び。山を駆け下りていく小動物の影さえもはや見えなくなり、次第に感じ取れる気配に、思わず全員が足を止めた。

 

「なに……」

 

 震える声でラキュースが言葉を漏らす。ラキュースだけではない。ガガーランやティアやティナは勿論、イビルアイさえこの先に向かう事は憚られた。

 何故なら、この先から恐ろしい気配がするのだ。目的の方角から凍えるような冷気が放出されており、蒼の薔薇の足を止めた。――百戦錬磨、最高位の冒険者であるアダマンタイト級の蒼の薔薇の足を、である。

 蒼の薔薇の面々ではもっとも強く、本気を出せばラキュース達をたった一人で殺せるイビルアイでさえ思わず足を止める寒気だ。当然、他の四人はイビルアイ以上の威圧感や恐怖を感じ取っているはずである。

 しかし、ラキュースは一度深呼吸すると自らに魔法を撃ち込んだ。〈獅子のごとき心(ライオンズ・ハート)〉という恐怖心を和らげ回復させる魔法だ。ラキュースはそれを自分に使うと、続いてガガーランやティアとティナにも使用した。――イビルアイに使用する必要は無いので、当然そんな魔力の無駄遣いはしない。

 平常心を取り戻した四人は、一度深呼吸をして顔を見合わせる。

 

「どうする、ボス?」

 

「このまま進む?」

 

 ティアとティナの問いは、イビルアイとガガーランも思った事だ。問われたラキュースは少し考えると、首を縦に振った。

 

「ええ。どの道、このまま帰ることは出来ないわ。様子は確かめないと……ティアと私、ティナとガガーラン、それからイビルアイで三手に分かれましょう。イビルアイは不可視化の魔法で姿を隠してちょうだい。ティアかティナが合図を送るから、合図があったら最大火力の魔法を対象に撃って。気を取られた隙に私達は接近するわ」

 

「了解した」

 

 三手に分かれる。イビルアイは不可視化の魔法を使うと、更に〈飛行(フライ)〉を使用して大地の上を滑るように進む。発信源に近づくにつれ、威圧感が強くなった。金属音が激しく聞こえる。

 ――イビルアイは悟る。おそらく、そこで最強を競う争いが行われている事を。

 

「――――!」

 

 そして、イビルアイ達はその惨状を目撃した。

 

 ……そこは文字通りの戦場であった。木々が倒れ、大地は荒れ果て、もはやそこは開けた広場――いや、荒野となっている。その中心に二つの影が互いに向き合い、この人類の文明及ばない未開の地で人知れず戦闘に及んでいた。

 影の一つは巨大な図体を持つ、黒い鱗の(ドラゴン)

 本来は陰鬱な沼沢地や熱帯地帯に生息する黒竜(ブラックドラゴン)であろう。あの黒竜(ブラックドラゴン)は変種なのか、本来ならば酸性の臭気を纏っているはずが、何故か電気をパリパリと纏い、唸り声を上げていた。

 そして、それに相対するのは――二本のグレートソードを両手に持つ、漆黒に輝く金と紫色の紋様が入った全身鎧(フル・プレート)を装備した戦士だった。

 ……その漆黒の戦士を見て、イビルアイは背筋が凍る。何故なら、解ってしまった。漆黒の戦士は目に見えるほどの漆黒のオーラを身に纏い、目前の黒竜(ブラックドラゴン)に相対している。この寒々しい凍えるような殺気の発信源は、その漆黒の戦士なのだろうと一目で全員が理解した。

 

 ――グオオオォォォォ!

 

「――――」

 

 黒竜(ブラックドラゴン)が唸り声を上げ、斬り落とされていない片翼を広げながら突進する。その巨体が動く度に地面が揺れ、地盤が揺らぐ。

 しかし漆黒の戦士はその背筋の凍る突進を目前にしても、微動だにしない。まるで恐怖を感じていないかのように漆黒の戦士は冷静に、振り上げられた鋭い鉤爪に向かって一歩踏み込むと片手に持つグレートソードを軽々と振り上げて、左側面から黒竜(ブラックドラゴン)の脇を狙うように刃を滑り込ませた。

 

「――――」

 

 しかし、相手は(ドラゴン)である。その強靭な鱗が漆黒の戦士のグレートソードの一撃を阻み、金属音と火花を散らせた。鱗を傷つけた仕返しだと言うように、漆黒の戦士の頭上に鋭い鉤爪が降ってくる。

 そして、再び金属音と火花が散った。一体どのような材質で出来ているのか、漆黒の戦士はその鎧で黒竜(ブラックドラゴン)の一撃を弾くと、もう片方のグレートソードを地面に突き刺し、鉤爪の後に突進してくる黒竜(ブラックドラゴン)の巨体を支えた。

 漆黒の戦士の体が少し下がる。両足が地面にめり込み、そして十メートルほど地面を滑って行き後ろに下がった。……その光景が信じられない。あの黒竜(ブラックドラゴン)の巨体を吹き飛ばされず押し留めるだなんて。

 

「――――」

 

 黒竜(ブラックドラゴン)はもう片方の前脚による鉤爪で漆黒の戦士を狙う。漆黒の戦士は黒竜(ブラックドラゴン)の体躯に足を添えると、鉤爪が降ってくるより早くその場を離脱した。

 ……それは一体、どのような身体能力なのか。漆黒の戦士はその重装備でありながら、まるで重みを感じていないかのように軽やかに黒竜(ブラックドラゴン)の体を蹴ってジャンプし、数メートル離れた土に着地する。

 

「――――」

 

 ……雨が降っている。視界は悪い。地面はぬかるんでいる。だが、一体と一人にはそんな事は関係ないのか、頓着せずに互いに向かい合い、隙を伺っていた。

 

「――――」

 

 シュー……シュー……

 

 漆黒の戦士と黒竜(ブラックドラゴン)が互いを睨み、そして両者が地を蹴る。黒と黒が交差する刹那――イビルアイの視界に、一つの影が割り込んだ。その影は漆黒の戦士と黒竜(ブラックドラゴン)の頭上……空中で広がり、そのまま瞬時に二人に覆い被さろうとする。

 その頭上での異常に、漆黒の戦士も黒竜(ブラックドラゴン)もすぐに気がついて足を止める。一瞬の硬直――その隙を狙うように、漆黒の戦士を守るために小さな人影が一つ飛び出し、イビルアイは同時に手筈通り魔法を詠唱した。

 ……この場合、使用する魔法の種類は限られる。黒竜(ブラックドラゴン)の本来の性能に酸に対する完全耐性があるからだ。だがあの黒竜(ブラックドラゴン)は見るかぎりでは変種。おそらく、完全耐性は電気系であろう。しかしそれは酸に対する耐性が無いとは言えない。故に、酸や電気系の魔法は候補から外すべきである。

 だからイビルアイは純粋な物理ダメージの魔法を使用した。

 

「〈水晶の短剣(クリスタルダガー)〉」

 

 巨大な水晶の短剣を作り上げる。純粋な物理ダメージの魔法であるため、無効化されにくい。それを黒竜(ブラックドラゴン)に向けて射出しようとした。

 しかし寸前――イビルアイはぎょっとする事になる。

 場慣れしていたらしい漆黒の戦士が、頭上の空中に広がった行動阻害用の網を気にせずに黒竜(ブラックドラゴン)に向かって踏み込んだのだ。これには漆黒の戦士を助けようと近寄ったティナも驚愕し思わず足を止める。

 続いてその場に飛び出そうとしていたラキュース、ガガーラン、ティアも驚きに目を見開き一瞬足を止める。漆黒の戦士は黒竜(ブラックドラゴン)に向けてグレートソードを振りかぶり……黒竜(ブラックドラゴン)もまた漆黒の戦士の動きに気づいて口から電気を迸らせる。吐息(ブレス)攻撃の前兆だ。頭上の網が覆い被さった時手足の行動が阻害される事に気がつき、黒竜(ブラックドラゴン)は鉤爪や噛みつき以外の攻撃方法を選択したのだ。

 そして頭上の網が一人と一匹を包み込もうとした刹那――まるで幻影であるかのように、網は漆黒の戦士をすり抜けて大地に落ちる。

 行動阻害に対する完全耐性――それに気がついた蒼の薔薇の面々を無視し、漆黒の戦士のグレートソードが電気を迸らせていた無防備な黒竜(ブラックドラゴン)の口へと叩き込まれた。

 

 ――グオオオォォォォ!!

 

 バキン、という気持ちのいい音が鳴る。黒竜(ブラックドラゴン)の口から牙が折れ、吹き飛んだ。その牙の折れた痛みに黒竜(ブラックドラゴン)が悶え苦しみ、網に絡まりながら暴れ回る。漆黒の戦士が再び跳躍して距離を取り、ティナの隣に着地した。

 

「っ……!」

 

 その隙を見逃さず、イビルアイは巨大な水晶の短剣を今度こそ射出する。水晶の刃は黒竜(ブラックドラゴン)の鱗を貫通し、再び黒竜(ブラックドラゴン)が痛みに身悶えしながら空に浮かぶイビルアイを視線で探す様子を見せた。その間にガガーランが接近し武技を乗せた刺突戦槌(ウォーピック)黒竜(ブラックドラゴン)の顔面に叩き込まれる。

 頭部を揺らされて怯んだ黒竜(ブラックドラゴン)に、続いてラキュースが準備していたらしい浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)を射出して黒竜(ブラックドラゴン)の残った片翼の翼膜を貫いた。

 

「漆黒の戦士、助太刀します!」

 

 ラキュースが叫び、続いて全員に指示を送る。

 

「イビルアイ、魔法で支援をお願い! ティア、ティナ、忍術で援護! ガガーランは前衛で攻撃! 私は信仰魔法で臨機応変!」

 

 同時に最低限、漆黒の戦士に自分達のパーティー構成が分かるようにそれぞれの役割を説明した。漆黒の戦士はラキュースの言葉に頷くと、即座にティナの横から離脱してラキュースの前面に剣を構えて立つ。やはり――漆黒の戦士は場慣れしている。彼は即座に自分の役割を理解し、後衛の盾として前衛に出た。

 

「どりゃああああああッ!」

 

 ガガーランが再び刺突戦槌(ウォーピック)を叩き込んだ。同時に、漆黒の戦士がグレートソードを振るう。黒竜(ブラックドラゴン)は遂に行動阻害の網から逃れると、ガガーランと漆黒の戦士に対してその両腕の鉤爪を振るって攻撃を防ぐ。同時に、口からはバチバチと電気を迸らせていた。

 

「〈電気属性防御(プロテクションエナジー・エレクトリシティ)〉」

 

 それを見て、イビルアイは電気攻撃をある程度防御する魔法を唱える。電気攻撃は特に金属の鎧を装備している者には致命的だ。最初は絶対に守らなければならない神官のラキュース、次にガガーランと漆黒の戦士に唱えようとして――漆黒の戦士が口を開いた。

 

「こちらに魔法支援は必要無い! 他に使え!」

 

「なに? ――分かった!」

 

 その言葉にイビルアイは驚くが、先程の行動阻害に対する完全耐性を思い出す。おそらく、漆黒の戦士は何らかのマジックアイテムを所有しているのだろう。ならば魔力の資源(リソース)を節約する意味でも、漆黒の戦士には使わない。イビルアイは言葉通りガガーラン、ティア、ティナへと魔法を唱えた。

 

「――――」

 

 そしてそれが終わると同時に、準備が終わったらしい黒竜(ブラックドラゴン)竜の吐息(ドラゴンブレス)が吹き荒れる。やはり変異個体なのか、それは電気属性の攻撃だった。

 

「ぐ――」

 

 巨大な咢から迸った電気の波は地表と空気を焼き、効果範囲に入っていた全員がまるで第三位階魔法の〈電撃球(エレクトロ・スフィア)〉を受けたようなダメージを受ける。しかし、イビルアイの防御魔法によって効果は削減され、さほど影響は無い。漆黒の戦士もまるで効いた様子が無い事から、やはりマジックアイテムで防御したのだろう。

 

 そして、激闘が始まった。

 

 ティアとティナが忍術やクナイで黒竜(ブラックドラゴン)の攻撃を阻害し気を逸らし、ガガーランと漆黒の戦士がその隙に攻撃を叩き込む。ラキュースとイビルアイは魔法で支援する。魔法やアイテムを使い切りながらも時間をかけ遂に――漆黒の戦士と蒼の薔薇は“竜退治(ドラゴンスレイ)”を成し遂げたのだった。

 

「――――」

 

 ズシン、と黒竜(ブラックドラゴン)の巨体が大地に沈む。全員が息を乱し汗をかきながらも――その偉業に叫び声を上げた。

 

「よっしゃああああ! 終わったぁぁぁぁあああ!!」

 

(ドラゴン)の討伐完了」

 

「いえい」

 

 ガガーランとティア、ティナが嬉しげに言いながら、地面にへたり込む。漆黒の戦士は無言で二本のグレートソードを背中に納め、イビルアイ達に向き直った。――その時にふと気づく。漆黒の戦士から漂っていた視覚化されるほどの殺意は、既に消えていた。まるで、イビルアイ達の見間違いだとでも言うように。

 ふと気がつけば、いつの間にか雨も止んでいる事にイビルアイは気がついた。偉業に相応しい、晴れ晴れとした空だった。

 

「皆さん、援護ありがとうございます。なんとお礼を言ったらいいか……」

 

 漆黒の戦士はそう言葉にし、頭を下げる。リーダーとしてラキュースが微笑みながら答えた。

 

「いいえ、気にしないで下さい。私達は依頼で(ドラゴン)の討伐に来ていたんですから」

 

 そう、本来彼女達こそがこの(ドラゴン)と戦っていなければならなかった。この漆黒の戦士が何故このような山の中に一人でいるのかは知らないが、彼は単に件の(ドラゴン)と遭遇して仕方なしに戦っていただけだろう。

 

「討伐依頼……ですか? あの……どのような職業の方かお聞きしても?」

 

「?」

 

 だから、その漆黒の戦士の疑問にイビルアイ達は首を傾げざるを得なかった。

 

「王国のアダマンタイト級冒険者、蒼の薔薇です」

 

 ラキュースが答えるが、漆黒の戦士は少し考え込む素振りを見せ……意を決したように再び訊ねてきた。

 

「あの、冒険者とはどのような事をするのでしょうか? それに王国についてもお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 

「え?」

 

 漆黒の戦士の疑問に、全員が目を丸くする。ガガーランが何かに気づいたように、口を開いた。

 

「あー……お前さん、さっきから思ってたんだが、肉体能力で単純に武器振り回してただけだよな? その身体能力でなんで技術力がないのか不思議だったんだが」

 

 ガガーランの言葉に、全員が察する。戦士は肉体を鍛えていく内に、必然と技術も学んでいくものだ。

 しかし、戦士のガガーランは同じ戦士であるはずの漆黒の戦士に技術力が無い、と判断していた。そのチグハグさ。そして王国最高位の冒険者である蒼の薔薇を……いや、リ・エスティーゼ王国さえ知らぬという無知。だが田舎者ではあり得ない行動阻害と電気防御のマジックアイテムの所持。

 ここから導き出される答えは――もはや一つしか有り得なかった。

 

「あの……失礼ですが、此処がどこだか分かってますか?」

 

 ラキュースの言葉に、漆黒の戦士が沈黙する。現在地さえ――アゼルリシア山脈の名前も分からないこの様子は……。

 

「記憶喪失か……」

 

 それしか考えられない。イビルアイはそう呟くと、漆黒の戦士は兜をポリポリと掻いて申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「お恥ずかしいかぎりです……」

 

「それは……仕方ない」

 

「気にしないで」

 

 ティアとティナが漆黒の戦士に声をかける。実際、記憶喪失ならばどうしようもないだろう。

 

 ……話を聞くに、漆黒の戦士は気づけばこの山の中にいたらしく、数日ほど山の中を彷徨っていたらしい。そうして山の中を自分の痕跡を探して探索している内に、(ドラゴン)に遭遇したらしかった。……よりにもよって運の無い男である。

 

「あの、お名前は憶えていますか?」

 

 ラキュースが訊ねる。漆黒の戦士の装備はどれも豪奢で一般人が持てるような物ではない。身体能力から見ても、無名であるとは思えなかった。ただ、蒼の薔薇の誰も漆黒の戦士のような容貌の人物を聞いた事が無く、イビルアイもまた過去彼のような男の話を聞いた事が無い。

 しかし、名前が分かれば多少はマシだろう。漆黒の戦士は少し考えると――晴れやかな声で、蒼の薔薇に告げる。

 

「そうですね――アインズ・ウール・ゴウンとでも」

 

 漆黒の戦士はそう、少しだけ誇らしげな様子で自らを名乗ったのだった。

 

 

 

 

 




 
イビルアイ「序盤から私が出るという事は、遂にイビルアイ√の始まりという事だな!」←フラグ
 


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The Dark Warrior Ⅰ

 
モモンガ「楽しかったん(ry

↑この部分は書籍一巻を読もう!
 


 

 

 ――気がつけば、一人そこにいた。

 

「…………」

 

 ナザリック地下大墳墓第十階層玉座の間、そこで幾人ものNPCに見守られながら一人ユグドラシルというゲームの最終日を迎えようとしていたモモンガは、最終日を迎えて目を開いた時、ぽつんとそこに座り込んでいた。

 周囲を見回せば、そこは山の中のようだった。木々が生い茂り、地面は斜めで、空を見上げれば木々の間に見えるきらめく星々がとても近い場所にある。体を見下ろせば、ゲームの世界で手にしたアバターの姿だった。

 

「…………」

 

 呆然としながら、モモンガは立ち上がる。その感じる質感がゲームではなかった。ゲームではあり得ない、しかし体験した事のないはずの現実味が大自然には満ちていた。

 

「なんだ、これ……」

 

 あまりにも意味の分からない異常事態に、けれどどういうわけか冷静な思考のまま、モモンガはともかくGMコールや〈伝言(メッセージ)〉の魔法を用いて運営との連絡を取り現状を把握しようとし――その全てが無意味である事に気づいたのだった。

 

 それからのモモンガは、ともかく考えうるかぎりのゲームとの差異を実験した。現状、仮想空間であるユグドラシルが本物に――あるいは閉じ込められた可能性が高い。あり得ない状況ではあるが、この仮説が最も有力であるために仕方なくそう仮定する。そしてその場合、自分の知るゲームシステムとの差異を確認するのは急務であった。

 結果、魔法や特殊技術(スキル)の効果、武器や防具の能力など……調査し、ゲームが現実になったとも言うべきだろうか。それほど、モモンガは今までとあまり差異が無いように感じた。むしろ、思考し行動するという作業だけになった事で、コンソールを開き必要なコマンドを選択するという作業が無くなった分よりスムーズになったと言うべきだろう。

 

 ……現状、何が何やらさっぱり分からないが、自分の命を守る事は出来そうだった。少なくとも、即死はしないだろう。きっと、おそらく。……ワールドエネミーなどに遭遇しないかぎり。

 

 ユグドラシルというゲームは未だ未開の地がある。未知の冒険に挑み、未知を既知にする事がコンセプトのゲームであったために、ただの回復薬(ポーション)の素材さえ「自分で調べて集めて下さいね」などという糞制作であり糞運営だ。モモンガの知らない土地やエネミーも十分あり得るだろう。

 

 ナザリック地下大墳墓から弾き出された理由や、ゲームの世界に閉じ込められた理由。異様な現実味などの異常事態はあるが、少なくともユグドラシル内だと仮定してまずは探索を開始する。

 ……だが、そうなるとアイテムボックスの中身が心許無かった。幸い、装備は最後を飾るために神器級(ゴッズ)アイテムで固め、ギルド武器さえ所持しているがアイテムボックスの中はそこまで整理出来ていない。自分が使う予定の無い、アンデッドに対してダメージを与える回復薬(ポーション)類。小鬼(ゴブリン)将軍の角笛などのゴミアイテム。その他様々なアイテムが放り込んであるカオス状態だ。

 

「……とりあえず、なるべくアイテムは使用しない方向で探索するか。巻物(スクロール)で補える探査系魔法をあまり修得していないのが厳しいな」

 

 モモンガは他のプレイヤーと比べれば、黒の叡智と呼ばれる特殊なイベントで山のような魔法を習得しているが、そのほとんどはロールプレイのための浪漫魔法だ。こんな状況に陥るのだと知っていれば、探査系魔法をしっかり修得していたのだが――そう無茶振りの無い物強請りを頭の片隅で思い浮かべながら、モモンガは特殊技術(スキル)の一つを発動させた。

 

 ――上位アンデッド創造、集眼の屍(アイボール・コープス)

 

 隠密系の魔法や特殊技術(スキル)を持つ者の天敵である上位アンデッドを作る。黒い靄が空中に浮かび上がり、それが形を成していく。そうして出来上がったのはモモンガがユグドラシルでも見た事のあるモンスターだ。作成された集眼の屍(アイボール・コープス)と、感覚的に糸で繋がったような感触をモモンガは覚える。主従関係が正確に結ばれている事をモモンガは誰に言われるまでもなく理解した。

 

「周囲を警戒しろ」

 

 それを三体生み出し、命令してみる。集眼の屍(アイボール・コープス)から無言で了承の意を受け取り、彼らはふらふらと周囲に広がって漂い始めた。それに満足し、モモンガは歩き出す。当然、魔法で知覚を増幅させ、普段より神経質な状態になってだ。

 

 ……そうしてしばらく気ままに歩く。周囲はモモンガが見た事もない、美しい自然に満ちている。美しい夜空と、その下に広がる緑色の大自然。アスファルトやコンクリートで舗装されていない、不安定だけれど心地よい気分にさせる大地。

 

「綺麗だ……ブルー・プラネットさんならなんて言っただろうか」

 

 自らの所属するギルド、アインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーの一人、自然をこよなく愛した男を思い出して、寂しげに呟く。

 誰か、ギルドメンバーもこのような状況に陥っていないだろうか……そんな思考が浮かび上がるが、まずあり得ないだろう。大体、仮に陥っていたとしてもユグドラシルから出られないだなんて、最後だからと呼んでそんな異常事態に遭遇させてしまったら、モモンガは詫びても詫びきれない。

 あり得るとすれば、サービス終了日にモモンガと同じようにユグドラシルにログインしていたプレイヤー達がいるくらいだろう。もしかしたら、彼らもモモンガと同じようにログアウト出来ずに今混乱しているかも知れなかった。

 

 ――最優先は現状の確認と、現在位置の確認。それから他のプレイヤーも巻き込まれていないかどうかの情報収集だろう。

 

 モモンガはそう目的を定めて歩いている。

 

 そうして歩いている内に、ふと水の音をモモンガは聞いた。高所から低所に液体が零れるような激しい音――首を傾げながら、モモンガはそちらに向かっていく。

 

「おぉ……」

 

 川を発見し、そのまま流れに沿って歩いていくと滝を発見した。モモンガはそんな大自然に再び感動し、滝を見下ろす。

 

「……うん?」

 

 ふと、その滝から何か見えた。緑色の、蜥蜴の尻尾のような長い紐だ。それが滝の間から水飛沫を散らして覗いて見える。

 

「……あー」

 

 なんとなく、モモンガはその尾の持ち主を察した。ユグドラシルにもいるモンスターだ。モモンガは気づかれていない内に自分に魔法をかける。

 ……覗いて見える尾の長さから大きさを察するに、おそらく高く見積もっても中位――四〇レベルから五〇レベルだろう。この類のモンスターはサイズでレベルがある程度想定出来る。長く生きた強い個体こそ大きなサイズに設定されているのだ。その経験から考えるにそれほど強い個体ではない。さすがに八〇レベル以上の上位モンスターならば逃亡の一手を打つが、その程度ならばモモンガ一人でも十分相手に出来るレベルの強さだ。

 

 無詠唱化した飛行魔法で空を飛んだモモンガは、滝を降りていく。滝から覗いて見える緑色の大きな尾は、何を喜んでいるのか嬉しそうにぶんぶんと振り回されて水飛沫を辺りに散らしていた。モモンガはその鬱陶しい尾を避けて、滝の中を覗く。滝の奥は洞穴になっていたようで、流水に隠れてぽっかりと穴が開いていた。

 そして最初に視界に入ったのは、緑色の鱗を纏った巨体だった。その巨体は丁寧に翼を折りたたみ、しかし尾と同じようにゆらゆらと巨体を揺らして全身で喜びを表現している。モモンガには見向きもしていない。

 それもそうだろうな、とモモンガは続いて視界に入った物に思う。その巨体の向こうには、輝く山があったからだ。様々な種類の金貨が山を作り、その中に埋もれて時折見える低レベルのマジックアイテムが複数。緑色の巨体はそれを前にして、ゆらゆらと体を揺らしておりモモンガに全く気づいていないようだった。

 

「ふへへ……ふへへへ……全部、全部俺のもんだ……!」

 

「…………」

 

 その巨体から聞こえる言葉に、モモンガは少し驚く。喋ったという事は、何かのイベントモンスターであろうか。そうなると少し早まったような気がする。あの糞運営の用意したイベントモンスターとなると、実はサイズが小さいだけで一〇〇レベルモンスターであったという事が十分考えられるからだ。

 しかし、喋られるという事はこちらに何らかのアクションを返せるという事である。試しに、モモンガはその巨体――金銀財宝に夢中になっている間抜けな緑竜(グリーンドラゴン)に声をかけた。

 

「おい」

 

「ふへひひひ……うん?」

 

 声をかけられた緑竜(グリーンドラゴン)は麻薬でもキメたようなヤバい漏れ笑いを止めて、長い蛇のような首がモモンガの方に振り返る。そしてモモンガの顔を見て、驚いたように瞳孔を開いた。

 

「アンデッド!? 何故こんな所に死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が!?」

 

「…………」

 

 その返された言葉に、モモンガもまた酷く驚いた。

 ……イベントモンスターというのは、確かに喋るが搭載されるAIはそれほど万能性はない。プレイヤーを見て種族を言い当てる事なぞ無いし、更に種族を言い当てるならばモモンガは死の支配者(オーバーロード)であり、間違っている。わざわざそこまで洒落の効かせたAIを用意するとは幾らユグドラシル運営でもあり得ないだろう。

 だが、まだ決まったわけではない。モモンガは続いて、AIでは絶対に答えられない質問をしてみる事にした。

 

「どうして俺が死者の大魔法使い(エルダーリッチ)だと?」

 

 まず間違いなく、決まった受け答えしか出来ないはずのAIでは絶対に答えられない。声優を雇うのも無料ではないのだ。ましてやユグドラシルにはどれだけの種族がいると思っているのだろうか。その全てを網羅して、種族的特徴を言い当てるなどAIでは出来るはずが無かった。

 そして、相手は爬虫類の顔を――おそらく顰めながら、モモンガの質問に答えた。

 

「何故って……魔法詠唱者(マジック・キャスター)の格好をしているアンデッドなど他にいないではないか。アンデッドになるとそんな当たり前の事も分からなくなるのか? アンデッドは大変だな」

 

「…………」

 

 その答えに、モモンガは確信した。これはAIではない。間違いなく、この緑竜(グリーンドラゴン)はモモンガの質問に受け答えを――会話をしている。若干イラッとする言葉があったが、今はそれも置いておく事にした。知りたい事はこれだけではないのだ。

 ……ただ、一つだけ先程の質問で疑問がある。予想されるレベル帯では、中位アンデッドくらい知っているだろうに。何故下位アンデッドの知識しかこの相手には無いのか。

 モモンガは緑竜(グリーンドラゴン)を見る。緑竜(グリーンドラゴン)はモモンガを欲望に塗れた瞳で見つめていた。いや、正確に言えばモモンガの持つギルド武器やローブ、指輪などの装備品を、だ。それを爛々と欲望に輝かせた瞳で見つめている。

 

「な、なあ……そのマジックアイテム、置いていけよ。そうすれば命だけは助けてやるぞ?」

 

「…………」

 

 無いはずの脳が痛む気がした。思わず、眉間部分を指で押さえる。緑竜(グリーンドラゴン)は断られるとは欠片も思っていないのか、うきうきとした様子でモモンガの答えを待っていた。その捕らぬ狸の皮算用染みた思考回路に、モモンガは呆れながら一石を投じてやる。

 

「断る」

 

「む?」

 

 モモンガが装備を外すのを今か今かと待っていた緑竜(グリーンドラゴン)は、不快そうに目を細めてモモンガを見つめた。鋭い牙が生えた咢から、脅すように酸を帯びた吐息が漏れ始めている。

 

「よく聞こえなかったぞ、アンデッド。今何と言ったのだ?」

 

 欲望に塗れていた緑竜(グリーンドラゴン)の瞳が、憤怒に彩られていく。その巨体から漆黒のオーラが漂うように漏れ出ており――口からは今にも酸性の吐息(ブレス)を吐きそうだ。

 緑竜(グリーンドラゴン)が溢れ出させた漆黒のオーラには、モモンガも覚えがある。ただし、モモンガはアンデッドの種族的特徴により、精神に異変を来す類の攻撃は一切通用しない。向こうもモモンガにそれが通用しないのは百も承知だろう。本命の脅しは吐息(ブレス)攻撃と見ていい。

 だが、その吐息(ブレス)攻撃の前兆を見ても平然としているモモンガに苛立ったのか、緑竜(グリーンドラゴン)は足元を鉤爪でカチカチと鳴らし始めた。

 

「もう一度言えよ、アンデッド。今何と言ったのだ?」

 

 しかし、モモンガはその脅しには屈しない。屈する理由が無い。

 

「断ると言ったのだ、爬虫類。お前程度に俺の持つマジックアイテムは勿体ない。まさに豚に真珠、猫に小判だな」

 

「――――」

 

 モモンガの言葉を聞いた緑竜(グリーンドラゴン)は数瞬押し黙ると――――

 

「ぶち殺してくれる! この下等アンデッドがッ!!」

 

 憤怒に支配された瞳で咆哮を上げ、モモンガに対して吐息(ブレス)攻撃を放った。深く息を吸い、吐き出されたのは〈酸の吐息(アシッド・ブレス)〉。病的な深緑色の酸の霧が咢から放たれ、モモンガだけでなくモモンガが立っていた洞穴の入り口付近を包み込む。

 本来ならば周囲の石と土ごと酸で溶けてしまうだろうが、モモンガは酸系攻撃に対する完全耐性を持つ。よって、まるで通用していない。周囲の石や土が溶けていく中で、平然と立っているモモンガに緑竜(グリーンドラゴン)は驚愕に瞳を見開き――酸の霧の効果が終わる。

 

「では、次はこちらの番だな」

 

 モモンガは指を突きつけ、魔法を唱える。何度か目標を決めずに魔法を使用してはいたが、攻撃魔法を実際にモンスターに放つのはこの異常事態が起きて初めてである。実験の意味合いが強いため、まずは弱い魔法で攻めるべきだろう。

 

「〈龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉」

 

 モモンガの指先から白い龍の形を模した稲妻が放たれる。その稲妻は真っ直ぐ緑竜(グリーンドラゴン)へと向かい、着弾。緑竜(グリーンドラゴン)は痛みにのた打ち回った。

 

「だ、第五位階魔法だと……!? そんな馬鹿な……!」

 

「…………?」

 

 その攻撃を受けて、怯えたような様子を見せる緑竜(グリーンドラゴン)にモモンガは首を傾げる。緑竜(グリーンドラゴン)はもはや、ほとんど戦意を失っていた。モモンガとしても想定外である。この緑竜(グリーンドラゴン)は中位モンスター程度のレベルはあるのだから、まさか第五位階魔法程度で死ぬとは思わない。実際、緑竜(グリーンドラゴン)は痛がってはいるし、ダメージも受けているがまだ死にはしない。

 だが、それにしてもこの怯えようは少しおかしかった。なんというか、種類が違う。自分より上位種のモンスターに喧嘩を売った、という恐怖ではなく……もっと別の恐怖を感じているようだった。

 

(どうしたんだ、こいつ?)

 

 気にはなったが、モモンガは相手が戦意を喪失したのを確認して、同じように戦意を解く。緑竜(グリーンドラゴン)は頭を伏せて、モモンガに無抵抗を示していた。モモンガが洞穴の出入り口に立っているため、モモンガの横を通り抜けなければ逃げられないからだろう。

 モモンガはたかが第五位階魔法を見せただけで怯えはじめた緑竜(グリーンドラゴン)に、若干緊張感を削がれて溜息をつきながら質問した。

 

「おい、幾つか質問がある。それでさっきの無礼は許してやる」

 

 モモンガがそう言うと、長い蛇のような首をこくこくと縦に振り、緑竜(グリーンドラゴン)は恭順の意を示した。そんな緑竜(グリーンドラゴン)の様子を確認しながら、モモンガは自分の精神状態に困惑している。

 モモンガの装備はかつての仲間達と共に集めた青春の思い出だ。そのため、たかが中位モンスターの緑竜(グリーンドラゴン)に寄越せと――特に、ギルド武器を寄越せと言われた瞬間激昂しそうになったが、何故か異様な速度で精神を鎮静化された。はっきりと異常だと分かるほどに、モモンガは冷水を頭から被せられたように精神が冷静に戻ったのである。

 

(アンデッドになった事で、精神構造が変化したのか……)

 

 このような状況でも妙に冷静になっているな、と自分でも不思議に思っていたが、おそらく人間ではなくなったからだろう。少しだけ悲しい気分になるが、今の状況ではその精神構造の変化は有難かった。

 沸騰した精神が沈静化され、冷静に考えられる事になったために緑竜(グリーンドラゴン)は未だ生きている。はっきり言って運のいい奴だ。

 

「此処はどこだ?」

 

「……? アゼルリシア山脈の山の一つだが……?」

 

 首を傾げて答える緑竜(グリーンドラゴン)の言葉に、モモンガも首を傾げる。

 

「アゼルリシア山脈? おい、それはユグドラシルの九つの内のどこにあるんだ?」

 

「ユグドラシル? なんだ、それは」

 

「え?」

 

 緑竜(グリーンドラゴン)の疑問に、モモンガは心底驚いた。はっきり、モモンガは今まさに自分と相手の間に何か隔絶したものがある事を悟ったのだ。

 ユグドラシルとは、ゲームの設定上では幾つもの世界を葉として宿した大樹の事である。このユグドラシルの樹に残った九つの葉――即ち、ナザリック地下大墳墓があり、アインズ・ウール・ゴウンが活動拠点にしていた世界ヘルヘイムを初めとした九つの世界が、ユグドラシルという世界だ。

 そして、この世界樹の葉を全て喰い荒らそうとしていたワールドエネミーが九曜の世界喰い。それがユグドラシルというゲームの公式ストーリーであり、イベントモンスターやプレイヤーならば絶対に知っている設定のはずなのだが――言葉を喋る(ドラゴン)が知らないなど、あり得るのだろうか。知性があるのならば、ユグドラシルという世界樹の事は絶対に知っているべきである。

 

「……おい、待て。周辺の大きな国を教えてくれないか」

 

「?」

 

 緑竜(グリーンドラゴン)は疑問に首を傾げながらも、モモンガの質問に答えてくれた。

 

 竜の王達が統べる、亜人達の国アーグランド評議国。

 人間達が作った三つの大きな国スレイン法国とリ・エスティーゼ王国、バハルス帝国。

 このアゼルリシア山脈にある山小人(ドワーフ)の国を初めとした、亜人種や異形種達の国々。

 そしてこの山の麓に広がっているトブの大森林。

 

 モモンガはそれらを聞いて、それがさっぱり分からないという事実に驚愕する。さすがに、そんな大きそうな国々が未だ未発見だと言うのは信じられないし――先程の世界樹の件もあった。モモンガは嫌な予感を覚えながらも、こっそりとローブの下でアイテムボックスを開き金貨を二枚取り出す。男の顔と女の顔が彫られた二種類の金貨だ。ユグドラシルの硬貨であり、この世界がユグドラシルに連なる世界ならば、共通金貨のはず。

 ましてや、金銀財宝を集めるのが大好きな(ドラゴン)ならば、必ず一度は目にした覚えがあるはずだろう。

 

「この金貨に見覚えはあるか?」

 

 緑竜(グリーンドラゴン)はモモンガが取り出した二枚の金貨をじっと見つめ、モモンガにとっては無慈悲に――首を横に振って否定した。

 

「――――」

 

 もはや、一つの結論を下すしかモモンガには残されていなかった。この世界は、ユグドラシルとは全く無関係の世界なのだと。

 

(異世界……? ユグドラシルのサービス終了を期に異世界に転移しただなんて、そんな馬鹿な……)

 

 だが、頭の冷静な部分が間違いない、と告げている。

 ……そもそも、最初からそんな気はしていたのだ。気づいてはいたが、それを必死に誤魔化していたに過ぎない。モモンガは溜息を一つ口から漏らすと、困惑気味の緑竜(グリーンドラゴン)を見つめた。

 

 緑竜(グリーンドラゴン)、というだけではユグドラシルのモンスターだと確定出来るわけではない。しかし、この緑竜(グリーンドラゴン)はモモンガの使ったユグドラシルの位階魔法をきちんと理解していた。だとすれば、やはりユグドラシルのモンスターもこの異世界に転移してきたのだろうか。この緑竜(グリーンドラゴン)はユグドラシル金貨を知らなかったが、これの親は知っているかもしれない。

 

(ここは異世界だけど――転移したプレイヤーやモンスターが、俺とコイツの先祖だけとは限らないよな)

 

 緑竜(グリーンドラゴン)をじっと見つめて、そう結論を下す。モモンガは新たな質問をするために、再び口を開いた。

 

「おい、お前は自分が世間一般で言うどの程度の強さだと思っているんだ?」

 

「む」

 

 無論、無駄にプライドの高い(ドラゴン)種族の言葉だ。当然、多く見積もって宣言するだろう。しかしモモンガはこの緑竜(グリーンドラゴン)より圧倒的に強く、この緑竜(グリーンドラゴン)以下の相手ならば、無傷で勝利出来る。それを踏まえてなくてはならない。

 モモンガに問われた緑竜(グリーンドラゴン)は自慢げに、鼻高々に答えた。

 

「俺は強いぞ。人間共の国を一夜で滅ぼすのだって可能だ」

 

「ほー……先程言っていた三つの国もか?」

 

「無論だ!」

 

「アーグランド評議国はどうなんだ?」

 

 先程言っていた竜の王達が統べる国の名前を出す。途端、意気消沈したようにがっくりと頭を垂れてぼそぼそと呟いた。

 

「無理だ。竜王(ドラゴンロード)達は別格だ。俺は評議国出身じゃないからよく知らないが、第五位階魔法を使う王や、五〇〇年以上も前から生きている王もいると聞いている。とても無理だ……」

 

「…………第五位階、なぁ」

 

 余裕でモモンガにダメージが通らない位階の魔法だ。そんな弱い魔法を偉業のように語る緑竜(グリーンドラゴン)に、モモンガは再び訊ねた。

 

「お前はどの位階まで使えるんだ?」

 

 確か、緑竜(グリーンドラゴン)は魔法を使えたはずである。すると、緑竜(グリーンドラゴン)は再び自慢げに答えた。

 

「第三位階魔法まで使えるとも! 基本的に第一位階魔法しか使えん人間共とは格が違うのだ!」

 

「…………」

 

 なんだか頭が痛くなってきた。モモンガはそう思い、げっそりする。ユグドラシルを楽しむための適正レベルを知っているモモンガからすれば、弱くてお話にならないレベルだった。

 しかし、この緑竜(グリーンドラゴン)と話していて分かった事も多い。もしかすると――本当に、この世界は適正レベルが低いのかもしれなかった。そうなれば、この緑竜(グリーンドラゴン)のモモンガに対する態度の変わり様も納得出来るのだ。

 第五位階魔法が伝説級なら――それはもう、モモンガには怯えるだろう。自分が一発では死なない事なんて、どうでもいいくらいに。

 本当にコイツ、人間の国を余裕で滅ぼせるのかもしれないな――モモンガはそう思いながら、乾いた笑いを漏らした。

 

(さて、他に訊くべき事は……)

 

 少し考えるが、後はもう地理くらいしか無いような気がした。しかしその地理も周辺国家を聞いたために達成している気がする。山で暮らしている(ドラゴン)に「一般常識を教えろ」と言っても無理だろう。知っていなければおかしい事を訊ねようにも、知っていなければおかしいからこそ、何の事を言われているのか分からない。相手がそう反応するのが容易に想像出来た。

 

(人間の国で生活してみるしかない、か……)

 

 今となってはモモンガはアンデッドだが、元々は人間だ。人間性を失っていないプレイヤーならば、人間の中で生活する事を選ぶだろう。特にユグドラシルではほとんどのプレイヤーが人間種を選択しているので、可能性は高い。他のプレイヤーと接触するには、人間の国で生活する必要がある。常識もそこで学んだ方がいい。

 モモンガはそわそわとしている緑竜(グリーンドラゴン)を見て、溜息をついてから再び口を開いた。

 

「――ところで、この山はお前の縄張りなのか?」

 

 モモンガがそう訊ねると、緑竜(グリーンドラゴン)は瞳を丸くし、続いて誤魔化すような――モモンガはそういう気がした――表情に歪め答えた。

 

「俺の縄張りだが、他の奴もいるぞ」

 

「あー……先程言っていた山小人(ドワーフ)達か? いや、まさか山小人(ドワーフ)(ドラゴン)に喧嘩を売るまい。霜の竜(フロスト・ドラゴン)のことか?」

 

 先程言っていた事を思い出しながらそう言うと、やはり緑竜(グリーンドラゴン)は誤魔化すように不自然に口元を歪め笑っているような表情をして――気まずげに告げる。

 

「いや……黒竜(ブラックドラゴン)のつがいが」

 

「は?」

 

 その言葉と同時に、ズシン……という音がした。それはモモンガの背後から聞こえており、緑竜(グリーンドラゴン)が「てへぺろ☆」とでも言いたげな表情を形作る。

 何となく背後の気配に嫌な予感を覚えたモモンガは、緑竜(グリーンドラゴン)に色々な感情を綯い交ぜにした震える声で訊ねた。

 

「おい……この洞穴は、お前の巣なんだよな?」

 

 なんとなく答えは分かっているが、そう訊ねる。緑竜(グリーンドラゴン)は少し視線を彷徨わせると――カッと目を見開いて叫んだ。

 

「いずれは俺の巣だ!!」

 

「お前のじゃないのかよ!!」

 

 背後を振り返る。そこには――モモンガからマジックアイテムを剥ぎ取ろうとした緑竜(グリーンドラゴン)の瞳より更に憤怒を混ぜ込んだ瞳を持つ、黒い鱗の(ドラゴン)が上半身を洞穴に突っ込んでいた。その巨体からは漆黒のオーラが溢れ出ており、更に咢からは酸性の吐息が漏れ始めている。

 その上半身から見て取れるサイズから、おそらくレベルは三〇から四〇程度。緑竜(グリーンドラゴン)と同じく中位モンスターであろう。本来ならばモモンガの相手にならない程度の強さだが――此処が異世界である以上、モモンガと同レベルの強さである可能性は十分あった。

 

(酸に対する完全耐性はあるから吐息(ブレス)は問題無し――いや、別属性の吐息(ブレス)を吹く可能性もあるか!)

 

 見張らせていた集眼の屍(アイボール・コープス)達は既に継続時間を過ぎているため、消滅している。……召喚されたモンスターの召喚時間は、ユグドラシルと変わらないらしい。それが少しだけ恨めしかった。

 

 ――グオオオォォォォ!

 

「えぇい! 賭けだ! 〈現断(リアリティ・スラッシュ)〉」

 

 〈酸の吐息(アシッド・ブレス)〉を迸らせた黒竜(ブラックドラゴン)に、モモンガは祈るように叫んで魔法を唱えた。黒竜(ブラックドラゴン)の様子から初手はおそらく〈酸の吐息(アシッド・ブレス)〉であろう。それならば無効化出来るため、カウンターで黒竜(ブラックドラゴン)に第十位階魔法を撃ち込む。(ドラゴン)は睡眠や麻痺効果を無効化するため、無駄な魔法は撃てない。とりあえず顔面に高火力を撃ち込み、死なない場合は痛みで怯ませた隙に転移魔法でこの巣から脱出するしかあるまい。

 そう判断したモモンガなのだが――――

 

「え?」

 

 スパァァァン……と、綺麗に切れた。それはもう、豆腐に包丁を入れたように美しく。酸の霧が洞穴に満ちるが、酸に対する完全耐性を持つモモンガも緑竜(グリーンドラゴン)も平気だ。顔面を真っ二つにされた黒竜(ブラックドラゴン)はぐらりと巨体のバランスを崩し、洞穴から重力に引っ張られて落ちていく。バシャァンッ、という大きな水飛沫の音が響き、周囲を静寂が覆った。

 

「よ、弱い……サイズ通りのレベルだったか……」

 

 緊張感が抜け、一気に脱力する。大元が死亡したため、酸の霧もすぐに晴れた。振り向くと、緑竜(グリーンドラゴン)はガクガクと巨体を震え上がらせてモモンガを見ている。そんな恐怖に震え上がった緑竜(グリーンドラゴン)を頬をポリポリと掻きながら見つめ、大きな溜息をついた。

 

「なぁ……」

 

「何でもしますから殺さないで下さい!!」

 

 自分と同じようなレベルの(ドラゴン)が一撃で殺されたのを見て、緑竜(グリーンドラゴン)は涙目になってモモンガを見つめている。どうやら、ようやくモモンガと自分の力の差を完全に理解したらしい。そんな緑竜(グリーンドラゴン)にやはりモモンガは溜息をついて、疲れたように語った。

 

「別に、何もしないから安心しろ」

 

「え? 俺生きていていいのか?」

 

 表情を生気に輝かせる緑竜(グリーンドラゴン)に、モモンガは呆れながら再び口を開いた。

 

「というか、この洞穴はお前の巣じゃなかったのか」

 

 モモンガが訊ねると、緑竜(グリーンドラゴン)はニマニマとした気色の悪い笑顔を浮かべるように表情を歪めると、モモンガに教えてくれた。

 

「いやー……数年前に縄張りが重なってしまったんだが、その時は争わずに引いたんだ」

 

「何故だ?」

 

「だって、後で縄張りを奪った方がお宝がいっぱい手に入るだろ!」

 

「…………お前、(ドラゴン)の鑑だな」

 

 もしくは(ドラゴン)の屑とも言う。モモンガは何度ついたか分からない溜息をまたつき、更に質問を繰り返した。

 

「で、先程つがいと言っていたが……残っているのも先程と同じレベルか?」

 

「レベル?」

 

 首を傾げる緑竜(グリーンドラゴン)に、モモンガも首を傾げるが――すぐに気づいた。おそらく、この異世界では強さを表す数字にレベルという言葉を用いないのだろう。

 

「強さのことだ。もう一体の黒竜(ブラックドラゴン)も、先程殺したのと同じくらいの強さなのか?」

 

「ああ……なるほど。同じような強さだぞ。ただ、さっきのは酸系だったから、残っているのは変異個体で属性が違うやつだ」

 

「変異個体?」

 

 モモンガが首を傾げると、緑竜(グリーンドラゴン)はモモンガに突然変異か何かが原因で、もう一体は電気系に性質変化している事を教えてくれた。

 

(突然変異か……ユグドラシルにもそんなのいたな。知らずに戦うと痛い目に遭うんだよなぁホント……)

 

 昔を思い出し、微妙な気分になる。黙って話を聞いている事に気を良くしたのか、緑竜(グリーンドラゴン)はペラペラと口軽く語っていく。

 少なくともこの山で自分より強い個体はいない事。つがいの黒竜(ブラックドラゴン)は二匹で協力していたので、縄張りを奪うのに骨が折れる事。そのため、得意の口先で中傷をばら撒き夫婦喧嘩させて別行動を取らせていた事――等々だ。

 話を聞いていたモモンガは、「コイツ、マジで屑だ――ッ!」と内心でドン引きしていたが。

 まあ、この世は弱肉強食。舌先三寸だろうと丸め込まれて騙された方が自然界では悪いという事だろう。

 

「あの、ところで旦那はこれからどうするんだ? 先程から当たり前のことばかり訊いて……?」

 

 微妙にへりくだった笑みと態度で訊ねる緑竜(グリーンドラゴン)。もうこの相手に訊ねるべきものは無いので、モモンガとしては山を降りて人間の国に紛れ込むつもりだった。このようなモンスターがいる世界ならば、見た目を誤魔化せば幾らでも生活するための身分を問わない荒事専門の仕事があるだろう。異世界の適正レベルが低そうな事もその考えに拍車をかけた。

 それに――昔、思っていたものだ。ユグドラシルではアカウントは一つ。サーバーに別キャラは作れない。戦士職をしてみたいと思っても、他のDMMORPGよりはレベルが上がり易いと言っても、容易に実験出来るような状況ではなかった。

 ならば今こそ、そういう遊び心を発揮するべきだ。幸いと言っていいのかは知らないが、今は一人である。誰に迷惑をかける事も無い。昔、たっち・みーの赤いマフラーのように赤いマントを靡かせたり、武人建御雷のように大きな剣を振り回す――そんな憧れの姿を、これ幸いとやってみるのもいいかもしれなかった。

 

(せっかくのソロ冒険だし、プレイヤーと遭遇するまではそういうスタイルもいいかな?)

 

 同じプレイヤーならば、いきなり戦闘に入る事は早々あるまい。モモンガは悪名高いDQNギルドのギルド長だが、まさかそれを理由にいきなり襲いかかってくるような相手は、この状況では滅多にいないだろう。……いないと断言出来ないのがDQNギルドの悲しいところだが。

 

「俺は今まで世間から離れていてな、今の情勢を知らなかったんだ。これからは、とりあえず人里にでも降りてもっと詳しい世俗でも学ぶさ」

 

 モモンガがそう言うと、緑竜(グリーンドラゴン)はまた怯えはじめた。自分が用済みになった事を理解してしまい――その後の自分の運命に震え上がったらしい。そんな緑竜(グリーンドラゴン)の様子にまた溜息をついて、モモンガは口を開く。

 

「別に俺のことを黙っているなら、何もせんよ。この山で自由に食っちゃ寝生活を送ればいいだろ」

 

「ほ、本当か?」

 

 モモンガの言葉に緑竜(グリーンドラゴン)は喜び、その巨体を揺らす。

 

(……なんだか、話している内に愛着が湧いてきたなぁ)

 

 最初に遭遇した頃、「マジックアイテムを寄越せ」と言われた時は苛々したが、話している内にモモンガはこの相手が段々可愛らしくなってきていた。マジックアイテムを奪おうとしたのも、この巣の中にあるマジックアイテムよりモモンガの持つ物の方が高価であり優れていると言動で褒めていたようなものであるし。なんと言うか、犬や猫を前にした気持ち――なのだろうか。モモンガはペットを飼った事が無いのでこれがそうなのかは分からないが。

 

(まあ、念には念を入れておくか)

 

 そう思ったところで――自分が妙に容赦がない事にモモンガは気がついた。この状況で、言葉が喋られるものと一緒で、色々と情報を教えてもらえる。そのような状況ならば、例え相手がヒトガタではなくとも、もっと信用しようとするものではないのだろうか。なのに言葉の裏でモモンガは、この目の前の緑竜(グリーンドラゴン)が自分に不利益を与えてきた場合を考えて無慈悲に対処しようとしていた。

 その心の動きに少しだけ愕然として――けれど、冷静に今の自分を受け入れた。アンデッドになる、という事はこういう事なのだろう、と。便利なのだから、今はそんなに気にしなくていいのではないか、と。

 

「さて、では魔法をかけさせてもらおう。俺のことを誰かに喋ったら――分かるな?」

 

「お、おう……命には代えられない」

 

 緑竜(グリーンドラゴン)はしょんぼりとした様子で、モモンガに従う。モモンガは第六位階魔法の〈制約(ギアス)〉を使用した。第五位階魔法が伝説級ならば、モモンガのかけた〈制約(ギアス)〉を解呪するのは不可能だろう。この世界特有の魔法か何かでもあれば、話は別であろうが。

 互いに了承をとって、モモンガの魔法は完了する。緑竜(グリーンドラゴン)の周囲を魔力が包み、煩わしそうに緑竜(グリーンドラゴン)は首を少し振った。

 

「これで、もう此処に用は無いな」

 

 魔法をかけ終えたモモンガがそう言うと、緑竜(グリーンドラゴン)が硬貨の山に顔を突っ込み、ごそごそと何かをすると口に何十枚かの硬貨を咥えてモモンガに差し出した。

 

「なんだかよく分からんが、人間の国に行くなら持って行くといいんじゃないか?」

 

「うん? えらく気前がいいな?」

 

 まあ、実際硬貨の種類が違う以上、この世界の硬貨は必需品だが。懐に手をやって、隠れてアイテムボックスから何の効果も無い皮袋を取り出し、広げる。緑竜(グリーンドラゴン)が口を開くと、ジャラジャラと硬貨が袋の中に落ちた。銀貨や金貨、白金貨などが数十枚。どれもこの巣の主が大事にしていたのか、輝いている。

 

「面倒なつがいを一体倒してくれた礼だと思っていてくれよ」

 

「そうか……」

 

 断る理由も無いので、そのまま皮袋を懐にしまった。モモンガはそして、笑みの表情を作っているらしい緑竜(グリーンドラゴン)と別れたのだった。

 

 ――そうして、モモンガと別れた緑竜(グリーンドラゴン)はモモンガが近くにいなくなったのを確認して、洞穴から出るとモモンガとは反対の方向へ去っていく。このまま、十日はこの洞穴に近寄らず、元の巣で暮らす予定だ。

 ……十日後には何もしない内に、あの洞穴の金銀財宝は全て自分の物になる。その未来を思い、緑竜(グリーンドラゴン)は嬉し気に喉を鳴らした。

 

 

 

 

 

 

「〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉」

 

 モモンガが魔法を発動すると、その全身が絢爛華麗な漆黒の鎧に覆われ、全身が見えなくなる。そして鎧と同時に二本のグレートソードを作り出し、背中に背負う。一応、鎧の下には幻術で肉体があるように見えるようマジックアイテムを用心で使用していた。

 モモンガはアイテムボックスから鏡代わりになるアイテムを取り出すと、自分の姿を見る。スリット越しに見えるその姿は、どこからどう見てもモモンガが思い描いた理想の漆黒の戦士にしか見えなかった。

 

「よし」

 

 満足げに頷いて、モモンガは再び歩き出す。

 この姿になったのは、万が一あの緑竜(グリーンドラゴン)が魔法を解呪してモモンガに不利益が被った場合、ある程度誤魔化すためだ。この姿ならば魔法詠唱者(マジック・キャスター)には見えないので、同一人物だと気づけない可能性がある。少なくとも、話を聞いただけの相手では先入観から見破れない可能性が高い。……(ドラゴン)のような優れた感知能力を持つ場合は、気づかれる可能性があるが。

 そしてそれ以上に……モモンガは、ユグドラシルでいつかやってみたいと思っていたプレイスタイルを体現したかったのだ。この程度のお茶目は許されるだろう。

 

 モモンガはそう思考し――歩きながら、先程緑竜(グリーンドラゴン)から受け取った硬貨の枚数を確認した。

 

「……硬貨の種類は三種類か。ユグドラシルと違って、金貨だけじゃないんだな。他にも硬貨があるか確認しないと……それに、物価の件もあるか」

 

 もしかすると、人間の物価はこの程度の硬貨では何も出来ないかもしれない。市場を見て回る必要がある。それに――この世界の文字も日本語ではおそらく無いだろう。文字を解読する眼鏡のマジックアイテムはナザリック地下大墳墓の自室に置いて来てしまった。もう二度と取りに向かう事も出来ない。文字も勉強しなくては。人間の国でしなくてはならない事はいっぱいある。

 モモンガは「面倒くさいなぁ……」と呟きながらも、とりあえず未知の世界に心踊らせながら山を降りていく。

 

「あ、そういえば……」

 

 先程遭遇した緑竜(グリーンドラゴン)を思い出し、モモンガはアイテムボックスから百科事典(エンサイクロペディア)を取り出す。運営がプレイヤー全員に配っている各一点もので、遭遇したモンスターの姿や名前が自動で書き込まれるのだが詳細は自分の手で書き込まなければならない、プレイヤーにとってのある意味秘蔵本である。

 モモンガはそれを開き、目的の項目を探す。

 

「お、あった」

 

 ユグドラシルで遭遇した緑竜(グリーンドラゴン)の項目を見つけ、モモンガは読み込む。画像で確認出来る姿は、まさに先程遭遇した緑竜(グリーンドラゴン)にそっくりであり、やはりアレはユグドラシルの先祖を持つ事が伺えた。

 そして、そのまま自分で書き込んだ情報や、元ネタを読み込んでいく。視線が文字を追い、生態のところまで移動したところで――

 

「えぇっと、“――彼らは生来の嘘吐きであり、二枚舌だ。呼吸をするように嘘をつき、陰謀を好む。策略と二枚舌によって目的を達成する事を是とする、嫌らしい獣である”――」

 

 そこまで読んだところで、空から雨がぽつぽつと降り始めたのを感じて空を見上げた。そして目を細める。空に、大きな鳥のような影が見えたのだ。モモンガは百科事典(エンサイクロペディア)を閉じると、アイテムボックスにしまい、背負っていた二本のグレートソードを取り出して構える。

 

「……そういえば、(ドラゴン)は自分の巣から宝を盗まれると、それが金貨一枚だろうと執拗に追いかけ回すんだったな」

 

 あの野郎、面倒をこちらに押し付けやがった。

 

 モモンガは不機嫌に鼻を鳴らし、それが降りてくるのを待つ。雨は次第に激しく降り始め、同時に雨音よりもなお大きな風切り音が聞こえ始めた。空をもう一度見上げると、雨に紛れてさきほど見えた鳥のようなものの影が段々と近づいてきて大きくなっていく。

 

 そして、その巨体は地響きを立ててモモンガの目の前に降り立った。その双眸は殺意と憤怒に塗れていて、翼は不機嫌にはためき、巨体を漆黒のオーラが包んでいる。巨大な咢からは、パリパリと電気が漏れ出ていた。

 

「……サイズから、推定四〇レベル台の黒竜(ブラックドラゴン)といったところか。突然変異か属性は電気」

 

 つまり、先程緑竜(グリーンドラゴン)から聞いたつがいの片割れだろう。

 

「あの緑竜(グリーンドラゴン)、今度会ったらお仕置きだな」

 

 怒り狂った黒竜(ブラックドラゴン)が咆哮を上げる。モモンガは地を蹴り、黒竜(ブラックドラゴン)に肉薄しようと接近する。そんなモモンガに向けて、黒竜(ブラックドラゴン)は息を大きく吸い込むと、雷撃の嵐を口からモモンガへと放った。

 

「――――」

 

 電撃の嵐が周囲の木々と地上を薙ぎ払い、周囲一帯を荒野へと一瞬で変える。だが、モモンガはその電撃の嵐の中を平然と突き進み、グレートソードを黒竜(ブラックドラゴン)の片翼に突き立てた。

 鱗で守られていない、翼膜を狙ったのもあって一撃で翼膜に穴が開き、指骨が二本ほど切断される。これでもう黒竜(ブラックドラゴン)は治癒するまで空を飛べないだろう。黒竜(ブラックドラゴン)は痛みに身の毛もよだつような絶叫を上げると、怒り狂った相貌をモモンガに向けながら、鋭い鉤爪のついた片腕を接近したモモンガに振り上げ――即座に振り下ろした。モモンガはもう片方のグレートソードでなんとかそれを防御すると、突き立てた方のグレートソードを力任せに振り抜く。

 黒竜(ブラックドラゴン)の胴体を狙ったグレートソードの一刀は、しかし鱗に阻まれて弾かれる。その動きが硬直した隙に黒竜(ブラックドラゴン)が体当たりをしてきて、モモンガは数メートルほど吹き飛ばされた。

 

「チッ――」

 

 地面になんとか着地し、黒竜(ブラックドラゴン)の姿を探す。黒竜(ブラックドラゴン)もまた、体当たりで崩れた姿勢を直すところだったようで、目が合った。

 

「…………」

 

 ――グルルルル……

 

 互いに睨み合う。黒竜(ブラックドラゴン)はモモンガを、油断ならない相手と認めたようだった。モモンガも、やはり三〇レベルの戦士級の身体能力があるとは言っても本領は魔法詠唱者(マジック・キャスター)特殊技術(スキル)などは使えないため、苦労しそうである。

 

(〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉を使えば、一〇〇レベルのまま戦士になれるから余裕なんだけど……)

 

 その場合、やはり特殊技術(スキル)は使えないし、何より魔法が全く使えなくなる事が痛い。代わりに戦士職のあらゆる装備が使用出来るようになるが、今は必要無いだろう。

 

「とりあえず、まずはコイツ相手に近接戦のコツを掴むか」

 

 力任せにぶった斬るだけでは、戦士とは言えない。かつての仲間の姿を思い描きながらグレートソードを振るっていたのだが、理想と現実は全く違う動きをしている。幾らレベルが違うとはいえ、あまりの酷さにたっち・みーでも苦笑いをしそうだ。

 

「――――」

 

 モモンガは再び地を蹴り、黒竜(ブラックドラゴン)に肉薄する。黒竜(ブラックドラゴン)も雄叫びを上げながら真っ直ぐ突き進むモモンガを待ち構え、モモンガを噛み砕こうと咢を開いた。その口からは鼻が曲がりそうな臭気が漂っており、並んだ大きな牙が恐怖を煽る。

 

「――――ッ」

 

 人間としての性がそれに悲鳴を上げるが、アンデッドとしての精神がその感情を抑制した。すぐに冷静になったモモンガは、恐れずに突き進み、グレートソードを上段から振り下ろす。狙いは頭部だ。これはある意味、実験も兼ねている。

 ユグドラシルでは正真正銘の致命の一撃というものは、即死効果のある攻撃くらいだ。頭部や首を狙ったとしても、それはHPを通常より大幅に減らす結果になるがHPがゼロで無ければ死にはしない。しかし、現実で頭を破壊されたり首を斬られたりすれば即死だろう。止血しない事により大量出血による出血死もあるはずだ。

 ユグドラシルのゲームシステムと同じようでいて、違う。まずはその認識の誤差を修正する。――そのために振られたグレートソードはしかし黒竜(ブラックドラゴン)の爪に弾かれ、思い切り力を込めて振り下ろした攻撃が弾かれたために、モモンガはバランスを崩した。

 

「――チッ」

 

 その隙を狙うように、開かれた咢がモモンガの体を真っ二つにしようと閉じる。甲高い金属音が鳴り響くが、しかし黒竜(ブラックドラゴン)は鎧を噛み砕けずにいた。モモンガはグレートソードの柄で鼻先を狙い、思い切りひっ叩く。黒竜(ブラックドラゴン)は鼻先を強打されたために怯み、ずるりと顎から力が抜けていった。その隙にモモンガは体を引き抜き、顎から引き離す。

 見れば、鎧に傷がついていた。

 

「さすが(ドラゴン)だな……俺の鎧に傷がつくとは」

 

 一〇〇レベルのモモンガが作った魔法の鎧に傷をつけるとなると、かなりの力が込められていたはずだ。モモンガは素直に感心したが、当の黒竜(ブラックドラゴン)は噛み砕けなかった事に怒り心頭のようで、苛立たしげに唸っている。

 黒竜(ブラックドラゴン)はモモンガを睨みながら、カチッ、カチッと口を火打石のように鳴らし始めた。モモンガは何をする気なのか気になり、身構える。ユグドラシルではアバターなどの表情は変わらないため、こういった予備動作も未知の動きなのだ。念を入れるならば発動前に潰すのが定石だが、幸い相手はモモンガより格下。このまま待ってみるのも手だろう。

 

 黒竜(ブラックドラゴン)は鳴らしていた口元を止めると、息を大きく吸い込んで咆哮した。巨体から溢れ出るように漏れていた漆黒のオーラが波打ち、見えない力となってモモンガへと放射される。

 

「“畏怖する存在”か……だが」

 

 恐怖や混乱といった状態異常を相手に与える事によって、相手の行動を封じる特殊技術(スキル)の一つだ。ある程度育った(ドラゴン)ならば、当然持って然るべき能力である。

 

「悪いな。俺には通用しない」

 

 モモンガはアンデッドであり、そういった精神攻撃は一切通用しない。何より、レベル差があり過ぎてもとより通じるはずが無い。モモンガは現在漆黒の鎧で全身を覆っているので、黒竜(ブラックドラゴン)はアンデッドだと気づけなかったのだろう。

 動きが鈍らないモモンガに驚愕し、瞳を見開く黒竜(ブラックドラゴン)。モモンガも切っていた絶望のオーラⅠを解放し、黒竜(ブラックドラゴン)へと向ける。黒竜(ブラックドラゴン)はたじろいだ。

 

 ――グオオオォォォォ!!

 

 しかし、(ドラゴン)種族としてのプライドか。たじろいだが、そのまま無様に後退など決してしない。気合いを入れるように咆哮を上げると、モモンガをその双眸で睨む。瞳には、やはり憤怒と殺意が宿っていた。

 

「引かないか。――それでこそ、(ドラゴン)だよ。あの屑などより、よほどお前の方が(ドラゴン)らしい」

 

 脳裏を過ぎるのはあの緑の鱗だ。奴よりは、この黒竜(ブラックドラゴン)の方が(ドラゴン)らしいと言えるだろう。

 だが――賢いのはあちらで、引き際を誤っているのはこちらだった。

 

「いくぞ!」

 

 大地を蹴る。そんなモモンガに、黒竜(ブラックドラゴン)は再び咆哮を上げて、同じように向かって来た。

 鉤爪とグレートソードによって火花が散り、ぬかるんだ土が互いの踏み込みの度に捲れ上がる。視界は雨で悪くなる一方だが、どちらも決して引かない。鉤爪が、牙が、その巨体が幾度もモモンガを襲うが、モモンガはその度に剣を、鎧を盾にして弾く。

 ――そして、いつしか鎧に刻まれる傷が少なくなった。足運びが次第にスムーズに動き、グレートソードの刀身の腹を盾にする事を覚え、より剣筋が正確に思考と同じ軌跡を描くようになっていく。

 

 ――グオオオォォォォ!!

 

 黒竜(ブラックドラゴン)が咆哮を上げる中、モモンガは段々とコツが掴めてきた。

 

 剣を振るうのが楽しい。身体を思い切り動かし、ほんの少しだけれど――段々と理想の太刀筋と立ち振る舞いに自らが重なっていくのは、快感を覚えた。なるほど、戦士職のプレイヤーがいつも嬉しそうな顔で剣を振り回すわけである。この快感は、魔法のコンボが上手く決まって敵を撃破する快感と似て非なるものだ。

 

「――――」

 

 鉤爪をグレートソードの刀身の腹で防ぎ、引っ掻けるようにして下へ振り抜く。黒竜(ブラックドラゴン)はその動きにバランスを崩し、僅かだが重心がぐらついた。その隙をついて――モモンガは、もう片方のグレートソードを振り抜き片翼を半ばから切断する。

 黒竜(ブラックドラゴン)の絶叫が響いた。尾を振り回し、鞭のようにしならせてそれがモモンガの腹を撃つ。さすがのモモンガもそのまま吹き飛ばされた。

 

「――っと」

 

 だが、たたらを踏みながらも無様に地を転がるような真似はしない。地面にしっかりと二本の足で立ち、黒竜(ブラックドラゴン)を見据える。黒竜(ブラックドラゴン)は片翼から血を滴らせ、より一層憎しみを込めた双眸でモモンガを見つめた。口からは、再び電気がパリパリと漏れている。

 

「…………」

 

 ――グルルルル……

 

 互いに再び睨み合う。

 そして――ふと、思った。あの洞穴で遭遇した緑竜(グリーンドラゴン)は酷くお喋りな奴であった。それは策略や嘘を好むという生態がそうさせたのであろうが、しかしこの黒竜(ブラックドラゴン)は酷く静かな奴である。

 その双眸には怒りを宿している。憎しみを宿している。自らの財宝を盗まれた事に対する、苛立ちに満ちている。

 じっと、その双眸を眺めた。黒竜(ブラックドラゴン)の瞳の奥にある混ぜ込まれ、練り込まれた感情のうねり。憤怒と憎悪を宿したそれ――だが、この黒竜(ブラックドラゴン)の瞳はそれ以上に――暴力に対する喜悦に満ちていた。

 

 言葉は不要。相手が弱かろうと、強かろうと関係は無い。他者にもたらす苦痛こそが、この黒竜(ブラックドラゴン)の心の奥に宿る渇望であると、モモンガは心で理解する。

 

「――――」

 

 なるほど、確かに言葉は不要だ。盗まれた財宝なぞ、単なる状況ときっかけに過ぎない。絶望のオーラなどで引くはずも無かった。この黒竜(ブラックドラゴン)はただ、誰かに理由なく悪意を撒き散らしたいだけなのだから。

 

「――――」

 

 ――グオオオォォォォ!!

 

 黒竜(ブラックドラゴン)が咆哮を上げ、モモンガへと突進する。その姿を見ながら――モモンガはこの異世界で遭遇した二種の(ドラゴン)を思う。

 

 他者を騙して利用する緑の竜と、そして他者に悪意を叩きつける黒の竜。まったくもって、この異世界に来てから遭遇する者達は多大な悪意に満ちる者達ばかりである。

 その現実にモモンガは少しだけユグドラシルではない、元の世界を思い出して――その思い出を振り払うように、グレートソードを握り締めて黒竜(ブラックドラゴン)へと踏み出し、その大剣を振り下ろした。

 

 

 

 ――そして、幾度かの刃と爪の交じり合いの果てに、状況は一転する。

 

「漆黒の戦士、助太刀します!」

 

 モモンガを手助けするように、五人の人間達が現れる。彼女達は善意に満ちていて、顔も名前も知らない相手を助けようとする姿にモモンガは輝きを感じながらも――

 

(じ、邪魔なんですけどおおおぉぉぉぉ!?)

 

 そこにはやはり、無慈悲な現実が横たわっていたのだった。

 

 

 

 このあと、滅茶苦茶苛々した。

 

 

 

 

 




 
緑竜(屑)=第一村人(難度130)
黒竜(酸)=スライムA(難度100)
黒竜(雷)=スライムB(難度120)

蒼の薔薇「ユグドラシルは魔境(震え声)」
 


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The Dark Warrior Ⅱ

 
■前回のあらすじ

 緑竜は屑、はっきり分かんだね。
 


 

 

 ――黒竜(ブラックドラゴン)を退治し、その骸から証拠を剥ぎ取ってモモンガ――アインズは蒼の薔薇と名乗った五人の冒険者達と会話をしながら山を降りる。

 モンスターを討伐した場合はこうして指定されている部位の一部を切り取って、それを組合に持ち帰る事で報酬を得られるらしい。勿論、指定されている部位はモンスターによって違うらしいが。

 ちなみに、(ドラゴン)は指定部位など無い。そもそも、初めから討伐出来るとみなされていないのだ。しかし今回は例外中の例外という事で、首から上を斬り落として頭部を持って帰るよう言われていたらしい。巨大であるため、アインズが彼女達の代わりに持ってあげていた。

 ……その際、最初に巣で退治した黒竜(ブラックドラゴン)がドロップアイテムを落としていなかったのは偶然かと思ったが、やはり二体目もドロップアイテムが無かったために、アインズは再びゲームとの差異を確認していたが。

 

「……なるほど。皆さんはそのような理由があったのですね」

 

 アインズは蒼の薔薇からこの山に来るまでの経緯の詳細を聞き、感慨深げに頷く。

 ……蒼の薔薇はリ・エスティーゼ王国のアダマンタイト級冒険者であり、最高位冒険者だと聞いたアインズは、内心で苦笑いする。

 

(このレベルで最高位冒険者なのか……アダマンタイト級って言っても、ピンキリなのかな? アダマンタイトが一番硬い鉱石ってことは、それより硬い鉱石はこの世界には無い? それとも、発見されていないだけか……)

 

 何にせよ、数あるアダマンタイト級冒険者の中でもそれほど強い冒険者チームではないだろうとアインズは判断する。聞けば他の国にも冒険者はいるらしいので、王国にはそれほど強い冒険者は集まらないのだろう。

 

(まあ、王国は軍がしっかり働いているってことか)

 

 今回の(ドラゴン)討伐依頼のように国に雇われてモンスターを退治する冒険者が弱いという事は、つまり基本的には正規軍がしっかり仕事をしているに違いない。他の国――法国以外の人間の国は基本的に冒険者組合が存在するとの事なので、他の国は治安がしっかりしていないのだろう。

 

(そうなると、一番安定している人類の国は法国か。プレイヤーがいるから安定しているのか、それとも安定しているからプレイヤーがいないのか……どっちかな)

 

 実際に行ってみないかぎりは、はっきりしないだろう。いつか行ってみたいと思うが……彼女達はあまり法国に好感を抱いていないのが気になるところだ。見るかぎりでは善人な蒼の薔薇だが、腹の底ではどうだか分からない。法国に確執がある様子なのは、どういう意味なのか――法国について、もう少し突っ込んで訊いてみるべきであろうか。

 

「それにしても記憶喪失ですか……アインズさんは名前から推測すれば、法国の出身な気がしますね」

 

 アインズがそう考えていると、蒼の薔薇のリーダーであり、神官だというラキュースがちょうどいい話題を出してくれた。アインズはそれに便乗したい気もするが、記憶喪失のふりが発覚しても困る。……この世界の常識にあまり詳しくない、という事実を記憶喪失で通すためだが、少し早まった気がしなくもない。

 

「どうして法国だと思ったんですか?」

 

 しかし、それでも此処は素直に訊いておいた方がいいだろう。アインズにとって、このアインズ・ウール・ゴウンという名前はギルドの目印であり、プレイヤーの判別のためだが、国によって名前に特徴があると言われては聞き捨てならない。

 

「法国は名前に洗礼名があって、一般市民でも名前・洗礼名・苗字となるのが一般的なんです。アインズさんが貴族でないなら、そうじゃないかなって思ったんですけど……」

 

「洗礼名?」

 

「あそこ、宗教国家なんだよ。国民をきっちり管理するためでもあるんだろうけどよ、生まれた子供は必ず神殿で洗礼名を貰えるんだ」

 

 戦士のガガーラン――どう見ても筋肉質な男にしか見えない女性――は、アインズにそう教えてくれる。

 

(洗礼名ってのはよく分からないけれど、宗教的な意味だと普通なのか? よく分からないな……元の世界じゃ宗教なんてはっきり言って存在しないようなものだしなぁ)

 

 宗教はもうほとんど元の世界ではゲームのネタにされるくらいである。一応、まだ三大宗教くらいは残っていたが……戒律を守っている人間が、果たしてどれくらいいるものだか。

 あの世界で、本当に神がいるならそれは“クソッたれ”だ。ギルメンの一人――ウルベルト・アレイン・オードル辺りは、そう吐き捨てる事だろう。

 

「そうですか……それなら、確かに私はそのスレイン法国という国出身なのかもしれませんね。貴族という柄じゃないのは自分でも分かりますし」

 

 とりあえず、そう答えておく。アインズはまた一つ賢くなった。

 この世界には神や宗教という概念が存在する事。魔法が存在する世界ならば――本当に神様とやらが存在しているかもしれない、という事を。

 

(なんだか、知れば知るほどわけが分からないな……)

 

 内心で溜息をつく。なんだか、この世界に来てから溜息ばかりが多くなってしまった。早く他のプレイヤーに会ってこの気持ちを共有したいものだ。

 

「……どうしました?」

 

 ふと、全員が何とも言えない顔でアインズを見ていた。イビルアイという魔法詠唱者(マジック・キャスター)は仮面で顔を隠しているため、よく分からないが雰囲気は他の者達と同じようなものだ。その事に首を傾げる。

 すると、ラキュースが苦笑いをしながら口を開いた。

 

「いえ、アインズさんは十分貴族的だと思いますよ? 普通、そんなに丁寧な物言いと物腰の方は上流階級の者しかいませんから」

 

「はあ……?」

 

 ラキュースの言葉に、生返事を返す。そして、その意味を考えた。

 ……あの緑竜(グリーンドラゴン)の話と、蒼の薔薇の話を統合するとおそらく中世ヨーロッパ辺りの世界観が一番正しいのかもしれない。当然、技術的には魔法という技術があるのだから、下手をすれば元の世界の現代より進歩している技術もあるだろう。だが、モンスターという脅威がある以上、そこまで文明が進むのも難しいと思われた。緑竜(グリーンドラゴン)の話では、人間の国より異形種や亜人種の国の方が多いと思われるのもその考えに拍車をかける。

 だとすれば――学校などという存在が無い可能性もある。精々、一部に奇特な人物による学習塾のようなものがあるか、あるいは家庭教師のみで勉学を修めているのだろう。

 そう考えると、アインズの物腰は最低限の礼節だけは感じられるだろうから、貴族的と言われても納得出来る。

 

(まあ、元の世界じゃエリートとは程遠い小卒の社畜なんだけど)

 

 様々な人間の顔が頭に思い浮かぶが……すぐにその思考を打ち切る。あまり、会社の話は思い出したくないものだ。

 

「まあ、貴族だったらラキュースと同じタイプだな」

 

 カラカラと笑ったガガーランに、アインズは首を傾げた。すると見分けはつかないが、ティアとティナという双子の忍者が教えてくれる。

 

「ボス、本当は貴族」

 

「冒険者やるために家を飛び出した」

 

「それは……お転婆ですね」

 

 全員に生暖かい瞳で見つめられたラキュースは、顔を真っ赤にして口を開く。

 

「だ、だって! 御伽噺の英雄譚を聞いて、私もそんな風になりたいって思ったんだもの……だから、仕方ないじゃない。それに叔父さんだって冒険者をやってるんだから、私だけが責められるのは変じゃない?」

 

「アズスとお前では立場が違うだろう」

 

 イビルアイの言葉に、意気消沈するラキュース。しかしその表情に後悔は感じられず、他のメンバーも責めているわけではなく、単にからかっているだけなのだろう。

 

(いいチームだな……)

 

 先程の戦いぶりを思い出しながら、アインズは一人頷く。ユグドラシル時代のチームプレイを思い出したのだ。自分も、ギルドメンバーとこうして会話して楽しんだり、阿吽の呼吸でモンスターを狩ったものである。彼女達の姿は、そんなかつての自分達を思い起こすのに十分な素晴らしいチームプレイだった。

 ……まあ、アインズにとっては邪魔でしかなかったのであるが。しかし彼女達にあるのは一見してひたすらの善意で、苛立ったのは確かであるが、文句を言うほどでもない。今もこうしてアインズにこの世界の事を教えてくれ、役に立っているし。

 

(しかし、本当にユグドラシルと似ているようで違うんだな)

 

 双子の忍者に視線をやる。忍者はユグドラシルでは、六〇レベルにならないと修得出来ない職業(クラス)だ。

 しかし、先程の身体能力からして彼女達はそれほどレベルが高いように見えない。となると、この世界ではそうしたレベル制限のあった職業(クラス)が解除されているのだろう。

 

(忍者くらいならいいけど……低レベルのワールドチャンピオンがいる危険性もあるか。あまり油断は出来ない世界だ)

 

 緑竜(グリーンドラゴン)は自分一人で人間の国程度滅ぼせると言っていたが、こうしてこの双子の忍者を見ているとしょせんは自己に対する過大評価としか思えない。アインズは気を引き締めた。

 

「……どうしました?」

 

 ふと、ティアとティナが自分を見つめている事に気がついた。忍者という職業(クラス)特性上、自分の視線に気がついて気になったのであろうか。

 すると双子は急に白々しくもいじらしい態度で、アインズに告げた。

 

「そんな見つめられると照れる」

 

「惚れちゃった?」

 

「…………」

 

 何と返答していいのか悩んだ。

 

「あー、駄目だぜアインズさん。そいつら、レズとショタコンだからな」

 

「……うわぁ」

 

 ガガーランの言葉に心底ドン引きした声が出た。その性癖は……百年の恋も冷めそうだ。

 ティアとティナは手でVサインを作ると、ぽつりと告げる。

 

「性転換したら教えて」

 

「年齢が十歳くらいまで若返ったら教えて」

 

「…………」

 

「……うちのメンバーが、本当にすみません」

 

 無言になったアインズに、ラキュースが恥ずかしそうに頭を下げた。ガガーランの大爆笑が周囲に響く。

 そしてアインズは蒼の薔薇と会話をしながら、この山から一番近いエ・レエブルという都市へと向かった。道の途中、農村があったがそこで泊まるような事はせず、野営をするようで、アインズも野営地の準備を手伝った。

 この野営準備というものがアインズにはとても新鮮で、この一連のアウトドアを楽しんだ。現実の世界では勿論、ユグドラシルでも出来ない体験だからだ。

 そして、その中でもまた気になる事があった。イビルアイが周囲を歩き回り、何かの魔法を唱えているのだ。聞けば、〈警報(アラーム)〉と呼ばれる警戒用の魔法であり、ユグドラシルでは無い魔法でありアインズはとても興味を引いた。

 思わずイビルアイにそういった魔法はどうやって覚えるのか訊ねたが、イビルアイは素気ない感じで答える。

 

「魔法は才能ある者しか使えん。そして、才能ある者でも第一位階が圧倒的に多い……第三位階まで辿り着くのさえほんの一握りだ。世界への接続というものが出来なければならんからな。……私が見るかぎり、魔法の力は感じられん。魔法を覚えるのは無理だろう」

 

「はあ……」

 

 やはり、ユグドラシルとは違う過程で覚えるようだ。ユグドラシルでは単純にレベルを上げて特殊技術(スキル)を覚え、出たコンソールで選択すればいいだけの話だが、現実になるとそうはいかないというものなのだろう。運営が用意したものを覚えるだけのプレイヤーと違って、この世界ではやはり経験や知識、そして何よりも才能がモノを言うらしい。

 イビルアイがアインズに魔法の力を感知出来ない、という原因は装備している探知阻害の指輪のせいであろうが、この世界の魔法はアインズでは覚えられないかもしれない。

 

(いや、そもそも限界数まで魔法を覚えてはいるけど、“黒の叡智”で枠を増やせるか? やってみないと分からないな)

 

 知りたい事、実験したい事がどんどん増えていく。自分の収集癖に火が点いたような気がした。

 しかし、気になったからといって即座に実行に移すわけにもいかない。もう少し、この世界の常識を学んだ後に実験するべきだろう。

 

 アインズの無言をどう取ったのか、イビルアイは慰めるように告げた。

 

「そう悲観することはあるまい。お前は記憶喪失でありながら、(ドラゴン)と一騎打ちが出来るという間違いない英雄級だ。記憶を取り戻したお前ならば、もしかするとガゼフ・ストロノーフさえ超えるかもしれん」

 

「ガゼフ……?」

 

「王国最強にして、周辺国家最強の戦士だ。王国戦士長の地位に就いている。記憶を取り戻し、武技を思い出したお前ならばあるいは――十三英雄に匹敵するかもな」

 

 『武技』と『十三英雄』。またも知らない単語だ。王国最強の戦士だというガゼフという男にも興味があるが、先に興味を引かれたのはそちらだ。

 アインズが困っている気配を察したのか、イビルアイは十三英雄について語ってくれた。

 

「十三英雄は二〇〇年前に魔神を討伐した者達のことだ。英雄譚として語られている。……一応、十三人以上いるのだが主に英雄譚として語られているのはその人数だ」

 

「英雄譚、ということは御伽噺ですか?」

 

「いや、ラキュースの持っているあの魔剣キリネイラムはその十三英雄の一人が持っていた魔剣だ。英雄譚、となってはいるが本当にあった出来事だよ」

 

 アインズの頭の中に、ラキュースの持つ大剣の姿が思い起こされる。伝説の武器、と聞くと途端に興味が湧くが奪うわけにもいかない。それは最終手段だろう。

 それよりも『魔神』――と呼ばれる存在の方が気になった。

 

「その魔神、というのはやはり(ドラゴン)よりも強いんですか?」

 

 なにせ、“神”だ。ユグドラシルでもイベントボスとして幾つか存在したが、その強さは普通の(ドラゴン)よりは強い。……まあ、ワールドエネミーとは比べられないが。

 アインズの質問に、イビルアイは少し考えると――複雑そうな声色で答えてくれた。

 

「その質問は難しいな。魔神の強さも色々だ……と聞いている。(ドラゴン)より強い者もいるだろうが、さすがに竜王(ドラゴンロード)より強い存在はいないだろう」

 

「なるほど」

 

 竜王(ドラゴンロード)は評議国の統治者達の事だったか、そんな話を聞いた気がする。彼らよりは弱い――とは言うが、その竜王(ドラゴンロード)の強さが分からない内は何とも言えないだろう。あの緑竜(グリーンドラゴン)は評議国の竜王(ドラゴンロード)と戦っても勝ち目が無いと言っていたので、五〇レベル以上の強さなのは確定だろうが……。

 更に幾つかイビルアイに質問をしようとすれば、ちょうどティアかティナが話し込んでいた二人に声をかけた。

 

「ご飯出来たよ」

 

 その声に、少し離れた場所で話し込んでいた二人は会話を中断し、焚火の方へ近づく。その際中、アインズは一応イビルアイに頭を下げた。

 

「色々と教えて下さり、ありがとうございますイビルアイさん」

 

「……気にするな。――――早く、記憶が戻るといいな」

 

 イビルアイは素気なくそう言うと、武器の手入れをしていたラキュースとガガーランを呼びに行く。アインズはそんな素気ない、けれど少し感じ取れた優しさにヘルム越しに頬を掻いた。

 

 

 

 ――さて、食事であるがアインズは困った事がある。

 

(そういえば俺、アンデッドだから食べられないじゃん!)

 

 わざわざ分けてもらった食事を前に、アインズは固まる。そんなアインズの様子に空気に敏感な双子の忍者が声をかけた。

 

「食べないの?」

 

 食べられるものなら、食べたい。

 アインズはそう心の中で返事をするが、どうしようもない。この場で、本当に食べられるかどうか実験するわけにもいかない。

 

「嫌いなものでも入ってたか? 食べさせてやろうか?」

 

 ガガーランがニヤニヤと笑いながらアインズに訊ねるが、アインズは黙殺する。というか、返事をしたら即座にヘルムをひん剥かれてしまいそうな恐ろしい肉食獣のような気配を何故か感じ取った。

 

(ど、どうするかなぁ……)

 

 少し考え――仮面で顔を隠したイビルアイの姿が視界に入ったアインズは、何とか言い訳を思いついた。食事を持って席を立つ。そんなアインズに、視線が集中する。

 

「……私は離れたところで食べさせてもらいますね」

 

 そう、イビルアイを少し視界に入れて食事を持って離れる。あの五人に見えないだろう死角になる位置に改めて座り、チラリと彼女達の気配を探った。……特に動いた様子は無さそうだ。あの双子の忍者が本気で動けばアインズでは気づけないであろうが、さすがにそこまではするまい。

 

(さて、この食事どうするかなぁ……)

 

 アインズは自分に用意された食事を前に、その処理法に頭を悩ませるのだった。

 

 

 

 

 

 

「……気を使わせちゃったみたいね」

 

 ラキュースはアインズの背中を見て、ポツリと呟く。その言葉にガガーランが頷いた。

 

「だな。そういや、イビルアイは仮面で顔を隠してるし、食事もいらねぇからどうすっかと思ったんだよなぁ」

 

「私も少し困った」

 

「合同任務があった時、少し考えた方がいいかも」

 

 イビルアイはアンデッドであり、食事も睡眠も必要のない身だ。アインズの手前つい普段と違って同じように用意してしまったが、困った事になるところだった。

 何故なら――イビルアイの仮面を剥いだら、そこにあるのは人間ではあり得ない、血の色のような真紅の瞳なのだから。

 

 気を使われたイビルアイは、話を逸らすように咳を一つしてアインズの話題を出す。

 

「ところで――奴は本当に記憶喪失だと思うか?」

 

 その言葉に全員が少し考え――曖昧に頷いた。

 

「そうね……たぶん、記憶喪失だと思うわ。確かにびっくりするくらい知らないことが多いけれど、でも記憶喪失ならどこまでの記憶が無くなっているか分からないもの」

 

「武技の発動方法なんかは覚えてないみたいだけどよ、戦闘経験自体はありそうな感じだな……っつうか、歴戦の強者だぜありゃ」

 

「警戒心がとっても強そう」

 

「私達のこと、かなり警戒してる」

 

 ラキュースの言葉に続いて、他の三人も思っていた事を続ける。それに対し、イビルアイは二つ正体に心当たりがあった。その考えを纏めようと思考するが……

 

「でも、あの人一応他の国に対しての記憶はあったわ。周辺の国の名前はきちんと知っていたもの。……自分がどこにいるのかは分かっていないみたいだけど」

 

「あん? でも法国とか王国がどんな国か分かってねぇじゃねぇか?」

 

「だから、名前は知っているみたいな感じだったわ。どんな国かは憶えていないけれど、名前だけは憶えがあったみたい」

 

「ほー……だとすると、南の国出身なのかもな。いや、アゼルリシア山脈にいたんだから別大陸かも」

 

 ラキュースとガガーランの会話に、イビルアイは可能性の一つを切り捨てる。仮にそちらだったとすれば、国の名前を知っているはずが無いからだ。

 だからこそ、イビルアイはもう一つの可能性が正体なのではないかと結論付ける。

 

「ふむ……ならば、アレの正体は法国の特殊部隊の一人かもな」

 

「あー……」

 

 苦い記憶を思い出したのか、ガガーランが気の無い声を出す。そして嫌そうに口を開いた。

 

「はっきり言って、法国出身には見えないんだが」

 

「しかし装備品は一級品どころか国宝級だと思うぞ。頭の天辺から足のつま先までな。そこまでのマジックアイテムを揃えられるとすれば、法国くらいしかあるまい」

 

 法国の特殊部隊六色聖典――アインズは、その内の一人ではないのだろうか。法国ならば、アインズの持つ高額なマジックアイテムが説明出来るのだ。……勿論、別大陸出身の記憶喪失な凄腕の戦士という可能性もあるが。

 

「性格なんぞ、幾らでも誤魔化しが効くし、記憶喪失なら今の性格に意味はないだろう」

 

 イビルアイがそう言うと、ガガーランが「でもよ」と難色を示した。

 

「なんだ、ガガーラン。えらく奴の肩を持つな」

 

「いや、だって記憶喪失は本物っぽいぜ。んで前に遭遇した陽光聖典の奴らと比べると……明らかに毛色が違うしよ」

 

 ガガーランの言う事も分かる。以前、法国の特殊部隊六色聖典の一つ、陽光聖典の作戦中に遭遇した事があるが、その隊長格が嫌味な奴であったのだ。

 

「そうね、出来れば法国の人じゃなければいいわね……」

 

 ラキュースはそう寂しい声色で呟くと、話を切るように咳を一つして別の話題を出した。

 

「妙な詮索はもうやめましょう。それより、街に戻ってからのことを考えた方がいいわ」

 

「そうだな。何せ(ドラゴン)の討伐だぜ。報酬の分け前はどうする? アインズさんにも渡さねぇとな」

 

「王都まで一緒に同行してもらって、冒険者に誘ってみるのは?」

 

「それより、エ・レエブルで王国の常識を教えてあげるのが先だと思う」

 

 炎が照らす中で、蒼の薔薇は破顔しながらこれからの事を相談する。

 そしてその少し離れたところで、漆黒の戦士が一人食事の処理をどうするか頭を悩ませているのであった。

 

 

 

 

 

 

「あー……、やっとエ・レエブルに着いたぁ!」

 

 アゼルリシア山脈の麓にある大都市の一つ、エ・レエブルに着いたアインズと蒼の薔薇だが、門を通り抜けたところでガガーランが叫ぶようにそう言った。その言葉に苦笑するラキュースと、うんうんと頷く双子の忍者。イビルアイは仮面で表情は分からない。アインズはその大都市の姿を田舎者のように興味深げに見回していた。

 

「えっと……それじゃあ、冒険者組合に行かなくちゃいけないんですけど、アインズさんも来られますか?」

 

「……行った方がいいですかね?」

 

 ラキュースの言葉に訊ねると、ティアとティナが頷いた。

 

「街中でその格好は目立つ」

 

「組合に冒険者として登録しておいた方がいいと思う」

 

 アインズは全身鎧(フルプレート)で姿を覆っており、背に二本のグレートソードを負っている。そんな見た目の、冒険者のプレートも持っていない人間が歩いて回るのは住民が不安がるし、街の治安を守る兵士が呼び止めるかもしれない。その面倒臭さを考えると、この場で冒険者組合に冒険者として登録しておいた方がいいとの事だ。身分証明書にもなるらしい。

 

 アインズは少し考えると――それでも、首を横に振った。

 

「いえ、少し考えさせて下さい。どの道、私は王国民では無いようなので、少し自分の進退を考えておきたいので」

 

 記憶喪失という建前上、アインズはそう言って断った。都市の間には検問所があり、そこで蒼の薔薇が気を利かせてアインズの名前で王国民の目録を探してくれたのだ。当然、アインズの名前はそこに無いが蒼の薔薇はアインズが王国民で無い事を知って落胆とやはり――という表情をしていたのを覚えている。

 その一連の出来事を思い出したのだろう、ラキュースはアインズの言葉に残念そうに「そうですか」と呟いた。

 

「それなら仕方ありませんね」

 

「よっしゃ! なら俺が街を案内してやるよ! ついでに常識もな!」

 

 ラキュースの言葉と同時に、ガガーランがアインズの肩をガシッと組み、アインズの手からパッと(ドラゴン)の頭部が入った大袋を取り上げるとラキュースへと手渡した。慌てて受け取ったラキュースは、自分の懐から代わりに小さな皮袋を取り出してガガーランに渡す。そして、ガガーランはずるずるとアインズを引き摺っていった。

 

「え? ちょ」

 

「んじゃラキュース! あとよろしくな!」

 

「もう……ガガーラン! 迷惑かけちゃダメよ!」

 

 仲間達を置いてアインズを引き摺っていくガガーラン。それに呆然としながらもアインズは引き摺られて街へと消えていった。

 ――こうして、ガガーランに引き摺られながら武器屋や道具屋、魔術師組合、宿屋などを紹介されたアインズ。文字が分からない事をガガーランは知ると、アインズに簡単な絵本を紹介したり看板の意味を教えてくれたりと至れり尽くせりではあったのだが。

 

「……この感じ、やっぱアンタ童貞だな?」

 

「――――え」

 

 そう公衆の面前で急に断定(そうだけど)されたり。

 

「な? な? 天井の染みを数えてる間に終わるからよ。ちょっと宿屋に――」

 

「だ、誰かぁッ! 誰かぁッ! ここに痴女があああッ!!」

 

 そう宿屋に引きずり込まれそうになったりと――誰も助けてくれないどころか目も合わせてくれなかった。どうやらガガーランの童貞食いは有名であったらしいと、アインズは後に知る事になる――色々あったが、アインズとガガーランのデート(?)は概ね良好であった。

 

 

 

 一方、肉食獣(ガガーラン)に引き摺られていった哀れな草食動物(アインズ)を見送ったラキュースは、ティアとティナ、イビルアイと共に冒険者組合へと向かった。一応、ガガーランにはアインズに渡す(ドラゴン)討伐の報酬分は渡してある。彼女ならばちゃんと忘れずアインズに報酬を渡しておいてくれるだろう。

 そして黒竜(ブラックドラゴン)の頭部を持って来たラキュース達に、冒険者組合の者達は大喜びであった。さすがは蒼の薔薇である、と。周囲にいた冒険者も嫉妬と羨望の的を見る表情でラキュース達を見つめていた。

 そんな彼らの反応にラキュースは苦笑しながら、知らせておかなくてはと口を開く。

 

「私達だけで倒したわけじゃないの。この(ドラゴン)と一騎打ちしていた人がいて、その人と協力して討伐したのよ」

 

 ラキュースがそう言うと、周囲は別の意味で大騒ぎになった。

 何せ、(ドラゴン)というのは世界最強の種族である。有名な英雄譚である十三英雄の物語の最後の相手も、“神竜”と呼ばれる(ドラゴン)であった。大空を自在に舞い、口からは吐息(ブレス)を吐き、その鱗はいかなる金属も防ぐ――そのように伝わる最強種だ。そんな怪物と一騎打ちをするなど、信憑性の少ない英雄譚にしか存在しない。

 しかも、ラキュース達が持って帰ったこの頭部から察するに、かなり大きな個体だ。難度は一〇〇を平然と超えるだろう。ラキュース達が嘘をつくはずが無いと信頼している組合の者達や同業者達にとって、当然聞き捨てならない情報であった。

 

「そ、その人はどこに!?」

 

 当然、組合員はその話に食いつく。ラキュースは顔を近づけてくる組合員に少し身を引きながら、苦笑を返した。

 

「それが、少しばかり事情のある人で……今のところ冒険者になる予定は無いみたい。一応、一緒にこの街まで降りて来たから、まだこの街にはいるはずだけど……」

 

 その話を聞くと、何人かの組合員が目配せしてすっ飛んでいくのがラキュースの視界の端に映った。おそらく、アインズを組合に誘うつもりだろう。まだアインズの見た目さえ教えていないというのに、せっかちな者達である。……まあ、(ドラゴン)と一騎打ち出来るような人間ならば、見ただけで分かるという自信があるのだろう。実際、ラキュースだって「(ドラゴン)を討伐出来そうな人間を探せ」と言われれば、姿形を教えてもらわなくともすぐにアインズを発見出来る自信がある。ガガーランが一緒にいるはずなので、尚更分かり易い。

 

「それじゃあ、報酬の件を――」

 

 

 

 ガガーランの案内で色々と見て回ったアインズは、気疲れしながらガガーランの隣を歩く。

 重装備の女(?)戦士と全身鎧(フルプレート)の漆黒の戦士の組み合わせはやはり目を引くようで、道を歩くと人々は自然とアインズとガガーランを目で追い、ガガーランの持つプレートの輝きに納得したように目を逸らした。時折、憧れや嫉妬の目でそのプレートを見ている者がいる事にもアインズは気づいている。

 

「その、何から何まで世話をかけまして、ありがとうございます。ガガーランさん」

 

「いいって。気にすんなよ!」

 

 ガガーランは礼を言うアインズに、活気あふれる豪快な笑顔で返した。本当に、気にしていないらしい。

 

(世話好きな人だなぁ……)

 

 その姿に、少しだけ純銀の聖騎士を思い出す。場合によってはお節介とも言えるが、しかしこの優しさに心救われる人間は多いだろう。――たっち・みーに救われた自分がそうであったように。

 

(まあ、こういう人はトラブルも起こしやすいんだけどさ)

 

 こういう人間はいらぬ苦労を背負い込んでしまいがちだ。他人の地雷を踏み抜く事も、よくあるだろう。それでも人を自然と惹きつける。だからついリーダーにしたくなるのだが……言いたくないが、それはトラブルの元だ。経験者だからよく分かる。ラキュースがリーダーな辺り、彼女達はちゃんと役割分担を分かっているのだろう。

 

「ところで、これからどうする気なんだ?」

 

 ガガーランがアインズの今後の予定を訊ねたため、アインズは少し考え――口を開いた。

 

「とりあえず、冒険者くらいはなってみようかと。やはり身分証明になる物は必要ですし」

 

「だろうなぁ」

 

 冒険者になれば、ある程度の煩わしさからは解放される。特に国同士の諍いなどには全く無関係でいられるし、国境を越えて別の国に渡る事も特に禁止されていない。

 

(国に雇われてモンスターを討伐する事もあるみたいだけど、やっぱり未知のダンジョンを探索したり出来るのかな……夢のある仕事だ)

 

 その行動は、ユグドラシル本来の遊び方に近い。ユグドラシルでその遊び方をしている人間は極少数であったが、あまり危険の無さそうなこの世界でならそういった遊び方もいいだろう。せっかく、戦士のふりもしているのだし。

 

「じゃあ、さっそく組合に行って登録してくるか?」

 

 ガガーランの言葉に、アインズは首を横に振る。

 

「いえ、別の場所で登録します」

 

 基本的に、登録した場所を拠点として動くのが基本らしいので、アインズはエ・レエブルでの登録は遠慮した。……別に、蒼の薔薇というかガガーランのいる王都近くで行動したくない、というわけではない。ここはアゼルリシア山脈に近いので、一応あの緑竜(グリーンドラゴン)になるべく遭遇しないためだ。一人の時に遭遇するのは別に構わないが、他人といる時に遭遇すると面倒臭い事になる。主に奴が調子に乗る的な意味で。

 アインズがそう言うと、ガガーランは不思議に思ったのか訊ねてきた。

 

「じゃあ、俺らがいる王都まで行くのか? こっちは別に大歓迎だけどよ」

 

「いえ、エ・ランテル辺りで登録しようかと」

 

 ガガーランが持っているという地図を貰い、その地図で地名の説明を受けた時に教えてもらった場所を思い起こしながら答える。エ・ランテルは王国でも端の方にあり、敵国である帝国に近い。

 ただ、エ・ランテルはアゼルリシア山脈からある程度離れており、更に少し興味のあるトブの大森林という人類未開の地に近いらしいのでアインズにとっては好条件だ。更に言えば帝国や法国とも近いので、色々と見て回るのにも都合がよかった。

 

「なんでまたそんな遠い場所に?」

 

 ただ、ガガーランはそんなアインズに困惑したらしく、更に言葉を重ねた。それにアインズは何と言おうか考えて――少し楽しげに、ガガーランへと返した。

 

「それは――そうですね。やはり、商売敵はあまり近くない方がいいでしょう?」

 

 商売あがったり、なんて言わずに済むのだから。

 笑みを含めた声色でそう言うと、ガガーランはきょとんとした顔から、徐々に好戦的な笑みに変わってアインズの背を楽しげに叩いた。

 

「はは! 確かにな――言うじゃねぇか! んじゃ、アダマンタイト級まで上がってくるのを王都で待ってるぜ!」

 

 カラカラと笑うガガーランに、アインズも苦笑する。まあ、新人としては生意気な事を言っているだろう。

 

(でもまあ、俺の方がレベルとか上だしなぁ)

 

 身体能力的な意味でも、アインズの方がガガーランより遥かに強いだろう。ただ、それでも戦士として戦えば軍配が上がるのはガガーランだ。アインズにはまだ技術が無い。しかし、ガガーランには近接戦の技術も経験もある。――勿論、アインズが本来のスタイルで戦えば勝敗を競うのさえ愚かしい事になるが。

 

 しかし――ガガーランも当然身体能力的な強さでは、アインズに劣っている自覚があるのだろう。だからこそ、笑ってはいるが、同時に笑っていなかった。そこには何と言うか――好敵手を見つけたような感情が見えた。

 

「――さて、そういう事でしばらくお別れですね、ガガーランさん」

 

「あん? もう行っちまうのか?」

 

「はい。善は急げ――と言いますし。それに正直、早くこの街を出ないとこのまま、ここで登録することになりそうです」

 

「確かに」

 

 (ドラゴン)退治が偉業ならば、それを行ったアインズを組合に登録しようと躍起になるだろう。あの手この手でこの街で登録させようと動くかもしれない。そういうのは、少し御免だった。件の場所から離れれば、ある程度収まっているだろう。

 アインズの言葉にガガーランは懐に手を入れると、皮袋を取り出した。

 

「じゃあ、これは渡しておくぜ。アンタの取り分だ」

 

「取り分?」

 

「おう。今回の依頼のな。遠慮せず受け取れよ。俺らだけ受け取るってのもおかしいからな」

 

「――ありがとうございます」

 

 受け取れば、それはずっしりとした重みを感じた。アインズがあの山で手に入れた硬貨と同じくらい入っている気がする。さすがに、中を見る事はしない。そんな事をしなくとも、彼女達はそういった事はしないだろう――少なくとも、ガガーランに関してはそう確信出来た。

 

「――また何処かで会おうぜ、アインズ!」

 

 礼を言い、街から去ろうとするアインズにガガーランが叫んだ。アインズはその言葉に――少しだけ躊躇しながらも、手を振って答えた。

 

「ああ――お前も、また会おうガガーラン!」

 

 互いに名前を呼び捨てて、夕暮れの中別れを告げる。

 運が良ければ、また互いに会う事もあるだろうと信じて。

 

 

 

 

 

 

「――と、そんなことがあったのよラナー」

 

 ラキュースはそう、目の前の人物に話を締めくくった。目の前の美しい少女――王国の第三王女であり、ラキュースの親友であるラナーは瞳をキラキラと輝かせて彼女の話を聞いている。

 

「凄いわ! (ドラゴン)と一騎打ち出来る戦士様だなんて! それも記憶喪失の状態で!」

 

 ラナーの言葉に、ラキュースは苦笑しながら頷く。実際、記憶喪失状態で(ドラゴン)と一騎打ちが出来るアインズはとんでもない人物だ。記憶を取り戻したその時、その強さはあのガゼフを凌ぐかもしれない。

 

「ねえ、その戦士様は今はどこに行ったの?」

 

「ガガーランから聞いた話では、エ・ランテルで冒険者をするって言っていたらしいわ。そろそろ着いて、登録している頃じゃないかしら」

 

「そう――出来れば、王都まで来て貰って城に仕えて欲しいけれど、それなら無理でしょうね」

 

 ラナーの言い分も分かる。強く、そして記憶喪失さえ除けば人格的に全く問題の無い相手だ。王城に勤めてくれれば、さぞや心強い部下となっただろう。

 とは言っても、そう話は簡単ではないだろう。確実に貴族の横槍は入るし、ガゼフの部下にしても、ラナーの特別な相手――クライムと同じように部下にしても、やはり色々と言われるに違いない。彼は、そういった煩わしい事は嫌がりそうな気がする。

 ただ、全てはもう遅いだろう。冒険者組合に登録した以上、もう王族であろうと横槍は入れられない。下手に横槍を入れれば冒険者組合の方が「何故そこまで一人の人間に拘るのか」と言い、そして功績を聞いた日には何が何でも組合の方が離さなくなる。

 

「まあ、あの人くらい強ければ滅多なことで死んだりはしないでしょう。きっと、またいつか会えると思うわ。……と言うより、会うより先に名声の方が届きそうね」

 

「そうなの……それじゃあ、その日を楽しみにしているわ。クライムが、そういった英雄譚が大好きなの。もしその戦士様が王都まで来られたら教えてちょうだい、ラキュース。クライムがきっと、話を聞きたがると思うから」

 

「ええ、必ず知らせるわラナー」

 

 

 

 ――そして、ラキュースが去り一人になった部屋で、ラナーは少し冷めた紅茶に口をつける。口を湿らせカップを置いたその時、ラナーの表情は今までの天真爛漫な、美しいお姫様のものではなかった。どこまでもひたすらに虚無的な、がらんどうの無表情がそこにはある。

 

「……エ・ランテルか。厄介なところに行かれたわね」

 

 地理的に、王都から遠すぎる。一番いいのは王都であったが、例え離れていてもエ・レエブルならば問題無かった。あの領地を統治する大貴族は、他の貴族と違って話を簡単に通す自信がある。

 しかし、これがエ・ランテルとなると一番厄介な場所であると言っていい。

 

「お父様の直轄領である以上、連絡を入れようと思ってもかなり時間がかかることになる――帝国や法国に近いのも問題だわ」

 

 何か王国で問題を起こしても、即座に別の国に離脱出来る位置だ。特に毎年戦争をしている帝国に逃げ込まれると厄介極まりない。あの皇帝ならば、当然――(ドラゴン)と一騎打ちが出来るような漆黒の戦士を逃がすなどあり得まい。あの手この手を使って帝国内で快適に過ごせるよう手配するだろう。そのまま帝国騎士にでもなられたら、王国は完全に詰む。

 

「他の国に行かれると厄介――そうなる前に、何とか手を打つしかないわね」

 

 今のところは問題無く過ごしてくれるだろうが――ある程度は縛り付けておかなくてはならない。ラナーの頭の中に幾つもの案が浮かぶ。しかし――そのどれも、漆黒の戦士の人となりが分からない以上、効果が今一つ期待出来なかった。はっきり言って、情報が少なすぎる。ラキュースからの情報だけでは、漆黒の戦士の強さ以外を判断する材料が少な過ぎてどの案も効果が期待出来ないのだ。下手をすれば、地雷を踏み抜く危険性もある。

 

「――そういえば、戦士長様がエ・ランテルに行くんだったか」

 

 ふと気づく。ちょうど、ガゼフが王命でエ・ランテルへ向かうのだ。――勿論、その本当の意味は薄暗いものしか存在しない。ガゼフは生きて王都に帰還する事はないだろう。普通ならば。

 しかし――

 

「……日数的には、ギリギリで間に合うか。馬を何体か使い潰すことになるけれど、その程度の損失なら――」

 

 エ・ランテルまでの距離を計算し、ガゼフがそこに辿り着くまでの距離を同時に計算に入れる。これならガゼフがエ・ランテルに着くまでに間に合いそうだと思われるが……。

 

「……いえ、やめておいた方が無難ね。まだよく分からない内に下手につつくと、藪蛇になる可能性の方が大きい」

 

 失敗は許されない。それに、エ・レエブルではなくエ・ランテルに向かった辺り、馬鹿ではない。下手な手を打てば狙いに気づかれる危険性がある事は十分注意すべきだ。

 

「戦士長様のことは大人しく諦めましょう。どうせ、生きていても迷惑になるだけですし」

 

 ――このリ・エスティーゼ王国は王派閥と貴族派閥に別れ、いつ内乱になってもおかしくない緊張状態に包まれている。今は極限のバランスで拮抗状態であるのだが、ほんの些細な出来事で容易くバランスは崩れ、王国内は時を待たずして分解するだろう。

 だが……ラナーの考えでは、まだ挽回はきく。王位が第一王子のバルブロに渡れば最悪だが、十中八九バルブロではなく第二王子のザナックが王位に就くだろう。バルブロとザナックでは頭の出来が違い過ぎるし……何より、ザナックがあのレエブン侯を味方につけている以上バルブロや他貴族如きでは即返り討ちにされる。

 更に、王国に巣食っている犯罪組織八本指の件もあった。八本指の扱いには注意が必要だが――ザナックとレエブン侯なら扱いを間違うような事はあるまい。

 八本指はそろそろある程度――特に麻薬部門の力を削いでおく必要があるが、滅ぼす事は出来ない。帝国にも迷惑をかけている麻薬部門は早めに力を削いでおかなければ、皇帝が本気で王国を潰しにくるため仕方ないが、他の部門は問題だ。内部に食いつかれ過ぎていて、壊滅させれば文字通り、一蓮托生で王国も滅ぶだろう。その辺りのバランスも、あの二人ならばなんとか保てるはずだ。保てないようならラナーが知恵を貸してもいい。あの二人は、自分の本性に気づいている節がある。

 

 ……そう、王派閥はこれ以上下手に延命させるより、粉砕してしまった方がいい。貴族を纏められない無能な王。そんな王に愚直に仕える事しか出来ない政治的な頭の無い部下。はっきり言って、もはやこの状況ではもっとも民衆にとって害悪なのは王なのだ。それを気づいていない辺り、救いようがない。

 

 だからこそ――ガゼフは、この辺りで死んでおくべきだろう。どの道、生きていても迷惑になるだけだ。その死が、王派閥と貴族派閥のバランスを崩し貴族派閥を優勢にして――ザナックが最後に王位を勝ち取る。

 それこそが民衆にとってもっともよい未来であり――ラナーの本性に気づいているであろうザナックが王位に就く事で、ラナーもまた願いを叶える事が出来る。もっとも勝算の高い道だ。身分違いのクライムと結ばれるには、一番理想に近い道になるのはザナックが王位につく未来だろう。

 

 だから、少しだけ思い浮かんだ、ガゼフの生還への道をラナーは無かった事にする。

 ただ――仮に何らかの奇蹟が起きたとして、ガゼフが生きて帰る事が出来たとしても、それは失敗にはならない。

 もしその奇蹟が起きるとすれば――それは、あの漆黒の戦士が関わった時であろうから。

 その場合は、漆黒の戦士についての情報が増える。その時に、改めて効率のいい、そして効果のある策を練ればいいだろう。レエブン侯やザナックも交えて。まだ時間はあるであろうから。

 

「ふふ――」

 

 ラナーは微笑んだ。花が綻ぶような綺麗な――同時に、人喰いの魔女が嗤ったような寒気のする笑顔だった。

 

「待っていて下さいね、クライム――私達の、小さな理想の箱庭はもう少し……」

 

 黄金の少女の目指した小さな二人だけの理想郷は、もうすぐそこまで迫っている。

 

 

 

 

 

 

 ――城塞都市エ・ランテル。その日、そこに一人の新しい冒険者が誕生した。

 

 金と紫色の紋様が入る漆黒に輝く絢爛華麗な鎧で全身を覆い、真紅のマントを羽織り、背中からは背負った二本のグレートソードが柄を突き出している如何にも屈強な漆黒の戦士。

 冒険者組合から出たその漆黒の戦士を、誰もが一度は凝視する。その見事な鎧に。

 

「――――」

 

 漆黒の戦士は黙して何も語らない。見た目通りの寡黙な者なのか、彼は少し周囲を見回すとふらりと街中へ消えていった。

 その威風堂々たる姿に、街の住人達は視線を釘づけにされ――しかしやがては単なる冒険者である、と気づいて視線を逸らし忘れていく。

 星の数ほどいる、と言っても過言ではない冒険者の一人一人など、わざわざ覚えていられないからだ。

 

 ――そう、冒険者とはモンスター退治を専門とする者達の総称である。冒険者組合はそんな傭兵まがいの者達を管理する組織だ。

 傭兵まがい、と言われる事もある通り、冒険者は基本的に荒くれ者が多い。農家の役立たずな次男や三男坊が家を追い出されてなったりする事が多いためだ。そしてそういう者は性根が卑屈である事が多く、はっきり言えば、あまり都会の人間には好かれていない。

 

 モンスター退治のために仕方なく雇い入れた契約社員――それが冒険者の正体であった。未知のダンジョンを探索したり、過去に滅びた遺跡を探索したりするなど――そういった事は滅多にない。

 

「――――」

 

 ……冒険者組合でそのような詳細な説明をまず受けて、一気にテンションが駄々下がりした新しい冒険者がいたなどという事実は、今のところ誰も知らなかった。

 威風堂々たる姿で歩く漆黒の戦士が、実際は肩を落としてしょんぼりとすすけた背中で歩いていたとは、この時誰も気づく事は無かった。

 

「…………詐欺だ」

 

 蒼の薔薇との出会いを思い出しながら、漆黒の戦士は誰にも聞こえないようにポツリと呟いた。

 

 

 

 




 
人情味に溢れ、優しく、世話好きお姉さんなガガーランはヒロインの鑑。
 


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Defensive War Ⅰ

 
■前回のあらすじ

ガガーランはヒロインの鑑。
 


 

 

 アインズが昼頃にエ・ランテルへ到着し、冒険者組合に冒険者として登録した頃には夕暮れとなっていた。そして肩を落としとぼとぼ歩いていたアインズがまず最初に向かったのは道具屋――それも薬師のいる道具屋だった。

 

(一応、ガガーランに案内されてエ・レエブルは色々見て回ったけど……この街でも調べておかないとな)

 

 特に気になるのが、アインズの持つポーションとの色の違いだ。アインズの持つポーション……ユグドラシルのポーションは赤い色の液体なのだが、ガガーランに案内されて見たエ・レエブルで見たポーションの色は青色だった。治癒のポーションだと言っていたが、アインズの持つポーションと色以外でも何か効能が違う可能性がある。是非とも調べておきたかった。

 

(えぇっと、確かポーション系専門の道具屋の看板は……と)

 

 教えてもらった看板の絵を思い出しながら、街中を見て回る。エ・レエブルの時と同じように、視線が自分に集まるがアインズは気にしない。というか、ちょっと慣れた。

 

(お、あった)

 

 歩いて街中の地理を確認しながら探し、ようやく看板を発見する。こういったポーション系の道具屋は幾つもあるようで、この区画の通りの左右に幾つも同じような看板が掲げてあった。

 

(どれにするかなぁ……)

 

 何故か嗅げる臭いはアゼルリシア山脈の山でも嗅いだ植物特有の匂いだ。街中では普通匂わない類のものである。その区画から強く匂いがあり、あまり長居したい気分ではない。

 アインズは迷いながら、一番大きな家に入る事にした。その大きな家は他の家屋と違い、前に店舗・後ろに工房といったものではなく工房・工房といった作りになっているようだったためとても目立ったのだ。

 アインズがドアを開けると、上に取り付けられている鐘が大きな音を立てた。室内は応接室のようになっており、部屋の中央には向かい合った長椅子が置かれ、他には書類が並んだ本棚が置かれている。

 

「はいよ、いらっしゃい」

 

 アインズが室内を興味深げに眺めていると、部屋の奥から老婆が現れた。老婆はアインズを見ると少し驚き、胸元にあるプレートを見ると微妙な表情で話しかけた。

 

「あー……もしかして、エ・ランテル出身じゃない新しい冒険者かい?」

 

「……よく分かりましたね。ええ、そうです」

 

 内心で驚き、そう言うと老婆はその理由を語ってくれた。

 

「うちは他の所のポーションよりいい性能のポーションを売ってるんでこの街じゃ有名なんだよ。そしてうちに置いてある商品は基本、(カッパー)の冒険者が買えるような値段じゃない。他の店の薬草とか見た方がええぞ」

 

「ああ――なるほど」

 

 つまり、高位冒険者御用達――と言ったところか。店にもランクがある、というのは分かる。現在のアインズは最下層の冒険者なのだから、この老婆が有名人であり、店の商品もそれに見合った商品を出していると言うのなら、アインズは確かに場違いだ。そして、それにも関わらずアインズがこの店を訪れたという事は、アインズはこの街に詳しくないと言っているに等しい。

 

「いえ、お金ならあるのでお構いなく。どのようなポーションがあるのか見せていただけますか?」

 

 アインズがそう言うと、老婆は呆れ顔で頷いた。

 

「……まあ、そんな高価そうな鎧着てる時点で金くらいあるだろうな、と思っとったよ。ちょいお待ち。……やれやれ、ンフィーはいつ買い物から帰って来るんだか」

 

 最後の方は聞こえなかったが、老婆はそう言うと部屋の奥へと消えていった。……少しすると、幾つもの青い液体の入った瓶を持って出て来る。

 老婆はアインズに座るように促すと、その対面に座って机の上にポーションの瓶を並べる。

 

「回復のポーションでよかったね?」

 

「ええ」

 

「なら、この三種類だよ。右が薬草で作ったポーション、真ん中が魔法と薬草、左が魔法で作ったもの。どれを買うんだい?」

 

「…………」

 

 アインズは思わず固まる。ユグドラシルとは全く違う作成方法が出て来たからだ。もしやここに青色のポーションと赤色のポーションの秘密が隠されているのかと、アインズは口を開く。

 

「……申し訳ありません。実はあまりポーションに詳しくないので、それぞれ何が違うのか教えていただけますか?」

 

「うん?」

 

 アインズの言葉に老婆は不思議そうな顔をした。その表情から、どうやら常識的な事を訊ねたようだと察するが、仕方が無い。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥とも言う。別に見栄を張るような相手もいないので、アインズは素直に訊ねた。

 

「いえ、私の知るポーションとは生成方法が違ったものがあったので、気になったのです。よければ教えていただけませんか?」

 

 アインズがそう言うと、老婆は納得した表情で頷いた。

 

「――ああ、なるほど。ポーションには三種類あってね、一つが薬草だけで作るものさ。こいつは即効性はなく――」

 

 アインズは老婆の話を頷きながら聞く。

 老婆から聞いた説明では、薬草で作ったポーションは即効性が無く、効果も薄いが非常に安価。魔法と薬草で作ったポーションは、効果が現れるのが薬草のものより早いが、それでも時間がかかる。冒険者がよく飲む回復系のポーションはそれらしい。

 そして最後の魔法のみで作ったポーションは、魔法と同じく即効性があり、効果も魔法と同じものらしい。ただし高額だが。

 

 説明を聞き終えたアインズは、続いて気になる事を訊ねる。

 

「どうしてポーションの色は青いんでしょうか? 他の色ってないんですか?」

 

 老婆は苦虫を噛み潰したような表情で、悔しそうに語った。

 

「ポーションは製作過程でどうしても青くなっちまうのさ。理由は分からないがね」

 

 なんじゃそりゃ。アインズは自分の持つポーションの色を思い出し、心の中で首を傾げた。少なくとも、ユグドラシルではそんな色のポーションは無い。誰がポーションを作ろうと、そんな色のポーションを生成したという話は聞いた事が無かった。

 

「伝説によれば、完成された真なるポーション……〈保存(プリザベイション)〉のかかっていないポーションは神の血の色、と言われておる。薬師の界隈じゃ神の血は青いんだ、なんて冗談があるくらい、別の色のポーションなんて存在しないのさ」

 

「〈保存(プリザベイション)〉?」

 

「魔法のみで生成したポーションは沈殿物がない代わりに、錬金術溶液を使う。錬金術溶液は鉱物をベースにして作るもんなんだ。そのため、時間の経過と共に劣化するんだよ。だから、魔法で保存するのさ。伝説のポーションは劣化しないらしいがね」

 

「……なるほど」

 

 時間の経過と共に効能が劣化するポーション、というのはさすがにアインズも知らない。というか、ユグドラシルには無い。さすがの糞制作も、「時間と共に劣化して役立たずになるので定期的に補充して下さいね」というふざけたシステムを搭載する事は無かった。

 そうなると、考えられるのは――おそらく、ポーションはこの異世界に伝わる内に異世界特有の進化を遂げた、という事だろう。

 この異世界では、アダマンタイトなどという柔らかい鉱物がもっとも硬く、最高の鉱物だと言われているらしい。つまり、この異世界にはユグドラシルほどの材料の豊富さは無いのだ。そうなると、ユグドラシルと同じようなポーションは作れない。

 それを何とか再現しようと四苦八苦した結果――今のようなポーションが出来たという事だろう。

 

「お話、ありがとうございました。それで、このポーションは幾らでしょうか?」

 

 十分な話が聞けたので、さっそく値段を訊ねる。さすがにポーションの一つも買えないほど金が無い、というのは無いだろうと思うので大丈夫だろう。魔法で作ったと言われているポーションを指差した。

 老婆はアインズの言葉に「金貨八枚だよ」と言った。アインズでも十分余裕で払える金額だ。アインズは怪しまれないための見せる用の無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)から硬貨を入れていた皮袋を取り出し、中を覗く。

 

「…………」

 

 忘れていたが、ほとんど白金貨だ。(ドラゴン)討伐で蒼の薔薇から貰った報酬は全て白金貨であったし、あの緑竜(グリーンドラゴン)が渡してきたのも、ほとんどが白金貨であり、金貨や銀貨は少ない。銅貨に至っては、一枚も持っていない。

 

「……ではこれで」

 

 仕方なく、白金貨を出す。老婆は受け取ると、釣銭の金貨とポーションをアインズに渡した。釣銭を皮袋にしまった後、ポーションと共に無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)に入れる。

 用が終わったので、席を立った。そして店を出る時に、アインズは老婆に声をかけられた。

 

「そういや、お前さん。お前さんの知るポーションはどんな生成方法だったんだい?」

 

「――ああ、私が知るポーションの生成方法は魔法ですよ。薬草で作るものは聞いたことがなかったので、それで不思議に思って訊ねたんです。貴重な話、ありがとうございました」

 

「そうかい。――また、ポーションが要り様ならうちに来な」

 

 その言葉を最後に、今度こそ店を出る。アインズは再び街中の散策を始めた。魔術師組合の位置、定期的にアンデッドが湧く共同墓地の様子など、このエ・ランテルには幾らでも見て回りたい場所があった。

 ――アインズが冒険者組合で紹介された宿屋に向かったのは夜も更けた頃、そしてそこで飲んだくれと一悶着あったのだが――当然、余裕で鎮圧し、アインズは一人部屋を満喫した。

 

 

 

 

 

 

 翌朝、アインズは冒険者組合を再び訪れた。入ればカウンターがあり、そこに三人の受付嬢。笑顔で冒険者達の相手をしている。昨日、アインズの登録に付き合ってくれた受付嬢もそこにいた。見回すと左手側に大きな扉があり、反対の右手側にはボードがある。そこには幾枚もの羊皮紙が張り出されており、その羊皮紙を前に冒険者達が相談をしているようだ。おそらく、どの依頼を受けるか相談しているのだろう。

 冒険者達はアインズが入るとアインズの方へさっと視線を巡らせ、最初にプレートに、次に姿格好へと舐めるように動かして――興味無さげに視線を逸らされた。アインズも同じように周囲の冒険者達を見回すが、プレートは金や銀が多く、銅は一切無い。昨夜の宿屋で見た冒険者達もいなかった。

 

「…………」

 

 なんとなく、ボードの前に立っている冒険者達を見て依頼の仕組みを察するのだが、無いはずの汗腺機能が復活した気がする。

 

(舐めるな――俺にはこれがある!)

 

 文字を解読するためのアイテムは無いが、ガガーランに教えてもらった文字の勉強をするための絵本――それを見てエ・ランテルまでの道中に作った「あいうえおを書いた紙」――これがあれば、何とかなるだろう。たぶん。

 アインズはそう思いながら歩を進め――アインズの姿に気づいた、昨日の受付嬢がさっと手を上げた。

 

「ゴウンさん、ご指名の依頼が入っております」

 

「え?」

 

 その受付嬢の言葉にざわりと空気が急激に変化し、アインズもまた首を傾げた。先程とは別の好奇の視線がアインズに集中する。

 

「一体、どういう事でしょうか?」

 

 受付嬢のもとまでやって来て、アインズは疑問に思った事を口にする。受付嬢もよく分かっていないらしく、困惑の表情を浮かべながら口を開いた。

 

「はい、ンフィーレア・バレアレさんからご指名の依頼が先程ありまして……会議室の一つでお待ちしておりますので、どうぞこちらに」

 

 受付嬢はそう言うと、アインズをその会議室まで案内する。アインズも大人しく受付嬢について歩き――案内されたそこに、金髪の少年が椅子に座って待っていた。

 金髪の少年はアインズの姿を確認すると、立ち上がって軽く頭を下げる。

 

「はじめまして、僕が依頼させていただきましたンフィーレア・バレアレです」

 

「ご指名頂いたアインズ・ウール・ゴウンです」

 

 アインズも同じように名乗り、頭を下げる。受付嬢は「ではごゆっくりどうぞ」と言うと、軽く頭を下げて去って行った。ンフィーレアという少年と、アインズが室内に取り残される。

 

「とりあえず、席にお座り下さい。さっそく依頼のことを話しましょう」

 

「そうですね――ですが、一つ訊ねても?」

 

「はい?」

 

 席に促され座りながら、アインズは疑問に思った事を口にする。

 

「私は昨日、この街に来たばかりです。そして冒険者として登録したのも昨日で、プレートは(カッパー)……そんな私に、どうして指名依頼を?」

 

 もしや何らかのこの世界特有の魔法か何かでアインズの実力を見抜いたのだろうか、だとすればかなり厄介であるが――ンフィーレアは微笑みを浮かべて答えてくれた。

 

「ああ……今までは別の冒険者の方に依頼していたんです。ですが先日、その方達がエ・ランテルを出られて別の街へ行かれてしまったので……だから、ちょうど別の方に依頼しようと思っていたんですよ。新しい冒険者の方を探していた時に、祖母が立派な鎧を着た冒険者の方に出会ったと言っていたので、じゃあその方に依頼してみようって思いまして」

 

「祖母?」

 

「はい。昨日、うちの店でポーションを買われたでしょう?」

 

「――ああ、なるほど」

 

 昨日、ポーションの説明をしてくれた老婆だ。どうやら、ンフィーレアの祖母だったらしい。その老婆にはアインズが別の街からやって来た事も、金を幾らか持っている普通の新人冒険者では無い事も知られている。おそらく、ちょっとした青田買い感覚で依頼してみたのだろう。

 

(カッパー)のプレートの方ならお安いですし、今からする依頼はそれほど困難なものでもないので、頼んでみようかなって」

 

「ふむ……理解しました。では、依頼の方を説明してもらってもよろしいですか?」

 

「はい!」

 

 そして、アインズがンフィーレアから聞いた依頼内容は、エ・ランテル近郊にある小さな村までの護衛であった。カルネ村と言うのだが、その村を滞在拠点として、トブの大森林に向かいポーションに使用する薬草を採取するのが、今回の依頼であったらしい。

 アインズはいくら村まで近いと言っても、二日はかかる距離にたった一人で護衛任務を受けるのは、と難色を示したくなったのだが、ンフィーレア曰くそこまで気を張るようなものではないとの事。何でも、その近郊の森には森の賢王と呼ばれる魔獣が生息し、その縄張りであるために滅多な事ではモンスターが現れないのだとか。そのため、護衛無しでも行けない事は無いらしく、護衛の無い村人達の行き来の生還率も高い。

 

(……まあ、有名人の孫の指名依頼を断るのも、今後の生活に差し支えるか。この状態での護衛は不得手なんだけどなぁ……)

 

「分かりました。受けましょう」

 

「ありがとうございます! それと、僕のことはンフィーレアと気軽に呼んでいただいて結構ですよ」

 

「そうですか? 私もアインズと気軽に呼んで下さって結構です」

 

 嬉しそうな顔のンフィーレアにそう返す。ンフィーレアは続いて、準備に最低限必要な物の説明などをしてくれた。

 全ての説明が終わると、ンフィーレアが声を上げる。

 

「では、準備を整えて出発しましょう!」

 

 

 

 ――話は、前日に遡る。

 

 ンフィーレアは買い物を終えて、自らの家までの道のりを歩いていた。その帰り道、立派な漆黒の鎧の戦士を見つける。

 

(立派な鎧だなぁ……)

 

 その威風堂々たる姿に驚き、つい視線でその姿を追ってしまう。他の街の住人もンフィーレアと同じように視線で漆黒の戦士を追うが、当の本人は慣れっこであるのか何も気にした様子なく歩き去っていった。

 

「ただいまぁ、おばあちゃん」

 

 目的地に着き、ドアを開けると珍しく祖母のリイジーが工房から出てきて応接室の長椅子に座っていた。目の前には二種類のポーションが机の上に置いてある。そして、リイジーはそのポーションを前に何かを考え込んでいた。

 

「おばあちゃん?」

 

 ンフィーレアは不思議に思い、リイジーに語りかけるがリイジーはンフィーレアに気づいていないのか、思考の海に浸かりそれに没頭している。こんな時のリイジーには何を話しかけても無駄なので、ンフィーレアは早々にリイジーに話しかけるのを諦めた。その思考が終着点に辿り着いた時、改めて話を聞けばいい。

 

「……何故ポーションの色を? 興味があるなら、他にも訊くべきことはあったはず……作り方の違いを訊いた理由は……まさか……いや、しかし……」

 

 ぶつぶつと何事か呟いて思考しているリイジーを尻目に、ンフィーレアは買ってきた物を片付ける。そうして全てを片付けて、リイジーと自分に飲み物を準備したその瞬間――

 

「えぇい! 考えても仕方ない! ンフィー! あんた、カルネ村にちょいと行って薬草取って来な!」

 

 リイジーのいきなりの言葉に、ンフィーレアは驚愕で目を見開く。

 

「どうしたの、おばあちゃん。まだ、カルネ村まで行って森で薬草採取が必要になる時期じゃないけど……」

 

 ンフィーレアの言葉に、リイジーが捲し立てるように説明した。

 先程、漆黒の戦士がポーションを買いにやって来たそうなのだが、その時の様子が妙に気になったと言うのだ。ポーションの作り方に興味を示し、かつ何故青色なのかを気にした事。それがリイジーの勘にどうも何かを告げるらしく――その漆黒の戦士を探って欲しいのだとか。

 

「旅の途中なら、ポーションを使ってくれるかもしれないしね。その時に色違いのポーションか普通とは違うポーションを出してくれれば――分かるだろ? ちょっと顔を繋いでおいておくれよンフィー」

 

「……うーん。まあ、それなら……」

 

 護衛任務なら、怪我をする事だってあるだろう。その時にリイジーの狙い通り、普通とは違うポーションを出してくれるかもしれない。そうでなくとも――友好関係を深めた場合、もしかすればそういったポーションを持っている事を教えてくれるかもしれない。

 普通とは違うポーション。ンフィーレアとて薬師であり、研究者だ。当然、気になる。

 ンフィーレアはリイジーの勘を信じる事にした。脳裏には先程すれ違った漆黒の戦士の姿が思い起こされる。確かに、あれだけ立派な鎧を装備した戦士ならば、普通とは違うマジックアイテムを持っていても不思議ではない。そう信じられるほどに――すれ違っただけで、不思議な、何とも言い難い気配の人だったのだ。

 

「じゃあ、明日の朝すぐに組合に指名の依頼をしてくるよ」

 

「頼んだよ、ンフィー」

 

 そして、もう一つ。

 

(カルネ村に行けば――ふふ)

 

 ンフィーレアの頭の中に、その村に住む恋している少女の顔が思い起こされる。彼女と会う口実も出来る事だし――ンフィーレアは少し浮ついた気持ちで、明日を持った。

 ――そして次の日、ンフィーレアは無事件の漆黒の戦士、アインズに依頼を受けてもらう事が出来たのだった。

 

 

 

 ……カルネ村はエ・ランテルより北東に位置する。行き方は北上し、森の周辺に沿って東に進むルートと、まず東に進んで、それから北へ進路を変えるルートの二つがあった。今回、護衛のアインズと一台の馬車を引いたンフィーレアが選んだルートはより安全な後者のルートだ。森の周辺に沿って進むのはモンスターとの遭遇率が高まるため、アインズ一人の護衛では手数が足りない可能性がある。そのため、警護という観点から問題があったのだ。

 一応、護衛対象であるンフィーレアは魔力系の魔法詠唱者(マジック・キャスター)であり、第二位階魔法まで使用出来るそうだが、護衛対象を戦闘に参加させてしまっては本末転倒だろう。というか、アインズとしては第二位階魔法程度では安心出来ない。

 

(いざという時はマジックアイテムを幾つか使用するか。この姿でも、魔法を使用出来ないわけでは無いけど……あまり使っているところは見られたくないな)

 

 そう心に決め、アインズはンフィーレアと穏やかな会話をしながら歩く。ンフィーレアは馬車に乗り一頭の馬を操っているが、アインズは徒歩だ。馬車の荷台には薬草を詰めるための瓶を乗せているので、アインズが座る余地は無い。……まあ、護衛任務で護衛対象の馬車にのんびり座るのもどうか、というところなのでアインズは全く気にしないが。

 

 ……道中は、何事もなく進んだ。しかし、太陽が頂点を過ぎる頃……本来、カルネ村に向かう途中に一つあるはずの村で、異変が起きていた。

 

「あれは……」

 

「煙?」

 

 アインズとンフィーレアは、その村があるはずの位置から、灰色の煙が立ち昇っているのを発見する。それは、物が燃えて火が消えた後の煙に似ていた。

 

「……何か、起こっているみたいですね。ンフィーレアさん、気をつけて下さい」

 

「は、はい!」

 

 アインズはンフィーレアにそう言うと、背負ったグレートソードを取り出しすぐさま臨戦態勢に移れるようにする。ンフィーレアもまた、馬車の手綱をぎゅっと握り周囲を警戒するようにして馬を操る。そうして段々と村に近づき……アインズはそこでふと足を止めた。仮にあの異変が何らかの囮であった場合、これ以上の接近は確実に敵に気づかれるだろう。

 なので、先にンフィーレアに方針を訊ねる。

 

「ンフィーレアさん、一つ訊いておきますが……このまま村に向かい、異変を確認しますか? ――それとも、無視して迂回し、本来の目的の村まで向かいますか? どちらも、メリットとデメリットが存在しますが……」

 

 アインズがそう訊ねると、ンフィーレアは少し考えてから……アインズに答えた。

 

「アインズさん。このまま、村に行きましょう。一応、異変を確認しておきたいです。場合によっては、エ・ランテルに帰らないといけませんから」

 

「分かりました。では、確認しに向かいましょう。ンフィーレアさん、決して私から離れないで下さい」

 

 アインズの言葉に、ンフィーレアは深く頷く。アインズとンフィーレアは共にその村まで向かった。鼻腔に、焼け焦げたような臭いが届く。

 そして、近寄った時に二人の視線に飛び込んだのは、焦土と化した村跡であった。ほとんど焼き尽くされ、家屋は崩落し残った残骸が墓標のように佇んでいる。

 

「こ、これは……なんてひどい……」

 

 ンフィーレアが慄いたように声を上げる。アインズは冷静に、ンフィーレアに向かって告げた。

 

「……生存者がいないか探しましょう。……絶望的ですが」

 

「……は、はい!」

 

 村まで入り、馬車を降りたンフィーレアを連れてアインズは警戒しながら周囲を探る。

 

(俺の“不死の祝福”に反応が無いから、アンデッドはいないはずだけど……やれやれ。この少年も生命探知系の魔法は使えないらしいし、面倒だなぁ)

 

 そうして家屋の残骸を覗きながら、残された生存者を探す。……幸い、生存者は六名ほどいた。それ以外は全て撫で斬りにされたようで、女子供も生き残っていない。

 ンフィーレアがびくびくと震える中、アインズは生存者から何とか話を聞いた。生存者は震える声で、アインズ達に感謝しながら事の顛末を語ってくれる。

 

 ――その話の内容とは、いきなり帝国の騎士達が村を侵略し、村人達を殺し回ったという事だった。大きめの広場に追い立てられるように集められ、順次殺されていく。そして、家屋は火を点けて燃やされ、徹底的に破壊し尽くされた。

 

 ンフィーレアはその話を聞いて、震える声で呟いた。

 

「な、なんて酷い……帝国騎士が、こんなところまで来ているなんて」

 

 顔色の青いンフィーレアを横目で見ながら、アインズは更に生存者から話を聞く。

 

「他には何か言ってましたか?」

 

 アインズに訊ねられた村人は、少し思い出すように考えて――アインズに告げた。

 

「そういえば……確か、彼らは『次の村に行くぞ――』と、そのような事を言っていたような……?」

 

「――――」

 

 ンフィーレアはその言葉を聞いて絶句する。アインズは、その言葉で更に思考の海に潜った。

 

(……何かの作戦行動か? ここまで徹底的にしているとなると、何らかの極秘作戦……帝国騎士、というのも怪しいな。もしかすると、法国の欺瞞工作かも)

 

 そうなると、冒険者である自分の手には余る事態だ。早急にエ・ランテルへと帰還し、冒険者組合に報告して王国に知らせなくてはならないだろう。

 アインズは話を聞いた村人の肩を軽くポンポン、と叩いて労うと立ち上がってンフィーレアを見た。

 

「ンフィーレアさん。エ・ランテルに戻って報告を――」

 

「――アインズさん」

 

 アインズの言葉を遮って、ンフィーレアは顔色を真っ青にしながらアインズを見つめた。その、覚悟を決めたような表情と気配に、アインズは首を傾げる。

 

「……このまま、目的地のカルネ村まで行って下さい」

 

「……正気ですか?」

 

 兜越しに、ンフィーレアを見つめる。アインズの表情は見えていないはずだが、視線を感じるのだろう。ンフィーレアはごくりと喉を鳴らしながら、アインズへ頷いた。

 

「最初から、カルネ村に向かうという依頼だったはずです。このまま、カルネ村までついて来て下さい」

 

「……分かっているとは思いますが、状況が違います。このまま目的の村まで向かえば、高確率でこの村を襲った事態に巻き込まれるでしょう」

 

 アインズがそう告げるが、ンフィーレアの心は変わらないようだった。首を横に振って、「お願いします」と頭を下げてくる。そんなンフィーレアに困惑するのはアインズだ。何がンフィーレアをそんなに頑なにしているのか、アインズはさっぱり分からなかった。この村に到着するまでの話し合いでは、エ・ランテルへ帰還する事も可能性として入れていたはずだ。

 しかし、今のンフィーレアはそれを頑なに拒否している。

 

「……生存者はどうする気ですか? この村跡には、血の臭いが満ちています。鼻のいいモンスター達なら、興味を抱いて集まってくるでしょうね。そうなると……村人程度で、生き残れると思いますか?」

 

「それは……! その……でも、僕は…………」

 

 アインズがそう、冷たい現実を告げてもンフィーレアは拒否を示した。今、ここにある命ではなく――カルネ村にいる、誰かをンフィーレアは優先している。アインズはそう察した。

 そして、アインズの言葉に現実に還ったのは生き残った六人の村人達で、ンフィーレアの言葉に目を見開いて、恨み言さえ吐きかねないほどの敵意を彼に向けている。無理もない。ンフィーレアは、せっかく生き残った村人達を見捨てて、助けられるかどうかも分からない誰かを助けに行きたいと告げているのだから。

 このまま放っておけば、村人達がンフィーレアに掴みかかるだろう。そうなると、冒険者のアインズとしても寝覚めの悪い事になる。――このまま街に戻って、悪評が立つのも避けたかった。

 

「……分かりました。このまま、カルネ村に向かいましょう」

 

「……!」

 

 アインズの言葉に、ンフィーレアは伏せがちだった顔を上げる。対して、村人達は心底絶望しきった顔をした。そんな彼らの前に手を突き出して、黙らせる。

 

「ただし――村人達をこのままにしておくわけにもいきません」

 

 アインズは無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)から一つのアイテムを取り出す。取り出したマジックアイテムの名を小鬼(ゴブリン)将軍の角笛と言い、吹けば小鬼(ゴブリン)達を十九体永続的に召喚するというアインズが何故かアイテムボックスに入れていたゴミアイテムだ。

 アインズが取り出した小さな角笛に、ンフィーレアも村人達も首を傾げる。アインズはくるりと体を反転させ、彼らに見えないようにすると兜の口部分を消して笛を吹いた。

 

 プー、という貧相な、まるで子供の玩具のような軽い音が周囲に響く。そして――

 

「呼ばれて参上しやした、旦那! 何でも言って下さい!」

 

 次の瞬間、十九体の小鬼(ゴブリン)達がその場に召喚される。突如現れた小鬼(ゴブリン)達の姿に、ンフィーレアや村人達が驚いた。そして――

 

(し、喋ってるううぅぅぅ!?)

 

 アインズも実は、驚いていた。

 

(そ、そうか……そういえば緑竜(グリーンドラゴン)も喋っていたもんな。(ドラゴン)種族のアイツが特別なんじゃなくて、他のモンスターも喋る奴は喋るのか……そうか……)

 

 精神を鎮静化させながら、アインズは口元を隠していた手をどけ、小鬼(ゴブリン)達に命令する。

 

「王国の兵士達が村人達を助けに来るまで、お前達が護衛していろ。村人達の安全がある程度確保されたら、俺と合流しに来い」

 

「分かりやした、旦那」

 

 リーダー格の小鬼(ゴブリン)……小鬼の指揮官(ゴブリン・リーダー)が頷く。それを確認し、アインズは振り返ると村人達に説明した。

 

「先程の角笛は小鬼(ゴブリン)を召喚するマジックアイテムです。帝国騎士が現れたと言うのなら、国境地帯の見張りに全く発見されていないという事はあり得ないでしょうから、必ずエ・ランテルから王国兵士が派遣されるでしょう。それまでの安全を、彼らが確保してくれます」

 

「そんな……ここまでして下さるなんて……ありがとうございます、冒険者様」

 

 村人達は口々にアインズに礼を言い、ンフィーレアは罪悪感が薄れたのかほっとした表情を作る。彼も、内心では見捨てる事に抵抗があったのだろう。――それでも、カルネ村にもっと大切な何かがあっただけで。

 村人達も、あまり小鬼(ゴブリン)達に抵抗が無いようだった。おそらく、今は極度の人間不信になっているのだろう。そのため、助けてくれるのならモンスターでも構いはしない、という心境になっているのだ。

 

「ではンフィーレアさん、急いでカルネ村まで行きましょう」

 

「すみません……ありがとうございます、アインズさん」

 

 ンフィーレアはアインズに礼を言い、再び馬車を引いて二人は旅を急いだ。村人達と小鬼(ゴブリン)が二人を見送ってくれる。

 ――急いだせいであろう。休憩は最低限であったため馬はもはや疲れ切っているが、そのおかげで二人がカルネ村に到着したのは早朝の事……まだ、何の変化も無い小さな村の姿を維持したままであった。

 

「……ま、間に合った……!」

 

 ンフィーレアはそう呟くと、馬車から降りてアインズの制止も振り切り走っていく。その後ろ姿をアインズは頬を掻いて見送った。どうも、ンフィーレアは一目散に目的の場所まで走ってしまったらしい。

 

「……普通、最初に連絡するのは村長だろうに。……その辺りは、まあまだ子供なのかなぁ……」

 

 アインズはそう呟くと、仕方なくンフィーレアを追って歩く。幸い、昨日の夕方頃に王国の兵士達が生き残りの村人達を助けに来たらしく、小鬼(ゴブリン)達は伝言(メッセージ)でアインズに夜の内に連絡を入れてきていた。今日の夕方頃には合流出来るだろう。

 そう安堵していたが――アインズは、ふと人類より優れた聴覚に届いた音に反応する。

 

「……やれやれ。本当に、ギリギリだったな少年」

 

 アインズはそう溜息をつくと、背からグレートソードを抜いて両手に構える。

 遠くから、人間の絶叫が擦れて聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

「すみません! ンフィーレアです!」

 

 目的の家の前に着いたンフィーレアは、全速力で走ったがために息を乱しながらドアの前で叫んだ。すると、少ししてドアが開く。ンフィーレアもよく知る顔……自分が恋する少女エンリの両親だ。幼い頃に両親を亡くしているンフィーレアにとっても、憧れの両親と言っていい。そんな二人が、息を切らし汗を垂らして急いでここに来た、と分かる様子のンフィーレアに首を傾げている。

 

「どうしたんだね、ンフィーレア君」

 

「そんなに急いで……さあ、中に入って」

 

 室内に促され、ンフィーレアは「お邪魔します」と言って中に入る。そして、二人に矢継ぎ早に見て来た事を捲し立てた。

 話を聞いていく内に二人は驚愕の顔になり――そして徐々に表情を険しくしていく。

 ンフィーレアが話を終えると、二人は信じられない、という表情をしながらもすぐにンフィーレアを信用してくれた。これでも長い付き合いなのだ。

 

「分かった。ンフィーレア君、私はすぐに村長のところに話を通してくる。君も一緒に来て欲しい」

 

「私はネムを連れて、水を汲みに行っているエンリを呼び戻してくるわ。そのまま森に二人を避難させてから、急いで戻って来ます」

 

 二人がそう言い、それぞれ準備をしようとすると――周囲から叫び声が聞こえて来た。馬の嘶きと――悲鳴である。

 

「――――」

 

 三人は同時に顔を見合わせる。そして――

 

「ネムを急いで起こして来るんだ! ンフィーレア君、すまないが家内と共に逃げてくれ!」

 

「そんな! おじさんは――」

 

「私はエンリとすれ違いにならないよう、この家で待つつもりだ。ンフィーレア君、私の妻と娘をよろしく頼む……!」

 

「――――そんな、それなら僕が待つべきです。僕なら魔法を使えますから、少し逃げ遅れるくらい平気です……!」

 

 ンフィーレアがそう言うが、しかし彼は首を横に振った。

 

「いや、駄目だ。君にそんな危険な役は任せられない。頼む、君しか妻と娘を任せられる相手はいない……行ってくれ!」

 

 そうして言い争いをしている内に、母親に起こされたネムが起きて来た。剣呑とした雰囲気に目を丸くし、不安そうに三人を見上げている。

 

「頼む……ンフィーレア君!」

 

「……分かりました」

 

 ンフィーレアは唇を噛み締め、苦々しく頷く。今から逃げた方が生き残る確率は高く、そしてンフィーレアが助ければ更に生き残れる確率は高くなるはずだ。対して、エンリを待っていれば例えンフィーレアでも数の暴力で潰され、二人とも死んでしまうかもしれない。

 ましてや、実の父親を押しのけて(エンリ)を助けに向かうなど――それを納得させるほどの説得をンフィーレアには出来るはずがなかった。

 

「おじさん……! また、後で……!」

 

「ああ、ンフィーレア君。また後で会おう……!」

 

 二人は、そうして別れる。もしかすればこれが今生の別れになるかも知れない――そう考えて、ンフィーレアはゾッとする。

 

(おばさんとネムを森に避難させたら、後でおじさんとエンリを探しに行こう……!)

 

 そう決意して、ンフィーレアは三人で家を出る。目指すはトブの大森林だ。森の中に逃げ込めば、助かるだろうと希望を抱いて――

 

 

 

 ――そして、ンフィーレア達が去った後に、エンリは異変を察知して自らの家に走って帰って来た。

 

「お父さん! お母さん! ネム!」

 

「エンリ! 無事だったか!」

 

 帰って来た家には、父親一人しかいなかった。

 

「母さんとネムはンフィーレア君に任せてある! さあ、逃げよう!」

 

「ンフィーレアが……」

 

 エンリのよく知る相手だ。時折薬草を採取しにカルネ村に滞在するので、今回もそんな風にして村に来たのだろう。彼にとっては最悪のタイミングであろうが、自分達にとっては幸運だ。ンフィーレアは魔法が使えるので、普通の人間より強い。少なくとも、この村の人間よりは強いだろう。

 故に、エンリは安心して母親と妹の無事を確信する。父親と二人逃げようとして――

 

「あ――」

 

 最悪のタイミングで、それは現れた。

 

 玄関口に一つの影が差し込む。日光を背に、帝国の騎士が立っていた。

 

「――――」

 

 その男は父親とエンリを視線で数え、そしてエンリは自分が舐め回されるような嫌な感触を覚える。チャリ、と騎士が剣を持つ手に力を込めたのが音で分かった。家に入ろうと騎士は一歩踏み込み――父親がエンリを守ろうと騎士にタックルしようとして――

 

 それより早く、その帝国騎士の頭上にそれは振り下ろされた。

 

「え?」

 

 黒く厚い刃が、帝国騎士の脳天に叩き込まれ、そのまま下に下ろされ帝国騎士が真っ二つになる。身体を二つに別たれた帝国騎士は叫び声を上げる間もなく、絶命した。周囲に血飛沫が飛ぶ。帝国騎士の身体から噴出した血液が、父親とエンリを汚す。

 ……そうして、帝国騎士の姿が地面に落ちたその先に、全身鎧(フルプレート)で全身を覆い隠した、漆黒の戦士が立っていた。

 

「――あ」

 

 漆黒の戦士は振り下ろした大きなグレートソードを横に振り払い、刃に纏わりついた血を遠心力で吹き飛ばす。何も言えない。騎士を文字通り一刀両断したような相手に、単なる村人でしかないエンリ達では何が言えよう。あの漆黒の戦士が相手では、全てを諦めて首を差し出すか、地面に膝をつき慈悲を乞うくらいしか助かる道が無いと、そう本能で理解する。

 

「――――」

 

 漆黒の戦士は二人を見回し――家の中も見て、そして何も言わず踵を返し、歩いて去って行く。

 その漆黒の戦士の後ろ姿を見て、父親が呆然と呟いた。

 

「冒険者……」

 

「え?」

 

「冒険者だ。間違いない。胸に冒険者を示すプレートがあった。……そう言えば、ンフィーレア君が来る時、必ず冒険者を雇っていたな……いつもの人とは違うようだけど」

 

「それじゃあ、味方なのお父さん」

 

「ああ……ついて行こう、エンリ。あの漆黒の戦士の近くにいれば、安全だろう」

 

 少し考えて、エンリは父親の案に頷く。エンリと父親は手を取って漆黒の戦士の後を追った。

 

 ――そして、その漆黒の戦士は圧倒的だった。遭遇する帝国騎士達は全て一刀で斬り伏せていく。脳天から真っ二つに。あるいは真横から胴を。肩から斜めに上半身と下半身を。

 

「すごい……」

 

 父親と二人、エンリは思わず呟く。それほどまでに、漆黒の戦士は圧倒的だったのだ。帝国騎士達はまるで相手になっていない。大人と戦う子供でも、もう少し抵抗らしい抵抗が出来るだろう。

 漆黒の戦士は誰かを探すように歩き回りながら、帝国騎士達を斬り伏せていく。エンリと父親はその後ろを追って歩いた。この頃には、既にエンリ達はこの漆黒の戦士がンフィーレアを探しているのではないか、と予想しているが……怖くて、とても言い出せない。

 怖い理由は――死の恐怖だ。ここで漆黒の戦士から離れたら、自分達は死ぬのだろうという予想。その予想の正しさを、周囲に転がる同じ村人の死体が証明している。

 だから、二人は漆黒の戦士に何も言い出せない。

 

「――旦那!」

 

 そうして歩いている内に、漆黒の戦士が足を止め、不思議に思っているとなんと狼に乗った小鬼(ゴブリン)達が現れた。小鬼(ゴブリン)達は漆黒の戦士に話しかける。

 

「俺達だけですが、先に合流させてもらいました。周囲は見張りが立ってるんで、入るのに苦労したんですが」

 

「そうか。こちらは非常事態だ。見て分かる通り、襲撃を受けている。他の村人達はどこにいるか分かるか?」

 

「そうですね……(ウルフ)の匂い曰く、どうもこの村の中央に集められているみたいです」

 

「……なるほど。あの村で聞いた通りの行動か。だとすれば、まだ少年は生きてそうだな。俺はこれから村の中央まで正面突破する。お前達は俺が引きつけている隙に、少年を確保して守れ」

 

「了解しました」

 

 漆黒の戦士の言葉に小鬼(ゴブリン)達は頷くと、狼に乗って再び去って行った。その姿を確認した漆黒の戦士は、エンリ達に振り向くと初めて話しかける。

 

「――というわけで、私の近くにいるのはお勧めしません。離れた方がいいでしょう。襲撃された後の家屋かどこかに……」

 

「……いえ。申し訳ありませんが、一緒について行ってもよろしいでしょうか?」

 

 父親がそう言う横で、エンリはこくこくと頷く。この漆黒の戦士から離れるのは怖かったし……何より、村の中央にンフィーレア達がいるかもしれないと聞いては、行かないわけにはいかなかった。

 そんな二人の様子を見た漆黒の戦士は、少し気の毒そうにしながら告げる。命の保障はしませんよ、と。二人はそれでも頷いた。

 漆黒の戦士は、もう何も言わなかった。そして――再び歩き出した。エンリ達はその後ろをおっかなびっくりついて行く。

 

 少しして、エンリは帝国騎士に追い回されている村人を発見した。村人は広場に逃げ込もうとしているのだろう。それを帝国騎士が追い回しているのだ。

 

「あ――」

 

 エンリと父親がその姿を見て叫びそうになる。漆黒の戦士が、片手に持っているグレートソードを下段に構えたのが視界に入り――エンリ達の見ている前で、それを勢いよく片手で投擲した。

 

「カッ――」

 

 グレートソードは勢いよく、空気を切り裂くようにしながら回転し突き進み、その村人を追い回している帝国騎士の背を貫通する。帝国騎士が倒れ込んだ。漆黒の騎士は空いた手でエンリ達にその場に留まるよう知らせると、無造作に歩いていく。

 よく見れば、それより少し先に帝国騎士が何人もいた。どうやら、広場に近づいていたらしい。漆黒の戦士の後を追うのに夢中で、エンリ達は気がついていなかった。

 帝国騎士達は自分達の仲間が大剣で串刺しにされたのを、ごくりと生唾を飲み込んで見ている。漆黒の戦士は無造作に歩き――そして、倒れている帝国騎士の身体を踏みつけると、グレートソードの柄を握って横に引くように引き抜いた。地面をガリガリと刃が削る。助けられた村人は、怯え叫びながらその場を離れた。

 

 静寂。

 

「――うおぉぉおッ!」

 

 勇気ある、一人の帝国騎士が剣を構えて漆黒の戦士に向かっていった。太陽の光を反射して、漆黒の戦士の胸元で揺れる(カッパー)のプレートが光る。帝国騎士が懐に入り込むように、若干屈みながら剣を突き立てようとして――

 

 それより早く、漆黒の戦士はエンリ達が見ていた時と同じように、切っ先を下げていたグレートソードを上に持ち上げるように振り抜いた。

 

「――――」

 

 一閃。それだけで、向かって来た帝国騎士の身体が二つに切断される。どしゃりと地面に転がった帝国騎士を、他の者達も眺め――

 

「総員! あの化け物を片付けろ!!」

 

 帝国騎士達の絶叫が、カルネ村の中に響き渡った。

 

 

 

(――糞! 何なんだ、あの化け物は――!!)

 

 村を襲っていた者の一人、ロンデスは目の前で起こる殺戮に舌打ちした。

 

 ……最初は、単なる前の村と同じ作業でしかないと思っていた。おかしいと思ったのは、包囲網を狭めていく内に、死体が目に入ってきた時だった。

 体を真っ二つにされた、自分の仲間達を見て何か異様なモノがこの村にいる事を悟った。血の臭いに誘われて、もしやモンスターが森から出て来たかと思い、さっさと仕事を進めようと急いでいたところ――女性と幼女を連れて逃げる魔法詠唱者(マジック・キャスター)の少年に会ったのだ。

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)ならば、あの死体も納得出来る。魔法とはそれほどに不可思議なもの。だが同時に、魔力が無ければ発動出来ない。

 ロンデス達が見つけた時には、魔法詠唱者(マジック・キャスター)の少年はそのような魔法を使っている様子が無かった事から、てっきり魔力が尽きかけておりもうそうした事は出来ないのだと思っていた。

 故に、細心の注意を払いながらも同じように村人と共に広場に追い詰めた。

 

 だが――――

 

(あり得ないだろ! なんで(カッパー)のプレートの冒険者ごときが、一撃で鎧ごと人間を真っ二つに出来るんだ!?)

 

 犯人は別だった。最弱のプレートを胸元にぶら下げた漆黒の戦士が、ロンデス達が見た死体と同じようなモノを、次々と生産していく。

 漆黒の戦士は圧倒的だった。ただの一振りで人間を真っ二つにし、しかも太刀筋が速過ぎて気づけば両断している。回避行動さえ取れない。片手で両手剣を振り回し、蹴りの一撃で骨を砕き頭部を踏み潰し、漆黒の戦士は自分達を蹂躙していく。

 数の暴力で抑えようとしても無駄だった。漆黒の戦士の鎧は何で出来ているのか恐ろしく頑丈で、ロンデス達の武器では傷一つ付きはしない。

 そして相手は、ただの一振りで自分達を即死させる。

 

(――俺達の攻撃は通らない! しかし相手の攻撃は問答無用で通る……! ならば……!)

 

「撤退だ! 笛を吹け!! 他の者達は守れ!」

 

「――――」

 

 ロンデスの言葉に、全員が一糸乱れぬ動きを行う。他の者達も既に、漆黒の戦士と戦っても勝ち目が無い事を悟っているのだ。

 

「――――」

 

 漆黒の戦士は撤退するならば何もする気はないのか、両手に持つグレートソードの切っ先を地面に下ろし、反応が無い。及び腰ながらも仲間はそんな漆黒の戦士を警戒し、そうしている間に仲間が笛を吹き、馬と弓騎兵を呼ぶ。

 ――高らかに鳴り響く笛の音。睨み合っている内に馬の走る足音が聞こえ、騎乗している仲間が自分達を回収しようと手を差し出す。そして……

 

「――やれ」

 

 漆黒の戦士がそう呟いたかと思うと、村人達が集まっていた広場の物陰から、狼に騎乗した小鬼(ゴブリン)が二体飛び出してきた。

 

「なッ……!?」

 

 いきなりのモンスターの登場に、場が騒然となる。馬がモンスターの気配に一瞬足を止め――

 

「はっ!?」

 

 そうして視線を逸らした隙に、漆黒の戦士がロンデスに向かって全身鎧(フルプレート)を装備しているとは思えない速さで突っ込んできた。

 思わず、剣を構えて防御しようとする。しかしそれが何になるのか。漆黒の戦士の一撃は容易くロンデスを切断するだろう。

 だが、ロンデスは無事だった。漆黒の戦士は両手のグレートソードを周囲に振り回すように投げつけて――

 

「な――んだ、とおおおぉぉぉお!?」

 

 漆黒の戦士はロンデスの剣を鎧で弾くと、首を引っ掴み地面に引き倒し――足を振り上げてロンデスの片足を踏み潰した。

 

「――――!!」

 

 たまらず、絶叫を上げる。ロンデスの片足を踏み潰した漆黒の戦士はロンデスから離れ走り、再び投げ捨てられ地面に突き刺さったグレートソードを握っていき、小鬼(ゴブリン)達と共に仲間達を殲滅する。

 ……もはや、周囲は大混乱であった。狼と小鬼(ゴブリン)、漆黒の戦士によって周囲の仲間達は馬が混乱し逃げる事も叶わず――戦闘が終わったと言える頃には、逃げ出せたのは精々一人か二人くらいだろうという事が窺えた。

 

「…………」

 

 痛みに足を手で押さえ這いつくばりながら、ロンデスは呆然と仲間達の死体を見る。漆黒の戦士はグレートソードを振り刃にこびりついた血を吹き飛ばすと、二本のグレートソードを背負う。

 そして――――

 

「――さて、とりあえずの危機は去ったか」

 

 漆黒の戦士は何でもない風にそう呟くと――もはや疑うべくもないが――わざと生かしたロンデスを見たのだった。

 

 

 

 

 

 

(はぁ……やれやれ。本当に面倒臭いことになったなぁ……)

 

 アインズは小鬼(ゴブリン)達が帝国騎士の格好をした男を引き摺っていくのを見ながら、内心で溜息をつく。危機が去ったと認識がようやく追いついた村人達は、互いの顔を見回し――不安そうにアインズを見た。

 

「アインズさん!」

 

 不安そうにする村人達の中、ンフィーレアがアインズに声をかける。ンフィーレアはアインズへと近寄り、その姿を見つけてアインズは少しだけ苛立たしげな気持ちを落ち着かせるために深呼吸し、ンフィーレアに返事をした。

 

「ンフィーレアさん。一応、私は貴方の護衛として雇われているんですから、あの状況で勝手に離れては困ります」

 

「す、すみません……確かに軽率でした」

 

 アインズに開口一番小言を言われたンフィーレアは、しかしアインズの小言ももっともだと納得したらしく頭を下げて謝る。

 

「ン、ンフィーレア君……その方は……?」

 

 一人の男性が集団の中から進み出ると、アインズとンフィーレアに近づき恐る恐る声をかけた。ンフィーレアはこの村の人間達と親しいらしく、その男性はンフィーレアにはあまり警戒心を抱いている様子は無い。

 

「あ、紹介しますね! 僕が今回この村に来るまでに雇った冒険者の方で、アインズ・ウール・ゴウンさんって言います」

 

 ンフィーレアの紹介でようやく村人達も安心したのか、ざわめきが広がっていき、そして男性は村の代表者だったらしくアインズに向き直って頭を下げた。

 

「ありがとうございます、冒険者様。貴方のおかげで、この村は救われました」

 

「いえ、お気になさらず。私はンフィーレアさんの護衛……結果的に村を救っただけで、単なるついでですよ」

 

「それでも! それでも……ありがとうございます! 貴方様がいなければ、この村は今頃どうなっていたことか……」

 

 男性は何度も頭を下げ、アインズに礼を言う。その男性に頭を上げるよう言っていると、先程からずっとアインズについてきていた少女とその父親らしき男性が近寄って来た。

 

「ンフィーレア!」

 

「エンリ!」

 

 少女はエンリと言うらしく、ンフィーレアが驚く。そして、ンフィーレアの顔に安堵の色が広がったのをアインズは見て取った。

 

「ンフィーレア! ネムとお母さんは……」

 

「エンリ! あなた!」

 

「お姉ちゃん! お父さん!」

 

 集団の中から、女性と幼い少女が出て来て、エンリという少女とその父親も二人の様子を見て顔をくしゃくしゃにして泣きながら抱きついていた。どうやら、親子の感動の再会というものらしく、それを目の前で広げられたアインズは気まずげに兜ごしに頬を掻く。

 ンフィーレアも少し気まずげに佇んでおり、手をおろおろとさせていた。家族の再会を見ていた男性はンフィーレアを見て、少しだけ生温い視線を送っている。

 

(何だかなぁ……)

 

 再び、アインズは溜息をつくと男性に話しかけた。

 

「それより、村の中を生き残りがいるか見て回った方がいいのでは? それに、村が本当に安全かも調べた方がいいでしょう」

 

 アインズが言いにくいが水を差すような事を言うと、弾かれたように全員がアインズの顔を見る。

 

「た、確かにそうですな。申し訳ございません、冒険者様……その、出来れば手伝っていただけると……」

 

「ええ、勿論かまいませんよ」

 

 男性の言葉を予想していたアインズは、快く見えるよう引き受けた。

 

 

 

 ――結果として、村の周囲に帝国騎士の格好をした者達はいなかった。そして、家屋の地下にこっそりと逃げていた村人が二、三人見つかっただけであとの広場にいなかった者は全て死んでいた事が判明した。

 その見て回る途中で残りの小鬼(ゴブリン)達が合流する、というハプニングがあったがアインズのマジックアイテムから召喚されたモンスターだという事を、アインズと実際に見ていたンフィーレアが説明すると村人達も安心したようだった。

 ……死体を集め、とりあえずすぐにでも弔う事が出来る死体だけでも共同墓地で葬儀をするらしい。少しだけアインズも参加し、葬儀を眺めていたがアインズの知らない神の名を唱え、祈りを捧げていた。やはり、この世界にはこの世界特有の神様というものがいるらしい。

 

(やはり、人間の村で生活して正解だったな。あの緑竜(グリーンドラゴン)に訊いただけじゃ分からないことも、山のようにあるし)

 

 ただ、今のところあの緑竜(グリーンドラゴン)は嘘をついたわけでは無いようで、そこだけは安心している。……まあ、嘘をついた場合が怖かっただけの小心者だったのだろうが。

 

 途中で葬儀を抜けたアインズは、小鬼(ゴブリン)達が隔離していた生かして捕まえた帝国騎士の格好をした男のもとを訪れる。

 小鬼(ゴブリン)達は最低限の止血だけはしておいたようで、男の片足はアインズに潰されているが出血ですぐにでも死亡する、という心配はなさそうだ。

 

 男はアインズを見ると、恐怖に引き攣った顔をする。周囲は小鬼(ゴブリン)に囲まれているので、余計にそう思ったのだろう。

 

「……さて、お前がどこから来たのか是非教えて欲しいんだが」

 

 アインズの言葉に、男は唇を噛み締め黙秘を貫く。当然だろう。生き残りは自分だけ、黙秘さえしていれば生きていられる。ならば黙るしかあるまい。

 

「帝国騎士の格好をしているが――俺の予想では法国の偽装工作員だろう?」

 

 びく、と男の身体が揺れる。分かり易い反応である。あまり、嘘をつくのが得意ではないのかもしれない。

 

「ふん、やはりそうか……。さて、どうするかな……」

 

 そう言いながら、男の顔色を伺う。血の気が失せて真っ青で、アインズの決定を不安そうに待っている。……その様子から、本当に法国の工作員なのかも知れなかった。

 

(厄介なことになったな……)

 

 内心で頭を抱える。明らかに、アインズが関わるべき事件では無い。むしろ、ンフィーレアを連れてさっさとこの村から逃げてしまいたい案件だ。

 

(王国の兵士達がそろそろ到着するらしいから、そいつらにこの村とこいつを預けて、少年を説得してさっさと村から逃げるか)

 

 小鬼(ゴブリン)達は王国の兵士達の姿を隠れて確認し、村人達の生き残りが安堵していたのを見て村人の一人にこっそり声をかけて離脱したらしい。そのため、兵士達より早くカルネ村に到着したのだ。

 

(そういえば、この小鬼(ゴブリン)達もどうするかな)

 

 あの角笛で召喚した小鬼(ゴブリン)達には召喚時間の制限がないので、死ぬまで存在し続ける。

 

(今の内に、森でこっそり全員片付けてしまうか)

 

 そう考えながら、視線を男に固定する。

 ……正直な話、かなり弱かった。アインズの戦士の真似事でも平然と押し切られ蹂躙されるとは、さすがのアインズも驚きである。

 村人は村人らしく一レベルしかないのだろうが、この村を襲った男達も一〇レベルも無いように思えた。

 

(法国の工作員のくせに、こんなに弱いのかぁ?)

 

 ここまで弱いと、おそらく詳しい事は何も知らされていないのだろう。単純に、順番に王国のエ・ランテル近郊の村を襲えと言われてその通りに行動していただけに違いない。そうでなければ、あまりに弱過ぎる。

 

(……と、いうことは別動隊がいる可能性もあるわけだ。嫌だなぁ……そっちが本命ってことは、かなり強いだろうし)

 

 何をしに来たのか情報が少な過ぎて、アインズには分からない。それでもかなり厄介な出来事に巻き込まれているのだけは分かるのだ。

 

 ――とりあえず王国の兵士達が来るはずなので、その時にこの帝国騎士の格好をした男を渡すよう村長に伝え、アインズは村の葬儀が終わった後ンフィーレアや村人達の頼みで倒れた家屋の片付けなどを手伝った。小鬼(ゴブリン)達の一部はンフィーレアの仕事である薬草採取を手伝うように命令し、残りは村の周囲を警戒するように命令している。

 そうして夕方まで働き、ンフィーレアも小鬼(ゴブリン)達と共に薬草を採取して帰って来た頃――アインズの祈りもむなしく、新たな火種がカルネ村へ投げ込まれようとしていた。

 

「――ああ、ようやく来たか。出来れば俺達が村を出た後に到着して欲しかったんだが」

 

 小鬼(ゴブリン)達の報告に、アインズは無い眉を顰める。昨日小鬼(ゴブリン)達が見た王国兵士達が、ようやくカルネ村の付近まで現れたのだ。彼らは前の村でも何らかの用事を済ませたのだろうし、そのため馬があっても自分達より到着が遅れたのだろう。

 

「――その、冒険者様」

 

 小鬼(ゴブリン)達と話していると、会話を聞いていたらしい村長が不安そうな顔で近寄ってくる。アインズは安心させるように優しく語りかけた。

 

「大丈夫ですよ。王国の兵士達がこの村に近づいてきているだけのようです」

 

「そ、そうですか」

 

「ただ、念には念を入れて村長殿の家に生き残りの村人達を避難させた方がいいでしょう。……お前達、ンフィーレア少年も避難させろ。そして、お前達はそのまま村人達を守れ。……村長殿は私と共に広場に」

 

 村長と小鬼(ゴブリン)達にそう言うと、小鬼(ゴブリン)達は急いでアインズの命令通り行動した。村長も相手は王国……味方という事で、特に緊張はしていない。

 

 ……そしてしばらくすると、騎兵が二十ほどこの村に現れた。魔法を使える小鬼(ゴブリン)曰く、彼らが見た王国の兵士達で間違いないらしい。

 

 広場に隊列を組んでやってきた彼らの中から、一人リーダーらしき男が現れる。男の名はガゼフ・ストロノーフと言って、アインズもどこかで聞いた事があった。――確か、イビルアイとの会話で出て来た男のはずだ。王国戦士長であり、この人間の周辺国家の中で最強の戦士だと言っていたはずだ。

 

(……という事は、今の俺よりは強いか)

 

 ガゼフと会話をしながら、アインズはそのような事を考える。ただ、装備が蒼の薔薇と比べても酷くみすぼらしく、アインズはその姿に内心首を傾げた。いかに強くても、この装備ではアインズに傷をつけるのは無理そうだ。

 

 ガゼフは気持ちのいい男で、かつ善良なのか冒険者風情のアインズ相手に馬から降り、頭を下げて礼を言った。その事で周囲にざわめきが起きた事から、よほど権力がモノを言う世界観なのだろう。

 

 ガゼフはアインズの連れている小鬼(ゴブリン)達の話も、前の村で村人達から聞いていたようで、その事についても礼を言われた。アインズは気にせずともいいと伝え、捕らえた帝国騎士の格好をした男の事と、この村で起きた事を詳しく話そうとし――

 

「――戦士長! 周囲に複数の人影が!」

 

 慌ててやってきた王国の兵士――いや、戦士か――の言葉に、内心で盛大に溜息をついたのだった。

 

 

 

「――意外です」

 

「うん?」

 

 法国の非合法特殊部隊、六色聖典のいずれかが村を囲い、狙いはガゼフだと判明して――そして話し合いからアインズと小鬼(ゴブリン)達が協力する事になったが、小鬼(ゴブリン)がアインズにぽつりと呟き、その言葉にアインズは首を傾げた。

 

「言ってはなんですが、旦那はもっと冷たい人間かと思ってました」

 

「ああ……」

 

 小鬼(ゴブリン)の言葉に、アインズは納得する。確かに小鬼(ゴブリン)達の予想通り、アインズはわざわざ無償で人助けするほどお人好しではない。今回ガゼフを助けるのは、そうしなければならない理由があるからだ。

 

「仕方あるまい。権力者のガゼフを生かして還さないと、王国で過ごしにくくなるからな」

 

 法国の非合法工作員の存在を知った以上、単なる村人や冒険者が生きていくのは社会的に困難だろう。まず間違いなく、口封じに殺される。別にアインズは殺される気など毛頭ないが、しかしエ・ランテルで村を見捨てただとかンフィーレアを見捨てただとか中傷されるのは面倒臭いし御免である。

 社会的に殺されようと別人のふりをすればいいだけだが、しかしアインズ・ウール・ゴウンの名前が中傷されるのは我慢がならない。ユグドラシルではDQNギルドの代名詞であったり、悪の華などと言われたりしたが、異世界でもそのような事を噂されるのは勘弁願いたい。かつての仲間達にも顔向け出来なくなる。

 

「分かっているとは思うが、お前達は少年の護衛だ。いざという時は、この少年を連れて逃げろよ」

 

「分かりました」

 

 小鬼(ゴブリン)が頷いたのを見て、満足する。ンフィーレアは村に残って待機だ。ガゼフ達が敵に突込み乱戦に持ち込み敵を引きつけている間、村人達は逃げる手筈になっている。……もっとも、ガゼフが敗北し死亡した時点で村人達の命運は尽きたも同然だが。

 アインズもガゼフに付き合い、敵を殺していかねばならない。馬はアインズに怯えてアインズを乗せてくれないし、そもそもアインズも馬の乗り方を知らないので、少し遅れる形になるが。

 

(確かマジックアイテムがあったな、ああいう馬のゴーレムを出すやつ)

 

 それを使って練習しないとなあ……とアインズは思いながら、作戦の開始を待った。

 

 

 

 

 

 

 ――戦場を見てアインズが抱いた感想は一つ、「弱い」。それだけである。

 

(嘘だろ……?)

 

 アインズは少し離れた位置で、ガゼフ率いる王国の戦士達と法国の特殊工作員達の戦いを見ている。その感想がそれだった。

 幾ら装備が拙いとはいえ、弱過ぎる。法国の特殊工作員達はまだ正確に判断出来るほどの材料は無いが、しかし王国の戦士達は弱過ぎた。たかだか第三位階魔法で召喚された天使達でさえ満足に倒せないとは。

 唯一倒せているのはガゼフのみだが、そのガゼフでも数の暴力で押されており、とても指揮官までは辿り着けないだろう。

 

「弱い。弱過ぎる。……第五位階が伝説の魔法だなんだと言われて、鼻で嗤ったが――まさか真実だったとは」

 

 アインズは呆然としながらも、戦場へと足を踏み入れる。アインズに気づいた天使が数体アインズに向かうが、アインズは平然と力づくで天使達を両断した。天使達が光の粒子へと消え、法国の特殊工作員達がアインズにぎょっとする。

 

「……何者だ?」

 

 敵の指揮官らしき男が、アインズに向かって冷静に訊ねる。それにアインズは気軽に答えた。

 

「王国に所属する冒険者だよ。国同士の諍いに手は出したくないのだが……この状況では致し方あるまい?」

 

「――ふん」

 

 敵の指揮官も、冒険者のアインズが冒険者の決まりを破ってガゼフの手助けをする理由は仕方なくと気づいているのか、特に興味も無さそうだった。

 天使達が迫る。アインズはそれを一閃する。再び天使達が光の粒子へと消えた。

 

「……(カッパー)のプレートではありえん強さだな」

 

「……最近登録したばかりで……まだ名無しというわけだ」

 

「なるほど……。ストロノーフと同様、あの冒険者にも気をつけろ。こちらに近寄らせるな」

 

 冷静な指揮官の言葉で、思わぬ伏兵の登場に不安を抱いていた法国の特殊工作員達の態度が平静に戻る。次々と彼らは減らされた天使達の数を召喚して元に戻していく。

 

(天使系モンスターに物理攻撃は効果が薄い。俺みたいに力づくは……王国の戦士達じゃ無理だろうな)

 

 アインズは向かってくる天使達を斬り伏せていき、横目で王国の戦士達の行動を見るがガゼフ以外は天使達にむしろ押されている。ガゼフも派手に暴れ回っているが、段々と動きが鈍ってきているように思えた。

 ガゼフ達は人間なので、疲労が蓄積されていっているのだろう。アインズはアンデッドのため平気だが、彼らはそうはいかないわけだ。

 

(時折面倒臭くもあるけど、やっぱりアンデッドの身体の方が便利でいいか)

 

 天使達を平然と斬り倒し、次々に消滅させていく疲れ知らずのアインズに、指揮官は段々とアインズへ視線を固定されていく。そして明らかに、ガゼフよりもアインズに対して向かってくる天使達の数が増えてきた。それも当然だろう。ガゼフに囲いを突破され指揮官を撃破されても、アインズが同様の事をしても、それでは空気が変わってしまう。そうなると、ガゼフに逃げられるかもしれず彼らの任務は失敗だ。

 ここまでお膳立てして、それは許されないだろう。彼らは何としても、ここでガゼフを亡き者にしなければならない。

 だが――――

 

「――ハァッ!」

 

 アインズはグレートソードを振り、天使達を斬り伏せる。徐々に距離を詰めていき、ついにガゼフと同じ距離まで近づいた。

 

「かたじけない! ゴウン殿!」

 

「お気になさらず。それより――」

 

「ああ――指揮官を倒そう!」

 

 ガゼフも活気づき、アインズと協力して更に距離を詰めていく。アインズが一歩前に出てガゼフの盾になり、ガゼフはアインズの打ち漏らしを倒して突き進む。敵も魔法を唱え始めるが――その全てが、アインズの上位魔法無効化Ⅲの前に無効化された。

 

「馬鹿な! 魔法を無効化だとぉ!?」

 

 指揮官が仰天の声を上げ、ガゼフもアインズの背後で驚いていた。

 

「ゴウン殿! 一体どうやって……!?」

 

「――私の鎧は特別製でして、第六位階までの魔法は無効化するんです!」

 

 ――と、このように言い訳しておく。天使達の物理攻撃も鎧の頑強さの前に弾かれるので、ガゼフは「おぉ……」と感嘆しながらも納得したようだった。

 

「伝説級の防具だと……! 貴様は一体何者なのだ……貴様、冒険者風情では有り得んだろう!?」

 

「――知らんな!」

 

 アインズは指揮官の絶叫を切り裂くように、グレートソードを振るって天使達を両断する。彼らは徐々に押されてきた。少し見ればこちらも戦士達は倒れ伏し、立ち上がる元気も無いようだが構わない。このままジリジリと距離を詰めていけば、敵も魔力が尽きて単なる的になる。

 

「――なるほど。確かに今のままでは勝てんな」

 

 そして――冷静に、敵の指揮官はアインズとガゼフの奮闘を分析し結論を出した。

 

「確かにお前達は強い。流石だと言っておこう。――ガゼフ・ストロノーフ。あるいはお前が最強装備のままであったならば、勝ちを拾うことが出来たかもしれん」

 

 指揮官の横には監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)。視認する自軍構成員の防御力を僅かであるが引き上げる能力を持つが、自分が動いた時その能力を失う。そのため、あの天使は全く動いていない。

 

(冷静だな……まだ何か隠し玉を持っている可能性があるか……)

 

 アインズは警戒しながら徐々に距離を詰めていく。

 

「――だが、やはり不可能だ。最高位天使の前ではな!」

 

 指揮官が懐から取り出した水晶を見て、アインズは思わず瞠目する。それほどまでに、アインズはそのマジックアイテムの存在に驚愕したのだ。――今の状況がまずい、と思うほどに。

 

「魔封じの水晶……!」

 

「その通りだ冒険者! これには二〇〇年前、魔神をも単騎で滅ぼした最強の天使を召喚する魔法が籠められている! お前達がどれほど強かろうと……人間では決して勝てん!」

 

 距離は――まだ遠過ぎる。今のアインズでは狙撃魔法は使えない。この魔法で編んだ鎧を解く必要がある。

 だがおそらく、その前に召喚されるだろう。本当に召喚されるのがアインズの想像する最強の天使ならば、この状態では勝ち目がない。急いで本来の姿に戻らなければならない。

 

「さあ、その威光に震えるがいい! 威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)

 

「――――」

 

「な、なんということだ……!」

 

 輝く幾枚もの翼で出来た化け物。その姿を前にしてガゼフが絶望の声を上げる。そして――

 

熾天使(セラフ)級じゃないのかよ!!)

 

 恥ずかしい。かなり恥ずかしい。最高位天使だと言うものだから、絶対そっちだと思ったのに。危うくアンデッドの姿を晒すところであった。

 

(なんだか、気が抜けたなぁ……)

 

 アインズは内心で溜息をつきながら、目の前に召喚された天使を見る。厳しい相手だが、まあ何とかなるだろう。

 

「――下がれ」

 

「え?」

 

 アインズはガゼフをグレートソードの柄で背後に吹き飛ばし、自分から引き離す。見れば、威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)が攻撃態勢に移っていた。

 

「第六位階までの魔法を無効化するだと? ならば第七位階魔法をくらうがいい! ――〈善なる極撃(ホーリースマイト)〉」

 

 アンデッドのアインズに、善属性に傾いた魔法が直撃する。当然、この攻撃はアインズにも通った。

 

(なるほど……これがダメージを負う感覚か)

 

 また一つ、気になる実験が終わった。アインズはそれに満足する。

 

(しかし法国には第七位階魔法を使用出来る存在がいるのか……それとも、プレイヤーか? いや、プレイヤーなら第十位階魔法を込めておくだろ? でも魔封じの水晶があるってことは、確実にプレイヤーが“いた”のは確かだな……)

 

 法国に対する警戒を強める。いずれは訪れてみたいが、それは情報を集めてからの方がいいだろう。

 アインズがそう結論付けると共に、光の柱が消え去っていく。そして、平然と立っているアインズを見て、敵の指揮官達が呆然と立っている姿がアインズにも見えた。

 

「――さすがに今のは痛かったぞ」

 

「お、お前は本当に人間か……? 十三英雄級の存在だとでも言うのか?」

 

「さあな……。その答えを知る者達に、私は会える日を待っている」

 

 プレイヤーならば分かる答えを告げて、アインズは再びグレートソードを強く握り、威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)に向かった。アインズは平気だが、ガゼフはこの攻撃に耐えられないだろう。今までのガゼフの様子から、それをアインズは見て取った。

 ――激戦が始まる。三〇レベル程度の戦士級の物理攻撃のみのアインズと、アインズに満足にダメージを与えられない威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)の攻防は、千日手と言っていい。

 だが、それで十分過ぎる。召喚には時間制限がある。この威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)もしばらく時間が経てば消えるだろう。

 

 つまり――彼らが反撃の手段を失ったその時こそ、アインズの勝利の時だ。

 

「――撤退だ!」

 

 敵の指揮官が絶叫し、周囲の部下達もその言葉に弾かれたように動き威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)がアインズを抑えている内に撤退し始める。

 ガゼフを殺している暇は無い。何故なら、アインズが生き残ればそのアインズに殺されると全員分かっているからだ。威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)が抑えている今の内に撤退しなければ、彼らの死はほぼ確定する。少なくとも――アインズは指揮官は確実に捕らえる。

 

「――――ふう」

 

 そして――威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)の召喚時間制限が過ぎて消えた頃には、もはや草原には法国の特殊部隊の姿は、どこにも見えなくなっていた。

 疲労のバッドステータスはつかないはずだが、なんだか気疲れしてアインズは地面に座り込む。既に、時刻は夜になっており、威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)が消えたため周囲は真っ暗になっていた。

 

「ゴウン殿!」

 

 座り込んだアインズを心配し、ガゼフが駆け寄る。アインズはそれに片手を振る事で答えた。

 

「大丈夫ですよ。まあ、ダメージを受けたことは確かなのですが」

 

「ああ――いや、それは……本当に大丈夫なのか?」

 

「ええ、生きてます。……心配なら、後でポーション代でも奢って下さい」

 

「……勿論だ!」

 

 アインズの言葉に、ガゼフは大声で叫んだ。そして――ガゼフは地面に膝をつき、頭を下げる。

 

「――ゴウン殿、この度は本当に迷惑をかけた。貴殿がいなければ、我々は敗北していただろう」

 

「お気になさらず。私と戦士長殿の違いは、単に装備の違いですよ。強さ的には同じようなものでしょう。ですから――敵の指揮官が言っていた通り、貴方の装備が完全ならばやはり生き残れたでしょうね」

 

 たぶん。まあ、それをさせないためにガゼフは何らかの理由で装備をつけていないのだろうが。少しだけ、コレクターとしてガゼフの本来の装備が気になるところだ。

 

「いや……それでも、あの天使には勝てたか分からない。だから礼を言わせてくれ、ゴウン殿。本当に――本当に、ありがとう……!!」

 

 ガゼフの言葉にアインズは少し照れた。ここまで、本気でお礼を言われたのはカルネ村の住民を助けた時くらいだ。今日は珍しい事ばかりである。

 

(おかしなものだな……)

 

 人間として生活していた時には、ここまで誰かに面と向かって本気で感謝の気持ちを向けられた事はない。だがアンデッドになり人間ではなくなった今になって、人間にこうも感謝の念を向けられる。――蒼の薔薇然り、カルネ村然り、ガゼフ然り。

 だが、悪い気はしなかった。

 

「さて――それより、部下の皆さんを起こして、村に帰りませんか? 私も疲れましたし、村人達も安心させないと」

 

「ああ、そうだな……!」

 

 頭を上げたガゼフが笑い、立ち上がるとアインズに片手を差し出す。その片手の意味がアインズは一瞬分からず――けれどすぐに理解して、内心で笑みを作りながら片手のグレートソードを手放し、手を握って身を起こすのを手伝ってもらった。

 

 ――星空が漆黒の戦士と王国戦士長を照らす。じきに夜が明けるだろう。

 

 

 

 

 




 
漆黒の剣とハムスケの出番を犠牲に、カルネ村とガゼフ(あとニグンさん)を救出する……!
 


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Defensive War Ⅱ

 
■前回のあらすじ

カルネ村「(銅級が騎士を真っ二つにするのを見ながら)冒険者って、スゲー!!」

※書籍10巻発売に伴って、少し修正しております(2016/06/03)。
 


 

 

 アインズがガゼフとその部下達と共に村へ帰還すると、小鬼(ゴブリン)達とンフィーレア、村人達が取り囲む。

 生きて還ってきた事に、村人達はようやく自分達の脅威が去ったと認識出来たらしく、口々に無数の賛辞や感謝の言葉を口にした。

 ……色々とあったために、傷を癒す必要があるためガゼフ達は村に一泊する事にしたようだ。アインズとンフィーレアも明日の朝にエ・ランテルへ帰還する予定だ。

 村人達は疲れていたのだろう。村はすぐに静かになった。強いて言うならば、村が戦士達に貸した家屋が少し騒がしいくらいである。そして――アインズはガゼフと共に村の端で談笑していた。

 

「ゴウン殿、改めてお礼を言わせて欲しい。今日は貴殿のおかげで、村人達も我々も生き残ることが出来た」

 

「いえいえ、私も生きて還りたいですからね。――なりゆきですよ」

 

「しかしゴウン殿、少し気になったことがあるのだが――」

 

 ガゼフはそう言うと、じっとアインズの鎧を見つめる。アインズは未だに装備を解いていないので(というか、解くわけにはいかないのだが)、全身を漆黒の鎧が覆っていた。そう――第六位階までの魔法を無効化する、とアインズが言い訳に使った鎧を。

 

(……もしかして、バレたか?)

 

「……ゴウン殿は、その伝説級の鎧をどこで手に入れたのだ?」

 

 内心冷や汗をかいていたが、どうやらガゼフに気づかれたわけではないらしい。アインズはほっとしながら、ガゼフに考えていた言い訳を語った。……とは言っても、蒼の薔薇に話した内容と同じだが。

 

「……申し訳ありません。実は私、記憶喪失でして……気づいたら、エ・レエブル近郊のアゼルリシア山脈にいたんですよ」

 

「なんと……」

 

 アインズはガゼフに、そこで蒼の薔薇と出会った経緯を語る。ガゼフはアインズの言葉を信じたのか、気の毒そうな表情をした。

 

「それは……大変でしたな」

 

(……この人はもうちょっと人を疑った方がいいなぁ)

 

 騙されてくれて嬉しいが、しかし騙すのが気が引けてくる善人っぷりだ。心が痛む。

 

「しかし……なるほど。だからゴウン殿は、そこまでの能力を使いながら武技を使っている様子が無いのだな。武技の使い方を忘れてしまったのか」

 

「ええ、そのようです」

 

 かかった。

 わざわざガゼフに偽りではあるが身の上を話したのには理由がある。アインズはガゼフやガガーランの使う、武技という存在に俄然興味がわいていた。武技はユグドラシルには無い特殊技術(スキル)だ。気になって仕方が無かったのである。

 

「戦士長殿、よければ私に武技を教えてもらえませんか? 練習していけば、いつか記憶を思い出せるかもしれないので」

 

「勿論かまわないとも! 私でよければ!」

 

 ガゼフはアインズの頼みを、快く引き受けてくれた。

 そうしてガゼフはアインズに説明してくれ、アインズは武技にある程度詳しくなった。

 ……武技とは、戦士にとっての魔法とも言える能力であり、よく分からないが精神力などを使って発動させるようだ。魔法と違うのは、使えば使うほどMP――精神力だけでなく肉体的に負荷がかかる事か。

 一般的な武技の幾つかを説明してもらい、一応指南してもらったが――発動出来る様子は無い。

 ガゼフは「感覚が戻るまで要練習ですな」と笑っていたが、絡繰りを知っているアインズにとっては覚えるまで猛勉強、といったところだ。

 ユグドラシル出身者は武技を覚える事が出来るのか――検証が必要である。

 

「では、ゴウン殿。また明日――」

 

「ええ、戦士長殿。また明日――」

 

 ある程度話して、アインズはガゼフと別れた。ガゼフが貸してもらった戦士達のいる家屋に戻るのを見送って、アインズもンフィーレアが待っている貸してもらった家屋へ帰った。

 

「お帰りなさい、旦那」

 

 外で見張りをしていた小鬼(ゴブリン)達が、帰って来たアインズに小声で挨拶をする。アインズはそれを無視し、家屋のドアを開けた。

 

「――――」

 

 ンフィーレアも疲れていたのか、ベッドに潜り込んで寝ているようだった。アインズが姿を見せても、何の反応も無い。

 アインズはその姿に満足して、ドアを閉めると小鬼(ゴブリン)達に小声で話しかけた。

 

「森に行っていろ。誰にも見られるなよ」

 

「分かりました」

 

 小鬼(ゴブリン)達はアインズの命令に、何の疑問も持たず従う。そんな姿を見ながら、アインズはさてどうするかと迷った。

 迷ったが――どの道、この件をわざわざ検証する価値は無い。ちょっとした興味でしかないのだから。アインズはそう決めると、小鬼(ゴブリン)達が森へ消えていく姿を見送りながら――少しだけ待って、アインズも小鬼(ゴブリン)達の後を追った。

 

 

 

 召喚されたモンスターは、果たしてずっと召喚主に絶対服従なのか。

 これが特殊技術(スキル)で作成されたモンスターならば、アインズは自信を持って絶対服従であると答えただろう。そもそも、それには時間制限があるからだ。その時間制限内ならば、アインズは間違いなく服従すると答えられる。

 しかし、マジックアイテムによって召喚され、かつ召喚時間に時間制限の無いモンスターはどうなのだろうか。彼らはいつまでも、召喚主の命令に従うのか。

 それには、アインズは疑問を覚える。ゲームがこうして現実になってしまった以上、効果には何がしかの変化があるはずだ。

 誰にだって好き嫌いはある。相性の良し悪しがある。何の意味もなく「死ね」と命令するような召喚主に、果たしてモンスターはいつまでも従うのか。

 アインズはそう思わない。少なくとも、アインズならば従わない。だから――アインズは森を歩き、鎧を形作っていた魔法を解く。周辺に音が漏れないよう魔法を唱え――

 

暗黒孔(ブラックホール)

 

 無詠唱化させた魔法で、小鬼(ゴブリン)達を消滅させた。

 

「――――」

 

 再び、アインズは魔法で全身を漆黒の鎧で覆う。周囲を魔法で探るが、討ち漏らしは無い。誰も、アインズの姿を見ていない。

 

「……ふぅ」

 

 アインズは一つ溜息をつくと、踵を返して森を去って行く。もう、この森に用は無い。いい加減帰って休んだふりくらいしなければ、怪しまれるだろう。

 村に帰ってきたアインズは、家の中に入るとグレートソードを抜いて床に置き、ドア付近に座り込んだ。

 

(眠れないのは、少し不便だな)

 

 蒼の薔薇の時も思ったが、誰かと行動する時に寝ている姿を晒せないというのは、少し厄介だった。

 アインズは朝にンフィーレアが目を覚ますまでずっとそうしており――目を覚ましたンフィーレアを驚かせてしまった。

 

「一応、護衛ですので。小鬼(ゴブリン)達も消えましたし――万が一を考えまして」

 

 アインズがそう言うと、ンフィーレアは納得したようだった。

 小鬼(ゴブリン)達がいなくなった事も――あの角笛の効果を詳しく知らないンフィーレアは、何の疑問も抱かなかった。

 

 ……このまま、カルネ村に預けて小鬼(ゴブリン)達の優先順位に変化が訪れるのか実験してみたくはあった。しかし、ンフィーレアという有名人の孫の知り合いの村という性質上、万が一が起きた時のデメリットを考え、アインズはその実験を取り止める事にした。

 召喚主に絶対服従というルールに縛られているのならばいいが、自らの好悪で優先順位を切り替えた場合、その新たな主が善良とはかぎらない。いや、例え善良であろうとその行為がアインズの迷惑にならないとはかぎらない。

 気に入らない貴族に小鬼(ゴブリン)をけしかけた――ないし、他の村を襲って金品を強奪した。そのような話が出た場合、間違いなく責任を取るのはアインズだろう。

 アインズは、そんな責任を負いたくない。それだったら、後腐れのない隠滅を図る。

 

 例えその朝――小鬼(ゴブリン)達と仲良くなった幼子が、小鬼(ゴブリン)達がいなくなって泣いたとしても、アインズにはどうでもいい事だった。

 

 

 

 

 

 

「――それではアインズさん。今回の依頼、ありがとうございました」

 

 エ・ランテルへ着きンフィーレアの家まで送ったアインズは、ンフィーレアにそう頭を下げられた。

 

 ……ガゼフ達を見送った後、アインズとンフィーレアも出発し再びエ・ランテルへ帰って来ていた。ガゼフ達と同じ日に出発したが、ガゼフ達は馬なのに対して、アインズとンフィーレアは馬車があっても徒歩と変わりがない。二人はゆっくりとエ・ランテルへ帰還した。

 アインズが一人だけ捕縛した男はガゼフ達が重要参考人として連れ帰ったため、本当に行きと同じ二人だけの帰還だ。

 ンフィーレアは今回の件でアインズに迷惑をかけた自覚があるのか、深く頭を下げている。アインズはそれに、苦笑しながら答えた。

 

「いえ、お気になさらないで下さい。ンフィーレアさん。私は依頼を遂行しただけですので」

 

「で、でも……! でも本当なら、あの最初の村でエ・ランテルへ帰還するべきでした。それを僕の我が儘で無理矢理ついて来てもらって……」

 

「その我が儘が、カルネ村を救ったんです。なら、それは正しいことですよ」

 

 内心をおくびにも出さず、アインズはンフィーレアに朗らかに告げる。ンフィーレアはアインズの言葉を聞くと苦笑をこぼした。

 

「……心が広いんですね、アインズさん」

 

「そんなことはありませんよ。まあ、以後はもうちょっと気をつけて欲しいですけどね」

 

 アインズがふざけたように言うと、ンフィーレアは「は、はい!」とコクコクと壊れた人形のように頷いた。

 

「では、私はこれで失礼します。またご贔屓に」

 

「はい! また何かあれば、アインズさんに頼みますね!」

 

 アインズはそう言って、ンフィーレアと別れた。ンフィーレアは家の前でアインズの姿が見えなくなるまで手を振ってくれている。

 そしてアインズは夜も更けているが、まず冒険者組合に行って報酬を受け取る事にした。

 

(初めての依頼達成だな……そういえば今回、色々あったけど報酬はそのままなのかな?)

 

 アインズは首を捻りながら、冒険者組合に向かう。頭の中で地理を思い出しながら、冒険者組合に辿り着いたアインズは扉を開けた。すると――

 

「やあ! アインズ君――待っていたよ!」

 

 アインズの姿を見た見知らぬ屈強な男が、アインズに親しげに声をかけた。アインズはさて誰だったかと記憶を探り、その顔に全く覚えがない事に気がついて内心焦る。

 

「……申し訳ありません。どなたです?」

 

 アインズが訊ねると、屈強な男は答えてくれた。

 

「おっと失礼。私の名はプルトン・アインザックと言う。このエ・ランテルの冒険者組合の組合長だ」

 

 屈強な男――アインザックの言葉に、周囲にいた冒険者達の空気がざわりと揺らいだ。アインズとて、内心で驚く。

 アインザックは親しげにアインズに近づくと、大きな声でアインズに語りかけた。

 

「聞いたよ、アインズ君! エ・レエブル近郊のアゼルリシア山脈で、難度一〇〇を超える(ドラゴン)と戦っていたそうじゃないか!」

 

「――――」

 

 アインザックの言葉に、周囲の冒険者が信じられないと言った表情でアインズを凝視した。一斉に集められた視線に居心地の悪い思いをしながら、アインズは口を開く。

 

「いえ、私一人の力ではありません。あれは蒼の薔薇の皆さんの協力があってこそ――」

 

「謙遜はよしたまえ。蒼の薔薇は途中参加で、そもそも最初は一騎打ちをしていたそうじゃないか! さあ、詳しい話を聞いておきたい。アインズ君、こちらへ」

 

 アインザックの言葉に促され、アインズは仕方なく会議室のあるドアの向こうへアインザックと共に消えていく。アインザックとアインズの姿が消えた後、冒険者組合の中は先程のアインザックの言葉で大きな騒ぎとなっていたのを、アインズは背中で感じ取った。

 

 ……会議室に案内され、ドアを開けた先にいた人物に、アインズは更に首を傾げる事になった。また、見知らぬ人間が椅子に座っていたからだ。

 その人物はアインズが入って来たのを確認すると、軽く手を振った。アインズも何となく日本人の癖で頭を下げる。

 

「アインズ君、こちらは都市長のパナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイア様だ」

 

「よろしく、あいんずくん」

 

 ぷぴー、という鼻の音が聞こえそうな、鼻詰まりのした間抜けな声だ。体系は肥満体質であり、はっきり言って肥え太った豚、と言われても仕方ない様相である。

 

 席に座るよう促されたアインズは、椅子に座ると、続いてアインザックも座り……全員が席に着いたのを確認してパナソレイが口を開く。

 

「さて……あー……アインズ君。今回君をこの場に呼んだのは、(ドラゴン)の件もあるが、カルネ村の一件だ」

 

 パナソレイは口を開くと同時に、先程の様子と打って変わって眼光を鋭くし、アインズを見た。

 

「アインズ君。今回のカルネ村の一件……王国に住む一人の人間として、深く感謝する」

 

 パナソレイはアインズに礼を言うと、ガゼフから既にカルネ村の件を多少報告されているらしい事を語った。詳しい――ガゼフ暗殺未遂の件はアインザックがいるからだろう、はっきり言う事はなかったが。

 

「それで君の難度一〇〇以上の(ドラゴン)討伐の件と、今回のカルネ村での天使討伐の件から――アダマンタイトに出来れば推薦したいと思っているのだが……」

 

 そこでパナソレイはアインズに頭を下げた。深く、深く謝罪するように。

 

「大変申し訳ない……! 少なくともカルネ村の件は表沙汰に出来ないので、君をアダマンタイトに昇格させる事は出来ない。許して欲しい……!」

 

 アインズはその言葉を聞きながら、パナソレイに優しく聞こえるよう語りかけた。

 

「いえ、どうぞ気になさらず都市長。私はあくまで依頼を全うしただけですので。それに、カルネ村の件を内密にしておきたい、というのは理解しています」

 

 アインズの言葉に、パナソレイは申し訳なさそうな顔をしながらもほっとしたようだった。

 

「そうか……本当に申し訳ない。(ドラゴン)の件もエ・レエブルならば話は違ったのだが、ここでは昇格に使えないのだ。そこで――大変申し訳ないのだが、君には数日後に昇格試験を受けてもらいたい」

 

「昇格試験、ですか」

 

「ああ。――冒険者組合長、説明を頼む」

 

 パナソレイから促され、そこでアインザックが口を開いた。

 

「アインズ君、当然君のような優秀な冒険者を最下級の(カッパー)などと扱うつもりはない。しかしアダマンタイト級にするには、おそらく証拠を掲示出来ない今の状況では他の冒険者達がうるさいだろう。そこで、数日後に君に昇格試験を受けてもらいたいのだ。昇格試験の件は聞いているかね?」

 

「ええ」

 

 昇格試験とは、冒険者がプレートの格を上げるために受ける、冒険者組合からの試練の事だ。この試練を見事達成してみせた場合のみ、プレートは上がる事が出来る。

 アインズが現在、新人でありンフィーレアの依頼しか受けていない事を思えばすぐの昇格試験は破格の扱いだろう。

 

「この昇格試験で、少しばかり細工をする。エ・ランテルには大きな共同墓地があるのだが、その共同墓地を巡回するというのが今回の昇格試験の内容だ。本来ならば見て回っても精々スケルトンなどの下位アンデッドしかいないのだが……、ここで骨の竜(スケリトル・ドラゴン)が出現したと偽造する」

 

骨の竜(スケリトル・ドラゴン)、ですか?」

 

「そう、()()骨の竜(スケリトル・ドラゴン)だ。魔法に絶対耐性を持つと言われ、ミスリル級で戦う強敵だが、アインズ君の本来の偉業を考えれば倒せない敵ではないだろう。これが現れたと偽造する。君はこれを一人で倒し、その件をもってミスリル級に昇格する――と冒険者組合で決定した」

 

「ああ、なるほど」

 

 骨の竜(スケリトル・ドラゴン)が魔法に対する絶対耐性を持つ、などと意味不明な勘違いは置いておくとして、つまりこれは偽装試験というわけだ。アインズは本来、アダマンタイト級と称されてもおかしくないが、その証拠を冒険者達に掲示する事は出来ない。しかし、だからと言って実力のあるアインズを放置も出来ない。無理に昇格させると、他の冒険者達から嫉妬を買う。

 そのため、わざとこういった事があったと偽造するのだ。これでも疑う者はいるだろうが、アインズは事実として強いのだから、喧嘩を売ったところでアインズの強さを目の当たりにする羽目になる。

 

「――以上だ。大変申し訳ないのだが、このような些事につき合わせることを許して欲しい」

 

「いえ、かまいません。こちらこそ、そのような特例措置をしていただいて、感謝いたします」

 

 アインザックとパナソレイが頭を下げるが、アインズも頭を下げた。

 実際、アインズとしてはもっとゆっくり、他の者達と当たり前のように昇格していきたかったのだ。煩わしいと思う事は多いだろうが、アインズはこの未知の世界をゆっくり堪能したいとも思っている。正直な話、あまり権力者と密接な関係になるのは好ましくなかった。

 しかし、ここでそれを拒否すると別の意味で不興を買う。アインズは仕方なしに受け入れる事にした。

 

「では、昇格試験の日時が決まったら再び連絡を入れる。それまでは自由に過ごして欲しい」

 

「わかりました。では、失礼します」

 

 アインズは席を立つと、二人に頭を下げて会議室を出る。会議室を出た後、アインズが再び受付に戻ると冒険者達がアインズを凝視した。アインズはその視線を少し鬱陶しいと思いながらも、受付に向かい受付嬢に話しかける。

 そこでンフィーレアの依頼の報酬を貰い、アインズは宿へ向かった。そこで安物のベッドに転がり、心を落ち着かせる。

 

 その日――夜だと言うのに、冒険者組合はアインズという新人の冒険者の話で持ちきりであった。

 

 

 

 アインズが去った後、パナソレイとアインザックは二人で会話をする。

 

「――やれやれ。これで何とか、彼をエ・ランテルに置いておけそうだな」

 

 パナソレイの言葉に、アインザックは苦笑しながらも頷く。

 

「最初にエ・レエブルから情報が入った時は仰天しましたよ。しかも、大急ぎで彼を探すと、彼は既にバレアレ家の依頼でエ・ランテルを離れていたと言うのだから思わず受付嬢を怒鳴りそうになりました」

 

 普通の(カッパー)の冒険者とはわけが違う。難度一〇〇の(ドラゴン)という、間違いなくアダマンタイト級でも死闘を演じる羽目になるモンスター相手に、蒼の薔薇が来るまで一騎打ちで戦っていたというのだから恐れ入る。そんな英雄級の人物を(カッパー)程度に収めて、依頼に出したと知った時には血の気が引くのがはっきり分かった。

 

「しかも、その依頼であの戦士長殿さえ勝てないと言わしめる天使と戦ったと聞いては、とてもではありませんがプレートをそのままにしておくわけにはいかないでしょう」

 

「反発はあるが、仕方ないな。組合の方では、出来ないなどと言えばエ・レエブルの方が寄こせと言って来たのだろう?」

 

 アインザックは頷く。証拠も無いので難しいのだが、しかしエ・レエブルの方が躍起になっているのだ。さすがにそんな冒険者をこの都市から逃したくはない。そのため、異例ではあるし卑怯ではあるのだが、偽装試験でプレートをわざと引き上げる事にしたのだ。

 本来、このような馬鹿な事はしたくないが、本当の実力がアダマンタイト級だと知っているとむしろ即座にプレートを上げないとまずい。王都の方も蒼の薔薇から話を聞いて、「いらないならこちらに寄こせ」と打診している。

 

「とりあえず、他の冒険者から反発は強いだろうが、その辺りは彼の実力で黙らせるしかないな。バレアレ家の者達も彼の実力を裏付ける言葉を言ってくれるだろう」

 

「そうですね」

 

 パナソレイとアインザックは共に溜息をつきながら、これからの事に頭を悩ませた。

 

 

 

 

 

 

 ――道中の荷物運び。

 ――冒険者の手伝い。

 ――その他。

 

「…………」

 

 アインズは昇格試験までを、何かの依頼で時間を潰そうとしたのだがアインズのプレートで受けられる依頼は殊更つまらないものばかりであった。

 

(唯一面白そうなのが、他の冒険者の手伝いか。単独で受けられそうなのは無いな……)

 

 (カッパー)のプレートは最下層である。最初の依頼はわざわざンフィーレアが来てくれたので気にならなかったが、基本はまず他の冒険者の手伝いから始まるようだ。そのため、アインズが面白そうだと思えるような依頼は、全く存在しなかった。

 

(せっかく羊皮紙と何度もにらめっこしたのに、結果がこれかよ……)

 

 こっそり見知らぬ文字と格闘したと言うのに、結果がどれも受ける価値無しとは、残念にもほどがある。アインズは肩を落として、とぼとぼと組合の中にある一人掛けのソファに座った。そんなアインズの様子をチラチラと冒険者達が盗み見ているが、アインズに話しかける者はいない。おそらく、昨夜のアインザックの言葉が気になっているのだろう。

 

(トブの大森林の探索とか、そういうの無いのか……蒼の薔薇とかは依頼でアゼルリシア山脈を探索していたみたいだったのに)

 

 アインズも、いつか依頼で山頂の竜討伐(ドラゴンスレイ)などしてみたいものだ。アダマンタイト級にでもならなければ、やはり無理なのだろうか。

 

(仕方ない。昇格試験まで大人しくしておくかな)

 

 どうせ、彼らも無駄にアインズにうろうろして欲しくないのだろうし。アインズはそう自分を納得させ、ソファから再びチラリと視線を羊皮紙の貼られている掲示板に送る。

 

「…………」

 

 いや、それでもやはり、一つくらいは受けておくべきか。冒険者は強さを重視して動く荒くれ共だ。そんな者達の中で階段を飛ばして駆け上がっていく新人は、はっきり言って不快だろう。強さをある程度、見せつけておく必要がある。

 

「……………」

 

 アインズはソファから立ち上がると、再び掲示板の前まで歩く。そして、先程唯一面白そうだと思った羊皮紙を手に取った。

 

 この依頼内容は、街道の警備をしている冒険者達の手伝いだ。周辺に野盗の類が出現しているらしく、おそらくは森にあるだろう(ねぐら)の位置を確認するために、人手を欲しているらしい。特に職業(クラス)の指定も無いので、一応戦士職にしか見えないアインズも受けられる。

 

(まあ、商人の荷物運びとかよりは楽しいだろう。知らない森にも行けるかも知れないし)

 

 アインズはその羊皮紙を持って受付に向かう。そこにいたのはアインズに冒険者の説明をした受付嬢だ。ンフィーレアの時もいたような気がする。よく縁がある女性である。アインズは受付嬢に「これを受けたい」と渡すと、受付嬢は「かしこまりました」と頷き、手配を始めた。

 

「それではゴウンさん、話を通しておきますのでまた明日の朝六時頃にいらして下さい」

 

 受付嬢の言葉にアインズは頷くと、再び冒険者組合を去った。その日一日は暇になったので、アインズはエ・ランテルの街中を最初の日と同じように見物して回る。

 

 ――そして、次の日。アインズが指定された時間の三十分前に冒険者組合を訪れると、受付嬢に案内されて会議室のような場所に通された。アインザック達と会った場所ではない、ンフィーレアと会った特に豪奢ではない普通の会議室だ。

 

 そこには一人の見た目は魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)がおり、受付嬢はアインズを通すとドアを閉めた。アインズはまず、目の前の男に頭を下げる。

 

「遅れてしまったようですね、申し訳ございません」

 

 一応アインズの方が身分が低い。相手のプレートは銀だ。だと言うのにアインズの方が遅く集合場所に着くのはいただけない。

 アインズが頭を下げると、目の前の男は苦笑して答えた。

 

「いえ、お気になさらず。私も先程来たところですから」

 

 そして、本題に入る。アインズは目の前の男から詳しい依頼内容を聞き、特にアインズの思っていた事と変わりがないため、引き受ける事にした。

 向こうはアインズのような立派な体躯(?)の戦士が来るとは思っていなかったようで、話の最中終始そわそわしていたが。

 

「では、一緒に任務を受ける仲間達を紹介しましょう。すぐに出発出来ますか?」

 

「はい。大丈夫です」

 

 一応、冒険者として必要な最低限のアイテムは揃えている。食料などアインズには必要無いが、念のためにも持っておかなくてはならない。

 ただ、唯一の問題はどうやって食糧問題を誤魔化すかという事だが。

 

(まあ、彼らと仲良くなっても数日中にプレート上がるし。一人離れて食べる風を装うか。顔を隠している冒険者も、ゼロじゃないんだから)

 

 脳裏に過ぎるのは蒼の薔薇の一人、イビルアイだ。彼女は結局、アインズと同じようにずっと仮面で顔を隠して見せなかった。そういう者もいるのだから、まあ別にいいだろう。

 

 アインズは案内され、エ・ランテルの北門に待機していたメンバーを紹介される。紹介された冒険者達は全部で十四名。その多くは鉄のプレートだった。

 

「あ、アンタ!」

 

 そして、自己紹介していく内にアインズを見て一人の女が声を上げた。アインズは不思議に思って首を傾げる。

 

「アンタ、宿屋で吹き飛ばした奴!」

 

「はあ?」

 

 首を傾げるが、記憶を辿り――アインズは、初日の宿屋で起こった騒ぎの事を言っているのだと理解した。おそらく、その宿屋にいた冒険者の一人なのだろう。

 彼女はブリタと言い、話すとやはりブリタは宿屋でアインズが先輩冒険者を投げ捨て鎮圧した騒ぎを見ていたのだと言う。同じように、あの場にいたのだとか。

 そして他の冒険者達はブリタが話す宿屋の出来事に、感嘆の声を上げる。

 宿屋で起きたのは、新人であるアインズが絡まれたためアインズが軽々とその相手を持ち上げて床に投げ捨ててやった出来事だ。あれは冒険者ならば毎回通る暗黙の最初の試練みたいなもので、それをどうやって切り抜けるかが話題になるらしい。アインズの時の件はこのブリタしか宿にいなかったらしく、他の冒険者達は知らなかった。

 アインズのやり方はよほどスマートだったらしく、全員に驚嘆されたらしい。

 

「人一人軽々持ち上げるとは、かなり腕力があるんですね」

 

 冒険者の一人の言葉に、アインズは柔らかく、しかし自信ありげに返す。

 

「ええ。背中の剣は伊達ではありませんよ?」

 

 剣の柄に触れるように、肩をぽんぽん、と叩くと彼らは破顔した。

 そして勿論――彼らはそれが真実であることを思い知る事になる。

 依頼は街道の警備であり、野盗の(ねぐら)の探索はこの中の一部の冒険者達で行う。アインズはその間抜けるメンバーのちょっとした代わりだ。基本的に暇な時間であったが、時折森から出て来たモンスターを退治する事になる。

 当然、アインズは軽々とモンスター達を一刀両断した。冒険者達はアインズの強さに驚愕し、そして段々冒険者達の間から緊張感が薄れていく。

 

(……よくない傾向だな)

 

 緊張感が薄れ、本当に何も関係の無い私語を平然と語り始めた冒険者達に、アインズは少し辟易する。私語をするなとは言わないが、それでも冒険者としても関係の無い、本当にどうでもいい私語で時間を潰し周囲への警戒をおろそかにするのは褒められたものではない。実力が低いのならば尚更だ。

 アインズを連れてきたリーダー格の魔法詠唱者(マジック・キャスター)は渋い顔をしている。彼も、この危険な傾向に気がついているらしい。目が合ったため、アインズは軽く頭を下げた。彼も、アインズに対して複雑な表情をしながら頭を軽く下げて返す。

 ……緊張感を無くした原因であるアインズと、自分のチームの駄目加減を披露する羽目になった彼だけが気づいているとは、実に皮肉な話である。

 

 ――それから三日ほどかけて、彼らは野盗の塒をついに発見したらしい。そして話し合った結果、野盗の塒を強行偵察してみる、という事になった。

 当然、このような結論に至ったのには理由がある。アインズだ。今回、アインズという桁外れの実力を持った前衛戦士がいるため、彼らは欲が出たのである。今の内に、更なる報酬を得よう、と。

 アインズはそんな彼らの本心に気がついたが、黙っている事にした。今回のアインズの立ち位置は単なるおまけだ。チームの中心が話し合って決めたのだから、アインズはその結果どうなるかを黙秘する。

 ……話し合いの結果、二つのチームに分ける事になった。七人で強行偵察、残りのアインズ含めた八人は少し離れた場所に罠を仕掛け、待ち伏せする事になる。

 アインズが強行偵察に加わらないのは、野盗達を誘き寄せる際にアインズがいると警戒する可能性が高いためだ。そのため、アインズは待ち伏せ組に加わる事になった。

 

 夕暮れ頃に二つのチームに別れ、森を一時間ほどかけて進む。途中、強行偵察組と別れてアインズ達は地面に罠を仕掛けた。後は、彼らがこちらに来るのを待つだけだ。

 しかし――――

 

「…………遅いな」

 

 ポツリと、待ち伏せ組のリーダーが呟く。当初の計画では、もうこちらに来ていいはずだが……来る気配が無い。アインズ達は顔を見合わせると、それぞれ武器を抜いて周囲を警戒した。

 

「……全滅した?」

 

「可能性は高いな。もう少し待って来なかったら――エ・ランテルに帰還しよう」

 

 それぞれ小声で話している間に、野伏(レンジャー)がハッと何かに気がついた顔をして叫んだ。

 

「まずい! 囲まれそうだ! 逃げよう!」

 

「――――!」

 

 その言葉に弾かれたように全員が動き出す。そして――――

 

「おっと、そうはいかねぇ」

 

 野盗達の声が聞こえると共に、アインズ達のいる場所に矢が幾つか降って来た。

 

「――――」

 

 アインズはその矢を見て、即座にグレートソードを振り回し切り払う。アインズの人外の視覚では、その鏃にしっかりと何かが塗り込まれているのが見えていた。他の冒険者達では防御に失敗して傷を負うと危険だろう。

 アインズが矢を切り払うと、ひゅうっと口笛を吹く音がして周囲からガサガサと音がする。

 

「……やれやれ。やはり欲をかくと、碌なことにならんな」

 

 アインズはポツリと誰にも聞こえないように呟き、彼らの盾になるように前に出る。

 

「しんがりは私が引き受ける。撤退だ。矢の(やじり)には薬物が塗られている。包囲網を突破し、後は全力で森の外まで走れ」

 

「――――」

 

 アインズの言葉に全員ハッとしたように動き、アインズが盾となっている間に急いで準備を整える。

 まずは魔法で目の前を掃除する。とは言っても、範囲攻撃魔法は第三位階魔法を使えない彼らでは不可能だ。よって、〈魔法の矢(マジック・アロー)〉を撃ち込み、牽制。そして戦士と野伏(レンジャー)が前に出て、包囲網を突破しようとする。

 

「――――」

 

 アインズは、最後尾で射られる矢を切り払う。ジリジリと後ろに下がるが、野盗達のレベルは鉄級の冒険者と同等くらいなのか、包囲網を突破出来る気配は無い。

 

(……俺が前に出て突破するか? いや、彼らと同等の強さとなると後ろを任せると瓦解しかねないが――)

 

 しかし、このままでは状況は膠着する。そして膠着すればアインズはともかく、他の冒険者達は耐えられないだろう。故に仕方なし。

 

「――ふん!」

 

 アインズは背後を振り向くと、片手に持ったグレートソードを苦戦する冒険者達の前に投げた。同時に、空いた片手で魔法詠唱者(マジック・キャスター)を掴んでアインズの身体が盾になるように抱える。

 矢が風を切る音がした。しかし、背後を見せた無防備なアインズに射られる矢は全て、漆黒の鎧の前に弾かれる事になる。投げたグレートソードは野盗の一人を串刺しにしており、アインズは彼らの前面に出ると抱えていた魔法詠唱者(マジック・キャスター)を離してグレートソードを掴み……

 

「――ハァッ!」

 

 野盗の腹を串刺した状態で横に薙ぎ払う。野盗の腹が裂け、そして周囲にいた野盗達の身体を軽々と切り裂いていく。距離が離れていたため、真っ二つにされるような事は避けられたようだ。だが、身体の一部が欠損する者達はいた。彼らは絶叫を上げ転がり回る。

 そんな仲間の野盗達を気にする者はいなかった。その一連の動作でこのパーティーの中でもっとも筋力があり、頑丈で、素早い者が誰かを野盗達は察した。野盗達は逃げるようにアインズから離れると、矢による遠距離攻撃に徹底して移る。

 ――だが目の前は晴れた。アインズは叫ぶ。

 

「走れ!」

 

「――――」

 

 アインズの言葉に、その場にいた冒険者達が全速力で走る。アインズは再び足を止め、矢を切り払うと彼らに遅れる形で背後を気にしながら走る。とは言っても全速力ではない。アインズが全力で走れば、容易く他の冒険者達を置き去りにしてしまうからだ。そのため、ゆっくり彼らに合わせて走らなければならない。

 

 だが――そのアインズに、アインズにとっても驚くべきスピードで突進してきた野盗が一人いた。アインズは仰天し、グレートソードを振り回して牽制する。その男はアインズの攻撃を避けるため、バックステップで距離を取った。

 そして、アインズが気を取られたため冒険者達と少し距離が開き、その隙間に野盗達が入り込む。アインズは舌打ちした。野盗達を切り捨てるのは簡単だが――この目の前に現れた青い髪の男を無視する事は出来ない。

 アインズは目を細めるように、足を止めて目の前の男を睨む。男は刀を手に持っており、アインズを油断なく見据えている。

 

「……敏捷は戦士長級か。困った相手がいたものだ」

 

 先程のスピードを思い出し、アインズは溜息をつく。カルネ村での経験から、おそらくこの男はガゼフと同等か、あるいはガゼフより少し速いと推測する。

 男はアインズの呟きに目を見開き、面白そうな相手を見る表情を作った。

 

「ほお……? あのストロノーフを知っているのか?」

 

「単なる顔見知りだ。別に、権力者に近い立場ではないな」

 

 そう告げるが、しかし男は獰猛な肉食獣を連想させる瞳をしてアインズを見つめている。

 

「……少し訊くが」

 

「うん?」

 

「私達のことは、襲撃した冒険者達から訊いたのか?」

 

 アインズがそう言うと、野盗達がニヤニヤと笑みを作る。もはや語るまでも無かった。

 

「なるほど。――彼らはあれでも、銀級が混じっていたのだが……敵に戦士長級が混じっていたのでは仕方ないな」

 

「ああ――気づいている通り、楽な作業だったぞ」

 

 男が笑みを作り、胸を張る。アインズとて彼らを全滅させるのは容易い。おそらく、ガゼフもだろう。この男がガゼフと同格の強さならば、野盗まで混じれば楽に殺せるのは間違いない。

 

「その連中が吐いたんだが、アダマンタイト級の実力のお仲間がいるってんで、わざわざ出迎えにやって来たのさ。実際――こいつらじゃお前に届かないのはよく分かった」

 

 男は刀をゆっくり構え――アインズに訊ねる。

 

「ブレイン・アングラウスだ」

 

「――アインズ・ウール・ゴウン」

 

 アインズも両手のグレートソードを構え、告げる。

 そしてアインズは、地を蹴った。

 

 

 

 

 

 

 ――男、ブレインの見たかぎりでは、身体能力は圧倒的に漆黒の戦士――アインズが上だ。さすがのブレインでも、武技を使わずに平然と両手にグレートソードをそれぞれ持ち、片手だけで鎧を着た人間を両断は出来ない。

 だが、アインズの身体能力ならば可能だろう。記憶にあるガゼフですら出来ない領域の、ブレインでさえ見た事が無い身体能力だ。こんなのが最下級の(カッパー)のプレートを胸元に下げているのだから、恐れ入る。

 

(他国の人間――もしや、南方の出身者か?)

 

 ブレインの持つ刀は、南方の砂漠にある都市から時折流れ出て来る、非常に高価な武器だ。アインズの装備している見事な細工と輝きの漆黒の鎧と二本のグレートソードは、間違いなく王国ではお目にかかれないような一級品である。南方の出身者ならば、全身をそういったもので固めていてもぎりぎり納得出来た。この相手が無名だと言うのも納得出来る。

 

「――――」

 

 ブレインは武技〈領域〉を発動させながら、アインズの桁外れの力で振られるグレートソードを避ける。並みの戦士では、アインズの攻撃は避けられないだろう。

 

(技術力はそこまで無し――チグハグな奴だな)

 

 というより、今までそういった努力をする必要性が無かったのかもしれない。ブレインにも分かる。天才は、一度は敗北する運命だという。何故なら天才は秀才を上回るが、努力する天才には勝てない。ブレインは、かつて努力する天才に負けた、ただの天才だった。

 

 ……そう、かつてブレインはガゼフに負けたのだ。御前試合においての最後の勝負――ブレインの攻撃は避けられ、四つの軌跡がブレインを襲い、ブレインは敗北した。

 それからのブレインは、努力を覚えた。かつての努力しない天才だったブレインはいない。今ここにいるのは、努力する天才ブレイン・アングラウスだ。

 

「――――」

 

 ブレインは再び、〈領域〉で捉えた振るわれたグレートソードを避ける。そして――グレートソードが追撃するように、軌跡を捻じ曲げて刃がブレインを追ったのを感じた。

 

(――チッ!)

 

 だが、それでもブレインを捉えられない。〈領域〉は絶対だ。身体能力で勝っていても、先読みが出来る以上ブレインに攻撃を当てるのは不可能に近い。

 

(単に振り回すだけじゃないな……戦士の心得くらい持ってるか)

 

 そして、アインズがフェイントを仕掛けたのを悟る。あれだけの巨大な武器の軌跡を途中で捻じ曲げたのだ。全力で振り抜いていればそれは不可能だろう。

 だが、その力を抜かれた攻撃でも、下手をすればブレインを両断する。一撃一撃が死に直結するのだ。ブレインにかけられる緊張感は、ともすれば発狂したくなるほどだった。

 ――しかし、ブレインは動じない。そしてアインズも追撃を止めて、微かに距離を離して〈領域〉内から外れ、呼吸を整えているようだった。

 その隙をブレインは狙わない。どんな攻撃も当たれば即死――そんな相手に、最強の一撃以外が通用するとは思えなかった。

 野盗達も固唾を飲んで二人を見守っている。彼らは、既にこのアインズとブレインの攻防に自分達では入り込めないと悟っているのだ。

 

「――やれやれ。やはり、いい勉強になる……」

 

 アインズはそう、ポツリと呟く。ブレインはそれを聞くと、不快な感情を覚えて顔を歪めた。

 

「おいおい――そりゃあ、技術力で上の相手と戦えばいい勉強になるだろうが、その言葉は無いだろ」

 

「ああ――失礼。別にお前を馬鹿にする気で言ったんじゃないさ。戦士としては、私は半端もいいところだからな。鍛えようにも、相手がいないと何をどうすればいいのか、さっぱり分からん」

 

「……そりゃ、お気の毒に」

 

 ブレインは何となく、アインズの言いたい事が分かった。確かに、技術を鍛えようにもアインズについていける相手は滅多にいないだろう。ブレインと戦闘になる領域、という事はガゼフや蒼の薔薇のガガーラン……つまり、アダマンタイト級の実力が無いと身体能力だけで押し通せてしまうのだ。

 そうなると、鍛えようにも一苦労だろう。実戦での技術力だけは、相手がいなければどうしようもない。

 

「……まあ、お前がもう二度とそういう相手を期待する必要が無いようにしてやるさ」

 

 ブレインはそう言い、刀を鞘にしまってゆっくり構える。アインズはブレインの構えを見ると「……居合か」と呟いた。

 

(居合は知っている……って事は、まず狙う箇所もバレてるな)

 

 というより、そこしか狙えない。あの漆黒の鎧は飾りではないだろう。全身を覆うあの鎧の前では、刀で狙える箇所は関節の隙間しかない。しかも一撃必殺を狙う場合は、まず兜のスリットだろう。

 

(首は赤いマントで隠してやがる。技術はないくせに、隙無さ過ぎだろあの野郎……)

 

 出来れば首狙いでいきたいが、その肝心の首の部分は赤いマントで覆われて何も見えない。兜と首の部分がどうなっているのか見えないので、とてもではないが狙えない。何故なら――どう考えても、技硬直の隙を狙ってアインズから反撃が来るのは目に見えているからだ。そしてその一撃で、十中八九――死ぬ。

 

(ふ、クク……紙一重の勝負ってわけか。いいだろう……! 俺はお前に勝って、また一歩最強への道に近づいてやる!)

 

 ブレインは覚悟を決め、呼吸を整える。〈領域〉で相手の挙動を確認し、〈神閃〉の準備を整える。

 

「――――」

 

 ブレインも、アインズもジリジリと足を擦るように動かし、歩をゆっくりと進め距離を縮めていく。張りつめたような、恐ろしく感じるほどの静寂。そして――――アインズの足が、ブレインの〈領域〉内に再び踏み込んだ。

 

「しぃッ!」

 

 瞬時、神速の動きでブレインの手から刀が鞘奔る。ガゼフを殺すためだけに鍛えた武技、それがアインズの兜のスリットに吸い込まれるように動こうとして――

 

「――――あ」

 

 ブレインは、何故か「あ、俺死んだな」とその瞬間冷静に悟った。

 そしてそう思った瞬間、動きが止まる。鞘から奔りかけていた刀が、恐怖で硬直した手により留まった。何故かその一瞬、アインズを見ていたブレインはアインズから殺意の籠もった視覚化された漆黒のオーラが、溢れ出ているような錯覚を覚え――それが錯覚だと理解すると同時に反応しようとするが、自らの動きが鈍い。まるで麻痺しているかのようだ。

 そして、もはや遅い。

 

 アインズは、既にブレインの目の前まで迫り――グレートソードの柄部分を、ブレインの脳天に振り下ろしていた。

 脳天に振り下ろされた一撃に、ブレインの視界に星がきらめき、その光が視界を真っ白に染め上げる。同時に、アインズの声が耳に届いた。

 

「お前の敗因は、知識不足だよ。相手の武技じゃなく、特殊技術(スキル)くらい警戒しておくんだな」

 

 それが、ブレインの最後に感じた――――

 

 

 

 ――ブレインは幸運な男だろう。何故なら、彼はその後の光景を目の当たりにせずにすんだのだから。

 アインズしか視界に入っていなかったために、ブレインは最後まで周囲の光景に気がつかなかった。

 そう……二人を囲んでいた野盗達が、恐怖で発狂し、腰を抜かして失禁している異常な姿を、ブレインは最後まで気がつかなくて済んだのだから。

 

 

 

 

 

 

「――さて」

 

 ブレインがその場に頽れる。目は白目をむき、頭からは血を流しているがまだ死んではいない。失神状態だ。頭を熟れた果物のように粉砕しないよう、手加減したのだから当たり前である。アインズは一息つくと、周囲を見回した。

 周囲は、凄惨たる有り様だった。

 

 野盗達はアインズの特殊技術(スキル)である“絶望のオーラⅠ”によって、完全に恐怖で発狂している。誰もが腰を抜かし失禁し、一人勝手に叫び回っているか、あるいは蹲ってぶつぶつと独り言を繰り返しているか、もしくは気絶しているかだ。

 

 “絶望のオーラ”はレベルによって効果が変わるのだが、先程アインズが使ったのはレベルⅠで、恐怖効果を与えるものだ。精神を恐怖状態にしてあらゆる動作に対してペナルティを与える状態異常。

 この効果によって、ブレインは強制的に動きが止まり、次の動作も鈍ったためにアインズに容易に接近を許してしまったのである。

 

 ……だが、この異世界にきて少々効果が変質しているようだ。いや、より現実味が溢れたと言うべきか。本来ならば単なる状態異常の何物でもないはずなのに、野盗達はまるでレベルⅢの混乱やレベルⅣの狂気効果でも受けたかのようだ。

 おそらく、本人の精神抵抗値によって効果が多少変質しているのだろう。ブレインの場合は通常通りの効果を発揮し、心の弱い野盗達はそれ以上の効果を。あの黒竜(ブラックドラゴン)は“絶望のオーラ”レベルⅠ程度ではものともせず、蒼の薔薇はよく分からない。アインズと接触する前に無効化していたのだろうか。

 

「やれやれ。色々と要検証だな」

 

 アインズはその姿を見ながら、ゆっくりとグレートソードを軽く素振りした。後は順次、転がっている連中を殺して口封じするだけだ。ブレインという、明らかに戦闘力が段違いの男がいれば、情報源としては他は必要無いだろう。

 誰もが現実を否定している中、逃れようのない現実であるアインズは、選んだ最初の一人に向かってグレートソードを振り上げる。

 全ての野盗を始末するのに、それほど時間はかからなかった。

 

 

 

 ――アインズはブレインを適当なロープで縛り上げると、とりあえず死なれないようにバレアレ家で買ったポーションをブレインの頭にかけ、傷を回復させる。傷は瞬く間に治療されたが、ブレインほどのレベルならばたんこぶくらいは残っているかも知れない。

 ブレインが目を覚ます様子は無い。まあ、気絶から覚ますようなポーションでは無いので当たり前だが。

 アインズはグレートソードを背負ってしまうと、縛り上げたブレインを小脇に抱えて森を歩く。一応、特殊技術(スキル)で下位アンデッドの骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)を作成し、道に迷わないよう空から街道に出るように案内させた。

 森の中を見る事は出来ないが、全体を見る分には申し分ない。アインズはブレインを抱えて森を歩き続けた。

 それから一時間近く歩いた頃だろうか――アインズは驚愕する。血の臭いだ。

 

「……これは」

 

 血の臭いのもとを探ると、アインズはすぐにそれを発見出来た。野盗達だ。おそらく、冒険者達を追った者達だろう。返り討ちにあったのかと思ったが、すぐに違うとアインズには分かった。

 PKする際によく使う死体(オブジェクト)トラップでない事を確かめ、死体を確認したが死体の傷痕は、冒険者達が持っていない類の武器で作られたものだったからだ。

 

「――――」

 

 そしてそのまま周囲を探ると、アインズはその予想を確信に変えた。

 死体だ。――冒険者達の。彼らは森を抜ける事が出来なかったのだ。

 

「――こちらも、やはり刺突武器か」

 

 冒険者達の死体を同じように探ったが、やはり彼らも野盗達と同じ――刺突武器による急所への一撃死だ。下手人は急いでいたのか、彼らから装備やアイテムを剥ぎ取った様子は無い。

 いや、一つだけ――野盗達と違い、冒険者達には傷痕以外に差異がある。

 冒険者達には、プレートが無かった。

 

「――狩猟戦利品(ハンティング・トロフィー)か」

 

 気狂いめ、と呟いてアインズは立ち上がる。再びブレインを小脇に抱えるとアインズは森を出るために歩き出した。

 ……それから十分ほどの時間かけて森を出る。街道に出たアインズは足を止め空を見上げると、完全に夜だった。おそらく時刻は深夜に近いだろう。

 

「あの野伏(レンジャー)は、無事にエ・ランテルまで帰れたかな?」

 

 強行偵察組は万が一の事を考え、アインズ達待ち伏せ組と合流せずに強行偵察組が全滅するような場合にはエ・ランテルまで援軍を呼ぶ手筈になっていた。森に死体は無かったので、おそらく帰還出来たと思うのだが……。まあ、もしかすると道中でモンスターに襲われて死んでいるかも知れない。

 

「はあ……」

 

 アインズは溜息をつき、必要無くなった骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)を消すと再び歩き始めた。エ・ランテルまでは歩いて三時間ほど。アインズはとぼとぼと歩く。

 

「うぅ……」

 

 道中、ブレインが目を覚ました。ブレインは呻き声を上げると、顔を上げて視界に広がる街道を見て、そして自分の状態と、アインズを見上げて――ようやく、自分の状況を察したようだった。

 

「……なるほど。俺は負けたのか」

 

「ああ。あと一時間ほどでエ・ランテルに到着するぞ。そこで詳しい話を吐くんだな」

 

「……チッ」

 

 ブレインは舌打ちをすると、大人しくアインズに抱えられている。アインズの腕力にこの状況で勝てるわけがない、と悟っているためだ。ブレインはブツブツと小声で反省しているようだった。

 あそこでいきなり殺気を叩きつけるとかないだろ、全然殺気を出さない奴だと思ったら……などと独り言を呟いている。

 

(まあ、あそこでいきなり“絶望のオーラⅠ”はないよなぁ)

 

 戦士として戦っていたはずなのに、いきなりあの一瞬だけ相手がモンスターになったのだ。一流の戦士――しかも対人戦に特化しているブレインなればこそ、その落差に混乱してしまったのだろう。

 ……ブレインは殺気を叩きつけられたと勘違いしているが、アインズの特殊技術(スキル)効果で恐怖を与えられ、むしろ精神抵抗して自力で解除したブレインは他者からすれば驚嘆に値する。

 もっとも、肝心のアインズは“絶望のオーラⅠ”程度が抵抗され一瞬で解除された事に、何の疑問も抱いていなかったが。

 

 アインズはブレインを連れて、街道を歩く。目を覚ましたブレインはその間、暇だったからかアインズに話しかけていた。

 

「そういやお仲間はどうしたんだ?」

 

「お仲間? ――ああ、今回の依頼で一緒になった冒険者達か。彼らは森でお前の仲間と一緒に死んでいたぞ」

 

「は?」

 

「どうも、気狂いに不幸にも遭遇してしまったらしくてな。刺突武器で急所を一撃だ。知り合いか?」

 

「……いや、傭兵団の中にはいない」

 

 ブレインも不思議に思ったのか、首を傾げている。この話はそれで終わりだった。アインズは特に彼らに仲間意識を持っていないし、ブレインも野盗達に仲間意識を持っていなかったのだろう。すぐに話題は変わった。

 

「ところで、お前どこから来たんだ? お前ほどの強者が無名って、普通あり得ないだろ」

 

「さあ? いきなり湧いて出て来たんじゃないか?」

 

「舐めてんのか」

 

 アンデッドじゃあるまいし、いきなり湧いて出て来るわけ無いだろ……とブレインは文句を垂れているが、アインズは兜の中で苦笑する。ブレインの言い分が、実に的を射ていたからだ。

 

(まあ、俺はアンデッドだし。しかも本当に湧いて出たんだけどね)

 

 アインズの軽口にブレインは不貞腐れている。まさか、アインズが本当の事を言っており、しかもその後の自分の言葉が正しいとは思いもよらないのだろう。気持ちは分かる。

 

「さて、そろそろエ・ランテルだ……ぞ…………?」

 

「……なんだ?」

 

 アインズの言葉が中途半端に途切れたのに反応し、ブレインも顔を上げる。そしてブレインもまた驚愕しているのをアインズは横目で見た。

 

 エ・ランテルの北門。本来ならば衛兵が複数人立って警戒していなければならない場所に、誰も立っていないのだ。代わりに、門は固く閉ざされていて人の気配は存在しない。

 

「おいおい、何事だよ」

 

 ブレインの驚愕に、アインズは内心同意する。

 

「どうやら、厄介な事態が街で起きているらしいな」

 

 二人は耳を澄まし――微かに聞こえる金属音と悲鳴に、顔を見合わせた。

 

「…………」

 

「……どうやら、マジにやばい事態らしいな」

 

 ブレインの呟きにアインズは溜息をつく。何だか本当に、この異世界に来てから災難続きだ。ユグドラシルや元の世界が少しだけ懐かしい。

 

「行くぞ」

 

「へ? て、おい!」

 

 アインズは走り、ブレインを抱えたまま力強く石畳を蹴って跳躍する。門の上に立ったアインズと、そしてブレインは驚愕に呻き声を上げた。

 エ・ランテルの街は明るかった。様々な場所に灯りがついており、その様子から住民が全員起きている事を確認出来た。だが、問題はそこではない。

 エ・ランテルにある共同墓地――そこにあった城壁から、何かがたくさん溢れ出している。よく見れば、共同墓地にも山のように何かが蠢いていた。

 共同墓地から溢れ出る何か――もはや語るまでも無い。間違いなく、アンデッドだ。アインズのアンデッドを探知する“不死の祝福”に引っかからないのは、距離が離れ過ぎているためだろう。

 何か――おそらくアンデッドは、城壁を越えて街中へと雪崩れ込み、街を死都へと陥れようとしているのだ。

 

「おいおい……冗談だろ?」

 

「……まったくだ」

 

 ブレインの呆然と呟く声に、アインズも同意した。もはやアンデッド達は街の一部を陥落させており、共同墓地に近かった街の一区画はアンデッドで溢れかえっている。

 エ・ランテルは城塞都市だ。三重の城壁に守られており、その一番外の外周部の西側、四分の一を共同墓地が占めていた。西側は完全に陥落している。北門のここは人の気配が無い。どうやら、住人は全て墓地とは反対の中央から東に集めているらしい。見回せば中央部や南側、東側の門付近などは完全に死闘だ。

 ……おそらく、全てが陥落するのも時間の問題だろう。門を一つでも閉じ損ねた時点で、人間に勝ち目はない。

 何故なら、アンデッドは疲労などのバッドステータスが存在しない。文字通り一生戦い続けられる。

 だが人間は違う。一時間も戦い続ければ、疲労はピークに達するだろう。そうして次第に全力を出せなくなり――死に至るのだ。

 

「な、なあ? 一緒に逃げないか? 俺達はちょうど、外にいたから大丈夫だったってことで。何だったら、一緒に傭兵稼業するのもいいと思わないか? もしくは、帝国に行くとか――」

 

 ブレインはアインズの顔を見上げて、そう訊ねる。アインズはそれに、冷静に返した。

 

「なるほど。確かに妙案だ」

 

「だろう? じゃあ、そうと決まれば――」

 

「だが断る」

 

「は!?」

 

 アインズはそう言うと、北門の上から飛び降りた。そして、二番目の城壁の前に立つと、再び跳躍し乗り越える。

 

「おいおい! 正気かお前!? 絶対死ぬぞ、こんなの!」

 

 ブレインの叫び声に、アインズは気軽に返した。

 

「なに、気にするなよ。疲れ知らずならこの程度は朝飯前だ。そうだろう?」

 

「それは――確かに疲労しないんだったら、俺だって朝まで戦い続けられるだろうが無理だ――」

 

 ろ、と続くブレインの言葉は遮られた。アインズの手によって。

 ブレインの目の前には、アインズがアイテムボックスから取り出したマジックアイテムが差し出されている。それは指輪の形をしていた。

 

「肉体の疲労を一切無くす特殊なマジックアイテムだ。欲しいだろ?」

 

「そ、それは……」

 

 ブレインがごくりと喉を鳴らす音が聞こえる。当然だろう。戦士――戦う者ならば、欲しいと思った事は数知れないと思われる。ユグドラシルで疲労無効を持っていないギルドメンバーが必ず装備していたアイテムなのだから、アインズにはその気持ちがよく分かった。

 

「少し手伝えよ。上手くすれば、お前も無罪放免だぞ」

 

「いや……しかし……」

 

 ブレインは悩んでいるようだった。目の前のマジックアイテムに、視線が行ったり来たりしている。

 そんなブレインに――アインズは、最後通牒を突きつけた。

 

「ここで断ったら、俺はこの場にお前を縛ったまま置いていくがな」

 

「――やらせてくれ! このクソッたれ!!」

 

 瞬時に、ブレインが決断を下す。武器も無く、縛られた状態で放置されればアンデッドの仲間入りになるのは自明の理だ。アインズは満足そうに頷いた。

 

「おお! なんて慈悲深いんだブレイン・アングラウス……両親も泣いて喜んでいるだろうよ」

 

「嫌味か貴様ッ!」

 

 ブレインの言葉に、アインズは笑った。まあ、楽しくなっても即座に感情が沈静化させられるのだが。

 

「さて、ならまずは中央部まで屋根伝いに通るぞ。彼らと合流した後、組合長や都市長と交渉するんだな。指輪は、その後渡してやる」

 

「はいよ――なあ、でも気になったんだが」

 

「うん?」

 

 アインズはブレインを見る。ブレインは心底不思議そうな顔で、アインズを見ていた。

 

「なんで、お前は死ぬ危険性を冒してまで、街の住人を助けようとするんだ? 死んでた仲間に対する対応を見るかぎり、お前、あんまり他人に興味無いだろ?」

 

「――――」

 

 ブレインの言葉は、実に的を射ている。アインズは他人に興味など基本抱かない人種だ。昔からそうだった。例外は、ギルドメンバー達に対してのみ。

 だからこそ――

 

「別に、なんとなくだ」

 

 今までした事のない事だからこそ、アインズはしようと思ったのだ。異世界に来てまで、わざわざ昔の焼き直しをしなくてもいいだろう。英雄なんてものになってみるのも、面白いかもしれない。

 いつか、ユグドラシルを最初にプレイした頃のように――未知に心を躍らせてみたかった。理由は、きっとそれだけだ。

 

「行くぞ」

 

 アインズはブレインを抱え、二つ目の城壁を飛び降りた。続いて三つ目の城壁を乗り越え、民家などの屋根伝いに跳躍しながら、中央へ近づいていく。

 アンデッド達の腐臭と臭気、そして人間達の絶叫、戦闘音はもうすぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 

 




 

ブレイン「絶望のオーラとかチート過ぎる!」

クレマンティーヌ「紙一重で鯖折り回避」
 


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Defensive War Ⅲ

 
エタったと思った? 私もです(震え声)。

■前回のあらすじ

 絶望のオーラはチートスキル。
 


 

 

 ――最初の異変は、エ・ランテル有数の薬師、リイジー・バレアレの孫ンフィーレアの行方不明から始まった。

 

 リイジーがポーションを製作している時、ンフィーレアに奥の倉庫から薬草を幾つか持ってくるように頼み、ンフィーレアはリイジーの視界から消えた。そのほんの少しの時間で、いつの間にかンフィーレアがいなくなったのだ。

 物音はしたのだが、リイジーはンフィーレアが何か物を落としたとばかり思い、特に気にする事はなかった。そんな事はよくある事なので、気にするほどの異変では無かったのだ。

 しかし、ンフィーレアがあまりに遅いのでリイジーは奥の倉庫へ様子を見に行き……そこで、ンフィーレアの姿が忽然と消えていた事に気がついたのだ。

 リイジーは家の中や、周辺を見て回り――ンフィーレアがいなくなったのを理解して、大慌てで色々な場所を探し回った。

 そんな彼女を見咎めた周囲の人間が手分けして探し――門の衛兵に問い質してみようという話になり、しかし全ての門の衛兵達は知らないと答え――ようやく、街の冒険者組合にその事が伝わった。

 内容から、冒険者組合は緊急性のある依頼だと理解し、即座に行動。何人かの野伏(レンジャー)へ話を通し、リイジーの自宅周辺から街中を捜索する事にした。衛兵が見ていない、という事からまだ街の中にいる可能性が高かったからだ。そして冒険者組合の中では、何故ンフィーレアが行方不明になったのかという疑問を考え――即座に、彼の持つ“ありとあらゆるマジックアイテムが使用可能”という生まれながらの異能(タレント)が原因ではないかと行きつく。

 

 消えたンフィーレア。不審者の通らない門。ここ数年で増えた行方不明者。

 

 何か、とてつもない事が起ころうとしているのでは――ふと、そうおぞましい想像をしてしまい、彼らは必死になって頭を振り、その妄想を振り払った。

 しかし、いつまでも現実逃避はしていられない。次に起きた異変は、盛大な鐘の音。その鐘の音は西門の方から響いていた。

 そして、そちらでは――あまりにも絶望的な戦いの幕が開いていたのだった。

 

 エ・ランテルには巨大な共同墓地がある。その巨大さは外周部の城壁内のおよそ四分の一、西側地区の大半を使用していると言えば分かるだろう。

 

 その巨大な共同墓地から、アンデッドが溢れていた。

 

 死体からはアンデッドが生まれる。詳しい発生要因は未だ不明ではあるが、アンデッドが発生する事は確かなために、この街では衛兵達や冒険者達が毎夜、墓地内を巡回してアンデッドを退治していた。

 これは、アンデッドを放置すると更に強いアンデッドが発生する確率が高くなるために、仕方なく弱いアンデッドの内に始末するために取られた措置だ。

 そうして今夜も当番の衛兵達が見て回ったのだが――その日はいつもと違った。

 出現したのは、千を超えるアンデッドの群れ。

 見回っていた衛兵達も、冒険者達も為す術はない。例え雑魚の群れであろうと、あまりに多過ぎる数の暴力に彼らは呑みこまれていった。まるで、津波に呑まれる海の藻屑のように。

 門は軽々と破壊され、アンデッドの群れが溢れ出る。鐘の音に呼ばれた衛兵達が集まるが、すぐに焼け石に水である事を理解した。彼らもまたアンデッドの津波に呑みこまれ――そしてアンデッドとなり、街へと進軍する。

 冒険者組合が気づいた時、既にもう取り返しのつかない事態へと全ては発展していたのだった。

 

 

 

 

 

 

「抑えろ! 決して中に通すな!」

 

 冒険者組合長アインザックは、そう周囲にいる冒険者達に怒声ともとれる叫び声を浴びせた。アインザックの言葉を受けた冒険者達は、必死になってアンデッドの群れを押し留めようとする。

 ……だが、数が多過ぎる。最初は衛兵達と共に住民を中央に避難させ、門を閉めようとしたのだが――数があまりに多過ぎた。幾ら破壊しても湧いて出て来るアンデッド達に、人間である衛兵達や冒険者達は押され始めて、もはや西とは正反対の東門の方まで追いやられている。東門や南門の方では、おそらく中央地区と同じようにアンデッドの群れが門を乗り越えてこないように苦戦を強いられているだろう。

 

(何とかして、北門や西門まで押し返さなくては……!)

 

 アインザックはそう思うが、しかし幾ら考えようとその具体的な案が浮かんでこない。破られた西門と北門を閉じなければ、墓地から湧いたアンデッド達から逃れる術はない。もはやアンデッドの数が有限である、という考えは捨てていた。原因を突き止めなければ、この進軍は止まらないだろう。

 ――そう、原因を突き止めなければ進軍は止まらない。しかし、全てを無視してアンデッドの群れを突破する事も出来ない。そんな事をすれば、街の人間は死ぬ。

 だからこそ、何よりもまず門を閉じなければならないのに――それさえ、アンデッドの数に押されて不可能なのだ。

 ……もはや、冒険者達は及び腰だ。まだ気力のある冒険者達の顔には、逃走の色さえ宿っている。

 

(馬鹿なことを……)

 

 しかし、それさえ不可能だ。このアンデッドの数を突破していけるはずがない。東門や南門を開けて逃げようとすれば、他の冒険者に殺されるだろう。

 だからこそ――既に現実を理解した冒険者達の顔には、諦めが過ぎっている。

 

(何か……何か方法は無いか!? 何でもいい……何か……!)

 

 アインザックは考える。しかし、やはり何も思いつかなかった。このまま延々と戦い続け、いずれアンデッドの津波に呑みこまれるしか未来は無い。

 何故なら、現状を打破する手段が何も無いから。全ては後手に回り過ぎて、何をするにも遅過ぎる。唯一現状をどうにか出来そうな切り札(ジョーカー)が手札から抜け落ちている。

 手数が足りず、突破力が無く、そして持久力さえありはしない。

 

(糞が! せめて()がいれば……!)

 

 現在、街の外に他の冒険者と依頼に出ている漆黒の戦士を脳裏に描く。実際の実力がアダマンタイト級と言われている彼が最初からいれば、門を破られてもすぐに閉鎖する事が可能だっただろう。

 だが、全ては遅過ぎる。今更帰還されても、どうにかなるのは甘い考えでしかない。それでも――

 

「――――」

 

 ズシン、という大きな地面の揺れを感じる。その威圧感へ視線を向けて――ぶわりと冷や汗が出た。

 

「――不味い」

 

 それは四メートルを超える巨体を持った、死体の集合体だった。集合する死体の巨人(ネクロスオーム・ジャイアント)

 平時ならば何とか対応も出来るが、現状では最悪な相手である。あの巨体を抑えられるような体力のある冒険者は一人もいない。そして、魔力の残っている神官達もいない。

 巨体が、その巨腕を振るいながら自らの足元にいる有象無象を薙ぎ払っていく。その姿に絶望したその時――――

 

 漆黒の大剣が、その巨体を切り裂いた。

 

 ぐらり、と揺れる巨体。ずしん、と鳴り響く轟音。骨の砕ける軽快音と、肉の潰れる濁音。そしてアインザックの目の前に、赤いマントをたなびかせた漆黒の影が降り立った。

 

「――――」

 

「いて! ちょ、おま……もっと優しく降ろせよ!」

 

「そりゃすまん」

 

 漆黒の影は小脇に抱えていた荷物を地面に落とすと、背中に残っていたもう一振りの大剣を引き抜いた。

 

「組合長、それはブレイン・アングラウスという男で、私と互角に戦える戦士です。――極秘ですが、実はそいつ、野盗達の一味でして……とりあえず、そうも言ってられないようですから、交渉は任せます」

 

「は?」

 

「では――」

 

 漆黒の影……アインザックが待ち望んだ戦士は、そう矢継ぎ早に告げると冒険者達と共に前線に躍り出る。

 

「ハアッ!」

 

 漆黒の戦士――アインズがグレートソードを振るう。その一太刀で、周囲のアンデッドが粉砕され、剣圧でアンデッド達がたたらを踏み、進軍が止まる。

 そこからは、まさに漆黒の暴風だった。

 

 アインズはそのままアンデッドの群れに踏み込み、投げつけたグレートソードを回収すると両手で巧みに剣を振るってアンデッド達を蹴散らしていく。グレートソードから放たれた剣圧でさえ、軽々とアンデッド達を粉砕し、周囲に残骸を飛び散らせた。アインズは時には足を使って蹴り飛ばし、あるいは地面に倒れたアンデッドを踏み砕いてとどめを刺す。

 ただの一体も、アインズの鎧に傷をつける事さえ出来ていない。

 

「……すげ」

 

 冒険者達の中から、その漆黒の暴風を見て呆然と言葉が漏れていた。アインザックとて同じ気持ちだ。しかし、他の冒険者達と違って、アインザックは事前知識があったためにまだ冷静に対応出来る。

 

「アインズ君! 西門まで行って門を閉じてくれ! お前達! 彼に二チームほどついて援護しろ!」

 

「――分かりました!」

 

 アインザックの言葉が聞こえていたのか、アインズは即座にアンデッド達を殲滅しながら前に進みだす。アインザックの命令で、まだ余力のある金級冒険者の二チームがアインズを追って行った。

 続いて、アインザックは自分の前に縛られて放置されている男に視線をやる。

 

「――ブレイン? ブレイン・アングラウス? 本物か?」

 

「おう、本物だぜ。無罪放免……それに武器の提供と縄を解いてくれれば、手伝ってやるぞ」

 

「――――」

 

 アインザックとて元は名の知れた冒険者である。屈強な身体が示している通り、戦士系だ。そんなアインザックから見ても、このブレインと名乗る男は明らかに強かった。いや、強過ぎたと言っていい。

 アインズは強者の気配も弱者の気配も無い、という別の意味の恐ろしさを感じるが、このブレインという男から感じる気配は素直だ。純粋な強者の気配――確実に、自分より強いと分かる圧倒的な実力差があるように感じられた。

 もっとも、その気配もこうして縄で縛られていれば台無しだが、連れてきたのがアインズというのが、男の真偽を語っている。

 

 即ち――本物の、ブレイン・アングラウス。かつて御前試合で周辺国家最強の戦士ガゼフ・ストロノーフと互角の戦いを繰り広げた、正真正銘の準英雄級である。

 

「……分かった。背に腹は代えられん。無罪放免としよう。しかし、都市長には知らせておくからな」

 

「はいよ。んじゃ、縄を解いてくれ」

 

 アインザックはブレインの縄を解き、そして余っている剣をブレインに渡した。ブレインは剣を受け取ると、一振り、二振りと素振りする。

 

「使い慣れた刀じゃないのがキツいが……仕方ない。それで、俺はどうする? あの野郎が西なら、俺は北門か?」

 

「……そうだな。北門を閉じてきてくれ。君にも援護をつける。それと――」

 

「ああ、安心しろよ。この状況じゃ逃げん。さすがにあの野郎ほど出鱈目な身体能力は無いが、まあこの程度のアンデッドの群れなら大丈夫だろ」

 

 ブレインはそう言うと、アンデッドの群れを駆逐し始める。アインザックはアインズの時と同じように、彼に二チームほどつけて彼を援護するように言った。

 

 そして、残ったアインザック達は何とかアンデッド達を押さえていく。しかし、その心にかかる負荷は先程と違って軽い。

 

 ――これならば、いけるんじゃないか。

 

 そう思えてしまうほどに、先程と違って容易なのだ。

 理由は語るまでもない。アインズやブレインが、このアンデッド達を軽々と駆逐していくからだ。特にアインズの方角にいるアンデッド達は悲惨である。まるで暴風雨が通った後のように、アンデッド達の残骸が地面に投げ出されていた。

 明らかに、数が減っているのだ。この機を逃さず、アインザック達は残ったアンデッド達を片付けていく。

 

 ――そんな彼らのもとへ、空から骨の翼を広げた絶望が降り立とうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 ……エ・ランテルの共同墓地にある霊廟。そこで、ある一人の男が気が狂わんばかりに叫び、現状に悶え苦しんでいた。

 

「――何故だ!? 何故……アンデッド化が成功しない!?」

 

 秘密結社ズーラーノーンの十二高弟の一人、カジットは霊廟の奥――地下神殿で絶叫する。

 カジットは数年前から、このエ・ランテルへ根を張りひっそりと儀式を進めていた。

 儀式の名は“死の螺旋”。アンデッドの群れはより強いアンデッドを生み出す、という特性を利用したまるで螺旋階段のように強力なアンデッドを生み出す都市壊滅規模の魔法儀式。それが“死の螺旋”である。

 かつて一つの都市をアンデッドの跳梁跋扈する死都へと変貌させた、忌まわしき邪法。その儀式を用いて莫大な死の力を集め、自らをアンデッドへと転生させる。

 

 そのために、ずっとエ・ランテルにひっそりと住み着いていた。

 そのために、ずっとエ・ランテルで人を殺し、アンデッドへ変え死の力を溜めていた。

 そのために、ずっと――ずっとやってきたのだ。

 

 だというのに――何故だ?

 

「一体、何が違うと言うのだ!」

 

 カジットは絶叫する。死の力はもはや随分と集まっていた。これならば、既にカジットをアンデッドに転生させる事が出来ていいはずである。

 一体、何が盟主の作り上げた儀式魔法と違うのか。

 同じくズーラーノーンの幹部の一人、クレマンティーヌの甘言に乗ったためだろうか。元法国の特殊部隊である漆黒聖典の一人、彼女が漆黒聖典から抜け出すために持ち出した叡者の額冠とこの街に住む“あらゆるマジックアイテムを条件を無視して使用出来る”ンフィーレアを使ったために、本来の儀式魔法とは違った形になってしまったのか。

 だからカジットは、アンデッドになれないのか。

 

 ――苦悩するカジットは、知る由もない。

 本来、この“死の螺旋”と呼ばれる儀式魔法は単なる失敗魔法なのだ。何故なら、“死の螺旋”など二〇〇年前にある勘違いをした者が説明し、それが切っ掛けに生まれただけなのだから。本当の魔法儀式に名前をつけるとしたら、それは別の名前になる。

 そして、これはカジットの知らぬ事ではあったが――ユグドラシルでは、カジットの目指すアンデッド死者の大魔法使い(エルダーリッチ)になるためには、条件が存在した。死者の本と呼ばれるマジックアイテムが必須だったのである。

 

 ……勿論、ユグドラシルとこの世界は違う。彼らの盟主が実際にアンデッドとなっている以上、必ず方法はあるはずである。

 だが、残念ながら――カジットに理由は分からなかった。

 

 ――そろそろか。

 

 そして、カジットの持つ秘宝がポツリとカジットに聞こえないように呟く。カジットは優秀な男であったが、秘宝――死の宝珠にとっては、もう少し高い実力の者に持ち主を変わってもらいたいという思いがあった。

 それも当然だろう。この死の宝珠にとってカジットはあまりに実力が不足し過ぎていた。死の宝珠にとっては、十三英雄と呼ばれる者達――英雄級の実力で、やっと死の宝珠に見合う実力なのだ。

 

 ……死の宝珠には使命がある。それは、世界に死を振りまく事。カジットは死の宝珠にとって有能ではあったが、相応しくはなかった。

 理由は、それだけである。

 そしてこの死の宝珠こそが――カジットの儀式が失敗した、最大の理由でもあったかもしれない。

 死の宝珠は人間を操る。だが、人間でない者は操れない。そこに――全ての答えがあったのかも知れなかった。

 

「――――」

 

 プツリ、と糸の切れた人形のように突如として沈黙するカジット。その様子を見咎める者は誰もいない。何故なら、生きている者はもはや誰もいないから。カジットの弟子達は既にカジット自身の手で、死の力を集めるために殺されている。そして協力者のクレマンティーヌは、既にエ・ランテルを去った。

 だから、誰もカジットの不審を咎める者はいない。

 

「……死の力は十分に集まったな。あの少年を使えば、もう少しいけるか」

 

 明らかに空気の変わった気配を漂わせるカジット――いや、かつてカジットと呼ばれる男だった者。今はただ、死の宝珠に操られる人形でしかない。

 カジット――死の宝珠は、ンフィーレアのもとへ向かい、ゆっくりと、このエ・ランテルへとどめの一撃を放つ準備を始めた。

 

 

 

 

 

 

「……粗方は、片付いたか」

 

 アインズはそう、グレートソードを振るい付着した腐肉と粘液を遠心力で吹き飛ばしながら呟いた。背後で援護をしていた冒険者達は口々にアインズを褒め称えている。

 

「凄いです! アインズさん!」

 

竜退治(ドラゴンスレイ)の噂はマジだったってことかよ……」

 

「お褒めに預かり恐縮ですが、それより内側を警戒していて下さい。私は門の外を警戒しておきます」

 

 アインズは冒険者達の気持ちを引き締めるように告げる。実際、今はアインズに近づけば死を意味すると低能な下級アンデッド達でも理解しており、自分達に近づくような事をするアンデッド達はいないが、絶対ではない。

 冒険者達もその言葉で表情を引き締め、頷いた。アインズはそれを確認すると、閉じた門を開けないためにその場で跳躍し、四メートルもある壁を飛び越える。

 地面に降り立つと、近くにいたアンデッド達が襲いかかるが即座に先程までと同じように殲滅する。門の内側はまだ再戦とはなっていないようだが、時間の問題だろう。

 

(やれやれ……早々に何とかしないとまずいな)

 

 ブレインのポケットに疲労無効の指輪は渡しておいたが、それでも気疲れくらいはする。そして、ブレイン以外のこの街の人間は普通に疲れるだろう。アンデッドの群れと戦うには、人間は分が悪いと言わざるを得ない。

 そうなれば、同じアンデッドであり疲労無効のアインズが何とかしなければならないのだが……。

 

「方角的にはこの共同墓地から何か起きているってことだよな。……しかしこのアンデッドの量は……もしかして、第七位階の〈死者の軍勢(アンデス・アーミー)〉か? いや、それにしたって多過ぎ……」

 

 だが、あり得るかもしれない。ゲームではなく現実になった事で、魔法や特殊技術(スキル)の効果が変化している事が考えられる。

 そうなると――敵は第七位階魔法を使用する魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)の可能性が高い。アインズも、魔法の鎧を解いて魔法詠唱者(マジック・キャスター)として魔法戦を考慮するレベル域だ。

 

(プレイヤーの可能性……は、少ないか。こんな事態を起こす理由が、ほぼ見つからないし。……愉快犯? 他にもプレイヤーがいると思われる状況で、そんな馬鹿なことする奴がいるか?)

 

 間違いなく、危険人物としてプレイヤーにチームを組まれて叩き潰されるだろう。死んだ場合どうなるか分からない現状で、そんな事をしたがる人間がいると思えない。

 

 そんな答えの出ない問答を頭の中で繰り返していく内に、アインズのいる門の外もアンデッド達が襲いかかるのを止めて、足を止め様子を窺い始める。アインズはそんなアンデッド達に溜息をついて、両手のグレートソードの切っ先を地面に下ろすと、門の前に陣取り立ち止まった。

 

「そっちはどうですか?」

 

 アインズは大声を上げて、門の内側にいる冒険者達に様子を訊ねる。彼らもまだ無事に生きているようで、大丈夫だと平然と言い返していた。

 その返事に満足し、アインズは再び共同墓地の方角からやって来るアンデッド達に集中する。後は門の中に入り込んでいたアンデッド達を退治して街の住人達の安全をある程度確保したら、共同墓地へ向かうべきだろう。

 

(プレイヤーが犯人の可能性もあるから、全力を出す考慮もしておかなくては……。援護でついて来そうな冒険者達は、途中で理由をつけてリタイアさせておくか)

 

 十中八九、アインズが共同墓地の方へ向かう事になるだろう。その時の事を思い描きどうするか考えながら――アインズは、共同墓地の方角から空を飛んでやって来る何かを視界に捉えた。

 

「……あれは……」

 

 それは、骨の身体を持つ竜の形をした骸だった。アインズと同じく第六位階までの魔法を無効化する特殊技術(スキル)を持つアンデッド――骨の竜(スケリトル・ドラゴン)である。

 二体の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は上空を舞いながらアインズを通り越し、街の中へ侵入する。アインズはその様子に舌打ちした。

 今までの経験から、アインズにとっては雑魚であろうと冒険者達には骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は荷が重いだろうという事が分かっていたからだ。アインズは門の守りをここにいる冒険者達に任せ、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)達を追おうとするが――その前に、共同墓地からやって来る一体のアンデッドに気がついた。

 全身を黒い鎧で覆ったアンデッド。手にはタワーシールドとフランベルジェ。それはアインズが好んでよく使用するアンデッドに似ていた。

 

「――死の騎士(デス・ナイト)、だと?」

 

 死の騎士(デス・ナイト)はこちらに近づいて来ている。門の中から冒険者達の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)を見た悲鳴が聞こえているが、もうそれどころではない。死の騎士(デス・ナイト)を見過ごした方が、レベル的にも能力的にも非常に不味い事になる。アインズはここから動けない立場になった。

 

「――仕方あるまい」

 

 アインズは両手のグレードソードを構えて、死の騎士(デス・ナイト)に対峙する。死の騎士(デス・ナイト)はフランベルジェを振り上げると、雄叫びを上げながらアインズへと向かって来た。

 

 死の騎士(デス・ナイト)のレベルは三五レベル相当。攻撃力は二五レベル程度だが、防御力は四〇レベル相当のアンデッドだ。おまけに、特殊能力(スキル)に一度だけならばどのような攻撃であろうと、体力を一残して生き残るという特性もあった。今のアインズでは、非常に厄介な存在だと言えるだろう。

 

「――――」

 

 雄叫びを上げてフランベルジェを振り下ろしてくる死の騎士(デス・ナイト)の攻撃を、アインズは片手のグレートソードで受け止める。そしてもう片方のグレートソードで横薙ぎに振り抜いた。

 死の騎士(デス・ナイト)は苦痛の声を上げ、アインズに向かって盾を突き出してくる。アインズはその盾が巨大なタワーシールドである事をいい事に、足を上げてかけると、その盾の押し出す力と自らの力で距離を取る。

 

『クカカカカカカッ……』

 

「――やれやれ」

 

 跳躍し地面に着地したアインズを恨めしげに見つめ、死の騎士(デス・ナイト)は呻き声を上げた。

 

「アインズさん! 一体何が……!?」

 

 内側で門を守っていた冒険者達がアインズの様子を確認しに来て、死の騎士(デス・ナイト)を見て絶句する。

 

「アインズさん! これは……!?」

 

「話は後で! 私が防御役(タンク)をしますから、魔法詠唱者(マジック・キャスター)と神官は魔法で攻撃を! 物理攻撃手段しか持たない前衛は他のアンデッドを抑えていて下さい! このアンデッドに近づかないように!」

 

「! は、はい!」

 

 アインズの言葉に、他の冒険者達が動く。確かに死の騎士(デス・ナイト)は強敵ではあるが、運が悪かった。

 アインズに死の騎士(デス・ナイト)の攻撃は通用しない。そして、確かに死の騎士(デス・ナイト)は防御特化のアンデッド戦士であるが、冷気と炎に耐性があるとはいえ魔法防御は前衛タイプである以上それほど高くはない。

 即ち、レベルが劣るとはいえ魔法攻撃手段を幾つも持っており、強固な前衛がいる場合はいい的だ。アインズを効果範囲に含まれた場合魔法は無効化されてしまうが、アインズが力尽くで蹴飛ばしたりして体勢を崩してしまえば、楽々と狙える。

 そして、魔法攻撃だけではなく、アインズのこの異世界では滅多に存在しない高火力物理攻撃まで加わるのだ。もはや死の騎士(デス・ナイト)は風前の灯火である。

 簡単なミスに注意して、次第に死の騎士(デス・ナイト)を押し込んでいく。他のアンデッドが助けようとするが、しかしアインズ達の邪魔をしようとしても、他の戦士や野伏(レンジャー)が邪魔をするのだ。結果は決まったも同然であった。

 そして――――

 

「――――」

 

 アインズのグレードソードが振り下ろされ、遂に死の騎士(デス・ナイト)の頭部が砕け落ちる。そのままもう片方のグレートソードを横薙ぎに振り抜き、念入りにとどめを刺した。

 

「――ふう」

 

 アインズは一息つく。他のアンデッド達は今度こそ分が悪いと完全に悟ったのだろう。怯えるように立ち竦んでおり、アインズに近寄る事はない。門の前は安全だ。

 

「門内はどうですか?」

 

「大丈夫です、アインズさん」

 

 一応、内側の確認もする。しかしそちらも近づく者はいなかったのか、何とか生きているようだ。

 

「……内側に入った骨の竜(スケリトル・ドラゴン)も心配ですが、ミスリル級冒険者チームが幾つか残っているはずですから、大丈夫だと信じましょう」

 

「……そうですね」

 

 冒険者の言葉に、アインズも頷く。そしてしばらくすると、内側から新たな冒険者達が幾人もやって来た。気がつけば、いつの間にか門の中のアンデッド達の数が少なくなっている。

 

「おぉい! 交代だ!」

 

 新たにやって来た冒険者チームに、今までアインズに付き合っていた冒険者達が安堵の表情に変わる。ちょうどよかったので、アインズは彼らに話しかけた。

 

「ちょうどよかった。皆さん、この門は私が死守しますから、内側を全員で掃討してください」

 

「え?」

 

「しかし、アインズさん……!」

 

 心配そうな表情を作る彼らに、アインズは朗らかな声で答えた。

 

「大丈夫です。信用して下さい。それに、またあのアンデッドが来る可能性は低いと思いますし」

 

「……それは、そうですが……いえ、ありがとうございます」

 

 彼らはそれもそうかと思ったのか、門の内側での掃討任務へ戻って行った。西門に一人取り残されたアインズは、周囲を見回して本当に一人だと確認するとようやく息をつく。

 

「やれやれ……全く楽じゃないな。しかし骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は二体、死の騎士(デス・ナイト)は一体ってことは、そこまで高レベルじゃないのかな相手は?」

 

 アインズは首を傾げ、早速彼らの前では出来なかった事を行う。まずは上位アンデッド創造を使用し、上位アンデッドの一体である青褪めた乗り手(ペイルライダー)を召喚する。

 そして、自らの魔法の鎧を解く。そして魔法を唱えた。

 

「〈不死の奴隷(アンデススレイブ)視力(サイト)〉」

 

 これは視界を共有する魔法なのだが、ユグドラシル時代では小型モニターが浮かび上がったのだがアインズの脳裏に映像が流れた。視える世界が増え、まるで昆虫にでもなった気分になるが混乱はしない。

 アインズは青褪めた乗り手(ペイルライダー)に命令して、非実体化させると共同墓地まで進ませる。そして――

 

「ふむ。犯人はコイツか」

 

 アインズの視界にローブを羽織った男が入る。男は青褪めた乗り手(ペイルライダー)に慌てたように魔法を放つが、あの程度の魔法では青褪めた乗り手(ペイルライダー)にダメージなどほとんど入らない。

 

「……? 第三位階? 第七位階は?」

 

 アインズは首を傾げながらも青褪めた乗り手(ペイルライダー)に命令し、青褪めた乗り手(ペイルライダー)はアインズの命令通り、その男を殺す。男が倒れると、周囲のアンデッド達が霧散し始めたのでアインズは青褪めた乗り手(ペイルライダー)を消して鎧を着直した。

 そして、やはり首を傾げる。

 

「……なんで、ンフィーレア少年がいたんだ?」

 

 最後に確認した霊廟の中の様子に、アインズは心底わけが分からず疑問符を漏らしたのだった。

 ――そして、誰も何も分からない内に、全ては終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

「よう! アインズ!」

 

「…………」

 

 冒険者組合の受付にある大きなソファを独り占めして座っていたアインズは、話しかけてきた仲間(・・)に不機嫌そうに((ヘルム)があるのでアインズの本当の顔は見えないが)視線を送った。

 気配でアインズの不機嫌さが伝わる事が分かるのか、青い髪の男――ブレインはヘラヘラと――しかし肉食獣染みた危険生物のような気配を発しながら――笑みを作ってアインズの対面のソファにどかりと身を預けた。

 

「相変わらず不機嫌そうだなぁ、お前。まあ、気持ちは分かるけどよ」

 

「…………」

 

 ブレインの言葉に、アインズは不機嫌さを隠しもせずに顔を逸らす。顔を逸らした先には慌ただしく動き回っている組合員と、先輩冒険者達の姿があった。

 そう、誰も彼もが忙しく動き回っている。あのエ・ランテルを襲ったアンデッド事件から一週間と経っているのに。

 しかし、アインズとブレインはその誰もが忙しい中でもっとも暇な冒険者である。別に、アインズやブレインがサボっているわけではない。単純に、誰もアインズとブレインを働かせたくないと思っているだけだ。

 

 ――あの共同墓地から溢れたアンデッドの大量発生は、非公式ではあるが秘密結社ズーラーノーンと呼ばれる組織の高弟とその弟子達によって引き起こされた事件の可能性が高い事を後に知った。

 この異世界には“死の螺旋”と呼ばれるアンデッドへの転生儀式が存在し、おそらくそれを行おうとしたのだろうというのが、冒険者組合上層部の見解だ、という事をアインズは教えられている。アインズはズーラーノーンも“死の螺旋”も知らないが、話を聞くだけで厄介な存在だという事は分かった。

 しかし、儀式は失敗。冒険者組合はズーラーノーンの仲間割れか何かにより件の犯人は始末されたのだろうと勘違いしている。勿論、それはアインズが犯人なのだが真っ当な手段で始末したわけではないので、アインズは黙っていた。

 

 そして今、この街は復旧しようとそれぞれが立ち上がり躍起になって働いている。まずは墓地を整備し、死体を墓地へ始末して、次に一般市民達は街の住居の復旧を。冒険者や衛兵達は街の周囲などの見回り――特に墓地を交代で目を離さず見回っている。時折、冒険者は街の外に依頼で出ていく事もあるが以前ほどの頻度ではない。

 

 ブレインはあの後、二体いた骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の内の一体が北門に来たためにそれを倒し、アインズと同じように暇をしていたらしい。すぐさまアインズが件の犯人をこっそり始末したため、その後はアインズと合流した後、幾つかの冒険者チームとアインザックと共に同じく共同墓地の様子を見に行った。

 アインズは、アインザックに言われて街の巡回だ。ブレインは元野盗なので、街に残していくのにアインザックは抵抗があったらしく、アインズに「一時間して戻らなかったらよろしく頼む」と悲愴な表情で頼んでいたほどであった。アインズもそれには納得している。

 そのため、アインズは何故そこにンフィーレアがいたのかよく知らない。ブレインから話を聞く限りでは、正気を失っているため詳しい話は聞けそうにないそうだ。仕方のない事である。

 悲惨なのは、そんな孫の変わり果てた姿と面会も許されないリイジーだろう。ンフィーレアは現在面会謝絶のため、リイジーでさえ会えないのだ。これは冒険者組合からも、魔術師組合からも通達されたようでブレインと共にリイジーの店にポーションを買いに行った時愚痴を聞かされたのでよく覚えている。

 ……ブレインの今後は、アインズに委ねられる事になった。というか、見張りを頼まれたのだ。一応無罪放免ではあるが、また野盗に戻られるのは困るらしく、アインズのチームの一員として冒険者になる事になったのである。

 ブレインはその事について不満は無いらしい。何故かと訊ねてみると、アインズは意外なところでこのブレインという男と接点があった事に気がついた。

 

「――俺の目標はガゼフ・ストロノーフに勝つことなのさ。昔、俺も冒険者をやろうと思ったが対人戦が冒険者だと身につかないからな。それで野盗共の用心棒をしていたんだが――お前がいりゃ、訓練相手に事欠かないだろ?」

 

「――戦士長の知り合いだったのか?」

 

「おう。昔、御前試合で戦ったんだが負けちまってな。それ以来、アイツに勝つのが目的なのさ。お前もストロノーフと顔見知りだって言ってたが、どこで出会ったんだ?」

 

「その辺の開拓村だ。俺は冒険者としての依頼、向こうは国の任務でな。そこで、少し協力する事になったんだよ」

 

「ほー」

 

 そのような話題から、ガゼフや武技の話題に発展し、色々話をする事になった。ブレインは強さだけをひたすら求める、まさに求道者というものであったが話しにくいという事はない。この男は気さくな男だった。

 そして、ブレインの名前が冒険者組合に広がると他の冒険者組合からはざわりと波紋が広がった。ブレインの名前は戦士職の者達にとっては有名だったようで、よく尊敬や嫉妬の視線を向けられている。アインズの方も、ブレインが「アインズに負けて仲間になった」と説明したものだから、更に一目置かれるようになってしまった。

 

 そんな少し前の事を忙しそうにしている組合員や冒険者達を見ながら思い出していると、ブレインがアインズに再び口を開いた。

 

「そういやよ、アインズ。例の俺らが出会うことになった野盗共の件だが、全員お縄についちまったってよ」

 

「……ほー。不味いんじゃないか?」

 

「いや、全員死刑確定してるし、会うこともないだろ。生き残りの女達は、俺は顔を出してないから知らないしな」

 

 性欲処理用の女が数人いたらしいが、ブレインは一度も顔を出しておらずそういった事はしていないので問題無いらしい。野盗達がブレインについて何を言っても、今となっては野盗達の言葉を信じる人間はこの街にいないだろう。精々、嫉妬に駆られた冒険者達がその噂を拡大させてブレインを蹴落とそうとするくらいだが、今の状況で冒険者組合がブレインを手放すはずが無い。

 アインズを手放さないのと同様に。

 

「…………」

 

 再び不機嫌な気分になり、ソファに身を沈める。アインズのその様子にブレインはいやらしい笑みを浮かべた。

 

「そう不貞腐れるなよ、アインズ。ちょっと、街から出られない身分なだけじゃないか」

 

「…………」

 

「……まあ、お前は未知の冒険したいから冒険者になったんだから最悪だろうけどよ」

 

「そうだよ!」

 

 若干キレ気味にアインズはブレインに返す。

 アインズが未知の冒険をしたい、というのは既にブレインには教えていた。一応、仲間ではあるし世話にもなっているので、教えておこうと思ったのだ。ブレインの感想は「無茶だろ」、であったが。

 勿論、ブレインが無茶だと言うのには理由がある。まず、このチームが戦士職二人のチームである事。これが戦士と魔法詠唱者(マジック・キャスター)の二人であったのなら、多少は融通が利いたかも知れないが、戦士二人では冒険は不可能に近い。

 それでもアインズとブレインの戦闘力なら、冒険に出て生きて還ってくる程度出来るであろうが、それは今となっては不可能だった。

 

「ま、しばらくは諦めろよ。俺やお前が街から出たら――街の連中、ストレスで死んじまうぞ」

 

「冒険がしたい……冒険…………」

 

 現在、アインズとブレインはこのエ・ランテルの上層部の人間から泣いて縋られて街に残っていた。何せ、先のアンデッドの事件のせいでほとんど街が機能していないのだ。この状況で、アダマンタイト級の実力持ちに抜けられると一般市民も一般の衛兵達も不安のあまり街から逃げ出しかねない。

 そのため、アインズとブレインは街の治安や安全のために街から一歩も出る事なく冒険者組合で暇を潰していた。この街にいるのが最大の仕事なので、他にやる事が無いのである。

 

 目の前のテーブルに頭を突っ伏してぶつぶつと呟き始めたアインズに、ブレインは腹を抱えて笑った。

 そして、そうこうして暇を潰しているとアインズとブレインの前に慌ただしくやってきた人間がいる。アインズとよく縁のある受付嬢だ。受付嬢はなんだか自慢げなドヤ顔をして二人の間に立ち、箱を両手に持っている。

 

「ゴウン様、アングラウス様。ようやく、お二方のプレートが届きましたので、このような状況で申し訳ありませんがお渡しさせていただきます」

 

「ん? そりゃ早いな」

 

 突っ伏しているアインズに代わって、ブレインが受付嬢から箱を受け取る。ブレインはすぐさま箱を開けて中を確認しているようだった。

 

「ほー……これがアダマンタイトか。初めて見たぜ。ほらよ、アインズ。お前の」

 

 ブレインがアインズの目の前にプレートを放る。アインズは顔を上げ、目の前のアダマンタイト製のプレートを親の仇のように憎々しげに見つめた。

 

 アインズとブレインは戦闘能力や今回の実績、非公式記録などから異例のアダマンタイト級冒険者へと一気に昇格していた。何せ、エ・ランテルではここ最近日課となっているある行動から、もう二人に喧嘩を売るような相手はいないのである。嫉妬の目で見つめられる事はあっても、「勝負だ!」などと言ってくる戦士は誰もいなかった。

 

「これさえ……これさえ無ければ、もっと気楽に……」

 

 再びアインズが未練タラタラでプレートを手に取り、ブツブツと呟き始めるとブレインは大笑いし、受付嬢は何とも言い辛い――傍から見れば明らかに笑いを我慢している――表情で、アインズを見つめている。

 

「ゴ、ゴウン様。お気を確かに……。いつか、きっと未知の冒険に行ける日が来ますから!」

 

「まあ、エ・ランテルが完全復興しないかぎりは、そんな依頼は絶対回って来ないだろうけど」

 

「そうですね! ……はっ!?」

 

 ブレインの突込みに、つい全力で肯定してしまった受付嬢。そんな二人を見たアインズはプレートを懐に突っ込むと、音を立てて荒々しく立ち上がり、ブレインを指差した。アンデッドの種族特性で感情が抑制され強制的に冷静になると言っても、じくじくとする感情のうねりはずっと心の中で燻るのだ。

 

「表に出ろブレイン、今日こそ縦に真っ二つにしてやろう」

 

 アインズがそう告げると、ブレインは嬉しそうな表情であの事件後こっそり戻って回収してきた刀の柄に手をやり、立ち上がった。

 

「おーいいぜ。今日こそ、首と胴体にお別れ告げろや」

 

「ゴウン様、アングラウス様。いつもの訓練場は勿論、お二方用に空いております」

 

 受付嬢の言葉に、アインズとブレインは互いに罵倒を飛ばしながらいつもの場所へ歩きながら向かって行く。他の冒険者達や組合員はぎょっとした顔で二人を見るが、いつもの事――つまり日課だと気づくと「今日はどっちが勝つと思う?」「アングラウスじゃないか?」「いや、ゴウンだろ」と口々に言い合う。そして、それが休憩の合図だとばかりにそれぞれの作業を止めて、先程まで二人がいたテーブルに集まると小金を出し合ってどちらが勝つか賭け始めた。

 

「力任せの脳筋ゴリラ野郎! 今日こそ“俺の負けです”って土下座させてやるぜ!」

 

「ほざけよ小手先に逃げた猿回しの猿が……“俺の負けです”と土下座させてくれる!」

 

 互いにそんな罵声を飛ばして、アインズとブレインは訓練場に去っていく。二人揃って互いの長所を罵倒し合っているが、冒険者組合ではアインズが技術の練習をしているのも、ブレインが筋トレをしているのもしっかり把握している。つまり、アレは互いを褒めているのだ。

 そんな男のつまらないプライドに先程まで二人と話していた受付嬢は慌てて口を開く。

 

「ゴウン様! アングラウス様! 大怪我だけは止めてくださいね!」

 

 冒険者組合から出ていく二人にそう叫ぶと、アインズとブレインは立ち止まり振り返って、気まずそうに手を軽く上げて振り了承を示す。

 

 受付嬢のイシュペンは、そんな二人を笑顔で見送った。

 

 

 

 

 

 

「ンフィーレア・バレアレ君のことは……」

 

「ああ、残念だが……」

 

 アインザックは渋い顔で、魔術師組合長であるラケシルと会話する。ここは魔術師組合の会談用の一室であり、なるべく外部に話が漏れないようになっている。それほどに、ンフィーレアの今の状態は不味かった。

 

 あのアンデッド事件でンフィーレアは誘拐されており、霊廟の奥でぼうっと立っているのを偵察に来た冒険者チームに発見された。その際、何を語りかけても反応がなく、頭部に何らかのマジックアイテムを装備している事でそのまま連れ帰ったのである。

 そして、連れ帰った後ラケシルが魔法で調べてみると恐るべき事が判明してしまった。

 それは着用者の自我を封じることで、その着用者を超高位魔法を唱えるマジックアイテムにしてしまうという恐るべきマジックアイテム。ンフィーレアはそのアイテムを“あらゆるマジックアイテムを使用出来る”という生まれながらの異能(タレント)で無理矢理装備させられ、ズーラーノーンに協力させられていたのだ。

 あの尽きないアンデッドの群れは、ンフィーレアが使用した第七位階魔法〈死者の軍勢(アンデス・アーミー)〉だったのである。

 ……だが、それが分かったところでどうしようもなかった。このマジックアイテムには当然副作用があり、装備を外すと着用者が発狂してしまうのだ。かと言って、破壊する事もままならない。あまりにも、そのマジックアイテムが高価であり便利過ぎたために。

 

 あのマジックアイテムの存在は、明らかに人間一人の命より重かった。

 冒険者組合や魔術師組合では、とてもではないが責任が持てないほどに。

 

 そして、更なる問題は何処からこのような外道なマジックアイテムが流れてきたか、だ。ズーラーノーンが自ら造り出した、というのならまだいい。他の国――例えば法国などから盗み出していた場合、更なる面倒事に発展するだろう。

 

「……まったく、なんということだ」

 

 アインザックは疲れ切った表情で、ポツリと呟く。対するラケシルは、必死に隠そうとしているが隠しきれていない嬉しそうな顔でアインザックに語った。

 

「とりあえず、あのマジックアイテムはこちらで調査しておこう。もしかすると、着用者を無事なまま装備を外す方法が見つかるかも知れない」

 

「…………頼む」

 

 苦々しげな表情でアインザックはラケシルに告げる。ラケシルは嬉しそうな表情のまま、足早に室内を出て行った。その後ろ姿をアインザックは疲れ切った表情で見つめる。

 

 ……あのラケシルとは友人であるが、アインザックはここ最近になって初めて、その友人には隠された一面があったのを知った。

 

 未知なるマジックアイテムに対する感動と驚愕。手に入らないものが目の前に現れた時の対応。ラケシルには、そういったものを目の前にした時、人道も道徳も放り出す傾向があったのだと。

 

 しかし、今のラケシルに苦言を告げる事は出来ない。そもそも、ラケシルの対応は当然の対応でもあった。一人の少年を助けるために未知なるマジックアイテムを調べるという大義名分。――お前は本当にンフィーレア・バレアレを助ける気があるのかと訊ねても、そこには当然だという返答しか返って来ないだろう。

 そしてそれが本心で、本当かどうかはラケシル自身にも分からないに違いない。

 

「……この街に、アダマンタイト級の実力者が二人もいたのが救い、か」

 

 アインザックはアインズとブレインを思い出す。凄まじい偶然ではあるが、この街でアインズが冒険者登録を行ってくれた事と、ブレインが近辺にいた事が現状で少ない救いだった。大抵の事は、あの二人で対処出来る。

 しかし、国同士の事だけはあの二人では対処出来ないし、自分達も対処出来ないだろう。都市長のパナソレイの事を思うと、アインザックは少し哀れに思った。

 

 アインザックは気持ちを切り替え、冒険者組合に戻ろうとするとドアの外が騒がしくなり、ドアが思い切り開いて驚く。先程去ったはずのラケシルが血相を変えて飛び込んできていた。

 

「どうした?」

 

 アインザックは慌ててラケシルに近づき、呼吸を乱し顔色の悪いラケシルに訊ねる。ラケシルは口をぱくぱくと陸に打ち上げられた魚のように開いて、喘ぎながらアインザックに告げた。

 

「ンフィーレア・バレアレがいなくなった!」

 

 

 

 

 

 

 ――スレイン法国の非合法特殊部隊、六色聖典の内の一つ風花聖典は数日前からエ・ランテルにいた。彼らの目的は一つ。漆黒聖典に所属しておりながら法国を裏切り、法国の最秘宝の一つ叡者の額冠を持ち出して逃亡したクレマンティーヌの追跡である。

 彼らはクレマンティーヌがエ・ランテルに逃げ込んだという情報は掴んでおり、街内でクレマンティーヌの捜索をしていたのだが先のアンデッド事件のせいでクレマンティーヌに追跡を撒かれてしまうという失態を犯していた。

 だが、悪い事ばかりではない。彼らが執拗にクレマンティーヌを追っていたのは盗まれた叡者の額冠を取り戻すためであるのが主であり、クレマンティーヌ自体は究極的には生きていようと死んでいようとどうでもいいのだ。

 そして、クレマンティーヌは彼らの追跡を躱すためであろう。叡者の額冠をズーラーノーンの者に渡し、その手助けをする事で街を混乱させ、クレマンティーヌは風花聖典の追跡を撒いてしまった。

 ……後には、彼らの第一目的である叡者の額冠と、その使い手だけが残されたのである。

 

「……この機を逃すわけにもいくまい」

 

 彼らはそう結論付け、叡者の額冠とその使い手を街から連れ去る。法国の手は長い。当然、この街にも草と呼ばれる法国の工作員が紛れ込んでいた。彼らが協力すれば、王国の衛兵や魔術師組合・冒険者組合の者達から秘密裏に街を抜け出すなど容易い事である。

 

 叡者の額冠は法国でも担い手を探すのに苦労するマジックアイテムだ。何せ、担い手となれる女は百万人に一人しかいないのである。当然、次の候補は用意しているが、それでもいない時はいない。

 だが、今回の事件で犠牲者となった少年――ンフィーレアはそのあらゆる問題をパス出来るのである。それは彼の持つ生まれながらの異能(タレント)が可能とする奇跡だった。

 なればこそ、逃すわけにはいかない。幸い、現在エ・ランテルのあらゆる機能は麻痺している。王国の鳥頭を持つ上層部はたかが一人の行方不明と気にも留めないだろう。今ならば、ズーラーノーンの犯行に見せかける事も可能であった。

 

 ……そしてその日、一人の少年がエ・ランテルから姿を消した。

 

 

 

「よいしょっと……」

 

 エンリはいつもの日課である農作業をしていたが、ふと空を見上げる。上空は青空が広がり、雲一つない快晴だ。

 ……カルネ村は先の焼き討ち事件から、塀を作るようになった。現在、村の生き残った男達はその堀を作る作業をしており、いつもの農作業はエンリ達のような女の仕事になっている。

 

「いい天気……」

 

 とても悲しい事件ではあったが、それでも村の未来は明るいとエンリは信じている。父も、母も、妹も皆生きている。失われた命は決して少なくないけれど、それでも他の村よりはマシだろう。

 

 全ては、あの日ンフィーレアが漆黒の戦士を連れてきてくれたからこその、この奇跡の生還だった。

 

 これからのカルネ村は厳しいだろう。周囲の村は減り、村の人口は減り、環境は厳しくなった。

 それでも、生きているかぎりは精一杯頑張れる。だからエンリは、村はきっとこれからよくなっていくと信じていた。

 

「今度、ンフィーレアが来たら、ちゃんとお礼を言わなくちゃ」

 

 その時は、またあの漆黒の戦士を連れてきて欲しいと思うが、たぶん無理だろう。あの漆黒の戦士は凄い人なので、きっとただカルネ村までの護衛ではその時には釣り合わなくなっているはずだ。ンフィーレア自身が、そう言っていたのをエンリは覚えている。

 きっとあの漆黒の戦士とまた再会する事はあるまい。だから、エンリはンフィーレアに、漆黒の戦士の分も含めてたくさんお礼を言おうと思う。

 

 澄み切った青空の下で、エンリは汗を拭いながら再び農作業に没頭した。

 二度と再会する事のない、友人を想いながら。

 

 

 

 

 




 
ンフィー君、アインズ様との好感度不足により法国就職エンド。

※次回更新はオバロ新刊が発売延期にならないかぎり、五月末以降となります。原作の内容次第でプロット変更の可能性があるので、ゴメンネ!
 


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The Catastrophe Dragon Lord Ⅰ

 
■前回のあらすじ

ンフィー君法国就職エンド。
 


 

 

「――では、これより会議を始めます」

 

 スレイン法国最奥の神聖不可侵の部屋で、今日も神官長達の会議が始まった。

 最高神官長を初めとした火、水、風、土、光、闇の神官長に、三機関長、研究機関長、大元帥。彼ら十二名――火の神官長は女性だが――はこうして、時折集まり会議を行う。それは人類の未来のためであったり、亜人種や異形種との戦争についてだったり、様々だ。

 特に話題に上がるのが、昔から戦争状態であるエルフの国の事だ。最近は更に加えて、リ・エスティーゼ王国の事が上がる。バハルス帝国の事はあまり話題に上がらない。帝国は優秀な皇帝のもと、腐敗していくだけの王国と違い何とか持ち直しているからだ。

 そして、今回はそれに加えて更に議題が一つ追加された。

 

「――最後の議題ですが、陽光聖典の任務を妨害した王国の冒険者アインズ・ウール・ゴウンに関して」

 

 この議題については、ある意味で一番注目していると言っていい。

 

「まず、最初から説明致します。一ヶ月前、アゼルリシア山脈の一つで、ドラゴンを王国のアダマンタイト級冒険者、蒼の薔薇と共に退治したのが最初の目撃例です。その後、王国のエ・ランテルで冒険者登録を行い、冒険者組合の依頼で陽光聖典と接触。ガゼフ・ストロノーフ級の強さを見せつけ、陽光聖典に切り札を切らせるに至る。――そして、陽光聖典は任務を失敗しました」

 

「あの最高位天使と戦い、生き残った時点でガゼフ・ストロノーフ級ではなくそれ以上(・・・・)だな」

 

「――とりあえず、話を戻します。その後風花聖典の任務でも報告したのですがエ・ランテルでズーラーノーンの高弟による大儀式が行われ、エ・ランテルを守り抜きました。……その際、他の金級冒険者達と協力してですがデス・ナイト一体を討伐。その後、ブレイン・アングラウスと漆黒と言う名でチームを組み、エ・ランテル周辺で現在も冒険者として活動中です」

 

 ――以上が、現在法国が確認を取れている正体不明の漆黒の戦士の情報である。全てを聞き終えた神官長達は、それぞれ意見を出し合い、漆黒の戦士について今後の方針を決めていく。

 

「まず確認したいのだが、この戦歴は全て事実か?」

 

「陽光聖典が失敗した時点で、ほぼ事実だろう。あの最高位天使を打倒出来るのならば、若い個体のドラゴンやデス・ナイトが討伐出来ないはずがあるまい」

 

「だとすれば、間違いなく英雄級の強さだ。漆黒聖典の中でもあの二人に次ぐ強さという証明ではないか。このまま放置しておいていいのか?」

 

「緊急性は少なくとも無いと見られます。アインズ・ウール・ゴウンはその力を国に売り込むこともなく、冒険者として活動しているだけです。現在は数少ないアダマンタイト級として、都市長と組合の都合によりエ・ランテルからほとんど動いてません」

 

「――――」

 

 報告を聞いていた全員が絶句した。何という宝の持ち腐れ。確かに最高戦力は早々切るものではないが、それでももう少し動かすだろう。戦士二人組というバランスが悪いのならば、他の冒険者達をサポートにつけて、街の周囲を最高戦力で削り、安全を確保してから都市内に囲うべきだ。

 

「――大人しすぎる。エ・ランテルで組合長に何か弱みでも握られたのか」

 

 思わずといった感じで一人が呟くと、別の者が苦笑した。

 

「調べたところアインズ・ウール・ゴウン本人はよく“未知の冒険がしたい”と愚痴をこぼしているようです。彼の愚痴はエ・ランテルの冒険者組合では有名なようですね。ただ、ズーラーノーンの件で都市内がかなり崩壊したようで、組合ではあまり動いて欲しくないらしく頼み込んでいるとのことです。あの事件も、彼が偶然野盗討伐という別の依頼で都市を離れていたため、被害が拡大した側面もありますから――まあ、不幸な事故ですね。それ以来、あまり外に出したくないのでしょう」

 

「――つまりエ・ランテルのトラウマに付き合わされているということね。本当に、随分と大人しい――大人しいからこそ、今までどこでも噂にならなかったのかしら?」

 

「それよりはやはり――百年毎の嵐、と見るべきではないか? 時期もピッタリだ」

 

「――神の降臨か」

 

 口伝により法国で伝えられているのだが、この世界では数百年前から百年毎に来訪者――大嵐が来る。それが神の来訪。

 かつて六〇〇年前は法国の神々六大神が、五〇〇年前は八欲王が――ある日ふと異なる世界からやって来るのだ。

 

「しかし、神にしては大人しすぎるような気もするぞ。我らの神しかり、八欲王しかり、圧倒的武力を背景にもっと精力的に動いてよいのではないか? まだ最初の目撃例から数ヶ月とはいえ、彼は大人しすぎる」

 

「だとすれば、もしや昔やって来た神の子孫なのかも知れぬな。第六位階魔法までを無効化する鎧なぞ、どう考えても神の遺産だ」

 

「ふむ――その可能性の方が高いか」

 

「とりあえず、アインズ・ウール・ゴウンについては様子見が一番正しい選択では? 何かあった際に後手に回るけれど、現状放っておくのが一番いいと思うわ」

 

「それが無難か。――全員異論は無いな?」

 

 静寂――。誰もが漆黒の戦士の扱いについては、それで肯定であった。

 

「では、本日の議題は以上です――」

 

 

 

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国の王都、ヴァランシア宮殿。その宮殿の一室で行われる宮廷会議にて、ガゼフは叱責を受けていた。

 

「どういうことだ戦士長! 重要な事件の犯人の一味を暗殺されるなど!」

 

「……面目有りませぬ」

 

 貴族の一人が声を荒げ、ガゼフへと怒鳴る。会議に参加していた他の面々もガゼフを憎々しげに見ており、同時にガゼフのミスを嘲笑っていた。

 

(ふざけるな……! 貴様らの差し金だろうが……!!)

 

 ガゼフは頭を下げながら、ギリィと歯軋りし、拳を固める。それを言う事が出来たならばどれほど楽か分からないが、戦士長という地位についておりながら、それほど身分の高くないガゼフにはそう告げる事が出来ない。

 

 ……ガゼフが任務を受け、王都を出てから半月ほど経っている。法国の罠からあの漆黒の戦士の協力で生還する事ができ、彼が生け捕りにしてくれた工作員一人を譲り受けて王都に帰ったのだが――そこでガゼフは致命的なミスを犯した。

 おそらく、途中のどこかの検問所から休憩しながら通るガゼフ達を尻目に、早馬で王都まで密書を届けたのだろう。ガゼフが証拠の一人を捕らえたとして、おそらく貴族派閥は慌てたのだ。八本指を使ったに違いない。

 

 王都の検問所で、工作員を暗殺された。

 

 ガゼフが馬を降り、検問所で話を通すその瞬間――その目を離したほんの少しの隙だった。ガゼフは自らの間抜けさに、腹が立って仕方が無い。

 そして今、その報告を届けたガゼフは貴族派閥の者達や証拠を暗殺された王派閥の者達に叱責されている。ガゼフはそれを大人しく頭を下げて聞く事しか出来ない。

 

「――まあ、済んだことはいいだろう。それより、えーっと、なんだったか。確かアインズ・ウール・ゴウンという冒険者だったか」

 

 貴族派閥の一人が、ガゼフを怒鳴るのに飽きたのか話を逸らすように告げる。いや、本当は彼らもあまりこの話題を深く追求したくないのだ。追及すれば、暗殺の犯人を本格的に探す話になりかねないし、そうなればもしかすると自分に手が伸びてくるかも――そう判断しているのだ。

 

 ……ガゼフがカルネ村の件で話した内容は、冒険者であるアインズの協力で、村を襲っていた兵士達を撃退した、という内容だ。法国の工作員の事は告げていない。それはこの場で告げるには、少々危険過ぎる話である。

 だからガゼフの説明は非常に淡々とした簡単な報告となっていた。それにアインズは冒険者であるため、本来ガゼフの任務の協力はまずい立場になる。それを巻き込んでしまったために仕方なしに協力してもらったのだ。アインズの存在は秘匿した方がよかったかも知れないとは思ったが、どこで知られるか分からない。ガゼフは報告を怠ったと知れば、貴族派閥の者達はこぞってそれをつついてくるだろう。そのため、アインズの存在を内緒にするのはガゼフはまずいと感じ、簡単ではあるが報告はしていたのだ。

 

「その冒険者、戦士長殿と並ぶ強さがあると言ったか? 一介の冒険者風情と同格とは、戦士長殿の腕も耄碌したか?」

 

 下卑た笑いだ。他の者達も嘲笑している。ガゼフもさすがにアインズの実力を不当に乏しめる事は出来ない。装備品には圧倒的な差はあったが、ガゼフはアインズの実力は自分と同等と見ている。身体能力はアインズの方が圧倒的に上だが、戦士としての技術力はガゼフの方が圧倒的に上なのだ。それで互いの天秤の釣り合いが取れていた。

 ガゼフが口を開こうとした時、しかし助け船は意外なところからもたらされた。

 

「――確か、その戦士はドラゴンとも戦える凄腕の戦士だったと聞いていますが」

 

「――――」

 

 ――レエブン侯。六大貴族の一人であり、もっとも力のある貴族である。その彼がさらりと言った一言が、全員の口を沈黙させた。

 

「……レエブン侯。そ、その……どこからそのような話を?」

 

 思わずといった様子で訊ねてくる貴族に、レエブン侯は静かに語る。

 

 ――曰く、先日レエブン侯の領土にかかるアゼルリシア山脈付近の山で、ドラゴンと思しき魔物の存在の影がちらついた。そのため、蒼の薔薇に要請し討伐依頼を出したのだが――そこで蒼の薔薇が難度一〇〇と思しきドラゴンと一騎打ちをしていた漆黒の戦士に遭遇したという。蒼の薔薇は漆黒の戦士と協力し、そのドラゴンを退治したのだとか。

 

「――確か、その漆黒の戦士の名がアインズ・ウール・ゴウンと言ったはずです。特徴的に、十中八九同一人物だとお見受けしますが……」

 

「――――」

 

 ドラゴンと一騎打ちという英雄譚のごときな話に、貴族達は絶句している。ガゼフはアインズがあの最高位天使という存在と戦っている姿を見たために、そこまで衝撃は受けていないがそれでも驚愕に目を見開いた。まさか、そのような経験があるとは思っていなかったのだ。

 

「な、なるほど……それは確かに、戦士長殿をして互角と言わしめる強さはございますな」

 

「だがその戦士、冒険者なのだろう。冒険者は組合経由でない依頼を受けてはいけない規律があるはずだぞ。これは規約違反なのではないか?」

 

「そうですな。どの道、そのような腕前の戦士を冒険者組合で腐らすには勿体ない。連行し、話を聞いた方がいいのでは――」

 

 そして、アインズを利用しようという貴族達の身勝手な会話が始まった。だが、それをガゼフの主人である王が断ち切る。

 

「――よせ。彼の冒険者は護衛の依頼で偶然、戦士長と協力関係になっただけだ。護衛任務上の都合であり、組合の規律に反してはいない」

 

「……陛下がそうおっしゃるなら」

 

 王の言葉に、貴族達は押し黙った。そして、そこからいつも通りの――権力闘争とおべんちゃらが入り混じった、茶番のような会議が始まる。

 

 

 

 ――宮殿の中庭で、ラナーは手近な椅子に座ると、静かに周囲を見渡しながら思考する。背後では、ラナーを守るようにクライムが立っていた。

 

 ラナーは先程の光景を思い出す。無事に城に帰って来たガゼフ。絶対に生還出来ない任務から生還してきたとすると――間違いなく、何らかの奇跡が起こったに違いない。

 そしてその奇跡の犯人は――まず間違いなくあの漆黒の戦士だろう。それ以外にガゼフが生き残る術は無かったはずだ。

 

(……戦士長様を助けた、ということは何とか繋がりは保てたわね。あとは、どうやってこっちまで引っ張ってくるかだけど)

 

 名ばかりではあるが、上位権力者とアインズは繋がりを持ってしまった。これを利用し、エ・ランテルから引き離して何とか王都まで近づけないといけない。そのためにはより深く、王都に近い位置にいる者達と友好を深めて欲しいのだが。

 

(……ラキュース達ともう少し繋がりを太くさせた方がいいわね。合同依頼とか、何かちょうどいい手はないかしら)

 

 最適な駒は蒼の薔薇であろう。彼女達はアインズにとっても好印象であろうし、こちらの思惑に気づかれる可能性は極力低くなる。

 だが、問題はアインズの警戒心の強さだ。わざわざ最初にいたエ・レエブルから遠いエ・ランテルを拠点に選ぶくらいである。他国に一番渡り易い場所を選ぶ辺り、国家権力に対する警戒心は人一倍だ。何か過去にあったのか疑うくらい。

 

(……それも当然ね。ドラゴンを一人で討伐出来そうな戦士なんて、どこ出身か知らないけれど間違いなく国家権力から声がかかるわ)

 

 記憶喪失が嘘か本当か知らないが、国家権力という煩わしさが骨身に染みているのだろう。そういう相手に、貴族の気配を匂わせるのは悪手だ。何とか蒼の薔薇に、王都付近まで引っ張り込んでもらいたい。

 

 ラナーはそう考え、色々な一手を思い浮かんでは、それを却下していく。

 そして――

 

「――――」

 

 ラナーは立ち上がる。クライムを見た。

 

「行きましょうか、クライム。お父様のお部屋へ」

 

「はい、ラナー様」

 

 クライムの言葉にラナーは微笑み、クライムを連れて王の待つ部屋へと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

「……暇だ」

 

「あー、そうだな」

 

 エ・ランテルの冒険者組合のソファの一つに腰かけ、アインズはポツリと呟く。対面に座っているブレインが、それに棒読みで返事をした。

 これはいつも通りの、組合で見られる光景である。アインズとブレインは暇を持て余しており、こうして組合でぼうっとしているか、あるいは訓練場にいるかのどちらかだった。

 ……既にエ・ランテルがあのアンデッド事件で大損害を受けてからかなりの時間が経過している。都市の住人達は何とか今までの生活を取り戻し、人々には笑顔が戻って来た。冒険者組合でも前のような様々な依頼が増えている。商人達との交流も盛んだ。

 ただ、一部の人間はまだ立ち直れないでいる。それはカルネ村のように法国の非合法工作員の手で村を焼かれ、生き残ったためにこの都市に避難しており――結局この都市でも恐ろしい目にあってしまった村人達であったり。あるいは夢を求めて大都市に移住した挙句夢破れスラム街に身を潜め、今回の事件で最低限の施しさえ貰えなくなり犯罪者に身を落としてしまった者達であったり。

 リイジー・バレアレとてそうだ。リイジーの孫ンフィーレアはその後行方不明になったらしい。おそらく、街が混乱状態の内に再び誘拐されたのであろう、というのが組合の見解だった。

 助かったと面会する前に孫が街から消えて、リイジーはもはや商売を再開する気さえなく、バレアレ商店は店を閉じたままだ。たった一人の身内が消えて、生存も絶望視されているのだ。時折ふらりと街に出て、よく共同墓地で衛士に回収されているらしい。

 

 ――未だ、エ・ランテルは再建されていなかった。本当の意味での復興は、全く進んでいない。ただ、臭い物に蓋をしているだけだ。

 

 しかし、王国民にはそれで精一杯なのだ。誰もが自分のために生きている。他の者達になどかまっていられない。いつかそれが自分の首を絞め殺すのだと言われても、日々を生きるのに精一杯な彼らはそんな事に頓着出来ないのだ。

 そしてアインズもまた、そんな彼らに興味が無い。ブレインもまた。

 

「…………」

 

 ソファに更に身を沈ませる。未知の冒険がしたくて冒険者になったというのに、肝心の冒険者は名称詐欺で単なるモンスター専門の傭兵であった。そして、アインズはあの事件から一度もエ・ランテルを離れていない。組合がエ・ランテルの警護としてアインズ達を雇っている、という体裁なので生活費くらいはあるが、暇すぎる。これなら、まだ身分証明なんて気にせずに一人であっちこっちをふらふらと歩いていた方が有意義だろう。

 

「…………」

 

 アインズはチラリ、とブレインを見る。ブレインは刀を取り出して、その刃を点検している。ブレインはアインズと違って、暇さえあれば自らの持つ刀の点検をしていた。刀はデリケートなので、点検に余念がないのだろう。

 対するアインズは、グレートソード二本ともそういった点検は必要が無かった。そもそもあれは魔法で生み出したもの。毎日新品に変わっているのだから点検の必要なぞあるはずがない。武器を雑に扱うのが気になるらしく、ブレインが時折アインズがソファに座る時横に立てかけているのを、こっそり確認しているようだが見る度に舌打ちしている。……結論として、刃こぼれしない自己再生するマジックアイテムだと思っているらしい。

 

「…………」

 

「…………」

 

 アインズはソファに身体を預け、不貞寝。ブレインは武器の手入れ。

 ……二人はひたすら平和だった。

 

「――ゴウン様、アングラウス様」

 

「はい?」

 

「うん?」

 

 そうしてぼうっとしていると、アインズとブレインにいつもの受付嬢――イシュペンが声をかける。イシュペンの声にアインズとブレインは顔を起こし、視線を向けた。イシュペンはニコニコといつもの笑顔で二人に向けて口を開く。

 

「組合長がお二人にお話があるそうです。応接室までお願いします」

 

「…………」

 

 イシュペンの言葉にアインズとブレインは顔を見合わせると、とりあえず首を傾げながら頷いた。アインズは横に立てかけておいたグレートソードを手に取り背中にかける。ブレインは点検をやめて鞘にしまうと、腰にいつも通り引っ提げた。

 そして、イシュペンに案内されて組合長のアインザックが待っている応接室まで向かう。応接室まで到着すると、イシュペンがドアをノックする。

 

「組合長、ゴウン様とアングラウス様をお連れしました」

 

 イシュペンの言葉に、ドアの向こうから入るよう促す声がかかる。イシュペンがその返事を受けてからドアを開くと、アインザックが嬉しそうな顔で二人を出迎えた。

 

「やあ、アインズ君! それにブレイン君も! まずはかけたまえ」

 

「それでは、失礼します」

 

「はいよ」

 

 アインズとブレインは返事をすると、武器を先程までと同じように横に立てかけて椅子に座った。見れば魔術師組合長のラケシルも一緒にいる。イシュペンは「それではごゆっくりどうぞ」と声をかけて一礼すると、再び受付まで戻って行った。

 

「――それで、一体何用ですか?」

 

 まずアインズが口を開く。どうして呼ばれたのか理由が分からないためだ。一応、何度か呼ばれて他愛も無い話をした事はあるのだが、今回はそのような雰囲気ではない。

 

「なんか困ったことでもあるのか?」

 

 ブレインも首を傾げている。二人の疑問にはアインザックとラケシル両方がそれぞれ答えた。

 

「うむ。実はお二人に依頼があるのだ」

 

「――モンスターの討伐ですか?」

 

「いや、モンスターの討伐ではない。とある冒険者チームと協力して、トブの大森林に薬草を採取しに向かって欲しいのだ」

 

「薬草の採取、ですか?」

 

 聞けばこの依頼はかつて三〇年前に、別のアダマンタイト級冒険者とミスリル級二チームのサポートでこなしたものだと言う。トブの大森林の特定地域にしか生えていない、どんな病も癒すという薬草。それをあの人類未開の地であるトブの大森林まで行って採取してくるのが、今回の依頼だった。

 話を聞いたブレインが、眉を寄せる。

 

「おい、戦士二人組の俺らじゃ絶対無理だぞ」

 

 ブレインの言葉はもっともだ。間違いなく、絶対に必要な職業(クラス)がある。野伏(レンジャー)がいない場合この任務は通常達成不可能と言っていいのではないだろうか。

 

「いや、それは大丈夫だ。今回の依頼はむしろ、もう片方の冒険者チームのサポートをお願いしたいんだ。そちらに優れた野伏(レンジャー)魔法詠唱者(マジック・キャスター)、神官がいるので安心して欲しい」

 

「……それなら、そちらのチームだけでもよろしかったのでは?」

 

「ああ……そうなんだがね……」

 

 その時、アインザックがチラリとアインズを見る。アインズはその意味深な視線に首を傾げるが――ふと思いついた。

 

「なるほど。……申し訳ありません。愚痴を聞いていただけたようで」

 

 どうやら、アインズがよく「未知の冒険がしたい」と呟いていたのを考慮して今回の依頼は発生したようだ。少しだけ申し訳なく思い、謝っておく。……ぶっちゃけると向こうの都合でエ・ランテルから出られないのだから、あまり謝る必要は無さそうだが。

 

「いやいや、気にしないでくれたまえ。こちらの都合に合わせてもらっているのだからね、当然のことだ」

 

「しっかし、よく向こうさんは許可出したな。アダマンタイト級っつっても、よく知りもしない相手とチームは組みたくないだろ」

 

 ブレインがそう言うと、ラケシルが首を横に振った。

 

「いや、向こうは快く引き受けてくれたよ。君ら二人とも、彼女達はよく知っているとのことだ」

 

「彼女達……?」

 

 アインズは首を傾げる。記憶を探り――この異世界の知り合い、それも冒険者と言えば蒼の薔薇しか思いつかなかった。しかし、ブレインは――

 アインズがブレインを見ると、かなり嫌そうな顔をしていた。ブレインも心当たりがあったらしい。ガゼフの事といい、凄い偶然もあったものだ。

 

「おいおい――蒼の薔薇かよ」

 

「そう、彼女達だよ。アインズ君の事は我々も知っているが、ブレイン君も彼女達と知り合いだったとはね。……まあ、そういうわけで彼女達は何も問題無い、との事だ。実力差もそう離れていないし、君らは彼女達が口を酸っぱくして注意するような人間ではあるまい? 彼女達も君達に会えるのを楽しみにしているそうだよ」

 

「……いつ頃合流予定なんです?」

 

「えぇっと……確か、明日か明後日にはエ・ランテルに到着する予定だったね。まずは組合に顔を出してくれるらしいから、いつも通り組合にいてくれないかね?」

 

「なるほど――分かりました」

 

「頼んだよ、アインズ君、ブレイン君」

 

 ――全ての話が終わり、応接室を出ていく。二人はもとのソファに座り直すと、互いを見た。

 

「……蒼の薔薇の知り合いだったのか、ブレイン」

 

「ちょっとな。そういうアインズこそ、知り合いだったのか?」

 

「ああ。以前だな――」

 

 そうしてアインズが蒼の薔薇とドラゴンの話をすると、途中でブレインが目を見開き驚いていたので、アインズはつい訊ねる。

 

「どうした? 何か変なことでも言ったか?」

 

「いや……メンバー変わったんだな、と思ってな」

 

「うん?」

 

「俺は魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)のイビルアイとかいう女は知らねぇぞ。俺が知っているのは、その女じゃなくて腰に剣引っ提げた老婆だったぜ。確か、名前はリグリットとか言ったか」

 

「老婆か……もう年だから引退したんだろ」

 

「あー……引退しちまったのかよ、あの婆。まだ痛み分けで終わって、決着ついてねぇってのに」

 

 残念そうに呟くブレインに、アインズは苦笑した。本当に無念そうな声色だったからだ。

 

「しかし、よくあの蒼の薔薇相手に五対一で痛み分け程度で済んだな」

 

 つい不思議に思って訊ねると、ブレインは苦虫を噛み潰したような表情を作る。

 

「いや、その時はまだガガーランとかいなかったぜ。俺が知ってるのはあの婆と神官女だけだ。他の三人は後から知ったんだよ」

 

「ほう……。どういう出会い方をしたんだ?」

 

「あー……実はだな」

 

 ブレインがそう語ろうとした時、組合の空気がざわりと動いた。アインズとブレインは話を中断し、騒がしくなった元凶を探る。

 出入り口に、アインズも知っている五人の女性が入って来ていた。

 

「――蒼の薔薇」

 

 アインズがポツリと呟いた言葉は、組合の中によく響いた。その単語に途端組合の中が更に騒がしくなり、蒼の薔薇はアインズの方を見る。

 

「アインズさん!」

 

「やほ」

 

「ども」

 

「よう、久しぶり!」

 

 ラキュース達がアインズを見つけ、アインズのいる方へ向かって来る。五人はアインズ達の傍まで来ると、遠慮なくアインズやブレインの隣に座った。……いや、ラキュースのみ「失礼しますね」と言ってソファに座ったが。

 ちなみに、席を詰めてやった際にガガーランは容赦なくアインズの隣に座った。ラキュースはそのガガーランの隣に、対面のブレインの隣にはティアとティナ、イビルアイが座っている。

 

「久しぶりですね、皆さん。元気でしたか?」

 

「おお。元気だぜ。お前さんも元気そうだな」

 

 アインズの言葉にガガーランが遠慮なくアインズの肩に手を回し、答えた。

 

「アングラウスさんもお久しぶりです。冒険者になったんですね」

 

 ラキュースがブレインに訊ねると、ブレインは冒険者になった経緯を思い出したのか、「まぁな」と苦虫を噛み潰した表情で頷いていた。

 

「それよりも、俺はお前くらいしか知らんからさっさと紹介してくれ」

 

 ブレインの言葉に、ラキュースが頷いて紹介する。

 

「ええ、勿論。まずアインズさんの隣にいるのは戦士のガガーランよ。それから、忍者のティアとティナ」

 

「どもども」

 

「よろしく」

 

 ブレインに同時に片手を上げ、挨拶する双子。ガガーランも「おう、よろしくな!」とブレインに片手を上げて答えた。

 

「最後に――彼女はイビルアイ。魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)よ。イビルアイ、彼はブレイン・アングラウス。あの戦士長様と同格の強さを誇る凄腕の戦士なの」

 

「ふむ。あのガゼフ・ストロノーフとか――ならば使い物にはなるか」

 

「……おい、この女。殴っていいか」

 

「やめとくのが無難。イビルアイの生態と思って諦めた方がいい」

 

「おい、待てティア。まるで私が聞き分けの無い子供のように言うのはやめろ」

 

「もっとタチが悪い」

 

「ティナ……」

 

「なるほど、把握した」

 

 わいのわいのと騒ぐブレインとティアとティナ、イビルアイを尻目にアインズはガガーランに絡まれながらラキュースに話しかける。

 

「今回はよろしくお願いしますね、ラキュースさん」

 

「いえ、気にしないで下さいアインズさん。今回の探索、お二方の戦力に期待していますから」

 

「そういやよぉ、聞いたぜアインズ。お前さん、こっちでも色々やりやがったみたいだな」

 

 ガガーランの言葉に、アインズは揺さぶられながら口を開いた。

 

「ああ、あのアンデッドのことですか」

 

 アインズが他の冒険者と協力して倒したデス・ナイトは未知のアンデッドとして、組合の方が回収し色々と調べているのだ。その未知のモンスターを初見で討伐した、という功績もアインズの戦歴に入っている。本来未知のモンスターを初見討伐など不可能であるし、聞くだけで相当なタフさだったとして組合も驚いている。

 

(……まさかデス・ナイトがこっちじゃ未知のアンデッドだったとは……。殺した死体をゾンビにする、って能力も知らないんだろうなぁ、皆)

 

 アインズは知る由も無いが、知る人間は知っている。しかし王国で知っているのはリグリットという元蒼の薔薇の老婆と、イビルアイだけであった。しかしイビルアイも剣と盾を持っている巨体の未知のアンデッドという説明では、デス・ナイトを結び付けられない。アインズがデス・ナイトの特徴を周囲に知られない内に討伐してしまったからだ。

 王国上層部の腐敗具合も相まって、あの未知のアンデッドが伝説のアンデッドだと王国で知られる事は無いだろう。

 

「未知のアンデッドの討伐に、ブレインと協力してエ・ランテル防衛だっけか。いやいや、まさか一ヶ月でいきなり同格に並ばれるとは思わなかったぜ」

 

 ガガーランの言葉に、ラキュースが苦笑する。

 

「まあ、もとからアインズさんはドラゴン討伐の件もあるから、数段飛ばしで階級が上がっても不思議じゃないんですけどね」

 

「ははは」

 

 エ・ランテル防衛の件が無ければ八百長などでミスリル級にこっそり上がる予定であったとは、口が裂けても言えそうにないアインズであった。

 

「しかし、明日か明後日頃にエ・ランテルに到着する予定だったと聞いたんですが、早かったですね」

 

「ああ。あんまり寄り道せずに来たからな。それに、道中あまりモンスターに遭遇しなかったんだよ」

 

「そうなんですよね。不思議です」

 

 ガガーランとラキュースの言葉にアインズは「へえ」と気の無い返事を返したが、その原因がアインズ自身だとはアインズは気づいていなかった。エ・ランテルに来るまでに色々とモンスターを剣の練習や特殊技術(スキル)確認がてら片っ端から殺し回っていたので、モンスターが一時的に寄り付かなくなっていたのである。

 エ・ランテルを行き来する商人達からは有難がられているが、冒険者は商売上がったりであった。

 

「さて、それじゃあ私達は組合に話を通して、それから宿屋を探しますね。また明日の朝、組合が開店する頃にここに集合でいいですか?」

 

「かまいませんよ」

 

 ラキュースの言葉に、アインズは頷く。それからラキュースはアインズに明日からの依頼の計画を語った。

 

「一応、明日の朝に馬で出発という予定にしています。馬を使えば一日でトブの大森林付近の村に着けますから。そこで朝まで休んで、以降は数日かけて目的地まで慎重に森の中を徒歩で進んでいこうと思ってます」

 

「なるほど。ただ、最近ちょっと色々あったので、エ・ランテルとトブの大森林近郊の開拓村は、カルネ村くらいしか残ってませんよ。そこで大丈夫ですか?」

 

 アインズが訊ねると、さすがにそれはラキュースも知らなかったのか驚いていた。……まあ、ガゼフ暗殺の件で法国の工作員が暴れていたので普通知るはずが無いので当たり前だろう。

 

「そうなんですか? うーん、そのカルネ村までは遠いでしょうか?」

 

「歩いた場合は一日半かかりますね」

 

「ああ、それなら夜には到着出来ますね。……宿とかあります?」

 

「宿はありませんが、私達くらいなら宿泊出来ると思いますよ。以前も依頼で泊めていただけたことがありますし、今回も泊めて下さると思います」

 

 あの村はアインズに対して好意的だ。それに、一ヶ月で印象深いアインズを忘れる事も無いだろう。

 アインズの言葉にラキュースは安心したようだった。

 

「それならよかったです。それでは、旅の準備を整えて明日の朝にここに集合ということで」

 

「分かりました。……おいブレイン、聞こえていたか?」

 

 アインズがブレインに視線を再び向けると、ブレインはイビルアイと未だ罵り合いを続けていた。間に挟まれたティアとティナは、迷惑そうに手で耳栓をしている。

 その様子に思わずアインズが口を開くと、ブレインはイビルアイから目を離して頷いた。

 

「おう、聞こえてるぜ。明日の朝開店頃に組合に集合だろう?」

 

「聞こえているならいい。……それでラキュースさん、馬の手配などはどうしますか? こちらでしておきますか?」

 

「いえ、大丈夫です。この街に来るのに使った馬を使うので。お二方の馬だけ手配しておいて下さい」

 

「分かりました」

 

 そう決めると、ラキュースは「それでは、失礼しますね」と言ってソファから立ち上がると、組合の受付の方へ歩いていった。それを見送り、ガガーランが立ち上がる。

 

「んじゃ、俺らも行くぜ。俺らも道具の補充やら、色々しなきゃならねぇしな」

 

 ラキュースの荷物を持って、ガガーランは他の三人に「行くぞお前ら!」と声をかけると、アインズとブレインに別れを告げて組合を出て行った。ティアとティナも自分の荷物を持って立ち上がる。

 

「じゃあまた」

 

 ハモりながらそう言うと、双子もガガーランを追う。

 

「ではな」

 

 イビルアイも立ち上がり、アインズにそう告げると立ち去った。残された二人は、嵐が去ったように溜息をつくと顔を見合わせる。

 

「……ところでアインズ、お前馬乗れないんじゃなかったか」

 

 ブレインが記憶を呼び起こすように告げた言葉に、アインズは頷く。

 

「ああ。なのでマジックアイテムを使う」

 

「アレか。……そういや、アレ見てあの魔術師組合長さん発狂してたな」

 

「……一番発狂していたのは維持する指輪(リング・オブ・サステナンス)の時だがな」

 

「あー……」

 

 思い出したように、ブレインが遠い目をする。アインズも人間の顔があれば、同じような目をしていただろう。

 維持する指輪(リング・オブ・サステナンス)は食事睡眠疲労無効の効果を持つ指輪で、アインズがブレインにエ・ランテル防衛の際に協力してくれた報酬として渡した物だ。

 ブレインから指輪の事を聞いたラケシルは発狂しながらアインズを訪問し、アインズに泣いて縋りつき、「マジックアイテムをくれ」と付き纏った事がある。……アインザックに殴られ、引き摺られて連れ帰られたが。

 その後もアインズが何かマジックアイテムを使ったという話を聞きつけると、その時やっていた作業を全て中断してアインズを訪ねて来る。そしてアインズに断られる、というのをラケシルは繰り返していた。

 

「お前の持ってるマジックアイテムって、そういやどこで手に入れたんだよ。それさえ教えてやれば、少しはあのおっさんの発作も収まるんじゃないか?」

 

 ブレインが意地の悪い顔で言うが、アインズはすげなく答えた。

 

「知らん」

 

「……知らんって。はあ?」

 

「記憶喪失なんだ。気づいたら持っていた物の拾い場所なぞ、俺が知るはずないだろう」

 

「……マジか」

 

 まだブレインには教えていなかったので、ブレインはぽかんとした顔でアインズを見ている。

 

「ああ。おかげで常識もどこかに忘れてきたせいで、時々かなり困る。まあ、文字が読めんから学がある出身じゃないんだろうけどな」

 

「あー、なるほど。……その武装じゃ、王国出身ってのは無さそうだな。俺の予想じゃ、たぶんお前南方だと思うぞ。名前は法国っぽいけどな」

 

「そうか。……いつかは、南方の国にも行ってみたいものだな。確か、法国の向こうには砂漠があるんだろ?」

 

「おう。……まあ、俺も王国以外の国はよく知らないんだけどな。いつか見に行くか」

 

 そうして、世間話を幾つかした後、アインズとブレインは組合から出た。長期の旅の準備をするためだ。

 アインズがブレインに記憶喪失という設定を教えたのは、蒼の薔薇と交流する際に知らせておかないと困ると思ったためだ。蒼の薔薇に教えて、同じチームのブレインに教えていないのも変な話なのだから。

 

 

 

 

 

 

「おはようございます! アインズさん、ブレインさん」

 

「はい、おはようございます」

 

「おう。おはようさん」

 

 明朝、冒険者組合が開く時間に組合の前に立っていたアインズとブレインは、蒼の薔薇五人と集合した。元気よく挨拶するラキュースに、アインズとブレインはいつも通り平坦に返す。

 

「……おい、馬が一頭しかいねぇぞ?」

 

 組合の外に連れている馬一頭を見て、ガガーランが首を傾げる。その質問にアインズは口を開いた。

 

「俺は馬に嫌われているのさ、ガガーラン。乗せるのは勿論、近寄らせてもくれない」

 

「……はあ?」

 

 アインズの言葉に、ガガーランどころかラキュース達が全員ぽかんとした表情になった。それはそうだろう。短時間での長距離移動にこの異世界では馬は必須だ。第三位階で一流とされる世界観で、移動に転移魔法を使う者はいないだろう。

 

「じゃあまさかブレインと相乗り?」

 

「そういう関係だった?」

 

「ちがーう」

 

 ティアとティナのちょっと期待をこめた意味深な瞳の輝きに、ブレインが反吐が出るような表情で答えた。

 

「コイツ、マジックアイテム持ってるんだよ。馬替わりのゴーレムがいるから必要ねぇってわけだ」

 

「それは……なるほど。凄いアイテムをお持ちですね、アインズさん」

 

 ラキュースの言葉に、アインズは「そうですね。どこから来たんでしょう、ホント」と記憶喪失ネタで返して苦笑を誘う。そして懐から件のマジックアイテムを取り出し、使用した。その場に馬にしか見えないゴーレムが召喚される。

 

「――と、こういうアイテムです。馬にしか見えませんが、ゴーレムなので疲労しませんから、何か重い荷物があれば乗せましょうか?」

 

「うーん……いえ、荷物はやはり自分で持った方がいいでしょう。分散させておかないと、いざという時困るかもしれませんし」

 

 ラキュースの言葉に「そうですね」とアインズも頷いて了承する。確かに、それだと運び手が無くしたらそのまま全員困ってしまう。何があるか分からないのだから、用心すべきだろう。

 それよりアインズは、少し気になる事があった。

 

「――ところで、イビルアイさんの馬は……?」

 

 ラキュース達は馬を連れているが、イビルアイだけ連れていない。それに首を傾げると、ティアとティナがニヤニヤしながら教えてくれた。

 

「イビルアイ、馬に乗れない」

 

「だからいつも魔法でついてくる」

 

「ああ……」

 

 イビルアイの姿を見て納得し、曖昧に返事をするとブレインが噴き出した。

 

「た、確かにそのナリじゃ乗れねぇわな……ぶふ」

 

 イビルアイは小さい。どことは言わないがどこもかしこも小さい。

 全員の視線が集中したのを感じ取ったイビルアイが、ふるふると震えながら叫んだ。

 

「は、は、吐いた唾は飲み込めんぞゴルァァァァアアアアッ!!」

 

「イビルアイ、落ち着いて」

 

「はい、ひ、ひ、ふー」

 

「ひ、ひ、ふー」

 

「足も届かねぇチビッ子だもんな、イビルアイ」

 

「お前達全員敵だぁぁぁああああッ!!」

 

 ラキュースは落ち着くよう言うが、他の三人はブレインと同じように笑う。それにイビルアイが普段の冷静な態度をかなぐり捨てて怒り狂うが、少しすると何とか収まった。

 

「えーっと、それならイビルアイさん。私の馬に乗りますか? 私の馬はゴーレムですから、先程言った通り疲労がありません。二人乗りでも大丈夫だと思いますけど」

 

「え?」

 

 アインズがそう提案すると、イビルアイは仮面で表情は見えないが驚いたのかアインズに視線を向ける。その言葉を聞いたラキュースが、更にイビルアイを促した。

 

「乗せて貰ったらどうかしら? あまり魔力を使うのもいいことじゃないでしょう?」

 

「それは……そうだが」

 

 イビルアイが口篭もりながら呟くと、ラキュースは問答無用とばかりにきっぱり告げた。

 

「決まりね! それじゃあ、出発しましょう!」

 

 

 

 ――カルネ村までの旅は、順調すぎるほどであった。これといった魔物も出現せず、むしろ蒼の薔薇の五人を肩透かしさせたほどだ。

 

「森が近くにあるのに、どうして魔物が出ないのかしら?」

 

 首を傾げているラキュースに、アインズは朗らかに理由を告げる。

 

「トブの大森林のこの辺りは、森の賢王と呼ばれる魔獣の縄張りなので魔物はほとんど出現しないらしいですよ」

 

「森の賢王?」

 

「はい。私も、詳しい話は知らないのですが――ブレイン、お前は知っているか?」

 

 アインズが訊ねると、ブレインは思い出すように首を捻り――記憶から情報を引き出した。

 

「ああ、聞いたことがあるぜ。白銀の魔獣でな、数百年も生きてるらしいが……」

 

 ブレインの言葉に、アインズの前に座っているイビルアイも思い出したのか声を上げた。

 

「あ! 思い出した。私も聞いたことがあるぞ。魔法を使う四足の魔獣の話だな。確か、私の知人が昔……そう、確か二〇〇年前に森に行った時は見なかったそうだが」

 

「ほへー。一〇〇年以上生きてるのはでも確かかよ」

 

「……これは、森を抜ける時注意しなければいけませんね」

 

 イビルアイの言葉に、ガガーランが感心したように呟き、ラキュースが難しい顔をする。ラキュースの言いたい事は勿論、全員が分かっている。

 

「ティア、ティナ。森の中では貴方達が頼りよ、注意して」

 

「了解、鬼リーダー」

 

「了解、鬼ボス」

 

 双子の忍者の頼もしい言葉に、ほっとしながら先へ進む。

 ……森の賢王は一〇〇年以上縄張りを維持してきた、長寿の大魔獣である事が噂から窺えるのだ。単純に薬草を採取しに行くだけの仕事なのだから、当然無駄にリソースを消費する事は避けたい。ラキュースの反応は当然である。

 

 馬を走らせながら、アインズはチラリとイビルアイのフードに隠れたつむじを見る。

 

(二〇〇年前……ねぇ……。そんな昔の事を知っているとは……エルフの知人でもいるのかな?)

 

 イビルアイの発言を、ラキュース達は疑っていなかった。つまり、そんな昔の事を知っている知人がイビルアイにいる事を、彼女達は知っているのだろう。

 

(それに森の賢王……か。少し興味があるけど、彼女達の目を誤魔化すのは無理そうだ。今回は止めておくか)

 

 長命の森の賢王なる大魔獣について気にはなるが、こっそりこちらにけしかけようにも、蒼の薔薇を誤魔化してけしかけるのは少し難しい。やめておいた方が無難だろう。いつかは会いに行ってその叡智に触れたいものだ。もしかすると、アインズの知らない魔法などを知っているかもしれない。

 

「…………おい、何か用か?」

 

「え?」

 

 そうやって物思いに耽っていると、イビルアイがアインズを振り返り、気まずそうにしている。

 

「さっきから私を見ているような視線を感じたからな。何か用かと思ったんだ」

 

 どうやら、じっと見つめすぎたらしい。アインズは誤魔化すように告げた。

 

「ああ、いえ……二〇〇年前とは、エルフの知り合いでもいるのかな、と思いまして」

 

 アインズがそう告げると、イビルアイは気まずそうに身じろぎした。

 

「ああ、うん……そうだ。長生きの知り合いがいてな、昔、よく話を聞かせてもらったんだ」

 

「そうですか……」

 

 アインズの言葉に、イビルアイも何か感じ取ったのか訊ねてくる。

 

「どうした?」

 

「いえ。昔話とか英雄譚とか、少し興味があるので。もしよければ私もそういった話を聞かせてもらいたいな、と思いまして」

 

 これは本当の事だ。アインズだけがこの世界に転移したとはかぎらない。プレイヤーの強さならば、伝説や英雄譚になっていてもおかしくないのだ。だからこそ、昔の話が知りたかった。

 

「ふむ。なるほど……私でよければ、カルネ村とやらに着くまでに話をしてやろうか?」

 

「いいんですか? お願いします」

 

 イビルアイはアインズの興味を、快く引き受けてくれた。有名な昔話や英雄譚を、色々と語ってくれる。

 六〇〇年前に降臨し、人類を救済したという六大神。五〇〇年前、ふらりとやって来て瞬く間に大陸を支配し、竜王(ドラゴンロード)達と殺し合った八欲王。その八欲王の首都であったという砂漠にある浮遊都市。他にもトネリコの枝を振り回してドラゴン達を退治したゴブリン王に、水晶の城を支配した姫君など――アインズからしてみればプレイヤーにしか思えない伝説が、幾つもあった。

 

「眉唾な物語も多いが、十三英雄の話もある。幾つかは本物が紛れているかもな」

 

「そうですね。確か、ラキュースさんの魔剣は十三英雄の一人が持つ魔剣でしたっけ?」

 

「ああ」

 

「……私もいつか、そういう伝説のマジックアイテムを手に入れたいものです」

 

 プレイヤーの持つマジックアイテムなら、色々とアインズにとっても役立つだろう。この異世界の通常のアイテムはアインズには粗品でとても役に立たないが、プレイヤーの物ならば話は別だ。

 

「はは! 伝説のマジックアイテムを手に入れたいだなんて、英雄にでもなる気か? ふふ……英雄譚になるのは男の浪漫、だったかな? 知り合いにそんな事を言う奴がいたよ。アインズ、お前もその口か?」

 

「いけませんか? 男なら、誰しも一度は夢見るものでしょう」

 

 こんな風に異世界に来て、力があるならばプレイヤーの誰もが一度は夢見るだろう。英雄譚になるのも、最強を目指すのも男なら誰もが一度は夢見るはずだ。アインズだって、最強のプレイヤーの一角であるたっち・みーに勝つために色々考えたものだ。……まあ、結局最後までたっち・みーには勝てなかったのだが。

 

 イビルアイは苦笑しながら告げる。

 

「いけなくはないがな。しかし、分を知るのは必要なことだ。……英雄になるためには才能がいる。武術しかり、魔法しかり、な。才能は開花する前の蕾であり、誰もが持つものだと言う輩もいるが、私はそうは思わない。持つ者と持たざる者は歴然として存在し、強者と弱者を別つ」

 

「……生まれで全ては決まる、というやつですね」

 

 脳裏によぎるのは、かつての世界だ。それは直接的な強さではないが、より致命的なもの。たっち・みーとウルベルト・アレイン・オードル。富豪と貧民。勝ち組と負け組。強者と弱者。永遠に、分かり合えない二人。

 

「そうだ。どれだけ有力な貴族のもとに生まれようと、才能の差は歴然としてある。戦士長のガゼフ・ストロノーフはもとは平民出身だったが、その圧倒的強さから周辺国家最強の名を持つ。……同じ平民出身の兵士を一人知っているのだが、どれだけ努力しようとあれがガゼフ・ストロノーフに追いつくことはないだろう。……お前と違ってな」

 

「……ん?」

 

 最後の言葉に、アインズは首を傾げてイビルアイを見る。イビルアイはアインズを見て、苦笑した声色のまま告げた。

 

「ふふ……以前言っただろう? お前はきっと、いつかガゼフ・ストロノーフに匹敵する戦士になれるかもな、と。あと、お前に必要なのは記憶と努力だろうさ。記憶はどうしようもないが、努力はいつでも出来る」

 

 いつか伝説に名をはせる事があるかもな、とイビルアイの告げる言葉に、アインズも苦笑した。

 

「そうですね。そうなれば……いいです」

 

 そうすれば……いつか、仲間がこの異世界に来た時、あるいは既にいる仲間に、自分がここにいる事を示せるかも知れない。この名が、彼らの指針になればいいと――アインズはそう思うのだ。

 

(まあ、その前に未知の冒険を楽しみたいんだけどさ)

 

 (ヘルム)の中でそう呟いて、アインズはイビルアイと会話を楽しみながら、カルネ村を目指した。

 

 

 

 ――早朝に出発したためだろう。何とか七人は陽が沈みきる前に、カルネ村に到着した。

 カルネ村の住民は武装した七人組に驚き、びくびくとしながら姿を見せたがその中にアインズの姿を見つけると安心したように笑った。

 

「ゴウン様!」

 

「お久しぶりです、皆さん」

 

 村人達はアインズに近寄り、口々にあの時の礼を言う。ブレインや蒼の薔薇はぽかんとした表情で、そんなアインズと村人達を見ていた。

 

「今回はどのようなご用件でいらしたのでしょうか? あと、そちらの方々は……?」

 

 アインズと共に馬に乗っているイビルアイと、それからブレイン達を見て村人達は首を傾げる。それにアインズは安心させるように告げた。

 

「彼女達は冒険者仲間です。今回は、冒険者としての依頼でトブの大森林に用事がありましてね。それで、出来れば一晩泊めさせていただきたいのですが……村長にお話し出来ますか?」

 

「勿論です! 少々お待ち下さい!」

 

 話をしていた男の村人に告げると、彼は頷いて知らせに走った。他の村人達は「荷物を預かります!」と瞳をキラキラと輝かせているが、アインズはそれに遠慮する。

 

「いえ、気持ちだけ受け取っておきます。皆さんまだ色々と用事があるでしょう。どうぞ、ご自身の仕事を優先して下さい」

 

 だが、アインズの言葉に村人達は首を横に振った。

 

「命の恩人の手伝いをする。それ以上に重要な仕事があるでしょうか? どうぞ、私共に手伝わせて下さい」

 

 村人達の言葉に、アインズは困る。そこで助け船を出すように、イビルアイがアインズを見上げて訊ねた。

 

「ここで何をしたんだ、お前」

 

 ブレイン達も気になるのだろう、困惑気味にアインズを見ている。そして、その質問にアインズが答える前に村人達が感謝の気持ちを隠しもせずに答えた。

 

「一ヶ月ほど前でしょうか。帝国の騎士達が周囲の村を焼き討ちし、ついにこのカルネ村の番が来た時、偶然別の依頼で近くにいらしたゴウン様が助けて下さったのです。その後再び訪れた者達とも、同じように助けに来て下さった戦士長様と共に助けていただきました」

 

 村人の言葉に、ブレインがまず口を開く。

 

「ああ、お前がストロノーフと顔見知りになったっていう事件、この村のことだったのか」

 

「はい、そうです冒険者様!」

 

 ブレインの言葉に、村人が答える。ラキュース達が感心したように口々にアインズを褒め称えるが、アインズは「それはまあ……別にどうでもいいではないですか」と勘弁して欲しいように告げ、ラキュース達は苦笑した。彼女達は、冒険者組合の規律としてギリギリの事をしたアインズの事を考えたのだろう。

 だが、アインズとしては別の意味で勘弁して欲しい。別に気高い志で助けたわけではなく、助けないと社会的に死ぬ立場になったから助けたのだ。そう無条件に称えられると気まずい。

 そしてそうこうしていると村長がやって来て、アインズを見ると他の村人達と同じように頭を下げ、アインズの願いを「どうぞ、この村はいつでもゴウン様を歓迎いたします。お仲間の方々もどうぞ」と空き家に案内してもらった。馬は村人達が世話をしてくれるという事で、安心して五頭の馬の世話を任せる。

 村長は隣り合った二つの空き家を貸してくれ、それぞれ男と女で別れる。荷物の整理が終わった後は少し話をするためだろう蒼の薔薇がアインズとブレインのいる借宿を訪ねに来た。

 

「しかしアインズ、お前この一ヶ月間濃い生活送ってんな。ドラゴンの討伐にエ・ランテル防衛……それに敵国の兵士からガゼフのおっさんと一緒に村の救出かよ」

 

 ガガーランの言葉に、アインズは頭を抱える。

 

「いや、別にやろうと思ってやったわけじゃないんだ。何故か運が悪くてな……単なるカルネ村までの薬師の警護だったはずなのに、偶然そういう敵国の作戦中に遭遇して……」

 

「運が悪過ぎるだろ」

 

 ブレインが思わずといった感じでツッコミを入れる。アインズはその言葉に小さくなるしかない。

 

「でもあの戦士長様と協力するような事態って……一体何があったんですか?」

 

 ラキュースの疑問はもっともだろう。何せ、ガゼフは周辺国家最強の戦士だ。部下と共にいたはずなのに、一介の冒険者であるアインズに協力してもらわなくてはならない事態と聞いて、まともな事件ではないと感じたのだろう。

 アインズが見回せば全員が気になるようで、アインズを見ている。アインズは少し考えると、声を潜めて告げた。

 

「……秘密ですよ? 件の犯人は帝国ではなく、法国だったようです。王国の上層部と結託して戦士長を暗殺する気だったようで、誘き寄せるために村を焼き討ちして回っていたんですよ」

 

「……は?」

 

 アインズの言葉を聞いて、ラキュース達は目を丸くする。信じられない事を聞いた、といった様子だ。

 

「戦士長はまともな装備をしておらず、帝国の騎士の格好をした偽装工作員の後に、本命の非合法工作員と戦闘になりまして……戦士長と協力せざるをえない事態になったのがこの村の事件です」

 

「それは……マジか? マジだよな? 法国の連中ならやりかねねぇし。ガゼフのおっさんを暗殺?」

 

「……まさかそんなことになっていたなんて……。貴族派閥の連中、法国と結託してそこまでするなんて、どこまで腐っているのかしら……!」

 

 ガガーランとラキュースは顔を嫌悪に歪める。アインズは気になった単語があったため、訊ねた。

 

「貴族派閥とは?」

 

「ああ、お前さん知らねぇか。今、王国は王派閥と貴族派閥でほぼ内乱状態なんだよ。たぶん、ガゼフのおっさんが本来の装備じゃなかったってなら、貴族派閥の連中が横槍入れて、法国の連中が暗殺しやすいようお膳立てしたんだろ」

 

「……腐った連中。王国で暮らす貴族のくせに、法国に戦士長を売り渡すなんて。そんなことをしてまで、王の権威を失墜させてやりたいのね」

 

「……なるほど。どうやら聞かなかったことにした方がいい類の話だったようですね」

 

「お互い様。私達も、貴方の話は聞かなかったことにする」

 

 それがいいだろう。むしろこの場一番の被害者はブレインかも知れない。一介の野盗だったブレインには、そういう話は勘弁願いたかった事だろう。実際、チラリと見れば苦虫を一〇〇匹くらい噛み潰したような顔をしている。

 

「おい……二度とそういう話、俺の前でするなよ」

 

「ははは……本当にすまん」

 

 とりあえず、謝っておく。ラキュース達も申し訳なさそうに苦笑していた。

 

「えっと、それじゃあ、また明日の予定を確認しますね。早朝日が昇ったら、森に入りましょう。そこから地図を確認しながら、森の賢王に気をつけて目的地まで進みます。以前この依頼を受けた冒険者の情報によれば、幾つか身体を休めるのにちょうどいい開けた場所があるそうなので、そこで何度か休憩を挟みながら数日かけて目的地まで行きましょう。何か質問はありますか?」

 

「いいえ、大丈夫です」

 

「俺も大丈夫だ」

 

 アインズとブレインから質問が無いと知り、ラキュースは頷く。

 

「はい。それならよかったです。では私達はこれで失礼しますね。お休みなさい」

 

「はい。また明日」

 

 ラキュース達を見送って、アインズとブレインも蝋燭の灯りを消して休む事にした。もう、既に日はどっぷりと暮れている。村人達も寝ている頃であろう。

 アインズはアンデッドのため眠る事はないが、精神に対する疲労はある程度ある。ブレインとは別の部屋で、アインズは部屋の小さな窓から夜空を眺めながら、明日の冒険に思いをはせた。

 

「……一ヶ月ぶりの冒険か。ようやく、未知の冒険が出来そうだな」

 

 感情が沈静しない程度の昂揚を心で感じながら、アインズは日が昇るまで空を見上げて過ごし続けた。

 

 

 

 

 




 
アインズ様、未知の冒険にワクワクする。
(書籍10巻を見ながら)森の賢王なんていなかった。いいね?


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The Catastrophe Dragon Lord Ⅱ

 
■前回のあらすじ

アインズ様「やっと冒険が出来るぞ!」←フラグ
 


 

 

 早朝、アインズ達はティアとティナを先頭にトブの大森林に足を踏み入れた。アゼルリシア山脈の麓に広がるこの巨大な森は、人類が未だ切り開いていない未開の地であり、分かっている事と言えばゴブリンやオーガ、トロールだけでなく森の賢王などの魔獣といった、様々な多種族が生息している事だ。話によると、帝国のワーカーチームが以前ここで若い個体のドラゴンを退治した事があるようで、油断は出来ない人外魔境である。

 双子の忍者の先導で、アインズ達はトブの大森林を注意深く進んでいく。森は鬱蒼としており、例え日中であろうと通常の人間の視力ではよく見通せないので、野伏(レンジャー)の性能が頼りになる。

 ……もっとも、アインズは暗い夜も見通せる能力があるので、はっきりと森の風景が見えているが。

 

 蒼の薔薇は時折軽食を取りながら、先へ進んでいくがアインズとブレインは軽食さえ食べない。その事に首を傾げてラキュース達が訊ねるのだが、アインズとブレインは気まずそうに言葉を返した。

 

「いえ、実は私は飲食睡眠不要のマジックアイテムを持っていまして……」

 

「俺もそれをアインズから貰っていてな。最近、気が向いた時くらいしか飯は食わん」

 

 アインズとブレインの言葉に、蒼の薔薇は酷く驚いた。

 

「そんなマジックアイテムを持っていたんですか!? 凄いです!」

 

 アインズはどこから来たのだろう、そんな疑問が湧いたのか全員首を捻るが、しかしアインズはむしろブレインに首を傾げた。

 

「ブレイン、気が向いた時にしか食事しないとは……普段何をしているんだ?」

 

 アインズはもとから飲食睡眠出来ない身なのだから、仕方ない。しかし、もしアインズに肉体があれば食事も睡眠も摂取するだろう。金もエ・ランテルの護衛として払われていたはずだ。ブレインは何にその金を使っているのか、とても気になった。

 アインズの疑問に、ブレインは何でもないように答える。

 

「いや、お前色々マジックアイテム持ってるだろ。目玉が飛び出ちまうような。俺も金を溜めていつか、そういったマジックアイテムを手に入れたいと思ってな。南方に高価なマジックアイテムが多いと聞くし……だから金を溜めてるんだよ」

 

 食費が丸々浮くから助かるぜ、とブレインは笑う。アインズどころか蒼の薔薇さえ呆れているようだった。

 

「お前……そんな目的のために食事を娯楽と割り切れるとは……随分ストイックな男だな」

 

「強さを求めるのはちょいと俺も分かる気持ちだけどよ、さすがに毎日食事は我慢出来ねぇわ」

 

 イビルアイとガガーランの言葉に、ブレインは「強さのためなら余裕だって」と笑っているが、蒼の薔薇にはとてもそうは思えないのだろう。ブレインの強さに掛ける情熱は、はっきり言って度を越している。

 

(思い出すなぁ……“このデータクリスタルを使った武器が作りたい”って、皆巻き込んでよくモンスターを狩りに行ったっけ……)

 

 アインズの脳裏には、武人建御雷などの姿が過ぎる。たっち・みーを倒すため、色々皆で試行錯誤したものだ。そしてそのための武器の材料を集めるのに、よく頼まれて素材集めをしたものである。

 最強を目指すのは男の浪漫だ。男の子として、ブレインの気持ちがある程度アインズにも理解出来る。……まあ、それでもブレインほどの情熱が保てるか、と訊ねられると疑問が残るが。

 

 ――そのようなちょっとしたイベントもあったが、特に問題も無くアインズ達はトブの大森林を進んでいく。時折蟲系モンスターやゴブリン、オーガなどが現れるが何の問題もなく対処していった。

 

「……森の賢王って奴、全然出る気配がしねぇな」

 

 先に進みながら、ブレインがぽつりと呟く。それにアインズも苦笑を返した。

 

「確かに。まあ、森の賢王は一匹なのだろう? さすがに一匹でそこまで広範囲をカバー出来るとは思わん。おそらく、俺達のいる場所とは遠く離れた場所を歩いているんじゃないか?」

 

「あー……なるほど。少し楽しみにしていたんだがなぁ」

 

「……その気持ちは分かる」

 

 ブレインは伝説の魔獣に遭遇出来るのを楽しみにしていたらしく、残念そうだ。アインズも少しばかり、気落ちする。しかし相手は生きているのだ。ゲームのイベントのように、必ず遭遇するなどありはしないだろう。

 …………その時、寝床で腹を見せて爆睡している白銀の魔獣が、寝ながらくしゃみをするという奇妙な事をしたか定かではない。

 

 彼らは進む。双子の忍者を先頭に。時折、全員で地図を見て、イビルアイが飛行魔法で空を飛び森から出て方角を確かめる。休憩を取りながら、魔物を退治しながら着々と目的地へ進んでいった。

 ……そうして次第に歩を進めているのだが、イビルアイが時折首を傾げているのをラキュースが目敏く見つけたらしく、口を開く。

 

「イビルアイ、どうしたの?」

 

「いや……」

 

 歯切れの悪いイビルアイに、ガガーランが続いて声をかける。

 

「どうしたんだよ、何かおかしなもんでもあったか?」

 

「……おかしい。おかしいと言えば、そうなんだが……」

 

 そのイビルアイの言葉に、全員足を止めてイビルアイを見る。イビルアイは仲間の困惑に口篭もりながら答えた。

 

「ゴブリン達のことなんだが……どうも、さっきから変じゃないか?」

 

 ティアとティナはイビルアイの言葉に覚えがあったのか、頷いた。

 

「同じ方角からしか襲って来ない」

 

「しかも、全員少し急いでる」

 

 その通りだった。アインズも思い返せば、確かにティアとティナの言葉通り、ゴブリン達は同じ方角から、急いでいて偶然アインズ達に遭遇した様子に思えるのだ。

 まるで、何かに追い立てられているかのようだ、と。

 

「……確かにそうね。私達の向かう方角じゃないし、来た方角でもないけれど、少し変だわ」

 

「……様子を探りに行くか?」

 

「……いいえ、やめておくわガガーラン。私達は薬草の採取に来ているのよ。とりあえず、今回のゴブリン達の行動は組合に報告する程度に留めましょう。皆もそれでいい?」

 

 ラキュースの決定に、他の蒼の薔薇は勿論、アインズとブレインも異を唱えず頷いた。そして、再び先に進んでいく。もう随分と歩いていて、もはや森は鬱蒼としており常人であれば昼と夜の区別がつかないほどだ。

 

「そろそろ目的地に着くはずなんだけど……」

 

 ラキュースが地図を確認しながら、呟く。目指している目的地は薬草の生えている場所ではなく、野営に最適だと以前この任務を受けた冒険者達が語っていた場所だ。もはや日は暮れているであろうから、そろそろ辿り着かなくてはまずい。アインズ、ブレインはマジックアイテムのおかげで大丈夫だが蒼の薔薇は休憩を途中幾つか取っているとはいえ、疲労もピークに達しているだろう。

 

 ――そうして、そこから更に一時間ほど経った頃であろうか、アインズ達はついにその森の切れ目に到着した。

 

「ふー……着いたわ。たぶん、ここだと思う」

 

「確かに、話に聞いていた通りの少しおかしな広場だな」

 

 妙に広い森と森の切れ目。かつて訪れたアダマンタイト級冒険者達が、野営地に最適だと言っていた場所。そこは魔物達の気配が無く、少しばかりおかしな場所であった。

 

「ローファンの爺さんの話なんだから、まず間違いはないと思うけどな。ティア、ティナ、周囲に魔物の気配はあるか?」

 

「大丈夫」

 

「凄く静か」

 

 ガガーランの言葉に、ティアとティナが頷く。ラキュースがそれを聞いて、それぞれに指示を出した。

 

「じゃあ、皆で野営の準備をしましょう。アインズさん、ブレインさん。申し訳ないんですけど……」

 

「ご心配なく。私とブレインで見張りは引き受けましょう」

 

「確かにな。お前らはゆっくり寝ておいた方がいいと思うぞ」

 

 アインズとブレインはマジックアイテムの効果で疲労しない。よって、二人が見張りにつくのが当然だった。

 野営の準備を終え、食事を終わらせた蒼の薔薇は早々に眠りにつく。アインズとブレインは互いが対面になるように座って、焚火を囲むと静かに寝ずの番をする。蒼の薔薇の寝息だけが、周囲に響いた。

 

「……それにしてもよ」

 

「うん?」

 

 ブレインが口を開いたので、アインズは首を傾げる。ブレインは人の悪そうな笑みを浮かべていた。

 

「俺は冒険するってのは初めてなんだが、未知の冒険ってのは中々いいもんだな。お前が焦がれるのもなんとなく分かるぜ」

 

「だろう?」

 

 どうやら、アインズが常々呟いていた未知への冒険というものの魅力に、ブレインも取り憑かれたようだった。ブレインは火を絶やさないように集めた薪用の木の枝を焚火に入れ、アインズに話しかける。

 

「欲を言えば森の賢王ってのにも会ってみたかったがな。伝説の魔獣って言うが、どんな奴なんだろうな?」

 

「俺も気になってるさ。俺の予想では鵺という魔獣なんじゃないかと思うんだが」

 

「ぬえ?」

 

「ああ。確か猿の顔に、狸の胴体、虎の手足、蛇の尾を持つ魔獣だ。どうだ? 森の賢王の容貌にそっくりじゃないか?」

 

「なるほど……そんな魔獣がいるのか。確かに、それなら噂にぴったりの魔獣だな」

 

 納得したようなブレインの頷きに、アインズは笑いかける。

 

「エ・ランテルが活気を取り戻したら、またここに来て森の賢王の面でも拝みにいくか」

 

「そりゃいいや!」

 

 アインズの提案に、ブレインも笑って頷く。南方の砂漠の街に、森の賢王。行きたい場所は沢山あった。知りたい未知は、探しきれないほどある気がした。

 その未知に焦がれ、アインズはブレインと共に笑ってこれからの冒険に思いをはせる。そうやって仲良く会話していると……

 

「……あのぉ……」

 

「!?」

 

 静かにかけられた声に、ぎょっとしてアインズとブレインは声の方角を振り返る。互いに、手は武器に伸びていた。声の方角には、何もいない。いや……

 

「ドライアード?」

 

 アインズはその姿を見つけて、納得する。頭の中にドライアードの生態が思い浮かび、ドライアードならそれ相応の特殊技術(スキル)を使わないかぎり、擬態で近くまで近寄られるだろう。

 

「何事ですか!?」

 

 アインズとブレインの急に尖った気配に、蒼の薔薇の面々も飛び起きたらしい。テントの中から、武器を手に取ったラキュース達が姿を出す。

 ラキュース達もドライアードの姿を見つけて、驚きに目を見開く。

 

「……ドライアード。何か用か? それとも、ここで野営されるのは困るのか?」

 

 アインズが訊ねると、見知らぬドライアードは首を横に振る。どうやら、野営されるのは構わないらしい。

 

「それなら一体何の用があったんだ?」

 

「あ、うん。前に来た人達が、また来たのかと思って」

 

「うん?」

 

 ドライアードの言葉に、全員で首を傾げる。ドライアードはアインズ達に話しかけた理由を語った。

 ドライアード……彼女の名前はピニスンと言い、ピニスンは昔七人組の者達とある約束をしていたらしい。七人組の容姿は明らかに、かつて数十年前にこの地を訪れたローファン達とは違っていた。

 だがイビルアイはその七人組の容姿を聞いた時、心当たりがあったらしい。

 

「なあ、それリーダーって呼ばれていたりリグリットという名前の者がいなかったか?」

 

「うわあ! よく知ってるね! そうだよ! そう呼ばれていたよ!」

 

 ピニスンは知っている人物がいたからか、嬉しそうに声を上げる。しかし、対するイビルアイは気まずそうな気配を滲ませていた。いや、蒼の薔薇の面々も同じような気配を滲ませている。

 

「知っているんですか? 皆さん」

 

 アインズが訊ねると、ラキュースが気まずげに答えた。

 

「ええ、少しだけ。ただ……その七人組を連れて来るのは、とても難しいわ」

 

 ラキュースがそう言うと、ピニスンはショックを受けていた。

 

「な、なんで!?」

 

「なあ、リグリットってのは確かお前らの知ってる婆だろ? なんで難しいんだよ?」

 

 ブレインもリグリットという人物の事は知っていたらしい。しかし、ブレインの言葉にラキュースはやはり気まずそうに返した。

 

「あのね。たぶん、その七人組って十三英雄達のことよ」

 

「は?」

 

「え?」

 

「?」

 

 その言葉に、アインズとブレインは絶句する。ピニスンだけがまるで分かっていなかった。

 十三英雄は、二〇〇年前に魔神を討伐した事で有名な英雄譚の者達だ。人間であるならば、確実に寿命で死んでいるだろう。亜人種であっても死んでいるかもしれない。

 

「あー……あの婆、十三英雄の子孫だったわけか」

 

 だとすると、ブレインの知っているリグリットという名前の老婆は子孫なのだろう。先祖から名前を貰うというのは、よくある事であるし。ラキュースはブレインの言葉に曖昧に頷き、ピニスンに向き合った。

 

「あのね。その人達は二〇〇年前の人達なの。はっきり言って、もうほとんど死んでいると思うわ。私達はね、二〇〇年も生きていけない種族なの」

 

「そんな……」

 

「だからね。もしよかったら、私達に話してみない? これでも私達、腕に自信があるの。たぶん、貴方の頼みを聞けると思うわ」

 

「うーん……まあ、話すだけなら」

 

 そうして、ピニスンはかつて十三英雄とした約束を語った。大昔、この世界に降り立った世界を滅ぼす魔樹の話を。

 

「――――」

 

 全てを聞き終えたアインズ達は、全員かなり難しい顔をした。何故なら、明らかにアダマンタイト級で出来る事を超えていたからだ。

 

「ねえ、もしかして八欲王の一人がこの土地に封印されているの?」

 

 ラキュースが不安そうにイビルアイを見つめている。イビルアイは首を横に振った。

 

「いや、分からん。八欲王が連れていたモンスターの一匹かもしれん。相手が魔神級なら、今の私達でも何とかなるだろうが……あの竜王(ドラゴンロード)達と戦争をしていた八欲王級ならば、私達ではどうにもならんな」

 

 イビルアイの言葉に、ピニスンが「やっぱり」という顔をした。

 アインズは、ふと山で出遭ったグリーンドラゴンの言葉を思い出す。

 

(確か「自分じゃ竜王(ドラゴンロード)達には勝てない」だったか。アイツと同じサイズのブラックドラゴン相手にも苦戦するような強さじゃ、確かに厳しいかもな)

 

 勿論、自分が本気になれば話は別だ。だが、竜王(ドラゴンロード)の強さが不明である現在、例えアインズが本気であっても負ける可能性はゼロではない。あまり、関わりたくない事象だった。

 

「……んで、結局どうするんだ? その奴さんを討伐すんのか? それとも本来の任務を終えて帰るのか?」

 

 ブレインの言葉に、ラキュースは考え込み……口を開いた。

 

「本来の依頼を遂行し、その後帰りましょう。出来るだけ早く」

 

 その言葉に、全員が頷く。それが賢明であった。

 

「話が本当なら、相手は伝説の怪物です。今の私達ではきっと勝てません。だから本来の依頼を遂行し、全速力で帰還。組合に報告し指示を仰ぎます。それからイビルアイ……」

 

「ああ、分かっている。あの婆達に連絡を入れるさ。少し別行動を取らせてもらうぞ」

 

「では方針は決まりました。ごめんなさい……あまり役に立てなくて」

 

 ラキュースの申し訳なさそうな言葉に、ピニスンは首を横に振った。

 

「ううん、仕方ないよ。世界を滅ぼす魔樹が相手じゃ、しょうがないもん」

 

 達観の言葉に、ラキュース達は何も返す事が出来ない。

 

「そう……それで、申し訳ないのだけれど、この場所はどこか分かる?」

 

 ラキュースは地図を引っ張り出し、ピニスンに向けて地図の一部を指差す。「私達が今いるのはここね」と注釈して。ラキュースが探しているのは、依頼の薬草の生えている場所だ。

 ピニスンは地図を確認すると、気の毒そうに語った。

 

「あの……その場所、魔樹がいるところだよ。今は完全に周囲の植物は枯れちゃってるね……」

 

「……魔樹、ってことは任務不可能だな。下手に近づくと刺激しちまって、起きちまうかもしれねぇし」

 

 ガガーランの言葉に、全員溜息をつく。これはどう考えても、依頼達成不可能だ。大人しく街に帰還するしかない。

 

「全員、撤収準備。急いで帰りましょう。イビルアイ、悪いけれど……」

 

「ああ、分かっている」

 

 ラキュースとイビルアイは何か暗黙の了解でもあるのか、互いにだけ分かるように話しているのをアインズは見つけた。しかし、仲間内ならそういう事もあるだろうと気にしない。彼女達がテントの奥に引っ込み、装備品を急いで装着し荷物を片付けているのを横目に、アインズとブレインはテントを片す。ピニスンはそんな七人を暇そうに見ていた。

 

「それじゃあ、急いで出発しましょう」

 

 ラキュースがそう言った時、周囲に轟音が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

「ちくしょう! 追いつかれる!」

 

「走って! 速く!」

 

「なんでこのタイミングで復活しやがるんだ! 運悪過ぎるだろ俺ら!」

 

 口々に罵倒が漏れながら、全員で森を全速力で駆け抜ける。ティアとティナが地図を片手に先行し、アインズ達を先導して森を駆け抜けた。

 

「イビルアイ! 何とかならねぇのかアイツ!」

 

 ガガーランが叫ぶようにイビルアイに訊ねるが、イビルアイが同じように叫びながら答えた。

 

「無理に決まっているだろ! 私程度ではどうにもならん! あれは間違いなく竜王(ドラゴンロード)級……私達程度では、単なる羽虫にしかならん!」

 

 全員の背後では、一〇〇メートルはあるであろう巨木が唸り声を上げながら暴れ回り、全員を追って来ている。触手のような枝はその全長より長く、周囲の木々を薙ぎ倒していた。

 

「ピニスンは無事かしら……」

 

 走りながら、ラキュースが呟く。ピニスンは魔樹が復活したと共に本体の場所へ帰った。何故なら、もうどうしようもないからだ。運が良ければ、本体も未だ生きているだろう。……もっとも、あの魔樹はトブの大森林を全て崩壊させるまで止まりそうにないが。

 いや、おそらくトブの大森林を滅ぼしても止まるまい。そのまま人間の暮らす国まで足を延ばし、全てを滅ぼしていくのだろう。

 

「…………」

 

 魔樹の巨体と移動距離。触手の長さ。蒼の薔薇のレベル差と地理的不利。

 以上の条件をもって、アインズはこのまま逃げていても絶対に追いつかれると判断した。

 

「……アインズ!?」

 

 足を止めたアインズを見て、同じように最後尾を走っていたガガーランが振り返る。ガガーランの叫び声に、全員が足を止めてアインズを見た。

 

「おい、どうしたアインズ」

 

 ブレインの言葉に、アインズは口を開く。

 

「私が足止めをします。皆さんは、このまま逃げて下さい」

 

「は!?」

 

 その正気とは思えない言葉に、全員が目を剥いた。

 

「そんな……」

 

「分かっているでしょう、ラキュースさん。このまま逃げれば、絶対に追いつかれる。この中で一番防御が固いのは私で、足止めになるのも私です」

 

 誰も二の句を告げない。何故なら、全員アインズの言葉に心の中では同意しているからだ。

 絶対に追いつかれる。そしてこの中で、あの魔樹の攻撃を複数回直撃しても生存出来るのはアインズしかいない、と。

 追いつかれてはならないし、そもそも魔樹を後ろにひっ付けたまま逃げる事は出来ない。その場合、アレは人間の街までずっと追って来るだろう。誰かがヘイトを稼いで残らなければならなかった。

 

「ですので、私が残ります」

 

 アインズの言葉に、全員が口篭もり――蒼の薔薇の面々の視線が、イビルアイへと移動した。それにブレインもアインズも首を傾げる。イビルアイは少し口篭もり――告げた。

 

「私が転移魔法を使える。エ・ランテルに一応移動出来るようにしているから、それで逃げられるはずだ」

 

 イビルアイの言葉は、つまり今から全員でエ・ランテルまで安全に逃げられるという意味だった。しかし、アインズは首を横に振る。

 

「カルネ村は?」

 

「……すまない」

 

 アインズの言葉に、今度はイビルアイが首を横に振った。エ・ランテルにマーキングはしていても、カルネ村にはしていない。つまり、カルネ村は放置される。法国の工作からなんとか生き延びた村は、今度こそ滅びるのだ。

 それを理由に拒否しようとしたところ、アインズではなくラキュースが口を開いた。

 

「なら、イビルアイは皆を連れてエ・ランテルへ行って助けを求めてちょうだい。アインズさんはここで足止め。私はカルネ村に行って、村の皆を避難させます」

 

 ラキュースの言葉に、アインズは驚いて思わず顔を凝視する。その気配を感じ取ったのか、ラキュースは苦笑した。

 

「罪も無い村人を見捨てるわけにはいきませんから。そういう意味では、私とアインズさんの意見は一致してます」

 

 だから、アインズを信じてこの場を任し、イビルアイを信じて救援を呼ばせ、自分はカルネ村を助けに行く、と。

 この中で一番死亡率が高いのはアインズであり、次がラキュースだ。アインズは魔樹を相手にするのだから当然で、ラキュースはアインズが死んだ時点でおそらく魔樹が追って来る。

 そのラキュースの覚悟に、まずガガーランが笑った。

 

「決まりだな! 俺らはカルネ村を助けに行って、アインズは足止め。イビルアイとブレインはエ・ランテルに行って救援要請だ」

 

「ガガーラン……」

 

「リーダーだけだと道に迷う」

 

「私達も一緒」

 

「ティア、ティナ……」

 

 三人の言葉に、ラキュースは涙ぐむ。そんな彼女達に、ブレインもガシガシと頭を掻いて告げた。

 

「あー……俺もそっち行った方がいいか?」

 

「いや、ブレインはイビルアイと共にエ・ランテルへ行った方がいい。エ・ランテルのことはイビルアイより詳しいし、組合長に話をつけるにはお前の顔の方がよく利くだろう」

 

「そうね。ブレインさんはイビルアイさんと一緒にお願いします」

 

「そうかい。なら、俺は一足先に帰らせてもらうぜ」

 

 それぞれの役割は決まった。後は、どこまで粘れるかだろう。

 

「私はエ・ランテルまで行った後、すぐにアインズのもとまで転移魔法で帰ってくる。一人よりは二人の方が長く足止め出来るしな。魔法が使える私なら、そう簡単には死ぬまい」

 

「――礼を言います、イビルアイさん」

 

 アインズがそう言うと、イビルアイは「気にするな」と仮面の下で苦笑したようだった。

 

「では、アインズさん。それにイビルアイ。明日の朝までなんとか森から出さないように、南に向かわせないように引き付けておいて。そうすれば、カルネ村は助けられると思う」

 

「了解しました」

 

「任せろ」

 

 それで、別れの言葉は終わりだった。それぞれが役割を決め、それに向かって全速力で前進する。

 

「――――さて」

 

 一人残されたアインズは、溜息をついた。

 

「やれやれ。何とか一人だけで残って魔樹を倒そうと思ったけど、この状況だと倒さずにイビルアイを大人しく待った方がよさそうだな」

 

 それに、自分で倒さなくてもピニスンの言葉を信じるならば、異変に気づいて竜王(ドラゴンロード)が評議国からいつかやって来る。それをこっそり見物するというのも悪くない。

 

「では、精一杯時間稼ぎを務めようか」

 

 アインズはグレートソードを抜いて構え、迫り繰る魔樹の触手を迎え撃った。

 

 

 

「では、後は任せたぞブレイン・アングラウス」

 

 イビルアイはそうブレインに告げ、アインズのいるトブの大森林に再び転移魔法で戻った。

 

(生きているか、死んでいるか……五分五分だろうな)

 

 いや、むしろ死んでいない方がおかしいかもしれない。そうイビルアイは暗い顔で達観する。

 封印の魔樹ザイトルクワエ――イビルアイは正直、その目で見るまではその強さを舐めていた。何故なら、自分は世界でも有数の強者であり、自分より強い存在はそうはいないと知っていたからだ。

 だから、内心で本気を出せば知り合いの竜王(ドラゴンロード)が来るまでの足止めくらいは出来るだろう――そう高を括っていたのだが。

 

 それは間違いだった。一目見て、自分では手に負えないと本能でイビルアイは理解した。

 

 一〇〇メートルを超える巨体。三〇〇メートルはあろうかという、六本の木の枝の触手。遠くから見るその威容だけで、イビルアイの全身に怖気が走ったのだ。

 生存本能が刺激され、ひたすら「逃げろ」と本能が喚き立てていた。

 自分は二五〇年以上の時を生きていて、様々な強者を目にした事がある。それは知り合いの竜王(ドラゴンロード)であったり、かつて共に旅をした十三英雄のリーダーであったり、その時戦った魔神達であったり。

 その中でも、あの魔樹は別格だ。間違いなく、竜王(ドラゴンロード)級の強さ。あまりに強過ぎて、イビルアイでは正確なところは分からない。

 

 アレには勝てない。足止めさえきっと出来ない。勝算は皆無。希望を持つ事自体が愚かしい。

 だから――――転移魔法で再び戻ってきた時、イビルアイはその場にアインズの姿が見えない事に、何の疑問も抱かなかった。

 

「……魔樹はどこだ?」

 

 木々が薙ぎ倒されているため、見通しのよくなった周囲を見回す。そして――

 

「え――?」

 

 イビルアイは、驚きに仮面の下で目を見開いた。

 

「馬鹿な……」

 

 魔樹の巨体は、北の方角にあった。ラキュース達を追って南下しているとばかり思ったのに、北に向かっているのだ。

 魔樹は触手を巧みに動かし、六つの触手が嵐のように舞っていた。まるで何かを追いかけるように。

 

「まさか……まだ生きているのか?」

 

 その信じられない光景に、イビルアイは呆然としながら飛行魔法を使い、急いでその場へと向かった。

 

 

 

「ぐッ!」

 

 アインズはグレートソードを盾に、触手の攻撃を防ぐ。しなった触手の力に押し負け、そのまま吹き飛ばされ空中に身を躍らせる事になるが、なんとか体勢を立て直し着地する。そして、罅割れて砕けたグレートソードを再び魔法を使って編み込み、元の形を形成する。

 

「やれやれ……やはり強いな。この状態では防戦一方か。“上位物理無効化Ⅲ”じゃない方がよかったな、ホント」

 

 おそらく、魔樹の強さは六〇レベルを優に超えている。アインズの特殊技術(スキル)を貫通し、アインズにダメージを与えてくるからだ。

 しかし、このままの状態で防戦をしてもアインズの体力が先に尽きるだろう。本気を出したいところだが、いつイビルアイが戻って来るか分かったものではない。そのため、アンデッドも作成せずに戦い続けていた。

 

「転移魔法の時間から考えても、そろそろ戻ってくるはずなんだが……」

 

 アインズがそう呟くと同時に、魔樹の横合いから水晶の欠片が散弾のように叩き込まれた。

 

「すまん、アインズ! 遅くなった!」

 

「気にしないで下さい!」

 

 叫び、告げる。そしてアインズは少し考え込んだ。この後、どうやって時間を潰すか、を。

 

(イビルアイは魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)……転移魔法が使えることから、第三位階以上の使い手だ。そうなると取れる手段は……)

 

 アインズがタンクとして防御に徹するのは確定だ。イビルアイでは体格的にも、見たところのレベル的にも魔樹の攻撃に耐えきれない。

 一番いいのは、イビルアイに支援系魔法に集中してもらう事だが、残念ながらそれは出来ない。アインズはこの鎧を対外的に「第六位階魔法までを無効化する」と偽っているのだ。その鎧を装備しているのに、イビルアイの支援系魔法が届くのはおかしい。どこかで確実に突っ込まれるだろう。

 そうなると、イビルアイに攻撃魔法を行使してもらい、アインズはヘイトを稼ぐのは諦めてイビルアイの盾に徹するしかないだろう。

 イビルアイもアインズと同じ判断をしたのか、転移魔法でアインズの横に現れる。

 

「すまん。盾を頼む」

 

「了解です。決して、私より前に出ないで下さい」

 

 そして、耐え忍ぶ戦いが始まった。

 イビルアイが攻撃魔法を撃ち込み、魔樹の攻撃をアインズが防ぐ。その一瞬の隙にイビルアイは転移魔法を使って魔樹の攻撃から逃れる。アインズは吹き飛ばされるが、イビルアイは無傷だ。そしてアインズの体勢が整ったら再びイビルアイがアインズの影に隠れるように転移魔法で近寄り、魔樹に攻撃を撃ち込む。この繰り返しだ。

 アインズの防御力に任せた力押し。現状、これ以上の手段はとれないのだ。まだ、距離を取って逃げ出すには早過ぎる。ラキュース達は間違いなく森を抜けていない。

 

 だが、そうやって何度も繰り返しているが、魔樹の攻撃パターンが変わり始めた。

 

(まずい……学習を始めたか)

 

 ゲームのAIならばずっと同じパターンを繰り返すだけだろう。しかし、これは現実だ。そうなれば当然、学習を始める。この攻撃パターンでは勝てないと、虚実混じりの攻撃に切り替わっていく。

 

「……さて、どうするか」

 

 アインズは何度も攻撃を防ぎながら、考える。今までは触手だけのワンパターンだった。せいぜい、六本の触手の攻撃するそれぞれのタイミングが切り替わるくらいだった。

 だが、今では薙ぎ払うと見せかけて、途中で別の触手を振り下ろしてくるようになってきた。かなりまずいのは確かだ。

 ――次第に押されていく。イビルアイがアインズを盾に出来ずに、自力で飛行魔法で回避しなくてはいけない頻度が増えてきた。

 

「グッ――!」

 

 触手の一撃で、アインズの身体が吹き飛ぶ。イビルアイが急いで転移魔法を使い、アインズから離れる。そして――

 

「な……」

 

「え……」

 

 魔樹の牙が生えている口のような部分が、もごもごと動く。次の瞬間、魔樹は口から幾つもの破片を弾丸のように吐き出した。

 

「これは……枯れ木、か?」

 

 人間離れした動体視力で、アインズはその弾丸の正体を見極める。まるでミサイルのように幾つもの枯れ木を口から吐き出したのだ。

 

「しまった! イビルアイ――!」

 

 アインズはグレートソードで防御しながら、転移魔法で移動したイビルアイを見る。

 

「――あ」

 

 その枯れ木の弾雨を、イビルアイは避け切れなかった。

 メリィ……と鈍い音を立てて、イビルアイの小さな身体に枯れ木が直撃する。転移魔法で回避しきれなかったイビルアイはゴム毬のように吹き飛んだ。

 

「あー! もう!」

 

 ここでイビルアイに死なれると、アインズとしても困る。何より寝覚めが悪い。アインズは仕方なく、魔樹を放って木々の向こうに消えたイビルアイを追った。

 

「イビルアイさん!」

 

 アインズがイビルアイの姿を見つけた時、イビルアイは力なく地面に横たわっていた。声をかけるが返事が無い。どうやら気絶したらしい。そして身体からは血液が溢れ出しており、出血もしている。

 

「しょうがない。ポーションを使うか」

 

 アインズはポーションを取り出し、イビルアイにかけようとする。そしてイビルアイの身体を抱き起こした時、仮面が落ちた。念のため口元に持っていき飲ませようとしたその瞬間――アインズはある発見をした。

 

「……八重歯? いや、牙?」

 

 イビルアイの口元から、人間にはありえない歯の発達を見つける。思わずポーションをかけるのをやめ、じっと見つめる。

 

「まさか……アンデッドだったのか?」

 

 このような牙を持つ種族を知っている。確か、ヴァンパイアの系統は口の中にこういう牙を持っていたはずだ。アインズは“不死の祝福”で感知出来なかったので、今まで気づかなかったのだが……。

 アインズは、イビルアイの指にある怪しい指輪を指から抜き取ってみる。そうすれば、一目瞭然だった。

 

「これは……まいったな」

 

 別に黙っていたのはどうでもいい。アインズだってアンデッドだし、ブレインに内緒でそうして生活しているのだ。だから正体がアンデッドだったというのもかまわない。

 だが今は困る。ポーションでダメージを回復させようと思ったのだが、アンデッドは通常の回復手段で体力を回復させられないのだ。

 アインズは指輪を元の位置に戻し、仮面をイビルアイに再び被せる。イビルアイの身体を持ったまま立ち上がり、激しくなる轟音の方向を見つめる。

 

「……まあ、都合がいいか」

 

 イビルアイが気絶したとなると、今見ている者は誰もいない。ラキュース達はまだカルネ村に向かっている最中であろうから、足止めは必要だ。

 ここでアインズが本気を出したとしても、誰も見る者はいない。

 アインズは魔法で編んだ鎧を解こうとして――

 

「え……?」

 

 魔樹の横合いから出て魔樹を殴りつけた存在を見て、目を見開くように驚いた。

 

「あれは……炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)?」

 

 それは、どこかで見た事のある天使達の姿だった。幾体もの天使が魔樹に纏わりつき、魔樹の注意を引いている。

 

「大丈夫ですか?」

 

 思わず天使達を見つめていると、背後から声をかけられる。振り向くと、そこに見覚えのある男と、見覚えのない男が立っていた。アインズに声をかけてきたのは見覚えのない男で、その男は優しそうな表情をしている。更に、その男の隣には一匹のギガントバジリスクがいた。

 

「はじめまして。確か、アインズ・ウール・ゴウンさんでしたね」

 

「そうだが……」

 

「私の名は、クアイエッセ・ハゼイア・クインティアと申します。以後お見知りおきを……。そしてこちらは、ニグン・グリッド・ルーイン。以前は御迷惑をおかけしました」

 

「…………久しぶりだな」

 

 クアイエッセと名乗る男が、見覚えのある男――確かガゼフの暗殺に来ていた男を紹介する。ニグンは複雑そうな顔でアインズを見ていた。

 その気持ちはアインズにも分かる。アインズとて、殺し合いをした相手を手助けするなど、複雑極まりない心境になるだろう。

 そんな事は知らぬとばかりに、クアイエッセは微笑むとアインズに告げた。

 

「ここからは、私達が足止め役を担います」

 

 

 

 

 

 

 ニグン達陽光聖典は、トブの大森林にゴブリン達の間引きに来ていた。

 ゴブリン達は時折凄まじい進化と繁殖をするので、気が抜けない。ましてや破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)復活の予言もあるので、なるべく危険は減らしておきたいと法国が決定を下しており、本来ならもっと寒くなってからの季節に狩りをするはずの陽光聖典は今任務をこなしていた。

 

 そして、今回はそれに更に助っ人がいる。漆黒聖典の一人、“一人師団”のクアイエッセだ。

 

 クアイエッセは優れたビーストテイマーであり、ギガントバジリスクさえ操る。たった一人でニグン達を滅ぼす事も出来るだろう。それほどの強者だ。

 ……いや、法国の非合法特殊部隊六色聖典。その中でも最強の漆黒聖典の彼ら一人一人が、ニグン達陽光聖典を滅ぼせるほどの怪物である。

 その怪物の一人であるクアイエッセはギガントバジリスクを召喚し、巣穴にいるゴブリン達を追い込んでいく。空にはクリムゾンオウルが複数飛んでおり、ゴブリン達の討ち漏らしが極力無いようにしていた。

 

 ――本来、クアイエッセはここにはいないはずの人物である。何故ならクアイエッセの所属する漆黒聖典は復活するであろう破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)を支配下に置くため、“ケイ・セケ・コゥク”の警護をしているからだ。ガゼフ暗殺も本来は彼らの役目だったのだが、そのために陽光聖典にお鉢が回ってきた。

 そのクアイエッセがこの場にいるのは、もしかすると漆黒聖典の出番があるかもしれないためである。漆黒聖典の裏切り者を追跡する任務を一応終えた風花聖典が、トブの大森林のゴブリンの情報を探っている時に奥地に枯れた一角を発見したのだ。

 伝説によれば、破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)はトブの大森林に封印されていると言う。そのトブの大森林に存在する、去年までは無かったはずの枯れ木の荒野。明らかに怪しく、何かあると連想させた。

 そのため、殲滅戦が得意でありビーストテイマーでもあるクアイエッセを陽光聖典の任務に同行させ、トブの大森林で何かあった時は、エ・ランテルに待機している他の漆黒聖典や“ケイ・セケ・コゥク”が来るまでの足止めを担わせている。それが、クアイエッセがこの場にいる理由だった。

 

「……おや?」

 

 そうして洞窟内のゴブリン達を順調に掃討していっている最中に、一羽のクリムゾンオウルが戻って来た。クアイエッセはそのまま何事かの情報をクリムゾンオウルから受け取っている。

 

「……どうされまし、……どうかしたかクインティア」

 

 今はニグンが隊長なのだから、敬語は無し――そう言われたのを思い出し、ニグンは口調を直す。ニグンの疑問にクアイエッセは面白そうな顔をして答えた。

 

「確か、ルーイン隊長が任務に失敗したのは、漆黒の全身鎧(フルプレート)の戦士のせいでしたよね?」

 

「……その通りだ」

 

 苦々しい記憶を思い出し、頷く。あの漆黒の戦士さえいなければ、ガゼフ暗殺の任務は成功したはずなのだ。だが、あの漆黒の戦士はありえないような伝説の防具を身に纏っており、最高位天使にさえ粘り勝ちした。ガゼフが生きているとは、つまりそういう事だ。

 法国上層部はニグンの任務失敗をそれほど怒らなかったため、ニグンは今も陽光聖典隊長の地位に就いているのだが――その漆黒の戦士がどうしたと言うのか。

 

「今、この森に来てますよ。蒼の薔薇も一緒ですね」

 

「なに……?」

 

 漆黒の戦士がこの場に来ている、という事に驚く。更に、蒼の薔薇もまたニグンと因縁のある相手だ。かつての任務で亜人種の村を攻撃したのだが、それを邪魔したのが蒼の薔薇であった。ニグンの頬にある傷も、蒼の薔薇のラキュースにつけられた屈辱の傷痕である。

 ニグンはその屈辱を忘れないために、本当は治療出来る頬の傷痕を治療しなかった。そんな因縁の相手だ。

 

「何故このようなところにアダマンタイト級冒険者チームが?」

 

 何かの依頼で来たのであろうか。クアイエッセは少し考えた様子を見せると、クリムゾンオウルに話しかける。

 

「彼女達を尾行してくれるかい? 空から、注意深く、見破られないようについて行くんだ」

 

 クリムゾンオウルは一声鳴いてクアイエッセの言葉を了承すると、再びクアイエッセの手から離れ去って行く。それを横目に、ニグンはクアイエッセに訊ねる。

 

「クインティア。どうして尾行を?」

 

「彼女達の向かう方角は、例の場所の方角でした。何をしに行くのか、少し気になります」

 

「それは……なるほど」

 

 あの枯れ木の荒野の方角に向かっているのなら、確かに気になる。尾行は正解だろう。

 だが、今はゴブリンの掃討だ。ニグンは再び本来の任務へ意識を戻す事にした。

 

 

 

 ――そして、ニグン達が任務を終えて洞窟から出た時、既に太陽は沈み空は夜に変わっていた。とは言っても、森の中ではそれほど視界に違いがあるわけではなく、鬱蒼としていたが。

 

「随分大きな洞窟だったな……」

 

「そうですね。森を抜けるのに、一日はかかりそうです」

 

 ニグンの言葉にクアイエッセが頷く。最初に入った森の縁目にある洞窟から奥へ奥へと進み、出て来た時の洞窟の出口は森の奥深くであった。クアイエッセがクリムゾンオウルの一羽を空に放ち、上空から確認したのだから間違いない。

 

「――例の場所にも近いですね」

 

 クリムゾンオウルを撫でながら、クアイエッセが呟く。それが不吉な言葉に思えて、ニグンは眉を顰めた。

 

「……とりあえず、任務は終了した。蒼の薔薇達はどうしているか分かるか?」

 

「ふむ……視界を共有しますので、ちょっとお待ちを」

 

 クアイエッセはそう言うと、少し黙り――口を開いた。

 

「どうやら、例の場所付近の広場で野営しているようですね。漆黒の戦士と、その戦士とチームを組んでいたもう一人とで見張りをしています。蒼の薔薇の五人はテントで睡眠をとっているのでしょう」

 

「なるほど……。では、彼女らと鉢合わせをする前に、森から出よう」

 

「それがよさそうですね……おや? あれはドライアードかな?」

 

 視界を共有したままのクアイエッセが、首を傾げる。何か動きがあったらしい。ニグンはその間に隊員達に声をかけ、森を出る準備をさせる。

 

「これは……まさか、森から出る? 依頼を途中放棄したのか? 何故? ドライアードから、何を……」

 

 クアイエッセはブツブツと呟き、首を傾げているが――ふと、動きを止めた。そして、まるで驚愕したかのように目を見開く。

 

「どうされましたか?」

 

 その様子にニグンが声をかけると、クアイエッセはゾッとするほど静かな声で、ニグンに語りかけた。

 

「――予定変更。ルーイン以下陽光聖典は私の指揮下へ。これより、例の場所へ向かいます」

 

「それは……!」

 

 それはいざという時の指揮系統の変更。ニグンを初めとした陽光聖典隊員は、全員クアイエッセの指揮下へ入り、クアイエッセを指揮官とする。

 そのいざという時とは――破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)が復活した時である。

 

「天使達を召喚し、前面へ! ルーイン! 〈伝言(メッセージ)〉で漆黒聖典に連絡を!」

 

「は、はい!」

 

 急いで〈伝言(メッセージ)〉を使い、エ・ランテルにて待機している漆黒聖典に連絡を入れる。彼らが全速力で来れば、半日もせずにここまで辿り着くだろう。

 

「蒼の薔薇は逃亡したようですね……無理もありません」

 

 クアイエッセの独り言を横で聞いてしまったニグンは、ごくりと喉を鳴らした。それはつまり、あのアダマンタイト級冒険者チームでも……あの漆黒の戦士でも戦闘を諦めて逃亡一択になるような化け物が、そこにいるという事である。

 そんな化け物相手に――果たして、自分達は生きて還る事が出来るのだろうか。

 

「行きますよ、皆さん!」

 

 クアイエッセに促され、ニグンを初めとした陽光聖典は神への信仰を胸に森の奥へと向かった。

 深い、深い地獄の底へと。そして――

 

「……なんだ、あの化け物は……ッ!?」

 

 それを遠目で一目見ただけで、あれがどうしようもない怪物である事をニグン達は理解してしまった。

 一〇〇メートルを超える巨体。三〇〇メートルを超える六本の触手。荒れ果てていく大地。

 馬鹿な。あんなものに勝てるはずがない。いや、足止めさえ出来るか謎だ。そんな化け物を相手に――

 

「はは……凄いですね、彼。攻撃を食らっても、平気な顔で立ってますよ」

 

 クアイエッセの言葉に、ニグンは心の中で頷く。身体は呆然としているままだ。

 あの漆黒の戦士――アインズは、竜王(ドラゴンロード)の触手の攻撃を食らい、吹き飛ばされながらも体勢を整え、平然と平気な様子で立ち向かっている。そのような様子が遠目からも見て取れた。

 

「一体、どんな強度の鎧なのだ……いや、本人自体どんな肉体能力だと言うんだ……」

 

 思わず呆然と呟く。さすが魔神をも滅ぼす最高位天使さえ、召喚時間一杯まで耐え抜いた男である。おそらく、漆黒聖典でもあの漆黒の戦士に勝てる者は少ないだろう。魔法詠唱者(マジック・キャスター)に至っては、あの鎧のせいで間違いなく勝てない。

 

「……しかし、このままではまずいですね。彼は防戦一方です。とてもではないですが、攻撃に転ずる暇がない」

 

 そのアインズをもってしても、破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)の強さはなお圧倒的だった。

 アインズは確かに耐えている。幾ら攻撃を食らっても、平然と立ち向かっている。

 だが、無傷であるはずがない。ダメージは蓄積されていき、攻撃は六本の触手の絶え間ない攻撃でする暇はなく、ひたすらに削られていくだけだ。

 つまりこれは、死を前提とした時間稼ぎだった。

 

「おや? 一人増えましたね。あれは、蒼の薔薇の魔法詠唱者(マジック・キャスター)ですか。名前は確か、イビルアイ――」

 

 そして、仮面の女が増える。イビルアイはアインズを盾にしながら、アインズが出来ない攻撃を担った。焼け石に水の攻撃であるが、それでもあの破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)をこの場に釘づけにする、という意味では意味があるだろう。

 アインズとイビルアイは即席のチームワークながら、単純な作業でもって連携していく。どちらも戦闘経験値は一級なのだろう。即席で単純でありながら、その連携に穴は無い。

 しかし――破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)は、いつの間にか口の中に含んでいた枯れ木を何本も、まるで吐息(ブレス)を吐くように撃ち出した。それは範囲攻撃染みていて、アインズは咄嗟に巨大なグレートソードを盾にして持ち前の身体能力で防ぎ切ったが、イビルアイはそうはいかない。

 転移魔法でアインズの近くから離れていたイビルアイは、無防備にその攻撃の直撃を受け、吹き飛んだ。

 

 アインズがイビルアイを追って、戦線を離脱する。破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)は周囲を触手で薙ぎ払いながら、アインズ達を追って行った。それと同時に、クアイエッセが声を上げる。

 

「さて――各員、傾聴! なるべく近寄らず、あの巨木に向かい、天使を向かわせ注意を惹きつけたまえ! 数が減れば、また召喚しこの場に釘づけにするのです!」

 

「――――」

 

 クアイエッセの言葉に、ニグンは部下達が絶望的な顔をしたのが分かった。何せ、全員アインズの強さを知っている者達である。そのアインズが防戦一方であり、手も足も出ないような相手の注意を惹きつける。それがどれほど困難な事であるか、分からない者は誰もいない。

 

「クインティア様、イビルアイは戦線離脱せざるを得ないでしょうが、アインズ・ウール・ゴウンはまだ存命です。あのアインズ・ウール・ゴウンの強さなら、彼に任せておけば漆黒聖典の到着まで間に合うのでは……?」

 

 ニグンの言葉に、部下達が頷いた。誰だって死にたくはない。ニグンとてそうだ。あれに立ち向かえば死ぬ。その化け物に立ち向かっても生きていられる人間がいるのなら、それに任せるべきだ。

 確かに、信仰心はある。神を信じている。しかし――それでもニグンは死にたくない。

 

 だが、その命惜しさを嗅ぎ取ったのか、クアイエッセは冷静に――冷酷に、ニグン達に告げた。

 

「聞こえませんでしたか? 漆黒聖典が到着するまで、破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)の注意を惹きつけ、この場に足止めをして下さい」

 

「――――」

 

 ぞわり、とニグンの背に怖気が走る。自分達の背後で、シューッ、シューッと息遣いが聞こえた。

 ギガントバジリスク。クアイエッセの召喚したギガントバジリスク複数体が、じっとニグン達を見つめている。ニグンはその事に気がついた。

 ニグンはクアイエッセを見る。クアイエッセは相変わらす優しげな雰囲気で――しかしその気配がより一層おぞましさを引き立て――口を開く。

 

「三度目は、必要ですか?」

 

「――いえ」

 

「よかった。では、各員行動して下さい。ルーイン、貴方は監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)を召喚して他の天使が見える位置に待機を命じた後、私と共にアインズ・ウール・ゴウンの様子を伺いに行きましょう」

 

「……かしこまりました」

 

 大人しく頷く。クアイエッセはにっこりと笑い、陽光聖典を促した。

 部下達と共に天使を召喚しながら、ニグンは思う。

 

 クアイエッセは狂信者だ。自分達も似たようなものだが、それでもここまで終わっていない。

 

 なるほど。確かにアインズに任せれば漆黒聖典の到着まで破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)を足止め出来るだろう。しかし、それは絶対ではない。

 だが、自分達が協力する事で、足止め出来る可能性は高くなる。

 それが理由。一パーセントが二パーセントになる。それだけの、些細な可能性の向上のためだけに、クアイエッセは陽光聖典に死ねと告げた。

 何故なら、アレは人類に滅びを呼ぶから。それをどうにか出来る者達が、少しの時間足止めするだけでやって来る。

 しかし、その少しの足止めの時間でも死ぬ確率が高いなら、嫌になるのが人間だ。

 人間は、決して死の恐怖を振り払う事は出来ない。それが出来る時、人間は人間ではなく、狂人へと変わるのだ。どのような形であれ。

 クアイエッセはそれだ。たった僅かな可能性の向上のために、ニグン達も、自分自身さえも、命を投げ捨てさせる。

 一体、どのような過去を経ればこのような人格形成に至るのか。ニグンはクアイエッセの過去を想像し、薄ら寒さを感じた。

 

 クアイエッセに促され、ニグンはクアイエッセと共にアインズが向かった場所――イビルアイが吹き飛ばされた場所へ向かう。アインズの姿を見つけた時、アインズは気を失っているのか、死体なのか分からないがイビルアイを抱き上げて破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)を見上げているところだった。

 そして、いきなり現れた天使達を見て動きを止める。その気持ちはニグンにも分かった。いきなり、見覚えのある――それも嫌な記憶だ――天使達が現れて、アインズの手助けをすれば驚愕するだろう。

 

「大丈夫ですか?」

 

 クアイエッセがアインズに話しかける。アインズはクアイエッセとニグンの方へ振り返った。イビルアイの服は分かり難いが、血に濡れている。怪我をしているのだろう。その証拠に、抱き上げているアインズの鎧も血濡れだからだ。

 

 アインズはクアイエッセとニグンを見て、困惑しているようだった。そんなアインズに、クアイエッセが自己紹介をする。ニグンもまた紹介され、ニグンは微妙な表情で「久しぶりだな」と告げた。

 

「ここからは、私達が足止め役を担います。彼女は死亡したのですか?」

 

「いえ、まだ息はあります。傷を負ってはいますが、気絶しているだけですよ」

 

「なるほど。では、とりあえず後方に下がって体力の回復を。その間は私達がアレの足止めをします」

 

「それは――助かりますが。何故手助けを?」

 

 アインズの言葉に、クアイエッセは笑って答えた。

 

「それは勿論――あの破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)が人類の敵だからに決まっています」

 

「――――」

 

 だから、かつて敵対していた者とも手を取れる。クアイエッセの言葉に、アインズは絶句しているようだった。

 アインズは一息つくと、「ではお言葉に甘えます」と言って頭を下げた。

 

「ええ、そうして下さい。人類は助け合わなくては。貴方のような強者を、法国は望んでいますので」

 

「――――」

 

 その言葉に込められた意味を、ニグンは気づく。なるほど、道理でアインズを助けるはずだ、と。法国上層部は、機会があればアインズに法国の味方になって欲しいのだ。

 確かに、アインズの強さを冒険者程度に収めておくのは惜しい。それも、王国などという腐った国に。それは明らかに人類の損失だ。

 法国は、アインズとの繋ぎを欲している。それもあって、アインズを見捨てずにアインズの生存率を上げるような行動をクアイエッセは取ったのだろう。……勿論、狂信も本物であろうが。

 

「…………」

 

 アインズは少し考える素振りを見せると――口を開いた。

 

「私は冒険者なので、それが依頼なら」

 

「――――」

 

 ニグンはその言葉に、思わず絶句した。アインズは以前、ガゼフの暗殺を邪魔した事がある。それはあの状況下ではガゼフの暗殺を邪魔しなければ、社会的に面倒な立場に立たされるからだという事もあっただろうが、ガゼフに対する好意か、王国への好意か何かあったからだとも思っていたのだ。

 しかし、アインズの言葉はそれを否定した。アインズは今、明言は避けたが言葉の裏で明確に、状況如何によっては王国ではなく法国の味方をする、と告げたのだ。

 クアイエッセはアインズの返事に笑顔を作る。

 

「それはよかった」

 

「それより――先程破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)だと言いましたが、アレを知っているのですか?」

 

「ええ。アレは大昔このトブの大森林に封印されていた、魔樹の竜王(ドラゴンロード)です。復活が予言されていたので、網を張っていたんですよ。おそらく、あと少し待てばアレをどうにか出来る者達がやって来ます。それまで、私達で足止めをしましょう」

 

「なるほど、それは心強い。私も戦線に出られるほど体力を回復させたら、すぐに手伝います」

 

「はい、よろしくお願いします。とりあえず、部下達と合流しましょうか」

 

 クアイエッセの案内で、アインズはイビルアイを抱えてニグンの隣を歩く。隣で、アインズがポツリとニグンへ呟いた。

 

「――お前の上司、ちょっと怖いな」

 

 アインズの視線は、クアイエッセの隣を歩くギガントバジリスクとクアイエッセを行ったり来たりしているようだった。ニグンは先程の脅迫を思い出し、深々と頷いた。

 

「ああ、あの人は怖い。――人は見かけによらん」

 

 あの優しげな雰囲気と顔で、狂信による脅しをかけてくるのだ。ギャップが酷過ぎて混乱する。あの人格破綻者、元漆黒聖典第九席次“疾風走破”の兄というのも頷ける話であった。

 

「どうかしましたか?」

 

 くるりと、まるで内容が耳に入ったかのように、クアイエッセが笑顔で二人の方を振り向く。小声で、クアイエッセに聞こえないように話していたニグンとアインズは、同じように「いえ、なんでもありません」と首を横に振った。クアイエッセは不思議そうに二人を首を傾げて見ると、再び前を向いて歩く。

 それはまさに地獄耳。自分の悪い噂はよく耳に届くと言うが、それでもこの破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)と天使達が暴れ回る中で、この小さな音を聞き届けるとはどういう事か。並みの聴力ではない。まさに英雄級。こんなところで英雄級の身体能力を発揮しなくていいのに。

 

 ニグンとアインズは顔を見合わせると、お互い無言で頷く。

 

 クアイエッセ、怖い。

 

 

 

 

 




 
ニグン=サン再び。クアイエッセお兄ちゃんもいるよ!
 


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The Catastrophe Dragon Lord Ⅲ

 
■前回のあらすじ

魔樹復活ッッ魔樹復活ッッ魔樹復活ッッ

2017/06/11
イビルアイが〈伝言〉を使う描写を修正。たぶん使用出来ないと思われたので、巻物を使った事にしました。
 


 

 

 全身に訴えかける酷い苦痛に、イビルアイはようやく意識を浮上させた。

 

「――――ぅぁ」

 

 何処をどう怪我しているのか咄嗟に判断がつかないほど、身体中の至るところが痛かった。喉元からこみ上げてくる血の味に、骨が折れて内臓さえ無事ではない事に気がつく。

 

「――――ぁ」

 

 つまりは満身創痍だ。全身のどこを見ても、きっと無事なところはない。許されるなら絶叫を上げ、のた打ち回って痛みを周囲に訴えたかった。しかしそれさえ出来そうにないほどに、イビルアイの全身は痛く動かない。

 

(私は、何を……)

 

 どうしてこんなに痛いのか、意識が朦朧としながらも直前の記憶に思いをはせる。王都、エ・ランテル、カルネ村。蒼の薔薇と漆黒。ドライアード。恐ろしい、封印の魔樹。

 

(そうだ、私は……)

 

 ラキュース達がカルネ村に辿り着き、避難させるまでの時間を稼ごうとアインズと共に魔樹の足止めをしていたのだった。アインズを盾に自分が魔法で攻撃してヘイトを稼ぎ、この場に釘づけにする。そう決めて魔樹と戦っていたのだと思い出し――この怪我が、その魔樹の攻撃によって負った怪我だと気がついた。

 

 全身が酷く痛い。生きているのが不思議なほどに、認識出来る外界の感触はそれだけだった。

 

(アインズは、こんな衝撃を受けていたのか……)

 

 舐めていた。アインズが平気な顔で立っていたものだから、攻撃力はさほど無いのだと思い込んでいた。なんて致命的な勘違い。強さに差があるとはいえ、体力馬鹿のガガーランでも一撃でももらえば戦闘不能状態に陥っても不思議ではない。

 

(アインズは……)

 

 ともすれば失いそうな、朦朧とする意識を何とか痛みで繋ぎ止めてイビルアイは周囲を見回そうとする。アインズはまだ生きているだろうか。それとも……既に、死亡してあの魔樹はここから離れてしまったのだろうか。

 イビルアイはそんな不安を抱きながら周囲を見回そうとし、自分の身体が物理的な意味で動かない事に気がついた。

 

(誰かに拘束されている……?)

 

 これは痛みで動かないのではない。誰かがイビルアイを押さえている。イビルアイはそう判断し、苦々しく思った。

 

「起きましたか? まだ、動かれない方がいいですよ」

 

「――――ぁ」

 

 その声色には、なんとなく聞き覚えがあった。少し考えて――それがアインズのものだと気づく。

 なんだか妙に間近で聞こえたな、と不思議に思いながら、イビルアイは自分がまだはっきりとした意識を取り戻したわけでもなく、はっきりとした視力を取り戻したわけではない事に気がついた。目に入る外界はあまりにぼやけていて、なんだかよく分からなかったからだ。

 イビルアイは少しの時間だけ瞬きを繰り返し、意識をはっきりさせようとする。そして――

 

「――――」

 

 視界いっぱいに、漆黒の鎧が目に入った。

 

「大怪我ですから、まだ休んでおいた方がいいです。一応の味方も、今はいますから」

 

「――――」

 

 アインズとの距離は、あまりに近かった。イビルアイとの身長差で、ここまで近づいたのは一緒に馬に乗った時くらいだろう。いや、乗馬した時とて、ここまで距離は近くなかったに違いない。

 

(う、う、う、うわー! わー!)

 

 イビルアイは状況を次第にはっきり認識していく。自分が今どのような状況なのか。アインズにどうしてもらっているのかを。

 ――イビルアイは、アインズに抱きかかえられていた。それもただ抱き上げられているのではない。俗に言うお姫様抱っこだ。身体を横抱きにされ、アインズの胸まで抱え上げられている。

 それはイビルアイも吟遊詩人(バード)の物語の中にしか見た事がない光景。漆黒の戦士に横抱きに抱え上げられる自分の姿は、まさに騎士が姫を横抱きにしている姿に瓜二つだとイビルアイの脳が告げている。

 ……実際は漆黒の戦士が怪しい仮面とローブを羽織った小さな人物を抱えている摩訶不思議な光景なのだが、幸か不幸かイビルアイは自らの姿を思い出す事はなかった。

 

(こ、こんな……まさかこの私が、こんな風に誰かに抱きかかえられるとは……はわわわ)

 

 あまりの緊張に、イビルアイの心臓が跳ねる。いや、跳ねた気がした。何故ならイビルアイの心臓は止まっているのだ。アンデッドなのだから。しかし、決してそれは気のせいではない気がした。

 自らの心に湧きたつ、奇妙な安心感。彼の胸の中にいると、心の底から安堵と安心感が湧き上がってくるのだ。

 

(こ、この気持ちは一体……まさか、この私が安心していると? 私より弱いはずの男の胸に抱きかかえられて、安心してしまっていると?)

 

 そんな馬鹿な。イビルアイは断固としてそんな気持ちは無いと断言する。何故ならイビルアイは、常々そのような女性を侮蔑していたからだ。

 女は強い者に惹かれる。それは種の保存本能を刺激され、庇護下に入る事を望む生存本能からだ。勿論全ての女がそうなわけではないが、人間はその傾向が強い。

 イビルアイはそんな女を侮蔑していた。弱いから誰かに守ってもらおう、なんて愚か過ぎる。最後に自分を守れるのは自分だけだ。そんな風に依存したっていい事なんてきっとない。

 だから――守ってもらわなくてもいいほどに、自分が強く成ればいいのだ――と。

 

 しかし今、イビルアイの心に湧きたつこの思いは何なのだろう。これこそまさに、種の生存本能。自分より強い男に惹かれる女の気持ちではないのか。

 一目惚れなどありえない。何故なら、イビルアイは既にアインズを知っている。一目惚れなら、あのブラックドラゴンとの死闘の時に惚れなければおかしいに決まっている。一目惚れとはそういうものなのだと、ガガーランなどが酒場で話していたのを聞いているのだ。

 だからこれは、種の生存本能。かつて人間だった時の名残。強い男に惚れる女の心理。それ以外にありえないはずだ。

 

(しかし彼は私より弱い――――)

 

 そう思い込もうとした。思い込もうとした、という時点でイビルアイは既にアインズが自分より強いという事を理解している事に気がついた。

 そう、彼は強い。自分よりも。

 強いというのは生きる事だ。生き残り続ける者こそが強いのだ。

 イビルアイは魔樹のただの一発の攻撃でこうして戦闘不能になり――しかしアインズは、未だしっかりと自分の足で地面に立っている。イビルアイの顔を心配そうに覗きこんでいる。

 戦士としての技量はガガーランの方が上だと、ガガーランもラキュースも言っていた。しかし身体能力、という点で見ればアインズは彼女達の遥か上をいく。ラキュースは勿論、ガガーランでも先程の一撃を耐えきる事は出来ないだろう。

 ならばそれが出来る事こそ、アインズの方が強い証明ではないか。

 人間離れした身体能力。記憶喪失で失ってしまった戦闘技術。そのチグハグさで、イビルアイはアインズの強さを見誤っていたのだ。

 アインズはイビルアイより強い。イビルアイの魔法の一撃ではきっと死なない。彼と戦えば、彼は彼女の攻撃魔法に容易く耐えて、そのまま大剣で彼女の身体を二つに別けるだろう。

 

(なんということだ。私は嫉妬で、きっと彼のことを見誤っていたに違いない)

 

 自分より強い存在がいる事を、イビルアイは知っている。それでも自負があった。自分より強い者はそうはいない、と。しかしそれは間違いだった。

 自分などただの一撃で戦闘不能にする魔樹と、その魔樹の攻撃に耐え続ける戦士。ああ、認めよう。強さへの嫉妬で自分はアインズの強さを見誤っていた。そして――自分の気持ちも。

 

(アインズさま……)

 

 もはやこの気持ちに嘘はつくまい。そう、イビルアイはアインズに惚れたのだ。認めるしかない。この自分より強い男に、イビルアイは身も心も惹かれていると。

 ……例えそうであったとしても、その恋に未来はない。イビルアイは吸血鬼(ヴァンパイア)であり、アンデッドであり、不老なのだ。人間であるアインズが先に老いて死ぬだろう。どれほど頑張ったところで、生者と死者の間に子は生まれないし、死者は孕めない。アインズとイビルアイの間には何も生まれない。

 それでも――

 

(それでもいい。彼の思い出の中で、一番愛しい人になれたなら……)

 

 そして自分の人生の中に、一度くらい女としての思い出があってくれたなら。それはきっと、何物にも替えがたいものだと思ったのだ。

 

「イビルアイさん?」

 

 アインズが押し黙っているイビルアイの、仮面の奥にある瞳を不思議そうに覗いている。イビルアイは慌てて、アインズへと口を開いた。

 

「だ、だいッ!」

 

 自分の怪我の具合も忘れて、大声で返事をしようとして途端に痛みを思い出す。アインズの腕の中で痛みに悶えると、アインズが安心させるようにイビルアイに語った。

 

「大丈夫ですよ、そう慌てなくても。魔樹は今、別の方達が抑えてくれていますから」

 

「――え?」

 

 そういえば、先程も似たような事を言っていたような。イビルアイはアインズから視線を外し、痛みに耐えながら視線を変える。少し離れた場所で、魔樹に蠅が群がるように天使達が空を舞っていた。

 

「あれ、は……」

 

 イビルアイはそれを見た事がある。昔、蒼の薔薇と共に亜人の集落の近くにいた時だ。その時に見た天使達と同じ種類の天使だ。それはつまり。

 

(法国の……特殊部隊……?)

 

 おそらく六色聖典のいずれかだろう。それが今、この場にいるという事。アンデッドであるイビルアイにとっては、あまり歓迎したくない事だと気がついた。

 

「ゴウンさん。そちらのお嬢さんは戦力になりそうですか?」

 

 知らぬ声に視線を向ける。そこには凄まじい装備に全身を固めた、見知らぬ男が立っていた。

 

「いえ。怪我の具合も酷いですし、やめておいた方が無難ですね。……まあ、その分必要になったら私が働きますので」

 

「そうですか。……天使達もそろそろまずそうなので、戦闘準備をお願いします」

 

 アインズの言葉に、その男はそう言うとギガントバジリスクを連れて歩いていく。ラキュースに傷を負わされた以前遭遇した特殊部隊の隊長の男も、その男に仕えるように後ろを歩いて去っていった。

 その姿を見送って、イビルアイはアインズに話しかけられる。

 

「――さて、イビルアイさん。私はそろそろ戦場に戻って、魔樹の足止めをしなくてはなりません」

 

「あ……」

 

 そう、戦場は未だ存在している。魔樹は暴れ回り、天使達は魔樹の攻撃に当たる度に消滅していく。

 

「貴方はここに置いていきますが、なるべくこちらの方向に行かないように誘導しますから、ここで休んでおいて下さい」

 

 アインズはそう言うと、イビルアイを木の根元に背をもたれかけさせるように優しく置く。身体から離れていく金属鎧の冷たさが名残惜しいのに、イビルアイの身体は痛みでまったく動かない。

 

「では、行ってきますから」

 

 だからそう言うアインズを止められない。

 

「……ぃ……だ」

 

 行っては駄目だ。イビルアイはそう言いたい。置いて行かないで。貴方と触れ合っていないと不安だから。

 そう言いたいのに、口を開く度に激痛がして、その言葉は決してイビルアイの口から紡がれる事はないのだ。

 

 アインズは去って行く。イビルアイを置いて。木々の奥に消えていく姿を、イビルアイは見送る事しか出来ない。出来ないから、心の中で、ただ祈った。

 

 どうか、彼が無事に帰って来ますように。

 

 

 

 

 

 

 イビルアイを置いてきたアインズは、両手にグレートソードを携えて再び前線に躍り出る。魔樹は鬱陶しい蠅のように飛び回る天使を落とすために触手をやたらと振り回しており、アインズはその内の一本に狙いをつけ、その触手を攻撃する。

 攻撃を受けた魔樹は痛かったのか、別の触手をアインズに向かって振り回す。アインズは地面を跳躍し、近くにいた天使の一体を踏みつけ、そのまま攻撃してきた触手を回避し、先程攻撃を与えた触手の上に飛び乗った。

 

「……ふう」

 

 荒れ狂う触手の上に飛び乗ったアインズは、一つ溜息をつくとグレートソードを振るって足元の触手に攻撃を与える。魔樹はアインズに攻撃しようとするが、そうすると天使達がその隙をついて本体の幹に攻撃をするので、アインズばかりに構う事は出来ない。

 

(なんだか、妙なことになったなぁ)

 

 アインズは内心で困り果てる。最初は魔樹相手に一人で戦い、さっさと適当な言い訳でもして退治してしまおうと思ったのだが、イビルアイも残ると言うし。そうしてイビルアイが気絶したからその間に始末しようとすれば、カルネ村で見た法国の特殊部隊の連中がやって来る。どうにもタイミングが悪かった。

 

(それにしても、やはりいるところには強者はいるか。この分じゃ竜王(ドラゴンロード)って奴も、俺と同レベルかそれ以上の強者、と思った方がいいな)

 

 魔樹の攻撃を防ぎながら、アインズはこの場を打開する方法を考える。クアイエッセが言う、魔樹をどうにか出来る者達というのも、この場に第十位階の転移魔法〈転移門(ゲート)〉で即座に来ない辺り、魔樹を退治出来るという言葉に信憑性がない。魔樹はアインズが第八位階から第十位階魔法を使って討伐するレベルの魔物だ。最高位天使と言いながら主天使(ドミニオン)を準備するような者達には、どうにも出来ないだろう。

 

(何とかして、本気を出せる場を整えないと……)

 

 アインズは頭を捻りながら考えるが、とてもいい案は浮かんでこない。そろそろ、この剣と鎧も蓄積ダメージの関係で耐久性が削られてきた。再び砕けるのも時間の問題だろう。

 

(法国の連中が見ている前で魔法は唱えたくないなぁ)

 

 触手の攻撃を避け、防ぎながらアインズは考える。しかし――

 

「ッ、グッ……!」

 

 触手の猛攻に押される。天使達の数が減ってきている。魔樹はアインズにのみほぼ集中し、アインズが足場にしている触手がうねった。

 

「っと……」

 

 アインズはわざと触手を足場にその場から跳躍する。アインズが先程までいた場所を薙ぎ払うように一本の触手が通り過ぎ、そして空中に身を躍らせたアインズを叩き潰そうと二本の触手が迫る。

 

「舐めるな……!」

 

 触手の一本に左手のグレートソードを突き刺し、腕力で無理矢理それを軸に身体を持ち上げる。くるりと触手に足を突け、もう一本の迫り繰る触手に向かって、右手のグレートソードを両腕に持ち替えた。

 

「ず、お、ああぁぁぁぁああああああッ!!」

 

 そのまま、一閃。力尽くで押し込んだ。骨がミシリと嫌な音を立て、全身に痛みが走ったが無理矢理に押し込む。グレートソードが触手に埋まり、魔樹とアインズの力で切断する。

 同時、グレートソードが砕け散った。

 触手の一本を断ち切られた魔樹は悲鳴のような唸り声を発し、アインズは残った二本の触手に吹き飛ばされた。

 

「い、づッ……!」

 

 地面に叩き落され、唸る。さすがにそろそろ残り体力が心許無くなってきた。体力を回復させたいが、アンデッドは通常の回復アイテムや回復魔法では回復しない。〈大致死(グレーターリーサル)〉などの負の力を流し込むような魔法でなければ回復しないのだ。

 昔は“負の接触(ネガティブ・タッチ)”などでも回復したのだが、運営がすぐに修正を入れて回復しなくなってしまった。〈大致死(グレーターリーサル)〉であれば、自身の体力を回復させる事も出来ただろうが、〈大致死(グレーターリーサル)〉は魔法であり、金属鎧を着用している状態では使用出来ない。〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉の魔法で編んだ金属鎧を脱がなくては、アインズは特定の五つの魔法しか使用出来ないのだ。

 だが、それはこの場で正体を現す事を意味する。それをすれば、必然口封じに全員皆殺しを敢行せざるをえない。あまり取りたくない手段だった。

 

「どうするかな……」

 

 ポツリと呟く。同時、魔樹が雄叫びを上げてアインズに向かって触手を振り上げた。今のアインズは徒手空拳だ。アインズは仕方なく、再び魔法でグレートソードを形成しようとし――

 

 そのアインズの前に、漆黒の長い髪を翻してみすぼらしい槍を構えた男が現れた。

 

 

 

 

 

 

 ありえない光景を前にして、アインズは半ば呆然とした状態で、アインズの前に躍り出た男を凝視する。いや、正しくは男の持つ“槍”を。

 男はその槍を振るい、アインズに向かってきていた魔樹の触手をいともたやすく切り払い、触手を逸らした。続いて、くるりとその場で回転するように体勢を整えると魔樹に向かって走り出す。

 その後ろ姿を見送りながらアインズが強く感じたものは安堵でも驚愕でもない――強い恐怖だった。精神が安定されるはずなのに、アインズが感じたものはそれだったのだ。

 

「…………ッ!!」

 

 アインズは狼狽して叫びそうになりながらも、なんとかアンデッドの精神安定化で感情を抑制する。そして怪しまれないように、男と入れ替わるように前線から下がる。男も、それを望んでいるだろう。

 本当に冗談ではなかった。あの男の前になど、とてもではないがアインズは出る勇気など持てはしない。

 

 魔樹の触手が近づいてくる男に向かって振り下ろされるが、男は平然と避け、そして触手の上に飛び乗る。そのまま触手の上を走り、向かってくる触手を武技などを使って斬り飛ばした。触手を削られていく魔樹が叫び声を上げる。

 アインズが前線から下がりきると、クアイエッセとニグン、ニグンの部下達が男を見ていた。

 

「さすが隊長……。あの化け物相手に余裕の近接戦とは……」

 

「漆黒聖典は化け物ばかりだ……」

 

 クアイエッセとニグンの言葉に、アインズは心の中で頷きながらもクアイエッセに話しかける。

 

「彼が言っていた、例のどうにか出来る人達――ですか」

 

 アインズの言葉に、クアイエッセがアインズをチラリと見て頷く。

 

「ええ、そうです。あの方が来られたからには、もう安心でしょう」

 

「――そうですね」

 

 アインズも男の戦闘する姿を見る。アインズは気配で他人の強さを測るような技能は持たないが、それでも男の強さは見るだけで分かる。

 ――おそらく、身体能力を見るかぎりはアインズと同じような高レベル。近接戦でアインズに勝ち目は無いだろう。

 男はアインズ達が見守る中、触手の攻撃を避け続ける。

 

(……しかし、あれ以降木々を吐き出す攻撃が来ないな。もしかして、口の中は空か?)

 

 イビルアイが戦場を脱落した原因の攻撃が来ない事に、アインズは首を傾げる。口から枯れ木などを吐き出してきた攻撃だが、先程から一向にそういった攻撃が来ない。もしかすると、一度口の中に木々を含まなければ出来ない攻撃なのかもしれなかった。とんだ欠陥攻撃である。

 

「ところで、他の方々はまだなのでしょうか?」

 

 ニグンの言葉に、クアイエッセが考え込む。

 

「……おそらく、緊急事態なので隊長が先行したのでしょう。しかし、そろそろ来ると思いま――」

 

「“一人師団”! 無事か!?」

 

 クアイエッセの言葉に、森からアインズ達のもとに向かって十一人の人間が出て来た。クアイエッセは彼らを見ると、ほっとした顔をする。

 

「ええ、大丈夫です。お待ちしていましたよ皆さん。今、隊長が足止め中です」

 

「どうやらそのようだな。では、これより準備に入る」

 

 彼らは一人の老婆を中心に、魔樹を見ながら動き出す。アインズは彼らに視線が釘付けになっていた。

 

 彼らの装備を、アインズは知っている。それはこの異世界で見た装備などではなく――ユグドラシルでよく見かけた装備だとアインズの記憶が訴えている。

 何より、先の男同様にアインズがもっとも目を引いたもの――それは――老婆の着る、チャイナドレス。

 

 馬鹿な。まさか――こんなところで、こんなものを目にするとは、と。

 

 先程からアインズの意識は驚愕の嵐だった。男の持つ“槍”も、この老婆の“チャイナドレス”も、アインズがかつてユグドラシルの攻略ウィキで仕入れた知識にそっくりだからだ。特に“槍”の方は、プレイヤーならば誰もが知っていると言っても過言ではない。

 

 魔樹の足止めをしていた男が触手の網を掻い潜り、自分から跳ね飛ばされるように吹き飛び距離を取る。巨大な盾を持った男が老婆の前に陣取り、老婆の着るチャイナドレスが、その効果を発揮しようと輝いた。

 

 そして――魔樹が、完全に沈黙する。

 

 不自然に動きを止めた魔樹は、何の反応も示さない。アインズ達敵対存在は未だいるというのに、魔樹は何の反応も示さなかった。

 その不自然さ。あまりに問答無用な行動阻害。これは魔法でも特殊技術(スキル)でも――おそらく武技でもないだろう。

 

「――完全沈黙。魅了は完了したものとする」

 

「――――」

 

 槍を持った男の言葉に、全員がほっとした顔をする。よく見れば全員の顔色は疲労の色が濃かった。おそらく、全力でこの場に向かって来てくれたのだろう。

 槍を持った隊長格らしき男は、顔を見ればこの場の誰よりも若かった。男はアインズに向き直ると、軽く一礼した。

 

「ご協力ありがとうございます。訳あって名は名乗れませんが……」

 

「いえ、お気になさらず。王国に住む者として、非常に助かりました」

 

 アインズも軽く一礼する。男はアインズの言葉に少し口篭もり――しかし意を決したのか、口を開いた。

 

「これはちょっとした助言なのですが、帝国に拠点を移した方がよろしいかと」

 

「…………」

 

 その言葉にある種の不吉な気配を感じ、アインズは魔樹に視線をやる。そして男に視線を戻した。

 

「……そうですね。考えておきます」

 

「…………」

 

 アインズの言葉に、男は再び一礼する。そして他の者達に「撤収するぞ」と声をかけ始めた。一応、アインズは念のため確認しておく。

 

「確認のために聞いておきますが……大丈夫なんですか?」

 

「ええ。詳細は話せませんが、我々が責任をもって管理します」

 

「分かりました。組合長への報告はせざるをえませんが、同僚達についてはぼかしておきます」

 

「……助かります。ところで、こちらにはどのような依頼で来られたか聞いても?」

 

 当然、アインズに依頼内容を彼らに喋る義務はない。そもそも依頼主についてもぼかされている訳ありなのだ。

 しかし、この場での黙秘はほぼ死を意味する。よって、アインズは依頼で蒼の薔薇と共にどんな病も癒す薬草を採取しに来たのだと語った。この森で出会ったドライアードのピニスンと、彼女から聞いた薬草の場所についても。

 アインズの話を聞き終えた男は、少し考えて魔樹を指差す。

 

「聞いたことがあります。おそらく、その依頼の薬草というのは破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)に生えているアレのことでしょう」

 

 男が指差す魔樹の位置には、申し訳程度に苔のようなものが生えていた。おそらく、そこに薬草が生えているのだろう。

 アインズは男から了解を取り、男に薬草を採取してもらい受け取った。

 

「ありがとうございます。なんとか、依頼失敗にならずに済みました」

 

「いえ。ではお元気で」

 

 アインズは礼を言い、男達と別れる。男達はまだあの場に残り、何かするようだった。

 

(……傾城傾国、か)

 

 そしてあの槍。アインズは法国には絶対に喧嘩を売るまいと固く胸に誓い、イビルアイを迎えに森へ消えた。

 

 

 

 ――そして、アインズの姿を見送った漆黒聖典は息を吐く。

 

「なんとか破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)は支配下におけたか」

 

 先程までアインズと会話していた彼は安堵の息を吐く。さすがに魔樹は強かった。気を抜けば大ダメージを受けていた事だろう。

 

「それで、“一人師団”。彼はどうだった?」

 

「強いです。戦士としての技量、という点では私ではなんとも言えませんが、少なくとも身体能力では隊長以外には勝りますね」

 

 それはつまり、装備品含めて自分達漆黒聖典と同格、という事だ。鎧の効果を考えれば魔法詠唱者(マジック・キャスター)では勝ち目が無いだろう。

 

「それと、特に王国に対して愛国心は無さそうです」

 

「そのようだな。まあ、そもそも王国出身者ではないのだろうが」

 

 彼は続いて、“占星千里”を見る。

 

「“占星千里”、どうだ?」

 

 “占星千里”、と呼ばれた女は首を横に振った。彼女はアインズを魔法で調べられないと言う。巫女姫も魔法で調べられないと言っていたのも考えると、アインズは何かしら探知阻害のマジックアイテムを持っているのかも知れない。

 

「アインズ・ウール・ゴウン……彼は、どちらなのでしょうか?」

 

「さあな。今のところ、子孫か本人か……どちらとも取れる。ただ、どちらにせよ敵に回る確率が低いことは喜ばしい」

 

 彼の言葉に、全員が「確かに」と頷く。自分達と同格ならば、当然他国家の兵士達など相手にならず無双出来るだろう。しかし暗殺する方としては、その強さは非常に骨が折れる。

 ガゼフ暗殺の件を思い出したのか、横で話を聞いていたニグンは身を縮こませた。それに片手をひらひらと振って、彼は口を開く。

 

「とりあえず、予定通り破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)は支配下に置けた。このまま森に潜伏させておき、我々は本国に帰還する。陽光聖典も本国に帰還し、休暇とともに体制を整え、竜王国の支援の準備を頼む」

 

 彼の言葉に全員が了解を示し、アインズが去った後漆黒聖典と陽光聖典もまた森を去った。

 法国へ仲間と共に帰還するクアイエッセは、ふと思い出す。

 

 そういえば、アインズが持っていた二本のグレートソードの残骸は、どこにいったのだろうか、と。

 

 

 

 

 

 

 イビルアイがヴァンパイアとしての高速治癒を使い、何とか言葉を紡げる程度に回復した頃、アインズが無事な姿を現した。背にはいつも通り二本のグレートソードを背負っている。イビルアイはそんなアインズの姿を見つめ、それが幽霊でない事を確信すると声を震わせながら「お、おか、おかえりなさ……」と声にならない声を上げる。

 アインズはそんなイビルアイを気にした様子もなく、「失礼」と一言告げるとイビルアイを抱き上げた。イビルアイは役得とばかりにアインズの冷たい漆黒の鎧の胸に張りつく。

 

「あ、アインズさ――ごほん。アインズ、魔樹はどうなったんだ?」

 

 訊ねると、アインズは少し考えるように口篭もるが――イビルアイを抱えたまま歩き出し、語った。

 

「とりあえずは大丈夫です。法国の連中が片付けたんで。転移魔法は使えそうですか?」

 

 アインズの言葉に、イビルアイは自らの魔力の残量を感じ取る。もう少し体力を回復させる事が出来れば、転移魔法の衝撃にも耐えられそうだった。

 

「無理でしたら、〈伝言(メッセージ)〉でブレインとラキュースさんに連絡を入れてもらい、大丈夫だと報告して二人で帰りましょうか」

 

「そうだな。ラキュースとブレインに〈伝言(メッセージ)〉を入れよう」

 

 イビルアイは光の速さでアインズの提案に頷いた。イビルアイは〈伝言(メッセージ)〉の魔法は使えないが、アインズが渡してくれた巻物(スクロール)で唱えられる。

 ……アインズが何故自分が使えないはずの魔法の巻物(スクロール)を持っているのか疑問に思ったが、ありがたく頂戴してイビルアイは巻物(スクロール)を使用する。

 ラキュースはちょうどカルネ村に到着していたようで、イビルアイに何度も本当に大丈夫なのか、と訊ねていたが法国の連中の話をすると、暗い声色になりながらも、納得したようだった。法国は色々とキナ臭い国なので、何かあっても法国ならなんとかするだろう、という安心感も同時にあるのだ。

 ブレインの方は更に大変で、何度も報告の信憑性を問われた。とりあえず、組合長に帰ってから詳細を説明するので、今は納得して欲しいと告げて連絡を切る。幸い、冒険者組合や魔術師組合の組合長まででまだ魔樹の件は止まっており、どうするか考えている最中だったらしい。そのため、エ・ランテルは混乱する前だった。

 

 イビルアイは連絡を切ると、アインズを見上げる。

 

「アインズ、先程から迷いなく歩いているがラキュースが目印でも残していたか?」

 

「いえ、連中が残してくれた目印があるので、それを見て森から出ようかと」

 

 アインズの言葉に、イビルアイは視線をアインズから逸らして周囲を見る。すると、どういう事かモンスターの死体が点々と転がっていた。同時に、木々が斬り倒されている。誰かが、森を真っ直ぐ突っ切ったかのように。

 理由は分からないが、確かにこれを辿れば森の外に出られそうだった。

 イビルアイはアインズに抱きかかえられ、その胸に小さな身体を預けて揺られる。モンスター達とは遭遇しなかった。おそらく、随分と騒がしくしたしこの道を作った者に恐れをなして隠れているのだろう。

 そうしてしばらく歩いていた時、アインズがふと立ち止まる。

 

「ど、どうしたアインズ?」

 

「ああ……いえ。ちょっと揺れるのは平気ですか?」

 

「大丈夫だが……」

 

 イビルアイの返答を聞くと、アインズは懐からマジックアイテムを取り出した。それは動物の姿を模した小さな像であり、イビルアイもカルネ村とエ・ランテルで見た事がある。

 馬のゴーレムを召喚すると、アインズはイビルアイを抱えて乗馬し、森の中を走らせた。どうやら、イビルアイの怪我を気にして使わなかったらしい。しかし、やはり急いだ方がいいと思ったのだろう。

 

(相乗り……アインズ様と相乗り……)

 

 くふー、と内心喜びながら馬に揺られる。少し体が痛いが、高速治癒で怪我は治ってきているため、我慢出来る範囲だ。それよりもアインズに触れる感触が嬉しい。

 アインズが小声で「開けたんだからさっさと使えばよかった。危うく忘れるところだったよ」とか呟いたのはイビルアイの耳には届いていなかった。

 

 そうして馬の上で至福の時間を過ごしていると、アインズが急に馬を止めた。イビルアイは驚き、アインズにしがみつく。思わずアインズに視線をやるが、アインズは前を見ていた。つられるように、イビルアイも視線を前に向ける。

 そこに、白金の鎧を着た騎士が立っていた。イビルアイにとっては懐かしい顔だ。

 アインズが警戒して片手が動こうとしているのを見て、イビルアイは止める。

 

「し、知っている顔だ」

 

「――――」

 

 イビルアイの言葉に、アインズは一応動きを止める。白金の騎士も警戒していたのだろう、イビルアイの言葉にようやく言葉を紡いだ。

 

「久しぶりだね、インベルン」

 

「ああ、久しぶりだな。ツアー」

 

 白金の騎士……ツアーの言葉に、イビルアイは頷く。イビルアイはアインズにツアーの事を紹介した。

 

「アインズ、彼はツアーという。私の友人だ。それと、ツアー。この方はアインズ・ウール・ゴウン。アダマンタイト級冒険者漆黒の一人だ」

 

「よろしく」

 

「馬に乗ったまま申し訳ありませんが――こちらこそ」

 

 イビルアイの紹介に、ツアーもアインズも軽く言葉を交わす。ツアーは再びイビルアイに視線を向けた。

 

「インベルン。その大怪我といい、何があったか教えてくれるかい?」

 

 ツアーの言葉に、イビルアイはアインズに視線を向ける。止めるつもりはないのか、アインズは無言だ。イビルアイはツアーに何があったか語る事にした。

 依頼と、封印の魔樹。法国の特殊部隊。

 ツアーはイビルアイから話を聞き終えると、アインズに視線を向けた。

 

「――で、魔樹とやらは結局どうなったんだい?」

 

「――――」

 

 ツアーの言葉にアインズは何か考えているようだった。しかし、隠す事は出来ないと思ったのだろう。口を開く。

 

「漆黒聖典という連中が来て、マジックアイテムで魔樹を精神支配して終わりました。おそらく、王国にけしかけるつもりでしょう」

 

「な、なんだと……」

 

 アインズの言葉にイビルアイは驚く。しかし、少し考えれば当たり前の事だった。

 法国はどういうわけか、ガゼフを暗殺し貴族派を有利にしようとしていた、とアインズに聞いている。それを考えれば、魔樹ほどの怪物を支配出来るなら王国を潰すのも容易だろう。

 どうして法国が王国を潰そうとしているのか、イビルアイには詳しい事は分からない。しかしそれは決して見逃してはいけない事だ。

 何故見逃したのかとアインズに問いそうになるが、途中で押し黙る。魔樹を容易く洗脳出来る相手に、一体何が出来るというのか。いや、もしやアインズは既に――。

 

 イビルアイはツアーを見る。ツアーはイビルアイに視線を向けたような気配を感じ、そしてイビルアイを安心させるように首を縦に振った。それにほっとする。

 

「ところで、その漆黒聖典が持ってきたマジックアイテムってドレスのケイ・セケ・コゥクかな」

 

「ええ。傾城傾国ですね」

 

「――――やはり」

 

 アインズの言葉にツアーは頷く。そして、イビルアイは今の二人の会話に何か違和感を覚えた。

 何か……そう何か、アインズとツアーの言葉に、微妙なズレがあったような。

 

「しかし……そうか。なるほど。うーん……分かったよ。私が何とかしておこう」

 

 ツアーの言葉にアインズは驚いたようだった。

 

「何とかって……何とか出来るんですか?」

 

「魔樹は今、待機状態を命じられているんだろう? それなら、何とかなると思うよ。詳しい話は言えないけれど」

 

「大丈夫だ、アインズ。ツアーのことを信じて欲しい」

 

 当たり前に疑念を抱いているらしいアインズに、さてどうしたものかとなったイビルアイだが、ツアーが思わぬ言葉を語り出した。

 

「私は評議国の者でね。何とか出来るのに心当たりがあるんだ。少し信用してもらえないだろうか」

 

「評議国、ですか」

 

 アインズはツアーの言葉を聞くと驚き、ツアーを凝視している。イビルアイも、ツアーがまさかアインズに自分がどこの国の者か語るとは思わなかった。

 

「アインズ、ツアーは本当に評議国の者だ。竜王(ドラゴンロード)にも……」

 

「なるほど。竜王(ドラゴンロード)なら……では、一応イビルアイさんもそう言ってますし信用しましょう」

 

「ごめん。ありがとう」

 

 アインズの言葉に、ツアーは頭を下げる。そして話が一段落した後、ツアーがじっとイビルアイを見ている事に気がついた。

 

「どうしたんだ、ツアー」

 

 イビルアイが思わず訊ねる。

 

「インベルン……さっきから君は何をしているんだい……」

 

 時間が経っているため、既に怪我は走れるほどに回復している。勿論、体力満タンというわけではないが。ツアーはイビルアイの正体を知っているため、いつまでもアインズにひっついて何をしているのか疑問に思ったのだろう。

 イビルアイはツアーに指摘されて、慌てて口を開く。

 

「そ、それは! け……怪我をしているから、運んでもらっているに決まっている」

 

 苦しい言い訳であった。ツアーは既にイビルアイの怪我がある程度回復している事に気がついている。服が血まみれであろうと、ツアーは誤魔化されたりしない。彼はそういう奴なのだ。

 

「怪我って……君ね……」

 

 ツアーはイビルアイを見つめ、続いてアインズを見る。そして交互に二人の顔を見ると――

 

「ははーん。なるほど」

 

 ツアーはイビルアイを見た。全てを理解した賢者の気配に、イビルアイの背中から冷や汗が垂れる。

 

「インベルン。君って奴は、本当にチョロいな」

 

「ちょ、ちょろ!」

 

「昔を思い出すよ。“お前はチョロい。チョロインだ”だっけ?」

 

「う、うぐぐぐぐ……!」

 

 ツアーの言葉に、イビルアイは唸る。かつてリーダーに言われた言葉が脳裏を過ぎり、その馬鹿にしくさった、可哀想なものを見る気配に内心が荒む。

 

「チョロイン?」

 

 唯一、全く何も理解していないのだろうアインズが首を傾げているのにイビルアイは我に返った。ツアーも「おっとっと」と言ってアインズに「何でもないよ。ちょっとした昔話さ」と告げる。アインズはそれで首を傾げながらも納得してくれたらしい。

 

「さて、それじゃあ魔樹の方は任せてくれ」

 

 ツアーはそう言うと、二人から歩き去って行く。「精々頑張りなよ」とイビルアイに最後に一声かけて。

 その姿を見送って、イビルアイはアインズに抱えられるように共に馬に乗りながら、ちょっと気まずげに縮こまった。

 

 

 

 カルネ村に辿り着いた時、イビルアイとアインズの姿を見てラキュース達は大喜びで二人を出迎えた。急いでエ・ランテルに帰還する必要があるので、道中説明をしながらすぐにエ・ランテルに出発する。

 そして馬を全力で走らせ、エ・ランテルに帰還した後は大急ぎで冒険者組合に向かう。組合内ではブレインがそわそわといつもの席で待機しており、アインズ達の姿を見つけてほっとしたようだった。組合内は緊急性のない遠出の依頼を断っている状態で、その事に気がついた冒険者達が困惑している。

 組合員はアインズ達の姿を確認すると、組合長に話がついていたのか大急ぎで組合長室に通した。

 アインザックは――ラケシルもいる――アインズ達を出迎えると、すぐに報告を促した。アインズの語った報告に、アインザックは頭を抱え込む。

 

「法国の特殊部隊の、作戦区域だっただと……!」

 

「さすがにいざこざを起こすわけにはいかなかったので、黙認しました。一応、冒険者が国同士の話に口を出すわけにもいかないですし」

 

「それは……すまない。アインズ君。それで、その魔樹はどうなったんだ?」

 

「法国の者達が討伐(・・)しました。なので、大丈夫だと思われます」

 

「なるほど。……助かった、と見るべきか。無駄に混乱させる必要は無いな。これは極秘として箝口令を敷かせてもらう。よろしいかな?」

 

「かまいません」

 

 アインズを初め、ブレイン、蒼の薔薇も頷いた。

 

「しかしそうなると、依頼は失敗か……」

 

 アインザックの言葉に、アインズが思い出したように「あ」と呟いて慌てて懐から何かを取り出した。

 

「すみません。思い出しました。こちら、薬草です」

 

「え?」

 

 全員が驚き、アインズが取り出したものを凝視する。ラケシルが魔法を唱え、調べると頷いた。

 

「確かに、依頼の薬草だな」

 

「それ、魔樹に生えていたので、たぶんもう手に入りませんから。大切にして下さい」

 

「は!? え!? はあぁ!?」

 

 アインズの言葉に更に全員仰天するが。アインズから法国の工作員達に討伐ついでに採取してもらったのだと聞き、更に頭を抱える。

 

「まさかあの希少な薬草が、魔樹に生えていたものだったとは……」

 

「これが文字通り、王国が手に入れられる最後の一枚というわけだな……」

 

 あまりの貴重性に、全員がごくりと喉を鳴らす。今後一切この薬草は手に入らないと思うと、つい懐にしまってしまいそうだった。

 なんとか全員その欲望を抑え込み、薬草から視線を外す。そして、蒼の薔薇が王都に帰還し届ける手筈になっているので、ラキュースに預けた。

 その後、今回の依頼における詳細や、今後の対応などを話し、それぞれ宿へ帰還した。

 朝になると、アインズとブレインは再び冒険者組合に集まる。そこには、蒼の薔薇の五人がいた。

 

「それでは、お世話になりました。アインズさん、ブレインさん」

 

「いえ、貴重な体験でした。同行させていただきありがとうございます」

 

「さすがにアレに追いかけられた時は死ぬかと思ったがな」

 

 ブレインがぼかしながら言った一言に、全員笑う。全員同じ気持ちだったからだ。

 

「王都に行く機会があったら、是非声をかけて下さいね!」

 

「アインズ、ブレイン。またな!」

 

「待ってる」

 

「ばいばい」

 

 ラキュース、ガガーラン、ティア、ティナの言葉に快く返し――そして、イビルアイがアインズに向けて口を開いた。

 

「アインズ!」

 

「え、あ、はい」

 

 いきなりの大声に、アインズの困惑する気配が全員に伝わる。というか、イビルアイ以外は困惑していた。いや、ガガーランだけはニヤニヤとイビルアイを見ている。

 

「私は転移魔法を使えるので、距離は無視出来る。それで――その……暇な時間があったら、会いに行ってもいいか?」

 

 イビルアイの言葉に、アインズは首を傾げながらも「別にかまいませんよ」と口にした。イビルアイは「約束だからな! 約束だからな!」と何度も確認してその度にアインズが頷いている。

 

 ラキュースが、したり顔のガガーランにこっそり話しかけた。

 

「イビルアイ、どうしたの……?」

 

「いや、恋愛について聞いてきやがったから、遠距離恋愛は破局するぜって言ってやっただけだぜ」

 

 恋愛について詳しそうなガガーランに、昨夜の内にイビルアイは教えを乞うてきたようだ。イビルアイは当然相手をぼかしたが、そこはガガーラン。簡単にイビルアイの恋愛相手を見破った。というか、あまりに分かり易過ぎた。

 

「……アインズと付き合うようになったの?」

 

「いつの間に……」

 

 こっそり話を聞いていたティアとティナの言葉に、ガガーランが首を横に振る。

 

「いや、あいつの片思いだよ」

 

「……前途多難ね」

 

「きっといつか、アインズを語る時は早口になるんだ」

 

「きもい」

 

 それぞれの感想をこっそり口にし、押しまくりすぎてアインズを引かせているイビルアイに、ラキュースが「イビルアイ! そろそろ行くわよ!」と大声を出す。イビルアイはその声に弾かれたようにラキュースを見ると、「す、すまん!」と口にして慌ててアインズから離れた。

 

「えーっと……それじゃあ、皆さんお元気で」

 

「じゃあな」

 

 アインズとブレインに見送られながら、蒼の薔薇はエ・ランテルを出る。これからゆっくりと王都へ帰るつもりだ。

 

 

 

 ――ちなみに数日後、魔樹の確認を組合員がこっそり行ったのだが、そこには巨大なクレーターがあるだけの、更地だったという。

 

 

 

 

 

 

 ――そして、彼らは再び話し合う。スレイン法国の最秘奥で。

 

「――糞が! やられた! 白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)め!!」

 

 部屋に罵声が響き渡るが、誰もが罵声を上げた者と同じ気持ちだった。

 

「おそらく、漆黒聖典を尾行していたのだろうな」

 

「ドラゴンの知覚は広い。例え漆黒聖典だろうと感知出来なくとも、仕方あるまい」

 

 首尾よく破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)を支配下におけた法国であるが、しかし漆黒聖典が至宝の護衛をしながら法国へ帰還し、法国の他の手の者達が見張りにつこうとしたその時、既に事は終わっていた。

 あの魔樹がいた場所は更地になっており、それほどの魔法の使い手と言えば一人しかいない。始原の魔法(ワイルドマジック)を今なお行使出来る真なる竜王――おそらくはアーグランド評議国の永久評議員の一体、ツァインドルクス=ヴァイシオン――ツアーが犯人だろう。

 

「王国にけしかけ、ある程度消耗させた後に帝国に併呑させるという計画はこれでオシャカになったわけだが――」

 

「仕方あるまい。別の方法を考えて帝国に併呑させるとしよう」

 

 法国は王国に対して敵意を持っていた。それは――王国の現状に由来する。

 王国は立地的にも最も安全な場所に出来た国だ。そのため、建国の頃から法国が尽力して王国を育て上げた。そうする事で王国が豊かになり、多くの人が生まれ、優秀な人材を育てて欲しいという願いからだ。

 人類は亜人種や異形種によって、常に命の危機に晒されている。法国から先には、人間の住む国などほぼ存在しない。だからこそ、王国は安全な場所で優秀な人材を育てて欲しかったのだが――王国は法国の期待を裏切った。

 王国は堕落し、腐敗し、それだけでなく麻薬を作って隣国の帝国にまで広がりつつある。

 王国はもはや百害あって一利なし。王国の国力を低下させ、帝国に吸収させる事。それが現在の法国の目的だ。その時こそ、本来王国で行われるプランを帝国で行うのだ。

 法国が併呑しないのは、王国は評議国とも隣接している。評議国は亜人達の国であり、法国の人間至上主義とは合わない。この理念が危険な意思を生み、危険な方向へ進みかねない。だからこそ、何とか評議国と隣接する危険は避け続けた。

 

「では、次の議題に移るとしよう。例年の竜王国に侵攻してくるビーストマンの件だが――」

 

 彼らの人類の平和を守るための議題は、永遠に尽きない。

 

 

 

 

 

 

 アインズ達がトブの大森林で依頼を達成してから、既に一ヶ月以上の時が経過していた。

 

「……暇だ」

 

 アインズはいつもの冒険者組合のソファに身を預けながら、ポツリと呟く。向かい側に座っているブレインが刀の手入れをしながら、同じように呟く。

 

「最後にエ・ランテルの外に出たのは――確かカッツェ平野から流れて来たアンデッド兵団の殲滅、だっけか」

 

「……ああ。それが、あのトブの大森林の依頼以降、俺達が受けた依頼だ」

 

 つまり、魔樹の件以降一度しか依頼が無い。ギガントバジリスクが出た、という時もあったが戦士二人組のアインズとブレインに依頼は回って来なかった。しかもギガントバジリスクが行方不明になったため、大慌てで捜索する大事までに発展したが、それでもアインズ達に依頼が回ってくる事はなかった。そしてギガントバジリスクも発見出来なかった。

 アインズとブレインは、未だ気軽に冒険に出る事は出来ない。もはやエ・ランテルのアンデッド事件から既に数ヶ月の時が経過しているが、彼らが冒険と呼べるようなものに出た事は、はっきり言ってない。

 

「ブレイン……教えてくれ。俺はあと何回、このソファに転がっていれば冒険に出られる? 俺はあと何回、ここで依頼に出る冒険者達を見送ればいいんだ……」

 

 アインズの言葉に、ブレインは笑いながら答えた。

 

「そりゃ、お前……エ・ランテルが復興して抜けた衛兵達と冒険者達の穴が埋まるまでだろ」

 

「それっていつなんだ……!」

 

 テーブルに顔を突っ伏する。あの日の死者の数は衛兵も冒険者も多く、抜けた人員の数は未だ埋まっていない。というか、アインズとブレインが街の護衛という依頼で残っているため、冒険者の数埋めは微妙に後回しにされている感がある。

 アインズの嘆きに、ブレインは……いつも通りに答えたのだった。

 

「俺こそ一体何回、お前のその愚痴聞いてりゃいいんだよ。毎日毎日聞き飽きるぜ」

 

 刀身の汚れを確認しながら、ブレインが告げる。もはやアインズとブレインのこの会話は、毎日繰り返される日課と化していた。

 

「どうぞ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「おう」

 

 そしてイシュペンがアインズとブレインにお茶を出すのも、日課になっていた。まあ、飲むのはブレインだけでアインズは一度も飲んだ事はないのだが。というか、飲めない。

 イシュペンの後ろ姿を見送りながら、アインズは呟く。

 

「冒険がしたい……冒険……ぼうけん……」

 

「諦めろよ。お前が未知の探求に乗り出すなんて、最初っから無茶な話だったんだよ……」

 

 ブレインの無情な言葉に、アインズはポツリと呟く。

 

「ワーカー……」

 

「俺らじゃ要人の暗殺依頼しか来ねぇな」

 

「帝国……」

 

 イシュペンが振り向いた。アインズとブレインは同時に顔を逸らして目を合わさないようにする。聞こえていないはずなのに、何故かイシュペンはこの話題になると「どうしましたか?」とすすすーっと近づいて来るのだ。ちょっと怖い。どんな勘をしているのだろうか、この受付嬢は。

 

「……ごほん! えー……まあ、しばらく大人しくしておくか」

 

「それがいい。暇を楽しめよ、アインズ」

 

 この結論も、いつもと同じであった。アインズは再びソファに身を沈め、ひたすら時間が経つのを待ち、ブレインは刀の手入れに集中する。

 それがいつもの日課。最初の頃はよくアインズとブレインが訓練場で喧嘩をよくしていたものだが、ここ最近はそういった事は少なくなり、冒険者組合でも勝敗賭博は起きなくなっていた。……ちなみに、魔樹の件以降週一でイビルアイがやって来てブレインとよく喧嘩をしたり、アインズの隣に座って蒼の薔薇の冒険譚を話してくれる。アインズは内心で舌打ちをした。

 

 そうしてしばらく時間を潰していた時――組合員から声をかけられた。

 

「ゴウン様、アングラウス様」

 

「はい?」

 

「うん?」

 

 顔を上げると、組合員が少し緊張した表情で二人を見ている。

 

「お客様が来ております」

 

「客……?」

 

 アインズとブレインは顔を見合わせ、困惑する。客と言われても、アインズにもブレインにもそのような予定はなかった。

 

「アインザック組合長――なわけないですよね」

 

「ラケシルのおっさんか?」

 

 いつもアインズを見る度に、「マジックアイテムをぉぉ……」とぬるぬる張りつく魔術師組合長を思い浮かべるが、組合員は首を横に振った。

 

「いえ、違います」

 

「……あー、若い黒髪の男性ですか? それとも、柔らかい表情と雰囲気の男、いや、頬に傷のある男ですか?」

 

 アインズが思い浮かべたのは漆黒聖典の隊長とクアイエッセ、ニグンだ。彼らならアインズを訪ねてきても不思議ではない。

 

「いえ、違います」

 

「? 違うんですか?」

 

 だからこそ、再び首を横に振った組合員に、アインズは首を傾げる。組合員は困った顔をしながら、特徴を告げた。

 

「老人です。帝国から来られたそうなんですが……」

 

「帝国?」

 

 心底アインズともブレインとも関係のない国から来た相手だ。アインズとブレインは顔を再び見合わせ、組合員を見る。

 

「名前は?」

 

 組合員は、二人の言葉に小声で名を告げる。「本物かどうか、私共にはまだ判別出来ないのですが……」と前置きをしてから。

 

「フールーダ・パラダイン様と名乗る方です」

 

 アインズは聞いた事もない人物の名前に、首を傾げてブレインを見る。

 ブレインは凄まじい大物の名前を聞いて、アインズの視線に気づかないほどに仰天して思わず叫ぶ。

 

「はあぁぁぁぁああああ!?」

 

 冒険者組合内に、ブレインの絶叫が響き渡った。

 

 

 

 

 




 
イビルアイ「アインズさま……すてき!」
アインズ「ワールドアイテムとか何それ聞いてない」
ツアー「ステンバーイ…ステンバーイ…ゴゥッ!」

↑大体こんな話。
 


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an Opium Den

 
■前回のあらすじ

魔樹復活ッッ! からの爆発オチ。
 


 

 

 中火月の二十六日。

 その日、王都の裏路地で、誰の心に残る事も無く――ひっそりと一人の女が息を引き取った。

 

 

 

 

 

 

 クライムがラキュースに頼まれガガーラン達に会いに、彼女達がいる王都でも最上級の宿屋に向かい彼女達がいるであろう酒場兼食堂に辿り着いた時、クライムは軽く目を瞠った。

 イビルアイが、テーブルの上に頭を突っ伏してぴくりとも動かない。横でガガーランが頭に手をやり、まるで何事かを嘆いているような仕草をしている。

 そんな二人の様子にクライムは首を傾げながら、二人に近づいていく。先にガガーランがクライムに気づき、大声を上げる。

 

「よう、童貞!」

 

「…………」

 

 ガガーラン達と同じように周囲でそれぞれ駄弁っていた冒険者達が、クライムに視線を送り、続いて同情的な目になる。

 何度言っても呼び方を変えないガガーランに、クライムはもはや言っても無駄だと知っているので必死で気にしないふりをしながら二人のもとまで歩いた。

 

「お久しぶりです。ガガーラン様――さん。それにイビルアイ様」

 

「おう、久しぶりだな。なんだ? 俺に抱かれたくて来たのか?」

 

 椅子に座るよう促されながらそう告げられるが、クライムは無表情で首を横に振る。これはガガーランの挨拶なのだが、冗談などではなく頷いてしまえば二階の個室に連れ込まれ、花(?)を散らされるだろう。

 

 続いてクライムはラキュースに頼まれた用件を果たす。ガガーラン達に伝言を伝え終えたら――クライムは気になっていた事を訊ねた。

 

「ところで――イビルアイ様はどうなさったのですか?」

 

 ガガーランに伝言を伝えている間も、イビルアイはぴくりとも動かずにテーブルに頭を突っ伏したまま動かない。寝ているのかとも思ったのだが――ガガーランが残念なものを見るような目でイビルアイを見た事によって、そうではない事を悟った。

 

「いや、コイツ今恋煩いをしているんだけどよ」

 

「はあ…………はい!?」

 

 そのまま流そうとして……頭の中に届いた言葉にクライムは驚愕する。何度も瞬きを繰り返し、自分の脳に届いた言葉が真実か何度も何度も反芻した。

 

「イビルアイ様が……恋煩い!?」

 

 しかし何度頭の中で言葉を繰り返そうと理解出来ない言葉に、クライムは思わず叫んでしまう。その場がざわりと別の意味で騒々しくなり――まるで何も聞いていません、と言うように不自然な空気で喧噪が戻る。だが、誰もがクライム達の会話に耳をそばだてているのが丸わかりだった。

 

「だ、だれ! ……ごほん。失礼しました。一体、相手はどのような方なのですか?」

 

 少し小声にしてクライムはガガーランに訊ねる。その間、イビルアイはやはりぴくりとも動かない。ガガーランはにやけながら答える。

 

「エ・ランテルにいるアダマンタイト級冒険者だよ。名前はアインズ・ウール・ゴウン」

 

「アインズ・ウール・ゴウン……」

 

 聞いた事のない名前だった。というより、蒼の薔薇と朱の雫以外のアダマンタイト級冒険者がいる事自体、クライムにとっては初耳だった。

 

「あの、その方はどのような偉業でアダマンタイトに?」

 

 クライムの問いに、ガガーランは答えてくれた。

 

 曰く、難度一〇〇級のドラゴンと一騎打ちをしていた漆黒の戦士。非公式ではあるがズーラーノーンの一味が犯人と思しき犯罪者達が起こしたエ・ランテルのアンデッド襲撃事件の街の防衛。その際に出現した未知のアンデッドの討伐。そして蒼の薔薇と協力してトブの大森林からの超希少薬草の採取。

 

「他にもあるんだが、まぁこんなところか」

 

「……それは、凄いですね」

 

 クライムは喘ぐように言った。特に、最初のドラゴンと一騎打ちというのは正気とは思えない。おそらく、周辺国家最強と名高いガゼフだろうと、ドラゴンと一騎打ちは無理だろう。

 そんなクライムの表情が顔に出ていたのか、ガガーランが付け足す。

 

「おっと! 一応、ドラゴンは後で俺達が加勢したんだぜ。まあ、最初に一騎打ちで生きてた状況自体おかしいんだけどよ」

 

「そうなのですか……」

 

 さすがにそのまま一騎打ちで勝ったわけではないらしい。クライムは安心した。――ドラゴンと一騎打ちの末に勝利するなど、それはあまりに人間味が無さ過ぎる。

 

「しかし、そのような素晴らしい戦士なら、惚れても仕方ありませんね」

 

 強い人間はもてる。種族としての生存本能からだろう、種の保存という意味では強い者に惹かれるのだ。イビルアイが恋をしても仕方のない人間に思えた。

 

「はは! まあな――」

 

 しかし――

 

「それで、どうしてイビルアイ様はこのように突っ伏しておいでなのですか?」

 

 未だ、イビルアイはテーブルの上に突っ伏したまま動かない。しん――と動く様子のないそれは眠っているようだが、そうではない事をガガーランが先程から態度で教えてくれている。

 

「あー……こいつ、時々エ・ランテルに行ってアインズに振り向いてもらおうと色々やってたんだけどよ」

 

「はあ」

 

「振り向かせる、っていやぁまずは相手の興味を引く話題で会話することだ。一番いいのは趣味の話だな。相手の好みを把握して、さも自分も興味ありますって面で相手の関心を引く――っつうのを、イビルアイには教えてやったんだが」

 

「……惨敗ですか?」

 

 イビルアイの様子を見ていれば分かる。このザマは、間違いなく失敗した人間のソレだ。クライムはそう思いガガーランに訊ねたのだが――ガガーランの返答は、もっと救いようのないものだった。

 

「惨敗どころじゃねぇぜ。アインズのヘイトを無駄に溜めて帰って来やがったからな」

 

「――――え?」

 

 つまり、戦果ゼロという失敗どころかマイナス。嫌われて帰って来たという。

 

「えぇっと……何か地雷でも踏んだんですか?」

 

 相手の心にズカズカと押し入ったなら、それは相手はいい気はしないだろう。そういう事なのだろうか、と思ったがガガーランは横に首を振る。

 

「……アインズはな、エ・ランテルが数ヶ月前のアンデッド事件で復興に忙しいってんで、冒険者として外に出ずに街の見張りっつう依頼で街から動けねぇんだよ」

 

「はあ」

 

「けどな、アインズは未知の冒険が大好きで、色んなところを見て回ったりしたいらしい。しかし街の人間を不安にさせてまでは気が引けるってんで、街に残ってるんだが」

 

「はあ」

 

「イビルアイの馬鹿は、そんなアインズに蒼の薔薇の冒険譚を聞かせ続けたってわけだ」

 

「――――」

 

 むごい。何がむごいって言うと、とにかく色々むごい。冒険がしたくてしたくて仕方ない相手に、自分の冒険譚を聞かせるとは。嫌われてもしょうがない所業である。

 

「アインズは心が広いんで、特にイビルアイに文句も言わずイビルアイの話を聞いてくれたらしいんだが――さっきイビルアイからアインズとの手応えを聞いて、俺は思わず頭抱えたぜ」

 

「その方にとってはひたすら自慢話を聞かされたようなものでしょうに……とても心の広い方ですね」

 

 少し荒くれ者の気のある冒険者だ。キレても不思議じゃない話である。よく黙ってイビルアイの話を聞いていたものだ。

 

 クライムがガガーランからそんな話を聞いていると、イビルアイが突如顔を上げた。

 

「だ、だって私の話を頷いて聞いてくれるんだぞ! 時々質問もするし! それなら興味があるんだって思っても不思議じゃないじゃないか!」

 

「イビルアイ……お前って奴は……」

 

 ガガーランが再び天を仰いだ。ちょっと考えれば相手をよく知らないクライムでも分かる事が、イビルアイには分からなかったとは、と。

 

「もっとこう、別の話題は無かったのかよお前。“その漆黒の鎧かっこいいですね”とか“そんな大きな剣を二つも振り回すなんてガガーランでも出来ません”とか相手の自尊心を満たしてやるような、そういう話題は」

 

「い、いや。冒険がしたいとか未知の冒険に興味があるって聞いていたし、十三英雄とか八欲王とかの伝説も興味深げに聞いていたから、蒼の薔薇の冒険譚をしても喜ぶと思って……」

 

「昔の奴の冒険譚を聞くのと、今目の前にいる奴の冒険譚を聞くのとじゃ意味と受け取り方が全く違うっつうの!!」

 

 ガガーランの大きな手がイビルアイの小さな頭を引っ掴む。イビルアイは「だって、だってだな……」としどろもどろに言い訳をし、その都度ガガーランがイビルアイの言い分を論破していく。

 そんな二人の話を聞いていたクライムは顔を片手で覆った。ふと見れば、周囲の盗み聞きしていた者達も似たような態度や表情になっている。

 

「と、とりあえず今度会いに行った時は、まず謝ることから始めるよ……」

 

 ガガーランの説教にイビルアイは震えた声で返す。ガガーランはイビルアイの頭から手を離し、溜息をついている。

 

「そこで謝られたら本人マジギレしても不思議じゃねえぞ……。お前が天然で悪意がねぇから、わざわざ広い心でお前の自慢話聞いてやってんのに」

 

 まったくである。

 

「ば、馬鹿な! ではどうすればこの負債をどうにか出来るのだ……?」

 

「マイナスをプラスに変える魔法の言葉なんざねぇんだよ、このタコ! 大人しく好感度マイナス状態から、地道になんとか取り戻していけや」

 

「――――ぐふ」

 

 ガガーランの言葉に、イビルアイは再び顔面をテーブルに突っ伏させぴくりとも動かなくなる。なんとも無様な姿であるが、これも恋愛における試練であると納得するしかあるまい。大変だなぁ、とクライムは思ったが、その哀れんだ心をイビルアイが知れば「相思相愛のリア充はこれだから! 爆発しろ!!」とリーダーから聞いた言葉でもってクライムに詰め寄ったであろう。

 

「えっと……それではガガーランさん。アインドラ様からの伝言を、よろしくお願いします」

 

 クライムがそう告げると、ガガーランは頷いた。

 

「おいよ。……そういや、あの以前教えた一撃なんだがな」

 

 ガガーランの教えてくれた一撃というのは、この宿屋の裏庭で以前彼女から教わった大上段からの一撃だ。クライムは戦士として肉体的に恵まれておらず、筋力も敏捷も抜きん出ているわけではない。

 

 ――たった一つ、自信を持って放てる技を作れ。

 

 ガガーランからそんなクライムに向かって言われた言葉。才能のないクライムにガガーランが教え、クライムが必死に磨いたのは上段からの一撃である。何度も何度も、無限とも思える反復によって無理矢理に身につかせた、特化した筋肉の構成による斬撃。クライムがガガーランに教わった一撃とはそれだった。

 

 ガガーランは必死に覚えたクライムに向かって、少し迷いながらも残酷な事実を突きつける。

 

「その技、破られると思って次に繋げる技をそろそろ作っておけよ」

 

 クライムはガガーランの言葉を、ぐっと色々と押し込んで頷く。

 ガガーランはクライムに語った。あの一撃は一撃必殺のつもりで放たなくては意味は無い、と言いながらも才能のないクライムにはそんな事は無理である、と。

 戦士は、本当は無数の手からその場に適した剣を振るうのが正解である。しかしクライムにそれは出来ない。よって三連撃くらいの攻撃の型を作り、もし防がれても相手が攻撃に転じられないようにしなくてはならない、と。

 

「全ての攻撃が当たれば必ず死ぬ、なんて必殺は英雄だけの特権だ。ひょんなことから技術力を失おうが、強い奴は強い。――本当に強い奴は、たぶんきっと生まれた時から強いんだよ。俺にもお前にも、そんな出鱈目の才能はねぇ。だから、努力しろよ。……ちょっとは、英雄に追いつけるようにな」

 

「――はい」

 

 完全に無駄な努力は無い、と。クライムはそれを胸にガガーランの言葉に頷いた。その後イビルアイを横目で見るが、とてもではないが「魔法を教えて欲しい」とは言えない。精神的大ダメージを負っている真っ最中であるが故に。

 クライムはガガーランに礼を言うと、宿屋を出て行く。イビルアイの恋愛話が終わって誰もが既にガガーラン達に興味をなくしたのか、彼女達二人に興味を引く者達はこの場にいない。

 

 クライムが去った後、コップに手をかけ、中身を飲み干そうとしていたガガーランにイビルアイがポツリと告げる。

 

「――勝てない、と諦めたのか」

 

 誰に、とは言わなかった。該当者は二人いたが、きっとどちらも同じ意味だ。

 

「――ああ」

 

「――ガガーラン、お前には才能があるよ」

 

 イビルアイの言葉にガガーランは笑った。目を細めて、天井を見上げる。決してイビルアイの方を見ない。

 

「――ガゼフのおっさんにさえ、追いつけないのに?」

 

「…………」

 

「イビルアイ、俺の才能はここまでだよ。英雄には追いつけない。ガゼフのおっさんのように、英雄の領域に片足を突っ込むことさえ出来やしない」

 

「…………」

 

「なあ、イビルアイ。正直に答えてくれ。あの三人に俺が追加で、どういう勝率になる? 最下位は誰だ? お前の見立てでは、俺はどの位置なんだ?」

 

 イビルアイはガガーランの言葉に仮面の中で口を閉じたり開けたりしながら、けれどはっきりと、ガガーランに現実を突きつけた。

 

「アインズが不動の一位で、二位と三位はガゼフとブレインが状況次第で切り替わる。お前は、最下位だよ」

 

 この四人が一対一の勝負をした場合、アインズは必ず全員に勝つ。頑強さ、筋力、敏捷全てが高水準であり、多少の技術力の無さは身体能力が余裕でカバーするだろう。というより、自分より強いだろうアインズに三人が勝つ姿は想像出来ない。

 次がガゼフとブレイン。アインズに勝てないが、ガゼフとブレインはどちらがどうなるか予測がつかない。少なくとも、トブの大森林でブレインを見たイビルアイはガゼフと遜色ない強さだと感じた。

 そして、最後にガガーラン。筋力で見ればブレインより上だろうが、ブレインとは見るからに相性が悪過ぎる。そしてガゼフとアインズは完全にガガーランの上位互換だ。格下が格上に勝つ方法は、運と奇襲以外に存在しない。

 そんなイビルアイの無情に等しい見解を聞いても、ガガーランは笑い声だった。少なくとも、イビルアイにはそう感じた。

 

「ああ――やっぱり」

 

 英雄には、追いつけなかったなぁ――ガガーランの言葉が、この場の喧噪に紛れて消えた。

 

 

 

 

 

 

 ラキュースが去った自室内で、一人残されたラナーはカップを手に取り冷めた紅茶を飲む。――さすがのラナーでさえ、この現状には一呼吸の落ち着きが必要だった。

 

「…………」

 

 カップの紅茶を空にしてテーブルに戻した後、ラナーは眉間に皺を寄せ、人差し指の指先をテーブルの上にトントントンとリズムよく打ち付ける。その単調な音色がラナーの心を落ち着かせて頭の中の現状を整理させた。

 ……その光景をラキュースやクライムが見れば、目の前の光景を疑って目を瞬かせるだろう。何故なら、ラナーのこのような様子は、今までラキュースやクライムも……誰も見た事が無いのだから。

 

「…………」

 

 ラナーは考える。現在、この国で起こっている出来事を俯瞰して。

 

 ――現在、王国は滅びの危機に瀕している。王派閥と貴族派閥の内乱寸前の仲間割れ。八本指による内部からの腐食。帝国から毎年国力を削るように行われる秋の戦争。大きなものはこの三つだが、小さなものまで挙げるとそれこそ山のように。王国は坂道を転がり落ちるように破滅へと向かっている。

 それを、クライムとの蜜月のために何とか押し留めようとしてきたが――此処に至って、ラナーは手遅れである事を理解した。

 

 遂に、その時がやって来た。王国の一切合財を全て滅ぼすために、隣の国から血塗れの皇帝がやって来る。

 

 ラキュースから今朝届けられた、八本指の情報に最近貴族達の間で起こる強盗殺人事件(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 まるで野盗から身を隠すように縮こまった八本指達の行動と、ブルムラシュー侯の今までとは微かに違う動き。エ・ランテルにいるアインズ・ウール・ゴウンという名前の、ガゼフより格上らしき漆黒の戦士の存在。

 

 これだけならば、まだラナーは違うと言い切れた。

 だが徹底的にキナ臭かったのは、ラキュースが仲間のイビルアイから聞いた一ヶ月前(・・・・)に冒険者組合に現れたという、フールーダ・パラダインの存在だ。しかもアインズ達に会いに来たという。

 

 これは駄目だ。何があったか分からない。ラナーでも何がどうしてそうなったのか、理由は分からない。だが気づいてしまった。帝国は、何かが足りてしまってその気になった(・・・・・・・・・・・・・・・・・)のだ。

 本来ならば、まだ早過ぎる。

 本来ならば、あと数年は国力をゆっくりと削る方向で来ていたはずだ。

 だが、もはや帝国はそれは不要と判断した。被害が拡大する前に(・・・・・・・・・)なのか、あるいは被害が最小限に留まる目処(・・・・・・・・・・・・)が立ったのか、帝国はその気になってしまった。

 もう、間に合わない。王国のあらゆる可能性はこれで閉じた。あとは唯一残された道に向かって、帝国に走らされるだけの家畜だ。何をどうしようが、王国の未来は確定した。

 鮮血帝(・・・)が、やって来る。

 

「…………」

 

 今回の戦争における、あらゆる可能性を頭の中でシミュレートする。どんな荒唐無稽な出来事も、不可能なのではなく可能な出来事(・・・・・・)として考える。そしてその場合、自分がとるべき行動も。

 ――そうして、全ての可能性を考えて、自分と可愛い子犬の運命をそこに滑り込ませて。そこから漏れた者達の事をようやく考える。

 

「ああ――――」

 

 さようなら、お父様とお兄様方、お姉様方。

 さようなら、六大貴族達。

 

「さよなら、ラキュース」

 

 さらば、私を友だと呼ぶどうでもいい女よ。

 お前達を置いて、私は愛しの君と幸せになる。

 

「――――」

 

 誰も見ていないラナーの顔は、歪んでいた。

 

 

 

 

 

 

 円卓を囲んだ九人の男女。これは王都のどこかで行われる、実質上この王国を支配している者達の集会だ。

 一定の期間で定期的に行われる定例会。だがしかし、今回に限って言えばそれはいつもと違う空気があった。

 

「――では、最後の議題になるが……大問題だ。帝国が動いている」

 

 ざわり、とその場の空気が動いた。それは既に勘付いている者もいれば、知らなかった者まで平等に。唯一不動だったのは八本指における警備部門の長、六腕のゼロだけだろう。……もっとも、ゼロが不動であったのは唯一ゼロ達だけがほぼ全く関係の無い立ち位置にいたからだが。

 

「確かか?」

 

「確かだ。密輸部門のルートとブルムラシュー侯のルートを通って、帝国から王国に物資が届いている。まあ、それも僅かだがな。ほとんどはブルムラシュー侯の隠し財産で王国の物資を買い漁っている。だが――屈強な兵士の横流しなぞ帝国以外あり得まいよ」

 

「…………」

 

 王国のありとあらゆる場所に内通している、王国についてもっとも詳しいのは王族でも貴族でもない八本指だ、とも言われる組織だ。当然、この国の事情と王国を取り巻く現状については人一倍詳しいし、危機意識には敏感である。その言葉だけで、誰もが嫌な想像をした。

 

「……本格侵攻か」

 

「それしか考えられまい。もう少し後だと思ったんだがな」

 

 後数年ほど、今までと同じように嫌がらせのように麦の収穫の時期に戦争を仕掛けていれば僅かな労力で王国を占領出来たであろうに。どういうわけか、向こうの皇帝はやる気になったらしい。

 

「貴族達に情報は流したか?」

 

「無論、流したとも。だが情報を流した貴族の家は皆殺し(・・・)のあげく焼き討ち(・・・・)だ。当然、金品財宝の類は全て空。どこに行ったか不明という有様だ。……お前達が何かしたのなら話は別だがね」

 

 勿論そんな事をする八本指はいない。わざわざそんな冒険をしなくとも、金品なぞ幾らでも手に入るのが現在の八本指の状況。貴族達を皆殺しにして証拠隠滅など、国に正面から喧嘩を売るような危険な真似は冒さない。

 ――となればやはり、これは帝国から八本指への警告と見るべきだ。余計な真似をすると冤罪で王国の正規兵に討伐――から王国の国力を削ってこれまた帝国だけが得する事態になりかねない。

 ならば、やはり取るべき行動は一つだろう。

 

「“潜る”か」

 

「それしかないね」

 

「現在、王国内で活動するのは危険過ぎる。戦争が終わるまでは王都を離れ、身の安全を重視し確保するべきだな。幸い、王都の衛士長達は全て鼻薬を嗅がせてあるし、主な貴族や第一王子も同様だ。今ならば、王都を離れている間に何も起きなくとも(・・・・・・・・)すぐに利益を取り戻せる」

 

「――それで、ゼロ」

 

 全員の視線がゼロへと動く。岩のように不動な、屈強な男に。

 表の世界で王国最強がガゼフであり、アダマンタイト級冒険者ならば、裏の世界の王国最強こそゼロであり、六腕だ。ゼロを初めとした六腕と呼ばれる警備部門に所属する六人は、アダマンタイト級の戦闘力を誇るのだから。

 ゼロは瞑っていた目蓋を開く。最初に、麻薬部門のヒルマにしたように視線を周囲に巡らせる。

 

「……雇うのか?」

 

「ああ、状況が変わった。各員、どのような配置にするかそれぞれ決めるとしよう」

 

 そこでようやく、ゼロも会議に参加して口を開く。今日の早朝から行われた彼らの会議は、夜が更けるまで徹底的に行われる事になった。

 

 表舞台にいる者達が気づかない内に……ひっそりと、帝国の魔の手は忍び寄っている。気づいたのは舞台裏に住む日陰者達と、おぞましく聡明な黄金の姫君のみ。

 王国の破滅は、刻一刻と近づいて来ていた。

 

 

 

 

 

 

 ――それは、中火月の一日の出来事。

 

「フールーダ・パラダインが来たぁ?」

 

 アインズと組合員が落ち着かせて、ブレインの第一声がそれであった。

 

「は、はい。本物かどうか、正直まだ測りかねるのですが……」

 

 組合員はブレインの言葉に困惑しながら告げる。それを見ながら、アインズは一人首を傾げて訊ねた。

 

「すみません。お恥ずかしい話ですが、私は詳しくないんですが……誰です?」

 

 アインズの言葉にブレインと組合員は仰天したような表情を作るが、すぐにブレインは納得した。

 

「あー、そういやお前記憶喪失(アレ)だったな。フールーダ・パラダインっつうのは、帝国にいる逸脱者。人類最強の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だよ」

 

魔法詠唱者(マジック・キャスター)?」

 

「ああ。なんせ、第六位階までの魔法も使える化け物だ。人類最強っつってもいいんじゃないか? さすがに、俺でも勝てる気はしねぇな。お前の馬鹿げた鎧がありゃ話は別だが」

 

 対外的に第六位階までの魔法を無効化する、という事になっているアインズの漆黒の鎧。確かにこれを装備していればこの異世界の魔法詠唱者(マジック・キャスター)には勝てるだろう。

 だが、問題はそこではない。この異世界では、魔法は主に第三位階まで。第四位階を使える魔法詠唱者(マジック・キャスター)の数は少なく、第五位階に至っては本当に数えるほどにしか存在しない、というのが通説だ。

 そんな中にいる、第六位階魔法の使い手。なるほど、それは確かに有名人だろう。

 

「……その老人が、私達を訪ねて来られたんですか?」

 

 アインズも思わぬ大物の登場に、組合員を見つめる。組合員も困惑しながら頷いた。

 

「はい。本物かどうか、少し分からないのですがゴウン様とアングラウス様に会いたい、と」

 

「…………」

 

 アインズとブレインは互いに顔を見合わせた。

 

 

 

 ――相談の結果、結局二人は会いに行く事になった。組合員は怯えており、「よろしくお願いします」と頭を下げると場所を教えて去って行った。さすがに、止める気にならない。

 現在、フールーダは待合室で一人待っているらしい。アインザックが現在組合から離れているため、相談を仰げなかったのが痛いと言えば痛かった。

 

「本物だと思うか?」

 

 ブレインが廊下を歩きながら、アインズに訊ねる。アインズは少し考えながら、ブレインに口を開いた。

 

「分からん。そもそも何をしに来たのかさっぱりだ。……まあ、安全に本物かどうか確かめる方法はあるが」

 

「あー……お前に第六位階魔法でも唱えてもらや一発か。でも、俺は第六位階魔法の種類なんざ知らねぇぞ?」

 

「俺が知っているから安心しろ。……〈転移(テレポーテーション)〉でも使ってもらうか」

 

 第六位階までの魔法は無効化されるので、アインズは問題無い。第六位階魔法を使った時点で、相手はフールーダ確定という結論に持っていけるのでそうするべきだろう。しかし微妙にアインズはフールーダが第七位階以上の魔法を使った場合が怖いので、転移魔法を使用してもらい判別をつける事にした。これなら、アインズかブレインに魔法を撃ち込むような動作をした時点で敵対出来る。

 

「その魔法、どんなのなんだよ?」

 

「ああ――」

 

 廊下を進みながら、アインズはブレインに魔法の説明をする。ブレインも転移魔法という、戦士職の人間にとっては厄介な魔法に興味津々だ。

 そうして説明をしている内に、件の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が待っている待合室に着いた。ノックをする。

 

「――どうぞ」

 

 老人の声が聞こえた後、「失礼します」と一声かけてからドアを開けた。室内には、椅子に一人の老人が座っている。その老人は真っ白なフードとマントですっぽりと体を覆っており、顔を隠していた。老人はアインズ達が室内に入ると立ち上がる。

 

「お待たせして申し訳ありません。はじめまして、アインズ・ウール・ゴウンです。こちらがブレイン・アングラウス」

 

 アインズの名乗りに、老人の視線が胸元のアダマンタイトのプレートに刺さった気がする。老人は一呼吸置いて、名乗った。

 

「私の名前はフールーダ・パラダインと申します。この度は急な来訪申し訳ない」

 

 フールーダらしき老人が頭を下げる。その頭を上げさせて、老人が「どうぞお座り下さい」と言うのを遮り口を開いた。

 

「……失礼ですが、本物かどうかご確認させていただきたい」

 

 アインズの言葉に、老人は頷く。

 

「ふむ。当然ですな」

 

「第六位階に〈転移(テレポーテーション)〉という魔法があったはず。出来ますか? 無詠唱化せずに、そこから窓際まで移動していただけますか?」

 

 老人から鋭い視線がアインズに刺さった。アインズは内心でびくりと身体を震わせる。

 

(なに!? やっぱり、戦士が第六位階魔法知ってるのはおかしいか!? でもイビルアイとか蒼の薔薇は詳しそうだったし……)

 

 イビルアイ達蒼の薔薇との会話を思い出しながら、アインズは冷や汗をかく。老人は少しの沈黙の後、頷くと口を開いた。

 

「〈転移(テレポーテーション)〉」

 

 その一言で、老人の姿が掻き消えて窓際にいつの間にか立っている。その時の仕草、動き、詠唱。その全てが第六位階魔法である事を物語っていた。

 

「……本物ですね」

 

「マジか? え? マジでか?」

 

 ブレインも思わず口を開いて老人――フールーダを凝視する。フールーダは移動した窓際から再び元の位置に戻ると、「信じていただけましたかな?」と訊ねた。アインズとブレインは頷く。

 三人は椅子に座ると、まずフールーダが口を開いた。

 

「それで、改めて名前を。フールーダ・パラダインです。この度は急な来訪申し訳ない」

 

「いいえ、お気になさらず。どうせ暇しているので」

 

「だな」

 

「それで、どのようなご用件なのでしょうか?」

 

 アインズの疑問にフールーダはフードを取り顔を見せると、ギラリと瞳を輝かせて口を開いた。

 

「――ゴウン殿。貴方は、未知のアンデッドとこのエ・ランテルで戦ったとか。そのアンデッドの特徴をお聞かせ願いたい」

 

「はあ……?」

 

 アインズはフールーダに、デス・ナイトの特徴を教えていく。当然、未知のアンデッドというくくりであるためにアインズはデス・ナイトの名前を出さないように注意した。

 事細かに特徴を聞いたフールーダは、次にその事件の犯人はどのような者達であったのか訊ねる。それは、さすがにアインズも言うのは憚られた。アインズはブレインの顔を見る。ブレインも困り顔だ。

 

「あー……それは、さすがに言い辛いですね。組合に直接訊ねていただきたいのですが」

 

「確かにそうですな。では、少し訊き方を変えましょう。ゴウン殿、貴方は魔法に詳しいようですが、ずばり犯人が事件を起こした際に使用した魔法に心当たりがあるのでは? その魔法を教えていただきたい」

 

「……それは」

 

 その質問も、アインズにとっては口にしにくい類のものだ。何せ、組合にも報告していない。しかし、ここで帝国の重鎮であるフールーダに顔を覚えてもらうのは、少し魅力的だった。帝国で、様々な便宜を取り計らってもらえる可能性も含めて、いつか帝国も訪ねる気でいるアインズにとっては。

 アインズは少し考えて――やがて沈黙を破る。

 

「第七位階魔法、〈死者の軍勢(アンデス・アーミー)〉だと思います」

 

「――――」

 

 フールーダはアインズの言葉に、驚愕したのか目を見開く。

 

「何故、そう思ったのかお聞きしても?」

 

「……あの魔法はアンデッドを大量に召喚する魔法です。普通ならば、あれだけの量のアンデッドを召喚することは不可能でしょう。おそらくご老人、貴方であっても。しかしあの魔法ならば可能です……まあ、何らかのマジックアイテムを使用した、ということも考えられますが」

 

「ふむ」

 

 アインズの言葉に何故かブレインが考え込んだ。まるで、何かを思い出すような仕草だ。アインズとフールーダがそんなブレインの様子を不思議に思い、見つめる。

 二人の視線が集中する中――ブレインはようやく思い出したのか、口を開いた。

 

「そうだ、確か変なマジックアイテム持ってやがったな、犯人」

 

「それは――確か、お前が死体を確認したって言う件の犯人らしき男のことか?」

 

 アインズが訊ねると、ブレインは頷く。

 

「ああ。組合の連中と一緒に、霊廟に行った時死体を確認したって話はしたよな? その死体が、確か変なマジックアイテムを持ってやがったんだよ。水晶玉みたいなの」

 

「水晶玉?」

 

 アインズの脳内に、魔封じの水晶が思い起こされる。その中に〈死者の軍勢(アンデス・アーミー)〉でも封じていたのだろうか。

 

「その水晶玉、どうしたんだ?」

 

「あー……その時は、俺まだ正式な冒険者じゃなかったろ? なんでそいつが持ってたアイテムは全部組合に没収されたぜ。その水晶玉は、確かラケシルのおっさんが懐にしまってたな」

 

「魔術師組合長が?」

 

「おう」

 

 二人の会話を聞いていたフールーダは、少し考えた仕草をすると――席を立った。

 

「お二方、ありがとうございます。では、これから魔術師組合の方に行って訪ねてみることにいたします」

 

「はあ……お役に立てたのならば、幸いですが」

 

「ええ、大変ありがとうございました。またお会いしましょう(・・・・・・・・・・)

 

 フールーダは二人に頭を下げた後、待合室を去って行った。残された二人は顔を見合わせて首を捻る。

 

「結局、あのご老人は何の用だったんだ?」

 

「さて、な。どうも、俺が退治したアンデッドの話(・・・・・・・)を聞きたかったみたいだが」

 

 そう、おそらく一番の目的はそれだろうとアインズは思う。フールーダは、アインズが遭遇した未知のアンデッド……デス・ナイトの話を聞きたかったように思うのだ。犯人やマジックアイテムはついでだろう、と思う。

 

「あー……お上の考えることはさっぱり分かんねぇな」

 

「しがない冒険者だからな。別に気にしなくてもいいだろう。組合に報告した後、もとの席に戻るか」

 

 二人も席を立つと、待合室を出る。もとの受付のある大部屋に戻り、先程の組合員を見つけたために、報告する。

 フールーダ・パラダインの事と、そのフールーダの質問内容を。

 そうして二人が説明していると、ざわりと受付が騒がしくなった。しかし、すぐに喧噪が元に戻る。

 

「アインズ!」

 

「――イビルアイ」

 

 聞き慣れた声に、アインズは振り向く。週一で現れる仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)がそこにはいた。最初は驚かれて騒がしくなっていた組合の受付も、もはや慣れたものでイビルアイがアインズに一直線に向かってももはや誰も気にしない。

 それほどまでにイビルアイの態度は分かり易く、そしてそれに気づいていないのはアインズだけだった。

 

「おーおー、まーた来やがったかあのチビ」

 

 ブレインが悪巧みをしているような表情でイビルアイを見る。イビルアイはブレインなど全く気にせずに、アインズの隣まで近寄ると少し大きな声でアインズに話しかけた。

 

「久しぶりだな! 今日も会いに来たぞ!」

 

「ああ、久しぶりだな」

 

 何度も週一で訪れるイビルアイに、さすがのアインズも既に口調は砕けていた。本人からも、「砕けた口調で構わない」と言われているのだし。

 

「この一週間、何か変わったことはあったか?」

 

「いや、特に――――ああ、一応今日は変わったことがあったのか?」

 

 アインズはブレインを見る。

 

「まあ、変わったことと言やぁ変わったことじゃね?」

 

「なんだ? 何かあったのか?」

 

 首を傾げるイビルアイに、アインズは教える。

 

「ああ。何故か帝国の重鎮のフールーダ・パラダインがさっき俺達を訪ねて来たぞ」

 

「フールーダ・パラダイン? あの?」

 

 アインズの言葉にイビルアイが仮面越しにも驚愕したのが分かった。それはそうだろう、とアインズも思う。アインズがイビルアイの立場であっても、戦士二人にあの帝国の重鎮がわざわざ会いに来たというのは信じられないだろう。

 

「とは言っても、それ以外にゃ何の変化もねぇけどな」

 

「――ああ、そうだな」

 

 ブレインの言葉に、アインズは一気に気分が落ち込む。本当に、特に何もない日々であったのだ。

 そんな二人の様子にイビルアイは気づいた様子もなく、話しかける。

 

「そうか! 私達は今週はこんなことがあったぞ! あのだな――」

 

「分かった、分かった。とりあえず席に座って聞こう」

 

「ああ!」

 

 イビルアイの悪意の無い蒼の薔薇の冒険譚に、アインズは内心で溜息をつきながらイビルアイの背中を押して席に促す。ブレインもアインズとイビルアイの後ろについて行った。

 アインズはいつもの席に、ブレインもまたいつも通りのアインズの対面に。イビルアイはアインズの隣に座って。

 

「それでだな――今回の依頼で私達は評議国の国境付近に……」

 

 嬉しそうに教えてくれるイビルアイ達の冒険譚を、アインズは時折相槌を打ちながら黙って聞く。イビルアイの嬉しそうな声が、その日組合が閉じるまでずっと響いていた。

 

 

 

「――ラケシル」

 

 アインザックは魔術師組合の組合長室で、頭を抱えてショックを受けた様子の友人に声をかける。しかし、友人の言葉にラケシルは何の反応も示さない。ただひたすら、頭を抱えてソファに座り込んだままだ。

 その気持ちは、アインザックにも多少は分かるつもりだ。

 

「なあ、ラケシル。いい加減、立ち直れ。するべきことは山のようにあるんだぞ?」

 

 そう、するべき事は山のようにあった。いや、山のように増えた、と言うべきか。少なくともあの客人が来るまでは、もう少しするべき事は少なかったはずなのだ。

 だがあの客人が、彼らの仕事を膨大にした。せざるを得なかった。

 

「……そう、そうだな。いつまでもこのままでいいはずがない。すまない、アインザック」

 

 アインザックの言葉に、ラケシルはようやくそう返すと顔を上げる。顔色は真っ青だ。彼は正気に戻った時から、顔色を真っ青にしていた。

 そう――マジックアイテムに操られていた(・・・・・・)事を自覚してから。

 

「……フールーダ・パラダイン老には感謝しないといけないな」

 

「ああ…………」

 

 その日、二人は仕事の関係で集まり、一緒にいた。そんな時にやって来たのだ、あの帝国の重鎮は。

 当然、二人は仰天したものである。いくら冒険者組合などが国との諍いを無視すると言っても、ここは敵国である。そんなところに、帝国の重鎮が密入国して現れるとは誰が思おう。

 二人はとりあえず、フールーダを通した。フールーダは急な来訪という無礼を詫び、アインズとブレインから先に話を聞いてここに来たのだと語った。

 その理由は、ラケシルがズーラーノーンの高弟らしき男の死体から拾ったマジックアイテムを知るために。

 

 最初、ラケシルは難色を示した。いくらフールーダとはいえ、マジックアイテム狂いのラケシルにとってマジックアイテムを手放す可能性は避けたかったからだ。

 しかし、フールーダを敵に回す愚は避けたいアインザックは、ラケシルにマジックアイテムをフールーダに見せるよう説得した。アインザックの説得に渋々頷いたラケシルは、懐からそのマジックアイテムを、水晶玉を取り出す。

 ……その時、アインザックは疑問に思ったのだ。何故、こいつは普段からこのマジックアイテムを持ち歩いているのか、と。

 そしてその理由は、フールーダの手に渡った瞬間すぐに判明した。

 

「――――」

 

 ラケシルが、驚いたように目を見開く。そして、周囲を見回し――小さな声で呟いた。

 

「俺は、今まで何を……」

 

「ラケシル……?」

 

 その呆然とした様子に、むしろアインザックの方が呆然とした。まるで、何故こうなっているのか分からない、という友人の今の様子が、殊更アインザックを不安にさせる。

 そして――

 

「――ふむ。インテリジェンス・アイテムか」

 

 そんな二人の様子を尻目に、フールーダが静かに、その手の中に水晶玉を持ちながら呟いた。

 

「インテリジェンス・アイテム?」

 

 アインザックは驚き、フールーダを見る。フールーダの視線は手の中の水晶球に固定されたままだ。

 

「〈道具鑑定(アブレイザル・マジックアイテム)〉」

 

 二人の目の前で、フールーダが鑑定魔法を唱える。

 

「ふむ。アンデッドの支配力の補佐に、死霊系魔法の複数使用可能――そして、人間を支配し操る、と」

 

「なッ……!」

 

 フールーダの言葉に、アインザックは仰天してフールーダが手に持つ水晶玉を凝視する。ラケシルはそれを見ながら「そうだ……」と呟いた。

 

「声が、声が聞こえたのだ。俺を導くような……そんな声が……お、俺は……」

 

 ごくり、と唾を呑む音が室内に響いた。

 

「俺は今まで、このマジックアイテムに操られていたのか!?」

 

「…………!!」

 

 ラケシルの言葉にアインザックはおぞましいものを見た、というように身を仰け反らせ水晶玉を凝視する。そして、思わずフールーダの顔を確認するが、老人は凪の様に静かだ。

 

「……どうやら、私が操れないので驚いておるらしいな。まったく、こんなところで伝説級のマジックアイテムを目にすることになるとは」

 

 フールーダは何でもないように、手の中のマジックアイテムを観察している。

 

「パ、パラダイン老……大丈夫なのですか?」

 

 アインザックが声をかけると、フールーダは頷いた。

 

「うむ。私を操るには至らなかったようだが……さて」

 

 フールーダはアインザックとラケシルを見る。

 

「このマジックアイテムを、私に譲ってほしいのだが」

 

「…………」

 

 アインザックとラケシルは顔を見合わせる。しかし、拒否権は無かった。あるはずが無かった。

 ここでフールーダの頼みを拒否すれば、エ・ランテルの魔術師組合の地位は地に落ちる。何故なら、マジックアイテムや魔法を調べる専門組織の長であるはずのラケシルが、そのマジックアイテムに操られていたのだから。もしこんな事が表沙汰になれば、それは破滅だろう。

 フールーダだからこそ、操られずに済んだのであろうが、そんな事が余人に分かるはずはない。そんな友の破滅を、アインザックが見ていられるはずもない。

 そもそも、ここで断ったら生きていられるのかさえ疑問だった。

 

「……分かりました。そのマジックアイテムは、我々では手に余るようです。管理を、パラダイン老に任せます」

 

 アインザックは頭を下げる。フールーダは頷いた。

 

「うむ。任せたまえ。……さて、用件は終わってしまったな。では、私はこれで失礼するとしよう。――では、また会おう(・・・・・)

 

 フールーダは二人にそう挨拶を終えると、再び去ってしまった。残されたアインザックはほっと息を吐き――ラケシルは、頭を抱え込んだのだ。顔色を真っ青にして。

 ――それが、事の顛末であった。

 

「……俺は、操られていたとは……自分が情けない」

 

 ラケシルの苦渋の声に、しかしある意味でアインザックは安心していた。ラケシルはマジックアイテムに操られていた。だから、あのンフィーレアの時もマジックアイテムに固執し、人命を軽視するような態度だったのだろう。

 確かに、ラケシルは未知のマジックアイテムに我を忘れる傾向がある。あのアインズにぬるぬると張り付きマジックアイテムを求めていた姿は、ラケシルの本質だろう。

 しかし、アインズにマジックアイテムを求めるのとンフィーレアの件は全く話が違う。ンフィーレアには明確に人命や彼の尊厳が掛かっていた。それを度外視するようなラケシルの口調は、アインザックも不思議に思っていたのだ。

 

 ――いや、まさか。いくらなんでもそこまでは、と。

 

 そして、それは証明された。さすがのラケシルとて、マジックアイテムに固執はしても罪の無いンフィーレアという少年の尊厳は守るはずだ。惜しむらくは、そのンフィーレアが既に行方不明である事だろう。今もって、誰がンフィーレアを誘拐したのかは不明だ。おそらく、ズーラーノーンではないかと思われるが。

 

「さあ、ラケシル。今までお前が片付けた案件の洗い直しだ。変なことになっていたら困るからな。俺も手伝ってやる」

 

「……アインザック」

 

「俺達は、友人だろう?」

 

 アインザックの言葉に、ラケシルは再び顔を伏せた。そして、ポツリと告げる。

 

「ありがとう、アインザック」

 

 アインザックは、友人に向けて笑った。

 

 

 

 

 

 

 絢爛豪華な部屋で、バハルス帝国の皇帝――ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは報告書を見ながら、同じ部屋で椅子に座っている一人の老人――フールーダに声をかけた。

 

「じい、厄介事だ」

 

 フールーダはそんなジルクニフの言葉に、少し喜色が混ざっているのを感じ取った。

 

「どうされましたかの、陛下」

 

「ああ、これなんだがな――」

 

 報告書を受け取り、フールーダは読み進めていく内に目を見開く。それは王国で未知のアンデッドと相対し、退治した冒険者の記録だった。

 

「ドラゴンと一騎打ちの末、蒼の薔薇との協力により撃破? それに、法国の特殊部隊を相手にガゼフ・ストロノーフを初めとした戦士団と共に協力、そして撃破? 更にはこの未知のアンデッド……」

 

 そのアンデッドの特徴は、フールーダが知っているある一体のアンデッドを連想させた。ジルクニフはそんなフールーダの様子を面白そうに眺めている。

 

「じいの弟子が報告を読んでいると仰天してな、じいを呼ばせてもらった」

 

「それは……なるほど」

 

 フールーダの弟子ともなれば、当然そのアンデッドを知っている。もっとも特徴的な能力の報告はここに記されていないが、それでも外見特徴だけでそれは連想させるに十分だった。

 

「それで、どうなんだ? じい。そのアンデッドは噂に聞くデス・ナイトなのか?」

 

 ――デス・ナイト。それはかつてカッツェ平野に現れた伝説のアンデッドである。

 かつてはデス・ナイトを退治するのにフールーダを初めとした数多の魔法詠唱者(マジック・キャスター)を投入し、空中からの〈火球(ファイヤーボール)〉などで弱らせるしかなかったという。現在は魔法省の奥深くに封印されているとジルクニフは聞いていたのだ。

 

 ジルクニフに問われたフールーダは、少し考えながら首を捻る。

 

「ふむ……特徴的に言えば、デス・ナイトと一致します。しかし肝心の能力――殺した相手をスクワイア・ゾンビにする能力が報告にありませんので」

 

「その報告によると、その漆黒の戦士が前衛を務めて他の冒険者達が後衛を務めたとあるな」

 

「ええ。つまり――仮にこのアンデッドの正体がデス・ナイトならば前衛を務めた漆黒の戦士は、間違いなく四騎士を超える化け物ということになります」

 

 帝国にはジルクニフ直属の部下である四騎士がいる。彼らはガゼフやアダマンタイト級冒険者に迫る強さの者達であるが、デス・ナイトとの近接戦は出来ないとフールーダは考える。

 いや、それどころかデス・ナイトと近接戦なぞあのガゼフでさえも出来るかどうか疑問だ。それがこの漆黒の戦士――アインズ・ウール・ゴウンという男が戦ったアンデッドがデス・ナイトではないという証明の気がするのだが……。

 

 この、アインズの戦歴が常軌を逸している。後に協力したとはいえ、ドラゴンと一騎打ち。そして法国の特殊部隊との戦闘。明らかに、普通のアダマンタイト級ではない。

 

「直接話を聞いてみれば分かるかもしれませんが……」

 

 フールーダがそう言うと、ジルクニフが面白そうに顔を歪めた。フールーダは首を傾げる。

 

「陛下?」

 

「なら、直接会いに行って確かめてみるか?」

 

「――――」

 

 それは、ひどく魅力的な案だ。

 

「どの道、そんな伝説のアンデッドが再び現れたのか確認は必要だしな。王国の連中はデス・ナイトを知らぬようだし。……もっと言えば、そもそもコイツは何故エ・ランテルに現れたのか気にもなる。じいも気になるだろ?」

 

「勿論です」

 

「では、決まりだな。じい、顔を隠して王国に入り、このゴウンという男に会いに行ってこい」

 

 ジルクニフはそう告げると、横で話を聞いていた四騎士の一人……バジウッドが不思議そうに口を開いた。

 

「陛下、いいんですかい? 敵国ですぜ?」

 

「かまわん」

 

 バジウッドの問いに、ジルクニフはバッサリと答えた。

 

「訪ねるのは冒険者組合なんだ。国同士のいざこざに冒険者は関わらない、それが彼らの決まり事だ。ならば当然、王国にとっては敵であろうとフールーダが個人的に訪ねることの何が問題があるだろうか? ――というより、連中がフールーダに文句を言ってくるような度胸があると思うか? 少なくとも、エ・ランテルの都市長はとても言えんだろうよ」

 

 エ・ランテルは王の直轄領だ。そこを任されるのは、当然王派閥に属する者に決まっている。ましてやあの城塞都市――帝国が侵攻したら真っ先に狙われる都市だ。そこを任されるのは忠心厚く、優れた貴族に決まっている。

 だとすれば、何も問題はない。フールーダが単独で乗り込んでいようと、何か言ってくるような度胸も蛮勇も都市長は持ち合わせていないだろう。

 ジルクニフはそう告げた。

 

「では陛下、さっそく準備をしてなるべく早く訪ねに向かおうと思います」

 

 フールーダがそう言うと、ジルクニフは笑顔で肯定した。

 

「ああ、そうしてくれ。事によっては――クク、もしかすると、今年で王国は滅びるかも知れんぞ?」

 

「はは、そうですな」

 

 ジルクニフの言葉をフールーダは肯定する。確かに、ありとあらゆる事が上手く回れば、そうなってしまう。

 

 例えば――本当に、アインズの討伐したアンデッドがデス・ナイトだった時。

 例えば――そのデス・ナイトが人為的に生み出されていた時。

 例えば――デス・ナイトの作成・支配方法がマジックアイテムだよりであった時。

 例えば――そのマジックアイテムが、未だエ・ランテルにあった時。

 

 その時――王国の未来は潰えるのだ。

 

「何か問題があったら、すぐに転移魔法で帰ってくるんだぞ、じい」

 

「ええ、陛下。陛下も、何か問題があった場合はすぐに〈伝言(メッセージ)〉でも早馬でもいいのでお知らせ下さい」

 

 フールーダはジルクニフにそう告げると、「ではこれで失礼」と言って室内から退出する。

 

 そしてフールーダは歩き去る。まずは、自分の今行っている研究の引継ぎや、アポイントメントの調整などをしなくてはならない。時折アダマンタイト級冒険者や貴族・国外の使者と会談する事もある立場である。きちんと自分の仕事をこなして行かなくてはならない。

 フールーダは帝国では要職に就いている。色々、責任重大な案件もある。

 だが、しかし――

 

「ふふ……」

 

 フールーダはつい笑みを漏らしてしまった。エ・ランテルに向かう日が待ち遠しい。待ちきれない。

 

 もし、アインズの討伐したアンデッドがデス・ナイトであったなら。

 もし、そのデス・ナイトが人為的に生み出されたものだったなら。

 もし、デス・ナイトの作成・支配方法がマジックアイテムだよりであったなら。

 もし、そのマジックアイテムが未だエ・ランテルにあったなら。

 

 フールーダは感謝したい。デス・ナイトを支配する事。それはフールーダの長年の夢の一つでもあった。

 そう――フールーダは餓えている。魔法の師という存在を望んでいる。

 しかし、フールーダはいつだって先駆者だった。まずフールーダが道を開き、舗装し、その後を弟子達が追従する。それがフールーダの今までの人生。

 だが、フールーダのもっとも求めている望みは、地位でも名誉でもない。魔法の深淵。ただ、魔法を知りたいという知識欲。

 通常ならば、それは魔道書や師匠という存在によって、より深く知る事が出来るだろう。だが、それがフールーダには許されない。何故ならば、フールーダこそがもっとも魔法の深淵に近い存在なのだから。

 しかし、そんなフールーダでもデス・ナイトの創造の仕方も、支配の方法も知らないのだ。

 だが――もしかしたら、エ・ランテルに行けばそれが解決するかもしれない。フールーダはまた一歩、魔法の深淵に近づけるかもしれない。

 それが、フールーダには待ち遠しい。

 

 このフールーダの願望を知るのは、ジルクニフのみ。ジルクニフはフールーダに、褒美のような気持ちで今回の命令を下したのだろう。

 

「ありがとう、可愛いジル」

 

 フールーダはジルクニフに感謝する。齢二〇〇年を超えるフールーダにとって、ジルクニフは赤ん坊の時から知っている、可愛い可愛い我が子のような子供だ。

 そんな彼の贈り物に、フールーダは心から感謝したい。

 

 ――そして、全ての仕事を終えたフールーダは一人、旅立った。エ・ランテルへ。もしかすると、自分の望みに一歩近づくかもしれない運命の場所へ。

 そこで、フールーダは知るのだ。自らの理想のような状況を。

 

 アインズの討伐したアンデッドは、間違いなくデス・ナイトだった。

 そのデス・ナイトは人為的に生み出されたものだった。

 デス・ナイトは死の宝珠というマジックアイテムにより生み出され、支配されていた。

 その死の宝珠は、エ・ランテルにまだあった。

 

 フールーダは、死の宝珠を手に入れた――。

 

「ふ、くく、ふははははは――ははははははははッ!!」

 

 エ・ランテルから帝国への帰り道。フールーダはたまらず笑う。全てが自分の思い描いた理想。懐にしまったインテリジェンス・アイテムには心からキスを贈りたい。

 

 ――何がおかしい、老人。

 

 死の宝珠が高笑いを浮かべるフールーダに、不思議そうに声をかける。死の宝珠はもはや諦めていた。フールーダの魔法抵抗は高い。とてもではないが、精神を支配出来なかった。

 だから死の宝珠は、全て諦めてフールーダの支配下に入る。いつか、また再び死を振りまける日を夢見て。

 

「なんでもない。なんでもないとも、死の宝珠よ――」

 

 フールーダの返答を、人間の心の機敏が分からぬ死の宝珠は、ただ不気味に思いながらフールーダの懐で揺られる。フールーダは転移魔法で帰らなかった。この天にも昇るような気分のまま、ゆっくりと帝国に帰還するのも悪くないと思って。

 

「ああ――」

 

 フールーダは笑っている。素晴らしき日々。素晴らしき我が人生。また一歩、魔法の深淵に近づいた、と。

 

「私は今、生きている――」

 

 老人の高笑いが、エ・ランテルと帝国の間にいつまでも響き続けた。

 

 

 

 

 




 
六腕編があるとでも思ったかッ!
次回から、ジル君無双、はじまります!
 


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The Bloody Tyrant Ⅰ

 
■前回のあらすじ

フールーダと死の宝珠、死の神とすれ違う。
 


 

 

 その日は、この一言から始まった。

 

「イビルアイがおかしい」

 

「…………」

 

 いつも通りの冒険者組合の受付、いつものようにソファに向かい合って座っていたアインズの呟きに、ブレインは刀に向けていた視線を上げてアインズを見る。アインズはいつも通りソファにぐでっと体を沈めていた。

 

「……まず、なんでそう思ったのか聞こうか」

 

 ブレインは刀を鞘にしまうと、脇に置いてアインズを見つめる。本格的に話を聞く体勢になったブレインに、人と会話するような態度が皆無のアインズは口を開いた。

 

 ――あの魔樹の事件以降、イビルアイは週一でエ・ランテルを訪れてアインズ達に話しかける。会話の内容は毎回蒼の薔薇の冒険譚だ。アインズはそんなイビルアイの口から発せられる羨ましい冒険譚を、多大な嫉妬と未知への憧れを抱きながら聞いていた。

 そのイビルアイが、ここ最近蒼の薔薇の冒険譚をしなくなった。自分の事とアインズの趣味、好きな食べ物への問い。普段何をして過ごしているか、など……そういった些細な内容に切り替わったのである。

 アインズは不思議に思い、イビルアイに最近蒼の薔薇は依頼に出ていないのか、と訊ねたがイビルアイは何故か慌てた様子で首を横に振り否定した。

 だからこそ、アインズは思う。これはイビルアイ達蒼の薔薇に何かあったのではないか、と。彼女達は自分達とは違い、外に依頼に出る冒険者だ。アインズ達が街の外に出ないのは治安の問題からで彼女達とは状況が違うが、それでもいきなり冒険譚が聞けなくなれば何かあったと考えるのが普通だ。

 

「――と、いうわけなんだが」

 

 アインズが自分の考えを話すと、ブレインが口の端を引き攣らせてアインズを見ていた事にアインズは気がついた。そんなブレインに内心で首を傾げ、とりあえずの結論を口にする。

 

「だから忙しいのなら遠慮せず、今の問題を片付けるためにしばらく来なくていい――今度イビルアイが来たら、そう伝えようと思うんだが」

 

「やめろォッ!!」

 

 最後まで口にすると、ブレインが身を乗り出すように止める。アインズは驚き体を硬直させた。

 

「お、おま、お前……それイビルアイがショックで寝込むからやめてやれよ……。ようやく失敗に気がついたっぽいのにお前にその反応されるとか、死体蹴りだぞ本当……」

 

「はあ?」

 

 ブレインの言葉に疑問符を浮かべる。ブレインは少し深呼吸をして精神を落ち着かせると――アインズに言い聞かせるように口を開いた。

 

「まず、お前――イビルアイがなんでエ・ランテルに毎回来てると思ってたんだ?」

 

「それは……新しいアダマンタイト級冒険者が気になってるからじゃないのか?」

 

 あるいは、アインズを心配してくれているのかもしれない。記憶喪失だと騙るアインズを。イビルアイは割とアインズの疑問に答えてくれるので、おそらく彼女はあれでお節介な性質なのだろうと思われた。

 しかし、アインズの言葉を聞いたブレインは天を仰ぐ。何も分かってねぇなコイツ、という態度だ。

 

「いや、お前が鈍感なのは気づいていたけどよ……マジか。え? マジで? お前、真面目に鈍いな。あのチビッ子、あんな分かり易いのに」

 

「?」

 

 ブレインの言っている事がさっぱりアインズには分からない。そんなアインズの様子に溜息をブレインはついて、ビシッとブレインはアインズに指を突きつけた。

 

「ズバリ言うぞ。イビルアイは、お前に惚れている(・・・・・・・・)

 

「――――ぇ?」

 

 ブレインが突きつけてきた言葉に、アインズは思わず呆然とした。そして、即座に精神状態が元に戻る。アンデッドの精神の鎮静化で。……つまりそれくらい、アインズは驚いた。

 

「いやいやいや……無いだろ?」

 

 驚愕に身を支配された後瞬時に冷静に戻り、アインズはブレインに告げる。それはあり得ない。イビルアイがアインズに惚れるなど、あるわけがない。

 何故なら、彼女は異形種(ヴァンパイア)。アンデッドである。そんな怪物が人間(と思われるモノ)に惚れる。あるはずが無い。

 

 確信をもってそう告げたアインズに、ブレインは何を頑なな、とでも言いたいような小馬鹿にした表情を浮かべた。

 

「俺もこんな生き方をしてるから、お前に偉そうに言える立場じゃないんだがな。それでも知っている事がある。恋に男も女も年齢も関係無いだろ。お前以外の誰がどう見ても、イビルアイはお前に惚れている。この場の全員が、間違いなく俺の意見を肯定するだろうよ」

 

 ブレインの言葉に、アインズは思わず周囲を見やる。少しばかり聞き耳を立てていたらしい周囲の冒険者達や受付嬢などがアインズを見て、頷いた。

 

「――――マジか」

 

 アインズが思わず呟くと、再びその場の者達が頷く。つまり、それほどイビルアイの態度は分かり易かった、と。

 

「えー……」

 

 アインズは頭を抱える。この場にいた誰もがそう思っていた、という事実に。アインズはかつての世界で営業職に就いていたサラリーマンだ。当然、人の心の機微には営業職として自信を持っていた。

 それが今、木端微塵に砕け散る。この場の誰もが分かったイビルアイの心が、アインズにだけは分からない。

 

(だって仕方ないじゃんか! っていうか恋愛感情なんて分かる方がおかしいよ! 営業職に恋愛要素無いし! 損得勘定とか信頼と信用とかが重要だろ! ――そもそも俺、童貞だし)

 

 最後の思考に盛大なダメージを心に負いながら、アインズは頭を抱えた状態でブレインを見る。

 

「……マジか?」

 

「ああ、マジだ」

 

(イビルアイが、俺のことを……好き?)

 

 長年の童貞生活に終止符を打つかのごとく、ついに春到来――とはアインズは決して思わなかった。そもそもイビルアイとアインズの間には、周囲が思っている以上のあらゆる障害が発生する。

 

 まず、お互いアンデッドである。周囲はイビルアイがアンデッドだという事を知らないし、そして周囲の人間どころかイビルアイさえアインズがアンデッドであるという事を知らない。だから愛を育んだ確かな結果など決して生まれては来ない。

 次に、アインズは骨である。ぶっちゃけ、ナニなど無い。非常に悲しい現実だが、実戦使用しないで無くしてしまったのだ。つまりそもそもの愛を育むという行為自体が出来ない。

 最後に――そもそもの問題として、アインズはイビルアイに恋愛感情なんて持っていない。きっと、これからもそんな心が育つ事は無いだろう。

 

 アインズは冷静に、二人の恋の行く末を結論付ける。どう考えても続くはずがない。

 何故なら互いにアンデッド。大きな精神作用は沈静化させられる。恋が燃え上がるなどという現象自体が、お互い発生などするはずが無いのだ。例え発生したとしても、続くはずがない。その精神高揚は確実にどこかで抑制され、お互いどこか冷めた空気を纏ったまま生活していく事になるだろう。

 こんなものが真っ当な恋愛であるはずがなく、例えイビルアイが本当にアインズに恋をしていたのだとしても、彼女はいつか冷や水を頭から被せられたように冷静になる。

 アンデッド同士の恋愛なぞ、おそらくその繰り返しだ。その感情を燃え上がらせて、一気に鎮静化させられ――最後には互いに冷めた空気だけがその場に残る。

 情熱など欠片もない。愛情なぞ育たない。そんな恋愛に未来は無い。

 

 アインズはアンデッドとしての特性を考え、いっそ残酷なほどに冷静に自分達が付き合った場合の予測を組み立てた。

 

「…………」

 

 沈黙して考え込むアインズを、そんな残酷な事実なぞ知らないブレインが面白そうに告げる。

 

「これからはもうちょっと気をつけて見てやれよ。まあ、あんなチビッ子はお前さんの趣味じゃないかもしれねぇけどな」

 

「……確かに趣味じゃないが」

 

 イビルアイは自分の趣味じゃない。凹凸なぞ無し。どこもかしこもつるぺたで、しかもちょろちょろとうざいし騒がしい。好かれて悪い気はしないが、それだけだ。イビルアイに欲望を感じるような人間は、ペロロンチーノのような特殊な趣味の人間だろう。

 もっとも、アインズが欲望を感じないのはイビルアイのせいではない。例え傾国とも言えるような絶世の美女が相手であろうと、今のアインズは欲望をほとんど感じないだろう。

 しかしそれは、おそらく、イビルアイも同様に違いないのに。

 

「お前が冒険が好きそうだから冒険の話をして、んで満足に冒険出来ないお前に嫌味言っていたことに気がついて、ちゃんと話をしようと頑張ってんだ。俺が言うのもなんだが、断る時はちゃんと気をつかって断れよ」

 

「?」

 

「……イビルアイのあの姿見てりゃ、恋愛下手でたぶんお前が初恋じゃね? 初恋相手に嫌な振られ方しちまったら、きっとこじらせるぜ」

 

 ――と、どっかで聞いた事がある。ブレインはそう呟くと、もう興味を失ったのか再び刀を手に取って、入念に刀身の様子をチェックし始める。アインズはそんなブレインの持つ刀の、周囲を鏡のように照らす鈍い光を放つ刀身を見つめた。

 

「――アインズ! 来たぞ!」

 

 そして、今日もイビルアイがやって来る。

 

 

 

 ――偶には、エ・ランテルを歩き回って見るか?

 

 イビルアイはアインズにそう尋ねられ、一も二もなく頷いた。むしろ何度も何度も頷いたせいで、アインズに少し引かれた。

 ブレインは「今日は泊まって帰って来てもいいぞ」などと言い、アインズに殴られたが彼は笑って二人を冒険者組合から見送る。イビルアイはアインズの隣に並び、アインズの漆黒の兜に覆われて見えない顔を見上げた。

 

「……行きたい場所とか、見てみたい場所はあるか?」

 

 アインズの言葉にイビルアイは少し考え――首を横に振った。

 

「いや、特には」

 

 そう言ってから――イビルアイはガガーランの言葉を思い出した。

 何か尋ねられて、何でもいいと答えるのが一番駄目な答えなのだという事。それがもっとも相手に負担をかける答えであり、そんな事を言ってしまえば自分の方が何をしてもらっても確実に不満が残るだろうとガガーランはそう言っていた。

 

(し、しまった! アインズを困らせてしまう! ど、何処か行きたい場所はないか――!?)

 

 イビルアイは脳内をフル回転させて考える。しかし、何も思いつかない。アインズといい雰囲気になれるような場所の知識は、イビルアイの中には無い。

 何故なら、イビルアイはエ・ランテルの事をほとんど知らなかった。冒険者組合と魔術師組合、そして蒼の薔薇が宿泊した宿屋。自分が転移魔法のマーキングをつけた場所――道具屋。以上がイビルアイの知るエ・ランテルの情報である。どこもデート場所として失格であった。

 

(ま、まさかこんなに早く二人で外に出ることがあるとは――なんということだ! もっとリサーチして、計画を立てておくべきだった!)

 

 ……ちなみに、イビルアイが例えデート計画を立てていたとしても、最後はアインズとロマンチックに結ばれてベッドインしているという妄想炸裂の計画しか立てられないので、ガガーランに大変残念がられて計画は無意味になるという未来しかない。二〇〇年以上恋愛処女だったヴァンパイア・プリンセスは伊達ではないのだ。

 

「――なら、俺の買い物に付き合ってもらってもかまわないか?」

 

「勿論だ!」

 

 イビルアイは即座に頷く。イビルアイはアインズの案内に従って、隣を歩いた。

 

 ――着いた場所は、魔術師組合だ。アインズは既に顔見知りなのだろう。何人かと話して迷いなく歩いていく。イビルアイは慌ててその後を追った。

 アインズはカウンターまで行くと青年に声をかけ、魔法の巻物(スクロール)のリストを貰っている。リストを受け取ったアインズはゆっくり見るつもりなのか、カウンターを離れて室内にあるソファに向かい、座る。イビルアイも隣に座った。

 

「イビルアイ、何か面白い魔法はこの中にあるか?」

 

 隣に座ったイビルアイにアインズが訊ねる。イビルアイはアインズの言葉にそのリストに視線を向けた。

 

「面白い魔法、と言われてもだな……どんなのだ?」

 

「あー……例えば、〈浮遊板(フローティング・ボード)〉みたいな、一見これ何に使うんだ、みたいな魔法とか」

 

「……あぁ」

 

 つまり、つい最近開発されたような、人気の無い魔法だ。魔法の進化は日々目まぐるしく、イビルアイもよくこんなものを思いついたな、と言うような魔法が開発されている事がある。

 もっとも、イビルアイにとってはほぼ必要のない魔法だ。冒険者としては日常で便利に使える魔法よりも、より高位の魔法を覚えた方がいい。特にイビルアイほどの強さになれば。

 

「そんな魔法なんかよりも、いざという時に役に立つ魔法の巻物(スクロール)の方がいいのではないか? 〈道具鑑定(アブレイザル・マジックアイテム)〉とか」

 

 アインズとブレインは戦士二人組なので、そもそも巻物(スクロール)は使えない。しかし他の冒険者と協力するような事態があった場合、鑑定魔法や回復魔法など、そういった魔法の方が役に立つはずだ。

 

「あ! いや……ちょっとした趣味みたいなものでな。こういう変わった物があると、つい集めたくなるんだ」

 

「そうなのか?」

 

 イビルアイにはそういう趣味はないが、蒐集家(コレクター)と呼ばれる者達は役に立たないゴミであろうと、手元に置きたがる性癖があると聞いた事がある。どうやらアインズにはその気があるようで、おそらくアインズが持っている数々のマジックアイテムも、その結果として集まったのだろう。

 

「変わった趣味だな、アインズ。……そうだな、これなんかどうだ?」

 

 イビルアイは身を乗り出し、アインズにリストを指差しながら魔法の説明をしていく。そうして幾つも説明していき、アインズが何の巻物(スクロール)を買うか決めた後にアインズが「ありがとう、イビルアイ」と礼を言う段階になってから――イビルアイはアインズと密着していた事に気がついた。

 

(わー! わー!)

 

 内心で思い切り興奮するが、すぐにアインズは離れる。立ち上がってカウンターに向かうアインズに、イビルアイは内心で悔しがった。

 

(くっ! き、気がつくのが遅かった……! もっと密着して胸くらい押しつけておけば……!)

 

 自分の平坦な(げんじつ)を忘れて、イビルアイは悔しがる。そして、次のチャンスは逃がすまいと固く決意をした。

 

 ――その後も、イビルアイはアインズと共に色々な所を見て回った。アインズの贔屓する道具屋、住民達の憩いの広場、子供達の集まる公園……エ・ランテルで笑顔を取り戻している数少ない場所。

 そうして見回って冒険者組合に帰るまでに、色々な話をイビルアイはアインズとした。アインズの事に、少しだけ詳しくなる。イビルアイはアインズの声が平坦ではあるが、それでもエ・ランテルにはそれなりに愛着を持っている事を感じ取った。

 

(だから……エ・ランテルから出ないのだろうか?)

 

 彼は彼なりに、エ・ランテルに愛着を持っている。イビルアイはそれを感じて嬉しくなった。記憶喪失の根無し草なアインズであるが、こうして王国の都市を気に入ってくれたなら、記憶を取り戻しても王国に残ってくれるかもしれないからだ。

 

(いつか、アインズに自分がアンデッドだということを話せたらいいな……)

 

 そして、それでもラキュース達のように受け入れてもらえたら、何も言う事は無かった。

 

 日が暮れて冒険者組合に二人で帰ると、二人の姿を見たブレインが手を上げて存在を示した。

 

「おい! アインズ、お客さんだぜ!」

 

「客……?」

 

 ブレインの言葉にアインズが視線をブレインの方へ向ける。イビルアイもつられるようにして視線を動かした。そこに――イビルアイはぞわりとしたものを感じ取る。

 

「――――貴方は」

 

「――どうも、お久しぶりです」

 

 アインズと知り合いらしい雰囲気を漂わせて、長い漆黒の髪の見知らぬ青年が、ブレインの対面のソファに座っていた。

 

 

 

 

 

 

 夏が過ぎ実りの季節である秋がやってきた頃、毎年のように、今回も帝国から王国に布告官からの宣戦布告文が届いた。そしていつものように――ガゼフにとって、頭の痛くなるような宮廷会議が始まる。

 今回宮廷会議に参加しているのは、ガゼフに、国王であるランポッサ三世。その息子であるバルブロ第一王子とザナック第二王子。六大貴族からは王派閥の三人と、貴族派閥に属する貴族で参加しているのはレエブン侯のみという結果になった。後は有象無象の貴族達である。

 六大貴族はある一部門では王の力さえ凌ぐ者達だ。そのため、色々と言い訳をして参加しないのが常であった。今回もそうなったというだけであろう。

 ……もし、仮に六大貴族が全員参加する気になった場合、それは何らかの異常事態が起きた時か。あるいは六大貴族の中でもっとも不気味な男――レエブン侯が声をかけた時くらいだろう。ランポッサ三世ではこうはいかない。

 

「――さて、今年も帝国から宣言文が届いたわけだが」

 

 ランポッサ三世の言葉が会議室内に響き渡る。宣言文もまた、一字一句例年通りであった。そのため、今回もいつも通り帝国が王国の国力を減退させようとする嫌がらせに思われた。だからこそ、今回の宮廷会議もまた例年通りの動きをなぞるだけである。

 

 曰く、今度は帝国軍を撃退し、その足で帝国に攻め込もう。

 曰く、帝国の侵攻を撃退するのは飽きた。

 曰く、帝国の者達に我々の恐ろしさを知らしめる時が来たのである。

 ああ、まさに侯爵様の仰る通りでございます――。

 

 笑い声混じりの貴族達の声は、毎回一言一句違わない。ガゼフとしてはうんざりする行いだ。

 王国はここ数年間、定期的に帝国とカッツェ平野で戦争を繰り返してきた。

 睨み合うか、あるいは王国側が多少の被害を出して終わる小競り合いであるが、今回もそのように終わるだろう。そうした慣れ切った生温い空気が貴族達の間にある。

 ガゼフとてそうだった。その結果として国力が減退する、という結果はあるが何度も繰り返されれば人は慣れる生き物である。麻痺してしまうのだ。

 だからこそ、いつも通りに行われた宮廷会議。民衆から徴兵し、帝国軍よりも多くの兵士を集める。貴族の幾つかは参戦しない。特にブルムラシュー侯は帝国に情報を流している噂さえあるのだ。だから、今回もブルムラシュー侯は参戦表明をしなかった。

 これもまたいつも通り。そもそも、万が一のために内部に兵を残しておくのは当然である。ブルムラシュー侯はそれを買って出ているに過ぎない。そのように、大義名分がいつもあるのだ。

 だから、誰も気にしなかった。

 今回も例年と同じだろうと信じて疑わなかった。

 結果として国力は減退し、憂鬱な気分にはなるし未来はどん詰まりであったが、まだ大丈夫だとあのレエブン侯でさえ信じていた。

 

 ――二ヶ月後、帝国の動員した兵力の報告を聞くまでは。

 

 

 

「……馬鹿な! 六万だと!?」

 

 ざわり、と室内の空気が動く。報告を聞いた誰もが、その数に恐れおののき、顔色を悪くする。それは彼らにその情報を告げたレエブン侯でさえ例外ではない。

 

 ――現在、彼らは兵士を掻き集め城塞都市エ・ランテルに集まっている。二十万に近い民兵が王国中から集められ、エ・ランテルの中で戦闘訓練を行っていた。

 そして、都市長パナソレイの住む館の隣、貴賓館にてランポッサ三世とガゼフ、武勲を求めて参加したバルブロ、六大貴族はブルムラシュー侯とリットン伯だけ不参加であり、後は他の大貴族達が複数。バルブロの頼みで、ボウロロープ侯さえ今回の戦争は出て来ている。ボウロロープ侯は次期国王にバルブロを推しているので、バルブロの価値が上がるであろうイベントは見逃さない。例年通りの小競り合いならば、戦場に勇敢に参戦した、という話だけで十分だったからだ。

 だが、今回は例年通りとはいかないかもしれない――それをようやく、彼らも認識するに至った。

 

「確かか、レエブン侯?」

 

「はい。私の配下の元オリハルコン級冒険者チームに調べさせましたが、兵力は不明なれど紋章は計六軍団分……つまり、およそ六万の兵士を導入していると思われます」

 

 帝国騎士団の総数は八。今までの戦争で参戦したのは最高で四軍団であったが、今回はその一・五倍が動いている。

 今までの戦争とは明らかに違う――そう思わせるに相応しい数字だった。

 

「まずいな。もう少し兵を増やすべきであった」

 

 王国は今回もいつも通りの兵力しか動員していない。何せ、王国の主な民は農民であり、彼らは本来ならば遅い麦を刈っていなければならないのだ。あまり兵士として働かせたくないという思いがある。

 だが、専業騎士である帝国軍と民兵が主な戦力の王国軍とではそもそもの自力が違う。数で圧倒しなければたちまちの内に王国軍は崩壊するだろう。

 

 確かに、いつもと違う兆候はあった。それは法国からの書状である。彼らも毎回帝国と王国の小競り合いの時に宣言を出しており、内容は例年通りであればエ・ランテル近郊は元々法国のものであって、不当な権利で争うのは遺憾である、というものだ。

 しかし、今回の法国からの書状はいつもの文に追加があった。“この不当な権利争いに、何らかの変化があった場合部隊を派遣させてもらう”――という、いつもとは違う一文が。

 おそらく、この意味は例年通りの事をしなかったら軍を出すぞ、という意味だと思われた。しかし王国は例年通りの小競り合いと認識していたため、この法国の書状を全く気にしなかった。だからこそ、いつも通りの布陣で迎え撃とうとした。しかし帝国の方はそう思わなかったらしい。

 

「どうする? 今から兵力を集めるか?」

 

「駄目だ。今からでは訓練など足りるわけがないし、そもそもエ・ランテルまで来れるかどうかも分からん」

 

 軍勢を再び再編するなどすれば、むしろ前より酷くなる可能性も高い。今ある兵力でどうにか対処するべきだった。

 

「……冒険者達は使えないのか?」

 

 バルブロの言葉に、貴族達は顔を見合わせて曖昧な笑みを浮かべる。それが出来れば苦労はしないのだ。レエブン侯がバルブロに丁寧に冒険者達を参戦させられない理由を説明し、その理由をよく知らない貴族達も頷く。

 

「提案があるのですが」

 

 そして幾つもの話し合いの後、ボウロロープ侯が口を開く。

 

「今回帝国の兵力は増大しております。別動隊を警戒し、エ・ランテルに兵士を五千ほど残し、王子に指揮していただく、というのは?」

 

 その言葉に、バルブロが驚いてボウロロープ侯を見る。しかしランポッサ三世は頷いた。

 

「確かにその通りだな。バルブロよ、お前に命じる。ここエ・ランテルに残り、帝国の別動隊に警戒せよ」

 

「……王命とあれば」

 

 これは帝国が予想以上に軍を動かしてきたためだ。いつもと同じであるなら小競り合いだけで済むので、王と同じく後部に待機しているバルブロがいても問題は無いが、帝国は例年とは違った事をした。ならば、万が一を考えて第一王子であるバルブロはエ・ランテルに残した方がいい。

 

 そして、最後に戦争の全軍指揮権であるが――これはランポッサ三世がレエブン侯に一任した。ボウロロープ侯は狙っていたようだが、とても彼には任せられない。しかし、レエブン侯であれば任せられる。ボウロロープ侯も相手がレエブン侯であれば口出し出来ない。

 

 ――以上をもって、本格的な出陣の準備は始まった。明日にはエ・ランテルを出て、カッツェ平野まで赴く事になるだろう。

 貴族達やバルブロが出立の準備のために部屋から出て、最後にランポッサ三世とガゼフが残される。ここから、本当の意味での会議が始まるからだ。

 少しすると、都市長のパナソレイがやって来た。もう一人後でやって来るらしいが、ガゼフは誰がやって来るかまだ知らない。

 

「では先に都市内の――」

 

 パナソレイが糧食等の出費や、一年後の王国の予想国力などを説明していく。横で聞いていた内政に詳しくないガゼフすら、眉を顰めてしまう事情を。

 

「来年、また帝国の侵攻があれば、王国は内部から崩壊する危険がますます大きくなると思われます」

 

「なんということだ……やはり、もっと早く行動していれば……」

 

 ランポッサ三世は嘆くが、これはランポッサ三世だけが悪いとは言えない。王国の今の状況は、今までの王家が積み重ねてきた行動の結果なのだ。それがランポッサ三世の代で、明確に表沙汰となった。今までの王族の無能のツケが、ここにきて一気に回って来たのである。

 帝国も同じ状況であったはずだが、残念ながら帝国は何代か連続で優秀な皇帝を生み出してきた。結果として、今代のジルクニフに浄化されてしまいあちらは真っ当な国として立ち上がった。いや、優秀すぎて王国を食い破ろうとまでしている。

 

 そうして話をしていると、ついに最後の一人がやってきた。ガゼフは来た人物を見て仰天する。何故なら、ガゼフがこの世でもっとも信用できないと思っていた貴族が、そこには立っていたからだ。

 

「皆様、お待たせしました」

 

 やってきたのは――あのレエブン侯である。王派閥と貴族派閥を交互に行き来する蝙蝠のような男。いつも顔色が悪く、しかしその顔に薄気味悪い微笑みを浮かべている男だ。現在は貴族派閥に属し、ザナックを次期王として推薦している。

 しかしガゼフの思いとは裏腹に、ランポッサ三世は嬉しそうな笑みを浮かべてレエブン侯を迎え入れた。

 

「おお、待っていたぞ。手間をかけさせてすまなかったな」

 

 これは、ボウロロープ侯が指揮権を貰おうとしてレエブン侯に投げた事を言っているのだ。貴族派閥のボウロロープ侯にこれ以上の権力を握らせないため、ボウロロープ侯でも文句を言えない人材にその指揮権を渡したのである。

 しかし、彼以外に指揮権を渡せる人間がいなかったのも事実だ。ボウロロープ侯は勿論駄目だが、ランポッサ三世でも駄目だ。ランポッサ三世が直接指揮権を握った場合は、下手をすると貴族派閥の兵士達が戦争前に撤退してしまう。そのため、レエブン侯以外に任せられる人間はいなかった。

 

「さて、申し訳ありませんが、あまり長居も出来ませんので、手短に問題を解決していきます」

 

 いつものように蛇のような冷たい顔を浮かべて、レエブン侯は語る。ガゼフはレエブン侯に思う事はあるが、しかしランポッサ三世が信じているのならば、と黙する事にした。

 

「まず、今回の帝国ですがおそらく本気です。私の部下の元冒険者達に探らせましたが、運び出される物資の量や、動員される兵士の数が例年を上回っており、その前準備に本気の度合いが見て取れます。もし仮に今回も例年通りの小競り合いを想定していると言うのなら、はっきり言って無駄が多過ぎると言わざるを得ないでしょう。今までと同じように、最小限の戦力で小競り合いを続けていれば、数年もしない内に王国は破綻するのですから」

 

「……なんと」

 

 レエブン侯に明確にそう言われた事によって、危機感が募る。

 

「しかし、法国からの書状が帝国にも届いたはずですが――彼らは何とも思わなかったのでしょうか?」

 

 パナソレイの疑問はもっともだ。法国は強い。帝国であっても勝てるかどうか分からない。これまで王国が法国との戦争を一度も意識して来なかったのは、法国は一度たりとも人間の国家に戦争を吹っ掛けた事が無いからだ。今までの帝国と王国の小競り合いも、法国は書状を寄こして些細な横槍を入れる程度で治めていた。

 そこに、例年とは違う一文である。帝国は思う事がなかったのだろうか。

 そしてその疑問には、レエブン侯が答える。

 

「法国の方は軍を動かしている気配はありません。彼らは単に言い回しを変えただけか――あるいは何か別の狙いがあるのか、今は分かりません。しかし、帝国は法国からの書状を見て、むしろ法国を威圧するために敢えて例年以上の軍を動かしたのではないかと思われます」

 

「つまり――法国の書状で気が変わった?」

 

「おそらく。今回の法国からの書状で、帝国の強さをアピールして一筋縄ではいかない事を示したかったのでしょう。……エ・ランテルまで攻め込む気かもしれませぬな」

 

「エ・ランテルを落とす気でいると?」

 

 ランポッサ三世の問いに、レエブン侯は首を横に振った。

 

「いえ、私の軍師が言っておりましたがその可能性は低い、と。城塞都市を落とすのは帝国全軍を投入しても難しく、落とされたとしても確実に奪還出来るそうです。ただ、それこそが狙いなのかも知れません」

 

「うん?」

 

「一度エ・ランテルを落とした、という事実を欲している可能性がある、ということです。エ・ランテルを統治する気はなく、一度落として王国軍を追い払った後、放棄。つまり国力を例年以上に大きく落とすのが目的ではないか、と」

 

「なるほど……」

 

 支配しておきながら、自治区として放置する、という手段を取る可能性。王国の現状として、帝国軍が本国に帰還している最中に攻撃を仕掛けるほどの元気はない。そうしてエ・ランテルを一度落とし、帝国は法国を恐れてなどいない、という事をアピールするために軍を動かしたのではないか、とレエブン侯は予測しているらしい。

 

「帝国の面子のために、ある程度の痛みは妥協する――そのような手段が取れるとは、羨ましいかぎりだ……」

 

 ランポッサ三世はそう呟いた。それは酷く疲れ切った声色で、その声色が王国の現状を明確に表している。

 王国にはそんな事は出来ない。どこかと戦争をするような余力を、王国は持たない。何故なら、王国は一年を無事に過ごせるかどうかさえ、毎年恐れるほどに疲弊しているのだ。

 そんな今にも死にそうな、けれど必死に生きる王国を帝国は喰らおうとしている。現状、彼らは何も困ってなどいないのに。

 

「――――」

 

 ガゼフは帝国の皇帝を思い出す。鮮血帝ジルクニフ。かつて戦場で出会った時、勧誘された相手だ。もしガゼフを見出してくれた権力者が国王のランポッサ三世でなければ、ガゼフはジルクニフに下っていたであろう。

 しかし、ガゼフはランポッサ三世に出会った。彼こそ、ガゼフが忠義を尽くすに相応しい――いや、忠誠という言葉と概念を教えた素晴らしい人だ。

 

「陛下、必ずやそのようなことはさせません」

 

 だからこそ、ガゼフはランポッサ三世に告げる。そのガゼフの言葉に、レエブン侯が頷いた。

 

「そうですとも、陛下。そしてそれを防ぐ方法は一つです。まず一当たりした後、わざとエ・ランテルまで後退します。何せ戦場はカッツェ平野です。我々が戦争をするその日だけは何故か霧が晴れますが、本来は霧で視界も利かないアンデッド達の棲み処です。それを利用します」

 

 帝国軍が王国軍に突撃を仕掛け、それを王国軍が防ぐのが今までの小競り合いの攻防だ。それ以降帝国は何もせずに戦争を止めるが、今回はそのような気はないだろう。そのまま王国軍に大打撃を与え、エ・ランテルまで進軍しこの都市を落とすと思っていい。どうせ放棄する気でいるのだ。統治する気はないのだから、落とした時の状態を考える事はしないだろう。

 ならば王国が取るべき手段は、最小限の犠牲で敗走する事。十分に戦力を残した上で、エ・ランテルまで撤退し、わざと帝国を王国領まで引き摺り出す。そしてエ・ランテルで時間稼ぎのための防衛戦だ。カッツェ平野の晴れていた霧が戻った時、今度は帝国が大打撃を受ける。背後から、アンデッド達によって。

 その気になってしまった帝国に勝つ手段は、これしかない。……勿論、帝国もカッツェ平野は警戒しているだろうから、作戦を気づかれた時点で進軍して来ないだろう。それならばそれでいい。そちらであっても、犠牲は最小限で済む。

 

「――では、細かな作戦を煮詰めていきましょう」

 

 

 

 

 

 

 ガゼフは貴賓館を出て、街中に出る。精神的疲労を呼吸にして吐き出した。

 

(さて……)

 

 少しの間の自由時間だ。本当ならば自らの守るべき民衆を見て回るべきだろうが、今回のガゼフはそれよりも行きたい場所があった。ガゼフはそこに向かって歩き出す。目的の場所は……冒険者組合である。

 

「――――」

 

 無言で冒険者組合の扉を開け、中を見回す。そこには様々な冒険者らしき者達が雑談をして立っていた。彼らはガゼフを見て、酷く驚いた様子を晒している。それも当然だろう。ガゼフの顔を知る者は少なくとも、ガゼフの装備している鎧は王国戦士の鎧だ。そういった人物が来るような場所ではないのだ、ここは。

 

「――――」

 

 ガゼフは目的の人物達を探す。二人――少なくとも一人はかなり目立つので、いるならばすぐに見つかるだろう。実際、ガゼフは見回してすぐに発見出来た。ソファに座って、それぞれ思い思いに過ごしている二人を。

 

「ゴウン殿、アングラウス」

 

 ガゼフが声をかけると、二人の視線がガゼフに動いた。ソファにもたれかかり天井を見上げていたアインズは視線を下げ、手に持っていた武器の手入れをしていたらしきブレインは下げていた視線を上げる。

 そして、ブレインが軽く目を見開いた。

 

「ストロノーフ……!」

 

「戦士長殿ではありませんか」

 

 二人の言葉に、周囲が再びざわりと騒がしくなる。ガゼフはそれを無視し、二人のいるソファまで歩いて近寄った。二人の目の前まで着くと、まずはアインズに声をかける。

 

「ゴウン殿、あの時は大変感謝する」

 

「いえいえ、お気になさらず――と前にも言っていたはずですよ、戦士長殿。それで、今回はどうされましたか?」

 

 二人は既にガゼフがこの街にいる理由を知っているのだろう。当然だ。二ヶ月も前からエ・ランテルで戦争準備を始めていたのだから。

 

「まあ、どうぞお座り下さい」

 

「ああ、では失礼する」

 

 アインズの言葉に、ガゼフは空いている席に座った。なんとなく、ブレインの隣は憚られたためにアインズの隣だ。ブレインとは複雑な関係なので、なんとなく隣に座るのは居心地が悪い。

 ……本来、二人の立場からすればアインズもブレインも立ち上がってガゼフに礼を尽くすべきなのだろう。しかし二人ともそんな事はせず、座ったままで気軽な様子だ。それに内心で感謝して、ガゼフは座った後口を開いた。

 

「――――」

 

 しかし、再び口を閉じる。目線の先にいるのはブレインだ。何と言って声をかければいいのか分からない。ブレインも口を開くが、そのまま何と声をかければいいのか悩むのかすぐに口を閉じている。きっと、ガゼフも同じような表情をしているのだろう。

 そんな二人を見かねたのか、アインズが朗らかに声をかけた。

 

「お二人は確か知り合いでしたね。なんでも昔、御前試合で決勝を飾った相手だとか」

 

 アインズの言葉に、ガゼフは頷いた。

 

「ああ。あの時の事は今でも鮮明に思い出せる。あの時――敗北の恐怖を味わわせてくれた男だ」

 

「――そうとも。そして、俺は初めて敗北を味わった。お前の手でな」

 

 獰猛な笑顔をブレインが向けてくる。それにガゼフは微笑み返した。もしかすると、同じような笑みを浮かべているのかもしれない。

 その笑顔をお互いに見て――噴き出した。ガゼフだけでなく、ブレインまでも。

 

「ふ――ふふ――久しぶりだな、ストロノーフ」

 

「ああ、久しぶりだ、アングラウス」

 

 笑いながら、互いにようやくきちんと言葉を交わす。奇妙な感情がそこにあった。ガゼフは何故か安心する。きっとブレインも、ガゼフと同じような気持ちを相手に抱えてくれていたのだと気づいて。

 そう――即ち、ライバルである。

 

「冒険者になったと知った時は驚いたぞ。今までどこで何をしていたんだ?」

 

 ガゼフがそう訊ねると、ブレインは言い辛そうな表情で言い淀む。

 

「ああ……その、剣の修行兼ちょっとした用心棒をな」

 

「ふむ」

 

 ブレインの実力ならどこでも用心棒として務まるだろう。ただ、王国貴族の中で雇われたわけではない、というのは分かる。もし貴族に雇われていたのなら、ガゼフとブレインはもっと早く再会していただろうから。

 

「カルネ村の一件の後、別の依頼で遭遇しまして――意気投合して組もうってことになったんですよ」

 

「ああ、そうだ」

 

 アインズの言葉にブレインが慌てた様子で頷いた。それにガゼフは驚く。

 

「なんと、なら俺とも再会する可能性が高かったわけか。惜しいことをした」

 

 そうだ。もし再会出来ていれば――

 

「惜しいこと?」

 

 ブレインの言葉に、ガゼフはついぽろりと本音が零れる。

 

「ああ。もしよければ――戦士団に入団してくれれば、と」

 

 言った後に気がつく。冒険者になっている者に、その発言はまずい、と。二人はコンビを組んでいるというのに、これではブレインの引き抜きになると気がついたからだ。ブレインが断っても、了承してもどちらにしろ角が立つという事に気がついてしまった。

 

 しかし、二人はまったく気にした様子がなかった。それよりも、面白そうなものを見る目でブレインはガゼフを見ている。

 

「そりゃつまり、俺に部下になれってことか? ふふ――舐められたもんだな、俺も。俺がお前に従う時は、俺と再戦し、お前がもう一度勝った時だ」

 

「――――」

 

 ブレインの言葉に、ガゼフは驚く。それは、ブレインはガゼフの部下になってもいい、と思っている事。悪い気はしない、という好意に他ならないからだ。

 

「好きにすればいいんじゃないか?」

 

 思わずアインズを見ると、アインズは気にせずブレインにそう言っていた。つまりアインズも、ブレインが引き抜かれてもいい、と口にしているのだ。

 それはブレインが抜けても問題無い、と思っているのか。あるいは、ブレインの意思を尊重しているのか。ガゼフの知るアインズの性格ならば、なんとなく後者の方が正解に近い気がした。

 

「ああ――俺はお前ともう一度戦いたかった。あの日、あの時から――俺はずっと、お前に勝ちたいとそう思っていたんだ」

 

「――――」

 

 ブレインの研ぎ澄まされた剣気が、ガゼフへと刺さる。その気配に、ガゼフは息を呑んだ。

 この高揚感を覚えている。ああ、そうだ。あの時も、ブレインと対峙した時、ガゼフはこのような気分に――

 

「まあ、今は戦士長殿は戦争に行かなければならないのだから、ブレイン。お前と戦う暇は無いだろうが」

 

「――――」

 

 ついその気になっていた気持ちに、アインズの一言で冷静さが戻って来る。ガゼフは頭を少し振って気分を入れ替えると、ブレインを見た。

 

「アングラウス。許可も出たことだし、もしよければ――」

 

「ああ、ストロノーフ。今回の戦争が終わった後、すぐ再戦だ。その時、俺に勝てたら冒険者止めてお前の部下になってやるよ」

 

「――ああ。そしてお前が勝ったら、遠慮なく周辺国家最強の座を持って行け」

 

「二言は無いな」

 

 ギラリ、とブレインの視線がガゼフに刺さる。ガゼフは力強くブレインに頷いた。

 必ず、帰って来よう。ここに。約束を果たすために。

 

「――さて、それではせっかくだから世間話でもしていきますか?」

 

 アインズの言葉に、二人の空気が正常に戻る。ガゼフはアインズの言葉に頷いた。

 

「ああ。今までどんな冒険をしてきたか気になるな。色々と話してもらえないか」

 

「おう、いいぜ。とは言っても俺らそれほど冒険してねぇんだけどな」

 

 ブレインの言葉に何故かアインズの気分が沈んだ気がする。それに首を傾げるが、ブレインはそんなアインズを笑っていた。

 

「ああ、そういえばなガゼフ。以前帝国のフールーダが俺らを訪ねて――」

 

 ブレインが告げた言葉に、その時ガゼフはなんとも言い難い感覚を受けた。だが、ガゼフにはそれを言葉という形にして告げる事が出来ない。政治的思考に疎いガゼフは、この情報から今回の戦争に結びつける事が出来ないのだ。

 しかし、ガゼフを責める事は誰にも出来ないだろう。何故なら、普通教わった事以外は覚えられないのが人間だ。王国は腐敗が進み、一人一人の人間もまた身体だけでなく頭もとっくに膿んでいる。ましてや平民出身のガゼフがラナーのように僅かな情報で今回の顛末(・・・・・)を予測出来ると思う方がおかしい。例え、ラナーが異常なほどに、おぞましいほどに狂っていると言えるほど優秀な頭脳を持っているとしても。

 もし仮に、この場にレエブン侯がいれば違った結末になったかもしれない。少なくともレエブン侯であれば、アインズ達の話からアインザック達に、そこから更に死の宝珠について辿り着けただろう。

 だが、アインズ達はフールーダに会った。ガゼフはそれを聞いた。それだけで話題は切れてしまい、別の話題に移行してしまった。

 よって、レエブン侯が全てに気がつくのはこの戦争の後になる。

 それを、きっと彼は未来永劫後悔する事になるだろう。

 

 

 

 

 

 

 ――約束の日、常にアンデッド達と霧で覆われているカッツェ平野は、例年通り晴れていた。

 対カッツェ平野駐屯基地にて、六万の軍勢、皇帝のジルクニフと四騎士に皇帝直轄の近衛隊、フールーダの用意した兵士達(・・・・・・・・・・・・・)が集まっている。何故なら今回は本格侵攻。王国を攻め落とすために来ているのだ。気合いの入れようが違う。

 その駐屯基地のもっとも立派な天幕にて、ジルクニフと四騎士の内の三人、将軍達とその護衛が集まり会議を開いていた。

 

「さて、お前達。今回の最終目的は当然理解しているな?」

 

 ジルクニフの言葉に、将軍の一人が頷く。

 

「勿論です、陛下。作戦内容も全て頭に入れております。必ず期待通りの――いえ、期待以上の働きをしてみせると誓いましょう」

 

 彼は第二軍の指揮官だが、今回は最高指揮官を務める。本来ならば第一軍の将軍である大将軍が最高指揮官を務めるべきであるが、今回彼はここにはいない。

 

「そうか! 連携の練習をした甲斐があったというものだ」

 

 その連携の練習で出た死者の数は少なくないが、それでも今回の作戦において上げる功績を思えば釣りが出るだろう。

 

「ではもう一度確認するぞ。――アレ(・・)をまず突っ込ませた後、数を増やす。その間にガゼフ・ストロノーフがやって来るだろうが、四騎士で妨害。増やし切ったら思う存分アレと戦闘させてもかまわない――そうだろう?」

 

「その通りです、陛下」

 

 もっとも、ガゼフならば殺し切る、という事もあり得るだろうが瞬殺や秒殺とはいくまい。必ず激戦になる。その間に勝負は決するだろう。

 

「他の軍勢にはあの四体を差し向ければいい――ふむ。なんとも楽な仕事だな。我々が一番気にかけなくてはならないのが、同士討ちというあたりが少々厄介だが」

 

「大丈夫でしょう。パラダイン様は今もきちんと制御しておられる」

 

「まったくだ! いや、いい拾い物をしたものだよ!」

 

 ジルクニフは朗らかに笑った。何故なら、本当にいい拾い物であったからだ、死の宝珠は。

 そしてジルクニフはひとしきり笑った後、全員を見回す。

 

「さて――もう一度、口を酸っぱくしていっておくが、今回略奪は無しだ。どんな小さな村であろうと見逃せ。もし誰かやった場合はかまわん。首を斬れ」

 

「はっ!」

 

「その後のための布石だ。いいな? 絶対に略奪や虐殺の類はするな。やった奴は誰だろうとかまわん、殺せ」

 

 そう――その後の王国統治のための布石だ。本来ならば補給やストレス解消のために末端の兵士達がそういった事をしていても、ある程度は無視するべきなのかもしれないが今回は絶対にそれをさせない。させるわけにはいかない。

 王国が補給させないために自分の領土の村を焼いて回った――どうぞご勝手に。好きなだけするといい。

 それをすればするだけ、困るのはアチラである。

 

「……エ・ランテルで籠城させるのが目的ですが、もし冒険者達を徴兵して出したらどうしますか? その、ガゼフ・ストロノーフ級が追加で二人増えると、さすがに難しいと思うのですが」

 

「ああ……」

 

 もしこの作戦に問題があるとすれば、王国が躍起になり冒険者達を戦争に駆り出す事だ。特にアインズとブレインを出されれば苦しくなる。しかし――

 

「何の問題もないとも。その場合は、エ・ランテルに攻め込む必要はあるまい? 周りをゆっくり落としていこうではないか」

 

 わざわざ馬鹿正直に攻城戦をする必要はない。フールーダを初めとした魔法詠唱者(マジック・キャスター)達を使い、定期的に飛行呪文で超高度の空から魔法でも石ころでも降らせておけばいい。

 そうして彼らが困っている間に、ゆっくりとこちらは周囲の都市を落とす。三つも落とせば補給もままならなくなり、一ヶ月もしない内に備蓄が尽きて降伏せざるを得なくなるだろう。そもそも、エ・ランテルは城塞都市として今までほどの堅牢さを持っていない。例のアンデッド事件のせいで、人手という意味ではまだ復興しきれていないのだ。城壁は最優先で修復したであろうが、人はそうはいかない。もしかすると、正面からでも行けるかもしれないほどに。

 

「なんだったら、魔法詠唱者(マジック・キャスター)を何人か使ってトブの大森林から、魔物達をわざと引っ張ってきてもいいしな」

 

 そして、王国軍に突っ込ませる。向こうは大混乱になるだろう。

 エ・ランテルに逃げ込み、持久戦を挑めば勝てる――などという事はない。王国軍は帝国軍をカッツェ平野に押し込もうと躍起になるであろうが、そのような事を許すものか。

 こちらの備蓄が尽きる前に、王国軍は降伏させる――そのための布石は既に打ち、作戦も立てた。フールーダ達は必ず、うまくやるだろう。

 

「――というわけで、連中とまともにやり合う必要は無い。そもそも、冒険者組合の連中が動く可能性の方が低い、と俺は見ているぞ」

 

 ジルクニフとしてはそう考えていた。今までエ・ランテルの冒険者組合の情報を探らせていたが、彼らは国同士のいざこざに関わる事を嫌い、確実に動かないだろう。

 ガゼフを差し向けて無理矢理徴兵――というのもなくはないだろうが、それもやはり可能性が薄いと見ていた。というのも、肝心要のアインズが動きそうにないからである。

 アインズ・ウール・ゴウン。エ・ランテルに拠点を置くアダマンタイト級冒険者。調べてみたところ、彼は王国に対しての忠誠心が薄い、というよりも皆無である。それは同じチームのブレインも同様だ。彼らはそういうのを嫌う傾向さえ見えた。

 アダマンタイト級冒険者は、数多の冒険者達の花形であり指標である。それが動かない、と言えば彼らは梃子でも動かないであろう。王国の貴族達は腹を立てるだろうが、さすがに内部で殺し合ってまで徴兵はしないに違いない。それでは本末転倒である。

 

「ははあ……それならば、無駄な犠牲も減りますな」

 

 将軍は納得したらしく、ジルクニフに礼を言って頷いた。ジルクニフも満足気に頷き、天幕の外に視線を移し、立ち上がった。

 

「――――さて」

 

 ジルクニフは部下達を見る。頼もしき、部下達を。これからジルクニフの語る覇道に付き従い、共に歩む者達を。

 

「開戦の時だ。()くぞ、お前達――」

 

 天幕の中に、ジルクニフを王と崇める者達の声が響き渡った。

 

 

 

 戦争が、始まる。

 

 

 

 

 




 
アインズ様と会った謎の男「布石は打っておきました」
王国貴族達「俺達は死なねぇー!」
ラナー「分かり切った結末のために知恵なぞ貸すはずないでしょう?」
ガゼフ「フールーダが二人を訊ねたらしいがただの世間話だな!」

レエブン侯「ああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!! )」
 


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The Bloody Tyrant Ⅱ

 
■前回のあらすじ

レエブン侯かわいそう……。
 


 

 

 カッツェ平野の赤茶けた大地のなだらかな丘に、王国軍と帝国軍は展開し睨み合っていた。

 王国軍の数はおよそ十五万ほどの大軍であり、対する帝国は六万。数の上では圧倒的に有利だ。

 しかし、どれほどの数を揃えようとこの世界はたった一人の英雄で全て覆す事の出来る、一騎当千の世界。疲労がなければ一〇〇人の戦士がガゼフと戦ってもガゼフの勝利は揺るがないように、農民が幾ら集まっても専業騎士である帝国の騎士に勝つのは難しい。

 だからこそ、王国はいつも数の暴力を最大限に活かせる陣形で戦ってきた。そして帝国はその陣形に向かって、正面から軽くぶつかるか、あるいはその前を通って撤退するだけで済ませてきた。

 何せ、帝国の目的は農民を戦場に引き摺り出し、作物の収穫時期を台無しにする事。そして王国の備蓄を無駄に使わせて国力を衰退させる事だ。わざわざ金も手間もかかる専業騎士を無駄にするような事をするわけがない。

 

 多くの王国貴族達が、今回もそうした動きで終わると信じていた。それがいつもの流れなのだから。

 ――しかし、ここに今までの情報から、帝国の動きをちゃんと読めた男がいる。

 

「レエブン侯」

 

 本陣にて、レエブン侯に話しかけてきた男はかつてレエブン侯の領地にある村で、ゴブリン達に襲われた際にその半数程度の村人で彼らを撃退した勲を上げた平民。今はレエブン侯に気に入られ、レエブン侯にとっての軍師として召し上げられた男だ。

 その軍師が話しかけた事によって、レエブン侯は耳を傾ける。

 

「どうしたのかね?」

 

「今回、帝国は本気――という事ですね?」

 

「うむ。おそらくは、だが」

 

 レエブン侯は軍師としての彼に、全幅の信頼を置いている。勿論、一番信頼している部下は元オリハルコン級冒険者達だが、指揮官としては彼の右に出る者はいないと思っていた。だからこそ、現状や政治的事情をある程度は伝えてある。

 だからこそ、彼はレエブン侯に告げた。

 

「帝国が本気だと言うのなら――陣形が今までと違う可能性があります。歩兵を後ろに下げられませんか?」

 

 今まで王国軍は槍衾の形に軍を展開しており、農兵達に六メートルもの長槍を持たせて帝国軍の初手にして唯一の、重装甲騎馬兵達による突進を防いでいた。帝国軍は今までそうして農兵達の目の前を通り過ぎ、撤退していくだけに務めていたのだ。

 だが、今回はそれだけで終わらないとなると――歩兵である農兵達を前線に出すのはまずい。そのような密集地帯、弓兵達で狙ってくれと言っているようなものだ。

 そう告げられたレエブン侯は、しかし首を横に振る。

 

「おそらく無理だろう。他の貴族達が納得するまい」

 

 他の貴族達は能天気なもので、今回も例年通りだと疑っていない。帝国が六万の軍勢を率いている、と言っても意識改革を出来ないだろう。さすがのレエブン侯でも、彼らを納得させられるとは思えなかった。下手をすると、その時点で王国軍は瓦解するし――敵が例年通りの行動をしてきた場合、弓兵達だと突進を防げない。

 

「なら、せめて追撃を避けるために両翼は騎馬兵で固めて下さい。エ・ランテルに撤退する際に追撃されると、確実に全滅してしまいます」

 

 騎馬兵はそれほどに恐ろしい。中央と両翼、全てを歩兵にして今まで通り騎馬兵や弓兵を下げていると、エ・ランテルに撤退する際に追撃された場合、歩兵が全滅する危険性がある。そうなればエ・ランテルに逃げてもほぼ壊滅した軍では籠城戦も出来ないのだ。

 レエブン侯は軍師の言葉に頷く。

 

「分かった。では、何とかボウロロープ侯を説得しておこう」

 

 騎馬兵はその性質上、金が非常にかかる。そのため財産を持っている貴族ほど、多くの騎馬兵を持っていた。一番持っているのはブルムラシュー侯であるが、今回の戦争には参加していない。ボウロロープ侯がもっとも所有する騎馬兵が多いだろう。彼に話を通しておく必要がある。

 

「ありがとうございます」

 

 軍師は頭を下げ、礼を言う。レエブン侯はボウロロープ侯への伝令を出した。

 そして――カッツェ平野で陣形を整え始める段階になり、彼らは自分達の予感が正しかった事を知る。

 

「……弓兵と魔法詠唱者(マジック・キャスター)が、前線(・・)だと……!?」

 

 いつもならば帝国軍の前線は重装甲騎馬兵だ。しかし、帝国の陣形は全く違った。おそらく付近の駐屯基地から隊列を整えていたのであろう、既に完璧な陣形を保っている。中央の前線には弓兵と魔法詠唱者(マジック・キャスター)がおり、両翼に騎馬兵が並んでいた。見えないが、おそらく歩兵は後ろだ。

 対する王国軍は中央の前線が長槍を構えた歩兵である農兵、両翼に騎馬兵。弓兵は後ろである。しかも少しばかりごたついていた。

 だが、何よりも目を引いたのは――

 

「鮮血帝……!」

 

 帝国の皇帝であるジルクニフが、そこにいる。王国軍と同様に、ランポッサ三世がいるようにジルクニフもまた戦場に来ていた。本陣で帝国軍と王国軍を微笑みを浮かべて睥睨している。

 かつて、ジルクニフがこの戦場に出たのは一度のみ。その時はガゼフを部下にと誘っていたようだが――今回は当然、そんな目的のためではないだろう。

 

「まずい……! まずい、まずい……!!」

 

 レエブン侯は慌てて、最終勧告をする使者に声をかける。

 

「いいか! なんとか時間を稼げ! 無様でもなんでもいい! 死ぬ気で、我々の陣形が整うまでの時間を稼ぐのだ!」

 

「はっ!」

 

 使者は青い顔で頷き、両軍が睨み合う中央に帝国軍の使者が出て来るのを見て急いで去って行く。レエブン侯は慌てて軍師に声をかけた。

 

「どうする!? 動かすか!?」

 

「……駄目です! おそらく、向こうはすぐに開戦します! 前線の歩兵の半分は捨てましょう! 残りの歩兵の半分は下げて、弓兵を前に出すようにして下さい!」

 

「分かった!」

 

 軍師の言葉に頷き、急いで陣形を整えようとする。出来れば間に合って欲しかった。

 しかし当然、帝国軍が待つはずがない。

 

「――これ以上の問答は無意味ですな」

 

 帝国軍の使者がそう言葉を切り、踵を返す。時間は稼げない。そんな暇など与えない。全てをにべもなく切り捨て、王国軍の使者が苦い顔をする。

 そして――戦争が始まった。

 

 

 

 まず動いたのは帝国軍の前線にいた弓兵と魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。弓を引き絞り、矢を放つ。〈火球(ファイヤーボール)〉が放たれる。

 そして王国軍の前線は、何も出来ずいとも容易く崩壊した。

 重い武器を持っている農兵達に出来る事なぞ何もない。彼らは矢に穿たれ死ぬか、あるいは広範囲攻撃で炎に巻かれて焼け死んだ。

 崩壊する前線を見ながら、王国軍では怒声が響き渡っていた。

 

「最前線は捨てろ! 弓兵達を早く前に出すんだ! 両翼の騎馬兵は帝国軍の両翼を警戒しておけ!」

 

 襤褸布のように死んでいく農兵達を放置し、急いで王国軍は陣形を変える。その間に幾つもの矢が、魔法が前線に撃ち込まれ人が死んでいった。

 だが彼らの死を無駄にしない。何とか彼らが囮になっている内に弓兵達を前に出し、対抗するように弓を引き絞り矢を放つ。王国軍にまともな魔法詠唱者(マジック・キャスター)はいないため、その抵抗は随分としょぼくれていたが。

 

 そうして遠距離戦をある程度行い、帝国軍は目的の数を減らせたと思ったのか――弓兵と魔法詠唱者(マジック・キャスター)が前線から下がる。代わりに、歩兵が出て来る。しかし――

 

「え?」

 

 その疑問の声は、一体誰の声であったのか。歩兵達よりも少し前に、歩兵を引き連れるように歩いているそれに、彼らは目が釘付けになる。

 それは、黒い鎧を纏っていた。片手には人の大きさほどもあるタワーシールド、もう片手には捻じれた奇怪な剣であるフランベルジェ。兜の隙間から見える瞳は赤く染まっており――見える肌は不浄であった。

 そう、不浄だ。だって腐っている。確実に生きていない。

 

 アンデッドだった。

 

「――――」

 

 誰かの生唾を飲み込む音が王国軍で響いた。その、騎士の格好をしたアンデッドは弓兵と歩兵の間に隠れて見えないようにしていたのか、今までさっぱり姿を見つける事が出来なかった。

 騎士のアンデッドは唸り声を上げながら、歩兵を引き連れて前進してくる。いや、歩兵だけではない。

 

「……なんだあれ?」

 

 呆然と、誰かが声を上げる。その声の主はそれを一度も見た事が無かったのだろう。だからこそ間の抜けたような声を出したし、それがこの戦場にいる致命的な意味を理解出来ていない。

 そして理解出来てしまった者は――絶望した。

 

「畜生! ふざけるな! なんて奴らを持ち出してきてやがる!!」

 

 悪態をつきながら、レエブン侯の親衛隊である元オリハルコン級冒険者チームが叫ぶ。そう、彼らはあの騎士のアンデッドは見た事がないが、他の四体の影は見た事があった。

 

「――あれは、なんだね?」

 

 だからレエブン侯は訊ねる。それに、忌々しげな表情を隠しもせず、叫ぶようにチームのリーダー、聖騎士ボリスが答える。

 

「レエブン侯……あれは、あれは――レイスです!」

 

 レイス、というアンデッドがいる。魂を歪ませる能力を持ったそのアンデッドには、ある特徴があった。

 それは――実体を持たない、という事。非実体である彼らには普通の物理攻撃はほとんど通用しない。――そう、通用しないのだ。

 魔法の力のこもった、特殊な武器などでなければ。

 

「――――」

 

 それを聞いて、レエブン侯は絶句する。この場でそんなモンスターを出すという、致命的な意味を。

 王国軍に専業戦士はほとんどいない。この軍の構成員のほとんどは平民だ。

 そんな彼らが、魔法の力がこもった特殊な武器なぞ持っているはずがない。そもそも、専業戦士達でさえ持っていないのに。

 つまり、対抗手段がほぼ無かった。そんなアンデッドを四体――狩り放題(・・・・)である。

 

「ふ、ふ、ふ……ふざけるな!」

 

 思わず、レエブン侯は怒号を叩きつける。帝国軍を忌々しく睨みつけた。

 

「レエブン侯! 俺達を行かせて下さい! 一体ずつ、順番にレイスを狩ります!」

 

「頼めるか!?」

 

「もちろ、ん――」

 

 言葉が途中で途切れる。レエブン侯も絶句した。前進する帝国軍の歩兵達。その中央で先を歩く見知らぬ騎士のアンデッドと、等間隔で別れるレイス達。

 そして、歩兵の中から空気が明らかに違う騎士達が出て来た。

 

「……四騎士」

 

 帝国最強の四人の騎士達。その実力はオリハルコン級以上とされている。その四人が歩兵の中から突出して出て来て、まるでレイスに付き添うようにそれぞれ別れていく。一体につき、一人というように。

 

「……糞! 護衛かよ……!!」

 

 その意図は明白だった。レイスが狩られないための護衛としか考えられない。それに元冒険者チームの一人、盗賊のロックマイヤーが苛立たしげな声を上げる。

 

「連中、一体どこからアンデッドなんか連れて来やがったんだ……!?」

 

「――――」

 

 そう、それが疑問だった。騎士のアンデッドと、レイス四体。だが心当たりはある。そんなものを操れるような凄腕の魔法詠唱者(マジック・キャスター)は、世界に一人しかいないだろう。

 

「フールーダ・パラダイン……」

 

 おそらく、あの五体は逸脱者の操るシモベだろう。なんという事か。フールーダの魔力は、あの恐ろしいアンデッド達さえ操るほどの力を持っていたというのか。

 

「――――」

 

 レエブン侯は必死に、目まぐるしく戦場を見渡す。しかし、その影は見えない。

 

「お前達! あの逸脱者の姿は見えるか!?」

 

 レエブン侯の言葉に、彼らも探すが見えなかったのか首を横に振った。その事実に全員が絶望的な声を上げる。

 

「糞が! 唯一の突破口は当然、潰してるって事かよ……!」

 

 戦場の死角にいるか、あるいはそもそも戦場に来ていないか……。操作主のフールーダを潰すという当然の突破口は、当然潰されていた。

 

「しかし、あの騎士のアンデッドは何なんだ?」

 

 誰もが、見た事のない騎士のアンデッドに首を傾げる。もはや帝国軍のアンデッドと歩兵達は王国軍の前線兵士と接敵するだろう。そして、その疑問はすぐに晴れた。どうして、あの騎士のアンデッドがこの場にいるのか、という疑問は。

 

「――――」

 

 一閃。いとも容易く、騎士のアンデッドは王国軍の前線を潰していく。その剣閃の速さは王国軍の専業戦士達以上であり、おそらく元オリハルコン級冒険者チームの誰よりも速いだろう。

 そう――ガゼフと同じくらいではないか、と思えるほどに。

 

 騎士のアンデッドは王国軍の最前線で暴れ回る。最前線を徐々に削っていくように、レイスとそれに付き添う四騎士が広範囲に広がって兵士達を斬り伏せていく。歩兵達が蹂躙していく。

 そして、変化はすぐに訪れた。騎士のアンデッドが殺した死体が、立ち上がっていく。唸り声を上げて。口から血を、傷口からは内臓をこぼして。

 

「――――」

 

 その様子に王国軍は絶句した。騎士のアンデッドに斬り殺された死体が立ち上がり、そして元仲間であった王国軍の兵士達に襲いかかる。兵士達は悲鳴を上げた。しかし、ゾンビに勝てるはずもなく、殺される。増えた。

 そう、増えていく。騎士のアンデッドが殺す度ゾンビが増え、そのゾンビが更に人を殺してそれもまたゾンビになる。なっていく。

 

「――――」

 

 そのおぞましさに、吐き気を催した。

 

「レエブン侯!」

 

「――――」

 

 いつの間に近くまで来ていたのか、軍師がこちらまで来ている。彼は慌てたようにレエブン侯にすべき事を告げる。

 

「戦士長様をあの騎士のアンデッドにつけて下さい! あんな化け物がいては、王国軍は確実に壊滅です! それから急いでエ・ランテルへ撤退します! 撤退準備をする時間は、前線にいる歩兵と弓兵を捨てる事で稼ぎます! そして早馬で、エ・ランテルにいるバルブロ王子と五千の兵をこちらに援軍として向かわせて下さい!」

 

「――分かった!」

 

 レエブン侯は頷き、周囲に聞こえるように声を張り上げた。

 

「聞こえたな、お前達! 撤退準備をしろ! それから戦士長殿に話をつけにいけ! 急げ! 時間との勝負だぞ!!」

 

 

 

 ――そして、ガゼフはそのアンデッドと相対した。

 

「――――」

 

 一目見た時から、ガゼフにはこのアンデッドの強さが分かった。おそらく、自分と同格であろう、という事が。

 更にあのアンデッドを増やす能力。絶対に、ここで退治するしかない。これをそのままにしておけば、王国軍はエ・ランテルまで辿り着ける前に敗北する気がしてならない。

 

「――――」

 

 何故か、邪魔は入らなかった。一人突進するガゼフを、混乱した最前線の戦場で襲う者は誰もいない。帝国の騎士達は王国の農兵達を殺し回り、レイス四体も同様だ。四騎士はレイス達に付き添っていて、ゾンビ達もまたガゼフに頓着せず農兵達を襲っている。

 だから、ガゼフはまっすぐに騎士のアンデッドのもとへと辿り着けた。

 

「――――」

 

 ガゼフと騎士のアンデッドの剣戟が始まる。それはまるで激流と濁流。どちらがどちらなのか、その区別もつかないままに両者の間で閃光が煌いた。

 ここに、表世界(・・・)最高峰の戦いが幕を切ったのである。

 

 

 

「撤退準備、完了しました!」

 

 しばらくして、部下達がレエブン侯のもとへと集まって来る。最前線はアンデッド達の手で完全に崩壊していた。ガゼフは未だ、騎士のアンデッドを倒せていないが足止めだけは出来ている。

 

「よし! 総員、撤退するぞ!」

 

 その声と共に、本陣が後退していく。エ・ランテルまで急いで戻り、籠城の準備をしなくてはならない。最初にランポッサ三世の兵士達が、続いてレエブン侯を初めとした六大貴族の内、参戦していた四者の兵士達。続く大貴族――その後に追撃を防ぐための騎馬兵達だ。

 徴兵した農民達や、末端の貴族達やその兵士達は完全に捨てるしかない。もとよりまともな統率の取れていなかった王国軍だ。それも当然であろう。彼らは帝国軍の囮となってもらい、殿を引き受けてもらう。

 

「戦士長殿に〈伝言(メッセージ)〉で引くように伝えろ! 急げ!」

 

 レエブン侯の部下にはきちんと魔法詠唱者(マジック・キャスター)がいるため、距離の離れた人間に言葉を届ける事が出来る。この類の魔法は滅んだ国がある事もあって、あまり信用されていないのだが今回は別だ。ただ一言告げるだけでいい。ガゼフは早々に撤退するだろう。ガゼフ一人ならば、おそらくあの騎士のアンデッドから離脱出来るはずだ。

 

「急ぐのだ! エ・ランテルまで――援軍と合流するまで……!」

 

 エ・ランテルに帰還した後は、急いで王都や周辺都市に援軍を送るように早馬を出さなくてはならない。相手は帝国軍なのだ。魔法詠唱者(マジック・キャスター)がいる以上、籠城戦も長くはもたないかもしれない。まして、エ・ランテルは完全に復旧もしていない。

 援軍はひたすらに速く。そして持久戦を敢行する。カッツェ平野がもとの死の大地としての姿を取り戻す前に、帝国軍は勝負を決めに来るであろう。カッツェ平野がもとに戻るまで、なんとか軍をもたせるしかない。それ以外に勝ち目はなかった。

 

 王国軍は敗走する。ガゼフも無事に撤退した。出来てしまった。帝国軍は無理に追わない。それが不気味ではあった。

 

 

 

「――――ふむ」

 

 ジルクニフは最後尾の本陣で、用意されていた椅子に座ったまま、開戦以来一度も動かなかった。動く必要が無かった。

 

「陛下」

 

「ん? 帰ってきたか」

 

 四騎士達がレイスを連れてジルクニフのもとまで帰って来る。四騎士の一人――“雷光”のバジウッドは更に騎士のアンデッド……デス・ナイトを連れていた。

 

「ご苦労だったな、お前達。素晴らしい戦果だったぞ」

 

「はい」

 

 全員が頭を下げる。その様子を横目で見ながら、再びジルクニフは自らの軍を、騎士達を見る。将軍が乱れた陣形を整えており、再び綺麗な陣形が出来上がっていっていた。

 

「陛下、それではこれからの予定は作戦通りに?」

 

 “重爆”のレイナースの言葉に、ジルクニフは頷く。

 

「当然だ――と、言いたいところなのだが……王国もやるじゃないか。てっきり俺は、いつも通り槍衾の陣形で来ると思っていたぞ。まったく、信用していたというのに」

 

 それならば、騎馬兵は両翼ではなく歩兵の後ろ……本陣の近くであったはずだ。その場合は撤退中に更に追撃して、王国軍を壊滅させてやる予定であったのだ。

 だが、王国軍は両翼にちゃんと騎馬兵を並べていた。これでは、追撃してもこちらの被害も大きくなる。追撃は中止せざるを得ない。

 

 王国の無能を信用し裏切られた、とおどけるジルクニフにその場の部下達が失笑する。

 

「では第二プランに移行する。まずは増やしたゾンビどもを片付けろ。それから、五日くらいかけて撤退する王国軍にちょっかいをかけながら、ゆっくりとエ・ランテルまで移動しようじゃないか」

 

 まるで王国軍の援軍を待つかのような言葉に、しかしその場の誰もジルクニフの言葉に否定の意思を告げなかった。何故なら、彼らは知っているからだ。王国に援軍なぞ来ない事を。

 ジルクニフは嘲笑する。

 

「――悪いな、王国軍。我々は囮だ(・・・・・)。さて、じいは間に合う(・・・・・・・)かな?」

 

 

 

 

 

 

 ――王国軍は帝国軍に執拗な嫌がらせを受けながらも、何とか無事にエ・ランテルまで二日で撤退した。生きてエ・ランテルまで帰ってこれたのは残しておいたバルブロ達五千の兵士達のおかげである、と言えるだろう。ランポッサ三世がバルブロを守るための、ちょっとした我が儘であったのだがそれがここにきて功を奏した。

 

「……それで、これからどうする?」

 

 籠城戦の準備を整え終わり、貴賓館に集まったランポッサ三世とバルブロ、貴族達。ガゼフも疲労で身体が頽れそうであるが、ランポッサ三世の護衛のために気力で立って控えていた。

 会議の内容は、当然今回の帝国軍についてである。

 

 ここにきて、全員が理解していた。今回の帝国は本気だと。本気で、エ・ランテルを落としに来ている、と。

 

「大体、なんなんだあのアンデッドは!」

 

 その言葉を皮切りに、幾人もの貴族達がジルクニフへの罵倒を吐き出す。当然だろう、まさかあのようなおぞましいアンデッドを戦争に投入してくるとは、誰が思うだろうか。

 しかし、これは戦力としてまともな魔法詠唱者(マジック・キャスター)を編入させていなかった王国の不手際だ。魔法詠唱者(マジック・キャスター)は召喚系魔法を習得している者もいる。彼らはモンスターを呼び出し、襲わせる事くらいするだろう。

 だから、魔法詠唱者(マジック・キャスター)を軽視し、育成してこなかった王国が悪いのだ。

 

「――そこまででいいでしょう。問題は、いかにここで足止めし、援軍を待つかです」

 

 レエブン侯は貴族達の罵倒を止め、建設的な会話を促す。それに怒りを無理矢理沈めながら、貴族達が口々に意見を言い合う。

 しかし、そのどれもが建設的な意見は出ない。当たり前だ。彼らは長年、本格的な戦争というものについて考えて来なかった。王国内に出るモンスター達の討伐でさえ、今までずっと冒険者組合に任せきりで、まともに動かした事はない。

 そう……明確な死を感じる戦闘を、今までずっとやって来なかった。便利に冒険者組合を使っていたツケを支払う時が迫っている。

 

「とりあえず、エ・ランテル住民は全員徴兵するしかあるまい。まず何より、人手が足りん」

 

 先のカッツェ平野での戦いで、被害はおよそ五万近くに上っている事が判明している。十五万ほどの軍勢の、だ。そのほとんどは平民達であるが、数は力。専業戦士の数が帝国と差がある以上、どうしても多くの数を揃える必要があった。

 しかし、それでも塵を詰めるようなものだろう。訓練もしていないのだ。ただの肉盾にしかなるまい。

 だが、貴族達にとってはそれでよかった。とりあえずは生き残る事が先決なのだ。平民の命なぞ知った事ではない。どうせ、放っておけばまた増えるだろうなどと、気楽に考えている。

 

 だが、どれほど平民を大切に思っていてもその案を蹴る事はこの場の誰も出来ない。でなければ死ぬ。ならば使い捨てる他なかった。例え、なんとか無事に済んでも来年には滅びるだろうと思われても。

 

「人員の補充はそうするとしましょう。さて……足止め方法ですが――」

 

 レエブン侯が司会となって、籠城戦についての激論が繰り広げられる。その途中――

 

「し、失礼します!!」

 

 ドアをノックする音が聞こえ、ランポッサ三世が許可を出す。その男は慌てた様子で室内に入って来た。そして、王族と貴族達にいつものおべっかを使おうとし、時間が惜しいとばかりにランポッサ三世が中断させ説明させる。

 彼は呼吸を整え――信じられない事を告げた。

 

「王都より伝令が届きました。フールーダ・パラダイン及びその高弟、帝国軍騎士達により王都が強襲を受けています。至急、援軍を送って欲しい、と」

 

「なんだとぉッ!?」

 

 その言葉に、室内にいた誰もが絶句せざるをえなかった――

 

 

 

 ――そして、時間は少しだけ巻き戻る。

 

 そこは王国でもっとも華やかな場所、王都。王国が誇る王族達の宮殿、王城ロ・レンテは、いつもの華やかさをしかし失っていた。

 理由は簡単、帝国と戦争をするためにエ・ランテルへと出立しているため、人が少ないのだ。

 だがいつもの華やかさを失っているとは言っても、それは平民が見れば些細であると思うだろう。人が少し少なくなった程度では、ロ・レンテ城の華やかさは翳りを見せない。

 

 その廊下を、城に残った王族の一人であるザナックは歩いていた。傍には使用人が付き従っている。

 

 ザナックの現在の役目は、父親であり国王のランポッサ三世と第一王子のバルブロがいないために、彼らの役目の代役である。ザナックの権限でも大丈夫な草案などに目を通し、整理する。そうした書類仕事に彼は追われていた。

 今は、ちょうど息抜きに散歩をしているところだ。

 そうして、あてもなくふらふらと気の向くままに散歩をしていると、ちょうど前から歩いて来る人物がいた。彼もよく知っている男――妹であるラナーの専属騎士、クライムだ。

 クライムはザナックの姿を目にすると軽く目を見開き、ザナックには分かる程度に顔を歪めていた。あれで分かり易い少年である。自分の事を苦手に思っている事も知っていた。

 なにせ、ザナックの妹でありクライムの主人でもあるラナーを、ザナックは化け物呼ばわりしているのだから。

 ザナックはラナーを化け物だと思っている。あの女は頭がおかしい。人間に許される叡智の持ち主ではない、と。

 しかしクライムは、そんなザナックのラナー観を頑なに拒むのだ。――ラナー様は素晴らしい御方です、と。

 

(まあ、もう何も言うまい)

 

 あの化け物の気持ちも、そんな化け物に騙されているクライムの気持ちも理解出来ない。だからザナックはもはやクライムに何かと目をかけてやるのはやめてやる事にした。それでいつかラナーの本性を知った時、どういった対応をするかはクライム次第であろう。

 

「やあ、クライム。ラナーに会いに行くのかい?」

 

 だから、今は普通に話しかけた。クライムは頭を下げザナックに礼を尽くし、「はい」とザナックの言葉を肯定する。妙に体が硬いが、前にレエブン侯と歩いていた時に遭遇した時、ラナーの件について忠告をしてやったのが効いているのだろう。

 

「そうか。妹によろしく」

 

 そう言って、後は何も言わずすれ違う。クライムは頭を下げて彼が去って行くのを待ち――響いた轟音に、思わず顔を上げていた。

 

「なんだ!?」

 

 唐突に聞こえた轟音に驚く。付き従っていたメイド達は身を竦ませ、怯えていた。ザナックはクライムを見ると、クライムは既に剣に手が伸びていた。

 そして、慌ただしくやってくる城を守護する騎士達。

 

「王子! ここにおられましたか!」

 

 ザナックの姿を見つけ、騎士達は安堵しているようだった。

 

「いったい何事だ?」

 

「分かりません。王子、我々が護衛します。急いでここから離れて――」

 

 言葉は最後まで続かなかった。城内に響くように、誰かの大声が聞こえてくる。

 

「敵襲―――ッ!! 帝国騎士達が城内に侵入! 城を守れ!!」

 

「――――」

 

 その言葉に、その場にいた全員がぎょっとする。

 

 ――敵襲? 帝国騎士? この王都で? カッツェ平野の戦争は?

 

 そんな疑問がザナック達の頭の中にわくが、すぐにザナックは頭を振ってその疑問を追い出した。

 

「お前達! 急いで他の者達と合流し、連携して城を守れ! 早くしろ!」

 

「は、はい!」

 

「王子!」

 

 ザナックは声をかけてきた者を見る。クライムが頭を下げ、ザナックに断りを入れていた。

 

「申し訳ございません。私は、至急ラナー様のもとへ行かせていただきます……!」

 

「ああ、かまわん。さっさと行って妹を守ってこい」

 

 ザナックの言葉にクライムは再度頭を下げ、急いでラナーのいる部屋まで走り去っていった。その姿を見送り、ザナックも急いで指揮を執るために廊下を進む。

 

「帝国騎士だと? ……一体どこからわいて来たんだ!?」

 

 そうギリィ、と歯軋りをしてメイドとザナックの護衛のために残った騎士を連れてザナックは廊下を進んでいった。

 

 ……もっとも、ザナックがどれだけ奮闘しようと、もはや手遅れなのだが。

 

 

 

 デス・ナイト、と呼ばれるアンデッドモンスターがいる。

 伝説級のアンデッドとして認知されているのだが、あまりにも伝説すぎるために逆に知名度が低いアンデッドだ。おそらく知っているのは法国の上層部など、世界のほんの一握りであろう。

 しかし、この伝説のアンデッドは一〇〇年も昔に還らなくとも発見例がある。それはカッツェ平野だ。居合わせた不幸な者達は帝国騎士達であるが、撤退するだけの力と数を持っていたのは幸運であっただろう。

 後に、そのデス・ナイトはフールーダとその高弟達の手によって捕らえられ、帝都の魔法省地下深くに封印されているのだが――。

 

 そして、知っているのは本当に一部であるが、このデス・ナイトはつい最近にも出現した。王国のエ・ランテルで起きたズーラーノーンの高弟によるアンデッド事件。その際にあるマジックアイテムの手で生み出されたのだ。

 幸いなのか、あるいは不幸なのかとある戦士によってその特徴的な特殊な能力を発揮する前に退治されたが、そのマジックアイテムは最低でも一体のデス・ナイトを召喚・支配する事が可能である。

 

 ――既に詰んだ盤石ではあり、蛇足ではあるがここに記そう。

 

 帝国には一体のデス・ナイトが封印されている。そして、王国ではデス・ナイトを生み出せるマジックアイテムが存在した。

 両者が合わさった時、デス・ナイトは二体に増える。

 

 ……今回の戦争で帝国が出したレイス四体は、フールーダがそのマジックアイテム……死の宝珠を使って呼び出し使役していたものだ。そして、騎士のアンデッド――デス・ナイトは魔法省の地下から死の宝珠の力で支配したもの。

 フールーダは、死の宝珠は、まだデス・ナイトを召喚していない。

 

 更に、今回の戦争にとって重要な事であるが、ジルクニフは王国を支配する気である。だが、そのためにすべき事は無数にあった。

 まず、エ・ランテルを王国から勝ち取る事。エ・ランテルを支配した後は常駐させる帝国軍が必要であり、治安維持に努めなくてはならない。

 そして、それは生半可な事ではない。戦争で勝った土地を占領すれば、その都市民の気持ちは下がる。今までの生活と一変する事を恐れ、疑心暗鬼になり――あるいは奴隷にされる事を恐れて。結果として、パルチザン――都市民のテロリスト及びゲリラ化が引き起こされる。

 これを平定し、都市を支配し――しかしそれで終わりではない。王都に向かうまで、順次続けて行かなくてはならないのだ。そして王国は狭まる領地に王派閥と貴族派閥という分離していた派閥が、ついに結束し協力するようになり――強固になっていくだろう。

 

 この徒労をさせないための手段が一つある。

 それを達成するための条件の一つが――電撃戦による、王都の支配化であった。

 

「――――」

 

 ブルムラシュー侯の手によって、フールーダとその高弟数人、そして帝国の大将軍とその部下三〇〇名――それが王都へと密輸されていた。

 フールーダの手によって、ほぼ無防備な王城に一体のアンデッドが現れる。

 黒い鎧、大きな盾、奇怪な剣――デス・ナイトが。

 ここにガゼフはいない。ブレインもいない。アインズもいない。

 

 こうして、王城は満足な抵抗も出来ず、瞬く間に抑え込まれる事となったのだ――。

 王城にいる王族や貴族、王都に残っていた貴族達も瞬く間に取り押さえられる。ザナックは抵抗出来ぬ状態で、奥歯を噛み締めた。

 

「――さて、諸君」

 

 帝国の大将軍が口を開く。その背後にはおぞましい騎士のアンデッド――デス・ナイトとそれに殺されゾンビと化した王城の騎士達、フールーダがいた。高弟数人と三〇〇人の帝国騎士達は王城の周囲を囲っているため、ここにはいない。

 

「取引と行こう。我々に協力し、兵を出してエ・ランテルまで向かってくれるのならば命だけは助けてもらえるよう皇帝陛下に嘆願してあげよう」

 

「――――」

 

 その言葉に、周囲の貴族達がざわめく。自らの貴族としてのプライドか、あるいは命かを相談しているのだろう。

 だが、冷静に考えればその取引に従えるはずがない。ザナックは忌々しげに顔を歪めた。

 

(ふざけるな! そんな真似をしても、あの鮮血帝が助けるものかよ……!!)

 

 ジルクニフは帝国内の貴族達を軒並み、何かと理由をつけて粛清した過去がある。そんな男が、王国の邪魔な貴族達を生かすはずがない。

 だが、ここは王国である。そんな事が分かるような貴族達ならば――そもそも、ここまで王国は腐らなかった。

 

「――私は協力しよう」

 

 ざわり、と空気がさらに動いた。手を上げたのはブルムラシュー侯だ。六大貴族の一人であり、長年帝国に情報を売り渡しているのではないか、と決定的な証拠は無いながらも疑われていた貴族である。

 

(……まずい!)

 

 ザナックは悟る。これはサクラだ。おそらく、互いに一連の流れを取り決めていたに違いない。

 ここで六大貴族の一人が協力を約束したとなると――当然、次に手を上げる者は抵抗が少なくなる。何故なら、あの六大貴族の一人が帝国に下ったのだ。自分達も大丈夫――となるのが、人の心理である。

 

「わ、私も協力しますぞ!」

 

 続いて、リットン伯が慌てて手を上げた。六大貴族の一人ではあるが、ボウロロープ侯の腰巾着でもある男。これで六大貴族の二人が手を上げた事になり――必然、全員が手を上げても貴族達の心理的に問題が無くなった。

 

「…………」

 

 次々と上がる手に、協力を約束していく貴族達をザナックは絶望的な表情を浮かべて見る。帝国の大将軍は満足そうに頷いた。

 

「なるほど。では、全員協力をしてくれると言うことで――」

 

 続いて、大将軍が軍の編成を語り、エ・ランテルの間にある都市についての扱いを述べる。当然、全て抑える。その領地の主である貴族達を取り押さえ、人質に取る。

 そして、ザナックは捕らえられた状態で馬車に乗せられ、運ばれていく。エ・ランテルへと。

 おそらく、ザナックだけではなく第一王女や第二王女、あのラナーも捕らえられて同じような扱いを受けているだろう。

 ここに至り、助かる道は一つしかないとザナックは悟った。

 

 ザナックは願う。どうかエ・ランテルにいる本軍が、帝国軍に勝利してくれているように、と。そして出来ればバルブロが死んでいてくれるように、と。

 ザナックが助かる手段は一つしかない。人質交換だ。本軍が帝国軍に勝利していてくれれば、要人の人質交換としておそらく幾らかの金か何人かの人と交換してもらえる。そうすれば助かる。

 

 だから、ザナックはひたすら祈り続けた。馬車で揺られながら。万に一つも起こる確率が見当たらない、奇跡を。

 

 

 

「――どうして、止めたの?」

 

 ラキュースは王都の宿屋の自室で、ぽつりと仲間に呟いた。

 

 ……ラキュースは先程まで城にいた。友人であるラナーと会うためだ。

 そうしてラキュースとラナーが会話をしていると、轟音が響き――クライムが慌てて部屋へと来たのだ。帝国騎士達が王城を襲撃している、と。

 それを聞いて、ラキュースは飛び上がりそうなほどに驚いた。ラナーも瞳を見開いて驚いていた。すぐに避難しよう……そう告げたクライムとラキュースにしかしラナーは首を横に振る。

 

 ――抵抗してはなりません。抵抗すれば、おそらくその分だけ民が死ぬでしょう。そう告げて。

 

 帝国騎士達が部屋に雪崩れ込んだ時も、決してラナーは抵抗しないように、としかクライムと自分に告げなかった。ラキュースはその場では、見ている事しか出来なかった。あの場の帝国騎士達くらい、クライムと協力すれば二人でもラナーを守りながら突破出来たはずなのに。

 ラナーは、抵抗してはいけない、と告げて逃げる気配が無かった。

 

 優しいラナー。慈悲深いラナー。自らの親友。民を想い、クライムを想い、ラキュースを想って決して抵抗する事無く自らの身体を帝国騎士達に差し出したラナー。

 悔しかった。何も出来ない事が。逃げる気のない護衛対象を連れて逃げる事は出来ない。あの場に全員がいたのなら、ラナーを無理矢理逃がす事も出来ただろうが、それは出来なかった。

 ……そして、帝国騎士達はラキュースを捕らえる事はしなかった。理由も教えてもらった。

 

 ――冒険者なのだから、国同士のいざこざに手を出せないから。

 

 そう、ラキュースは冒険者だ。冒険者組合に所属する者は、決して国家間の事象に関わってはいけないという取り決めがある。

 だから、ラキュースは放置された。城から出て行く時も、何も言われなかった。ただ、この一言だけ帝国の大将軍に告げられた。

 

 ――貴殿が動いた場合、冒険者組合が取り決めを破ったものとする。

 

 その一言で、全ての動きを封じられたと言っていい。ラキュースがラナーを助けようとすれば、それはつまり冒険者がラナーの味方をしたという事。冒険者組合が国家間の争いに割って入り王国の味方をする事を意味する、と。

 だから、何も出来ない。動けない。あのおぞましい騎士のアンデッドさえ、退治出来ない。友達を助けられない。

 宿屋に帰って、そして話をして皆にも止められた。理由も説明された。言われなくても分かっている、理由を。

 

「――分かっているだろう。ラキュース、私達が動けば帝国は王都の冒険者組合が全員王国に味方したと認識し、扱う。そうなれば仮に勝って帝国軍を王都から追い出したとしても、冒険者組合は私達を恨むだろう。冒険者としての地位は剥奪され、犯罪者として扱われ、そしておそらく――アインズとブレインに声をかけて、暗殺を依頼してくるぞ」

 

 イビルアイの告げる言葉に、ラキュースは何も言えない。自分の我が儘で、ガガーラン達を巻き込むわけにはいかなかった。

 

「…………ごめんね、ラナー」

 

 だから、ひたすら涙を流して耐え続ける。ラナーの未来は、きっと暗いだろう。王国軍が帝国軍に勝つとは到底思えない。きっと、人質交換は行われない。奇跡は起こらないだろう。ラナーは処刑されるか、あるいは生きていたとしても籠の鳥だ。自由に部屋の外に出る事さえ、もう叶うまい。

 

「――ごめんね」

 

 だからラキュースは、ひたすら涙を流して友人を想った。きっと、もう二度と会う事も出来ない友人を。

 

 

 

 

 

 

 ――カッツェ平野の大敗北からエ・ランテルに籠城して、既に五日が経過していた。

 

 ジルクニフ率いる帝国軍はトブの大森林を避け、エ・ランテル周辺を囲っている。王国軍を逃がさないためだろう。都市内の平民達のストレスはピークに達し、誰もが暗い顔で過ごしていた。

 そして貴族達は今日も貴賓館に集まり、会議をする。しかしその会議は進まない。当然だろう。もはやする事と言えば王都からの援軍を待つ以外にないのだから。

 レエブン侯は会議の司会を務めながらも、ザナックに全てを託していた。

 

(王都を強襲とは言っても、それほどの兵は王都まで運べていないはず……ザナック王子が帝国軍の別動隊を退け、援軍を連れてきてくれることに託すしかないとは――)

 

 しかし、レエブン侯のこの悩みもすぐに終わるだろう。王都から来た援軍によって。

 

「失礼します! 援軍が到着しました! ブルムラシュー侯とリットン伯の旗を掲げています!」

 

「――よし!」

 

 会議の最中にやって来た部下に向かい、それぞれの貴族が安堵の息を漏らす。レエブン侯もまた、これでなんとかなるかもしれないと安堵の息を漏らした。

 それが、見当違いだと気づくのはすぐである。

 

「――――し、失礼します!!」

 

 更に、もう一人の兵士がやって来る。見張り台に立たせていた兵士だ。兵士は顔色を真っ青にして、震える声で絶望的な事実を告げた。

 

「さ、先程来た援軍ですが――て、帝国軍の旗を掲げており、帝国軍と合流してエ・ランテルを取り囲んでいます!!」

 

「なんだとぉッ!?」

 

 口から泡を飛ばす勢いで、貴族達が立ち上がった。レエブン侯はその一言で悟る。

 

「ブルムラシュー侯……!」

 

 憎むべき男の名が吐き出される。おそらく、あの裏切者が犯人だ。確たる証拠を掴めてはいなかったが、ブルムラシュー侯は間違いなく帝国に金で情報を売っていた。おそらく、手引きして王国を売り渡したのだろう、完全に。

 

「そ、それから……あの騎士のアンデッドを連れており、フールーダ・パラダインもいるようです……」

 

「――――」

 

 それで、王都で何が起こったかを悟る。あのゾンビを増やす騎士のアンデッド。ああ、それを使って来たのなら――王都くらい落ちるだろう。何せ、ガゼフはこちらにいるのだから。

 

「…………おしまいだ」

 

 誰かが、ポツリと呟いた。どさり、と地面に座り込んでいる。フールーダがカッツェ平野にいなかったのは、王都を強襲するためであったのだ。だから、カッツェ平野にはいなかった。

 

「…………」

 

 全員が暗い顔だ。レエブン侯はその中で考える。何か、何か起死回生の一手は無いものか、と。

 そして――たった一つ、この場に残された一手が存在した。

 

「いえ……まだ、あります」

 

 レエブン侯の言葉に、全員が振り向く。ランポッサ三世が口を開いた。

 

「レエブン侯……その方法とは?」

 

「――冒険者組合に行き、冒険者達を徴兵します」

 

「それは……!!」

 

 ガゼフが思わずといった具合に声を荒げる。しかし、レエブン侯はガゼフを睨みそれを黙殺した。

 どの道、ここで彼らを徴兵出来なければ未来は無いのだ。

 

「幸いなことに、現在このエ・ランテルには戦士長殿と互角の戦いをかつて繰り広げたブレイン・アングラウスとドラゴンと一騎打ちを可能としたアインズ・ウール・ゴウンがいます。最悪この二人だけでも徴兵出来れば、あの騎士のアンデッドは間違いなく討伐出来るはずです」

 

「おぉ……!」

 

 希望が見え始めたのか、貴族達が顔を上げる。対してガゼフは渋い顔だ。どちらもガゼフとは無関係ではない相手だからだろう。そして、おそらくではあるが――ガゼフはこの案の顛末には気づいているのかもしれない。

 しかし、それを認めるわけにはいかないのだ。何がなんでも、徴兵し戦ってもらわなくてはならない。どのような褒美を用意してでも。絶対に。

 

 ――でなければ、王国は敗北する。

 

「よし分かった! では早速連中を徴兵しよう! どの道、王国民であるのだから戦争に参戦するのは義務であるのだ!」

 

 貴族の一人が意気揚々と叫び、続いて誰が冒険者組合に向かい彼らにそれを告げるのか話し合おうとする。レエブン侯はその話し合いを止めた。

 

「彼らの説得は、私が引き受けましょう」

 

「?」

 

 レエブン侯が口を出したのを見て、首を傾げている。レエブン侯は理由を告げた。

 

「もしかすると、その使者は生きて還ってこれないかもしれませんよ」

 

「――わ、分かった。レエブン侯に任せよう」

 

 荒くれ者で通っている冒険者達だ。怒らせれば、当然命は無い。それに気づいたのか貴族達はレエブン侯に任せる。レエブン侯としても、細心の注意を払って説得しなければならない相手だ。無能な貴族達に任せたくはなかった。

 

「陛下、構いませんね?」

 

「うむ。レエブン侯――命じよう。冒険者組合に向かい、彼らに戦争に参加するよう説得してくれ」

 

 ランポッサ三世からも許可を取り、レエブン侯は続いてガゼフを見た。

 

「それから――少し戦士長殿とその部下を数名お借りしたい。かまいませんか?」

 

「――――」

 

 ガゼフが驚いたようにレエブン侯を見ている。だが、これは当然だ。何せ冒険者達は普通の兵士より強い。護衛は間違いなくいる。そして――暴力的な意味での脅しとしても。

 

「分かった。戦士長、レエブン侯に従い、守ってやってくれ」

 

「――御意」

 

 ガゼフが頭を下げるのを確認し、そしてレエブン侯はガゼフを連れて会議室を出た。そのまま、廊下を歩いてまずは自分の部下である元オリハルコン級冒険者達を、そしてガゼフの部下を数名連れて行く。

 だが、その前に――二人だけの時に、ガゼフが告げた。

 

「レエブン侯――」

 

「なんでしょうか、戦士長殿」

 

 言いたい事は分かっていた。

 

「おそらく、彼らは頷かないでしょう――」

 

「――戦士長殿が言うのなら、そうなのでしょう。しかし、それを認めるわけにはいかないのです。彼らを王国軍に組み込めなければ、帝国に降伏するしかなくなってしまう」

 

「――――」

 

「だから、何がなんでも彼らを徴兵するしかないのです。今の発言は、聞かなかったことにしましょう」

 

 それきり、ガゼフは無言であった。

 

 

 

 ――そして、ガゼフとその部下数名、元オリハルコン級冒険者達を連れてレエブン侯は冒険者組合に来た。

 

「失礼する!」

 

 中に入り、組合中に響くような大声を出す。冒険者達はレエブン侯達を見て驚愕に目を見開いていた。

 

「諸君らにはこれより、王国軍と合流し帝国軍と戦ってもらう! 王国民としての義務を果たしてもらう!」

 

 レエブン侯の宣告に、冒険者達が顔色を真っ青にしてレエブン侯達を見た。おそらく、彼らは既に知っているのだ。あの騎士のアンデッドを。それくらいの情報くらい、冒険者ならば入手しているだろう。

 だから、あの騎士のアンデッドと戦うなど冗談ではない――そう誰かが口を開くより前の一瞬の静寂の内に、静かな、けれどよく響く声が組合に響いた。

 

「――お断りします」

 

「――――」

 

 声の主を見る。聞いた事も見た事もないが、外見だけは知っていた。レエブン侯の予想通り――その声の主は漆黒の戦士、アインズ・ウール・ゴウンその人であった。

 

「冒険者は国家間の政治に関わらない――それが規律であったはずです。なので、冒険者としてその話は断らせてもらいましょう」

 

 心強い味方の言葉に、冒険者達が活気づいた。「そうだ!」と口々にレエブン侯に大声を出して拒否を示す。しかし、レエブン侯にとってはそれは織り込み済みだ。当然、ガゼフにもそう言われた場合の対処は告げている。

 故に、レエブン侯の背後でガゼフが剣を抜いた。それを皮切り、他の者達も。

 

「――――」

 

 ガゼフ達が剣を抜いたのに気づき、その場の全員が押し黙った。王国の本気を察したからだ。周辺国家最強の戦士、ガゼフが剣を抜く――というのは、貴族達は本気だと示す事になるのだから。

 レエブン侯は再び、口を開く。

 

「当然、そのことは知っている。しかし、現在それを認めるわけにはいかない事情がある。――少しばかり話をしよう。会議室をお借りしたい」

 

 レエブン侯は受付嬢に向かって告げる。受付嬢は「は、はい……」と怯えたように頷いた。そして、アインズと――その対面のソファに座っているブレインを促す。

 

「アインズ・ウール・ゴウン殿、そしてブレイン・アングラウス殿……こちらへ」

 

「……俺もかい?」

 

 ブレインの言葉に、頷く。

 

「お二方は冒険者達の頂点……アダマンタイトだろう。お二方が頷けば、他の者達も頷く」

 

「……へいへい」

 

 アインズとブレインが立ち上がる。受付嬢が「お部屋まで案内いたします」と告げ、レエブン侯達を連れて歩く。

 そして、会議室に到着しドアを閉め、それぞれ椅子に座った。そして、口を開く。

 

「――現在、分かっているとは思うが王国はのっぴきならない状況にある。帝国軍がエ・ランテル周辺を包囲し、そしてこれは極秘だが――王都は既に陥落している。ここにある戦力で、帝国軍を破らなくてはならない。王国軍だけでは不可能だ」

 

「――――」

 

「だからこそ、お二方の力を借りたい。戦士長殿と互角の貴方達が、そして冒険者達の力を借りれば少なくとも、今この場に集まっている帝国軍は撤退させられる。王国は、なんとか首の皮一枚繋がるのだ」

 

「――――」

 

「頼む。望む報酬を用意すると約束しよう。だから、お二方に力を貸していただきたい――!!」

 

 レエブン侯は頭を下げた。何がなんでも説得しなければならないのだ。顔が見えないアインズはともかく、ブレインは大貴族が頭を下げた事に驚いているようだった。

 

「まあ、俺は正直力を貸してやってもいいんだが」

 

 ブレインは居心地悪そうに、そう告げる。そしてアインズを見た。レエブン侯も頭を上げて、アインズを見る。この室内の全員が、アインズに視線を集中させた。

 そして――アインズが口を開く。

 

「――申し訳ありませんが、お断りさせていただきます。ブレイン、チームリーダーとしてお前にも言っておく。王国軍に手を貸すな」

 

「――――」

 

 その言葉に、レエブン侯は震える声で告げた。何故、と。

 アインズは少し迷っていたようだが――レエブン侯にその理由を告げた。

 

「――法国から、王国に手を貸さず、静観するよう依頼されています」

 

「――――え?」

 

 レエブン侯はアインズに告げられた言葉に、呆然として口から間抜けな言葉が漏れた。いや、レエブン侯だけではない。その場の誰もが、何故この場で法国の名が出るのか分からない、と疑問を抱いた。

 

「ゴ、ゴウン殿……何故? 何故、この場で法国の名が?」

 

「それは――――」

 

 ガゼフの言葉に、アインズは再び口篭もっている。そしてその時、レエブン侯はこの戦争の全ての絡繰りが、ようやく読めた。

 

 ――即ち、戦いは始まる前に終わっている、という事が。

 

 

 

 

 

 

「――――貴方は」

 

「――どうも、お久しぶりです」

 

 イビルアイと冒険者組合に帰って来た時、ブレインが告げたアインズへの客とは、以前トブの大森林で出会った、法国の人間――あの槍を持ち、魔樹と近接戦を可能とした男だった。

 

「少々話をしたいのですが、かまいませんか?」

 

「ええ、勿論です」

 

 男の言葉に頷く。アインズはイビルアイとブレインに断って、男と共に受付嬢に告げて部屋の一つを借りた。

 室内の椅子に対面で座ると、まず男が頭を下げる。

 

「急な来訪、申し訳ございません」

 

「いえ、お気になさらず。暇ですし。今日はどうされたのですか? もしかして、帝国への移動の件でしょうか?」

 

 結局、アインズはあれから帝国に移動していない。少しばかりそれはおかしな話だった。法国はあの魔樹が滅びた事を知っているだろうが、アインズは知らないはずなのだ。動かないのは不自然と言える。

 しかし、男は首を横に振った。

 

「いえ、そちらの件はもう解決しましたので、このままエ・ランテルにいてもらってかまいせん」

 

「? では、何の御用なのでしょうか?」

 

 そうではないとすると、アインズはますますこの男が自分を訪ねてきた意味が分かりかねた。首を傾げるアインズに、男が口を開く。

 

「近い内に、王国と帝国が戦争をします」

 

「――ああ、聞いたことがあります。そういえば、もう秋ですからね」

 

 この季節になると、毎年王国と帝国は戦争をするのだとアインズは街の人間から聞いていた。誰もが、嫌そうな――そして不安そうな顔で話していたのを覚えている。アインズのような冒険者には関係のない話であるが。

 

「はい。そして、これは極秘情報なのですが、今回は例年のような戦争ではなく、帝国は王国を滅ぼそうと本気で制圧する気です」

 

「――例年のような、軽い小競り合いではない、と?」

 

「はい」

 

「……つまり、私に何を求めているのでしょうか?」

 

 なんとなく、既に予想はついていた。法国は王国を滅ぼそうとしている。だとすれば、アインズに告げる言葉も想像がついた。

 

「今回の戦争、決して、王国に手を貸さないでいただきたいのです」

 

「――――ふむ」

 

 そして、男の言葉も予想通りだった。アインズは男の顔をじっと見つめ、再び口を開く。

 

「――それ、手助けをすればどうなりますか?」

 

「――その時は、私ども法国も手を出さざるをえません。ニグン達を出撃させます」

 

 アインズの脳裏に、頬に傷を持っている男が浮かぶ。そして同時に、あのクアイエッセという男も。天使達やギガント・バジリスクが帝国と協力し敵に回れば、王国は滅びるだろう。例えアインズが協力しても、この戦士としての状態では戦況は覆せない事は間違いない。――本気を出せば、話は別だろうが。

 

 しかし、アインズはそこまでの愛着を王国に持っていなかった。それ以上に、世界級(ワールド)アイテムを持っている法国を敵に回す事の方が、アインズにとって死活問題だ。

 

「なるほど。了解しました。――王国と帝国の戦争には、決して手を貸さないと約束しておきましょう」

 

「ご理解、ありがとうございます。大変ご迷惑をおかけしますので、後々その分の補償をお支払いしますので」

 

「そこまでしていただく義理はありませんが――いただける、と言うのならもらっておきましょう」

 

 アインズの言葉に、男も安堵したように頷いて席を立つ。アインズも席を立った。

 

「この度はありがとうございます。また、いつか会いましょう」

 

「ええ、機会があればまた――」

 

 出来れば、あまり出会いたくはないが。アインズは内心でそう呟き、男を見送った。

 冒険者組合から出て行く男の背中を見ていると、横にいたブレインとイビルアイが不思議そうにアインズを見る。

 

「なあ、ありゃお前の知り合いか?」

 

「ああ、少しばかり縁があってな」

 

「そうなのか。……あまり、私はアイツは好きになれそうにない」

 

 イビルアイの嫌そうな言葉に、アインズはイビルアイと初めて気が合ったな――と思った。

 

「ああ――――俺もだよ」

 

 

 

 

 

 

 ――貴方達には、少しばかり同情する。

 

 全てを悟り、打ちのめされたレエブン侯を見送りながらアインズが告げた言葉が、レエブン侯の頭の中をずっとぐるぐると巡っている。

 現在、レエブン侯はアインズに礼を言って冒険者達の徴兵を諦めていた。貴賓館への帰り道の最中である。

 

「あの……侯。よかったんですか?」

 

 ロックマイヤーの言葉に、レエブン侯は力なく首を横に振る。いいわけが無かった。しかし、もうどうする事も出来ない。初めから、この戦いは詰んだ戦争であったのだ。起死回生の一手なぞ、存在していなかったとレエブン侯はようやく分かった。

 

「…………」

 

 打ちのめされたレエブン侯を、ガゼフ達は微妙な表情で見つめて同じように帰る。どうしてレエブン侯が即座にアインズ達を徴兵するのを諦めたか分からないのだ。レエブン侯も理由を告げていない。告げるわけにはいかなかったからだ。この場では。

 

 貴賓館に到着した後、部下達と別れレエブン侯はガゼフと共に会議室へと帰って来た。現在、会議室にはランポッサ三世とバルブロ、レエブン侯と裏切者を除く六大貴族の三人しかいなかった。

 

「おお、帰って来たか。それで、どうだったのだ?」

 

 ランポッサ三世の言葉に、レエブン侯は「申し訳ございません」と告げてから断られた事を告げた。当然、バルブロとボウロロープ侯達は怒鳴りつける。

 

「徴兵拒否だと!? そんな権利があるか!? 何がなんでも協力してもらうぞ!!」

 

 そう怒り狂う彼らをランポッサ三世が黙るように告げ、レエブン侯を見る。ガゼフは、既にランポッサ三世の背後に控えていた。

 

「レエブン侯……どのような理由で、ゴウンとアングラウスに断られたのだ? 侯が諦めるほどだ。よほどの理由があったのだろう?」

 

 ランポッサ三世の言葉に、レエブン侯はついに口を開く。アインズからの情報によって、悟ってしまった自分達の現状を。

 

「――法国です」

 

「は?」

 

 誰もが、何を言われたのか分からないという顔をした。レエブン侯は彼らの気持ちが痛いほど分かる。普通に考えて、何故ここで法国が理由になるのか分からないだろう。

 

「いや、待て待て待て! 法国? 何故、法国の名前が? もしや名前の通り、アインズ・ウール・ゴウンという男は法国の手先であったのか?」

 

「いえ――分かりません。しかし、ここに至っては、もはやアインズ・ウール・ゴウンがどこの国の人間かなど、問題ではありません」

 

「――はあ?」

 

 レエブン侯は告げる。彼らに、絶望的な事実を。

 

「今回の戦争、法国は以前とは違う奇妙な書状を送って来ました。例年通りならばいつもと同じ書状になるはずです。しかし、それが違うということはおそらく法国は帝国の新たな戦力――あの騎士のアンデッドに気がついていたのではないか、ということが伺えます」

 

 そう、おそらく彼らはその恐るべき情報網で帝国の事情に気がついた。だから、王国に送られてきた書状が以前と違うものだから、レエブン侯は気づいてしまった。

 

「以前と違うことをしてはならない――法国からの我々に届けられた手紙にはこれを意味する一文が足されていました。しかし、同じような書状が送られているはずの帝国は、以前とは全く違うことを。あのアンデッドを戦場に投入しました。ここから、ある仮説が立ちます」

 

 それは――

 

「おそらく、帝国に送られた法国からの書状は、例年通りのもの(・・・・・・・)です」

 

「――は?」

 

 全員が、その言葉に目を丸くする。それは理解したくないものに遭遇した時にする表情だった。

 

「……例年通り以外のことをしてはならない。すれば、部隊を送る。法国が王国に突きつけた書状です。そして、アインズ・ウール・ゴウンの戦争への参加拒否理由は、“法国から静観するよう依頼を受けているから”でした。動けば、かつて戦士長殿達を暗殺しようとした部隊を王国軍に向けることになる、と言われたそうです」

 

「――ば、馬鹿な」

 

 呻き声。ああ、そうだろう。ここまでくれば、誰だって法国の行動理由が分かる。法国は、王国が生き残ろうと抵抗すれば――六色聖典を動かすと告げたのだ。つまり――救いようのない事に。

 

「――――法国は、王国を帝国に滅ぼさせる気です」

 

「――――」

 

 その言葉に、誰もが愕然とした表情を作り力を抜く。

 

「なんということだ……」

 

 ランポッサ三世が、椅子の背凭れに力なく体を預けた。ここにきて、ようやく全員が自分達が詰んでいる事を理解した。もはやどうにもならない事を、心から実感した。

 帝国にさえ対抗出来ていないのだ。ここにきて、法国まで手を出してきて一体どうやって勝てるだろうか。

 

「……なあ、何か手はないのか?」

 

 現実を拒否するように、バルブロが全員を見回している。当然だろう。ここで降伏するという事は、つまり王族は死を意味するのと同義のようなものだ。相手はあの鮮血帝なのだから。

 

 だが、バルブロに対する現実は非情だった。降伏すれば死ぬ。抵抗してもこの戦力では勝ち目がない。もはやどうにもならなかった。

 

「……最後まで、抵抗するか? 特攻を仕掛けて」

 

 ポツリと呟かれた言葉に、誰も答えない。そんな気力さえ湧いてこなかった。それさえ、億が一以下の勝率だった。

 故に、この流れは必然だったのだろう。

 

「……降伏しよう」

 

「陛下!?」

 

 ランポッサ三世の言葉に、全員が驚き視線を向ける。ランポッサ三世は、既に覚悟を決めた瞳をしていた。

 

「私一人の命で済むよう、何とか助命を嘆願しよう。このまま籠城を続けても勝てず、億が一の確率に賭けて特攻すれば民が死ぬ。ならば、民のために降伏する以外に何の道があるだろう」

 

「……陛下」

 

 ガゼフが、ランポッサ三世の顔を泣きそうな顔で見つめている。それにランポッサ三世は表情を崩した。

 

「そんな顔をするな、戦士長。民のために命を捧げるのだ、中々悪くない最後だぞ」

 

 ランポッサ三世の言葉に、ボウロロープ侯が口を開く。

 

「それしか方法がない、となると仕方ありませんな。降伏しましょう」

 

「…………」

 

 ボウロロープ侯の瞳には、何がなんでも生にしがみついてやる、という気概が見えた。なんとかジルクニフと交渉して、助かろうという魂胆なのだろう。

 対して、もう二人――ペスペア侯とウロヴァーナ辺境伯は複雑な表情だ。二人は王派閥に所属するのだから、ランポッサ三世の決定に思う事があるのだろう。

 そして――バルブロは悲惨だ。頭を抱えている。当然だった。なにせ、この中でランポッサ三世の次に助かる見込みがないのが、第一王子であるバルブロなのだから。

 

 レエブン侯は――そんな彼らを見ながら、脳裏によぎる妻と子に誓う。

 

 ジルクニフはランポッサ三世だけの命で済ますような甘い支配者ではない。まず間違いなく、この室内にいる全員は処刑されるだろう。

 だから、せめて――自分の命で、妻と子だけは救いたいと、必ず救うと心に誓った。何をしてでも。この場の全員を裏切ってでも。

 

 

 

 ――そして、王国は今年ついに、帝国に完全敗北した。

 

 リ・エスティーゼ王国二〇〇年の歴史が、ここで途絶えたのである。

 

 

 

 

 




 
帝国「王都陥落でエ・ランテル包囲。楽勝ですわ」
王国「デス・ナイト二体とレイス四体とか聞いてないんですけお!!」

法国「戦いは始まる前から終わっているのだよ」
 


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The Bloody Tyrant Ⅲ

 
今回は捏造が多いですよー。

■前回のあらすじ

帝国余裕の圧勝。
 


 

 

 ――王国と帝国の勝敗は決し、帝国が勝利した。全面降伏を余儀なくされたランポッサ三世を初めとした王族、そして六大貴族を初めとした大貴族達と中層から下の一部の貴族達は王都へと帰還した。彼らは現在、ロ・レンテ城の玉座の間に集められ、自分達の新たなる支配者――帝国の皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの決定を待っている。周囲は騎士のアンデッド――デス・ナイト一体とフールーダ、四騎士の三人と帝国騎士達が控えており、例えガゼフであろうと誰かを護衛しながら突破するのは不可能だろう。……もっとも、ガゼフは現在王国の騎士達や戦士団と共に牢に入れられており、この場にはいないが。

 

「――――」

 

 誰もが、忌々しげな顔で、そして恐怖を帯びた顔でジルクニフの登場を待っている。涼しい顔をしているのは命が保障されていると思っている裏切者くらいか。そして、しばらくするとジルクニフが四騎士の一人を連れて玉座の間へとやって来た。ジルクニフは自然な動作で貴族達を睥睨しながら玉座に座る。かつて、ランポッサ三世が座っていた椅子――絶対者のためであったはずの椅子へと。

 

「よし、全員揃っているな」

 

 ジルクニフは全員の顔を見回し、満足げに頷いた。そんなジルクニフに、命の危機を恐れず手を上げて存在を示した者がいる。ランポッサ三世だ。

 四騎士が剣に手をかけるが、それをジルクニフが止めてランポッサ三世に口を開くよう促す。ランポッサ三世は許可を得て、口を開いた。先程から疑問に思っていた事を。

 

「娘の、ラナーがいないようなのですが……」

 

 王の言葉遣いではないが、もはや上下関係は決している。今まで通りの言葉遣いが出来るはずもない。丁寧な口調でランポッサ三世はジルクニフに問うた。そしてランポッサ三世の言葉通り、バルブロやザナック、それどころか嫁いだはずの第一王女や第二王女までこの場にはいるのに、彼女だけが存在しなかった。

 周囲の貴族達もようやく彼女がこの場にいない事に気がついたのか、少しだけざわりと騒がしくなる。ジルクニフはランポッサ三世の質問に答えた。

 

「ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフは現在、帝都アーウィンタールの皇城で客人として迎えており、この場にはいない。近々妾の一人として後宮に入る予定だが――何かあるかな?」

 

「――――」

 

 その言葉で、帝国がラナーをどういう扱いにする気か悟る。ラナーは唯一、王族の中で絶大な人気を民衆に誇っている。その後の統治に対する、人気取りのためだろう。ラナーは幸い未婚であった。愛妾として迎え入れ、王国民の支持を得るつもりなのだ。

 ……ただ、少しだけ分からない事がある。それならば正妻として娶った方がよほど効果があるはずだ。だというのに、何故ジルクニフはそうしなかったのだろうか。彼ほどの頭脳があれば明白であったはずなのに――レエブン侯は内心で首を傾げた。

 しかし、それでもラナーの扱いに納得がいったのだろう。ランポッサ三世はそれを聞いて、安心したように思えた。これ以上の扱いを求めるのは贅沢に思えたのかも知れない。何せ、敗戦国の王女なのだから。

 

「さて、納得がいったようだな。では始めるぞ。――まずは改めて自己紹介をしよう。諸君、私が諸君らの新たなる支配者、バハルス帝国の皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスだ」

 

「…………」

 

「――ふふん。沈黙は肯定と取る――なんて馬鹿な言葉があるが、まあいい。納得したものとして話を進めよう。このリ・エスティーゼ王国は名を改めた後自治領として、バハルス帝国に属してもらう」

 

「――――」

 

 その言葉に、思わずざわりと玉座の間の空気が揺らぐ。奴隷として支配されるに決まっていると思っていたのに、自治領という事は独立国に近い扱いを受ける、という事だ。

 だが、少し考えてレエブン侯はなるほどと頷いた。よく考えれば、帝国の持つ兵力は帝国騎士およそ八万人。都市を一つ支配するならともかく、この程度の数では急な支配なぞ出来るはずがない。まずは自治領として扱い、急な領域拡大に対応するつもりなのだ。自治領ならば帝国の負担は最低限で済む。ゆっくりと時間をかけて王国民達の意識改革をするつもりなのだろう。

 では、その自治領の主をどうするか――涼しい顔をしている裏切者のブルムラシュー侯に統治させるつもりなのだろうか。

 

「あ、あの! その自治領の領主は――」

 

 貴族の一人が慌てたように声を出す。しかし、ジルクニフに睨まれ声が萎え、四騎士の一人が剣を抜いたのを見て押し黙った。ランポッサ三世との会議に慣れてしまい、つい口から言葉が出てしまったのだろう。

 

「――さて、続きを話そう。このエスティーゼ自治領の領主は既に決めている。変更の予定は無いので、そのように思いたまえ。これから自治領としてその領主と税や今回の戦争との賠償金の話を煮詰めておきたいのだが――その前に、ゴミを片付けておかないとな」

 

「――――」

 

 その言葉に、誰もがごくりと喉を鳴らした。その言葉があまりにも不吉な言霊を帯びていたからだろう。そんな貴族達を見てジルクニフの顔が歪んだ笑みを形作る。背後に控えていた四騎士の一人が、懐から羊皮紙を取り出すとそれを広げ、名前を呼び始める。

 

「では、まず元リ・エスティーゼ王国の第一王子バルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフ。それから――」

 

 バルブロから始まり、次々と読み上げられていく名前。レエブン侯は心の中で、名前を読み上げられなかった者達を数えた。まず、ランポッサ三世にザナック、この場にいないラナー含めた三人の王女。六大貴族の中では唯一自分だけ。主だった貴族達は全員読まれていく。

 そして――最後に、こう締めくくられた。

 

「――以上の者達を、リ・エスティーゼ王国を統治する王族・貴族としての身でありながら、非合法組織八本指と癒着し、民衆から不当に税を搾取し私腹を肥やし、法律を破っていたものとして火刑(・・)に処す」

 

「な――」

 

 一瞬の静寂。後に――怒号が玉座の間に響き渡った。

 

「ふ、ふざけるなぁ!! なんだそれはぁ!?」

 

「そ、そんな証拠がどこにある!? 貴族に対して、なんたる無礼! あげく火炙り(・・・)だと!? な、な、何様の――」

 

「ば、馬鹿な――約束したではありませんか!? ご、ご無体な――」

 

「――――黙れ」

 

 ジルクニフの言葉とともに、デス・ナイトが唸り声を上げた。その怖気の奔る気配に、瞬時に貴族達が押し黙る。もしかすると、股間を濡らしている者さえいるかもしれない。それほどの恐ろしさだからだ。

 そしてブルムラシュー侯もまた名前を読み上げられ、顔色が蒼白になってる。裏取引をしているはずなのに、ジルクニフに容赦なく他の者達と同じような罪状を告げられたからだろう。

 

「これは決定事項だ。お前達はその罪状で、明日この都市の大広場で火刑に処す。――無論一族郎党全員(・・・・・・)な」

 

「――ぜんいん?」

 

 その言葉で誰もが呆然とした。自分達だけではなく、一族全員。それはつまり――

 

「待――待っていただきたい、皇帝陛下。そ、それは……つまり」

 

 ランポッサ三世の言葉に笑みを浮かべてジルクニフは告げる。

 

「そうとも。そこの元王女二人は既に嫁いだ身……当然、そこにいる貴族達の身内として数えるぞ」

 

「――――」

 

 ランポッサ三世の顔色は蒼白だ。二人の王女も顔面を蒼白にして「ひ……」とか細い声を上げている。

 あらゆる意味で押し黙った王族・貴族達を見て再び四騎士の一人が口を開いた。

 

「特に第一王子の身でありながら、八本指と癒着していた男の罪は重い。よってバルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフは他の者達と別けて火刑に処する。――そして元国王のランポッサ三世、第二王子ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフ両名は王族でありながら貴族達を御しきれず、八本指という害悪を肥え太らせ、王国内に麻薬を蔓延させ帝国にまで広めたことにより、絞首刑とする。――――以上」

 

 これで役目は終わったのか、羊皮紙を読み上げていた四騎士の一人は口を閉じると、羊皮紙を懐にしまった。ここに王族・貴族達の末路は決定したのである。誰ともなく、「悪魔め……」という言葉が呟かれ、玉座の間に響いた。

 だが、たった一人だけ未だ名前が出てない者がいる。――即ち自分、レエブン侯である。レエブン侯は手を上げ、ジルクニフに存在を示した。

 

「――なにかね?」

 

「――私の名が無かったように思えるのですが……聞き間違いでしょうか?」

 

 あまりに不可解な疑問に口を開いたが、レエブン侯の言葉で他の者達もレエブン侯の名が無かった事に気がついたらしく、疑問符を浮かべる。ジルクニフはレエブン侯にどこか、どこか気味の悪い笑みを向けて口を開いた。

 

「ああ――エリアス・ブラント・デイル・レエブン候爵。貴殿のことをまだ告げていなかったな。貴殿はその優秀な頭脳を見込んで、これからこの自治領を統治してもらうことにした。期待しているぞ」

 

「――――」

 

 その言葉に、レエブン侯は呆然とした。確かに、自分は妻子のために何とかジルクニフと話をしようとしていた。しかし、その前にこんな形でジルクニフと関わる事になるとは。レエブン侯はぞくりとした視線を感じ、思わず周囲を視線を動かさずに見回した。

 

「――――」

 

 見ている。誰もが、怨嗟の感情で瞳を染め上げて。自分だけ助かったレエブン侯を見ていた。ザナックでさえ。

 ――真の裏切者はここにいたのか、と。

 

「…………」

 

 レエブン侯は思わず喉をごくりと鳴らす。確かに、この状況は誰が見てもレエブン侯の裏切り行為があったとしか見えない。そもそもレエブン侯が政治能力に優れており、頭もいいのは王族・貴族の誰もが知っている事だった。

 だからこそ、誰もがレエブン侯が国を売り、ジルクニフと裏取引をしたと信じている。

 

「…………」

 

 ここで、自分はそんな事は知らない、と身の潔白を訴える事は出来ない。そうすれば妻子はどうなるのか。せっかく助かった二人を殺すような真似をレエブン侯が出来るはずがない。

 裏切者だと思うのならば思うといい。愛する妻と子のためならば、自分は悪魔(ジルクニフ)に魂を売るだろう。

 

「――納得がいったようだな。では、これから国政について話し合わねばならん。そこの犯罪者どもを明日まで牢に入れて置け」

 

 ジルクニフの言葉に、帝国騎士達が動く。貴族達が抵抗を示した。

 

「や、やめろぉ! 離せぇ!!」

 

「た、助け、助けてくれ!!」

 

「じにだくないぃぃ!! じにだくないぃぃぃいい!!」

 

 そう叫びながら、貴族達はズルズルと帝国騎士達に抵抗虚しく連行されていく。もはや諦めたように肩を落として、それに王族達も続いていた。――貴族の顔色を伺わないと何も出来ない名ばかりの存在であった王族達の方が、上に立つ者として死の覚悟が決まっているとは奇妙な話である。

 

 ――そして、その場にジルクニフ、四騎士、フールーダとデス・ナイト……レエブン侯が残された。

 

「――さて、本格的に統治について話を進めよう。まずは、こちらからの要求だ。読みたまえ」

 

 静かになった玉座の間にジルクニフの言葉が響き渡る。四騎士の一人が羊皮紙を取り出し、レエブン侯へと渡した。レエブン侯はその羊皮紙に目を通す。そこには、敗戦国としての賠償金の金額や、今後ここを自治領として統治していく上での納税額、所持する事が許される軍事力、都市間の関税額など、様々な事が書かれていた。

 それらを全て読み上げたレエブン侯は、思わず目を見開き何度も何度も上から下まで確認した。どうか見間違いであって欲しいと。

 そして――何度読み返してもこれらが決して見間違いではなく、ここに書かれた内容が真実なのだと理解した時。レエブン侯は顔面を蒼白にしてジルクニフを見上げた。玉座の上で嗤っている、悪魔へと。

 

「これはし、正気でしょうか皇帝陛下?」

 

「うん? 文字が読めなかったかな? レエブン侯」

 

「――これは正気かと言っているのです! 馬鹿な、こんな額の賠償金――払えるはずがないではないですか!」

 

 戦争の責任としての王国の賠償金額は、レエブン侯をしても見た事もない数字だった。こんなものを払わせられたら、国庫は間違いなく空になるだろう。

 そして次の納税額も狂っている。間違いなく重税だ。こんなにも民衆から搾り取れば、二・三年もせずに民衆が餓死する。どんなに長引かせても五年が限度だろう。

 そして治安を維持するために所持する事が許される兵力はおよそ三万。一応、帝国騎士達がここに自分達の見張り役として追加されるが、その数は五千も無い。

 都市間の関税も酷い。元王国民が別の国に身を移して逃れようとしても、これだけの額は払えまい。民衆は移住すら許されず飼い殺しにされる。

 

 悪魔だ。こんなものを考えるなぞ、悪魔にしか思えない。

 

「それをどうにかするのが貴殿の仕事だろう? 期待しているぞ、レエブン侯――」

 

「――――」

 

 そのレエブン侯の訴えを、ジルクニフは笑顔で流した。寒気と吐き気のする笑顔だった。

 

「ああ、それから元エ・ランテルは自治領ではなく、帝国領として扱わせてもらうからな。帝国の軍団を一つ駐留させ治安維持に充てるし、税の回収もこちらでやる。そこに書いてる取り決めとは無関係とさせてもらおう」

 

 エ・ランテルは城塞都市だ。まだ多少痛んでいるとはいえ、確かに役に立つ。あと変わった事があると言えば――アダマンタイト級冒険者の漆黒がいる事か。そして、それがジルクニフがちゃんとした帝国領でエ・ランテルを分けた答えのような気がする。

 

「なぁに、安心したまえレエブン侯。君の妻子は当然、こちらで安全に過ごせるよう面倒を見るとも! 帝都で客人として丁重にもてなすように、既に帝都に来てもらっている! 安心して、仕事に励めよレエブン侯」

 

「――――」

 

 それを聞いて、目の前が真っ暗になった。

 意味する事は唯一つ。レエブン侯に対する人質である。逆らえば、妻子の命の保障は無いと、そう言外に告げているのだ。

 レエブン侯は陸に打ち上げられた魚のように、口を開いては閉じる事を繰り返した。口から言葉が出て来ない。

 

「三万の兵士は貴殿が自由に選びたまえ。このロ・レンテ城でしっかり義務を果たせよ。――おっと、ニンブル。羊皮紙を回収しろ」

 

 四騎士の一人が歩いて来て、レエブン侯の手から羊皮紙を回収する。――証拠隠滅。レエブン侯はジルクニフの考えている事が手に取るように分かった。分かってしまった。

 絶望に染め上げられたレエブン侯の表情を見下ろしながら、ジルクニフは口を開く。

 

「精々頑張って、この自治領を統治したまえ」

 

 

 

「糞が! あの悪魔め! 死ね! 死ねぇ!!」

 

 与えられたロ・レンテ城内にある執務室で、レエブン侯は頭を抱えた。

 

 ――ジルクニフの意図は明白であった。少なくとも、レエブン侯にとっては手に取るように分かった。おそらく、向こうも隠してはいないのだ。

 

「――あ、ああぁぁぁぁああぁああああ」

 

 これからの事を思い、レエブン侯はその場に蹲る。誰か助けて欲しい、と切に祈った。

 

 ――帝国はわざと王国を自治領にし、その統治をレエブン侯に任せた。それは今の帝国では隅々まで支配出来るほどの戦力が無い事を意味するが、同時にある目的もあったのだ。

 

 帝国は、王国から財を限界まで搾取する気でいる。

 

 戦後の賠償金の額や、納税額を見れば明白だ。これは完全な圧政である。そして逃げようにも、一番近いエ・ランテルや評議国まで渡る前にある税関の額が凄まじ過ぎて渡れない。勿論、あちらからこちらに来る際は別だが、この王国であった自治領から出る際の額は平民では払えないだろう。結果として、自治領から出られずいつまでも圧政に苦しめられる事になる。

 当然、その圧政の責任を取るのはレエブン侯だ。帝国は知らぬ存ぜぬと言い張るだろう。レエブン侯が私腹を肥やしたくて圧政を敷いたのだ、と。ロ・レンテ城で仕事をするように言ったのも、その思い込みに拍車をかけるためだ。……レエブン侯が全ての元凶である、と。

 そしてこのレエブン侯の圧政から民衆を救うのは勿論、帝国のジルクニフだ。数年後、限界まで搾取した後に正義を謳い圧政を敷いたレエブン侯を打ち倒す。王国から搾取した帝国の国庫の金で、民衆を救う。民衆はジルクニフを正義の皇帝陛下と謳い感謝するだろう。全て、帝国の茶番だと気づきもせず。

 ――そして今回の戦争も、全ての責任を王国に負わせる気だ。帝国が戦争を仕掛けた理由は正義のため。八本指をのさばらせ、王国内のみならず帝国まで麻薬を広め、私腹を肥やす王族や貴族達に天誅を下す。誰が見ても、正義を疑う事はあるまい。実際、真実の一部でもあるのだから。

 

 死ぬ。自分はこの数年後、全ての責任を負わされ殺される。しかし、それを拒否する事は出来ない。拒否するには――妻と子はあまりに愛おし過ぎた。

 

 帝都で客人として扱う、とは言っていたが確実に自分に対する人質だ。レエブン侯は、ジルクニフに自分という人間性を完全に見抜かれている事を自覚した。

 

 ――レエブン侯の部下や関係者に集中する、頭のいい人間。ジルクニフは誰に統治させるのがいいか事前に調べ、おそらくレエブン侯に白羽の矢を立てたのだ。……王家の交代劇を目論みながらも、妻子が出来た途端にそれを止めてしまった愚かな男だと見抜いて。

 

「う……うぅ……」

 

 蹲って、涙を流して床を濡らす。駄目だ。妻と子は捨てられない。だがそれは民衆に圧政を強いる事を意味する。民衆の不満は日に日に強くなり――ある日、爆発するだろう。

 そしてその爆発する瞬間を帝国が狙ってレエブン侯を処刑する。

 ――もはやレエブン侯に取れる手段は一つしかない。レエブン侯が生きているかぎり、妻と子は生かされる。帝国は攻めてこない。代わりに、民衆は搾取され続ける。

 

 それを、許容する。

 

「……何か、何か方法は無いのか。何か――」

 

 レエブン侯はいつまでも、その執務室で考え込んだ。答えの出ない疑問が、ずっと頭の中に回り続けている……。

 

 

 

 

 

 

「――――」

 

 ガゼフは城の牢の中で、武装を剥がされ一人静かに瞑想していた。

 心は酷く穏やかだった。この後の自分の運命を悟っているからかも知れない、と自分では思う。

 だが、それもいい。最後まで、その心に殉じよう。例えそれが、自分勝手な欲望であろうとも。

 

「――随分と静かだな」

 

 ここで聞こえるはずの無い声に、ガゼフは瞑想していた瞳を開いた。いつの間に、と言うべきか。そこにガゼフが知っている人物が立っている。

 だが、何故かそこに立つ人物にガゼフはあまり驚かなかった。なんとなく、もう一度会える気がしていたからかもしれない。

 

「――ゴウン殿」

 

 ガゼフの牢の前に、漆黒の戦士が静かに立っている。彼はガゼフの牢の前にある看守用の椅子に腰かけると、ガゼフを見た。

 

「――数日ぶりだな、ガゼフ・ストロノーフ。死を直前にして、もっと騒いでいるかと思ったぞ」

 

 口調は酷く砕けていた。おそらく、これがアインズの素なのだろう。こんな時だが、アインズの素を知る事が出来てうれしく思う。

 

「……なに、騒いでもどうにもならないと知っているのだ。ならば、みっともなく泣き喚くわけにはいくまい。俺は、王国戦士長であり、王の剣なのだから」

 

「――――」

 

 その言葉に、アインズは肩を竦めたようだった。今度はガゼフの方から、アインズに質問する。

 

「ところで、ゴウン殿は帝国の人間だったのか?」

 

「いや、違う」

 

「? では、俺との面会が許されたのだろうか?」

 

 帝国の人間ならば、確実にアインズは帝国でも地位の高い者だ。ガゼフに会うくらい許されるだろう。しかし違うのなら自分への面会が許されたのか、と思ったが自分で言っていて、それなら先にブレインが来るだろうな、と思う。実際、アインズは首を横に振った。

 しかし、そうなるとアインズがここに来た残された手段は――見張りを掻い潜っての潜入しかない。

 

 疑問が顔に出ていたのか、アインズが面白そうな声色でガゼフに声をかける。

 

「そうだな。――例えば、俺の正体が実は、フールーダを超える魔法詠唱者(マジック・キャスター)だった、というオチはどうだ?」

 

「……それは。いや、貴殿が言うのならそうなのだろう」

 

 ガゼフはアインズの言葉に納得した。疑う事はしなかった。アインズの言葉なら信じられる、と理屈抜きで納得したのだ。例え戦士としての身体能力で、アインズが圧倒的に専業戦士である自分よりも上であったとしても。

 

 苦笑し納得したガゼフに、むしろ逆にアインズの方が驚いたようだった。

 

「――それで、貴殿はここに何をしに来たのだ? まさか、最後に俺の顔を見に来た、というわけではあるまい?」

 

 そして、最大の疑問をアインズに投げかける。アインズがここに何をしにきたのか、ガゼフはさっぱり分からなかった。だからこその質問だった。

 アインズは少し考え込む素振りを見せると――ガゼフに問う。

 

「なあ、ガゼフ・ストロノーフ。ここから出て、何もかも新しく始めてみる、というのはどうだ?」

 

「――――」

 

 それは。

 

「ここにいれば、明日には確実に処刑されるだろう。お前は王に近過ぎた。他の戦士達のように、単なる軍人として処理することは出来ない。そうだろう?」

 

「……その通りだ」

 

「だから、ここから出る気はないか? 転職して別人になる気は? お前がそれを望むなら、俺はアインズ・ウール・ゴウンの名に誓い、必ずお前が自由になれるよう働きかけるだろう」

 

「――――」

 

 間違いなく、ここは人生の分岐点。諦めていた人生の続きが、ここにある。勿論、何らかの代償はあるのだろう。アインズはそこまで甘い男ではないと思う。

 しかし、それは生への渇望の前には、躊躇する理由にならない。彼は誠実さには誠実さで返すだろう。これは自分の勝手な人物像であったが、間違っていないと思う。ガゼフはそう信じている。

 

 だから、ガゼフの言葉は決まっていた。

 

「――申し出は嬉しく思う。しかし、断らせていただこう」

 

「…………」

 

 アインズは断ったガゼフを、じっと見つめている。奇妙な生き物を見る視線だった。まるで、初めて見る珍種に出遭ったような。そんな視線をガゼフは感じ取る。

 

「……死が怖くないのか?」

 

 アインズの問いに、ガゼフは首を横に振った。

 そんなはずはない。死が怖くない生物なぞいるはずがない。

 

 そうだ、怖い。死は誰だって怖い。蘇生魔法はあるが、そんなものがあっても死の恐怖を和らげる役目になるはずがない。

 ……そうだ、ガゼフは怖かった。許されるなら、泣き喚いて助けてくれと懇願したかった。それが生物として正しい行動だろう。きっと、そうしても誰もガゼフを責めない。

 だが、ガゼフはそれを鉄の意思で抑え込んだ。

 

「俺は王の剣だ。王から受けた恩義に懸けて、命惜しさにここから逃げ出すなぞ出来るはずがない」

 

「……恩義ねぇ……」

 

 ガゼフの言葉に、アインズが懐疑的な声を漏らす。その先を言わせてはならない、とガゼフは思った。しかしガゼフには止められない。アインズとの距離は、牢が隔てて絶望的だ。

 だから、アインズは容赦なくガゼフに現実を突きつけた。

 

「お前が王から受けた恩義は、帝国では当たり前の光景(・・・・・・・)だろう」

 

「――――」

 

 その言葉を、ガゼフは否定する事が出来なかった。

 

「ブレインから聞いたが、お前はかつて御前試合でその強さを見出され、王の部下になったそうだな。なるほど、確かに王族が平民に視線を向け、信頼することはあり得ないことなのかもしれない。――しかし」

 

 それは、帝国では当たり前の光景だった。ガゼフがランポッサ三世に見出した輝きは、帝国では誰もが持っている平等の権利でしかなかった。

 そのような常識が無い場所でそれを行ったランポッサ三世こそが素晴らしい――などと、ガゼフは言わない。自分達は一つの命だ。王も貴族も平民も、全ては一個の生命でしかない。つまり、本来ならば誰もが持っている平等の権利としてそれはあるべきだ。

 そんな、生命として保障されるべき権利を――王国は民衆に持たせられなかった。

 

 だが、ガゼフはランポッサ三世を責めない。例えランポッサ三世の慈悲が本来ならどこにでもある、当たり前の権利であろうとも。むしろそれを当たり前にしてあげられなかった、自分の無力と王国の悲哀をこそ、ガゼフは呪う。

 

「――ゴウン殿。確かに、俺が王に見出した輝きは、帝国では当たり前なのかもしれない。これは俺の我が儘なのかもしれない」

 

 きっと、ガゼフがこのまま王に殉じるよりも、生きて外に出た方が救われる人は多いだろう。真実、人を救いたいと思うのならば、ガゼフはアインズの手を取って外界へ出るべきだ。

 だが、それだけは出来ない。ガゼフ・ストロノーフは王の剣。それを裏切る事だけは、絶対に出来ない。ガゼフがランポッサ三世に見出したその輝きを、無にする事だけは認められない。

 

 ――例え、それがいつかは。

 どこにでもある、当たり前の光であったとしても。

 

「――――」

 

 ガゼフの言葉を聞いたアインズは、数秒の沈黙の後、ガゼフを見つめながら静かに呟いた。

 

「……そうか。その瞳は以前にも見たな。死を前にしながらも覚悟する人の意志」

 

 その輝きに――俺は憧れてやまないのだ。――アインズはそう小さく呟いて、椅子から立ち上がった。

 

「ではな、ガゼフ・ストロノーフ。お前のことは忘れない」

 

「ああ、ありがとうアインズ・ウール・ゴウン。貴方のことを、俺も忘れない」

 

 漆黒の戦士はガゼフのいる牢から去って行く。その背中に、ガゼフはある事を思い出して呼び止めた。

 

「ゴウン殿!」

 

「――――」

 

 これは余計なお世話かもしれない。アインズの迷惑になるかもしれない。しかし、譲れなかった。

 脳裏を過ぎるのは、この戦争前にある約束をした男。その約束を反故してしまうために、ガゼフはこんな事をアインズに頼むのは厚顔無恥だと思いながらもアインズにしか頼めないために、頼んだ。

 

「――俺が没収された王国の武装の中に、一つだけ王国の秘宝ではなく、人から譲り受けた指輪がある。それを回収し、どうかブレインに渡してくれないだろうか」

 

「――――」

 

「こんなことを貴殿に頼める立場ではないのは分かっている。しかし――」

 

 ガゼフがなおも言葉を募ろうとすると、アインズが止めた。そして、頷いてくれる。

 

「ああ、いいとも。任せろ」

 

「――感謝する、ゴウン殿」

 

 それで、終わりだった。アインズは去って行く。ガゼフは、その背中を見送った。

 ……明日、ガゼフは処刑されるだろう。おそらく、帝国の皇帝はガゼフに自分の軍門に降るよう告げるだろうが、ガゼフは拒否するつもりだ。アインズにも頷かないものを、ジルクニフなんぞに譲れるはずがない。あんな、信頼など決して出来ない男には。

 

「――――」

 

 しかし、ガゼフの気持ちは穏やかだ。心残りはあるし、後悔もたくさんある。だが、それでも気持ちは穏やかだった。この分なら、例え首を斬り落とされる直前であっても、決してみっともなく喚く事はないだろう。

 だから、ガゼフはひたすら明日を待ち続ける。ガゼフ・ストロノーフという男の人生の最期を。

 

 

 

 

 

 

 ――ラキュース達蒼の薔薇と、同じくアダマンタイト級冒険者チームであり、ラキュースの叔父がリーダーの朱の雫はその日、冒険者組合で信じられない事を告げられた。

 

「……降格!?」

 

 絶対に納得出来ないであろう事を告げられて、ラキュースは仰天する。それは勿論、朱の雫もだ。冒険者組合の組合長は苦々しい顔で、ラキュースに理由を告げる。

 

「――帝国の方から、ラキュース。貴方に帝国の作戦中に反抗的な態度を取られたとして、苦情が来ているの。冒険者が国家の政治に関わらない、と言うのなら誠意を見せろ、だそうよ」

 

「――な」

 

 ラキュースの脳裏に過ぎるのは、先日の帝国軍の王都強襲の件だろう。ちょうどラキュースはラナーのもとにおり、その帝国軍の作戦行動中に遭遇してしまった。その時、確かにラキュースはラナーを守るために少しばかり反抗的な態度を取ったかもしれないが――まさか、冒険者組合にこうして苦情を入れてくるとは。

 

「心当たりがあるのね」

 

「それは――はい。申し訳ありません」

 

 素直に頭を下げる。悔しかったが、それを口には出せない。

 

「そう。なら理解出来るわね? 貴方の交友関係に口を出す気はないけれど、向こうはそうは思ってくれないわ。アダマンタイト級冒険者である貴方の行動を軽率なものと判断し、ペナルティを与えます。当然、同じく貴族出身者のいる朱の雫も同様にしなくては帝国は納得しない。――全員、アダマンタイトからオリハルコンに降格とします」

 

「…………でも朱の雫までなんて、そんな!」

 

 思わずラキュースは声を上げるが、組合長は首を横に振った。

 

「……エ・ランテルの漆黒は不可侵を貫いたそうよ。蒼の薔薇と漆黒の違いを、帝国は貴族出と捉えているの。この処分が不服なら、大変申し訳ないけれど――蒼の薔薇と朱の雫を、冒険者組合から追放します」

 

「――――!!」

 

 そのあまりに横暴であるとも言える処分に、ラキュースは顔色を真っ青にする。しかし、なおも抗議しようとするラキュースを、朱の雫でありラキュースの叔父であるアズスが止めた。

 

「ラキュース。納得したまえ。我々も納得する」

 

「で、でも叔父さん……!」

 

「組合長、此度は大変ご迷惑をおかけした。その処分を受け入れよう。プレートをいただきたい」

 

「――ごめんなさい」

 

 組合長はそう告げると、準備していたプレートをラキュース達に引き渡した。そして、その後もう一度頭を下げると、組合長は退室する。後には、蒼の薔薇と朱の雫だけが残された。

 

「……叔父さん。それに朱の雫の皆さんと、ガガーラン達も……私のせいで迷惑をかけて、本当にごめんなさい」

 

 ラキュースはまず、アズス達に謝った。しかし、一番迷惑をかけられたはずのアズス達が苦笑して、ラキュースに対して告げる。

 

「いや、怒ってなどいないさ。友人を助けたかったんだろう? なら、それを誇りなさい。――それに、おそらくではあるが、帝国は何かと理由をつけて我々が降格処分になるように動いただろうからな」

 

「え?」

 

 不思議に思い、アズスを見る。アズスはラキュースに告げた。

 

 ……帝国では治安がしっかりしているせいか、冒険者達の地位が低い。閑古鳥が鳴いている、とは言わないが王国ほど活気づいてはいないのだ。

 だが、それは本来正しい。軍がしっかりしているならば、人類を守るという冒険者は必要がないはずなのだ。むしろ満足に民衆を守れない王国こそが恥じ入るべきであるだろう。

 帝国は自らの軍で民衆を守れる。よって冒険者の地位は低く、冒険者としての利権は年々潰されていっているのだ。だからこそ、王国という余所者でありながらアダマンタイト級冒険者である蒼の薔薇と朱の雫の冒険者としての権威を、落としてきたのだろう。ラキュースとアズスが貴族である以上、きっと何かと理由をつけてこうなっていたとアズスは予想する。

 

「だから、友人を守ろうとしたその心を誇りなさい」

 

 アズスの言葉に、ラキュースは涙ぐむ。そして、精一杯の誠意を込めて頭を下げた。誰もラキュースを責めない。むしろ、ラキュースの我が身を顧みず友人を救おうとした姿勢をこそ、彼らは喜んだ。

 そして空気が軽くなった時――ドアがノックされる。視線がドアへと動き、アズスがドアの向こうの人物へ入るように促した。

 立っていたのは、組合員だった。

 

「――あの、申し訳ありません。蒼の薔薇と朱の雫に、指名依頼が届いております」

 

 ――不吉な気配を感じさせて、それは届けられたのだった。

 

 

 

 極秘に、と呼び出された場所はある貴族が使っていた館だ。今は既に誰もおらず、近々取り壊しになる予定である。そしてこんな館が、今は王都中に存在した。理由は勿論、使うべき貴族達がいなくなったからだ。

 

 大粛清。王族・貴族達が処刑されたのは記憶に新しい。まだ十日ほどしか経っていない。

 

 残った貴族は地方の貧乏貴族や、本当に潔白だった中流貴族だけだ。六大貴族は一人を除き、そして大貴族は全て火刑に処された。

 その時の民衆の熱狂具合は、第三者の目から見れば寒気のする空気であったが、それを民衆に面と向かって言える勇気のある者は、この元王国には存在しない。

 

 そして最後の六大貴族であり、この元王国である自治領の領主として帝国に任命された男こそが、蒼の薔薇と朱の雫の依頼人であった。

 

「――――」

 

 元オリハルコン級冒険者チームに案内されて待っていた男の顔に、全員ひどく驚く。それはレエブン侯がいたから、というのが理由ではない。彼が最後に見た時からあまりにやつれ果てていたからだ。記憶の中の同一人物には思えないほどに。

 

「……この度は来ていただき、誠に感謝します」

 

 レエブン侯は蒼の薔薇と朱の雫に頭を下げ、そして震える声で告げた。

 

「どうか、お願いします。私の依頼を引き受けて欲しい」

 

 …………。

 

 

 

 ラキュース達蒼の薔薇は、朱の雫に何かと理由をつけて追い出され、今館の中の部屋の一つで待機していた。その顔にはそれぞれ、疑問が浮かんでいる。

 

「レエブン侯、一体どうしたのかしら……?」

 

「さあな」

 

 ラキュースの言葉に答えたのはイビルアイだ。イビルアイもまた、中でどのような会話をしているか気になっているのだろう。

 

「……皆、本当にごめんね」

 

 待っている間に、ラキュースは改めてイビルアイ達に頭を下げる。自分の行動が降格という結果となってしまった事に、ラキュースは罪悪感を感じずにはいられないのだ。

 しかし、そんなラキュースをガガーランが笑い飛ばす。

 

「いいじゃねぇかよ! っていうか、俺だったら姫さんに何か言われてもぶっとばして無理矢理連れて逃げてたかもしんねぇぞ」

 

「……ガガーラン」

 

「なんだったら、今からでも助けにいく?」

 

「ボスの頼みなら、別にかまわない」

 

「ティア、ティナ……」

 

 人情篤いガガーランだけでなく、ティアとティナまでがラキュースを励ますように告げた。しかし、その瞳は真剣そのもので、彼女達はラキュースが告げれば、きっとラナーの救出を手伝ってくれるだろう。

 だが、そんな事は出来ない。ラキュースはそこまで、彼女達に厚顔になれなかった。

 

「いいのよ。ラナーも側室ってことは、生きていけるってことだから……。民衆の無駄な犠牲もなかったから、これでよかったのよ」

 

 そう、ラキュースは自分を納得させる。実際、彼女の方が正しいのだから、民衆の事を思えばこれで正しい。ただ、自分の心に整理がつかないだけで。

 ……それでもいつか時間という無慈悲なもので、心の整理がつく日がくるだろう。

 

 ――そうしてしばらく待っていると、朱の雫が出て来た。どうやら、話し合いは終わったらしい。

 

「あ、叔父さん。それに皆さん」

 

 ラキュースは朱の雫に近寄り、話を聞こうとする。どうして、自分達を追い出したのか聞くために。

 しかし、その前にアズスが真剣な瞳でラキュースを見た。

 

「ラキュース。降格の件で本当に申し訳ない、と思っているのなら――王都、いや首都を離れなさい」

 

「え?」

 

 意味が分からなかった。見回すと、朱の雫は真剣な顔で蒼の薔薇を見ている。

 

「叔父さん?」

 

「帝国では肩身が狭すぎるだろうから――そうだな、どこか頼れる知り合いはいないか?」

 

 ラキュースの疑問を無視し、アズスが他の蒼の薔薇を見回す。すると、ティアとティナが口を開いた。

 

「エ・ランテルの漆黒と友人」

 

「たぶん、仲間に入れてもらえると思う。戦士二人組だし」

 

 ティアとティナの言葉に、アズスは満足そうに頷くとそのまま真剣な顔でラキュースを再び見た。

 

「ならラキュース、漆黒を頼りなさい。エ・ランテルならちょうどいい位置だと思う。しばらくこの首都を離れた方がいい。我々も、しばらく離れるつもりだ」

 

「……叔父さん。そうした方がいいの? 私のせい?」

 

「いや、ラキュースのせいではない。しかし、少々我々にとって肩身の狭いことになりそうだ。頼れる人間がいるのなら、頼った方がいい」

 

「リーダー、従った方が賢明だと思う」

 

 ティアとティナがアズスの援護をするのを見て、ラキュースはこれが政治的な判断であると理解した。

 

「……分かりました」

 

 おそらく、レエブン侯との話の内容で決定したのだろう。きっと自分達の事を思っての忠告だ。素直に従う事にした。

 

「……達者でな、ラキュース」

 

 館を出て別れる時、叔父の言葉に姪は頷く。

 

「はい。叔父さんも、お達者で……」

 

 ――これが、蒼の薔薇が朱の雫と最後に交わした言葉だった。

 

 

 

 朱の雫が受けたレエブン侯からの依頼は、帝国に人質にとられているレエブン侯の妻子の救出だ。朱の雫はレエブン侯に土下座で頼み込まれ、話を聞き――国の行く末さえ聞いて、この依頼を受ける事を決定した。

 勿論、これは国家反逆罪である。しかし元王国の人間として、これ以上の王国民の苦難は見過ごせない。アインドラという貴族として、そして王国の冒険者として朱の雫はこれを見過ごせなかった。

 ……レエブン侯の人質がいなくなれば、レエブン侯は帝国の茶番に付き合う必要はなくなる。圧政を敷く理由は無くなるのだ。しかし当然、妻子を救出したとしてレエブン侯と会えるわけではない。誰も彼女達を知らないところで、ひっそりと妻子は暮らしていくのだろう。

 ……そしてこの依頼を受けた場合、確実に朱の雫と蒼の薔薇の風当たりは強くなる。成功しても失敗しても恐ろしい事になるだろう。

 しかし、未だ地位を保っているアダマンタイト級チームと一緒にいれば、蒼の薔薇はなんとかなるはずだ。件の犯人である朱の雫はどうにもならないとしても。

 

 それから朱の雫は数日間レエブン侯の部下である元オリハルコン級冒険者チームと共に、何度も打ち合わせをした。情報を探り、予定を組み、入念な打ち合わせで決して失敗しないようにする。

 

 ――そして、レエブン侯のもとに、帝国から手紙が来た。

 

 ――組織的犯罪者達が妻子の誘拐を企て、帝都から連れ去ろうとしたがこれを撃退。デス・ナイト達で全て殺し尽しておいたという。

 ……なお、残念ながら奥方は間に合わず、大変申し訳ないことになってしまったことを、ここに詫びさせていただくが、しかし御子息は無事なので安心して欲しい。

 

 そんな手紙と共に、血塗られた贈り物がレエブン侯に届いた。身体を失ってしまった、妻の首が。

 

「――――! ――――!!」

 

 執務室で、レエブン侯の慟哭が響き渡る。そのレエブン侯の姿を、もはや首だけになった妻が静かに見つめていた――。

 

 

 

 ――かつて王国であった自治領は、数年後、帝国に再び制圧される事になる。圧政から解放された民衆は、こぞって賢帝ジルクニフを讃えたという。

 

 

 

 

 

 

 ――そしてジルクニフは、帝都の玉座で思わず笑い出しそうになっていた。

 

「いや、素晴らしいな! 全てこちらの思惑通り――最小限の犠牲で王国を占領出来そうだ」

 

「おめでとうございます、陛下」

 

 部下が口にするおべっかを、しかしジルクニフは機嫌よく受け止めた。本当に、めでたい事であるからだ。

 

「ラナーはあの小間使いを与えて離宮に隔離しておけばいいし、王国はレエブン侯に預けておけばいい。じいは更なる魔法の深淵に近づき、デス・ナイトと互角に戦えるゴウンと、あのストロノーフと互角であると言われるアングラウスはエ・ランテルとともに帝国所属のようなものだ。実に、実に順調だ――」

 

 エ・ランテルだけは王国から回収し、帝国領としたのはアインズ達の不興を買わないためだ。あそこだけは帝国と同じように治める細心の注意が必要になる。そして、あとはゆっくりとアインズとブレインを説得しておけばいい。

 

「王国の秘宝も手に入りましたし、さすがです陛下」

 

 バジウッド達四騎士の言葉に、ジルクニフは嬉しそうに笑う。そう、それも嬉しい事だった。唯一の難点は、見張りの部下が指輪を一つ無くした事くらいか。ただ、話に聞く王国の秘宝の中に指輪は存在しないので、特に重要ではなかった事が幸いだろう。部下もおそらく、それでどこかに無くしたのかもしれない。探しても見つからなかったし。

 ――勿論、その部下は首を斬っておいた。

 

「しかし、八本指は放っておいていいのですか、陛下」

 

 秘書官のロウネの言葉に、ジルクニフは笑みを浮かべたまま告げる。

 

「かまわん。あの状況では王国でとても暮らせまい。そうなると出て来るしかないんだが――さて、帝国に俺の目を盗んで八本指と繋がる馬鹿はいるかな?」

 

 断言しよう。いるはずがない。いたとしても、即座に別の貴族にその情報を売られるだろう。誰だって火炙りにはなりたくない。――そう、わざわざ王国貴族達を軒並み火刑にしたのは、帝国の残った貴族達に対する見せしめでもあったのだ。

 

「さて、あとは数日後に控えている法国との会談だな。じい、頼りにしているぞ」

 

 ジルクニフの言葉に、フールーダは頷く。

 

「お任せ下され、陛下。今の私ならば間違いなく十三英雄を越え、おそらく法国の虎の子にさえ、匹敵するだろうと自負しております」

 

 ――法国の虎の子。ある血筋から連なる者達を、法国では神人と呼んでいた。彼らは英雄級さえ突破し、魔神にさえその強さは匹敵している――などとも言われている、らしい。

 らしいと言うのは、これが極秘情報であり、フールーダが長年生きているために多少知っていたくらいだからだ。法国は人間の国家に戦争を仕掛けないため、戦力としての情報が皆無に等しいのだ。しかし周辺国家最強の戦士であるガゼフを超える戦士を隠し持っていたとしても、どこの国の上層部も納得するだろう。

 

 だが、この伝説のデス・ナイトに勝てるはずもない。ましてやそれを複数支配し、使役するフールーダに勝てるものか、とジルクニフは思う。

 

「――いや、実に楽しみだ」

 

 ジルクニフは笑う。覇道を謳い。最初の一歩があまりにも順調過ぎて。

 ――――そして、その覇道は、次の二歩目を踏み出そうとして完全に粉砕されるのだが。

 

 

 

 外交で法国の神官長と会い、背後にフールーダと四騎士を控えさせたジルクニフは、思わず拍子抜けした。

 神官長が連れている護衛は、たった一人であった。仮面を被って顔を隠し、槍を持った何者か。もう少し護衛を連れているかと思ったが、しかしそうではない。

 だが――戦士としての心得のないジルクニフと、そしてデス・ナイトの強さには程遠い四騎士と違い、デス・ナイトと意思疎通しているフールーダは完全に悟ってしまった。

 

 無理だ。勝てるはずがない。

 

 デス・ナイトとの意思疎通で、フールーダは悟る。デス・ナイトが教えてくれる。

 ……一呼吸の内にデス・ナイトが踏み込む前に、あの仮面の男はデス・ナイトを殺し切るだろう。そして、フールーダはデス・ナイトを囮に転移魔法で距離を取る。魔法を撃つ体勢に入る。

 そして魔法を撃つ前に、あの男は都合五歩以内でフールーダを斬り伏せるだろう、と。

 

 ――だから、フールーダは素直にそう告げた。

 

「……申し訳ございません、陛下。あの御仁には勝てませぬ」

 

「は?」

 

 その言葉にジルクニフはフールーダを見る。フールーダがデス・ナイトさえ足止めにもならず殺される、と告げた事によりようやく、ジルクニフと四騎士が事態を察する。

 それはつまり、何をどうしようと、彼らがその気になれば全員死ぬ――という事だ。

 仮面の男を背後に控えさせた神官長が、薄く笑った。

 

「どうされましたか? ――すぐに、話し合いを始めましょう」

 

「――――」

 

 圧迫外交をしようとして、逆に圧迫外交をされ返された。それを悟ったジルクニフは、隠れた膝の上で拳を握り、なんとか笑みを形作る。

 

 ……その後、ジルクニフは法国から数多の約束をするよう強制された。

 トブの大森林から毎年現れる、ゴブリン達の繁殖の間引き。毎年法国が隠れて行っていた事を、これからはほとんどが帝国領なのだから帝国の義務として毎年かかさず行うように、と。

 他には、ドワーフの国からの武器防具の資源。それを法国にも流すように。竜王国に対する援助金など――

 

「では、同じ人類として期待しています。共に、亜人種と異形種の脅威から人類を守りましょう――」

 

「も、勿論だとも――」

 

 引き攣った笑みを浮かべている事を、ジルクニフは自覚した。しかしどうしようもない。毎年法国が行っていた、トブの大森林関係の業務を、全て帝国がこれから任されるようになったのだ。国境の境目が消えた以上、法国はそちらからは手を引くらしい。

 ――つまり、これから帝国は知らずに受けていた法国からの援助を、一切無しにして戦わなければならない。

 

 法国の者達が帰還し、ジルクニフもまた帝都へと戻った。そこで――

 

「クゥ、クソがあああああああああッ!!」

 

 自室でジルクニフは、特大級のしっぺ返しに悶え苦しんだのだった。

 

 

 

 

 

 

「……元気を出せよ、ブレイン」

 

 アインズはいつものアインズのようにソファに力なく座り込むブレインに、そう声をかける。ガゼフが処刑されてから、ブレインはずっとこんな様子だ。

 

「……うるせぇ。ストロノーフは、俺の青春、人生の目標そのものだったんだよ……」

 

 ブレインはそう弱々しく告げて、手の中でアインズがブレインに渡した、ガゼフの指輪を弄っていた。

 

 ――あの指輪を盗み、そして効果を調べた時アインズは思わず懐にしまおうかと考えたほどだった。他のマジックアイテムもそうであるが、それでもあの指輪は希少性で言えば群を抜いていたのだ。

 何せ――正真正銘本物の、ユグドラシルと一切関係ない、純度一〇〇パーセントこの異世界の技術で出来た秘宝だと理解したからだ。

 アインズは悩みに悩み――ガゼフの遺言を思い出し、仕方なくブレインに渡した。もしブレインが死んだり、必要がなくなった時は貰おう、と考えながら。

 

 ……ちなみに他の秘宝も欲しかったと言えば欲しかったのだが、おそらくガゼフは嫌がるだろうと思い、そちらも泣く泣くアインズは諦めた。

 

「……やれやれ。重症だな」

 

 アインズはそう呟くが、決して馬鹿にはしない。形は違うが、ブレインの気持ちもアインズは多少分かるつもりだ。

 

 ――アインズだって、ユグドラシルがサービス終了する時、身を引き裂かれる思いだった。あのゲームはアインズの、鈴木悟という男の青春そのものだったのだ。あれだけが、あそこで出会った仲間達だけが人生の楽しみだった。

 

 それを失う、という事。その喪失感は、きっと余人には計り知れないだろう。この気持ちを、アインズは今だってずっと引き摺っている。

 

「……まあ、暇だからいいがな」

 

 エ・ランテルが帝国領となり、帝国軍の一軍団が駐留してから、アインズ達は更に暇になっていた。いや、冒険者という職自体が日々の暮らしに困るようになっていた。

 

 なにせ、帝国軍は優秀である。周囲の治安維持に尽力していた冒険者達の仕事が、まったく無くなってしまったのだ。一応、商人の護衛依頼などはあるが、しかし王国領であった時にはあった、モンスターを適当に狩って報奨金を貰う、という事さえ出来ない。

 

 アインズとブレインは食事不要疲労無効のマジックアイテムを持っているため、まだ何とかなるが他の冒険者達は急な仕事の激減に悲鳴を上げている事だろう。

 

 そうして少し周囲の空気が沈みながらも、人の少なくなった冒険者組合でアインズが無気力状態のブレインを暇そうに見つめていると、冒険者組合を訪れる五人組が現れた。

 

「――アインズ! 久しぶりだな!」

 

 王国と帝国の戦争が始まってからは来なくなっていた、イビルアイだ。しかし今日はイビルアイだけではなく他の蒼の薔薇の四人も一緒にいる。

 

「――久しぶりだな、イビルアイ。それに皆さんも」

 

 ただ、アインズは何か彼女達に違和感を覚え、じっと確認する。そして気づいた。……プレートだ。アダマンタイトではない。

 

「……あぁ」

 

 そう言えば、アインザックが教えてくれた情報を思い出す。蒼の薔薇はちょっとしたペナルティで、降格させられてしまったという事を。

 なので、その事には触れずに、アインズは訊ねた。

 

「しかし全員揃ってどうした? 何かの依頼か?」

 

 イビルアイに訊ねると、イビルアイは少し悩んだようだった。ラキュースが進み出て――息を少し吸うと、蒼の薔薇の全員が、何故かアインズに頭を下げる。

 

「お願いします! アインズさん、ブレインさん――チームに入れて下さい!!」

 

「――――はあ?」

 

 その言葉に、思わず間抜けな声が漏れた。ブレインまで驚いて指輪から顔を上げて蒼の薔薇を見ている。

 

「ち、ち、ちょっと……どうしました?」

 

「いや、チームに入れろって……どうしたんだ、お前ら?」

 

 あまりにおかしな言葉に、ついそんな言葉が出る。ラキュース達は少し口篭もり――告げた。

 

「その……実は、私達は首都で生活するのが、困難な状況なんです。私が貴族出であるばかりに、皆に迷惑をかけてしまって……」

 

「はあ……」

 

 なんとなく、分かったような分からないような。ラキュースは貴族である――というのは知っていたが、それがどうしたのだろうか。王国の支配者が帝国に変わった事で、イチャモンでも付けられたのであろうか。

 

「勿論、漆黒に入れていただければ、精一杯働かせてもらいます。私達がチームに入れば、取れる手段も増えるはずです。決して後悔させません。ですから――」

 

「――――」

 

 お願いします、と頭を下げる蒼の薔薇に、アインズは少し困った。戦力という意味では、既に事足りているのだ。ブレインでさえ余計でしかない。

 しかし、彼女達がチームに加われば様々な手札が増える事は確かだ。ラキュースの持つ魔剣の事も気になるし、ガガーランには借りがある。取得条件を無視して忍者の(クラス)を持っているティアとティナもまた、興味の対象だ。

 それに――

 

「――――」

 

 仮面で隠されていながらも、なんだか不安そうな顔でアインズを見ている気がするイビルアイが気になり、アインズは妙に落ち着かない。

 

「――――はあ」

 

 アインズはブレインを見る。

 

「ブレイン、お前の意見は?」

 

 アインズに話を振られたブレインは、ニヤニヤしながら、少し元気を取り戻したように告げた。

 

「別に、お前の好きにすればいいんじゃねぇか。俺はどっちでもいいぜ」

 

「そうか――」

 

 アインズは一呼吸置いた。そして――告げる。

 

「分かりました。皆さんの加入を認めます。――これからは、チーム名は漆黒と蒼だな」

 

「――ありがとうございます!」

 

 花が綻ぶような笑みを浮かべて、ラキュースが頭を再び下げた。それを止めて、アインズは全員を見回す。

 

「さて、せっかく同じチームになったんだ。口調も統一させてもらうぞ。この新チームのリーダーとかを決めないとな」

 

 ふふふ、と笑うとガガーランが苦笑して告げた。

 

「そりゃ……リーダーはお前だろ。こっちは頼んで入れてもらった方なんだからな」

 

「うん? しかし、チームとして連携が取れているのは人数の多いそちらだろう」

 

「いえ、アインズさん。リーダーをお願いします。たぶん、私がリーダーだと帝国から色々と言われそうで……」

 

 ラキュースの言葉に、アインズは「そうか」と頷きリーダーを引き受ける。

 

「では、さっそくそれぞれ互いに何が出来るか確認するか」

 

「――はい!」

 

 その日、しばらく静かだったエ・ランテルの冒険者組合は、少しだけ騒がしかったという。

 

 

 

 

 




 
ジル君マジ鮮血帝。かーらーの。

法国「誰がここまでやれと言った」
 


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Poachers

 
■前回のあらすじ

ジル君マジ鮮血帝。
ジル君マジ禿皇帝。
 


 

 

 ――かつてリ・エスティーゼ王国と呼ばれていた国が帝国領となって、一ヶ月の時間が経過した。

 この季節になると吐息が白くなり、空気は肌寒くなってくる。冬の到来だ。屋外での仕事をする者達はほとんどおらず、外を出歩く者は少なくなった。それは例え、冒険者であろうとも。

 冒険者であっても急な仕事の依頼以外は受けないのだ。未知の遺跡を求めるのも、秘境を探索するにしても危険度が従来より跳ね上がる。そのため、冬は訓練や娯楽、副業に精を出す者が多かった。

 

 ……しかし、他の王国領と違って正式な帝国領となったエ・ランテルの冒険者組合は、別の意味で静寂が組合内を支配していた。

 

「――――」

 

 ざわざわ、がやがやと今までの季節と同じような喧噪が存在しない。冒険者組合の中は冬だからという理由以外でさえ静かだった。掲示板の前では、何か依頼が無いかともはや数の減った冒険者達が躍起になって探している。商人や薬師の護衛などがあれば、すぐに飛びつくだろう。

 そしてそんな彼らを、漆黒と蒼の薔薇――名前については一悶着あったが、新チーム漆黒と蒼はいつもアインズとブレインが座っていたソファに陣取り、じっと眺めていた。既に、全員のプレートがアダマンタイトに戻っている。蒼の薔薇は自治領の冒険者からエ・ランテルに移り帝国の冒険者となったのだ。アインズとブレインもいるし、帝国領に来たので実力に見合ったプレートに戻っている。

 

「ふん――やはり、アダマンタイトに見合う仕事は無い、か」

 

「……仕方ないでしょう。この街には、帝国軍の一軍団が駐留しているから、仕事が減っているんだもの」

 

 そしてイビルアイがそんな彼らを見つめて呟いた一言に、ラキュースが言葉を返す。事実その通りであった。

 

 他の帝国領はともかく、ここは本来の帝国より離れた元王国領だ。帝国における第二軍、およそ一万の帝国騎士が駐留しており治安維持に当たっていた。帝国軍は王国の兵士達と違い職務に真面目であり、規律は当然守られている。今までの治安維持としての冒険者の仕事は皆無に等しい。共同墓地の見張りもまた、冒険者との共同であったのが帝国騎士のみの仕事に変わっている。

 ……逆に冒険者の仕事が増えたのが、元王国であり現在は自治領となっているこの都市以外の街である。軍の数は一気に減り、帝国軍もほぼいないため治安維持のために回せる兵士がいない。そのため、冒険者達の仕事が山のようにあった。

 ――しかし、その冒険者のために払える金額を依頼主が持っていないのが現状だが。元蒼の薔薇がかつて王都であった首都からこの街まで辿り着くために払った税関への金額は、今までとは桁が違う。ただの村人には支払えず、冒険者であっても躊躇するほどであった。更に言えば税金も多く、他の冒険者達は自治領には近づかないのが現状だ。

 ……だからこそ、この街は人が賑わい、そして冒険者の仕事が無かった。

 

「……意気揚々と新天地に来たはいいけどよ、まさか仕事そのものが無かったとはなあ」

 

 ガガーランの呟きは、元の場所へ戻れば仕事がある事を意味している。彼女達とて元はアダマンタイト級冒険者だ。もう一度税関を抜けて自治領の首都に帰るだけの金はあるし、そもそも冒険をする必要さえない。――だが、彼女達にそれは選べなかった。

 蒼の薔薇は様々な要因から帝国に目を付けられていたし、その結果として自治領首都の冒険者組合にも迷惑をかけている。おそらく、あそこにいても冒険者としての仕事があったかどうか怪しい。そして、冒険する必要が無いだけの財産を持っているとは言っても――彼女達は金のために冒険者になったのではないのだから、そのような事実は無意味である。

 

「でも、急な依頼が飛び込んでくる可能性は大」

 

「人がいない分、有利」

 

 ティアとティナの言葉もまた、もっともだ。今の季節は冬ごもりに失敗した凶暴な魔物が村に出る事がある。その急な依頼に対応するのに、このチームは最適だった。

 何せ、この都市の冒険者の総数は減っている。仕事が無くなったために、都市国家群に移動したり、仕事の多い自治領へ行く者も多かった。今この都市に残っている高位冒険者チームは、この漆黒と蒼の他にミスリル級が一チームのみである。急な魔物討伐の依頼であれば、間違いなくこちらに声がかかるだろう。

 

「ま、適当に暇でも潰しておけや」

 

 ブレインはそうラキュース達に告げて、いつも通り刀の具合を確かめている。アインズは、懐からマジックアイテムを取り出して整理をしていた。

 

「――これはいらない。……これは、どうする? いや、いるだろうこれは……」

 

 そう呟き、テーブルの上に巻物(スクロール)などを広げていた。そこには勿論、イビルアイと買い物に出掛け買ったゴミアイテム(スクロール)もある。

 そんなテーブルの上の惨状を見ながら、ガガーランがポツリと呟く。

 

「……お前、ひょっとして物を捨てられないタイプか」

 

 巻物(スクロール)をガガーランが一つ手に取って、じっと見ていた。アインズはそんなガガーランに、沈黙を守る。……事実、アインズは物を捨てられないタイプだった。でなければゴブリン将軍の角笛などという、ユグドラシルプレイヤーにとって真性のゴミアイテムなど持たないだろう。

 

「あと、変わった物があるとつい集めたくなるらしいぞ」

 

 イビルアイがガガーランと同じように、巻物(スクロール)の一つを手に取ってガガーランに教える。イビルアイが手に持つ巻物(スクロール)の魔法を確認する前に――アインズは自然な動作でそれをひょいと回収し、袋に入れた。

 

「……とりあえず、まだ持っておくか」

 

 アインズは呟き、全て袋にしまい懐に隠す。そんなアインズを生暖かい視線で眺めている全員に気づき、アインズは無言を貫いた。……やはり、自分は物を捨てられないタイプらしい。

 そうして誰もが暇を潰す方法を無くし――ガガーランが呟いた。

 

「暇だ」

 

 同感である。

 

 

 

「――漆黒と蒼の皆様、ご指名の依頼が入っております。応接室まで来ていただけますか?」

 

 七人で暇を持て余していると、イシュペンがやって来てアインズ達に声をかける。それに首を傾げながら、アインズは頷いた。

 

「指名依頼ですか? ……分かりました。ちょっと話を聞いてくる」

 

「はいよー」

 

「いってらっしゃい」

 

 それぞれに見送られながら、アインズは応接室までイシュペンに案内され向かう。応接室に辿り着くと、そこにはアインザックが待っていた。

 挨拶を交わし、アインズは早速本題に入る。

 

「組合長、指名依頼と聞いたのですが……」

 

「ああ、そうだアインズ君。ちょっと依頼主が厄介なんだがね」

 

「?」

 

 アインズが首を傾げると、アインザックがアインズに手紙を渡す。手紙の内容をアインズは読む。――それは、法国の使者を名乗る人間からだった。

 その依頼内容は、トブの大森林の探索。トブの大森林の地形や、生息している種族などの詳細な地図を作成して欲しいと書いてあったのだ。

 

(これは……)

 

 アインズとしては、依頼主に目を瞑れば是が非でもやりたい依頼だ。ただ、どうしても依頼主に目が行ってしまう。その事だけが気がかりだった。しかし――

 

「……極秘、というわけではないんですね」

 

「ああ。彼らは作成された地図を帝国が欲した場合、条件によっては複製品ならば譲ってもかまわないそうだ」

 

 つまり、キナ臭さは感じないのだ。それに法国は魔樹の時もだが、ある程度トブの大森林の地形は把握しているだろう。むしろ、帝国にトブの大森林の地図を渡すのが目的なのかもしれない、と感じられた。

 

「それで、どうするかねアインズ君。一ヶ月毎に報酬は貰えるそうだが、受けるかね?」

 

「私としては受けたいのは山々なのですが――仲間と相談しないとまずいでしょうから、少し相談してきます」

 

「だろうなぁ……。返事はいつでもいいらしいから、いつでも声をかけてくれたまえ」

 

 アインズはアインザックに断って、応接室を出る。受付に戻り、待っているブレイン達に先程の依頼を話した。

 トブの大森林の地図の作成、という依頼内容に全員とても喜んだが、法国から――と言うと、途端にラキュースやガガーランが難色を示す。

 

「あの、法国からかよ……」

 

「それは……」

 

 二人が示した難色具合に、アインズは首を傾げた。見ればブレインも首を傾げている。

 

「二人とも、どうした?」

 

 アインズが訊ねると、二人はそれぞれ理由を教えてくれた。

 

「実は、法国の特殊部隊らしき人達と、以前一悶着ありまして」

 

「連中、罪もない亜人種の村を襲撃してやがってな。それを止めるのにやり合ったんだよ」

 

 ラキュースとガガーランの言葉に、アインズは少し驚く。それで、法国に対して嫌悪感を持っているというのが、アインズとしては意外だった。

 

「亜人種の村を襲っていたから、ですか?」

 

「ええ。種族が違うと言っても、罪の無い者達を殺すのはよくないと思います!」

 

 ラキュースの言葉に、アインズはどうしたものか、と思った。別にラキュースやガガーランの判断を責める気はない。ただ――法国とはあまり仲が悪くなりたくないのだ。彼女達は法国がどれだけの戦力を抱えているのか知らないのだから、そういった計算をしていないのだろうが。これからは遠慮してもらいたい。

 さて、どうやって納得させよう――と考えていると、イビルアイが口を開いた。

 

「しかしお前達、そうは言っても法国の方針は人類として見れば正しいぞ。この周辺国家は人間の国ばかりだが、大陸からすればほんの一部……法国から向こうに広がる大地には、人より優れた亜人種達が国家を築いているんだ。この周辺国家にそれがないのは、台頭しようとする亜人達を法国が長い時間に渡って刈り取っているからに他ならない。法国から南に進めば、人間は奴隷階級どころか単なる家畜である国だってある。人類の守護者を名乗るだけあって、彼らは間違いなく人類の味方だ」

 

 イビルアイの言葉に、アインズはなるほどと頷いた。ようやく、アインズもこの世界の力関係が正確に分かり始めてきたのだ。

 しかし、だとすると人類はかなりの苦境に立たされている事になる。法国から先は人類の敵ばかりがおり、そしてこの大陸の最後尾には竜王(ドラゴンロード)達のいる亜人種の国家――評議国がある。さぞや、生きた心地がしないであろう。

 

「……とりあえず、今後は法国に無暗に喧嘩を売らないこと。俺がリーダーであるからには、俺はお前達全員を生存させる義務がある。俺としても、彼らの問答無用さには思うことがあるが、連帯責任という言葉を忘れないように。――ラキュース、ガガーラン。もしかすると、藪をつついて蛇を出す危険もある。なるべく今後は自重しろ」

 

「……はい」

 

「ああ……分かってるぜ」

 

 分かってはいるんだが、という顔をして頷く二人に、とりあえず納得したものとして扱う。こちらとしても、あまり寝覚めの悪い事にはなりたくないのだ。

 

「さて、納得したとして――この依頼、どうする? 俺としては是非とも受けたいんだが」

 

 少し興奮に上擦った声でそう言うと、全員が苦笑した。全員、アインズが常日頃冒険したい、という愚痴を呟いているのを知っているので、苦笑せざるを得なかったのだろう。

 

「まあ、法国は嫌いだがこの依頼は好きだぜ、俺も」

 

「はい、私も大丈夫です」

 

 ガガーランとラキュースが頷き、ティアとティナが胸を張った。

 

「任せて」

 

「詳細な地図を作る」

 

「いいんじゃないか?」

 

「ようやく本格的冒険か」

 

 イビルアイとブレインも文句はない。

 

「よし。では――この依頼、受注するぞ!」

 

 アインズは喜びに上擦った声で宣言し、ブレイン達は明るい声で頷いた。

 

 

 

 

 

 

 トブの大森林を探索するための仮拠点として、再びカルネ村を訪れたアインズ達はそこで村長から驚くべき話を告げられた。

 

「森の奥の水場に、リザードマン達が棲み付いている?」

 

「はい、ゴウン様」

 

 村長曰く、いつも森を見て回る狩人が森の奥地の水場――少し大きな池まで辿り着くと、そこにいつの間にか今までいなかったリザードマン達が棲み付いていたのだと言う。

 狩人は驚き、警戒したが向こうも当然警戒した。しかし、こちらを襲ってくる気配はなく、狩人が足を下げて池から離れると彼らも次第に警戒を解き、襲って来る事はなかった。村を襲う気配も無いので、村人達も特に警戒せずにそのまま暮らしているらしい。

 

 話を聞き終えたアインズは、今回の目標を決定した。

 

「――というわけで、今回はこのリザードマン達に会いに行ってみようと思う」

 

 村長から聞いた話を他の者達にも告げると、首を傾げた。ラキュースが口を開く。

 

「退治、ではなくてですか?」

 

「ああ。人を襲う気は無いようだし、どこから来たのか気になるからな。『何か』に元居た棲み処を追い出された――という場合、組合に知らせないとまずいだろう」

 

「ああ、なるほど」

 

 話が通じるのなら、話を聞いてみるのも手だろう。アインズがそう言うと、ラキュース達は納得したようだった。

 

「もし、襲ってきた場合はどうするんだ?」

 

「ブレイン、その場合は討伐する。しかしこっちからはなるべく抜くなよ」

 

 襲って来ない、という事は話し合いの余地があるはずだ。アインズはそう言うが、しかし他の者達は微妙に納得しかねる表情である。

 おそらく、人間としてリザードマンには親近感が湧かないのだろう。アインズはユグドラシルで他種族――中身は人間だが――と話くらいしていたし、今は感情を抑制するアンデッドの種族特性もある。なので気にならないのだが、死が現実となっているこの異世界の人間にとっては、亜人種・異形種との会話は馴染みの無い行為なのだ。

 ただ、イビルアイはアンデッドなのだし、そんな彼女を仲間と呼んでいるのだからラキュース達もそこまで抵抗は無いだろう。……イビルアイが、アインズのように内緒にしているのなら話は別だが。

 そしてブレインも、そこまで種族に拘りがあるようには見えなかった。ブレインには、もっと別の基準があるように見える。

 

 アインズ達は一晩カルネ村に宿泊すると、早朝に出発し早速警戒しながら話に聞いていた水場まで森を歩く。そして――

 

「――確かに、リザードマン」

 

「結構な数が棲み付いてる。一〇〇は余裕で超えてる」

 

 ティアとティナに様子を先に見に行かせ、二人からの報告を聞く。

 

「そんな数が棲み付いてんのか? 完全に大移動じゃねぇか」

 

 ブレインの言葉に、全員が同じ気持ちだった。

 

「森の何処かに棲んでいたリザードマン達が、何らかの理由で拠点移動したと見て間違いないだろうな。それだけの数が移動したとなると、間違いなく何か起こったと思っていいだろう。……話を聞かざるを得ないな、これは」

 

「しっかし、襲われると手間な数だぜ」

 

「……話が通じなかった場合、面倒なことになりますね」

 

「ティア、ティナ。リザードマンの強さはお前達から見て、どれくらいだった?」

 

 イビルアイの言葉に、ティアとティナは口を開く。

 

「大体、難度三〇もない。一番強いのでも難度五〇くらい」

 

「エルダーリッチ以下。まず負けない」

 

 アインズは難度、と呼ばれる強さ基準は詳しく分からないのだが、エルダーリッチより弱いという事はレベル二〇以下の存在だろう。ティアとティナの評価が正しければ、だが。

 

「……いざという時のために、イビルアイに転移魔法のマッピングをしてもらって、すぐに包囲から離脱出来るようにしておくか。イビルアイ、出来るな?」

 

「任せておけ、アインズ」

 

 イビルアイが頷いたのを見て、アインズは更にラキュース達に指示を出す。

 

「何度も言っているが、今回はリザードマン達から話を聞くのが目的だ。戦闘行為は基本禁止。向こうから手を出さないかぎりは何もするな。……戦闘になった場合は後衛を前衛が守って円陣を組み、リザードマン達の包囲から抜ける。以前の魔樹のようなとんでもないモノがいた場合は、イビルアイの魔法で即時離脱だ。……まあ、何かから逃げて移動したのだとすれば、そんな強者はいないと思うが」

 

 全員がアインズの言葉に了承を示したのを確認して、アインズ達はリザードマン達が棲み付いた水場へと向かった。

 

 

 

 ――そして、思ったよりも容易く、アインズ達はリザードマンとの会話に成功してしまった。

 

 

 

「……なんだか、拍子抜け」

 

 ティナのポツリとこぼした言葉に、内心で全員が頷く。彼らはアインズ達の姿を見ると、抵抗する気配も見せずに言葉を口にしたのだ。――何の御用でしょうか、と。

 印象として言えば、完全に彼らは心が折れている。強者に抵抗する気概が無い。心が折れていて、ただ嵐が過ぎ去るのを待つ小舟のような有り様だった。

 

 アインズが代表として口を開き、まず戦闘する気は無い事。無理に追い出す気も無い事。そして、お互いが不幸な行き違いをしないように、今までいなかったはずのこの水場に棲み付いた理由を知りたい、という事を語った。

 

 リザードマン達はアインズの言葉を聞くと、自分達の部族を纏める者の元へ案内すると言い、アインズ達はリザードマン達が様子を窺う姿を見ながら水場を歩いた。

 

「――こちらです」

 

 リザードマンの一体がそう告げ、草が生い茂って大きな草むらとなっている場所へ案内する。そこだけは妙に暗く、陽の光がほとんど無かった。

 しかし、何もいないわけではない。草むらから、真っ白な尾が少しだけ見えている。それは誘うようにするすると地を滑り奥へ入ると、「どうぞ」――という声が草むらから聞こえた。

 

「……失礼する」

 

 互いに顔を見合わせて覚悟を決めると、草むらへと入って行く。中はほぼ空洞になっていたようで、日光を遮断するためだけにあの草むらは存在したらしい。

 そして、そこに一体の白いリザードマンがいた。

 

「はじめまして、人間の方々。私はこの部族を纏めている族長代理のクルシュ・ルールーと申します」

 

「これはご丁寧に。私達は人間の街で冒険者をしており、このチームのリーダーであるアインズ・ウール・ゴウンと言います」

 

 丁寧な言葉に、こちらも丁寧に名乗る。クルシュと名乗った白いリザードマンはチラリとアインズの顔を見るが、すぐに再び口を開いた。

 

「……それで、人間の方。何の御用でしょうか?」

 

 アインズは再び、戦闘をする気も追い出す気も無い事をクルシュに告げ、クルシュに何故今までいなかったこの水場に集まっているのか問いかけた。

 

「――――」

 

 クルシュはアインズの問いかけに、少し黙る。……リザードマンの表情はよく分からない。何を考えているのか、まったく表情が読めなくて少し辟易した。

 やがて少しの沈黙の後に、クルシュは口を開いた。

 

「……この更に奥の地に大きな湖があるのです。そこで私達リザードマンは暮らしていました。ですが……環境が変わり、餌である魚が捕れなくなったのです」

 

「? 魚?」

 

 ラキュースの疑問符に、クルシュは頷いた。

 

「はい。私達の主食は魚で、肉や木の実はあまり食べません」

 

「魚が主食……」

 

 アインズを含め、全員の視線がクルシュの口へと集まる。そして、先程見たリザードマン達を思い出す。……鋭い牙が幾つも生えている姿を思い起こし、とても魚を主食にしているとは思えなかった。

 しかし、彼らの生態はよく分かっていないのだ。本当に、魚を主食にして血の滴る動物の肉などは食べないのかも知れない。逆の可能性も当然あるが。

 

「元居た場所で魚が獲れなくなり、他の部族達と戦争になるよりかは、新天地を目指して行こう――私達の部族はそう決めて、この地へ集まったのです」

 

 それが、このリザードマン達が集まった理由だった。何かに追われたのではなく、冬を乗り切れそうなほどの魚が捕獲出来ず、クルシュ達は大移動する事にしたらしい。

 ……これで、懸念の一つが解消される。『何か』に追われてここに来た、のではないのなら魔物討伐の心配はしなくていいだろう。

 

 ……ただ、それにしては他の者達の心折れた様子が気になったが。

 

 しかし、アインズはそんな些細な違和感を無視し、別の気になる事を伺う。

 

「なるほど。……では、その湖から魚が減った原因に心当たりは?」

 

 アインズの問いに、クルシュは首を横に振った。

 

「分かりません。……もしかすると、森の一角が急に枯れたのが原因なのかもしれません」

 

「枯れた?」

 

 思わず声が漏れると、クルシュはその言葉に頷いた。

 

「はい。私達も詳しくは分からないのですが……村を捨てて移動する時に、木々が枯れ果てていた場所を見つけました。もしかすると、それが原因なのかも」

 

「…………」

 

 全員で顔を見合わせる。アインズ達はその枯れた木々に覚えがあった。……おそらく、犯人は魔樹だ。アインズはブルー・プラネットからよく自然の話を聞いた事があるが、何らかの理由で一部の環境が変化すると、それは一部では済まされず様々な場所が影響されるのだ。おそらく、魔樹が復活する際に周辺の木から栄養を搾取したために、様々な要因で結果的に湖の魚が減ったのだろう。魔樹に遭遇したのは夏であるし、実りの季節である秋に重大な影響を与える下地は十分にあった。

 

「……では、これが最後の問いになるのですが」

 

「はい?」

 

「――この周囲一帯は森の賢王と呼ばれる魔獣の縄張りであったはず。縄張り争いに勝てたのですか?」

 

「――――」

 

 そう、それが一番の疑問だ。この周囲は森の賢王の縄張りであり、カルネ村はそのおかげで今までモンスターに襲われる事なく生活出来た。今でも、カルネ村はモンスターに襲われるような事件は無い。例え、人間に襲われた事はあっても。魔樹の件とて、結局彼らは避難する事は無かった。

 カルネ村は、その事件以降小さな塀と物見櫓があるだけで、平穏無事である。リザードマン達が縄張り争いに勝ち、彼らも人間の村に興味が無いからカルネ村は無事なのだろうか。

 

 クルシュは少し押し黙るが、ポツリとアインズに告げた。

 

「いいえ、森の賢王様には献上品を差し上げることでこの水場に棲まわせてもらっているのです」

 

「勝とうと思わなかったのですか?」

 

 アインズの言葉にクルシュは目を見開いたようだった。

 

「とんでもない! あのような巨大な魔獣に、私達が勝てるはずがありません! ……なので、なんとか交渉をして、日々の供え物でお目こぼししていただいております」

 

「ふむ」

 

 クルシュの言葉に、アインズは増々森の賢王に対して興味がわく。魔法も操る巨大な魔獣だと聞いたが、言葉も喋りこうしてリザードマン達と交渉も出来るとは、かなり高度な知能を持ったモンスターだ。是非、会ってみたかった。

 しかし――今は、リザードマン達の事である。

 

「それで、その――このまま、ここにいて大丈夫でしょうか。勿論、森から出ることはしませんし、自衛以外で人間を襲わないと約束します」

 

「ああ、構いません。――少なくとも森の賢王の縄張りから出なければ、私達も共存可能だと思いますよ」

 

 アインズがそう告げると、クルシュは頭を下げて感謝を示した。アインズ達はクルシュのいる草むらから出る。リザードマン達が思い思いに過ごしていた。

 

「アインズさん。よかったんですか?」

 

「依頼は地図を作るだけだしな。人間を襲う気が無いのだったら、別に放置してもいいだろう。どの道、ここは森の賢王の縄張りだ。一番近いカルネ村が今まで無事なのだから、気にしなくてもいいだろう。――おっと」

 

 目の前を通った小さなリザードマンが、バランスを崩して倒れる。それをアインズは咄嗟に足で支え、足にもたれかかった幼子らしきリザードマンの脇に手を入れ、きちんと立たせる。そこでふと、リザードマンの足に目がいった。

 

(……ん? 水かきか、これ)

 

 その小さなリザードマンの足の指の間には、水かきのようなものがあった。立たせた後小さなリザードマンは急ぐようにアインズ達から離れるが、その走り方は拙い。よく見れば、どのリザードマンも陸地にいる者は歩き辛そうにバランス悪く体を揺らしている。

 

(……もしかして、歩き難いのかな?)

 

 つまりリザードマン達は、この環境に適応していない。この水場では、生活に支障が出るのだ。

 ――それでも、彼らはこの水場で生きていこうとしている。

 

「…………とりあえず、今日は帰って次の予定を立てるか」

 

 アインズの言葉にラキュースが頷いた。

 

「そうですね。環境が様変わりしているとなると、他の場所も生態系が変化しているかもしれませんし」

 

「っつーことは、一から準備し直しかよ」

 

 ブレインの言葉に、ティアとティナも膨れた表情だ。

 

「情報、また集め直し」

 

「森から離れていても、他の村からも聞いた方が無難」

 

「しっかし、まさかリザードマンが魚しか食わないとは思わなかったぜ」

 

「ああ、私も初めて知ったぞ。何事も実際に見聞きしないと分からないものだな」

 

 ガガーランとイビルアイの言葉に、アインズだけでなく他の四人も頷く。アインズもまさか魚が主食だとは知らなかったし、足に水かきがあって陸地だと歩き難いというペナルティがある事も知らなかった。

 

(ユグドラシルからこっちに来て、種族ペナルティが深刻化したケースも多そうだな)

 

 今のところアインズは困っていないが、いつリザードマン達のように種族ペナルティが深刻化するか分からない。よく注意を払って生活しよう、と気を引き締める。

 

「一度カルネ村に帰るぞ」

 

 

 

 ――人間達が帰ったのを気配で見届けて、クルシュは再び草むらの影に蹲る。アルビノであるクルシュにとって日光は大敵だ。日の光は毒であり、少し明るすぎるこの水場はクルシュにとってあまりいい環境とは言えない。

 ……いや、そもそもリザードマン達にとってもあまりいい環境と言えないだろう。はっきり言えば、水場が小さすぎる。暮らしていくには、不自由の方が強い。

 だが、それでも魚は豊富だ。以前の湿地に戻るよりはずっといい。森の賢王の領域だから、リザードマンの敵になるような生物がいないのだ。ここ以上に安全な土地はないから、ここにいるのが正しいのだ。

 

「…………」

 

 クルシュは思い出す。以前の村を。秋頃、冬になる前に魚を集めようと狩猟班が漁へ出た。しかし、どういうわけか不漁が続き――誰もが、数年前の戦争を思い出した。

 

 あの――食糧問題による生存戦争を。

 

「…………」

 

 クルシュ達の部族である“朱の瞳(レッド・アイ)”族は戦争には参加しなかった。するよりも、もっと恐ろしい道を選んだ。誰もが気づいていながら、決して目を合わせようとしなかったもの。同族食い、という罪を。

 

(あの時、族長は笑っていた)

 

 クルシュは同族の肉を自分達に与えていた、全ての罪を自ら被った族長を思い出す。族長は、最後に自分に微笑んだ。

 どうしてそんな事が出来たのか。それが今でもずっと分からない。きっと、これからも分からないだろう。

 

 ただ、思ったのだ。仲間達は、必ず守ると。族長が残したモノを、絶対に守ってみせると。

 

 ――だから、クルシュは再び訪れるであろう食糧問題が本格化する前に、仲間達を説得して村を捨てた。自分達の故郷だ。辛くないはずがない。苦しくないはずがない。

 それでも、再び同族で殺し合うのは避けたかった。再び、同族達の肉を食らうのだけは、避けたかった。

 

 だから、クルシュ達は逃げたのだ。自分達の理想郷を目指して。

 

 ――そして、辿り着いたのがこの地だ。森の賢王の領域。恐ろしい魔獣の棲み処。しかし、もはや行くべき場所も、戻るべき場所も無い。

 故に、クルシュは誠心誠意を込めて、その恐るべき大魔獣に頭を下げた。どうか、この地に住まわせて欲しい、と。

 

 信仰を捧げられた魔獣は、クルシュに是と頷いた。その奇跡をクルシュは覚えている。仲間達の安堵を覚えている。自分を信じて、ついてきてくれた者達の笑顔を覚えている。

 

「……絶対に、守るわ」

 

 人の世界に近かったとは驚いたが、あの森の賢王と同格にも感じるほどの強さの人間達がクルシュ達を見逃したのだ。どこの世界でも、強者には一定の敬意を払うのが普通だろう。彼らがクルシュ達を見逃したのならば、おそらくまだ大丈夫に違いない。

 

 クルシュは草むらの奥で身体を横たえ、祖霊に祈った。かつての族長に祈った。どうか、我々を見守りたまへ、と。

 

「……なに?」

 

 ――しかし、そうはいかないのが世の常である。クルシュは先程人の世界をどのような理由でも強者には一定の敬意が払われ、その言葉には重きを置くと思ったが――人間社会は彼女達の世界ほど単純ではない。

 

 冒険者達が去ったはずのこの新しい村から、仲間の悲鳴が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

「――――」

 

「ティア、ティナ? どうした?」

 

 ティアとティナが急に立ち止まったのを見咎めたイビルアイの言葉に、アインズ達も足を止めて双子を見る。

 

「……悲鳴」

 

「……何か、近づいて来てる」

 

 ティアとティナの言葉に、アインズ達は顔を見合わせると即座に武器を抜き、戦闘態勢に移行する。そして、声が聞こえたというリザードマン達の棲み処へと再び踵を返した。

 

「悲鳴が近づいて来てる」

 

「近い」

 

 二人の言葉で先頭に立っているアインズはじっと前を見据えて――近づいて来ているのが、小さなリザードマンである事に気がついた。

 

「なんだ……?」

 

 アインズだけでなく、その姿を見た誰もが首を傾げる。リザードマンはアインズ達の姿を見つけると、アインズの足に縋りついて鳴いた。

 

 ――皆を助けて、と。

 

「――――リザードマン達のもとへ戻るぞ。イビルアイ、この子どもを頼む」

 

「分かった」

 

「俺が先頭、ガガーラン、ブレイン、ティアとティナ、イビルアイ、ラキュースの順だ。行くぞ――」

 

「分かりました――!」

 

 即座に行動に移し、走る。水場に近づいてくると、ティアとティナだけでなくアインズは勿論、ガガーランやブレインの耳にも悲鳴が届いた。同時に、血臭も。

 そして――先頭を走るアインズは、先に見えた光景にグレートソードを振りかぶり、先程は見なかった者達とリザードマンの間を通るように、投げたのだった。

 

「……うおわぁ!?」

 

 未知の敵の先頭にいた戦士が、驚きで声を上げる。同時に全員が仰天し、森を抜けて水場へ戻って来たアインズ達を見た。

 武器を手に戦っていたリザードマン達は、イビルアイが幼子を抱えているのを見てどういう反応をしたものか、困り果てているらしい。具体的には、アインズ達が味方なのかそうでないのか、測りかねているのだろう。

 

 そのリザードマン達の反応も当然と言えた。何故なら、彼らが敵対していたのは、人間だったのだから。

 

「……一体、どんな状況ですかこれは?」

 

 ラキュースが不快感を顕わに、見知らぬ四人組に告げる。見た限りでは戦士、弓兵、神官、魔術師のパーティーと言ったところか。視線を巡らせるが、彼らにはプレートが無かった。

 

「……ワーカーかよ」

 

 ガガーランの言葉に戦士の視線が動き、ガガーランを見てポツリと告げた。

 

「あ、『胸ではなく大胸筋です』……」

 

「――――」

 

 その言葉で、空気が止まった。ガガーランの瞳が危険な色を帯び始める。

 

「さすがガガーラン」

 

「まさに真実」

 

 ティアとティナが茶化し、それにガガーランが叫んだ。

 

「こ、こ、これはれっきとした胸だこんちくしょおおおおおおおおッ!!」

 

「おい、喚くな筋肉」

 

「黙れまな板」

 

「好きでまな板なわけではないわああああああッ!!」

 

 ガガーランとイビルアイの喧嘩が始まったが、アインズ達は無視して四人組を見る。

 

「で――そちらの方々は、何をなさっているんです?」

 

「――――」

 

 アインズの言葉に、四人組は顔を見合わせると、誤魔化すように笑みを浮かべながら戦士と神官が答えた。

 

「あー……さすがに、アダマンタイト級冒険者に喧嘩を売る気はないんで、言いますけど……」

 

「依頼です。リザードマン達を討伐するように、と」

 

 二人の言葉に、アインズは視線をラキュース達に向ける。

 

「俺達はあまり依頼を受けたことが無いんだが……討伐依頼をワーカーがするものなのか?」

 

 アインズに訊かれたラキュースは、少し考えながら頷いた。それに、ティアとティナが補足を入れる。

 

「ただ、その場合は討伐依頼以外に何か頼んでいる場合が多い」

 

「たぶん、何か他に頼まれてる」

 

「ふむ」

 

 しかし、その込み入った事情というものをアインズは元から考慮する気が無い。何故なら――

 

「あの、続きしてもいいですかね?」

 

 戦士が問いかけてくる。アインズは、それにはっきりと告げた。

 

「いいや、駄目だ」

 

「――――え?」

 

 戦士が、彼らの仲間が、そしてラキュース達やリザードマン達がアインズをぽかんと見つめている。しかしアインズは、そんな彼らの疑問を無視して、はっきりと自らの決定を口にした。

 

「俺達は彼らに、森から出て人に迷惑をかける気がないのなら見逃すと、そう告げた。だから、お前達のそれを見過ごすわけにはいかない」

 

「――――」

 

 アインズの言葉に、全員が驚く。だがアインズとしては、これは当たり前の事だった。

 アインズは、リザードマン達にそう約束をしているのだ。そう約束をして話を聞いた。であるならば、それが正当防衛であるかぎり、アインズはリザードマン達を傷つける意思は無い。

 どちらかが約束を破らないかぎり、あるいは明確な不都合が発生しないかぎりそれは守られる。これは当然の事だろう。

 

 だが、そのアインズの言葉が、戦士達は心底理解出来なかった。

 

「いや、リザードマンですよ? そんな約束、守る必要あるんすか?」

 

 戦士の疑問は、人間にとって当たり前の事だ。彼らは人間ではない。魔物である。

 だから、何をしてもかまわない。良心が無いのではなく、もとからそれが適用される対象外なのだ。

 しかしアインズにとっては違う。

 

「おかしなことを訊くな。命に貴賤は無いだろう?」

 

「――――」

 

 そのアインズの言葉に、今度こそ全員が絶句した。だが、アインズはこの言葉を断固として曲げる気は無い。

 

「……アンタ、正気か?」

 

 人間の命と、リザードマンの命を同等に考えるのか、と戦士はアインズの正気を疑う。アインズは頷いた。

 

「無論だ。人間だろうと、リザードマンだろうとそれは一つの命だろう。ならば俺にとってそこに貴賤は無い。同じ命、対等な立場だ」

 

 当然、そんな言葉が通るはずはない。しかしアインズはその姿勢を変える気はない。

 何故なら、アインズにとってここは異世界で――アインズが大切にすべきものは、今のところこの名前以外にありはしない。

 だから、アインズにとってこの異世界の存在は平等だ。そこに優劣が生まれる時は、アインズの利益や好みに左右される。

 

 ……そも、国同士の政に関わらない冒険者の立場だ。ならばこの姿勢こそが正しいだろう。未知の探求、種族の架け橋。あらゆる出来事を既知に変えるのが冒険者の本来の仕事であるべきだ。ならば、命に貴賤を挟んではならない。でなければ、未知の土地を制覇など出来るはずもない。

 

 生きているかぎり(・・・・・・・・)一人では生きていけないのだから(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「――アインズ」

 

 アインズの貴賤は無い、という言葉に、イビルアイが呆然と名を呟く声が聞こえた。次いで、ラキュースやガガーランが嬉しそうな声を上げる。

 

「そうですね、アインズさん! 命に貴賤なんてあるはずがありません!」

 

「確かにな。連中はまだ誰にも迷惑はかけちゃいねぇ。それなら、約束はキッチリ守らねぇとな」

 

 ラキュースとガガーランが武器を構えた。ティアとティナは溜息をつきながらも同じように構える。

 そして、ブレインもまた刀を抜いた。

 

「俺としちゃ、その辺の心情はどうでもいいがね。……まあ、一度した約束を一日も経たず破るのは、ちょいと気分悪いぜ」

 

 全員が戦闘態勢に移ったのを見て、戦士達は怯む。彼らの実力がどれほどかは分からないが、アダマンタイト級に怯む辺り、こちらと同格ではないだろう。戦士がまず、一番に手を上げた。

 

「あー、はい! 分かりました! リザードマンは諦めます! 依頼人も、アダマンタイト級冒険者に邪魔されたってんなら、諦めるだろうし……帰りますよ!」

 

 次いで、神官達も大人しくする。それを確認し……アインズ達は武器を収めた。

 

「そうしろ。何か無いかぎりは、リザードマン達に手を出すということは、俺達に喧嘩を売ったと思えよ。諦めて家に帰れ」

 

「そうしますよ。さすがに、アンタらに喧嘩売っても勝てる気はしないしな!」

 

 戦士が仕方なさそうな表情で答える。互いの実力差がよく分かっているのだろう。アインズは強さの基準を測る事が出来る特殊技術(スキル)など持っていないので、羨ましいかぎりだ。所詮はゲームで身に着けた強さであり、日々の生存競争で鍛え上げられた本物の強さではないからだろう。

 

 互いに武器を収め、唸り声を上げていたリザードマン達も話が一段落着いたのを確認し仲間の死体に駆け寄っていく。アインズがそれを横目で見ていると、ブレインが声を上げた。

 

「ところで、お前らどこのワーカーだよ?」

 

「…………」

 

 戦士達は仲間内で顔を見合わせ、観念したのか名乗っていく。彼らは帝国のワーカー。チーム名をフォーサイト、であると。

 

 それだけ確認してしまえば、あとは本当にもう用は無い。フォーサイトが去って行く後ろ姿を確認した後、アインズは草むらから出て来ていた白い鱗のクルシュに声をかけられる。

 

「ありがとうございます、人間の方々。おかげで、被害は最小限で済みました」

 

「いえ。単に筋を通しただけですよ」

 

「――それでも、ありがとうございます。この御恩は一生忘れません」

 

 そこまで畏まらなくてもいいのだが、クルシュは何度も頭を下げる。アインズは困惑し、兜の中で視線を彷徨わせるとちょうどイビルアイがリザードマン達に子供を返しているのが見えた。

 

「……まあ、いつか森の薬草を採取する時が来るかもしれませんので、その時に道案内でもお願いしておきたいですね」

 

「……! はい、ぜひ……!」

 

 アインズの言葉に、クルシュは笑ったようだった。目元や口元が歪んだので、きっと笑ったのだろう。

 

「さて、行くぞお前達」

 

 アインズが声をかけ、ラキュース達が返事をする。再びリザードマン達の元を去るアインズ達に、リザードマン達は手を振り見送ってくれた。

 

 

 

 ――そして、しばらく歩いてからポツリとブレインが口を開く。

 

 

 

「――で、アインズ。お前、連中が約束を守ると思うか?」

 

 ブレインの言葉に、ラキュースが驚いたように目を見開いていた。ティアとティナはいつも通りの無表情、イビルアイは微かに仮面で隠した顔を下に向けて視線を逸らす。ガガーランは苦虫を噛み潰したような顔だ。

 

 アインズは、思っている事をブレインに告げた。

 

「――守らんだろうな」

 

 アインズはきっぱりと告げる。彼らは所詮ワーカー。表通りを歩けない、犯罪者も同然の者達である。金のためなら何でもするのがワーカー達の通説なれば、例え相手がアダマンタイト級冒険者であろうと、出し抜く手段を考えるだろう。

 ましてや、相手はリザードマンという亜人達。良心の呵責など抱くまい。アインズが、人を殺すのに躊躇しないのと同様に。

 

「そ、それならすぐに戻って知らせないと……」

 

「無理だ、ラキュース。彼らはもう、あそこ以外では生きていけないんだ。場所を移動しろと言われても、無理な話なんだよ」

 

 慌てるラキュースに、イビルアイがどうしようもない現実を告げる。ラキュースはイビルアイの言葉を聞いて、少しの沈黙の後――何かに耐えるように拳を握り締めた。

 

「あーあ……胸糞悪ぃ話だな、ホント」

 

 ガガーランが舌打ちをしそうな表情で、吐き捨てるように告げた。あの場以外ではもう生きていけないリザードマン達は、もはやどうやっても一介の冒険者では助けられない。自分達の限界を、思い知らされるような結末だった。

 

 だが――そんな暗い表情になったガガーランとラキュースを安心させるように、ティアとティナが告げる。

 

「大丈夫、ラキュース、ガガーラン」

 

「たぶん、リザードマン無事だと思う」

 

「え?」

 

 その言葉に、二人だけでなくアインズも、ブレインも、イビルアイも驚いた。思わずティアとティナを凝視する。ティアとティナは人の悪い笑みを浮かべて、アインズ達に自分達が見たものを教えた。

 

「――もし約束を破ったら、連中は罰を受ける」

 

 

 

 

 

 

 帝国でも指折りのワーカー、フォーサイト。冒険者としてのランクはミスリル級であり、チームワークの優れた四人組だ。

 そんな彼らは、この冬の季節にある問題を抱えていた。いや、正しく言えば仲間の一人が、だ。

 

「――すまない、皆。せっかくこんな危険な依頼を受けてくれたのに」

 

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)のアルシェが、三人の仲間達――戦士のヘッケラン、神官のロバーデイク、弓兵のイミーナに告げる。しかし、彼らはそんな自分達の妹分に朗らかな笑みを浮かべた。

 

「気にすんなよ、俺らは仲間だろ」

 

「そうです。気にしないで下さい、アルシェさん」

 

「この依頼だって、私達の総意で受けたのよ?」

 

 ヘッケランやロバーデイク、イミーナがアルシェの頭を優しく撫で、背中を安心させるように叩く。アルシェはそれが申し訳ない。

 

 ……アルシェは、元貴族の御令嬢だ。鮮血帝ジルクニフの大粛清の折に、貴族位を剥奪されてただの一般市民となった。

 しかし、それがアルシェの両親は分からない。父も母も愚かで、自分達がいつまでも貴族のつもりなのだ。ジルクニフさえ死ねば、再び貴族に返り咲けると現実を否定して、夢の中に生きている。そんなわけがないのに。

 そして、結果として借金が膨らむ。父親は未だ自分は貴族なのだと際限なく散財し、母親はそんな父に追従して、香水や装飾品を買いアルシェがいつか、貴族の家に嫁ぐ事を夢見ている。

 対して、アルシェはひたすら現実を見据えてきた。魔法学院を辞め、ワーカーになった。そして膨らむ借金をどうにかしようと働き続けた。

 ――だが、いくら働こうと借金は減らない。父も母も、アルシェが金を家に入れる度に散財し、入って来る金以上に、出て行く金が多過ぎる。

 そしてついに、借金取りはアルシェが所属するフォーサイトにも迷惑をかけた。いや、アルシェが迷惑をかけさせてしまった。もっと早く両親の問題を解決していれば、借金取りはフォーサイトにまでアルシェの居場所を探して訪ねに来なかっただろう。

 だから、アルシェはようやく決心が着いた。両親を見捨てる事にした。今回の依頼の後に、妹二人を連れて家を出る。今回の依頼で入る金で借金をある程度減らしてやる事こそ、アルシェの両親にかける最後の想い。……いや、もっと早くこうするべきだったのだ。そうすれば、借金取りだって両親に際限なく金を貸そうとしなかっただろう。ヘッケラン達も、いつまでも装備を新調しないアルシェのために、依頼中アルシェを過剰に守ったりしなくて済んだはずだ。

 アルシェの決心は遅すぎたのだ。しかしまだ間に合うと信じ、今回の依頼にかけた。

 

「……いやー。まさかあんな変わった性格の冒険者がいるとは思わなかったぜ。あいつらの顔、誰か知ってるか?」

 

 ヘッケランの言葉に、全員首を横に振る。蒼の薔薇は知っていたが、蒼の薔薇と行動を共にする戦士二人は知らない人間だ。アダマンタイトプレートを身に着けていたため、実力は間違いなく自分達より上であろう。

 

「っていうか、たぶんあの漆黒の戦士がリーダーよね? 明らかに格が違う感じだったし」

 

「そうですね。仲間からの信頼度が全く違います。見ただけで分かりますね」

 

 イミーナとロバーデイクの言葉に、アルシェも頷いた。そう、あの漆黒の戦士は明らかにリーダーだ。同じアダマンタイト級と言っても、おそらくあの戦士二人は新人だろうに、蒼の薔薇は漆黒の戦士にリーダーを譲っている。それが異常と言えば異常だった。

 

「……んで、どうする?」

 

 この依頼をどうするか、とヘッケランは言外に告げていた。それはつまり、彼らとの約束を守るか否か、という事を意味する。

 ……はっきり言えば、あの冒険者達の意見は少数派だ。事が表沙汰になれば、その高潔な精神は褒められるかもしれないが歓迎はされないだろう。

 それに、アルシェ達はもとよりワーカーであり、地位も名誉もほとんど関係の無い位置にいる。決まりで縛られる冒険者達と違い、ワーカーは暗黙の了解さえ時には無視出来る自由を持っていた。

 

「…………」

 

 しかし、アルシェは沈黙を守った。アルシェはこの話し合いに参加する権利は無い。金銭に問題を抱えているアルシェには、正確な判断は下せないためだ。金に目が眩んで――その結果の事案は、幾らでも存在する。

 

「……蒼の薔薇は確か、王都――あっと、今は違うっけ? まあ、分かり易いから――王都が拠点だったわよね?」

 

「おう。朱の雫――最近噂を全く聞かないが――朱の雫も、王都が拠点だったはずだ」

 

「さすがに蒼の薔薇と行動を共にしているのだから、あの二人の戦士も自治領の方の冒険者でしょう。エ・ランテルの場合もありますが、我々の活動拠点である帝都とは離れていますね」

 

 ――それはつまり、何かあっても自分達に対して迅速に動けない事を意味する。ましてや相手はワーカーだ。一筋縄ではいかない事など、すぐに分かるだろう。なんだったら、都市国家連合に拠点を移してもいいのだから。

 

 

「――決まりだな」

 

 ヘッケランの言葉に、イミーナとロバーデイクが頷く。

 

「んじゃ、引き返して連中の姿が見えなかったら、仕事の続きと行くか!」

 

 その言葉に、一番驚いたのはアルシェだ。思わず口を開く。

 

「……もし、私に気を遣っているなら止めて欲しい。今回の仕事が失敗に終わっても、当てはある」

 

 アルシェとて元々はこの若さで第三位階魔法を使える才女なのだ。魔法学院に伝手があるので、正直に言えばワーカーにならなくても金を稼げる。ただ、ワーカーほど実りのいい金額では無いというだけで。

 

 しかし、そんなアルシェを安心させるようにヘッケラン達は笑う。

 

「ちげぇよ。単純に、俺らも舐められたら終わりだからな。ワーカーであるなら、尚更だ」

 

「そうよ。アダマンタイト級が相手なのは厳しいものがあるけど、今回の件は表沙汰になっても大丈夫だと思うわ」

 

「その通りです。彼らはリザードマンという亜人種を庇っているのですからね。表立って我々を非難しにくい……。私達に不快感は抱くでしょうが、追いかけてこようとは思わないでしょう」

 

「……ありがとう」

 

 アルシェは礼を言う。少し涙ぐんでいたかもしれない。しかし、彼らは笑顔でアルシェを引っ張って道を引き返した。

 

 

 

 ――彼らはワーカーであり、日陰者だ。そして、その中でフォーサイトは比較的情報を軽視する面があった。

 例えば、普通は同業者について情報を集めるであろうがフォーサイトのリーダーであるヘッケランは、王国の冒険者までは調べない。金が勿体ないからだ。同じワーカーのパルパトラはそんなヘッケランを豪胆と称し嫌いではないと笑うだろうが、グリンガムは忠告を与えるだろう。無知は自分のチームを危険に晒すぞ、と。

 ……もし仮に、アインズの名前を知っていたなら話は少し変わっただろう。エ・ランテルのみを自治領ではなく帝国領として扱い、蒼の薔薇を一度はオリハルコンに落とし、アインズと合流した後アダマンタイトに戻すという特例染みた行動。この事を知っていれば、勘がいい者は帝国がアインズの不興を買う事を避けている事に気がついたはずだ。

 そして勿論、そのアインズに喧嘩を売るような真似をする犯罪者を見逃さないであろう事も。

 

 ――だが、フォーサイトが犯した一番の過ちはそこではない。その後の事ではなく今この瞬間明確に、彼らは判断を間違えた。

 

 アインズ達は話を聞いて知っていた事だが、フォーサイトはリザードマン達と会話をする発想が無かった。まあ、フォーサイトは依頼主から珍しい白い鱗のリザードマンを初めとしたリザードマン達の皮を剥ぎに来た密猟者なのだから、会話をする発想が無くても無理はない。しかしそれでも、彼らは判断を間違えた。引き時を誤った。

 

 ティアとティナが気がついた、リザードマン達が用意していた木の実や陸生動物の獣肉に、フォーサイトは気がつかなかった。

 リザードマン達の主食が魚であり、木の実は儀式用で――そして獣肉は食べないという事を、フォーサイトは知らなかった。

 

 フォーサイトは、リザードマン達が森の賢王の庇護下にある事を、知る事が出来なかった。

 

 ――――そして、彼らは地獄への一歩を踏み出してしまった。

 

 

 

 

 

 

 ……夜の帳の中、傷だらけのアルシェが一人ぼっちで帝都の街を歩く。ヘッケランの姿も、ロバーデイクの姿も、イミーナの姿もそこにはない。もう二度と、あの三人の姿を見る事は無い。

 

「…………」

 

 アルシェは服の袖で顔を拭う。定期的にそうしていないと、涙がこぼれてしまいそうだった。

 

 フォーサイトが再びリザードマン達の集落へ踏み込み、剣を振るおうとしてやって来た大魔獣。その姿を見た瞬間、自分達は判断を間違えた事を悟った。言葉を紡ぐ大魔獣は、アルシェ達の姿を見て笑ったのだ。

 

 さあ、命の奪い合いをしよう、と。自らの縄張りを侵した罪の償いをするがいい、と。

 

 その結果は、語るまでもない。一目見ただけで分かった。アレは伝説の大魔獣。トブの大森林に棲む森の賢王。第四位階の魔法さえ操る御伽噺。自分達では逆立ちしても勝てない絶望である、と。

 

 ……ヘッケランの剣も、イミーナの弓も何一つその装甲に通じなかった。いかなる材質で出来た毛皮なのか、あの大魔獣に傷一つつける事が出来なかった。唯一通じる攻撃手段と言えば、アルシェの使う攻撃魔法のみだ。

 そして、アルシェの魔法が自分を傷つけると知った大魔獣はアルシェを狙った。前衛を無視し、伸縮自在の尾を使ってアルシェを攻撃したのだ。

 結果、ロバーデイクが死んだ。アルシェを庇って。たったの一撃で、ロバーデイクは物言わぬ骸になったのだ。

 ……その後は、もはや語るまでもないだろう。回復役である神官を欠いた状態で勝てるはずはなく、もはや誰もが逃げられない事を悟った。

 そしてヘッケランとイミーナが選んだ選択肢は、アルシェが飛行魔法で大魔獣の射程外に逃げるまで時間を稼ぐ事だった。

 

「…………」

 

 皆に生かしてもらった事に、アルシェの涙は止まらない。アルシェの攻撃しか通用しないのに、そのアルシェが逃げた。ならば、残ったヘッケランとイミーナの末路など言うまでもないだろう。あのアダマンタイト級冒険者達が都合よく近くにいて、ヘッケランとイミーナを助けてくれるなんて、そんな奇跡はあり得ない。

 

「…………」

 

 アルシェは一人ぼっちで歩く。夜の帝都を。自宅目指して。ヘッケラン達が生かしてくれた命を、大切にするために。

 ……そして、自宅へ辿り着く。夜中だと言うのに、家には灯りがついていた。それどころか、何台も馬車が止まっている。それが、アルシェを妙に不安にさせ、怪我で痛む体を無視して、急いで館に入った。

 

 そこで――――アルシェは見た。見てしまった。取り押さえられて泣き喚く両親と、絶望した顔で周囲を呆然と見つめている執事。そして、次々と広間へ怪しい男達の手で集められていく調度品。

 

「な……なぜ……」

 

 呻くように言葉を漏らす。全身の傷の痛みさえ、思考の彼方に追いやられた。いつも見る借金取りの男が、アルシェが帰って来たのを見て微笑んでいる。

 

「おや? これはこれはお帰りなさいませ、フルトのお嬢さん。今、お宅に貸していた金額を返済してもらおうとしていたところです」

 

「――――」

 

 アルシェは呻く。借金の返済期限にはまだ時間があったはず――いや、返済などしていない。ただ、一部何とかアルシェが返済していたものを、全て返済してもらおうとやって来ただけなのだ。……本当の話、返済期限はとっくに過ぎていた。アルシェは自分が今まで、借金取りに甘えてきた事実を悟る。

 

「ア、アルシェ! 早く持っている金を出せ!」

 

 父親の叫び声にはっと我に返った。有り金を全部出せば何とかなるかもしれない――と父親はそう思っているのだろう。しかし、アルシェにそれは出来ない。今のアルシェに金など無いからだ。

 たった一人、トブの大森林を抜けて帝都まで帰って来た。たった一人の旅は、行きとは倍以上の金額と時間を使う。手持ちの金は今は無い。

 そして、依頼を失敗したアルシェに、今すぐ確実に用意出来る金は無かった。

 

 顔色を真っ青にして何の反応も示さないアルシェに、父親がなおも叫ぶ。自分達が見捨てられると思ったのか、命乞い染みた言葉を発する。

 

「ウレイとクーデの命がかかっているのだぞ! 早く出せ!」

 

「――――え?」

 

 アルシェはその言葉に、今度こそ思考が真っ白になった。慌てて周囲を見渡すが、そこには顔色を真っ青にした使用人達と、取り押さえられている両親しかいない。

 妹二人の姿が、どこにも存在しなかった。

 

「……ウレイは? クーデは?」

 

 呆然と呟いたアルシェの言葉を無視して、借金取りが微笑む。

 

「無論、借金の形ですが? さて、お嬢さん……返済は可能ですか?」

 

「――――」

 

 アルシェは借金取りを絶望の表情で見る。いつまでも金を出す様子の無いアルシェに、遂に借金取りも悟った。彼女には、もはや借金を返す事は出来ないのだ、と。

 だとすれば、借金取りのする事は一つだけだ。

 

「――なるほど、なるほど。では借金の形に貰って行きましょう。……コッコドールさん」

 

 借金取りの言葉で、一人の男が姿を現す。男は甲高い声でアルシェを見た。

 

「あら! あらあら! 可愛い子じゃない! さっきの子も、この子もたっぷり稼げるわ! 借金なんてすぐよ、す・ぐ!」

 

「それはよかった!」

 

 甲高い声の男――コッコドールという男の言葉に、借金取りは安心したように微笑む。アルシェの肩を、後ろからポンと手を置いて掴んだ気配をアルシェは察した。

 

「さ、ゼロ。その子も連れていってちょうだい! ワーカーらしいから、ちょっと最初は調教しなきゃだけど、まあ、すぐに心が折れる(・・・・・)でしょ」

 

「分かった。そう急くな、コッコドール」

 

 アルシェは呆然と彼らの会話を聞く。背後をふと振り返った。そこには――刺青を彫った筋肉質な男が、岩のように立ってアルシェを掴んでいる。

 

 ――勝てない。

 

 アルシェは悟った。この男はアルシェなど容易く襤褸切れにする。あの森で遭遇したアダマンタイト級冒険者達と同格の化け物だ。気配で分かる。

 

 アルシェはゼロと呼ばれた男に引き摺られていく。妹二人の顔が脳裏に浮かび、助けなくては、という思いがアルシェの体を動かそうとした。しかし――

 

「ぎ、あああああああああああッ!!」

 

 ゼロという男が、容赦なく腕を捩じ切った。ブチブチと千切れる神経と肉と骨に絶叫を上げる。片腕をもぎ取られたその痛みが、アルシェに魔法の詠唱をさせない。

 

「ふん。じゃじゃ馬だな――まあ、気にするな。そういう趣味の奴は割といる。俺は興味が無いがな」

 

「ええ。気にしなくていいのよ、腕が無いくらい! 達磨がいい――なんて特殊性癖のお客さん、探せばいるし、そういう連中は金払いがいいんだから!」

 

「あ、あ、あ、あ……」

 

 その言葉に絶望する。放り投げられ床に転がった、先程まで自分と繋がっていた腕を呆然と見つめる。

 

「まあ、お嬢ちゃんが嫌なら妹さん達にやってもらうから、全然気にしなくていいからね!」

 

 コッコドールという男がそう放った言葉を聞きながら、アルシェはゼロという男に引き摺られていった。最後に生まれ育った館を見る。

 両親と使用人達が、アルシェと視線が合う事を避けるようにして、床を見ていた。借金取りはアルシェなぞ無視して他の男達に指示を出して調度品を回収している。コッコドールという男だけが、アルシェの新たな門出を祝うように微笑み手を振っていた。

 

 その誰からも見捨てられた絶望を、アルシェは馬車に詰め込まれるまで見つめ続けた。

 

 

 

 

 




 
皆大好きしかし芸芸人、六腕さん帝都に入場。
 


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The Evil God Ⅰ

 
ぼくはげんきです(震え声)。

■前回のあらすじ

アルシェちゃんアヘ顔ダブルピース。
 


 

 

 ――夜の帳が降りた道を、一人の少年が歩いていた。

 背筋はピンと伸びており、その歩き方にはある種の自信が感じられた。少なくとも、夜の闇に紛れてこそこそと暗躍する類の輩ではない。その歩き方はむしろ――戦闘訓練を受けた兵士を思わせた。

 夜道を歩く少年の腰には一本の剣が下げられている。これはある男が、仕方なく許可を出して少年に帯剣を許したためだ。本当は持たせたくはないのだが、少年には護身が必要である。

 少年に、ではなく――少年が守る少女の方に、ではあったが。

 

「…………」

 

 少年――かつてリ・エスティーゼ王国の第三王女ラナーに仕えていた兵士であるクライムは、帝都の夜道を歩いていた。既に夜という時間帯もあって、道中に人は見ない。店は閉まっている。

 

「……少し遅くなってしまったな」

 

 長年の癖である独り言がクライムの口から洩れる。しかしその独り言を聞く者は誰もいない。

 

 ……クライムは現在、かつて王女であり、そして今は皇帝の側室となったラナーの小間使いとして仕えている。あの秋の戦争で大敗北を喫した王国に抵抗する力はなく、ラナー以外の王族は全て処刑され、唯一の生き残りであるラナーは皇帝の側室として王都から帝都へ一直線に運ばれてきた。

 クライムは、その折にラナーに抵抗するのは止めるように言われ共に帝都へやって来たのだ。今となっては、王国の事は風の便りでしか知る術は無い。

 とは言っても、クライムは皇帝であるジルクニフにそこまで悪感情は無かった。ジルクニフの王族処刑方法については思う事はあるものの、その処刑理由については正当性があるからだ。

 王国貴族は八本指と繋がっている。そんな事は、クライムだってとうに知っていた。知っていたが、何も出来なかったのだ。

 貴族達はそのために処刑された。鮮血帝などと呼ばれるだけあって、ジルクニフのそれは苛烈であったが――それでも、罪が無ければあのような死に方をする事は無かっただろう。現に、生きている貴族だっているのだから。

 

「…………」

 

 その生きている貴族達について思いを馳せた時、ある一人の貴族の顔が頭の中に浮かびクライムは表情を嫌悪に歪める。レエブン侯――かつて蝙蝠などと揶揄され、そして今はかつて王国であった自治領の領主を任されている男を。

 クライムにとって、レエブン侯は複雑な相手だ。ラナーを化け物呼ばわりするザナックと共にいた、ザナックを支持する貴族。そしてラナーが唯一、これと言って口煩く言わなかった大貴族だ。

 ラナーはジルクニフから与えられた離宮から出る事を許されていないため、こうしてクライムに帝都を歩かせ買い物を任せるのだが――その際に街中で聞く元王国の風の噂は酷いものだった。肌寒く、クライムの吐く息は白くなったこの冬に、レエブン侯は戦争後とは言え信じられないほどの税率の引き上げを行い、民衆から徴収しているのだとか。

 

「…………」

 

 搾取される民衆を思うと、クライムは憤りを感じる。そして同時に、ザナックを哀れに思うのだ。クライムは意外に感じたのだが、ザナックは帝国の判定としては八本指と繋がっていない。つまり、ザナックはあれでまともな王族だったのだ。第一王子のバルブロとは違う。

 だからこそ、ランポッサ三世と共にたった二人だけ火刑ではなく絞首刑だった。

 ……そして、そんなザナックを支持していたレエブン侯が今や元王国の支配者。どう考えても裏切りにあったとしか思えないその結末を思うと、ラナーを化け物と呼んでいたザナックであろうとクライムは少しばかり憐憫を感じざるをえなかった。

 

「…………」

 

 クライムは頭を軽く振って、その思考を頭から追い出す。……ともかくとして、クライムは帝国にそこまで悪感情は無い。何より、ラナーが無事であるのだから。クライムにとって最優先すべき事はラナー。そのラナーは皇帝の側室として一定の地位を約束され、離宮内では自由を許されている。

 それは籠の鳥と大差のない扱いであったが、他の王族の末路を思えば破格の扱いだろう。それに、クライムはそんなラナーに対する皇帝の扱いに内心で安堵していた事を、認めざるをえなかった。

 

 ……ジルクニフはラナーに対して側室としての仕事を何も求めてはいない。ラナーに会いに来たのはたったの二度。一度目はこの地に運ばれた際の顔合わせとして。二度目は、それから少しして。どちらも日中であり、どちらもクライムが席を共に許可される事はなかったが短い時間であり、決して側室の仕事としての行為は行われていなかったと断言出来る。

 

 ラナーに決して口にしてはならぬ想いを抱えていたクライムは、そんなジルクニフのラナーへの扱いに安堵している事を、認めたくはないが認めざるをえなかった。

 

「…………」

 

 クライムは夜道を歩く。遠く離れた離宮を目指して。ラナーの待つ、離宮へ。買った品物をラナーに渡した後は、すぐに離宮を離れなくては。変な邪推を起こされては堪らない。たとえ誰も何も言ってこなくとも、クライムはラナーの品性を下げるような行いを自分がしたくはない。

 そうして、夜の街を歩いていると……クライムの耳に、金属音が届く。クライムの足が止まった。

 

「…………」

 

 クライムはふと横道を見る。それは路地裏とも言うべき、月の明かりや夜道を照らす街灯さえ届かない細い道だ。そこから、金属音が聞こえたのだ。

 クライムは考える。果たして、この行動は正しい事であるのか、を。

 

「……申し訳ございません、ラナー様」

 

 クライムは少し考えるとポツリと呟き、その路地裏へと向かった。クライムは正義感を持った少年であり、武の心得もある。見捨てるのは憚られた。クライムの耳が聞き取った金属音は、刃物特有の鋭い音がしたからだ。

 ……これが王都であったのなら、クライムもさすがに路地裏に踏み込もうとは思わなかった。王都は華やかであったが、それはほぼ見せかけだ。夜になれば犯罪者共が大手を振って跋扈しているし、路地裏などは昼間であろうとただの民衆には危険であった。

 しかし、ここは帝都である。あの鮮血帝ジルクニフが君臨する、大帝国の首都だ。たとえ夜であろうと犯罪者達は身を潜ませて動くしかなく、たとえ路地裏であろうと昼間に動く事は許されない。そんな都市なのだ。

 だとすれば、この刃物の音は何なのか。クライムはそれを知るために、路地裏へと一歩足を踏み入れた。

 

「…………」

 

 慎重に、周囲を警戒し、腰に下げた剣の柄に手を置いてすぐに抜剣出来るように歩く。そうして先へ進む内に血の臭いを感じ取り――クライムは、これが決して見過ごしてはならぬ犯罪の現場だと断定した。

 

「んー?」

 

 そして路地裏の奥、地面に倒れた男がいる。そのうつ伏せに倒れた男からは目立った外傷は見えないが、男は血の海に倒れている。そんな、死体とも言える男の前に血に濡れたスティレットを持った何者かが立っていた。

 黒いマントを着用し、影に溶け込んでいるような誰か。黒いマントから微かに覗く顔が、それが女である事をクライムに分からせる。紫の瞳が猫のように煌めいていた。

 

 そして――クライムは、相対した瞬間に悟る。ここに来たのは間違いだった。

 僅かな良心など蓋をしてあのまま去るべきだった。あの女は難敵だ。無造作に立っているようで、隙が全く存在しない。クライムの腕では、あの女に傷を負わせるのさえ難しいだろう。――何気なく立っているその女からは、ガガーランと相対したような圧倒的な力の差をクライムは感じ取ってしまったのだ。

 

「――――」

 

 クライムが怖気づいたのに気がついたのか、女の顔が歪む。それは引き攣ったような不気味な笑みで、端的に言うと正気ではなかった。

 

「ん、んー……人にぶつかっておいて謝りもしない子をお仕置きしただけなんだけど、運が悪い子だねー」

 

 間延びした、間抜けにも感じる声。だがクライムは油断などしなかった。剣を鞘から抜き放つと同時に、大声を上げる。

 

「ほいっと」

 

 ――そして、それより早く女が動いた。いつの間にか目の前にいる女。鞘から抜こうとした剣は女の細腕に軽々と押さえられ、クライムの喉を衝撃が襲う。

 

「がッ――」

 

 空気も音も何もかもが喉で遮られ、喉の痛みに悶絶する。クライムはその痛みの中、必死に女を見た。後ろに下がろうとするが距離は保てない。片手は女に押さえられ、そのまま繋がれて距離が取れない。そしてもう片方の女の手は――スティレットをいつの間にか左手に持ち替えていた女の左手は、スティレットの柄をこちらに向けていた。

 

 それで、ようやくクライムは何をされたのか悟る。喉をスティレットの柄の底で潰されたのだ。大声を出せないように。

 

「はい、これで助けは呼べないねー。じゃあ、お姉さんとこれからいいことしよっかー」

 

 にんまりと動く女の顔。黒いマントから覗く女の体は、あらゆる種類の冒険者のプレートで覆われていた――。

 

 

 

 

 

 

 その日は、ラキュースが受け取った一通の手紙から始まった。

 

「アインズさん! お願いします……!」

 

 頭を下げるラキュースを前にして、話を聞き終えたアインズは少し考える。

 

 ……ラキュースが受け取った手紙の内容は、帝都にいる友人――かつて王国の第三王女であったラナーという少女からのものだった。

 ラキュースはラナーとは親友らしく、その親友が挨拶も何も書かず火急の用件だけを書いた手紙。そこには、ラキュース達蒼の薔薇とも懇意であるクライムという少年の不幸を知らせる内容が書かれていたのだ。

 ……残念ながら、帝国には蘇生魔法を使用出来る信仰系魔法の使い手はいない。ラキュースのみがその魔法を使用する事が可能であった。他に頼ろうと思うと法国に頼らざるを得ないのだ。

 ……そして、法国に渡せる対価がラナーには無いのだろう。ラナーにはラキュース以外に頼れる存在がいなかった。

 

 だからこそ、ラキュースは今アインズに頭を下げて、どうか一緒に帝都まで来て欲しいと頼んでいるのだ。戦争時の事が尾を引いており蒼の薔薇であった五人だけでは帝都には入れない。漆黒と蒼というチームになって、初めてラキュース達は帝都に入る事が出来る。

 

 ……はっきり言おう。アインズとしては、欠片もメリットを感じない相手だ。そもそもラナーという少女の事もよく分からないし、帝国でもそれほど優遇されているような話はとんと聞かず何のイベントも存在しない。

 

 だが――親友のために出来る事をしてあげたい、というラキュースの気持ちは分かる。

 

「……その復活魔法は近場に死体が無いと駄目なんだな?」

 

 アインズの言葉に、ラキュースが弾かれたように顔を上げ、頷く。

 

「は、はい! それに、早めに復活魔法を使わないと、復活出来なくなります。なるべく急ぎたいのですが……」

 

「なるほど」

 

 ……どの道、この異世界で復活魔法を間近で見るいい機会だ。アインズはラキュースの言葉に頷いた。

 

「では、早速旅の準備をするぞ。なるべく早く帝都に着けるようにな」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 ラキュースは再び頭を下げ、ラキュース達五人は冒険者組合を出て買い物に向かった。着の身着のままでも問題の無い、アインズとブレインだけがその場に残される。

 

「……まさか王女さんと友達とはなあ。世の中って割と狭いのかね?」

 

 ブレインがポツリと呟く。ガゼフという共通の知人を持っていたアインズとブレインが出遭う事があるのだ。貴族だったラキュースが王国の王女と友人だったなど十分あり得る事だろう。

 

「人間の世界は狭いからな。そういうこともあるだろうさ」

 

「しかし、ちょっとは渋るかと思ったぜ。お前、割と冷たい奴だろ?」

 

 ブレインはアインズを面白そうに見ている。アインズはブレインに視線を向けた。

 

「そうか? 少しばかり心外だぞ?」

 

「だってお前、あの蜥蜴の連中だって実のところそんなに興味ねぇだろ?」

 

「…………む」

 

 ブレインの笑みを浮かべた言葉に、アインズは黙る。事実、その通りだからだ。

 

 確かに、アインズは命に貴賤は無いと思っている。だがそれは、誰の命も平等だという意味ではない。そういう細かい事をブレインは言っているのだろう。

 

「あんまり得にならないようだったり、キナ臭すぎるようだったら近寄らない。違うか?」

 

「……よく観察しているな、ブレイン」

 

 アインズがそう告げると、ブレインは声を上げて笑った。

 

「そりゃ、俺も似たようなところがあるからだろうよ! 面倒臭いことは苦手だってな! ……まあ、俺とお前の違いはお前には惚れっぽいところがあるってとこだな」

 

「惚れっぽい?」

 

 アインズはブレインの言葉に首を傾げた。ブレインは面白そうに笑ってアインズを見ている。

 

「おいブレイン、俺が惚れっぽいとはどういう意味だ?」

 

「気にすんなよ、悪いことじゃないだろうし――お前にゃ分からんさ」

 

 ブレインの言葉に、アインズは首を傾げるしかなかった。そのブレインの言葉の意味が、アインズはラキュース達が合流するまで考えたがさっぱり分からなかった。

 

 ……エ・ランテルをずっと見捨てずに、結局この街で暮らし続けていたその意味に、アインズは全く気づかなかった。

 

 

 

 

 

 

 バハルス帝国の首都、帝都アーウィンタール。この都市はアインズが知るエ・ランテルやエ・レエブルとは全く違った都市だった。

 まず、華やかさが全く違う。発展の度合いが王国とは比べるべくもないからだろう。王国では一部にしか舗装されていない道も、帝国ではしっかりと舗装されているし街灯もしっかりと準備されていて違いが見て取れる。いや、そもそも――人々の活気が段違いだった。

 これから、この国は発展していく。自分達の生活はもっと豊かになる。そう信じている人間達の熱意に溢れている。王国には決して存在しなかった、人々の生きる熱意だ。

 

「……王国とは随分違うんだな」

 

 一緒に乗っていたイビルアイをゴーレムの馬から降ろしながら告げたアインズの言葉に、イビルアイは頷いた。

 

「確かに。それにこちらは戦勝国だしな。華やかさも活気も段違いになるだろうさ」

 

 アインズはゴーレムの馬を元の姿に戻し、懐にしまう。二人にラキュースが声をかけた。

 

「アインズさん。私達は馬を預けてきますので、先に宿に顔を出してくれませんか? 宿の場所はお伝えした通りです」

 

「ああ。部屋数はそれぞれ一部屋……っと、ティアとティナは同部屋でかまわなかったな?」

 

「ええ。よろしくお願いします」

 

 ラキュースは一礼すると、去っていく。ラキュースとガガーラン、ティアとティナ、ブレインの乗った馬は生きているので預けてこなくてはならない。

 

「さて、行くかイビルアイ」

 

「あ、ああ!」

 

 イビルアイの急な大声にももう慣れたアインズは、気にせずに歩く。隣を歩くイビルアイが妙に近いのももう慣れた。

 アインズは田舎者よろしく街中をゆっくり眺めながら歩を進める。やはり、王国とは活気が違う。春が近いとはいえ、まだ冬であり吐く息も白いというのに街中は人々で溢れていた。

 そして、宿に到着したアインズは宿の警備員にプレートを見せながら、後で仲間が五人来る事も告げてイビルアイと部屋を別れる。

 

「ふう……」

 

 こうした移動があると鎧を脱げないので窮屈だ。久々に鎧を脱いだアインズは深い息を吐く。鎧の下は骨なので、ブレイン達に見せるわけにはいかない。ブレインなどは「お前いつ鎧脱いでんだよ……」と言っているが、疲労しないアインズが見張りをするのは一番効率がいいので、脱がなくてもそこまで突っ込まれない。それに、臭いも特にしないはずなので、いつかどこかで脱いで、ちゃんと清潔にしていると納得されているのだろう。

 

「あー……遠出は疲れるな」

 

 備え付けのソファにドカリと座り、アインズは天井を見上げる。天井は染み一つなく、掃除がよく行き届いていた。

 最近のブレイン達はアインズの鎧の下がよほど気になるらしく、旅の間はあの手この手で脱がそうとしてくる。アインズはそれをあらゆる手段で回避していた。

 何せ、イビルアイはヴァンパイアというアンデッドであり魔法詠唱者(マジック・キャスター)。アインズの幻影で作った顔なぞ見破ってしまうかもしれないのだ。なるべく見せないようにするのは当然の事だ。

 

「風呂も面倒だし……」

 

 こう、肋骨の隙間が。いや、肋骨はまだいい。一番難しいのは背骨の方だ。骨のせいで体を洗うのに手間がかかり過ぎる。

 

「まあ、一番の問題はこの精神を抑制される感覚か……」

 

 おかげで、トブの大森林の探索も沈静化されて感動が長続きしない。ブレインやラキュース達が喜んでいる中、アインズは昂揚した精神が沈静化されて空気の温度差に戸惑ってしまう。

 

「イビルアイは、どうしてるのかな……こういう時は」

 

 イビルアイもアインズと同じく精神を鎮静化させられているはずだが、そうは見えない。アンデッド歴約一年のアインズと違って、アンデッド歴の長いイビルアイはこの温度差をどう心の中で処理しているのだろうか。とても気になった。

 

「そういえば、森の賢王は期待外れだったな……」

 

 アインズはトブの大森林の探索中に遭遇した、心の中で期待していた森の賢王の姿を思い出す。アレは酷い。というかむごい。ユグドラシルプレイヤーならば、心底がっかりするだろう。

 

 ……縄張りを探索しているのだから、当然どこかでは遭遇するだろうと思っていた森の賢王だが、アインズは心底がっかりした。鵺だとかキマイラだとかそういう魔獣を期待していたというのに、遭遇したのは円らな瞳が愛くるしいげっ歯類――巨大ジャンガリアンハムスターだったのだから。

 その時のブレイン達の反応もショックだった。アインズが拍子抜けして気が滅入っている中、ブレイン達はその魔獣を「凄い」だとか口々に褒め称えるのだ。自分の目が狂ったかと思ったほどだ。

 そして、強さも期待していたほどではなかった。確実に、最初に遭遇したあのグリーンドラゴンやブラックドラゴンのつがいの方が強いだろう。

 強いて気になる事があるなら――あのハムスターの魔法の使用法がユグドラシルのモンスターを思い出させた、という事くらいか。しかしおつむの方はからっきしで、周囲の事を全く知らなかったのでアインズは『森の賢王』という異名に首を捻るばかりだ。

 ……いや、分かっている。魔法も使うしこの異世界では強い方で、言葉も流暢に喋るのだから賢いというのも分かるのだ。ただ、アインズが求める賢さは全く持っていなかっただけで。

 ――ちなみに、森の賢王は相変わらずトブの大森林で今までと同じように生活している。退治まではしなかった。リザードマン達やカルネ村の生活の安全のために、退治してはいけないというのが漆黒と蒼の見解だ。

 

「…………はあ」

 

 深い溜息を吐いて、アインズは再び鎧を魔法で編む。そして部屋の外に出て、エントランスでブレイン達を待つ事にした。

 

 

 

 ……ブレイン達と合流したアインズとイビルアイは、さっそく全員で中央に向かった。中央には皇帝ジルクニフの皇城があり、放射状に大学院や魔法学院、各種行政機関の重要施設が広がっているらしい。ラナーがいるのは離宮であり、中央からは離れているらしいがまずはそちらにラナーからの手紙を見せてから案内してもらって欲しい、と手紙には書かれていたため中央に向かったのだ。

 案内に従い行政機関の一つに入り、アインズ達は案内板に従って受付まで向かい名乗る。アダマンタイト級冒険者の登場とあって場は騒然としたが、手紙の差出人を見るとすぐに受付嬢は話の分かる人間のもとへ向かった。そしてしばらく待っていると案内役が来て、アインズ達をラナーの待つ離宮へと案内する。

 離宮へ到着した頃は、既に夕暮れとなっていた。しかし、ラナーは案内役の声にすぐに中に入るよう声を上げた。同時に、案内役は帰っていく。

 離宮へと入ると、金髪の美しい少女がアインズ達を待っており――少女……ラナーが頭を下げる。

 

「……ようこそお出で下さいました、漆黒と蒼の皆様。この度は私の私事を聞いて下さるということで、感謝します」

 

 ラナーは泣き腫らしたような目元の赤い顔をしており、憔悴した表情は同情を誘った。特に友人であるというラキュースは胸に響いたようで、涙ぐんでラナーに駆け寄る。

 

「いいのよ、ラナー! 私と貴方の仲じゃない……! クライムしか頼れる人のいない場所で、辛かったでしょう……さあ、すぐに案内してちょうだい」

 

「……ありがとうございます、ラキュース」

 

 肩を優しく掴んで告げるラキュースに、ラナーは瞳から涙をこぼして何度も頭を下げていた。ラナーはアインズ達を応接室らしき場所まで案内し、ここで自由に寛いでもらって構わない事を告げて、ラキュースと共にクライムの遺体を保管している部屋へと消えていく。復活魔法に興味があるアインズとしては付いていって間近で確認したいのだが、そういう雰囲気ではないため仕方なく応接室で他の五人と共に待つ。

 

「……それで、確かその少年とは全員が懇意なんだったか」

 

 アインズが道中で確認した事を口にすると、イビルアイが頷いた。

 

「そうだ。ラナーがまだ幼い頃に王都で拾ったらしくてな、それ以来クライムは戦士として鍛えてラナーの専属護衛として王国に仕えていた。ラキュースは貴族としての付き合いでラナーと交友関係を結び、必然クライムと仲が良くなる。……当然、連鎖で私達も話をするようになったわけだ」

 

「一応、俺が目をかけて鍛えてやったりすることもあったんだぜ」

 

 ガガーランの補足に、アインズは思案する。

 

 ……ガガーランが鍛えてやっていた、という事実とどこの馬の骨とも分からない年若い人間が王女の護衛としてやっていけていた事実。以上を踏まえると、クライムは王国の専属兵士としては中々の腕のはずだ。そうでもなければ権力闘争の中でラナーの気持ちがどうあれ近寄る事は許されまい。

 そうすると、今回の事件……クライムを殺した下手人は、クライムを殺せるだけの技量を持っている凄腕となる。勿論、複数相手だったとなれば話は違うだろうが。

 

 そうしてしばらく待っていると、怒りに顔を歪ませたラキュースが帰ってきた。

 

「お、おいどうした?」

 

 その形相にブレインが驚き、声をかける。ラキュースは怒りに顔を歪ませ、そして憤怒を抑えるように静かに口を開いた。

 

「クライムの状態を見たんです。……あれは、確実にわざと嬲り殺しにしたとしか思えない状態でした。ほんっとうに許せない!!」

 

 ラキュースの怒り狂った様に、イビルアイが落ち着くよう声をかけた。

 

「落ち着け、ラキュース。それで復活は成功したか」

 

「……ええ。今はラナーと話をしているわ。少し待っていましょう。その間に、私も落ち着かなきゃ……」

 

 ラキュースは荒々しい様子で席に座り、ティアとティナがササッと目の前に用意した茶と菓子に口をつける。そうして再び暫く待つと、ラナーがやって来た。その顔は出会った時と違い、生気が戻っている。

 

「皆様、エ・ランテルからはるばるここまでお越しいただき、ありがとうございます。おかげでクライムは復活しました。しばらくは私が付きっ切りで世話をしようと思います。代わりの付き人は皇帝陛下が準備して下さっているので、もう一時間ほど経ちましたらその方が来ますから、顔を憶えてあげて下さい」

 

「……ラナー、もう大丈夫?」

 

「はい。ラキュース、ありがとうございます。貴方のような友人を持てて、私は幸せです。ラキュースがいなかったら、どうしようかと……」

 

 震える声でそう告げるラナーに、ラキュースは首を勢いよく横に振った。

 

「いいのよ! 私と貴方の仲でしょう! ……これさっきも言ったわね」

 

「……それでも、ありがとうございます。そして更にもう一つ、貴方達に依頼があるのです。どうか聞き入れてはくれませんか?」

 

 ラナーが神妙な顔になり、ラキュースではなくリーダーであるアインズの顔を真っ直ぐに見て告げた。このチームのリーダーがアインズであるためだろう。アインズは厄介事の気配を感じたが、ラキュース達の様子を見るに余程の内容でないかぎり断れる気配ではない。

 

「――まずは話を聞きましょう」

 

 受けるか受けないかは明言しない。ラナーは知ってか知らずか頭を下げてアインズ達に口を開いた。

 

 

 

 ――ラナーの依頼内容ははっきり言えば簡単だ。クライムを殺した下手人を探して欲しい、という内容である。

 

 この帝国の首都では殺人事件など滅多に起きない。帝国の治安維持能力は優秀であり、他の国……王国とは比べ物にならない。

 しかしその帝国の首都で殺人事件が起きた。しかも元王国の王女であり現皇帝の側室である女の使用人が被害者である。皇帝の権威を思えば長い間放置していい案件ではない。

 

「……ねえ、ラナー。皇帝は力を貸してくれなかったの?」

 

 ラキュースの問いに、ラナーは目元に涙を滲ませて答える。

 

「皇帝陛下は今、忙しいのです。私を特別扱いするつもりもありませんから、クライムが襲われた程度では動く余裕はないの。クライムはあくまで、私の使用人でしか今はないから……」

 

 ラナーの言葉にイビルアイが口を開く。

 

「……皇帝が暗殺した、という可能性は無いか? 王国の小僧を傍に付けては少々不都合があるとか」

 

「いいえ。皇帝陛下にとってはクライムの存在に不都合なんて無いわ。王国と違って、その程度で崩れるような支配体制じゃないもの。手を貸してくれない理由も、通り魔の可能性が高いから、もう犯人は見つからない、と踏んでいるのだと思います」

 

「なんで通り魔なんだ?」

 

 ガガーランの問いに、ラナーは丁寧に答える。

 

「事件現場が夜の路地裏で、被害者がクライムだけではないの。……というより、クライムはむしろ不幸な目撃者と言った方がいいのかもしれない。もう一人被害者らしき方がいたのですが、どちらも懐に手を付けられていないので」

 

「懐に手が付けられてない、ってことは金銭目的じゃないってことか。しかしクライムを誘拐して強請ったってこともない」

 

 ブレインの言葉に、ラナーは頷く。

 

「はい。もう一人の被害者の方も一般人――冒険者というわけでもないのです。状況証拠的に見れば物取りでさえなく、何か明確な目的があったわけでもない」

 

 故に、通り魔。道を通り過ぎるように理由なく人を殺していった殺人鬼。

 

「……確かに、それなら皇帝が動かないのも納得ね。通り魔が犯人だと、捕まえられる可能性はゼロに等しいし……」

 

 ラキュースの難しい顔に、ラナーは涙を目元に溜めてラキュースの手を取った。

 

「お願い、ラキュース。貴方達だけが頼りなの。クライムを殺した犯人を見つけてちょうだい。金銭目的じゃないって言ったけれど、クライムからは一つだけ、盗まれた物があるの」

 

「え?」

 

「――私が以前、クライムに用意したミスリルの鎧があるでしょう? あの鎧自体は没収されてしまったけれど、一部のミスリルは返して貰えたから、それでクライムのために金細工を作って渡していたの。それが――」

 

「無くなっている、と」

 

 その言葉にラナーがこくりと頷く。アインズとブレインはよく知らないが、そのミスリルの鎧というのは特別な思い入れがあるのだろう。

 

「失くしたことをクライムがとても気に病んでいて……このままじゃ、クライムまで私から離れてしまいそう」

 

「ラナー……」

 

 ひとりぼっちで心細いのか、ラナーの声は震えていた。その様子に胸を打たれたのか、ラキュースは慰めるようにラナーの手を握り、そしてアインズを見た。

 

「……とりあえず、その少年からも詳しい話を聞きましょうか」

 

 アインズはそう告げ、全員で蘇生したばかりのクライムのもとまで移動した。そこで蘇生したばかりのクライムから詳しい話を聞き……アインズは結局、この依頼を受ける事にしたのだった。

 

 

 

「……で、アインズ。お前犯人に心当たりがあるのか?」

 

 宿屋に帰って全員で一部屋に集まり、開口一番に一番長い付き合いのブレインがアインズに向かって告げた。

 

「そうなんですか?」

 

 ラキュースの不思議そうな顔に、アインズは頷く。

 

「ああ。……確か、あの少年の話では、冒険者のプレートを幾つも鎧に打ち込んでいた、ということだが」

 

「……いつ耳に入れてもとんでもない狂人だな、それ」

 

 ガガーランが顔を不快げに歪める。それを横目で見ながら、アインズは心当たりを口にした。

 

「時にブレイン、俺と出会った日を覚えているか?」

 

「あん?」

 

 ブレインは思い出すように頭を捻り――唐突に顔を上げた。

 

「刺突武器か?」

 

 どうやら、ブレインも思い出したらしい。アインズはブレインの言葉に頷く。ラキュース達は不思議そうな顔だ。

 

「もしかして、何処かで遭ったのと凶器が同じ?」

 

「それで犯人を知ってる?」

 

 ティアとティナの問いに、アインズは曖昧に頷く。

 

「心当たりがある、という程度で顔を見たわけではなくてな……。ブレインと遭遇した日に、当時のブレインの同業者と俺が一緒に行動していた別の冒険者チームが仲良く死んでいたことがあってだな。どちらも刺突武器で殺された形跡があった。それと、冒険者チームの方はプレートを消失していたからな……連想するだろう?」

 

「それは……確かに、似通っているな。むしろ、そんな狂人は二人といて欲しくないが……」

 

 イビルアイも共通項に同じ犯人の可能性を思いついたようだ。

 

「ということは、最初はエ・ランテルにいたのかしら? それとも、今もエ・ランテルを活動拠点に?」

 

「それは分からん。そもそも、本当に通り魔かどうかも定かではないし」

 

 ……と言うより、“本当に”通り魔の可能性は低いのではないだろうか。単なる通り魔が冒険者を殺せるはずもない。むしろ、何らかの訓練を受けていると見た方がいい。

 

「まあ、背後関係を調べるのは後だな。まずは下手人の居所を掴む。……悪いが、明日は少し別行動を取らせて欲しい」

 

「え?」

 

 アインズの言葉に、全員がアインズを見た。

 

「ど、どうしたんだアインズ?」

 

 イビルアイの不安そうな声に、アインズは告げる。

 

「明日、少々心当たりを訪ねてみる。空振りになる可能性もあるからな、俺だけ別行動を取らせて欲しい」

 

「そ、そういうことなら……」

 

「じゃあ、明日はアインズさんは別行動。ティアとティナは周辺情報を探って、私はもう一度ラナーとクライムのところを訪ねるわ。ガガーランとイビルアイ、ブレインは待機してもらっていい?」

 

「ああ、かまわないぜ」

 

「俺もだ」

 

「私もかまわん」

 

 それぞれの役割分担が決まったところで、今日はお開きとなった。

 

「――――」

 

 そして、アインズは自室に帰った後、少し顎に手をやって思考に埋没した後――自分の持っている幾つもの巻物(スクロール)を広げた。

 

 

 

 

 

 

 帝都にある帝国魔法省、その中において最も高価な調度品で囲まれている応接室にフールーダは向かっていた。魔法省を訪れた客に会うために。

 

(やれやれ。本当は、死の宝珠ともっと研究を進めたいのだが……)

 

 突然の来訪客はフールーダほどの地位であっても身嗜みに気を遣う相手だが、今のフールーダにとっては自らの研究を邪魔する邪魔者でしかない。皇帝ならばともかく、多少は待たせようと思っただろう。

 しかし、この相手は少々事情が違った。ジルクニフからも慎重に対応するように言われている相手であり、そしてフールーダ自身、多少の無茶は聞いてあげたい相手だ。

 

 即ち――客人とは、アダマンタイト級冒険者であるアインズ・ウール・ゴウンその人である。

 

 アインズはどこで教育を受けたのか、魔法の知識が高い相手である。魔法詠唱者(マジック・キャスター)でもないのに魔法の種類と効果を知っているという、変人の自覚があるフールーダから見てもおかしな人物だ。もしかすると、あの“エリュエンティウ”に入りフールーダが求めてやまない伝説のマジックアイテムを見た事があるのではないかと疑うくらいに。第七位階魔法を知っている、というのはそれを考慮しなければならないほどの制限された知識だ。

 ……もっとも、名前の響きから法国出身者の可能性の方が高いだろうが。法国は信仰系魔法ならば第五位階以上の魔法の使い手も複数人いるのだから。魔力系の魔法知識があっても法国ならばありえる。

 

 そしてそのアインズが、アポイントメント無しにフールーダに会いに来た。決して対応を誤ってはならない。

 

 ……本当はフールーダとしては研究室に籠って、死の宝珠が遭遇したというエ・ランテルの巨大墓地に現れたデス・ナイトを超越したアンデッドを調べたいところなのだが。

 

「……よし」

 

 応接室に辿り着き、入る前に最後の身嗜みのチェックをする。自分の姿に相手が不快に思うところが無いか調べ、フールーダは扉をノックし、開いた。

 

 ――そこに、いつか出会った漆黒の鎧の戦士がソファに座っている。

 

「お待たせして申し訳ありません」

 

 フールーダが待たせた詫びを入れると、アインズは朗らかな声色で答えた。

 

「いえ、急な来訪に対処していただき感謝しています」

 

 フールーダはアインズからの詫びにも答えると、アインズの向かいのソファに座り、早速本題を訊ねた。

 

「それで、エ・ランテルより遥々帝都に来られ、私に用事とはどのような内容でしょうか?」

 

 ……とは言っても、一応フールーダはアインズが帝都にいる理由を知っている。この周辺国家で復活魔法を行使出来る存在は法国を除けばラキュースしかいない。そのラキュースは確か、ジルクニフが側室に迎え入れたラナーの友人だ。そして、ラナーの目をかけていた少年の死亡も記憶に新しい。おそらく、ラナーがラキュースを帝都へ呼び、アインズは付き添いだろう。

 だが、アインズがフールーダを訊ねる理由は無い。フールーダは内心で首を傾げざるを得なかった。

 

「……ええ。実は少々お聞きしたいことが幾つかありまして」

 

「はあ……?」

 

 フールーダはアインズからの質問に、一つずつ丁寧に答えていった。その、とても奇妙な問いの答えを。

 

「――なるほど、ありがとうございます。とても助かりました」

 

「いえいえ。この老体が力になれて幸いですぞ。……しかし、随分と奇妙な質問ですな」

 

「ええ、まあ。……依頼内容にかかわるので、ちょっと話せないのですが」

 

 ――依頼、というとラナーからのだろう。この帝都でアインズ達が受けるような依頼主はそれくらいしか考えられない。だがそれにしても、やはり質問内容は奇妙だった。

 

 ラナーがジルクニフから許可を取って依頼を自分達に出しているのか、だとか。帝都の地図を広げてこの場所には何があるのか、だとか。幾つも受けた質問は、ことごとく何かがズレている気がする。

 

「では、こちらは私からの気持ちです。私がこの場でした質問内容は、どうか全て伏せていただきたい」

 

「――――」

 

 アインズが出したアイテムに、フールーダは目を見開く。それは巻物(スクロール)であった。その中に込められた魔法を見て――フールーダは即座に頷く。

 

「おお……! も、勿論です! この場のことは、決して――皇帝陛下にも話さないと約束しましょう……!」

 

 もはやあらゆる疑問はフールーダから抜け落ちた。フールーダは決して、この場でアインズから受けた奇妙な質問の数々を誰にも漏らさないだろう。それだけの価値が――この、第六位階魔法が込められた巻物(スクロール)にはある。

 

 ……だが、同時に新たな疑問が脳裏を過ぎる。第六位階魔法を使える人間は、現在フールーダのみ。そのフールーダが覚えていない魔法が込められた巻物(スクロール)を、果たしてアインズはどこで手に入れたのだろうか。アインズ・ウール・ゴウンという男の正体が、フールーダは無性に気になった。

 

(……だが)

 

 その疑問の答えを知る術を、フールーダは持たない。法国を調べれば何か分かるかも知れないが、それは諸刃の剣だ。現在、帝国は法国の心証を悪くしている。力関係はフールーダ程度では覆せないと王国との戦争後に知ってしまった。その状態で、法国に探りを入れられるはずもない。

 同時、フールーダにはある種の打算が働いた。このまま、アインズの心証を良くしておけば――あるいは、この巻物(スクロール)を手に入れた経緯くらいは知る事が出来るのではないか、と。

 

 ……フールーダにとって、魔法の深淵を覗く事は最も重要な価値がある。たとえ我が子同然に想っているジルクニフでさえ、その目的の前には霞む。

 故に、このまま黙して語らぬ。見て見ないふりをする。どの道、デス・ナイトと近接戦を繰り広げられる程の戦士だ。一定位階の魔法を無効化するというマジックアイテムを所有している、という噂もある。帝国が個人に戦争を仕掛けても勝てるか怪しい相手だ。不興を買わない方がいい。

 

 だからフールーダは、ジルクニフに対して報告する義務を怠る事にした。フールーダの中で、特定の条件下であるかぎりジルクニフとアインズの価値が変動する。フールーダは、ジルクニフへの罪悪感に蓋をしたのだ。

 

「では、これで失礼します」

 

「ええ。またいつでも、この老人の力が必要ならば訪ねて来て下さい」

 

 用件が済み魔法省を去るアインズを、フールーダは笑顔で見送る。いつか変動した優先順位が戻る日が来るだろうが、それは今ではなく、今日でもない。

 だから、フールーダは笑顔でアインズを見送った。

 

 

 

 

 

 

「さて、今日の情報交換を行うぞ」

 

 宿屋の一室に集まり、アインズは全員を見回して告げる。街中で聞き込みなどを行っていたティアとティナ、ラナーとクライムから更に話を聞いて来たラキュース、私用でフールーダを訪ねていたアインズに、留守番のブレインとガガーラン、イビルアイ。全員がこの場にいる。

 

「えっと、まず私からね」

 

 ラキュースが手を上げ、全員に教える。

 

「まず、クライムから話の内容が変わったりしていないかもう一度詳細を教えてくれるようにお願いしたのだけれど、特に不審な点は無かったわ。一日経っても話の内容が変わらないから、魔法で操作されているってことは無いと思う。クライムが遭遇した『通り魔』は、冒険者のプレートを記念にしているイカレ女で間違いないわ」

 

「じゃあ、次は私達」

 

「聞き込みしたけど、特に変わったことは無し。強いて言うなら、新しく娼館が出来たとかその程度。冒険者組合でも奇妙な人死には出てないって言っていた」

 

 つまりは、ほぼ収穫無し。もっとも、ホームグラウンドでも無い場所で一日で収穫が出る方がおかしいだろう。視線が最後のアインズに集中したのを確認して、アインズは口を開いた。

 

「まず、今日俺が訪ねた相手を教えておく。フールーダだ」

 

「フールーダ? あの?」

 

「会えたのかよ?」

 

「あー……確かに、あの爺さんにお前ならアポなしでも面会出来そうだな」

 

 疑問が上がるが、ブレインの言葉に彼女達の視線が動く。イビルアイが思い出したように口を開いた。

 

「……そういえば、アインズとブレインはフールーダに会ったことがあるんだったな。それで、何を訊きにいったんだ?」

 

「ああ――ちょっとした魔法を覚えているか、使ってくれるか訊ねにな。結果は上々……目的のアイテムは、地図のこの辺りにあるとのことだ」

 

 アインズは用意していた帝都の地図を取り出し、指差す。

 

「――第六位階魔法に〈物体発見(ロケート・オブジェクト)〉という魔法があるんだが、それが特定アイテムの探査を行う効果がある。あのご老人曰く、この場所にクライムの持っていたミスリルの金細工があるそうだ」

 

「第六位階魔法……なるほど。確かに、それならフールーダでないと無理だ」

 

 イビルアイの納得した頷きに、アインズは内心はどうあれ肯定を返し更に口を開く。

 

「そして、この場所は墓地らしい」

 

「墓地、か。……なんで墓地にいるんだ、そいつ?」

 

 ガガーランの問いはもっともだ。街中ならともかく、墓地にいる理由が分からない。

 

「その辺りが不明でな。正直、まだ踏み込むのは早いと思っている。――というわけで、明日からこの墓地でイビルアイとティアとティナは、少し張り込みをしてくれないか?」

 

「ん、了解」

 

「任せて」

 

「……ふむ、かまわない。何かあったら、即座に離脱だな?」

 

「ああ、それで頼む」

 

 明日以降の方針はそれで決まりだ。アインズ達残りの四人は街中で待機となる。勿論、すぐに行動は出来るようにしておくが。

 

「……しかし、魔法ってやつは便利だな。身を隠している奴もこんな簡単に見つかるのかよ」

 

 理不尽だ、と呟くブレインにガガーランが笑いながら肯定の意を示した。

 

「あー、確かにな。低位魔法でも便利なもんは山ほどあるが、第六位階ともなればこんなことまで出来るとか……さすがに理不尽だぜ。野伏(レンジャー)いらずじゃねぇか」

 

「でも、犯人をこんなに簡単に特定出来るのに、どうして皇帝はラナーに動いてくれなかったのかしら? ……やっぱり、ラナーはここでは軽んじられているのね」

 

 友人の境遇に憤りを感じたのか、ラキュースが不快げに顔を歪ませる。自分の大切な友人を大事にしてもらえない、というのはやはり悲しいし、不満なのだろう。ましてやラキュース達はジルクニフにいい印象を持っていないのだから。

 

「……まあ、皇帝の政治的な動きは俺達が気にしても仕方ない。というより、政治的なことには関わりたくない」

 

「それは同感」

 

 返事をしたのはティナだけだが、おそらく他の面々も似たようなものだろう。ラキュースは複雑な顔をしているが、一応同意ではあるのだ。ただ、対象が友人のラナーだから素直に頷けないだけで。

 

「さて……何か分かればいいんだがな」

 

 

 

 

 

 

 ――帝都のどこかで、その会合は静かに始まった。

 

「では、これより定例会を始めよう」

 

 口を開いたのはこの会議の進行役であり、まとめ役でもある男だ。そう……この八本指の会議の。

 

 ……八本指は王都から帝都へとホームを移していた。理由は言うまでもなく、もはや王都では活動困難になったからだ。

 現在、エ・ランテル以外の王国はレエブン侯の支配下にある。そのレエブン侯は凄まじい重税を掛けて民衆から税を搾り取っていた。とても八本指は活動出来ない。

 なにせ、あんなものは数年ももたず崩壊するのが目に見えているからだ。おそらく、レエブン侯の意思ではあるまい。八本指はレエブン侯の狡猾さやしたたかさを知っている。あんな破滅一直線の統治などしないだろう。間違いなく、帝国が噛んでいる。

 王国にいては死ぬ。なればこそ、帝国の帝都へ身を移したのだ。幸い、幾らかの貴族は八本指に染まっているし、依存性のある麻薬にどっぷりと浸けているため裏切る事は不可能に近い。今までのまじめな仕事ぶりが功を奏した。

 

 確かに鮮血帝は恐ろしい。恐ろしい、が――しかし人の欲望には勝てなかった。欲望に際限など無く、破滅すると分かっていても手を伸ばしてしまうのが人の業。八本指はそれをよく分かっている。

 

 そして、見事八本指は帝都へと根付いた。まだ王国ほどの力は振るえず、細心の注意を払って行動する必要があるが時間の問題だろう。

 

 彼らは次々と議題を出し、それを解決するための案を出し合っていく。今は互いに協力しなければならない関係だ。いずれはまた協力とは名ばかりの敵対関係に戻るだろうが、それはまだ遠い未来に過ぎない。

 ――その中で、一際不機嫌な男がいる。警備部門の長であり、アダマンタイト級の実力を持つゼロだ。当然、ゼロが不機嫌な理由を他の長達は分かっていた。

 

 ……帝都に入るに辺り、話をつけなくてはならなかった非合法秘密組織がある。帝都には邪神を崇拝するおぞましい教団があり、その教団には侯爵などの帝国でも屈指の地位を持つ者達が所属していたからだ。

 性質が悪いのは、彼らは宗教観によって心を繋げている、という事。宗教家は八本指のような悪にとって、もっとも苦手な相手だ。なにせ、彼らは自分の利益にも不利益にもある種無感動な面があるからだ。人の欲望を刺激する悪人にとって、その欲望を抑圧する事に長けた宗教家は鬼門である。

 

 ただ、八本指にとって幸いであったのはその教団が邪神崇拝である事。定期的に生贄を所望していた事だ。何とか、ギブアンドテイクが成り立つ相手だったのである。蛇の道は蛇――生贄の定期提供を八本指が担う事で、利害は一致した。

 そして――その教団の教主の護衛。それがゼロの不機嫌の原因だ。互いに殺すわけにはいかないため、少し手合わせした程度であるらしいが……。

 

「――さて、というわけで帝国でも仕事は全員順調と見ていいか」

 

「そうさね。息を吹き返した奴もいるし」

 

 麻薬部門の長がチラリと、奴隷部門の長を見る。王国では斜陽傾向にあった奴隷部門だが、教団という顧客を獲得した事で息を完全に吹き返している。

 そして代わりに、うなぎ登りと言ってよかった麻薬部門は少し大人しくならざるを得なかった。王国のような杜撰な支配体制ではない帝国では、麻薬の類は目の敵にされている。今はまだ、麻薬関係は大人しくするしかない。

 

「まあ、しばらくは我慢だ。薄いとはいえ下地はある。設立当初よりはマシだろう」

 

 ――それで、この話は終わりだ。全ての議題を片付けた八本指は、それぞれの潜伏場所へ帰っていく。

 

 人の欲望に際限は無い。どのような恐怖で縛ろうと、欲望は必ずその身を突き動かす。

 それこそが人の業である。八本指は、ゆっくりと帝国へと根を張っていた。

 

 

 

 ――――ただし、その欲望と業で破滅へ向かっていくのが、帝国民とはかぎらない。

 

 

 

 

 




 
「オイオイオイ」「死ぬわアイツ」
とか噂のスティレット使いさんに言っておいて下さい。
 


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The Evil God Ⅱ

 
■前回のあらすじ

クレマンちゃん核地雷を踏む。
 


 

 

 帝都の活気溢れる中央道路を、奇妙な二人組が歩いていた。片方は漆黒の全身鎧(フルプレート)の戦士、もう片方は子供くらいの背丈の仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)。――つまりアインズとイビルアイである。

 道行く人々はその二人組に驚き思わず視線を向けるが、それは珍しさ故だ。帝都でこのような二人組を見た事が無いために、思わず視線を向けているのだ。

 帝国の治安を守る騎士達が時折視線を向けるが、胸元のプレートを見るとすぐに視線を逸らし興味を失う。二人の見た目もそうだが、プレートを見れば正規の冒険者である事がすぐに分かるためそれ以上は注意を払わない。これがプレートを持っていないのであれば見知らぬ二人組に職務質問くらいしたのであろうが、光るプレートはアダマンタイト。余程の事が無いかぎりは話しかけてこないだろう。

 二人が警備が厳重な神殿の並ぶエリアを通り過ぎると、アインズの耳に雄叫びに似た声が遠くから届いた。気になり、声の聞こえる方角へ視線をやるとそこに他とは違う独特な建物が見える。

 アインズの視線の移動に気づいたのか、隣を歩いていたイビルアイが不思議そうに訊ねた。

 

「どうした、アインズ」

 

「いや、遠くから随分な叫び声が聞こえるからな。どうしたのかと」

 

「――ああ、大闘技場だな」

 

 イビルアイは何か知っていたらしく、アインズはイビルアイに視線を向ける。

 

「大闘技場というのは、帝都の観光スポットだ。王国には存在しないし、帝国でも帝都にしかない。魔物同士を争わせたり、魔物と冒険者を争わせたりする。その勝敗を当てるギャンブルが人気だな。帝都における庶民の最大の娯楽の一つ、と言っていい」

 

「なるほど」

 

 ユグドラシルでも似たようなイベントはあったので、理解は出来る。端的に言ってしまえば、ワールドチャンピオンを決める公式大会とて似たような分類になるだろう。

 

「興味でもあるのか?」

 

 アインズの顔を見上げて訊ねるイビルアイに、アインズは頷いた。

 

「そうだな。……少しばかり興味はある。とは言っても、見学専門だがな」

 

「はは! アダマンタイト級冒険者が試合に出ることになったら、武王が出てくるんじゃないか?」

 

「武王?」

 

 アインズの問いに、イビルアイは丁寧に答えてくれる。

 

「闘技場最強の剣闘士に贈られる称号だ。今は確か八代目――正体はトロールだと聞いたことがあるぞ。私も実際に武王を見たことはないが」

 

 その言葉にアインズは思わず驚く。

 

「トロール?」

 

「ああ。闘技場では強さが全てだ。強ければ亜人種だろうとかまわない――だからトロールだろうがリザードマンだろうが、強ければ武王の称号が与えられる。……私のような魔法詠唱者(マジック・キャスター)は別だが」

 

 「魔法で空を飛んで一方的に爆撃して何が悪いんだ……」とぶつぶつ呟きはじめたイビルアイに、アインズは少し笑う。アインズとしてはイビルアイの言い分に頷いてやりたいが、見世物で一方的な展開は確かに盛り下がるだろう。

 

 笑われた事に気がついたイビルアイが言葉を切り、じっとアインズを見つめた後に視線を地面に向け、もじもじとするがアインズは気にしなかった。

 

「さて、さっさと用事を済ませるぞ」

 

 中央道路を通る少しばかり豪奢な馬車にチラリと視線をやって、アインズはイビルアイを促す。わざわざ二人で帝都を歩いているのは、万が一転移魔法を使う時のためにマーキングをするためだ。昨夜これからの方針は決まったが、ここはエ・ランテルというアインズ達の拠点ではない。幾つか転移地点を見定めておくのも悪い事ではないので、見た目が怪しいイビルアイの誤魔化し役としてアインズは他の面々から街中へ送り出された。蒼の薔薇の面々は戦争中の件で皇帝の御膝元で動くのに少々都合が悪いかもしれず、アインズの図体ならば喧嘩を売ってくるような人種はほぼいないだろうと予測して。

 そして夜に例の墓地でイビルアイは、ティアとティナに合流する手筈となっている。

 目的を思い出したのか、「う、うむ」と気恥ずかしそうに頷いたイビルアイはアインズと共に歩を進めた。

 

 ……同じアンデッドという分類であるのに妙に感情的なイビルアイがおかしくて、アインズはそんなイビルアイにこっそり視線をやり、内心で再び笑った。

 

 

 

「――――」

 

「どうした? 首狩り兎よ」

 

 闘技場のプロモーターの内の一人であり、その中でも最も力ある商人オスクは、メイド服を着用した亜人種――ラビットマンを不思議そうに見た。隣ではオスクと同じように不思議そうな顔をした執事が首狩り兎を見ている。

 首狩り兎は全身の毛を逆立てるようにして、馬車の外に気を配っている。冷や汗でも掻きそうなその気配が……しばらく道を進むと息を一つ吐いて霧散した。

 オスクは首狩り兎が落ち着いたのを見て、もう一度訊ねる。

 

「一体どうした?」

 

 首狩り兎は雇い主の問いに、少し沈黙し――やがて口を開く。

 

「今、超級にやばいのがいた」

 

「――――」

 

 首狩り兎がそう評価した相手は、今まで武王しかいない。それは首狩り兎が「自分では勝てない」と評する存在を知らせる言葉でもある。

 

 オスクはその言葉を聞いて急いで外を確認したい衝動に駆られるが、しかしそんなオスクの気持ちを見て取った首狩り兎が素早く腕を掴み、オスクを抑える。オスクがその腕を見ると、首狩り兎の肌は粟立っていた。

 

「やめた方がいい」

 

「む……」

 

 確かに、少しばかり軽率だった気がする。しかし今その姿を確認しないと、後々その誰かを探すのに手間だ。オスクには、そういった強者を探す責任がある。かつて武王を闘技場に誘う時、武王と約束をしたのだ。その約束の一つに『武王より強い相手を連れてくる』というものがある。正直、オスクは武王より強い相手がいる、という可能性を想像出来ないが約束は約束だ。だからこそ強い相手を探し、闘技場へ、武王の前へ連れて行かなければならない。

 しかし、その事情を多少なりとも知っている首狩り兎は首を横に振った。

 

「やめた方がいい」

 

 念を押すようにもう一度、首狩り兎はオスクに告げる。オスクは仕方なしに、大きく溜息を吐いて背凭れに身を任せた。その様子を確認して、首狩り兎はオスクから手を離す。

 

「まあ、それほどの強者ならば噂話の一つや二つ、すぐに集まるだろうからな」

 

 オスクはそう呟いて、今日の仕事が終わった後に情報収集した後正式に正面から依頼しようと考える。そんなオスクの呟きに、首狩り兎は何も言わなかった。

 

 ――そう、首狩り兎は何も言わない。おそらく、その考えは無駄になるだろうと首狩り兎は分かっていた。

 先程通り過ぎた時に感じた気配は一つ……その気配は自分は勿論、武王だろうと勝てないだろう強さを匂わせている。しかし、そちらの気配を感じる方はまだ問題ではない。

 問題なのはもう片方……強者の気配などまるで感じない、気配だけは一般人に感じた方だ。

 

 もう一人いる、と理解した途端首狩り兎は全身の肌が粟立った。本能の領域で気味の悪さを感じ取り、その不気味さに気持ち悪さを覚えた。

 何がまずいのか分からない――その不気味さにこそ、首狩り兎は恐怖を覚える。

 

 そんなモノが、並んで歩いているのだ。どう考えてもまともな二人組ではない。横を通り過ぎるだけでここまで気色悪いのだ。真正面に立ってその気配を受け止めるなど御免被る。

 そしてそんな二人組が闘技場に立ってくれるなど、どう考えてもあり得ないと首狩り兎には思えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 ティアとティナ、イビルアイに例の墓地の監視をさせて十日もしない内に――事態はすぐに急変する事となった。

 朝と夜に徹底監視、昼はイビルアイのみを残して双子は報告。その昼の報告での出来事だった。

 

「……貴族らしき人間達が出入りしている?」

 

「うん」

 

 双子からの報告を受けたアインズは、墓地に貴族らしき人間が複数出入りしているというキナ臭さに無い眉を顰めたくなる気分だった。同じく報告を聞いていたブレイン、ラキュース、ガガーランも同じ顔をしている。

 

「霊廟の中に隠し階段があって、その下に隠し部屋があるっぽい。イビルアイが一度昼間の誰もいない間に不可視化の魔法を使ってその隠し部屋を調べてみた」

 

「イビルアイ曰く、何かを祀る祭壇のようだった、と。血の臭いもあったから、生贄を捧げて何か変な儀式でもしているんじゃないかって」

 

「…………」

 

 その報告に、ラキュースとガガーランが不快げに顔を歪める。根っからの善人である二人には、この報告が殊更不快であったらしい。ブレインは呆れたような表情だ。

 しかしアインズは違う。アインズは目の前の双子をじっと見つめる。

 

 ……この双子は忍者。ユグドラシルのレベルに換算しても身体能力的に五〇にも届くまい。だが六〇レベルは無いと取れない忍者の職業(クラス)を取得している。

 そう、この異世界ではユグドラシルの常識が通用しない部分がある。武技や生まれながらの異能(タレント)もそうだろう。

 

(……もしかして、最初から上位アンデッドで生まれてくる奴がいて、俺と同じような特殊技術(スキル)を持ってないだろうな)

 

 “黒の叡智”、と呼ばれる特殊技術(スキル)がある。これは魔法の習得数を増やす事が出来る特殊なイベントをこなせる特殊技術(スキル)で、アインズはこのおかげで通常のプレイヤーの倍以上の魔法習得数を誇っていた。

 そして、そのイベントをこなすのに必要な素材がプレイヤーの死体なのだが……アインズはこの異世界でその特殊イベントをこなした事が無いので判断出来ない。

 

(プレイヤーじゃない現地民の死体でもいいのか? 分からないな。一度試してみたいとは思っているんだが……)

 

 だが法国の存在がアインズを躊躇わせる。世界級(ワールド)アイテムを所有し、かつアインズ同様高レベルの戦士がいる国家だ。彼らと敵対する羽目になるのは極力避けたい。少なくとも、それなりの後援が無いかぎりは。

 

 アインズは最大限に警戒しながら、ティアとティナに訊ねる。

 

「お前達が見たかぎりでは、何か他に異常はあったか?」

 

 アインズの質問に、ティアとティナは少し考えながらも口を開く。

 

「なんというか、たぶん何らかの邪教教団だと思う」

 

「しかも顔を隠しているくせに、墓地ではわりと堂々としている。大貴族の後援か、その墓地を管理する程度の力はあると思われる」

 

「あと――」

 

 二人は同時に口篭もり、そして意を決したように告げた。

 

「クライムを殺した犯人、見たけどかなり強い。私達アダマンタイト級冒険者に匹敵すると思う」

 

「…………」

 

 全員で息を呑む。今まで興味が無い様子だったブレインが、その言葉で興味を持ったのか表情が歪んだ。好戦的な笑みに。

 

「アダマンタイト級か……それに邪教教団。間違いなく、何かまずいモノが関わっているな」

 

「墓地って言うと……ズーラーノーンかしら?」

 

 ラキュースの言うズーラーノーンとは、かつてエ・ランテルを死都に変えようとした魔法詠唱者(マジック・キャスター)の所属している組織の事だ。アインズも詳しい話は知らないが、有名なネクロマンサーなどが所属する邪悪な魔術結社らしい事は聞いた。

 

「ズーラーノーンか。可能性は高いな。エ・ランテル近郊の森での犯人と同一人物だとすれば、尚更可能性は高い」

 

「あー……確かに。確かあの日だったな、エ・ランテルでそのズーラーノーンの連中が事件起こしたのは」

 

 ブレインも思い出したのか、アインズの言葉に頷く。冒険者のプレートを集めている気狂いがクライムを殺した犯人と同一人物だとすると、エ・ランテルの事件とも無関係とは言えまい。

 

「……ということは、犯人はズーラーノーンの高弟の可能性があるわけか」

 

「それだけじゃないわ。その墓地で定期的に集まっている連中がズーラーノーンに協力しているってことになるもの。結構なスキャンダルよこれ……」

 

 帝国の貴族が邪悪な秘密結社と協力関係にある。確かに、知られれば何が何でも口封じにかかりたい案件だろう。

 ただ問題は、それを知ったのがもとは王国の冒険者チームであるアインズ達である、という事。冒険者である以上、この報告は組合へ告げて国家に報告――という形になってしまう。非公式で帝国貴族を潰すには、アインズ達では立場が弱い。

 現在、アインズ達は冒険者組合を通さない非公式の依頼を受けている立場だ。ラナーが王女という地位の高い立場であったなら何とかなったかも知れないが、この帝国でのラナーの立ち位置は単なる皇帝の側室の一人。ラナーにアインズ達のペナルティを緩和する事は出来ない。

 ましてや、明確な証拠が無い。この異世界にカメラやビデオなど便利な物は無いのだ。アインズが魔法を使えば簡単だが、今のアインズは戦士に化けている立場だ。そもそも、本気を出してまで何かしてやる気にはなれない。――まして“黒の叡智”を覚えているような上位アンデッドがいるとなれば、非常に避けたい。そんな上位アンデッドがいるならば、確実にティアとティナ、イビルアイの存在はバレているであろうし、奇襲も成功しないだろう。

 

「……仕方ない。信用されるかどうかは分からないが、もう一度秘密兵器を使うか」

 

「え?」

 

 全員がアインズに視線を向ける。アインズはその視線を無視して、ティアとティナに訊ねた。

 

「その墓地にいた貴族達……勿論、一部は尾行したな?」

 

「もち」

 

「名前も調べておいた」

 

 抜かりないティアとティナにアインズは満足気に頷き、全員に告げる。

 

「さて……ではもう一度ご老人に動いてもらうか」

 

 

 

 

 

 

 帝国の皇帝、ジルクニフは内心で苛々しながらも日々の政務をこなしていた。

 毎年の王国との戦争をこれ以上は考えなくていいとしても、帝国がこなさなければならない案件は増えたからだ。新たに帝国領となったエ・ランテルに、トブの大森林に対する警戒。法国との貿易など――少しばかり調子に乗った代償は高くついた。エ・ランテルは元より抱える気概があったとはいえ、他の案件はここまで負担するつもりはなかった。

 しかし、やらねばならない。トブの大森林で秘密裏に仕事をしていた法国が引いた以上、帝国は細心の注意を払って警戒しなければならない。

 幸い、冒険者組合を使えばトブの大森林についてはなんとかなる。国家としてはあまり外部組織に依存したくはないが、冒険者達の方が森については詳しい。騎士団では森の中を探索するのに適していない。

 

「トブの大森林専用の軍団を作るしかないな。軍団編成に何年かかるか……」

 

 出来れば冒険者組合をそのまま国家所属の組織として組み込みたいのだが、そう易々と国家に取り込まれてはくれまい。ああいうのは政治を煩わしく思っているから、冒険者になったのだ。ジルクニフがそういうものを匂わせた途端、即座に帝国を離れるというのも十分に考えられる。

 

 ……そうやってジルクニフが未来に思い悩んでいると、執務室の扉が唐突に開いた。

 しかし、ジルクニフは慌てない。基本的に、外が騒がしくなる事もなく執務室に無遠慮に入室するような人間は一人しかいないからだ。

 

「じいか」

 

「はい、陛下。少しお話が」

 

 やはり、入室してきたのはジルクニフの予想通りの人物――フールーダであった。手元を見れば、フールーダは一枚の手紙を持っている。

 

「まあ、座れ。――それでじい、何事だ?」

 

「はい。まずアインズ・ウール・ゴウンが私に接触してきたのですが……」

 

「そうか!」

 

 ジルクニフは、思わず笑顔を浮かべる。その笑みにフールーダは驚いたようだが、しかしジルクニフにとってアインズがフールーダに接触してくるのは想定内の出来事だった。

 

 ……当然、フールーダが知っていたようにジルクニフもラナーの従者が殺人事件の被害者になった事は知っている。だから、アインズがフールーダに接触してくるであろう事は予測していた。

 

 ――勿論、ジルクニフもラナーも互いに接触などしなかった。ジルクニフはラナーを素知らぬ振りしたし、ラナーはジルクニフに何も言ってはこなかった。

 だが、ジルクニフは確信している。おそらく、お互いにどうするべきか――利害を一致させる方法にジルクニフが気づいているようにラナーも気づいていると。

 

 ラナーは何もジルクニフに言わなかった。しかし、ジルクニフから見ても理解は出来ないがラナーがクライムに対して何らかの執着をしているのは見て取れる。

 あの気色の悪い女が執着する――色々と思う事はあるが、その執着する少年を殺されて黙っているはずが無い。ラナーの頭の出来がジルクニフには分かったし、ラナーもおそらく見破られている事を理解しているだろう。

 

 だから、互いに何も言わずに了承した。接点を持たずに、計画を練り実行した。

 

 クライムの死を餌に、アインズを釣り上げる。帝国に対して、借りを作らせる。

 

 同じチームのラキュースはラナーの親友という立場であり、今までの行動からラキュースはラナーの本性に気づいていないか、気づいていながら見ぬ振りをしている事が分かる。

 でなければ――自分の現在の地位を揺らがせてまであんな気色の悪い女を助けようとはしないだろう。

 ラキュースは友情から、ラナーの“願い事”を叶えようとアインズに頼むであろう。そしてこの程度ならば、警戒心の強いアインズも帝都に来るはずだ。例え来なくとも問題は無い。その時はこちらから正式に依頼してやればいい。その場合はラナーに対して明確な借りがジルクニフには作れる。

 

 そしてアインズ達が帝国に来た後は……ラナーが涙ながらにラキュースに訴えるのだ。クライムを殺した犯人を捕まえてほしい、と。

 勿論、通常ならばこの案件に渋るだろう。何せ冒険者組合を通さない非公式の依頼だ。普通の冒険者ならば絶対に受けたくない案件だろう。

 しかし、ジルクニフは知っている。蒼の薔薇は善意の境界が曖昧である事を。

 蒼の薔薇の情報を集めた際、法国の特殊部隊に対して亜人の村を守った事や、ラナーの非公式依頼で八本指に対して独自に動いていた事などが分かっている。

 蒼の薔薇は自分達の損得に対しての関心が薄い。良く言えば善人。悪く言えば騙されやすい。

 そんな彼女達が、無理矢理籠の鳥にさせられた不幸な少女の頼みを断れるだろうか。いや、断れまい。断れるようなら、彼女達はここまでやって来なかった。

 

 ――そうして、下地が完成する。後はジルクニフの仕事だ。

 クライムを殺した犯人が普通の通り魔でない事は、もとより分かっていた事だ。四騎士達も言っていたが、クライムは専業騎士程度の強さは十分持ち合わせており、四騎士と一対一でも戦いになるだろう、と。でなければあんなミスリルの鎧など着せられまい。

 その少年が死ぬ。嬲り殺される。それだけの実力差があった、という事で――それが単なる通り魔であるはずが無い。冒険者かワーカーか裏組織か――間違いなく、何らかの組織に所属している。

 そして組織に所属している時点で、アインズ達は一度立ち止まらなくてはならない。何故ならば、漆黒と蒼は非公式で動いているのだから。

 冒険者が組合を無視して依頼を受ける。それはアダマンタイト級冒険者チームであっても出来るだけ避けなければならない面倒事だ。

 つまり何らかの背後関係が見えた時点で、アインズ達はある選択肢に迫られる。

 

 ラナーからの非公式依頼を破棄するか、あるいは今の依頼を非公式ではなく正規の依頼に変えてしまうか。

 

 依頼破棄は選ばないだろう。それが選べるならばラキュースはラナーのもとへ来ない。そうなるともう片方の選択肢を取らざるを得なくなる。そして非公式依頼を正規の依頼に変える手段をアインズは持っていた。フールーダとのコネクションを。

 

 ――アインズ・ウール・ゴウンは理性的だが、危険人物である。王国はそう思わなかったようだが、ドラゴンと一対一で戦える事といい、デス・ナイトを抑えられる身体能力といい、決して放置していい案件ではない。放置するのは国にとって損失であり、別の国家に取られればそれは手痛い失態となる。

 

 故に、ジルクニフはどうしてもアインズや、かつてガゼフと互角に戦ったというブレインが欲しかった。復活魔法を使えるラキュース達蒼の薔薇だって欲を言えば欲しい。

 

 だからこそ、まずは一歩。こちらが優位な状態で繋がりを作りたい。クライムの死という偶然を利用して、ジルクニフはラナーに暗黙の貸しを作り、アインズ達はジルクニフに明確な借りを作る。

 

「それで、じい。その手紙はつまりアインズ・ウール・ゴウンからということだな?」

 

 ジルクニフが問うと、フールーダは頷いた。

 

「はい。……とは言っても、手紙の形を取っておりますが、これは私からの書類と思っていただければ」

 

 フールーダが渡した手紙を受け取り、中を広げるとその筆跡はよく知るフールーダのものだった。見知らぬ筆跡ではない。

 

(……自分の筆跡で送らなかったか。じいは気にしなかったんだろうが……証拠を一つ押収し損ねたな)

 

 アインズからの直筆なら完璧であったのだが、アインズはフールーダに手紙を書かせて自分の筆跡を掴ませなかったようだ。その警戒心に内心でジルクニフは舌を巻く。

 ……まさかジルクニフも、単語ならばともかく複雑な文章となるとアインズが書けないためフールーダに気軽に書かせたとは思うまい。

 

「――――」

 

 ジルクニフは手紙を黙々と読む。そして――その手紙をぐしゃりと潰した。

 

「…………は?」

 

 呆然と、ジルクニフはフールーダを見上げる。

 

「なあ、じい。ここに書かれていることは本当なのか?」

 

「はい。明確な証拠こそありませんが、彼らがその墓地に夜な夜な出入りしているのを目撃したとか……」

 

「は……はは……」

 

 ジルクニフは思わず笑みが口から零れる。そこにはラナーから非公式で依頼を受けた事や、その依頼のために少々調べ物をしていた事が書かれていた。

 それはいい。十分、ジルクニフの予測の範囲内だ。

 問題は――墓地で生贄の儀式やら何やら怪しい事をしている集団の中に、公爵家の当主や魔法学院の現学院長がいる事である。しかも、その教団がズーラーノーンに関わりのある邪教教団である可能性もある中に。

 まぎれもなく、帝国にとって由々しきスキャンダルであった。

 

 ジルクニフは混乱した事が無い。慌てた事が無い。どんな貴族を粛清する時も、帝国を揺るがすような反乱の計画を聞いた時も、隣国との関係が悪化した時もジルクニフは決して慌てず、混乱もしなかった。薄く笑みを浮かべて、冷静に対処してのけた。

 王国との戦後に数多の王族と貴族達に処刑を言い渡す時も、ジルクニフは心の中では冷静に対処していたのだ。

 

 だが、ここ最近のジルクニフはストレスが溜まっていた。希望に満ちた覇道からの急降下。絶頂との落差。圧倒的強者であった法国によるストレス。

 そうした心の中で鬱屈とした精神的負荷が、アインズとの有利なコネクションを得る事で一部解放されるかと思いきや――そこからの転落。アインズに貸しを作るどころか、むしろこれが本当なら帝国の方が貸しを作ってしまう現状。

 

 そしてそこに現れた、都合のいいストレスの発散相手。

 

「…………」

 

 はっきり言おう。ジルクニフの内心は怒り狂っていると言っていい。

 ジルクニフの異名は鮮血帝。数多の貴族を処刑した事によりついた、他国さえ畏怖させる通り名である。

 当然、その名がついたのは伊達ではない。帝国貴族達は逆らう貴族達を皆殺しにして専制君主制に移行させたジルクニフを恐れ、その異名をつけた。他国にも当然、その所業は知れ渡り――そして王国でもそれを行ったのは記憶に新しい。まだ一年も経っていない。

 

 その状態で、まだ熱も冷めない内に、ジルクニフの膝元でこのような所業に身を染める。

 

 ――ジルクニフの優秀な頭脳は、生贄の儀式を行う邪教教団に名のある貴族達が参加している、という時点である可能性に気がついていた。

 レエブン侯にあのような統治をさせた男である。当然、八本指がそこで暮らせずに王国から出て行く可能性は考えていた。その場合、高確率で帝国に来るだろう事も。

 それをゆっくりと、時に苛烈に追い詰めて滅ぼしてやろうと思っていたが――。

 ほんの些細な情報で、ジルクニフの優秀な頭脳はこの邪教教団が王国から出てきた八本指と繋がりがある事を見抜いてしまった。

 何せ、名のある貴族が参加しているのだ。八本指としても放置するわけにはいかず、接触を図るだろう。そしてまだ戦後の熱も冷めぬ内に――このような活動を行っている。

 

(ああ……つまり、俺を舐めているんだなお前達は)

 

 そう、彼らはジルクニフを舐めているのだ。この鮮血帝を。ジルクニフがそこまで動けないと高を括っている。

 なんと許されぬ勘違いか。驕った思考か。そのような相手には、如何なる類の手加減も出来まい。

 

「じい!」

 

「はい、陛下」

 

 フールーダとも長い付き合いだ。怒り狂っているジルクニフの内心に気づいているのだろう。フールーダは丁寧に頭を下げる。

 

「“重爆”を呼べ!」

 

 

 

 

 

 

 太陽は既に地平線に沈み、月は雲に隠れて僅かな明かりさえない深夜――その墓地を、音も無く歩いている者達がいた。アインズ達である。

 

「――――」

 

 金属鎧を装備していながら音も無いのは、魔法やマジックアイテムを使用しているためだ。その装備品で物音を一切立てずに行動するのは不可能に思えるが、それはあくまで常識の範疇の考えである。冒険者達はあらゆるマジックアイテムや〈静寂(サイレンス)〉などの魔法を使って自らの存在を隠し通す事が出来る。

 

 そうして、作戦決行日に墓地の周囲で待ち伏せを行っていたのだが――。

 

「――――」

 

 予定にいない人物達がいるのを見て、アインズは内心で舌打ちする。そしてその内の一人の正体をアインズは見破っていた。自分の特殊技能(スキル)の一つ、“不死の祝福”に反応があるからである。

 

(アンデッドか……)

 

 黒いローブを着込んだ何者か。見た目だけならばエルダーリッチに見えるが……さすがにどの種族かまではアインズには分からない。

 

「…………」

 

 アインズ達が見ているとは知らず、彼らは霊廟へと進んでいく。やがて物音がしなくなり――アインズ達は互いの顔を見る。

 予定外の人物達がいるが、このまま作戦を続行するか否か――全員がアインズの顔を見る。アインズはこくりと頷いた。

 

 変更は無い。むしろ好都合と思うべきだ。このまま、作戦を決行する。

 

 アインズの頷きの意味を受け取り、六名は頷いた。

 

「…………」

 

 まずティアとティナが動き、霊廟に進む。特殊技術(スキル)などで罠の有無を確認し、二人は待機しているアインズ達に手話で合図を出した。その合図で、アインズ達も先に進む。そして同時、魔法で消していた音が戻ってきて、周囲に金属音が響く。マジックアイテムで音を消していたアインズも、マジックアイテムの効果を切った。

 

「さて――始めるぞ。キツネ狩りだ。派手に音を鳴らすとしよう」

 

 

 

 霊廟の奥にある一室で、クレマンティーヌは欠伸をしながら彼らの話を壁にもたれて聞いていた。

 

「――では、今回の商品を受け取らせていただきます」

 

「――ん。ちゃんと代金を払ってくれるなら大丈夫よ」

 

 向かい合って話しているのはどちらも男だ。クレマンティーヌの前にいるのは神官の格好をした男であり、丁寧な口調で喋っている。その男の向かい側にいるのも男だが、こちらは男にしてはなよなよとした女のような口調だ。

 そしてその取引先の男が連れているのは、黒いローブを着込んだ二人の男。片方はアンデッドであり、もう片方は青白い肌をしているが生身の人間である。

 

(確か、デイバーノックって言ったっけなー)

 

 クレマンティーヌはアンデッドの方を見る。何とかしてこちら側に付きたい、という心が見え隠れしている顔だ。アンデッドがそのような表情をしているとは、よほどこちら側が気になるのだろう。

 ……クレマンティーヌの所属している組織ズーラーノーンは、アンデッドを盟主と仰ぐ魔術結社である。クレマンティーヌ自身は魔法詠唱者(マジック・キャスター)ではないが、それでも幹部の一人であった。隣にいるミイラのような同僚の男も。

 だからこそ、なのだろう。あのエルダーリッチがズーラーノーンに入社したい、と思っているのがよく分かる。デイバーノックの同僚であるもう一人の男――サキュロントが奴隷商人のコッコドールの護衛として一緒にいるのは、ある意味でデイバーノックの監視の意味も兼ねているのかも知れない。

 

 この自分達の取引相手は八本指。幾らかのこの邪神教団の運営費と生贄の調達を担うという事で、クレマンティーヌ達は彼らが帝都で仕事がスムーズに出来るようにある程度話を通してやった。

 

 ……邪神教団はズーラーノーンの下部組織であり、法国でのみ崇拝されているとある神をイメージしそれを邪神として崇拝している。法国がそのような事実を知れば泡を吹いて発狂するだろうが、彼らの手はこの邪神教団の深いところまでは伸びていなかった。

 定期的に行われる生贄の儀式はこの教団に入団している帝国貴族達に殺人を行わせ、弱みを握らせるためだけのもの。しかし邪神の存在を信じきり、不老不死を夢見ている彼らにとっては殺人行為など手を止める言い訳にならないのだろう。

 

 そして今日も、八本指の人間が持ち込んだ生贄を神官が受け取っている。クレマンティーヌにはどうでもいい事だ。欠伸をまた一つして、彼らの話が終わるのを待っていると――

 

「――――」

 

「ん? どしたの?」

 

 隣の同僚が、顔を上げた。すんすんと鼻を鳴らし、何かを探っている。クレマンティーヌはそんな同僚を横目に耳を澄ませて――

 

「へえ……?」

 

 にんまりと口角を上げた。どうやら、この霊廟の隠し部屋を見つけた連中がいるらしい。

 

「ねえ」

 

「? どうしましたか?」

 

 口を開いたクレマンティーヌを振り返り、神官が首を傾げる。八本指の連中も首を傾げているが、クレマンティーヌ達同様、護衛の二人も気づいたらしい。この、金属の擦り合う僅かな音に。

 

「侵入者みたい。どうする?」

 

「――――」

 

 その言葉に、神官とコッコドールが真顔になる。

 

「ここって、抜け道とか無いのかしら?」

 

「申し訳ありませんが、用意していませんね」

 

 嘘だ。自分達用の脱出経路ぐらい、当たり前だが確保してある。当然、向こうも嘘だと分かりきっているだろう。コッコドールは顔色を変えたが、すぐに溜息を吐いて思考を切り替えたらしい。

 

「しょうがないわ。サキュロント、それにデイバーノック。外の連中を片付けてちょうだい」

 

「集まっている貴族連中はどうする気だ?」

 

「その辺りはそこの神官サマがどうにかするでしょ。っていうか、そこまでは私だって面倒見れないわ」

 

「ええ、了解しました」

 

 それでいいわね、と神官を見るコッコドールに、神官は頷いた。彼らは部屋の外に出ていく。残ったのはズーラーノーン関係者のみ。

 

「……それで、どうしましょうかクレマンティーヌ様」

 

 神官は上位者であるクレマンティーヌに困ったように訊ねるが、クレマンティーヌは欠伸を一つして適当に返した。

 

「んー……足音とか考えても、たぶん大人数ってわけじゃないと思う。まあ、念を入れて逃げとく? 帝国の騎士だったら面倒だし」

 

 もっとも、例え四騎士であろうとクレマンティーヌには勝てない。クレマンティーヌならば、平然と殺してさっさとその場から離脱するだろう。

 ただ、帝国の専業騎士達は王国の兵士達とは違い仕事に真面目だ。巡回している騎士達が戻らなくなれば、すぐに異変に気づくだろう。そうなると面倒になる。

 

「では、彼らが囮になっている内にこの場を離れましょう」

 

 三人は脱出経路へと向かう。霊廟の外に出るために。

 

 

 

(はてさて――少しばかり困ったことになったな)

 

 隣を歩く同僚を横目に見ながら、サキュロントは内心で溜息を吐いた。背後にはコッコドールが歩いている。

 

 サキュロントがこの場にいるのは、当然コッコドールの護衛である。そして同時に、同じコッコドールの護衛であるデイバーノックの監視役でもあった。

 デイバーノックは六腕の中でも特殊な立ち位置であり、自分達とは毛色が違う。種族がアンデッドだから――というのも勿論あるが、金銭を求めて六腕にいるわけではないのだ。彼はただ、魔法をより使いこなす――魔法の力をより深く知るために六腕の纏め役であるゼロに雇われているようなものなのである。

 だからデイバーノックは、八本指よりも自分の目的に沿った組織があればそちらに付くだろう。

 現に、デイバーノックはズーラーノーンを知ってそちらに移動しようとしている素振りがある。しかし、今はデイバーノックに抜けられるわけにはいかないため、こうして監視する羽目になったのだ。まだ八本指が帝国で確たる地位を確立していない以上、今情報を持って組織を抜けられると困るのだ。

 

 そして今、絶好の機会が巡っている。ここで侵入者を殺し、サキュロントを殺し、コッコドールを殺せば、彼は悠々とズーラーノーンに鞍替えするであろう。

 

(ゼロが来れればよかったんだけどなぁ……コッコドールめ。金を出し渋りやがって)

 

 一応警備は金で雇われる、という形を取っている以上ゼロを雇う分の代金を支払わなければ、ゼロが護衛になる事はない。まだ帝国に来たばかり――この邪神教団と深い関係を築けていない時はコッコドールも怯えてゼロを雇っていたものだが、今は慣れてしまったのかそういう事が無い。結果、六腕の中でも比較的安い値段であるサキュロントを雇っている。デイバーノックは雇ったのではなく、勝手について来ているだけだ。

 

「さて。コッコドールさんは俺らから離れないでくださいね」

 

「ええ、勿論」

 

 扉を開ける。この先は生贄の儀式に使っている祭壇の部屋だ。階段に通じている部屋でもある。異様に静かだった。

 中に踏み込むとそこに――漆黒の戦士がいた。

 

「――ああ、待っていたぞ」

 

 漆黒の戦士は二トンはあろうかという石製の椅子に足を組んで座っている。もはや貴族達はおらず、しかし真新しい血の臭いもしないため、わざと逃がされたのだろうと推測された。

 つまり、地上では仲間が待っている。

 

「……とりあえず、どちら様か聞いても?」

 

 サキュロントは口を開き、漆黒の戦士に訊ねる。漆黒の戦士は地面に突き刺した二本のグレートソードの片方の鍔に手を置き、椅子から立ち上がる。その拍子に胸元できらりと光るプレートが見えた。

 

「――――」

 

 サキュロントは息を呑む。いや、サキュロントだけではなく、背後でコッコドールも息を呑んだ音が聞こえた。

 アダマンタイト――あの金属の輝きの色は間違いなく、冒険者最高位の人間のみが身に着ける事を許された超希少金属のプレートである。

 

(帝国のアダマンタイト級冒険者か!? いや、あの格好――確かエ・ランテルで新しくアダマンタイト級冒険者になったっていう漆黒の一人か!)

 

 そうなると、上で待っている相方は当然あのガゼフと互角の強さを誇っている事が予測されるブレインだろう。そのブレインが組むに値すると評価したこの漆黒の戦士も、当然生半可な腕であるはずがない。

 つまり、サキュロントにとっては厳しい相手である。

 

「通りすがりの冒険者だ。ここで口にするのも憚られる儀式を夜な夜な行っていると耳にしてね――少しお邪魔させてもらった。貴族達は上で全員お縄についている頃だろう」

 

「…………」

 

 おそらく、服を着る暇すら与えず上に追い払われたに違いない。教団の者達はこの集会の際に全裸になるのが当たり前であった。一糸纏わぬ姿で地上に出る――そうなると、あまりに怪しい集団だ。ブレインは一人なので何人か取り逃がしたとしても、騒ぎを聞きつけて騎士達がやって来るかもしれない。

 そうなると……一刻も早くこの場から離れないとまずい。

 

「……デイバーノック。協力して殺すぞ、異論は無いな?」

 

「ああ。アダマンタイト級ならば是非もない」

 

 どうして帝都に漆黒がいるのかは気になるが、しかしそれは後で探るとしよう。二人はコッコドールを背後に庇いながら、互いに戦闘態勢に移る。

 漆黒の戦士は――先程まで座っていた石製の椅子に手を置いた。

 

「〈火球(ファイヤーボール)〉」

 

 まず、先手必勝とばかりにデイバーノックが魔法を放った。同時に、サキュロントは幻惑の魔法を唱え幻の自分の虚像を幾つも作る。燃え盛る炎の塊が漆黒の戦士に向かい――着弾。

 しかし――

 

「え――」

 

 着弾するかと思われた火の玉は、漆黒の戦士に触れるか触れないかという距離で消滅する。その有り得ない光景を前に魔法を放ったデイバーノックも、虚像で本体を隠したサキュロントも、二人の背後で一連の流れを見ていたコッコドールも驚愕に動きを止めた。

 そしてその間隙を縫うように――漆黒の戦士が片手を持ち上げた。

 軽々と、その片手に二トンもある石製の椅子を持って。

 

「あ」

 

 投擲――漆黒の戦士は石製の椅子……玉座を投げた。それは剛速球を投げたようなもので、玉座は真っ直ぐにデイバーノックへと向かっていった。

 壁とデイバーノックと玉座が激突する。大地が揺れるような激しい激突音が響き、衝撃で玉座が砕け散った。砕けた石の破片が周囲に飛び散る。……いや、石だけではない。明らかに骨の破片も飛び散っている。しかし、骨の破片は灰になったように消滅し残らない。

 後には、罅の入った壁と元は玉座だった石の破片。そしてデイバーノックが装備していた装備品だけが残った。

 

「脆いな」

 

「な、は――え――?」

 

 漆黒の戦士がポツリと呟き、サキュロントは唖然とした顔で漆黒の戦士と石の破片を交互に見つめる。コッコドールは完全に腰を抜かしへたり込んでいた。

 致命的な隙を晒しているにも拘らず、漆黒の戦士はサキュロントに襲いかからずただ視線を向けた。視線を向けられたサキュロントは顔色を真っ青にする。

 

(き、気づいてやがる――!)

 

 何かマジックアイテムでも使ったのか持っているのか。漆黒の戦士は虚像には目もくれず、本体のサキュロントを見ていた。それに気づいたサキュロントは抵抗しようと剣を向けて――しかし、この漆黒の戦士にどうやって勝てばいいのか考えて途方に暮れた。

 

 何せ、身体能力だけ見ても自分どころか六腕の中で最強のゼロの上をいくのだ。ゼロでさえ、あんなに無造作に軽々と二トンの石製の玉座を持ち上げる事は出来ない。それを軽々と成した時点で、漆黒の戦士はゼロ以上の身体能力の持ち主だ。必然、強さはゼロと同等かそれ以上という事になる。

 ましてや、サキュロントは幻覚の魔法で相手を幻惑しなければ同程度の強さの持ち主に劣る。アダマンタイト級の前衛戦士――しかも幻術が通用しない相手になど勝てるはずが無い。

 

「…………」

 

 動きの止まったサキュロントを静かに漆黒の戦士は見つめている。もはや何をしても防がれる気しかしない。コッコドールは怯えた瞳でサキュロントを見上げるが――サキュロントにはどうしようもなかった。相手が悪過ぎる。

 

(こ、交渉するか!? どうにかして、この場を切り抜けるしか――幸い、デイバーノックが死んだから六腕に空きが出来た。六腕に誘って……)

 

 そうして悩んでいると、コツコツと足音が耳に届く。それは地上へ続く階段の方から聞こえた。誰かが、階段から降りてくる。

 

「ああ――」

 

 階段からゆっくり降りてきたのは、一人の女騎士だった。女騎士は黒色の重装備で身を包み、槍を片手に持っている。顔の右半分は金色の布で覆われて――いや、違う。あれは金色の布で顔の右半分を隠しているのではない。

 髪の毛――自分の髪の毛で、顔の右半分を隠しているだけなのだ。何故髪の毛が金色に濡れているのか――その理由を、サキュロントは知っている。

 

「げえ!」

 

「――こんな墓地に、まさか指名手配犯がいるなんて。なんという偶然でしょう」

 

 四騎士の一人――“重爆”のレイナース・ロックブルズであった。

 

「……あら? そちらの漆黒の戦士は、もしやアダマンタイト級冒険者漆黒と蒼のアインズ・ウール・ゴウン殿では?」

 

「これはこれは……帝国騎士が、何故ここに?」

 

「それは勿論、単なる巡回警備ですわ。そう、偶然(・・)――私の率いる部隊がこの墓地を通りがかったところ、一糸纏わぬ顔を隠した男女達がこの霊廟から出てきたのを目撃し、全員軽犯罪で捕らえたのです。貴方は何故こちらへ?」

 

「私ですか? 偶然(・・)この墓地の周囲をチームで散歩していたところ、何やら霊廟の奥に集まっているのを見て気になったのでこうして乗り込んだ次第――いやあ、偶然(・・)というのはあるものですね」

 

「そうですわね。偶然(・・)というのはあるものですわ」

 

「――――」

 

 白々しい二人の会話に、サキュロントは悟る。

 

(こ、こいつらグルか――!)

 

 おそらく、明確な証拠を掴んではいなかったのだろう。しかし、証拠が無いならば作ればいい。彼らは何らかの手段でこの集会の情報を掴んだ後、計画を立てたに違いない。

 まず、身軽な冒険者達が騒ぎを起こす。その騒ぎを聞きつけ、巡回していた騎士達が駆けつける。すると――なんとも不思議な事に、八本指などの指名手配犯がいた、という絡繰りだ。八本指が関わっていたなど、完全な現行犯。言い逃れは不可能である。

 王国ならば詰所に入れられても、コネで出所可能だ。

 しかし、帝国では不可能だ。自分達は余所者であり、ズーラーノーンとはそこまでの密接な関係を築けていない。帝国貴族達は見ないふりをするだろう。

 

 つまり、詰みである。

 

 コッコドールもそれが分かったのだろう。忌々しげに顔を歪め――舌打ちすると、「どこへでも連れていきなさいよ、もう!」と開き直っていた。

 

 サキュロントも武器をしまい、大人しくお縄につく事にする。どうせ、地上にはレイナースの部下達がいるのだ。逃げ切るのは無理だろう。

 

(……皇帝は役に立つならば身分は問わないと聞いたな。何とか、売り込んで兵士として雇ってもらうしか生き残る道は無いか)

 

 サキュロントはそう観念し、心の中で盛大な溜息を吐いた。

 

 

 

「では、ご協力感謝いたしますわ」

 

「いえ。こちらこそ」

 

 八本指の二人を連れて、帝国の女騎士の部下が階段を上がり地上へ戻っていく。身動きを取れないようにしているため、抵抗はされないだろう。

 アインズはそれを見送って、視線をあのアンデッドがいた場所――既に消滅しているが――へ戻した。

 

「……ただのエルダーリッチだったか」

 

 石製の玉座を投擲しただけで死ぬ時点で、アインズが警戒したような上位アンデッドでは無い。

 

(わざわざ特殊技術(スキル)で上位アンデッドとか作ってたんだけど、無駄になっちゃったなぁ)

 

 当然、得体の知れない相手にアインズがそのまま無策でいるなどありえない。アインズは待ち構えている際、しっかりと自分の護衛を作って不可視化させて待機させていた。誰も気づかなかったようだが、この祭壇の部屋にいるのである。

 アインズは不可視化させている上位アンデッド達を消し、部屋の奥を見る。アンデッドの気配はもう無い。……つまり、アインズが警戒する相手はいない。

 

(ズーラーノーンの連中は、やっぱり脱出用の隠し通路を通って逃げたか?)

 

 ブレインが教えてくれたのだが、大抵こういう組織は主人しか知らない逃げ道を持っているらしい。そのため、事前にティアとティナとイビルアイで隠し通路らしき痕跡を探しておいた。ここまで大人しいと八本指の連中を囮に、その通路を使って逃げたのだろう。

 

(……まあ、そっちはブレイン達が張っているんだけどさ)

 

 アインズは当然、しっかりと自分の安全策を取った。何より、このような状況になった時点でアインズが派手に表から暴れるというのは決めていた。アインズならばこの異世界の基準の位階魔法は通用しない。そのため、魔法詠唱者(マジック・キャスター)が戦力にならないので有利に動ける。

 何より、一人での行動の方がいざという時に本気を出しやすい。ブレイン達がいると人間のふりをする必要があるため、魔法を制限されるこの鎧を脱げないのだ。

 

(向こうもブレイン達でどうにか出来るレベルなのが一番いいんだけど……)

 

 八本指を囮にするだろう事は予測していたので、アインズが表で暴れ、内緒で逃亡しようとする本命はブレイン達が押さえる。表から逃げようとする貴族達は偶然通りかかった帝国の騎士達が押さえる。そういう段取りだったのだ。

 

「どうかしましたか?」

 

 先程のアインズの独り言が聞こえたのだろう。残っていた帝国の女騎士が首を傾げてアインズを見ている。

 

「いえ、何でもありません。とりあえず中を見て回りましょうか」

 

「そうですわね」

 

 二人は警戒しながら、扉を開けて部屋を見て回る。どこも誰もおらず、拍子抜けだ。やはり、予想通り隠し通路で逃げたのだろう。

 

「何もありませんわね」

 

「そうですね」

 

 女騎士の言葉に頷いた時、女騎士が懐からハンカチを取り出した。

 

「少し失礼しますわ」

 

 女騎士はそのハンカチを顔の右半分に持っていき、拭い出す。拭い終えた後、そのハンカチは黄色い液体でぐっしょりと濡れていた。

 

「……ふう。お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」

 

「いえ、見苦しいなどとんでもない。しかし……顔に怪我を負っているのですか?」

 

「……ええ」

 

 少しの沈黙の後に答えた女騎士に、アインズは冷や汗が出た気分だった。

 

(し、しまった! 女性に顔の傷を訊ねるのは駄目だったか! 茶釜さんに怒られる!)

 

 「そんなのだから、お兄ちゃんはいつまでも童貞なんだよ?」とギルドメンバーの一人であったぶくぶく茶釜が、卑猥なピンク色の粘液状の体を蠢かして心を抉ってくる姿を想像する。同時に、そのぶくぶく茶釜の弟であり友人のペロロンチーノが「姉ちゃんやめろォ!」と涙目で叫んでいる姿も想像した。

 

「き、気になるのでしたら、信仰系の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の方に傷を治してもらっては?」

 

 この異世界のポーションの類には、失った部位や年月の経った傷を治すほどの効果は見込めない。しかし魔法ならば話は別だ。そう思い、アドバイスしたのだが――

 

「……帝国には高位の魔法を使える魔法詠唱者(マジック・キャスター)はおりませんの」

 

「…………」

 

 藪蛇であった。そういえば、帝国にはラキュースのように第五位階魔法を使えるほどの魔法詠唱者(マジック・キャスター)はいないのだ。だから、ラナーはラキュースに手紙を送り復活魔法を使ってくれるよう頼んだのであった。

 

「…………」

 

 どんよりとした空気が漂い、アインズは更に焦る。こんな時にかぎって、感情の抑制は働かなかった。つまり、そこまで焦っていないという事なのだろう。それが口惜しい。むしろ早く感情を鎮静化させて冷静にしてほしい。

 しかしその沈黙も長くなかった。女騎士がぽつりと、口を開いたからだ。

 

「それに……通常の治癒魔法では治りませんの。モンスターからかけられた呪いで、第三、第四位階魔法程度では解呪出来ませんから」

 

「……ん?」

 

 アインズはそれを聞いて、少し興味を持つ。女騎士はポツポツと身の上を語った。モンスターを討伐する際に、死の間際にモンスターに呪いをかけられ、そして家を追い出されたのだと。

 

「……どうしてその話を私に?」

 

「別に。だって有名ですから、私のことは」

 

 調べれば分かる事だと、女騎士は言う。「そうですか」とアインズは頷き、そして女騎士の身の上を吟味して――結論付ける。

 

(なんか、身の上がカースドナイトの設定に似ているな)

 

 カースドナイトはユグドラシルに存在した上位職だ。呪われた神官戦士。前提条件を取得するのに最低でも六〇レベルのクラスの積み重ねがいる。しかし――

 

(この異世界、やっぱり意味が分からない……)

 

 おそらく、彼女もティアとティナと同じ前提条件を無視したクラス取得をしているに違いない。ユグドラシル出身者のアインズからしてみれば、羨ましいかぎりだ。いきなり上位職を習得出来るなら、上位職ばかりでクラス構成したいものである。

 

 そして、ある好奇心が頭を擡げた。この女騎士がカースドナイトを習得出来ているのは、おそらくそのモンスターに呪われたからに違いない。

 

 ――ならこの呪いを解呪した時、彼女のクラス構成はどうなってしまうのだろうか、と。

 

「…………」

 

 普通ならばその呪いを解呪出来ない。それはカースドナイトにつくフレーバーテキスト……設定だからだ。しかし今はゲームではなく現実。この呪いを解呪した時、彼女のレベルはどうなるのか。そのままカースドナイトのままなのか。あるいは死んでもいないのに、レベルが下がるのか――。

 

 知りたい。アインズはそれを、無性に知りたい。

 

「……どうかしましたか?」

 

 黙ったままいきなり懐から何か探し始めたアインズに、女騎士は警戒しながら首を傾げてアインズを見る。アインズは目的の物を探し出し――女騎士に差し出した。

 それは、巻物(スクロール)である。

 

「……これは?」

 

 巻物(スクロール)を目にした女騎士は、見える左目を見開きアインズを見る。アインズは口を開いた。

 

「これは第六位階魔法〈呪詛除去(リムーブ・カース)〉を込めた巻物(スクロール)です」

 

「――え?」

 

 女騎士は視線を巻物(スクロール)に向け、それを凝視する。

 

「魔法の効果は、呪いの除去――信仰系の魔法になります」

 

「呪いの、除去――第六位階……」

 

 女騎士は巻物(スクロール)に視線を吸い寄せられたまま、逸らさない。喘ぐように言葉を呟き、息を荒くして見ている。

 

「な……」

 

「はい?」

 

「な、何がお望みですか? もし私の顔を治療していただけるのなら……金銭ならば、幾らでも払います。それ以外であろうと、必ずお支払いすると約束します……! ですから――」

 

「これを、譲ってほしい――と」

 

「……!!」

 

 アインズの言葉に、女騎士は鬼気迫る形相で頷いた。もしアインズが渡さないと告げれば、殺してでも奪い取ると言いたげな表情と雰囲気である。

 

「ええ。ええ――勿論、お譲りしますとも。ただし、勿論ですが代価を払っていただきたい」

 

「なんでも――ええ! なんでも払いましょう……この呪いが解けるのなら!」

 

 アインズは内心でニヤリと笑い、必死な女騎士に静かに告げた。

 

「私は信仰系魔法が使えませんので、そうですね――明後日の昼、フールーダのもとで落ち合いましょう。彼に、この巻物(スクロール)を使ってもらい、効果を見てから――その呪いが、無事解呪出来た時にでも、代価を払っていただきたい」

 

「……!!」

 

 こくこくと頷く女騎士に、アインズは静かに笑みを含ませた。

 

「では、このことは誰にも内緒でお願いしたい。出来ますね?」

 

 女騎士は悩む素振りもなく頷く。何が代価になるかを語らずとも頷く辺り、彼女は本当にあらゆる物が代価だろうと払うつもりに違いない。そしておそらく、女騎士はアインズとフールーダが皇帝にも内緒で何らかの繋がりを持っている事に気がついているだろうが、彼女にそれは関係ないのだろう。

 この女騎士はこの場にいる事から、間違いなく皇帝に近い位置にいる騎士だ。しかし、彼女にとって皇帝に内緒にするという行為は何ら咎める行為でもない。

 

(はは……フールーダも彼女も、忠誠心薄いな)

 

 ガゼフを思い出すと、その忠誠心の薄さに思わず薄笑いしそうになるが、寸前で止める。アインズには関係の無い話だ。

 

「では、また後日――」

 

「え、ええ。また後日――」

 

 女騎士は名残惜しそうにアインズが再び懐にしまった巻物(スクロール)を見ていたが、すぐに意識を切り替えたようで再び前を見据えて周辺を探索した。アインズよりも若干前に出て歩いているのは、おそらくアインズを守る意味を含めている。……彼女の様子なら口を滑らす事は無いと思うが、念のため後で魔法で確認した方がいいかもしれない。大人しく後ろを歩きながら、アインズはそう結論する。

 

 そして、幾つもの扉を開けていき――その内の一つで、女騎士とアインズは止まった。皮袋が一つ転がっている。皮袋は膨らんでおり、中に何か入っている事は明白であった。

 

「……失礼しますわ」

 

 ゆっくりと、女騎士が近寄る。アインズも警戒し、扉の入り口に立つ。女騎士が槍で皮袋をつつき、何の反応も無いのを見て――ゆっくりと刃先で皮袋を裂いて中身を出した。

 皮袋から中身が転がり出てくる。その出てきたモノを見て――さすがにアインズも驚いた。女騎士も目を見開いて凝視している。

 

「……こども?」

 

 皮袋から出てきたのは、子供だった。まだ幼い顔立ちの少女で、瞳を閉じて動かない。地面にごろりと転がったまま、沈黙している。

 

「……この教団の儀式用の生贄か?」

 

「そう、ですわね。その可能性が高いと思いますわ」

 

 アインズの言葉に女騎士が頷く。女騎士はしゃがみこんで少女の頬を軽く叩くが、少女が目を覚ます様子は無い。

 

「……これは、貴族の子供ですわね」

 

「何故分かるんです?」

 

「爪が綺麗に整っていますし、手も柔らかくて農作業をしているようには見えません。着ている衣服も平民にしては――その、少し高価ですわ。まあ、単純に高価な服を着せて用意しただけかもしれませんけれど」

 

「なるほど」

 

 女騎士の言葉に、アインズも納得し少女を見る。――その少女の顔を見ていると、何だか記憶が刺激されるような気がした。どこかで見た事がある気がしたのだ。

 

「…………」

 

 しかし、どうにも思い出せない。思い出せないのなら、まあどうでもいい事なのだろうと、アインズはそれ以上記憶を呼び起こす行為を止めた。

 

「では、この少女は証拠品の一つとして、証人として押収しますわ」

 

 女騎士は片手で少女を抱き上げる。そして、周囲を見渡し――

 

「これ以上は、もう何もありませんわね」

 

「そうですね。私もそう思います。地上に出て、合流しますか」

 

「はい」

 

 アインズと女騎士は来た道を戻る。誰もいないのを確認したのだから、残った証拠品は他の帝国騎士達に任せた方がいいだろう。

 

(スティレット使いはいなかったか……という事は、やはりブレイン達の方かな?)

 

 最後まで見ても誰もいない。――これで隠し通路で逃げた事が確定した。

 

(いざという時は、スイッチ系アイテムでイビルアイと位置交換する手筈になっているし、何も起きないってことは逃げられたかブレイン達でもどうにかなったってことだな)

 

 ブレイン達六名だけでは手に負えない時、イビルアイとアイテムで交代する事になっている。イビルアイならば転移魔法ですぐに合流する事が出来るからだ。

 だが、それが無いという事は問題は無いという事なのだろう。アインズはそう納得する事にした。

 

 女騎士と共に地上へ出る。そこには女騎士の部下であろう帝国騎士達がおり、隠し部屋に降りた時に見た全裸の中年――いや、むしろ老人に近い――見苦しい姿をした男女が捕らえられていた。騎士達もその見苦しさが嫌だったのか、全員に白い布をかけて身体を隠している。

 

「――さて、ブレイン達の合流を待つか」

 

 女騎士が子供を抱えたまま部下達のもとへ歩く背中を見送りながら、アインズは静かに呟いた。

 

 

 

 

 




 
ジル君、八つ当たり先を見つけて大喜びなう。
 


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The Evil God Ⅲ

 
映画、県内どころか隣でもやってなくて見に行く暇ありません(憤怒)!!

■前回のあらすじ

アインズ「ほーれこれが欲しいかー(巻物ぴらぴら)」
レイナース「くやしい! でも(ry」
 


 

 

 ――そして、彼らが隠し通路を抜けた先にその六人は待っていた。

 

「――――陽動かよ」

 

 クレマンティーヌは舌打ちする。隠し通路の先に待ち構えていた六人は誰もが首にアダマンタイトのプレートをぶら下げている。つまりは冒険者――それも準英雄級と名高い連中だ。

 

「……クライムを殺したのは、やはり貴方ね」

 

 その中のリーダー格と思しき女が、クレマンティーヌの姿を見て眉を顰める。その瞳には怒りが宿っているが、クレマンティーヌにとっては意味不明の呟きだ。

 だが……理由は察せられる。

 

「あははー。この中に知り合いのプレートでもあったりしちゃったぁ?」

 

 クレマンティーヌの軽装鎧には、今まで殺してきた冒険者達の記念品のプレートが打ち込まれている。おそらく、その中に友人か恋人でもいるのだろう。嘲笑すれば、憤怒の形相に女の表情が変わる。いや、リーダー格の女だけではない。女かどうか疑問の筋肉達磨――その女の表情も憤怒の形相を作っている。その中で表情が変わらないのは四人。

 仮面をつけているため表情が分からない魔法詠唱者(マジック・キャスター)らしき存在。双子なのだろう同じ顔の無表情の忍者の女二人。そして……その中で場違いにも感じる唯一の()

 

(……こいつは、ちょっと毛色が違う)

 

 クレマンティーヌは内心で眉を顰める。この男だけは、他の面子とは温度差があった。何が、とは言わないがクレマンティーヌは長年の経験でそれを看破する。

 

「それにしても……蒼の薔薇がこんなところで何の用なのさー?」

 

 男は知らないが、他の女達は間違いなく元王国のアダマンタイト級冒険者チーム蒼の薔薇だ。噂によると、別のアダマンタイト級冒険者チーム――漆黒と合流したとか聞いたが。

 

(……ってことは、こいつが漆黒かな?)

 

 クレマンティーヌは男の姿を油断なく確認する。名前までは知らないが、確かあの元同僚であるカジットの起こしたエ・ランテルの事件を解決した男二人のチームだとか。その内の一人だろう。もう一人はどこにいったのか考え――霊廟に突入した方だと思い当たる。

 

(あっちが正解だったかー……残念)

 

 まあ、この連中は別に突破出来ないほどじゃない。三人で協力すれば、アダマンタイト級の冒険者チームと言えど逃亡する事は可能だろう。クレマンティーヌがかつて所属していた法国の特殊部隊――風花聖典の情報では、王国でまともにクレマンティーヌと戦える戦士は五人――その内の一人は引退し、二人は既に死亡している(・・・・・・・・)。残ったのはこの目の前にいる蒼の薔薇のガガーランと、もう一人は行方不明だ。

 そして、クレマンティーヌには自信がある。自分に勝てる戦士など、法国にしか存在しない(・・・・・・・・・・)、と。あの神人――先祖還りの二人のみだ、と。

 

「…………」

 

 ――ただ、さすがに。その自分とまともに勝負出来る戦士の最後の一人がこの場にいるとなると、クレマンティーヌでも厳しいものがあるが。

 

 男は腰に帯びている刀に手をかけながら、クレマンティーヌから見ても隙が無い。……もはやその時点で、この男が何者であるか明白だ。

 おそらくクレマンティーヌとまともに戦士として戦う事が出来る最後の一人――ブレイン・アングラウスだろう。

 

(人数差で厳しいものがあるか……後ろの奴がどこまで出来るか、だねー)

 

 クレマンティーヌは部下の神官を思う。こいつがクレマンティーヌが前衛を一人始末するまで、どこまで耐えられるかが勝負の分かれ目になるだろう。

 だが――

 

「なあ、アンタ」

 

 男が、口を開いた。クレマンティーヌを見て。そんな男にクレマンティーヌではなく、仲間であるはずの蒼の薔薇こそが驚く。

 

「ブレイン?」

 

 男――やはり彼のブレイン・アングラウスであったらしい――が、仲間を無視してクレマンティーヌのみを見て告げる。

 

「どうだ? 俺と、一対一(タイマン)で戦ってみないか?」

 

「――はあ?」

 

「ブ、ブレイン!?」

 

 さしものクレマンティーヌもその言葉には驚くしかない。しかしブレインは気にする様子がなかった。

 

「俺は昔から、強い戦士には目が無くてな。こういうのを見ると、どうしても戦いたいと願ってやまない。――性分、なんだろうな。ガゼフに勝つために、いつだって、常に強い相手と戦い勝利してきた」

 

 だからきっと、これからもそうし続ける。ブレインはそう告げた。

 

「んー……」

 

 クレマンティーヌは悩む素振りを見せながら、内心でニヤリと笑う。願ってもいない提案だ。

 彼女達は自分達の関係をどう思っているのか知らないが、はっきり言って自分達の仲間意識は薄い。せいぜい、神官に教主に対する忠誠心があるくらいで、自分は勿論同僚もおそらく、死ぬぐらいなら見切りをつけるタイプだ。

 ブレインの提案はクレマンティーヌにとっては天啓に等しい。何故なら、労せずしてこの場から逃げられるのだから。クレマンティーヌにとってはブレインを殺してこの場から離れる方が、チーム戦をするより逃亡出来る確率が高い。

 

「いーよいーよ、おっけー。じゃあアッチで殺し合おっかー」

 

 クレマンティーヌがそう告げると、ブレインは嬉しそうに顔を歪めた。二人が歩き出すと、蒼の薔薇のリーダー格と思しき女が不安そうな顔でブレインの背中に声をかけた。

 

「ブレイン……」

 

「そっちは任せたぞ」

 

 人数差のせいか、蒼の薔薇の勝利を欠片も疑っていないらしい。それもそうだ。同僚と神官が生き残れる確率は低い。クレマンティーヌがどれほど早くブレインとの決着をつけられるか、その速度に全てはかかっている。でなければジリ貧で二人は捕らえられるだろう。――もっとも、クレマンティーヌにはもう関係のない話だが。

 助ける義理などない。それが分かっている同僚は少し恨みがましい目でクレマンティーヌを見つめ、鼻を鳴らすがすぐに自分の事に集中し始めた。神官もこっそりアンデッド召喚の詠唱を始めようとしている。

 

「……万が一があったら、必ず蘇生させますから」

 

「必要ない」

 

「え?」

 

 女の言葉を、ブレインは否定する。その言葉に、この場の全員――クレマンティーヌさえ驚いた。

 

「俺に復活魔法は必要ない。人生は一度きりだからこそ、輝いていると俺は思っている。だから悪いな、万が一があったらアインズに謝っといてくれ」

 

「――――」

 

 呆然とする彼女達を放って、クレマンティーヌとブレインはその場を離れる。歩きながらクレマンティーヌは鼻で笑った。

 

「いやーん、かっこいいー。人生は一度きり、だなんてすっごく素敵な一言じゃん。神官やアンデッドには耳が痛いんじゃないかなー」

 

「ハッ――心にも無いことをよく吠える……」

 

 ブレインの言葉に、クレマンティーヌはケラケラと笑った。その通りだ。人生は一度きりだからこそ輝く――そんな言葉は負け犬(・・・)の戯言だろう。

 ああ――つまり、お前は現実に耐えきれなかっただけの、単なる負け犬だろうとクレマンティーヌは笑った。

 だってそうだろう。辛くても、苦しくても、生きてさえいれば幸せになるチャンスは必ずあるのだ。死ねばそんなチャンスはゼロでしかない。それが現実に耐えられなかった負け犬以外の何なのか。()逃避(・・)以外の何だと言う。

 

 ――勿論、この思考はクレマンティーヌの人格と、法国の教育あってのものである。

 

 法国では、復活魔法を使える者が複数存在する。そんな国の暗部(・・)にどっぷり浸かっていた者の一人こそクレマンティーヌだ。クレマンティーヌにとって、『死』は本当に身近なもので、そしてそこまで重いモノではなかったのである。死んだらそこで終わり――という一般的教育を、思想を受けてないのだ。生まれた時から法国の深部に浸かる事が確定していた彼女達――神人の血統にとって、『死』とは現象の一つである。

 ……クレマンティーヌとて、自分の思想が特異なものであるという自覚はある。しかし、彼女の邪悪な人格が、その認識を軽視させる。

 特別(・・)なのは気分がいい(・・・・・)他人を見下せる(・・・・・・・)のは最高だ(・・・)。だからお前達の思想は負け犬(・・・)である。

 

 そんな邪悪な考えが、吐き気を催す歪さが、彼女の表情から透けて見える。

 

「さて、そんじゃいきますよー」

 

 ある程度離れた場所で止まり、二人は向き合う。そして互いに名乗る事もせずにクレマンティーヌは自らの武装であるスティレットを片手だけ(・・・・)抜き、ブレインは刀の柄に手をかけた。

 そう、名乗りは上げない。表情さえ互いに激変している。クレマンティーヌもブレインも、どちらも油断なく互いの挙動を見据えて動かない。隙を見せる要素は一切省く。

 どちらも分かっているのだ。相手は対人特化――人間をこそ最も殺すのに適したヒトガタの獣であると。しかもその性根は真っ当ではない。生きるために何でもやる生き汚さがある。実力さえ互いに伯仲している事に気がついているから、名乗りを上げる事は隙を作る事に等しいと本能で理解していた。

 

 故に、互いに名乗り上げる事はなく――。

 あらゆる機能を、殺人行為にのみ用いる。

 

「――――」

 

 両者は共に種類は違えど武器を構えて無言。『行く』と言いながらも前進せず。油断なく相手を見据えるのみ。

 ――当然である。共に対人特化の前衛戦士、それも技量系。戦闘スタイルの似通った両者だから、相手が何を狙っているかも分かるし――何より、達人同士の決闘とは間合いの競い合いにして呼吸の読み合い。身体能力に圧倒的差が無いかぎり、何よりも呼吸の読み合いにこそ比重が置かれる。生半可な攻撃や武技の発動なぞ、即座にそれに合わせた返し技(カウンター)が叩き込まれるのがオチだろう。

 派手な武技の応酬・アクションはゲームやアニメ、漫画や小説だけの特権である。現実の技量系近接戦士の決闘とは、かくも地味なものなのだ。

 

 故に、互いに全神経を相手に集中させ――相手の一挙手一投足を見逃さぬよう見つめ続ける。

 

「――――」

 

 クレマンティーヌから見たブレインは刀使い。それも居合切りを得意とするのは間違いないだろう。武器の長さ・鞘の有無より考えて、おそらくは剣速は間違いなくブレインが上。間合いの違いから、間違いなくクレマンティーヌのスティレットが相手に届く前に、ブレインの刀が鞘奔り始める。

 クレマンティーヌがしなくてはならないのは、そのブレインの居合切りのタイミングを外す事。自らが軽装である事を鑑みて、武技を使用しないかぎりどこを斬られてもそのまま切断されるだろう。よって、剣先が最高速に到達する前に接近するか、あるいは振り抜かれて無防備になった後に自分の間合いに踏み込む必要がある。

 スティレットに込められた奥の手は不要。そのためのスイッチを入れる動作が余分であり、ブレインに致命的な隙を晒してしまう。

 

 隙を窺う。相手の挙動を見逃さないよう――。

 

「――――っ」

 

 ブレインの重心が僅かに傾く。それに合わせて動きそうになる体を全身全霊で押さえつけ、踏み込もうとする足を押し留める。

 ブレインは――そのままクレマンティーヌまで踏み込まない。やはり誘い(ブラフ)――クレマンティーヌに先手をわざと打たせ、そのまま返し技(カウンター)で切り捨てるつもりであったか、あるいは先手を譲り逆に返し技(カウンター)を打ち込もうとするクレマンティーヌの出鼻を挫く意図があったのだろう。

 

(だが――耐えきった……!!)

 

 誘い技(フェイント)を完全に見切り、呼吸を乱さなかった。むしろ見切られたブレインの方が逆に呼吸を乱された事だろう。この隙を逃さず、ブレインが心身を立て直す前に勝負を仕掛ける。

 

「――――」

 

 クレマンティーヌは片手に持つスティレットの切っ先を、ゆるりと動かし――その誘い技(フェイント)に反応しないブレインを見ても動きを止めず――ブレインの眉間に合わせるように尖端を突きつける。

 

「――――ッ」

 

 ブレインの内心が乱れたのが、クレマンティーヌには手に取るように分かった。……そう、わざわざ片手一本だけスティレットを抜いたのはこのためである。

 

 尖端というものは、神経に負担がかかるものなのである。自分の指先を眉間に突きつけ、そこに視線を合わせると分かるが視界の狭まり方と脳への圧迫感は途轍もない。

 ましてや生死に関わるこの状況――ブレインの感じる圧迫感は尋常ではないだろう。その心身にかかる負担はいずれ、ブレインを自壊させる。

 

 そして――

 

()った――!)

 

 クレマンティーヌはこっそりともう片方の手を背後にやり、腰から音もなく抜き取っていたもう一本のスティレットを抜き放った。

 

「――――ぐ」

「――――ッ、ァ」

 

 同時、弾かれたように再びお互い間合いを離す。

 

(畜生が……武技か!)

 

 クレマンティーヌが勝利を確信した瞬間、ブレインの喉笛に隠し抜き放ったスティレットが刺さる前に、ブレインが信じられない超反応で腰を落とした。結果、クレマンティーヌの必殺は外される事になる。

 ……人体で最も固い部位とは頭部。頭蓋骨の固さは生半可な突進力では刃先を逸らす事さえ可能だ。そこにブレインの超絶技能が合わさり、スティレットの切っ先はズラされた。

 必殺を躱されたクレマンティーヌだが、当然回避するために体勢を崩したブレインも必殺の機会を逃している。スティレットが主武装のクレマンティーヌにとってはクロスレンジこそが最適な間合いであるが、刀剣使いのブレインはショートレンジこそが最適な間合いである。ほぼ肉薄状態での戦闘はブレインにとっては歓迎出来る間合いではない。クロスレンジという超至近距離では、充分な剣速は得られない。よって、ブレインは攻撃を躱した瞬間クレマンティーヌの腹を蹴り飛ばした。その刹那の攻防の内に、スティレットの仕込みを発動させる暇はない。

 

 ……尤も、ブレインが間合いを離すために放った蹴りは、クレマンティーヌにとって大した痛手ではない。ブレインは何等かの武技でクレマンティーヌの攻撃を察知したようだが、その一呼吸がクレマンティーヌにも武技の発動を許した。〈不落要塞〉の前では、蹴り程度のダメージなぞ皆無に等しい。

 

 だが……クレマンティーヌは考えを改める。ブレインは、何等かの知覚武技を持っている。クレマンティーヌの隠し武器を察知したとは、つまりそういう事だ。不意打ちは通用しない。

 

 つまり――正面から、確実に。分かっていても反応出来ない攻撃を仕掛ける必要がある。

 

「――――」

 

 クレマンティーヌの内心は舌打ちをしたい気分であった。先程の状況を鑑みるに、おそらく知覚武技は空間系。どの程度の距離まで察するか知らないが、それは重要ではない。問題は範囲が空間というところであり、互いが近接の白兵戦特化という事である。

 これは、クレマンティーヌが間合いの競り合いでは勝てない(・・・・)という事を意味する。

 

 戦闘とは、如何に自分の間合いで戦い、相手の間合いを外すかの勝負だ。戦士だろうが魔法詠唱者(マジック・キャスター)だろうが、これは変わらない。間合いの競り合いこそが勝負の要である。

 その最重要項目を相手に抑えられた。その知覚武技には何らかのペナルティがあるとか、発動条件があるとか――そんなものは関係が無い。間合いの競り合いに勝てないという事実こそが、今のクレマンティーヌに圧倒的不利を齎す。

 咄嗟の判断が必ず後手に回る、というのはそれだけ致命的なのだ。

 そしてこういった状況の場合、必ず相手に先手を譲り、後の先を制す――返し技(カウンター)を叩き込む事こそが正解なのであるが、それは出来ない。ブレインの構えはまたしても居合切り――即ち待ち(・・)の姿勢だ。精神に負荷をかけて先手を打たせようにも、時間が無いのはクレマンティーヌの方である。もたもたしていると、蒼の薔薇が合流してしまう。一騎打ちに手出しする事はなくとも、クレマンティーヌを逃がすはずが無い。

 

 よって、クレマンティーヌが行うべきは先手必勝――間合いの競り合いで勝てない状況から、先手を打たなくてはならないという圧倒的不利な行動を要求された。

 

 〈疾風走破〉、〈超回避〉、〈能力向上〉、〈能力超向上〉――。

 

 幸い、ブレインに蹴り飛ばされた事により間合いは最初より離れている。そのため、武技を発動する余地があった。クレマンティーヌは立て続けに武技を発動していく。

 

 クレマンティーヌは身を屈めた。四足の獣のように――獲物に飛びかかる寸前の、肉食獣の如く。

 そして――地を蹴った。

 

 ブレインもまた同時に(・・・・・・・・・・)

 

「――――」

 

 そんなブレインの行動に理性が“待った”をかける。だが、クレマンティーヌは駆けた。ブレインは未だ刀を鞘から抜かず――神速の抜刀術を狙っているが、それさえ踏破すると心に決めた。

 クレマンティーヌの行動を支えたのは自らの力に対する自負――対人戦士としての経験値である。

 法国の暗部――漆黒聖典に所属していた自負が、脳裏を過ぎる神人という化け物達の影が、クレマンティーヌにその選択を選ばせる。

 

 だが――互いに距離を縮める内に、クレマンティーヌは戦慄した。警報が脳裏で脳を叩きつけるように響く。

 

 二人の距離の縮まり方が、おかしい。

 

 

 

 ――誰が知ろう。今ブレインが行っているこの移動歩法こそ、かつてアインズの世界――アインズの国で武士と呼ばれる者達の一部が身に着けていた歩法技術であるなどと。

 

 ……〈縮地〉、と呼ばれる武技がある。帝国のワーカーの一人、とある天才剣士が持つ歩法武技であるが、それは足を動かす事なく移動する事が可能という。

 

 だが、とある異世界。日本と呼ばれる国でかつて剣術家達が身に着けた技術は違う。それは瞬間移動でもなければ、武技でもなく――。

 足捌きによる(・・・・・・)歩法の組み合わせであったという。

 

 すり足移動により動作を読ませない『縮地法』を始めとした、複数の歩法の組み合わせ。それを歩幅を自在に変動させる事で相手に間合いを測らせない。そう――間合いを制する事こそ、戦闘の極意。

 十メートルの間合いを一足で詰める事も可能なれば、それを五歩、六歩と変える事も可能。歩幅が一定で無い事――最早何者も間合いを読む事出来ず。

 

 是ぞ、足捌きの極意――縮地なり。

 

 

 

 ――ブレインは天才剣士である。そして、クレマンティーヌは知らぬ事であるが、ブレインは毎日のように怪物と立ち合いをしていた。通常攻撃が一撃必殺、身体能力の圧倒的な怪物――アインズと。

 相手が圧倒的な身体能力を誇る場合、生半可な技術は通用しない。ましてやそれが技術に理解があるなど、絶望的だ。一部の帝国民では当たり前(・・・・)の認識だが、ブレインは王国民。魔物染みた圧倒的身体能力に、技術理解のある怪物と戦う経験などほぼ無かったであろう。

 そんなブレインが、アインズと模擬戦を行う内に身に着けた技術こそがこの縮地――歩幅を自在に変化させ、相手に間合い把握のタイミングを測らせない、武技でもなければ特殊技術(スキル)でもない――ブレインの天性のセンスと弛まぬ努力が奇しくも習得を可能とした、純粋な技術である。

 

 通常の武技のように精神力を必要とせず、誰でも使える『歩幅の変動』――ああ。やはりブレイン・アングラウスこそ剣の達人――まさに剣聖(ケンセイ)であった。

 

 

 

 ――鞘奔る。決して抜かせてはならない神速の抜刀が、クレマンティーヌの首を斬り落とさんと人間の知覚能力の限界を振り切り、闇夜に銀の光を煌かせた。

 

 〈領域〉、〈神閃〉――絶対必中と神速の一刀。秘剣――虎落笛。

 

「な、め、る――なァッ!!」

 

 だが、腐ってもクレマンティーヌは表社会最強であるあのガゼフを上回る戦士――縮地による間合いの幻惑を、そして知覚さえ振り切った必中必殺の神速の抜刀を、長年の経験が生み出した勘と、天性のセンスで見破ってみせる。

 

 〈不落要塞〉――スティレットの先と刀の刀身が合わさる。感知絶対不可・視覚不可能攻撃をクレマンティーヌは勘とセンスだけで見えないままに見破り、攻撃と合わせた。そしてクレマンティーヌはそのままスティレットを横に薙ぎ、刀身を切り払う。

 

 その切り払いによって、ブレインの体勢が刀の重さで崩れる。連携技ではない一撃必殺は、何らかの方法で対処された時こそが致命的になる。右手で振り抜かれた刀は最早完全に振り切られ、クレマンティーヌの眼前に無防備な胸部が晒された。

 

 即ち、詰みである。

 

 〈流水加速〉――神経を加速させ、攻撃速度を上昇させる。ブレインの抜刀と比べるとぬるい速度であるが、しかしそれで十分過ぎるのだ。技硬直の後の隙はそれほどまでに致命的である。

 

「――――」

 

 だが、その時確かにクレマンティーヌの耳に空気が切り裂く音が届いた。

 

 あり得ない。

 あり得ない。

 あり得ない。

 

 だが、本能が告げている。戦士としての勘がクレマンティーヌに疑問を投げかける。――先程の切り払い、妙に軽くなかったか、と。

 幾ら振り抜く必要があったとはいえ――まるで自分から、回転するように反発が少なかったようではないか、と。

 

「――――」

 

 ひゅうひゅう、空気を切り裂く音が。ブレインを見る。見た。――――無い。無い。無い。

 

 ()は、どこだ(・・・)

 

「――――」

 

 〈即応反射〉、〈神閃〉――攻撃後の崩れた体勢を戻し、神速の抜刀。相手に刀身を切り払われた反動を利用し高速回転、左手に握った鞘を頸部に叩きつけ、頸椎を圧し折る……!

 

 〈不落要塞〉や〈要塞〉は、発動タイミングが非常にシビアな武技だ。絶対防御と呼んでいい物理防御力を誇るが、反面それを狙ったタイミングで発動出来る尋常ならざる見切り力が必要となる。

 無論、クレマンティーヌの見切りは天才的である。それは先の攻防だけで見て取れるだろう。知覚不可能な攻撃を勘だけで合わせる――という事さえまず生半可な天才では不可能だ。しかしそれを見事合わせ、そして〈不落要塞〉まで発動させて完璧に防ぎきり返し技(カウンター)を放つなど、あのガゼフでさえ不可能だったはずだ。

 だが、クレマンティーヌはそれを成した。彼女は腐っても元とはいえ人類最強の組織漆黒聖典の一員。表社会で有名な剣士達なぞ、例え装備品の格が当時より落ちていようと問題にならない。

 

 ――しかし、目の前の男は天才剣士ブレイン・アングラウス。秀才の努力をする天才であり、片時も剣の事を忘れた事がない、剣を振るう事だけが人生であった男である。

 彼はガゼフに敗北して以来、常に努力し続けた。上には上がいる事を学び、しかしそれに否を唱え、常に前へ前へと進み続けた。

 その人生を、井の中の蛙と蔑む事は可能だろう。少なくともクレマンティーヌはそう言っていい。自分でも絶対に勝てない、法国の秘奥たる神人達。彼らと比べれば(ぷれいやー)の血が入っていないお前なぞ塵屑だと。どれだけ努力しようと決して届かない高みはあるのだ。血筋も、才能も無敵な奴らになんか勝てはしない。お前が最強になる日は絶対に来ない――したり顔で、下卑た顔で蔑む事も可能なのだ。

 だが――その努力を否定する事だけは、誰にも出来ない。

 

 心が折れた戦士と、未だ前へと進み続ける戦士――どちらが上等かなど、論ずる必要なぞ無いだろう。

 クレマンティーヌの心はとっくの昔に折れている。お利巧にも諦めてしまった人間が、前へ前へと諦めず進み続ける人間(ブレイン)に勝てるはずなぞ無いのである。

 

 例え、必殺の一撃をいなされたとしても――ガゼフに一度敗北し、その敗北を糧に立ち上がったブレインにとって、それはわざわざ心が折れるほどの衝撃なぞ齎さない。

 ブレインは必殺の一撃――秘剣・虎落笛を躱された瞬間――衝撃を受けた刹那の内に心を奮い立たせ、当たり前のようにその天性のセンスに従ってあり得ない追撃を放った。

 

(く、そ、が……!)

 

 頸椎に齎された衝撃に白目を剥き、意識が混濁する。クレマンティーヌはここに敗北を喫した。

 

 

 

 ――そして。

 

「……ふう」

 

 確かな手応えを感じ、鞘で吹き飛ばされた女戦士が地面に投げ出されぴくりともしないのを確認して、ブレインはようやく一息ついた。

 ……恐るべき難敵であった。ガゼフやアインズ以来の強敵である。

 もし仮に、アインズから疲労無効の指輪を貰っていなかったら。ガゼフから戦士の能力を強化する指輪を貰っていなかったら。そして秘剣・虎落笛を躱された衝撃から後一瞬でも立ち直るのが遅かったら――間違いなく、ブレインは死んでいただろう。それほどの、恐るべき強者だったのである。少なくとも、ブレインが知る中でこの女戦士以上の技量の持ち主は存在しない。アインズは勿論、ガゼフやガガーランにかつて蒼の薔薇として遭遇した老婆でさえこの女ほどの技量は持たなかった。まぎれもなく、彼女は最強の敵だった。

 

 ……そう、ブレインがクレマンティーヌから勝ちを拾えた理由は唯一つ。ブレインの方が、クレマンティーヌよりほんの少し心が強かっただけに過ぎない。彼女はブレインの上位互換――相性による瞬殺は防げるかわりに、本来は勝ち目の無い相手だったのだ。

 

 だが、ブレインは勝った。故に――けれど。

 

「あぁ……畜生。勝ちたかったなぁ――」

 

 本当にブレインが勝ちたかった相手には、二度とその手は届かない。剣の勝負を続けるかぎり、ブレインは一生、ガゼフには勝てないのだ。既に冥府へ旅立った相手には、現実を生きるブレインの手は決して届かない。

 この目の前の女より、ガゼフは強かっただろうか。いいや、少なくともブレインの記憶にあるガゼフ・ストロノーフという男は、確実にこの女戦士より弱かった。例えあれから時を経たとしても、この女戦士より強いと言えるかどうか、ブレインは断言出来ない。したくとも、理性の部分で否定していた。おそらく――“対人”という意味では、この女戦士の方が確実に強いだろう、と。

 

 それでも、ブレインはガゼフに勝てない。もうどこにもいない相手には、勝てない。

 きっと――この空虚な隙間を抱えて、これからも自分は生きていく。

 

「は――、はは」

 

 その現実に、ブレインは笑った。この隙間は、どのような強敵を屠ろうとも、これからも埋まる事はないだろうと確信して。

 

「……行くか」

 

 刀身を鞘に収め、ブレインは歩き出す。永遠に埋まらない隙間を抱えたまま、これからも彼は前へ前へと歩き続けるだろう。いつか、その勝利を敗北で粉砕されるその日まで――

 

 

 

 

 

 

 約束の日――レイナースはフールーダを訪ねる名目で魔法省へ来ていた。

 別段、それは不思議な事ではない。この顔の呪いを解くために、何度も訪れた場所であり……定期的にフールーダに声をかけた事もあるからだ。フールーダ自身、この呪われた顔に興味を抱いてもいた。一体、どうやったら解けるのかと。

 そういった過去もあって、レイナースが魔法省を訪ねるのはそれほど不思議ではない。ジルクニフも、そこまで気にはしないだろう。

 レイナースは普段通りに見えるよう努めながら、魔法省に勤める者達に声をかけフールーダのもとへ案内させる。急な来訪……ではなく、既に話が通っているのか、慌てた様子は見られない。

 そして応接室まで案内され――許可を得て応接室のドアを開けたそこに。

 

「ああ――お待ちしてました」

 

 帝国最強の老いた魔術師と、漆黒の戦士がレイナースの来訪を待っていた。

 

 

 

「――さて、それでは始めましょう」

 

 既にフールーダに説明しているのか、アインズはフールーダへと巻物(スクロール)を渡す。フールーダはそれを震える手で受け取り、そして――

 

「――――」

 

「…………もし」

 

 震える手で受け取ったフールーダは、それを開くが使う様子が無い。手はぶるぶると震え、息が乱れている事がレイナースにも分かった。アインズはフールーダへ咎めるような声色で声をかける。

 

「えぇ、はい。分かっております。分かっておりますとも……」

 

 震える声で返事をしたフールーダはそれからまた少し沈黙し――遂に煩悩を振り切ったのか、レイナースへと第六位階魔法〈呪詛除去(リムーブ・カース)〉の巻物(スクロール)を使用した。煌く治癒の光がレイナースに降り注ぎ――光の粒子が空気に溶けるように消えていく。

 レイナースはそっと、自らの顔に手で触れた。するり(・・・)と、柔らかい肌の感触がする。手には何も付着しない。いつもの膿が無い。

 あらゆる治癒・解呪の魔法でも解けなかった呪いの膿が、あり得ない高位魔法によって遂に完治を成し遂げる。

 

「おぉ……」

 

 レイナースの顔を見ていたフールーダが、目を見開いていた。フールーダの瞳に映るレイナースの顔……そこには、最早自分でも覚えていなかった失われたはずの美貌がある。

 

「あ、あぁ……」

 

 レイナースはペタペタと両手で自らの顔に触れる。左右の感触は同じで、そこに何の違和感も無い。違和感が無い事が信じられない。

 間違いなく、彼女の呪いは解けていた。

 

「ふむ……なるほど。非常に興味深い」

 

 レイナースの顔を同じように見つめているアインズが、小さな声で何事か呟いている。

 

職業(クラス)構成に必要なフレーバーも消えるのか……なるほど。しかしバッドステータスが無効化されたわけだが、レベルはどうなっているんだ? カースドナイトの習得レベルは消えてしまったのか? いや、それともそのまま? あるいは別の職業(クラス)に辻褄合わせに入れ替わっている?」

 

 ぶつぶつと呟いているが、レイナースには気にならない。まるで興味が起きない。レイナースは、ひたすら自らの顔の感触を確かめるのに必死だった。フールーダに至っては、燃え尽きた巻物(スクロール)を名残惜し気に見つめていてアインズが何か呟いている事にも気づいていないだろう。

 

「さて……」

 

 パンパン、と手を叩く音にレイナースとフールーダの視線が動く。アインズが手を叩いて注目を集めたのだ。

 

「幾つか質問があるのですが、訊ねても?」

 

「ええ。何でも言って下さい」

 

 レイナースの顔を見つめて告げるアインズに、レイナースは頷く。見えない筈の兜に隠された視線が、レイナースを興味深げに見ている気がして居心地が若干悪い。

 

「魔物に呪われてから、何か変化はありましたか? 日常の変化、ではなく戦闘で。例えば戦っている相手の傷が治り難かったりとか、アイテムを手に持つと勝手に壊れたりとか」

 

 レイナースは少し考えて――首を横に振る。そういった覚えはまるで無かった。レイナースの返答に、アインズは一人納得している。

 

「なるほど。……まあ、本当にカースドナイトなら今身に着けている装備品が壊れるか。いや……習熟レベルが低レベルだから常時発動型特殊技術(パッシブスキル)が発動していない、という事も考えられる。そもそも低レベルで習得出来る職業(クラス)ではないし、俺の知っているカースドナイトとは別という考えも――」

 

 ぶつぶつと小声で何事かを呟いているが――アインズは再びレイナースを見て、そしてフールーダを見た。

 

「アンデッドを一体召喚していただけますか?」

 

「ええ、構いませぬ」

 

 フールーダがスケルトンを一体その場に召喚する。アインズはそれを指差し、レイナースへ告げた。

 

「アレを最大火力で破壊していただけませんか?」

 

「? 別に構いませんけれど……」

 

 レイナースは席を立ち、二人が見守る中で自分が使用出来る攻撃用の信仰系魔法、武技を重ねていく。フールーダが何も言わないのだから、別に多少応接室が散らかるくらい構わないのだろう。

 そして――

 

「――ハァッ!」

 

 レイナースは自らが行使出来る最大火力で、スケルトンを斬り伏せた。過剰過ぎる攻撃がスケルトンという低位アンデッドを粉砕し、そのまま床に罅を入れる。

 レイナースは四騎士の中で攻撃力最強の騎士だ。その最大火力は他の三人を上回る。だから――

 

「――――え?」

 

 レイナースは唖然とした。明らかに、自分が予測した結果とは違う結末を描いた現実に。そして呆然としたレイナースにアインズから声がかけられる。

 

「どうでした?」

 

「あ、え……?」

 

「以前と攻撃力に差はありましたか?」

 

「――――」

 

 そう……アインズが告げた言葉通り、レイナースは首を傾げる。明らかに、以前より攻撃力が落ちていたのだ。まるで、呪いが解けたために何か別の物も無くしてしまったように。

 

「……以前より、火力に差がありますわね。今の方が攻撃力が落ちていますわ」

 

「なるほど、なるほど――やはりカースドナイトの職業(クラス)は失われたと見ていいな。だとすると、他に別の職業(クラス)を取得したのか、それともそのまま失われて弱くなったのか……ふむ、興味深い」

 

 ぶつぶつと呟くアインズ。レイナースはフールーダと顔を見合わせた。フールーダもまた、レイナースが弱体化した事に疑問を抱いているのだ。

 

「では、次はこの攻撃を防いでみて貰えませんか。……手加減しますので、防御して下さい」

 

「え?」

 

 アインズは立ち上がると、応接室に何故か用意していたかのようにあった木製の杖を手に取る。そして、困惑するレイナースに向けて杖を振り下ろした。

 

「――――ッ!」

 

 アインズの先程の言葉の内容を覚えていたレイナースは、両腕の手甲でそれを受け止める。……確かに手加減していたのか、覚悟していたほどの痛みは無い。……いや、無さ過ぎる。

 

「…………? 防御力が上がっている?」

 

 レイナースが呆然と感想を告げると、アインズはまたもや一人頷いていた。

 

「――つまり、カースドナイトを失ったことで攻撃力は下がった。しかし、防御力が上がったということは、元々あった職業(クラス)のレベルが代わりに上がったか、あるいは別の職業(クラス)を習得したということだな。……となると、やはり辻褄合わせが起きたと見るべきか。……ティアとティナの件といい、やはりユグドラシルとは職業(クラス)の習得条件が変化しているんだな」

 

「あ……あの?」

 

 先程から何を言っているのか分からず、レイナースは声をかける。しかし、アインズは思考の海に沈んだきり戻って来ない。

 

「呪われた神官戦士、という設定が無くなった以上、カースドナイトの習得レベルは失われる。その代わり、本来習得するはずだった職業(クラス)レベルを得ることになる――と、そう見るのが妥当だな。……ということは、俺の習得している職業(クラス)も変化させられる? 設定さえ遵守すれば――逆に言うと設定から外れた行動を取れば、失って弱くなることもあり得るか? いや、プレイヤーである俺と現地民ではそもそも世界観(ルール)が違う可能性もある――検証が必要だな」

 

 アインズは顔を上げ、再びレイナースを見る。

 

「――――」

 

 ぞわり、と背筋を何かが這った。何か、致命的な失敗を犯した気がする。

 

 ――自分は、そもそもこの漆黒の戦士を頼って呪いを解くべきではなかったのではないか、と。

 

 今更ながらに、レイナースはそう悟った。

 

「……気になることがあると他のことを忘れるのは俺の悪い癖だな、あと独り言も」

 

 長年一人でよく独り言を言っていたせいだろう、とアインズはそう呟いて――

 

「さて、それでは実験(・・)を始めよう」

 

 ――――。

 

 

 

「――ありがとうございました。では、よろしくお願いします」

 

「ええ。こちらからもお礼を言わせて下さいな。……見つけてくれて(・・・・・・・)ありがとうございますわ」

 

 レイナースとフールーダに朗らかに別れを告げ、アインズは魔法省を去る。ある程度進み魔法省を背にしたアインズは、溜息をついた。

 

「はぁ……」

 

 予想以上にキツかった(・・・・・)。レイナースの件は中々に興味深かったが、それでも今感じる疲労に見合ったかと言えば――

 

「いや、間違いなく見合っている」

 

 アインズはそう納得する。そう、これは必要な実験だった。むしろここで分かってよかったと言える。いざと言う時に魔力が足りませんでした、では話にならないのだ。

 ――そう、アインズは彼女達に魔法をかけた。ユグドラシルでは多少のログ操作で済んだ記憶を操作するという魔法――しかし、この現実となった異世界では、魔力の消耗が酷くごっそり(・・・・)といったのだ。今アインズが感じる疲労感は尋常ではない。この異世界に来て初めての感覚だった。まさに、精も根も尽き果てたと言うべき状態である。

 

「まさか、ほんの数日前の記憶を操作するだけでMPが空になる危険性があったとは……」

 

 やはり、慎重に行動しなくてはならないと改めて強く認識する。幾ら気になる事があったからと言って、今後は二度とこのような軽率な真似はするまい。あの巻物(スクロール)を邪神教団で手に入れた物だとか、自分がレイナースとフールーダの間に証人としていただけだったとか、そのような些細な記憶改竄にここまで疲れるのだ。この後重要な戦闘が起きると思うと、この疲労は致命的だ。疲労無効のアンデッドがここまで“疲れた”と思うのだから、間違いない。

 

「やはりある程度魔法の実験はするべきだな。……あのドラゴンは惜しかったか」

 

 この異世界に来た頃に遭遇したグリーンドラゴンを思い出す。アレからはある程度の知識も貰ったが、魔法の実験にも協力(・・)してもらうべきだったかも知れない。今となってはもう遅い。

 

「……まあ、過ぎたことだ。やるべきことはまだある。ホテルに帰るか」

 

 宿で待っているイビルアイ達を思い出し、アインズは足を急がせる。

 

 ……先日の邪神教団の件は、もうアインズ達の出る幕は無い。ジルクニフも相当お冠だ。あの集会に参加していた貴族達は残らず粛清されるだろう。八本指もジルクニフに叩き潰されるに違いない。そして、人事の大異動も起きるに違いなく、帝国も少しばかり忙しくなる。カースドナイトではなくなったレイナースだが、それでも実力はあるのだから職を失う事は無いと思うので、アインズはもう彼らに対しては放っておく事にした。

 

 ――そう、心残りは後一つだけだ。

 

「……ラキュースは、ラナーに会いに行っているはずだったな」

 

 友人の愁いを晴らしたラキュースは、喜び勇んでラナーに会いに行った。アインズはそれを思う。

 

「……そう、友人は大事にするべきだ。友達(・・)とは、掛け替えのないモノ(・・・・・・・・・)なのだから」

 

 アインズ・ウール・ゴウンの友人達を脳裏に描き、アインズは呟いた。

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ皆でカンパーイ!!」

 

 ラキュースの満面の笑みに、イビルアイは苦笑する。この場にいるのはかつての蒼の薔薇の面子だけで、アインズやブレインはいない。ラキュースは誘ったらしいのだが、二人共に断られてしまったらしかった。おのれラキュース。ブレインはともかく、アインズくらい誘って欲しい。

 

「童貞の仇も討てたし、あの王女さんの生活も悪いもんじゃないっつうのも分かったからな」

 

「ええ、ええ! 正直、ここの皇帝のことは一生好きになれないだろうけど、でもラナーとクライムが幸せならそれでいいの!!」

 

「元ボス、久々のテンション爆上げ」

 

「鬼元リーダー、羽目外し過ぎて全裸で廊下に転がる事件発生?」

 

「洒落にならん。やめておけお前達」

 

 その想像は洒落にならない。このラキュースのテンションを見ていると、本当に朝に廊下で転がっていそうな気がする。

 

 ……しかし、まあ。ラキュースが笑顔なのは悪くない。トブの大森林の探索中は元気だが、ふとした拍子に暗い顔をしている事がよくあった。ラナーの事が、ずっと尾を引いていたのだろう。

 だが、その憂い顔ともおさらばだ。二度と、彼女があのような暗い顔をする事は無い。かつてと同じ、太陽のような満面の笑みで自分達を照らしてくれるだろう。

 そう、これからの自分達の未来は明るいと信じよう。アインズとブレイン、新たな仲間と共に皆が老いるその日までこの輝かしい冒険は続くのだ。イビルアイにとって、その間の冒険譚はきっと忘れられないモノになるに違いない。

 

(ま、まあ。うん。贅沢を言えば……アインズの老後の世話とか、最期とか看取らせて欲しいとか、そういう思いはあるんだが、うん)

 

 アインズの最後の女になれれば、これほど幸福な事は無い。きっと自分にとって忘れられない思い出になる。

 

(そのためには猛アピールだな! もっとこう、スキンシップを多くしてだな)

 

 イビルアイは脳内でアインズに対するこれからの行動を考える。自らの絶望的ぺたん属性を忘れている辺り、実に乙女であった。

 

 そうして悶々とあれこれ考えていたイビルアイは、中心でガヤガヤと騒がしくしているラキュース達の声を聞きながらふと視線をずらす。そこからは星空が見えた。外気を入れるために開け放っていた雨戸である。あまり騒がしくすると嫌がられるだろうと思い、イビルアイは雨戸を閉めるために壁に近寄った。

 

「……うん?」

 

 イビルアイは人間離れした動体視力と夜の闇さえ見通す種族特性によって、それを発見する。漆黒の全身鎧(フル・プレート)……アインズだ。

 

「……?」

 

 イビルアイは首を傾げた。何故、アインズが外にいるのか分からない。周囲を見るが、ブレインがいるわけではない。……男同士で飲みに行くというわけではないらしい。

 だからこそ、イビルアイはますます分からなかった。こんな夜中に、アインズはどこに行くつもりなのだろうか。

 

「…………」

 

 イビルアイはキョロキョロと周囲を無駄に見回し、わざとらしく咳を一つすると騒がしくしている四人を放ってこそこそと部屋を抜け出そうとする。しかし、それを見咎める目敏い女(ガガーラン)

 

「お? イビルアイ、どこに行くんだ?」

 

「……少し、夜風に当たってくるだけだ」

 

 イビルアイはそうガガーランに告げると、これ以上誰かに声をかけられる前に早足で部屋を去って行く。廊下に出て喧噪をドアの向こう側へ封じ込めると、イビルアイは内心で誰かに言い訳するように呟きながら早足で廊下を歩く。

 

(こ、これは断じて尾行ではないぞ……! ……そ、そう! 仲間が怪しい動きをするから、もしや誰かに脅されているのではないかと心配になってだな……! 断じて! そう、だ・ん・じ・て! アインズが私に内緒で女と逢引するのではないかと疑っているわけではない!!)

 

 イビルアイはブツブツと呟きながら、漆黒の戦士を追いかける。不可視化の魔法をかけ、周囲から姿を隠すがアインズには見破られる可能性があるため、更にこそこそと障害物に身を隠しながらアインズの後をつけていく。

 

(どこに向かっているんだ……?)

 

 アインズの後をつけながら、イビルアイは首を傾げる。……確実に、女のもとへ向かっているという風ではない。むしろアインズは繁華街どころか街中を外れていく。暗がりへ、人目を避けるように。

 

「…………」

 

 人目を避けるように歩くアインズに、イビルアイはごくりと喉を鳴らす。イビルアイはアインズの後をつける。街中を外れ――それでも進み、遂にはアインズが辿り着いた場所は――――

 

 

 

 ――夜も更けたという頃なのに、来客があった。不躾な訪問者にそれでも嫌な顔一つせずに、ここへ通すように告げる。従者は嫌な顔をしたが、安心させるように微笑んだ。……彼がそのような事をする人物に見えますか、と。

 従者はその言葉に首を横に振って、困ったような表情を作りながらも自分の言葉に頷いて訪問者を呼んでくる。その、まだいつもと違って不格好な姿を微笑ましく思いながらも頭の中で色々な思考が入り乱れていた。

 だが、幾ら考えても答えは出ない。訊ねた理由(・・・・・)は何となく分かる。だが、どうやって見破られたのか皆目見当もつかなかった。自分はどこか、しくじっただろうか――と。

 

「――ようこそいらっしゃいました」

 

 しかし、訪れた者にそのような様子は見せない。いつも通りの優しい、慈悲深いと見る者に思わせる表情で、ラナーはその男を歓迎した。

 

「アインズ・ウール・ゴウン様」

 

 漆黒の戦士は、夜の闇を引き連れているかのようにゆらりとそこに立っていた――

 

 

 

 

 

 

 数少ない、実家(・・)から持ち込んだお気に入りの茶器を使い、紅茶を振る舞おうとするが止められる。それに嫌な顔を一つ見せず、ラナーは微笑んで茶器の用意を止めてアインズの対面の椅子に座った。実家とは比べるべくもない、けれど一般から見れば高級な若干座り心地の悪い椅子に。

 

「――それで、本日は夜分遅くどのようなご用件でしょうか?」

 

 ラナーの問いに、アインズは少しの無言の後――口を開いた。その声は異様に沈んでいる。

 

「ラナー」

 

「はい」

 

 深い、底の見えない谷間を覗いているようだ、と思った。敬称を略されたとしてもまるで気にならない。

 

「友人は、大切にするべきか?」

 

「――はい、勿論です」

 

 ラナーは微笑みながら答えた。大切だ。友人は大切だ。ラキュースは大切だとも。

 あの女ほど便利な人間は(・・・・・・・・・・・)そういない(・・・・・)

 

 ラナーの微笑みを見ながら、アインズは静かに――ぞっとするほど静かに告げる。

 

「そうか……それがお前の答えか」

 

「ええ、ゴウン様。友人は大切にするべきですわ。私はラキュースを大切に思っています」

 

 こうして今も、便利に使われてくれるから。

 だから――本当に分からない。自分に落ち度は無かったはずだ。断じて、自分はそのような様子は見せなかった。

 けれど――アインズは確信している。ラナーという女は、ラキュースという友人を本当の意味で愛していないのだと。

 それがいつバレたのか……ラナーにはそれが分からない。

 

「ふ――はは――は、は」

 

 アインズはくぐもったように笑い、ラナーはそれを見つめる。微笑みは崩れない。

 

「では――もう一度聞いておこう」

 

 例え目の前にいるのが漆黒の戦士なのではなく、怪しい仮面を被った漆黒のローブを羽織ったナニカ(・・・)に変貌しても、ラナーの微笑みは崩れなかった。

 

「ラナー……お前はラキュースを大切にしているのか? 一般的な意味で? 隣人を愛するように――お前はラキュースを大切にしているのか?」

 

 深淵から這い出てきたような魔術師が、ラナーに問う。ラナーは相変わらず微笑みを浮かべたまま――決して誰にも語る事の無かった真実を口にした。

 

「ええ。大切にしていますわゴウン様――だって、ラキュースは便利でしょう?」

 

 本来口にすべきではない無情な現実を、ラナーは今目の前の魔術師に告げたのだ。懺悔室で神父に懺悔を告げるように、ではなく――世間話をするように気楽に。

 嘘は吐けない。これは恐ろしい生き物だ。嘘を吐くのは非常にまずい事態を呼び込む。ラナーはそんな、唾棄すべき感情でもってようやく真実を口にした。

 

「――昔から、そうだったんです。私に理解出来ることが、どうして他人に理解出来ないのか――と」

 

 ラナーは目の前の魔術師に語る。幼い子供時代。聡明だった――聡明であり過ぎた自分と、愚鈍過ぎる周囲。自分の語る言葉が、他人に理解されない絶望。猿の群れの中で一人生活しているようなおぞましい孤独感。

 だが、ある日彼女は出会ったのだ。可愛い子犬。異様なものを見る目ではない。愛くるしい少女を見る目でもない。色々な感情を捻じ込み、混ぜ込んだような複雑怪奇な感情の持ち主――ラナーにとって、知らない反応を見せるもの。

 即ち、人間である。

 

 ――彼女はその人間の瞳に見つめられて、ようやく息が出来るようになった。

 

 この、醜く劣った生物共の中でも暮らしていけるようになった。

 彼女の世界は、クライムだけで完結した。

 

「私の世界はそれが全て。クライムと私の幸せな生活の役に立つから――ラキュースとは友人関係でいるのです。でなければ、クライムの傍に女なんて一人も近づけたくありませんわ」

 

 ラナーはそう告げて、そして逆にアインズを観察するように見つめる。仮面の奥に隠れる瞳を見つめるように。

 

「――そして、ゴウン様。私はこの場に貴方が訪れたのを不思議に思っていました。この時間帯、この場に一人でやって来る理由を幾つか考えましたが――それでも、一番低いと思った理由を一番高い確率だと思いました。そう悟ったのです」

 

「…………」

 

「貴方は、私の本性を見破ったのだと」

 

「…………」

 

「それを不思議に思っていましたが……その姿を見てようやく分かりました。貴方は戦士などではない。……貴方は、魔法詠唱者(マジック・キャスター)だったのですね」

 

 それも、ただの魔術師ではない。おそらく想像を絶するほどの凄腕だ。その腕前は、間違いなく逸脱者フールーダさえ超えるだろう。

 でなければ、説明がつかないのだ。もし、こうしてラナーの本性を容易く見破るような魔法をフールーダが使えるのだったならば、帝国はもっと巨大で、恐ろしい大帝国であっただろう。

 ――そうでない理由は一つ。フールーダの使う第六位階魔法にはそういった魔法はなく、更に上の位階にその常軌を逸した魔法は存在するのだ。

 そして、目の前の男はそれを使える怪物である――そうでなければ説明が出来ない。ならばこれこそが正解だろう。

 

 ……要するに、運が悪かった。ラナーは交通事故に遭ったようなものである。こんな恐ろしい怪物が、よりにもよって自分の周囲に現れるなんて。

 

「ラナー……『黄金』よ」

 

「はい」

 

「……お前は皇帝を、ラキュースを、あらゆる周囲を利用してこのような事態に収まるように、その悪魔的頭脳で計画した。あの少年が死んだのは偶然でも、その後の展開は何一つお前にとって偶然ではない。お前は最初から――皇帝の動きを、ラキュースの動きを読んだ」

 

「はい」

 

「最初から、お前は帝国に移った八本指の行動を読んでいた。あの邪神教団の存在にも気がついていた。――お前は、知っていながら見過ごしたのだな。自分達には関係の無いモノとして(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「その通りですわ、ゴウン様。クライムが殺されなければ、私は彼らには興味もありませんでした」

 

 そう、ラナーはこの帝国に移り住み、ジルクニフからある程度の状況を教えられた時点で、この帝国に巣食う邪教集団の存在にも気づいていたし、現在自治領となった王国を襲っている絶望にも気づいていた。クライムを殺した犯人も、決してただの通り魔ではない事なぞすぐに気がついた。

 しかし、ラナーは決してそれを悟らせなかった。

 邪教集団に殺される民衆に興味はなく、帝国に巣食う邪悪にも興味は無い。クライムだけが、ラナーの全て。

 

 これが黄金のラナーの正体。彼女は慈悲深い聖女なぞではなく――自らの欲望で人を喰らう魔女だった。

 

 ……きっと、アインズにはラナーの何かに引っかかるモノがあったのだろう。ラナーを魔法で調べると言っても、最初の切っ掛けがなければここまで深く調べようとするまい。ラナーの邪悪な一面を知るまで深くなど。

 

 アインズにはきっと、ラナーの何かが致命的に引っかかったのだ。

 それをラナーは知る事が出来ないと言えば、とても残念だった。これからの参考にしたかったのに。

 

 そして、ラナーの邪悪を知ったアインズは、再び口を開く。

 

「……では、最後に三つだけ質問をしよう。はい(イエス)いいえ(ノー)か、正直に答えるがいい」

 

「……ええ、どうぞ」

 

 ラナーは崩れぬ微笑みで、魔術師を促す。

 

「お前は、多くの命をわざと見過ごしてきた」

 

ええ(イエス)

 

「お前は慈悲深い聖女なぞではなく、あらゆる命を食い散らかす魔女だった」

 

ええ(イエス)

 

「お前は――ここに敗北を喫した」

 

ええ(イエス)――その通りです、ゴウン様。私は貴方という常軌を逸した魔術師に、遂に正体を見破られました」

 

 けれど。

 

「私は敗者です――ですが、貴方も勝者などではない」

 

「――――ほう? 何故だ?」

 

「簡単な話ですわ」

 

 興味深げにラナーを見るアインズに、ラナーは微笑みを崩さない。今までの観察眼。そして、今ここに正体を見せたアインズの様子。以上をもって、ラナーはアインズに告げた。

 

「だって、貴方――」

 

 

 

「――――ぁ」

 

 気づけば、あの魔術師は去っていた。目の前のどこにも、あの魔術師は存在しない。

 

「……どうやら、難は逃れたようね」

 

 アインズが去った事を確信し、思わずそう口から言葉が出るがすぐに口を閉じる。どこで見ているか分からない怪物だ。口は閉じていた方が賢明だろう。

 

 ……元より、アインズがラナーを殺す確率は低いと見ていた。アレはそういった短絡さとは無縁の生き物だ。ラナーの正体を見破り、告げて釘を刺す(・・・・)事くらいはしても、余程の事でもないかぎりはラナーを殺そうとは思わない。

 それよりも、新しい情報の方が大切だ。あの怪物は友情というモノを大切にする生き物。過去に何があったかは知らないが、ラキュースに対する干渉は必要最低限に留めた方がいいだろう。あまりラキュースを利用すると、今度はもっと大きな釘を刺される可能性がある。

 

(まあ、やりようは幾らでもあるのだけれど……)

 

 当然、それに対する策も幾つか思いつくがどれも実行に移すのは躊躇する。どこまでアインズが干渉するか、先にジルクニフで実験した方がいい。ただ、現在ジルクニフも自国の膿み出し(・・・・)で当分忙しいだろうから、しばらくは大人しくする必要がある。

 

 とりあえず、落ち着くために深呼吸を行う。そのタイミングを計ったように、ラナーのもとへ更なる客が訪れた。

 

「……あら?」

 

 その人物を見て、ラナーはいつも通りの優しげな微笑みを浮かべる。先程までの事なぞ頭から放り出した。ノックをしないのはいつもの事なので気にならない。そもそも、ラナーが自分から言った事だ。貴方は、ノックなんてしなくていい――と。

 

「クライム、どうしたのですか?」

 

 ラナーはいつも通り、クライムに笑みを向ける。クライムは、クライムは、クライムは――顔を、伏せて。

 

 

 

 ぞぶり(・・・)と、何かがラナーの腹に突き立てられた。

 

 

 

「――――」

 

 ラナーは呆然と、その感触に自らの体を見下ろす。煌めく銀色の輝きが、傷一つ存在しなかったラナーの腹部にめり込んでいた。そこを中心に、あらゆるものが真っ赤に染まる。

 

「――――」

 

 口から空気が抜ける音がすると同時に、ずるり(・・・)と真っ赤に染まった銀色の刃がラナーの腹部から引き抜かれた。ラナーはその場に糸の切れた操り人形のように座り込み、腹部を反射的に手で押さえる。

 腹から出た出血は、全く止まらなかった。

 ラナーは急激に身体から抜け出ていく血液から視線を逸らして、顔を上げる。そこには――

 

 かつて、雨の日に出会った、あの日の子犬がそこにいた。

 

「――――」

 

 無邪気に尊敬を向ける瞳。異様なものを見る瞳。可愛いものを見る瞳には慣れている。それは凡百の反応で、幼き彼女の心を揺り動かす事は出来ないものだった。

 だが、あの雨の日に出会った子犬は違う――彼が自分に向けたのは嫌悪であり、驚愕であり、愉悦であり、感動――あらゆる人間の要素を備えた、ラナーにとって未知の反応を返す本物の人間そのものだった。

 それが、今。再びラナーの前に顕現している。今となっては失われたはずの、クライムの中から取り除かれたはずの感情が、ラナーの前で剥き出しのままに現れていた。

 

「――――ぁ」

 

 悟る。クライムは、ラナーとアインズの会話を聞いていたに違いない。普段ならばそんな粗相などしないはずのクライムが、何故そのような事をしたのか幾つか理由が浮かび上がるが――そんなものは今更関係無かった。

 

 そう、確かなものは一つだけ――――クライムはあの日の感情を取り戻し、今も震える手で、ラナーを刺し殺したという事だけだ。

 

「――――」

 

 『黄金』なんて嘘だった。彼女はそんな綺麗な生き物では無かった。彼女はもっとおぞましい、恐ろしい生き物だった。あの日見た太陽は、太陽なんかじゃなかった。

 ラナーがクライムにかけた魔法は、呆気なく消えてしまったのだ。

 

 ……果たして、この時クライムの中に渦巻いていた感情は何なのか。果たすべき義務を放棄していた王女。嘘で塗り固められた虚像の女。あらゆるモノを自分と愛する男のために見捨て、利用してきた魔女。

 それを前にしたクライムの中に渦巻いていたモノは、果たして何であったのだろうか。アインズのような優れた魔法詠唱者(マジック・キャスター)ではないラナーに、正確なところは分からない。

 

 ただ、クライムはその事実に耐えられなかった。それを前にして改めるように告げられる心の強さも、それから目を逸らして盲目に生きていく心の弱さも、どちらもクライムは持っていなかった。

 彼は、愛する女の本性が化け物であった事実にも、自分なんかのために多くの命が失われた事実にも耐えられない。そう――彼は当たり前に、人間(・・)だった。

 

 ラナーの本性を知って、それでも二人で生きていこうと思えるほど――クライムの心は強くも、弱くもなかったのだ。

 

「――――」

 

 だが、そんな事はラナーにはどうでもよかった。

 だって、今、目の前にあるのだ。

 あの雨の日に見た、彼女が焦がれた複雑怪奇な感情の瞳。嫌悪が、驚愕が、愉悦が、感動が――――思慕(・・)が込められた、あの日見た人間が、目の前にいる。

 その事実の前に――愛する男に刺し殺された程度の痛みなぞ、一体何の苦痛があるというのだろう。

 

「――クライム」

 

 ラナーは瞳を細める。太陽を目にしたように、焦がれるように。

 世界で最も美しく、最も手の届かない光へ。彼女は血濡れの手を伸ばして――――

 

 

 

 ――――そして、黄金の女は血の海に沈んだまま二度と動かなくなった。

 

 彼女が目を覚ます事は二度と無いだろう。彼女の生命力では死者蘇生の魔法に耐えられない。当たり前に灰となって消えていく。

 だから、その女が目を覚ます事は二度と無い。

 

「…………」

 

 その凶行を成した男は、呆然と自分の両手を見る。そこには震える手があり、血濡れの刃物が握られていた。

 

「……は、はは」

 

 乾いた笑いが漏れる。何かが瞳から溢れ、両頬を濡らすが気にならない。それは、きっと自分が抱いてはいけない感情だから。

 

「……ぐっ……う、うぅ……」

 

 吐き気を催しながらも、クライムは震える手に力を込めた。まだ、最後の仕事が残っている。

 

「――――」

 

 血濡れの刃を見ながら、クライムは色々な事を思い出す。あの雨の日、彼女と出会った時を。それからの苦難と、それでも輝かしかった王城での生活を。楽しかった、まだ何も知らず幸せだったあの日々を。

 だが、それも今日で終わりだ。

 自分と彼女のために失われた、多くの命に贖罪を。さあ――二人の罪を清算する時がやって来た。

 

「――――」

 

 クライムは自らの首に刃を当てる。一度、深呼吸をして――未だ愛する女を視界に収めた。それでも美しいと思える、黄金の女を。

 

 それを最期まで視界に収めたまま、クライムは両手に力を込めて一気に横へ振り抜いた(・・・・・)

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

「……おい、ラキュースはどうしたんだ」

 

 顔を伏せて消沈した様子のラキュースを見たブレインが、アインズに訊ねる。アインズは「いや……」と言いにくそうに言葉を濁さざるを得なかった。

 ガガーランやティアとティナが、ニヤニヤしながらラキュースの姿を見ている。

 

 ――ラナーの元から宿泊施設へ帰って来た時にアインズが見たのは、廊下で酒瓶を抱えて寝言を呟いているあられもない(・・・・・・)姿のラキュースであった。

 

(完全に酔っ払いだったなーあれは)

 

 揺さぶっても全く起きないため、仕方なく抱えて彼女達のいる部屋へ向かい――ドアの開く音で起きた彼女達はラキュースと彼女を抱えたアインズを見て――爆笑した。

 おそらく、他の三人も酒が入っていたのだろう。それで遠慮なく大笑いしたに違いない。……結果。朝、目を覚ましたラキュースはずっとあの様子だ。

 

 ……昨晩の彼女達の酒宴は、きっと心配が晴れた反動でもあるのだろう。アインズはそんなラキュースの様子に複雑な感情を禁じ得ない。

 

 ――始まりは、些細なものだった。簡単な疑問だった。

 アインズは友情を大切にしている。今でも、アインズ・ウール・ゴウンの思い出を宝のように思っている。

 だからアインズは疑問だったのだ。――黄金のラナー。慈悲深く、友情に篤いその女が、どうしてラキュースを死地に向かわせるような事をするのかと。

 クライムを蘇生するように頼む。これは分かる。だが――犯人を見つけろとはどういう事だ。もしかすると、その犯人はラキュースよりも強く、ラキュースも殺されるかも知れないのに。

 ラキュースの強さを信頼していた、と言えば聞こえはいい。だが、彼女達がしきりに「ラナーは天才だ」と褒めていた言葉が頭から離れず――アインズは少しの罪悪感と共に、ラナーの様子を覗き見た。

 

 そうしてラナーの様子を覗き見たアインズが目にしたのは――鏡の前で笑顔の練習をしている、異様な女の姿だった。

 

 そこから、アインズはラナーの様子を徹底的に探った。たった一人だけの時の行動を。クライムの前で早変わりする異常な姿を。ラナーという女のおかしさを見続けた。

 

 ……そして、昨晩あの女はアインズの前で本性を見せた。アインズの前で演技をする不利を悟ったのか、何なのか――正確な所は分からないが、ラナーはアインズに告白したのだ。

 

「――――」

 

 その時、ラナーから指摘されたある事実を思い出し、アインズは不快感を覚える。あの女は、確かに凄まじい慧眼の持ち主であったと、そう思い起こして――

 

「――――」

 

「……イビルアイ」

 

 背後から、どすっとアインズにぶつかってきた衝撃に、アインズは立ち止まって背後を見る。そこにはイビルアイが小さな体躯でアインズの背中に張り付いていた。

 

「どうした?」

 

 アインズはそんなイビルアイを不思議に思い、訊ねるがイビルアイは何も言わない。ただ、アインズの背中に張り付いているだけだ。

 強く。強く――まるで暖かさを分けるように。アンデッドの体を冷たい鎧に押し付けている。

 

「アインズ……今、楽しいか?」

 

 イビルアイは仮面の顔を見上げて、アインズを見つめる。アインズはイビルアイの様子に首を傾げながら――朗らかに、確信をもって言えた。

 

「ああ――楽しいとも」

 

 この冒険が。この未知が。アインズは楽しい。それは決して嘘なんかではない。イビルアイ、ブレイン、ラキュースにガガーラン。ティアとティナ。仲間達との冒険は――確かに輝いているのだと、アインズは確信をもって告げられるのだ。

 

 そのアインズの言葉を聞いて、イビルアイは笑った。仮面で見えないが、アインズはそう思ったのだ。

 

「そうか――。きっと、もっと、ずっと楽しくなる」

 

 イビルアイの言葉に、アインズは頷く。

 

「ああ、そうだな――」

 

 きっと、これからもっと楽しくなる。この日々は、輝いているのだと。アインズもまた、(ヘルム)で覆われた顔で笑った。

 

「さあ、エ・ランテルへ戻ろうか」

 

「ああ!」

 

 ラキュース達が急に立ち止まって距離の開いたアインズとイビルアイを待つために、立ち止まっている。その四人に手を振って、二人は朝陽を背に待っている仲間達の姿を追った。

 

 

 

 

 




 
ブレイン「双龍閃とか言った奴、屋上」

アインズ「邪神教団とか怖いですわー」
ラナー「ですわー」
ジルクニフ「これやるわ(つ鏡)」
 


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Greed and Selfless Ⅰ

 
■前回のあらすじ

タイトルの邪神ってどういう意味なの?
1.邪神教団 2.アインズ 3.ラナー

ジル「うーん。悩むなぁ(1番の選択肢を捨てながら)」

 


 

 

 ……はーっ、はーっ……

 

 緊張で息を荒げながら、彼は必死に身を縮めながら歩いていた。くぐもった呼吸の音が微かに空間に響き、空気を震わせている。

 ずるずる。ずるずる。引き摺るように歩く。なるべく音を立てないように。誰にも、今の場所がばれないように。

 そう、彼は逃亡者だった。

 

 ……はーっ、はーっ……

 

 恐ろしさに心臓の音が五月蠅いくらいに鳴り響く。周囲にも聞こえているのではないかと思えるくらい、激しく動く心臓を止めたくて仕方ない。

 ああ、止められるものなら止めたかった。これが生きるのに重要な器官でなければ、すぐにでも叩き潰して音を止めてやるのに。

 

 ……はーっ、はーっ……

 

 擦れて、くぐもった音が口から洩れる。呼吸と鼓動がこの空間に響いている。坑道内はとても暗く、狭いがそれでも止まるわけにはいかない。

 そう、止まるわけにはいかない。足を止める事は出来ない。

 止めたら、殺される。食われてしまう。生きたい。

 だから、止まらない。

 

 ……はーっ、はーっ……

 

 必死に、けれど慎重に歩く。坑道内は複雑だ。幾つもの出入り口に分かれているため、追跡するのは容易ではない。その事実を信じ、必死に前へ進んでいく。

 

 ……はーっ、はーっ……

 

 ざりざり。ざりざり。足元から土の音。

 

 ……はーっ。はーっ……

 

 自然発光する鉱石で作られたランタンが、地面に敷かれたトロッコの線路が、進むべき道を照らしている。それだけが今の彼が信じ、頼れるモノ。

 

 ……はーっ、はーっ……

 

 やがて、トロッコの線路が途切れ、微風が彼の体を撫でるようになった。出口が近い。地上が近い。地上は恐ろしい(・・・・・・・)が、それでもこの圧迫感よりはマシだった。

 

 息を荒げながら、前へ進む。この些細な微風を頼りに、進んでいく。出口から差し込む太陽の光が目を刺し、視界が白く灼かれ見えなくなる。

 けれど、心を満たすのは不安ではなく安堵だった。ようやく、この地獄から解放されるのだ、と。

 その、見えなくなっていく視界の中で。

 

「ひ――――」

 

 角を、翼を、尾を持つ巨大な生き物が、その出口で彼が来るのを今か今かと待ち構えていた……

 

 

 

 

 

 

「射出!」

 

 ラキュースの肩の周囲に滞空していた浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)が一斉に撃ち出され、空を切って目の前の敵を滅多刺しにする。相手は避けられない。何故なら、足元をイビルアイの魔法〈砂の領域・対個(サンドフィールド・ワン)〉で固定されてしまっているから。

 ……しかし、付属されている盲目化・沈黙化・意識朦朧などの追加効果は抵抗されている。もっとも、機動性を殺しただけでも十分なのだが。

 

 足元を固定され、身体を滅多刺しにしようとする剣群を前に相手はぐらりと体勢を崩した。剣群は刺さらなかったが、その衝撃は有効でバランスが崩れる。そんな相手に向かい、更に容赦のない追撃が放たれた。

 

「うおおぉぉぉおおおッ!!」

 

 複数の武技を同時に発動させ放つ、ガガーランの超級連続攻撃。防御武技〈不落要塞〉でもなければ防げないその超火力攻撃が体勢を崩して満足に防御出来ない相手の肉を削っていく。刺突戦槌(ウォーピック)が抉り取った肉片は周囲の地面に散らばり、その巨体の体積が僅かにだが減っていった。

 そこへ。

 

「――――」

 

 アインズの人間離れした筋力から放たれたグレートソードの一閃。頭の天辺から振り下ろされたその大剣の攻撃は、相手の頭部にめり込んだ後、止まる。

 脳天に半ばまで食い込んだグレートソードを物ともせずに、アインズの持つグレートソードより更に巨大な刃物が、アインズに向かって振り下ろされた。

 

「不動金剛盾の術!」

 

 アインズの前に七色に輝く眩い盾が生まれ、その大剣を受け止める。ティアの行動を追うようにティナが動いた。

 

「大瀑布の術!」

 

 自分達を視界から隠すように、相手の巨体を何処からともなく出現した水が覆う。その間にアインズはグレートソードを横薙ぎに払って相手の頭部から引き抜き、並外れた脚力で最前線から下がった――そして、アインズの代わりに視力を失おうと一切関係の無いブレインが前に躍り出る。

 

「シィ――!」

 

 そして一閃。最早人類には認識出来ない剣速で放たれた一撃は、正確に相手の首を狙い――僅かにめり込んだ後ブレインは即座に刃を返して引き抜く。

 何故なら――

 

「ふぁふぁふぁふぁ!」

 

 くぐもった笑い声が聞こえる。下卑た笑い声だ。その嘲笑に誰ともなく舌打ちを漏らす。

 

「……トロールの再生能力を舐めていたな」

 

 やはり、物理攻撃では致命的なダメージを与えられない。ガガーランの連続攻撃ならば多少削れもするが、アインズやブレインでは再生能力のせいで途中で刃が止まる。つまり今のアインズ、ガガーラン、ブレインにとっての最悪の相性。ラキュースやティア、ティナでは更に攻撃力が足りないため相手の防御力を突破する事自体が難しいだろう。

 

「――となれば、仕方ない。イビルアイを主軸に攻撃を与えるとしよう。奴の持つ武器に気をつけろ――ティア、ティナ。攻撃が当たらないようにサポートに徹してくれ」

 

 アインズの言葉に無言で双子が頷く。イビルアイはサポートを止め――トロールの再生能力を無効化する酸系の魔法を行使した。

 

 

 

「――お疲れ様でした。『トブの大森林・東の巨人討伐』依頼の達成を確認しましたので、報酬をお受け取り下さい」

 

 エ・ランテルの冒険者組合まで帰って来たアインズ達は、アインズにとっても馴染み深い受付嬢――イシュペンに報告した後、報酬を受け取った。

 この依頼主は皇帝ジルクニフであり、報酬はアダマンタイト級に相応しい破格の報酬金となっている。

 

 ……冬を越して春になった現在、帝国はトブの大森林の周囲に砦を築くためにカルネ村などの周辺村落を吸収し、エ・ランテルを基点に防波堤を広げていた。目下のところ、帝国の一大プロジェクトである。

 暇をしていた冒険者達も色々と駆り出され、“漆黒と蒼”が法国から受けていた依頼内容であるトブの大森林の探索地図を共有し(勿論、法国から許可は取っている)、徐々に大森林の謎は解き明かされてきていた。

 

 ――森の賢王が支配し、クルシュ達リザードマンが棲む南の森。

 ――西の魔蛇と呼ばれる魔法を使う魔物が支配している、未探索の西の森。

 ――そして、トロールやオーガなどが棲み、東の巨人が支配していた東の森。

 

 西の魔蛇の方が未探索なのは、そちらがリ・エスティーゼ自治領の方が近い位置だからだ。現在、あまりよろしくない話満載のそちらは、放置されている。アダマンタイト級冒険者も現在いないため、探索に乗り出す余裕が軍にも冒険者組合にも無いのだ。

 

 対して、南の森はアインズ達が法国からの支援もあり比較的早く探索し尽くしている。支配者が大変理知的な一帯だけあり、敵愾心の無いリザードマン達しかいない事もあって探索が早めに終わったのだ。

 なので、帝国が乗り出した後は軍とも協力して東の森を調べていた。軍と冒険者組合が協力しているのは、ジルクニフの名前でトブの大森林に関しての依頼が山のようにあるからである。

 

 ゴブリン達の間引き、森の詳細な地図、貴重な薬草の採取――挙げれば幾らでもあった。

 

 皇帝の名前で依頼を出しており、かつ周辺の魔物討伐は基本軍が行っているため手が空いている事もあって、帝国の冒険者組合はトブの大森林の依頼を集中してこなしていた。

 

 ――そして、アインズ達が受けた依頼はジルクニフからの指名依頼――“漣八連”や“銀糸鳥”などでは達成不可能なため“漆黒と蒼”が選ばれたのだ。

 元々帝国にいたアダマンタイト級冒険者“銀糸鳥”や“漣八連”は、周囲から人類最強の切り札(アダマンタイト)としては明言しかねるという扱いを受けている。“銀糸鳥”のリーダーは英雄級なのだが、それでもアダマンタイト――とは言い辛かった。

 それに、彼らはトブの大森林に詳しくない。そのため冒険者達の探索で東の巨人の存在が確認された後は、アインズ達の方に指名依頼として討伐依頼が回って来た。

 

 ……ちなみに、表層の探索はある程度何とかなっているが、地下のゴブリン帝国やマイコニドの集落の詳細は未だ不明となっていっる。

 

「あのトロール、面倒臭い奴だったなぁ」

 

 報酬を受け取り拠点の黄金の輝き亭へ帰ってきたアインズ達は、酒場でくつろぎ愚痴を言っていた。

 

「確かにな。トロールの再生能力ってのは凄いぜ」

 

 ガガーランの言葉にブレインも同意を示す。ブレインはトロールとは遭遇した事が無かったらしく、その面倒臭さに眉を顰めていた。

 

「火炎系と酸系の攻撃には再生能力は発揮されないけれど、とても強かったわね。森の賢王と並ぶって言われている意味がよく分かったわ」

 

 いつかの森の賢王(アインズにとってはただの巨大ハムスターだが)を思い出したラキュースが、感想を漏らす。

 

「アレは高位の魔法詠唱者(マジック・キャスター)がいないと辛かろうな」

 

 イビルアイの言う通り、イビルアイがいなくてはアインズ達では討伐は難しかったかもしれない。

 

「でも、おつむの出来が致命的」

 

「助かった」

 

 ティアとティナの感想は全員の同意だろう。とんでもないアホであったため、まだ余裕を持てた。これで森の賢王並みの知能を持っていた場合、討伐は困難を極める。

 

「……まあ、後は残ったオーガやトロール、ゴブリンをどうするかだがそちらは他の連中に任せるか」

 

 東の巨人の部下達はまだ残っているが、その辺りは全て帝国軍や他の冒険者達がどうにかするだろう。彼らはクルシュ達と違って人類との共存が不可能であったため、アインズも交流には消極的だ。対話には一定の知性が必要不可欠なのである。

 

 そうして酒場であれやこれやと騒いでいると、アインズ達に話しかけてくる者がいた。

 

「申し訳ありません……もしや、アダマンタイト級冒険者“漆黒と蒼”の皆様ではないですか?」

 

「ん?」

 

 全員で視線を声の方へ向ければ、そこには老人の執事と珍しい事にラビットマンのメイドを背後に控えさせた、恰幅の良い男が立っていた。

 

「そうですが、貴方々は……?」

 

 アインズが訊ねると、男は笑顔を浮かべて名乗る。

 

「おお! やはりそうですか! お初にお目にかかります。私は帝都アーウィンタールにある闘技場のプロモーターの一人、オスクと申します」

 

「オスク? ということは武王のところのか」

 

 イビルアイがその名を聞いて興味を示した。アインズも武王――という単語で、以前イビルアイに説明してもらった事を思い出す。

 武王は闘技場で最も強い者に贈られる称号――即ち、今目の前にいる男こそ、闘技場で最も力のある商人という事だ。

 

 イビルアイの言葉にオスクは笑顔のまま頷く。

 

「その通りです。武王は私の子飼いの剣闘士です。お詳しいのですね」

 

「いや、少しばかり耳に挟んだだけだ」

 

 だが、王国民であったのに知っているだけで、十分詳しいだろう。実際、ラキュースなどは武王と聞いて初めてオスクという商人の事を知った顔をしている。

 

「“漆黒と蒼”の皆様のご活躍は帝都にも響いております。お目にかかれて光栄に思います」

 

「ありがとうございます。しかし、帝都から遥々来られたのですか?」

 

「はい。実はお恥ずかしながら皆様方に指名依頼を届け出ようと思い、エ・ランテルまで移動してきました」

 

「わざわざ私達のところまで、ですか?」

 

 アインズの言葉に、オスクは頷く。

 

「はい。もしよければ、明日にでも組合の方で話をさせていただきたいのですが……」

 

「ふむ……まだ受けるとは言えませんが、明日の朝また組合の方に顔を出させていただきますよ」

 

 オスクはにこりと笑った。

 

「はい! お待ちしております」

 

 

 

 宿泊部屋の方へ帰ったオスクは、興奮気味に執事やメイドの姿をしている首狩り兎に捲し立てる。

 

「あー幸運だ! なんということだ! 憧れのガガーラン殿に会えるなど!」

 

 オスクはガガーランのファンだった。オスクは筋肉を重視した肉体美を好む性癖があり、ガガーランこそが理想の見た目の戦士だったのだ。

 

「しかし、見たかぎりではリーダーのゴウン殿も中々の丈夫……あー! 鎧の中に隠されたその肉体美を見せてもらえないものか!」

 

 そしてそんなガガーランに負けない体躯に見える全身鎧(フル・プレート)のアインズにもまた、興味を示す。そんな雇い主(オスク)を見て、首狩り兎は呆れ顔だ。

 

「オスク様」

 

 暴走する主人に執事が声をかける。その執事の声に「おっとっと……」と正気に戻ったオスクは、首狩り兎に訊ねた。

 

「それで、首狩り兎よ。彼ら“漆黒と蒼”の評価はどうだ?」

 

「超級にやばい」

 

 首狩り兎は淀みなく答える。見れば、鳥肌が立っていた。

 

「ふむふむ。やはりアダマンタイト級なだけあって、首狩り兎では勝てない相手か」

 

「というか、たぶんアインズ・ウール・ゴウンとイビルアイは、以前馬車の中ですれ違った二人組だと思う」

 

 帝都ですれ違った二人組――首狩り兎が絶対に遭遇したくないと思った気味の悪い二人組だ。実際、首狩り兎はあの二人の前に立った時生存本能が凄まじい音で警告を発していた。

 首狩り兎の亜人種としての勘だが……おそらく、あの二人はあのチームの中で突出している。

 

「武王同様の強者か……ますます興味深い。あー! ゴウン殿が闘技場に何とか出てくれないものか! 出場してくれれば確実に儲かるというのに!!」

 

 そして、きっと武王との約束も果たせる。

 

「とりあえず、そのための種を撒くか。依頼を受けてくれればいいが……」

 

 依頼内容を思い出し、オスクは目の前の机に突っ伏する。執事と首狩り兎はそんな主人の姿を呆れ顔で見守ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 翌日、アインズ達が冒険者組合を訊ねると即座にイシュペンから声をかけられた。指名依頼が入っているらしい。おそらく、昨日オスクが言っていた依頼の事だろう。

 会議室の一つに案内され、そこには既にオスク達が座っていた。オスクはアインズ達の姿を確認するとすぐに立ち上がり、挨拶する。アインズ達も挨拶を返した。

 そして、早速本題に入る。

 

「さて、今回私が貴方々に頼みたいのはドワーフ達のことについてなのですが」

 

「ドワーフ?」

 

 ドワーフとはエルフと同じく人間種の一種であり、エルフと同じくダークドワーフという種も存在している。アゼルリシア山脈に王国を築いており、帝国は貿易相手でもあるため、エルフと違って法律で人権を守られている種族だ。

 

「そのドワーフ達がどうしたんですか?」

 

「はい。実は帝国では以前から小さいながらも貿易相手として取引をしていたのですが……」

 

 オスクは簡潔にアインズ達に状況を説明した。

 

 バハルス帝国は以前より、アゼルリシア山脈にあるドワーフの王国と貿易を行っていた。

 もっとも、貿易とは言っても山から下りてきた数人のドワーフ達と、幾つかの剣を買ったりするくらいだったらしいが。

 しかしどれほど小さかろうと貿易は貿易だ。ましてやドワーフ達の製造する武器や防具は性能が高く、人気商品である。帝国は常にドワーフ達と関係を保ち続けてきた。

 

 ――だが、それが今年の春、遂に途絶えた。正確に言えば、ドワーフ達が山を下りてこなくなった。

 

 アゼルリシア山脈やトブの大森林は人外魔境だ。下りてこなくとも不思議はない。しかし、一定期間で必ずあった訪問がなくなるというのは、帝国にとって少しばかり気になる違和感を与えていた。

 しかし現在の帝国は忙しい。エ・ランテルを加えて大きくなった領土に、トブの大森林からやって来る魔物達の防衛。原因を探るには、帝国の身は忙し過ぎた。

 よって、些細な違和感は見逃さざるを得なかったのだが――

 

「貴方は違う、と」

 

「はい。実は私は武器などをコレクションするのが趣味でして……ドワーフ産の武器もオークションに出品されれば必ず競り落とすほどに。なので今年はドワーフ達がやって来ないという噂を聞き、遂に我慢できずこの依頼を出そうと思ったのです」

 

「他のアダマンタイトには?」

 

「皆さんがもっともトブの大森林に詳しいと聞きました。正直、金に糸目はつけないつもりです。それと――」

 

 オスクは懐からチケットを取り出す。

 

「こちら、帝都の闘技場のVIPチケットです。よければこちらも」

 

「は、はあ!?」

 

 思わずアインズ達は声を上げる。闘技場のVIPチケットは貴族でもなければ払えない高額チケットだ。庶民の娯楽とはいえ、当然貴族達だって娯楽にしている。あの皇帝でさえ時折観戦に来るくらいだ。

 それを人数分――つまり七人分。しかも無期限。オスクの本気度が窺えた。

 

「なるほど……しかし、それほどの報酬を用意してもらっても、よい結果に繋がるとはかぎりませんよ? ましてや、トブの大森林はともかくとしてアゼルリシア山脈には、まだほとんど足を踏み入れていません。ドワーフの王国の位置をご存じで?」

 

「いえ、帝国もそこまでは……。ただ、地下に存在することは確かなのですが……」

 

「でしたら、正直期限付きでは難しいでしょう。それに山脈を旅するとなると、そのための費用もかなりのものになります。それでもかまわないと?」

 

「はい――。とりあえず、期限は次にドワーフ達が帝国を訪れるまでとさせていただきたい。なんでもないのなら、それが最善ですので。必要経費として幾つか前払いさせていただきますが、中止となった場合でも前払い報酬は返却していただく必要はありません」

 

 そうして幾つか更に細かく決めていくが――ひたすらにオスクの本気度が分かるだけであった。

 

「……なるほど。では、仲間と依頼を受けるか相談しますので、少々お待ち下さい」

 

 アインズ達は席を立ち、別室に移動する。そして――

 

「え? マジか?」

 

 アインズのその言葉を皮切りに全員がそれぞれ感想を告げる。

 

「あのおっさん、マジで武器のコレクション程度に、それだけ払う気か?」

 

 ガガーランが呆然と口を開き。

 

「か、完全に金持ちの道楽だわ!」

 

 ラキュースが元貴族として愕然の表情になり。

 

「自分で使うわけじゃないよな? あのおっさん、どう見ても戦士じゃねぇし」

 

 実用性皆無だというのにその情熱にブレインはドン引きし。

 

「趣味に人生を捧げている節が垣間見える」

 

「ああいう人間は結構いる」

 

 ティアとティナが今までの人生経験から多少の理解を示し。

 

「……それで、この依頼は受けるのか?」

 

 イビルアイが軌道修正する。

 

「…………」

 

 全員難しい顔で考え込んだ。と、いうのもこの依頼は金銭の問題ではないからだ。

 

 まず、ブレイン以外は実経験があるのだが、アゼルリシア山脈はドラゴン種族が多数生息している真実の魔境である。ドラゴンの一匹や二匹程度ならばどうにかなる自信があるが、それでも四六時中襲われると思うと厳しいものがあった。

 ドラゴンは最強の種族である。例えばビーストマンという亜人種がいるが、彼らの一レベルは人間にとっての十レベルだ。ビーストマンでさえ種族として圧倒的ステータス差があるのに、ドラゴンはその上をいく。

 例えばアインズとラキュース達が初めて会ったときに戦っていたあのブラック・ドラゴン……あれがつがいで“蒼の薔薇”の前に現れた場合、彼女達は全滅するだろう。そういう交通事故のような状況が、無いとも言い切れないのだ。

 救いとしては、基本的にドラゴンは群れで活動せず、更に縄張りも広いため遭遇する危険性自体は少ない。

 だが、アゼルリシア山脈にはどれほどの魔物が潜んでいるか、分からない。アインズ一人ならば平然と活動できるが、冒険者チームとしては活動困難だと言わざるをえないのだ。

 

 そうして全員が迷っていると、ラキュースが口を開いた。

 

「私は、やりたいわ」

 

「そうだな。俺もだ」

 

 そして追随してガガーランも同意する。

 

「なんでもなければいいけれど、もしかするとドワーフ達に何か起こったのかもしれないし。それなら一刻も早く解決した方がいいと思うの。それに、私達で駄目なら、きっと帝国では全員駄目だわ」

 

 ラキュースの言葉に、アインズは頷いた。

 

「確かにそうだな。俺達が解決できなければ、帝国では誰も解決できん。ドワーフ達に何か起きていた場合、それに帝国まで巻き込まれる可能性は低くない。支援があるうちに、早めに手を打っておく方が無難か」

 

「ドラゴンが相手では軍は役に立たんだろうからな。私達が行く方が得策か」

 

 アインズの言葉に、イビルアイも頷く。

 

「俺も別に不満はないぜ」

 

「同じく」

 

 ブレインと双子の言葉に、“漆黒と蒼”の方針は決まった。

 

「では、この依頼は受けるということで」

 

 

 

 

 

 

 アインズ達はまず帝都に行き、そこで色々とアイテムや食料を揃えた後にトブの大森林を迂回するように山を登った。馬は連れてきていない。アインズの馬のゴーレムを荷物持ちにして、ティアとティナを先頭に魔物に注意しながら山を登っていく。

 アゼルリシア山脈の山々は大自然に溢れており、アインズの心に高揚をもたらした。

 

(やっぱりこういう大自然はいいよなぁ……。冒険っていうのはやっぱこうじゃないと。ドワーフの国は別に見つからなくても、こうして旅をしているだけで今回の依頼は価値があったな)

 

 とは言っても感動が過ぎると抑制される。精神異常無効の感情抑制は、便利な事もあるが腹の立つ事も多い。

 

(こうして異世界に転移するんだったら、アンデッドじゃなくてもっと違う異形種を選択するべきだったかな)

 

 この体では飲み食いさえ出来ない。しかし、まさか異世界転移するとは想像できるはずもないのだから、そんな事を想定してゲームの種族を選ぶなぞ不可能だ。アインズのこれは、単なる無いものねだり――意味のないものである。

 

 そうして地図を作製しながら、様々な場所を見ていく。意味深な岩の裂け目などは、特に気にかけるべきものだ。それでもやはりドワーフ達の国らしきものは発見出来ず、数日が経った。そろそろ、一度人間の街に帰ろうかという時に――アインズ達はそれを発見した。

 

「また裂け目か」

 

 ティアとティナが先行し、そして少しして入口で待っていた五人のもとへ帰って来る。

 

「かなり深い」

 

「もしかしたら正解かも」

 

 どうやらかなり深い穴のようで、アインズ達はティアとティナを先頭にして裂け目の中を歩く。山脈の地下はぎりぎりアインズの馬のゴーレムも通れる大きさだったため連れていった。道は暗いがアインズには無意味であり、イビルアイの魔法があるため全員暗闇でも周囲を見通せる。

 しばらくして――アインズ達はかなり大きな地下に出来た裂け目を発見した。

 

「吊り橋のかかっていた跡があるな」

 

 イビルアイの言う通り、そこには吊り橋がかけられていた跡があった。しかし、何者かに落とされたのか肝心の道が無い。

 

「かなり深いな」

 

 アインズは裂け目の崖下を覗き込む。ラキュース達もアインズ同様崖下を見た。しかしそこには暗闇が広がるばかりで、底は全く見えない。手頃な石ころを拾い、ブレインが崖下に投げ入れると物音一つ返ってくる事はなかった。

 

「こりゃ、落ちたら間違いなく死ぬな」

 

 ガガーランの言葉に、全員同意する。ティアとティナだけは周囲を警戒しており、何があったか調べていた。

 そして――

 

「ストップ」

 

 双子の言葉に、アインズ達は動きを止めた。

 ティアは周囲に耳を澄ませ、ティナは地面にうずくまり耳をつけて振動を気にしている。全員は無言だ。

 

「…………」

 

 全員がほぼ臨戦態勢となっている。ブレインは刀に手をかけ、アインズも背後のグレートソードに手をかけすぐに引き抜けるようにしており、ラキュースやガガーランも同様に武器に手をかけている。イビルアイは無詠唱で〈飛行(フライ)〉を使って地面から浮いた。

 

「…………」

 

 誰もが無言で周囲を警戒していると――

 

「敵襲! 地中!」

 

 ティナが叫び声を上げ、全員が即座に地面を見た。そして武器を構える。

 

「――――」

 

 地面から飛び出してきた影を、アインズはグレートソードで即座に真っ二つにする。そしてその感触に、アインズは驚愕した。

 

「硬い?」

 

 アインズでも硬いと思う強度だったのだ。力任せに斬り込める程度の硬さではあるが、普通の魔物とは違う硬度が存在した。

 

「ギャッ!」

 

 真っ二つにされた魔物は上半身だけでそう叫び声を上げて息絶える。続いて甲高い金属音が響き、見ればラキュースやブレインの刃を受け止めている。

 

「クソッ! マジで硬ぇ! なんだこいつら!?」

 

「この……!」

 

 二人は即座に蹴り飛ばして距離を取る。イビルアイが即座にその二匹に向かって〈雷撃(ライトニング)〉を放ち、二匹は絶命した。ガガーランは力任せに魔物を吹き飛ばし、魔物は咳をして悶えている。ティアとティナはラキュースとブレインの攻防を見て即座に切り結ぶのをやめ、距離を取っていた。

 

「斬撃耐性? いや、金属武器に対する耐性か? なんだこいつらは?」

 

 二足歩行の巨大なモグラのような魔物達は、文字通りもぐらのように次々地面から出てくる。そしてそいつらはアインズ達に飛びかかってきた。

 

「っと!」

 

 それぞれ武器で防ぎ、イビルアイが先程の攻防で雷属性が弱点だと判断してそれぞれに電撃に対する耐性を付属する魔法をかけていく。アインズは即座にイビルアイが何をする気なのか見抜き、一人別の場所に距離を取った。アインズが近くにいては、イビルアイの魔法を消してしまう。

 

 一人離れたアインズを狙って魔物達が飛びかかってくるが、アインズは一撃で切り伏せていく。他の者達と違って、アインズにはこの魔物達の金属武器耐性は通用しない。普段通り、力任せに剣をふるっていれば文字通り真っ二つだ。

 

 そしてその間にイビルアイは準備を整える。範囲攻撃の〈雷撃球(エレクトロ・スフィア)〉だ。これで一網打尽にする気なのである。

 魔物達はイビルアイの方角を見て威嚇音を上げるが、無意味だ。しかし殲滅は不可能だろう。なんと言っても数が多い。

 

 イビルアイが魔法を放つ瞬間――アインズは自分のバランスがずれた事を感じ取った。いつの間にか、アインズの立つ地盤が崩れている。おそらく、魔物達がアインズと近接戦する愚を悟り足場を崩したのだ。

 

「おっと、これはいかん」

 

 鎧の重量で、アインズはそのまま崖下に飲み込まれていく。崖は深い。別に死にはしないだろうが、この崖下に何か高レベルの魔物がいれば、戦士姿のままでは相手に出来ない。アインズは落ちていく最中に、魔法を解いて鎧を脱ぐ。

 

 上からは、イビルアイのアインズの名を呼ぶ声が聞こえた。

 

 

 

「ア、ア、ア……」

 

「アインズが落ちたああぁぁぁぁッ!!」

 

 イビルアイの絶叫が響く。魔物達がイビルアイの魔法で既に不利を悟ったのか、逃亡していた。ティアとティナはまだ周囲を警戒しているが、ラキュースとガガーランは即座に崖下を覗き込む。

 

「これは……」

 

「まずいかもな」

 

 ラキュースとガガーランは生存確率はかぎりなく低いと判断せざるをえなかった。

 

「急いで崖下に行く手段を考えましょう! アインズさんの強さなら私の復活魔法も耐えられると思うわ」

 

「そうだな。早くしなけりゃ間に合わんかもしれん。おいイビルアイ! 〈飛行(フライ)〉で降りて持ち上げられそうか?」

 

 イビルアイはガガーランの言葉に慌てながら答える。

 

「わ、私の体躯では無理だな、たぶん。そもそも〈飛行(フライ)〉の効果が間に合う距離かどうかも分からん……!」

 

 そんなおろおろとしたイビルアイに、ブレインが答える。

 

「ていうか、アイツまだ生きてるんじゃねぇか?」

 

「え?」

 

 ブレインの言葉に、全員が目を丸くしてブレインを凝視する。凝視されたブレインは若干居心地悪そうにしながら、答えた。

 

「いや、たぶんアイツまだ生きてるぞ。崖下に落ちたくらいじゃ死にそうにねぇ」

 

「ブレインさん、さすがに……」

 

 アインズでも無理では……とラキュースが言葉を発する前に、ブレインの言葉に落ち着いたイビルアイが頷く。

 

「そ、そうだな……。魔樹の攻撃でも生きていたくらいだ……それに――」

 

「それに?」

 

 ガガーランの首を傾げた言葉に、イビルアイは「はっ」として、首を横にぶんぶんと振って言葉を切る。

 

「と、とりあえず!! アインズは生きている可能性の方が高い。ただ、迎えに行かないという選択肢は無いから、なんとか崖下に降りる方法を探そう」

 

「まあイビルアイ、お前が言うんならそうなんだろうが……」

 

 さすがに底の見えない崖下に飲み込まれた戦士が無事、と言われてもにわかには信じられない。だが、イビルアイの信用は高い。イビルアイがそう言うなら生きている可能性もあった。それに、イビルアイは実際にアインズがあのラキュース達ではどう足掻いても勝てそうにない魔樹と戦っている姿も見ている。

 

「じゃあ、ミイラ取りがミイラにならない程度に、崖下への道を探しましょう。ティア、ティナ。頼める?」

 

「了解、鬼元ボス」

 

「任せて、鬼元リーダー」

 

 そして六人は、先程のおかしな魔物も警戒しながら、崖下への道を探して周囲を探索し始めた。

 

 

 

 

 

 

「……崖下は普通か。特にモンスターがいそうな気配も無いな」

 

 アインズは元の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の姿で周囲を探索して回ったが、特に反応する存在は何も無かった。強いて言うなら、白骨化した骨が色々なところに散乱しているだけだ。

 

 ……実際のところ、土の中にはモンスターが山ほどいるのだが、アインズのような恐ろしいアンデッドに近寄るアホはそういない。野生生物が本能で強者を避けて通るのと同じ理屈だ。マジックアイテムで隠していても、分かる者には分かる。そういう感覚が鈍っているのは無駄に知恵をつけ過ぎた人間種くらいなのだ。

 

 アインズは元の姿のまま、崖下を歩いていく。体感で判断するかぎり、間違いなく〈飛行(フライ)〉は崖上に戻る前に効果が切れる。別に落下しても特殊技術(スキル)のおかげで無傷なのだが、何度も落ちたいとは思わない。そもそも、魔法で上に戻った場合ラキュース達に対する言い訳が必要だ。

 

(そういえば、ユグドラシルではこういう崖の途中に横穴があって、そこで希少金属が採れるんだよな。探してみるか?)

 

 昔を思い出し、考える。しかし即座に却下した。希少金属は重要だが、今のアインズには必要の無い物だ。第一、この異世界で加工出来るほどの技術の持ち主がいるとはかぎらない。

 

(アダマンタイトまでしか加工したことがないんだよな。……巻物(スクロール)とか、回復薬(ポーション)だってユグドラシルとは製造方法が違うし。王国とか帝国だと無理だな。法国なら可能性が少しはあるか……?)

 

 法国はプレイヤーの作った国だ。ならば、希少金属の加工方法も知っているかもしれない。実際、法国の特殊部隊が装備している武具はこの異世界の物というより、ユグドラシル産とも言える雰囲気があった。

 

(けど、プレイヤーの遺産を使っているという線もあるか。……もし今度会ったら、こっちからも依頼してみるかな)

 

 手持ちのインゴットで適当な四五レベル程度の物がある。それを加工出来るかどうか聞いてみよう。なんだったら、一度法国を訪ねても構わないが――アインズは即座に却下した。向こうはアインズがアンデッドである事をまだ知らないはずであるし、洗脳系の世界級(ワールド)アイテムを持っている国は訪れたくない。

 

「……ふむ」

 

 しばらくアインズは崖下を歩くが、目ぼしいものは存在しないと思われた。アインズは魔法を使い、ダンジョン内を安全に歩くための二つの魔法を使う。一つは危険度の少ないルートを示す魔法で、もう一つは最短距離のルートを示す魔法だ。

 その魔法の案内役に従ってアインズは歩く。そして――

 

「これは……溶岩地帯か?」

 

 アインズは次第に高まる熱気を進み――魔法の効果が切れるくらいに、遂に灼熱の海へ到達した。

 

 ……アインズの知らない事ではあったが、このアゼルリシア山脈の一つラッパスレア山には〈転移門(ゲート)〉に近い能力を持つ天然の門が存在する。そのため、地下深くに存在するはずの溶岩が地表から僅か数キロも離れていない地下を流れている事があった。

 ここもそうした溶岩地帯の一つであり、人間であるならば既に死亡している場所だ。これが魔法で導かれた理由は唯一つ――ここがもっとも安全に、最短距離で進めるルートであったからに他ならない。

 つまり――他の道は更にここよりも危険であるという事。

 

 だが、アインズにとってはどうでもいい事であった。

 

「細い道があるな。面倒だ……〈飛行(フライ)〉で適当に登って行こう……」

 

 効果が切れる頃に細い道に下り、また魔法を使えばいい。アインズはそう結論付けて、空に浮かんでいく。

 ……アインズが去って少しした後、マグマの中を巨大な魚が優雅に泳いでいったが、お互いに存在に気づく事はなかった。

 

 アインズは休憩を入れながら空に浮かび、地表に出る。地表は涼しく、大自然に溢れていた。

 

「うん。やっぱこういう大自然に溢れている方がいいな!」

 

 先程の溶岩地帯は少しばかりナザリック地下大墳墓の第七階層を思い出し、感慨深かったがそれだけだ。やはり自然というのはこういう緑が溢れる場所の方が感動する。……もっとも、あまり感激しても抑制されて逆に心が荒む事があるが。

 

「さて、イビルアイ達が今どこにいるか探すかな」

 

 アインズは再び魔法を使って彼女達の姿を捜索しようとするが――空から聞こえてきた悲鳴に空を見上げる。

 

「うん?」

 

 アインズが目を凝らして空を見ると、ハーピー達と思しき姿を見つけた。

 

(ハーピーか。懐かしいなぁ……ペロロンチーノさんがよく「狩りにいきましょうよぉー」とか誘ってたっけ)

 

 勿論、ペロロンチーノが誘っていた理由は数少ないエロモンスターだからである。十八歳未満禁止な行為が禁止されている健全(?)なユグドラシルでは、見た目がエロいモンスターも希少であった。

 ちなみに、姉のぶくぶく茶釜にそう言ってはどつかれている姿も思い起こされる。

 

 ハーピー達は悲鳴を上げ、何かから逃げているようだが即座に捕まった。生態として、それから逃れる事はハーピー達には不可能だったのだ。それは圧倒的強者であったが故に。

 

「……グリーン・ドラゴンか」

 

 グリーン・ドラゴンは魔法と口、両手で器用にハーピー達を捕まえると、ガジガジと齧りついて貪っていく。世にも無情な弱肉強食の生態を眺めていると、グリーン・ドラゴンはこちらに気がついたようだった。

 

(喧嘩でも売ってくる気か?)

 

 グリーン・ドラゴンはアインズに視線を合わせると、あたふたと慌てた様子を見せたが滑空してアインズのいる地表まで降りてくる。その巨体が地面に着陸すると、グリーン・ドラゴンはアインズに対してへりくだった態度で話しかけてきた。

 

「だ、旦那じゃないですか! 本日はどういった用件でこの山に?」

 

 まるで発火するほど胡麻を擦り合わせるように、手を擦り合わせる姿を幻視したが、アインズは内心で首を傾げる。どうにも、初対面という気がしなかった。鈴木悟時代によく会社で見た光景だ。上司に抜き打ち検査された部下のような――

 

「――――あ」

 

 そこで、アインズも思い出した。このグリーン・ドラゴンの正体。アインズにとっても思い出深い相手だ。……この異世界に転移して、最初に遭遇したあのグリーン・ドラゴンである。

 

「……お前、俺にあのブラック・ドラゴン押し付けただろ」

 

 少し声を低くしてそう呟くと、グリーン・ドラゴンはピンと尻尾を立てて、頭をへこへこと下げた。

 

「その件は誠に助かりましたです、はい。旦那が望むんでしたら、すぐにでも巣から幾つか宝物を持ってきますけど……」

 

 へりくだった態度のグリーン・ドラゴンに溜息をついて、アインズは答える。

 

「いや、今のところいらん。それより、お前はこの山出身だったか?」

 

 アインズの記憶では別の山に巣を作っていると言っていたような気がする。グリーン・ドラゴンもそのアインズの考えを肯定した。

 

「いや、俺は別の山出身だぞ旦那。ここはフロスト・ドラゴン達が主に生息しているな」

 

「フロスト・ドラゴンか」

 

 ドラゴン種の中でも比較的弱い種族だ。属性としては冷気。アインズのようなアンデッドは冷気系の効果を無効化するので、特に警戒すべき相手でもない。

 

(いや、レベルが同じなら世界級(ワールド)アイテムの使用も視野に入れるべきか)

 

 アインズが現在唯一所有している世界級(ワールド)アイテムは、複数の能力を持つ。その中にドラゴンに対して有効な能力があるので、それを使う事も視野に入れておいた方がいい。油断は禁物なのだ。

 

「しかしお前、なんで縄張りの外に出てるんだ?」

 

 アインズが訊ねると、グリーン・ドラゴンはにんまりと笑顔を作った。……ような気がした。

 

「それは勿論、旦那! 連中が持つ宝を何とか奪えないかなっと」

 

「宝ねぇ……」

 

 グリーン・ドラゴンは喜び勇んでアインズに語っていく。

 

「実はこの山にはドワーフの国があるんだが、その王都を白き竜王が乗っ取っているんだ。時折何とかドワーフの宝を奪えないかと様子見に……」

 

「なに?」

 

 それは聞き逃せない。アインズ達はドワーフの国を訪ねに来たのだ。その肝心のドワーフ達の、よりにもよって王都をドラゴンに乗っ取られているというのは、聞き捨てならなかった。

 

「どうした、旦那?」

 

「いや……その白き竜王とは?」

 

「俺達ドラゴンの中でも最高位の年齢に到達したフロスト・ドラゴンだ。俺と同じく第三位階魔法も使えるし、それに頭もいい。自分の妻や子供も連れて、完全に王都を自分の巣にしているからな」

 

「ほお……」

 

 確かに、それは頭がいい部類だろう。普通のドラゴンは産みっぱなしで、放任主義の育児を行う。わざわざ育児をしようと言うなら、知性の高さが窺える。

 

「しかし、なんでまた家族連れなんだ?」

 

 家族愛にでも溢れているのだろうか。そうアインズが首を傾げると、グリーン・ドラゴンは声を潜めるようにして教えてくれた。

 

「ああ……連中、おそらくフロスト・ジャイアントに喧嘩を売るための準備をしているんだと思うぞ。あの二種族は、かなり長い間勢力争いをしているからな。どっちがこの山脈を支配するか争っているんだ。たぶん数を増やして優位に立ち、フロスト・ジャイアント達を完全に支配したいと考えているんじゃないか?」

 

「ふうん。……で、お前は何を考えているんだ?」

 

「そりゃ勿論! その戦争時にかこつけてがら空きの王都で宝を持ち逃げ……」

 

「お前ほんとドラゴンの(クズ)だな!?」

 

 まるで反省していない。アインズは戦慄した。

 

 グリーン・ドラゴンはそこまで説明すると、アインズに媚びを売るように猫撫で声で語りかけてくる。

 

「なー旦那ぁ」

 

「……なんだ?」

 

「俺と一緒に、王都に襲撃かけてドワーフのお宝奪っちまおうぜー」

 

「…………」

 

「旦那の強さなら、俺と同じぐらいかほんの少し強い程度のドラゴンなんて、余裕だよな? な?」

 

「まあ、お前程度の強さなら余裕だが」

 

「だったら一緒に行って、フロスト・ドラゴン共からお宝奪っちまおうぜ! 旦那が協力してくれたら、確実にお宝が手に入るし、わざわざ危険を冒す必要無いし……な? な?」

 

「…………」

 

 確かに、このグリーン・ドラゴン程度の強さならば多少上下しても余裕で対処出来る。それこそ一〇〇匹いようが問題無い。

 更に言えば、アインズ自身ドワーフ達の宝物というのが気になった。アインズはこの依頼を受ける前に、オスクからちょっとしたマジックアイテムを見せてもらっていたのだ。

 それはルーン文字の刻まれた剣である。ルーン文字はアインズ達の世界の物で、この異世界に存在するはずの無い物だ。気になったアインズが訊ねると、オスクはこれがドワーフの中でも有名な工房で製作された名作だと言っていた。

 

 存在しないはずのルーン文字。明らかに、プレイヤーの気配がする。イビルアイがドワーフについて語ってくれた十三英雄の中にもドワーフの英雄がおり、それがプレイヤーであった可能性は無いだろうか。

 

 そしてその場合――ドワーフの宝物庫の中には、プレイヤーの遺産が入っている可能性が高い。

 

(……やはり乗るべきか。コイツの提案は渡りに船と言うべきかな。イビルアイ達がいれば出来ない行動でもあるし)

 

 プレイヤーの遺産を漁るのは、さすがにイビルアイ達がいれば難しい行為だ。この世には山分けという言葉がある。プレイヤーの優れたマジックアイテムをアインズが彼女達の前で独占するのは、かなりまずい行為だ。アインズだって、わざわざ愛着のある仲間達からヘイトを溜める行為はしたくない。

 

 かと言って、プレイヤーの遺産を放置するのも問題なのだ。と言うのも、プレイヤーの適正レベルのマジックアイテムはこの異世界では強力過ぎる。アインズの持ち物の中には、ウルベルト・アレイン・オードルという男が作った、かなり邪悪なマジックアイテムがあった。それこそ平然と国の一つや二つが滅びるような効果の物だ。

 こういった物はアインズであれば問題なく対処出来るのだが、この異世界の住人では法国くらいしか対処出来ないのではないだろうか。そんな危険物を放置するのも、イビルアイ達に渡していつか大惨事になるのもご遠慮願いたい。

 

 そう考えると、やはり今イビルアイ達と別れたこのタイミング――ここが千載一遇のチャンスと見るべきだ。

 

「なあ旦那ー。俺は分け前四分の一でいいし、一緒に行こうぜー」

 

 猫撫で声で語りかけてくるグリーン・ドラゴンにアインズは考えた結果頷いた。

 

「いいぞ」

 

「!」

 

 アインズの言葉に、グリーン・ドラゴンは尻尾をピンと立てて喜びを顕わにする。

 

「マジか! マジだな! ホントだな旦那!」

 

「ああ、構わん。それと、四分の一とは言わん。幾つか俺に優先的に選ぶ権利をくれ。残りは全部お前にやろう。持ちきれんしな」

 

「!! い、いいのか!? もうダメだぞ! 一度そうやって選んだ後、“やっぱりこれもあれも”と言ってもダメだからな! もう渡さないぞ旦那!」

 

「分かった、分かった。安心しろ。ちゃんと約束してやる」

 

「!!」

 

 喜びを顕わにするグリーン・ドラゴンを、アインズは「ペットを可愛がる飼い主ってこんな気持ちなのかなー」と思いながら眺める。

 

(まあ、幾つかって言っても全部プレイヤーの遺産だったら根こそぎ持っていくけど)

 

 それでも、現地産の硬貨くらいはあるだろう。それくらいなら全部このグリーン・ドラゴンに渡してやっても構わなかった。もしプレイヤーの遺産が無かったり、ガゼフの持っていた指輪のような現地産特有のマジックアイテムも無かったりした場合は、適当なマジックアイテムでも選ぼう。

 

「おい、喜ぶのはいいがさっさと道案内しろ。こういうのは、早く済ませたいからな」

 

「そうだな旦那! さっさと全部貰っちまおう!!」

 

 グリーン・ドラゴンは大喜びで、アインズの前に身体を投げ出す。その意図が分からず「なんだ?」と訊ねれば「上に乗ってどうぞ」、と騎乗許可を貰った。

 それを聞いたアインズは、魔法で鎧を編み戦士姿になる。グリーン・ドラゴンは目を丸くした。

 

「だ、旦那! それどんな魔法だ!?」

 

「第七位階魔法。ちょっとした理由で人間の振りをしていてな。お前も俺は人間だと思って接しろよ」

 

 現地で唯一、アインズがアンデッドだという事を知っている生物だ。バラすんじゃないぞ、と言えばグリーン・ドラゴンはこくこくと頷いて、戦士姿のアインズを背に乗せると、魔法を使って木々を躱しながらその巨体を走らせる。

 

(ドラゴンに騎乗する漆黒の戦士! 最高に絵になる構図じゃないか今!?)

 

 騎乗しているドラゴンの性格が屑な事と、漆黒の戦士の正体がアンデッドだという事を除けば、とても絵になる構図だろう。アインズは自分が興奮している事が分かった。……だが、すぐに感情は沈静化する。どうやら興奮し過ぎたらしい。

 

(以前遭遇した森の賢王とか、絶対に騎乗したくないもんな! アレに乗りたがる奴の気持ちが知れないぞ)

 

 トブの大森林で遭遇した森の賢王――アインズには超巨大ハムスターにしか見えない――を思い出し、アインズは唸る。ガガーランやらブレインは、かっこよくて騎乗したいと言っていたが、アインズは願い下げだ。おっさんがファンシー生物に騎乗するとかどんな罰ゲームだ。死にたい。

 

 アインズはグリーン・ドラゴンの背に乗り、ドワーフ達の詳しい話を聞きながら王都へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 イビルアイ達はアインズが抜けた穴を埋めるために、更なる警戒をしながら大裂け目にそって歩いていた。当然だが、大裂け目のすぐ横を歩く事はしない。アインズのように墜落しても、〈飛行(フライ)〉が使えるイビルアイならともかく、他の五人は確実に死ぬのが分かっているからだ。アインズだから、まだ生存の目があると信じられる。

 

 しかし――さすがにこれ以上の探索は限界だった。

 

「……地表に戻るしかないわね」

 

 ラキュースの言葉に、全員異論の言葉は出ない。全員が分かっていたからだ。これ以上は、自分達の実力ではこの大裂け目は探索出来ない。

 

 ……実力差があり過ぎてアインズは気にしていなかったが、この大裂け目は人間が探索出来るような場所ではない。

 まず、そもそも姿が見えないモンスターが多過ぎる。大半のモンスターが地中に潜っており、足音を探知して地中から襲いかかってくる魔物を探知するのは、ティアとティナでさえかなりの神経を摩耗した。精神に打撃を与え、朦朧状態にしてくる種族もいる。精神系の攻撃を無効化するイビルアイがいなければ、下手をすればそれで全滅していたかもしれなかった。

 最初の襲撃以降、あのモグラのような魔物は襲って来なくなったが安心は出来ない。

 全員が文句なくアダマンタイト級の実力を誇るイビルアイ達であっても、この大裂け目を長時間探索するのは自殺行為であった。唯一周辺モンスターと実力差が離れて余裕をもって対処出来るイビルアイでも、ラキュース達五人を守りながらの探索とあっては厳しいものがある。

 

 ――現状。アインズの抜けた穴が、彼女達にかなりの負荷となって襲いかかっていた。そも、アインズはこのメンバーの中では防御役(タンク)の役割である。足も俊足だ。あらゆる生物の初撃を確実に受け止めてくれ、しかも魔法攻撃さえアインズがいれば無効化されてこのメンバーには届かない。そんな人物の抜けた穴を埋められる人材がこの世界にいるはずがない。

 アインズ本人も、彼女達自身も気づいていなかったがアインズの抜けた穴は大き過ぎた。今まで無意識に依存していた、圧倒的カリスマが唐突に抜けてしまったのだ。それで容易く瓦解するほど全員脆くは無いが、しかし過負荷は問答無用にかかってくる。

 

 アインズはその俊足と防御力でメンバー全員のカバーに入れ、必ず防御してくれる。――ガガーランでは足が遅過ぎ、逆に俊足のティアとティナでは防御が軽すぎる。

 アインズの攻撃力は圧倒的だ。――ブレインは一撃必殺のクリティカル攻撃には長けているが、基本は対人の一点特化型である。クリティカル攻撃が通用しないアンデッド系などのモンスターには相性が悪い。

 アインズの魔法防御は優れている。――第六位階以下の魔法は問答無用で打ち消すので、アインズの周囲にいれば絶対に攻撃魔法は届かない。イビルアイの魔法防御はそこまで問答無用でも理不尽でもない。

 アインズにはリーダーとしてのカリスマがあった。――ラキュースに無いわけではなく、むしろラキュースとてカリスマには溢れているが、この場合は相手が悪過ぎた。比べるべき相手はジルクニフやラナー級である。

 

 これが普段活動している平野や森ならば、アインズが抜けても問題無かった。しかしここはイビルアイ達にとっても未知の人外魔境。それもドラゴンさえ闊歩する魔界だ。アインズの抜けた穴は、とても見過ごせるものではない。

 

 ――――不慮の事故でメンバーが欠けるというのは、MMOではよくある事だ。不慮の事故でメンバーが欠けた場合、残りのメンバーの生存率が格段に下がるのは当たり前である。

 しかし、ここは現実。基本、二度目(コンティニュー)は存在しない。その状況下でメンバーの要と言っていい人物が抜けるのは、あまりに痛過ぎた。

 

 ここに、実力差が離れていながらメンバーを組んだツケが回ってくる。

 

 ……もし、イビルアイすらこの状況で抜けてしまったなら、ラキュース達は確実にこの大裂け目から抜け出せず、地表に戻れない。

 それが分かったから、アインズの捜索を断念せざるをえない。これ以上のメンバーの欠員は、確実に全員の生存率を急降下させる。

 

「心配するな。アインズならば自力下山も可能だろう。私達は一度山を下りるべきだ」

 

 イビルアイはそうラキュース達を安心させるように告げ、連れている馬のゴーレムを見る。ゴーレムだけあって、多少の戦闘能力があるらしくゴーレムは未だ全員の荷物を乗せたまま無事だった。

 そして同時に、所有権を持つアインズがいないにもかかわらずいつもの姿に戻らずこの巨体を維持しているという事は、アインズが未だ無事である事の証拠とも言える。……もっとも、所有権が既に別に移っていたり、あるいは所有者以外にも使用出来るタイプのマジックアイテムである可能性もあるが。

 

「……そうね。考えても始まらないわ。一度来た道を戻りましょう。お願いね、ティア、ティナ」

 

「了解」

 

 そして、六人は来た道を戻っていく。勿論警戒は怠らない。地中の中にいるモンスターばかりだ。当然、来た時に遭遇しなかったりだとか、倒していったからいないはず――なんて事はありえない。いつの間にか移動して、自分達にバックアタックを仕掛ける算段をしていた可能性もある。

 

 六人は来た時と同じように、かなり注意深く慎重に来た道を戻っていく。当然、壁の近くではなく大裂け目の崖よりだ。地中を潜るモンスターがいる以上、壁ではなく崖寄りの方が安全なのだ。

 

 そして、六人はなんとか大裂け目から帰還する。再び狭い道に戻り出入り口を目指して、警戒しながら進む。

 だが――途中で、先頭のティアとティナが止まった。

 

「どうしたの?」

 

 ラキュースが訊ねる。ティアとティナはかなり緊張した様子で、無言で前を見据えている。まるで。

 ――そう。まるで、絶対に遭遇したくない何かに出遭ってしまったかのように、瞳を見開きながら。

 

 ずしん。

 

「――――」

 

 その、地面を揺るがすような音が微かに聞こえた時点で、ラキュース達も全てを悟った。このプレッシャーには、あまりに覚えがある。ラキュース達にとっても初めての経験で、そしてアインズと初めて出会った時の思い出なのだから。

 だからこそ、この状況でアレ(・・)と遭遇するのは絶望的過ぎた。

 

「――――」

 

 様子の変わった彼女達に、ブレインもまた気を引き締めて刀に手をかける。ブレインは彼女達と違いアレ(・・)の討伐経験は無いが、しかし彼女達の様子からこれから激闘が繰り広げられる事を悟ったのだ。

 

「どうする――?」

 

 ガガーランの言葉に、全員が素早く思考する。つまり、戻るかこのままここで待ち構えるか。

 

「……駄目だ。あの大裂け目では私達が不利過ぎる。奴は飛べるんだぞ? ――私達を捕まえて大裂け目に放り出すだけの単純作業だけで、私達は全滅してしまう」

 

 イビルアイの言葉に、ラキュースは頷いた。

 

「そうね。なら、ここで迎え撃つしかないわ。ここは狭いから、とても飛行出来るような余裕はないもの」

 

「でも、ブレス攻撃が確実に届く」

 

「絶対に避けられない」

 

「そこはイビルアイの魔法である程度緩和するしかないわね。有名なのは冷気だけど――どれ(・・)だと思う?」

 

 ラキュースに訊ねられたイビルアイは、少し考え――決定する。

 

「冷気だ。アゼルリシア山脈で有名な、主な生息種はそいつなのだから一番可能性が高い。アインズの時のような、例外を予想するのは危険過ぎる」

 

「なら、それを前提にお願い」

 

「ああ」

 

 イビルアイは全員の冷気抵抗を上げていく。ここまで黙ってイビルアイ達の話を聞いていたブレインは、彼女達の話す少ない情報で今から遭遇するモンスターが何なのかを、理解した。理解してしまった。

 

「おい……まさか。大地を揺るがす巨体で、飛行する挙句にブレス攻撃まで使用するっつったら――」

 

「ああ、そうだ」

 

「……マジかよ。運が無さ過ぎるだろ俺ら……」

 

 ブレインでも頭を抱えざるを得なかった。アレ(・・)を討伐するのは男の夢。浪漫であるが――好きで遭遇したくはない。さすがのブレインでも、アレ(・・)を楽に討伐出来ると思うほど、傲慢でも夢見がちでも無かった。

 

 イビルアイが幾つもの魔法を全員に重ね掛けし――ティアとティナは自分達の前に最短で罠を張っていく。今回に限り、初手の前衛はイビルアイとティアとティナだ。相手の初手をある程度防御出来るのは三人だけであり、盾を持たないガガーランとブレインは、初手だけは絶対に前に出れない。そしてラキュースは今回、絶対に前へ出て攻撃を受ける事は許されない。回復役であるラキュースが落ちれば、全滅は必然であるからだ。

 

 ずしん。ずしん。徐々に近づいてくる音がする。誰かが、緊張で唾を飲み込んだ。

 

 そして――その巨体は、遂に六人の前に姿を現した。

 

「――――」

 

 それは、美しい青白い鱗を持っていた。鋭い牙と爪。長く伸びる尾。

 奇妙と言えば、その腹部と鼻元だろう。何か巨大な物でも丸呑みしたのか、腹部は微かに地面を引き摺っており、その鼻元には丸い硝子――まるで眼鏡をかけているようであった。

 

 しかし、その奇妙な姿なぞ気にならない。ここにきて、微かにあった希望が粉砕した。出来れば外れて欲しいと思っていた可能性は潰えた。

 

 その姿はまぎれもなく、イビルアイ達が遭遇したくなかった異形に他ならない。

 

「フロスト・ドラゴン――――」

 

 イビルアイの口から、引き攣るようにその名がこぼれていった――。

 

 

 

 

 




 
アインズ「ドラゴンに騎乗する漆黒の戦士……カッコいい!」←中二病再発☆

デブゴン「こんにちは!!」
イビルアイ達「ひぇっ」

やあ皆、ドワーフ編だよ。
 


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Greed and Selfless Ⅱ

 
■前回のあらすじ

デブゴン、襲来。
 


 

 

 姿を見せたフロスト・ドラゴンに全員ごくりと喉を鳴らし、緊張が走る。

 イビルアイは目の前の奇妙なフロスト・ドラゴンをじっと観察した。

 

(コイツは……私より強くない)

 

 イビルアイの強者の勘がそう告げている。アインズのように気配の無い奇妙な不気味さもないので、間違いなく姿を見せたフロスト・ドラゴンは自分より弱いだろう。

 フロスト・ドラゴンはイビルアイ達を見回すが、攻撃する気配は無い。距離的にはまだ少し離れているので、ガガーランとブレインが一息では接敵出来ない程度の間があった。

 

(ブレス攻撃を使う気配がない。……私が魔法で初撃を与えるか?)

 

 しかしイビルアイなら魔法でフロスト・ドラゴンにダメージを与えられる。〈龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉を使えば相手は確実に驚くだろう。ドラゴンの魔法抵抗力は高いので、一撃で死ぬとは思えないが相手は下手な人間より賢い。第五位階魔法を使う相手と戦うと思えば、即座に逃げてくれるかもしれなかった。

 ……そう、引いてくれるのならばそれが最適なのだ。イビルアイは強くとも、ラキュース達はイビルアイより脆弱だ。ドラゴンと戦うと死ぬ危険性がある。イビルアイがフロスト・ドラゴンを殺す事は出来ても、向こうもラキュース達の内の誰かを殺せる実力を持つはずだ。これ以上欠員が出れば、本当にアゼルリシア山脈から生きて還る事が出来なくなるかもしれない。

 

「――――」

 

 故に、イビルアイはどうするか迷い――そうしている内に、目の前のフロスト・ドラゴンの行動に目を見開いた。

 

「負けを認めるので殺さないで下さい!!」

 

「え?」

 

 その、プライド高いドラゴンの言葉とは思えない情けない内容に、イビルアイ達は呆然とフロスト・ドラゴンを見つめたのだった。

 

 

 

「……えーっと。つまり、引きこもりが過ぎてお父さんに家を追い出されたの?」

 

「らしいぞ、娘っ子よ。とある仕事を最後に、父親に家を追い出されたそうじゃ」

 

「……それでその情けない体躯か」

 

「ドラゴンっていうよりデブだな、デブゴン」

 

「引きこもりの末路」

 

「普段からちゃんとしてないからそうなる」

 

「お前らのような変態趣味に言われたくないだろうよ、そいつも……」

 

 先程のフロスト・ドラゴン……ヘジンマールと名乗ったドラゴンが、情けなくも命乞いをした後困惑するイビルアイ達に声をかけたのは、その体躯で見えなかったが背に乗った一人のドワーフだった。

 フロスト・ドラゴンとドワーフが一緒にいるのに更に驚いたイビルアイ達だが、その後ゴンド・ファイアビアドと名乗るドワーフの説明があまりに情けなさ過ぎて脱力してしまった。

 

 ヘジンマールはかつてのドワーフの王都を乗っ取り生活している、フロスト・ドラゴンの一族の一匹で、ずぅっと部屋で引きこもり文献などを読み漁って生活していたのだとか。

 部屋から出ず、食事は弟や妹に持って来てもらい運動もせず。結果として皮下脂肪や内臓脂肪が次々とフロスト・ドラゴンが本来持つほっそりとした体躯に張り付いて――遂に我慢の限界に達した父親に、最後に仕事を一つ任された後、その一ヶ月後に追い出されたのだという。

 無駄に知識だけ付けて、経験も何も無いヘジンマールは寂しく山を彷徨っていたが――そこで同じように行く所が無くなったゴンドに出会い、ゴンドの作る料理に餌付けされて一緒に行動するようになったのだとか。

 

「情けない。情けなさ過ぎる……」

 

 ブレインが死んだ目でヘジンマールを見つめ、ぶつぶつ呟いた。ブレインは男の子なので、竜退治(ドラゴンスレイ)が男の夢、浪漫であったのだ。それが初めて遭遇したドラゴンがこんな情けないデブゴンと知って、夢も希望も見出せなくなったらしい。

 

「お前より父ちゃんに対しての方がよっぽど共感するわ。むしろさっさと叩き出さなかっただけ父ちゃん有情だな」

 

 ガガーランが情け容赦なくヘジンマールに正論を告げる。一ヶ月の猶予まで与えられる辺り、息子に対する優しささえ溢れていたと言えるだろう。

 何故なら彼らはドラゴン。人間と違って外に放り出されても死ぬ確率はかぎりなく低い。というか、本来ならばドラゴンは卵なぞ産みっぱなし、放りっぱなしの放任主義だ。一〇〇年も育ててくれた辺り、並みのドラゴンには持ち得ない気の長さが窺える。

 ――もっとも、父親をよく知るヘジンマールから言わせてみれば、単純にあまり興味が無かっただけなのだが。

 

「――うん。まあヘジンマールの方は置いておいて……ゴンドさん。ドワーフの国に起こった詳しい話を聞かせてちょうだい」

 

「ああ――お主らは冒険者で、ドワーフの国について調べに来たんじゃったな」

 

 ゴンドはラキュースの言葉に悲しみの表情を作り、ポツリポツリと語っていく。

 

 ドワーフの国はアゼルリシア山脈の内部に四つの都市を持つ国だ。しかし二〇〇年前に魔神の襲撃を受けたため、次々と都市を放棄。ゴンド達は最後に残った都市で生活していたのだとか。

 ……そして廃都になった王都に棲んでいるのがヘジンマールの一族。奴隷としてイビルアイ達が遭遇したモグラのような魔物――クアゴアも棲んでいたようだ。

 ゴンドは最後に残った都市で鉱夫として生活していたが、個人的な研究のために放棄した都市の一つにある日遠出に出た。

 そしてその都市でまだ残っているはずの鉱石を掘っていたのだが――何故かクアゴアがやって来たのだと言う。

 ゴンドは不可視化出来るマントを持っていたため、なんとかクアゴア達から逃げ出せたらしい。そして身を隠しながら長い時間をかけて都市に帰ると――都市は廃都となっていた。仲間のドワーフ達は一人もいなくなっていたと言うのだ。

 驚いたゴンドは大裂け目――イビルアイ達が先程見たあの大裂け目だ――まで進み砦を越えて見ると、何者かが吊り橋を落とし、逃げられなくしている事を悟った。

 

 そう説明するゴンドに、ヘジンマールが補足する。

 

「クアゴア達がドワーフ達を支配するために大侵攻をかけたはずだからね。生き残りは、お父上の城で働いているよ」

 

「……だ、そうじゃ」

 

 ゴンドの説明に、ラキュース達は暗い顔をする。これは、もはや自分達の中だけで処理する事は出来ない事態だ。

 

 まず、フロスト・ドラゴンの一族がドワーフの国を乗っ取ったという時点で一大事だ。本来ドラゴンはつがいになろうとほぼ一匹で活動する生き物。それが部族という形で徒党を組み、アゼルリシア山脈を支配しようとしている時点で看過出来る事態ではない。光物好きのドラゴンならば、人間の街に降りてマジックアイテムを略奪するようになるのは時間の問題だからだ。

 そうなると退治しなくてはならないのだが――これが凄まじい労力となる。五匹も六匹も一ヶ所に集まって暮らしているとなると、間違いなくアダマンタイト級でも達成不可能な任務だ。イビルアイでさえ、複数匹に囲まれてしまえば苦戦は免れまい。それどころか、敗北さえあり得る。ドラゴンはそれほどの強さを持つ危険種族なのだ。

 大規模な討伐隊を組もうにも、ブレス攻撃を持つドラゴンにとって軍隊というのは格好の的だ。専業騎士しかいない帝国軍であっても、一方的な虐殺になるだろう。

 帝国に存在するアダマンタイト級冒険者――“漆黒と蒼”に“銀糸鳥”、“漣八連”が協力してもドラゴンには多勢に無勢過ぎる。ドラゴンに囲まれれば為す術がない。

 唯一、アインズならなんとか出来るかもしれないが――アインズは一人だけだ。確実に何匹か取り逃がす。取り逃がす時点でまずいのだ。

 

「悔しいが、これは既に法国の領分だな。帝国では出来ることはあまりに少ない」

 

 イビルアイが呟くと、ゴンドはがくりと肩を落とした。アダマンタイト級冒険者なのだから、少しは期待していたのだろう。しかし、ドラゴンの一族と戦うとなると、さすがにイビルアイ達でも多勢に無勢が過ぎる。ドラゴンである以上――イビルアイとて自分と同格かそれ以上に強い強者の存在の可能性を否定出来ないのだ。

 ……かつて、あの魔樹が現れた時のように。

 

「山を下りて冒険者組合に知らせて、アインズさんが帰って来るのを待って――たぶん冒険者組合で皇帝の依頼という形で大規模な討伐隊が組まれるわね。とは言っても、こんな異常事態を想定した連携なんか組めるはずがないから――」

 

「当然、暗殺染みた討伐依頼になるだろうな。そこのドワーフの案内で王都の場所は分かるだろうが、クアゴアという部下がいる以上、飲食のために王都から出て来る確率は低い。かと言って王都で襲撃すると複数体に囲まれる確率が高くなる。そうなれば一巻の終わりだ」

 

「ドワーフの救助はほぼ不可能に近いな。敵はドラゴンだけじゃなく、あのクアゴアとかいう奴らだっているしよぉ」

 

「クアゴアは金属武器に対して耐性がある。その時点で人間の冒険者にとってかなりの強敵」

 

「弱点の雷属性で第二位階魔法は個体、範囲攻撃は第三位階魔法で魔法省の連中も引っ張ってくる必要がある」

 

「……やっぱり、私達に出来ることはとても少ないわね」

 

 そうして話し合っていると、ブレインが手を挙げて注目を集めた。

 

「……フールーダの爺さんと、その爺さんが使役しているデス・ナイトを呼んで来たらいけるんじゃないか?」

 

「…………!」

 

 イビルアイは目を見開く。イビルアイ達はアインズとブレインから帝国が王国との戦争でデス・ナイトを投入してきたという話を既に知っていた。

 

「確かに! 先程のクアゴア達の強さを考えても、おそらくデス・ナイトには勝てん! しかもアンデッドを遠隔操作するだけだ! デス・ナイト二体にパラダイン老、そしてアインズ、私で協力すれば王都内のフロスト・ドラゴン達は全員始末出来るかも……!」

 

 第六位階魔法を使える逸脱者に、第五位階魔法を使える吸血鬼。そして殺した相手をアンデッドにする能力を持つ伝説のアンデッド。更には第六位階魔法さえ無効化するタフな戦士。これだけ揃えれば、それこそ竜王(ドラゴンロード)級でもないかぎり勝てるドリームパーティーだろう。

 

「方針は決まったわね。……とは言っても、このメンバーの作戦を使うかどうかは、あの皇帝にかかっているんだけど」

 

「鮮血帝はあれで賢君だ。大丈夫だろう。……後はアインズが帰って来るのを待って、王都をある程度調べる必要が出て来るな」

 

 イビルアイはチラリとヘジンマールを見る。

 

「おい、ヘジンマールだったか」

 

「あ、は、はい!」

 

 自分よりも強いイビルアイに見つめられて、ヘジンマールはびくりとしながら返事をする。イビルアイはそんな情けないドラゴンの姿に頭痛を覚えながら、仮面に隠れた瞳でジロリと睨んだ。

 

「分かっていると思うが、協力してもらうぞ。それとも親兄弟へ告げ口するか?」

 

「あー……うん。ドラゴンってそこまで肉親の情が強いわけじゃない、です。お父上が賢く、特殊なだけで普通は親兄弟でも互いの縄張りを奪い合ったりしますし」

 

 イビルアイに対しては何故か微妙な敬語だ。よほどイビルアイが恐ろしいらしい。確かに、イビルアイはヘジンマールより強い。しかし最強の種族たるドラゴンの一匹でありながら、このへりくだった態度はどうなのだろう。

 

「なら、問題は無いか」

 

「ただ――」

 

「うん?」

 

 言い淀むヘジンマールに、全員の視線が集中する。ヘジンマールはフールーダの強さや、デス・ナイトという存在をよく知らないのだろう。不安そうにイビルアイ達に訊ねた。

 

「貴方は確かに強いですが、それでも一族皆殺しは難しいんじゃないかと」

 

「ほう? 何故だ?」

 

 ヘジンマールの不安に興味を抱き、イビルアイは促す。ヘジンマールは意を決したように――その場の誰もが仰天する言葉を伝えた。

 

「私の一族は私を合わせて二〇匹ほどいまして……。しかも全部、私より強い者ばかりです」

 

「――――」

 

 全員でヘジンマールを凝視する。視線が全員一斉に動き、ヘジンマールの腹部を見た。そして再びヘジンマールの顔へ向き――それを何度か繰り返して、この目の前のドラゴンが一族最底辺だという事を再認識し――

 

「は、はあああああぁぁぁぁあああッ!?」

 

 全員合わせて仰天の声を上げる事となったのだった。

 

 

 

 

 

 

「最悪だ。フロスト・ドラゴン十九匹に、クアゴアが万単位……しかもアゼルリシア山脈とかいう人外魔境。数が多過ぎてどうしようもねぇ」

 

 ガガーランの言葉に、全員肩を落として同意する。更にゴンドが王都に行くまでの険しさを語ったため、王都まで行くのさえ難しい事が分かったからだ。

 

「これはもう、どうすればいいか悩むな……」

 

「……なんとか、帰ってラナーの意見を借りられないかしら? ラナーならその頭脳でいい案を出してくれそうなのだけれど」

 

「ラナー……ラナーな」

 

「? どうしたのイビルアイ?」

 

「いや、なんでもないぞラキュース」

 

 ラキュースに気にするなと告げて、イビルアイはラナーの存在を頭から追い出す。ラキュースには悪いが、今となってはあまり思い出したい存在では無かった。

 

「とりあえず帰ろうぜ。アインズの奴と合流出来るかもしんねぇし」

 

「賛成」

 

「まずはボスの無事の確認が最優先」

 

 ブレインの言葉に同意したティアとティナに促され、長らく話していた洞窟から抜けるために歩き出す。まったくモンスターに襲われなかったのは、腐ってもドラゴンであるヘジンマールがいるおかげだろう。一族の中で最底辺とは言っても、周辺モンスターからしてみればあまりに絶望的な強敵だ。喧嘩を売る気にもなるまい。

 

 そうして歩き出す最中で、ヘジンマールとゴンドが「あ」と声を上げてイビルアイ達に語りかけた。

 

「そうじゃ! そういえばもう一つ注意があったんじゃ!」

 

「なんだよ、おっさん」

 

 ガガーランが訊ねれば、ゴンドが恐ろしげに語る。

 

「実はの、最近この山にグリーン・ドラゴンが一匹出るんじゃ」

 

「……ここにきて、またドラゴンかよ」

 

 まさにドラゴンのバーゲンセールだ。もう勘弁して欲しい。しかもフロスト・ドラゴンではなくグリーン・ドラゴン。種別まで違う。

 

「そのグリーン・ドラゴンが、これまた陰湿な性格でな」

 

「陰湿?」

 

 ラキュースの言葉に、ヘジンマールがゴンドの言葉を捕捉するように告げる。

 

「俺達より自分の方が強いからって、俺達を追い回して遊んでるんだよ。殺す気は無いみたいだから、命の保障はされてるんだけどね……」

 

 「ストレスが……」とげっそりした様子で語るヘジンマールに、苛められて鬱になりそうな人間の気配を幻視した。しかし殺されるよりマシだ、という事で大人しく苛められているらしい。相手の方が強い以上、下手に抵抗すると殺されるかもしれないからだ。

 

「なんっつうか……ドラゴンの世界って思った以上に世知辛いのな」

 

 夢も希望も粉々に砕け散ったブレインが、輝きの死んだ両眼でぽつりと呟く。物語の英雄譚でドラゴンはよく語られるのだが、そこに存在するドラゴン達は威厳に溢れていた。間違っても、こんなデブゴンや見知らぬ陰湿なドラゴンのような性格の者はいない。

 決して見てはならない物語の舞台裏を見てしまったかのように、ブレインは肩を落としていた。

 

「――――」

 

「? どうしたの、ティア、ティナ」

 

「――――げ」

 

 その時、ラキュースが様子の変わったティアとティナを見て首を傾げる。同時に、ヘジンマールも嫌そうに声を上げた。

 

「どうした?」

 

「やばい……アイツ(・・・)だ!」

 

 ヘジンマールはそう言うと、慌てた素振りを見せる。そのヘジンマールの様子にゴンドも気づいたようだった。

 

「なんと! あの腐れ野郎か!」

 

「腐れ……? なに?」

 

 ゴンドの言葉も辛辣で、イビルアイは首を傾げる。全員の疑問を感じ取ったのか、ゴンドが教えてくれた。

 

「先程言っておった陰湿なグリーン・ドラゴンじゃ! 今日もヘジンマールを苛める気じゃな!」

 

「ああ……」

 

 その言葉に、警戒を示す。何故ならヘジンマールより強いドラゴン種族だ。当然警戒は必要である。

 

「ねえ、ヘジンマール。協力しましょう。今そこに罠を張っているから、悪いんだけど飛び越えて私達の前に立って初手のブレスを防いでくれる? 貴方も、いなくなってくれた方が助かるでしょう?」

 

 ラキュースの言葉に、ヘジンマールは頷いた。

 

「も、勿論! ずっと苛められるなんてそんなの嫌だ! 痛い思いをするのは嫌だけど……仕方ない! 君達なら勝てるだろう……頼むよ!」

 

 ヘジンマールは無理矢理に飛行し、ティアとティナがかけた罠にかからないように浮いて六人の前に降り立つ。ゴンドは元々は鍛冶職人らしく、役に立たないために一番後ろだ。

 

 ずしん。ずしん。再び先程と同じように巨体が大地を踏みしめる音が聞こえる。しかし、先程のような絶望感は既にイビルアイ達の中には無い。何故なら、先程とは状況が違う。今度来るドラゴンはグリーン・ドラゴンだと分かっているし、そしてそのグリーン・ドラゴンはイビルアイより弱い。苦戦はするだろうが、それだけだ。

 

 ずしん。ずしん。歩く音が聞こえてくる。闇の中から、場違いな、森と同じような緑の鱗の者が現れる。

 

(グリーン・ドラゴン……!)

 

 大きい。ヘジンマールとはサイズがまるで違う。おそらく、年齢層は最終段階の一歩手前……長老(エルダー)の領域に届いてしまっているのではないだろうか。

 グリーン・ドラゴンはフロスト・ドラゴンよりも同レベルであろうと強い。魔法の扱いが巧みであり、そして知力が優れているからだ。……この知力の高さが、陰湿な性格に繋がっているのだろうが。

 

「おんやぁ?」

 

 グリーン・ドラゴンは鼻を鳴らし、ヘジンマールを見る。下品な笑みを浮かべ、その長い首で見下していた。

 

「最近よく見る、家を追い出された役立たずのデブデブのお坊ちゃんじゃないか。クアゴアのように土の中で縮こまって、どうしたんだ? ママのおっぱいでも恋しくなったのか?」

 

「う……うう……」

 

 白々しい言葉だった。ヘジンマールより優れたドラゴンなのだから、当然このドラゴンはヘジンマールがここにいる事くらいとっくに気づいていただろう。……つまり、単なるからかい半分の蔑みだ。苛められた記憶が蘇ったのか、ヘジンマールは気圧されたように及び腰になっている。

 

 そして、イビルアイはその間じっとグリーン・ドラゴンを観察した。

 

(確かに強いが……大丈夫だ。私より強くは無い。だが、この種族は確か〈人間種魅了(チャームパーソン)〉などの厄介な能力を使ってくる。他の厄介な自然利用系能力はここでは使えないとはいえ、無傷ではとても済まんだろうな)

 

 そうして警戒していると、グリーン・ドラゴンが平然と歩を進めて来た。全員ごくりと唾が鳴る……幻聴が聞こえてきた気がした。

 

 そして――ティアとティナがかけた罠にグリーン・ドラゴンが引っかかる瞬間。

 

「ん?」

 

(かかった!)

 

 ブレス攻撃も使わない舐めた態度に喜びながら、罠にかかった間抜けにほっとする。地面からティアとティナが仕掛けていた黒い糸の網がグリーン・ドラゴン目がけて放たれ、包み込む。

 しかし――――

 

「はん!」

 

「な……!」

 

 愕然とする。行動を阻害する黒い網は、グリーン・ドラゴンの体を幻影であるかのように平然とすり抜け、天井へと張り付いたのだ。

 

(馬鹿な! 行動阻害に対する完全耐性だと!?)

 

 グリーン・ドラゴンが持つはずのないあり得ない事象に、イビルアイの体を冷や汗が伝う。こちらの初手をあり得ない対応で躱されて、イビルアイ達の次手が止まる。グリーン・ドラゴンはそんなイビルアイ達に酸のブレスを浴びせようとし――

 

「――おい、弱い者苛めをしていないでさっさと……あ」

 

「あ」

 

 グリーン・ドラゴンの背中からひょっこり顔を出した漆黒の戦士に、お互いが間抜けな声を上げたのであった。

 

 

 

「――つまり、アインズは大裂け目でこのグリーン・ドラゴンに遭遇したのか?」

 

「ああ。一応、別の山で遭遇した事があった顔見知りだったからな。ちょうどいいから足にさせてもらった。そっちは――その、なんというか」

 

「言うな。言うんじゃねぇよアインズ。デブったドラゴンなんざいなかったんだ。いいな?」

 

「あ、はい」

 

 互いの状況を説明し、ヘジンマールを見ながら言い淀むアインズに、ブレインが告げる。アインズはヘジンマールの腹部に搭載されたリブ肉を困惑気味に見つめながら、ブレインの言葉でそれ以上何も言わなくなった。

 

「でもよくアインズさん生きてましたね。もう駄目かと思いました」

 

「まあ、人より頑丈なのが取り柄だからな。それほど深くもなかったし……ただ、俺以外があそこに落ちるのはお勧めしない」

 

「いや、安心しろ。普通に落ちねぇから」

 

 アインズの言葉にツッコミを入れるガガーランを尻目に、イビルアイは借りてきた猫のように大人しくなっているグリーン・ドラゴンを見つめる。

 

「なあ、アインズ。これからどうするんだ?」

 

 グリーン・ドラゴンから視線を逸らし、ゴンドと自己紹介を済ませたアインズに訊ねる。アインズは言い辛そうにしながらも、答えた。

 

「ドワーフ達の王都へ行こうと思っている。あまりフロスト・ドラゴン達に時間を与えたくないからな」

 

「?」

 

 首を傾げると、アインズは全員に説明していく。

 

「フロスト・ドラゴン達はフロスト・ジャイアント達を支配下に置くべく活動している。あまり時間を与えると、手が付けられなくなるぞ。それくらいなら、王都から逃げられてもいいから一族を分散させた方がいい」

 

「ああ、なるほど。互いに殺し合いをする仲なら、巣から叩き出した時点でフロスト・ジャイアント達が殺しに行くか。分散されると困ると思っていたが、連中はカースト上位であっても最上位ではない。きちんとフロスト・ジャイアントという競争相手(ライバル)がいる」

 

 アインズの言葉にイビルアイは納得する。ドラゴンという事で、つい相手の恐ろしさばかりに目がいくが、しかしフロスト・ドラゴンはアゼルリシア山脈のカースト頂点ではないのだ。一ヶ所に集まっているから頂点のような気がしてくるだけで、分散させてしまえば元のフロスト・ジャイアントと同じカースト位置に戻る。盲点だった。

 

「だとすれば、アインズさんが奇襲を仕掛ける意味もあるわね。要は王都から追い払っちゃえばいいんだから。またいつか帰ってくるかもしれないけれど、元の数に戻すのはドラゴン達でも難しいでしょうし」

 

「そんで、アインズが暴れている間に俺達がドワーフ達の誘導をして王都から逃がす――ってわけか」

 

 ガガーランの言葉に、しかしティアとティナが顔を顰めた。

 

「残る問題はクアゴア」

 

「アイツらがいると、ドワーフの避難が難しい」

 

 二人の言葉に、ブレインも頷く。

 

「確かにな。やっぱ一度帝国に帰って、フールーダの爺さん連れてきた方がいいんじゃねぇか?」

 

 あのフールーダならば、クアゴア達を蹴散らせるだろう。しかし。

 

「いや、クアゴア達のことは考えなくていい(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「は?」

 

 アインズは意味深な言葉を発した。

 

「連中は数に入れる必要はない。どうもクアゴア達は、今それどころではないみたいだからな」

 

「…………?」

 

 アインズはそう言って言葉を切る。説明する気はないらしい。

 

「まあ、クアゴア達を考える必要がないってんなら、それに越したことはないけどな」

 

 ブレインも訝しげだが、それ以上追及をする気はないようだ。

 

「…………」

 

 ふと気づけば、あのグリーン・ドラゴンもヘジンマールもアインズの言葉に異を唱えない。つまり、今だけはクアゴアの存在を無視出来るのだろう。

 ならばやるべき事は決まっていた。

 

「今ならクアゴア達を無視出来るって言うなら、今をおいてチャンスは無いわね。アインズさん、先程の計画でいいですか?」

 

「ああ。俺が派手に暴れてドラゴン達の陽動。その間にラキュース、お前達はドワーフ達を誘導して助けてやれ。王都に繋がっている坑道を通って都市を跨ぎ、元の都市まで避難だ。何人か脱落するだろうが、フロスト・ドラゴン達の奴隷よりはマシだろう」

 

「ええ! なるべく全員助けられるよう頑張るわ!」

 

 気合十分なラキュースに苦笑した気配をイビルアイはアインズから察した。アインズはそれぞれ班分けしていく。

 

「俺とそこのグリーン・ドラゴンは一緒に陽動。イビルアイ達とゴンド、そこのデブゴンはドワーフ達の避難誘導だ。同じドワーフのゴンドがいるならドワーフ達の信頼を得るのも早いだろうし、棲んでいた奴なら道案内も出来るだろう」

 

 全員、アインズの言葉に異議を唱えず頷く。

 

「それで……アインズ、ドワーフの王都に向かってたんだよな? なんでここにいるんだ?」

 

 ブレインの言葉に、アインズは気軽に答える。

 

「うん? ……ああ。そこのグリーン・ドラゴン曰く、ここが一番安全で早い道らしいからな」

 

「え?」

 

 

 

 ――ドワーフの国の王都、フェオ・ベルカナ。東の都市フェオ・ジュラから王都へ辿り着くまでには三つの難所がある。

 

 一つは大裂け目。土の中には足音を探知して襲いかかる魔物や、精神攻撃を繰り出す魔物がいる恐ろしい天然要塞だ。

 しかし、この大裂け目には簡単な攻略法がある。それは飛行する事。飛んでいれば何の痛痒も感じなどしないのだ。

 アインズ達は二匹のドラゴンに乗って、悠々と大裂け目を無視して進んでいった。

 

 二つ目の難所は溶岩地帯。天然の〈転移門(ゲート)〉によって繋がれた地下数キロの辺りにあるマグマの海だ。このマグマには難度一四〇相当の魔物が棲んでおり、例えイビルアイであろうと死の危険性がある危険地帯だ。

 だが、この溶岩地帯には簡単な攻略法がある。それは火耐性を得て、飛行する事。飛んでいればそもそもマグマの海の近くなぞ歩く必要がなく、魔物に襲われる心配もない。

 アインズ達は二匹のドラゴンに乗りながら、イビルアイの魔法で火耐性を得て悠々とマグマの海の上を進んでいった。

 

 そして最後の難所――死の迷宮と云われる洞窟。ここだけが、アインズ達一行にとって、いや、その一部にとって問題だった。

 

「ガス?」

 

「ああ。モンスターが出ない代わりに、火山性ガスが噴いている迷路なんだ。俺は酸や睡眠、麻痺には耐性があるからその辺りのガスしか噴かない道を通ってる。旦那もどうせ平気だろうなって思って気にしなかったんだけど……」

 

 グリーン・ドラゴンはチラリとイビルアイ達を見る。アインズは深い溜息を吐いた。

 

「確かに。俺とお前だけならかなり安全な、最短ルートであったことは間違いないな」

 

 だが、イビルアイはともかく他がまずい。

 

「うーむ。さすがにガスはまずいぞ、ガスは」

 

 イビルアイの言葉に、ティアとティナがげっそりとした表情で答える。

 

「私達の出番……疲れそう」

 

「ボス、悪いんだけど……」

 

「ああ、安心しろ。俺が先頭でガスの種類を確かめながら進んでやる。……おい、道はちゃんと覚えてるんだろうな?」

 

「そこは任せてくれ、旦那」

 

 俺の執念を信じろ、と告げて来る瞳にアインズは溜息をついて、それぞれ進んでいく。

 

(魔法が使えれば安全で最短距離を調べられるから楽なんだけどなぁ……。今使うわけにはいかないし)

 

 ティアとティナの指示に従いながら、アインズが先頭に立ってガスを食らいながら進んでいく。幸い、イビルアイとラキュースが第五位階魔法まで使用出来るので、多少ガスを吸った程度ではなんとかなるのが救いか。

 ガス溜まりなどのどうしようもない場所は、ヘジンマールの冷気のブレスでガスが噴き出ている穴を凍らせた後に、ドラゴン二匹の羽ばたきでガスを吹き飛ばすなどして通れるようにした。

 あまり留まっているとそれでもどうしようもないが、なんとかならないわけでは無い。アインズ達はそうして、かなりの時間をかけてなんとか死の迷宮を突破した。

 

「あー! 抜けた!」

 

「新鮮な空気がうめぇ!!」

 

 死の迷宮を突破すると、ブレインやガガーランが深呼吸しながら叫ぶ。ティアとティナも無事全員突破出来たために安堵の息を漏らしていた。

 

「ここは……もう二度と通りたくないな」

 

 イビルアイの言葉に、アインズも頷く。

 

「確かにな。帰りは違う道を通りたいものだ」

 

 それぞれ新鮮(?)な空気を吸って肺の掃除をした後は、王都に突入する前にそれぞれアイテムを整理する。馬のゴーレムも既にアイテムボックスにしまった。アインズの持つ役に立ちそうな巻物(スクロール)などもイビルアイやラキュースに渡しておく。

 アインズとイビルアイ、ドラゴン二匹以外は回復薬(ポーション)を使って体力の回復も必要だった。

 そして暫しの休憩の後――

 

「では、俺達はフロスト・ドラゴン達が棲んでいる王城へ襲撃をかける。派手に暴れるからその間に――」

 

「ゴンドさんとヘジンマールの案内でこっそり入った私達が、ドワーフ達を逃がす……ね」

 

 互いにやるべき事を確認し、落ち合う場所を決める。

 

「落ち合う場所はあの大裂け目のある東の都市だ。ラキュース、頼んだぞ」

 

「はい、アインズさん!」

 

 

 

 

 

 

 しばらく自然洞で時間を潰した後、ティアとティナ、ヘジンマールがラキュース達を促す。

 

「始まったみたいだね」

 

「そう……じゃあ、行きましょう」

 

 ラキュース達には聞こえないが、この二人と一匹にはアインズの暴れる音が聞こえているのだろう。ラキュース達はゴンドとヘジンマールの案内に従いながら、王都へと侵入しドワーフ達が閉じ込められている場所を目指していく。

 

「……しかし、マジにクアゴア達は出てこねぇな」

 

 ブレインの言葉に、静かな声でガガーランが返す。

 

「確かにな。何万といるはずなのに、何やってんだそいつら」

 

 二人の会話に前を歩いていたヘジンマールがぶるりと微かに体を震わせた気がした。イビルアイはそれを目敏く見つける。

 

(なんだ……?)

 

 そういえば、アインズもあのグリーン・ドラゴンもクアゴアの話題になるとあまり話さなくなる。いや、グリーン・ドラゴンに至っては含み笑いを漏らすのだ。それが、喉の奥に小骨がつっかえたような気色の悪さを覚えるが、言葉として形に出来ない。

 

(いったい、クアゴア達に何があったというんだ?)

 

 何かあったのは確実だろうが、アインズが「問題無い」と言うので気にしなかった。確かに、今をもって何も問題になっていない。

 それが、なんだか無性に気色の悪さを感じさせる。

 

(まあ、気にしても無駄か)

 

 イビルアイはクアゴアの事を思考の外に追い出し、今はドワーフ達の救助を優先する。イビルアイとしては弱い者は死んでも仕方ないと思っているので、ドワーフ達に特に思う事は無いのだがラキュースやガガーランは違うのだろう。

 二人は、強い者が弱い者を救うのが正しい姿だと信じている。彼女達は人情味に溢れていて、まっすぐに立っているのだ。だから前を向いてひたすらに走り続けていられる。

 

 ……時折、イビルアイは二人が眩し過ぎて目を細めたくなる。どんなに強く想っても、二人のようにだけはなれない事を、イビルアイは知っていた。

 

 ――そう、自分達(・・・)のような存在は。その眩し過ぎる存在に、憧れと、惨めな思いしか抱けないから。

 

「…………」

 

 また、思考が逸れた事に気がついてイビルアイは首を横に軽く振って気持ちを切り替える。今優先するべきはドワーフの救助なのだ。決して、自分達の惨めさを痛感する事ではない。

 

「そろそろ着くよ。――ドワーフ達がいる部屋の一つに」

 

 都市内を先頭で進んでいたヘジンマールが、イビルアイ達の方へ振り返って告げる。その言葉に気を引き締めて、イビルアイ達はヘジンマールの案内に従う。

 

「あそこ……あの建物に、ドワーフ達の一部が寝泊まりしているはずさ」

 

「じゃあ、まずは儂が説得じゃな」

 

 ゴンドがそう言い、大きな建物に近づく。ドアを叩き、声をかけた。

 

「すまん、開けてよいか?」

 

 ゴンドの言葉に、中から声が返ってきた。それはゴンドに許可を出す声で――ゴンドはドアを開ける。

 ドアを開けて目に入った人物に、ゴンドは目を見開いた。相手のドワーフもまた、ゴンドを見て目を見開いている。

 

「ガゲズ――」

 

「ゴンド――生きとったんか!!」

 

 どうやら知り合いだったらしく、そのガゲズと呼ばれたドワーフはゴンドを涙目で見つめ、ゴンドへと抱きついた。

 

「死んだと思っとったぞ! 今までどこにいたんじゃ!?」

 

「ああ。儂もおぬしは死んだと思っとったよ……!」

 

 感動の再会を果たす二人。これは幸先がよかった。説得もスムーズに済むに違いないからだ。

 

「……しかし、そちらの人間達はなんじゃ?」

 

 ガゲズはイビルアイ達を困惑の瞳で見つめているようだ。ヘジンマールに対して何も言わないのは、相手がフロスト・ドラゴンだからだろう。この王都ではフロスト・ドラゴンを目撃するのは珍しくないに違いない。

 

「ああ! そうじゃ――詳しい話をしておる暇はない! 助けにきたんじゃよ、ガゲズ」

 

「え?」

 

 何を言われたのか分からない、とガゲズは瞳を丸くする。ラキュースが前に出て、ガゲズと、そしてガゲズの様子が気になって奥から出てきた他のドワーフ達に説明した。

 

「私達はバハルス帝国からやって来たアダマンタイト級冒険者“漆黒と蒼”です。現在、私達の仲間がフロスト・ドラゴン達を王城から追い払っています。フロスト・ドラゴン達の注意を惹きつけている内に、王都から脱出しましょう!」

 

 ラキュースの言葉に、ガゲズ達は瞳を丸くしたまま、ぽかんとラキュースを見つめていた。おそらく、言われた事が急過ぎて理解出来ないのだろう。

 ラキュースはもう一度、説明する。

 

「私の仲間は強いので、ドラゴンにも勝てます。仲間がフロスト・ドラゴン達を引きつけている間に安全に王都から脱出したいと――思ってるんですけど……?」

 

 アインズの名前を出さないのは、さすがに一人でドラゴン達と戦えると言っても信じられないだろうという配慮からだ。しかし途中でラキュースも困惑気味になる。というか、他の者達もそうだ。

 

「ど、どうしたんじゃ? ガゲズ」

 

 わなわなと震えはじめるガゲズに、ゴンドが困惑して訊ねる。ガゲズはそんなゴンドへ、ラキュースへ、イビルアイ達へ引き攣るように叫んだ。

 

「な、なんてことをしてくれたんじゃお前さん達ッ!!」

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 王都内の上空を飛び、グリーン・ドラゴンは一直線に王城を目指す。王都からは、飛行するドラゴンの影の区別はおそらくつかないだろう。アインズはグリーン・ドラゴンの背に乗って、王都を見つめた。

 

「……ふん」

 

 不快な気持ちを隠しもせず、アインズは鼻を鳴らす。それは眼下に広がるある光景が目に入ったからだ。本来は廃棄地区だった場所。王都内で一番広い場所。色々な瓦礫を積み上げて、まるで闘技場のようなものが作られた場所。そこに――

 

 ――酒を片手に盛り上がったドワーフ達が、殺し合うクアゴア達を上から囲んで見物していた。

 

「盛り上がってるみたいだな、旦那!」

 

「そうだな」

 

 下等生物(ドワーフ)下等生物(クアゴア)の殺し合いを見て盛り上がっている様を、上位存在(グリーン・ドラゴン)が天から睥睨する。同じく上から見物しているアインズは、冷めた目でドワーフ達とクアゴア達を見つめていた。

 

 ……クアゴア達はフロスト・ドラゴン達の奴隷だった。そう、過去形だ。今となっては、それさえ栄華の日々だったに違いない。

 クアゴア達はフロスト・ドラゴン達のために働き、ドワーフ達を支配し、そして――

 

 当たり前のように、より役に立つ下等生物(ドワーフ)達に居場所を取って変わられた。そう、フロスト・ドラゴン達に飽きられたのである。

 

「――――」

 

 ほとんどのクアゴア達は面白半分にフロスト・ドラゴン達に殺され、一部は何とか逃げ出して山の中で怯えながら暮らし、また一部はああしてドワーフ達の酒の肴にされてしまっている。

 

 必死に頑張った結果がこれなのだと――クアゴア達の末路をアインズは冷めた瞳で見つめた。

 

 そう、この世は弱肉強食なのだ。弱い者は強い者に食われ、死ぬ。弱い者同士の立場の逆転も、時にはあるだろう。これはそれだけの話なのだ。

 

 だが、それでも――

 

「――――ふん」

 

 アインズは不快な気持ちを隠せず、眼下で繰り広げられるどこかで見た光景(パンとサーカス)を見続けた――

 

 

 

 王城へ辿り着いたアインズは、グリーン・ドラゴンの探知に従って背に乗ったままグリーン・ドラゴンが進むに任せていく。

 前へ。ひたすらに前へ。そうして辿り着いた先に大きな扉が待ち構えていた。

 

「…………」

 

 ここまで、ドラゴン達は現れなかった。どうやら、玉座で待っていてくれているらしい。

 

(雰囲気をよく分かってるじゃないか。中々好感が持てるぞ)

 

 だが、情報収集を怠るのは愚かだ。グリーン・ドラゴンに対しては知識があるのかもしれないが、アインズは未知の存在のはずだ。それに対して情報収集を怠るなぞ、知恵ある存在(ドラゴン)の名が泣くというもの。

 

(自分が絶対格上だっていう自信があるんだろうなぁ……まあ、あながち間違いじゃないんだけどさぁ)

 

 アインズの出自を考えなければ、別にその態度でも問題は無かっただろう。実際、このグリーン・ドラゴンも最初に遭遇した時はアインズに対して傲慢な態度を取っていたのだし。

 

(その辺りが、最初っから強者だった奴と、元々は弱者だった奴の違いかな)

 

 自分だけが選ばれたなどという驕りを持たないアインズには、そういったプライドは理解出来ない領域だ。アインズはそんなどうでもいい考えを頭の中で巡らせながら――グリーン・ドラゴンが大きな扉を開くのを見つめる。

 扉が開いた先には――アインズをして幻想的な光景だと思えるような景色が広がっていた。

 

 煌びやかに光る、黄金の玉座。無造作に幾つも積まれた財宝の上に、白い大きなドラゴンがとぐろを巻いている。財宝が発する光で、白い鱗は黄金に染まっており美しい。

 更に、その少し下の位置にこれまた財宝の上にとぐろを巻いた美しい三匹のドラゴン。こちらの三匹は少し青みがかっていて、黄金の玉座に寝そべるドラゴンとはまた違った美しさを漂わせていた。

 

 そして、その玉座の間もまた財宝でひたすらに輝いている。白いドラゴンの背後の扉から財宝が溢れ出し、玉座の間に無造作に転がっているのだ。

 さしものアインズも、この光景には感動を覚えざるをえなかった。

 

(――綺麗だ)

 

 ただ、そう思う事しか出来ない。ゲームではなく現実となった姿で見られるその光景には、そんな陳腐な感想しか浮かんでこない。人は本物を目にした時、形容する言葉は陳腐になるのだと初めて知った。

 しかし――

 

「――チッ」

 

 その感動も、すぐに鎮静化させられる。その無慈悲なアンデッドの特性に、アインズは罵倒を禁じ得なかった。

 

「――覗き見の大好きな鼠が、一体この白き竜王に何の用だ……?」

 

 のそりと起き上がり、牙を鳴らして白いドラゴンが威嚇する。それは強者としての絶対的なプライド。グリーン・ドラゴンを睥睨する瞳には傲慢さが見て取れた。

 だが……決して無警戒などではない。白いドラゴンは言葉とは裏腹に、グリーン・ドラゴンを警戒している。いや、白いドラゴンだけでなく他の三匹の青白いドラゴンもグリーン・ドラゴンを警戒していた。種別は違えど同じドラゴン種族――無警戒ではいられない。

 

(……ん?)

 

 アインズはそこで、一匹だけ違う様子のドラゴンに首を傾げた。それは三匹の青白いドラゴンの内の一匹だ。白いドラゴンと、他の二匹がグリーン・ドラゴンを警戒する中で、一匹だけアインズを見ているのだ。

 

(ふぅん……)

 

 コイツ(・・・)だけ、他とは頭の出来が違う。アインズはそれを確信する。だが――無意味だ。

 

 白いドラゴンに罵倒されたグリーン・ドラゴンはしかし怒りを顕わにせず、陰鬱で下卑た笑いを漏らす。相手を不快にさせるためだけの、神経に障る嗤い方だ。

 

「何がおかしい?」

 

「いやいや白き竜王――下賤な者を見ていると、笑いが止まらないと思っただけさ」

 

 そのグリーン・ドラゴンの言葉に殺意を覚えたのか、空気が変わる。しかしその中でも――アインズを見ていた一匹だけは、そっとその場から離れようとしていた。グリーン・ドラゴンの態度に、このドラゴンは今の危険な状況を確信したのだ。

 

(まあ、させんがね)

 

「――というわけで、旦那! お願いします!!」

 

 アインズがグリーン・ドラゴンの背から降りると同時、グリーン・ドラゴンが頭を下げて調子のいい事を言う。プライドもクソもないその態度に、アインズは呆れかえった。

 

「お前なぁ……。お前みたいな奴を、虎の威を借る――なんだったけな?」

 

 思い出せず、首を捻る。まあ、どうでもいい事だ。アインズは鎧を解いて装備を戻す。魔法詠唱者(マジック・キャスター)の姿になる。

 

「スケルトン?」

 

 白いドラゴンが首を傾げてそう呟くのを見て、アインズはたまらず苦笑した。

 

(おいおい……スケルトンは無いだろ、スケルトンは)

 

 最上位種、死の支配者(オーバーロード)を見てその感想は無い。そもそも、未知の魔法を使った事に何か疑問を持ったらどうだ。相手のおつむが心配になる。

 

「――本来なら〈心臓掌握(グラスプ・ハート)〉で強さを確かめるんだが、今回はある程度強さが分かっているし、ど派手にするっていう目的があるんでな。派手にいくか」

 

 アインズはグリーン・ドラゴンの前に出て、アインズの装備に欲望を滾らせた瞳をし始めた白いドラゴンを見つめる。そして――

 

「〈現断(リアリティ・スラッシュ)〉」

 

 魔法防御のほぼ全てを貫通する、次元さえ切り裂くような一撃が放たれた。白いドラゴンは何を告げる事もなく、首と胴体が泣き別れ。もう二度と、くっつく事はないだろう。

 

「――――」

 

 シィン――と静寂が訪れる。全員の視線が、アゼルリシア山脈最強だったはずのドラゴンの二つに別れた体に集まった。ぴくりとも動かない。動くはずがない。何らかの特殊技術(スキル)でも持たないかぎり、二度とこのドラゴンが動く事はないだろう。

 

「――さて」

 

 その静寂を切り裂くように、アインズは口を開く。残った三匹のドラゴンがびくりと体を震わせ、媚びるような視線がアインズとグリーン・ドラゴンの間を行ったり来たりしているが、アインズには関係の無い事だ。

 

「それでは皆殺しといこう。一匹残らず逃がさんぞ」

 

 ドラゴン達の瞳が、絶望で翳った。

 

 

 

 

 

 

「――――え?」

 

(――やっぱりね)

 

 困惑するラキュース達にくってかかるドワーフ達を、ヘジンマールはやはりという思いで見つめた。

 

 ……そう、ヘジンマールには分かっていた。こうなる事は予測していた。ドワーフ達の心は、とっくに折れていたのだという事を。

 

 クアゴア達に襲撃され、クアゴア達の支配下に置かれたドワーフ達。しかし、そうして王都まで連れてこられた彼らに待っていたのは、立場の逆転だった。

 ヘジンマールの父、オラサーダルクは――クアゴア達に飽きていたのである。

 

 ドワーフ達の方が手先が器用で、よほど役に立つ。何より開けられなかった宝物庫の扉を開けられるのが大きい。だからオラサーダルクは、当たり前のようにクアゴア達を捨ててドワーフ達を奴隷にした。

 

 ……自分達を殺していた奴らの立場が逆転し、自分達より下の扱いを受けたのはさぞ気持ちよかった事だろう。同時に、クアゴア達の末路を見てこう思ったはずだ。――ああはなりたくない、と。

 

 そうしてクアゴア達と逆転した立場で、ドワーフ達は生活してきた。もとより他国家と貿易らしい貿易をして来なかった閉鎖的なドワーフ達にとって、オラサーダルクは気持ちのいい支配者だったのだ。

 なにせ、採掘をして、マジックアイテムを作る。黄金や宝石、マジックアイテムを献上するだけでドラゴンの庇護を得られるのならば、それは理想的な関係であったに違いない。

 屈辱はある。家畜の生だとは理解している。

 それでも、今までのクアゴアに怯える生活よりは、よほど開放的な生活だったに違いない。

 

 ――そう、ヘジンマールがオラサーダルクに与えられた最後の仕事とは、クアゴア達の虐殺だったのだから。

 

 坑道を走り回って逃げ回るクアゴアを殺すのは、ヘジンマールにとって多少面倒な作業に過ぎなかった。もとより、ドワーフの文献を読み漁って知識を蓄えてきたヘジンマールには、ドラゴンの超感覚も相まってクアゴア達の追跡は多少面倒な作業程度だった。おそらくまともにやりあえば負ける可能性の方が高かったであろう彼らの氏族王さえ、その知能で追い詰め殺しきった。

 

 そんなクアゴア達の有様は、ドワーフ達の心を折るには十分だった。

 

 だからヘジンマールは知っていたのだ。ドワーフ達は、決して逃げ出さないだろうという事を。

 

(早く説得を諦めてくれないかなぁ。兄弟に見つかる前に逃げたいんだけど)

 

 言い争うドワーフ達とラキュース達を見ながら、ヘジンマールは鼻息を漏らす。心の折れたドワーフ達は、梃子でも動くまい。ならばここに残っているのは危険が大きい。さっさと逃げ出したかった。

 彼らの言い争いをそうして見つめていると、第三者視点だったからこそヘジンマールは気がついた。

 

(……あれ?)

 

 静かだ。いつの間にか、戦闘音らしき音が聞こえない。せいぜい、遠くからドワーフ達の楽しみの声が届くだけだ。

 

(まずい。早く逃げよう)

 

 おそらく、あの漆黒の戦士とグリーン・ドラゴン。そして父達の決着がついたのだろう。あのグリーン・ドラゴンは強いだろうが、父ほどではない。グリーン・ドラゴンが漆黒の戦士にへりくだった態度をとっているのは気になるが、それでも父と同格か少し上程度だろう。母達三匹を合わせた数の暴力には敵うまい。怒り狂ったオラサーダルクが後で直せるからと王城を破壊しまくり、ヘジンマール達の前に出てこないとはかぎらなかった。急いでこの場を離れる必要があるだろう。

 

「あの……」

 

 ヘジンマールはそう声をかけようとするが、しかし聞こえていなかったのかヘジンマールを注目する者はいない。もう一度声をかけようとして――何かが近づいてきているのを感じた。

 

「……!」

 

 ヘジンマールは警戒してその近づいてくる何かに視線を向ける。ドラゴン特有の、重たい足音。しかし、感じる気配はあの陰湿なドラゴンのものだ。ヘジンマールはいつでも走って逃げられるようにしながら、注意深く見つめた。

 そして――

 

「――――げぇ!?」

 

 思わず、悲鳴を上げた。そのヘジンマールの驚愕の声に周囲が一斉にヘジンマールと同じ場所へ視線を向ける。そこに。

 

「――なんだ、お前達。まだこんなところをウロチョロしていたのか?」

 

 グリーン・ドラゴンの体にフロスト・ドラゴンの首をぶら下げた、漆黒の戦士が現れた。フロスト・ドラゴンの首の数は十九。当然、ヘジンマールは全て知っている。この王都に、王城に棲んでいた自分の身内である。

 

「――――え?」

 

 そのありえない光景を前にして、ドワーフ達は目をこすって現実かどうか確かめている。だが、誰もが呆然とする中小さな人影が飛び出した。

 

「すごい! さすがだアインズ!」

 

 イビルアイだ。イビルアイはまっすぐ漆黒の戦士――アインズに向かっていき、その偉丈夫に抱き着いた。それを軽々と受け止めて、アインズはイビルアイを床に降ろす。

 

「おい、ヘジンマール……だったか? これで全部だな?」

 

「あ、はい」

 

 首を全部見せてくるアインズに、ヘジンマールは呆然と頷く。そして、本当の意味で理解が及んだ瞬間――ヘジンマールは体の震えを止められなかった。

 

(も、漏れそう……)

 

 股間からやばいものが漏れそうになるが、何とか気を引き締めて踏ん張る。フロスト・ドラゴンの首をぶら下げたグリーン・ドラゴンは、真顔でアインズの隣に立っていたがヘジンマールには分かる。あれは自分と同じ気持ちだ。きっと、今も股間から溢れそうになる水やらなんやらを、必死に踏ん張っているに違いない。

 

「お前……よく勝てたな」

 

 ブレインの言葉に、アインズは「まぁな」と軽く返す。

 

「魔樹と比べるとドラゴンとゴブリンほど強さに違いがあるからな。それに、コイツ(・・・)が魔法を使えるし助かった。――な?」

 

「ソッスネ」

 

 カクンと人形のように動くグリーン・ドラゴンに、ヘジンマールはこのドラゴンが何故あそこまでへりくだった態度を取っていたのか悟る。しかし口には出来ない。殺される。

 

「――しかしちょうどよかった。フロスト・ドラゴンが巣にしていた財宝を持って帰ろうと思っていたんだが……持ち帰るとまずいものはあるか?」

 

 アインズはドワーフに話しかける。ドワーフ達は……

 

「……った」

 

「うん?」

 

「やったああああぁぁぁぁぁッ!! 儂らは自由じゃああああああああ!!」

 

 ドワーフ達は先程の死んだ目からは打って変わって、光を灯した生き生きとした目で叫ぶ。凄まじい変わり身だが、鬱屈していたからだろう仕方がない。

 

「ア、アンタは儂らの恩人じゃ!! この事をすぐに他の者達にも伝えねば!!」

 

 何度もアインズに礼を言いながら、ドワーフ達は駆けていく。置いていかれたアインズ達は、ぽかんとそんなドワーフ達を見送った。

 

「…………どうするんだ、この状況」

 

 ぽつりと呟かれたアインズの言葉が、あまりの変わり身の早さを見せたドワーフ達に届かず消える。

 

 

 

 

 

 

 ドワーフ達は騒ぎ、宴を開き、三日三晩踊り狂った。その様子を見続けたアインズ達はげっそりした様子で山を下りる。

 

「……とりあえず、依頼は完了でいい、のか?」

 

「いいんじゃないでしょうか……?」

 

 山を下りながら呟いたアインズに、ラキュースもげっそりしながら肯定する。フロスト・ドラゴン達の首は腐らないようにマジックアイテムで包み、アインズの馬のゴーレムに持たせて持ち帰っていた。ドワーフ達に食料を分けてもらったので、余裕をもって帝国まで帰還出来る。

 

「しかし、いいのかゴンド。国を出るだなんて」

 

 アインズはチラリと、“漆黒と蒼”と共に山を下りて帝国へと向かうゴンドを見た。ちなみに、ヘジンマールもくっついて来ている。

 

「かまわんじゃろう。それに、儂はルーン技術の向上をしたいんじゃ。このまま国にいても、失伝するだけじゃしな。いい機会じゃったと思うぞ」

 

「まあ、帝国ではドワーフの人権は保障されているし、ヘジンマールにも働き口が山ほどあると思うが」

 

 ジルクニフならばヘジンマールを悪いようにはしないだろう。むしろ特別待遇してくれるかもしれない。

 

「一応口利きはしてやるが、これからの人生はお前達の行動次第だ。好きにするがいいさ」

 

 アインズはそう言って、これ以上ゴンド達の深い位置に踏み込むのはやめた。それよりも……。

 

「大丈夫か、ラキュース?」

 

 アインズはラキュースに訊ねる。ガガーランは年齢的に善意が感謝で返ってくるとはかぎらない事を知っているだろうが、ラキュースには初めての経験なのではないだろうか。そう思って気にかけるが、ラキュースは気にせず笑った。

 

「大丈夫よ、そういうこともあるわよね。でも、何もしないよりは全然マシだから、よかったと思うの」

 

 ラキュースはいつも通りの、輝きに満ちた笑顔をアインズに返した。アインズは「そうか」と呟きそれ以上の追及をやめる。

 

「しかし俺らも貰ってよかったのか、コレ」

 

 ブレインがドワーフ達に貰った、ドワーフの宝物庫にあったアイテムや宝石をじゃらりと鳴らす。アインズは鼻を鳴らした。

 

「別にかまわないんじゃないか? 俺達はチームだしな」

 

 フロスト・ドラゴン達を討伐したのはアインズだが、ブレイン達が役立たずだったわけではない。というか、今回はアインズがプレイヤーの遺産を気にして乗り込んだために迷惑をかけた、という方が正しいのだ。出来れば貰っておいて欲しい。

 

 ……結局、プレイヤーの遺産らしきものは無かった。二〇〇年前に、ルーン工王なる存在がドワーフの秘宝などを持っていったらしく、そういったアイテムは無いというのがドワーフ達の言い分だ。

 ――きっと、プレイヤーの存在と共に失われたのだろうとアインズは思う事にする。気になるアイテムは幾つかあったが、何がなんでも欲しいというほどのアイテムは存在しなかった。

 

「フロスト・ドラゴン達の残した財産もある。彼らは再び、自分達だけの力で立ち上がるさ」

 

 イビルアイはそう告げ、再び普段通りの無言になる。先頭を歩いていたティアとティナは、そのタイミングで振り返った。

 

「あと少しで最寄りの街に着く」

 

「早く帰って寝たい」

 

「だな」

 

 二人の言葉にガガーランも同意した。アインズ達も同じ気持ちだ。本当に、今回は気疲れした。

 

「……そういえばアインズ」

 

「うん?」

 

 イビルアイが話しかけてきたために、アインズは立ち止まる。イビルアイはアインズの横に並ぶと、小声で囁いた。

 

「あのグリーン・ドラゴン。放っておいてよかったのか?」

 

「――ああ、なるほど」

 

 イビルアイの言いたい事を察し、アインズは口を開いた。

 

「大丈夫だろう。――――それに、真の栄光とはどのような形にせよ、一歩踏み出す勇気を持つ者にだけ訪れるべきだと思わないか?」

 

「……ふん。確かにな」

 

 アインズの言いたい事をイビルアイも察したのか、それ以上グリーン・ドラゴンの話題が上る事はなかった。それに――

 

(一ヶ所にたくさん集めておいてくれた方が、回収し易い(・・・・・)からな)

 

 そう、そしてその方がたくさんの財宝を手に入れられる。これはグリーン・ドラゴンが自分から言っていた事だ。

 おそらく最短で五年。そのくらいで回収する日がくるだろうが、それまでに是非あのグリーン・ドラゴンにはアゼルリシア山脈中の財宝を集めておいてもらいたいものだ。

 

 ――――文字通り、あらゆる場所(・・・・・・)の財宝を。

 

 

 

 ――――そして、ドワーフの国は襲撃される。

 

「俺の物だ! 全部、俺の物だぁッ!!」

 

 エメラルドのように輝く鱗を持ったドラゴンが、ドワーフ達を蹴散らしながら財宝を漁っていた。口元は残虐に歪み、財宝を持てるだけ奪っていく。

 そのグリーン・ドラゴンの襲撃は、不規則に、しかし長い間続いた。

 

 いつか、死の支配者(オーバーロード)がその竜の巣を訪れる、その日まで。

 

 

 

 

 




 
フロスト・ドラゴンの首を十九個ぶら下げて歩くのが最近のトレンド。
 


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The Shining Fixed Star Ⅰ

 
今回の内容は、解釈は人それぞれ、という事で納得して下さい。もう終わるし。

■前回のあらすじ

ドワーフ手の平大回転。
 


 

 

 ここ最近のジルクニフの気分は上昇傾向にあった。というのも、“漆黒と蒼”が行った偉業のおかげだ。

 

「フロスト・ドラゴンか――」

 

 頭部のみの持ち帰りで、他はドワーフの国に置いてきたそうだが、しかし十分だ。数は十九もあるのだから。

 材料の優先度は“漆黒と蒼”が上だが、残りは全て帝国で買い取るように既に冒険者組合とは話がついている。そして当然、それだけではない。

 

「あのヘジンマールはいい土産だったな」

 

 アインズからフールーダに紹介があったらしく、ジルクニフはそのままそれを受け取っただけなのだがアレは素晴らしいものだ。

 まず、ドワーフの国の知識の山だ。知識とは知っている事――それだけで価値がある。更に本人――いや本竜がプライド高くなく、効率的で合理的。素晴らしい。賢い者は好きだ。

 

 現在、ヘジンマールはその知識の山を排出する作業を行っている。人をつけ、書物に書き起こす作業を行っている状態だ。全ての知識を写すにはかなりの時間を要するだろうが、ジルクニフは待つのも嫌いではない。それが終わり次第、魔法の師をつけ魔法を覚えさせ――最後にジルクニフ専属の騎竜として回って来るだろう。

 

「いや、その前にダイエットだな」

 

 有り余った皮下脂肪を思い出し、呟く。さすがに帝国の威信のために、ダイエットは必須だ。あのデブゴンのままでは威厳が減る。もっとスタイリッシュな見目になって欲しい。ジルクニフもデブったドラゴンを飼育するのは遠慮したい。

 

 ――ちなみに、ゴンドというドワーフはこの国の鍛冶職人のもとで働いてもらっている。鍛冶職人からは、「才能は微妙」という評価が届いているのであまり期待は出来ないが、いないよりはマシである。

 

「――きたか」

 

 ジルクニフがこれからの事に色々思考を巡らせていると、控えめなノックが執務室に響いた。秘書官のロウネだ。ジルクニフは入るように促し、挨拶もそこそこに用件を促す。

 ロウネの口から発せられた言葉は、彼の国――法国から使者がやって来るというものだ。

 

「ああ。そろそろだと思っていた。さすがに、“漆黒と蒼”がド派手にやったからな」

 

 “漆黒と蒼”――いや、正しくはアインズは今回ばかりはかなり派手に動いた。フロスト・ドラゴン十九匹を、別のドラゴンの協力があったとはいえ討伐する――それは実質不可能な域の難易度だからだ。

 そして当然、それだけではない。“漆黒と蒼”の魔法詠唱者(マジック・キャスター)――イビルアイという女も見過ごせない問題を作っている。

 それは――彼女が魔力系第五位階魔法を使用している可能性がある事だ。

 

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)の育成に力を注いでいる帝国でも、第六位階に到達している魔法詠唱者(マジック・キャスター)はフールーダしか存在しない。そしてその高弟達であろうと、第五位階魔法を行使する存在はいなかった。第四位階魔法が精々なのだ。

 つまり、第五位階魔法とは完全に英雄の領域――冒険者組合の中には存在せず、竜王(ドラゴンロード)などのどこか超越した者達が行使する魔法の領域なのである。

 

 そしてフールーダでさえ、二〇〇年以上生きてようやく第六位階に辿り着いた。ドラゴン達は言わずもがな、異形種――寿命の無い種族達である。

 

 その中で、顔を隠しているとはいえ体躯からどう見ても少女の域を出ない存在が第五位階魔法を行使する。捨て置ける案件では無い事は確かだ。

 

 ……これが、信仰系魔法であるなら話が違っただろう。信仰系魔法は実のところ、帝国を含めた他国では伸びしろが少ないが、法国だと話は変わる。法国は第五位階魔法の復活魔法を行使出来る存在が何人か存在しており、もしかするとそれ以上――という可能性が高い国なのだ。これは国の暗部さえ知るようになる上層部であれば、当たり前に考える可能性である。

 

 だが、イビルアイは違う。彼女は魔力系――そして元王国の冒険者。そう、あの魔法詠唱者(マジック・キャスター)の価値を全く理解出来ぬアホ共の国の出身となっている者。

 

 つまりアインズ同様に、とんでもない爆弾(・・・・・・・・)を抱えている可能性が高かった。

 

 帝国は勿論、法国であっても無視出来ない存在となったのだ、彼女は。

 

「足止めなさいますか、陛下?」

 

 ロウネの言葉に、ジルクニフは首を横に振る。

 

「いや、構わん。贅沢を言えば先に接触したかったのは確かだが――俺は“蒼の薔薇”には嫌われているからな。もう少し時間を起きたい。あの気色の悪い女とペットの起こした問題もある」

 

 下手に接触すれば、ジルクニフが世界一嫌いなあの女の話になる可能性があった。今はまだ、あの女には言及したくない。穏便に――あまり怪しまれない方法であの女の存在を世間には忘れ去って欲しい。ありのまま(・・・・・)を話すと、ジルクニフのスキャンダルに発展してしまうからだ。

 

「かしこまりました」

 

 ロウネの返答に満足し、ジルクニフは思い出してしまったあの女とそのペットが起こした問題を考え――

 

(久しぶりに、羽を伸ばしてみるかな)

 

 色々なものを忘れられる、ただ純粋に楽しめる闘技場を思い出し――溜息をつく。

 

「それと、陛下。お客様が一人お見えになってます」

 

「うん?」

 

 ロウネの口から出た客の名前に――ジルクニフは少し考え、アポイントメントの予定を組み立てた。

 

 

 

 

 

 

 ――ドワーフ達の件から、既に一月が経過した。

 

「アインズ!」

 

 背後からかけられた声に、アインズは振り返る。そこにはイビルアイがおり、イビルアイは立ち止まったアインズの横に立ち、再び口を開いた。

 

「どこに行くんだ?」

 

「……適当に散歩だな」

 

「そうか。一緒に歩いてもいいか?」

 

「ああ、いいぞ」

 

 イビルアイの言葉にアインズは頷くと、イビルアイは喜んだようだった。アインズはイビルアイと共に帝都の街を歩く。

 

「それでだな――」

 

 イビルアイは楽しげに、アインズに話題を提供しながら横を歩いている。アインズはそれを黙って聞いていた。

 

 ……この散歩に、特に理由は無い。それぞれ自由行動というだけで、何か目的があるわけでもない。実際、ラキュース達も冒険者組合に行ったり、ブレインのように何もせず引きこもっていたりとそれぞれ好きに行動している。

 そんな中、アインズは気ままに散歩に出掛け――イビルアイはそれによくくっついてくるというだけだ。

 

「…………」

 

 何故イビルアイがアインズの横を歩きたがるのか、それは既にブレインに教えられて分かっている。ただ、アインズはやはり不思議だった。

 

 自分の何が、彼女の琴線に触れたのか分からない。

 理由が、さっぱり思いつかない。

 

 イビルアイがアインズに惚れているというのは分かったが――アインズはもはや一年近く経過したこの時も、さっぱりイビルアイの気持ちが理解出来なかった。

 

(俺が恋愛経験が無いせいかなー)

 

 もとより、そういった感情を覚えた事は一度も無い身だ。クリスマスに独り身で嘆く事はあったがしかし、本当に恋人がいる人間を羨んだ事があっただろうか。あれはむしろ、雰囲気に酔っていただけのように思う。

 そもそもあの世界に好ましい人間がいたのなら、異世界でこうも暢気に暮らしなどしないだろう。

 

 だからだろうか。イビルアイが分からない。アインズには、彼女の気持ちがさっぱり分からなかった。

 

 自分なんて(・・・・・)どこにでもいる(・・・・・・・)誰かに過ぎないのに(・・・・・・・・・)

 

「――――」

 

「どうした?」

 

「いや、なんでもない」

 

 少し雰囲気の変わったアインズに目敏く気がついたのか、イビルアイが不思議そうに話を中断して声をかけてくるが、アインズはそれに大丈夫だと返事をして、イビルアイの話の続きを促した。イビルアイは不思議そうにしながらも、しかし話を再開する。

 

(……いかん。どうも、ここ最近ネガティブな考えばっかり浮かぶな)

 

 原因(・・)は分かっている。あの黄金の女だ。黄金の女に指摘された本質が、どうも頭の隅に残って消えないのだ。

 

 だからつい、他人と自分を比べたくなる。

 

 だからつい、自分に愛想が尽きかける。

 

 自分なんて、所詮■■■(・・・)に過ぎないのだと自覚しているから――。

 

「――い、おい! アインズ!」

 

「――ん?」

 

 イビルアイに耳元で叫ばれて、アインズの意識は再び浮上する。見れば、イビルアイが少し呆れた様子を見せていた。

 

「話聞いていたか?」

 

 どうやら、また引き摺られていたらしい。素直に謝ろうとして――

 

「それとも――私の話はつまらなかったか?」

 

 イビルアイはそう、アインズに申し訳なさそうに告げた。アインズはそれを即座に否定する。

 

「いや、そんなことはない。ただ単純に、ぼうっとしていただけだ。気にするな」

 

「そうか? ……なあ、アインズ。もしかして疲れているんじゃないか?」

 

 イビルアイが心配するような声を出すので、アインズは困った。彼女は自分がアンデッドだと知らないとはいえ、疲労無効の指輪を持っているのを知っていたはずだ。

 そんなアインズの困惑が伝わったのか、イビルアイは早口で告げる。

 

「いかん! いかんぞ――アイテムで紛らわせているとはいえ、精神的な疲労は感じるものだ。私が言うんだから間違いない!」

 

「それは――」

 

 イビルアイがアンデッドだからか、と思ったが途中で口篭もる。さすがにその一言はまずかった。

 だが、人生の先輩に聞いて分かった事もある。

 

(アンデッドでも精神的疲労は感じる――確かにな)

 

 アイテムや特殊技術(スキル)で誤魔化しても、精神的な疲労はやはり感じるらしい。イビルアイという吸血鬼でもそうなのだ。当然、同じくアンデッドであるアインズだって感じるだろう。

 

(疲れている――そうかもな)

 

 これほどネガティブな思考を回してばかりいるのだ。確かに、アインズは疲れているに違いない。アインズは、イビルアイに話しかける。

 

「なあ、イビルアイ。俺はこれから闘技場でも行こうかと思ったんだが――」

 

「あ、ああ」

 

「……その、一緒に観に行くか?」

 

「……えっと……、い、行く! 行くぞ!」

 

 アインズの誘いの後、少し沈黙し――イビルアイは叫ぶように頷いた。アインズとイビルアイは二人並んで、この帝都で最も騒がしい場所へと向かって行く。

 

 まだ闘技場は遠くに離れているとはいえ――それでも、彼らの熱狂はアインズとイビルアイに届いていた。

 

 

 

 アインズとイビルアイはかつての依頼でオスクから受け取った闘技場のVIPチケットを使い、見学席に座る。VIPチケットを使ったが、アインズもイビルアイも特にこだわりも何も無かったので、貴賓席ではなく一般客用の席を用意してもらった。

 ……もっとも、スタッフ達は慌てていたが。アインズにはどうでもいい事であったし、イビルアイはそもそもアインズの隣に座れれば何でもいい、という状態なのでスタッフ達の慌てようは無視された。

 

 闘技場は円形の形をしており、その一区画に大きな入口がある。馬車はそこから乗り入れ、貴賓室の客もそちらから出入りする。一般客と搬入搬出用の出入り口はまた別にあり、計三つの出入り口が存在した。

 

 アインズとイビルアイは一般客に仰天されながらも、何でもないように一般人と同じ席に座る。周囲の一般客は困惑気味にチラチラと二人を見るが、演目が始まるともはや奇妙な二人組など気にする者はいなかった。

 

 闘技場で行われる演目は冒険者チームがモンスターの討伐を行ったり、一対一で前衛戦士が戦ったりなどの中々飽きない構成をしている。熱心に見物しているアインズの横で、イビルアイは次の演目をプログラムで確認していた。

 

「……おぉ、どうやらいい時に来たらしいな。次はあの武王の試合だぞ」

 

「ほう……」

 

 イビルアイの言葉に、アインズは尚更興味が引かれる。武王はこの闘技場で最も強い亜人種だと、確かイビルアイは以前言っていたはずだ。

 観客達の熱気も最高潮で、誰もが興奮気味に武王の登場を待っている。イビルアイは武王の相手を確認していたのか――困惑気味に呟いていた。

 

「武王の相手は――“闘鬼”、ゼロ……?」

 

 イビルアイの困惑気味の声にアインズは首を傾げてイビルアイに視線を向け――イビルアイはしばし呆然とした後に――

 

「ろ、六腕のゼロだとおおぉぉおッ!?」

 

 イビルアイはアインズの隣で、叫び声を上げた。

 

 

 

 

 

 

 かつて帝国に巣食っていた邪神教団――それももはや存在しない。“漆黒と蒼”及びレイナース率いる帝国軍に暴かれ、教団員は全員捕縛されたからだ。

 そして同時に八本指に所属するコッコドールと、その警備部門でも名高い六腕のサキュロントまでもが捕縛されたために八本指もジルクニフに根こそぎ解体させられた。

 大半は犯罪者として――特に麻薬部門の人間は念入りに調査して――処刑されたが、一部はその処刑を免れた者達がいる。

 それが六腕――主に警備部門に所属していた人間達だ。

 

 強さは時に、何よりも優先される。特に犯罪に拘りの無かった六腕とも呼ばれる者達は、ジルクニフの懐柔に特に異を唱える事も無かった。ジルクニフも、それが分かっているから懐柔した。

 

 そして生き残った六腕は――不死王なる者は既に死亡し、欠けていたが――それぞれが別の階級や任務を貰っており、ゼロもまたその一人だった。

 そしてゼロはここに自らの強さを確かめるために、休暇を利用して闘技場に登録し、武王と試合を組めるように話をつけていたのだ。

 話を受けたオスクも、ゼロの強さは知っていた。六腕最強のゼロ。アダマンタイト級冒険者と同等の実力を持つ修行僧(モンク)。当然、オスクも興味を持っていた。むしろ、ゼロからの挑戦は渡りに船だと言える。

 

 そしてここに、一般人は知らないながらも――誰もが夢見る、アダマンタイト級冒険者と同等の実力を持つ者達の、対戦カードが組まれたのだ。

 

 ゼロは待つ。今回は自分のフィールドではない。ここでは自分が挑戦者だ。ゼロは闘技場の中心で、武王を待った。

 スタッフの叫び声が上がる。観客達の熱気は最高潮。そして――圧倒的巨体を晒し、全身を鎧などで武装したこの闘技場の王者――武王ゴ・ギンが入場した。

 

 

 

「どちらも強いな」

 

「ああ」

 

 アインズとイビルアイは武王とゼロの対戦を見物しながら、呟く。本当に、予想以上に二人は強かったのだ。武王は戦士としてのレベルはそこまで高くないが、しかし種族としての特性が凄まじい。その巨体、腕力、そして再生能力――そのどれもが異世界の人間にとってはあまりに羨ましいものであっただろう。

 対するゼロも、ガガーラン並みに強いと思われる。この異世界で初めてアインズはモンクを見たが、ゼロの拳は鎧さえ削り、砕いていた。そして技術力は武王より圧倒的に上だ。おそらく、この異世界でも高水準の戦いだろう、これは。実際観客達の熱気は留まるところを知らない。

 

 そして二人は激闘の末――遂に決着を迎える。最後まで立っていたのは、武王。ゼロの敗北だった。

 

 しかし、それはゼロが武王より弱かったというわけではない。相性の差だ。ゼロの戦闘方法は武王には通用しにくかった。それだけに過ぎない。ゼロが内臓に直接ダメージを与える高レベルの気功使いであったなら、結果は全く違うものになっていただろう。

 

 ゼロは担架で運ばれていく。この後、回復魔法でもかけてもらった後に帰るのだろう。イビルアイは「いいのか、アイツ……いや、たぶん皇帝がちゃんと手綱は握っているよな……?」とアインズにはよく分からない話をしていたが、まあ気にする必要は無いだろう。

 それよりも、アインズは少し気になる事が出来た。

 

「…………」

 

(なんか、アイツ……俺のこと見てないか?)

 

 武王は試合が終わったというのに、その場に立ってじっと一方向を見ている。それはアインズとイビルアイがいる観客席の方向だ。なんだか、アインズはつい自分が見られているんじゃないかという妄想が頭に浮かぶ。

 

(いや、見ているのかも知れないけど、こんな全身鎧(フルプレート)の男と仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が一緒にいたら気になるよな。そりゃ不思議に思ってこっち見るか……)

 

 そう納得していたのだが――。

 

 武王は近づいてきたスタッフから拡声器を取り、声を張り上げた。

 

「許されるのなら――漆黒の戦士よ! どうかここまで降りてきてもらえないだろうか!!」

 

「――――え?」

 

 武王の言葉の後、会場の全員の視線がアインズに集中する。当然だ。この場に漆黒の戦士――アインズより目立つ黒い鎧を着こんだ男は存在しないからだ。冒険者らしき存在は幾人か確認出来るが、武王の見ている方向で一番目立つ鎧の男はアインズだ。イビルアイもアインズを思わず見ている。

 

(な、何の用だよ!? っていうか、これ行かないとまずいやつだろ! 俺が恥かくやつだ!!)

 

 これで無視しようものなら、帝都の街を二度と歩けなくなる気がする。アダマンタイト級冒険者の一人として、それはまずい。チームにも迷惑をかける気がする。

 

(えぇいッ! 男は度胸だ……だよね!?)

 

 アインズはそう覚悟を決めると、席を立つ。そして、身体能力を駆使して一息で観客席から場内に飛び降りた。

 

 

 

 

 

 

 ――そして、漆黒の戦士は信じられない身体能力を披露し、場内に降り立った。

 

「――――」

 

 その、あり得ない身体能力に場内の誰もが生唾を呑み込む。それは漆黒の戦士に声をかけた武王も例外ではない。

 

 漆黒の戦士は無言で、中心部にいる武王の目の前まで歩いてくる。そして一メートルほどの距離が開いた場所まで迫り、漆黒の戦士は止まった。

 

「……感謝する、漆黒の戦士よ」

 

 武王は呼びかけに答えてくれた目の前の男に感謝する。男は特に気負いしていない口調で答えた。

 

「あそこで無視しては男が廃るだろう? ……それで、私を呼んだ意味を知りたいのですが」

 

 武王は漆黒の戦士の言葉に兜の中で笑みを作った。そんなものは決まっている。最初から、先ほどの刺青の男との試合の前から、ずっと武王には気になっていた。

 目の前の相手に集中出来ない――戦士として恥ずべき行為だが、それでも武王は意識が観客席の方に向かってしまっていた。

 

 ――闘技場の入り口までオスクと共に歩くいつもの儀式。何も語らない。それは最初の頃は相手への期待と興奮からで、いつしか失望が強くなっていった。

 今回はアダマンタイト級冒険者の実力を持つ相手だと言われ、そして確かにその強き気配に武王は闘志を燃やしていたのだ。

 だが――それよりも、もっと恐ろしいものが闘技場に存在している事に、武王は気づいてしまった。

 

 かつて、亜人種の首狩り兎はその二人を見て言った。あれは恐ろしいものだと。

 そして武王もまた、気づいてしまった。闘技場に、何か恐ろしいものが見物に来ていると。

 

 足が恐怖でうまく動かない。殺気立っているわけでもなく、単純に見物に来ているだけなのに、身を震える。心が萎える。

 けれどそれ以上に――武王が感じたのは、強者に対する興奮だった。

 

 ――ああ、感謝するぞオスク! お前は俺と出会った時の約束を、全て果たしてくれた……!

 

 いざ、前へ。目指すはもっとも恐ろしいもの。それに挑戦するために。

 そのための障害になるもの全てを粉砕し、さぁ前へ。

 

 武王は瞳に輝きを携え、真っ直ぐに、力強く一歩を踏み出したのだ。

 

 

 

「貴方に、挑戦させて欲しい」

 

 武王の要求は、至ってシンプルだった。だからこそ、アインズは困惑するしかない。

 そして、それはおそらく闘技場内の誰もが同じだろう。スタッフがまだ近くにいるので、アインズと武王の会話は拡声器を通して聞こえている。

 

「私に挑戦――? 武王、この闘技場の覇者は貴方でしょう」

 

「そうだ。俺が武王――この闘技場の王だ。だからこそ――貴方に挑戦させて欲しいのだ、漆黒の戦士よ」

 

「…………」

 

 アインズは無言で、武王に話の続きを促す。武王は、震える声で語った。

 

「貴方は強い。間違いなく強い。隣の仮面の女もよほどだが、貴方の方が恐ろしい(・・・・)。だからこそ、俺は貴方に挑戦したい。……そうだ。貴方以上は存在しない、と。俺は確信したのだ」

 

 武王は、まっすぐにアインズを見つめている。

 

「最強に挑みたい。貴方に挑戦したい。そして――――どうか、貴方を食べさせて欲しい(・・・・・・・・)

 

「――――は?」

 

「俺は今まで、殺して食べるほどの強者に出会ったことがない。だが、貴方は間違いなく俺より強い。その貴方を食らえば、俺はより強くなれる」

 

 そのまっすぐな、人外の要求にアインズは――笑った。声を出して笑った。笑うしかなかった。

 破顔するアインズを武王以外の全員が異様なものを見る目になる。アインズはそして、最後の確認をする事にした。

 

「いや……そう言われたのは初めてだ。そうか……人外とはそういうものだったな、うん。武王、貴方を笑う気はなかったので許してほしい。そして最後の確認だ――――兜を取れ、顔を見せろ」

 

 不思議な要求だっただろう。しかし武王は兜を取り、顔を見せた。

 そこには、まっすぐに、真摯にアインズを見つめる戦士がいた。しかしその輝きを知っている。アインズは、一度だってその輝く瞳を忘れた事は無い。

 

「――いい目だ。ガゼフを思い出すよ」

 

 アインズは兜の中で瞳を細めるような仕草をした。無論、気のせいだ。アインズの顔は骸骨なのだから、瞼も眼球も無い。けれど、その眩しさにそうせざるを得なかった。

 

「いいだろう、武王。その挑戦を受けよう」

 

「――感謝する」

 

 あまりにも眩しすぎる存在を前に、アインズは誘蛾灯に誘われる蛾のように、武王の要求を呑んだのだった。

 

 

 

「皆さま! ここに急遽前代未聞の対戦が確定しました! なんと――あの武王が挑戦したいと望み、そして答えた漆黒の戦士――アダマンタイト級冒険者、“漆黒と蒼”のアインズ・ウール・ゴウンの決闘です!!」

 

 観客席の喧騒は、先ほどまでの比ではない。

 

「皆さま、一度休憩を挟みますので――本日の午後――」

 

 スタッフの興奮気味の声と、観客席の喧騒は控室まで届いていた。そして、アインズは今その控室にイビルアイと共にいる。

 

「い、いいのかアインズ? こんな急な……それにあんな条件も呑んで……」

 

「構わないさ。それとも、イビルアイは俺が負けるとでも?」

 

「まさか! アインズ、お前は絶対に勝つとも! だが……」

 

「ふふ……俺もアイツが気に入っただけだ。ああ、そうだ――ガゼフといい、ブレインといい、ラキュースといい――彼らはどうしてこうも」

 

 ――俺をその輝きで、灼き尽くさんとするのか。

 

 理由はそれだけだ。その輝きは、避けがたい。だからその挑戦を受け入れる。

 自分(・・)には、決して出来ない輝きの吐露だから。

 

「少しそこで待っていろ、イビルアイ。武王との戦いで、俺もようやく答えが出せそうな気がするんだ」

 

 長年、燻り続けたこの心に。

 あの黄金の女に打ち込まれたこの致命傷に。

 “アインズ・ウール・ゴウン”というギルドに。

 

 そう――ようやく、一歩前に進めるような気がしたから。

 

「……そうか」

 

 アインズの言葉に、イビルアイはもはや何も言わなかった。

 

「……ああ、本当はお前が悩んでいるなってことは知っていたんだ。その悩みが、武王と戦って解消されるというなら、もう何も言わんさ」

 

「感謝する、イビルアイ」

 

 アインズは両手にグレートソードを持ち、闘技場の入り口へと向かう。

 

「アインズ――いってらっしゃい」

 

 イビルアイの一言にアインズは振り返り、少しだけ照れながら。

 

「ああ――いってくる」

 

 アインズは、入り口の光に向かって歩き出した。

 

 

 

 戦いは、酷く一方的だった。当然だろう。アインズは、魔法の使用は制限していても、特殊技術(スキル)の制限はほとんどしていないのだから。

 装備品だってそうだ。アインズが普段している装備は、基本的に神器級(ゴッズ)アイテム。対する武王達現地民は、漆黒聖典という例外を除いて遺産級(レガシー)アイテムにも届かない。

 第七位階魔法で作り出した鎧に、武王は歯が立たず――当然、六〇レベル級のデータ量を持たない干渉をアインズは受け付けない。ならば当たり前に、一方的になるだけだ。

 例え戦士としての腕前で武王が勝っていたとしても、アインズに傷をつける事は決して出来ない。

 

 だが、それで武王が諦めるのか。いいや、否。断じて否だ。武王は諦めない。例え勝ち目が全くなかったとしても、武王は決して敗北を認めない。

 

 何故なら、彼は“武王”だから。闘技場の覇者にして王者。王である彼は、死ぬまで抵抗し続ける。

 だからこそ、アインズには眩しく見えた。この輝きが、アインズにはとても――

 

「――教えてくれ、ゴウン殿。俺は弱いのか?」

 

 だから、この一言にアインズは足を止める。きっとこの会話は周囲には聞こえていない。観客席までは、届いていないだろう。

 

「貴方は本気を出していない。今まで、ずっと半信半疑だったが――戦っている内に確信した」

 

 武王は、震える声で――

 

「貴方の本分は、魔法詠唱者(マジック・キャスター)では?」

 

 そう、アインズの本性を見破ってみせたのだ。

 

「――――」

 

 アインズは内心驚愕する。今まで、誰にも見破られていないと思っていた。誰にも、突っ込まれた事はなかったからだ。

 しかし、武王は見破ってみせた。だからこそ、アインズは驚愕する。

 

「――何故そう思った?」

 

「俺は、色々な相手と戦ってきたことがある。冒険者チームとも。……だからこそ、貴方の本来の戦闘法は、魔法使いなのでは、と――」

 

「――――」

 

 そう、武王は数多の対戦相手と戦い、勝利してきた。当然魔法詠唱者(マジック・キャスター)もいただろう。

 ……本来、そうした多種多様な存在と戦うような事態は少ない。例え冒険者であっても、そういった対人戦闘経験を積む者はいないだろう。

 むしろ、冒険者こそ対人経験値は少なくなる。ブレインとガガーランがいい例だ。ブレインは対人特化だが、魔物のような相手と戦うのには向いていない。しかしガガーランの武技などは、対人としては破壊力があり過ぎながらも魔物相手には便利である。そもそも、ブレイン自体冒険者にならなかった理由は対人経験が積めないから、というものだった。

 そして普通の人間は、対人経験値は多くても多種多様な職業に触れる機会が少なくなる。組織に、軍属になると魔法詠唱者(マジック・キャスター)と戦う事態など基本起きないからだ。

 だからこそ、これは武王だから気づけた事。様々な種類のクラス構成の者達と戦った武王だから、アインズの本来の戦闘スタイルに気づけた。

 身体能力の規模さえ考えなければ――距離の取り方、武器の振い方など、その姿は魔法詠唱者(マジック・キャスター)に似通っている、と。

 

「……よく気づいた。そうだ、俺の本分は魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。実を言うと、この鎧も剣も魔法で作ったもの……実物じゃあない」

 

「やはり……ならば、ゴウン殿。やはり俺は弱いのか。貴方が攻撃系の魔法を使う必要なぞ無いほどに」

 

「それは……そうだな。実を言うと、お前を殺すのに魔法を使用する必要さえ無い。俺が本気になれば、お前は一瞬の対峙も不可能だろう」

 

 だから、やめるか。そう訊ねるアインズに武王は首を横に振った。

 

「上には上がいる。それだけで今回は価値のある戦いだった。俺はそれを知れただけでいい」

 

 最後まで戦う。そう告げる武王にアインズは声を震わせた。

 

「そうか――ああ、やはり。お前達は俺にとって――」

 

 武王の姿に長年の答えを見出しながら、アインズは武王が地に沈むまで戦い続けた。

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 アインズとイビルアイは無言で帝都を歩く。イビルアイは時折、仮面の下でアインズを見上げるがアインズは無言だ。

 

「…………」

 

 アインズは、武王と戦ってからというのも無言だ。何らかの悩みに対して、何らかの答えは出したのだろうが、それは果たしてよいものだったのか悪いものだったのか。

 出した答えが正解とは限らない。正解であったとしても、そもそも答えを出していい疑問だったのか。現実というのは、白か黒かの単純構造ではない。正解が分かっていたとしても、それを選べない選択というのは当然あるし……悩んでいる時の方がマシだったという残酷な答えもある。

 アインズの疑問は、果たしてなんだったのだろう。アインズの疑問とは何であったのか。

 

 ただ、イビルアイに分かる事はこれだけ。アインズの疑問は、きっとあの黄金の女が切っ掛けだ。

 

 だからイビルアイに出来る事は、アインズの出した答えが何であれ受け入れてあげる事だ。それが出来るのは、自分だけなのだと信じている。

 

「…………ん?」

 

「?」

 

 そうして二人で宿まで無言で歩いていると、途中で足を止めた。向こう側から、見覚えのある人間が歩いている。――ブレインだ。

 

「おう、ちょうどよかった」

 

 ブレインは二人のどちらかを探していたのか。二人の姿を見つけると声をかけた。

 

「アインズ、ちょっと面貸してくれ」

 

「なんだ? 何か用事か?」

 

「ああ。そんなところだ」

 

 ブレインはアインズを探していたらしい。気軽にアインズに声をかける。アインズはブレインの言葉に了承を示した。

 

「いいぞ。どこまで行くんだ?」

 

「街外れ。そう時間はかけねぇよ」

 

「そうか。イビルアイ、先に宿に帰っていてくれ。ブレインと少し出てくるとラキュース達に伝言を頼む」

 

「分かった。二人とも、早く帰って来いよ」

 

 イビルアイがそう言うと、ブレインは苦笑した。

 

「おいおい、やめてくれよ。子供じゃないんだぜ俺らは」

 

「確かにな。俺達はいい歳したおっさんだ」

 

「おっと? そういう自虐でも傷つく発言はやめろ」

 

 アインズとブレインは苦笑しながら、二人揃って夕日の街を歩いていく。イビルアイはそれを見送った。

 

「……友人、か」

 

 悪ガキ同士のようなノリだが、間違いなく友人同士にしか見えない背中を見送って、イビルアイは帰路に就く。宿に帰ると、従業員がイビルアイに声をかけた。

 

「申し訳ございません、イビルアイ様。お客様がおいでになられています」

 

「? 私にか?」

 

「はい。あちらの奥の個室にいらっしゃいますので……王国の商人の方です」

 

「そうか。では、ラキュース達に私の代わりに伝言を頼まれてくれ」

 

 アインズとブレインの事を従業員に伝え、イビルアイは案内された個室へ向かう。

 

(しかし、一体誰だ? リグリットからは何も聞いていないし、ツアーも違う……)

 

 自分を訪ねてくる人物、というものがこの二人以外に頭に浮かばず首を捻る。王国の商人といっても、何故イビルアイを訪ねてくるのか。確かに、自分は珍しいアイテムを持っているが――そういうのは冒険者組合くらい通してくる。それに、今ではアインズの方が商人には大人気だ。

 疑問を持ちながらイビルアイはその個室のドアをノックし、口を開いた。

 

「“漆黒と蒼”のイビルアイだ。用があると聞いたのだが」

 

「――お待ちしておりました。どうぞ」

 

 ドアから知らぬ男が現れ、中に促される。イビルアイは気にせず部屋に足を踏み入れ――

 

「――お久しぶりです。私のことは、覚えていらっしゃるでしょうか? 以前はゴウン殿をお訪ねしたのですが、その時に貴方にもお会いした者です」

 

「――――」

 

 漆黒の長い髪の男――かつて、イビルアイが恐怖を覚えるほどの強さを感じさせた男の登場を前に、イビルアイは頭が真っ白になったのだった。

 

 

 

「どうぞ、そちらの席にお座り下さい。お飲み物をお入れしましょう」

 

「いや……いい。遠慮する……」

 

 声が震えていないか不安になりながら、イビルアイはそう断って促されるままに対面の椅子に座った。ドアの付近に立つ、という警戒は出さなかった。そもそも、この男はイビルアイでも強さの上限が分からない相手――即ち、竜王(ツアー)級である。そんな相手に、どこまで対抗出来るかわかったものではなかった。

 

「それで……お前達は何なんだ?」

 

 とりあえず、まずは相手の正体を見極める事から始める。男は頭を下げ、丁寧な口調で名乗った。

 

「申し遅れました。私はスレイン法国からの使者で、ジョン・ドゥと申します」

 

名無し(ジョン・ドゥ)、か……」

 

 つまり本名を名乗るつもりは無い、という事だ。怪しさ爆発の相手だが、アインズは平然と相手をしていた。つまり法国の人間、というのは確かなのだろう。

 男は名乗り終えると、改めてイビルアイを見る。

 

「さて、今回私どもが訪ねた理由ですが――おおよその見当はついているかと思われます」

 

「…………」

 

「イビルアイ殿……貴方はもしや、ぷれいやーに連なる者なのでしょうか?」

 

 仮面の奥で、顔が引き攣る。見えていないのが助かった。確かに、法国からしてみればイビルアイもアインズも怪し過ぎる。その身分が――ではない。単純に、その『強さ』が、という事だ。

 この世界には歴然とした才能が存在する。稀に、才能だけでは説明がつかない強さを天元突破している怪物が現れるが、そういった例は極稀だ。フールーダのような、正真正銘人間の血しか入っていないのに逸脱者と呼ばれる怪物は本当に滅多にいない。

 そう、人間はそんなに強くなれない。亜人種や異形種のように、生まれながらの強者で、ちょっと技術を覚えたら目も当てられない怪物になる、なんて不可能なのだ。

 

 ――(ぷれいやー)という、とんでもない反則技を使わないかぎりは。

 

 だから、男の疑問は当然だ。周囲から逸脱している強さ。王国ではありえない、凄腕の魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)。前人未踏のフールーダでさえ第六位階魔法までしか使えず、そのフールーダも年齢は二〇〇を超える。

 イビルアイの年齢で、魔力系の第五位階魔法を行使するなぞありえない。そういった反則を使わないかぎりは――

 

「…………」

 

 ここで、「ぷれいやーとは何だ?」と嘘をついてもよかった。しかし、そうした場合のリスクが恐ろし過ぎる。目の前の男はイビルアイでは想像もつかない強者。無理矢理口を割らせる事も可能だろう。

 そこで自分がアンデッドだと露見した場合の方が、あまりに拙い。それくらいなら、ある程度真実を話した方がよかった。

 

「……私は神でも神人でもないさ。ただ、少しだけ人より詳しいだけの女だ」

 

「……彼の方々のことは知っているのですね」

 

「ああ。十三英雄のリグリットを知っているか? あのババアから、よく当時の話を聞いていただけだ」

 

「――あの“死者使い”ですか。なるほど、納得出来る言い分ですね」

 

 そしてリグリットの名を出せば、同時にイビルアイが魔法詠唱者(マジック・キャスター)として優れている理由も納得出来てしまう。生まれながらの異能(タレント)と優れた師匠の合わせ技なら、イビルアイの現状は不可能では無いからだ。

 

(まあ、私はリグリットとは同い年なんだが)

 

 別にリグリットは魔法の師匠ではない。しかし、法国の使者はこれで納得がいくだろう。そして、彼らが十三英雄に未だ存命中の人間がいる、という事を知っていたのもよかった。これで「未だに生きているはずがないだろう」などと言われてしまえば、言い訳が難しくなる。法国の情報網を信じてよかった。

 

「なるほど。貴方の言い分は分かりました。――話は変わりますが、ゴウン殿についてはどう思っています?」

 

「――――」

 

 そして、当然こういう流れになるだろう事も予測していた。イビルアイの件は納得した。しかしアインズはどうなのだ。アレは本当にこの世界の人間か? 神か、あるいはその血が流れているのではないか――。

 

 しかし、イビルアイはその疑問の答えを口にするわけにはいかない。

 

「知らんな。本人に聞いた方がいいのでは? まあ、記憶喪失で覚えていないと言っていたので無駄になるかもしれんが」

 

「なるほど。ご協力感謝します」

 

 男はそう礼を述べると、室内にいた連れも促し用は終わったとばかりに外へ出ようとする。イビルアイはその背中を見送った。

 その、去り際に。

 

「ああ――そう」

 

「?」

 

「ゴウン殿はともかく、貴方は羽目を外し過ぎると狩らざるをえないので、ご注意を」

 

「――――ッ!?」

 

 そう釘を刺して、男達は去っていった。イビルアイは思わず仮面に手をやり、体を震わせる。

 

「……ふ、ふふ」

 

 イビルアイは一人残された室内で、力なく笑った。

 

「さすがは法国……ああ、なるほど。最初から私の種族についてはお見通しか……!!」

 

 マジックアイテムで隠したとしても、それより高位の魔法やマジックアイテム、あるいは生まれながらの異能(タレント)を行使すれば当然、暴く事は可能だ。

 今回は何の事はない。単純に、イビルアイに釘を刺しに来ただけに過ぎない。あまり羽目を外して露見するな。そうなれば、見逃す事は出来なくなる――と。

 

 思えば、当然の事だ。法国がいつ気づいたのかは知らないが、亜人種・異形種達の全てを駆逐するなどいくらなんでも出来るはずがない。どこかで、必ず線引きをしている。人間種の味方をしている節がある存在は、当然出来るかぎり見逃すだろう。

 実際、法国は十三英雄時代に見逃しているのだ。物語には載らずとも、わざわざいらぬ敵を作るほど法国は狭量ではない。

 

 今回の彼らの目的は、イビルアイに釘を刺しにきただけ。――お前の事は気づいているぞ。妙な真似はするな、と。

 

 イビルアイはそれに気づき、少しだけ自嘲した。窓を見ると、夕暮れも終わり空で星が輝いている。

 アインズとブレインは、帰ってこない。

 

 

 

 

 

 

「――さて、ブレイン。こんなところまで連れ出して、一体何の用だ?」

 

 アインズは帝都の外れ――郊外とも呼べる場所まで連れてきたブレインに、訊ねる。ブレインは何でもないかのように、言った。

 

「ん? ああ――ここなら邪魔は入らないだろうなって」

 

「ふむ」

 

 言葉の真意は不明だが、なるほど確かに邪魔は入らないだろう。ここはあの黄金の女の離宮に近い。人目を避けているあの女の陣地ならば、確かに近寄る存在は少ないはずだ。

 

 つまり、ブレインはこれから人が来たら困る事をしようとしている。

 

「なあ、アインズ――お前、本当は記憶喪失じゃないだろ?」

 

「……む」

 

 ブレインの苦笑を浮かべた問いに、アインズはどうしたものか悩み――素直に認めた。

 

「ああ、そうだ。本当は記憶喪失じゃない。実は、もっと別の理由で俺はこの周辺国家に詳しく無かった。しかしトラブルを避けるために、記憶喪失のふりをしていたんだ。その方が面倒が無かったからな」

 

「そうか、やっぱりか」

 

「いつ気づいたんだ?」

 

「あー……まあ、最初から割と疑ってた。でも、俺には関係の無い話だからな。……言っちまえば、興味が無かった。この辺はお前と一緒だよ。どうでもいいものには、興味なんて示さねぇ」

 

「なるほど。確かにそうだ」

 

 その辺り、アインズとブレインは似ているのかもしれない。しかし――二人には、決定的な違いがある。

 

「それで――話は終わりじゃないんだろう?」

 

「ああ。……アインズ、俺は――冒険者をやめようと思う」

 

「…………」

 

 それは、少し考えていなかった。まさかそういう話になるとは、全く想定していなかった。

 

「……ふむ。何故か、そう訊ねていいか?」

 

「そりゃ、リーダーとして当然だ。むしろ何も言われずに放り出されたらどうしようかと思ったぜ」

 

 ブレインは苦笑して、アインズに理由を語る。

 

「何故って言われたら……そうだな。このままじゃいけない、っていうのが主な理由だな」

 

「“このままじゃ――いけない”?」

 

「ああ」

 

 ブレインは頷く。

 

「アインズ、お前は強いよな?」

 

「否定はしないが――剣士としては、どう見てもお前の方が強いだろう。俺なんて大剣を振り回すだけだしな」

 

 武技も満足に使えない。戦士としてのレベルは上がらない。アインズは行き止まりだ。一〇〇レベル以上にはなれない。単純な技術力は鍛えられても、戦士職は得られない。

 

「そうだな。でもよ――生存率っていう方面で見れば、誰が見てもお前だろうさ。ドワーフの国で実感したよ。今の俺に、竜退治(ドラゴンスレイ)は無理だって」

 

「…………」

 

「冒険者ってのは、同じ強さの連中がチームを組んで、協力し合う関係だろう? ――そういう意味じゃあ、俺達は、“漆黒と蒼”は冒険者チームなんかじゃなかった」

 

「…………ブレイン」

 

「だから思ったんだ。このままじゃ駄目だってな。――ああ、そうだ。このまま燻るのは耐えられない。微温湯に浸かったまま生きていくのに、耐えられない。俺は――」

 

「――ブレイン」

 

「俺は――、一生懸命、生きて、死にたい」

 

 ブレインはまっすぐに、アインズを見ている。

 

「たった一度の人生なんだ。復活魔法によるやり直しなんざ糞食らえだ。考えたくもねぇ。……俺は、ひたすらに生きて、死ぬ。後悔する生き方なんざ絶対嫌だ。俺の人生は――剣を振ることだけ。それだけだ」

 

 ブレインは、片手に持っていた、ぐるぐるに布を巻いて隠していたエモノを露わにする。アインズは、その布に隠された中身を、どこかで見た気がした。

 

「だからな――アインズ」

 

 その布の中身をどこで見たか記憶を探り――アインズは、それを思い出した。

 

「剣士としては……魔法詠唱者(マジック・キャスター)に近接戦で負けるってのは、我慢ならねぇ(・・・・・・)んだよ……ッ!!」

 

「――――」

 

 その美しい刃渡り。透き通るような刀身の鋭さ。間違いない。アインズがかつて欲しいと願い、しかしある男への義理立てによって着服するのをやめたこの異世界特有のマジックアイテム。

 

剃刀の(レイザー)――(エッジ)……」

 

 あのガゼフ・ストロノーフの持っていた、リ・エスティーゼ王国のかつての秘宝だった――

 

 

 

 

 

 

「やあ、よく来たね。ゆっくり寛ぐといい」

 

「あー……偉い人に対する礼儀っていうのは、ちょっと分かんねぇんだが、かまわないか?」

 

「かまわないとも。公の場ではあるまいし――そういうのは必要な時に、必要な分だけ見せてくれればいいのさ」

 

 ジルクニフはアポイントメントを取ってやってきた男――ブレイン・アングラウスにそう微笑みかけた。

 ブレインはジルクニフにそう言われ、安心したように息を吐く。

 

「そりゃよかった。この場で打ち首――なんて言われたら、さすがに何しに来たか分かんねぇからな」

 

「ははは! アングラウス殿に対してそんな態度を取るほど私は傲慢ではないさ。――何か好みの飲み物はあるかな?」

 

「いや、そうゆっくりする気はないから気にしないでくれ。忙しい皇帝陛下の時間は取らさないさ」

 

「そうかい? 私としては、君が訪ねてきてくれてゆっくり出来る時間が取れたと喜んでいるんだがね。――まったく、これだから皇帝という立場は困る。休憩さえ、単なる予定だからな」

 

「なるほど。偉い人ってのはふんぞり返ってるのが仕事だと思ったんだが――やっぱ王国と帝国じゃ真面目さが違うな」

 

「――うむ。さすがの私も王国のアホどもと比べられると衝撃を受けるぞ」

 

「そりゃすまん。俺は偉い人ってのは冒険者組合以外だと王国貴族連中しか知らないんでね」

 

 そのブレインの言葉にジルクニフはブレインの経歴を思い出し――訊ねる。

 

「そうだ。少し聞きたかったんだが、どうして御前試合の後に名のある貴族達に仕えなかったんだ? 貴公ほどの腕前であれば、それこそ欲望を満たすのも思いのままだっただろうに」

 

 ブレインはガゼフに敗北したとはいえ、その強さは誰もが一目置くほどだったはずだ。しかしブレインはその全てを蹴って、行方不明。次に現れた時はアインズと冒険者になっていた。

 

「そりゃ簡単さ、陛下。興味なかったからだ」

 

「興味が無い?」

 

「ああ。最強ってのは男の浪漫だろう? 俺は、剣で世界一強くなりたかったのさ。はっきり言えば、ガゼフに勝つことだけが目的だった」

 

「ふむ」

 

 つまり、女や財宝などの欲望に興味が無い。単純な懐柔は不可能――とジルクニフは認識し。

 

「それに――」

 

「うん」

 

「貴族共の見栄重視のお抱えになっちまったら、腕が腐る」

 

「――――」

 

 その言葉と共に一瞬、何か鋭い気配が発された。同時に、背後で控えているバジウッド達の手が武器に伸びかける。ジルクニフは片手を挙げて、彼らを静止した。

 

(これは……釘を刺されたか)

 

 つまり、宮仕えする気はありませんよ、と言われたに等しい。勿論、ジルクニフはブレインほどの腕前の人物を見栄えだけの騎士として腐らせる気はない。しかし、こうもはっきり言われてはこの場でそれ以上の誘いは相手の不快を招くだろう。

 

「なるほど。確かにそうだ。騎士とは侍らせるものではなく、剣を振るい敵を殲滅する者――アングラウス殿の言い分はもっともだ。しかし、こうも理解して欲しいな。ガゼフ・ストロノーフは宮仕えで腕を落としたかね?」

 

「――なるほど。そりゃ確かに。何事も時と場合によるってやつだな」

 

「ははは――」

 

 互いに苦笑する。そして、ジルクニフはブレインを見つめた。

 

「それで――アングラウス殿。此度は一体私に何用かな? 君のようなストイックな男が、用も無いのに皇城まで来はすまい。私にしか出来ない何かがあって、ここまで来たのだろう?」

 

「ああ、そうだな。――唐突で悪いんだが」

 

「うむ」

 

「――剃刀の刃(レイザーエッジ)、貸してくれ」

 

「――――」

 

 さすがにそれは、ジルクニフでも二つ返事で了承するのは憚られた。

 

「……アングラウス殿。分かっていると思うが、かつての王国の秘宝は、今や我が帝国の秘宝。一つとして、そう安易に貸し出しできるものではないのだがね」

 

「ああ。分かってる。当然、担保になりそうなものも持ってきた」

 

 ブレインはそう言うと、ジルクニフの前に、目の前のテーブルにことりと小さなマジックアイテムを置く。――それは、指輪だった。

 

「それは?」

 

「貰い物なんだがな。希少性で言えば王国の秘宝と引けは取らねぇと思う。……睡眠・食事・疲労無効の指輪だとよ」

 

「…………は?」

 

 言われた意味が理解出来ず、ジルクニフは思わずブレインの顔を間抜けな表情で見つめた。対するブレインは、なんでもないような表情と声で告げる。

 

「だから、睡眠・食事・疲労を無効化するマジックアイテムだと。効果は一応、俺で実証済みだ。なんだったら、この場で調べてくれてもいい」

 

 ブレインの言葉に、ジルクニフは考える。確かに、ブレインの告げる効果が本物ならば間違いなく国宝級のマジックアイテムだ。だが、こんな物がそうポン、と気軽に出るだろうか。

 

「それは……どこで?」

 

「アインズに貰った」

 

「――――」

 

 当然、ジルクニフはアインズが珍しいマジックアイテムを幾つも持っているという噂を知っている。しかし、そのアインズでもこれほどまでのマジックアイテムを易々と渡せるのだろうか。ジルクニフは考え――

 

「レイナース」

 

「はい」

 

「フールーダを呼んで来い」

 

「かしこまりました」

 

 背後に控えていた一人、レイナースにフールーダを連れてくるよう告げる。それで、疑問は解けるはずだ。

 そして――――

 

「…………」

 

「……確かに、本物のようだな」

 

「……なあ」

 

「言うな、言わないでくれアングラウス殿。出来れば見なかったことにしてくれると嬉しい」

 

「お、おう……」

 

 一悶着(・・・)はあったが、そのマジックアイテムの効果は確認された。本物である。

 つまり――等価交換は成立したという事。

 

「……どうして剃刀の刃(レイザーエッジ)が必要か、と訊ねるのは野暮かな?」

 

 ジルクニフの言葉に、ブレインは苦笑した。

 

「まさか。それで何をするのか聞くのは持ち主として当然だろう。俺が犯罪行為しに行くのかもしれねぇし」

 

「ふむ。少しくらいなら見逃すつもりがあるが?」

 

「遠慮しておくぜ。首輪をつけられるのは御免だ。言っただろう」

 

「ならば、何故――?」

 

 ブレインは、真剣な瞳で――告げる。

 

「そりゃ勿論、喧嘩のためさ。夫婦喧嘩じゃねぇんだ。オタマで殴ってどうするよ(・・・・・・・・・・・・)?」

 

 

 

 

 

 

「…………いつ気づいた?」

 

 アインズは剃刀の刃(レイザーエッジ)を抜いたブレインに、訊ねる。いつ、自分が魔法詠唱者(マジック・キャスター)だと気づいたのかと。

 

「最初は、当然気づいてなかったぜ。何せその身体能力だ、普通にありえねぇだろ」

 

 だから、気づいたのはもっと後なのだと。

 

「でもな、お前と模擬戦やったり、他の冒険者連中の訓練とか見ていて、気づいたのさ。――ああ、お前の距離の取り方、武器の振るい方。そういうのが――その身体能力さえ考えなけりゃ、どっかで見たことあるなって」

 

 ――そう、つい先程も見破られた。武王は、アインズの戦闘スタイルを見破った。その原因は、武王の経験値――本来あり得ない、様々なクラス構成の者達との戦闘経験だ。

 つまり。

 

「ああ――こいつ、凄腕の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が図らずも近接戦を仕掛けられた時と、似たような行動してやがる、って」

 

 武者修行のために様々な人間と戦ったブレインにも、その経験値はあって。

 しかもブレインは――アインズは知らない事であったが、この異世界でも凄腕の魔法詠唱者(マジック・キャスター)と、戦った事があったのだ。

 十三英雄の、リグリット・ベルスー・カウラウと。

 

 後は記憶を頼りに、ブレインの天性の剣士としての、戦闘者としての才能を駆使して思考を回せばいい。そしてブレインは気づいてしまったのだ。アインズの、本当の戦闘スタイルに。

 

 そう、だからブレインはアインズがあの大裂け目の崖下に落ちても気にしなかった。途中で〈飛行(フライ)〉でも使えば、無傷で地面に着地出来るだろうと。

 だから霜の竜(フロスト・ドラゴン)を殺し回っても、疑問に思わなかった。自分の知らない、高位魔法を使ったのだろうと納得したからだ。

 

 だから、つまり――。

 

「ああ、畜生……信じられねぇ……ッ! 俺は――俺は、魔法詠唱者(マジック・キャスター)に劣るほど、弱いのか? 魔法詠唱者(マジック・キャスター)のお遊戯に負けちまうほど、俺の剣はゴミだって言うのかよ……ッ!!」

 

 それが、ブレインには許せない。だから――――

 

「勝負だ! アインズ・ウール・ゴウン!! お前にここで勝てないと……俺は前に進めねぇ……ッ!!」

 

「――――」

 

 本気だと。そのためにわざわざ剃刀の刃(レイザーエッジ)まで借りてきたと。これなら、アインズの無敵の防御を破れるかもしれない――そう思って。

 

 アインズと戦って、勝つために。

 

 その輝く瞳。前へ進もうとする意志。あまりに眩い姿にアインズは――

 

「ふ――ふふ――」

 

 笑い声。腹の底から、アインズはついぞ漏れてしまったそれを止められない。

 だが――その漏れた笑い声は、どこか不吉な音色をしていた。

 

「ああ――やはり、お前達は眩しいよ。ブレイン、お前も――ガゼフも、ラキュースも、あの武王だって――」

 

 眩しい生き方だ。常に真面目に、全力前進。決して諦めず、挫けて膝を突いても立ち上がり、前を見つめてひたすら前へ。

 アインズは、その生き方に憧れるから――ああだから、つまり。

 

「羨ましいんだよ、このクソどもぉぉぉおおおおッ!! 俺の前で、そんな眩しい姿を見せつけてくるなぁぁぁあああッ!!」

 

 自分では決して出来ない生き方を前に、アインズの心はついに感情抑制さえ振り切った。一定以上の量を振り切った感情の昂揚は、アンデッドの種族特性で無効化され、感情は抑圧されるがしかし――

 核融合のように連鎖する感情の爆発は、抑圧された端から復活する。もはやその程度では止まらないし止まれない。後から後から湧き出るその複雑怪奇な感情は、今まで冷静沈着でいさせたアインズを変貌させた。

 

 まるで――人間のように。

 

「諦めない? 立ち上がる? 前を見つめてひたすら前へ? ――ああ、畜生ふざけるな――!!」

 

 背中のグレートソードを引き抜く。かろうじて本性(・・)を見せない程度の理性は保てたが、それだけだ。じくじくと輝きという名の刃で突き刺された架空の心臓と脳髄は、その元凶(・・)を滅ぼせと今も執拗に訴えている。

 

 彼らを前に――自分はなんて惨めなんだろうと、そう思う心を止められないから。

 

 決意を胸に、どのような形にせよ一歩を進める彼らが羨ましいから。

 

 そんな風になれなかった自分が、あまりに情けないから。

 

「叩き落してやるぞ、ブレイン・アングラウス――! その輝きを、俺の前から排除してやるッ!!」

 

 それがどうしようもない八つ当たりであっても、惨めな自分はそんな方法でしか輝きに向き合えないから。

 

 現実(リアル)に還れず、いつまでも朽ちて忘れられた大墳墓(アインズ・ウール・ゴウン)墓守(ギルドマスター)でしかいられなくて――遂にはこんなところまできてしまった人間(プレイヤー)だから。

 

 かつて――黄金の女に指摘された通り、自分は単なる負け犬(・・・)に過ぎないのだと強く自覚しているから――。

 

 惨めで、羨ましくて、どうしようもなく憧れるから――。

 

 その輝き(・・)を粉砕するために、今――憧れた彼らとは真逆の決意で、現実から逃げた負け犬(オーバーロード)は、一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 




 
やっぱ好きなキャラは負の側面も愛さなきゃ嘘だよね!

というわけで、ラスボスはブレイン(精神戦)です。
 


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The Shining Fixed Star Ⅱ

 
■前回のあらすじ

アインズ様、ヤンデレ拗らせて逆ギレる。
 


 

 

「だって、貴方――負け犬でしょう?」

 

 吸血鬼と子犬が見つめる暗い室内で、黄金の女は朽ち果てた墳墓の墓守にそう告げた。

 

 

 

 

 

 

「ウオオォォォオオオオッ!!」

 

「ハアアァァァアアアアッ!!」

 

 交差する刃と刃。煌く火花は星の光に似て、夜の闇を刹那の間照らしている。

 

「落ちるがいい――ブレイン・アングラウス……ッ! その輝きを、二度と立ち上がれないよう俺が磨り潰してやる……ッ!!」

 

 爆発する赫怒。拒絶。嫉妬という醜悪な感情が、まるでドラゴンの吐息のようにブレインに叩きつけられていく。悪意の絶叫は留まる事を知らず、世界を揺るがすような咆哮を上げている。

 殺意は天井知らずに伸びて、今までの理性的な雰囲気はまるで無い。同一人物とは思えないほどの変貌ぶりで、中身が違うと言われてしまえばそのまま信じてしまいそうであった。

 

 だからこそ――

 

「オ……ラァッ――!!」

 

 叩きつけられる大剣とまともに切り結ばないように刀身に沿うように刃先を動かし、弾く。そうでなければ力づくで叩き伏せられるだけだろう。

 

「――――」

 

 だからこそ、今の剣での斬り合いという状況に、まだアインズに理性が残っている事をブレインは察していた。

 

 ――本当に理性が蒸発していたのなら、こうはならない。アインズは魔法を使い、ブレインをゴミの様に粉砕していただろう。

 それが起きないからこそ、アインズにはまだ理性が残っている。悪意の念は心を折りにくるが、それだけだ。アインズもまた、理解しているのだ。

 

 これは心の戦い。前へ進むために戦うブレインと、そのブレインを潰すために戦うアインズ。切り結ぶのさえ単なる見せかけだ。故に魔法は不要。男と男の語り合いに、それが入り込む余地は無い。

 

 ああ、だから――

 

「俺が羨ましいだと……!? ふざけるなよ……こんな俺のどこが強いものか……ッ!!」

 

 こうして戦えるという事実こそが、ブレインの心を穏やかではいさせてくれない。

 アインズが魔法を使えば――その気になればすぐさまつく決着。もとより決まった勝負の行方。それをよりにもよって勝者側が、「羨ましい」と醜悪な悪意の念を叩きつけてくる悪夢。

 

「お前に手加減してもらわなきゃ、満足に勝負も出来ない――そんな俺に強さなど皆無じゃないか! 一体こんな俺のどこに、お前が羨ましいと思う要素があるというんだ……ッ!?」

 

 そのブレインの言葉に、アインズはしかし――

 

「――当然だろう。何せ、俺は『負け犬』だからな……お前達のような人種が羨ましくて仕方がない……ッ!」

 

 自分は塵屑なんだと、そうブレインの言葉を否定した。

 

「分からねぇよッ!!」

 

 叫ぶと同時、剃刀の刃(レイザーエッジ)を叩き込む。アインズは反応出来ない――が、それを鎧で防ぎ切る。あらゆる防御を引き裂くと伝えられた王国の秘宝も、アインズの鎧の前では形無しだ。

 かと言って関節を狙おうにも、やはりほんの少しの動作でズレて鎧に吸い込まれる。王国の秘宝でさえ、アインズの防御は突破出来ないでいた。

 

 だがしかし――関節を狙わせないアインズの行動が、剃刀の刃(レイザーエッジ)がアインズに通用する事を示している。

 

 今までのあらゆる攻撃を、アインズは関節狙いなぞ気にも留めずに正面から制圧していた。それが今、ブレインの関節狙いを防いでいる。それは逆説的に、その攻撃が通用する事の証明なのだ。

 ……単なるブラフの可能性という事もあるが――今のアインズは、精神が沸騰している。そういう細かいブラフまで気が回っているかは、疑問だった。

 

「――そんなにも強くて、圧倒的で、無敵のくせに――どこが負け犬なんだ! 何が嫌だって言うんだよォッ!!」

 

 こうして、小手先の術に頼らないと満足に斬り合う事も出来ないのに。

 

「――簡単だ。そもそも、俺は強くなんてないからな」

 

 しかしブレインの血を吐くような言葉を、アインズは大前提から否定する。

 

「確かに俺の本分は魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。本来なら距離を取り、相手の情報を調査し、相手の行動を読み、作戦を立ててから勝負するのが俺の戦闘スタイル――だがな。知っているか、ブレイン」

 

 アインズの大剣が竜巻のように迫りくる。それを〈領域〉で読み、躱す。

 

「俺はな、自分が覚えている魔法のシステムさえ知らないんだ。放っておいたら覚えたものだから、その魔法がどういう仕組みで、どういう理論で成り立っているのかさっぱり分からない――まあ、簡単に言うと与えられたものばかりを持っているだけの、努力なんてしたこともない塵屑ということだな」

 

「――――」

 

 それは、ああつまり。

 

「痛いのは嫌だ。辛いのは嫌だ。――ああ、本当はどうすればお前に勝てるのかも分かっているんだ。わざと関節にその剣を差し込ませてやって、鎧の関節に挟んでやればいい。俺の身体能力なら、抜く前にお前の武器を封殺出来る。後は徒手空拳のお前が出来上がり――でも」

 

 アインズは嫌悪を滲ませながら。

 

「分かるか、ブレイン。痛い(・・)のは()なんだよ――今まで、そんな痛みさえ避けて通ってきたから。蚊に刺される程度の痛みさえ、逃げてきたから――俺は勝利方法が分かるのに、耐えられないから選ばないんだ」

 

 あらゆる感情を飲み込むように――

 

「ああ――本当に――、ラナー……お前が言った通り――」

 

 刹那、沈黙し――

 

「まさに『負け犬』だッ!! 痛いから! 耐えられないから! こうして逃げ続けているだけの塵屑なんだ! 一体何なんだ俺はァッ!!」

 

 醜悪な嫉妬を滾らせながら、アインズは両手の大剣をブレインに叩きこんだ。

 

 何度も、何度も叩きつけられるそれはまるで悲鳴のようだ。今も悪意の念を迸らせながら、しかしそんな自分自身にこそ、アインズは辟易して呪っている。

 

「頑張っているじゃないか――お前達は。こんな惨めな俺なんかより、ずっとずっと努力してきたはずだ……! 身に着けた力の全ては努力に裏打ちされた本物で、頑張ってきた証だろう――何となく生きてきた俺なんかより、ずっと立派じゃないかよ――!!」

 

 自分には、それが無いんだと。

 

「俺は――俺には、そんなことが出来ないから――」

 

 そんな当たり前の事に、耐えられない人間だから。

 

「眩しいんだ――羨ましい――憧れるんだよ、お前達に――」

 

 そんな風に生きていける者達を、心の底から尊敬しているんだと。

 

「与えられたもので強くなった俺と違って、ちゃんと足を地に着けて、前を向いて進めるお前達――そんな風に、俺だって生きたかった――!」

 

 最初の一歩さえ満足に踏み込めない臆病者。勇気の何たるかなど理解出来ず、ただそこに立ち止まってひたすら状況が改善するのを待っている――真実の敗北者。

 こんなにも願っているのに、前を向けない。胸を張って生きられない。勇気が持てない負け犬。

 

 自分はそんな塵屑なんだと――アインズは悲鳴のように訴えた。

 

「ふ――ざけるんじゃねえぇぇぇぇッ!!」

 

 だからこそ、ブレインもまた怒り狂いながら剃刀の刃(レイザーエッジ)を叩き込む。

 

「最初っから強かったから心が育たなかった――? なんだそりゃ? 舐めてんのかテメェはよおおおぉぉぉッ!!」

 

 何度も、何度も。効いていないのは分かっているけれど、それでも叩き込まずにはいられない。

 

「精神の強さなんざどこに必要があるんだよ! 最初っから強い!? ふざけてるのはテメェの方だ……!!」

 

 言わなければならない。これだけは、必死に生きている者達の名誉のためにも、言わなくてはならなかった。

 

「精神の強さなんざどうでもいいんだよ! 生きていくのに必死な奴らは、そんな余分に目を向けている余裕なんざ無いんだ……ッ! こんな命が軽い世界で――お前が欲しいものなんざ塵屑なんだ!」

 

 右を見ても左を見ても、魔物ばかり。民衆はいつだって、モンスターに襲われる危険に怯えている。

 そんな世界で、そんな世の中で。前を向ける強さが羨ましい? 努力の無い強さは嫌だ? ふざけているのかコイツは。

 

「生きていけなきゃ、それこそゴミなんだよ……! お前のそれは、強者からの一方的な見下しだ……!!」

 

 そう、告げるのに。

 

死人が生き返る世界(・・・・・・・・・)で、肉体的な強さ(・・・・・・)何の意味があるんだ(・・・・・・・・・)

 

「――――」

 

 アインズの返す言葉に、今度こそ絶句した。

 

「そうだろう、ブレイン? 魂が存在するこの世界で、死者が蘇るこの世界で、肉体的な強さに何の意味があると言う? ――そんなの、必要最低限あればいいだろう?」

 

 ただ、少しだけ。復活魔法のペナルティに耐えればいいだけだから。それだけの肉体的強さしか必要無いから。

 

「なあ、わかるだろうブレイン? 死者蘇生を否定するお前なら、分かるはずだ……こんなものはゴミなんだって……! ましてや努力もしないで手に入れた力なんざ、何の思い入れもありはしない……だから」

 

 だから――

 

「だから俺はお前達の強さが羨ましいんだよ! どうして――どうして俺はこうなんだ……努力出来ないんだ! 前を向けないんだ……やろう、やろうって思っても――当たり前に避けてしまうんだ……!」

 

 何が正しいのかは、分かっているのに――。

 

「出来ないんだ……ブレイン! 出来ないんだよ、俺には……! 俺の本質なんて、あのドワーフ達と一緒だ……! 自分で状況を改善する努力はせず、動こうとする者の足を引っ張って……でも誰かが現状を打破してくれるのを待っている……! あのドワーフ達と、俺は何も変わらないんだ……ッ!! ――いや、それ以下だ!!」

 

 変わりたいと――強く思っているのに。

 

「出来ないんだ――ブレイン! 俺には……お前達が何気なく踏み出す一歩さえ――俺には出来ないんだよォォォッ!!」

 

「――――」

 

 アインズは、そう訴えながら、ブレインを即死させるような攻撃を叩きつけてくる。

 

「――ハ」

 

 なんとなく、アインズの本質が見えてきた。なるほど、これはある意味ではドラゴンなのだろう。

 とんでもなく強いくせに、心はそれに相応しい成長が出来なかった。心と体がチグハグで、無いもの強請りをしているのだ。宝が欲しい、宝が欲しい――と。

 ブレインの持つ、輝き(たから)が欲しいと強く願っている。

 

 邪竜が告げる。宝が欲しい、宝を寄こせ。その輝きを、粉砕させろ――と。

 

「――――」

 

 本当に、信じられない。なんて無様で複雑怪奇。こんな言い訳だらけの臆病者が、魔人染みた強さなんだから笑えてくる。

 

「――ああ、畜生。よく分かったぜ」

 

 つまり今から自分が挑むのは竜退治(ドラゴンスレイ)。この心と体のチグハグな邪竜を討伐しろと、他ならない目の前の邪竜が告げている。

 

「とりあえず、一発殴らせろやァァァアアアッ!!」

 

 

 

 

 

 

 ――当然の事であるが、アインズ……鈴木悟は、本来肉体的な強さも精神的な強さも持たない人間だ。

 

 彼の本来の世界は酸性雨の地獄であり、自然さえ絶えた地獄であり、そして権力者に支配された地獄である。

 その地獄の中で、彼は負け組ではあるが、比較的上の立場であった。

 

 両親は彼を小学校から卒業させるために過労死したが、彼は両親が願った通り小学校だけは卒業したという学歴を得る。

 しかしそれさえ、持っていない人間は多い。国――というより、企業の愚民化政策の結果だ。

 

 何せ、時は西暦二千某。発達した科学文明は自然を淘汰し、資源を駆逐し、生活は機械無くして成り立たない。

 

 そんな世の中で、民衆の命は中世の如く軽くなった。機械がなんでも出来るから、人間じゃなくてもいい仕事が多くなったから、人々は当たり前に、よりコストのかからない機械を頼る。

 

 そのような世界観の中で、小卒という学歴はギリギリ底辺を這わなくてすむ立場だった。

 

 娯楽は無い。仕事はいざという時は自分でなくてもかまわない。そんな環境ならば病むのも早く、当然日々の不満は募る一方であろうが――彼はなんとも都合のいい事に、そういう事に興味を覚えない人種だった。

 

 なんとなく生きて、なんとなく死ぬ。それを平然と受け入れて、平然と暮らしていける。愚民化政策もその思想に拍車をかけたのであろうが――それでも、無味無臭で変わっていると言えば変わっていた。

 

 そんな彼に転機が訪れたのが――ユグドラシルというDMMO-RPGだった。異形種でプレイした彼は、当時流行っていた異形種狩りによってレベルも満足に上げられず、すぐにやめたくなっていたが、彼と同じ異形種プレイヤーが助けてくれたのだ。

 

 そこから――次第に仲間が増えていった。

 そこから――色んな冒険に出た。

 

 楽しかった。毎日が、本当に楽しかった。最初は課金する事を嫌がっていたが、いつしか趣味の無かった彼は生活費以外の給料をそれに注ぎ込むようになっていった。

 

 ――たかがゲームなのに。現実には、何も返ってこないのに。

 

 もっとも、もとより趣味の無い男であり、天涯孤独で現実には親しい人間の一人もいない男だったから。彼にはそれでよかったのだろう。

 

 ――しかし、それも長くは続かない。

 

 いつしかユグドラシルより発達したゲームは増え、次第にユグドラシルは飽きられるようになり――そして当然の如く、ただのゲームでしかないユグドラシルに、いつしか見切りをつけて現実で生きていく事を選ぶ人間は増え――

 

 最後に、彼は一人になった。

 

 趣味など無い。家族はいない。親しい人はどこにもいない。ゲームの中にあったものだけが、彼の全て。

 だから当然――それが終わる頃には、何もなくなった。後には皆で攻略して拠点にしたギルドと、冒険して集めたアイテムだけ。

 本当に欲しかった人の温もりはどこにも無く。

 

 当然だ。だって、ゲームなのだから。いつかは終わる日が来るのは当然である。

 それに気づかなかったとは言わせない。最初っから知っていたはずだ。ユグドラシルは所詮ゲームなのだと。現実には、何一つ持って帰る事が出来ない邯鄲の夢なのだと。

 

 気づいていながら、見ないふりをした。

 知っていながら、何もしなかった。

 

 現実に何も価値が見いだせないのは、当然彼の責任だ。だって同じような環境の人間だって、結局現実に帰還した。

 現実に何も無くても。それでも帰ったというならば――時間制限が来るまで帰らなかった彼は何なのだろう。

 

 ユグドラシルが好きだったから離れなかったわけじゃない――だってそれなら、ギルド維持費を集めるだけの生活になるはずが無く。

 ユグドラシルに大切なものがあったわけでもなく――それならサービス終了時は誰かと一緒に笑っていた。

 現実に大切なものがあるのなら――そもそもユグドラシルなんてとっくにやめているはずで。

 

 つまり――彼は結局、自分から動く事が億劫な、誰かに何かしてもらうのを待つだけの、誰の一番でもないどこにでもいる誰かだったのだろう。

 

 そんな人間が掴めるものなぞたかが知れている。大切なものが過去の遺産しか無いのなら、現実からいつまでも逃げているだけの男なら、朽ち果てた墳墓で墓守をしている事がお似合いだ。

 誰も愛さないのだから誰にも愛されないのは当然で。

 誰も大切にしないのだから誰にも大切にされないのは当たり前だ。

 

 邯鄲の夢でしかないゲームの中での交友関係。そんなものに愛情を寄せられたところで、寄せられた相手は迷惑でしかない。

 だって、彼らはまともだから。ただの邯鄲の夢だと知っているから。インターネット上の関係は、あくまでインターネット上だけの話なのだ。それを現実に持ち越そうと思えば、当然それなりの努力が要求される。

 そしてそれを現実に持ち出せるような人間は――そもそも現実で親しい人間が一人もいないなんてあるはずが無いのだ。

 

 だから、頭がおかしいのは一人だけだ。

 邯鄲の夢に固執して、いつまでも布団にこもり枕を抱く。そんな人間を一体誰が愛せるだろう。立ち上がる努力をしない人間に、与えられる栄光は存在しない。

 

 ユグドラシルの交友関係を現実に持ち込む努力もせず、ただユグドラシルの中でずっと過去の栄光を夢見てるような人間が、一体どう愛されるというのか。

 いつか皆が戻ってくる――なんて都合のいい夢は、例え慈愛の女神であっても叶えはしない。

 

 そう、頭がおかしいのは一人だけ。

 努力せず、ただ現状が改善するのを待ち――最後は当たり前に誰も来ない事に腹を立てる。そんな負け犬は一人だけだ。

 

 鈴木悟は心底負け犬だったのだと――アインズ・ウール・ゴウンはラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフに告げられて、その名の通り悟ってしまったのだ――

 

 

 

 故に。

 

「グ――やっぱりか――!!」

 

 ブレインの攻撃を捌けなくなっていく。もとより近接戦では不利な戦いだったが、ついにブレインはアインズの関節を捉え始めた。

 

(ああ――畜生! 痛い……最悪だ……ッ!!)

 

 そして当然、泣き言が入る。今まで痛みを受けた事はなく、唯一天使の第七位階魔法に痛みを感じたが、その時は当たり前に感情抑制が働いたから精神の鎮静化が図られた。

 

 しかし――

 

「いいからいい加減落ちろ、ブレイン――!!」

 

 湧き上がる赫怒、拒絶、嫉妬の念が感情の抑制を無効化する。核融合の如く消えない負の感情は、もはやアンデッドの種族特性を無効化し、アインズに当たり前の痛覚を届けていた。

 

 痛みなぞ大嫌いだ。それだけを、ずっと避けていた。嫌われる事を恐れていた。拒絶されるのは怖かった。

 

 だから、いつだって、皆の意見を調整して――皆の望む答えを出していたんだと。

 

 勇気が持てないから。怖かったから。そうだ。ひたすらに怖かった。自分の意思で何かを決めるのは怖かった。前へ踏み出すのは恐ろし過ぎた。

 結果が分からない過程は怖い。何か利益が必ずある状況じゃないと、恐ろしくてとてもではないが立っていられない。

 

 ――なんて、無様な負け犬だろう。自分の情けなさに反吐が出る。

 

 だと言うのに。

 

「ウオオォォォオオオオッ!!」

 

「ハアアァァァアアアアッ!!」

 

 交差する刃と刃。煌く火花は星の光に似て、夜の闇を刹那の間照らしている。アインズの手は止まらない。

 

「――は、ははは……」

 

 乾いた笑いが漏れた。八つ当たり染みた、目の前の男への悪意が止まらない。痛いのに、苦しいのに、今も必死になって八つ当たりを続けている。

 やはり自分は塵屑なんだと――そう認識しながらしかし止まらず、内心で好き勝手に正当化しながら相手に斬りかかっている。ブレインはいい迷惑だろう。

 

 ――本当に、どうしてこうなってしまったんだろう。

 羨ましいのは本当だし。憧れているのも本当なのだ。相手に嫉妬を覚えるのはお門違いで、そんな事をしているぐらいなら自分もそうなるよう努力すればいいだけの話で。

 

 でも。

 

「いい加減諦めろ、ブレイン――! お前がどれだけ俺に斬りかかろうと、俺が倒れるその前にお前は真っ二つだ……ッ!!」

 

 そう、いくらアインズが後衛職だと言っても、一〇〇レベルの体力は伊達ではない。体力の減りは爪楊枝で刺されているのと変わらず、死の危険は感じないのだ。

 

 対するブレインは、刻一刻と動きが鈍くなっている。息が荒い。疲労が積み重なっている。おそらく、アインズが渡していた指輪を今は装備していないのだろう。

 

 ――その疲労が限界まで積み重なり、速度が、反応が落ちたその瞬間――アインズの大剣はブレインの胴体を捉えるだろう。

 

「う……るせええぇぇぇッ!! テメェに敗北を認めさせなきゃ、俺は前に進めないんだっつってんだろうがッ!!」

 

 ブレインは諦めない。〈領域〉を常時展開し、駆使しながらアインズの攻撃を躱し続けている。

 

 ……だから、もう諦めて欲しかった。そうやって輝く様を見せられたら、それはもう。

 

「それが鬱陶しいんだよッ! お前らはァァァアアアッ!」

 

 当然、堪らないアインズは更に悪意を噴出し、その輝きをへし折ってやろうと止まらない。

 

「いい加減諦めろよ……! 世の中、上には上がいるんだよ……! どんなに頑張っても辿り着けないものがあるんだよ……! どんなに頑張っても……出来ない時は、出来ないんだよ……ッ!」

 

 一〇〇レベルの化け物に、三〇レベルに満たない人間が勝てるはずがない。ユグドラシルで人間が強かったのは、異形種と違って人間種は種族レベルが存在せず、習得出来る職業(クラス)が多かったためだ。

 職業(クラス)を多く取った方が強くなるユグドラシルのシステム上、種族レベルを上げなくてはならない異形種はどうしたって同じ一〇〇レベルでも弱くなる。だからこそ人間種が幅を利かせていたのだが――

 

 この異世界は違う。むしろ逆だ。レベルが簡単に上がらないこの異世界では、初めから種族レベルをある程度獲得している異形種の方が強くなる。

 ――将来的には、例え人間の方が強くなるとしても。生存競争に忙しいこの異世界では、可能性はあくまで可能性なのである。

 

 だから――アインズの方が強い。ましてやレベル差が十も開けばユグドラシルであっても勝率はゼロに等しい。ブレインとのレベル差は七〇以上……例えアインズが近接戦しか仕掛けていなくても、勝機は無い。

 

 だから――諦めて欲しかった。立ち止まって欲しかった。お前も所詮、人間なんだと納得させて欲しい。そんな輝かしい生命は物語の英雄だけの特権なんだと思わせてくれ。

 

 でなくては――耐えられない。無様な自分に耐えられない。塵屑のような自分を受け入れられない。

 

 ――ああ、なんて無様な負け犬。そうして言い訳をする時点で、唾棄すべき性格で、自分に対する愛情が尽きていく。

 

「出来ない奴は出来ない――それでいいだろ……! 適材適所ってのがあるだろうが!」

 

「……あぁ、本当に――まったくテメェは……さっきから聞いてりゃ、馬鹿みたいに……ッ!」

 

 アインズの言葉に、ブレインは叫ぶ。その瞳には、消えない輝きが。

 

「才能があるから努力するんじゃねぇよ! 才能がなくても……辿り着きたい場所があるから努力するんだ……! 俺の中には剣しかねぇ……ッ! もしかしたら他にもっとうまく出来るものがあるかもしれねぇ……! でも、そんなのどうでもいいんだよ!!」

 

 アインズの大剣をブレインは滑るように逸らして防ぐ。もう当たらない。

 

「俺はこれがいい……さっきも言っただろうが! 剣を振るうことだけが人生だって……! その道を進むために、前を向くために……お前に勝つんだってなぁッ!!」

 

「――――」

 

「本当に……さっきから聞いてりゃ……お前って奴は……! そんなにも――そんなにも努力するのが嫌か!? 痛いのが嫌いか!? 決意するのは面倒臭いか!? 前へ進むのは辛いのか!?」

 

「――――ッ!」

 

「ふざけるなよ甘ッタレ野郎!! ――誰だって、そうした痛みを抱えて生きているんだ……! 辛くて、逃げたくても、頑張っているんだよ……! そうしなきゃ生きていけないんだ……」

 

 なのに。

 

「そんなちっぽけな命を守ってやれるお前が! 努力は嫌だ!? 痛いのは嫌い!? 決意も前進も無理だ嫌だやめてくれ――ふざけるなぁッ!!」

 

 ブレインの攻撃がアインズの関節を捉える。奔る痛み。

 

「最低限蘇生出来るだけの力があればいいだと――? 他人任せにしやがって……! どんなに頑張ってもお前どころか俺より強くなれない奴がいるのに――そんな連中を置き去りにしながら言うことが、その泣き言か……ッ!!」

 

 飛び散る火花。

 

「――頑張れよ……、前を向けよ……! 勇気出して歩いてみろよ……!! 泣き言を言う前に、ほんの少しでいいから――たった一歩でもいいから……! そうすりゃ……少しだけ、変われるはずなんだ……!!」

 

「――変われないさ」

 

「変われるんだよ! 俺がそうだったんだからッ!!」

 

「――――」

 

 アインズは思わず、切りかかるのも忘れてブレインを見つめる。ブレインは息を荒げながら、アインズに告げた。

 

「俺だって、昔はやる気なんてない馬鹿だったんだ……! お前とは少し違うけど……農作業やる暇潰しに、片手間にやる剣の練習で、真面目に剣技を扱う連中を負けさせてきたんだ……。俺が最強で、周囲は雑魚。そうやって生きて――」

 

 そして御前試合で、ブレインは本物(・・)と出逢ってしまった。

 

「初めてガゼフと戦って――そして敗北した時。最悪な気分だったよ……惨めだった。絶対に自分が勝つって、王様の護衛なんざ興味無いくせに、ただ自分が最強だって見せびらかしたいから参加して……結果は敗北だった。今までの世界が崩れ去るのが分かったんだ」

 

 努力なんてしなかった。真面目に生きてなんかいなかった。適当にしておけば、勝手に周囲はひれ伏すと信じていた。負け犬みたいにある程度自覚のある人間よりなお悪い、天狗だったのだ。

 

「でも……立ち上がろうって思えたんだ。もう一度、ガゼフと戦って勝ってみせるって。……もう一度負けたらどうしようって思うと怖かったさ。周囲の連中に馬鹿にされるのだって嫌だった。――それでも、立ち上がろうって思えたんだ。俺みたいなクズでも、お前が眩しいと思えるような人間になれたんだ――だから」

 

 ブレインは、アインズをまっすぐ見て。

 

「だから――頑張れよ。俺が保証する……お前だって出来るんだ。出来ない人間なんていないんだ。お前は俺と違って、誰に会っても人生を否定されるようなクズじゃないだろう」

 

 誰かの一番になれない、どこにでもいる、臆病者ではあっても。

 誰もが嫌いになるような――そんな、悪党みたいな人生は送っていないはずだろう、と。

 

「…………それでも、今更変われない」

 

「アインズ――!」

 

「そうだ、ブレイン。今更俺は変われない。命あるかぎり、必死に足掻き続ける――そんな輝きを持つには、俺は遠くに来すぎてしまった」

 

 理想は無い。欲しいものも無い。僅かに持っていた夢は、黄金の女の手で文字通り粉砕した。自分が頭のおかしい負け犬だと気づいたその時に、かつての仲間達との再会は邯鄲の夢となり果てた。

 

 ――どんなに足掻いても、既に。生あるものが持つ輝きは、アンデッドとなったアインズには不可能なのだ。

 

 あらゆる生ある者の目指す(The goal of all)ところは死である( life is death)。死を超越した死の支配者(オーバーロード)。終わりであるはずの死の先に向かってしまったアンデッドに、生ある者の輝きは手に入らない。

 

 ――ああ、本当に。気づくのが遅過ぎた。もう少し、もっと早く――ユグドラシル時代にあの黄金の女に出遭っていたなら、負け犬なりの幸福を見つけて歩けただろうに。

 

「俺の意見は変わらない、ブレイン。俺はお前達が羨ましい。俺には無理だ――だから」

 

 剣をかまえる。不思議と、核融合染みた爆発を繰り返していた感情は既に凪のように収まっている。

 

「だから――負け犬の俺を粉砕して、その輝きを証明しろ。俺に、それは不撓不屈の光なんだと夢見させてくれ」

 

「――――」

 

 アインズの言葉に、ブレインも黙して剣をかまえる。もとよりブレインも限界だったはずだ。この一撃で勝負を決めるつもりだろう。

 

 ――勝者は既に出ているけれど。ブレインの攻撃が直撃しても、アインズは死なないけれど。

 

「――――」

 

 アインズは、特殊技術(スキル)――〈上位物理無効化Ⅲ〉を解除した。この痛みを、正面から受け止めるために。ブレインの覚悟に、答えるために。

 

 アインズの身体能力ではブレインの〈領域〉と〈神閃〉からなる秘剣・虎落笛は防げない。知覚出来ないのだ。故に、どうしたってカウンターを狙う事になる。

 故に、狙いは一つ――鎧の関節で動きを止めて、斬る。でなければ逃げられる。

 そう――アインズが魔法も、特殊技術(スキル)も使わず疲労しない場合のブレインに勝つ方法は、もとからたった一つしか無いのだ。

 

「――――行くぜ」

 

 剃刀の刃(レイザーエッジ)をブレインが鞘に納め、走る。当然、縮地による変幻自在の歩幅はアインズに距離を測らせない。

 だから、ひたすら待った。切りかかるその瞬間、必ずブレインはアインズの間合いに入る。そう――魔法のような飛び道具でもないかぎり、相手にとどめを刺す瞬間、必ず相手の間合いに入るという最大のリスクが発生する。ブレインは飛び道具も、そういった武技も持たない。

 

 だから、待った。

 

「――――」

 

 一緒に南方に行こうと語り合った日が遠い昔のようだ。一年も経っていないはずなのに。

 出会った日を思い出す。無理矢理付き合わせたエ・ランテルのアンデッド事件を思い出す。他にも、たくさんの思い出があった。

 

 ――思えば、この異世界に来てからほとんどの月日をブレインと共に過ごしたんだな、と思い至って。

 

「ウオオオォォォオオオオッ!!」

 

「――――」

 

 〈領域〉、〈神閃〉――ブレインの最強の武技、秘剣・虎落笛。

 

「――――」

 

 アインズは、大剣を一本手放して片腕を喉笛の前に差し出した。

 

「ギ――――!!」

 

 痛い。物凄く痛い。当然だ。だって、こんな痛みは今まで受けた事が無い。さっきまでの痛みは悪意の念で打ち消してもいたのだ。しかし今はほぼ素面――その状態で刃物が腕を貫通して、痛くないはずがない。

 

 痛い――耐えられない。

 痛い――泣き喚いて転がりたい。

 痛い――無理だ。

 

「――――」

 

 でも、耐えた。歯を食いしばって、耐えた。この痛みを忘れない。絶対に忘れないぞと誓って――

 

「――オオオォォォォッ!!」

 

「――――」

 

 アインズは、ブレインに向かってもう片方の手に持つグレードソードを振り抜いた。

 

「――――」

 

 振り抜こうと――したのに。響いたのは金属音。

 

「――――は?」

 

 おかしい。その金属音はあり得ない。ブレインの手に握られている武器はアインズの片腕に突き刺さったままだ。そしてブレインは重装甲の鎧は装備していない。だからこの金属音はあり得ないし、そもそもアインズの腕力なら生半可な鎧は平然と真っ二つだ。あの回収したフロスト・ドラゴン達の鱗なら弾けるだろうが、そもそもあの鱗は未だ加工されていないはずで。

 

 ――だから、あり得ない。あり得ないはずなのに、そんな。

 

「――これだけは、本当は使いたくなかったぜ」

 

 ブレインは呟く。そうだ、ブレインは使いたくなんてなかった。

 

「でも、お前にその戦法でこられたら――こうでもしないと勝てないんだよ」

 

 だから使ったんだと。

 

「――感謝するぜ、ガゼフ。お前のおかげで、今の俺はここにいる……!!」

 

 〈領域〉、〈神閃〉――そして、〈四光連斬〉。

 かつて、ブレイン・アングラウスがガゼフ・ストロノーフに敗北したその武技。ガゼフが死した事によって失われたはずのガゼフのオリジナル武技を、天才剣士が解き放つ――!

 

 ……〈四光連斬〉は本来、命中率の低い武技だ。四つの斬撃を神速で放つこの武技は、しかしその手数によって命中精度が低いという欠点を持っていた。

 ただし――それは〈領域〉という命中補正を高める武技が無いガゼフの話。極限まで命中率を上昇させられるブレインにとっては、それは文字通り光のような四つの斬撃を放つという現象しか起こさない。

 

「――――カ」

 

「――俺の勝ちだ、アインズ」

 

 よって、勝敗はここに決した。一の斬撃はアインズの片手に、二と三の斬撃は大剣を逸らし、弾き――四の斬撃は、アインズの首を完璧に捉えその刃先は首を通っていった――

 

 

 

「…………あぁ」

 

 倒れ伏したアインズは、夜空を眺める。星は変わらず美しい。元の世界では、決して見られない夜空の美しさを、呆然と眺める。

 

 勝敗は決した。勝者はブレインで、敗者はアインズ。――アインズは、結局精神の勝負は勿論、肉体的な近接戦にも勝てなかった。

 

「…………」

 

 立ち上がるための体力はある。所詮は三〇レベルにも満たない人間の攻撃だ。クリティカル攻撃を無効化するアインズにとっては、首を刃が通った程度は死ぬような攻撃ではない。

 でも、立てない。そのための気力が、そもそも存在しなかった。

 

「――信じられねぇ」

 

 そして、寝転がり夜空を見上げるアインズの傍に立つ男が一人。

 

「なんで生きてんだよ、お前。首貫通したろ」

 

 ブレインは呆れた様子でアインズを見ている。それに、アインズは静かに返した。

 

「当然だ。俺に即死物理攻撃(クリティカルヒット)は無効だぞ。……まあ、つまりそういうことだ」

 

「――――」

 

 ブレインはアインズに告げられた言葉を反芻し、咀嚼し――絶句した後、笑った。

 

「は、はは……ちょ、お前、マジか? え? つまり――顔とか体とか、そうやって全身鎧(フル・プレート)で隠してるのはそういう意味だったのか?」

 

「そういう意味だったんだ」

 

「――し、信じらんねぇ。一度も食事してるのを見たこと無かったのも、つまりそういうことなのかよ……」

 

 ブレインは破顔した。夜の星空に、ブレインの笑い声が響く。いつしか、その笑い声にはアインズの声も交じり――二人は人目も憚らず、大笑いした。

 

「あー……笑った。っつうか、お前人間味あり過ぎだぞ。マジに人間だと思ってただろうが」

 

「元は人間なんだよ、ブレイン。そう――俺は臆病な人間だったんだ。それが」

 

 こうしてアンデッドになった時、分不相応な怪物になってしまったのだ。

 

「それでそのチグハグさか……」

 

 ブレインは納得したようで、うんうんと頷いている。

 

「――さて、アインズ。宣言通り、俺は“漆黒と蒼”を抜けるぜ」

 

「ああ」

 

 それは最初の取り決め。勝敗がどうなろうと、ブレインが冒険者をやめるのは確定事項であった。

 

「俺は、強くなるんだ。前を向いて、走り続けるよ。――お前が憧れた生き様そのままに。あのガゼフが、届かないところまで――その時に、ようやく俺は、ガゼフに勝てた気になれると思うから」

 

「そうか。――ああ、そうやって走り続けてくれ、ブレイン。その生き方に、俺は憧れ続けるよ」

 

 例え、もう二度と会う事が無くても。

 

「じゃあな――アインズ・ウール・ゴウン。光に憧れた負け犬、元気でな」

 

「さよなら――ブレイン・アングラウス。光輝く憧れの勇者、そちらこそ」

 

 その言葉と同時、ちゃりんとアインズの横に何か投げ出された。きっと、プレートだろう。そしてざり――と足音が離れていく。きっと、もう二度とブレインと会う事は無い。アインズは夜空の下、たった一人残された。

 

「――――」

 

 星空を見上げる。特に意味もなく。そこに――

 

「――イビルアイ」

 

 ざり、と新たな訪問者が現れる。小さな体躯。仮面の少女――吸血鬼のイビルアイ。

 イビルアイは仰向けに倒れ動かないアインズの横に、寄り添うように座った。

 

「……もしかして、見てたか?」

 

「ああ、途中からだが」

 

「……そうか」

 

 恥ずかしい。あの八つ当たりや泣き言満載の負け犬宣言を、自分に惚れている女に見られるのは最悪だ。気分が沈む。

 

(あ……やばい。本当に沈み過ぎて感情が沈静化させられそう)

 

 この後更にイビルアイに「このダメ人間の負け犬め! 二度と私に面を見せるなよ」と言われたら立ち直れない気がする。……そう思った瞬間感情が抑圧され精神が沈静化した。本来ならば立ち直れないダメージを与えられそうな攻撃も、アンデッドならば大丈夫――死にたい。

 

「…………」

 

「…………」

 

 お互い、無言で夜空を眺める。そうしていると、ポツリとイビルアイが口を開いた。

 

「……実はな」

 

「ああ……」

 

「……アインズ、お前とラナーの会話を聞いていたんだ」

 

「――――え?」

 

 アインズは思わずガバリと身を起こし、イビルアイを見た。イビルアイは視線をアインズに向ける。

 

「だから、その――お前が魔法詠唱者(マジック・キャスター)なのも、ちょっとダメな奴だっていうのも――その、悪いが聞いていて」

 

「そ、そうか――」

 

 気まずい。つまりイビルアイはとっくに恋の魔法から覚めていたと。とっくにアインズの事なんか惚れていないと。

 

(え、えぇー……。それって、闘技場誘ったの大迷惑だったんでは)

 

 駄目人間を心配して、かまってやっていただけなのに調子に乗るんじゃねぇぞこの野郎――などと思われていたのでは。アインズは地の底まで気分が沈んだ。

 

「それで――」

 

「あ、ああ……」

 

 気まずい。心底気まずい。時間よ早く過ぎ去ってくれ――アインズはそう死刑囚にも似た心境でイビルアイの言葉を待ちながら。

 

「アインズ――さっきの、お前が人間じゃないっていうの、本当なのか?」

 

 イビルアイの言葉に、アインズは再びイビルアイの顔を見た。アインズが視線を向けると、イビルアイは仮面をゆっくり外す。

 仮面の下には、美しい金髪の少女の顔があった。

 ……ただし、口から牙のように発達した八重歯が生え、そして瞳は人外を示すように真っ赤。顔色は少し悪い。吸血鬼の素顔。

 

「…………」

 

 アインズは、魔法を解く。鎧の下から、邪悪な魔法詠唱者(マジック・キャスター)の姿が現れて――ローブから覗く顔は、まさしく髑髏。

 

「俺も……実はお前が人間じゃないことは知っていたよ、イビルアイ」

 

「え?」

 

「ほら、あの魔樹の時――お前が気絶したから、回復薬(ポーション)使ってやろうと思ったら、仮面が外れて……すまん。指輪を外して確かめた」

 

「そ、そうか……」

 

 互いの隠し事を晒しながら――二人は再び無言になる。星空は煌いていた。

 

「……さて、聞いていたなら話は早い。“漆黒と蒼”は解散だ」

 

 しばしの沈黙の後――アインズはそう言って、再び星空を眺める。

 

「え?」

 

「聞いていたんだろう? ブレインは出て行った。俺も――出ていく。“漆黒”が抜ける以上、お前達はもとの“蒼の薔薇”に戻るといい。今更、皇帝が何か言ってくることはないだろう」

 

 アインズはそう告げて、自分の首元からアダマンタイトのプレートを外し、地面に投げ出されていたブレインのプレートも手に取って、イビルアイの手に二枚のプレートを握らせた。

 

「ア、アインズ――」

 

「俺はダメ人間で、それで、人間じゃない。正直言うと、いい機会だと思う。アンデッドの俺がいつまでも長く人間の世界で冒険者出来るはずもないしな。――そう、それに苦痛だったんだ、わりと」

 

「く、苦痛……?」

 

「ああ。俺は負け犬だから、英雄みたいに振る舞うのは辛かった。誰かに尊敬されるような生き方なんてしていなかったから、余計にな」

 

 そう、それさえずっと辛かった。憧れています、というような瞳で自分を見つめられるのは居心地が悪過ぎた。自分がそんな上等な人間じゃないと知っているが故に、アインズには民衆の瞳が辛かった。

 

「だから――“漆黒”はここで解散だ」

 

「そ、それで――これからどうするんだ?」

 

「そうだな……」

 

 イビルアイの言葉に、これからの予定を考えて。

 

「根無し草の旅でも始めるよ。この自然を眺めるのは悪くない」

 

 人里を離れて、山を、海を目指そう。人の輝きは十分に見た。これ以上は辛過ぎる。だから――今度は、自然の輝きを眺めていよう。灼き尽くすほどに眩しくはない、ただあるがままの美しさを。

 

「さよなら――イビルアイ。ラキュース達にはよろしくと伝えておいてくれ」

 

 アインズは立ち上がる。そしてブレインがそうしたように、アインズもイビルアイを置いて立ち去ろうとしたその時――背中からローブを掴まれ動きを止められた。

 振り返る。

 

 見れば――イビルアイが、顔をくしゃくしゃにして、アインズを見ていた。

 

「――イビルアイ?」

 

「い、行かないでくれ……頼む。行くなら……行くなら、私も連れて行ってくれよ……!」

 

「――――」

 

 涙を流して、イビルアイはアインズに懇願する。その姿に慌て、アインズはハンカチを取り出してイビルアイの顔を優しく拭った。

 しかし、涙は溢れて止まらない。

 

「いや……お前には仲間がいるだろう?」

 

 アインズがそう告げるが、しかしイビルアイは首を横に振る。

 

「た、確かにラキュース達は大切だ。……でも、でも……忘れないでくれ。私だって……アンデッドなんだ」

 

「あ…………」

 

「ラキュース達は歳を取っても、私は取らない。――変わらないんだ、これから。変われないんだよ――お前と同じで」

 

「イビルアイ……」

 

 泣きながら、イビルアイはアインズに訴える。

 

「好きなんだ……お前のこと。だから一人にしないでくれ……!」

 

「……イビルアイ、その感情は」

 

 その恋愛感情は、きっと――と告げようとするアインズに、イビルアイは首を横に振る。

 

「お前が嘘をついていたとか、ダメな奴だとか……そんなのいいんだ! 私は、一人は嫌だ。ラキュース達と、十三英雄達と出会って、一人は辛いんだって実感したんだ。……私は、もう一人じゃ生きていけないんだ」

 

「イビルアイ」

 

「ぬくもりをくれよ、アインズ。……お前もアンデッドなんだろう? なら――なら、一人じゃない暖かさをくれよ。お前だって……お前だって……」

 

 ――そう、アインズだって。

 

「ひとりぼっちは大嫌いな、寂しがりやなんだろう――!」

 

「…………ッ!」

 

 そうだ。一人は辛い。望んで一人になりたかったわけじゃない。

 自分だって、人の暖かさを知ってしまったのだ。ユグドラシルさえ始めなければ耐えられた。でも、アインズ・ウール・ゴウンの皆と出会ってしまったから、もうひとりぼっちには耐えられない。

 

 ――ああ、そうだ。耐えられない。耐えきれない。自分だって、他人のぬくもりが欲しい。

 

「寿命が無い。ずっと一緒にいられる。ただ、それだけで――」

 

 私にとっては、お前は最高に素敵な人なんだと。そうイビルアイに告げられて。

 

「俺だって」

 

 そうだ。自分だって。

 

「俺だって、一人は嫌だ。耐えられない。――そうだ、俺は負け犬なんだ。ひとりぼっちで生きていけるほど強くなんてない……!」

 

「なら――」

 

 イビルアイは、微笑んで。

 

「なら――、一緒にいよう。アインズ。私達――同じ不死者(アンデッド)じゃないか」

 

「ああ――、そうだな。一緒にいよう、イビルアイ」

 

 ひとりぼっちは、辛いから。

 

 ――そうだ。鬱陶しいと思っても邪険にしなかったのは、それでもイビルアイと二人でよく行動するようになったのは、自分が孤独に耐えきれないからだ。

 イビルアイはアンデッドで、自分もまたアンデッド。どちらかが殺される、その瞬間まで――二人の関係性が切れる事はない。

 

 寂しかった。ひとりぼっちは辛かった。だから、そう――アインズは、イビルアイにぬくもりを求めたのだ。

 

 それは、単なる代替え品なのかもしれない。単に利用し、利用されるだけの関係なのかもしれない。

 でも、それでいいじゃないか。最初は偽物でも、依存でも――そこから本物に発展する事だってあるだろう。

 

 もう終わってしまって、終わりのない二人なら――いつか冷めてしまっても、長い年月の中、再び一緒に寄り添いたくなる日が来るだろうさ。

 

「……一気に、三人も抜けてしまうな」

 

 イビルアイが微笑みながら、悪戯を告げるように呟く。アインズは、それに苦笑しながら返した。

 

「そうだな。……でも、ブレインはともかく元から俺とお前は強さに差があり過ぎるだろ? パーティーを組む上でよくないぞ、そういうの」

 

 実は自分でも、ずっと気になっていた事だ。愛着が沸けば、大切になるほど冒険者パーティーとしてのチグハグさが気になった。

 そういう時――攻略ダンジョンでレベルが突出した人間が抜けると苦労するのだ。実際、アゼルリシア山脈で大層困っていたようだし。

 

 だから、そういう意味でもいい機会なのではないだろうか。アインズとイビルアイは強過ぎた。彼女達のためを思うなら、そろそろパーティーの抜け時だ。

 

「ふふ……そうだな。まあ、今なら抜けても許されるだろう」

 

 イビルアイはそう意味深な事を呟いて、アインズの片手に両手を絡ませる。

 

「私達が抜けた穴に少し苦労するだろうが――彼女達なら大丈夫だろうさ」

 

「……ああ」

 

 ラキュースの太陽のような笑顔を思い出す。彼女もまた、アインズが憧れる輝かしくて眩しい生き物。ブレインと同じように、彼女もまた仲間達と共に前へ進んで歩いていくだろう。

 その場で尻込みし、立ち止まってしまうようなアインズと違って。

 

「あっと……帰るんなら、もう一度鎧を着ておかないとな」

 

 この格好ではアインズだと分からないだろうし、あまり見せたい姿ではない。アインズは再び魔法を紡いで、鎧を着こんだ。二人は並んで歩き出す。アインズのその姿を見たイビルアイは、少し悩んで――口を開く。

 

「なあ、アインズ。その魔法――」

 

「ん? ああ……第七位階魔法だよ。お前だと誤魔化しは通用しないだろうしな」

 

「そうか……やはり。――ということは、アインズ。やはりお前はぷれいやーだったのか?」

 

「……プレイヤーを知ってるのか?」

 

 アインズは驚いて、イビルアイを見つめる。イビルアイは微笑みながら、したり顔で頷いた。

 

「そうか、やはりお前はぷれいやーだったか……。もしかして、あの山で会った時って」

 

「……こっちの世界に来たばかりだったよ。右も左も分からなくて、本当に参った」

 

 その言葉に、イビルアイは声を出して笑った。

 

「はは……記憶喪失も嘘っぱちか! 無駄に国の知識があったから、信じただろ!」

 

「いやあ……あのグリーン・ドラゴンにその時既に会っていてさぁ……。アイツから教えてもらって、何とか」

 

「あー……あの畜生か」

 

 嫌な事を思い出したらしく、イビルアイは口を尖らせる。

 

「しかしイビルアイ……やっぱり、見た目通りの年じゃないんだな」

 

「……ああ」

 

「ということは、十三英雄の話も実体験か! 今度、もっと色々教えて欲しいな。他のプレイヤーの話も知っているなら、是非聞きたい」

 

 アインズより昔、この異世界を訪れた同胞(プレイヤー)達。彼らは今、どうしているのだろう。死んでしまったのか、それともまだ世界の片隅でひっそりと暮らしているのか。

 

「……うん。時間はたっぷりあるから、色々と教えてやるからな、アインズ」

 

「ああ、お願いするよ、イビルアイ」

 

「…………」

 

「イビルアイ?」

 

 イビルアイは立ち止まり、アインズから手を離してその場でもじもじと挙動不審になる。さてどうしたのかと首を傾げたアインズに、イビルアイは意を決したように深呼吸して――

 

「アインズ」

 

「ああ」

 

「私――本当は、キーノ・ファスリス・インベルンというんだ。……よければ、これからはキーノと呼んで欲しい」

 

「…………インベルン」

 

 どこかで、聞いたことのある響きだ。さてどこだったかと記憶を探り――ふと、あの白金の鎧が頭に浮かんだ。

 

(アレも……十三英雄の関係者なのかな?)

 

 評議国から来た、という白金の騎士。彼にももう少し、色々と話を聞いてみたいものだ。

 

 そして――アインズはイビルアイを――いや、キーノを見る。緊張しているのか、口元を引き締めて彼女はアインズを見ていた。

 アインズは、その姿に苦笑して。

 

「俺も、本当の名前があるんだ。アインズ・ウール・ゴウンはギルドの名前でさ」

 

「え」

 

 そう、アインズ・ウール・ゴウンはプレイヤー名でさえ無い。思い出深いギルドではあるが、今となってはそれを名乗るのは憚られる。

 きっと……もう二度と、アインズ・ウール・ゴウンと名乗る日は来ないだろう。これから名乗る時は、プレイヤー名のモモンガだ。

 

 でも――キーノに名乗るには、もっと別の、相応しい名前があったから。

 

「キーノ。俺の本当の名前は――――」

 

 

 

 

 




 
次回エピローグです。すぐ更新しますので、読み忘れにご注意。
 


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Epilogue

 
■今までのあらすじ

モモンガさん、アインズ・ウール・ゴウン卒業。
 


 

 

 ――気配を感じて、ツアーは目を覚ました。

 

「やあ、リグリット。それにインベルン――そして、初対面の君」

 

 いつものように、こっそりと近寄ってきたリグリットと、そして珍しく自分を訪ねてきた吸血鬼の少女に――ツアーの知らない、仮面をした魔法詠唱者(マジック・キャスター)

 

「…………?」

 

 その仮面に、違和感を覚える。どこかで見た事があるような気がしたのだ。少し考えて――

 

(ああ……思い出した)

 

 泣いているような、笑っているような、怒っているような――そんな不思議な仮面。確か、プレイヤー達が持っていた仮面だ。仲の良かったプレイヤーから見せてもらった覚えがある。

 

(……ぷれいやー)

 

 つまり、この見知らぬ魔法詠唱者(マジック・キャスター)はプレイヤーなのだろう。そこまで考えて、もしかしたらこのプレイヤーはツアーが知っているプレイヤーなのかもと思い至った。何せ、キーノと一緒にいるのだし。

 

「……もしかして、インベルンと一緒にいた、トブの大森林で会った人かな? ぷれいやーの」

 

「……知っていたのか? 俺がプレイヤーだと」

 

 驚いたように口を開く男の声に、やはりツアーは聞き覚えがあった。間違いなく、あのトブの大森林で出会った漆黒の戦士――アインズだ。

 

「うん。だって、君――ケイ・セケ・コゥクの正確な発音を知っていたし」

 

「…………え?」

 

 アインズの驚いた様子に、ツアーは思わず苦笑した。

 

「気づいてなかったのかい? 君、結構抜けてるね」

 

「……これから、気をつけるとしよう」

 

 眉間らしき部分に手をやったアインズを眺める。そして視線を外し、リグリットとキーノを見た。

 

「それで、何か用かな? もしかして、彼の紹介かい?」

 

「そうじゃよ、ツアー。わしもインベルンの嬢ちゃんから連絡があった時は、驚いたがの」

 

 カカカ、と笑う老婆にキーノはジト目を作って見つめる。

 

「な、なんだリグリット……というか、なんでついてくるんだ! 私は、“蒼の薔薇”を抜けるのに、さすがにお前に内緒にするのはまずいと思って声をかけただけなのに……ツアーのところまでついて来て!」

 

「だってこんな面白そうなこと、放っておけるわけがないんじゃもの。“蒼の薔薇”を男と一緒に抜けるとあれば、そりゃ気になるわ」

 

「“蒼の薔薇”?」

 

 ツアーが疑問符を漏らすと、リグリットが教えてくれる。

 

「なんじゃ、わしが冒険者をやっているという噂は届いてなかったか? その冒険者チームじゃよ。王国――おっと、今は帝国じゃったな。そのアダマンタイト級冒険者チームじゃ」

 

「ふうん。……あれ? リグリット、その様子では君は冒険者をやめていたのかい?」

 

「そうじゃよ。インベルンの嬢ちゃんに後釜を任せて、引退したんじゃ」

 

「……インベルン。君、よく了承したね」

 

 彼女の性格なら、むしろ嫌がりそうなものだと思ったが。

 

 キーノはツアーの問いに、口篭もりながら答える。

 

「だって……自分が勝ったら冒険者チームに入れって、リグリットが。……それに、かつての仲間と本気で殺し合うわけにもいかないし……」

 

「ああ……チョ」

 

「チョロくない!」

 

 ツアーが呟こうとした言葉を遮り、キーノが叫ぶ。それに三者で笑っていると、アインズが声をかけた。

 

「あー……お邪魔なら後で用件を済ますが」

 

「ああ、ごめんよ。……何か用があったんだね。身内だけで盛り上がって悪かったよ。それで何のよ……う……」

 

 ツアーはアインズに視線をやろうとして、途中で言葉が切れる。仰天した。リグリットの手に、ツアーが渡したはずの指輪が無い。

 

「ちょ……リグリット! 君にあげた指輪はどうしたんだい!?」

 

「あー……アレか。若いのにやったよ」

 

「えー……」

 

 あの指輪は大切な指輪なのだ。あまり他人の手に渡って欲しくない。特に漆黒聖典などには。

 それに、ツアーはリグリットを見て気づいた。彼女も気まずそうな顔をしている。という事は――あまりよくない事態になっているのではないだろうか。

 

「リグリット……指輪は今どうなっているんだい?」

 

「あー……実はの。指輪をやった若いのは死んで、今は帝国にあるんじゃ」

 

「……帝国かぁ」

 

 法国よりはマシだが、それでも国に管理されていると思えば少し厄介な気がする。何せあの指輪は、ツアーが“始原魔法(ワイルドマジック)”で作り出した、今となっては同じ物の製作は難しいマジックアイテムだ。

 そしてさすがの帝国では、内緒で回収するのは難しいだろう。あそこには“逸脱者”フールーダ・パラダインがいる。

 

「……もしかして、その、君達が言っている指輪の持ち主はガゼフ・ストロノーフだったりするか?」

 

 そこでアインズが口を開き、リグリットに訊ねた。リグリットは目を見開いて驚き、アインズを見る。

 

「そうじゃよ、モモンガ殿。わしはガゼフの小僧に指輪を渡しておった。……何か知っておるのか?」

 

(モモンガ……?)

 

 以前名乗った名前とは別の名前だ。ツアーが内心で首を傾げていると、キーノがこっそり教えてくれた。

 

「アインズ・ウール・ゴウンはギルド名だったらしいぞ。ユグドラシルでの名前はモモンガというらしい」

 

「へえ……」

 

 ユグドラシルからきたプレイヤー達はそのままの名前を名乗る事もあるが、中には名前を変える者もいる。彼もそうしたプレイヤーの一人だったのだろう。

 しかし、どういう心境の変化か。元の名前に戻したようだ。

 

「その……実はだな」

 

 アインズ――モモンガは言い辛そうにしている。

 

「なんじゃ、はっきりせんか」

 

「あー……その指輪の行方、知っているかもしれん」

 

「え?」

 

 全員が思わずモモンガに視線を集中させる。モモンガは視線が集中したのに少し気まずげにして、語った。

 

「……その指輪が戦士を強くする、ユグドラシルとは別のシステムで作られた指輪なら――俺がガゼフに遺言で頼まれて、帝国から盗んで別の奴に渡したんだが……」

 

「……え?」

 

 それはあまりにも驚きの一言だ。モモンガの返答に、思わず瞳を丸くした。

 

 ……モモンガの言う戦士を強くする、という効果の指輪は間違いなく件の指輪だ。しかしとっくに帝国にも存在せず、まったく別の人間に渡ったらしい。それはさすがに見過ごせない。一体誰の手に渡ったのだろうか。

 それに――帝国から、フールーダにも気づかれずに盗むことが出来る実力に、少しだけモモンガの事を警戒する。フールーダにも気づかれなかったという事と、今の格好――おそらく、第七位階魔法以上の使い手であり、八欲王級の強さだろう。

 

(やれやれ。今回の揺り返しは強烈だな)

 

 ユグドラシルプレイヤーは、およそ一〇〇年周期で現れる。アインズは今回やってきたプレイヤーだ。

 ツアーがそう内心で溜息をついている内に、二人の会話は続いていく。

 

「ガゼフの小僧の遺言、ということはそれほど変な奴に渡ったとは思わんが……誰に渡したんじゃ?」

 

 リグリットの質問に、モモンガは気軽に答える。

 

「ブレイン・アングラウス。ガゼフの永遠のライバルだな。今はどこで何をしているんだか……」

 

 ブレイン――知らない人間だ。しかし、リグリットやキーノは知っていたらしい。

 

「ああ、あの小僧か。……なんじゃ、アイツ改心したのか。しかしまあ、あの小僧ならそう変なことにはならんじゃろうな」

 

「確かにブレインなら安心か……」

 

 リグリットやキーノの言葉から、それほど危機ではないらしい。ならば――もうツアーから言う事は何も無い。二人の事は信用も、信頼もしている。

 

「――ふう。じゃあ、指輪の件はもういいよ。それでえっと……モモンガでいいのかな?」

 

「ああ。そっちの名前で頼む。もうアインズ・ウール・ゴウンを名乗ることは無いからな」

 

「じゃあモモンガ、一体何の用事で私のことを訪ねたんだい? 私のことは、インベルンから聞いているみたいだけど」

 

 自分の秘密を喋った事については、それはいい。どの道、プレイヤーが相手ならいつかは話さなくてはならないと思っていた。

 しかし、そのプレイヤーがわざわざ自分を訪ねに来たというのは疑問が残る。単純に自分を確認しに来た――という雰囲気では無い。彼は確実に、自分に用があって来たのだ。

 

「……その前に、少し聞きたいんだが。その剣(・・・)……もしかして、ギルド武器か?」

 

「そうだよ。ちょっと預かっているんだ」

 

「そうか。なら、ちょうどいい。俺の持っているギルド武器も預かって欲しい」

 

「…………え?」

 

 その頼みに瞳を丸くする。あまりに意外な頼みだった。ギルド武器というのはプレイヤー達――特にギルドを持つプレイヤーにとっては重要なマジックアイテムだったはずだ。それをツアーに自主的に預けよう、と思うとは。

 

「実はだな、俺はギルド武器は持っているがギルドは一緒にこっちに来なかったんだ」

 

「あー……なるほど」

 

 ギルド武器を破壊すれば、そのギルドは統制を無くす。ギルドがあるならギルドの奥底に封印しておくだろうが、しかしその肝心のギルドが無いなら持ち歩くのは憚られたのだろうか。

 

 だが、モモンガは続けて――少しばかりの哀愁を漂わせて語った。

 

「それに……俺のギルドであるアインズ・ウール・ゴウンは既に、俺以外のメンバーは全員ユグドラシルを去ってしまっていてな。俺以外にギルドのプレイヤーはいないんだ。……そして俺も、もうギルドを名乗るのはやめる。だから、自分で持っているのは憚られてな」

 

「ふぅん……。まあ、預かって欲しいって言うなら、かまわないよ」

 

「感謝する」

 

 モモンガはそう言うと、プレイヤー特有のアイテムの取り出し方をして――その、禍々しい武器を取り出した。

 

 ――それは杖。七匹の蛇が宝石を咥え、神聖さと禍々しさを持った――そして恐ろしいほどの魔力を感じさせるマジックアイテム。

 

「――――」

 

 全員、息を呑む。一目見て、これがギルド武器だと確信した。いや、ギルド武器どころか、傾城傾国のような更にその上のマジックアイテムだと言われても信じてしまいそうなほどだった。

 

「……じゃあ、これは大切に預かっておくよ」

 

「そうしてくれ。……もしかすると、返してもらう日がくるかもしれないけどな」

 

「その時は、ちゃんと渡すさ。――ただ」

 

「うん?」

 

「私からも、頼みごとをいいかな?」

 

 

 

 

 

 

「――よかったのか、本当に。ギルド武器をツアーに預けてしまって」

 

 訊ねるキーノに、モモンガは頷いた。

 

「――いいんだ。これで、よかったんだよ」

 

 ……そう、アインズ・ウール・ゴウンは既に終わったギルドだ。ギルドメンバーは現実に還り、そして最後のギルドメンバーである自分も今、ギルドに対して踏ん切りをつけた。

 ならば、もうギルド武器は不要だろう。

 ……それに、アレを持っていると、いつまでもうじうじと悩んでしまいそうだ。それはよくないと、そう思う。

 

竜王(ドラゴンロード)に預けていた方が、安心出来るさ」

 

「まあ、ツアーに預けておけば万が一壊されることもない……って言ったのは私だが」

 

 だから、この話は終わりだ。

 いつか返してもらう日が来るかもしれない、と言ったがそんな日は来ないだろう。仮にあったとすれば、それはギルドが――ナザリック地下大墳墓が転移してきた時。その時は、自分の手で、あの円卓の間に返しに行こう。

 

「しかし、ツアーも厄介な頼みごとをする。冒険者をやめた俺達に、ユグドラシル産のアイテムを探してきて欲しい、とは」

 

 ツアーがギルド武器を預かる代わりに提案してきた頼みごと。それはユグドラシル産の強力なマジックアイテムを集めてきて欲しい、という事だった。

 

「仕方ない。ぷれいやーなら集めやすいと思ったんだろう」

 

「そりゃあ、プレイヤーだったらユグドラシル産の有名なアイテムはある程度分かるけどさぁ」

 

 キーノの言葉に、溜息をつく。確かにユグドラシルプレイヤーの自分ならば、そういうのに適していると思う。

 それに、ツアーの心配事も分かる。ユグドラシル産のマジックアイテムは強力過ぎるのだ、この異世界では。あまり放っておけるものでは無いだろう。

 

「それに、私達はこれから色んなところを旅するんだ。ちょうどいいじゃないか」

 

「うん、まあ、そうだけど」

 

「ならいいだろう」

 

「――あ、はい」

 

 確かにそうだ。それに、そこまで気にしているわけではない。当てのない旅に、少しくらい目的があってもいいだろう。

 ――未知のマジックアイテムを探して旅をする。少しだけ、その行為に感傷に引き込まれそうになるが頭を振ってその気持ちを追い出した。

 

「どうかしたのか?」

 

「いや、なんでもないよ」

 

 ――そう。いつか本当に、なんでもないと思えればいい。こんなこともあったと、本当に懐かしく、笑える思い出になって欲しかった。いいや、きっとそうしてみせる。

 

 あの、光り輝く勇者のように。いつかきっと、ほんの少しでいいから前を向いて歩いてみよう。こんな負け犬のような自分でも、変われるはずなんだと信じ、告げてくれた男のために。

 

「行こうか、キーノ」

 

 キーノに手を差し出す。キーノは手を握り、微笑んだ。

 

「ああ、サトル!」

 

 二人手を繋いで、評議国を離れる。

 彼女の笑顔は、少し一緒に行動を共にしていた少女が浮かべていた笑顔みたいで、太陽のように輝いて見えた。

 

 

 

 

 

 

 ――そして朽ち果て、忘れられた大墳墓から、最後の一人が旅立った。

 

 最後の一人……陰鬱とした墓守は、太陽の輝きに眩しそうに瞳を細めながら、しかしその光の下を歩いていく。

 今は暗いけれど、しかしいつかきっと、その光の下を他の皆と同じように笑顔で歩く日がくるだろう。

 

 ……人間は良くも悪くも慣れる生き物だ。彼もいつかは、他の皆と同じようにそういう人生に慣れていく。

 

 だから、いつかきっと――彼が憧れた輝きを、例えそれがちっぽけな光であっても手に入れる日がくるに違いない。

 

 

 

 彼は、かつての仲間達と同じところに並ぶために、今――足を一歩踏み出した。

 

 

 

 

 




 
皆様、最後まで閲覧ありがとうございました。
 


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