【完結】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス) (家葉 テイク)
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  序 章 肝心なのはアフターケア For_starters...
一話:目覚めたら令嬢


なろうで悪役令嬢モノを読み漁ったり、超電磁砲(レールガン)を読み返したりしていたらこんなものができあがってしまいました。



 悪役令嬢モノ――――というジャンルが存在する。

 知らない人の為に説明しておくと、『途轍もなくわる~い悪女(乙女ゲーの悪役ポジとか)に転生ないし憑依してしまった主人公が、本来のポジションであれば確実に訪れるであろうバッドエンドを回避すべく今までの行動を改めることで未来を変えようと努力する』…………そういうweb小説のジャンルだ。web小説界隈じゃあ男性向けのVRMMO転生、女性向けの悪役令嬢ってくらいの人気ジャンルだったりする。

 まあ、女性向けと言いつつ男だった俺が知っている程度には男性人気もそれなりにある(と思う)ジャンルで、中には男が転生ないし憑依するような作品もあったくらいだ。

 

 んで、その俺が何故こんな話を出し抜けにしているのかというと。

 

「………………オーマイガ…………」

 

 実際に、『悪役令嬢に憑依』というのを体験してしまったからに他ならない。

 

***

 

序章 肝心なのはアフターケア For_starters...

 

一話:目覚めたら令嬢 I_AM...?

 

***

 

 ぶっちゃけ揺らぎまくっている自己同一性というかアイデンティティ的なものを強固にする為に、一応確認しておくが……俺の名前は來見田(きみだ)志連(しれん)。好きなものはラノベと萌えアニメ鑑賞、好きなレーベルは電撃文庫、好きなアニメは『ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?』というどこにでもいる平凡なオタク………………だったはずだ。

 少なくとも、気付いたら知らない病室に叩き込まれていたり、ふと病室の窓ガラスに目を向けたら超絶・性格悪そうな美少女が映っているという怪奇現象を目の当たりにしたりする――なんて不条理(Absurd)に巻き込まれるようなタイプの人間じゃない。

 

 では、目の前の少女の姿は一体何なのか。……そう、窓ガラスに映っているというところからして論理的に考えれば十中八九俺の今の姿なのでした‼‼

 

 …………うん、そうだね。冗談じゃないね。

 しかも、いっくら自分の記憶を漁ってみても体感時間で昨日の夜見てた『ゆるゆり』三期の最新話の内容しか思い出せないしどうして俺がこんなことになったのかとかはちっともわからない。

 せめてこの身体の記憶とかでも思い出せないのかお前ェ! と気張ってみたが、それも無駄。何気に憑依したのに元の身体の持ち主のことが思い出せないというのは致命的過ぎる気がするのだが、どうなんだろうか。…………どうなんだろうかじゃないよ。

 

 …………ん?

 っていうか、よくよく考えてみたらこの状況…………俺が今こうやって動かしている身体は、当然ながら赤ん坊ではない――多分一六~一八くらい――少女のものだ。となると、この身体がクローン技術で急速に生み出された空っぽの肉体でもない限り、そこには『元々あったはずの精神』……魂みたいなものがあるはずだ。

 そこに俺が収まってしまっているってことはつまり、本来のこの身体の持ち主の魂は…………追い出されてしまったか、あるいは塗り潰されてしまった…………ってことになるんじゃないのか?

 ………………………………………………。

 …………やめよう、考えても仕方がない。

 もし仮に『そう』だったとして、俺にはどうすることもできないんだ。償おうにも償う相手がいないし、親御さんに告白したところで頭がおかしくなったと思われるのが関の山だと思う。俺に出来るのは、『この子の分も精一杯生きる』なんて思考停止の論点すり替えくらいだ。

 と、

 

「――――おや、もう目が覚めているみたいだね?」

 

 自分の現状を考えてぼけーっとしていたら、病室の扉が開いてハゲ散らかしたカエル顔の医者が現れた。なんかこう、愛嬌のある顔つきだ。可愛らしいという訳じゃないんだけども、なんか憎めない感じの。

 ただ、俺はそんな印象とは裏腹に内心で戦慄していた。

 

「君が何を想って()()()()()()()()したのかは聞かないが――僕は患者を絶対に救う人間だ。君が僕の患者である以上、もう二度と君が自ら命を手放そうなんて思うことはさせない。それだけは、伝えておくからね?」

 

 途轍もなく真剣な声色だったが、俺にとってはそれは絶望の上塗り、根拠の補強以上の意味をなさない。

 絶対に患者を救うと誓い、そして実際に実行する男。

 カエル顔の医者。

 ………………そんな人物が登場する、ライトノベル作品が存在する。

 とある魔術の禁書目録(インデックス)

 

 …………あのさ。憑依ってだけでもいっぱいいっぱいなんだから、属性の上乗せは勘弁してくれないかな?

 

***

 

 まぁ、カエル顔の医者――冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)については、入水自殺をしたのは気の迷いだったとか、今は死ぬのが怖いからもう一度自殺するつもりはないとか、そんな適当なことを言って、車で寮まで送ってもらった。

 一応検査の結果も異常なしだったし、経過観察の為とかで月一で通院することを除けば退院だって冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)先生も言っていたが……、

 

 …………俺の身体の持ち主さん、入水自殺を試みたんだね。

 とすると……いったいどんな事情があるかは知らないが、入水自殺を試みた拍子に何らかの事情で幽体離脱した俺の魂が入った――ってところか。

 …………記憶はないけど、多分死んじゃったんだろうなぁ、俺。

 だって俺、末期ガンだったし。

 いやあ、綺麗にすっぽり抜け落ちるものだなぁ、今わの際の記憶。いつ死んでもおかしくないとは思ってたから不思議ではないけども。

 まぁ、末期ガンだったとはいえ余命宣告からだいぶ最後の生活をエンジョイしてたし、俺としては自分の人生にはそこそこ満足している、ので別にこの身体の持ち主さんを押し退けてまで生き続けるつもりはないんだが……。

 …………入水自殺、そうか、入水自殺かぁ…………。

 それはきっと、辛かったんだろうなぁ。この科学の発達した都市で、わざわざ入水なんて方法で死のうとするくらいだし……。

 

 ……俺はしばし体の持ち主さんの苦悩に思いを馳せ、それから()()()()をやめた。

 常盤台中学の外部寮、どうやら此処が俺の暮らしている場所らしい。

 ………………いや、いやいやいや。常盤台て。

 常盤台中学と言えば、言わずと知れた名門校。小説にも登場してくるくらいの有名スポットだよ。ヒロインも二人入ってるし、名ありキャラだけなら多分二桁くらいはいる。

 まだ自殺未遂済みの超絶・ワケありそうな美少女に憑依しちゃったのは良いとしよう。

 良くはないけどもう呑み込んだ。でも、さらにそこにお嬢様属性を乗せるのはなしでしょ。流石の俺もそろそろキャパオーバー近いよ、マジで。

 しかも……俺、自分の部屋番号すら知らない。というか、この子の名前すら分からない。

 冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)が身体の持ち主さんの名前とか呼んでくれないかなーと密かに期待していたりもしたんだけど、なんか普通に『君』としか呼んでくれなかったし……。

 病室の前にかかってるネームプレートみたいなの見ればよくね!? と気付いたのはついさっきだ。だってそれまで部屋番号のこととか全く頭になかったし…………。

 背中くらいまである金髪の肩にかかった部分が縦ロールっぽくなってるあたりとか、ドギッツイ鋭さの碧眼とか、そのへんから推測するに、おそらく西洋人的な雰囲気の名前なんだろうけども。

 

 さて、どうしようか。

 ……うーん、やっぱり此処は素直に聞いた方がいいよな。溺れたショックで記憶が若干混乱してて、とか言えば適当に誤魔化せるでしょ。

 

「──ブラックガードか」

 

 とか寮の前でぼんやりと考えていたら、突然後ろからから声をかけられた。

 凛々しい、芯のある女性の声だ。それでいて、射竦められるような威圧感がある。

 こ、この声は……!

 

「……寮監?」

 

『とある科学の超電磁砲(レールガン)』に登場する鬼教師(?)。大能力の空間移動能力者を赤子の手をひねるように縊り、学園都市の第三位すらも逆らえないという、あの伝説の寮監様じゃないか!?

 う、うう……俺の本能が言っている、この人に逆らうべきではないと……!

 まぁ、本能が言ってなくても、良い子ちゃんな俺は先生に逆らうつもりなんてないんですけどね。

 

「…………ふむ」

 

 その寮監さんは、俺の様子を見るなり無表情でこくりと頷き、

 

「どうやら、表情の険はとれているようだな。病院で何かあったか?」

「!」

 

 え……ど、洞察力鋭すぎるだろ! 最初の一発で違和感を覚えられるとは思わなかったわ! っていうか、俺が分かりやすいのか!? だとすると何気にヤバい気がするんだけども……!

 

「え、ええ。心境の変化と言いますか…………」

 

 俺は、なんとか動揺を悟られないようにそう返すのが精一杯だった。視線も泳ぎそうだったから、ちょっと逸らしがちにするしかなかったし。

 …………あ、そうだ。このタイミングで部屋番号聞けるんじゃね?

 

「…………ですがその、少し記憶が混乱しておりまして、部屋番号が分からなくなっておりましたの」

 

 …………言いながら、俺は思う。

 

 お嬢様言葉、違和感ハンパねえ………………。

 

 いやいやいや。常盤台の生徒だったしおそらくお嬢様言葉が正解なんだろうと思って演じてみてはいるが、これすっごい恥ずかしいぞ。下手に女言葉で演じるより数倍恥ずかしいぞ?

 よくこの学校の生徒は当然のようにお嬢様言葉でやっていけるよな……。それともお嬢様言葉で話すのが校則で定められているのか? 超能力者(レベル5)以外は案外そうかもしれないが…………いやいや、それ以外でもお嬢様言葉じゃなかった人いたし、そりゃないか。

 寮監様のリアクション的には俺の口調は違和感ないっぽいし、このままでいいんだろうが…………。

 

「…………何? 記憶が混乱だと? それは大丈夫なのか? 精密検査は……、」

「あ、ああ! 心配には及びませんわ。混乱が見られるのは意味記憶と手続記憶だけですので! エピソード記憶の方はしっかりしていますし、二つの記憶分野もじきに元通りに戻ると診断されていますので!!」

「…………? いみ、エピソード……? ……私は記憶術(かいはつ)の方は専門外なので良く分からないが…………問題ないというのなら、そんなに慌てて否定しなくともいい。それで、部屋番号だったか?」

 

 寮監様は懐から携帯端末を取り出し、

 

「二〇一号室だ。御坂美琴の隣室――……と言えば、少しは思い出すか?」

 

 そう、何気ない調子で言った。

 美琴って…………御坂美琴!? マジかー、凄い偶然もあったもんだなー。自室に帰って一段落したら、退院しましたってことで挨拶でもしに行こうかな。

 いやいや、ちょっとミーハーすぎるけど、小説の登場人物に出会うのってなんだか、遠い世界の有名人に出会うみたいな感じでちょっとわくわくするね。まぁ、超能力者(レベル5)なんて雲の上の存在なんだろうけどさ。

 

 

 …………………………なんて、その時の俺は呑気に考えていた。

 まぁ、自室に帰ってすぐ、そんな余裕は消し飛んだんだけど。

 

***

 

 自室である二〇一号室に到着した俺は、まず部屋の中を確認した。

 俺の部屋は、ベッドが一つ、それと机が置いてある。部屋の隅には電気コンロや冷蔵庫も置いてあるが、使用されている形跡はない。

 部屋の使い方からして、どうやら相部屋のルームメイトはいないらしい。部屋の広さはおそらく二人用っぽいので、なんだか寂しい感じがしないでもないが……正直、俺としては一人でいられるのは非常にありがたい。

 

 部屋に入った俺は、まずこの身体の持ち主――ブラックガードさんの私物をチェックすることにした。非常に申し訳ないが、これからこの身体でやっていくにあたってやらないわけにはいかない。

 何せ、俺はブラックガードさんがどんな人物かもさっぱり分からないし、思い出せないのだ。そんな状況で、その人として生きていくとか流石に厳しいものがある。

 せめて、何か日記でもあればなー…………。

 などと思いつつ、心の中でブラックガードさんに詫びながら机の引き出しを開けると、

 

 本当に、日記帳が入っていた。

 

 …………嗚呼、神様ありがとう……! どうせならもうちょっと巡り合わせをイージーにしろよと思うけど、でもとりあえずありがとう……!

 内心で神様に感謝しながら、そしてブラックガードさんに謝罪しながら、俺は引き出しの中から日記帳を取り出し、パラパラとめくっていく。

 ………………そして、それから神様に内心で中指を立てた。

 

***

 

四月五日 晴れ

 

 今日は常盤台中学入学の日。せっかくですので、日記を始めてみようと思いますわ。

 入学前には大能力者(レベル4)になれましたし、この三年間で必ずや超能力者(レベル5)になり、レイシア=ブラックガードの名を学園都市、いえ世界中に知らしめてみせますわ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、第三位、第五位止まりの三下などの下でいつまでも甘んじているわたくしではありません。

 この常盤台中学の最高の能力開発カリキュラムをフルに利用して、必ずや超能力者(レベル5)、その頂点に到達してみせましてよ。

 

 ……。

 

四月一〇日 晴れ

 

 常盤台中学には、派閥というものが存在しているそうです。

 もちろん事前に調べておいて把握はしていましたが、所詮は烏合の衆と思い特に対策はしておりませんでした。しかし……この認識は改める必要がありますわね。

 どうも、派閥には単なる研究組織、サークル活動と言った意味合いの他に、『派閥の長の持つ権力の象徴』といった意味合いも存在しているようです。わたくしであれば、当然ながら相応の権力の象徴がなくてはなりませんわ。

 早速今日、同系統能力の新入生でわたくしを知る者たちを幾人か集め、派閥を発足いたしました。情報によれば、こういった行動をすれば別の派閥が危機感からこちらに仕掛けて来るとか……。

 そこを乗り越え、打ち勝てば常盤台の派閥として動き出すことができます。

 いい機会ですわ。

 わたくしの恐ろしさを、この学校の有象無象に知らしめてやりましょう。

 

 …………。

 

四月一一日 晴れ

 

 今日は清々しい一日でしたわ。

 こちらに争いを挑んできたのは、二年生を中心に構成された分子構造に干渉する能力者が集まった派閥や、三年生による工業用切断機の開発を行っている派閥………確か、『苑内(えんない)派閥』とか『刺鹿(さつか)派閥』とか言っておりましたっけ?

 まぁ、もう名前は関係ありませんわ。彼女達の派閥は、わたくし率いる『ブラックガード派閥』に取り込まれたのですから。

 とんだ不届き者でしたが、わたくしの能力に恐れおののいたのか、もはや反抗の意思すらないようでしたわ。やはり、こうでなくては。これこそ上に立つ者の景色でしてよ。

 …………しかし、早い段階で派閥を取り込めたのは僥倖だったかもしれませんわね。彼女達の派閥のデータを取り込むことで、わたくしの能力開発もより進展しそうですわ。

 

 ………………。

 

九月二一日 晴れ

 

 今日は腹立たしい一日でした。

 わたくしに刃向う愚か者に、少しばかりお仕置きをしていたら――――あの女、御坂美琴が邪魔をしてきました。

 少しばかり強度(レベル)が高いからと言って、調子に乗っているのでしょうね。

 寮監が来たのであの場は手打ちにしましたが、いずれ超能力者(レベル5)になったなら、あの女の鼻を明かしてやりましょう。

 その日まで、精々かりそめの女王様気分を味わっていると良いですわ。

 

 ……………………。

 

四月六日 曇り

 

 今日からわたくしも二年生。

 前年度中は御坂美琴と食蜂操祈の二人に後れをとりましたが、今年度はそうはいきません。既に分子制御分野においてわたくしの派閥は右に出る者のいない大派閥。

 食蜂操祈の派閥には劣りますが、分子制御に特化したわたくしの派閥の力を使えば、開発の速度もきっと向上するはず。

 その為には、もっと研究のペースを上げて行かなくてはなりませんわ。…………最近、どうもメンバーの態度にたるみが見られていますし、このあたりで少し締め付けを強める必要があるかしら。

 

 …………………………。

 

七月四日 曇り

 

 今日も強度(レベル)は横ばい。

 成績自体は悪くない。派閥の研究も進んでいる。にも拘らず、能力が向上しないのはなぜなのでしょうか? 努力の仕方が悪い? しかしもう、何度も根本的な方針の見直しはしているはず……。教員は『焦らずじっくりやれ』の一点張り。まさか名門と謳われた常盤台中学の教員がここまで日和見主義の無能だったとは思いませんでした。

 最近は、派閥のメンバーもわたくしに対して反抗的な態度が目立ってきました。

 わたくしがいなければ、ここまで強力な勢力の一員にはなれなかったはずなのに、なんて恩知らずな連中…………。

 そろそろもう一度、わたくしの恐怖を味わわせる必要があるのかもしれませんわね。

 

 ………………………………。

 

 ありえない

 

 こんなわたくしは嘘に決まっています

 

 こんな夢、はやくさめて

 

 わたくしは完璧で、誰にも負けない存在のはず……

 

 そうだ、夢なら、死んでしまえばきっと

 

 ……………………………………。

 

***

 

 いやいや。

 

 いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!!!!

 

 なんだこれ。ものすっごい性格悪い子じゃん、レイシアちゃん!!

 なんていうかこう、典型的悪役? お嬢様学校だし、美琴にことあるごとに突っかかってたみたいだし、なんかもう悪役令嬢だよね、悪役令嬢。

 web小説とかでよく見かけるタイプですよこれ。悪逆の限りを尽くして、性格の悪さをフル回転させた挙句、主人公にみじめに敗北してフェードアウトする人。……多分、描写されてないけど小説or漫画でもこんな感じでフェードアウトしてしまったんだろうなぁ。実に脇役っぽい感じだし。

 まさしくVillainess(ネイティブな感じ)だよ。ヴィランの女の子版。

 もう、なんていうかもう……、

 

「………………オーマイガ…………」

 

 って感じだ。

 見事に悪役って感じでねぇ……。向上心とプライドが死ぬほど高すぎて、自分の周りの世界で自分が一番上じゃないと気が済まなかったんだね。

 だから美琴につっかかったりして、鬱憤が溜まって、それを派閥の人に向けてぶつけて…………んで、派閥の人からそっぽ向かれた? あるいは、派閥の人をいたぶってるところを美琴とかに見られて、それで退治されたとか?

 どのみち、多分やられて、レイシアちゃんの自信やプライドや立場ってヤツは完璧にぶち壊されちゃったんだろうね。それで死ぬ道を選んだ、と…………。

 

 …………でも、何でか、この子には同情してしまう。

 身体が覚えている悲しみに引っ張られているから、とかではない。断言できる。そんなものがあるならこの日記を読んで欠片も記憶を思い出せないのはおかしい。

 俺が同情してしまうのは…………この日記の片隅に、一つの染みができているからだ。

 悲しかったんだろう、悔しかったんだろう。この子には、自分の力を振りかざすことでしか、自分の居場所を確認する方法がなかったんだ。

 ………………確かにその在り方は客観的に見れば愚かだったと思うし、醜くも見えたかもしれない。

 でも、それってこの子だけの落ち度なのか? 誰かがこうなる前に、教え導けたんじゃないのか?

 だって、たかが一四歳の少女だぞ? この子の性根が腐ってるって断ずる前に、誰かがこの子に、誰かと繋がれる暖かさってもんを教えるべきだったんじゃないのかよ。

 この子が世界に絶望して自分から命を断とうとする前に、大人がなんとかしてやるべきだったんじゃないのかよ。

 救い上げるタイミングはあったはずだ。

 この子の日記によると、開発の為に教員とはそれなりにやりとりをしていたらしい。ここまでになる前に、この子のことを助けてやれなかったのか?

 ………………大人って、そういうことをしなくちゃいけないんじゃないのか。

 

 …………こんな、俺みたいなどこの誰とも知れないオッサンの魂が滑り込んで、成り代わるなんて最悪のバッドエンドの前に、なんとかできなかったのかよ……。

 

 …………。

 

 …………そんなこと言っても、もうしょうがない、か。たかが開発の担当者にそこまでを求めるのも酷ってものかもしれないしな…………。

 

 気持ちを切り替えよう。

 

 それに、俺に嘆いている暇はない。

 こうなってしまった以上、俺にできることはレイシアちゃんの代わりに、精一杯に人生を生き抜くことだけだ。そして、それを以て彼女の弔いにするんだ。

 その為には、まず知識をつけないといけない。

 だいたい常盤台中学とかただでさえ名門校だったはずなのに、知識が全部吹っ飛びましたとか退学不可避だ。

 ()()()()()()()()()()()()()()、寮監には意味記憶やら手続記憶の混乱とか(パチ)こいておいたわけだし。あとは、自殺未遂で気分がすぐれないとか言って時間を稼ぎつつ、その間に少しでも知識を詰め込まねば。なに、学園都市の開発術とかやってるから物覚えの方はそれなりに良いハズ…………!

 

 そう考え、俺はパラパラと物理学の本を開いた。なんか()()()()()()()()()()()()()()()()()()()本だった。

 

 …………ふむふむ。

 

 ぱらり。

 

 ………………ほぉほぉ。

 

 ぱらりぱらり。

 

 …………………………なるほどなぁ。

 

 ぱたむ。

 

 なんか、全部理解できた。

 いや、いやいやいやいや! 俺、物理学の知識なんか全然ないぞ!? なのになんでレイシアちゃんの意味記憶が思い出せるんだ? 身体が記憶を覚えているから? それじゃあなんでレイシアちゃんの思い出――エピソード記憶の方は思い出せない?

 …………っていうか、俺が元々持っている記憶の方はどうなんだ? エピソード記憶……思い出の方は思い出せるし、さっきから知識……意味記憶の方もちょこちょこ引っ張り出してるよな。これはどこから来てるんだ?

 多分、俺の魂があるから、そこから俺の前世の知識を引っ張り出せてるってことなんだろうけど、そうなると、レイシアちゃんの魂が塗り潰されているのに、レイシアちゃんの意味記憶が引っ張り出せる理由がないよな。

 ……うーむ。禁書(インデックス)には魂の概念とかもあったが、それと記憶については良く分からない感じだったからなぁ…………。御使堕し(エンゼルフォール)とか読み返さないと構造が複雑すぎてちんぷんかんぷんだったし。

 …………御使堕し(エンゼルフォール)、か。

 そういえば、あの事件には、火野神作とかいう二重人格の殺人者が登場してきてたっけ。禁書(インデックス)の世界では、二重人格は二つの魂扱いになるらしかったけど、それ以外に魂の扱いとかよく分かんなかったしなぁ……。うーん、謎だ。

 

 ……………………。

 

 …………待てよ?

 

 ぎちり、と頭の中で歯車がかみ合う感覚がした。

 ひょっとして、もしかしてもしかすると。

 俺の魂が入ってきたことで、元からあるレイシアちゃん魂を塗り潰してしまった――憑依を自覚した当初はそう考えていた。

 でも、禁書(インデックス)の世界観的に考えれば、塗り潰したというより、押し退けて表層に出てきた、という可能性の方が高くないか?

 つまり…………、

 

 レイシアちゃんの魂は、まだ塗り潰されて消滅したとは限らない。そうじゃないか!?

 

 そう考えると、納得がいくことがあるのだ。

 俺の記憶が残っているのに、レイシアちゃんの意味記憶を引き出せる理由。

 レイシアちゃんの魂が普通に残っているのであれば、俺が自分の記憶を保持したままレイシアちゃんの意味記憶を引き出せるのも説明がつくんだ。要するに、レイシアちゃんの魂が持っている記憶を引き出しているだけなんだからな。

 そうなると…………俺が既に出した結論も変わって来る。

 

 レイシアちゃんの魂は、まだ生きている。

 

 俺の魂に塗り潰されたとかじゃなくて、自殺のショックで眠っているのか、その前の『事件』で拗ねて寝たふりしているのか、憑依の時の衝撃で奥の方に押し込まれているのかは分からないが、とにかく…………生きている。

 

 なら、俺がやろう。

 大人たちがレイシアちゃんに教えてやれなかったことを、レイシアちゃんが知ることのできなかった喜びを、俺が教えよう。

 俺だって一応、一人前の大人だ。

 それが、俺が一人の大人としてできる、レイシアちゃんの肉体を間借りさせてもらう精一杯のお礼なんじゃないか。

 

 ………………よし、決定だ。

 

 どのみち、今後、俺が生活していく為にも必要不可欠なことなんだ。

 

 俺は、これから、レイシアちゃんがこじらせにこじらせた人間関係を一つ一つほどいていく。

 そうして、レイシアちゃんに伝えるんだ。

 人生ってのは、そんなに捨てたもんじゃないって。

 末期ガンだった俺でも、こんなに前向きに生きられるくらい――人生には、素晴らしいことがいっぱいあるんだって!!

 

人間関係改善計画(プロジェクト=リスタート)』の発動を、此処に宣言する…………!!






【挿絵表示】

画:みかみさん(@nemu_mohu


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二話:正念場はいつごろ?

 方針を決定した俺は、ひたすら日記を読みこんだ。

 

 レイシアちゃんの日記には他にも、自分の派閥のメンバーのことや自分に刃向かう人間のことが事細かに記述されていたからだ。

 どうやら、彼女はかなり几帳面な性格だったらしい。

 この日記を熟読すれば、彼女の人間関係についてはきっちり把握できそうだ。

 …………思春期の少女の日記をガッツリ読み漁るという行為に罪悪感をおぼえないわけじゃないが、だからといって遠慮して放置していれば、人間関係を覚えていないから俺の立場が確実に悪くなるし、それは巡り巡ってレイシアちゃんにとって悪影響を及ぼすことになる。

 これに見合う成果を提示して、『その時』が来たら、レイシアちゃんに謝れば良いのだ。今は、そう思うことにする。

 

 で、熟読して読破したころには既に夕方になっていた。

 常盤台中学の食事は、普通に食堂で行われている(日記情報)。よって、食事をする為には食堂に行かねばならない…………のだが。

 ……生徒が一堂に会する場所に行くわけだ。

 当然、レイシアちゃんに悪感情を持つ者も大勢いるはず。

 食堂に行ってからが、俺にとっての正念場になりそうだ。

 

 そう考え、俺はドアノブを捻って部屋の外へと出る。と――、

 

「あ」

「おや」

 

 …………あ゛。

 

 …………俺が部屋から出たのとほぼ同時に、二人の少女も部屋から出たらしかった。

 御坂美琴と、白井黒子。

 

 ………………食堂に行ってからが正念場なんて、嘘っぱちだよ。

 

***

 

序章 肝心なのはアフターケア For_starters...

 

二話:正念場はいつごろ? First_Impression.

 

***

 

 いやいやいやいや。

 確かに美琴が隣室だってのは聞いてたよ? でもまさか鉢合わせするとは思わないじゃん。もうちょっと後になってから接触しようとは思ってたけど!

 さて目もバッチリ合っちゃってるしどう挨拶しようか――などと思っていると、美琴の方から先手を打ってきた。

 

「あ、アンタ……もう大丈夫なの?」

「…………、」

 

 大丈夫なの? …………ああ、入水自殺未遂のことか。美琴にも詳細は伝わってるのかな。…………伝わるか?

 普通、こういうのって学校側には伝わるかもしれないが、生徒には伝わらないものじゃないか? とすると、多分俺が入院した、ってことなんだろうけど……。

 

「何ぼさっとしてんのよ。……ああ、もしかしてアンタ聞いてなかったのかしら? 私が川に飛び込んだアンタを引っ張り上げたの」

 

 …………美琴さんが引っ張り上げたんスか…………。

 

「…………その、私は、あのことを謝らないわ。私が間違ったことを言ったとは思ってない。…………でも、アンタが死のうとするほど苦しんでたっていうんなら……私は、そのことに全く気付けなかった。それどころか、アンタに立ち向かうつもりで、最悪なところまで追い詰めてしまった。そのことは……ごめんなさい」

 

 美琴は、勝手にそう言って頭を下げた。

 …………話の筋が分からないぞ? ええと、この美琴の口振りから察するに、やっぱりレイシアちゃんが自殺を決意したのは美琴とのいざこざが原因で、それを助けたのも美琴、ってことか?

 で、美琴はレイシアちゃんに自殺を決意させた一件での自分の行動を悪いと思っていないが、それはそれとしてレイシアちゃんへのフォローが不十分だったことは悪いと思っている、と…………。

 ………………いやいや。そこ、美琴はちっとも悪くないでしょ。

 だって美琴の立場でレイシアちゃんがどこまで追い詰められてたかなんてのは察しようもないんだし。横暴を止めたら自殺しましたなんて展開を想像できるはずがない。まして、美琴だって一四歳の子どもなんだから。

 できた子っていうか、できすぎた子だ。プライドの高いレイシアちゃん的には、そこが苦しかったんだろうなぁ……。そこらへんは俺も分かるよ。俺も器の小さな人間だから。

 でも、ここでプライドを刺激されて、せっかく差し伸べてくれた手を弾いていたら、何も始まらないんだよ。

 

 あと、さっきから黙ってこちらを見ている黒子の視線が痛い。

『お姉様もこんなクズ放っておけばいいのに』って感じの冷たい視線…………いや違うな。『アナタはお姉様にここまでさせておいて、それでも拒絶するつもりですの?』って感じの、こっちを試すような雰囲気を感じる。

 俺は黒子の方に軽く目礼して、

 

「顔を上げてくださいまし、御坂さん」

 

 そう言って、彼女の肩に手を置いた。

 美琴は、言われた通り顔を上げている。その表情は、やっぱり罪悪感に塗れていた。

 …………本来罪悪感をおぼえるのは俺の方なんだけどなぁ。

 それはさておき、俺はこの場で一番良い未来を掴みとる為に口を動かす。

 

「…………アナタがわたくしを助けてくれたことは、なんとなく知っていました。夢うつつの中で、わたくしを引っ張り上げてくれた誰かがいた気がしたから…………」

 

 というのは嘘だが、そういうことにしておけば更生に繋がる理由づけにもなるはずだ。

 …………レイシアちゃんの感情を捏造することになってしまうが、許してほしい。これっきりにするから。

 

「それで、わたくしの愚かさに気付きました。わたくしが、どれほど手前勝手に生きていたのか。それで、どれほどの人を傷つけたのか……、後悔しても、もう遅いかもしれませんが……、」

「そんなことないっ!!」

 

 ――それでも、これから出来る限りの償いをしていく。と続けようとしたら、美琴がフライングで俺の手をがっちりと掴んでいた。

 その瞳は、なんか決意の炎に燃えていた。

 

「遅いなんてことない。アンタが変わろうと決めたんなら、結果も絶対についてくるわ。私だって手伝う。黒子だって、手伝ってくれるわよ!」

「ちょ!? お姉様、わたくしはこんな女の為に一肌脱ぐなど…………」

 

 言いながらも、黒子は別に満更でもないって感じだった。

 しかし、妙に美琴が協力的すぎる気がする。いや、お人好しだってのは知ってるけど。

 あー…………ひょっとして、アレか? 俺があの日記を読んで思ったことを、美琴も考えてたとか? それも、『当事者だったのに気付けなかった』みたいな自責の念もセットにして。

 うわあ、難儀な性格だな、美琴…………。もうちょっと肩の力を抜いて生きてもいいのに。

 

「…………ありがとう、ございます」

 

 ただ、そんな内心は隠して、俺はそう言って(こうべ)を深く垂れた。

 それから顔を上げて、美琴の目を見て言う。

 レイシアちゃんは今表に出て来れないから、代わりに俺が、けじめをつける。

 

「ですが、これはわたくしが撒いた種。どれほど辛い道のりになろうとも、わたくしの手で償いをしたいのですわ」

「…………、」

「ほう」

 

 黒子が、意外そうに声を上げた。

 …………いや、手伝ってくれるのは嬉しいんだけどね。美琴みたいに優しい人たちだけじゃないからね、世の中。そんな中、美琴のようなお人好しを味方につけてこれまでの清算をしようとしても…………後ろにヤクザをつけて謝って回ってるみたいな感じになるじゃん? それで誠意が伝わるわけないじゃん?

 というわりと実利的な話なのだ。

 やんわりと美琴の申し出を断った俺は、改めて頭を下げる。

 

「それと、御坂さん、白井さん。これまでずっと、ご迷惑をおかけして…………本当に、申し訳ありませんでした」

「そんなの、もう気にしてないわ。何か困ったことがあったら、遠慮なく言って。私も、力になるから」

「アナタが反省しているのなら、わたくしはもう何も言いませんわ。その気持ちを大事になさってください」

 

 そう言って、二人は食堂の方へ歩いて行く。

 二人とのファーストコンタクトは、まずまずって感じだ。さて、後は派閥のメンバーだが…………。

 

***

 

 俺が食堂に入ると、一気に空気が変わったのを感じた。

 それまでお嬢様らしく談笑したりしながら優雅に食事をとっていたのが、さあっと静寂に支配されたのだ。……勘弁してくれ、結局食堂に来るまでに結構迷って疲れてるんだから…………。

 …………とはいえ、仕方がないかなと思う気持ちもある。

 詳細は分からないが、自殺を決意するほどプライドが傷ついたのだ。美琴にやられただけでなく、それを色んな生徒に見られた的な事情があるはずだ。

 既に、レイシアちゃんの敗北は常盤台中に知られているはず。

 言うなれば、俺の登場は敗将の出現ってわけだ。みんなどう動くか気になるはずだよな。

 と…………、

 俺は、独りでテーブルに座って食事を開始した。

 情けない話だが、派閥メンバーと接触することができなかったのだ。

 ………………彼女達の顔を知らないから。

 当たり前だよな。名前が分かってても、顔が分からないんじゃ誰が誰だかなんて分かるはずがない。しかもみんなぎょっとしてるから、顔で判別するのも不可能だし……。

 仕方がないので、俺はもくもくと食事をとりながら周囲の様子を視線だけで観察する。

 美琴はなんか見るに見かねて俺に助け舟を出そうとして、黒子に抑えられているが…………他は、特に何をするでもない俺から視線を外している。

 まぁ、あんまりじろじろ見るのはお嬢様的にもNGなんだろうな――と思っていると、不意に俺の方をガン見している集団に気付いた。

 俺の左側、五メートルくらいの位置のテーブルについている少女達の集団だ。

 異常に長い縦ロールの少女とか、デコ出しで眼鏡の少女とか、個性的な少女達が軒を連ねている。耳を澄ませてみると…………、

 

「…………『あの方』はどういうおつもりでいやがるんでしょう?」

「噂によると、あの後体調を崩して入院していらしたとか……」

「わたくし達への報復は?」

「………………分かりません…………」

「で、でも! もう『あの方』には屈しないとみんなで決めたではありませんの!」

「そ、そうですわ……。わたくし達は、もう『あの方』からは逃げません!」

「み、みんなで立ち向かうのですわ…………!」

 

 ………………………………。

 ……なんだか、巨悪に立ち向かう勇敢な一般市民みたいな悲壮な覚悟を決めていらっしゃる。

 この子達にしてみても、レイシアちゃんが自殺しようとしたなんて夢にも思わないよなぁ……。日記を読んだから分かるけど、レイシアちゃんって唯我独尊を地で行く暴君だったし。

 それだけに、一度折れたら本当にどん底まで落ちちゃう性格だったんだろうけど……。

 でも、どうしようか……。あの子達がレイシアちゃんの派閥に所属していた子達だってのは分かったけど、まだ名前と顔が一致していないし、何よりあの団結の仕方はなぁ……。

 ここで俺が『反省しました、ごめんなさい』と言って通じる感じじゃない。なんというか、盛大な肩すかしを喰らった後、どう動くか予測ができない感じだ。

 今日のところは、あんまり刺激しない方がよさげかな。

 

 などと思っていると、夕食は食べ終わった。

 帰ったら、メールだのを全部漁って、顔と名前を一致させる作業を始めなくては……。派閥の論文とか探せば、なんか分かったりしないかな。

 そんなことを考えながら立ち上がった俺は、未だに俺の方を見ている少女達の方を一瞥して、一礼する。

 まだ本格的には動けないけど、こっちの気持ちを伝える努力くらいはしないとな。

 

「………………い、今のは?」

「わたくし達に頭を下げたんですの?」

「……どういう意図で?」

「謝罪?」

「えー…………それは、ないでしょう…………」

「じゃあ、新手の宣戦布告かしら?」

「ひぃぃぃぃ…………………………」

 

 …………まぁ、気持ちがしっかり伝わるまでは、まだまだ時間がかかるみたいだが。




Q.『Villainess』の読み方って、『ヴィラネス』が一般的じゃないの?
A.ネイティヴ発音です。


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三話:はじめてのおつかい

 翌日、七月六日。

 

 お昼前に起きた俺は、ベッドから這い出て身嗜みを整えに洗面所に向かった。

 俺の身体は――――やはり、レイシアちゃんのもののままだ。昨日のことは、夢ではなかったらしい。まぁ、そこは別に良い。

 髪を整えたり化粧をしたりしながら、俺は考える。

 レイシアちゃんの周辺人物について、特に派閥のメンバーについては…………レイシアに悪感情を抱いているのは間違いないが、それは『自分よりも強大な存在に立ち向かう』という、およそ悪意とは縁遠い感情によるものだ。

 根本的に、心根が純粋なのだろう。

 だが、この先俺が彼女達に謝罪をしたら、どう転んだりするか分からない。相手が自分より強い存在ではないのだ、と気付いた彼女達が、俺に対してこれまでの恨みを晴らそうと動く――なんてことも、十分考えられる。

 …………俺――いや、レイシアちゃんの身体が傷つけられるのも問題だが、それはそれとして、そういう展開になるのは困る。

 現時点での彼女達を見れば分かるように、彼女達は悪い子じゃない。でも、人間っていうのは魔が差してしまうものだ。心根が腐っているわけでなくても、状況と流れで悪意に突き動かされてしまうことだってある。

 そういうときに悪意に負けてしまうのは、弱い人間じゃない。逆に、そういうのに打ち勝てるのが強い人間なだけなんだから。

 だったら、そんな悪意で自分を貶めるような選択をするかもしれない状況は、()()()()()()()()ように配慮しなくちゃいけないと思う。

 

 まぁ、要するに、彼女達との接触はもう少し盤面を整えてからにした方が良いな、ということなんだけど…………。

 具体的にどう盤面を整えるかについては、もう決まっている。

 イメチェンだ。

 これまでの、傲岸不遜、傍若無人、残酷非道、悪役令嬢なレイシア=ブラックガードではなく、――もちろん、レイシアちゃんが後々復活することも考えてやりすぎないようにするが――もっと家庭的で、親近感の湧きやすいレイシア=ブラックガードになってやるのだ。

 そうすれば、派閥の子達も『あれ? なんかレイシア変わった?』みたいな心の準備ができるはずだ。

 彼女達との関係修復は、それからでも遅くはないと思う。

 

 そして、その為に何をするかだが――――俺は、寮の外に出かけようと思っている。

 色々と、買い足さないといけないものがあるのだ。

 

 …………と、そこまで思考を働かせながら気付く。

 そういえば俺、普通にやってたけど、何でレイシアちゃんのやっていたような身嗜みが普通にできてんの?

 ……………………手続記憶?

 

***

 

 

序章 肝心なのはアフターケア For_starters...

 

三話:はじめてのおつかい Encounter.

        

 

***

 

 記憶野のお話については、レイシアちゃんの知識と俺の知識、両方から同じ情報がある。

 

 記憶には、思い出を司るエピソード記憶、知識や常識を司る意味記憶、運動の慣れを司る手続記憶などがあり、それぞれ脳の別の場所に保存されている。これは、禁書(インデックス)の旧約一巻に登場した情報だ。これが攻略の決め手になっていたので、俺も未だによく覚えている。

 

 エピソード記憶はその名の通り、思い出(エピソード)を記憶している。といってもこれはなかなか多岐に渡り、知人の名前と顔も思い出扱いだし、どこに何を置いたかもエピソード記憶の範疇になる。これが吹っ飛ぶと探し物も見つからないし、覚えていた道順もきれいさっぱり忘れる。

 

 意味記憶は、その人の持つ知識がまるまる分類される。ただ、知識といってもその人の経験が含まれたりするものはエピソード記憶になるらしい。つまり、『林檎は赤くて丸い』は知識だが『林檎は甘くておいしい』は経験なのでエピソード記憶になる。『甘くておいしいらしいと言われている』になると知識扱いらしいので、当人の中で客観性があれば意味記憶扱いなんだろう。

 

 最後に手続記憶だが、これはいわゆる習慣・運動の慣れを司る。自転車の乗り方みたいな体の動かし方。携帯の操作みたいな手順めいたもの。歩き方みたいな殆ど生得的なもの。果ては新約一四巻に出た上里君の『何かマジになるときに首をコキリと鳴らす』みたいなクセのようなものに至るまで、分類としては手続記憶になるだろう。およそ身体を動かす類の知識はこれに当てはまるわけだ。

 

 俺の場合は、このうちレイシアちゃんのエピソード記憶を思い出すことはできないが、彼女の意味記憶や手続記憶については簡単に呼び起こせる。

 彼女の生活にどんなものや習慣があったかは分かるが、それが一体どういったものだったかというのはそこから推測するしかない、って感じだ。

 ただ、その代わり本来俺が知らないはずの物理学の知識を引っ張り出すこともできるし、化粧くらいやりなれた動作なら考え事をしながらでも済ませられる。そういうところでボロが出る心配はないってことだ。これはとてもありがたい。

 

 一方俺の記憶は、意味記憶や手続記憶だけでなくエピソード記憶まで全部引っ張り出せる。禁書(インデックス)の知識なんかはバッチリ意味記憶だし、前世の死ぬまでの記憶なんかはエピソード記憶だ。手続記憶は不明だが…………まぁ、それはこれから分かるだろう。

 

 というのも、料理を始めようと思ったのだ。

 改心しましたと皆に伝えたとしても、口だけでは信じてもらえないだろう。美琴や黒子が信じてくれたのは、二人が底抜けに優しかったからだ。

 だから、まずは自分が変わったことを行動で示す。何でもいいから、とりあえず親しみやすいイメージを持ってもらう。

 その為の第一歩が、料理だ。俺は前世で料理とかけっこうやっていたから、手続記憶が引き継げるなら大半の『料理で使う動作』への慣れはそこそこあるはず。少なくとも、包丁を持ったら全自動で手が震えるってことはあるまい。

 日記を読んで知ったが、レイシアちゃんは金遣いがわりと荒い。

 食事に関しても必要以上に金をかけまくったりしていたし、むしろムダ金を使うのが力ある者のたしなみと考えていた節もある。それが顰蹙を買っているようでもあった。そういうところを一つ一つ変えていくのが大事だと思うのだ。

 

 …………あ、そうそう。あと、服も変えた。

 今朝の俺の服装は、常盤台の制服にプラスして、右が白、左が黒のドレスグローブだった。なんか手続記憶のせいかぼけっとしている間に勝手に身に着けていたのだ。

 だが、これ…………正直とても恥ずかしい。学園都市的にはそれがノーマルなのか知らないが、他の人達は何も言わない。疑問にすら思っていない。でも、俺的には……こう、中二くさい気がしちゃうんだよ。おじさんにはちょっと無理だよ。

 なので、こういう気合の入った格好じゃない、ユニクロとかしまむらとかで買える気の抜けた服装を買った。金髪碧眼のレイシアちゃんの身体には似合わないかもしれないけども、流石に部屋着がネグリジェっていうのは要求する経験値が厳しすぎるよ……。

 校則で服装は制服限定ってことだが、せめて部屋着くらいは普通にしたって良いと思うのだ。

 

「…………………………」

 

 周囲の視線が、俺に突き刺さるような錯覚がある。

 一応、俺が常盤台の生徒だってことは……バレてないよな? うん。服装違うし。

 

 というわけで、俺は可及的速やかに文房具屋でノートを何冊か買いつつ、装いも新たに第七学区のスーパーに向かっていた。

 学舎の園の中の店を利用しないのは――――あの中、普通に物価がクッソ高いのだ。

 お嬢様学校の集合体な上に生徒達の平均レベルも高いから奨学金も多い。必然的に生徒達は金回りが良いので、お店も平気で値段を高く設定する。その分良い物も多いんだろうが……ちょろっとスーパーを眺めて、あっこれアカンと思って早々に第七学区に方向性を絞ることにしたのだった。

 

 それで、スーパーの中で常盤台の制服だと目立つこと限りなしなので、今の俺の格好は黒地に白のラインが入ったジャージにジーパンという実に雑ないでたちだ。伊達眼鏡をかけている上に髪はポニーテールで纏めているので、おそらく俺がレイシア=ブラックガードであることなど誰にも分からないはず。

 

 ……だが、ここで一つ誤算があった。

 確かに、レイシアちゃんの手続記憶や意味記憶を引き継いでいる俺は、レイシアちゃんがいつもやっている習慣については意識しなくともこなすことができる……。日記帳のお蔭もあって、常盤台の中で迷うってことは早々ないだろう(昨日早速食堂行くまでに迷ってたけど)。

 しかし当然ながら、レイシアちゃんの知らない情報については何もできないのだ。

 そう………………彼女は、殆どの時間を学舎の園で過ごしていた……その為、外界の地理知識が著しく欠けていたのだ。

 

 つまり。

 

「……………………」

 

 ここ、どこ?

 

 って話になる訳だ。

 いや、一応この近くにスーパーがあることは分かってるのよ? 俺も立派な大人だからね、そのくらいは見知らぬ街でも行けるよ。でも…………このへんで、スーパーの目印となるものがなくなってしまったのだ。

 服とか買って、大分遅くなってしまったし……もうそろそろ夕方だ。急いで買い物をして帰らないと門限破りになってしまう。

 ………………ううむ、素直に誰かに聞こう。恥ずかしいけど。

 

「あのう、すみません」

 

 そう言って、俺はたまたま近くにいた高校生くらいの少年の背中に声をかける。ツンツンの黒い頭をした少年だ。

 

「は? あー、何でせうか?」

「ええと……実は道に迷ってしまって、スーパーはどこにあるのか、と…………」

 

 そこまで言いかけて、俺は思わず言葉を止めてしまった。

 こちらの方を振り向いた少年の風貌に、何故だかとてつもなく見覚えがあったからだ。

 ツンツンの黒髪に、覇気の感じられない垂れ気味の目。

 白いワイシャツの下にはオレンジ色のTシャツを着こみ、制服のズボンにバッシュといういかにも『普通』な高校生。ちなみに名前も知ってる。

 

 上条当麻。

 

 これが、彼の名前だ。

 

「あー、スーパーか。それならちょうど良かった。俺もこれからスーパーに行こうと思ってたんだよ。……でも大丈夫か? 夕方の特売なんて正直言ってかなりハードだぞ?」

「あ、はい。大丈夫です。そのくらいなら…………」

 

 俺は、何とか頷くことに成功した。

 内心ではそのくらい動揺していたのだ。

 上条当麻――――俺にとっては言わずと知れた、『どこにでもいる平凡な高校生』にして最高のヒーロー。

 今日は七月六日だから…………まだ記憶喪失じゃないのかな? しかし、思わぬところで出会ったもんだなぁ…………。

 

「そういえば、何買うつもりなんだ?」

「ええっと……色々……。野菜とか、お肉とか、あと卵も欲しいですね」

 

 レイシアちゃんの部屋には、生活必需品は大体揃っていた。小型の冷蔵庫も置いてあったし、電気コンロも備わっている。美琴の部屋にはあったっけ? と思ったが、レイシアちゃんだし多分後付けで設置したのだろう。料理をするタイプには見えなかったけど、几帳面な性格っぽかったし自分のことはなるべく自分でやりたい性格なのかもな。

 

「卵か……卵の特売は難易度高いぞ。いけるか?」

「いけるところまでやってみせましょう。なぁに、心配要りません」

 

 俺は胸を張って答えて見せる。まぁ無根拠なんだけどな。

 ……しかし、上条相手だと話すの楽だなぁ。これがコミュ力ってヤツなのか? 流石にのちのち世界を救うヤツは違うな。

 あと、お嬢様言葉じゃないと話すのがすごい楽だ。お嬢様言葉だと恥ずかしいとかボロ出さないかとかで自然と口数が減ってしまうが、こっちだと自分の考えてることをすらすら話せる。

 

 で、歩くこと数分。

 

「…………これでも同じことが言えるか?」

 

 そんなことを言う上条の目の前にはまるで獣のように卵売り場に群がる生徒達の集団がいた。おおう……これちょっと予想以上だぞ……。っていうか卵残るのか? そもそもあんなに群がって卵割れないのか?

 

「しかも連中、能力使ってくることもあるからな。低レベル帯の連中だけど気を付けろよ」

「あ、はい。分かりました……」

 

 正直困惑しかないが、まぁこれも経験だ。多分、能力食らうのは上条が不幸だからだと思うが…………。

 俺も男だ(外見は女だけど)。

 卵特売争奪戦(おひとり様二つまで)、やってやんよ………………!!!!

 

***

 

「………………し、死ぬ、これは死んでしまう…………!!」

 

「……あの、頑張ってください。あともうちょっとですから」

 

 俺と上条は、スーパーから帰還していた。

 卵については俺は無事二つ獲得したが、上条は案の定ボコボコにされて敗退した。

 仕方がなく俺が一つ譲ってやり、その後スーパーを巡って色々と買い溜めしていたのである。上条はしきりに俺に詫びていたが。

 

「…………いやほんと、偉そうなこと言っておいて情けない……」

「いや、あれは仕方ないですよ……」

 

 念動使い(テレキネシスト)の波動で吹っ飛ばされたと思いきや、摩擦軽減(スキッドパッド)で摩擦係数を軽減されまくった床を延々滑るというコンボを決めた時は、さしもの俺も思わず吹き出してしまったほどだ。

 なんて思いながら上条のことをフォローしていたが、上条は逆にやりづらそうにしながら言う。

 

「あー……別に敬語使わなくても良いぞ?」

「いやでも…………私、中学生ですし」

「え!? 本当に中学生なのか?」

 

 暗にタメ口を求められたので、年下であることを伝えたのだが……上条的には信じられなかったらしい。

 まぁ、レイシアちゃんの身体、わりと発育良いからな。

 外国の血が流れているせいか、身長は今の時点で一六〇近くあるし、胸もそれなりに大きい。あと顔つきがキツイから自然と大人びて見えるのだ。

 …………ちなみに、お嬢様言葉ではなく普通の敬語を使っているのは、なんとなくだ。最初に素の敬語で話しかけてしまったから、なんとなくそのままって感じなのである。

 それに、せっかく普通の格好してるのにお嬢様言葉使ったら、何の意味もないというかね…………。

 

「はい。だから、先輩相手には敬語じゃないと……」

「う、せ、先輩か…………」

 

 というような事情は伏せて言うと、上条は若干嬉しそうに呻いた。どうやら先輩扱いが地味に心の琴線に引っかかったらしい。

 

「…………そういえば、中学生といえば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()しな……。こういう風に先輩として敬ってもらえるのって、新鮮だ……」

「あはは…………」

 

 しみじみと言う上条に、俺は苦笑するしかなかった。

 …………まぁ、美琴はそういうキャラしてないしね…………。

 そういえば食蜂も記憶によれば上条に対して生意気盛りな態度をとっていたような。インデックスも大概だしな。御坂妹は慇懃無礼だし。そのうち出て来るバードウェイやオティヌスなんかはもはや生意気の領域を超えてるからな。

 そう考えると、上条に対して敬いの態度を見せてくれるのって、五和と神裂くらいしかいないんじゃないか? やはり天草式は良心…………。

 

「では、そろそろ門限がありますので私はこれで。……お礼をしたいので、お名前と所属校を伺っても良いでしょうか?」

「え! 流石にそれは悪いぞ! 俺、結局案内した後は卵もらっただけだし」

「ですが、その案内がとても助かったんです。私、このあたりの土地勘はなかったので…………」

「いやいや! 先輩として、後輩を助けるのは当然のことだからな、うん!」

 

 先程のやりとりを引き合いに出されてしまっては俺としても面子を立てるしかない。

 

「……まあ、名前くらいは教えておくか。俺は上条当麻。お前は?」

「レイシア。レイシア=ブラックガードと言います」

 

 自己紹介をし合うと、上条は感心したような表情で、

 

「仰々しい名前だ…………」

「それ、私じゃなかったらキレてるところですよ?」

 

 素直なのはいいことだと思うけどな。






【挿絵表示】
イラスト:おてんさん


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おまけ:猥褻描写は一切ございません

*注意*
これは単なるおまけであり、猥褻描写は一切ございません。
ただ、TS憑依を銘打っている以上、これをやらなきゃ嘘になると思ったのです。


 俺は――――おそらく、最大の危機に陥っていた。

 昨日は、色々あったし、殆ど動いていなかったから汗もかかなかったので適当に眠って済ませた。

 だが、今日はそうはいかない。

 日中、暑い中ぶらぶら歩いて買い物しまくったし、夕方には上条と一緒に特売戦争に出向いたし、何より『二日連続』はあり得ない、と現代人としての感性が訴えている。

 つまり――――俺のやらなければならないことというのは。

 

「……………………!!!!」

 

 ――――『お風呂』。

 

 そして、俺が向き合わねばならないのは…………この身体。レイシアちゃんの、中学二年生とは思えないくらい発達した『女の子の身体』である。

 

***

 

序章 肝心なのはアフターケア For_starters...

 

おまけ:猥褻描写は一切ございません

 

 

***

 

 風呂に入る。

 そう意気込んで、俺は脱衣所も兼ねている洗面所に向かった。

 しかし、そこで、勝負は風呂場に入る前から始まっていることに気付いた。

 俺の正面には、巨大な鏡。

 そして左手には、脱衣籠。レイシアちゃんの『知識』は言っている。この脱衣籠に服を入れ、あとで係の人に出せば服は勝手に洗濯してもらえると。

 だが………………そのためには、俺は脱がなくてはならないのだ。今日一日、着替えているときは他に色々と考え得ることが多かったから『手続記憶』でささっとやってしまえていたこの服を。

 

 …………じゃあ考え事でも何でもして『手続記憶』の手癖でやっちゃえばいいんじゃね? と思う人もいるかもしれないが、逆に想像してみて欲しい。

 今まで手癖で何となくやってきたことを、『じゃあそれ改めてやってよ、あ、意識とかはしないでいいから!』って言われたら、どうするか。

 手癖でやろうと思っても、なんか意識するだろ。むしろ意識しないでやることなんか無理だろ。

 それが、今の俺の状態だ。

 だが、脱がねばなるまい。

 流石に真夏の炎天下を一日中歩き回った後にお風呂に入らないのは、女の子的に致命的だ。匂いフェチの人なら喜ぶかもしれないが、生憎俺はそこまで業の深い趣味は持ち合わせていないし、仮に持ち合わせていたとしてもレイシアちゃんを巻き込むのは人間の屑の所業だ。

 するり……と。

 身に着けていたサマーセーター(服装は常盤台の制服だ。私服を着てたのが寮監にバレるとまずいので戻って来る前に着替えた)を脱ぐ。

 衣擦れの音だけで、自分が何かとてもマズイことをしているのでは? という気持ちにさせられ、なんだかすごいドキドキする――が、次の瞬間別方向からドキドキは加速させられた。

 …………ワイシャツを持ち上げる、確かな膨らみ。

 しかも、サマーセーターのせいで気付かなかったが、汗でじんわりと滲んでいて、その下の黒いブラまで若干透けていた。…………黒て! よりにもよって黒て!

 今朝はまるで意識していないうちに全て片付いてしまったからアレだったが、あまりにも…………大人っぽすぎる。

 鏡の中のレイシアちゃんは、顔を真っ赤にしながらもこちらの胸元あたりを凝視していた。ああ…………なんと、なんと浅ましい姿か。でも仕方ないじゃん。中の人は普通の男なんだし。思わず見ちゃうよ、そりゃ。

 

「…………!」

 

 だが、ここで立ち止まっていては仕方がない。レイシアちゃんの自我が目覚めるまで、この身体のケアは俺がやらねばならないのだ。留守を預かる身として、適当なことはできない。

 そう、これはレイシアちゃんの為でもあるんだ…………!!

 そう考え、俺はワイシャツのボタンに手をかけていく…………!!!!

 

 やがて、ワイシャツの隙間から、満を持してまろび出た、

 黒くて、大人っぽいデザインの、

 

***

 

 少々お待ちください。

 

 ……外科医は人間にメスを入れても、他者を傷つけているとは考えないものですよね。

 あくまで全く関係ない余談ですけど。

 

***

 

「はぁー…………! はぁー…………!!」

 

 俺は憔悴していた。

 現在の俺の格好は、黒いブラジャーに黒いパンティ……さっさと脱がないと風邪を引きそうだが、ここから先に行くのにはかなりの『力』が必要だった。

 下着姿だけでも、この破壊力…………鏡の中のレイシアちゃんは既に目が血走って、息を荒くしていた。非常に見苦しい姿をさらしてしまい申し訳ない限りだ。

 

「くっ…………」

 

 苦しみながらも、俺は両腕を背中の後ろに回す。レイシアちゃんの『手続記憶』があるので、緊張していてもブラの外し方はよく覚えている。カチリ、と小さな音がして、胸を締め付ける感覚が一気に緩和された。

 …………ひょっとしてレイシアちゃん、ブラきつくなってんじゃない?

 

 俺はするりとそれを脱ぎ捨て、籠の中に入れる。

 それはつまり、自分の胸を直視する自殺行為だが――――俺は学んだ。

 

 ――――目を瞑れば、裸を見る心配はない、とッ!!!!!!

 

 しかも、目を瞑っていても『手続記憶』のお蔭で服の脱ぎ方くらいはマスターできている。目さえ開けなければ、あとは体に染みついた記憶というヤツでどうとでもできるのである。すごいね、人体。

 

 そうと決まれば、俺はパンツもするっと脱いで籠の中に投擲。これも成功。目を瞑ったまま手探りで風呂場に続く扉を開け、中に入って行く。

 後ろ手に扉を閉めると、手探りでシャワーを探り当て、それから蛇口をひねって水を出す――――、

 

(つべ)った!?!?」

 

 うん、出てきたのは水だった。

 思わず目を開けそうになったがこらえ、シャワーの向きを捻って身体から逸らす。危ないところだった……。思わず心臓が飛び出るかと思ったわ。この季節は冷水ありがたいけどね。

 しばらく待ち、お湯になってから身体に浴びる。

 あ゛ぁ~~~~、あったけ~~~。

 と思わず口に出しそうになったが、流石にレイシアちゃんのボディでそこまでやるのは気が引けたので堪えた。

 身体の汚れを軽く洗い流した俺は、そのまま備え付けの湯船に足をつけようとして……ガッ、と湯船の蓋にそれを阻まれた。

 ………………そりゃそうだ。沸かしてるんだから蓋してるよね。

 ごそごそと、目を瞑りながら風呂場の蓋を外している様はまさに変質者であったが、他に見ている人はいないので問題ない。

 

 ………そういえば、『滞空回線(アンダーライン)』とかいうのがあるらしいけど……まぁ、上条さんとかレベルならともかく俺みたいな一般学生のことを見ているはずもなし。特に心配する必要はないと言えるのではなかろうか。今日上条さんと会ったけど。

 ……………………だ、大丈夫だよな?

 まぁ、別にこの場面を見られても俺が果てしなく恥ずかしいだけで、特に危険視されるようなことはない…………と思うけども。

 

 そんな危機感はさておいて、俺は湯船の蓋を外し、脇にどかしてから足をつける。暖かさが沁み渡る。やっぱり夏だからって水風呂というのは邪道だ。夏こそ、暑いお湯! これだね!

 順調に全身をお湯の中に鎮める……前に、背中まである髪の毛を前もって手首に巻いていた髪ゴムでまとめ、風呂に浸かる。慣れた動作だったので、これも見なくてもできる。

 あ゛あ゛ぁ~~~~、生き返るわぁぁ~~~~。

 いやあ…………ここまであまりにも順調すぎて、見どころなさすぎるなぁ~。滞空回線(アンダーライン)でご視聴中のアレイスターさんには退屈な美少女の入浴シーンしかご提供できず申し訳ない限りだわ。

 湯船の中でちゃぱちゃぱしながら、俺は至福の時を楽しむ。そういえば、なんだかかぐわしい香り的なものが鼻腔をくすぐる。

 多分、入浴剤か何かなんだろう。俺は準備とか一切してないんだけど、やっぱ常盤台だし自動で出て来てるのかな? あるいは俺が留守の間に準備してくれる人がいるんだろうか? どっちもありそうだから困る。凄いぞお嬢様学校。

 いやいや、これは本当にすごい。

 前世で入浴剤なんか、『花×』の『×ブ』を、人生で片手の指の数ほど使ったくらいだしな~。しかもこれ、明らかにそれとは値段の桁が違う。違いすぎる。三つくらい違ってそうだ。

 まさに至福…………俺もうここで暮らしても良いわ…………。

 

 目を閉じながら極楽気分に浸って表情が緩むこと数分。

 

 …………そろそろ熱くなってきたな。

 長風呂しすぎて湯あたりしてもよくないし、さっさと身体洗って出るか……。

 先程までと真逆のことを考えた俺は、そう考えて湯船から上がる。

 

 と、こ、ろ、で。

 

 話は変わるが、料理を作った結果分かったのは、『手続記憶』に関しては俺のものも引き継がれる、という点だ。

 前世の一人暮らしで鍛えた料理スキルは、問題なく引き継げていた。しかも、意図しない形で使える。つまり、俺の『手続記憶』とレイシアちゃんの『手続記憶』は一緒に脳の中に保管されていて、どっちかが追い出されている、というわけではないということだ。

 

 …………では、此処で一つ疑問が生まれる。

 同じ事柄に対して、俺とレイシアちゃんの二人、それぞれが別の『運動の慣れ』を持っていたら、どうなる?

 

 たとえば、風呂に入るとき。

 俺はリラックスして、ふぅぅ~~と溜息を吐きながら目を瞑るのが入浴の時の習慣だった。これはもちろん、身体に沁みついた『運動の慣れ』――『手続記憶』として保管されている。

 レイシアちゃんの場合、そういったことをする習慣はない。『特別な習慣を持たない』という習慣がある、と言い換えられるかもしれない。

 これまでは、『女性用服の着替え』という、そもそも俺が経験したことのない運動の『手続記憶』だったが、俺が経験を持つ運動の『手続記憶』と競合した場合、いったいどういう結果になる?

 

「……………………あ」

 

 答え。

 ついうっかり俺の『手続記憶』で動いちゃうこともある。

 

 つまり……俺は、『風呂桶に浸かるときは目を瞑って溜息を吐く』習慣がある。溜息を吐くとかはおっさんくさいので、意図して我慢した。

 だが、その後はリラックスして、自分の行動を意識し忘れた。結果、俺の習慣に基づく行動が出てしまう。

 …………そう。『目を瞑った』状態から普通に動く為に、習慣的に目を開けてしまう、という行動が。

 

 初めて()()()()見た風呂場は、小奇麗な感じだった。

 暖色系のタイルで覆われた浴室内は掃除が行き届いているのか、カビ汚れは一つもみられない。気付かなかったが風呂場は真っ白いお湯で、中には少々バラっぽい花びらも浮かんでいる。

 そして――シャワーの近くには、よせばいいのに曇り防止のコーティングがなされた鏡が設置されていた。

 

 俺は、その中にいた、全裸の少女と目が合う。

 ぽかん、という表情がぴったりな、アホっぽい表情を浮かべていた。

 髪ゴムで長い髪をまとめた彼女は、湯船のふちに手をかけて湯から上がろうとしている真っ最中という感じだった。

 その為下半身はお湯に浸かっていて見えないが、上半身に関しては――特にその大きな胸が――丸見えだった。

 かあっと、少女の頬が一気に紅潮するのが分かる。

 それから、俺のことを見つめていた視線は、自分の胸元に降りて行き――――。

 

***

 

 ――――映像が乱れています。少々お待ちください。

 

***

 

 ……いやぁ、入浴は強敵でしたね。

 

 うっかり鏡越しに自分をガン見してしまった俺は、恥ずかしさとか申し訳なさとかで死にそうになりながらもどうにかこうにか持ち直し、何とか身体を洗い尽くすことに成功した。

 それはもう、洗っている最中も(敏感な部分とか)色々と壮絶だったが……『手続き記憶』のお蔭で洗い方が分からないとかいうこともなく、無事(?)に洗い終えた。

 結果として…………なんか、慣れた気がする。

 もう一生分ビビったし、恥ずかしかったし、申し訳なかったし、なんかもう、大丈夫だ。俺は、誰にも負けない強さを得た。

 

 今日買った、普通のパジャマを身に纏い、()()()()()()()()()()()俺は思う。

 

 …………でも、何か大事なものを失った気がする、と。




ここまででお察しの方もいるかと思いますが、中の人の頭はちょっとゆるめです(馬鹿です)。


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  第一章 予定調和なんて知らない Theory_is_broken.
四話:身体検査の日


 あの日、俺と上条は普通に別れて帰宅した。

 何だかんだで所属校は教えてもらえなかったし、特に連絡先を交換することもなかった。しっかりお礼もしたかったし、何気に上条の通う『とある高校』の正式名称は気になるところだったんだが……まぁ良いか。

 上条は貧困生活を送っているっぽいし、何か食糧でも送れば少しは生活も楽になるかなと思っていたが、まぁ、普通に断られてしまったので、それならいいかとなったわけだ。

 連絡先については、どうせ縁があればまた会うことになるだろうしと思って聞かなかった。結局行きずりで行動を共にした程度の関係だし。

 

「………………うん、良い感じ」

 

 そんな邂逅から二週間ほど後。

 ()()()()()

 ()()()()()()()というこのめでたい日、俺は朝ごはんを作る為に料理に勤しんでいた。

 じゅうう、という音と共にお肉の焼ける匂いが漂い、そしてコンロの四隅に設置されている四つの携帯型空気洗浄器(マイクロエアクリーナー)に吸い込まれていく。

 この部屋、元々電気コンロが設置されていたわけではない(っぽい)ので、換気扇もついてはいないのだ。一応洗面所には水気が溜まらないように換気扇がついているが、そもそも換気をする理由のないこっちの部屋に換気扇があるはずもなく。

 そこで登場するのが、この携帯型空気洗浄器(マイクロエアクリーナー)だ。

 本来はタバコの煙を吸引する為に使われていたものなのだが、別に煙は煙でも肉の煙でも吸引できるんじゃね? ということで油汚れなどの対策を取った上で新発売したのがこれなのである。

 持ってはいるのは(商品についての知識がわりと詳しくあるので)分かっていたけど、どこに置いておいたのかが分からず、探すだけで休日が半分潰れたのは内緒だ。

 

 それで、イメチェンを始めてから少し経つが……、他の生徒の俺への評価はあまり変わっていない。

 開発に行くのに手作りの弁当やクッキーを持って行ったり、すれ違う時に遠慮がちに目礼してみたりしているのだが、弁当については研究者からは普通にスルーされるし、渡したクッキーにしてもいまいち反応が薄いし、目礼された生徒に至ってはぎょっとして逃げ出してしまう。

 夏休み前ってことで半日授業が多かったし、普通の生徒は相変わらず俺のことを避けてるからな。美琴については事あるごとに俺の手助けをしようとするが、先日『自分でけじめをつける』と言ったこともあり、黒子によく制止されている。

 ただ、外部に出かけることが多くなったり、買い物袋を持った所帯じみた姿についての目撃情報は確認されているらしい。寮監に釘を刺されたから間違いない。『イメチェンです』と答えたら、何となく納得してくれたようだが。

 しかし、もうじき夏休みか……。夏休みに入ったら余計に生徒達との交流の機会は減ることになる。…………いや、派閥の予定表によると、夏休みのうちに研究テーマに一区切りつけるという話だったはずだ。

 彼女達はまだバラバラにならずひとまとまりになっているようだし、この夏休みのうちにこちらから働きかけてみるのも良いかもしれない。

 

 ………………問題は、こちらが向こうの心の準備が整うのを待っているうちに、向こう側が『こっちに詫びの一つも寄越さずなに普通にのんびりしてんだ?』と思ったりしないか、ってところだが………………。

 まぁ、今までの彼女達の様子を見るに、そこまで警戒するのは邪推がすぎる、か。

 

***

 

第一章 予定調和なんて知らない Theory_is_broken.

 

四話:身体検査の日 System_scan.

 

***

 

 さて、記念すべき夏休み初日の俺のスケジュールだが――――朝から身体検査(システムスキャン)でびっしりスケジュールが埋まっていた。

 

 他の人はそうではないらしいのだが、俺は美琴に公開処刑された上に自殺騒動だ。自分だけの現実(パーソナルリアリティ)が粉々になっていてもおかしくない大事件の連続なわけで、念の為測定することになったんだとか。

 そういうのって最初にやるものじゃないの? と思ったんだが…………開発官(デベロッパー)の人の様子を見る限りだと、どうもビビりたおしていたらしい。

 いや、下手に計測して能力の出力がガタ落ちしてたらどうしよう、って感じでな。まぁレイシアちゃん、かなり優秀だったしねぇ。俺も日記やら書類やらを見てレイシアちゃんの能力についてはだいたい把握しているので、開発担当の方々の気持ちは分かる。そんな有望株が勝手にへし折れちゃったら、彼らの未来はお先真っ暗である。

 んで、彼らはこの二週間、おそるおそる俺に対してメンタル面のケアをしまくっていたというわけだ。その結果、俺のメンタルにそんなにブレが見られなかったので計測に踏み切る勇気が出たらしい。

 

 実際、能力の出力が落ちているかもしれないってのは……俺にとっても懸案事項ではある。何せ、俺は中身が違うからな。何巻かは忘れたが、禁書(インデックス)のあとがきで超能力の元みたいなものの存在が示唆されていたような気がする。

 妹達(シスターズ)の一件では、魂が能力の強度(レベル)に関わるというのもアレイスターが言っていた気がするし……。

 その理屈で言うと、レイシアちゃんでない魂の俺が能力を使ったら、能力が弱くなっている可能性も十分あるのだ。

 まぁ、駄目だったらその時はその時だと思っているが…………。

 

「…………では、久しぶりになるが、能力の計測を行うわよ」

 

 俺の開発官(デベロッパー)の女性が、そんな風に話を切り出す。

 彼女の名前は瀬見(せみ)海良(かいら)さん。堅苦しい言葉遣いなのに語尾だけは女性的という不思議な口調の女性だ。二〇歳そこそこの若手研究者だが、かなりのエリートらしい。この歳で俺の開発班の主任をやっているのだし。

 この二週間接してみての感想を言うと、落ち着いているように見えて、実は肝が小さい。日記によると、レイシアちゃんに『気長にやって行こうぜ』みたいなアドバイスを出して『日和見主義の無能』の烙印を捺されたのもこの人だ。

 実際に会ってみて、まぁこの人にレイシアちゃんの内心の焦りを見抜けっていうのも無理な話か……と納得した。口調の落ち着きぶりのわりに、この人自身にはわりと余裕がないのだ。能力は高そうだけど、まだ経験が伴ってないんだろうな。

 

 ちなみに、俺の眼前には、横一〇メートル、縦二〇メートル、深さよく見えないくらいの大規模な大穴が空いている。記憶としては、何の為の物なのか分かっているが……しかし実際に見ると威圧感あるよなぁ。

 

「…………ええ。……よろしくお願いします」

 

 そんな風にのほほんと考えながら頭を下げると、瀬見さんはなんか居心地が悪そうな表情をしている。多分、前とのギャップにまだ慣れてないんだろうな。

 一応、最初に会った時に心境の変化と言ってこれまでの非礼は詫びたんだけれども。

 

「…………………しかし、久しぶりだと緊張しますわね」

 

 言いながら、俺は専用の計器――主に脳波測定だ――を体の各所に取りつけながら、『的』が現れるのを待つ。

 実際には久しぶりどころか初めてなんだけどな。一応、レイシアちゃんの手続記憶のお蔭で能力の使い方を忘れていたりはしないが、エピソード記憶はすっからかんなので使っていた記憶は一切ないからな。

 そんな不安をちょろっと変換しての言葉に、

 

「…………。心配は、要らないわ。仮に結果が振るわなかったとしても……私達がサポートするから」

 

 瀬見さんは、声を震わせながらもそう言った。

 ……おぉ、瀬見さん……。初対面(俺視点)の時は俺と目も合わせてくれなかったのに、そんな心強いことを言ってくれるなんて…………。毎回開発のたびに持ち込んでいたクッキー差し入れ作戦が功を奏したか?

 俺はフッと笑いながら、クールに返す。

 

「………………頼りにしていますわ」

 

 そう言った直後、()()()()()()()()()

 大穴の底の方から持ち上がった地面は、ゲル状だった。その上に、アメンボのような外観の機械が現れる。

 名称はHsO-02……通称『ウォーターストライダー』だったかな?

 確か、エアクッションによる移動方法を採用していて、四本のアームで水上だろうが山場だろうが関係なく動ける三次元的な立体起動がウリとかいう話だったはずだ。

 俺の身体検査(システムスキャン)には、大体にしてこいつが使われる。

 このゲル状の地面の上を縦横無尽に駆け巡るアメンボ野郎を、如何に素早く捉えて破壊することができるか。

 攻撃対象を指定する為の演算速度と、物質を破壊する威力強度、二つをシビアに測定するものなのである。

 ちなみに、これまでのレイシアちゃんの記録は一二秒。アメンボ野郎はスペック上の記録で言うと時速二〇〇キロ(ハヤブサのトップスピードと同等だ)のまま世界レベルのボクサー並のフットワークをキメるらしいので、一二秒でブッ壊せるというのはとんでもない記録である。

 さて、俺にどこまでやれるか…………。

 

 …………ただ、瀬見さん達の為にも、結果は出したいよな。

 

 それからほどなく、瀬見さん達は実験室から出て、モニター室に移る。ややあって、瀬見さんのアナウンスが聞こえてきた。

 

『では、これより白黒鋸刃(ジャギドエッジ)身体検査(システムスキャン)を始めるわ。レイシアさんは所定の位置についてちょうだい』

 

 言われた通り、俺はゲル状の大地のすぐ横まで移動する。

 それから、()()()()()()()()()()()()()

 

『準備は?』

「OK」

 

 短く答える。それで、準備は終わった。

 

『では――――実験開始』

 

 そう、瀬見さんが言った瞬間。

 俺の脳裏に無数の計算式が躍り、

 

 ゾバッッッッッッッ!!!! と。

 

 ゲル状の地面が、真っ二つに()()()

 

 まるで地割れのような亀裂は目にもとまらぬ速さで伸びると、ウォーターストライダーの足元へ直進する。しかし、ウォーターストライダーの方も速い。フェイントを織り交ぜてこちらを攪乱しながら、こちらの動きから逃れようとしていた。

 だが、それだけじゃ甘いってことを教えてやるよ。

 俺は、目に力を込めてウォーターストライダーの周辺を凝視する。

 すると、今まで一本だけだった『亀裂』が八本に枝分かれして、ウォーターストライダーを包囲した。そして、『亀裂』がウォーターストライダーの足元に到達した瞬間――。

 ボッ!! と。

 エアクッション式で移動していたウォーターストライダーは、足元の地面が割れたことで足を取られ、動けなくなってしまう。

 そして、その間に八本の『亀裂』はウォーターストライダーに絡みつくように移動していく。しかしそれは、紛れもなく『亀裂』だ。

 ウォーターストライダーは無惨にもヒビ割れていき――、

 

 ……ピシッ、と『()()()()()()()()直後。

 

 ボンッボンッと破裂音を響かせて、黒い煙を上げてしまった。

 …………ややあって、実験終了を知らせるベルが実験室にけたたましく響いた。

 

***

 

 さて、もう理解できたと思うが、一応おさらいの意味も込めて再確認しよう。

 

 俺の――というより、レイシアちゃんの能力は白黒鋸刃(ジャギドエッジ)

 触れた物質を分子レベルで切断する能力だ。

 触れたところから『亀裂』が伸びていき、接触してさえいれば別の物質であっても『亀裂』を伸ばしていくことができるらしい。もちろん、『亀裂』の上に立っていた人間も真っ二つ。ちょっと凶悪すぎる。

 流石に、気体や液体など、流体には『亀裂』を生むことができないという制限はあるが……地面に『亀裂』を入れることで遠隔攻撃も可能である。

 ちなみに、『亀裂』と言っているがその深さは最大で一〇メートルにも及ぶ。たいていのものなら『亀裂』というより『両断』といった趣になるのだ。

『亀裂』が伸びていく速度は最大で時速二〇〇キロ。『亀裂』の本数は一本までだが最大で八本まで枝分かれさせて操作できるというのだから凄い。

 

 当然ながら、大能力(レベル4)判定だ。しかも、大能力(レベル4)の中でもわりと上。

 レイシアちゃんが増長する気持ちも分かろうというものだろう。食蜂くらいだったら勝てる自信が…………いや、能力使う前にピッ☆ されそうだわ。やっぱ超能力者(レベル5)相手は無理だな。レイシアちゃんも日記で『アイツら()()()()()()()()()ボコるわ』みたいに言ってたし。

 

 ただ、彼女にとってはたとえいずれ越すという強い意志を持っていたとしても、自分より上がいるという現状は――なまじ超能力(レベル5)にも届きそうな()()()()スペックなだけに――我慢ならなかったらしく、能力開発には凄まじいお金をかけていた……というか現在進行形でお金をかけているらしい。

 この、Hsシリーズを投入するようなトンデモ身体検査(システムスキャン)もその一環だ。

 レイシアちゃんの能力の分子切断も、パワーの限界みたいなものは存在しているらしく、レイシアちゃんの切断能力に勝てるような新素材の開発とか、ウォーターストライダーの足回り性能の向上とかのテストも兼ねているんだとか。

 レイシアちゃんが派閥のコネを使って研究機関の協力を勝ち取った、と日記にめっちゃ誇らしげに書いていたので間違いないだろう。

 ちなみに、地面がゲル状なのは、地面の破損を修理するお金がかからなくて済むからだ。ウォーターストライダーの開発チームと協定を結んだのも、まずゲル状の地面の上でも普通に活動できる『的』が欲しかったからなんだとか。

 まぁ、その結果、レイシアちゃんの能力が高まっても相手のスペックも上がるわ、レイシアちゃんの能力が高まらなくても相手のスペックは上がるわで、『見た目上の成績』に関しては最近落ち込み気味だったらしい。

 それでもレイシアちゃんのスペックが落ちていたわけではないし、成績は相手のスペック上昇も加味して判定されるわけだが、プライドの高いレイシアちゃんにはとにかく成績が落ちるのが我慢ならなかったんだろうな。

 …………ただこれ、ウォーターストライダーの開発チームの人達の意地もあるよね、多分。だって、普通に考えて自分達が作った珠玉のマシンをぶっ壊す為だけに使わせろとか言われたら『はぁ?』ってなるもん。

 レイシアちゃんは色々とアレだから気にしなかったんだろうけど、開発チームの人らはレイシア憎しの思いでマシンの開発を進めてたんだろうなぁ……。

 半分くらいは自業自得とはいえ、自分の能力開発の環境を向上させる為の努力が、逆に自分へのプレッシャーになる、というわけだったのだ。最終盤の派閥の人達への無茶な八つ当たりも、このへんのプレッシャーから来てそうなんだよなぁ。

 この子も難儀な子だよねー…………。人一倍努力はしているんだけども、()()()()()()()()()()というか。色々と不器用な子だ。

 

 そういうわけでこの身体検査(システムスキャン)はなかなかの出費なのだが、流石に俺も、この『出費』についてはどうこうしようとは思っていない。

 あまりにも多くの人が関わりすぎているし、いくら『俺にとっては価値のない努力』だったとしても、レイシアちゃんがここまで努力して積み重ねてきたものを、俺の一存で無にすることなんてできない。

 だから、俺はこれまで通り真剣に開発に取り組むつもりだ。…………たとえ素養格付(パラメータリスト)なんてものがあったとしても。

 

「結果が出たわ」

 

 実験が終わり、結果が出るまで控室で待機していた俺のところに、瀬見さんがやって来る。手にはレポートのような紙の束が用意されていた。

 

「率直に言うが、喜んでいいわ。前回の実験よりも、能力の速度、制御、破壊力ともに劇的に向上している。破壊に要した時間も八秒。途轍もない進歩ね」

「……………………!」

 

 ま、マジか!? てっきり能力が低下しているもんだとばかり思っていたが……。

 いや、そうか。

 さっきの理屈で言えば、今の俺はレイシアちゃんと俺自身、『二つの魂』がある状態なわけだ。つまり、『能力の元』が二つある。そんな状態なら、能力の出力が強化されるのは何らおかしくないってことになる。盲点だった……!

 

「それと…………これについては、カメラを見てもらった方が早いかもしれないわね」

 

 そう言いながら、瀬見さんは控室にあったパソコンを起動させて、何やらカタカタと入力していく。すると、先程の実験室の様子が映し出された。

 それと、ゲル状の地面の横に屈んでいる俺の姿も。

 これは…………さっきの実験風景か。

 

 映像の中では、俺が地面に手を当てたところから、一気にビギィ!! と亀裂が走り、それが凄い勢いでウォーターストライダーを取り囲んでいく。

 それがウォーターストライダーのことを捉えた、その直後。

 

「ここ!!」

 

 瀬見さんがパソコンを操作し、画面を一時停止する。そしてウォーターストライダーのことをズームで表示する。

 既に、ウォーターストライダーの足には『亀裂』が何本も走っているが……、

 

「ここ、スローで再生するのでよく見ていてね」

 

 瀬見さんがそう言うと、コマ送りのような遅さで再生が始まる。

 

 ウォーターストライダーの足パーツに、ぐちゃぐちゃの線を引くみたいにして入って行った『亀裂』だったが…………、それが、足パーツの付け根付近に到達した、次の瞬間。

 足パーツの付け根に実際に到達することなく、急に球体状の胴体パーツに『亀裂』が『飛び火』したのだ。

 

 そこで映像を止めた瀬見さんは、気持ち興奮したように言う。

 

「分かるかしら。本来、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)は亀裂伝いにしか能力を波及させることができない能力なのだが、どういうわけか『飛び火』して別の個所に移動したの」

「………………、」

「『亀裂を生じさせないまま能力を波及させる』ということができるようになった――というのは、あまり現実的な見解ではないわ。まだ研究してみないことには分からないが、おそらく白黒鋸刃(ジャギドエッジ)は……()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()と考えた方が良いわね!」

「……!!」

 

 そう言うと、瀬見さんは俺の手をがっちりと握りしめる。

 

「おめでとう、ブラックガードさん」

「…………ありがとうございます、瀬見さん……!」

 

 この握手は、生徒と教師――なんて関係のものではなかった。

 たとえるなら、コーチと選手かな。同じ目的の為に頑張っている仲間同士のような感覚だ。

 …………俺はここ二週間しかやってきていないけど、それでも何か感慨深い気持ちがある。

 

「それで、早速で悪いんだが『流体にも能力を使える』という前提で実験スケジュールを再構成したので、そちらの資料を読んで実験場に戻ってくれないかしら」

「…………もちろん、ですわ」

 

 正直、休憩したいところだったが……まぁ、いいか。

 レイシアちゃんが戻って来たら、このドーピングみたいな能力の強化も弱まってしまうのかもしれないが……、それでも、その後にレイシアちゃんの能力開発の手助けになるように、少しでも頑張ってデータを残しておかないとな。






【挿絵表示】

レイシア=ブラックガード(白黒鋸刃(ジャギドエッジ)
憑依直前
・触れた固体を切断する能力。
・切断深度はおよそ一〇メートル。
・速度は時速二〇〇キロ。
・亀裂の本数は一本。ただし八つに枝分かれして操作可能。
憑依後
・流体は能力適応外だったが、憑依後は流体も対象となった。
・空中や水中に真空地帯を作り、離れた場所に能力を行使できる。
・切断深度はおよそ一五メートル。
・速度は時速二三〇キロ。


……なんて超電磁砲(レールガン)能力解説(プロフィール)を出してみたり。

次はおまけ回です。今回は、真面目なやつです。


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おまけ:幻想殺しの少年の雑感

「あ、また会いましたね」

 

 その日、いつものように夕方の特売に赴いていた上条は、またもその少女と出くわしていた。

 金色の髪をポニーテールにし、肩にかけた部分を縦ロール気味にしているお嬢様スタイル。

 黒ぶちの眼鏡の奥からでも分かるくらいに吊り上がって威圧的な印象を感じさせる青い瞳。

 一見すると『性格のキツいお嬢様』という感じのこの少女だったが――、

 

「じゃあ、行きますか……!」

「おう…………!!」

 

 今となっては、立派な『戦友』となっていた。

 

***

 

第一章 予定調和なんて知らない Theory_is_broken.

 

おまけ:幻想殺しの少年の雑感

 

***

 

 上条がレイシア=ブラックガードと出会ったのは、今からおよそ二週間前の夕方だった。

 

 いつものように夕方になって安くなった商品を買うべく近場のスーパーを目指していた上条の背中に、『あのう……』という遠慮がちな声がかけられたのだ。

 最初に見た時は、正直上条も思わず目を見張った。

 

 体のラインを隠すようなだぼっとした黒地のジャージに、安物のジーンズ。ジョークグッズか何かと見まがうような質の黒縁眼鏡は、いっそ胡散臭さすら漂わせていたかもしれない。

 ファッションに疎い上条でも分かる。

 そこらのディスカウントショップで買ったのであろう安っぽい服に身を包んだ、脱引きこもりを果たした直後のファッションにルーズな女性――――では、絶対にない。

 何故なら、身を包む服と反比例して、彼女()()にはこれでもかというくらいお金がかかっているのが分かったからだ。

 粗末な髪ゴムでポニーテールにしているが、背中の中ほどまであるだろう金髪は上質な絹のような輝きを放ち、ゆるやかなウェーブを描いているし、その肌は染みひとつなく夕暮れの赤い光を素直に照り返していた。キツそうな目つきの奥に光る青い輝きの瞳も、安っぽいジャージを力強く持ち上げる膨らみの発育も、何もかもが――――ド素人の上条にでも分かるくらい、()()()()()()

 あるいは、過剰に安っぽいもので周りを固めていたからこそド素人の上条でも分かるくらいに目立っていたのかもしれないが。

 何にせよ、上条のレイシア=ブラックガードに対する第一印象は、それなりに強烈だったと言って良いだろう。

 

「お疲れ様でした。……大丈夫ですか? なんか二人の念動使い(テレキネシスト)に押し潰されて強制的に変顔させられてましたけど」

「お、おう、おう…………」

 

 しかし、その印象はここ二週間ほどで大きく変化していた。

 まず、レイシアは非常に大人びている。彼の先輩であり高校二年生にもなる雲川芹亜と比べると流石に子供っぽい――いや、『若い』と形容すべきかもしれない――が、それでも最近上条に絡んで来るようになった某ビリビリ中学生よりもよっぽど落ち着いているし、このように上条のことを気遣う余裕さえあった。

 尤も、それは某ビリビリ中学生にはある『微笑ましさ』や『可愛げ』に欠けるという意味にもなるのだが、生憎上条もまだまだ年下に微笑ましさや可愛げを求めるほど老成はしていなかった。

 

「今日もすまんな……」

「い、いやいや……。あー……なんというか、最近は上条さんがデコイになってくれているお蔭で私に被害が飛んでこないんじゃないかって気もしますし」

 

 そんな風に笑いながら、レイシアはあまりにも無理やりなフォローを繰り出す。あまりに健気な気遣いに、上条はちょっと涙がこぼれた。全体的に不幸だ。……金髪グラサンの隣人や青髪ピアスの級友が聞けば、『隣に金髪碧眼で気立ての良い美少女を侍らしといて何が不幸だにゃー(やねん)!!』とかで天誅されそうな感じではあったが。

 

 閑話休題。

 

 先の特売戦争では、上条は二人の念動使い(テレキネシスト)の力場に挟み撃ちにされ、片方の能力を打ち消したらその時点で思いっきり吹っ飛ばされてリタイヤするという実に不幸な状況に叩き込まれていたりして、結局特売のお肉(おひとり様三パックまで)は一パックしか手に入れられなかったのだが……案の定三パック手に入れたレイシアに一パック分けてもらい、なんとか今夜の飢えは凌げたのだった。育ち盛りの汗だく野郎にとって今晩のお夕飯にお肉が一パック増えるか否かはまさしく死活問題なのである。牛丼(並盛)程度なんてオヤツにしかならないくらいだ。

 

「…………というか、上条さんって私がいなかった頃はどうやって乗り切ってたんですか?」

 

 別に今も特別レイシアと待ち合わせているわけではない(特売の時間帯に自然とやってくるので顔を合わせることが多いだけだ)が、それはそれとして上条がどうやって特売戦争を乗り切っていたのかについては、レイシアも純粋に興味があった。

 

「どうって…………気合だけど」

 

 それに対し上条は、何てことなさそうに返す。

 気合。便利な言葉だ。第七位あたりであれば日に一〇〇〇回は言っているかもしれない。だが、生憎彼女は全部気合とか根性であの絶望的不幸の克服を片付けられるほど精神論に毒されていないし、目の前の少年が人間離れしているとも思っていない。いや、人間離れの方については色んな意味で()()()()()()信頼はしているかもしれないが。

 

「…………気合? ど、どうやってですか?」

「いやだから、()()()()()()()

「……………………へ?」

 

 ……そこで、レイシアは何かしらの意識の断絶を感じる。

 おかしい。今自分達はどうやって特売戦争を乗り切ったのかという話をしていたのではないか? パンの耳でどうやって特売戦争を乗り切れるというのだ? 気合? 錬金術って気合で出来たのか??? そんな考えが彼女の脳内をグルグルと巡る。

 そんな彼女の様子を見て、上条は得心が行ったように頷きながら、

 

「あー、ごめん。分かりづらかったか。パン屋とかで余ったパンの耳をもらうんだよ。それを主食にして食いつなぐ訳だ」

「いや、あの…………」

 

 そこに至って、レイシアは気付いた。

 この少年は――上条当麻は、()()()()()乗り切り方について話していたわけではなかった。

 特売戦争を乗り切れないことなど、もとより前提扱い。

 彼が話していたのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、についてだったのだ。

 そういえば、上条家の食卓はお鍋やるぞーと言った結果、何故かショゴスが入ってたりする、ルーニーでも紛れ込んだのかと言わんばかりの壊滅っぷりを誇っていたのだ。

 ――――今度は、レイシアが涙を禁じ得ない番だった。

 

「……上条さん、マジで私、今度何か持って来ましょうか? お金なら多少余裕はありますし……」

「へ? 何言ってんだ。後輩にモノたかるわけにはいかねえだろ」

「分かりました。でも、何か困ったことがあったら言ってくださいね。助けになりますから」

 

 きょとんとしながら返す上条に、レイシアはわりと真剣に進言する。上条は分かった分かったと適当に頷いていたが。

 

「なぁ、そういえばレイシアは、何でそんな俺の世話を焼こうとしてるんだ?」

 

 ふと気になって、上条はレイシアにそんなことを問いかけていた。

 

「……えっ、な、何の話ですか?」

 

 そこも、レイシアという少女の奇妙な点の一つだった。

 人懐っこく無警戒とまで言えそうなほど社交的な性格のわりに、ここ二週間弱の間、上条が特売に来るときは大体毎回顔を合わせている。つまり、友人同士で集まったりしている様子がない。

 わざわざ欠かさず特売にやってきていたり、服装は安っぽかったりしている癖に、言葉の端々からは経済的な余裕が垣間見えているし、それを隠す気もない。

 まるで世間知らずのお嬢様がお忍びで社会勉強でもしているみたいだな、と思えてくるようなちぐはぐさだった。

 まぁ、上条のその思考は実のところかなりいい線なのだが…………世間知らずと評されたのは、レイシアにとっては多分けっこうな屈辱だろう。

 

「いや、ただ道を教えてやっただけなのに、レイシアってけっこう俺のこと気にかけてくれるじゃんか」

 

 なんて言いながらも、上条の心中に淡い春色の期待が全くなかったかと言えばウソになる。何かと自分によくしてくれる年下の少女。ビリビリと違って素直で可愛い。これで期待しない童貞はいないと言っても良いだろう。

 それに何と言ってもレイシアはおっぱいがデカいし、可愛いし、胸が大きいし、気立ても良いし、あと何といってもバストサイズが優れている。

 多分これ言ったらビンタされて縁切られるだろうなと上条も分かってはいたが、分かっていてもやっぱりおっぱいは無視できない男の浪漫なのである。貧乳? なんのこったよ。

 で、そんなおっぱい大好き上条にレイシアはむしろ不安そうにしながら、

 

「あ、あの、あんまりしつこく言いすぎて気分を悪くされたんでしたら、謝ります……」

 

 と、見当違いな方向へ配慮していた。ほんのちょっぴり淡い期待をしていた思春期ボーイ上条は直前までの春色おっぱい思考をどこかへブン投げて、慌てて首を横に振って否定する。

 

「違う違う違う! そういうことじゃなくて、普通に疑問だったんだよ。特売にわざわざ来てるわりには、特に俺と違って家計が火の車って訳でもなさそうだし」

「あ、あぁ…………そういうことでしたか」

 

 レイシアはほっとした様子を見せて、

 

「普通に、自分にできる範囲で節制を心がけているだけですよ。ちょっとこう、思うところがあったので…………」

 

 そんなぼんやりとした回答に終わった。

 結局、レイシアについて分かったことは、何となくお金はあるが、それはそれとして節制を心がけている感心なお嬢さんだということだけだった。

 

(まぁ、だからって困ることでもねーけどな)

 

 そこで、上条はあっけなく思案をやめる。お互いの所属校も知らなければ連絡先も知らない、特売の時だけどちらからともなく協力する『戦友』。

 何の接点もない女の子とそんな関係になるのも面白い。上条はそう思って満足できるタイプの人間だった。でもなければ、自分をビリビリと追い掛け回す少女にいつまでも付き合ってたりはしないだろうが。

 

「では、私はこれで」

 

 やがて、これまで一緒だった二人の歩く道が分かれると、レイシアは決まってそう言う。

 上条も、『おう、じゃあな』と言って手を振り、別れていく。特に何もない――――ごく平凡な別れだ。

 

「…………明日から、夏休み、かー」

 

『またね』、とはどちらも言わない。

 二人は別に『また』会うことを確約するほど親しい仲ではない、という認識もあったのかもしれない。

 

「夕飯買ったけど、一丁派手に、ファミレスで無駄食いでもするかな!」

 

 ()()()()()

 この時点では、まだ二人は単なる『特売でよく顔を合わせる戦友』だった。

 

 その認識が少し変化するまで、()()()()




この話は、前回(四話)の『一日前』の出来事となっております。


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五話:魔女狩りの王

「お、おおあっ!?!?」

 

 前略。

 炎と重油で構成された巨人――――魔女狩りの王(イノケンティウス)から逃げ出す為、上条はマンションの二階から決死の大ジャンプを試みた。

 マンション二階からの跳躍――怪我をするレベルではないが、気楽に飛び降りられる範囲でもない。これまで何度となく修羅場をくぐってきた上条だからこそ選び取れた選択だっただろう。

 だが…………上条は『不幸』だ。

 

 彼の落下する先は、自転車置き場だった。

 

「ひっ、わああァァァああああああああああああああ!?」

 

 何とかバランスをとって自転車と自転車の間に降り立とうとしたが、不幸に愛された男上条当麻にそんな幸運が許されるはずもなかった。辛うじて自転車の座席に飛び降りた上条は、そのまま吹っ飛んでマンション前の路上に飛び出してしまう。

 

「………………っ!!」

 

 しかし、それでも勢いは止まらない。

 咄嗟に両腕で受け身を取ろうとするが、このままでは間違いなく車道に飛び出すコースに、

 

()()()()()!?」

 

 少女のものらしい、甲高い悲鳴が響いた。

 その瞬間、上条は空中で誰かに衝突し、その勢いを止める。

 自然とその少女を路上で押し倒すような形になってしまった上条は、不意に柔らかいものに顔をうずめている自分を自覚した。

 …………それから、マズイ、と思う。

 

「………………あの。何をしていらっしゃるのか…………しら……?」

 

 この柔らかいのは、女の人のお胸だ。

 

***

 

第一章 予定調和なんて知らない Theory_is_broken.

 

五話:魔女狩りの王 Magician.

 

 

***

 

 実験の結果、やはり白黒鋸刃(ジャギドエッジ)は流体にも影響を及ぼせるようになったことが分かった。

 詳しい原理については――――説明すると長くなるので省くが、掻い摘んで説明すると能力の干渉力(?)が上がったことによってより小さな分子にも干渉できるようになった、ということになる。

 ちなみに、『能力』を維持している間は流体であろうと『亀裂』の範囲には流れ込めなくなっているらしい。何でも、『亀裂』の中には『二つの物体を分かつ力場』が展開されているんだとか。瀬見さん曰く『応用すれば、ある種の気流操作も行えるようになるかもしれないわ』とのこと。

 やっぱり能力が強くなると、応用性もグッと上がるものなのかもしれない。『超能力者(レベル5)が見えてきたわ』と無邪気に喜ぶ瀬見さん達は、本当に純粋に嬉しそうで俺も協力したいと思わされた。

 …………まぁ、だからといって最終下校時刻まで実験漬けっていうのはちょっとキツかったが。

 

 第七学区まで研究所の車で送ってもらった俺は、このへんの地理を把握したいからと言って降ろしてもらい、適当に街をぶらぶらしながら帰っていた。

 既に、門限に間に合うような時間ではない。

 寮監様には実験が思いっきり捗った為門限に遅れるという連絡は入れてあるので、この夕闇の街を満喫したいなぁーと思ったのだ。

 そんな風に学生も疎らな街を闊歩していると、

 

「ひっ、わああァァァああああああああああああああ!?」

 

 と、なんだかすごい情けない悲鳴が聞こえたので、思わず足を止めてしまった。

 ちょうど、此処は学生用マンションのようだった。すぐ横に駐輪場がある。一体何が、

 

「………………っ!!」

 

 周辺を詳しく確認して警戒しようと思った、その時だ。

 気付くと、目の前に少年が飛び込んできた。

 受け止める暇もなかった。

 思い切り押し倒された俺は、咄嗟に手を伸ばして受け身を取るのが精一杯だった。

 

 …………いてぇ……。

 

 なんか肘打った気がするし、何より胸にとても強い衝撃を受けた。おっぱいがなかったら思いっきり肋骨を強打していたであろう打撃だぞ、これ…………危ないところだった。

 クソ、しかも驚いて『()()()()()!?』なんて思いっきり野太い声出しちまった気がするぞ? レイシアちゃんの姿で、何たる不覚…………。

 混乱から立ち直った俺だったが、吹っ飛んできたコイツの方はそうでもないらしい。体格からしておそらくレイシアちゃんより年上の男だろうが…………常盤台の制服に釣られたのか? しまったな、夕方にこの格好で出歩いたりするんじゃなかった。

 俺の身体はあくまでレイシアちゃんのものなんだし、中身が男だろうとハッスルする奴はハッスルしてしまうんだよな……。

 ……しかし、いったいこいつ何でこんなこ、

 

 んっ。

 

 …………いやいやいや。こいつ、あろうことか、今、俺の胸揉みやがったぞ。

 

 自転車置き場から飛び立って女の子を押し倒した挙句、押し倒した女の子の胸を堂々と揉むとか、一体どんなアクロバティック痴漢なんだ……と思いつつ、俺はそいつの襟首を掴んで、あくまでお嬢様としての品位は保ちながら言う。

 

「………………あの。何をしていらっしゃるのか…………しら……?」

 

 ………………。

 が、途中で、その台詞を止めざるを得なかった。

 何故かって?

 目の前の少年に、途轍もない見覚えがあったからだよ!!

 

「す、すいませんでしたァッ!!」

 

 俺の腕を振り切ったフライングおっぱい揉み揉み痴漢野郎ことツンツン頭の少年こと上条当麻は、そのまま土下座を敢行する。

 いやいや……まさかこの俺が上条にラッキースケベをされる側になるとはな……。なんか、改めて『自分が女になったんだ』って実感がわく。今まではなんというか、自分が女になったというよりは『レイシアちゃんっていう女の子の身体を借り受けている』って感覚だったんだが……。

 そうだよな、レイシアちゃんの身体を借り受けているのは事実だが、それはそれとして、レイシアちゃんの意識がない状態では()()()()()()()()わけだし……。

 ………………………………冷静に考えたら、主人公にラッキースケベされて自分が女であることを自覚するって面白すぎない?

 

「え、ええと……わざとじゃないんだ!! その制服、常盤台か? 後で弁解でも何でもするから、とにかく逃げてくれ! 身元のことなら自称超能力者(レベル5)のビリビリに聞けば一発で分かる!」

 

 と、上条は一気に俺にそんなことをまくし立てていた。

 …………あら? ひょっとして上条、俺に気付いていない? ……そりゃそうか。あれから買い物に行くたびに上条とは何度となく遭遇したけど、会う時はいつも無用に目立たない為に大体Tシャツジーパンポニテに伊達眼鏡の格好してたからなぁ。

 今の俺は常盤台の制服に白黒のドレスグローブ。髪の毛も普通にしてるから、ぱっと見分からないよな、そりゃ…………。

 

「上条さん、わたくしです、…………あー、私です。レイシアです」

 

 言いながら、俺は懐から念の為忍ばせておいた伊達眼鏡を取り出し、かける。…………今の衝撃で割れちゃってるが、もう片方の手で髪をポニテにしてみたら上条も流石にピンと来たようだ。

 

「あ……? れ、レイシア? なんでそんな格好してんの? コスプレ?」

「なんでも何も、こっちが正常です。今までのがコスプレ、ですわ」

 

 と、冗談めかして言うと、上条の方は唖然としていた。

 ……それで、さっきの上条の『逃げろ』発言だが…………。

 

「……………………厄介そうな事件に巻き込まれているようですわ、ねッ!!」

 

 俺は、そう言いながら空中に『亀裂』を生じさせる。

 直後、上条のマンションから、溶断された手すりが投槍みたいにして投擲される。

 

「な…………!?」

 

 ただし、それは上条の頭に突き刺さる直前に、動きを止めてしまったが。

 

 成長した白黒鋸刃(ジャギドエッジ)は、流体にも効果を齎すようになった。

 そして、流体に生じた『亀裂』は能力を維持させている限り維持される。そういう『力』が働く、という意味だ。

 つまり、二つのものを分かつ力場が、そこには発生している。

 これを逆用すれば、並大抵のものなら弾くことのできる透明な壁を作れる、ということでもある。まぁ、現時点では重火器を弾くのが精一杯らしいが。

 

「……さて、『逃げろ』と仰いましたが……上条さん。……わたくし、意外と優秀ですのよ?」

 

 素性がバレてしまった以上、どこから情報が漏れるかも分からないので、名残惜しくはあるが敬語は封印だ。お嬢様言葉で頑張ろう。

 それで、今溶断された手すりを投擲してきたヤツだが…………まぁ、見なくても分かる。時期的にも能力的にも、考えられるのは――『魔女狩りの王(イノケンティウス)』。

 

 思い出したよ。

 そうだよそうだ、忘れてた。この世界って、『とある魔術の禁書目録(インデックス)』の世界で、つまり小説で語られていた事件だって当然ながら起こるんだよな。

 ただ人物がそこに転がっているわけじゃなくて、日常の中で交流するだけじゃなくて…………こうやって、『非日常』が顔を出すのを間近で見ることだってあるんだ。

 自分のことに精一杯で忘れていた。

 他の誰かが危険に晒されていることに、気付けないでいた。

 ……………………………………………………。

 

 行く、か。

 

 もちろん、これから上条はスプリンクラーを作動させ、ルーンを水浸しにすることで攻略する。そこに俺の存在は必要ない。それは分かっている。

 

 下手に首を突っ込もうとすれば、今度はレイシアちゃんの身体が危険に晒されることになる。俺はレイシアちゃんの身体を借り受けているだけであって、勝手に危険に首を突っ込む資格なんかない。それも分かっている。

 

 馬鹿なことを考えている自覚はある。

 

 だが一方で…………俺はこの事件の真相も、顛末も、そこで生まれる犠牲も知っている。

 その過程で生まれなくても良い争いが生まれ、ステイルや神裂も傷つき、そして最後に上条は記憶を失う。

 この、気のいいお人好しの『戦友』が。

 …………。

 

 そんな顛末を、今、目の前にいる少年と共に行けば変えられるかもしれないのに、無視して、自分だけ安全なところに逃げて…………それで、良いのか?

 

 ここで上条に協力して、万が一でも記憶を守ることができたら、幻想殺し(イマジンブレイカー)やその『中の存在』についての知識を持ったまま正史の事件が進んでいくことになるかもしれない。そうなったら、未来が変わってより悪い事態が起こるかもしれない。

 そういう意味では、今俺がやろうとしていることってのは、少なくとも最低限の成功が保障されている未来にケチをつけることになるのかもしれない。

 

 ――――でも、ケチがつく()()()()()()程度の危険を恐れて、目の前の誰かを見捨てちまったら……これから俺がレイシアちゃんに何を言ったって、それはただの偽善にしかならないだろう。

 今、レイシアちゃんの身体を動かしているのは俺だが、これはレイシアちゃんの身体だ。

 決断の一つ一つをとってみたって、ごまかしなんかきかない。

 なら、俺の答えは一つしかありえないだろ。

 

 俺は、心の中でレイシアちゃんに詫びる。

 どんなことがあっても、この身体は無事に返すと誓うから。

 …………だから今だけは、俺の我儘の為に使わせてくれ。

 

「レイシア…………これは…………?」

「………………大能力(レベル4)白黒鋸刃(ジャギドエッジ)。………………超電磁砲(レールガン)心理掌握(メンタルアウト)に比べれば一段劣りますが……、だからといって有象無象に後れを取るほどなまくらであるつもりも…………ありませんわ」

 

 瞬間、生みだした『亀裂の盾』を維持しながらも、さらに延長された『亀裂』が空中を奔る。

 一直線に、マンション二階の廊下に立つ炎と重油の巨人に殺到し……バラバラに切り刻む。

 が、魔女狩りの王(イノケンティウス)はすぐに修復し、元の形を取り戻してしまう。

 

「ダメだレイシア! あのデカブツを潰すだけじゃ埒が明かない! 自己再生機能があるんだよ! レイシアには信じられないかもしれないけど、マンション中に張り巡らされているルーンを残らず潰さないといけないんだ!」

「……ルーン? 自己暗示系の能力者ですか?」

 

 と、適当に呟きつつ――なんかこういう風に魔術を解釈する人って多い気がするのだ――、またも切り刻んでやる。

 

「だから無駄だって……!」

「いいえ、無駄ではありませんわ」

 

 俺は能力を使いながら、言う。

 確かに、魔女狩りの王(イノケンティウス)を殺し尽くすことはできない。少なくとも、俺には。言ってみれば魔女狩りの王(イノケンティウス)は映写機で投影された映像そのものであって、そこに攻撃したって像の形が歪むことはあっても、消え去ることはない。

 だが一方で、壊されれば『治る』までのラグが発生するのも事実だ。

 治ったそばから切り刻んでやれば。

 つまり『死んだも同然』という一つの結果をもたらすことができる。

 

「……行ってくださいまし、上条さん! ……あのデカブツはわたくしが縫い止めますわ!」

「…………っ! 恩に着る!」

 

 上条が駆けていくのを見送り、俺は考える。

 …………これから、どうしようかなぁ……。




というわけで、ここからしばらく旧約一巻のお話になります。
悪役令嬢憑依モノは六話ほど後までちょっと休憩です。


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六話:ショートカットは基本

「……上条さん、大丈夫でして?」

「あ、ああ……。大丈夫だ」

 

 それから。

 上条は無事ステイルをそげぶし、インデックスを背負ってエレベータで戻って来た。なんかちょっと煤けていたので、ステイルもそれなりに粘ったのだろう。今回は魔女狩りの王(イノケンティウス)が潰されていただけで、ルーン自体は生きてたわけだし。

 …………そういえば、これ以降別にルーンを貼らなくても普通に炎剣を使えるようになっていたのは…………多分、敗北を糧にして術式を改良したんだろう。……だとすると、ここで『ルーンを潰されて負ける』経験をさせとかなくて大丈夫だったかな?

 …………………………まぁ、そのへんは後で俺が『こういう攻略法もあったぞ』ってことを煽れば、ステイルは頭良いから対応させてくるかな。()()()()()()()()()()()()

 

 その後、このままだと死んでしまうであろうインデックスを治療する為、魔術を使って治療することになったのだが……上条はインデックスのIDがないこととかをなんとかうまくぼかし(たつもりになっ)て説明し、魔術が使える人員――小萌先生のところに向かったのだった。

 で、上条は小萌先生にインデックスを預けて、小萌先生に治療魔術を任せて部屋から出て行ったのだった。ちなみに、俺もやることないから出て行った。魔術を使うと能力者の俺は血管破裂して下手したら死ぬからな。

 

「…………そういえば、結局……レイシア、お前は何者なんだ? 発育が良いことを除けば普通の中学生かと思ったら、常盤台の生徒だし……そもそも何で素性を隠してたりしてたんだよ?」

「…………何者というのはこちらの台詞ですが――……わたくしは普通の常盤台生です。スーパーに常盤台の制服で行ったりしたら、目立つではありませんの」

「じゃあなんで敬語にしてたん?? なんか違和感凄いんだけど」

「いくら外見を取り繕っていたって、この口調じゃ頭隠して尻隠さずでしょう」

「あー…………確かに」

 

 そっちの方が楽だったっていうのもあるんだけどな。未だに、お嬢様言葉で話そうとすると一瞬言葉に詰まってしまう。

 

「……それより上条さんの方ですわ。あの炎の巨人はいったい? あの女の子もそうですし……。ここまで来たのですから、放り出したりしませんわ。……教えてくださいまし」

「それは……」

「ここは意地を張って助力を跳ね除ける場面……ではありませんわよ」

 

 俺は、諭すようにそう言った。

 ここで上条の信頼を勝ち取らないと、俺がここまで同行した意味がない。横にくっついて知っている流れをなぞるだけなら、いない方がマシだ。

 

「…………わたくしも、以前、思い知りました。強く誇れる自分であろうとして――そのために意地を張って、周囲を遠ざけつづけました。結果、わたくしには何も残りませんでしたわ」

 

 レイシアちゃんは……決して誰かを蹴落とそうとか、そういうことを考えていたわけじゃなかった。理想の自分で在ろうとして、その為に他者を省みなかった。だから逆に他者から排斥されて、自分の理想も壊されて、自分から死を選ぶハメになった。

 上条の在り方は、それとは大きくかけ離れているかもしれない。だが、誰かの為にやったことであっても、その為に周りの手を跳ね除けて行けば、最終的に残るのは多分、レイシアちゃんと同じ末路だ。

 ――たとえば、オティヌスに見せられた無間地獄の末で、自ら死を選んだ上条のように。

 

「それに…………自分で言うのもなんですが、わたくし、意外と使えますわよ?」

 

 そう言って軽く微笑みながら、俺は上条に右手を差し出す。

 上条は同じく小さく笑って、右手で俺の手を掴んだ。

 そして、開口一番こう言う。

 

「――――最初に一つ頼みがある」

「何です?」

「『魔術』の存在を、何も言わずに信じてくれ」

 

***

 

第一章 予定調和なんて知らない Theory_is_broken.

 

六話:ショートカットは基本 Turning_Point.

 

***

 

「……………………なるほど。俄かに信じがたいですが」

 

 正味、五分程度だったか。

 上条の話を黙って聞き、ある程度の説明が終わった後で、俺は興味深そうに頷いていた。

 いや、『興味深そう』というか、まぁ、実際知っていても興味深い話ではあるんだけどな。魔術の話って。

 

「だけど…………」

「ええ、信じがたい話ですが……、信じましょう」

「…………信じてくれるのか?」

 

 言っている上条の方が意外そうな表情だった。

 

「アナタが頼んだのではありませんか。……それに、学園都市にIDなしの何者かが侵入できている時点でおかしな話ですし」

「…………ありがとう」

「礼には、及びませんわよ」

 

 よし。これで上条からの魔術情報は大体得た。これで、『ショートカット』することができる。この事件の顛末をカンニングで知っている俺だからこそできる、ショートカットを。

 

「…………しかし、妙ですわね」

「何がだ?」

「インデックスさんの『管理』……ですわよ」

 

 俺の口から『管理』という言葉が出ると、上条の表情があからさまにムッとしたが……俺は気にせず話を進めていく。

 

「インデックスさんは、頭の中に一〇万三〇〇〇冊の魔道書を詰め込んだ人間魔導図書館なのでしょう? しかも、その気になればその知識を自由に教えてくれる。そんなの、魔術師からしたら博覧百科(ラーニングコア)がいつでもどこでもすぐ傍にあるようなものではないですか」

「らーにんぐこあ?」

「…………え? マジで言ってますの……?」

 

 俺は思わず、軽く引いていた。

 レイシアちゃんの知識によると――というか、俺も『読んだ』ので知っているが、博覧百科(ラーニングコア)というのは第一三学区に存在する美術館、図書館、水族館、動物園、プラネタリウムその他諸々の学芸施設を全部ひとまとめにしたテーマパークのようなものである。

 小説では、フレメアが粗製濫造ヒーロー達に追い掛け回されてた(?)ときに登場してたと思う。多分。

 レイシアちゃんの知識によると、博覧百科(ラーニングコア)についての情報は一般常識ということになっている……のだが、ザ・馬鹿学生上条当麻クンにとってはそうでもなかったらしい。

 

「ともあれ。……わたくしが彼女の保護者(ボス)なら、こんなことになる前に大軍で攻め入って確実に確保しますわよ。国家宗教なのでしょう? そのくらい余裕なはずですわ」

「………………あ」

 

 上条は、やっとその可能性に思い至ったかのようにマヌケな声を上げる。

 

「にも拘わらず……、わたくしが主戦力を足止めをしていたとはいえ無能力者(レベル0)にやられる程度の魔術師(笑)と、傷口からして刀のようなものを使う輩の二人だけでそれらの勢力に倒されず追いかけ回されて学園都市に侵入、なんて話が出来過ぎていませんこと?」

 

 このへんは小説でも言及されてなかったが、ぶっちゃけ俺はこれについてもアレイスターとかローラの工作だとにらんでいる。真意についてはさっぱりだが……。

 

「た、確かに……でもだとすると、一体あの魔術師達は何者なんだよ!?」

「………………色々考えられますが、あの二人がイギリス清教とやらに何らかの影響力を持った人物であるというのはほぼ間違いないかと」

 

 実際、イギリス清教が仕組んだマッチポンプだからね、これ。

 

「ってことは何だよ……アイツをイギリス清教に送り込んでも、何の問題も解決しないってのかよ!?」

「あの二人の行動がイギリス清教の本意と反している可能性までは否定できませんが、……何も調べないうちにイギリス清教に送ってしまうのはかなりリスキーですわね」

「クッソ…………!!」

 

 ガッ!! と上条は廊下の手すりを苛立ち任せに殴りつける。金属の反響音が、上条の憤りを表すみたいにして響いた。

 無理もない。ゴールだと思っていた場所が、実は絶対に連れて行っちゃいけない場所だったんだからな。絶望感もハンパないと思うよ。

 

「じゃあどうすれば良いってんだ……!? 相手が組織だったら、俺達がいくら頑張ったって限界が来るぞ!」

「落ち着いてください、上条さん」

「これが落ち着いていられるか!?」

「そこをおして、落ち着いてください」

 

 軽くパニックになっている上条にそう言うと、頭から血が下りた上条はふう、と小さく溜息を吐いて平静に戻った。切り替え早いなー……。流石、伊達に修羅場はくぐってないって感じだ。

 

「わたくしに、考えがあります。ですが、それを行うにはインデックスさんの助力が必要です。いいですか? ――――」

 

 そうして、俺は上条に策を開陳していく。

 これで、エフ×ガもびっくりのショートカットが決められるはずだ。

 

***

 

 翌日。

 俺と上条は、小萌先生の家にお世話になっていた。

 

「で、何でお前下ぱんつなの……?」

「うー……」

 

 インデックスはというと、背中の傷は治ったらしいが、頭痛と発熱により絶賛ダウン中である。身体が体力を取り戻そうと必死なのだろう。つまり、薬とか効かないから熱が下がるまで絶対安静ということなのだが。

 インデックスが上にパジャマ、下はパンツだけというスタイルなのも宜なるかな。身体を温めなくても良いというのに熱が勝手に出るのだから、当人としては熱くてやってられないということなのだろう。

 

「上条ちゃん、先生、あの安全ピン丸出しのアイアンメイデンは正直どうかと思ったのですー」

「あ、あれは仕方なかったんですよ。不可抗力というか……」

「というか、本当に先生なんですのね……。そのわりに、インデックスさんの身体にピッタリ服が合っていますが」

「む。ピッタリは言いすぎかも。流石に私も胸のあたりがちょっとキツイ」

「そんなバカなぁ!!」

 

 インデックスの台詞に、小萌先生は頭を抱えて蹲った。

 

「…………というか、上条ちゃん。そろそろいい加減先生にも事情を説明してくれませんかー? 常盤台の学生さんまでいるって、なんだか先生不安になってきちゃったんですけど……。というか、そちらの方は大丈夫なんですー? 無断外泊はキツイお仕置きがあるって先生聞いたことがあるのですー」

「諦めましたわ」

 

 人命に比べれば寮監のお仕置きなど安いものである。

 ちなみに寮監宛てに手紙(携帯類はGPSから居場所を特定されかねないので電源は切ってある)を送っておいたので、誘拐とかだと思われて騒ぎが起こることはない。

『八月までには帰ります。探さないでください』と書いてあるので、まぁ戻って来たら半殺しくらいで済むはずだ。

 

「……そういえばお二人にはまだ名乗っておりませんでしたわね。わたくしはレイシア=ブラックガード。常盤台中学の二年生ですわ。上条さんとは……そうですわね、戦友、といった間柄でしょうか」

 

 いい機会だったので、俺は小萌先生とインデックスにそう言って自己紹介する。戦友というのは、主に特売を共に切り抜ける仲的な意味でだ。

 インデックスは、いまいち常盤台中学のネームバリューが理解できていなかったようだが……まぁ、凄そうなヤツということくらいは理解してくれたと思う。

 

「…………レイシアは、とうまの彼女なの?」

「ブッッッッ!!!!」

 

 噴き出したのは上条だ。俺はお淑やかにこらえた。

 ……コイツ、俺の話ちゃんと聞いてたのか!? よりによって気にするところがそこかよ! 既に色ボケかこのシスターは!?

 

「で、ですから戦友ですと言っているでしょう……!?」

「…………? でもとうまは普通の学生なんだよね? どこから戦友って間柄が出てきたから分からなかったから、ひょっとして私に気を遣って誤魔化そうとしてるのかなって」

「テメェが気を遣いすぎだ馬鹿!!」

 

 べしい! とインデックスが上条にツッコまれた。

 あのね、主人公にフラグを()()()ヒロインが、他の女を捕まえて彼女?? なんて聞くもんじゃないよ本当に。上条が不憫だわ……。流石、今まで何人ものヒーローをとっかえひっかえしてきた魔性の女(ヒロイン)だ。

 

「青春ですねー」

 

 おい先生、その一言で片づけるな。

 

***

 

 で、まぁ……その後いろいろあった。色々というか、まぁ起こったことを簡潔にまとめると、

 

・小萌先生、上条に事情を聞こうとするも、教えてくれないと分かるや素直に諦めてくれる。

・小萌先生、一旦買い物に行く。席を外した後はこの件について追及しないと暗に宣言。

・インデックス、身の上話をする。頭の中の魔道書を全部使うと魔神になれるから、狙う魔術師が大勢いる。

・上条、インデックスを口説く。

 

 ……こんな感じだ。要するに、インデックスが上条のことを明確に好きになった。俺の出る幕はあんまりないので、途中で空気を読んで退席した。

 

 すると、出かけたはずの小萌先生が外でスタンバっていた。

 …………考えることは同じか。

 

「青春、ですわね」

「ですねー」

 

 俺と小萌先生は、互いに頷き合う。

 あれで本人たちはラヴコメの自覚がないんだから、鈍感って罪だよな…………。




タイトル通り。原作とあんまり変わらないシーンについては、積極的に端折って行くつもりです。大体同じことが起こったんだな~、と察していただけると。
中の人も展開的に端折れそうなところは積極的に端折れるよう努力します。


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七話:涙の理由を変える者?

 それから、瞬く間に三日が経った。

 

 俺としてはすぐにでも話を進めたかったのだが、この計画にはインデックスの助力が要る。そのインデックスがこの三日間発熱で寝通しだったので、計画を進めることもできなかったのだ。

 なお、三日間のうちに身体を拭いたりするのは俺の仕事だったが、特にインデックスの身体を見て興奮するというようなことはなかった。幼児体型だったというのもあるが、初日にとんでもないものを見てしまったので多分女体について耐性がついてるんだと思う。

 

 …………耐性というより、PTSDとか言った方が良い感じかもしれないけど。

 

***

 

第一章 予定調和なんて知らない Theory_is_broken.

 

七話:涙の理由を変える者? Flere?

 

***

 

「おっふろー、おっふろー、おっふっろー♪」

 

 夜。

 インデックスを先頭に、俺と上条は洗面器を片手に銭湯に向かっていた。

 三日間の病人生活を終えたインデックスの最初の望みが、それだったからだ。そんな彼女の後姿を眺めながら、俺達は話をしていく。

 

「……大丈夫なのか? ここまで魔術師達の動きはねーけど」

「いつ来てもおかしくありませんわ。いずれ必ず仕掛けて来るでしょう」

「そうだな…………レイシアの策の為には、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 上条のその言葉に、俺は黙って頷いた。

 

「とうまーとうまー! 早く早くー!」

 

 と、二人で話していると、インデックスはどんどん先に行ってしまう。上条が『はいはいすぐ行くぞー』なんて適当に返した、ちょうどその時。

 俺と上条は、ほぼ同時に違和感に気付いた。

 ()()()()()

 このあたりは第七学区の中心街に近く、最終下校時刻を過ぎたとはいえ人通りはそれなりにあるはずだ。にも拘らず、人っ子一人いない。そういえば、インデックスと一緒に歩いていた時から誰ともすれ違った覚えがない。

 そして次に、俺達は同じことを思う。

 

「来たか」

「ですわね」

 

「どうやら、お待ちいただいていたようで」

 

 カツン、というブーツの靴音が、俺達の背後で響く。

 弾かれたように振り向くと、そこには俺の髪より長い黒髪をポニーテールにした、東洋人の女がいた。

 Tシャツの裾を結んでへそ出しにし、タイトなジーンズは片方を太腿のあたりでバッサリと切っている。ウエスタンな印象のブーツとベルトと、そのベルトについたホルスターに、拳銃のように差した二メートルの日本刀――明らかに『異常』な姿だった。

 

「新手の魔術師か……」

「ご安心を。新手は私だけです」

 

 その女――神裂火織は、無感情にそう返した。

 もちろん、俺はコイツのことを知っているし、コイツの素の性格も、使う魔術も、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()知っている。

 

「神浄の討魔、ですか。…………良い真名です」

 

 神裂は、舌の上で転がすようにそんなことを呟いた。……そういえば、神浄の討魔ってどういう意味なんだろね。のちのち出て来てたけども。……上条的には、自分の名字が使われてるみたいで恥ずかしくないのかな?

 

「…………テメェは」

「神裂火織、と申します」

 

 神裂は腰に差した刀に手をかけながら、

 

「できれば、もう一つの名は名乗りたくないのですが」

「…………もう一つの名、ね」

「ええ、魔法名、とも言うのですが」

 

 上条は、その言葉を聞いて、拳を強く握りしめたようだった。

 退いたりはしない。俺達の目的は、ここで退いては得られないものだから。

 

「率直に言って。――――魔法名を名乗る前に、彼女を保護したいのですが」

「その前に、お話がしたいのですわ。……神裂さん」

 

 そこで、俺は一歩前に出た。

 

「…………なんです? 彼女を引き渡す意思がある、と?」

「場合によっては」

 

 そう答えた瞬間、神裂の肩から若干の力が抜けたのが分かった。

 神裂の視点から見れば、俺達が魔術師の攻撃を恐れてインデックスを売ったようにも見えたかもしれないが――それでも、神裂は俺達を軽蔑する様子を見せなかった。

 まぁ、そこまで『期待』していないというのもあるんだろうが。

 

「それで、『場合』というのは?」

「条件、と言い換えても良いかもしれませんが」

 

 そこで、俺は続けて爆弾を叩き込む。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが条件ですわ」

 

 神裂の呼吸が、()()()

 

『最終日よりも早いタイミングで、ステイル達と協力関係を結ぶ』。

 

 俺の策は、何のことはない、ただのそれだけだった。

 

『考えてもみてください』

 

 あの日、俺は上条に人差し指を立てながらそんなことを言った。

 

『今日、インデックスさんは背中を斬られて倒れていた。…………それは間違いない事実ですが、敵の目的が「回収」だけだったなら、何故斬られた時点で回収されなかったのですか?』

 

 俺は答えが分かっている。

 それは、神裂がインデックスを傷つける気などさらさらなかったからだ。それなのに傷つけてしまったから、神裂はこれ以上ないほどに動揺し…………そして、その間にインデックスを見失ってしまった。

 精神的に憔悴した神裂に代わって、ステイルが回収に出向いた――。

 そんな答えが分かっているから、答えありきの『名推理』をすることができる。

 

『おそらく……彼らは、インデックスさんを傷つけることを望んでいないのですわ。回収を目的にしているから、ではありません。心情的に、彼女を傷つけたくないと望んでいる。だから、「歩く教会」とやらに()()()()()()()()の彼女を誤って傷つけてしまったとき、これ以上ないほど動揺した』

『なるほど……アイツがイギリス清教の人間だったら、その推理で説明がつく』

『そんな彼らが、インデックスさんを傷つけているということは、止むに止まれぬ事情があるはずですわ。であれば、インデックスさんも巻き込んで、わたくし達全員で問題解決に協力する、という話の流れにしてしまえば』

『………………昨日の敵は、今日の友になるかもしれない、って訳だな……!』

 

 俺達がただ協力を求めているだけでは、二人の心は動かないだろう。

 その程度の覚悟で動いているなら、最初からステイルと神裂はインデックスの敵になったりしない。

 だが、自分達が『インデックスの為を想って』敵に回っていると、他でもないインデックスに看破されたら?

 その上で、『私を助けて』と助けを求められたら?

 ……………………そんなの、拒めるはずがない。

 良心に訴えかけるような、悪趣味な作戦だって自覚はある。

 でも。

 最後の最後まで敵視されて、それでも助けるって、そりゃ確かにヒロイックだけど、やっぱり『無責任な外野』からしたら、そんな結末より、全部のわだかまりを()()()()()うえでハッピーエンドを迎えてもらった方が、幸せだと思うんだ。

 まぁ、この程度で全てのわだかまりが解けるとは思っちゃいないが。

 それでも、乗り越える為のチケットくらいには、なってくれるはずじゃないか。

 

「な、にを…………」

「その様子だと、レイシアの推理は当たってたみたいだな」

 

 上条は不敵に笑いながら、そう言った。

 もう、こうなった上条の舌はちょっとやそっとじゃ止まらない(と思う)。

 

「テメェらは、インデックスを狙う魔術結社(マジックキャバル)の人間なんかじゃねえ。イギリス清教の人間だ。インデックスがそう勘違いしただけで」

「…………、」

「本当はインデックスを救いたくて救いたくて仕方ねーんだろ? でも、それができないから、アイツの為を想って『次善』の手段としてこんなことをやってる」

「……………………、」

「でも、分かってんだろ!? こんなこと間違ってるって! どんな理由があったとしても、アイツが悲しんで、苦しんで、独りで涙をこらえながら逃げ惑うような選択間違ってるって――、」

 

「…………それが、彼女の命を救う為でも、ですか」

 

 神裂は、吐血するように苦しみながら上条の言葉を遮った。

 …………うん、止まったね、上条の舌。

 

「ええ、そうです。貴方達の予測は寸分たがわず正解していますよ。我々は、彼女の同僚で――――そして、親友、でした」

「ならどうして!」

 

 

「もう、耐えられなかったんです」

 

 自嘲するように俯きながら、神裂は話し始める。

 

「あの子の頭の中には、一〇万三〇〇〇冊の魔道書が記憶されている。それは知っていますね? …………彼女の脳の八五%は、それで容量を食いつぶされてしまっているんですよ」

「………………!!」

 

 俺と上条は、ほぼ同時にその言葉に反応した。

 上条は、予想外の、また最悪の事実への驚愕として。

 俺は、想定していたチャンスの到来への歓喜として。

 

「つまり、彼女の脳の残り容量は一五%しかない。その一五%で、彼女は私達と同じスペックを発揮しているのですから、本物の天才と言って良いかもしれませんが」

「でも、だからってなんでこんな風に追い掛け回してるんだよ!?」

「追い掛け回す、というのも事実とはまた異なりますね。私達の目的はそこにはありません。私達の目的は――――彼女の記憶を消すこと、にあります」

 

 そこで、上条の舌はまた止まった。

 上条はおそらく、思い出しているのだろう。インデックスの記憶が一年前から全て残っていないということを。

 その証拠に、上条の顔が一気に怒りに染まる。

 

「ですが、そうしないと彼女は死んでしまう」

 

 それを制するように、神裂は言う。

 

「彼女の脳は、ただでさえ一五%しか容量が残されていない。にも拘らず、完全記憶能力のせいで木の葉の枚数や道端の空き缶のようなゴミ記憶まで完全に保存してしまうのです。そして、そのせいで一年周期で記憶を消さないと、インデックスは死んでしまう」

「…………、」

「私達は、何度も彼女の傍に居続けました。彼女が記憶を失うとしても、それでも幸せな一年が送れるようにと努力もしました。……ですが、結局最後にあるのは地獄のような別れだけ。私達は、悟ったんです。…………私達が彼女を幸せにしようとする努力が、別離(おわり)の苦痛をより深いものにしているんだと」

「………………だから、インデックスの一年間を苦しいものにして、最後の瞬間の苦痛を和らげようとしてる、ってのかよ…………?」

「………………そう、です」

「ふざっけんなよ!! そんなもん、テメェらの勝手な思い込みだろうが!! アイツを見て、その生き方を見て、『幸せがあるから最後が辛くなる』なんて本気で言えんなら、テメェらはとんだ大馬鹿だ!! アイツが、インデックスが、そんなつまんねぇこと言うヤツじゃねぇってことくらい、テメェらが一番分かってんだろうがッッ!!!!」

「…………っ!!」

「上条さん、これ以上は言わせるものではありませんわよ」

 

 いい頃合いだと判断して、俺はそこで話を遮った。

 これは、『失敗した』神裂達にしか分からない話だし、『まだ失敗していない』上条とは平行線にしかならないだろう。

 それより、もう『ショートカット』に必要な情報は聞いた。

 俺が遮ると、神裂は心を落ち着けられたのか、冷静な表情に戻った上で言う。

 

「事情は、分かっていただけましたか。救うというなら、私は彼女を救う為だけに行動しています。協力する意思があるのでしたら、彼女をこちらに引き渡してください」

「それはできませんわ」

 

 俺は涼しい顔でそれを否定し、

 

「では――」

「何故なら、一五%の残り容量では一年しかもたない、なんて話は嘘っぱちだからですわ」

 

 今度は、上条と神裂、両方の呼吸が死んだ。

 

「な、……私が科学に疎いからと言って、適当なことを言って丸め込もうとしたって、」

「そうではありません。…………そもそも考えてみてくださいな。こんなのは簡単な算数の問題です。仮に一〇万三〇〇〇冊がインデックスさんの脳の八五%を占めているとして――」

 

 この結論に至れたのは、俺が事前に物語としてこの事件の顛末を知っているからだ。

 多分、レイシアちゃんの知識を持っていたとして、前世の俺の記憶がなければ、こんなに早くこの事実に気付くことはできなかった。

 魔術なんてものがあるから何があるか分からない。そういう認識があるから、俺達が普段身を任せている『科学』の知識と、現実を結び付けられなくなる。

 だから、これは全部上条のお蔭だ。

 俺が隣にいない世界のアイツが、最後の最後まで必死で考え抜いて、それで見つけることができた正解。それが今、俺の口を通じて、よりよい未来の礎になってくれている。

 

「――――一年で一五%なら、何もしなくたって五、六歳で死ぬ計算になるではありませんか」

 

 あ、という呟きを漏らしたのは、果たしてどちらだったか。

 そんな特徴があるのであれば、それは不治の病としてもっと注目されて良いはずだ。有名になっているはずだ。それがないということは、つまり。

 

「そもそも、人間の脳はもともと、一四〇年くらい軽く記録するほどの容量を持っています。いくら完全記憶能力でも、脳が圧迫されて死ぬなんてことはありえません」

「……で、ですがっ! 彼女の頭の中には魔道書が……常識ではかれるはずがっ」

「ではその魔道書の記憶は、何か特別な方法で行われたものですか?」

「………………っ!!!!」

 

 当然、そうではない。

 あくまで魔道書を読むのは魔術でも科学でもない当たり前な行動の範疇。宗教防壁で防御したりするかもしれないが、その程度で脳の容量が異常に食いつぶされるわけではないということは、プロである神裂自身が()()()()()()()

 

「そして、記憶というのは全部一緒くたに保存されているわけではありませんわ。言葉や知識を司る『意味記憶』、習慣や手癖を司る『手続記憶』、そして思い出を司る『エピソード記憶』というように、色々な記憶が別の場所に保管されているのです」

「な、そ、それ、では……」

「ええ。いくら一〇万三〇〇〇冊があったとしても、それは単なる『意味記憶』。それで生命活動が脅かされることもなければ、『エピソード記憶(おもいで)』が圧迫されることも、()()()()()()()()()()()()のですわ」

 

 神裂は、しばし俺の伝えた事実を咀嚼しているようだった。

 咀嚼しなければ、とうてい呑み込めるような情報ではなかった、ともいえるが。

 

「そんな、……いや、でも! 実際に彼女は、インデックスは今まで何度も苦しんで来ました! いくら理屈の上では、科学(あなた)から見ればそうだとしても、実際に苦しんでいるということは――――」

「そんなの、テメェらの上司が何かしら細工を加えてたからじゃねえのかよ?」

 

 今度こそ。

 神裂の言葉が、完全に停止する。

 

「考えてみれば分かることだろ。あんな小さな女の子に魔道書の毒を全部押し付けて、それを良しとするような組織だぞ? 正しく使えば世界の全部を好きに作り替えられる『魔神』だって生み出せるんだぞ? …………そんなヤツらが、インデックスに何の首輪もかけねぇって、本気で信じてんのかよ?」

「……………………ぁ、」

 

 神裂の手が、腰に差した日本刀から離れた。

 それから、全ての力が抜けたかのように、地面に膝を突く。

 轟! と遠くの空で炎が燃え盛ったが、彼女はそんなことに意を介する余裕もなかった。

 

「そんな…………そんなの……それじゃ、私は、私達は、今まで、何のために……っ」

 

 それは、今まで俺達の前に立ちはだかっていた怜悧な魔術師の言葉ではなかった。

 これまでずっと、一人の親友のことを想ってきた少女の、深い悲しみの発露だった。

 ぽろぽろと、無表情だった神裂の目から、絶望の涙が零れ落ちていく。

 自分達がしたのは、インデックスを救うことなんかではなかった。仕組まれたレールの上に乗せられて、勝手に努力して、勝手に絶望して――勝手に親友を傷つけて。

 結局、独り相撲をしている哀れな道化(ピエロ)だったのだ――――なんて思っているのかも、しれない。思わせているのは、他でもない俺だけど。

 

「なに勝手に終わった気でいるんだよ」

 

 上条は、いつの間にかそんな神裂の目の前に立っていた。

 そして、地面についた手を、右手で引っ張り上げ、乱暴に彼女を立ち上がらせる。

 顔と顔がくっつきそうなくらいまで近づいた上条は、そのままこう言った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 …………やれやれ。

 結局は、上条が持って行くことになるわけだ。

 まぁ、そもそも俺の発案だって、元を正せば上条の発想のお蔭でできたようなものだし、そうしてくれた方が俺としてはおさまりがいいんだけどな。

 

「悪党の上司に騙されて、最愛の親友を追いかけ回していた滑稽な馬鹿で終わって良いのかって、そう言ってんだよ」

「…………でも、ですが、原因が分かったところでどうしようもないじゃないですか!! 私達だってインデックスのことを救う術を探した『回』はありました! 一年間ずっと探し続けました! ステイルなんかは、新たなルーン文字すら開発してみせて! それでも見つからなかったんですよ! 教会がインデックスにかけた首輪は、それだけ強力なんです!! 私達ではどうにもできなかったんですよ!? まして科学側(あなたたち)にどうにかできるわけないじゃないですか! そういう風に、()()()()()んです! この世界は! 結局本当に望んだものは手に入らないようなシステムが、組み上がって――」

 

 言葉の途中で、上条は神裂の額を人差し指で突く。

 神裂は驚いて言葉を止め、気付く。

 

「もう忘れたのかよ? 俺の右手が、何を殺すのか」

 

 神裂の目から、再び涙が零れ落ちる。

 だがそれは、もう悲しみの涙ではないだろう。

 

 涙の理由は、もう変わった。

 

 …………どこぞの傭兵の専売特許だけど、使わせてもらおう。

 

「本当に望んだものは手に入らないようなシステムが組み上がってる? ――――そんなふざけた幻想、欠片も残らずぶち殺してやる」




絶賛悪役令嬢成分消滅中ですが、もう少々お待ちください……。
現状は『上条当麻の物語』を『脇役A・レイシア』から見ているようなものとお考えいただければ。


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八話:魔道書は静かに微笑む

 結局、神裂とはその後別れた。

 作戦を始める前に、神裂の口からステイルに事情を説明し、彼を説得するということになったのだ。

 俺達は俺達で、その間にインデックスと合流し、事の次第を説明するということで結論が出た。

 

 …………まぁ、合流するのにはそこはかとなく時間がかかったが。

 

「まったく! とうまもレイシアも勝手に迷子になっちゃうんだから! 私は一生懸命探し回ったんだからね!」

 

 銭湯への道から外れた大通りをうろちょろしていたインデックスを発見したのが、つい数分前。探し回った時間は実に三〇分以上だ。

 そういえば、インデックスは完全記憶能力持ちにも拘わらず、重度の科学音痴によりこの街の街並みをなかなか覚えられないとかそんな話があったような気がする。実際のところ、実験都市ゆえに頻繁に作り替えられてるから記憶と一致しなくなってるとかそんなオチのような気もするが……。

 で、迷子になっていたインデックスは何もなかったかのようにぷりぷりと怒っている(逆ギレだ)が、俺達は何も言う気になれなかった。

 というのも、神裂から既に、インデックスがステイルに別口で追い回されていたことを教えてもらっていたのである。つまりインデックスは、俺達から離れている間にステイルに追い回されていたというのに、それでも何もなかったかのように振る舞おうとしている、って訳だ。……ここまでくるとなんか、泣けてくるよな。

 …………なんて、上条が呑み込めるキャラじゃないのは誰もが良く分かっているわけで。

 

「あの魔術師の仲間に会ったよ」

 

 上条が切り出した瞬間、インデックスの身体がこわばったのが見て取れた。

 

「俺達がいない間に、インデックスがアイツに追い掛け回されてたってことも教えてくれた」

「…………、」

「嘘を吐くのは、なしにしようぜ。俺に謝らせてくれよ。お前を一人にして悪かった。怖い思いさせて悪かった。…………そのくらい、言わせてくれ」

 

 てっきり怒ると思ってたんだが、意外と冷静だな、上条。

 これまでのイメージだと『そのくらいで俺が折れるとでも思ったのかよ、見くびってんじゃねえぞ!』くらいの熱いセリフをぶちかましかねないかなーと思ったんだが。……言いそうだよね? 上条だし。

 

「ご、ごめ、」

「インデックスさんが謝る必要はないのですわ。この場合、()()の落ち度ですので。だからどうこうという話ではないですから、素直に受け取ってくださいまし。……それより、謝罪合戦になる前に話しておくことがありますの」

 

 そこで、俺は話を断ち切って流れを切り替える。

 …………さて、こっからはひたすらインデックスには酷な話になるだろうが……。

 

 そうやって過保護に嘘を吐き続けることがフェアなやり方かって聞かれたら、申し訳ないが『無責任な外野』としては迷わず『NO』って答えられちゃうからなぁ。

 

***

 

第一章 予定調和なんて知らない Theory_is_broken.

 

八話:魔道書は静かに微笑む "Forget_Me_Not".

 

***

 

 そして。

 俺と上条、インデックスの前に、二人の魔術師は現れた。

 

「…………………………」

「……話は、全部聞いたよ」

 

 ステイルと神裂の表情には、()()()()。冷徹な魔術師そのものの表情だ。

 だが、俺達は既に知っている。その裏に、インデックスへの溢れんばかりの愛情を湛えているってことを。本当は抱き締めて、おでこをくっつけたりして笑い合いたいんだってことを。

 

「私が、一年ごとに記憶を消さないと死んでしまう――『首輪』をかけられているってことも、あなた達が、そんな私のことをこれまで支えてくれた親友()()()ってことも」

 

 対するインデックスの表情は、慈悲に溢れていた。あるいは、罪悪感に塗れていた。親友だった人達が自分の()()で苦しんでいると知れば、インデックスは悲しむ。彼女はそういう人間だ。

 そんなインデックスの横で、上条は言う。

 

「インデックスを助ける為には、俺達だけじゃ足りない。お前達の力が必要なんだ。この最悪な物語をぶち殺す為には。……だから、頼む。力を貸してくれ」

 

 そう言って、その右手を差し出す。

 神様の奇跡(システム)だって殺せる右手を。

 

「…………………………何か、勘違いしているようだが」

 

 ステイルは、あくまで無表情のまま、インデックスや上条の言葉を切り捨てるように言う。

 

「僕がこの場にいるのは、話し合いに応じたからなんかではない」

「っ!! ステイル!」

日和(ひよ)るなよ、神裂。僕達の至上命題は()()()()()()()()彼女の命を救うことだ」

「ステイル、テメェ……」

「気安く僕の名前を呼ぶな、能力者」

 

 その場の全員を敵に回しながらもステイルの眼光は少しも揺るがなかった。

 …………ステイルが意固地になっているとか、神裂が揺らぎやすいとか、そういう問題じゃない。……そんな言葉で割り切れるようなものでは、ないだろう、これは。

 

「確かに、インデックスには教会からの首輪がかけられているんだろう。僕達は騙されていた。それは認めてやる。だが、お涙ちょうだいのギャンブルなんて不確かなもので彼女の命を左右するのが『彼女の為』か? 『首輪』を壊して、その後何が起こるかも検証できていないのに? そんなものが彼女の為というのなら、彼女の為じゃなくたっていい。僕は、完全に、僕だけの自己満足の為に、彼女の命を()()()()()()()()救ってやる。その為なら誰だって、何だって殺す。たとえ、彼女そのものを敵に回したとしても、」

「お願い」

 

 インデックスは、あくまで冷徹に振る舞うステイルに、そう言った。

 

「…………私は、とうまやレイシア……かおりやステイルと()()()()()()()()私を捨てたくない。ステイルが私のことを想っていてくれているのは、分かるよ。だから、これは私のわがまま。――――()()()()()()()()

「…………………………………………ッッッッッッッッ!!!!!!!!!!」

 

 ステイルは、奥歯が砕け散るくらいきつく歯を噛み締める。数瞬の沈黙があった。

 そして。

 

我が名が最強である理由をここに証明する(Fortis931)

 

 …………それは、ステイルの言うところの殺し名だった。

 ただし、『それ』には…………魔法名には、また別の意味合いも込められている。

 

 たとえば、魔術師が魔術という超常を頼るに至った、一番最初の望み、とか。

 

「分かった、ああ分かったよクソったれ!! 僕の信念は君のことを救うことだ。その為なら、誰だって殺し尽くしてみせる! ――――その信念だって、例外では、ない!!」

 

 そう、言ってみせた。

 その一言を絞り出すのが、どれほどの苦痛だったかは、俺には計り知れない。だが、決断してみせた。なら、あとはもう、全力でやるだけだ。

 

「掴み取ろうぜ魔術師。科学と魔術が交差した、最高のハッピーエンドってヤツを!」

 

 上条は結局、差し出した右手を一度もひっこめなかった。

 つまりは、それがアイツの覚悟。

 ステイルは、そんな上条の右手を、黙って荒々しく掴み取った。

 

『前回の物語』は、一人の少年が理不尽な神様のシステムから一人の女の子を救うお話だった。

『今回の物語』に、救う側とか救われる側とか、そんなくだらない枠組みは存在しない。

 登場人物全員が、ただ幸せを掴むために協力し合うんだ。

 

***

 

「女、僕は貴様を絶対に許さないからな」

 

 その後。

 各々が準備を始めたその横で、ステイルはそう吐き捨てて俺のことを睨みつけた。全員が協力し合うとか言った直後に随分な有様だな…………。

 …………まぁ、コイツの性格上、こうなることは想像できてたわけだが。

 

「神裂から聞いた。今回の作戦は、全部貴様の発案だと」

「…………それで?」

「確かに、彼女は僕達の所業を許すかもしれない。底抜けのお人好しだからね。だが、許すと同時に彼女は苦しむ。自分の事情の為にかつての友人がそれほど苦しんでいたんだ、と。それが分かっていながら、貴様は彼女に()()()()()()()()()()()()()()()()()。それは、どんなに取り繕ったとしても万死に値する。彼女との和解の道を示されて僕が感謝するとでも思ったか? …………僕を馬鹿にするのも大概にしろ」

「憎んでくださって大いに結構」

 

 俺も、こんなことをして感謝してもらえるとは思っていない。

 俺は、本心ではインデックスとまた仲良くしたい神裂と違って、ステイルがインデックスに『何も知らずに幸せになって欲しい』と望んでいることを知っている。そういう方向に()()()()()()()()()()()()()ことも知っている。ステイルや神裂との別れの苦しみなんて、知って欲しくないって思っていることも、知っている。

 …………たかが小説を読んだだけだ。だが、()()()()()()()()()()()()、コイツがそのくらい筋金入りだってことは分かる。

 だいたい、感謝してほしくてやるだけなら、上条がやった通りのことをなぞれば良いだけの話なんだ。そうすれば、ステイルの望みは()()()()()()()()達成されるわけだし、皮肉交じりでも感謝はされただろう。

 それでもなお、ステイルに恨まれるであろうと理解しながらこんなことをしたのは。

 

「ですが、彼女はこの程度の苦しみも乗り越えられないほどやわではありません」

 

 最終的には、俺が知っているよりもずっと幸せな結末を迎えられると確信しているからだ。

 最初は罪悪感や悲しみで苦しむかもしれない。人間関係の衝突があるかもしれない。でも、それすらなかったら永久に『そこで終わり』なんだ。衝突して、一時苦しませてしまうかもしれないけど、そのことで恨まれるかもしれないけど、それを恐れていたら、何も掴めない。

 そしてそれは、長期的に見れば――インデックスにとっては悲劇でしかない。知らないから苦しくないなんて、そんなのは詭弁だ。

 俺は、そんな恐怖を乗り越えて世界の全てを敵に回し、そしてハッピーエンドを掴み取った一人の『どこにでもいる平凡な高校生』を知っている。

 極論を言えば、今この時点でコイツらにどう思われても、()()()()()()()()()()()()()。全部受け入れて、それから乗り越えていく覚悟はもうできている。

 

「結局は『無責任な外野』の余計なおせっかいですわ。ただし」

「……『ただし』、なんだ」

「わたくしは、この選択によって、確実に笑顔の数が増えると思っています」

 

 この選択によって、いずれ必ず、ステイルや神裂とインデックスが笑い合える未来が来る。

 俺にとっては、そんな未来の構築に比べれば、ステイルに憎まれるくらいどうってことない。

 

「…………チッ。あの男の手をとった以上、協力はする。だが、僕が貴様を殺す理由がなくなるわけではないということを肝に銘じておけよ」

 

 ……………………。

 …………あー、でも、レイシアちゃんごめん。

 なるべく、レイシアちゃんが戻るまでに悪感情は緩和できるように努力するから……。




次で旧約一巻分のストーリーは終わりになります。
中の人の言う『無責任な外野』というのは、文字通りの意味というより『責任を負ってはいけない立場にいる』という感じが強いです。
なのでステイルのヘイトを抱えるのはアレなのですが……まぁ、なんだかんだステイルはツンデレなので大丈夫でしょう、多分。


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九話:その幻想をぶち殺す

 作戦は、真夜中の一二時に決行されることになった。

 場所は、上条が神裂達と出会った場所。第七学区の中心街、四車線ある車道のど真ん中だ。両脇をビルに囲まれてはいるが、真上は大空。『人払い』のお蔭で住人がこの場に居合わせることもなくなった。

 ここなら、人払いもあるので誰かを巻き込む心配もない。

 それに、流石に小萌先生の家がブッ壊れるのは忍びなかったしな。

 

 作戦決行に、インデックスを中心に俺達はインデックスの『首輪』がどういうものなのか、壊したらどんなことが起こるのかを推測していく。

 

「インデックスに『首輪』があるとすれば、破壊されたからと言って全て終わりになるとは思えません。『首輪』を破壊した何者かを殲滅する為の仕掛けが施されていると考えて間違いないでしょう」

「おそらく、『首輪』の防護機能は一〇万三〇〇〇冊の力をフルに使って敵対者を殲滅しようとするだろうね。ただし、一〇万三〇〇〇冊が万能でもそれを操る防護機能まで完璧とは限らない。最初の一撃は、『首輪』を破壊した能力者、君の弱点を突くものになるはずだ」

「…………つまり、そこに付け入る隙が生まれる。上条さんの幻想殺し(イマジンブレイカー)だけを徹底的に潰す術式だからこそ、わたくしや神裂さん、ステイルさんが太刀打ちできるかもしれない」

「ただ、それだってどこまで時間稼ぎできるかは分からないんだよ」

「その時間稼ぎが終わる前に、俺がもう一度インデックスに触れれば、全て片付く。そういうことだろ?」

 

 俺達は、一つ一つ、条件を吟味していく。

 俺の知る歴史とは違って、インデックスの時間はまだまだ一週間ほど残されている。だから、俺達はじっくりと精神的余裕を持って条件を確認することができた。

 

「…………教会の保険、ということを考えると、『自動書記(ヨハネのペン)』が使う魔術には十中八九、制御を逃れた私から一切の記憶を消し飛ばす術式が仕込んであると思う」

「……確かに、言われてみれば」

「問答無用でダイレクトに記憶を消し飛ばす術式を仕込めるなら、わざわざ僕達を使わずそう設定していればいいだけの話のはずだ。『そういう体質』とでも言えば疑問も出ないだろうし」

「…………とすると、何かしらの前兆が現れるはずですわね」

「それなら俺の右手で殺せる」

 

 大切な人の為に、最善を尽くす為の環境が整う。

 

「インデックスの身体には何度となく触った。インデックスを苦しめる術式は、普通は触ったりしないような場所にあるはずだ」

「おい、待て能力者。彼女の身体に触っただと?」

「やましい意味はございませんわ。わたくしも一緒にいましたから間違いありません。……それと、おそらく体表にはないかと。身体を拭いたりしたので確認は済ませております」

「ぐ、ぐぐ…………」

「とすると――――一体、どこに?」

「……多分、口の中、じゃないかな?」

 

 当事者であるインデックスが、結論を出した。

 

「頭蓋骨がある分、喉の奥は頭よりも脳との直線距離は短い。使い魔の術式もそこに仕込むことが多い。術式を仕込むとしたら、一番適しているのはそこだと思うんだよ」

 

 そうして。

 全ての条件が、出揃った。

 インデックスを救うための、準備が整う。

 

 インデックスが大きく口を開け、その内部を晒してくれる。

 俺を含めた四人の視線が集中し、インデックスは軽く頬を染める――――が。

 

「……………………………………」

 

 俺達は、そんなインデックスの反応を微笑ましく思う余裕すらなかった。

 脳に一番近く、それでいて、他人に一番見せることのない、赤黒い肉の奥。

 そこに、悪い魔術師の工房に刻まれているような不気味に真っ黒い紋章が刻まれていたから。

 

「答えは、見つかった」

 

 ステイルが立ち上がった。

 

「私達のすべきことも、また」

 

 神裂が刀に手をかけた。

 

「わたくし達の準備は整いました」

 

 俺も、自らの裡に渦巻く『力』を意識する。

 

「――――インデックス。準備は良いか?」

 

 上条が、右手を差し出す。

 

「……うん。お願いとうま。…………みんな。私達が笑顔になれる結末の為に」

 

 インデックスはそう言って、

 

()()()()()

 

 大きく、大きく、口を開けた。

 

「ばーか、殺すのはお前じゃねえ」

 

 上条は、小さく笑って、こう付け加える。

 

「こんなクソったれな筋書きに俺達が乗るとか考えてやがる、クソったれな神様の幻想(システム)だよ」

 

 右手を、突き入れる。

 まるで、聖剣を掴みとる若き王のように。

 そして。

 

 バギン!!!! と何かが粉々に砕け散る音が響いて、上条は吹っ飛ばされた。

 

 だけどきっと、この瞬間に上条は掴み取ったんだろう。

 王の証に匹敵するくらい、大切なものを。

 

***

 

第一章 予定調和なんて知らない Theory_is_broken.

 

八話:その幻想をぶち殺す Imagine_Breaker.

 

***

 

「――警告、第三章第二節。Index-Librorum-Prohibitorum――禁書目録(インデックス)の『首輪』、第一から第三まで全結界の貫通を確認。再生準備……失敗」

 

 ――上条が吹っ飛ばされた直後、インデックスは目に見えて変貌(かわ)った。

 一気に数メートルも吹っ飛びそうな上条の背後に回り込んだ神裂が、上条のことを受け止める。

 

「っ()う……」

「しっかりしてください。貴方が今回の作戦の核なんですから」

「そんなこと言われてもアレは予想できねえだろ」

 

 上条は言いながらも、インデックスの方を見据える。

 インデックスの瞳は、真っ赤に輝いていた。

 もちろん、彼女本来の瞳の色ではない。

 彼女の瞳の奥に描かれた、血のように赤い不気味な五芒星の文様が、輝いているのだ。

 

「………………あれが『首輪』。そういえば、小萌先生のところでああなっているインデックスさんを見ましたっけ」

 

 レイシアとステイルが、遅れて上条の近くまで後退する。

 彼女達の役割はあくまで上条の援護。ああなったインデックスを止められるのは、上条の右手以外にない。近づくことに戦略的価値はなかった。

 そんな四人を尻目に、インデックスは――――『自動書記(ヨハネのペン)』は、囁くように言う。

 

「『首輪』の自己再生……不可能。他、三名の敵兵も確認。戦場の検索を開始……完了。現状、一〇万三〇〇〇冊の保護のため、最も難度の高い敵兵『上条当麻』の迎撃を優先します」

「これが…………これが、あの子を苦しめ続けてきたものの正体か」

 

 ステイルは、静かに両手を広げる。

 ルーンについては、既にこの三日間で準備し尽していた。マンションの戦闘では、魔女狩りの王(イノケンティウス)は再生のラグを突かれて縫い止められていたが、より広範囲に大量のルーンを貼ればそれだけ出力も上がる。

 今日は、レイシアの能力を受けても問題なく再生しながら動けるように状況を整えてきたつもりだった。

 でも、本当はそんなことの為に魔術(ちから)を手に入れた訳じゃない。研ぎ澄ませた訳じゃない。

 今、本当の意味で、彼の望んだとおりの方法で、力を使うことができる。

 ――――大好きな少女を、この手で守る為に!!!!

 

「――『書庫』内の一〇万三〇〇〇冊により、防壁に傷をつけた魔術の逆算を開始……失敗。該当する魔術は発見できず。術式の構成を解析し、対侵入者用の特定魔術(ローカルウェポン)を構築します」

「……そう言や、聞いてなかったっけか」

 

 上条は不敵に笑いながら、

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 つまり――これが原因。

自動書記(ヨハネのペン)』。

 これの稼働を助ける為に、インデックスはあらゆる魔力をつぎ込まれてしまい、自分の為に魔力を練ることができないでいたのだ。

自動書記(ヨハネのペン)』は、ロボットが動くような機械的で緩慢な動きのまま首を傾け、

 

「――――侵入者個人に対して最も有効な魔術の組み上げに成功しました。これより特定魔術『(セント)ジョージの聖域』を発動、侵入者を排除します」

 

 びし、びしびしびしびしびしし!!!! と凄まじい音を立て、『自動書記(ヨハネのペン)』の両目に刻まれていた五芒星――いや、『魔法陣』が一気に広がった。

 レーザーで空中に投影されたかのような魔法陣が、二つ。中途半端に重なり合うように展開される。

 二つの魔法陣は『自動書記(ヨハネのペン)』の瞳の動きと連動しているようで、『自動書記(ヨハネのペン)』の頭が幽鬼のように揺らめくたびに、僅かに揺れていた。

 と、

 

「   。     、」

 

自動書記(ヨハネのペン)』が、人の耳では聞き取れない『何か』をうたった瞬間。

 彼女の眼前に黒い亀裂が走る。

 そして、その『中』。

 脈動するように亀裂が膨らむと、次の瞬間――――、

 

「ぉ。お、おォォォォおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!」

 

 ゴッ!!!! と亀裂の奥から、横倒しになった光の柱が飛び出して来た。

 

 それは上条の右手にぶつかると、ゴッシィィィイイイイン!!!! と強烈な音を立てて受け止められる。

 しかし、上条もただでは済まなかった。

 右手が光に吹っ飛ばされないよう、左手で抑えないといけない。動くことなどもっての外だった。

 それだけではない。

 光が、上条の右手を少しずつ浸食していた。

 

(な、あ、んだ、これ……!? 光の粒子の一つ一つが、まるで違う質になってやがるぞ!?)

 

 おそらくこの光は、一つ一つが彼女の脳内に『蔵書』されている魔道書の原典。

 一〇万三〇〇〇にも及ぶおぞましい『違法則』の束に、上条の右手の処理能力が追い付かなくなっているのだ。

 

「――――竜王の殺息(ドラゴンブレス)か! あの子の一〇万三〇〇〇冊は、お前の能力の弱点を徹底的に突いてくるぞ!」

 

 それを受けて、ステイルが動き出す。

 彼の背後に、炎と重油で構成された裁きの巨人が生み出される。

 

「――魔女狩りの王(イノケンティウス)!! 我が名が最強である理由をここに証明しろ!!」

 

 炎の巨人は、上条と光の柱の間に割って入る。

自動書記(ヨハネのペン)』は上条を優先的に殺す為に『光の柱』ごと首を振りまわす。が――それに追いすがるように、魔女狩りの王(イノケンティウス)も移動してそのルートを遮る。

 炎の巨人は光の柱を浴びて飴細工のように溶けだすが、すぐさま再生されて人の形を取り戻していく。

 

自動書記(ヨハネのペン)』には、弱点が存在する。

 レイシア達が想定した弱点だが――『自動書記(ヨハネのペン)』は、正確にはそのAIとも呼ぶべき判断機能は、禁書目録(インデックス)を守る最後の防壁ゆえに、正確()()()可能性が高い。

 確かに、『自動書記(ヨハネのペン)』は一〇万三〇〇〇冊の魔道書の知識を有し、それを駆使して敵対者の扱う術式を解析する。その中に含まれていない上条の右手に対する最適解を導き出せるところからして、魔術でなくともその優位は変わらない。

 敵対者が『最も嫌がる』その一手を、どこまでも無慈悲に、どこまでも冷酷に、そしてどこまでも的確に突くことができる。

 

 だが一方で、彼女はそれ()()できない。

 提示された障害にだけ特化した、最悪の一手を打つことしかできない。

 

 なら、人員を逐次投入すればいい。

 同時に投入したなら一気に解析されて対策されてしまう。だから、『自動書記(ヨハネのペン)が導き出した最適解から外れた一手』を紡ぎ出せる人員を少しずつ出すことで、時間を稼ぐ。

 上条の右手が攻略されたなら、ステイルのルーンを。ステイルのルーンを攻略されたなら、神裂の鋼糸(ワイヤー)を。神裂の鋼糸(ワイヤー)が攻略されたなら、レイシアの能力を。

 そうして、上条が幻想を殺すまで『間を持たせる』のが、レイシア達の選んだ戦法だ。

 

自動書記(ヨハネのペン)』は、ステイルの術式にも淀みなく呟いた。

 

「――警告、第二二章第一節。炎の魔術の術式の逆算を完了しました。曲解した十字教の教義(モチーフ)をルーンにより記述したものと判明。対十字教用の術式を組み込み中……第一式、第二式、第三式。命名、『神よ、何故私を見捨てたのですか(エリ・エリ・レマ・サバクタニ)』完全発動まで一二秒」

 

 すると、光の柱が見る見るうちに血のような深紅へと変貌していく。

 十字教対策の術式。

 無敵たる『神の子』が最期に吐き捨てたとされる、自らの信じる神への悲痛な叫び。

 あらゆる十字教の信仰を、根本から否定する術式だ。

 その破滅の光を受けて、不死身のはずの魔女狩りの王(イノケンティウス)が、再生されることなくダイレクトに削れていく。

 

「チッ……! 流石に魔導図書館(インデックス)なだけはあるか……!」

「よくやりましたわ、お次はわたくしの出番ですわよ!!」

 

 歯噛みする魔術師と交代するように、金髪碧眼の令嬢が躍り出る。

 その右手から迸った透明な『亀裂』が、『自動書記(ヨハネのペン)』の足元の地面へと向かっていく。

 

「――警告、第三六章第九節、至近に地上を分断することによる極微小な界力(マナ)の乱れを検知。このままでは禁書目録の肉体に危害が及ぶ恐れがあります」

 

 もちろん、インデックスに害を及ぼす意思はレイシアには存在しない。

 だが、『自動書記(ヨハネのペン)』の判断機能は身近に迫った危機に愚直に対応してしまう。

 

「――『書庫』内の一〇万三〇〇〇冊により、同魔術の逆算を開始……失敗。該当する魔術は発見できず。術式の構成を解析し、対攻撃者用の特定魔術(ローカルウェポン)を構築します」

 

 そしてその亀裂がインデックスの足元周辺を切り刻んだ、ちょうどその時。

 

「――攻撃者の魔術は四大元素の繋がりの一部を分断するものであると判明。()()()()()()()()()()()()()()()』、『()()()()()()()()()()()()()ものと思われます。――――攻撃者個人に対して最も有効な魔術の組み上げに成功しました。これより最優先で特定魔術『ゴルゴダに眠る聖域』を発動します」

 

 瞬間、張り巡らせていたはずの『亀裂』が急に一ミリも動かなくなる。

 現代科学によって生み出された新物質では、早々止めることのできない白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の亀裂が、だ。

 だが、自分の唯一無二の能力が止められても、レイシアは微塵も慌てない。彼女の果たすべき役割は、既にこなされている。

 この術式によって、『(セント)ジョージの聖域』の動きは一瞬だけ鈍った。

 

「神裂さん、準備は良いですわねっ!!」

「勿論、すぐにでも!!」

 

 それを受けて、神裂が動き出す。

 

「私の願いは、ただ一つ」

 

 刀に手を添えた神裂が、秘めたる想いを叫ぶ。

 

救われぬ者に救いの手を(Salvare000)!!!!」

 

 風が――いや、そう見えるように偽装された無数の鋼糸が、複雑な魔法陣を築き上げる。

 そして、生み出された魔術が、レイシアがバラバラに斬り裂いた『自動書記(ヨハネのペン)』の足元の地面を吹き飛ばす。足場を崩され、強制的に真上を見上げさせられた『自動書記(ヨハネのペン)』の真っ赤な光条が、天を突き破る。どこかのビルの壁面を掠ったのか、ジュッ、というあっけない蒸発の音も聞こえた。

 空を裂き、雲を破り――――天をも貫いた。

 

 だが。

 

 その空隙は、上条にとっては最大のチャンスだった。

 

 一歩、二歩と、上条は『自動書記(ヨハネのペン)』へ――いや、それにとらわれている一人の少女へ歩みを進めていく。

 広がった過程は、この結果へと集約されていく。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(…………神様)

 

 上条は、五指を思い切り広げる。

 

(この物語(せかい)が、神様(アンタ)の造った奇跡(システム)の通りに動いているっていうんなら――――)

 

 まるで、掌底でも浴びせるように、

 

(――――まずは、その幻想をぶち殺す!!)

 

***

 

 ッソ、だろ…………っ!!

 

 その瞬間、俺は戦慄していた。

 だって、そうはならないように仕組んだ。危険は排除した、つもりだったのに。

 

 …………一つだけ。

 上条達には伝えていなかった事実がある。

 

 それは、この作戦を考案した理由。

 

 ステイルや神裂とインデックスの仲を取り持つ。嘘じゃあない。本当のことだ。そうなる未来を作る為にやったっていうのは、紛れもない事実。

 でも、それだけじゃなかった。

 上条当麻を、死なせない。

 破滅の未来を知っておきながら、友人が死ぬのを見捨てられない。

 …………それが、俺がこの一連の作戦を考案した、最大の理由だ。

 小萌先生の家ではなく、だだっ広い屋外を選んだのは……被害の問題もあるが、『竜王の殺息(ドラゴンブレス)』の特性の方が大きい。

 

 竜王の殺息(ドラゴンブレス)は、その光条が食い破った万物を、『記憶を破壊する白い羽』に変換する特性を持っている。

 

 …………なんて、小説で明言されていた訳ではない。

 でも、俺は記憶している。印象的なシーンだったから覚えている。竜王の殺息(ドラゴンブレス)に破壊された小萌先生宅の天井が、そのまま白い羽になったのを。

 それが生じてしまったら、おしまいだ。上条はインデックスを救うことにかかりきりになる。無数の『白い羽』からインデックスを守ろうとして、自分自身の守りは疎かになる。

 

 だから、屋外を選んだハズだったのに――――。

 

 ――――何故、上条の頭に無数の白い羽(それ)が降り注いでやがる!?

 

 咄嗟に辺りを見渡し……そして気付く。

 俺達の頭上、そのビルの一角…………そこが、竜王の殺息(ドラゴンブレス)に食い破られていることに。

 …………甘かった…………!!

 考えてみれば、当然のことだ。竜王の殺息(ドラゴンブレス)の照準は、インデックスの視線に対応している。小説では『天井』っていう『比較的近い位置』にあるものにしか干渉していなかったからその特性は大きく関与しなかったが、屋外になれば話は変わってくる。

 突然転ばされて、視線が強制的に頭上に移れば――当然、視線は大きく泳ぐ。

 その中で、一瞬でもビルに視線の焦点が合わないことなんて、果たして有り得るか?

 

 …………答えはNOだ。

 

 

 そして、そこでしくじったからといって俺が諦められるかどうかって答えも、同じだ!!

 

「ックソ、ここロミでや樫ピ終わら%Aコロ厭るか。こセリま$$、やっ9&埀だ………………ッッ!!!!」

 

 俺は、自分にできる最速で『亀裂』を束ねる。

 脳裏に、瀬見さんの台詞が脳裏をよぎる。

 

『応用すれば、ある種の気流操作も行えるようになるかもしれないわ』

 

 どういう風に? と聞いた俺に、瀬見さんは答えた。

 

『簡単な話よ。「亀裂」を蛇腹状に……あるいは蛇腹でなくとも、とにかく「重ねる」ように展開するの。すると、その部分に真空地帯が展開される。「面」を重ねれば「立体」が作れるってことね。そして解除すれば――そこに空気が流れ込む。あとは流れ込む空気の量や方向性などを計算すれば、望む方向に望む風力の気流を生み出せる、という訳ね』

 

 そりゃ、とんでもない力技だ。繊細な計算も必要になることだろう。実験で練習した後ならともかく、ぶっつけ本番でやるなんて、正気の沙汰じゃないと俺の中の常識的な部分が言っている。

 

 俺のいない世界では、上条はそうして死んでいった。

 

 じゃあ、今回もそうなるのか?

 

 予定調和の結末みたいに、何一つ変わりなく、上条当麻は『死ぬ』のか?

 

 ……………………そんなの、認められるわけがないだろ。

 

 予定調和なんて知らない。

 

 正気の沙汰じゃなくてもなんでも、やるんだ。やらないと、上条が死ぬんだから!!

 

 その為に必要なものなら、何でも掻き集める。無理だって通す。

 

 最高のヒーロー上条当麻を――じゃあない。

 俺の『友人』を、守り抜けるように!!!!

 

「上、マ#ォォォおおおお楚)&シユおおおお儕亟おおッッ!!」

 

 折りたたんだ『亀裂』を、一気に解除する。

 瞬間、追い出されていた空気が俺の思い描いていた形に流れ込み、計算通りの『暴風』を生み出した。

 

 それは、上条の方へと狙い過たず流れていく。

 

 

 

 そして。

 

 そして。

 

 そして―――――、

 

***

 

『脳に情報が残ってないなら、一体人間のどこに思い出が残っているって言うんだい?』

『どこって、そりゃあ決まってますよ。――――心に、じゃないですか?』

 

 ……………………。

 翌日。

 俺は、病室の前で、立っていた。

 ここに来る途中、ぷりぷり怒ったインデックスとすれ違った。つまり、そこは上手く片付いたのだろう。

 

 

 上条当麻は、死んだ。

 

 

 それを認められるくらいに、心の整理は、既についていた。

 ついて、しまっていた。

 

 …………俺の生み出した暴風は、成功した。

 流石に人間を吹き飛ばすほどにはならなかったが、それでも羽毛くらいなら上条に届かないくらい遠くまで飛ばせる――はずだった。

 俺は、見逃していた。

 あの白い羽が、魔術の産物であるということを。

 落ちているように見えるからといって、通常の物理法則を受け付けているとは限らないということを。

 相手は、禁書目録(インデックス)の首輪を構成する最後の魔術だったのだ。

 上条の右手だからこそ『打ち消せたかもしれない』ほどの、超弩級の魔術の産物に、たかが超能力の余波で対抗できるはずが、なかったのに。

 ……俺は、そんなことにも気付けなかった。

 吹き荒れた風は上条の身体を多少よろめかせた程度に終わった。物理現象である風は魔術的な存在である白い羽には干渉できず、アイツは――――上条は最後、インデックスに笑いかけたまま、全身に白い羽を浴びて、死んだ。

 ……………………俺は、そうなることを事前に分かっていたはずだったのに。

 

 と、ガラリと病室の扉が開き、先程まで上条と話していた医者――冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)先生が出て来る。

 

「……おや、久しぶり。通院日はまだだけど…………君はこの病室のお見舞いかな?」

「そうですが、どうかしました?」

「もしかして聞こえてしまっていたかな、とね?」

「はぁ…………何のことか分かりかねますが」

 

 俺は肩を竦め、

 

「あの子の様子だと、()()()()()()()()()で何よりですわ」

 

 俺は、そう言って冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)先生の脇を通り過ぎる。

 

「ああ。君の方も、()()()()()()()()()で何よりだよ?」

「…………」

 

 平静を装ったつもりだったけど、多分気付かれてるんだろうな。あの感じだと。あの人妙に鋭いから怖い。入院前からの付き合いだったら、俺の人格が変わってることまで余裕で見抜かれそうだ。

 

「…………あ」

 

 病室に入ると、上条はびくりと身体を震わせた。

 少し、不安そうに。

 

「…………」

「お、あーと……お久しぶりでございます?」

 

 上条は、探るような調子でそう言った。

 その様子は、やはり俺の知る『上条当麻』ではない。

 もっと透明な――――初対面の少年だった。

 

「…………」

 

 当たり前だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 上条が記憶を失っているからといって、それで折れてしまうほど弱い訳でもない。友人として死を悼みはするが、それ以上に心が崩れることはない。

 上条の方も、俺に対する遠慮はそこまでないだろう。

 だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()も、あるにはある。

 それが、こんなことにしてしまった俺の責任でもあると――――、

 

 …………いや、言い訳はやめよう。

 

 そう、これは言い訳だ。『失敗』した俺は、そうすることで、記憶を失った上条の助けになることで、『分かっていたくせに結局守れなかった』という負い目を消したいだけだ。

 でも、そんな感情で動くヤツが上条の助けになれるわけがない。

 そもそも、上条にはこの問題を自力で乗り越えるだけの力がある。乗り越えることができるヤツの前に立ちはだかる試練を、前もって排除することは、必ずしも良いことじゃない。そんなやり方は、俺が否定したステイルや神裂とインデックスの在り方そのものだ。

 

 ――――それに、この身体はレイシアちゃんのものだ。

 俺は、いずれ消え去ってしまう残像のようなものでしかない。

 元に戻った時、上条当麻の理解者っていう『重責』をレイシアちゃんに押し付けるような選択は、選べない。

 弁えろ、()()()()()

 このあたりが、分水嶺だ。

 俺の至上命題は、生きる気力を失った女の子を、もう一度立ち上がらせること。

 これ以上は、それを蔑ろにしてしまう。

 

 だから、いい加減に別れを告げろ。

 

 ()()()

 

 上条当麻は、死んだんだ。

 

「…………………………あの、」

「……いやいやいや。お互い、よく生き残れたなと感慨に浸っていましたの」

 

 ……笑みは、おそらく自然なものだったと思う。

 そうして俺は、()()()()()()()()()()()()()()()に心の中で別れを告げ、言う。

 

「しかし、お久しぶりとは白々しいですわね、昨日ぶりでしょうに。……とはいえ、お元気で何よりですわ、()()()()()()()()()




『文字化け』の裏に隠された真の台詞はこちらになります。

「ックソ、ここロミでや樫ピ終わら%Aコロ厭るか。こセリま$$、やっ9&埀だ………………ッッ!!!!」

「ックソ、ここまでやって終わらせられるか。ここまで、やったんだ………………ッッ!!!!」

「上、マ#ォォォおおおお楚)&シユおおおお儕亟おおッッ!!」

「上、条ォォォおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」


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おまけ:禁書目録の少女の雑感










 ――――よかった。本当に、よかった。

 

 上条当麻の()()を確認できたインデックスの心は、そんな安堵の言葉でいっぱいだった。

 上条が死なずに済んだ――というのももちろんそうだが、とある少女から()()()()()()()()()を奪わずに済んだ、という意味でも。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()………………ッッ!!!!』

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ッッ!!』

 

自動書記(ヨハネのペン)』が破壊される間際。

 インデックスは、確かにそんな少女の悲鳴を聞いた。

 思えばそれが、いつも落ち着いていて、どこか他人事のような気さえさせてくる少女による、初めての激昂だったかもしれない。

 

***

 

第一章 予定調和なんて知らない Theory_is_broken.

 

おまけ:禁書目録の少女の雑感

 

***

 

 最初に出会ったのはいつか――と聞かれたら、出血で意識が朦朧としていて、上条の背中の中でぼんやりと『これからどうすればいいか』を話していたときだっただろう。

 ただ、そのときの激痛で霞んだインデックスの視界は、彼女の姿をとらえられていなかった。

 だから、彼女の意識の中で『一番最初に出会ったとき』と言えば、それは彼女が回復魔術で一命をとりとめ、意識を取り戻した時だった。

 

 率直に言って――――インデックスの彼女に対する第一印象は、『キツそうな人だな』だった。

 吊り上がった青い瞳は相対するインデックスにどことなくプレッシャーを与え、固く結ばれている口元からはどこか神経質そうな印象を受けた。

 もちろん、だからといってインデックスは印象で他人を差別したりはしない。あくまで印象の話である。

 

『……そういえばお二人にはまだ名乗っておりませんでしたわね。わたくしはレイシア=ブラックガード。常盤台中学の二年生ですわ。上条さんとは……そうですわね、戦友、といった間柄でしょうか』

 

 そんなことを言う彼女――――レイシアの表情は、自信に満ち溢れていた。

 上条との関係に言及するとき、一瞬上条に目くばせした彼女の表情にも、何か悪戯っぽい余裕すら感じられた。

 苦笑する上条との間に、インデックスの知らない『何か』があるように思えた。

 だから……インデックスは、そこで少しだけ、彼女の知らない上条当麻を知っているレイシアに嫉妬した。

 考えてみれば当然のことではある。上条当麻とインデックスが出会ったのはその日の朝のこと。知らないことがあるのは当たり前。知らない関係性があるのは当たり前。当たり前だが――――それでも、インデックスの心にはもやもやしたものが生まれていた。

 

『…………レイシアは、とうまの彼女なの?』

 

 ――『二人は付き合っているの?』ではなく、あくまでレイシアに問いかけたその言葉に、インデックスの秘められた心情が乗っていたと言っても過言ではないだろう。

 ただ、インデックス自身、この時点では自分が嫉妬しているということにすら気付いていなかった。この頃はまだ自分の上条への思いをはっきりとは自覚していなかったし、レイシアへの気遣いからの発言というのも決して嘘ではない。

 ただそれでも、上条やステイルの言うような『底抜けのお人好し』『善人』でない側面の――インデックスの中の等身大の少女としての部分は、心のどこかに棘が刺さったような、もやもやした悪印象を感じていた。

 

 ただ、そんな悪印象はすぐに覆った。

 分かりやすく慌てた上条や、どこか呆れたレイシアの二人からは、そんな色気のある関係性はまるで見いだせなかったからだ。

 少なくとも、上条の方からは、確実に。

 

「……ねぇ、レイシア。レイシアはどうして、私のことを助けてくれるの?」

 

 そんなやりとりのしばらく後。

 インデックスは、濡れタオルで身体を拭かれながらそんなことを問いかけていた。

 上条は、なんとなく分かる。彼は、そういう人間だ。自分が助けたいと思ったら、もう合理性とかそういうものを全部無視して突っ込んで行くタイプの人間だ。

 だがレイシアは違う、とインデックスは思う。

 いつも落ち着いているし、利害損得についていつも意識している、実に『常識的』な価値基準を持っているように思えた。

 実は、彼女と上条が恋人同士なのでは、なんて思った背景にも、それがある。レイシアがインデックスを助ける合理的な理由が、それ以外に思いつかなかったのだ。

 実際のところ、インデックスの推測は当たっている。

 レイシアは自分が干渉しなくともインデックスが救われることは知っていた。彼女がこの件に首を突っ込んだのは、インデックスとステイル、神裂の関係性について思うところがあったり、上条当麻の一度目の死を食い止めたかったりしたからだ。

 そこに、『インデックス個人を救いたい』という強い意識は、確かに希薄だ。全くないというわけでもないが。

 ただ、流石にインデックスもそこまでは分からない。だから、上条とレイシアが恋人同士ではないと分かった今、余計に分からなかった。

 

「科学サイドの住人のレイシアにとって、私を助けても得なんかないよね? 学校の都合だって悪いのに、どうして?」

「どうして……、と来ましたか…………」

 

 レイシアは、少し困ったように呟いた。そんなことを問われること自体が予想外という感じのリアクションに、インデックスは失礼なことを言ったかな、と自分の言動を少しだけ後悔する。

 多分、上条だったら『そんな馬鹿なこと聞いてんじゃねーよ』なんて言ってでこピンするような場面だろう。

 しかし、レイシアは苦笑を浮かべながらこう返した。

 

「強いて言うなら、より良い未来の為……、かしら?」

「……より良い未来?」

「正直言って、……別にここにわたくしが必要とは思いませんわ」

 

 インデックスの背中を温かい濡れタオルで拭いながら、レイシアは言う。

 

「わたくしがいなくとも、多分上条さんは一人でアナタのことを救ってみせるでしょう。わたくしもあの方との付き合いはそこまで長い方ではありませんが、そのくらいは何となく分かります」

「…………、そう、かもね」

「ですが、上条さん一人より、……わたくしも一緒の方が絶対により良い未来を作れるはずですわ。わたくしは、それが分かっているのに我が身可愛さで立ち止まるような人間には、なりたくありません」

 

『理由と言うなら、それが理由ですわ』――とレイシアは笑う。

 その言葉を聞いて、インデックスはやっと納得した。

 確かに、レイシアは上条とは違う。感情ではなく、理屈で物事を判断している。現実的で当たり前な状況判断に基づいて行動している。だから常に一歩引いた立場から状況を見ているように見えるし、ともすると他人事と構えているようにすら思えるのだろう。

 

 だが、その根本にある部分は、上条とさして変わらない。

 

 要するに、我慢ができないのだ。

 色々と理由をつけても、やっぱり自分を誤魔化しきれず、それで自分が正しいと思う……それでいて危険な方法を選び取ってしまう。

 インデックスを助けたことに、論理的な理由など存在しないのだろう。

 自分がそうしたいから、そうした方がいいと思ったからやった。

 ただ、それだけなのだ。

 

「…………はい、インデックスさん。終わりましたわよ。前はさっき自分で拭いていらっしゃいましたし、もう服を着ても平気ですわよ」

「うん。……でも、レイシアも昨日はお風呂入ってないんだよね? 今度は私が拭いてあげるよ」

「えっ? ……いやいや。昨日は確かにそのまま寝てしまいましたけど、流石に今日は銭湯を利用しようと思っていて、」

「いいからっ! レイシアは知らないかもしれないけど、日本には『裸の付き合い』というものがあって、こうやって裸になって触れ合うことでより仲良くなれるんだよ!」

 

 そう言って、インデックスはレイシアのことを脱がしにかかる。

 これは、殆ど照れ隠しだった。レイシアは本当にただの善意でインデックスのことを助けようとしてくれていたのに、その裏の意図を考えてしまったことに対して、

 いや。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に対しての、だ。

 

「ちょっ……!? ()()()()()()()! ()()、……やめてくださいましインデックスさん! ……ごっ、御無体なーっ!」

 

 …………なんて、なんか定番なことを言いながらもレイシアはぱっぱと制服を脱がされてしまった。瞬く間に上は黒のブラジャーに白黒色違いのドレスグローブだけになったレイシアは、観念したように俯く。

 自分もパンツ一丁なインデックスは、腕をまくって『さあ拭くんだよ! あとブラジャーも脱いで!』とレイシアを急かしていた。風邪ひかないかな? と一瞬思ったレイシアだったが、今真夏だし、そもそもインデックスは負傷からくる発熱のせいで身体が勝手にあったまっている状態なのである。

 と。

 

 バタン!! と扉が開いたのは、丁度その時だった。

 

「だ、大丈夫か? なんか凄い音、が……、」

 

 我らがラッキースケベの化身、上条当麻が中に入ってきたのは。

 入るまでに間があったのは、中でレイシアがインデックスのことを拭いているのを事前に知っていたからだろう。『入ったら見ちゃうんじゃないかな? いやでも万一のことがあったらヤバいし』的な葛藤があったに違いない。

 

「…………あ、」

 

 ちなみに、ちょうどその時、レイシアはインデックスに言われてブラジャーを外している真っ最中だった。

 少し前屈みになり、背中のホックを外して、肩にかかっているブラジャーをするりと脱ごうとしていた、丁度その時、である。

 一瞬遅れて。

 ぱさり、と。

 少女の胸部装甲が、滑稽な音をたてて滑り落ちた。

 

「………………………………………………………………」

「………………………………………………………………」

 

 上条の首の角度が、()()()()()()()に固定される。

 レイシアは、真顔のまま床に落ちたブラジャーを拾い上げ、そしてつけたりはせずそのまま左腕で抱えるようにしてダイレクトに胸を覆い隠す。

 その上で、彼女は右手を上条の方へ突きつけた。

 すすすす、と顔を真っ赤にしたインデックスが、レイシアの陰に隠れる。そして、まるで小動物みたいにレイシアの陰から顔だけ出して上条のことを睨みつける。

 上条の目が、思わずそんなインデックスのことを追った。

 

「上条さん」

「ハイ」

「いやいやいやいや、そう畏まらないでいいですわ。上条さんに悪気がないことは承知していますし、それにわたくし、実はこういうのにちょっと憧れてましたの」

 

 温かく理解ある言葉のわりに、レイシアの表情は無表情すぎる。

 上条の首は、その間微動だにしなかった。

 

「一応あらかじめ確認しておきますけど、その右手があるのですから全力でやっても構わないんですのよね?」

「えっと、あの、」

 

 レイシアは無表情のまま、タスクを処理するみたいに淡々と言う。

 その瞬間、上条はピシリ、という幻聴を聞いた。

 それは、レイシアの手の先の空間に亀裂が走ったイメージか、レイシアの鉄仮面にヒビが入ったイメージか。

 あるいは、どちらも、かもしれない。

 

「いつまで見ているつもりですの、このヘンタイ――――ッッッ!!!!」

「ダメ―ッ! 白黒鋸刃(ジャギドエッジ)はマジで死にかねないからダメ―ッ!」

 

 赤面した少女の絶叫とともに、上条の右手は殺人的な威力を誇るツッコミを必死で受け止めるハメになる。

 ………………いつまでも凝視していたというところは否定できないおっぱい魔神上条なのであった。もちろん、この後インデックスにもがぶがぶされた。

 

***

 

「………………ふふ」

 

『現在の』インデックスは、そんなことを思い出して思わず笑みをこぼしていた。

 あの後、結局レイシアは服を着込んで銭湯へ行ってしまったが、あれ以来インデックスはレイシアに親しみを感じるようになったものだ。

 それからは、インデックスの為の作戦のこともあり、上条への想いについては考える暇もなかったが――。

 

「……………………」

 

 しかし、あの時の悲痛な叫び、そして上条が倒れた直後のレイシアの悔やみ方は、尋常なものではなかった。

 レイシアは上条当麻のことが好きというわけではない、というインデックスの結論が、容易に覆るほどには。

 だって。

 目を覚ましたインデックスが一番最初に見たのは、上条の頭を抱えて泣きじゃくっているレイシアの姿だったのだから。

 彼女が冷静さを取り戻すまで、軽く一時間はかかっただろうか。

 これまで落ち着き払ったレイシアの姿ばかりを見てきたインデックスにとっては、ある意味で新鮮で――それでいて、痛々しくて見ていられない姿だった。

 冷静になったあとの彼女は『インデックスさんは悪くありません。上条さんは全ての危険を承知の上で、それでもアナタを助けたかったから臨んだのです』と言っていたが……それでも、今日こうして上条の無事を確認するまでは、インデックスの心を罪悪感が蝕んでいた。

 だから、上条の無事を確認できたとき、インデックスは『本当に良かった』と思ったのだ。

 

(…………レイシアの、大切な人を奪わなくて済んで、本当に良かった)

 

 ただ、その感情は、別にレイシアの想いを認めるという意味ではない。

 いや、ある意味では認めているが――――、

 

(でも、私も負けないよ)

 

 大好きな人(かみじょうとうま)は、譲らない。

 恋のライバルとして、インデックスはレイシアと真っ向から戦う。

 これからは、レイシアは友達であり、恩人であり――――恋敵だ。

 

 

 

 ……これが全部勘違いでなければ、何か感動的なドラマが生まれたのかもしれないのだが。



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  第二章 失敗なんて気にしない  Crazy_Princess.
一〇話:蚊帳の外


 三日間に及ぶ事後承諾外泊の代償は、それなりに重かった。

 

 腹をくくって学生寮に帰還した俺を待ち受けていたのは、寮監による制裁という名のサブミッションだった。

 首を捻り、肩を捻り、腰を捻り、膝を捻り、踝まで捻られた時には流石にレイシアちゃんのキャラとか忘れて泣き叫んでしまった。なんか素で喋っちゃってたような気がするんだけど、大丈夫かな、中身おかしいとかバレてないかな…………? まぁ、特に何も言われてなかったから大丈夫なんだろうけども。

 

 で、王者の技の数々を喰らった俺に寮監は続けて、一五日間の出張罰掃除プログラムを言い渡した。

 出張罰掃除プログラムとは、外部寮、内部寮、校舎の三つにあるあらゆる水場を掃除する、というものである。ちょっと冗談じゃないよね。

 しかもここまで全部、大勢の生徒の目の前である。いわゆる一つの公開処刑、『校則を破ればコイツでもこうなるぞ』という見せしめだ。

 でも校則の厳しい常盤台で事後承諾外泊三日間という暴挙に対してサブミッションと罰掃除程度で諸々の問題を庇ってくれるというのだから、寮監様はマジで優しい人だと思う。本当なら停学的なペナルティがついてきそうなものだし。夏休み中だけど。

 ともかくありがとう寮監。凄く反省しました。今度からは無茶をするにしてもちゃんと正しい手順を踏んでからにします。マジで。

 

 ちなみに、全てが終わった後、公衆の面前で大絶叫とかいうキャラ崩壊の憂き目に遭ってすすり泣いていた俺に、寮監様が『……成長したな、ブラックガード』と感慨深そうな感じで話しかけて来てくれた。……まぁ、レイシアちゃんだったら多分公衆の面前でサブミッション食らって絶叫とか耐えられないしねぇ。

 ギャグ耐性がついたのを成長と呼んでいいのかについては、甚だ疑問ではあるけど。

 

「…………うぐぅ、筋肉痛が酷いですわぁ…………」

 

 で、昨日が約束の一五日目。

 俺がレイシアちゃんの身体に乗り移ってから、一か月以上が経過している。具体的には今日で俺の意識が覚醒した日から数えて三七日目だ。もう、随分お嬢様言葉も板についてきたんじゃないかなあと思う。少なくとも、咄嗟にお嬢様言葉が出なくて言葉に詰まるってことはなくなってきた。

 

 ちなみに、魔術側からの接触というか、干渉は一切なかった。一応俺もインデックスの件の関係者なのだし、三沢塾へのお誘いがかかるだろう――と思って罰掃除しながらスタンバイしていたのだが、スタンバイしているうちに一日が終了しそうになっていて慌てて外に出ようとしたら寮監に見つかって物理的に拘束された。

 ……………………そういえば、あの一件って上条以外の能力者が関与しちゃうとマズイんだったっけ? ……それはオリアナの一件か?

 

 ……まぁ、そんな感じで出張罰掃除プログラムを終えた俺は、久方ぶりに噛み締める『何もない日』の有難味に浸っていた。

 ああ…………布団の上でゴロゴロする休日、素晴らしい。常盤台中学は夏休みの課題がない(日記情報)から、宿題やらなくちゃーという後ろから壁が迫ってくるようなプレッシャーとも無縁だ。

 …………そういえば上条、大丈夫だったかなー……。小説の通りなら腕とかも切断されちゃったんだろうか? まぁどうせすぐくっつくんだけど、かなりきつい戦いだっただろうし、アウレオルスも記憶なくなっちゃったし…………だからといってどうすればよかったというのも思いつかないけど。

 

 ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。

 

 ……………………ハッ!? 今転寝してた!?

 いかん、いかんぞ俺。過去を振り返るのはいいが二度寝はまずい。そうやって生活リズムを乱していたら、俺の経験上、気付いたら夏休みが全部吹っ飛んでる。

 思索にふけりすぎて生活リズムを乱していては元も子もない。

 

 そんな訳で、俺は疲れた体に鞭を打って立ち上がり、眠気を払う為に一通り身支度を整えてから、部屋から出る。

 ガチャリ、という音が隣室からしてきたのは、それと全く同じタイミングだった。

 

「あ」

「おや」

 

「…………あら」

 

 ………………なんかこんな感じのシチュエーション、前にもあったよな。

 今回は、ちゃんと反応できてると思うんだけども。

 

***

 

第二章 失敗なんて気にしない Crazy_Princess.

一〇話:蚊帳の外 Out_Of_The_Loop.

 

***

 

 ちなみに、後で知ったことだが俺が寮監宛に出した手紙は、何の役にも立っていなかったそうだ。

 そりゃそうだ。『八月には戻るから探さないで』って言って本当に探さないとしたら、常盤台中学の警備はガバガバである。ただ、レイシアの所有するプライベートリゾートとかそういうのをチェックしていて、小萌先生の家にまでは捜査の手が回っていなかったんだとか。

 ステイル達の襲撃を警戒してあんまり外に出なかったのが功を奏したのだろう。あと、ステイル達がバラ撒いてた人払いのルーンとかもか。

 

 で、それを教えてくれたのが。

 

「…………なんか久しぶりって感じね」

 

 目の前の少女、御坂美琴だ。

 

「ええ。わたくしはここのところずっと出張罰掃除プログラムでしたし……御坂さん達も、どうやら寮を空けることが多かったようですし」

「そのプログラムもよくよくわたくし達を馬鹿にしていますわよね。あの鬼ババァは規則を盾に生徒達を抑圧しすぎですわ…………」

「あら、白井さん。そんなこと言って良いのかしら?」

「何のことですの。寮監でしたらこの近くにはいないはずですが」

「いえ、噂によると、常盤台の外部寮は建材内部にパイプが張り巡らされていて、伝声管のように生徒の世間話を寮監が収集する機能があるとか…………」

「………………………………なん…………ですって……………………!?!?!?」

「冗談ですわ」

「こ、この女ァァッ…………………………!!!!」

 

 小粋なジョークを挟むと、黒子は真っ青にしていた顔を真っ赤にして唸り出した。

 憤死しかねないほどのキャラ崩壊を引き起こした黒子の横で、美琴が耐えきれずに吹き出す。

 

「あはは、でも、アンタも変わったわよね」

 

 目元を指先で拭いながらの美琴の言葉に、自分が蒔いた種でありながら思わずギョッとしてしまう。そんな俺の内心など気にせず、美琴は話を続ける。

 

「つい一か月前くらいまでは、寮監に締め上げられる姿なんて想像もつかなかったもん。あの人あれで『可愛がる』人間は選んでやってるし」

「それ、頻繁に捻られているわたくしは寮監に気に入られているということになりません?」

 

 嫌な顔の黒子は無視して、

 

「今だって、そんな風に冗談を言うようになっている。……凄い変化だと思うわよ。本当に」

「…………ありがとうございます、そう言ってもらえると、励みになりますわ」

 

 まぁ、肝心の派閥の子達にはまだノータッチなんだけどな…………。

 と、そう言っていると、ふと美琴と黒子の体に細かい傷があることに気付いた。話を逸らす意味も込めて、美琴に言う。

 

「……あの、御坂さん、白井さん、お怪我をされているようですが?」

「ああ、これね…………」

 

 美琴は頬を掻きながら、

 

「まぁ、ちょっと色々とあったのよ。アンタが無断外泊したのと同じように、ね?」

「…………なるほど、厄介事を抱え込んでいたのはお互い様というわけですわね」

 

 そういえば、思い出した。

 美琴はこの時期、乱雑解放(ポルターガイスト)の一件に巻き込まれていたんだったか。そういえば罰掃除プログラムで東奔西走している時、最近地震が多いなーとか思っていたような記憶がある。日本だしってことで普通に流していたけど……。

 そうか、ってことは昨日までは美琴達は乱雑解放(ポルターガイスト)事件の処理をしていたってわけなんだな。

 ………………この世界、アニメ基準じゃないから婚后さんがいないんだけど、どうやって婚后さんパートをこなしたのだろう? ……詳しい内容は覚えてないけど、確か婚后さんが頑張って助かったみたいなパートあったよな?

 

「……何か困ったことがあったなら、遠慮なく言ってくださいましね?」

「ええ、ありがとう」

「お姉様、早く行きますわよ!」

 

 多分、婚后さんがいない分誰かしらが無茶したんだろうな……(黒妻が脱獄して駆けつけたとか)と思いつつ、そんなことを話していると、復活した黒子が美琴の腕を引っ張っていた。

 

「お急ぎの用事があったんですのね。引き止めてしまって申し訳ありませんわ」

「いいのよ。どうせ旅行用の小物を買おうってだけだし」

「…………旅行用?」

「ほら、九月の頭に『広域社会見学』があるでしょ? まだどこに行くか決まってないけど」

「ああ」

 

 言われて、俺も得心が行った。

 

 広域社会見学。

 九月三日から一〇日までの一週間、学園都市からランダムで選ばれた学生達が世界各地へ遠征する、言ってみれば勉強会のようなものらしい。規模がワールドワイドだけどな。

 人数は大体一つの都市につき二〇人一組のグループで、引率の警備員(アンチスキル)もいるらしいが、概ね修学旅行みたいなモノと考えていいらしい。

 ちなみに、『世界各地に遠征』と銘打ってはいるが、実際には学園都市設立時に協力関係にあったアメリカさんの各都市にちらほら向かう程度なんだとか。せっかくだし同盟国のイギリスにでも行けばいいのにね。

 で、どうやらその広域社会見学に美琴と黒子は参加するらしい。

 なお、レイシアちゃんの方は参加しない。日記の方に『わたくしは選ばれなかったのにあの電撃女とその腰巾着が選ばれるなんて上層部の依怙贔屓ですわ』と不平不満が連ねられていたし。

 

「それは楽しそうですわね。お土産、今から期待していますわよ」

 

 まぁ、俺としては別に行っても行かなくても…………という感じなのだが。

 

「まだあと二〇日あるし、ちょっと気が早いわよ」

「二〇日なんてすぐですわよ。特に長期休暇なんて……。わたくしはこの一五日間、気が付いたら終わってましたわ……。この頃はもう何だか一週間経つのもあっという間で…………」

「あ、あの、レイシアさん? ちょっと何か変なものに取り憑かれてやしませんか?」

 

 美琴が、ちょっと引き気味で問いかけて来る。敬語になりかけているあたりわりとマジだ。

 ……俺としたことがついうっかりおじさんくさいことを言ってしまったようだな。

 いやでもほんと、歳とると時の流れって早くなるのよ、マジで。これについては、生きてきた期間が長くなると一瞬一瞬の時間が()()()()()()()()からって話を聞いたことがあるけども。

 

「ま、まぁ良いわ。それじゃ、私達はこれで」

「ええ。また」

 

 そう言い合って、俺達は互いに別れていく。

 ………………罰掃除も終わったし、ようやく、俺も『本題』に入れる。



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一一話:トライ&エラー

 さて、『本題』――――つまり『派閥』のメンバーとの接触を決めた俺だが、流石に手ぶらで行くのは戸惑われた。

 というか、行くと決めた時点で現在時刻はまだ一〇時。派閥のメンバーはまだ集まってもいない時間帯である。

 

『派閥』メンバーは年齢層が幅広い為、基本的にはお昼過ぎくらいからぽつぽつと集まり始める――らしい。はっきりと断言はできないけど、日記の記述を見る限り全員が集まるのは大体お昼過ぎ、特に二時から三時くらいということらしい。

 レイシアちゃんの『派閥』――『総合分子動力学研究会(GMDW)』には、確かに後輩も多いんだが……刺鹿派閥やら苑内派閥やらを取り込んだ関係上、同級生や上級生も混在しているのだ。

 

『派閥』の構成人数は、レイシアを含めて実に一〇人。

 

 …………少ない、とか思ってはいけない。

 何せ、常盤台中学校の全校生徒は全員合わせても二〇〇人弱しかいないのだ。一クラス分――五〇人とか普通に超えていそうな食蜂の『派閥』が化け物なだけで、一〇人でも全体の五%以上はある相当な大派閥ではある。多分。レイシアちゃんの日記にはそう書いてあった。

 それに、『GMDW』は分子レベルの科学に特化している。これだけの規模で特定の分野に特化した研究をしているってのは、相当な研究力に直結するだろう。

 しかも、『GMDW』には大能力者(レベル4)も何人かいるわけで、多分、冗談抜きで『最大派閥』を除けば五本指には入る派閥じゃなかろうか。

 ちなみに、人数の内訳は『GMDW』の初期メンバーがレイシアを除いて二人、『刺鹿派閥』が四人、『苑内派閥』が三人という感じになっている。

 

 もちろん、『学内』はその程度が限度だが、常盤台中学の『外側』の協力者になれば、学生、研究者合わせて派閥メンバーの軽く二〇倍はいる。協力者の協力者になれば、さらにその三倍はいるかもしれない。

 あくまで、常盤台中学にいるのは『中核』ということになるな。

 

 で、時間を潰す意味でも、俺はケーキ作りを始めた。

 大体、作り終わるのはお昼過ぎくらいになるだろう。作業の合間の時間でご飯でも食べようかな…………などと思いつつ、調理を始める。

 

 渡せるのは、大体三時くらいになるだろうかね。そのくらいには、多分派閥メンバーも大体集まっている頃だろう。『GMDW』が目指したのは『レイシアちゃんの権力の象徴』であり『研究チーム』だったが、今も集まっているところを見ると『それ以上の集まり』……つまり『仲の良い集団』としての側面も生まれつつあるみたいだし。

 彼女達については、俺もこれまでの間にある程度調べていた。調べていたといっても、日記の記述や論文の情報などで名前と顔と主な性格やエピソードを一致させたり、罰掃除プログラムの合間に交友関係を若干チェックしていた程度のうすぼんやりとした活動だが。

 ただ、お蔭で彼女達の性格についてはけっこう把握できたと思う。少なくとも、レイシアちゃん以上には。

 

 まず、今の彼女達の中で中心となっているのは、『GMDW』になる前は最大人数だった『刺鹿派閥』の長、刺鹿(さつか)夢月(むつき)さん。赤毛の髪のうち、肩にかかる部分を異常に長い縦ロールにした少女だ。非常にボリューミーな縦ロールで、厚さは人間の胴体ほど、長さは腰ほどまでという異常な大きさである。

 反面、レイシアちゃんより一歳年上の一五歳であるにも拘わらず、体躯の方はちんまりとした幼児体型。ボリューミーな縦ロールと相まって、小ささが余計に強調されているのだが……本人としては、ボリューミーな縦ロールによって自分を大きく見せているつもりらしいので救えない。

 お嬢様としてはかなりフランクな部類だが、派閥を作り始めてすぐレイシアちゃんの派閥を潰そうとしたことからも分かるように、わりと好戦的な一面もあるようだ。派閥の中でもレイシアに反抗的な態度をとっていた人物の筆頭だったらしく、最終盤は殆ど敵対しているような間柄だったことが、日記からも見て取れた。

 

 次に、そんな彼女をサポートする立場にいるのが『GMDW』になる前に『苑内派閥』の長を務めていた苑内(えんない)燐火(りんか)さん。カチューシャで前髪をまとめた、オデコが眩しい眼鏡少女だ。

 夢月さんとは打って変わってすらっとした体型だが、こちらは全体的に『空気抵抗が少なさそう』という形容が当てはまる。スタイルは良いのだが、胸は小さめ。日記によると、(自費で)バストサイズアップの研究にも手を出そうとしては『本来の研究を蔑ろにして趣味に走るとは何事か』とたびたびレイシアに『オシオキ』をされていたようだ。

 こっちは夢月さんと違って慎重派で、わりと俗物っぽい一面ものぞかせる、夢月さんとは違った意味でお嬢様らしからぬ一面を持っている。まぁ、慎重派ゆえにレイシアちゃんの派閥を先んじて潰そうとして返り討ちにあったらしいが。

 どちらも大能力者(レベル4)で、レイシアちゃんの白黒鋸刃(ジャギドエッジ)とは方向性が異なるものの分子関係の能力の持ち主だ。

 

 他にも、レイシアちゃんが無理やり巻き込んだ実家が運営している会社の子会社に親が務めているとかの二人とか、夢月さんと燐火さんの派閥のメンバーとか、各々の個性は千差万別だが、今の時点で確実に俺が断言できる全員の『共通点』が一つだけある。

 それは、現時点での彼女達の俺への好感度は、間違いなく最低だってことだ。

 

***

 

第二章 失敗なんて気にしない Crazy_Princess.

 

一一話:トライ&エラー Frustration.

 

***

 

 完成したケーキをカゴに入れた俺は、そのまま彼女達――『元GMDW』のいるところまで向かう。

 日記によると、本来『GMDW』が集まる場所にはレイシアが用意した研究室が宛がわれていたらしい。…………が、今彼女達がそこを利用していないことは分かっている。

 例の一件以来、彼女達がそこを利用する様子はなく、結果、中庭の一角をたまり場にして利用しているらしい。

 自分達が追い出したのだから、その人の設備は何であっても利用してはいけない――――という意識が働いているのだろう。俺としては、追い出されたというよりレイシアちゃんが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という雰囲気を感じているので、負い目なんて感じずに使ってもらって良いのだが……おそらく、みんなして義理堅いのだろう。

 

 中庭に行ってみると、何やら夢月さんが見知らぬ人と話しているところだった。派閥の人の顔と名前は完全に一致させている(レイシアちゃんの脳のスペックのお蔭だと思う)ので、多分派閥ではない人なんだろう。

 話が終わる前に俺が乗り込むとややこしいことになりそうなので、物陰に隠れることにした。何やら、夢月さんと派閥外の人はだいぶ話し込んでいるようだが…………バヂッ! と夢月さんの目の前で火花のようなものが散る。

 派閥外の人はそれに怯んだのか、青い顔をしたままそそくさと立ち去ってしまった。

 …………あまり面白そうな話をしていたわけではないようだな。

 

 ………………タイミングめちゃくちゃ悪いが、行くか。

 

 そう考え、俺が物陰から姿を現すと、派閥メンバーの人達全員が俺の方を見た。…………感じられる感情は、概ね警戒。ずぶの素人の俺でも分かっちゃうくらいだから、もうなんかどうしようもないね……。

 

「ごきげんよう」

 

 俺は、何か言われる前に先んじて派閥メンバー全員に挨拶する。何人かは怯んだように後退りして、殆どの人は険しい顔つきのまま俺を見ている。

 …………んー……? ちょっとこう……一度倒された悪玉(彼女達視点)を目の前にするにはちょっと怯えすぎているような……?

 いや、こんなもんなのか?

 彼女達からすれば、消えた後は沈黙を貫いていた元ボスが突然接触してきた、という感じになるわけだからな……。

 美琴達は、俺が派閥メンバーに謝りたいと思っていることを知っているが……彼女達は、それを知らないのだ。最近料理を始めて、美琴との関係も修復されたってことは知っているだろうが、それは美琴を懐柔して返り咲きをもくろんでいるのでは、くらいに考えたって何も不思議はないか。

 

「…………ごきげんよう」

 

 誤解を解く意味を込めて、もう一度、笑顔を意識して挨拶する。

 最近自覚してきたのだが、レイシアちゃんの表情筋には皮肉っぽい表情が染みついてしまっているようなのだ。これも多分手続記憶の一部だろうが、常に悪そうな顔をしていた後遺症だろう。意識しないと、どうにも感じの悪い雰囲気になってしまうのだ。

 …………美琴や黒子、上条、インデックス、それに魔術師の面々はいちいち相手の表情とかを気にするタマじゃないが、やっぱりそれって特別なんだよな。普通は、相手が悪そうな顔をしてたら警戒するもんだ。

 

 が、そんな配慮が裏目に出たらしい。

 俺がもう一度挨拶した瞬間、ザザザザ!!!! と『派閥』のメンバーが一気に準戦闘態勢に入る勢いで身構えた。夢月さんや燐火さんなどは眉を吊り上げたりして威嚇を始める始末だ。…………どんだけ怖がられてるんだよ、レイシアちゃん。

 俺は元の身体の持ち主の前科にもはや呆れすら抱きつつ、

 

「そんなに怖がられてしまうと、いっそ可愛らしく見えてきてしまいますわ。もう少し、楽になさってくださいな」

 

 今度は茶目っ気を意識しつつ言うと、今度はさらに身を縮こまらせてしまう始末だった。……なんだろう、想定していたアプローチと違う恐怖の与え方をされてます、みたいな感じなんだけど……。レイシアちゃんが話すだけで何でも恐怖に変換されてしまっている感じなんだろうか?

 …………単純に軽蔑されるよりも、よっぽど根深いよな、この状況。

 

「……なんで、ここに…………?」

 

 と、そこで夢月さんがやっとという感じで俺に問いかけてきた。

 それでも、かなり無理をしていることがありありと分かる感じだ。

 

「何故、と言われましても――――アナタ達に伝えたいことがあるからですわ」

 

 この感じは、多分長居をしても彼女達のメンタルに余計なダメージを与えるだけだと判断した俺は、とりあえず早めに最重要目的を切り出すことにした。

 

「……………………今まで、本当に申し訳ないことをしました」

 

 そう言って、俺は頭を下げる。

 静寂が、辺りを包む。

 

「謝って許されるようなことではないということは承知しています。一年間――わたくしは、自らの欲望の為に力づくでアナタ達の時間を奪ってしまいました。……本当に、ごめんなさい」

 

 相手からの返事は、何もない。

 少し待って、それでも返答がなかったので、俺は顔を上げる。彼女達は、みな一様に『何が起こっているのか分からない』という感じでポカンとしていた。

 …………ああ、俺の謝罪って、そんなに有り得ない出来事だったのね。

 料理始めたり、寮監にいじられたりする中で、彼女達の俺に対する苦手意識も少しは薄れているかな~なんて思っていたんだが……そんなのはとんでもなかったようだ。

 

「な、んで…………」

「?」

「なんで、今更…………?」

 

 震える声で、夢月さんが問いかける。激情の前触れか――と内心身構えた俺だったが、意外にもそうはならなかった。

 

「どーゆーつもりでいやがるんですか……? 最近の変調と言い、『以前の方式(きょうふ)』が通じなくなったから『新しい方式(したしみ)』で私達を支配しよーってんですか……?」

 

 …………あ、一応怪訝には思えてもらっていたようだ。よかった、俺の今までの活動も無駄じゃなかった。

 ただ、過去の負債がデカすぎたってだけで…………。

 

「そんなことは……、」

「しっ、信じ……信じられないですわっ!」

 

 声が震えている夢月さんを援護するように、燐火さんが声を上げる。唇は震え、顔は青褪めている――が、それでも目の力だけは十分だった。

 夢月さんを庇うように、支えるようにして、巨悪(おれ)に立ち向かってくる姿は――

一瞬、何も悪くない俺であっても怯んでしまいそうなほど様になっていた。

 

「今まで、あたくし達のことをあれほど抑圧しておきながらっ、今更歩み寄ろうと言われたって、本当にそう思っているかなど信じられるはずがないですわっ!」

「…………………………」

 

 そりゃそうだろうな。謝罪して、親しみを見せたところで、そんなのは()()()()()()()()()()()()()わけで。

 一切信用していない相手にそんなことをされても、誰だって疑ってかかるのが当然だ。

 でも。

 だからといって、諦める訳にはいかない。レイシアちゃんの未来を明るいものにする為にも、そしてレイシアちゃんにこんな生き方もあるんだと見せる為にも、ここで退く訳にはいかない。

 ……………………それに。

 こうやって、初めて話してみて、強く思った。

 彼女達にしてみたって、このままレイシアちゃんに与えられた心の傷を残したまま放置して、良いとは思えない。美琴に敗北して、決別してから一か月経ってもこれだ。レイシアちゃんときちんとケリをつけない限り、この心の傷は一生彼女達の心に残り続けるだろう。

 

 この子達はここまで、徹底して『信じられない』と言っている。

『今まで散々好き勝手やっておいて今更こちらにすり寄って来るなんて勝手すぎる』…………ではなく、『過去の所業があるから信じられない』、と。

 やっぱり、この子達も根本的にお人好しなんだろうな。

 信じられるものなら信じてみたいけど、誰かと敵対することなんてしたくないけど、過去の経験が、レイシアちゃんの所業がそれを許さないってわけだ。

 良い子達だな、と思う。

 俺が女で、普通にこの学校に通ってたなら、是非とも友達になりたいなって思うくらいには。レイシアちゃんの事情抜きでも、そう思う。

 

 これまでは……正直、レイシアちゃんへの義務感だけで交流を持とうとしていた節があったことは、否定できない。

 でも、今は違う。彼女達の人間性を直接間近で見て、『黙って見てはいられない』と、そう感じた。

 だから。

 

「それなら、信じてもらえるまで歩み寄り続けますわ」

 

 そう言って、派閥のメンバーの前にバスケットを置く。

 

「ケーキです。わたくしが焼きました。最近、料理に凝っているんですのよ」

「……………………何か入れていやがるんじゃねーですか? 開発に使う催眠導入の為の薬品だとか……」

「わたくしのプライドに誓って言いますが、小麦粉と砂糖と卵と生クリームとイチゴと少々の真心以外のものは入っていませんわ」

 

 暗唱するように言うと、またしても派閥のメンバーはぽかんとしてしまう。俺自身にプライドなんてものは(頭下げまくっていることから分かるように)あんまりないが、レイシアちゃんの言う言葉としてはかなり強度の高い約束だろう。

 

「……懐柔する意図はございませんので、安心して受け取ってくださいまし」

 

 派閥メンバーの目を見て言うと、そこでようやく夢月さんの震えが止まった。

 少し落ち着いた彼女は、少々の間熟考していたが、やがて徐に口を開く。

 

「………………いえ、やはり遠慮しておきます。私達としては、やっぱ貴方のことが信用できねーですから。薬が入っていないとしても、このケーキを受け取るという行為がどういう結果に繋がるかも分かりやしません。ひょっとしたら、受け取った時点で私達がどーしよーもできねー展開になるのかもしれねーですし。そんな決断をすることは、暫定的にこの『派閥』の長を務める私にはできねーですよ」

「…………、……なるほど。道理、ですわね」

 

 …………その言葉には、『お前は一度派閥を捨てて逃げたんだ』、という意図があるように感じた。

 ………………今日のところは、これ以上は無理だな。

 

「分かりました。結論を急ぐ必要はありません。……今日のところは、お暇させていただくとしますわ」

「い、いやにあっさりとしてるですわねっ……?」

「……いえ、これ以上此処にいても、いたずらにアナタ達を苦しめるだけだと思いましたので」

 

 見てみると、『派閥』のメンバーはみな一様に顔を青くしている。…………ここまで苦手意識が残っているのは、正直予想外だった。

 俺は一歩後ろに下がる。

『間合いから出た』というサインだ。

 それから、最後に俺はもう一度だけ頭を下げた。

 

「突然お邪魔して、嫌な思いをさせてしまったことをお詫びしますわ。申し訳ありませんでした。…………では、また。ごきげんよう」

 

 ただ、それは彼女達との関係修復を、彼女達の心の傷を癒すことを諦めたわけではない。

 最後に『また来る』と暗に言ってから、俺は踵を返してその場から立ち去る。

 結局、一度も向こう側から挨拶が帰って来ることはなかった。

 

 

 …………いやー、やっぱり、謝り通しっていうのはなかなか精神的にキツイものがあるな。それだけのことをレイシアちゃんがやったってことだし、それ自体は仕方ないことなんだが…………。

 ケーキを受け取ってすらもらえなかったというのは、ちょっとショックだったかな……。

 

 まぁ、忘れたフリしてバスケットはあの場に置いてったし、仕方ないからって食べてくれる可能性にくらいは期待してもいいよな?




みなさんもうお分かりかと思いますが、中の人はそんなに頭がよくありません(三回目)。


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一二話:ドラゴンキラーな少女の悩み

八月二二日 晴れ

 

 また苑内が『ホルモンバランスの調整による内的な豊胸技術の研究』だかなんだかに血道を上げ始めていたので、軽く『オシオキ』をしました。まったく、せっかくわたくしが開発関連の斡旋をしてやっているというのに彼女は一体何をしているのやら……同調している馬鹿もいますし。聞けばまだ研究発表のノルマも終わっていないらしいではありませんの。…………これ以上続くようなら元・苑内派閥以外の誰かを監視につけることも視野に入れる必要がありますわね。今日のところはオシオキまでにしておきますが。

 それから、派閥のメンバーとお茶会に興じつつ今後の活動についての指示などをしました。最近は結成当時の動揺や確執も大分落ち着き、メンバー同士の不和もなく、わたくしを組織の長に据えたパワーバランスも安定傾向にあります。

 少し前に締め付けを少々緩和させた影響か、コミュニケーションも比較的円滑にとれるようになり、派閥のメンバーの精神状態も概ね安定傾向にあると言えるでしょう。

 …………正直なところ、このわたくし自身も、ただ彼女達とお茶会をしているだけでも満足感を得られている部分は認めなくてはなりません。

 

 ただし、これは『派閥』という小さな世界の頂点に立っていることへの満足感にすぎないでしょう。この状態に甘んじて、さらなる高みを目指さないのは愚の骨頂であると、自分で自分を戒めておきますわ。

 わたくしが目指すのはただ一つ、頂点のみ。

 その為には、他者との馴れ合いなど必要ありませんわ。

 

***

 

 ………………研究所へ向かうまでの間、朝に読んでいたレイシアちゃんの日記の一ページを思い返していた。

 最初の方は、派閥のメンバーひとりひとりの動向を、開発関連に至るまで厳しく管理している、レイシアちゃんの暴君的かつ神経質な一面がこれでもかと出ている文章だった。

 だが、後半になってくると、レイシアちゃんが迎えられたかもしれないもう一つの可能性を感じさせる文章だった、と思う。

 レイシアちゃんの中に確かにあった、『芽生え』の兆し。

 居心地の良さ――レイシアちゃんの中にも、僅かではあるが、彼女達に対する歩み寄りの形跡があったんじゃないだろうか、これは。

 日記の時点では歩み寄りと呼ぶのもおこがましいくらい小さなものだが、それでもそのままの道を進んでいれば、今頃はもう少し違った未来があったかもしれない、と思わせるようなものが此処にあると思う。

 …………結局は、それが完全に開花する前にレイシアちゃんが自縄自縛で追い詰められて、――詳細は分からないが――美琴に敗北し、自ら自分の人生を諦めてしまったが。それでも彼女は徹頭徹尾、誰も受け入れようとしなかったわけじゃない。

 派閥の中に、自分の居場所を感じ始めていた節だってあったんだ。

 自分の力だけでなく、そういった居場所を認めることが出来れば…………。

 

 …………だが、レイシアちゃんが『GMDW』に居場所を見出しかけていたということは、逆説的に言えば現在の元『GMDW』のメンバーにもレイシアちゃんを受け入れる素地はあるはずなんだ。

 確かに『GMDW』メンバーのレイシアちゃんに対する警戒はちょっと想定外だったが、警戒されているということが分かれば別のアプローチで歩み寄って行けばいい。要するに、もう俺には警戒に値するような思惑なんてないよということを理解してもらえればいいんだ。

 …………じゃあどうすればいいの? って具体論になると、ちょっと思いつかないけども…………まぁ、小さなことからコツコツとやっていけば、伝わるものもあると思う。人助けとか、挨拶とか。いきなり近づきすぎると昨日みたいなことになるから、細かいことから少しずつ。

 ただの思考停止じゃない。

 昨日話してみて、根本的に彼女達がレイシアちゃんのことを拒絶したいだけではないということは理解できた。

 ということは、きっと何とかできる。途中で衝突があっても…………それは、俺が呑み込めば良いだけの話だ。多分。

 

 ……が、だからといって派閥の人達にばかり集中することもできず。

 俺は、能力開発の為に研究所に召集されていた。

 三日失踪した上にそのあと一五日間罰掃除プログラムで、一か月に一度の冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)検診以外外出できなかったから、一応診ておきたいとのことだ。

 

『……遺憾ではあるが、成績は今一つ、ね』

 

 通り一遍の実験を終えると、瀬見さんのアナウンスが聞こえてくる。

 

『ただし、それは貴方が成長していないというわけではないわ。今回試した新しい演算方式はまだ今まで貴方が使っていたものほど洗練されていないのだから、成績が振るわなかったとしてもそれは実質的には向上を意味していると言っても過言ではないの』

「分かっていますわ。もう、成績(それ)くらいで拗ねるつもりはありません」

 

 あまりにもこちらのことを気遣っているのが丸分かりな台詞に、俺は思わず赤面しながら返してしまう。まぁ実際にそれで拗ねてしまったレイシアちゃんが言っても説得力はないんだろうけども。

 

「…………ありがとうございます」

 

 でも、それは彼女達が俺のことを慮ってくれている証だ。

 過去に起きた過ちを二度と繰り返さないように、俺のことを想って行動してくれているということに他ならない。

 それは、俺の二週間にわたる彼女達への『歩み寄り』の結果だ。そのことが、俺に自信と勇気を与えてくれる。その成功体験が、一度の失敗では折れないように心を補強してくれる。

 

『では、一旦ブリーフィングルームに戻って。今回の実験の検証を行い、演算方式をブラッシュアップしていきましょう』

 

 そのアナウンスに従って、俺は今の今まで向き合っていた実験場に背を向ける。

 

 そこは、ちょっとした戦場痕のようになっていた。

 

 白黒鋸刃(ジャギドエッジ)が成長したことを受け、これまでの実験方法を抜本的に見直す必要性がある、との瀬見さんの判断により、大幅に実験内容が変化したのだ。

 具体的には、今まで動くだけの『的』だったHsOシリーズから攻撃が飛んでくるようになった。

 と言っても当たったらこっちがダメージを受けるような兵器を使って万が一でも俺がケガをしたらマズイということで、使われているのは単なるペイント弾に制限されているらしい。

 …………そのペイント弾が普通に野球選手の剛速球よりも早くて、しかもガトリング並に連射されているあたり、開発陣からの俺への恨みは未だに凄まじいんだろうなってことが分かる。……ああ、いずれ謝罪の挨拶に行きたいんだけど、そこまでは流石に手が回らない……。

 で、戦場に転がっている残骸の名は、確か…………HsO-07、『ウィングバランサー』とか呼ばれていた機体だったっけ?

 成長した白黒鋸刃(ジャギドエッジ)に対抗する為、圧縮空気を利用して飛行する機能を獲得した、とか。確かにピョンピョンと三次元機動で逃げ回るのは面倒だった。しかも射角を変えまくっては一斉射撃をする戦法をとってくるから、守りに入らざるを得ないジレンマもある。

 相手の逃げ道を塞ぐ為に『亀裂』を伸ばしていたら、今度はこっちの『一度伸ばした「亀裂」は能力自体を全解除するまで消せない』っていう欠点を突いて襲われたり……なんかもう、命がかかってないだけでマジのバトルだった。絶対向こうもムキになってたって。

 

 …………まぁ、お蔭で能力の応用技術に関しては、それなりに伸びてると思うけども。

 

***

 

第二章 失敗なんて気にしない Crazy_Princess.

一二話:ドラゴンキラーな少女の悩み Encouraged.

 

***

 

「……どうかしたのかしら。浮かない顔をしているようだけど」

「………………顔に出ていましたか?」

 

 思わず、そう言って俺は頬に手を当てた。

 

「いや、カマをかけてみただけよ」

 

 ………………。

 今の今まで俺と演算方式のブラッシュアップ方法について議論を交わしていた瀬見さんは、携帯端末を見ながら俺と話しているが……それは俺のことを蔑ろにしているというわけではない。

 実験時の俺の演算領域の稼働具合を、専用の機材でモニタリングしていたのだ。

 

「これを見て。普段よりも脳の稼働率が若干低いわ。おそらく無意識に何かしらの心配事を考慮しているものと思われるが、何かあったの?」

「ええ、まぁ…………。少々、派閥の方で」

 

 と言うと、瀬見さんの方も状況を察したのか、少しばかり表情に苦い色を滲ませた。

 

「仕方がないことというのは重々承知しているんですけれどね。それでもやはり、何も感じないかと言われれば、そうもいかないのです」

 

 内心でどれだけ『どんな仕打ちを受けようと仕方ない』と()()()()()()()()()、それでショックが改善するわけでもないしな。悲しいものは悲しいし、辛いものは辛い。それは認める。だからといって、止まるつもりもないが。

 

「それは…………そうだろうと思うわ。率直に言って、私達も最初は、貴方の真意について測りかねていた部分はあったし。まして、彼女達は貴方と接する機会も多かった。悪感情に関しては、私達よりも根深いでしょうね」

「ええ、まあ」

「だが…………レイシアさん、貴方も理解していると思うが、『それが当たり前』なのよ」

 

 瀬見さんは、そう断言してみせた。

 

「謝罪する姿勢は大事だが、だからといってそれが受け入れられるとは限らないの。むしろ、最初のうちは拒絶される方が多い」

 

 ……実際、研究チームに『歩み寄り』を始めた当初も、最初は拒絶ムードが強かった。

 瀬見さんなどは俺の一挙手一投足を警戒し、何かの反動で癇癪を起こしたりしないかと怯えていた節もある。研究チームの一員に出合い頭に舌打ちされたこともあった。

 それは、そうされて当たり前のことを今までレイシアちゃんがしてきたってことだ。

 でも、そこから二週間かけて俺は研究チームの面々に歩み寄って行った。結果、今も完全にとまではいかないが、少なくとも瀬見さんは俺に心を開いてくれた。

 

「…………だが」

 

 そこで、瀬見さんは表情を引き締める。

 

「たとえば、問題を私達とレイシアさんにだけ絞ったときには」

 

 俺に、教え諭すように。

 

「…………レイシアさん。確かに私達にしたように、関係の改善をする為には貴方の歩み寄りが必要不可欠よ。その為には、どんな方法であれ、反省したことを伝えるのも大事ではあるわ。…………だが、果たして反省する必要があるのは貴方だけなのかしら?」

「………………………………へ?」

「確かに、私達に対し横暴に振る舞い、理不尽な行いをしてきたのは貴方よ。…………だが、そこに至るまでに私達にできることは何もなかったのかしら? 私達は、貴方の気持ちをただ受け取るだけでいいのかしら?」

 

 ………………いや。

 いやいやいやいやいやいや!!

 それは、それは違うだろう! 確かに俺はレイシアちゃんがそこまで悪いとは思っていない。自殺する前に誰かが手を差し伸べるべきだったと、正直今でも思っている。

 でも、それは『無関係な外野』が第三者視点からそう思っているだけであって、(レイシア)が言って良いことじゃないだろう!

 確かに最初は瀬見さん達がどうにかできなかったのかと思ったりもしたけど、立場ってモンもあるだろうし、人間できることとできないことがあるって今は分かっている。それなのに最適解の理想論を言って『お前にも責任がある』なんて、それこそ横暴じゃないか!

 

 レイシアちゃんは、開発チームの皆に自分の能力が上がらないことで当たり散らし、自己満足の為に余計なオプションをつけて迷惑をかけ……総じて、自分の機嫌一つで様々な人達に傲慢を振りかざしていた。

 …………そこに至るまでのレイシアちゃんに同情できる部分はあると思うし、彼女にだって立ち直るチャンスや道筋くらいは与えられるべきだと思う。彼女の身体に入った俺の使命は、そういうことをする手助けだと思っている。

 でも、それとこれとは話が違うだろ? 同情できるからって責任まで分散されるのなんか、論理が思いっきり飛躍してるぞ!

 

「そんなのおかしいに決まっていますわ! 私が貴方達に苦痛や理不尽を強いて来たことは紛れもない事実、」

「私が言っているのはね」

 

 瀬見さんが、私の肩を掴む。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「…………………………………………………………………………へ?」

 

 思考が。

 予想外の言葉に、思考が冗談抜きに数秒ほど停止した。

 

「……悪いのは、貴方だけではない。私達開発チームの面々は、貴方の危うさについて気付いていた。仮にも貴方の脳を開発する人間の集団よ? 自分だけの現実(パーソナルリアリティ)から演算システムに至るまで、貴方の人格は把握していたの。…………つまり、貴方の欠点についても」

「………………………………、」

「にも拘らず、私達は貴方に改善を促したりはしなかった。『私達の仕事は開発だから』『多少の横暴にさえ我慢していれば勝手にお金を出してくれるから』……貴方との衝突を()()()()()、『暴君の命令に逆らえない被害者』ということにしておけば自分達は被害者という『楽なポジション』に収まれるからと、勝手に対話を諦めた。貴方を見捨てた」

 

 ………………………………それは。

 

「貴方が自殺未遂をはたらいたと聞いたとき……私の胸に去来したのは、『何てことをしてくれたんだ』という言葉だったわ。貴方を追い詰めたことに対する良心の呵責なんて何一つなかった。私達は被害者で、貴方は加害者だから。貴方がいくら痛い目を見ても私達は悪くない。私は、そう思っていたの。そんな、救いようのないことを思っていたの」

 

 瀬見さんは、血を吐くようにそう言った。

 

「…………だが、貴方の在り方を見て、私達が、私達こそが貴方をそうしてしまったのだと気付いた。一番悪くて、狡くて、醜かったのは私の方だと思い知った。なのに、自分だけが悪い? 私達は悪くない? …………そんな訳が、ないでしょう……。一番悪いのは私達大人よ。…………貴方にばかり謝らせて、申し訳ないと思っているわ」

 

 ………………俺は、なんて言えばいいのか分からなかった。

 糾弾する? とんでもない。そういった事情があったとはいえ、レイシアちゃんが横暴だった事実に変わりはない。瀬見さん達が被害者ヅラする為に衝突を避けていたのだとしても、元はと言えばそれはレイシアちゃんが横暴だったからだ。レイシアちゃんの性格では衝突すればさらに大変なことになるのは目に見えているし、楽な方に流れたことを責められるわけがない。

 なら庇う? それも、……違うと思う。そんなことをしても瀬見さんは余計に辛くなるだけだ。それに…………瀬見さんの話を聞いてもレイシアちゃんにだけ原因があると思うほど、俺はレイシアちゃんが悪いとも思っていない。

 

 …………なんて言えば良い? なんて言うのが正解なんだ?

 ……いや、俺は、なんて言いたいんだ?

 

「もう、貴方は十分私達に歩み寄って来てくれた。これからは、私達に歩み寄らせて。私達は貴方ほど綺麗じゃないから、時間もかかるかもしれないけど……それでも、お願い」

 

 そう言って、瀬見さんは頭を下げた。

 ………………瀬見さんは、自分の悪かった部分を包み隠さず晒してくれた。……()()()()()()()()()()を無視してまで、自分の気持ちを伝えてくれたんだ。今まで俺がやっていたのと、同じように。

 それこそ、瀬見さんが俺に心を開いてくれた真の証左だ。

 …………レイシアちゃんを『許した』ってことだ。彼女が拗れさせていた人間関係をほどけたってことだ。

 

「…………頭を、上げてくださいな」

 

 そう言って、俺は瀬見さんに頭を上げてもらった。

 そして、一番に伝えたかったことを言う。

 

「…………ありがとうございます。なんだかとても、救われた気がしますわ」

「そう。それなら、良かったわ」

「……わたくし、そんな風に思われていたなんて、思ってもみていなくて……」

「無理もないわ。自殺するほどに自分を責めていたということだもの、自罰的なメンタリティを獲得していても無理はないの。むしろ、私達がもっと早くに言うべきことだったわね」

 

 そう言って、瀬見さんはもう一度『ごめんなさい』と呟くように笑った。

 …………いや、それは違うんだけどな。…………でも、レイシアちゃんの日記の最後のページにあった、『こんなわたくしは嘘に決まっています』っていうのは、ある意味それくらい強い自己否定があったってことでもあるんだよなぁ……。

 

「…………だが、こういうことを思っている場合もある、ということよ。貴方が『自分だけが悪い』と全てを背負い込むことは、その認識を前提に相手と関わるということは、逆に言えば『相手が想いを吐き出す機会を奪う』ことでもあるの。……()()()()()()()()()()()()()()()()、ね」

「…………」

 

 ………………………………俺は、今までこの人間関係の拗れは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と思っていた。

 過去にしたことを謝って、自分が変わったことを見せて、わだかまりを解いて、相手にレイシアちゃんを『見直させる』ことができたならば、全て上手く行くと思っていた。

 でも、そうではないとしたら?

 俺がただ歩み寄って行くだけでは不十分だったとしたら?

 問題は、そんなに単純ではないとしたら?

 

 瀬見さんの言ったことが、『GMDW』のメンバーにも当てはまってしまうとしたら?

 

 彼女達にとってはレイシアちゃんは『圧倒的な強者』で、それに対抗する弱者としての構図が彼女達の中に染みついている。そんな節があることは……否定できないと思う。

 もちろん、そこに悪意のようなものはないだろう。面倒臭いからとか、そういうことを意識していた訳ではないと思う。だが…………正直、警戒が過剰すぎるなとは思うんだ。

 

 確かに、最初に拒絶されるのは織り込み済みではあった。何度拒絶されても接触を繰り返して、少しずつ変わっているんだってことを認識してもらおうと思っていたんだし。

 でも、彼女達は美琴との和解やら寮監とのやりとりやら罰掃除プログラムやら、果ては渡されたケーキに至るまで『自分達を支配する為の足がかり』としてしか見ようとしていなかった。

 それだけのことをレイシアちゃんがしていたんだ――――と結論づけるのは簡単だし、実際に俺もそうしていたが、果たして本当にそれだけなのか? 自分にだけ原因があって、自分さえ変われば問題が解決すると思うのは、それはそれで短絡的じゃないか?

 そして、彼女達はレイシアちゃんが自殺未遂をしたってことを知らない。瀬見さん達と違ってレイシアちゃんの『弱み』を見ていない。

 ……ってことは、このまま色々な手で『変わった自分』を見せ続けたところで、『自分達を支配する為の方式を変えただけ』と認識され続ける可能性があるってことになる。

 本当に和解したいのであれば、相手の問題も解きほぐす必要がある。そういう風に、問題を認識し直す必要があるんじゃないか?

 

 

 ………………じゃあ、具体的に、どうしようか?




やや唐突なドラゴンキラーは別に何かの比喩ではなく、普通に他鎌池先生作品ネタです。
(HsOシリーズの元ネタを破壊し続ける主人公コンビの通称・参照:ヘヴィーオブジェクト)


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一三話:告解のような

 ――その翌日。

 

 俺は、朝から第七学区にあるとある公園に足を運んでいた。

 ちなみに、目立つのが嫌なので髪型はポニーテールでTシャツにジーンズ、伊達眼鏡(修理はしてある)装備のいつもの変装スタイルだ。

 特に目的があるわけじゃない。ただ、寮に籠って考え事をしていても結論は出ないだろうなと思ったのだ。

 だからといって、公園にやって来たから答えが見つかるわけでもないけど…………何にせよ、気分転換は大事だ。

 

 うーん、どうしたものか…………。この間の様子だと下手に声をかけたりするだけじゃ酷いことになりそうだし、行動で自分が変わったことをアピールする、っていう方針にしても……少なくとも美琴と交流したりする程度じゃ無意味なんだよな。

 …………とりあえず悪感情がまだマシそうな、派閥の外の生徒と交流してみる、とか? …………うーん、今の俺の立ち位置からして、そういうことを迂闊にするとなんか取り返しのつかない誤解を生みそうな気がして怖い。具体的には、『新たな手駒を作ろうとしている』とかなんとか『GMDW』の面々に誤解されかねない気がする。

 でも、信頼を得る為には美琴と交流したりする程度じゃ無意味…………。

 …………堂々巡りじゃん。

 

 ………………あー、駄目だ。結局考え込んでるじゃないか。これじゃ、気分転換に公園に来た意味がない。一旦、このことは忘れよう。頭の中をリフレッシュさせて、それから考えれば何かいいアイデアが浮かぶかもしれない。

 

 そう考え、俺は顔を上げた。

 

「あ」

 

 そして、アイス屋さんの前で見覚えのある人物たちを発見した。

 が……。

 ………………やれやれ、なんかいつも通りというか、まぁ、そうそう変わらないよなぁ、こいつらは。

 心中で呆れながら、俺は二人の方へと近づいて行く。

 

 口元に、笑みさえ浮かべながら。

 

「…………上条さんと、インデックスさん。久しぶりですね」

 

 格好が格好なので、お嬢様言葉ではなく普通の敬語で。

 ……俺の目の前には、アイス屋さんの前で半泣きになっている上条と、ぷりぷり怒っているインデックスの姿があった。

 …………なんかもう、既に不幸の内容が予測できるんですけど…………。

 

 

「えっと………………誰?」

「は?」

 

 と、そんな風に近寄った俺だったが、上条達との久々の邂逅はそんな予想外の一言と共に始まったのであった――――。

 

***

 

第二章 失敗なんて気にしない Crazy_Princess.

 

一三話:告解のような I'll_Break_the_imagine.

 

***

 

「いやあの、上条さん?」

 

 ――と言いかけたところで、俺はハッと気づいた。そういえば、この上条はこの格好の俺を見たことがないんだった。

 ……………………。

 というわけで、俺は伊達眼鏡を外して素顔を見せる。これで分かるかな? まだ気付かないかな――――と、

 

「あ! レイシア!」

 

 インデックスの方が反応してくれた。

 流石は完全記憶能力の持ち主って感じだ。俺はこっちに駆け寄って来るインデックスの頭をぽんぽんと撫でる。あー……可愛いな、妹ができたみたいだ。こちとら前世の時から筋金入りの一人っ子だったしなぁ。

 

「レイシア、どうしてそんな格好してるの?」

「ああ、インデックスさん()()まだ教えてませんでしたね」

 

 その言葉に、上条はギクリと身体を震わせる。

 …………。そりゃまぁ、自分も覚えてないから仕方あるまい。……ここは変に上条に話は振らず、インデックスに説明する体で上条に俺と最初に会ったときのことも教えておいてやるか。

 

「……この格好でお嬢様言葉を使うと浮いてしまうので、違和感については目を瞑ってくださいね」

 

 俺はそう断りつつ、

 

「元々は、節約の為です」

「節約?」

「はい。学舎の園――私の生活拠点周辺は、お嬢様学校ゆえに物価が高すぎるんです。だから無駄な出費を抑える為に買い物をするときはこっちまで来ているんですよ。それで、常盤台の制服だと目立ちすぎるから……。上条さんと初めて会ったのもこの格好のときで、インデックスさんの一件までの二週間、特売の度に何度となく会っていたんですけど…………」

 

 そこで、俺は上条にジトーっとした視線を送ってみせる。上条はもう戦々恐々といった感じだ。……安心しろ、ボロが出るようなことは言わないから。

 

「上条さん、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 と、呆れ混じりの溜息を吐いて、『追及しないよ』という意思表示をする。一気に上条の警戒が緩んだのを感じた。……多少無理やりっぽいけど、まぁ俺がそういうことで納得しているとなれば上条もわざわざ掘り下げようとはすまい。

 

「い、いやぁ、ははは。そういえばそんな格好もしてたっけ、なんか懐かしいくらいだわー」

「…………で、まぁこれが意外と着心地がよくって。それで、外に出るときは目立たないようにする為にもこういう格好をしているんですよね」

 

 常盤台の制服は、学校のブランドイメージもあってかなり目立つ。

 何せ、駅のホームで見かけようものなら雑踏の中でもぱっと見分けがつくくらいとまで言われたりするくらいなのだ。そんなのが公園にいたら悪目立ち不可避である。

 

「…………それで、上条さん達はどうして此処に? 朝から公園なんて……」

「それについては、聞くも涙語るも涙の……、」

「とうまの自業自得でしょ!」

「……………………不幸だ」

 

 あー、やっぱりそういう感じなんだなぁ……。

 

「つまり、インデックスさんを怒らせることをしてアイスを買って怒りを鎮める必要があると」

「聞いてよレイシア! とうまってばひどいんだよ! 私が着替えてる時に覗き見して、あろうことか『お前の幼児体型(つるぺた)なんかに反応する上条さんじゃありませんー!!』って言ったんだから!」

「そ、そんな言い方、」

「してたんだよ! 私の記憶力は『完全』なんだから!!」

 

 そりゃそうだ。

 …………っつか、上条もラッキースケベしただけならまだ許されたんだが……照れ隠しとはいえ、つるぺた呼ばわりはいかんだろう、つるぺた呼ばわりは。

 紳士たるもの、女性を胸で判断してはいかんよ。

 

「……上条さん。人の体型を悪し様に言うのはよくないですよ。大体、胸の大きさなんてどうでもいいことじゃな……、どうしたんですか二人とも? ……なんで私の胸を見てるんですか?」

 

 ぐあー!! 面倒()せえ!! 持てる者(デカチチ)が言っても説得力ねえってか!?

 確かにおっぱいが大きいのは素晴らしいことだよ! それは認める! 俺も元々は男だった人間だ! グラビアアイドルはおっぱいが大きい方が人気出るし、視聴者(おとこ)どもとしても嬉しい! 圧倒的に、巨乳は素晴らしいものなんだ! その感覚はよぉーく分かる!!

 ……でもな、だからって貧乳(あいつら)が見下されていいって理由には、ならねぇだろうがよォ!!!!(力説)

 ………………なんて下品トークは(レイシアちゃんの身体では)できないから、内心で毒を吐くにとどめるわけだが。

 

「ともかく! そんな訳でとうまが私の為にアイスを買って謝罪するのは当然の流れであって、どこにも横暴はないんだよ!!」

「……直後にやられた制裁(かみつき)はノーカンなんでせう?」

「あれは着替えを覗き見した分!!」

「だからそこからしておかしいんだよ! 覗き見じゃねえ! あれは事故だっっ!!」

「上条さん、諦めましょう。今回はアナタが悪いです」

 

 逆につるぺたいじりがアイスで済むなら安いものだと思うが。

 これが他の小説の世界とかだったら、冗談抜きでギャグ補正がないと死にかねないデスコンボの応酬になったりするからなぁ。

 

「…………それについてはいいや。それで、レイシアの方はどうして公園に来たんだ?」

「ちょっと考え事というか…………気分転換ですね」

「……煮え切らないな」

「まぁ、私にも色々とあるんですよ」

 

 曖昧に笑うと、上条は真面目な表情になった。……あ、これアカン。ごまかしきれなかった。

 

「そんなに大したことはなくて、友人関係で、」

「レイシア、何かあったね?」

 

 言いかけたところで、インデックスが俺の目を見ながらそう言った。

 …………う。

 これは、言い逃れできるような雰囲気じゃない。

 

「相談なら乗るぞ」

「私も、力になるんだよ!」

「…………ありがとうございます」

 

 …………ここは、素直にお言葉に甘えるかなぁ……。

 

「……実はちょっと、友人関係で悩んでいて……」

 

 肩を落としながら、俺は白状するように言った。

 

「その、詳しい事情は省きますけど、仲違いした友人達に謝って、できることならもう一度やり直したいのですが…………上手く伝えられなくて。その、どういう風にすれば気持ちが上手く伝わるのか、やり直すことができるのか、考えているところだったんです」

 

 そう言って、俯く。

 

「んー」

 

 上条は、困ったように頭を掻きながら、

 

「…………なんか、意外だ。レイシアもそんな風に悩むんだな」

 

 そんな風に呑気なことを言った。

 そんな…………って、なんで上条が俺のことを知っている風なんだ? ……あ、そういえば俺はインデックスと上条(先代)の数少ない共通の知人だったか。日常生活で話題に上ったりしてたんだろう。多分。

 

「上条さん、私は今真面目な話をしているんですよ……?」

「分かってる、分かってるけどさ」

 

 上条は真面目な顔つきになって、こう切り出す。

 

「そもそも、レイシア……お前のやりたいことはもう決まってるんじゃんか」

「やりたい、こと…………?」

「お前さっき言ってただろ。『もう一度やり直したい』って。なら、そうすれば良いじゃねーか。謝ったりとかって、それからついてくるモンだろ」

「え、と……………………」

 

 思わず、言葉が詰まる。

 きちんと伝えていなかった弊害だな……。『やり直したい』からってそんなの虫がよすぎる。まず反省して、自分が変わったってことを見せないとダメだろう。

 

「ええと…………ごめんなさい。説明を省いていましたが、私は友人達に酷いことをしてしまっていたんです。それも、一年間ずっと。いえ……そもそもあの関係性が友達と言えたのかどうかすら……」

「そんなの、関係ねーだろ」

 

 上条は、そうバッサリと斬り捨てた。

 

「……え?」

「友達とは呼べないかもしれなくたって、これから仲良くなりたいんだろ。なら一番に考えるのはそういうことじゃねーだろ。自分がどれだけのことをやったとか、友達じゃないかもしれないとか、酷いことをしてしまったとか、そんな難しいこと考えて色々計算してできるのが『友達』じゃねーだろ」

「それは…………、」

 

 ……その通り、だ。

 

「だったら取り繕うなよ! 小難しい義理だとか理屈なんか全部投げ捨てて、一〇〇%の本音でぶつかれよ! 我儘だからって尻込みする必要なんか一ミリもねえ! 逆に聞くぜ、レイシア。テメェが仲良くなりたいと思った連中ってのは、そんな一〇〇%の本音をぶつけても冷たく拒絶するような、そんなつまんねえ奴なのかよ!?」

 

 ………………。

 

「…………それは、違いますね」

 

 俺は、そう結論付けた。

 ……もちろん伝え方は工夫が要るだろう。馬鹿正直に友達になりたいと言ったからって、伝わるとは思えない。それだけじゃ、一〇〇%の本音にはならない。

 でも、きちんと伝える努力をして、それでも伝わらないような子達じゃない。それだけは、はっきりと言えると思う。

 

 問題を解決する――なんて上から目線の他人事みたいなやり方じゃなく。

『GMDW』のメンバーの想いを引き出せるような、そんな『一〇〇%』でぶつかることができれば。

 

「頑張って、レイシア」

 

 インデックスが、上条の言葉に添えるように言う。

 

「…………とうまは正直デリカシーがないから、言うこと全部極端だけど……でも、レイシアならきっとできるよ。だってレイシアは、私とかおりやステイルの間を取り持ってくれたもん。…………私を幸せにできたんだから、きっとその人達だって幸せにできるはずなんだよ!」

「………………ありがとうございます、インデックスさん」

 

 やっぱり、公園に来てよかった。

 気分転換は正直失敗したが、それでも、もっと大事なことに気付かせてもらった。

 

「私、行ってきますね」

「おう」

「うん」

 

 二人に背を向け、俺は歩き出す。

 …………現在時刻は、大体一一時くらいか。

 諸々のことを考えると、けっこうギリギリになりそうだな。

 

 でも、もう迷いはない。

 俺は、俺の幻想を貫き通させてもらおう!



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一四話:チェス盤をひっくり返す

 外部寮に戻り、諸々の準備を済ませた頃には、既に三時を過ぎてしまっていた。まぁ、数十分やそこらで解散するような集まりでもないから心配は要らないけど…………戻って来たのが一一時ちょい過ぎくらいだったから、四時間も手間取っていたのか。まぁ、そのくらい素っ頓狂なことだったから仕方がなかったとも言えるけども。

 

「…………必要な()()は……これで全部、ですわね」

 

 誰に言うでもなく呟いて、俺は紙の束を手に持つ。

 最近は、お嬢様言葉も自然と口を突いて出るようになった。順応……と言っていいのか。そのうち心まで女性化していくのかな? と少し思ったりもするが、そうなったらそうなったで受け入れるつもりだ。少なくとも今の俺にそういう兆しはないし、仮に兆しが出てきたら、その時の俺にとって『そういう変化』は好ましいモノに映ることだろう。

 …………それに、そこまで長い間レイシアちゃんの身体に居座るつもりもないしな。

 

 と、そんな感じで俺は常盤台中学にやってきた。

 

『GMDW』の集まりがある中庭に向かおうとしていると、何やら学校自体が浮足立っているような雰囲気だった。

 何か……大きな騒ぎの余波が、広範囲にわたって影響を及ぼしているような。

 気になった俺は、そのへんにいる生徒の一人に声をかける。

 

「少し良いですか? 何やら騒がしいようですが、何かありましたの?」

「え? ああ……、何かもなにも…………って、ブラックガード様!?」

 

 ……が、その少女は俺に気付くや、驚愕で面喰っていた。……俺絡みの話ってことなのか、あるいは俺自身にそれだけの悪印象があるのか、判断に悩むところだな……。

 気を取り直した生徒の少女は、オーバーリアクションを恥じたのか少し顔を赤くしながら、咳払いをする。

 

「……ご存じないと。ということは、やはりあの噂は本当だったのですね……」

「…………『噂』、ですか?」

 

 俺が眉を顰めると、それだけで少女はびくりと震えてしまう。しかし、これまでの活動の賜物か、それだけで逃げ出すようなことはせずに続きを話してくれた。

 

「ええ……」

 

 少女は小さく頷き、

 

「『レイシア=ブラックガードは「GMDW」の指導者の座を追われた。ゆえに、「GMDW」の保有する財力は宙ぶらりんとなっている。その「遺産」を我が物にするなら、今がチャンスだ』…………そんな話が、まことしやかにささやかれていたのですよ」

 

***

 

第二章 失敗なんて気にしない Crazy_Princess.

 

一四話:チェス盤をひっくり返す Demolition.

 

***

 

「…………その話についちゃあ、既に決着していたはずですが?」

 

 中庭。

 刺鹿夢月は、やってきた『使者』に対し、苦々しい表情を浮かべながらそう言い放っていた。

 口調こそ威圧的だが、彼女の浮かべている表情が、彼女達の立たされている状況の苦しさを物語っていると言っても良い。

 

「いえいえそうではありませんのよ。ですので、わたくしが申し上げているのは『委譲』ではなく『合併』ですわ」

 

『使者』の少女は、人の良さそうな笑みを浮かべながらそう返す。

 彼女は、以前レイシアがやって来た直前に刺鹿と対面し、そして『空中に現れた火花』によって気圧され一旦は退散した少女だった。しかし、今はそうした威圧も効かないと言わんばかりに余裕を持った笑みを浮かべている。

 

「そもそもが、理不尽だと言っているのです」

 

 少女は、にこやかな笑みを浮かべながら、刺鹿達を糾弾していく。

 

「ブラックガード様の入院以降、貴方がたは派閥の保有する研究機関をろくに利用していません。せいぜいが、外部の開発機関程度でしょうか? 以前に使用していた集合場所さえ利用している形跡がない」

 

 利用していない――というのは、間違いだ。

 正確には、『利用することができない』のである。能力開発に利用している開発機関を除いた研究施設――派閥の独自研究などに用いている研究所など――の権利はレイシアが保有している為、彼女達では使用許可が下りないのである。

 例の『入院』騒動の前まではいちいちレイシアが許諾を出す形で活動を管理していた為問題はなかったが、『入院』以降『GMDW』のメンバーはレイシアと決別している為、許可の申請などとれるはずもなかったのであった。

 

 もちろん、解決する方法くらいは刺鹿達にも分かっている。

 レイシアに、許可の申請をすればいいのだ。そうすれば『一応利用しようとしている姿勢』は外部にアピールできるので、目の前の少女の主張の『前提』は崩れ去る。

 だが、そんなことは彼女達にはできなかった。『許可の申請をする』ということは、レイシアの軍門に再び下るということに等しい。そんなことをすれば、せっかく達成した決別が無意味になってしまう。

 また、あの日々の再来となってしまう。

 そんな決断を認められるはずがなかった。

 

「…………ですが、そんなものは貴方達のわがままですわ」

 

『使者』の少女はせせら笑うようにしながら、

 

「この世の資源は限られています。それは、人工物であっても変わりません。常盤台周辺にある研究機関をはじめとした施設もまた。『使う予定のないリソースを支配している』というのは、あまりにも自分勝手ではなくって?」

 

 少女は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、そう語る。

 …………もちろん、詭弁だ。

 確かにこの世の資源は限られているし、研究機関をはじめとした施設も同じように限りがあるだろう。しかし、それは常盤台中学のいち生徒の集まり程度で余裕がなくなるほどの量ではない。彼女達の『矜持』は、他の誰かの努力を阻むような性質のものではない。

 つまりお嬢様特有の、綺麗事にまみれた婉曲的な言い回しを排して、本音だけで構成した場合、彼女の台詞はこうなる。

 

『組織として弱体化したお前らから、技術情報を奪い取ってやる』

 

 …………『GMDW』は、掛け値なしの大派閥である。

 それも、分子関連については特化した技術力を持っている。専門的な技術は使いようがないように見えるかもしれないが、特化した戦力というのは何かしらの分野にも接しているものだ。持っておけば、何かしらの技術的な壁にぶち当たったときに技術的なブレイクスルーを生み出す助けになるかもしれない。

 だから、持てるものなら持っておきたいのだ。

 

「………………、」

 

 それに対し、刺鹿は答えることができない。

 彼女達の本音は分かり切っているが、一方で彼女達の言い分は()()正論だからだ。特に誰にも迷惑をかけているわけではないが、リソースを無駄にしていると言われれば否定することはできない。

 常盤台の社会は表立った戦力によって支配される社会ではないが、一方でその分『風聞』が物を言う場所だ。

『彼女が派閥を作れば脅威になるかも』という憶測()()()潰される可能性のある世界。

 そんな世界で、このまま話を大きくされて、『リソースを不当に独り占めしている』などという風聞を撒き散らされれば――当然ながら、まともなことにはならないだろう。彼女達には及びもつかない手順で、各種権利が全てむしり取られるに決まっている。そういう手筈が、既に整っているとみるべきだ。

 そして、実際のところ、刺鹿達にはこの問題について譲歩することはできない。

 実質的に契約の権利を有しているのはレイシアだから手続きが出来ない――――なんていう理由ではない。

 それだけなら、『GMDW』から脱退してしまえば彼女達に累が及ぶ心配はなくなる。派閥の研究成果については失われてしまうが、そんなものはレイシアの『入院』騒動が起きてからは既に諦めていたものでしかないし、未練などない。

 問題は、そこではない。

 かつてのレイシアは、『GMDW』のメンバーの能力開発について、全てを自分で管理しようとしていた。メンバー全員について『GMDW』のコネを介した斡旋を行う、という形で。

 つまり、彼女達が自分の為に利用している能力開発の為の研究機関ですら、『GMDW』が所有する権利の範疇に収まってしまっているのだ。

 そんな状況で『GMDW』の持っている技術力が根こそぎ奪われでもしたら、彼女達の手元には彼女達がきちんと活用している能力開発機関すら残らなくなる可能性がある。

 

 ひらたく言うと、『GMDW』の技術力を奪われた場合、彼女達の能力開発水準は数レベル低下する。

 最悪の場合、最大で一か月ほど能力開発自体が完全に滞ってしまうかもしれない。

 

 そして、能力開発のエリート校である常盤台中学においてその足踏みは致命的だ。

 確かに彼女達には、レイシアの『遺産』を使ってどうこうしようという意思など存在しない。だが、それは彼女達が清貧を心がけなければならないという意味にもならない。あくまで彼女達は能力開発のエリート集団であり、()()()()()()()()()の為にドロップアウトを良しとする集団ではない。

 それに何より、暫定的ではあっても組織の長として、そんな話を認めるわけにはいかない。

 

「応じないのであればそれでもよろしい。ですが、我々は徹底的に戦いますわよ。貴方がたが自分勝手に限りあるリソースを食い荒らし続けるのであれば、我々は正義の為に貴方がたを打ち倒します。……ブラックガード様を倒した、御坂様のように」

 

 彼女達にはどうにもできないということを知りながら。

『使者』の少女は、笑みを浮かべる。レイシアの『遺産』を我が物にする為の策略を張り巡らせながら。

 そこに、切羽詰った事情など存在しない。

 ただ、自分達の派閥の規模を大きくし、名誉や将来の為に有利だから。それだけの、軽い思いで。

 分かったような口ぶりで、そこにあった心の動きも知らない癖に、上から目線の『白々しい正義』を振りかざす。

 

「…………!」

 

 刺鹿は、その傍らに立つ苑内は、そして派閥の少女達は、悔しそうに歯噛みする。

 だが、もう彼女達にはどうしようもない。

 状況は既に、詰みの領域にまで至っていた。

 

 その、はずだった。

 

「――――随分と、面白くない話をしているようですわね」

 

 その少女の、凛とした声がその場に響き渡るまでは。




派閥の世界観については独自設定ですが、原作を見る限り派閥社会は色々窮屈そうです……。
……一方で、仲良しグループレベルで収まっている面もあるようなので、
このへんはエンジョイ勢とガチ勢みたいな感じの違いなんでしょうね。


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一五話:雨降って――

 ………………少女の情報提供にお礼を言って急いで中庭に向かってみたら、なんか夢月さん達が凄い涙目になっていたでござる。

 

 いや、ござるじゃなくて。

 わりとマジでヤバい雰囲気になっていて、正直、焦った。

 その焦りを引っ込めて、落ち着いた声色を作れたのは……ここ一か月間のお嬢様生活の賜物か、あるいはレイシアちゃんの身体に染みついた『冷たい声色』の癖がなせる業か。

 まぁ、そんなことはどうでもいい。

 

「…………貴方は……!」

「ご存じレイシア=ブラックガード。この派閥の『長』ですわ」

 

 そう名乗ると、夢月さんの目の前に立っていた少女は、じりりと気圧されたように後退りする。…………そんなに威圧したつもりはないんだけど、緊張で顔がこわばってたか? やっぱりレイシアちゃんの恐怖っていうのは派閥の外の生徒にも染みついているんだろうなぁ……。途中で会った少女を見るに、『GMDW』のメンバーほどじゃないみたいだけど。

 

 しかし、どうやら話の流れ的に、聞いた話と大体の流れは同じのようだ。

 …………『自殺騒動』を経て、『GMDW』が俺――レイシアちゃんの制御を離れ、それによって一部研究機関の利用が滞っているから、そこを突いて強引に『GMDW』の持つ権利をむしり取ろうとする策略。

 実際には、『委譲』だとか『合併』だとかといった婉曲的な手法になってはいるが、本質は変わらない。結果的には、『GMDW』の技術力はむしり取られるわけだしな。

 そして、それが行われる過程で使われていなかった研究機関の権利だけでなく、彼女達が開発に使っていた施設すらも取り上げられかねない。……それは、エリート学校の常盤台中学においては致命的なマイナスだ。

 

 しかも、それを実行しようとしている相手側にしても、別にそうしなくちゃいけない理由があるわけじゃない。『先進的かつ尖った技術力があれば、いずれ研究で手詰まりになった時に技術的ブレイクスルーを生み出せるかもしれないから』……まるでパズルの『ピース』でも扱うみたいに。そんな転ばぬ先の杖みたいな考え方で、彼女達から権利を奪おうとしているってわけだ。

 

 …………なら、俺がやるべきことは一つだけだろう。

 

「……今更、何の用です?」

 

 相手側の少女が、そんなことを言いだした。

 声こそ震えていて、緊張しているのが丸分かりだが――それでも、口元には笑みが浮かんでいた。

 

「長たる自分が現れたから、権利者たる自分がいるから、それで話は終わりだとでも!? 今まで散々放置しておいて、そんな理屈が通ると本気で思っているのですか!? 我々が戦う『派閥』の世界は厳密な論理よりも人々の間で交わされる『風聞』こそが物を言う社会! 『筋』が通っていなければそこには何の効力も生まれはしない!!」

「それで?」

 

 彼女の主張を全部聞いて、その上で俺は横目でちらりと一瞥し、そう切り捨てる。切り捨てられた相手側の少女は、あまりのことに何も言えないようだった。

 ま、今相手側の少女が言ったのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の話だしな。相手が棒立ちだったら大量にコンボを叩き込めるなんて言っても、そりゃ理論上の話でしかない。こっちは分かりやすいNPCじゃないんだから、対抗だってできる。

 

 ……それにぶっちゃけた話、相手側の少女の理屈なんてのは最初っからどうでも良い。そんなもんは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。重要なのはそこじゃない。…………俺にとっての最重要項目は、今この少女に追い詰められていた、『GMDW』の面々の方だ。

 彼女達を、どう納得させるか。そこにかかっている。

 

「…………何、の、つもりですか」

 

 そちらの方に視線を向けると、ちょうど夢月さんがぽつりと呟いたところだった。

 

「何故、このタイミングで現れやがれるんですか!? ……まさか、これも全て貴方の差し金だったんですか!? おかしーとは思っていたんです! 貴方が私達から手を引いたタイミングで、この騒ぎ! こうなることを予見して、私達が貴方に助けを求めざるを得ない状況を作って、そこに『優しく手を差し伸べる、改心して優しくなった正義の統治者』として君臨し直そーってハラなんでしょう!?」

 

 …………………………。

 まぁ、普通にそう思うよねぇ。俺がまだ以前の悪人のままであるっていう前提に立って考えると、このタイミングで彼女達が苦境に立たされるのは俺にとって都合が良すぎる。

 何せ、彼女達に用意されている唯一の解決策は、俺に助けを求める……つまり再びレイシア=ブラックガードに従属するっていう、彼女達にとっては最悪の結末しかないんだから。

 彼女達としては、俺が全部仕組んでいたって考えるのが自然な流れなんだよなぁ。

 というか、噂自体は前回の俺との邂逅の前からあったらしいし、あのときの警戒心もこの流れの延長線上だったのか?

 

 

 …………まったく、運がいいやら悪いやら。

 ここまで最終的な影響がプラマイゼロに持って行かれると、逆に何かの作為を感じてしまう。

 

 

「信じていただけないのですか?」

「当たり前でしょーが! どこに信じられる要素があるってんですか!」

「……それなら、仕方がありませんわね」

 

 そう言って、俺はカバンから紙の束を引っ張り出し、夢月さんに突きつける。

 バサリ、という音を立てて、その内容が彼女の前に開陳されていく。

 

「それなら、いっそのこと前提から覆してみましょうか」

 

「…………………………………………………………ぁ?」

 

 夢月さんの表情が、一瞬何の色もない透明でニュートラルなものに切り替わる。

 

「アナタ達が考えるわたくしの『目的』は一つ。何だかんだとアナタ達だけでは解決不能な問題を起こし、わたくしに縋りつかせるようにアナタ達を誘導し、最終的にわたくしを頂点とした組織構造で『派閥』を再出発させること。そうですわよね?」

「…………え、ああ……」

「ですから、その前提を覆す、と言っているのです」

 

 そう言いながら、俺は夢月さんの手に書類の束を手渡す。

 一一時すぎから、揃えるのに実に四時間も手間取ったそれを。

 

「『GMDW』関連施設の権利の委譲手続に必要な書類ですわ」

 

 そう言った瞬間、夢月さん…………いや、それだけじゃない。燐火さんや、そのほかのメンバーに至るまでが目を大きく見開いた。

 

「わたくしの方のサインは終えています。あとは、貴方がたの中の誰かを代表にしてサインすれば、その時点で『GMDW』関連施設の権利は全て委譲されることになります。…………面倒な手続きがいっぱいあったせいで、最大スペックで時間を短縮してもここまでかかってしまいましたが」

 

 俺はそこまで言って、相手側の少女を横目に見る。

 

「こうすれば、『GMDW』の権限はわたくしから夢月さん達に移ります。そもそも、彼女達が関連施設を利用できなかったのは長たるわたくしに許可をとっていなかったから……とアナタは仰っていましたが、そもそも最近のわたくしは入院、失踪、罰掃除と、彼女達との接触が極端にありませんでしたわ。申請できるような状況でなかったのも事実でしょう? きちんと仕事をしない『派閥』の長はともかく、それに振り回され続けてきた『被害者』である彼女達が新たな『派閥』の長になり、関連施設を利用する分には問題ないはずですわよね?」

 

 ここで、今までのレイシアちゃんの『風聞の悪さ』が活きてくる。

 つまり、『仕事のできないダメなリーダー』が、そうではない部下に全部の権限を委譲してしまう、ということだ。そうすれば相手側の少女が問題にしてきた口実は一旦全部リセットされることになる。

 

「…………くっ」

 

 もはや勝ち目がない、と悟ったのだろう。

 あるいはこれ以上拘泥すれば今度は自分達が不利になると考えたのか、相手側の少女は苦々しい表情のまま、その場から立ち去って行った。

 

 …………これでひとまずこっちの問題は解決、かな?

 

***

 

第二章 失敗なんて気にしない Crazy_Princess.

一五話:雨降って―― Insignificant_Settlement.

 

***

 

「いーん…………ですか……?」

 

 夢月さんが、呆然としたままそう問いかける。

 問題は、俺……レイシアちゃんの地位が全部なくなってしまうってことだが、俺としてはそこが一番最初の狙いだった。

 こんなモンがあったから、『上と下』っていう立ち位置があったから、『支配者と被支配者』っていう構図があったから、レイシアちゃんと彼女達の友情は歪んじまったんだ。

 

 …………瀬見さんは言っていた。

 被害者に甘んじて、楽な方向に流れていた、って。

 それは、瀬見さんからすれば確かにそう思うのかもしれない。実際、俺もレイシアちゃんにだけ原因を求めるのが正しいこととは限らないんじゃないかって悩んでいた。

 でも、俺は思う。……それは、仕方のないことだ。

 だってそうだろ。瀬見さんにとって俺は、レイシアちゃんは、『雇い主』でもあった。そんな相手に直接物申すなんてこと、頭で分かっていたってそうできることじゃない。職を失うかもしれないんだから。

 まして、特に親しい訳じゃない赤の他人の人間的欠点に、破滅のリスクを抱え込んでまでぶつかれるお人好しが、いったいこの世に何人いるっていうんだ。

 それと同じ。

 彼女達『GMDW』のメンバーだって、開発機関の全ての権利を全てレイシアちゃんに握られていた。レイシアちゃんの機嫌一つで、自分の将来が大きく左右される()()()()()()んだ。そんな状況で、真っ向からぶつかることができるか? レイシアちゃんの性格を考えれば、そんなのできるわけない。

『被害者っていう楽な方に流れる』って言うけど、『対等に立ち向かうっていう苦しい方に進む』ことって、実際にはどれだけ苦しいんだって話だよ。俺はヒーローなんかじゃない一般市民だから、その決断の辛さが良く分かる。

 確かに、立ち向かえないのは『弱さ』なのかもしれないけどさ。

 その『弱さ』は、罪なんかじゃない。

 だからこそ、思う。

 

 こんな構図さえなければ。

 

 あらゆる利権をレイシアちゃんが握り、瀬見さんや夢月さんや燐火さんみたいな人達がただ追従せざるを得ない環境になったりしていなければ。

 ひょっとしたら夢月さんや燐火さんはレイシアちゃんに物申して、レイシアちゃんもいくつかの衝突はあれど、少しずつ良い方向に変わって行けたんじゃないかって。

 俺なんかがいなくたって、みんなが笑い合える未来が作れたんじゃないかって。

 誰が弱いとか誰が悪いとか、そんなくだらない責任の擦り付け合いじゃない、誰かが悪者にならなきゃいけないとかいう胸糞悪い幻想をぶち殺せていたんじゃないかって。

 

 だから、俺は全てを手放すことに躊躇なんかない。

 それに見合うだけの未来を彼女に提供できると、確信しているから。

 

「構いませんわよ?」

「…………でも、だって。そんなことをしやがれば、もう返り咲きなんかできっこねーですよ! 利権を盾に私達の不満を押さえつけることだって! そんなことをすれば、どう策を弄したって私達を制御することなんかできなくなるのに!」

「ですから、『前提を覆す』……と言いました」

 

 これで、前提は覆った。

『俺が彼女達のことを再度支配しようとしている』という憶測を補強する要因は、なくなった。

 彼女達との歩み寄りを阻む壁は、全てブチ破った。

 …………本来はその為だけのものだったんだけれども、思いのほか彼女達が抱えていた問題の解決に役立ったのは…………良い偶然と言えばいいのか、悪い偶然と言えばいいのか。

 この偶然がなければ前回の邂逅でもうちょっと相互理解もスムーズに進んだだろうってことを考えると、なんとも言い難い。

 

「その上で…………お願いがあります」

 

 そう言って、改めて彼女達一人一人の顔を見る。

 今度は、怯んだりする子は一人もいなかった。

 彼女達は、恐ろしい支配者としてではなく、目の前の『レイシア=ブラックガード』っていう一人の人間をしっかりと見てくれていた。

 

「わたくしも…………アナタ達の仲間に入れてくださいな。『派閥』の長だとか、そんなしがらみが関係ない、対等な立場で。…………もう一度ゼロからやり直して、今度はアナタ達と普通の『友達』になりたいのですわ」

 

 そう言って、俺は笑みを浮かべる。

 完璧な笑みかは分からないが…………きっと、今度はちゃんと伝わると信じて。

 

「………………なんで……」

 

 ぽつり、と。

 夢月さんの横にいた燐火さんが、小さく呟く。

 

「なんでそこまでするんですかっ? あたくし達は……ここまでされても()()()()()()()()()()()()程度の人間なのにっ……貴方には、もう御坂様や白井様と言った方々との友誼が存在しているはずですわっ。あたくし達にこだわらず、彼女達や、悪評の影響の少ない他の生徒と親しくする道だってあったはずですわっ!」

 

 その言葉は、段々と大きなものに変わって行く。

 

「なのに…………なのにどうしてっ! こんなあたくし達と手を取り合うなんていう、確実性のない道を選ぼうとするんですのっ!?」

 

 言われて、俺は改めて想いを馳せる。

 それは、レイシアちゃんが自殺を選んだ、()()()()()だ。

 気付く材料なら、既に揃っていた。

 美琴に対する敗北。それが引き金を引く一つとなったのは間違いないだろう。だが、一方でレイシアちゃんは現実の見えていない自信家ではなかった。自分が超能力者(レベル5)には勝てない存在であることを承知している節もあった。

 

『寮監が来たのであの場は手打ちにしましたが、いずれ超能力者(レベル5)になったなら、あの女の鼻を明かしてやりましょう』

 

『前年度中は御坂美琴と食蜂操祈の二人に後れをとりましたが、今年度はそうはいきません』

 

 レイシアちゃんは確かにプライドの高い人間だったが、だからといって自分が誰かより能力で劣っていることだけで折れるようなタイプではない。心の揺れは、自分を高めることへのモチベーションに変換されてきた。

 では何故、彼女は折れてしまったのか。

 

『…………最近、どうもメンバーの態度にたるみが見られていますし、このあたりで少し締め付けを強める必要があるかしら』

 

『最近は、派閥のメンバーもわたくしに対して反抗的な態度が目立ってきました』

 

 ……レイシアちゃんの心を一番大きく揺さぶってきたのは、間違いなく『GMDW』の面々の態度だった。モチベーションに転換するどころか、それによる機嫌の荒れが開発チームにまで悪影響を及ぼすほどだった。

 そのくらい、レイシアちゃんの心は彼女達の近くにあったってことだ。

 

 日記には、派閥のメンバーとの楽しかった記憶も書かれていた。

 もちろんそれはレイシアちゃんの傲慢で、当の派閥のメンバーからしてみれば、単なる恐怖よりもおぞましい体験だったのかもしれないけれど。

 それでも、レイシアちゃんはレイシアちゃんなりに、歪んだ形ではあっても彼女達に『友情』を感じ始めていたんだ。

 

 だが、レイシアちゃんは派閥のメンバーにNOを突きつけられた。その上で敗北した。……勝利できていれば、無理やりにでも留まることができたのに、敗北してしまったことでレイシアちゃんの『居場所』は完璧に失われた。

 ……だからレイシアちゃんは涙を流し、だからレイシアちゃんは死を……『ここではないどこか』への逃避を決意した。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

「…………『どうして』、ですか」

 

 色々理由はある。彼女達とレイシアちゃんとの確執をなくすことが『GMDW』の面々の心の傷を癒すことにもつながると思ったから、単純に俺が彼女達の精神性を好ましいと思ったから、和解することでレイシアちゃんの立場を改善させたいと思ったから。理屈を挙げれば、きりがなくなる。

 でも、きっとそういうことじゃないんだよな。

 もっとシンプルな、いっそ陳腐に聞こえてしまうくらい、素朴な望みだったんだ。

 

「高尚な理由など、一つもありません。アナタ達が仲良く笑い合う……そんな未来が見たい。……そんな未来に、わたくしも加わりたい、そう思ったからですわ」

「…………もういーです」

 

 そこに割って入るように、夢月さんが言う。

 そして、渡した書類を突き返す。

 

「こんなもの、必要ありません。貴方に返します」

「ですが…………」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 夢月さんの表情には、照れくさそうな笑みが浮かんでいた。

 いちいち立場を捨てるとか、そんなことをしなくてももう『信頼』は生まれている、とでも言うかのように。

 

「元々、今回の一件は私達と貴方の間で殆ど連絡が途絶していたから、周りから付け入られていたってだけの話なんです。なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()大義名分ってのは失われているんですよ。相手の焦りようを見れば、口でなんて言っていたって分かりやがるでしょう?」

「…………、……それは…………」

 

 言いかけた俺を遮るように、夢月さんが言った。

 

「…………過去のことを全部忘れるなんてことは、私達にはできやしません。……でも、貴方との『これから』を信じようと思えるくらいのことは、してもらいました。これ以上、貴方が何かする必要はありやがりません。あとは、私達が歩み寄る番です」

 

 そして、夢月さんは、俺の方へ一歩前に出て、俺の手をがっしりと掴む。

 

「……これからよろしくお願いします、()()()()()()

 

 夢月さんが、笑みを浮かべる。

 横に立つ燐火さんも、その後ろに並ぶ『GMDW』の面々も。

 つまり。

 それが、一つの決着。

 俺が望んだ、清算の形。理想の未来。その始まり。

 

 …………いや、いやいやいや。

 なんか柄にもなく、視界がぼやけてきてしまった。

 ああ、女の子の身体になったから涙もろくなった…………いや、素直に認めよう。俺は今、とても嬉しい。

 一度は失敗した。

 手ひどく突き放されて、落ち込んだりもした。どうすればいいのか分からなくて迷ったりもした。

 でも、背中を押してもらって、諦めずに突き進んだから、こうして今、彼女達と笑いあえる未来へ進むことができた。

 

「…………はいっ!」

 

 そんな万感の思いを込めて、俺は頷いた。



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おまけ:逆さ吊りの人間の雑感

 そこは、人工的に構成された星空だった。

 光を一切通さない室内の空洞に瞬いているのは、空間に投影されたプラズマ式のディスプレイだ。そして、無数に散らばるそれの中心にある『それ』。

 巨大なビーカーの中に浮かぶ、逆さ吊りの『人間』。

 

『それ』は男にも女にも、子供にも老人にも、聖人にも罪人にも見える――ただの『人間』だった。

 

「………………フム」

 

 逆さ吊りの『人間』は、そのうちの一つのモニターを見ていた。

 そこには、複数の少女達が映っている。

 多くの少女に囲まれて、金髪碧眼の少女は幸せな表情で涙を流していた。

 一つの結末。

 ハッピーエンド。

 新たな未来の始まり。

 それを見て、『人間』はぽつりと呟く。

 

「順調に『収束』しているようで何よりだ」

 

***

 

第二章 失敗なんて気にしない Crazy_Princess.

 

おまけ:逆さ吊りの人間の雑感

 

***

 

『良いのかい、アレイスター』

 

 そんな『人間』に、中年の男のものらしき渋い声がかけられた。

 だが、具体的に誰かがいるというわけではない。『人間』の周囲に瞬く星光のようなモニター群の、その一つから聞こえてくるものだ。

 …………そのモニターには、一匹の大型犬――ゴールデンレトリバーが表示されていたが。

 そんな老犬は、のんびりとしながら言葉を続ける。

 

『極大の挫折を乗り越え、素養格付(パラメータリスト)の範疇を超えた成長を見せる少女…………脅威なし、経過観察に留まる、なんて結論で落ち着けてしまうのは……まぁ、善悪で言えば善だし、好悪で言えば好ましいのだが、研究者としては愚鈍だろう。一応、何かしらの接触を取ることでデータは収集しておくべきだと思うが』

「というより、今は必要ないと言った方が良い」

 

 老犬の言葉に、『人間』はあっさりと返した。

 

「それに、彼女の様子を見れば分かるとは思うが、アレは挫折を乗り越えたという性質のものではないよ」

『…………、……乖離性同一障害、か?』

 

『人間』の他人事のような言葉に、老犬の声色が少しだけ落ち込む。

 優秀な『木原』の研究者であると同時に、子供を慈しむことができる精神性を持つ彼だからこその反応だろう。

 

 乖離性同一障害による自分だけの現実(パーソナルリアリティ)の変質実験、というものが存在した。

 平たく言えば、新たな人格を生み出すことで自分だけの現実(パーソナルリアリティ)に生まれる変化を記録する、という『木原』印の実験だった。

 しかし、この実験は失敗した。

 多重人格者となった能力者に、能力の強度(レベル)が上昇する現象は確認できなかった。むしろ、新たに生まれた人格は無能力者(レベル0)だったり、あるいは能力が使える人格が生まれたとしても、今度は元の人格の出力が低下する事例もあった。

 

 このあたりは、考えてみれば分かることだ。

 二重人格、と言ってもそれは新しい人格が無から生成されるわけではない。

 精神を一つのネットワークとした場合、耐えられない思い出を封じる為にネットワークの一部を封鎖することを、統合失調症。

 さらに封鎖されたネットワークが独立して動くことを乖離性同一障害――二重人格と呼ぶ。

 つまり、『第二の人格』というのは元ある脳内のリソースを割いて作り出されたもので、当然ながら『能力を使う元』が新しく生成されるわけではない。つまり、第二人格の誕生によって能力が強化されるのは『有り得ないこと』なのだ。

 

「乖離性同一障害というのは、簡単(デジタル)に言ってしまえば現実逃避が極まった形だ。新しく生まれた人格に、『自分が目を向けたくない現実を押し付ける』――という風にな」

『彼女の場合は、「拗れに拗れてしまった人間関係の修復」……そして、「断罪からの逃避」』

 

 レイシア=ブラックガード。

 自分の実力や財力を鼻にかけた、傲慢な令嬢。

 そんな彼女がここ一か月ほど見せた『不自然なまでの変化』は、こう捉えればしっくりくる。そういうことで、説明がついてしまう。

 彼女が見せた『新たな人格』が、いっそ自虐的なまでにあらゆる人間関係の歪みからくる苦痛を受け止めているのも、そう考えれば納得がいくのだ。

 

『……だが、その結果として「能力の予定外の成長」が生まれるほどの変化が彼女の内面で起きているのだとしたら――それはそれで、浪漫に満ちた研究価値がある』

 

 とはいえそれは、暖かい目線に基づく分析ではない。

 

『何せ、研究すれば素養格付(パラメータリスト)に縛られない開発の法則を導き出すことができるのかもしれないのだからな。公式を導き出すことができれば、学園都市の常識が捻じ曲がるぞ、これは』

「彼女の能力は素養格付(パラメータリスト)に記載されている限界を超え、既に超能力者(レベル5)の領域に近づきつつある。…………彼女自身が名付けた、本来なら届くはずもない『目指した理想』へと到達するのも時間の問題と言ったところか」

 

 たとえそこに、自殺を決意させるほどの極大の挫折や絶望が含まれているとしても――彼らはそこを斟酌したりはしない。それが、『科学者』という人種とでも言うかのように、あくまで冷徹に法則の研究を行う。

 ただし、『人間』はさらに奥に潜んでいる真実を見据えていた。

 

「……だが、話はそこまで単純ではないよ」

 

 声色の中に含まれている言葉を簡潔に表すならば――『期待外れ』、だろうか。

 

「アレは、恒久的な趨勢の変化を齎すことはない」

『…………なんだって?』

()()()()()()()()()()()()

『………………………………そういう話になるのか』

 

 老犬の言葉にも、失望の色が滲む。

 

「私の情報網――滞空回線(アンダーライン)などからは検出されていないが、〇と一だけの領域からはみ出た感知領域を経て世界を再演算すれば、綻びの余波のようなものは見える」

『世界のヘッダ、というやつか?』

「いいや、アレは所詮位相の問題だ。これはもっと根深い――『真なる外』、と言っても、君には分からんだろうが」

 

『人間』は呟く。

 その中には呟いてはいけない事柄も混じっているかもしれなかったが――不思議と、頓着する様子はなかった。

 どうせ後で帳尻がつく、と分かっているかのように。

 

「言うなれば、『世界の拡張子が違う』、と言ったところか。画像ファイルをテキストファイルで開けば、本来のカタチとは違ったものに見える。〇と一で世界を見るだけでは、異変にすら気付けないが。……しかし、〇と一以外の形で世界を見る術があれば、『本来のカタチ』を読み取ることは難しくない。アレの成長は、そういう類のものだ。激情による能力の成長については可能性こそあるが、彼女のケースからサンプルを入手することは難しいだろう」

『それで、そんな「イレギュラー」を前にアレイスター、君はどうするつもりなんだ?』

「どうもしない」

 

 その『人間』は、それこそつまらなさそうに答えた。

 

「アレは並行世界を恒常的に生み出す、生きる特異点のようなものだ。……ただし、並行世界というのは『異世界』とは違う。壁にかけられた無数の未来(ピン)のどこにゴム紐を引っ掛けるか、という問題でしかない」

 

 コルクボードをイメージすれば分かりやすいかもしれない。

 そこには横一直線にゴム紐がとりつけられていて、そのゴム紐の真ん中を引っ張って、でたらめなところでピンで留めてしまう。

 このときの、ピンに向かって通常であれば有り得ない、本来の場所から座標的に離れた方向に引っ張られている状態が――――有り得ない因子に支配された、本来の未来からかけ離れた可能性の時間軸が、『並行世界』と呼ばれるものの正体だ。

 

『…………そして、未来(ピン)に引っ掛けたところで、その「歪み」はいずれ均されてしまう、か』

 

 これもまた、コルクボードに留められたゴム紐のたとえで考えれば分かりやすいだろう。

 横一直線に伸びたゴム紐の『途中』をピンで留めたとしても、始点と終点が捻じ曲がらない限り座標は徐々に本来の位置に近づいて行く。つまり、『変わった未来』はいずれ元の未来に近づいて行き、そして完全に元に戻る。

『普通の未来』に『収束』していく、というわけだ。

 現に――上条当麻の記憶の破損は、当たり前のように達成された。

 そこを外してしまえば、未来は決定的に『有り得ない方向』へ捻じ曲がってしまうから。

 だから、そうはならないように、未来が『収束』した。

 

「並行世界ではなく、ゴム紐そのものを変質させる類の因子であれば、『プラン』の短縮に利用できる可能性も見出せたかもしれんが。…………アレは、生憎とそこまで大きな変革を世界に齎してくれるわけではない。アレが齎した変化が『乖離性同一障害』や『自殺未遂からの再起による偶発的かつ一時的な素養格付(パラメータリスト)の超越』と言った『当たり前の範疇』でも説明()()()()()()こと自体がそれを証明してしまっている。能力開発の面で彼女から得られるものは何一つないだろうな」

 

 つまり、『人間』はこう言っているのだ。

 何をやっても大勢に影響を及ぼさないことが分かっているものに手をかけても、そんなものは無駄にしかならない、と。

 

『フム。君のそういう遊びのないところはいささかいただけないが――――しかし、それならなんで()()()()()()()()()()()()()なんてした? 必要のないことなんじゃあなかったのか?』

「確かに彼女への干渉は必要ない。彼女の行動は一時的には変化を齎すが、最終的には『本来の形』に終着してしまう定めだ。……だが、それは言い換えれば、あらゆる歴史の歪みを『自分の行いごとまとめて均す』体質とも言えないか? 北欧神話の海の女神ランのような、歴史の趨勢に関与できない体質……よりは、多少乱暴だがな。……そしてそれは、『歴史の特異点に対するイレギュラー』にもなり得る。つまり」

 

『人間』はそこで初めて、人間らしい笑みを浮かべ、

 

「その特質については、上手く鍛えれば、存在するだけで歴史を捻じ曲げる『ヤツら』へのカウンターにもなる。…………それなら、()()()()()()()()()()()()()()

 

 その口から、極めて分かりやすい『憎悪』を吐き出した。




ハナから説明する気ゼロな裏側ですが、鎌池先生作品を手広く読んでいる方ならどういう意味か何となく分かるかも……?


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一六話:マリオネット・レイダー

「申し訳ありません、少々野暮用があって遅れてしまいましたわ」

 

 と、俺はそんなことを言って常盤台中学の一角にある研究室を訪れていた。

 ――『GMDW』の面々と和解した、その次の日。

 和解したということはみんなはレイシアちゃんの保有する施設を好きに使っても良いということであり、つまり『GMDW』の集合場所も中庭ではなく元々の研究室に戻っていたのだった。

 ちなみに、集合時間についてはあんまり具体的に決まっていないのだが、基本的に三時くらいまでには来るように、という目安は存在する。いわゆる不文律というヤツだ。そこらへんなぁなぁでやっておきながら、実は厳密な規律であるという感じは、なんとなくお嬢様社会らしいなと思う。

 

「具体的な時間が決まってるわけでもねーんで別に構いやしませんが。……何かあったんですか?」

 

 研究室で俺に代わって人員の監督をしていた夢月さんが、俺の方へやって来る。

 もう、『GMDW』はいちいち俺の許可をとらないと関連施設を使えないなんてことはない。一応元鞘って感じに落ち着いた今回の件だけど、だからって歪んだ体制を改善しない理由にはならないからな。

 責任者、組織のトップは俺――というかレイシアちゃんのままだけど、権利関係についてはワンマン管理じゃなくて夢月さんと燐火さんにも一部委託する形になっている。……と言っても、二人とも三年だから、俺の後釜も含めて後継者についてはこれから決めていかなくちゃいけないんだけども。これについても、研究の合間に一緒に話し合うことになっている。和解した後も、やることは山積みだ。

 ……それに、それ以外にも気がかりはあるしな。

 

「いえ、大したことはないのです。ただ、ノートを切らしてしまっていまして。新しく買いに行っていたら予想以上に時間をとってしまったのですわ」

「……レイシアさん、一か月前も買っていやがりませんでしたっけ?」

「確かに買ってましたが…………なぜご存じなんですか?」

「いやほら、あの時は色々警戒してたもんで……監視とかしてたりしてなかったり……」

「ああ、なるほど」

「……そ、それはともかくっ! レイシアさんってばタブレット派じゃなかったでしたっけ?」

「たまにはアナログというのも、なかなか便利なんですのよ」

 

 怪訝そうな顔をする夢月さんをよそに、遅れて入室してきた俺に一斉に視線を集める『GMDW』の面々に向けて言う。

 

「さあ、きりきり進めていきますわよ! 夏休みもそろそろ後半戦、『学究会』に向けて我々に相応しい完成度の『自由研究』を、完成させてみせましょう!」

 

 その号令に、『GMDW』の面々は一斉に返事を返してくれる。

 ただ、そこにあるのは俺への服従なんかじゃない。

 共に同じ目標に邁進する、仲間の連帯感があった。

 

***

 

第二章 失敗なんて気にしない Crazy_Princess.

一六話:マリオネット・レイダー Terrible_Hacking.

 

***

 

 根本的に、学園都市の学生――の中でも高位能力者――は科学者としての側面を持っている。能力の関係上先進技術まで学んでいるケースが多いのだ。美琴なんかは多分学園都市で一番すぐれた電磁気学の学者でもあるだろう。

 かく言う俺も、レイシアちゃんの知識のお蔭で分子間運動力に関しては多分世界で五本の指に入る知識の持ち主だったりする。まぁ、そのくらいでないと能力者なんてものはやってられないんだけれども。

 ただ、困ったことに研究の世界というのは知識をいくら詰め込んでもそれで最高の科学者になれるわけじゃない。

 このあたりは、乱暴に言えば美術や文学の世界と同じかもしれない。美術の技術や文学の技術といった知識があればそれだけ有利になるが、必ずしも最高峰のそれを持っていなくても成功するヤツは成功するし、最終的に一番重要なのはインスピレーション、ということだ。

 

 で、具体的に研究って何してんの? という話だが。

 

「――ふぅ。計測結果はどうでしたの?」

「はい。能力発動時に、余波のような電磁場の乱れが確認できやがりましたね」

「なるほど。これで()()()()()()()()()()()()()()も随分と現実味を帯びてきましたわね」

 

 俺達が研究しているのは、現時点では能力を使わないと、大掛かりな装置を使ってミクロな領域にしか発揮できない『分子間運動力に干渉する技術』を、マクロな領域に拡大する技術の研究だ。

 その為に派閥メンバーの能力を計測し、その『余波』を調べて行くことで『外枠から本丸の能力現象を再現する足掛かりを掴む』という研究をしているわけなのである。

 …………要するに、派閥メンバーの能力を科学で再現する研究、ということだ。

 特に俺の白黒鋸刃(ジャギドエッジ)は現時点では地球上の殆どの物質を切断することができる最強の刃なわけで、これを再現できたなら、人類の科学技術は一気にブレイクスルーを迎えるはずだ――ということで、『GMDW』の目玉研究みたいな立ち位置にある。

 ………………こういう能力の有用さも、派閥のイニシアチブを握る上でレイシアちゃんの助けになってたんだろうなぁ。本当、あの子の一番不幸な部分は、野心や傲慢さに見合うだけの有能さを備えてた部分だったんだろうなぁとと今にして痛感する。

 

「しかし、流石に八月下旬までになんとかという感じですわねっ……」

 

 資料を見ながら、燐火さんが焦燥の色を見せる。八月下旬に何があるか――というと、学園都市研究発表会、通称『学究会』である。学園都市の成績優秀者が参加して、毎年この時期に研究成果を発表するイベントなのだが――――本来、俺達、もといレイシアちゃん達もここに参加する予定で進めていたらしいのだ。

 ところが一か月前の件があったので研究も止まっており、その遅れを巻き返す為に今こうして急ピッチで作業を進めているのだった。本来だったら俺も朝から夜まで研究室に詰めてなくちゃいけないのだが、まぁ一日とはいえ欠かすわけにもいかないしなぁ。

 

「とはいえ、概ね必要なデータは揃っています。あとはここから理論を組み立てていくだけですわ。…………これなら、あとは人海戦術でデータを掻き集めれば何とかなるでしょう」

「一時はどーなりやがることかと思っていましたが、意外となんとかなりやがるモンですわね……」

「納期に余裕がないと、生きた心地はしませんけどねっ」

 

 とりあえずの目途が立ったからか、研究室の中は気持ち和やかなムードが出来ている。

 

「安心するのは、まだ早いですわよ」

 

 そこで、俺はメンバーの気を引き締める為に一声かける。

 いや、安心してもらうのはいいんだが、まだ予断を許さない状況だしな。それに――

 

「今年の学究会は、有冨春樹が何やら躍起になって動いているそうですし、栄えある常盤台の生徒として、恥ずかしくない成果に仕上げなくては」

 

 という、面子の事情もある。…………いや、俺としては面子とかどうでもいいんだけどね? それでも学校内での風聞というのはやっぱり付きまとってくるもので、有体に言って、半端なモンを出したら『GMDW』のメンバー全員が馬鹿にされることになる。

 これは悪いことというわけではなくて、そのくらい俺達が周りから高く評価されてるということだ。『え~、あの人達凄い優秀だと思って実力を買ってたのに、仲間割れした挙句この程度の研究成果しか出せなかったの?』なーんて、みんなの努力を知らない外野から好き勝手言われるのは、やっぱり癪じゃないか。

 そうならない為には、やっぱり頑張って相応の成果を出すしかないのである。俺もそのために超努力していくつもりだ。

 

「レイシアさん、そう肩の力を入れていても仕方がねーですわよ」

 

 と、鼻息荒く研究資料を集めて今後のスケジュールやらなんやらを見つつデータを纏めていると、ぽん、と肩に手を置かれた。夢月さんだ。

 

「……夢月さん?」

「そう焦りやがらなくても、確かに余裕はねーですが、それでも十分な作業ペースは確保できていますよ。それこそ、ここからレイシアさんが急病で倒れてもしっかり纏められるくらいには。あまり根を詰め過ぎても、レイシアさんはただでさえ病み上がりなんですから、よくねーです。ちょっと一息入れやがってはどーです?」

「病み上がりと言っても、入院したのはもう一か月も前の話ですが…………」

「そ、れ、で、も、です!! っつーか、レイシアさんのメンタルに関しちゃ、私から言わせてもらえば未だに不安アリなんですからね! 勝手に吹っ切って成長した感じになりやがってますけど、こちらの方で安定していると確認がとれるまであまり無茶はやめやがってください!」

「…………りょ、了解しましたわ…………」

 

 そう言われると、なんとも逆らい難い。実際には中身が変わってるのでメンタル的には大丈夫といえば大丈夫なんだけれども、そういえば(自殺を含めた)事情を知らない人達からすれば、俺って『美琴にこてんぱんにされたのちに入院し、その後なんか良く分からないけど派閥のメンバーにかなりの負い目を感じている』って感じに見えているわけで、そりゃメンタル不安定の烙印を捺されるわな…………。

 …………あと、こうやって夢月さんが物おじせず俺に意見を言ってくれるというのが、なんか地味に嬉しい。なので、ここはあえて夢月さんの意見に従おうと思う。

 

「それではお言葉に甘えて。ちょっと気分転換に外の空気を吸って来ますわ」

 

 そう言って、俺は一旦席を立った。

 

 

 思えば、この時の選択で――それからの俺の未来は、決定したのかもしれない。

 

***

 

「ふぅ……」

 

 研究室からコーヒー入りの紙コップを持ち出して、俺は研究室を出ていた。

 季節は流石に夏真っ盛りと言うべきか、クーラーのきいた研究室と違って蒸し蒸しした暑さを感じるが、不思議とそれ以上に解放感も感じた。多分、自分でも気付いていないうちに大分根を詰め過ぎていたのだろう。

 それを自覚して、改めて思う。俺は万能なんかじゃない、と。

 一応前世では社会人をしていたし、嫌なことがあっても子供のすることだからと流すことはできる。広い視野ってヤツで物事を考えることも、まぁ出来ると思う。これで学生時代の俺がレイシアちゃんに憑依してたら、多分レイシアちゃんに感情移入しまくって派閥のメンバーを悪と断じていただろうし。

 ただ、それで俺がなんでもお見通しの凄いヤツということにはならない。

 っていうか、もしそうなら今頃俺はもうちょっとスマートに派閥の問題も解決できてたろうし、上条のこともきちんと救うことができただろう。

 

 俺自身は、本当にちっぽけな存在なんだ。

 今は派閥も上手く回ってくれてるが、それは俺がちっぽけな存在なりに、自分のできる範囲で頑張っていたからで、あんまり無理したら、今度は俺が倒れるハメになるんだよな。

 自分の限界値をきちんと見定めないと、それであっさり倒れちゃったらしょうがないもんなぁ。

 

 そう、俺は自戒する。今度からは夢月さんに言われる前に自分で気付けるようにしよう。

 

「んっ……」

 

 そう考え、コーヒーを飲む。暑い中で冷たいコーヒーは、まさしく清涼剤だった。実はコーヒーって苦いからあんまり好きじゃなかったんだが、レイシアちゃんの舌的にはOKなのかな?

 

「さて……」

 

 そうして紙コップを空にした俺は、さあ研究室に戻ろう、と踵を返して、

 

「あら? 御坂さん」

 

 目の前に、美琴の存在をとらえた。

 そういえば今日は朝から見かけなかったけど、帰って来たんだろうか?

 

「ごきげんよう、このあたりに来るなんて珍しいですわね」

「――――Insert/あぁ~面倒臭せえなこの仕様」

「!?」

 

 その声を聞いた瞬間、俺の中のスイッチが入る。

 これは――この感じは、美琴じゃない……!? …………ハッ、そうか、コイツもしかして妹達(シスターズ)……いやでも、こんなイレギュラーな口調どうして……? …………って、考えてる場合じゃねえ!!

 

「くッ、アナタ何者で、」

「Insert/だからまぁ、大人しく寝といてくれや」

 

 白黒鋸刃(ジャギドエッジ)を展開した、その次の瞬間。

 あらゆる分子を分断する鉄壁の盾――――その数少ない天敵である『電子』の波を浴びせられた俺の意識は、あっけなく断絶した。



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一七話:我が女王の為に

 ――気が付くと、そこは見知らぬ病室だった。

 

「……ここは……」

 

 目を覚ました俺は、まず首だけを動かして周囲を確認する。ええと……俺は確か、派閥の人たちと研究をしていて……ちょっと息抜きに外に出て…………そのあと、どうしたんだったか?

 まさか疲れすぎて気絶……? 根詰めすぎるなって言われた直後にそれはさすがに……ああ、夢月さんに怒られ、

 

「――――違う…………!!」

 

 いや、そうじゃない。

 俺は呆然として体を起こした。

 俺がここにいるのは、過労じゃない。――妹達(シスターズ)。あるいはその身体を使った何者かに襲われたんだ! ってことは……!

 と、そこまで思考が回り始めた直後、病室の扉が開く。

 

「…………っ!」

 

 ほとんど反射的に、右手が病室の入り口に伸びる。――白黒鋸刃(ジャギドエッジ)。既に一度、完膚なきまでに敗れている清澄の盾。それでも、俺にはこれを頼るほか……!

 

「……少し落ち着いたほうがいいね? 僕だよ、君の主治医だ」

 

 先手必勝とばかりに能力を使おうとした、まさにそのタイミング。心の隙間に滑り込んでくるような声を聴き、俺は思わず手を止めた。

 そこにいたのは、ご存知カエル顔の医者だった。

 

「先生…………?」

「いや、よかった。どうも見かけの怪我のわりに意識レベルに深刻なダメージがあってね? これは君に言っても仕方のないことだけど…………君、何かマズいことに踏み込んでいるね?」

「……は……?」

 

 マズいこと……? 覚えがないぞ。最近だって俺は研究しかしていないし、その研究が危険なものというわけでもない。確かに画期的な技術だろうし、業界に変革をもたらすのは間違いないが……それで世界が変わるというわけでもなし……むしろ学園都市なら、その技術の変革を歓迎すると思うんだが。

 …………いや待て。妹達(シスターズ)……そうじゃないか! 俺を襲ったヤツは美琴のクローンを利用していたじゃないか……!

 とすると、俺があのまま起きていたら困るヤツが、実験に携わっていた……?

 

「……その顔は、どうやら心当たりがあるみたいだね?」

「何のことやら、さっぱりですわね」

「そうかい? ――なら、僕にできるのはここまでだけどね?」

「――――レイシアさんっ!!」

 

 そう言うと、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)は身体を横にどけて、病室の入り口を空ける。同時に、病室に複数の少女たちが雪崩れ込んできた。

 

***

 

第二章 失敗なんて気にしない Crazy_Princess.

一七話:我が女王の為に Queen's_power.

 

***

 

「あっ、アナタ達!?」

「よかった……よかったです、ご無事で! 本当に!」

 

 夢月さんが、可愛い顔をくしゃくしゃに歪ませて泣いている。……明らかにちょっと倒れたって感じの雰囲気じゃないな。そういえば、さっき先生が意識レベルに深刻なダメージとか言っていたっけ……。

 ……ハッ!? となると俺、いったいどのくらい寝ていたんだ!? 学究会は!?

 

「皆さん、わたくしはいったいどれほどの間? それと研究は?」

「もうっ……! 今はそれよりご自分の体を心配しやがってください! レイシアさんは五日間も目が覚めやがらなかったんですからね!」

「……五、日…………?」

 

 そ、そんなに長い間眠ってたのか、俺……。

 ってことは、今日は八月二一日……八月二一日?

 ――――――――――!!

 

 八月二一日。妹達(シスターズ)。御坂妹――――絶対能力進化(レベル6シフト)計画!!

 ヤバいぞ、今日ってたぶん美琴と上条が一方通行(アクセラレータ)とかち合う日じゃないか!? 八月三一日に打ち止め(ラストオーダー)の一件があったから、たぶん時期的にも可能性は高い……と思う。

 そして多分、その内容は、俺が小説で読んだものとは大なり小なり異なっている。

 だって、何者かが妹達(シスターズ)の体をハッキングしているんだ。誰がやってるかは…………うん、そんなのできるヤツなんて俺は木原一族くらいしか思いつかないけど、ともかくそんなヤツらが介入してる状況でまともに俺の知ってる話の筋が展開されるわけがないだろ!

 今の時間は――――、

 

「七時……ですか……もう、行かなくては……!」

「ちょ、レイシアさん!? だから病み上がりなのですから、安静にしてくださいっ……」

 

 燐火さんが俺の身体を支えるようにしながら言う。

 確かに、まだ身体は少々だるい。……が、ここで止まってるわけにはいかないんだ。このままだと取り返しのつかないことになるかもしれない。そんなことが分かっているのに何もしないでいるなんて、そんなのは間違ってる。

 まして、俺には力がある……。少なくとも、連中が優先して俺のことを狙うくらいには。それなら、俺にだってやれることがあるはずだ。

 

 そう思って燐火さんの身体を押しのけたのだが、意外にも彼女は退かなかった。それどころか、ほかの派閥メンバーまで今までにないくらい強い意志を持って俺の前に立ち塞がる。

 

「――現場の状況は聞き及んでいます」

 

 代表するように、夢月さんがそう言った。

 

「レイシアさん。貴女は襲われやがったんですよ。それは貴女自身分かっていやがってますよね? そして犯人に心当たりがある。だからこうして起きてすぐそこに向かおうとしやがってるんですよね? ならばこそ――そんな危ないところに一人で行かせるわけには、いかねーんですよ」

 

 …………そうか、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)

 俺は得心がいって、先生のほうを見る。先生はただ黙ってこちらを見ているだけだが、大体の流れは分かった。

 多分、先生は俺が起きたあとこう動くことを予測して、多分目覚める前兆が確認できた時点で彼女たちを呼んだんだろう。俺が無理して動こうとすれば、彼女たちが俺を止めるであろうことを見越して。

 …………まったく本当に、患者のために必要なものをそろえるプロだよ、あんたは。

 

 だが、俺もそこで止まっているわけには、いかないんだ。

 

「……………………わたくしを襲ったのは、御坂さんです」

 

 状況を打破するため、俺はその札を切った。

 

「…………!?」

「な、なんと……」

「確かに御坂さんは最近お休みしていらっしゃったそうですが……」

「しかし…………」

「な、何かの間違いでは…………」

 

 ざわざわと、派閥のメンバーがざわめく。それを見て、俺はさらに続ける。

 

「……正確には、御坂さんを模した何者か、というべきでしょうか。彼女とは一度戦ってその強さを肌で感じていますので、わかります。アレは御坂さんには到底及びません」

 

 と、レイシアちゃんならわかるであろう情報を添えつつ、

 

「…………つまり、何者かが御坂さんに罪をなすりつけようとしている、と考えられます。わたくしと御坂さんを分断するために。……それほどの敵、ということです。それに、襲撃がこれで終わりとも限りません」

 

 つまり、脅威はまだ去っていないという理屈。これは実際俺も否定はできないし、そういう意味でもここで留まっているのはあまり良い策じゃないのも確かだ。

 

「となれば、打って出る他ありません。……皆さんには脅威は及ばないはずですわ。その手が有効だと向こうが判断しているならば、わたくしを直接襲う前に皆さんを人質にとるよう動いていたはず」

 

 そう言って、メンバーの反応を窺ってみるが――全員、特に動じている様子はない。それどころか、代表するように夢月さんが俺の肩を掴んで、こう言ってきた。

 

「だからなんだってんですか?」

「……! ですから! このままでは襲撃の危険性があるから、こちらから打って出ると言っているのです! それより早くわたくしから離れるべきですわ。向こうが皆さんに人質としての価値を見出していないとはいえ、一緒にいれば襲撃に巻き込まれてしまうおそれがあります。だから――」

「だから、それがなんだってんだって言ってんですよこの分からず屋!」

 

 胸倉に掴み掛るくらいの勢いで、夢月さんが言う。

 

「GMDWのメンバー一〇人……そのうち、大能力者(レベル4)はレイシアさんを除いても三人いやがります。残りの強能力者(レベル3)にしても、二学期の身体検査(システムスキャン)でレベルアップがほぼ確実と言われやがっている者が三人! レイシアさん、貴女一人よりずっっっと強い戦力です!」

「…………、」

「貴女が作ったこの派閥は、決して弱くなんかない! 貴女がそうなるように育てやがったからです! なのになんで、貴女が本当に困ったときに力を借りようとしやがらねーんです!?」

「ちょ、ちょっと夢月さん……落ち着いてくださいましっ……レイシアさんも動揺していらっしゃるのですしっ……」

「うるせーですよ燐火! これが落ち着いていられますか! このバカは、せっかく私達と仲良くなったってのに一人で全部抱え込もうとしやがって……」

「あ、はいっ、これ以上は話がややこしくなるので引っ込んでてくださいましねっ……」

「あうっ」

 

 ……あ、その他大勢のメンバーに連れ去られてしまった。

 ヒートアップした夢月さんを退場させた燐火さんは、穏やかに、それでいてしっかりと話を引き継ぐ。

 

「……夢月さんのこと、悪く思わないでくださいねっ。我々も、貴女が倒れてから色々と考えたのですっ。……そういえば貴女が七月末に無断で外泊したことがあったとか、貴女は我々が知らない『何か』に首を突っ込んでいるのではとか……そしてそれに気付けなかった自分たちを恥じたのですわっ。夢月さんは、特にっ……」

「そ、それは……!」

「ですから、あたくし達も決めたのですっ。もしもレイシアさんが危険に飛び込もうとしているのでしたら、それを自分たちでサポートしよう、とっ」

「…………それは……ありがたい、と思いますわ。しかし……」

 

 ……それはあまりにリスキーすぎる。

 特に今回は、たぶん一方通行(アクセラレータ)が絡む。

 さすがに俺もレイシアちゃんの肉体を致命的なまでに傷つけるわけにはいかないから、ヤツとの接触は慎重にするつもりだが……それでも危険なことに間違いはない。大能力者(レベル4)の中でも頭一つ抜けている俺ですら危険なのだ。そんなことに派閥の皆を巻き込むわけには……、

 

「……少し、卑怯な言い方をさせてもらいますがっ」

 

 そんな俺の心情を察したのだろうか。薄く微笑みながら、

 

「自分ばかりが施しを与えて、他者からのそれは受け取らないというのは……少し酷ではありませんかっ?」

「…………!」

「貴女はもう少し……そう、もう少しだけでいいですから、ご自身に自信を持ってくださいっ。……反目していたあたくしが言うのは恥知らずですがっ……。…………今はもう……貴女は、立派な我々の女王なのですから」

 

 そう言って、燐火さんは少し照れくさそうに微笑んだ。

 女王。……食蜂には遠く及ばないとしても、確かに俺は、一つの派閥のリーダーで、それを認められている。……他でもない俺自身が手繰り寄せた関係性を、まったく頼らないというのは……確かに、不義理といえるかもしれない。

 彼女たちと友人で在り続けたいと思うならば。

 皆を信じて、力を借りるという選択を選ぶべき時もある……か。

 

「…………アナタ方の行動はすべてわたくしが責任を持って管理します。すべての行動はわたくしの指示によって行っていただき、アナタ方は原則、わたくしの命令に絶対服従。…………それでも構いませんか?」

「はいっ、あたくし達の安全の為に、危なくない範囲でサポートをしてもらう……お願いだからその範囲を超えた独断専行はしないでほしい……ですねっ」

「………………、裏の意図は、読まなくてよろしい」

 

 ……心を開いてくれたのはいいんだけど、素の状態だと大人びすぎてて燐火さんがちょっとやりづらい…………。

 

「皆さん、聞きやがりましたね。この口下手な女王様を助ける為――――私達が、優秀な兵士となるんです!」

 

 そこで、戻ってきた夢月さんが気炎を巻きながら言ってみせる。

 ええ! とやる気に満ち溢れながらもそこはお淑やかな派閥メンバーに呆れつつ、俺はふと気が付いて先生のほうを見る。

 ……まさかとは思うが、先生が彼女たちを呼んだのは、無理をして一人で向かおうとする俺を説得する為ではなく、彼女達の協力をとりつけて、俺の負担を軽減させる為……なのか?

 

「…………アナタは……」

「ん? どうかしたのかい? 僕は『患者に必要なもの』を揃えただけ、だよ? 後は君次第だね?」

 

 ……………………食えない狸爺だ。カエル顔なのに。



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一八話:舞台に上がった部外者

 力を借りる――といっても、俺に彼女たちを矢面に立たせるつもりは毛頭ない。

 というか、そんな状況になったら俺は多分気が気じゃなくて自分のこともおぼつかなくなると思う。それじゃ却って逆効果だ。なので、彼女たちに任せたいのはそうした戦闘方面ではなく、単純に人手が必要な調査方面だった。

 そして―――その方面だけに限ったとしても、十分俺の力になるってことは、俺自身が一番よく分かっている。彼女達の力は、万一の時の自衛に使ってもらおう。

 

「――という方向で、刺鹿さん達はそちらに。苑内さん達は刺鹿さん達のバックアップと、もしもの時にわたくしのサポートをお願いしますわ」

 

 指示を出し終えた俺は、そのまま病室を出た。

 すでに常盤台中学の制服に着替えてあるし、退院手続きは終わらせてあるので、俺は自由だ。

 ついでに派閥の面々といつでも連絡をとれるよう、俺はバイザー型のカメラをスマートフォンに接続している。こうすることで、通話先の相手に自分の映像を見せることができるのだ。ああ素晴らしきかな、学園都市のハイテク技術と派閥のコネ。ものの数分でこんなのが手元に揃うなんて。

 

 ちなみに、派閥の面々に任せたのは、主に美琴の動向の確認とその周辺の出来事の調査。あとはまぁ……いろいろだ。

 ……今日あたり一方通行(アクセラレータ)戦なのでは!? と思った俺だったが、よくよく考えてみればそう決めつけるのは早計。

 記憶が曖昧だから(そもそも小説で何度も言われまくってたならともかく、何日にどの事件があったとかそんな考察じみたこと覚えてるはずもない)まだ事件は先の話なのかもしれないし、最悪もうすでに終わっているかもしれない。

 ……どちらの場合にしても、今後のための情報収集は必須のはずだ。もちろん、今日が当日だった場合でも。

 

***

 

第二章 失敗なんて気にしない Crazy_Princess.

 

一八話:舞台に上がった部外者 Actresses, Rush in.

 

***

 

「……お願いですから、間に合ってくださいまし……!」

 

 そして俺は、『今日が本当に一方通行(アクセラレータ)戦当日だった場合』の時のために、美琴の動向を確認しているメンバーと連絡をとりながら美琴を追っていた。

 美琴は誰にも居場所を告げずに動いていたらしいが、監視カメラにその姿が記録されていたらしく、そのあとを追うことができた。美琴は憔悴しきっていたが特に外傷は見当たらず、健康状態に重度の問題はないそうだ。

 つまりこの時点で、『既にイレギュラーな状態で事件が起こり、美琴が死亡した』という考えうる限り最悪の可能性のうちの一つは消えたということになる。……ひとまず安心だ。

…………本来の美琴であれば、隠れて行動するつもりなら監視カメラなんて簡単に偽装できそうなもんだと思うのだが、それをするほどの余裕がなかったということなのだろう。そう考えると、やっぱり今日が一方通行(アクセラレータ)戦という可能性はますます濃厚になってくる。……早計だと思ったけど、全然そうでもなかったね。

 

 現在時刻は……七時半。実験が何時から始まるのかは知らないが、もうそろそろ始まっていてもおかしくない時間だ。

 確か、小説だと美琴は鉄橋の上で上条とぶつかったあと、操車場に行ったんだったっけ……? と思いつつ、派閥のメンバーの指示通りに動いてみているが……。

 

「…………これは」

 

 メンバーの指示通りに動いた結果、俺の目の前には、おそらく美琴と上条の戦闘があったであろう大規模放電の傷跡が広がっていた。

 電熱で焼けた土や空気の匂いが、あたりに立ち込めていることから――おそらく、まだそんなに遠くには行っていないはず。

 しかし、そこは小説で美琴と上条が衝突した鉄橋ではなく――――何の変哲もない河原だった。

 ……小説にはいなかった『何者か』が事件に関与していたのだし、ひょっとすると実験の場所も変わっているのかもしれない。まずいな……なんだかんだ言って知っている知識の通りに動けば間に合うと心のどこかで高をくくっていたが、これは派閥のメンバーの指示がないとどうにもならんぞ……!

 

「刺鹿さん! この先は!?」

『す、すみません……そこで強力な電磁波の放出があったようで、監視カメラの類は全部馬鹿になっちまいやがっているようです!』

「く、流石に御坂さん、一筋縄ではいきませんか……!」

 

 やばい、となると……どうする!? この先、美琴の行く先に心当たりなんかないぞ!? どうすれば……。

 

『そうだ、レイシアさん! 白黒鋸刃(ジャギドエッジ)を道代わりにして上空に上がってみやがってください! こちらのほうで画像情報を精査して、御坂さんの居場所を暴いて見せます!』

 

 ……! 

 そうか! 白黒鋸刃(ジャギドエッジ)はすべてを両断する万能の矛にしてあらゆるものを弾く堅固な盾だが、別にその両方でしか使えないわけじゃない。たとえば自在に展開できる盾の上を歩けば、それは透明の道も同義だ。

 そして、上空から町中を見渡せば米粒くらいの大きさであっても美琴の姿を確認することは可能。あとはそれを派閥のメンバーに解析してもらえば、美琴の居場所を確認することができる!

 そうと決まれば……!

 

 ズッ!! と、俺が念じた瞬間、足元から『道幅』五メートルほどの透明な空中回廊が展開される。透明だが……当然、展開している俺はどこに道があるのかはっきりとわかる。緩やかな階段状に展開したそれの上を一気に駆け上がると、俺はその頂上から街を一望する。

 ……どうでもいいけど、高いなここ。道幅は広めに設定しているから落ちる心配こそないけど……ここはもう高度一〇〇メートルくらいはありそうだし、普通に風が強くてあんまり目も開けていられない……。派閥のメンバーの協力がなかったらここまで登れても何もわかんないな……。

 

「刺鹿さん、どうですの!?」

『ちょっと待ちやがってください……え、桐生さん見つけやがったんですか!? ええ、はい……レイシアさん、確認できました! レイシアさんが今向いている方角から、一一時の方角です! 見えやがりますか!?』

「バイザーの隙間風がきついですが……な、なんとか」

 

 ええと……あ、いた! 美琴だ! めちゃくちゃ走ってる! くそ……レイシアちゃんの身体で走ると胸が痛くて微妙に走りきれないんだよな。……今から降りて走っても、多分追いつかないぞ……あの速さ!

 でも、ここから新たに白黒鋸刃(ジャギドエッジ)を伸ばそうにも、俺が登りやすくするために螺旋階段状にした分で長く伸ばしすぎたから、ここからだと美琴のほうまで白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の『展開距離』五〇〇メートルでは足りない……!

 

「……こうなれば」

 

 静かに決意した俺は、意を決して上空一〇〇メートルからの跳躍を敢行した。

 

『レイシアさん!? 何をっっ!?!?』

「そして同時に――白黒鋸刃(ジャギドエッジ)展開、ですわ……!」

 

 思わず恐怖で目をつぶりそうになるが、そんなことしたら死、あるのみだ。

 落ちながら自分の真下に白黒鋸刃(ジャギドエッジ)を展開した俺は、そのまま白黒鋸刃(ジャギドエッジ)のスライダーを滑っていく。『切断面』を歪曲させているから、かなりスピードを出しても俺が転げ落ちる心配はない。……ああ、土壇場で能力の扱いがうまくなっていくのは、素直に喜べないなぁ。

 

『っ!! レイシアさん! 御坂さんが貴女の接近に気付きやがったみたいですよ!』

「ありがとうございます。無用な衝突は防がないといけませんわね……御坂さん、わたくしですわ! レイシア=ブラックガードですわ!」

 

 俺がそう言うと、今にも電撃を放ちそうなくらいに警戒しきっていた美琴はハッとした表情で少しだけ警戒を緩め、そしてその間に俺は着地を成功させた。

 ……ちょっとよろめきかけたが、そこは瀟洒な令嬢であるレイシアちゃんの誇りにかけて踏みとどまった。

 

「……レイシアさん、どうしてここに? 倒れたはずじゃ……」

「それはわたくしのセリフですわ、御坂さん」

「…………、」

 

 そう切り返すと、美琴はとても苦しそうに目を伏せた。……なんで美琴がそこでそんなリアクション? 美琴の視点からだと、精々知れたとしても俺が電撃を浴びて昏倒したってことくらいだよな……。派閥の面々も美琴の顔をした人間にやられたと言った時は驚いている様子だったことから、下手人の正体は未だに掴めていないんだろうし。

 …………もしかして、美琴は俺を襲ったのが妹達(シスターズ)だと知っていた、とか?

 

「……御坂さん、わたくし、()()()()()()()()()()()電撃で襲われました」

「!! な、なんで私じゃないって……」

「…………わたくしを舐めないでくださいまし。仮にも大能力者(レベル4)の頂点の一角くらいではあると自負していましてよ。実際に戦った貴女の力量とあの程度を見まがうことなどありえません」

 

 俺はそう前置きしておいて、

 

「その上で……御坂さん、アナタ何に巻き込まれていますの?」

「……」

 

 御坂は数秒ほど俺の目を見てじっくりと考えていたようだが、やがてふっと表情を緩めると、こう言った。

 

「その前にアンタの取り巻き達はここで退場してもらうわよ」

 

 何か言う間もなかった。

 バヂッ!! と紫電が迸ったかと思うと、通信でも妨害されたのか、それまで通話していた夢月さんの通話が途切れた。

 美琴はばつが悪そうにしながら、

 

「……悪く思わないでよね。これは、私の問題。……既に巻き込まれているアンタだから話すんだから」

 

 ……まぁ、妥当か。

 仕方がない。今は…………受け入れよう。

 

「承知しました。ではお聞かせください、この数日、アナタに何があったのか」

 

***

 

 ……そうして、美琴から話を聞き終えた。

 ここまでの状況は、途中までは原作と大差なかった。しかし、最後の最後で大きな変化点が生まれている。それは――『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』の存在だった。

 本来樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)は、インデックスの竜王の息吹(ドラゴンブレス)によって撃墜され、三巻の時点ではバラバラになって地球に墜ちている。それによって計画の修正ができなくなる――というのが、回り回って美琴を追い詰める要素の一つになっていたのだが……今回は、それがなくなってしまっているらしい。

 考えてみれば、俺は禁書目録(インデックス)争奪戦に参加し、その歴史を大なり小なり捻じ曲げている。例を挙げれば、最後の戦闘の場所を小萌先生の家から離れた屋外に移しているとかな。

 そうなると、あの一戦で墜ちているはずの樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)は当然ながら墜ちず、絶対能力進化(レベル6シフト)において重要だった『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)が既に壊れているから計画の改竄ができない』というファクターがこなせなくなってしまっていた。

 

 ……その事実を聞いた時は、さしもの俺も肝を冷やしたが――しかし、状況は幸いにも大きな乖離には至らなかったらしい。

 というのも――樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)は、いかに超能力者(レベル5)の美琴でもハッキングできるほど甘い設備ではなかったらしいのだ。

 たとえば――スタンドアロンネットワークというものがある。

 原始的なネットワークで、まだパソコン同士の通信もできなかった黎明期の頃、人の手でデータを持ち運びするしかなかった頃に使われていた形式である。

 だが、原始的ゆえにハッキングなどの技術が差し挟む余地がなくなっている為、今も重要な機密情報はこのやり方でやりとりされている。樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)の情報も、今回の美琴のようにハッキングが起こらないよう、実際のデータのやりとりは必ず物理的な方法をとっているらしい。

 まぁ――それは完璧に余談だが。

 

「…………とにかく、実験は止まらなかった。だから、私自身があえてあっさりと一方通行(アクセラレータ)に殺されることで、『超電磁砲(レールガン)は大したことなかったんだ』と思わせようとしてたんだけど…………」

「……ツンツン頭の少年に止められた、と」

「…………あの馬鹿は…………そのまま行っちゃって……」

「…………なるほど、それで御坂さんはその殿方を追っていたというわけですわね」

 

 幸いなことに、現状の流れは俺の知っているものとほぼ変わらない形に落ち着いたらしい。

 …………いや、幸い……なのか? だって、妹達(シスターズ)をハッキングして俺を攻撃してくるようなヤツが事件に介入しているんだぞ? それで何の変化もないなんて、おかしくないか…………?

 ……ええい! 今は一刻を争う! 考えてる時間はない!

 

「了解しましたわ。では、現場に向かうとしましょう。位置は把握しておりますの?」

「…………は? アンタ、何言ってんの?」

「……? ですから、これから実験を止めるのでしょう? ならばわたくしも同行しますわ」

「いやだから!」

 

 美琴は意味不明とばかりに首を振って、

 

「さっきも言ったように、アイツの作戦は、何の能力もない無能力者(レベル0)一方通行(アクセラレータ)を倒すから意味があるのよ! そこに超電磁砲(レールガン)だの白黒鋸刃(ジャギドエッジ)だのが介入したら、全部台無しになるでしょうが!」

「……あぁ、そういえばそんな話も……」

 

 あったな。そういえば、それが上条の理屈だったか……。

 

「…………相変わらず。あの方らしい、自分ばかりに負荷の矛先を持って行く浅知恵ですわね」

 

 俺は呆れて呟く。

 そんなことは先刻承知済みだ。だから、俺も一応理論武装は済ませてある。これが本当に小説で起きた筋書通りの展開だったなら、俺が事件に介入するのはむしろ邪魔でしかないだろう。

 だが、実際にこの事件の顛末を『読んだ』俺は知っている。

 一方通行(アクセラレータ)は追い詰められた際、プラズマを使って上条の事を絶体絶命の状態にまで追い詰めた。その際に事態を打開したのは、一万人にも及ぶ妹達(シスターズ)の助力だ。

 ……しかし、そうなると一方通行(アクセラレータ)を倒したのは、一万人の異能力者(レベル2)と一人の無能力者(レベル0)、ということになる。これが許されたのは、異能力者(レベル2)である妹達(シスターズ)がオリジナルよりも()()()()()からだ。

 さて、ここで問題。

 ここに今いる俺は、数日前、誰に手も足も出ず敗北したでしょう?

 

「その理屈で言うなら、御坂さん。アナタのクローンに完膚なきまでに敗北したわたくしは、()()()()()()ということになりますわ。この理屈がお分かりになります?」

「…………!」

「それに――そもそも、彼の言い分が一〇〇%何もかも正しい黄金比率を保っているというわけではありませんわ」

 

 そして、俺はさらに言ってやる。

 

 上条当麻一人の力で一方通行(アクセラレータ)を倒すことによって、一方通行(アクセラレータ)が実は弱かったんだと思わせる計画?

 その為に、超能力者(レベル5)である美琴は手を出してはいけない?

 …………よくもまぁ、そんな都合の良い台詞を捻り出せたものだ、と思う。

 小説を読んでいたときは、俺もその理屈で納得していた。だが、実際にこの世界で生活し、上条当麻という人間と肌で接し、彼という人間の良い面と悪い面を見て来た俺には分かる。

 それは、詭弁だ。

 そもそも、樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)で『一〇〇%どう足掻いても一二八手で敗北すること』が確定している美琴が戦闘に参加しただけで瓦解するような計画なら、本当の本当に上条一人の手でなさなければ意味がない。にも拘らず、一万人もの妹達(シスターズ)が関わった小説の展開で上条があれこれ言うことはなかった。そんな余裕がなかったのかもしれないけど、戦闘が終わった後も特に気にせずじまいだ。

 これが意味しているのは、どういうことか。

 

一方通行(アクセラレータ)と――第一位と第三位には、一〇〇人集まっても埋まらない絶対的な壁が存在しています。一人くらいが介入したからといってひっくり返る程度のパワーバランスなら、彼の計画は最初から瓦解しているでしょう。……つまり、それはアナタを近づけさせない為の方便ですわ」

 

 そして、そんな詭弁を弄した理由は――おそらく、ヤツが自分一人で問題の解決に当たりたい(へき)を持つ大馬鹿というのもあるだろうが――一方通行(アクセラレータ)に勝てないと考え、最初から死ぬ気で挑もうとしていた美琴を戦場に連れていくことを、ヤツの善性が嫌った、ってことなんだろう。

 

「それじゃ……」

「ええ。別に実験を潰すのに彼一人が矢面に立つ必要はございません。我々にも、できることはあるはずです」

 

 つまり、正史の流れと違って、美琴や俺の介入は許される、ということになる。

 もちろん積極的介入じゃあないが、小説における御坂妹の役割くらいは、十二分にこなせる立ち位置だ。…………ただでさえイレギュラーがある状況だからな。バックアップの手は多いに越したことはないだろう。

 

「理屈は、お分かりになりましたか?」

「アンタ…………一体……いや。そう、ね。……一七学区の操車場。そこで、実験が始まるはずよ」

「では向かいましょう! 時間がありませんわ――わたくしの能力で、近道をしていきます!」

 

 そう言って、俺は白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の足場を展開させる。

 さぁて――――俺も、腹をくくるか……!



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一九話:伸びていく道先は

今回のサブタイトルは昔大好きだった「歩く道先は」という作品のオマージュです。


「――私の話はもうした。ここからは、アンタの話よ」

 

 操車場へと走り始めてすぐ。

 美琴は、そんな話を切り出してきた。

 

「…………わたくしの話、ですか?」

「私は、実験を中止に追い込む為に研究所の資料を漁っていたりしてね。…………その中に、アンタの名前があった。アンタの介入を許したのも、それが原因よ」

「…………わたくしの名前、が……?」

 

 おい、待て。ちょっと妙すぎるぞ。いったいなんで俺が――レイシアちゃんの名前がそこで登場するんだ。レイシア=ブラックガードは小説じゃ一文字も登場しない脇役だぞ? それがなんで、絶対能力進化(レベル6シフト)計画の資料に登場するような重要人物に格上げされてる?

 

「『計画失敗を誘引する危険人物』。資料には、アンタのことがそう書かれていたわ。どうやら、内容を見る限り、数式や独自の公式に基づいて出された話らしいけど……疑心暗鬼によるヒステリーのような印象を受けたわ。多分、私の研究所襲撃で現場レベルではかなりの不安があって、それで……」

「意味が分かっていなくても構いません。書いてあることを覚えていたら、そのまま教えてくださいまし」

「……分かったわ。ええと――」

 

 美琴の話は、以下の通りだった。

 

 レイシア=ブラックガードの能力は、このごろ急激に伸びている。これは学校側も予期していなかった予定外の成長だ。この予定外の因子が万が一にでも一方通行(アクセラレータ)と接触をとれば、その予定外の因子が一方通行(アクセラレータ)に伝染する恐れがある。

 それは即ち、一方通行(アクセラレータ)樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)の予言から完全に乖離することを意味しており、然る後の実験の破綻をも齎す危険性がある。

 とはいえ、レイシア=ブラックガードを直接的に排除すれば、実験と彼女の『予定外の因子』が深く結びつきすぎてしまう。ゆえに、妹達(シスターズ)を利用し数日の間昏倒させることにより、彼女との接触点を少なくしつつ、彼女が一方通行(アクセラレータ)に関与する可能性を消し去るのが得策だと思われる。

 

 これにさらにレイシアちゃん――もとい俺の予定外レベル的なモノが数値で示されていたりしていたらしいが、美琴的にはそれはもう眉唾と斬り捨ててしまっていた為覚えていないそうな。

 

「…………まさか、科学の最先端を行くはずの科学者連中がこんなくだらない思い込み(オカルト)に取り込まれるなんて、思ってもみなかった。……それもこれも、ただ研究所を追い込み続けていた私の責任よ」

 

 美琴は深い悔恨にとらわれているようだったが、俺としてはそれどころではなかった。

 予定外の成長……美琴からすればそんなのは当然で、『自分の身の回りで能力が急成長している者に目を付けて攻撃をしかけないと平静さを保てないくらいに研究者たちを追い詰めてしまったんだ』……という加害妄想のトリガーになってしまっているようだが、それは違う。

 何故なら――この街には素養格付(パラメータリスト)というものがあって、学生たちの成長の上限は定められているのだから。……魂が二つあるがゆえに本来はあり得ないはずの成長を遂げた俺の姿は、能力開発の専門家からすれば明らかに異様な存在だったのだろう。

 だからこそ、不安になった。研究者たちが美琴の攻撃によって不安定になっていたのは確かだが、俺が狙われた理由は、必ずしもただの思い込みだけじゃない。

 

 …………まずいな。そんなこと、微塵も考えてなかった。()()()()()()()()()、レイシアちゃんの安全まで脅かされるのか。

 ……………………。

 

 ……いや、今はこんなこと考えていても仕方がないか。とりあえず、俺が狙われた理由は理解できた。ともかく今は、この問題を解決する。そのことを考えなくては。

 

「いえ、御坂さんの責任ではありません。――――有象無象に畏れられるほどの才能を持っておきながら、わきの甘かったわたくしの責任ですわ!」

「……ぷっ、何よ、それ」

「…………笑われたのは癪に障りますが、調子を取り戻したのなら何より。さ、もうすぐ操車場ですわよ。気を引き締めていきましょう……!」

 

 言いながら、俺は白黒鋸刃(ジャギドエッジ)を駆って先を急ぐ。

 ……この道の先をどこに着地させるのか。

 そろそろ、考える時が来ているようだ。

 

***

 

第二章 失敗なんて気にしない Crazy_Princess.

 

一九話:伸びていく道先は The_End_is...

 

***

 

 そうして操車場に到着したときには、上条は既に戦闘を始めていた。鋼鉄のレールを吹っ飛ばして鞭のようにしならせている一方通行(アクセラレータ)を見て、美琴は二もなく飛び込もうとした。

 

「……お待ちください、御坂さん」

 

 それを見て、俺は静かに美琴の肩を掴んで制止した。

 

「放して! アイツ一人に戦わせられない。私達が参戦するだけの『理屈』があるんなら、これ以上何を躊躇するっていうのよ!」

 

 ……どうやら、美琴的には相当『自分が黙って見ているだけ』という状況が腹に据えかねていたらしい。まぁそうか。上条の前では一人の女の子だが、それ以上に美琴は『血気盛んなヒーロー』なのだから。

 だが、だからといって猪突猛進はいただけない。

 

「だからお待ちください、と言っているのです。一方通行(アクセラレータ)の能力はあらゆるベクトルの反射。そうですわよね?」

「そうだけど……」

「であれば、彼があそこまで立ち向かえているのは何故です?」

「……え?」

「――――答えは一つ。先程説明した通り、彼が能力を打ち消してしまう能力を持っているから、ですわ」

 

 此処までの道中で、上条と俺の間に面識があることは説明していた。ついでに、上条の右手に宿る能力についても、少々。原理は分からないが、とりあえず異能を打ち消すことができる――程度には説明してある。

 それと、能力は打ち消せても、二次的な現象までは打ち消せない、ということも。

 

「証拠に、彼は一方通行(アクセラレータ)のベクトル変換で弾き飛ばされた()()()()()()については、回避するだけに留まっています。…………我々が下手に一方通行(アクセラレータ)に攻撃を仕掛けた場合、反射され効果がなくなってしまうだけならまだしも、反射されることで()()()()()()()()()()()()()()()()()()恐れがあるのでは?」

 

 これは実際、よくわからない問題なのだ。直接美琴が放った電撃は、上条の右手でも打ち消せる。それは美琴の異能だから当然だ。だが、それを一旦一方通行(アクセラレータ)が反射したら?

 一方通行(アクセラレータ)が電撃を反射した時点で、その電撃は美琴の制御を外れる。それはつまり、もはや異能の電気ではなく、反射されたこと以外は普通の電気になってしまったことになるんじゃないか?

 ……いや、もちろん、反射されても根本は異能の電気なのだから打ち消せるかもしれないが、ぶっちゃけそんなのは小説を読んだだけの俺には分からないし、そういう疑念が一ミリでもある以上この局面で一か八か試すのはあまりにもリスキーすぎると思う。

 

「じゃ、じゃあどうすれば……!? 私達はお荷物にしかならないっていうの……!?」

「そこについてはご安心くださいまし」

 

 それに、それよりは確実な策だって用意してある。

 

「……一方通行(アクセラレータ)の能力は、彼の全身の表面を覆うように展開されている力の膜のようなものによって行使されている。それは間違いないですわよね?」

「ええそうよ……! 調べたから間違いない。でも、だからなんだっていうのよ!? そんなの、一方通行(アクセラレータ)の堅牢さの担保にしかなっていないわよ!?」

「であれば――おそらく、彼の右手が触れれば、その反射膜全体が()()()()()()()ことになりますわね」

「――――!!」

 

 ……お、もう察したか。流石に第三位の頭脳は回転が違うな。

 

「……なるほど。下手に電撃を飛ばすより、あの馬鹿が一方通行(アクセラレータ)に拳をぶつけた瞬間に電撃を放てば」

一方通行(アクセラレータ)は電撃を反射することなく攻撃を受け、そして一撃で昏倒する。彼については、その右手が電流を打ち消してくれるので被害は及ばないでしょう」

 

 それでいて、一度受けた電撃のダメージは上条にも打ち消される心配はない、という算段である。これなら、『計画』の要件を満たしつつ上条の負傷も最低限に抑えながら一方通行(アクセラレータ)を倒すことができる、というわけだ。

…………このくらい計画を簡潔にしておけば、多少のイレギュラーが紛れ込んでも余裕を持って対処できるだろうしな。小説みたいなギリギリの綱渡りは、しないに限る。下手に一方通行(アクセラレータ)を追い詰めて覚醒されるとか御免だ。

 

 と、その前に、

 

「まずはあのレールを、こっちで引き受けてやらないと、ね…………!!」

 

 バヂッ!! と紫電と亀裂が迸り。

 

 上条に殺到していたレールが、虚空で押し留められる。

 

「こ、この能力は……っていうか、お前ら……!?」

「ったく、アンタってヤツは、こーんな無様に逃げ回っておきながら、よくあんな大口叩けたわね。…………見てらんないから、私達にも一枚噛ませなさいよ」

「ん、んなこと言ってる場合かよ……!? 忘れたのか、俺の言ってた『計画』は……!」

「瓦解してしまう、とでも?」

 

 慌てて言い返そうとする上条を、俺は抑える。

 一方通行(アクセラレータ)は…………ああ、急な事情の変化にぽかんとしてら。平和ボケしすぎていっそ笑えてくるけど、今のうちに情報共有だけ済ませておくか。

 

「ご心配なく。常識的に考えてそんなことはありえませんわ。――――学園都市の第一位とは、有象無象から圧倒的に隔絶している最強の称号。たとえ相手が何人いようが、格下に敗北するはずなど……()()()()()()()()()ありえませんもの。……ねぇ?」

「…………面白れェ」

 

 一方通行(アクセラレータ)の方にそう言って水を向けてやると、彼も彼でようやく状況が呑み込めたのか、上弦の三日月のように口元を歪めて嗤った。

 

「……今日は愉快な出来事の連続だ。オマエら、揃いも揃ってハラワタが煮えくり返るほど愉快な能書き垂れ流しやがって、殺される準備はできてンだろォなァ!?」

 

 轟!! と。

 一方通行(アクセラレータ)が地面を蹴った瞬間、その脚力のベクトルが一点集中され、地面に爆発のような衝撃をもたらす。

 …………よし、とりあえずこれで一方通行(アクセラレータ)は釣られた!

 俺は即座に前方に白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の透明の盾を展開し、その衝撃で飛び散った散弾のような砂粒を防ぐ。

 

「……ッ! クソ、レイシアお前無茶しやがって! っつか、なんでお前が此処にいるんだよ!?」

「上条さん、そのことについてはお互い様だと思いますわ!」

「……今はそこに拘泥している場合じゃないか」

 

 痛いところを突かれたのか、上条は華麗にそこについて棚上げし、

 

「二人は御坂妹を頼む! どのみち、アイツの『反射』をどうにかできるのは俺くらいしかいない。二人はサポートに回っていてくれ!」

「異議なしですわ!」

「任せなさい、サポートどころか、こっちはあのクソ野郎を倒したくてうずうずしてんのよ!」

「――それでどォにかできるとか少しでも思ってンじゃねェぞ、クソ三下どもがァ!!」

 

 どうやら、俺の挑発は一方通行(アクセラレータ)だけでなく美琴をも奮起させていたらしい。何だかんだ言って向かっている最中はどこか不安げだった美琴も、今はもう本気で戦意に満ち溢れている。

 よし、弾いたレールは美琴が磁力で操作できるし、これを使えば一方通行の突風も防げる。あとは上条が一方通行(アクセラレータ)を殴りさえすれば、その時点でこっちの勝ち――――、

 

 そこまで考えた瞬間、俺は()()()()()()()()猛烈な悪寒に背筋を震わせた。

 

「御坂さん!! 今すぐ磁力で上条さんをこちらに引き戻してくださいまし!!」

「えっ、なん、」

「早く!!!!」

 

 俺の剣幕に圧された美琴は、すぐさま上条のベルト金具に磁力を使い、こちらの方まで引っ張り戻した。

 

「なっ――一体何が、」

 

 突然のことに前後不覚に陥っている上条を無視して、俺は白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の亀裂を一本枝分かれさせ、自分達の周囲をぐるりと取り囲んだ。

 直後、ドガガガガガガガガガガガガガ!!!!!! という銃撃音の暴風雨が、世界を埋め尽くした。

 

「くっ!? これ、どういうことよ……!?」

「――――おかしいとは思っていたのです」

 

 俺を攻撃してきた研究者の意図は分かった。だが、それだけならば普通の妹達(シスターズ)でも良かったはずだ。彼女達は実験の遂行に従順なのだから、殺すわけでもなければ多少の難色を示しつつも俺のことを昏倒させていたはずだろう。

 だから、あの局面で()()()()()なっていたのは、絶対におかしなことだったんだ。

 それが意味すること、それは。

 

「Insert/ちえ。ここで殺されてくれてりゃ、楽勝で終われたんだがよお」

 

 銃撃の合間に聞こえる声。

 あまりの事態に他の三人は聞く余裕すらないだろうが、この中で唯一警戒していた俺にだけは、その声が届いていた。

 ――――妹達(シスターズ)の無表情には似合わない、粗暴な口調。

 まるでアニメのキャラクターに素人がムチャクチャな演技で声当てをしているみたいに、違和が却って別個の個性を入手してしまっているような圧倒的な異物感。

 

『Insert/仕方ねえから本格的にブッ殺しちまうけど、構わねえよな? 部外者共』

 

 ――――()()()()()()()()()()()()()



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二〇話:人形の意思

「――――あー」

 

 その男は。

 暗闇でソファに腰掛けていたその男は、退屈そうにそう呟きを漏らした。あるいは、必要のない呟きを漏らすのも、退屈さを紛らわせるための何かなのかもしれない。

 顔の上半分を覆いかくすような機械製のゴーグルを装着したその男は、天井を見上げるような姿勢のまま、ぼんやりと遠くの世界を眺めたまま、こう言う。

 

「にしても、アレイスターの野郎も妙な指示を出してくるモンだよなぁ。あのガキ用の玩具に細工しろとかよぉ。……まぁ、こんな面白れぇモンが見れるなら、休日返上で給料無しの残業なんてブラックな仕事も楽しめるがなぁ?」

 

 唯一見える男の口元は、愉悦の形に歪んでいた。

 

***

 

第二章 失敗なんて気にしない Crazy_Princess.

 

二〇話:人形の意思 "Sisters".

 

***

 

「――――な、ンだよ、こりゃあ」

 

 最初に状況を理解して呟いたのは――美琴でも、上条でも、ましてやレイシアでもなく、彼女達の敵であるはずの一方通行(アクセラレータ)だった。

 

「ははっ、なンだよこりゃ、オイ、オマエら分かってやってンのかァ!? コイツらは、この馬鹿は人形のオマエらをわざわざ助けてやろォってこの最強に喧嘩売りに来てンだぞ!? それを、オマエら、ギャハハ! クソ、面白すぎて笑いが止めらンねェ……実験に邪魔な『異物』だって排除しよォってのかよ!?」

 

 一方通行(アクセラレータ)は笑っていた。

 彼にも、何を笑っているのかは分からない。助けに来た相手に今まさに殺されそうになっている滑稽なヒーロー気取りの馬鹿共か、差しのべられた手を弾くどころか砕き割ろうとしている無機質な人形か……あるいは、そんな悲劇を許容しているこの世界か。

 哀れな騎士様達に最後の引導を渡そうと、一方通行(アクセラレータ)は哄笑のままに続ける。

 

「こいつァ傑作だ! 助けに来たってのに、肝心のヒロイン様がヒーロー気取りの馬鹿どもを殺すって訳かよ!? 何だこれ! 何なンだこの世界ってのはよォ!? あはぎゃはは、これで分かったかピエロども。こいつらは、実験の為なら四肢だろォが臓物だろォが生命だろォが逡巡せずに投げ出せちまう、どォしよォもなく救いよォのないただのクローン人形なンだよ!!」

「――――そう思いたい、だけでしょう?」

 

 その哄笑を断ち切るように。

 一人の令嬢が、不敵な笑みを浮かべながらその言葉に切り返す。

 

 彼女自身、実は美琴や上条ほど、妹達(シスターズ)に対する思い入れは存在していない。

 彼女も彼女で妹達(シスターズ)を救いたいという思いはもちろんあるが、結局のところ妹達(シスターズ)は、人間としてみるならばとても歪な存在だ。感情らしい感情を見せず、自分のことを実験動物だと認め、そして死に対して抵抗しない。『人間としての』彼女たちを救いたいという気持ちは、レイシアには乏しかった。

 レイシアが彼女たちを救いたいと思ったのは、()()()()()()()()()()()()()彼女たちがそのまま殺されていくのは、あまりにもアンフェアだと思ったからだ。

 彼女たちの歪さは実験の中で『そうなるように』育てられてきたのが原因であって、その結果を以て『彼女達は実験で死ぬのを嫌がっていないのだから殺すのは悪いことではない』とするのはアンフェアだ――とレイシアは考えているのだ。

 

 ただ逆に言えば、レイシアが上条や美琴への助力、自分に迫る危険の排除以外に妹達(シスターズ)を救いたいと考えているのは、その程度の動機でしかなかった。この時点では。

 外部から見ても、原因は不明とはいえ彼女達の一人に一度は問答無用で昏倒させられたのだから、当然の反応ではあるだろう。

 

 その彼女は今、静かに怒っていた。

 彼女は、この場において()()()()()()()()人間だ。

 妹達(シスターズ)が生きる意味は確かに希薄で、御坂妹ですら上条や美琴に生きていてほしいと願われたから生きる意志を見せているにすぎない。だが、彼女達は本質的にとても優しい人間なのだ。仔猫を助け、上条や美琴をおちょくってみせて、誰かのことを思いやることのできる人間なのだ。少なくとも、助けに来た人達の手を払うどころか、鉛玉で返礼するようなことができる人間では、絶対にないのだ。

 カンニングであっても、レイシアはそのことを知ってしまっている。

 

「おかしいとは思いませんの? 妹達(シスターズ)の総意が、本心がこれ? なら此処にいる御坂妹さんは、一〇〇三二号は――何故このタイミングでこちらを攻撃してこないのです? いくらこの負傷であったとしても、御坂さんはともかくわたくしや上条さんのことくらい昏倒させられるはずではないですか?」

 

 だから、結論ありきの名推理を行うことができる。

 こんな胸糞悪い茶番なんて簡単にひっくり返せる。

 

「洗脳、でございます」

 

 だからこそ、こんなにも怒りに震えている。

 

「この実験は、そもそも二万回の戦闘を重ねていくことで、電磁ネットワークによって二万回の成長を遂げた妹達(シスターズ)を倒し、それによって一方通行(アクセラレータ)に経験値を蓄積させるというもの。……つまり、妹達(シスターズ)には脳を密に繋ぎ、時にその判断能力にまで干渉できるほどのネットワークがあるということになりますわ」

「……そ、れがどォし、」

「…………御坂妹さんはこの実験中、あらゆるベクトルを反射する一方通行(アクセラレータ)の傍にいました。そして今は、強力な電撃使い(エレクトロマスター)である御坂さんの傍に。 だから、ネットワークの同期から外れてしまっていて洗脳の影響を逃れたのです。……そう考えれば、今此処にいる御坂妹さんだけが妹達(シスターズ)全体の意思から外れて我々の味方をしている理由も説明ができるでしょう?」

 

 人形扱いをするのは、ある意味では仕方ないとレイシアは思う。正常な倫理観としては完全に狂っているとはいえ、研究者達は悪意を持ってやっているわけではない。『クローンも人間も同じ生命だというなら、モルモットもクローンも同じ生命だろう、そっちは良いのか』――なんて反論されてしまったら、レイシアも反論に窮するところはある。上条あたりは、即座に反駁しそうだが。

 だが、これは違う。都合が悪くなれば意図的に彼女達の意思を捻じ曲げ、自分達の思い通りに動かすやり方は――それはもう倫理観の狂った研究者どころの話ではない。ただの、悪党のやり口だ。

 

 ……そうだ。どんな理由があっても、人の心を自分の都合で捻じ曲げる行為は、その時点で邪悪と見做される。

 

「そして、洗脳するということは、そうしなくちゃいけない理由があるということですわよね?」

 

 刺すように。穿つように。抉るように。

 レイシアは、一方通行(アクセラレータ)の瞳を見据えて言う。

 

「たとえば」

 

 本当は、お前だって分かっているんだろう――とでも言いたげに。

 

妹達(シスターズ)が本当は、出来ることなら殺されずに生きていたいと、自分の生命にも価値があると思い始めている、とか」

 

 決定的な一言を、言った。

 

「うるせェェェえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」

 

 雄叫びと同時に、暴風が吹き荒れた。いや、それは暴風なんかではなかった。癇癪みたいに一方通行(アクセラレータ)が地面を踏みしめた瞬間、そのベクトルが爆裂してさながら暴風のように石の礫を撒き散らしたのだ。

 

「そンなのオマエの妄想だろォが! 外から操られている? だったら話は簡単だろ、ソイツらには最初っから『自分』なンてなかったんだよ! 誰かに操られてるだけの、中身のねェ人形だったってことだろォが! そォに決まってんだろ――――――じゃねェと、」

「――だったら何で」

 

 そこまで言ったところで、上条が口を開いた。

 砂礫の爆発を止める為に展開されていた白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の盾に触れ、粉々に砕き割った上条は、未だに怒り散らす一方通行(アクセラレータ)に向けて、妹達(シスターズ)の方を指差し、そして言う。

 

「…………だったら何でアイツらの瞳から、涙が零れ落ちてんだよ!!」

 

「………あ?」

 

 その指先。

 未だに無表情な妹達(シスターズ)は、全員が全員大粒の涙を零していた。

 

 それは、洗脳からくる多大なストレスを受けて単に体が拒絶反応を起こしているだけかもしれなかった。あるいは脳に対するハッキングに痛みが伴っていて、それで生体反応として涙を流しているだけかもしれなかった。

 でも、彼にとってそれは、感情を封じられた彼女たちができる唯一の訴えに見えてしまった。

 

「…………………………は、」

 

 瞬間。

 一方通行(アクセラレータ)の致命的な部分が、決壊した。

 

「あはははははあはははぎゃはぎゃははははあはは!! あ――――はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!!!!!」

 

 ――――そして。

 

「…………ブッ殺す」

 

 風が、光となって渦巻いた。

 レイシアが一瞬早く白黒鋸刃(ジャギドエッジ)を展開していなければ、全員がその暴風に吹き飛ばされて死んでいたことだろう。それほど圧倒的で暴力的な破壊の渦だった。

 しかし、レイシアの盾ですら完全というわけではない。彼女の盾があらゆる物質を切断できるのは、あらゆる物質に勝る力があるからというわけではない。その強力(マクロ)な力を、分子間結合というミクロの世界に直接叩き込むことができるからこその能力なのだ。

 そしてつまり、マクロの世界では――白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の力は、何も最強ということにはならない。

 第一位の暴風に加え、そこに無尽蔵の銃弾を叩き込まれては、いつまでも防壁が持つわけがないだろう。

 レイシアは、額に冷や汗をかきながら言う。

 

「わたくしと御坂さんは妹達(シスターズ)の洗脳を解く方法を探ります! 上条さんはその間なんとか――」

「アンタも、この馬鹿と一緒に一方通行(アクセラレータ)の方に行ってなさい。こっちは、私一人で十分だから」

 

 そこで、美琴は立ち上がりながらそんなことを言った。

 

「しかし……、」

「いいから」

 

 拘泥しようとするレイシアを断ち切るように、美琴は言う。

 その表情は、宵闇で暗く隠されていたが――――

 

 彼女の怒りの発露だろう、バヂッッッ!!! と弾けた紫電の光で、一瞬だけだが、その表情が映し出される。彼女の表情はまさに――――妹を守る『姉』のものだった。

 

「…………あれ?」

 

 そこで、レイシアはふと気づく。

 今まで、当たり前のように会話を続けていたが……それはよく考えてみればおかしい。そもそも、一万人の妹達(シスターズ)が今まさにお前を殺しますと言わんばかりに襲撃をかけてきていたのだ。嵐のような銃撃音が響いて会話が成立しないのが当然の流れのはずである。

 しかし、そうはならなかった。まるで清流のような静寂の中で、今まで会話が繰り広げられていた。銃撃を一切しなかったのである。最強ゆえの傲りと少年ゆえの幼さを持つ一方通行(アクセラレータ)ならともかく、学園都市の暗部に操られている妹達(シスターズ)がそうなるのはおかしな話だった。

 そう、おかしいということは、そこには特大の原因があるということだ。

 

 たとえば。

 

 レイシアの横で、静かに怒りに震えているとある少女、とか。

 

「あの子たちは、私に任せて」

 

 

 端的に言って。

 妹達(シスターズ)の持つ銃器は、全てが全て機能停止に陥っていた。

 理屈は、レイシアにも分からない。ほとんどおとぎ話の中の光景だった。おそらく、妹達(シスターズ)の所持している銃器の中の鉄製部品を磁力で操作し、捻じ曲げたのだろうが――一つならばともかく、それを、一万個近く、銃撃されながら行う……そんな芸当を、この少女はやってのけたのだ。

 超能力者(レベル5)は、一個師団の軍隊と戦うことができる、と認定されれば付与される称号だ。

 その中の、第三位。

 そんな肩書を背負っている少女は、息ひとつ切らさずに言う。

 

「アンタも、そっちに行ってなさい」

 

 御坂美琴は、常盤台の超電磁砲(レールガン)は、確かに第一位の一方通行(アクセラレータ)に比べれば、比較にならないくらい弱いだろう。無力もいいところだろう。

 だが。

 それは、彼女の本来の力量を貶めることにはならない。

 敗北しようが、その矛の輝きが鈍るわけではない。

 学園都市の頂点に君臨する七人の一角。

 最強の電撃使い(エレクトロマスター)

 あらゆる電子を、機械を、人間の文明の最先端を掌握する能力者。

 その彼女にとって、一万などという数字は()()()()()()()

 

「私も私で、いい加減自分の『妹達』を好き勝手されすぎて、頭に来てんのよね」

 

 紫電を迸らせるただ一人の『姉』は、傍らで倒れている御坂妹を一瞥する。

 

「全部、私に任せときなさい。こんなくっだらない茶番、アンタのお姉ちゃんが欠片も残らずブッ壊してあげるから。………………こんなことでチャラになるなんて、微塵も思っちゃいないけど。……それでも、今度こそ。全員残らず――――私が救ってみせるから!!」



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二一話:産声

 ――妹達(シスターズ)を美琴に任せた上条とレイシアは、一方通行(アクセラレータ)との戦いに臨んでいた。

 上条当麻を近づけさせてはならないということを学習した一方通行(アクセラレータ)は、今や風圧による遠距離攻撃に専念するようになってしまっていたが……それでもレイシアとしては、まだ最悪の状態ではなかった。

 

(……プラズマにはまだ至っていない。風圧程度ならレイシアちゃんの白黒鋸刃(ジャギドエッジ)でもまだ対応できる。防御と突風を併用すれば、上条が接近するまでの時間くらいなら稼げる……!)

 

 まだまだ一方通行(アクセラレータ)も気流の演算には慣れていないが、それでもなお、学園都市第一位の頭脳はレイシアの気流操作を凌駕している。

 完全に一方通行(アクセラレータ)が気流の操作に慣れ、空気を圧縮するようになる前に決着をつけねばなるまい。でなければ、あのプラズマはレイシアにもどうしようもない。学園都市第一位の頭脳に勝つ為には、通常ならば一万人の妹達(シスターズ)の助力が必要なのだから。

 

「上条さん!」

「わかってる! 援護を頼む!!」

 

 呼びかけると同時、上条はみなまで言うなとばかりに前方へと走って行ってしまう。

 

「ああもう……話が早いというか、早すぎますわっ!?」

 

 それに呼応するように、レイシアは白黒鋸刃(ジャギドエッジ)を展開する。一方通行(アクセラレータ)のすぐ前まで、まるで風を防ぐ屋根のようにだ。

 

(だが……接触の直前には破らなければならないもの。白黒鋸刃(ジャギドエッジ)が解除されてから一方通行(アクセラレータ)までの距離の間で、一方通行(アクセラレータ)が棒立ちのまま上条の攻撃を許容する? ……ありえないな。いや、それ以前に風を操っているとはいえ、別にそれしかできないわけじゃない。白黒鋸刃(ジャギドエッジ)に触れられれば、その時点でその部分は破壊される)

 

 レイシアが分岐A~Gまでを展開できるとして、分岐Aを一方通行との仕切りにし、分岐Aが突破されそうになればその内側に適宜分岐Bを敷居として起用する……という形にすれば、一応一方通行の風に対する盾としては継続的に機能しうる。その上、一方通行は上条と違いあくまでベクトルを操作するのみ。つまり、手を放せば分岐Aは即座に復活する。

 しかしながら、上条の右手は異能全体を一気に殺す。分岐Aに触れれば、分岐Gまで一気に消滅してしまうのだ。そして、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)は一度展開した亀裂は全体解除しない限り消すことはできない。

 つまり、分岐Aのベクトルを乱されて、それに対抗するために内側に分岐Bを展開した場合、上条が前進できる距離は分岐Aと分岐Bの間の距離分縮まる、ということになる。

 もしも一方通行がそのことを認識していて、分岐A、分岐B、分岐Cというようにどんどん内側に分岐を展開させ、そして上条と戦う前に下がられたら……当然、一方通行と白黒鋸刃(ジャギドエッジ)が破壊された時点での上条との間にはその分『何もない』距離が生まれることになる。

 そうなれば、次に訪れるのは言うまでもなく一方通行のカウンターだ。そして、異能を強制解除された直後のレイシアは、すぐさま上条を守ることができない。

 

(だからそこの作戦を練る時間が欲しかったのにっ……!)

 

 もちろん、一方通行が怒り狂っている今は、ほどほどのところで撤退などという理性的な発想は出てこないという可能性は大いにある。しかし、敵の不手際を期待するような策は策とは言えない。ただの楽観論だ。ゆえに、レイシアは悩む。ここから、どう動くべきかと。

 

(…………俺としては、上条が一方通行を殴るだけの……ほんの一秒、そのくらいの時間が稼げれば、言うことなしなんだが)

 

 まだ戦闘は序盤も序盤といった感じで、両者ともに消耗は少ない。だが、一方通行は基本的にひ弱だ。上条が一方通行の攻撃によって消耗していないことを考えれば、一方通行にどうにか隙を与えることができたならば、一撃KOも十分考えられる。それでなくても、マウントをとった上で右手で相手を押さえつければ、異能も使えないはずだ。

 

(問題は、その隙を……どうやって作るか)

 

 時間はない。こうしている今も、上条は一方通行に接近している。幸い一方通行は亀裂による盾を壊そうとはしていないが――逆に言えば、そうする必要性を感じていないということでもある。分岐Aから一方通行までの距離でも、十分に上条を屠れるという自信あってのものだろう。

 

(一方通行が……反射できないもの)

 

 まずはそこを考えてみるが――当然ながら、レイシアの手札にそんなものはない。この世ならざる未元物質(ダークマター)でさえもあっさり解析して見せた第一位だ。

 かといって、木原数多が見せた反射を逆手に取った技術を使うにはレイシアの頭脳も技術も足りていない。そもそもあれは一方通行の開発に携わり、彼の知能を熟知した数多や、同じ思考パターンを持ち機械によってベクトルを精密制御できる黒夜だからこそできた芸当である。

 実際に数多の技術を模倣しようとした杉谷という忍者の男は、不完全な一撃を入れただけで引き換えに腕を潰してしまう程度でしかなかった。

 であるならば――。

 

(…………残っているのは、反射が関係なくなるような行動をとること)

 

 たとえば御坂妹は周りの空気を電撃で電気分解することで、一方通行の呼吸を阻害しようとした。あれに近いことならば、レイシアでもまだ可能だ。

 もっとも、レイシアがやりたいのは空気に対する干渉ではない。そもそも、一方通行は暴風を操っている。空気に干渉しようにも、すぐさま乱されて無意味になってしまうだろう。

 だからレイシアが狙うのは。

 

(――――地面!!)

 

 そして、レイシアが動いた。

 

 上条が、猛スピードで走る。その足取りに迷いはなかった。自分がやるべきことは、一方通行に肉薄し、拳を叩き込むことだけ。後のことは、レイシアがなんとかしてくれる。……そんな愚直な信頼を感じさせる足取りだった。

 

 この信頼に、こたえなくてはならない。決意を新たに、レイシアは能力を発動した。

 そう――――分岐Aを、さらに伸ばした。

 

 レイシアの目論見はこうだ。

 一方通行の眼前に盾として展開している分岐Aをさらに伸ばし、一方通行の足元の地面を網目状に分割する。

 すると一方通行の周囲を渦巻く暴風は勝手に細切れになった地面を巻き上げる。そうなれば、一方通行は自分の暴風によって自分の足元を崩し、それによってバランスが崩れる。すると一方通行は一瞬だが確実に隙ができる。あとはその隙に、一方通行に拳を叩き込めば良い。

 そのまま上条が右手で一方通行を押さえつければ、それで詰みにできる。一方通行がそこから何をしようとも、その前に白黒鋸刃(ジャギドエッジ)が届くのだから。

 

 そして、その目論見は――この上なく正確に遂行された。

 

「――――ぉ。ォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおォォォッッ!!!!」

 

 雄叫びを上げながら突貫する上条が、亀裂の盾に触れる瞬間。細切れになった地面が暴風に乗り、ヒュガガガガガガガ!! という音を立てて亀裂の盾に直撃し、バラバラに散る。

 

「――ッ、な、ァ、ンだァ!?」

 

 当然、寝耳に水である一方通行は目を白黒させ、結果として演算が一瞬だけ緩み、暴風がほんのひとときだけだが凪ぐ。

 その間隙を突くように、上条の右手が亀裂の盾を破壊し――、

 

「しまッ、そォか金髪、オマエの能力が展開するのはただの力場じゃなくて、物体を『切断』する力場――――」

「…………うるせえな。テメェはここで、黙って寝ていろ!!」

 

 ゴッガン!! と。

 上条の右拳が、一方通行の顔面に勢いよく叩き込まれる。まるでてるてる坊主か何かのように、重量を感じさせない動きで、頭ごと地面に叩きつけられた一方通行は、そのまま何回かバウンドしながら、数メートルも転がって行った。

 見事な、クリーンヒットだった。押さえつけるという当初の目的こそ失敗しているが、それこそ一撃で昏倒しかねない――当たり所によっては、後遺症すら残りかねないのでは? と一瞬レイシアが心配になってしまうような有様だった。

 

「…………いや、違います! 上条さんいけません!! すぐに右手で彼を取り押さえてください!!」

 

 だからこそ、すぐさま切り替えることができたのは正史の展開を知るレイシアだからこそだっただろう。正史において、一方通行は何度となく上条に殴られても完全なダウンはしていなかった。打たれ弱いは打たれ弱いが、それでも妙なしぶとさはあるのだ。

 ここで間髪を容れずに追撃すれば問題はない……のだが。

 上条の追撃が間に合わなかった時のことを考え、新たに亀裂の盾を生み出し、すぐに上条を一方通行の反撃から守れるように待機。

 そしてその備えは、今回の場合最悪の展開を回避するのに機能した。

 

 轟!! と暴風が吹き荒れる。

 一瞬早く上条の前に亀裂の盾を展開していなければ、上条の身体は上空高く巻き上げられていたことだろう。亀裂の盾にしても、今の一撃で軽くきしんでいた。ただの暴風で、である。

 

(これが、第一位、この規格外が…………ッ!!)

 

 内心、レイシアは歯噛みする。

 いや、歯噛みするどころではない。

 まさしく、レイシアは戦慄していた。何故なら、一方通行が巻き上げた風が――――光を帯び始めているのだから。

 それが意味するのは、即ち。

 高電離気体(プラズマ)

 

(……夢月さんのそれもプラズマを操って物体を溶断できる能力ではあったけど……これは、規模が違いすぎるぞ……!? あんなの、どうやったって乗り切れるわけ…………ッ!!)

 

 あれだけは、絶対に出させたくなかった――レイシアは内心で悔やむ。アレは、正史においても一万の妹達(シスターズ)が協力してようやく無力化に成功したこの町の頂点による最大級の規格外だ。

 とてもではないが、上条の右手でも対処できるものではない。

 ましてレイシア一人がいたところで、そこで何かが変わるわけではない。

 

「――――ッ! 上条さん、一時撤退ですわ! アレは、どうしようもありません!!」

 

 ゆえに、レイシアの選択は早かった。

 上条へと駆け寄ると、レイシアはすぐさま撤退を進言する。

 勝負を諦めるわけではない。ただ、プラズマをやり過ごす。一方通行の体力だって無限大ではないのだ。あのプラズマさえ切り抜ければ、まだチャンスは残っている。いったんこの場から離脱することさえできれば、まだこちらに勝ちの目は残されている――それどころか、むしろ今度は却ってレイシアたちの方が優勢になっているはず。

 …………そう考えたレイシアの判断は、実に常識的、かつ現実的な見解だった。

 確かにその通りではある。絵にはならないが、盛り上がりはないが、そうすれば一方通行は確実に攻略できる。少なくとも、上条当麻というジョーカーさえこちらの手元に残っていれば。

 そう、手元に、残っていれば。

 

「……………………いや、ダメだ」

 

 逆に言えば、上条が否定してしまえば、そのすべてはご破算になる。

 

「なぜです!? 計画のことならば問題ありません!! 方法論がなんであれ、絶対に負けないからこその最強なのです! どんな手を使おうと、最終的に我々で一方通行を倒すことができれば実験を中止に追い込むことは不可能では――――」

「そうじゃねえ。……気づかないのか、レイシア?」

 

 そう言って、上条はあらぬ方へ指を向ける。

 そこには――――妹達(シスターズ)と戦っている美琴の姿があった。すでに半数、五〇〇〇もの妹達(シスターズ)は無傷でその場に昏倒しているようだが、それでもまだ五〇〇〇人弱の妹達(シスターズ)が残っている。あとものの五分で全員を倒し、この場から退避することもできるだろうが、逆に言えばあと五分経たなければ彼女たちは此処から動くことはできない。

 …………つまり、ここで上条達が逃げ出せば。

 彼女たちは、ここで一方通行のプラズマに呑み込まれ、この世から完全に消し飛ばされてしまう。

 

「…………あ、あ、…………」

「やるしか、ないんだ。俺たちで、あいつを止めるしかない。できるできないじゃない、やらなくちゃ、ならないんだよ」

 

 上条の言葉を、しばしかみしめていたレイシアだったが――――その瞳に悲壮な覚悟を浮かばせ、そして頷いた。

 

「…………言ってくれますわね、上条さん。プラズマによって熱された空気についてはどうするおつもりで? その熱を潜り抜け、なお一方通行に肉薄する策を考えろと?」

「頼むよ、レイシア」

「…………………………ええい! 今更無理ですなどと言えるわけがないではありませんか!!」

 

 ほとんどやけくそで、レイシアは手を構える。

 まず、最優先課題はあのプラズマをどうにかすることだ、とレイシアは考える。そうすれば、熱源を失われた外気は急速に冷却される。虎の子のプラズマを無効化されて棒立ち同然になった一方通行は、正史と同じように上条に殴り飛ばされK.O.。いたって単純な話だ。

 

(………………それができれば、苦労はしないんだけどな…………!)

 

 内心で毒づきながら、レイシアは亀裂を分岐させ、プラズマの中に叩き込む。これによりプラズマを分断することができれば、緻密な計算によって成り立っている一方通行のプラズマだ。すぐさま乱すことができるはず、だ、が――――。

 

 バギン、と。

 

 今まで、穴を突かれたりして攻撃を受けることはあっても、どんなものでも切断し、攻撃を防いできたレイシアの白黒鋸刃(ジャギドエッジ)が、呆気なく粉砕された。

 力場はあっけなくへし折られ、消滅し、そしてプラズマには一ミリも揺らぎはない。一方通行はそんな光景を見て鼻を鳴らし、そしてそれから哄笑する。

 

「アヒャハハハアハハハ!! どォした三下、そンなモンか、オマエらの反撃ってのはよォ!! つまンねぇ、まったくつまンねェぞ!! 少しは歯ごたえのあるとこ見せてくれよォ!! まだまだこンな程度じゃ、全ッ然足ンねェンだからよォおおおッッ!!!!」

 

 それでも、レイシアは諦めない。彼女の手に、すべてがかかっているのだ。どうして諦めるだろうか。

 一閃。二閃、三閃、四閃五閃六閃七閃八閃。

 幾たびも亀裂を走らせ、一方通行のプラズマへと切り込んでいくが……結果は同じ。一瞬にして亀裂は破損し、効果はゼロ。

 

「………………ッ!!!!」

 

 しびれを切らしたレイシアは、今度は白黒鋸刃(ジャギドエッジ)のもう一つの応用…………暴風を選択する。八つの亀裂をフルに使い、気流を読んで暴風を放つ――――が。

 

「こ、これ、でも……」

 

 結果は、一瞬揺らぐ程度。一方通行に至っては、その風による誤差すら計算に入れて完璧な制御をおこなって見せる余裕っぷりだ。

 

「――――!!」

 

 追い詰められたレイシアは、今まで無意識に避けていた手法を取る。

 つまり、一方通行に対する直接攻撃だ。

 今の一方通行は学園都市中の風を演算している。それは、膨大な演算式のはずだ。同様に膨大な演算式を計算していたとき……たとえば打ち止め(ラストオーダー)のウイルスを除去していたときなどは、確か一方通行(アクセラレータ)の反射は途切れていた。

 それが原因で脳に傷を負うことになったのだから、間違いない。

 

 先ほど同様足元を破壊する作戦も、考えたには考えた。しかし、さすがに一方通行も二度目ともなれば学習しているだろう。風で自分を浮遊させるとかいったことをされれば、その時点で足場崩しは効かなくなってしまう。

 

 やるとすれば、直接攻撃による激痛で演算できなくさせる、くらい。

 

(…………この能力を、人に向けて振るうのか……)

 

 今までは、なんだかんだ言って当たらないことが前提だったり、人ではないものを破壊することだけがこのチカラの用法だった。

 しかし……事ここに至っては、『殺さない程度に傷つける』ことをしない限り、自分たちだけでなく、美琴や妹達(シスターズ)、ほかにも運が悪ければ関係ない人まで巻き込まれるかもしれない。

 

(やるしか……ない!)

 

 後遺症は残さないように。

 しかし、確実に激痛は与えられるように。

 細心の注意を払って能力を行使したレイシアだったが。

 

「……あァ? 今、なンかしたか?」

 

 実際には、それすらも反射によって無力化されて終わる。

 足裏から仕掛けたことで、反射した亀裂がこちらに向かってこなかったのはせめてもの幸いだっただろう。

 

 そこで、レイシアは自分の間違いを悟る。

 一方通行にとって、打ち止め(ラストオーダー)の件は自分の存在意義を捻じ曲げてでも成し遂げたい一大事だったのだ。

 一ミリのミスも許されない大一番と、単なる思い付きで自分のスペックを確かめている今。……どちらに余裕があるかなど、明白だった。

 

「…………なンだなンだ。チャレンジタイムはもォ終わりか金髪。ンじゃあ、今度はこっちから行かせてもらうとしますかねェ!! 王者からのクエスチョン、まずはレベル1ってかァ!?」

 

 返す刃で、ドヒュオア!! と、暴風が吹き荒れた。

 ちょうど、レイシアが暴風を展開した直後だ。余裕ゆえか、ご丁寧に人ひとり分が吹き飛ぶような規模で計算されつくした疾風が、二人のもとへ殺到する。

 すぐに体が動いたのは、レイシアの警戒の賜物だっただろう。

 

「上条さん!! 危ない!!」

 

 レイシアは頭の中に残っていた冷静な部分を総動員させ、現状で唯一相手への有効打を持つ上条が消耗することだけは回避しなくてはと判断。

 咄嗟に上条を突き飛ばしたレイシアは、そのまま暴風をもろに受けて吹っ飛ぶ。

 

「レイシア!?」

「ヒャハハハハハハハハハ!! 面倒くせェ盾役がここでリタイヤァ! コイツはイイ! 残ったのは妙な能力のでくの坊だけと来た!! 悪りィがこのゲームにコンティニューはねェンでな、そこで無様に這いつくばって寝てろやァ!!」

 

 一方通行の言葉通りだった。

 まだ、能力が使えなくなったわけではない。だが、風で十数メートルも吹っ飛ばされ、地面を何回もバウンドしたレイシアの身体パフォーマンスは明らかに落ちていた。このままでは、自力で逃げ出すことも難しいだろう。

 

(…………()()、駄目なのか……?)

 

 激痛で朦朧とする意識は、レイシアの脳裏に弱気な思考を呼び起こす。

 

(あの時みたいに…………また、駄目なのか…………?)

 

 あの時もそうだった。全力で、自分にできる最善の行動をとったはずだった。暴風は、確かに成功したはずだった。……にも拘らず、救うことができなかった。

 今回もそうだ。暴風はあの時よりもむしろ進歩していた。自分に展開できるすべての分岐を利用し、あの時の数十倍の規模の暴風を展開できた自信があった。本職の大能力者(レベル4)の全力にだって劣らない威力だったはずだ。……にも拘らず、一方通行には届かない。この街の第一位の牙を、ほんの少しだって欠けさせることができない。

 

 以前失敗したときと、同じように?

 

「…………諦められるわけが、ないじゃないですか」

 

 その瞬間、萎えかけた心身に力が戻る。力技で、引き戻す。

 もう、あの時のような思いはしたくない。もう一度みすみす、目の前で友人が『死ぬ』ところなど、見たいはずがない。

 そう思えばこそ、レイシアは力が入らないはずの足に力を入れようとする。結局力が足りず、無様にまた倒れ伏すことになるが……それでも、顔だけは前を向き、渾身の力で手を前に向け、能力を発動する構えだけは見せる。

 朦朧とする意識の中で、ただその意思だけは手放さない。

 

 …………絶対に、諦めない。

 

 

 

 ――――そう、それでこそですわ。

 

 

 その瞬間。

 脳裏で、少女がうれしそうに笑う声がした。

 

 

「…………、」

 

 ――――これまでだって、頑張ってきたのですから。

 

 ――――アナタの道程は、失敗だらけだった。いつも何かしらの失点があった。一度で綺麗に成功したことなんてなかった。

 

 ――――それでも諦めず前に進んできたからこそ、アナタは幸せを掴みとることができた。あの子達とだって、関係を修復してみせてくださった。

 

 ――――勝手に諦めて、現実からただ逃げていたわたくしに、そんな素敵な可能性を魅せつけてくれました。

 

 ――――わたくしに、良いところを見せるんですものね。人生、捨てたもんじゃないって、思わせてくれるんですものね。

 

「……………………一回や二回の挫折くらいで諦めるなんて、アナタらしくありませんものね」

 

 ――――失敗なんて、気にしない。

 

 ――――それがアナタの、最大の強みなのですから。

 

 

 …………いつの間にか、レイシア=ブラックガードはその足で立ち上がっていた。

 不敵な……それでいてどこか皮肉げな笑みすら浮かべ、一方通行を睨み付けていた。

 

 実際問題、精神論でどうにかなる相手ではない。

 この世には残酷な法則がはびこっていて、その前では絶対諦めないなんて、子供の強がりでしかないのかもしれない。

 でも、世の中を知らない子供は、こうも思うのだ。

 

「――――ただ、それでも」

 

 そんな強がりでも、ずっと続けていれば、ひょっとしたら残酷な法則とやらに一筋のバグを生み出せるかもしれないではないか、と。

 ただ拗ねて引きこもっているだけだった自分を、こうして呼び起こした、どこかの誰かみたいに。

 

 彼女は此処にはいない誰かに語り掛けるように、優しく……それでいて力強く、言葉を紡いでいく。

 

「アナタの力が、この現実に一歩届かないのでしたら」

 

 尋常ではない力が、少女の拳に宿る。令嬢にあるまじき野蛮な表情を浮かべ、はっきりと――――世界に宣戦布告するように。あるいは今一度、産声を上げるように。

 彼女は、堂々と宣言した。

 

「…………今度は一緒に。このレイシア=ブラックガードが…………アナタの幻想を押し通すお手伝いを、して差し上げますわ」

 

***

 

第二章 失敗なんて気にしない Crazy_Princess.

 

二一話:産声 Her_Awaken.






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第二一話:産声 イメージBGM動画
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画:柴猫侍さん(@Shibaneko_SS


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二二話:一つの節目

 そして次の瞬間、レイシア=ブラックガードがとった行動は、その場の全員の想像を完全に凌駕していた。

 

「――――()()()()の忠実なる僕たち」

 

 耳につけていたマイクに指をあてて通話回線を再起動させた彼女は、そう一言呼びかけた。

 先ほどまでは、美琴の張っていた妨害電波によって、レイシア=ブラックガードと彼女の配下は分断されていた。しかし、予想外の妹達(シスターズ)戦は、そのことを美琴から忘れさせるには十分すぎる衝撃だった。

 『彼』は美琴に対する配慮もあってか、彼女たちへの助力の依頼を渋っているようでもあったが……残念ながら、この悪役令嬢(ヴィレイネス)に美琴の事情を慮るようなやさしさは存在していない。

 ただひたすらに、自分のやりたいことを押し通すために突き進む。それだけだ。

 …………もっとも、その根底にある精神性については、大きな変化があるだろうが。

 

『何でしょう、我らが女王』

 

 突然の呼び出しだっただろうに、打てば響くような電話口の声。

 畏まっているはずなのに親しみすら感じさせる、おどけたような声色に、レイシア=ブラックガードは少しだけ、自嘲するように笑みを浮かべ、すぐさまそれを勝気な笑みで以て塗りつぶす。

 

「映像は既に伝わっているかと思いますが……敵は学園都市中の風を操ってプラズマを生成しようとしています! 対抗するためには、こちらも同じように風を操らねばなりません!!」

『……はぁ!? 学園都市中の風ぇ!? 何言ってやがんですか! そんなデタラメにどう対抗しろと!?』

「わたくしの力を舐めるんじゃありませんわよ。この力を以てすれば、逆賊の小細工など容易に粉砕してみせましょう。…………ただし、わたくし一人の演算能力ではヤツには追いつけません! そこで、アナタがたの力が、必要なのです!!」

 

 他力本願。

 レイシア=ブラックガードの精神性では、絶対にありえなかったであろう選択肢。もちろん、今の彼女にもそれを忌避する傾向は存在している。だが、それを乗り越え、彼女は言った。『助けてほしい』、と。

 自分の弱さを認め、仲間に力を求めることが、できた。

 それは、余人から見れば些細な前進かもしれない。だが、少なくとも、この少女にとっては、偉大なる一歩だったのだ。

 

『…………それで、あたくしたちは何をすればっ……?』

「演算を」

 

 レイシア=ブラックガードは、端的に言う。

 

「この街中の風の流れを、演算しなさい。そして、その結果をわたくしに伝えるのです。…………あとは、わたくしがそれを遂行してみせます」

『……はぁ、レイシアさんが御坂さんにやられた真相を探るために行動していたのが、なんでいつの間にやらそんなアルビノ野郎と対峙してやがんだか、まったくもって意味不明で聞きたいことは山積みなんですが――――』

 

 電話口の刺鹿は、そう言ってため息を吐く。

 だが、声色は喜色が隠しきれていない。大切な友の力になれる。そんな力強さが、端々から溢れていた。

 

『他ならぬ我らが女王の「お願い」、聞かないわけには、行かないでしょう! みなさん!!』

『ええ!!』

 

 派閥のメンバーの威勢のいい声を耳にしながら、レイシア=ブラックガードは静かに微笑む。そして、内心にいる『彼』にも笑いかけた。

 

(…………ふぅ、……少し、疲れました。あとは、やるべきことは分かっていますわね。わたくしが目覚めた、以上、魂が……同調……能力の、出力も、上がる……はず…………うまく、合わせます、から…………主導権、は…………アナタ、に…………、…………)

 

(………………ああ。ありがとう)

 

 眼に涙すら浮かべ、レイシアは笑っていた。

 カッコ悪いな、とレイシアは内心で自嘲する。

 彼女のためにと動き回っていたくせに、結局彼女に手助けをしてもらった。これでは、どっちが助けてもらったのだかわかったものではない。

 

 ――だからこそ、これだけは自分の手でやらねばなるまい。

 最後の仕上げくらいは、きれいに片づけなければなるまい。

 

「……演算の準備はよろしいですか、みなさん」

『? ええ、はい……あれ? レイシアさん、何か雰囲気が……?』

「――――では、行きますわよ」

 

 瞬間。

 

 レイシアの背後に、白と黒から成る九八対の長大な天使の翼が顕現した。

 

 ――――否、それは天使の翼などではない。進化したレイシアの能力だ。成長し、光すらも切断するようになった能力は、光を遮断し乱雑に跳ね返す『白い面』と、光が完全に遮断された『黒い面』を持った亀裂を生み出すに至ったのだ。

 まさしく、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の名の通りに。

 最大分岐数は一九六本。一本の分岐の最大延長距離は五〇〇メートルを超える。これまでは亀裂全体で五〇〇メートルが限度だったのに、だ。

 さらに、進化した能力は分岐ごとの個別解除すらも可能にした。つまり、これまでとは桁違いの風を、連続的に、有機的に…………展開することができる。

 

 それはもう、大能力(レベル4)なんて規模ではなかった。

 

 超能力(レベル5)

 この街の、頂点の一角。

 白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の名に、その力の価値が追いついた瞬間だった。

 

「…………上条さん。わたくしを信じて、ただ突き進んでください!」

 

 であればこそ、レイシアの突然の指示にも、上条は黙って頷けた。

 吹っ飛ばされたと思ったら誰かと会話しだし、そして今までよりも明らかに成長した能力を振るっているのは、確かに奇妙だ。奇妙だが――――上条に、レイシアを疑う余地などこれっぽっちも存在していない。

 信じて、突き進む。

 …………そうしているとき、上条当麻は誰より強くなる。

 

「――――A-1、クリア。A-3、クリア。A-4、クリア。B-2、クリア。C-14、クリア。……バック、B-3、クリア!」

 

 レイシアは、届いてくる演算のすべてを処理していく。GMDWの面々は、やはり優秀だ。学園都市全体の風の流れを演算するだけでなく、それを処理しやすいようにブロックごとに分けて伝達してくれるのだから。

 レイシアの背後で、長大な亀裂が生物のように蠢いては消え、そして浮かび上がっていた。それらは一瞬にして強力な暴風を生み出し、そしてプラズマを生み出している気流そのものへとダイレクトに干渉していく。

 

「……な、ンだこの気流……!? 俺の気流をバターナイフみてェに切り分けるこの風の流れはなんだってンだ……!? ……オマエか、金髪ゥ!?」

 

 先ほどまでは口ほどにもなかった下等生物の反逆。

 それを目の前にして、一方通行の目に動揺の色が浮かぶ。

 …………そして、心の乱れは能力の乱れでもあった。

 

 レイシアは――否、レイシア達は、その一瞬のスキを見逃さず、トドメの一閃を叩き込む。ブワァ!! と一方通行の頭上に展開されていたプラズマが消え失せ、あたりに夜の闇が戻っていく。

 

 つまり。

 

 盤上に残っているのは、上条当麻の右手、ただ一つ。

 

「――――ふぅ」

 

 力尽きたように、レイシアがその場にへたり込む。

 時を同じくして、彼女の背後に展開されていた神々しい翼のごとき亀裂もまた、消え失せる。

 

面白(おもし)れェよ、オマエ――――」

 

 すべての手札を失った一方通行は、それでもまだ不敵に笑う。

 …………いや、違う。

 これは、不敵な笑みなんかではない。

 ひきつり、ひくつき、それでも口角を笑みの形に吊り上げているだけのこの表情は――――紛うことなく、恐怖の表情だった。

 ゆえに、一方通行は拳を握る。

 自分はもう引き下がれないから。『それ』を認めてしまったら、自分は本当に殺人者になってしまうから。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――――最っ高に面白れェぞ、オマエ!」

 

 もはや高電離気体は無意味。そう悟った一方通行は、地面をける足の力の『向き』を変更し、地面を爆裂させながら上条のもとへと近づく。

 だが、正史のように息も絶え絶えという有様ではなく、十分に余力を残した上条は、それを迎え撃つようにとびかかる余裕すらあった。

 面喰った一方通行が、急ブレーキついでに地面を蹴り、瓦礫を爆裂させる――が、上条はそれを予測し、身を屈めてそれを回避。

 まずいと感じた一方通行は気流を操作し、上条を吹き飛ばそうと試みるが――――、

 

「……わたくしがもう舞台から退場したと、本気でお思いで?」

 

 その足掻きは、不敵に微笑むレイシアによって吹き消される。

 疲労困憊といった体のレイシアの指先からは、いまだに長大な『亀裂』が展開されていた。

 

「こッ、このクソ野郎ども――――」

 

 思わず激昂しかけたその瞬間、上条は一方通行の懐に潜り込んでいた。

 

「ッぐ――――!?」

 

 それでも、一方通行にはまだ両手が残されている。その両手で、上条の顔面を薙ごうと狙うが――――一発目は首を動かすだけで回避され、二発目も右手で簡単にはじかれて終わる。

 

「歯を食いしばれよ、最強(さいじゃく)――――」

 

 かくして、広がり散らばった未来は、一つの決着へと収束していく。

 まるで、引き伸ばされていたゴム紐が、もとの位置に戻るかのように。

 

「――――俺の最弱(さいきょう)は、ちっとばっか響くぞ」

 

 瞬間。

 上条当麻の拳が、一方通行の顔面に突き刺さる。

 渾身の一撃を受けた白い少年は、そのまま地面を数メートルも吹っ飛んでいき――――そして、それからぴくりとも動かなくなった。

 

 直後、試合終了のゴングを鳴らすみたいに、巨大な電気の号砲が轟いた。

 

***

 

第二章 失敗なんて気にしない Crazy_Princess.

 

二二話:一つの節目 To_the_Epilogue.

 

***

 

 …………結局、上条は正史と違って軽傷。

 むしろ風をもろに食らって吹っ飛んだ俺が全身に無数の擦り傷やら打撲やら。まぁ軽傷の範疇ではあるんだけど、見た目がボロボロだったせいで病院に駆けつけてきた夢月さん達にしこたま心配された。

 ほんとは、どうやら解放されたらしい妹達(シスターズ)の様子も見たかったのだが…………その点については美琴から、『妹達(シスターズ)のことをあまりほかの人に教えたくないから』と派閥メンバーの誘導を言いつかってしまった。まぁ知る人が増えれば色々と問題のある情報でもあるから、仕方ないね。

 派閥のメンバーには実験関連のことだけ伏せて、あとはなるべく正直に話すことにした。それが、俺に協力してくれた彼女たちへのせめてもの礼儀だと思ったからだ。

 

「……ったく。なんだってあんな無茶しやがったんだか……レイシアさんは最近無茶しすぎです。病み上がりだってのに、少しは自重しやがってください」

「本当ですよっ。途中でいきなり通信が途絶したときは、本当に生きた心地がしなかったんですからっ……!」

「……ふふ、ごめんなさい。もう、これで最後にしますから」

「約束ですよっ? 本当の本当に、約束ですよっ……? 破ったら、泣いちゃいますからねっ。…………夢月さんが」

「なーんで私が泣くことになりやがってんですか!! 私はそんな涙もろくなんかありません!! むしろ泣かします! 私がレイシアさんを泣かします!!」

「とかなんとか言ってっ、さっきレイシアさんの能力が成長しているのを見たときなんか大号泣してたくせにっ、」

「アー!! アーアーアー!! アーアーアーアーアーアーアーアー!!!!」

 

 わたわたと手を振りながら叫ぶ夢月さんと、それをからかう燐火さん。そして、その周りであれこれと言い合っている、GMDWの面々。

 ……その中心で、楽しそうに笑っている俺――いや、レイシア。

 

 あの時……俺は、激痛で意識が朦朧としていて、ほとんど無我夢中で動いていた。だから、正直なところ、あまり記憶に自信はない。

 もしかしたら、極限状態の俺が都合のいい幻聴を作り出してしまっていたのかもしれない。

 でも、俺は確かに、聞いた気がしたんだ。

 

 

 ――――レイシアちゃん。君の、お蔭なんだな? ……もう、終わりは……近いんだな?






【挿絵表示】
はたけやまさん





という感じで、次回おまけです(朝投稿)。



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おまけ:それぞれの後日談

 同時刻、どこかの場所。

 暗闇の中に星の光のようにモニターの発光が点在する空間で、一人の男が安っぽいソファに深く腰掛けていた。

 男は顔の上半分を覆うようなヘッドギアを身に着けていた。

 ヘッドギアからは無数のケーブルが伸びており、そのケーブルの先には冷蔵庫よりも一回りは大きな機材がいくつも繋げられていた。

 まるで、チンピラの寝床を無理やり高尚な研究施設に仕立て上げたような――――ヘッドギアからちらりと大きな刺青が覗いているこの男の印象が部屋自身に染みついているかのような部屋だった。

 

「――――あー…………」

 

 ぼんやりとうめき声を上げながら、その男はヘッドギアを取り外しながら、心底つまらなさそうに、こう呟く。

 

「……くっだらねぇモンに付き合わされたなぁ」

 

***

 

第二章 失敗なんて気にしない Crazy_Princess.

 

おまけ:それぞれの後日談

 

***

 

「まったく、くだらねぇ」

 

 荷物をまとめ、データを回収し、ついでに内部回路を薬品で念入りに焼く――――つまるところ『後始末』をしながら、木原数多は不満げに呟いていた。

 不満というなら、この作業そのものが彼にとっては不満だった。妹達(シスターズ)を操っていた電波をあの戦闘の中で逆探知していた御坂美琴が、遠からず攻めてくることは数多も理解していた。

 だがもちろん、数多は美琴を迎え撃つこともできた。電撃だの磁力だの超能力者(レベル5)だのは、木原数多には関係ない。ただのモルモットなど、真正面からでもいくらでも倒せる。……が、この時点での美琴との接触は、木原には許されていなかった。

 だからこその撤退である。格下相手に逃走しなくてはならないことの屈辱。この不条理こそ、数多を不機嫌にする要因の一つでもあった。

 特に、美琴については先の戦闘でも随分と苛立たされた。一万という数を使って押しつぶしてやろうとしたら、拡散力場として放出している電磁波を利用して動きを止められたどころか、接近するだけで電波をジャックされて洗脳が解除される事態に陥ったのには、数多自身がいっぱい喰わされたのもあってかなり不愉快な出来事だった。

 

 しかしながら、彼の機嫌を最も損ねていたのは、そこではない。

 

()()()()()

 

 彼の目に浮かぶ不満には、怒りの色彩――というより、羨望の色彩が強く浮かび上がっている。

 

「いいなぁ。あんなモルモット、そうそう手に入るもんでもねぇのに。脳幹のクソ犬とアレイスターのヤツ、あんな実験動物(モン)使って楽しそうなことしやがって。挙句あのクソガキの実験はついで扱いと来た。…………こりゃあ、『プラン』のほかに色々と遊んでいやがるな」

 

 そうした余計な遊びとは無縁の男のはずだったのだが、と数多は内心で訝しがる。

 確かに、レイシア=ブラックガードは面白い逸材だ。ぱっと見るだけでも、素養格付(パラメータリスト)の超越。多重人格系のサンプルにもなりそうだし、何よりあの能力。数多が理論だけ組み立てて実現の方策で行き詰っていた()()()()()()にも使えそうな代物だ。

 あの能力は、さまざまな使い出がある。……これでアレイスターの玩具でなければ、二もなく手を出せたのだが。

 

「これじゃ、あの野郎の実験動物自慢に付き合わされただけじゃねぇか。くだらねぇ。ああクソ、腹立つ。憂さ晴らしに時限爆弾でも仕込むか?」

 

 美琴の放つ微弱な電流に反応して即座に起爆する爆弾の作成など、科学者らしすぎる科学者である数多にとってはお茶の子さいさいである。……が、ここで第三位を自分の怒りのままに殺すのは、研究者にあるまじき行為。しぶしぶ矛を収めると、数多はとっとと準備を終わらせ、そしてそれまで使っていた隠れ家を後にする。

 

「………………しっかし、あれだけの逸材だってのに…………期間限定ってのは、なんか勿体ねぇなぁ。どうせなら、永続化する実験でもやってみりゃいいのに。……確か、アレなら……」

 

 ――ぶつくさ呟きながらも、木原数多は夜の闇に消えていった。

 

***

 

「と~う~ま~?」

 

 そして上条当麻は、窮地に立たされていた。

 彼の目の前にいる純白のシスターは、頬を膨らませながら彼のことをねめつけていた。

 

「もう、あんまり怪我がないから怒るに怒れないんだけど、それでもやっぱり無茶は無茶なんだよ! というか、レイシアの方が怪我が重いのが問題かも! とうまはなにしてたの!?」

「面目次第もございません…………」

 

 その点に関してはレイシアに庇われてしまった上条としては、もう何も言えないのだった。

 

「ていうか、いったいどういう経緯でレイシアもついてきてたの!? レイシアがいるなら私がいてもよかったよね!? なんで私だけのけ者だったの!?」

「いや、のけ者というかなんというか……レイシアも別口で騒動に巻き込まれてたみたいで、御坂と一緒に来ていたというか……」

「やっぱり私がのけ者になってるー!! これは断じて抗議するんだよ!! 私だってとうまの役に立てるかも!」

「……いや、悪いけどそれはない。だってインデックス、科学の知識とかまったくないだろ?」

「うっ」

 

 真顔で切り返され、インデックスは返答に窮する。魔術の分野ではこれ以上ないほど頼りになるインデックスだが、科学サイドは専門外だ。そういう意味でも、巻き込むわけにはいかない。上条は、そう思う。

 

「……………………でも、心配なんだもん……」

 

 …………思うのだが、それは少しインデックスには酷な発言だったな、と、目の前の少女を見て反省するのだった。

 相手の立場になって考えてみれば、分かる。

 自分が知らない間に、インデックスが危険に首を突っ込んで、自分はそれを知らずのうのうと平和に過ごして…………その上で『とうまは魔術についてはド素人だから、巻き込むわけにはいかないんだよ』と言われたら。

 …………きっと、とても傷つくだろう。

 

「…………本当に、無事でよかった」

 

 だが、インデックスは、そこでそう言える少女だった。

 上条のTシャツの裾を申し訳程度につまんで、心底からほっとしたような表情を浮かべられる少女だった。

 

「……ごめん、インデックス」

 

 だから、上条はその頭を撫でて、正直な気持ちを伝える。

 

「心配してくれて、ありがとう」

「……ん。あと、あとでレイシアにもお礼を言った方がいいかも。なんだかんだで、今回一番お世話になってるのはレイシアだと思うしね」

「ああ、そりゃもちろんな」

 

 何やら女友達らしき集団にもみくちゃになりながらさらわれてしまったが、今度会うことがあったなら正式にお礼を言おう、ついでになんで合流してきたのかも問い質そう、と上条はひそかに心中で誓う。

 

「…………女友達、か」

 

 そこで、ふと上条は気づく。

 レイシアの周りに、ごく自然に女友達がいたことに。おでこが出たお嬢様、縦ロールが異常に長いお嬢様、ほかにもさまざま――全員がお嬢様である、という共通点こそあるが、個性豊かな友達が、きちんと彼女の周りにはいた。

 そして、もみくちゃにされながらも――――彼女たちは、みんながみんな、楽しそうな笑みを浮かべていた。

 禍根なんて、まったく感じさせないで……普通の女子中学生そのものの、屈託のない笑みを。

 

「なんだ。ちゃんと仲直りできたんじゃないか、あいつ」

 

 ――だから上条当麻は、すがすがしい笑みを浮かべるのだった。

 

***

 

「…………アンタか」

 

 ふと、病院の隅で振り返った美琴は、脱力してそうつぶやいていた。

 

「いきなり『アンタか』とはご挨拶ですね、とミサカはお姉様の態度に呆れ返ります」

 

 それに対し、言葉を投げかけられた張本人――――御坂妹は少しも応えた様子なく、むしろ肩をすくめて美琴のことをおちょくる余裕さえ見せて、そう返してきた。

 大怪我を負っているはずだというのに、まったくそれを感じさせないポーカーフェイス――否、無表情っぷりだ、と美琴は思う。

 

「アンタ、もう大丈夫なの? 昨日の今日なのに」

「大丈夫ではありませんが、院内を徘徊する程度は許されています、とミサカは胸を張って答えます。それに……お姉様にご挨拶もしたかったので、とミサカは照れをみせつつ答えます」

 

 きゃっ、と無表情のまま両手で顔を覆う姿は、いっそのことおちょくっているといった方が適しているだろう。だが、美琴は知っている。彼女たちのこういった言動は、限りなく本心に近いものだと。

 

「……そ。私も、アンタの平気そうな顔を見られてひとまず安心だわ」

 

 疲れたようにそう言って、美琴は壁に体重を預ける。

 御坂美琴にできるのは、ここまでが限界だ。クローンの寿命を延ばすのも、彼女たちの研究をするのも、美琴にはできない。

 なんて中途半端なのだろう、と美琴は自身を嘲る。一万人を死なせた原因を作った大罪人のくせに、その半数弱を救い出すことしかできず、あまつさえその半数を救い出すことすら、他人の手を借りないと覚束ない。

 …………挙句の果てに、その『半数を救う』という選択肢すら、あの少女がいなければ選び取ることすらできなかった。

 

「お姉様? とミサカは突然黙ってしまったお姉様がなんか悪いモンでも食べたんじゃないかと心配げな表情を作ってみせます」

「……アンタは平常運転よねぇ」

 

 ピンとそこはかとなく失礼なことを言った御坂妹の額を人差し指の腹で突きつつ、美琴は苦笑する。

 これは、美琴が背負うべき十字架だ。この先一生、命尽きるその時まで、悔い続けなければいけない罪過だ。それはきっと、とても苦しいことなのだろうけれど――――でも、原因を作ってしまった美琴が、背負わなければならないのだ。

 

「…………お姉様」

 

 そう考えていた美琴の前で、ふと、御坂妹が背筋を正した。

 

「……どしたの?」

「ありがとうございます、とミサカは改めて素直にお姉様に頭を下げます」

「は?」

 

 突然の礼に、きょとんとする美琴。

 それでも第三位の頭脳は、『御坂妹が助けられたことに恩を感じているのでは?』と常識的な推測をたたき出し、『こんなの、当たり前のことよ』と反射的に答えようとして――、

 

「私たち妹達(シスターズ)をこの世に生み出してくれて、ありがとうございます。とミサカはいまいち察しの良くないお姉様に呆れながら言葉を補います」

 

 次に御坂妹から放たれた言葉の意味が、理解できなかった。

 

「加えて言うなら――私たちのことを妹と言ってくれて、ありがとうございました。と、ミサカは重ねてお礼を言います」

「……ぁ、ぅ、そ、それ、はっ……私は! 私はアンタ達が実験動物みたいに扱われて、殺されていくような環境を作る原因になっているのよ!? それを、アンタ……ありがとうって……! いまさら、あんなことで……」

「確かに、原因と言うならお姉様がDNAマップを研究者に提供したのがすべての始まりだったでしょう、とミサカは理性的に分析します。ですが」

 

 動揺のあまりそれ以上二の句も継げなくなっている美琴の様子になどまったく気づかず、御坂妹は淡々と続ける。

 

「その始まりは、今ここにある私達の現在にもつながる起点であった、とミサカは補足します。であれば、その判断に私達は感謝しなくてはなりませんと、ミサカは、」

「そんなの違うっ!!」

 

 振り絞るように、美琴は声を荒らげた。

 それは、罪悪感の発露だ。ほんの一四歳の少女が抱えるには、あまりにも重すぎる――そして大きすぎる十字架に対する、等身大の御坂美琴の悲鳴だった。

 

「確かに、私のあの言葉でアンタ達は生まれたのかもしれない。あれがなかったら、アンタ達は生まれなかったかもしれない。……でも、そのあとにアンタ達は散々苦しめられた! 生んだ子供にひどいことした親が『それでもその子を産んだのは正しいことだった』なんて理屈で許されるわけない! まして私はっ、あの子に、ひどいことをっ……」

「――――ミサカ達の知識は、ミサカネットワークに保管されています。とはいえ、完全に共有されているというわけではありません」

 

 そんな濁流のような言葉に分け入るように、御坂妹は一言、そう呟いた。

 

「九九八二号がお姉様と接触したこと、一〇〇三一号がお姉様やあの人と接触したことなどは、ネットワークに共有されています。……しかし、それ以上の情報は、確かに共有できていません」

「何を……、」

「――――ですが、私は何故だか、思うのです。お姉様と一緒に猫とじゃれて、一緒にアイスを食べて、バッヂをプレゼントしてもらって……そんな行為をしてみたい、と」

「…………っ!!」

 

 それは――――美琴自身が、実際に九九八二号としたことだった。

 ミサカネットワークの情報共有は、あくまで記録に留まるものなのかもしれない。記憶の共有までは、二万の個体の情報共有ということを考えると、だいぶあいまいなものになってしまっているのは想像に難くない。

 だが……それでも、こうして一人の個体が、九九八二号の思い出を好ましいものととらえているということは。

 

「そして、お姉様が()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と」

 

 そして、()()()()()を――――『その声で、その姿で、私の前に現れないで』……なんてことを言っても尚、そんなことを考えていてくれているということは。

 

「ここから推察できるのは、きっと、死んでいった個体も私と同じような気持ちだっただろう、ということです。とミサカは論理的見地から推察します。つまり」

 

 そっと。

 柔らかい何かで包まれた感覚をおぼえた美琴は、一瞬遅れて、自分が抱きしめられているのだということに気付いた。

 

「あなたが悲しそうな顔をしているのは、見ていたくない。できることなら、一緒に笑っていたい――――と、ミサカは恥を抑えて正直な気持ちを告げます」

「………………っ」

 

 そこが、美琴の我慢の限界だった。

 全ての荷を一旦外して、一人の少女は本来そうであるべき通りに、涙を流した。

 

***

 

「祝勝会をやりましょう!!」

 

 そう喜色満面で言ったのは、GMDWにおいてレイシアのサポートをする二人の副長の一人、刺鹿(さつか)夢月(むつき)だ。

 刺鹿は上機嫌極まりないテンションのまま、室内狭しとせわしなく(しかし無意味に)歩き回りながら、

 

「私達はよく事情を知りませんが、とりあえず窮地に追いやられていた御坂さんを救うために、あの第一位と戦って勝利しやがったのでしょう? それはもう……祝勝会しかありえません! ここぞとばかりにパーティです!!」

「いやあの……」

 

 確かにそうなんだけど、テンションおかしくない? と言いたかったレイシアなのだが、流石にそれを言うのも憚られるくらい、刺鹿のテンションは高かった。もう一人の副長苑内(えんない)燐火(りんか)に目を向けてみるも――、

 

「そうですねっ! 今日ばかりはぱーっと騒いでもいいでしょうっ!」

 

 普段は刺鹿の抑えに回っている苑内も今日はハメを外したい派なのであった。

 レイシアとしてもパーティは構わないのだが、ノリについていけていないのであった。おじさんはもうJCのノリにはついていけないよ……と内心でおじさんぶってみるレイシア。忘れられがちだが、内面上のレイシアは二〇代中盤くらいのいい年した大人である。

 

「しかし、祝勝会をやるとはいえ、準備が……門限まで時間はありますが、何も用意していない状態ですよ? せめて日を改めた方が……」

「だいじょーぶだいじょーぶですって! 準備なら昨日レイシアさんが寝やがっている間に私達が手配しておきましたから!」

「なっ!? なんですのそのサプライズ!? というか、皆さんそれが事実なら寝不足なのでは……」

 

 あ、この妙にテンションが高いのは徹夜明けのハイテンションなのか、と遅まきながら察するレイシア。そこまで頑張らなくても……と思わなくもないのだが。

 

「何を言ってやがんですか! 私達は元気も元気! 今以て気炎万丈ですよ! レイシアさんは余計な心配なんかしやがらないで、祝勝ムードに乗っかっていやがればいいんです!」

「は、はぁ…………」

 

 年長者の威厳はどこへやら、といった調子で、レイシアは完全に押し切られて頷くばかり。

 そんな感じで、レイシアはGMDWの面々に連れられ、レクリエーション用に借りたらしいカラオケボックスの一室にやってきていた。

 このお嬢様達に、パーティにカラオケボックスを使う発想が……と少し意外に思わないでもなかったレイシアだが、その印象は受付で悪戦苦闘する彼女たちを見て打ち消されていた。

 どうやら彼女たち、慣れないパーティをやるためになれないことをしようといろいろ頑張っていたらしい。なんて可愛らしい気遣いだろう、と深く感じ入りながらもなんかいろいろ見てられなかったので結局自分が受け付け関連を全て片づけてしまったレイシアは、周りのメンバーから『なんで一番世間知らずそうなのにさくっとこなせちゃってるの??』と疑問視されていることには気づいていない。

 

「じゃあ、レイシアさん! 乾杯の音頭をとりやがってください!」

「え、えぇ……? わ、わたくしがですか……」

「それはもちろんっ、レイシアさんは、我々の『女王』なのですからっ」

 

 ほぼほぼサプライズ同然でここまで連れてこられたのに……と思わないでもないレイシアだったが、一方でこうして自分をリーダーとして立ててくれる刺鹿や苑内は、ひいてはそれになんら不満を表さないメンバーは、組織内の序列を完全に肯定しているということでもある。

 加えて、こうやって無茶ぶりをする程度には、レイシアに心を許している証左だ。

 であればこそ、レイシアは慣れないなぁと思いつつも、わざわざドリンクバーではなく注文して持ってきてもらったアイスティーの入ったグラスを持ち、掲げる。

 

「こほん。では、失礼して。――――みなさん、今回はご苦労様でした。わたくしの手足としての働き、見事だった、と称賛いたしましょう。…………本当に、本当に助かりました。ありがとうございます」

 

 そう言うと、周りからわいのわいのと合いの手が飛んでくる。本当にこの子達お嬢様かな? とレイシアは内心首をかしげつつも、いつまでも湿っぽいあいさつに終始するのもよくないだろうと、意識的に声を張って言う。

 

「それでは、皆さんの尽力と、我々の勝利を記念して――――乾杯!」

 

 かんぱーい! と。

 ノリノリでそれに答えた少女たちの歓声が響き渡る。

 

***

 

「…………疲れましたわぁ」

 

 ――なんて呟いてみるが、その声色は、自分で聞いてもわかるくらい、意外にも喜色が滲み出ていた。たぶん、疲れたけれど、それ以上に楽しかった……ということなんだと、思う。

 カラオケボックスにやってきただけあって、いろいろと歌ったりなんだりしていたしな。歌のチョイスがお嬢様だなって感じではあったけど、まぁそこはそれだ。

 

「……しかし」

 

 ほかに誰もいないのをいいことに、俺の口からは呟きがどんどん漏れていく。存外、まだ浮ついた気分がなくなっていないのかもしれない。一応、流石に一方通行を相手取った今の俺がアレイスターに全く監視されていないと考えるのはあまりにも不用心すぎるので、危険視されそうなことは言わないくらいの自制心は働いているけどな。

 

「無事、勝てましたわねぇ…………」

 

 考えてみても、かなりぎりぎりのラインだった気がする。

 ぎりぎりのラインだった……が、でも、行って正解だった、とは思う。もしも俺があそこで参戦していなければ、妹達(シスターズ)が敵に回った状態で戦いが始まっていたわけだから……一方通行を倒す手がなかった。それどころか、一方通行の突風を突破できずに詰んでいたわけだし。

 いや本当に、目覚めるタイミングが間に合ってよかった。あと一時間でも遅かったら、本当に大変なことになっていた。まったく、ここまで都合がいいと何かの作為を感じるレベルだ。

 …………何もないよな? うん、だって……小説じゃレイシアちゃんは全然登場人物に勘定されてないし。いや、俺の憑依によってレイシアちゃんが素養格付(パラメータリスト)を超えた成長をしているのに、アレイスターが目をつけている可能性……?

 

 ………………………………。

 

 …………ありえない話じゃない。

 いやいやいやいやいや。

 なんで気づかなかったんだ、俺は? 確かに小説じゃあ、能力の予定外の成長はレアケースではあるが確かにあった。滝壺とか、名前忘れたけど食蜂と対になってたあいつがそれにあたる――――が、それらは『レアケース』なんだよ。アレイスターに目をつけられない理由にはならないじゃないか。

 迂闊。あまりにも迂闊すぎだ。もしアレイスターに目をつけられていたとしたら、今回の俺の昏倒や、そこから介入するという流れだって、アレイスターの誘導にまんまと俺が乗っかったっていう可能性も――――……。

 

 ………………いや、考えてみたけど、それ、あるかぁ?

 

 だって、アレイスターの視点から見たら、俺が転生者だってことは分からないわけで。

 俺が今までやっていたことといえば、レイシアちゃんの関係修復と、上条関係とのやりとりと、あと少々ってくらいで、外部から見て転生者だー! なんて読み取れるようなことは何一つとしてないと言い切れる。流石の俺でも、そこは最低限配慮してるから間違いない。

 アレイスターが心の声を読み取れるとか、異世界からの転生って概念をすでに知っているとかなら話は別だけど……そういうことまでできたら、もうそれって全知全能だろ。流石にそれは小説の描写からしてありえない。

 で、だとすると、アレイスター的には俺は『自殺未遂したあと能力が予定外の成長を遂げた人』って扱いになるわけだけど……それだと、俺ってアレイスターがなんかいろいろやってるプランとかいうのには全く関係ないわけで。

 研究者からちょっかいを入れられる可能性は、もちろんある。でもアレイスターの方からレイシアちゃんにあれこれしようって動機は生まれないんだよな。

 もちろん、俺にはよくわからないような有用性を見出してるって可能性もあるけど、今回の場合は『素養格付(パラメータリスト)の存在を知る研究者がレイシアちゃんの予定外の成長を目の当たりにしてパラノイアによる攻撃性の矛先を向けた』って説明の方が筋が通ってるし、現実的だと思う。

 

 ……まぁ、なんにしても。

 

「…………これで、あともう少し」

 

 打てる手は、打っておいたことに越したことはないよな。

 

「…………もう少しで、終わりますわ。だからあと少しだけ、待っていてくださいな…………レイシアさん」



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  第三章 勝ち逃げなんて許さない (N)ever_Give_Up.
二三話:そろそろいい加減


「えー、皆さん、無事、受理されました」

 

 パソコンとにらめっこしていた俺がそう言うと、部屋中から安堵のため息が溢れ出た。

 場所は、いつもと同じGMDWが普段使用している研究施設の一室。和解してからというもの、研究のためだけでなくもっぱらたまり場にも使われるようになったこの部屋には、夏休みの夕方――正確にはほぼ夜に差し掛かる時間帯にも関わらず、そのフルメンバーが勢ぞろいしていた。

 ただ、そのメンバーの顔色は、揃いも揃って、あまりよくない。いや、悪いとすら言ってもいいだろう。

 

「………………まぁ、いろいろと……本当にいろいろと、ありましたが。無事に原稿も完成しましたし、あとは学究会を待つだけ、ですわ」

 

 ……机に寄り掛かったり、椅子の背もたれに寄り掛かったり、壁に寄り掛かったり、級友に寄り掛かったり。もはや自分の身体では体重を制御できないご令嬢諸君を見て、俺はばつが悪そうに笑う。

 

 まぁ、俺が休んでいる間、彼女たちが心配して研究なんかまともに手が付けられなかったのは明白なわけで。

 例の一件が片付いて、パーティも終わった翌日……俺たちは、残った作業の消化を迫られたのだった。

 過去形で説明しているところからもわかるように、まぁそれは無事に片付いた……のだが、とにかく大変だった。八月二二日から作業を始めたのだが、その時点で進捗が七〇パーセント。しかもなんか俺の指示とかで研究所の機材をひっくり返したりしつつ演算作業していたもんだから、資料が散逸。再整理に一日時間がかかるやら、なんかバックアップミスとかで進捗が二〇パーセントほど後退するやら、責任感から半べそをかき始める一年ガールを優しくなだめるやら、その間作業の指示は怠らないやら、ついでに提出が遅れることを担当者に事前連絡して協力してくれた研究機関の方に頭を下げて……。

 …………うん、終わってみた今だからこそ言える。

 あれは、地獄だった。

 まぁ、その甲斐あって、なんとか締切(もちろん延ばしてもらった)である八月三〇日の時間ギリギリに発表用のレジュメとスライドのデータを学究会実行委員会に提出できたんだが。

 俺はこれから原稿読みの練習と機材の確認をしなくちゃいけないわけだけど、とりあえず派閥メンバーのみんなの役割はこれで終了だ。……マジぎりぎりだった。だって、学究会って八月三一日だぞ? 一日前……一日前に提出て。一〇日前には完成して、んで三日くらいかけて推敲して、それで一週間前……つまり本来の締切日一日前に提出しようと思ってたのに……。

 いやいやいや、人手は完璧だから推敲についてはまぁまぁできたけどね? 一応常盤台として恥ずかしくないクオリティには仕上がったけどね? あと俺が入院したりとかもけっこう周知されてはいるから、派閥の力とかいろいろとかで美談にする手筈は整ってるって夢月さんとかは言っていたけど……。

 正直、自己管理云々で批判の対象になりやしないかと心配です。まぁ、その時は甘んじて受け入れようと思うけども。

 

「ともあれ! 皆さんお疲れ様でした。まぁ、今日ばかりはゆっくり休んでいいでしょう。ただ、寝坊だけはしないように――――」

 

 と、ねぎらいとともに気を引き締める警句を発していると、ふと俺のポケットのスマホが着メロを流しだした。

 

「……っと。すみません」

「レイシアさーん? 別にお仕事じゃないですから電源切りやがれとは言いませんけど、タイミング悪すぎやしませんかー?」

「夢月さん、着信のタイミングは流石にレイシアさんでもどうにもなりませんわっ」

「あはは……ちょっと失礼しますわね」

 

 みんなに断わって、俺は画面に表示された電話番号を確認する。

 ……? これは、美琴の? あの一件で連絡先を交換してはいたけど、いったいなんでまたこんなタイミング……? …………んー、そういえば夏休みの最後にいろいろあった気がするけど、とくに危なそうな事件はないしなぁ。

 

 なんてことを怪訝に思いながらも、待たせるのも悪いので俺はさっさと呼び出しに応じる。

 

「もしもし? 御坂さん、どうしましたの、こんな時間に、」

『もしもし? レイシアさん? …………悪いんだけど、折り入って、お願いがあるの』

 

 ………………あの。

 

 ……その、私、これから読み原稿の調整が…………。

 

***

 

第三章 勝ち逃げなんて許さない (N)ever_Give_Up.

 

二三話:そろそろいい加減 Please,_Give_Me.

 

***

 

 美琴の『お願い』をまとめると、以下の通り。

 

 曰く、学究会当日に有冨春樹なる研究者が、STUDYなる暗部組織を率いて大規模テロ(二万体に及ぶ駆動鎧(パワードスーツ)によるもの)を企てているらしく。

 曰く、そのためには自分達だけでは力不足らしく。

 曰く、この前の一件で、何でも自分だけで背負い込むことの愚は身に染みて分かったらしく。

 曰く、であればこそ、レイシア=ブラックガードに、そしてその仲間たちに力を貸してほしいらしく。

 

 …………そんな通話を聞かれちゃったら、そりゃもう夢月さん以下ウチの派閥のお人よしさん方は黙っていられないわけでして。

 いやまあ、俺もそんな話を聞いたら黙っていられない人筆頭である自覚はあるけどね?

 

「――なるほど。その駆動鎧(パワードスーツ)軍団を抑えれば、早晩敵の本丸が投入される、その時の抑えが欲しい、と」

「……ええ。私は、敵の本陣に乗り込むつもりよ。フェブリにはもう時間がないの。だから、私達だけじゃ手が回らないの」

 

 頷く俺の目の前で、美琴が申し訳なさそうに俯く。

 

 電話を受けた俺は、夢月さんと燐火さんを連れて風紀委員(ジャッジメント)の一七七支部にやってきていた。ほかのメンバーはお留守番だ。あんまり大所帯で押しかけてもあれだからな。

 支部の詰所には、美琴と黒子、それから花飾りの……初春と、えーと……佐天。それに……名前忘れたけど、メガネの風紀委員(ジャッジメント)の人がいた。

 えーっと、確かなんか……事件名忘れたけど、Sから始まるなんかの、確か、アニメの二期の最後にオリジナルでやっていたような……そんな流れの事件だ。たぶん。何年も前の話だから、ぼんやりとしか覚えてないけど……。

 …………あ、そういえば婚后さんいないなぁ! あれ、原作……っていうか漫画の方だと確か二学期編入だった気がするから、まだ知り合ってないのかな?

 とすると、俺たちは今回、彼女たちの代わり……ってことになるのか。

 

「……だから、あなた達にやってほしいのは駆動鎧(パワードスーツ)の無力化後に出てくるであろう敵主戦力の排除。大変な役回りだと思うけど……」

 

 ……ああ、なんかもう、横にいる夢月さんがぷるぷるしてるよ。

 もういい加減俺もこの子がどういう性格してるのか分かるからなんとなく察しがつくんだけど、この子、こういう展開大好きなんだよね。助けを求める誰かの手をガッ!! と掴む感じのアレが。ちなみに、求めない意地っ張りの手を無理やりガッ!! と掴むのも好きなのは俺が経験したとおり。

 それが、こんな風に言われたらもう……。

 

「水臭いですよ!! 御坂さん!!」

 

 ……となってしまうわけだ。

 案の定、ガッ!! と美琴の両手を掴んで、目の奥に思いっきり炎を燃やしている。アナタ、寝不足どうしたの? って感じだ。

 

「貴方にはたくさん借りがあります。……そりゃー、レイシアさんと比べれば私達は接点が薄いかもしれません。ですが!! 困っているとあればたとえどんな苦難であろうと――」

「…………はいはいっ。すみません皆さんっ。この人、ちょっと徹夜明けでテンションがおかしくってっ」

 

 頃合いを見計らって、ヒートアップした夢月さんを燐火さんが回収してくれる。ありがとう、いつも助かります。

 

「――――事情は、呑み込めました。……ふふ、わたくしも随分と甘くみられたものですわね?」

 

 人当たりのいい笑みを意識しつつ、俺はにっこりとその場のメンバーに笑いかける。

 

「ご安心なさい。確かにちょっと……連日の研究で寝不足の感は否めませんけれど……」

 

 あ、一同やつれた感じの俺にちょっと心配の視線を……。すみません、あ、大丈夫なんで、ええ。

 

「とはいえ。摂氏一億度のプラズマが飛び出してくるならいざ知らず、たかだか()()()()()()に後れをとるほど、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)は、レイシア=ブラックガードは脆くありません。御坂さんが、一番それをご存じでしょう」

「…………いつにもまして自信たっぷりですわね、ブラックガードさん」

「乙女には色々とありますのよ、白井さん。……それに」

 

 というのはまぁ、リップサービスのようなもんである。ちょっとかっこよさげなジョークをかまして、美琴を安心させようっていうわけだ。あの子意外と責任感ものっそい強いってことは、例の一件でよーくわかったしな。

 で、これから言うのが本当の理由。

 

「――――ウチの子達が、この一か月あまり一生懸命頑張ってきた成果が、台無しにされると聞いて黙っていられるほど……わたくし、冷血ではいられませんので」

 

 そりゃあ、色々と大変だったのだ。

 実験データの算出方法が間違ってるとか、機材トラブルのせいでデータがとれてなかったとか何回もあったし、俺は昏睡するし、俺は勝手にどっか行くし、パーティするし……迷惑もかけた。それでもみんな、俺についてきてくれて、それで完成した。

 もちろん、俺一人でやろうとしていたら、まずもって完成しなかったと思う。下手したら半分も……いや形にすらならなかった可能性だってある。

 いわば今回の発表は、彼女たちの献身の結晶でもあるわけだ。

 だから、今回の発表は、誰にも邪魔はさせない。STUDY? 学園都市の闇? そんなもん例の一件でお腹一杯だ。そろそろいい加減、そんなものには終止符を打たせてもらいたい。

 

 だから。

 

「委細お任せください。ひょっとすると、皆さんの役目もとってしまうかもしれませんけれどね?」

「…………吠えますわね、レイシア=ブラックガード……!!」

 

 茶目っ気を意識してウインクをしてみせると、何やら忌々し気な様子で黒子が呻いていた。はっはっは、安心したまえ、本当に出番とれるとはこれっぽっちも思ってないから。体調あんまよくないし、何より空間移動(テレポート)は強い。

 

「ま、冗談はさておき。よろしくお願いしますわね、皆さん」

 

 と、俺はにっこり笑って一七七支部の面々に言うのだ。明日はよろしく。そして願わくば、俺たちに少しでも仮眠の時間を。

 …………あ、読み原稿の練習…………。

 

***

 

「……白井さんの話に聞いていたイメージとは、ちょっと違いましたねぇ」

 

 その後。

 レイシア達が『派閥のメンバーに作戦を周知してくる』と言って退室した後、佐天はのんびりとしながらそう呟いていた。

 レイシア=ブラックガード。

 白井の話では、とにかく傲慢でイヤミっぽい性格……ただし多少冗談は通じるし、根は悪いヤツではない、という話だったのだが。

 

 話してみると、確かに第一印象こそ冷徹そうな印象がしたし、ところどころに自分の能力への自負は感じられたものの……。

 

「なんだか、優しいお姉さんみたいな感じの人でしたね」

 

 刺鹿と苑内のやりとりから、話を引き継ぐ際の自然さ。全体的な口調の穏やかさ。白井に噛みつかれてもにっこり笑顔で軽く受け流す余裕。正直な話、同じ中学生には見えなかった……というのが、佐天の率直な感想だった。

 あと、スタイルの関係でも。あのおっぱいは反則でしょーとは、レイシア達が退室した後の佐天の第一声であった。

 

「ちょっと、眠そうでしたけどね」

 

 それに付け加えるように言うのは、初春だ。

 

「しょうがないわよ。あの子達、学究会に参加するんだもの。しかもあのレイシアって子、ほんの一週間前まで昏睡状態にいたんだから。……正直、もう発表は絶望的とまで噂されていたのに、論文を仕上げるだけじゃなく私達の協力までしてくれるんだから。……本当、凄い子達よ」

 

 固法が付け加えるのは、端的な事実。

 実際には昏睡状態が解ける時期は計算されていたのだが、何も知らない外野から見れば奇跡の目覚めと復活劇、ということになる。

 

「ほんっと、凄い人ですよねぇ。大能力者(レベル4)で、派閥のリーダーで……それでいて、あんな風に私でも親しみやすそうな雰囲気の人なんて」

「あら、佐天さん。あれでもあの人は、ちょっと前までかな~~~~~り偏屈な方だったんですのよ?」

「ええーっ!? うそだぁ!」

 

 悪戯っぽく言う白井に、佐天は目を丸くして答える。

 白井は苦笑しながら、

 

「それでも、自身の行いを悔いて、反省し、全てを改め、今までしてきたことを詫びて、ああやって部下に慕われる立派な人間に成長したんですのよ」

「…………ついでに、色々とあの人達の厄介ごとも解決した、って私も聞いてるわね」

 

 しかも私の厄介ごとにまで首突っ込んできてくれたし、とまでは流石に言わない美琴だったが。

 

「へぇー…………。……私だったら、そんなに自分のしてきたことを改めたり……変えようと頑張ったり……そんなこと、できませんね。すごいなぁ」

 

 そんなレイシアのことを見てきたわけでもない佐天としては、どうしてもぼんやりとした評価になってしまう。ただ、佐天の視点にも賛同できるところがあるのか、美琴や白井も同意するように頷いていた。

 確かに、いくら自分が間違っていると悔いていたとはいえ、自殺未遂から起きておそらく一日と経たないうちから今までの自分を変えていこうと考えていけるのは、得難い克己精神と言えるかもしれない。

 

「…………でも、それ以上に、心配かも」

「……? どうして?」

 

 そして、その克己精神に感服し、尊敬の念を抱いてすらいただけに……美琴には気づけなかったことを、佐天は思い至る。

 その懸念はある意味で的外れだったが――――ある面では、本質をこの上なく突いたものだった。

 

「だって、自分の前の性格を後悔して、反省して、謝って、改めて、ああやって皆を引っ張っていって……って、確かに凄いですけど、そんなのいっぺんにやってたら、疲れちゃいません? 私はまぁ、フツーの人なんで、そういうのって一気にやるのはキツイっていうか……」

 

 たはは、と佐天は恥ずかしげに苦笑して、

 

「なんていうか。何かの拍子に燃え尽きちゃわないか、心配だなぁって」



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おまけ:レイシアの研究発表奮闘記

「…………や、やってしまいましたわ…………」

 

 一方通行(アクセラレータ)との激闘を制し、寝て、起きて、パーティして……八月二三日。そこに至って、レイシアは愕然としていた。

 何がまずいのか?

 それは、明瞭だ。

 

「ししししししし、締切が…………明日ですわ…………!!」

 

 ……きっと誰しも、この恐怖だけは共有できるはず。

 

 

***

 

第三章 勝ち逃げなんて許さない (N)ever_Give_Up.

 

おまけ:レイシアの研究発表奮闘記

 

***

 

 そして当然の帰結として、その日、GMDWに激震が走った。

 

「な、なんで作業を完全に放り出しているんですのっ!?」

「だってぇ……レイシアさんがいきなり倒れやがったから、心配でぇ……」

「ぐ、ぬぅ……!」

 

 一日目。

 GMDWが利用している研究室の一つ。

 全員を招集したレイシアは、テンパるあまり思わず言っても意味のない叱責をして、しょんぼりした一同を見て何も言えなくなっていた。

 実際、レイシアが倒れたからって作業はできるでしょというのが仕事人としては適切なツッコミであるのは疑う余地もない事実。しかしながら、彼女たちは仕事人ではないのである。

 ちょっと特殊な能力を持っているだけで、本質は思春期の少女。そんな少女たちが、大切な友達が突然誰かに襲われて、そのあと何事もなく作業を進められなかったからといって、いったい誰が責められるだろう?

 ……強いて言うなら、責めるべきはそんな原因を作ってしまった不用心な間抜けだろう、とレイシアは自責する。ついでに言うなら、流されてパーティとかしてたのだから作業の遅延というなら全員同罪の感もある。

 

「………………すみません。焦って八つ当たりをしました。というか、わたくしが言えた義理ではないですしね……」

「まぁまぁっ、どちらにしても、今言ってもしょうがないことですしっ。……切り替えましょうっ。ねっ」

 

 頭を下げたところで、苑内がひとまずの総括をしてくれた。こういうときに、彼女の存在は本当にありがたい、とレイシアは思う。

 気を取り直して、レイシアは先のことを話していく。

 

「……ともかく、現状の進捗ではまず締切には間に合いません。わたくしは発表会運営の方に連絡して、締切を少しでも延ばしていただけるよう掛け合ってみます。その間にアナタがたは……この部屋の整理を」

 

 と、微妙な顔で言うレイシア達がいるこの研究室は――戦場跡かと言うくらいにとっ散らかっていた。

 というのも、無理はない話だ。ここは、先日の絶対能力進化(レベル6シフト)計画の際、GMDWが作業をしていた部屋でもある。演算機械を置くために机の上の資料を乱暴に押しのけたので床に紙束が散らばっていたり、乱雑に資料を置きなおしたのでどこに何があるか分からなくなっている。

 これが、一〇人が余裕をもって歩き回れる程度のサイズがある部屋の全域で起こっているのだ。

 …………それはもう、大変な掃除になることだろう。

 

「……では、武運を祈ります」

 

 そんな大変な作業を彼女たちに託して、レイシアはお偉いさんに頭を下げる電話を入れるために、部屋を出ていく。

 ……彼女たちも大変かもしれないが、レイシアもレイシアで、かなりきつい作業の矢面である。久方ぶりに胃がきりきりしだすのを、レイシアは感じていた。

 

***

 

「……はい、はい。ええ、そうです。すみません……わたくしが原因ですわ」

 

「……いえ、その、昏倒しておりまして……あ、はい? そうでしたか。はい、そういうわけで……」

 

「はい……え? ああ、はい。もうこの通り……ですが、メンバーの方が動揺してしまっていて、今まで作業が滞り……」

 

「大変申し訳ありませ、……え? あ、はい……ありがとうございます。はい、はい……」

 

「……………………………………有難うございます! はい、よろしくお願いいたします。はい、はい……はい。では、失礼いたします。……………………」

 

 

「………………意外と怒られなかったですわね?」

 

***

 

「レイシアさん、どーでしたか?」

 

 実に二〇分ほどに及ぶ電話面談を終えたレイシアは、納得がいかなそうな顔をしながら、絶賛掃除中の研究室に帰還していた。

 

「ええまぁ……締め切りの延長は、快諾していただけましたわ」

 

 刺鹿に問いかけられたレイシアは、歯切れが悪いながらも応える。

 朗報のはずなのにいまいち煮え切らないレイシアに、苑内は首をかしげながら、

 

「どうかなさったのですかっ? いまいち浮かない顔をしていらっしゃいますがっ」

「それが、どうも向こうの様子がおかしくて……」

 

 怪訝そうな表情を浮かべながらも手は動かしているレイシアは、そんなことを言った。

 てっきりレイシアは締切をブッチするのだからお小言を言われたり、怒鳴り散らされるだろうと覚悟をして通話に臨んだのだが、意外にも電話口の相手(老年の教師のようだった)は怒るどころか、レイシアが遅れた理由を話すや否や、すべてを悟ったかのようにこちらのことを気遣ってくれたのだった。

 

「『体調は大丈夫なのか』とか『自分を責めないでくれ』とか……いったい、どうしたのでしょう……?」

「そりゃー、レイシアさんが誰かに襲われたことをどっかで聞きやがってたんじゃないですか?」

「あの一件は緘口令が敷かれているはずなのですが……」

 

 なお、レイシアは知らないことだが、彼女が自殺未遂をしたというのはそういった――生徒の不登校や自殺などの――事情に詳しい教育者の間ではけっこう有名な話である。当然だろう、開発の名門常盤台での自殺未遂事件である。生徒たちへの影響を配慮してあまり表沙汰にはなっていないが、常盤台の上層部の顔ぶれが三分の一ほど変化したほどのスキャンダルなのである。

 そんな彼女が、立ち直ってこうして頑張っている――心ある教育者であれば、『私達大人の不手際の歪みを一身に背負わせてしまって申し訳ない』などといった罪悪感によってついつい贔屓してしまうのも仕方がないというものであった。

 

「まぁ、考えても仕方のないことですわね。さぁ、作業に集中すると……あら? ここに置いてあった長机はどこですの?」

「あ……それなら、この間の一件の時に演算用のパソコンを持ち込んだら邪魔だったので、別の場所に移したはずですね」

「…………それで、どちらに?」

「えーっと……燐火さん、どの部屋に置きやがりましたっけ、あれ」

「えっ? あーそれなら確か阿宮(あみや)さんと恒見(つねみ)さんに頼んでっ、下の階のA教室にっ……」

「ええーっ!? あの大きさを!?」

「ええっ、ですので二人がかりでっ……」

「ちょちょちょ、ちょっと待ってくださいっ! ももも、もう長机が入るスペース、ないんですけど……」

「はぁ!? 桐生さんそりゃどーゆーことですか!? もともと入ってたんだから入らなかったらおかしいじゃないですか!」

「夢月さんっ、多分置き方を変えてしまったからじゃないかとっ……」

「…………ってことはつまりもう一回整理しなおしってことじゃないですかー! やだー!!」

 

 その様子を見て、レイシアはぽつりとつぶやく。

 

「……………………これ、今日はもう作業とか無理そうな感じですわね……」

 

 なお、知っての通り実際にそうなった。

 

***

 

 三日目。

 研究合間の休憩時間、何の気なしにレイシアに話しかけようとした刺鹿は、ふと珍しいものを見た。

 部屋の隅のほうで、レイシアが何やら英語で文章をしたためているのだ。

 

「……レイシアさん? 何してやがるんです?」

 

 まぁ、部屋の隅にいる以上他人にはあまり見せたくないものだろう。無粋と知りつつ、見てしまった以上興味には抗えなかったので、少し遠い距離から話しかけてみることにした。

 

「ひぇっ!?」

 

 ……案の定、レイシアはびくりと体を震わせ、それから反射的に手で文面を覆い隠した。これは、遠目の距離から話しかけて正解だったな――と刺鹿は思う。プライバシーの侵害は趣味ではないのだ。

 一応、隠れて何やら日記だかメモだかをノートにしたためているのは知っているが……この修羅場でも欠かさずやっているあたり、とても重要なことであるのは想像に難くない。あえて指摘するようなことでもなかった。

 

「……な、なにって、少し、イギリスにいる友人に連絡事項がありまして。そこそこに緊急なので、今のうちにしたためておいただけですわ」

「なるほど、こいつは失敬しました」

 

 そんなことをするくらいならせっかくの休憩時間なのだしきちんと休め、もっと言うなら少しくらい寝ろ、と言いたいが、まぁ言っても無駄なことは想像に難くない。

 これで作業スピードは派閥随一というあたり、作業効率を理由に休ませることもできないからたちが悪い。というかなんで彼女はここまでデスクワーク適性があるのだろう、と刺鹿は内心で首を傾げる。自分たちですら、慣れない作業に四苦八苦しているというのに。

 

「ただ、少しは肩の力を抜きやがったほうがいいですよ。休憩時間なのに眉間にシワ寄せて手紙を書くのはいかがなもんかなと」

「……そんな顔、してました?」

「ええ。普段に輪をかけて」

「でしたか……」

 

 そういうと、レイシアは無言で眉間のあたりを揉む。その姿は、あまりにも大人びて――というか、くたびれて見えた。

 

「なんだかよくわかりませんが、お疲れ様です」

「よくわかられてませんが、ありがとうございます」

 

 互いに言い合うと、なんだかおかしな気がして、どちらともなくくすりと笑いがこみあげる。

 なんだかんだ、少しは心の休憩に寄与できたのでは? と後から思って誇らしくなる刺鹿であった。

 

***

 

 五日目。

 研究もあらかた仕上がり、そろそろ完成に向けてラストスパート――同時に疲労も高まっていたこの日に、またしてもGMDWに激震が走った。

 レイシアはこの件についてのちに『いやいやいやいや、やっぱりヒューマンエラーって余裕がないときに起こるんだよね』と述懐しているが――まさしくその通りであった。

 何が起こったのかというと。

 

「…………はぁ!? 間違って前のデータで上書きしやがったぁ!? サーバにバックアップは……ない!? なんでですか!? データはどんな細かいもんでも共有するって約束でしょー!?」

「わ、私があげ忘れてしまって……も、申し訳ありませんでございますっ!!」

 

 ……とのことだった。

 一年生のメンバー――阿宮という少女が、誤って実験データを共有サーバにアップし忘れていたとのことで、その分作業が二〇パーセントほど巻き戻ってしまったんだとか。

 刺鹿が吠えるのも宜なるかな。すでに締切をオーバーしている状態で進捗巻き戻しなど、悪夢以外の何物でもなかった。やってしまった阿宮もそのことは重々承知しているらしく、顔を蒼くして涙目になっていた。

 

「…………やってしまったもんは仕方がありません! みなさん、作業の手を早めやがってください!!」

 

 刺鹿はそれ以上何も言わずに作業に戻るが……阿宮は、罪悪感からうつむいてその場から動けずにいた。

 

「…………」

 

 その様をレポートの作業を進めつつ眺めていたのは、レイシアである。レイシアは刺鹿がその場から離れたタイミングを見計らって、阿宮の背後に寄って肩をぽんとたたいてやる。

 

「れ、レイシアしゃん……」

「……はぁ、そんな顔をするんじゃありませんわ。泣いてもしょうがないでしょうに」

 

 ハンカチで涙をぬぐうと、レイシアは相手を安心させるようつとめて笑みを浮かべる。それを見て、阿宮は少しだけほっと安心したようだった。

 

「わたくしも作業を手伝って差し上げます。間違いは誰にでもありますわ。刺鹿さんは……ああいう方ですけど、アナタに対して含むところはないはずですわ。あの方は、良くも悪くもサバサバしていらっしゃいますから」

「はい、はい……でも、申し訳なくてぇ……」

「だと思うなら、頑張ってみせなさいな。そうすれば、むしろ褒めてもらえますわ」

「……はいっ、ありがとうございます!」

 

 安心させるように頭を撫でてやると、阿宮はようやく笑顔を取り戻した。

 それを見て、持ち直したか……と内心で安堵するレイシアだが、まぁまだ少しの間は気負いすぎとかでパフォーマンスも不安定だろう。結局、そのあとも自分の作業をしつつ合間を見て阿宮の手伝いをしたりなどしていて、自分の作業はそこそこしか進まないのだった。

 

***

 

 そんなこんなで、最終日。

 

「…………ここの資料、どこにしまいやがりました……?」

「それならっ……そっちにっ……」

 

 今日中に提出しなくてはいけないということで、朝に集まってからほぼほぼぶっ通しで作業し続けてきたGMDWの面々は、既に死屍累々の様相を呈していた。

 泊まりが決定した時は研究所のシャワールームを利用したりして、どこかお泊り気分だった彼女たちも、今では立派な兵士の顔をしている。

 レイシアですら、お嬢様らしさをかなぐり捨てて髪をくくってポニーテールにし、おでこには冷えピタ、横には栄養ドリンクを転がしまくっている始末。なお、彼女だけは今日一睡もしていない。

 なんか作業しながら『この感じ、懐かしいなぁ』とか内心で思っているのは気にしてはいけない。

 

 ……だが、そんな元社会人の風格を漂わせているレイシアも、肉体は根本的に一四歳の少女のものである。

 それが、悲劇の引き金となった。

 

「レイシアさーん……頼んでやがったデータは、サーバにアップしときましたから確認しとい……レイシアさん? …………レイシアさん??」

 

 返事がない。

 それだけならまだ集中しているのだろうと片づけられたのだが、それどころかタイプ音すら聞こえない始末。

 刺鹿が嫌な予感を感じながら回り込んでその表情を見てみると、

 

「…………す、座ったまま…………寝やがってる……」

「れっ、レイシアさんっ! レイシアさんっ! だめですよ! 今寝たら作業が間に合わなく……っ! ……、……!! な、なんて安らかな……!」

 

「すぅ、すぅ」

 

 ……それは、普段なんだかんだ言って真顔であることが多いレイシアには珍しい、穏やかな表情であった。それはもう、起こすのが憚られるくらいには。

 

「……………………寝かせましょー」

 

 それを見て、GMDWの面々は静かに決断する。

 この少女の寝顔を叩いて、無理やり作業させることなんか、できはしない。

 確かに作業はつらい。もはや一刻の猶予だってありはしない。だが、それでも。――この数日、ろくに寝ていないこの少女を起こしていい理由になんか、ならない!!

 ……いや、普通に考えて起こすべきなのだが、揃いも揃って睡眠不足でテンションが妙なことになっている彼女たちはなんかノリノリでそんな決断をしていた。

 

「代わりに、私たちが」

「レイシアさんの――代筆をっ!!」

 

 …………結局、この後三〇分後にレイシアは目覚めて戦線復帰するのだが、そんなこともあったので『終盤のほうは書いた記憶がないなぁ』と後になって首をひねることになったのであった。



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二四話:眠いんですのよ

 そういうわけで行動開始だ。

 

 俺をはじめとした派閥メンバーは、第一会場から第四会場まで分散して待機していた。まぁ、みんなのヘルプというヤツである。俺たち、個人個人でも高位能力者だからそこそこ強いし。

 で、俺は苑内さん&刺鹿さんペアとともに学園都市研究発表会第一会場にて待機していた。第一会場には俺たちのほかに多数の風紀委員(ジャッジメント)がおり、その先頭で黒子が陣頭指揮をとっている。

 ぶっちゃけ黒子の能力なら敵の新手が出てきたとしても内部に空間移動(テレポート)でなんかを送り込んでしまえば余裕で打破できちゃうし、戦力均等化の意味でも二人はともかく俺とセットにする意味ないじゃんと思わなくもないのだが、そこはそれ。

 『レイシア=ブラックガード』という強力な戦力を即座に飛ばせる能力者は、今回参加している風紀委員(ジャッジメント)では黒子しかいないので現時点での戦力勾配図が偏ってしまうのは仕方がない。

 

「…………それはそれとして、眠いのですが……」

「レイシアさん、寝やがってねーんですか?」

「原稿が……原稿が……」

 

 俺は凡人なので、練習しないとかありえないのである。……いやいやいや、それ以上に危険な問題が差し迫ってるんだからそこは寝とけよ、というツッコミがどこからともなく聞こえてくるが……俺からしたら、『この後』も同じくらい大切なイベントなわけで……。

 …………まぁ、二徹くらいなら大丈夫。レイシアちゃん、まだ若いし。だって一四歳だもん。

 

「……そのっ、レイシアさんは、今日は休んでいてもよいのではっ? 生半可な兵器くらいでしたら、我々の中の大能力者(レベル4)組ですでに十分のような気も……っ」

「ご安心を。ただ眠いだけで、まだ意識が朦朧としているわけではありませんから」

 

 それに、この感じならまぁあと二、三時間はイケるかなって感じなのである。ギリギリ、学究会の発表の間は持たせられる。珈琲も飲んだし。……その結果乱れた生活リズム的に新学期一発目の授業がキツイかもなって予感はするが。まぁヤバそうだったら体調不良で行こう。

 

「(燐火さん、万一の時のために、代打の準備をしやがってください)」

「(承知しましたわっ)」

 

「…………ですから、大丈夫だと言っていますのに……」

 

 信用ないなぁと思ったけど……ううむ、これまでの行いのせいだろうか。今更しょうがないかぁ……。

 

***

 

第三章 勝ち逃げなんて許さない (N)ever_Give_Up.

 

二四話:眠いんですのよ Break_Time.

 

***

 

「…………しかし、手持無沙汰ですわね」

 

 戦闘が始まってから、しばらく。

 まぁ、隠し玉でもある俺が最初から出張るわけにもいかないもんで。現在俺は、風紀委員(ジャッジメント)の子達が作った陣地的な場所に引っこんで待機中なのであった。まぁそれでも一応、この間使った通話機能付バイザーを今日も装備しているので、みんなの状況は把握できているのだが。

 いやぁ、指揮官レベルの方々の分を用意するくらいだったら、余裕も余裕。派閥の力って便利だよね。

 

 …………いやいや。しかし、そういう役回りとはいえ、ほかの子達が頑張っているときに自分一人待機というのは、なんとも居心地が悪い。許されるなら、戦術的な意味合いとか無視して前線に出たいくらいだ。まぁ、許されないからやらないけど……。

 敵の『隠し玉』――まぁ、ないに越したことはないし、俺としてはないことを願ってるんだけど、それでもあるなら早く出てきてほしい、と思ってしまうくらいには。

 ……うぅん。我ながら、本末転倒なことを考えてるなぁ。ひょっとして俺ってワーカホリックのケでもあるんだろうか? いや、自分で言うのもなんだけど俺ってけっこうのんきな性格してるから、それはないか。

 

「――――ッ! レイシアさん!」

「わひゃっ!? し、白井さんっ!?」

 

 と、そんなことをぼんやりと考えていると、ふと眼前に黒子が現れた。

 唐突な登場に、俺は思わず目を丸くしながらよたよたと数歩ほど後ずさりした。……ぎりぎりで、尻餅からのパンモロは回避できた。セーフ。

 

「……っと、白井さんがやってきたということは」

「ええ! 来ましたわ! 第四会場のようです! 今から、飛びますわよ!」

「慌ただしいですわね……了解です!」

 

 そう言って、俺は黒子の手を握る。黒子の空間移動(テレポート)だと、一緒に移動するには接触が必須だからな。

 なんて思っていた俺は、次の瞬間、お姫様抱っこをされて一瞬思考が吹っ飛んだ。

 

「へっ?」

 

 同時に、景色も吹っ飛んだ。

 

「しっ、白井さん!?」

「何を慌てていらっしゃるんですか! 女同士で気にすることもないでしょう!」

「そっそれはそうですが……」

 

 ピュンピュンと連続で空間移動(テレポート)しながら言う黒子に、俺も思わず言いよどむ。……まぁそうなんだけどさ、一応俺は男なわけでね? 最近もう女の子の身体にだいぶ慣れてきてるけど、一応は男なわけでね? 女の子にお姫様抱っこされるっていうのはなかなかに……まぁいいか。

 目の前に敵も見えてきたことだし、あれこれ言ってもしょうがない。

 

「では、レイシアさん!」

「――ええ、任せてください。……あの程度に後れを取るなど、どう転んでもあり得ませんわ」

 

 前方に見えるのは、二機の巨大なロボット。

 黒を基調にしたカラーリングで、四脚の蜘蛛……あるいはアメンボか何かのようなデザインをしている。足回りは……普通にタイヤか。足自体を自在に動かせるから、方向転換は大丈夫って感じなんだろうが……フッ。自慢じゃないがウチの研究チームの『Hs-O』シリーズの方が使ってるテクノロジーは上な気がするぜ。

 

 と、内心自慢げになりつつ。

 

「……その前に、少し警告をしましょうか」

 

 黒子の腕から降りて、二本の足で立った俺は、こちらに気付いたらしい二機に向かってひそかに持ってきておいた拡声器を使って言う。

 

「警告しますわ! 二機とも、今すぐに戦闘をやめて投降なさい! 今ならまだ無事は保証します!」

『貴様は……レイシア=ブラックガードか。病み上がりの能力者風情が、強者ぶっていられるのも今のうちだぞ!!』

 

 聞く耳ゼロである。

 いやまぁ、レイシアちゃんのキャラを守りながらだから、降伏勧告としては高圧的なんだけど……正直、トンデモ兵器とか使わない限り白黒鋸刃(ジャギドエッジ)に勝てる要素皆無だと思うんだけどなぁ。能力者憎しが行き過ぎて過小評価してない? 能力者憎い→対抗したい→勝てる材料を集める→『些細な材料』が大量に積み重なりすぎて実像よりも過小評価する→逆に慢心しちゃう、みたいな。

 とはいえ、相手も一応無策ではないらしい。白黒鋸刃(ジャギドエッジ)対策だろう、ジグザグに動き回りながら、備え付けられているガトリング砲の照準を俺の方へと合わせてくる。

 

「まったく……悠長にもほどがありますわよ、レイシアさん!」

「……操縦席部分は無傷で鹵獲したいのですが」

 

 ぼやきつつ、俺は前方に『亀裂』を展開する。

 …………発現されるのは、いつも通りのそれ。透明な、俺にしか視認することのできない亀裂だ。性能や取り回しやすさが若干向上してはいるものの、あの一件で見せた形とは違うが……まぁ、あの時は火事場の馬鹿力のような状態だったし、できる方がおかしかったということなんだろう。

 とはいえ。

 ただのガトリング砲くらいであれば、この程度でもなんら問題はない。

 

 ドガガガガガガガ!!!! と銃撃音が連続した。

 しかし、ガトリング砲の直撃を受けても『亀裂の盾』はびくともしない。…………これまでなら、まぁ突き抜けないにしてもビリビリっていう衝撃くらいは貫通しかねなかったけど……ん~、やっぱり微妙に能力が成長してるのか? 素直に喜べないんだけど……。

 

『…………ば、バカな…………』

 

 目の前の機体から、信じられないとでも言うような声が聞こえてくる。たぶん、こっちへのレスポンスを返す通話機能をOFFにし忘れているのだろう。それくらい、衝撃的な出来事ということだ。

 

「気は済みましたか? 分かったなら投降なさい!」

 

 …………まぁ、今更投降するとは思えないんだけども。……と思いつつ、俺は相手の次の手を予想しつつ『亀裂の盾』を展開しておく。

 

『…………ッッ!! 能力者が、見下しやがってッ!!』

 

 ギギギ、と二機の機体のガトリング砲の向きが俺から、大きく変更される。……そう、まだ他の人たちが残っている第四会場の施設の方に、だ。

 傍らにいた黒子の目の色が、明確に変化する。

 

「貴方がた…………!!」

『調子に乗っているからこうなるんだよっ!! 能力者、お前たちは指を咥えてお仲間が蹂躙されているのを見ているがいい!!』

 

 吐き捨てるようにそう言って。

 『STUDY』の二機の砲が、一気に火を噴いた。

 

 物理的に。

 

『…………な、あ……? な、んだこれは!!』

『クソ、ガトリング砲の発射部分が大破している! どういうことだ!? 白黒鋸刃(ジャギドエッジ)で攻撃された形跡なんかこちらは感知していないぞ!?』

 

「……まだ分からないんですの?」

 

 よし、これで武器はつぶしたな。

 被害状況の把握に努めるので精一杯らしい二機に拡声器で種明かしをしてやりながら、俺は二機のうち一機の胴体部分をバラバラに刻む。もちろん『亀裂』は表層にとどめてあるから、操縦席にいるであろう下手人が怪我をする心配はないけどな。

 

「アナタがたの()()思惑程度がわたくしに読めないと、本気で思っていたのですか」

 

 ………………まぁ、この手の人たちが追いつめられたら何をするかなんて、考えればすぐ分かるわけで。

 それが分かるなら、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)で何をすればいいかもおのずと導き出せる、というわけだ。

 簡単に言うと、ガトリング砲の砲口近くに『亀裂』を展開してやった。するとガトリング砲は『亀裂の盾』に阻まれて弾丸を放てず、砲身内部に運動エネルギーがたまってお釈迦になる、という寸法である。

 操縦席部分はなるべく無傷で鹵獲しておきたかったからな。戦闘不能にならないと投降はしないだろうし、そのためにはガトリング砲を潰すのが必須だったので、どうしようかなぁと思っていたのだが……挑発して攻撃を誘えばいけるだろうということで、あえて挑発的な言動をとって、それによって『外野への攻撃』を誘発させれば、『亀裂』の先読みでガトリング砲を壊せるなと思ったのである。

 

「怠慢。怠慢ですわ! 自身の持つ武力の強大さに酔い、慢心し、その挙句がこのざまです! アナタ方の忌み嫌う『愚かな能力者』と、この有様のどこが違いますか!? 理解しなさい! アナタがたは能力開発によって負けるのではありません。この! レイシア=ブラックガードの! 知略に!! 発想に!! 無様に屈するのですわ!!」

 

 結果は大成功。

 …………趣味の悪いやり方だと思うけど、まぁ、ウチの連中の努力を手前勝手な都合で踏みにじろうとする連中だ。少しくらいはこう、完全敗北というのを味わわせてやってもいいと思う。

 ……俺だって、ちょっとは怒ってるんだよ。せっかくみんながあんなに頑張った研究の発表会に、こんな形で水差されたんだもの。少しは自分を省みろってことだよ。

 

「――――それで。まだ続けるようでしたら、アナタの方もバラバラにして差し上げますが?」

 

 拡声器で以て無事な方の機体に呼びかけると、徹底的に敗北したからか、特に抵抗もなく機体は沈黙した。

 

「…………ふぅ」

 

 俺はこれ見よがしにため息をついて、

 

「この程度の()()なら、ウチの能力開発チームの方がよほどいいものを作りますわね」

 

 と、はっきりと吐き捨てた。拡声器を通して。

 

***

 

「…………レイシアさん! 大変です!!」

 

 で、完全敗北させた二機の操縦室から下手人を引っ張り出した後。

 持ち場に戻って、お仕事終わったーと思ってうとうとしていた俺のもとに、黒子が再び現れた。

 

「……はっ!? もっ、もう開会の時間ですか?」

「時間? それどころじゃありませんわよ! 『STUDY』のリーダー、有冨がまたやらかしてくれましたわ! あと一時間半後には学園都市にミサイルの雨が降ってきますの!」

 

 そ、そういえば……そんなのあったな……! なんだっけ? 確か、AIM拡散力場がどうのって話だったような…………。

 

「……事態は呑み込めました。それで、どうしますの!?」

 

 ……あれ。なんか嫌な予感がする。

 そういえばこの後、美琴と黒子は婚后さんが用意したロボットに乗って、婚后さんの能力で宇宙まで送ってもらうんじゃなかったっけ。

 

 ……んで、婚后さん、いねぇじゃん!!

 どうすんだよ、一応風なら俺でも起こせるけど……起こせるけど、役割が違う! 俺の起こす風は一発限りの突風で、威力だけなら俺の方が上かもしれないけど、持続力じゃ流石に勝ち目がない。でっかい鉄の塊を浮かせるほどの力はない。その上、そもそも鉄の塊がない!

 ……いや、一応胴体部分を無傷で鹵獲している機体があるから、それを使えばそこは何とかなるけども。

 

「それを今から考えますの! レイシアさんも来てください!」

 

 ………………なんだか、俺って毎回追いつめられているような気がする。



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二五話:革命未明

「今戻りましたわ!」

 

 第四会場に移動すると、既に初春、佐天といった今回の中核をなすメンバーにGMDWの面々が合流していた。美琴はまだ敵のアジトにいるので、俺が事前に支給したバイザーを介したテレビ電話越しだが。

 

「状況は!?」

「おそらくレイシアさんが知ってやがる通りです! 有冨とかゆーヤツがやけを起こして学園都市にミサイルをブチ込んできやがりました。詳しい原理は分かりませんが、学園都市に壊滅的な被害をもたらしやがるそうです」

「その上、上空で五〇〇〇発に弾頭が分裂するので迎撃は困難とか……」

「よろしい。分散前に、御坂さんの超電磁砲(レールガン)で撃墜は?」

 

 即座に情報を共有・確認してくれる夢月さんと燐火さんに満足げに頷きつつ、俺は当然といえば当然な情報を確認する。まぁ、俺が考え付く程度の提案は既にみんなも考えているだろう。

 

『無理よ。超電磁砲(レールガン)の射程は五〇メートル。とてもじゃないけど届かないわ』

 

 当然の提案に、当然といえば当然な回答が美琴から帰ってくる。

 まぁ、そりゃそうだ。美琴のレールガンの弾体はゲーセンのコインを使ってるからな。空気抵抗の関係で、五〇メートルも飛んだら溶けて攻撃力が大幅に軽減される……というのは、俺も知っている情報だ。

 

「……では、わたくしが鹵獲した機体を使えば?」

『それも考えたけど無理。地表から打ち上げると、空気抵抗が高すぎるの。ミサイル迎撃までに、空気の壁と激突した衝撃でバラバラに飛び散っちゃうわ』

「フム……」

 

 やっぱりダメか。

 

 そう考えると……上空まで移動して巨大な弾体でレールガンをぶち込む、というやり方は、俺たちの手札じゃ再現できない。……いや、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の『亀裂』を道にして駆け上がればなんとかって感じだろうが……徒歩で移動しなくちゃいけない分、時間的余裕はないし、何より生身で上空まで移動するのは骨が折れる。

 どうしたものか……。

 

「あの……レイシアさんの、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)ってやつならどうでしょ?」

 

 と提案したのは、長い黒髪の少女――佐天だ。

 なるほど、確かに白黒鋸刃(ジャギドエッジ)を使って上空に『亀裂の盾』の道を作ってしまえば、とりあえずミサイルの直撃は防げるが…………。

 

「それも厳しいですわね。今から移動を開始すれば十分間に合う領域ではあると思いますが、高空では酸素の確保が難しい。……まず間違いなく、途中でブラックアウトすると思いますわ。何かしらの対策があれば別です、が……」

 

 そこまで言ったところで、ふと俺は気づいた。

 そういえば、『STUDY』が使ってた兵器、無傷で鹵獲してるじゃん! アレがあれば高空まで一発……いや無理か。流石にマニュアルもなしに操縦なんてできないし。

 

『――それなら、さっきアンタが鹵獲してた機体が使えるでしょ。操縦なら、電子制御は私が操れちゃうし』

 

 ……と勝手に納得していたら、美琴が助け船を出してくれた。

 あれ…………これ、いけるんじゃないか!? 俺が白黒鋸刃(ジャギドエッジ)で道を作り、そのまま高空まで駆け上がり、『亀裂の盾』を展開。

 まぁ、展開できる『亀裂』の長さの問題とかもあることにはあるけど、そのへんは黒子に協力してもらって逐次俺を機体の外に出して『亀裂』を展開、その後また機体の中に戻るという工程を繰り返せば、まぁ大丈夫だろう。かなり地味な作業だけど、安全だ。

 問題は…………。

 

「……そのやり方だと、私、御坂さん、白井さんの三人が搭乗する必要がありますが…………内部のスペースは確保できますか?」

 

 俺が呈した疑問に、その場の全員が沈黙してしまった。

 

***

 

第三章 勝ち逃げなんて許さない (N)ever_Give_Up.

 

二五話:革命未明 "Scilent_Party".

 

***

 

 会議は難航していた。

 確かに美琴は電子制御の機械は全て支配できる現代戦最強の超能力者(レベル5)なわけだが、それでも工学系には明るくない。操縦席の周辺を弄繰り回せと言われても到底無理な話だ。

 

「レイシアさんの派閥の人たちなら――」

「残念ながら、そいつは難しいでしょーね。私らは確かに精密機械を扱ってはいますが、本職は研究者なんで。メカニックに詳しいのは……桐生さんくらいでしょーかね?」

「むむむ、無理ですよ! わわわ、私はただちょっと機械いじりが好きなだけですし!!」

 

 夢月さんが桐生さんに水を向けてみるも、これもダメ。まぁこれは俺も分かりきっていたことだ。…………ううむ。メカニック系は、専門色が強いせいでこの場に扱えそうな人っていないんだよなぁ…………。

 いっそ、操縦に必要な電子機器類のみ残してあとは全部撤去する、というのも一つの作戦ではあるが…………それだと時間が間に合うかどうか心配だ。

 

「…………おい」

 

 と、そこでそのへんの隅で拘束していた『STUDY』の一人…………確か、小佐古とか言った少年が声を発した。

 …………コイツが協力してくれれば助かるけど、まぁそれは難しいかなぁ。ただでさえあれだけ煽ったわけだし……。

 

「俺に、手伝わせてくれ」

 

 …………さてどうし……んん?

 こいつ今……手伝わせてくれって言ったのか?

 

『……どういう風の吹き回し?』

 

 油断なく問いかけたのは、美琴だ。こういうとき美琴は考え込まずにさくっと行動に移せるあたりがすごいと思う。

 対する小佐古は、目を伏せながら答える。

 

「別に……言われっぱなしは、性に合わないだけだ。そこの性悪女の言う『玩具』遊びだって、バカにできないと……証明するのも、一つの革命だろう」

 

 憮然として、小佐古は言う。

 …………あれ? さっき吐き捨てたアレがトリガーになってたってことか……? 戦闘中の発言だし、相手も聞き流しているものだとばかり思っていたけど……。

 

「おい、小佐古……!」

「……関村。もう駄目だよ。君だって分かっているだろう。革命は……俺たちの革命未明(サイレントパーティ)は失敗した。それどころか、今の俺たちは……憎んでいたはずの能力者たちに命を預けている身だ」

 

 小佐古がそう言うと、関村と呼ばれた少年は何も言えずに押し黙る。小佐古は俺の方を見て、何か憑き物が落ちたみたいな表情で言った。

 

「……能力開発によって敗北するのではない、か。クソ……忌々しいが、こちらの手を読まれていたのは事実だ。……才能だけでのし上がってきた能力者にいいようにされたまま、黙っていられるわけがない、ね」

 

 そう憎まれ口をたたく小佐古だが――その表情に、悪意は見られなかった。カッコ悪いままで終わらせられるかよ、という雰囲気を感じる。

 

「――いいでしょう」

「……ちょっと、レイシアさん?」

 

 黒子は少し不安なようだが、この状況は一蓮托生だ。『STUDY』の中にだって、有冨の意地と心中したいってヤツはいないだろう。そういう意味でも、この状況での彼らの助力の申し出は信じる価値がある。

 

「御坂さんも、それでよろしいですわね?」

『……はぁ、アンタ、ちょっと見ない間に随分とお人好しになったわよね。私でも、コイツらのことを信頼しろって言われたらうなずけるかどうか分からないのに』

「…………なに、あの方ほどではありませんわ」

 

 上条だったら、相手が何か言う間もなく腐ってる二人の胸倉を掴んで説教して立ち上がらせてただろうしなぁ。いやいやいや、ホント、あいつのああいうところは化け物じみてるよ。

 あと、たぶんお前もなんだかんだでOK出してたよ。だって相当のお人よしだもん。

 

「……というかそもそも、ミサイルの弾道計算すらままならない状況なんですけど! あーっもう、風紀委員(ジャッジメント)の機材じゃスペックが足りなさすぎます!」

 

 といったところで、初春の方も悲鳴をあげてきた。

 ……ああ、それについては、なんとなく覚えがある。確か――――、

 

『…………ああー、なんというか、うん。そっちについては何とかなりそうだから、心配しないで。任せて』

 

 妹達(シスターズ)が、その演算能力を遺憾なく発揮してくれていたはずだし。

 うん、この美琴のなんか濁すようなへったくそな弁解がそれを物語ってくれてる。

 

「…………これで、全ての障害は解決、でしょうか?」

『そうみたいね』

 

 テレビ電話越しに、俺と美琴は互いに頷き合う。

 ……さぁ、最後のお仕事といきますか。

 

***

 

「…………今更ですけど、なんでお姉様とわたくしの愛の巣に貴方が紛れ込んでおりますの?」

 

 機内。

 小佐古達の助力によって三倍くらいの広さを確保し、余裕をもって空間移動(テレポート)が行えるような場所を確保したそこで、黒子がむすっとしながら文句を垂れていた。

 

「仕方がないではありませんか。わたくしがいなければ、ミサイルを防ぐことはできないのですから」

「あはは、私を運転手扱いできるのなんか、レイシアさんくらいかもね」

「アナタの能力の恐るべき汎用性の高さを呪ってくださいまし」

 

 いやマジで。

 こと機械においては美琴ができないことって、ほとんどないからな。今回出てきた二万体の駆動鎧にしたって、美琴対策に動力部品を全部オミットしてたって話だし。まぁ、結局武器にしていたバールのようなものには鉄が入ってたからそれで蹂躙されたってオチらしいけど。

 と、まぁそんな感じで軽口を叩きつつ。

 

「それでは――――行きますわよ!」

 

 事前に外で展開しておいた『亀裂』を、グッと展開して、高空への道筋とする。道幅は最大で一〇メートルまで広げられる。美琴なら、そこから落下するようなヘマはするまい。

 

「……レイシアさん、『亀裂』、透明で見づらいんだけど、色つけられない?」

「申し訳ありませんが、アレは調子がよくないと出せないみたいで。砂鉄を操作してなんとかカバーしてくださいまし」

「操縦しながら機内から砂鉄操作とか、むちゃくちゃ要求してくれるなぁ……」

 

 それができるから超能力者(レベル5)なんだよね。

 

「……そろそろ展開限界です! 白井さん!」

「お任せあれ! 鼻と口を覆ってくださいまし!」

 

 第四会場へ向かう時のように黒子に横抱きにされた俺は、そのまま瞬時に空間移動(テレポート)して外に出る。急な気温の変化に一瞬全身が痙攣するような感覚に陥るが――気にしない!

 能力を解除。『亀裂』を一旦全解除して、そして即座に機体の真下に『亀裂』を展開しなおす。

 

「白井さん、展開完了ですわ!」

「了解ですわよ! 戻ります!」

 

 ……と言った次の瞬間には、機体の中。わざわざいらない機材や一部内装を変更した甲斐があってか、転移事故の類も起こらない。

 地味な作業ではあるが…………やってるこっちとしては、高山病すれすれなんだよね。一応、酸素ボンベの類も持ってきてはいるけど……。

 

「残り時間は――――四〇分。この分なら、なんとかなりそうですわね」

「これ、けっこうキツイわよ。砂鉄操作しながらマシン運転してるって……。しかも、解除したとき一瞬浮遊感が……」

「頑張ってくださいまし、御坂さん」

 

 まぁ最悪、美琴は落下しても磁力で助かるから。白井も空間移動(テレポート)で助かるし……俺も白黒鋸刃(ジャギドエッジ)で助かるな? なんだ、そう考えると時間内に指定の高さまで到達しさえすれば、別に何の危険もないな。うん。

 ………………いやいや、酸素が薄い、気圧が低いって相当なアレなんだけどもね?

 

「…………それよりわたくしは、眠いですわ……」

「ちょっ、レイシアさん!? 寝てはいけませんよ!? 寝たらみんなして落下ですわ!?」

「こんなとこで寝落ちして作戦失敗とか、冗談じゃないわよ!?」

「もう、疲れましたわ…………」

「レイシアさーん!?!?!?」

 

 いやまぁ、冗談だけど、そろそろいい加減眠いんだよね。



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二六話:おしまい

 ミサイルは無事阻止できた。

 あの要領で、黒子に飛んでは戻りを繰り返し、ミサイルの軌道上に『亀裂の盾』を大規模展開するという目論見は、特に問題が起こることなく……まぁ結果として俺がちょっとくらっとするという一幕があったりしたものの、概ね無事に迎撃することに成功した。

 ミサイルは『亀裂』と衝突した衝撃で全てが完全に破損、念には念を入れて美琴の砂鉄を使ってさらに粉々にしたので、被害が及ぶことはまずもってないだろう。

 

「…………ふぅ」

 

 で、俺は完全に疲れ果ててビニールシートの上で熟睡中の美琴たちに別れを告げ、最後の戦場に臨んでいた。

 

「……あの、レイシアさん、本当に大丈夫なんですか? 無理しやがらなくても、代打なら燐火さんが……」

「いえ、こればかりは、わたくしがやりたいのですわ」

 

 GMDWの、努力の結晶。その金字塔。これを俺がやりきらなくちゃ、死んでも死にきれないっていうヤツだ。

 確かに、高空での一時間半に及ぶ能力行使の疲労は、俺の想像を超えていた。アドレナリンも一段落ついた瞬間に切れてしまったのか、今は大分眠い……けど、まだまだ余裕は残っている。

 もうひと踏ん張り。

 だからもうちょっとだけ、頑張らせてくれよ。

 

「――――これで、最後ですから」

「ちょっと! レイシアさん、縁起でもないことを言いやがらないでください! なんか死ぬみたいな雰囲気じゃないですか!」

「わたくしが、死んだら、遺灰は空に……」

「レイシアさん!! 冗談じゃ!! ないんですよ!!」

 

 あ、ぎゃーぎゃー騒ぎ出す夢月さんのお蔭で、眠気はちょっぴり減衰しました。

 

***

 

「――――以上で、総合分子動力学研究会の発表を終わります。ご清聴いただきありがとうございました」

 

 俺が頭を下げると、微妙な量の拍手が帰ってきた。

 まぁ、これが学究会の常である。これでも、今回は風紀委員(ジャッジメント)やら警備員(アンチスキル)やら、今回の関係者の人たちが少しばかり足を運んできてくれたお蔭で、例年よりは人数が多いくらいだ。

 ちなみに、学究会は基本成績は個人に帰属するのだが、今回はあえて形式上は派閥を名乗ることをごり押しさせてもらった。まぁ論文を書いたのは俺なんだけど、それに必要なデータ集めのほとんどは派閥の人に手助けしてもらったわけだし、データ取りに必要な実験の形式とかも大部分は派閥のメンバーが提案したものだから。

 ぶっちゃけ俺の役目なんか全体の指揮と名目上個人戦である学究会に参加するための名義貸しくらいのものだよ。

 

「お疲れ様でしたー!!」

 

 舞台から降りて発表会場外に出ると同時に、夢月さんが歓迎するように俺を出迎えてくれた。いや、夢月さんだけじゃない。裏で機材の調整などをしてくれていたGMDWのみんなが出迎えてくれた。…………はぁぁ~~~~、やっと安心した、これで一息つける……。

 

 と、安心したせいだろうか。俺の身体が、不意によろりと傾いた。

 

「っとっ。レイシアさんっ、発表も終わったのですし、今日はもう寮に帰って休憩するべきではっ? あとはもう他の方の発表だけですしっ」

「んー…………そう、ですわね……」

 

 正直、俺も眠気の方が限界なので、そうしたいなとは思っていたところだったんだ……。まぁ、寮に帰るのも、今後のことを考えたらそっちの方がいいだろうなとは思うし……。そうさせて、もらおうかなぁ。

 

「では、わたくしは一足先に帰らせてもらいますわね。……皆さん、ありがとうございました」

 

 俺がそう言って頭を下げると、みんな口々に水臭いだの、こちらこそありがとうだの、ある人は涙ぐみながら俺に抱き付いてくれた。

 いやいやいや、ありがとうはこっちだよ。ほんとに。

 動けないですから、と苦笑しながら、俺は皆一様に笑顔を浮かべている派閥の面々を見て、最後に一言、言い添えておいた。

 

「―――――みなさん、大好きですわ!」

 

 そのあとは、まぁのんびりタクシーで寮に帰って、お風呂入って、この二か月弱の間、ついぞ袖を通すことがなかった、着るのも恥ずかしいネグリジェを身に纏った。

 いや、このくらい簡単に済ませられるあたり、この二か月弱の間の俺の成長を実感する。今となっては、レイシアちゃんの裸を見てもぐっとたじろぐ程度で済むぞ。ごめんレイシアちゃん。

 …………いやしかし、ほんと恥ずかしいな、これ。黒くてスケスケで……レイシアちゃんはよくこんなもん着れたもんだ。全裸を経験した俺でも、これはもっとこう……着ることによって生じるエロスが……いやいやいや。これについては考えすぎないほうがいいな。

 ……えーと、机の上……()()()の準備はOK、お風呂も入ったし、寝間着も以前のものだし……ま、目覚めた後の混乱は最小限ってところだろう。

 

 うん、後顧の憂いなし。

 

 ああ―――――これでようやく、俺も眠れる。

 

 

 『俺』は――この『レイシアちゃんに憑依した俺』という自意識は、もともと余分な存在だ。

 本来この世界にいるはずがなかった存在、そして『來見田志連』という人間の人生においても、本来あるはずのなかったロスタイム。それが、『レイシアちゃんに憑依した俺』の定義だ。

 いやいやいや、だからといって死にたいとは思ってないけどね? そこまで異常者じゃないというか、死にゆく人間の矜持みたいなのは、一般人の俺は持ち合わせてないし……。

 でも、本当、夢のような時間だったんだ。

 女の子だったけど……それはけっこう戸惑ったけど! でも、今更俺が感じることのできない、青春っていうのかな。友達とか作っちゃったりして、柄にもなく熱くなっちゃって、大変だったし、辛かったこともいっぱいあったけど――――でも、すごい幸せな二か月間だった。

 だから、今すぐ死ぬってことになっても、わりとすんなり受け入れられるんだ。

 ……それに、これ以上居座っちゃうと、レイシアちゃんへの迷惑がいよいよ洒落にならなくなるからな。

 能力の成長。これが研究者に特別視されるのは、とんでもない想定外だった。いや、言われてみればそうだったんだけど、本当に言われなきゃ気づかないくらいノーマークだったから。

 ま、そういうわけで、二か月弱の間だけどとても幸せな気持ちにさせてもらったし、レイシアちゃん周りの関係性はだいぶ改善されているし、これ以上俺がレイシアちゃんの時間を奪っていい理由はないし、未練らしい未練は……、……、もう、ないかな。……うん。

 これから、俺という人格は、多分かなりの勢いで薄らいでいくだろう。尽きかけの蝋燭の灯がだんだんと小さくなっていくように、徐々に消えて行って、そして最後にはふっとなくなっていく。というか、こうして思考できるのも、多分今が最後。

 この世界では本来ありえない知識も、この世界では本来ありえない成長も、きれいさっぱりなくなる。レイシアちゃんの異常性も消え失せるわけで、きっとほどなくして妙な連中の特別視もなくなることだろう。

 つまり、全てが全て、きれいに収まってくれる。

 ひょっとしたら…………万に一つくらいの可能性でレイシアちゃんは、俺と話したりできないことを残念がるかもしれないけど、まぁ、落ち込んだところで、GMDWの面々や瀬見さん達が慰めてくれるはず。

 まぁ、ちょっとした別れというのも、人生経験の一つになると思えば、俺の消滅もレイシアちゃんにとっての糧になってくれるかもしれない。生憎、俺は誰かとの別れって、実は経験したことがないから、あんまり実感はないんだけどね。 前世も早死にだったし。

 まぁ、なんだ。

 後腐れは、ない。

 

 

 俺はぼすりとベッドに倒れこんで、今まで出会ったいろんな人たちを脳裏に描いて、呟く。

 

「……みんな、みんな、みんなみんなみんな…………ありがとうございました、おやすみなさい」

 

***

 

第三章 勝ち逃げなんて許さない (N)ever_Give_Up.

 

二六話:おしまい Start:"Villainess".

 

***

 

 記憶が曖昧だ。

 なんだか、長い長い夢を見ていたような気がする。

 

 ――彼女が目覚めたとき、抱いた思いはそんな言葉だった。だいぶ長い間、水の中を揺蕩っているような、そんな現実感の薄い世界にいたような気がしていた。

 その中で、何かフィルター一枚を隔てて、世界を見ていた。

 全てではない。微睡の中にいるみたいに、断片的な記憶だ。だが、それでも大切なことは全て見てきた。

 

 むくり、と体を起こす。

 随分と無茶をしてきたのだろう。なんだか、体中が重いような気がする。目は腫れぼったいし、肩は凝り固まっている。体のコンディションは……最悪とまではいかないが、お世辞にも良いとは言えない。

 服装は……かろうじてネグリジェ。どうやら、最後の力を振り絞ってシャワーくらいは浴びたらしい。時計を確認してみると――午後一二時。学究会での発表が八時ごろだったから、三時間ほどは眠れていたらしい。

 正直、彼女としてはまだ寝足りないくらいだが…………とてもではないが、惰眠を貪るような気分にはなれなかった。

 

「わたくしは…………」

 

 その少女は。

 レイシア=ブラックガードは、なんとなくわかっていた。

 すべては()()()()のだと。

 とある青年の人格はその役目を終え、静かに、永遠の眠りに就いたのだと。

 

「わた、くしはっ……!」

 

 寝起きのぼんやりとした脳内がクリアになっていくにつれて、レイシアの心裡は説明できない強大な焦燥感に襲われ始めていた。

 縋るような思いで自身の机に飛びつくと……そこには、十数冊のA4のノートが転がっていた。それらの表紙には日付がメモされていて、最後の一冊には『わたくしへ』の文字。

 

 ……最初から、準備は整えていたのだろう。

 

 ()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その答えが、これだ。

 レイシアに対する助言をまとめた、備忘録代わりのノート。

 自分の人格が消え失せた後にレイシアが同じような過ちを犯さないように、あるいはレイシアに伝えたい言葉を伝えるために残しておいた、といったところだろうか。

 

 …………題名は、一応気にしていたらしい監視とやらへの配慮だろうか? にしても気を付けるところがそこか、とレイシアは苦笑してしまう。そんなところを気にするくらいなら、そもそも周囲との関係修復など考えなければいい。傲岸不遜な少女が急にそんなことをしだせば、誰であれ不思議に思うのは当たり前だろうに。

 本当に……やることなすこと、色々と気を遣っているようで、そのくせ詰めが甘い。

 なのに、その根底にあるのが、思わず鼻で笑ってしまうくらいに愚直なやさしさだというのだから、憎みきれない。どうしても、皮肉ってやろうと浮かべた笑みの端に、温かい何かが染み出てしまう。

 ……その甘さによって、自分が救われていると、レイシアはもう知ってしまっているから。

 

 レイシアは、無言のままにそのノートのうち、『わたくしへ』と書かれた一冊を開いた。

 

 あの青年が最初にそうしたときと、同じように。

 

***

 

■アナタの現状について

 

 きっとアナタは、今とても混乱していらっしゃるでしょうね。私は、アナタが自殺未遂をした後に生まれた、アナタの第二人格。この二か月の間、アナタの身体を好きに使わせてもらっていました。

 アナタがどこまで私のしていたことを見ているかは、私にはちょっと判別がつきませんが……アナタを取り巻く環境は、大きく変化しています。

 まず、アナタにNOを突きつけた派閥……GMDWの面々との関係は、大幅に改善されています。御坂さんや白井さんとはお友達になっていますし、瀬見さんをはじめとした開発官(デベロッパー)の方々との仲も良好になっています。

 それと、後述しますが私が勝手に知り合って友達を作ってしまいました。

 人間関係を丸投げすることになってしまい申し訳ないですが、変化についてはこれまで書いたノート(日記部分)と合わせて、これから書いておくまとめのメモを参照してください。伝えたいことについても、そちらの方に書くことにしました。

 説教臭いかもしれませんが、私の最後のお節介だと思って聞いてくれると、うれしいです。

 

 ……。

 

■振る舞いについて

 

 まず、無駄な出費は、なるべく抑えるようにしましょう。アナタは無駄な出費を富める者の美徳と考えている節がありますが、それは間違いです。他者にお金を見せびらかすような振る舞いは、周囲との軋轢を生んでしまいます。それに、もったいないです。お金は、それが自分のためになるかどうか、使う前にじっくり考えてから使いましょう。

 でも、アナタが必要だと思ったなら、遠慮する必要はありません。お金も、アナタの持つ力の一つです。無理せず、おかしなことにならない範疇なら、存分に使っちゃっていいと思いますよ。

 同じようなことになりますが、人と関わるときには自分が優位に立とうとしなくても、案外なんとかなるものです。アナタは最初から魅力的なのですから、へたに自分の優位性をアピールしようとしても、逆に相手から煙たがられてしまうおそれがあります。自然体のままのレイシア=ブラックガードを見せていきましょう。それだけで、きっとだいぶ変わってくるはずですよ。

 

 …………。

 

■上条当麻やインデックスについて

 

 ごめんなさい。丸投げするようなことになってしまって。

 でも、彼らならアナタもすぐに打ち解けられると思います。とても優しい方ですから、私の『消失』のことを素直に打ち明けてもいいかもしれません。きっと、力になってくれると思います。

 もしも彼らと関わりたくないなという場合は……そのことを素直に話せば、受け入れてくれると思います。私としては、彼らとのかかわりがアナタにもいい働きをするんじゃないかと思いますけど、こればっかりは強制できないですから。

 ……あ、でも御坂さんとの付き合いがある限りは、やっぱりどこかで上条さんとのかかわりはあるかもしれませんね。まぁ、うまくやれると思いますので、なんとかやってくださいな。

 上条さんは、簡単に言うと鈍感で、熱血漢で、それでいて妙な時だけ鋭い、油断できない裏表のない好青年です。普段は鈍感なせいでなんとなくイラッとくることがあるかもしれませんが、ふとした表情の機微を見抜いてこちらの事情に遠慮なく踏み込んでくるので注意が必要です。ただ、一方で彼の選択は不思議と誰かを鼓舞するものであったりすることが多いので、彼のデリカシーのなさにイラッときても、ぐっとこらえて改めて考えてみると、一考の余地があるという場合が多々あります。

 ただ、彼は自己犠牲のケがあるのでそこは注意。寄り掛かりすぎると、いずれあっさり折れてしまうかもしれません。いやまぁ、よほどのことがない限りそんなことはないと思いますけど……一応彼も人間ですので、過信しすぎないように。付き合い方を間違えなければ、彼ほど頼れる存在はこの世に何人とないでしょう。

 

 ………………。

 

■ステイル=マグヌスほかについて

 

 こちらについては本当にごめんなさい!! 彼からの悪感情、どうにかすることは叶いませんでした……。ほんとにごめんなさい。一応、手紙を送ることで手は打ってありますので、あとはなんとか……後始末を任せてしまって本当にごめんなさい。

 一応アドバイスをここに書いておきますと、彼はとてもプライドが高いですが、心の底ではやさしさのある少年です。彼の矜持を尊重しつつ、芯の強いところを見せれば、彼の態度もある程度は軟化してくれると思います。

 あと、彼のやさしさに注目しておけば、その言動の節々に見えるやさしさにも気づけるはず。神裂さんはとにかく人がよいので、人格が違うということを説明すれば問題ないでしょう。逆に、下手に隠そうとすると、彼らは察しがいいので関係が悪化してしまうかもしれません。

 

 ……………………。

 

■瀬見さんをはじめとした開発官(デベロッパー)陣について

 

 アナタにとっては頼れない大人に見えたかもしれませんが、今は違います。私が、自信をもって断言してあげましょう。今の彼らは、アナタと目的を同じくするパートナーであり、アナタが困った時には支え導いてくれる有能なサポーターです。

 脳開発をしている関係上、アナタの思考パターンについても熟知しているプロの方々です。時には耳が痛い言葉をかけられるかもしれませんが、今の彼らには、アナタを思いやる気持ちが根底にあるはずです。そこに耳を傾ければ、きっと今までとは全く違った言葉に聞こえるはず。

 でも、たまには思い切って不満や不安を吐き出してもいいかもしれません。彼らはきっと、アナタのそれをきちんと受け止めてくれるはずです。私が保証しますよ。あと、本当に本当に困ったときは第七学区にいるカエル顔のお医者さんを訪ねてみるのもいいかも。

 

 …………………………。

 

■GMDWについて

 

 こちらについては、私から多く語る必要はあまりないと思います。

 あの子達は、もともとアナタを受け入れる素養を持っていました。私が人間関係の問題をほどいていますが、これは本来、アナタでもできたことです。自分の弱さを見せる勇気さえ持てることができたなら。

 それはきっと、アナタにとってはとても勇気のいることだと思います。怖いですよね、気持ちはよく分かります。でも、アナタはもう既にその壁を乗り越えているはずです。だから、大丈夫。

 上とか下とか、そういうことを考えずに対等な立場で関われば、彼女たちはもともとのアナタを、きれいにしっかりと受け止めてくれることでしょう。

 あ、夢月さんはわりと熱血が入っている方なので、彼女がヒートアップしたら燐火さんの仲裁があるまで凌ぎましょう。燐火さんも調子に乗ることがたまにあるので、そのときはほどほどのところでアナタが抑えましょう。

 ただ、脅威をちらつかせるやり方はもちろん厳禁。普通にやめてと言うだけで、彼女たちは普通に答えてくれますよ。

 それから今後の予定ですが……、

 

 ………………………………。

 

■最後に

 

 いろいろ言いましたけど、たぶん、今のアナタなら大丈夫なんじゃないかなと、筆を執っている私などは思うわけです。なら何故こんなものを書いているのかと言えば………………なんででしょうね? たぶん、親心とか、そういう感じなのかもしれません……。おこがましい話ですけど。

 でもきっと、たぶん、アナタは既に、私を通していろんなことを見てきたと思うんです。だから、ここに書いてあるようなことは、ただの備忘録。ふとした時に、ここに書いてあるようなことを読み返して、私の言葉を思い返して、元気を出してくれれば、幸いです。

 

 それじゃあ、このくらいで筆をおきたいと思います。

 

 レイシアさん、私にこんな素晴らしい毎日を貸してくれて、ありがとうございました。

 ちゃんと返せているか、少しだけ不安ですけど…………。

 

 どうか、幸せに。

 

 ……………………………………。

 

***

 

「…………本当に…………」

 

 ぽつり、と。

 

 少女の口から、何事かが漏れ出る。

 

「…………本っ……当に……」

 

 その呟きの色は、『激情』。

 

「本当に、本当に本当に本当に本当に……!!」

 

 感謝でも、惜別でもない。

 彼女は、これ以上ない激情に駆られていた。

 

「ふざけるんじゃ、ありませんわよ……!」

 

 彼の言葉が、心に響かなかったわけじゃない。

 むしろ逆だ。彼の言葉は、痛烈にレイシアの心を貫いていた。

 これが、知り合ったばかりの他人からだったら、別だろう。自分は何もせず、ただ口ばかり動かす部外者だったら、別だろう。

 だが、彼は違う。実際にこのきれいごとをレイシアに伝えるために、この二か月、不器用なりにボロボロになっても諦めずに頑張り続けていたのだから。

 だからこそ、レイシアは今こうしていられるのだから。

 その軌跡を、ずっと、特等席で見てきたのだから。

 

 だが……それだけに、彼女は納得がいかなかった。

 

 確かに、『中の人』は――あの青年は本来死んでいるべき人間だ。末期ガンで、これ以上文句もつけようもなく完璧に死期を迎え、そして当然の歴史の流れで命を落とした。それはつまり本来死んでいるべき人間、ということだ。

 そんな彼がレイシアの身体の中に居座って、頼もしい友人に囲まれた彼女の輝かしい未来を一部でも食いつぶすようなことは、あってはならないのかもしれない。終わった人間は終わった人間らしく、潔く消え去る――他人から、あるいは彼自身から見ればそれが正しい選択なのかもしれない。

 

「これで、終わり? 冗談じゃ……冗談じゃ、ありませんわ!」

 

 でも、そもそも終わりそうだったレイシアの未来を、『輝かしい』ものにまで引き上げてくれたのは、いったいどこの誰だ?

 

 レイシアは、その問いに即答できる。

 それは、勝手に満足して、日記に偉そうな文章をしたためて消え失せてしまったあの底抜けのお人好しだ。

 だから、これは当然の帰結なのだ。

 レイシアに対して、それ以外の誰かに対して、やって当然という顔をして手を差し伸べておきながら、自分だけは誰にも助けてもらわず消えていく在り方なんて、絶対に認めない。他でもない彼にだけは、絶対に認めさせない。

 

「こんな……こんな終わりは、認めません」

 

 未練がないなんて嘘だ。

 だって、彼にとっても、この世界は素晴らしいものだったはずだ。

 でなければ、本気でGMDWの面々に友情を感じたりなんてしない。

 でなければ、自分だけの友達なんか作ったりしない。

 でなければ、『素晴らしい毎日を貸してくれた』ことに感謝なんてするわけがない。

 きっと、もっと生きたかったはずなのだ。

 こんな素晴らしい毎日を、もっと過ごしたかったはずなのだ。

 今も、そして昔も――そう思っていたはずなのに。

 

 諦めて、本音を仕舞って、黙って消えようとしている。

 

「…………会ってっ……、…………っ、言いたいことがっ、山ほどあるんですのよ……ッ!」

 

 開いた日記の端に、ひとつの染みが生まれた。

 

 とある一文が、僅かに滲む。

 

 あのときと、同じように。

 

 だが、今回はそれ以上染みが増えることはなかった。

 

 ノートを机に置いた彼女は、ゆっくりと立ち上がる。

 そのノートに書かれた、最後の一文――それをゆっくりとなぞって、少女は小さく笑みを浮かべた。

 小さく、しかし確かに、世界のすべてに宣戦布告するような不敵さで。

 

 目を瞑れば、あのお人よしの呑気な性格のバカが、見ていて張り倒したくなるくらい能天気な表情で、こう言っているのが、脳裏に思い描ける。

 

『どうか、幸せに』

 

 ()()()、少女は諦めない。

 

「ええ、幸せになってやりますとも。我儘で傲慢な悪役令嬢(ヴィレイネス)らしく、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 役目を果たした余分な人格が消え失せて、全てが元通りに戻る?

 

 ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「………………『勝ち逃げ』なんて、許しませんわよ」



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二七話:ここに本当の

 彼は自身を『第二人格』と定義し、その原因を『レイシア=ブラックガードが過度のストレスにさらされたことによる逃避行動』とした。

 もちろんこれは欺瞞だが、言い訳としては巧妙だ――とレイシアは思う。

 なにせ、内部的にはともかく、外部的に見ればその説明ですべての辻褄があってしまうのだから。

 彼の意味記憶にある『とある少女』は、怒りという多大なストレスによって能力の規模を大きく拡大させた。つまり、ストレスの受け取り方によっては能力が予定外の成長をもたらす可能性は十二分にある。

 そして、そのストレスによって多重人格化し、その人格が主人格を苦痛から逃避させるためにその苦痛を率先して片づけようとする――というのも、まぁ奇妙ではあるがありえない話ではない。

 そして、そのストレスの素が消えうせたから、役目を終えた副人格が消滅する――――なるほど、能力の出力が元の状態に戻りつつあるのと合わせて、カバーストーリーとしては上出来だろう。少なくとも、誰も疑うことはあるまい。

 加えて、『レイシアが精神疾患者であった』という事実も付け加えることで多少のズレがあっても許容される。……まぁ彼がそこまで計算できたとはレイシアには思えないが、そこはご愛嬌だ。

 

「…………反吐が出ますわね」

 

 ――レイシアがしなくてはならなかったのは、この問題は『自分の手には負えない』と認めることだった。

 

 当然だ。そもそもレイシアは脳のことなど専門外。というか、魂だのなんだのの問題は彼の意味記憶を参照する限りでも『魔術サイド』の領分。小説の内容程度しかないレイシアの知識では、とてもではないがどうにもならない。

 

 ゆえに、彼女は自身の『多重人格』を早々に他者にバラすことに決めた。

 というか、それはレイシアにとってほぼほぼ前提条件であった。

 

「…………まったく、甘すぎて反吐が出ますわ」

 

 廊下を歩きながら、吐き捨てるレイシア。

 彼女にしてみれば、なぜ彼が気づかないのかといいたくなるくらい自明の理だった。

 

 彼女に代わって人間関係を修復し、その過程で世界の素晴らしさを見せる。

 その試みは素晴らしいものだろう。実際、レイシアはその過程にある開発官(デベロッパー)や友人たちをはじめとした様々な人の発言や思いを聞き、そして彼の気持ちを聞き、自分を見つめなおすことができた。

 それが、彼女の心境を大きく変化させた。

 しかし…………ここには一つ重大な欠陥がある。

 

 そもそも、彼が修復してしまった人間関係は……本来、レイシアが自分の手で乗り越えるべき問題ではないのか?

 

 彼が聞けば、一瞬その通りかもしれないと納得し、余計なことをしてしまったと後悔しかけ、それから『実際問題レイシアちゃんにそこまでやれる余力なんかなかっただろう』と思い直し、そして正しさしか許さない相手に対して憤りを見せそうな発言だが……ほかでもないレイシアが、そう思っていた。

 

 優しい彼は、レイシアがGMDWの面々や瀬見をはじめとした開発官(デベロッパー)に対して『多重人格』のカバーストーリーを話すことなど考慮すらしていなかったが、やはりそれは卑怯だと思うのだ。

 だって、レイシアは何もしていないから。辛いのも、悲しいのも、苦しいのも、全部引き受けたのは彼だ。それなのにおいしいところだけレイシアがもらうのは、アンフェアだろう。

 

 だから――――。

 

「……よろしい。皆さん、既にそろっているようですわね」

 

***

 

第三章 勝ち逃げなんて許さない (N)ever_Give_Up.

 

二七話:ここに本当の Final_Settlement.

 

***

 

「レイシアさん、話ってなんです? とゆーか、体はもう大丈夫なんですか? 見た感じまだ寝不足そーですが……」

 

 きょとんと首を傾げているのは刺鹿だ。

 彼女はレイシアにとって、一番大きな変化を体感した人物でもある。

 自殺未遂をする前の刺鹿との関係性は、同じ派閥の仲間でありながら敵というのが正しい関係性だった。負けん気の強い彼女はレイシアの高圧的な態度に対して反発し、そしてワンマン気質のレイシアはそんな刺鹿に苛立ちを募らせる。

 相性が悪かった……そう言えるのかもしれない。

 だが、今はこの通り。多分、『多重人格』のカバーストーリーさえ話さなければ、この先も良き友人でいられるだろう。

 ……その未来は、途轍もなく輝いて見える。

 

「というかっ、急ぎの用でないなら寝たほうがっ。明日から新学期なのですしっ……」

 

 刺鹿に合わせるように言うのは苑内だ。

 彼女も、レイシアにとっては新たな一面を見せられた人物だった。

 自殺未遂前の彼女にとって、苑内は自身のコンプレックス(貧乳)を気にして勝手にわき道にそれた研究をしだす不届きもの、という認識でしかなかった。あるいは、おどおどしていてはっきりしない、だろうか。

 ただ――彼はそんな彼女と打ち解け、意外と視野の広い一面や、時には彼以上に大人びた包容力を見せる一面すら見出してみせた。今のレイシアでも、彼女に対しては何か安心感を抱いてしまうほどだ。

 

 …………それらの関係性を、今から、崩す。

 『多重人格』のカバーストーリーを、話す。

 

 きっと、自分が今まで慕ってきたレイシアではないと知れば、彼女たちは深い失望を覚えることだろう。改心などせず、まったくの別人が相手をしてきただけなのだから当然だ。だが、その結果起こるだろう苦しみは、本来レイシアが受け止めるべきだったもの。

 

「…………話と、いうのはですね」

 

 覚悟を決めたはずなのに、声が詰まる。辛い、とすら思う。軽蔑されるかもしれない、拒絶されるかもしれないという恐怖。……こんなことを、彼はやってきたのだろうか。

 

「レイシアさん? 様子がおかしーですよ? 何かあるなら、私たちに……、」

「わたくし、は。……アナタがたが慕っていたレイシアでは、ありません」

 

 意を決して。

 はっきりとそう、宣言した。

 

「……はぇ?」

「…………んっ? どういうっ、ことですっ……?」

 

 あまりの発言にぽかんとする刺鹿の横で、雰囲気の違いを察したのだろうか、苑内はにわかに警戒を始める。

 一度口を開けば、あとはもう簡単だった。レイシアの口からは、すらすらと『カバーストーリー』の全容が紡がれていく。

 

「今までアナタがたに謝罪し、そして和解したのは、わたくしではありません。わたくしの――いうなれば、第二人格のようなものです。……わたくしが御坂さんに敗北した後、病院にいたのは知っていますね?」

「え、はい……でも…………え?」

「……目覚めた後、わたくしは現実から逃避しました。そして、その苦しみのすべてを……新たな人格に押し付けたのです」

 

 現象は違うが、大筋で間違いではない、とレイシアは思う。

 現実から逃避し、自殺した。失敗したことに気づいても、レイシアは逃避を続けた。そうしているうちに、気づけば彼が、彼女の中に滑り込んでいたのだ。

 だから、レイシアはちょうどいいと思って、自分のすべてを明け渡した。自棄になっていたのもあるだろう。自分の体を他人に使われる――というのは通常であればおぞましい体験だろうが、レイシアにとっては何もかもがどうでもよかった。

 

「…………第二人格は、そんなわたくしの逃避によって生まれたすべての歪みを、一身に背負いました。御坂さんとの和解、開発官(デベロッパー)陣との和解、そして、アナタたちとの和解。……すべて、第二人格の功績です」

 

 そう、全ての歪みを、引き受けてくれた。なぜ彼がそんなことをしたのか、それは今でもレイシアにはわからない。彼の行いをずっと間近で見てきたが、赤の他人であるレイシアにそこまでする義理はなかったはずだ。

 ……それもまた、レイシアは聞いてみたい、と思った。

 

「……そ、れって……」

「はい。……今のわたくしは、()()()()()()()()()()()()レイシア=ブラックガード本人です」

「…………!!」

 

 その場の全員に、驚愕が走る。

 

「……ってことは、なんですか? それを貴方が言ってやがっているってことは……これまで私たちが接してきたレイシアさんは、消えやがってしまった……と?」

「いえ! そんなはずはありませんわ!!」

 

 呆然としている刺鹿の言葉に、レイシアはそこだけははっきりと断言した。

 ……これも、考えてみればわかること。レイシアは目覚めてから、()()()()()()()()()()()()。これは、彼の魂が完全に消滅していたならばありえないことだ。彼自身が、レイシアの魂の生存を確信したのと同じように。

 もっとも、能力の出力が減衰している以上はいずれ消滅するだろう。死人の魂だから、あとは消滅するしかない、といったところなのだろうか。そこは、レイシアにとってはあまり関係ないことだ。

 

「第二人格は、まだ完全には消えていません。……私は、か――彼女に、消えてほしくない。どんな手を使ってでも呼び戻して、それで、話が……したい。…………ですから、アナタ達に、協力してもらいたいのです」

 

 そこまで言って、レイシアは深く頭を下げた。

 

「今更、虫のいいことを言っているのはわかっています……! どの面を下げて協力を頼んでいるのか、ということも……! これまでしてきたことの罰は、きちんと受けます。ですから、どうか……! 彼女を助ける手伝いを、していただけませんか……! 私一人では無理なのです……!!」

 

 言いながら、情けなくて涙がこぼれてくる。

 本当に、どの面下げてそんなことを言っているのだとすら思う。これまでしてきたことの償いもせずに、協力してくれなどと虫が良すぎる。

 彼女たちをつなぎとめておく材料など、レイシアには何もない。友情を感じていた彼はすでに消えかけ、そして地位すらもレイシアにはない。だから、今の彼女にできるのは、無様に頭を下げ続けることだけ。……そんなことしか、できない。

 

「…………レイシアさん、とりあえず顔を上げて、私たちの目を見てください」

 

 そんな刺鹿の声を聴いて、レイシアは言われるがままに、おそるおそる顔を上げた。

 そして次の瞬間、猛烈な勢いで首が横を向いていた。

 自分の頬が力いっぱい叩かれたのだ、と気づいたのは、一瞬あとになってからだった。

 

「――――これまでのこと、我々全員の分は、それでチャラにします。いいですね、みなさん。……それで、すべてが終わったら、貴方も私のことを、力いっぱい叩きやがってください。……それで、この話は全部終わりにしましょう」

「…………は? え、と……どう……?」

()()に対して思うことは、そりゃーありました。……でも、もう終わったことです。それに…………私たちは、一人も気づかなかった。多重人格ですって? ……そいつは、極大のストレスがかかって初めてなるもんじゃないですか」

 

 厳密には、多重人格ではない。ないが――――実際に、自殺を決意するほどの挫折をおぼえたというのは、まぎれもない事実。自業自得の結果とはいえ、それは、一人に押し付けていいものではなかった。

 そう思い、自分たちを責めることができるくらいに、彼女たちはレイシアのことを許していた。

 

「貴方がそーやって、自分の責任だと思って悔いやがるのは、貴方の自由です。とゆーか、悔いやがってくれて大いに結構。私たちだってキツかったんですから、反省してもらわなければやってられません。…………しかし同様に、私たちだって、貴方のことを追い詰めたことを、悔いたっていいはずですよね」

 

 つまり。

 

「貴方が罪悪感を覚えるのと同様、私たちも貴方に罪悪感を覚えてるってことです。……貴方の言う『第二人格』は、そりゃーもう頑固でしたからね。基本、自分が悪いって方向に話を持っていきやがりますから……と、これはあまり関係ない話ですか。ともあれ、結局私たちは対等ってことです。なら、ここにいるのはかつて敵同士だったものではなく――――同じ友人を持つ、対等な仲間同士ってことになりますよね」

 

 彼女たちは、無条件で何もかも許してくれる聖人様なんかではない。

 嫌なことをされれば怒るし、そこに至るまでの経緯に情状酌量の余地がなければ、嫌うし、軽蔑だってする。……でも、自らの行いを悔いている相手であれば、許すことはできるし、自分の行いを反省することだってできる。そんな、優しい少女たちなのだ。

 そんな彼女たちの選択など、最初から決まっていたのかもしれない。

 

「助けましょう。お人よしで甘ちゃんなくせに自分に対しては無頓着な、貴方の『第二人格』を。……それから、また改めて、始めさせてください。私たちと、()()()()の関係を。それが、私たちの総意です」



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おまけ:魔術師は今再び塔に降り立つ

「…………舐めやがって」

 

 その青年は、ぽつりと、憎しみすらこめて呟いていた。

 否、彼は、青年というには若かった。二メートル近い体躯に、ペンキを頭からかぶったみたいに不自然な赤い髪。耳には無数のピアス、十指にはメリケンサックと見紛うほどゴテゴテとした指輪装飾という有様が彼の印象を大きく歪めているが、しかし彼の実年齢は一四歳である。

 ――ステイル=マグヌス。

 必要悪の教会(ネセサリウス)の中でも十指に入る猛者は、しかし、今は年相応の怒りを覚えていた。

 その原因となるのは、彼が現在進行形で握りしめている手紙の主だった。

 

「あの女……」

 

 何から何まで癪に障る女だった。

 ステイルの矜持を無視して、インデックスに辛い真実を伝え、さらに彼女を、ステイルたちが解決すべき事件に巻き込んだ。

 それで、状況が悪化したなら迷いはいらなかった。

 彼女が恩着せがましい言動をとっていれば、それで関係性が決まった。

 しかし実際には、状況は劇的に改善し、インデックスとの関係性は明確に良好になった。今でも、たまに手紙が届いてくるほどだ。まだ少しぎこちないが、これからゆっくり時間を重ねていけば、きっとあの頃と同じ――ではなくとも、彼女の傍に立つことができるだろうと思えるほどに。

 それでいて、彼女は一切誇らなかった。むしろ、ステイルからの恨み言にも似たセリフを、当然のこととして受け止めていた。……まっとうな精神性の持ち主なら、むしろ恩知らずと憤慨していてもおかしくないのに、だ。

 

 だから、ステイル=マグヌスはレイシア=ブラックガードが嫌いだった。

 

 あれほどのことをしてくれておいて、ステイルから向けられた感謝の念にまったく気づかないあの女が、死ぬほど嫌いだった。

 

 ……いや、彼の天邪鬼な態度に気づけというのはいくらなんでも無理があるレベルだったが、それでもステイルは感謝していたのだ。死ぬほど気に入らないが、それでも感謝の念を向けることにはやぶさかでない程度には、あの女を認めていたのだ。

 にもかかわらず。

 

「多重人格だと? もう消えるだと?」

 

 気に入らないといえば、そう。自分がいまだに嫌われていると思って、残された人格に対して手心を加えるよう頼む小賢しさ。それから、自分に対する信頼のなさ。

 そして、そんな手紙にもご丁寧にこちらへ感謝の言葉を寄せるあの底抜けに幸せな脳構造。

 何もかもが、ステイルの気に障る。もはや、我慢の限界だった。

 

「ふざけるな。そんな勝ち逃げなど、誰が許すものか」

 

***

 

第三章 勝ち逃げなんて許さない (N)ever_Give_Up.

 

おまけ:魔術師は今再び塔に降り立つ

 

***

 

 そして今、ステイルは学園都市の高層ビルの屋上にたたずんでいた。

 相変わらず、ここからはこの街がよく見える。

 

「……にしても、お前まで来る必要はなかったのに」

 

 と、ステイルは吐き捨てるように言った。

 

「率直に言って、戦力過多だぞ」

「私にだって、譲れないものはあります」

「やれやれ。たった一つの魂の所在に『聖人』が投入されたと聞けば、魔術サイド全体がにわかに騒がしくなるぞ」

「……手は打ったでしょう」

「僕は、あの女狐に借りを作るのが嫌なんだ」

 

 そう言って肩を竦めるステイルの傍らには、一人の東洋人がいた。

 長い黒髪を頭の後ろで一つにまとめた、長身の麗人。白いTシャツは何故か裾の部分が絞られ腹部がさらけ出されていて、ジーンズは片足が太ももを露出させるように裁断されていた。

 そんな、アシンメトリーな女性――聖人、神裂火織もまた、ステイルと同じように彼から手紙を受け取り、そして我慢の限界を迎えた一人だった。

 とはいえ、彼女の行動原理は怒りという建前を経たものではなく、もっと純粋に彼女の名からくる欲求だったが。

 

「さて、どうしたものか」

 

 彼の視線の先には、少女たちの集団がある。サマーセーターを着た一団だ。ステイルたちが科学サイドの情勢に詳しければ、それが『常盤台中学』と呼ばれる中学校の制服であるということも分かっただろう。そんな少女たちが、第七学区の病院にいた。

 それだけではない。彼女たちの傍にはあのツンツン頭の少年に、純白のシスターもいた。ステイルに言わせてみればあの少年など殴るべき巨悪がいなければ何ができるのかというところだったが、どうも様子を見るにしっかりと行動できているようだ。

 ほかにも、病院の屋上にはこれまたサマーセーターを着た茶髪の少女が二人。

 ここに来るまでの調査によれば、どこぞの研究所の研究員も何やらレイシアの周りで調査を始めているらしい。不審に思って身辺を洗ってみれば、どうやら彼女の能力開発を担当している施設の研究員らしい。

 ……さらに呆れ果てたことに、最初に見つけた少女の集団の中心には、あろうことか見覚えのある金髪碧眼の令嬢――レイシア=ブラックガード本人がいるのだ。

 

 あのお人よしは、周囲の人間どころか主人格自身からも捨てがたいと思われていたらしい。

 

「……我々の出る幕がないのではないかと思うくらいの大盤振る舞いですね」

「まったくだ」

 

 憮然として言うステイルだったが……しかし、その口元には笑みが浮かんでいた。

 

「だが、あちらに魔術師はいない。せっかく一〇万三〇〇〇冊の叡智があっても、扱う手がなければ文字通り片手落ちだ。そうは思わないかい?」

「――――然り、ですね」

 

 頷き、彼らは動き出す。

 わが名が最強である理由をここに証明する(Fortis931)

 救われぬ者に救いの手を(Salvare000)

 本来、彼らの魔術は、守るために振るうものなのだから。

 

***

 

「おそらく、だが」

 

 ルーンを手の内で弄びながら、ステイルは言う。

 

「科学サイドだけでは、ヤツを救いきることは不可能だ。もちろん、彼女たちが絶望していないあたり、科学サイドだけでもある程度までは行く。……しかし、それだけでは途中でピースが足りなくなる」

 

 それは、魂を扱うことについては科学サイドよりも長けた魔術サイドの専門家としての確かな結論だった。

 実際、彼の問題は単なる二重人格ではなく魂の憑依。それを見抜いたわけではないにしても、ステイルの懸念は過たず的を射るものだったといっていい。

 

「……しかし一方で、私たちの技術情報を彼女たちに伝えることはできない」

 

 これも政治的に当然の帰結。

 いくら二人が個人的理由で彼女を救いたいといっても、二つの勢力は本質的に敵対関係にある。技術情報が流出したとなれば組織として剣呑な方向に動かざるを得ないし、そうなれば救えたとしても結局はかなり厳しい状況に追い込むことになってしまう。それも、彼女の周りの世界をまとめて、だ。

 つまり、魔術サイドの技術が必要でありながら、それを彼女たち――レイシア、上条以外の科学サイドの人間に伝えることは許されない。ここから導き出される、彼らの行動上の条件はいくつか。

 

「まず、大規模な儀式を要する魔術は使えないですね」

 

 たとえば、ルーン魔術。部屋一面にルーンを敷き詰めるようなそれは、魔術の存在を喧伝するようなもの。少女の集団からは離れた場所で使わざるを得ないし、よしんば使えたとしてもかなり隠ぺいして使わなくてはならない。

 とはいえ、こちらについてはそう問題はないだろう。何せこちらには、一〇万三〇〇〇冊の叡智があるのだ。もちろんプロとしての意見を求められるという点ではまったく無意味ではないが、今回の彼らの最大の役割は『魔術を用いることができる』という一点に集約されている。

 

「そして、誰かをメッセンジャーにする必要がある」

 

 とはいえ、今回の目的は彼女を救うこと。自分たちが暗躍していては、半端に姿をつかまれて敵対する、というような不幸なすれ違いすら起こりかねない。そうならないよう、誰かしらを通じて連絡を取る必要がある。

 しかし、問題はそこだった。

 

「…………レイシア=ブラックガードをメッセンジャーにするのは、難しいでしょうね」

「ああ」

 

 第一に、彼女は少女たちの集団の中心にいる。携帯の番号も知らない彼らでは、彼女と接触を取ることは不可能。となれば、方法は一つしかない。

 

「やれやれ。面倒くさいが、ヤツに接触をとるしかないわけか」

「…………あの少年には、毎度面倒をかけますね」

「まさか。神裂、ヤツが『これ』を面倒と認識するメンタリティを有しているとでも?」

「私の、矜持の問題ですよ」

 

 ニヤリと笑みを吊り上げるステイルに、神裂は苦笑し、ツンツン頭の少年を見定め、高層ビルの最上階からの跳躍を敢行する。

 七閃を用いて、空気を切り裂き減速しながら、神裂は思う。

 ステイルは嘲るように言っていたが、あの内容では彼の――上条当麻の善性を信じていると言っているようなものだろう、と。

 ……まったく、素直ではない少年だ。

 

***

 

「……さて、メッセンジャーの問題は神裂が解決した。なら、僕がすべきことは……全員の護衛、か」

 

 それは本来、神裂がやるべきことだろう。何せ聖人だ。核兵器級、というのは、単体戦力の強さもあるが、それ以上に規模を自在にコントロールできる点、そしていかなる用途でも戦闘を終結に導けるという化け物じみた汎用性あっての評価なのだから。

 しかし、ステイルはそれを知っていてなお、神裂にメッセンジャーを委ねた。

 

「せっかくの、あの子と触れ合える機会だからね」

 

 そんな感傷で最適解を選べないステイルは、非合理な人間かもしれない。しかし、それこそが魔術師。それでこそ魔術師というものだった。

 何せ、非合理な人間の極致である彼は、そんな非合理的な目的に沿って動いているときにこそ、最強の力を発揮できるのだから。

 

「さしあたっては」

 

 そしてステイルは既に、レイシアへと波及しそうな戦闘の気配を感じ取っていた。

 相手は、科学者か。

 どうも既に別の――白髪に赤目の少年と交戦しているようだったが、単なる科学者であれば、魔術師との相性は最悪だ。

 それぞれ得意とする分野が違うという点では条件は同じだが、ステイルは科学の法則を知悉はしていないにしても認識しているのに対し、科学者は魔術の法則をまったく知らない。

 ゆえに、ステイルは圧倒的に優位に立ち回ることができる。

 仮に数十人規模で襲ってきたとしても、殲滅するのはたやすいことだろう。

 

 だが、仮に魔術師が相手だったとしても、彼の決意に陰りは存在しなかったに違いない。

 

 我が名が最強である理由を此処に証明する(Fortis931)

 

 その意味は。

 

「――――あの子の世界を、必ず守る」



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二八話:光明はどこに

「……なるほど、ほかにも協力を仰ぐ、と?」

 

 問いかける刺鹿に、レイシアは自信ありげに頷いた。

 何も、協力を要請したのはGMDWの面々が特別というわけではない。特別と言うならば、一番最初に彼女たちに協力を要請した理由だろう。レイシア=ブラックガードが最初に助けを求めるべき面々。そこに、彼女たちは位置している。

 しかし事実として、この問題に対して強大な役割を担えるのは、彼女たちではない。

 

「ええ。瀬見さん達、御坂さん達、それに……上条当麻。とにかく、わたくしがあたれる人脈全てに協力を要請するつもりです」

「……そいつは、かなりの大所帯になりますね」

「ですが、そのくらいしなくては。そして、それら全員を率いて、あのバカを出迎え、説教をしてやるのです。それでこそ、わたくしの勝利が達成されます」

 

 その情景を想像しているのだろう。ふふん、と鼻を鳴らす姿は、思わず笑みがこぼれてしまうほどに勝気そのもの。稚気じみた意地かもしれないが……そこからは、悪意や邪気といったものが極限まで削ぎ落とされていた。

 つまりは、これがレイシア=ブラックガードという少女の可能性の一つだったのだろう。

 これが、彼女の本性であるなんて刺鹿は思わない。

 でも、()()なれる素地は、あったということだ。

 

 第二人格のような、自分たちを引っ張っていくリーダーとは違う。

 しかし、別の意味で放っておけない、妹のような感覚が、今の刺鹿には感じられていた。

 

「…………そーいえば、第二人格第二人格って言ってましたけど、彼女には名前ってあったんです?」

「……名前、ですか」

 

 そういわれて、レイシアはふっと考え込むような態度を見せた。

 

「――シレン。シレンと、彼女は名乗っていたと思いますわ」

「シレン……試練、ですか。なるほど、皮肉のきいた名前をしていやがりますね」

 

 まるで、レイシアが引き受けるべき試練(それ)をすべて引き受けていった……そして今、こうして幸せな未来の為にその消滅自体が試練として立ちふさがっている彼女の生き方そのものではないか、と刺鹿は思う。

 

 ……試練。

 そう、試練だ。

 

「……………………まずは、糸口。そこからして、何も掴めやしてませんからね」

 

***

 

第三章 勝ち逃げなんて許さない (N)ever_Give_Up.

 

二八話:光明はどこに The_Breakthrough.

 

***

 

 一旦GMDWの面々と別れたレイシアが次に向かったのは、自身がいつも利用している開発用の研究所だった。

 つまり――瀬見達のいるところである。

 そして、彼女たちの協力を仰ぐのは、今回の必須事項だったといってもいい。何せ、彼女たちはレイシアの開発を一手に担ってきたプロ。つまり、レイシアの人格を誰よりも知り尽くしているということなのだから。

 

「…………そう。それは……おめでとう、というべきかしらね」

「……は?」

 

 だからこそ、レイシアは瀬見にかけられた言葉が、一瞬理解できなかった。

 自分が今まで多重人格状態だったこと、同時に申し訳ないと自分も思っていることを伝えた結果、真っ先に出てきた瀬見の言葉が、それだった。

 

「で、ですから、わたくしの今までの言動は、全部もう一つの人格のもので……っ」

「どの人格も、レイシアさんであることに変わりはないでしょう?」

 

 慌てて言い直すレイシアに対し、瀬見はさっぱりとした笑顔で言った。

 それで、レイシアはすべてを理解した。

 瀬見は――開発官(デベロッパー)の面々は、科学者で、しかも大人なのだ。

 だから、多重人格が精神疾患であるということを認識しているし、そうである以上どちらの人格もレイシア=ブラックガードという人間の『一側面』であると思っている。

 

「それに……貴方が多重人格に限りなく近い症状を持っていたことなんて、私たちは全部、最初から理解していたわよ」

 

 そのうえ、この事実だった。

 

「当然でしょう? 私たちは、貴方の脳を見るプロ。……演算パターンの変化、脳機能の作用分布の異変、あらゆる異常は最初から観測できていたわ。もっとも、覚悟がなかった当時の私たちは、それによって生まれる能力の変動を恐れて、最初のうちは実験すらままならなかったほどだったけどね」

 

 そう、自嘲する。

 つまり、最初から彼女たちは、レイシアのことを多重人格者と扱っていたのだ。きっと、開発を通じてレイシアの自己肯定感を成長させ、それによって多重人格の治療を試みようなどと考えていたのだろう。

 そうなると、この展開は彼女たちにとって、待ち望んでいたハッピーエンドの一端ということになる。

 役目を終えた余分な人格が消滅することで、全てが丸く収まったという、そんな物語の。

 

「……ごめんなさいね。下手に刺激して悪化させてはいけないと思っていたのだが、それほど思いつめているのだったら、最初から説明しておけばよかったわ。全く、本当に私たちは失敗してばかりね」

 

 でも、と言って、瀬見は呆然としているレイシアの頭を撫でる。

 大人が、子供にするように。

 

「今までよく頑張ったわね、レイシアちゃん。もう、貴方がそれほど思い悩む必要は、どこにもないのよ」

 

 優しい言葉。

 それだけで、涙が浮かぶレイシアだったが、しかしそれとは別の意味で、レイシアは今泣きたい気持ちになっていた。

 彼女の言動が示すのは、即ち『協力的』という意味にはなりえない。

 だって、彼女は第二人格の――シレンの消滅を、多重人格という精神疾患の快癒、良い兆候として受け止めているのだから。

 この状況で、第二人格を助けたい……なんて言っても、きっと優しく諭され、受け入れてもらえるはずなどない。レイシアのことを大事に思う大人の彼女たちは、今度こそ、()()()()()()()自らの立場を顧みず、自ら悪い方向へと進んでいく彼女のことを、身を挺して止めようとすることだろう。

 

「ありがとう、ございます」

 

 かけられる言葉は温かく、レイシアは心の底からうれしい気持ちになった。

 でも。

 その一方で、レイシアはまさに絶望を感じさせられていた。

 

***

 

「…………開発官(デベロッパー)がダメ、となると……残るは上条当麻と……御坂さん?」

 

 不意に、その名前が出てきた。

 当初は美琴を頼るつもりなどなかったの(矜持の問題ではなく、カバーストーリーであれあまり大勢に広めていい性質の情報ではないと判断したため)だが、しかし彼女の能力は非常に優秀だ。瀬見達の協力が得られなくなった今、彼女に協力の打診をしない手はない。

 

「……となれば、善は急げですわね」

 

 スマホでGMDWの面々に結果を報告し、レイシアは歩き出す。現在時刻は、午後一時過ぎ。シレンの意味記憶によれば、確か八月三一日はイベント盛りだくさんで、ちょうど昼頃には美琴と上条が海原(偽)という男と戦闘をしているという感じだった……はずだ。

 今から騒ぎがありそうな場所に向かえば、ちょうどよく二人と遭遇できるかもしれない。

 

 はたして、そんなレイシアの思惑は確かに正解だった。

 

「……んじゃ、付き合わせて悪かったわね。こっちの問題は、そういうわけで片付いたから。アンタはアンタの問題をどうにかしときなさい」

「おう。んじゃ、またな、御坂」

「ぅぅっ。…………ま、まぁ、また、ね」

 

 ……何やら青春の残滓が感じられるやり取りだったが、レイシアは完全に無視する。なんだかんだで成長したとはいえ、彼女はそうした事情を斟酌しない傲慢さを備えているのだ。

 そうして別れて立ち去ろうとしている二人に向けて、

 

「お二方!」

 

 渾身の力を込め、言う。

 

「「助けて!」……くださいま、し?」

 

 何故か、上条と声がハモった。

 

***

 

 いわく、宿題が全然終わってなくて死にそう、とのことだった。

 それに対し、レイシアは『今はどうでもいいことですわね』と断じた。清々しいまでの傲慢っぷりであった。いや、上条の方も事情を聞けばコンマ一秒もなく決断するだろうことだが。

 

「ど、どうでもいいって……上条さん死活問題なんだぞ! その言いぐさはあんまりじゃないか!?」

「そんなもの用が済めば後でいくらでも見てあげます。それより今はこちらの話を聞いてくださいまし」

「ちょ、レイシアさんいつもと雰囲気が……この感じ、前の……っつか! なんでナチュラルにアンタがこの馬鹿の面倒をみることになってんのよ!」

「ですから! わたくしに話をさせてくださいまし!!」

 

 放っておいたらどこまでもコメディを展開しかねない二人を制して、レイシアは怒鳴る。

 その剣幕に、二人は話が一切の遊びを挟む余地がないことを察し、すっと表情を真剣なものに切り替えた。

 それを見て、レイシアは目を伏せながら話しだした――――。

 

「分かった、それで何をすればいい?」

 

 そう二人が答えたのは、まさしく同時だった。シレンの視点から二人と接していたレイシアもまぁ無下にされることはないだろうと思いつつ、それでも快諾してもらえるかどうかは自信がなかったところだったのだが、そんな予想を覆す快諾だった。

 思わずぽかんとしてしまったレイシアの表情が気に食わなかったのか、上条は犬歯をむき出しにするように言う。

 

「なんだ。まさか俺が、人格が違うから赤の他人なんですとか言い出すとでも思ったのか? ……バーカ、そんなわけないだろ。アンタはレイシア――いや、シレンを通してずっと俺や御坂のことを見てきて、それで、俺や御坂ならって信頼して声をかけてくれたんだろ? ……なら、無下になんかできるかよ」

 

 上条は拳を握る。

 もちろん、上条は理解している。この物語におけるヒーローが誰か。それは、誰かに言われるまでもなく承知している。

 この物語は、くだらない節理とやらを盲信して死んでいこうとしている馬鹿を、そんな馬鹿に救われた少女が引っ張りあげるもの。一人の少女の再起、その最終章。

 上条当麻は――そんな少女を助けるために召集された、脇役Aでしかない。

 そのことを理解したうえで、上条当麻は、脇役Aでしかない少年はこう思う。

 

 ――ああ、こんなに嬉しいことはない、と。

 

「……それに、シレンは、アイツは俺の友達でもあるんだ。そいつを助ける……そんな素敵な幻想の手伝いができるんだ。断る理由なんか、どこにもねぇ。……そんなの、当たり前のことだろうが」

「私も、この馬鹿に同じね」

 

 そんな上条の隣に立つ美琴は、上条と違ってレイシアの過去の悪行を知っているが、それでも同じように不敵な笑みを浮かべていた。

 

「……罪滅ぼしとか、そんなつまんないこと、考えてないわよ? っつーかあの人……シレンさんには借りばっかり作っちゃってるからね。功績を分離させてくれたおかげでむしろ接しやすくなったっていうか。……ともかく! 今こうして私たちに助けを求めてるアンタを拒絶する理由も、勝手に死にに行ってるあの人を助けない理由も、私にはないってことよ!」

 

 行かない理由が、ない。

 彼らは、二人とも一様にそう語った。そこが、ほかの人物とは違う点だ。

 ヒーローの、ヒーローたる所以。レイシアには、いや、多分シレンでも、この境地には至れないだろう――そう思い、レイシアは悟る。

 

「(……なるほど、だから彼女は、あんなに眩しそうにしていたんですのね)」

「?」

「ふふ。心強いですわ、と言ったんですのよ」

 

 二人して首を傾げるヒーローたちに、レイシアは笑いながら言った。

 結局のところ、解決策はまだ見つからない。

 だが。

 

 こんな頼もしいヒーローに加え、彼女には優秀すぎる友人たちまでついているのだ。

 突破口を暴くためには、十分すぎる。



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二九話:作戦会議

第三章 勝ち逃げなんて許さない (N)ever_Give_Up.

 

二九話:作戦会議 Discussion_And_Action.

 

***

 

「と、いうわけで」

 

 そう言ったレイシアの前には、十数人の少女と一人の少年が集っていた。……完全なる女所帯だったが、黒一点こと上条当麻はまるで気にした様子を見せない。さすがのハーレム耐性っぷりであった。

 いや、これでこの少年、しっかり色欲の類は備えているのだが、不幸な自分にそういうイロコイが舞い込むわけがないというシアワセ思考回路の持ち主なのであった。

 それはともかく。

 

「これより、作戦会議をしたいと思います」

 

 威風堂々と、レイシアは宣言した。

 

「はい」

「なんですの、刺鹿」

「……呼び捨てですか?」

「シレンと同じでも芸がないでしょう。こっちの方がしっくりきますわ」

「………………私の方が先輩なのに……」

「文句は体のサイズでわたくしに勝ってからどうぞ。どことはいいませんが。どことは」

「きしゃー!! きしゃー!!!!」

「まぁまぁっ……」

 

 明らかに『胸』を張っているレイシアに怒りの炎を巻き上げていた刺鹿は、苑内の仲立ちでもってなんとか冷静さを取り戻し、

 

「……ったく。んで、こっちのツンツン頭の殿方は覚えがあるんでいーですが、こっちの真っ白シスターさんはどちら様なんです?」

「ああ……彼女はインデックス。上条当麻の同居人……? ですわ」

「居候! 居候ねレイシアさん!! 誤解を招く表現は慎もう! あと俺のことはフルネームで呼ばなくていいから!」

「では上条、と。さて、話を進めますわ」

「ぐぬぅ……シレンの態度がいかに貴重かわかる一幕……」

 

 傲岸不遜なのはデフォである。

 なんてことをぐだぐだ言いつつ、作戦会議なのであった。

 その場に集まっているのは、刺鹿、苑内をはじめとしたGMDWの面々一〇人に、御坂、上条、インデックス、それにレイシアを合わせた一四人。基本的には、この一四人でシレンの人格を復活させる手がかりを探る。

 

「その前に」

 

 そこで、不意に美琴が声を上げた。

 

「前提条件を確認したいわ。アンタ達は、これまで二か月弱の間レイシアさんとして活動していた人格――シレンさんを復活させたくて、活動している。そいつはわかってる。……でも、それって猶予はどれくらいあるの?」

 

 美琴の懸念ももっともだろう。今ここには、今すぐにでも問題を解決してやるぞ――という意気込みの面々が何人も集まっていて、まさにこれから行動を開始する雰囲気があるが……猶予があるというのなら、何も無理に今すぐ動く必要はないのだ。

 二重人格についての研究はないわけではないし、そういったところから人格に関する資料を集めて、万全の準備を整えてから動いた方が、最終的な成功率は上がるはずだ。

 しかし、レイシアは目を伏せて、

 

「……あまり、時間は残されていませんわ」

「どういうこと?」

「二重人格の影響で、わたくしの能力は大幅に強化されていました」

 

 紡がれるのは、その場の全員にとって初耳の情報。しかし同時に、以前の彼女の能力を知る者は合点がいく。確かに、能力の急成長ではあったのだ。それが二重人格というイレギュラーによって起こったものならば、納得もいく話だ。

 

「……しかしわたくしの能力は、あの日――一方通行(アクセラレータ)戦を境に低下してきています。……おそらく、明日には元の水準に戻っているのではないかと」

「そんな……!」

 

 つまり、刻限(リミット)は今日の24:00。

 こんな手がかりも何もない状況から今日中に問題を解決しろというのは、なるほど確かに絶望的な提示かもしれない。

 しかし。

 

「…………なるほど、やってみるしかねぇか」

 

 上条は、それ以上特に感慨を抱いた風もなく拳を握る。まるで、そんなことは問題にすらならないとでもいうかのように。

 それを見てだろう、派閥の面々も、負けてなるものかと決意を新たにする。なんだかんだで周囲の流れを変えていく少年だ、と状況を俯瞰しているレイシアは思う。

 

「さて。ではどういった方法でシレンを呼び起こすか、ですが……」

 

 もっとも、ここにいる面々は二重人格のことなどまるで詳しくない。ゆえに、まずすべきはその『人格』の研究の権威を仲間に取り入れること、だろう。しかし……。

 

「……布束博士は今、学園都市にはいない、と……」

 

 妹達(シスターズ)学習装置(テスタメント)の開発者であり、先の革命未明(サイレントパーティ)で知り合った布束博士は、現在その事件で生み出されたフェブリ・ジャーニーという二人の少女の調整のため、外部の研究機関に行ってしまった。連絡はとれないし、協力も難しいだろう。

 その他の研究者に情報を開陳するには、信頼度が足りなさすぎる。この情報は、誰にでも知られていいものではないのだ。

 

「はいはいっ。レイシアさんっ」

 

 そこで、苑内が挙手をした。目線で発言を促すと、それがちょっと怖かったのか、苑内はおそるおそる発言しだす。

 

「そのっ、第二人格のシレンさんが弱まっているのでしたら…………似たような刺激を再度加えてみるというのはどうでしょうっ? ……あっ、いえっ。もちろんレイシアさんがどういう経緯でそうなったのかは理解していますがっ、あくまでっ、刺激という点だけを考えてっ……」

「ふむ……」

 

 なるほど、二重人格が治りかけているならば同じ衝撃をもう一度、というのは、まぁ単純だがわからなくもない考えだ、とレイシアは思う。

 しかし前提としてレイシアは二重人格ではないし、それ以前にこの発想には問題があった。

 

「確かに理屈としてはそうなるでしょうが……不可能でしょう。そもそも二重人格とは脳内のネットワークが一部隔離され、独立して動き出すようになったものですわ。もう一度ネットワークを隔離させたとしても、それはまったく別の第三人格を生み出す結果にしかならないでしょう」

 

 そうバッサリ言われて、苑内は俯くしかなかった。レイシアはそんな苑内にぎこちなく微笑みかけ、

 

「……も、もちろん、やりようによっては、たとえば意図的に脳内の同じ部分を隔離するなどすれば不可能ではない話ですわ。ただ、それをするにはそれこそ超能力者(レベル5)級の精神感応(テレパス)が必要になるというだけで……」

 

 そう、フォローを入れることすらできていた。これまでのレイシアならばできなかった行動だ。彼女自身は自覚していないが、レイシアは確かに成長していた。

 

「……一応、あいつとのパイプはあるといえばあるけど……、……ダメね、リスキーすぎる。仮にもアンタは派閥の長なんだし、アイツがだまって治療だけするとは思えない。何かしらの爆弾を植え付けられてもおかしくないわ」

 

 だから、食蜂操祈(アイツ)を頼るのは最終手段にしておきましょう、と美琴は言う。意味記憶によって彼女の所業を知っているレイシアもまた、それについては同意した。

 

「あ、じゃあ俺も提案」

 

 上条は手を挙げて、

 

「要するに、シレンが目覚めればいいんだろ? 何かしらの方法でシレンに声を伝えやすくしたうえで呼びかけてみる、ってのは」

「…………………………まさか、精神論でして?」

「い、いや、まぁ」

 

 信じがたいものを見たような目で見るレイシアに、上条は目を逸らしながら言った。まぁ、上条のような馬鹿学生にあれこれといった科学知識の応用は不可能なのでしょうがなくはあるが……。

 

「…………盲点でしたわ」

 

 しかし、意外にもレイシア、これに好印象を抱く。

 

「え、ありなのか?」

 

 むしろ、言った張本人である上条の方が怪訝な表情を浮かべているが、しかし考えてみればこれは自明の理でもあった。

 何せ、レイシアが今こうして目覚めている理由が、そもそも精神論の賜物である。シレンがその行動によってレイシアを元気づけ、それによってレイシアが自分で生きる気力を蓄えていったからこそ、今の状況がある。

 つまり、レイシア自身が何かしらの働きかけを行うことでシレンの人格に活力を与える、という方針は間違いではないということになる。

 もちろん、それでいいならば今頃シレンは勝手に復活しているだろうし、そもそも能力の減衰が人格の休眠より先に起こっていたあたり、それ以上の根深い問題もあるのだろうが。

 

「まぁ、アプローチの一つとして有効、ということですわ。単なる精神論だけではなんともなりません。実際に、能力の減退という形でシレンの消滅は観測されつつあるわけですし。しかし、きちんと科学的なお膳立てをすれば、ということです」

 

 こほん、と取り繕うように言ったレイシアの言葉に、美琴はぴくり、と反応する。

 能力の減退。……同じ肉体的条件にも関わらず、何故か能力に変動が起きるという現象を、美琴は知っている。

 妹達(シスターズ)

 研究資料によれば、彼女たちは御坂美琴(レールガン)とまったく同じ肉体的条件にも関わらず能力強度に差異が出ているという。

 肉体の条件は同じだが性格が違う美琴と妹達(シスターズ)。同じ肉体だが異なる人格のレイシアとシレン。…………この二つのケースは、非常に似通っているのではないだろうか。

 そして、そう仮定すると。

 彼女らに詳しい人物ならば、何かしらの情報を知っているのではないだろうか?

 

「…………一人、心当たりがあるんだけど」

 

 美琴は挙手をしながら、口を開く。

 その人物。

 

「例の、カエル顔の医者。あの人なら、何か話が聞けると思うの」

 

***

 

「……っつーか、御坂もあの先生と知り合いだったのな」

 

 第七学区の病院に移動している最中。

 上条はふと、そんなことを言っていた。上条にとってはなじみ深い例のカエル顔だが、そういうところで繋がりがあるのは意外なのだった。

 美琴は普通にうなずき、

 

「ま、以前の事件でちょーっとね。つか、そりゃこっちのセリフよ。アンタこそ、あの先生とどういう経緯で知り合ったんだか。かなりの名医っぽい雰囲気だったけど」

「あー……まぁ、いろいろな。けがとかよくするし。腕とか斬れるし……」

 

 最後の方はぼそぼそ言っていた上条だったので、そこのところを聞きとがめられることはなかった。知識として何があったのか知っているレイシアはそこはかとなくジト目だったが。

 

「……さ、馬鹿話はその程度に。上条も墓穴を掘るのはほどほどにしなさいな」

「はい……」

 

 ちなみにレイシアは『記憶喪失のことに繋がりそうな話題はやめとけよ』という冷ややかなツッコミなのだが、上条にその裏の意図は伝わらない。

 とはいえ、集団の雰囲気はだいぶ改善されていた。もちろんまだ糸口が見つかると決まったわけではないが、彼女たちの中でカエル顔の医者がなかなかの腕というのはかなり周知の事実である。

 何せ妹達(シスターズ)の調整も彼が手配しているわけだし、よく分からないがすごい人なのはよくわかる。

 

 ただ、世界は、そう単純には回ってくれない。

 

「つきやがりましたよー。さぁ! いざ、シレンさん救出の手がかりを得に――――」

「お、お姉様! 助けてください!」

 

 意気揚々と病院の敷地に入ろうとした刺鹿は、勢いよく病院の敷地から出てきた少女に突き飛ばされ――

 

「と、ミサカは妹らしくストレートにお姉さまに、」

「ふぉああああァァァあああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!」

 

 瞬間、機密保持のためにやむなく行使された超能力(レベル5)の雷光が、周囲の光景を完璧に光で埋め尽くした。



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三〇話:災い転じて

 前略、美琴はやってきた御坂妹を認識した瞬間雷光を撒き散らし周囲の目を潰し、御坂妹の放つ電磁波に電磁力で干渉して思いっきり病院の屋上に吹っ飛ばした上で、自分も同じく吹っ飛んで強制的に場所を移すという人間離れした行動を一秒未満のうちに成し遂げていたのであった。

 

「…………これでよし、と。…………よしじゃないけど……。……レイシアさんのフォローに期待しよう……大丈夫かなぁ」

 

 携帯でもってレイシアに事情の説明とフォローの依頼をし終えた美琴は、改めて目の前の少女――御坂妹に向き直る。

 

「……んで、いったいどうしたのよ?」

「お姉様の早業に、マジかよこの人化け物か? とミサカは驚愕の色を隠しきれません」

「んで! いったい! どうしたのよ!」

「そう焦るな焦るな、とミサカはせっかちなお姉様のことをなだめます。どうどう」

 

 既にぷるぷるし始めている美琴だが、コイツらは根本的にこういうヤツらである。ここで怒っては話が進まなくなる。

 

「……話、というのはですね」

 

 一転、真面目な表情になった御坂妹は、すぅっと息を吸い込み、そしてこう切り出した。

 

「『人格励起(メイクアップ)』」

 

 その口から紡がれるのは、聞き覚えのない――――しかし、何か不穏な響きの単語。

 

「その実験の為に、一九九九〇号がさらわれてしまいました」

 

***

 

第三章 勝ち逃げなんて許さない (N)ever_Give_Up.

 

三〇話:災い転じて Not-just_Pick_Upper.

 

***

 

「どうでしたか、レイシア?」

「……呼び捨てですの?」

「貴方が呼び捨てなら、私がさんづけする理由もないでしょーに」

「…………まぁいいですわ」

 

 一方そのころ、レイシアサイド。

 非常に不服そうな――とはいえ、実はその口元の笑みが隠しきれていないのが丸分かりな――レイシアは、とりあえず送られてきた連絡をそのまま読み上げる。

 

「『ウチの後輩が暴れそうだったから、緊急回避した。刺鹿さんには謝っといて。私は屋上にいるから』……だそうですわよ」

 

 レイシア的には『そんな誤魔化し方ねーだろ』という気持ちだったのだが……どうやらそれは、岡目八目ゆえの聡明さだったらしい。彼女の『熱狂的ファン』を間近で見て知っている刺鹿以下常盤台連中は、『ああ、例の白黒さんみたいなのね……』みたいな感じで同情モードに入っていた。

 

「……上条、行ってあげては? 彼女だけでは話も長引くでしょう。例のカエル顔さんから話を聞くだけなら、わたくし達だけでも十分ですわ」

「でも、そうするとインデックスがなー……」

 

 宙ぶらりんになる、という懸念であった。

 いや、とくに気まずくなる心配とかはインデックスに限って無用なのは間違いないが、彼女はこれでなかなか破天荒なところのある少女である。上条というガードがない状態で、中学生の少女たちに制御できるかという部分は疑問だった。

 

「――――その件については、お任せください」

 

 なんてことを上条が考えていた、まさにその瞬間だった。

 まるではかっていたかのようなタイミングで、ポニーテールの女性――神裂火織が、その場に合流した。

 

***

 

 やった――――――!

 

 神裂を見た瞬間、レイシアは思わず心の中でガッツポーズをした。

 現在科学サイドからシレンのことを復活させようとしているレイシアだが、正直なところ、科学サイドからの処方についてはそこまで期待していなかった。精々、科学サイドの技術は場を整える為のサポートとして使える、くらいにしか考えていなかったのだ。

 だから、どこかのタイミングで魔術サイドに連絡を取るつもりではあった。具体的には上条に土御門からの協力を取り付けさせるよう誘導する方向で。

 

 何せ、この問題はシレンの『魂』をどうにかするというもの。

 主な処方は、魔術サイドの技術が必須になるだろうと思われたからだ。

 もちろんその魔術のピースには科学サイドの技術を使うことで、原作の『グレムリン』のようなハイブリッドでもなんでも使ってオーバーキル気味にシレンの魂を復活させてやろうという算段だったので、科学サイドからの働きかけが全く無意味というわけではないのだが。

 

 …………科学サイドの先進技術を使った魔術の使用を制限するための『条約』? そんなもの、こちら側の人間が情報を握り潰せば『公的には』どうとでもなる。公私混同万歳。コネを使ってルールをぶち破り自分のわがままを通すのは、悪役令嬢の特権だ。

 

 そんなわけで、神裂の合流はレイシアにとっては大歓迎だった。

 当然、レイシアは速攻に出た。

 

「事情は伺っています。『あの方』を助ける助力であれば、」

「では、お任せしますわ! 上条、神裂さんに携帯をお渡ししてくださいまし。三手に別れて連絡を取り合うことにしましょう。インデックス、神裂さんに詳しい事情説明よろしくお願いします!」

「え? わ、分かったんだよ!」

「あっ、ちょっと! 待ってくださいレイシアさん、まだ何も話していないのに――」

「みなまで言わなくても分かっていますわ! あとは頼みます!」

 

 神裂に二の句を継げさせず、とっとと病院の方へと走っていくレイシア。GMDWの面々も少し困惑気味だったが、レイシアの剣幕に押されてそのまま流されていった。

 ……レイシアがこうしたのには、理由がある。というのも、あまり科学サイドの人間と魔術サイドの人間を接触させたくはなかったのだ。言ってみれば、魔術サイドとはそれ自体が科学サイドで言う暗部と同レベルの闇。すでに片足を突っ込んでいる自分はともかく、GMDWの面々まで踏み込ませるわけにはいかないだろう。

 というわけで、とりあえず強引に押し切って、レイシアの口から神裂の素性についてねつ造し、携帯を通じて口裏合わせをする、という算段なのであった。

 

(状況は、わたくし達に有利に回っている。ふふ、上手くいかないと喚き足掻いていた頃とは真逆ですわね)

 

 あとは、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)の助力を得ることができれば、準備は完了だ。時刻は現時点で午後三時。余裕はないが、魔術師の協力があることを考えれば十分に間に合う時間帯であるといえるだろう。

 

「……ん?」

 

 と、そんなレイシアの携帯に、美琴から着信が入った。電話ではなく、メールだ。

 ちくり、とレイシアの心のうちに、嫌な感覚が走った。

 

 そしてメールの文面を開いたレイシアは、それ見たことか、と自分の予感を恨むことになる。

 メールには、こうあった。

 

『あの実験は、まだ終わってなかったみたい。ごめん、私、この流れを見逃してアンタに協力を続けることはできないわ。詳しい事情は、移動しながらまたするわね。とりあえず、今は取り急ぎこれだけ』

 

 焦っているのが、これでもかというくらいに分かる文面だった。

 どうやら……またシレンの行動の結果、歴史に乖離が生まれたということらしい。あの一件だけでは実験は完璧には終わらず、それによって何かしらの事件が動いているようだ。

 美琴が情報を出していないせいで細部は分からないが、彼女がここまで慌てているという時点で、妹達(シスターズ)に深刻な危険が迫っていることくらいは分かる。

 

(……そういえば、シレンの記憶によると、番外個体(ミサカワースト)とかいうのが絶対能力進化(レベル6シフト)の後継計画……だったかで作られたんでしたっけ? 肝心のシレンの記憶がボケボケなのであやふやですが……)

 

 小説の方でそうしたことが起こっているなら、レイシアの介入によって別の計画が動き出してしまうというのも、ありえない話ではないだろう。

 ……いや、というより。

 

(……今、こうして考えていること自体が無駄ですわね。御坂さんの一時離脱は確実。……ここは、上条をつけてイレギュラーの早期解決をはかったほうが得策ですか……彼女の情報検索能力を失ったのは痛手ですが)

 

 手の中にあったはずの流れが、いつの間にか半分ほどこぼれている。この感覚は、いつ感じてもあまり気持ちのいいものではない。少々のいら立ちを覚えながらも、レイシアはそれを握り潰すように拳を握りしめる。

 そして、今得た情報と決めた行動方針を全員に共有しようと口を開く。

 

「……イレギュラーが発生しました。美琴さんが別口で事件に巻き込まれたらしく、しばらく協力は難しそうです。上条を事態の早期解決のために同行させようと思いますが、構いませんか?」

「問題ないと思いますよ」

「あたくしもっ、大丈夫だと思いますっ」

 

 その後も、派閥のメンバーからは了承の声が返ってくる。実際のところそれが最善なので確認の意味は乏しいのだが、それでも皆と足並みを揃えようとする意識は、レイシアの成長の裏付けでもある。

 

(それに、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)の協力さえ得られれば)

 

 シレンのノートにも、本当の本当に困ったときは彼を頼れ、という言葉が書いてあった。正直なところ、レイシアは冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)の敗北――上条当麻の記憶――を知ってしまっているから、そこまで盲信することもできないのだが……しかし、現状一番有力な協力者候補であることに間違いはない。

 最悪、彼の協力だけになってしまったとしても、まだ成功の芽が潰えたわけではないのだから。

 

(さあシレン、もうすぐ会えますわよ……!)

 

***

 

「……来たみたいね」

 

 レイシアに言われ、屋上で上条を待っていた美琴は、ツンツン頭の少年の到着を視界にとらえて呟いた。

 しかし、その声色はやはり常のそれとは違っていた。

 

「……? なんだ、そんな顔して。それより、御坂妹、なんであそこで現れたんだ?」

 

 対して、まだ事情を知らない上条は、何かがあるという直感から表情こそ硬いものの、怪訝そうな目で二人を見ていた。

 美琴は、重々しく溜息を吐くと、横にいた御坂妹に水を向けてやる。

 

「……そうね。聞かないことには、分からないでしょう。こいつにも話してあげなさい、人格励起(メイクアップ)計画のこと」

「――はい、とミサカは既に訳知り顔なお姉様に生温かい目を向けつつ頷きます」

「オイコラ」

 

 こめかみに青筋を立て始める美琴は無視して、御坂妹はさらりと話し始める。

 

「事の発端は、実験中止に反対する研究者の声でした――――」

 

 御坂妹が口にした一連の流れは、まさしく『自暴自棄の末の暴走』と表現すべきものだった。

 

 結論から言って、絶対能力進化(レベル6シフト)計画は凍結された。

 最強であるはずの一方通行(アクセラレータ)が、確実に勝てる格下の第三位、ただの無能力者(レベル0)、そして異能力者(レベル2)に昏睡させられるような大能力者(レベル4)に敗北してしまったのだ。

 念のために樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)に試算させてみても、本来であればこの組み合わせに敗北する確率は〇%。あり得るはずのない敗北が、実際にありえてしまっていた。

 このことから、樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)の条件設定に何らかの致命的エラーが生じている可能性が提示され、その原因究明が終わるまで関連計画の一切が中断されることになった。

 なお、樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)のエラー計算には膨大な時間と費用がかかることも判明しており、当該機械を備えた衛星は近く機能を停止し、バラバラに分解したうえで大気圏に突入させ、廃棄することが決定しているのだとか。

 

 閑話休題。

 

 ともあれ、そんな風に完膚なきまでに凍結された実験だったが、研究者達は自分たちの首がかかっているのだから納得できるはずがない。バグが生じているのは『予定外の因子』のせいで、それを取り除けば元通りに戻る、あるいはさらなる予定外を加速させればマイナスにマイナスをかけるとプラスになるように、元通りに戻るはずだ、などなど。

 さまざまな珍説奇説を並べ立てて、実験の凍結に反対しだしたのだ。

 その中で、今回動き始めたのは、『予定外の因子』をさらに生み出し実験にかかわらせれば、マイナスにマイナスをかけてプラスにするように、あるいは物質と反物質が衝突して対消滅を起こすように、『予定外の因子』の影響だけを消去できる――とする奇説を唱えていた一派だった。

 

 彼ら曰く、レイシア=ブラックガードは『人格』を特殊な手順で励起させることにより、能力の強度を大幅に上昇させているらしい。

 つまり、レイシア=ブラックガード同様、『人格』を何らかの方法で励起させた妹達(シスターズ)を使ってもう一度実験を行えば、『予定外の因子』の影響を消し飛ばした『本来の実験結果』が手に入る、ということらしい。

 

「…………なんだよ、それ」

「ま、カルト宗教みたいなモンよ。人間って、そもそも宗教的な生き物だからね。私たちだって、これだけ科学に身を浸していても神頼みだとか、オカルトの影響は完全には切り離せない。追い詰められた連中が、オカルトに縋ってしまうのもおかしくはないわ」

「それで、その科学者たちの思惑と誘拐された一九九九〇号に、何のつながりがあるってんだよ!?」

「『感情』です、とミサカは端的に答えます」

 

 あまりにもあっさりと答えられ、上条は思わず面喰ってしまう。

 

「『人格』の励起とは、簡単に言えば脳が吐き出す感情の絶対値を大幅に吊り上げ、それによって自分だけの現実(パーソナルリアリティ)を自前の感情だけで自壊させることです、とミサカは解説します」

「それじゃあ、普通廃人に……!」

「ですので、自壊のさせ方を工夫するわけです。たとえば、都合よく能力が成長する形に、とか、とミサカは補足説明します」

「…………、」

「そうなるように、計算して感情の絶対値を吊り上げる。そのための特殊な関数データを、感情に注入するというわけです。そしてそのためには、布束博士によって感情データを入力されたために、感情の絶対値がほかのミサカよりもわずかに高い一九九九〇号が最適である、と判断されたわけです、とミサカは事のあらましを説明します。ですが」

 

 無表情だった御坂妹は、そこまで言って言葉を切る。

 他人事ではない。確かな『感情』の色を瞳に宿して、言う。

 

「ミサカたちは――もはや、実験に協力する意思を持ちません。自分たちの人生を生きたいと、思っています。わけのわからない実験によって、自分だけの現実(パーソナルリアリティ)を自壊させるような危険な集団にとらえられた妹を救いたいと思っています。……ですが、ミサカだけではそれは不可能です、だから……協力してください、とミサカは誠心誠意お願いします」

「任せろ」

 

 帰ってきたのは、即答だった。

 

「せっかく、これからだってんだ…………それなのに、くだらねぇ連中の自己満足に、お前らを付き合わせたりなんか、絶対しねぇ」

 

 こんなものは、ただの障害物でしかない。

 いやむしろ。

 ひょっとすると、人格に関する実験のデータは、シレンを助けるための突破口にすらなりえるかもしれない。

 

「さっさと終わらせて、レイシアのもとに戻る。それだけだ!」



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三一話:万策尽きた

「たのもう! ですわ!」

 

 ばたーん! とスライド式の扉が豪快に開かれる。

 病院の受付でカエル顔の医者の居場所を尋ねたレイシアは、少々特殊な経緯で入院していたこともあって彼の居場所をスムーズに聞き出し――だというのに、無駄に挑戦的に彼の詰めていた個室(おそらく休憩室だろう)に乱入していた。

 

「…………今は少し遅めのランチタイムだから、少し待って欲しいんだね?」

「待ちません!!」

「ちょっ、レイシア! いきなりそれじゃー話がややこしくなるでしょーが!」

 

 呆れ顔のカエル顔の医者に即答するレイシアを、刺鹿が抑える。逸る気持ちがあるほかに、人となりを知っているということでだいぶ心を開いているのだろうが、外野からすればひやひやものである。

 どうにもしまらない感じだったが、カエル顔の医者の方はそのやりとりで事態の深刻さを察したらしい。缶コーヒーを一口飲むと、食べかけのコンビニ弁当には目もくれずにレイシア達の方へと向き直っていた。

 

「それで、用事はなんだね、どうも、いつものとは毛色が違うみたいだけどね?」

「消えかけた人格を呼び戻す方法を探しています」

 

 問いかけに対し、レイシアは端的に言った。常人ならば文脈を読み取ることすら難しい唐突な話題転換だっただろう。にもかかわらず、カエル顔の医者は驚いた様子も見せずに『ふむ、そうなったか』とすら呟いてみせる余裕があった。

 

「アナタなら、シレンを呼び戻す方法も知っているはずです! どうか、力を貸してください!」

 

 そう頼み込むレイシアの表情は、まさに真剣そのもの。しかし一方で、レイシアは心の中でどこか安堵してもいた。

 冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)は、どんな手を使ってでも患者を救う男だ。

 この老年に差し掛かるまで、彼の敗北はただ一つ、上条当麻の死亡のみ。ゆえに完全にシレンが消えた後ならば難しいだろうが、まだ完全に消えていない今なら、救う手立てとまではいかずとも、その作戦を大幅に補強するピースは得られるはずだ。

 いや、得なければならない。

 開発官(デベロッパー)の協力は見込めず、美琴は離脱し、この状況でこの医者からも見放されれば、事実上科学サイドからのアプローチは皆無ということになる。

 魔術サイドだって万能ではない。一〇万三〇〇〇冊の叡智を持つインデックスでも、失われた上条の記憶を戻したり、自分自身の消えた記憶の修復はしていないところからして、インデックスの一〇万三〇〇〇冊の『偏り』は、脳機能や魂といった領域には不得手な可能性が高いのだ。

 ゆえにこその、科学サイドからのアプローチ。

 ここで躓くわけにはいかない。

 

「結論から言うけどね?」

 

 ――はずだった。

 

「二重人格を『呼び戻す』方法は、存在していないね?」

 

 はっきりと。

 残酷な響きすら伴わせて、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)は断言した。

 

「まぁ、専門家でない君たちは仕方がないんだけどね、そもそも二重人格というのは脳のネットワークの混線・自律稼働という『バグ』なんだね?」

 

 カエル顔の医者は缶コーヒーで喉を湿らせながら続けていく。

 

「高位の精神感応(テレパス)ならその混線を模倣することで似たような二重人格状態を再現することは可能だけど、それにしたって記憶まで同じとは行かない。同じ性格、同じ思い出を共有した人格の再生は、それこそ失われた命を再現するのと同等の難易度なんだね?」

 

 それは、残酷な宣告だった。

 あとはもうないはずだった。なのに、なのに、ここに来て、最後の頼みからこんな回答が返ってくるなんて。

 呆然と、ただ聞いているだけのレイシアに、彼はさらに続けていく。

 常のような遊びを排除した、厳然たる口調で。

 

「――医者として言うならば。君はもう患者ではない。二重人格は常識的に考えれば『疾患』だ。治癒しつつあるというのであれば、それは僕が手を下すべき領域じゃあない。ただし、」

「もう、けっこうですわっっ!!!!」

 

 カエル顔の医者の言葉を遮って、レイシアは悲鳴をあげるようにそう言っていた。

 予想外の激情だったのだろう、カエル顔の医者はわずかに瞠目している。

 目尻に涙を浮かべた少女は、子供の癇癪そのままの怒りを目の前の大人に向け、こう吐き捨てた。

 

「アナタにとってはただの『疾患』でも…………わたくしにとっては、何より代え難い恩人であり、友人ですわ。…………失礼します!」

 

 踵を返した少女は、その場に涙を散らしながら去って行った。

 

「レイシアさんっ……」

「苑内さん、待ちやがってください」

 

 ……もう、あてなど、ない。

 

***

 

第三章 勝ち逃げなんて許さない (N)ever_Give_Up.

 

三一話:万策尽きた And_More.

 

***

 

 冷静に考えてみれば、あそこでは食い下がっておくべきだった。

 相手は科学サイドの権威なのだ。食い下がって、核心に迫るものでないとしても少しでも情報を得る努力をするべきだった。何よりも大切なのはシレンの復活。そのためなら、感情を殺してどんな方法でもとるべきなのだ。

 だが、レイシアは我慢ができなかった。何も知らないとはいえ、シレンの人格を『疾患』呼ばわりされることに、我慢がならなかった。

 絶望して、冷静さを失っていたということもあるのだろうが……今更後悔しても、後の祭りだ。

 ……感情に流されて、優先順位を見失って、挙句の果てに最後の砦を自ら手放す。まったくもって、愚かな選択だった。

 

「…………わたくし、結局何も変わっていませんのね」

 

 慌ててレイシアを追ってきた派閥のメンバーに、レイシアは自嘲するように笑ってから呟いた。

 派閥のメンバーは、みなどんな言葉をかけていいか分からない、という様子だ。

 それも仕方ない、とレイシアは思う。この状況でどんな言葉をかければいいのかなんて、レイシアにも分からない。

 

「……悪いですわね、こんなはずでは、なかったのですが……」

 

 ……落ち込んでは、いられない。

 最後の砦を失ったからといって、まだ万策が尽きたわけではないはずだ。何かどこかに、方法が残っているはず。まずは情報共有をして、それからみんなで次の作戦を考えればいいのだ。

 もしもシレンだったら、きっとそうする。

 レイシアはそう考え、手の中にある携帯に視線を落とす。メールの着信がきたのは、ちょうどそのときだった。

 連絡は、上条からだった。

 いや、違う。上条の携帯を渡したインデックス……正確には神裂からだった。

 

『少し、会って話がしたいです。今後のことやこちらの持っている情報などにもばらつきがあるようですので。お一人で病院の外までお願いします』

 

 科学サイドからのアプローチが全て不発に終わった今、この申し出はレイシアには有難かった。二つ返事を送ると、その場にいた派閥のメンバーに席を離れる旨を伝える。

 

「先ほどのポニーテールの女性と話をしてきます。皆さんは、少しここで待っていてください。人見知りな方なので」

「わわわ、分かりました」

 

 と、自分の言葉に答えたのが、同じ二年の桐生という少女だったことで、レイシアは怪訝な表情を浮かべた。

 

「…………刺鹿と苑内は?」

「ええと……ななな、なんだか、いつの間にかいなくなってましたね……」

「……心配ですわね。皆さん、探しておいてくれますか」

「りょりょりょ、了解です!」

 

 桐生の了承を受けて、レイシアは病院の外へと出向く。

 しかし、先ほどまでの絶望とは違い、その表情は不在の二人への心配に塗りつぶされていた。

 

***

 

「あ、レイシア! 待ってたんだよ! いきなり置いてけぼりにするなんてひどいかも!」

「でもアナタ、彼女たちの前ではろくに魔術の知識も披露できないでしょうに」

「うぐぐ……レイシアは辛辣なんだよ……」

 

 とはいえ再会早々のこのやりとりで、レイシアのささくれだった心はだいぶ癒されていた。なんだかんだ言って、人の心の緊張を和らげる少女である。

 

「それで、レイシアさん。今の状況は……インデックスからある程度聞きましたが、貴方の第二人格……シレンさんが消えかけていて、それを救出させようとしている、ということで、本当に間違いないんですね?」

「ええ。……間違いありませんわ」

「それならよかった。……最悪、護符を用いてシレンさんの魂を外部に切り離し、あとで魔術的に容器を用意する……という方法も考えてはいましたが、あまりにリスキーな方法でしたからね」

「……? リスキー、ですか?」

「ええ」

 

 神裂は軽い調子で頷き、

 

「魂というのは、言ってしまえば量子暗号のようなものなのです。情報の塊としては確かに存在していますが、下手に観察したり干渉しようとすると『別の何か』に代わってしまう。西洋でいう悪霊や、日本における霊魂由来の妖怪――たとえば『海坊主』の一種などはこの系統ですね」

 

 話がそれました、と神裂は言い、

 

「魂自体をダイレクトに扱うことは、魔術サイドの技術を以てしても難しい」

 

 今は、霊障という魂にこびりついた汚れのようなものから逆算して魂の形をある程度変える技術も一応研究はされているらしいですが、確立した研究技術ではないですし――と神裂は言い、

 

「我々にできるのは十字教方式。たとえば西洋の悪魔方式を利用してシレンさんの魂を羊皮紙に封印し、その後何らかの方法で肉体を与える……という非常に難易度の高いものでしたからね」

「……それは、なんとなく難しそうだなということは、分かりますが」

「難しいですよ。何せ悪魔のルーツは基本的に、十字教の教義によって歪められた神ですから。つまり、在り方を歪められているとはいえ『神の御業』に挑戦しろと言っているようなものです。人工心臓を使わずに心臓手術をするのと同レベルの無理難題といえば、分かりやすいでしょうか」

 

 要するに、無理難題ということらしい。

 一〇万三〇〇〇冊の叡智を以てすれば『無理難題』で済ませられるというだけで、本来ならば完全に不可能な芸当と言ってもいいだろう。確かに、リスキーだった。

 

「それにしても、ずいぶん科学的な言い回しをするようになりましたわね」

「それはもう、貴方がたの世界についても、理解する必要を感じましたので」

 

 それは、科学サイドからの知識によってインデックスを救うきっかけを掴めた神裂の素直な感情だった。

 

「もっとも、分からないことも多くありますがね。今回も飛行機を使いましたが、あの鉄の塊がどうやってあんなに速く空を飛んでいるのか……」

「……ああ、それは、因果が逆ですわね。むしろ、あれだけ速く飛んでいるからこそ空を飛べるんですわ。速度が遅ければ、逆に飛行がブレてしまう。言うなれば高速安定ラインのようなものがあるわけです」

 

 言いながら、レイシアはシレンの記憶を思い浮かべる。確か、アックアという人物は二つの聖人の特徴を兼ね備えた二重聖人で、同じように高速安定ラインで天使の力(テレズマ)を運用することで莫大な力を出していたということだった。確か理屈としては、ある種の力は莫大な力を運用することでかえって力が安定するんだとか。そう考えると、どの業界(というと少し語弊があるが)でも似たような法則はあるということだろう。

 

(……思考がわき道にそれていますわね。それほど、現実逃避をしたいのでしょうか……)

 

 そこまで考えて、レイシアは自分の一連の思考を自嘲する。一刻を争うときに思考を脇道に逸らすなど、現実からの逃げでしかない。

 そんな風にマイナス思考に陥っているレイシアに気づいたのか、ふと神裂はレイシアの瞳を、その奥をのぞき込むように見つめた。

 

「……ずいぶん、覇気がないですね? 先ほどはもう少し威勢が良かったと記憶していますが」

「………………実は、科学サイドの権威にフラれてしまいまして」

 

 そう言って冗談めかして肩を竦めてみるレイシアだが、やはりその声に力はない。

 

「……諦めたのですか?」

「そんなわけっっ!!」

 

 レイシアはかっと目を剥いて反駁しかけるが、しかし、その声からすぐに力が失われていく。

 

「そんなわけ……諦められるわけ、ないじゃないですか……。……ですが、魔術サイドでも厳しいというのに、科学サイドからは何ら有効なアプローチが仕掛けられないとなると…………」

「ふむ」

 

 視線を落として言うレイシアに、神裂は思案気に頷いた。そして、

 

「…………思うのですが、貴方がたが有しているのは科学知識だけなのですか?」

 

 と、むしろ不思議そうに言った。

 

「…………は?」

「ですから。貴方がたを特別としているのは、何も科学知識だけではないでしょう。むしろ貴方がたの本領は、その身に宿す能力なのでは? であれば、それをうまく利用するべきだと思うのですが」

「……それ、は…………」

 

 言われて、レイシアは何も返せなかった。

 

「あの時のレイシアさん――いえ、シレンさんも、そうしていました。既存の可能性ではない、まったく新規の可能性。思考の新天地。……貴方も彼女を救いたいと思っているのなら、そこに手を伸ばしてみるべきでは?」

 

 シレンの思考法は――言ってみればただのカンニングでしかない。小説の知識ありきの判断だ。だから、神裂のようにシレンの思考法を評価するのは、実像とは少し異なる。が……一方で、確かにその通りだとも、レイシアは思う。

 そもそも、消えかけているシレンの魂を救うということ自体、本来ならば無理筋。既存の、当たり前の方法では解法が見つからないという方が『自然』なのである。

 であればこそ、科学という『当たり前』で手の打ちようがなくなったくらいで諦めるのは、あまりにも時期尚早だろう。

 

「我々は、魔術の面からアプローチをかけます。こちらにはインデックスがいますからね、ほかにも『天使の涙』を無害化した霊装の制作など、いろいろと動いていますから。……救う役目を取られたくなければ、貴方も必死になって頑張ってください。――もたもたしていると、私たちが救ってしまいますよ?」

 

 神裂にしては珍しく、そう冗談めかして言って、彼女はレイシアに背を向けた。

 にっこりと笑って手を振るインデックスに少し毒気を抜かれながらも、彼女たちを見送るレイシアの表情は、既に陰りが消えていた。

 

「…………非常に感情的な結論ですが……。…………わたくし以外の誰かにアレが救われるのは、少し、いやかなり癪ですわね」

 

***

 

 奮起したレイシアは、そのままGMDWの面々の元へと帰還していた。

 落ち込んでいたレイシアを心配していた面々だったが、戻ってきたレイシアの勝気な笑みを見てほっとしたらしい。明らかに肩の力が抜けていた。

 

「…………刺鹿と苑内は?」

「ままま、まだ戻ってきていません。探してはいるんですけど……」

「……まぁいいでしょう。もう少し待って戻ってこなかったら全員で探します。それより、今度は能力開発の方向から……、」

 

 と、そこまで言いかけたところで、レイシアの携帯から電話の着信が届いた。

 番号は、美琴のそれ。

 

「…………っ!!」

 

 思わず、レイシアはその場で携帯の通話ボタンを押す。

 美琴の離脱は、かなり厳しいものだった。その彼女からの連絡だ。状況が好転するかもしれない。そんな希望を込めて、レイシアは祈るような思いで電話に出る。

 

『………………レイシアか』

 

 出たのは、少年の声。つまり、美琴に同行している上条だった。

 上条は、何やら興奮を隠せない声色で、次にこう切り出してきた。

 

『……すごいモンを、発見しちまった』



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おまけ:人格励起計画、その顛末

 ――同時刻、上条当麻。

 

「……ここで間違いないのか?」

「はい。一九九九〇号はここに監禁されているはずです、とミサカは説明します」

 

 上条、美琴、御坂妹の三人は、第七学区にある廃研究所の前までやってきていた。

 廃研究所……ということで、上条は本当にここが敵のアジトなのか……と疑問をおぼえているようだったが、電撃使い(エレクトロマスター)の美琴と御坂妹の感覚には、敷地内で稼働する電子機器が放っている微弱な電磁波がとらえられていた。

 

「どうやら、中でいろいろとやっているみたいね。……ったく、コソコソ隠れたりして、悪役としてもチンケな連中ね。……これなら、()()()のレイシアさんのがよっぽど堂々としていて、かっこよかったわよ」

 

 吐き捨てるように呟いた美琴の瞼の裏には、あの頃の、傲岸不遜そのものだったレイシアの姿が映る。

 彼女を過剰に美化するつもりはない。

 確かにあれは彼女の悪性の発露だった。醜いまでの自己顕示欲により少女たちを弾圧する姿は、誰かに叱咤されるべきものだっただろう。

 でも彼女は、誰かを貶めたくてそうしていたわけではなかった。自分の居場所を守るために、彼女も彼女で必死に戦っていたのだ。ただ、歯車が噛み合わなかっただけ。誰かがそれを直して、油をさしてやれば……今のように、何も問題は起こらなかった。

 

(そのことに気づけなかったのは、誰? ずっと見てきたはずなのに、何度もぶつかったはずなのに、あの人のことをただ悪と決めつけていたのは、いったいどこの誰?)

 

 美琴が気づけたのは、結局、全てが手遅れになってからだった。たまたま橋にやってきていたら、見慣れた少女が飛び降りていた。慌てて磁力を使って助け上げたが、全身ずぶ濡れになった少女は、死んでしまったように眠っていた。

 ……ただでさえずぶ濡れだったのに、ぬぐってもぬぐっても、少女の目元はずっと濡れたままだった。

 

 ――美琴は思う。

 多分、レイシアがそんな彼女の心の声を聴けば、きっと否定するだろう。むしろ、怒るかもしれない。

 

『あれはわたくしの選択であり、意思であり、落ち度ですわ! そこまで他人に責任を持たれるほど、わたくしは落ちぶれていません! 馬鹿にするのも大概にしてくださいまし!』

 

 ……想像できる。ぷんぷんと顔を赤くして怒って、それからもじもじしながら、何事かフォローを入れようと不器用に話し出す姿が、目に浮かぶようだった。……あの人格自体と再会したのはさっきだったはずなのに、もうそこまでイメージできるほど、美琴は彼女と心の距離を近くしていた。

 だからこそ、これは美琴自身の納得の問題だ。

 誰が何と言おうと、レイシア自身が否定しようと、美琴は、傲慢かもしれないが、自分自身が彼女の問題に気づいて、支えてあげたかった。

 あのときは、それができなかった。

 もう、同じ轍は踏まない。

 

「…………友達、だからね」

「おいおい、御坂」

 

 拳に力を込める美琴の肩に、ぽんと上条の手が置かれる。

 

「俺のこと、忘れるなよ」

「まったくです。ミサカもいるんですから。というかもう一九九九〇号は助けた気になってませんか? とミサカは常識的なツッコミを入れます」

「当たり前でしょ」

 

 美琴はバツが悪そうに頬をかき、

 

「こんな小悪党なんか、前座よ、前座。……私たちはこの後、すっごい『巨悪(ヴィレイネス)』を相手にするんだからね」

 

***

 

第三章 勝ち逃げなんて許さない (N)ever_Give_Up.

 

おまけ:人格励起計画、その顛末

 

***

 

 そしてそんな美琴の態度は、決して慢心なんかではなかった。

 

「…………そういや、忘れがちだけど、お前って学園都市に七人しかいない超能力者(レベル5)の、上から数えて三番目なんだよなぁ……」

 

 上条が呆れてそう言うのも、仕方がない。

 美琴のハッキング能力によって、研究所のあらゆるセキュリティは素通り。ふいに遭遇した警備ロボットも速攻でハッキング&無力化と、現代文明が誇る機械警備達はことごとく美琴と相性最悪なのであった。

 敷地内に立ち入ってからそろそろ五分になるが、上条がしていることと言えば、御坂妹と漫才をしながら美琴をおちょくって場の空気を暖めることくらいである。いつもの上条なら侵入するのに一〇ページ、トラブルが起きて一〇ページ、合計二〇ページくらい使いそうな流れだというのに、正味三行くらいで進んでしまっていた。

 

「………………なんていうか、不幸だ」

 

 いや、今は幸運なのだが、普段の自分のめぐり合わせの悪さという意味で。

 

「なーにを言ってんだか。とっとと片づけてレイシアさんのヘルプに回るわよ。あと実験のデータとか集めないと」

「完全にボーナスステージ扱いだなーとミサカはのんきに宿直室から拝借したせんべいをバリバリ食べます」

「おまっ!? さっきちょっといなくなってると思ったらそんなことしてたのか!?」

「アンタたち……遠足じゃないのよ?」

 

 呆れながら言う美琴だったが、その間も彼女は警戒を怠っていない。電磁波による走査で、実質的に半径三〇メートル内のあらゆる物質の挙動は美琴の手のひらの上なのである。

 だからこそ、美琴はすぐに『異変』に気づくことができた。

 

「……!! アンタ達! ふざけてんのもここまでにしときなさい! 来るわよ!」

 

 そう、美琴が言った瞬間。

 ボゴォァア!! と、建物の外壁が発泡スチロールみたいに安っぽく吹っ飛ばされた。

 

「アー、本当にここで合ってンのか? ったく、天井の野郎こンなしけた場所に逃げ込みやがって、いくらなンでもお粗末すぎンだろ………………あ?」

 

 そして。

 目が合う。

 その赤い瞳は、それまでなんだかんだ言って弛緩していた上条の精神を一気に引き締めるには十分すぎるほど危険な意味を伴っていた。少なくとも、上条にとっては。

 

「…………オマエは」

一方(アクセラ)……通行(レータ)……!!」

 

 上条がすぐさま飛び掛からなかったのは、前回の戦闘で散々遠距離攻撃に苦しめられた――というのもあるが、それ以上に、一方通行(アクセラレータ)の表情から邪気が感じられなかったからだ。

 とてもじゃないが、今ここで上条達を襲うためにやってきましたという顔ではない。むしろ、自分も別の事情を抱えてこの研究所に乗り込んできたとでも言いたげな雰囲気だった。

 

「…………お前、一体何の用で……?」

「そンなこと、オマエらには関係ねェだろ」

 

 一方通行(アクセラレータ)は吐き捨てるように返して、

 

「…………運がイイなオマエら。今の俺はオマエらなンぞを構ってやる気はねェンでなァ。失せろ。俺の気が変わらねェうちにな」

 

 そして、ひらひらと適当そうに手を振っていた。

 美琴は警戒しているようだったが、上条には、一方通行(アクセラレータ)が言葉通り上条達から意識を外しているように見えた。

 つまり、彼もまた、この研究所に立ち入る理由がある、ということ。それは――おそらく。

 

「………………頑張れよ、一方通行(アクセラレータ)

「……あァ?」

「過去にやったお前の所業を、俺は認めない。……でも、今のお前は…………ちゃんと『最強』らしいんじゃねぇか?」

「オマエ…………」

「だから、頑張れよ。……今のお前なら、俺は応援してもいいし!」

 

 ニッと笑って、上条は歩き出す。

 ポカンとしている一方通行(アクセラレータ)を置いて進んでいくツンツン頭の少年の頭をひっぱたきながら、美琴と、そして御坂妹も研究所の奥へと進んでいく。

 

「…………ふざけてやがる。もしくは、ヒーロー様は見る目がねェのか?」

 

 白髪赤目の少年の憎まれ口を、背に聞きながら。

 

***

 

 道中も非常にあっさり目だった。

 もちろん警備ロボットやトンデモ科学兵器、それからボス格らしき研究者の男などもいたのだが、まぁまぁ全部美琴が片づけてしまった。上条一人だったら単行本一巻分くらいの大立ち回りだったのだが、そこは超能力者(レベル5)。往々にして全部一行で片づけてしまっていた。

 研究者の男など口上の途中でビリビリやられて拘束である。トークがバトルの基本が信条な上条としては、最後まで話聞いてあげようよ……と逆に同情してしまうまであった。

 防備が手薄だったのは、ひょっとしたら同時に研究所に侵入してきた一方通行(アクセラレータ)への対処に手数を割かれていたのかもしれないが。

 

 そんなわけで、研究者の男を締め上げて聞き出した一九九九〇号の居場所である。

 

「こちらになります、とミサカはせめてナビゲート役に努めることで今回ついてきただけだった無能ツンツン頭との差別化をはかります」

「おい! おい!! 傷心の上条さんの傷をさらに抉るのは感心しませんよ!!」

 

 実際には上条がいなければ美琴と一方通行(アクセラレータ)は出会った時点で殺し合いかねない関係性なのでかなり役立っているのだが、まぁそのあたりは本人たちには分からない事情である。

 

 プシュー、と空気の抜ける音と共にドアが開くと、そこには――ビーカーを思い切り巨大化させたような水槽と、その中に浮かぶ一人の少女があった。

 一九九九〇号。

 なお、もちろん全裸である。

 

「っっらァァあああああ青少年の健全なる育成のためのキック!!!!」

「ごァァああああああッ!? 御坂さん!? 御坂さん今のは不可抗りょグフォ不幸だあ!!」

 

 ノータイムでの延髄蹴りをもろにくらって吹っ飛び(ごァァあああ)、その後机に激突した(グフォ)ミスターアンラッキー上条はさておき、美琴は足早に一九九九〇号が入っている水槽、その横に取り付けられたパソコンに触れる。

 

「貴方はそこの資料でも読んでいてください、とミサカは衝突の衝撃により散乱した紙の資料を指さしつつ裸の妹の為に適当なカーテンをむしって服の代わりにしています」

「…………あんまりにもな扱い……不幸だ……シレンが恋しい…………」

 

 呻きつつ資料を漁る上条に(主に嫉妬で)ムッとする美琴は、滑らかなハッキングによって各種ロックを解除し、一九九九〇号を引っ張り出す。

 

「……お、姉様……?」

「もう大丈夫。私達が来たからね」

 

 くしゃくしゃと一九九九〇号の頭を乱暴に撫でると同時に、御坂妹がカーテンでもって彼女の体を覆い隠す。それを確認した美琴は、資料を漁っていた上条の方へと声をかけた。

 

「ねえ、そっちはどう!?」

「…………ああ。凄いもんが見つかったぞ」

 

 美琴にこたえた上条の声は、少し震えていた。

 

「なになに? どしたの?」

 

 何の気なしに近寄った美琴に、上条は無言で冊子になっている資料を手渡す。

 最初は怪訝そうな表情を浮かべていた美琴の表情は、読み進めていくごとに険しいものへと変わっていった。

 

***

 

 人格励起(メイクアップ)計画報告書

 

 残り一万人の妹達(シスターズ)では、決定的に崩壊した実験の軌道修正を行うことは難しい。

 そこで我々は、例の『予定外の因子』を実験に取り込むことを提案する。

 『予定外の因子』を取り込むことで、因子同士の対消滅を起こし、実験を元の正常な状態に戻すのだ。

 そのために、例の『予定外の因子』が誕生した経緯を分析・体系化して、その感情データを封入することにより、人格の励起をもたらす。

 感情データを封入された能力者の自分だけの現実(パーソナルリアリティ)に衝撃を与え、それによってAIM拡散力場に揺らぎが生じる。その揺らぎの波長同士がちょうど共鳴を起こすように、波長をコントロールするのがこのプログラムの重要なポイントだ。

 

 言ってしまえば、水を張った盆を小刻みに揺らすことで、大きな波を生み出すのと同じ理屈。

 そして、この共鳴により、AIM拡散力場を通じて自分だけの現実(パーソナルリアリティ)はより強固な形へと変貌することになる。これが、プログラムの最終目的である。

 

 このプログラム自体に汎用性はない。変数以外にも感情データや演算パターンに応じて一部定数を組み替えないと、正常に作動しないだろう。

 

 ……研究者として持つ最後の良心に従って書き残しておくが、この研究は根本的に失敗だ。

 先程の例を使うならば、このプログラムを実行した場合、小刻みな揺れによって波立った水は、そのまま盆から零れる――つまり、能力の暴走が待っている。

 仮に器が大きくなれば話は別だが、器以上のことをすれば、待っているのは当然、死である。

 ――しかし。

 もしも、もしもこのプログラムをきちんと稼働させることができたならば、その人物の意識レベルは飛躍的に向上し、単なる能力の成長以上の『励起』をもたらすだろう。



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三二話:集結、そして――

 それから、一時間ほどして、上条達はレイシアと合流を果たした。

 御坂妹については存在を見られるのはまずいということで、途中で解散した。伝言によると、『頑張ってください。我々も応援しています、とミサカは見ず知らずの人格でも温かく激励します』とのことだった。いちいち一言多いのは彼女たちのデフォである。

 

「この『人格励起(メイクアップ)』ってプログラム、使えないか?」

 

 得意げに言う上条の手には、人格励起(メイクアップ)の主要なプログラムが入ったUSBメモリがある。不幸の権化上条にそんなものを持たせるなと言いたいレイシアだが、多分道中特に仕事がなかった上条に美琴あたりが配慮したのだろう。それに、電磁波で万一でもUSBメモリの中身が壊れたらことだ。

 

「……ですが、妹達(シスターズ)のためのパターンがそのプログラムには組み込まれているんですわよね? それをわたくしに流用できますの? というか、設備の問題も……いやまぁ、まだ時間はありますが」

「んー…………それは……」

 

 至極当然な指摘を受けて、上条が困ったように唸った、その瞬間。

 

「そいつについては、問題ありませんよ!」

 

 ザッ! と豪快に靴音を響かせ、一人の少女がその場に乱入してきた。

 

「刺鹿さんっ、少し待ってくださいっ……急ぎすぎですっ」

「…………やれやれ、もう少し老体をいたわってほしいんだけどね?」

 

 いなくなったはずの刺鹿夢月。

 それと、苑内燐火が、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)を連れてやってきたのだった。

 

***

 

第三章 勝ち逃げなんて許さない (N)ever_Give_Up.

 

三二話:集結、そして―― Gather_Gather_Gather.

 

***

 

「あ、アナタは!?」

「いや、すまないね、まずは誤解を解こうと思ったんだけど、少し君の精神を慮っていなかったね?」

 

 思い切り目を見開くレイシアに、カエル顔の医者は相変わらずの調子でそう返した。

 

「先生! っつか、先生顔広いですよね!」

「それは君も同じなんだね? まさかほかの()()の案件で君と顔を合わせるとは思わなかったんだね?」

「……それよりっ! いったい、どういう事情で……?」

「ああ、君が話を最後まで聞かなかった件だね?」

 

 そう言われて、レイシアはやっと、自分が『何かミスをしていたのでは?』という事実に思い至る。……いや、それ以前にも『情報を得られないとしても少しでも食い下がるべきだった』と後悔はしているのだが、それ以前の問題で。

 たとえば、正解を目の前にしておきながら、それを素通りしてしまったかのような……。

 

「これからする話には二重人格に対する誤解があるとある意味致命打になりかねないからね、だからその前に誤解をとこうとしていただけだったんだね? 君は、その前に早合点してしまったようだけどね?」

「…………どう、いう…………?」

「ああ、つまりだね」

 

 ぽかんとしているレイシアに対し、カエル顔の医者はそこで言葉を切る。

 常の遊びが入った口調から、スイッチが切り替わるように声が低くなっていく。

 

二重人格(ダブルフェイス)としての復活は無理だが、二乗人格(スクエアフェイス)としてなら可能性はある」

「…………だぶる?? すくえあ????」

 

 レイシアの目が、一気に点になった。

 

「二重人格というのは、脳の中の二か所がネットワークとして並列している。だから、個々のネットワークに個別の干渉を施す……つまり、消えていく人格を復元するのは、死者蘇生並の難易度だ」

 

 ここまでは分かると思うが、と冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)は前置きし、

 

「ただし、独立しているとはいえ、二つのネットワークは根本的に一つの脳内に宿っている。だから、同じ脳内を共有している以上、脳内のどこかしらで『接点』が生じている。ある種の二重人格では肉体のある部位を第二人格が支配している、ということがあるように」

 

 冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)はいつの間に用意したのか、資料をパラパラとレイシアに差し出しながら、

 

「つまり、その『接点』を通じて、二つの人格は影響を及ぼしあう関係にある。それなら、君の人格を第二人格――シレンさんの人格に干渉するよう励起させられれば、シレンさんの消えかけた人格を『接点』ごしに励起させることだって、不可能ではない」

 

 無論、それは無理難題もいいところだろう。

 言ってしまえば、それは離れたところにある洗面器に手で風を送って、その風で揺らいだ水面でアートを作れと言っているようなものだ。何万何億と試行したって、失敗するのが関の山だろう。

 ただし。

 その無理難題を可能にしてみせるのが、この男の仕事でもある。

 

「もちろん、それだけでは駄目だ。言ってみれば、これは二つの自分だけの現実(パーソナルリアリティ)を共鳴させるようなもの。今までの比ではないチカラが君の体に満ちるようになる。……そうなれば、まず肉体が持たないだろう。AIMについての研究はまだ未知の部分が多々あるが、『チカラが溢れた結果』を体現した患者については何人か見てきた」

 

 ――たとえば、那由他と呼ばれていた木原。

 ――たとえば、エリスと呼ばれていた学生。

 

 人の肉体が許容できるチカラの総量には限度がある。『異なる種類のチカラ』を使ったとしても、その総量を超えたチカラの行使をすれば……当然、待っているのは無残な結末だ。

 

「それに、人格の励起は検体が変わるごとに変数や一部定数まで改変しなくてはならない。シレンさんの人格を励起させることを考えると、彼女自身の演算や感情のデータも必要になってくるだろう」

「…………それは、瀬見さん達と協力する必要がありますが――」

「心配は、いらないわ」

 

 そこで、セリフと同時に乱入してくる人影が一つ。

 

 白衣を身にまとった、言葉遣いとは裏腹に声色からはいまいち覇気や余裕が感じられない女性。

 しかし、今に限っては、余裕のあるいたずらっぽい笑みを浮かべていた。

 

「瀬見さん!? どうしてここに!?」

「フフ、ちょっとね」

 

 瀬見海良。

 先ほど、シレンの消滅を『二重人格からの快癒』ととらえて、それゆえに彼女たちからの協力は絶望的だとされていたはずだったが……。

 

「我々は、開発官(デベロッパー)()()()プロフェッショナルなのよ?」

 

 瀬見は、いたずらっぽく言って笑った。

 

「……もっとも、最初は意味を取り違えてしまったが……貴方の去り際の様子がおかしいということに気づいたので、何かあると思ったの」

 

 それからは、地道に貴方の行動を観察したというわけ、と瀬見は語る。

 

「経験上、こういったときの貴方に何か言ったところで、状況を悪化させるだけだもの。ただ、今の貴方には、仲間が大勢いるわ。なので、貴方の仲間によって精神状態が改善したときを見計らってやって来ようと思っていたのよ」

「そ、そうでしたか……」

「第二人格と、話をしたいんでしょう? 何かの役に立つと思って、第二人格が稼働していた時期の演算や感情、思考パターンのデータは一応持ってきているわ。ほかに何か必要なものがあれば、研究所に連絡をとるけれど」

「じゅ、十分ですわ。……ええ、本当に」

 

 なんだか完璧に自分の言動や思考パターンを理解された対応に、レイシアは思わずバツが悪そうに縮こまってしまう。まさにさっき『状況を悪化させた』前例を作ってしまったため、余計に何も言えなかった。

 なんだかんだ言って、瀬見のことも、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)のことも、レイシアは何も見抜けていなかった。……自分の感情に振り回されていた、というわけだ。シレンはあれほど簡単に相手のことを慮って動いていたというのに……なぜこうも自分は余裕がないのだろう? とレイシアは少しだけ思ってしまう。

 

「……そう縮こまらなくてもいいの。貴方はまだ、子どもなのだから。それに――貴方のことをよく理解している仲間が、貴方のカバーに入ってくれていたでしょう?」

 

 そんな彼女の心情を読み取ったのだろうか。そう言って、瀬見は刺鹿と苑内を指し示す。

 

「ふふん。私達も一応年長者ですからね。勝手に勘違いしやがって出ていきやがったレイシアさんに代わって、こちらの先生から話を聞かせてもらってたってゆーわけです」

「何かあればサポートするのがっ、あたくし達の役割でもありますからねっ」

「アナタ達…………。…………ありがとうございます」

「役者は、これで全員そろったな」

 

 笑顔で言うレイシアの横で、上条は不敵な笑みを浮かべながら、拳をぱしっと叩く。

 

「ちょっと待ってほしいんだけどね、数値の問題が解決しても、まだ器の強度の問題が改善していないんだね? このまま始められるというような奮起をされても困るんだね?」

「……………………」

「……上条、考えなしのバカ」

「やめろっ!! 上条さんもともと頭の出来はよろしくないんですよ! 頑張って話についていこうと努力してるんですよ!」

「フン、無様だな、上条当麻」

 

 ギャースカと漫才が展開されかけたところで、皮肉っぽい笑みと共に、赤髪の少年がその場に登場する。

 

「ステイル!」

「ええい気安く呼ぶな! こっちはインデックスを狙う輩を珍しく穏便に捕獲したりと慣れないことをしてただでさえ疲れているんだ!」

「ステイル!!」

「違う! 日和ったわけではない! ただ、大一番を前に騒ぎを大きくして足を引っ張ることになりそうなのが癪だっただけだ!」

「ステイル!!!!」

「違う! 今のはそういう意味じゃない! 別にあの女のことを大事に思っているわけではない!!」

 

 …………結局、漫才が展開されるのは変わりないのだが。

 

「レイシアさん、あの方は? あと、その近くにいる目を瞑った男性とか、片方物凄い短くなってるジーンズを穿いてる人とか……。白いシスターさんは居候って話ですが」

「………………あ、暗示系の! 暗示系の能力者ですわ! 離れた学区の、神学校に通っている方で! 上条さん経由で知り合った……ようですわ! シレンの日記で見ました! 優秀なのでよく海外に飛んでいて、なかなか会えないらしいんですけどね!」

 

 咄嗟にステイル達にも聞こえるように言い訳しつつ、レイシアは内心で頭を抱える。

 こうなるから、彼らをGMDWの面々と対面させたくなかったのだ。せめて、魔術が『別方式の超能力』として認知される第三次世界大戦の少し前あたりなら変に誤魔化す必要もなかったというのに。

 一応、レイシアが意図的に大声で話しているから、上条やステイル達には『建前』を認識させることには成功しているだろう。それだけが救いだが。

 

 

「じゃあステイルはどうにかできるってのか!? お前だって出来ることねぇだろ!」

「フン、舐めるなよ上条当麻。僕だって準備はしてきてある!」

 

 と言って、ステイルは堂々と何やらルーン文字が描かれた護符のようなものを取り出した。

 

「インデックスの知恵を借りて天使の涙の機構を模倣して作った、」

「お守り、ですわね?」

「……は? レイシア……」

「お守り、作ってくれたんですね? ありがとうございますわ」

「…………、あ、ああ……」

 

 有無を言わせずにお守り(多分『器』の強化とかをしてくれるのだろう)を受け取ったレイシアは、『オメーみんなの前で魔術知識披露しやがったらブチ殺すぞ』という確殺の意思を込めてステイルに感謝の笑みを向ける。

 それに、レイシアとしても器の問題は考えがないわけではないのだ。

 

「高速安定ライン」

 

 レイシアはして懸念を提示した冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)に対して回答を用意するように、口を開いた。

 

「ただ励起させるだけでは、確かに力を御しきれず、暴走してしまうかもしれません。しかし、いっそ突き抜けてみれば? 高速で飛ぶ飛行機が安定するように、チカラの運用も安定するのではないでしょうか」

 

 これが、単なる思いつきであれば、暴論もいいところだっただろう。しかし、この世界には既にアックアという前例があり、そしてAIMはシレンの記憶を参照する限り、様々な点で魔術サイドのチカラとの類似性が指摘されている。

 少なくとも、科学サイドの権威に提案してみるくらいは、する価値のある発想のはずだ。

 

「…………まさか、そこに自力で?」

 

 カエル顔の医者は、思わずといった調子で目を丸くしていた。その表情は、レイシアの提案の有用性を端的に示していると言っていいだろう。

 これは、レイシアが思いついたわけでは、もちろんない。神裂が、天草式が命懸けで暴いたアックアの秘密を読んだ記憶があればこそのチートだ。

 だからこそ――レイシアは内心で感謝する。この情報を伝えてくれた、此処とは違う歴史の神裂達に。

 

「だが……それは厳しい選択だ。飛行機の操縦が高難易度ということを考えれば分かると思うが、それには途轍もないコントロールの技量が必要になる。安全は保証できない」

「ふふん。わたくしが、わたくし達が誰か分かってのご忠告ですの?」

 

 リスクを伝える冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)の言葉は真剣そのもの。

 しかしレイシアは、不敵な笑みすら浮かべていた。

 技術的に『不可能』なら、どうにもならないだろう。

 能力的に『不可能』なら、どうにもならないだろう。

 結局のところ、人間にはどうしても不可能なことは存在するし、いくら威勢の良い言葉で取り繕ってもそれは誤魔化しがきかない。

 それは、ただの考えなしの玉砕でしかない。

 

 でも、たとえ少なくとも、そこに可能性が残っているのなら。

 

 掴み取れる。

 

 自分一人なら無理でも、自分と、あの青年ならば――きっと。

 

 まして、此処には大勢の仲間だっているのだから。

 

「そこに可能性があるならば、()()()()()()()。魅せてあげましょう、レイシア=ブラックガードの新たなる神髄を!」



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三三話:そこは暗く、深淵の

「言っておくが、これはかなり危険度の高い方法で、僕は君の医者だ」

 

 すべてが始まる直前、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)はそんなことを言っていた。

 

「分かっていますわ。今更それが何か……、」

「だから、もしも何かが起こって、それで君の命が危なくなるようであれば。……その時は、プログラムを途中終了させる。一生君に恨まれることになろうとも」

「……………………」

()()()()()()()()

 

 そして、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)はヘッドギア型の機材を手に持ったレイシアに背を向ける。

 

「あれだけ威勢のいいことを言ったのだからね、有言実行してもらわないと恰好がつかないんだね?」

「……ふん、無論ですわ」

 

 その言葉を鼻で笑い、傲岸不遜な令嬢は堂々と機材を装着する。

 

 己の半身を救うために。

 

***

 

第三章 勝ち逃げなんて許さない (N)ever_Give_Up.

 

三三話:そこは暗く、深淵の Dive_into.

 

***

 

 気づくと、そこは暗闇だった。

 

 死。

 

 レイシアが最初に思い描いたのは、その感覚だった。彼女にも、覚えはある。飛び降りた後、体内に流れ込んでくる水の中で、その感覚は確かに彼女の足先に触れていた。

 その感覚が今、沼のように大量に集まって、彼女のことを包み込んでいた。

 

『…………っ』

 

 思わず身震いしかけ、レイシアは首を振る。

 ここが、今の自分の戦場なのだ。

 こんなもので怖気づいているわけにはいかない。

 

『ここは…………』

 

 改めて、レイシアは暗闇を観察する。

 今回のプログラムには、複数の段階が用意されていた。

 

 まず第一段階、魔術における瞑想の手法を応用した『セーフティ機能』の確立。

 これによってレイシアの精神を科学的には不可能なほど安定した状態に落とし込むことができる。この時、護符によってレイシアの人格に対して補強を加えるといった魔術措置も行われていた。

 こうした『プログラムの本流には直接かかわらない』『誰にも気づかれないような些細な関与』にとどめたのは、神裂が政治的な配慮を行った結果……らしい。これならば、『条約』に抵触する危険もないのだそうだ。レイシアなどは『条約』をブッチ切る気満々だったので気にしていなかったのだが、やはり魔術師としてはそこもきちんと考えるらしい。

 

 次に第二段階、機材を用いてレイシアを催眠状態に置き、外部制御でレイシアの人格を司る脳とシレンの人格を司る脳同士の接触を構築。

 ありていに言えば、レイシアが精神世界に潜り込んで、シレンと接触をとる――ということになる。二重人格は、何らかの形で人格同士のコンタクトを形成している場合がある。ただ、二人の場合はそれが著しく乏しいため、これを作ることで刺激とし、そこを起点に『励起』を始めるわけだ。

 今、レイシアはこの段階に入っている。

 

『ここからが、本番ですわね』

 

 そう考え、暗闇の中を進んでいくと――――ふと、遠くに、小さな白い光が見えた。

 どんどん進んでいくと、その光は人と同じくらいの大きさで……その中心に、丸まっている一人の少女の姿が見えた。

 金色の長髪。

 常盤台の制服を身に纏ったその少女は、レイシアの目にも覚えがあった。

 

『…………わた、くし…………?』

 

 呟いてから、レイシアはそんな自分の印象が、間違いではないが、正しくもないことを悟る。

 微妙な違和感――魂が、彼女に告げている。

 今目の前にいるこの少女は、レイシア=ブラックガードの中に滑り込んでいた一つの魂。來見田志連の、その残滓である、と。

 なぜ、彼の外見がレイシアのものと同一になっているのかは、分からない。

 精神世界での外見は肉体に依存するのか、この二か月弱で彼の自己認識がレイシアのそれと混じったのか、魔術的な魂の変化の法則でもあるのか、あるいはレイシアの主観ではそう見えるだけなのか…………。

 

 なんにせよ、レイシアは大して迷わなかった。

 

『――シレン!! いつまで寝ているんですのっ! とっとと起きなさいっ!!』

『………………ふぅぐ…………? ん、ぁ、わっ!? いっ、ち、ちこく!?!?』

 

 …………叩き起こしておいてなんだが、非常に緊張感に欠ける第一声だ――とレイシアは憮然とした。

 まぁ、記憶を参照する限りでもシレンという人格はそんなもんだったかもしれないが。

 

『まさか精神世界でも寝ぼけているとは、驚きましたわ……。まず自分が目覚めているという事実に驚愕してみては?』

『は? レイシアちゃん? いや俺? …………レイシアちゃん!?!?』

『いちいち話が進まない人ですわねぇ…………』

 

 いまだに状況把握が追いついていないシレンに、レイシアはため息をつく。

 

『今、アナタの人格を――』

『なんでレイシアちゃんが()()()にいるんだ!?』

 

 そんなシレンに事情説明をしようとしたレイシアが口を開きかけると、それを塗りつぶすようにシレンが絶叫した。

 その表情に、常のような平和ボケした印象はない。むしろ、どこか絶望すらしたような、そんな切羽詰まった顔だった。

 

『な、なに、』

『だって……だってそうだろ! ()()()は君が来るべき場所じゃない! なんで来た!? 今すぐ帰れ! こんなところにいたら、君まで()()()()()()ぞ!! ……いや、もう既に、なのか……? そんな、嘘だろ、なんで、』

『あ、ああ! 待って! 待ってくださいまし! わたくしは死んでません! 死んでませんから!!』

 

 勝手に早合点しだしたシレンに、レイシアは慌てて手を振って説明する。

 すると、シレンは何か話が噛み合っていないと感じたのだろう、すっと冷静さを取り戻し、レイシアの目を見た。

 

『それじゃあ、どうして君が()()に?』

『…………というか、()()とは? わたくしはただ、機材を使って瞑想状態に入っているだけなのですが……』

『なるほど。……そういうことか。じゃあ……そう繋がった、ってことか』

 

 シレンは呟くように言ってから、

 

『……結論を言うとね、レイシアちゃん。君は、今死後の世界に片足を突っ込んでる状態なんだよ』

 

 と、そう言い切った。

 

『は? 何言ってるんですの? 馬鹿なんですか?』

 

 …………レイシアには、ばっさりと切り捨てられてしまったが。

 

『馬鹿じゃないし! …………いや真面目に考えると否定しづらいけども! ほんとなんだって! っていうか考えれば分かることだろ、俺ってそもそも死んでる人間なんだよ! 死者! えーとほら、覚えてないかなぁ、小説でもあったろ、オティヌスの世界にいた「総体」の話でさ!』

 

 シレンは手をわたわたさせながら、

 

『アイツは死者と生者の二つに生物を区分して世界を支配してた。つまり、そういう区分の概念がこの世にはあるってわけだ』

『そんな話、ありましたっけ……?? オティヌスが世界を作り変えていったって話は覚えてますけど』

『……興味のあるなしで、記憶を引き出せる分野と正確さに違いがあるのかな……』

 

 シレンは少し悲しそうな表情を浮かべ、

 

『つまり、一言で魂と言っても、そこには生きているか死んでいるかで明確なタグの付け替えがされているってわけ。俺の魂はもともと死んでいる人間のものだから、こういう事態になったら……存在の位階? みたいなものが、あの世に近づいてるんだと思う』

『………………また唐突におかしな話が出てきましたわね』

『いや、俺の感覚を適当に用語に当てはめて言語化してるだけだから、合ってるかどうかは正直疑問なんだけどね……。でもまぁ、そう外してはいないと思う。このままいけば俺はあの世行きだけど、レイシアちゃんは巻き込まない。……でも、こうやって『接点』がある状態だと、ひょっとしたらレイシアちゃんまで巻き込まれかねないぞ。今なら、まだ間に合う。接続を切るんだ』

 

 シレンは、大真面目にそう言った。

 それに対し、レイシアはいっそ鼻白んでいますと言っていいくらいの表情で、

 

『ええと、何から説明すればいいのやら。一つ言っておきますと、これ、外部制御ですのでわたくし自身にはどうしようもできませんわよ?』

 

 と言い放った。

 

 つまり、外部制御なので途中終了は外部の意思にゆだねられ。

 しかも、内部の様子はレイシアにしか分からないので。

 ……シレンの魂が死に、レイシアに異常が出るまで、この状態は終わらない、ということだった。

 

『…………ええええええええええええええええええええええ!?!?!?』

 

 寝起きでこの事実を突き付けられたシレンの心中や、いかに。

 

***

 

『そ、そんなことを……』

 

 どうやってここまで来たのか。

 そのあらましを説明されたシレンは、呆れるやら感心するやらで感情の行き来が忙しそうだ。

 

『……正直、話をしたいと思ってくれるかな、ってちょっと思ったりもしたし、そう思ってくれたら俺もうれしいなとは思ってたんだけどさ。でもこれは違うだろ、違うでしょ…………』

 

 腕を組んでいるレイシアの横で、シレンはただ頭を抱えていた。

 彼の視点からすれば、完全にきれいに終わって、後腐れもないなーと思って意識を手放したら次の瞬間に、目をかけていた女の子本人が死の淵まで飛び込んでしまったのだから、こうなるのも当然といえば当然ではある。

 

『違うといえば、こちらのセリフですわ。アナタ、心得違いも甚だしいのではなくて? 勝手に助けて、勝手に消えて、そんなのわたくしが認めるわけがないではありませんの』

『それはそうかもしれないけど、まさか命の危険をおしてまで来るとは……っていうか方法があるとは…………()()()()()()()()()()()()

 

 そう言われて、レイシアはぴくりと眉根を動かす。

 ……先ほどからというもの、レイシアは少し気になっていた。

 シレンは、彼女と出会ってからずっと、レイシアがシレンと『話をする』ためにやってきているとしか考えていないのだ。普通なら、命の危険をおしてまでとなれば助けに来たという可能性くらい考えてもよさそうなものだが、シレンに限ってはそんな様子……言ってしまえば『期待する気持ち』が一切行動に出ていなかった。

 

 心外だった。

 

 あれだけのことをしてもらったのだ。感謝の気持ちくらいはレイシアだって持っているし、そんな自分が、たかが話すためだけにしか動けない人間だと、思われていたのだろうか。

 

(確かに以前のわたくしは性格が悪かったと思いますが、それにしたって信頼が……。……い、一応あの事件ではわたくしだって手をお貸ししたのに! 少しくらい、わたくしのことを見直してくれたっていいのではありませんか……?)

 

 それは、『認めてほしい』という可愛げのある自己顕示欲の発露でもあったかもしれない。

 ともかく、少し不機嫌そうに、レイシアはシレンをなじってみた。

 

『……少しは、期待してはどうですの? たとえば、わたくしがアナタを助けに来たとか、』

『やめてくれよ』

 

 ……だから、レイシアは一瞬、ぎょっとしてしまった。

 自分の言葉を遮って、シレンが放った言葉の、冷たさに。

 

『……やめてくれ。そういう冗談は、やめてほしいんだ。……今すごい悩んでるけど、でも、レイシアちゃんがこうやって最期に会いに来てくれたのは、すごいうれしいんだ。だから、レイシアちゃんにあまり、怒ったりとか、したくないから。だから、そういう冗談は、やめてくれ』

 

 きっぱりと、シレンはそう言った。

 怒りたくない、と。相変わらずな有様だったが、そこにあるズレを、レイシアは感じていた。

 ……まるで、自分が助かることなんて一ミリたりともありえないとでも言うかのような、そんな言動だった。

 

『何を……何を決めつけていますの? 助かりますわよ。だってわたくしは、その為に来たんですから、』

『だからやめろって言ってるだろ!!』

 

 ……それでも、シレンは頑なだった。

 

『……! ああ、ごめん、ごめんよレイシアちゃん……。俺のこと、慰めようとしてくれてるってことは分かってる。でも、……ごめん、こればっかりは、ダメなんだ。分かってほしい。……それより、現状の解決策を考えよう。どうにか体を動かして、それで異常を外部に示せばきっとプログラムを途中終了してもらえるし……』

『な、何を…………言ってるんですの……?』

 

 レイシアは、それ以外に何も言えなかった。

 これは……さすがに、異常だ。

 だって、命をかけてここまできて、それでやることが会話をする『だけ』なんておかしい。しかも、外部制御だから戻れないというのもおかしな話だろう。会話をするだけなら、帰るための道筋だって用意していてしかるべきだ。

 そうでない以上、彼を助けようとしていることは明白なはずなのに――まるでその選択肢が用意されていないとばかりに、シレンはその選択肢を選ぼうとしない。

 

『何って、帰るための方法だよ。まったく向こう見ずな……大丈夫、安心してくれ。方法は絶対にある。俺が一緒に見つける。……最後の最後にとんでもない共同作業になったけど、きっと大丈夫だから、』

『そうじゃ!! ありませんわ!!』

『…………っ、』

『ですから、助けに来たと、そう言っているでしょう!? なんでそれを素直に受け止められないんですの!?』

 

 おかしい。

 絶対におかしい。

 だって、こんな異常性は、彼にはなかったはずだ。少なくとも、そんな発露はこの二か月誰も知らなかったはずだ。……確かに、献身という点ではかなりのものだったが、自分を救おうとする言動を一切信頼しないなんてことは、なかったはずなのに。

 あらゆる論理性を無視しても、最適解を否定するような異常な兆候はなかったはずなのに……。

 

『わたくし以外にも、刺鹿が、苑内が、上条が、御坂さんが、インデックスが、ステイルが、神裂さんが、瀬見さんが、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)が、色んな人たちが協力してくれています。アナタを救うために、です!! アナタを救って、また一緒に笑いあうためにです!!』

 

 誰もが手を貸してくれたのだ。

 シレンに今まで救われた人々が、かかわってきた人々が、手を貸してくれて、ようやくここまで到達したのだ。

 だから、シレンは救われてもいい、のに。

 

『…………そんなこと、できるわけないだろ』

 

 ぽつり、と。

 

 今まさに救おうとしていた青年が、そう呟いた。

 

『できていいわけが、ないだろ』



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三四話:わたくし達の景色

『俺はな、もう死んだんだよ』

 

 シレンは、レイシアの姿をした、どこか大人びた雰囲気の少女は、上の方を仰ぎ見ながら言った。

 

『だいぶ長い間、ベッドの上だった。やることと言ったら、ネット見たり、アニメ見たり、ラノベ読んだり、漫画読んだり……あとは治療したりとかまぁ、そのくらいだった。いやいや、実際、気を紛らわすのにはちょうどよかったんだ。物語の中は、色んな世界が広がっていたからさ』

 

 シレンの口から言葉が放たれるたびに、その場がずっしりと重くなるようだった。それは、彼の人生が抱えていた重圧が徐々に外に漏れていくかのようだった。

 

『…………、』

『でも。それでも、考えざるを得ない部分っていうのはあるんだよ。自分が死ぬっていう、どうしようもない事実。……どうにかならないかって、いろいろ試したんだ。病院でできるようなのも試したし、食事療法とかをやってみたこともあった。最後の方は、さすがに諦めもついたけどね』

 

 シレンは、そんなことを言って笑っていた。

 諦めた、と。様々なことを試して――それでも駄目で、諦めて死ぬまでを過ごしていた、と。

 

『人が死ぬのは避けられないことだ、誰だっていつかは死ぬ、大事なのはそれまで何をして生きていくかだ……俺は、結局()()()()()()()()()。まぁ、結局前世はそう思っていながら特に何もせず、アニメ見たりして過ごしていたんだけども』

 

 レイシアは、何も言えなかった。

 そして同時に、気づく。彼女を、そしてシレンを取り巻いているこの空間に漂う『死』の密度の濃さ、その理由を。

 シレンは、もうずっと諦め続けてきたのだろう。魔術や超科学のないシレンの世界で、末期ガンというのはもはや死を約束された状態。万に一つも希望がない状態で、緩やかに死にながら、シレンはきっと、『生存への希望』を、ゆっくり、ゆっくりと削ぎ落としてきたのだ。

 『それ』を持ち続けるのは、とても辛いから。

 だから代わりに、死にゆく者が持っていても辛くない希望を、胸いっぱいに抱いた。

 他者の善性の信頼。善意の信奉。世界への感謝。そう考えると、いくら肉体を間借りすることに罪悪感を抱いていたとはいえ、利他的にも程があるシレンの振舞も、ある意味で説明がつく。

 

 そして今、シレンはこの局面においても、そんな『諦め』を捨てることができないでいる。

 それは辛いからだ。『諦め』を捨てて、『生きられるかもしれない』という希望を拾うということは、同時に『やっぱり死んでしまうかもしれない』という恐怖に蝕まれることでもあるから。

 その恐怖はきっと、緩やかに死に続けていたシレンにとっては、殆どトラウマですらあるだろう。

 

『……………………、』

 

 ……レイシアには、その気持ちは想像もできない。

 自ら命を捨てようとして、そして救われて、再起した彼女には、絶対に分からない。

 

『……で、でも! この二か月間は、とても楽しかった。……ああいや、間借りさせてもらってた体の持ち主に言うのもあれか……。……うん、ごめん。ただ、久々に、生きてるなって感じがして、充実した日々を、ね……。ありがとう、本当に。…………ずっと言いたかったんだけど、最後の最後にぐだぐだしちゃって、こんな感じになっちゃって悪いんだけども……』

『…………、』

 

 あれこれと、何やら気を遣っているらしいシレンの言葉も、耳に入ってこない。

 理解できるはずがないだろう。シレンと違って、レイシアは自分の世界を守るのにいっぱいいっぱいだっただけの少女だ。最近ようやく、自分の世界の外に出て、その素晴らしさを知ることができただけの少女だ。

 だから、レイシアには、ちっとも理解ができない。

 

『わたくし、これからすごく、勝手なことを言いますわ』

 

 レイシアはシレンとは違う。

 相手のことを慮り、自分のしたいことと、相手の事情をうまくすり合わせて行動を選択することなんか、彼女には到底できない。

 だから、レイシアはあくまでも傲慢に、相手の事情を鑑みず、自分のしたいことを押し通すことにした。

 

『――その諦め、捨てなさい!』

 

***

 

第三章 勝ち逃げなんて許さない (N)ever_Give_Up.

 

三四話:わたくし達の景色 Our_World.

 

***

 

『…………へ?』

 

 レイシアの言葉に、シレンは思わず一瞬思考が空白になっていた。

 彼としては、説明を尽くしたつもりだった。自分の弱さを隠さずに、レイシアにも伝わりやすく話して、それで諦めてもらうつもりだったのだ。

 自分でもかなり湿っぽい思考をしている自覚はあったし、ひょっとしたら怒らせてしまうかもな、とも思っていて、でもきちんと伝えないのはもっとよくないからと、そんな勇気を振り絞っての言葉だった。

 だが、返ってきたのはその真逆。

 むしろ、自分に諦めを捨てろ、と言ってくる始末であった。

 

 そんなシレンの驚愕の隙間を縫うように、レイシアは言う。

 

『うだうだ悩んでいるからいろいろ考えてしまうのです! まずは考えるのをやめて、先に手を動かしてしまえばいいのです! 総括なんてことは終わってからすればいいのですわ!』

『いやそんな行き当たりばったりな……というかそういう問題じゃ、』

『そういう問題です!!』

 

 反論しようとしたシレンに、レイシアはきっぱりと言い切った。

 

『――だってシレンは、生きたいと思っているではありませんか。わたしと一緒にいることが嫌なんて、一度も言わなかったじゃないですか』

 

 これがもし、シレンがもう生きたくないと、生きること自体が辛いと、ようやく解放されるんだと、そんなことを本心から考えていたのであれば、レイシアは本当に何も言えなかっただろう。

 でも、最初からシレンは、生きたいという思いを捨てていなかった。

 未練は、彼の中に多く残っていた。本人は未練がないとか、思い残すことはないとか言っていたようだが……実際には、未練たらたらだったし、思い残すことだっていっぱいあった。きっと、心の底では、レイシアが自分を助けに来てくれたと聞いて、飛び上るほどうれしかったはずなのだ。

 だけど、それを認めてしまうと、執着してしまうから。死ぬことが怖くなってしまうから。……だから、彼はそこを意図的に封鎖した。それを認めさせようとするレイシアに、声を荒らげて怒った。

 それは彼らしからぬ欺瞞で弱気だったが、レイシアは、それを責めるつもりはない。というか、誰が責められようか。誰だって死ぬのは怖い。彼なりに編み出した『死への恐怖』を緩和する方法を否定するのは、彼が持っている唯一の救いを奪うのに等しい。

 でも、その諦めを持たれたままでは、レイシアの望む『二人での復活』はできない。それは、嫌なのだ。

 

『それ、は、』

『なら、もうそれでいいではありませんの! 安心なさい! アナタには、わたくしがついています! 死ぬのが怖い? ならずっと手を握っていて差し上げます! 死神が来ようと閻魔が来ようとすべて退けます! だから!』

 

 レイシアは、シレンの手を両手で握る。

 顔がくっつくくらいに近づいて、そして縋るように。

 

『だから、わたくしと一緒に来てください! アナタを納得させられるようなことなんて言えませんけどっ、アナタの恐怖を和らげることなんてできませんけどっ! でもわたくしは、アナタと一緒に生きたいのです! アナタと同じ未来を、歩みたいのです!!』

 

 目に涙すら浮かべて、レイシアはそう言った。

 もはや、論すら成り立っていない。レイシアには彼を納得させるような理屈を用意することはできない。ただの一四歳の少女で、ろくに社会経験も積んでいない彼女に、そんなことはできない。

 だから、ただ伝えることしかできない。自分が思い描く、未来の素晴らしさを。この先の世界には、恐怖を凌駕する輝きが待っているということを。

 

『…………ほんとに』

 

 ――ぽつり、と。

 青年の魂は呟いた。

 

『ほんとに、この二か月間……自分が言った言葉が、自分に返ってくることが多いなぁって、思ってたんだけど』

 

 シレンは、頬を掻いて、そう苦笑した。

 

『まさか、自分がレイシアちゃんにしたことが、そのまま返ってくるとは、思わなかったよ』

 

 未来の素晴らしさを。

 世界には、絶望を凌駕する輝きが待っていることを。

 ――伝える。

 

 それは、シレン自身がレイシアにしたことそのものだった。

 シレンだって、レイシアが感じた絶望を否定することはできなかった。それは、まぎれもなく彼女が抱いた真実だからだ。

 でも、それだけじゃないということを伝えることはできた。挫折もあるけれど、絶望もあるけれど、それでも世界はそれだけじゃない。支えてくれる仲間が、先達が、友人が、そんな未来を彩ってくれる。

 これも、それと同じ。

 

 確かに、絶対生還できるとは限らない。

 死ぬことは怖いし、それを否定することは誰にもできない。

 でも……少なくとも、一人ではないのだ。

 シレンの傍には、こうやって愚直に、しかし力強く、手を握ってくれる、頼もしい半身がいる。

 それをサポートしてくれる仲間が、先達が、友人がいる。

 

『……うん。そうだね、散々俺がレイシアちゃんに言ってきたことだ。見せて、くれるかな。レイシアちゃんの見る景色を。その世界の可能性を、俺にも』

『……何を言っていますの』

 

 ぱっと手を離したレイシアは、泣き笑いをシレンに向けて、

 

『これからは、()()()()景色でもあるんですのよ!』

 

 そのまま、自分と同じ姿をした少女を抱き締めた。

 

***

 

「――励起を確認したわ。……ふむ、どうやらうまく『接点』を作れたようね」

 

 計器類を眺めていた瀬見は、そう呟いた。

 複雑なグラフが並んだモニタには、これまた複雑怪奇な直線が並んでいるが……瀬見の目には、これが好ましい兆候に見えるらしい。

 

「大丈夫なんでしょーか……レイシア、シレンさん……」

「夢月さんっ、焦ってもしょうがないですよっ」

「っていうか、あの人たちなら大丈夫でしょ。なんだかんだで軽くカムバックしてくるわよ」

「そうは言っても、待ってるだけってのも辛いなぁ。もう人格励起(メイクアップ)のプログラムは走らせちゃった後だし」

「とうまはいつもこの気分を私に味わわせてるんだよ? 少しは反省してほしいかも!」

「………………」

「ステイル、ここでムッとするのはやめましょう。気持ちは分かりますが。気持ちは分かりますが」

 

 既に計画は第三段階――人格励起(メイクアップ)プログラムの起動を済ませ、第四段階に差し掛かっていた。

 といっても、第四段階以降は実質流れ作業である。励起完了後は自分だけの現実(パーソナルリアリティ)の稼働率が高速安定ラインを越えて安定するまで外部制御で安定状態を保たせつつ、それが完了したら第五段階、セーフティ機能を用いて意識の覚醒を促すだけで終わりだ。

 もっとも、この高速安定ラインを越えて安定させるのが難しいのだが、今のところ稼働率は安定した上昇傾向。このままいけばあと三〇分もする頃には安定域に入るだろう。

 

「……ん?」

 

 そんなムードだっただけに、もうその場のメンバーの緊張感は完全に弛緩していた。

 自分たちがやることはもうすべてが終わった最後の後片付けのときにしか残っていないのだから、ある意味当然といえば当然なのだが。

 

 だからこそ――その異変に気づけたのは、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)その人だけだった。

 

 ほんの僅かな、グラフのブレ。

 

 それが意味することを考え、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)はこう断じた。

 

 

「まぁ、あの子たちなら大丈夫だろうね?」



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三五話:向こう側へ

『っていうか、俺が復活しないと戻れないって話なんだから、そもそも復活する以外の選択肢を選んだらレイシアちゃんまで巻き添えになる可能性大じゃん……テンパってたとはいえなんで俺こんなことにも気づけないんだ……』

『シレン? だからいちいち悩むなって言いましたわよねわたくし?』

 

 ――そんなわけで。

 一緒に同じ未来を進んでいこうと心に決めた二人だったのだが、決断早々シレンがくよくよするのであった。

 

『……そうは言ってもなぁ、俺って大概こんな性格だし。いろいろくよくよすると思うよ? なんだかんだ言って、この二か月もけっこう悩むときは悩んでたからなぁ』

『では、わたくしがそのたびに笑い飛ばして差し上げます。いいバランスではなくて?』

『かなぁ……』

 

 さっそく役割分担ができつつある二人だったが、とくに悲壮感はなかった。

 とくに根拠があるわけではない。でも、隣にこれほど頼もしい仲間がいるのだ。どんなに厳しい状況になっても、それこそ最後の瞬間まで希望を捨てないくらいには、心強い環境だ。

 ……というか、そもそもからしてシレンも、そして再起したレイシアも、とことん諦めが悪いという部分では共通しているのである。でもなければ、第一位の能力を土壇場で成長して覆すことなどできっこない。

 

『そういえば、一応計画の流れは聞いたけど……本当に、俺達のすることってもう何もないの? 高速安定ラインに入ったら制御する必要があるって話だったけど……』

『そのあたりは外部制御ですので。まぁ、能力が暴走しないように抑えることくらいはする必要がありますが、わたくし達二人ならば大丈夫でしょう』

『…………これは自信とかじゃなくて慢心な気がするな』

 

 レイシアの自信満々なセリフを話半分に聞くという対応を覚えたシレンが身構えた、ちょうどそのときだった。

 

 ドグン、と。

 

 空間全体が脈動するように震え、そして『死』そのものを象徴するかのようにまっ黒だった世界に、大きな亀裂が走った。

 

***

 

第三章 勝ち逃げなんて許さない (N)ever_Give_Up.

 

三五話:向こう側へ Plus_Ultra.

 

***

 

「…………これ、いったいどういうこと……!?」

 

 『それ』の発現で、その場は騒然としていた。

 機材を装着したレイシアを囲んだ、協力者たちの輪。その中で美琴が呟くのも、無理はない。

 イスに深く腰掛けたレイシアの背後から、あの日見た『亀裂』が、まるで天使の翼のように伸びているのだから。

 

 それは、機械の光を跳ね返し、神々しい輝きを放っていた。

 白と、黒。

 光すらも切断する『亀裂』の特性によって、二つの色を帯びたレイシアのチカラの完成形は、椅子に深く腰掛けた少女の周辺で、まるで羽化する蝶の翅のようにゆったりと、それでいてビシビシと空間全体が軋むような破滅的な音を奏でながら広がっていった。

 もっとも、今はあの時のように長大なものではないので周辺機材に被害はないが……このまま『亀裂』が伸びれば、そうなってしまう可能性も無視はできない。

 いや。

 それ以前に、あの時の規模が無秩序に、それもこんな街中で勃発すれば、それこそ被害は計り知れなくなるだろう。学園都市中が亀裂によって細断される、という結末も、ありえなくはない。

 

「能力の暴走だってのか!?」

「いや……違うね、もしも暴走だとしたらレイシアさんの身体が傷ついているはずなんだね? この現象は……」

 

 冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)も、言葉を詰まらせる。事態は、それほど異質だった。

 …………少なくとも、科学サイドの常識からすれば。

 

「……これは…………天使、だと……?」

「……厳密には違いますが、この感じ……。……質はともあれ、例の一件の時に戦った神の力(ガブリエル)と似たようなものを感じます。……いったい……」

「…………これ、このままだと、まずいんだよ!」

 

 インデックスが、隣にいる上条の袖を掴みながら、悲痛そうに叫ぶ。

 

「インデックス、これいったいどういうことなんだ!? っつか、なんで科学サイドのモンなのにお前らが何か分かってる感じなんだよ!?」

「部品は全然違うけれど、それでもこの感じは間違いないんだよ! レイシア達…………『人間』の壁を越えかけてるかも!」

「はぁ!? どういうことだ!?」

 

 インデックスの言葉に、上条は思わず問い返すことしかできない。

 それに対し、インデックスは慌てながら付け加える。

 

「多分、せんせいやレイシアの思惑は、全部上手くいってるかも。……でも、()()()()()()()()()()()()()んだよ。人格の励起、そして二つの魂の相乗作用……それによって、レイシア達の持つチカラの総量が、『人の身を大きく超えたまま安定した』んだよ!」

「それって、どういうことなんだよ!?」

「……十字教の古い神話では、神に認められた人間が天使として天界に召し上げられた伝承も、残ってる。多神教の神話を紐解けば、人間が神になった例なんていくらでもあるんだよ。というか、そういう思想がグノーシスを生む土壌にもなったんだしね」

 

 インデックスは目を伏せる。

 

「レイシア達が行っている一連の流れは、瞑想によって自己の魂の位階を高め、異なる界に接続する業そのもの。つまり、ある種()()()()()()()()()()のようなもの。……このまま行けば、一定の段階でレイシア達は別の次元の存在に……『向こう側』の存在になってしまうかも」

 

 深刻そうな表情で言うインデックスだが、上条にはその具体的な『凄さ』が分からない。別の次元の存在だの、向こう側の存在だの……上条には想像もできないからだ。例の御使堕し(エンゼルフォール)で登場したミーシャとかだろうか? と上条は内心首を傾げてみるが、やっぱり結論は出ない。

 

「要するに!?」

「このままだとレイシアとシレンが、私達の知ってるレイシアやシレンじゃなくなっちゃうんだよ!!」

「そいつは、絶対に勘弁願いたいな……!」

 

 ようやく理解してそう呟き、上条は右手を構える。

 

 一応、途中で能力を打ち消すことで何かしらの不具合が出るのではないかと周囲を見回してみるが、みんな上条が右手を出したことを理解し、その意味を知っているが、制止するような人間はいなかった。

 

「とうま。直接レイシアのことを触るのはダメだよ。……でも、レイシアの身体からあふれ出ている『余剰のチカラ』なら、打ち消してもいいかも」

「……なるほど。そいつは、分かりやすくていいな」

 

 かくして上条は、拳を握る。

 

「…………ここまで来て、こいつらの幻想が世界を傷つけるなんて、そんなの許せるわけねぇだろ!」

 

 愛すべき後輩の大切な幻想を守るため、に、

 

「……………………あれ?」

 

 その拳を振るおうとした、そのときだった。

 

「…………亀裂が、消えた?」

 

 先ほどまで広がっていた白と黒の断裂が、上条が触れる前にすっと消え失せてしまったのだ。

 なんというか、手を突き出そうとした間抜けな態勢のまま、上条は思わずぽかんとしてしまう。そして手を下して、上条はすぐに悟った。

 

 カタストロフは、終着した。

 いや、終着させたのだ。

 上条ではない。

 おそらくは、今はまだ眠り姫をやっているこの金髪の少女が。

 

 そのことを悟って、上条はこらえきれずに笑ってしまった。

 

「……………………ああ、そっか。そうだよな。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 労うように言い、上条は右手の代わりに左手で、この場の一番の功労者の頭を撫でた。

 

 

 勝手に触るなと、みんなからめっちゃ怒られた。

 

***

 

 その少し前、レイシアとシレン達は突如現れた亀裂の向こう側に見える景色に、二人してビビり倒していた。

 

『ど、どうしよう』

 

 どういう原理なのかは分からないが、彼女たちの前に突如現れた『亀裂』の向こう側には、現実世界におけるレイシアの周辺が映っていた。まったく理屈が分からないが、そこには何やら『亀裂』が展開されていて、仲間たちが泡を食っていた。

 それを見て、シレンはあわあわと狼狽しながら言う。

 

『このままじゃ世界が……』

『フン、この程度、危機でもありませんわわわあわあわあわあわわ…………』

『ビビってんじゃねぇよ!』

 

 …………レイシアもビビっていた。

 いやまぁ、レイシアとしても想定外なのだろう。自分の身体だ、これがただの暴走ではないということくらいは、分かる。

 

『んー……あれかな、ひょっとして俺達、偶然なんかの儀式的なことしちゃったんじゃないかなぁ……』

『どういうことですのシレン!?』

『ほら、科学サイドでも一定の手順を踏んだら能力成長、みたいなのあるじゃん。一方通行(アクセラレータ)絶対能力進化(レベル6シフト)とかね……。ああいう感じのことを無意識的にしてたんじゃないかなって』

『なんですのその理不尽な展開は! それじゃあ回避のしようがないではありませんの!!』

『まぁそうなんだけどなぁ……』

 

 どうにも、出力が高すぎるなぁというのは、二人とも感じていた。

 たとえば、ジェット機の運転をしていたら出力が高すぎて、このままだと重力を完全に振り切って大気圏外へ飛び去ってしまいそう……みたいな感覚である。

 

『どうしましょうどうしましょう……、いっそこのまま新しい存在に進化してしまいましょうか……』

『うーん。俺はどうせなら人の方がいいかなぁ』

 

 ……そこはかとなく緊張感の薄いやりとりだったが、まぁ、つまり、そういうことである。

 レイシアとシレンは、どちらともなく目を合わせると、こらえきれないとばかりに吹き出し、互いに笑いあう。

 

『……ま、俺たち一人ずつじゃ多分こんなの乗り切れなかったけど、二人ならなんとかなるんじゃないかな』

『そう! それが言いたかったのですわ!』

『……現金なヤツ』

 

 ぼそりと呟き、シレンはレイシアの手を取る。

 

 実は、方法の目星は既についていた。

 ステイル達が作ってくれた護符。あれのお蔭で、人間基準でいえば、レイシア達のチカラの許容量はそこそこある。

 その許容量に合わせるように、チカラの総量をコントロールすればいいだけの話だ。そのくらいなら、まだなんとかできる。

 

 もちろん、それは言うほど簡単なことではない。

 これまでのように、ただチカラを発露しているだけではいけない。チカラを抑えつつ発露するという、途轍もなく精密な作業が必要になってくる。

 

『ま、俺たちの幻想(かんけい)は、そのくらいがちょうどいいか』

 

 それでも、大丈夫だと、シレンは思うのだ。

 何故なら、彼らは一人ではないから。

 一人だけではできないことも、二人なら。仲間たちと一緒なら、きっと大丈夫。

 

『ちょっとお待ちあそばせ。内心だから意味が通じますわよ。その当て字はないのではなくて?』

『…………頼むから決めさせてくれよ、最後くらい』

『最後? 何を言っていますの!』

 

 溜息を吐くシレンを笑うように、レイシアは不敵な笑みを浮かべた。

 

 とある令嬢が、挫折した。

 

 とある青年によって、とある令嬢は再起した。

 

 そんな物語は、もう終わる。

 

 でも、彼らの進む未来が、此処で終わるわけではない。

 

 むしろ。

 

『物語はこれからじゃありませんか。これから()()()()()()物語が、ようやく始まるんですのよ!』



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  終 章 とある再起の悪役令嬢 We_are_"a_Villainess".
三六話:ダブルブッキング


 目が覚めると、そこは病室だった。

 

 思わず跳ね起きて、自分の手を見てみる。

 

 ほっそりとした、白い指先。まさしく令嬢と言っていい細くて長いそれは、この二か月でだいぶ見慣れたものだった。

 ゆっくりとその指先を自分の頬にあてると、やはりすべすべとした、もはや『自分のもの』と認識できるくらいに慣れ親しんだ、自分の頬の感触がした。

 

「…………………………」

 

 その頬を、少しだけつねってみる。

 

 …………いたい。

 

《いたっ!? 痛いですわよ!? シレン!? なんでつねりましたの!?》

 

 ……………………ついでにうるさい。

 

 と、

 

「――――おや、もう目が覚めているみたいだね?」

 

 自分の内面で喧しい声を聴きながらぼけーっとしていると、病室の扉がガラッと開いて、ハゲ散らかしたカエル顔の医者が入ってきた。

 うん、まぁもう分かるよ。おはよう冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)先生。

 

「おはよう、レイシアさん……いや、シレンさんかな?」

「シレンの方です」

「なるほどね、それで――――聞いてみたいことは、あるかね? 質問があれば聞くんだね?」

 

 …………ふむ、質問ね。

 

 じゃあ、とりあえず最初にこれかな。

 

「…………これ、夢じゃありませんよね?」

 

***

 

終章 とある再起の悪役令嬢 We_are_"a_Villainess".

 

三六話:ダブルブッキング The_Reason.

 

***

 

 しっかり現実でした。

 

 んで、レイシアちゃんにもめっちゃ怒られた。ごめん、いやだって夢みたいなんだもんという、ね。実際に自分で言うとは思わなかったよ、あのセリフ。

 

《まったく…………わたくしがせっかく頑張ったというのに、夢とはなんですか、夢とは》

《ごめんごめん。ちょっとしたジョークだから。ほら、サブカルではよくある……》

《そんなのわたくし、知りませんわ!》

 

 …………拗ねちゃったよ。

 というか、レイシアちゃんってほんとサブカル系疎いんだよなぁ。まぁストイックなお嬢様やってたんだから当然なんだけどさ。

 

《ごめんよーレイシアちゃん。感謝してるから、機嫌直して。ほら、クレープ屋行こう。おいしいもの食べよう。今日はおやすみでいいって先生のお墨付きもらってるから、学校は行かなくていいし》

《…………まぁ、食べない理由はありませんけども》

 

 よし、チョロい。

 

 ――という感じで、九月一日。

 俺とレイシアちゃんは、昨日の実験の予後安静ということで、今日一日はおやすみを言い渡されている。よって、みんなが新学期の憂鬱さに飲み込まれているのを尻目にのんびりと街中を歩けるのだった。

 いやいやいや、平日の昼間の街中を闊歩するって、なんか別世界に迷い込んだような感覚がするよね。

 

《というかさぁ、こうやって肉体を共有することになった後で言うのもなんだけどさ、よかったのかな》

《……なんですの? 今更自分がここにいるのは間違いとか言ったら、上条にチクりますわよ》

「やめろよそれ絶対面倒くさいことになるから!」

 

 …………っと、思わず口に出てしまった。

 

《……そうじゃなくってさ。俺、オタクじゃん? っていうかとある自体、オタク向けのラノベだし…………》

《自分の住んでる世界がライトノベルで描かれてるといわれても、実感沸きませんわねぇ……》

《俺も全然沸かない》

 

 読者の声が俺に届かないからね。……そういえば、だとすると俺の世界のとあるシリーズってどうなってるんだろ? 俺の動きに応じて原作小説とか漫画の内容が書き換わってるのか? いやそうしたらアニメレールガンの婚后さんの扱いとか…………。…………うん、深く考えるのはやめよう。いろいろと難しい。

 

《で、こうやって俺もこの肉体を共有していいってことになったじゃないか》

《それはそうですわね》

《……そうするとさ、今まで考える余裕がなかった『わがまま』っていうのも、出てくるんだよ》

《それはいいことではありませんの!》

《まぁそれがオタク趣味ってことに繋がるんだけどさ。オタク趣味始めちゃってもいい?》

《…………》

 

 あ! コイツ今微妙な顔した! 現実の表情が微妙な顔になるくらい微妙な感情の波動が伝わってきたんだけど!

 

《わたくし、自分までオタクに思われるのはちょっと》

《そういう偏見よくないぞ! っていうかレイシアちゃんはそのオタクに救われてるんだからな! オタクは世界を救う!》

《そんな視聴者の自尊心を煽ろうとして間違った方向に突っ走っちゃったサムいキャッチコピーみたいなのを掲げられても……》

 

 …………まぁ、オタク趣味はマジで続けたいなぁって思ってるんだけどもね。深夜アニメ見たり、ゲーム買ったり、漫画買ったりとか、そういうの。

 

 それを抜きにしても、そろそろこういうことも考えないといけないと、俺は思うわけだ。

 この間のは、ぶっちゃけ感動したさ。一緒に生きていく。同じ未来を進んでいく。素晴らしいことだと思う。

 でも、どこまで行っても、俺たちは元々は他人なわけだ。

 しかも、そんな他人が一つの肉体を共有しているというわけで。……当然ながら、意思のすり合わせは最初にきちんと済ませておくべきなんじゃないかなと思う。

 俺達が仮に喧嘩したところで仲違いなんてことは有り得ないし、別に今すり合わせしなくてもいずれはするんだろうけど、そういうのって早いに越したことはないし。

 

《なんなら、少女向けアニメ限定でもいいからさぁ》

《……ああ、御坂さんが好きなラブリーミトンブランドですの? それならまだ……》

《いや、日曜朝八時半とかにやってる変身ヒロイン系の……》

《却下》

《なんでだよ! どっちも少女向けアニメだろ! 偏見!!》

《レイシア=ブラックガードの! イメージをもっと大事にしてくださいまし!!》

《外のイベントとか行くときはちゃんと変装するし!》

《イベントとか言語道断ですわよ! っていうかアナタのその変装モロバレですからね! どこも変装になってませんからね!》

《なっ…………!?!?!?》

 

 …………そんな感じで、相互理解にはまだ時間がかかりそうだった。

 

***

 

 結局、オタク趣味については隠れオタクを徹底するということで決着がついた。

 レイシアちゃんは不服そうだったが、まぁ俺の趣味を完全封殺するわけにもいかないという判断だったのだろう。フフフ、今に見ていろ。これから名作を見まくってレイシアちゃんを洗脳してやる。一緒にオタクになれば怖くないよ。

 

《そういえば》

 

 そんな将来を思い描いて内心でほくそ笑んでいると、ふとレイシアちゃんが口を開いた。

 

《この先って、どうなるんでしたっけ? ほら、小説の事件です》

《あ、》

 

 言われて、俺は思い出した。

 九月一日。始業式。

 そうだ、そうだった。確か……一、二、三が一方通行(アクセラレータ)で、四、五……六…………風斬。あとシェリーの襲撃だっけ。

 あの事件もあの事件で、危ないんだよなぁ……。

 詳しいところは覚えてないけど、なんか地下街が崩落してたような気がするし。っていうか俺がいる時点で同じ話が展開されるとは限らないわけだから、とりあえずシェリーを見つけた時点で捕縛しておいた方がいい気が……。

 

《……ん? いやいやいや待て待て。俺が勝手にシェリーを倒しちゃっていいものか?》

 

 多分……倒せはすると思う。そのくらいのポテンシャルは、普通にある。

 でも、俺はどこまでいっても科学サイドの人間だ。科学サイドの人間が魔術サイドの人間を捕縛したら、色々と角が立つよなぁ……。

 インデックスの件じゃ、そもそも俺が合流してからは早々に和解してたから例外だし。基本的に、俺が首を突っ込んじゃいけない案件な気がするけど……。

 

《なんですの? 小説の話との乖離がどうのとかを気にしてるなら、それもう別によくありません? どうせ全く同じなんてありえないんですから、何もしないより何かした方が生産的ですわ》

 

 そんな風に悩んでいると、レイシアちゃんはあっさりとした調子でそう言ってきた。

 ……分かるけど、しかしそんな大胆なことを言えるのはレイシアちゃんくらいだと思う……。

 

《凄いこと言うなぁレイシアちゃん……。まぁ俺もそこは同意なんだけどさ。でも今は違うかなぁ。政治的に、俺が首を突っ込んじゃダメな気がするんだよね》

《政治的に? ……なんだかよくわかりませんけど》

《ほら、魔術サイドの敵を倒すと、政治的にまずいみたいな話あったじゃん》

《あー……そういえば。初期の事件は、そういった条件づけがされていた、ような……》

 

 俺が言うと、レイシアはぼんやりと記憶が蘇ってきたらしい。まぁ俺の記憶なんだけれども。

 

《でも、けっこう上条は魔術サイドの敵倒してますわよね? 旧約の終盤の方とか、そのあたりまるで気にされていませんでしたし》

《まぁそれは、上条だから。っていうか、その結果が第三次大戦だからね。こんな序盤から俺達が絡んでいったら、もっと早く、さらに酷い形で第三次大戦が起こっちゃうかもしれないし》

《んー……それは確かによくないですわね》

 

 レイシアちゃんも分かってくれたらしい。

 まぁどうせ第三次大戦が起こるのは止められないんだろうけど、それでもなるべく起こさない努力はしたいじゃないか。

 

《……それで、今日は何か事件、ありましたっけ?》

《ん? ああ、レイシアちゃんはまだ思い出せてないのか。ほら、始業式の時に、風斬がシェリーって魔術師に襲われた事件あったじゃん。あれだよ》

《……………………え?》

 

 なんだか、レイシアがぽかんとしてしまった。すっかり忘れてたみたいだな。

 

《だから、えーと……六。旧約の六巻だよ。シェリーが学園都市を襲撃して、風斬が狙われてるから、上条とインデックスが戦うっていう……レイシアちゃん?》

 

 なんだか、表情がひきつってきた。

 

 ちなみに、晴れて二重人格……いや二乗人格? となった俺達だが、基本的に体の操縦権みたいなものは、二人とも同等の力があるらしい。具体的に言うと、後から体に出した方の命令が優先される。

 今は俺が体を動かしているけど、レイシアちゃんが何かしたくて体を動かしたら、そっちの意思の方が優先されるってことでもあるらしい。

 今みたいに、レイシアちゃんが強い感情を出したら、現実の身体がそっちの感情に引っ張られることもままある。なんだか不思議なボディになっているようだ。

 

 閑話休題。

 

 つまり、俺が特に何も考えてないのに表情がひきつってくるということは、レイシアちゃんの感情がそんな何かを抱えているってことなんだろうけども……。

 

《どしたの?》

《よし、介入しましょう。その事件》

《さっきの俺の話聞いてた!?》

 

 突然の介入宣言に、俺は思わず内心で驚愕の声をあげた。

 

《いやいやいやいや! だから俺達が下手に首を突っ込んだりしたら、余計に第三次大戦が早まっちゃうかもしれないんだって! 被害が出るかもしれないから心配ってのは分かるけど、それなら民間人の保護とかそういうのをメインにやったっていいわけで、介入しないからといってできることが何もないというわけでは……》

《いや、介入します》

《なぜ!? 聞く耳を!》

《持ちません、介入します》

 

 …………なぜだか、レイシアちゃんは鋼の意思でもって俺の言うことを無視してしまった。

 う~~~~ん……。どうしよう……。この調子だと、多分何か理由があるんだろうなぁ。俺には言えないみたいだけど。

 ……あっ、そうだ。科学サイドとしての俺が無許可で首突っ込むから問題なわけで、それなら許可をとりつければいいんじゃないか?

 

《分かった。でも、下手に勝手に動くと問題になるかもしれないから、その前にやることをやらせてくれ。それで駄目だったら、諦めること。俺も、これ以上は譲歩できないぞ》

《…………分かりましたわ。で、その『やること』とは?》

《ちょっと、連絡をね》

 

 そう言って、俺はスマートフォンを取り出す。

 

 イギリス清教のことは、イギリス清教にお伺いを立てるのが一番手っ取り早いだろう。



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三七話:快刀乱麻

 つまり、ステイルと神裂に電話をかけるのだ。

 

 一応魔術師とはいえ二人も携帯は持っているようで、レイシアちゃんが例の一件の折に連絡先を交換していたらしい。その電話にかけてみて、イギリス清教からの公式判断を仰ぐ、というわけだ。

 まぁ、今回に関してはシェリーの暴走で、イギリス清教はやっちまった側だからな。やられちまった側の学園都市の人間から、『やっちまったそちらさんの人を倒したいんだけど』と言えば、無碍に断れないだろう。

 無許可で攻撃するからダメなのだ。ちゃんと許可をとってからやればよろしい。

 

 ……なんかレイシアちゃんはそわそわしているようだったけど、とくに拒否してないってことはこの作戦に穴らしい穴はないってことだろう。

 とはいえ、まだシェリーを発見してない段階から電話をかけたら、それはそれで問題になってしまうから、電話をかけるのはシェリーを発見してからになるんだけどもね。

 

 というわけで、終業式が終わるまで待ち。

 

「……あれは」

 

 シェリー探そう、という目的のもとに、確か地下街で戦ってたっけというおぼろげな記憶を頼りに街中を散策していると、ふと一人の少女が信号弾を真上に打ち上げているのが見えた。

 

「……白井さん、それと――」

 

 そして、その彼女の視線の先に、一人の女がいた。

 ゴシックロリータ衣装の、褐色肌をした金髪の女。……シェリー=クロムウェル。俺が見る三人目の魔術師だ。

 

 俺がどう介入しようかと考えていると、黒子は空間移動(テレポート)を使って一気にシェリーの眼前に躍り出た。……やっぱあの能力強いよなぁ。

 そのまま黒子はシェリーを空間移動(テレポート)によって地面へ倒し、さらに金属矢を使って地面へ縫い止める――が、次の瞬間に起きた地面の爆裂によってふっとばされてしまう。

 

《レイシアちゃん、動くぞ》

《は、はい……。しょ、しょうがないですね》

 

 なんだか歯切れが悪いのが気になるが、俺は迅速に白黒鋸刃(ジャギドエッジ)――今回は隠密性を鑑みて、透明タイプ――を展開し、俺を含む半径一〇メートル内を球形に隔離する。

 ……地面とかごっそり抉れちゃうことになるけど、まぁそこは許してくれ。

 とりあえずこれでシェリーの逃亡を防ぎつつ、俺は電話でステイルに連絡する。隠密仕様の場合電撃は通り抜けるから、電波も届くのだ。便利便利。

 

「…………あ、もしもし」

『レイシアか。どうした? 忙しい中学園都市に残ってやってるんだ。まさか不測の事態だなんて言うわけじゃ……』

「あ、シレンです。シレンの方です」

『っ!?』

 

 ステイル、学園都市にいるのかぁ……。

 小説だとそんなことなかった気がするけど、まぁ俺達の件でこっちに来たからまだ残ってる、ってことなんだろうな。

 

『そそそそ、そうか。じゃあ今のは忘れてくれ。僕は今イギリスに……、』

「あの、そんな分かりやすい嘘を吐かなくても」

 

 ……ステイルも何か隠してるのか? しかし、レイシアちゃんとステイルが……どういう関連性だ? いや、関連性ないのかもしれないけど。

 疑問には思うが、ステイルがいるなら話は早い。

 

「それより、こっちにいるならちょっとお願いが」

『……なんだ』

「魔術師が襲撃してきたようなので、ちょっと対応をお願いしたいな、と。……わたくしが倒してしまうと、いろいろと問題があるかもしれませんし……」

『……………………なんでこんな時に……』

 

 なんか、ステイルが頭を抱えているのがよくわかる一言だった。何企んでるのか知らないけど、頑張ってね。

 

『分かった。少しだけ待っていろ。とりあえず、僕が到着するまで足止めしておいてくれ』

 

 そう言って、通話は切れた。

 ………………さて、俺達も働くとするか。

 

***

 

終章 とある再起の悪役令嬢 We_are_"a_Villainess".

 

三七話:快刀乱麻 Tool-Assisted_Superplay_Playing.

 

***

 

 通話を終えて意識を戻すと、黒子がシェリーの生み出したゴーレムに拘束されているところだった。

 そうそう、空間移動(テレポート)は強いんだけど、ああいう風にダメージを負ったり追い詰められたりするとすぐ使えなくなるんだよなぁ……。演算が大変だから仕方ないけど、よくバランスがとれてるなぁと思う。

 

《ぷくく、無様ですわね、白井》

《レイシアちゃん、悪趣味》

 

 けっこうピンチなんだからね。

 と、そこでふと、俺が『亀裂』で区切った領域の中に、見知った顔がいるのに気付いた。

 美琴だ。

 美琴はどうやら磁力を使って砂鉄ブレードを作って、ゴーレムを無力化するつもりらしい。『ゴスロリ女の方よろしく』と目で言われたので、俺はこくりと頷いて新規の『亀裂』を展開した。

 

 ズザザザ!! と真っ白な『亀裂』がまるで繭のように、シェリーの周囲を取り囲む。……今頃シェリーはこの中で訳も分からず声を上げているんだろうけど、それは俺には聞こえない。白黒鋸刃(ジャギドエッジ)は音も反射するからね。

 さて、これでシェリーは逃げられないし、最初に張った半径一〇メートルの『亀裂』の方は解除しておくか。

 と、

 

 爆裂音を響かせ、ゴーレムが倒壊した。どうやら美琴がレールガンをぶっ放して破壊したらしい。

 

「お疲れ様でした、お二人がた」

「……レイシアさん? 貴女がいったいどうして……いやお姉様もですけど」

「通りすがりですわ。それより、一応捕縛しておきましたが、さきほどの女性は?」

「テロリストですわ。…………助けていただいたこと、それと被疑者確保の協力に感謝します」

「なぁに。助けたのは御坂さんです。わたくしは、ただサポートをしただけですわ」

 

 にっこりと微笑んで白井に答えていると、横に美琴が近づいてきた。

 

「(……アンタ、シレンさんの方よね?)」

「(そうですけど……よく分かりましたわね)」

「(物腰を見れば一発っていうか……その様子だと平気みたいね。よしよし)」

 

 美琴は何やら納得した風になって離れていった。

 ……美琴もなんか隠してるのかなぁ。なんだろう、こうなってくるとほかの人たちも俺に何か隠しているんじゃないだろうか? ……なんだ?

 

「……警備員(アンチスキル)との連絡がまだつながりませんわね。通信が混雑しているのでしょうか。レイシアさん、お姉様。悪いですけど、直接本部に連絡してきますので、此処をお願いしてもらってもいいでしょうか?」

「ん? 珍しいこともあるもんね。了解、任せときなさい。つか、下手なヤツより私らの方が安心だろうし」

「然りですわね。お任せくださいまし」

 

 と言って見送ると、黒子は空間移動(テレポート)を使ってどこかへ飛び去ってしまった。

 …………うーん、多分通信が混雑してるって、学園都市サイドの根回しだよなぁ。ステイルにシェリーを引き渡すのに、黒子がいたら困るし。

 美琴は――まぁ、ステイルとはほんのり面識があるから、そういう意味ではあんまり突っかかったりはしないだろ。

 

「――大丈夫か!」

 

 なんてことを考えていたら、ちょうど入れ違いになって警備員(アンチスキル)の人たちが到着した。……あれ? ステイルに引き渡すんじゃないの? なんで到着してるの? 学園都市サイドの根回しは??

 

「君たちがテロリストの捕縛を? 無茶をする……。それで、問題のテロリストは?」

「あ、あっちですが……」

 

 俺は白い繭のようになっている『亀裂』を指さしておく。

 

《ど、どうしようレイシアちゃん》

《現場が有能すぎるのも問題ですわねぇ……。……ですが、引き渡さないという選択肢はないのでは? やるとしても引き延ばすくらいかと》

《だよねぇ……》

 

 普通の警備員(アンチスキル)なんかにシェリーを渡してしまったら、それこそ大問題だ。上条が倒すよりずっと面倒なことになってしまう。

 そんなことを考えてまごまごしていた俺だが、無情にも警備員(アンチスキル)は話を進めてしまう。

 

「……ふむ。ご苦労だった。後は私達が始末をつける。離れておいてくれ」

「で、ですが…………」

 

 ……こうなったら、このもごもごモードでもってなんとか話を伸ばすしかない! いざとなれば敵はなんかの能力を使うからとか言っておいて装備を固めさせて時間を稼ごう!

 

「心配はいらない」

 

 と思っていたら、ふいにそんな声が届いた。

 

「……ステイルさん」

 

 後ろを見ると、ステイルがちょうど到着していた。問題ないって……ああ、そっか。もしかしてこの警備員(アンチスキル)の人って、そういう風に偽装してるだけで実は暗部の人とかなのかな。

 そう考えると、黒子をわざわざ外させてから入れ違いに合流したのも納得がいく。

 

 

 そのあとは、まぁ消化試合だった。

 俺が白黒鋸刃(ジャギドエッジ)を解除したら、当然解放されたシェリーは暴れようとしたが、すぐに警備員(アンチスキル)が数人がかりで取り押さえ。

 そんなシェリーにステイルが何事かを言ったら、シェリーはすっかり項垂れてそのまま連行されてしまった。あの様子じゃあ、抵抗したりとかはないだろうなぁ。

 よかったよかった。とりあえずこれで六巻の事件は終了だ。……確か、シェリーのせいで風斬が自分が人間じゃないことに気づくって一幕があったと思うけど……まぁ、そのへんは別にあんな形でなくてもよかっただろうし。うん。

 この後上条一行に混ざって、俺がそれとなく風斬に自分が人間じゃないってことに気づかせて、そして傷つかないようにフォローをすればいい。

 

「……つかアンタ、一体何者なのよ? 昨日は聞く機会なかったけど、警備員(アンチスキル)と一緒に来るとか普通じゃないわよ」

「フン。それを言ったらお前も、あの能力者も普通じゃないだろう」

「そりゃそうだけど……」

「それより、だ。問題はないのか? いくらなんでもイレギュラーが……」

「そっちの方は大丈夫よ。つか、声が大きい!」

「お前だって人のことは言えないだろう!」

 

 なんてことを考えていたら、美琴とステイルが何やら言い争っていた。

 ……………………何を隠してるのかなぁ。すっごい気になるなぁ。でも聞いちゃダメなんだろうなぁ。

 

「そんで、アンタ達この後どうするの? 私はこのまま黒子を待つけど」

「僕がここに残る理由はないな。まだやることが残っているからね」

「わたくしは上条さんを探そうかと。昨日の御礼のこともありますし」

 

 と言うと、二人は一気に微妙な顔をした。

 ついでにレイシアちゃんも微妙な顔をした。おいだから現実の顔にまで出るって。

 

「……あの男はやめておいた方がいいと思うぞ? ほら……あれだ。ヤツの周りは騒がしいし」

「そうねそうね。それにアイツ、宿題が終わってなくていろいろと忙しいんじゃない? 後にしてあげた方が……」

「………………なるほど、上条さんが中心、と」

 

 俺がそう呟くと、二人は一気にぎょっとした顔をした。

 ついでにレイシアちゃんもぎょっとした顔をした。……だからすごい奇妙なことになってるんだけどさ。

 

「な、なにを、」

「いや……さすがにわたくしでも、みなさんが何かを隠していることくらいは分かりますし。何を隠しているのか知りませんけど…………そういうことなら分かりましたわ」

「あ、あのねシレンさん? 別にそういうことじゃなくってね? 特に何か悪いことじゃなくて、どーでもいいようなことで、ね……?」

「そういうことなら、まぁ、放置しておくことにします」

「そうだシレン、心にゆとりをもって……は?」

 

 俺が矛を収めると、二人は一様にきょとんとした顔をした。

 ついでにレイシアちゃんも――いや、さすがにさせん! 今回は俺が真顔で上書きした!

 

「ですから、何を企んでいるのか知りませんけど……レイシアさんや御坂さん、ステイルさんに上条さんまで絡んでいるのでしたら、悪いことではなさそうですし……放っておきますわ」

 

 そう付け加えると、二人は目に見えて脱力した。

 

 しかし、みんな隠し事が下手だなぁ……と思ったけど、そういえばみんな一四歳だっけ。それならしょうがないかぁ。

 

***

 

 その後は、上条のところに行くわけにもいかないので、常盤台中学の校舎まで戻ってきていた。

 今日はおやすみなんだけど、まぁ、派閥の集まりもあるだろうしね。さすがに散策も飽きてきたから、こっちに行こうかってレイシアちゃんと話をしていたのだ。

 それに、二乗人格の件の報告もまだしっかりしてなかったし。

 

「れ、レイシアさんっ!? なんでこっちに!? 今日はおやすみのはずでは!?」

 

 …………と思っていたのだが、開口一番夢月さんにそんなことを言われてしまった。彼女たちも絡んでるのかぁ、この一件。

 ……………………なんかもう、いい加減に予想がついてきたけど、みなまで言うまい。そこまで無粋じゃないよ。

 

「シレンの方ですわ。暇だったので遊びに来ちゃいました」

「そそそ、そーなんですか! 熱心なことはいいことでやがりますね! (……ちょっと! 何してやがるんですか! さっさと片付けやがってください!)」

 

 後ろ手に扉をガッチリと押さえているその姿は、その奥に隠しているものがありますと何より雄弁に語っていたけど、俺はしっかりとそこを無視するのだ。俺は大人なので。

 

「しかし、もう動きやがって大丈夫なんですか? 確か安静って話でしたが……」

「ええ。一応、先生のお墨付きはいただいていますわよ。今日も特に問題はありませんでしたし。――ですが、今日はやめておきましょうか。なんだか、取り込み中みたいですし」

 

 そう言って、俺は夢月さんが現在進行形で塞いでいる部屋の扉に視線を向ける。

 それを受けて、だらー……と夢月さんが思いっきり冷や汗をかいていた。分かりやすすぎるだろ……。

 

《くっ……刺鹿のバカ。もう少しポーカーフェイスを心掛けなさい……!》

 

 いやレイシアちゃん、人のこと言えないからね?

 

「……では、これにて。準備頑張ってくださいましね、夢月さん」

「へ? 今、シレンさん私のこと夢月って……」

 

 ぽかんとした夢月さんをスルーして、俺は踵を返す。

 晴れて別人格ってことになったんだから、呼び方も合わせる必要ないからね。あとレイシアちゃん、夢月さんのこと刺鹿って呼んでるし。

 

 なーんか隠し事されている意趣返し、ってわけではないけど、呆気に取られた夢月さんを残して、俺はその場を後にした。



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三八話:事の真相

《…………暇になっちゃったなぁ》

 

 夢月さんと別れた俺達は、常盤台の中庭をぶらぶらしていた。

 上条もダメ、派閥のメンバーもダメ、美琴やステイルもダメとなると……あれ、俺の交友関係全滅じゃないだろうか。ひょっとして俺の交友関係って狭……いや。思い返すに前世でもこのくらいの数の友人が全員予定ありだったら、普通に誰とも遊べなかったと思う。そして前世の俺はぼっちではないのでレイシアちゃんもセーフ。

 

《どうしよっか、レイシアちゃん。アニメでも借りに行く?》

《それは断固拒否しますわ! せめて匿名宅配レンタルサービスとかを使って、わたくしが借りたと分からないようにしてくださいまし!》

《了解了解。で、いつまで時間をつぶせばいいの?》

《ええと、四時ですわ、って……あ》

 

 何気ない風を装って話を振ると、レイシアちゃんはあっさりと答えてくれた。

 うん。自分が何か企んでますって白状しちゃったようなもんだね、今の。

 

《え、ええと、その、ええと……》

《大丈夫大丈夫、もうだいぶ前から何かあるって分かってたから。でも、レイシアちゃんが主導してやってるなら大丈夫でしょ。俺は黙ってサプライズされてるよ》

 

 その心意気がなんだか微笑ましくてそう返すと、レイシアちゃんはむすっとして、

 

《…………それでは、サプライズにならないではありませんか……》

 

 言われてみれば。

 

***

 

終章 とある再起の悪役令嬢 We_are_"a_Villainess".

 

三八話:事の真相 Let's_Start!

 

***

 

 まぁ、それ以上何してるかを聞くのは野暮というものなので、それ以上は聞かずに時間をつぶすことにした。

 

《……だからといって、一人オセロはどうかと思いますけど……》

《一人じゃないよ、レイシアちゃんがいるし》

 

 そんな感じで、俺たちは自室に戻って、部屋に置いてあったなんか無駄に値の張りそうな高級感あふれるボードゲームをやっていた。なんでもレイシアちゃんが以前興味を持って買ったものの、遊ぶ相手がいないからと放置していたものらしい。レイシアちゃん………………。

 ちなみに、現在プレイしているのはリバーシ。オセロっていうのは商品名らしいね。…………白黒鋸刃(ジャギドエッジ)とかけたわけじゃないぞ。

 それはともかく。こう、人格が二つあると一人ボードゲームでも別々に分かれてプレイできるから、暇つぶしが非常に簡単だな。傍から見た時のアレさ加減がひどいけども。

 でもまぁ、所詮はボードゲーム。何ゲームもやってるとさすがに飽きが来るなぁ……。俺もレイシアちゃんも、けっこう飽きっぽい性質だしね。

 

《次、何しようか。トランプ系は、視覚を共有しちゃってるせいでやるのが面倒くさいんだよなぁ……いちいち手番ごとに奥に引っ込まないといけないし》

《まだ感覚のシャットアウトまでは上手くいかないんですのよねぇ》

 

 なんとなく、慣れれば常時共有じゃなくて、こっちの人格の視覚はシャットアウト、みたいな芸当も、できそうな雰囲気ではあるんだけど……俺達まだ二重人格初心者(?)だから、そこまで器用なことはできないんだよね。

 結果として、常に相手の手番が分かるのが前提なボードゲーム類しかできないという。

 

 うーん…………。

 

《あ。そうだ。瀬見さん達のところに遊びに行こうか》

《えっ……あ、そ、その、今日はおやすみですから、多分瀬見さん達も研究所にはいないんじゃないかなと……》

《ああ…………今回の件、瀬見さん達も一枚噛んでるのね……》

《うぅぅ~~~~察するのが早いんですのよぉぉ~~~…………!》

 

 そりゃレイシアちゃんが嘘吐けなさすぎるのが悪い。

 

《大体、シレンはデリカシーがないのです!》

 

 グイグイやり込められていたレイシアちゃんが、唐突にそんなことを言い出してきた。

 …………また唐突な。

 

《たとえばどこがさ?》

《わたくしの裸体を見たこととかっ!》

「うごふっ!?」

 

 …………くっ、突然言うもんだから、口に含んでいた紅茶を吹き出しそうになったぞ…………。

 

《そ、それは悪いと思っているけど、不可抗力だし……それに俺達二人で一人なんだし……》

《二人で一人とか言っているくせに、初めてわたくしの裸体を見た時はだいぶ憔悴してましたわよね? 最後の方にネグリジェ着たときとか、だいぶドギマギしてましたわよね?》

《くっ……なぜそれを!? っていうかレイシアちゃんどこまで見てた!?》

 

 思わず戦慄した俺に、レイシアちゃんは(何故か)胸を張って、

 

《大事なところはだいたい見ていましたわ》

《俺がレイシアちゃんの裸で消耗してたのは大事なところだっていうのか!?》

 

 明らかにいの一番に切り捨てるべき場面だろ! なんでそこだけピンポイントなんだよ!

 ツッコミを入れてみた俺だったが、レイシアちゃんは飄々とした様子でそれを受け流す。

 

《シレンがぁー、鏡に映ったわたくしのぉー、裸をガン見ぃー》

《ガン見はしてない! ちょっと凝視はしちゃったけど! っていうかレイシアちゃんちょっとキャラおかしくないか!?》

《一心同体とはいえ当時見知らぬ男の人に裸を見られたわたくしの精神的ショックははかりしれませんわー》

《うぐぐ……まさかこの先もこのネタで延々いじられるのか……》

 

 さすが悪役令嬢、やり口がだいぶあくどいぞ。

 

《でもレイシアちゃん。それなら俺が恥ずかしがって体をろくに洗わずに不潔なことになっててもよかったのか?》

《…………そ、それとこれとは話が別ですわ》

《別じゃない。言うなればあれは……医療行為だったんだよ。刃物で人の肉を斬るのは悪いことだ。でも、それが手術のためだったとしたらどうだろう?》

《………………》

 

 レイシアちゃんは何も言えないみたいだな。

 ククク、あの時既に、必死に自己弁護の言葉を塗り固めてあるんだ。今更ちょっとやそっとのツッコミで揺れ動く俺では……ない!

 

《もちろん、それは正しい行いだ。女の子の裸を勝手に見るのは悪いことだろう。でも、体を洗うためだから……正しい行いなんだよ…………》

《くっ、わたくしが間違っていましたわ……》

 

 そこあっさり認めちゃうんだ。

 

《でも、それはそれとして恥ずかしいのが乙女心なのですわ》

《あ、うん》

 

 それはそうかもね。俺も入院時代にやむに已まれず恥ずかしい部分を看護師さんに見られた経験があるので、そこは分かるよ。医療行為だとしてもナイーブな部分にダメージいくよね。

 

《でも、何かしようにもシレンはわたくし自身になってしまったじゃないですか》

《そうだねぇ》

 

 自分をビンタしたら、レイシアちゃんも痛いわけで、それじゃ割に合わないよね。

 

《なので、わたくし考えたのです。どうすれば、わたくしが感じた恥をシレンにも味わわせられるのか》

《んっ? ちょっと待ってくれ。雲行きが怪しくなってきたんだけど》

《そう! シレンの元の姿の裸を見ればいいのです!!》

《いやだ!!!!》

 

 思わず、どうやってだよ、とかなんでだよ、みたいなツッコミより先に拒絶が出てしまった。

 

《っていうか、無理だろう。現状、エピソード記憶は共有できないし、鏡を見た時の記憶はエピソード記憶だし……》

《ほら、ノートとペンならいっぱいありますし、前世のシレンの裸体を書くとか》

()()()()()ー!! ()()()()()ー!!」

 

 はっ、あまりにいやすぎて思わず生身で悲鳴をあげてしまった。なんておぞましいことを想いつくんだこの子……。下手な悪役より邪悪な発想してるぞ、マジで…………。

 

《っていうか、それやるとアレイスターに怪訝に思われないかな?》

《書いたイラストがシレンの前世だと? いや、それはさすがに発想が飛躍しすぎでしょう。単にエロイラストだとしか思われませんわよ》

《エロイラストだと思われるけど?》

 

 …………アレイスターに、エロイラストを描き始めたと思われるのかぁ……。

 あのビーカーの中で逆さまになりながら、『フム、身体のバランスが狂っているな』とか分析されるのかぁ…………すっごいやだなぁ…………。

 

《…………この件は、ちょっと保留にしましょう》

《うん、そうだね。それがいい》

 

 お互いのためにもね。

 と、そんなことを話していると、スマホが着信音を鳴らしだした。何気なく携帯を見てみると、上条当麻の文字。

 

《あっ、シレンちょっと……》

 

 ……あっ、これもダメなやつか。

 レイシアちゃんが制止しかけたけど、時すでに遅し。

 そのころにはもう、俺はスマホの画面を指でスライドして、通話を始めてしまっていた。

 

「……もしもし」

『あ、レイシアか?』

「……あの、シレンの方ですわ」

『準備、早めに終わったから連ら、……あっ…………』

 

 …………ちゃんとシレンの方って言ったのに…………。

 ま、まぁ何か準備してるってことは分かってたからいいけどね? ただちょっと気まずくなるなーというだけで、ね?

 

「……え、えーと、すみません。ちょっと外にいるので、車の音でよく聞こえなかったのですがー」

『………………そ、そうか! えーとだな、突然で悪いんだけど、第七学区にある「KARAO!」ってカラオケボックスの二〇三号室まで来てくれないかなー詳しい事情はレイシアから聞いてくれそれじゃ!』

 

 連絡事項を一息に伝えきると、上条は逃げるように通話を切った。

 

《………………あのツンツン頭、後で粛清ですわ…………》

 

 うんまぁ、今回ばかりは弁護できないかなぁ。

 

***

 

 というわけで、カラオケにやってきたのだ。

 そういえば、前に打ち上げをしたときもカラオケに来てたっけなぁ。カラオケボックスってけっこう広いし騒いでもOKだしごはんとかも意外といい感じだから、学生のパーティとかにはもってこいなんだよね。分かる分かる。

 

《どんなことになってるんだろうなぁ》

《…………………………》

 

 レイシアちゃんはボロを出すまいとさっきからずっとこの調子だし。

 

《もうちょっと気楽にしてていいんだよ? 俺、基本ネタバレくらってもそれはそれで物語は楽しめるタイプだしさ》

《フォローになっていないのですっ! ……あっ》

 

 というか、別人格とはいえ同じからだを共有してる人も巻き込んでサプライズをしようっていうのが厳しいと思うんだよね……。レイシアちゃんもまだ中学生だからそこそこ抜けてるところはあるしさ。

 なんてフォローを心の中でしつつ(面と向かって言うと怒るので)、俺は指定された部屋の扉に手をかける。

 

 …………すごい、扉の向こう側からの緊張感が、扉を通して俺に伝わってくるかのよう――いや違う。これレイシアちゃんが緊張してるだけだ。

 

「……すぅ、はぁ」

 

 落ち着けよ、という気持ちも込めて意識的に深呼吸をし、俺は勢いよく扉を開け、

 

「シレン(さん)、復活おめでとう(ございます)――――っ!!!!」

 

 た瞬間、ぱんぱんぱん、とクラッカーの破裂音を響かせながら、歓声が俺達を……いや、俺を出迎えてくれた。

 

 どうやら、(分かり切っていたことだけど)みんながこそこそといろいろやっていたのは、俺の復活記念パーティの準備だったらしい。見てみると、カラオケボックスの中は色んなパーティグッズで飾り付けられていて、とても賑やかな風情だった。

 始業式が終わってからやったにしてはかなり大がかりなので、多分このへんで瀬見さん達の協力があったのだろう。ここにはいないけど。

 

《……わたくしも、改まって言うのは初めてですわね。……おかえりなさい、シレン》

 

 ……みんな口調とか統一してないから、掛け声バラッバラで全然まとまってないし、ステイルはクラッカーをインデックスに押し付けて仏頂面で黙り込んでるし、インデックスは二倍のクラッカーで目を回してるし。なんかもう、いろいろめちゃくちゃだなぁ。

 ………………。

 いやいやいやいや。

 分かっていたけど、分かっていたけど、やっぱりクるものがあるな、こういうものって。思わず、目頭が熱く……うぅ。

 

「……っ、皆さん、ご心配おかけしましたが――――ただいま、戻りました」

 

 …………ああ、俺、帰ってきたんだなぁ。



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最終話:二人で一人の

「かんぱーい!」

 

 かちーん、と軽質な音が、カラオケボックスの一室に響き渡った。

 この場にいるのは俺、派閥の面々、美琴、上条、インデックス、ステイル、神裂、――それと何故か、風斬だ。

 まぁ正体は分かっているが、一応礼儀として、彼女を連れてきたであろう上条に問いかけてみる。ていうか、すっごい居心地悪そうにしてるしなあの子。

 

「えっと……こちらの方は?」

「ん? ああ、風斬って言ってな。今日知り合ったんだけど、インデックスと仲良くなって、それでレイシアにも紹介したいってさ」

「はぁ、なるほど」

 

 ああ、そう繋がるのね。インデックスとしては、初めて()()()()()作った(上条の力を借りていない)友達なんだっけ。アイツの精神性を鑑みれば、自分の友達とほかの友達が仲良くなってほしいと思うのは当然か。

 

《……シレンの復活パーティなのに知らない人を呼ぶなんて、無粋ですわよ、あの白シスター》

《まぁまぁ。俺たちはまんざら知らない相手でもないんだしさ。……それに、風斬がAIMの天使だってこともほんのり自覚させないといけないわけだし》

 

 と、思っていたのだが。

 

「え……と、すみません、お邪魔しちゃった……みたいで……」

 

 そう思っていた矢先、風斬の方から普通に声をかけてくれた。っていうかこの口ぶりから察するに、やっぱ居心地の悪さはあったみたいだなぁ。そりゃそうか、だって初対面の子ばっかだもんね。皆気の良い子だけど。

 

「いえ。聞けばインデックスさんのお友達とのこと。であれば、わたくしにとっても友人同然ですわ。わたくしは、レイシア=ブラックガード。どうぞよしなに、風斬さん?」

 

 にっこりと微笑んだのは、正解だったらしい。

 おどおどとしていた風斬は目に見えてほっとした様子を見せると、ぎこちなく、しかしだいぶ打ち解けた雰囲気を伴わせて、こう切り返してきた。

 

「……初めまして。えっと…………人間……()()()()()()の……風斬氷華です」

 

 …………ほわっつ??

 

***

 

 思わず、ぽかーんとしてしまったが。

 風斬の語るところによると、どうやらもう自分が化け物でーとかそういうイベントは既に終了しちゃったらしい。ついでに、美琴とか白井にも自分の素性は説明しているとか。

 途中で口を挟んできたインデックスの話によれば、ステイルや神裂とかの魔術サイドには、詳しい話をすると冒涜とかそういう話になっちゃうからダメねと口止めしているんだと。

 ……いや、多分二人とも気づいてるよ。気づいてるけどインデックスの友達だから立場とか全部かなぐり捨てて見て見ぬふりしてるんだよ。後ろの方見たらものすごい勢いで目を逸らされたし。

 

 で、自分が人間でないと気づいた詳しい経緯についてそれとなく尋ねてみたら、どうやらエリスの襲撃がなくても、ちょっとした事故(ひざをすりむいた)とかで風斬の異常(中身が空洞)が判明して、同じころ小萌先生が風斬の正体を突き止めて電話説明があったらしい。……そんな話だったっけ? いかん、六巻の内容とか細部はもう全然覚えてない。

 

「なるほど……いよいよびっくり人間の集まりになってきましたわねぇ、上条さんの周辺も」

 

 と言ってみると、風斬はひきつった笑みを浮かべていた。

 暴食シスター、吸血鬼吸い寄せ地味子、ツンデレビリビリ少女、クローン少女、二重人格お嬢に続いて、人造天使だ。バリエーションが豊富にも程があろう。

 

「それで、話によると存在が不安定という感じみたいですが、大丈夫なんですの? せっかくお友達になれたのですから」

「……うん、それは…………大丈夫。いろいろ不安定だけど……いなくなっちゃうわけでは……ないから」

 

 俺がそう水を向けてみると、不安そうな視線を向けたインデックスを安心させるように、風斬は微笑んだ。なんだかお姉さんしてるなぁ。

 と、

 

「――失礼。ちょっと切り替わらせてもらいましたわ、レイシアです。ちょっと風斬さん? 話を聞いてれば消えてないから大丈夫などと、少し控えめすぎではなくて?」

 

 あっ、レイシアちゃん。

 

「……で、でも……私には、そう言うしか…………」

《そうだよレイシアちゃん。確か、この後はしばらく、風斬は立体映像同然の状態にしかなれなかったはずだし。そのうち自由に出てこれるようになったと思うから今はさ……》

《ええいシレンのその微妙な決着で妥協するところは直すべきですわ!》

 

 うっ……。一喝されてしまった。

 しかも前例があるだけにあまり強く言い返せない。

 

「――連絡手段を、作りなさい!」

 

 ビシイ! と。

 レイシアちゃんは、当然と言えば当然なことを言った。……ああうん、そうだね、不定期に出現するとしても、連絡手段があればまたすぐ、それもわりと簡単に遊べるよね……。

 

「どうせインデックスは四六時中暇なのです! 遠慮せず連絡を入れるのです!」

「ちょっとレイシア! それは心外かも! 私だってカナミンを見たりと忙しい日はあるんだよ!」

「オぉタぁクぅアぁニぃメぇと友達、どっちが大事だと思ってますのぉぉ!?!?!?」

 

 …………うう。レイシアちゃんのオタク趣味への風当たりが強い……。

 でもカナミンと聞いて一発でオタクアニメだと看破できるくらいには知識を蓄えたんだね。いい傾向いい傾向。

 

「…………そうだね! レイシアの言う通り!!」

 

 ああ、インデックスが論破されてしまった。別に一緒にアニメ見たっていいじゃん……。

 

「で、でも……具体的に、どう連絡をとれば……? 身分証明の手段もないから携帯も使えないし……あの子も……電話、苦手だろうし……」

「公衆電話があるでしょう! 電話の使い方は教えます! わたくしが!」

「……お金が……」

「このわたくしを誰だとお思いですか!? お金くらいそこらのコインロッカーを適当に貸し切って放り投げておきます! 勝手にお使いなさい! はいこれで問題は全部解決ですわね!?」

 

 ……おおう、レイシアちゃん、すげぇ。普通に今後ともインデックスと風斬が遊べるようにしちゃったよ。

 まぁ盛大に無駄遣いではあると思うけど、俺自身レイシアちゃんに『自分が必要だと思ったことには金を惜しむなよ』って言ったしなぁ。レイシアちゃん的にこのお金の使い方は無駄じゃないってことなんだろうし、俺も『いい無駄遣い』だと思うし。

 

「あとは、適当にアイドルっぽい芸でも覚えさせれば、SNSのトレンドに上がることですぐインデックスが気づけるようにもできますが…………」

「…………なんだかよくわからないけど、すごくすごく怖いことを考えられてる気がする……」

「………………ま、適性的にこのくらいが限度ですわね。ともかく、どんな状態だろうと、遠慮せず、諦観せず、貪欲にいろいろとチャレンジしてみなさい!」

 

 そこまでで、レイシアちゃんは矛を収めた。

 なんだか凄く満足げな感じである。ついでに、インデックスと風斬もめっちゃ喜んでた。全体の歴史から見ればほんとに些細なことなんだろうけども、それでも、ミクロな人間関係にとっては劇的な、素晴らしい変化を齎していた。

 …………成長したなぁ、レイシアちゃん。前までの俺なら、喜びで成仏してもいいやって思ってたところだったんだろうけども。

 

 年長者として、俺もまだまだ、頑張っていかなくちゃな、と……今なら思える。

 俺も少しは、成長したんだろうか?

 

***

 

「――おい、女」

 

 風斬とインデックスがイチャイチャしだしたので、逃げるように離れて肩を組みながら歌を歌っている夢月さんと燐火さんを遠目に見つつ飲み物を飲んでいると、ステイルに声をかけられた。

 俺が振り向いて応対しようとすると、その前にレイシアちゃんが口を開いた。

 

「わたくし、女なんて名前ではありませんわ。それともポリティカルコレクトネスの面から詰られたいドM志向ですの?」

「…………お前じゃない。もう一方の人格の方だ」

「はいはい、お呼びでしょうか? ……レイシアちゃん、()()()()()()()()()()()()()()

《ですが……》

 

 ぶーたれるレイシアちゃんは放っておいて、と。この手のタイプの言葉尻をいちいちとってあーだこーだ言ってたら話が進まないからね。本質を読み取るのが重要なのだ。

 

「……フン、レイシアちゃん、か。どうやらヒエラルキーはお前の方が下らしいな。副人格なのだから当然といえば当然なのだが」

《この野郎、喧嘩売ってるなら買ってやりますわよ……!》

《レイシアちゃん、落ち着いて、落ち着いて》

 

 相性悪いなぁこの二人。

 

「それで、わざわざ呼びかけるほどなのですから、何かお話があるのでしょう? なんでしょうか。……ああ、そういえばあの一件でステイルさんが協力してくれるとは思ってませんでしたわ。お蔭で助かりました。神裂さんも……」

「いえ、私は借りを返したまでです。それに、実際に術式を編んだのはあの子ですから。私としては、まだ完全に借りは返したとは思っていませんので」

 

 少し遠巻きに俺とステイルの様子を見ていた神裂に水を向けてみると、神裂は相変わらずの様子でそう返してきた。なんかこの人、放っておくと一生借りを返そうとしそうだよなぁ。俺としてはもう十分って感じなんだけども……。

 

《………………そりゃ目の前であんだけわんわん泣かれれば罪悪感的な意味で借りの重さも倍増ですわ》

《泣かれれば? …………何の話?》

 

 ヤバイ、真剣に覚えがないんだけど……どっかで泣いたっけ、俺?? なんかの隠語か? ……まぁ、とりあえずこの件は棚上げしとこう。

 そう思っていると、ステイルは苦々しそうな顔で、

 

「まったく……神裂は甘いな。僕としては、これで借りは返したぞ。それと、だ。僕は断じて、イギリスからお前を助けにこの極東の国にまでやってきたわけではない。この、手紙の、話をしにきたんだ!」

 

 ばん! と、ステイルは俺に一通の手紙を突き付けてきた。

 ……ああ、そういえば書いたなぁ。ステイルに、そろそろ死ぬから戻ってきた人格には手心加えてくださいねっていう、遺書みたいな手紙。神裂にも似たような内容のを送ってたと思うけど。

 

「なんだこの……! このふざけた内容は!」

「えっ……。なんだと言われましても、あの一件では、ステイルさんの矜持を傷つけてしまいましたし……。お詫びと、それとわたくしが原因となった人間関係のもつれを、レイシアちゃんに引き継がせないようにと……」

「そこだっ!!」

 

 ビシイ! と、ステイルが人差し指を俺に向けてくる。

 う、ううむ……。そこ……?

 

「なんでお前は……! そこまで僕を理解しておきながら……あの子との仲を取り持っておきながら、悪印象を好印象が上回っているという発想に辿り着かない!?」

「え、……え……?」

「自分のやっていることを過小評価しすぎだと言っているのだ! お前のやっていることが、完全なるマイナスだとでも思っているのか!?」

 

 ………………えーと、それって。

 

「もちろんあの子に余計な苦しみを与えたことは許せない。自分の行いを誇ろうものなら、その瞬間僕がお前を焼き殺す! だが、見誤るなよ。僕だって施しを施しと認められないほど偏狭ではない!」

 

 …………かな~~り遠まわしに言っているけど……。

 

「……つまり、わたくしのことを悪く思っているわけではない、と?」

「――――――ふん。君がそう思いたいなら、勝手にそう思えばいい」

 

 それだけ言うと、ステイルはとっとと離れていってしまった。

 

「ふふ。彼も素直ではないですが――彼なりに、感謝はしているんですよ。分かってあげてくださいね」

「ええ、それはもう、」

「わたくしは気に食わないですけどね」

「レイシアちゃん…………」

 

 やっぱりレイシアちゃんとは合わないかなぁ、ステイル。

 

***

 

「……よーやっと空いたわね、シレンさん」

 

 と、離れていく神裂を見送っていると、入れ違いに美琴が入ってきた。

 

「あら、御坂さん。……どうやら楽しんでいらっしゃったようで」

 

 そういえば美琴の友達とかいないなーと一瞬心配だったが、そんなのはいらんお世話だったらしい。何気にコミュ力の塊でもある美琴は、派閥の面々と普通に一緒に楽しんでいるようだった。よきかなよきかな。ホストとしてはお客さんが楽しんでくれているようで……、

 …………いや? よく考えたら今回俺だけがお客さんのはずだな?

 

「まーね。……ま、アンタの交友関係の異次元さには負けるけど」

「美琴さんも大概だと思いますが……」

「美琴?」

「えっ、あっ」

 

 しまった……つい名前で呼んでしまった。いつも心の中でそう呼んでたから。

 

「あ、な、直さなくていいわよ! それでいいわ。美琴さんで。レイシアなんていつの間にか御坂呼ばわりだからね」

「――なんですの? 何か問題でも? 大体、今までさんづけで呼んでいたこと自体おかしかったのですわ」

 

 張り合うな張り合うな。

 

「――失礼。……では、美琴さんとお呼びしますわね」

「う、うん!」

 

 にっこりと微笑むと、美琴も同じように微笑んでくれた。

 …………こんなにうれしそうにしてくれるなら、もうちょっと早くやっておけばよかったかなぁ。

 

「……。ありがとね」

 

 ほんのり後悔していると、不意に美琴がそんなことを言い出した。

 俺に、だよな。……ああ、革命未明(サイレントパーティ)騒ぎのときの協力か。なんだかんだですぐ寝ちゃった後に俺が消えたから、その話するタイミングなかったしなぁ。

 

「学究会の一件もそうだし、それに……あの実験のことも」

「……例の一件ですか? その件については、わたくしがやりたくて勝手に首を突っ込んだだけですし……」

「それでも。……アンタが、勝手に首を突っ込むついでに私を巻き込んでくれたから。私に、戦う資格を与えてくれたから、私、すっごく救われたんだから」

 

 ……。

 

「もしもあの一件のとき、ただ泣きじゃくるだけで、アイツに全てを任せていたら、私は一生、自分の無力を責め続けてた。でも、あそこで自分の手であの子達を救えたから……私なりに、少しは自分のことを許せたの」

 

 もちろん、全部じゃないけどね、と美琴は笑う。

 それは、一四歳の少女が抱えるには、あまりにも重すぎる自負だ。……それでも、美琴は背負っちゃうんだろうけども。

 

「なら、いずれは全部許せるようにならないと、ですね」

 

 なら、俺はせめて、この子が自分を許せるようになるまで、支えてあげたい。

 レイシアちゃんだって、同じ思いだと思う。

 

「……随分、残酷なことを言うのね、アンタ」

「背負い方にも色々あるという話です。わざわざ負担のかかるやり方をしては、既に亡くなった人はともかく、今いる人は、浮かばれないでしょう?」

 

 大事なのは今、そして未来。

 最近は、そう思えるようになった。

 ある意味では無責任なのかもしれないけれど――。

 

「……あー、ほんと、シレンさんと話してると、同い年な気がしないわ。やりづらい」

「わたくしは、美琴さんと話すのは楽しいですわよ? 妹と話しているみたいで、」

「がるるるる……ちょっと近づきすぎですわよ御坂のくせに」

「…………かと思えば唐突にこうなるし。ほんと、やりづらいなぁ」

 

 …………ま、まぁ、そのうち慣れるよ。多分。

 

***

 

 そのあとすぐ、美琴は現れた派閥のメンバーに引っ張られて人の輪の中に取り込まれた。

 …………ほんと、あの子人望あるよなぁ。さっそくGMDWの面々の中心にいるし。これがほかの派閥だったら、『うちの派閥のメンバーなにたらしこんでくれてるの?』ってなるのかもしれないけど……まぁ、俺はそんな心配ないしねぇ。俺達とみんなは、何よりも強い絆で結ばれているからね。

 と、

 

「どーです? 楽しんでますか?」

「シレンさんっ、レイシアさんっ、流石に今回のパーティの主役だけあってっ、今までずっと囲まれてましたねっ」

 

 紅茶をのんびり飲んで(レイシアちゃんが安物ですわって文句をつけたりして)いると、ちょうど入れ違いで夢月さんと燐火さんがやってきた。

 

「ええ。お蔭さまで。この企画、提案したのは誰なんです?」

「? 言い出しやがったのは、例のツンツン頭ですね。会場の飾りつけは瀬見さんと協力してやっていやがったみたいですけど」

「あたくし達はっ、飾りつけの為の部品作成担当だったんですよっ、ほら、あの紙の輪っかとかっ……」

 

 そう言って、燐火さんが天井あたりを指さす。

 ああ、それでいつもの部屋に入れてくれなかったのね。で、やっぱり提案したのは上条と。アイツもこういうことできるんだなあ。デリカシーないヤツだと思ってたけど、そういう面ではちょっと見直した。

 

「なるほど、そうだったのですか……」

「…………シレンさん。悪いことは言わないですが、男の趣味は考え直しやがったほうがいいと思いますよ?」

「は? …………え!? 待ってくださいまし、誤解、誤解ですわそれは!」

 

 俺は、慌てて手を振った。

 

 いやいやいやいや……。

 上条とはそういうのではないから。アイツとは友達でね……。…………でも、男っ気のない俺がたった一人男と仲良くしてたら(ステイルもいるけど)、そういう風に見られるのかなぁ。俺としては、普通の男友達っていうつもりなんだけども。

 

「誤解なんですかっ?」

「ええ全く。ほんとに全然…………って皆さんなんですのその顔は? 特にそこで固まってるインデックスさん達はなんでそんな怪訝そうな顔を……??」

 

 当事者の上条は美琴にかみつかれてて聞こえてないのが幸いだけども、インデックスもステイルも神裂も『コイツマジかよ』みたいな目で見ているのはなぜだ……。

 

《レイシアちゃんヘルプ。俺には人の心が分からないみたいだ……》

《傍から見たらモーションかけすぎって話ではなくて?》

《えぇ……》

 

 そう見えるの? マジで? …………ってか、リアクション的に少なくともインデックスはそう思ってたってことだよな。うおおおおお……危ねぇ、致命的な誤解を抱えたまま次に進むところだった。

 

「上条さんは、あくまで大事なお友達ですわ。美琴さんやインデックスさんと同じ。特に含むところはありませんわよ」

「……そーですか? まぁ、強いて色々と問い詰めるつもりもありませんけど」

「ちなみに、友情に順位をつけるつもりはありませんけど、夢月さんと燐火さん含め、派閥の子達は『特別』ですわよ?」

 

 夢月さんが矛を収めたタイミングで、俺はやり返す意味も込めてそう切り返した。

 実際、俺やレイシアちゃんの意識でもそういうところはあると思う。上条や美琴、インデックスは友達だし、もちろん大事ではある……けど、GMDWの子達は友達であり、仲間でもあるわけだ。なんかこう、関係の絶対値がどうこうというよりは、さらに別の軸の関係がねじ込まれている、というかね。

 

「シレンさん……というか、その、呼び方が……」

「ん? ……ああ、いいでしょう? レイシアちゃんだって砕けた呼び方ですし、いつまでも苗字というのも他人行儀ですからね」

「――ではわたくしも夢月、燐火と呼ぶことにしましょう」

 

 ……レイシアちゃん、別に張り合わなくてもいいと思うけど。

 

「ふふっ、うれしいですっ、レイシアさんっ、シレンさんっ」

「…………なんか妹と姉が同時に突っ込んできやがってる感じがしてやりづらいです……」

 

 美琴も似たようなこと言ってたね、そういえば。まぁ、人生経験的にはその通りだから仕方がない。

 いやという感じではなさそうで、俺は安心したよ。

 

「ふふふ、副会長達! 歌を入れましたわ! ししし、シレイシアさんを連れてこちらへ!」

「了解です! 行きますよ二人とも!」

「わ!? ちょ、ちょっとお待ちくださいませ……!」

 

 夢月さんに引っ張られ、俺はいよいよ派閥の面々の輪の中へと入っていく。

 っていうかシレイシアって。なんかちょっと語呂いいけどさ。

 

 ……ま、いっか。

 

***

 

「…………ふぅ」

 

 それから……三〇分くらいは歌ってたかな? さすがに疲れたので、俺は一旦部屋を出て、火照りを鎮めていた。

 カラオケで歌いすぎると、なんか体に熱がこもる感じがするよね。

 

《ずいぶん楽しんでましたねぇ》

 

 と、そんな俺をからかうようにレイシアちゃんが笑う。……よく言うよ。レイシアちゃんだって途中何度か割り込んでノリノリで歌ってたくせに。

 ……でもまぁ。

 

《ああ、かなり童心に帰らせてもらったよ。こんなに楽しかったのは、いつ以来だろうなぁ》

 

 前世でも、こんなに楽しかったことはなかったかもしれない。この身体になってから、感情の起伏がだいぶ激しくなった気がするのは……肉体に引っ張られているのか、それとも単純にイベントが増えたせいか。

 

《…………そういえば》

 

 ぼんやりと考えていると、レイシアちゃんは何やら神妙な感じでそう切り出した。自然と、現実の表情も引き締まる。

 

《先ほど、色々と呼び方を変えてらっしゃいましたね》

《ああ。……半分くらいはボロが出たって感じだけどね。でも、ああいう風に呼びたかったっていうのもあるかなぁ。晴れてこの体で、シレンとして生きていいってことになったから……心機一転かな?》

《……ふぅん》

 

 レイシアは興味深そうに頷くと、

 

《では、もう今さらわたくしの口調を模倣する必要もないのではなくて?》

 

 と言った。

 うーん、確かに。

 

《そうなんだけど、ぶっちゃけもうお嬢様口調に慣れちゃったって部分もあるんだよねぇ。わたくし、ですわ、でしてよ。だいぶ板についてないかな?》

《ついてると思いますけど。傍目からは分からないくらいには。ただ、もしもシレンが模倣にとらわれて自分を出せないでいるのなら、と……》

《ははは》

 

 レイシアちゃんの心配に、俺は思わず笑ってしまった。

 

《まさか。それは心配しすぎだよ。俺、けっこうレイシアちゃんの身体で好き勝手やってたと思うよ? 口調まで変えたらさすがに怪しまれると思ったからマネしてたわけで、自分を出さないとかそんなつもりは毛頭……、》

《でもシレン、わたくしの身体で恋愛とか全然考えてませんわよね?》

《え?》

 

 いやいやいや、それは当たり前では……? だってステイルも言ってたけど、俺、副人格だからね。そこは主人格たるレイシアちゃん優先だろう。

 そもそも俺はまだそういうこと考えたこともないし……。以前は、いずれはそういうことも考えるようになるのかなと思ってたけど、こうしてレイシアちゃんが目覚めたあとは、そういうこと考えてる暇ないなぁって思うし。

 

《そこですわ! どうせまた自分はオマケだからだのと余計な遠慮をしているのでしょうが、わたくし達は一心同体なのです! サブとか、そういうのは雑念ですわ! ステイルのアホからなんか言われてましたがアレはアホですので真に受けてはいけません!》

 

 ステイルに辛辣だなぁ……。

 

《……俺も恋愛していいというのは分かったけど、別に俺は好きな人とかいないよ?》

《そこも分かってますわ。でもこれからは女性として生きていくんですから、変わるかもしれないではありませんの》

《そうかもしれないけどさぁ……変わってからでよくない? それかレイシアちゃんが好きになった子なら、俺も性別がどうあれ受け入れるし》

《その問題ですわよ》

 

 レイシアちゃんは我が意を得たりとばかりに、

 

《わたくし、普通の女の子ですわ。女の子同士の恋愛とかには興味ありません。恋愛対象は普通に男性です》

 

 うん、それは分かる。

 

《でも、シレンは元々普通の男の人でしたわ。恋愛対象は女性で、男性は恋愛対象ではない》

 

 まぁそうだね。レイシアちゃんが好きになった子なら別にいいとは思ってるけども。

 

《で、色々と考えるに――二重人格であるということも含めて、スムーズに恋愛ができそうな人って、わたくし達が知りうる中で一人しかいないのではなくて?》

《ほう?》

 

 俺は思わず興味深げな声をあげた。そんなヤツいたっけ? 男の娘でぐう聖な子……とか? 加納君が出てくるのはもうちょっと後だよね。それかトール? アイツとはうまくやれなさそうな気がするけど。

 

《ご存じ上条当麻ですわ》

《えっ? そうきたか》

 

 思わず普通に返してしまった。……ええ、上条? なんでさ、女装が似合うとかない気がするけど……いや、意外と細マッチョだし試してみたら分からないのか? うーん……微妙そうな気がする。

 

《だってそうではありませんか。わたくしはアイツそこそこ良いと思いますし、二重人格でも普通に受け入れそうですし、シレンだって多分そのうち上条のこと好きになってますし》

《待て!! 待って! 俺の好意が予定に加わってるってところもアレだけどレイシアちゃんそこそこ良いって思ってたの!? 初耳なんだけど! あのたらし野郎レイシアちゃんまで毒牙に……!》

《えぇ……? 引っかかるのそこなんですの……?》

 

 俺にとってはそっちの方が重要な問題だよ!!

 

《落ち着いてくださいまし。御坂だのインデックスのように好き好き大好きとか言うつもりはありませんわ。あくまで人生を共に歩むパートナーとして魅力的、という話をしているのです》

《……意外とドライだね?》

《まぁ生まれが生まれですからね》

 

 レイシアちゃんはそこはかとなく胸を張った雰囲気を出して、

 

《で、そうなるとご存知の通り、上条は競争率が激しいではありませんか》

《まぁ一万人くらいライバルいるしね……》

《あんなお子ちゃまは選外ですわ》

 

 ひどい……。妹達(シスターズ)だって本気なのに。

 

《話を戻して。競争率が激しいということは、放置してたらものの一年もしないうちにルート確定してゴールインされてしまうということですわ。悠長なことはやっていられないのです》

《う、うん……》

《わたくしは! 全部終わった後、『ああ、俺って実はアイツのこと好きだったんだな』とか言ってほろりと涙を流す中途半端な終わりにしたくないのですわ!!》

《は、はい!》

 

 そんな自信満々で言われると、ほんとにそうなりそうな気がしてきた……。

 でも、レイシアちゃんの今の発言って、徹頭徹尾俺の為なんだよなぁ。……恋愛くらい、レイシアちゃんの自由にしていいと思うんだけど…………いや、これがレイシアちゃんのやりたいことなんだろうか。

 でもなぁ……俺自身、たびたびからかわれたり、疑われたりしてるみたいだけど、上条のことを恋愛的な意味で意識したことって(当然だけど)一度もないんだよなぁ……。

 ……いやラッキースケベされたときはほんのりそういうことも考えたか? でもまぁ好きとかそんなのではないし……。

 

《…………まぁ、良いですわ。わたくし達の物語は、これから。昨日もそう言ったばかりですし》

 

 レイシアちゃんはまだ言い足りない様子だったけど、そう言って矛を収めてくれた。

 

 う~ん。

 ……でも、これからの長い人生、そういうことも考えていかなくちゃいけないんだよなぁ。

 

***

 

「皆で記念撮影とかしようぜ」

 

 宴もたけなわ。

 そろそろお開きにしようか、というところで、ふと上条がそんなことを言い出した。さすがに言いだしっぺだけあって、こういう音頭をとるのは得意みたいだ。上条って大概リア充だよね。けっこうオタク趣味にも精通してそうなのに。

 

「しゃしゃしゃ、写真! 大丈夫かな、魂抜き取られない?」

「インデックス、それは迷信ですよ」

 

 インデックスがかちこちになり、それを神裂がたしなめ、ステイルがそれを微笑ましそうに見ている。

 

「写真……写真かぁ……。……」

 

 その横ではなんか上条と隣り合ったせいで一気に恋愛モードに入った美琴があれこれと考えている。

 

「シレンさんレイシアさん! 貴女達は主役なんですから、真ん中に移動しやがってください!」

「周りはあたくし達が固めておきますねっ」

 

 夢月さんと燐火さんが、俺の腕を引っ張ってみんなの中心に連れて行く。

 あ、上条が人の波に飲まれて遠ざかっていく……。そして美琴とインデックスが取り合って…………ステイルの顔がヤバい! 眼光だけで上条が五、六回死にそうだ!

 って、なんで上条のこと見てるんだ俺は。さっきレイシアちゃんがあれこれ言ってたからつい目で追いかけてしまった。

 

《おやおや~? シレン? おやおや~?》

 

 ……いや違う。これレイシアちゃんが勝手に上条を目で追ってるだけだ。あぶねぇ騙されて異性として意識するところだった……。レイシアちゃんが分かりやすくなければあぶなかった。

 

《…………チッ》

《舌打ちて。…………まったく、レイシアちゃんは》

 

 これから、そういうのも変わっていくんだろうか?

 …………それは自明だ。

 きっと、変わっていく。

 レイシアちゃんだって変わっていくし、俺達以外の人達も当然変わっていくだろう。

 絶対に変わらない人間なんて、いるわけないし、それが当然だ。

 

 ()()()再起する物語は、もう終わった。

 

 でも、それは俺達がこれから歩んでいく道のりの長さに比べれば、ちょっとばかり長いプロローグに過ぎない。

 

「皆、もう平気かー?」

 

 テーブルの上に置いたデジカメにリモコンを向けながら、上条が言う。

 その言葉を聞いて、俺は周りを見渡してみる。

 俺を、俺達を中心に集まってくれた、皆の顔を。

 

 この後は、俺が覚えている限りでも、過酷な事件が待っている。

 それこそ、命の危険すらもあるだろう。

 まぁ首突っ込まなきゃいいんだろうけど、俺はそういうことはできないし、レイシアちゃんだって、黙って見ていることなんかできない。

 

 ただ、そこまで心配はしていない。

 失敗もするだろう、挫折もするだろう。ひょっとしたら、絶望だってするかもしれない。

 レイシアちゃんとだって、いつも仲良くできるわけじゃないと思う。喧嘩だって、もちろんするだろう。

 

 でも、大丈夫。

 

 写真撮影の瞬間、俺とレイシアちゃん、二人の声が重なった。

 

「はい、チーズ!」

 

 ――だって俺たちは。

 

***

 

終章 とある再起の悪役令嬢 We_are_"a_Villainess".

 

最終話:二人で一人の Best_Partner.

 

***

 

 パーティの後、自室。ベッドの上にて。

 

《…………あ、そうだシレン。今度お父様とお母様にご挨拶に行きましょう。あとついでに婚約破棄も》

《あ、挨拶…………って婚約破棄ぃ!? なんだその設定! 初耳!》

《だって、どうせ体面の為だけの政略結婚でしたから日記に書くようなものでもありませんでしたし……。でも上条とのゴールインを目指すなら邪魔かなぁと》

《っていうか! 政略結婚ってなんだよ! そういえばレイシアちゃんがあんな性格に育った原因を全く考えてなかったけど、まさか裏ボスがいるとは……!》

《あ、上条とのゴールインを目指すというところは否定しないんですのね》

 

《あっ…………そ、そこもだよっっっ!!》

 

 

 




シーズンⅠ・完結。
あとがきも投稿してありますので、シーズンⅡを読む前によろしければどうぞ。
感想、高評価なんかも良かったらお願いします。

次話はキャラ設定まとめやイラストの紹介になります。
(イラストはネタバレを含むこともあるのでお気を付けください)


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とある再起の婚約破棄(ニアデスプロミス)
キャラクター紹介・支援イラスト


登場したオリジナルキャラクターの解説・支援イラスト紹介です。(随時追加)


主人公

【挿絵表示】

画:はたけやまさん

名前レイシア=ブラックガード

略歴

 常盤台中学二年生。一四歳の少女にして、大能力者(レベル4)

 学内でも有数の巨大な『派閥』を一人でまとめ上げた辣腕の持ち主。

 しかしワンマン気質が強く独善的で、自分に厳しく他人にも厳しい。また、神経質な性格なので常にピリピリとした空気を放っていた。

 学内では『派閥』の長という立場をいいことにメンバーに横暴をはたらいていたが、美琴によって退けられた。その際の精神的ショックにより、自殺未遂を起こしている。

 ──が、その後人が変わったかのように態度を改める。別人のように穏やかになったレイシアは破綻していた派閥の面々との関係を修復し、美琴とも友誼を築き、現在は以前よりも遥かに強固な地盤を以て常盤台の強者の一角として君臨している。

特徴

 実は、二つの魂を持つ。また、二つの魂を並立稼働させる二乗人格(スクエアフェイス)の持ち主。副人格であるシレンの名前と合わせて『シレイシア』というあだ名で呼ばれたりもする。

 人格同士に思い出の共有はないが、知識や癖の共有はある。表出人格の入れ替えは本人たちの任意で行われる為、雰囲気がコロコロ変わる不思議な令嬢となっている。

外見

 金髪蒼眼。神経質そうな印象を与える吊り目が印象的で、第一印象は『悪役令嬢』。金色の長髪のうち、肩にかかった部分だけがゆるくロール状にカールしている。

 中学生離れしたモデル体型で、身長一六〇センチと長身。巨乳。

 常盤台の制服の他に白黒のモノトーンカラーのドレスグローブとサイハイソックスを身に着けている。それ以外の服も、モノトーンカラーの衣装を好んで身に着けている。

 ドレスグローブとサイハイソックスの配色は、『腕:右白、左黒』『脚:右黒、左白』。

人格その①

【挿絵表示】

画:かわウソさん(@kawauso_skin

名前シレン

略歴

 この物語の主人公にしてレイシア=ブラックガードの副人格。能天気な性格で根本的に楽観的。本人に自覚はないが、お人好し。

 元は現実世界で末期ガンにより病死した青年。自殺未遂をしたレイシアの交友関係を改善し、レイシアに生きる希望を与えた後で黙って消え去ろうとするも、それがレイシアの逆鱗に触れ、色々あって副人格として収まる。

 彼女が表に出ている時は近所のお姉さんっぽい雰囲気となる。

 最近、オタク趣味を再開する為レイシアに布教活動中。オタクとしての守備範囲はかなりオールジャンル。

 口癖は「いやいや」。

人格その②

【挿絵表示】

画:かわウソさん(@kawauso_skin

名前レイシア

略歴

 この物語のもう一人の主人公にしてレイシア=ブラックガードの主人格

 シレンの尽力により大分丸くなったものの、わがままさは健在。

 関係改善を終えた後、黙って消えようとしていたシレンを救い、二乗人格(スクエアフェイス)として生きる道筋を作った立役者。

 シレンとの共存が確定した後は、主人格として普段は生活している。

 彼女が表に出ている時は生意気な妹っぽい雰囲気となる。

 最近、ラヴリーミトンブランドがちょっと気になりつつある。

原作知識

とある魔術の禁書目録(インデックス):新約一四巻(上里翔流遭遇編)まで

とある科学の超電磁砲(レールガン):アニメのみ(二期まで)

とある科学の一方通行(アクセラレータ):未読

アストラルバディ:未読

とある科学の未元物質(ダークマター):未読

エンデュミオンの奇蹟:視聴済み

その他スピンオフ、特典小説等:未読(ただし、SP収録分は既読)

 

 

【挿絵表示】

 

画:ヒチさん(@hichipedia

白黒鋸刃(ジャギドエッジ)

 自身の周囲を起点に『亀裂』を展開する能力。

 『亀裂』とは、物質を分断する力場のこと。

初期

 物質を分子レベルで分断する『亀裂』を生み出す能力。

 対象は固形物にとどまり、流体には効果がないが、固形物なら個体伝いに『亀裂』を伝播させることは可能。

 展開速度は時速二〇〇キロ。最大展開距離は分岐全体で〇・五キロ。

 展開可能本数は一本だが、最大で八つまで分岐操作ができる。

 『亀裂』の幅は最大で一〇メートルまで。

中期

 シレンの憑依によって能力の源が増加し、能力が成長した状態。

 固形物だけでなく流体も切断できるようになったことで、実質的に『物体を遮断する力場を展開する能力』となった。

 『亀裂』を維持する力を逆手に取り、盾や足場としても使える。

 ただし、分子レベルの分断であるため、電気や光は通過する。

 展開速度は時速二三〇キロに、最大幅は一五メートルとなった。

 また、『亀裂』の内部は真空状態となる為、解除時に発生する

 気流の流れを微調整することで暴風を生み出すことも可能。

 『亀裂』の解除は常に一括となる。

後期

 レイシアの覚醒によって二つの能力を相乗効果で強化し、高速安定ラインに乗せる二乗人格の力で能力が進化した。この状態では超能力相当。

 電子レベルでの切断が可能になったため、光や電気も遮断できる。

 その為、外観は光を乱反射する白と全く光が当たらない黒の両面を持つ刃のように見える。

 あえて出力を落とすことで従来の透明の『亀裂』を発現することも可能。

 展開速度は時速八〇〇キロ、最大分岐数は一九六本となった。

 また、最大展開距離は分岐一本ごとに〇・五キロ。

 分岐ごとの『亀裂』の解除ができるようになった為、解除による気流操作の精度も格段に向上し、本職の気流操作系能力を超えて学園都市でもトップクラスとなった。

 

 


 

派閥 GMDW

 正式名称は『総合分子動力学研究会』又は『General Molecular Dynamics Workshop』。

 その名の通り、分子動力学法に基づく分子運動のシミュレーションを研究することを目的として発足した派閥だが、それに付随して分子間力全般の研究も手広く行っている。専門分野に特化しているがゆえに研究内容は先進的で、分子間力の研究については他の追随を許さない。

 構成員も大多数が分子レベルに作用する能力を持っている為、派閥の研究結果を各々の能力開発に反映する形で能力開発分野でも急成長している。常盤台学内の派閥構成員は一〇人程度だが、学外の研究機関や学生協力者なども含めると関係者は数百人規模にも上る一大勢力。

 ただし、リーダーであるレイシア=ブラックガードの意向で常盤台学内での政治闘争からは距離を置いており(というか能力開発全振りの組織なので政治に興味がなかった)、常盤台学内も触らぬ神に祟りなしとばかりに放置気味。

◆派閥メンバー

名前刺鹿(さつか) 夢月(むつき)

略歴

 常盤台中学三年生。一五歳の少女にして、大能力者(レベル4)

 GMDWの副長であり、派閥内ではレイシアの側近のような立ち位置。

 勝ち気で真っ直ぐな性格。お嬢様らしからぬ直截な物言いを好む。悪く言えば単細胞で猪突猛進。古めの少年漫画にありがちな『喧嘩したあと夕暮れの河原で認め合う』みたいな展開が大好きな熱血タイプで、かつてのレイシアとはそこが噛み合わず犬猿の仲だったが、現在はレイシアとも良好な関係を築いている。実は、シレンのことを密かに慕っているらしい。

外見

 ギザ歯。赤みがかった茶色の長髪と、髪色と似たような赤褐色の瞳。眼つきは勝ち気そうに吊り上がっている。

 異常に大きい二本の縦ロールツインテールが特徴。縦ロールの長さは腰下まであり、厚みに至っては人間の胴体ほどもある。

 背丈は小学生くらいで、レイシアと向かい合うとちょうど顔に胸が埋まるくらいの大きさ。制服は袖がちょっと丈余り気味だが、幼児体型というわけではなく、意外と出るところは出ている。

能力熱気溶断(イオンスプレー)

 分子操作能力。イオンを操作し、プラズマを作り出して操ることができる。また、既に発生しているプラズマを操ることも可能。これによって高温のプラズマの刃を使い物質を溶断するのが能力名の由来。

 もちろんプラズマによる直接攻撃以外にもイオン操作による多彩な能力行使も長所の一つで、特に実験時に細かい条件を整えるのに重宝している。応用性なら派閥随一。

名前苑内(えんない) 燐火(りんか)

略歴

 常盤台中学三年生。一五歳の少女にして、大能力者(レベル4)

 GMDWの副長であり、派閥内ではレイシアの側近のような立ち位置。

 おっとりとしたお嬢様然とした性格で、大人びており冷静だが、極度の貧乳コンプレックス。わりとおちゃめな一面もあり、派閥の研究施設を使って豊胸研究をしようとして怒られたことも。以前はそれが神経質なレイシアと噛み合わず仲違いの要因となっていたが、現在はお互いに折り合いをつけるようになり、レイシアとも良好な関係を築いている。突っ走りがちな副長と会長を嗜めるGMDWのブレーキ役。

外見

 デコ。青緑がかった黒髪をカチューシャでまとめて額を出している。髪の長さはセミロング。

 垂れ目がちで穏やかそうな眼つきで、黒い太ブチの眼鏡をかけている。レイシアよりも拳一つ分身長が高く、全体的にすらっとしたモデル体型。ただし胸だけは絶壁。サイズだけ見ても刺鹿未満。

能力泥土潜行(クレイサブマリン)

 分子操作能力。分子間力に干渉し、触れたところから物質の塑性を操る能力。簡単に言うと、触れた物質を泥のようにしたり、砂糖のように粉々に砕いたりできる。

 対象は一度に三つまでしか選択できず、触れたもの伝いに能力を使うことはできないが、射程範囲は触れた箇所から一〇〇メートルにも及ぶ。

 塑性は部位によって細かく設定することができ、塑性の違いによって泥のようにした物質中に『地流』を生み出し、内部を自在に潜行することも可能。その内部を潜行して高速移動を行うのが能力名の由来。

 

 


 

 

※注※

これより先はいただいた支援イラストをまとめて掲載しておりますが、一部今後の展開のネタバレ等もありますので、気になる方は下記から次の話へ移動してください。なお、支援イラストはいただいたタイミングから一ヶ月ほど最新話のあとがきにも掲載しておりますので、気が向いた方はこちらのページを見直してみると楽しい…………かも?

 

 


 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

支援イラスト

画:センシュデンさん(@neduysnes

【挿絵表示】

 

画:かわウソさん(@kawauso_skin

【挿絵表示】

 

画:おてんさん(@if959u

※クリックで原寸表示

画:おてんさん(@if959u

【挿絵表示】

 

画:Yoshihiroさん(@Ghost_Weekend

【挿絵表示】

 

画:Yoshihiro Yoshimuraさん(@mos11b3

※クリックで原寸表示

画:みかみさん(@nemu_mohu

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画:かわウソさん(@kawauso_skin

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とあるクリスマスプレゼント2020

画:Yoshihiro Yoshimuraさん(@mos11b3

【挿絵表示】

 

画:Yoshihiroさん(@Ghost_Weekend

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画:ヒチさん(@hichipedia

【挿絵表示】

 

画:ヒチさん(@hichipedia

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画:かわウソさん(@kawauso_skin

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画:ヒチさん(@hichipedia

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シャイン・サマー

画:Yoshihiroさん(@Ghost_Weekend

【挿絵表示】

 

画:かわウソさん(@kawauso_skin

【挿絵表示】

 

画:ヒチさん(@hichipedia

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画:柴猫侍さん(@Shibaneko_SS

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画:こはやさん(@utaha11d

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画:柴猫侍さん(@Shibaneko_SS

 

【挿絵表示】

 

画:柴猫侍さん(@Shibaneko_SS

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とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス)ED風動画(音楽つき)

動画はこちらから

画:柴猫侍さん(@Shibaneko_SS

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とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス)OP風動画(音楽つき)

動画はこちらから

画:柴猫侍さん(@Shibaneko_SS

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画:かわウソさん(@kawauso_skin

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画:柴猫侍さん(@Shibaneko_SS

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画:おてんさん(@if959u

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画:柴猫侍さん(@Shibaneko_SS

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画:柴猫侍さん(@Shibaneko_SS

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画:柴猫侍さん(@Shibaneko_SS

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ブラック・ハロウィン・ナイト

画:Yoshihiroさん(@Ghost_Weekend

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画:柴猫侍さん(@Shibaneko_SS

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第二一話:産声 イメージBGM動画

動画はこちらから

画:柴猫侍さん(@Shibaneko_SS

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画:Yoshihiroさん(@Ghost_Weekend

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画:かわウソさん(@kawauso_skin

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画:柴猫侍さん(@Shibaneko_SS

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画:まるげりーたぴざさん(@pizza2428

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never ends, start over←動画はこちらのリンクから

作詞・作曲、動画:こーづき.さん(@Kaholu_music

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画:柴猫侍さん(@Shibaneko_SS

【挿絵表示】

 

画:おてんさん(@if959u




一部イラストについては掲載しておりません。
本編を読みつつ、挿絵としての登場をお楽しみに。


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  序 章 現状確認は大事 Lost_Remnant.
四〇話:甘い秘め事


超電磁砲T、めちゃくちゃ面白いッスねという話です。


 

 

とある再起の婚約破棄(ニアデスプロミス)

 

 

 


 

 

 

 とある少女達の井戸端会議。

 

 

「わたくし、今度派閥を作ることにしましたの。白井さんもどうかしら?」

 

「……はぁ。やめておいた方が無難ですの。貴女が派閥を作ったところで、三日で空中分解がいいところですわ」

 

「なっ、そんなことありませんわ! わたくしの能力と婚后の家柄が合わさればっ、不可能など、」

 

()()()()()()()()()()()

 

「…………?」

 

「貴女が家柄と能力に固執し続けている限り、その先に待っているのは、破局しかありませんわ。わたくし、『アレ』ほどの奇跡がそう何度も起きると思うほどロマンチストではありませんので」

 

「アレ……? 何の話をしておりますの??」

 

「……失礼。しかし『彼女』の話はおそらく貴女も聞いたことが……」

 

 

 直後、超電磁砲(レールガン)の衝撃音。

 

 

 


 

 

 

序章 現状確認は大事 Lost_Remnant. 

 

 

四〇話:甘い秘め事 Secret_Face.

 

 

 


 

 

 

「上条! わたくしの夫になりなさい!」

 

 

 

 ────九月一四日。

 その日、人生最大級の衝撃が上条当麻を襲った。

 

 いつものように学校を終え、そして自宅に戻った頃──ちょうど、彼の友人であり、常盤台中学でも屈指の大派閥の長でもあるレイシア=ブラックガードから連絡を受けたのが全ての始まりだった。

 レイシアの勝気な連絡を受けた上条は、『一人で来てくださいまし』というレイシアの言葉に『どーゆー意図だろーなー』などと平和でボケボケの思考のまま公園にやって来て──そして開口一番、この宣告を受けたのであった。

 

 

「はッ……え!? 何、夫!? ちょ、ばっ……レイシア!?」

 

 

 上条が動揺するのも無理はない。

 確かに、上条当麻はレイシア=ブラックガードという少女の世界においては、けっこう重要な役割を持った男性だ。上条にだって、流石にその自覚はある。

 (上条自身は記憶喪失なので覚えていないが)以前から『戦友』なんて形容できるような付き合いがあり、八月二一日には共に学園都市最強の一方通行(アクセラレータ)から一万人の妹達(シスターズ)を救い、そして八月三一日には実際にレイシアの大切な人を救う手伝いもした。

 

 これだけ彼女の人生に食い込んでいる異性は、確かに上条を()いていないだろう。だが──此処に至るフラグがどこにあったというのだろう? と上条は疑問に思う。

 いやそこまで色々やっとけばそりゃー思春期の女の子が恋慕の感情を抱いちゃってもおかしくないだろうという常識なツッコミもあるにはあるがそこはそれ。度重なる不幸のせいで自身にイロコイ沙汰が発生する可能性を信じられなくなった哀れな不幸男上条当麻にしてみれば、この事態は寝耳に水なのであった。

 

 

「……鈍感男でも勘違いできないよう、分かりやすく簡潔に要望を伝えたつもりでしたが」

 

 

 動揺で世界すら揺れてるのではないかと錯覚しそうな上条に対し、その衝撃を与えた令嬢──レイシア=ブラックガードは、呆れすら伴って溜息を吐いた。

 上条はそんな、今まさに自分に対し不遜極まりない求婚(プロポーズ)をかました少女を、改めて見る。

 

 ありていに言えば、美少女だった。

 

 確かに、第一印象はあまりよくない。美人なのだが、切れ長の目つきや仏頂面、それからどこか神経質そうな所作のせいで、なんとなくとっつきづらい雰囲気がある。

 まるで、漫画の中に出てくる神経質でイジワルなお嬢様──『悪役令嬢(ヴィレイネス)』のような。

 しかしそんな第一印象を取り払って改めてその容姿を見れば、きわめて稀有な美貌を持っていることも分かった。

 

 金糸で編みこまれたかのような輝かしいブロンドの長髪は、素人目に見てもかなりの手間がかかった手入れをしているのが分かるし──

 白磁のような肌は冗談みたいにキメ細かく、自身も急な告白で緊張しているのか、うっすらと桃色に染まった頬は庇護欲をくすぐるし──

 左に白、右に黒のロンググローブを纏った指先はほっそりと長く、とても中学生とは思えない色香を感じさせるし──

 ロンググローブとは反対の配色のサイハイソックスから覗く肌色の絶対領域は、彼の級友なら確実に悶絶していただろう。

 

 そして、男子高校生である上条にしてみればその胸に視線がいく。

 肩にかかるあたりからドリルのようにカールしたブロンドヘアーの、その下。

 端的に言って、そこには中学生離れしたバストがあった。既に高校生水準で言っても圧倒的な破壊力を備えているそれは、やはり男子からしてみればそれだけで一定の暴力だろう。

 

 

「……まぁいいですわ。一度で理解できなかったのであれば何度でも言います。上条、」

 

「分かってる! 分かってるから!!」

 

 

 それはそれとして公園で何度も愛の告白じみたことをされては敵わない。上条はやっとの思いでレイシアを制止すると、あたりを見渡してみる。──幸い、今のやりとりは誰にも聞かれていなかったらしい。

 

 

「それであの、……レイシア? でいいんだよな。今のは一体……」

 

「ですから、」「…………あ~、詳しいことは、わたくしから説明してもよろしいでしょうか」

 

 

 不意に。

 勝気一色だったレイシアの雰囲気が、急速に軟化する。

 まるで生意気盛りの中学生の従妹のようだった気配が、近所に住む女子大生のお姉さんのような気配に。

 

 

「……シレン」

 

 

 ──レイシア=ブラックガードは二重人格である。

 

 かつて友人と仲違いしたレイシアは、その時の精神的ショックから精神的にふさぎ込んでしまい、その時に誕生した人格が、今目の前にいる彼女──シレンだと、上条は聞いている。

 色々あったが、今はこうしてレイシアの第二人格として、突っ走り気味な彼女のことをフォローする良いサポート役に落ち着いているらしい。

 

 

「実はですね……わたくし、婚約者がいるようでして」

 

「ぶっっ!?!?!?」

 

 

 突然のカミングアウトに、上条は思わず吹き出してしまった。

 それから、あまり吹き出すような情報ではなかったことに気付いて上条も気まずそうな表情をするが、シレンもその反応は予測していたのか、あまり拘泥せずに続ける。

 

 

「わたくしも、この間の一件が終わってから初めて知ったのですが……今から三年ほど前に、父が口約束で、わたくしが成人したら、と。それで、その……お相手はわたくしより一五歳年上らしく」

 

「じゅうごっ……!?」

 

 

 レイシアは体の前で手を組み、俯きながら、

 

 

「お相手はブラックガード財閥とは協力関係にある企業の若社長さんで、サイボーグ関連の産業ではそこそこ名の知れた方なのですが、前妻の方と離婚されたので、ちょうどいいし後妻にわたくしを、と希望されまして」

 

「な、なんだそれ……」

 

 

 別にバツイチが悪いなんて上条は思わないが、『離婚したからじゃあすぐに後妻に婚約!』なんてヤツがまともな結婚観を持っているとも思えない。

 先入観による偏見かもしれないが、上条もそんな男に自分の大事な後輩を任せたくない、と思った。

 そんな上条の思いを感じ取ってか、シレンは指先をくるくると回しながら、

 

 

「それで二人で話し合いまして、流石に、この方と政略結婚はご勘弁願いたく……」

 

「ま、まぁ、そうだな……」

 

 

 上条だって、一五歳年上の、三〇過ぎのお姉さんと突然結婚と言われたらもちろん戸惑う。これが学生寮の管理人をしてるお姉さん(おっとり気味・ちょっとおっちょこちょいで天然)だったらわりと真剣に悩むのだが……、

 

 

「いや! 家の事情でよく知らない相手とっていうのは、な!!」

 

 

 寸前で煩悩を振り払い、目の前の少女の気持ちに寄り添う。流石にそのくらいのデリカシーは持ち合わせていた。

 それに何より、今回は年の差以前に相手にあまりいい印象がない。

 それはさておき、

 

 

「でも、それでなんで俺が夫になるって話になるんだ?」

 

「そ、そこはレイシアちゃんの言葉が悪かったですわね。正確には──『夫役』、ですわ」

 

 

 顔を上げて、シレンは苦笑いしながら、

 

 

「嫌なら婚約は破棄をすればよいのです。ですが一方で、両家の間で取り交わした約束を『娘が嫌だから』という理由で突っぱねては、色々と問題が発生します」

 

「……???」

 

 

 義理とか体面とかが分からない一般学生上条当麻にとっては、そのへんは理解できない感性だ。

 シレンは補足するように、

 

 

「今のわたくしからすれば堪ったものではない約束ですが、当時のわたくしは特に拒絶することもなかったですから。『あの時は良いって言ってたのに!』……となるのは、自然な心理ではなくて?」

 

 

 確かに、それはそうだろう。

 それでも嫌なら嫌だと声を上げていい、と上条などは思うが──そのあたりはお人好しで責任感の強いシレンのことだ。相手の体面のことを考えて、あえて良しとしなかったのだろう。

 

 

「とはいえ、口約束は口約束。法的拘束力はありませんし、話を聞く限りそこまで本気でもなさそうです。ですから、『断る口実』さえあれば上手くまとまると思ったのですわ。それが──」

 

「俺を夫役に、か?」

 

「……ですわ」

 

 

 シレンは恥じるように俯いた。

 

 

「失礼な申し出ということは承知しております。ですが……その、頼めるような方は、わたくしの周りには上条さんしかおらず……」

 

「ん~……、と言っても、なあ」

 

 

 そこで初めて、上条は難色を示した。

 というのも、似たようなことをつい二週間ほど前に経験しているのである。

 レイシアと同じく常盤台中学に通う少女・御坂美琴につき纏う男に対して、振り払う為に『恋人役』を買って出たことがあったのだが──その時、上条は言いようのない罪悪感を抱いたものだった。

 あの男は特別誠実な性根だったが、仮にそうでなかったとしても、誰かを騙したりするようなことは不義理に思える。そこは、レイシアが解決すべき部分なのではないだろうか、と上条は思ってしまう。

 その結果発生した厄介事については、それこそ右手を握って介入してやるという決意もセットだが。

 

 そんな上条の難色を悟ったのだろう。シレンは少し慌てたように、

 

 

「あ、……ですが、その、」「シレン、だからアナタはダメなのですわ」

 

 

 そこで、スイッチが切り替わった。

 世界のすべてに宣戦布告しそうな不敵さを備えた少女レイシアは、むしろ心外だと言わんばかりに上条へ詰め寄る。

 

 

「上条」

 

 

 アクアマリンのような輝きの瞳が、一気に接近する。

 不満げに尖らせた唇の桜色が、いやに目を惹く。ちょうど上条とレイシアの身長差は五センチくらいなので、こうして距離を詰めて見上げられると、視界がレイシアの顔でいっぱいになる。

 恋愛経験──いや女性とのこういう関わりに乏しい上条としては、けっこう刺激の強い接触だ。

 

 

「……なな、なんだよ」

 

 

 レイシアは上条の胸元を人差し指で突きながら、

 

 

()()()()()

 

 

 と、一言そう言った。

 無論、それだけで全てを察せたら上条当麻は今頃数多の女性によるハーレム帝国を築き上げているだろう。

 だからレイシアはさらに続けた。

 

 

「頼めるような殿方がいない。事実ですわ。ですが……それだけでわたくし達がアナタを頼るとでもお思いで?」

 

 

 レイシアは、種明かしをするような不敵さで、

 

 

「夫役。当然、騙すのはわたくしのお父様とお母様も含みます。つまり、アナタはわたくしの両親公認の『婚約者』になるということですわ。無論、あとで役柄は解消して一時的なもので終わるにしても、です」

 

「…………確かにそうなるな」

 

「もし、何かの間違いで『夫役』の解消が両親に上手く伝わらなければ、その場合はなし崩し的にアナタがわたくしの婚約者ということになる。そういうリスクだって、もちろんあるのですわ」「あ、リスクっていうのはもちろん上条さんにとってのリスクということで、別にわたくし達が上条さんとそうなるのを厭っているというわけでは、」「……シレン、別に補足しなくたって上条は分かりますわ、そのくらい」

 

 

 そこまで言われて、上条も少しピンと来るものがあった。

 『演技』が『演技』で終わらなくなる可能性。──それはつまり。

 

 

「それでもそのリスクは許容できる。いえ、リスクと感じていない。わたくし達は……特にシレンは! そう考えたということですわ。さあ上条、此処まで言えばアナタも乙女心がお分かりで、」「ちょちょっちょっ! いやいやいや、レイシアちゃん急に何言ってるのですわ!? あのですね上条さんこれは……」

 

「大丈夫だ、シレン。みなまで言わなくていいよ」

 

 

 流石に上条も、そこまで言われればレイシアが言わんとしていることが分かる。

 もしも本当の婚約者ということにされてしまっても、それはそれで受け入れる。そんな判断ができるくらいに、レイシアは、シレンは──。

 

 

 

 

「俺のこと、信頼してくれてるんだな」

 

 

 

 

 ……………………………………………………。

 

 

「……あの」

 

 

 それは、どちらの人格の呟きだったか。

 しかし上条は、一気に冷え込んだ雰囲気には一切気付かず、明らかに誤った理解をドヤ顔のかっこつけムードで披露しだす。

 

 

「もしご両親に誤解されても、俺だったら投げ出さずに解消してくれる。絡まった糸を解きほぐしていける。そんなふうに信頼してくれてるから、俺のことを頼ってくれたんだな。…………ったく、先輩冥利に尽きるぜ。半端な気持ちで、その場しのぎの為にってんなら断ってたけどさ……。そこまで考えてんなら、断れねーじゃねーか」

 

「……………………」

 

 

 もはや完全にレイシア及びシレンの方は白けてしまっているのだが、それはさておき上条はレイシアの手をとる。

 

 

「ただし。相手が騙さなくても話が分かるような良い奴だったら、俺は降りるぞ。良い奴を騙すのは気が引けるし。それでいいなら……なってやるよ、お前の『夫』に!」

 

 

 このツンツン頭に対して、優しいシレンに許された回答はただ一つだった。

 

 

「あ……はい、ありがとう、ございます…………」




そういうわけで、今回の連載の大テーマは『婚約破棄』です。
大テーマなので、それ以外の話が殆どを占めますが……。



【挿絵表示】

作:おてんさん(@if959u


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四一話:世界は収束する

《レイシアちゃんさ~》

 

《……申し訳ありませんわ……》

 

 

 

 

 ()()()

 俺とレイシアちゃんは、内心で反省会を行っていた。

 

 いやね? まぁこの流れは計画通りではあったんだよ???

 

 俺の復活パーティの後に発覚した、レイシアちゃんの婚約事情。

 正直俺達にとって、それは遠慮願いたいものだった。だから、破棄する。それはいい。

 ただ……過去のレイシアちゃんは、それを普通に受け入れてたんだよね。

 レイシアちゃん、こういうところ──というか恋愛関係はけっこうドライな性格してるから。だから政略結婚とか気にしないし、たぶん今でも愛のない結婚とか普通に受け入れられると思う。俺はちょっと、無理だけど。

 

 だから、過去に受け入れていた婚約を今更になって破棄するには、相応の理由が必要だと、俺達は判断した。

 じゃないと相手だっていきなり拒絶されたら気分悪いだろうし、そのことでレイシアちゃんのお父さんとお母さんが不利益被ったら申し訳ないしな。

 まぁ、婚約破棄って時点で悪印象は確実だと思うが……それならなおさら、悪印象は最小限に抑えられるよう努力しなくてはなるまい。

 

 ただ、実はそこまで物々しいことになるとは思ってなくて、断りの理由は情状酌量の余地があるものなら正直なんでもいいかなとも思っていたりする。

 だって、なんだかんだ言って口約束だしな。いくら会社同士の友誼云々があったとして、離婚してすぐさくっと後妻に切り替えられるような人だ。俺個人に対する執着なんて大したことないだろうし。

 

 ……ってなわけで、『学園都市で恋心を知ったら自分の境遇に違和感をおぼえるようになっちゃったぞ』的なノリで上条さんを彼氏役に起用して両親に婚約破棄を打診する算段を思いついたわけだ。

 まぁ、発案はレイシアちゃんなわけなんだけど。

 思春期の女の子なら学校生活で誰かを好きになるのは自然だし、人を好きになることで今まで気にしていなかったことが我慢ならなくなるのも自然だ。

 そして、お父様とお母様も大事な娘の恋愛事情を鑑みれば、こっちの肩を持つに決まってる。

 恋人役の上条さんの適性については、もはや言うまでもなくというわけで、けっこう完璧な作戦だと思う。

 ただ、交渉については俺の計画とはだいぶ違っていて……、

 

 

《まぁ、()()()()との一件を忘れてた俺の方も悪かったけどね》

 

 

 計算外といえば、そこからだった。

 そういえば夏休み最終日、あの二人は恋人のふりやってたんだよな~……。

 たしかその時点でけっこう難色示してたし、似たようなことが立て続けに起きれば、そりゃあ態度も渋くなるよね。

 

 

《…………関係ないですけど、その『美琴さん』ってなんだか慣れませんわね》

 

《ああ、まあね》

 

 

 一回既に、口が滑って御坂呼びから美琴呼びに変わっちゃったからな。

 最近、一個の人格として存在を許されたせいか──ちょっとレイシアちゃんの口調エミュが緩くなってきた気がするんだよね。だから咄嗟の時に口が滑ってもいいように、表面上の呼び方と内心の呼び方も合わせとこうと思って。

 ちなみに『上条さん』って呼び方もその一環だ。

 

 正直、必要なことかと言えば、そうでもないんだけれど──

 でもまぁ、これが俺の覚悟! みたいなところもあるのだ。レイシアちゃんの身体で、レイシアちゃんの一部として生きていく以上、こう、馴染むように変わっていこうかなってさ。照れ臭いから言わないけどね。

 

 ……未だにむず痒いというか気持ち悪い感があるが、まぁそのうち慣れるだろ。レイシアちゃんも頑張って慣れてくれ。

 

 

《それはともかく! いっくら交渉が難航してたからといってアレはないだろ! 上条さんが鈍感オブ鈍感だったからまだよかったものの……》

 

 

 話がズレかけたので俺は意識的に声を張って、話題を修正する。

 

 

《あれじゃまるで、俺が上条さんのこと好きみたいじゃないか!》

 

《でも、好きでしょう》

 

《いやいやいや、またレイシアちゃんはそうやって囃し立てる~……》

 

 

 確かに好きは好きだけどさ……そういうんじゃないって何度も言ってるでしょ。いい加減俺も怒るよ。

 

 

《だいたい、仮に好きだったとしてもあのタイミングで言うのは悪手じゃないか。ムードも何もあったもんじゃないし……》

 

《ですから、そこは申し訳ないと思っていますわ……》

 

 

 ──で、最初の問答に戻るわけである。

 

 

《ただ、シレンの言い分がどうにももどかしくて……。上条なら誤解されてもいいくらいに憎からず思っているのは事実でしょう? なぜそれを伝えずに、当たり障りのない理由を言うのかと……》

 

《………………そ、それはだね》

 

 

 いやまぁ、そうなんだけどさ……。

 レイシアちゃんの言う通り、そこを言っちゃえば早いんだけど、それ言ったら……俺が上条さんのこと好きみたいじゃん。そういう風に誤解…………されなかったか。でもほら……、

 

 

《……恥ずかしいじゃん、そんなこと言うのはさ》

 

《お、乙女ですわ……》

 

《乙女言うな!!》

 

 

 いやいやいや、わりと一般的な感性だと思うよ?

 だってまだ相手が自分のことどう思ってるのか分からない、脈があるかないかも分からないような状態で暗に『私はアナタのことが好きです』なんて言えないじゃん? 恥ずかしいし。

 あと単純に、俺は自意識としては男なので、『上条のことが好きです』みたいな感じに受け取れそうなこと言うのがヤだ。これも何度も言ってると思うけど。

 

 

《とにかく! 上条さんだけだったからよかったけど、他の子がいる前であんな誤解を招くようなこと言わないこと! いいね?》

 

《えー……。……んー、分かりましたわー……》

 

 

 ……うーん、分かってるんだか、分かってないんだか……。

 

 

「シレイシア!」

 

 

 と。

 内心で反省会をしていた俺の背中に、何やら途轍もない期待を込めた声がかけられる。

 ()()()()()()()俺は、それまで台所仕事をしていた手を止め、そして声の主へ振り返る。そこには──

 

 

「ごはん、まだかな!? 何作ってるのかな!?」

 

 

 ──銀髪のシスターがいた。

 

 

 

 

 ついでに、俺は上条家で料理を作っていた。

 

 

 


 

 

 

序章 現状確認は大事 Lost_Remnant. 

 

 

四一話:世界は収束する World_Repairer.

 

 

 


 

 

 

 いやいやいや、別に通い妻をやっているというわけではなくね?

 さっきの流れで、確かに上条さんには『恋人役』をやる約束をとりつけることができた。ただ、婚約破棄というのは学園都市にいながらできるというわけでもなく。

 仮にも向こうさんはいち企業の社長さんなので、当然『外』に住んでいることになる。そこへ挨拶に行くのだから、上条さんも外出してもらう必要があるのである。

 ちなみにもちろん俺は前もって外泊許可をもらっているのだが、上条さんについては今から外泊許可をとりつけないといけない。上条さんの単位を考えると土日のうちに全部終わらせたいし、お役所は土日はやってないからね。

 

 とはいえ、いきなり外泊許可をとりつけるのはいち学生である上条さんにとってもかなりハードルが高いので、俺も一緒に行って色々口利きをすることになった。

 そのため、上条さんが必要な書類とかを集めている間、俺も上条さんの家で待つことになり──ついでにインデックスがお腹すいたというので、適当にお料理を作っているのだった。

 まだインデックスには今回の趣旨を話してないからね、もちろんインデックスも外出には同行してもらうつもりだけど、一応ご機嫌とっておかないとね。

 

 

《またシレンは無駄なことを……》

 

《無駄じゃないでしょ。インデックスにも迷惑かけるわけだしさ、お詫びとして》

 

《どうせ奪い取るんだからご機嫌取りとか無駄じゃないですか》

 

《悪役!! 発想が悪役令嬢だよレイシアちゃん!!!!》

 

 

 この子、こういうところはホント容赦ないよな……。

 ……というか、うわぁ、考えないようにしてたけどそうか、上条さんとくっつくルートってことはインデックスとか美琴とか、そういう子達の恋心を無にするわけか……。

 

 

《……レイシアちゃん》

 

《本気で怒りますわよ》

 

《はい……》

 

 

 上条さん、無理じゃない? と言いかけたところで、レイシアちゃんの本気の一言が飛び出したのでそこで黙ってしまう。

 うん、分かってるんだ。レイシアちゃんが俺達の未来を本気で考えてくれてるってことは。

 その上で、個人の感情とか上条さんの実績とか気持ちとか全てを踏まえて、色々なことを考慮してこうやって動いてるってことも、分かってる。

 ただの自己中心的な暴走じゃない。それが分かってるからこそ、俺も頭ごなしに否定はできないでいるんだから。

 

 でもなぁ……。俺、まだ覚悟とか全然決まってないんだよなぁ……。

 

 

《……ま、すぐにとは言いませんわ。大丈夫。心苦しい部分はわたくしが引き受けますから。わたくし、そういうのは得意ですのよ》

 

《下手に得意そうだから任せられないんだよ! 今のポジションで本気で美琴さん相手に悪役令嬢かましたら、色々なものに取り返しつかなくなるから!》

 

 

 主に美琴さんのメンタルとか!

 

 

《いや、別にそういう悪だくみではなく……、》

 

「むー。シレイシア、またアストラル体で交信してる? 私の質問にもちゃんと答えてほしいかも」

 

 

 はっ、いかんいかん。

 

 

「ごめんなさいね、インデックス。ええと、それで……なんでしたっけ?」

 

「もう! ご飯何作ってるの? って聞いてたんだよ」

 

「ああ……。いや、ついぼんやりしてましたわ。今作っているのは肉じゃがですわよ」

 

「肉じゃが!」

 

 

 インデックスの目が、分かりやすく輝く。

 レイシアちゃんの関係改善としてお料理修行をした日々は……ぶっちゃけ今にして思えば迷走だったが、それでも完全な無駄に終わったわけじゃない。

 レイシアちゃんの身体で料理に慣れることができたので、今も簡単な料理くらいならぱっぱとできるのだ。

 

 

《シレン、たまにわたくしよりも女性らしくなりますわよね……》

 

《今時、料理できるから女っぽいっていうのは古いよ、レイシアちゃん》

 

《いや料理だけでなく……》

 

 

 じゃあなんだというのだろうか……。まぁいいか。

 

 

「あとは、このまま煮込み続ければ完成ですわね。そろそろ上条さんの書類準備も終わりそうですし……インデックス、火の番はできますか? 沸騰してきたら、ここのつまみを回すだけなのですけど……」

 

「それくらいだったら私にもできるかも。……でも、書類? そういえばレイシアと一緒に帰ってきてから、とうまが何か漁ってたけど」

 

「ああ、それなんですけれどね、」

 

 

 俺がインデックスに事のあらましを説明しようとした、ちょうどその時。

 まずインターホンが鳴り、それに誰も反応できないうちに、不用心にも鍵をかけていなかった上条家の扉が勢いよく捻られる。飛び込んできた招かれざる客人は、開口一番にこう言ったのだった。

 

 

 

 

「ミサカと、ミサカの妹達の命を助けてください。と、ミサカは精一杯の懇願をします」




Q.なんで呼び方変えてるのに口調も変えないの?
A.呼び方変えるのもけっこう無理してるので、口調はまだ先になりそうです。一生無理かも。なんでそんな無理してるんだろうね、この人……。


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四二話:新たな扉

 結局、今回のお留守番はインデックスということになった。

 

 当然ながら妹さんを救うべく残骸(レムナント)を奪取しに行くことを決意した俺達だったのだが、上条さん宅にやってきた妹さんは既に熱っぽい感じであり、誰かが看病に留まらなくてはならなかった。

 もちろん、みんな他の連中を戦いに行かせるのは嫌ということで誰が行くかで揉めた──というか、上条さんはもう絶対行くしインデックスはお留守番と言って聞かなかったので、インデックスが留守番するか俺とインデックスが留守番するかで揉めたのだが、なんとか肉じゃがの力でインデックスを鎮めることに成功したのだった。

 正史、確かけっこうギリギリだったような気がするからね。少しでも状況はよくしたいよね。ただでさえ残骸(レムナント)の発生がイレギュラーなんだし……。

 

 

「……帰ったら肉じゃがの代わりに何か作りますね」

 

「肉じゃがはなくなる前提なのかよ!?」

 

 

 まぁインデックスだから……。

 んで、実際にここからどうするか、だけども。

 

 

「上条さん。今のままでは手がかりも何もありませんわ。一旦空から状況を見ます」

 

「……空? シレンさん? 何か不安な気配を感じたのですがそれはいったいどういう意味でせう……?」

 

「『飛びますわよ』と、そう言っているのですわ」

 

 

 直後。

 

 俺の背後から、八十八対からなる白と黒の『翼』が顕現した。

 

 

 

 レイシアちゃんと俺の能力──白黒鋸刃(ジャギドエッジ)

 大能力(レベル4)の域を超え、超能力(レベル5)に到達したそのチカラは──あらゆるモノを切断する『亀裂』。

 それはたとえば空気とかでも例外ではなく、『亀裂』の内部が真空になることを利用して、『亀裂』を解除した時に発生する空気の流れを操作して、超強力かつ精密な気流とかを生み出すこともできる。

 仲間の演算があったとはいえこの街の第一位の気流操作すら上回るほどのパワーと精密性だ。その威力は折り紙付きである。

 

 で。

 

 この気流は能力の『余波』なので、幻想殺し(イマジンブレイカー)を持つ上条さんでも気にせず使うことができるという利点がありまして。

 

 

「うォォあァァああああああああああああッッッ!?!?!?」

 

「上条さん! ジタバタしない! じっとしてれば遊園地のアトラクション並に安全ですわよ!」

 

「そんなこと言われてもッ!?」

 

 

 その気流を使って、俺と上条さんは上空五〇メートルくらいまで一気に吹っ飛んだのだった。高いところまで行けば全体が見渡せるし、全体が見渡せれば何か異変がある場所も分かりやすいしね。

 あ、上条さんの体勢がちょっと狂ってる。このままだと右手から着地しかねないな……。ちょっと角度を調整して、と。

 

 

「よいしょ」

 

「うおっ、……凄いな、これ『亀裂』か? こういう風に使うこともできるのか」

 

 

 上条さんが感心しているのは、俺が展開した白黒の『亀裂』が足場のようにして俺達を支えているからだろう。

 流石に超能力(レベル5)クラスになっているのだから、解除による気流に乗りながら着地用の『気流』を発現するくらい御茶の子さいさいである。

 

 

「一応『亀裂』は分岐ごとにブロック管理しているので触れても一撃で全部は消えなくなってますけど、一瞬落ちるので右手はくれぐれも気を付けてくださいね」

 

「……ハイ」

 

 

 上条さんに釘を刺した俺は、そのまま肉体と能力の制御をレイシアちゃんに託し、視覚の方に意識を集中させる。

 こういうのも、二重人格もとい二乗人格(スクエアフェイス)の強みの一つ。肉体の操縦をもう一方に任せて、自分は集中したいものに集中することができるのだ。

 完全なるマルチタスク、とでもいえばいいのか。まぁ、人格同士の連携が取れてなければデメリットにもなりそうだけど、俺達の間でそんな心配は要らない。

 

 宵闇のせいで分かりづらいが、確か事件は正史でも上条さんがなんとなく辿り着ける距離で起きていたはず。その上派手に戦っていれば、ここからなら簡単に戦場が見つかるはず──

 

 あ。

 

 

「──大覇星祭ではおそらく、」「見つけましたわ!」「……シレン、いいところで……上条、この話の続きはまたいずれ」

 

 

 あん? 何か話してる最中だったんだろうか。悪いね話の腰折っちゃって……。でもまぁ、こっちの方が大概緊急だろう。

 

 

「シレン、何か分かったのか?」

 

「美琴さんを見つけました。あそこですわ。足取りの迷いのなさからして……おそらく、戦場がどこか目星はつけているのでしょう。合流しましょうか」

 

 

 俺が指さす先には──紫電を迸らせながら、一直線に走る中学生の少女の姿。

 遠目に見ても分かる。アレは美琴さんだ。

 

 

「美琴さん!」

 

「シレンさん? ……って! なんでアンタまでいるのよ!?」

 

 

 『亀裂』で作り出した階段を駆け下りながら呼び掛けると、振り返った美琴が目を丸くして顔を赤らめた。忙しい子だなあ……。

 

 

「御坂、アナタも残骸(レムナント)を?」

 

「……ってことはアンタらもか。ったく、こんなの私だけで十分だってのに」

 

 

 美琴さんは苦笑して、

 

 

「そうよ。アンタ達と同じように、例の『実験』を復活させようって馬鹿を追ってる真っ最中。……なんだけど、私がヘマをした」

 

 

 そう言って、美琴さんは目を伏せた。正しく苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、しかしそれを振り払ってから美琴さんは言う。

 

「後輩が、この件に巻き込まれた。私がチンタラやっていたせいで、残骸(レムナント)を強奪したクソ野郎が風紀委員(ジャッジメント)に捕捉される形でね」

 

「それは……美琴さんのせいではありませんわ」「シレン、この女の矜持なのですからそこにつっかかってもしょうがないですわよ」

 

「……シレンさん、気遣いありがと。でもレイシアの言う通りよ。……私は、どうしてもこの手でその落とし前をつけたい。自分の後輩を守りたい」

 

 

 そこまで言って、美琴さんは顔を上げ、俺達のことを見据えた。

 その目は、助けを求める少女のそれではない。もっと大きな──守る者がいる人間の目をしていた。

 

 

「だから、来てもらって悪いけど、アンタ達の出る幕は多分ないわよ。ま、ついてくるのは止めないけど」

 

「それで十分だよ」

 

 

 そして、上条さんもまたそれに笑って応じた。

 

 あるいはそれは、()()()のレイシアちゃんとの再演だったのかもしれないけれど。

 

 

「この幻想(ものがたり)の主役は、お前だ。だから俺達に、その手伝いをさせてくれよ」

 

 

 


 

 

 

序章 現状確認は大事 Lost_Remnant. 

 

 

四二話:新たな扉 The_Road...?

 

 

 


 

 

 

 ──そこは、もはや戦場という言葉で表現できるものではなかった。

 

 ビルを内部から突き破るようにして現れる、調度品の嵐。それは、その中心点にいる人物が物質を連続的に空間移動(テレポート)させることによって起きているものだ。

 ……流石隠れ超能力(レベル5)。俺とレイシアちゃんが全開にしても一人だけだと勝てるか怪しいくらいだぞ。

 

 

「この先にいるって話だけど……くっ、あの空間移動(テレポート)の嵐のせいで手が出しづらいわね……」

 

 

 問題のビルを見上げながら、美琴さんが悔しそうに歯噛みする。

 空間移動(テレポート)の嵐を見る限り、どうも能力者──結標さんは上の階にいるようだ。そこまで突破するなら美琴さんの十八番(オハコ)であるレールガンを撃てばいいわけなのだが……おそらく内部はより激しい『空間移動(テレポート)の嵐』であるという点が、ここでネックになってくる。

 それこそレールガンは一瞬で障害物を破壊して白井さんを救出するための道筋を作ってくれるだろうが、しかし万一、レールガンの軌道上に重なるように空間移動(テレポート)が成立してしまった場合。

 

 たとえどんな物質であろうと、空間移動(テレポート)で移動した物質は優先して移動する。

 つまり、美琴さんが放ったコインに空間移動(テレポート)してきた物質が割り込み、軌道が捻じ曲がってしまう恐れがある。もしもそうなれば、おそらく同じ階にいる白井さんの身まで危険に晒してしまうというわけだ。

 

 安定して、かつ遠距離に干渉できる能力が求められている。

 

 

「それならば、わたくし達の出番ですわっ!!」

 

 

 ズアッッ!!!! と、突き出したレイシアちゃんの指先から、白黒の『亀裂』が勢いよく伸びた。

 

 四つに分かれた『亀裂』は精密に外壁と床を切り取り、その端材も瞬く間に空間移動(テレポート)の嵐の一部となって虚空へ消えていく。

 そしてその向こう──憎しみに表情を歪めた結標淡希と、目が合う。しかし横にいる美琴さんは、そんなところには目を向けていなかった。彼女の視線の先にいるのは、この場でただ一人。

 

 

「黒子ぉッッ!!!!」

 

 

 バヂヂッ!! と。

 美琴さんの周囲から紫電が迸ったと思った瞬間、彼女の傍らから、漆黒の巨大な右手が飛び出した。

 否、それは腕ではない。瓦礫や粉塵の中に含まれる砂鉄が寄り集まって、一本の腕を形作ったのだった。

 白井さんを救うための、右手を。

 

 

「おね、さま……ッ!」

 

 

 全身に貫通傷を負った白井さんは、砂鉄の右手に包まれて迅速的に危険地帯から救出される。だが、それでも彼女の表情が晴れることはなかった。

 それは、己の不甲斐なさに対する憤りというよりは、未だ過ぎ去らない危機に対する憂慮という色を含んでいて──

 

 

「あははははッ!! それで救ったつもりッ!? 馬鹿みたいね、それじゃあ何も救われない! この残骸(レムナント)で全て台無しになってしまった貴女の活躍のように、私が、全部台無しにしてあげる!!」

 

「四五二〇……キログラム……ですわ……」

 

 

 震える唇を無理やりに動かして、白井さんが言った。

 

 

「学園都市では今、交通渋滞が……起こっています。あの女は……それを利用して……巨大トラックを……此処に、転移させる……つもり、なのです……!!」

 

「そ、そんな…………ッ!!」

 

 

 …………! クソ、そういえば正史でもそんなようなことをしていた気がするぞ!

 このまま逃げるのは簡単だが……こんな街中で巨大トラックなんて出された日には、被害がどれほど拡大するか分かったものじゃないぞ!? ただでさえ第七学区の地下には巨大な地下街があるから、地面の耐久力は高くないっていうのに!

 

 

《シレン、やりますわよ》

 

《……レイシアちゃん?》

 

《『亀裂』でしてよ! 光すらも切断できるようになっている今の状態なら、一一次元特殊座標ベクトルに対しても何らかのジャミングになるかも! 少なくとも、空間移動(テレポート)した物質に対する盾くらいにはなるはず!》

 

 

 あ、そっか。そもそも五トン弱の物質くらいなら、『亀裂』を使えば余裕で支えられるんだった。じゃあそんなに慌てる必要もないのか。

 落ち着いて、レイシアちゃんと心を合わせて──

 

 

 ズバシュ!! と、白黒の『亀裂』が伸びて、歪み始めた空間を貫く。

 が……、

 

 

 ……ん、なッ!?

 なんだ、このベクトル……!? なんか感じたことのない方向から圧力がかけられてるんだけど……!? うわこれ、ダメだ! 三次元的な強度とか関係ない! 完全に俺達の想定していない方向から、強引に『亀裂』がぶち壊される……!?

 

 

 

 

《はァ!? わたくし達の超能力(レベル5)が、たかが大能力(レベル4)に破られるなど、あってはなりませんわっっ!!!!》

 

 

 

 

 俺が戦慄したその瞬間、レイシアちゃんがなんか逆ギレをかましだした。

 

 

《いやあの、レイシアちゃん?》

 

《あんな自己防衛丸出しの醜い自分本位女などに、わたくし達の絆の結晶が負けるなどあってはなりません!! シレン!! 気張りなさい!! 本気を出しなさい!!》

 

《えぇ……》

 

 

 そんな根性論……、……いや、考えてみればレイシアちゃん、あの日記でもけっこう『派閥』の人達にはスパルタやってたよーな。脇道研究に逸れるとは何事かーみたいな。

 理論派ではあると思うけど、やっぱ根本は熱血なのかなー……。

 ともあれ、我らが主人格(じょうおう)様のオーダーだ。やれるだけやりますか。

 あと結標さんもアレで同情の余地があるというか、もうちょっと優しくしてあげてもいいと思うよ……。

 

 さて、能力全体の操縦を担当しているレイシアちゃんに変わって、演算回りの作業をやらねば。

 んーと、まず圧力をかけられてるベクトルの割り出し……一一次元だから既存の『亀裂』の構成だと破綻しちゃうなあ。

 まず一一次元ベクトルを考慮に入れた形でフォーマットを再調整……、あ、意外と簡単だった。よかった計算式全部作り直しとかになったらどうしようかと思った。

 じゃあここから一一次元ベクトルを組み込んだ『亀裂』の演算──ん? なんだこれ? なんか想定してない方向に『亀裂』が捻じ曲がっているような……?

 

 

「ナイスだ! シレイシア!!」

 

 

 という感じで若干雲行きが怪しくなりだしたのと同時。

 俺達が展開した『亀裂』の上を、上条さんが駆け出していた。

 

 あ!! そっか、亀裂を足場にすれば完全に崩れて登る方法もなかった上条さんでも、ビルを駆け上がることができるんだ!

 

 

「ちょっ、上条!? 今からわたくしの大逆転が始まりますのよ!? 何を勝手に飛び出していますの!? アナタ今回脇役って言ってましたわよね!?」「レイシアちゃん、脇役なのはわたくし達も同じだからお互い様ですわ……」

 

 

 ま、美琴さんが白井さんを助けた時点で、この物語のハッピーエンドは決まったようなもので、あとのこれはエクストラステージって感じなんだけどもさ。

 

 

 いやいやいや、紆余曲折あったけど、やっぱり最終的にはこうなるわけだ。

 逃げだした結標淡希の『置き土産』は、とある少年の右手によって無事殺され──

 

 

「おーい、終わったよ」

 

 

 広がり散らばった未来は、一つに収束する。

 まるで、ゴムが元の形へ戻る弾性か何かのように。

 

 

「……いいえ、終わっていませんわ。()()()()()()

 

 

 それでも。

 少しでもいい方に未来が傾いてくれてたらいいなと、俺は思うわけだ。

 

 

 


 

 

 

 ところで。

 

 ──もう二か月前の話なのでいい加減忘れそうだが、正史において樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)が堕ちる原因となった禁書目録(インデックス)争奪戦に、俺は介入している。

 その結果、インデックスと戦った場所とか、時間とかが正史とは乖離した。実際に樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)は破壊されておらず、予測演算は稼働中である旨も美琴さんから聞いている。

 もっとも、致命的なエラーが確認され、全ての演算の妥当性を検証する必要が出てしまったが、コストがあまりにも高すぎるので、損切りの意味も込めて樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)は稼働を停止、破棄することになったそうだ。

 

 しかし……、

 

 ここまで聞けば分かると思うが、この話の流れで残骸(レムナント)なんてものは生まれない。

 学園都市の意向で計画的に破棄されることになった樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)は残骸の一片も残さず廃棄され、余計な陰謀の付け入る隙など生まれるはずもないのだから。

 そういうわけで、旧約八巻は残骸(レムナント)を巡って美琴さんの後輩である白井さんが奮闘する話だったが、俺の介入によって前提が多少変わっている。この世界線では、そんな事件は起こりようがないのだが……。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 いったい、何が起きてるんだ……?



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おまけ:身体検査の話

《ごめんよ~レイシアちゃん……》

 

 

 とある日。

 身体検査(システムスキャン)を終えた俺は、拗ねるレイシアちゃんを必死で宥めていた。

 

 

《でも、しょうがないんだよ。まだ全然準備とか整ってないし……》

 

《…………むぅ》

 

 

 なんで俺がこんなにレイシアちゃんを宥めているかというと、それは今日の身体検査(システムスキャン)が発端になっていたのだった。

 話は、今日の午前中まで遡る──。

 

 

 


 

 

 

「今日は身体検査(システムスキャン)ですね!」

 

 

 ()()()()()()。HRを終えて空き時間にいつもの集合場所に来た俺達へ、刺鹿さんがそんなことを言った。

 この時期、学園都市の多くの学校では、全校を上げて能力の計測を行う。夏休みがあけて、大覇星祭に向けて学生の現時点での力量を明確化するという意味合いなのだろう。

 そして、全校生徒の全てが強能力者(レベル3)以上という驚異のエリート校である常盤台でも、それは例外ではない。むしろ、他の多くよりも熱心な傾向があった。

 

 

「ですわね!」

 

 

 熱心な生徒の多い常盤台において、身体検査(システムスキャン)はそれまでの己の研鑽を発揮するまたとない機会。

 もちろん、俺達『GMDW』も例外ではなく、今日は朝から皆がやる気に満ち溢れていた。

 レイシアちゃんもまた、己の研鑽の成果を発揮できるということでウキウキである。そりゃそうだよね、多分今回の身体検査(システムスキャン)超能力(レベル5)認定は確実だから。

 

 

「流石、気合が入ってやがりますねレイシア」

 

「宜なるかな、ですよっ。ついに我々の『派閥』から超能力者(レベル5)が出るんですものっ。これは『GMDW』のさらなる躍進も約束されたも同然ですからねっ」

 

 

 やいのやいのと、『派閥』の面々もほぼ確実視されているレイシアちゃんの超能力者(レベル5)入りを言祝いでいる。みんなは正負それぞれの面でレイシアちゃんがどれだけ超能力者(レベル5)になりたいか知っているから、感慨もひとしおだろう。

 この状態で言うのは気が引けるが…………、

 

 

「あの、そのことなのですが」

 

「? シレンさん、どうかしやがりましたか」

 

 

「わたくしの超能力(レベル5)、もうちょっと秘匿しようと思っていまして」

 

 

 言った瞬間、その場の空気が凍ったのを確かに感じ取った。

 

 

「は、はァァあああああああああッッ!?!?!? 何を言っていますのシレン!? 正気ですか!? なんで!?!?!?」

 

 

 直後、レイシアちゃんが烈火のごとく反応する。

 うんまぁ、レイシアちゃんはそうなるよな……。で、

 

 

「ちょっ、シレンさん? 何を言いやがって……? あの、そんな、え……?」

 

「じょっ、冗談ですよねっ? せっかく超能力者(レベル5)に認定されるのにっ……」

 

 

 『派閥』の面々も、レイシアちゃんほどではないにしても信じられないという表情を前面に押し出している。

 そう思うのも無理はない。長が超能力者(レベル5)となれば、そりゃーネームバリューも凄いので『派閥』の力も強くなる。俺達の活動も今よりやりやすくなるだろう。

 それに何より、長年の夢が叶うのだ。俺達の未来を考えても、その肩書はあっていい。俺もそれは分かっている。ただ……、

 

 

「ちょっと落ち着いてくださいましね、レイシアちゃん。……時期が悪いのですわ」

 

 

 超能力者(レベル5)とは、それだけで済むほど明るい世界ではない。

 

 

「時期……ですかっ?」

 

 

 熱くなりかけている夢月さんを抑えながら、『派閥』の面々を代表して燐火さんがそう切り返した。

 落ち着いて対話している燐火さんを見て、ヒートアップしかけていた『派閥』の面々も少し冷静さを取り戻したらしい。やいのやいのの声も少し落ち着いた。

 ……ホント、こういうとき燐火さんの存在ってありがたいなぁ……。

 

 

「ええ。確かに、超能力(レベル5)判定を得ることで我々が得る利益は莫大ですわ。『GMDW』の長として、この利益を得ない手はない。そういう認識はもちろんわたくしにもあります。しかし一方で──不利益を被るリスクもあるはずですわ」

 

 

 そう、レイシアちゃんが超能力者(レベル5)になったら、当然それを利用しようとする汚い欲望にもさらされてしまうわけだ。

 しかも、俺達は他の超能力者(レベル5)と違って素養格付(パラメータリスト)にない予定外の超能力者(レベル5)だ。

 

 他の超能力者(レベル5)は上が決めてたからまだ暗部が状況を制御できてたんだと思うんだよな。

 俺達の場合はそういうのが関係ない完全なるイレギュラーだから、多分学園都市の能力開発界隈ではパニックが起きる。

 素養格付(パラメータリスト)を無視できる希望だの、そういうのがなくても単純に暗部の息がかかってない超能力者(レベル5)を利用しようという勢力がわんさか出てくるだろう。

 

 そういった汚い大人たちを相手にするには、俺達はまだ弱すぎる。

 

 

「…………だからせっかくの能力を隠すってんですか? ()()()()()()

 

 

 夢月さんの目つきが、一気に鋭くなる。まぁ、そうなるよね。こういう論法で『自分を抑える』選択肢、夢月さんが一番許せないやつだし。

 分かってるよ。だから俺の理由は、そこにはない。

 

 

「違います。()()()()()()です」

 

 

 はっきりと、そこは断言する。

 みんなの為に自分の栄達を、レイシアちゃんの夢を諦めるのではなく。

 

 自分の為に、今この場は踏みとどまる、と。

 

 

「もちろん、この先一生というわけではありませんわ。ようは、今のわたくしでは自分の肩書を他人に利用されるしかないから、それは得策ではないと言っているのです。これから関連の研究機関など地盤固めをして、味方を増やして、余計な欲望に付け込まれないよう盤石の体制を築いたうえで、後顧の憂いなく大手を振って超能力者(レベル5)となりたいのです」

 

 

 その為には、今回の身体検査(システムスキャン)だと少し時期が悪かった。

 

 今回は、たったそれだけの話なのだ。

 気負いなく言った俺に、『派閥』の面々もどうやら納得してくれたようだった。

 

 

《………………理屈は、分かりますけど…………》

 

 

 たった一人。

 己の半身を除いては。

 

 

 


 

 

 

序章 現状確認は大事 Lost_Remnant. 

 

 

おまけ:身体検査の話

 

 

 


 

 

 

 まぁ俺の理屈は正論だと思うけど、でもやっぱりそれだけで納得できるほど、感情というのは単純ではないわけで。

 レイシアちゃんは、やはりムッとしていた。いやいやいや、俺もそんなレイシアちゃんの思いは理解してるつもりだから、謝ることしかできないんだけどさ。

 

《でもさ、分かっておくれよ。ずっとってわけじゃないから……》

 

《分かっています》

 

 

 レイシアちゃんはピシャリと言って、

 

 

《……分かっていても、納得できない自分が情けないのです》

 

 

 と、しょんぼり言った。

 ……ああ、本当にダメだなぁ。

 

 彼女の夢を、現実的な危機管理のためとはいえ妨げたことが、ではない。そんなクソったれな理屈を打ち破ることが出来ず、この少女に我慢を強いていること自体が、駄目だ。

 俺が言うべきは、『だから今は時期が悪い』じゃなくて、『だからそれを打ち破る策を用意していた』だったのに。

 でも俺は、上条さんみたいになんでもできるヒーローではないから。だから、こんななぁなぁの『現実的な策』しか選べない。

 

 

《……あの、シレン? も、もう良いですから表情でだいたいどんなことを考えてるか分かりますから、気持ちは伝わりましたからどうか落ち着いて……》

 

 

 え? ……あ! しまった! 顔に出ていたか!

 

 二乗人格(スクエアフェイス)、まだ慣れてないせいか、最近は意識しないと顔に感情が出ちゃうんだよな……。

 

 

《いけませんわね。シレンだって辛いに決まってますのに》

 

《一番辛いのはレイシアちゃんなんだし、気にしなくていいんだよ》

 

《……本当に、気をつけますわ。甘えていたら本当にどこまでも背負い込んでしまいそうなので……》

 

 

 レイシアちゃんは俺のことを何だと思っているのだろうか。

 

 

《ところで、この後って何かありましたっけ》

 

《何って、身体検査(システムスキャン)があるじゃない》

 

《いや、そうではなく》

 

 

 レイシアちゃんはあっさりと言って、

 

《『正史』の話ですわ。ええと、この間は六巻でしたっけ? 風斬の》

 

《だね、今は……多分オルソラさんの一件も終わってるし……》

 

 

 次は残骸(レムナント)……だけど、衛星は結局落ちてないんだっけ。じゃあこれは起こらなさそうだな……。結標さんが暗部堕ちしないことになるけど、そのへんはまぁ……何とかしよう。

 

 ということで、次に起こるのは――

 

 

《大覇星祭。いよいよだねぇレイシアちゃん》

 

 

 呑気に呼びかけると、レイシアちゃんの無言の緊張が返ってくる。

 実際、夏休み明けから俺たちはだいぶ頑張ってきた。意外と体力方面はそこまでだったレイシアちゃんが、今や普通に運動神経良いですよって顔をしても問題ないくらいだ。若いってすごい。

 『派閥』のみんなも頑張っていたので、なんとしてもいい結果にしてやりたい。確か、『正史』じゃあ美琴さんは上条さんに総合得点で負けていたみたいだけど……。

 

 

《それもそうですけど》

 

 

 と、そんな俺にレイシアちゃんは付け加えるように言って、

 

 

《楽しい大覇星祭にする為にも、さっさと婚約破棄をしないといけませんわね。もしも婚約者のままだと、十中八九家族枠で行動を共にするハメになりますし》

 

《あ》

 

 

 そ、そうだった……! 婚約破棄。それがあった……。まぁ、もう()()()()()()()んだけど……。

 

 

《レイシアちゃん、アレ本当にやるの?》

 

《当たり前ですわ! 面倒な婚約破棄をとっとと済ませ、なおかつヒロインレースで一歩リードできるんですのよ? やらない理由がありませんわ》

 

《ヒロインレースて……》

 

 

 本人が言うのはなんか、すごい迫力があるというか……。確かに、現状はまさしく美琴とインデックスと俺たちのヒロインレースなんだけども……。

 

 

《まぁそれは冗談としても、大覇星祭に婚約者なんて来た日には最悪ですわよ。向こうにも面子がありますからね。婚約者として来たイベントで婚約破棄なんてされた日には、絶対に色々とこじらせますわよ、あの男》

 

《……そんな面倒な人なの? ええと……》

 

塗替(ぬりかえ)斧令(おのれ)。まぁ、プライドの高い男ですわ。プライドが高すぎるあまり、現実の方を取り繕うレベルですわね。『離婚したのは新たなる、さらなる上玉を見つけたからだ』って方向性に持って行こうとするくらいには》

 

 

 うわぁ、辛辣。でもまぁ、実際そんな理由で婚約されたらたまったもんじゃないしなぁー……。

 ぼんやりとそんなことを考えていた俺に、レイシアちゃんは続けてこう言った。

 

 

《……その、シレン。話は変わるんですけれど》

 

《ん?》

 

《シレンは、もしもわたくしが本当にどうしようもない、最低最悪の女だったら……どうしていましたか?》

 

 

 その問は、不安な感情に溢れていた。

 ……なんでこのタイミングで、そんなことを聞くのかは分からないけれど。

 

 

《わたくしは、シレンに救われましたわ。でもそれは、シレンの言葉を受け取れるくらい、わたくしに救いようがあったからだとも思っています。もしもわたくしがシレンの言うことに耳を貸さない、本当の意味で最悪な人間だったら……》

 

《…………》

 

 

 考えてみる。

 自分が憑依した人間が、最低最悪の、呼び覚まさない方が絶対に幸せな人間だったときのことを。

 それでも俺は同じように、その人格のことを信じて、その人格のために行動できたか? 分かりやすい感動物語なんかには絶対にならない、一歩間違えば全ての道程がサイケデリックな色彩に塗り替えられてしまいかねない相手でも。

 

 俺は、最初の意志を貫き通せたか?

 

 

《それはーーーー》

 

 

 その時の俺は、単なる思考実験のつもりだった。

 それを考えることは、俺という人間を見つめ直すのにも有用だと思ったから。

 

 でも。

 後から思えば、あの時の答えで、全ては決まっていたのかもしれなかった。






【挿絵表示】

画:かわウソさん(@kawauso_skin
とある魔術の禁書目録 幻想収束(イマジナリーフェスト)風です。絶賛運営中なので皆やろう。


今回のこだわりポイント:ノー説明でシレンとレイシアの区別がついている『派閥』の方々。


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  第一章 桶屋の風なんて吹かない Psicopics.
四三話:歴史は語らず


《……うーん、どうしましょうかねぇ……》

 

 

 あくる日の土曜日。

 俺は部屋でゴロゴロしながら、今後のことについて考えを巡らせていた。

 

 当然、事件は無事に片付いた。

 途中で逃げた結標さんを追いかけてたら上条さんと(はぐ)れて、一人で探してたらなんか結標さんをやっつけてる一方通行(アクセラレータ)と出くわして『オマエ、このことはあの野郎には話すなよ』と念を押される一幕もあったりしたのだが、基本的には無事に片付いた。

 

 しかし、それだけの大立ち回りを演じれば突然時間もかかるし、ただでさえ夕飯時だったというのにそこに時間を使えば、当然ながら金曜夜のお役所は早々に閉まってしまうわけで。

 学生の街である学園都市は、授業終わりの学生にも留意してお役所の窓口は『外』より多少長く開いているが、それはあくまで『多少』の範疇でしかない。

 

 結果として、上条さんの外出許可を取り付けることはできず、この土日の婚約破棄はお流れとなってしまったのだった。

 まぁ、それ自体はいいのだが、問題はその後で……。

 

 

『……ほう? 外出許可を、この土壇場でキャンセルと』

 

 

 ……俺達の方は既に外出許可を(相当無理を言って)取り付けていたので、それをキャンセルするということで、寮監とちょっと揉めたのだった。いや、揉めたというか……。

 

 

『……無計画な外出許可申請については寮監として釘を刺しておくが、問題は手続き上のお前の信頼だぞ、ブラックガード。こうした「前例」が生まれた以上、またキャンセルされては敵わんと考えるのがお役所仕事だ。これからしばらく、外出許可のハードルは上がると考えた方が良い』

 

 

 とのことなのだった。

 

 

《寮監も融通が利きませんわ。わたくし達だってキャンセルしたくてキャンセルしたわけではありませんのに! だいたい、事件が起きているなら御坂がもっと早めにわたくし達を頼れば……》

 

《まぁまぁレイシアちゃん。美琴さんもきっと切羽詰まってたんだと思うし》

 

 

 原因というなら、油断して残骸(レムナント)関連の話を全くもってスルーしていた俺にも非はある。

 それに、今考えなくちゃいけないのはそっちよりも……、

 

 

《問題は、どうやって外出せずに婚約破棄するか、だなぁ》

 

 

 まず俺達が外出を目論んでいたのは、婚約破棄には対面しての報告が必須だったという意識が前提にある。

 仮にも約束を反故にするわけだからね、やっぱり対面で話をしないとダメだろうと思ったのだ。

 しかししばらく『外』に出るのが難しくなるとなればなぁ……。ぶっちゃけ、俺は今後も上条さん関連の事件には首突っ込む気満々なので、そうなると今年いっぱい婚約破棄の話を進めるの難しくない? という気がするのだが。

 

 

《こうなれば、プランBですわね》

 

 

 と、そこでレイシアちゃんが突然気になることを言いだした。

 

 

《プランB?》

 

《ええ。付け入る隙を与えたくなかったので、なるべくならこちらから赴いて話にケリをつけたいところでしたが…………》

 

 

 表情が、得意げな笑みの形に変わる。これはレイシアちゃんが浮かべている感情に引っ張られてるな。

 そしてそんな得意げな感情のまま、レイシアちゃんはこう言い放ったのだった。

 

 

《我々が出向けないなら、向こうに出向かせればよいのです》

 

 

 


 

 

 

第一章 桶屋の風なんて吹かない  Psicopics.

 

 

四三話:歴史は語らず Extraordinary_Actor.

 

 

 


 

 

 

 そうして、俺達はレイシアちゃんの歩みによって、外へと繰り出していた。

 

 

《それで、結局どこに行くのさ?》

 

《『協力者』の元へ、です》

 

《協力者?》

 

 

 協力者……はて、そもそも婚約ってブラックガード家の問題だと思うのだが……。外部協力者とかいるの?

 

 

《わたくしの婚約者がサイボーグ関連産業を扱った企業だという話は以前少ししましたわよね? そもそもサイボーグというのは維持費などの問題から下火の技術なのですわ。大真面目に開発しているところなど、学園都市くらいのものでしてよ》

 

《……あー》

 

《そう。お察しの通り、アレの会社は表向きは独立企業ですが、実質は学園都市におんぶだっこの『学園都市協力機関』。当然ながら、実質の有力者もまた学園都市にいるのです。そして! わたくしは! その有力者と個人的なコネがあります! どやぁ!!》

 

《おー……素直に凄い……》

 

 

 そしてどやぁという俗な語彙が自然に出てくるあたり、レイシアちゃんのオタク教育は順調なようだ。むふふ。

 って! いやそこではなくない!?

 

 

《…………そんなこと日記に書いてなかったと思うんだけど》

 

《そりゃそうですわ。シレン、何でもかんでもその日起こったことを日記に書くとお思い?》

 

《書くんじゃないかなぁ……》

 

《チッチッチッ、甘いですわよシレン。たとえば清少納言の随筆として有名な『枕草子』ですが、この中には日記章段と呼ばれる箇所があり、こちらも彼女の主人である中宮定子に捧げたもので高度に政治的な意図を含んでいたと考えられています。他にも土佐日記などは女性に扮した日記であり明らかに読者を意識していますわ。そもそも平安時代の日記とは有職故実を一族の者に伝えるハウツー本としての性質も……、》

 

《あ、うん! 知識の話はさておいて!》

 

《むう、ここからだというのに……。まぁ要するに、わたくしのような公人は、日記を書くにもいずれ公開することを見越した形で書くということですわ! 現にアレはわたくしが『派閥』を掌握し常盤台の中で駆け上がっていくサクセスストーリーとしての側面が……、》

 

《の割には、公にしたら色々燃えそうなことばっかり書いてあったと思うんだけど》

 

《あ、あれは……。当時のわたくしはそうだと思わず…………》

 

 

 ……ま、最後のページにあった染みとか他にも徹底しきれてなかった部分はあったと思うけど、レイシアちゃん的にはそのつもりだったってことなのかね。

 レイシアちゃんの自意識が公人とかそういう部分はもう今更なアレなのでスルーしておくとして。

 

 

《ともかく! わたくしの開発には関係のないことなので日記には書いていませんでしたが、わたくしの協力者が学園都市にいるのですわ! 確か、第二〇学区の新色見(しんしきみ)中学二年生だったはずですわね》

 

《名前は?》

 

 

 もう色々とツッコミを入れることは諦め、俺は端的な質問をする。

 これから会う人の名前も知らないようでは、色々と締まりが悪い。もっとも、交渉事に関してはレイシアちゃんが担当することになるので俺がそれを聞いても意味がないけれど──

 

 ともあれ、レイシアちゃんは次にこう返したのだった。

 

 

操歯(くりば)涼子(りょうこ)。サイボーグ関連の研究ではちょっとした有名人ですのよ?》

 

 

 


 

 

 

 レイシアちゃんと操歯さんの出会いは、二年前に遡る。

 当時からブラックガード財閥と親しくしていた婚約者の男との付き合いで学園都市を案内していた折、同年代の少女ということで研究機関側から紹介されたのが始まりだったようだ。

 根っからの研究者である操歯さんとどっちかといえば雇用者側のレイシアちゃんとの相性はそこまでよくなかったみたいだけど、それでも『婚約者の所属企業の傘下』という立場が幸いして、当時のレイシアちゃんも『派閥』や自身の開発者(デベロッパー)に対するような傍若無人な振舞いではなく、ある程度猫を被った付き合いをしていたらしい。

 研究機関とのつながりは流石にそれ以降顔見知りレベルで落ち着いているのでコネとしては使えないが、操歯さんに関しては猫を被った付き合いをしていたこともあって特に関係がこじれることもなく、未だにメールのやりとりが続いていたらしい。(流石に自殺騒動の後は途切れているが)

 今回レイシアちゃんは操歯さんとのコネを使って、研究所をすっ飛ばして婚約者にコンタクトをとるつもりのようだ。

 

 

《で、大丈夫かなぁ》

 

《何がですの? 研究機関の場所なら既に把握していますわよ。何度か行ったことがありますし》

 

《いやそうなんだけどさ、操歯さんっていち研究者なんでしょ? しかも俺達と同い年の。企業との連絡役なんて外交っぽいこと、やってもらえるかなぁ》

 

《ああ、心配要りませんわ。最初のとっかかり以外は全部わたくしがやりますから。あの子、弁舌とかからっきしだから下手に任せれば余計にこじれそうですもの》

 

《ふむ……》

 

 

 あ、そうなんだ。

 そしてレイシアちゃん、確かにこういう交渉事というか、裏工作じみたことって得意そうだもんなぁ……。得意だからこそ美琴にやられるまで好き放題できてたという側面もあるわけだし。

 

 

《さ、着きましたわよ》

 

 

 とかなんとかむにゃむにゃ考えているうちに、気付けば目の前に高層ビルがあった。……高層ビル?

 

 

《此処? どう見てもなんかのオフィスとかがありそうなんだけど……》

 

《最上層以外は侵入者を阻むセキュリティ階層(ゾーン)ですわ。まぁ外から行けば余裕でスルーできますので、高位能力者対策にはなりませんけど》

 

 

 そうなんだ。いやいや、確かにそう考えると普通に平地に設置するより安全なのかもしれないな。学園都市の研究事情、全く分からないからな……。こういうことは折に触れて聞いておいた方がいいかもしれない。

 いつでもレイシアちゃんのサポートがあるとはいえ、咄嗟の時に変なこと言って恥かいたりはしたくないし。

 

 

「さて、と。ご無沙汰しております。以前お世話になったレイシア=ブラックガードですわ。操歯に取次ぎをお願いしたいのですが」

 

 

 と、ぼんやり考え込んでいるとレイシアちゃんが受付の電話を取って何やら研究所の人に連絡をしていた。しかし電話口からの声は芳しくなく、

 

 

『あ、ああ……ブラックガードさん。ご無沙汰してます。しかしですね、操歯くんは今は研究所にはいないのですよ……』

 

「ええっ? そうだったんですの。あの研究バカが……。……いったいどちらにいらっしゃいますの? 寮ですか?」

 

『いや、確か……部屋を借りたとか言っていたっけな……。すみません、詳しい所在についてはこちらも教えてもらっていないんですよ。研究もいち段落ついているし、操歯くん本人も少し休みが欲しいと言っていましたからね。彼女は我々の英雄だ! その意向については尊重したいですから、ね!』

 

 

 …………ん、なんかちょっとテンションが高いな。研究がいち段落したって言ってたし、何か芳しい結果を操歯さんが出したってことだろうか……。

 

 

「そうですか……。ありがとうございます」

 

『操歯くんに何か用があったのなら、連絡を入れますが──っと、あぁ、気にしないでくれ。関係者から通話が来ていただけだ。()()()()()()()()()()()

 

「…………所長?」

 

『い、いや! こちらの話だ、気にしないでくれ! 今は少し……忙しいので、これで! それじゃあ!』

 

「あっ……!」

 

 

 それを最後に、通話は切れてしまった。……というか、所長?

 

 

《レイシアちゃん、今の人は?》

 

《この研究機関の所長ですわ。わたくし、これでも相当VIPなのですわよ? 連絡を入れれば所長級が対応するのは当然ですわ》

 

《研究機関の人に迷惑かかるし、今度からは遠慮しようね》

 

《えぇー……それじゃメンツが……、……えぇまぁ、いいですけど……》

 

 

 よし、セーフ。こういう小さな横暴がレイシアちゃんを追い込んでいくのだ。

 今度会ったら俺が主導で研究機関の人には謝っておかねば。

 

 …………で。

 問題は、そこだけではなく。

 

 

《……所長さん、電話口で()()()()()()()()()()()

 

《のように、聞こえましたわね。何故操歯の存在をわたくし達から匿おうとしているのか分かりませんが……》

 

 

 理由は分からない。何をしているのかも不明瞭だ。それが悪いことなのかも定かではない。

 だが事実として、あの所長の言動は明らかに何かを誤魔化そうとしているものだったし、キナ臭いものだった。

 決めつけるわけにはいかないが……此処を素通りするのは、それはそれで不用心のような気もする。最悪、操歯さんが何かの事件に巻き込まれている可能性だってあるのだから。

 

 

《どのみち、プランBには操歯の協力が必須ですわ。とりあえず、あの子の動向を追いますわよ》

 

 

 レイシアちゃんも同じ思考に辿り着いたのか、あっさりとそう決断し。

 俺もまた、そんな主人格の決定に追従した。



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四四話:歯車は未来へ

 さて、操歯さんを調べるという方針が決まったのはいいが、それを具体的にどのように遂行するか。操歯さんは実際に研究所にいるわけで、彼女と接触する為には必然的に研究所内部に入る必要があるわけだが──

 

 

《シレン! 外から入りますわよ! セキュリティ階層(ゾーン)は外から行けば無視できるというのは先ほど話した通り! 伏線回収ですわ!》

 

《ダメに決まってるでしょ》

 

 

 不法侵入だよレイシアちゃん。

 

 

《そもそも、前提を疑っていかなきゃ。所長は確かに操歯さんと『誰か』のことを呼んでいた。でも、本当にそこに操歯さんはいたのか。単に別で通話していた可能性は?》

 

《あっ》

 

 

 そう。さっきはそこに『操歯さんと呼ばれる何者か』がいたって前提で話してたけど、テレビ会議とかで話している最中だったって可能性ももちろんあるんだ。

 その場合、勢い勇んで乱入したらテレビ会議中の所長と操歯さんに遭遇し、ひたすら平謝りするハメになる。

 

 今の俺達は大派閥の長だ。そんなスキャンダルは以ての外。組織の長として、やるならきちんと正攻法で乗り込むべきなのだ。

 

 

《ではどうするのです? 手がかりがもうないのですが……》

 

《あるよ、手がかりなら》

 

 

 思い出すのだレイシアちゃん。ヒントについては、自分で既に言っているのだから。

 

 

《…………?》

 

《新色見中学の、二年。操歯さんは別に暗部に所属している人というわけでもないのだから、学籍を軸に追っていけばきっと何か見つかるはずだ》

 

 

 


 

 

 

第一章 桶屋の風なんて吹かない Psicopics.

 

 

四四話:歯車は未来へ Encounter.

 

 

 


 

 

 

《だめでした…………》

 

 

 新色見中学にアポをとって確認をとった(派閥の長というコネが活きました。やったね)のだが、どうも操歯さんはまだ休学中、しかも住所も特に変わっていないということで……。

 一応登録されているマンションの方に連絡をとってみたんだけど、こっちも空振り。もはや完全に手がかりがなくなってしまったのだった。

 

 

《……シレン、やはり潜入》

 

《絶対ダメ!!》

 

 

 なんでそんな危ない橋を渡りたがるのさ! 相手が完璧にクロだと分かってるならまだしも、まだこっちはちょっと嘘っぽいこと言われただけだからね!?

 

 

《ではどうしろというんですの! このままではプランBもままなりませんわよ! それに、明らかに情報を偽ってまで研究所に軟禁されている操歯は宙ぶらりんですわよ!》

 

《でもアレ、同意の上かもしれないよ》

 

 

 所長の会話から察するに、何かしらの事情を操歯さんに隠しているのかもしれないけど、あそこに留まっていること自体に操歯さんは強い反発をしていない。

 だから所長はあんな調子で操歯さんを宥めることができたのだから。

 

 そして同意の上だとすれば……そもそもそんな操歯さんの素性を探るような真似はマズイのではないだろうか。プライバシーの侵害的な意味で。

 う~ん、そもそも発端が俺達の問題だからな~…………。

 

 条件を整理しよう。

 

 俺とレイシアちゃんは、婚約破棄がしたい。

 でもその為には、プライドの高い塗替斧令(フィアンセ)に婚約破棄を納得させなければならない。

 レイシアちゃんの手管を以てすればそれは可能だが、その為には余計な付け入る隙を与えないよう、対面で行うのが望ましい。

 しかし学園都市の外へ出るのは、諸々の事情で難しくなってしまった。

 だから逆転の発想で、塗替斧令を呼びつける必要がある。

 その為に、彼が進めているプロジェクトの有力者である操歯涼子に協力してもらわなくてはならない。

 だが、その操歯涼子の足取りは掴めない。

 加えて、研究所はその所在について何かを隠している。

 

 

《……む~、状況を整理したのはいいけど、何も見えてこないな~……》

 

 

 分かったのは、たまたま俺達の事情で操歯さんに接触を取ろうとしたら、何故かそっちでも別口で『何か』が起こっていた……ということくらい。

 それが良いことなのか悪いことなのかも、イマイチ分からないという始末だ。せめて操歯さんの状況が分かれば、プランBの放棄にしろ徹底抗戦にしろ、何かしらの答えが出せるのだが……。

 

 

《お待ちなさい、シレン》

 

 

 ん? レイシアちゃん何か思い浮かんだっぽいな。

 

 

 

《これ、わたくしが操歯にメールを送ればそれで済む話ではありませんの?》

 

 

 

 ……あ。

 

 ば、馬鹿だ俺ェェえええええええっっ!!!!

 

 そ、そうじゃん!

 なんか所長が何かを隠してるっぽい素振りを見せてたからもう操歯さんとの連絡は無理みたいに考えてたけど、そもそもレイシアちゃんは操歯さんとメールのやりとりをしてたんだった!

 無事かどうかを確認する意味でも、まずはそっちを当たってみるべきだったじゃん! うっかりしてた!

 

 失敗したな~、時間をすっかり無駄にしてしまった。とりあえずメールについてはレイシアちゃんにお任せするとして……所長達のことは気になるけど、これで普通に返事が返ってくるなら特に問題はないってことなんだよな。

 なんなら、操歯さんに直接確認をとってみるというのも悪くないかもしれない。

 

 

《あ、返事来ましたわ》

 

《早っ!?》

 

 

 『これでもわたくし、研究所の有力スポンサーのお得意様ですからね。そりゃあ研究者から無下に扱われることはありませんわよ』などと言っているレイシアちゃんはさておき、俺はメールの文面を確認する。

 そもそもレイシアちゃんの文面は『婚約者と正式な話し合いの場を設けたいので、その為の連絡役になってくれ』という大意だったのだが、それに対する操歯さんの回答はというと──

 

 

『了解した。あまり時間を取ることはできないが、何か打ち合わせすることはあるだろうか?』

 

 

 という、予想外に気楽なものだった。

 

 

《……決まりだね》

 

 

 どうにも腑に落ちない部分は、確かにあるが……。

 こうしてメールの返事を返してくれ、しかも『会う約束』まで取り付けられそうなことを考えると、やはり彼女が何かの事件に巻き込まれていたというのは俺達の思い過ごしだったようだ。

 

 

《むぅ、何か釈然としませんけど》

 

《レイシアちゃん、世の中そんなに事件がたくさんあるってわけじゃないんだから》

 

 

 上条さんは毎日のように何かに巻き込まれてるっぽいけど。

 でも、それを基準にして、大したことないものに対して身構えすぎてもよくない。せっかく精神が二人いるんだから、お互いにバランスをとっていかないとね。

 

 

《ま、いいですわ。これで当面、プランBは上手く行きそうです。ええと……スケジュールの方はどうでしたっけ》

 

《んーと、来週は月曜日の放課後が空いていたはずだよ。他は開発関連の用事があったと思う》

 

《ふむ。それじゃあ早速、来週の月曜日に予定を入れておくよう伝えますか》

 

 

 と。

 今まさに操歯さんのメールを見ていた端末の画面が切り替わり、通話受付画面が表示される。

 

 

《うわっ》

 

《間が悪いですわね。……あら、夢月ですわ。何かしら》

 

 

 突然表示が切り替わったのでびっくりした俺をよそに、レイシアちゃんが端末を操作して通話に出る。

 電話口の夢月さんは、何やら焦っているようだった。

 

 

「もしもし。夢月さん、どうかしましたか?」

 

 

 とりあえず落ち着かせる意味も込めて、開口一番にそう呼び掛ける。すると夢月さんはやはりまくし立てるように、

 

 

『あっあのっ! レイシア、いやシレンさん!? 落ち着いて聞きやがってくださいね!?』

 

「夢月、アナタがまず落ち着きなさいな」

 

 

 クールにツッコミを入れるレイシアちゃんだが、夢月さんは興奮冷めやらぬといった感じで、

 

 

 

『これが落ち着いていられますかっ!! だって、あの()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()っ!!!!』

 

 

 ──なんと???

 

 

 


 

 

 

 その後、俺達は超特急でGMDWの面々がたまり場の一つとして利用している予約制のカフェテラスへと戻った。

 土曜日だというのに、そこには派閥の全メンバーが既に集合していた。

 まぁ、そのくらいの異常事態だということだ。

 

 実のところ、レイシアちゃんと食蜂さんの関係はあまり良い物とは言えない。

 

 昔は自分よりも優れたところのある人に対しては険悪な雰囲気を出すレイシアちゃんだったので、当然こっち側からの印象も悪いし──『派閥』の力を振るいがちなレイシアちゃんは、食蜂さんから見ても厄介だったようだ。少なくとも、美琴さんのように『傍から見たら仲良し』みたいな微笑ましい関係ではなかった。

 それでもお互い大派閥の長なので、食蜂さんの方から直接釘を刺すようなことは今まで一度もなかったのだが────なぜ、このタイミングで? という疑問は先に立つ。

 まさか今更、空中分解しかけた時の情報をもとにしてアプローチを仕掛けてきたというのも考えづらいしなぁ……。

 まぁなんにしても、当時の状況を聞かないことには何とも言えないが。

 

 

「それで」

 

 

 香りだけで一級品だと分かる高級な紅茶を片手に持ちながら、レイシアちゃんは話を切り出す。

 同じテーブルに座っているのは、夢月さん、燐火さん、それと彼女らの後継者として今絶賛育成中の桐生さんと阿宮さんだ。

 桐生さんは俺と同じ二年生。機械いじりが趣味で、工業系の加工技術に興味を持っていた縁でGMDWに入っている。

 阿宮さんは一年生。少しおっちょこちょいだが、素直ないい子だ。彼女は確か、弾性の研究をメインにしていたっけ。

 そして、それ以外の面々は別のテーブルにつきながらも、俺達の方へ視線を向けてしっかりと話を聞いている。

 

 

「食蜂操祈が、我々に接触してきたと。その時の具体的な話をお願いできますか?」

 

「は、はいっ。今日は来月の定例発表の為の資料作りということで、数人のメンバーが常盤台の研究室を使用していたのですがっ、そこに帆風さんがいらっしゃいましてっ」

 

《帆風……?》

 

《食蜂の派閥のナンバー2ですわ。まぁお飾りのナンバー1と違って、実質的に派閥を取りまとめているのは奴という噂もありますが》

 

 

 いいなぁ、ウチもそういう感じにできたらなぁ。

 

 

《……シレン?》

 

《う、ごほん。話の続きを聞こうか》

 

 

 燐火さんの話は続く。

 

 

「なんでもっ、食蜂さんがレイシアさんと直接お話がしたい、とっ……。当時残っていたのはあたくしと恒見さん他複数メンバーだけでしたのでっ、とりあえず話だけ受け取っておきましたがっ……」

 

「それでいいですわ。向こうも休日にわざわざ顔を出したのです。そこまで期待はしていないでしょう。……しかし、気になりますわね。わざわざ休日に、派閥のナンバー2を使いに出して、しかもこちらに対応を考える余裕まで与えて。あまりにもこちらに利のあるアプローチの仕方ですわ」

 

 

 レイシアちゃんは、紅茶を一口含んだあとにそう言って指を顎に当てて考えだす。

 はー……、レイシアちゃんが何を気にしてるのかはあまり分からないけど、確かに休日にこっちにアプローチを仕掛けてきたっていうのは気になる話だ。

 それだけ、緊急性があるってことなんだろうか? それとも、単純に『アプローチを仕掛けた事実』自体をそこまで目立たせたくなかったとか……? 土日なら、生徒の目につく可能性も低いしね。

 

 

「……ともかく、この件についての口外は基本的に禁じますわ。『最大派閥』との関連を変に勘繰られて突かれても面白くありませんし」

 

「りょっ、了解しましたっ。皆様もそれでよろしいですねっ」

 

 

 もちろん、派閥の皆がこの決定に反発するはずもなく、流れるように全員が同意してくれた。

 そして、具体的な会談の日取りだが──。

 

 

「一応、レイシアが次に空いているのは月曜日だと聞いてたんで、そっちに回しやがるよう伝えときましたが──まずかったですか?」

 

 

 …………あー。

 

 これ、操歯さんとの打ち合わせは来週以降になっちゃうねぇ……。



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四五話:女王会談

 そして来たる会談の日。

 俺達は夢月さんと燐火さんをはじめとした派閥の面々を従えて、向こうが指定したカフェテラスへとやって来ていた。

 

 高級な洋風の薔薇庭園が一望できるテラスは今はレイシアちゃんと食蜂さんそれぞれの派閥のメンバーしかおらず、完全な貸し切り状態となっている。

 しかしその場の雰囲気は、優雅なお嬢様同士の談笑というにはあまりにも重苦しく――――。

 

 

「本日はお招きいただき、ありがとうございますわ」

 

 

 にっこりと微笑みながら言ってみたものの、その場の雰囲気は変わらず。

 というか、なんかこう……敵対組織同士が顔を合わせましたみたいな、そんな緊迫感があるんだよな……。俺はほら、食蜂さんが良い子だって知ってるからさ、そんな良い子が理不尽に嫌なことしないって信用してるんだけども……。

 

 ……まぁ、無理もないよね。

 食蜂操祈といえば、学園都市最強の精神系能力者。そんな相手と対面で話をするとなれば、どんな馬鹿でも洗脳の可能性は疑わざるを得ない。

 食蜂さんは自分の弱みを見せないから、能力についてもけっこう隠してる部分あるからね。具体的には、食蜂さんの能力の制御にはリモコンが必要とか、その原理が水分操作にあるとか、そういうことまでは一般的には知られていない。

 まぁ、俺はそういうのを知ってるからけっこう気楽なんだけど、他の子達からしたら戦々恐々だよね。

 

 だからまぁ、一応『透明な亀裂』で防御はしておくからねってみんなに言っておいてはあるんだけども。

 

 

 で、対する相手の方はと言えば。

 

 

「ようこそ、お待ちしていたわぁ。さ、お座りくださいな」

 

 

 カフェテラスの中央。最も庭園がよく見えるテーブルに、優雅に腰かけている少女。

 蜂蜜色の長髪に、星が瞬くような輝く瞳の、女王。

 にっこりと底知れない笑みを浮かべたまま、彼女は俺──いや、レイシアちゃんに手招きするように言った。

 

 

「さ、話をしましょぉ? 『これから』の話を……ねぇ」

 

 

 

 


 

 

 

第一章 桶屋の風なんて吹かない Psicopics.

 

 

四五話:女王会談 Keen_Competition.

 

 

 


 

 

 

 ──そんな開幕だったものの、話は和やかに進んでいった。

 入院していた俺の体調を慮ることから始まり、学究会での活躍と研究成果の話。

 どうやら学究会での騒ぎの混乱鎮圧には食蜂さんも手を貸していたらしく、そのへんで思い出話を咲かすこともできた。しかし──そのあたりから、不意に食蜂さんの空気が変わった。

 

 

「ブラックガードさん、最近随分と能力開発に精を出しているそうねぇ」

 

 

 食蜂さんはそう言うと、ついとティーカップを傾ける。

 もちろん、能力開発に精を出しているのは最近の話ではない。それこそ入学してからずっとだ。むしろ、最近は超能力(レベル5)のこともあるので一時期よりはかなり抑えめになっている。

 その話をあえてここでするということは、俺の能力のことについて何か言いたいということなのだろう。

 

 

《この女……》

 

《レイシアちゃんはちょっと見ててね》

 

 

 で、この手の相手とやり合うとなると、レイシアちゃんはすぐ険悪にしちゃうので……。

 此処は一旦、俺が受け持つことに。

 

 

「ええ。第五位の食蜂さんと比べれば、見劣りしてしまうかもしれませんけれど」

 

《シレン……謙遜でもそれはどうかと思いますわよ……》

 

《これは余裕の演出なんだよレイシアちゃん…………》

 

 

 微笑みながら、バリバリに余裕を保って言っているので、多分今の俺の発言を額面通りに受け入れている人などレイシアちゃんくらいのものだろう。

 多分相手からすれば、『第五位のお前にも劣らないくらいわたくしの能力はスゲーんだぜ』という自信の顕れに見えているハズ。多分。

 

 

「……、……なるほどねぇ」

 

 

 そして、食蜂さんはそんな俺の態度を見て、どこか納得したようだった。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 あー……、なるほど。なんとか構図が見えてきた。

 

 

《シレン? 何か分かったんですの?》

 

《レイシアちゃん、ほんとこの手の相手と相性悪いなぁ……》

 

 

 ステイルといい食蜂さんといい、とりあえず相手に対してツンケンするタイプだと、ムキになるというか……冷静な判断ができなくなるというか。

 これが相手も利益や欲望に従って動いてる感じなら、多分レイシアちゃんは眉一つ動かさず冷徹に対応できるんだろうけどね。このへんのスイッチの切り替えは俺には分からない部分ではあるけど……。

 これは今後も、俺がメインになって話をした方がいいかもわからんね。

 

 

《食蜂さんがわざわざ俺達と話をしようとした理由だよ》

 

 

 最初から、違和感はあった。

 何故、食蜂さんがわざわざ会談を申し込んできたのか。

 何故、それがかなり急な持ちかけだったのか。

 それはおそらく、すぐにでも会って確認しなければならない『何か』があったからだ。

 そして、余裕を見せたらすぐに出てきた『その余裕は御坂美琴と仲良くなったからか?』という言葉。

 

 これが決定的だった。食蜂さんの言う『これから』の話について、当然ながら、本来なら美琴さんは一切関係ないはずだ。これは俺と食蜂さん、双方の派閥の話なのだから。

 でも、そこで食蜂さんは美琴さんの話を出した。

 多分、本人的には仄めかすつもりはなかっただろう。内なる不安がつい口から漏れ出てしまった、その程度だと思う。

 だからこそ、それだけ彼女が『レイシア=ブラックガードの背後には御坂美琴がいる』という事実を強く意識していることが分かる。

 

 極めつけに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 事後処理をしたのなら、当然ながら食蜂さんはその事件の顛末も知っている。『亀裂』によって大型の機械を破壊し、そして美琴さんと協力して、より仲を親密にしたことも。

 

 あとは、食蜂さんの立場になって考えてみればいい。

 

 急激に能力が成長している対抗派閥の長が、自分と双璧をなす超能力者(レベル5)の後ろ盾を得て、派閥の統率力も上げている。

 傍から見れば、その一連の動きは、きっと不気味に映ることだろう。何かを企んでいると思うことだろう。夢月さんや燐火さんといった派閥の面々だって、最初はそうだったのだから。

 

 

「ご安心を」

 

 

 だから、俺は穏やかに微笑むことができた。

 不安に駆られている目の前の少女に対して俺がすべきことは、表面上の厳しい態度や脅威に対する反発ではなく──その不安を、和らげてやることだと思うから。

 

 

「今のわたくしにとって大事なことは、わたくしを含めた『GMDW』全体の成長。その為にできることをしているに過ぎませんわ。食蜂さん、()()()()()()()

 

「……、」

 

 

 食蜂さんの不安というのは、別に自分の地位が脅かされるとか、そういう話ではないと思うのだ。

 もしも俺が、美琴さんとのコネや強くなった自分の力量を使って派閥の勢いを伸ばせば、当然食蜂さんの派閥とぶつかることになる。そしてその衝突は、真っ先に末端の構成員を傷つける。

 だから食蜂さんは、派閥のみんなを守るために、こうして自分が矢面に立っているのだと思う。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「信頼してくれとは、言いませんし言えません。わたくしはまだ、アナタにそうしてもらえるだけのものを積み重ねていないから」

 

 

 そこで俺は、()()()()()()()()()()()()『亀裂』だけをあえて解除する。

 

 

《シレン……。アナタまたそんな……。まぁ、いいですけど》

 

 

 記憶を覗かせるつもりは、流石にない。色々と見られたらマズイものもあるからね。

 ただ、『窓口を開いた』という事実は、相手にも伝わる。『亀裂』によって間を隔てるのではなく、そういったものを取り払って向き合ったという、事実は。

 

 証拠に、食蜂さんの派閥の面々の何人かが目を丸くしたのが分かった。『亀裂』は透明だけど、音も遮断するから、音の聞こえ方とかで分かる人ならどういうことをやってるのかは分かるからね。

 

 

「ただ、同じ常盤台を代表する派閥同士。お互いに切磋琢磨していけたらいいと、わたくしは思っていますわ。そんな『これから』が作れたら、いいですわね?」

 

 

 


 

 

 

 異常事態といえば、異常事態だった。

 

 事の発端は──革命未明(サイレントパーティ)

 拗らせた優等生たちがテロを起こそうとした例の事件の後始末を第三位に依頼された際のことだった。

 当時は御坂美琴や彼女に近しい人物以外は全員記憶改竄の対象とする予定だった。フェブリに関する情報は、妹達(シスターズ)にも繋がるものだ。あまり余人が知っていていい情報ではない。

 

 なので、当然ながらレイシア=ブラックガードの記憶も消去する予定だった。

 しかし──

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 心理掌握(メンタルアウト)は万能だが、決して全能ではない。

 同系統能力者や発電能力者(エレクトロマスター)の場合は能力に対する耐性も存在している。もちろん、最強たる食蜂はそうした耐性を乗り越えて攻撃を仕掛けられるが……御坂美琴のような強力な能力者の場合は、そうもいかない。

 試したことはないが、おそらく第四位以上の超能力者(レベル5)についても、何らかの理由で心理掌握(メンタルアウト)は通用しないはずだ。

 

 だが……レイシア=ブラックガードの場合は、そうした単純な力量の差とは違うものが働いていた。

 

 ()()()()()()()()

 

 まるで正しい形式で開かなかったファイルが文字化けするように、覗き見ることはできてもその情報を読み取ることができなかったのである。

 これには、食蜂も目を疑った。こんな壊れに壊れた情報で、人が正気を保てるわけがない。現在のレイシア=ブラックガードは発狂したゾンビか何かが人間のようなふるまいを見せているだけと言われた方がまだ納得がいく。

 

 だから、食蜂はレイシアやその周辺の人物に対する記憶改竄は見送った。

 そうすることによって発生する影響や、レイシアの反感が未知数だったからだ。

 

 そして同時に、レイシアのことを強く警戒した。

 そうして()()()()の関係者だった男に調査をさせつつ、学内での動向をつぶさに観察していた食蜂だったが、それでも当面の接触をするつもりはなかった。

 不気味なのもあるが、今のところの彼女はあくまでも派閥の面々の力を伸ばすばかりで、外部に対して権力を広めようという動きがなかったからだ。

 

 そんな彼女が、レイシアに接触をとったきっかけは、一つ。

 

 

『……なんですってぇ?』

 

『ですから、件の残骸(レムナント)。アレの鎮圧にレイシア=ブラックガードが参加していたようでス。噂にあった「亀裂」の翼も出していたようですネ』

 

『…………そこには、他に誰か参戦力はあったかしらぁ?』

 

『? 聞いた話によれば、他には第一位と、無能力者(レベル0)の少年が一人、ト。なんでも、レイシア=ブラックガードは今回最初から無能力者(レベル0)の少年と行動していたとのことでス』

 

『……、ふふ。そう。そうなのねぇ、やっぱり、あの人なら善性力をここぞとばかりに発揮しちゃうわよねぇ』

 

 

 場末のハンバーガーショップでその話を聞いた時、食蜂は操っている人員の首には下がっていない『何か』を握りしめるような所作をしてから笑みを浮かべ、

 

 

『派閥の再統治。妹達(シスターズ)をはじめとした秘匿力の高い案件への接触。第三位との友誼。それに加えて……ねぇ』

 

『能力の強化と──それの()()。プロファイルしていたレイシア=ブラックガードの人間性とは、聊か乖離しまス』

 

 

 これだ。

 能力開発において相当の執着を見せていたレイシア=ブラックガードが、明らかに強化された能力を秘匿した、という事実。

 まるで、『今は注目を集めたくない』と言わんばかりの動き。そこに、上条当麻との関連性。……あの女が、何を考えているのかまでは分からないが。

 

 制御不能なイレギュラーが自分の周りでちょこちょこと力をつけているのを放置して計画を進めていられるほど、食蜂操祈は呑気な精神をしていない。

 

 

『分かったわぁ。直接会って、見極める。…………そーしなきゃ、判断力もきかなさそうだしねぇ。()()()()のことは、その結果で決めることにするわぁ』

 

 

 食蜂操祈にも、守りたいものがある。

 

 彼女はただ、その為に動くだけだ。



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四六話:風が吹き

「…………いいでしょう」

 

 

 そこまで言った段階で、食蜂さんは僅かに瞑目し、そう切り出した。

 いいでしょう……ってことは、俺達のことを信頼してくれたってことだろうか? いやいやいや、よかった。やっぱり話せば分かるってことなんだよな。レイシアちゃん見たかい、相手だって悪い子では──

 

 

「こんな風に順序立てた『ドラマ』を展開されておいて取り付く島もなしじゃこっちの『風聞』が悪くなるだけだしぃ、演技(タテマエ)とはいえ私の能力に対して無防備に自分を晒した豪胆力と腹黒力に免じて、正直に()()を話してあげるわぁ」

 

《シレン! やっぱりコイツダメですわよ! シレンのせっかくの心遣いを建前って!》

 

《待って待って待ってレイシアちゃん!》

 

 

 上から目線っぽく来られるとダメなレイシアちゃんはさておくけど、それはそれとして気になる話が出てきた。

 ()()? 俺はてっきり、最近急成長しているレイシア=ブラックガードという存在が信頼に足る存在か確認したいからこっちに接触してきたんだと思ったんだけど……、いや、実際にそういう目的はあったはずだ。でなければあんな風に分かりやすく能力開発のことや美琴のことを話に出してこっちの反応を窺ったりはしないはず。

 

 …………いや、違う。

 

 おかしいといえば、そこが既におかしいんだ。

 

 だって、食蜂操祈だぞ? 天下無敵の超能力者(レベル5)の五番目、あらゆる人間を問答無用で支配できる精神系能力者の頂点が、果たして『何者かまだ見極め切れていない』人間に直接コンタクトをとろうとするか……?

 

 

「……()()()が、今までどんな道のりを歩んできたかについては、()()()()()()()()()

 

「……っ」

 

 

 その一言に、俺は思わず息を呑む。

 ……この発言で、食蜂さんの切り出したい『本題』の方向性が掴めてきたからだ。

 俺が今まで関わってきた大きな『事件』は、大きく分けて四つ。禁書目録争奪戦に、絶対能力進化(レベル6シフト)計画、革命未明(サイレントパーティ)、そして先日の残骸(レムナント)事件だ。

 最初のインデックスの件は違うが、他の案件についてはある共通点が存在している。それは……、

 

 

「…………此処で、話していいことなんですの?」

 

 

 クローン。

 絶対能力進化(レベル6シフト)計画にしても、革命未明(サイレントパーティ)にしても、残骸(レムナント)事件にしても、そこにはクローン技術が──もっと言えば、妹達(シスターズ)が関わっていた。

 フェブリとジャーニーについては既に外部の協力機関にいて、話に関わってくるはずもないから──必然的に、此処での『本題』は妹達(シスターズ)についてと言うことになると思う。……流石に、彼女達の他にまだクローン実験があるとは思いたくないからね。

 

 ちなみに、彼女達の存在については、GMDWの面々にも伏せている。一方通行(アクセラレータ)との戦いだって、美琴のことを害そうとしているから助けるという形で説明していた(嘘は言っていないが)。

 妹達(シスターズ)のことといえば、モロにこの街の『闇』の話題だからな。

 もちろんいずれはしっかり話して協力を仰ぐつもりだけど、その為には超能力(レベル5)昇格の話と同じようにしっかりと組織としての隙をなくして、あと美琴さんの同意も得ないといけないし。

 

 

「勘違いしないでねぇ、本題はここから。────ぶっちゃけちゃうと、私、大覇星祭で()()()()()()があるのよぉ。ただ、最近の貴方達、勢力も強くなってきてるし、放っておいたら競合しちゃいそうなのよねぇ。だからこのあたりで一つ、話をつけないとと思ったのよぉ」

 

「随分、親切なんですのね」

 

 

 一通り食蜂さんの話を聞いた俺は、まずそう返した。

 

 

「……それは、どういう意味かしらぁ?」

 

「そもそも、アナタはわたくしに対してこんな風に()()に話を進めなくたってよかったはずですわ。その能力を使って洗脳すれば事足りる。──いえ、常盤台の大派閥というわたくしの立場を考えれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「っ!!」

 

 

 その一言で、食蜂さんの目の色が変わった。

 …………いや、だってそうでしょ? 常盤台の大派閥の長だよ? 『最大派閥』を率いる食蜂さんとしては、平和な学校生活を保つ為に、もしもの為の洗脳を施してたって全く不思議じゃない。むしろ、そうしてない方がおかしいレベルだと思う。

 

 そう考えると、こうやって『俺達』にはぐらかしながらも自分の目的を説明しようとしているのは、やっぱりおかしいんだ。

 

 食蜂さんが、大覇星祭で何かをやりたいっていうのは分かった。

 それが妹達(シスターズ)か、それにまつわる何かに関することだってことも。

 そして、その為には俺達が好き勝手に動いていたら、何か不都合があることも。

 でも、それは俺達に対して素直に対話する理由にはならない。食蜂操祈なら、洗脳という選択肢をまず最初に掴むべきだ。

 それをやらない理由。

 

 俺は、声を落とし、目の前の食蜂さんにしか聞こえない程度の声量で、こう言った。

 

 

「…………能力が、」

 

 

 ──使えない事情があるのではないか。

 俺は、そう考えた。

 何か能力が使えない事情があるから、わざわざ俺達に対して洗脳ではなく対話という選択肢を選ばざるを得なくなった。

 そう考えれば、この状況にも一定の説明はつく。

 

 そしてもしそうならば、状況はかなりシビアだ。食蜂さんが能力を封じられるだけの『何か』があって、こうして俺だけでなく『派閥』を巻き込んでまで状況を展開しなくてはならないほどにまで追い詰められているのではないだろうか。

 

 ……もしそうならば。

 

 それは、同じ学校の仲間として──なんてきれいごとではなく。一人の少女が、それほどまでに追い詰められてしまっているのなら、事情はどうあれ立ち上がらなきゃあ──

 

 

「あー……。なんていうか、そのぉ、貴方、そこまでお人好し力の高いヒトだったかしらぁ……?」

 

 

 ──と思っていたのだが。

 

 むしろ、食蜂さんは呆れた調子で脱力していた。

 

 

「……、まぁ、そうねぇ、分かっていたことだわぁ。御坂さんと違ってブラックガードさんは、全く無関係なのにあの『実験』に割り込んできた出歯亀力の高さだしぃ……」

 

《出歯亀ですって? あの一件はそもそもシレンが襲われたから──》

 

《まぁまぁレイシアちゃん》

 

 

 食蜂さんは小さく溜息を吐いて、

 

 

「心配しなくても大丈夫よぉ。私の、第五位の超能力(レベル5)は今も健在。たとえ何者だろうと、指先一つで操ることが可能ねぇ。…………ま、例外力もあるんだけどぉ」

 

 

 つい、と、食蜂さんはそう言って、俺のことを指差す。

 そして、これだけは言いたくありませんでしたとばかりに渋い顔をして、こう続けたのだった。

 

 

「……なんでか、操れなくなってるのよねぇ。貴方それ、どういう成長力なのぉ?」

 

 

 


 

 

 

第一章 桶屋の風なんて吹かない Psicopics.

 

 

四六話:風が吹き ButterFly_Takes_off.

 

 

 


 

 

 

 ……え?

 いやいやいやいや、操れなくなってる? それって俺達が?

 

 

 茫然としている俺を置いて、食蜂さんは話を進めていってしまう。

 

 

()()()()()は、まだ『最適化』も生きてたはずなんだけどぉ……。ホットミルクの表面に張った膜がスプーンで突き破られるみたいに、何かの影響力でズタボロ。今の私は、貴方の心を読むことすらできないわぁ」

 

 

 そ、そうなのか……。

 能力の対象外になった理由は、なんとなく分かる。俺が憑依したからだろう。この世界のものではない魂が入り込んだから、食蜂さんの能力がリセットされたとか、多分そんな感じなんだと思う。

 そうか。だから食蜂さんは、俺達に対して洗脳ではなく対話で接触をとったってことか。そしてそう考えると、休日に接触をとったことをはじめ諸々の余裕なさげな対応の数々にも納得がいく。要するに、安全牌な第一希望が使い物にならなくなったから、食蜂さんサイドもテンパっちゃってたということなのだろう。

 うむ、納得。全ての憂いが晴れた。

 

 

「かといって、『派閥』の面々に手を出したら貴方、絶対激怒力を発揮するでしょぉ? 貴方と私は、似ているものぉ。大切にしているものも、惹かれた『正義』の在り方も。そういう意味では、一匹狼を気取ってるどこかの誰かさんよりはよっぽど信用が置けると思っているわぁ」

 

 

 すっ、と。

 食蜂さんは、視線を彼女の周囲に侍る少女達へ向けて、続ける。

 

 

「だから、これは警告。貴方が妙な気を起こして私と利害力が対立すれば、真っ先に傷つくのはどちらかの『派閥』の誰かよぉ。それが嫌なら、賢明な判断をお願いしたいわぁ」

 

「──彼女達を、盾にする気ですの?」

 

 

 あっ、レイシアちゃんが出てきちゃった。

 まぁ、こういう話し方されればレイシアちゃんが黙ってないのはなんとなく分かってたけども。むしろ今までよく我慢していた。

 

 

「出たわねぇ、二乗人格(スクエアフェイス)。……まぁ、どうとってもらっても構わないわぁ。私としては、大覇星祭での私の『やりたいこと』で貴方が競合しなければ、それでいいんだし──」

 

「理解しましたわ。それなら何も問題ありません。で、わたくしは具体的に何を協力すればよろしいので?」

 

 

 まぁ、俺はそういう腹芸にはあまり興味がないんだけども……。

 

 

「…………は?」

「…………は?」

 

 

 食蜂さんとレイシアちゃんの声が、綺麗にハモった。

 

 

「いやいやいや、だってそうでしょう? 大覇星祭でアナタが『何か』をやりたいということは分かりました。その為に、なるべくイレギュラーを抑えたいということも。……であれば、積極的に協力した方がいいでしょう。アナタが悪事をはたらくような人間でないことは、よく分かっていますわ」

 

「…………」

 

 

 …………ん? あれ? なんか変なこと言ったか? なんでドン引きしたような顔で沈黙されなきゃいけないんだ?

 いやいやいや、食蜂さんが悪事をはたらいてないって分かってるなら、干渉しないなんて冷たいこと言わず、積極的に協力すればいいっていうのは自然な話の流れなんじゃないだろうか……?

 

 

「……ええ、そうねぇ。そういうヒトなのねぇそっちの人格は。…………やりづらいわぁ」

 

 

 食蜂さんは何やらブツブツと呟き、

 

 

「協力してくれるというならぁ──陽動力を発揮してくれるかしらぁ? 大覇星祭で、類を見ないくらい大活躍してちょうだい。そうして有象無象の注目力を集めてくれれば、私の方もやりやすくなるわぁ」

 

「そんなものでいいのでしたら……」

 

 

 元々、GMDWの面々で中心にチームを組んで、常盤台総合優勝を目指すつもりではあったんだし。……でも、大覇星祭で注目を集めることが陽動になりうるってどういうことなんだろう……? 結局詳細は全く分からないし……。

 

 

「決まりねぇ」

 

 

 釈然としない俺との対話を断ち切るように、食蜂さんは最後の紅茶を上品に飲み干して、席を立つ。

 同時に、彼女の派閥の面々も一斉に立ち上がった。……おお、凄い統率力だ。ウチはまだ、あんな感じで組織行動できたりはしないからなぁ……。

 

 

「……それじゃ、大覇星祭、武運力を祈ってるわぁ」

 

 

 最後にそう言って。

 

 食蜂操祈との最初の『会談』は、釈然としないものを残して終わったのだった。




食蜂さん:妹達を幻生が利用しようとしてるぽいし、早めに手を打たないと……って善性力に任せて首突っ込んで盤面メチャクチャにしそうな人が急成長して御坂さんと友誼力を高めててなんか手がつけられないことになってるわぁ!? 下手に首突っ込まないようにさっさと釘刺さないとぉ……!

シレン:なるほど(完全理解)。じゃあ、何か手伝えることある?

食蜂さん:首突っ込まないでくれって言ってるでしょこの人バカなのぉ!?


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四七話:変わるということ

「では、今後の方策について話し合いたいと思いますわ」

 

 

 食蜂さんの『最大派閥』との会談を終えた後。

 俺達は、一旦GMDWが最近たまり場にしているカフェテラスへと戻ってきていた。

 

 広めのテラスを貸切っているので、こういう他の人に聞かれたくない話もしやすいのがいいよね。当たり前のように喫茶店一店舗を貸切ってる財力とか、ヤバイと思うけど……。

 いやホント、喫茶店ノーアトゥーンさんにはお世話になっております。また後でお礼しとかないと。

 

 

「方策っていうと……シレンさんが安請け合いしやがった、例の『陽動』の件ですか?」

 

「や、安請け合い……」

 

「そうですねっ、シレンさんが勝手に同意しちゃった例の『陽動』の件ですねっ」

 

「す、すみません……」

 

 

 いやいやいやいや、だってさ……食蜂さんが悪事を働くわけないんだし、それなら協力した方が色々と円滑に進むでしょって思うじゃない……? よかれと思ってなんだよ……。

 …………うん、勝手にタスクを増やしたことについては反省しないとだな!

 

 

「……冗談ですよ。確かに我々の関係性は再構築されて、現状はシレイシアさんの独裁じゃーなくなってやがります。ですが、そういう前提があったとしても、シレイシアさんは我々の指導者(リーダー)なんです。その決定に異を唱えるのは滅多なことじゃしませんし、させませんよ」

 

 気まずくなって俯いた俺に、夢月さんは苦笑しながら周囲の面々に視線をやった。

 視線を受けた派閥のメンバー達も、苦笑しつつも夢月さんの言葉に頷いてくれていた。うう、助かる……。

 

 

「それにっ、そんなシレンさんだからこそあたくし達ももう一度集えたという部分もありますしねっ。……というとっ、レイシアさんは拗ねてしまいそうですがっ」

 

「拗ねませんわよ子どもじゃないんですからっ!!」

 

 

 ……レイシアちゃん、遊ばれてる。遊ばれてるよ……。

 

 

「あはははっ。……ですけどっ、陽動と言っても、やれることは限られているのではっ? 食蜂さんの思惑は結局何も分かりませんでしたしっ、競技を頑張る以外は何もっ」

 

「ええ、そうですわね」

 

 

 燐火さんの言葉に、俺は素直に同意を返した。

 確かに、食蜂さんの思惑は結局大して分からなかった。精々、大覇星祭で何かするってことくらい……。

 でも、分かる必要なんてないんだ。だって、俺は食蜂さんを信頼しているからな。途中で何かが起こって、アドリブで対応しなくちゃいけないとかならまだしも、よく分からない食蜂さんの目的を調べるのにリソースを割く必要なんて、どこにもない。

 

 それに──、

 

 

「……ですが、その『競技を頑張る』ことが、どれほど大変か──という話でもありますのよ」

 

 

 この超能力者達が跋扈する一大決戦で、『他の注目を一手に集める』というのは、それだけで大変なことだと思う。俺は、『正史』では上条さんが戦っていた『魔術サイド』の話くらいしか知らないが……そこから垣間見ただけの範囲でも、相当に厳しい戦いなことは想像に難くない。

 常盤台中学は学校成績でいつも長点上機学園には負けているというデータもあるのだし……油断していては、勝てる試合も勝てない。

 それに、これはみんなには言えない話だけど、俺の場合それに加えて上条さん達のサポートもしたいしね。やっぱりみんなの大覇星祭を、魔術師の陰謀なんかで壊されたくないじゃないか。

 

 

「えー、そうですか? 確かに私が二年の頃であれば多少手古摺りもしたでしょうけど、今や大半が大能力者(レベル4)。もちろん練習だってしてきましたし、勝ち戦も勝ち戦でしょう。気にしすぎやがりじゃないですかね?」

 

「甘いっ!! 甘いですわっ!!!!」

 

 

 楽観論を並べる夢月さんを、俺はあらんかぎりの剣幕で否定する。

 

 

「確かに──大覇星祭では、選手の希望によって出場競技をある程度調整できます。我々GMDWが出場競技を集中させれば、単純に高位能力者の数としても圧倒的でしょう。しかしっ!!」

 

 

 ビッ!! と、俺は勢いよく下を指差す。

 …………その拍子に人差し指がわりと勢いよくテーブルに当たり、ちょっと痛かった。

 

 

《シレン~~っ、痛いですわよ……》

 

《ごめんレイシアちゃん、ちょっと熱が入りすぎて……》

 

 

 それはともかく。

 

 

「……無能力者(レベル0)をはじめとした低位の能力者だって、馬鹿にできたものではありませんわ。いえ、むしろ……低位の能力者だからこそ、彼らはふんぞり返った強者に一泡吹かせる為、己の牙を静かに研いで待ち望んでいたはずです。この大覇星祭という、一世一代の下克上の場を!!」

 

 

 俺は知っている。小萌先生を傷つけたからという理由ではあるが、大した能力者がいないはずの上条さんの高校が、高位能力者ばかりの進学校を努力と工夫で薙ぎ倒したあの戦いを。

 GMDWの面々は、当然あんなひどいことは言わない。でも、似たようなモチベーションの高校とぶつかったりしたら? 今の慢心しているGMDWでは……押し切られてしまうかもしれない。

 

 少なくとも、上条さんなら……特別なモチベーションがなくたって、きっと倒せると思う。

 

 

「……、」

 

「ではっ……このままではよくないとお考えのシレンさんにはっ、何か……策がおありなのでっ……?」

 

 

 思うところがあったのだろう。口を噤んだ夢月さんに変わって、燐火さんが話を振ってくれる。

 俺は指をさすりながら、それに対し鷹揚に頷いた。

 

 

「ええ。──しかし、策というのは少し違うかもしれませんわね。その言い方だと、我々が敵の戦力を分析したりする必要があるでしょう?」

 

「ちちち、違うのですか? 相手がこちらの戦力を分析するなら、同じように我々も戦力分析をして相手を戦術で上回る必要があるのでは……?」

 

 

 俺の言葉に疑問を投げかけたのは、二年の桐生さんだ。

 うむ、セオリー通りならそうなる。そうすれば結局は立案能力の高さで勝負が決まるから、手札が多くとれる作戦の幅が広い俺達が勝つのは常道となる。

 だが──それは違う。それは、弱者の戦い方だ。未だに自称するのは面映ゆいけど、俺達は、立派な『強者』なのだから。

 強者が弱者の戦い方をしたところで、上手くかみ合うはずがない。強者には、強者に適した戦い方がある。

 

 

「『強く』なるのです」

 

 

 そしてこれは、大覇星祭に限らず、今後の俺達にとってはとても重要な話でもあった。

 

 

「今のわたくし達は、確かに強いです。超能力者(レベル5)にも伍するわたくしを筆頭とし、数多くの大能力者(レベル4)を擁する組織。単純戦力でいえば、軍隊にも勝るはずです。…………しかし、それだけ。我々は強い者が集まっただけの、烏合の衆にすぎないのです」

 

 

 ……もし、俺達の能力を利用しようとする人間が、GMDWに接触してきたら。

 能力は強くても、彼女達はただのお嬢様だ。人質に取られたりすれば、驚くほどガタガタになってしまう。組織としての体裁をなさなくなってしまう。……それでは、ただただ的がデカいだけの木偶でしかない。

 

 

「……組織としての、強度を上げる。相手が我々の弱点を突こうとしても、その追随を許さないくらい、遥か高みまで、『集団としての強さ』を上げるのです。一+一を一〇にも、一〇〇にもできるように」

 

 

 軍隊のように──とまでは、流石に言わない。

 でも、組織戦闘ができるようになれば、もしも俺の能力を狙う悪いヤツがGMDWの面々を狙ったとしても、十二分に対抗できると思うのだ。そこに俺達自身の力が加われば、大抵の脅威では揺らぐまい。

 発端は食蜂さんからの頼みだったが、これは元々俺とレイシアちゃんが考えていた既定路線でもある。

 

 

「──食蜂についてのアレコレはシレンの独断ですが、こちらについてはわたくしも元々同意見でしたわ」

 

 

 そして、最後に総括するようにして、レイシアちゃんが口を開く。……うぐ。相変わらずそこについてはつつかれるのね……。

 

 

「本来は大覇星祭が終わった後に進めていく予定でしたが、()()()()()()()()()()()()()()()()……大覇星祭前にお試しでやってみるのも、いいでしょう。結果オーライですわ」

 

 

 レイシアちゃんは顎に人差し指を当てながら、思案するようにしてこう続けた。

 

 

「教えを、乞いましょう。我々には実力があります。あとは──それを正しく振るう知恵さえあれば、向かうところ怖いものなしですわ」

 

 

 


 

 

 

第一章 桶屋の風なんて吹かない Psicopics.

 

 

四七話:変わるということ Ambition.

 

 

 


 

 

 

 と、いうわけで。

 その後、寮に戻った俺は早速講師役に協力の打診をお願いしにいった。お願いする相手はもちろん────

 

 

「どうです? お願いできないかしら」

 

「…………何故、わたくしですの?」

 

 

 八の字型のタイヤをした車椅子に乗った、亜麻色の髪をしたツインテールの少女。

 白井黒子その人なのであった。

 

 

「もちろん、わたくしの知っている中でアナタに教えを乞うのが一番いいと、わたくしが判断したからですわ!」

 

「理由になっていませんわよ。アナタがそう判断した理由を聞いているのですわ」

 

「いえ、その、正直なところ、大覇星祭まで日数が足りないというのが大きく……」

 

 

 カッコつかない理由なのでなるべく伏せたかったのだが、白井さんにはあっさりと看破されてしまったため、俺は気まずい思いをしつつも答える。

 

 何せ、大覇星祭の開幕は明後日に迫っているのだ。今から修行をしようといったって、大した変化など望むべくもない。

 だから、分かりやすいトレーニングをやったりするつもりはあんまりない。

 俺がやりたいのはあくまでも作戦行動がしやすくなるためのとっかかりであり、求めているのはその為のアドバイザーである。

 

 

「だから突貫工事(いちやづけ)に付き合えと? ……ハァ、まぁ、貴方にはかなり大きめの借りもあることですし、断るつもりはありませんけれど……正直、意味があるかは分かりませんわよ? 風紀委員(ジャッジメント)独自のノウハウみたいなものは防犯上当然教えられませんし、教授できる知識も一般論の範疇を出ないかと」

 

「構いません。ウチの子達は優秀ですので、理論だけでも聞ければかなり違うはずですわ」

 

 

 正直、今のGMDW……っていうか俺達含む全員は、その『一般論の範疇』すらよく分かってないのが現状なんだよ。

 いや、普通の学生レベルなら十分及第点だと思うけどね? でも、今欲しいのは『その先』なんだ。そうなるとやっぱり、たとえ理屈の話を説明してもらえるだけでも、白井さんの力を貸してもらえるのは凄まじいアドバンテージになると思うんだ。

 

 

「了解しましたわ。まぁ、わたくしはご覧の有様なので大覇星祭の練習もありませんし……明日の放課後でよろしければ、お付き合いしますわよ。それでもよろしくて?」

 

「ええ、もちろんですわ! よろしくお願いします」

 

「………………本当に、変わりましたわねぇ、貴方……」

 

 

 変わってはいないよ。まぁ、憑依した俺の動向をレイシアちゃんの性格とごっちゃにしていれば、変わったようには見えるのかもしれないけれど。

 

 

「これからもっと、変わりますわよ」

 

 

 と。

 俺ではなくレイシアちゃんが、そこで口を開いた。

 口元に笑みを浮かべたレイシアちゃんは、そのままこう続ける。

 

 

「わたくしの求める未来には、必要なものがいっぱいあるのです。欲しいものを、自儘に、残さず手に入れる――――そんな悪役令嬢(ヴィレイネス)になりたいのなら、わたくしも変わっていかなくては」



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おまけ:阿宮好凪は逡巡する

阿宮好凪さんは、「おまけ:レイシアの研究発表奮闘記」で共有忘れで研究データを巻き戻しちゃった一年生の子です。
GMDWでは唯一の一年生構成員です。


 阿宮(あみや)好凪(すなぎ)にとって、レイシア=ブラックガードとは彼女の小さな世界における『頂点』だった。

 

 入学当初、右も左も分からない中で知り合った先輩の紹介で参入した派閥『総合分子動力学研究会(GMDW)』。

 その派閥の長であったレイシアは──当時はちょうど彼女と派閥の関係が上手く行きかけていた時期だったこともあり──阿宮にとって、その時点で『頂点』に位置する存在だった。

 その後御坂美琴と衝突して敗北したレイシアだったが、それはあくまで『頂点』の世界での話。GMDWにとっては依然としてレイシア=ブラックガードは最恐の存在だったし──直後、全く別のアプローチで接触をとってきたこともあって、レイシア=ブラックガードの『敗北』すらも何か大きなはかりごとの一部だったのではという見方がGMDWの中では大半だった。

 事実としてレイシアはその後ほどなく『再起』し、再び阿宮の小さな世界における『頂点』に返り咲いた。

 そういった経緯もあって、阿宮好凪にとってレイシア=ブラックガードは、なんだかんだ言っても揺らぐことのない安定の象徴でもあったのだ。

 

 そしてGMDWが再びその長にレイシア=ブラックガードを迎え入れて一か月後──秋。

 阿宮が常盤台に入学してから五か月が経ったころ、GMDWは大覇星祭の練習ムード一色になっていた。

 

 


 

 

 

第一章 桶屋の風なんて吹かない Psicopics.

 

 

おまけ:阿宮好凪は逡巡する

 

 

 

 


 

 

「良い感じですわよー。二人三脚は能力のシナジーがモノを言いますからね。多少の妨害も計算に入れて、コンディションの振れ幅で失敗しないくらいまで連携を強化しますわよ」

 

 

 九月七日。

 二学期はじめの身体検査(システムスキャン)を一週間後に控えたこの日、GMDWは放課後にレンタルスペースで競技の練習に励んでいた。

 

 大覇星祭の選手ごとの出場競技は、基本的に学校側から指定される。しかし常盤台中学の場合、諸々の都合(主に学内派閥の力関係)もありそこは生徒側の方で柔軟に調整できるのが通例となっていた。

 たとえば白井黒子などは学年が違うというのに御坂美琴と大半の競技でペアになろうとしていたし、あの食蜂操祈の最大派閥でも、派閥の構成員を学年関係なく組ませたりしている。

 GMDWでは、今回大会を通して派閥の組織力を上げたいレイシアの意向もあって、大半の競技の参加選手を自派閥でまとめているだけでなく、派閥内で選抜テストを行い、より上位のコンビを出場選手に選出する──というやり方をしていた。

 

 

「シレンさん、そろそろ休憩にしやがってもいーんじゃないですか? そろそろ物河あたりが音を上げやがる頃だと思いますよ」

 

「ちょっ……刺鹿様!? ワタクシそんな軟弱ではありませんよ!?」

 

「ですわね。じゃあ皆さん、いったん休憩ですわー」

 

「シレン様~~!?」

 

 

 刺鹿の冗談交じりの進言に、レイシアもといシレンはパンパンと手を叩きながら休憩を宣言する。

 能力を利用しながら二人三脚でグラウンドをひたすらぐるぐる回っていた派閥の面々は、その宣言を聞いて足首の固定用バンドを外すなり次々にその場で崩れ落ちた。

 

 

「そこ! 急にへたり込まない! 身体に悪いですわよ! 休憩時間はクールダウンも込みでとってあるのですから、ちゃんと所定の時間は歩きなさい!」

 

「ひいー……ひいー……はあー……」

 

 

 先ほどまでの穏やかな語り口はどこへやら、レイシアはへたり込んだ派閥メンバーに檄を飛ばしていく。

 何を隠そうへたり込み組の一人だった阿宮も、その声に慌てて立ち上がりながらクールダウンの為にレンタルスペースのグラウンドを歩き出す。

 

 ちなみに、レイシアと刺鹿も二人三脚のコンビとして登録しており、超能力(レベル5)白黒鋸刃(ジャギドエッジ)大能力(レベル4)熱気溶断(イオンスプレー)を持つコンビなら何も問題なかろうということで絶賛監督役をやっているのだった。

 ──なお、これは派閥メンバーに対する見栄でそう見せているのであり、この二人、実は相当な猛特訓を陰で重ねている。お陰で今日も筋肉痛だ。

 

 

「お疲れ様、好凪さん」

 

「あ、千度さん! ありがとうございますでございます」

 

 

 クールダウンを終えて座り込んでいた阿宮に桐生が手製のスポーツドリンクを差し出してくる。

 ──桐生(きりゅう)千度(ちたび)。阿宮をGMDWに引き入れた張本人であり、もともとはレイシアが結成したGMDWの前身となる派閥の構成員でもあった少女である。

 その為かレイシア、シレン双方からも特に信頼されており、次期GMDWの中核として成長を期待されている人員でもあった。

 今回の二人三脚でも、彼女が阿宮のコンビを務めている。

 

 

「だだだ、大分いい調子ですわよ。この分なら二人三脚の選抜は我々になるかもしれませんわね」

 

「そうなったら、光栄ですでございますわ!」

 

「そそ、その意気ですわよ。どうやらシレンさんは、今回の大覇星祭でさらに人員獲得を目指しているようですからね。ととと、特に、一年生。──一年生は、好凪さんひとりだけですものね」

 

 

 団結力の強化というレイシアの方向性とは若干矛盾するかもしれないが、しかし一方で、こうした狙いもレイシアにはあった。

 GMDWに限らず、常盤台の『派閥』というのは公式に制度化されたものではない。あくまで生徒同士の関係性の上に成り立っているものなので、別に卒業したからといって役職を辞する必要はない。

 だから、レイシアも今のところは卒業後もGMDWの代表から退くつもりはないようだ。

 だが一方で、学年が違う以上『残される生徒』というのは当然出てくるわけで、阿宮がそうした形で学校生活の中で疎外感をおぼえないように新規派閥構成員は必須、とレイシアは考えているのだった。

 おそらく、最終的には学外で活動するGMDWという組織の中に中学生で構成された『中学部』のような部署を作るつもりなのだろう。

 

 じきに中学内での派閥活動の切り盛りを任されることになっているというのもあり、桐生はそうしたレイシアの思惑にはわりと敏感だった。

 だから、彼女は特に練習にも身が入っている。

 

 

「…………ぜぜぜ、絶対、取りましょうね。選抜の座を」

 

 

 そうした諸々とレイシアの意向もあって、去年よりもさらに熱が入っている大覇星祭の練習だが──それを除いて考えても、GMDWの面々は今回の大覇星祭に本気で臨んでいた。

 というのも、実は彼女達の中で、最近まことしやかに囁かれ始めた噂があるのである。

 

 

 

 レイシア=ブラックガードは、七月に一度自殺未遂を起こしている。

 

 

 

 最初にその噂を聞いたのは、桐生だった。開発機関の研究員の噂話でその情報を耳にした桐生と阿宮は、即座にこれを刺鹿と苑内に報告したのだったが──、

 

 

『…………絶対に、他言無用です。いーですね』

 

 

 普段感情が昂ぶると口調が激しくなりやすい刺鹿が、その時ばかりは不気味なほど静かな声だった。

 

 

『事実かどうか、そんなモンは関係ありやがりません。もしも間違いならそれはそれでレイシアさんとシレンさんを傷つけてしまいますし……それに、もしも……本当だったら』

 

 

 それは、おそらくGMDW全員に共通する恐怖だろう。

 

 

『だって、そりゃ、つまり……レイシアさんが死を決意しやがるってところまで、()()()()()()()()()()()()()…………』

 

 

 GMDWは、根本的に全員が全員レイシアの被害者である。

 全員大なり小なりレイシアの傲慢に引きずり回され、精神的にも社会的にも被害を被ってきた。その被害は、客観的に見ても甚大といっていい。

 だからレイシアが美琴に『成敗』され、人格が割れるほどのショックを受けたとしても、多少の罪悪感はおぼえたものの、そこまで深刻な話にはとらえていなかった。

 もっとも、これはレイシアとシレンがきわめて良好な関係を築いていたからという部分もあるのだが……。

 

 ともかく、そういった経緯もあって一応の『均衡』が取れていたところに、今回の自殺未遂疑惑である。

 

 

 GMDWは根本的にレイシアの被害者だが、同時に彼女達は善良である。

 だから、彼女達は人格が割れるほどのショックを受けたレイシアを()()()()()()()()()()()()()ことに対して、罪悪感をおぼえた。ある種、やったこととやられたことのつり合いがとれていた。

 そんな彼女達が、あとから『実はレイシアは誰かが救っていなければ死んでいるところだったんです』などと言われたら、()()()()がとれなくなる。

 

 無邪気に『頂点』だと思い込んでいた存在が、実は普通に傷つきうる一人の少女だったと言われれば、人間心理としてそこに触れることは不可能だ。

 もしも触れてしまえば、二度と同じ関係性でいられることはできない。しかし、もしもGMDWの大半がそれを知れば、人の口に戸は立てられぬというし、遅かれ早かれレイシアの耳にもこのことは入ってしまうだろう。

 だからこそ、刺鹿は早いうちに桐生と阿宮に緘口令を敷いたのだが──そんな彼女の思惑とは裏腹に、どこからかレイシアの自殺未遂の情報はGMDWの面々に広がっていってしまっていた。

 

 今となっては、おそらくレイシアを除く全ての構成員が、レイシアの自殺未遂の噂を何らかの形で耳にしたことがあるだろう。

 だが、今のところ全員がそれをレイシアに問い質そうとはしなかった。レイシアもシレンも、それを望んでいないと思ったからである。

 

 ただし、それで罪悪感が消えるわけではない。

 『死を決意するまで追い詰めた』という咎を背負った彼女達は、自然と代償行動をとり始める。つまり、『やりすぎた』分だけ、レイシアに尽くそうとする──という形で。

 

 

 大覇星祭の練習に彼女達が精を出しているのも、これが大きな理由だった。

 そしてほぼ全員が、この理由についてまったく疑問を感じていない。そうすることが、『やりすぎた』自分達にできるせめてもの償いだと考えている。

 

 だが、派閥に入って間もない阿宮にとっては、そうではなかった。

 彼女はレイシアからの理不尽な仕打ちを受けた経験も少なく、また彼女の恩恵を受けた経験も同様に少ない。

 彼女にとってレイシア=ブラックガードはその有能さで歪さを無理やり繋ぎ止めていた愚かな少女ではなく、どこか遠い世界の存在だった。

 

 だからこそ、阿宮はこの噂を聞いたときも他のメンバーより冷静でいられた。

 もちろん自殺未遂の話は重大だし、それに気づけなかった自分の無関心に対する憤りもある。だが、そもそもの問題として────()()()()()()()()()()()()()()()()()

 桐生は開発機関から聞いたと言っていた。

 しかしもし開発機関の人間が生徒に聞かれるレベルで噂になっているのだとしたら、今頃GMDWどころか常盤台中の公然の秘密となっていなければおかしい。噂というのはそういうものだ。

 にも拘らず、今のところ派閥の外でこの噂が広まっている形跡はない。即ち、明らかにGMDWの中で噂を蔓延させようとしているのである。

 

 他の派閥メンバーは、刺鹿と苑内含めて全員が、自殺未遂という話のインパクトに引っ張られて、そこまで考えが回っていないようだったが──

 この噂は、明らかに誰かによって意図的に広められている。そこには嘘であれ『不都合な真実』であれ、レイシアを貶めようとしている悪意がある。

 

 きっと、現状は──罪悪感に突き動かされて大覇星祭の練習に邁進しているこの状態は、噂をばら撒いている黒幕にとっては望ましいものだろう。目的は分からないが、噂の結果派閥メンバー全体がその方向に動いている以上、そういう風に誘導されることを期待して噂を流しているはずだ。

 だが、阿宮にはそれをどうにもすることができない。

 一年生で発言権が弱いというのもあるが、『自殺未遂があったかもしれない』という事実が心に突き刺さっている面々に対して『作られた噂だから嘘かもしれない』といっても根本的解決にはならないし、何より『大覇星祭の練習に邁進する』という方針自体はレイシアの掲げるものと合致してしまうからだ。

 そこへ下手に『この噂には黒幕がいる』と言っても、大覇星祭の練習やレイシアへの罪悪感と論点がゴチャゴチャになって、まともな話し合いにはなるまい。

 

 決められたレールの上をただ歩き続けるしかない焦燥感。

 

 このままでいいのか。何か、別のアクションがあるのではないか。

 

 考えてみるが、ヒーローではない彼女にはどうにもできないほど、既に状況は進んでいた。

 

 

「次は玉入れの練習に入りますわよ。一〇分後に始めますので、皆様、各自支度を整えて──」

 

 

 レンタルスペースのグラウンドでは、レイシアが三年生の派閥メンバーに指示を送っている。

 




派閥メンバーの名前と能力は全員分設定してあります。いずれどこかでお出しできたら。






NEXT...?
>>>
   とある再起の四月馬鹿(メガロマニア)   



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四八話:開会

『続いては、学園都市が誇る超能力者(レベル5)による選手宣誓です!』

 

 

 大覇星祭。

 それは、学園都市で毎年七日間にわたって開催される、大規模な体育祭。

 一般的な体育祭のそれと違うのは、大覇星祭は学園都市の全生徒が『学校単位』で参加している、という点。『白組』『赤組』という区分はあるが、学校内部で組が分かれることはないのである。

 たとえば、常盤台が赤組だったら全校生徒が赤組、って具合にね。

 

 この様子はテレビ局によって全世界に配信され、生徒の父兄は内部が一部開放される。能力による派手な競技が中継されるということもあってか、()()()()()()()()()()()()()()に変わって、全世界のスポーツ娯楽のメインストリームはこっちになっている。一部じゃそういう流れを揶揄して大覇星祭のことを『テクノピック』とか『サイコピック』って呼ぶ人もいるくらいだ。

 それゆえ、エンタメ的にも毎年色々な趣向が凝らされているのがこの大覇星祭というものなのだが……今年はなんと、超能力者(レベル5)による選手宣誓というのが目玉として用意されていた。まぁ、俺達は身体検査(システムスキャン)誤魔化したから大能力者(レベル4)判定なんだけどね。

 

 超能力者(レベル5)

 その存在は、対外的には殆ど謎に包まれた存在とされている。

 そもそも超能力者(レベル5)が七人体制になったのが最近なのである意味当然だが、暗部に片足突っ込んだ第一位や、どっぷり浸かった第二位、第四位はもちろん、第七位もメディア露出はあまりない。第六位? 影も形もないよ。

 そんなわけでメディアに顔出してるのは第三位と第五位、常盤台の中学生しかいないのが、今までの学園都市だった。

 そう。

 『だった』ということからも分かるように、今回の選手宣誓はそうではなかった。てっきり俺も美琴さんと食蜂さんがやるんだと思っていたけれど──なんと今回の選手宣誓、食蜂さんと削板さんがやることになったのだ!

 確かに削板さんだったらギリギリやってもOKっぽいなとは思ったけど、まさかあの人がこんなオフィシャルな舞台に出るとは……。っていうか出てきて大丈夫な人だったとは……。

 

 

《……まぁそれ以前に、あの削板軍覇がちゃんと選手宣誓の口上を言えるかどうか、普通に心配な部分もあるんだけど…………》

 

《それはわたくしも思いましたわ》

 

 

 というわけで。

 俺達は、そんな選手宣誓がある開会式の場に、中学生代表の旗手の一人として参加しているのであった。

 超能力者(レベル5)ではないけど、一応エリート学校のエリート学生だからね、レイシアちゃん。今年はエリート中のエリートを選手宣誓に使っているので、入学式の代表学生もそういう感じにしようという趣向らしいのだ。

 ちなみに、美琴さんは最初からこっちには打診されなかった。まぁ、第七位が宣誓やってる横で第三位が旗手っていうのも、美琴さんのメンツ丸潰れだからね。宣誓をやらなかった時点で美琴さんは完全に観客サイドになっちゃってるのだ。

 その点、俺達は『大能力者(レベル4)の中で優秀』という立ち位置なので、旗手にはもってこいだったりする。レイシアちゃんはブチギレてたけど。

 

 

『選手宣誓っ!!!!』

 

《お、始まったね》

 

《……シレン、やっぱり能力の準備しておいた方がいいですわよ》

 

 

 食蜂さんと削板さんの選手宣誓が始まるや否や、レイシアちゃんが心配そうに言う。

 いやいや、確かにまともには終わらないと思うけど、そこまでするほどのことかね? あとレイシアちゃん、今は『重い旗持ちたくない』とかで身体の操縦俺に押し付けてるんだし、やるにしても能力の準備はレイシアちゃんがやらないとだよ。

 

 

《しっかし……どうするかなぁ、婚約破棄》

 

《どうするも何も、大覇星祭前に出来なかった以上、しょうがないから大覇星祭期間中にやるしかないでしょう。向こうも多少ゴネると思いますが……》

 

 

 だよねぇ……やっぱ。

 婚約者として大覇星祭にやって来て、そこで婚約破棄ってなったら、流石に向こうの心象も悪い。まぁ、離婚してすぐレイシアちゃんと婚約するような人だから、そこまでこの婚約にも熱心ではないと思うし、そういう意味で本気でこじれるとは思ってないけど……。

 

 

《ま、力関係的にはブラックガード財閥の方が圧倒的に上ですわ。わたくしが否と言えば、相手が従わない道理などありませんわよ》

 

《それがマズイんだよなぁ……》

 

《……む。わ、わたくしだって、もちろんアフターフォローはしますわよ? 権力でゴリ押しする()()ではよくないと、この前の一件で分かりましたし……》

 

《おお、偉いぞ。レイシアちゃん》

 

 

 そのへんはレイシアちゃんも成長しているというか。権力ゴリ押しでも、アフターフォローがあるのとないのとでは天と地の差があるからね。

 ……ただ、今回の場合俺が気にしているのは、そこではなく。

 

 

《でも、アフターフォローで『長い目で見た時の反発』は防げたとしても……『その場の衝動的な反発』まではどうかなぁって、ちょっと心配なんだよね。話を聞く限り、婚約者の塗替さんってけっこうプライド高いんでしょ? 頭に血が上って馬鹿なことしなければいいんだけど……》

 

《大丈夫でしょう。向こうだって立派な大人ですわよ? たかだか政略結婚の行方ひとつでキレる程、子どもではありませんわ。一応わたくしだって『美談』に仕立て上げる手伝いはしますし》

 

《そこんところ、レイシアちゃんの感覚は信用ならないからなぁ……》

 

 

 自分の婚約の行方を『たかだか』って言っちゃうの、普通の女の子ならありえないからね。ホント、考え方がドライというか……。……いや、社交界と呼べるような場所にいる人ってたいていこんな感じなんだろうか……? 庶民だから分かんないや。

 

 

『──消えることのない絆を……絆を……絆…………えーと、次なんだったっけ?』

 

 

 っ!!

 

 そんな感じでレイシアちゃんと脳内作戦会議をしていた俺は、そこで特大の『嫌な予感』を感じて、意識を選手宣誓中の超能力者(レベル5)の片割れに向ける。

 

 台の上で腕を組んでいるこの街の頂点・削板軍覇は、堂々としながら、しかし豪快にレールを踏み外している真っ最中だった。

 

 

『……「消えることのない絆を頼みにして」で、』

『まぁいいや! 消えることのない絆とかの諸々は根性で吹っ飛ばしてっ!』

 

 

 え、そこ吹っ飛ばしちゃっていいヤツなの!?

 

 

『……日ごろ学んだことの成果を発揮し──』

『これまでの道で出会った強敵と培ってきた根性をぶつけ!!』

 

『己の成長を見せることで父兄への感謝を表し──』

『まだ見ぬ強敵たちに己の根性を見せつけ挑戦状をたたきつけて!!!!』

 

 

 ………………なんか色々フィルターがかかった上で捻じ曲がって出力されてるような気がするんですが、これ大丈夫なんでしょうか。

 っていうか、なんか削板さんの背後からなんかカラフルな気流が生み出されているような雰囲気なんですけど……これ、全開の『白黒鋸刃(ジャギドエッジ)』でも防御できる? なんか未知の種類のエネルギーだから『亀裂』の盾貫通しそうなんだけど……。

 

 

《シレン、シレン。一旦下がりますわよ。あれ、多分このあと爆発しますわよ。君子危うきに近寄らずですわ》

 

《そうだね、レイシアちゃん……》

 

 

 言いながら、俺達は持っていた旗を地面に突き立て、削板さんの背後から十分に距離をとる。

 その直後。

 

 

『この大会が最高に根性の溢れた思い出になるよう! あらゆる困難障害四面楚歌無理難題五里霧中が襲い掛かろうとも────全て根性で乗り越えることを誓うぜっ!!!!!!』

 

 

 ドッゴォォおおおおおおン!! と。

 ちょうど俺達が先ほどまでいた場所をも巻き込むように、カラフルな爆裂が盛大に発生していた。

 いっそコミカルなほどに、屈強な学生たちが吹っ飛んでいく。いやー、アレで特に大事件とかにならないんだから、削板さんの能力もわけがわからんね。仮に白黒鋸刃(ジャギドエッジ)が誰かにぶつかったりなんかしようものなら、普通に殺傷事件だからね。

 

 で、一通りやり終えた削板さんは、そんな背後の様子を確認して、こう一言。

 

 

『……あん? なんか騒がしいな……。……まぁいっか!』

 

「良かないわっっっ!!!!」

 

 

 その場にいた人間のツッコミが、完全一致した瞬間だった。

 

 

 


 

 

 

第一章 桶屋の風なんて吹かない Psicopics.

 

 

四八話:開会 Opening_Ceremony.

 

 

 

 


 

 

 

「あはははははは!!」

 

「……ちょっと夢月。笑わないでくれます?」

 

 

 その後。

 開会式を無事(?)に終えた俺達は、多少の休憩のあと、待機していたGMDWと一緒に競技前の待合場所で最後の調整をしていた。

 ……のだが。開会式の様子を中継で見ていたGMDWの面々は、おかしくて仕方がないとばかりに未だに大爆笑中なのであった。……開会からもう一時間経つっていうのに。

 いやまぁ、気持ちは分かるけども。

 

 

「だっ、だってっ……! シレイシアさんっ、開会式中に、グラウンドに旗を突き立てて、そそくさ逃げてっ……あはははは!」

 

「燐火まで……」

 

 

 どうやら、俺とレイシアちゃんの逃走劇の一部始終が、中継映像の端っこに映っていたらしい。

 削板さんのインパクトがデカすぎて話題にはなっていないが、身内にはよく分かったらしく、こうしてネタにされているというわけである。

 いやほんと、削板さんの様子が思いっきり中継されててよかった。下手に俺達のこと映されてたら、今頃ネットで『そそくさ令嬢』とか言われてたよ。

 

 

「──危機管理能力の高さゆえですわ。それより夢月さん、そろそろわたくし達の出番ではなくて?」

 

「ああ、そうでしたね。……一日目、第一競技『二人三脚』。準備の手間もかからないからってんで、期間中何度も同じ競技を使い回しやがるのはエンタメ的にどうかと思いますけど」

 

「そもそもが体育祭なのだからエンタメがどうとかは二の次でしょうというのはさておき……競技的にポピュラーですものねえ。……ああ、そうそう。わたくし達の後は美琴さんと転入生の婚后さんが走るらしいですわよ」

 

「ケッ、我々は第三位の前座ってわけですか。気に入らないですね」

 

「同感ですわ」「二人とも、そんなどうでもいいところで腐らない……」

 

 

 普通にスケジュールの問題だよ。

 っていうか夢月さん、今やすっかりレイシアちゃんの野心部分と共鳴するようになっちゃってるなあ……。まぁ俺がブレーキ役だから、派閥の中にレイシアちゃんと共感してガス抜きしてくれる人がいるのは助かるんだけども。

 

 

「一応確認しておきますわ。わたくし達と同じレースを走る対戦校はどのようになってます?」

 

「はいっ、第一コースは常盤台中学、第二コースが新色見中学、第三コースが霧ヶ丘中学、第四コースが静菜高校ですねっ」

 

 

 打てば響くように、燐火さんが情報を伝えてくれる。

 この対戦カードは公式からの発表があるまでは一般には公開されていない情報なのだが、そこはそれ。派閥の情報網というのはけっこうスゴイので、俺達はこの情報はわりと早期に掴んでいて、色々対策も準備していたのだった。

 

 

「目下のところ最大のライバルは霧ヶ丘中学ですねっ。新色見中学も研究者畑の学生がそこそこいるようですが、この競技には応用が難しそうですしっ。静菜高校は能力開発ではあまり突出した噂を聞かないですしっ、出場者も低能力者(レベル1)なのでそこまで心配は要らないと思いますがっ……」

 

「甘いですわよ、燐火さん。情報によると、静菜高校の出場者は低能力者(レベル1)ではあるものの中学時代から風紀委員(ジャッジメント)をやってるベテランという話です。フィジカルも経験値も段違いだと思っていた方が良いですわね」

 

「そーですかね? レイシアさんは心配しすぎだと思いますけど」

 

 

 いやいや、強度(レベル)が低いけど戦闘経験豊富って、この世界じゃ大体強者フラグだからね。そうやって甘く見てはボコボコにされるのが世の常である以上、俺は警戒を怠らないよ。

 あと、新色見中学は確か操歯さんのトコだったよね。まさか全身サイボーグをやった操歯さんレベルの人がうようよいるとは思わないけど、それをやれる下地があるって考えておいた方がいいかもしれないな……。

 …………しかし……、

 

 

《……組み合わせ聞いたときから思ってたけど、中学生と高校生の合同競技っておかしいよなあ……》

 

《そうかしら? わたくしとしては、強度(レベル)が違う学生同士を戦わせる方がよっぽど理不尽だと思いますわよ》

 

 

 …………一理ある。

 でも、確かにそうかもなあ。強度(レベル)の違いの前では、年齢や性別の差なんてのは些細なものかもしれない。

 ……それはそれで歪だと思うけど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

《……考えさせられるなあ、うん》

 

《シレンは考えすぎなだけだと思いますわよ》

 

 

 …………言われてしまった。

 

 

「さ、予習復習は済ませました。あとは、本番でいい結果を残すだけですわよ、夢月」

 

「もちろんです! さあ、学園都市中に、そして世界中に──示してやりましょう!」

 

 

 ううむと考え込む俺をよそに、前を向くレイシアちゃんは、意気揚々と言う。

 世界に宣戦布告するような、そんな不敵さで。

 

 

「目の覚めるような『圧勝』で当然。魅せるは『次元の違い』。──それこそ、我ら『GMDW』だと!」




・形骸化した世界的競技大会/テクノピック
HOネタ。サイコピックとかも捏造ネタですが、なんかそういうのありそうだよなあって。

・目の覚めるような『圧勝』で当然
慢心のように聞こえますが、シレイシアの掲げる目的を考えると、ただの学生くらい圧倒できないとやってられんという事情があります。


大覇星祭シレイシア

【挿絵表示】

画:おてんさん(@if959u


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四九話:前提条件

『──さて始まりました第三ブロック第一種目「二人三脚」。っつかこのアナウンス、ブロックによって競技の順番を組み替えてる関係でめちゃくちゃやりづれーな。あ、このブロックの解説はおなじみ海賊ラジオDJと、』

 

『「ヘソ出しカチューシャ」でお送りするけど。ちなみに、私は今日は不参加だけど』

 

 

 ────そして、いよいよ競技開始となる直前。

 会場に響く実況解説のアナウンスを耳にしながら、レイシアと刺鹿はスタート地点にて待機していた。

 既に足首をバンドで固定した二人は既に臨戦態勢となっており、周囲の様子を観察しているように見える。

 否。傍目から見ればそうだが、その実情は────

 

 

《……ヘソ出しカチューシャに海賊ラジオDJ。……カチューシャさんの方は、なんか覚えがある口調なんだよなあ……。なんだっけ……?》

 

《ヘソ出しカチューシャはアレでは? ほら、上条の先輩にあたる人の》

 

 

 うち一人(二重人格)は、のほほんと世間話をしているのだった。

 あまりにも緊張感がない有様だったが、それでも傍目から見れば油断なく周囲の様子を伺っているように見えるのだから、彼女達の外面の取り繕いスキルもかなりのものである。

 それはさておき、二人の脳内会話はさらに続く。

 

 

《……あー、雲川先輩。レイシアちゃん、よく覚えてるな……》

 

《恋敵の情報は忘れませんわよ》

 

《お、おう……》

 

 

 このあたりは、やはり興味の対象ほど覚えがいいといったところか。

 『正史』の記憶についてはシレンに一歩及ばないレイシアだが、関心事である『上条当麻の恋愛模様』については、シレンよりも鮮明に思い出せるらしい。

 逆に言えば、全巻読破して内容もそこそこ思い出せるくらいに記憶力もいいくせに、恋愛模様の話はすっと出てこないシレンが、いかに上条当麻のラブコメに興味がないか──という話にもなってしまうのだが……。

 

 と。

 

 

『──そして第四コースが常盤台のレイシア=ブラックガードと刺鹿夢月のコンビ! これは白熱の戦いだ!』

 

『……レイシア=ブラックガードといえば最近色々とちょこまかしている噂を耳にするけど、あまり調子に乗らない方が身のためだと思うけど』

 

 

 そうこうしているうちに、実況の海賊ラジオDJによる選手紹介が終わったようだった。

 なんか解説の方から恨み節が聞こえてくるのは気にしてはいけない。

 

 

「レイシアさんっ! 此処は我々の力を存分に発揮して、他の選手はぶっちぎりますよ!」

 

「もちろんですわ。まあ、もっとも──」

 

 

 レイシアが、肩にかかった巻き髪を撫でるように梳いた、次の瞬間。

 

 パァン!! と、秋の朝空に戦いの始まりを告げる号砲が鳴り響いた。

 しかし、レイシアに慌てた様子は見受けられない。どころか、走り出す素振りも見せず、余裕の表情で言葉の続きを紡いでいく。

 

 

「──我々の勝利は、既に確定しているのですが」

 

 

 


 

 

 

第一章 桶屋の風なんて吹かない Psicopics.

 

 

四九話:前提条件 Stalwart's_Duty.

 

 

 

 


 

 

 

 ズァオ!! と。

 直後、レイシアを除くすべての選手の眼前に、透明の『亀裂』が壁として展開された。

 

 静菜高校チーム──不愛想な大柄の少女と笑みを浮かべた小柄な少女のコンビ。

 霧ヶ丘中学チーム──勝気そうな金髪の少女と物静かそうな文学少女のコンビ。

 新色見中学チーム──マスクと帽子を身に着けた少女と体育会系少女のコンビ。 

 

 いずれもおそらくは一癖も二癖もあるチームだが、『亀裂』は平等だ。

 地面から立ち上るように発現した『亀裂』は、透明ながらも粉塵によってその姿が余人にも分かるようになっていたが……この場合、それがどれほどの慰めになったことか。

 何故なら、『亀裂』の姿を浮かび上がらせる粉塵の形は────選手全員を『包み込む』ように展開されていることを示していたのだから。

 

 

「そ…………そんなのアリーっ!?」

 

 

 霧ヶ丘中学の生徒が思わず叫んでしまうのも、無理はない。

 レース競技において、破壊不可能な『壁』を作るのがどれほどの無法行為か。たったそれだけで、全ての勝敗が決してしまいかねない暴挙。それを、初手の初手でやらかしてくれたのだ。

 しかし、これこそ『大覇星祭』。能力者達がその持てる力を十全に振るう異能競技においては、そんな暴挙すら許容される。

 もはや王者の風格さえ漂わせて、『亀裂』の檻に囚われた囚人達を置いてレイシアと刺鹿は悠々と走り出す。

 

 もっとも──

 

 

「……!? 解除されたぞ!」

 

「……! ……なるほど……射程距離……。わざわざ透明の亀裂を、粉塵が舞うように展開していたから不思議だったけれど……あの人の能力は地面を起点にして、能力者と起点の最大距離はおよそ一〇メートル程度…………」

 

 

 レイシアと刺鹿が一〇メートルほど離れたところで、『亀裂』の檻は解除されるのだが。

 

 ちなみに、これはレイシア──というよりシレンによる『演出』と『実益』を兼ねた工作である。

 超能力(レベル5)である白黒鋸刃(ジャギドエッジ)が、たかだか一〇メートル離れた程度で解除されるわけがない。だが、大能力(レベル4)であれば解除されてもおかしくない。地面を起点にしなくてはいけないという制約も『らしさ』に拍車をかける。そういった大能力(レベル4)にカモフラージュする『演出』としての意味が一つ。

 もう一つの意味が、『初手で檻の中に入れてあとはずっと独走』では物言いが入るおそれがあると考えたシレンによる保険、という『実益』である。せいぜい一〇メートル程度のアドバンテージなら、まだ能力で如何様にでも巻き返せる。そうであればこそ、まだ『戦略』の一つとして看過される。

 

 

《……まぁそんなことしなくても自前の能力で脱出できる人もいるかもだけど、無茶やって大怪我負わせちゃったりしても問題だしね……》

 

『とはいえ──先行一〇メートルのハンデはデカイ! っつーかレイシア&刺鹿コンビ、速い速いぜ! 特にレイシア選手なんか中学生離れした巨乳だってのにそれを微塵も気にした様子がない!!』

 

『地味に最悪だけど、海賊ラジオDJ。──そういう下着(モノ)もあるってだけだけど。人工筋肉技術を応用した、「外側から肉体を補強する下着」……補強の域を超えて、明らかに強化されるほどに。「外」ならルール違反になるような代物でも、「技術の祭典(テクノピック)」とすら揶揄される大覇星祭では、適当な理由さえあれば許容範囲内だけど』

 

『見たか世界!! これが大覇星祭だァ!!!』

 

 

 海賊ラジオDJの雄叫びに追従するように、観客もまた大盛り上がりで歓声を上げる。

 流石にレイシアの方も決まりが悪いのか、少し胸を気にした様子になった。

 

 

「……少し無頓着すぎたかしら。レイシアちゃん、ごめんなさ、」「ジロジロ見ているんじゃありませんわ民衆!! 撮影会及びヒーローインタビューならあとで開いてあげますから、今はわたくしの『強さ』に注目なさい!」

 

『色々逞しいぞレイシア=ブラックガード!!』

 

 

 もとい、決まりが悪いのはシレンだけのようであった。

 一連の流れを見ていた刺鹿が、ボソリと呟く。

 

 

「…………ったく、たかが脂肪の塊程度に大げさなんですよ、これだから男どもは……」

 

「──! ウフフ! 強いのは分かったけどっ! 調子に乗りすぎるのも如何なモノだと思うのよね!!」

 

 

 そして、そんな二人に早速追い縋る影。

 他校に比べ一回り大きな体躯──高校生の静菜高校である。

 女子高生二人、競技にはあまり似つかわしくない前傾姿勢のスキップのような走り方だが、異様なのはその『体勢』と『歩幅』だった。

 

 

『そして静菜高校の選手! 片や現職の風紀委員(ジャッジメント)、片や重量を軽くできる異能力者(レベル2)! 自分たちの重量を軽くしているのかァーッ!?』

 

『凄いのは、それでバランス感覚を失わない彼女だと思うけど。よく見てみろ。あのコンビ、能力者側は相方にしがみ付いて、ほぼ動いてない。……さらにその上スキップのような走行姿勢で、あそこまで安定して動けるのは、流石風紀委員(ジャッジメント)だと思うけど』

 

 

 まるで樹にしがみ付くように一人がもう一人にしがみ付く体勢で走る少女二人は、そんな走りづらい体勢とは裏腹に他の誰よりも素早くレイシアと刺鹿のコンビを猛追していた。

 しかし、それで趨勢が決まるほどこのレースも単純ではない。

 

 

『いや!! それだけじゃない! 霧ヶ丘のコンビも加速しだした! これは……』

 

「強い能力者が自分たちだけだと思ったら…………大間違い…………!」

 

 

 ──氷。

 足元に氷を展開しながら、まるでスケートのようにして走っていた。

 

 

『水を操る能力者と水を凍りつかせる能力者の合わせ技か!? 水は……』

 

『空気中の水分を集めているみたいだけど。この人混みだし、水分量については困らないな』

 

「簡単に言ってくれる…………水流ではなく水分子を直接コントロールする方式も、液体を凝固させる能力も、立派な稀少能力…………」

 

「霧ヶ丘ナメんな常盤台──っ!! この勝負、私達がもらったーっ!」

 

 

 まるで大蛇のようにのたうつ『氷の道』は、霧ヶ丘チームに先行してレイシア達へと肉薄する。

 それがレイシア達へ到着すれば──ショートカットの為の道が、そのまま敵の拘束具にもなるという寸法である。

 

 

『おおーっ! 勢いに乗った霧ヶ丘、そのまま静菜高校を抜いて単独二位に躍り出るが……!?』

 

 

 と。

 静菜高校チームを追い抜いた霧ヶ丘中学チームの挙動に、異変が起きる。

 それまでは高速ながらも丁寧なハンドリングだった霧ヶ丘中学チームが、カーブに差し掛かっているというのに一向に曲がろうともしないのだ。

 

 

「なっ……、ちょ、これどうなってんの!? 滑る、滑るわよ──っ!?」

 

「……重量が軽くなってるから…………勢いが殺せない…………」

 

 

 必死に地面を蹴って動きを変えようとする霧ヶ丘中学チームだったが、どういうわけか何度蹴っても勢いは殺せない。

 そんな二人を見てほくそ笑むチームが一つ。

 

 

「……やれやれ。少し……はしゃぎすぎだぞ」

 

「ウフフ! 安心してね! コースの外壁はクッションだから衝突しても安全よ!」

 

 

 静菜高校チーム。

 大柄な女子生徒としがみつく小柄な女子生徒のチームの『軽やか』な足取りは、今の脱落劇の犯人が誰かを明確に物語っていた。

 呆気なく霧ヶ丘中学チームを離脱させた静菜高校チームの快進撃は、まだ止まらない。走りながら、静菜高校チームの小柄な少女が地面に未だ残る『氷の道』に触れると────

 

 

「……ちょうどいい。利用させてもらうか」

 

 

 大柄な少女の方が、それを思いきり蹴り飛ばした。

 ゴガン!!!! と豪快な音を立て、全長一〇メートルはあった『氷の道』が一撃で粉々に砕け散り──そして、レイシアと刺鹿目掛け殺到する。

 それは、氷の散弾。能力の性質によって粉々に砕けた時点で元の重量を取り戻した氷の散弾は、食らえば怪我はしないまでも、確実にコースアウトとなるが──

 

 

「甘いですよ!」

 

 

 ズバチィ!! と、殺到する氷の散弾を遮るように、光の壁が突如現れた。

 熱気溶断(イオンスプレー)

 イオンを操る大能力(レベル4)の真骨頂が、これだ。イオンを操作することで空気をプラズマ化し、高熱の刃として振るう。

 方式こそ違えど白黒鋸刃(ジャギドエッジ)と同じく切断系能力を持つ彼女が、レイシア=ブラックガードの派閥のナンバー2にいるのは、何の因果か。

 

 そして高熱のプラズマに晒された氷の散弾は、もちろん──

 

 

『蒸発したァァッ!! リーダーだけじゃない! 派閥のナンバー2も侮れないぞ常盤台ッ!!』

 

『いや──それだけじゃないみたいだけど』

 

 

 補足するように、ヘソ出しカチューシャの解説が入る。

 彼女の言葉通り、刺鹿のプラズマは防御だけでは終わらなかった。プラズマ自体は、彼女達が走り去ることで解除されているが──氷が一気に蒸発したことによって発生した高温の水蒸気は、依然としてその場に留まっているのである。

 

 

「う、ウフフ!? どうしましょカズハちゃん! これ……」

 

「……風が少しあるから、水蒸気の動きが読めない。私だけなら多少の我慢もきくが…………キミに同じ無茶を背負わせるわけにはいかないな」

 

「カズハちゃん……」

 

 

 これに対し、安全策をとった静菜高校チームは一旦停止。

 要となる『重量を軽くする能力』は異能力(レベル2)でしかないため、跳躍中の細やかな重量変化は不可能なのだった。

 風にあおられた水蒸気が足に当たったりすれば、痛みでバランスが崩れてしまう可能性もある。風紀委員(ジャッジメント)としては、そういったリスクは飲み込めないといったところなのだろう。

 

 

『賢明だが──これで静菜高校はリタイヤだな。流石に、このタイミングでこれほどのタイムロスは致命的だけど』

 

『これで残るは常盤台中学と新色見中学の二校! このまま常盤台中学が圧勝か!? それとも新色見中学が追い上げを見せるかァ!?』

 

『……とはいえ、水蒸気の盾は新色見中学チームに対しても有効だ。何か有効札がなければ厳しいが──』

 

 

「……生憎、策なら用意してるっ!」

 

 

 タンッ、と。

 軽やかな足取りと共に、少女が水蒸気の上を飛び越えていった。

 

 同級生と思しき少女を脇に抱えたその少女は、簡潔に言って異様だった。

 体操服の上に白衣のようなコートを羽織っているのもそうだが、その下にある肉体が、『継ぎ接ぎ』なのだ。まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──そんな違和感さえあった。

 

 

『うおおおっ! スゴイ身体能力だァーッ!? あれは身体強化系の能力者かァ!?』

 

『いや……急遽代役で出た選手のようだけど。操歯涼子。ちょっと前まで手術で休学していたらしい。今回はまだ本調子ではないため、彼女自身が考案した人工筋肉の補助サポーターの使用が許可されているけど』

 

『……アレで補助? 軽めに人間やめてる気がするがね』

 

『それがテクノピックなどと揶揄される所以だけど』

 

 

 跳躍の邪魔になると判断したためだろう。マスクと紅白棒を取り払ったその素顔を見て──レイシアが声を上げる。

 

 

「操歯っ!?」

 

 

 その少女の名は──操歯涼子。

 レイシアが接触をとろうとして、しかし諸々の都合で結局叶わないままとなっていた少女だった。

 

 

「なんでっ……」

 

「知り合いですかレイシアさん!? ですが気にしてやがる場合じゃーないですよ! あの動き……このままだと、追い抜かれます!」

 

「チィ……しょうがないですわね!」

 

 

 今回のレイシアと刺鹿の目標は、単なる勝利ではない。

 最初にイニシアチブを握ってから、首位を離さない『危なげない勝利』。それが、彼女達にとっての『前提条件』である。慢心でも油断でもなく、もはや彼女達が目指すステージは、そのくらいできなければ『話にならない』のだから。

 ゆえにこそ、この状況に至っても、レイシアにはまだ切っていない札が残っていた。

 

 

「────話は後ですわ。まずは、勝たせてもらいますわよ」

 

 

 その瞬間。

 レースの模様を見守っていた観客たちは、確かに見た。

 砂埃や水蒸気によって色付けされた空間に、まるで透明なペンで上書きするように『亀裂』が乱雑に追加されていくのを。

 まるで筋肉が脈動するかのようにレイシアと刺鹿の足元に蓄積された『亀裂』が、完全に『空白』を生んだ、直後。

 

 

 ドッファオァ!!!! と、『亀裂』が解除されたことによる暴風が、一気にレイシアと刺鹿の身体を舞い上げた。

 

 

『~~~~~~ッッ、飛んだァァあああッ!!!! 常盤台チーム、突如発生した暴風に乗って宙を舞う! これは──』

 

『「亀裂」の応用だと思うけど。「亀裂」内部が真空になるのを利用して、解除時に発生する気流を精密に調整することで暴風を生んだんだけど』

 

『よく分からんくらいややこしいが、とにかくすごいぜ大能力(レベル4)!!』

 

『…………、……しかし、このタイミングでこれは──』

 

 

 解説のヘソ出しカチューシャが状況を説明する間もなかった。

 高速で空中へと飛び出したレイシアと刺鹿は空中でプラズマによる姿勢制御を行いながら、そのままゴールテープへと一直線で駆け抜けていく。

 高温の水蒸気をわざわざ『飛び越えた』新色見中学チームは、その分着地までのロスがある。その間に──

 

 

「この勝負(レース)――――」

 

「わたくし達の、完全勝利ですわっ!!」

 

 

 レイシア=ブラックガードと刺鹿夢月は、二位を一五秒以上離して、首位でのゴールに成功する。

 かくしてGMDWは、その『前提条件』を見事に全うし、大覇星祭のスタートを切ったのだった。



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五〇話:弾んだゴム紐

「しかし、いったいどういう風の吹き回しですの?」

 

 

 二人三脚の後。

 夢月さんを一旦派閥のみんなのもとへ帰したレイシアちゃんと俺は、次の競技までの空き時間で操歯さんを捕まえて、『二人きり』で話をしていた。

 お祭らしく屋台が並び立つ表通りは、普段と違い喧噪に包まれている。周りも立ち止まっている女子中学生なんかにはわざわざ意識を向けないから、『込み入った話』をするのには意外とよかったりするのだ。

 

 

「アナタは大覇星祭なんて参加するような柄ではないでしょう。しかも、道具を使ってまでわたくしと張り合ったりして……」

 

「どういう風の吹き回し──と言ってもな……。君との打ち合わせがあっただろ? なんだかんだで予定が合わなかったから今日まで先延ばしになってしまったが、私なりに義理を果たそうとした結果だよ」

 

「あら、そうでしたの」

 

 

 レイシアちゃんはきょとんとしてそう言う。

 まぁ、本当にきょとんとしているわけじゃない。一心同体だから分かるけど、レイシアちゃんは操歯さんのこの言葉をあんまり信じていないみたいだ。

 

 

《シレン。アナタは知らないと思いますが、操歯は義理人情でわざわざ専門外の分野である大覇星祭に顔を出すようなタイプではありませんわ。まして、わたくしと操歯との間にそんなことをするような感情はございません。十中八九、何かしら思惑がありますわよ》

 

《疑いすぎるのもどうかと思うけど……》

 

《シレンは逆に信じすぎなのですわ》

 

 

 ……そうかな……。

 

 ううんと考え込んでしまった俺をよそに、レイシアちゃんは操歯さんとの話を先へと進めていく。

 

 

「そういうことでしたら、素直に感謝いたしますわ。実際、アナタと此処で連絡をとれたのは僥倖でしたので。それで、婚約者──塗替との正式な話し合いの場、ですが」

 

「ああ。セッティングの件なら問題ない。今からでも連絡をつけることは可能だろうし、所長も私の頼みなら聞いてくれると思う……。だが、おそらく塗替氏は既に学園都市入りしているからな……。早晩接触を取ってくると思うし、正直、私からセッティングすることに意味があるかどうかは疑問だ」

 

「そうでしたか……」

 

 

 ああ、やっぱりもう学園都市入りしちゃってたんだ。

 ってことは……ちょっとややこしくなっちゃうかなぁ。何せ向こうとしては、婚約者に会いに来るっていう体でやってきてるんだ。その場で婚約破棄なんてしたら面目丸潰れだし、ここは一旦計画を仕切り直した方がいいだろう。

 

 

《……やっぱ、今回の婚約破棄は見送るしかないね。超能力者(レベル5)認定のタイミングでどさくさに紛れてやることにしようか》

 

《でも、アレに実績を与えると面倒ですわよ。『あのときは婚約者として大覇星祭で見舞いもしたのにこんな一方的な婚約破棄が許されるのか』みたいに》

 

《あー……それを口実に、何かしら向こうに有利な条件を呑まされる可能性もあるのかぁ。でも、それで円満に終わるならまぁ……》

 

 

 そんな恋愛ごとで物々しい……というのが俺の感覚なのだが、レイシアちゃんの生きていた(今も生きている)社交の世界では、そういった約束事や面子がかなり重い意味を持ってくるのだろう。そのへんは、『風聞』が重要視される常盤台でそこそこ生活しているから俺も分かる。

 

 

《何より、ヒロインレースが問題ですわ。次の身体検査(システムスキャン)は確か一〇月……わたくしはそれまでに粗方の準備を仕上げて超能力(レベル5)認定を勝ち取るつもりですが、それまで塗替の横槍が入るリスクを抱えたままというのは、少し危ういですわよ》

 

《横槍て》

 

 

 でもまぁ、言わんとしてることは分かる。要は、『塗替さんの婚約者としての役割』みたいなのを果たすイベントが出てきたら、色々困るというわけだ。大覇星祭でのレイシアちゃんの活躍を見たら、向こうさんの方も『おっこの婚約者、すごいじゃん! 利用できそう』みたいになるだろうしね。

 これで塗替さんが学園都市とか全く関係ない企業のお偉いさんだったらまだ少し楽観視できたけど、ガチガチに学園都市関連企業関係者だからなぁ……。なまじ関係者だからこそ、レイシアちゃんという能力者の価値は分かってしまうだろうし。

 

 

「というか、そもそもどうして塗替氏と接触をとりたがっていたんだ? 前に婚約の話をしたときは、あんなに興味なさそうだったのに……」

 

「ああ。実は、その婚約は破棄しようと思っておりまして」

 

「はぁッ?」

 

 

 あ、操歯さんが真っ当なリアクションを……。

 

 

「婚約破棄ッ? なぜッ? 何かあったのか?」

 

「こちらにも色々と事情がありますのよ」

 

 

 問い詰めるような操歯さんに、レイシアちゃんはあっさりと答える。

 操歯さんが動揺するのも無理はない。何せ、レイシアちゃんが操歯さんの研究に関わってるのは、婚約者のよしみってところがデカいわけだし。婚約破棄となれば関係の悪化が前提にあると思うはずだから、その関与にも何かしらの悪影響があるんじゃないかと心配するのは至極当然の流れだ。

 

 

「……一緒になりたい方が、できましたの」

 

 

 だからか、レイシアちゃんは下手に濁すようなことはせず、きっちりと自分の真意を操歯さんに伝えていた。

 こういうところで変にこじらせないようになったのは、レイシアちゃんの確かな成長だ。

 

 

「身勝手というのは承知しております。多方面に迷惑をかけるであろうことも……。……ですが、家で決められたことを唯々諾々と受け入れるようなことは、もう今のわたくしにはできません。ですから……」

 

「……そ、そうか。……いや、だが、こ、困る……! 今この時期に君と塗替氏の婚約が破棄されれば、研究にどんな影響が出るか……、……あ、す、すまない」

 

 

 そこまで言って、操歯さんはそれが『自分の都合』であることに思い至ったのだろう。

 バツが悪そうに、少しだけ俯く。

 

 

「構いませんわ。もとはと言えばわたくしの勝手ですもの。ですので、ご安心を。どうなっても、責任は取りますわ。必要とあれば事業ごと買い取ることも覚悟しています。──わたくしの我儘で、アナタ方に下手を掴ませることはありませんので」

 

 

 ……此処も、レイシアちゃんの成長したところだ。

 自分の我儘を通す。そういうところは、変わっていない。だが、それによって誰かが不利益を被る可能性というものを、レイシアちゃんはちゃんと考えるようになった。そして、それを先回りして、きちんとカバーするようにも。

 まぁ、本当の本当に理想の話をするなら、そういう被害が出るかもってなった時点で我儘を殺すのが、本当の『大人』なのかもしれないけれど────そうして欲求を殺して自分の大切なものを諦めるくらいなら、俺は我儘を貫き通したっていいと思う。

 

 

「それに、そもそもこの時点まで事態が進行した時点で、直近での婚約破棄はありえませんわ。精々、次の身体検査(システムスキャン)──一〇月以降になるかしら。そこで超能力(レベル5)判定を得て、そのどさくさで婚約破棄を宣言することにしますわ」

 

「そ、そうか。ということは、今回私が何かする必要もなくなるわけか……。……ううむ」

 

 

 厄介事が減ったはずなのに、何やら操歯さんは困ったような雰囲気だった。

 

 

《うーん……。ひょっとして、今回の頼み事と交換条件でこっちに何か頼もうとしてたとかかな?》

 

《でしょうね。アレがわたくしに積極的に協力をする以上、最低でもそのくらいの裏はあるでしょう》

 

《裏て》

 

 

 人聞きは悪いが……何か困ってることがあるなら、聞いてあげなくちゃね。

 

 

「操歯さん。何か、困ったことでもありますの? わたくしにできることなら協力しますわよ」

 

《あっ、シレン勝手に……》

 

 

 だって、レイシアちゃんに任せてたら余計な建前とかそういうので話がややこしくなるんだもの。

 どうせレイシアちゃんだって最終的に同じような結論に至って同じようなことするんだから、無駄な過程など省くに越したことはない。

 

 

「い、いいのか? じ、実は……」

 

 

 そうして語り出した操歯さんの話を総合すると──つまり、こういうことらしかった。

 

 操歯さんは、とある事情で自分の身体を分割(!)して、二つに分けて生活する実験をしていた。足りない分はサイボーグで補い、一年間生活をしてそのときの挙動を監視するのが実験で、今はそれも成功の裡に終わり、操歯さんの身体は完全なる生身に戻っている。

 問題はここからで──研究者は、残ったサイボーグ部分を集めて、『もう一人の操歯涼子』を作り出してしまったのだそうな。

 研究者たちは『魂の生成』『前人未到の領域』と喜んでいたが、操歯さんはその状況にリスクを感じたらしい。対処するべきだと進言したものの、それは結局聞き入れられず、今に至る。

 

 

「……もしも仮に『魂』が発生しているというのであれば、もしも何らかの事情で『器』が破壊されれば……その『魂』はどうなる?」

 

「ど、どう……って……? どういうことですの……?」

 

「本来、魂と肉体は結びついていて、肉体が死亡すれば魂と呼ばれる事象も消滅する。だが……ドッペルゲンガーに魂が宿っているとするなら、その魂は機械の身体とは結び付いていないだろう。機械は、もともと生きていないのだから。……もし何らかの事情で肉体が破壊されれば……『自由な魂』は、この街全体へ蔓延するのではないか?」

 

「……、」

 

 

 それは、実際に『魂の憑依』を身近に感じている俺達には、ちっとも笑えない可能性だった。

 俺は、たまたまレイシアちゃんの肉体と結びついた。だからこうして二乗人格(スクエアフェイス)になれているが……もし、レイシアちゃんの肉体に憑依できなかったら? ……浮遊霊となった俺の魂がどうなっていたのかについては、全く想像もつかない。

 

 

「本当に魂があるんですの? アナタの思考をラーニングしたAIというだけなのでは?」

 

「その可能性も否定はできない! だが……」

 

 

 レイシアちゃんが怪訝そうな顔をして問いかけるが、操歯さんの不安は拭い去れないようだった。

 ……というかレイシアちゃん、そこは微妙に懐疑的なんだね。俺っていう実例が目の前にあるのに。

 

 

《シレンはこの世で無二といっていいレベルのイレギュラーですわよ? それと似たような事態がそうポンポン出てこられても困りますわ。大方、操歯の誤認か何かだと思いますけど》

 

《夢がない……そして情もない……》

 

《…………ただし》

 

 

 レイシアちゃんは心の中で俺にそう言って、操歯さんに厳しい目を向けた。

 

 

「……操歯。アナタはその『ドッペルゲンガー』に対して、『対処』と言いましたわね。それは『彼女』を…………消す、ということですか?」

 

「……、」

 

「もしそう考えているのであれば、その傲慢は今すぐに改めなさい。仮に作られたモノだったとしても、魂などない存在だったとしても、『ソレ』がアナタと同じようにモノを考える力がある時点で、それは尊重されるべき一つの『生命』ですわ」

 

 

 たとえば、妹達(シスターズ)のように。

 己で生きる意志を語れない存在だったとしても、それが生命として尊重されない理由にはならない。あの事件を経たレイシアちゃんにとっては、それはもう自明の結論にまでなっていた。

 

 言われた操歯さんは、その言葉にすっと顔を上げ、ただこう返した。

 

 

「……分かっている。起こしたことの責任は…………私が、とるさ」

 

 

 


 

 

 

第一章 桶屋の風なんて吹かない Psicopics.

 

 

五〇話:弾んだゴム紐 Unconfirmed_Soul.

 

 

 

 


 

 

 

 その後、操歯さんからされた『お願い』を快諾した俺達は、そのまま自由時間を思いのままに過ごしていた。

 一応、基本は派閥メンバーと行動することになっているのだが、それだと色々と困るからね。たとえば……そう、『魔術サイド』の事件に一切首を突っ込めなくなる、とか。

 

 今回、魔術サイドの事件については俺も介入して、早期にケリをつけるつもりでいる。

 

 だって、それによって吹寄さんとか姫神さんとかが、しなくていい怪我をしてしまうのだ。そんなことになる前に速攻でオリアナさんを取っ捕まえて、イギリス清教に送りつけるなりして事態を収束させたい。

 

 まぁ、その為にはまずステイルさんなり上条さんなり土御門さんなりと連絡をとって事態を把握しないといけないんだけれど……その点については、上条さんをおっかけとけばとりあえず行き着くだろうし、あまり心配はしていない。

 まずは、何をおいても上条さんを発見しなくては──

 

 

「……む」

 

 

 と、そこで、どこか懐かしさすら感じる声が、背後から聞こえてきた。

 

 振り返ると、そこには────

 

 

「あらステイル。久しぶりですわね」

 

「その雰囲気は……レイシアか。ふん、あまり嬉しくない奇遇だね」

 

 

 なんだか本当に久しぶりなステイルさんが。

 

 

「なんですの? 喧嘩を売っているなら高額で買い叩いて差し上げ、」「大覇星祭を観戦しに来たというわけでは──なさそうですわね」

 

「……チッ。シレンか。気にするな、とだけ言っておこうか。別に何も厄介事はないよ」

 

「でもステイルさん、わたくしが招待の手紙を出したときは絶対来ないって言っていたではありませんの」

 

「だから出くわしたくなかったんだ……」

 

 

 ステイルさんはため息をついて、

 

 

「……まぁ、いいか。別に今から何があるわけでもないしな……」

 

 

 と、何かに言い訳するように言ってから、こちらの方を真っ直ぐ見据える。

 

 

刺突杭剣(スタブソード)

 

 

 !

 

 ステイルさんは、真面目な顔をしてそう言った。どうやら、ついに本題が来たか……。

 ステイルさんが簡単に魔術の話題を俺達に振ってくれたのもちょっと疑問ではあるけど、やっぱ俺達の絆も知らぬ間に深まっていたってことなのかもね。何せ俺達のことをわざわざ助けに来てくれたくらいだし。

 

 

「──という霊装の取引があるという『ガセネタ』を掴まされてね。わざわざ極東くんだりまで来て手ぶらというのも癪なので、経費で買い物中というわけさ」

 

「なるほ、どっ???」

 

 

 ……ガセネタ?

 

 

 

 ………………ガセネタ?????



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おまけ:運び屋の女の雑感

「あーあ。お姉さん、嫌になっちゃうわ」

 

 

 その女は、口からあらゆる疲労や苦悩を漏らすように重い溜息を吐き、欄干に体重を預けた。

 

 歩道橋の上から見る街並みでは、無数の学生達がこの特別な日を満喫していた。皆一様に体操服を身に纏い、ハチマキをし、学友と楽しそうに話をしている。

 元来、女はこの風景とは関わり合いにならないはずだった。否、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 にも拘らず、何故こんなところにいるかといえば──

 

 

「……囮をやらなくていいからスパイはしろって、お姉さん一応運び屋なんだけどねぇ……。あまり無茶振りする人は嫌われちゃうわよ?」

 

 

 運び屋・オリアナ=トムソンには、あまりにも不似合いな任務を任されているからなのだった。

 

 

 

 


 

 

 

第一章 桶屋の風なんて吹かない Psicopics.

 

 

おまけ:運び屋の女の雑感

 

 

 

 


 

 

 

 距離が近すぎた。

 

 現状を評価する言葉を挙げるならば、それが一番適切だろう。

 七月二〇日に端を発する禁書目録争奪戦から始まり、三沢塾籠城戦、御使堕し(エンゼルフォール)事件、人格励起(メイクアップ)事件、シェリー=クロムウェル侵入事件、オルソラ=アクィナス誘拐事件、エンデュミオンタワー倒壊未遂事件。

 イギリス清教は、あまりにも学園都市と密接に関わり合いすぎていた。八月終盤に入ってからは、ほぼ毎週のように学園都市へ出向いているほどだ。

 

 そこに来て、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 元より学園都市の台頭を警戒し、科学サイドの広まりに対して手を打とうとしていたローマ正教だったが、この情報により大きな方針転換を迫られることになる。

 何せ、学園都市は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と発覚したのだ。

 

 刺突杭剣(スタブソード)の取引とオリアナ=トムソンを利用した、二重の囮による完璧な『使徒十字(クローチェディピエトロ)』の発動。

 

 星座──正確には()()()()()()()()()()()()()()()を使うこの魔術は、術者から見た天蓋を塗り潰されれば発動できないという弱点がある。

 もし、学園都市側がそのことに気付けば?

 

 可能性はゼロではない。

 相手には、魔術サイドの──それも対魔術のエキスパートとも呼ばれるイギリス清教・第零聖堂区『必要悪の教会(ネセサリウス)』がついているのだ。

 ここ最近になって増えた緊密な連絡も、能力者からの招待も、それらを見越した対策である危険性がある。である以上、今すぐに事を運べば、逆に虎の子の霊装を奪われるという最悪の結末すら考えられた。

 

 

『…………あまりふしだらな表現は謹んでいただきたいのですが』

 

 

 オリアナの軽口に、護符からの声が苦言を呈する。

 このカタブツな相方は、オリアナの軽口にこうして度々文句を言うことがあった。

 しかしオリアナとしては、こういう相方のウブな反応が厳しい任務の清涼剤になる、と思っている節もある。これを実際に言えば、カタブツな相方は閉口しそうだが。

 

 

「あらぁ? これくらいで音を上げるようじゃ、先が思いやられるわよ?」

 

『ですから、』

 

「はいはぁい。分かってるわぁ。お姉さんのささくれだった気持ちも少しは慮ってくれないかしらん。これでも慣れない仕事を押し付けられて、けっこう緊張しちゃってるのよ?」

 

 

 護符の声は、オリアナの言葉にしばし沈黙した。

 

 無理もない。

 護符の声の主がそう思う程度には、状況はイレギュラーで満ち溢れていた。

 

 

 制御不能(イレギュラー)な状況への危機感から手を引くことを決めたローマ正教──より正確には護符の声の主──ではあるが、かといって何もしないというのは論外である。

 イギリス清教が着実に科学サイドとの距離を縮め、関係を強化しているというのに、ローマ正教がそれを黙って見ていては、ただひたすら状況から置いて行かれるばかり。

 結果として、オリアナには『敵地に入って要人の動向を観察しろ』との指令がくだされているのだ。

 

 しかし────

 

 

「……ただでさえ、こんな状況なんだしね」

 

 

 言いながら、オリアナは視線をさらに動かし、街並みの端へと移す。

 

 

 そこには、金髪碧眼の令嬢と赤髪の神父がいた。

 

 

 ご覧の通り、目下の監視対象であるレイシア=ブラックガードはこんなにもあっさり魔術サイドとの接触をとっていた。

 その接触の仕方は完全に手慣れている。魔術サイドは科学サイドにとって敵対勢力という当たり前の常識をどこかに忘れてきてしまっているかのような振舞いだった。

 いや実際に、そんな常識など気にしていないのだろう。

 

 

(…………思えば、あの子が特異点だった)

 

 

 今回の潜入に際してレイシア=ブラックガードのことを調査していたオリアナは、知っていた。

 禁書目録争奪戦を終わらせたのも、人格励起(メイクアップ)に際して魔術サイドの協力を取り付けたのも、大覇星祭に向けて魔術サイドと接触をとったのも、結局はレイシア=ブラックガードだ。未確認情報ではあるが、シェリー=クロムウェル侵入事件でイギリス清教との連絡役をしたのも彼女だったとの噂もある。

 禁書目録を繋ぎ止め、魔術サイドとの懸け橋になり、派手に表舞台で戦っているのは、主に上条当麻ではあるが──しかしながら、その陰に隠れて着実に魔術サイドと科学サイドを近づけているのは、レイシア=ブラックガードであるともいえる。

 考え方によっては、ローマ正教にとっての脅威度は彼女の方が高い。……そう言い切れてしまうほどに。

 

 にしても、とオリアナは舌の上で言葉を転がし、

 

 

「単なる魔術師だけならまだしも、『聖人』まで連れてくるとはねぇ……。流石に特異点としても、異質すぎじゃない?」

 

『我々の計画を読み切って、先手を打って牽制してきた。そういう可能性すらも考えられますが』

 

「それは考えすぎだと思うけどねぇ……」

 

 

 さり気なく視線をズラし、遠くにある建物の屋上に目をやる。そこには、片足を根元から切り落としたジーンズを穿いた東洋人の女性──『聖人』神裂火織がいた。

 オリアナがプロだからこの距離でも素性がバレていないが、並の魔術師であれば命の危険すら覚悟すべき状況である。

 しかしそんな状況下でも、オリアナは与えられた情報から状況に対しての考察を進めていく。

 

 

「でも、なんだって『聖人』が科学サイドの、高位能力者とはいえただの学生の呼びかけに応じてやって来ているのかしらね。…………個人的な知り合いだから、だけでは通らない。明らかに、組織として何らかの思惑がありそうだけど」

 

 

 聖人とは、魔術サイドではそれほどの意味を持つ。

 個人的な付き合いで核兵器を持ち出すような馬鹿は存在しないし、神裂火織を持ち出す以上、それに見合う『理由』が存在しているはずだ。

 だが、ローマ正教は刺突杭剣(スタブソード)の取引というブラフすらも取り下げ、公的には完全に学園都市から手を引いた形になる。その状況下で聖人を持ち出すような問題は存在しないはずだが……、

 

 

『…………あるいは、彼女自身が。そういう可能性も考えられますので』

 

「……どういうこと?」

 

 

 護符からの声に、オリアナは首をかしげる。

 いや、実際にはオリアナも護符の声の意図は理解できているはずだ。だが、『優しい』彼女はその答えに納得したくはなかったのだろう。

 

 

『魔術サイドでは一般に「核兵器」などと俗な形容をされる「聖人」ですので。その「聖人」を持ち出す理由がこの状況であるとすれば……それは「聖人」をも招待するような規格外ではないですか?』

 

「……それって、イギリス清教がレイシア=ブラックガードを始末しようとしているってこと?」

 

『可能性としては、ですが』

 

「…………、」

 

 

 それはない、とオリアナは思う。

 結果的に中止になったが、今回の使徒十字(クローチェディピエトロ)を使った戦いに向けて、オリアナも敵戦力についてはしっかりと分析してきた。

 上条当麻やインデックス……神裂火織といった敵の主要戦力についてはその人となりも了解しているし、特に神裂火織については万一の可能性も考えしっかりとプロファイリングを完了している。

 あの聖人に、自分を慕う者を切り捨てることはできない。それが『オルソラ=アクィナス誘拐事件』を経た神裂火織という魔術師を表す端的な評価だった。

 それに何より……二つの世界を繋ぎ止めようとする少女に対する仕打ちが()()では、あまりに救いがないではないか。

 

 そんなオリアナの心を察したのか、生まれた圧を逃がしていくように護符の声は続ける。

 

 

『あるいは、神裂火織本人は任務の目的すらも伝えられていないのかもしれないですので。表向きは、刺突杭剣(スタブソード)という偽りの情報を流してまで()()()()()()()()()勢力に対する牽制、といったところでしょうか』

 

「……ということは、イギリス清教は──いや、最大主教(アークビショップ)はそれだけあの少女のことを危険視してるってことかしら?」

 

 

 オリアナは知っている。

 レイシア=ブラックガードの掲げる生き様がどれほど素晴らしいものだとしても、世界はそれだけではハッピーエンドで終わってくれないのだ。

 命懸けで届けたものが、開けた瞬間に届けた相手を呪う術式という場合だってある。レイシア=ブラックガードが善意で選んだ道の先は、ひょっとしたら血で血を洗う大戦争の時代かもしれない。

 ……だから、先手を打って潰しておく。組織のトップとしては、そういう判断をする可能性は大いにある。

 

 そしてもし、()()()()()()であるならば。

 

 それはもう、ローマ正教だのイギリス清教だの、科学だの魔術だのといった問題など関係なくなる。

 ただ一人の、礎を担う者(Basis104)の名を持つ魔術師として、そんな状況は絶対に看過できない。

 それを見過ごすことは、オリアナという魔術師にとって、胸に残ったたった一つの祈りすら失うことに繋がりかねないのだから。

 

 そうしてオリアナの心を奮い立たせるのが目的だったのだろうか。

 意思を固めたオリアナに、あえて突き放すような調子で護符の声は言う。

 

 

『それを見定めるのが、貴女の仕事では?』

 

「……言ってくれるわねぇ」

 

 

 まるで辟易しているかのような口調だったが、オリアナの表情に不服の色はない。元より彼女は己の魔法名の為なら、()()()()()()()()こなす覚悟がある。

 

 

「ま、見届けてみるわよ。……お姉さん、見るだけだと物足りなくなっちゃいそうだけど」

 

『ですから貴女は……、』

 

 

 護符の声の小言を聞き流し、オリアナは目下の監視対象・レイシア=ブラックガードを見る。

 イギリス清教の魔術師と別れた彼女は、己の仲間達へと合流する途中らしい。闇の世界のことなど全く気にした風のない彼女の横顔は、眩しいくらいに無邪気な笑顔だった。

 

 

 かくしてここに、乖離は成った。

 

 

 願わくは、この少女の笑顔が失われるようなことがないように──。

 奇しくも正史において少女の幸せを摘み取ってしまった女は、己の信じる神にそう祈るのだった。



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五一話:号砲

「どうしたんだいシレン。信じられないことを聞いたような顔をして」

 

「いや、あの……」

 

「……ああ。ガセネタだと知った僕が即座に学園都市を出なかったのがそんなに意外だったかい? これでも、僕は魔術師の中では科学サイドに対して理解がある方なんだよ。一応、外交役を任されたりもするからね」

 

 

 俺としては大覇星祭編が……とか、こんな特大の乖離が初っ端から発生することある!? とか、一体何が原因で……とか、色んな感情がこもった呟きだったのだが、それがステイルさんに伝わるはずもなし。

 というか伝わられても困るので特に言い直したりはしないが……いやいや、しかしステイルさん、意外と学園都市に対する接し方がフランクだね? 正史だったら『此処は魔術師である僕にとっては敵地も同然なんだけどね』とか普通に言いそうなくらいだった気がするけど。

 

 

「もっとも、一応の経過観察という意味もあるけどね。……わざわざガセネタを使ってまで聖人を遠ざけた意味については、もう分かっているけど」

 

「は? ステイル、それは一体どういうことですの?」

 

「部外者である君に伝えられるのは此処までだ。感謝するといい。『君たちの出る幕などない』と、僕自身が説明してやっているのだから」

 

「よくわからないですけど、ステイルさんは既にこの事態に対して手を打っている、ということですの? 上条さんもこれは知っているんですか?」

 

「……あの能力者には伝えていないよ。こちらには神裂もいるんだ。科学サイドの力を借りる意味は感じないね」

 

 

 ええ!? 神裂さんもいるの!? いやまぁそうか、刺突杭剣(スタブソード)がガセだって分かれば神裂さんを引っ込める理由もなくなるし、むしろガセネタを流してまで遠ざけたかった『聖人』は絶対投入するよね……。

 でもって、今のステイルさんの行動目的は『経過観察』……? 相手が嫌がってるから神裂さんを投入したけど、そこまでド派手な事態にはならないってことなのかな?

 となると…………使徒十字(クローチェディピエトロ)の件自体がもう不発に終わっている、もしくは解決したとか……?

 

 

《シレン。そういえばあの大覇星祭の一件については、確か上条達が特に動かずとも、花火パレードによって使徒十字(クローチェディピエトロ)とやらは不発に終わっていたのですわよね?》

 

《……あ》

 

 

 もしや……ローマ正教側はそれに気づいた、とか? いやなんでかは分からないけど、相手だって魔術のエキスパートなんだし、どれだけの光量で魔術が使えなくなるかとかは重々承知しているはず。

 もしも花火パレードのことに気付けば、中止にするのは何ら不思議じゃない! 残骸(レムナント)事件こそ起こったけど、俺達も色々やってるんだ。そのあたりに細かな違いが発生していてもおかしくない。

 おかしくないけど……。

 

 ……そうか、そんな簡単な掛け違いで、大事件の有無が変わってしまうのかぁ……。

 

 

「それじゃあ僕はこのへんで。君達と行動を共にしていると、あの子と出くわすリスクがあるからね」

 

 

 そこはかとなく歴史の乖離に慄いていた俺を置いて、言いたいことだけを言ってステイルはさっさとその場から立ち去ってしまった。

 ……しかし、ガセネタを使ってまでステイルを学園都市に呼び出した理由? 確かに、そもそも刺突杭剣(スタブソード)はガセネタで、実際には使徒十字(クローチェディピエトロ)にまつわる事件が正史の内容だったけど……もしもそれがなくなっていて、代わりに『経過観察』が必要な案件が発生しているとすると……いったいなんだろう?

 心配だなぁ、本当にこの問題、放置していていいのかなぁ……。

 

 

《シレン。調べてみますか?》

 

 

 と、そんなふうにうんうん唸っている俺に、レイシアちゃんが提案してくれた。

 

 

《あのステイルの言いよう……何か引っかかりますわ。『シレンは変に勘がいいから、下手に濁すよりある程度情報を伝えた上で問題ないと言った方が誤魔化せる』……みたいに考えての言動の可能性もありますわよ》

 

《……あー》

 

 

 確かに。

 ステイルさん、確かに上条以外の非戦闘員を巻き込むのは嫌がりそうだし、俺達も一応非戦闘員ではあるし、巻き込まれないようにあえて嘘を吐いているって可能性は否定できない。

 しかしステイルさんを今から追いかけても見つかる気がしないどころか、問い詰めたところで誤魔化されちゃうだろうしなあ……。

 

 

《フフ、シレンは甘いですわね。何も馬鹿正直に聞きに行くだけが全てではありませんわよ》

 

《……レイシアちゃん、何か考えでもあるの?》

 

《当然ですわ!》

 

 

 レイシアちゃんは自信満々に答え、

 

 

《ステイルから情報を入手できないのだとしたら、ステイル以外の人間から情報を入手すればよいのです。たとえば……》

 

《たとえば?》

 

 なんとなく読めてきた気がする。

 でも、一応レイシアちゃんの結論を確認する為、俺は問いかけの言葉を投げかけた。

 それに対し、レイシアちゃんはやはり、こう言い切ったのだった。

 

 

《隠し事ができない、ツンツン頭の馬鹿とか》

 

 

 ……結局のところ、経緯がどうあれ上条さんに結び付けるレイシアちゃんの話術なんじゃあ? と思ったものの、確かに上条さんは情報源として優秀なので反論できない俺なのだった。

 

 

 


 

 

 

第一章 桶屋の風なんて吹かない Psicopics.

 

 

五一話:号砲 Girl's_Struggle.

 

 

 


 

 

 

「そのことなら、私も聞いてたんだよ! かおりが教えてくれたかも」

 

 

 で、裏を取りにやって来たところ。

 上条さんはどうやら競技の準備中らしく、学生用観客席にいるインデックスを発見したので話を聞いたのだが……どうやら、ステイルの話は本当らしかった。 

 

 学生用観客席は、簡単に説明すると『運動会で父兄が準備してるブルーシート製の観客席』のような感じだった。

 グラウンドの上にブルーシートを張っただけの観客席はいかにも座り心地が悪いが、上条さんの高校のような『一般』の高校ではそういうのもあまり気にされないのだろう。

 一応、一般用観客席には日差し対策のテントが設置されているようだが。

 

 

「神裂が、ですの?」

 

 

 インデックスの証言に、レイシアちゃんが問い返す。

 

 で、一応目的を果たした俺達だったが、せっかくだし上条さんの競技も観戦してこよーということでインデックスの隣に腰かけ、詳しい話を聞いているのだった。

 競技のスケジュール的に最後まで上条さんの競技を見てるとちょっと時間的にキツイのだが……まぁ、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)でショートカットすれば十分間に合う時間だし。

 

 

「そうだよ。今朝、とうまと一緒にいたらかおりとばったり出会ってね」

 

 

 インデックスは俺達が差し入れに持ってきた学園都市名物(自称)・メイド弁当を満足げに頬張りながら、

 

 

刺突杭剣(スタブソード)って霊装の取引があるって情報がガセだったから、その真相を探る為にかおりとステイルが調べてて、その結果がさっきようやく出たんだって」

 

「そのへんはステイルからも聞きましたわね」

 

「あっ、ステイルと会ったんだね。じゃあローマ正教がスパイを放っているって話も聞いた?」

 

「…………スパイ???」

 

 

 えっ……初耳だけど。

 ステイルさん、そこんとこ完全にぼかしてたからなあ……。まぁ、科学サイドである俺達にはそこまで教えられないって判断なんだと思うけど、同じ魔術サイドだからって話したインデックス経由で漏れちゃってるんだから意味のない気遣いだよ……。

 

 

「そうかも。……ステイル、言ってなかったんだね。ローマ正教は学園都市内部の動向を今後も恒久的に把握するために、スパイ用の術式をこのどさくさに紛れて学園都市中に設置しようとしていたんだよ。それで分かりやすくイギリス清教の注意を惹くために刺突杭剣(スタブソード)の取引ってデマが流れてたらしいかも」

 

 

 そんなはずない。

 そんなはずないのは分かっているのだが……どうやら、ローマ正教の方も『そういうことにした』らしい。

 実際、学園都市にスパイ用の術式を設置することができたら今後の情報戦にとても有利だろうし、刺突杭剣(スタブソード)の件を何らかの理由で土壇場中止したのだとしたら面子を保つ言い訳は十分に立つ。

 

 

「……わたくしは正直その話あんまり信じてないのですが、インデックスの目から見てどうですの? 何か裏がある気がするとか、魔術のプロの視点からありませんの?」

 

「うーん、私はあくまで魔術に関するプロであって、裏の思惑とかが分かるわけじゃないんだけど…………心配はいらないかも。かおりは嘘吐くのが下手だから、嘘を吐いたらすぐに分かるんだよ」

 

「……具体的に、どんな感じで言っていたか再現していただいてもよろしくて?」

 

「『要は、スパイ用の観測術式を学園都市中にばら撒いている、ということです。おそらく刺突杭剣(スタブソード)がダミーだとバレることも含めて、ローマ正教の策でしょう。こんな些事に聖人を使わせ、清教の注目を集める……。……大方、学園都市外で何かやるつもりなのでしょうが』……こんな感じだったかも。私の記憶能力は『完全』だから、間違いないんだよ!」

 

「ふむ……」

 

 

 インデックスの台詞再現を聞いて、レイシアちゃんは静かに頷いた。

 ……インデックスの台詞再現、完成度めちゃくちゃ高かったな……。声質は流石にインデックスのそれなんだけど、声色とか口調とか、声の抑揚とか、完全に神裂のそれだったもん。表情も神裂さんの真似をしてるから、なんかしかめっ面っぽいのも可愛い。

 やっぱ完全記憶能力って凄いなー……。俺も欲しい。主に原作知識の劣化防止的な意味で。

 

 

「今の口調が『完全』なら、確かに含むところはなさそうですわね」

 

 

 あれっ、レイシアちゃん、今インデックスの再現ごしに神裂さんの感情分析とかしてたの? 器用なことをしなさる……。

 

 

《どうも、安心して競技に集中できそうな雰囲気ですわね》

 

《よかったー。何も分からない状態で別のアクシデントとかになったら、本当に困るもんね》

 

 

 いやいや、ホントに。

 

 

「レイシア、どうしてそんなにステイル達の言うことを疑ってるの? もしかして、何か心配なことでも……?」

 

「そりゃあ、ありますわよ。神裂が学園都市にやって来ているんですのよ? ステイルはともかく……『聖人』の強さは、わたくしもよく知っていますわ。警戒するのも当然ではなくて?」

 

「……確かに、レイシアの言う通りかも」

 

 

 おわ、すげーレイシアちゃん。息を吐くように嘘を……。俺だったら普通に言い淀んじゃうな……。流石悪役令嬢。

 

 

《シレン、何か失礼なこと考えませんでした?》

 

《滅相もございませんレイシアちゃん様》

 

《ちゃん様……なんかムカつきますわね》

 

 

 ええっ!? 引っかかるのそこ!?

 

 

「あ、短髪」

 

 

 と。

 そこで、インデックスが指をさして美琴さんのことを呼んだ。……美琴さん? いや、美琴さんはこの時間いないはずだけど……、

 

 

「う、あ、アンタ達……奇遇ね」

 

 

 あれ、いた。

 ……いや、そうか。美琴さん的には、愛しの上条さんの競技だもんなぁ。観戦はするか。俺達と同じように、能力を使えば移動はすぐだしね。

 

 

「短髪もとうまの応援?」

 

「はぁ!? なななっ、なんで私がアイツの応援なんて……」

 

「私とシレイシアはとうまの応援だよ。ね、シレイシア」

 

「まぁ、もののついでですけど……せっかく競技場に来たんですものね。シレンも見たいって言っていることですし」「れ、レイシアちゃん!? いきなり何を言っていますの!?」

 

 

 こ、コイツ……突然虚偽の証言をブッ込んできやがった! こういうところで勝手にエントリーさすのはやめなさい! インデックスの恋敵認定がようやく解除されたっていうのに……!

 

 

《ちなみに、インデックスはまだシレンのことを恋敵だと思ってますわよ?》

 

《え? なんでさ。復活パーティの時に誤解は解いたじゃん》

 

《…………童貞》

 

《ひ、ひどい!?》

 

《やっぱりシレンはわたくしがついてないとダメですわ》

 

 

「……こほん。そういえば、確か上条さんの出場競技は棒倒しでしたっけ。相手校はエリート校だったはずなので、かなり厳しい戦いになってそうですが……」

 

 

 話を変える意味も兼ねて、俺はそう切り出した。

 これはちょっと前に気になって調べたんだけど、上条さんの相手校、普通にエリート校だったんだよね。上条さんの高校は何の変哲もない普通の高校だから、戦う前から戦意喪失してなければいいんだけど……。

 

 

「……詳しいのね、アンタ」

 

「あ! とうまが出てきたよ」

 

 

 言われて、俺達は一斉に上条さんの方を見る。

 俺に戦意喪失を心配されていた上条さんだったが────

 

 

「な、なによあの気迫……!?」

 

 

 そこには、本物の猛者達がいた。

 

 上条さんを中心にして、多くの生徒達が横一列に並んでいる。その表情はみな真剣そのもの。誰一人として、負ける気で立っている学生はいなかった。

 強度(レベル)差とか、相性とか、そんなものは関係ない。それよりも大事なものの為に立ち上がったヒーローの横顔だった。

 

 

「(な、あ、アイツ、なんであんな真剣なの!? わ、私の罰ゲームにいったい何を命令するつもりだっていうの……!?)」

 

 

 美琴さんがなんか言ってるけど、俺はこの異様な状況でようやく正史の流れを思い出していた。

 そういえば、上条さん達は小萌先生のことをバカにされてキレてたんだったっけ。いやー、自分たちの為には頑張れないけど大切な人の為なら立ち上がれるって、やっぱみんな上条さんのクラスメイトだなぁって感じだよな。

 よし。

 

 

「頑張ってくださいまし! 上条さーん!」

 

「とうまー! 頑張れー!」

 

 

 景気づけに、俺は声を張り上げて上条さんにエールを送ってみる。こっちの声に気付いた上条さんは、ただ俺達の方を一瞥すると、グッと拳を握って掲げて見せた。

 勝つ、と。声は聞こえなかったが、そう言っているのがはっきり分かる所作だった。うーん。無駄にカッコいい。

 

 

「……短髪は応援しないの?」

 

「ぅ、わ、私は、その……て、敵同士だし! 此処に来たのだって、敵情視察というか、その、……ぅぅ」

 

 

 美琴さんはかわゆいなー……。

 

 

《シレン! チャンスですわよ! ここで応援を頑張りまくって御坂に差をつける方向でいきましょう!》

 

《そしてレイシアちゃんはブレないなぁ!!》

 

 

 そんなこんなで、競技の開始を告げる号砲が鳴り響いた。



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五二話:嘗て在った悪徳の源

 ──そして、戦争が始まった。

 

 

 上条さん達の競技は棒倒しになるのだが、どうやら役割分担については自然と二つのチームに分かれるようだった。

 即ち、相手の持つ棒を倒す『攻撃班』と自分の持つ棒を守る『防御班』だ。

 上条さんが選んだのは当然『攻撃班』。軽く一〇〇以上の能力が飛来する文字通りの『戦場』へ、上条さんは臆することなく突貫していく。

 

 

「上条さーん! 頑張れー!」

 

《なるほど、あのデコが司令塔として動いて、念話能力(テレパス)で全体の連携をとっているわけですか。……ウチには念話能力(テレパス)はいないですから、あの連携能力は脅威ですわね》

 

 

 レイシアちゃんが何やら妙なベクトルで分析しているが……それはさておき、競技の応援である。

 やっぱせっかく友達の競技を見に来たなら、応援してやらねば薄情というものだ。ふれーふれー上条さん。

 

 

「あ、アンタ、よくそんな……。……ぅぅ」

 

「というか、シレンはシレンだから無理して来たのは分かるけど、短髪はどうしてここにいるの? 敵情視察って言っても、別に今する必要はないんじゃないかな? あとから映像を見れば済む話だし」

 

 

 そんな感じで俺が応援している横で、インデックスと美琴さんは何やら話をしているようだった。

 ……おっと。応援に集中しすぎて二人の事そっちのけになっちゃうのもアレだよね。やっぱり一緒に応援しなくちゃ。

 

 

「インデックス。アナタ分かっていませんねぇ。大覇星祭は七日間あります。七日間も全力のペースで競技に邁進できるわけがないでしょう? 大方、上条の頑張り具合を見て短期戦にするか長期戦にするかの見極めがしたかったのでしょう」

 

「っ! そ、そう! そうなのよ! 流石レイシア、分かってるじゃない!」

 

 

《ククク、御坂のやつ、わたくしがヒロインレースに参加したからには、恋心を自覚できると思わないことですわね……》

 

《レイシアちゃん。あんまりやりすぎないようにしようね》

 

《えー。いいですけど……》

 

 

 人の恋路を邪魔しちゃあダメだよ。レイシアちゃんが馬に蹴られたら俺だって痛い。

 

 あっ上条さんが死角から飛んできたはずの能力を右手で弾き飛ばした。すごいなああれ……。普通乱戦で右手しか使えないってなったら速攻でボコボコにされそうなもんだと思うけど、あれも防げるんだ……。

 多分、俺達が本気で白黒鋸刃(ジャギドエッジ)を向けても、上条さんなら俺達が想像もしてない白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の弱点を見つけて、右手一本で切り抜けられるんだろうなぁ……。

 

 

《…………わたくしなら、あそこで『亀裂』を……いやしかしそれでは回避され……ならばあそこでそうして……》

 

 

 ……レイシアちゃんは勝つ気満々だけど。

 

 

「そういえば、シレイシアの次の競技はなんなの?」

 

「ああ、次は障害物走ですわよ。美琴さんは借り物競走でしたっけ。この競技が終わったらすぐに会場に向かわないと間に合わないタイミングですが……」

 

「私もアンタも、能力を使えばすぐだからねー。……まぁ、競技には能力は殆ど使えないんだけどさ」

 

 

 確か、干渉数値五以上の能力は使用禁止なんだっけ。

 『たとえ勝てても能力をほぼ使えない地味な競技では意味がないではありませんの!』とか何とかでレイシアちゃんが真っ先に拒否してた競技だったが、美琴さんはそういうのも平気でやるんだよね。

 

 ちなみに、一応六割が無能力者(レベル0)な大覇星祭では、美琴さんが出る借り物競争のように『能力が実質無意味になる』という競技がそこそこある。

 じゃないと、六割が無能力者による祭なのにその大多数が割を食うことになるからなぁ。

 

 

「そっか。じゃあシレイシアの方には応援に行くね! とうまも一緒に」

 

「大丈夫なんですの? 上条さんだって競技はあるでしょうに」

 

「大丈夫だよ! とうまの次の競技は『おおだまころがし』だけど、開始時刻には少し余裕があるもん。競技時間がおよそ一〇分くらいと考えても、レイシアが次の会場まで送ってくれれば何も問題ないかも」

 

「なら平気そうですわね。お弁当を用意して待ってますわ」

 

「やったーシレン大好きー!!」

 

 

 インデックスは、満面の笑みで俺に飛びついてきた。うーん、インデックスは可愛いなあ……。

 でも、そっか。完全記憶能力だから、インデックスの頭の中には今日の上条さんのスケジュールがばっちり詰まっているわけか……。……ヤバかったな。もしも『大覇星祭編』の事件が予定通り起きてたら、不審に思ったインデックスが俺のところまで突撃してきたかもしれない。

 

 で、なんか勝手に進んでいく話に隣に座っている美琴さんが何やらムッとしてるけれど……。

 

 すまない美琴さん。

 俺も普通に上条さんとインデックスには応援してもらいたいので、特に助け舟は出せないんだ……!

 

 

 あっ、上条さんが能力の衝突によって発生した爆風に乗ってノーバウンドで数メートル吹っ飛んだ。

 

 

 


 

 

 

第一章 桶屋の風なんて吹かない Psicopics.

 

 

五二話:嘗て在った悪徳の源 Families.

 

 

 


 

 

 

 で。

 上条さんの競技を最後まで見終えた俺は、その足で白黒鋸刃(ジャギドエッジ)を展開し、GMDWの面々が待つ競技場まで移動した。

 途中まで美琴さんもついてきていたが、彼女は借り物競走があるので既に別れた。今は、障害物競走である。

 

 

「ああ、よかったシレイシアさん! 間に合いやがりましたね!」

 

 

 華麗に着地した俺を見つけて、夢月さんが駆け寄ってくる。

 ここは、競技用のスタジアムである。

 観客席がビニールシートだった上条さんの普通の高校風競技場とは違い、名門常盤台が参加する競技ともなるとかなりお金のかかった競技場になっている。

 芝生のグランドの周囲は大量の観客席があり、既にその殆どが埋まっている。観客席の一角には貴賓席っぽい場所もあり、取材陣なんかも大勢集まっていた。

 ま、常盤台の競技ともなれば当然そうなる。可愛い女の子がいっぱいだから画面映えもするしね。

 もちろん、俺達が空からやって来たのもばっちりカメラに撮られていることだろう。ちょっと恥ずかしいがこれもレイシアちゃんの宣伝戦略の一環らしいので、俺としては従うほかない。

 

 ちなみに俺達は空から来たので見てないが、この第七学区第一六競技場は入口となるホールもめちゃくちゃ豪華らしい。そっちのホールでは美琴さんと食蜂さんのブロマイドなんかも売られているそうな。大変だねぇ、広告塔……。

 

 

「まったく、あの男のところに観戦に行くなんて……」

 

 

 俺を迎えてくれた夢月さんは、開口一番に口をへの字に曲げて不服そうだった。

 けっこうギリギリのタイミングなので、夢月さんは俺が上条さんの応援に行くことにそこはかとなく反対していたのだ。

 ……まぁ、俺としてはインデックスに差し入れをしたい思惑もあり、最後まで見るかどうかはともかく応援に行くのは確定だったのだが。

 

 小言を言う夢月さんのことをまぁまぁと宥めていると、ほどほどのところで小言を切り上げた夢月さんが、思い出したように驚きの事実を言ってきた。

 

 

「ああそうだ。レイシアさん、ご家族の方がいらっしゃいやがってますよ。入口ホールにいてもらってるんで、競技前に会いやがっては?」

 

 

 お、お父様とお母様……? レイシアちゃんの……!?

 こ、このタイミングでか! 確かにいずれは会うことになるとは思っていたが、まさかこのタイミングとは……! そういえば、レイシアちゃんのパパとママにはまだ俺のことは話してなかったんだよな……。

 

 どうしよう。どこまで話すんだろうか。

 いや、このタイミングで話すべきか? これから落ち着いて話せるタイミングって言ったら、最低でも一日目が終わったあと……。

 いやでも、隠した状態で家族団欒を? それも大丈夫か……!?

 

 

「分かりましたわ。少し話をしてくるので、ここは任せました。他の子達の様子はどうです?」

 

「今のところ、みんな気合十分って感じになってやがりますね。別会場のことは燐火に任せてるんで、詳しいことは分からないですが」

 

「そのうち疲労で気合が空回りする子が絶対に出るので、注意深く見てあげなさい」「あ。阿宮さんは少し緊張気味でしたから、何かあったら話を聞いてあげてくださいね」

 

 

 去り際に夢月さんにそう伝えつつ、俺達は入口ホールへと向かう。

 

 

《このタイミングは避けたかったのですが……仕方ないですわね。シレンはちょっと様子を見ておいてください。わたくしが適当に対応しますわ》

 

《だ……大丈夫? レイシアちゃん、ご家族に隠し事とか……》

 

《いや、別に?? 誰だって親に隠し事の一つや二つあるものでしょう? というかシレン。これからはアナタのお父様とお母様でもあるんですから、ご家族とか他人行儀な言葉は使わないように》

 

《う、うん……》

 

 

 なんか窘められてしまった……。

 俺が言いたいのはそういうことではなかったのだが……、と。

 

 うまいこと丸め込まれてしまいながらホールに辿り着くと、一目でそれと分かるほど美男美女の夫婦が目に留まった。

 

 金髪をオールバックにした壮年の男性の方は、垂れ気味の目元と言いおっとりとした雰囲気が出ている。高級そうなスーツに身を包んでいて、しかもそれがダンディな魅力にすらなっているが……何かどこか頼りなさげな雰囲気。

 

 女性の方は、少なくとも四〇は超えているだろうにぱっと見二〇代前半くらいにしか見えない美貌の持ち主だった。レイシアちゃんによく似たブロンドを頭の後ろでまとめたシニヨンに、父兄の中にあってめちゃくちゃに浮く濃紫のマーメイドドレス。ここがどこかの舞踏会かと錯覚させるような華やかさだ。……これで当人のダウナーそうな表情がなければ、文句なしに貴婦人って感じだったんだけれども。

 

 

 ギルバート=ブラックガードと、ローレッタ=ブラックガード。

 それぞれ、レイシアちゃんの──そして今世の俺の、両親である。

 

 

「お父様! お母様!」

 

 

 レイシアちゃんは、普段からは想像もつかないような可愛らしい声色で二人のことを呼ぶと、小走りで駆け寄ってまずはお父様の方に抱き着く。

 良い意味で、人目を憚っていなかった。傍から見たら多分、美男美女の親子が久しぶりに再会した感動の光景に見えることだろう。レイシアちゃんはそういう演出がめちゃくちゃ上手いので。

 

 

「ああ! 僕の可愛いレイシア! 元気にしていたかい? 最近は手紙も来なかったから心配していたんだよ」

 

「アナタ、そんなに大声で……。……ハァ、レイシア。変わりないようで安心しましたよ」

 

「お父様、お母様。お手紙も出さずに心配させてごめんなさいね。学業が忙しくて……」

 

「ああ、此処に来る途中に塗替さんから聞いたよ。能力開発をとても頑張っていたんだって?」

 

「……ええ、はい」

 

 

 あ、塗替さんと話をしてたんだ……。

 

 

《今はいないようですが……この分だと、競技が終わったくらいに会うことになりそうですわね》

 

《心の準備まだできてないなぁ……》

 

《心配要りませんわよ。応対は全部わたくしがやりますから》

 

 

 うーん、レイシアちゃんに全部任せるのもそれはそれで(やりすぎないか)心配なんだけど……。……こういうの、俺が下手に手を出すよりは、レイシアちゃんに全部任せた方が良い説もあるからなぁ。

 

 

「レイシア……。この後の競技、棄権しないかい? 二人三脚を見ていたけど、危なっかしくてしょうがなかったよ」

 

 

 と、そこでお父様の方がそんなことを言い出した。その表情は、とても不安そうだ。心配性なんだなあ……。レイシアちゃんがこんな競技くらいで怪我したりするわけないのに。というか、俺が責任もって守りますから。

 

 

「お父様。そうはいきませんのよ。わたくしは派閥の長なのです。下の者に常盤台生の何たるかを示さなくては……、」

 

()()()()()、必要ないだろう?」

 

 

 ……あ?

 

 

「レイシア。君は僕達の子だ。ブラックガード家の跡継ぎだ。そんなに焦らなくたって、いいんだよ。黙っていても君はブラックガード家の家督を継ぎ、塗替さんを婿に迎えて、幸せな一生を過ごすんだ。そんな努力に割くリソースは、あまり意味がないんだよ」

 

 

 その一言は。

 

 レイシアちゃんが、どうしてあそこまで苛烈な人物になったかを分からせるのに、十分すぎる一言だった。

 

 レイシアちゃんのことを気遣った言葉なのだろう。実の娘に危ない目にあってほしくないんだろう。

 それは分かる。優しげな声色は、彼らとの思い出を持たない俺にだって十分すぎるほど伝わってきた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 レイシアちゃんが努力して築き上げようとしてきたものに対して、『そんなもの』だと?

 努力に割くリソースが、意味のないものだと?

 

 ずっと思ってたんだ。

 俺が色々と頑張ったとはいえ、こんなにも真っ直ぐになれるような子が、何故ああも屈折してしまっていたのか。

 俺なんかが頑張らなくても、きっと何かのきっかけで今のようになれていたはずの子が自殺を決意するなんて悲しい結末に至るまで、どうして止まることができなかったのか。

 

 その理由が、よく分かった。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ブラックガード家の人間なのだから何もしなくていい。

 ちょっと聞くだけでは、甘やかしではあるものの、そこまで酷い言葉のようには聞こえないだろう。

 でも、これは要するに、レイシアちゃんの努力を否定する言葉だ。レイシアちゃん自身が築き上げたものの価値を無にする呪いだ。

 レイシアちゃんはこんなにも優秀で素晴らしい力を持っているのに、それが一番身近な人間から認められなかったら? むしろ、それを暗に悪いことのように言われたら?

 

 ……そりゃあ、屈折するだろう。

 なまじレイシアちゃんは優秀なのだ。人の上に立つことができる子なのだ。そんな子供が、自分の努力を、能力を、誰かに認められたいと思うのは、おかしなことだろうか。その気持ちを周囲の人間にぶつけてしまうのは、当然の流れじゃないだろうか。

 

 

 ふざけやがって。

 レイシアちゃんは凄い子なんだぞ。三つの派閥を一つにまとめて……それは独善の温床でもあったけど、でも確かにまとめて、一年間運営しきったんだ。

 能力だって、凄く凄く勉強して、色んな方法を試して、結果が出なくても手を変え品を変え、根気強く頑張っていたんだ。

 一度全部ダメになって、心が完全に折れたはずなのに、それでも諦めず立ち上がって……俺のことを、救ってくれたんだ!

 

 そんな素敵な女の子がやってきたことに対して、『そんなもの』だと? 『意味がない』だと?

 

 よりによって、それを、親であるお前が言うのか!!

 

 

 お前がそんなことだから、レイシアちゃんが()()()()()()をする羽目になったんだろうが!!!!

 

 

「……お父様、」

 

 

 どこか諦めたような笑みを浮かべて父親を窘めようとするレイシアちゃんを、俺は全身全霊でもって引き留める。

 ひょっとしたら、出すぎた真似かもしれない。部外者の俺がやるべきことじゃないのかもしれない。

 ……でも、いいよな。だってレイシアちゃんが言っていたじゃないか。()()()()()()()()()()()()()()

 なら、子どもらしく、反抗したっていいよな。

 

 一歩。

 

 二歩。

 

 鼻先がくっつくくらいまで、俺はギルバート=ブラックガードに近づく。

 

 そして胸倉を掴んで、多分レイシアちゃんの身体に憑依してから一番の怒りを込めて、こう言ってやった。

 

 

「──そこで見ていなさい。『わたくし達』の努力に意味がないかどうかは、アナタが決めることじゃない!!」



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五三話:反抗期にしては刺激的

《まったくもう。勝手にあんな啖呵を切るなんて》

 

 

 そして競技直前。

 お父様に派手に喧嘩を売ってから、幾分頭の冷えた俺はお小言を言うレイシアちゃんに対して静かに反省の意を示していた。

 ……いや、間違ったことを言ったとは微塵も思ってないし、あそこで言わなきゃ俺の今までしてきたことは嘘になると、今も思ってるけど……。

 でもまぁ、せめてやる前にレイシアちゃんに一言断っておくべきだったかなぁって。勝手にやるのはやっぱりよくないよね。

 

 

《まったくもう。…………まったくもう。もう》

 

 

 幸いにもレイシアちゃんはあまり怒っていないようなのでよかったが、これからは気を付けなくては。

 

 だが、あれだけ言ったからには、俺も腹を括らねばなるまい。

 あの馬鹿オヤジに、教えてやるのだ。レイシアちゃんの努力は『無意味なこと』なんかじゃないと。そして、それを無自覚に踏み躙ることが、どれほど酷いことなのかを。

 

 

「……あの、レイシア、……いやシレンさん。どうかしやがりましたか?」

 

「──問題ありませんわ。少し、気合が入っただけですので」

 

 

 夢月さんに軽く答えてから、俺は選手用の入場ゲートへと歩を進める。

 ああ、確かに気合が入った。

 

 見せてやるさ、クソ親父。

 レイシアちゃんの努力は、無意味なんかじゃなかったってことをな!

 

 

 


 

 

 

第一章 桶屋の風なんて吹かない Psicopics.

 

 

五三話:反抗期にしては刺激的 Daughter's_Anger.

 

 

 


 

 

 

「…………何を間違えたんだろうね、僕は……」

 

 

 ──父兄用観客席。

 

 子供の成長を見ることができる喜ばしさに包まれているはずのその席で、ある一角だけ冗談みたいな重苦しさを放つ席があった。

 金髪碧眼のブラックガード夫妻の席である。

 観客席にやってきてから、ギルバート=ブラックガードはずっとこうだった。まるで何かに押しつぶされているかのように項垂れ、呻くように何度も同じことを呟いている。

 まぁ、それだけショックだったということだ。

 目に入れても痛くないほどに可愛がっていた愛娘が、突如自分の胸倉を掴んで吐き捨てるように『反抗』したのだ。ただでさえ気の弱いギルバートにとっては、一度に受け止められる出来事の許容量を余裕で超えすぎている。

 

 

「……私にも、分かりませんね」

 

「やっぱりそうかぁ……。うう、なんて謝ればいいんだろうか……」

 

 

 言って、ギルバートはまた頭を抱える。

 ローレッタは『反抗期の娘に思わぬパンチを食らって悶絶している』ような状態だが、元来子煩悩だったギルバートにとっては絶縁状を叩きつけられたに等しいショックなのだった。

 

 

「……ハァ。ほらアナタ、レイシア達が入場してますよ」

 

 

 ハンディカメラを回しながら、ローレッタがギルバートに呼び掛ける。

 選手入場ということで、アーチ状の入場門に並んでいる常盤台生の先頭には、レイシアが堂々たる佇まいで立っていた。

 その後ろには、刺鹿、桐生、阿宮を始めとした派閥──GMDWの面々も並んでいる。

 もちろん、厳密には『常盤台中学』として参加している為、GMDW以外の生徒も少数ながらいるし、今も他の会場で競技をしているGMDWの面々もいるので、フルメンバーというわけではないが。

 

 

「レイシアは、随分友達と打ち解けているなあ……」

 

 

 その光景を見て、ギルバートは静かに呟いた。

 

 彼の記憶の中のレイシアは、常に孤高だった。

 ブラックガード財閥の跡取りとして、その組織運営に必要な知識は漏れなく与えてきた。少し甘やかしてしまった為か気位が高く育ってしまったレイシアは、学園都市に行くまでの数年間も、特に友達などいなかったが。

 学園都市に行ってからも、大覇星祭で直接見たり手紙等で間接的に様子を見る限り、レイシアは常に孤高だった。

 それが、気付いてみればああやって笑みを向けられるような仲間ができているのだ。そんなものは、彼女には要らないと思っていたが……。

 

 

「よかった! とうま、間に合ったみたいだよ!」

 

「ヒィ、ヒィ……。途中で車に撥ねられそうになったときはどうなるかと思った……」

 

「シレンとレイシア、まだ出てないよね!? ……あ、いた! シレイシアー! 頑張れー!」

 

「おー、レイシア、シレン、俺達も応援してるぞー!」

 

 

 …………それだけでなく、彼らのような庶民の友達もいるらしい。

 

 

「……あの子、どことなくトーヤに似ているな……。……フッ、あの子に男友達ができているなんてな。…………絶対許さんあのガキシメてくる」

 

「アナタ……! アナタ……!」

 

 

 壮年の紳士がいきり立ちそうになって妻に羽交い絞めにされる一幕があったりもしつつ。

 

 しかしそんなダメ親父も、応援に来たツンツン頭の少年に対して愛娘が笑顔で手を振っているのを見ると、襲い掛かる気力も失せたらしい。

 ついでに自分の方にも一瞥くれたはずなのに手を振ってくれなかったのがそこはかとなくショックだったようだ。反抗期の娘を持つ父親の扱いってめんどくさいなぁと思うローレッタであった。

 

 

 


 

 

 

 さて、そろそろ競技が始まる。

 とはいえ障害物走は一組が走って終わりというわけではない。リレー形式ではないが、全部で五組が走って、その成績の合計が障害物走での得点となる。

 俺が──というか、レイシアちゃんがGMDWの面々に厳命していたのは、

 

 

『いいですか、皆さん。我々GMDWは、障害物走において参加者五人中四人を占めています。派閥外の子については関係ありませんが──我々は、全て一位を目指しますわよ』

 

 

 ということ。

 夢月さんも、二年生にして大能力者(レベル4)恒見(つねみ)さんや桐生(きりゅう)さんも、一年生の阿宮(あみや)さんも、これについては言うまでもなくやる気十分といった感じだが。

 

 

「阿宮さん。能力は意識しすぎず、障害物がやってきたところで妨害をプラスする感覚でやるのですわ」

 

「妨害をプラスする感覚……分かりましたでございます!」

 

「すすす、好凪さん、あまり緊張しすぎないように」

 

「桐生さんこそ、なんか緊張してるのではありませんかぁ~?」

 

「わわわ、私のこれは素なんです!」

 

「はいはい。皆さんやる気十分なのは良いことですが、あまり気を抜きやがらないように」

 

 

 競技直前、そんな状況下で喋っているのは、俺達だけだ。観客もざわついているし、別に静かにしてないといけないというわけでもないのだが、どうしても緊張して黙っちゃうからね。

 その点俺達は、やる気こそあるが、緊張しているというわけではないし。第一レースが俺ということもあり、皆は比較的リラックスできているようだった。

 

 

「こ、これがレイシア=ブラックガード率いるGMDWですの……!」

 

 

 ……一人だけ俺達の中に紛れ込んでしまった生徒、婚后さんにはちょっと悪いことしたなと思うけど。

 そう。なんと今回、常盤台チームには婚后さんがいるのだった。何気に婚后さんとはほぼ初対面なので(競技の打ち合わせの時に挨拶したくらい)、微妙に距離感が分からないが……。

 何やら、既に向こうからは存在を認識してもらえてるようだった。まぁ、よくも悪くも顔が売れてるからね、レイシアちゃんは。

 

 

『さて! この競技の実況はギャルくノ一! そして──』

 

『解説はこのオレ! 仕事が休みになって急遽暇になった「人生と書いて妹と読む」がお送りするにゃー!』

 

 

 …………土御門さん。一体何をしてるんだ……。っていうか競技とか大丈夫なの? いや、大丈夫なんだろうけど……。

 

 

『第一レースは常盤台中学、繚乱家政女学校、枝垂桜学園、柵川中学だにゃー。この中だと何の変哲もない柵川中学が不利なような気もするがー……?』

 

「調子がいいことを言いますわね……。……わたくしのレース、全員油断なりませんわよ」

 

 

 レイシアちゃんが不満げに言うのも仕方がない。

 常盤台中学第一走者・俺達に対し、繚乱家政女学校第一走者・雲川鞠亜、枝垂桜学園第一走者・弓箭猟虎、柵川中学第一走者・佐天涙子。

 ……弓箭って人は知らんが、それ以外は俺達の知る『正史』でも活躍していた人物たちである。特に雲川鞠亜さんに関しては、あの『グレムリン』が跋扈する戦場でも戦い抜いていた本物の猛者。ナメてかかればボコボコにされるだろう。

 

 っていうか弓箭って人、派閥の事前調査でも全く情報が出てこなかったんだよな……。学生なんて本人のネットリテラシーが高くても友達の誰かは確実にそういうの緩い子がいるから情報集めもしやすいのに、あの人だけは何故か何も情報がなかった。めちゃくちゃリテラシーが高いか、よほどのぼっちなんだろうけど……。

 

 っと、いけないいけない。

 もう競技も始まるし、集中せねば。

 

 

「位置についてェ! よォーい……」

 

 

 号砲を持った先生が、ピストルを天高く掲げる。

 そして──

 

 パァン! と。

 

 秋の空に響き渡る火薬の破裂音と共に、俺達を含めた四人の生徒が動き出した。

 

 

「ッ!」

 

 

 先に仕掛けたのは、鞠亜さんだった。グルンと身体を回し、まるで軟体動物のような動きで俺の方へ飛び掛かってくる。……なるほど、ここで押し倒してフォームを崩させ、俺を早期にリタイヤさせようってわけだ。

 『亀裂』を防御に使おうにも、下手に出したら鞠亜さんを傷つけてしまいかねない。俺がそれを躊躇して対応を遅れさせるのを計算に入れての動きなんだろうが……

 

 

「甘いですわ!」

 

 

 残念。確かに俺は一瞬そういうのを考えて躊躇しちゃう人間だが、こっちにはそういうのを完全に無視できる悪役令嬢(ヴィレイネス)がいるのだ。

 よって。

 ドッッ!! と、暴風によって、俺達の身体は軽く一メートルくらい浮かび上がる。

 一瞬前まで俺達がいたところを、鞠亜さんが猛獣のようなスピードで通過していた。うわぁ……当たってたらひとたまりもなかった。

 

 

「ひえー……なんの能力者なんだろ。レイシアさんあんな人に狙われて……くわばらくわばら」

 

 

 そんな俺達の攻防をよそに、先にスタートした佐天さんが何やら言っているが……、

 

 

「余裕ですわね佐天。あの女、全員潰すつもりですのでアナタもそのうち狙われますよ」

 

「えぇ!? っていうかレイシアさんもうそんなところに!? 足早っ!」

 

 

 さらに『亀裂』の暴風を使って加速したレイシアちゃんが、佐天さんに警告する。

 鞠亜さんは……開始で少しロスがあったが、やはり素の身体能力が凄まじいのか、すぐにこっちまで追い縋っている。

 一番早いのは枝垂桜の弓箭さんだ。……あの人も普通に身体能力高そうだなぁ。

 

 さて、そんな弓箭さんに遅れることだいたい五秒、俺は最初の障害に到達した。最初の障害は……網だ。地面に敷かれた網の中を潜って抜けなくてはいけないのだが……、

 

 

「……んっ、匍匐前進だとやはり胸が邪魔ですわね……」

 

 

 サポーターで胸の揺れを補正しているとはいえ、匍匐前進だと地面に胸が擦れる。痛くはないが、そのせいで進みづらい……。

 なんというかこう、胸の下にボールを乗せたまま匍匐前進をしている感じというかね。あんまり勢いよく動きすぎると中のサポーターが千切れるかレイシアちゃんの胸が痛むかしそうで怖くて速度が出しづらいのだ。

 首位の弓箭さんもそれは同じらしく、明らかにスピードが落ちていた。

 

 

「…………チッ、こんな形で順位を上げるのは屈辱的だが……まぁいい。これはこれで私の強度が上がる」

 

 

 あっ、鞠亜さんがめっちゃ追い上げてきた。やばいやばい……よっ、と。

 

 ようやく抜け出て、走り始めたころには、四人はほぼ横並びになっていた。

 いかんな……。流石にこのへんで距離を離さないと、他の障害物で予想外に足が止まった時に順位を決定的にされかねない。

 次の障害物は……跳び箱か。

 しかもあの跳び箱、相当デカイ。常人じゃ飛ぼうとしても結局飛びきれず、上に跨ってしまうようなヤツだ。鞠亜さんくらいなら普通に飛び越えそうだが……正攻法でやるのは馬鹿だな。

 

 

「このあたりで、頭一つ抜けさせてもらいますわよ!」

 

 

 ゾン!! と、足元から透明な『亀裂』が伸びる。

 それは俺達だけが認識できる足場として、跳び箱の上を超えるように展開されていく。ちなみに、他の人達がうっかり触って切断されたりしないように、端っこはちゃんと内側に巻くようにしてある。誰かが気付かずぶつかってもスパッとなったりは絶対にならない安全仕様だ。

 

 そしてこのショートカットは、わりと劇的な結果を齎した。

 やはりというか、鞠亜さんは得意のよく分からん体術を使って跳び箱を超え、弓箭さんも意外にもかなり軽い身のこなしでさくさく進んでいくが、やはりどちらも走る速度には劣る。

 その隙に、『亀裂』の上を全力疾走している俺は一気にトップへと躍り出た。

 

 

『おおっ! 障害物の意味を完全に無に帰す掟破りの技ですね! アレで全部行けばいいんじゃないですか!?』

 

『んにゃ、一応各障害物にも踏破のルールがあってだにゃー。跳び箱は「超えればOK」だったが、たとえば網潜りは「ちゃんと網を潜らなきゃNG」なんだぜい』

 

『とすると……次からの障害物も、必ずしも「亀裂」が使えるとは限らないわけですね。奥深いなぁー』

 

『まあにゃー。能力があるがゆえにアドバンテージの取れない障害物ではもたつく能力者か、どの障害物でも平等に立ち回れる無能力者か。今回の競技の見所はそういうのもあるかもしれないですたい』

 

 

 土御門さんとくノ一さんの解説を背に、俺は全力疾走を続ける。さて次の障害物は……、と。

 

 

「ラッキー! これで私も一気に二位!!」

 

 

 ……佐天さんが、なんか俺の後に続いて跳び箱地帯を超えてた。

 

 

『そしてそしてーっ! 柵川中学が常盤台中学の策を上手く利用して二位に!』

 

『能力による対策は、こういう展開もありえるんだにゃー。特にレイシア=ブラックガードのような設置型の能力は、認識さえしていれば誰にでも利用できる。とはいっても、得体のしれない他人の能力を使おうってのは大分怖い者ナシな気もするぜい……』

 

 

 まったくだよ!! 佐天さん、『亀裂』が危ないって分かってるはずなのになんで……!

 

 

「え? いやーアハハ、レイシアさんなら、誰かが怪我するような危なっかしい能力の使い方はしないかなーなんて……」

 

 

 図星だよちくしょう!!

 クソ……これで白黒鋸刃(ジャギドエッジ)は万人に等しく利用できるってことがみんなにバレてしまった。

 下手に解除したら落ちて危なさそうだし、これ、使い方をちゃんと考えないと、逆に俺の首を絞めることになるんじゃないか……!?

 

 

 


 

 

 

 そして、競技は熾烈を極めた。

 

 最新の人工筋肉を利用した麻袋で胸までぴっちりと体のラインを浮き上がらせるエロ障害物や、ゲコ太マークの幼児用三輪車など、ちょっと企画者の性癖を疑うような障害物もあったが……、

 ついに、最後の障害物だ。

 

 

『いよいよ競技はクライマックス! トップはブラックガード氏、二番手にはなんとォ佐天氏! 続いて雲川氏、弓箭氏が続きます! 誰がこの展開を予測できたでしょうか!? 何の変哲もない無能力者(レベル0)の女子中学生が、無敵の大能力者(レベル4)に追い縋るゥ!』

 

『というか、あっちの子は悉く常盤台中学の能力に相乗りしてた感じだにゃー。あそこまで物おじしないってのも、一つの才能だぜい』

 

「むしろ、追い縋るだけで二位につけさせることが可能なわたくしの他の追随を許さない有能さを賞賛すべき場面ではなくって!? この局面!!」

 

 

 佐天さんを評価する実況解説に文句を言うレイシアちゃんだが、そんなことを言ったところで順位が変わるわけでもない。

 それに何より、次の障害物は──

 

 

『最後の障害物! 平均台! これは妨害がモノを言う障害物ですが、佐天氏はブラックガード氏の暴風に立ち向かえるんでしょうか……!?』

 

 

 くノ一さんの実況に、会場の皆さんが手に汗握っているのがよく分かる。

 判官びいきとはよく言ったもので、会場の皆さんはすっかり無能力者(レベル0)の下克上に期待しているようだ。

 

 

 まぁ。

 

 

『ああーっ! ダメだった! 普通に風で平均台から落とされてます!!』

 

 

 そんな番狂わせが起きないのが、盤石な実力というヤツなんだけれども……。

 

 

『一方、ブラックガード氏自体はそこまでスピードを上げていません。そこに驚異的な身のこなしの雲川氏と、平均台をものともしないバランス感覚の弓箭氏が猛追────ッ!! これは三人による優勝争いになりそうか!?』

 

『平均台の踏破ルールは「最後まで渡り切る」だから、暴風によるショートカットを使うことができないのも痛いぜい。常盤台中学は、身体能力自体はそこそこって感じだからにゃー……』

 

 

 くっ……ヤバイ、どんどん距離を詰められてる!! このままだと、平均台を渡り切る前に追い抜かれそうだぞ……!? 暴風を使おうにも、あの人達、全然体勢崩さないし! どういうバランス感覚してるんだ!?

 

 

《まずいですわね……! こうなれば、他の平均台に『亀裂』で壁を作りますか》

 

《いや。そんなことをしても多分彼女達には無意味だ。鞠亜さんも弓箭さんも、多分何かしらの方法で『亀裂』を飛び越えてくる。あまり『亀裂』を高くしすぎても、競技が危険になっちゃうからダメだし……》

 

 

 それに、頑張って能力を使ってやった妨害が無意味になったら、結局俺達が注意を散らしただけになってしまう。それなら、妨害に力を割くより、何かしらの方法で自分達を加速させた方がいい。

 

 つまり──

 

 

「ダッシュですわ!!」

 

 

 俺は、言いながら平均台の上で全力疾走を始める。

 もちろん、細い平均台の上でそんなことをすれば、通常であればこけてしまうだろう。

 しかし。

 

 

『こ……これは一体どういうことですか!? 人生と書いて妹と読む氏! 自殺行為のはずなのに……』

 

『これは、平均台の脇に、まるでセーフティネットみたいに「亀裂」を展開したんだにゃー。こうすれば「平均台を渡り切る」っていう踏破ルールは満たしつつ、足場を気にせず走ることができるって寸法だぜい。その上──』

 

 

「やった! これで私も気にせず走れっ、アー!?」

 

 

『……小まめに能力を解除することで、後続に利用される心配もないってわけだにゃー。あのご令嬢、競技の中で能力を使うセンスが成長してるぜい』

 

『そしてそのまま…………』

 

 

 ゴール!! という実況の勝鬨を耳にしつつ。

 俺達は、無事にゴールテープを切ることに成功した。

 

 結局最終結果は、一位が俺達常盤台中学。二位が弓箭さんの枝垂桜学園。三位が鞠亜さんの繚乱家政女学校。四位が佐天さんの柵川中学ということになった。

 佐天さんはビリケツだったけど、同じく無能力者(レベル0)の弓箭さんが二位ってことで観客的にも大盛り上がりな結果だったようだ。まぁ、弓箭さんは『ただの』というより『凄い』無能力者(レベル0)だったけど……。

 なんというか、土御門さんとかと同じ、何かしらの技術持ちって感じの雰囲気がすごいするし。

 

 

「お疲れ、レイシア」

 

 

 選手控えゾーンに戻ると、不意にお父様の声が聞こえてきた。

 声の方を見やると、どうやら選手控えゾーンの近くの観客席をとっていたらしい。お父様とお母様が、こっちの方を見ていた。

 ……誘導の大覇星祭実行委員に視線を向けると、苦笑しながらそっちに行って話してきてもいいよ、許可を出してくれた。有難い。

 

 

「……ありがとうございます。お父様」

 

 

 俺が出てくると話をややこしくしそうなので、一旦引っ込んで、レイシアちゃんが応対する。

 他人行儀に頭を下げるレイシアちゃんに、お父様は分かりやすくヘコんでいた。

 

 

「そ、その……さっきは、すまなかった。レイシアがあんなに怒るとは思ってなくて……」

 

「なんで怒っていたか、お分かりですか?」

 

 

 しょんぼりしているお父様に、レイシアちゃんは冷静な声色でそう問いかけた。

 言われて、お父様は思わず口ごもってしまう。そりゃそうだろう。なんで俺が怒ったのかなんて、この人には分かるはずもあるまい。分かっていたなら、レイシアちゃんはあんな苦しい思いはせずに済んだ。

 

 

「……ですわよね。わたくしだって、本当の意味で分かっていたわけじゃありません。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……?」

 

「詳しい話は、いずれいたします。ただ、わたくしはアレほどお父様に対して怒りの気持ちはありませんので」

 

 

 レイシアちゃんは、そう言ってふっと笑う。

 何を思っているのかは、何となく分かる。きっと、昔のことを思い出しているんだろう。

 

 

「結局、代償行動の一種だったのですわ。アナタがたに認めてもらいたくて、でも認めてもらえなくて。だから代わりに自分の周囲の『小さな世界』の全てに認められて、自分の価値を実感したかった。……とんだ子どもの癇癪ですわ。お陰で、色んな人に迷惑をかけてしまいました」

 

「レイ、シア……」

 

「そこに両親(アナタたち)の罪だけがあるとは、わたくしには言えませんわ。……まぁ、恨めしさはありますが」

 

 

 ジイ、とねめつけるような視線に、お父様は居心地悪そうに視線を伏せた。

 レイシアちゃんはそれを見て少しだけ笑い、続ける。

 

 

「でも、アナタがたがそういう風にわたくしを育てたからこそ、巡り合えた出会いもある」

 

 

 そう言って、レイシアちゃんはお父様の手を取った。

 

 

「そこについては、感謝しています。ですが、見ていて分かったでしょう。多くの観客の歓声が。わたくしの友人の応援が。……これが、わたくしが積み上げてきたものです。『ブラックガード財閥の跡取り娘』としてではない、ただの『レイシア=ブラックガード』が紡いできた財産です」

 

 

 ぎゅっ、と。

 レイシアちゃんの手に、力がこもる。

 

 

「その価値を無意味だと言ったから、『わたくし』は怒ったのです。それは、わたくしの歩んできた道に対する侮辱だからです」

 

「……、…………す、すまない……」

 

 

 お父様は、シュンとして俯いた。

 ……すまないで、済むと思っているのか? お前のせいでレイシアちゃんがどれほど……。

 

 

「構いませんわ。お父様。言いましたわよね。わたくし、それほどお父様に対して怒っているわけではないと」

 

「れ、レイシア……!」

 

 

 怒ってるだの怒ってないだのは、きっとお父様にとっては殆ど意味が分からない言葉だろう。

 だが、愛娘から出てきた思わぬ許しの言葉に、お父様の顔がぱっと明るくなる。

 

 ……俺としては腑に落ちない部分もあるが、レイシアちゃんが許すっていうなら、まぁ……。……実の父親なわけだしな。価値観の違いは、これから時間をかけて埋めていけばいいことでもあるし……。

 

 

 

「ですからその代わり、お願いがありますの」

 

 

 

 と。

 

 そこで、その場の空気が切り替わる。

 何だかんだで良い感じに落ち着きそうだった流れが、急激に……何か、ドロドロとした策謀めいたものが渦巻く流れへと。

 ああそうだ。

 レイシアちゃんって、今は真っ直ぐに成長しているけれど、でも結局のところ、根っこの部分は悪役令嬢なんだよ。レースゲームをやったら、お邪魔アイテムの活用に全てを懸けるような子なんだよ。

 そんな子が……こんな絶好の弱みを握ったなら、それを利用しないわけがないじゃないか。

 

 

「お父様」

 

 

 ああ、お父様の瞳に、レイシアちゃんの顔が映り込む。

 

 にっこりと、しかし冷たく微笑む彼女の表情は──

 

 

「わたくし、塗替さんとの婚約を破棄したいんですの☆」

 

 

 まさしく、悪役令嬢(ヴィレイネス)そのものだった。




ギャルくノ一=郭さんです。


今回新しく登場した派閥の人
恒見(つねみ)意近(いちか)
二年生
大能力者(レベル4)
元々レイシアが結成した派閥に所属していた人。実家がブラックガード派閥の傘下。
間延びした口調。「~のではありませんかぁ~?」が口癖。
能力は瞬間粘着(クリアテープ)。触れた部分の分子間力を操作し、粘着力を上げる能力。副次的に、物質を頑丈にすることもできる。


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五四話:秘策

 というわけで、婚約破棄と相成った。

 

 いや、まだ正式に塗替さんと話をつけたわけではないのだが、お父様のお許しはとりつけることができたので、これはもう確定だろう。

 お父様もさっきの今で『いやちょっと……』とは言えなかったのか、レイシアちゃんのおねだりに対して『いいよいいよそのくらい!』くらい食い気味に快諾してくれていたしね。

 いやしかし、レイシアちゃんの手管、改めて見ると恐ろしい……。……というかこの子、俺が消えそうになってたときも、俺が用意してたカバーストーリーを全部投げ捨てて、派閥の皆や魔術サイドの皆、上条家の人々や美琴さん、果ては冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)先生まで集めてたわけだからな。

 冷静になって考えてみたら、すごい面子だよ。俺なんかの為にそこまでやれるくらいなんだから、レイシアちゃんってこういうやり口がめちゃくちゃ上手いのかもしれない。いや、上手いとは思っていたけど……。

 

 

《ふふん。どうですこのスマート極まりない話の流れは。わたくしのこと、少しは見直しましたか?》

 

《うん。見直したっていうより……惚れ直した、かな》

 

 

 レイシアちゃんが凄いのは分かってたしね。

 

 

《お……そ、そうですか。……ふふん》

 

 

 褒められて嬉しいんだろう。どことなく上機嫌なレイシアちゃんはさておき────

 

 

「──さて、いよいよですか」

 

 

 午後二時すぎ。

 競技を終えた俺達は、昼休みを終え、次なる競技である『玉入れ』に挑んでいた。

 

 ちなみに、障害物競走は当然のように常盤台中学の圧勝だった。

 どうやらどの学校も最強のメンツを俺達にぶつけていたらしく、他のGMDWのメンバーや婚后さんに対抗できるような生徒はいなかったのだ。

 ……まぁ、俺としても、弓箭さんや鞠亜さんや佐天さんレベルの人がそうポンポン出てこられると困る。というか、意外と油断ならない人多いよなあ……学園都市。操歯さんしかり。

 ひょっとしたら、今日俺が初めて見た人たちも、いずれは『正史』に出てきた人なのかもしれないな。これだけアクが強いと。

 

 

《うまいこと塗替斧令の相手はお父様に押し付けられましたし、大覇星祭は順調ですわねぇ》

 

《上条さん恋人作戦は使えなくなっちゃったけどね》

 

 

 そもそも、上条さんを恋人に仕立て上げようって大義名分は、塗替さんとの婚約を破棄する為ってものだったからね。

 そういうことしなくてもお父様が頑張ってくれちゃうなら、俺達が上条さんを恋人に仕立て上げる理由もないわけで。

 まぁ、そこのところはちょっとほっとしてるんだよね。

 上条さんじゃないけど、やっぱり『フリ』で恋人をやるのってなんか不誠実じゃないか。どうせ恋愛するなら、そういう不誠実なのじゃなくて、真っ向勝負でやっていきたいよね。

 

 

《童貞がなんか言ってますわ》

 

《どどどっ童貞ちゃうわ!!》

 

 

 いやいやいや、っていうかなんで急に童貞って罵られてたの!?

 

 

《多分シレンはそう言いながら『不誠実なのはよくないからむしろほっとしてるけどね』とか思ってるんでしょうけど……》

 

 

 なんで分かるんだろう……。

 

 

《そもそも!! ライバルは強敵なんですのよ! 世界の寵愛を受けたツンデレ女に、絶賛同棲中の正ヒロイン!! 後からポップしてくる絶対認識されない人はまぁどうでもいいですが、二人だけの世界で何万年も一緒に過ごした『理解者』とか、マジでヤバイですわよ! どいつもこいつも正道なんか使ってきませんわよ!!》

 

《言われてみれば……》

 

 

 確かに。普通の女友達って距離感から詰めていくには、なんかプラスアルファが必要な気がしてくるラインナップだ。あと、食蜂さんにはあとで謝ろうね。

 

 

《ではシレンの強みは何か。婚約です!! どうせ上条は上条ですから実質的にはアレですが、形式上でも婚約者というポジションを作っておくのですわ!! そうすれば連中とも五分で戦える!》

 

《婚約者で五分なのかぁ……》

 

 

 普通、そこまで行ったらゴールインも余裕そうなんだけどね。まぁ上条さん相手じゃ無理な話か……。

 

 

《で! 塗替斧令を言い訳に使えなくなったからといって上条を名目上の婚約者にできない? 甘いですわ。そもそも婚約を破棄したかった理由に上条を使えばよいのです! 上手くすれば上条がこちらの好意に気付いて一気にゴールイ、》

 

《いやぁ、多分その場合俺達フラれるんじゃないかなぁ……》

 

 

 上条さん、何だかんだインデックスのこと好きでしょ? そのへんなんとかしないと、俺達は振り向いてもらえないと思うんだよね。

 上条さんを攻略するならまずはインデックスからというか……。

 

 

《……む。一理ある……童貞(シレン)のくせにやりますわね》

 

《いやいやいや、内心だから特殊ルビもちゃんと分かっちゃうからね?》

 

《というか、わたくしとしてはシレンにももう少し真剣になって欲しいくらいなんですけどね。わたくしだけの話ではないんですから》

 

《あー、うん、まぁ。でも俺ほら、こういうの苦手だから……》

 

 

 誰かを蹴落とすとか、そういうのは、ね……。

 スポーツならまだ我慢できるけどさ。恋のレースは誰かが傷ついちゃうわけで……。

 

 

《童貞》

 

《レイシアちゃん! 俺のキャパシティにも限度があるぞう!!》

 

《ああ、ごめんなさい。拗ねないで……、……こほん。気を取り直しましょうか。もうすぐ競技も始まることですし、ここで揉めて競技に支障が出たら、あの子達に示しがつきませんもの》

 

 

 レイシアちゃんの言葉通り、俺達の周囲で待機しているGMDWの面々は、みな一様に緊張した面持ちでいた。

 ちなみに、この場にはフルメンバーが集まっている。『玉入れ』は一日目の目玉的な競技で、全校生徒が各所に設置されたカゴに玉を自由に入れる競技だ。

 カゴへの直接攻撃は禁止されているが、玉や対戦相手への攻撃はある程度許されている。

 ちなみに、美琴さんの能力は電撃の直接攻撃と砂鉄の妨害目的での使用が禁止されていて、俺達の白黒鋸刃(ジャギドエッジ)は直接攻撃とカゴへの防御使用が禁止されている。それができたらもう向かうところ敵なしだからね、常盤台。

 

 玉入れ。

 ……確か『正史』だと、上条さんが乱入してきて美琴さんとなんか絡みがあったような気がするが……今は、上条さんはチア服姿のインデックスと一緒に俺達のことを応援してくれてる。

 軽く手を振っていると、いつの間にか派閥の人達の間に入っていた美琴さんと目が合った。

 

 

「あの馬鹿、なんで来てるのかしら……。も、もしかして……」

 

「わたくしが呼びましたわ。応援に来なさい、と」

 

「おおおっ、応援!? でもアイツ敵よ?」

 

 

 レイシアちゃんの説明に、美琴さんは目を白黒させながら問いかける。

 

 

「それはアナタの問題でしょう? わたくしは別に奴と競ってませんし……」

 

「うぐぐっ」

 

 

 あっ、暗に『お前じゃなくてわたくしの応援をしてるだけだよ』って言った。

 

 

「そんなことより」

 

 

 ツンデレを拗らせて自縄自縛に至ってしまった美琴さんを解きほぐすように、レイシアちゃんは話題を切り替える。

 助け舟を出すというよりは、そもそも美琴さんのツンデレ事情に興味がないという感じの雰囲気だ。俺なんかは世話を焼きたくて仕方がなくなってしまうんだけど……。

 

 

「一匹狼を標榜しているアナタが、わざわざわたくしのところに来たのです。何か話があるのではなくって? 特別に聞いてあげますから、言ってみなさい」

 

「……そこはかとなく上から目線な話題振りありがとう」

 

 

 美琴さんはそんなレイシアちゃんの物言いには呆れの表情だけ見せて、本題に入る。

 

 

「……『本題』っていうのはね」

 

 

 美琴さんは声をひそめるようにして、話し始めた。

 まぁ、この距離だと派閥の面々にも普通に聞こえちゃう距離なので、本格的な内緒話ではないんだろうけども。

 

 

「この試合、多分キツイ戦いを強いられることになると思うのよ」

 

「……ほう?」

 

「私達は、他校から対策されてるわ。それはアンタ達も感じたんじゃない?」

 

 

 確かに……二人三脚も障害物競走も、そこまであからさまではなかったけど、どの学校も常盤台のことを意識した戦略をとっていた気がする。

 俺達がただの大能力者(レベル4)だったなら、流石に押し流されてしまっていたかもしれないレベルだ。

 で、美琴さんがこんな話を振ってくるということは……、

 

 

「だからね。ちょっと学校全体で、『対策』を用意しちゃおうかって考えてて、」

 

「お断りしますわ」

 

 

 そこまで美琴の話を聞いて、レイシアちゃんはさくっと断りの言葉を差し挟んだ。

 

 

《ちょっとちょっとレイシアちゃん。流石にそれはひどいんじゃあ……?》

 

《……何を言っていますの。道理ではありませんか》

 

 

 流石に脳内で待ったをかけた俺に、レイシアちゃんは心外そうに返して、

 

 

「生憎ですが、我々も我々で独自に連携を用意していますの。土壇場で部外者を加えた連携などやろうものなら、逆に動きに支障が出かねませんわ」

 

「そ……そこを何とか! お願い!」

 

「大体、わたくしとアナタが揃い踏みなら何も心配することなどないでしょうに、……ああ、そういえば」

 

 

 そこでレイシアちゃんと俺は、同じことに思い至る。

 

 それは玉入れの前、午前中最後の競技として美琴さんが挑んでいた競技だ。

 バルーンハンターという、頭に紙風船をつけてそれをお手玉で割る団体戦の競技をしていたのだが、美琴さんは『お手玉を手に持つ』という奇策で電撃を無効化された上、大人数で取り囲まれて負けてしまったのだそうだ。

 俺も競技中だったからその試合模様は見られなかったんだが、待機中だった物河さんに教えてもらった。

 

 そんな風にメタをガチガチに張られて負けたら……美琴さんの性格上、さぞ悔しかったことだろう。流石に今は時間が経っているからけっこう冷静っぽいけど、かなり腹に据えかねているものがあるんじゃなかろうか。

 

 

《……レイシアちゃん》

 

《分かってますわ。流石に、そこを慮らないほどわたくしも冷徹ではありませんわよ》

 

 

 美琴さんの言うことも聞いてあげたら? と言おうとしたところで、レイシアちゃんも考えを変えたようだった。

 美琴さんの方は、相変わらずといった調子で俺達の方を拝み倒しながら、上目遣いでこちらの様子を伺っている。

 

 

「……仕方がありませんわね。話を聞くだけですわよ」

 

「ほんと!? ありがと! レイシアっ!!」

 

 

 がしっ! と喜んで手を握る美琴さん。

 『……暑苦しいですわよ』と言ってそっぽ向いたレイシアちゃんだったが、一心同体の俺はそこに確かな照れがあったのを感じ取っていた。

 

 

 


 

 

 

第一章 桶屋の風なんて吹かない Psicopics.

 

 

五四話:秘策 Sky_Corridor.

 

 

 


 

 

 

「まったく……このわたくしが、他の派閥と手を組むことになろうとは。思ってもみませんでしたわ」

 

 

 そう言って、レイシアちゃんは自陣の最奥で嘆息する。

 

 玉入れって全校でやるものなんだけど、今回俺達は派閥の連携しかやるつもりはなかったんだよね。単純に練習してきたのがそれだけだったからというのもあるし、『GMDWの結束』を内外にアピールしたかったから。

 

 でも、美琴さんの話を詳しく聞いていくと、どうもバルーンハンターで格下の学校に負けたことで、お嬢様がたの中で火がついちゃった人がいたらしく。

 派閥とかそういうのを比較的気にしない常盤台生の中では、平時の確執を乗り越えてでも全校で団結すべきでは? っていうか団結したい! 勝ちたい! という機運がかなり高まっていたのだという。

 そういう人達のお願いを聞いて、一匹狼の美琴さんが派閥の垣根を越えて協力できないかと色々動いていたらしい。食蜂派閥に関しては帆風さんからOKをもらえたので、次に俺のところに来たとのことだった。

 美琴さん、そういう損な役回りよくやるよね……。そういうところが尊敬できる。

 

 

「でもでもっ、美琴さんにああ言われては断れないですもんねっ! 何せシレンさんですしっ、レイシアさんですからっ」

 

「……どういう意味ですの」

 

 

 自分のところは二番目に来たというところで機嫌を損ねたレイシアちゃん的にはわりとOKするのを渋っていたのだが、先述の美琴の心意気に絆されたのと、一緒に話を聞いた夢月さんがむちゃくちゃ乗り気だったのと、それと美琴さんの提案した作戦がレイシアちゃんのお気に召したため、結局やることになった。

 否、レイシアちゃんは一応面子があるので不服そうにしているが、実際のところかなり乗り気である。

 というのも──、

 

 

「まぁまぁ、いいじゃないですか。レイシアさんの今のポジション──なんだか常盤台を牛耳りやがるボスっぽくてカッコイイですよ」

 

「そそそ、そうですよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて、レイシアさんにしかできないことなんですから」

 

「……そうですか? やっぱりそう思いますか? おほほ」

 

 

 美琴さんが提案した『本題』。

 それは、レイシアちゃんの白黒鋸刃(ジャギドエッジ)によってカゴの上に空中回廊を生み出すことで常盤台の生徒達に上を取らせ、そして一方的に対戦校を蹂躙しようというものだった。

 縛りの関係で透明の道しか出せない問題は、美琴さんが砂鉄を使って見やすくすることでカバー。常盤台の生徒は、その上から玉をカゴへ投げ入れたり、敵を妨害したり。

 ただでさえ能力者としての平均レベルが高い上に、位置エネルギーの差がある。日光を背にしていることもあって、めちゃくちゃ有効な作戦だろう。流石超能力者(レベル5)、やることが違う。

 

 それに何より──この作戦、レイシアちゃんの能力あってのものだからね。

 それだけレイシアちゃんは自分の株が上がるわけでハッピーだし、勝ちたい生徒達はノリノリでレイシアちゃんの協力を取り付けられてハッピー。まさに誰もが得をする夢の作戦というわけだ。

 

 

《レイシアちゃん。せっかくのチャンスだ。気を抜かず行こう》

 

《もちろんですわ。此処でわたくしの存在感を示せば、食蜂操祈からの依頼もこなせますし──》

 

 

 ちょうどその時、競技の開始を告げる号砲が鳴り響く。

 レイシアちゃんの周囲の地面から、砂埃を巻き上げながら無数の『亀裂』が飛び出していった。

 

 

《それに何より。上条に格好いいところを見せて、ヒロインレースで一歩リードできますからね!》

 

《……カッコイイところを見せるのはヒロインレースに有効なのかなあ》

 

 

 どうせ見せるなら可愛いところじゃない? いや、俺は知らんけども。



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五五話:玉入れ

「アルファはわたくしの近衛を。ブラボーとチャーリーは妨害にあたりなさい! 得点役の花くらいは食蜂の派閥に持たせてやりましょう」

 

「承知です! ブラボー、ついてきやがってください!」

 

「チャーリーはわたくしについてきてくださいねっ」

 

「あああ、アルファはこちらへ! ふぉふぉふぉ、フォーメーションはわたくしの方から指示します!」

 

 

 俺の号令と共に、夢月さん、燐火さん、千度さんを中心に、GMDWが一斉に動き出す。

 ……いよいよ、昨日白井さんから受けたレクチャー知識の使いどころだ。

 

 一夜漬けだったこともあり、白井さんから授かった知識は少ない。

 精々、連携と戦略についてのみだ。だが、今回はその連携と戦略がモノを言う。

 三チームに分かれたGMDWは、美琴さんのマーキングにより分かりやすくなった『亀裂』の道を駆けていく。

 攻撃に対しては、これでよし。

 連絡役については食蜂さんの派閥にいる精神感応(テレパス)の子がなんとかしてくれることだろう。

 

 当然、向こうは空から攻めてくる敵に対処しなくてはならなくなるわけだが……向こうも馬鹿ではない。今回の戦略の要である俺を潰そうと別動隊を寄せていくだろう。

 そこで必要になっていくのが、こうやって残したアルファチーム三人の扱い方だ。

 

 

 


 

 

 

「良いですか? 重要なのは、損耗を避けることではありません。自分の役割をきちんと理解し、何をすればいいのか、何をされてはいけないのかを常に把握することですわ」

 

 

 大覇星祭前日。

 白井さんは、講義室に集まったGMDWの面々に対してそんなことを言っていた。

 

 

「損耗を避けてはいけないのですか?」

 

「ええ、まあ」

 

 

 手を挙げて質問した俺に、白井さんはあっさりと答えて続ける。

 

 

「もちろん、動けなくなるような負傷を受けるくらいなら話は別ですが、そうでないなら、優先すべきは自分の役割ですわ。そのあたりの見極めは難しいですけども」

 

「ややこしいですね……」

 

「そう難しく考えなくても構いませんわ。……そうですわね。たとえば、玉入れで考えてみますか。明日、全校でやるでしょう?」

 

 

 むむむと唸り出した夢月さんに、白井さんはホワイトボードを使いながら、

 

 

「大覇星祭における玉入れは、大きく分けて三つの役割に分かれます。玉入れ係、妨害係、そして妨害から自陣の重要人物を守る護衛係です」

 

 

 白井さんは、ホワイトボードに三つの丸を書く。それぞれに玉、妨、護の文字が書かれた。

 ここまではシンプルな話なので、GMDWの面々も素直に頷いている。俺も頷いている。

 

 

「このあたりの役割の見極めが一番肝心ではあるのですが──まぁ大丈夫でしょう。そのあたりはレイシアさんが詳しいでしょうし」

 

 

 えっ……買い被りだぞそれは。

 レイシアちゃんはそういうの上手いかもしれないけども。

 

 

「玉入れ係の役割はカゴに玉を入れることで、行動方針もそれを基軸にする必要があります。妨害されないよう動き回るとか、玉を落とさないように受身をとるとか、そういう立ち回りですわね」

 

「玉入れ係は玉を入れる為に動くべきであって、他の仲間を助けたりなどはやる必要がないということですわね」

 

「ええっ! そそそ、それってちょっと冷たくは……」

 

「レイシアさんの言う通りですわね。情に流されて自分の役割を放棄すれば、それは回り回って全体の機能不全にも繋がります。それを頭に入れて行動することが、戦略への第一歩ですわ。……このあたりは、レイシアさんなら言われずとも分かっていると思いますが」

 

「いやいやいや、勉強になりますわ」

 

 

 意識したことないもんね、俺。

 というか俺こそが情に流される人筆頭みたいなところあるし……。

 

 

「で、ですが……それでは玉入れ係の人は早晩やられてしまうのではっ? いくら損耗を避けないといっても、それではすぐに集団行動ができなくっ……」

 

「その通りですわ。ですから、その為に妨害係や護衛係が動くのです。そして損耗が出た場合は、必要に応じて人員を別の班に振り分ける。そうすることで、常に緊密な連携を取り合うことができますわ」

 

 

 白井さんはそう言って、三つの丸を線で結ぶ。

 

 

「……つまり、連携と戦略によって、集団を『一つの意思によって統率された部隊』にするというわけですわね」

 

「なるほど! 流石は白井さん! 風紀委員(ジャッジメント)で普段から実践しやがってる人の言葉は説得力が違いやがりますね!」

 

「……………………、」

 

 

 あ、白井さんが目を逸らした。

 ……まぁ白井さん、なんかあったら独断専行、始末書は後から書けばいいのです派だもんねぇ……。

 

 

 


 

 

 

 その後も、連携時のコツだとか失敗したときのリカバリ方法だとか、白井さんには様々なアドバイスをもらったし、派閥メンバー同士で意見を出し合ったりもした。

 夢月さんと燐火さんだけ名前呼びでなんか不公平だ、みたいな派閥メンバーの不満が出たりもしたが……。

 

 そんなこんなで今──俺は、アルファチームと共に行動している。

 

 桐生(きりゅう)千度(ちたび)さん。阿宮(あみや)好凪(すなぎ)さん。恒見(つねみ)意近(いちか)さん。

 

 千度さんの能力は『瞬間蒸結(ハイドロボム)』。水流操作(ハイドロハンド)系能力の亜種で、操った水を凍らせたり水蒸気爆発を起こしたりすることができる。

 

 好凪さんの能力は『虚空掌底(ホロウバルム)』。掌から『真空の塊』を放つ大気系能力の亜種で、応用すればちょっとした気流操作もできる。

 

 意近さんの能力は『瞬間粘着(クリアテープ)』。触れた部分の分子間力を操作して粘着力を高める能力で、副次的に触れた箇所を頑丈にする。

 

 

 一年生である好凪さんを除いた千度さんと意近さんは大能力者(レベル4)で、元々レイシアちゃんが集めたGMDWの前身派閥の構成員だったりする。

 こんな感じで、チームは能力の相性というより元々の派閥によって分割しているのだ。能力の相性なんてぶっちゃけ工夫次第でいくらでもどうにかできるしね。極論、炎と水でも蜃気楼だのといった光学操作に応用できるんだし。

 

 ともあれ、こんな感じで集めた三人の『役割』は、全軍の移動の要となった俺の護衛。

 一応大能力者(レベル4)ということになっている俺は、これ以上亀裂を使った攻撃とかはできない。だから、俺はこの三人を上手く使って敵からの妨害を切り抜けないといけないわけだ。

 

 

「……ききき、来ましたね」

 

「が、頑張りますでございます!!」

 

「気張りすぎではありませんかぁ~? 二人とも、わたくしがいるのですから、大船に乗ったつもりで~」

 

 

 ──遠くから、土埃を巻き上げながら敵が攻めてくる。

 やはり大部分は空から襲い来る常盤台生に対する対処に追われているようだが、その中の一部が俺の存在に目をつけたらしい。

 常盤台生の妨害をものともせず、こちらに向かって襲撃をしかけてきた。

 

 さて!

 

 

《レイシアちゃん! 頑張ろう!》

 

《ええ。ここからが再起を超えた、わたくしの……いえ、わたくし達の》

 

 

 大きく息を吸って、

 

 

「GMDWの、『飛躍』の序章となるのですわ!!」

 

 

 


 

 

 

第一章 桶屋の風なんて吹かない Psicopics.

 

 

五五話:玉入れ Fiance(_or_Villain).

 

 

 


 

 

 

「レイシア=ブラックガードだ! アイツを倒せば『亀裂』は解除される!」

 

「『亀裂』がある限りこっちに勝ち目はない! 玉の方は一旦捨て置け! 最大戦力でアイツを抑えるんだ!!」

 

 

 

 まず最初に攻めてきたのは、念動能力(テレキネシス)系の能力者だった。

 巻き上げた土埃をかき集めているのか、土の槍をこちらへ高速で飛ばしてきた。だがこの程度ならば──

 

 

「むむむ、無駄ですわ!」

 

 

 ゴボォ!! と。

 千度さんの能力によって発生した水の塊が、土の槍を阻む。

 千度さんの能力は大能力(レベル4)にしては出力が低めだが、水を用意しなくても空気中の水分をかき集めて水塊を作れるという利点がある。こういう持ち込み不可な競技ではかなり有用な能力だ。

 

 

「意近さん」

 

「承知しましたわ!」

 

 

 千度さんが水を準備したのを見計らい、俺は合図を出す。

 答えた意近さんは、千度さんが作り出した水塊に手を触れた。

 

 ……意近さんの能力は触れたものの粘着力を上げる能力だが、これの原理は『分子間力』の操作にある。要は分子同士がくっつく力を操作することで、粘着力を上げているわけである(厳密にはちょっと違うらしいけど)。

 これは余談だが、この分子間力というのは大能力者(レベル4)だったときの白黒鋸刃(ジャギドエッジ)が干渉していた領域の力で、意近さんがGMDWに入ったのもそこが関係しているんだとか。

 

 さて、ここで重要なのは、粘着力を上げる能力は別に『見えないテープを貼り付けている』とかそういうわけではないということ。

 彼女がその気になれば、ツルツルのガラスの粘着力を上げたり、サラサラの紙の粘着力を上げたりなど、とにかく材質によらず粘着力を上げることができる。それも、大能力者(レベル4)だからそれこそ果てしなく広範囲にね。

 

 つまり──

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ゴボボ! と、千度さんの操る水塊が泡を立てて動く。

 本来なら水の粘着力が上がると、水同士がくっついて動けなくなってしまうのだが、そこは大能力(レベル4)水流操作(ハイドロハンド)。彼女は色々あって、水を分子単位で操作するけっこう珍しいタイプの水流操作(ハイドロハンド)なのだ。

 だから、うまいこと『粘着力を上げられた水分子』をくっつけないように操作し──敵の足元に展開することができる。

 

 

「うわっ!? なんだこれ……足が動かないぞ!」

 

「トリモチか何かの能力者か!? なんでもありかよ!」

 

「砂だ! 砂を被せれば何とかなるぞこれ!」

 

「靴脱げ靴! 多少痛くても我慢するんだ!」

 

 

 相手校の方は、それぞれワイワイと千度さんと意近さんの合わせ技に対して挑んでいる。

 もちろん、彼らが言ったようにこれだけではいくらでも対策なんてされてしまう。靴を脱いだり砂を被せたりするだけでも、少なくとも粘着は効果がなくなるわけだしね。

 

 でも、忘れちゃいないか。

 

 この競技は、何も俺達だけでやっているわけじゃないということを。

 

 

「おーっほほほほ! 迂闊ですわね! この常盤台の風神がいることをお忘れかしら!」

 

 

 『亀裂』の上から、暴風が叩きつけられる。

 モロに強風のあおりを受けた相手校の選手たちはいっせいに水の上に転がり、そして粘着力の餌食となっていた。

 

 

「わたくしも……わたくしも何かしなくてはでございます!」

 

「そうですわね……。そろそろ粘着による妨害も十分でしょう。風を使って砂を巻き上げて、妨害係の手助けをしてあげましょう」

 

「風……苦手なんですよねでございます」

 

 

 そんなことを言う好凪さんの手から、不可視の塊が放たれる。

 好凪さんの虚空掌底(ホロウバルム)は気体を分子レベルで操ることにより真空地帯を生み出す能力なので、別に真空地帯に斥力的なチカラが発生するわけじゃない。

 射程距離もそこまで長くはできないし、咄嗟の応用に優れているというわけではないのだが……、

 

 

「以前教えたとおりにすれば、大丈夫ですわよ」

 

 

 『真空地帯を生み出し、解除することによる応用』にかけては、俺達の右に出る者などいない。派閥の後輩のよしみもあって、最近は好凪さんも風を操る応用が板についてきた感じだ。

 

 

「うわっぷ!? 砂で……前が見えない!」

 

「ちくしょう! 今相手の得点はどうなってる!? なんでこんなに妨害がキツイんだよ!?」

 

「クソったれこれもう防御も攻撃もろくにできない状態になってないか!?」

 

「能力を使うな!! 当たるから! 当たってるから! さっきからこっちに念動能力(テレキネシス)飛ばしてるの誰だ!?」

 

「三組の須永が浮いたァ!!」

 

 

 予想通り、阿鼻叫喚である。

 

 余裕すぎた為、レイシアちゃんは『亀裂』の余力を使って椅子を作ってゆっくりと腰かけている。正直油断しない方がいいんじゃ……と思ったけど、俺は警戒しているし、こういう風に女王様っぽくするのは演出上とても大切なことなのでしょうがない。

 常盤台の内外に、『レイシア=ブラックガードによってこの戦略は成り立ってるんですよ』というのをアピールしないといけないからね。

 

 そうこうしているうちに、

 

 

「行くわよぉ!」

 

 

 砂鉄を使って玉をめちゃくちゃ集めた美琴さんが、一気にそれをカゴにぶち込む。

 相手も念動能力(テレキネシス)でカゴを防御していたらしいが……流石に相手が悪い。相手の防御を強引にぶち破り、美琴さんが玉を入れた結果──

 

 

『競技終了。赤玉が全てカゴの中に入ったことにより、常盤台中学の勝利となります』

 

 

 ──決着がついた。

 

 ……いやぁ、やっぱりすごいね『五本指』の一角。

 まぁ、俺たちもその実力の一翼を担っているわけなのだが……。

 

 

 


 

 

 

「……ふぅ」

 

 

 競技が一段落ついた俺は、競技場脇にあった休憩所で少しだけ休んでいた。

 この玉入れは一日目の目玉だが、最後の競技というわけではない。この後も二つほど競技があるので、俺は体力の回復に努めているのだ。

 常盤台のみんなは、午前中の惨敗の苦い記憶に完全な形で挽回したと喜んでいたけど……正直俺は気が気じゃないよ。大会が進むにつれて、向こうも情報を集めてくるわけで……。いつ俺対策が完璧な学校とぶつかることやら。

 

 

《シレン。休憩中くらいは頭を休めた方がいいですわよ。というかアナタが勝手に脳を使うと、わたくしも頭が疲れますわ》

 

《あ、ごめん。やっぱり心配でねぇ……》

 

 

 今回の競技、GMDWの連携は完璧だった。

 食蜂さんの派閥の子の連絡もあって、護衛・攻撃・妨害のみんなが一丸となって戦えていたしね。でもちょっと……不安要素もあるのだ。

 

 

《なんかみんな、やけに張り切ってたよね》

 

 

 いや、やる気があるのはよいことなのだ。

 GMDWの組織力が高いことが分かれば、それだけ俺達の超能力(レベル5)認定も早まるわけだし……でも、なんというか……そういうのとは違う、何か危うさにも似たものを感じたりもするのだ。

 

 

《言わんとしていることは分かりますわ。……好凪あたりは、どこか空回りしているようでもありましたし。わたくしが指示を出していなかったら何をしていたか》

 

《うーん、そうだよねぇ》

 

 

 役に立たなければ、と思う気持ちは大事だと思う。少なくとも、何もしなくていいやと思うよりはずっといい。

 でも、それが強迫観念になりかけているようだったら問題だ。やっぱり、俺達の超能力(レベル5)認定がプレッシャーになってるのかな? でもこればっかりはどうしようもないことだし……。

 ……何か上手いストレスの解消法とかないかなぁ。今日の夜みんなで遊んだりした方がいいかもしれないな。

 

 

《……夜は上条にアタックをかけようかと思っていたのですが》

 

 

 レイシアちゃんも、どうやらそっちより派閥の方を優先した方がいいと思っているらしい。上条さんと会うのは大覇星祭中いつでもできるもんね。というかレイシアちゃんいつの間にそんな算段つけてたんだ。

 

 

《まぁなんにせよ、婚約破棄がスムーズにいきそうなのですから、我々の心労もそこそこに軽減され──》

 

 

「──いやいやいや。探したよ、レイシアちゃん」

 

 

 と。

 その声を聞いて、一瞬、身体がびくんと強張った。

 ……これは俺の驚愕じゃない。レイシアちゃんの緊張だ。これは。

 

 しかしそれも一瞬のこと。すぐに自然体の──『研ぎ澄まされたリラックス』状態になると、俺の、いやレイシアちゃんの身体は、スムーズに声の主へと振り返った。

 笑みは完璧。

 しかし目は笑っていない──そんな美貌を向けて、レイシアちゃんは()()()を見る。

 

 そして、口を開いた。

 

 

「あら。久し振りですわ、塗替様」

 

 

 長い黒髪を白い布で後ろにまとめた、温和な笑みの美青年。

 俺達の()婚約者──塗替(ぬりかえ)斧令(おのれ)が、そこに佇んでいた。






【挿絵表示】

画:柴猫侍さん(@Shibaneko_SS


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五六話:未遂

「いやいや、ひどいじゃないか。こんな時間まで連絡の一つも寄越さないなんて」

 

 

 塗替さんはそう言いながら、自然な動きでレイシアちゃんとの距離を詰める。

 さりげなく隠されてはいるが、レイシアちゃんが逃げないように移動方向を制限する動きだ。何となく、圧迫感がある。

 

 

「せっかくだからレイシアちゃんの雄姿を応援したかったのに。恥ずかしかったの? レイシアちゃんは相変わらず──」

 

「塗替様、お父様とはお話しませんでしたの?」

 

 

 塗替さんの話をぶった切るように、レイシアちゃんは自分の話を始める。

 す、すごい。あんな立て板に水の語り口を一発で潰してしまった……。

 

 

「お義父さんのこと? いや、話、は──」

 

「しましたわよね? わたくし、お父様にお願いしましたもの。お父様なら電話なりなんなりで早急に塗替様と()()したはずですわ」

 

「…………」

 

 

 塗替さんは、何も言わない。

 何故って? レイシアちゃんは今、塗替さんを()()()()()()のだ。

 

 お父様は、レイシアちゃんの言うことに従う。その前提に立って考えれば、塗替さんは既にお父様から婚約破棄を告げられているはずである。

 にも拘らずこうして馴れ馴れしい──『婚約者ヅラ』をしているというのは、その申し出を承服していないということになる。

 

 承服していないこと自体は、まぁ俺もしょうがないかな……って思うんだけどね。突然だし。一方的だし。

 でも、こうやって暗に逃げられないように位置取って話をつけようとするのは、こっちが一方的だったことを差し引いても誠実とは言えないよね。

 

 

「わたくしが言いたいことは、お父様から伝えてもらったつもりですわ。それでも…………」

 

 

 レイシアちゃんはそこで少しだけ言い淀んで、言い直す。

 

 

「……こちらからの一方的な申し出になり、申し訳ありませんが……考えを変えるつもりはありませんわ」

 

 

 レイシアちゃんにしては穏当な言い回しが出てきた。

 普段のレイシアちゃんなら『それでも何か言うことがありまして?』くらいキツイ言い方になってたと思うけど……流石に今回はね。今までもなるべく穏当な方向で婚約破棄ができるようにってやってきたわけだし。

 

 

《……何か言いたいことでも?》

 

《いや、思ってたより穏当になりそうだなって》

 

《元より、なるべく穏当な方向で婚約破棄するという話でしたしね。……ただでさえ、今日はシレンが若干冷静じゃないですし》

 

《うっ! あれは…………ごめん……》

 

《謝ってほしくて言ったわけじゃないんですけど……》

 

 

 でもまぁ、アレはお父様があんまりにもあんまりなことを言うもんだから怒っただけで、塗替さんに対して怒ったりなんかしないよ。婚約の経緯については確かに思うところもあるけど、基本的に塗替さんって俺達の都合による被害者だからね。

 むしろ申し訳ないって気持ちが大きいかな。

 

 

「……そうかぁ」

 

 

 しかし、そんなレイシアちゃんの言葉を聞いても、塗替さんは動かなかった。

 薄っぺらい笑みを浮かべて、黒髪の美青年はさらに言う。

 

 

「いやいやいや、お義父さんから話を聞いたときは半信半疑だったんだけどさ? まさか本当に……とはね」

 

「ええ。……ですが、塗替様には個人的にもよくしていただきましたし、人として尊敬していますわ。婚約という形ではなくなってしまいましたが、これからもお互いによきパートナーとして明るい関係を築いていければと思いますわ」

 

「ちなみに。理由を聞いてもいいかな?」

 

 

 声に、少し力が籠る。

 これは多分、怒気だ。

 

 

「婚約といっても正式なものじゃあない。お義父さんと僕の間で交わしたものだ。このご時世、そんなものに強制力がないことは分かっているよ。もちろんね」

 

「……、」

 

「前にレイシアちゃんと話したときは、そこそこ乗り気ではあったと思うんだよね。メリットの方が大きい婚約だったと思っている。レイシアちゃんもそう思ってはいるんじゃないかな? 今でも」

 

 

 塗替さんは、そう言って少しだけ身を乗り出す。その大柄な身体が陰になって、視界が少しだけ暗くなる。

 

 

「なのになぜ、今になって? どうして今である必要があったのかな?」

 

 

 ……あ。言いくるめようとしているぞ、これ。

 素直に聞くならともかく、時期の話を持ち出してきたってことは、十中八九そこを起点にして駄々をこねるつもりだろう。

 うわぁ、ややこしいことになってきちゃったな……。まぁ、レイシアちゃんの話だとプライド高いってことだったし、こうなる可能性も大いにあったか……。

 どうすればいいんだろう。こういうとき、何をするのが正解みたいなのって分かんないよなあ……。うーん、なんて言えば塗替さんに納得してもらえるだろうか。

 

 

「あの、婚約という形ではなくなってしまいますが、公的な結びつきは、」「…………ハァ。慣れないことなどするものではありませんわね」

 

 

 一言。

 レイシアちゃんは、塗替さんの言葉を聞いてそう呟いたかと思うと、

 

 

 

「あの!!」

 

「っ!?」

 

 

 と、声を張り上げた。

 突然の大声に、周囲の通行人がびっくりしてレイシアちゃんの方を見た、()()()()()()()()

 

 

「塗替様……そのように言われても、わたくし困ります……!」

 

 

 俯いて。弱弱しく、しかし周囲にもしっかりと通る声量で、レイシアちゃんはそう言った。

 レイシアちゃんを追い詰めるかのような格好の塗替さん、そしてか弱く俯くレイシアちゃん。その構図を意識した通行人の中から、ざわざわとどよめきが生まれていく。

 

 

 …………や、やりやがった……!

 

 

 レイシアちゃん、オーディエンスを味方につけやがった! 此処でこれ以上塗替さんがレイシアちゃんに食い下がろうものなら、多分事情を知らない善意の第三者が首を突っ込んでこの場は強制的にお流れにできる。

 一度やらかせば後はもうどう足掻いても話し合いなんて無理だし、後はお父様と後詰をした上ですっぱり婚約破棄すれば相手からは二度と手出しができなくなる!

 

 で、でも……。

 

 

《れ、レイシアちゃん? これちょっとやりすぎじゃない? 何もこんなやり方じゃなくても……》

 

《シレン、違いますわよ。よく考えてみてください。婚約破棄をすると決めた時点で、穏便な決着など望めるわけがないではありませんか》

 

 

 レイシアちゃんは、さらっとそんなことを言った。

 

 

《これは政略結婚ですのよ? メンツがかかっているのです。もちろんメリットによる繋がりもありましたが、塗替はただでさえプライドの高い性格。相手の都合で破棄されるとあっては、いくら諸々を保証する形をとるといっても精神的には穏やかでいられるわけがありませんわ。今までは、シレンの意思を尊重してとりあえずそういう方向でやっていましたが……》

 

《え……》

 

 

 ……た、確かにレイシアちゃんは、最初の最初からわりと婚約破棄にあたって塗替さんの心証とか気にしてない節はあったけど……。

 じゃ、じゃあレイシアちゃんは、こういう争いになると分かっていて、それでも俺の意向に沿う為にわざわざ無駄だと分かっていて穏便に婚約破棄を進めてたってこと……?

 

 

《……まぁ、ややこしい話になる前に決着をつけられる可能性もあるにはありましたが、残骸事件に食蜂の件と、二度も潰されては流石にしょうがないですし》

 

 

 レイシアちゃんは、悲嘆にくれるというよりは面倒くさそうに溜息を吐いて、

 

 

《それに何より、シレンとの未来には邪魔にしかならないモノですからね。こんな婚約》

 

 

 …………それって。

 

 俺さえ塗替さんとの婚約を承服していれば、わざわざこんな敵を作るような真似をしなくてもよかったってことじゃないか。

 俺自身、まだ上条さんへの気持ちがどういうものなのか分かってないのに……。そんな曖昧な状態の俺の為に、レイシアちゃんはこんなことをしているのか?

 

 

「れ、レイシアちゃん待ってくれ。僕の助力があることは君にとっても都合がいいだろう? 特に今の君は、」

 

「あー、おおーい! いたいた! こんなところにいたのかお前~!」

 

 

 と。

 そこで、聞き慣れた声が、群衆を掻き分けるように近づいてきた。

 この声……というか、このシチュエーションって。

 

 

「いやーすみません、こいつ俺の連れで! こらダメだろ、はぐれたら危ないって言ったじゃないか」

 

 

 棒読みで……分かりやすいほどの棒読みで、ツンツン頭の少年はそう言って、俺の手を取った。

 …………上条さん……。

 そもそもこの人顔見知りだからその介入の仕方はないんじゃないのとか、記憶が飛んでもそのやり方は変わらないのねとか、ツッコミどころはいっぱいあるが……。

 

 

「っ、そういうわけなので!」

 

 

 流石のレイシアちゃんもこの展開には一瞬面食らっていたようだが、すぐにそう言うと、そのまま上条さんに手を引かれてその場から離れていく。

 と、そこで俺は見つけてしまった。

 群衆の向こうに、心配そうにこちらを見ているインデックスの姿を。

 

 そして当然、俺が見たということはレイシアちゃんにも見えたというわけで。

 

 

「……行きましょう、上条さん」

 

 

 そう言って、レイシアちゃんは上条さんの腕に抱き着き、塗替さんの方を一瞥した。

 ……振り返る前の一瞬だけ見えたインデックスの表情は、できれば表現したくはない。

 

 

 ……………………。

 

 

《大丈夫。心苦しい部分はわたくしが引き受けますから。わたくし、そういうのは得意ですのよ》

 

 

 いつかのレイシアちゃんの言葉が、脳裏をよぎる。

 

 ……ひょっとして。

 レイシアちゃんにこんな苦労を背負わせておいて、未だに『他の娘と争う覚悟がない』とか『上条さんを恋愛的な意味で好きか分からない』とかウダウダやっている俺って、とんでもない最低野郎なんじゃ……。

 

 

 

 


 

 

 

第一章 桶屋の風なんて吹かない Psicopics.

 

 

五六話:未遂 Bastard"s".

 

 

 


 

 

 

 …………どうしよう。

 

 

 俺はぐるぐると思考が巡る頭を無理やり整理しながら、そんな呟きを脳内に出力した。

 

 群衆を抜けてインデックスと合流した俺達は、流石に腕組み姿勢を解除して、ただ一緒に歩いているのだが……。

 まぁ、あんな風にあからさまに腕組みをすればインデックスは当然なんじゃそらと思うわけで。流石に上条さんがラキスケした時みたいに露骨な不機嫌さではないんだけど、というか表情にも出てはいないんだけど、なんかギクシャクした感じで……。

 俺達四人の空気は最悪なのだった。

 

 

「シレン、レイシア、大丈夫だったか?」

 

 

 ある程度歩いたところで、上条さんが口を開く。

 まぁ気になるよね。上条さんは、特に婚約破棄のことを聞いてはいるっぽいんだし。

 

 

「──先ほどはありがとうございました。以前お話していた婚約者の方だったのですが、少し話が拗れてしまいまして」

 

「婚約者?」

 

「ああ……。インデックスにはまだ話していませんでしたわね。わたくし……というかレイシアちゃんには、実は婚約者がいたんですの。それでお父様を通して婚約を破棄したのですが、相手方がそれを承服してくれなくて、ああいった直談判を……」

 

「結局そうなっちゃったのか……」

 

「……、」

 

 

 とりあえず、これ以上話を拗れさせたくないので迅速に説明したものの……ううむ、やっぱり空気が重い。というか、インデックス的には『何それ初耳なんだけど』だよなぁ……。

 

 

「な、なので! その、牽制といいますか、そういう理由で上条さんの腕に抱き着いてしまいまして……決して変な意味ではなく」

 

「ああいや、別にそれはいいんだけど。婚約破棄の方は大丈夫か? 俺にできることがあったら何でもするぞ」

 

「腕に抱き着いたのは、シレンじゃなくてレイシアだよね?」

 

 

 すっ、と。

 そこで、話の流れに自然と入り込むようなさりげなさで、インデックスが指摘した。

 

 

「え、あ……はい」

 

「シレン。なら勝手に言い訳しちゃダメだよ。自分のしたことを勝手にフォローされたら、レイシアだっていい気持ちはしないかも」

 

「いや、違、わたくしはそんなつもりでは……、ただ……」

 

「心配しなくてもね、シレン。()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 え……遠慮……? ……じゃない! それどころじゃない。まずレイシアちゃんに謝らないと! そんなつもりなかったとはいえレイシアちゃんに酷いことを言ってしまった。

 

 

《ごめんレイシアちゃん。俺……》

 

《いいですわいいですわ。心配しなくても、このくらい気にしませんわよ。……、というか、シレンは色々と気にしすぎですわ》

 

 

 レイシアちゃんは許してくれたが……。レイシアちゃんのしたことを勝手にフォローするとか、そんなのレイシアちゃんの行動を勝手に『悪いこと』にしてるようなものだ。マジでやっちゃいけないことじゃないか。

 これじゃあ、お父様とやっていることが同じだろ……。

 

 

《……シレン? 大丈夫ですか? わたくしはちゃんと分かってますわよ? わたくしの為を想ってしてくれたんですわよね?》

 

《……うん。ごめん、レイシアちゃん》

 

《………………》

 

 

 よし! 切り替えた。やってしまったことはもう取り戻せないが、いつまでも沈んでいたって余計に空気が悪くなるだけだしな。

 

 

「ありがとうございます、インデックス。確かにそうでしたわね」

 

 

 とりあえず微笑んで、インデックスに礼を言う。

 俺達の次の競技まではそこまで間がない。次が初日最後の競技なのだから、気合を入れて頑張ろう。さっきのことは全部終わった後で改めて、きちんと言うべきことを整理してから謝ろう……うん。

 

 

《……シレン、競技が、》

 

 

 と。

 レイシアちゃんが何か言いかけたタイミングで、不意に携帯端末が着信音を鳴らした。

 条件反射で相手を確認すると、かけてきたのは夢月さんだったため、そのまま出ることに。なんだろうな。一応時間的にはまだ余裕があるけれど、また一人でぶらぶらしてるから流石にお説教とかかな?

 

 

『ああ、よかったレイシアさん!! レイシアさん、どうっ、どうしましょう、どうすれば……っ!!』

 

 

 …………そんなあっさりした感じの心持は、夢月さんの切羽詰まった声で一気に吹っ飛ぶことになった。

 思わず一瞬茫然としかけた俺に代わって、レイシアちゃんが通話に応対する。

 

 

「どうしました。落ち着いて順序立てて説明できますか?」

 

『ああっ……ごめんなさい、ごめんなさい……私……!!』

 

 

 なんだ……!? 明らかに異常だぞ、この感じ。夢月さんにいったい何が……?

 

 

「……! 燐火! 近くにいるでしょう! 燐火! 通話を変わってください! 状況の説明を!」

 

 

 レイシアちゃんもヤバイと思ったのか、声を張り上げて近くにいるであろう燐火さんに状況確認をする。

 同時に俺は、何か嫌な予感を感じて、周囲へ視線を向けた。何か……嫌なざわめきを感じるのだ。電話口で声を張り上げた俺達に、ではない。もっと何か……別のところへ向けられた、嫌な感情を。

 

 

「…………おい、シレン、レイシア」

 

 

 背後から、上条さんの声が聞こえた。

 

 

「あれ。…………どういう、ことだ?」

 

 

 言われて、俺は視線を上げる。

 学園都市の空には、今日もニュースを伝える飛行船が浮かんでいた。天気予報の他に紛れ込んでいたニュースの中には、

 

 

『常盤台、不祥事を隠蔽か? 今年七月に生徒が自殺未遂』

 

 

 ──そんな文字が、無機質に浮かび上がっていた。




実はシレンはけっこう前からかなり重大な思い違いをしています。シーズンⅡを読み返すとなんとなくピンと来るかも。


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五七話:決壊

 俺は──というかレイシアちゃんは、上条さん達との別れもそこそこに次の競技の会場へと急いでいた。

 

 上条さん達は去り際に何かを言っていたが、正直それどころではない。『亀裂』を展開して空を駆けて、息が切れるのもお構いなしに会場の、常盤台用控室まで到着したとき──既に異様さはあらわれていた。

 常盤台用控室の外に、かなりの数の常盤台生がいたのだ。まるで、締めだされたみたいに。

 

 俺たちがやってきたのに気づいたと同時に、その場の生徒達の視線が一斉に俺たちに集まる。

 ……視線が集中したのもそうだけど、何か変な違和感があるな……。なんかこの感じ、覚えがあるような……。

 

 

「……あの、これは?」

 

「…………あ」

 

 

 その中の一人に声をかけてみるが、気付いた生徒は気まずそうに顔を伏せて俺から視線を逸らす。

 それを見て、気付いた。

 ……これ、前世の俺の時と同じやつだ。

 末期がんだと分かって、友達、同僚、病院の人たちなんかから向けられたのと、同じやつ。

 『俺』という存在の上に、見えない()()()が覆いかぶさって、何もかもを遮ってしまうような感覚が……。

 

 

「レイシア、シレンさん」

 

「…………美琴さん」

 

 

 そんな俺達に声をかけてくれたのは、美琴さんだった。

 美琴さんの表情は、やはり心配そうに曇っている。例の件のことも既に知っているのだろう。当事者になった美琴さんとしては、やはり色々と思うところがあるのかもしれない。

 

 

「……」

 

 

 感情的になりそうになる自分を抑えて、俺はあたりを見回してみる。

 やはり……いない。

 さっきの違和感の正体を確信した。……いないのだ、GMDWの面々が。

 

 この異様な雰囲気、そしてみんなが控室の外に出ているという事実……。

 

 

「……ん。ちょっと心配してたけど、その様子なら()()冷静そうね」

 

 

 美琴さんはそう言って、肩を竦めて見せた。

 おどけた調子だが、やはり声が堅い。

 

 

「察しの通り、あの子達は控室の中にいるわ。みんなして酷く落ち込んでいたから、今は、そっとしてあげようと思って。……アンタが話を聞いてあげて。私は……」

 

 

 そこまで口にして、美琴さんは静かに俯く。

 そして血を吐くように、言った。

 

 

「……私は、そんなことする資格ないから」

 

「そ、そんっ、……」

 

 

 『そんなことない』……そう言いかけてから、俺はさっきインデックスに言われたことを思い出して口を噤んだ。

 ……だって、そんなことないかどうか判定を下していいのは、この世でただ一人。レイシアちゃんだけだ。俺は……少なくとも自殺未遂に関しては、『後から知った部外者』だから。

 その心の動きはレイシアちゃんだけのものだし、俺が勝手に定義していいものじゃない。

 

 

「卑怯ですわよ、御坂美琴」

 

「!」

 

 

 口を噤んだ俺に代わって、レイシアちゃんは鋭くそう返した。

 

 

「開き直れとは言いませんし、酷な話ですが…………せめて胸を張りなさい。アナタは、正しいことをしたのだと」

 

「た、正しいって……! だって現に、アンタは私のせいで、」

 

「わたくしは!!!!」

 

 

 何かを言おうとした美琴さんの言葉を遮るように、レイシアちゃんは声を張り上げる。

 通路にいた常盤台生の全員が、思わずレイシアちゃんの方へ視線を向けた。

 あるいは、それすらレイシアちゃんの思惑通りだったのか──集まった衆目に向けて、レイシアちゃんは吐き捨てるように、

 

 

「……わたくしは、あの挫折の先に、こうして立っているのです。ここに至るまでに、わたくしに不要なモノなどなかった。全てが、わたくしを作り上げるのに必要なモノだった。遍く並行世界を見渡しても、このわたくしこそが最も幸せな未来だったと、断言できます。だから、負い目に感じる必要などなくってよ。……()()()は、そうは思ってないみたいですけど」

 

 

 その言葉からは、煮えたぎるような怒りが溢れていて──美琴さんは思わず、たじろいで後ずさりした。

 でも、多分違う。

 レイシアちゃん、今の一言って………………。

 

 

 


 

 

 

第一章 桶屋の風なんて吹かない Psicopics.

 

 

五七話:決壊 Pure_Heart.

 

 

 


 

 

 

 正直、限界なんてとっくのとうに迎えてたんだ。

 

 

 だって、俺にとってはそれだけで十分だったから。

 

 

 新しい命、新しい人生、新しい未来。それだけで十分だったのに……それを一緒に歩ませてもらうだけで、他にはもう何もいらないって思えたのに。

 

 

 なのに急に、上条さんとの関係とか、自分の気持ちとか、他の女の子達との戦いとか、レイシアちゃんの気遣いとか……考えることがいっぱいで。

 

 

 そんなときに、あんなことがあったから。

 

 

 多分、きっかけなんかどうでもよくって。

 

 

 だから、俺は────。 

 

 

 


 

 

 

 ──お通夜ムード、そういう表現がぴったりだった。

 

 控室にいたGMDWの面々は、それこそ人が死んだような沈痛な面持ちで、入室した俺たちにも一瞬気付くのが遅れるほどだった。

 ……いや、実際に彼女たちの中では、死んだのか。今までのイメージのレイシアちゃんは、多分死んだ。だからこんな……。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 口を開いたのは、夢月さんだった。

 最初はその謝罪の意味が、自殺未遂についてだと思っていたが……、

 

 

()()()()()()()()。私達」

 

 

 …………へ?

 

 

「知っていた上で、黙ってたんです。……知らないふりをしたんです。言っちまったら、もう今までの関係ではいられないと思ったから。レイシアさんもそれを望むだろうって言い訳して、隠して……そのせいで、そのせいでっ、こんな、こんなことにっ」

 

「違いますっ!! あたくしだって同意しましたっ。派閥みんなにこのことを隠すように指示したのはあたくしですっ! あたくしがっ、あたくしがそんなこと言わなければこんなことにはっ……!」

 

 

 …………その後は、もう何がなんだか分からなかった。

 

 私が悪いんだ、私があそこでああしておけば、私が、私が……。

 なんだ? なんなんだ? これは? なんでこの子達、自分のことを責めているんだ? 状況はよく分からないけど……仮にこの子達がレイシアちゃんの自殺未遂のことを知っていたからと言って、こんなの、GMDWの子達が黙ってたからどうこうって話じゃないのに。

 いったい何がどうなって、こんな意味の分からない状態に……。

 

 

「──いい加減になさい!!!!」

 

 

 それを見て、ついに堪忍袋の緒が切れた人がいた。

 

 

「どいつもこいつも、口を開けばぐちぐちぐちぐち……なんですの? そんなにわたくしが自殺しようとしたことは痛ましいことなんですの? そんなにわたくしは『かわいそうな子』なんですの!?」

 

 

 ………………。

 

 

「そりゃあ、哀れではあったかもしれませんわ。自分でも、今振り返ってみれば同じように思います。何も知らない、知ろうともしない、哀れな女だったと! でも! 今のわたくしもそう見えますか!?」

 

 

 …………それは。

 その言葉は、

 

 

「わたくしは、支えられていないと折れてしまいそうな弱弱しい女ですか!? そうやって気を遣い、詫びなければ潰れてしまいそうな脆い女ですか!? 違うでしょう!! わたくしを己の女王だと認めたのは……己の半身だと認めたのは、どこの誰ですか!!!!」

 

 

 …………それは、俺に言っているんだね、レイシアちゃん。

 

 確かに、言う通りかもしれない。

 お父様の一件に関しても、俺があんなに怒っていたのは、そもそも『俺が憑依したこと』を根本的には悪いことだと思っていたから……といえるだろうし。

 レイシアちゃんとしては、俺がこの期に及んであの自殺未遂を『悲劇』だったととらえてるのが、みんながそう思っているのが……そのことで誰かが責められるのが、我慢ならないんだね。

 

 

「あの事件があったから、わたくしはアナタに会えた! アレは愚かな女の馬鹿げた行動だったかもしれないですけど、悲劇なんかでは決してありません! だから……遠慮しないでください! アナタは『第二人格』なんかじゃありません! 『もう一人のレイシア』でもない! アナタだってれっきとした『本物のレイシア=ブラックガード』なのですから!!」

 

 

 

 分かったよ、レイシアちゃん。

 レイシアちゃんの気持ちは、よーく分かった。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 

「それなら、レイシアちゃんももう少しわたくしのペースに合わせてくれたっていいのではなくて?」

 

「はっ……?」

 

「し、シレンさん……?」

 

 

 ずっとずっと、我慢してたけどさ。

 俺はレイシアちゃんの第二人格だから、レイシアちゃんが俺のことを想ってやってくれてることだから、そう思って、やりたいようにさせてきたけどさ。

 

 

「もう……わたくしはいっぱいいっぱいなんですのよ!! 上条さんのことが好きとか! 婚約者とか!! わたくしにも分からないわたくしの気持ちを、どうしてレイシアちゃんに決めつけられないといけませんの!?」「はっ……!? いやだって、そんなの傍から見ればどう見たって、」「わたくしには分からないんですのよ!! そんなの!!」

 

 

 恋とかそんなの前世でも全然だったっていうのに、いきなり『お前には自覚していない感情がある』とか言われてお膳立てされたって、そんなの納得できるわけないだろ!!

 自分でもしっくりきてない感情で、他の女の子達の恋路を邪魔して、それで傷つかないわけないじゃないか!! 俺が!!

 

 

「他でもないレイシアちゃんなら、分かるでしょう!? なのになんで強引なことばっかりしますの!?」「だ、だってっ、それはシレンが……わたくしは、よかれと思って、」「わたくしだって!! 今までよかれと思ってやってたんですのよ!!!!」

 

 

 俺がよかれと思ってやったことには怒るくせに、レイシアちゃんがよかれと思ってやったことは受け入れなきゃいけないなんておかしな話じゃないか!?

 

 

「だったらシレンだってもうちょっとハッキリ言えばよかったじゃありませんの! わたくしだってちゃんと言われればもう少し自重しましたわよ!」「この期に及んでわたくしのせいですの!? わたくし何度も言いましたわよ! もうちょっとお手柔らかにって……。なのにレイシアちゃんが聞かなかったんじゃありませんの!」「なっ……!」

 

「あ、あのー……? お、お二人とも……?」

 

「へ? ……ああ、確かに今はそれどころじゃありませんでしたわね……」「なんですの。そんなわたくしの気にしてることが下らないことみたいな」「そうは言っていないでしょう!? そうやって拗ねてはあてこする癖はどうにかした方がいいですわよ! 美琴さん相手とか、わざと傷つく言葉選びをしてること、あるでしょう。ああ見えて美琴さんはしっかり傷ついてますし、そういう小さなところから……、」「今度はお説教ですの!? 大体、シレンはいつもそうですわよね。どこか上から目線というか……ちょっと自分の方が大人だからって、」

 

「お、ふ、た、り、と、も!!!!」

 

「はいっ」

 

 

 声を張り上げた燐火さんに、俺達は一旦言い争いを中断して向き直る。

 ああ……そういえば、なんか頭に血が上ってたけど、今は本当にそれどころじゃなかった。まずは皆の心のケアを……、

 

 ……と思っていたのだが、なんか肝心の皆の方は、いい感じに脱力しているというか……呆れているような? いやまぁ、呆れるか……。目の前で二重人格者が人格同士で喧嘩してたら、とりあえず呆れるよな……。分からんけど……。

 

 

「……まずっ、申し訳ありませんでしたっ。お二人のことを、信じてあげられず……」

 

「私も……失礼しました。そーですよね。私達が認めた『女王』ですもんね。信じねーなんて不義理でした」

 

 

 そう言って頭を下げる二人……いや、派閥の面々。

 そこには、やはりまだ戸惑いこそあれど、必要以上の罪悪感はなさそうだ。……結果的に、あの喧嘩がみんなの緊張をほぐすいいきっかけになれたのかな?

 

 

《……まぁ、一旦休戦ですわ。今はそれどころではありませんし》

 

《そうだね。まずは、目の前の問題から解決していこう》

 

 

 とはいえ、どうしたものか……。

 自殺未遂。そこにレイシアちゃんが含むところを持ってないとしても……世間はそうはとらえてくれない。

 ゴシップサイトはこぞって面白おかしく書き立てるだろうし、GMDWのみんなに対しても心無い声が飛んでくるかもしれない。常盤台だって揺らぐだろうし、そうすれば逆恨み的に俺達に恨みを持つ学生だって出てくるかもしれない。

 

 早いところなんとかしないと……というか、どこからどう漏れて、これが俺達に解決できるのかってところもよく分かってない。

 分かってないから、みんなして現実逃避的に()()()()()()()()()()()()()()()()()んだろうけど……。

 

 

「…………あの!」

 

 

 と。

 そこで、声を上げる派閥メンバーが一人。

 

 

「……好凪さん?」

 

 

 それは、GMDW唯一の一年生メンバー、阿宮好凪さんだった。

 真面目だけどおっちょこちょいで、学究会で発表した研究のときは、データを巻き戻してしまったこともあった子だけど……。

 

 

「一つ……わたくし、気になることがあるでございます」

 

 

 阿宮さんは緊張で震える声を落ち着けて、ゆっくり息を吸ってから言う。

 

 

「この『スキャンダル』…………誰かの、()()なのでは?」




レイシア:色々あったけど自殺未遂したからシレンと出会えたのにテメーいっつもアレが悲劇だったみたいに言いやがってよ~~!!
シレン:恋愛関係いつも俺を蚊帳の外にして勝手に進めるのいい加減にしてくれない!?こっちにも色々心の準備ってものがあるんですけど!!


……まぁ今回の一件とは関係ないんですけど、二人とも溜まった鬱憤が決壊しちゃいましたね。


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五八話:反撃の狼煙

「『攻撃』……ですって?」

 

 

 好凪さんの言葉に、俺は思わず聞き返していた。

 

 『この「スキャンダル」…………誰かの、()()なのでは?』という好凪さんの言葉。

 あながち否定はできない指摘だ。俺達にとってこの情報はあまりにも不利益だからな。だが……ぶっちゃけて言えば、今まで隠せてた方がおかしいんじゃない? と思わなくもない情報だったりもする。

 おそらく常盤台のお偉方が何やら根回ししていたんだと思うが……単にそれがたまたまこのタイミングで表出してしまっただけだという可能性もある。

 

 いや、それ以前に。

 

 攻撃だろうとなんだろうと、この状況……そこを考えることに何か意味があるか?

 レイシアちゃんの自殺未遂のことが世間にバレて、それによって常盤台が、ひいてはGMDWの面々が『社会的な死』を迎えるまで糾弾が続くであろうこの状況。考えるべきは、『どうやって被害を最小限に抑え、GMDWを守るか』だろう。

 ただでさえ皆、今回のことで必要以上に罪悪感を抱えているんだし……。

 

 

 …………?

 

 ……いや、今言ってて何か、妙な感じがしたぞ? 何か……何か、根本的なところで違和感があるような……。

 

 

「好凪。続けなさい」

 

 

 俺が違和感の根源について考え込んでいるのを感じ取って、レイシアちゃんが好凪さんに続きを促してくれた。

 好凪さんは頷き、続きを語り始める。

 

 

「最初に違和感をおぼえたのは……わたしがレイシアさんのことを知ってから、一週間くらい経ったころでした」

 

 

 好凪さんはそこでハッと気付いたようになり、

 

 

「あっ、わたしがレイシアさんのことを知ったのは二学期が始まってからでっ、あ、あとわたしと千度さんが派閥の中ではこのことを初めて知って……」

 

「すすす、好凪さん」

 

 

 アワアワとし出した好凪さんの言葉を遮るように、そこで千度さんが彼女の肩に手を置いた。

 そして、一言。

 

 

「…………落ち着いて。大丈夫ですから」

 

 

 ──そのあとは、好凪さんもスムーズに話し始めてくれた。

 

 彼女の証言を纏めると、こうだ。

 

 

 


 

 

 

 ──九月二日。

 

 阿宮好凪がレイシア=ブラックガードの自殺未遂事件について知ったのは、その日の午後の能力開発の時だった。

 先輩である桐生千度と共に研究施設で能力のデータ取りをしているときのことだった。研究員の一人が、噂話のような調子でレイシアが七月ごろに自殺未遂をした、という話をしていたのだった。

 

 最初はまさか、と思った。

 桐生はもちろん、阿宮にとってもレイシア=ブラックガードとは強者の象徴だ。常に近くで見ているからこそ、ある意味では常盤台に君臨する二人の超能力者(レベル5)よりも色濃く、その強さは目に焼き付いている。

 だが、情報源がブラックガード財閥の関連企業に属する研究者だったこともあり、その話は妙な説得力を持っていた。

 

 恐ろしくなって刺鹿と苑内に相談した二人だったが、事実でも虚偽でもレイシアの為にならないということで、黙殺する方針で決定。

 ……しかし、その後も研究所に行ったメンバーからの噂の報告は止まず、五日も経てばレイシアの自殺未遂は派閥構成員全員の知るところとなってしまっていた。

 

 派閥構成員の多くは、レイシアの自殺未遂という起きた出来事の重大さに戸惑い、恐れた。その噂が多方面から出たことによって、『すぐにでも世間に広まってしまうのでは』という恐怖が先立ち、またレイシアに対する罪の意識を贖うことにばかり意識が向かっていた。

 だが──此処にひとつ、特大の違和感がある。

 

 そもそも、この噂はどうして()()()()()()()のだ?

 

 だって、おかしいだろう。

 九月二日に阿宮と桐生が耳にし、五日も経たないうちに一〇人いる派閥構成員全員に広まった噂が──

 ──どうして、大覇星祭当日まで他の誰にも広まらなかったのだ?

 

 人の口に戸は立てられない。

 ここまで情報が広まらなかったのは常盤台上層部の根回しだったと仮定して、その根回しを超えて阿宮と桐生に噂が届いた時点で、もうその根回しは意味をなさなくなったと考えるべきなのだ。

 にも拘わらず、情報が『GMDW』で止まっていたということは。

 

 この『噂』を流した者は噂を世間に広めるのではなく──()()()()()()()()()()噂を流すつもりだったということが考えられる。

 

 

 では、思考を次のステップに進めよう。

 

 九月二日から、何者かがGMDWの面々にのみ噂を流した。ではそれは何のため? どうやって?

 

 最初に言っておく。

 これらの疑問に対する答えを導き出すのは、不可能である。どの回答も確たる証拠はない。推測に推測を積み上げた、状況証拠による砂上の楼閣である。

 

 ただし、前提となる事実は存在する。

 情報源は常に研究員──という共通点だ。

 

 そして、GMDWの面々の能力開発施設は、もともとレイシアが全て管理していた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 さて、ここからは推測に推測を重ねた単なる『疑い』の話だ。

 

 

 レイシア=ブラックガードの勢力内にいて、彼女を追い詰めることで利益を得られるのは誰だ?

 

 レイシア=ブラックガード以外に、勢力内に独自の噂を流すことのできる権力者は誰だ?

 

 噂が広まった二学期から、レイシア=ブラックガードはどんな活動をしていた?

 

 

 何故、『犯人』は直接世間に噂をバラすのではなく、派閥内に噂を流すなんて──()()()()()ことをしたのだ?

 

 

 これは単なる推測。

 確たる証拠の存在しない『疑い』。

 

 だが。

 

 

 


 

 

 

第一章 桶屋の風なんて吹かない Psicopics.

 

 

五八話:反撃の狼煙 Answer.

 

 

 


 

 

 

「だ、だから……その……この『攻撃』の犯人は、でございますね……」

 

「…………塗替斧令、ですわね」

 

 

 レイシアちゃんは、静かにそう言い切っていた。

 そう考えれば辻褄が合ってしまうのだ。

 

 噂が流れ出した時期が二学期からなのは、俺達が婚約破棄の為に段取りをつけだしたのがまさにその時期だから。

 

 噂をわざわざ派閥構成員にだけ流していたのは、俺への警告。本来は派閥メンバーから俺の耳に入れることによって『このまま婚約破棄を進めれば秘密を暴露するぞ』というメッセージにするつもりだったのだろう。

 だが、派閥メンバーが俺に気を遣ったことでその作戦は意味をなさなくなり──結果として、向こうからしたら『警告を無視して婚約破棄を押し進めた』と見えたわけだ。

 

 そして今になって秘密がバレたのは、婚約破棄が決定的になったから。

 このスキャンダルでGMDWの地盤をボロボロにすることで俺の力を削ぎ、事態の収拾と引き換えに婚約破棄を撤回させようという魂胆だと考えれば──これまでの盤面の流れ全てに説明がつく。

 

 何より──婚約破棄を回避するためにここまでやるというのは、これまでレイシアちゃんから聞かされていた塗替斧令の人物像とこの上なく合致する。

 

 

《………………甘かった》

 

 

 俺は、後悔していた。

 

 レイシアちゃんの、言う通りだった。波風の立たない婚約破棄なんて、そんな甘いことを考えるべきじゃなかった。

 俺が日和って悠長な真似をしたから、敵は()()()()()()()()()のだ。レイシア=ブラックガードの大事な部分を土足で踏み荒らしても、問題ないと。そうすることが、交渉手段になり得ると。

 

 甘かった。

 

 そんなことを考えられなくなるくらい……最初の最初から、徹底的にやるべきだったんだ。向こうが俺達に歯向かおうと思わなくなるくらい、そんなことをしでかせばどうなるかイメージできるくらい、鮮烈な一手を打つべきだった。

 いや。

 今からでも、遅くない。俺達の言うことに従わないと痛い目を見ると分からせてやれば、あの野郎の安いプライドをへし折って、俺達の前にひれ伏せさせれば、まだ何とかなる。

 だって、アイツだってこの事態に収拾をつけたいはずではあるのだ。でないと交渉にならない。だから……今すぐ。この失敗を、

 

 

《シレン》

 

 

 椅子から立ち上がりかけたところで、足から力が抜けた。

 

 

《わたくしは、()()でよかったと思っていますわ》

 

 

 その声は、穏やかだった。

 

 ……? 何言ってるんだレイシアちゃん。これは明らかに失敗だ。俺が余計なことを考えず、最初からレイシアちゃんの方針のままに動いてなければこうはならなかったんだから。いや、そもそも俺が同性との婚約に及び腰じゃなければ、上条さんへの恋愛感情についてきちんと明確な否定を出していれば、こんな話が出てくることもなかった。

 もちろん、だからといって俺が消えればいいとかそういうことは考えてないよ? 二人で生きるって決めたんだから、そんな勝手は言わない。

 でも、間違えたのは純然たる事実で、その責任が俺にあるのは疑いようがない。そこを誤魔化すのは違うだろ。

 

 

《だって、いつまでも友達に秘密にするには、ちょっと据わりが悪い話だったんですもの。いずれ色々と整理ができた段階で告白するのがわたくし達の総意でしたけど……こんな感じで、敵の策謀の流れで多少ドラマチックにやるのも悪くないのではなくて?》

 

《いやいやいや、レイシアちゃん……。……、……》

 

 

 思わず苦笑して、少し黙った。

 ちょっとだけ、思うところがあったのだ。

 

 

《…………そういうことに、()()()()()? シレン》

 

《レイシアちゃん……》

 

《……今までいろいろと、悪かったですわ。正直に言うと、わたくし、楽しかったんですの。今までわたくしにとって、恋愛は実利だけでしたから……。実利を追求して、なおかつシレンが幸せになれるなら、こんなに良いことはないじゃないかって。…………それでシレンが辛い思いをしていたら、本末転倒ですわよね。挙句にこんなことになってしまって、ごめんなさい》

 

 

 ……そんなこと。

 俺だって……。

 

 

《……俺も、ごめん。一緒に生きるって決めたのに、()()()未来を見るって決めてたのに、いつの間にか、ありもしない未来(IF)のことばかり考えてた。一緒に生きるって決意してくれたレイシアちゃんの気持ちを、ちゃんと考えてあげられなかった》

 

 

 レイシア=ブラックガードが自殺未遂なんてしなくて済む未来だったら。

 お父様とお母様がきちんとレイシアちゃんのことを見てあげて、派閥の皆とも最初から普通に仲が良くて、塗替斧令なんて妙な男にも引っかからなくて。

 俺なんかがわざわざ憑依しなくても、全部が上手く回ってくれるなら。そんな未来がきっと一番素敵で幸せで……俺達の未来は『次善』だなんて、そんな酷い話はないよな。

 だって、実際のレイシア=ブラックガードはこうして──『俺達』なんだから。

 

 だから……違うよな、俺が考えるべきことって。

 

 俺と……來見田志連とレイシア=ブラックガードが出会えたこの未来が、幾千億の未来の中で一番素敵で幸せなものだって信じる。

 何が起ころうと、どんな難題が立ち塞がっても、その全てを乗り越えて、呑み込んで、そして最後には『すべてがわたくしの覇道を支えたのですわ!』なんて、世界の全てに宣戦布告をするような不敵さで笑う──そんなことだけでよかったんだよな。

 

 

「そんな……レイシアさんの婚約者が、そんなことを……」

 

 

 予測される犯人の名前を聞いて、燐火さんが気落ちした調子で呟く。

 どよめきがないことを見ると、多分みんなどこかで納得はしているのだろう。みんなだいたいご令嬢さんだもんね。そのへんの……こう、ドロドロとしたアレの機微は分かるのだろう。

 

 

「で、でも具体的にどうしやがるんです!? こ、こんなことになっちまって……もう、もう……取り返しが……」

 

「…………そうですわね」

 

 

 今にも泣きそうな夢月さんに、俺はひとまず肯定する。

 確かに、もうこうして世間に広まった噂を否定することはできない。何せ事実だし、おそらくレイシアちゃんの自殺未遂の現場は監視カメラにも映っている。入院歴なんていくらでも調べられるから裏取りはされているだろうしな。

 だから俺達が考えるのは、起こってしまった事態を否定することじゃない。

 あの事件を、マイナスのこととして隠したり、誤魔化したりすることじゃない。

 

 

 ……そうだろ? レイシアちゃん。

 

 

「『わたくし達』に、考えがあります」

 

 

 別に確認をとったわけじゃないけど、俺は自然と、レイシアちゃんの考えていることが分かっていた。

 作戦なんか何もない。

 でも、不思議と不安もなかった。

 

 回りくどい策謀も存在しない。

 誰かを貶したり、陥れたり。

 そういうドロドロしたのは、やらない。

 

 性に合わないのは、もうやめだ。

 

 

 俺達のやることは、たった一つ。

 

 

「せっかくです。全世界に教えてあげましょう。────わたくしたちの『再起』。その結実を」

 

 

 何も知らずに紛糾する世間の皆々様に教えてやればいいのだ。

 

 俺達は、これでよかったんだって。




シレンは『レイシアちゃんの自殺未遂のお陰で俺が憑依できたんだから結果的にはいいことだった』と言えるほどの面の厚さはなかったんですね(そしてレイシアの要求は『それを言え』ってことなので……まぁ強引ってレベルじゃないですね)。


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五九話:凱旋の時

 一日目最終競技は、騎馬戦だった。

 

 一校当たり、四人一組の騎馬三騎。計一二人の集団が四校同時に激突して騎手のハチマキを奪い合うという、まさしく一日目のクライマックスに相応しい目玉競技だ。

 一二人ということで常盤台の全校が参加するわけではなく、今回は派閥の云々かんぬんな力関係をやって、俺達GMDWがその枠をとることに成功した。……もっとも、枠の一二人に対しGMDWのメンバーは全員で一〇人なので、二人は派閥外からの選出ということになるのだが。

 

 

「よろしくお願いしますわ。美琴、帆風さん」

 

「ええ、まっかせときなさい!」

 

「わたくしも微力ながらお手伝いしますね」

 

 

 ……で、今回の噂のアレコレで、流石にこの状況のGMDWと一緒に普通の生徒を入れるのは(プレッシャー的にも)いかんだろう……ということで、一匹狼の美琴さんと食蜂派閥のナンバー2である帆風さんが協力してくれることになった。

 正直帆風さんが来てくれるとは思っていなかったのだが、そこのところはこう……食蜂さんにちょいちょいと事情説明をして、『そういうことなら』と快諾してもらった。

 まあ、満更食蜂さんにも利益のない話じゃないからね、今回の作戦。

 

 

「一応、もう一度説明しておきましょうか?」

 

「今回の作戦は、どっかの誰かによってバラ撒かれたアンタ達の悪評を相殺するためのもの。だから私たちは、ひとまずサポートに徹する──でしょ?」

 

「最初に作戦を聞いた時は、とても驚いたのですが……。本当に大丈夫なのでしょうか? まさかそんな……」

 

「大丈夫ですわ」

 

 

 不安そうに言う帆風さんに、レイシアちゃんが太鼓判を押す。

 いつものレイシアちゃんの自信過剰言動とは違う。今回は俺も、レイシアちゃんと同じように『大丈夫だ』と自信を持って言える。

 なぜ?

 理由などない。強いて言うなら────

 

 

 『俺達だから』、かな。

 

 

 


 

 

 

第一章 桶屋の風なんて吹かない Psicopics.

 

 

五九話:凱旋の時 Best_future.

 

 

 


 

 

 

「…………見ろよ、来たぞ」

 

「あの子が、自殺の……」

 

「なんか、いじめられてたって噂だぞ……」

 

「あの周りの子達が? ……ってことは、今も……」

 

「あんな平気な顔して……最悪よ」

 

 

 予想していた通り、観客席からはざわざわと、それはもう耳を塞ぎたくなるような声が聞こえてきた。

 

 声を聞く限り、常盤台そのものに対する批判はあまりなかった。

 お偉方が自分達に致命的な批判が向かないように色々と調整したのかもしれないな。その結果、観衆の悪意はGMDWの面々に向けられているようだけど。

 ……その点はクソったれな話だが、却って都合は良い。解決すべき問題が『GMDWに対して向けられた悪感情』だけになるんなら、それはもう俺達の方で解決できることだしな。

 

 世間の声なんてそんなもんだ。

 彼らは部外者だから、細かいことなんてなんも分からない。分からないから、知ってる情報だけで判断できる『正しい意見』を捻りだすしかない。

 ……でも逆に言えば、それはいくらでも覆せる評価ってことだよな。

 無責任な声を、無責任と切り捨てるな。それらの浮動票は、俺達のやりようでいくらでも『強力な味方』に変えられて――俺達には、そうする手段がまだ残されているのだから。

 

 

「…………、」

 

 

 対戦校の方も、噂については聞き及んでいるのだろう。その上でどういう心境なのかは分からないが、何やら皆強張った表情で緊張していた。

 おそらく、『向こうは大変な状況だろうけど、余計なことは考えず競技に集中するぞ』みたいな指示が内部で出てるのかな? まぁ、そうしてくれた方が俺達としても有難い。

 そこで変なコンディションになられたら、ちょっと申し訳ないからね。

 

 

「いいですか、皆さん。わたくし達のやることは、最初から最後までまったく変わりません」

 

 

 振り向かず、ただ背中越しに、レイシアちゃんは皆に呼び掛ける。

 思えば──俺達が今までやってきたことって、本当にたった一つだけだったんだよな。

 

 

「目の前の競技に、全力を尽くしなさい! あとはわたくしが何とかしてみせます!!」

 

 

 『競技をいっぱい頑張る』。

 ……奇しくも、食蜂さんのオーダーにはこれ以上ないくらい従う結果になったね。いや、まったく意図はしてなかったんだけども。

 

 

 


 

 

 

『さァて!! 第七学区・中学生の部最終種目となった「騎馬戦」の開幕だ! しかもこの騎馬戦は四校同時の四つ巴決戦! 盛り上がってきたぞ! あ、実況はこの俺海賊ラジオDJと、』

 

『解説は私、「ヘソ出しカチューシャ」がお送りするけど。……しかし今更だがこのネーミング、何とかならなかったのか?』

 

『お、適度に自尊心が傷つけられるネーミングでいい感じじゃないか?』

 

『それで喜ぶのは妹の方だけど』

 

 

 もうすっかり聞き慣れた実況解説による競技開始の合図を耳にしながら、俺は全軍の先頭で構える。

 もちろん、レイシアちゃんは騎手。そしてそれを支える騎馬は、夢月さん、燐火さん、千度さんの三人だ。

 本来は玉入れのときのように元の派閥で分ける予定だったが、今回は美琴さんと帆風さんが入るということでちょっと割り振りを調整した。

 それにまぁ……大将騎だしね。そのへんの箔をつけるという意味でも、派閥のリーダー格を集めさせてもらった。

 

 もっとも、今回に関しては班の割り振りとかそういうのは関係ないのだが。

 

 すぅ、と大きく息を吸い、

 

 

「聞いてくださいッッッ!!!!」

 

 

 同時に、『亀裂』を展開して三校の間に透明な壁を展開する。

 

 

 大声と、亀裂。

 その二つで生まれた静寂の間を縫うようにして、俺達は続ける。

 

 競技の私物化?

 けっこう。私物化は悪役令嬢の専売特許だ。

 

 

「今……わたくしが、七月に自殺未遂をしたという噂が出回っています。それは、事実です」

 

 

 直後、観客席だけでなく、競技場にいた生徒からもどよめきが発生した。

 そりゃあそうだろう。渦中の人間から、じかにスキャンダルを認める発言が飛び出したのだ。

 だが、そこで怯んじゃいけない。俺達はさらに続ける。

 

 

「それは、わたくしの身勝手からくるものでした。……挫折があったのです。自儘に振舞い、他者を省みなかったわたくしは挫折し……川に身を投げました。ですが!!」

 

 

 俺達は、言葉に耳を傾けてくれる全ての人間に視線を向ける。

 中には、携帯で話している俺のことを撮影している人もいる。……多分、この発言とかも全部SNSに上げられてるんだろうな。

 

 

「その先で、巡り合えた出会いがありました! それは、わたくしが現実から逃げなければ絶対に得られなかったであろう出会いでした。……『彼女』のお陰でわたくしは変われて、多くの友人を作ることができました」

 

 

 それはレイシアちゃんだけの言葉ではない。

 俺もまた、レイシアちゃんのお陰で変わることができて、多くの友人を作ることができた。

 そうだ。俺の『死』だって、確かに悲しくて、動かしようのない事実だったけれど。だけど、そのお陰で、レイシアちゃんと出会うことができたんだ。

 

 

「今回の件を聞いてわたくしのことを慮ってくださった方、わたくしの為に憤って下さった方。その気持ちは大変有難いです。ですが、今のわたくしの姿を見てください! ……今のこのわたくしの姿は、その挫折があったからこそのものなのです」

 

 

 観衆の反応は、ない。

 まだ反応を決めかねている──というより、俺達の言っていることの実感がないのだろう。

 どうやらレイシアちゃんがいじめられていたなんて風説すら流布されていたらしいし、そういう話を信じている人からすれば、いじめられっ子がいじめっ子を庇っている構図になるわけで、振り上げた拳の下ろしどころが分からなくなるのも頷ける。

 

 だから、俺達の決め手は言葉なんかじゃない。

 今日初めて観戦で見たばかりの小娘の一言なんかで、観衆の心が動かされてくれるとも思わない。

 必要なのは、強烈なインパクトだ。

 

 

「実況解説! 特に解説の方! アナタなら、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)がどのくらいの出力まで成長すれば超能力(レベル5)判定を得られるか分かるのではなくて!?」

 

『はぁ……? ……お前、まさか……! ……、…………そうだな、光も切断できるくらいの「亀裂」を、この競技場の空いっぱい。そのくらいまでいけば、文句無しに超能力(レベル5)と言えそうだけど、』

 

 

 

 直後。

 

 俺達の背後に、九八対からなる巨大な白黒の翼が顕現した。

 

 否、それは光すら切り裂き、空全体を埋め尽くす――『亀裂』。

 

 

 

「――――では、これならどうかしら」

 

『な、な──!? 常盤台のレイシア=ブラックガード選手の背後から……巨大な翼が生えたァ!?』

 

『違う! アレは「亀裂」だけど……。……あの悪役令嬢(ヴィレイネス)め。この場、このタイミングでそれをやるか……』

 

 

 観客のどよめきは、もはや歓声と呼んでも差し支えないレベルにまで増幅していた。

 そりゃそうだろう。

 何せ、解説が提示した『超能力者(レベル5)の条件』を満たしているのだから。

 新たなる超能力者(レベル5)。それはもう、学園都市全体を揺るがす大イベントである。

 それがこのタイミングで、堂々と公開されたのだから──話題性は十分。

 

 たぶん、これで『GMDWを守る』という最低目標は達成できた。

 本人がじきじきに『GMDWにいじめられたりはしてないし、大切な友達だよ』と言っている上に、その本人が超能力者(レベル5)になってるのだ。

 学園都市の学生としてはこの上ない成功。これ以上あーだこーだ言うより、超能力(レベル5)の誕生に沸き立つ方が楽しいし。

 

 でも、俺達の目的はそこで終わらない。

 

 

 

「────わたくしは、二重人格者です!!」

 

 

 

 …………ぶっちゃけた。

 

 

「川に飛び込んで……美琴、もとい御坂様に助けられても……わたくしは現実から諦めていました。これまで酷い扱いをしてきた派閥の友人達と向き合うのが、怖かったのです。そうしていたら、いつの間にか新しい人格が、わたくしの中に芽生えていました」

 

 

 そもそも、そもそもだ。

 ここ最近のレイシアちゃんのフラストレーションって、ここなんだよ。

 川へ飛び込んで入水自殺した。そこにみんなして同情するけど……違うんだよな。そこから繋がった出会いがあった。成長があった。

 確かにそんな挫折はしないに越したことないけど、でも、全部が全部悲劇としてまとめられていいわけじゃない。

 そこから繋がる出会いは、そこでしか得られないものだった。一面では悲劇だったかもしれないけれど、その出会いは結果的に人生の宝物になった。

 

 それを、世界中に伝えたい。

 

 勝手に俺達の出会いを『マイナスの中にできたせめてものプラス』として総括する声に──反逆する。

 

 

「わたくしの新たな人格は……シレンは、わたくしの代わりに派閥の友人達と仲直りをしてくれました。わたくしが今まで犯してきた罪を償ってくれて……新たな縁を築いてくれました」

 

 

 観客は、もう驚きが一周回ったのかかえってシンとしていた。

 まぁ、超能力者(レベル5)が二重人格って言われたらそりゃビビるよね。

 

 

「そうしてすべての問題を解決してくれたあと、シレンは消えていきました。まるでそうすることが役目であったかのように。でも、わたくしはそうしたくなかった。自分の中に芽生えたもう一人の自分と、これからも一緒に生きていたかった」

 

 

 ……改めて言葉にすると、妙な話だよな。

 

 

「二重人格という『病』について考えたら、それはおかしな話だと思う方も多いと思います。せっかく治る病を治さずにいるなんて、と。……でも、そんなわたくしの我儘に理解を示し、支えてくれる友人達がいた。彼女達の支えがあって──わたくしは、超能力(このチカラ)に至ることができました」

 

 

 言って、俺達は自陣にいる美琴を一瞥する。

 超能力者(レベル5)の中でも、美琴は象徴的な存在だ。

 唯一低位能力者から、己の努力によって上り詰めた超能力者(レベル5)。自助努力の極致と言っても過言ではない存在だ。

 

 

「ゆえに、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)はわたくしだけの超能力(レベル5)ではありません」

 

 

 俺達は、彼女とは違う。

 自分だけの力では、超能力者(レベル5)なんて目指すべくもなかった。でも、仲間達の力添えでこうしてその領域に立てた。言ってみれば()()努力の極地だ。

 

 

「わたくしの我儘を支えてくれた友人達、そしてわたくしを変えてくれたシレン……そして、シレンと巡り合うことができたあの自殺未遂。全てが!! 今のわたくしを作っているのです!!」

 

 

 ピキピキと、上空を走る白黒の『亀裂』が音を立てる。

 

 生み出された精緻な気流はやがて一か所に収束し──そして、一つの『光』を生み出す。

 

 

「わたくしの人生に、悲しいだけの思い出なんてありませんわ! 今はただ──見てください! 『わたくし達の超能力(レベル5)』を! そしてアナタがたが判断してください。今流れている報道は果たして本当にただの『悲劇』を語ったモノなのか!!」

 

 

 これで、お膳立ては整った。

 四校を隔てていた透明な『亀裂』の壁を消し、俺達は不敵に笑う。

 

 

「ご清聴ありがとうございましたわ。それでは────改めてご覧に入れましょう。仲間達と手に入れた、新たなる超能力(わたくし)を」

 

 

 その言葉に対して、呼応するように三校全てが常盤台目掛け総攻撃を始め。

 

 そしてそれが、合図になった。

 

 

 ズジャドドドドドドッッッ!!!! と。

 上空に生み出された『光』──正確には、空気が圧縮されたことによって生じた一億度のプラズマの塊の一部が、雨のように地上に降り注いだ。

 放たれた能力による三校総攻撃など、何処吹く風。豪雨の中で破壊されるビニール傘よりも呆気なく、それらの攻撃は叩き潰された。

 

 もちろん、俺にこんな小器用なことはできない。気流を操ってプラズマを作ることまではなんとかできたけど、そこが限界だ。

 一方通行(アクセラレータ)じゃないんだし、それを動かしてボーンなんてできないし、やれても危険すぎるからやらない。

 ではなんでこんな芸当ができるかといえば──夢月さんの力である。

 

 夢月さんの能力『熱気溶断(イオンスプレー)』は、イオンを操る能力。それによって高温のプラズマを生み出し操ったりもできるのだが──もちろん、単にプラズマを操ることだってできるわけで。

 そのまま運用すればこけおどしか大量虐殺にしか使えないプラズマも、夢月さんに操ってもらえば適度に加減した『競技用の攻撃』にできるのである。

 

 

「なんだか少しっ、妬けちゃいますけどっ……腹心っぽくってっ」

 

「燐火さんとも、そのうち何か考えましょうね」

 

 

 なんてことを言いながら、地面にプラズマの雨を降らせていく。

 ぶっちゃけ、戦略としては『亀裂』の盾で時間を稼いでプラズマができた時点で、俺達の勝利はほぼ確定している。

 地面に落ちたプラズマによる爆風によって吹き飛ばされ、相手校の生徒達は一人また一人と騎馬を崩して脱落していく。……改めて考えるとめちゃくちゃ危ない気がするけど、大覇星祭って基本的にこういうのばっかだからね。炎とか電気とか色々飛んでくるし。

 

 

「細かいことはよくわかんないけど、なんだか元気そうだし、いい感じじゃない?」

 

「当人が幸せだってんなら、そんなもん……これ以上外野がどうだこうだ言うのは野暮だろ」

 

「頑張れレイシア! あとシレンとかいう第二人格も! お前達と友達の超能力(レベル5)を見せてくれ!」

 

 

 観客からの声も、好意的なものばかりだった。

 表出する『浮動票』ってのは、こっちの動き方次第でいくらでも味方になってくれるもんなんだ。最初から心を閉ざして切り捨てたりなんてもったいないよね。

 

 

「これ……私たちが来た意味あったかしら?」

 

「ほ、本当に、超能力者(レベル5)だなんて……。す、凄いことになってますね……」

 

「意味ならありますわよ。美琴と帆風さん──『食蜂派閥』。常盤台が擁する二人の超能力者(レベル5)が、わたくしの『開花』に立ち会ったのですから」

 

 

 格式、という意味でもそうだが、この場合は『説得力』の補強が強い。実際に超能力者(レベル5)本人であったり、その周囲の人物が『いや、この人くらいじゃ超能力(レベル5)とは言えないね』と言ったりしていない以上、それは第一人者の目から見ても『本物』ということになる。

 

 

 それに。

 

 

「…………本番は、これからでしてよ」

 

 

 

 プラズマの雨が最後の騎馬を吹っ飛ばしたのを見ながら、俺は静かに言った。

 

 ──かくして、常盤台中学は一騎も脱落することなく、また一つもハチマキを奪うことなく、ただ他校全員のクラッシュによる『反則勝ち』によって、勝利したのだった。



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六〇話:当然の報い

 こんなはずではなかった。

 

 塗替斧令の心情を端的に説明するなら──その一言に尽きただろう。

 

 事の始まりは、サイボーグ産業に事業の手を伸ばしたところからだった。

 駆動鎧(パワードスーツ)系で一歩出遅れた塗替は、それによる機会損失を補填する為、サイボーグ産業に参入した。

 しかし、当初は医療系で圧倒的なシェアを誇れるかに見えたサイボーグ技術だったが、その後維持コストがかさむことが発覚し、産業自体がどんどん下火になっていった。

 

 その失敗を挽回するため、塗替は学園都市の技術力に目をつけた。

 高い技術力を誇る学園都市では、安価な治療法としてのサイボーグ技術が開発されていた。それでも下火であることに変わりはないらしいが、それでも『外』と比べればその差は歴然である。

 その高い技術力を吸収する為、学園都市とのパイプを構築しようとしたとき──彼が目を付けたのが、彼のビジネスパートナーであるブラックガード財閥である。

 

 塗替の亡き父は、かの財閥の総帥であるアルバート=ブラックガードの父のもとで数十年ほど働いていた。

 彼もその縁でブラックガード家とは家族ぐるみの付き合いがあったのだ。社長を継いでからは経営に専念していて関係は薄くなっていたが、それでも付き合いは付き合いである。

 

 上手く経営難を誤魔化してアルバートに接近した塗替は、やがて彼の愛娘の婚約者としての立ち位置を獲得する。

 そしてそこを足掛かりに、数年かけて学園都市の研究機関のパトロンとなり、なんとかサイボーグ産業で焼き付いた会社の経営を立て直せそうなところまでやってきていた。

 

 

 ──全ての歯車が狂い始めたのは、そのころだった。

 

 

 九月に入ってから、そのレイシアが何やら奇妙な動きをしてきたのだ。

 今まで殆ど家族と連絡をとってこなかった彼女が、何故か実家に連絡を入れたり、塗替の方に面会のアポをとってきた。

 学園都市は学生の都市外への出入りを厳しく管理しているから、『外』に出るなど大ごとである。まして、学園都市の研究機関のパトロンである塗替とは、その気になれば学園都市の中でも会うことができる。

 それでもなお、『家族と一緒に』話をしようとするレイシアの意図に不穏なものを感じた塗替は、学園都市の中に持つ己の情報網を駆使して、レイシアの真意を調べた。

 

 研究機関を伝手に使ったからか、情報は割合簡単に獲得することができた。

 

 レイシアの自殺、能力の成長──もっとも、超能力(レベル5)という話ではなく『微』成長とのことだったが──、そして、婚約破棄。

 

 塗替からしてみれば、寝耳に水である。

 経営を立て直しつつあるとはいえ、まだブラックガード財閥の助力は塗替にとって必須である。……婚約破棄など、絶対にさせられない。

 

 

「いやいやいや、第一……! 今更急に破棄なんて、そんなバカな話があるか……!? 僕は間違っていない。横暴なのはあっちの方だ……!」

 

 

 爪を噛みながら、塗替はうわ言のように呟く。

 これは、彼の思い過ごしであった。レイシアはもちろん、己の我儘による周辺の被害を認識していた。だから婚約破棄をしてもパートナー関係まで解消するつもりはなかったし、塗替の会社への援助についても父に口添えするつもりでいたのだ。

 ただ、塗替斧令はそこまでレイシア=ブラックガードという人間の善性に期待していなかった。

 彼の中のレイシア=ブラックガードは、あくまで傲慢な悪役令嬢。己の都合でいくらでも他者を振り回す童女でしかなかったのだ。

 だから彼も、相応の手段を選ぶことにした。

 

 自殺未遂の暴露を盾に使った脅迫。

 

 彼女の擁する派閥の面々を対象にして、間接的にレイシアを脅す『攻撃』だったが……効果はまるでなかった。

 それどころか、今度は彼がパトロンをやっている研究機関を通じてこちらへ接触をとってくる始末。……まるで、お前のくだらない企みなど屁でもないとばかりの豪胆さだった。

 

 たらればになるが、この時点で塗替が強硬手段を諦めていれば、きっと未来はもっと違った形になっていただろう。

 レイシアのことを目の敵にし、強硬な手段を選ぶのではなく──あくまで彼女と対話する方向に進めていれば、仮に話し合いが拗れたとしても、塗替が破滅することはなかった。あくまでも原因はレイシアの個人的な都合だからだ。

 

 だが、そうはならなかった。

 プライドの高い塗替は、レイシアの都合で自分が振り回されるという事態に無意識に激怒しており──何らかの形でレイシアに苦渋を味わわせないと納得できないという精神状態に置かれていたのだ。

 

 だから、ここで決定的に事態は悪化した。

 追い詰められた塗替は、直接レイシアに接触をとった。……しかし結果は全くの無意味。それどころか、そこでレイシアはあろうことか塗替の目の前で男の腕に抱き着いて去っていった。

 ……つまり、婚約破棄の理由は『色恋』。

 

 ふざけるな、と塗替は思った。

 そんなものの為に、自分はこんな苦境に立たされているというのか? そんなものの為に、このガキは人の人生を滅茶苦茶にしようとしているのか?

 ならば、味わわせてやる。

 己の大切なものが他者に土足で踏み荒らされる苦しみを、絶望を、そっくりそのままお前に味わわせてやる。

 

 そうして噂を流し──そして、塗替は眼前の光景を見て、再度この言葉を呟いた。

 

 

「…………こんなはずではなかった」

 

 

 彼の眼前には、白黒の巨大な翼を広げた少女がいた。

 

 まるで、彼に裁きを齎す天使のように。

 

 

 


 

 

 

第一章 桶屋の風なんて吹かない Psicopics.

 

 

六〇話:当然の報い Are_You_Sure?

 

 

 


 

 

 

 

『し……ッ、試合終了ォ────ッ!! あ、圧倒的だ! プラズマの雨で、一方的に三つの学校を蹂躙してみせたぞ! アレが超能力者(レベル5)の力だっていうのか!?』

 

『いや、仲間の能力と複合させているようだけど。しかし、上手く干渉値の設定をすり抜けているみたいだけど。あのプラズマはもちろん、亀裂を解除することによる風も、能力そのものではないし。能力による瓦礫がいくら積まれてもルール違反にならないのと同様に、あれではいくらでも好き勝手できそうだけど。…………ルールの整備が必要だな』

 

『しかしッ! 凄まじい戦いだった……まさかの、まさかのッ! まさかの新超能力者(レベル5)誕生!! 観客の皆、学園都市のニューヒーローに盛大な拍手を~ッ!』

 

 

 観衆の声援と拍手を耳にしながら、俺はじっと『そいつ』のことを見ていた。

 蒼褪めた顔のまま震えている男──塗替斧令。

 

 

《……馬鹿な人。そんなに怯えるくらいなら、最初からわたくしを敵に回すようなことをしなければいいのに》

 

《……そう、だね》

 

 

 もう、この状態から彼が何をしようと、遅すぎる。

 彼はやってはいけないことをしてしまった。俺達はもう、どうあっても彼を許せない。

 

 美琴さんと帆風さんをチームに迎え入れたのも、ぶっちゃけその後処理の為というのが大きかったりする。

 

 

 ブワッ!! と。

 『亀裂』による突風で宙を舞った俺は、そのまま愕然としている塗替の前に降り立った。

 続いて、磁力で飛んだ美琴さんと脚力で跳ねた帆風さんがその両脇に来てくれる。

 

 彼女達を呼んだ真の理由は、此処。

 俺達と塗替の婚約破棄──その『立会人』だ。

 

 

「れ、レイシア、ちゃ……」

 

「今は、シレンの方です。……ああ、初めまして。レイシア=ブラックガードを作る人格の一人、シレンですわ」

 

 

 ぴしゃりと言い切って、目の前に立つ男を見上げてみる。

 

 情けない男だった。狼狽しきった顔は焦燥のせいか実際より一〇は老けて見えるし、セットしていたはずの髪も汗で乱れに乱れている。

 昼間に会った時はあれほど余裕と底知れなさに溢れていたはずだったのに、今はもう……ただの小悪党にしか見えなかった。

 

 

「わたくしが此処に直接現れた理由は、もうお分かりですわね?」

 

「ま……待て! 待ってくれ! 此処で婚約破棄をして、僕達の業務提携が破談になれば、多くの人が路頭に迷うことになるぞ!? いやいや、それはダメだろう! そんなのあまりにも身勝手が過ぎるぞ!」

 

「……ほう」

 

 

 命乞いではなくこっちの善性に訴えかけてくるやり方を選んだ塗替に、レイシアちゃんは少し感心したように頷いた。

 

 

《意外でしたわ。てっきり泣き落としで来るものかと》

 

《……さっきの俺達の演説を聞いたからじゃないかな。後味の悪い解決方法はとらないだろうっていう算段でもあったんじゃない?》

 

 

 どっちにしろ、浅知恵だけど。

 

 

「何か勘違いしているようですけれど」

 

 

 そんな浅はかな希望に縋っている塗替に、レイシアちゃんは引導を渡してやる。

 こっちはそんな当たり前の懸念、ずっと前に通り過ぎてるんだっての。

 

 

「破滅するのは、アナタだけですわ。企業の保護ならわたくしやブラックガード財閥だけで十分事足ります。採算をつけることも含めて、ですわ」

 

「な……、ば、馬鹿な!? 社長は僕だぞ!? 僕が潰れるってことは、会社が潰れるってことだ!! そこを不可分にすることなんて……!!」

 

「アナタ、自分が何の後ろ暗さもないと胸を張って言えまして?」

 

 

 ちょっと考えてみれば分かることだろう。

 

 レイシア=ブラックガードの自殺未遂を広める?

 その情報、いったいどうやって仕入れたというのだ?

 噂を聞くだけなら、どこからでも手に入るかもしれない。人の口に戸は立てられないというし、研究者界隈に精通していれば知ることくらいは可能だろう。

 

 だが、それを武器にするということは、相応の『確信』があったということに他ならない。

 たとえば監視カメラの情報であったり、入院歴であったり。

 ……そしてそれらの情報は、果たして合法的に獲得することは可能なのか?

 

 

「美琴」

 

「ええ。初春さんに確認してもらったら、ばっちりあったわよ。コイツの不正アクセスの痕跡がね。書庫(バンク)に不正アクセスして通院歴を抜くなんて、大胆なことやるわよね」

 

「帆風さん」

 

「同様に、わたくし達の派閥で聞き込みを行ったところ、警備会社を買収したという情報が手に入りました。買収に応じた会社役員の証言も既に手に入れてます」

 

「な、あ…………」

 

 

 美琴さんと帆風さんから齎された『証拠』に、塗替は何も言えないようだった。

 ……俺達は競技に集中する必要があったからね。そこで、美琴さんと帆風さんの人脈を頼らせてもらったというわけである。

 そして結果はビンゴ。

 思った通り、塗替は違法な手段で『噂』の裏を取っていたというわけだ。

 

 これを出すべきところに出せば、塗替は逮捕される。塗替の会社はワンマン経営だ。トップが潰れれば……後の舵取りはこちらの自由ということになる。

 

 

「ま……待ってくれ!!」

 

「……まだ何か?」

 

「へ、へへ……す、全て計算通りだったんだよ! 君が超能力者(レベル5)として華々しくデビューするお膳立て! 僕はその為にわざわざこの芝居を打ったんだ! いやいやいや、まさか本当に君達を陥れるつもりだと思ったの? そんなわけないだろ! 大切な婚約者なんだからさ!」

 

 

 …………はぁ。

 

 この期に及んで……そんなこと言うのか。

 本当に……本当に、救いようのない……。

 

 

「もう、婚約者ではなくなりますわ。その婚約はこれから破棄されるのですから」

 

「…………!!!!」

 

「変なことはしない方がアンタの身の為よ。今、黒子──私の後輩の風紀委員(ジャッジメント)がこっち来てるから。大人しく警備員(アンチスキル)に連行されときなさい」

 

 

 じわり、と。

 

 美琴さんの言葉を聞いて、その顔色が塗り替えられていく。

 貼り付けたような薄っぺらい笑みの色から、溶けだすようにドロドロした激情の色へと。

 

 

「ふざ、けるなァァあああああッッ!!!! 俺がッ、俺がッ!! これまでお前の為にどれだけ時間を使ってやったと思っているんだ!! その恩を!! 仇で返して!! あまつさえこの俺を! 逮捕するだと!? 何様のつもりだ!! この売女(ばいた)がッ……、ぐッ!?」

 

 

 その激情のままに俺に詰め寄ろうとしてきた塗替は、しかしそれよりも前に、目にもとまらぬ速さで間に入った帆風さんによって遮られた。

 

 

「……失礼しました。ですが、今の貴方はブラックガード様に近づけるには危険すぎます。これ以上ブラックガード様に近づくのであれば……わたくしも、相応の手段をとる他ありません。どうかご自制を」

 

 

 そう言って、帆風さんは身を低くして拳を構えた。

 バチバチと紫電が迸るような錯覚さえ感じるプレッシャーを放つ帆風さんに、只人である塗替はそれ以上動くこともできなかった。

 

 

「……元々が口約束ですし、もう言葉で終わらせてしまいますか」

 

 

 そんな彼に、俺達は最後にこう言った。

 

 

 

「塗替斧令。わたくし達レイシア=ブラックガードは────アナタとの婚約を、此処に破棄いたします!!!!」

 

 

 


 

 

 

《……いやぁ、終わったねぇ》

 

 

 で、その後。

 塗替を白井さんに任せて警備員(アンチスキル)の引き渡しまでやった後、俺達は大覇星祭期間中借りているホテルに戻って一息ついていた。

 

 

《終わりましたわねぇ……》

 

《まだ実感わかないねぇ……》

 

《ですわねぇ……》

 

 

 本来はもっと長い時間かけてやるつもりだったのがこんなにすっぱり終わっちゃったものだから、俺達は二人して脱力していた。

 ちなみに。

 塗替の罪状は思っていたよりもけっこう厳しそうだった。書庫(バンク)への不法アクセスや警備会社の買収なんかも勿論罪として立件されるのだが、どうも俺のプライベートな情報をバラ撒いたというのがかなりヤバかったらしい。

 詳しい罪状とかは俺も良く分からないのだが……なんか、政治犯として処理される可能性もあるとのことだった。……なんというか、確かに悪いことをした分は裁かれるべきだと思うけど、流石にそこまでの重罪になるとは思っていなかったので、正直複雑な気分だ。でも、一方でアイツは自分の為に『GMDW』のことを社会的に殺そうとしていたわけだし、これが正常な司法の結果なのなら、減刑を求めるのも違うという気がするし……。

 

 

《でも、これから忙しくなりますわよ。詳しい手続きはお父様がやってくれますけど、塗替の会社は半ば学園都市協力機関ですからね。舵取りには学園都市内部の情勢に詳しいわたくしがかなりの割合で携わらないといけないでしょう》

 

《それに、しょうがなかったとはいえ派閥の準備もまだまだ整ってない段階から超能力者(レベル5)暴露しちゃったもんねー》

 

 

 お陰で『注目を集める』という食蜂さんのオーダーはこの上なく遂行できたけど、今度は俺達の利権を狙ってやってくる悪い大人たちを上手いことあしらわなくては。

 じゃないと俺達だけでなく、派閥のみんなまでどっかの大人に食い物にされちゃうかもしれないからね。

 

 でもまぁ。

 

 

「今日はちょっと…………休憩しましょう。大立ち回りの連続すぎて、疲れましたわぁ……」「……ですわねぇ……」

 

 

 体操服姿のままベッドにごろんと転がり、俺達は戦いの疲れを癒すようにうとうとし始めた。

 

 

 …………なお。

 

 俺達はこの時、すっかり失念していた。

 

 目に入れても痛くないほどの愛娘に突然自殺未遂だの超能力者(レベル5)だの多重人格だのと超ド級の暴露をされた両親が、どういう感情を抱くのか――という当たり前の事態に対する想定を。



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六一話:家族の時間

 大覇星祭中、常盤台生は自身の寮ではなくホテルを借りるのが通例である。

 そこで両親と同じ部屋を借り、束の間の家族団欒を楽しむわけだ。まぁ、言ってみれば昼食の時間に家族と合流するやつのスケール拡大版といったところか。

 もちろん、それは俺達も例外ではなく────

 

 

 


 

 

 

第一章 桶屋の風なんて吹かない Psicopics.

 

 

六一話:家族の時間 Families.

 

 

 


 

 

 

「レイシアっっっ!?!?!?」

 

 

 バタン!! と扉を開けて部屋に押し入ってきたお父様の心情もまた、俺達はちょっとは予想しておくべきだったかもしれない。

 

 

「お父様、」

 

「大丈夫だったかい!?」

 

 

 レイシアちゃんが何か言う前に、お父様はバッ!! と肩に手を当て、覗き込むようにして俺達の様子を伺っていた。

 ……親としての心理を考えれば当然だよなぁ。実の娘が自殺未遂とか言ってるのだ。昼間の競技なんてやめようよ云々の比ではない心配だろう。

 ……うん、お父様お母様のリアクションがすっかり想定から抜けてたことも含めて、ちょっとごめんなさいした方がいいやつだね、これ。

 

 

「お、お父様、だ、大丈夫ですから……」

 

「ギルバート。そんなことだから娘に嫌われるんですよ……」

 

 

 あ、お母様の声。

 

 

「……う、すまない。つい我を忘れていた」

 

 

 お母様の鋭いボディブローを受けて一歩引き下がったお父様は、流石に一定の冷静さを取り戻していたようだった。

 ……うあー、噂話をどうするかとか、塗替をどうとっちめるかとかしか考えてなくて、お父様とお母様のこと完全に忘れてた。どうしよう……。そういえば俺のこともお父様とお母様にはバレてるんだもんな。っていうか世界中にバレてるんだよな。

 

 ……………………ちょっと緊張するかも。

 

 

「レイシア。それと……シレン、だったね」

 

「!」

 

 

 名前を呼ばれて、思わず強張る。

 その声色に秘められた感情を読み取るよりも先に、お父様は続けて、

 

 

「ありがとう!」

 

 

 ──そして、抱きしめられていた。

 

 

「??? お父様……?」

 

「昼間に私を叱ってくれたのは……キミだろう? レイシアを救ってくれたのはキミだ。本当にありがとう!」

 

 

 いやいや、理路は分かる。分かるが……あれ? 想定していたのとちょっと流れが違うぞ?

 存在を拒絶されるとは思ってはいなかったけど、流石に許容の勢いが良すぎるというか……? もっとこう、気まずくなるとばかり思ってた。昼間の一件も踏まえていたら余計に。

 まさか名指しで感謝されてハグまでされるとは……。

 

 

《シレン。お父様はですね────子煩悩なんですのよ。二重人格なんて気にしない。愛娘の一部であるのなら、それがなんであろうと愛する。それがお父様なのですわ》

 

 

 愛情がなかったわけではない。それは分かっていた。

 ただ、まさかここまでとはなぁ……。

 

 

「……おっと、挨拶が遅れたね。改めてはじめまして、シレン。僕はギルバート=ブラックガード。キミのパパだよ。こっちはママのローレッタ……といっても、もう既に知っているよね」

 

「……はい。お父様」

 

「そう畏まらなくてもいいんだよ。僕達は親子なんだから。パパって呼んでくれてもいいんだぞ?」

 

「お父様。シレンはあんまり急に距離を詰められたからびっくりしているのですわ。もうちょっとペースを合わせてあげないと」

 

「……む。そ、そうか……。難しいな……」

 

 

 ぐう……! レイシアちゃんに気を遣われる始末……! そしてレイシアちゃん、その言い様はもしかしなくても昼間の喧嘩を踏まえてるね?

 

 

「シレン。シレンは、昔の記憶はどれくらいあるんです……?」

 

 

 と、ふと気づくと隣にお母様が座っていて、そんなことを尋ねてきた。……すっかり家族の距離感だ。

 っていうかお母様もお母様でグイグイ来るな! しかもそれでいて、気を遣われている感じがしないのが凄い。腫物を扱うような、独特の距離感がないというか……。

 

 

「え、ええと……全く……? 意識が表出してからしか……。レイシアちゃんもあまり昔のことは話しませんし」「だって話すようなことがないんですもの」

 

「そんなことないんじゃないかい? 色々あるじゃないかレイシア。ほら覚えているかい? 学園都市に行く前日の夜、パパと離れ離れになるのが寂しくて一緒に寝たこととか……」

 

「そんなの記憶にございませんわ! お父様、キライ!!」

 

「がッッ!?」

 

 

 あ、ベッドに倒れ込んだ。

 

 ……今時娘に嫌いって言われてそんな目に見えてダメージ食らう親、いるんだ……。

 

 

「まぁまぁレイシアちゃん。わたくしもそういう話は正直聞きたいですし……。というかレイシアちゃん、基本的に昔のこと話しませんもの。婚約破棄のことも、超能力(レベル5)が安定してから初めて聞きましたし……」「昔はほら……わたくしも色々アレでしたから、あんまり話して愉快なネタがありませんのよ」「あ~……」

 

 

 納得してしまった。いや納得するのは失礼だろ!

 

 

「…………すまなかったね」

 

 

 ぽつり、と。

 わちゃわちゃして解れた雰囲気の中で、お父様はぽつりとそう言った。

 

 

「キミのことを、見てやれていなかった」

 

「……、」

 

「今回の報道でレイシアが川に身を投げたと、初めて知った。二重人格のことも、超能力(レベル5)のことも……」

 

「いやお父様、それはわたくし達があえて隠していたので……」

 

「それでもさ、シレン」

 

 

 流石にフォローを入れるが、お父様はそれを穏やかな表情でやんわり窘めた。

 

 

「知っていれば何か今より現状をよくできたとは言わない。──そんなことは言えば、きっとキミ達は怒るだろう? さっきの競技を見ていたからね。それは分かるよ」

 

 

 だが、と。

 お父様はそこで、逆説の言葉を繋ぐ。

 

 

「それでも、これからもキミの親を名乗りたいのなら、僕は言わなくちゃいけない。一番辛かったときに助けてやれなくてごめんよ、レイシア。……もう二度と、辛いときにキミを一人になんかしないから」

 

「……ごめんなさい。レイシア。ごめんなさいね、レイシア……」

 

 

 二人はそう言って、レイシアちゃんのことを抱きしめてくれていた。

 それはまるで、抱きしめることでレイシアちゃんの存在を再確認しているかのようだった。

 ……そうだよなぁ。自分の子どもが観衆の悪意に晒されて、自殺未遂やら二重人格やらを衆人環視の中で告白して、そりゃあ生きた心地がしなかったことだろう。

 色々後悔もしただろうし、怒ったり悲しんだりもしたと思う。

 

 ひょっとしたら、勝手に思い悩んで命を捨てる決断をしたレイシアちゃんを叱りたい気持ちにもなったかもしれない。実際それは、正常な親心だと思う。

 ただ二人は、それを選ばなかった。起こったことを悲劇として扱うのではなく、ただ『そこにいてあげられなかった』ことに対して謝る──というのは、きっと、レイシアちゃんの想いを最大限汲み取った上での、二人の親心のあらわれだと思う。

 

 ……昼間までの二人だったら、たぶんこの機微は伝わらなかっただろう。

 それがこうして伝わったのは、あの競技での演説のお陰だ。……そういう意味では、早くも『あれはあれで良かった』と言えてしまうのかもな。

 

 

「いいんですのよ。ところでお父様、わたくし会社が一つ欲しいんですけど」「馬鹿!!!! レイシアちゃん!!!!」

 

 

 馬鹿! ほんとに馬鹿!? 何もかも台無しじゃないか!?

 

 

「じょ、ジョークですわよ……。……す、すみません」

 

 

 俺の必死の剣幕のツッコミにより、レイシアちゃんはたじたじとなりながら気を取り直す。

 うん、茶化していいところと茶化しちゃダメなところってあるからね。此処はちゃんと腹を割って本音で話すべきところ。二人が取り繕わない感情でぶつかってきてくれたんだから。

 

 

「……はぁー。わたくし、謝られてもなんと返せばいいのか分からないんですの。確かに当時は辛かったですが、今のわたくしは辛くありませんし。辛いときに謝ってもらえれば色々恨み節とかもあったでしょうけど……」

 

 

 恨み節て。

 ちょっと呆れる俺をよそに、レイシアちゃんはにこりと微笑んでこう続けた。

 

 

「もう本当に、気にしていませんの。なので、わたくしから言うべきことがあるとすれば──『ご心配おかけしました』……かしら」「わたくしからも。お父様とお母様にはご心配おかけしました。きっとびっくりしましたわよね……」

 

「うん、まぁ。ローレッタは数秒ほど気絶していたね」

 

 

 ……ああ、やっぱり……。

 

 

「……でも、いいのさ。分かったんだよ。確かに僕達はいつでもキミ達のことが心配で心配で堪らないけど──だからといって、キミ達が縮こまる必要はないんだ」

 

「ええ。……アナタにはあれだけ凄いことを一緒にできるお友達がいるんですものね。なら、今はめいっぱい冒険をするといいです……」

 

「お父様、お母様……」

 

 

 二人の言葉を受けて、俺は自然と頭を下げていた。

 

 

「ありがとうございます。レイシアちゃんを育んでくれて……わたくしを受け入れてくれて」

 

 

 ……今俺がこうしていられるのは、レイシアちゃんの心根が真っ直ぐだったからだ。

 色々とこびりついていたしがらみの先にあったものが今のレイシアちゃんじゃなければ……今の俺はなかったかもしれない。

 そういう意味で言うと、昼間は『お父様とお母様のせいで』と言っていたけど、裏を返せば『お父様とお母様のお陰』でもあるんだよな。

 

 

「……はは。やめてくれ。娘にそうやってお礼を言われるとちょっと照れる」

 

「シレンはレイシアと比べると若干素直ですねぇ……」

 

 

 俺の言葉に思い切り顔を逸らすお父様と、にっこり微笑むお母様。……まぁレイシアちゃんは素直じゃないとこあるよね。

 自分が槍玉に挙がりそうな流れになったのを察したのか、レイシアちゃんはそこで多少強引に話を逸らす。

 

 

「……それより。お父様、お母様。一つ忘れていることがあるのではなくて?」

 

「うん? 忘れていること? ……ああ! 超能力(レベル5)祝いならちゃんと考えているよ!」

 

 

 おお、超能力(レベル5)祝い。何もらえるんだろう……庭付き豪邸とかかな? 流石にそれはないか。ちょっと奮発して……ゲーム機とかだと嬉しいな。

 

 

「そうではなく。シレンの誕生日プレゼントですわよ」

 

「あ゛!!」

 

 

 うわ、すげぇ声が出た。

 ……で、俺の誕生日プレゼント? いや、俺の誕生日はまだ先だけど……。……あ、俺の前世の誕生日じゃなくて、レイシア=ブラックガードの人格としての俺の誕生日か。

 確かに、色々あって秘匿してたからまだこの世界で誕生日を祝ったことはないんだよなぁ。復活を祝ったことはあるけども。

 

 

「し、しまった……!! そうだった、シレンの誕生日パーティをしなければ! くっ、今から手配を……」

 

「お、お父様! どうかお気遣いなく……突然のことでしょうし……」

 

「う、うーん……。でもなぁ……」

 

「わたくしの気が休まらないんですのよ……」

 

 

 ほら、俺ってさ……根本的に小市民だからさ。なんかこう、お金持ちのパーティみたいなのって気後れするっていうかさ……。ほどほどでいいんだよ、ほどほどで。さっきゲーム機欲しいって言った口で何言ってんだって話だけどさ。

 デパートのケーキ屋でショートケーキを幾つか買って、フライドチキンを買って、それ食べながらワイワイやるとか……そういうので。それでも十分ごちそうだなって思うし。

 

 

《でもシレン。どうせわたくしの誕生日パーティとかきっと盛大なパーティになりますわよ。今のうちに慣れておいた方がよいのではなくて? それでなくてもこれから超能力者(レベル5)として色々引っ張りだこになりそうですし》

 

《……そういえば、レイシアちゃんの誕生日っていつだっけ?》

 

《一二月二四日ですわ》

 

 

 クリスマスイヴじゃん! 持ってるなぁレイシアちゃん。

 ……じゃなくて! そっか……。超能力者(レベル5)になった以上、学園都市の公的な色々もやらないといけないんだよね。俺も小市民だからって言い訳に逃げてばかりもいられないな。

 

 

「まぁ、いきなりいつも通りだとシレンもびっくりしそうですし、多少抑えめの会は催したいですわ。GMDWの皆も呼んで。上条とかインデックスとか美琴とかあのへんも呼びましょうね」

 

「うんうん。良いと思うよ。友達もいっぱい呼んで、賑やかな会にしようね」

 

「じゃあ、大覇星祭が終わったくらいで……」

 

 

 恐縮しながら、俺はとりあえずの要望を出しておいた。

 ……誕生日パーティかぁ。前世だと一人暮らし始めてから全然やらなくなったなぁ。入院暮らしになってからは二回やったけど、食事制限がキツくてパーティらしいパーティはできなかったんだよな。

 そう考えると、『誕生日パーティらしい誕生日パーティ』って高校時代以来かもしれないな。

 

 

「……それと、だ」

 

 

 そこで。

 これまでへにゃりとどこか頼りなさげだったお父様の眼光が、鋭いものに変化する。

 柔和ながらも、真っ直ぐな表情。それを受けて俺も思わず背筋を伸ばしてしまった。

 

 

超能力者(レベル5)のカミングアウト。正直に言ってくれ、レイシア。あれは──予定外のアクションだろう?」

 

「…………はい」

 

 

 そこにいたのは、父ではない。

 大財閥ブラックガードの総帥を務める一人の老獪な男であり──そんな『大人の社会』を生き抜いてきた先達だ。

 

 

「僕もアレは最善とまではいかなくても、ベターな選択肢ではあったと思う。ただ、地盤作りが終わってない状況で超能力(レベル5)というネームバリューが発生したのは警戒が必要だね。具体的な対応策は用意してあるのかい?」

 

「……いえ。正直、今回の件でできた常盤台上層部への貸しを使って後ろ盾を得るくらいしか……」

 

「…………常盤台の上は確か統括理事の一人だったね。それも手としてはアリだけど……応じてくるかは怪しいところだ」

 

 

 え、そうだったの!? 常盤台中学のトップって統括理事なの!? は、初耳なのですが……。ってことは、小説でもそのうち出てくるのかな、常盤台のトップの人。会ってみたくはあるけど……。

 

 

「それなら、ブラックガード財閥のコネを使うといい。学園都市に本拠を置く民間警備会社にも多少パイプがある。レイシアとシレンの準備が整うまでの繋ぎくらいはこなせるだろう」

 

「お父様……」

 

「……本当は、もっと父親らしいほのぼのした形でキミの助けになりたいんだけどね。でも、今キミが一番必要としているのはこういう助けだろう? ……まったく、誰に似てしまったんだか」

 

 

 ……そっか。

 なんとなく分かった。お父様にとっては、今の姿の方が自然体なんだ。どことなく、ドライというか……。

 だから子どもと接するとき、加減が分からないのだろう。自然体だとドライすぎるから、愛情を伝えようとする振舞いがどうしてもオーバーで、それでいてどことなくズレたものになってしまう。

 

 あ~~…………なんていうかこう…………『レイシアちゃんのパパ』って感じするなぁ。すっごくする。

 

 

「ところでレイシア、シレン」

 

 

 そしてそのまま、お父様は俺達にこんなことを聞いてきた。

 

 

「……昼間キミ達の応援に来ていた少年だが、あの子はいったい、」

 

 

 ──この後、乙女の領域に不用意に踏み込んだ馬鹿オヤジが妻と娘に精神的にボコボコにされる事案が発生したとかしないとか。

 

 あとこれは話の流れで判明して素でビックリしたんだけど、上条さんのパパとお父様、実は友達なんだってね。

 世間、狭い。




アレな時代のレイシアの話、私はめちゃくちゃ面白いと思います(面白いの意味が違う)。


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  第二章 二者択一なんて選ばない PHASE-NEXT.
六二話:二日目


今回冒頭のやりとりは「おまけ:身体検査の話」のラストの話になります。


《……その、シレン。話は変わるんですけれど》

 

 

 

 夢を見た。

 

 身体検査(システムスキャン)の日の夢だ。

 塗替についての詳しい話を初めてされた日の終わりに──レイシアちゃんは急に、こんなことを言い出した。

 

 

《シレンは、もしもわたくしが本当にどうしようもない、最低最悪の女だったら……どうしていましたか?》

 

 

 それは、一つの思考実験。

 当時は、そう思っていた。だが──実際に塗替斧令という男と相対して、その破滅を見届けた後では、少しだけ意味合いも変わってくるような気がする。

 

 

《わたくしは、シレンに救われましたわ。でもそれは、シレンの言葉を受け取れるくらい、わたくしに救いようがあったからだとも思っています。もしもわたくしがシレンの言うことに耳を貸さない、本当の意味で最悪な人間だったら……》

 

 

 俺は、レイシアちゃんに手を差し伸べた。

 そしてレイシアちゃんは、差し伸べられた手を掴み取った。

 

 でもそれは、レイシアちゃんに手を掴む意志があったことに加えて、差し伸べた手を掴もうと思える材料が揃っていたからこそ実現したことなんだよな。

 たとえば俺がアレコレ頑張っていなければ、ただ手を差し伸べたところでレイシアちゃんは掴もうと思わなかっただろう。

 むしろ、差し伸べられた手は振り上げられた拳に見えていたかもしれない。

 

 その時の俺は、その意味が分かっていなかった。

 

 

《それは────》

 

 

 そして確か──こう答えた。

 

 

《──差し伸べ続ける、と思う。たとえレイシアちゃんが本当の意味で最悪な人間だったとしても、それは一度伸ばした手を戻す理由にはならないだろ》

 

 

 聞かれた相手がレイシアちゃんだったから──というわけじゃない。

 きっと俺は相手が誰でも、そうすると思う。

 たとえそれが、塗替斧令であっても。

 

 そして重ねて言うが──そうして差し伸べられた手を掴み取ったのは、レイシアちゃんと俺の間に積み重ねがあったからこそ、なんだよな。

 

 では、もしも。

 

 レイシアちゃんが、それでも俺の手を掴み取らなかったら。

 待っていたって絶対に手を取らない相手に、俺はどうするだろうか。

 

 それでも諦めずに手を差し伸べ続ける?

 

 それとも……、

 

 

 


 

 

 

第二章 二者択一なんて選ばない PHASE-NEXT.

 

 

六二話:二日目 Restart.

 

 

 


 

 

 

「だからやりすぎなのよぉ!!」

 

「あ、はい。それについてはもう……」

 

 

 大覇星祭二日目。

 

 二日目の開会式(大覇星祭は一日の初めに開会式があるのだ。まぁ一日目よりは簡略化されてるけど)が始まる前、食蜂さんに呼び出された俺達は、そんな感じで半ギレ状態の食蜂さんに激詰めされていた。

 で、何でこんなに怒られてるかというと。

 

 

「確かにぃ!! 私は大覇星祭で活躍して、外野の注目力を集めてって言ったけどぉ……! 学園都市中をしっちゃかめっちゃかにしてとは言ってないわよねぇ!? これは明らかにやりすぎよねぇ!?」

 

 

 そう言って、食蜂さんは俺に携帯端末の画面をつきつけてきた。

 そこに映し出されていたのは、学園都市の有名ニュースサイトの一面である。

 

 

『新たなる超能力者(レベル5)誕生!!』

 

 

 さらに食蜂さんが画面をスライドさせると、様々な内容が出てくる。

 

 

『新超能力者(レベル5)は多重人格 新たな能力開発システムの誕生か』

 

『一人の少女が超能力者(レベル5)に至った道程 その感動の物語』

 

白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の原理について』

 

『気になる序列は? ()()()()の意見は』

 

『新たな超能力者(レベル5)レイシア=ブラックガードの正体とは? 所属校は? 能力は? 調べてみました!』

 

 

 そして一連の記事を見せたあと、食蜂さんはデコレーションまみれの携帯端末をしまって言う。

 

 

「見て分かったでしょぉ!? 学園都市全体の注目力、アンタ一色! それどころかこのムーブメントは木原一族にまで波及していて、お陰で私の目的力もぉ……!」

 

「でもわたくし言いましたわよね。元婚約者がゴシップで攻撃してきたから、わたくしも対抗策として爆弾落としますわよ、って」

 

 

 涙目の食蜂さんに、レイシアちゃんはしれっと返す。

 うん、まぁ一応俺達も言ってはいるんだよね。その結果『まぁいいよ』って返事と一緒に名代として帆風さんが来てたという流れだから、てっきり食蜂さんもそこは承知してると思ってたんだけど……、

 

 

「爆弾どころか核爆弾じゃないのよぉ!! 新しい超能力者(レベル5)ぅ!? いや確かに能力が強化されてるのは知ってたけどぉ……超能力者(レベル5)はいくらなんでも成長力を飛ばしすぎでしょぉ!?」

 

「仰る通りで、ハイ……」「しょうがないじゃありませんの。というか、だから前以て言ってありましたわよね? ちゃんと超能力者(レベル5)云々も言ってありますわよ?」

 

「こちとらそれどころじゃなかったのよぉ!!!!」

 

 

 ああ……食蜂さんがへたりこんでしまった……。

 察するに、食蜂さんの方も別件で色々と立て込んでて、派閥からの報告をちゃんと汲み取れてなかったんだろうな。それで右から左状態でゴーサインを出していたから、予定外の爆弾で慌てている、と……。

 っていうかこの子結構ポンコツだな。なんかもうちょっとこう、冷静な感じのイメージがあったんだけど……。なんというか、過去編に出てたときの食蜂さんって感じがする。

 

 

「もうっ……! お陰で幻生の足取りは分からなくなるしぃ……!」

 

 

 …………()()

 

 

「ちょっとお待ちを。今、幻生、と?」

 

 

 幻生って……あの幻生だよな。

 木原幻生。超電磁砲(レールガン)はアニメしか見てない俺でも知ってるぞ。木山先生の上司みたいな人で、テレスティーナさんのおじいちゃんでもあるっていう。

 

 

 

「……あ」

 

「なんか口を滑らせたみたいですわね……」

 

 

 でも今の『あ』は悪手だと思うよ、食蜂さん。

 一般学生からしたら良く分からない名前かもしれないが、ある程度以上本格的な開発をやっている高位能力者なら誰しも一度は耳にするっていうくらいだしね、木原幻生。俺もこっちに来てから何度か名前を聞いたことがある。

 だから普通に流しておけば、いくらでも誤魔化せたんだけど……。そんなあからさまに情報漏洩しちゃいましたみたいな顔されちゃったらね……もうそこに食蜂さんのアキレス腱があるって判断しないわけにはいかないからね……。

 

 

「食蜂さん。あの、多分わたくし達のことは信用ならないと思っているのでしょうけど……よければ、事情を話してみてもらえませんか? その、色々と引っ掻き回してしまった償いもしたいので……」「わたくしは悪いとは思っていませんしこれが負い目になるとも思ってませんけどね」

 

 

《レイシアちゃん、流石に今の食蜂さんに追い打ちは可哀相だよ》

 

《追い打ちではなく、こういうところで『悪いことしました』って言質とられたら後から骨の髄までしゃぶりつくされるからそれを防止しているのですわ! というかシレンは脇が甘すぎ! 大派閥の長という自覚を持ちなさい! 困るのはわたくし達だけではありませんのよ!》

 

《あ、はい……すみません……》

 

 

 うう……。やはりこういう話だと立場が弱いぜ。

 でもまぁ、今回はレイシアちゃんの言うことにも一理あると思うので気を付けよう。食蜂さんも、まぁ仲良くなればそのへん大丈夫になるよね。

 

 

「………………、……まぁ、アンタがそういう方面で信用力を持ってるのは、分かっていたことだしぃ? とっても……とーっても業腹力が高いんだけどぉ、百歩譲って協力を仰いであげてもいいんだゾ」

 

「なんなんですのこの女?」「まぁまぁレイシアちゃん……」

 

 

 レイシアちゃんを宥めつつ、俺は食蜂さんに続きを促す。

 

 

「それで? 結局食蜂さんの目的というのはいったいなんなので?」

 

「……それはねぇ――――」

 

 

 


 

 

 

「……………………」

 

 

 話を聞いて、俺とレイシアちゃんは無言になっていた。

 いや、無理もないと思う。

 食蜂さんの話を総合すると、以下の通りだった。

 

 

 ──始まりは、食蜂さんの所属先の研究所。

 高位能力者というのは、学校だけでなく能力開発の為の研究所にも『所属』することが多い。それらは一般には『特別授業(クラス)』と呼ばれているが──まぁそれは建前。実態は学校教育よりも実験を優先させているわけだ。

 ちなみに、レイシアちゃんがときたまやっているHs-Oシリーズとの模擬戦もこれに該当している。

 

 そしてそんな所属研究所にて、食蜂さんは絶対能力進化(レベル6シフト)計画の存在について耳にしたらしい。

 実験稼働中は暗部の情報統制により知られていなかったようだが、実験が頓挫したことで食蜂さんの耳にも入るようになったようだ。

 ()()()()()その実験について調べていたところ、彼女は妹達(シスターズ)の身柄を探している組織の存在を発見したそうだ。

 

 それが、木原幻生。

 これは俺も初めて知ったのだが、なんとこの木原幻生、絶対能力進化(レベル6シフト)計画の提唱者だったらしい。記憶から抜けてるのか、どっかで補完された情報なのかは定かではないが……。

 

 ただ、今回は彼本人が直接動いているわけではなく、雇われを使って色々と好き勝手しているようだ。……が、妹達(シスターズ)を狙う以上、その目的は十中八九ミサカネットワークにあるとみていいだろう。

 木原一族が、それもSYSTEM研究の元老とも呼ばれていて絶対能力進化(レベル6シフト)計画を提唱した男が、ミサカネットワークを使って何かをしようとしている。そんなの、もう完全にヤバイ事態の幕開けだろう。

 なので食蜂さんも必死になってそれを抑えようとしている……らしい。

 

 

《……レイシアちゃん、これどういうことだと思う?》

 

 

 俺は、混迷の極みに立たされていた。

 

 ……………………いや、こんなエピソード欠片も知らね────し!!!!

 いやいやいや、分かってはいたよ!? 俺がいる以上いずれ世界情勢も変化して、起こる事件も乖離してくるって! 特に今回なんて大々的に超能力者(レベル5)として名乗りをあげちゃったんだから、どう考えても影響なしなんてありえないってことは覚悟してたよ!?

 でも! これは! 急すぎるだろ!

 もうちょっとこう、段階を踏んでというか、そもそもこれ俺が名乗りをあげる前から始まってた話だよね!? 俺達の乖離とか全く関係ない次元のやつじゃん!!

 

 

超電磁砲(レールガン)、ですわね》

 

《へ? 美琴さん?》

 

《そっちではなく。作品の方ですわ》

 

 

 慌てふためいている俺とは対照的に、レイシアちゃんはわりと冷静だった。

 

 

《確かシレンが前世で亡くなったときも、超電磁砲の漫画はやっていたんですわよね?》

 

《うん、まぁ……。俺は読んでなかったけど……、あ、でも確かに、大覇星祭の話をやってるっていうのは聞いたことあるかも。っていうか、食蜂さんもそこで初登場だったらしいし》

 

《であれば、そのエピソードが『これ』という可能性はあるのではなくて?》

 

《えぇー……いやいやいや、こんな大掛かりな話スピンオフでやるかなぁ? 下手したら学園都市全体を巻き込む話でしょ、これ。〇九三〇事件みたいにさ》

 

《そんなこと言ったら幻想御手(レベルアッパー)だって一万人巻き込んでるじゃありませんの》

 

 

 ……う、確かに。

 

 

禁書目録(インデックス)なんてしょせんバカ学生上条当麻の視点で進められているのですから、学園都市の細かい情勢なんて省かれてて当然ですわ。シレン、アナタあのツンツン頭がご丁寧に夕方のニュースで学園都市の情報収集をしたりするキャラに見えまして?》

 

《みえない……》

 

《まして木原がらみでしょう? 一般学生には話が降りてこないでしょうから、こういう感じで正史では描かれなかったエピソードが出てきても何もおかしくありませんわよ》

 

 ……言われてみれば。

 そう考えると、なんか考え方も変わってくるね。そうだよそうだ。そもそも『とある』ってスピンオフやら外伝やらが異常に多い作品なんだった。BDの特典小説とか全然読んだことなかったし、そこで出てきたエピソードがこの先俺達に関わってこないとも知れないんだよな……。

 そう考えると、このくらいで慌ててもしょうがないのかもしれない。

 

 

「ちょ、ちょっとぉ? ブラックガードさん? いきなり沈黙力を発揮しちゃってどうしたのかしらぁ……?」

 

「あ、すみません。少し脳内会議を……」

 

「……アナタ、けっこう不思議な感じよねぇ。二重人格というにはちょっとオカルトすぎっていうかぁ……」

 

 

 呆れたように、食蜂さんは呟く。やはり精神の専門家からすると、俺達の特性も普通の人とは違った形に見えるのかもしれない。

 

 

「ともあれ、私の事情力は今話したとおりなんだケドぉ……アナタは別に幻生のことを調べなくてもいいわぁ」

 

「それはどういう意図ですの? 超能力者(レベル5)の戦力が調査に回ることは、アナタにとっても有益ではなくて?」

 

「…………たったの一手で私の計画を台無しにしてくれたアナタがそれ言う?」

 

 

 ……ぐうの音も出ません。

 

 

「アナタが本筋に関わってたら、私の計画力が全部めちゃくちゃになっちゃいそうなのよぉ。だからアナタには、その強大な戦闘力を私の防衛に回してほしいんだゾ。ちょうど……」

 

 

 そう言って、食蜂さんは携帯端末を操作して、その画面を俺に見せてくる。

 監視カメラの映像だろうか。そこには一人の少女が映されていた。

 

 御坂美琴が、何やら電子機器を操作して何らかの調査をしている映像が。

 

 

「……御坂さんも、私の暗躍力に気付いたみたいだしねぇ☆」



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六三話:参戦

 そういうわけで、俺達は一旦食蜂さんとは別行動ということになった。

 食蜂さんの方もやることがあるということで、その間俺は──

 

 

「……やはり納得いきませんわ」

 

《まぁまぁレイシアちゃん、そう言わずに》

 

 

 全く無関係なビルの入り口でスタンバっていた。

 というのも、今の俺達は死ぬほど目立つので、それを逆に利用してやろうということらしかった。

 

 確かに最新の超能力者(レベル5)として注目されている俺を防御の駒に配置するのは、それだけで防御対象に注目を集めてしまうわけで、『なんでもない場所に俺を置く』ということが、この時期においては最大級のブラフとして機能するのは事実。

 色々ハチャメチャになって動きづらくなった食蜂さんとしても、そのハチャメチャの注目が一点に集まってくれれば却って動きやすくなるという判断がはたらいたのだろう。

 

 ただ、そんなことされれば当然レイシアちゃんは面白くないわけで。

 

 

《このわたくしを捕まえて、全くのダミーに配置するってどういうことですの!? あの女、体のいい言葉でわたくしを死蔵しようとしているのではなくて!?》

 

《そうは言ってもなぁ》

 

 

 えーと……現状、木原幻生が何やら妹達(シスターズ)を使って悪だくみをしようとしていて、その為に食蜂さんは幻生の居所をキャッチして襲撃をしかける予定だったけど、今回の騒動で幻生の足取りが分からなくなってしまった。

 なので幻生の居所を再調査している間、俺は幻生含む科学者連中の意識を集めるデコイとなる……が今の状況なわけなんだけれども。

 

 

《実際、俺もこうするのが最適解だと思うんだよね》

 

 

 策謀に関しては、間違いなく心理掌握(メンタルアウト)を持ってる食蜂さんの方が頼れるに決まっているし。

 俺が下手に出て乖離を進めるよりは、ここで歪みを一手に背負っておいた方が、バランスがとれてると思うんだよね。

 

 

《……まぁ、その言い分は分かりますが》

 

 

 そして怒っているのはあくまで感情的な問題なので、そこのところの理が食蜂さんにあるのはレイシアちゃんも認めるところらしい。俺の言葉に、レイシアちゃんも不承不承ながら同意してくれた。

 

 

《それよりも俺は、塗替の方が心配だよ》

 

《? 何か心配するようなことがありまして? 完璧に立件されて今留置所でしょう? もう何年かは出て来られませんわよ》

 

《いやそうじゃなくて……なんか色々と罪がくっついてたじゃんか》

 

 

 俺は……前世の基準で考えてたから、プライバシーの侵害とか買収とかそういう当たり前の量刑がされると思ってたんだけど、『学園都市の生徒の情報を外部に大規模漏洩した』ということで、塗替は一種の政治犯として捕まってしまった。

 まぁ、それ自体は法律の範疇だししょうがないとも思うのだが、学園都市って闇の部分があるので、政治犯なんて罪状で収監されたら、なんか秘密裡に処理とかされないかな……って心配になるのだ。

 

 

《シレンは心配性ですわねぇ。わたくしには闇とかそういうの全くないですから、わざわざ法律以上の報復をやろうとする連中もいませんわよ》

 

《でも今、俺達って木原をはじめとした学園都市中の研究者にマークされてるんでしょ?》

 

 

 そう。

 このタイミングで、『いじめてもレイシア=ブラックガードからあんまり悪印象を持たれないであろう』『レイシア=ブラックガードの過去をよく知る』『社会的に限りなく無力な存在』に対して、ちょっかいかけられないことってあるかな? と思うのだ。

 

 

《……ですが、塗替ってあんまりわたくしと親しくなかったですし、情報もないと思いますけど。それは傍目から見ても明らかだったはず。狙われるかと言われると微妙じゃないかしら。それなら、この街の『闇』の思考回路だとわたくしを直接狙う方がありえるのではなくて?》

 

《うーん……そうかも》

 

《なんにせよ、今の状況でわたくし達に起こせるアクションは限られているのですから、自分たちの安全に気を配っておいた方が賢明ですわ》

 

 

 確かに、塗替が襲われる可能性よりも俺達が狙われる可能性の方が高いか。学園都市ってそういうとこあるもんね。

 なら、今この瞬間も襲撃が発生する可能性を警戒しておかないと──

 

 

「……おや~? 思った以上にあっさり見つかりましたねぇ?」

 

 

 なんてことを話していると。

 

 噂をすれば──というわけではないが、本当に、この街の闇を象徴するような寒々しい口調の声が飛んできた。

 

 短髪──かつ茶髪の少年だった。

 血のように赤い錆紅のシャツに、黒のズボン。三日月のような笑みを表情に貼り付けた少年は、地金の育ちの良さを『何かの色』で塗り潰したような雰囲気だった。

 そしてそれらの印象を覆い隠すように、その上から白衣を羽織っている。

 何重にも印象が塗り固められた少年。

 それが、俺の彼に対する第一印象だった。

 

 

()()()()

 

 

 少年は、そう名乗った。

 

 

 


 

 

 

第二章 二者択一なんて選ばない PHASE-NEXT.

 

 

六三話:参戦 Scientists.

 

 

 


 

 

 

「や~っぱりぃ、自己紹介って大事じゃないですかぁ? 特に僕はほら、これからもあなたと仲良くしていきたいですし、」

 

「誰の使い走りですの?」

 

 

 得体のしれない笑みを浮かべながらこちらに近づいてくる木原相似──相似さんでいっか。相似さんに、レイシアちゃんは開口一番にそう問いかけた。

 その言葉を聞いて、相似さんの歩みが止まる。

 想定外の質問をされたとばかりに、相似さんはいっそこちらが笑いそうになるくらいきょとんとした表情を浮かべた。

 

 

「…………はい?」

 

「木原幻生……ではありませんわよね。ヤツは妹達(シスターズ)を狙っていると聞きました。その最中にわたくしという脇道に逸れるタイプではないでしょう。とすると、別の『木原』ですか?」

 

「……、いやだなぁ。僕自身の意思ですよ! 数多さんがね、最近落ち込んでて。でもあなたが絶対能力進化(レベル6シフト)計画に現れたときは凄く悔しそうにしてたんです! だから、あなたを手に入れることができれば、きっと数多さんも喜ぶんじゃないかって」

 

「なるほど、その数多さんの使い走りというわけですか」

 

「…………ですから、それは僕の意思なんですって」

 

 

 少し気分を害したのだろう。むっとした感じで言う相似さんに、レイシアちゃんはすうっと笑みを浮かべる。

 それは、嘲る笑みだ。相手の言葉の価値を踏みにじるような、そんな不敵な笑みを浮かべて、レイシアちゃんは一言、告げる。

 

 

()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「よし、活きが良いのは分かりました。すこ~し大人しくなってもらいますか」

 

 

 相似さんがそう言った次の瞬間には、俺達の身体は上空高くまで舞い上がっていた。

 もちろん、相手の攻撃でそうなったわけじゃない。何故なら、俺の背中には白黒の翼が展開されているのだから。

 

 そしてその判断が正しかったことを、俺達は一瞬後に思い知った。

 

 

《な、なにあれ……》

 

 

 一瞬前まで俺達がいた場所は、どういうわけか砂のようにバラバラになっていた。……どういう技術だ? アレ? 木原一族の使う技術なんだからまともじゃないのは分かってたけど……ビルの一部をあんな風に砂にするような技術ってなんだよ!?

 

 

《ていうかレイシアちゃん、なんであんなハチャメチャに相手を煽ってるのさ!?》

 

《なんでも何も、相手は敵でしょう? とりあえず煽って冷静さを失わせるのはジャブみたいなもんですわ》

 

《そんな初手精神攻撃は基本みたいな……》

 

 

 ……いやまぁ、俺も一方通行(アクセラレータ)とかスタディとか相手にはけっこう煽り入れてたような。

 そう考えると、俺達似た者同士なのかもしれないね……。

 ……っていうか。

 

 

《人通りのない場所でよかったね……。こんなところで俺達が能力を使っているのが衆目に晒されたら、軽めにパニックになっていたぞ》

 

《……まぁ、十中八九あの女が戦闘になることを見越して此処に配置したのでしょうね》

 

 

 レイシアちゃんが舌打ちせんばかりの声色で言って、俺達は能力をさらに展開して空を縦横無尽に駆け巡る。

 『亀裂』の展開位置は、基本的には展開した座標に固定されて、俺が動いても解除はされない。でも、設定をいじくれば()()()()()()()座標で展開することも可能だ。

 これをやると、俺の移動にくっつくようにして『亀裂』も動く。これを応用すれば、こんな風に空を高速で移動することもできるのである。

 『亀裂』を風防みたいに展開すれば、高速移動による色々なダメージも軽減できるしね。

 

 そんな風にして目に見えない相似さんの第二射、第三射を回避しながら、レイシアちゃんは叫ぶ。

 

 

「大人しくさせるだけにしては、随分手荒ではなくって!?」

 

「やだなぁ! 安心してくださいよ! 『コレ』は共振で物質を砕くだけ。今の設定だとブラックガードさんの骨しか砕けませんので! ああ、ちなみに骨が砕けてもきちんと僕が『代替』するので問題はありませんよ!」

 

「最悪ですわ……! 木原ってそんなのばかりなんですの!?」

 

 

 くっ……初手で物質破壊音波とか、厄介すぎるだろ!

 相手の攻撃が音速とか言われたら……、……いや、待てよ?

 

 

《シレン? どうかしましたの?》

 

《ああ、いや。気にしないでレイシアちゃん》

 

「空に逃げたのは身動きを取りやすくして、攻撃の回避率を上げる為でしょうけど……甘いですよぉ! 多少威力は落ちますが、音波の範囲を広げれば逆にそれだけ広範囲への攻撃になります! もちろん、周波数を代替すれば理論上は『亀裂』すらも破壊が可能なんです!」

 

 

 そう言って、相似さんは両手を広げる。

 見ると、彼の白衣の内側には無数のスピーカーが取り付けられている。いや、それだけじゃない。彼の周囲には、スピーカーを取り付けたドローンが幾つも飛び交っていた。

 どうやら、あのスピーカーを使って音を組み合わせて任意の『破壊の波長』を作り出しているのだろう。

 

 と、そんな風に相似さんの周辺の様子をうかがっていたからだろうか。

 相似さんは、三日月のような笑みをさらに深めて続ける。

 

 

「どうしましたぁ? あ、ひょっとして物質を破壊できる波長をどうやって見つけてるのか不思議ですか!? ご安心ください。特殊な機材は使ってません! このくらいなら暗算で代替できますので!」

 

 

 研究成果──というよりは、まるで隠し芸を発表するような笑顔で、相似さんは言う。

 実際、相似さんにとってアレは隠し芸程度の話でしかないのだろう。……まぁ、俺としても別にそこはあんまり重要ではないんだけども。

 

 

「さあ! 見せてくださいレイシア=ブラックガードさん! あなたの──新たなる超能力者(レベル5)の実力を!」

 

 

 言葉と同時に、相似さんの周辺のスピーカーから殺人的な音波が発せられた。

 その破壊力はすさまじく、射線上にあったビルの一部は一瞬にして砂になった。……これを浴びてしまえば、俺達も全身の骨や歯がバラバラになって生きながらにしてクラゲのようにされてしまうだろう。

 ただまぁ……、

 

 

「なるほど、そこまで精密に物質の共振周波数を演算できる才能、素晴らしいものだと思います。ですが……その程度が通るほど、超能力者(わたくし)は甘くない」

 

 

 それで本当にクラゲになるほど、俺達も弱くはないんだけどね。

 

 

「…………?」

 

 

 相似さんが、怪訝そうな表情を浮かべる。

 無理もない。俺達も空の高速移動をやめ、確実に音波がぶつかるようなところに立っているからだ。

 にも拘らず、俺達の骨は砕けていない。

 

 

「……! まさか! ひょっとして、暴風じゃなくて……空気の振動、つまり音波を発生させたんですか!?」

 

 

 そう。

 ()()()()()()()()()()()調()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 これも暴風の応用だ。

 風を操れば音も生じる。ならば、それをどんどん微細なレベルに落ち着かせれば? 透明な『亀裂』しか操ることができない状態ならば無理だろうが、今の俺達は電子レベルで物質を分断できる『亀裂』を操れる。

 その解除によって発生する事象も、同様にさらに細かい領域まで踏み込めるはずだと思ったのだ。

 

 結果は大正解。

 そよ風レベルよりもさらに細かく解除時の余波を演算することで、音波のようなものを空間に混ぜ込むことができた。

 

 まだどういう音波を放つかまでは難しいが……それでも精密な演算によって組み合わされた周波数を乱して無力化することはたやすい。

 

 

「そんなデータは確かなかったはず。この土壇場で新たな応用を編み出したと!? 面白い、面白いなぁ、やっぱり超能力者(レベル5)ならそれくらいはやってもらわ、」

 

 

 バギン、と。

 その次の瞬間、周辺に設置されていたスピーカーが全く同時に両断される。

 

 

「……迂闊ですわね。白黒鋸刃(ジャギドエッジ)は確かに進化して白と黒の面を持つ刃となりましたが、かといって従来の透明な『亀裂』も併用できないとは一言も言ってませんわよ?」

 

 

 これもまた、考えてみれば当然な話。

 そもそも今回の競技で俺達は散々透明な『亀裂』を使ってきたからね。それができるなら、白黒の『亀裂』と透明な『亀裂』を同時に使用できるのは当たり前だ。

 

 

 そして。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「チェックメイト」

 

 

 つまり、攻撃に使った『亀裂』は、当然解除によって暴風を生み出すこともできる。

 

 

 ゴファ!!!! と一気に暴風が吹き荒れ、相似さんの身体がノーバウンドで数メートルも吹っ飛ぶ。

 まるで水面を跳ねる水切り石か何かのように低く地面を転がっていったあと、相似さんは完全に静止した。

 

 

《や……、》

 

《やりすぎ、ではないですわよ。相手は木原なのですから、あの程度でダウンしてくれるかどうかが既に怪しいところでしてよ》

 

 

 気流を操って近くのビルの屋上に着地した俺達は、そのまま翼を消して身をひそめる。

 

 

《……でも、どうしよう!? なんか、さっきの相似さんの言いっぷりだと、彼だけじゃなくてそもそも前の時点から数多さんが俺達のことを狙ってるっぽい感じだったんだけど!?》

 

《まぁ木原一族で実験側──統括理事会の指示を聞いて動くといったら、やはり木原数多が一番最初に出てきますわよねぇ》

 

 

 レイシアちゃんの返答も、やはり沈痛な声色になっていた。

 だってなぁ……前回に引き続き、今回も『木原』だ。これはもう……完全に、アレだろう。無関係とはいえないだろう。

 ここまで状況が揃っちゃったら、認めるしかない。

 

 

《俺達…………木原一族に本気で狙われてるよね…………》

 

 

 どう考えても、俺達は木原一族に狙われている。

 

 ……いやいや、まぁそりゃそうだろとは思うけどね? 憑依して予定外の超能力者(レベル5)なんて、どう考えても異常だし。異常なやつは研究したいに決まってるし。

 でもさ……やっぱマッドサイエンティストにがっつり身柄を狙われるっていうのは、なかなか精神的にクるものがあるというか……。

 

 ……というか、()()()木原一族に狙われてるってことは、このままここに留まっていたら、十中八九他の木原からの追撃を受けることにならないかな? 木原って確か何万人もいるはずだし……これ、一か所に固まってたらヤバイのでは?

 

 

《……逃げましょうか》

 

《そ、その前に! 食蜂さんに電話しておこう。勝手に持ち場離れて迷惑かけてもいけないし》

 

《えー……正直その暇で逃げて態勢を立て直すべきだと思いますが……》

 

 

 ほんの一分くらいで済むでしょ。こういう細かな報連相が大事なの。

 ということで、食蜂さんに電話をかけてみたのだが……。

 

 

『おかけになった電話は、現在電波の届かない場所にあるか、電源が入っていない為、かかりません。おかけに、ブヅッ』

 

 

《…………通じないね。食蜂さん、トンネルでもくぐってるのかな?》

 

《いや……普通に考えて電波妨害でしょう、これ。わたくしと外部とのやりとりを遮断してますわよ完全に》

 

 

 ……でんぱぼうがい。

 

 あーなるほど。偶然トンネルをくぐって電波が悪かったとかではなく、電波妨害ね。確かに、それならこんな屋上で電話をかけたのに繋がらないことにも説明がつく。

 木原一族が俺達を孤立させるために、こっちの通信手段を妨害していると。なるほど確かに、連中の目的を考えればそれが最善手かもしれないなぁ。

 うん。

 

 …………。

 

 

 

《………………………………………………………………》

 

 

 

 

 あ、これ……本当にヤバイやつだ。




今回登場した木原相似くんはオリキャラではなく、「とある科学の未元物質(ダークマター)」に登場したキャラクターです。ちなみに「とあマタ」は大覇星祭前の話です。


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おまけ:木原一族、集結

「……あぁー? どういうことだ、こりゃあ」

 

 

 一人の男が、ぼんやりとごちた。

 

 金色に染めた髪を逆立てた、猛獣のような雰囲気の男は、呆れたように『それ』を見下ろした。

 そこには、敗北した木原相似が転がっていた。

 

 

「ふ、はは、まさかこの土壇場でデータを更新してくるなんて。面白いなぁ、面白いですよ、ブラックガードさん……!」

 

「あ~、おい、相似。……ったく、勝手に突っ込んでダウンしてくれやがって」

 

「……へ? あ、数多さん!」

 

 

 転がっていた相似は、自分の傍に立つ男にようやく気が付くと、目を輝かせながら視線を上げた。

 

 木原数多。

 

 そう呼ばれた、顔面の半分に刺青を彫った白衣の男は、憮然とした表情のまま、相似を片腕で引っ張り上げた。

 

 

「おら、立て。怪我しようが筋力を『代替』する準備くらい、お前はできてんだろ。いつまでもこんなとこで寝てサボってんじゃねぇ。お前にはまだ働いてもらうからな」

 

「ハハハ、いやだなぁ~数多さん。サボってなんていませんよぉ。ただ、アレをどう攻略するかって……。あの成長スピードだと、ただ対策しただけでもその対策の上から土壇場で新たな成長が……その成長速度、いや成長()()を予測しないと……」

 

「それを考えながら動くのが『木原』だっつってんだよ、アホが」

 

 

 べし、と相似の頭をはたくと、数多はそのまま傍に待機させていた部下の車に乗り込む。

 そして車窓から顔を出し、未だにぶつぶつ言いながら佇んでいる相似にこう告げた。

 

 

「行くぞ。白黒鋸刃(ジャギドエッジ)にリベンジしてぇんだろうがそいつは後回しだ。…………先に、()()()()()()をどうにかしねぇとな」

 

 

 


 

 

 

第二章 二者択一なんて選ばない PHASE-NEXT.

 

 

おまけ:木原一族、集結

 

 

 


 

 

 

 ──レイシア=ブラックガードは、一つ大きな思い違いをしていた。

 

 別に木原一族は、レイシア=ブラックガードについてそこまで価値を感じていない。

 白黒鋸刃(ジャギドエッジ)という能力にそこまでの価値がないのはもちろん、本来であれば彼らは『素養格付(パラメータリスト)によらない成長』という一点でレイシアに最大限の興味を惹かれそうなものだが──、

 

 

『やあ、よく集まってくれた』

 

 

 その仮説については、この老犬が完全に否定していた。

 

 ゆえに、木原一族全体としては、レイシアに対して研究価値を見出している者は絶無に近い。

 唯一、木原一族としては異端と呼べるほどに『即物的』な感性を持つ数多と、そんな彼を慕う相似に関しては、レイシアに対して多少の興味を持ち合わせているが。

 

 電波妨害についても、レイシアはまだ気づいていないが、あれは単純に相似が戦闘の邪魔をさせない為に敷いたもので、彼を撃退して少しした時点で解除されている。あと僅かな時間でも冷静に状況を見極めていれば、もう少し未来も変わったかもしれないが……。

 ……つまり、レイシアは完全に勘違いで危機感を加速させていたことになる。

 

 

「……チッ、クソ犬が」

 

「数多。先生にナメた口利いたら殺しちゃいますよ?」

 

『唯一君。数多君。喧嘩はやめたまえ』

 

 

 窘めるように言う老犬の背中には、ロボットアームが取り付けられており、それが彼の口元から葉巻を抜き取る。

 葉巻の種類を知らない相似からしても、それが上等なものであることは一目でわかるほどだった。

 

 

『さて、君達も知っての通り、彼が動いた』

 

「幻生さん……ですよねぇ」

 

 

 人語を話すロボットアームのゴールデンレトリバー ──木原脳幹の言葉に、相似が口を開いた。

 

 木原幻生。

 御坂美琴を利用した絶対能力進化(レベル6シフト)計画を主導し、学園都市の崩壊と引き換えに()()()()その先に至るモノを観測しようという破滅主義科学者(マッドサイエンティスト)

 

 当然、学園都市の『裏』の奥底にはその情報も伝わっている。だが、『正史』において彼らは歴史の表舞台には出ず、そのままに事態は解決した。それは何故か。

 

 

「アレイスターの野郎は当初静観するって言ってたよなぁ? それがどうしてこの大集合だ? 正月でもこんなに集まらねえぞ」

 

 

 言いながら、数多は周囲を見渡す。

 

 

 薄暗いホールのような場所には、ざっと数えるだけで一クラス分ほどの『木原』が蠢いていた。

 

 ホールの中央に立つゴールデンレトリバーの木原脳幹。

 

 脳幹の教え子である木原唯一。

 

 金髪を逆立てた木原数多。

 

 そんな彼を慕う木原相似。

 

 壁際には車椅子の木原病理と彼女の車椅子を押す木原円周がいたし、他にも数多に影響を受けたファッションの木原乱数、ビジネススーツ姿のテレスティーナ=木原=ライフライン、ランドセルを背負った木原那由他などもいる。

 その誰もが、人知を凌駕する科学(あくい)の担い手だ。……もっとも、例外は存在するが。

 

 

『それが実は、アレイスターの計算外の事態が起こってね』

 

「……ああ? 計算外だぁ? 確かに、あそこで暢気に車椅子転がしてる仮病野郎が幻生のジジイを『諦めさせる』のを諦めやがったけどよ」

 

「あのじいさんは死んでも諦めないですし、あのじいさんを死なすのも今の私の科学では無理なのでしょうがないですよー」

 

『いや、そっちはいいんだ。元々、彼の実験そのものは我々も問題視していなかったからね』

 

 

 脳幹はそう言って、

 

 

『ただ、レイシア=ブラックガード君の件がね』

 

「ああ、あの例の……裏第四位(アナザーフォー)でしたっけ-?」

 

『彼女の超能力者(レベル5)の告白。この中の大半は知っていたと思うが、「裏」の情報網を持たない科学者はそうもいかない。そして、我々は科学者の中では少数派だ。多勢に流される中で、「彼」はその身を隠した』

 

 

 正史において彼は妹達(シスターズ)を媒介として美琴を絶対能力者(レベル6)にしようと画策した。

 それ自体は学園都市の『闇』では明らかになっているが、しかしそれを具体的に実現する方法についてはまだ分かっていない。

 

 ()()()()()()()()()()()

 

 

『問題は、「彼」が身を隠す必要などどこにもない──という点だ』

 

 

 それでも統括理事長は当初幻生の企みを『静観』していたし、脳幹をはじめとする木原一族もそれに否やの声をあげたりはしなかった。

 もっとも、学園都市の秩序を守ることを生業とする病理などは一応抵抗してはみたようだが……それにしたってあっさりと諦める程度の熱量しかない。

 

 つまり、幻生の計画は統括理事長にとってそこまで重大なものではなかった。

 否、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その慢心につけこむ形で、木原幻生はこの街の『闇』を利用し、むしろ統括理事長に己の所業を見せつけるような形で動いていた。

 その幻生が、急に今になって雲隠れした。これは明らかに今までの彼の行動指針からは外れた行動である。

 

 

『つまり「彼」は、レイシア=ブラックガードの本格覚醒を受けて、この土壇場で「あるモノ」を手に入れる必要性を見出した。そしてその「あるモノ」は、アレイスターにとって都合の悪いものだった』

 

「……『あるモノ』って? 脳幹ちゃん、それじゃあ何も分からないと思うんだけど……」

 

『うむ。良い質問だ円周君。それについてはこちらとしても目星がついているが──まぁ、機密というヤツだ。今その存在を明らかにするのは、アレイスターにとっても都合が悪い』

 

 

 つまり、と脳幹は続けて、

 

 

『見つけ次第、木原幻生を無力化しろ。生死は問わない。…………街を守る為の戦いというわけだ。善悪で言えば善で、好悪で言っても好ましいなど、なかなか巡り合えるものじゃないぞ』

 

「…………反吐が出るな」

 

「奇遇ですね数多。私も同感です」

 

 

 吐き捨てるように言い、二人の『木原』はホールの出口へと移動する。それを追うように、少年と少女の『木原』もホールの出口へ歩を進めるが……、

 

 

「ただ、そこに白黒鋸刃(ジャギドエッジ)が絡んでいやがるなら話は別だ。ヤツについちゃあ、俺の研究にも利用できるからな」

 

「私も。自分だけ諦めっぱなしは性に合わないのでーす」

 

 

 ぴたり、と。

 そこで二人の『木原』が足を止める。

 

 

「オイオイ、いつからお前の司るものは『猿真似』になっちまったんだァ? ()()()()()よォ」

 

「そっちこそ。まだ『諦め』てなかったんですか? ()()()()

 

「…………()()()、」

 

「まぁまぁ! 二人とも、一応私達の目的は共通しているわけでしょ? ならここで潰し合う必要はないと思うよ! ね、病理おばさん、数多おじさん」

 

 

 一触即発の空気になった二人を宥めるように、円周が間に割って入る。

 じろりと、二人の『木原』の視線が一人の少女に向けられるが、その向こうから老犬のロボットアームがきりきりと音を立てたのを見て、ようやく二人の『木原』は矛を収めた。

 

 

「……ま、『木原』が足りてねえテメェに言っても分からねえ話ではある、か」

 

「数多。私は円周ちゃんと出ますけど……邪魔をすれば殺しますよー」

 

「そりゃこっちの台詞だクソアマ。行くぞ、相似」

 

 

 それきり、二組の『木原』は言葉も交わさずに本当にホールから出ていく。それを見て、残された『木原』達も各々行動を始めた。

 

 

 その中の一角。

 ビジネススーツ姿のテレスティーナ=木原=ライフラインは、ランドセルの木原那由他の動きを見ていた。

 日本人離れした金色の髪をツインテールにした少女は、真っ直ぐにテレスティーナのことを見ていた。

 

 

「……なんだ、『欠陥品』。こうやって顔を合わせるのは初めてだったか? あの実験体どもの落とし前でもつけにきたか」

 

「絆里ちゃん達は、きちんと目を覚ましたよ」

 

 

 それは、彼女達の間に隔たる歴史を知らない者には意味の通らない会話だっただろう。

 ただ、そこには確かな隔たりがあり──木原那由他の一言は、その隔たりを踏み越える一歩だった。

 

 

「だから私も、テレスティーナおばさんに何かするってことはないよ。……でも、幻生おじいさんは、そうはいかない。幻生おじいさんの計画は、この街を滅ぼすものだからね。私は……この街を守りたい」

 

「……、」

 

「テレスティーナおばさんも、私と同じように幻生おじいさんの実験体として色んな実験に参加してきた。ある意味で、私達は『モルモット』という形で幻生おじいさんの思考を間近で見てきたといえる」

 

「その私達の知見を合わせて、クソジジイの居場所を暴こうってかァ? ……ハッ! 馬鹿じゃねえの? 私がそんな話に乗るとでも思っていやがんのか。っつかよォ、私としては、確かにあのジジイに先を越されるのは業腹だが、別に絶対能力(レベル6)が誕生するのは歓迎なんだわ」

 

「嘘だね」

 

 

 あくまで嘲るテレスティーナに、那由他は静かな否定を返す。

 

 

「なら、なんでここに来たの? テレスティーナおばさんも、幻生おじいさんの企みは阻止したいんでしょう? ()()()()。だってテレスティーナおばさんの無意識(AIM)が、私には見えるもの」

 

「……………………チッ」

 

 

 舌打ちをしたテレスティーナは、しかし那由他の言葉には答えずにホールから出ようとする。

 那由他はその背中をじっと見ていたが──やがてテレスティーナは、根負けしたように足を止めた。

 

 

「……ついて来るのは止めねぇが、来るなら一つだけ忠告しておくわ。私は()()()()じゃねェ。まだ()()()()よ」

 

「…………うん! テレスティーナお姉さん!」

 

 

 そしてまた、ホールから二人の『木原』が消えた。

 

 

 最後に残された一人と一匹は、暗がりの中でのんびりと話を始める。

 

 

『さて、誰が「彼」に到達するかなあ』

 

「うーん、難しくないですかね。あのジジイ、本当に妖怪みたいなしぶとさしてますし。そもそも『木原』同士が潰し合ったところで不毛なんですよね」

 

『そうだなあ、やはり対「木原」なら一方通行(アクセラレータ)か……、あるいは、彼女が上手く機能してくれればなんとかなるかもしれないが』

 

「ああ、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の……レイシア=ブラックガードでしたっけ?」

 

 

 リクルートスーツに身を包んだ女性は、懐疑的な声色を隠そうともせず、続けてこう言った。

 

 

 

臨神契約(ニアデスプロミス)。あんなの、ホントに実現するんですかねえ?」




原作キャラ紹介

名前木原那由他
初出とある科学の超電磁砲特典冊子「偽典・超電磁砲」収録
『とある自販機の存在証明(ファンファーレ)
設定
 木原一族にして、先進教育局・特殊学校法人RFO所属の風紀委員。小学生の少女。
 純日本人だが、実験の後遺症で金髪碧眼。能力はひらたく言うと『能力を暴発させる能力』。

 「とある科学の超電磁砲」に登場する枝先絆里達の友人。昏睡状態に陥った彼女達を救う為に活動していたが、彼女達を救う為に動いていた木山春生を倒した御坂美琴に対して複雑な感情を抱き、戦闘を挑む。
 その際、御坂美琴と削板軍覇の衝突の余波を受けて身体を故障。その後の乱雑開放(ポルターガイスト)事件には介入することができなかった。

 実験体の安全にすらも配慮した完璧な実験を行っていた為、木原一族の中では『欠陥品』として蔑まれていたが、学園都市では同じ『欠陥品』として扱われている枝先絆里達と親しくなり、『欠陥品』として使い潰された彼女達が単なる犠牲者ではないと証明する為、超能力者(レベル5)になって街を守ることを目指している。


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六四話:犠牲

「! 通じた! もしもし、食蜂さん!?」

 

 

 能力を使って空を逃走している真っ最中。

 その間も何度か食蜂さんに電話を試していた俺達だったが、一キロほど離れたところまで移動した段階で、ようやく電波が繋がった。

 幸いにも、木原一族の包囲網はそこまで完璧なものじゃなかったらしい。……向こうの方も、色々とゴタゴタしているのかな?

 

 

『なぁに? いきなりどうしたのよぉ。それより、囮としての戦果はどうなっているかしらぁ?』

 

「木原一族に襲われましたわ!!」

 

『…………は???』

 

 

 電話口から、素っ頓狂な声が返ってくる。

 まぁ無理もないが、こっちもその困惑につきあうほど余裕があるわけじゃない。さらに話を続けさせてもらう。

 

 

「正確には、襲撃を仕掛けてきたのは木原相似。音波を操る『木原』でした。そしてどうも、彼自身は木原数多という『木原』の意向を受けてわたくしのことを狙っていた様子。……つまりわたくしは、木原一族から組織的に狙われているということですわ!」

 

『は……はァ──っ!?』

 

 

 それに対し、食蜂さんから返ってきたのは悲鳴じみた絶叫だった。

 まぁ……そりゃそうだよね。木原一族。学園都市で高位能力者をやっていれば、自ずと知れる集団だ。殆ど都市伝説みたいな認識だが、そいつらがヤバイという話も聞く。……まぁ、『ヤバイ研究者』の噂なら学園都市にはごまんとあるんだけどね。

 そんな木原一族とぶつかったなんて言われたら、普通はそうなる。俺だってそうなった。

 そんな同情を感じさせる絶叫のあと、食蜂さんはさらに続ける。

 

 

『な、な、何そんな危険力の高い情報を叩きこんでくれてるわけぇ!? この土壇場で!? それでアンタ今何してるのよぉ!』

 

「逃走しているに決まっているじゃありませんの! あんなところにいたらこっちはじり貧ですわよ! とにかく合流しましょう!」

 

『嫌に決まってるでしょぉ!? 冗談じゃないわぁ! なんで私がアンタの巻き添え食わなくちゃならないのよぉ! 相手にする木原なんて幻生一人で私も手いっぱいなのよぉ!!』

 

 

 う……ウワーッ! きょ、拒否られた!? いや、確かに食蜂さんの性格ならオッケーとは言わないか……。で、でもこれでけっこうヤバイ状況になってしまったのでは!? あと頼れる相手と言えば……美琴さんとGMDWの面々くらいなのだが……!

 

 

《派閥の力を借りるのはナシですわよ》

 

 

 そこで、レイシアちゃんの一言があった。

 ……分かっているよ。俺だって『木原』が大量に押し寄せてくるっていう場面で彼女達を盤面に引き込むほど愚かじゃない。そんなの、友情とか善意とかって言葉でみんなを縛り付けて、地獄に引きずり下ろしているようなものだ。

 絆っていうのは、そんな風にして使うものじゃあない。

 

 

《とすると、頼りにできそうなのは後は美琴さ、》

 

《上条を呼びましょう》

 

《はぇッ!?》

 

 

 か……上条さん!? そこで!?

 いや……上条さんは相性悪すぎでしょ! だって相手は木原だよ!? 使っているのは普通の科学技術! 幻想殺し(イマジンブレイカー)は機能しない! いくらなんでも相性が悪すぎる!

 

 

《ここで頼るべきは美琴さんでしょ? 電撃使い(エレクトロマスター)は科学兵器全般と相性がいいし》

 

《シレン。忘れたんですの?》

 

 

 一応真っ当な意見を言ったつもりだったのだが、レイシアちゃんは呆れたように溜息を吐いて、

 

 

《そもそも、この事件は「とある科学の超電磁砲(レールガン)」で描かれた事件である可能性が高い。であれば今美琴はわたくし達とは別口で事件に巻き込まれているはずですわ。……そんなところにわたくし達が合流したら、どうなると思います?》

 

《……合流したって事実を見て、美琴さんの事件の黒幕と木原一族が結託しちゃう可能性があるね》

 

《あるいは、黒幕が木原一族と結託しようとして、木原一族に内部から食いつぶされるか、ですわね。そんなことになったらもう目も当てられませんわ。内側がグロテスクな極彩色に変貌した事件の中を、目隠しでのたうち回らなければなりません》

 

 

 …………確かに。

 

 

《その点、上条当麻は今回フリーに決まっていますわ。何せ外伝作品ですもの。本編主人公なんかめったに顔を出しませんわよ。あと、上条なら何だかんだで上手いことやってくれるはず》

 

 

《で、でも……上条さんを呼ぶのは危ないんじゃないかな……? 相手は木原だよ……?》

 

《………………美琴は迷いなく巻き込もうとするくせにこの恋する乙女野郎は…………》

 

 

 なんかめちゃくちゃな風評被害をぶつけられた気がするんですけど!?

 

 

『それでブラックガードさん、今アナタどこに逃走力を発揮しているのぉ? 木原と事を構えるっていうなら、色々と準備が必要よねぇ……』

 

 

 と、そこで食蜂さんからの質問が飛んできた。

 よかった、協力拒否即ブッチとかにはならずに済んだ……。

 

 

「……一応、第二学区を目指していますわ」

 

『……だ、第二学区?』

 

 

 俺達の答えに、食蜂さんが信じられないことを聞いた風に問い返す。

 そう。俺達は、第二学区に向かっているのだった。

 第二学区といえば、風紀委員(ジャッジメント)やら警備員(アンチスキル)やらの本部がある学区。学園都市の中でも特に警備の目が光っている学区だ。

 木原一族がどういう意図で俺達を狙ったのかは知らないが……連中も、流石に公的治安維持組織が大勢いるところで大規模な攻撃を仕掛けたりはできないだろう。あんまりやりすぎたら、事件を隠蔽できないし。

 まぁ当然そこからでも何かしらの警備を貫通して攻撃してくる術を出してくるんだろうが、それにはもちろん時間がかかる。

 まずはそうやって木原一族の追撃を遅延させ、そのうちに何かしらの糸口を手に入れようというわけなのだ。

 

 ……一応、相手のアキレス腱に心当たりがないわけでもないからね。

 

 

『だ……第二学区は……ちょっと待ってもらえるかしらぁ? そっちはあんまりよくない気がするのよねぇ』

 

「え……なぜですの?」

 

『だ……だってそうでしょう? いくらなんでも人目につきすぎるわぁ。今のアナタはただでさえ注目力を集めやすいんだから、そんなことしたら逆に人の眼で身動きが取れなくなるんじゃないかしらぁ?』

 

 

 …………一理ある気がするな。

 

 

《これは第二学区に何かありますわね。もしくは今あの女が第二学区にいるか。……向かって巻き込んでしまいましょう》

 

《いやいやいや、それは駄目だよレイシアちゃん》

 

《なんでですの? シレンお人好しすぎますわよ。向こうはわたくし達のこと切る気満々なのですから、そこに気を遣っていては……》

 

《いや、そうじゃなくてね?》

 

 

 あ~、レイシアちゃんはやっぱ食蜂さんみたいなタイプ相手だと頭に血が上っちゃうからね。

 でも、冷静になって考えれば分かるはずだ。

 

 

《さっきレイシアちゃん自身が言ってたでしょ。この事件が『超電磁砲(レールガン)』で描かれていたものだとしたら、おそらく食蜂さんも中心人物の一人だ。そこに木原を突っ込んじゃったら、絶対に話がこじれるよ?》

 

《…………確かに》

 

 

 ……ぐあー!! 超能力者(レベル5)の力が借りられん!! 一人で木原一族を相手にしなくちゃいけないのか……? あの連中を……? うう、やるしかないのか~……。

 

 

 と。

 

 

 そうやって透明の『亀裂』を駆使して空中を高速移動して逃げていると、ふと真下で見知った体操服の少女の姿が見えた。

 常盤台の体操服を身に纏った少女の名は……知っている。彼女は、この秋に転入してきた婚后(こんごう)光子(みつこ)さんだ。

 転入したての時に、俺を派閥に誘ってきたことがあったっけ。GMDWの派閥の長ですなんて言ったら色々可哀相だったから、適当に言葉を濁して断ったけど……。

 

 

 

 その彼女は今、何やら小太りの少年に足蹴にされていた。

 

 

「……電話、切りますわよ」

 

『えっ? ちょ、待、』

 

「あとでかけ直します」

 

 

 ブッ、と電話を切ると、俺は心の内側でレイシアちゃんに声をかける。

 

 

《……レイシアちゃん》

 

《みなまで言わなくても分かりますわ》

 

 

 確かに、今、俺達は非常事態の真っただ中にいる。

 木原一族に身柄を狙われていて、今すぐにでもどこかに身を隠して何かしらの対策を練らなくちゃいけないのは分かっている。

 

 でも。

 

 ここで彼女を見捨てて逃げ出してしまったら──それよりももっと大切なモノに、傷がつく。

 仮にこの局面を無事に切り抜けられたとしても、癒えない古傷のような痛みが一生ついて回ることになる。

 

 だから。

 

 

「…………そこのアナタ」

 

 

 俺は、小太りの少年の背後にゆっくりと降り立った。

 

 

「婚后さん!!」

 

 

 同時に、俺とは反対側、即ち小太りの少年の向こう側から、婚后さんを呼ぶ声が聞こえた。

 多分、婚后さんのお友達だろう──ってあれは佐天さん!? あ、あとあれは確か……泡浮(あわつき)さんと湾内(わんない)さんだっけ。……まぁ、婚后さんの介抱は三人に任せていいだろう。それよりもまずはこの少年だ。

 まず、やり口が普通の学生って感じじゃあない。さりとてチンピラって感じの雰囲気でもない。なんというか……纏う雰囲気が、粘っこいというか……夏にぶつかったスタディの連中と近しいものを感じる。

 

 

「はぁ……。やれやれ。次から次へとまた『お仲間の為』かい? 全く、まるでゴキブリだね……」

 

 

 あくまで挑発的な少年は、こちらの方を見ることもなくため息交じりにそう言う。

 そこで、佐天さん達は俺の姿に気付いたようだった。思わずぽかんとした表情を浮かべていた。

 

 そして────。

 

 

 


 

 

 

「…………そこのアナタ」

 

「婚后さん!!」

 

 

 その言葉を立て続けに聞き、馬場芳郎はもはや辟易している自分を隠そうともせず溜息をついていた。

 超電磁砲(レールガン)という『他者』に依存するばかりか、それで敗北する弱者のくせに偉そうに説教を垂れる愚か者。

 この世の摂理を知らない馬鹿にようやく身の程というものを教えてやったというのに、今度はこれだ。

 

 人数は四人……しかしうち一人は制服からして高位能力者ではない。先ほどちらりと見えた限りでは、背後に立つのは常盤台生だった。

 となると、高位能力者相手に三対一。少々分が悪くはあるが……しかし博士から譲渡された兵器にはまだ余裕がある。お嬢様など適当に口八丁で騙して足元をすくってやればいいのだし、鬱憤晴らしにはちょうどいい。

 

 

「はぁ……。やれやれ。次から次へとまた『お仲間の為』かい? 全く、まるでゴキブリだね……」

 

 

 呆れの色を隠そうともせずに、馬場は言う。

 それは明らかに慢心であり油断であったが、しかし彼自身はそのことに気付けない。

 

 そこで、自分の目の前にいる三人の少女の顔色が何やら変化した。

 何か……恐ろしいものを見てしまったかのような?

 

 

「アナタ達……婚后さんを連れて、病院へ。第七学区の病院ならば、すぐに治療してもらえるでしょう」

 

 

 底冷えするような声色だった。

 一介のお嬢様がそんな声色を発するなど珍しい。温室育ちの常盤台生であれば、怒りに震えていたとしてもしょせんチワワが吠え立てるような微笑ましい怒気しか出せないものと、馬場は思っていたが。

 

 

「……は、はい。その……だ、大丈夫ですか?」

 

 

 花飾りの少女が、心配そうに問いかける。その脇にいる常盤台生の方も、やはり心配そうに眉根を寄せていた。

 馬場の頭脳はそんな些細な情報からも、多数の情報を読み取っていく。

 

 

(なるほどね……。彼女達には面識があるらしい。どうやらよほど怒っているようだが、彼女が心配する程度に戦闘能力は低い、と。やれやれ、これだからお嬢様は。怒りに我を忘れて、勝てない相手に挑む、と。どれ、ここは僕が社会の厳しさというのを教えてやらないといけないかな)

 

 

 どうやら、正面の少女三人が戦闘に参加するということはなさそうだ。

 そこで、馬場は背後へ振り返り、その愚かな少女がいったい何者かを確認しようと──、

 

 

「無論ですわ。わたくしを誰だと思っていますの?」

 

 

 ──しようとして、脳が数秒ほど事実を拒絶した。

 

 なぜ?

 

 言うまでもない。そこに、先日発表されたてホヤホヤで今も『暗部』を賑わせている新たな超能力者(レベル5)が立っていたからだ。

 

 

(え…………えェェええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッッッッ!?!?!?!?!?!?!?!? どどどッ、どういうことだッ!? レイシア=ブラックガード!? なぜこんな場所に!? どこからどう情報をキャッチした!? ヤツは数十分前まで()()()()()()()()()何やら施設防衛をしていたはず!? あそこからここまで数キロは離れているぞ!?)

 

 

 絶望。

 その言葉が、馬場の脳裏をよぎる。『れ、レイシアさん。一応、あまりやりすぎないように~……』という花飾りの少女の空しい声が背中に突き刺さるが、そんなことを気にする余裕もない。

 

 馬場の脳は、生涯最高速となる思考速度をマークして生き残る術を考えていた。

 

 

(ど……どうする!? どうする!? T:MQはスピードがのろすぎる! 超能力者(レベル5)なら何らかの方法で僕の行動は全て把握しているだろうし、何かやろうものなら即座にあの『亀裂』でお陀仏だ! T:GDも歯が立たないだろうし、T:MTもここからだと間に合わない!! しかもこっちはヤツの仲間に攻撃している! 此処から叩きのめされない理由がない!!!! 考えろ…………考えろ!! ここから生き残る方法を!!!!)

 

 

「──今更、言葉のやりとりは不要ですわね。アナタも覚悟はできているのでしょう?」

 

 

 レイシア=ブラックガードが、右手を差し出す。

 当然それは和解の握手などではない。むしろ逆。敵に敗北を齎す絶大の一手を指そうとしているだけだ。

 

 一言。

 次の一言で、己の命運は決まる。その瞬間、馬場芳郎はそう直感した。

 

 寝返りは論外。そんなことをすれば粛清されるに決まっている。

 

 命乞いも論外。仲間を傷つけた以上、相手にそれを呑む理由などあるはずがない。

 

 この場で、彼を活かすメリット。

 それを、レイシア=ブラックガードに突きつけなければならない。

 

 

(考えろ考えろ考えろ考えろ!! レイシア=ブラックガード! 『メンバー』! 統括理事会からの指令! 御坂美琴との共闘! 婚約破棄! 仲間の怪我! 妹達(シスターズ)の居所! 昏睡させた御坂美琴!)

 

 

 そして。

 

 そして。

 

 

「……………………僕たちは、騙されていた……?」

 

 

 ふと。

 

 気付いてしまった。

 

 幻生の企みを妨害するにあたって、食蜂は情報操作を行い、美琴に全ての罪をかぶせていた。

 そして(彼らはそのことを知らないが)幻生に雇われていた『メンバー』は、その妨害をなくすために美琴に対してナノマシンを撃ちこんで行動不能にしつつ、妹達(シスターズ)を回収しようとしていた。

 

 そして、レイシア=ブラックガードについては美琴と共闘関係にあり、彼女は昏睡した美琴を守る為にビルに立てこもっている……そういう情報を受け取っていた。

 しかし。

 

 だとしたら何故、レイシア=ブラックガードは此処にいる?

 それはおかしい。

 だってレイシアというガードがなくなれば、昏睡している美琴は完全にフリーになってしまう。そんなことも分からないほど彼女は馬鹿ではないだろう。

 

 そう考えると、レイシア=ブラックガードが美琴を守っているという情報の真偽からして怪しい。

 というか、レイシア=ブラックガードが共闘しているというのであれば、昨日の婚約破棄もおかしいのだ。アレのせいで暗部の情勢はめちゃくちゃになった。それは『メンバー』の邪魔をしている美琴にとっても、不都合なはずなのに。

 

 そして一つの情報を怪しんでいくと、様々な情報の信憑性も危うくなっていく。

 そもそも、根本的に――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 第三者が御坂美琴に罪をなすりつけていた。そういう可能性だって当然あるだろう。

 

 

「ま……待ってくれ! 君の仲間を傷つけた償いは必ずする! だから待ってくれ!! ぼ、僕だって騙されていたんだ! 僕達の『組織』に、意図的に誤情報が流されていて……常盤台の超能力者(レベル5)と潰し合うように仕向けられていたんだ! そうとしか考えられない!!」

 

 

 ゆえに、この場の最適解は一つ。

 

 『自分達に誤情報を掴ませていた存在』を共通の敵に仕立て上げ、レイシア=ブラックガードからの敵意を逸らす!!!!

 

 そうすればレイシアに今すぐ叩きのめされることもなくなり、そして共闘関係を作っていく中で隙を見つけて逃げ出すことだってできる。何なら、T:MQのナノデバイスを使って無力化してやったっていいだろう。

 この場さえ乗り切ることができれば…………!!

 

 

「なるほど」

 

 

 スカァッ、と。

 直後、馬場の手に持っていたT:MQの入ったケースがバラバラに切り刻まれた。

 

 

「……な、へ?」

 

「『組織』。そう言いましたわね? アナタ……つまり、一般人ではない、何かしらの『プロ』なのでしょう」

 

「は、え……は、はい」

 

「ならちょうどいいですわ。巻き込んでも心が痛まなさそうですし。ちょっと手伝ってもらいましょうか」

 

「あ、あ……?」

 

 

 頼みの綱であるT:MQがバラバラにされてしまったショックにより、一瞬思考が真っ白になってしまった馬場を置いて、レイシアはさらに話を進めていく。

 だが、この程度の驚愕など序の口だと、馬場は直後に思い知ることになる。

 何故なら彼女は、続けてこんなことを言ったのだから。

 

 

 

「実は、木原一族に狙われていますの。撃退の手伝いをしてくださいな」

 

 

 男、馬場芳郎。

 当然、リアクションは一言だった。

 

 

「はァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッッッ!?!?!?!?!?!?!?!?!?」

 

 

 なお、リアクションにはたっぷり一〇秒使った。

 

 

 


 

 

 

第二章 二者択一なんて選ばない PHASE-NEXT.

 

 

六四話:犠牲 New_Partner.

 

 

 




レイシア:その点、上条当麻は今回フリーに決まっていますわ。何せ外伝作品ですもの。本編主人公なんかめったに顔を出しませんわよ

上条:右腕からドラゴン生えました

レイシア:…………このバカ!!!!!


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六五話:邂逅

 そんなわけで。

 俺達は小太りの少年──馬場芳郎さんというらしい。暗部組織『メンバー』に所属しているそうだ。びっくりである──を捕まえたまま、空の旅と洒落込んでいた。

 いやあ、『メンバー』といえば、確か博士とかって名前の人がいたところだよね。垣根さんに倒されちゃったやつ。あと、ショチトルさんがいた組織。

 他の登場人物については、ちょっと印象薄いから覚えてないけど……。確か、閉じ込められて発狂しちゃった人とかがいたような気はする。あれ、それは『ブロック』の人だったっけ?

 

 ちなみに、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の仕様にはちょっとおもしろい特徴があって。

 本体を基準にした『亀裂』を発現した場合、本体の移動に『亀裂』もついてくる……というのは既に説明した通りなのだが、この時『亀裂』に何かしらを積載していた場合、積載物の重量がどれだけ重かろうが、『本体の移動』にかかる負荷は変化しない……という性質がある。

 たとえば、『亀裂』の上に馬場さんを載せたとする。その状態で俺達が移動しても、馬場さんの重量分だけ俺達の移動に負荷がかかるということはない。

 だからこうして空を飛ぶときでも、概ね俺一人が空を飛べれば馬場さんも問題なく運ぶことができるわけだ。

 

 まぁ……、

 

 

「うっ、うわああああああああっ!? す、少しは安全に飛行できないのか!? 高ッ!? 落ちる!?!? とっ、止めてくれえええええ!!」

 

「やかましいですわよ!! 男の子ならもうちょっと辛抱なさい!!」

 

「いやだああああああ!! 木原一族と戦いたくなんかない!! 死ぬ! 絶対に死ぬ!! 助けてくれええええええ!!!!」

 

「…………コイツ、本当に暗部組織の一員なんですわよね……?」

 

 

 一人分の重量で飛行できる分飛行スピードも上がるわけで、飛行をコントロールしてない立場からすればまさしく悪夢って感じなんだろうけども。

 

 

「うう……何故僕がこんな目に……」

 

「そりゃ、あんなとこでわたくしのご学友を甚振っていたからですわ」

 

「クソ……理不尽だ……」

 

「理不尽? 問答無用で全身バラバラにされなかったのにですか?」

 

「…………なんでもありません」

 

 

 ああ、馬場さんが縮こまってしまった。

 まぁ、俺達は別に暗部の人間というわけでもないし、相手を切り刻んだりはしないけどね。何なら馬場さんを捨て駒にするつもりもないし。

 

 

「……レイシアちゃん。あまり言いすぎないように。……すみませんね、馬場さん。成り行き上、かなり強引にはなってしまいましたが……共闘する以上、アナタに過度な無茶はさせませんので」

 

「……! 第二人格か、こっちは話が分かるようでよかった……!」

 

「…………話が分からない第一人格で悪かったですわね。何ならここで能力の制御をミスして紐なしバンジーを敢行してもいいんですわよ」

 

「すみませんなんでもありませんでしたッッッ!!!!」

 

 

 馬場さん……哀れだ……。

 

 

《というかシレン。コイツ『正史』の暗部抗争で出てきたヤツですわよね》

 

《え? そうだっけ?》

 

《ほら、アレですわよアレ。確か、拠点に閉じ込められて発狂した人》

 

《あー!! アレがこの人かぁー!!》

 

 

 ……言われてみれば、けっこう見た目が近いような? ……でも、彼はここまで太ってなかったような気がするけどなぁ……。……今から暗部抗争までの間にダイエット成功したんだろうか?

 

 

「ところで……アナタの情報、信じていいんでしょうね?」

 

 

 そうして空を飛びながら、レイシアちゃんは馬場さんに厳しい視線を向けた。

 視線を向けられた馬場さんが、びくりと怯えの色を表情に出す。

 

 そう。

 俺達がこうして空の旅と洒落込んでいるのは、馬場さんから新たな情報がもたらされたからなのだった。

 

 木原一族は、現在内輪揉めの真っ最中らしい。

 

 正確には、ちょっと前に木原一族の誰かに対して攻撃を仕掛けた『木原』がいた、ということらしいのだが、それが今日になって、再発したということらしかった。

 そしてその情報がもしも事実ならば、それはどう考えても相似さんの襲撃とは無関係ではないはずだ。

 そして今は、その情報について精査する為、馬場さんの持つ『別荘(セーフハウス)』の一つに向かっている真っ最中なのだった。

 

 

「も……もちろんだ。こんなすぐにバレる嘘を吐くメリットが僕にはない!」

 

「ま、罠なら突破すればいいだけの話なので、どっちでもいいんですけどね」

 

「く……これだから超能力者(レベル5)は……」

 

 

 レイシアちゃんの自信満々な言葉に、馬場さんは何も言う気が起きないらしく、そのまま脱力してしまった。

 まぁ、気持ちは分かるよ。でも実際に、超能力者(レベル5)基準だと『罠を疑って行動しなければいつまでたっても状況が進まないから、とりあえず罠だったら強行突破すればいいという前提で一旦相手の話に乗ってみる』っていう選択肢がけっこう有力になるんだよね。

 

 

「さて……ここでいいんですの?」

 

 

 と。

 そこまで話したところで、俺達は高度を下げて、倉庫の傍に降り立った。

 遅れて馬場さんを載せていた『亀裂』が解除されて、馬場さんもよたよたとしながらなんとか着地する。

 

 

「……急いで中に入ろう。あまり他の誰かに見られたい場面ではないからね」

 

 

 そう言いながら倉庫のロックを解除する馬場さんの横顔には、明らかに冷や汗があった。

 まぁ、そりゃそっか。第三者がこの場面を見たら、まず裏切りを疑われるもんね。一応、俺達が馬場さんにやってもらってるのは『木原一族の捜査』なので、別に裏切りではないんだけれども。

 

 

「まず木原一族についてだが……連中の動向は、普段は『暗部』の中でもトップシークレットに類するものであることが多い」

 

 

 倉庫の中は、どこかの特殊組織の指令室か何かかと思うくらいハイテクな作りになっていた。

 おそらく外面の倉庫然とした状態がカモフラージュで、実際には彼が色々と作業をするための場になっているのだろう。

 

 

絶対能力進化(レベル6シフト)をはじめとして、学園都市統括理事会の思惑が関与していることが多いからね。つまり『木原』というのは、僕達『メンバー』と同じように統括理事会の意思を実行する為の組織という側面もある」

 

 

 何やら鍵盤のように様々なボタンとモニタが設置されている区画に座ると、馬場さんはカタカタとそれらを操作しながら続ける。

 

 

「だが……内輪揉めによって、連中の情報秘匿力もだいぶ低下している。今なら僕の持つ情報網でもある程度動向が探れる程度にはね」

 

「それでも『ある程度』なんですのね……」

 

 

 木原一族スゲー、という意味で言ったのだったが、馬場さんはそうはとらなかったらしい。

 

 

「う、うるさいな! これでもなかなかの成果なんだからな! 木原一族の動向を探るなんて、下手をすれば相手に喧嘩を売る自殺行為だ! 僕だからそのリスクを極力排除して調査ができるんだぞ!」

 

「もちろん。そこは素直に凄いと思っていますわ。本当に、助かりますわ」

 

「……ふ、ふん。分かっていればいいんだよ……」

 

 

 あ、素直にお礼を言われたから反応に困ってるな。

 

 

「──で、続報について調べてみようか。さっきの段階で内輪揉めが再発したという話は出ていたけど、その後は……、ん? これは……」

 

 

 馬場さんが見つけた情報は、

 

 

 


 

 

 

第二章 二者択一なんて選ばない PHASE-NEXT.

 

 

六五話:邂逅 Poltergeist.

 

 

 


 

 

 

「……おやおやー? まさか、先回りされているとはねー」

 

 

 第二学区。

 『とあるシステム』が隠されているビルの前で、その老人はぴたりと足を止めた。

 彼の目の前に、二人の女性が佇んでいたからだ。

 

 一人は、妙齢。

 亜麻色の髪を後ろでシニヨンにしてまとめた、眼鏡の女性である。

 レディススーツを身に纏ったその風貌は、どこかの会社の有能秘書といった感じだった。

 

 一人は、少女。

 金色の髪をツインテールにしてまとめた、青い瞳の、小学生くらいの少女だ。

 ランドセルを背負った姿は、大覇星祭に湧く学園都市では却ってどこか浮いた印象を与えている。

 

 どちらにせよ、争いごとからはおよそ縁遠い外見的特徴を持つ二人。

 しかし今は、そのどちらも異様な戦意をその全身に漲らせていた。

 

 

「簡単な推論だ」

 

 

 妙齢の女性──テレスティーナ=木原=ライフラインは言う。

 

 

「テメェの科学っていうのは、ネットワークに依拠したモノが多い。木山春生の幻想御手(レベルアッパー)。二万人のクローンを使ったミサカネットワーク。……そして暴走能力の法則解析用誘爆実験。テメェのインスピレーションは、大概『能力者を使ったネットワーク』に収束する傾向がある」

 

「そして今回、妹達(シスターズ)のお姉ちゃん達を使って絶対能力者(レベル6)を生み出そうとしたら、まずはそのトップである上位個体(ラストオーダー)を抑える必要がある。……けど、彼女は暗部の情報網を以てしてもどこにいるのか掴めない。だから、干渉するとしたらただの妹達(シスターズ)の個体相手しかありえない」

 

 

 実際、その為に木原幻生は暗部組織を操って妹達(シスターズ)を回収しようとしていたのだから。

 そして、上位個体(ラストオーダー)を無視して、ただの妹達(シスターズ)越しにネットワークを掌握しようとすれば、どういった手法が必要になるか。

 

 

「…………その為の心理掌握(メンタルアウト)。だろ? クソジジイ」

 

「フォフォフォ、いやー正解だよ。流石は僕の教え子たちだねー」

 

「教え子じゃねェだろ。虫唾が走んだよ」

 

 

 言って、テレスティーナは那由他の肩に手を置いた。

 

 

「私の理論は覚えているな?」

 

 

 那由他は、その問いかけにこくりと頷き、

 

 

乱雑開放(ポルターガイスト)()()

 

 

 直後。

 

 

 木原幻生の身体は、不可視のエネルギーによって上空一七〇メートルまで叩き上げられた。

 

 

 

「…………!」

 

「那由他ァ! 油断すんじゃねェぞ。あの妖怪ジジイはあれくらいじゃあ死なねェ。義眼でヤツの動きは捉えてるな? 空中で身動きが取れていないうちに追撃して叩きのめすんだ」

 

「分かったよ、テレサのお姉さん!」

 

 

 その言葉と同時に、上空一七〇メートルを落下中の木原幻生の周辺が歪む。

 そして不可視の攻撃が連続で老体目掛け放たれるが──しかし、老人の肉体は不可思議な軌道でその全てを回避していく。

 

 

「……チッ、風力使い(エアロシューター)か」

 

 

 不機嫌そうなテレスティーナの呟きから二・五秒後。

 木原幻生は、()()()()()()地面に降り立った。

 

 

「いやー、驚いたねー。僕が幻想御手(レベルアッパー)を使うのを見越して、()()()()()()()()()()()わけか。テレスティーナは複数の能力を暴走させることで大きなAIM拡散力場全体の流れをコントロールし、『一つの大きな能力』を発生させるノウハウがあるからねー。それを那由他に伝授したってところかな?」

 

「無傷……!」

 

「だが、テメェのその防御だって完璧じゃあないはずだ。地震を発生させるほどの巨大なエネルギー。多才能力(マルチスキル)とテメェのサイボーグの肉体を以てしても、あと八三手、時間にして二分程度で詰むレベルだ。その上──」

 

「うん。さらにこの後、御坂君と食蜂君……それとブラックガード君も来る計算だねー」

 

 

 そう言って、幻生は人差し指でコツコツと自分の頭を突き、地面へと視線を落とす。

 

 

「まぁ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。流石に超能力者(レベル5)が二人となると、僕も少し厳しいからね」

 

「…………んだと?」

 

乱雑開放(ポルターガイスト)の攻撃転用。確かに妙案ではあったけれど──」

 

 

 木原幻生は、すう──と顔を上げる。

 そこには、狂気にも似た笑みがはりついていた。

 

 

()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

「ば、かな──!! そんなことをしたら、テメェも暴走に巻き込まれ────!!!!」

 

 

 直後。

 

 爆発。

 

 

 


 

 

 

「なんだ……これ……!!」

 

 

 馬場さんの、戦慄混じりの呟きが俺達の耳に届くが……実際のところ、俺もまた同じ気持ちだった。

 暗部の情報網らしく、どこから撮影したんだかわからない映像と共に、そこにはこんなレポートが記述されていたのだ。

 

 

『第二学区にて、木原幻生が戦闘を開始。テレスティーナ=木原=ライフラインと木原那由他が交戦するも、ダウン。木原幻生は直近にあったビル内部に侵入。おそらく、このビルは第五位にまつわる「何か」があるものと思われる』

 

 

 …………どうして俺達を狙っているはずの木原一族がそんなところでバトルを始めてるんだろうとか、第五位にまつわる『何か』を木原幻生が取りに来たってどう考えてもヤバイ状況じゃんとか、色々と言いたいことはあるわけだけれども。

 そんなものは吹っ飛ばして、今決断すべきことは一つしかない。

 

 

《レイシアちゃん》

 

《……ええ。これは……》

 

 

 この状況、身の安全がどうとか言っていられる状況じゃあなさそうだ。

 

 

「馬場さん」

 

「ああ……どうやらここが戦場になるみたいだね。バックアップは任せてくれ。安心しなよ、こんなところで裏切るほど薄情じゃあない」

 

「現場に行きますわよ。一緒に」

 

「え!?!?!?!?!?!?」

 

 

 ……俺達にも、きっとできることがあるはずだ。

 対・木原一族の問題をどうにかする為にも──それと食蜂さんの抱える問題に協力する為にも、俺達も行こう。第二学区に。

 

 馬場さんはなんかすごく抗議していたけど、しょうがないよね。だって置いていったら二度と連絡つかなくなりそうだし。



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六六話:降臨

「は……放せッ! 僕は頭脳労働担当だぞ! そんな僕を最前線に送り込むなんて、みすみす死なせるようなものだぞ! 良心が痛まないのか!?」

 

「アナタ自分から最前線に出ていたでしょう」

 

「うぐっ」

 

 

 空を飛びながら、馬場さんはもうそんな風にして会話をする余裕すらできていた。

 いやあ、流石に暗部の人間だけあって、けっこうすぐに慣れてくれるなあ、馬場さん。なんか節々から小物臭さというか、ダメ人間感が出てるんだけど……やっぱり暗部の人間だけあって、基本スペックは高いんだよね。

 

 

「……そ、それは博士から貸与されていたロボットがいたからで……」

 

「馬場さん。ロボットと超能力者(レベル5)、どちらが強いとお思いですか?」

 

 

 レイシアちゃんにまかせっきりだと無限に喧嘩を続けそうなので、俺はほどほどのところで二人の会話に割って入る。

 まぁ、こんな風に賑やかにワチャワチャするのもそれはそれでいいと思うけどさ。

 

 

「わたくしが、アナタの手札になります。超能力者(レベル5)という特大の鬼札(ジョーカー)ですわよ? まさか……こんなに恵まれた手札を与えられて、コールしないんですの?」

 

「…………、な」

 

 

 そこで、何だかんだで滑らかに言葉を紡いでいた馬場さんの言葉が詰まる。

 

 

《シレン、たまにわたくしよりもキツイ煽りを入れますわよね》

 

《レイシアちゃん。これは『煽りを入れる』じゃなくて『発破をかける』というんだよ》

 

 

 まるで俺が馬場さんのことを追い詰めて楽しんでるみたいじゃないか。違うからね。馬場さんの戦力……かなり重要視してるからね、俺は。

 

 

「わたくしこれでも、アナタの能力をけっこう評価していますのよ」

 

 

 『亀裂』を軋ませて空を駆りながら、俺は馬場さんに微笑みかける。

 

 

「最初は、確かにわたくしの学友を足蹴にしていたのを見てかなり悪印象を持ちましたが……大能力者(レベル4)を知略で完封してみせる手腕は目を見張りますし」

 

「……お、おお……」

 

「それに、秘匿レベルが下がったとはいえ『木原』の情報をきちんと手に入れて、こうしてわたくしの道しるべも用意してくれていますもの」

 

 

 本人のアレさとかで、かな~り誤魔化されているが……実は馬場さん、けっこう有能なのだ。便利ともいう。

 だからこう、メンタル的にサポートしてくれる誰かが近くにいれば、かなりの知将をやってくれると思うんだよね。

 あと、これは『正史』を知っているからこその情報なのだが……『メンバー』の正規構成員って言ったら、立場的には未来の一方通行(アクセラレータ)さんとか土御門さんとかと同じくらいなんでしょ?

 そんな立場にいる人間が、印象通りの弱者なわけがないよねぇ……。

 

 

「……う、薄っぺらいぞ! そうやって都合のいい甘言で僕のことを懐柔しようとしたって無意味だ! そんな分かりやすい欺瞞で友情ごっこをするような軽い脳味噌の持ち主だと思われていたとは、僕も随分と甘く、」

 

「期待していますわよ。馬場さん?」

 

 

 人間的にダメなのは分かり切っているので、こんなので信用してもらえるとも思っていないのだが。

 でも、人間としては無理でも、共闘相手として信頼してもらえるくらいにはなれるよね、多分。

 

 

《……なんだか昔の自分を客観的に見ているようで最悪な気分ですわ。今からでも遅くないからこいつ投棄しません?》

 

《何から何までひどすぎるよレイシアちゃん!!》

 

 

 


 

 

 

 

「うわっ……なんだこれ!?」

 

 

 現場に到着するなり、馬場くんが殆ど悲鳴のような調子で声をあげた。

 いやいや、こればっかりは無理もないと思う。

 何故ならそこには、戦場か何かと見紛うばかりの惨状が展開されていたのだから。

 

 簡潔に表現するならば、『災害跡地』。

 地面はまるでビスケットを砕いたかのようにバラバラにひび割れていて、人ひとりは余裕で呑み込みそうな地割れが蜘蛛の巣のように張り巡らされている。

 周辺の建物もその破壊の余波に巻き込まれて半壊している建物が多数。……けが人の類がいないのが奇跡だ。何かしらの避難誘導が事前にあったんだろうか。

 ……そういえば、ダウンしたって言われてた二人の『木原』の姿も見えないな。もしかしたら、どこかしらに逃げたのかもしれないな。

 

 そして何よりも異様なのは、その破壊の痕よりもむしろ──そんな破壊の渦の中に合って()()()()()()()()()()の存在だった。

 

 

「……あからさますぎますわね」

 

 

 俺達の見上げるビル。そこの周囲だけが、周囲の惨状が嘘のように無傷の状態を保っていた。

 こんなのもう、この中に幻生さんがいるに決まっているだろう。

 

 

「馬場さん」

 

「ああもう……分かったよ! だがビルに入るなよ! ここは第五位にまつわる『何か』が保管されているんだろう? なら内部は第五位の防衛用トラップが仕込んである可能性が高い。せっかく空を飛ぶ能力があるんだ。有効活用しない手はないだろう?」

 

 

 ……確かに。

 そっか、俺は食蜂さんの仲間ではあるけど、施設側にそれを判別する能力はないもんな……。しかも馬場さんは暗部組織の人間。むしろ防衛機能は発動しまくる方が自然ってわけか。

 

 

『ちょうどよかった。馬場くん、いいところにいたな』

 

 

 と。

 そこで、馬場さんの持っていた携帯端末から老人の声が聞こえてきた。

 

 

「! 博士! いったい何を……」

 

『いやなに、すまないね。今回の依頼、何か妙なところがあると思ってな。少し調べものをしていたが……どうやら、我々はいっぱい食わされていたらしい。……裏第四位(アナザーフォー)、そこにいるな? 君も一緒に聞くといい』

 

 

 …………?

 アナザーフォー? 誰だそいつ。

 

 

《へー、わたくし第四位ですの? ……美琴の下ですか。なんか釈然としませんが……》

 

 

 ……はい? 第四位? 俺達が?

 

 

 …………。

 

 いやいやいやいやいやいやいやいや!!!! 初耳なんですけど!? 何それ!? 『アナザーフォー』!? それってつまりもう一人の四位!? 同率四位ですか!?

 

 

「あ、あの、何を言っているか……」

 

『序列については後日君の情報網を使って調べてくれたまえ。それよりも今は、「木原幻生」の目的だ』

 

 

 ああ……速攻で流されてしまった……。

 っていうか、『博士』ってこの人が『メンバー』のボスみたいな人ってことだよね? なんか色々ありすぎて反応する間もなかったけど……。

 

 

『木原幻生は、妹達(シスターズ)を利用して絶対能力進化(レベル6シフト)計画を行おうとしている』

 

「……、」

 

『それは君も知っているだろう。だが、そもそもこれは不可能な話だ。何故なら、現時点で安定した絶対能力者(レベル6)となれるのは一方通行(アクセラレータ)ただ一人だからな。しかし……彼のことだ。無理やりにでも絶対能力(レベル6)へ到達させる方法でもあるのだろう。……クローンとはいえ、遺伝子は同じだ。それらのネットワークを用いて第三位の演算力を向上させる……などだろうか』

 

 

 博士は少し間をおいて、

 

 

『方法論はあまり問題ではない。重要なのは、彼がこの施設へ乗り込んだのは、ただでさえ無茶な第三位の強化を第五位の能力によって少しでも補助したいからだろうという点だ。そう考えると、やはり話の核は施設に眠る「第五位にまつわる何か」ではなく、「ミサカネットワーク」ということになる』

 

 

 なるほど……。

 今までは第五位……食蜂さんにまつわる何かがなんなのかってことにばかり思考を囚われていたけど、そこはよく考えたら考える必要ないんだな。

 ……でも、ミサカネットワークを邪魔する方法って、どうすればいいんだろ……?

 

 

「……ああ。なるほど」

 

『馬場君は理解したようだね』

 

白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の白黒の『亀裂』を使う。そうですね?」

 

 

 え? ここで俺達の『亀裂』? ……あ、そっか!!

 白黒の『亀裂』は光や電磁波も切断する。ミサカネットワークは美琴さんや妹さんたちのAIM拡散力場──即ち電子的ネットワークによって構築されているものだから、ビルの周囲を『亀裂』で覆ってしまえば、幻生はミサカネットワークから隔絶される!

 このくらいの高層ビルなら……俺達の能力なら、余裕で囲うことができる!

 

 

「そうと決まれば……!」

 

『ああ。「亀裂」を展開すれば私の通話も切れる。……一応、この街の闇に身を置く者としては、利用されっぱなしは性に合わないのでね。馬場君、任せたよ』

 

「……ええ。こっちには使える『手駒』がありますから」

 

「今のは手駒と書いて仲間と読むんですのね。わたくし分かりましたわ」

 

「勝手に分かるな!!」

 

 

 なんて言いつつ。

 

 ゾアッ!! と。

 

 俺の背後から白黒の『亀裂』が展開され、ビルの周囲をすっぽりと覆い尽くした。

 ほどなく、世界はビルの窓から漏れる光以外は全くの闇となる。

 

 

「さて……これで幻生の企みは阻止できましたわね。あとは、ビルの中にいる幻生を拿捕すれば解決ですわ」「それが一番大変な作業なんですけれどね……、馬場さん、宜しくお願いしますね」

 

「……まぁ、ここまで来たんだ。僕にも暗部組織としての矜持はあるからね。投げ出したりはしない」

 

 

 馬場くんは携帯端末のライト機能を使って辺りを照らしてくれる。

 すると、昼間くらい──とはいかずとも、夕暮れ程度には周囲の視界も良好になった。よかった、実は暗闇に乗じて幻生さんに狙われたらいやだなって思ってたんだよね。

 

 

「おやー? 見つかってしまったみたいだねー」

 

 

 っているじゃんそこに!!!!

 普通に入口から出てきてるじゃん!! 逃げも隠れもしねえ!

 

 

「ず、随分余裕だな……? こっちには超能力者(レベル5)がいるんだぞ。多少の策を用意した上でそれでも正面衝突を避けるのが定石。それじゃあ、いくら策があっても無策と同義……!」

 

「うーん、そういうのは僕の趣味じゃなくってねー」

 

 

 対する幻生さんは、顎に指を当ててのんきに言う。

 

 

「(……おい、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)。気流を操ってアイツの周囲の空気を奪え。人体を無力化するならそれが一番手っ取り早い)」

 

 

 えっそんなのやったことないんだけど……。

 ……まぁやってみますけど。

 

 …………。

 

 ……うわっ、できた!? 暴風とかやらないで普通に気流が操作できるぞ! しかも順調に幻生さんの周りの気圧が下がっていってる……!

 

 

《俺達、こんなこともできるんだね……》

 

《まぁ、観測史上最大の暴風をやすやすと超えられる出力を出せるのですし、その出力を精密動作に回せばこういうこともできますか……》

 

 

 なんていうか……発想力だなぁ。

 確かに、相似さんのときは超音波だって出せてたんだ。そう考えると、俺達ってもう、自在に空気を操ることもできるようになってるのかも。

 やっぱり馬場さんを味方につけたのは正解だったな。俺やレイシアちゃんじゃ、こういう発想はポンポン思いつかない。

 

 

「……む? なるほど気流操作……! 能力の成長が進んでいるのは観測していたが、応用性、つまり演算機能の充実もここまで進んでいたとは……! レイシアくんの体質が悩ましい応用性だよ。それさえなければ、君は一方通行(アクセラレータ)に次ぐ安定した絶対能力者(レベル6)になれていたかもしれないというのに……!」

 

 

 ……なんか凄く熱く語り始めたんですけど……。

 …………これ、このまま終わるんじゃないかな? もうあのへん高山くらいの酸素濃度になってるっぽいし、

 

 

「でもねー」

 

 

 そこで、幻生の目がゆっくりと開かれ、こちらに向けられる。

 赤く染まったその目は、確か、幻想御手(レベルアッパー)の……、

 

 

 

「残念だけど、今は君達に構っている暇はないんだ」

 

 

 

 直後、ズガン!!!!!!!! という轟音と共に俺達の『亀裂』が突然叩き破られ。

 

 

「御坂君と食蜂君が実質ダウンするとはいえ、流石に超能力者(レベル5)()()も相手となると厳しいからねー。そういうわけで後は頼んだよ」

 

 

 俺達の前に、『天使』が舞い降りた。

 

 

「風斬君――――いや、今は『ヒューズ=カザキリ』と呼んだ方がいいかねー?」

 

 

 


 

 

 

第二章 二者択一なんて選ばない PHASE-NEXT.

 

 

六六話:降臨 Fuze-"K".

 

 

 


 

 

 

「ハッ……ハッ…………!」

 

 

 木原那由他の肉体の大部分は、既に機械部品で代替されている。

 かつてとある実験で肉体に学園都市の超能力とは別種の『力』を流し込んだ影響で爆散した木原那由他は、その肉体で様々な人体代替(サイボーグ)技術を活用しているのだ。

 このあたりは、やはり何だかんだといっても木原幻生に科学の手解きを受けた者の歪みというべきか……。

 

 ともかく、肉体の大部分がサイボーグである木原那由他にとっては、たとえ肉体に地震のエネルギーに等しい一撃を叩きこまれて五体が四散したところで、別のパーツを使って補修すれば問題なく動けるのだ。

 とはいえ──

 

 

「……ふざけやがって……! テメェ一人なら躱せただろうが! 私を庇って強者のつもりか、あァ!?」

 

 

 隣で吼えているテレスティーナがいなければ、バラバラに散らばった木原那由他はそのまま機械らしく機能停止していただろうが。

 

 彼女達は今、第七学区のとある病院の廊下を走っていた。

 といっても、別に敗北して受けた負傷を治療しにきたわけではない。

 

 

「……、」

 

 

 那由他が窓から空へ視線を送る。

 第二学区の方角では、とあるビルに収束するように禍々しい黒い稲妻が落ちていた。

 おそらく、何らかの事情でミサカネットワークをせき止めていた『亀裂』が破壊され、幻生の計画が本格始動したのだろう。

 

 

「……間に合わなかったみたい、だね」

 

「勝手に萎えてんじゃねェぞ。ぶつかった私があのジジイのAIMを解析して、それを『掴んだ』テメェがミサカネットワークの歪みをこじあけて上位個体(ラストオーダー)の居場所──いや、一方通行(アクセラレータ)の居場所を特定する。第二プランは既に成功してんだからよ」

 

「分かっているよ。テレサお姉さん」

 

 

 カツン、と。

 そこで二人の足が止まる。

 

 無造作に病室の扉を開けると、そこにはベッドの上で芋虫みたいにのたうつ白髪の最強がいた。

 

 

「……あの野郎、勝手に勝ったつもりでいるんだろうがよ」

 

 

 テレスティーナは、空を見ながら嘲るような笑みを浮かべる。

 

 

「私達の目的は最初から、AIMを見て、掴み取るこの能力で幻生おじいさんのAIMに『窓口』を作ること」

 

 

 そう言いながら、那由他は白髪の能力者に手を当てた。

 ジロリ、と赤い瞳が少女を射抜くように見据える。

 

 

「……貴方が外部からの演算補助で能力を使っていることは知っているよ。なら、私が作った『窓口』に貴方のアクセス権限を与えれば……限定的ではあるけれど、貴方に行動の自由を与えることができる」

 

 

 那由他はそう言いながら、静かに眉をひそめた。

 

 本当は、こんなことがしたかったわけじゃない。

 

 超能力者(レベル5)になりたかった。

 実験体となった彼女達が、単なる犠牲などではないと証明する為に。自らが彼女達が受けた実験を発展させて得た技術の実験体(モルモット)となって、この街の頂点に立つ。

 そして、その力でこの街を守る。

 

 ──超能力者(レベル5)になって、風紀委員(ジャッジメント)になって、この街を守ろう!

 

 ……この街の真実を知っていれば、笑ってしまうだろう。

 しかもそんな言葉を、この街の最大の被害者である置き去り(チャイルドエラー)の子ども達が言っているのだ。

 この街の大人たちが聞いていれば、まさしく噴飯モノの妄言だったに違いない。

 

 だが、那由他にはその言葉を笑うことができなかった。

 

 木原一族でありながら、実験体の安全にも配慮した『完璧』な実験を完遂してしまう那由他。

 そんな彼女もまた、置き去り(チャイルドエラー)同様に無価値な『欠陥品』の烙印を押されていた。

 そんな彼女だからこそ、友人達の愚直な願いはきっと叶うのだと、信じていたかった。

 

 だが……この街の闇の最深部は、未だ那由他にとっては、見通すことも敵わないほど遠い。

 

 

「……お願い、最強」

 

 

 那由他は涙すら零しながら、気付けばベッドに縋りついていた。

 背後のテレスティーナは、何も言わずにその様子を見ていた。

 

 

「この街を……みんなを、守って……!!」

 

「頼む相手を間違えてンじゃねェ」

 

 

 那由他が顔を上げると、いつの間に機能回復したのか、白髪の最強は窓を開けてその淵に足をかけていた。

 言語能力を失っていた一方通行(アクセラレータ)にとっては──いや、そうでなくとも彼女の人生を知らぬ者にとっては、何の意味も通らない懇願だっただろう。

 にも拘らず、入院着を身に纏った白濁の少年は、那由他の方は一切見ずにこう続けた。

 

 

「俺はこの状況を作りやがったクソったれ野郎を叩き潰す。守るのは……」

 

 

 たん、と。

 ステップでも踏むように窓から飛び降りた一方通行(アクセラレータ)は、最後にこう言い残す。

 

 

ヒーロー(オマエ)の仕事だろォが」



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六七話:本当の『開会』

 風が、レイシアの頬を撫ぜた。

 明らかに自然のものとは違う烈風によって、レイシアの金色の髪が後方へと靡いていく。きらきらと輝く金色の流れは、しかし今は美しさよりもその烈風の脅威の方を想起させた。

 その表情に、焦りが滲む。

 アクアマリンの瞳は明らかに動揺を露わにし、桜色の唇も軽く震えていた。

 

 

「アナタ……」

 

 

 破砕した『亀裂』は、空気に溶けるように消えた。

 『亀裂』によって生み出された闇が一気に失われた格好だが、ありきたりなモチーフのようにそこから陽光が差し込むようなことはない。

 天空には分厚い雲が鎮座し、その表層を禍々しく黒い雷が疾走している。

 それはむしろ、誰かを守り癒す優しい闇が何者かの悪意によって切り裂かれたような光景だった。

 

 

 そこにいたのは、一人の天使。

 

 

 その体躯が人間サイズであるのも、翼の縮尺が巨大すぎて人間が翼の塊に呑み込まれているように見えるのも、レイシアにとってはさして重要な要素ではなかった。

 その翼があまりにも破滅的な威力を持っているために、天使が一歩踏み出すだけで弱く地響きが起きているのも、異常な光景ではあったが彼女にとっては些事でしかない。

 レイシアの驚愕の根源。それは。

 

 

「風、斬……さん……?」

 

 

 少女。

 風斬氷華。

 

 学校指定の青いブレザーに、丈を調節もしていない長めのスカート。黒の中に、僅かに残った黒い髪を腰ほどまで伸ばし、ひと房だけ頭の横で縛って垂らしている。

 気弱そうな顔立ちを隠すように眼鏡をかけたその少女は、九月一日に出会った時には、およそこの世のあらゆる争いごととは無縁そうな雰囲気を放っていた。

 

 

 その少女が、凌辱されていた。

 

 

 ふらふらとゾンビのように不確かな足取りで、だらりと項垂れ、まるで絞殺死体のように力無くこぼれ出た舌から流れる涎は、もはや『体液』と表現した方が適切そうだった。そのくらい、『正常な人間』という言葉の持つイメージからかけ離れた様相だった。

 苦しみを表すかのように見開かれた眼球は、ピントの合わないレンズのように不規則にブレている。

 その光景を凌辱と言わず、なんと表現すればいいだろう。少女のあらゆる尊厳を踏み躙るその光景を見て、心を揺らさないでいられる者は、きっとまともな人間ではない。

 

 

「か…………風斬さん!!!!」

 

 

 だから、レイシアが次の瞬間には全速力で風斬の方へ突っ込んでいたのも、たとえ浅慮であっても責めることは誰にもできなかっただろう。

 『正史』で見たことがある状態だとか、だとするなら原因は分かっているとか、そんなことは問題ではなかった。

 彼女は友人で、その友人がこんな目に遭っている。彼女にとっては、それだけで全ての事前知識を投げ捨てるのには十分すぎた。

 

 

「おー、直情的だねえ。これはシレン君の方かな?」

 

 

 幻生が軽い調子で呟く。

 直後、風斬の背中から飛び出た輝く翼の一部が、突貫したシレン目掛け勢いよく振り下ろされた。

 

 ゴッギィィィン!!!! と、壮絶な音が響く。

 見ると光の翼は、白黒の『亀裂』によって受け止められていた。

 しかしそれは拮抗を意味しているわけではない。世界全体が軋むような音が鳴り響いた瞬間、白黒の『亀裂』はいとも簡単に破砕した。

 

 ただ、超能力者(レベル5)にとってはその一瞬で十分。

 何らかの能力を使ったのか、光が『亀裂』を呑み込む頃には、レイシアは幻生から一〇メートルほどの距離に移動していた。

 

 

「……木原、幻生」

 

 

 彼女の背中からも、白黒の翼が展開されている。

 その中で繭のように守られている馬場芳郎は何事かをレイシアに語り掛けているようだが、幻生からその声は聞こえない。

 代わりに聞こえてくるのは、目の前の令嬢の怒りの声。

 

 俯いていた顔をレイシアが持ち上げたとき、その瞳は絶対零度の冷たさを帯びていた。

 

 

「後悔しても、もう遅いですわよ」

 

 

 直後。

 幻生の右腕を、白黒の『亀裂』が貫いていた。

 

 

「ほッ…………!?」

 

 

 ぼとり、と音を立てて、老人の枯れ枝のような右腕が地に落ちる。反射的に、幻生は己の右腕を抑えた。

 

 

「腕のいい医者なら知っていますわ。わたくしの能力で切断されたものであれば、後遺症なくつなぐことができるでしょう。……ええ、はい。分かっていますわよ。『どうせサイボーグだからダメージなんてない』でしょう?」

 

 

 相手の四肢を一本失わせても、レイシアは警戒を解かない。

 むしろ、二撃三撃と、幻生の四肢を奪わんと『亀裂』を叩きこんでいく。

 

 

 ゴンガンドンバンゴンギン!!!! と、凄絶な音の連続が続いた。

 あらゆるものを切断する白黒鋸刃(ジャギドエッジ)に対抗できる物質は、自然界には存在しない。

 しかし、異能が絡めば話は別だ。

 

 第一位の一方通行(アクセラレータ)や、上条当麻の幻想殺し(イマジンブレイカー)座標移動(ムーブポイント)による一一次元からの干渉、そしてヒューズ=カザキリ。

 白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の数少ない敗北に、新たな一つが加わりそうだった。

 

 

乱雑開放(ポルターガイスト)と言うんだよ」

 

 

 不可視の力を従えながら、幻生は楽しそうに続ける。

 

 

「レイシア君も聞いたことはあるかな? 僕の家族が手掛けたモノなんだ。アレはAIM拡散力場の揺らぎでねー。幻想御手(レベルアッパー)で複数の拡散力場を扱える状態下においては、意図的にAIMに揺らぎを与えることで乱雑開放(ポルターガイスト)を誘導できるんだよ」

 

 

 傍から聞けば、意味の分からない情報だっただろう。

 しかし、レイシアはそれが分かる。この世界とは違う歴史──『正史』の知識を持っているがゆえに。

 

 

「じゃじゃ馬だけどね、手綱の握り方さえ覚えれば随分小回りの利く便利なチカラだよー」

 

(確かに、原理的には可能だろう。()()()()でもテレスティーナさんは複数の能力者を意図的に暴走させることで乱雑開放(ポルターガイスト)を誘発させていた。でも、その事象をここまで制御できるか……!?)

 

 

 『木原』。

 音波による共振で強度を無視して物質を砂にする──なんてものとは、扱っている科学の次元が違う。異端の次元が違う。

 理解しようとするだけでめまいがする狂気の技術。

 それが、『木原』だ。

 

 

「本来なら腕を落とした油断を突くつもりだったんだけど、バレてしまっては仕方がないねえ」

 

 

 そんな異端の技術を事も無げに振るいながら、幻生は右肩を抑えていた左手を放し、おどけたように広げて見せる。

 右肩の切断面からは血の一滴も流れておらず、得体のしれないコネクタのようなものがまるで触手ように右へ左へと動いていた。

 

 

「初見で見抜かれるほど不自然な動きはしてない代物なんだけどねー。後ろの少年がブレーンをやっているのかな?」

 

 

 幻生の視線が、レイシアの後ろの馬場に突き刺さる。

 たったそれだけで、幾重もの『亀裂』に守られているはずの馬場の身体はびくんと震えた。蛇ににらまれた蛙のように、馬場は縮こまってしまう。

 

 

「まぁ、どちらでもいいか。臨神契約(ニアデスプロミス)についても興味はあるが、アレは僕の研究ではなくアレイスター君の計画だからねー。邪魔をするようなら、少しばかり傷ついてもらうよ。なあに、脳さえあれば絶対能力(レベル6)になることは可能だから、」

 

 

 理解しようとするだけで正気が削れそうな、冒涜的な言葉。

 しかし、幻生がその言葉を続けることはできなかった。

 

 何故なら、分厚い雲を突き破るように『光の柱』が彼の現在位置を焼き払ったからだ。

 

 

 

「…………よお」

 

 

 

 白い羽根が、雪のように舞い降りた。

 

 赤のインナーセーターの上から学生服を身に纏った、ホストのような『整ったガラの悪さ』が印象的な少年は、足音一つ立てずに降り立った。

 

 

「ひょほほ、よく来たね。僕の招待状はどうだったかな?」

 

 

 楽しそうに笑う幻生は、当然のように傷一つない。

 あえて能力を暴走させて発動する乱雑開放(ポルターガイスト)ではない、純粋な多才能力(マルチスキル)を応用したのだろう。

 しかしそんな幻生の言葉は無視して、荘厳な印象全てを吹き飛ばすような凶悪さで、天より舞い降りた少年は天使と老人を交互に見て、

 

 

「天使が二人か。死ぬにはいい日じゃねえの?」

 

 

 学園都市・超能力者(レベル5)第二位。

 

 『未元物質(ダークマター)』。

 

 垣根帝督。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 そんな名を持つ怪物の一角は、死神のような笑みで強襲を開始した。

 

 

 


 

 

 

第二章 二者択一なんて選ばない PHASE-NEXT.

 

 

六七話:本当の『開会』 "T"umultuous_Party.

 

 

 


 

 

 

 ──なんでいきなり垣根帝督が!?!?!?

 

 

 俺が思わずそう叫ばなかったのは、褒められるべきだと思う。

 いやいやいや、そのくらいびっくりしたんだよ。だってこれから幻生さんとぶつかろうって時に突然垣根さんがポップしたんだよ? そりゃあビビる。誰だってビビる。

 でもまあ……ビビってるだけって訳にもいかないよな、風斬さんを止めなくちゃ!

 

 いくつかの攻防のあと、小休止とばかりに幻生さんから距離をとった垣根さんに近寄って、俺は意を決して話しかける。

 

 

「アナタは……、」

 

「第二位。名前なんざ知る必要はねえだろ。……裏第四位(アナザーフォー)か。安心しろ。テメェを潰しに来たわけじゃねえよ」

 

「それは見れば分かりますわ。ですが幻生を? アナタにはそうする理由がないのではなくて?」

 

「ほう? 随分と知った風な口きくじゃねえか」

 

 

 うわっ、レイシアちゃん、あまり滅多なこと言わない方がいいような……。

 

 

「知った風な口というか、アナタもどうせ後ろの彼と同類でしょう? 雰囲気で分かりますわよ。だから、メリットのない争いごとには首を突っ込まないのではと思ったまでですわ」

 

「メリットがないのはお互い様だと思うがな。……っつか、そこのデブはなんでそんな愉快なことになってんだ?」

 

 

 あ、垣根さん。そこは気にしないであげて……馬場さんが可哀相だから……。

 

 高速移動に対応しつつ戦いに助言を出してもらう為には、白黒と透明を組み合わせた『亀裂』の防護室を作って俺達の背後に設置する必要があったんだよ。

 一応、空気穴兼通話口は設置してあるけど、お陰でほぼ密室。多分、下手なシェルターよりは安全だと思うけど……。

 

 

「まあいいや。詮索はやめとけ。テメェの手が届くような領分じゃねえよ。この街の暗部(おれたち)のいる領域はな」

 

《出た。暗部特有のやさぐれアピール》

 

《レイシアちゃん、言い方》

 

 

 やさぐれアピールっていうか、まぁ実際に俺達じゃあ暗部と渡り歩くには組織力に不安があるっていうのは事実だからね。レイシアちゃん的には上から目線で来られるとカチンと来るかもしれないけど……。

 ……っていうかレイシアちゃん、そう考えるとバードウェイとかとめちゃくちゃ相性悪そうだな。そのうち知り合うことになるだろうし、今のうちからなんとか対策しておかなくては……。

 閑話休題。まぁ、藪蛇にならんように警告してくれるだけ、垣根さんは良心的だと思うよ。

 

 

「話は後にしましょう。それより……幻生の方は任せていいですか? 私は、あの子を止めないと」

 

「好きにしろ。俺はあのジジイを潰せりゃそれでいい。──誉望。お前は余計な横槍が入らないように周り見張ってろ」

 

『了解ッス』

 

 

 垣根さんがそう言うと、何やら通信が入ってきた。よぼう……? 誰だろ。下部組織の人かな。垣根さん、そういう人の名前もちゃんと覚えてるタイプなんだなぁ。

 と。

 

 

『────っ!? くっ、襲撃者ッス! なんだコイツら……!? 能力者じゃないってのに、なんで俺の念動能力(テレキネシス)の防壁をやすやすと破壊して……!?』

 

「おい、どうした誉望。何があった」

 

 

 突如、通信先の誉望さんが切羽詰まった調子で声を荒げ始めた。

 ……うわぁ、まだ来るの? これ以上来たら、なんかもうパーティ会場みたいになっちゃわないかな……。

 

 

『こいつらまさか、「木原」……上等だ、やってやる! …………あ? お前、そんな……!?』

 

「おい! 誉望! 状況を説明、」

 

『ぐっ、クソ、すいません垣根さん「木原」に突破され……お前なんだその右手!? 俺の能力を消し飛ばし……ッ!? …………ハァ!? おま、第七……!!』

 

 

 …………えー、ありがとう、誉望さん……と言っておこうかな。

 『第七』、と言いかけたところでブツリと途切れた通信だったが、切羽詰まっても垣根さんに状況をなるべく伝えようと頑張ってくれた彼のお陰で、粗方の内容は掴めてきた。

 

 まず、『木原』の連中が絶賛急行中。

 木原那由他って子とテレスティーナさんがダウンしただけで諦めるほど、木原一族も殊勝じゃないってことだ。

 誰が来るんだろうなー……。病理さんとか来たらマジで怖いから勘弁してほしいんだけど……いや木原はみんな怖いか。怖くないときの円周ちゃんとかだったらまだいいかな……。

 

 そして、第七……。これは多分、第七位、だと思う。なんか暗部の人って超能力者(レベル5)を順位で呼びがちだしね。

 そうかー……削板さんが来るのかー……。なんか……凄いね? 超電磁砲(レールガン)の事件だと思ってたけど、そうでもないのかもしれない。なんてったって……。

 

 で、最後。

 なんか妙な右手で能力を消し飛ばした謎の少年。

 そうだね、上条当麻だね。

 ……。

 なんで上条当麻が此処に来るんだよ!!!!!!!!!! 上条さんが関わらないから正史では言及されなかったんだねって言ってたのにお前が来ちゃったら全部矛盾しちゃうだろ!!!!!! っていうかお前参戦してたんならなんで小説の方で一度も言及してなかったんだよ!!!! 大覇星祭、殆どあとからなんも言及してなかっただろうが!!!!

 

 

 ……こほん。まとめると、木原一族(人数不明。たぶんいっぱい)と削板さんと上条さんが此処に来て、幻生さんと垣根さんと風斬さんと俺達の戦場に参加する、と?

 いやまぁ……それぞれに思惑があるんだろうし、削板さんと上条さんは間違いなくこっち側だと思うし、完全なバトルロワイヤルって感じにはならない……とは思うんだけども。

 

 

「……チッ、邪魔が増えそうだな」

 

 

 通信が切れたのを見た垣根さんは、忌々し気に舌打ちをする。

 でも、この状況は俺達にとってはプラスだ。木原一族は分からないけど、現状は垣根さんと上条さんと削板さんが味方。この三人が味方なら、風斬さんと木原一族と幻生さんが敵に回ってもまだ安定感の方が勝る。

 

 

「うーん、そうだねー。幻想殺し(かみじょうくん)最大原石(そぎいたくん)の干渉は非常に胸躍るが……彼らの介入は、ちょっとねー。おそらくこちらに来るのは数多、病理、相似、円周かなー? 何にしても、真っ向から相手をしていてはこちらの手が足りない。『アレ』も欲しいからこちらにかかりきりになるわけにはいかないし────」

 

 ピッ、と。

 幻生さんは、いつの間に持っていたのかペンライトのようなものを空に翳し、何かの操作をしたらしかった。

 

 

《…………! シレン!》

 

《うん。俺も……流石に分かるよ》

 

 

 その場全体が軋むような感覚。

 きっとこれは、能力者特有の感覚だ。さっき、風斬さんがやって来た時にも感じた。これは……。

 

 

「来たまえ」

 

 

 ズドォン!! と雷光と共に降り立った少女は──風斬さんとは別の意味で、既に変貌していた。

 風斬さんの凌辱めいた変貌とは違う、何か神々しいモノ。人とは違う『何か』への進化途中──何故か、そんなインスピレーションが脳裏をよぎる。

 

 そして。

 

 

「オイオイクソジジイ。ま~た妙な実験しやがってんな?」

 

「アハハハハ! なんですかアレ! どういう原理なんですかぁ!?」

 

「あわわ……相似君、落ち着いて、落ち着いて」

 

「さーて、おじいさん。『諦め』させに来ましたよー」

 

 

 極彩色の科学を操る一族が。

 

 

「なんだなんだ。根性のありそうな連中が揃い踏みじゃねえか。……面白そうだな!」

 

 

 科学の街の頂点の一角にして最大のイレギュラーが。

 

 

「……騒がしくなりやがったもんだ。まあいい。俺は俺のやるべきことをこなすだけだ」

 

 

 白い翼を持つ、この街の深部に鎮座する天使が。

 

 

「あ゛……ぁ…………」

 

 

 翼の中に埋もれるような、痛々しい有様の哀れな少女が。

 

 

「…………かざ、きり」

 

 

 幻想を殺す右手を持つ、

 

 

「風斬ィィィいいいいいいいいいいいいいッッ!!!!」

 

 

 ツンツン頭の少年が。

 

 

「さぁ、実験を始めよう」

 

 

 底知れぬ欲望を持つ老人が。

 

 

 

「御坂君は天上の意思(レベル6)に辿り着けるかな?」

 

 

 

 ────一堂に会した。




というわけで、現状の参戦者一覧はこちら。


01レイシア=ブラックガード白黒鋸刃(ジャギドエッジ)
02馬場芳郎不明(無能力(レベル0)
03木原幻生乱雑開放(ポルターガイスト)
04ヒューズ=カザキリ科学天使
05垣根帝督未元物質(ダークマター)
06木原数多『??』を司る木原
07木原相似『代替』を司る木原
08木原病理『諦め』を司る木原
09木原円周木原としては及第点と言えない
10御坂美琴超電磁砲(レールガン) PHASE_NEXT
11削板軍覇最大原石
12上条当麻幻想殺し(イマジンブレイカー)
13一方通行(アクセラレータ)一方通行(アクセラレータ)


なお、一堂に会してはいますが各々目的があるので、乱闘にはなりません。
レイシアが戦うことになるのは、この中のうち誰か……予想してみるのもいいかもしれません。


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六八話:羽化

 直後、ほぼ全員が動き出した。

 

 まず木原一族のうち二人──数多さんと病理さんが、幻生さんの方へ。それに続いて、垣根さんが幻生さんの方に行った。

 それとほぼ同時に削板さんが美琴さんの方へ向かい、そこで俺達と上条さんで目が合った。

 上条さんは俺達が美琴さんの方に行くか風斬さんの方に行くかで決めあぐねているのを見て取ると、黙って美琴さんの方へと突っ走っていった。……なるほどね、風斬さん達は俺達に『任せる』ってわけか。

 

 

《レイシアちゃん!》

 

《ええ! 上条では風斬は勢い余って消してしまうかもしれませんし……行きますわよ!》

 

「おい! 何そっちに行こうとしてるんだ!? 頭数が少ない上にどう考えてもあっちの化物の方が危なそうじゃないか!? あっちのヤツにはお前の亀裂が効果をなさないんだぞ! ならまだ第三位の方がマシだろ!??」

 

「アナタは、あの状態の美琴がただの第三位に収まるとでも思っているんですの!?」

 

「…………、」

 

 

 走り出した俺達の背中で当たり前のことを言う馬場さんに、レイシアちゃんは言い返す。

 馬場さんもその通りだと思ったのか、言い返す口が止まった。

 

 

「『亀裂』の耐久力は、確かにアナタの言う通り風斬さんの攻撃に劣ります。ですが、我々にも機動力と手数がある。アナタの指示があれば、雷速の美琴さんよりも食い下がれるはずです」

 

「……クソっっっ!! 逃げたい!! 出してくれ!! こんな環境にずっといたら閉所恐怖症になっちまう!!」

 

「ここでアナタが逃げれば、どのみち学園都市は滅ぶんですのよ!!」

 

 

 レイシアちゃんはそう叫びながら暴風を鋭く研ぎ澄ませた『暴風の槍(ボンバーランス)』を風斬さんの雷の翼に叩き込む。

 空気という不確かな材料ではあったものの、超能力者(レベル5)の全力を総動員した一撃は、風斬さんの翼の一部に風穴を開けることに成功していた。

 実際に指向性を持たない、漂うような状態だったのも幸いしたのだろう。でも、『俺達の力でダメージを与えることができる』という情報は、馬場さんにとってはポジティブなニュースだったらしい。

 

 

「…………この戦いが終わったら、お前ら、覚えてろよ! 僕は並大抵の報酬じゃあ満足しないからな!!」

 

「私を誰だと思っていますの? 功績には報酬を。信頼関係の基本ですわ!」

 

「信頼なんかじゃない!! 利害だ!!」

 

 

 話はまとまり、俺達は三人で風斬さんに食いついていく。

 しかし、役者はそれだけにとどまらなかった。

 

 

「レイシアさぁーん!! ご一緒してもよろしいですかぁ~!?」

 

「うわっ……相似くん、急にテンション上げないでよ、びっくりしたよ」

 

 

 木原相似。

 それと、もう一人。お団子頭の女の子の『木原』が、俺達の展開する暴風の合間を当然のようにすり抜けて近づいてきた。

 

 

「……よくもまぁわたくしの前に姿を現せましたわね」

 

「あーあー、その節はどうもすいませんでした。今はもう、レイシアさんで実験しようとかは考えてないのでご安心を」

 

「うん、うん。私も、幻生おじいちゃんのせいで街がこんなことになっちゃって……凄く心苦しいんだ」

 

 

 ………………相似さんの方はなんかもう一周回って捨て置いてもいいかなって思うんだけど、こっちのお団子の子はどうなんだろう???

 って言うかこの子アレだよね、新約の四巻──バゲージシティの争乱に投入された『木原』の一人、木原円周。あの子も表面上は優しい女の子っぽかったのに一皮むけばヤバめの木原だったしなあ……。なんというか、木原として『覚醒』してないだけで、ポテンシャルだけで言えばかなりのもののような感じだった気がするし。

 ……まぁ、だからといって、協力の手を突っぱねるのもよくないな! 一応の警戒を保っておくのと協力体制を拒絶するのとだと話が違ってくるし。気を付けておくにせよ、まずは手を結ぶ前提で行こう!

 

 

《シレン? なんか途轍もないお人好しの波動を感じたんですけど?》

 

「よろしくお願いしますわ! わたくしはシレン。あなたは?」

 

「私は、木原円周。よろしくね、レイシアちゃん!」

 

 

 なんだかジト目っぽい雰囲気のレイシアちゃんの指摘は意図的に黙殺して、俺は円周さんとあいさつを交わす。

 だが、安心はできない。

 

 

裏第四位(アナザーフォー)! 次が来るぞ! ただ上に飛ぶだけじゃダメだ。ヤツから遠ざかるように、斜め後方に飛べ! でないと翼の追撃をさばききれなくなる!」

 

「承知ですわ!」

 

 

 馬場さんの指示通りに、俺達は『亀裂』を操って回避する。

 そして地上に残された木原一族の二人だけど……あの二人は、光に対しても全く臆さずに位置取りしていた。流石に突貫はしていないようだけど、さりとて逃げ惑ったりもする様子がない。

 

 当然、近くにいる円周さんと相似さんの方を風斬さんは狙おうとするわけだけど……、

 

 

「みすみすそれを見逃すとでもっ!?」

 

 

 攻撃の手を緩めれば、俺達の方も対応の余裕が生まれる。『暴風』によって、俺は風斬さんの身体を吹っ飛ばそうと試みる。

 当然それは翼によって防御されたが……こっちから注意が逸れたその瞬間を、あの『木原』達が見逃すはずもなかった。

 

 

「さ~て、円周?」

 

「うん、うん。分かってるよ、相似クン。未知のモノを見つけた時、『木原』ならまずこうするんだよねえ!!」

 

 

 円周さんの首から提げられた無数の携帯端末が一斉に明滅してグラフを浮かび上がらせたかと思うと、そのあたりに散らばっていた瓦礫が、一気にひとりでに浮かび上がった。

 いや……違う。ひとりでに、じゃあない。空気の振動によって、瓦礫が持ち上げられている……?

 

 

「超音波浮揚。まあ、タネはどうせ代替するのでなんだっていいんですけど、手持ちの機材を使って効率よく目の前の現象のスペックを調査するなら、この場合は瓦礫をぶつけるのが一番手っ取り早いですかねぇ!」

 

 

 ドガガガガガガ!!!! と。

 小さいものは人の頭ほど、大きいものは大型獣くらいのサイズの瓦礫の群れが、風斬さんへと殺到していく。

 その動きは、『超音波によって地面に浮かばされた物体』の動きではない。その三次元的な動きは、もう殆ど念動能力(テレキネシス)の域に達していた。

 原理が分かっても、本当にそれでこの通りの現象を起こせるのか分からない。いったい何をどう応用したらここまでの力を振るえるのか、そのイメージへのとっかかりがない。

 ……木原。

 改めて、その異常さを感じさせられた。

 

 

「何を呆けているんだ馬鹿! お前にもアレはできるだろう! 加勢しろ加勢!! このままだと木原だろうとじり貧になるかもしれない!! そうなれば次は僕達なんだぞ!!」

 

 

 と、馬場さんが後ろから俺達に檄を飛ばしてきた。

 いや、できるって言ってもな……。確かに風を操る要領で超音波を出したことはあるけど……精密に操作したことなんてないし。そもそも、音波を使ったところで物質って浮くの? ましてやあんな重そうな瓦礫が?

 

 

「アレは複数の超音波をぶつけることで音波の『焦点』を作り、その中心に物質を包み込んでるんだ。あとは『焦点』を移動させることで包み込んだ物質も一緒に動かすことができるってわけだ。どうだ、できるだろう!?」

 

 

 ……言われてみれば。

 原理をきちんと説明してもらうと、確かに今までの応用の延長線上でできそうな気がしてきた。いやぁ、我ながら単純だとは思うけど……馬場さんの説明が分かりやすいんだもん。

 

 

「……まぁ、やってやれないことは、ありませんわね」

 

 

 レイシアちゃんも頷き、俺達は試しに能力を使って瓦礫をいくつか浮かび上がらせて見せる。

 

 ぶわっ、と。

 

 二〇個くらい浮かべばカッコいいな~とぼんやり思いながら右手を指揮のように振るった俺達の目の前で、軽く一〇〇個以上の瓦礫が浮かび上がった。

 ……いやいやいやいや、これ、普通に念動能力(テレキネシス)としても凄いのでは……汎用性とかそういうレベルではなくなってない……?

 

 

「……風斬さんは、操られているだけです。なるべく、傷つけないように……『捕縛』しますわよ!!」

 

 

 木原二人に声をかけつつ、俺は演算に意識を集中させる。

 『亀裂』の解除によって発生する空気の流れは、既に周囲数十メートルの空気の流れに干渉している。俺はそれらを正確に汲み取る。

 演算によって導き出した空気の流れと現実の空気の流れの誤差から、俺達の意思の外で動く物質の動きが逆算できた。目で見なくても、逆算の過程で浮かび上がる誤差たちが、俺達に周囲数十メートルの物質の動きを余すところなく伝えてくれる。

 

 これが、超能力者(レベル5)の見る景色。

 

 目で見るのではない。

 能力で、観測()る。

 

 ……なるほど、超能力者(レベル5)が一個師団並とか言われるわけだ。確かにこれは、ちょっと格が違う。

 

 

「ちょっと窮屈かもしれませんが……我慢してくださいましね!!」

 

「その気遣いを少しは僕にも向けろよ」

 

 

 ゴアッ!! と、無数の瓦礫が風斬さんに飛来する。

 ただし、それらは彼女を圧し潰す為に展開したわけじゃない。まるで牢獄のように、風斬さんを封殺する為のものだ。

 これがただの瓦礫を積んだだけなら、ただ吹き飛ばされて終わりだろうが……こっちの瓦礫は超音波浮揚によって力が加えられている。拮抗は難しいまでも、なんとか風斬さんの動きを鈍らせられればいいんだが……、

 

 

「っ!! 防御しろ裏第四位(アナザーフォー)!!」

 

 

 そこで、馬場さんの鋭い声が届く。

 馬場さんの声に俺が何か思う間もなく、レイシアちゃんが透明の『亀裂』を展開した。

 間一髪だった。俺達が瓦礫で押し込んでいた風斬さんの背中から、莫大な光が飛び出し……まるで砂利か小石のように、大小様々な瓦礫を弾き飛ばした。

 まるで散弾銃のような勢いで射出された瓦礫は、牢獄から一転俺達の命を刈り取る凶弾へと変化していた。

 

 

「まるで効果なし、か……。まぁ『亀裂』があのザマだった時点で分かっていたことではあったが……」

 

 

 一つ一つが美琴さんの超電磁砲(レールガン)に匹敵する速度で叩きこまれた瓦礫だったが、もう今の俺達の全力の『亀裂』であれば超電磁砲(レールガン)程度は余裕でガードできる。

 あえて出力を落として透明な『亀裂』にすることで防御と同時に相手の様子を伺うことにした俺だったのだが……そこで、自分がハメられたことに気付いた。

 

 『亀裂』の向こう側にいる相似さんが、にいと禍々しい笑みを浮かべてこちらの方を見ていたからだ。

 

 

《ま、さか……アイツ、俺達の手を防御に割かせるためにあえてカウンター覚悟で『瓦礫』を攻撃に使ったってのか!?》

 

 

 もちろん、連中は得体のしれない科学──多分、超音波によって瓦礫の軌道を()()()()んだろう──で瓦礫を当然のように全弾回避している。

 それどころか、ほぼノーアクションで危機を躱した木原一族の二人は、さらに余分なワンアクションを加えることができる。

 

 ──その最悪なインスピレーションを裏付けるように、円周さんのスマートフォン群が明滅し、様々な種類のグラフを表示していく。

 

 

「ごめんなさい、唯一お姉ちゃん。そうだよね、『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!!」

 

 

 バッ!! と、円周さんが両手を広げた瞬間。

 

 ()()()()()()()()()

 

 何かが起きたのは、さらにその数瞬後。

 

 

 ドバボボバボッッッ!!!! と、まるで風斬さんのいたところが突然滝壺になったかのように、空気の衝突する音がそこから響きだした。

 

 

「っつーわけでーぇ! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』みたいなんでなァ!!!!」

 

「あ~あ~……頭の中身を潰しちゃったら、『代替』するのも大変なんですけどねぇ。せっかく、一方通行(アクセラレータ)の代替品になりそうな逸材だったのに……」

 

 

 ……! そうかアイツら、風斬さんの雷の翼の防御をすり抜けられるように、超音波で直接風斬さんの内部に攻撃を加えたんだ……!

 だが……!

 

 

「…………!!」

 

 

 咄嗟の判断で、俺は白黒の『亀裂』を展開して相似さんと円周さんの『盾』にする。

 返す刃の雷の翼に防御が間に合ったのは、俺が正史を見て彼女の肉体構造についての知識を持っていなければ不可能な軌跡だったと思う。

 

 

「どっ、どういうこと!? 確かに脳がスムージーみたいにぐちゃぐちゃになるよう計算した音波だったのに……どういう能力!?」

 

「面白いですねぇ、何を代替したらアレを解体できるのかなぁ!!」

 

「……彼女は、AIMの集合体ですわ」

 

 

 やっぱり、アレを初見で化け物とかそういう類の存在だと見抜くのは科学サイドじゃ無理か。

 なんか数多さんはさくっと見破って興奮していたような気がするけど、普通に考えればそうだよね。

 

 

電撃使い(エレクトロマスター)の電磁波が生体電流を。発火能力(パイロキネシス)の熱が体温を。……そういう風にAIM拡散力場が『外部から見た人間の構成要素』を全て補ったことによって生まれた存在…………わたくしは、そう聞いていますわ」

 

 

 その誤認を解くために、俺は続ける。

 

 

「……つまり、風斬さんに内臓の類は存在しない。いくら肉体を揺さぶろうと、致命的なダメージを与えることはできないんです」

 

「はっ……はは! なんですそれ!? お、面白すぎじゃないですか! 能力者によって形作られた、有機物でも無機物でもない第三の存在! 炭素の有無によって定義された枠組みから逸脱した存在! イイ……イイ命題(テーマ)ですよ! アレがあれば!! 未元物質(ダークマター)にも匹敵するくらい()()()()()()()()()!!」

 

「あー……相似クンがキマっちゃった。うん、うん。分かったよ数多おじさん。こういうときはさっさと正気に戻さないと相似クンはあっさり死んじゃうんだね?」

 

 

 ガッ!! と。

 直後、円周さんは躊躇なく相似さんの後頭部を殴打した。

 常人なら一発で昏倒しているような一撃だったのだが、どういうトリックか相似さんは多少よろめいただけで、何事もなかったかのように円周さんの方を見返す余裕すらあった。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……って『木原』なら言うんだよね? 合ってる?」

 

「……合ってるかどうか確認する時点で『木原』が足りてないんですけどね。まぁいいでしょう」

 

 

 そこで、木原一族の二人もそれ以上の攻撃は諦めたようだった。

 いったん仕切り直す意味も込めて、二人は俺達の傍まで歩み寄ってくる。

 

 

「だ、だが……具体的にどうする!? 木原一族の得体のしれない攻撃も、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)も通用しない……! これじゃあろくに打開策も、」

 

「いや~? ()()()()()()()()()()()()()()()()()。そのくらいならね」

 

 

 じり貧に陥った。

 馬場さんの嘆きに、実際のところ俺も同調していたのだが……相似さんの方は、むしろ退屈そうに笑って、

 

 

()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ──ィィイイン、と。

 『亀裂』を隔てて、何らかの音が聞こえてきた。……超音波だ。だが、あまりに高出力なので『余波』が人の耳にも届く音域になってしまっているのだろう。

 だが……超音波はさっき風斬さんに使って、失敗したはず……?

 

 

「AIMジャマーって、ご存知です?」

 

 

 相似さんは鼻歌を歌うような気軽さで言う。

 

 

「AIM拡散力場を乱反射することで、能力を意図的に暴走させる装置なんですけどねぇ。ウチの那由他や、テレスティーナさんの研究が使われてるって話でして」

 

 

 取り出すのは、音楽プレイヤーのような小型の装置。ただし、一つではなく無数に。……背面にプロペラがついてる。アレをドローンみたいにして、空中に大量に放っていたのか。さっきまでの音波攻撃は、アレを使っていたんだな……。

 

 

「まぁぶっちゃけ、その原理は『超音波』なんですよね」

 

 

 直後。

 風斬さんの翼の一部が、爆発と共に消し飛んだ。

 

 

「…………AIMの塊っていうなら、当然『AIMを乱す攻撃』に対しては無力ですよねえ」

 

「…………ッ!!!!」

 

 

 あ……甘かった。

 何だかんだ、相似さんや円周さんでは風斬さんを傷つけることはできたとしても、『殺す』ことはできないんじゃないかと思ってた。風斬さんを殺せるのは、この場では上条さんの幻想殺し(イマジンブレイカー)くらいだと……。

 でも、そんなのとんでもない。むしろ、今この場で風斬さんを殺しうるのは……!

 

 

「おい、おい!! 呆けている場合じゃないぞ! 今千切り飛ばされたあのバケモノの翼が……!」

 

 

 言われて、風斬さんの翼に視線をやって……俺は絶句した。

 何故? それは──千切れた翼がバラバラの球体に変形して、まるで攻撃準備をしているかのように規則的な動きで滞空していたからだ。

 

 

「馬ッ……!?」

 

 

 あ……あれを一気に叩き込むつもりか!? あんなの、AIMジャマーでバラバラにしようとしても対処が追いつかないぞ!? 『亀裂』の全力防御でも貫通するし……! と、飛んで回避するしか、

 

 

「うん。そうだよね、加群おじさん」

 

 

 タンッ、と、そこで円周さんが突出した。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 円周さんは迷わなかった。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 音が消えた。

 何をどうやったのかは分からない。瓦礫の粉塵を利用したのかもしれないし、あるいは隠し持っていた爆薬を使ったのかもしれない。

 ただ、事実として円周ちゃんは空中で無数の爆発を起こし──そして、空を埋め尽くすようだった光の弾丸たちは一つ残らずそれによって誘爆してしまった。

 

 

「す、凄い……! いったい何をしたのか、さっぱりわからなかった……!」

 

「感心してる場合か! アイツ、多分次も味を占めて同じことするぞ! 延々やり続けられたら、こっちも爆発のタネがなくなるだろ! 何かしないと、何か……!」

 

 

 そう言う馬場さんの懸念は、確かにその通り。

 このままだと、俺達はじり貧だった。そもそも彼我の攻防バランスが崩れすぎている。こっちが必死に積み重ねた防御は、相手の分かりやすい一撃と等価。向こうがジャブと同じくらいの気軽さで打ってくる一撃を躱すたびに、俺達は確実に疲弊していくのだから。

 だから、じり貧を懸念する馬場さんは極めて現実的で────ゆえに、『最悪』を想定できていなかった。

 

 そう、たとえば。

 

 遠距離攻撃だけでも手が付けられない風斬さんが、本腰入れた接近戦攻撃に切り替えてきたら?

 

 ──とか。

 

 

「んな、コイツ――――!!」

 

 

 円周さんが声をあげかけたのと、ほぼ同時。

 ゴッギィィィン!!!! という音を立てて、風斬さんに()()()()ノーバウンドで数メートルも吹っ飛んだ円周さんは、そのまま枯れ木みたいにくるくる回転して、べちゃりと地面に『落下』した。

 人がしていい着地の仕方ではなかった。

 

 

「え、円周さん……!?」

 

「チッ……せめて役に立ってから死んでほしいなぁ!」

 

 

 相似さんは毛ほども動揺せずにAIMジャマーを再度打ち込もうとする。

 だが……、

 

 ボバッバッバッバッ!!!! と。

 それを予期していたかのように、風斬さんの周囲で光球による小爆発が連続する。

 

 超音波は空気の振動。

 

 つまり、爆発によって空気の振動が乱されれば……AIMジャマーはAIMジャマーとして成立しなくなる。

 最強の矛を失った相似さんと入れ替わるように、俺は即座に『亀裂』を展開する。

 雷の翼のような得体のしれないエネルギーそのものによる攻撃ならともかく、『風斬さん本人』の移動するチカラは単なる運動エネルギーのはず。莫大な加速をしているとかならともかく、今の状態なら防ぐことは十分に可能……のはずだった。

 

 

《え、なんだこの感じ!?》

 

 

 こちらに突進してくる風斬さんが『亀裂』に触れた時、俺達に衝撃が走った。

 風斬さんが触れた瞬間、まるで飴細工かなにかのように『亀裂』が歪み──そしてシャボン玉が割れるよりも呆気なく破裂してしまったのだ。

 

 

「…………ッ!!!!」

 

 

 なんとか俺達が回避できたのは、この可能性をちらりと考慮していたからだろう。もしかしたら……そういう気持ちがあったから、『亀裂』が破壊されてもその場で呆けることなく回避行動に移ることができた。

 そしてそれは相似さんも同じだったらしい。飛び跳ねるようにして、風斬さんの攻撃を回避していく。それでも、突撃の余波で軽めに吹っ飛んでいるが……。

 

 俺の方も、『亀裂』の暴風による移動力をフルに活用して上空に逃れていく。

 

 

「勢いよくならともかく、さっきのアレ触れるだけで突破していませんでしたか!? 聞いていないんですけど!?」

 

 

 窮地を脱したところで、レイシアちゃんが我慢しきれず声をあげる。

 うん。俺も同意だ。AIMの方はともかく、風斬さん自身には特別な物理攻撃とかそういうのは備わっていないはず。

 ……っていうか、『AIMの天使だし当然だよね』みたいな気持ちでいたけど、そもそも雷の翼で俺達の『亀裂』をぶち抜けるのも本来おかしいんだよ。確かに旧約終盤の、本気の風斬さんだったらそのくらいの出力もあったかもしれないけど、今の風斬さんは、風斬さん本人の努力もあって、精々街を半壊にする程度。クレーン車が鉄球をぶんぶん振り回した程度の破壊力なら、『亀裂』が防げない道理がないのに。

 

 

「なあ……これはちょっとした疑問なんだけどさ」

 

 

 と、そこで馬場さんが声をあげた。

 

 

白黒鋸刃(ジャギドエッジ)が光や電気を遮断できるのは知っている。それって……要は、能力が成長したことによって切断する領域がより精密になった……言い換えれば()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってことだよな」

 

「……、」

 

「でもさ……あんな非科学的なモノ、光や電気と同じカテゴリに入れてしまっていいのか?」

 

 

 …………!

 

 

「た、確かに……! 考えてみれば当然ですわ。いくら見た目には単なる突進で、運動エネルギーが働いているように見えても……『電子の運動』が電気エネルギーを発するのと同じように、『AIM』っていう自然界に存在しない物質の運動が、単なる運動エネルギーしか発しないというのは不自然でしてよ……!」

 

 

 分子レベルでしか物質を切断できなかった頃、電撃は『亀裂』を貫通して俺にダメージを与えた。

 それと同じことだ。AIMに対して対抗するんなら、こっちも同様にAIMを計算にいれた『亀裂』を使わなくちゃいけない……!

 

 

《……理屈は分かりましたわ。でもシレン、どうするんです!? 今更そんなことできるとは、到底……》

 

《いや、()()()()()()()()

 

 

 俺は、()()()いて知っている。

 土壇場で、AIM拡散力場を演算領域に組み込んだ能力者の存在を。

 ……あれ、作中ではAIMとは明言されていなかったっけ? でもまぁ……アレは間違いなく、AIM拡散力場のベクトルを操っていたよね。

 まぁいい。できると思うことが大切なんだ。それは、今回の戦闘で嫌というほど学んだ。

 

 幸い、何度も破られたお陰でAIMによる干渉の肌感覚は俺も分かっている。それを頼りにして、AIMすらも組み込んだ形での『亀裂』を────

 

 

 と。

 

 そこで、妙な感覚が俺達を襲った。

 何か……『亀裂』が、何か想定していない方向に捻じ曲がるような……?

 

 

《この感じ……結標淡希に対抗するために一一次元に対応した『亀裂』を出そうとしたときの感覚と似ている……!?》

 

 

 ……! 考えてる場合じゃない! 風斬さんがこっちを見た! AIMを演算領域に加えた『亀裂』が展開できなきゃ、俺達もゲームオーバーだぞ!

 思わぬ感覚に集中力が切れながらも、なんとか『亀裂』の発現を続ける。

 

 これだ。この、妙な感覚。『亀裂』が、視覚的情報では表現しきれない『異なる方向』に伸びていく感覚。今までが枝を伸ばしていくのなら、まるで根を張るような……そんな深淵へと足を踏み入れていく感覚に従って、能力を伸ばしていく。

 

 そして、その感覚をより洗練化させていくと──バヂヂ!!!! と何かがはじけるような音と共に、『亀裂』がはじけ飛んだ。

 

 


 

 

 

第二章 二者択一なんて選ばない PHASE-NEXT.

 

 

六八話:羽化 Final_Phase.

 

 

 


 

 

 

 

 

「……!」

 

 

 思わず喉が干上がった感覚がした俺達だったが……破裂した『亀裂』の向こう側では、風斬さんが何かに弾かれたように態勢を崩していた。

 ……やった! まだ不完全なようだったけど、それでも上手いこと発現できたみたいだ! あとはこの感覚をもっと洗練させていけば──

 

 

 そう考えていた矢先。

 弾かれて地上近くまで後退していた風斬さんが、突如発生した爆風に薙ぎ倒された。

 空中に浮かんでいた俺はギリギリその爆風の範囲外に逃れていたが……なんだ、いったい!?

 慌てて、能力による知覚で周辺の様子を伺う。

 爆風が発生したときは気流が乱れすぎていて分からなかったが……今なら、なんとか分かる。

 

 美琴さんはなんか動きが止まっているな? 上条さんと削板さんは健在みたいだ。

 

 円周さんは……あれ、なんか位置が違う。どうやらさっきの一撃ではやられてなかったみたいだけど……どの道、さっきの爆風で薙ぎ倒されちゃってる。相似さんも同じだ。爆風で薙ぎ倒されている。

 地面に墜落した風斬さんも、やはり動きが止まっていた。まるで何かの信号を受信しているかのように、その場に棒立ちになって微動だにしない。

 

 そして最後に、俺は幻生さん達の戦場に意識を向けた。

 そこには────

 

 

 ──たった一人だけが佇んでいた。

 

 

 いや、能力を使うまでもない。

 爆風によって発生した粉塵は消えている。だから、良く見えた。

 

 『彼』の近くには、二人の大人が倒れ伏していた。

 

 木原数多。

 それに木原病理。

 

 木原病理の周囲には何やら大量のガジェットがガチャガチャと散逸しているが、そのどれもが破壊されている。その中には白い翼のようなものの断片も混じっていた。

 

 

 そしてその奥に────

 

 垣根帝督が、膝を突いていた。

 

 

「お? おお? おおおお……?」

 

 

 そして片膝を突いた天使と相対しているのは、一人の老人。

 しかし、その姿は異形だった。

 

 右腕が落ちているのは、分かる。俺達がやったのだから。

 だが全身はくまなく切り刻まれ、右足は石化し、左腕は得体のしれない棘に覆われている姿は、いったいどうすればそんな状態で生命活動を持続させられるのだろうか。

 極めつけは、その頭部。

 木原幻生の顔面の右半分は────割れていた。

 

 まるで卵の殻を割るように、顔面の表面が砕け……そして中身の空洞が現れていた。

 そこにあるべき脳髄は、存在しない。

 

 

「いや、あ──大脳の構成にも手を加えておいてよかった、と……言おうと、思っていた、ン……だガ……」

 

 

 ……いや。

 

 そんなことはどうでもいいんだ。

 

 ヴィジュアルがどれだけ異形じみていようが、相手は木原。

 戦慄こそすれ、『正史』を知る俺にとっては結局既知の知識だ。既に覚悟できている事柄にすぎない。

 俺が()()したのは、そこじゃない。

 『正史』を知る俺だからこそ……その光景には、特殊な意味があった。

 

 

「これは……面白い、副産物だねぇ……」

 

 

 木原幻生は、光を帯びていた。

 

 とても……言葉では表現しづらい、複雑な輝きの光だった。

 あえて表現するとすれば……そうだな。

 

 それは。

 

 ()()()()

 

 ()()()

 

 ()()()()




さて問題です。青ざめた輝きのプラチナといえば?


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おまけ:未元物質の少年の雑感

今回の話は「とある魔術の禁書目録外伝 とある科学の未元物質(ダークマター)」を既読だとよりお楽しみいただけます。
我らが垣根帝督以外にも、当SSでも活躍した相似くんの大活躍や木原くンの意外な一面も!?


 最初に違和感を覚えたのは、杠の戦い方だった。

 

 

(……妙だな。ここ一番で攻めきれてねえ。制御が完全じゃないから、林檎本人の戦闘への忌避があらわれているのか?)

 

 

 三対の翼を広げ、垣根帝督は静かに考察した。

 彼の目の前には、一人の幼い少女。暗闇の五月計画の元被験者にして、一方通行(アクセラレータ)の執着心を植え付けられた能力者。

 身に纏うキャミソールは激闘によって着崩れしているが、第二位との戦闘を経ても尚肉体的な損傷は皆無に等しかった。

 

 ちらり、と垣根はさらにその奥にいる一人の少年を見やる。

 

 その先にいる茶髪の少年──木原相似は、そんな杠と垣根の攻防をじいっと見つめていた。

 間にDAアラウズの雑兵たちを盾として展開している上に、さらに複数台のUAVを配備している万全の体制だ。

 それもまた妙だと、垣根は思う。

 木原相似の目的は、暗闇の五月計画の被験者を改造することで『一方通行(アクセラレータ)の代替品』を生み出し、それによって木原数多に『元気を出してもらうこと』である。

 垣根との戦いはそのスペックを検証する為の実証試験であるので、最低限の『盾』を用意するのは当然だが、仮にも『理論上は第一位と同等』の能力者に対して自信を持っているならば、防御は手薄になって然るべきである。

 

 これは、合理の問題ではない。己の研究に対して強い自負を持っている『木原』としての矜持(プライド)の問題だ。

 そしてこれまでの言動を見るに、木原相似はそのあたりのプライドは決して低くないはずである。

 

 

(何か隠している目的があるのか?)

 

 

 あり得るとしたら、そのライン。

 杠を垣根にぶつける以上の『何か』が木原相似の中にあるならば、この『弱腰』にも納得がいく。

 納得はいくが……、

 

 

「…………気に入らねえ。もうやめだ」

 

 

 そう言って、垣根は今まで続けていた高速機動を急遽終わらせる。

 杠は関係なく襲い掛かってきたが、垣根はそれを翼のひと薙ぎで吹き飛ばした。余談ではあるが、ただのひと薙ぎで生み出した気流は、既に裏第四位(アナザーフォー)の全力のそれを軽く上回っている。

 

 

「何のつもりです? まだ実験は続いてるんですけど」

 

「テメェ、本気じゃねえだろ」

 

 

 垣根が言うと、木原相似は貼り付けたような笑みのまま口を噤んだ。

 

 

「分からねえとでも思ったか? テメェの力の入れようを見りゃあ分かるっつってんだ。本当に虎の子の、自信満々の実験体を差し向けるんだったら、もうちょいやる気出すだろ。それがなんだこの逃げ腰は。やる気ねえのが見え見えなんだよ」

 

「…………!!」

 

 

 図星、ということなのだろう。

 木原相似は、笑みをすっと収めて、バツの悪そうな表情を浮かべた。真摯に、申し訳なさを感じているという表情だった。

 

 

「……あはは、やっぱり分かっちゃいますかぁ」

 

 

 話し始めたタイミングで垣根が突き出した未元物質(ダークマター)による怪現象の一撃を肉盾で躱しながら、木原相似は続ける。

 

 

「自分は確かに一方通行(アクセラレータ)の『代替』品を作ることを目的として活動していたんですがぁ……別にそれは、一方通行(アクセラレータ)性能(スペック)に迫りたいとかそういうわけではなくてですね~」

 

 

 杠が、相似の前に降り立つ。

 先ほどまでのような荒々しい動きではなく、少なくとも表面上は、戦意も落ち着いているようだった。

 

 

「重要なのは、一方通行(アクセラレータ)という()()()()()()()()()()の代替だったんですよ」

 

「その言いっぷりだと、一方通行(アクセラレータ)の能力を模倣する以外に『代替』を作る公算があるみてえだな?」

 

「ええ~。今はまだ、公になっていないんですけどね」

 

 

 ス……と。

 木原相似は、一歩引いた。

 

 

白黒鋸刃(ジャギドエッジ)。近く、新たなる超能力者(レベル5)として産声を上げる予定の能力者ですよ」

 

 

 それが合図だった。

 DAアラウズの雑兵たちが一斉に撤退をはじめ、人の波に呑まれる形で木原相似の姿は見えなくなる。

 そしてその波が過ぎ去った後には、杠とUAVだけが残っていた。

 

 残されたUAVから、木原相似の音声が聞こえてくる。

 

 

『いやぁ~、ホントすみません! まさか垣根さんに自分の実験に対する意識を言い当てられるとは思いませんでした。確かに、ちゃんとした意志を持たずに、ぶち壊すつもりもないのに実験に入るのは、実験体にも失礼ですよね。数多さんに知られたら怒られてしまいますよ。反省します!』

 

「……馬鹿にされてんの、俺?」

 

『いえいえとんでもない! 迷惑料として、念動鳴奏(コンシールドバイス)はお渡しします。このUAVに内蔵してあるデータと合わせれば、暗闇の五月計画の基礎情報くらいは手に入るでしょう。垣根さんにとっても有用ですよね、これ?』

 

「…………、」

 

 

 正直、垣根としては次に出会ったら問答無用で腕の一本や二本くらい消し飛ばしてもいいと思うほどにはコケにされている話だったが、木原相似はそれだけ言うと、UAVの制御を手放したようだった。

 この分だと、電波から敵の居所を探って追撃するのも難しいだろう。

 

 それにそもそも、垣根の目的は木原相似とかいう小悪党ではない。その優先順位を取り違えるほど、垣根は愚かではない。

 

 

「……あー、誉望。誉望。撤収だ。今から林檎を連れて帰る。お前はデータ解析の準備をしとけ」

 

 

 その後は、とんとん拍子で話が進んだ。

 目下最大の難敵であった木原相似がさっさと退散したことで、『正史』よりも早く杠のデータ解析を進めることができた垣根は……、

 

 

「特定条件下での、臓器への機能停止命令? ……おかしい! この部分だけどう見ても合理性がない! 記述式そのものが木原相似の根幹プログラムから外れています!!」

 

「あーあー、そういうことかよ。何か妙だと思っていたが……ターゲットは林檎じゃなく、()()

 

 

 ブアッッ!!!! と、その背中から、三対の白い翼が展開される。

 

 

「だがナメていやがるな。『仲良くなった女の子は、悪の陰謀で結局死んでしまいました』だと?」

 

 

 天使の翼は、ゆっくりと掬い取るように、杠の身体を撫ぜた。

 それだけで、杠の身体は透明な水晶質の『何か』に包み込まれていく。

 

 

「か……きね……?」

 

「心配するな」

 

 

 あらゆる臓器が活動を停止し、今まさに死にゆく少女に対して、しかし垣根は冷や汗一つ掻かずにそう告げた。

 

 

「お前の死の運命なんざ、知ったことか。──俺の未元物質(ダークマター)に、常識は通用しねえ。……次に目覚めたとき、何食いたいかだけ考えてろ」

 

「……じゃあ……わた、し……がれっ、……」

 

 

 言い終わる間もなく、杠林檎の全身は水晶に包まれ、生命体としての活動を完全に停止した。

 だが──それは死を迎えたわけではない。まるでクマムシが厳しい環境で仮死状態になって『本当の死』を回避するときのように、生命活動を一時的に停止することで最悪の末路を回避しているのだ。

 その生体反応を、未元物質(ダークマター)の力で人体に疑似再現したにすぎない。

 

 

「…………ガレットなら、もう食っただろうがよ。バカが」

 

 

 この日より、『スクール』にはもう一人構成員が加わった。

 喋ることも、任務に参加することもないし、ましてや書類上の人員にカウントされることもないが──しかし、確かに『スクール』の全員から認識される、一人の少女が。

 

 

 


 

 

 

第二章 二者択一なんて選ばない PHASE-NEXT.

 

 

おまけ:未元物質の少年の雑感

 

 

 


 

 

 

 事態が動いたのは、それから二日後のことだった。

 

 

「おかしいとは思っていたんだ」

 

 

 モニターの画面を見つめながら、垣根はそう呟いた。

 彼の背後では、巨大な医療器具に繋がれた水晶の少女が今も眠りについている。

 

 

「他に有望な実験体がいる。それ自体はナメていやがるが理解できる話だ。だが……()()()()()()退()()()()()()()()()で、わざわざ超能力者(レベル5)の、それも第二位に喧嘩を売るか?」

 

 

 木原相似の襲撃に関して、学園都市の上層部は『スクール』に対して報復の黙認を行っていた。

 つまり木原相似は『スクール』との全面戦争になる可能性を考慮した上で垣根に攻撃を行っていたということになる。現に今も、垣根──いや『スクール』は木原相似を許したわけではない。

 今は雲隠れしているようだが、発見し次第報復攻撃を行うよう、今も下部組織の一部は木原相似の捜索を行っている。

 

 それほどのリスクを負ったのに、あっさりと『他の実験体がいるのでこっちはもう諦めます』と言って立ち去るのは──木原の研究者として以前に、危機管理能力を持つ一個の人間として不自然すぎる。

 

 その違和感の答えが、今、彼の目の前にあった。

 

 

「……木原幻生」

 

 

 調査の実作業を行っていた誉望が、生唾を呑み込んでからそう言う。

 

 

「杠林檎に撃ち込まれた自滅プログラム自体は、どのタイミングで組み込まれたのか、『スクール』の情報網をもってしても判明できなかったですが……木原相似が裏第四位(アナザーフォー)に力を入れ出したのと同タイミングで、木原相似自身にも気づかれないような自然さで計画に食い込んでいる痕跡があります」

 

「林檎を巻き込んだ計画自体は、木原相似個人の暴走じゃなかったの?」

 

「ええ。だから彼が干渉したのはその末端となるDAアラウズの方みたいです。一週間ほど前に、警備員(アンチスキル)の再研修センターの心療医に木原幻生の子飼いとして有名な研究者が就任しています。タイミング的に、自滅プログラムに木原幻生が関与している可能性は大きい」

 

 

 ドレスの少女の問いに、誉望はそう答える。

 

 

「木原相似は、DAアラウズのカウンセラーという立ち位置で彼らの洗脳を行っていた。しかし、そのDAアラウズにも木原幻生の『色』が注入されていたとすると……カウンセリングを行う過程で木原相似にも木原幻生の『色』が移っていた可能性があります」

 

 

 それが、木原相似の不自然な『弱腰』の理由か。

 おそらく彼自身も気付かないうちに、杠林檎を使った実験の優先度を低く、レイシア=ブラックガードを使った実験の優先度を高く変更されていたのだろう。

 それならば、あのあっさりした幕切れも納得がいく。

 

 しかし、垣根は次々と告げられる衝撃の真実に対しても、眉一つ動かさない。

 

 

「いいや、それは正確じゃあないな」

 

「……?」

 

「木原幻生は、自滅プログラムを埋め込んだ主犯じゃあねえ」

 

 

 垣根はそう言って、自らの背後で眠る水晶の少女を見やった。

 

 

「林檎を眠らせる直前に、光や音の組み合わせでヤツの心……、いや、脳の電気信号を読み取った。時間がなかったから断片的情報にはなっちまったが、その中に木原幻生の情報もあった」

 

「な……!」

 

「おいおい、気を悪くするなよ誉望。断片的情報っつったろ? アレだけじゃ何がなんだかさっぱりだったし、お前の情報がなきゃ導き出せない事実だった。お前はいい仕事したよ」

 

 

 ポンポンと、垣根は誉望の肩を笑いながら叩く。

 それだけで、それまで淀みなくしゃべっていた誉望の顔色が急激に悪化した。

 

 

「あ~、誉望さん大丈夫ですかー? バケツ持ってきますかー?」

 

「主犯じゃないなら、幻生はどういう関わり方をしていたのかしら?」

 

 

 蹲ってしまった誉望に代わって、ドレスの少女──獄彩が問いかける。

 

 

「『チケット』だとよ」

 

「?」

 

 

 意味の通らない言葉に首を傾げる獄彩をよそに、垣根の脳裏にはあの日、断片的な情報の中で見た老人の幻影が蘇っていた。

 

 

『やあやあ。よくここまで来たねー。流石は第二位といったところか。ご褒美に、「チケット」を君にあげよう』

 

『大覇星祭。この言葉を覚えておきたまえ』

 

『きっと、面白いものが見られるだろうからねー?』

 

 

 それらの言葉を思い出し、垣根は静かに拳を握る。

 裏取りは完了した。

 

 

「……気にすんな。くだらねえ話だ」

 

 

 情報を総合するならば──木原幻生は、垣根帝督のことを誘っている。

 垣根帝督を誘うためだけに、わざわざ関与しなくてもいい木原相似の暴走に関わり、あえて自分の匂いを残した。

 

 大覇星祭。

 

 おそらくは、そこに描かれる地獄絵図を構成する絵具に、第二位の超能力者(レベル5)を使う為だけに。

 

 

「面白れえ。テメェの絵図がどこまで俺の未元物質(ダークマター)についていけるか。試してやろうじゃねえか」

 

 

 そしておそらく、その先に。

 

 たった一人の少女を救い出す、最後の手がかりが残されている。



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おまけ:異界、顕現

とあマタを未読の方に未元物質(ダークマター)の能力を分かりやすく説明すると、『異世界テラフォーミング』です。なんでもありともいう。


 そして開戦の瞬間へと、時計の針は進んでいく。

 

 

 垣根帝督。

 

 木原数多。

 

 木原病理。

 

 木原幻生。

 

 

 四人の『常識外れ』達が集う、異様な闘争の戦端へと。

 

 

 

 


 

 

 

第二章 二者択一なんて選ばない PHASE-NEXT.

 

 

おまけ:異界、顕現

 

 

 


 

 

 

『──ガガッ、か、垣根さんッ!?』

 

 

 そこで、垣根の耳につけられている極小のマイクが、誉望の声を拾った。

 乱入者を抑えようとしたときにおそらく第七位によって撃破されダウンしていたと思われる誉望だが、どうやらここにきて復帰したらしい。

 

 

「誉望か。無事か?」

 

『え、ええ、まぁ。そっちの状況はモニタしていた下部組織の連中から聞いて概ね分かってます』

 

「こっちの様子が分かるのか? 大分荒んだ状態だがよ」

 

『大会中継用のドローンが展開されているんです。遠距離から撮影できるので、制御を奪えば状況の監視にも使えます。……手数が必要なら、俺も出られますが』

 

「いや、いい。やめとけ。お前じゃ無理だ」

 

『……、』

 

 

 軽い調子で言った垣根の台詞に、無線の向こうの空気が一瞬にして張り詰めた。

 明確に相手の地雷を踏んだ垣根だが、それでも彼はへらへらと笑う余裕すらあった。

 

 

「お? キレたか?」

 

『……!! うぐ、い、いや……、』

 

「悪かったな。そういう意味じゃねえよ」

 

 

 翼を広げ、垣根は眼前に佇む老人を見据える。

 空気に砂糖が溶け込んだような不定形の陽炎を帯びた老人は、垣根たちの通信が終わるのを悠長に待っているようだった。

 

 

「ヤツの出力は局所的な地震を発生させることができるレベルだ。今はナメプしてんだか実験の方に集中してんだかで単なる運動エネルギーとしてしか使っていやがらねえが……ありゃ恐らく『レシピ』を知らねえだけだ」

 

 

 おそらく、木原幻生の当初の手札に乱雑開放(ポルターガイスト)はなかった。

 『木原』が彼の多才能力(マルチスキル)に目を付けて使ったものを、むしろ取り込む形で活用しているのが今の幻生だ。

 だが一方で、木原幻生のセンスがそこで終わるとも思えない。

 そこで、同じように念動能力(テレキネシス)によって多彩な現象を生み出す誉望が同じ戦場にいたら?

 幻生は、きっと誉望の戦闘スタイルから無限にインスピレーションを得て、己の戦力を進化させていくだろう。

 

 その時のリスクは、誉望が同じ戦場にいることによるメリットを遥かに上回る。

 

 

「それでも、ぶっちゃけ気休めだろうが……お前には付近の連中の撤退の音頭をとってもらいたい。下っ端どもでも、まだ使い道はあるからな。任せたぞ」

 

『……! はいッス』

 

 

 そうして通話をオフにすると、垣根は改めて幻生に意識を集中させる。

 幻生は残った左腕で顎を撫でながら、悠長に話を聞いていた。他二人の木原についても、その隙を狙うことなく静観を保っていた。

 

 否。

 

 ()()()()()()()

 

 これが相似や円周ならば、『とりあえず小手調べ』で状況を崩して、盛大なしっぺ返しを食っていただろうが、戦いに慣れた二人の『木原』ならばわかる。

 幻生の周囲に揺蕩う不可視の力場が、常に巡って攻撃に対して爆発反応装甲のような過激な迎撃を加えようとしていることが。

 

 

「終わったかねー? それじゃあ改めて実験再開と行こうか」

 

「あー、待っててもらってて悪りいが」

 

 

 それに対し、垣根は本当にすまなそうに、一言だけ返した。

 

 

()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 キュガッッッッ!!!! と。

 

 幻生の足元の地面が爆裂した。

 爆発ではない。

 コンクリートの地面が隆起し、変色し──そして、赤熱したマグマを垂れ流す。

 それは一言で言うならば、『噴火』だった。

 

 

「ヒョッ!? これは……地面を()()()()()!? 第二位の能力を間近で観測するのは初めてだが──これは奇怪!! 地質そのものを全く存在しない構成へと変貌させている!?」

 

「この程度で目玉ひん剥いてるようなら先が思いやられるぜ? 爺さん」

 

 

 しかし、異常はそれだけでは終わらなかった。

 当然のように跳躍してマグマから回避している幻生の目の前で、赤熱の濁流は飛沫の形のまま岩石へと変貌する。そこに、垣根の翼による一撃が叩きこまれると──

 

 ドバッッッッ!!!!

 

 

 と、破壊された岩石の破片が幾千の小さな刃の欠片となって、幻生へと殺到する。

 単なる回避ではどうしようもない圧倒的な破壊の濁流に、幻生は乱雑開放(ポルターガイスト)という手札を切った。

 当然、地震をも引き起こすエネルギーの塊は刃の暴風を呆気なく受け止めるが、垣根はそれでも笑みを崩さなかった。

 

 

「プレーンな運動エネルギーの塊ってのは使いやすいよなあ? だがそれだけに、その挙動ってのは読まれやすいんだぜ」

 

 

 音はなかった。

 乱雑開放(ポルターガイスト)の『力』の隙間から滑り落ちるように展開された灰色の刃が、そのままギロチンのように幻生の左腕を肘くらいから切り飛ばした。

 

 

「俺の未元物質(ダークマター)なら、ざっと一七〇〇通りほど『変質』のパターンを用意できる」

 

「流石第二位……第一位がいなければ、君を題材に研究がしたかったねー」

 

「…………どうやらまだ切り落とす四肢が足りてねえようだな」

 

 

 ゴッッ!! と、続いて垣根の翼から暴風が繰り出される。まるで竜のようにのたうちながら自律して幻生を狙うその風は、もはや単なる『暴風』とは異なる何かだったが……、

 

 

「一七〇〇通りだったかな? 確かに、その能力は無限の可能性を秘めているけどねー」

 

 

 幻生の左腕が独りでに地面を叩き、反動で宙に浮かぶ。

 

 

「垣根君自身が咄嗟に選び取れる選択肢は、一七〇〇よりも確実に少ない。さらに事前に僕の行動というインプットがあれば、その可能性はさらに狭まって──精々瞬間で二〇〇と言ったところかねー?」

 

 

 宙に舞う左腕は、直後に掌から暴風を放った。

 垣根のそれとは比べるべくもない威力の暴風である。常識の通用しない生命じみた暴風は、それすらも呑み込み大気の力で老人の肉体をバラバラにする、はずだった。

 

 

「そのくらいなら、先読みは容易だねー」

 

 

 ボバッ!!!! と。

 まるで腹の中でダイナマイトが炸裂した蛇のように、暴風が中ほどから分断された。そうなるように計算され尽くした気流を、幻生が放っていたのだ。

 さらに、異常はそこだけでは終わらなかった。

 

 炸裂した暴風の余波が、今度は創造主である垣根自身に向かっていく。

 

 

「コイツ……!?」

 

 

 完全なる、予想の外。

 不意の一撃を食らい、垣根の身体が枯れ枝のように呆気なく宙を舞った。

 

 勝利の確信。

 それを感じさせるに足る一撃を与えたところで──幻生は気付く。

 己の胴に、気付かないうちに刃が突き立っていたことに。

 

 

「お前……は……俺の手の内を読んだと思っていたんだろうがな……」

 

 

 倒れ伏した垣根は、吐き出すように言葉を紡いでいく。

 

 

「どうして『その思惑すら俺に誘導されたものだった』と考えなかった?」

 

 

 そう。

 全ては、垣根の掌の上。

 こう攻撃をすれば相手は次の手をこう読み、それに対抗する手としてこんな手を打つ。

 言葉にすればそんな簡単な、言葉遊びのような思考の流れを、精密に構築する。異常な要素により世界を未知の状態へと作り替える能力者にとって──盤面を己の意志で支配することなど、呼吸をするのと同様に容易い。

 

 

「ば、かな……? 力場の防御は、確かに……?」

 

「だろうな。だから用意しておいたぜ。『人体だけを切り裂き、他は素通りする刃』ってヤツをよ」

 

 

 なんでもあり。

 

 見る者にそんな感想を抱かせる無法。それが、この街の第二位という称号を冠する男の本領だった。

 

 たったの一撃で致命に至る手を打った垣根は、そのまま翼を引き戻す。

 幻生は力なく膝を突いて、

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 キュガッ!!!! と。

 崩れ落ちた姿勢のまま、足のバネだけで跳躍した。

 

 

「んなッ!? コイツ、確かに攻撃は……」

 

「通っただろうよ! だが……チッ、あのクソジジイ、やーっぱ胴体の方も機械まみれになっていやがったか!」

 

 

 これも単純な話。

 人体のみを切り裂き、それ以外のものは素通りするというならば──切り裂いた場所が機械で補完した部位であれば、当然ながら何のダメージも与えることができない。

 

 

 

「僕は実験時に発生した事故でよく肉体を損傷していてねー。今や僕の身体は、代替技術の見本市みたいなものなんだよ」

 

「そりゃそうだと思ってましたよー。私は一度ぶつかって貴方の手の内をある程度理解していますからね」

 

 

 引き下がる垣根と入れ替わるように、車椅子の病理が幻生と対峙する。

 どういう技術を使っているのか、まるで蜘蛛の足のようなアームで機敏に移動する病理だが、彼女の手札はそれだけではない。

 

 空から、無数の隕石が降ってきた。

 当然それらは幻生の周りに漂う不可視の力場によって防がれるが、意識の外からの攻撃に幻生は思わず足を止める。

 

 

「大覇星祭の実況中継用ドローンですよ」

 

 

 病理の種明かしはあっさりしていた。

 あるいは、その程度では己の武装の本領ははかれないとでも言うかのように。

 

 

「……大覇星祭実行委員会のサーバにハッキングしたのかい? 悪い子だねー」

 

「まさか。アレは無線操縦ですよ? コンピュータウイルスと同じ。こっちから操作用の電波を送ってやれば簡単に制御はジャックできるのでーす」

 

 

 言ってしまえば、それだけ。

 『木原』としては物足りなさすら感じかねない単純な一手だが──そもそも『木原』とは、扱う科学技術の複雑さによって己を定義するのではない。

 その素晴らしい知性によって生み出された科学を、どのように()()()()()

 即ち──『上空から実況中継する為』に得た位置エネルギーをそのまま攻撃に転嫁するという、単純かつ悪辣極まりない『応用』。

 

 そのシンプルな一手は、地震を生み出すほどのパワーを以てしても防御の構えを取らないと貫通するほどの純粋な威力を誇ってた。

 

 

 さらに、それだけでは終わらない。

 

 

「次はこれなんかも行ってみましょうか」

 

 

 幻生が次々と散発的に降り注ぐドローンの隕石に対応していた、ちょうどその時だった。

 瓦礫を強引に乗り越えて、暴走バスが幻生目掛け突っ込んでいく。

 

 

「ヒョっ!?」

 

 

 当然これくらいであれば幻生も防ぐことが可能だが、問題はそこではない。

 

 

「……バスとドローンのネットワーク系列は別のモノのハズなんだけどねー。……どうやら、生体ウイルス同様に、機械同士の接触でも感染するのかねー?」

 

「さっすが妖怪ジジイ。手札隠しなんか期待できるわけもなかったですね」

 

 

 病理はにいっと笑みを浮かべ、

 

 

「今の時代、どんな機械にも演算機能と通信機能は備わってますからねー」

 

 

 説明はそれだけだった。それだけで、その場にいる全員に全ての情報が共有される。

 演算機能をハッキングすれば、OSレベルで機能を改造することも理論的には可能。そうすれば通信機能も思いのままに改造でき、ネットワーク系列が異なるもの同士でも問題なくハッキングできるようになる。……即ち、『機械ウイルスの接触感染』が実現する。

 

 

「出典・『スリラー』」

 

 

 まるでそれは、無限に湧き出るゾンビのように。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 この時代、サイボーグもまた演算装置の集合体である。

 生身の肉体を傷つけないようなセーフティは勿論のこと、体幹の制御から電気信号の伝達に至るまで、あらゆるところに演算は関わっている。

 そしてサイボーグ同士の連携には、しばしば通信が使用されることもある。一度は切断されたはずの左腕がひとりでに動き出したのも、これがからくりである。

 

 

「ひょッ!?」

 

 

 幻生の左腕が、独りでに幻生の右目をくり抜こうと動く。

 無体もいいところだった。

 サイボーグの肉体に対し、その肉体自身の制御を奪うという暴挙。これに対し幻生は、

 

 

「これはなかなか……面白いねー」

 

 

 ギチリ、と。揺蕩う力場を器用に使って肉体を絡めとることでそれ以上の暴走を防ぐ。

 だが当然、これはかなりの曲芸だ。言ってみれば、ショベルカーで砂のお城を作っているようなものである。何かが間違えばそれだけで幻生の身体がミンチになりかねない。

 

 そう。

 

 何かが間違えば。

 

 

「よお、ところで俺とは遊んでくれねえのか?」

 

 

 なんとか肉体の制御を取り戻した幻生の背後に、一人の男がいた。

 引き裂くように獰猛な笑みを浮かべる木原数多がとった行動は至ってシンプル。

 

 ぴい、と口笛を吹くだけ。

 

 

 それだけで、劇的な変化が発生した。

 

 特殊な気流を生み出す音波の干渉を受けた力場に、乱れが生じる。微細なバランスの上に成り立っていたものがぶち壊され、幻生の肉体は一瞬にして雑巾搾りか何かのように引き絞られる。

 

 

「お、おおぉぉおおおぉぉおおおお!?!?!?」

 

「まーだこんなもんで終わりじゃねェよなァ!!!!」

 

 

 木原数多はそれを見ても止まらない。

 むしろそこから返す刀の一撃が来ることを確信している足取りで、依然降り注ぎ続けるドローンの隕石や溶岩のシャワーの間隙を駆け抜けていく。

 

 

「随分自然に隠しちゃあいるがな、駆動音だの体捌きで分かるんだよ。テメェのどこが生身でどこが機械か、とかはなあ?」

 

 

 立てるのは二本指。

 まるでフォークか何かのような鋭利な武器に右手を見立てた木原数多は、そのまま──

 

 

 木原幻生の脇腹を、徒手で抉り抜いた。

 

 一瞬間があいて、幻生の腹から赤黒の液体が零れ落ち始める。

 

 

「ご、あァァああああああああああああああああああッッ!?」

 

「ギャーッハハハハハハハハァ!!!! 楽しい演奏をどうもアリガトウ!! 休んでる時間はねェぞォさっさと第二楽章の始まりだァ!!!!」

 

 

「──なーんて風に話が進んだらきっと楽だったんだろうけどねー?」

 

 

 次の瞬間。

 今まさに脇腹を抉られたはずの木原幻生は、そんなことを一切感じさせない滑らかな動きで左手をかざし──

 

 そして、暴風によって木原数多の身体は宙を舞った。

 舞った──というより、それは殆ど弾丸だった。それほどの勢いで一直線に吹っ飛んだ木原数多は、地面を水切り石のように何度も浅くバウンドして瓦礫の彼方へと飛んでいく。

 そして同時に、幻生の暴走を抑えるのに大半を使っていたはずの乱雑開放(ポルターガイスト)が、元の流麗な動きを取り戻した。

 

 

「……!? 肉体の制御が……、」

 

「僕の手札は乱雑開放(ポルターガイスト)だけじゃないからねー」

 

 

 バヂリ、とその手から、紫電が迸る。

 

 

多才能力(マルチスキル)。もっとも、分かりやすい電撃使い(エレクトロマスター)はいなかったから、迂回路を組み立てるのに少し時間がかかったけどねー」

 

「……やーっぱ妖怪ジジイですねぇ……!」

 

「くだらねえな」

 

 

 思わず悪態を吐く病理を追い抜くようにして、事態を静観していた垣根が前へと出る。

 

 ──三人は共通の敵こそいるが、だからといって仲間というわけではない。だからこそ、幻生が余裕をもって対応していると判断した場合は、返す刀の一撃の巻き添えを食わないように黙って見ている。

 そして哀れな犠牲者の散り様を観察して己の攻略に役立てるのだ。

 

 

多才能力(マルチスキル)乱雑開放(ポルターガイスト)代替技術(サイボーグ)。……引き出しがそれだけなら、悪いがもう潰すぞ」

 

 

 垣根の一撃は単純。

 翼を上から振り下ろす、それだけ。

 

 ただし、それだけの一撃が既に音速を超えていた。

 さらにその翼からは精密機器の動作を狂わせる電波が発生していたし、翼から散った羽根箒は特殊な気流を発生させる音波を帯びている。

 

 一万三〇六八。

 

 それが、この一撃に込められた現象の数だった。

 

 

「こ、れは……この数は……!?」

 

「俺の一撃が()()だって、誰が決めた?」

 

 

 優雅にさえ見える動作で腕を振り下ろす。

 

 そして、万を超える現象が木原幻生に殺到した。

 

 

 


 

 

 

「ひとまず第一段階はクリア、といったところかねー」

 

 

 無傷。

 

 ……というには、悲惨な有様ではあった。

 右足は石化し、残った左腕も謎の結晶めいた棘に覆われている。もはやサイボーグとしての超人めいた動作など望むべくもない。

 だが、それでもなお勝る脅威がそこにはあった。

 

 

 バチバチと迸る、雷の剣。

 それは単なる電撃によるものではない。

 AIM。

 ヒューズ=カザキリの扱っているそれを、手の中に呼び出したのだ。

 

 それで未元物質(ダークマター)を、叩き斬った。

 

 

「……チッ」

 

 

 そこで仕切り直しとするしかなかった。

 垣根も分かる。『アレ』は、下手に突っ込めば手痛いしっぺ返しを食らうどころではないと。

 

 

「おーおー、ようやっと戻ってきたら随分ファンシーな見た目になってんなあのジジイ」

 

 

 その背後から、木原数多の声がする。

 見ると数多は、ところどころに擦過傷を負ってはいるものの、重症自体はゼロという風体だった。おそらく、吹っ飛ばされながら体勢を精密に制御することで、ダメージを最小限に抑えたのだろう。

 

 

「生きてたのか。ちょうどいい、手ぇ貸せ」

 

「ああ? なーに言ってんだテメェ」

 

「『木原』に手を貸せとは、酔狂ですねー」

 

 

 予期せぬ提案に、二人の木原の雰囲気がひりつく。

 こういう場合、『木原』というのは真っ先に裏切りをはたらくものだ。突然の協力要請とは、即ち『これからお前を裏切って殺す』という宣戦布告にも似た響きを持つ。

 

 

「ま、俺は手を貸すつもりはねえけどな」

 

 

 垣根は全くもって矛盾する言葉を吐きながら、幻生に牽制の一撃を放つ。

 困惑したのは木原二人の方だ。協力しろと言いながら、自分が協力するつもりはないという。全く持って支離滅裂だった。

 

 

「……自分は手を貸さないのに、こちらには手を貸せと? まるで捨て駒になれと言っているようですねー」

 

「まるで、じゃねえ。なれっつってんだ」

 

 

 垣根は感情を載せない平坦な声で、そう言い切る。

 

 

「ナメてんのか? なんでテメェらと俺が対等な立場になってんだ。違げえだろ。俺に『使い潰すのが惜しい』と思わせる。そのくらい必死こいて手ぇ貸せっつってんだ」

 

 

 駆け引きも何もないシンプルな『命令』。

 それに対し、木原一族の回答もシンプルだった。

 

 

「ぎゃははははははは! コイツ面白れえわ」

 

「ちょーっと『木原』をバカにしすぎですねー」

 

 

 徒手。

 

 隕石。

 

 

 それぞれの『科学』で以て、垣根帝督を絶命させる。

 コンマ一秒の躊躇も合理性もなく、二人の『木原』はその為の行動をとり始める。

 

 垣根の方も未元物質(ダークマター)の引き起こす現象を上手く利用し、その攻撃をいなしていく。軌道を捻じ曲げる過程で何故か摩擦熱が冷気に変換されて氷の流星となった一撃は、流れ弾めいて幻生の足を凍り付かせる。

 数多の拳の衝撃を吸収した羽毛は、その衝撃を保持したまま乱雑開放(ポルターガイスト)と接触し、パンをついばむ鳥のように力場をむしり取っていく。

 

 

「……! テメェ……」

 

「木原一族ってのは、根本的にチームワークってのに向いてねえ。以前ぶつかった相似とかいう木原も、数多さんとやらを慕ってるわりには単独行動だったしな。……だが逆に、()()()()()()()()()()()()()()()。だったら話は簡単だ。内輪揉めが結果としてチームワークになるように、盤面を整えてやればいい」

 

 

 異端の科学。それすらも呑み込む──異次元の戦略。

 学園都市の第二位の頭脳を前に、木原病理の顔に冷や汗が浮かぶ。

 

 

「『木原』だか何だか知らねえが、()()()()()()()()()()()の物差しで俺を測ろうなんざ、少しばかり未元物質(ダークマター)をナメすぎじゃねえの?」

 

「ヒョホホ、なかなか良い『チームワーク』だねー。流石は第二候補(スぺアプラン)。木原との相性も第一候補(メインプラン)例外候補(ボーナスプラン)ほどじゃないにしても良いみたいで感心だよー」

 

「おいおい。暢気に感心してる場合じゃねえぞ。()()()()()()()()()()()()()

 

 

 垣根がそう言ったのと同時だった。

 幻生の手の中にある雷の剣が、石となって崩れ落ちたのは。

 

 

「…………ひょ?」

 

「ったく。俺をさしおいて世界に異物を挟みこもうとするなんざ、大した『科学』だよ。お陰で狂った歯車を調整するのにちと時間がかかった」

 

 

 今までの未元物質(ダークマター)は──本領などではなかった。

 というのも、幻生がヒューズ=カザキリを召喚したことによって、周囲にAIMが充満し、それらが未元物質(ダークマター)と干渉して能力行使を阻害していたのだ。

 稼働率にして、三〇%。それが今までの垣根のスペックであった。

 だが、それで終わるようでは超能力者(レベル5)は名乗れない。攻略の傍ら、垣根はAIMを組み込んだうえで周囲の現象を予測演算することに成功したのだった。

 

 ……それは、一人の転生者がプロのアドバイスを聞きながらようやく成し遂げた境地。

 だが学園都市の第二位は、それをこともなげに実行してみせた。

 

 石となり崩れた雷の剣から草木が芽生え、そして幻生の身体を絡めとっていく。咲いた花が小爆発を起こし、幻生の肉を焦がしていく。

 

 数多も止まってはいなかった。

 どこで拾ったのか、鉄パイプで地面を叩きながら、動けない幻生の方へと突き進んでいく。

 だがそれは蛮勇ではない。

 何故なら、叩いた鉄パイプから生じた火花が、炎の触手となって幻生を嬲っているからだ。

 

 

「ほお? 面白れえな。()()()()使()()()()()()()()()

 

「……んだと?」

 

 

 ──未元物質(ダークマター)

 万能物質としてのそれを扱うのではなく、素粒子によって歪められた物理法則そのものを活用してみせた。今まで垣根帝督以外の誰も成し遂げることができなかった領域に足を踏み入れ、数多は笑う。

 ……『木原』。

 先ほど嘲って見せた一族の『本領』だった。

 

 そしてもちろん、この場にはまだいない者が一人いる。

 

 彼女もまたこの街の闇に潜むプロであり──

 

 

 ズズン……と。

 地響きと共に、『巨人』が現れた。

 

 

「おー、随分時間がかかりましたけど……なんとか間に合いましたねー」

 

 

 ギチギチと無数の機械によって構成されたそれを操り、車椅子の女はほくそ笑みながら言う。

 

 無限に感染者を増大させられる機械ウイルスがあったとして、それを使って行える最も『どうしようもない戦術』とはなんだろうか。

 大量の専門機械を導入することによる疑似的な全能?

 それも一つの手段ではある。

 だが、それよりも分かりやすく、それよりも圧倒的で、それよりも絶望を齎す一手がある。

 

 それが、『絶対的質量』だ。

 

 大量の機械を意のままに操ることができるなら、難しく考えすぎる必要はない。無数の機械を一つにまとめ、そして敵にぶつければいい。

 たったそれだけで、たとえ地震のエネルギーだろうが無数の能力だろうが科学の天使だろうが、関係なく圧し潰して終わらせることができる。

 

 立ち向かう意義すら奪う攻撃。

 

 『諦め』。

 

 それこそが、木原病理の『本領』だ。

 

 

「出典・『スペクタクル』」

 

「お。おぉ、おぉおおおおおおおおおおッ!?!?!?」

 

 

 幻生は思わず叫びながらその一撃を抑えようとするが、その隙を逃す者はこの場に一人としていない。異界の常識を振るう二人に対し、少しずつダメージが蓄積していき──

 

 

 ──やがて。

 

 びしり、と木原幻生の顔面が半分ほど砕け散った。

 まるで卵の殻のようにヒビ割れた顔面のまま、今にもすり潰されそうな状態で、しかし幻生は笑った。

 笑って、こう言った。

 

 

 

「…………()()()



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六九話:天使VS天使

《いや…………ま、待て? いやいやいや、なんで俺、今……》

 

《シレン? どうかしたんですの? ……いや、かなりヤバそうというのはなんとなく分かりますが》

 

《……ヤバイなんてもんじゃない、かもしれない》

 

 

 白いような、青いような、銀色のような──言語化できない光を見て、何故俺は『青ざめた輝きのプラチナ』という形容を思いついた?

 まるで最初からその表現が用意されていたかのような感覚。

 

 ……いや、実際にそうなんだ。

 

 その表現は、最初から用意されていた。

 そうだ……なんで忘れていたんだ、俺は。

 

 

《…………()()()使()()()()()…………?》

 

 

 ヤツが『小説』で登場した際に現れた形容が、まさしくそれだったじゃないか!

 

 

《……はぁ!? シレン、ちょっとお待ちなさい。今、エイワスと言ったんですの!? あの、『新約』の時点でも底知れない存在だった、アレイスターの秘密兵器の!?》

 

《でも……でも、あの輝きは、そうとしか思えない……》

 

 

 自分でも、何故そう思うのか分からない。

 でもあの輝きの危険さは、エイワス以外に考えられない。そんな不思議な確信がある。

 

 

「……元より風斬君の奥に潜む『ドラゴン』とやらには手を伸ばすつもりだったが…………これは、どうやらさらに。……ヒョホホ、そうか、アレイスター君は『これ』が欲しかったみたいだねぇ?」

 

 

 そこで。

 今まで貼り付けたような笑みを浮かべるのみだった木原幻生の表情に、初めて本気の愉悦が宿った。

 

 

「ふはっ、見てっ……くく……見ているかね!? アレイスター=クロウリー!! 君が恋焦がれ、(プラン)を弄し、世界を敵に回し、そうまでして追い求めていた『モノ』は……なんと、なんと今、僕の手の中にあるみたいだねぇ!? こんなに愉快なことがあるかなぁ!?」

 

《…………あの様子だと、どうやら間違いないみたいですわね。『ドラゴン』とも言っていますし》

 

 

 ……とにかく、あんなの俺達一人じゃどう考えても太刀打ちできない。

 

 そう考えた俺は、全速力で上条さんの元へと移動する。

 正直、上条さんの幻想殺し(イマジンブレイカー)でもどうにかできるか微妙なところではあるけど……それでも削板さんの能力や俺達の能力も合わせれば、まだなんとかなる可能性はある。

 

 

「レイシア! 急に御坂が動かなくなったんだけど……」

 

 

 合流するなり、上条さんはこちらの方に駆け寄ってくれた。

 上条さんの視線の先には、棒立ちのまま佇んでいる美琴さんの姿がある。顔面の右半分にパキパキと『何か』が集まって、元の異形状態になりつつあるので……おそらく上条さんは動かなくなった隙を突いてなんとか解除できないのか試していたんだろう。

 あの様子だと、『打ち消すことはできるけど、消したそばから再生されてしまって無意味』って感じなんだろうか。そうなるといよいよ厄介だな……。

 

 

「風斬さんも同じですわ。おそらく、幻生さんがああなったから……。でも、多分一時的なものです。今のうちになんとかしないと……」

 

「おう! お前がレイシアってヤツか」

 

 

 そこで、ズドン! とスーパーヒーローみたいな着地を決めて削板さんが合流した。

 相変わらず豪快な人だ……。まぁ、俺達は開会式のときの姿しか知らないんだけども。っていうかこの人、よく開会式に出てくれたよね。

 

 

「上条からちらっと話は聞いてるぜ。大分根性あるヤツらしいじゃねえか。後ろのヤツは根性なさそうだが……ま、俺達の根性を見てれば大丈夫だろ」

 

「…………上条さん?」

 

 

 ちょっとなんかよろしくない感じの印象を持たれてる気がするんですけど?

 

 

「い、いや! いいヤツだって話をしただけだけど……」

 

「ま、そのへんは実戦で見せてもらおうか。さあ、来るぞ!」

 

 

 そう言って、削板さんが構えた瞬間。

 ゴッッッ!!!! と、幻生が帯びた謎の力が、猛威を振るう。

 まるで巨大な手のような形を作り上げた輝きの塊が、俺達を押し流そうと真正面から向かってくるが……、

 

 

「クソッ、させるかよ!!」

 

 

 それに対し、上条さんが対応する。

 

 ゴッギィィィィン!!!! と、凄絶な音が炸裂した。

 

 幻想殺し(イマジンブレイカー)と激突しても、プラチナの輝きは打ち消されない。それどころか、対応していた上条さんの足がじりじりと後ろに押されていく。抑え込もうとしている上条さんの上半身自体が、どんどん後ろにのけ反らされ始めてきた。

 

 

「……上条さん!!」

 

 

 流石にヤバイと判断し、俺も暴風を応用した音波による念動能力(テレキネシス)でサポートする。これは暴風同様に超能力の『余波』なので、上条さんの近くで作用させても打ち消されないという長所がある。……が。

 

 

《……やっぱ出力が足りないか!!》

 

《というか、生身の上条がいる以上どうしても威力を抑えめにしないといけませんからね……》

 

《だね。削板さんも、そのへんはさっきから分かってるっぽくて、上条さんの右手に打ち消されないように、あるいは上条さんの生身を巻き込まないように留意はしているっぽいし》

 

裏第四位(アナザーフォー)! それだ!! それをツンツン頭の盾に使え!」

 

 

 そこで、馬場さんの声が届いてきた。

 …………そ、そうか!! 削板さんが上条さんを巻き込まないように、あるいは右手に打ち消されないように能力を使っているなら……幻想殺し(イマジンブレイカー)に打ち消される心配のない俺達の音波で、二人の間を隔てればいいじゃないか!!

 

 

「承知しましたわ、馬場さん!」

 

 

 ヴ……と、上条さんの周囲に音波による防護壁を展開する。

 ともすれば人体なんかめちゃくちゃになってしまいそうな代物だが……生憎、そこは超能力者(レベル5)の制御力。人体を傷つけない微妙な塩梅くらい、余裕でなんとかできるのだ。

 

 

『うおっ!? ……レイシアとシレンがやったのか?』

 

 

 欠点として、声も音波で弾かれてしまうのだが、そのへんは俺達の能力による知覚で分かる。意思疎通には問題ない。

 

 

「上条さん。我々の能力で防護壁を展開しました。もう少し踏ん張ってください!」

 

 

 しかも、この防護壁は上条さんの姿勢制御も担っている。少しくらいは踏ん張れるはずだ。

 あとは────

 

 

「削板さん!! 全力でぶちかましちゃってくださいまし!!」

 

「おう! 任せろ!!」

 

 

 ひゅうん、と。

 

 空気が吸いこまれるような錯覚があった。

 そう、それは錯覚だ。実際には、削板さんは空気を動かすような何かをしたわけじゃない。にも拘らず……()()()()()()()()()()()()()()()()()が、削板さんの方へ吸い込まれている、そんな妙な感覚があった。

 

 

「超────ウルトラハイパーミラクルギガンテックアドミラル──」

 

 

 輝き。

 それは、『黒い輝き』だ。光すら呑み込む圧倒的な光。これは…………『強力な重力』……か?

 ……いや、重力だとしたら俺達も吸い込まれてないとおかしいんだけど……というかやっぱり空気も吸い込まれてるはずなんだけど……。……いやいや、マジでなんなのこれ……?

 

 

「────グラビティカル凄いパァァあああああああああああンチッッッ!!!!」

 

 

 ドバオッ!!!! と。

 黒い輝きは幻生の放った輝きと衝突すると、その軌道を捻じ曲げて空中で爆裂する。

 それによってプラチナの輝きも空の彼方へと吹っ飛び、どこかのビルの側面を焼き溶かして消えた。……うわぁ。

 

 

 …………っていうか。

 

 

《おかしいね》

 

 

 なんとか乗り切った直後だが……俺には一つ違和感があった。

 

 

《エイワスの攻撃って、こんな、なんとか乗り切れる程度のモンなのか?》

 

 

 ()()エイワスだぞ?

 黒翼を扱える一方通行(アクセラレータ)さんが、なんとか死力を尽くして、それでも変形機能だかなんだかで一矢報いることすらできなかった存在。

 そんな存在が、この時点の右手一本と『拮抗』するか?

 エイワスの力をそのまま使えているなら、どう少なく見積もっても天使の一撃並の威力はあるはず。……削板さんについてはホントもうわけがわからないので置いておくとしても、幻想殺し(イマジンブレイカー)なら一時的な拮抗すらできないはずだ。

 それなのに、実際には俺達があれこれ小細工をする時間すらあった。……威力的には、インデックスの竜王の殺息(ドラゴンブレス)みたいに、処理限界ぎりぎりってところだろうか?

 対面するととてもそうは見えない圧力だが……しかし、事実をきちんと見れば、オリジナルのそれよりも大分格落ちしていると評価せざるを得ない。

 

 エイワスの形をとっていないからか?

 

 あるいは、総量が足りていないのか?

 

 どちらにせよ……敵は、本物のエイワスなんかじゃない。

 俺は、上条さんにかけた音波の防壁を解除しながら(地味に集中力がいるのだ)、

 

 

「いける。勝てない相手じゃないですわ。我々なら、」

 

 

 その、次の瞬間だった。

 

 

 

 


 

 

 

第二章 二者択一なんて選ばない PHASE-NEXT.

 

 

六九話:天使VS天使 White_Wing.

 

 

 


 

 

 

 ──一瞬だった。

 

 俺が希望を見出した、そしてその発言を聞いた、その直後。一瞬、ほんの少しだけ発言に意識を向けた、そんな隙とも呼べない一瞬の戦意の空白に。

 

 

「ひょほ」

 

 

 ズガ!!!! と、幻生さんは魔手を差し入れてきた。

 完全なる、意識の外。そこを突かれた俺達は、一瞬だが動作が遅れ──

 

 

《全速力で逃げますわよ!! わたくし達の位置ならまだ回避可能です!》

 

《ダメだ!! 上条さんは躱せない! あの体勢じゃ踏ん張りも利かない! モロに食らう!!》

 

《アナタ……ええい! このお人好しめ!!》

 

 

 俺達は回避を放棄して、先程修得したばかりのAIMすら切断する『亀裂』で防御を試みる。

 演算を練り上げ、十分に間に合う速度でそれを振るおうとし、

 

 

「よお、随分ナメた真似してくれやがったなあ」

 

 

 ゴッッッ!!!! と、プラチナの輝きが薙ぎ払われた。

 いや、薙ぎ払ったわけじゃない。これは、ほんの少しだけ軌道をズラしただけだ。それでも十分、俺達は守られたけど……。……でも多分、この人は俺達を守ったつもりないんだろうなあ。

 

 

「テメェがそのつもりなら本気で潰すが、構わねえな?」

 

 

 垣根帝督。

 ……どういう技を使ったのか、さっきまで膝を突いていた状態からは最低限回復しているようだった。

 まぁ、本当に怪我が治っているわけではないと思うけど、ベクトル操作で怪我の治癒を促進できる一方通行(アクセラレータ)さん同様、似たように回復することはできるんだろうな。

 

 

「望むところだよー、第二候補(スぺアプラン)

 

「……どうやらよほど叩き潰されてえと見える」

 

「第二位さん!」

 

 

 キレ気味の垣根さんを繋ぎ止めるように、俺は呼び掛ける。

 名前はまだ教えてもらってないので順位呼びだ。垣根さんは不機嫌そうな表情を浮かべながらも、俺の方に応対してくれる程度の冷静さは残っていたようだ。

 

 

裏第四位(アナザーフォー)か。なんだ、テメェも俺の捨て駒になってくれるってか?」

 

「それでもかまいません」

 

 

 うんうん、知ってるよ。とりあえずジャブのノリで憎まれ口を叩くのが暗部クオリティなんだよね。さっきから馬場さんと共闘してるからいい加減そのノリは慣れた。

 

 

「……、」

 

「人手が足りないのですわ。我々だけでは幻生さんは抑えきれない。力を貸してください!」

 

「………………ちったあ落差ってモンを考えてくれねえか?」

 

「へ?」

 

 

 え? 何の話だ……?

 

 

「チッ。調子狂うんだよ、お前……。まぁいい。精々利用し甲斐のあるところを見せてくれよ」

 

 

 垣根さんは何やら一人で納得した様子で、翼を振るう。

 三対の翼は羽根を散らしながら無数の風を生み、その気流が幻生さんを四方八方から襲っていく。

 

 散る羽根の一つ一つが、曇天であるにも関わらず虹色の輝きを放って辺りを照らす。多分、それらにも俺の想像もつかないえげつない攻撃力が秘められているんだろうが……。

 そのことに対する脅威や頼もしさよりも、不思議と俺は一つの感動を覚えていた。

 

 

「……綺麗ですわね」

 

 

 レイシアちゃんもまた、同じことを思っていたらしい。

 いやほんとうに、この世のモノとは思えない光景だよこれ。……能力研究でこの景色を人工的に生み出せる、というだけでも、十分第二位として成立するよ。

 

 

「……ガキどもには受けるヴィジュアル、ね」

 

「?」

 

()()を見てもそう言えるなら大したタマだが」

 

 

 何も見えなかった。

 ……というのも、垣根さんがそう言った次の瞬間、羽根の一枚一枚が眩い光を放ったのだ。

 俺達は咄嗟に『亀裂』を盾にして目を守ったが……、

 

 ……『亀裂』の向こう側では、熱による空気の膨張が確認できた。十中八九、レーザーのような光線による攻撃だ。

 

 

「いいだろう。手ぇ貸してやる。有難く思えよ、テメェら」

 

「いけすかねぇ野郎だが、大した根性してるな。よーし一緒に根性入れてあのジジイを倒すぞ!!」

 

「……えーと、いよいよ上条さん場違いになってきてるような気がするのでせうが……」

 

「気を引き締めなさい上条。もうこの戦場は、いつ仲間の攻撃の余波で死んでもおかしくない状況になっているんですわよ」

 

 

 レイシアちゃんの冷ややかな台詞に『ええ!?』と目を剥いている上条さんに、俺は慌てて言う。

 

 

「そんなことないですわ! お二人とも超能力者(レベル5)ですし……。ただ、相手の方はそうも言ってられない()()()ですが」

 

 

 上条さんに、垣根さんに、削板さんに、俺達。

 

 相手は、エイワスの力の一端を振るう木原幻生。

 

 ……やるしかない。いや、やってやろうじゃないか!



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七〇話:特異点

「やれやれ……超能力者(レベル5)が三人に、統括理事長のお気に入り……参ったねえ。実験中だというのに目移りしてしまうよ。僕、こんなに幸せでいいのかねー?」

 

 

 言葉と共に。

 幻生さんの身体が、『再構築』されていく。

 

 石化していた足が崩れ、代わりに元のままの足が。

 棘塗れの腕が廃棄され、代わりに傷一つない腕が。

 割れた顔面が修復され、代わりに皺枯れた表情が。

 

 まるでホログラムのように、実体化していく。

 

 

「心配するな。その分の揺り戻しはこれから来る」

 

 

 翼を広げた垣根さんに後れを取るまいと、俺達も動き出す。

 白黒の『亀裂』を翼のようにはためかせて上空へと飛び上がった俺は、そのすぐ横を高速で突き抜けて、さらなる高空へ舞い上がった垣根さんを能力で察知した。……うわぁすごい。

 

 

《なんですの? 自分の方が上に飛べるとでも? いいですわよそういうことならその安い挑発に乗ってやろうじゃありませんのこの野郎》

 

《レイシアちゃん。乗らないよ》

 

 

 そもそも本人は挑発のつもりないだろうし……。

 

 レイシアちゃんを宥めつつ、俺は照準を幻生さんに定める。

 あの四肢はそもそも機械化されていて、幻生さんの肉体はほぼ機械であるということを、俺達は既に知っている。……なら、遠慮する必要はない。

 どうせさっきのホログラムの要領で回復されるのは目に見えているが、あれほどの芸当が自動的に発生するわけがない。回復に意識を割かせるだけでも、十分仕事ははたしていると言えるはずだ。

 

 

「喰らいなさいッ!!」

 

「おや? AIMすら遮断する『亀裂』ではないのかねー? まぁ僕の肉体を構成しているモノまでなら通常状態での『亀裂』でも破損は可能だろうが……」

 

 

 幻生は生身同然に見える手で顎を撫でながら、

 

 

「それが何の問題もなく通ると思っているのは、流石に楽観的すぎやしないかね?」

 

 

 バギン!! と。

 『亀裂』が叩き壊される感覚がした。

 

 

「…………まさか」

 

 

 ……分かってはいたんだ。

 だが、考えないようにしていた。だって、()()なったらいよいよもう打つ手がなくなってしまう。

 そう。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()なんてことは。

 

 

「いやあ、ようやくこのチカラの扱いにも慣れて来てね。さあ、此処からが本番だよー」

 

 

 幻生さんはそう言って、指揮者のように両腕を振る。

 それだけで、輝くプラチナのオーラは周囲の建物を巻き込んで破壊の渦を生み出していくが、それとは別に、御坂さんと風斬さんも動いていった。

 地上で戦うしかない上条さんと削板さんが幻生さんに対応する関係上、俺達と垣根さんがこの二人に対応することになる。御坂さんの方は垣根さんが担当してくれたので、俺達は風斬さんに対応していたが……、

 

 

「ぐ……ッ!? さっきよりも、出力が上がっている……!?」

 

 

 幻生さんにAIMの力を回す必要がなくなったからだろうか。

 風斬さんの攻撃量は、先程までと比べて明らかに増大していた。正直、まだAIMを分断する『亀裂』は集中しないと使えないので、援護射撃がない状態で使うのは不可能に近い。

 馬場さんのアドバイスもあってなんとか躱せているが……、

 

 

「……っ、ごあッ…………!?」

 

 

 風圧で吹っ飛ばされた俺達は、そのままビルの壁面に思いきり叩きつけられた。破壊を最小限に抑えるために咄嗟に『亀裂』の翼は解除したが、俺達の背中には馬場さんを守っている『亀裂』の繭がある。そこに勢いよく叩きつけられ、肺の中の空気が一気に絞り出された。

 

 ……まずい。勝ち目が本格的に見えない。一端とはいえ、エイワスの力を振るう幻生さんなんて、上条さんと削板さんが二人がかりでも勝てるかどうか怪しいから、一刻も早く助太刀しないといけないのに……。

 肝心の俺達が、風斬さん相手に『負けない』ことしかできていない……。ど、どうすれば……、

 

 

裏第四位(アナザーフォー)!? クソっ……お前、ひょっとして僕のことを庇っているから最高スピードが出せてないんじゃないか!? いったん戦線を離れて僕を離脱させろ! そうすれば動きもよくなるだろ!」

 

 

 と、そこで背後の馬場さんが、そんなことを言った。

 

 

「今更命が惜しくて言っていると思うか!? こんな戦い見てれば、お前らが負ければ学園都市が丸ごと滅ぶことくらい分かっている! お前が勝たなきゃ、どの道僕も死ぬんだよ!! その為のお荷物になりたくない! 僕にも最善を尽くさせてくれ!!」

 

 

 …………馬場さんのその言葉で、俺は目が覚める思いだった。

 そうだ。これは、俺達が勝つか負けるかの問題じゃないんだ。俺達が負ければ、学園都市のみんなが死んでしまう。俺達の肩に、みんなの命が乗っかっているんだ。

 『負けるかも』なんてそんな甘っちょろいことを言ってる場合じゃないんだよな。

 

 

「……馬場、今まで悪かったですわね」

 

「(ほっ、ようやく解放してもらえる流れだ……。今から全ての機材を動員して学園都市から脱出すれば、なんとか命は助かるか……?)」

 

 

 ん? なんか『亀裂』の中で呟いてたような。

 しかしレイシアちゃんは気にせず、『亀裂』の中の馬場さんに呼び掛ける。

 

 

「正直、わたくし今までアナタのことを『学園都市なんてどうでもいいからとっとと逃げたい』って考えているものと思っていました」

 

「うぐっ!!」

 

「でも、違ったんですのね。アナタは確かに今までずっと、わたくし達よりもずっと広い視野で物事を見ていた。その上で、最善の道を選び続けてくれた。……無理やり巻き込んだにも拘わらず」

 

「いっ、いや、気にするな。確かに出会いは最悪だったが……。なんだかんだで、僕もたまにはヒーローの手助けができて、光栄だったというかね」

 

 

 ……うん。俺もそう思う。

 『小説』を読んだだけでは、分からなかった。たった一巻分の内容で全てを分かった気になっていたつもりは全くなかったけど、それでも……そこには描かれていなかった、馬場芳郎という少年の凄さを、嫌というほど感じた。

 思い返してみれば、彼が俺達のブレインとしてやってくれなきゃ、今頃俺達はあっけなくリタイヤしていただろう。

 そして今、こうして、一番大事な視点を俺達に提供してくれている。……彼はもう、行きがかりで強引に巻き込んだ協力者なんかじゃない。そんな部外者の枠に押し込んでいい人じゃない。

 

 

「だから、謝ったんですわ。()()

 

 

 

「ひょえ???」

 

 

 

「アナタに対して、『余計な負荷をかけるかも』なんて遠慮して……高速機動を抑えるなんて、そして『自分を離脱させろ』と言わせるなんて……このレイシア=ブラックガード、一生の不覚でしたわ」

 

「あ、いや、ちょ、」

 

 

 ……うん。俺も同じ気持ちだ、レイシアちゃん。

 ここまで一緒に頑張ってきた馬場さんに、道半ばでの離脱を提案させてしまう。それは、俺達の不甲斐なさが招いてしまったことだ。

 もう、そんな悲しいことは言わせない。俺達はその為に、全力を尽くすべきだ。

 

 だから。

 

 

「ここから先は、内臓が捩じれようと、コンマ一秒たりとも停止しませんわよ。わたくし達とアナタ、一緒に戦うのが────レイシア=ブラックガードの『最善』ですわ!!!!」

 

「あ゛あ゛あ゛ァァああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」

 

 

 高速機動を開始した瞬間……馬場さんの悲痛な叫びが聞こえてくる。

 ああ、確かに辛い。聞いているだけで速度を緩めたくなってしまう声だ。だが、そこで足を緩めるのは彼に対する最悪の侮辱。

 全力を尽くし──少しでも早く、この戦いを終わらせること。それが、俺達にできる最大限の彼への手助けだ!!!!

 

 

 


 

 

 

第二章 二者択一なんて選ばない PHASE-NEXT.

 

 

七〇話:特異点 Green_Eyes.

 

 

 


 

 

 

 高速機動を開始したことで、俺達の消耗は格段に軽減された。

 もちろん、高速機動によるGの負荷はじりじりと俺達の体力を削っている。だが、それでも風斬さんの攻撃の余波よりはずっとマシである。

 いずれは限界を迎えるし、後ろの馬場さんの体力の心配もある。長く続けることはできないが……それでも、チャンスは大きかった。

 

 

「あ、裏第四位(アナザーフォー)……少し、……聞け……」

 

 

 と、そこで息も絶え絶えな馬場さんの声が背後から聞こえてきた。

 

 

「馬場さん……どうしましたか? 何か気付いたことでも?」

 

「……ああ。……聞いてくれ。第三位と……例のバケモノで……動きに違いがあることに……気付いた……」

 

「なんですって?」

 

 

 美琴さんと……風斬さんの、動きの違い?

 よ、よく気付いたな馬場さん。そんな息も絶え絶えの状態で……。

 

 

「いいか。キツイから一度しか言わない。よく聞けよ。……バケモノの方は、さっきから……かなり滑らかな動きを……しているだろ? 木原幻生の……手の動きに応じて……正確に動いている」

 

 

 言われて、俺は肉体の操縦補佐を一端止めて、幻生さんの方を注視してみる。

 ……確かに、幻生さんの手の動きと風斬さんの手の動きは密接にリンクしているように見える。あの手の動きを見れば、攻撃の先読みすらできるんじゃないか? と思うほどに。

 まぁ、幻生さんのことだしそう思わせたあとで手の動きにフェイントを交えてきそうだから、対応できている現状は手の動きは無視した方がよさそうだけど。

 

 

「だが……第三位の方は……違う。彼女本来の動きがあって、その攻撃対象を捻じ曲げているような……そういう動きだ」

 

 

 言われて、改めて美琴さんや風斬さんを含めた盤面全体の動きを俯瞰してみる。

 ……確かに、風斬さんが幻生さんの指揮に合わせて、彼を守るような位置取りをしているのに対し、美琴さんはとりあえず撒き散らしている攻撃を幻生さん以外の誰かに反らしているような……そういう動きをしている印象を受ける。

 いやよく気付いたな。みんな自分が相対している敵をどうにかするのに精いっぱいで、そんなこと気付きもしなかったぞ。

 

 

「おそらく、第三位の方は……何らかの方法で洗脳されている……か、脳に……チップでも埋め込まれているのか……。幻生の指示……自体は、かなり間接的な方法……なんだ。それに対し、バケモノの方は……おそらくAIM的なラインが……形成されていて、それで操って……いるんじゃないか……?」

 

「……一理ありますわね」

 

 

 確か美琴さんは心理掌握(メンタルアウト)が効かないって設定があったと思うし、脳にチップもありえないから、何かしら別の事情だとは思うが……話としては、筋が通っていると思う。

 

 

「なら……そのAIM的なラインを……断ち切ることが……できれば。バケモノの動きを……止めることが……できるだろう」

 

「!」

 

「証拠も……ある。さっき……一時的に、バケモノの挙動が……停止していたことが……あっただろ? あれは……幻生の力が暴発したことで……発生した……爆発で……ラインが一時的に途切れて……命令が途絶えていたから……起きたんじゃないか」

 

 

 あり得る。

 だとすれば、AIMに直接干渉可能な俺達の『亀裂』は、風斬さんに対してのジョーカーになりえるんじゃないか!?

 風斬さんが停止すれば、俺がフリーになる。足場を形成できる俺が二人のサポートに回れれば、対幻生さん戦は今よりずっと楽になる! 勝利が圧倒的に近づく!

 

 

「(だから……早く……終わらせて…………死んじゃう…………)」

 

 

 で、でも……AIMに干渉可能な『亀裂』の展開には集中がいる。

 垣根さんに代わりにやってもらうか……?

 

 

「……チッ! バリバリバリバリとやかましいガキだな! 第二位と第三位の実力の開きってのはもっと大差なんじゃなかったのか!?」

 

 

 ……ちらと見てみると、垣根さんは上空で美琴さんの電撃を石化させて無力化していたが……こっちとスイッチするような余裕はなさそうだ。

 少しでも気を抜けば、垣根さんでも電撃の餌食になってしまうだろう。

 

 上条さんと削板さんも、二人がかりでなんとか幻生さんのプラチナのオーラを止めている状態。

 とてもじゃないが、風斬さんを足止めしてくれなんて言える状態じゃない。ならどうする? どうやって、足りない手数を補う……?

 

 

 

「オイオイ、なンだァこのザマはよォ」

 

 

 

 と。

 ビルの屋上から、嘲るような声が聞こえてきた。

 振り返るとそこには──白い髪に、真っ赤な瞳をした、白濁した最強。

 

 

「キマった顔した天使に、第三位モドキに、ピカピカオーラのジジイ。なンだなンだ。此処はコスプレ会場か?こンな時期からハロウィン気分ですかァ?」

 

 

 脱力しきったその佇まいは、この場で最も機械的な判断基準を持つ風斬さんにとっては、隙の塊に映ったのだろう。

 苦痛に歪み切った眼の中の無感情な瞳が、一方通行(アクセラレータ)さんに照準を合わせたのが分かった。

 

 

「……! ダメ! 一方通行(アクセラレータ)さん、避けて!!」

 

「……あァ?」

 

 

 ……一方通行(アクセラレータ)さんの首には、チョーカーが巻かれている。

 ってことはやはり、『小説』で描かれた通り、今の一方通行(アクセラレータ)さんは脳に損傷を負っているのだろう。そんな状況で、風斬さんの攻撃を食らったりしたら……!

 

 

「何喚いてやがる。この程度でこの街の『最強』に傷がつくかよ」

 

 

 パキィン!! と。

 

 そんな俺の危惧は、一発で粉砕されたんだけども。

 ……うん、そういえば『小説』でも天使になった風斬さんの攻撃を普通に反射してたっけ。なんか今までのノリで忘れてた……。恥ずかしい。

 

 

「オイオイ、金髪……忘れてンならオマエから思い出させてやってもイインだがな」

 

 

 学園都市第一位は首をコキりと鳴らしながら、

 

 

「俺の『反射』はこンな程度じゃ貫けねェ。……叩き潰せばイイ『木原幻生』ってのはソイツか」

 

「っ、待ってください!!」

 

 

 そこで俺は、一方通行(アクセラレータ)さんを呼び止めていた。

 ……この機を逃せば、もう風斬さんを解放するタイミングはやってこないだろう。今しか、ない!

 

 

「その前に、彼女を……殺さず足止めしてもらえませんか。そうすれば、彼女の動きを恒久的に止めることができる! 私の手を空けることができます!」

 

「そォかよ。ンで、それをやることで俺に何かメリットがあるか?」

 

 

 一言だった。

 交渉の余地もなく、一方通行(アクセラレータ)さんはそのまま跳躍しようと少し屈むような動きを見せた。

 

 

《……は? 何ですのコイツ! 共闘しにきたんじゃないんですの!? ナメてんじゃないですわよ!》

 

《レイシアちゃん。事実だから》

 

 

 ……確かに、一方通行(アクセラレータ)さんからしてみたら俺達はようやく超能力者(レベル5)になっただけの未熟な存在。役に立つかもわからないような連中を引き上げるより、足止めしている現状だけを評価して、自分は本丸に向かった方がいいのだろう。

 でも。

 

 

「わたくし、役に立ちますわ!」

 

 

 たとえ一方通行(アクセラレータ)さんが来たところで、幻生さん相手に勝てるとは限らない。

 可能性は、多いに越したことはない。だって、風斬さんを止めることで増えるコマは、俺達だけじゃない。

 

 

「わたくしには、優秀なブレインがついていますもの!」

 

「えぇ!?」

 

「……後ろのソイツは予想外ですって顔してるみたいだがよ」

 

「そこはご愛嬌ですわ。自己評価が低い方ですの」

 

 

 馬場さんの戦略眼は、この戦場の中でもやはり上位に食い込むと思う。

 彼の視点で幻生さんを見ることで、何らかの突破口が開けるかもしれない。そう考えたら、やはりなんとしても手を空かせる必要がある。

 それがきっと、最善の未来にも繋がる!

 

 

「………………、」

 

「………………、」

 

 

 視線を交わした時間は、多分コンマ一秒にも満たない。

 それでも俺の体感時間では、五秒くらいはたっぷり見つめ合っていたような気がする。そんな圧縮された時間の中で、一方通行(アクセラレータ)さんは溜息を吐いてこう言った。

 

 

「三秒だ。三秒だけくれてやる。それで片付かなかったら無視する」

 

「十分ですわ!!」

 

 

 言って、俺は構える。

 

 そして、先程の感覚を呼び覚ます。

 

 

「チッ、さっきからなンだこの妙なベクトルは? 反射は機能しているから能力によるものなのは間違いねェだろォが……」

 

 

 『亀裂』を一本の樹に見立てた場合、枝ではなく根を伸ばすような感覚。

 

 それだけを意識して、俺達は集中を研ぎ澄ませる。

 

 世界の全てが、耳から遠ざかっていく。

 

 

「ほう、一方通行(アクセラレータ)君か。……風斬君の制御を奪われるのは、ちょっと面倒臭いねー。少し干渉させてもらおうか」

 

「あァ? なンだクソジジイ。こっちはガキのお守りで忙、ごっぶがァァああッ!? この一撃は……!?」

 

 

 めりめりと。

 根が、何かの壁を突き抜けようとする感覚。

 

 それによって、何かが巻き込まれていく感覚。

 

 ──頭が熱くなってくる。

 ──目の奥がじんじんとしてくる。

 

 しかしそれは不思議と不快ではない。

 脳幹から後頭部へと突き抜けるような歯車の集合体をイメージする。その歯車の回転を、まるでパズルのように微調整する。

 

 ──熱はどんどん上がってくる。

 

 

「ほうほう。やはりこのベクトルは効かなかったようだねー。そして反射膜に風穴を開けることに成功した。あとはこの穴をこじ開けた状態のまま風斬君の攻撃が通れば──」

 

「──────!!!!」

 

 

 そして、右目の熱が最高潮に達した時。

 

 

「今だ!」

 

 

 ズドン!!!! と。

 幻生さんと風斬さんの間に、白黒の『亀裂』が発生した。

 時を同じくして、ブツンという何かが切断するような手ごたえを確かに感じ取った。

 

 

()()は……!?」

 

「……やりましたわ」

 

 

 即座に、暴風を使って風斬さんを遠くへ飛ばし、『亀裂』の箱を作って外部からの干渉を完全に遮断する。これで、風斬さんは誰にも操られることはない。

 …………狭いところに閉じ込めてごめん、風斬さん。これが終わったら、すぐに開放するから。

 

 

「………………その眼はなんだね、()()()()()()()。これが……これが、君の『プラン』だと言うのかい……!?」

 

 

 …………ん?

 

 眼???

 

 

 


 

 

 

 『人間』がいた。

 

 暗がりの中、まるで星空のようにモニターの明かりが点々と広がるその空間で、ビーカーの中に逆さ吊りとなった『人間』は笑う。

 

 その視線の先には、一人の少女がいた。

 白黒の『亀裂』を翼のように背負う少女の名は、レイシア=ブラックガード。

 

 学園都市暫定第四位。

 『白黒鋸刃(ジャギドエッジ)』の能力を持つ、中学二年生。

 『プラン』への影響率は〇・〇一%。アレイスターが押し進めている『メインプラン』においては捨て置いても問題ないとされている少女だ。

 

 ──だが、彼女は彼が押し進めている()()()()()については最重要人物とされている。

 

 臨神契約(ニアデスプロミス)

 

 例外候補(ボーナスプラン)

 

 たかが第四位の彼女がそんなプランの主要人物に置かれている理由。

 

 

「随分と──時間はかかったが」

 

 

 その理由の一端が、彼女の右眼に現れていた。

 

 レイシア=ブラックガードの蒼い瞳は今────鮮やかな、エメラルドグリーンに染まっていた。

 

 男にも女にも、老人にも子供にも、罪人にも聖人にも見える『人間』は、そのときばかりは『人間』らしい歓喜を笑みに満ち満ちとたたえて、そしてこう呟いた。

 奇しくも、かの老人が呟いたのと同じように。

 

 

 

「──()()()






【挿絵表示】

シレイシア&……?
画:かわウソさん(@kawauso_skin


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七一話:簒奪計画

都合により三人称視点では特に強調する意図がなければシレンとレイシアの呼称は『レイシア』で統一しています。


 状況は一変した。

 

 それまで戦場を支配していた木原幻生が、一歩下がる。そのたった一挙動で、法則が塗り替えられたことがその場の全員に伝わった。

 その特異点は、一人の少女だ。

 

 レイシア=ブラックガード。

 

 ほんの一瞬前まではこの場で最も凡庸だったはずの駒は、今や大きなうねりの中心となっていた。

 その原因は────右眼。

 

 アクアマリンのような輝きを持つレイシアの右眼は、今やエメラルドのような翠の輝きを秘めていた。

 同じ戦場にいる上条もまた、その異常を理解していた。

 

 

(右眼の色が、変わってる……? あの色、何かどこか、インデックスの目の色にも似てるような……)

 

 

 もしもこの場にシレンと同じく『小説』の知識を持つ者がいたら、その意味について思いを馳せることができただろう。

 インデックス、オッレルス、オティヌス、娘々、僧正、ネフテュス……『小説』において外見設定がなされている『魔神』、あるいはそれに近しい存在は、漏れなく『翠の眼』を持っている、という共通点に。

 

 卵が先か、鶏が先か。

 

 あるいはある一定の領域に到達した者は自然と『そう』なるのか。

 

 何にせよ──レイシア=ブラックガードはこの瞬間、己の力によって『資格』を得た。

 

 

「…………一つ、言っておきますが」

 

 

 レイシアは言葉を続けた。

 たったの一撃で風斬の呪縛を解き放っておきながら、それだけでは終わらないとばかりに。

 

 

()()()()()()

 

 

 その直後のことだった。

 レイシアが風斬と幻生の間を繋ぐラインを切断するのに使った『亀裂』。

 その軌道に沿うように、白くのっぺりとした物質が表出したのだ。そしてその物質は、そのまま重力に従って木原幻生を襲う。

 

 

「『残骸物質』」

 

 

 レイシアは言う。

 

 

「三次元の物質を切断すると、その断面は二次元になる。二次元の面を切断すればその断面は一次元に。同じように、三次元よりも高次の概念を切断すれば、その断面は『三次元』となる。……まぁ、アナタには説明するまでもないことですわね」

 

「……まさか、全次元切断というわけかね……?」

 

「それこそまさかですわ。学園都市中の人間の演算能力を借りればいざ知らず、わたくし個人では精々一一次元までの切断と、AIM拡散力場の切断が精々でしてよ」

 

 

 落下した残骸物質は極端な質量を持っているのか、ずぶずぶとアスファルトの中へ沈み込んでいく。科学サイドの現象とは思えない、現実離れした光景だった。……もっとも、確かにこの事象の『元ネタ』は、魔術の産物なのだが。

 

 

《……できるかもと思って試しにやってみたら、意外といけましたわね、残骸物質》

 

超能力(レベル5)ってすごいなぁ》

 

《シレン!! 現実逃避はほどほどに!!》

 

 

 あまりにトンデモな威力を自分が出力したことに少しばかりショックを覚えているらしいシレンはさておき、レイシアは今まで自分の身を守ってくれていた白い最強に意識を向ける。

 

 

一方通行(アクセラレータ)、無事ですか?」

 

「……ハッ、オマエなンぞに心配されるよォじゃ、最強の看板もいよいよ返上しなくちゃならねェかもな」

 

「喧嘩を売っているようならアナタから倒してさしあげてもよ、」

 

「ハイハイレイシアちゃんそこまでですわ。……それだけ減らず口が叩けるなら十分ですわね」

 

 

 さらりと流したシレンの横に、一方通行(アクセラレータ)が立つ。

 これで、この場に四人の超能力者(レベル5)と一人のイレギュラーが集結したことになる。

 形勢逆転。

 その言葉がふさわしい好調な流れの中で──レイシアとシレンは、異様なものを見ていた。

 

 

《これは……幻生さんの周りの、風景が……?》

 

 

 蜃気楼。

 あるいは、陽炎。

 

 右眼を通してみた時、幻生を中心として、風景が歪んで見えるのだ。

 まるで濁ったレンズ越しの風景が歪んで見えるように、幻生を中心とした『時間』そのものが歪んでいる。──青ざめた輝きのプラチナだの、超能力者(レベル5)の集合だの、明らかに『今この段階では発生し得ない事象』は無数に存在している。

 だが、それらは些末だとレイシアとシレンは直感した。

 これだ。

 この『歪み』。これこそが、全ての根源なのだ。

 

 

「…………なるほど」

 

 

 そして幻生もまた、判断は素早かった。

 

 

「アレイスター君が君を中心とした新設の『プラン』を進めている理由がよく分かったよ。──どうやら、この場において僕の天敵は幻想殺し(イマジンブレイカー)の上条君でも最大原石の削板君でもなく、君のようだねー」

 

 

 言葉の後に、変貌があった。

 ホログラムのように幻生の身体の表面がボロボロと崩れ落ち、そこに青ざめた輝きのプラチナが吸い寄せられるように入り込んでいく。

 人の形は失われた。

 白金のオーラは脈動と共に巨大化し、そして一つのシルエットを作り上げる。

 

 翼を持ち。

 

 四本の脚を持ち。

 

 そして巨大な顎を持つ。

 

 その姿は────

 

 

『見たまえ。どうやらこの肉体は変形機能も持ち合わせているようだねー』

 

 

 絶句。

 その場の誰もが言葉を失う中、その意味を前以て知っていたシレンとレイシアだけが、戦慄と共にその言葉を口にすることができた。

 

 幻生が変じたもの。

 それは一般には──

 

 

「あれは……、」「…………『ドラゴン』……!!」

 

 

 ──そう、呼ばれている。

 

 

 


 

 

 

第二章 二者択一なんて選ばない PHASE-NEXT.

 

 

七一話:簒奪計画 Operation_"SNEAK_DRAGON".

 

 

 


 

 

 

『何か勘違いしていたようだけどねー。風斬君を喪ったとしても、僕にはまだ御坂君がいるんだよ』

 

 

 ドラゴンと化した木原幻生は、その体躯に似つかわしくない穏やかな声色で、小さく身じろぎをした。

 たったそれだけで立っているのもやっとなほどの暴風が吹き荒れるが──さらにその上で、御坂美琴が動き出す。

 全身から紫電を迸らせ、まさしく『雷神』と化した美琴は、ぐりんと首を動かしてレイシアに狙いを定める。

 

 刹那。

 

 レイシアの眼前に、美琴が現れる。

 

 目で追うことすら不可能な高速だったが、しかしレイシアの表情に驚愕はなかった。

 ──その右目は、その前兆に繋がる『歪み』を見ていた。

 

 

「なるほど」

 

 

 無数の『亀裂』が翼のようにはためいた。

 直後、ゴッギィィィィン!!!! と、『亀裂』によって発生した残骸物質と美琴が激突した。

 通常であれば白黒の『亀裂』ですら破損していたであろう一撃に対しても、高次概念の『断塊』たる残骸物質は問題なく受け止める。正史において、天使長の力を振るっていた第二王女の手札となるほどの現象だったのだから、スケールとしては当然か。

 

 

「……言ってみれば、学園都市製の超能力それそのものが、『歪み』を用いたチカラ。観測の揺らぎによって世界を好きなように捻じ曲げているのだから、考えてみれば当たり前の話ですわね」

 

 

 さらに背後に回った美琴の一撃も、前以て展開されていた残骸物質が防ぐ。

 だが、圧倒的に速度で劣るレイシアが美琴の行動を事前に察知できているのは、美琴の──いや、学園都市製の能力の余波が読めるから、だけではない。

 レイシアの右眼は、それを見ていた。

 

 

「…………美琴の周辺にも、幻生と同じような『歪み』が……? ……この歪みが、美琴の現状を歪めている……ということですの……?」

 

『グオォォオオオオオオオオオオオッッ!!!!』

 

 

 思索を巡らせるレイシアだったが、幻生の方もただ手をこまねいているわけではない。

 大きく吼えると、幻生の周囲の空間から謎の結晶が凝結するように生み出された。氷とも水晶とも違う異次元の透明感を持つそれは、そのまま上条達目掛けて豪雨のように勢いよく降り注いでいく。

 

 

「うっ、おおォォおおおおッ!?」

 

 

 思わず右手で防ごうとした上条だったが、首の後ろにチリチリと嫌なものを感じて、転がるように飛び退く。

 ドンゾンザンバンズガン!!!! と、重低音が連続した。

 他の超能力者(レベル5)達も、上条とさして状況は変わらない。能力による迎撃は無謀と判断し、それぞれがそれぞれの能力を用いて回避行動をとっていた。

 

 

「これ……やっぱりだ。能力で打ち消せねえ」

 

 

 地面に突き立った水晶の槍の一つを右手で触ってみる上条だったが、やはりというべきか、上条の右手が触れても水晶は破壊されなかった。

 おそらく、これ自体が魔術の炎で焼かれた炭と同様の『結果』なのだろう。

 

 そこへ、『亀裂』の翼をはためかせながら、レイシアがやってくる。

 上条の前へ、盾となるように移動したレイシアは、振り向かずにこう言った。

 

 

「上条さん! フォローはわたくし達にお任せを。それよりも今は──本丸の幻生さんを叩く準備を! 全力でサポートしますから!」

 

「……ああ! 分かった!」

 

 

 上条も、その言葉を疑ったりはしない。

 これまでの経験から、彼女ほど自分の背中を預けるのに信頼できる人材は稀だと分かっているからだ。

 しかし幻生の方も、この期に及んで警戒深さを喪ってはいない。

 

 

『どうやらさっきから、能力とは別の面でブラックガード君は厄介な存在となっているようだねー。……彼我の火力差ではこちらに分がある。なら、こういう手も一興かな?』

 

 

 ゾバァ!!!! と。

 空気の津波が、戦場全域を撫でた。

 もしもレイシアが上条の前に陣取っていなければ、おそらく上条はそれだけで数十メートル以上も吹っ飛ばされていただろう。

 それだけの暴風を発しながら──

 

 

 ──『ドラゴン』が、空を飛んだ。

 

 天へと昇る流星のように、白金の輝きによって構成された悪竜は、高速で飛び上がっていく。──距離をとろうとしているのだ。

 原因不明だが、レイシアはこの戦場でただ一人、幻生の行動に伴う『歪み』を検知している。そして幻生は、木原としての本能でその『歪み』に干渉されることが致命傷になりうると察知していた。

 上条当麻の幻想殺し(イマジンブレイカー)も同じ役割を担いうるが、アレの場合は効力は右手の先にしか存在しない。その点でいえば、レイシアの方は効力も未知数。近づけるのはあまりにも危険だった。

 

 だから、距離をとればいい。

 

 何だかんだといっても戦力でいえば幻生の方に圧倒的に分があるのだ。距離をとって一方的に攻撃を加えていれば、いずれレイシアの方がスタミナ切れとなって勝手に墜ちる。

 身も蓋もないが──それゆえに、どうしようもない作戦。

 

 

「……ンで、それを俺が黙って見ているとでも?」

 

「上に坐し続けるってのも考えものだな。長く命の危機ってのを忘れていると、どうやら生存本能の正しい活かし方もさび付くらしい」

 

 

 それに追随する、二つの影。

 

 一方通行(アクセラレータ)未元物質(ダークマター)

 

 彼らは一切の逡巡もなく、幻生に追撃を開始した。

 

 

「チッ……第一位。邪魔するなよ。テメェもついでに潰すぞ」

 

「っつか、誰オマエ?」

 

「たった今優先順位が跳ね上がったぞコラ」

 

 

 互いに憎まれ口を叩きつつも、一方通行(アクセラレータ)は壁を蹴り背中に気流のブースターを発動させて『ドラゴン』の頭部に肉薄する。

 確かに、プラチナの輝きは彼の『反射』を貫いた。幻生の攻撃に対しては、学園都市最強ですら絶対の安全を手に入れられない。

 だが。

 

 

「弾ならそこら中にあるンだよなァ……『空気』とかよォ!」

 

 

 一方通行(アクセラレータ)の右掌の先に、気流が集中する。

 圧縮された空気は断熱圧縮によって熱を持ち、そしてプラズマを形成した。──かつての戦いから、さらに発展した戦闘法。

 あのときはプラズマの構成に全精力を懸ける必要があったが、戦いに慣れ、演算方法も確立した今となっては、この程度は片手間で可能となっていた。

 

 

「おしゃぶりだ。有難くしゃぶれよクソッたれ」

 

 

 ドゴア!!!! と、生み出されたプラズマが『ドラゴン』の口に叩き込まれる。爆発的な風が吹き荒れ、その顎が仰け反るが──しかし、破壊はない。

 代わりに、パキパキと周辺の虚空が結晶化するだけだった。──圧倒的な破壊を、何らかの方法で外部に逃がしているのだ。

 

 次に動いたのは垣根だった。

 

 虚空から生み出された結晶──その表面にいつの間にか、羽毛のようなものがびっしりと貼り付けられていた。幻生が攻撃を防御したのを見計らって、即座に仕込みを終えていたのだ。

 直後、羽毛はボバババババッ!!!! と爆裂し、そしてドラゴンの横腹に激突する。当然、この程度でドラゴンの外皮が破壊されるわけではないが──

 

 

『ゴオオォォアアアアアァァァアアアアアアアアアアアアッ!!!!』

 

 

 意外にも、ドラゴンの反応は過敏だった。

 幻生の意志とは関係ない。殆ど反射のように尾を振り、激突した結晶を叩き落とす。

 その様子を見て、垣根は静かに笑った。

 

 

「おっと、逆鱗に触れちまったか?」

 

 

 ──木原幻生は変身能力を持ち合わせているわけではない。

 ここまでの変貌は、AIMで自分の肉体の補完を行うことの延長線上でしかない。つまり、ドラゴンの中には今も木原幻生自体の生身の肉体がどこかに眠っているのだ。

 一方通行(アクセラレータ)はそのことを知らないが、戦場で最初から戦っていた垣根はそれを知っている。そして、その上でドラゴンの戦い方や様々な攻撃による余波の分析を行うことで、その位置についてある程度の推察を行うこともできた。

 

 

「完全な機械じゃねえなら生身の部分もあるんだろ? ドラゴンの巨躯で隠しちゃいるが……逆鱗を抉り抜いちまえば」

 

 

 竜とは本来、温厚な生き物といわれている。

 しかし逆さに生えた鱗に触れると、竜は激怒し、触れたものを殺す。

 

 さて、ここで一つ疑問が生まれる。

 

 何故温厚なはずの竜は、たった一枚逆さに生えた鱗を触れられるだけで烈火のごとく怒り狂うのか?

 

 

「その逆鱗の奥に隠れている竜の急所をぶち破ることができる。そうだよなあ!!」

 

 

 ドゴバババガガギン!! と。

 今度は、同時に四つの結晶が爆裂し、ドラゴンの横原に叩き込まれた。あの奥にあるらしき幻生の生身にも、その衝撃は届き──白金の煌きを帯びたドラゴンに確かなダメージを与える。

 

 ()()()()()

 

 

『……確かに生き物としてのドラゴンならその通りなんだけどねー。……生憎、これはただ「ドラゴンを模している」だけなんだよね。つまり──僕の肉体が一か所に留まっているとも限らないわけなんだよ』

 

 

 ドゴッッッ!!!! と。

 返す刀の尾の一撃を食らい、垣根が音速の数倍の速さで地面に叩き落される。

 続いて一方通行(アクセラレータ)にも────

 

 

「ほォ、で、その肉体の移動が俺に解析される可能性ってのは考えなかったのか?」

 

 

 一撃。

 垣根を超音速で叩き落した際の大気のベクトルを一か所に集中させた蹴りが、ドラゴンの身体をくの字に折り曲げる。

 

 

『ゴア………………ッ!?』

 

「急所を移動させるってのは大した発想だ。おそらくそれを利用して高速移動で生まれる臓器への負荷も軽減させてンだろォな。だが、それゆえに移動する速度ってのは肉体に負担をかけねェレベルにする必要がある。……それなら、移動のアルゴリズムなンざ手に取るよォに分かるンだよ」

 

 

 息つく暇も与えない。

 一方通行(アクセラレータ)はその間も動き続けるドラゴンの逆鱗の位置を正確に演算しながら、さらに追い詰めていく。

 さらなる一撃を前に、幻生は成す術もなく──

 

 

能力開錠(AIMバイオレータ)、適用完了』

 

 

 ボバッッッッ!!!! と、壮絶な音とともに一方通行(アクセラレータ)の一撃を受け止めた。

 

 

「な……!?」

 

「第一位! ボサっとしてんじゃねえ!! 死にてえのか!」

 

 

 想定外の事態に目を丸くして一瞬動きを止めた一方通行(アクセラレータ)を我に返らせたのは、下から戦線に復帰した垣根の言葉だった。

 間一髪のところでドラゴンの頭部による一撃を回避した一方通行(アクセラレータ)は、なんとかビルの壁面に着地して体勢を立て直す。

 

 戦線に復帰した垣根は、既に満身創痍に近かった。

 まだ高速機動は可能だろうが、それにしても全身のいたるところに擦過傷を帯び、頭から血を垂れ流した姿は頼もしさやたくましさよりは危うさの方を想起させる。

 

 それに何より──彼らの意識は、目の前のドラゴンの新たな変化に向けられていた。

 

 

『いやー、那由他は良い仕事をしてくれたよー』

 

 

 ドラゴンの翼は──変化していた。

 

 一つは、竜巻のような黒い翼。

 

 一つは、天使のような白い翼。

 

 蒼褪めた輝きのプラチナは、一瞬にして白黒の翼に変貌していた。

 

 

『AIM拡散力場を見て、触れる能力。「学園個人」のように自分だけの現実(パーソナルリアリティ)は捻じ曲げられないが、幻想御手(レベルアッパー)を適用させるバックドアを作るくらいならできるからねー』

 

 

 ──木原幻生の恐ろしさは、青ざめた輝きのプラチナにあるわけではない。

 むしろその本領は、その底なしの好奇心と、無限の応用力。

 たとえば──戦闘の際に木原那由他に対して幻想御手(レベルアッパー)を仕込むことで、その能力をわが物としたり。

 その能力で以て、垣根帝督や一方通行(アクセラレータ)の能力にバックドアを生み出し、そこから幻想御手(レベルアッパー)の術中に組み込んだり。

 

 

『今回の実験をやれば、必然的に一方通行(アクセラレータ)君は行動不能になるからねー。だから代わりに垣根君を招待して、第二候補(スぺアプラン)を使うことで「ドラゴン」の制御を安定化させるつもりだったんだけど……まさか、第一位と第二位の両方を扱うことができることになるとは!』

 

 

 これが。

 これこそが、木原幻生の完成形。

 

 ミサカネットワークを用いて、アレイスター秘蔵の『奥の手』を白日の下に晒し。

 

 そして、それを制御する為の『プラン』の駒を用いて、十全の働きを手に入れる。

 

 この街の王が大切に大切に進めていたものを、横取りする。

 

 

『見ているかい、アレイスター君』

 

 

 悪竜の口元が、笑みの形に歪む。

 それは、怪物の笑みではない。

 憎悪と、愉悦。

 『人間』らしい感情に満ち満ちた、『人間』の笑みだ。

 

 この街の全てを掌握した悪竜は、『人間』として、この街の王に純然たる勝利宣言を行う。

 

 

『君の……君の実験は! 今! 僕の掌の上にある!! ふ、ふは、ははははははは!!!!』



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七ニ話:総力戦 ①

 幻生の哄笑が、空いっぱいに響き渡る。

 

 悪竜であった。

 

 空をも覆いかねない巨大な翼をはためかせ、青ざめた輝きのプラチナめいた光を帯びた『ドラゴン』は、静かに世界を睥睨する。

 大勢は決していた。

 第一位と第二位の能力を手中に収め、配下には雷神と化した乙女。

 対するは、たった六人の少年少女。

 大人たちは早々に倒れ伏し、この街の闇ももはや彼を止めるには能わない。

 

 

『さて……目下の障害を排除したら、あとはじっくりとこの街を──アレイスター=クロウリーの成果物とやらを舐め回し、』

 

「何を、終わった気でいますの?」

 

 

 ──ただし、間髪はなかった。

 

 悪竜の哄笑が終わらないうちに、白黒の刃が閃く。稲妻のように走ったそれは、当然ながら不可視の『よくわからない力』によって相殺されるが──、

 

 

『………………、』

 

 

 幻生の笑いが、止まった。

 

 

「見えていますわよ」

 

 

 レイシア=ブラックガードは。

 金髪碧眼の令嬢は、エメラルドグリーンに染まった右眼で目の前の老人の所業を冷静に見ていた。

 

 

「アナタがどこまで力をつけようと、行った所業は変わりません。アナタは、逃げた。わたくしとの直接戦闘を避けて、持久戦でわたくし達をすり潰そうとした。それはいったい何故ですか?」

 

 

 レイシア=ブラックガードは、善人ではない。

 というと、語弊があるが──彼女の性根は、あくまで悪役令嬢(ヴィレイネス)。現在の彼女があるのは、シレンとの出会いがあり、彼の歩んできた道筋を見てきた経験があるからだ。

 本来の彼女の発想は、実はかなり悪人寄りである。これはシレンとの普段のやりとりでも遺憾なく発揮されているが──彼女が正しい道を歩めているのは、あくまで彼女が成長して己を律する術を手に入れ、正しい道へと己を進める信念を獲得したからにすぎない。

 

 そんな彼女だからこそ、解せなかった。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 この場に集っているのは──多少の差こそあれど、いわゆる『ヒーロー』と呼ばれる人種だ。

 上条当麻や削板軍覇は言うまでもなく、闇の人間である垣根帝督ですら、『誰かを守る為』に木原幻生の企みに立ち向かっている。

 そんな連中を倒すときに、もっとも合理的な選択は何か? 決まっている──『その誰かを狙うこと』だ。

 

 身も蓋もない。

 そんなことをすればお話がそもそも成り立たなくなる──そんな悪辣な発想だが、確かに木原幻生が合理的に彼らを潰したければ、まずはそうするはずなのだ。

 

 

「ですが、アナタはそうしなかった。いや──そうできなかった、というのが正しいかしら?」

 

 

 言葉の終わりまで待たず、幻生は標的を変更する。

 目の前の少女──彼女の推論に、確信を与えないために。

 

 

「だって、そうですものねえ。下手に歪みを拡大すれば──わたくしの手が届いてしまいますものねえ」

 

 

 レイシア=ブラックガードの目には、三次元の概念とは全く別種のレイヤーが見えていた。

 血まみれの窓の向こう側の景色が、どれほど絶景でも血にまみれたものになるように。

 世界というのは、ある種のフィルターを重ねるだけで、簡単に変貌する。

 

 これも、それと同じだ。

 だが──完全ではない。木原幻生は確かに世界にある種のフィルターを重ねているようだが、それは世界全体ではなかった。彼はそれを逆に利用し、レイシアや上条からは干渉できない範囲に展開して、盤面を制御しようとしている。

 レイシアは、そこに能力を伸ばして少し触れただけだ。

 

 

 ピシリ、と。

 

 悪竜の身体に、亀裂が走る。

 

 『亀裂』を完全に防いだはずだというのに、まるで攻撃を食らったダメージが遅れて反映されたみたいに、ボロボロと体の端から『力』が剥離していく。

 幻生はそこに慌てて力を注ぎ直して、崩壊を食い止めるが──これは異常事態だった。

 

 なぜなら、幻生の計画は完璧だったのだから。

 

 第一位に第二位の能力を使い、『ドラゴン』を制御する。その目論見は文句のつけどころなく達成され、もはや彼が制御を失敗することなど万に一つもあり得ないはずだったのに──

 俄かに混乱する幻生をよそに、白濁の最強はつまらなさそうに鼻を鳴らした。

 

 

「……よォやくか。遅せェンだっつの。だから言っただろォが。街を守るのは、オマエの仕事だって」

 

 

 ────一方通行(アクセラレータ)は、実は最初から『あるもの』を守りながら戦っていた。

 それは、瓦礫の中に埋もれていた。

 それは、とある少女を形作る一部だった。

 

 それは──木原那由他が戦闘の中で残していた、機体パーツだった。

 

 

「誰の研究だったっけなァ……サイボーグってのは、分離しても能力者の一部としてみなされて、『能力の噴出点』として機能するンだったか? ()()()()()()()()()()()

 

 

 ──AIM拡散力場を見て、触れる能力。

 その極致としての──『暴走の誘発』。

 

 もしもそれを、『ドラゴン』を制御している第一位と第二位の能力に適用させたら、どうなる?

 

 

 


 

 

 

能力開錠(AIMバイオレータ)、起動確認。……ったく、無茶苦茶言いやがるわねアンタ。戦闘で切り離した機体を能力の噴出点にしたい、なんて」

 

「…………あはは。慣れないことさせてごめんね、テレサお姉さん」

 

「ナメてんのかテメェ。このくらいなんでもないわよ」

 

「でも、私にもさ……意地があるんだよ」

 

 

 病室。

 誰が用意したのか、まるで特殊作戦部隊の本部のような物々しい機材に囲まれながら、金髪の少女は静かに笑った。

 彼女は、握った拳に視線を落としながら、さらに続ける。

 受け取った宝物の価値を反芻するかのように。

 

 

「この街を守るのは、私の仕事。……ううん、()()()()なんだ。たとえ今は、目指す頂に届かなくても」

 

「…………、……けっ。前言撤回。慣れないことはするもんじゃないわね」

 

 

 


 

 

 

第二章 二者択一なんて選ばない PHASE-NEXT.

 

 

七ニ話:総力戦 ① Side:Inherit_And_5th.

 

 

 


 

 

 

『馬鹿な……!? 今まで、「それ」を守って戦っていたというのかい……!?』

 

「確かによォ」

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は、気怠そうに首を動かす。

 電極を貼り付け、外部演算によってようやく言語機能を取り戻したその姿は、率直に言って痛々しい。それでも彼は二本の足で立ち、悪竜と対峙する。

 

 

「俺はもォこのザマだ。オマエの策略で二万人のクローンどものバックアップもなくて、『木原』の申し訳程度の演算補助しかねェ。本調子の五〇%ってトコか? ホント、我ながら笑えてくるくらい見るも無残だな」

 

 

 くつくつと笑いながら、それでも一方通行(アクセラレータ)の目は死んでいない。

 

 

「だが……オマエ相手に『誰かを守りながら戦う』なンざ、ヒーローじゃねェ俺でもそォ難しくはなかったぜ」

 

 

 これは、当然の帰結。

 

 一方通行(アクセラレータ)は最初から木原那由他の介入を見越し、そうなるように盤面を制御しながら戦っていただけ。

 そこにイレギュラーや未知の技術の介在などはなく──どこまでも『当たり前の流れ』で説明できた。

 

 

『…………アレイ、スター』

 

 

 だからこそ──余計に、木原幻生の心に深い屈辱を与えた。

 

 レイシア=ブラックガードに触れられた直後。

 そこから、急速に流れが変わった。まるで、物語の筋書きが書き換えられたかのように──偶然とか事故とか、そんな曖昧なものではない。もっと大きな──『世界の流れ』そのものが、()()()()

 本来あるべき姿に──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

『これもお前の掌の上か……アレイスター=クロウリーィィいいいいいいいッッ!!!!』

 

「テメェ、吼える相手を間違ってるぜ」

 

 

 ふと。

 その声でようやく、その場の全員が気付いた。

 

 巨大な悪竜の頭の上に──男が一人いる。

 

 そいつは、金髪を逆立てた、刺青の男だった。

 黒いシャツの上に白衣を身に纏ったその容貌は、どう控えめに言ってもチンピラ──最大限に譲歩しても、悪の科学者といったところが精々だろう。

 

 なのに。

 

 にも拘わらず。

 

 

「ひでェよなぁ。親戚のガキどもが頑張って頑張って街を守ろうとしてるってのに、じいさんの方がそれを台無しにしようってんだからよぉ」

 

 

 悪竜にたった一人で立ち向かうその姿は、どこか勇者のようですらあった。

 

 

「さて問題です。木原数多は──超能力者(レベル5)が束になってようやく相手になってるレベルのバケモノ相手に、何を勝算にして殴り込みをかけたのでしょーォうかァ!? 制限時間は三秒!! ──さんにーいちはい終了!」

 

 

 ゾザン!! と。

 悪竜の頭部が、何かの一撃を受けて大きくぶれる。

 

 

『──なる、ほど……ねー。AIMジャマー……相似が残した科学を、病理の科学で利用し……那由他の科学を再現した……というわけ、だ』

 

 

 木原数多の戦闘能力の中で特に際立っているのは、その精密性だと思われがちである。

 木原円周などは彼の科学の本質を『金槌レベルの破壊力を電子顕微鏡レベルで制御したもの』と称していた。確かに、彼は一方通行(アクセラレータ)のベクトル操作をホイッスルの一吹きで無力化し、難攻不落の反射をただ一人だけ『人の力』のみで突破している。

 その精密性が彼の強みという推測は、分析としては正しいだろう。

 

 だが──それが本質と考えるのは、間違いだ。

 

 科学者としての彼の最大のトロフィー。それは──一方通行(アクセラレータ)の攻略ではない。

 ()()()()()()()()()──言い換えれば、教育。木原数多最大の功績といえば、まず間違いなくそれだろう。

 そもそも、彼の扱っていた反射の突破法も、もとはと言えば木原唯一が使っていた戦闘法のデッドコピーでしかない。

 

 ──これは意外かもしれないが、木原数多は一族の中でも特に同族との関わりが多い。

 

 木原相似は言うに及ばず。

 木原那由他は彼の薫陶を受けて戦闘技術を磨いた経歴があり。

 木原乱数も、露骨に彼の影響を受けた出で立ちをしている。

 木原円周もまた、彼の思考パターンを最も頻繁に利用していた。

 

 それは、彼が己の技術を他者に伝えることを厭わなかった結果と考えられる。

 といっても、別に彼が実は心優しい人間で、慈善の為に誰かと関わっていたというわけではないはずだ。であれば──それこそが、彼の『木原』の本質だったと考えるのが自然であろう。

 

 木原唯一の技術を模倣し。

 

 一方通行(アクセラレータ)の能力を開発し。

 

 木原一族に知識を広める。

 

 そんな彼の本質。

 

 それは────、

 

 

「相似。病理。…………きちんと『継承』しといてやったぜ」

 

 

 『継承』を司る『木原』。

 

 それが、木原数多の本質である。

 

 

『ただし……AIMジャマーがいまさら僕に効くと思っているのかねー? 先ほどは那由他の能力によって乱されたけど、対策はもう終わっている。この程度では、精々能力一つを妨害する程度が限界だろう。到底、「ドラゴン」を崩すことなんて、』

 

「誰が悪竜退治をしようとしているなんて言った?」

 

 

 さっさと『ドラゴン』から飛び降りた木原数多は、仕事が終わったとばかりに一息つく。

 コンコンと頭を叩く木原数多の右眼に、一瞬だけ十字のきらめきが浮かび上がり──そして掻き消えた。

 

 

「この期に及んで何も分かってねぇなロートル。俺が狙っていたのは多才能力(マルチスキル)によるネットワーク全体じゃねぇ。…………テメェが使っていた心理掌握(メンタルアウト)の制御だよ」

 

 

 


 

 

 

「よくできましたぁ☆ ……正直木原の頭なんて怖くて覗きたくもないから、誘導力に乗ってくれるかは賭けだったけどぉ……なんとか上手くいったみたいねぇ」

 

 

 


 

 

 

『ば、かな……!? 食蜂君!? 彼女は僕と激突して、あっさりと脱落したはず──』

 

「そう思わせるところまでが、彼女の渾身の策だったというだけでしょう? あの女が考えそうなことですわ」

 

 

 吐き捨てるように、レイシアが言った。

 

 この場の誰も、知る由もないことだが──正史において、食蜂操祈は己の敗北すらも織り込んだ策を練っている実績がある。

 確かに、彼女は思考の読み合いを能力に頼り続けていたため、戦闘における手腕については他の超能力者(レベル5)に比べて一段劣ると言わざるを得ない。

 だが、それが彼女の力量を決定づけるわけではない。

 彼女は、己の弱さを知っている。

 だからこそ、勝つことしか考えていない者の足をすくうことだってできる。

 

 

「アナタから心理掌握(メンタルアウト)の制御が外れたとなれば──美琴の制御は、どこかにいるアナタの協力者頼み、ということになりますわね? まあもっとも──」

 

 

 ガグン!! と。

 

 そこで、美琴の動きが停止する。

 まるで、糸を断ち切られた操り人形のように。

 

 

「その点については、美琴には腹立たしくなるくらい優秀な相棒がいることですし、心配は要りませんわね」

 

 

 


 

 

 

 ──泥沼の中にいるようだった。

 

 ふと気づいた美琴の感覚を説明するなら、そう表現するのが最も適切だろう。

 何かの支配が解けたらしく、美琴は正常な思考ができるようになったが……しかしそれでも、彼女を覆う『何か』は消えない。おそらく、力の元栓のようなものを締めない限りはなくならないのだろう。

 しかも、一番大きな支配については消えたようだが、それでもまだこびりつくように残っているサブの支配自体は動き続けていた。

 

 

『ねぇねぇ、この街。壊しちゃおうよ。辛いこと、腹立たしいこと、いっぱい見てきたんでショ?』

 

 

 声がした。

 毒々しい色合いのナースのコスプレをした少女だ。年の頃は高校生くらいだろうか。美琴よりも少し年上の彼女の瞳は、まるでこの街の闇をそのまま映したみたいにどす黒い淀みを帯びていた。

 不思議と、その声に従ってもいいような、そんな気持ちになっていく。取り戻した自意識が、だんだんと流されていくその刹那──、

 

 

『はぁん? 随分と流されやすいのねぇ? 御坂さんはぁ』

 

 

 意識が。

 引き戻された。

 

 

 振り返ると、そこには蜂蜜色の髪の少女が、イヤミったらしい笑みを浮かべていた。

 その瞳に、十字の輝きが煌く。

 

 

「……何よ。私今、それどころじゃないんだけど」

 

『それどころじゃないから、何ぃ? 冷静に考えれば穴だらけの誘導に見て見ぬふりで乗っかって、癇癪力を正当化でもするつもりぃ? はぁ。御坂さんってばちょーっと見ないうちに頑固力弱くなりすぎなんだゾ。そんなんじゃあ──』

 

 

 ピシリ、と。

 そこで、真っ暗闇の空間に亀裂が走る。

 亀裂の向こう側の外の景色では──ツンツン頭の少年に寄り添うように、白黒の刃を振るう少女が佇んでいた。

 

 

『あの雌狐に、大切な「あの人」を取られちゃうゾ?』

 

「なっ、ばっ──!! 私は別に! アイツのことなんて……!!」

 

『ちょ、ちょ……? そんなことよりもさ、この街への憎しみを……、』

 

「ちょっと黙ってろ今それどころじゃねぇんだよ!!」

 

 

 なおも汚泥を帯びながら美琴を引きずり込もうとするナース服の少女を電撃で蹴散らし、美琴はふうと一息入れる。

 何故だかいつの間にか、心を覆っていた闇は殆ど払われていた。

 

 

『(……ふん。幻想御手(レベルアッパー)だかなんだか知らないけどぉ、あの妖怪力満載のジジイさえいなければ、能力の扱いで私が劣るわけがないのよねぇ)』

 

「でも、どうすんのよ。支配の方は振り払えたけど、根本の原因が解除されない限り私はこのままよ。っていうか、下手に動けば暴走しそうな気配もするし……」

 

『そこについては、心配要らないわぁ』

 

 

 真顔になって、真っ当な懸念を提示する美琴に、食蜂は不敵に笑いながら答えた。

 ドレスグローブに覆われた細く白い人差し指を立てながら、彼女は信じられない言葉を続ける。

 

 

()()()()()()()()()()()()

 

 

 木原幻生。

 狂った科学者の計画による、本来得てはならない力。

 肉体の制御を取り戻したなら、真っ先に捨て去るべき力を──彼女は、逆に利用すると言った。

 

 

「乗った」

 

 

 対する美琴は、一瞬の逡巡もなかった。

 元より彼女は力の獲得に貪欲な性質である。亀裂の向こう側に君臨している悪竜を退治する為に使えるのならば──それに何より、この状況を築き上げた黒幕に対する意趣返しになるのなら。

 

 

「アンタは気に入らないけれど──ぶっちゃけ、やられっぱなしは私の性分じゃないのよね」

 

『知ってるわぁ☆』

 

 

 精神世界にて、二人の超能力者(レベル5)が並び立つ。

 

 

『さあ、雌狐。アナタの独壇場は、ここで終わり。この先は────』

 

「『私達』も、()()するわよ!!」



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七三話:総力戦 ②

 閃光が瞬いた。

 

 彼女達の『参戦』を目で追えたのが、果たしてその場に何人いただろうか。

 

 

「み……御坂……なのか……?」

 

『あーあー。……なんか変な感じね。これちゃんと私の声聞こえてるのかしら?』

 

 

 糸の切れた操り人形のような急停止は束の間。

 美琴は、次の瞬間にはレイシアと上条の間に割って入るような位置取りに移動していた。もちろん、他意はありありである。

 

 その姿は、やはり平常時のものからはかけ離れている。

 雷光で淡く輝く全身、額から伸びる雷神の連鼓(つれつづみ)のような触角。黒く染まった中に光の灯る眼窩は、ぱっと見ただけでは理性の色があることを認めるのも至難だろう。

 そんな状態で、しかし美琴は美琴として、この戦場に立っていた。

 

 

「美琴さん……その様子だと、幻生さんのコントロールからは外れているようですわね」

 

『お陰様でね。……ったく、我ながら不覚をとったわ。でももう大丈夫。食蜂のサポートもあって、この形態を維持したまま戦えそうだから』

 

「ほぉ! 操られてるとは根性がねぇと思ってたが……前言撤回だ! あの鎖を引きちぎって自分の意志を押し通すなんて、大した根性だな、嬢ちゃん!!」

 

『アンタ、確かこの前の……、ええい! 今はそれどころじゃないわ! とにかく、あのドラゴンみたいな幻生を倒すってことでいいのよね!?』

 

「話が早くて助かりますわ!」

 

 

 四人が一か所に集まり態勢を整えた、ちょうどその時。

 

 『ドラゴン』が周囲に衝撃波を放ち、それによって一方通行(アクセラレータ)と垣根が勢いよく吹っ飛ばされる。

 

 

一方通行(アクセラレータ)さん!?」

 

「アイツは大丈夫だ、シレン。それよりあの爺さんを止めないと!」

 

 

 はっきりと断言した上条は、そのまま『ドラゴン』に向かって走っていく。

 驚愕したのはレイシアの方だ。今までも要所要所で『ドラゴン』の攻撃を右手で捻じ曲げて防御に貢献してきた上条ではあるが、攻撃にまで回せるほど幻想殺し(イマジンブレイカー)のスペックは高くない。

 むしろ、幻生は己の『歪み』を右手で打ち消されるのを警戒して彼を遠ざけており、そちらの方で効果が出ていたのだが……。

 

 

「上条さん! 待ってくださいまし! 相手は空にいるんですのよ!? どうやって……、……ああもう、そういうことですか!」

 

 

 一瞬で意を汲んだレイシアは、上条の眼前から『亀裂』による道を作っていく。幻生に動きを読まれないように、上条の足先までしか発現しないようにするオマケつきでだ。

 こうすれば、上条も幻生のもとへと到達することができる。

 ──だが、幻生もただ棒立ちでそれを見ているわけではない。

 

 

『上条君の一撃は、今の僕にはちょっと未知数すぎるからねー。試してみたい気持ちもあるけど、ここは分かりやすく妨害させてもらおう!』

 

『させると、思う?』

 

 

 幻生が咆哮と共に光の息吹を叩きつけたと同時、美琴が翳した手から光の柱が撃ち出された。

 ゴッギィィィイイイン!!!! と凄絶な音を立て、二つの光が衝突する。その威力は、完全に拮抗していた。

 

 

『こちとら、アンタにいいように使われるわ仕方がないとはいえあの女に精神への干渉を許すわでフラストレーション溜まりっぱなしなのよ……! いい加減、発散させてもらうからね!!』

 

『…………? おかしいねー? スペックシート的に、「ドラゴン」の出力であれば今の御坂君程度なら拮抗などありえないはず……?』

 

「ハッ、これだから科学者って生き物は笑えるよなァ」

 

 

 そこに、戻ってきた一方通行(アクセラレータ)が言う。

 全身に擦過傷を負いながらも、一方通行(アクセラレータ)の足取りはまだ確かだった。

 

 

「オマエ、どォして自分が常に最大スペックを発揮できるとか思っちゃってンの?」

 

 

 それは、様々な理由から常に『最大スペック』を発揮できない一方通行(アクセラレータ)だからこそ第一に分かることだったのかもしれない。

 

 

「確かに、オマエが引き出したチカラってのは凄げェのかもしれねェ。この俺の反射を貫通するよォなモンだしな。だが、それだけに取り扱いの難しさはそこらのエネルギーなンか比じゃねェはずだ」

 

 

 だからこそ、幻生は第二候補(スぺアプラン)第一候補(メインプラン)を使ってエネルギーの制御をしようとしていたのだから。

 それらが破られ、さらにエネルギーの召喚に使っていた御坂美琴まで手元を離れて──それで今まで通りの運用ができるはずもない。

 

 

「あと、その無能力者(レベル0)に気を取られてるよォじゃ、寿命が縮むぞ? おじいちゃン」

 

「すッッッッッごォォォおおおおおおい…………パァァあああああああああああああンチッッッッ!!!!!」

 

 

 ズッドォオッッ!! と。

 『ドラゴン』の腹を下から突き破るような衝撃が、突如発生した。削板が音速を超えて『ドラゴン』の下に回り込み、そしてアッパーを叩きこんだのだ。

 たったそれだけの一撃で、巨大な『ドラゴン』の身体がくの字に折れ曲がり、

 

 

『やっほー爺さん。よくも私のことを散々好き勝手利用してくれたわね』

 

 

 そして目の前では、雷神と化した少女が不釣り合いなほど可愛らしい動きで手を振っていた。

 

 一閃。

 

 一瞬にして磁化した瓦礫が圧縮して生まれた超硬度の槍が、『ドラゴン』の脳天を串刺しにした。

 さらに、美琴の一撃はそれでは終わらない。頭部から突き出た、鋭い槍──それが避雷針の役割を果たし、さらなる一撃を呼び込む。

 

 

『そんでコイツは……ついでに、あの女の分ってことにしといてやるわ』

 

 

 音が消えた。

 光が消えた。

 

 上条が一瞬足を止めて目を覆うほどの光量が収まった時、『ドラゴン』の頭は地面に発生した巨大な穴の中に埋もれていた。

 幻生の、動きが止まる。

 どうやら、先程の電気が『ドラゴン』の体内のどこかにいる幻生にも影響を及ぼしたらしかった。これ幸いと、上条はさらに『ドラゴン』に向かって駆け寄り──

 

 

「ッ、あと、もう少し────!!!!」

 

 

 

『グオオオオオアァァァアアアアアアッッ!!!!』

 

 

 ──それは、『ドラゴン』としての機構が備えた雄叫びか。

 あるいは、幻生本人の苦悩の表れか。

 

 大地を震わせる絶叫と共に、『ドラゴン』にさらなる変化が現れた。

 巨大なドラゴンがめきめきとひび割れ、そして粉々に砕け散ったのだ。

 

 

「おおっ!? 自爆か!?」

 

「違いますわ! アレは────分裂しています!!」

 

 

 浮足立つ削板を制するように、レイシアが言った。

 その言葉通り、砕け散った破片たちはそれぞれが『ドラゴン』となり、飛散していく。

 

 

「分裂して……逃げようとしてるってのか……?」

 

「いや……それ以上ですわ、これは……!!」

 

 

 レイシアは呻きながら、空を覆い尽くす小さな『ドラゴン』の群れを見上げる。

 その大多数は、やはりレイシアの眼から見れば『歪み』を備えている。察するに、アレらもレイシアが干渉すれば()()()()()()()消滅する。だが、それらは末端でしかない。幻生という核は、末端からは分離されているがゆえに、『歪み』が消滅しないのでは? ──レイシアには、そんな懸念があった。

 

 そしてもし、そのレイシアの懸念が正しいのであれば。

 

 分裂は、この上なく有効だと言えるだろう。

 何せ、『ドラゴン』の力自体は一方通行(アクセラレータ)だろうと未元物質(ダークマター)だろうと問答無用で叩き潰せるほどの出力を持っているのだ。

 今までは個体が一つしかなかったからなんとか相手に防戦を強いることができていたが、群体となってこちらの手数が減れば、当然徐々に削られていくのはこちらの方になる。

 

 だが。

 

 幻生の『悪意』は、それだけに留まらない。

 

 

 ドバガッゴォォオン!!!! と。

 

 分裂した『ドラゴン』達は、手当たり次第に周辺の建物を破壊しはじめたのだ。

 

 

「なっ……!?」

 

 

 それは、奇しくもレイシアが先ほど言ったことの再現。

 ……守るべきモノがあるヒーローを叩き潰すのであれば、周りを破壊するのが一番手っ取り早い。 

 無数に分裂したことで手に入れた手数を、そのまま余さず都市に向ければ──ヒーロー達は、その力を守りに費やさざるを得なくなる。もちろんレイシアとの接触──つまり『歪み』の均一化も齎すことになるが、分裂によってその影響は軽減されている。

 幻生の中で、『歪み』が完全に均されるよりも、レイシア達を削り切る方が早いという計算結果が出たのだろう。

 

 

「ハッ、くっだらねえ。まさかこの期に及んで俺がヒーロー扱いされてるとはな」

 

 

 その中で、ただ一人突出した人間がいた。

 

 三対の白翼を背負った少年──垣根帝督。

 

 

「ついにヤキが回ったか。此処は第二学区だぞ? お前が暴走させた第三位の落雷の影響で周辺の避難は完了しているし、そもそも此処に俺達のアキレス腱はねえ。それとも何か? 此処から遠距離精密狙撃でも決めてみるか? その分裂でパワーダウンした身体で?」

 

『ヒョホホ、分裂によって狙っているのは、別に君の大切なモノじゃあないんだよ。垣根君』

 

 

 『ドラゴン』から、老人の音声がバラバラに響く。

 

 

『第二学区。警備員(アンチスキル)風紀委員(ジャッジメント)の訓練場、爆発物や兵器の試験場があるこの学区だが……少年院には収容できない、()()()()()()()()()()()()()()()()留置所があることを知っているかねー?』

 

「あ? いきなり何を言って……、」

 

『分裂は目くらまし。そういう話を、しているんだよ?』

 

 

 遠い場所で、爆裂が発生した。

 

 しかし、その爆裂の影響はヒーロー達には及ばない。全くの見当違いの建物のビルの側面を、僅かに破砕したにすぎなかった。

 精々、破壊の程度もビルの外壁が壊れて内部が覗いただけ。アレではたとえ中に人がいたとしても、よほどのことがない限り死亡はしないだろう。……怪我はするかもしれないが。

 

 ただし。

 

 レイシア=ブラックガードに与えた衝撃は極めて甚大だった。

 

 

「あ、そこは…………ッ!?」

 

 

 第二学区には、外部の政治犯が一時的に収容される留置所が存在する。

 そして当然、政治犯として収容されるような犯罪者は誰であれ外部には逃がしたくないのが学園都市としての本音。──即ち、避難誘導などされるはずもない。

 さらに。

 

 

『此処に一時収容されるような重大な政治犯は、「脱走されるくらいなら殺してしまえ」というのが学園都市の見解でねー。僕の記憶が正しければ、施設が破壊されれば、収容犯を殺害する防衛プログラムがセッティングされていたはずなんだけどねー? さて……ブラックガード君──いや、シレン君。()()()()()()()()()()()()()()?』

 

 

 言葉の終わりを待つまでもなかった。

 話していく傍から、破壊されたビルへどこからともなく『六枚羽』だのといったUAVが殺到していく。

 もはや、レイシアに選択の余地など存在していなかった。

 

 

「木原……幻生ェェええええええええええええええッッ!!!!」

 

 

 叫ぶが、レイシアに取れる行動など一つしかない。

 白と黒の翼が躍動し、そして彼女は音速を超えてビルへと疾走した。

 

 

「おい! 何しているんだレイシア=ブラックガード! 今はそんなクズどものことなんかどうでもいいだろう!」

 

「どうでもよくなんかありませんわ!」

 

 

 レイシアは、馬場の言葉に即答した。

 いや、これは、シレンの言葉だった。

 

 

「あそこには……塗替がいます。わたくしが糾弾したことによって、政治犯として収容された男が」

 

「ああ……。お前の元婚約者だったか? それがどうした? 僕もその話は聞いているが、お前がソイツを助ける理由なんか一つもないだろ。放っておけよ。ああいう手合いは刑期を終えて出てきたらどんな逆恨みをするか分かったものじゃないぞ」

 

「それでもです」

 

 

 シレンは、静かに言い切った。

 

 助ける理由がない。それは確かにその通りだ。むしろ、シレンから──レイシアからすれば、見捨てる理由は枚挙に暇がない。感情的にも、利害計算的にも、塗替斧令は致命的なまでにレイシア=ブラックガードと敵対してしまっている。

 

 

「ずっと、考えていました。こんなことになってしまったけれど、引き金を引いたわたくしが言えた義理ではないのかもしれないけれど。……それでも、本当に、あの結末で『終わり』にしてしまってよいのかと」

 

 

 塗替斧令のこの末路は、『当然の報い』だ。

 

 もしも違法行為に手を染めず、当たり前の範疇で話を進めていれば、今頃笑っていたのは彼の方だったはずなのだ。

 にも拘らず、彼はそこで違法行為という道を選んだ。そうまでして、己をコケにしたレイシア=ブラックガードの人生に傷をつけてやろうとした。

 だから、彼は当たり前の話の流れで政治犯として捕まり、そして今、こうして大きな陰謀の中で殺されようとしている。

 人の人生を、己のプライドの為だけに踏みつけにするような行為。そしてその有様を見て、留飲を下ろそうという性根。どれをとっても、確かに邪悪だろう。救いようがないだろう。軽蔑に値する人間性だろう。

 

 だから、これは『当然』の報いだ。

 

 

 …………本当に?

 

 

 犯罪者として逮捕されるのは、しょうがない。起こした犯罪については間違いなく塗替の責任だし、それを否定するのもそれはそれで間違っている気がする。

 でも、だったら罪人は絶対に手を差し伸べられてはいけないのか? 社会的にも精神的にも、本当の本当にズタボロになるところまで、世界の誰からも憎まれていないといけないのか? こんな風に誰かの策略で、虫けらみたいに殺されそうになっているところで──当然の報いだと嘲笑われないといけないのか?

 

 

 それは、違うだろう。

 

 

 それを、証明したはずではなかったのか。

 

 レイシア=ブラックガードの再起とは、そもそもそういう物語ではなかったのか。

 

 自業自得によって心が折れてしまった少女に、もう一度希望を魅せる。そういう物語の末に、今の二人の道があるのではないか。

 

 なら、この世の誰が塗替斧令を見捨てようと、『彼女』だけはその道を選んではいけない。

 今まさに世界中の誰からも見捨てられている『悪役』を、レイシア=ブラックガードだけは見捨ててはいけない。

 

 

「どのツラを下げてと罵られるかもしれないですけれど、全部終わったら、もう一度彼と話をしたいと思っていましたの。自己満足にしかならないかもしれないですけれど……それでも」

 

 

 だからこそ。

 

 

「──シレンの甘ちゃん具合にはほとほと呆れますが、わたくしにとってもこれを見捨てるのは『ナシ』ですわ。さ、馬場。答えなさい。何秒以内なら許容範囲です?」

 

「……チッ! なんだよ結局どっちもクソったれの甘ちゃん野郎じゃねえか! 一二〇秒だ! それ以上経てば向こうの戦況も無視できない状態になると思えよ!」

 

「十分! それに、アテならありましてよ!」

 

 

 レイシア=ブラックガードの、『再起』の物語は終わった。

 

 だが、『再起』した彼女の物語は、まだ続いている。

 

 同じ物語を歩むかもしれない『後輩』の為ならば──一肌脱ぐのは、『当然』のことだ。

 

 

 


 

 

 

第二章 二者択一なんて選ばない PHASE-NEXT.

 

 

七ニ話:総力戦 ② "Are_You_Sure?"

 

 

 


 

 

 

 

 

 

《シレンは、もしもわたくしが本当にどうしようもない、最低最悪の女だったら……どうしていましたか?》

 

 

《わたくしは、シレンに救われましたわ。でもそれは、シレンの言葉を受け取れるくらい、わたくしに救いようがあったからだとも思っています。もしもわたくしがシレンの言うことに耳を貸さない、本当の意味で最悪な人間だったら……》

 

 

 もしも。

 

 ──もしも、手を差し伸べるだけでは、絶対に救えない者がいたならば?



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七四話:総力戦 ③

「さあ、行きますわよ!」

 

 

 UAVを抜き去りながら、ビルの中へと侵入すると──そこは既に地獄絵図と化していた。

 ビルとは名ばかりの犯罪者収容施設だけあり、内部は一見すると監獄と見分けがつかないくらいに武骨な作りになっていたが、その一角が完全に破砕していたのだ。

 内部に学園都市製の機械が侵入した後なのか、そこかしこに単なる衝撃以外の破壊の痕が見受けられる。

 そして、当然機械の照準はレイシアという乱入者にも向けられた。

 

 銃口のようなモノを向けた機械群を見て構えるレイシアだったが──しかし、次の瞬間襲ってきた攻撃は、レイシアのあらゆる予想から外れたものだった。

 

 ゾザン!! と。

 

 水飛沫のようなものを上げて、室内の床に『亀裂』が走ったのだ。

 

 

《なあるほど。わたくしの能力の機械再現ということでしょうか? 見た感じ……アレはウォーターカッターの類かしら?》

 

《流石に分子間力の直接操作は難しかったみたいだね》

 

 

 悪趣味ではあるが──しかし、この程度の『亀裂』などレイシアにとっては釈迦に説法もいいところ。

 すいと振るった右手の動きによって生まれた『亀裂』で、まがい物の『亀裂』は一瞬にして止められた。

 

 そして。

 

 

「邪魔ですわ」

 

 

 ドガガガガ!! と。

 しかし、UAV達はレイシアに何か攻撃を繰り出す前に、白黒の『亀裂』の檻に収容されていく。

 

 

「破壊しないのか?」

 

「……これ、お高いんでしょう? 人命優先とはいえ、余裕がある状況で無暗に壊すのは気が引けて……」

 

「あー、シレンかこっちは。なんか見分け方が分かって来たぞ」

 

 

 適当な話をしつつ、レイシアはさらにビルを進んでいく。

 塗替の居場所など知らない二人だったが、しかしその足取りに迷いはない。既に気流による探査は、障害物の大きさや呼気の情報から性別や体格まで判別できるようにすらなっていた。密閉空間でなければ、塗替がどこにいるか判別するのは容易い。

 

 そして──進んでいくにつれて、異常性に気付く。

 

 

 声がなさすぎるのだ。

 

 

 襲撃によって人が死に絶えたというわけでもない。それにしては破壊や血がなさすぎるし、もしも人死にが出ているならば、流石に外に出ている人間の一人や二人はいるはずだろう。

 牢獄の守りが堅牢すぎて、機械が手を出しあぐねているというわけでもないようだ。既にいくつかの扉は何等かの攻撃によって破断され、破砕され、破壊されていた。

 

 

「…………なるほどな」

 

 

 状況を見て、まず馬場が呟いた。続いて、レイシアがその意味するところに対して頷く。

 

 

「ええ。どうやら我々は、誘われたようですわね」

 

 

 そもそも、政治犯という罪状自体に違和感がなかったと言えば嘘になる。

 確かに学園都市の生徒のプライバシーを流出させたのは問題だろうが、別に塗替は産業スパイでもなんでもない。その彼がこうして収監されていること自体が不自然といえば不自然だったが、その理由はどうやら『これ』らしい。

 

 

「おそらく、幻生は最初からわたくしがジョーカーとなることを予見していたのでしょう」

 

 

 レイシアの干渉によって幻生に異変が起きた直後、幻生は直接的な原因となった木原那由他や一方通行(アクセラレータ)ではなくレイシアの干渉を──アレイスター=クロウリーの『プラン』を呪っていた。

 だが、これはよく考えたらおかしな話である。この土壇場でその結論に至るというのは、事前にそれを考慮していなければ不可能だろう。

 そして彼は、こうした状況のためのカードを用意していた。

 

 それが、『政治犯』なんていう、塗替斧令以外には使われそうもない珍妙な罪状だった。

 おそらく、そういう罪状になったのも彼だけを都合よくこの場所に隔離する為だったのだろう。レイシアが介入してくるのを最初から読んで、もしも自らの計画を狂わせられそうになったらレイシアをそこに引き付けて時間を稼ぐ算段だったのだ。

 

 

「だが、分かっていても戻る気はないんだろう? 理解しかねるね」

 

「時間内に塗替を救出し終えれば問題ないのですわ」

 

 

 適当に答えて、レイシアはそこで足を止めた。

 そして今度は鹵獲の為ではなく──明確な破壊の為に、『亀裂』を振るう。

 今まさに『何か』を害そうとしていた機体を両断したレイシアは、キッと前を見据えて叫ぶ。

 

 

「塗替!!」

 

 

 重厚な鉄扉だった──()()()()

 扉の厚さは軽く五センチはあるだろうか。並大抵の銃器であれば傷をつけることすら覚束ないであろうその堅牢な扉は──ゼリーのように綺麗に切断されていた。

 まるで、レイシアの白黒鋸刃(ジャギドエッジ)のように。

 

 

「ひっ!?」

 

 

 帰ってきたのは、悲鳴だった。

 そこで、レイシアはようやく独房の内部を確認できた。といっても、内部の調度品のなさだとか、そういったものを確認できたわけではない。

 ──端的に言って、崩壊寸前だった。

 今しがた破壊した機体がやったのだろう。独房内部は半ばまで切り裂かれており、殆ど崩壊寸前だった。

 このまま放置していれば、間違いなく崩れるだろう。

 

 

『やはり来たねー』

 

 

 そこで、ビル内のスピーカーから幻生の声がしてくる。

 『ドラゴン』の状態で音声機器を取り付けることはできない。おそらく、これはあらかじめセッティングされていた音声だ。

 正史においても、幻生は食蜂操祈の行動を読んで、まるで語り掛けるかのような伝言を残していた。彼の先読みを以てすれば、こういった芸当も可能ということだろう。

 

 

「な……!? こんなところにも!?」

 

『さて。ここまでくればブラックガード君も僕の思惑が読めているだろう。君の能力再現を目指した機械は楽しんでくれたかな? アレは僕の部下が作ったんだけど、イマイチ失敗作でねー。いい機会だし、このタイミングで使わせてもらったよー』

 

「この……!」

 

 

 レイシアは、『亀裂』を振るってスピーカーを破壊するが、それでも根本的な解決にはならなさそうだった。

 どうせスピーカーなんてビル内にいくらでもある。神経をいらだたせるだけの嫌がらせにそれ以上拘泥するのをやめ、レイシアは塗替に語り掛ける。

 

 

「わたくしですわ! レイシア=ブラックガードです! 塗替斧令……アナタを助けに来ました!!」

 

「う、嘘だっ!!!!」

 

 

 叫ぶレイシアの言葉に、塗替は間髪入れずに答えた。

 

 

「このタイミング……どう考えても俺のことを殺しにきているだろう!? お前……超能力者(レベル5)になって、外部の人間くらい消せる権力が手に入ったからって、俺のことを殺そうとしているんだ!! そうに決まっている!! く、来るな……来るな! バケモノ!!」

 

「よくもまあこんな救う気がなくなる台詞を即座に並べ立てられるなコイツ……」

 

「そう思われても、しょうがない関係なのですわ。わたくし達は」

 

 

 諦めるように言って、レイシアはもう一度語り掛ける。

 

 

「アナタも分かっているはずですわ! わたくしがアナタを殺すつもりなら、何故わざわざ機体を両断したのです? そのまま放っておけばアナタは死んでいたでしょう!」

 

「な……なら懐柔策だ! こうやって命を救って恩を売ろうとしているんだ!!」

 

「アナタ、自分に恩を売られるほどの……」「レイシアちゃん。ちょっと静かに!」

 

 

 軽く制止して、シレンは言う。

 

 

「信じてください! わたくしは、アナタを助けたいんです!!」

 

 

 言って、手を差し伸べる。

 目の前の男を救うために。

 

 

《──差し伸べ続ける、と思う。たとえレイシアちゃんが本当の意味で最悪な人間だったとしても、それは一度伸ばした手を戻す理由にはならないだろ》

 

 

 かつて言ったシレンの言葉に、嘘はなかった。

 たとえそれがどれほど救いようのない悪人でも、手を差し伸べる。それは間違いなく、シレンの善性だ。

 

 

「…………ふざけるな」

 

 

 だが。

 

 

「ふざけるな! お前が! 俺を()()()お前が、今更俺を救うだと!? ()()()()()()()()()()()()()()()!! お前なんかの……お前なんかの手を掴んで生きながらえるくらいなら、死んだ方がマシだ!!」

 

 

 だが、それでは救えない、救いようのない人間というのは、間違いなく存在する。

 

 

「ハハハっ、ざまあ見ろ! お前がもし、もう少し俺に対して殊勝な態度をとっていたら、結果は違ったかもな? いやいや、もしもお前が和解を目指そうとしていれば。決定的に二人の関係を拗らせていなければ。手を取り合うことだってできたかもしれない。だが、婚約破棄をしてその未来を切り捨てたのはお前だ! お前が! 此処で俺を殺すんだ!」

 

 

 ただの自暴自棄。全てを諦めて、レイシアに、そしてシレンに少しでも精神的苦痛を味わわせるために吐き出された言葉からは、手を差し伸べるだけでは絶対に埋まらない溝を感じさせた。

 自殺。

 それは、レイシアとシレンの精神を巻き込んだ自殺だった。

 

 

 もしも、あの時レイシアがシレンの手を掴み取らなかったら。

 待っていたって絶対に手を取らない相手に、どうするべきか。

 

 

「……もう時間だ! 行くぞレイシア=ブラックガード! くだらないプライドで助けを拒絶するような哀れな馬鹿は、自家生産の牢獄に閉じこもって破滅すればいいんだよ!!」

 

 

 それでも諦めずに手を差し伸べ続ける?

 それとも。

 

 

 


 

 

 

第二章 二者択一なんて選ばない PHASE-NEXT.

 

 

七四話:総力戦 ③ Repaint_Himself.

 

 

 


 

 

 

「言ったでしょう、馬場。アテはあると」

 

 

 レイシアは、かつて自暴自棄の末に自らの命を断つ選択をした少女は、そう言って一歩前へと進んだ。

 

 

「な……まだその馬鹿に拘泥するつもりか? さっきは吹っ飛ばしたが、まだこのへんに木原幻生の『ドラゴン』だっているんだぞ! これ以上は本当に……!」

 

 

 馬場の制止を聞かず、レイシアは明確に破壊された鉄扉を踏み越える。

 そして。

 

 

「この……クソ野郎っ!」

 

 

 塗替斧令をぶん殴った。

 

 

「ごっばぐぇ!?」

 

 

 塗替は口から血を吐きながら尻餅を突く。

 唐突な攻撃に目を白黒させながら、茫然とする塗替に対し、レイシアは非常にスッキリした面持ちでこう言う。

 

 

「ふぅー……いっぺんこうしてやりたかったのですわ。法の裁きがどうとか以前に、わたくしにはコイツをぶん殴る権利があると思いますの。そうは思わなくて? 馬場」

 

「こ……コイツこわ……」

 

 

 馬場のぼやきは完全に無視して、レイシアはそのまま塗替の胸倉を掴む。

 

 

「アナタみたいな人を、わたくしは知っています。ああ、性格はまっっっっったく似ていませんわよ? アナタとは天と地の差。月とスッポン。対極に位置していると言っても良いでしょう」

 

 

 レイシアはそこで言葉を区切り、

 

 

「ですが……色々と理由をつけて救いを拒んでいた点は、同じです。そしてわたくし、学びましたの。そういった手合いの話は、聞くだけ無駄だと! だから、わたくしはアナタの意見なんて聞かず、自分勝手にアナタを助けますわ。その上で言わせてもらいますわよ」

 

 

 グイ、とその胸倉を、一気に持ち上げた。

 少女の力だというのにそれだけで引き上げられてしまうくらい、塗替はレイシアに気おされていた。

 

 

「──甘ったれてるんじゃありませんわ、このおバカ!」

 

「っ、」

 

「なぁーにが『お前が! 此処で俺を殺すんだ!』ですか! いいですか。そんな生半可な覚悟で死のうとしたら、絶対に後悔しますわ!! 死ぬ間際、苦しい思いをしながら、極限状態の中で『なんでこんなことになっちゃったんだろう』って……そんな、今更でクソったれな後悔をする羽目になるんですのよっっっ!!」

 

 

 その言葉には、異様な迫力が宿っていた。

 ──それも当然だろう。何故ならその言葉は、彼女が一度なぞった言葉だからだ。そして今、同じ言葉をなぞろうとする馬鹿に対する本気の優しさからくる怒りだったからだ。

 

 レイシアは、塗替の怒りを否定しない。憎しみを、逆恨みを、悪性を否定しない。

 もちろん向かってくれば叩き潰すが、それはそれ。そもそも性悪なのはお互い様なのだから、いちいち理非善悪について細かく注文をつけるような精神性を、レイシア=ブラックガードは持っていない。

 

 だからなのだろう。シレンの言葉では揺れなかった塗替が、レイシアの言葉で明らかな動揺を見せたのは。

 

 

「悔しかったら、わたくしを見返してみなさい! 何を利用してでも『再起』して、そしてわたくしを踏みつけにして『ザマア』と嘲笑えばいいでしょう! 言っておきますけど、わたくし、アナタが死んだところで毛ほども心なんか痛めないですわよ!!」

 

 

 ──この場合、必要なのは善意ではない。

 善意では、救えない人間だって存在する。

 反対に、どうしようもないわがままが──何故か心に火を点けてくれることだってある。

 

 

「…………僕は一生お前を憎み続けるぞ。僕から全てを奪ったお前を。いつか絶対、お前を叩き潰してやるからな」

 

「逆恨みもいいところですわね。まぁ、一人称を取り繕う余裕くらいは取り戻したようで、大変結構ですわ」

 

 

 それだけ言うと、レイシアはさっさと塗替も馬場と同じように『亀裂』で保護し、そのまま壁をぶち破った。

 ひび割れだらけの壁は細切れにされて、そして遠くまで広がる大空が、眼前に広がった。

 

 シレンのやり方は、優しい。

 

 相手が手を差し伸べるだけの材料を努力して準備し、そして相手が自分の意志で手を掴むのを待つ。それはどこまでも優しいやり方だ。実際に、そのやり方によってレイシアは再起することができたのだから、彼の考えが間違っていたわけではない。

 

 だが、優しさだけでは救えない馬鹿も、中にはいる。

 

 何も悪人に限った話ではない。

 手を差し伸べるだけではなく、その手を掴み、地獄の底から引きずり上げてやらなければ、救えない人間だっているのだ。たとえば、あの純白のシスターのように。あのツンツン頭の少年のように。──そして、あの日のシレンのように。

 レイシアは、それを知っている。そして、そういう馬鹿であることが、見捨てられる理由にはならないことも、よく分かっている。

 

 

《さて、こうなったら頑張らないといけないことが増えちゃったね》

 

《何がですの?》

 

《塗替さんのことだよ》

 

 

 心の中でそう語るシレンの声色は、何か気合が満ちていた。

 

 

《結局、政治犯としての罪状は木原幻生によって仕組まれたものだった。なら、俺達が黙っている理由なんかない。謂れのない罪を押し付けられて破滅しそうになっている人を助けるだけなんだから》

 

《……えぇ~、シレン、マジで言っていますの? ホントにやりますの? 世論は塗替憎しで団結していますわよ? 下手に動けば、わたくし達までパブリックエネミー扱いされるんですのよ?》

 

《冗談。レイシアちゃんだって分かってるくせに》

 

 

 その言葉で、レイシアの表情に笑みが漏れる。

 まるで世界全てに対して宣戦布告するような、そんな不敵な笑みが。

 

 

《俺達は、我儘で傲慢な悪役令嬢(ヴィレイネス)。そうだろ?》

 

《……あーあ。シレンが悪い子になっちゃいましたわ》

 

 

 答えは出た。

 

 まずはその未来を掴み取る為に、元凶である幻生を倒さねばならない。

 『亀裂』の翼をはためかせ、レイシアは戦場へと急行する。

 だが──そもそもの問題は、まだ解決していない。

 

 

『──目的は果たさせてもらったよ。ブラックガード君。リミットの一二〇秒を三〇秒もオーバーしてしまったねー』

 

 

 そこに、『ドラゴン』の分裂体が現れる。

 『歪み』を均される危険を無視してレイシアの前に顔を出してきたのは、勝利宣言の為か。確かに、幻生の言う通りであれば、戦況はもはや致命的といってもよかった。

 

 今回はそもそもが幻生による『時間稼ぎ』。

 レイシアを戦場から隔離することによって『歪み』への影響を低め、その間に盤面を制御しようという幻生の策略である。

 

 

『要は二者択一。戦場を守るか愚かな弱者を守るか。優しい優しい聖女様は、愚かな弱者を守らずにはいられなかったわけだ。愚かにもねー』

 

 

 そしてレイシアは、それに対しては有効な解決策を提示することができなかった。ゆえに、今頃盤面は幻生の思い通りに塗り替えられているに違いない。

 その代償は、あまりにも大きい。

 

 

「二者択一ですって?」

 

 

 ──しかし、レイシアは不敵に笑う。

 そんな懸念は、もう周回遅れだと言わんばかりに。

 

 

 その直後だった。

 

 

 ──天から降り注いだ光の剣が、『ドラゴン』の頭蓋に突き立ったのは。

 

 

 剣は、とある少女に握られていた。

 翼というよりは巨大な掌のような──そんな巨大な光を一対背負ったその少女は、ごくごく平凡な学生服を身に纏っていた。

 紺色のブレザーに、膝丈のスカート。腰ほどまである長髪に、人のよさそうな眼差し。

 

 

 ──その全てが、彼女が風斬氷華であると表していた。

 

 

 ただし、今の彼女はもはや、凌辱される被害者ではない。

 

 長髪はそれ自体が光り輝くように明るい色となり、頭上に浮かぶ光の環は歯車のような形状から虹色の輪へと。

 トレードマークだった眼鏡や結び髪は消え、全体的に活動的な印象が増していた。

 

 総じて、今の彼女の印象を表現するならば、天使。

 

 ヒューズ=カザキリは今や、風斬氷華として、黄金色の輝きを携えて、確かな意思の光を備えていた。

 

 

『な……に……? ヒューズ=カザキリが、自立稼働を……?』

 

「毛ほども想定していなかったのだとしたら、随分と視野が狭いんですのね」

 

 

 レイシアは、さらに畳みかけるように言う。

 

 

「美琴の制御を失い、AIM拡散力場という『場』に占めるアナタの影響力は確実に弱まっている。状況は、アナタが上から目線で駒を抑える状態ではなくなっているのですわ。……わたくしには『視える』。もう、この状況は綱引きです。そして、風斬さんはアナタとの綱引きに勝った。そして己の意思で盤面へと舞い戻ったのですわ」

 

 

 そして。

 

 全く同時刻、遠くの空から爆撃音を何重にも重ねたような衝撃が伝わってきた。

 

 

「もはや、この戦場はアナタが訳知り顔で管理していた時代とは異なるものになっています。────アナタの策謀は、もう通じませんわよ」

 

 

 レイシアは最初から、こうなることを予期していた。

 ──いや、より正確に言い直そう。

 

 レイシアは、風斬のことを信じていた。

 

 幻生のことを弱らせ、盤面の支配を緩めれば、きっと制御を取り戻して力になってくれる。風斬氷華という少女はそれができるくらいに強い女の子だと、そう信じていた。

 

 

「……私は、応えただけですよ」

 

 

 光の翼を煌かせ、悪竜の一体を地に縫い留めた天使は言う。

 

 

「私のことを信じてくれた、友達の願いに」

 

『…………コ……れは……想定外…………』

 

 

 楽しそうに笑う『ドラゴン』に、レイシアは右手をかざしながら、宣言した。

 

 

「──二者択一なんて選ばない。聖女様? 笑わせますわね! わたくし達はそんなお行儀のいい存在じゃない。アナタごときが用意したくだらない選択肢など、最初から素通りしていたに決まっているではありませんの!」

 

 

 そして、亀裂一閃。

 

 まるでおとぎ話の一幕のように、悪竜は一刀のもとに両断された。



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七五話:総力戦 ④

 ──同時刻。

 

 レイシアが抜けた戦場では、幻生による『ドラゴン』が猛威を振るっていた。

 

 

「あの女、何しにいきやがった!? 急に飛び出してったが……」

 

『塗替斧令っていう……アイツの元婚約者よ! そいつが襲われたから、助けに行ったの!』

 

「チッ! こンなときまで聖女サマやってンじゃねェよあの馬鹿!!」

 

 

 苛立たし気に舌打ちした一方通行(アクセラレータ)の右手に、光の球が生み出される。

 

 

「っ、」

 

 

 プラズマか、と構えた上条に、一方通行(アクセラレータ)は嘲るような笑みを向けた。

 

 

「そォ何度も同じタネを使うかよ。……考えてみりゃあ、わざわざ空気なンざ使わなくてもタマなンかそこら中にあるだろォが」

 

 

 そう。

 ()()()

 

 

「レーザーってのは、光の波長と方向が一定なら作り出せる。まァ普通の方法じゃあ励起だのなンだのといった小細工が必要だが、ベクトル変換ならそンな面倒臭せェ手順はすっ飛ばせる」

 

 

 通常、光のベクトル変換は一方通行(アクセラレータ)にはできないと考えていい。

 一方通行(アクセラレータ)のベクトル変換は接触したものが対象となるのだが、接触からベクトル変換までには演算の為にごく僅かではあるがタイムラグが存在する。『反射』というのは事前にベクトル変換の方向と対象をカテゴライズしておくことでこの演算の手間を限りなくなくすというもので、これによって一方通行(アクセラレータ)は核爆発だろうと無効化することができる。

 だが、これは反面、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということを意味する。

 だから、一方通行(アクセラレータ)は反射以外で光のベクトル変換を行うことはできない。

 そもそも、いかに一方通行(アクセラレータ)といえど、自らが浴びた太陽光程度で人を害するほどのレーザー光線を放つことはできない。

 

 ────では、あらかじめ『光のベクトル変換』の型を設定していて、なおかつ強い光源が身近にあれば?

 

 

「お誂え向きに、第三位がクリスマスツリーみたいにピカピカ光ってくれてるからよォ……使わねェ手はねェよな?」

 

 

 ジャオッッッッ!!!! と、熱した中華鍋に油を敷いたときのような音が響いた。

 上条が咄嗟に目を瞑ることができたのは、前兆の感知による恩恵以外の何物でもないだろう。それでも、瞼を突き破ってきた強い光が目の奥に鋭い痛みを与える。

 

 

「ッッ、がァァああああああああ!?!?!?」

 

 

 味方のはずの上条が、目を抑えてひっくり返る。

 それほどまでに、暴力的な威力だった。レーザー光線は光の向きが整列されているがゆえに真正面から以外は確認することはできないが、それでも空気中の水分や塵を焼いたことによる痕が、空間に光として『レーザーの焼け跡』を残していた。

 

 

 そして無論、一発では終わらない。

 一発一発が小型のボートくらいなら丸ごと溶解させかねない一撃が、まるでガトリングのように『ドラゴン』の群れに叩き込まれる。

 それらは『ドラゴン』には大した傷を与えられないが、重要なのはそこではなかった。

 

 ボッッ!! と、『ドラゴン』の体表面が熱される。その爆発的な温度上昇は『ドラゴン』それ自体は破壊しないが──その内部にいる木原幻生はその限りではない。

 木原幻生の身体のほぼ全ては機械化されているとはいえ、脳や重要臓器については生身のままだ。このままレーザーを浴びせられれば、それらの肉体がまるで電子レンジで温めすぎた冷凍食品のようにグズグズにされてしまうだろう。

 

 ゾザァァァァァアアアア!!!! と。

 

 一方通行(アクセラレータ)の前に、ダミーと思しき『ドラゴン』が一斉に整列する。

 こうすれば、いくら熱されようと幻生本体のダメージにはなりえない。ひとまず、一方通行(アクセラレータ)のレーザー攻撃についてはこれで回避できたかに思えたが──

 

 

「よくやった。褒めてやるぜ第一位。こいつで『詰み』だな」

 

 

 ゴッッッ!!!! と、虹色の風が盾となった『ドラゴン』達を一斉に叩き潰した。

 さらに叩き潰された『ドラゴン』を、瓦礫によって作り出された巨大な右腕がさらに圧し潰し、押さえつける。

 

 

『あら、こうしておかないと無限に復活しそうじゃない、コイツ。第一位サマも第二位サマも()()が甘いわね』

 

 

 第一位。

 

 第二位。

 

 第三位。

 

 学園都市の頂点が、悪竜を完全に地に縫い付けた。

 

 

『な……が……ッ!? 馬鹿な……!? このスペックはいったい……!? 一方通行(アクセラレータ)はもとより、未元物質(ダークマター)も、超電磁砲(レールガン)も、弱体化しているとはいえ「ドラゴン」とは比較すべくもないスペックのはずなのに……』

 

「テメェ、馬鹿か?」

 

 

 埋もれたダミー達の中で呻く本体の『ドラゴン』──木原幻生に、垣根は心底軽蔑しきった表情で、こめかみのあたりをとんとんと叩く。

 

 

「そもそも、大量分裂なんて手があるなら、何で最初からやらなかったんだ。最初からやってれば、俺達は今頃、消耗戦によってすり潰されてただろうよ。……そしてテメェはそこに気付かねえマヌケでもねえ。ってことは、それ自体に、テメェがリスクを感じていたから()()()()()()()()()んじゃねえのかよ」

 

 

 その言葉に、幻生は言葉を止める。

 それはつまり。

 

 

「万全の判断能力を持つ『自分』の大量生産だあ? そんなもん、自殺行為に決まってんだろ。内輪揉めだけは大得意な木原一族だ。テメェはその内部分裂を抑える為に、無意識にかなりの力のリソースを内部に向けていたんだよ」

 

 

 ただの失策。

 たったそれだけのこと。

 

 何か巨大な力が働いたわけでもない。土壇場での覚醒があったわけでもない。ただ、木原幻生という人間が追い詰められて手を誤った。そんな当たり前の帰結に、この逆転劇は収束してしまう。

 

 

 ()()()()において、幻生は正史にはないものをかき集めて己を強化した。

 

 多才能力(マルチスキル)の暴走を逆手にとって、乱雑開放(ポルターガイスト)を編み出した。

 ミサカネットワークと乱雑開放(ポルターガイスト)を呼び水にヒューズ=カザキリを召喚した。

 ヒューズ=カザキリという製造ラインを利用して、『ドラゴン』をその身に宿した。

 

 だが、それらは本来正史には存在しないもの。

 

 即ち、『歪み』。

 

 木原幻生は絶対能力進化(レベル6シフト)計画を幾つも考案しているSYSTEM研究の元老だが、彼自身の実力についてはここではない歴史での結果が全てを物語っている。

 木原幻生は、御坂美琴を捨て身の絶対能力者(レベル6)にしようとして戦闘タイプではない第五位の策略によって敗退する程度の実力であるという『結論』が出ている。

 

 言ってしまえば、木原幻生は()()()()()()()なのだ。

 

 そもそも、超能力者(レベル5)を利用しようとして、超能力者(レベル5)に下される程度の『次元』。その彼が、ここまで『プラン』に肉薄する。それ自体が、本来はあり得ないことなのである。

 

 では、その『歪み』はどこから来たのか? ──一見自然な話の流れのように見える時系列のどこかに歪みがあるとして、それはいったい『どこ』なのか?

 

 そして、『収束』の起点となったのは、いったい誰だ?

 

 

 一方通行(アクセラレータ)が戦場に参戦できたのは、木原那由他の干渉があったからだ。

 

 木原那由他の干渉が発生しえたのは、アレイスター=クロウリーによる招集があったからだ。

 

 そして、アレイスター=クロウリーが木原一族に召集をかけたのは──。

 

 

 木原幻生が、イレギュラーな行動を起こしたからだ。

 

 つまり、幻生の乖離自体が、収束の起点となっている。

 

 まるで水面に生まれた波紋が、やがては収束していくかのように──広がり散らばった未来は、結局は最初から収束する運命にあった。

 

 

『…………ふむ? 人格励起(メイクアップ)……よくこんな特殊事例を学園都市統括理事長(アレイスターくん)が見逃しているものだねー』

 

 

 きっかけは、そんな些細な好奇心だった。

 調べていくうちに、彼が独自に推し進めている例外候補(ボーナスプラン)の存在を知った。そして、その『裏』に潜んでいる『ヤツら』の存在にも。

 そして『ヤツら』に対応する為にアレイスターが推し進めている、『プラン』の一端にも触れた。

 だから、木原幻生は利用してやろうと思ったのだ。

 

 学園都市第一位を使った、絶対能力進化(レベル6シフト)

 

 神ならぬ身にて天上の意思に辿り着くもの(SYSTEM)への肉薄。

 

 木原幻生の、悲願。

 

 それを『プラン』などという訳の分からないもので踏み台にした、アレイスター=クロウリーへの復讐に。

 

 だというのに────

 

 その想いの起点自体が、敗北を約束された『歪み』でしかなかった?

 

 もっともらしく並べられたこの顛末そのものが、所詮はレイシア=ブラックガードを起点にしたものでしかなかった。

 

 ──並行世界を生み出していく体質。

 そんな言葉が、幻生の脳裏によぎる。新たな世界ではなく、ゴム紐の一点を別の場所にピンで留めるような、そんな並行世界は所詮は均され、影響は次第に消えていく。──だから、大勢に影響は与えない。

 

 それは、かつてこの街の統括理事長がレイシア=ブラックガードの体質をさして言った説明だった。

 

 つまり。

 木原幻生の特殊な躍進も。暗躍も。

 何もかも、たった一人の小娘の体質によって生み出されたものでしかなかった。

 

 そしてそれが見逃されていたのも、この街の王がその体質を『研鑽』させたかったからに過ぎない。

 

 ──あの計画を『プラン』の踏み台にされたときと、同じように。

 

 

『…………これも、計算のうちか』

 

 

 ボコボコと、『ドラゴン』達の表面が泡立っていく。

 それはまるで、身の裡に滾る憎悪によって全身が沸騰しているかのようだった。

 

 

『この光景を見て、どこぞの暗闇でほくそ笑んでいるのか!!!! アレイスター=クロウリーィィィいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッッッ!!!!』

 

 

 泡立った『ドラゴン』達は、一気に一体の巨大なドラゴンへと変貌する。

 

 巨大な翼を広げた『ドラゴン』は、たったのひと薙ぎで瓦礫の巨腕も虹色の風も吹き散らす。そして今一度、大空へ飛び上がろうとしたところで────

 

 

「ここが年貢の納め時ですわ、木原幻生ッッ!!!!」

 

 

 白黒の剣と、雷光の剣、二本の剣が悪竜を再び地面に縫い留めた。

 

 

「私も……お手伝いします! 皆さん!!」

 

「風斬!!」

 

 

 それを見て、上条が走り出した。

 

 一方通行(アクセラレータ)は鼻で嗤い、垣根帝督は黙って翼を広げ飛び去ろうとする。

 まるで、ここからはもう自分たちの仕事ではないと言わんばかりに。

 

 

「上条さん!!」

 

 

 そんな上条の背に声をかけたのは、今まさに悪竜を地面に縫い留めたレイシアだった。

 声に目線だけ向けた上条に、レイシアはさらに続けて言う。

 

 

「走り続けてください! 何があっても、わたくしを信じて!!!!」

 

 

 返事の声はなかった。

 上条当麻は、ただ黙って右拳をレイシアに向けた。

 

 

『グオォオオオオオアアアアォオオオオオオオオッッッ!!!!』

 

 

 もはや獣の咆哮。『ドラゴン』の呻き声に応じて、周囲に衝撃波が生じる。上条の右手でも受け止めきれない異能の力に、上条はあえて右手をかざし、ハンドスプリングの要領で体勢を崩しながらも乗り越える。

 だが、異能の力であれば乗り越えられる上条でも、その影響まではどうしようもない。異能の波によって、地面はグチャグチャに破壊されており、とても人の足では歩けないような状態にされてしまっていた。

 

 それでも、上条当麻は走る。

 

 信頼できる後輩が、『信じろ』と言ったから。

 

 そして上条が足を踏み外す、その直前。

 ゴアッッッ!!!! と、真っ白な『残骸物質』が地面からせり上がり、上条の足場となった。上条はにっと笑って、さらに迷いなく突き進んで行く。

 

 

()()()()()()()()()()!?』

 

 

 『ドラゴン』の咆哮と共に、不可視の力が放たれる。それは上条ではなく、『残骸物質』による足場を崩壊させるが──

 

 

「おいおい。この期に及んで足場崩しか? 根性ねえなあ──」

 

 

 笑う、ハチマキの少年。

 

 

「一丁、俺が見せてやる。コイツがッッッッ!!! 本当のッッッ!!!!!! 根性だァァァあああああああああああああああああああああッッッ!!!!」

 

 

 ギュッ!! と削板が両拳を掲げて握り締めた瞬間、バラバラにされた『残骸物質』が握り固められたように接着され──さらにそこから伸びた白い光が、『ドラゴン』の口に突き刺さった。

 

 

「おっ、試してみたら意外とできるもんだな。上条! 道の続きは用意したぞ! お前の根性見せてみろ!」

 

「ああ! ありがとう、削板!!」

 

 

 『ドラゴン』までの距離、およそ五メートル。

 そこまで肉薄したところで、『ドラゴン』に動きが出た。

 

 

幻想(イマジン)……殺し(ブレイカー)は……」

 

 

 ガバッッ!! と『ドラゴン』の額を突き破って、サイボーグの老人が現れたのだ。

 

 それは、最悪の回答。

 盤面を見渡し、上条当麻を叩き潰すという一点においてはこれ以上ない結論を導き出した老人は、全ての殻を脱ぎ捨てて、剥き出しの笑みを少年に向ける。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?」

 

『ええそうね。でもアンタ、やっぱ馬鹿でしょ』

 

 

 ──その真横で、雷神と化した少女は呆れたように宙に浮かんだ瓦礫に頬杖を突いていた。

 

 

「あ、」

 

『サイボーグなら、私の磁力で留められる。……まぁ普通ならすぐに「ドラゴン」で蹴散らせるんだろうけど、一瞬のスキはそれでも致命的よね? 何せ、アイツが相手なんだから』

 

 

 美琴は今まさに右拳を引き絞っている少年に、笑うように言う。

 

 

「さあ、決めてやりなさい!」

 

「──実験動物だかなんだか知らねえけど」

 

 

 おそらくは、みんなが思っていた想いを拳に乗せて。

 

 

「この街の全てが、テメェらの思い通りに動くと思っているのなら。御坂を、風斬を、俺の仲間をテメェの実験動物(モルモット)にできると思っているのなら────まずはそのふざけた幻想を、ぶち殺す!!」

 

 

 ゴッガンッッッ!!!! と。

 

 少年の右拳が老人に突き刺さり、そして悪竜は粉々に散った。

 

 

 


 

 

 

「……いてて……」

 

「ああ……。上条さん、大丈夫ですか? サイボーグなんか思いっきり殴るから……」

 

 

 そして。

 

 幻生さんを無事に倒した俺達だったが、思いっきり機械をぶん殴ってしまったので若干拳を痛めた上条さんのことを介抱することになっていたのだった。

 幸いにも拳は折れていないようだが、随分無茶するよね。っていうか考えてみればサイボーグって上条さんと相性最悪なのに、よく殴らせたよねえ。いやまぁ、『ドラゴン』関連は幻生さんを一発ぶん殴んなくっちゃ解消されないんだから、上条さんはどっちにしろ拳を痛めてもらうことになってたんだけど。

 

 ちなみに、俺は風を起こして上条さんの手を冷やしている。まだ氷とか保冷剤とかないんだよね。さっき燐火さんにお願いしたからそのうち手配してもらえると思うけど。

 

 

「……何アンタ。ひょっとしてアイツのこと好きだったりしたの?」

 

「はぁ? 何言ってるんだ第三位。()()のことを? そんなわけないだろ。……ただ、ああも甲斐甲斐しくしていると、なんかイメージとズレるなって思っただけだ」

 

 

 横で馬場さんと美琴さんがなんか話しているけど……。せめてもうちょっとこう、生身の場所を調べるとかした方がよかったなあとほんのり後悔する俺なのだった。

 

 ちなみに、一方通行(アクセラレータ)さんと垣根さんはもういない。

 これはもう勝ったなと思った段階で帰っちゃったのだろう。木原さんなんかは俺達が来た時点ではもう既にいなくなっちゃってたんだから、なんというか凄い見切りの早さである。最後にお疲れ様的な挨拶くらいさせてくれてもよかったのにね。

 

 そういうわけで、今この場にいるのは俺、上条さん、馬場さん、美琴さん、削板さん、風斬さん、幻生さん、塗替の七人のみ。

 美琴さんも今は雷神モードが解除されて普通の(多少はボロボロになってるけど)体操服姿。風斬さんも天使みたいではなく、眼鏡と結び髪も復活して普通の女学生モードだ。

 塗替さんはド迫力バトルに気圧されてしまったのか、そのへんで蹲っているけど……それに比べたら馬場さんは大分逞しくなったなあ。美琴さんとも平気で話しているし。どうやら常盤台の子に暴行したのはすっかり忘れているらしい。

 ……そうだなあ、今後も仲良くしたいし、あとでちょっと言って、婚后さんに一緒に謝りに行こうね、馬場さん。

 

 

「うし。ありがとうシレン。もう大丈夫だ」

 

 

 と、そこで上条さんは唐突に手を引っ込めると。

 座り込んでいた状態から立ち上がってしまう。

 

 

「ええ!? 大丈夫じゃないですわよ上条さん! 見てください拳がこんなに痛々しく腫れてるのに!」

 

「それでも」

 

 

 制止するも、上条さんは止まらない。

 そのまま、瓦礫を乗り越えてビルの方に行ってしまう。……ってちょちょちょ! 待とうちょっと待とう! ビルの中はトラップがいっぱいだよ!? 上条さん一人じゃ絶対に危険だって! いや俺も行くならついていくし、美琴さんも多分ついていくと思うけど……。

 

 

「……さっき、声が聞こえたんだ」

 

「…………声?」

 

「俺が此処に来たときも、その声がやるべきことを教えてくれた。……その声の主が、俺に助けを求めてきたんだ」

 

 

 …………その声って、もしかして。

 

 

「どこの誰だかは分からない。どんなことをしていたヤツなのかも。でもそいつは間違いなく俺達と一緒に戦ってくれていた。だったら、理由なんていらねえだろ」

 

 

 上条さんは、そう言って痛々しく腫れあがった拳を握る。

 この様子じゃ、拳は使えない。そもそもビル内のトラップは異能ではないから、上条さんは殆ど無力に等しい。

 でももう、なんというか……俺は上条さんについていく気がなくなってしまった。

 

 だって、そうだろ?

 

 ここに『他の女』が付き添うのは、雑味じゃないか。

 

 

「……レイシア? どうしたの?」

 

「なんでもありませんわ、美琴さん。さ、上条さん。いってらっしゃいまし」

 

 

 ……あー、はいはい。

 分かってるよレイシアちゃん。ここでそういうことを許すのはヒロインレース的に~……って話でしょ? うんうんその通りだね。

 でも、いいんだって。

 

 まだ俺の気持ちが恋愛感情に繋がるものなのか、そのへんからよく分かってないからアレなんだけどさ。

 もしもそうだったとして、俺は他の人を蹴落としてまで勝ちたいとは思わない。

 どうせなら、他の皆にも最善を尽くしてもらった上で──全力全開の魅力を上条さんに見せた上で、勝ちたいと思うよ。

 だって、じゃないと一緒になったあともずっと、喉に小骨が引っかかったような気分になるじゃんか。

 

 

「──さっさと救ってあげてくださいな。魔王の城で助けを待つお姫様を」

 

「応!!」

 

 


 

 

 

第二章 二者択一なんて選ばない PHASE-NEXT.

 

 

七五話:総力戦 ④ Last_Battle_is...

 

 

 


 

 

 ──その少女は、ビルの片隅で力なく座り込んでいた。

 

 消耗は限界を超えていた。

 

 幻想御手(レベルアッパー)による頭痛は元より、幻生から美琴の制御を奪うのにもかなり能力を酷使した。ただでさえ身体に負担をかける外装代脳(エクステリア)をフルに活用して、実に三〇分以上も美琴の暴走を制御し続けていたのだ。

 あまりの負担に彼女の体温は四〇度近くまで上昇し、その両目からは脳のオーバーヒートを象徴するかのように血の涙が流れていた。

 

 端的に言って、早急な治療が必要な状態だった。

 

 しかも、苦境はそれだけではない。

 

 このビルの情報が明るみに漏れてしまった以上、あと三〇分もしないうちに暗部のあらゆる人間が外装代脳(エクステリア)を抑えようとするだろう。そうなれば、少女は囚われ、一生光の当たらない場所で能力を吐き出し続けるだけの機械にされてしまう。

 

 だから、彼女は最後の力を振り絞って上条にSOSを出し、自身の救出と──外装代脳(エクステリア)の破壊を依頼したのだった。

 高熱により紅潮した表情を隠す余裕もなく、少女は上気した呼吸で呟く。

 

 

「……ふふ。あー、頑張ったわぁ。あのバカ、さんざん引っ掻き回してくれちゃって……この件はなんとかして貸し力にしないと釣り合いが取れないわぁ」

 

 

 勝気に言って――食蜂操祈は、恋する乙女の表情でこう続けた。

 

 

「良いわよねぇ? 今日くらい。……救済力を待つヒロインになっても」

 

 

 所詮、悪竜など本番前の前座に過ぎない。

 

 いつだって御伽噺のハッピーエンドは、お姫様を救うのが最低条件だ。



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七六話:閉会、その前に

「なあ……本当に行くのか……?」

 

 

 その後。

 俺と馬場さんは、連れ立って第七学区の病院──婚后さんが入院している病室へと向かっていた。しかし、馬場さんの方はというとやはりというべきか、全然乗り気ではない。まぁ、それも仕方がない。

 

 

「……大体だな。元はと言えばあの女が『暗部』の問題に首を突っ込んだのが悪いんだ。殺されなかっただけ御の字。任務の邪魔をされた僕が謝るなんて筋違いだろう?」

 

「嫌ならわたくしは別に構いませんのよ? 第三位と第五位の学友に手を上げたという特大の厄ネタを、裏第四位(アナザーフォー)の口添えで和解できるという超大チャンスを棒に振っても」

 

「うっ……」

 

 

 レイシアちゃんの言葉に、馬場さんは思わず言葉を詰まらせる。

 うん、そうだね。此処で俺達の口添えで婚后さんと和解しておけば、馬場くんは今後常盤台と関係を悪化させたままでなくても済む。今や三人の超能力者(レベル5)を擁する常盤台中学は、下手をしなくても学園都市で一、二を争う能力者戦力。正常な危機回避スキルの持ち主なら、事を荒立てたくはない。

 …………んだけど、違うよなあ。そういうんじゃないんだよなあ。

 

 

「……すみません。本音は、違いますわ。……わたくしは、アナタとわたくしの学友がいがみ合うようになってはほしくないのです」

 

「……、」

 

 

 流石にもう、馬場さんも茶々は入れなくなった。今回の共闘で、俺達の性格もだいぶ分かってもらえたと思うし。

 

 

「最初は、逃げたくて逃げたくて仕方がなかったと思いますわ。暗部の知恵を借りたくて、アナタのことを強引に戦いに巻き込みました。……改めて、お詫びします。でも、アナタはそれでも最後までわたくし達に付き合ってくれた。勇気ある、決断だったと思います。わたくし達なんかよりも、ある意味では遥かに」

 

「……やめろやめろ! 僕はそんなんじゃない。善人に絆されてころっと改心するようなお花畑頭と一緒にするな。あんなの口から出まかせに決まってるだろ! お前らの思い込みが強すぎるから逃げる機会を失ってただけだ! 自分が死にたくないから必死に考え抜いていただけだ! たまたま使える手駒が優秀だったから十全以上の働きができただけだ!! そんなの……俺の善性にはならない」

 

 

 馬場さんはそう言って、そっぽを向いてしまった。

 でも、俺達と一緒に歩くことはやめたりしない。

 

 あー、まぁ、色々と極限状態だったからねえ。そういう行き違いはあったのかもしれない。でも……。

 

 

「今もこうして、わたくしについてきてくれています」

 

 

 それは、馬場さんの中に何かしらの『変化』があったってことなんじゃないだろうか。

 少なくとも、戦いが終わったらすぐに俺達から逃げ出したりしない程度に、まだ付き合いを続けてくれる程度に……俺達との絆を感じてくれてるんじゃないだろうか。

 

 そう思いながら言った言葉に、馬場さんは憎たらしいほどの蔑みを混ぜた笑みを浮かべる。

 

 

「はっ、相変わらず救いがたいほど能天気だね。そんなの決まっているだろう? ここまで命を懸けたんだ。それ相応の報酬はもらわなくちゃ割に合わない。金銭で済むと思っているのか? 今後も裏第四位(アナザーフォー)という戦力として、僕のカードになってもらわないと、到底釣り合いがとれないんだよ。これはただそれだけのことさ。…………まぁ、そうだな。その為の必要経費だというのなら、何も知らない『表』のメスガキに頭を下げるのも、不本意ではあるが許容してもいいかな」

 

「はい、はい。そうですわねぇ」

 

 

 うん。今はまだご覧の有様だけど、でも馬場さんも前に進んではくれてるよね。

 人はすぐには変われない。俺達は、馬場さんを変えるだけの積み重ねを持ってない。だから、これからも積み重ねていけばいいよね。俺達の縁は、まだここで終わるわけじゃないんだから。

 

 

《シレン、そろそろいい加減このデブ引っ叩いていいですわよね?》

 

《レイシアちゃん、もうちょっと我慢しようねぇ》

 

 

 今手を出したら色々と台無しだからねぇ。

 

 

「………………」

 

 

 と、そこで馬場さんが足を止める。

 婚后さんの病室に着いたのだ。ちょっと不安そうな視線を見せる馬場さんににこりと微笑みかけつつ、病室の扉をノックする。ほどなくして、中から「あっ……はい」という声が返ってきた。

 許しをもらったので扉横のボタンを押すと、ヴィィン……と扉が自動で開く。

 室内には、美琴さんと婚后さんの二人がいた。ありゃ、先客がいたか。

 

 

「あ、レイシア……って、アンタは!?」

 

「お休み中のところすみません。話すと長くなるのですが……婚后さんとの()()の後で、彼と個人的に親交を深めまして。それでその……」

 

 

 そこで、馬場さんは俺の言葉の途中で頭を下げた。

 

 

「訂正する」

 

 

 頭を下げたまま、馬場さんはさらに続ける。

 

 

「誰かのために行動するのを、他人への精神依存と言ったが、それは訂正する」

 

 

 それだけ言うと、馬場さんは顔を上げて。むすっとした表情のまま踵を返してしまった。

 あまりにも言葉少なな和解の申し出に俺も少しだけぽかんとしてしまったが、美琴さんのリアクションの方は大きかった。

 

 

「はッ? それで終わり!? ちょっと待ちなさいよ! アンタ婚后さんを散々痛めつけて、言うことがそれ!? ふざけてんの!? 今この場でボコボコにしてやってもいいのよ!?」

 

 

 気持ちは分かるけども。

 でも馬場さんとしては最大限の譲歩というか、謝罪の言葉というかね……。

 

 

「いいんです、御坂さん」

 

 

 いきり立つ美琴さんに待ったをかけたのは、意外というか案の定というか、婚后さん本人だった。

 婚后さんは、そのまま馬場さんの背中に声をかける。

 

 

「正直、わたくし自身はまだ納得できていない部分もあります。ですが、他人を信じるということにアナタが少しでも理解を示してくれたなら……それならそれで」

 

「………………ほんっっとうに、度し難い馬鹿どもだね。お嬢様って人種は」

 

 

 背を向けながら、馬場さんは吐き捨てるように言った。

 

 

「恵まれているから、そんなことが言えるのさ。生まれたときから恵まれているから、何かを許容できるだけの心の財産(よゆう)があるんだ」

 

「あんたねえ……そんな憎まれ口を叩くために、」

 

「有難く思えよ。その財産のお陰で、僕という優秀すぎる頭脳を買うことができるんだからな」

 

 

 それだけ言って、馬場さんは病室から出てしまった。

 

 

「…………あの方は、今なんと?」

 

「借り一つ、だそうですわ」

 

 

 レイシアちゃんは心底くだらなさそうに、婚后さんの問いに答えた。

 うーん、馬場さんも素直じゃないよねぇ。

 

 

「……馬場さんは、生きてきた環境もあって、信じられる人がいないのですわ。わたくしは、行きがかり上強引に彼の世界に割って入ったようなもの。できれば彼も……わたくしと同じ世界に生きてほしいと思っているのです。今回は、そんなわたくしのわがままに付き合ってもらったようなもので」

 

「……シレンさんの方もわりと強引っていうか、やっぱり『レイシア=ブラックガード』よねぇ……」

 

「それでも、先程の彼の言葉に嘘はないように感じましたわ」

 

 

 そう言って、婚后さんはパッと扇子を開く。

 

 

「水随方円という言葉がございます。『水は方円の器に随う』……わたくしもまだまだ勉強中の身ではありますが」

 

 

 婚后さんは微笑みながら、

 

 

「あの方が環境のために他人を信じられないというのであれば。レイシアさんがあの方に寄り添って差し上げていれば、いずれはきっと、他人を信じられるようになるのでしょうね」

 

「それは……責任重大、ですわね」

 

 

 ……何せ、このままいけば馬場さんは暗部の抗争に巻き込まれて、確か生死不明になるんだ。

 小説ではそこで終わってたけど、暗部の人間が馬場さんを放置するとは思えない。新約の時代では学園都市全体が停電したりもしてたし、本当の本当に、このままだとどうなってしまうか分からないんだよな。

 でも俺が、馬場さんの何かを変えることができたなら。……きっと、違う未来を迎えられるかもしれない。

 

 

「わたくしも微力ながら協力しますわ。そして御坂さんも」

 

「ええ!? 私も!? ……まぁ、私もああいう手合いには慣れてきたところあるけど……」

 

「ふふ、ありがとうございます。婚后さん、美琴さん」

 

 

 ──ああ。なんというか……いいなあ。こういう友人関係って、本当に得難いものだと思う。そしてこれも、俺達が今までちゃんと歩んできた積み重ねがあってこそなんだよね。

 その積み重ねと信頼に恥じないように、これからも頑張らないとね。

 

 

《そういう殊勝なヤツはシレンにお任せしますわね》

 

《レイシアちゃんはすぐそうやって~……》

 

 

 レイシアちゃんも大概素直じゃないからね。

 と、そんなことを内心で言い合っていると、婚后さんがもじもじしながら美琴さんの方を見ていることに気付いた。なんだその恋する乙女みたいな顔。

 

 

《……ははーん?》

 

《? レイシアちゃん、何か思い当たる節でもあるの?》

 

《多少は。まぁ見ていてくださいな》

 

 

 そう言って、レイシアちゃんは黙ってにんまりと笑みを浮かべる。ただ、助け舟を出すつもりはなさそうだ。黙って事の成り行きを見て楽しむ腹積もりらしい。

 俺は助け舟を出したいんだけど、生憎何がなんだかさっぱり分かってないからなあ……。こういうときは自分の鈍感力を呪う。

 

 

「その……御坂さん、とブラックガードさんは、なんというか……随分親しげですのね?」

 

 

 そこまで言って、婚后さんはハッとしたように付け加える。

 

 

「いえ! それが悪いというつもりはありませんのよ!? ただ、その。聞いた話では、お二人はかつて敵対していたと聞いていたものですから……それにしては、お互いに含むところがないといいますか、真っ直ぐに接しておられると……」

 

「……ああ」

 

 

 美琴さんの方は、その言葉を聞いてへっと苦笑したように息を吐いた。

 そして俺の方も、納得した気持ちだった。確かに、ねえ。俺達、元々は敵同士だったんだもんねえ。いや、学友だっただけで敵同士ではなかったんだけども、最初の方はいがみ合ってたんだもんね。そう考えると、こうして同年代の友達として仲良くやっているのは傍から見たら不思議なもんだよねえ。

 

 

「ま、色々あったんだけどね。ひとえに……シレンさんが頑張ったお陰って感じかしら」

 

「そんなことはありませんわよ」

 

 

 まぁ、確かに最初は俺が動いたっていうのもあるけどね。

 

 

「わたくしが最初に動いたときに、美琴さんは嫌な顔一つせず、真剣にわたくしの言葉を受け止めてくださいました。だからその後も、頑張れたのだと思います。…………だから、婚后さんが馬場さんの言葉を真剣に受け止めてくださったのも、感謝していますわ。あの言葉があるのとないのとでは、安心感が全然違いますもの」

 

「え、ええ。……あの方の今後の為に繋がっていれば、わたくしも嬉しいですわ」

 

 

 いやあ、婚后さんは本当に人間ができているなあ。

 ……アニメだとなんかポンコツお嬢様って感じだったんだけど、全然そんなんじゃないよね? どっちかというとそういうのってレイシアちゃんがやってるような気がするよ。

 

 

《シレン、ダメですわねぇ》

 

《……えっ何が?》

 

《今の話の流れですわよ。わざわざ婚后光子が名前呼びに触れた真意を考えませんと》

 

 

 ……? 名前呼び……? どういうこと……?

 

 

《アレ、婚后光子は多分、わたくし達が美琴のことを名前で呼んでるのを見て羨ましく思っていたんですのよ。だからそれとなく話題に出して、自分も名前呼びをする流れに持っていきたかったのですわ》

 

《え、ええ!?》

 

 

 ま、マジで……!? それじゃあ馬場さんの話に持って行った俺、最悪じゃん!! いや感謝したかったのは事実なんだけど……今話すことじゃなかったじゃん! 完全にそういう総括の流れだと思ってたんですけど!?

 

 

《……シレン、やっぱり童貞ですわねぇ》

 

 

 …………ひょっとして、俺もポンコツお嬢様成分をけっこう担っちゃっているのか……!?

 

 

 


 

 

 

第二章 二者択一なんて選ばない PHASE-NEXT.

 

 

七六話:閉会、その前に How_to_Call.

 

 

 


 

 

 その後。

 

 馬場さんと別れた俺達は、何故かお父様・お母様と一緒に、上条家と会食をしていた。

 ……これには深い事情がある。実はこの後、上条さんも巻き込んで今回の一件のお疲れ様会をしようと(レイシアちゃんが)提案し、食蜂さんと美琴さんがそれに乗っかったのだが、そのお誘いをする為に上条さんに声をかけようとしていたときに、お父様に捕まってしまったのだった。

 どこからかお疲れ様会の情報を察知していたお父様は『パーティに野郎を呼ぶなら僕も顔を見ておきたい』『僕の情報網にレイシアがツンツン頭の少年と腕を組んでいたという目撃情報が引っかかったんだけどそれはいったいどういうこと?』などと宣っており、絶対についていくと言って聞かなかったのだ(なお、レイシアちゃんに本気でキモがられ、許してあげる代わりに情報網の全共有を約束されていた。バカすぎる……)。

 

 

「いや~、すまないね刀夜! とんだ誤解だったみたいだ!」

 

「ワッハッハッハ! 気にするなギルバート! ウチの当麻はなぁ、こう見えてなかなか奥手でだなぁ……」

 

「やめろ馬鹿親父!」

 

 

 刀夜さんとお父様はお互いに肩を組みながら笑い合っているし、上条さんはそんな刀夜さんに対して少し照れくさそうな居心地悪そうな感じである。

 かくいう俺も、なんというか気まずい感じがすごいある。友人の前で家族に出て来られると、なんか困るよね。一緒にいるインデックスはきょとんとしちゃってるし。

 

 ちなみに、今俺達がいるのは比較的お高めなファミレスである。チェーン店だがメニューが高めなので、此処に来るときはごちそうだーってなりがちな感じのところである。

 多分、うちのお父様が誘導したから上条家も多少無理をしつつご一緒してくれたんだろうなあ……。申し訳ない。こういうときに気を遣えないのはホントダメだよ思うよ、お父様。

 

 

「あの……上条さ、」「……家族の前で名字呼びだと、なんだかややこしいし他人行儀な感がありますわね?」

 

 

 ……! れ、レイシアちゃん……! おま、それ婚后さんが名前呼び出来なかった後のタイミングで言い出すか!?

 

 

「ん、言われてみればそうだな……」

 

「じゃ、当麻と呼びますわ。ね、シレンも」「え、えぇ……。……まぁ……そうですわね。では、当麻さんと……」

 

「あらあら、当麻さんってばなんだか淡い青春を楽しんでいるみたいねえ」

 

 

 うぐ、なんかとんでもなく恥ずかしい……。

 

 

「……シレンちょっと。顔が熱いですわよ。顔に出るほど照れるんだったら事前に言ってくれませんか? これちょっと……顔が熱いですわ!」

 

「わー、レイシア、顔真っ赤かも。熱とかあるの?」

 

「お静かに! 照れてませんわなんでもありませんわ! 知恵熱、そう知恵熱なのです。いっぱい能力を使ったから知恵熱が出ているだけなのですわ! それと! そう、祝賀会のお誘いですわ。今回の一件のお疲れ様会をやるので、と、当麻さんとインデックスもいかがかしら!?」

 

「お、おう……」

 

「祝賀会!? おいしいものいっぱいある!?」

 

 

 ……ふう、よし。話題は切り替わった。

 あとは向こうの馬鹿親父チームに感づかれる前に気持ちを落ち着けて……。

 

 

「あらあら、当麻さんってばお昼も女の子と親し気にしていたのに、またこんな。ちょっとお話を聞かせてもらえるかしら? 場合によってはお母さん、『先達』の被害者としてちょっと教育してあげないといけないわね?」

 

「ハァ……。その話、わたくしにも詳しく聞かせていただけるかしら……? 愛娘が置かれている状況は、きちんと把握しておきたいので……。……それとレイシアも、話を聞かせてもらうわね……?」

 

「…………う」

 

 

 ────そのあとのことは、あまり語りたくない。

 

 ただ、一言だけ言うならば──地獄だった。



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おまけ:とある乙女の競争原理(ストラグル)

 翌日、大覇星祭三日目──全競技終了後。

 木原幻生が起こした──大事件『簒奪計画』阻止お疲れ様会を兼ねた祝賀会は、第五学区の高級ホテルのパーティホールを丸々一つ貸し切って行われた。

 

 経緯を説明すると、最初はシレンの復活記念パーティのときのように関係者だけ集めて、大きめのカラオケボックスか何かでワイワイやるつもりだった。

 しかし、レイシアの提案によって上条当麻を参加させることになった瞬間、状況が一変した。御坂美琴に続いて食蜂操祈が参加を表明したことで、食蜂の率いる『最大派閥』の面々が参加を表明したのだ。

 それに呼応するようにGMDWも全員が参加を表明し、それならと御坂美琴の友人にして今回の事件の功労者──白井黒子、初春飾利、佐天涙子、婚后光子、湾内絹保、泡浮万彩も招待することになり。

 そして上条当麻の同居人であるインデックスとその友人である風斬氷華も流れで参加することになり、主催者であるレイシア=ブラックガードの強い希望によって馬場芳郎も参加することになった。

 馬場芳郎は参加にあたって同僚と称する少年と少女の同席を強く希望していたが、そちらは両名からの拒絶によって残念ながら実現しなかったようだ。

 かくして食蜂派閥五〇人、GMDW一〇人、御坂美琴と学友七人、上条家三人、馬場芳郎の総勢七一人という大所帯でのパーティとなり、広めのパーティ会場を用意しなければとてもではないが全員入りきらなくなってしまったのだった。

 

 なお、今回の一件については、『テロリストの陰謀を阻止した』という齟齬の起きにくい記憶に改変されている。MNWの話や『ドラゴン』の話など、公にするわけにはいかない話が幾つも転がっているので、この措置については妥当というところか。

 ……もっとも、この措置にはいくつかの例外があるが。

 

 

「はー……すっごい広い会場だなあ。流石お嬢様っていうかなんというか……」

 

「ふふ、落ち着きませんか?」

 

 

 会場を物珍し気に見ている上条に、シレンは軽く笑いながら話しかける。

 声の方を何気なく見た上条の視線は──しかしレイシアの方にはほんの数瞬向けられた程度で、すぐに軽く逸らされてしまった。

 ありていに言えば、目のやり場に困っていた。

 

 現在のレイシアの装いは、常盤台中学の制服ではない。白と黒を基調とした、シックな、それでいて高級感溢れるドレス姿だ。

 それだけならご令嬢なのだしパーティなのだし……で流せたのだが、問題はその露出度だった。レイシアのドレスは、肩出しなのだった。

 ドレスは鎖骨の下くらいまでしかなく、その中学生離れした谷間が普通に見えている。腋のあたりから少しだけはみ出ているおっぱいとか、思春期の少年である上条にはあまりにも刺激が強すぎた。

 

 というか、こういうフォーマルな場に着ていく服のない上条はしょうがなく制服姿なのだが、めちゃくちゃ自分が浮いているようでとても困っていた。向こうの方で何やらGMDWの面々に囲まれている馬場とかいう少年を取っ捕まえて、早く男二人になりたいと心の底から思っていた。

 

 

「なんつーか……分かってたつもりだったけど、こういう場に来るとレイシアとシレンってホントにお嬢様だったんだなーって思うよ」

 

「……そんなに肩肘張らなくてもいいんですのよ? 一応、『見栄』で着飾ってはいますけど、わたくし達だって普通の中学生ですもの。見た目ほど大したものではありませんわ」

 

「(…………いや、シレンは色んな意味で『中学生』ってトコに説得力がないと思うのでせうが)」

 

 

 胸元に手を当ててお淑やかに言うシレンに、上条は目線を逸らしたまま言う。

 なんというか……シレンは、全体的に『大人っぽい』のだ。レイシアはまだ年相応の勝気な態度があって、そのあたりで幼さを感じる部分もあるのだが……シレンにはそういう棘がない。

 まるで近所のお姉さん(大学二年生。彼氏ナシ。女子校出身)かと錯覚するような包容力と無防備さなのだ。男上条、まさか年下の少女に性癖(寮の管理人のお姉さん)を刺激されるとは思ってもみなかった次第である。

 

 

「ところで当麻さん、拳の方は大丈夫なんですの?」

 

「ああ、この通り。ちょっと冷やしたら痛みも腫れもすっかり引いたよ」

 

 

 そう言って、上条は右手を握ったり開いたりしてみせる。一応カエル顔の医者にも見せてみたものの、問題なし。なお、その際カエル顔の医者からは『やっぱり君の身体は大概ファンタジーだねー?』という有難いお言葉を賜ったとのこと。

 無論、本来なら骨折しているはずの拳がすっかり無傷になっているのは流石におかしいだろという意味である。

 

 

「それならよかったですわ。結局あの後さらにボロボロになられていましたから」

 

「そうだよそれ!」

 

 

 そこで、上条はようやく気を取り直して話題を切り替える。

 結局あの後、上条は一人で声の主を助けに行った。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、無事に助けて美琴とレイシアに引き渡したことは覚えている。

 ……だが、そもそもレイシアや美琴が来ればそこまで消耗することもなかったはずなのだ。なのにレイシアは同行しないどころか、美琴まで引き留めてしまっていた。上条としては、レイシアのせいで余計な苦労を背負わされた形だ。

 

 

「無事に声の人を助けることはできたから、それはいいんだけどさ、なんでお前らついてきてくれなかったんだよ! お陰で色々大変だったんだぞ!」

 

「それはだって、王子様が助けに来たって場面でその横に別の女がいたら、お姫様だって興醒めですもの」

 

「え……? いや、話が繋がらないような……?」

 

「繋がるのです。それでいいのですわ」

 

「ええー……? 繋がらないような……???」

 

 

 釈然としない上条だったが、シレンにしては珍しく迫力ある態度だったので、なんとなく押し切られてしまう。

 というか、何か怒っているような気さえする。上条の乏しい対人能力が、此処を深掘りするのは寿命を縮めると訴えていた。

 

 

「アンタ達、盛り上がってるみたいじゃない」

 

 

 そこで、ドリンク片手の御坂美琴がやってきた。

 美琴もレイシアと同じく、普段とは違う服装となっていた。青いドレスを身に纏っており、いつもより大分大人びた印象だ。……が。

 

 

「……うわ、なんだそれ。全然似合わねえ」

 

 

 それに対する上条の一言には、遠慮のえの字もなかった。

 なんというか、シレンのときと扱いが違いすぎる。

 

 

「な、なんですって!? 何よ、これでも常盤台の子達からはけっこう好評なんだからね!! アンタの方こそ節穴なんじゃないの!?」

 

「そりゃ普段のお前のことを知らないだけだろ。ビリビリ中学生がドレスねえ……静電気でスカートがめくれ上がらないか心配だけど」

 

「ぬわんですってえ……!」

 

「どうどう、美琴さん。ちゃんと可愛いですわよ。落ち着いて……。当麻さんもあまりからかってあげないでくださいまし」

 

 

 流石にパーティでビリビリをやられてはかなわないとばかりにシレンがいきり立つ美琴を宥めると、上条も矛を収めた。

 美琴も怒りを引っ込めたが……この場合、怒りを引っ込めたというよりは、もっと別の部分に興味が向いてそれどころではなくなったと言うべきだろう。

 つまり。

 

 

「…………アンタ、今なんて?」

 

「え?」

 

「ほら今の、あの……そいつのこと」

 

「そいつ……当麻さ、……あっ、ああ! え、ええと……まあ」

 

 

 上条の呼び名である。

 シレンも途中まで流しかけてから気付いたようだったが、ついこの間までは『上条さん』呼びだったのが『当麻さん』に変わっているというのは、相当の変化である。当然、美琴の乙女心は『それに足る大きなイベントがあったのではないか?』という当たり前の危惧を想起する。

 

 

「な、成り行き……ですわよね?」

 

 

 それに対し、シレンの回答はあまりにも玉虫色であった。

 

 

「ん? ああ、こないだたまたま、俺の家族とレイシアの家族でばったり会ってさ。一緒に飯食ってたんだけど」

 

「ご、ご飯を!?」

 

「なんかリアクションすごいな……? で、その時に『皆上条だし名字で呼ぶとややこしいよね』って」

 

「そ、そうなんだ……。ふーん……。ふ────ん」

 

 

 最悪の事態でないことは分かった美琴だったが、予断を許さない状況であることに変わりはない。あと、上条がシレンとの距離を近づけていることに無自覚なのも、何となく腹が立つのだった。

 紫電は迸らない。迸らないが、それとは別種の黒い感情が渦巻いていく。

 悟ったのはシレンの方だった。

 

 

《……レイシアちゃん。流石にこれは俺も分かるよ。美琴さんは、上条さんのことを名前で呼びたいんだね?》

 

 

 それはかつて、婚后光子のアピールをシレンが素通りしてしまった部分。

 同じ過ちは繰り返さないとばかりに、シレンは美琴に助け舟を出そうとして、

 

 

《シレン! お待ち!》

 

 

 レイシアに制止された。

 

 

《どうしたのレイシアちゃん。またヒロインレースの優位性がどうのこうのみたいな話?》

 

《いいえ。シレンの気持ちはもう分かりましたわ。シレンがそれで納得するなら……まぁ、敵に塩を送るのも構いません。ですが! 今の美琴に当麻の名前呼びは早すぎますわ!》

 

《なんか言わんとしていることは分かるような、分からないような……》

 

《美琴はですね、ツンデレなんですのよ》

 

 

 レイシアはそう言って、講釈モードに入ってしまう。

 

 

《ツンデレといっても、アレですわよ? 周りに人がいるときはツンツンしているけど二人きりになるとデレデレという原義のものではなく、ツンツンしているのが徐々にデレていくというあっちですわ》

 

《うん。俺はレイシアちゃんが順調にオタク知識を吸収していってくれてるようで嬉しいよ》

 

《無視しますわ。……で、そういう手合いは許容できる『デレ』の限界値があるのです。美琴もそうですし、インデックスも案外そうですわ。今の美琴が名前呼びなんてしてみなさい。……オーバーヒートで済めばまだマシ。最悪、照れすぎて逆に上条を遠ざけて疎遠になるまでありますわよ》

 

《そんなに……》

 

 

 恐々といった感じの声色を作るレイシアだが、強ち言い過ぎとは言えないのが哀しいところだった。

 確かに、そう言われれば美琴に関してはあまり距離を詰めさせるのは考え物かもしれない。

 

 

《ですから、此処はあえてスルーです。あんまり助け舟を出しすぎてもよろしくありませんわよ。というか、やるなら上条の食蜂に関する記憶復活が先でしょうし》

 

《あ~、そうだね……》

 

 

 というわけで、二人の間で美琴に関しては経過観察で意見が一致。

 ふーんふーんと言っている美琴の方に白井が向かっているのを横目に見ながら、上条の袖を軽く引っ張ってインデックスの方を指差す。

 GMDWの面々によって見繕われた白いドレスに身を包んだインデックスは、パーティなどそっちのけで豪勢な料理に舌鼓を打っていた。一応、一人きりではなく、傍に桐生千度や阿宮好凪などもいるようではあるが……。

 

 

「……インデックスがあのままというのは主催者的にもちょっとアレですので、ちょっと一緒についてきてくださいます?」

 

「ご面倒をおかけします」

 

 

 苦笑するシレンに、上条もまた苦笑で返しながら頭を下げる。

 同居人というより保護者だなあ、と暢気に考えるシレンであった。

 

 

 


 

 

 

第二章 二者択一なんて選ばない PHASE-NEXT.

 

 

おまけ:とある乙女の競争原理(ストラグル)

 

 

 


 

 

 

「インデックス、楽しんでますか?」

 

 

 かけられたレイシアの声に、インデックスは食べる手を止めて応じた。真っ白い可憐なドレスを身に纏っているその姿は、どこかの国のお姫様のようだったが……右手にから揚げ、左手にスパゲティを纏ったフォークを構えているその姿は、どこからどう見ても食べ盛りの子どもだった。

 ごくんと口の中のモノを呑み込んだインデックスは、にっこりと笑顔を浮かべて頷く。

 

 

「うん! とっても楽しいかも! ひょうかとも話せたし、レイシアの友達は良い人ばっかりだし!」

 

「そそそ、それは照れ臭いですね……。インデックス様の方こそ、一緒にいるだけで何だか心がほんわかしますよ」

 

「オカルトではないシスターの奉仕の精神についてのお話、とても興味深かったですでございます!」

 

 

 どうやら、インデックスもインデックスでそれなりに馴染んでいるらしい。

 というより、こういう場で誰からも好かれるのが、インデックスという少女である。気付けば誰とも仲良くなっていて、誰かの心を多かれ少なかれ救っている。だからこそ、彼女自身の心は救われていなかったのだから──とシレンは上条の横顔を見るが、肝心のツンツン頭の少年は、やはりと言うべきか、食い気ばかりのインデックスに呆れているようだった。

 シレンは少し寂しそうに笑い、

 

 

「楽しめているなら何よりですわ。せっかくのお疲れ様会ですものね」

 

「……お疲れ様会」

 

 

 と、そこでインデックスはその言葉に反応して表情を曇らせる。

 そこから読み取れる不満は、主に上条に向けられているようだった。

 

 

「とうま、また危ないことしてたの?」

 

「こ、今回は俺だけじゃねーよ! っつか、俺なんか最後の方にちょっとだけ手助けしただけだし。殆ど、主役は御坂やレイシアの方だよ。他にも訳分かんねー能力者とか大人とかいたけど。風斬だっていたんだぜ?」

 

「…………それはそれで、私だけ仲間外れだから複雑かも。っていうかこれ、前にも言ったような気がするんだけど? シレイシアがいるときはいっつも私だけ仲間外れになってるかも!」

 

「そ、そんなことはありませんわよ……」

 

 

 実際のところ、インデックスが『ドラゴン』を目の当たりにしていれば、どうなったかは分かったものではない。全く組成が理解できずに終わるか、案外既存の一〇万三〇〇〇冊で説明できるのか、それを観測することで新たなる魔術知識が生まれてしまうのか。

 そういう意味でインデックスを呼ぶことができなかったというのもあるのだが、そこはそれである。

 

 

「それに今回は俺、大した怪我もしてないしな。前回に引き続き、これは上条さんも成長してるんじゃないかなと思うわけですよ」

 

「……私は『たまたま運がよかっただけ』だったと思うけど」

 

 

 ジト目のインデックスの一言に、上条はうっと言葉を詰まらせた。

 実際、一歩間違えば死ぬ戦いだったのは否めないのだ。というか、幻想殺し(イマジンブレイカー)でも消しきれない攻撃が大半だったし、味方があれだけの数いなければ、上条の右手も吹っ飛んでいたかもしれない。そういう意味では、『たまたま運がよかっただけ』というインデックスのツッコミもあながち間違いではなかった。

 

 

「まぁまぁ、インデックスさん。インデックスさんの目が届かないところは、わたくしがちゃんと見張っておきますから」

 

「まぁ、シレンが見てくれるなら安心かも。お願いね? とうまは目を離すとすぐに無茶をするから」

 

「なんか手のかかる子供みたいな扱いを受けている気がするのでせうが……」

 

 

 上条は困り果てて頬をかくが──一方で、そのやりとりを見る阿宮と桐生の表情は冷ややかだった。

 

 

「……すすす、好凪さん。アレはやはり……」

 

「ええ。アレが噂の、シレンさんの……。あのツンツン頭が……。急いで夢月さんに報告しないと」

 

 

 ──恋愛闘争は、まだ始まったばかりである。

 

 

 


 

 

 

「あらぁ☆」

 

 

 インデックスのお小言から逃げたい、というアイコンタクトを受けたシレンがそれとなく別の場所まで上条を誘導していると、ちょうど輪の中から外れた食蜂とばったり鉢合わせた。

 ――というのは、実は間違いである。輪の中から外れたのは完全無欠に食蜂が上条の姿を見つけたからで、声をかけるところまで彼女の計算通りである。位置的に、上条は後ろ、レイシアは前に立った状態で食蜂と対面しているのだが、食蜂は清々しいほどに上条の方に視線を向けていた。

 食蜂もまた普段の制服姿とは違い、オレンジを基調としたドレスを身に纏っている。レイシアとは違いハイネックのドレスだが──背中が大きく開いている為、レイシアとはまた別種の大人の女性としての魅力が花開いていた。

 思わぬ遭遇に上条は照れつつも、傍らのレイシアに問いかける。

 

 

「こちらのお嬢さんは?」

 

「わたくしの同級生ですわ。名前は──」

 

 

 そこまでシレンが言ったところで、食蜂は上条の後ろに回り込み、主導権を奪い取るようにレイシアの腕に自分の腕を絡ませて、上目遣いで上条を見上げて言う。

 

 

「わたしぃ、ブラックガードさんのお友達で、食蜂操祈って言いますぅ! よろしくねぇ☆」

 

「ちょ……キモ、急に腕とか絡ませないでくださいますッ? っていうか猫なで声……キモいですわ!」

 

「やん、ひどぉい☆」

 

 

 突然のボディタッチに思わずレイシアが零した言葉に白々しいリアクションを返しつつ、食蜂はひらりと腕を離す。そして、まるで舞踏会で踊っているかのような軽い足取りでくるりと回ると、上条に笑みを向けた。

 

 

「そうですわよ、レイシアちゃん。キモイは酷いですわ。食蜂さん、こんなに綺麗におめかししているんですもの。ね、ドレスも素敵ですわ。お似合いですわよ」

 

「…………アナタ、口に出す前に人格間で意思力を統一してから喋ってくれるかしらぁ? やられる側はリアクションにとっても困るんだゾ」

 

 

 こほん、と食蜂は咳払いを一つして、上条の方へ一歩距離を詰める。

 下から見上げるようにして顔を近づけると、にっこりと笑って、

 

 

「……()()()()()()、上条さん」

 

「お、ああ。……はじめまして……? ん、ってか、今……」

 

「あ、アンタぁっ! 何……してんのよ!」

 

 

 上条が何かの違和感に気付きかけた、ちょうどその時。

 割って入るように、距離の近い食蜂を制止する美琴の声がパーティ会場に響く。慌てたのはレイシア──もといシレンである。シレンとしては食蜂の気持ちも大いに分かる為、こういうボーナスタイムではちょっとくらい好きにさせたいという気持ちがあるのだ。

 もちろん、いずれはボーナスタイムだけではなく、何度も『はじめまして』と言わずに済むようにしてやりたいとも思っているが。

 そういう気持ちもあり、レイシアは食蜂と美琴の間を仲裁する形で状況を説明しようとする。

 

 

「いや美琴さん、今のは別に特別な局面ではなく、ただ当麻さんに食蜂さんを紹介していただけで、」

 

「…………当麻さん?」

 

 

 ──結論から言おう。

 その選択は、この場においては最悪の行動であった。

 

 

「ブラックガードさぁん? 随分、殿方と親密力が高いのねぇ?」

 

「っつか、アンタもアンタで初対面にしちゃ馴れ馴れしすぎない? なに、私に喧嘩売ってんの?」

 

「とうまー! ちょっとちょっと! このエビフライ、超特大サイズなんだよ! これは毎日食べたいんだよ! どこで売ってるのかシェフの人に聞いた方がいいかも! そして買って!」

 

 

 のちにパーティに参加していた者は口を揃えてこう語る。

 

 ────あのパーティの一角には、()()が顕現していた、と。

 

 

 


 

 

 

 その地獄から少し離れたところ。

 数人の男女が、今まさに展開されている修羅場を遠巻きに眺めていた。

 

 馬場芳郎。

 刺鹿夢月。

 佐天涙子。

 風斬氷華。

 

 それぞれあの修羅場を形成している一角のことを良く知る面々である。

 ちなみに、近くには帆風潤子もアワアワと様子を見守っているのだが、彼女の場合は鈍感すぎて修羅場の機微など分からずただ何となく『険悪そうな雰囲気だなあ』としか思っていない。

 

 

「…………本当に、あの女は僕をこの場に呼んで何がしたかったんだ……? 修羅場観察……?」

 

「御坂さんはかわゆいなー……」

 

 

 馬場の横でのほほんとしている佐天。

 なお、彼女の記憶からは改変の過程で馬場の記憶は消されていた。馬場の方もそれは承知していて、あえて今は初対面を装っているのであった。

 

 

「……っつか、シレンさんは……やっぱり……あの殿方のことが……」

 

「ま、まぁ、それはシレンさんのみぞ知る……って感じだと思いますけど……というか上条くんの周り、あ、あんなにいっぱい女の子が……」

 

「……よく考えたらあのツンツン頭、常盤台の超能力者(レベル5)三人に憎からず思われているのか? 凄いな……まぁただの無能力者(レベル0)ではないとは思っていたけど」

 

「くぅ……御坂さん! そこで照れちゃダメ! 相手は圧倒的母性のレイシアさんなんですよ! 押せー! 押せー!」

 

「そしてコイツはさっきからなんでヤジを飛ばしてるんだ……?」

 

 

 見守るスタンスも千差万別である。

 この中で一番協力的なのは佐天だ。彼女は隙あらば美琴が上条とくっつくように誘導したがる節があった。

 一方、刺鹿を始めとするGMDWの面々はレイシア及びシレンの恋愛については、あまり好印象を覚えていない。──いや、大半は『困惑している』『傍観している』といった関係だろうか。だが、刺鹿など一部については白井同様に冷ややかな視線を向けているし、理由があれば直接苦言を呈そうとすら思っている節がある。

 

 そして。

 そんな風に数多くの視線を集めている状況と──上条当麻。

 これほど相性の悪い組み合わせはこの世にそうないと言ってもいいだろう。

 

 何故なら。

 

 

「だから! アンタいい加減離れなさいよ! 何その乳を腕に押し付けてる体勢! そりゃ押し付けても潰れる胸がない私に対する当てつけか!?」

 

「えぇー? 御坂さんこわぁーい☆ 上条さん、私病み上がりで不調力が高くてちょっとフラついちゃってぇ、ちょっと腕貸して欲しいなーなぁーんて」

 

「こ、の、ぶりっ子女…………ッッッ!!!!」

 

 

 ──何やかやで上条の左腕にくっついて胸を押し当てる食蜂と、口で言っても聞かなかったのでしびれを切らしてそれを引き剥がそうとする美琴。

 それをちょっと困った調子で落ち着かせようと頑張るが聞く耳持たれていないシレン。インデックスはエビフライ交渉の結果機嫌を悪化させたのか、上条の頭に噛みついていた。全体的に不幸である。

 

 その状況で。

 

 

「だから! さっさと! 離れなさいって言ってるでしょうがあ!」

 

 

 グイ! と美琴が、上条と食蜂の間に割って入ろうとする。ただでさえ密着している食蜂は、それでバランスを崩してしまった。

 それに対して迅速に反応したのは、シレンだった。

 倒れそうになっている食蜂を風の力で支えようと、亀裂を展開しようとして──

 

 

「あ、」

 

 

 そこで、広げた亀裂がよろめいた上条の右手に触れた。

 直後。

 

 パキィン! という音と共に亀裂が砕け──そして、中途半端な暴風が発生する。

 吹いた風は上条を吹き飛ばし──目の前にいたシレンの胸元に顔を埋める形で転倒した。

 頭に噛みついていたインデックスは転倒の拍子に、上条の首筋を太腿で挟み込むように座り込む。

 食蜂と美琴もまた倒れ込み上条の両頬に自分の胸元を押し当てるような形になった。

 

 

「と、桃源郷だ。……あ、いや、阿鼻叫喚の間違いだった」

 

 

 呻くように言った馬場だったが、直後にジロリと四方から視線を向けられ、慌てて訂正する。

 そして実際、訂正後の表現の方が状況に適しているといっていいだろう。

 

「ちょ……当麻さん!? くすぐった……っ、その体勢でモガモガ言わないでくださいますか!? というかインデックスさん! 早くどいてくださいまし! このままだと当麻さんが窒息してしまいますわ!?」

 

「とうま? とうまー!? どこ行ったの! まだ話は終わってないんだよ!」

 

「……………………きゅう」

 

「しょ、食蜂!? 食蜂が気絶したわ! ちょっとこれどうするのよ! 収拾つかないんだけどー!?」

 

「上条当麻……! 馬脚をあらわしやがりましたね! やはり貴様にシレンさんは任せられない!!」

 

「御坂さん! そこでもうちょっと頑張って! 大チャンスですよー!」

 

 

 まさしく阿鼻叫喚の状況で、羞恥で顔を真っ赤に染めたまま、シレンは口がふさがっている上条の代わりに、万感の思いで一言呟いた。

 

 

「…………不幸ですわ……」

 

 

 なお。

 この一件については食蜂より緘口令が敷かれたが、人の口に戸は立てられない。

 『常盤台に三人いる超能力者(レベル5)を全員侍らせている激ヤバ無能力者(レベル0)がいる』という噂がまことしやかに囁かれ、その後処理に三人の乙女が苦労したとか、しなかったとか。

 

 

 


 

 

 

「あァ? 何よこの依頼。こんなお使い、二軍の雑魚共にでもやらせとけばいいじゃない」

 

 

 ――プライベートプール。

 その横に設置されているビーチチェアで、少女の不機嫌そうな声がした。紫色のビキニとパレオ姿の女性は、備え付けのテーブルにタブレットを放り投げる。

 それを拾った白い水着姿の少女が、さらに資料を読み込みながら言う。

 

 

「暴走したサイボーグの捕獲。……と言っても、この依頼を見る限り『捕獲作業』自体は超私たちの仕事ではなさそうですね。そっちは二軍の……屍喰部隊(スカベンジャー)? とかいう連中がやるみたいですが」

 

「興味無いわよ。なに? 上は私達に雑魚のお守りでもしてろっての?」

 

「いえ、どうもこれを見ると……どうやら、想定される障害として超能力者(レベル5)――白黒鋸刃(ジャギドエッジ)と、我々と同様の機密レベルの暗部組織の介入が超予測されているようですね」

 

「へぇ?」

 

 

 そこでようやく、不機嫌そうだった少女の声色が上向く。

 ただしそれは、好意的な感情によるものではない。

 

「……? でもこれ、超奇妙ですね。まるで起きたあとみたいに断定的な書き方なのに、サイボーグの暴走自体はまだ起こっていないようなんですが……我々には待機していろって命令のようですね」

 

「どうでもいいわ」

 

 

 白い水着の少女の懸念はバッサリと切り捨てて、紫色の水着の少女は静かに笑みを浮かべる。

 まるで爬虫類か何かのような印象を見る者に与える、引き裂かれた獰猛な笑みを。

 

 

「面白いじゃない。お手並み拝見といかせてもらうわよ――()()()()

 

 

 第四位――麦野沈利との邂逅の時が、静かに迫っていた。






【挿絵表示】

画:柴猫侍さん(@Shibaneko_SS


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  第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.
七七話:閉会、それから


 さて、楽しい時ほど過ぎるのは早い──なんてよく言ったもので。

 

 瞬く間に大覇星祭の日程は過ぎ去って、いつの間にか閉会式を終えた最終日になっていた。

 第七学区のとある公園。大きめのキャンプファイアーを囲って、少年少女がフォークダンスを踊っている姿を横目に見ながら俺達は休憩していた。

 

 

「ふいー…………大変だった」

 

「ふふ……お疲れさまでした、当麻さん。手伝ってくださってありがとうございます」

 

 

 自販機で買ったジュースを手渡して、俺はベンチに座る上条さんの前に立つ。

 

 塗替斧令は、犯罪者である。

 俺達のプライバシーを勝手に世間にばらまき、ほかにも色々と不正をしたのがその罪状だ。ただし……その罪状にくっついていた政治犯という名目は、幻生の手によって後付けされた無実の罪だったわけで。

 その塗替の無実の罪をはらし、きちんと罪を償ってもらうために、俺達は今日まで奮闘していた。

 ただ、学園都市としても色々面子とかがあったりするわけで、ミョーな圧力とかがあったりしたわけなんだけども、そのへんは問題なかった。何せ俺達も無力な子どもではないからね! 色んなコネを使わせていただきました! お陰でなんだかちょっとしたたかになれた気がします。GMDWも集団として強くなれた。

 

 ……まぁ、そんなことしてたら向こうが強硬手段に出て来て、結局当麻さんに手伝ってもらったりしたわけなんだけどね。

 

 そんなわけで塗替に余計な罪をくっつけることで『外』の企業を乗っ取ろうと画策していた学園都市の研究所の生臭研究者に雇われたチンピラに襲われていたところを、偶然通りすがった当麻さんに助けてもらい。

 そのままノリで一緒に研究所に殴り込んで、色々と解決した。今はその帰りだ。いやぁホントに助かりました。

 

 

「しっかし、レイシアもシレンもお人好しだよな。アイツ、お前の秘密をバラして嫌がらせしやがった婚約者とかってヤツだったんだろ? 一回ブン殴ってやろうと思ったのにそのまま帰っちゃうし」

 

「おほほ、わたくしが既に一発ブン殴ってましてよ」「お気持ちは嬉しいですが、彼はきちんと正当に裁かれていますもの。これ以上はやりすぎでしてよ」

 

「う~ん、そんなもんかなぁ」

 

 

 ベンチに腰掛けた当麻さんは、そう言って頭をかいた。

 ……しかし、当麻さんがここまで怒るなんて珍しい。いつもは事件が終わったらスッパリ切り替えるタイプなのに。

 

 

「なんつーかさ、悪かったな」

 

 

 と。

 隣に腰を下ろした私に対して、当麻さんは神妙な面持ちをしてそんなことを言い出した。

 

 

「婚約破棄のこと。俺はけっこう前から聞いてたのにさ。結局、何もお前達にしてやれなかった。色んなものから守ってやることもできなかった。……なのによく頑張ったな。二人とも、ホントすげーよ」

 

 

 ……あー、なるほどね。塗替がどうとかというよりは、約束を守れなかったことに対する罪悪感というか……当麻さんの中では、俺が暴露話のゴタゴタで一時的にでも追い詰められてたのが、自分の落ち度としてカウントされてるわけね。

 まぁ確かに、当麻さんってそういうところあるよねぇ。うん。別に塗替さんに特別何か思うところがあるとか、そういうわけではないよね。

 

 

《……シレン?》

 

《いや、別に》

 

 

 俺は気を取り直して、

 

 

「塗替さんとのことなら、気にしないでくださいまし。むしろわたくし達の都合に巻き込んでしまって、申し訳なかったくらいですの」

 

「いやいや! お前らが俺のことを信頼して任せてくれてたってのに、結局あんなことになっちまって……レイシアとシレンが強かったから何とかなったけど、やっぱ何かさせてくれよ!」

 

 

 ああ……そういえば信頼とかそういう話になってたね。なんかもうそれでいいけど……。

 

 

「なら」

 

 

 呆れてぽかんとしていると、レイシアちゃんが口を開く。俺がそれに対して嫌な予感をおぼえて静止するよりも先に、レイシアちゃんはさらにこう続けた。

 

 

「わたくしの、婚約者になってくれませんか?」

 

 

 …………………………………………ゑ?

 

 

「バッ……!! レイシアちゃんな、」「わたくしブラックガード財閥の跡取り娘ですので! この手の縁談話は、これからもどんどん舞い込んでくると思うのですわ! そういうときに既に将来を約束した人がいますという言い訳はとても便利なのです!」

 

「う、お、さ、流石にそれは……」

 

「さっきなんでもするって言いましたわよねぇ!?」

 

 

 言ってない……! 言ってないよレイシアちゃん……! 何かさせてくれとは言ったけどなんでもするとは言ってないよ……!!

 だが、当麻さんはレイシアちゃんのあまりの剣幕に押し流されて思わずうなずいてしまう。ああ、こうして既成事実が生まれてしまった……。

 しかし困ったことに、このレイシアちゃんの一手自体はわりと有難くはあるのだ。これから俺達はブラックガード財閥の跡取りという『外』の有力者の跡継ぎであると同時に、常盤台の一大派閥GMDWのリーダーで超能力者(レベル5)裏第四位(アナザーフォー)という『内』の有力者にもなるわけだから……。そんな俺達のことを利用したい人は、それこそ山ほど出てくる。まぁそんな連中の誰もが婚約なんて迂遠なやり方をしてくるとは思えないけど、でも文字通り『露払い』という意味では、けっこう使えるんじゃないだろうか。

 

 

「上条──いえ、当麻! 前に言いましたわよね? わたくし、ハンパな気持ちでこんなこと言ったりしませんわ。アナタはどうなんですの!? これは婚約がどうとかなんて話ではありませんわ! わたくしと! アナタの! 覚悟の問題なのですわ!! アナタはわたくしの想いに見合う覚悟を見せられまして!?」

 

 

 う……! 上手い……! 一〇〇%婚約がどうとかの話なのに、勢いでうまく問題をすり替えてる! しかも誠意の話に持っていくことで、当麻さんが断りづらい空気を作ってる! あくどい……あくどいよレイシアちゃん!

 

 

「……………………」

 

 

 それに対し、当麻さんは──

 

 

「…………分かった。そうだよな。あのとき果たせなかった約束を守る。お前らの信頼に応える。何も難しいことねえじゃねえか。いいぜ! なってやるよシレン、レイシア────お前らの婚約者ってヤツに!!」

 

 

 凄くカッコイイ顔でそんなことを言って、

 

 

「……………………こ、こん、やく?」

 

 

 そんなとき。

 

 最悪のタイミングで。

 

 

 御坂美琴さんがおいでになられました。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

七七話:閉会、それから Love_is_War.

 

 

 


 

 

 

「……ま、まぁ話は分かったわ」

 

 

 その後。

 テンパる美琴さんに対して、レイシアちゃんの対応は迅速だった。悪びれもせず、かといって焦りも慌てもせず、淡々と『建前』を説明。『当麻さんだからこそお願いした』というアピールもして、まだ素直になれない美琴さんは勢いに呑まれて普通に頷いてしまっていた。

 ちなみにその場には美琴さんの他に白井さんとか佐天さんとか初春さんとかもいたのだが、アレは完全にレイシアちゃんの『建前』には気づいてたね。その上で顔色一つ変えずに話を進めるレイシアちゃんの強かさに圧されてた。

 

 

「で、でもアンタもよくオッケーしたわね? 婚約者って言ったらそりゃ……こ、こ、恋人……ってことに……」

 

「あ? あー! あっはっは、そりゃねーよ御坂」

 

「へ……?」

 

「レイシアとシレンはな、今回みたいなゴタゴタがまた起きるのが嫌だから、その為に婚約者に俺を指名したんだよ。そういうんじゃないって。まぁ、先輩として俺のことを信頼してくれてはいると思うけどな? 御坂、お前もいい加減生意気ビリビリじゃなくてシレイシアみたいに俺の事──、」

 

「うるっっっ、さいっっっ!!!!!!」

 

 

 バヂヂヂヂヂ!! と。

 乙女の心を迂闊に逆撫でした当麻さんは、電撃を食らってひっくり返っていた。うん、まぁそのくらい痛い目は見た方がいいと思うよ。人の気も知らないで。

 ……あ。今の人の気っていうのは美琴さんの恋心のことだが……。

 

 

「……でも、ちょっと意外でした」

 

 

 そこで、佐天さんがふと俺の後ろに立って話しかけてきた。

 

 

「意外、ですの?」

 

「なんかこう……レイシアさんって穏やか~な感じで。こんな風に強引に男の人と距離を詰めるような感じには見えなかったな~って……」

 

「ふふふ……それはまぁ、」「アナタ、()()をモノにするのにそんな及び腰でいられると思いまして?」

 

 

 ここはのほほんと躱そうと思っていたら、レイシアちゃんはピッと絶賛突っかかられ中の上条さんを指差す。

 

 

「それは……」

 

「まぁ、アナタが美琴を手助けすることは止めませんわ」

 

 

 ……あれ。

 てっきり俺は、レイシアちゃんが佐天さんに『美琴の恋路なんだから余計な手出しをするな』くらいは言外に釘を刺すと思ってたけど……そしてそれやろうとしたら止めようと思ってたけど。

 

 

「た・だ・し。わたくしも遠慮はしませんわ。妨害なんてまどろっこしいことはせず、真正面から戦うと約束しましたもの。そうしたらきっと……あの子とだって、『そのあと』も後腐れなく付き合っていけるはずですわ」

 

 

 …………。

 レイシアちゃんは、俺の話を真面目に汲んでくれたんだな。そしてきっと、今、俺の背中を押してくれてる。これは佐天さんへの言葉であると同時に、俺への言葉でもあるんだ。

 

 俺の意思から離れて、身体が動き出す。

 今だに美琴さんにギャーギャー言われている当麻さんの手をスッと手に取ったところで、俺は意識して体の操縦権をとる。

 うんまぁ、恋愛ごととかは未だによく分かんないし。当麻さんへの感情も、正直信愛とか尊敬とかそういうタイプだとは思うし、そもそも恋愛感情というものがいまいち分かんなくはあるんだけど……。

 

 でも、分かろうと努力はしてみようと思う。

 

 そんな決意を込めて、俺は自分の意志で口を開いた。

 

 

「そこのお方。わたくしと一曲、踊ってくださいませんこと?」

 

 

 ──なお、この誘い文句はこのあとレイシアちゃんに『いくらなんでも芝居がかりすぎ』『上条が童貞じゃなければ笑われていた』『あれでムードぶち壊しにならなかったのが奇跡』など、散々に言われた。

 

 フォークダンスの記憶?

 

 恥ずかしくて覚えてないよっっっ!!

 

 

 


 

 

 

 その後。

 フォークダンスを終え、そろそろ人もハケてくるしということで解散となった俺達は、そのままホテルには帰らず、二四時間営業の喫茶店へとやってきていた。

 本来であればお父様とお母様水入らずの最後の時間になる予定だったのだが、ほかならぬお父様からの『用事』ということである。

 まぁ、この件については俺達も仔細は既に聞いているのだが……。

 

 

「お、レイシア! よく来たね。一人で大丈夫だったかい? すまないね、護衛の一人でも寄越そうかと思ったんだけど、あまり物々しいのは嫌いかなと思ってね……」

 

「お気遣いありがとうございます、お父様。でも途中まで当麻さんに送ってもらったので大丈夫ですわ」

 

「…………………………………………そうか……………………」

 

 

 うわ! お父様のテンションが一気にがた落ちに!?

 

 

「それより! そちらの────」

 

 

 そう言って、俺はちょうどお父様の陰に隠れる位置に座っている少女を見ながら言う。

 

 お父様の話はこうだ。

 

 『今回の件で、君達は急ぎすぎた』。

 

 本来、超能力者(レベル5)の公表はGMDWが組織として強くなり、外野からの攻撃を受けても耐えられるくらいに練度を上げてからの予定だった。

 でも、今回はそうもいかない事情があったせいで、予定を前倒しして公表した。つまりどういうことかというと、GMDWはまだ組織力が足りていないのである。

 お父様はそのことを危惧して、GMDWの足りない組織力を補うために学園都市内部に存在する傭兵集団を雇うことを提案してくれたのだった。

 俺達としてもこれは渡りに船な話なので、お父様が準備してくれるというお言葉に甘え、準備を丸投げにし──そして今日、雇われた傭兵集団との顔合わせなのであった。

 

 

「──徒花(あだばな)だ」

 

 

 立ち上がった少女を見て、俺は思わずぎょっとした。

 何故なら少女が、丈の長いエプロンドレスーーいわゆるメイド服を身に纏っている、ガッチガチのメイドさんだったから。

 りょ、繚乱家政女学校の生徒さんなのかな……? しかし、普通の学生さんがこう……なんというか依頼して雇われるプロの『傭兵』をやってるもんなのか……?

 

 

「学園都市公式の治安維持部隊に所属している。この格好は、そちらのオーダーで身に纏っているだけだ。……気にしないでいい」

 

 

 少女──徒花さんはそう言うと、恥ずかしそうにぷいと視線を逸らした。

 色白で、長身の女性だ。茶色がかった黒髪をおさげにして、両肩に垂らしている。その一言で、ぶっきらぼうだけど真面目な人なんだなぁということがよく分かった。だからプロの人なのにお父様が平然としているわけなんだね。

 

 

「護衛にはチームであたるが、護衛対象が常盤台中学に在学の令嬢という事情を考慮し、四六時中近くにいても不審に思われない立場として、メイドという役職を選択した。これからは、護衛チームの窓口としては主に私が貴方と接することになる」

 

「承知しましたわ。わたくし、レイシア=ブラックガードと申します」

 

 

 そう言って、俺達はお互いに握手を交わす。

 ほっそりとした、綺麗な手だった。なんというか、喧嘩とかもしたことなさそうな感じだ。窓口って言ってたし、徒花さん自身は戦闘職というよりはメッセンジャーとか管制官みたいな役回りなのかもな。そもそも今回の護衛って俺個人の護衛というよりはGMDWという組織全体の防御力の底上げだし。

 

 

「では、早速寮に向かうぞ」

 

 

 手を離すと、徒花さんはそう言って一歩進む。

 もう? と思ったのだが、徒花さん的にはもう顔合わせは済んだ認識なのかもしれないな。お父様の方をちらりと見ると『もう行っていいよ』と目線で合図されたので、大人しく徒花さんの先導に従うことにした。

 

 歩きながら、徒花さんは世間話をするような自然さで言う。

 

 

「私は繚乱家政女学校の外部寮及び本校実地実習担当で泊まり込みをしているということになっているから、誰かに聞かれたらそう答えておいてくれ」

 

「…………今更ですけど、大丈夫ですの? メイドは本職ではないのでしょう?」

 

 

 席から立ち上がって隣に並びながら、心配になって、俺は問いかけてみた。

 多分、こんな風に護衛の傭兵を任されるような人だし、ゴリッゴリにプロの人ではあると思うんだけど……。それだけに、お嬢様~な世界にちゃんとついていけるのか、不安だ。

 なんかこう……よく漫画やアニメとかである、殺し屋が平穏な日常にいることで逆にポンコツみたいになっちゃう展開を思い出す流れだし。

 

 

「心配は要らん。細かな所作については外部から補助を受ける。護衛の片手間で取り繕う程度は容易だ」

 

 

 そう言って、徒花さんは片耳に指を当てた。ああ、通信機を耳に仕込んでるのね。常時カンニング可能なら確かに所作については心配いらないか。流石プロ、潜入の為の心得もしっかりしている。

 

 

「これは失礼しました。では、これからよろしくお願いしますわ、徒花さん」

 

「…………ああ、宜しく頼む。裏第四位(アナザーフォー)

 

 

 お父様と別れて改めて挨拶をした俺は、徒花さんが年代の近そうな少女ということもあって、なんだか上手くやっていけそうな感じがして嬉しかった。多分、レイシアちゃんも同じような思いだったのだと思う。

 

 だからその時の俺は気付かなかったのだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()




今回のメイドさんですが、オリキャラではありません。バッチバチに原作キャラです。名前はオリジナルです。


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七八話:天賦夢路

「ぜぜぜっぜっ、絶対に許せねーですよ!!!!!!!!」

 

 

 ──怒髪天を衝くとは、まさしくこんな感じだろうか。

 その日、派閥のたまり場の一つである研究室にて、夢月さんの怒声が響き渡った。

 その横でまぁまぁと宥める燐火さん、同じくピリピリしている数名のメンバー、それを宥めに動く千度さん、好凪さんはじめ微妙によく分かっていない様子のその他メンバー、それを遠目に静観している徒花さん、そして腕を組み瞑目している俺……。

 

 なぜ、こんなカオスな状況が展開されてしまったのか。

 

 その説明をするには、時間を一〇分ほど巻き戻さねばなるまい。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

七八話:天賦夢路 Dream_Ranker.

 

 

 


 

 

 

「と、いうわけで」

 

 

 大覇星祭後の振替休日も空けて、久しぶりな感のある通常登校日。

 その放課後に、俺はメイド姿の徒花さんを引き連れて、派閥メンバーの待つ研究室にやってきていた。徒花さんはメイドとは思えないほど不遜な雰囲気を出しているが、先日話していた通り、やはり所作には文句の付け所もない。

 意外と礼儀とか形式とかには厳しいレイシアちゃんが内心で俺に文句を言ったりもしていないので、本当にちゃんとしているのだろう。

 

 

「これからしばらくの間、わたくし達GMDWの身辺警護として学園都市の公式治安維持組織の方のお力を借りることになりました。彼女はわたくし達側の窓口として派遣された、徒花さんという方です」

 

「……徒花だ。今回の任務では主に本隊とお前達の連絡役と、非常時における現場での作戦指示を担当する」

 

「こ、こりゃまた随分本格的でいやがりますね……」

 

「しかしこう……唐突ですねっ。行動が早いというか……」

 

 

 徒花さんのつっけんどんな自己紹介のせいもあると思うが、派閥の人達は大分困惑気味のようだった。まぁ……無理もないか。一応グループメッセージで護衛の人を雇うよって話はしておいて、みんなからの承認はもらってあるけど、細かい段取りはこっちで全部やっちゃったからなあ。

 

 

「急な話で皆さんも困惑していることと思います。ただ、仕方のないことだったとはいえ、想定よりも超能力者(レベル5)公表が早まった関係で、一刻も早く外部からの攻撃対策を練る必要があったのですわ。それで、折よくお父様の伝手を使えましたので」

 

「──その選択は正しい。超能力者(レベル5)というのは学園都市においては研究者なら誰もが手を伸ばしたがるステイタスだ。そして単体戦力として強大な彼らではなく、大抵の人間はその周囲の人間を狙う。だから超能力者(レベル5)は単独行動を好むし、例外は多人数を洗脳して環境を整えることができる第五位くらいのものだな」

 

 

 事の経緯を話す俺に補足するように、徒花さんが付け加える。

 流石に傭兵さんだけあって、超能力者(レベル5)の裏事情とかにも詳しいんかね。そして食蜂さんが大派閥の長をやっていられる理由がそこにあったとは……。

 

 

「だから──お、お嬢様方も、危機感を持て。白黒鋸刃(ジャギドエッジ)を狙う者がいるとしたら、真っ先に危険に晒されるのは……お、お嬢様方だ」

 

 

 少し照れながら、徒花さんはそう言い切った。

 これは俺達からのリクエストである。一応徒花さんはメイドという扱いなので、俺達に対して横柄な態度をとってたら浮いちゃうのだ。それだとわざわざメイドとして潜入してもらった意味がないので、基本的に俺達のことは『~嬢』、二人称は『お嬢様』でやってもらっているのである。

 これには実際、徒花さんもめちゃくちゃ難色を示していた。何なら徒花さん、メイド服着るのも不服っぽいからね。服だけに。ただ、お父様の執り成しもあったらしいのでなんとか受け入れてもらっている。

 まぁ、それでも細かい口調的な部分はこう……アレなんだけどね。

 

 

「へぇ……危機感、ですか」

 

 

 徒花さんの言葉に、夢月さんが反応した。

 眉を持ち上げて、夢月さんは値踏みするように徒花さんを見る。

 

 

「そー言うアナタはどれほど『出来る』んでいやがりますか? 私達、これでも学園都市じゃー高位能力者として名を連ねてるんですが」

 

 

 突然の挑発的な口調に俺は思わず目を丸くした。

 ……驚いた、夢月さんがそんな風に人のことを値踏みするとは思わなかった。力量なんて、あの佇まいを見れば分かりそうなもんだけど……。

 様子を伺ってみると、なんか苦笑している燐火さんと目が合った。

 

 

《……夢月のヤツ。わざと焚きつけてますわね》

 

《あー……やっぱそういうアレなのか、あの発言》

 

《といっても、信用していないわけではなさそうでしてよ。多分……アレでしょう、あえて最初はぶつかってみて仲良くなる的な。夢月の好きそうなヤツですわ》

 

《あの子大概熱血系だよねぇ……》

 

 

 レイシアちゃんのことを当初潰そうとしてたみたいな話があったけど、あれも今となってはどーだかって感じだ。案外、見込みがありそうだったから喧嘩売って仲良くなろうとしたのかもしれないね。

 

 

「ふむ……」

 

 

 対して、徒花さんの反応はクールだった。

 スッと半身になって夢月さんから己の身体の左半分を隠すと、

 

 

「──ッ!!!!」

 

 

 直後。

 

 どこからともなく巨大な剣のようなものを取り出して、軽々と構えて夢月さんに突きつけていた。

 剣、といっても、細かい形状は剣とは大きく異なる。白い木製の棒に、小さな石の刃を大量に並べたような──言うなれば石器の鋸のような形状である。

 

 

《ねえちょっとシレン》

 

《ああ……うん……》

 

 

 当然ながら、あんなもんは()()()()()で使うような代物ではない。

 古代の武装を換骨奪胎するアンティーク好き発明家というわけでもない限りあれは……魔術サイドの代物だ。

 

 いやいやいやいや……せっかく依頼して連れてきた人が、魔術サイドのスパイ? 何その殺人的偶然……。いや偶然じゃないのか? もしかして獅子身中の虫を潜ませる学園都市上層部の嫌がらせとか? いやまぁ、仮に徒花さんが魔術サイドだったとしたら、別に学園都市上層部の命令に従う必要とかないからそれはそれでいい……のか?

 

 

「──こんなもので問題ないか? 咄嗟にお嬢様方……を守るくらいなら、十分に可能だと自負している」

 

「え、えー。正直、思った以上でした。その、侮るようなこと言って悪かったですね」

 

「本気で言っていたわけではないことくらいは分かるさ」

 

 

 あっ。うんうん考えているうちに文字通り徒花さんは矛を収めてしまった……。まぁまぁ、徒花さんの素性についてはまた後で詳しく聞くことにしよう。幸い、俺達と真っ向から敵対しているという感じではなさそうだしね。(もし敵対関係ならわざわざ『魔術を知っている』俺の前で自分の霊装を出したりしない)

 

 

「それと……早速、GMDWの防衛上の懸念が情報網に引っかかったので、提供しようと思う」

 

 

 と、徒花さんはそう言って、一枚のカードを取り出した。なんぞそれ?

 

 

「あっ、インディアンポーカーなのではありませんかぁ~?」

 

 

 反応したのは、二年生の意近さんだった。

 彼女は派閥の中でもノリが軽いというか、けっこう学外の知り合いの多い子で、それゆえに俗っぽい話題にも詳しいのだが……、

 

 

「インディアンポーカー?」

 

「ええ。色んな市販の玩具を組み合わせることで作れる玩具で、『自分の見た夢をカードの中に封入できる』らしいですよぉ」

 

 

 夢ぇ……?

 それって科学的に可能なの? なんかこう……実は魔術師が暗躍してたとかそういう話じゃないよね?

 

 

《原理的には可能だと思いますわよ。アロマを焚くことで夢見をよくするみたいな話は普通にありますし、たとえばそのカードが脳の電気信号に干渉する仕組みを持ってるなら、夢を操ることは容易に可能ですわ》

 

《…………それはそれで》

 

《ええ。単なる『夢を記録できる装置』以上の、どす黒い何かが裏にある可能性は否定できませんわね。そもそも非正規品が流行っているってところからしてアヤシイですし》

 

 

「説明の手間が省けたな。恒見嬢が察している通り、これはインディアンポーカー。平たく言えば『他人の夢を見ることができるカード』だ。今のところは基本的に仲間内の間でしか広まっていないが、最近になって『面白い夢』や『為になる夢』が出回り始めている」

 

 

 面白い夢や、為になる夢……?

 ……あっ、そっか。

 夢っていうのは、その人の経験や記憶の反芻だ。だから専門家が専門知識にまつわる夢を見たら、それは部外者からすれば『専門知識を学習できる夢』になるってわけだ。そう考えると、ある種の学習装置(テスタメント)じみてるよな……。

 

 

「んで、それはいったいどういう内容の夢でいやがるんです?」

 

 

 徒花さんの持つカードを指差しながら、夢月さんが胡乱げな眼差しで問いかける。

 ただ適当に現物を持ち出してきただけっていうなら別だが、『GMDWの防衛上の懸念』とまで言い切ったんだ。多分、アレ自体が何らかの危険を示唆しているのだと思う。

 なんだろう……? 常盤台中学に対するテロ計画の夢とか? ……いや、あるいは『夢』という形で学舎の園の機密情報が外部に漏洩している、とかかもしれないな。

 だとすると確かに由々しき事態だ。食蜂さんとも連携して対策会議とかやらないといけないかもしれな、

 

 

()()()()()()()()()()()

 

 

 …………んん?

 俺の……っていうか、レイシアちゃんの夢? それがどうGMDWの防衛上の懸念になるっていうんだ? 別に俺のことを夢に見られたところでどうでもよくない? 白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の能力研究とかされてるならまた話は別だけど……。あ、そういう感じか? もしかして。

 

 

「その……なんというか、だな。……このカードの出元は男性の天賦夢路(ドリームランカー) ──良質な夢を安定供給できる者で、そこから転売されたものを押収したのだが」

 

 

 徒花さんは少し恥ずかしそうに視線を逸らしながら、

 

 

「…………ええと、バイヤーの説明曰く、牛柄…………ビキニを着て……ご奉仕……する……ブラックガード嬢の夢らしい」

 

 

 え゛っ。

 

 

「しかもブラックガード嬢の二重人格まで配慮されてるとかで……二面性がどうたらこうたら……そこまで詳しくは聞いていないのだが……」

 

 

 ……お、おおう……。そ、そっか……。そっかそっか……。

 い……淫夢……というヤツね……?

 

 

「い、いや! いやいやいやいや、そ、それはなんというか……まぁ……コメントに困りますが……ですがそんなに目くじら立てるようなことではないのでは? 別に……わたくしを害そうとしているとか、そういう話ではなさそうですし……」

 

「いいや。こうしたアングラの雰囲気というのは馬鹿にできない。一番の問題はこのカードが一〇万円という超高額で売買されていたことだ。レイシア=ブラックガードという『アイコン』に対して劣情を催すことが、裏で商売として肯定されて当然の雰囲気が醸成される。これは長い目で見ればブラックガード嬢やその基盤であるGMDWに無視できない風評被害を与えかねない。──というのが、ウチの本部の見解だ」

 

 

 ……た、確かに、言われてみればそういう向きはあるかもしれない。

 なんというかこう、ネットミームみたいな感じなのかな。えっちなネタに使っても良いミームとして俺が認識されちゃったら、当然俺の周りにいる人達にもその余波が行きかねないわけで……直接害をなそうとする人がいなければいいとか、そういう次元じゃないんだ、こういうのって。

 

 

「…………まずい、ですわね」

 

 

 俺は認識を改めて、真面目に呟く。

 とはいえ、そういう雰囲気が作られていっちゃうのは困るけど、やってる人一人ひとりは別に悪意があってやってるわけじゃないし、そもそも狙ってやってるわけでもないから、どうこうするっていうのも難しいんだよね。さてどうしたもんか……、

 

 

「ぜぜぜっぜっ、絶対に許せねーですよ!!!!!!!!」

 

 

 ──そして、そこで夢月さんがキレた。

 

 突然の怒声に振り返ると、そこには顔を真っ赤にして髪を逆立てんばかりにして怒りを露わにしている夢月さんがいた。

 

 

「そそそっ、そんなっ、ごほっ……我らの女王にそんな劣情をぶつけやがる不逞の輩!! 汚らわしーったらありゃしねーです!! これだから男は!!!! すぐさま夢の出どころになっているクソ野郎を見つけ出してリンチにして、そんな夢を売りやがったら痛い目を見るという噂を対抗で流してやるべきです!!!!」

 

「落ち着け刺鹿嬢。普通に犯罪だ」

 

「しかしっ……」

 

「そうですわ、夢月」

 

 

 なおも憤懣やるかたないという様子の夢月さんを宥めるように、レイシアちゃんが口を挟んだ。

 

 

「わたくしもまぁ……無料(タダ)で何の敬意もなくわたくしの魅力を消費しようとする輩には憤りを感じますが」

 

 

 それはそれで怒りどころがズレているような気がしないでもないけども……。

 

 

「ある程度の劣情や下卑た感情は有名税と捉えていますわ。……ただ、この調子でインディアンポーカーが実在人物に対するポルノ商売の温床となるのは少しばかり厄介な気がしますわね」

 

 

 レイシアちゃんはそう言って、腕を組んで黙った。

 俺達、これから学園都市の広告塔としての仕事もどんどん出てくるわけだしね。そう考えると、夢っていう形で肖像権だのでは制御できない『実在人物の消費コンテンツ』が出来上がっちゃうのは、無視できない危機ではある。

 

 

「その上で。……『夢を見る人間』を直接叩いても、根本的な解決にはならないと思いますわ。これだけカオスな状況なんですもの。遅かれ早かれ警備員(アンチスキル)風紀委員(ジャッジメント)も動くと思いますが……我々も独自に、このはた迷惑なオモチャを作った『原因』にアタックを仕掛けてみる必要がありますわね」

 

 

 レイシアちゃんの話す方針は、徒花さんとしても既定路線だったらしい。

 我が意を得たりとばかりに頷くと、徒花さんはインディアンポーカーのカードを机の上に置いて続ける。

 

 

「そう言うと思って、既に調査を開始している。おそらく我々の情報網を使えば数日中には犯人の特定は可能だろうが──この場で懸念事項を話したのは、お……お嬢様方にその調査の指揮を担当してもらいたいと考えているからだ」

 

 

 ……指揮?

 ああ、なるほど。徒花さんを始めとした傭兵さん達を雇ったのは、あくまでもGMDWの防衛力が強化されるまでの繋ぎ。いくら徒花さん達が有能だからといって、全部お任せにしていたら俺達だって成長できないからね。

 その為にGMDWに経験を積ませてくれるって感じか。

 

 

「ブラックガード嬢については、本部の方に来てもらいたい。いい機会だからな、本部の『メンバー』と顔合わせした方がいいだろう」

 

「ええ、問題ありませんわ」

 

 

 徒花さんの提案に頷くと、ふとレイシアちゃんがひょいと机の上のカードを拾い上げた。

 

 

「……? それはこちらの方で処分しようと思っていたんだが、いいのか?」

 

「御冗談を。わたくしのあられもない姿が記録されているのでしょう? この手で処分したいのですわ」

 

 

 そう言って肩を竦めると、レイシアちゃんは胸ポケットの中にカードをしまった。

 なるほどもっともらしい言い分だ。だが一心同体の俺には分かるぞ、レイシアちゃん。レイシアちゃんはこんなカードの中に記録されてる痴態の一つや二つ、気にするようなタマじゃないってことはな。

 

 

《…………レイシアちゃん、それ何に使うつもりなのさ?》

 

 

 半分聞きたくないなあ……と思いつつも問いかけると、レイシアちゃんはけろっとした調子でこう言うのだった。

 

 

《何って、隙を見て当麻の頭の上に乗せてわたくし達の淫夢を見せるために決まっているではありませんの》

 

 

 ……………………。

 

 

 ……こ、コイツ…………正気か…………!?!?!?




※なお、シレンの強硬な反対によって件のカードはバラバラに切り刻まれました。



※クリックで拡大
とある夢の中の超能力者(レベル5)
画:かわウソさん(@kawauso_skin



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七九話:出会いは爆発的

 予感がなかったと言えば嘘になる。

 

 魔術サイドの戦力を持つ存在。つまり、学園都市の暗部。

 

 お父様の伝手で依頼できたという『組織』に、学園都市の闇が混入しているという事実。そこから導き出される真相というのは、かなり狭い範囲に絞られるはずだ。つまり──お父様が雇った傭兵部隊が、そもそも学園都市の『闇』の手の者であるという可能性。

 

 もちろん、お父様がこの街の『闇』に手の届く人間だとは思わない。お金持ちだし計算高い部分もあるとは思うけど、そういう暗い世界の住人ではない人だし。

 おそらくは──『闇』からの干渉。護衛という名目で、俺たちに干渉しようとしているのか。アレイスターの思惑なのか別の誰かの思惑なのか、そこは判然としないが──本来であれば、その思惑に気づいた時点で俺たちはそれを『攻撃』と判断し、何らかの対抗策を練っていた()()()

 

 とはいっても。

 

 その最悪の想定は、『彼』がいた時点で崩れたのだったが。

 

 

「……………………な、なんでアナタが…………?」

 

 

 ──徒花さんに連れられてやってきた、護衛部隊の作戦本部。

 

 

「……………………。い、いやぁ、思ったより早い再会だったね、裏第四位(アナザーフォー)

 

 

 馬場さんが、そこにいた。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

七九話:出会いは爆発的 Friend-"A".

 

 

 


 

 

 

「さて、説明してもらいましょうか。何故、アナタ達『暗部』の人間がわたくし達の護衛として雇われているのか」

 

 

 そう言って、レイシアちゃんは椅子に座ったまま足を組んだ。

 そんな俺達の目の前には、同じように椅子に座る白髪の老人──博士と、その横で気まずそうに俺達から目をそらす馬場さんがいた。

 

 そう。

 

 あの学園都市の暗部の頂点に君臨する組織の一角、『メンバー』の司令塔である博士だ。

 つまり……俺たちが雇ったのは、ただの傭兵部隊ではなく。

 学園都市の暗部組織『メンバー』なのだった。

 

 そう考えればあらゆることに納得がいく。あの『徒花さん』も、『メンバー』の一員であるショチトルさんの変装だったのだろう。ザ・魔術な武器を使っていたのも、彼女の正体がショチトルさんだからだったのだ。

 

 

「簡単な話だ。統括理事長・アレイスター=クロウリーの指令。それだけさ」

 

 

 俺たちの問いに、博士が口を開く。

 

 

「…………アレイスター?」

 

「ふむ。その問い返しのニュアンスだと君も名前くらいは聞いたことがあるか。最近の学生は彼の名前すら曖昧だからな。結構なことだ」

 

 

 博士は感心したように、

 

 

「実は、これから数日中のうちに君が危険に晒されるという情報を上層部が察知したらしくてな。喜べ、君はアレイスターに大切に思われているらしいぞ。統括理事長直轄の我々が任務を任されるくらいだからな」

 

 

 そこまで言って、満足したように目を瞑った。必要な情報は話した、ということだろうか。

 俺も、博士の口から伝えられた情報を脳内で整理していた。

 危険に晒される……のは、まぁ分かる。超能力者(レベル5)で、まだ地盤もしっかりしてない状態で、なおかつまだ後ろ暗い実験とかの手にかかってないのが俺たちだ。美琴さんですらヤバい実験に巻き込まれた経験があるのだから、当然俺達も遅かれ早かれそういう話が舞い込んでくることは分かっていた。

 だが…………アレイスターが俺達のことを庇うというのはどういうことだろう? 俺たちは──レイシア=ブラックガードは本来の歴史では単なる大能力者(レベル4)に過ぎない。今はこうして超能力者(レベル5)になっているが、それは俺がいることによる『乖離』。つまり、プランには存在しないイベントのはず。

 浜面のことを排除しようとしたことを考えると、アレイスターってプランに関係のない存在はあんまり歓迎しないんじゃないかな……? いや、その浜面もそんなにしっかり襲われてないことを考えるとそこまで排除したいわけではないんだろうけど……。

 

 

第四位相当(わたくし)を、ですの?」

 

 

 考え込んでいると、レイシアちゃんがそう切り返した。

 気づけば小机の肘をかけとてもふてぶてしい感じになっているし。レイシアちゃん、完全に腹芸モードである。

 

 

「そこを疑問に思うか。君は随分身の程を弁えているようだ」

 

「……あ?」「言葉には気をつけなさい。自分の序列に満足しているなどとは一言も言っていませんわよ」

 

 

 レイシアちゃんがガンたれそうになったので、先んじて牽制をしておく。

 いやまぁ、別に序列なんかどうでもいいんだけど……やっぱりね、ナメられちゃうとよくないし……というか、『レイシア=ブラックガードの印象』ってわりと大事なんだなって今回の一件で学んだから。

 確かにのほほんと笑って過ごせてたらそれが一番いいんだけど、締めるところは締めないと、組織のボスである俺がナメられたら組織全体に不利益が出ちゃうから。

 

 

「これは失礼。ただ、疑問の着眼点としては優秀だと言っておこう」

 

 

 博士も雇い主の不興は買いたくないのか、お手上げとばかりに両手を挙げる。

 

 

「正直なところ、私も詳しい話は知らないのだがね。どうもアレイスターは、君に序列を外れた価値を見出しているようだ。第一候補(メインプラン)への当て馬にするつもりか、あるいは全く別のプランを並行させているのか……」

 

 

 それきり、博士はどうも自分の世界に入ってしまった。

 うーむ。とりあえずアレイスターの思惑によって期せずして暗部の助力が得られたということは分かったが……肝心の『身の危険』については良く分からなかったな。

 まぁ博士もそんなに話さないってことは詳しく分かってるわけじゃないんだろう。

 

 

《えーと……この後って確かヴェントが襲ってくる事件だったよね。確か……〇九三〇事件》

 

《……でも、ヒューズ=カザキリはもう既に発現しちゃいましたわよね? 流石に一方通行(アクセラレータ)冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)先生も対策を練ってくるのではないかしら》

 

《……ってことは、もしかしてその穴埋めの為に俺の能力が狙われる……とか?》

 

《あー、考えられますわね。……でもそれってむしろ狙うのはアレイスターの方ではないかしら? わざわざわたくしに子飼いの戦力を与える意味が分かりませんわ》

 

《確かに…………》

 

 

 うーん、まだ全体的に情報が足りてない気がするな。

 せっかく暗部の人たちと協力関係にあるんだし、そのへんについては暗部の情報網とやらをうまいこと使わせてもらって、ついでに調べてみようか。

 ……暗部の情報網といえば、そういえば今まさにその情報網を使ってインディアンポーカーの開発者を調べてるんだったよね。そういえばこっちに来てから徒花さんの姿を見ていないけど……。

 っていうか、徒花さんじゃなくてショチトルさんか? ……うーむ、とっさの時に言い間違えそうで怖いし、とりあえず本名聞くまでは徒花さんと言っておこう。たぶんガワの名前なんだろうし。

 

 

「馬場さん。徒花さんは今何をしているんです? 調査の手伝いですか?」

 

「ん? ああいや、一応ここが『メンバー』の本拠地だからな。周辺の安全確認をしているはずだ。尾行されて襲撃なんてされたら堪ったものじゃないからな。…………ただ、ちょっと遅いな」

 

 

 確かに。もうこっちに来てからかれこれ三〇分は経つ。周辺の安全確認なら一〇分やそこらで戻ってきそうなものだが……。

 …………もしかして、何か面倒ごとに巻き込まれた?

 

 そこまで思い至った俺は、すぐさま立ち上がる。

 その意図を察した博士が、俺たちの動きを手で制した。

 

 

「いや結構。私が駒を動かそうじゃないか」

 

「ロボットですか? 徒花さんがもしも面倒に巻き込まれているなら、この時間まで手古摺っているということ。彼女を手古摺らせるような相手は機械人形程度では心もとないでしょう。わたくしと馬場さんで様子を見てきますわ」

 

「え!? 俺も!?」

 

 

 だって、現状の最高戦力って俺達を馬場さんがアシストしてくれる形だしね。何事もなければ良し、もしも敵襲だったら速攻で徒花さんを拾ってから本拠地移転。どちらにせよ馬場さんを引き連れてやった方がずっと安全だ。

 

 

「依頼主たってのご希望だ。馬場くん、行きたまえ。……それに、超能力者(レベル5)のスペックを把握できる貴重な機会だしな」

 

「この程度で測れるほど底の浅い器だとでも?」

 

 

 レイシアちゃんはそう言って、博士に背を向ける。

 

 

「精々、底の深さに絶望しないことですわ」

 

 

 


 

 

 

 時は遡り──ショチトルが周辺の安全確認に出た直後。

 メイド服に身を包んだショチトルは、油断なく周囲を警戒しながら、少しずつ周辺の安全を確認していた。

 ショチトルも戦闘職ではないとはいえプロの魔術師である。尾行されるような愚は犯していないし、ここまでは順調だった──のだが。

 

 ドッゴォォオオオオオン!!!! と。

 腹の底に響くような『爆』音と同時に、捨てられたビルと思しき廃墟の一角が吹き飛んだ。ちょうどその隣のビルにいたショチトルが慌てて窓から様子を見ると──どうやら、近くにある陸橋からワゴンが何らかの爆撃を行ったらしい。ワゴン自体は陸橋を降りて高架下に向かっているようだが……。

 

 

(……下部組織に対する攻撃か?)

 

 

 最悪の可能性の一つが脳裏をよぎるショチトルだったが、通信にはそれらしい混乱は生じていない。加えて、どうも騒ぎの規模が小さい。『メンバー』の下部組織に襲撃を仕掛けられたなら、あの程度では済まない。もっと蜂の巣をつついたような騒ぎになっていたはずだ。

 

 

(とすると、かなり心臓に悪い偶然ではあるが、全く無関係の組織同士の小競り合いか──)

 

 

 ひとまず警戒度を下げたショチトルだったが、次の瞬間さらなる驚愕に心臓を鷲掴みにされることになる。

 窓から視線を落として、今の爆撃で攻撃されたであろう組織の様子を確認すると────金髪の少女が、車に積まれた黒髪の少女に『何か』をしているところだった。

 問題は、その黒髪の少女である。

 ショチトルの記憶が確かなら、彼女の名前は──佐天涙子。

 

 

「…………ハァ。あのバカはまた厄介なことに巻き込まれているのか。知らんぞ、私には関係のない話だ」

 

 

 嘆息し、メイド服の裾を翻してショチトルは窓から背を向け、

 

 

「……………………~~~~っ」

 

 

 そして次の瞬間、窓枠に足をかけた。

 

 

「あの馬鹿野郎、起きたら一発ぶん殴る!!」

 

 

 躊躇なく飛び降りたショチトルは、手の中にアステカの石鋸──マクアフティルを発現し、金髪の少女の背後に降り立つ。

 金髪の少女は緩慢な動作で振り返ると、今まさに修羅場を終わらせた人間とは思えないくらいのんきな声色で話し始める。

 

 

「なになにぃ? 結局、もう新手が来たって訳ぇ?」

 

「…………ソイツは回収させてもらうぞ」

 

 

 言葉のやりとりはそれ以上なかった。

 

 暗部の、戦闘が始まる。

 

 

 


 

 

 

 先手を打ったのは金髪の少女だ。驚異的な身のこなしでショチトルに肉薄した少女は、突進の勢いそのままに体を回転させ、回し蹴りを叩き込んでくる。

 蹴りに何か仕込んである可能性を考慮したショチトルは、あえてそれを受けずに飛びのくことで攻撃を回避する。

 

 

「おろっ?」

 

 

 そしてその判断は正解だった。

 空振りした回し蹴りはそのまま地面へと着地したのだが、そこでボンッと爆竹が破裂したような小爆発が発生したのだ。もしも剣で受け止めていたなら、爆発の衝撃で大きく体勢を乱されていたことだろう。

 

 

(蹴りに爆発……爆弾使いということか? しかし肉弾戦に爆撃を織り込むとは酔狂な……)

 

 

 目の前の敵の脅威度を上げつつ、ショチトルは油断なくマクアフティルを構える。

 ショチトルはもともと戦闘職ではない。本職は死者の言葉を聞くカウンセラー的な術師で、戦闘に応用できるような術式も殆どない。

 今の彼女が使っているのは潜入にあたって開発した付け焼刃の身体強化術式で、マクアフティルも手に馴染んだ武器とは言い難い。

 

 

(ただ、強化した腕力でマクアフティルを叩き込めば大抵の人間は行動不能に追い込める。硬度も申し分はない。爆撃を凌ぎながら胴体に一撃……いけるか?)

 

 

 相手の身のこなしを考えると、大振りなショチトルは分が悪いだろう。

 下手に攻勢には出ず、基本的に守勢に入りつつ敵が焦れるのを待つ戦法を選び取るショチトルだったが──、

 

 

「自分から進んで後手に回ってる時点で、五割負けを認めてるようなモンって訳よっ!!」

 

 

 シュゴッ!! と。

 少女がどこからともなく取り出したロケット弾が、ショチトルめがけて突っ込んでくる。とっさにマクアフティルで受け止めかけたショチトルだったが、そんなことをすればマクアフティルを起点とした爆発によって木っ端微塵になるのは分かり切っている。

 慌てて前方へと飛び込んでロケット弾を回避したが、それもまた少女の思惑通りだったらしい。ロケット弾はショチトルのすぐ後ろに着弾し、ただでさえ体勢を崩していたショチトルは爆風に煽られて倒れる。そしてそこに、右足を振りかぶる少女がいた。

 当然、次の攻撃など分かり切っている。

 

 

「ぎッッ…………!!」

 

 

 腹に蹴りを叩き込まれたショチトルは、声なき悲鳴を上げながら地面をゴロゴロと転がっていく。肺の空気が一CC残らず絞り出されたかのような苦痛を味わうが、のたうち回っていてはその時点で終わりだ。ショチトルは必死の思いで地面を転がりながら体勢を整え、マクアフティルを杖代わりにして起き上がる。

 そうして前を見据えた頃には、すでに金髪の少女はショチトルの懐に潜り込もうとしていた。

 

 

「…………!! この……!」

 

 

 ギン!! とマクアフティルを構え、金髪の少女の掌打を防ぐが、当然手負いのショチトルに防ぎきれるほど少女の攻撃も温くない。少しずつ、だが確実に削られながら、ショチトルは考える。

 

 この窮状を打開する手段自体は、ショチトルにもあった。……だが、それには代償が伴う。彼女の目的は、この学園都市に潜んでいる『裏切者』の始末。ここで力を使いすぎれば、いざというときに『身が持たない』可能性もある。

 とはいえ、ここで殺されてしまえば使命どころの話ではない。そもそも、マクアフティルだけでこの爆撃少女を倒すにはあまりにも練度が不足している。

 

 

(やるしか、ないか……!)

 

 

 逡巡の末、ショチトルが術式の発動を決意した、ちょうどそのとき。

 

 

「──どうやら、取り込み中のようですわね? 徒花さん」

 

 

 二人の間を遮る一陣の暴風によって、戦闘は中断させられた。

 見上げると──白と黒の翼をはためかせる金髪の少女、レイシア=ブラックガードが空高くから舞い降りているところだった。

 

 

 


 

 

 

 フレンダさんやんけ!!!!

 

 ……その戦場を見たときに俺が思ったのは、そんな言葉だった。

 いや、ツッコミどころが満載すぎなんだよ。なんで徒花さんとフレンダさんが戦ってるの? なんで車の中に佐天さんが積まれてるの? なに、フレンダさんが佐天さんを誘拐? じゃあ周りで倒れている悪そうな男の人たちはいったい? そもそもなんで徒花さんは戦闘なんかしてるの???

 分からないことが多すぎたが……ともかく、俺としてはさっさと戦闘を終わらせないといけない。そして穏便な形で決着をつけないといけない。ただでさえ身の危険とやらがこのあと控えているというのに、今からアイテムとも喧嘩なんて絶対に御免である。

 

 

「…………ま、さか……白黒鋸刃(ジャギドエッジ)!? なんで超能力者(レベル5)がこんなトコに……!!」

 

 

 フレンダさんは迷わず佐天さんの方に走ろうとしたので、俺は即座にその間に『亀裂』を伸ばしてゆく手を遮る。

 

 

「……質問します。佐天さんを誘拐したのはアナタですか?」

 

「………………は?」

 

 

 問いかけてみると、フレンダさんはポカンとした表情で声を上げた。

 …………あー、これなんか誤解があるな? 徒花さんもポカンとしてるフレンダさんを見て怪訝そうな表情をしてるし。

 

 

《これたぶん、この倒れてる男たちに佐天が攫われたのを、フレンダが助けたというところではないかしら? 徒花はおそらくその一部始終を見て誤解したか、居合わせたフレンダに敵と認定されたか……どちらにせよ行き違いのような気がしますわ》

 

《俺も同感。……しかし、どうやってここから二人に矛を収めてもらおうか……》

 

《あら? 簡単なことですわ》

 

 

 そう言うと、レイシアちゃんは『亀裂』を発現したままワゴンに積まれている佐天さんの拘束を取り外し、ペシペシと顔を叩く。

 

 

《『共通の知人』に仲立ちしてもらいましょう》

 

「佐天。起きなさい、佐天。寝ぼけているんじゃありませんわ。ほっぺを引っ張りますわよ」

 

 

 ほっぺを引っ張りながらそんなことをレイシアちゃんが言っていると、さすがに痛みを感じたのか、佐天さんが目を覚ました。数秒ほどぼけっとしていた佐天さんだが、やがて意識がはっきりしてくると、自分の置かれた状況の異常さを認識したらしい。

 

「なッ? ここ……なんであたしこんなとこに!?」

 

「あー、そういうのはいいんですの。ひとまずこっちにいらっしゃい」

 

 

 腕を掴んで引っ張り上げると、佐天さんは足をもつれさせながらも二人の前まで歩いていく。徒花さんと、フレンダさん。二人の少女を見た佐天さんのリアクションは分かりやすかった。

 

 

「あれ……フレンダさんと……大覇星祭で助けてくれた人!」

 

 

 ……なるほど。そういう繋がりがあったのね。

 

 

「佐天さん、二人との関係は?」

 

「え? あ、はい。こっちはこないだ知り合ったフレンダさんって方で、こっちは……えっと、大覇星祭のときに危ないところを助けていただいて」

 

「あー、んー? ……えっと、なんかお知り合いっぽい雰囲気? よかったよかった、それじゃー私は結局これで退散って訳で……」

 

 

 と、紹介してもらったところでフレンダさんがそそくさと撤退を始めようとしていた。

 ……うん、まぁ向こうが退いてくれるならそれでいいんだけども……。

 

 

「待て。貴様、どこの組織の人間だ」

 

「うぐっ」

 

 

 ……まぁ、行き違いだろうとなんだろうと、戦闘してしまった相手をそのまま見逃すというわけには、いかないわけでして。

 

 

裏第四位(アナザーフォー)。ここに留まっていたらこの倒れている男たちの追手が来そうだ。いったん全員まとめて本拠地に連れて行った方が得策じゃないか?」

 

 

 と、そこで少し離れたところで待機してもらっていた馬場さんがやってきて提案してくれる。

 うむ、確かにそうだな……。どこの組織の人間だか知らないし、佐天さんを誘拐して何がしたかったのかもわからないけど……とりあえず追撃前に体勢を整えておくべきだ。

 

 

「ちょ、勘弁してよ! アンタ達に巻き込まれて追撃なんて御免なんだけど!? 結局、ソイツを保護してくれるなら私は別にかかわらなくてもいいし、帰らせてもらうわよ!」

 

「いや…………」

 

 

 しれっと逃げようとするフレンダさんの目の前にさらに『亀裂』を打ち込みながら、俺はある種の悲しみを感じながらフレンダさんに言う。

 

 

「……そもそも、彼らを倒したのはアナタなのですから、当然報復対象にはアナタがロックオンされているのでは? なら、わたくし達と行動を共にした方が安全だと思うのですが」

 

「………」

 

 

 たぶん、フレンダさん的には俺達(というかよその暗部組織である『メンバー』)と行動を共にしてると、上司の麦野さんにお叱りを受けてしまうとか、そういうことを気にしているんだと思うけど、かといって一人で敵組織の報復を受ける危険性を考えると……当然、選ぶ選択は一つだけなわけで。

 

 

「……………………………………」

 

 

 青い顔をするフレンダさんに、口には出さず、俺は心の中だけで呟いた。

 

 

《オシオキカクテイ、だね……》

 

《オシオキで済めばまだマシではなくて?》

 

 

 ……レイシアちゃん、言ってやるなよ……。



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八〇話:一寸先は闇

 ともかく、フレンダさんと佐天さんとともに一時的に行動することになった俺達は、そのまま本拠地に戻ることにした。

 佐天さんを襲った連中が誰なのかは不明だけど、誰であろうと暗部組織の本拠地に行けばこちらの方が圧倒的に有利だもんね。そういうわけで、俺達は馬場さんが手配してくれた車に乗って移動していた。

 ほんとは行きと同様飛んで戻ろうと思ってたんだけど、そろそろ時間的に人通りも増えてきたからそれだと目立つだろうという馬場さんの提案である。まぁ、目立つと逆に襲われる危険性も上がるからね。

 

 

「で。アナタは何者なのです? わたくしのことを知ってたようですが」

 

「べ、別にぃ~……フツーの女子高生って訳よ」

 

 

 問いかける俺に、フレンダさんは適当なことを言って窓の外へ視線を逃がした。いやいや……そもそもフレンダさん、学校行ってないでしょうに。たぶん。

 でもまぁ、危険がない限りフレンダさんは身内のこと吐かないっぽいなぁ。なんか仲間の秘密をバラして粛清されたイメージが強いから、けっこう簡単に情報を出してくれると思ってたけど。

 

 

「……まぁ、佐天さんのことを助けていたみたいですし、悪い人ではないようですが」

 

「…………、」

 

 

 あ、今微妙そうな顔した。

 暗部の人っぽいリアクションだなぁ。馬場さんもそうだった。疑われるのは嫌うけど、『善人』のレッテルを貼られるのはもっと嫌がるよね、暗部の人。

 レイシアちゃんはそういうのを『悪ぶってる』って表現するけど……たぶん彼らって、『善人』という概念に対する謎のハードルの高さを持ってる気がするんだよなぁ。垣根さんもそうだったけど、俺の素朴な一言に『調子が狂う』って言ったりとかするし。

 

 

「……うげ」

 

 

 と、そこで機器を操縦していた馬場さんが変な声を上げる。

 ちなみに、この車に運転手はいない。というか、馬場さんが運転している。運転といっても実際にハンドルを握っているわけではなく、ロボットを操縦するようなノリで、携帯端末を使ってコントロールをしているようだが。まぁ、自動運転ってやつだな。

 

 

「どうかしたんですの? ……ああ」

 

 

 問いかけながら前方を確認して、俺もその意図を理解した。

 というのも、前方には車の渋滞が広がっていたのだ。一応、高速道路も降りてこのへんは車の少ない学区ということで油断していたのだが……運が悪い。というか、敵がいつ襲ってくるか分からない以上、けっこうヤバい状態のような。

 

 

「仕方がありませんわね……」

 

 

 このまま足止めされている間に車ごと攻撃を食らったらそれこそ最悪だ。ここは、俺達の能力で全員を運んだ方がいいだろう。

 

 

「馬場さん。やはり車を降りてわたくしの能力を使いましょう。このまま渋滞に巻き込まれるのは危険な気がします」

 

「いや、さっきも言ったようにそれだと衆目を集めて危険だ。それに襲撃がなくても、超能力者(レベル5)が能力を使って空を飛んでいるというのは世間体的にどうなんだ?」

 

「……ううむ。そういうものでしょうか」

 

 

 確かに……。でも、今はもうそんなこと言っていられない状態のような気もする。

 流石の俺も、車に乗っているときに攻撃を食らってしまったらみんなのことを守れないわけだし。ここは少々のリスクはとるべき場面のような気もするけど……でも、馬場さんの意見はプロの意見だしな。ここは素直に従っておくべきか。

 徒花さんは…………ああ、特に意見を出すつもりはなさそうだ。まぁ作戦立案でいえば馬場さんの方が本職だろうしね。

 

 

「え~? 結局、私も白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の意見に賛成な訳よ。狭い車内じゃ私のトラップも使えないし~。ね、佐天。このまま車の中にいたら何の防御もできずにボン! って訳よ」

 

「ひ、ひ~! あ、あたしもレイシアさんの能力で運んでもらう方がいいかな…………」

 

 

「…………うっ」

 

 

 佐天さんの言葉に、馬場さんは気まずそうに呻いてしまった。

 佐天さんの記憶は操作されているので、馬場さんの悪行の記憶は残っていないのだが……馬場さんの記憶は消えていないので、彼は佐天さんに謎の負い目があるのだ。アレをきちんと負い目として認識できている時点で、馬場さんって根はいい人だよね。

 

 

「わ、分かった。それじゃあ(アナ)……もといブラックガード嬢の能力で移動することにしよう。車自体は自動運転で動かせるから問題ない。むしろ、囮にできるかもしれないしな……」

 

 

 結局、馬場さんは折れてくれたみたいだった。俺としては馬場さんのプロの意見に従うでもよかったんだけどね。

 

 

「とはいえ、周りは渋滞ですしね……馬場さん、サンルーフを開けてくださいますか? そこから出ますわ。ちょっと目立ってしまいますがこの際仕方がありませんわね」

 

「ああ、了解した。ちょっと待ってくれ」

 

 

 馬場さんが端末を操作すると、車の天井が音を立てて開き、人ひとり分が抜け出せそうなサイズの入り口ができる。こういう機能をサンルーフって言うらしいね。俺は知らなかったけど。

 シートベルトを外してサンルーフから手を伸ばして車の屋根に手をかけ、一息に腕の力を使って上へと躍り出る。なんというか、インスタントにハリウッド気分を味わえる感じだ。流石に後ろの人の視線は感じるが、みんなあんまり周りのことなんて気にしていないのか、そこまで目立っている感じもしない。

 

 さて、あとはみんなを引っ張り上げてから『亀裂』で包み込んで空を飛べば──

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

八〇話:一寸先は闇 Sudden_Death.

 

 

 


 

 

 

 それは突然の出来事だった。

 

 ドゴォッ!!!! という轟音と同時に、今まさに屋根の上に登ったばかりのレイシア=ブラックガードの身体が突如横薙ぎに吹っ飛ばされた。

 むろん、常人から見れば回避も防御もできるタイミングではなかった。実際にレイシアはノーバウンドで数十メートルも吹っ飛び、ビルの中へと突っ込んでいく。──あの様で命があるかどうかなど、明白だった。

 

 

「う、そだろ……!? あの野郎、真っ先に死にやがった!!」

 

 

 馬場が絶叫するのも無理はない。レイシア=ブラックガードは彼らの護衛対象であると同時に、最大戦力でもあったのだ。それがいの一番に潰されたとなれば、それは絶望でしかない。

 もっとも、彼の場合はあえてレイシアの安否を気遣わない言動をすることで()()()()()()()()()()()()()()()()()節もあるのだが……しかし、その叫びによって車内は恐慌状態となった。

 

 

「……ッ! 敵襲!? 後ろからか!? 今すぐ車を降りろ! 此処では逃げ場がない!」

 

「レイシアさん、ど、どうなっちゃったんですか!? し、死……って、冗談ですよね!?」

 

「チィ……! もう追手が来たっての!? 結局手が早すぎるのよ!」

 

 

 一番動きが早かったのはフレンダ。レイシアが車から見て後方からの衝撃で吹っ飛ばされたのを見ていたフレンダは、最も安全と思われるフロントガラスを叩き割って、そこから転がるように車外へと飛び出た。

 馬場がそれに続こうとしたのを抑え、ショチトルが佐天の首根っこを掴みながら車外へ飛び出る。馬場が慌てて車外に這いずり出て車から距離をとると同時に、上方から瓦礫の塊が降り注ぎ、車をペシャンコに叩き潰した。

 

 当然、あとはパニックである。

 

 

「っば……これ、さっさと動かないと恐慌状態のドライバーが出てきて人混みに飲まれるわよ!? さっさと逃げなくちゃ……!」

 

「どうやって!? 向こうは遠距離攻撃でこっちを叩き潰せる──それどころか、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)を瞬殺できるような能力者がいるんだぞ!?」

 

「デパートに逃げ込むぞ」

 

 

 ショチトルはそれだけ言うと、速やかに佐天を抱え込んで近くにあるデパートへと駆け込んで行った。

 実際──暗部の人間とはいえ、民間人に被害を出せば組織ごと粛清は免れない。『裏の力でカバーできる範囲』には限界があるのだ。だから、こちらから民間人の多いところに移動すれば、『防衛』という意味では相手の行動を制限できるのだ。

 敵の行動が『レイシア=ブラックガードを吹っ飛ばして殺害する』『瓦礫を使って車ごと叩き潰す』などの大味な行動だったことからも、観衆の隙間を縫う精密攻撃は不得手であることが察せられる。その意味で、ショチトルの判断はその時点では最適解だった。

 

 ──そう、その時点では。

 

 

 パシュッ、と。

 

 一番最後にデパートへと駆けたフレンダの肩が『何か』で撃ち抜かれるその瞬間までは。

 

 

「…………がァッ……!?」

 

「なっ!? 金髪、いつの間に撃たれ……ッ、ちくしょうッ!!!!」

 

 

 肩を抑えてよろめくフレンダを見て目を丸くした馬場は、とりあえず咄嗟にフレンダの腕を掴んでデパートの中に転がり込んだ。

 そのまま商品棚の陰に座り込んだ馬場は、一心不乱に端末を操作しながら呻く。

 

 

「くそ……くそくそくそくそくそっ! なんで死んでんだよあの馬鹿……! あんな簡単に死ぬようなタマじゃなかっただろうが……! 調子のいいことばかり言っていたくせに、アレは結局口からでまかせだったってのかよ……!」

 

「何してんの!?」

 

「別の場所に待機させていたロボットを呼び出している! 保険の為に車内に仕込んでおいたT:KR(タイプ:カンガルー)はあのザマじゃ期待できない。レイシア=ブラックガードを瞬殺するようなヤツを相手にするなら、最低でもT:MTは必須……! その上で派手な戦力を囮の噛ませ犬に使っている間にT:MQで無力化するしかない……!!」

 

「……そ。結局、兵隊を集めてる最中って訳ね。でも……」

 

 

 ビスッ!!!! と。

 

 馬場の操作していた端末に、丸い穴が開く。

 

 

「ひッ、ひィィィいいいいいいいいいいッ!?!?」

 

 

 情けない悲鳴を上げながら、馬場は壊れた端末を投げ捨てて尻餅をつく。

 その横でポケットに手を突っ込みながら、フレンダは油断なく周辺の様子をうかがう。

 

 

「やっぱりね! でもこれで確信した。敵は二人いるわ! アンタ、そのロボット以外に戦力は?」

 

「な……ない!」

 

使()っかえないわね……。ハァ、しょうがない。アンタこれ持っときなさい」

 

 

 フレンダが手渡したのは、修正テープのようなアイテムと火花を散らすペンのような器具である。

 これは正史において美琴相手の研究所防衛戦の際に使用していたもので、修正テープのようなアイテムで引いたラインに火花を当てることでラインの部分を焼き切ることができるという武器だ。

 これ自体が攻撃にもなり、かつ爆弾への導火線にもなるというフレンダの罠の基礎となるものであった。

 

 そんなものを馬場に押し付けながら、

 

 

「肉盾にしてやってもいいけど、スナイパーと能力者を相手取るのにあのメイドと私と肉盾だけじゃ分が悪すぎるって訳よ。アンタも精々死ぬまでちょっとは働いてもらうわよ」

 

「くそったれが……!!」

 

 

 吐き捨てるように返して、二人は商品棚を盾にしながらデパートの中へと進んでいく。

 先にデパートに転がり込んできたショチトル及び佐天との合流はすぐだった。

 

 

「フレンダさん!? よかった、無事だったんだ……。それに……えーとレイシアさんのお友達の人も」

 

「…………馬場だ。まぁすぐ忘れてくれて構わないが」

 

 

 後ろをちらちらと確認しながら、馬場は言う。

 幸いにも、今はまだ追撃はない。ここが狙える角度ではないのか、あるいはもっと決定的な隙を狙っているのかは不明だが──

 

 

 ビス!! と、今度はショチトルの右太腿がど真ん中を撃ち抜かれた。

 

 

「がァッ!?!?」

 

 

 それでも、とっさにマクアフティルで地面を抉って射撃方向に反撃を仕掛けたのは流石の戦闘本能か。

 しかし反撃の瓦礫は空中で止められ、今度はさらにショチトルの脇腹に狙撃が撃ち込まれる。

 

 

「チィッ!!」

 

 

 そのままトドメを刺されそうなショチトルを救ったのは、フレンダの爆撃だった。

 ショチトルの被弾にワンテンポ遅れて放った爆弾がショチトルと瓦礫の中間地点で起爆すると同時、大量の煙が撒き散らされて四人の姿をかき消したのだ。

 これでは、たとえどんな方向で隠れていようが四人のことを狙うことはできない。──完璧な逃走だった。

 

 それを認め、二人の襲撃者は虚空から姿()()()()()

 

 

「……ったく。どうして一撃で仕留めなかった。俺がフォローに入ってなかったら反撃の瓦礫を完全に食らっていただろ」

 

「わたくしだって想定外だったんですよぉ。まさか右足のど真ん中に銃撃された直後に相打ち狙いで攻撃するほど覚悟が決まってる人がいるなんて……」

 

 

 ヘッドギアの少年──誉望万化。

 ツーサイドアップの少女──弓箭猟虎。

 

 

 それぞれが、暗部組織『スクール』の正規構成員である。

 

 彼らが、下手人の正体だ。

 障害物を盾にしていたにも関わらずショチトルの足に銃弾が直撃したのも理屈は簡単で、誉望の能力により弓箭が光を捻じ曲げて透明になっていたからそこまで気づかれず移動できていただけである。そして弓箭は服の下に装着したガス圧の狙撃銃で以て正面から堂々と『狙撃』したというわけだ。

 ショチトルの捨て身の反撃を防御したのも、誉望の能力──念動能力(テレキネシス)によるもの。

 

 もちろん──弓箭がその気ならば、今頃フレンダも馬場もショチトルも脳天に風穴をあけられて死んでいただろう。

 

 

「任務を忘れるなよ。俺達の目的はあの中学生の回収。それさえ全うすればいいんだ」

 

「えー。……しょうがないですねぇ。なーんか誉望さんに命令されるとやる気出ないんですけどー……」

 

「お前は俺のことを何だと思ってるんだよ!?」

 

 

 刺客──というにはあまりにも緊張感のない様子で、二人の襲撃者はゆっくりと獲物を追い詰めていく。

 

 

(緊張感には欠けるが……それも無理はないか)

 

 

 歩きながら、誉望は考える。

 なにせ、敵の最高戦力であるレイシア=ブラックガードは墜ちたのだ。

 超能力者(レベル5)であろうと、慢心すれば一寸先は闇。やはり第四位程度ならば自分でも容易く殺せる。できることなら正面からの真っ向勝負で打ち勝ちたいところだったが──と誉望はほくそ笑む。

 そして、煙幕をエアロゾルとして認識し操作することで、逆に敵の居場所を感知しようと動かして────

 

 

 ズドン!!!! と。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 

 


 

 

 

 ──油断してた。

 

 

 二人の襲撃者とショチトルさんたちを遮るように『亀裂』を展開してから、俺は静かに反省していた。

 

 まさか……まさかこんなにも殺意に満ちた方法でこっちを襲ってくるとは思わなかった。一応、アレイスターから守られているってことで、暗部の人たちもそこまで俺達に対して過激な攻撃はしかけてこないだろうって高をくくってたけど……とんでもない。

 アレイスターの威光なんか、そもそもこの街の闇ではないも同然なんだ。だって彼らは、そもそも隙あらばアレイスターに反逆しようと考えているような連中なんだから。……そんな状況ゆえに、あの暗部の大抗争は発生したんだろうし。

 

 

「…………馬鹿な」

 

 

 ヘッドギアをつけた少年が、まるで死人でも見たように唖然としながら呻く。……何が馬鹿な、なんだ? ここまで早く戻ってこれたことがか?

 

 

「確実に当てたはずだ!! 『亀裂』で防御できるタイミングじゃあなかった! 現にお前は攻撃を防ぎきれずに、移動の慣性だけで死にかねない勢いでビルに突っ込んでいったはずだ!!」

 

「……………………本気で言っていますの?」

 

 

 ……冷静さを欠いているな。

 ちょうどいい。時間稼ぎがてらレイシアちゃんに種明かしをしてもらおう。俺はそのうちに……準備をしておかないとね。

 

 

「防御できるタイミングじゃない? それは結局アナタの基準でしょう? 超能力者(レベル5)をナメないでくださいまし。完全なる不意打ちだろうと、とっさに『亀裂』の盾を展開するくらい造作もありませんわ」

 

「だ、だが……! それなら何故吹っ飛んで……!」

 

「そんなもの、座標を固定していなかっただけですわよ。わたくしの『亀裂』は空間に座標を固定するタイプとわたくしを中心に座標を固定するタイプの二種類がありますわ。前者の場合、たいていの攻撃を受け止めることができますがその余波は周りに撒き散らされます。それではほかの方に被害が及びますので、後者のタイプを選んであえて吹っ飛ぶことで周囲への余波を最低限に抑えたまでですわ」

 

 

 レイシアちゃんはそこまで一息に言ってから、にんまりと性格の悪い笑みを浮かべ、

 

 

「なんですの? ひょっとして()()()()でわたくしに勝てちゃったとか、思い上がっていまして?」

 

「…………上等だ」

 

 

 あ、釣れた。

 

 ツーサイドアップの少女が何発か撃ってくると同時、こっちの方へ踏み出してきたヘッドギアの少年を見て、俺は思う。

 そして、準備していた能力を発動する。

 

 

 ゴッッッッッッ!!!! と。

 

 

 特大の暴風により、商品棚が吹っ飛ばされて二人を挟み撃ちにする。当然ながら、本当に挟まれたら一たまりもない威力だ。

 おそらく念動能力(テレキネシス)を持つであろう少年はそれを力場で防ぐが──正真正銘、超能力者(レベル5)の一撃。当然ながら片手間で防ぐことなんかできず、全力で防ぐことになる。そして──

 

 

「で。ほかに何か言いたいことはありまして?」

 

 

 ──その隙は致命的だ。

 

 瞬時に伸ばした『亀裂』を二人の喉元に突きつけると、襲撃者二人は黙って両手を挙げて降参の意思を示した。

 うむ。

 

 頷いた俺は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を粉々に切り刻んで無力化する。

 

 

「……………………ッッ!!!!」

 

 

 此処に至って、ようやくヘッドギアの少年の顔色が変わった。

 ツーサイドアップの少女の方はなんか俯いていて表情は伺えないが、あっちは戦闘スタイルからしてたぶん無能力者(レベル0)だ。観念していることだろう。

 

 そして──この状況からなら、たとえ彼らがどんな攻撃をしてこようとすべて防ぎ、俺達が返す刃で確実にトドメを刺せる。ここから戦況を覆せるほど、超能力者(レベル5)は甘くない。

 

 ヘッドギアの少年が周囲に防壁を展開しようとしたのを察知した俺は、その直後、

 

 

「チェックメイトですわ」

 

 

 隠して展開しておいた『亀裂』を解除し、全方位から暴風を叩きつけて二人の襲撃者を昏倒させた。

 大気による衝突と突然の気圧変化のダブルパンチである。まぁ、死なない程度に調整はしたけどね。

 

 

「あれ!? 白黒鋸刃(ジャギドエッジ)!? 死んでなかったの!?」

 

「はあ!? 生きてたのか!? あの馬鹿ども!?」

 

 

 と。

 そこで、騒ぎを聞きつけてきたのか、フレンダさんや馬場さん、徒花さんに佐天さんも顔を出してきた。

 フレンダさんも徒花さんも怪我をしているようだが、手当は済んでいるようだ。無事でよかった……。

 

 

「あの程度でわたくしがやられるわけがないでしょう。白黒鋸刃(ジャギドエッジ)をナメるんじゃありませんわよ」

 

「よ、よかったあ~……。あんな風に吹っ飛ばされちゃったから、あたしもう…………本当によかった…………」

 

 

 見ると佐天はその場にへたり込んで安堵しているようだった。……佐天さんには怖い思いをさせちゃったなあ。

 

 

「佐天さん、大丈夫でしたか? もう襲撃者は退治しましたから、あとはこの二人を警備員(アンチスキル)に引き渡せば一件落着でしてよ」

 

「ああ、はい、ありがとうございます……。フレンダさんと、徒花さんに守ってもらったので……大丈夫でした」

 

 

 ……ほう。二人が。

 既になんだかんだツンデレの気配がしている徒花さんはともかく、フレンダさんなんか他人を守りそうなタイプじゃないと思ってたけど……そういえばこの人、最初に会った時も何やら佐天さんを守るような動きをしていたようだし。実はフレンダさんって、意外といい人の一面もあったりするんだろうか?

 ……まぁ、かわいい妹とかいたりするくらいだしなぁ。妹と似てる一面とか見出したら守りスイッチが入ったりはしそうだ。

 

 

「別に守ってやったつもりはないんだけど……」

 

 

 フレンダさんはそう言いながら、俺の近くまで来て耳打ちする。

 

 

「(つか、ソイツら警備員(アンチスキル)に引き渡すって正気? どーせ裏取引ですぐ逃げられるわよ。ここできちんとやっとかないと)」

 

「(…………殺すつもりはありませんわ。もし仮にまた襲ってきたとしても、その時はさらに圧倒的な力を見せつけるまでです。相手の心が折れるくらいに)」

 

 

 たとえば。

 

 

「こんな風に」

 

 

 ゾンザンバンガンザンゾン!!!!!! と。

 

 世間話をするような調子でヘッドギアの少年を指さした次の瞬間、その周囲に白黒の『亀裂』が牢獄のように突き立った。

 といっても、それは単なる示威行為じゃない。──意識を取り戻していた少年が展開していた力場を細切れに断ち切るように、計算して発現した『亀裂』である。

 

 

「………………()()?」

 

「ぅ、ぐ」

 

 

 それきり、ヘッドギアの少年は完全に沈黙。

 呼んでおいた警備員(アンチスキル)は表の渋滞が嘘みたいに迅速にやってきて、二人を留置所へと運んでくれた。

 ……これで襲撃に関してはひとまず小休止、だろう。流石に大能力者(レベル4)もの戦力となれば、相手の組織としてもけっこうなもの──幹部級くらいではあるはず。そう何人もポンポン出せるはずはない。

 

 

「……さて、少しお話をしましょうか」

 

 

 俺たちはというと、通報した俺と佐天さんは風紀委員(ジャッジメント)の事情聴取を受けなくてはいけないため、フレンダさんと徒花さんを携えて待機しているのであった。

 フレンダさんは残って一緒に事情聴取を受けることに相当ゴネていたが、俺がお願いしたことと、本人がまだそんなに暴れていないためシラを切る余地があったことから、渋々同行に納得してくれた。

 いやまぁ……別にフレンダさんはいなくても手続き上問題ないんだけどね。でもさ……いないと困るんだよね、安全上。

 

 だってさ。

 

 今回襲ってきた人たち…………()()()()()()()()()()()()()()

 

 ツーサイドアップの女の子は知らないけど、ヘッドギアの少年と言えば俺もピンと来るものがある。あのモサッとした死んだ目もどこか見覚えがある。アレは『スクール』にちょこっとだけ出てきてた人だ。

 女の子の方は……なんだろうね? 下部組織の人なのか……いや、確か『スクール』の砂皿緻密さんは新入りだったっけ。じゃあ、前任のスナイパーとかそんな感じの人なのかもしれない。『スクール』に前任とかいたのかなんて全然覚えてないけど。

 

 ともかく。

 

 今回俺たちは、期せずして『スクール』の正規構成員の人たちと喧嘩しちゃったわけだよ。怪我とかさせずに帰したし、垣根さんとは一度一緒に戦った仲だから本気で敵認定されることはない(と思いたい)けど……やっぱこう、『表立って単独で「スクール」と敵対しました』って感じにはしたくないわけだよ。

 で、どうすればいいか考えたわけなんですけども。

 

 

《どうです? わたくしの『「アイテム」の構成員も巻き込んでなし崩し的に向こうに責任を擦り付けよう大作戦』は》

 

《麦野さんから恨まれないか心配》

 

《第二位から本気で敵対認定されることはないはずなんて希望的観測に縋ってるシレンよりはマシですわ》

 

《うぐ……》

 

 

 か、返す言葉もねぇ……。

 

 

「でもさー、アンタどうしてあんな連中に襲われたのよ? 結局、なんか心当たりとかない訳?」

 

「それが、全然……最近なんてインディアンポーカーにハマってるだけでしたし。フレンダさんも知ってますよね?」

 

 

 ……ん? インディアンポーカー?

 フレンダさんみたいな暗部の人間でもやるもんなんだ。こりゃけっこう街の闇のとこまで満遍なく浸透してるっぽいな……。だが……だとすると、ふむ。

 

 

「んー……まぁ、」

 

「佐天さん。最近、なにか『変わった夢』を手に入れませんでしたか?」

 

 

 インディアンポーカーが出てきた当初に思った危惧がある。

 ……『夢による情報漏洩』。当人にとって当たり前の情報だったとしても、第三者にとってはそれが垂涎の情報になり得たりする。その情報漏洩を期待して、暗部の人間が情報網を張り巡らせていたとしたら。

 『夢』の出どころは、もはや暗部の人間ですら対象になるのだ。それなら研究者がインディアンポーカーで『夢』を漏洩させてもおかしくないし、佐天さんが運悪くその夢を手に入れてしまった可能性も十分に有り得る。

 

 問いかけられた佐天さんは、むしろ俺の問いの真意が分からないとばかりにぽかんとした表情を浮かべて、

 

「変わった夢ですか? そうだなぁー……」

 

 

 ぱっと閃いたように顔色を明るくした。

 まるで世間話のような調子で、佐天さんはあっさりと重大な事実を口にする。

 

 

「……あ! そうだ! そういえばこの間手に入れたカードなんですけど、『楽しい気持ちを倍増する方法』が学習できるっていうカードを手に入れたんですよ」

 

 

 …………楽しい気持ちを倍増する方法?

 

 ………………()()()()()()()()()()

 

 

 ……………………人格励起(メイクアップ)…………?




シレン「こりゃけっこう街の闇のとこまで満遍なく浸透してるぽいな……」
査●「…………」


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八一話:銀幕を隔てて

 事情聴取が終わった後、フレンダさんと佐天さんはそれぞれ帰しておいた。

 

 警備員(アンチスキル)が関与した場にフレンダさんが居合わせたことで、『アイテム』の構成員が今回の騒動に絡んだという事実はもはや誰にも消せない公的な情報となった。

 レイシアちゃんの作戦も、これで一応実を結んだ形だ。……まぁ、実際に『スクール』の戦力に攻撃を仕掛けたのはフレンダさんで、俺達はその報復の巻き添えを食っただけだし、『スクール』側としてもたぶん優先的に狙うのは『アイテム』の方になると思う。報復戦、って意味ならね。

 また佐天さんを狙うようならまたちょっと話は変わってくるが……白井さんと初春さんが『絶対に守る』と断言していたので、彼女に関しては大丈夫だろう。

 

 あとの問題は俺達だが──あの騒動から数日後、『スクール』や『アイテム』よりも喫緊の課題が生まれてしまった。

 

 

「──さて、ブリーフィングを始めますわ」

 

 

 俺達は、『メンバー』の正規構成員を集めて作戦会議を開いていた。

 ホワイトボードに描いた図をマジックペンで指し示しながら、レイシアちゃんは言う。

 

 

「先日の騒動。佐天や、彼女の持っている『夢情報』を狙う『スクール』、それと彼女を救った別口の暗部の人間──は、一旦脇に置きます」

 

「ほう? 学園都市第二位やさらなる暗部組織に関しては然程問題ではないと? なかなか豪胆だな」

 

「というより、わたくし的にはこちらの方が看過できないといった方がいいですわね」

 

 

 レイシアちゃんはマジックペンでひとつひとつ丸にバツをつけながら、さらに大きな丸を一つ描いた。

 

 

「……人格励起(メイクアップ)計画。わたくしの自殺未遂と人格分裂、そして能力の成長を人為的に再現し、新たな超能力者(レベル5)を作ろうとした計画です。この計画自体は既に破綻し、研究自体もわたくしの友人が潰しましたが……」

 

 

「その研究知識が、『インディアンポーカー』という形で出回っている、と」

 

 

 博士の言葉に、レイシアちゃんは黙って頷いた。

 そのやりとりを横で見ていた馬場さんは嘲るように笑い、

 

 

「だが、結局その人格励起(メイクアップ)とやらは根本的に失敗だったんだろう? お前の独占している能力開発技術が流出するわけでもなし、そこまで不安がることかね」

 

人格励起(メイクアップ)は人の心を計算し尽くした上で砕き、砕いた破片で全く別の心を組み立てるような技術ですわよ? 『夢』なんて半端な情報で再現すれば、どんな悲劇が発生するか分かったものじゃありませんわ」

 

「…………、」

 

「……上澄みだけを再現して『喜びが倍増』程度で済めばまだよし。多重人格の発生や廃人化が学園都市全土で群発すれば、それだけで悲劇だな」

 

 

 押し黙った馬場さんに代わって、徒花さんが最悪の絵図を説明してくれる。

 そう。それも怖いのだ。しかも白井さんに聞いたが、これと同様のヒヤリハット案件は学園都市中ですでにぽつぽつと発生しているらしい。

 詳しい話は捜査情報の漏洩になるので話せないと言われてしまったが、俺達が関わっている案件だけでもこれ。これが最低でもあと二、三はあると考えると……風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)も頭が痛いだろう。

 

 

「それですが、おそらく杞憂かと思いますね」

 

 

 そこで、『メンバー』最後の正規構成員が口を開いた。

 ダウンジャケットを身にまとった、前髪の長い少年だ。年の頃はおそらく高校生ぐらい。名前は『査楽』と言うらしい。この人はなんとなく覚えてる。確か、相手の後ろに回る『死角移動(キルポイント)』という能力の持ち主だったと思う。一方通行(アクセラレータ)さんに倒されてたから覚えてる。(倒し方は忘れたが……)

 

 

 ……んで、杞憂だって?

 

 

「どういうことですの?」

 

「まず第一に、インディアンポーカーの技術では『狙った夢を見る』ことは相当に難しいんですね」

 

 

 査楽さんは人差し指を立てながら、そう注釈する。へー、そうなんだ……。寝ながら念じたら見ようと思った夢を記録できるのかな? くらいに考えていたので、これは意外だった。

 そういえば、夢を安定供給できる人? がいたりするんだっけ。安定供給できる人が特別扱いされるってことは、逆説的に『夢は安定供給できないのが普通』ってことだもんな……。

 それに、言われてみれば、狙った夢を他人に見せることができるならこれは凄いことだ。おそらく混乱は今の比ではないだろう。まぁ、この技術の開発者なら狙った夢を見せられてもおかしくはないが……。

 

 

「そんな芸当が可能なのは、それこそBLAU──もとい限られた天賦夢路(ドリームランカー)くらいでしょうね。それが可能だからこそ、彼らは天賦夢路(ドリームランカー)として名声を手にしているのですからね」

 

 

 どこか陶酔した様子で言う査楽さん。

 ……そうか、そういう存在もいるのか。いやいや、いわゆる明晰夢を見るコツを知ってる人、みたいな感じなのかな? ちょっと羨ましい気もするが……。

 

 

「……BLAU。確か、お前が持っていた『レイシア=ブラックガードの夢』もそいつの夢だったらしいな。査楽、お前天賦夢路(ドリームランカー)とコンタクトをとれるのか?」

 

「……うっ、いやアレはたまたま貸しのあるトレーダーが『高額で売れる夢だ』と言って渡してきたから受け取っただけで、」

 

「分かった分かった」

 

 

 言いづらそうに説明する査楽さんに、徒花さんは心底どうでもよさそうに話を打ち切る。

 ……うーん、やっぱりそう上手く情報源には繋がらないか。インディアンポーカーで利益を得ている天賦夢路(ドリームランカー)──明晰夢のコツの持ち主は、ブームの火付け役となる為にインディアンポーカーの開発者から直接協力を依頼されている可能性が高い。そういう人たちと接触をとれたら一番よかったのだが……。

 

 そして徒花さんの査楽さんに対する目線がとても軽蔑的な気がする。やはり魔術サイドの人間としては、夢とかそういうスピリチュアルなものを科学の道具にするのはいい気分じゃないんだろうか……。

 ……そしてレイシアちゃんまでなんで査楽さんに軽蔑的な視線を投げかけているのさ?

 

 

《シレンはお気になさらず。そのままのシレンがよいと思いますわ》

 

 

 ……査楽さんがなんか乙女的にダメなことをしたのは分かった。まぁ、俺は乙女心とかよく分かんないので、そこは気にせずやっていくけどね。

 

 

「ともあれ。インディアンポーカーが直ちに学園都市全土に重篤な危機を撒き散らすわけではないということは分かりました。ですが、天賦夢路(ドリームランカー)の誰かが夢で得た知識を『再生産』することでスキル系の夢を大量生産し始めれば──あるいは夢情報の複製そのものができるようになれば、話は別です。どちらにせよ、我々は事態の収拾をはかる必要があります」

 

 

 マジックペンで以て、大きく描いた丸をさらに強調する。まぁ、ここまでは『レイシア=ブラックガードの夢』が発覚した時点で決めていた行動方針だ。問題は、ここから。

 さらにその丸をマジックペンでつつきながら、

 

 

「すでに同時進行でこのムーブメントの火付け役について調査はしてもらっていたかと思いますが、身元については判明していまして?」

 

「ああ、おそらく間違いないという確度までは、ご令嬢方の調査によって、既にこの騒動の発端の研究には目星がついているよ」

 

 

 博士は業務報告をするように淡々と、レイシアちゃんの質問に答えた。

 まぁ、『メンバー』の情報収集力は地味にスゴイからねえ。博士が作ったロボットたちの得た情報を集積すれば、街中の噂が一挙に掌握できる。あとはその情報を下部組織のメンバーに精査させれば、あっという間に情報が獲得できるってわけだ。

 本来この手の情報精査は馬場さんの得意分野で、なんと馬場さんは下部組織の人が十数人集まってやるような情報の精査を一人で行えるらしい。流石馬場さん。

 

 

「結論から言おう」

 

 

 博士は楽しそうに笑って、

 

 

「我々が最初に得た懸念は────限りなく『正答』に近かった」

 

 

 ()()()()()()()()を、語り始めた。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

八一話:銀幕を隔てて Pass_by_"A-B".

 

 

 


 

 

 

 ──それは、第五位にまつわる闇の研究だった。

 

 『夢』とは──シレンが考えたように、眠っている当人が己の知識や経験、即ち記憶を反芻する作業。インディアンポーカーの本質は、その際の脳内の化学反応を保存する記録媒体である。

 『精神』とは科学的には脳内の水分の移動や化学反応の集合体だ。心理掌握(メンタルアウト)とは脳内の水分を精密操作することによる精神の操作であり、インディアンポーカーが可能とする『夢の追体験』とは、つまり提供者の睡眠中の脳内の挙動を再現することに他ならない。

 

 さらに──インディアンポーカー自体にも『効果』が存在している。

 実はインディアンポーカーは、夢の『提供者』にカードの作成中浸食催眠をかける効能を持っている。そしてカードの『使用者』はこの浸食催眠を含めた『脳内の化学反応』をすべて追体験することになる。

 結果、生まれるのは────最悪の『洗脳の連鎖』である。

 

 仕掛け人の名は蜜蟻(みつあり)愛愉(あゆ)

 この技術を生み出した研究組織──『才人工房(クローンドリー)』第三研究室『内部進化(アイデアル)』に参加していた被験者の生き残りの一人であり──今は理想の能力(アイデアル)計画を推し進める黒幕である。

 

 

 


 

 

 

「…………これ、大丈夫ですの」

 

 

 開幕一番、俺はそう言わざるを得なかった。

 なんていうかこれって……モロ暗部の領分じゃない? 超能力者(レベル5)の俺達はともかく、派閥の子達に踏み込ませていい領分だったか……?

 

 

「情報封鎖のことを気にしているなら問題ない。私達もプロだぞ? 『闇』の情報を表のお嬢様の眼前に晒すような度し難いヘマは犯さない。彼女達が調べたのは、精々インディアンポーカーの本質までか」

 

 

 ううっ……! それはそれで随分ギリな気がする……。

 

 しかし、内部進化(アイデアル)、か。

 ……………………。

 

 蜜蟻さん、ここで出てくんの!?!?!? いやいやいや、確かに食蜂さん回(あそこ)で唐突に出てくるだけの人ではないと思っていたけど、こんなところでこんな騒動を起こしているとは……。

 っていうかこれ、最悪学園都市中がめちゃくちゃになるレベルの陰謀だったよね。この報告書を見た感じ、常盤台が発端になっているようだけど……まさか俺たちのご近所でこんな陰謀が渦巻いていたとはね。資料見たら食蜂さん、一回攫われてるらしいじゃん。

 

 

「事態の全貌は見えたね。さあどうするブラックガード。この程度の陰謀なら『闇』の力を使えば簡単にケリがつくと思うが」

 

「闇の力とやらは使いませんが……」

 

 

 あくまで常識的な組織の力の範疇ね。使うのは。

 

 

「何にせよ、敵が発覚した以上、あとは動くだけでしょう。徒花さん、査楽さんにはご協力をお願いいたしますわ」

 

「おや? 私はいいのかね」

 

「…………アナタどこからどう見ても現場タイプじゃないでしょう? なんで前線に出ようとしてるんですの?」

 

「……クク、見た目で人を判断するのは如何なものかと思うがな。木原幻生にはそれで痛い目を見せられたのではないかね?」

 

 

 ……あーはいはい。この人もこの人でトンデモ科学人間なのね。小説ではオジギソウが潰されたらそのまま終わってた気がするけど、まぁアレは垣根さんだから押し切れただけで本来なら二の矢三の矢があったんだろうなあ。

 

 

「そのうえで、構いませんわ。敵の本丸は確かに才人工房(クローンドリー)研究所で間違いないでしょうが、ほかに戦力がないとも限りません。馬場さんと博士にはその『備え』を」

 

「仕方がないな……。手柄を譲るのは癪だが確かにサポートも必要だからね。ここは任せるとしよう」

 

「馬場さん、実はほっとしてますよね? 大覇星祭の件では散々な目に遇ったと聞きましたからね」

 

「うるさい黙れムッツリスケベ」

 

「ムッ…………!?!?!?」

 

「……底辺同士のマウント合戦はさておき、ブラックガード嬢。突撃に際して策はあるのか? 敵の主力は洗脳のようだが、この街の闇とやらに位置するモノがこの程度で終わるとも思えんが」

 

 

 徒花さんは荷物をまとめながら、俺達にそう問いかけてきた。

 確かに、インディアンポーカーの効能を考えるとこれだけで終わるとも思えない。洗脳によって手配した手駒を用意しているとか、あるいは『多数の学生を洗脳することによりAIM拡散力場に干渉する』……みたいなことはやってのけるかもしれないな。

 ただまあ──

 

 

「策? そんなものが必要でして? 『ドラゴン』でもなければこの街に潜んでいるモノ程度ならわたくしの敵ではありませんわよ」

 

 

 というレイシアちゃんの言葉は自信過剰だが、正直多才能力者(マルチスキル)程度なら余裕をもって鎮圧できちゃうからなあ、今の俺達……。

 

 

「相手が超能力(レベル5)の戦力を持ち合わせているならいざ知らず──三下能力をいくら集めても、わたくしの敵ではありませんわ」

 

「……なるほど、つまり無策というわけだな……」

 

 

 呆れながら言う徒花さんと少し気まずそう(なぜ?)な査楽さんを伴いつつ、俺達は事件の解決へと動き出したのだった。

 

 

 


 

 

 

 ……のちに、俺はこの時の自分の動きについて深く反省することとなる。

 

 なぜって?

 

 

「よーお、裏第四位(アナザーフォー)。こんなところで奇遇ねえ? ちょおーっと私と遊んでくれないかしらァ? この────『暫定・第五位』とさあ!!」

 

 

 過剰な慢心とか、『超能力者(レベル5)が出なければ』とか……そんなあからさまなフラグをレイシアちゃんが立ててたのに、スルーしちゃってたからだよ!!!!




内部進化(アイデアル)については『アストラルバディ』(全4巻)をチェケラ!



画:かわウソさん(@kawauso_skin
{
【挿絵表示】

画:ヒチさん(@hichipedia
インテークが性癖という話から「レイシアのキャラデザに入れてもよかったなあ」と話したら、速攻でイラストを頂いてビビりました。


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八二話:第四位 ①

 ドッゴォォオオオオン!!!! という爆音が、曇り空に轟いた。

 

 旧・才人工房(クローンドリー)研究所。

 そこに到着した俺達だったが、そこは既に戦場となっていた。

 

 

「ど……どうなっていますの!?」

 

『フム……どうやら先刻、第七位がそこに突貫したようだ』

 

「削板さんが!? あの人、また首を突っ込んでるんですの!?」

 

 

 よくよく常盤台の面々と縁がある人だな、あの人も!!

 っつか、削板さんがあんなドッタンバッタンするような戦力があそこにいるってことなのか!? いったいどこのバトル漫画の住人だよ!

 

 

「……どうしますかね? ブラックガード嬢。このまま行けば、第七位との戦闘現場の至近距離を通過することになりますがね」

 

「『亀裂』で外側から上階に向かえばいいだろう。こういうのはだいたい上に重要施設があるのがお約束だ」

 

「それもいいですが、一つわたくしに案がありますわ」

 

 

 レイシアちゃんはそう言ってビルに手を翳し、

 

 

「ビル、この場でぶっ壊しちゃえばよくありませんこと?」「おばか!!」

 

 

 レイシアちゃんの言葉に、俺は即座にツッコミを入れる。

 何考えてんだレイシアちゃん! いやレイシアちゃんが言いそうなことではあるけど! ダンジョンに入らず中に火を撒いて障害を一網打尽とかレイシアちゃんが第一に考えそうなことだけど!

 

 

「確かに外から攻撃すれば危険はありませんけど! 学園都市ですのよここは!? 敵の持つ『重要施設』が罪のない女の子を眠らせて能力だけむしり取ってるとか普通に可能性高いですわよね!?」「………………ちょ、ちょっと言ってみただけですわ」

 

 

 まったく……。……いやマジで、その危険大だからね。

 あと、常盤台がこの件でちょっと揉めてたって話もあったし、ひょっとしたらあの中にもう誰かしらの『ヒーロー』がいるかもしれないんだよ。その子まで巻き込まれたらほんとにしゃれにならないからね。

 

 

「……ほぼ確実に倒壊に巻き込まれるであろう第七位の心配はしないんですね?」

 

「? ビルの下敷きになるだけですわよね?」

 

 

 いやだなぁ、『亀裂』を直撃させるわけないじゃないか。流石に俺達だって削板さんがそこまで何でもありとは思ってないよ。

 いや、なんだかんだ『亀裂』を生身で防御しそうな人ではあるけどさ。

 

 

「(………………やっぱ超能力者(レベル5)はインディアンポーカーの夢の中だけで十分ですね……)」

 

「(……クズだなこの男は)」

 

 

 さて、そうなるとやはり二人を抱えてビルの屋上までひとっ飛びした方がいいな。

 こないだみたいに移動の隙を突かれて攻撃されても敵わないし……、

 

 と。

 そんなことを考えて『亀裂』を展開しようとしていると、懐に潜ませていた無線機がジジジ!! と耳障りな音声を発した。

 

 ……嫌な予感。

 

 そう、特大の嫌な予感が、俺の背筋を駆け巡る。

 続く通信を待たずに、俺達は互いに何も言わず能力の発動の方向性を変えていく。そして答え合わせをするように、通信機から馬場さんの悲鳴じみた声が飛び出してきた。

 

 

『──裏第四位(アナザーフォー)かッ!? 急いでその場から回避行動をとれ! ヤツらが──「アイテム」が来やがった!!!!』

 

 

 ──そのあとは、もはや思考はなかった。

 さっさと死角移動(キルポイント)で逃げた査楽さん、俺達よりも先に第六感(たぶん何らかの魔術?)で危機察知して回避の準備をしていた徒花さんは問題なく攻撃を回避できると判断し──俺達は全力で空へと舞った。

 

 ドッジャアアアアアア!!!! と。

 大瀑布を思わせるような盛大な爆音が轟いたのは、その直後だ。

 

 見ると大量の光線が今まで俺達がいた場所に浴びせられていた。そしてその出元には──一人の少女。

 栗毛色の長髪をかき上げた少女は、大人びた美貌を獰猛な笑みの形に歪めて言う。

 

 

「よーお、裏第四位(アナザーフォー)。こんなところで奇遇ねえ? ちょおーっと私と遊んでくれないかしらァ?」

 

 

 麦野沈利。

 原子崩し(メルトダウナー)

 

 序列は────

 

 

「この────『暫定・第五位』とさあ!!」

 

 

 確殺の憎悪を秘め、怪物が今、襲い掛かってきた。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

八二話:第四位 ① "Meltdowner"_in_ITEM.

 

 

 


 

 

 

 ──実際のところ、原子崩し(メルトダウナー)は、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)よりも弱い。

 

 原子崩し(メルトダウナー)は強すぎる威力から、生存本能により出力をセーブしてしまう。そのため照準までに一瞬のタイムラグが発生することで、高速で移動する対象については命中率が著しく低下するのだ。

 ゆえに高速機動が可能である超電磁砲(レールガン)白黒鋸刃(ジャギドエッジ)との相性は悪く、超電磁砲(レールガン)は『たとえ当てても電撃によって攻撃をいなされる』、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)は『気圧による防御不能の攻撃が発生する』など、それぞれに致命的なウィークポイントまである。

 

 強いが、ピーキー。

 端的に言って『羨ましくない』超能力(レベル5)が、原子崩し(メルトダウナー)という能力の本質である。

 

 ──尤も。

 

 

「ビュンビュン飛び回りゃあこの私の狙いも散らせるってェ……?」

 

 

 当の本人は、そんなことは全く思っていないようだが。

 

 

()っせェ発想だなァ! ンなトコこちとら一億年前には通り過ぎてんだよ、サル野郎がァ!!!!」

 

 

 直後、麦野沈利から放たれた破滅の極光が無数に枝分かれする。

 針の筵と化した死の檻から辛くも逃れたレイシアだったが──しかし、その白黒の翼には幾つかの穴が空いていた。

 

 

「……!? わたくしの『亀裂』を貫いた……!?」

 

「あァ? ったり前ェだろうが。私の能力をなんだと思ってんだ。テメェの()()()超能力(レベル5)なんぞで防げるとでも思っちゃってたのかにゃーん? いいぜ思い上がってろよ。テメェのその驕り、今から更地になるまで叩き均してやっからよォ!!!!」

 

 

 ぼうっと、麦野が腕を振るうと同時にその周辺に幾つかの淡い光の玉が生じる。

 まるで人魂のように不気味に揺らめく死の光は空中を舞うレイシアに照準を合わせると、まるで矢のように正確にまっすぐ飛んでいく。──その直前。

 

 麦野が、一枚のカードを投げた。

 過たずそのカードを撃ち抜いた光芒は、そこでまるで砕け散るように無数の光の雨となって横殴りにレイシアを狙う。

 

「『拡散支援半導体(シリコンバーン)』。人間ってのは『道具(アイテム)』を使ってこそなんだよ。能力をただ使うだけの原始人には難しすぎる話だったかにゃーん!?」

 

「──バカにするのも大概にしなさい」

 

 

 だが、レイシアもただ狙われるだけでは終わらない。

 拡散支援半導体(シリコンバーン)による原子崩し(メルトダウナー)の分散は確かに射程範囲の増大を生むが、同時に威力の減衰も齎す。予備動作の段階で距離を置けば、攻撃からは逃れることができる。

 そして。

 

 轟!! と、『亀裂』による暴風が発生する。

 

 

「……ンだ、この風は……? この風向き、ヤツの現在地から延びる『亀裂』だけじゃ到底生み出せないはず……?」

 

 

 もちろん、レイシアの翼となっている白黒の『亀裂』はこうしている今も絶えず解除と再発現を繰り返し、レイシアに空力的な力を与え続けている。

 だが──そもそもレイシアは別に白黒の『亀裂』しか出せないわけではない。

 

 

「透明の『亀裂』。既に張り巡らせていますわよ。向こう一〇分はこのあたりに強風を生めるだけ展開しましたので、アナタの──何でしたっけ? 浅知恵すぎて名前は忘れてしまいましたけど、()()()()()はもう使えませんわよ」

 

「…………上等だ、クソガキがァ……!!」

 

 

 こめかみに青筋を立てながら、麦野は憤怒の形相のままに言う。

 

 

()()()()ぁ!!!! 落とし前つけンなら今だぞォ!!!!」

 

「ひいいい……白黒鋸刃(ジャギドエッジ)、結局悪く思わないで……よね!」

 

 

 麦野の宣言の直後、空中を舞うレイシアの周辺で、大爆発が巻き起こった。

 

 

 


 

 

 

「──っぶな、ぜ、全然気づかなかったですわ……なんですのアレ……!!」

 

 

 ──その数秒後。

 間一髪で爆風から身を守っていた俺達は、そのまま爆風の勢いに乗って研究所から少し離れたところに飛ばされていた。

 廃ビルの中に逃げ込んだ俺達は、そこでようやく一息つく。

 

 しかし……フレンダさんが来たのは気流で見えてたけど、どういう理屈で爆風を食らったんだろ……? ミサイルとかではなかったし……。

 はぁ、拡散支援半導体(シリコンバーン)については『アニメ』の二期で見てたから初見でもなんとか対応できたけど、アレちゃんと防げたのは奇跡だよ……。

 

 

《たぶん、気体爆薬でしょうね》

 

《気体爆薬……? ああ、そんなのもあったっけ……?》

 

 

 確か、フレンダさんが研究所で美琴さんとバトルしてたときに使ってた、気体爆薬イグニスとかいう…………

 

 

《いや、アレブラフだったじゃん!!》

 

《でも、学園都市の科学力なら気体爆薬くらい余裕で作れそうではなくて? まぁ起爆には相当シビアな取り扱いが必要になりそうですけど》

 

《そのへんはフレンダさんだもんなぁ……》

 

 

 起爆条件がシビアすぎて実用化に至らなかった欠陥兵器を当たり前のような顔して実用化するとか、フレンダさんならやりかねない。

 ……しかしそうするとちょっと厄介だな。白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の気流感知を貫通してこっちに攻撃してくるとなると、下手に気流操作を行えば今度は完璧なゼロ距離爆撃を食らわされるかもしれない。

 

 っていうか、査楽さんと徒花さんは何してるんだろ? 結構戦ってたけど全然援護とかなかったような。

 

 

「もしもし。馬場ですか? ほかの二人は今どうしてますの? 超能力者(レベル5)に尻尾巻いてとっとと逃げたのでしたら今すぐクビを言い渡しますが」

 

『そうも言ってられないんだ! 今別の能力者と交戦中なんだよ! クソ……情報じゃ大能力者(レベル4)なんじゃなかったのか!? なんだコイツら化け物の集団かよ!』

 

 

 ……どうやら、けっこう俺達ヤバい状況らしい。他……っていうと、滝壺さんと絹旗さん? いや、滝壺さんは現場にいてもたぶん戦えないし絹旗さん単体かな。……確かに、絹旗さん一人でも徒花さんと査楽さんだけでは厳しいかもしれない。

 あ、そうだ。一応これも聞いとかないとな。

 

 

「それで。先ほど『アイテム』と仰ってましたが、いったい何なんですの? それ。彼女達のことだということは分かりますが……」

 

 

 一応、俺は馬場さんにそう問いかける。まだ俺達は『アイテム』の存在を知らないことになってるしね。

 それに……そういう事情は抜きにしても、この局面で『アイテム』が出てきた理由については気になる。

 

 

『「アイテム」っていうのは、僕たち「メンバー」と同じ学園都市の闇に属する組織だ。核となるのは学園都市「第四位」……原子崩し(メルトダウナー)。それと先日一緒に戦った爆弾使いの無能力者(レベル0)。それと大能力(レベル4)が二人いるらしいな。能力は……窒素装甲(オフェンスアーマー)能力追跡(AIMストーカー)

 

「……けっこう詳しいんですのね」

 

 

 仮にも同レベルの暗部組織なんだよな? そこまで敵対戦力が筒抜けになるもんなのか?

 

 

『実は夏ごろに彼女たちを調べてる組織があったみたいでね。まあ壊滅してるんだが、そこのデータベースを漁っている時に見つけたんだ。……「スタディ」と言えば分かるか?』

 

「あっ……!」

 

 

 そっか! そういえばあの件では『アイテム』も出てたんだっけ! あの時はホント消えかけだったもんだからそれどころじゃなくて、すっかり忘れてた!

 そうだよな、あの事件って俺も介入してるから、『メンバー』なら俺を調べる過程で『スタディ』経由で『アイテム』に行き着いても不思議じゃない。

 っていうか『スタディ』、今思うとあいつらよく『アイテム』のこと調べたりできたよな……。まぁ、フェブリとかジャーニーとかの能力って大分有用っぽかったし、それを利用する為に裏のお偉方が誘導とかしてたのかな……。

 

 

『ともあれ、その二人……いや、殆ど窒素装甲(オフェンスアーマー)の対処で手一杯になっているみたいだな。これは……ちょっとマズいぞ。博士、応援を送らないとこのままだと削り切られかねないですが』

 

『フム……そうだな、T:GDだけでは少々心もとない。T:MTを動員するか……あるいは、私が自ら出るか』

 

 

 えっ……! そんなマズい状況なの!? っていうか絹旗さん一人で抑えられそうって、どこまで戦力差があるんだ……っていうかどこまで強いんだ窒素装甲(オフェンスアーマー)

 

 

「……わたくしの方は今ようやく攻撃から逃れられたところですの。ここは合流した方がよい気がするのですが」

 

『……それもそうだな。ではブラックガード嬢、これから指示する場所へ移動してくれ。いったん三人で集まってから方針を練り直そう。敵戦力に超能力者(レベル5)を含む暗部戦力がいると分かった以上、とるべき方法も変わってくる』

 

 

 『博士』の無線連絡に頷いて、俺達は座標位置を聞いて移動を開始しようとする。

 その直前で、俺はふと思った。

 ……絹旗さん一人で二人を完封してるんなら、滝壺さんは今何をやってるんだ?

 そういえば、滝壺さんは『超電磁砲(レールガン)』の漫画で登場した時も、逃げ回る美琴さんに照準を合わす役割、を────

 

 

「ッッ、あァァああああああああああッッッ!!!!」

 

 

 間一髪だった。

 建物を『亀裂』で破壊しながらの、全速力移動。

 そうでもしなければ、俺達はきっと四方八方から叩き込まれた原子崩し(メルトダウナー)の一撃で成す術もなく消し炭になっていただろう。

 

 そうだよそうだ。『アイテム』っていうのは、滝壺さんの能力で座標を特定してから原子崩し(メルトダウナー)による確殺の一撃を叩き込む運用の組織なんだった! だからこそ、滝壺さんはただでさえ身体に悪い能力運用を強いられて、結果的に体を壊すことになったんだから!

 つまり──『アイテム』に対して、逃げ隠れても意味がない!

 

 

《シレン、『残骸物質』なら原子崩し(メルトダウナー)を防げると思いまして!?》

 

《……正直分かんない。確か、原子崩し(メルトダウナー)って未元物質(ダークマター)も貫通するんだよね。『小説』では確かそうだった気がするし……。だったら、『残骸物質』もどうなることやら……無理って考えておいた方がいいかもしれないね》

 

 

 一瞬の判断が命取りになるわけだし、過信は禁物だ。相手は超能力者(レベル5)の、第四位なんだから。

 

 

「あァ~? んだよ、ようやく叩き潰せたと思ったのによォ。ピュンピュン飛び回りやがってウザったさはコバエ並みだなァ裏第四位(アナザーフォー)ォ!」

 

「……聞くに堪えませんわね! チンピラの言語は高貴なわたくしには理解できませんわ!」

 

「…………クソアマ、たっぷり苦しませてから殺してやる」

 

 

 レイシアちゃんの煽りに乗って麦野さんが光線を乱射するが、ただのレーザーなら躱すのは容易だ。これで幻生戦のときみたいな能力の前兆の『歪み』が見えればさらに盤石なのだが……アレはどうやら調子がいいときしか出せないらしく、あれから一度も見えたことはない。

 何が条件で発動するのかさえ分かれば、まだ──

 

 

 と、そこまで思考しながら地上の麦野さんを見た瞬間、ふと違和感を覚えた。

 なんというか……あの麦野さん、何かちょっと、()()()()()ような……?

 

 

「オラァ! 何見下してやがんだ小娘ェ!! 今すぐ撃ち落としてその高慢なツラ丸焼きにしてやっからよォ!!」

 

「ぐっ……!」

 

 

 っぶな……! 考え事してる場合じゃない!

 くっそ、というか怖いんだよこの人! おなかにパンチされたりしたら俺もうそれだけで気絶しそうなんだけど! 絶対に近づけさせたくない!!

 

 ……、

 

 ……いや、待てよ?

 今まで、『小説』や『アニメ』の印象で、麦野さんに対して恐怖を感じてたけど……ちょっと待て。そういうの全部抜きにして、先入観を排除して考えたら……今の状況って、実はとてもすごく簡単にひっくり返せるんじゃないか?

 

 

 絹旗さんによる味方の足止め。

 

 気体爆薬による気流操作の封殺。

 

 拡散支援半導体(シリコンバーン)による命中率の補正。

 

 能力追跡(AIMストーカー)による遠隔からの正確狙撃。

 

 

 

 これらの材料によって、『アイテム』は遠距離からこっちを一方的に磨り潰す作戦をとっている。

 だがよくよく考えれば、ここには一つの『前提』が存在していて──その『前提』が覆れば、この盤面はあっさりとひっくり返るんだ。

 

 そう。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「──そろそろ、終わらせましょうか」

 

 

 キュガッッッ!!!! と、俺達は高速で麦野さんの眼前に移動する。

 拡散支援半導体(シリコンバーン)はもちろん、ただの原子崩し(メルトダウナー)の一撃にも一瞬のラグはある。彼女が攻撃を放つまでの一瞬は、俺達超能力者(レベル5)の世界では永遠に等しいほど長い。

 

 

《レイシアちゃん! 気流操作は任せろ! 肉体の方お願い!》

 

《承知、しましたわ!!》

 

 

 レイシアちゃんに肉体の操作を預けて、俺は『亀裂』を展開して周辺の空気を操っていく。まずは気流を用いた超音波によるアーマーを肉体に展開。これで麦野さんのパンチを食らっても痛くない。

 次に、気流感知でどこかに潜んでいるフレンダさんの居場所を察知──、

 

 

「近づけばこっちの手札は潰れるとでも思ったかァ!?」

 

 

 と、そこで俺達のお腹に麦野さんの蹴りが入る。

 ……ぐう……! 微かに響くんですけど! これ超音波のアーマー展開してなかったらどうなってたんだ……!?

 

 

「……読めてるんですのよ、このゴリラ女! そのぶっとい脚を見れば肉弾戦がお得意なことくらいすぐ分かりますわ!」

 

「なッ!? テメ……」

 

 

 あっ、隙できた! レイシアちゃんナイス!

 

 

 レイシアちゃんの悪口攻撃で一瞬冷静さを失った麦野さんに、俺は即座に横殴りに空気の塊をぶつける。

 ゴッ!! と塊のような圧力を叩きつけられた麦野さんは、そのまま横薙ぎに吹っ飛んで地面を転がった。

 

 

「──まだですわシレン!! このまま畳みかけなさい!!」「いえ違いましてよ! 回避です!!」

 

 

 叫ぶレイシアちゃんに言い切って、俺は『亀裂』の翼を展開してジグザグに移動しながら麦野さんを追う。

 すると、今まで俺達がいたところめがけて連続して原子崩し(メルトダウナー)が撃ち込まれてきた。……おかしいなあ、常人なら普通に昏倒するレベルの一撃だったのに、転がりながら反撃してきたよね今……?

 

 なんとか距離を詰めることはできたが、麦野さんは頭から血を流しつつも俄然その表情に戦意をみなぎらせてこちらを睨みつけている。

 転がりながら起き上がった麦野さんは、目に入りそうな血を片手で拭いながら、

 

 

「…………テメェ、なんだその『眼』は」

 

「……眼?」

 

「まあいいわ。忌々しいけどたった今、アンタのお陰で良~い方法思いついたしね……♪」

 

 

 ギュオッッ!! と、麦野さんの肩口から光線が放たれる。

 もちろんそれ自体は問題なく回避できるが、光線はいつまでたっても消えない。それどころか──光線はぐるりと麦野さんの肩口まで戻ってきて、そしてループを始めていた。

 ……それはもう、ただの光線ではなかった。

 光り輝く、『滅び』の雷によって形作られた──巨腕。

 

 

原子崩し(メルトダウナー)には、射程距離はあるが持続時間はないのよ」

 

 

 麦野さんは引き裂くような笑みを浮かべながら、まるで自慢をする子供みたいに言う。

 

 

「能力の持続時間が短いのは、撃てばすぐに射程外に飛んで行ってしまうから。なら、能力の終着点と始発点を同一座標に置けば? 粒子でも波形でもない曖昧な状態の電子は、無限に私の制御下に置くことができる」

 

 

 それは──『小説』において、浜面さんとの戦いで腕を失ったからこそ編み出した新たなる原子崩し(メルトダウナー)の応用。

 遠距離戦にしか能力を活用できなかった麦野沈利という能力者が、近・中距離戦でもその確殺の威力を運用できるようになった一手。

 

 

「──さあ、第二ラウンドと行きましょうか、裏第四位(アナザーフォー)ォ!!」

 

 

 それでも、やるしかない……!

 

 

 ……右目が、疼いた気がした。






NEXT...?
>>>
   とある再起の四月馬鹿(メガロマニア) Ⅱ   





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八三話:第四位 ②

 麦野さんが原子崩しの『循環』を使ってきた以上、もう迂闊に接近戦を挑むことはできない。

 

 これまで俺達が麦野さんに接近戦を挑めたのは、『原子崩しは照準から発射までラグがあるから照準を合わせる時間を与えなければ攻撃が来ない』という前提があったからで、原子崩しを循環させるという形で常に展開できるようになった以上、その前提は通用しない。

 

 それを理解した上で、俺達は────()()()()()()()

 

 

「……あァ? なんだコイツら……近寄ろうが私の原子崩しは死なねェ。循環って形で運用している以上、数センチ単位の軌道の調整だってできるんだよォ!!」

 

 

 『亀裂』の翼を大きく動かし、風を背負って突貫する俺達に向かって、麦野さんは光の巨腕を振り回すようにして俺達に攻撃する。

 タイミング的に、俺達の接近は間に合わない。麦野さんの一メートルくらいにまでは近づけるだろうが、それだけだ。俺達の望む『接近戦』などできようものじゃない。

 

 ──尤も、

 

 

「……飛行なんて、そこまで難しいものでもありませんのよ」

 

 

 それは俺達が()()()()()()()()()()()()()()()の話だ!

 

 

「……んなッ!? 風で、照準が狂って……!?」

 

 

 透明な『亀裂』を使ってため込んでおいた空隙を解除。それによって、麦野さんは横合いから突然の暴風を浴びせられることになる。

 そして能力がいかに強力でも、能力者本人はただの人間。聖人みたいな圧倒的な膂力の持ち主ではない。

 だから当然、突然風を浴びればよろめくし──能力者がよろめけば、能力の照準だって狂わざるを得ない。俺達を狙った攻撃が、外れてしまうくらいには。

 

 ……ただ、相手も馬鹿じゃない。

 このくらいの小手先の技は、向こうだって対応してくることは承知している。

 

 とはいえ、ここで突撃をやめるわけにはいかない。

 ここで攻撃の手を緩めれば、今もどこかに潜んでいるだろうフレンダさんの準備が整ってしまう。そうすれば、せっかくできるようになった気流操作を封じられた上で戦わなくちゃいけなくなる。今の状態でそんなことになったら、どう考えても詰みだ。

 決着は、ここでつける必要がある。

 

 

「──とでも言うと思ったかにゃーん!? 馬鹿が! テメェの暴風対策はできている! 原子崩しの盾をう~っすら展開しておいてあんだよ!」

 

 

 俺達を嘲笑いながら、麦野さんは言う。

 暴風の手ごたえで分かる。確かに、原子崩しの盾は展開されていた。俺達が暴風を浴びせた個所だけでなく、それも全方位に。ごく微量ゆえうっすら光っている程度にしか見えないけど、おそらくはアレも循環しているんだろう。

 原子崩しは粒子でも波形でもない曖昧な状態の電子を扱う能力。その状態の電子の運動には途轍もない抵抗力が生まれる──というのがあのバカげた攻撃力の理屈だったはずだから、当然ながら『うっすら』であっても風くらいは防げるのだろう。

 考えてみれば当然の話で、たとえば『アニメ』ではフレンダさんの爆弾を逆用した美琴さんの攻撃を麦野さんが原子崩しの盾で防ぐっていう一幕があったりしたし。

 

 

「第四位をナメんじゃねェぞ、裏第四位(アナザーフォー)ォ!!!!」

 

 

 ──それはつまり、俺達にとって『想定内』ってことなんだけどね。

 

 

「アナタこそ。裏第四位(アナザーフォー)をあまりナメるんじゃありませんわよ、第四位」

 

 

 直後。

 俺は仕込んでおいた『仕掛け』を発動する。

 

 仕掛けというのは単純で、風による気圧操作である。

 ただしこのあたり一帯の気圧を操作するのではあまりにも時間がかかりすぎる。この一瞬でしっかりと気圧を下げるため、対象範囲は限定した。そう、たとえば──

 

 

 ──麦野さんを覆う原子崩しの壁。その呼吸口、とか。

 

 

「ごあ……ッ!?」

 

 

 一瞬。

 原子崩しの巨腕の動きが止まり、麦野さんの周囲から盾の反応が消えたのを感知し、俺達は即座に横殴りの暴風を叩き込んだ。

 巨腕の動きはすぐさま再開されたが、もう遅い。光の巨人の腕が振り下ろされた頃には、麦野さんの身体は大きく傾いでいた。

 

 

「チィッ……!!」

 

 

 かくして巨腕を潜り抜けた俺達は、そのまま麦野さんに肉薄し──

 

 

「チェックメイト、ですわッ!!」

 

 

 そのまま、超音波アーマーを纏いながらお腹にタックルを叩き込んだ。

 

 

「がごっ……」

 

 

 麦野さんの口から、美少女ならざる呻きが漏れる。すべての運動量をお腹にぶつけた一撃だ。麦野さんはそのまま、ノーバウンドで数メートルも吹っ飛ぶ。

 流石に、車に轢かれたレベルの一撃を食らえば、数分くらいはダウンしたままだろう。……多分。

 …………なんで常人なら骨折&病院送りのダメージを与えてるのに数分で起き上がってくるのは前提、気絶させられたかどうかすら危ういみたいな気持ちにならなきゃいけないんだろうね、ほんと。

 

 ……うん、動き出す様子はない。

 まだちょっと、麦野さんの姿はブレて見えるけど……ほんとこれなんなんだ。ちょっと眼科行った方がいいのかなぁ……。

 

 

《うまくやれましたわね》

 

 

 急いでその場を離れて研究所へ向かっていると、不意にレイシアちゃんがそんなことを言った。

 まぁ、さっきの攻防は俺達の方が一枚上手ではあった。

 

 

《原子崩しは空気に干渉しうる。その前提さえ最初から共有できていれば、狙える方策も定まってくるからね》

 

 

 小走りになりながら、俺はそう答えた。

 

 今回麦野さんは、原子崩しを使って俺達の暴風を防ぐ作戦に出た。さらに万全を期すため、全方位に向かって盾を展開する徹底っぷりだ。それを見れば、暴風による攻撃は意味を成さなくなるようにも思える。

 ただ──ここで一つ疑問が生まれるのだ。

 空気に干渉する盾を全方位に展開しているなら──麦野さんはどうして窒息しなかったのか?

 『循環』によって発射のラグが消えたというのは、あくまで『循環』が成立した後の話。全身にうっすらと盾を展開するなんて所業、原子崩しの照準能力では大分時間をかけないと──それこそ三秒くらい準備が必要だったはずだ。

 それを俺達が突撃を開始したあの一瞬で展開するのは流石に無理だし、おそらくあの盾は巨腕の作成と同じ段階で行われていたはず。大声で会話していたのもあるし、そのくらい時間が経てば呼吸が苦しくなるはずだ。それに、俺達が距離を取れば確実に窒息してしまうし、そんな脆い策を使ってくるとも思えない。

 

 だから一度目の暴風で、麦野さんの周囲を感知した。

 生きるために最低限必要な『呼吸口』が、その盾のどこかにあると思ったからだ。

 

 そして思った通り、麦野さんが展開した盾は、胸元のみ穴が空いていた。

 だから俺達は麦野さんの胸元だけを狙って、瞬間的に低気圧を発生させたのだ。

 胸元に空いた穴から空気が抜けて、瞬間的に窒息しかけた麦野さんは、慌てて盾を解除し──そこに俺達が暴風を叩き込んだ、というのが先ほどの攻防の真相である。いやいや、我ながらかなり一瞬の頭脳戦だった。

 

《でも、こうして『アイテム』が出張ってくるということは……》

 

 

 内心でレイシアちゃんに呼び掛け、俺達はそこで足を止める。

 俺達の目の前にいたのは──

 

 

「…………!!」

 

 

 物陰にしゃがみこんで、両手で口を押えて息をひそめているフレンダさんの姿だった。

 

 

《捕虜を手に入れれば、向こうの情報を思う存分搾り取れるということですわね、シレン?》

 

 

 ……流石に大っぴらにやりすぎるとフレンダさんが粛清されちゃうから、そこはほどほどにね。

 

 

「……そうやって呼吸を手で隠していれば気流感知を逃れられるとでも? 甘いですわよ。たとえ呼吸が止まっていても人間大の物体が物陰に転がっていれば普通に分かります」

 

「た、たしゅけて……」

 

 

 見下ろしながらそんなことを話していると、フレンダさんは開口一番命乞いを始めてきた。この人ほんと情けないな……。

 

 

「む、麦野に言われて、しょうがなかったのよ……。この間の一件で『スクール』の連中とやり合って無用な敵を作っちゃったから麦野怒ってたし、しかもアンタに助けられたって聞いて余計怒ってて……だから……そのう」

 

「情報」

 

 

 話すと長くなりそうなので、俺は端的にフレンダさんにそう告げる。

 

 

「わたくし達はこの先にインディアンポーカーの『レシピ』を作っている輩がいると聞いて来たのですが……何故アナタ達がかち合うのです?」

 

「え、いや、私達はただ時間稼ぎを依頼されてただけで……」

 

 

 …………時間稼ぎ?

 

 

 その言葉に嫌な予感をおぼえて、俺達は弾かれるように研究所の方を見遣る。

 すると──研究所の上空には、いつの間にか真っ黒なもやが沈殿するように漂っていた。

 

 

「な……んですの、アレ!?」

 

「私に聞いても分かんないわよ!! 結局私達はただアンタが来たら時間稼ぎしろって言われただけで……」

 

 

 真っ黒い靄は、今も収束するように集まっている。アレ……ひょっとして、あのままだと暴走しだすんじゃないか? それこそ、人格励起(メイクアップ)の後の俺達みたいに……!

 そうか、『アイテム』はその為の要員だったんだ! 俺達がアレを止めない為の、時間稼ぎに!! ……クソ、これから突撃して間に合うか? いや無理だ。多分『アイテム』は仕事を終えた。今から俺達が行っても、カタストロフには間に合わない!!

 

 

『──レイシアか!?』

 

「っ、馬場さん! 研究所が!」

 

『ああこっちでも情報は掴んでいる! 徒花と査楽なら心配いらない。査楽はダウンしたようだが、どうも「アイテム」の方はお前が第四位を倒した時点で撤退を決めたらしい。お前らも今すぐ撤退しろ!』

 

「でも……、」

 

 

 それじゃあ、このあたりにどれくらいの被害が発生するか分かったものじゃない。

 このまま暴走させるくらいなら、俺達の最大出力であの歪みを押しつぶしてしまうべきじゃあ──

 

 

『それも問題ないんだ。第五位が介入を開始した!』

 

 

 第五位……食蜂さんが!?

 そっか……この件って常盤台の学生が絡んでるんだったっけ。食蜂さんの派閥の人が『ヒーロー』をやってるんなら、食蜂さんの性格上絶対に見逃さないよね、そこは。

 よかった……食蜂さんが介入してるんなら、多分大丈夫だろう。あの良く分からない現象だって、多分根っこのところは科学だ。多分、実験体になっている学生とかが核なんだろうけど……心理掌握(メンタルアウト)なら上手いこと助けられそうだしね。

 

 ……あれ、でもそれならどうして逃げるんだ?

 

 

『それで、事態が収束に向かい始めたことで「裏」の封鎖が解かれたんだ。つまり、警備員(アンチスキル)がやってくる。……そのまま現場にいるところを見つかると、厄介だぞ』

 

「…………、」

 

 

 馬場さん、忠告大変ありがとうございました。

 いやまぁ元々移動するつもりではあったんだけどさ。

 

 

「……そういうわけですので。フレンダ、第四位さんによろしくと伝えておいてくださいな」

 

 

 レイシアちゃんは最後にフレンダさんにそう言い残し、『亀裂』の翼を展開する。

 そして俺は一瞬、研究所の方を見遣った。

 

 ……内部進化(アイデアル)

 正直なところ、その根幹については何も分からずじまいではあったけど……とりあえず、これで一件落着ってことなんだろうか。

 

 まぁ、俺達としては……インディアンポーカーがこれで落ち着いてくれるなら、それに越したことはないかな。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

八三話:第四位 ② "Jagged-Edge"_in_MEMBER.

 

 

 


 

 

 

 その翌日。

 そうして『アイテム』との闘いを無事に切り抜けた俺達だったのだが、早くも頭を抱える事態に直面することとなったのだった。

 それは────。

 

 

「……おい、査楽。これはどういうことだ」

 

「い、いやね? 私に言われても分からないというか、今回は! 本当に! 暗部の人間として、撃ち漏らしがないか確認しようという義務感で動いていたというか……ね……!!」

 

 

 ……まるで前回は暗部の人間として以外の動機で動いていたと言っているような口ぶりだが、それはさておき。

 俺達の目の前には……破棄したはずの『レイシア=ブラックガードの夢』のカードがあるのだった。

 

 実はあれから、インディアンポーカー関連には動きがあった。

 警備員(アンチスキル)の働きかけでインディアンポーカーに使う玩具は自主回収措置がなされ、これにより『レシピ』についても意味を成さなくなった。

 首謀者は食蜂さんと帆風さん(なんと、今回の一件で『ヒーロー』をやっていたのは帆風さんだったらしい)によってとっちめられたので、これで問題解決……かと思いきや。

 

 今度はその日の夜のうちに、また新たな『レシピ』がネット上に出回り、今もこうして新たなカードが出回っているのだった。

 

 

「……首謀者は捕まったんじゃなかったのか?」

 

「ふむ、どうやらその目論見は間違っていたらしい。おそらく──昨日対処されたのはインディアンポーカーの首謀者ではなかったのだろう」

 

 

 怪訝そうな表情を浮かべる徒花さんに、博士は訳知り顔で頷きながら言う。

 

 …………どういうことだ?

 

 

「インディアンポーカーというのは、もともとは第五位の古巣である研究所で生み出された技術なのだろう? おそらく真の首謀者はそこから技術を転用した。だが、それ自体に特段の悪意はなかったのだろう」

 

 

 …………つまり、ただそれだけなら何の問題もなく、ただ夢を共有できるという楽しい文化の定着で済んだ。

 だが、そこに第三者の悪意が混入した……?

 

 

「昨日の首謀者は、情報によると才人工房(クローンドリー)所属の研究者だったようだ。自分の古巣の技術が使われているのを見て、これ幸いと相乗りした。……それが昨日の事件の真相で、なまじ元が闇の研究だったから、我々は真の首謀者ではなく相乗りしようとした内部進化(アイデアル)の黒幕を標的に認定してしまった──ということらしいな」

 

 

 ってことは……あの場にいた『アイテム』、あれってもしかして……内部進化(アイデアル)を中途半端に止められたくなかった学園都市の上層部が、俺達に勘違いで乗り込まれたら困るから用意してた『時間稼ぎ』だったってこと? ……何それ……それなら俺達にちゃんと事情とかを説明してくれれば、無用に麦野さんと敵対することなかったのになぁ……。

 

 

《シレン、別にあそこでぶつかってなくても、いずれ麦野沈利とは戦うハメになってましたわよ?》

 

 

 と、そこでレイシアちゃんがけろっとした調子で言う。

 

 

《ええ? ならないよ、だって仮に俺達が『メンバー』に肩入れするとして、『アイテム』は学園都市に反旗を翻すタイプじゃないでしょ? まず敵対しないと思うんだけど》

 

《いや…………そもそもわたくし達、裏第四位(アナザーフォー)ですわよ? 元・第四位としては、そんな輩は見つけ次第すぐにでも消し飛ばしたいでしょう》

 

 

 ………………ひ、否定できない。単純な利害計算を無視してでも潰しに来る可能性が、とても高い気がする……。

 

 

《じゃ、じゃあ何? 俺達はこれから、隙あらば麦野さんに命を狙われかねないってこと?》

 

《少なくとも、戦場で出会えば特に理由がない限り攻撃はしてくるでしょうね……》

 

 

 ……こ、怖いよぉ……。麦野さん、怖すぎるよぉ……。浜面さん、早く麦野さんの憑き物を落としてくれ……。

 

 

「ともあれ。真の首謀者に悪辣な思惑がないと分かった以上、その正体は相当に限定される。かつて才人工房(クローンドリー)に出入りしていた研究者で、なおかつ今も『表』の領域にいる者を探せばいいのだからな。安心したまえ、もうじき身元も判明することだろう」

 

 

 自信満々に言う博士。

 そういうこと言うとなんかフラグっぽいよなぁ……と思っていたところで、レイシアちゃんの携帯に通話が入る。着信の名前を確認すると……『刺鹿夢月』の文字。

 あら、夢月さんか。今は下部組織の人たちと絶賛首謀者の調査中とのことだけど……。

 

 

「もしもし? レイシアですわ。どうかしましたの?」

 

『ああ、よかった。実はインディアンポーカーをしかけやがったヤツの正体が、今分かったんです!』

 

「それは本当ですの!?」

 

 

 本当に噂をすればだな……。でもよかった。これで正体が分かれば、その人のことを止めれば全部終わりだ。これまでの話から言って相手は表の住人らしいし、俺達がわざわざ出張らなくても、場合によっては白井さんに報告するだけで終わりでもいいかも、

 

 

『首謀者の名は……ええと、操歯(くりば)涼子(りょうこ)。……あれ、この人って確か、大覇星祭の二人三脚で一緒になりやがった……レイシアさんのお知り合いじゃありませんでしたっけ?』

 

 

 …………え。

 

 

 操歯、涼子さん!?!?!?



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おまけ:深刻なる難問 ①

天賦夢路(ヘヴィーオブジェクト)編のスタートです。


 ガタガタと、忙しない物音が連続した。

 大柄な男たちが大型家電のような荷物を運びこんでいるのを尻目に、一人の少年がソファに腰かけてゆったりと脱力している。

 

 

「あー……なんつーか、残念だったなあ」

 

 

 少し気まずそうに視線をやると、そこには不気味な笑みを浮かべるツーサイドアップの少女と、真っ青な顔をしたヘッドギアの少年がいた。

 明らかに、異常。少年──垣根帝督は同情というより、面倒ごとに巻き込まれたくないときのような消極的思いやりを見せつつ、

 

 

「『()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 その一言には、様々な前提の崩壊という意味が含まれていた。

 もっとも、そのことを知るのはこの世界ではレイシア=ブラックガードのみであり、この場に彼女がいない以上、誰もそれを知ることはないのだが。

 

 

「まぁ、まだ次がある。お前らも切り替えろ。今回は相手が悪かったんだ。……あの女は、俺が直接出なくちゃ潰せねえわな」

 

 

 しかし垣根は穏やかな口調で、自分の座るソファからも見えるベッドで眠る少女のことを見ていた。

 ベッドに仰向けで横たわる少女の胸元は、今も緩やかに上下している。──結論から言うと、杠林檎はまだ目覚めてはいなかった。

 あの、『ドラゴン』との対峙の折、垣根帝督が戦場に現れたのは、幻生の持つ情報から杠を救う手立てがあると考えたからだった。そして確かに、幻生が『簒奪計画』を実行するに至った研究──人格励起(メイクアップ)は、杠の救済に一定の効果を上げた。

 それまでは未元物質(ダークマター)の力で肉体を仮死状態にしなければすぐさま内臓が機能を停止して死んでしまうところだった杠の身体が、今はこうして機材なしでも生命を保てる状態にまで落ち着いた。

 

 

「……安らかな寝顔ね」

 

 

 じいっと少女を見つめる垣根に、横合いからドレスの少女が声をかけた。

 少女──獄彩の方に視線だけを寄越すと、垣根は面白くなさそうに目を伏せた。

 

 

「こんなんじゃ及第点にも満たねえよ。脳の機能を『励起』させることで、生命維持は問題なく行えるようになったが……覚醒にはまだまだだ。だがさらに励起させるにはあのジジイが遺していた不完全な資料だけじゃ到底足りねえ」

 

「つまり……その足りないピースを『彼女』から獲得するということですね!?」

 

 

 ぱあっと顔を明るくするのは、ツーサイドアップの少女──弓箭だ。

 陶酔したような表情を浮かべ、弓箭はさらに言葉を重ねていく。

 

 

「あの圧倒的なチカラによる蹂躙……いつでもわたくしを殺せたはずなのに、彼女はわたくしをあえて生かした! これはもう、友情です!! 朋友です!!」

 

「…………その話、()げえか?」

 

「そして彼女はあの後『アイテム』と事を構えたらしいじゃないですか! 暗部と戦闘をするほどの『何か』を目的に据えているということは、必然的にまた我々『闇』の領域と交差するということですよね!? ふふふ……向こうからわざわざ、こちらの領域に踏み込んでくれるのです! 全身全霊を以て持て成さずして、朋友は名乗れません!!!!」

 

 

 垣根は呆れた調子で最早聞いてすらいないが、弓箭のテンションは上がっていく一方だ。こうなった弓箭は、垣根が本気でキレない限りは止まらない。垣根は弓箭から一切の興味を外して、傍らで同じように呆れていた誉望に視線を向ける。

 

 

「んで、誉望。裏第四位(アナザーフォー)が何を目的に『アイテム』と戦闘していたのか、調べはついたか?」

 

「は、はい。裏第四位(アナザーフォー)はどうやらインディアンポーカー関連の情報を探ってあの研究所に行き着いたようです。……インディアンポーカーは、元々才人工房(クローンドリー)で開発された技術なので」

 

「あ? ……あー。なるほどな、自分の城の情報漏洩を引き起こしてるクソ迷惑な玩具の出どころを潰そうって訳か。だが……」

 

 

 同じく『暗部』の情報網を持っている垣根もまた、事の顛末は知っている。

 今出回っているインディアンポーカーの『設計図』の持ち主は、才人工房(クローンドリー)跡地に座す『闇』の人間ではなかった。

 真犯人の名は、操歯涼子。

 何も後ろ暗いところはないにもかかわらず、『表』の世界にいながら己を両断し全身サイボーグとなったという異色の経歴を持つ少女だが──この場合、才人工房(クローンドリー)という『闇』に触れてしまったのが運の尽き、といったところだろうか。

 

 

「…………コイツは、使えるな」

 

 

 操歯涼子の顔写真を見ながら、垣根は薄く笑みを浮かべる。

 情報によれば、操歯涼子はレイシア=ブラックガードと個人的な交友関係を持っているらしい。となれば、あのどうしようもない善人にとっては()()()()()()()()()()()()()()()()()()守るべき隣人としてカウントされるに違いない。

 第二位は、その頭脳で極めて悪辣な計算を叩き出すと、相変わらず楽しそうにレイシアとの友情を語る弓箭と、ベッドで横たわる杠を眺めている獄彩に言う。

 

 

「お前ら、操歯をちょっと捕まえてこい。──『情報交換』と行こうじゃねえか」

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

おまけ:深刻なる難問

>>> 第二一学区方面操歯涼子争奪戦 

 

 


 

 

 

「……あ~、もう散々な訳よ」

 

 

 学園都市・某所。

 ムサい男どもがひしめく廃倉庫で、今を時めく花のJKことフレンダ=セイヴェルンは溶けだしそうな表情で呻いていた。

 彼女の目の前には、一つのテーブルがある。

 否、テーブルというのは正確には幾つかの木箱を横に並べ、その上に天板を乗せただけの簡素な『即席テーブル』である。

 その上には、いくつものマガジンや拳銃弾が無造作に置かれている。

 フレンダが行っているのは装填作業だった。

 下部組織の人間が扱う銃器というのは、それこそ湯水のように弾丸を消費する。それらは最初からマガジンに入っていて、拳銃に差し込んで引き金を引けば人の頭をスイカ割りの後のスイカよりもバラバラにできるようになっているわけではない。

 こうして、下働きの人間がちまちまとマガジンに拳銃弾を装填し、いつでも使えるマガジンを大量に用意しているわけである。

 

 そして、こうしたちまちまとした作業は文字通り下部組織の人間が行うような業務なのだが……、

 

 

裏第四位(アナザーフォー)には負けるし、麦野には怒られるし、下部組織に混じって仕事するハメになるし……」

 

「つっても、あの剣幕の麦野にその場で粛清されなかっただけでもマシだろ」

 

 

 ぼやくフレンダの横で、同じようにカチャカチャと手を動かしている少年が一人。

 そう、ご存じ浜面仕上である。

 彼はあの後、意識を取り戻した麦野の怒りようを知っているので、むしろこの程度で(しかも五体満足で)済んでいるフレンダの贅沢っぷりに呆れていた。

 

 

『……んで、黙って逃がしたって? フレンダ……お前それ本気で言ってんのか? こっちの目的まで教えて?』

 

『ひぃ、で、でも……私じゃ止めようとしても速攻で気絶させられてたと思うし……』

 

『命乞い……ねぇ。オイ、テメェ「アイテム」の面ァ汚したって分かってんのか?』

 

『ひぃぃぃぃ!!!!』

 

 

 …………あの剣幕は、冗談抜きに腕の一本や二本は吹っ飛ばしかねないレベルだった、と浜面は思う。

 あそこで咄嗟に浜面が麦野の興味を『なぜレイシアが才人工房(クローンドリー)にアタックを仕掛けたのか』に逸らさなければ、今頃フレンダは廃倉庫ではなく病院で時間を潰すハメになっていただろう。

 

 

「まぁ、アンタには感謝してるわよ。アンタが仲裁してくれなかったらまた麦野にオシオキされてたと思うし……」

 

 

 オシオキで済むのか……と思いつつ、浜面は手を動かす。

 ちなみに、ぶつくさ言っているもののフレンダの手は早い。浜面よりも、そもそも器用さのステータスの次元が違うらしい。ただ、それもそろそろ限界らしく。

 

 

「だぁーもう!! 飽きた!! 完っ全に飽きたって訳よ!! 何よ! 結局、麦野だって真っ先に裏第四位(アナザーフォー)にダウンさせられてたのに! 無傷で万全の超能力者(レベル5)なんて私の手でどうにかなるはずないって訳よ!!」

 

「そのペナルティとして、下部組織の監督役って名目で俺達と仕事してるわけだもんなー……」

 

「ホントよ。実質的な降格処分じゃないこれ? ギャラも少ないし、結局こんなんじゃやる気出ないって訳よー」

 

「(……まぁ、実際には俺がコイツのお守りをしてるようなモンだけどな……)」

 

 

 かれこれ数時間。フレンダの愚痴を聞かされ、仕事を投げ出そうとする彼女を宥めたりを繰り返している浜面はフレンダには聞こえないように呟く。

 こんな損な役回りにも拘わらず、周辺の非モテ野郎からしたら『当たり前にあるモノの有難みを知らない贅沢クソ野郎(ブルジョワジー)』の誹りを受けるのだ。世界はかくも理不尽であると浜面は強く思う。

 

 

「……だぁー!! もう無理!! もうヤダ!! 結局、こんな創造性のない反復作業は私という才能ある人材の時間を使うには全く見合わないって訳よ!!」

 

「文句を言うなよ。っていうかお前工兵みたいなポジションなんだからこういう細々とした作業は得意なんじゃねーの?」

 

「得意だけども!! 私の場合はそういう細々とした作業は終着点(ゴール)に全部ぶっ壊すっていうご褒美があるの! 爆破もなしにちまちました作業なんてやってられないって訳よ!!」

 

「歪んでんなあ……」

 

「あっ浜面、今そのマガジンのスプリング歪んだわよ。音で分かる」

 

「何なんだよテメェ!!!!」

 

 

 嫌だ嫌だと言っておきながら、真面目にやっている自分よりもスペックは遥かに高い。改めて、高位能力者がひしめく戦場で今まで生き残ってきた『アイテム』の一角なんだと思い知らされる。

 普段自分が接している分には、ただの生意気な女子高生にしか見えないのだが。

 

 ともあれ、そんなワガママ生意気JKはもうこれ以上の単純作業は無理です! という構えを崩さない気のようだった。

 ここでフレンダが問題を起こせば、フレンダ自身はもちろん、半ば成り行きで彼女のお守りを任された自分も麦野にボコボコにされかねない。

 

 

「ならこのビデオ見るといいぞ。単純作業のときに見ると不思議と作業が捗るっていう伝説の……」

 

 

 そう言って浜面は適当に木箱をごそごそと漁って、中にしまってあったビデオをフレンダに見せる。

 そこにあったのは、

 

 

 『バニー女軍人㊙おっぱい猛特訓』……というタイトルのパッケージ。

 

 

「…………浜面。セクハラで爆破するわよ」

 

「いやァァああああ!? そこはせめて訴えて!?」

 

 

 浜面は殆ど反射でパッケージを木箱の中に突っ込み、

 

 

「い……いや違う! 違うんだ! 俺が出したかったのはこれじゃない! この前絹旗に押し付けられたC級映画をだな……! あまりに詰まらなさ過ぎて鑑賞から逃避したくなって仕事の能率が上がるって出そうとしただけであって、あれは別に……!」

 

「……っつか、バニー女軍人って何な訳? 既に属性が迷子じゃない?」

 

「うるせえ!! バニーは何にでも合う万能食材なんだよッッッ!!!!」

 

 

 熱弁する浜面だったが、フレンダは冷めた目でそんな彼を見るだけだった。心の柔らかい部分をバッサリ切られた浜面は、しくしくとしゃがみこんで作業を再開してしまう。

 いたたまれない雰囲気になったフレンダが別の話を切り出そうとした瞬間、木箱の上に置いてあったフレンダの端末が着信を告げる。

 

 着信の主は、『麦野沈利』。

 

 

「……もしもし!? 麦野!? いやぁーようやく任務終了!? 長かったって訳よ、」

 

『仕事よ、フレンダ』

 

 

 麦野はピシャリとそう言って、さらに続ける。

 

 

『人攫いだ。「操歯涼子」。『表』の研究者よ。この女を、下部組織の連中と一緒に誘拐してきなさい。……コイツは、裏第四位(アナザーフォー)のアキレス腱になりうる存在よ』

 

 

 それだけ言い切ると、麦野はさっさと着信を切ってしまう。

 残されたのは、非常~~~に微妙そうな表情のフレンダと、同情するようなウンザリしたような表情の浜面のみ。

 

 

「……と、とりあえず、弾込め作業からは解放されてよかったな?」

 

「結局下部組織の低ギャラ任務からは解放されてないって訳よ~~~~!!!!」

 

 

 とほほ、敗北はコリゴリだわ……と嘆くフレンダは気付かない。

 この一見するとヌルい任務が、実はどんな任務よりも過酷な『争奪戦』であるということに…………。




☑金髪で線が細い顔の良い爆弾魔
☑根は優しく意外と面倒見のいい不良


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八四話:誤算

 『インディアンポーカー』の首謀者が操歯さんであると認識した、その翌日。

 物語は、明確に動き出した。

 

 

「え!? ドッペルゲンガーが脱走した!?」

 

 

 夜のことだった。

 操歯さんに会いに行く段取りを色々と整えていたところ、突然暗部の情報網にそんなニュースが流れたのだった。

 ……もちろん、ドッペルゲンガーさんの脱走という異常行動は気になるが。

 

 バタバタと人員が右往左往している状況で、俺は一か所に集まった『メンバー』の正規人員に指示を送っていく。

 

 

「査楽さんは脱走したドッペルゲンガーさんの調査を。暗部の情報網にそんなニュースが流れるということは、周辺に暗部組織が潜んでいるやもしれません。本体には接触せず、周辺の調査をメインに考えてください」

 

 

 調査とはいえ、周辺には暗部組織(の斥候)がいることが想定される。

 万一の衝突に備えて、小回りの利く戦力でもある査楽さんに出てもらうことにした。博士も単体戦力としては多分『メンバー』最強なんだけど、いかんせん札として万能すぎるがゆえにちょっと出し惜しみしちゃってね……。純粋に戦力が必要な局面なら俺が出ればいいかなって思っちゃうし。

 ちなみに、徒花さんはGMDWの面々と『メンバー』の橋渡しをしないといけないので今回は留守番確定だ。

 

 指示に従って現場に向かった査楽さんを見送り、俺自身も操歯さんへ接触をとるべく上着を羽織っていると、

 

 

「……裏第四位(アナザーフォー)

 

 

 不意に、馬場さんが俺達に話しかけてきた。

 上着を羽織り終えて、俺は馬場さんの方へ視線を向ける。

 

 

「馬場さん? どうかしましたの?」

 

「いや……少し、違和感があってな。脱走したドッペルゲンガーは、操歯涼子が直近に参加していた実験の機材の()()なんだろう? その周辺に、どうして暗部組織がいたんだと思って……」

 

「…………、」

 

 

 ……言われてみれば。

 

 

「論理的な根拠が生まれる段階じゃないが、それでも警戒はしておいた方がいい。…………ひょっとしたら、操歯涼子の方にも暗部の人間の手が伸びているかもしれないぞ」

 

 

 確かに、馬場さんの言う通りかもしれないな。

 ドッペルゲンガーさんと操歯さんでラインが繋がるなら、操歯さんの周辺も既に『暗部の世界』になっている可能性がある。

 前もって忠告してもらっておいて本当によかった。現場で鉢合わせたら、もう大混乱は必至だったぞ。まぁ、流石にまた麦野さんとバッタリ……なんてことはないと思うけどさ。

 

 

「ご忠告感謝しますわ。……もしも暗部の手の者が潜伏しているようなら、操歯さんを保護しないといけませんわね」

 

「まぁ、僕達も『暗部』だけどな」

 

「わたくしの配下にいるのですから『暗部』ではありませんわ! ですからもちろん人死に・人攫いはNGですわよ!! 分かっておりますわね!」

 

「はいはい、心配しなくてもそのへんは下部組織含めて厳守してるよ。お陰で僕の暗部生活史上最もクリーンな日々を過ごさせてもらってる」

 

 

 呆れたと言わんばかりに肩を竦める馬場さんを見て、俺も矛を収めた。

 いや実際、『メンバー』の人たちはまだ自分たちが暗部の人間で、たまたま依頼で俺達の下についていると認識している層が多そうなんだけど……俺達は別に暗部の人間でもなんでもないからね。

 GMDWの面々と関わっている下部組織の人たちはお行儀のいい人たちが多いって聞くけど。

 

 

「では、行ってきます」

 

 

 声をかけて、俺達は夜の闇へと飛び立つ。

 

 …………暗部組織、か。

 

 何事もなければいいけど…………。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

八四話:誤算 Bad_Timing.

 

 

 


 

 

 

「……あれ、アンタ」

 

 

 現場に急行してみると、そこにいたのは操歯さん──ではなく、どういうわけか、美琴さんだった。

 ……いや、え? なんで???

 

 

「み……美琴さん? どうしてここに? っていうか……そちらの方々は……?」

 

 

 そして、それだけではなく。

 美琴さんの足元には、黒髪の少女が一人、金髪の少女が一人、茶髪の少年が一人。

 計三人の少年少女が、微妙にコンガリしながら転がっていたのだった。

 

 ……黒髪の子の方は分からないけど、金髪の少女と茶髪の少年って多分これフレンダさんと浜面さんだよね。うつ伏せで倒れてるから全然分かんないけど……。何、戦闘になったの?

 

 

「知らないわ。なんか操歯さんを狙ってたから()っといた。アンタも此処に来たってことは操歯さんに用があるのよね」

 

「ええ……。わたくしはちょっと、『インディアンポーカー』の件で……」

 

 

 多分、美琴さんもそこについては掴んでいるから此処にいるのだろう。

 既に交戦して美琴さんも気が立っているはずだから、変にぼかさず正直に話すことにした。それが功を奏したのか、美琴さんは明らかに肩の力を抜いて、

 

 

「ああ、そっち?」

 

「そっち……? ……ああ、美琴さんはドッペルゲンガーさんの方を追っているんですのね」

 

 

 得心がいった。

 美琴さんは、『インディアンポーカー』みたいなそういう裏方の事件を止めるために動いたりはしなさそうだもんなあ。偶然ドッペルゲンガーさんの脱走にかち合って、流れでそっちを追っていると考えていいだろう。

 

 

「もちろん、ドッペルゲンガーさんの方も部下に追わせていますわ。わたくしは……『インディアンポーカー』を根絶しないといけませんので」

 

「…………根絶? なんで?」

 

「詳しい話は……移動しながらしましょう。まずは操歯さんを追いかけるべきですわ。彼女の周辺には、危ない方々が集まっているようなので」

 

「いや。それよりも緊急の問題が発生しているわ。それこそ、移動中に話したいから……ちょっとついてきてもらえるかしら?」

 

 

 …………。

 なんだか、脇道に逸れそうな感じがするが……。

 

 

《レイシアちゃん、どうしよう》

 

《んぇっ? ……いいと思いますわよ? もしかしたら地続きの問題かもしれませんし……》

 

《…………レイシアちゃん、話あんまり聞いてなかったね?》

 

 

 ちょっと呆れつつ言うと、レイシアちゃんは慌てて言い訳をする。

 

 

《気を抜いてたとか、そういうわけではありませんのよ!? ただ、ちょっと考え事を……。フレンダと浜面がわざわざ操歯さん確保に向かったのは、いったいなぜなのかしら。『アイテム』は元々『インディアンポーカー』そのものについては利害関係のない組織だったはずですわ》

 

 

 確かに、レイシアちゃんの考察の通りだ。

 『アイテム』は『インディアンポーカー』を悪用した第三者と俺達との接触を断つ為に雇われただけで、『インディアンポーカー』そのものをどうこうする任務は帯びていない。

 これは、『メンバー』の情報網で後から確認したことなので間違いない事実だ。

 

 つまり、昨日の段階で『アイテム』は『インディアンポーカー』の首謀者──操歯さんに対してどうこうする動機は一切なかった。

 にも拘らず、その『アイテム』の一員である浜面さんとフレンダさんが操歯さん確保に動いたのは納得がいかない。……任務じゃない、プライベートで遊びに来たとかならまだ分かるけど……。

 ……任務に関係ない、か。

 

 

《たとえば、『アイテム』が現在抱えている敵対関係絡みに操歯さんが関わっている……とか?》

 

《現在抱えている……、……あ!!》

 

 

 そこでレイシアちゃんは、何かに気付いたらしい。

 

 

《そうでしたわ……すっかり忘れていました! 先の暗部抗争、確か砂皿緻密の前任は…………『アイテム』に殺されていたはずですわ!!》

 

 

 …………、そうだったっけ?

 …………。……ああ!! そういえばそんなこと言ってた気がする!! そして俺達、その前任の人とこの前戦ったよ!!

 そうか、あの人……もう殺されちゃったのか。

 ……出会っていたのに。手を差し伸べる機会は、あったはずなのに。……なんとか、助けてあげられなかったのかな。まだ俺達と同じくらいの年の頃だっただろうに……。

 

 

《シレン。悔やんでも仕方がありませんわ。わたくし達は万能のヒーローじゃありません。取りこぼしてしまうことだって、ある。それでも前を向かなくては》

 

《…………うん、そうだね》

 

 

 こういうとき、レイシアちゃんと一心同体で本当によかったって思う。

 もしも俺一人だったら、こういう重圧に負けてしまっていたかもしれない。でも二人一緒なら、お互いに支え合って、こんな俺でも前を向くことができる。

 

 

《……とはいえ、構成員を殺されているのです。『スクール』としては当然『アイテム』は敵ですし、『アイテム』も報復のリスクがあるのですから、先手を打って『スクール』を叩き潰したいと思っているはず。そこに、操歯が持つ何らかの事情や技術──たとえば『インディアンポーカー』が関わってくる可能性はあるのではなくて?》

 

《さ……流石レイシアちゃん! めちゃくちゃ冴えてるんじゃない!?》

 

《ふふん……》

 

 

 ちょっと調子に乗っているようだが、それも許せるくらい冴えた推理だと思うよ。

 見た感じどこにもボロはないし、筋も通ってる。これ、マジで『アイテム』の思考読めちゃったんじゃないかな……。

 そしてここから、操歯さん拉致が失敗した『アイテム』の残存戦力が打つ手を考えてみれば……。

 

 

《…………俺は、フレンダさんと浜面さんを倒した美琴さんに釣られて麦野さんが出てくると思う》

 

《わたくしもそう思いますわ》

 

 

 だって麦野さんだもんねぇ。不倶戴天の第三位が自分の作戦を邪魔したら、絶対に出張ってくると思う。

 でも、一方で。

 

 

《俺達が、美琴さんに同行していれば……麦野さんは出てこれないんじゃない?》

 

 

 折しも、麦野さんは俺達に敗北を喫したばかり。

 いくら麦野さんでも多少は慎重になっているはずだし、そこに第三位と裏第四位(アナザーフォー)が連れ立って動いていれば、流石に手出しはできないだろう。

 

 かといって麦野さんの性格上、そうなればもう操歯さんはそっちのけになりそうなので、タゲを分散することで襲撃リスクを上げるよりも、一緒に行動して麦野さんを宙ぶらりんにした方が安全ということもある。

 

 

 ──そこまでを高速で脳内会話した俺達は、時間にして一秒で、美琴さんに回答を返す。

 

 

「分かりましたわ。まずはドッペルゲンガーを追いましょう」

 

「よし来た。じゃあ、道中情報交換しましょう」

 

 

 


 

 

 

「………………行った?」

 

 

 静寂に包まれた夜の街にて。

 無様に倒れ伏していた金髪の少女──フレンダ=セイヴェルンは、微動だにしないまま隣で倒れている浜面仕上に呼び掛けた。

 

 

「……行った、みてぇだな」

 

 

 顔を上げ、あたりを見渡した浜面は、そう言って完全に立ち上がる。

 続いて、フレンダも同じように立ち上がった。

 

 ──確かに、二人は美琴の電撃を浴びせられた。だが、そこには色々な経緯の省略がある。

 たとえば、二人は美琴の前に現れる前に彼女の存在を認識していたとか。

 たとえば、フレンダは過去の経験から、超能力者(レベル5)とかち合っても絶対に勝ち目などないことを承知していたとか。

 たとえば、それゆえに二人は事前に『負けたふり』をする為のガジェットを準備していたとか。

 

 そんなわけで、浜面の発案によるアースによって電撃の威力の大半を地面に逃がしていたフレンダと浜面は、『わざと負ける』ことで美琴と、さらにはレイシアの目も欺いていたのだった。

 見た目は完全に電撃にやられている様子だったので、レイシアも気流感知を怠っていたのが功を奏した。

 

 

「…………ふぅぅぅぅぅ~~~~~~!!!! 結局、生きた心地しなかったって訳よ! っていうか何!? なんで裏第四位(アナザーフォー)まで来る訳!?」

 

「んなこと俺が知るかよ! こちとら最弱の無能力者(レベル0)なんだぞ!」

 

「私だって無能力者(レベル0)だっての! レベル言い訳にするんじゃないわよ!」

 

「……うぐぅ……!!!!」

 

 

 フレンダとしてはコメディのツッコミとして放った一言が心の柔らかいところに突き刺さった敗残者浜面は、鳩尾のあたり(浜面の心は鳩尾にあるのかもしれない)を抑えつつ、

 

 

「とはいえ、だ! これで無事に操歯に接触できるな。……正直、無理やり攫うことになるかと思うと気が重いけど」

 

「……言わないでよ。私なんて、結局この前まさにそれを阻止した側だったのよ? やーねぇ、この業界、結局ヒーローになれる人間なんていないって訳ね」

 

 

 肩を落とすフレンダと浜面。

 そこで二人は、殆ど同時に、同じことを思った。

 

 一応アースで電撃のダメージは最小限にしたが、当然身に着けているスマホなどは破壊されてしまっている。つまり今の二人は、外部と連絡を取る手段もない。

 もちろん他の構成員から行動を察知されることもない。

 であれば──無理に操歯涼子の身柄を確保するという本来の役目を果たさなくてもいいのではないか? というか、操歯涼子の身柄を確保すればどう考えてもレイシア=ブラックガードの逆鱗に触れることになる。

 あれだけ万全の状態で戦ったのに一蹴されるほどの実力差があったのだ。『アイテム』の総力を結集させたとしても、勝てるかどうかと言われたら……微妙なところだと思われた。

 

 

「もちろん……麦野の勝ちは疑わないけども! でも、操歯涼子を誘拐すれば向こうはきっと準備も何もなしにこっちを潰してくるはずよね」

 

「……ああ。そしてそうなれば、真っ先に潰されるのは末端の俺達……」

 

 

 フレンダは、下部組織の下働きばかりやらされているフラストレーションから。

 

 浜面は、長くスキルアウトをやっている中で蓄積されてきた被害者意識から。

 

 それぞれ、非常にダメな動機から……しかしそのダメさで、己の中に残っていた小さな小さな勇気を奮い立たせる。

 『割に合わないから』と言い訳をすることで。

 

 

「だからさ……誘拐、やめちゃわない?」

 

「…………賛成だ」

 

 

 ──本来であれば、『この時点のこの二人』が、この選択肢を選ぶ可能性は限りなく少ない。

 確かに二人の中には明確に良心があるし、その輝きは時としてヒーローと呼ぶに足るものとなる。だが、現時点の浜面仕上とフレンダ=セイヴェルンの魂は泥に塗れており、本来の輝きを取り戻すには相応の試練が必要なはずだった。

 

 だが、何の間違いか、様々な要因が組み合わさったことで二人は異なる選択肢を選び取った。

 栄光に続く選択肢を。

 

 

 …………もっとも、栄光に至るまでの道のりは、重大な難問(ヘヴィーオブジェクト)続きだろうが……。




・『アイテム』が操歯を狙ったのは任務関係ないプライベートの理由←正しい
・操歯の持つ何らかの事情が関係している←正しい
・つまり、『アイテム』は『スクール』との敵対に備えている!←お前を誘い出す為の罠やで


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八五話:受難

 ──御坂美琴から聞き出した事件のあらましは、シレンの頭を抱えさせるには十分な惨状だった。

 

 

 ある日。

 美琴は食蜂操祈から、操歯涼子が所属していたという研究所での実験について潜入調査依頼を受けた。

 実験──というのは、人体を『分割』し、サイボーグ技術によって『二人の人間を生み出す』というもの。それ自体はつつがなく成功し、分割した肉体も一つに戻ったのだが──この時、副産物が発生した。

 それが、『もう一人分』のサイボーグこと『ドッペルゲンガー』であり──ドッペルゲンガーは、もう一人の操歯涼子として、己を操歯涼子と認識したまま動き続けているらしいのだ。

 

 こんな一歩間違えば『闇』の世界にも結び付く実験は、当然ながら被験者などそうそう見つかるはずもない。実験の有用性が確認されたら、今度は罪のない子供たち──あるいはクローンが──という食蜂の口車に乗せられた美琴は、その日の夜に潜入捜査に乗り出し──そして、ドッペルゲンガーの逃走現場に鉢合わせたのだった。

 

 

「……で、その後は操歯さんを解放してー、離れたところで心を読んでた食蜂から操歯さんの本当の事情を聴いてー、気になったから後を追ったら、変なヤツに襲われてるところを見つけてー、さっきの金髪と茶髪が乱入してきてー……かるーく電撃流しといてー」

 

「……」

 

 

 『ドッペルゲンガー』の事実だけでもシレンとしては頭を抱える事実だった。

 何せ、操歯の話によれば『ドッペルゲンガー』の中に宿るとされる『もう一つの魂』は、器が破壊されれば学園都市全域に拡散する可能性がある──という話なのだから。下手に破壊しただけでも終わり。一応、サイボーグとしての防護機能から己を破壊することはできないセーフティが存在しているらしいが。

 

 しかし、今回はそれだけではなく、明らかに暗部の人間が絡んできている。

 ただでさえオカルトめいた現象が報告されているというのに、この上暗部の多角的な利害関係まで絡んでくるとなると、本格的にシレンやレイシアだけの手には負えなくなってくる。

 

 

《…………学園都市全域に、魂の拡散……かぁ》

 

《まぁ、そんなことにはならないと思いますけどね》

 

 

 重い口調のシレンの懸念をはねのけるかのように、レイシアはあっさりと言った。

 

 

《……? どうして? わりと有り得るラインの話だと思うんだけど》

 

《どうしてって……もしも、もしも器を壊された魂が拡散するとして、ですわよ?》

 

 

 レイシアは噛んで含めるように、

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?》

 

《…………あ》

 

 

 言われて、シレンも気付いた。

 彼女がレイシアの身体に憑依した経緯は不明だが、何も突然レイシアの体内に発生して、そしてそのまま憑依したというわけではないはずだ。

 おそらくどこかに発生して──そして、吸い寄せられるようにレイシアの肉体に漂着した。そう考えるのが自然である。

 そしてこの時のシレンの魂は、まさしく今『ドッペルゲンガー』が仮定されている『魂の拡散』と同じ状態ではないだろうか。

 

 だが、実際にはシレンは学園都市全域に憑依するような事態には陥っていない。

 

 それはつまり、『魂の拡散』仮説が誤っているという証明でもあるのだ。

 

 

「つっても、シレンさんの方もなかなか厄介よね」

 

 

 とはいえ、それはシレンとレイシアのみが知る特殊な情報あっての推理。

 美琴にその事実を伝えることはできないが──とシレンが思考したところで、美琴の方は苦笑しながらそんなことを言ってきた。

 

 

「……私、インディアンポーカーにそんなリスクがあるなんて思ってもみなかったわ。考えてみれば、ぞっとしない話よね」

 

「まぁ、わたくしは学園都市の広告塔を目指しているという事情もありますので、余計に慎重になっているという部分もありますが……」

 

 

 というか、アナタももう少し気にした方がいいのではなくて? 仮にも学園都市の看板なのに……。

 とまでは、説教くさくなってしまうので流石に言わないシレンだったが。

 しかし美琴の方は気にせず、ズカズカとそのへんを突き進んでいく。

 

 

「広告塔? あんなの別に良いものでもないんだけどなぁ。なんか色々忙しいし」

 

「あァ? こっちはそれを目指してるっつってんですのよイヤミでして?」「まぁまぁレイシアちゃん、美琴さんも親切心で言ってるんだと思うし……」

 

 

 噛みつきかかるレイシアに対し、宥めるシレン。

 この百面相も、美琴は何度も見てきたが……何度対面しても慣れない。レイシアだけならまだいい。ツンケンした態度で来られるのは美琴としても扱いやすいし、気が楽だ。シレンだけでも……まぁ良いといえば良い。あまり強くは出づらいが、話していて安心感のある人柄だし。

 だが、両方いっぺんに来られると心の距離がバグるというか……接し方が一瞬分からなくなるのだ。せめて急に来るのは勘弁してほしいと、美琴は思う。

 

 

「わ、悪かったわよ……。それより。先を急ぎましょう。なんか良く分からないヤツらが操歯さんの周辺を嗅ぎまわっているみたいだし、何か、嫌な予感がするのよねー……」

 

「…………美琴さん」

 

 

 バツが悪そうな謝罪から、話を逸らすように言った美琴に対して。

 シレンは非常に嫌そうな顔をしながら、こう返したのだった。

 

 

「…………そういう発言は、フラグになるのでやめてくださいません?」

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

八五話:受難 Unlucky_Day.

 

 

 


 

 

 

 ──同時刻。

 

 屍喰部隊(スカベンジャー)は、窮地に立たされていた。

 正史において、彼女達は『ドッペルゲンガー』と交戦するも……未知の『憑依』に全く歯が立たず、なんとか一部を破損させるも、逆に『真の力』を引き出してしまい敗走する──という窮状だったのだが、今回はそれとはまた毛色の違う『危機』だった。

 

 

「…………まったく。どうしてこんな超面倒臭い依頼が『アイテム』に回って来てるんですかね」

 

 

 絹旗最愛。

 

 たった一人の少女によって、暗部のプロ三人はあっけなく倒れ伏していた。それも──さしたる負傷もなく、である。

 

 

「しかし、流れで全員倒しましたが……彼女達の依頼も超捕獲のような雰囲気でしたね。にしてはけっこう破壊する気満々のようでしたが……いったいどういうことだったんでしょう?」

 

 

 絹旗は既に屍悔部隊(スカベンジャー)から完全に意識を逸らしている。油断──といっても差し支えないほどであったが、しかしその油断を差し引いてなお余りあるほどに、彼我の戦力差は絶対的だった。

 紙も、薬品も、隙のない窒素の壁の前ではすべてが無力。ゆえに敗北は、必定だったと言えるだろう。

 

 ……もっとも、絹旗自身も敵にかかずらっているうちに『ドッペルゲンガー』を逃がしてしまったのだが……そこについては、下部組織の人間が今も『ドッペルゲンガー』を追っている為、大した問題ではないのだった。

 

 ただし──運命の女神というのは、誰に対しても平等に試練を与えるものである。

 

 絹旗が『ドッペルゲンガー』の後を追おうと進路を決めた、次の瞬間だった。

 

 ザザッ──と、二つ分の足音が、彼女の耳に届いた。

 

 

「…………アンタ」

 

 

 聞こえてきた声の含む感情の色で、絹旗は状況が一触即発に類するものであることを迅速に認識した。

 振り返れば、そこにいたのは金髪の少女と、茶髪の少女。

 より正確に言うならば──この街の、第三位と第四位。

 

 

(もっとも、麦野あたりは『裏』第四位と言わないとキレますが……)

 

 

「……何してんのよ。その人たちは…………いったいどうしたの?」

 

「ハァ……。説明して、納得してくれるとは超思いませんけどね」

 

 

 『超電磁砲(レールガン)』と『白黒鋸刃(ジャギドエッジ)』。

 本来、この局面で二人に睨まれて生き残れる能力者は同格の能力者か、空間移動(テレポート)系などごく限られた能力者に限られる。

 無理もない話だ。超電磁砲(レールガン)の攻撃速度は光速に等しいし、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)は音速で対象を隔離できる。

 だが、それを操るのはどちらも中学生くらいの少女であるという点を、絹旗は理解していた。

 

 

「たとえば──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、」

 

 

 そう言いかけた、まさにそのタイミング。

 絹旗は足元で転がっていた少女を軽く蹴り上げ、二人の方へと吹っ飛ばす。たったそれだけの動作で、善良なる超能力者(レベル5)の全意識は蹴り上げられた哀れな少女に集中する。

 さらに片手で少女を抱え上げた絹旗は、そのまま建物めがけ直進し──、

 

 

「ええい美琴ッ! この女の子はフェイクですわ! 早くあっちを狙いなさいッ!」

 

「ダメよ! アイツ、他の女の子を抱え上げてる……ここからじゃあの子に当たっちゃうかもしれない!」

 

 

 レイシアと美琴の声を背中に聴きながら、絹旗は建物の壁を適当にぶち壊し、少女を建物の中にそっと置いて逃走する。

 ──保険の為に盾として少女を使っておいてよかった、と絹旗は思った。

 普通の『表』の人間であれば、突然女の子が蹴り上げられたらそちらへの対応に集中してしまうに決まっている。実際、レイシアと美琴は一瞬だがそちらに気を取られた。

 だが──絹旗は知っている。レイシア=ブラックガードは二重人格である、と。もし片方の人格が虚を突かれたとしても、もう片方の人格が冷静な思考を働かせる可能性がある。

 その危険を警戒しておいたのだが、正解だったようだ。

 

 

「それよりも……早いところ『ドッペルゲンガー』を捕獲しないといけませんね」

 

 

 自分が抱え上げてきたマスクの少女に軽く視線を落とし、絹旗は跳ねるように夜の街へと消えて行った。

 

 

 ……なお。

 

 狸寝入りを決め込んでいたマスクの少女──飯棲リタが、その極大の恐怖からまた一つ『不名誉』な実績を人知れず獲得してしまったことについては、触れないでおこう。

 

 

 


 

 

 ──第七学区、とある学生寮。

 

 上条当麻はその日も、いつも通りの日常を送っていた。学業を終え、帰宅し次第インデックスの夕飯を作ってやり、テレビを見ながらいつもの談笑──そうして、その日も終わる予定だった。

 

 

「だからね! とうま。このさんまの塩焼きに一番合うのはポン酢じゃなくて醤油かも。何故なら醤油は日本人が編み出した最高のご飯の──」

 

「ハイハイ分かりました。でも上条さんはポン酢派なんですお前の指図は受けねえドバーッ!!」

 

「あーッ!? と、とうま……! なんてことを……! 嗚呼、主よ、おばかなとうまをお許しください……」

 

「敬虔ぶってんじゃねえこの暴食シスター! お前そのさんま何匹目だよ!」

 

「何おう!? まだ三匹しか食べてな、」

 

 

 ぴんぽーん、と。

 賑やかな食卓は、一旦そこで中断させられる。

 廊下の方へ視線をやった上条は、うーんと唸りながら怪訝な表情を浮かべた。

 

 

「……なんだ? 配達か何かか? インデックス、お前何か頼んだ?」

 

「ううん? 特に何も頼んでないかも。とうまこそ、何か忘れてるんじゃない?」

 

「うーん、何かの不幸で女の子が梱包されて……みたいな可能性も考えられなくもなさそうなんだけどなぁ……まぁ出るか」

 

「もしそうだったら許さないかも」

 

「落ち度ゼロなのに!?」

 

 

 適当に言い合いながら、上条は廊下を小走りで駆けていく。

 

 

「はいはーい、今出ますよーっと」

 

 

 扉の先に声をかけながら、ドアノブを回して扉を開いた上条の前に立っていたのは…………。

 

 

「よお。久しぶりだな。……覚えてるか? 俺だよ俺」

 

 

 茶髪。

 滲み出るような笑みと、対照的に鋭い眼光。

 ワインレッドのニットシャツの上に、着崩したワイシャツとブレザー。総じてホストか、或いは明るい街の不良。ヤクザやギャングのような見る者に警戒感を抱かせる『悪』ではなく──人懐こさを感じさせる、這い寄るような『悪』に属する男。

 

 超能力者(レベル5)

 

 学園都市、第二位。

 

 『スクール』を統率するリーダー。

 

 その名は────

 

 

「垣根帝督だよ。……ああ、名乗ってなかったっけか?」

 

 

 ────幻想を生み出す翼と幻想を殺す右手が交差するとき、物語は始まる。



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八六話:凶報

「『遺産』について、聞き覚えはあるか?」

 

 

 夜の第七学区にて。

 上条と共に歩きながら、垣根はそう切り出した。

 歩いている姿だけ見れば、夜遊びをしている悪友二人のような構図に見えたかもしれない。もっとも、実態も、会話の内容も、単なる悪友からはかけ離れていたが。

 

 

「遺産……って誰のだ?」

 

 

 上条は、きょとんとしながら首を傾げる。

 流石の上条も、目の前の少年が自分と同じような世界の住人でないことは、何となく想像がつく。なんというか、雰囲気で分かるのだ。土御門元春やステイル=マグヌスのような……世界の裏側で戦っている者達と同じような『距離感』が、目の前の少年にはある。

 ただし、それは垣根に対する警戒や不信には繋がらない。だって彼は、あの時、あの場所で、どんな思惑があったにせよ、確かに上条と共にこの街を守るために戦っていたのだから。

 

 

「…………チッ。脳の緩み具合についちゃ気にしても仕方ねえか。木原幻生だよ、木原幻生。お前にブン殴られたことで完全に策略が崩壊した木原幻生は、今も学園都市のどこかに幽閉されていやがる。死んじゃいねえだろうが──ま、諸々の戦力は潰されてる。死んだと言っても過言じゃねえだろうさ」

 

 

 適当そうに言う垣根の言葉に、上条は少しだけ視線を落とした。

 死んではいないということで、そこは上条にとっても一安心だが──やはり正規の法では、彼のことは裁けないのだろうか。法律のことは上条には良く分からないが、事件の最終解決が自分たちの手の届かないところに行ってしまったことに、なんとなくモヤモヤする気持ちはあった。

 

 

「ともかく。『木原幻生の遺産』っていうのが、この街の至る所に残されている。俺はちょいとソイツを調べる必要があってな。最近まで、色々と調査していたわけだ」

 

 

 そう言う垣根の口調はやはり軽薄なものだったが、不思議と瞳には真剣さが宿っていた。何かを想う、真摯な輝きが。

 そこに、上条は舞夏のことを想う土御門に似た雰囲気を感じ取り、少し嬉しくなった。

 

 

「……ああ? 何笑ってんだ。今の話に笑いどころなんかどこにもなかっただろうが」

 

「悪い悪い。……で、その幻生の遺産っていうのがどうしたんだ。こちとらどこにでもいる平凡な高校生だぞ。遺産どころか、お年玉の心当たりだってないんだけど」

 

「あーあー、知らねえならそれでいい。ま、こっちも遺産の一つは探り当ててるしな。…………『人格励起(メイクアップ)』。この言葉に心当たりは?」

 

 

 人格励起(メイクアップ)

 垣根の一言に、上条は思わず息を呑んだ。

 

 心当たりがある……なんてものじゃない。

 上条は実際に、その計画に巻き込まれた妹達(シスターズ)を救い、その計画を潰したことがある。そしてその計画のデータを使って、とある少女を救ったこともあった。

 

 

「あるよな。そいつは知ってんだ。俺の本題は此処から。……その情報、俺に教えてくれねえか? ソイツがねえと、ちょいと困ったことになっちまってな」

 

 

 上条は気付かないが──そう迫る垣根からは、同じ『闇』の人間であればだれであろうとたじろいでしまうくらいのプレッシャーが放たれていた。

 垣根の常識において、計画に干渉するということは当然その実験データ諸々を獲得しているということ。そしてこの科学の街において、秘匿された実験データとは値千金の『財産』である。

 実際にその計画に踏み込み中止に追い込んでいる以上、そのデータの重要性については重々承知しているだろう。たとえいくら積まれようが、暗部の人間である垣根に提供するとは思えない。

 

 即ち、垣根にとってこの交渉は最初から破綻するのが前提なのであった。

 その上で、垣根は己の目的の為に、上条当麻を叩き潰し、そして情報を毟り取ろうと考えていたのだ。

 

 そんなこととは露知らず、上条は少しだけ気まずい笑みを浮かべながら頬を掻いて、

 

 

「あー、悪いな、垣根。実は俺も、その時は後からちょっとだけ手伝っただけで、実験データとかはよく知らないんだよ。たぶん、御坂とかレイシアとかなら詳しいと思うんだけど」

 

「……………………」

 

 

 対する垣根はというと、心底拍子抜けしたと言わんばかりの微妙な表情で、上条の告白を聞いていた。

 そして、悟る。

 コイツや、レイシア=ブラックガードのような人種には──『闇』の常識など通用しないということを。

 思えば何度も何度も、この『空気感』の違いには肩透かしを食ってきたではないか。であれば、いい加減その為の距離感をとるべきだろう。

 

 悪意を上回るならば、その為の悪意を。

 

 善意を欺くならば、その為の悪意を。

 

 思考を切り替えた垣根は、人好きのする笑みを浮かべて、話題の方向を切り替える。

 背中を刺す刃を、心の裡に隠しながら。

 

 

「なら悪いんだけどさ。白黒鋸刃(ジャギドエッジ)のとこまで案内してくれねえか? 俺、アイツの連絡先とか知らなくてよ」

 

「別にいいけど……今じゃなきゃダメなのか? 流石にまだ消灯時刻じゃねえと思うけど、お嬢様学校だし接触をとるのも大分……」

 

「今じゃなきゃダメだ」

 

 

 垣根がそう言うと同時に、その背中から真っ白な三対の翼が噴き出した。

 

 

「それと、心配するな。お嬢様学校の校則なんてモン──」

 

 

 ふわりと、どういう理屈なのか、上条当麻の身体が浮かび上がる。

 それを見届け、垣根は不敵な笑みを浮かべてこう締めくくった。

 

 

「俺には通用しねえよ」

 

「──いや、カッコつけてるけどそれ完全に俺達が不審者としてしょっぴかれる流れだからな!?」

 

 

 上条の()()()なツッコミは────。

 

 当然ながら、第二位には通用しなかった。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

八六話:凶報 Scientific_Occultist.

 

 

 


 

 

 

 ところ変わりレイシアと美琴。

 絹旗に一本取られて逃走を許してしまった彼女達は──リーダーの少女こと飯棲リタを連れて行動していた。

 

 あのあと絹旗を追おうと建物内に入った美琴は、そこで倒れている飯棲を発見した。(『不名誉な実績』については、飯棲の機転によって露呈を免れた)

 その後、とっさの判断により風紀委員(ジャッジメント)を詐称した飯棲は、ドッペルゲンガーを追う美琴・レイシアと利害が一致したため、一時的に行動を共にすることになったのだった。

 

 

《コイツ絶対暗部組織の人間ですわよ》

 

 

 一方で、二人を先導して歩く飯棲の背中に、レイシアはあからさまに疑いの視線を向けていた。

 

 

《だって怪しすぎますもの。風紀委員(ジャッジメント)が現地協力者を募る? そんなバカな話があったら上条当麻は今頃学園都市の治安維持の象徴ですわ》

 

《いやあ、当麻さんはそういうことにはならないと思うけど……》

 

 

 吐き捨てるようなレイシアの言葉に、シレンは苦笑しながら返すが、一方でシレンもレイシアの疑いを否定するようなことはしなかった。

 というか、そもそも暗部の情報網がようやく事件の発生を察知できるような(=情報封鎖がなされている)状況で、風紀委員(ジャッジメント)という『表の組織』がここまでスピーディに関与できるわけがない、という当たり前な推察なのだが。

 とはいえ、現状どうやら飯棲は美琴とレイシアに対し害意らしい害意は持っていないらしい。探査に有用な能力の持ち主ということで、今はあえてツッコミを入れたりせず泳がせている、というのが現状だった。

 

 

「あそこだ……」

 

 

 夜の工場。

 高圧ガスホルダーや冷却材などが並ぶ施設の上で、飯棲は囁くように言う。

 

 彼女達の眼下には、一人の少女がひたひたと足音を立てて歩いていた。

 手術衣を身に纏う少女は、既存のあらゆる人種とも違う灰色がかった肌をしている以外は普通の少女のようでもあるが──普通の少女のような姿で、夜の工場施設を無造作に歩いているその光景自体が、既に人間離れしていた。

 

 

「レイシア。アンタの手は借りないわよ」

 

「お待ちください。荒事に出る前に、彼女と少し話をさせてください」

 

 

 磁力を使ってコンクリートごと鉄骨でドッペルゲンガーを閉じ込めようとする美琴を、シレンが制止する。

 この期に及んで……と少し呆れた表情をする美琴だったが、まぁ確かにまだドッペルゲンガーは破壊されていないわけだし、今なら言葉で止まるかもしれない。

 仮にドッペルゲンガーが『操歯涼子と同じ精神性を持っている存在』だとするなら、元々知り合いである彼女であればドッペルゲンガーとの和解の道を見出せるかもしれない。

 

 

「ドッペルゲンガーさん!」

 

 

 ビルの上に立ったシレンは、そう言ってその背後から白黒の『亀裂』の翼を展開し、ドッペルゲンガーの前に降り立つ。

 あまりにも戦闘を考慮していない行動にその場の全員が毒気を抜かれたが、シレンは構わずに話を続ける。

 

 

「研究所脱走の件、操歯さん襲撃の件、聞きました。アナタの自意識が操歯さんそのものであるとするなら、痛ましい限りだと思います。……わたくしは、アナタを実験動物のように扱うつもりはありません。一緒に歩める道を模索できませんか?」

 

 

 ──ここまで、登場人物の全てがドッペルゲンガーのことを『危険な怪物』として扱ってきた。

 だがここに、一つの前提を付け加えてみよう。

 ドッペルゲンガーは、脱走するまでは己のことを『操歯涼子』だと認識していた。

 つまり、自分のことを一個の人間として認識していたのだ。そんな『人間』が、突然自分が人間ではないと突きつけられたなら──そう考えると、ここまでのドッペルゲンガーの行動に同情的になってしまっても無理はない。

 

 むしろ。

 

 その事情を聞いた()()()()()()()が、まず対話に固執するのは当然の流れではないだろうか。

 

 

「…………白黒鋸刃(ジャギドエッジ)か。まさかこの期に及んで……いやこの時点でそんな話が出てくるとは、少し想定外ではあるが……」

 

 

 タン! と。

 ドッペルゲンガーは軽やかに跳躍し、レイシアとの距離を詰める。

 それは事実上の対話の拒絶だった。その上で、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の攻撃速度を考えれば、距離を置ききる前に拘束されるから、それを嫌っての先手必勝というわけだろう。

 

 

《浅はかですわね……飛んで火に入る夏の虫ですわ!》

 

《いやレイシアちゃん……違う!》

 

 

 余裕をもって『亀裂』による捕縛で応えようとしたレイシアに対し、シレンは否定の声を上げて『亀裂』の翼による空中への回避を敢行する。

 超能力者(レベル5)の機動能力の前では、人の領域を超えた移動速度も関係ない。ドッペルゲンガーの突撃が届く前に、レイシアの身体は中空へと逃げ切った、が──。

 

 

「…………フム。どうやら相応に慎重な性格のようだ。これは骨が折れる」

 

 

 ドッペルゲンガーは、不自然な場所で静止していた。

 そう──あのままレイシアが攻撃を加えていれば、捕縛に使おうとした『亀裂』によって自身がバラバラにされかねなかった位置で。

 

 

《やっぱりだ……。どういう理由かは分からないけど、ドッペルゲンガーさんは機能停止にならない範囲で自分から破壊されにいっている。『魂の拡散仮説』に関しては眉唾だけど……それはそれとして、破壊がトリガーで何らかの現象を起こそうとしているのは間違いないんじゃないかな》

 

《…………破壊せず捕縛、ですか。白黒鋸刃(ジャギドエッジ)なら容易ですが、先ほどのように『自分から破壊されに行く』動きを徹底されると……少し厄介ですわね》

 

 

 ある程度であれば『亀裂』の動きも制御できはするが、向こうが自分から破壊されに行くとなると、それも計算に入れて動かなければいけなくなる。

 そしてシレンとしてはまずは対話がしたいのであって、それすらままならない状態というのがそもそもあまり望ましくない。

 

 

「何故自分から破壊されに行くような動きを!? 目的を教えてください! このままではきっと、アナタはただ破壊されてしまいます! お互いに歩み寄れば、もっと別の道が……!」

 

「悪いが問答に応じるつもりはない。超電磁砲(レールガン)についても──」

 

 

 言葉を止めると、ドッペルゲンガーは軽々とした身のこなしで飛び跳ねる。すると直前までドッペルゲンガーがいた場所に、磁力によって引きちぎられたコンクリートの壁が殺到した。

 

 

「──研究所ですれ違った時点で、交戦の可能性は予測していたが……この状態では、少し状況が悪いな」

 

「なら私が超協力しましょう」

 

 

 ザッ! と。

 そこで、暗がりから一人の少女が現れた。

 

 絹旗最愛。

 

 屍喰部隊(スカベンジャー)と同じく、ドッペルゲンガーを追う勢力の一つだが──。

 

 

「…………、」

 

「『依頼主』から、オーダーの変更が超ありましてね。ひとまずアナタの希望に沿った状況展開をするように、と。安心してください。私は超味方ですよ」

 

 

 それに対し、ドッペルゲンガーの返答はシンプルだった。

 

 ゴッッッ!!!! と、絹旗の横顔に拳を一撃。

 

 

「…………()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 それに対し絹旗はギロリと目線を投げかけると、ドッペルゲンガーの横っ腹に蹴りを叩き込む。

 それだけで数メートルは吹っ飛ぶドッペルゲンガーだが──上手いこと手加減されているのか、機体が破損している様子は見られない。蹴るというよりは、『脚で推し飛ばす』ような一撃だったのだろう。

 

 動き出したのは、美琴だった。

 突然の乱入で呆気に取られていた美琴だが、このままだとドッペルゲンガーが絹旗に攫われかねないことは把握できた。であれば止まっている理由などない。ここには、先ほどの戦闘のように彼女が盾に使えるような人員はいない、となると……。

 

 

「……とりあえず、アンタは寝ときなさいッ!!」

 

 

 紫電一閃。

 迸る雷撃の槍が、絹旗に一直線に伸び──

 

 

「私が一旦距離を置いた理由、超分かりませんかね?」

 

 

 ブワッッ!!!! と、絹旗の懐から銀の羽毛のようなものが舞い上がり、電撃はそれによって散らされてしまう。

 銀色の雪が舞い散る中で、絹旗は言う。

 

 

攪乱の羽(チャフシード)。本来は電波攪乱用の兵器なんですがね、こうやって扱えば超電撃対策にもなるって訳です。……これでも、『アイテム』ですからね」

 

「チッ……!!」

 

 

 つまり、電撃は無効化された。

 とはいえレイシアの気流操作があればその防御も貫くことが可能なのだが──彼女たちの目的は絹旗の打倒ではなく、ドッペルゲンガーの捕獲である。

 レイシアは一旦絹旗を捨て置き、吹っ飛ばされたまま距離を置こうとするドッペルゲンガーに肉薄するが……、

 

 しかし、乱入者の登場は絹旗だけで終わりではなかった。

 

 屍喰部隊(スカベンジャー)とは別系統の依頼を受けての、『アイテム』の参戦。

 暗部の事情に詳しくないシレンとレイシアは特に深く考えなかったが、これはよく考えるとおかしい話なのだ。

 依頼主が同じなのであれば、たとえ部隊が別であっても依頼が競合することはない。現場で屍喰部隊(スカベンジャー)が絹旗によって倒されるという事態にはなり得ないのである。

 つまり、依頼の競合が起きている時点で、別の依頼者がドッペルゲンガーを捕獲しようと動いていたことになる。

 

 それはいったい、誰?

 出自こそ変わっているとはいえ、単なる暴走サイボーグに対し、それほどの価値を見出す、そんな酔狂な人間は────

 

 

「──よおよお。意外とピンチなんじゃねえの? 流石に超能力者(レベル5)二人組はよー……チトオーバーキルすぎるよなあ。この辺のレベル帯には」

 

 

 逆立てた金髪に。

 顔面の半分を覆う入れ墨の。

 白衣を身に纏った。

 粗暴な雰囲気漂う男────。

 

 

「……木原、数多……ッ!?」

 

「ピンポーン! 正解、よくできましたァ! ンでもってちゃーんと予習してきた良い子ちゃんにはご褒美だぜェ!」

 

 

 ピュイ、と数多が口笛を吹いた瞬間。

 

 

「な、がッ!?」

 

 

 『亀裂』の翼による空力的エネルギーによって宙に浮いていたレイシアの身体が、左右に激しくブレる。

 何をされたのか、レイシアにもシレンにも分からなかった。

 それまで手に取るように扱えていた気流の流れが、数多の口笛一つで完全にかき乱されていた。いったいどういう原理かも分からないが、『木原数多ならやりかねない』という投げやりな納得だけが、彼女の心に残った。

 

 

「く……ッ! なんでアナタが……ッ!」

 

「なんで? ンなもん、面白そうだから──このまま終わらせちまったら面白くなさそうだから。それだけに決まってんだろうが。なあ、木偶人形。テメェも此処で終わっちまうのは面白くねえだろ?」

 

「…………、」

 

「ま、テメェもこの状況じゃ判断のしようがねえわな。仕方ねえから優しいおじさんが一つだけ、重要なパラメータをインプットしてやる」

 

 

 突然の急展開が連続し、流石に判断を決めあぐねているドッペルゲンガーに対し、木原数多は小さな声で何事かを囁く。

 それで、ドッペルゲンガーの心は決まったようだった。

 スッと右腕を数多の前に差し出すと、

 

 

「さあ、科学少女ども。────オカルトの時間だぜ」

 

 

 木原数多は、何の躊躇もなくドッペルゲンガーの腕を引き千切った。

 

 直後。

 

 周囲に転がる瓦礫が、独りでに浮かび上がり始めた。

 

 

 


 

 

 

 ──その後は、美琴とレイシアに打つ手はなかった。

 

 レイシアの機動力が木原数多によって失われた以上、錯乱の羽(チャフシード)によって電撃を無効化した絹旗に手を取られている美琴とレイシアにドッペルゲンガーを追う手立てはなく。

 さらに『魂の拡散』によって発生した物質への憑依への対応に追われた結果、ドッペルゲンガー及び木原数多は悠々と二人の超能力者(レベル5)から逃げおおせたのだった。

 

 そして絹旗もまた、レイシアが戦線に復帰したと見るやすぐさま逃亡し、結局まともに戦うこともできないまま、三人はドッペルゲンガーを取り逃がしてしまった。

 

 しかしレイシアと美琴は、そことは別のところで衝撃を受けていた。

 

 

「ちょっと……どういうことなの!? さっきのアイツって、幻生と戦った時にいたヤツよね!? なんでアイツが……!?」

 

「そんなことわたくしに聞かれても分かりませんわ!」「というか、なんで数多さんがドッペルゲンガーさんを……? サイボーグ技術による完全なロボットは確かに面白いテーマかもしれませんが、『木原』が目をつけるような代物ではないはず……?」

 

 

 そこもレイシアとシレンにとっては分からない部分だった。

 木原数多が、ドッペルゲンガーを狙う理由が分からない。

 

 これについては、レイシアもシレンも知らないことだが、木原数多自身は特に科学的なテーマがどうこうという指針では動かず、あくまで『即物的な理由』で動くことが多いのだが……それはさておき。

 

 

「(……うう、なんで木原一族まで出てくるんだ……。こんなところで……)」

 

 

 完全に滅入ってしまっている飯棲は、それでもめげずに能力を使ってドッペルゲンガーの行方を追う。 

 彼女としても、今回の依頼に失敗すれば後がないのだった。というか地味に腕が吹っ飛んでしまっているので、鹵獲任務的には怪しい状態なのだが……。

 

 

 と。

 レイシアに通信が届いたのは、そんな混乱のさなかだった。

 

 『メンバー』とのやり取りをする為に常時繋いでいる通信端末から、彼女達の相棒──馬場の、切羽詰まった報告が届く。

 

 

『レイシア! シレン! よかったすぐつながった……。いいか、落ち着いて聞けよ』

 

 

 その報告は、それまでのレイシア達に降りかかっていた苦境全てを塗りつぶす、圧倒的なインパクトが秘められていた。

 

 

 

『────塗替斧令が、刑務所から脱獄した!!!!』



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八七話:遺産

「な……なんですって!?」

 

 

 塗替さんが脱獄した。

 その信じられないニュースに付け加えるように、馬場さんの通信はさらなる事実を叩き込む。

 

 

『それも、大分派手に脱獄したみたいでね……。負傷者が大量に出ている上に、他の犯罪者どもまで便乗で脱獄して、軽いパニックになっている。学園都市上層部は即時、塗替斧令を指名手配したらしい。……裏にも出回っているぞ。生死は問わない(デッドオアアライヴ)だとさ』

 

「…………!!!!」

 

 

 思わず、言葉を失う。

 生死を問わないって……そんな!

 

 

「…………美琴さん」

 

 

 その報を受けて、俺は静かに美琴さんに呼び掛けた。

 美琴さんの方も、神妙な面持ちで俺の言葉を待っている。

 

 

「すみませんが、わたくしは一時離脱させていただきます。……この状況で、彼のもとへ向かわないのはありえませんので」

 

「なッ!? 待て白黒鋸刃(ジャギドエッジ)、今の通信を聞く限り、アナタの元婚約者が脱獄をはたらいたのは分かった。だがそこについては法的機関に任せるべきではないか!?」

 

 

 マスクの少女が、そう言って俺達のことを制止してくる。

 ……まぁ、言いたいことは分かる。ただでさえ『アイテム』や木原数多まで出てきているんだ。此処で超能力者(レベル5)に抜けられるのは困る。それは分かる。でも……。

 

 

「法的機関に任せては、おそらく取り返しのつかない結末になりますわよ」

 

 

 俺には、そんな確信があった。

 

 

「何を言って……、」

 

「そもそも、塗替さんが脱獄したとして──彼はそれをどうやって実現したのですか? 塗替さんは能力開発を受けているわけでもなければ、突出した科学を持ち合わせているわけでもありません。彼自身は学園都市協力機関の元社長という経歴を持っているだけの、ただの一般人ですわ」

 

 

 脱獄の動機はあるだろう。だが、彼はよくも悪くも能力については『スケールが小さい』。世間を巻き込んでGMDWを失脚させようという発想を持っているくせに、その失脚のネタはレイシアちゃんの自殺未遂であり、そのネタを獲得するために違法行為をはたらいていたというところからも分かるだろう。

 彼自身には、彼の我儘を通すための材料がないのだ。だから、ダーティな方法をとってでも彼の我儘を通す為の材料を獲得する必要があり、そこが弱みになっていた。

 そんな彼が、単独で脱獄を成功させるだけの──ましてその後学園都市全域で指名手配を受けても逃げ切れるだけの『強み』をこの短期間で獲得できるとは到底思えない。

 

 良くて、協力者がいる。

 

 悪ければ──

 

 

「……何者かに操られている可能性、ね」

 

「その通りですわ」

 

 

 美琴さんの推測は、俺の目から見ても的を射ていた。

 

 

「私はアイツがどこまで改心したか分からないけど、あれでもアンタに命を救われて、色々話をしたんでしょ? なら今更こんな方法で色々フイにしたりはしないでしょ」

 

 

 それはどうだろうね……。塗替さん、どんな手を使っても俺達に復讐するって言ってたような気がするし。

 

 

『ああ、僕もそう思う。加えて言うなら……現場の状況を見る限り、おそらく「木原」が関わっている』

 

 

 …………木原が?

 そんな、現場を見ただけで木原の関与が分かっちゃうくらい、とんでもない現場だったんだろうか。

 

 

『まず、現場の留置所は、独房の壁面を含め半壊状態だった。にも拘らず、留置所内部にいた犯罪者の大半は傷一つ負っていなかった。……つまり、爆発物による脱獄ではなかったのさ。破壊された建造物の大半は、何故か()()()()()()()()()()()()らしい」

 

 

 ……あー、なるほどね。

 それは、確かに木原だわ。建造物が夏場に放置されたアイスみたいにドロドロに溶けるなんて、そんなのまともな科学じゃない。とすると……この街の傾向を考えると、木原の関与を疑うのは自然な流れだ。

 ただ、それだけなら少し安直というか、あまりにも結論を急ぎすぎのような気がするけど……?

 

 

『もちろん、それだけじゃない。「木原幻生の遺産」が使われていたんだよ。この脱獄には』

 

「…………木原幻生の、遺産?」

 

 

 剣呑な響きに、俺が何か言う前にレイシアちゃんが反応する。

 馬場さんは『ああ』とそれを認めて、

 

 

『留置所からの脱獄。ここまでは負傷者が出るような状況じゃないだろう? ならばどこで負傷者が大量発生したと思う?』

 

「…………、」

 

『起きたんだよ。乱雑解放(ポルターガイスト)がな』

 

 

 …………!!

 

 暴走。

 犯罪者といっても、学園都市のそれであれば多くは学生、あるいは能力開発経験者であることが想定できる。

 たとえ強度(レベル)が低かったとしても、彼らには当然AIM拡散力場が備わっているわけで……。能力の暴走は、十分起きうる。

 そして、乱雑解放(ポルターガイスト)といえばテレスティーナさんの研究だが……そもそも、能力の暴走はもとをただせば幻生さんの研究テーマ。さらにあの一件では、幻生さんは乱雑解放(ポルターガイスト)による能力の暴走を己の手足のように操っていた。

 そのノウハウは、もはや『木原幻生の遺産』と言ってもいいだろう。

 

 

『ただでさえ外壁が溶解して耐久力が落ちていた留置所は完全に倒壊。この倒壊に巻き込まれて内部に詰めていた看守の警備員(アンチスキル)や脱獄していなかった犯罪者どもが大勢負傷。幸いにも死者はいなかったようだが……さらに便乗して脱獄した犯罪者どもが応援の警備員(アンチスキル)と衝突して大量の負傷者が出て、肝心の塗替はあっさりと脱獄したというわけさ』

 

「…………手際が良すぎますわね」

 

 

 とてもじゃないが、塗替さんにそんな怪物じみたスマートさはない。

 これは塗替さんを低く見ているというわけではなく──こんな凶悪な手段に及ぶほど、塗替さんは取り返しがつかない人じゃあないと、俺は信じている。

 

 そして、もしも。

 何者かが塗替さんを隠れ蓑にして、彼を脱獄させたのであれば──

 

 

「いいわ、こっちは大丈夫だから、アンタは自分のやりたいことを」

 

「えぇッ!?」

 

 

 美琴さんは、真っすぐにもう一人の操歯さんが消えた方を見ながら言った。

 もちろん、美琴さんだって俺にはいてほしいだろう。絹旗さんですら電撃を無効化してくるというのに、加えて木原さんにもう一人の操歯さんまでいるとなると、戦力的不安は否めない。それでも、

 

 

「私を誰だと思っているの? この街の第三位、超電磁砲(レールガン)の御坂美琴よ。……超能力者(レベル5)になりたての『ルーキー』なんかいなくても、このくらいの問題はどうにかしてみせるわよ」

 

 

 不敵に笑う美琴さん。

 自分を下に見られたのだし、普段ならレイシアちゃんもそれに反抗するところだけど、今回ばかりは落ち着いていた。

 

 

「なら、この場は任せましたわよ、美琴」

 

「がってん!」

 

 

 言って、美琴さんはまだ食い下がりたそうなマスクの少女を連れて夜の闇へと消えていく。

 その後ろ姿を見送り、俺は『亀裂』の翼を展開する。

 

 

『そうだ、シレイシア。そっちのサポートに徒花が向かっている。位置情報を送っておくから、途中で拾っておけ。一応アイツも戦闘タイプだからね……何かの役には立つだろう』

 

「了解」

 

 

 頷き、俺達は『亀裂』を操って空に浮かぶ。

 超音波による疑似念動能力(テレキネシス)を会得してからというもの、飛行にもそれを応用しているので、比較的静かに飛ぶことができる。いやあ本当に、超能力(レベル5)の応用力様様だ。

 

 ……さて。

 

 軽く十数メートルほど上昇した俺達は、塗替さんが脱獄したという留置所の方向へ視線を向ける。

 今はまだ現場も遠く、喧噪すらも届かない状況だが──

 

 

「助けに、行きますわよ」

 

 

 あの人の『再起』の物語は、もう始まってるんだ。

 どこの誰だか分からないが、自分の為だけにそれを足蹴にして利用するなんてつまらない真似、全世界の誰もが許そうと、俺達が許さない。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

八七話:遺産 His_Malicious.

 

 

 


 

 

 

「……なんだと誉望。それ、マジか?」

 

 

 飛行中。

 完全にグロッキー状態となっていた上条は、もうろうとした意識の中で垣根の声を聞いた。

 スッ──と、一切の慣性を殺して空中に静止した垣根は、上条に言う。

 

 

「事情が変わった。ちょっと寄り道するぞ」

 

 

 そう言って、垣根はゆっくりと進行方向を転換する。

 そこで初めて、上条は遠くから喧噪のようなものを聞いた。

 

 

「おい、垣根! 寄り道ってなんだよ? 常盤台に行くんじゃなかったのか?」

 

「それなんだがな……やめだ。悪いな上条。先に叩き潰さなくちゃならねえヤツができたようだ」

 

 

 叩き潰さなきゃいけないヤツ……? と首を傾げる上条だったが、垣根はそれ以上説明しなかった。

 さっさと歩いていく垣根に置いて行かれないように、上条は小走りでその背中を追う。

 

 

「ちょっと待てよ! 何も説明してくれなきゃ、俺だって納得できないぞ。それに、叩き潰さなきゃならないヤツってなんだ? 誰かのことを襲うってことなのかよ!?」

 

「……おいおい、人聞きが悪いぜ上条。そんな悪党みてえな真似をするツラに見えるかよ?」

 

 

 へらへらと笑って言う垣根。

 当然ながら、傍から見れば『見える』と答える者が大多数だったが、上条はというと少しも怯まずに垣根の目を見返していた。

 垣根は面白くなさそうにその視線から目を逸らし、

 

 

「……チッ。俺の仲間から情報が来たんだよ。塗替斧令。テメェの知り合いのレイシア=ブラックガードの元・婚約者が脱獄したってな」

 

「な、なんだって?!」

 

 

 そしてこれは、上条にとっては驚愕の事実もいいところだった。

 垣根がそれを潰すと言っているのも含めて、だが──。

 

 

「ま、待ってくれ。脱獄!? 塗替の野郎は確かに悪人だと思うけど、学園都市の司法のセキュリティはめちゃくちゃ厳重だって、俺でも知ってるぞ!? 『外』の人間がそんなの突破できるもんなのか? 何かの間違いじゃ……」

 

「『遺産』だよ」

 

 

 それに対し、垣根はあっさりと答え、ゆっくりと前進を始める。

 静止していた夜の景色がゆっくりと後ろへ流れだし、そして遠くだった喧噪が徐々に近づいていくのが分かった。

 

 

「俺がただの木っ端脱獄犯ごときを叩き潰しに行くほどの暇人に見えたか? ……武力を持たねえ『外』の人間が脱獄できた理由。そこに『木原幻生の遺産』の関与を見出したからに決まってんだろ」

 

 

 垣根が得た情報は、馬場からレイシアに齎された情報のそれとほぼ等しい。

 ゆえに垣根は塗替と『木原幻生の遺産』との間にある種のラインを見出し、彼を拿捕することで情報源として使おうと考えたわけである。

 それだけ話すと、垣根は緩めていた速度をさらに上げていく。

 

 

「そういうわけで、もうすぐ塗替がやってくるが……おそらくヤツは何らかの科学を備えている。俺が馬鹿正直に出てくれば、ヤツはその科学をフル活用してさっさと逃げるだろうな。この宵闇の街並みを逃避行ってのは、まあ別に問題はないが、ちと面倒くせえ」

 

 

 そこで不意に、上条は奇妙な浮遊感をおぼえた。

 

 

「というわけで」

 

 

 次に感じたのは、ゆっくりと下から吹き付ける風と、奇妙な方向への慣性。

 まるでジャンプした直後に感じるそれを数十倍に増幅させたときのような──。

 

 

「ォ、」

 

 

 そして、バタバタとはためく制服の裾を感じて、上条はようやく現実を認識する。

 

 

「お、ォォおおおおおおおおおおおおおおッッ!?!?!?」

 

 

 高校生、上条当麻は──夜の上空五〇メートル地点から墜落を始めていた。



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八八話:遺産の脅威

「状況は?」

 

 

 合流した徒花さんは、開口一番にそう問いかけてきた。

 徒花さんの方も、けっこう情報が錯綜しているらしいが……生憎、俺達もあれから情報を得られたわけじゃなかった。

 ただ、状況は刻一刻と悪くなっていく一方だ。

 

 

『もう既に塗替脱獄の報は一般の警備員(アンチスキル)にも出回っている。どうやら塗替は上層部の考えていた以上に強い武力を手に入れていたようだね……。「裏」ではもう事を収めることは不可能だと判断したみたいだ』

 

「チッ……。あるいは、この事件が収まった後も塗替の所在を盾にお前の行動を縛る思惑かもしれんぞ、ブラックガード嬢」

 

「その場合は塗替を切り捨てますわ」「ちょっとレイシアちゃん……」

 

 

 あまりにも冷たい一言に俺は思わずレイシアちゃんに待ったをかけるが、レイシアちゃんはすぐさま内心で、

 

 

《お馬鹿。こういう風に言っておかないと、この会話も滞空回線(アンダーライン)とやらで聞かれていますのよ? 向こうは盗み聞きしてることを悟られてるとは思ってないのですから、こういうところでポロっと漏れた『本音』を偽装しておくことで塗替の安全度は大幅に変わりますわ》

 

《…………な、なるほど……》

 

 

 た、確かに……。

 そっか、レイシアちゃんは外面も気にせず、本当に塗替さんが助かる為に何をすればいいのか既に考え始めていたんだ。…………俺も、状況に流されるだけじゃいられない。

 なんでもいい。積極的に、状況を変えるための材料を探さないと!

 

 ……といっても、状況を変える為の材料ねぇ……。

 

 実際、塗替さんの脱獄が『表』でも大々的に報道されてしまった以上、事はかなり厄介な状態になっているのだ。

 何せ俺達は、塗替さんが政治犯として処断されそうになっているのを一回止めたという経緯があるからね。

 そして世論は、その時点で大分塗替さん憎しの方向に傾いていた。俺達がお涙頂戴の一芝居を打ったり、塗替さんを政治犯に仕立て上げることで巧妙に人質にしたヤツがいたこととかを暴露した(この流れで幻生さんも収容する予定だったんだけど、なんか途中で暗部に掻っ攫われてしまった形だ)ことによってなんとか政治犯の部分は取り下げることができたんだけど……。

 世論からしてみれば、元々ろくでもないヤツだと思っていたのが今回の脱獄大暴走なわけで、今度こそ『それ見たことか!!』で塗替憎しが決定的になりかねない。

 

 ……これ、事件が落ち着くまでかかりっきりになってたら取り返しがつかないことになるかも。

 …………。

 

 

「あの」

 

 

 意を決して、俺は馬場さんに通信を送る。

 こういうのは、ちょっとズルかもしれないけど……、

 

 

『どうした?』

 

「情報を攪乱していただきたいのです。具体的には、脱獄の原因についての情報。乱雑解放(ポルターガイスト)による脱獄なら、自然災害路線の誤魔化しも効くはずですわ。避難指示や余震への警戒で、なんとか『塗替斧令』への悪感情を誤魔化せないでしょうか」

 

「……なるほど。手としてはアリだな。だが……」

 

『ああ。もちろん問題はないけど、それにしたって世論が災害への恐怖でパニックに陥っていられるのは数時間が限度だぞ。夜が明けて状況が把握できるようになる頃には情報も出揃ってしまう。それまでに収拾がつかなければ……』

 

「ええ。分かっています。……この夜の間に、全てを終わらせる。そして裏で糸を引き、状況を操っている真犯人を、この手で捕まえてみせます。そうすれば、塗替の汚名も雪げるでしょう?」

 

 

 もともと、塗替さんを止めるためにも、彼を操っている『何か』との対峙は必須だったんだ。

 倒すついでに、捕まえて真犯人コイツです! ってやったって良いだろう。

 

 

『……しかし』

 

 

 俺の話を一通り聞いて、馬場さんはどこか感慨深げに話し始めた。

 

 

『シレンの口から情報戦の提案が出てくるとはね。順調に搦め手の経験値も上がっているようで何よりだよ』

 

「……馬場、もうお前ブラックガード嬢の人格の見分けがつくのか?」

 

『…………、』

 

「馬場も順調にわたくしの相棒としての経験値が上がっているようで何よりですわ」

 

『……………………!!!!』

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

八八話:遺産の脅威 Angel's_Impact.

 

 

 


 

 

 

 ──前略、上条当麻は上空五〇メートルからの自由落下中であった。

 

 さらに上条の不幸は続く。

 落下した彼の着地地点──つまり暫定的死に場所には、ちょうど噂の脱獄犯──塗替斧令がいたのだ。

 

 

「────ば、馬鹿野郎ッ!?!?」

 

 

 落下中に塗替と視線があった上条は、無駄と知りつつ右手を眼前に掲げる。

 宵闇の中で上空から落下してくる上条にピントを合わせた塗替は、にんまりと不気味な笑みを浮かべ、

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 不可視の力を、振るった。

 直後、思考しか許されない上条の脳裏を様々な思惑が駆け巡る。

 

 

(能力ッ!? 回避──できない! 右手で防御ッ? ──この感じ、何か……ッ!?)

 

 

 それは、咄嗟の判断だった。

 本能、と言い換えてもよかったかもしれない。上条は右手で不可視の力を受け止めるのではなく、その力を撫でるようにして手を滑らせ、側面を『掴んだ』。

 ゴガガガガギギギギギギ!!!! という異音と共に上条の身体は減速し、不可視の力の側面を滑るようにして地面へと降り立つ。

 九死に一生を得た上条だが──それは同時に、今放たれた不可視の力が幻想殺し(イマジンブレイカー)では打ち消しきれない出力を持っていることを示していた。

 

 

「……おやおや。また小器用になっているねー。打ち消しきれない出力の場合は、触れるようにして干渉ができるんだねー」

 

「お前…………」

 

 

 それに対し、塗替はあくまで分析するような口調で、冷静に能力を観察していた。

 その姿は──上条の知る塗替斧令の姿とは程遠い。

 

 

(ワイドショーで悪し様に叩かれてる姿か、あの事件のときに見た横顔くらいしか印象がねーけど……それにしたって、この右手でも打ち消せないほどの出力だって!?)

 

 

 それでも上条が必要以上に動揺せずにいられたのは、先日の『ドラゴン』との戦闘経験があるだろう。

 あの威力は、これの比ではなかった。──もっともこれは空中落下という死亡確定の状況から生還したことで一時的に恐怖が麻痺しているだけなのだが、そこはそれ。ともかく上条は奇跡的に『生き残るための次の一手』へと瞬時に思考をシフトさせることができた。

 即ち。

 

 

「──まぁ、今君に興味はない。ただ、一応ついでに、行きがけの駄賃として『メインプラン』は破壊させておいてもらおうか」

 

 

 ドウッッッ!!!! と。

 乱雑解放(ポルターガイスト)砲が、上条めがけ無造作に放たれる。おそらく上条の頭辺りを吹っ飛ばすような一撃だったが、にも拘らず、攻撃の余波だけでコンクリートはバリバリとめくれ上がり、遥か上空まで巻き上げられていた。

 当然、そのまま受け止めようものなら、上条の右手は打ち消しきれなかった異能の力によってよくて骨折、最悪右手ごと弾かれて挽肉どころかピンク色の肉ジュースになってしまっていただろう。

 だから上条も、無理に右手に頼らなかった。

 

 

「ッ!」

 

 

 全身を使って跳躍し、転がるようにして物陰へと潜り込む。

 回避できた──と思ったところで背後から発生した余波の暴風に背中を叩かれた上条は、そのままふわりと風に煽られて頭から地面に突っ込んだ。

 辛うじて地面を転がるようにして受け身をとった上条は、与えられたプレッシャーを吐き出すように勢いよく悪態を吐く。

 

 

「ぐ……ッ! なんつー威力だ……一方通行(アクセラレータ)のそれよりもよっぽど強烈じゃねーか!?」

 

「それは当然だねー。彼は優秀だが、それはあくまで個としての強さ。群体の強さにはやはり劣るよー」

 

 

 微笑みをたたえながら言う塗替の足元には、くっきりとさきほどの攻撃の『余波』が残っていた。

 

 

(なんだ、アレ……)

 

 

 まるで、型抜きをした後のような『余波の跡』。

 塗替の目の前でぽっかりと直径一メートルほどの半球状の穴が空き、そこから直線状に地面が抉れていた。……とてもじゃないが、個人の『能力』によって生み出せる範疇の攻撃ではない。

 上条も真正面から乱雑解放(ポルターガイスト)とぶつかったことがあるわけではないが、にしたってあの時はあれほど出鱈目な威力ではなかった。──間違いなく、威力が段違いに向上している。

 

 

(確か、アレは乱雑解放(ポルターガイスト)とかいう…………複数の能力を束ねた攻撃なんだったっけか? 当たり前のように使っているけど、アレを運用するにはそれなりの準備が必要って話だったはずだ……!)

 

 

 たとえば、幻想御手(レベルアッパー)

 多数の能力者の脳波を術者のものに合わせることで無理やりにAIMのネットワークを構築、それによって複数の能力を自在に操るという手法だが……複数の能力を意図的に暴発させることで乱雑解放(ポルターガイスト)を狙った形で誘発させるというのが、前回の原理だったはずだ。

 『木原幻生の遺産』。それが本当に使われているのであれば──今回も同じ方式である可能性は高い。

 つまり……。

 

 

(どういうわけか、発現した『乱雑解放(ポルターガイスト)』は俺の右手じゃ手に負えない出力になっている。でも、それを成立させる前段階の『複数の能力』の段階なら……俺の右手で消せるはず!!)

 

 

 つまり、目指すは接近戦(インファイト)

 

 

「ほう、考えたねー? だけどいいのかい? あの戦闘では、『乱雑解放(ポルターガイスト)』がまるで単なる念動能力(テレキネシス)のように便利遣いされてはいなかったかねー?」

 

「強がるなよ」

 

 

 走りながら、上条は言う。

 

 

「どんな力だって、強くなれば強くなるほど取り回しは難しくなる。俺は知っているぞ。レイシアだってそうだった。二つの人格で能力の出力を跳ね上げたあの方法は、アイツらがとびきり器用だったことや、他の色んな奴らの手助けで成り立ったんだ。……いくら()()の科学力が凄くたって、その大原則は揺るがないはずだ」

 

 

 証拠に、塗替は未だにもう一撃を撃ってこない。

 それは慢心や矜持ではなく、単に撃てないだけなのだ。幻想殺しの出力を上回るほどの一撃を暴走させずに安定して撃つためには、きちんと時間をかけて準備する必要がある。それが、上条の付け入る隙になっている。

 

 

「──ふむ」

 

 

 それに対し、塗替は笑ってみせた。

 

 

「このまま行けば次の第二射も上条君は上手く乗り越える、か……。そうすれば僕の詰みは確定的になってしまうねー。……ならば」

 

 

 その笑みは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 直後。

 塗替の眼前に揺蕩っていた『不可視の力』の塊が──起爆した。




今回の乱雑解放(ポルターガイスト)は天使の一撃と同格とお思いください。


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八九話:器の強度

「…………チッ」

 

 

 その時。

 垣根帝督は、上空から全ての顛末を見ていた。

 

 上条当麻は、塗替斧令の戦力を見極める為の当て馬。潰されようが生還しようがどうでもいい程度の存在でしかなかったが、標的諸共爆死されるとなると話が変わってくる。

 ゆえに、音速の挙動を持って上条を救出すべき局面ではあったのだが……垣根には、それを逡巡する理由があった。

 

 

(あの野郎……俺の未元物質(ダークマター)を打ち消しやがった)

 

 

 上条が紐なしバンジーを敢行したとき、垣根も当然ながらそのまま落下死させる気などはなかった。

 落下する上条に未元物質(ダークマター)の微粒子を纏わせて落下速度を落とすつもりだったのだが……しかしあの瞬間、上条の右手は未元物質(ダークマター)の微粒子を()()()()()()()()()

 

 

(あの戦いの中で、『ドラゴン』とやらの攻撃を何度か捻じ曲げたのを見てはいたが、まさか俺の未元物質(ダークマター)まで打ち消せるとはな。となると、音速機動も打ち消される可能性がある。……リスクを犯してまで助けるほどじゃねえな)

 

 

 レイシア=ブラックガードの協力者ということでできれば彼女との繋がりとして確保しておきたかったし、塗替に関しても『遺産』への手がかりでできれば生かしておきたかったが、それはあくまでも『できれば』の話でしかない。

 ゆえに垣根はドライに二人を『見捨て』ようとしていたが──

 

 瞬間、白黒の稲妻が虚空を引き裂いた。

 

 

(…………ッ!? この能力──裏第四位(アナザーフォー)か!)

 

 

 一瞬にして起爆寸前の力の塊が『亀裂』に覆われたのを見て、垣根はすぐさま地上に降り立ち、イチかバチかで右手を突っ込もうとしていた上条当麻を地面に引き倒し、翼で以て身を包み込んだ。

 

 直後。

 音が消し飛ぶほどの爆発が、発生した。

 

 

(チィ……! 降りてきておいて正解だったな。流石に爆発を密閉しておいて防ぐのは裏第四位(アナザーフォー)には荷が重かったわけだな)

 

 

 一瞬そう考えた垣根だったが、第二位の頭脳が、そうではないという計算を叩き出した。

 確かに、『亀裂』は強化された乱雑解放(ポルターガイスト)を防ぎきるには強度不足ではあるだろう。垣根の未元物質(ダークマター)ですら、あれを防ぎきれるかどうかは自信がないくらいだ。

 だが、一方であの戦いにおいて、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)はヒューズ=カザキリの攻撃にある程度耐えていた。つまり、ある程度AIMでの攻撃に対し耐性はあるはずなのだ。その観点でいくと……今の衝撃の強さは、計算よりも()()()()

 

 

「ふう……なんとか、間に合いましたわね」

 

「守る必要あったか? 第二位がいたのだから傍観していてもよかったような気がするが」

 

「いえ。……そうですわよね? 第二位さん」

 

「テメェら…………」

 

 

 つまり、レイシア=ブラックガードは『あえて垣根たちの側の「亀裂」の強度を落とした』のだ。

 おそらくは……。

 

 

「そう恨みがましい視線を向けないでくださいます? 塗替と当麻、二人を生還させるにはそれしか方法がなかったのですから、しょうがないでしょう」

 

 

 『自爆』の衝撃を上条側に来るように、『亀裂』の一部分だけを弱くしていたのだ。

 おそらくは、上条が生還する目があれば垣根の利害計算の天秤が救出に傾くことを予測して。

 

 

第二位(おれ)を、担ぎやがったな……」

 

「アナタだって当麻を見捨てようとしていたのですからお相子ということにしませんこと?」

 

「シレイシア! 垣根も……助けてくれたんだな、ありがとう!」

 

 

 上条が起き上がってきたのを見て、レイシアはゆっくりと後ろを振り返る。

 砕け散った亀裂と噴煙が過ぎ去った後に──塗替斧令は、忽然と消えていた。

 

 

「だが、まぁちょうどいい。俺の目的はテメェだ、裏第四位(アナザーフォー)

 

 

 ピッと人差し指を向けて、垣根は言う。

 

 

「簡単なインタビューだ。人格励起(メイクアップ)計画とやらについて、洗いざらい教えやがれ」

 

「ハァ? なんでわたくしがタダでそんなこと、」「別にいいですわよ」

 

 

 ……垣根的にはもうちょっと剣呑な問答をしておきたかったのだが、そんな常識は目の前の脳内お花畑令嬢には通用しなかったらしい。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

八九話:器の強度 The_Qualification.

 

 

 


 

 

 

「…………まんまとハメられたな」

 

 

 人格励起(メイクアップ)計画。その事情を聞いた後に、垣根は忌々し気な呟きを漏らした。

 それに対し、レイシアはきょとんとしながら首を傾げる。

 

 

「どうかしましたの? 研究データならば別にわたくし、全部提供しても構わないですわよ。アレはウチの派閥の研究成果ではありませんので、わたくしの独断で渡しても問題ありませんし」

 

「…………そうじゃねえ」

 

 

 『人命がかかっているなら是非もありませんわ』などと宣う相変わらずの聖女サマは論外だが、垣根が言いたいのはそこではない。

 

 

「……人格励起(メイクアップ)には、二つの人格が必要となる」

 

 

 もともとの人格励起(メイクアップ)は一つの人格を二つに割った上で二つの人格の共鳴反応を起こそうとして失敗したようだが、この技術はそもそも『実験段階で二つの人格を備えているもの』を対象としていると考えるべきだろう。

 その点において、林檎には彼女自身の人格と一方通行(アクセラレータ)の執着心の影響を強く受けた人格の二つが存在しているため、最低条件は満たしているといえる。

 だが、問題はレイシアの口から告げられた実験の経過にあった。

 

 

「…………実験中、人格励起(メイクアップ)によって『能力の出力』が増大しすぎて、暴走しかけたことがあったって言っていたな。能力の出力に、器となる肉体が足りていなかった……だったか? そこの意味は良く分からないけどよ……。そして、それが無事に落ち着いたのは『全くの偶然』だと」

 

 

 魔術の存在を認めていない垣根に事の次第を説明するにあたり、レイシアはそういう表現をしていた。

 実際、レイシアにはステイルや神裂の処置を真似することができないので、再現性がないという意味では間違いではない。

 だが……。

 

 

「つまり、俺がそのことを知らずにデータだけ見て人格励起(メイクアップ)を行っていれば……アイツは間違いなく能力を暴走させていただろうな。……確か、人格が中途半端に統合されるリスクもあるんだったか? ってことは、最悪の場合は第一位の人格と混じり合った状態で覚醒してたってわけだ」

 

 

 それは、単なる死よりも数段惨い。

 希望が絶望に反転し、なおかつ『彼女だったモノ』が歪な形のまま暴走して牙を剥く。なるほど、木原らしい精神をズタズタに引き裂く悪意の戦略である。

 だが一方で、垣根は希望を見出してもいた。

 

 

「ただ……生還したっていう実例は、今俺の目の前にいる。幻生もただ検証しただけでは嘘がバレないと分かっているからこの情報を俺への撒き餌に使ったんだろう。つまり……」

 

「木原幻生の頭の中にあるっていうデータを手に入れることができれば、垣根の救いたいヤツを助ける方法が見つかるかもしれない。……そういうことか」

 

 

 上条当麻の、決意を秘めた言葉。

 それを聞いて、垣根はハッとする。情報を聞いていく中で、うっかり『誰かを助けようとしている』という事実を二人(とショチトル)に分かるように話してしまっていたのだ。

 もちろん『スクール』の本拠地にいる彼女に危害を加えるなど、他の暗部組織でも難しいが……それでも、他人に弱みを伝えるなど『裏』の人間にあるまじき失態だ。

 

 

(……チッ。善人どもに絆されちまったか? 気を引き締め直せ。コイツらは利用できる駒にすぎねえんだから)

 

 

 人知れず考える垣根の前で、上条は眉根を寄せて困った表情を浮かべていた。

 

 

「でもなあ。肝心の木原幻生ってヤツは、今どこにいるのかも分からないんだろ? この街の偉い人がどこかに連れて行っちまったって……。……今から探すのか? 塗替の脱獄のことも何とかしなくちゃいけないしさ……」

 

「何言ってんだ」

 

 

 困ったように言う上条に、垣根はむしろ好戦的な笑みを浮かべながら、こう返した。

 

 

「いるだろ。木原幻生。……気付かなかったのか? 言動、戦闘パターン、そしてあの『悪意』」

 

 

 嘲るように言う垣根の言葉を引き継いで、今度はレイシアが、重々しい口調でこう締めくくる。

 

 

「……塗替斧令。おそらくは今、彼は木原幻生に『乗っ取られて』いるのですわ」

 

 

 


 

 

 

「いやー、まだ調整が必要だねー」

 

 

 学園都市、某所。

 

 塗替斧令──いや、彼の肉体を乗っ取った木原幻生は、そう言って若い身体で伸びをした。

 あたりには人はいない。木原幻生は、どさくさに紛れて廃工場の中に潜伏しているのだった。

 レイシアが周辺を気流感知で精査していれば第二ラウンドが始まっているところだったが……どうやら彼女としても、まずは垣根と上条と足並みを揃えることを優先しているのだろう。

 

 ────AIM思考体。

 あるいは()()()()思考体と呼ばれる存在が、この世にはある。

 0と1ではなく、流体の『濃淡』によって情報を表現する『流体コンピュータ』の理論。これに、AIM拡散力場を適用した概念である。

 この存在を認識していれば、己の思考をAIM拡散力場に『深化』することでAIM思考体となることもできる。

 

 あの時──木原幻生は、肉の器から解き放たれていた。

 

 

「分裂によって『AIMのみの存在』という状態を経験していたのはプラスだったねー。お陰で、咄嗟に『思考をAIMに移す』という作業ができたよー」

 

 

 つまり、今アレイスターによって確保されているのは何の価値もない肉の器のみ。

 要するに、統括理事長はまたしても細かいところで敗北を重ねていたというわけだ。

 

 そして、他者の肉体に憑依するという案も──戦闘したレイシア=ブラックガードのケースからの発案だった。

 

 

「『彼女』がどこから生まれ出た存在なのかは知らないが……『多重人格』は本来能力の向上は齎さない。分割しようが『能力の元』は結局増えないからねー。つまり、『彼女』はレイシア=ブラックガードとは別のどこかから調達されてきた『能力の元』を持ち合わせている」

 

 

 そのことに、幻生は易々と気付いていた。

 とはいえ、彼の興味はシレンが『どこから来たのか』には決して向かないが。

 

 

「──憑依。本来であれば荒唐無稽なこの考え方も、AIM思考体を経由して考えれば、納得がいくねー」

 

 

 つまり幻生は、学園都市内で発生した死者が何らかの形で偶発的にAIM思考体となり、それがさらに偶発的にレイシア=ブラックガードの肉体に憑依したと、そう考えているのだ。

 ──それで()()()()()()()()()というのが、シレンの体質の特異性でもあるのだが、幻生はそれには気付けない。

 

 

「しかし、『肉の器』はアレイスター君の手の中だからねー。乱雑解放(ポルターガイスト)の微調整ができないのは困った、困った。二乗人格(スクエアフェイス)というのも考え物だねー」

 

 

 ──それが、乱雑解放(ポルターガイスト)の強化の理由だった。

 AIM思考体として塗替に『憑依』するということは、能力の出力が増大するということ。その状態で乱雑解放(ポルターガイスト)を引き起こせば──ただでさえ地震を引き起こすほどの出力が、桁外れに増大するというわけである。

 その一撃は、まともに振るえば大陸を真っ二つにすることすら可能だろう。ただし……、

 

 

「……ふむ。問題といえばこちらも、だねー」

 

 

 幻生が視線を落とした先。

 塗替斧令の掌。

 そこには──生物であれば有り得ないような、無機質な『亀裂』が走っていた。

 

 人格励起(メイクアップ)による魂の出力増強には、複数のハードルがある。

 一つは、二つの魂による同調。杠林檎の場合、ここで躓くことによってそもそも魂の出力増強が上手くいかず、二つの魂が同化して暴走する可能性が高かった。木原幻生はその技術力によってその可能性を踏み越えたが、ここでもう一つのハードルがある。

 それが、魂の容量の問題である。

 二乗人格(スクエアフェイス)を上手く稼働させれば、確かに魂の出力は安定する。しかし、人間という器には容量の限界が存在している。その容量を超えてしまえば──後に待つのは崩壊か、変質である。

 

 

「……うーん。今はなんとか抑えきれているけど、タイムリミットとしてはあと三時間といったところかねー」

 

 

 だが、木原幻生の精神状態に焦燥というパラメータは生まれない。

 何故なら。

 

 

「『器』の強度が安定すれば、もう少し出力も安定するんだけどねー。…………ん、そういえば……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 そうして、木原幻生は笑みを深める。

 この街で鍛え上げられた老獪な笑みを浮かべながら。

 

「ドッペルゲンガー。専用に整備した鉄の器が望ましいねー。アレさえあれば……もっと面白い実験ができそうだねー?」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



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おまけ:深刻なる難問 ②

 運命の転換点とは、意外とそこらに転がっているものだ。

 

 各人が気付かないうちにそうした転換点を踏むたびに、運命の流れは切り替わっていく。プレイヤーが多ければその転換の頻度は上がっていき、結果としてテレビのリモコンを争うようにして運命は生物的に変化していく。

 たとえば──上条当麻と木原幻生の戦闘。

 単なる衝突に思えたその戦闘の余波が、思わぬ運命の変化を齎すことだってある。

 

 

「……操歯涼子誘拐をサボるって言ってもさあ」

 

 

 フレンダ=セイヴェルンは、暇そうにしながら夜道をブラブラしていた。

 最終下校時刻をとうにすぎた学園都市の夜には、人の気配など皆無だ。彼女の近くにいる生命体は、隣を歩く下部組織の少年──浜面仕上くらいのものである。

 

 

「結局、任務中の麦野に鉢合わせたら一巻の終わりだし、そうでなくとも後から行動の空白とかで不審に思われないためにアリバイ作りはしておく必要があるのよねえ」

 

 

 『最初は、第二一学区に行って微細にでも匿ってもらおうと思ってたんだけど』と、フレンダは適当そうに言う。

 微細というのが何者なのか浜面には分からないが、おそらく彼女の幅広過ぎる友人関係のうちの一部だろう。このフレンダという少女、仕事のときの残忍さとは裏腹にけっこう人懐こい性格であり、裏表問わずとにかく良く分からない人脈を持っているのだった。

 

 

「だったらどうする? 操歯涼子のところには一応行っておくか?」

 

「ウーン、もしも行かなかったら、『なんで操歯涼子の近くに行かなかったんだ』って話になりそうだし……。かと言って、馬鹿正直に行ったらなんやかやで結局操歯涼子を誘拐しなくちゃいけなくなるハメになりそうって訳よ」

 

 

 フレンダはその細い人差し指を唇に当てて考える仕草をしながら、ううんとひとしきり唸った。

 浜面はその横顔をぼけーっと眺めていたが、

 

 

「そうだっ!!!!」

 

「うぉっ、びっくりした……。急に大声出すなよ」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

「…………はぁ?」

 

 

 自信満々に言うフレンダに、浜面はさらなる疑問符を飛ばすことしかできない。

 だが、一見意味不明に聞こえる発言は、フレンダの中では一本筋の通った理屈になっているらしい。あからさまに疑念を向けられても、フレンダはさして気にした様子もなく、

 

 

「私達は麦野から与えられた任務をサボりたい。でも、理由もなくサボれば待っているのは麦野のオシオキ。そうよね?」

 

「オシオキっつーかストレートに粛清だと思うけどな……。なんでお前はそこまで麦野からのペナルティを楽観視できんだ……? いつもぶちのめされてるのに」

 

「そこで私は考えた訳よ! 結局、理由もなくサボれば怒られるなら、理由をこっちででっちあげちゃえばいい、ってね!」

 

「いやお前な……でっち上げるっつっても、そんな都合よく別の事件が発生するわけが……」

 

 

 呆れながら浜面が言いかけた、その直後。

 ボッゴォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!! と。

 最早音の発生源がどこなのか、その距離感すらも掴めない程の轟音が、夜の学園都市に響き渡った。反射的にその場にしゃがみこもうとした浜面は、同じように反射的に物陰に飛び込んだフレンダによってついでに地面に引き倒される。

 

 

「な、がッ!?」

 

「馬鹿野郎! 結局、あんなとこでしゃがみこんでたら敵に殺してくれって言っているようなモンよ! アンタ死にたいの!?」

 

 

 浜面は呻きながら頭を起こし、

 

 

「な……なんだ……? 何が起こった……?」

 

「さあ。でも、こっちまで瓦礫の破片がパラパラ落ちてきてる。相当な破壊力の『何か』が撃ち込まれたんでしょうね。…………ところで浜面クン。結局、さっき言いかけたことをもう一度言ってもらっても良いかにゃーん?」

 

「…………『まったく、退屈しねえよなこの街は』っつったんだよ!」

 

「それについては、私も同意って訳よ!」

 

 

 笑みを浮かべ、げんなりした表情の浜面を引き連れながらフレンダは音の発生源へと近づいていく。

 とはいえ、馬鹿正直に道なりに進むわけではない。フレンダの場合は──

 

 

「……何やってんだ?」

 

 

 何やら、近くの廃工場の壁にラクガキをしているようだった。

 

 

「ん、隠密工作。結局、街中って意外と遮蔽物に乏しいのよねー。だから道をそのまま歩いていても、人通りの多い時間帯ならともかく今の時間帯じゃ完璧悪目立ち。だからここは、スマートに建物に不法侵入といきましょー」

 

「コンスタントに軽犯罪を積み重ねまくっている……」

 

 

 白いチョークのようなアイテムを用いて廃工場の外壁に二人分が通れそうな白線の枠を描き出すと、フレンダはその横に立って、ペンのようなアイテムをそこに当てる。

 白線は火薬によって構成されており、そこにペン状のアイテムから発せられる電気信号を送ることで『着火』することができるのだ。普段はフレンダの設置した爆発物を起爆させるための導火線として用いられているが、ただの家屋の壁程度なら少し多めに使えば焼き切ることだって可能である。

 

 ズバチィ!! と火花が迸り、コンクリートの壁がくっきりと焼き切られる。ぐらぐらと揺れるコンクリートの壁を指差しながら、フレンダは一言。

 

 

「じゃ、あとはこれを蹴っ飛ばせば開通、と」

 

 

 がこん、とわりと大きな音を立てて、コンクリートの壁がくり抜かれる。

 平時であれば夜間にあまり大きな音は……と眉を顰めるところだが、生憎既に『がこん』程度では問題にならないほどの騒音騒ぎである。きっと明日の学園都市はニュースまみれだろう。それに比べたら家屋の破壊くらいどうということはないかもしれない。

 

 

「さてさて。……お、ラッキーなんだかアンラッキーなんだか。浜面、どうやら騒音の原因はこの先に『いる』みたいだよ」

 

 

 言われて、浜面は意識をフレンダに向ける。

 その彼女がニヤニヤ笑いで親指を向けたその先。

 

 家屋のはめ込み式窓の向こう側の景色では────

 

 

『面倒臭せえな。どうせ倒されるなら、いっそここで「天使」級の一撃を暴走させてやるか』

 

 

 塗替斧令が、自爆していた。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

おまけ:深刻なる難問

>>> 第二一学区方面操歯涼子争奪戦 

 

 


 

 

 

「ぎゃっ、ぎゃっ、ぎゃわ────っ!!!!」

 

「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿っ!! っつかアレ塗替斧令だよな!? 白黒鋸刃(ジャギドエッジ)に逆婚約破棄された上に汚職で捕まったっつー婚約者の!!!! なんで留置所から出てんだよ!?」

 

 

 知っての通り、その爆発自体はレイシアの介入によって被害は最小限に収められているのだが、それは別に周辺への余波がゼロだったことを意味しない。

 『天使』級のそれではないにしても、精々普通のダイナマイトの起爆程度の余波を周辺──特にフレンダ達の方向へ撒き散らしていたわけで、咄嗟に浜面がフレンダのことを引き倒していなければ、今頃二人してガラスのシャワーを全身に浴びて真っ赤にドレスアップしていたことだろう。

 必死の想いで爆風を回避した二人は、そのまま物陰へと這いずって身を潜める。追撃(まぁ今の自爆は二人を狙ったものではないのだが、それはともかくとして)を躱すのと、一旦落ち着いて今の爆発による負傷確認をする狙いだ。

 

 

「はー……はー……。あ、ありがと。助かったわ」

 

「このくらいで礼なんてするなよ気持ち悪りい。それよりアイツ、何だったんだ……?」

 

「さあ……」

 

 

 適当に言い合っていたフレンダと浜面だったが、二人はどちらからともなく息を殺しだす。

 何故なら──二人が潜んでいる屋内で、人の足音が響いたからだ。

 

 状況的に、足音の主は一人しかいない。

 

 自爆した脱獄犯──塗替斧令だ。

 

 

(クソっ!? 結局、今日は厄日か何か!? しかも足音がだんだん近づいてきているし……!!)

 

 

「──うーん。今はなんとか抑えきれているけど、タイムリミットとしてはあと三時間といったところかねー」

 

 

 それは、ワイドショーなんかで見たときの塗替斧令の余裕のない口調とはかけ離れた、老獪な雰囲気を漂わせた口調だった。

 どうやら塗替は自分の身に起きている現象に気を取られているらしく、物陰に隠れているフレンダ達には気付いていないらしい(迂闊だ)。

 彼は廃工場の中を進みながら、さらに情報を落としていく。

 

 

「『器』の強度が安定すれば、もう少し出力も安定するんだけどねー…………」

 

 

 そんな言葉の残響と共に、塗替は廃工場の奥へと潜り込んでしまった。

 あとはもう、靴音の反響に混じって声は聞こえなくなってしまったが……二人は息を殺したまま、互いに顔を見合わせる。

 

 

「(な……何よ今のアレ!? っつか……なんか遠めに見た感じ、手がヒビ割れてなかったあれ!?)」

 

「(俺に聞かれても分かるかよ!! でも今の感じ……どうやらアイツ、このままだと自壊する? みたいだな)」

 

「(だからそれを何とかする為に動こうってことなんでしょ。……ふーん、結局、分かりやすくなってきたって訳よ)」

 

 

 そう言って、フレンダは立ち上がる。

 もう、足音の残響も聞こえない。フレンダは自信満々に決意した。

 

 

「アイツを追うわよ。……こんな街中(廃工場周辺だけど)でとんでもない威力の攻撃をぶっ放すような危険人物だもの。絶対、野放しにしていたら学園都市の危機だわ! それに私達、目の前で攻撃を受けたんだもんね! 結局、報復の理由もばっちりって訳よ!」

 

「動機は、逮捕された学園都市への逆恨みか……。よく分からねえが、俺達がいくら悪党とはいえ、街の善人たちまで危険に晒されるとあっちゃあ……黙って見ているわけにもいかねえわな」

 

 

 ……白々しいことこの上ない物言いだったが、生憎ここにそれを指摘する常識人はいない。

 二人の小悪党どもは、お互いに醜い笑みを向け合いながら言う。

 

 

「……けっ。仕方ねえなヒーロー様。だが付き合うこっちの身にもなれよ」

 

「文句言うなよ、不良学生。結局、私達がやるしかないんだから、早く腹を括った方が気持ちが楽になるよ」

 

 

 芝居がかったセリフで──というか真実正義漢ぶった三文芝居に興じながら、二人の小悪党どもはお互いの拳をぶつけ合わせる。

 それは、二人の素性とはかけ離れたお題目を自分たちの保身に利用することへの自虐が多分に含まれていたが────。

 

 

「…………じゃ、行くか。塗替をうまいこと捕獲できたら、レイシアとの交渉カードになって麦野も喜ぶかもしれないし」

 

「あの爆発を引き起こす得体のしれない力を前にして、無能力者(レベル0)二人で? 現実的じゃねえなあ……」

 

 

 ぶつくさ言いながら馬鹿二人は夜の街へと繰り出していく。

 

 

 目標は──塗替斧令。




☑即死爆風を相方のお陰でギリ回避
☑渋る不良に『やるしかない』と諭す


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九〇話:大合流

「塗替が…………木原幻生に乗っ取られてる、だって……!?」

 

 

 俺の言葉に、当麻さんは目を丸くして驚いているようだった。

 いやいや、無理もないとは思う。だって、『憑依乗っ取り』って完全に魔術サイドの事件だからね。それを木原幻生っていう完全なる科学者がやってるって言われたら、そりゃあ驚くだろう。

 …………それを言うなら幻生は散々『ドラゴン』とかやらかしてるのに、今更のような気がしないでもないけどさ。

 

 

「そんなに驚くようなことか? たとえば第五位なんかは、洗脳の応用でリアルタイムに対象に自分の自我を反映させることだってできるぞ」

 

「第五位……確か、心理掌握(メンタルアウト)だったっけ?」

 

 

 ……あれ? 当麻さん、食蜂さんのこと覚えてるの?

 ああいや、能力のことは意味記憶だから覚えてるってだけか。

 

 

「科学にしろ魔術にしろ、極まれば辿り着く場所は同じようなものということなのでしょう。手法は分かりません。ただ、今の塗替さんの行動は、彼自身の意志ではない。それは間違いないですわ」

 

 

 ……実際にぶつかってみて分かった。

 あれは、やはり塗替さんではない。あの言動、行動方針、どれをとっても該当するのは──木原幻生だ。

 

 

「……レイシア……」

 

 

 当麻さんの呼びかけで、俺は自分が拳を固く握り締めていることを自覚する。

 そして、自分の激情を認識することで、ある種頭が冷えた。…………ああ、分かってる。今憤っても何も変わらないし、怒りは思考を鈍らせる。そして、思考が鈍ればそれは幻生さんの思うつぼだ。だから、落ち着いて今後のことを考えて行かないと。

 

 

「……もう大丈夫ですわ。それで、どう動きます?」

 

「あのクソ野郎、どういう手品を使ったかは知らないが、今は姿をくらましているらしいな。下部組織の連中に調べさせているが、梨の礫だ。だが……あの妖怪ジジイのことだ。なんの目的もなく暴れているとは思えねえ」

 

「…………塗替さんを乗っ取ってまで強行した、この脱獄劇には……明確な目的があると?」

 

「ああ。そしてそいつは、木原幻生にとってのアキレス腱になりうる。ま、塗替斧令を乗っ取ったのは単なる成り行き程度の理由しかねえだろうけどな」

 

 

 木原幻生がこのタイミングで脱獄をした、理由。

 

 別にいつでもよかった、なんてことはないはずだ。いつでも良いなら、わざわざ脱獄をする意味はない。塗替さんが刑期を終えて、学園都市の外に出てからだって遅くはないだろう。その方が、自分にかかる監視だって薄くなるし、動きやすくなる。

 にもかかわらず、脱獄という形で動き始めた背景には…………やはり、『焦り』があるとしか思えない。このまま刑に服していたら、幻生さんに何か不利益があるからこそ、無理やり行動を開始したんだ。

 じゃあ、どんなことが……?

 

 ……………………。

 

 

 それが分かれば、苦労はしないんだよなぁ……。

 そもそも、俺がちょっと考えて答えが出る程度の話なら、垣根さんが今もこうして俺達と一緒にうんうん唸っているわけがないし。

 

 

 

「そこについては! 結局、私達が知ってるって訳よ!」

 

 

 と。

 膠着状態の現場で、少女の甲高い声が響き渡った。

 

 そこにいたのは────。

 

 

「フレンダさん!?」

 

 

 フレンダ=セイヴェルン。

 それと、茶髪の少年──浜面仕上。

 

 今この時期はまだ『アイテム』に属している二人の無能力者(レベル0)が、そこにいた。

 …………フレンダさんの方は、仮にも一度は『アイテム』の一員として敵対していたのに凄い堂々たる立ち姿だ。なんというかこう、学園都市の裏街道っていうのはこのくらい面の皮が厚くないとやっていけないのかね。

 とはいえ、当然ながら俺達からしたら『敵対勢力』だ。傍で待機していた徒花さんが、音もなく身構えたのが気流で分かる。

 

 これに敏感に反応したのは、浜面さんだった。

 

 

「あー! ちょ……ちょっと待ってくれ! こう、俺達にも色々あってだな……。……っつか」

 

「お前、あの時の……、」

 

「……クソったれ。こっちはこっちで最悪の対面だぜ」

 

 

 当麻さんと浜面さんの間で、妙な雰囲気が漂う。……ああ、そういえば当麻さんと浜面さん、一番最初に戦闘したときぶりの再会なんだったっけ?

 というか色々変わってるこの世界でも、例の事件って起きてたんだねぇ。まぁ起きてなきゃ(そして当麻さんが解決してなきゃ)今頃浜面さんは死んでるか。

 そこで、二人の因縁には一ミリも興味なさそうな垣根さんが高圧的に疑問を口にする。

 

 

「んで? ドヤ顔で登場きめたんだ。相応の情報は持っているんだよな? 情報のソースから話してもらおうか」

 

「あ、ああ。まぁ、偉そうに言っておいてなんだが、殆ど偶然で手に入れたようなもんなんだけどよ……」

 

 

 そう言って、浜面さんはゆっくりと話し始めた。

 ……フレンダさんは、暇になったからか爪いじり始めてるけど。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

九〇話:大合流 Double_Face.

 

 

 


 

 

 

「……っつーわけで、俺達は塗替……えーと、木原幻生?ってヤツとかち合ったわけじゃないけど、アイツのパワーアップはそう持たないって分かったんだよ」

 

「でも、結局アイツ得体のしれない力を使ってるでしょ。近くに良い戦力がいないかな~と思っていたら、レイシア達を見つけたって訳よ!」

 

 

 相変わらずの能天気そうな表情で笑うフレンダさんに対して、真っ先に反応したのは横で話を聞いていたメイド服の徒花さんだ。

 俺達との間に遮るように立つ徒花さんの手には、いつの間にかマクアフティルが握られていた。…………地味に戦闘態勢だ。まぁ当然だけど。

 

 

「……ほう。よくもまぁこの程度の情報で『メンバー』の一員である私の前に顔を出せたものだな。お前達が今誰と敵対しているかも忘れたのか?」

 

「だーっ!! やっぱこうなるんじゃねえか!! クソったれ! 逃げるぞフレンダ!」

 

「まぁまぁ二人とも落ち着いて落ち着いて」

 

 

 せっかく共闘できそうなのにあわや戦闘という感じになってしまったので、俺は徒花さんを宥めるようにして二人の間に入り直す。

 そして尻ポケットの拳銃に手を突っ込んでいる浜面さんの方を見て、

 

 

「アナタの方も、ね? 拳銃(それ)はまだしまったままにしておいてくださいな」

 

「………………ッ!!」

 

 

 ……なんかビビられたような気がするけど。

 

 

 

「ここで争っている暇などありません。必要ならば先の襲撃に対する追及も一旦棚上げしましょう。……塗替さんには時間がないと、分かりましたから。あと三時間以内に、幻生さんを塗替さんの身体から追い出す。……そのためには」

 

「俺の右手の出番って訳だな」

 

 

 そこで、それまで場を静観していた(というより目まぐるしく変わる盤面に目を白黒させていた?)当麻さんが一言呟く。

 そう。幻生さんがどういう原理で憑依しているのかは分からないけど、真っ当な科学でないことは間違いない。そしてまっとうな科学ではない──即ち異能の力であるならば、当麻さんの幻想殺し(イマジンブレイカー)はジョーカーになる。

 

 

「………………」

 

「第二位、何かありまして?」

 

「ん? ああ、別に構わねえぜ。どのみち幻生を追い詰めてプチッと潰すのは変わらねえんだ。肉盾が増えようが減ろうが第二位(おれ)には関係ねえな。好きにしていろ」

 

「ハァ? なんですのその序列マウント。協調性の欠片もないですわ」「レイシアちゃん、気にしすぎです」

 

 

 垣根さんの煽りで瞬間発火するレイシアちゃんを宥めつつ、俺は改めて情報を整理する。

 

 ……タイムリミットは三時間。

 それまでに幻生さんが塗替さんの身体を使ってやろうとしている『何か』を阻止しつつ、当麻さんの右手で幻生さんの憑依を解除させなくてはいけない。

 立ち向かうのは俺達、当麻さん、徒花さん、垣根さん、フレンダさん、浜面さん。

 差し当っての問題は────、

 

 

「ところで、幻生って今どこにいるんだ? なんかめっきり足取りが掴めなくなっちゃったけど」

 

「そこなんですわよねぇ……」

 

 

 というわけで、六人揃ってうーんと唸ることに。

 いや、こうしている間にも多分『アイテム』とか『スクール』とか『メンバー』の下部組織の人達が頑張って幻生の足取りを追いかけているんだろうけども……。

 しかし、どうやって学園都市の上層部の監視を掻い潜っているんだろうか……。滞空回線(アンダーライン)があるのに。いやまぁ、幻生さんのことだしそんなの簡単に切り抜けてそうではあるんだけどさ。

 

 

《……あっ。逆に言うと、滞空回線(アンダーライン)さえ機能停止させちゃえば学園都市の監視網ってわりと簡単に潰せちゃう?》

 

《あ~、有り得ますわね。そういえばアックア戦のときに、大規模な爆発で滞空回線(アンダーライン)のネットワークが広域にわたって機能停止したときは、その余波で一学区分の情報が得られなくなったとかアレイスターがボヤいてたような気がしますわ》

 

 

 確かに、そんな描写があった気がする。『前の巻の根幹になってた要素を速攻で噛ませ要素にしてきたな!』ってツッコミ入れながら読んでたから印象に残ってる。

 しかし、となると幻生さんは特殊な仕込みをしているわけじゃなくて、天使の大出力でこのへん一帯の滞空回線(アンダーライン)をシステムごと落としたってことなんだろうなあ……。

 

 

「……ブラックガード嬢。ちょっと良いか」

 

 

 そこで、メイドの徒花さんが声を落として俺達に耳打ちしてきた。……皆の前では話しづらいことなのかな?

 

 

「木原幻生の『憑依』だが……本当に塗替の肉体に憑依しているなら、二つの魂を内蔵することによる『魂の強化』が行われている可能性がある」

 

 

 ッ!?

 

 

「徒花さん、それは……」

 

「ああ。()()()()()()()()()。……あの人造天使を見ているんだ。この街の『科学』が我々の領分と近似していても驚きはしない。問題視しないかどうかについては別だがな」

 

 

 徒花さんは魔術師の顔で忌々し気に吐き捨て、

 

 

「二つの魂が相互的に機能することで、その出力を強化するというのは魔術の世界でもままある。東アジアや南アジアで行われる獅子舞のような、『一つの器に複数の人間を入れて行う儀式』がその一例だな。ここまで言えば、ブラックガード嬢なら分かるだろう。()()()()()()()

 

「…………!」

 

 

 ま、さか。

 木原幻生は……まさか、人工的に俺達と……『レイシア=ブラックガード』と同じ状態になった、ってことか!?

 だが……、

 

 

「だが、魂の出力の強化というのはそんなに簡単な話ではない。ヒトの容量の中に蓄えられるチカラの総量というのは決まっているんだ。もちろん、その総量を誤魔化そうという研究も魔術サイドでは盛んにおこなわれていたが……」

 

 

 そんなに簡単な話ではない、ということは分かる。 

 だって、俺達が今こうやっていられるのだって、ステイルさんと神裂さんがインデックスの知恵を借りて護符を作ってくれたからなんだし。

 

 

「お前達のように『魂の許容量』が大きい特異体質というのは稀だ。それこそ聖人なんかよりもよほど貴重かもな。……お前が魔術サイドの人間であったなら、『魔神』を目指していたかもしれないくらいに」

 

 

 …………おおう。

 多分、徒花さんは科学サイドの俺達には魔神というものの価値なんか分からないと思って気にせず言ってるんだろうけどさ……。

 魂の許容量が高いのって、そんなに凄いことなの……? 魔神を目指すことが視野に入るレベルで……? そんな護符をしれっと作っちゃったの、インデックス……。じゅ、一〇万三〇〇〇冊の叡智……。

 

 

「ただのヒトの肉体でそれを再現しようとしたなら……そりゃあ肉体も破壊されるというわけだ。つまり、あの不良二人の言っていることには(プロ)の目から見ても一定の信憑性がある」

 

 

 ……なるほど。

 そこで話をまとめ始めた徒花さんを見て、俺は何となく彼女の言いたいことが分かった。

 

 

「だからブラックガード嬢。塗替斧令を守りたいという気持ちは汲むが……少し『待機』しておくのもアリだと進言する。三時間で完全に自壊するとしても、綻びが出るのはもっと早いはず。残り一時間程度になればヤツが隠密に使っている何らかの策も自然と失われて苦も無く制圧できるんじゃないか?」

 

「……いえ、それではいけませんわ」

 

 

 確かに、()()()()()()()()()()()それは最善手になるのかもしれない。

 

 

「わたくしは、木原を前にして楽観はしません。わたくし達にも見え見えの破滅を前に、彼が分かりやすいレールの先へ進んでくれるとは思えない。……自滅を待っていては、さらに性質の悪いカタストロフが顔を出すに決まっていますわ」

 

 

 それに、と俺は言葉を区切って、

 

 

「そのやり方では、塗替さんを助けたとしてもその肉体はボロボロになっているはずですわ。そんなやり方をわたくしは認めるわけにはいかない。……そしてそれは、幻生さんが破滅を回避するためにとる『何らかの方策』にしても同じこと。乗り捨てるにせよ、作り替えるにせよ、塗替さんの肉体には深刻なダメージが発生するはずですわ。その前に何としてでも幻生さんを倒す必要があります」

 

「…………建前が見え透いているな」

 

「さて、何のことやら」

 

 

 人間の肉体では扱いきれない力をどうにかするために幻生さんが何をするかは分からないが、どうせ『木原』印のろくでもないやり方なのは分かり切っている。

 そのためにも、まずは幻生さんの居場所を突き止めないといけないんだけど……、

 

 

 …………()()()()()()()

 

 

「…………あ」

 

 

 ……そうだ。

 なんで俺は気付かなかったんだ! 答えは……最初から目の前にあったじゃないか!! 人間の肉体では御しきれないなら、どうすればいいか。そのシンプルな回答が……!!

 

 

「ヤバいですわ……! 幻生さんの狙いが分かりました!!」

 

 

 人間の肉体では飛躍的に向上した魂の出力を受け止めきれないなら、どうすればいいか。

 

 受け止められる器を、用意してやればいいんだ。

 

 そしてその器は……あるじゃないか! 鉄の肉で作られた、お誂え向きの器が!!

 

 

「ドッペルゲンガーです!! 木原幻生は、彼女を己の器として狙うはずですわ! 馬場さん!!」

 

 

 噛みつくように、俺は携帯機器に叫ぶ。

 携帯機器の先では馬場さんがガサガサと資料を漁る音と共にこう言ってきた。

 

 

『くそ、人使いが荒いな……。ドッペルゲンガーと第三位の攻防については、T:GDを差し向けて追ってはいる。……連中、今は第二一学区にある天文台の方へ向かっているようだ』

 

 

 ……第二一学区の天文台? なんだか急に遠い場所に飛んだような気がするな。

 ともあれ、場所が分かったのなら急いで出発しないと──、

 

 

「ヤバいわ……!」

 

 

 そんな風に考えていた俺達だったが、先ほどの俺の台詞をなぞるようなフレンダさんの一言で、一旦思考が止まる。

 見てみると、フレンダさんの方は顔を蒼褪めさせ、目を泳がせまくっていた。……何がマズいの?

 

 

「第二一学区の……天文台! それって結局! 微細のアジトじゃないの!!!!」

 

 

 ……結局、微細って誰?

 

 そんな疑念とその場の勢いのせいで、浜面さんの『やっぱこうなるんじゃねえか……』という呻き声は、夜の闇に溶け込んでいった。




原作キャラ紹介

名前微細乙女
初出とある魔術の禁書目録SP 上条当麻編(通称『火星SS』)
設定
 学園都市の学生にして、研究施設『火星の土(マーズワールド)』の責任者。高校生くらいの少女。
 火星探査機に付着して火星にて突然変異を起こした『密着微生物』からメッセージを受け、『彼ら』を受け入れる為に研究をしている。
 『正史』においては彼らを受け入れる為のモデルケースとして、火星でも繁殖可能なほどの爆発的な繁殖力を持つ微生物を開発したことを外部の魔術師に危険視され、戦闘に。結果的に巻き込まれた上条当麻に敗北し、『火星の土(マーズワールド)』の微生物は消滅させられる。
 何気に新約四巻でも地の文にのみ登場している。『ナチュラルセレクター』の参加者の一人。
 『密着微生物』とは、繊毛の動きによってスプリング式コンピュータを再現した知性体。作中でも、『誰かの悪戯である可能性もある』と言われており、実在するかどうかは定かになっていない。

 なお、この世界線では天賦夢路(ドリームランカー)事件が早まって起きている為、まだ上記の事件は発生していない。


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九一話:美学の差

 そうして俺達は、第二一学区の天文台に向かった。

 

 第二一学区──というのは学園都市の水源を一手に担っている学区で、科学・開発上等を地で行く学園都市にあって、珍しく自然が多く残っている場所だ。大半が平地である学園都市では珍しく学区の大半が山岳地帯であることも特徴で、此処には自然公園や天文台がいくつもある。

 今回俺達が向かっている、『火星の土(マーズワールド)』もその中の一つだ。

 

 

《思い出してきたんだけどさ》

 

 

 移動中。

 『亀裂』の翼を使って皆を運搬している最中(垣根さんは『そんなもんお前がやればいいだろ』とあっさり拒絶した。途中までは上条さんのこと運搬してたらしいのに……)、俺は内心でレイシアちゃんにそう切り出した。

 

 

《微細さん……多分、俺前世で『読んだ』中にいたよ》

 

《え!? ほんとですの!? わたくし、心当たりがないのですが……》

 

《まぁ、苗字とロケーションだけ言われても分からないよね。俺も、火星の土(マーズワールド)って言われてようやく思い出したくらいだし》

 

 

 ──『とある魔術の禁書目録(インデックス) SP』。

 新約二巻が出たタイミングで突然発売されたことから、『絶対突然バードウェイが出てくると意味が分からないから出したんだろ!!』『なんでヒロインの初出を番外編でやるんだよ!!』と当時ツッコミを入れながら読んでいたので記憶に残っている。

 そしてこの中に──微細さんは敵として登場してきた。確か、なんやかんやでインデックスを攫ってきたので当麻さんの逆鱗に触れちゃったんだったと思う。よく覚えていないけど。

 確かあの回は、微生物が集まって一つの生命体みたいになってたような……。ええと、濃淡コンピュータ……は違うか。まぁこの世界、なんか色んな方式のコンピュータ理論が生体に応用されてるよね。

 

 

《……あ~、微生物の繊毛でスプリング式コンピュータをやるやつでしたっけ?》

 

《急に解像度が高い》

 

《操歯がそのあたりを研究していましたの。人間の脳のスペックをコンピュータで再現しようとするとスパコンが何台も必要になりますから、異なるアルゴリズムのコンピュータを色々模索していたと思いますわ。その中に、微生物の繊毛によって無数の並列演算を行う方式があったはず。採用されているかどうかまでは分かりませんが……》

 

《あ~……なるほどね》

 

 

 そういえば操歯さんと色々メールでやりとりする仲だったんだもんね。

 レイシアちゃんはさらに得意げに、

 

 

《ちなみに、わたくしもアルゴリズムの方式についてはちょっとアドバイスしたりもしましたわよ。分子コンピュータの仕組みについて色々と……。まぁ技術的な問題で残念ながら実現できませんでしたが》

 

 

 ふむ……。

 いやいや、こうして改めて思い返すと、そういえばレイシアちゃんはこれでも分子間力の分野では学園都市でも有数の研究者としての側面もあるんだったな。それはそうと、まだ実用化もされていないようなアルゴリズムをしれっと使わせようとするあたりは、いかにも当時の妥協を知らなさすぎるレイシアちゃんらしいね。

 

 

《……シレン。何か沈黙から失礼な気配を感じたのですが》

 

《なんだ、すぐ察せるくらいには自分でも自覚してるんじゃないか》

 

 

 がるるるるるる!! と機嫌を損ねてしまったレイシアちゃんはしばらくそっとしておいて、俺は能力の演算に集中する。

 垣根さんと俺達、二人とも超能力者(レベル5)の移動なので、元々第七学区から歩きで行ける第二一学区へはすぐだ。山岳地帯の山頂付近に建っている天文台の近くに降り立つと……、

 

 

「微細!!」

 

「セイ……ヴェルン……さん……」

 

 

 ──高校生くらいの少女だった。

 なんというか、コスプレをしているような印象だ。どこかの学校の制服のブレザーを着ているんだけど、まるで大人が着ているかのような違和感がある。

 プロポーションの問題じゃない。当人の醸し出す雰囲気が、あまりにも少女離れした妖艶さを備えているのだ。

 

 ただ──その少女、微細さんは明らかに誰かとの戦闘に敗北した様子で、あちこち傷だらけにしながら地に臥していた。

 フレンダさんが、一目散に駆け寄って彼女を助け起こす。

 

 

「誰がこんな……!」

 

「気を……つけなさい。『ヤツら』は……並みの戦力じゃどうにもならない。私も、火星の土(あそこ)を死守しようとして戦ったけど……死なないように身を守るのが、精一杯だったわ……」

 

 

 ……おそらくは、微細さんも暗部の住人。

 それも、フレンダさんと肩を並べられる程度の力量は持っている。そんな彼女でさえ、身を守るのが精いっぱい。その上であの深手だ。……確かに幻生さんはそのくらいの化け物ではあったけど──ん? ヤツ()

 

 

 ドバッオォォオオオン!!!! と。

 

 直後、天文台の一角がまるでウォータースライダーで飛び散る水飛沫みたいに軽々と撒き散らされた。

 

 

「な…………!?」

 

 

 最初俺は、それが幻生さんによる破壊活動だと思っていた。

 でも、すぐに気が付く。幻生さん一人だけなら、あんなド派手な破壊を行う必要はない。それに何より……、

 

 

「ごっ、がァァああああああああああああああああああッ!?!?!?」

 

 

 ──あんな風に血を吐きながら吹っ飛んでいる、はずがない。

 

 そう。微細さんは警戒すべき対象を『ヤツら』と表現していた。

 そして幻生さんは──誰を追いかけていた?

 

 

「おーおー、盛大にぶっ飛んだなあ! ナイスショーット!! ってかぁ? ぎゃははははは!!!!」

 

 

 瓦礫の向こう側から愉快気に顔を出したのは、顔面の半分に入れ墨を入れた、逆立てた金髪の男。

 木原──数多。

 

 それと、その傍に立つ少女機械──ドッペルゲンガー、もう一人の操歯さん。

 操歯さんは以前邂逅したときに身に纏っていた手術衣ではなく、何やら真っ白い材質の羽衣のような衣服と、同じ材質の巨大な槍を右手に持っていた。

 その肌は操歯さんのようなツギハギではなく自然な褐色。髪色も白一色となっていた。

 その姿はやはり、『魂の憑依』という事象とはかけ離れていて──、

 

 

「行くぞ木偶人形。性能確認は済んだ。とっととメルヘンジジイをぶっ潰してこっちの目的を済ませちまえ」

 

「………………了解」

 

 

 答えると、数多さんともう一人の操歯さんはそのままふわりと空中へ浮かび上がり、凄まじい速度で吹っ飛んで行った幻生さんを追って飛んで行ってしまう。

 ……流石に位置は分かっているけど、それにしても、もう一人の操歯さんが、あの天使レベルの出力を得た幻生さん相手に、どうやってあれほど優勢を保っているのだろう……?

 

 

「……やれやれ。まーたイレギュラーか。こりゃあそろそろ潮時だな」

 

 

 夜の闇へ消えていく二人を見上げながら次の動きを思案していると、後ろで垣根さんがそう言ったのを耳にした。

 まぁ、こうもイレギュラーが立て続けだといやになって来ちゃうよねえ。気持ちは分かる。

 そう思いながら振り返り、

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ──背筋が、凍り付いたかと思った。

 

 いつの間にか俺達から一定の間合いをとっていた垣根さんからは、肌がびりびりするくらいの『敵意』が放たれていた。

 

 

「おいお前ら。もう出てきていいぜ」

 

 

 垣根さんがそう言うと同時、物陰から三人の少女が歩み出てくる。

 一人は、深紅のドレスを纏った金髪の少女。

 一人は、ミリタリー趣味と山ガールが融合事故を起こしたようなツーサイドアップの少女。

 そしてもう一人が──

 

 

「操歯、さん!?」

 

 

 ──操歯涼子、その人だった。

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

九一話:美学の差 Dark_Hero / Villainess.

 

 

 


 

 

 

「……第二位。これはどういうことですの?」

 

 

 口から、唸り声みたいに低い声が出た。

 これは──レイシアちゃんの激情だ。

 

 

「ああ、心配するな。もちろん最初から最後まで説明してやるからよ。だがその前に──テメェら、馬鹿だろ」

 

 

 垣根さんは、開口一番にそう嘲った。直後、『亀裂』の解放によって発生した暴風がその身を襲うが──当然、これはただの未元物質(ダークマター)の一薙ぎで振り払われてしまう。

 

 

「おいおい、キレるなよ。だって仕方がないだろ? ……俺の目的、忘れたのかよ」

 

「…………、」

 

「俺の目的は幻生の頭の中身だ。その中にある人格励起(メイクアップ)関連の研究データを覗くこと。そのためにテメェらと行動を共にしていたにすぎねえ」

 

 

 …………!

 そうか。でも、塗替さんのタイムリミットのことが判明してしまったから、俺達は幻生さんを当麻さんの右手で強制的に退去させる方策にシフトしていった。

 それだと、垣根さんと利害が一致しなくなってしまうんだ……!

 

 

「もともと、操歯涼子(コイツ)はテメェから知恵を抽出するための人質にする予定だったんだがな。だが、テメェらの持っている研究データよりもあのクソジジイの頭の中に詰まっている情報の方が有用そうだ。ここらで使わせてもらうぜ」

 

「で、でも……! それなら当麻さんの右手に頼らない方法を考えればいいだけなのではなくて!? まだ時間はありますわ! 袂を分かつには早すぎます! もっと……!」

 

「おいおい。ご友人を人質に使われてなお融和路線かよ。こりゃ親船最中並のお花畑だな」

 

 

 俺は慌てて言うが、垣根さんは鼻で笑ってその提案を切り捨てる。

 

 

「幻生の野郎が無様に血反吐ぶちまきながら吹っ飛ばされるような『イレギュラー』がある状態でか? 言ったはずだぞ、潮時だって」

 

「…………!」

 

「状況が変わったんだ。そしてもう一度言うぜ、テメェら、動くなよ。俺は幻生の野郎がぶち殺される前に横からかすめ取ってでも情報を抜き取る。塗替斧令のことは──諦めろ」

 

 

 『もともと痛い目見せられたクソ野郎だったんだろ?』と適当そうに言う垣根さん。

 ……あの赤いドレスの少女、もしかしなくてもあの人は……心理定規(メジャーハート)さんだよな。

 クソ、あの人がいる状況じゃ、本当に下手に動けないぞ。上条さんだって右手で触れなきゃ洗脳はされちゃうんだ。こんなところで仲間割れを起こされたら、本当にたまったもんじゃない。

 

 

「…………ハァ、みっともないですわね」

 

 

 そこで、口が勝手に嘲りの言葉を吐いた。

 レイシアちゃんだ。……でも、先ほどまで感じていた激情はだいぶ薄れている。逆に口を突いて出てくる感情は、憐憫。

 

 

「んだと?」

 

「みっともないと、そう申し上げたのですわ。だってそうでしょう? 学園都市の第二位ともあろうものが、人質をとって『フリーズ!』ですのよ? 挙句の果てにそこまでやって出てきた言葉が単なる弱音と来ました! これをみっともないと言わずなんと言いますの?」

 

「テメェ……」

 

「アナタ、悪役向いてませんわよ。悪ぶり始めてからというもの、言動も行動も一切合切が薄っぺらすぎます。やめた方がよろしいのではなくて? この路線」

 

 

 それは、悪役令嬢(ヴィレイネス)としての矜持か。

 ……うん、それは俺にも同意できることだ。だって、垣根さんの『悪』は……この流れ方は、単なる諦めだ。仕方がなく選び取っている、消極的な逃げだ。

 俺は知っている。倫理的な善悪の話じゃない。法的な理非の話でもない。『世界との向き合い方』において──この世の全てに反逆するような不敵さで、俺のことを救い上げてくれた『悪役(ヒーロー)』を一番近くで見てきたから。

 

 

「……ハッ、まぁ、囀るくらいは許してやるか。確かにアキレス腱がこっちの手中にあるんだ。憎まれ口の一つも叩きたくなるってもんか」

 

「ああ、それと」

 

 

 レイシアちゃんは、今度こそ性格の悪そうな嘲りの笑みを垣根さんに向けて、

 

 

精神感応(テレパス)の弱点は機械。アナタ、部下の運用もわたくしに及びませんわね」

 

 

 そんな煽りの直後。

 ガバァッ!! と、物陰から飛び出した猫科動物を模した機械が、ドレスの少女の手から操歯さんを奪い返す。

 

 ──T:GD。

 馬場さんが遠隔操縦で操っている、博士製のロボットだ。

 

 

「ナイスですわ、馬場。流石ですわね」

 

『まぁ、このくらいはね。そっちが敵の注意を話術で逸らしてくれていたから大分簡単な仕事だったよ』

 

 

 ……あ、そっか。

 馬場さんは既にT:GDを使って天文台周辺にやって来ていたんだった。

 つまり、隠れ潜んで不測の事態に備えていたって訳か。そしてレイシアちゃんはそのことに気付いていたから、そこにあてこんで垣根さんを挑発していたと……。ぜ、全然気付かなかった……。

 レイシアちゃんの怒りがぐっと収まっていたのは、その為だったんだね。

 

 

「────ッ!!」

 

「……やめておきなさい。うっかり人質に当てちゃったら寝覚めが悪くなるし」

 

 

 反射的に手を構えたツーサイドアップの少女──『スクール』のスナイパーさんを、心理定規(メジャーハート)さんが抑える。

 …………さて、これで条件は対等になったぞ。

 

 

「……分が悪いわね。私は一旦退くわ」

 

「ふ、へへ……! 退く? 獄彩さんももったいないですねえ……! 親友と思う存分殺し(かたり)合えるというのに……!!」

 

 

 …………う、なんかめちゃくちゃな悪寒が……!!

 

 ともあれ、スナイパーさんが無能力者(レベル0)なのは把握済み。面と向かっているなら、狙撃対策の気流で銃弾の軌道をズラしてしまえば無力化できる。

 上条さんは狙撃を無効化はできないから、ここは早く彼女を倒して──、

 

 

 …………んっ?

 

 

 ──そう思考して気流を展開したのだが、にも拘らず、気流は俺の計算通りに動いてくれなかった。

 まるで何かに、捻じ曲げられたかのような……。

 

 

「おいおい。だから言ったろ。勝手に突っ走るなって。早速やられそうになってるじゃないか……」

 

「あら、誉望さん。お留守番なんじゃなかったでしたっけ?」

 

「…………俺は一応、お前の教育係だからな」

 

 

 そこにいたのは、ヘッドギアの少年。

 確か彼は、念動能力(テレキネシス)の持ち主だったはず。だとするなら、俺達の気流を歪められるのも納得だ。

 

 

「……確かに、完膚なきまでに心をへし折ってやったはずでしたが?」

 

()()()()()()()。確かに俺は一度垣根さんに心をへし折られた負け犬だ。今でも思い出しただけで震えが来るよ。だがな……能力に対する誇りまで捨てたつもりはない」

 

 

 ヘッドギアが、風に煽られたわけでもないのに不自然に揺らめく。

 まるで、誉望と呼ばれた少年の闘志をあらわしているかのように。

 

 

「負けっぱなしのまま、終わらせられるか。俺が下につくのは、垣根さんだけでいい……!!」

 

「ふぅん。誉望さん、珍しく熱血ですねぇ。でもわたくしも、せっかくの親友との逢瀬ですからぁ……」

 

「悪いが、お前の相手は私だ。護衛(メイド)としては、依頼主に変質者を近づけるわけにはいかんのでな」

 

 

 俺とスナイパーさんの間に割って入るように、メイド服の徒花さんが立つ。

 巨大なマクアフティルを盾のように構えている徒花さんは、こちらの方を見ずに言う。

 

 

「狙撃手は受け持った。ブラックガード嬢はあのヘッドギアを頼む」

 

「承知しましたわ」

 

 

 もとよりそのつもり。

 俺は、誉望さんの方へ向き直る。そして、最後のピース──。

 

 

「へえ。誉望のヤツ、意外と根性あるじゃねえか。さて……幻生を狙っているときに横から襲われても面白くねえし、まずはここでテメェらをさくっと叩き潰して、その後に幻生と行きますかね」

 

「…………………やらせるかよ」

 

 

 垣根さんの目の前に立ったのは、当麻さんだった。

 

 

「テメェが抱えているモンがどれだけ大きいのかは、分からない。テメェにだって救いたいヤツはいるんだろうし、それがテメェをそこまで焦らせているんだってことも分かる。……でも、テメェのやり方を認めるわけにはいかない」

 

「じゃあ、どうする? 学園都市の第二位を前にして、妙な右手を持っているだけのテメェが」

 

「殺すよ。お前の幻想を」

 

「やってみろ」

 

 

 言って、垣根さんの身体が宙を舞う。

 三対の白い翼を大きく広げ、学園都市の第二位は幻想的な光景を描き出しながら、

 

 

「テメェの右手(じょうしき)なんざ、俺の幻想には通用しねえよ」

 

 

 白濁し白熱した純白の殺意を、ただ振り下ろした。



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おまけ:第X章 世界を彩る純白の絵の具 ①

 ──その一閃は、まさしく確殺を意味しているはずだった。

 

 

「…………コイツも防ぐかよ、その右手」

 

 

 バギン!! と。

 直後、振り下ろされた白翼の一つが粉々に砕け散る。しかし、破壊はそれだけでは終わらなかった。

 

 

「な!?」

 

 

 破壊の波及。

 どういうわけか、一拍空いて三対の翼の全てがバラバラに砕け散ったのだ。一瞬にして丸腰になった垣根は、ただ右手を頭上にかざすだけだった一人の少年を見据える。

 音速を超える一撃を、ただの右手一つで跡形もなく消し飛ばした──化け物。

 

 

「気に入らねえな」

 

 

 垣根は舌打ちし、吐き捨てるように呟いた。

 滲み出た怒りの感情は、己の絶対の自信に瑕をつけられたからか、あるいは。

 

 

「その右手があれば、この俺を潰せるとでも? ──随分、この街の闇をナメていやがると見える」

 

 

 ズバァ!! と、一拍置いてまたしても三対の翼が展開された。

 だが、今度は上条を直接狙うことはしない。一薙ぎで散った無数の未元物質の羽毛が、放物線を描いた後で雨のように上条へと降り注ぐ。

 上条もそれをただ見ているだけではない。右手だけでは防ぎきれないことを悟るや否や、すぐさま駆け出して未元物質の雨の致死圏から逃れる。

 だが、垣根はそれを見ても笑っていた。

 

 

「解析するまでもねえな。幻想を殺す右手だと? ……右手を介してでしか何もできねえような雑魚が粋がりやがって。テメェを料理する方法なんざ、こちとら億万以上も取り揃えてるんだよ!!」

 

 

 ゴバッ!! と散った未元物質の羽毛が収束し、再度一つの翼として集結する。

 そして三対の翼が空気を叩くと、垣根の姿が一瞬にして掻き消え、そして上条の眼前へと移動した。

 

 

「異能しか、消せねえんならよおッ!!」

 

 

 垣根の移動に対応できない上条の腹に、垣根の蹴りが突き刺さる。肺の中の空気が一cc残らず絞り出され、上条の身体がくの字に折れ曲がるが──ここで止まれば、次に来るのは未元物質による死の一撃だ。

 内臓が不気味な音を立てて軋むのも構わず、上条はがむしゃらに垣根の脚を両腕で抱え、そして引き倒す。

 

「な……コイツ!? 怯みやがらねえ……!?」

 

「エリート様よ。路地裏の喧嘩は初めてか!?」

 

 

 バランスを崩した垣根は、動揺から態勢を崩し、上条への一撃を逸らしてしまう。

 その間に上条は垣根の上に跨り、垣根は攻撃に備えて両腕を上げてガードするが──上条が攻撃したのは、未元物質の方だった。

 

 

「…………テメェの能力は六本の翼の形状をとっているが、それぞれが別々のものってわけじゃねえ。御坂の『砂鉄の槍』が何本に枝分かれしようが根っこのところで一本化しているように、先端が分かれているだけで結局は一つの大きな能力なんだ!!」

 

 

 こことは違う歴史において、垣根は将来的に異能の分割管理という技能をマスターすることになる。

 だがそれは、能力の噴出点を複数設置できると認識するようになったことによるところが大きいと言えるだろう。現時点の垣根帝督にとって、未元物質は己から出力するもの。その前提があるからこそ、未元物質は常に翼の形をとっていたのだから。

 

 例外としてはレイシアの白黒鋸刃(ジャギドエッジ)があるが、これは彼女の能力が設置型であることが大きい。

 飛行時、彼女の『亀裂』が翼のような形態をとっているのは、そうするのが気流制御的に都合がいいというのと、『小説』にて多くの超能力者(レベル5)が『翼』を能力で形成していることを無意識に反映したものであり、あれ自体は厳密にいえば翼でもなんでもない。

 

 

「だからさっきは翼の一本に触れただけですべての翼が散った!! 幻想殺しによる連鎖破壊から逃れるためには、テメェはいちいち翼を分割して一旦制御を放棄しなくちゃならねえんだ!!」

 

「それがどうした…………無能力者(レベル0)ォ!!」

 

 

 ぐん! と垣根は勢いよく上体を起こし、上条の額に頭突きを食らわせる。思わず仰け反った上条を突き飛ばすと、垣根はそのまま立ち上がり、上条の顔面目掛け勢いよく足を振り下ろす。

 上条は思い切り身体をひねり、地面を転がって振り下ろされた脚から逃れるが──垣根の連撃はまだ終わらない。立ち上がった上条が見たのは、垣根の背中から三度三対の白い濁流が吹き荒れているところだった。

 

 

「喜べ、ペテン師。テメェのメッキ、学園都市第二位がじきじきに剥がしてやる」

 

 

 上条の背筋にチリチリとした嫌な感覚が走る。

 その感覚に従い、上条は考えるよりも先に眼前に右手を掲げた。直後、上条の右手に幾つもの光線が叩き込まれた。

 

 

(……ッ!? 能力が変わった!?)

 

 

 起きる現象に混乱している暇はない。先ほどまでの攻防によって発生した天文台の瓦礫の山に転がるように飛び込む。

 そしてその一瞬で、上条はとある光景を見ていた。

 

 

(…………光を打ち消したあと、飛び込む直前に見た垣根の翼は──完全に消えていた。あの攻撃には翼を使い捨てる必要がある……とかじゃないと思う。おそらく……光を通して、翼にまで幻想殺しの効果が波及したんだ)

 

 

 魔術に対して右手を使ったときには、何度か見たことのある光景である。

 たとえば、先日上条が戦った『女王艦隊』の中では、氷の鎧が振り下ろした棍棒に右手で触れただけで直接接着されているわけでもない氷の鎧本体までがバラバラに砕け散ったことがあった。

 あのときは、『異能の力によって変化し続けている』氷の鎧は破壊されたのに対し、『異能の力によって変化が終了している』船の壁については右手で触れても効果がなかった。

 つまり──未元物質による攻撃は、その能力によって現象を変質させているというより、未元物質を溶け込ませるような形で現象を『作り替えている』のだと考えられる。

 だから、光を通して本体である未元物質まで連鎖して消滅しているのだ。

 だが……。

 

 

(そんなの、アリか!? それってつまり、ありふれたそよ風に未元物質を溶け込ませるだけで不可視の殺人気流に変化させることだって可能ってことだろ!?)

 

 

 それは即ち、無限の手数を意味する。

 

 

「そろそろ気付いたかよ。……俺の未元物質はこの世に存在しねえ新たなる素粒子を生み出し操るってもんだ。まだ見つかってないとか、理論上存在するはずとか、そんなチャチなモンじゃあねえ。正真正銘、この世に存在しねえ新物質だよ」

 

 

 バッサア!! と垣根の翼がはためいたのが、音だけでも感じ取れた。

 

 

「そして、この世の物ではない素粒子が溶け込んだ世界は、この世のものではない挙動をする。光に溶け込めば殺人光線になるし、気流に溶け込めば得体の知れねえ暴風に早変わりだ。それから──こんなことだってできるんだぜ」

 

 

 垣根がそう言うが早いか、上条が身を潜めている瓦礫からボコボコと異音が発生した。

 素粒子の浸透。変質。そこから連想される現象に、上条は一瞬にして喉が干上がった。

 

 

「う……うおォぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!?!?!?」

 

 

 咄嗟に右手に頼らなかったのは、完全なる勘だ。

 ボコボコという異音から想像される攻撃が、一点集中というよりは爆発のような無差別の攻撃だったというだけ。

 だが、そのインスピレーションはこの土壇場において上条の命を救った。

 

 ゴバッ!!!! と。

 上条が飛びのいたと同時、上条が身を潜めていた瓦礫が火山のようにひと塊になって膨れ上がり、そして赤熱した溶岩をその場に撒き散らした。

 ──火山そのものが一つの『異能による現象』だとしても、飛沫ひとつひとつは分かれている。仮に右手で防ごうとしていたなら至近で飛沫を全身に浴びて黒焦げになっていたことだろう。

 最速で回避行動をとった上条にしても、無傷で終われたわけではなかった。

 

 

「……っがァァああああああああああ!?!?」

 

 

 爆発のような噴火が引き起こした爆風によって煽られ、上条は地面を転がる。背中が焼けるように熱かった。焼けつくような痛みに思わず絶叫しながらも、()()()()()()()()()()()()に対し上条は極限状態の安心を抱く。

 

 

「ほっと一息吐いてんじゃねえぞ。超能力者(レベル5)の戦いに安全地帯なんてあると思うな」

 

 

 声に視線だけで反応すると、そこには翼を振り上げている垣根の姿。おそらく、翼による直接攻撃ではなく、周辺の物質を変質させることによって攻撃を繰り出そうとしているのだろう。

 ここから上条が避けようが右手を翳そうが、関係なく破壊しつくせる一撃を。

 

 

「────ッ!!」

 

 

 咄嗟に、上条は地面の砂を掴んで垣根目掛け投げつけた。

 

 

「……あ? テメェ馬鹿か。ンなもん今更目潰しにもなるわけねえだろ」

 

「誰が目潰しにしたなんて言った? テメェの能力は周辺の物質に素粒子レベルで浸透し、その性質を変化させるんだろ」

 

 

 上条は伏せたまま言う。

 だがそれは、痛みで立ち上がることすらままならないからではない。

 

 少しでも、『それ』から身を遠ざける為だ。

 

 

「なら……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 

 直後。

 

 垣根の眼前で、六角形の結晶が突然拡大する。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「こ、いつ……ッ!? まさか、未元物質の現象を無鉄砲に引き起こそうと……!?」

 

 

 結晶との距離は垣根の方が近い。音速を超える速度で防御に回された翼だったが、発生した現象は上条の言った通り平等な物理現象。つまり、平等に垣根にすら牙を剥きうる。

 三対の翼のうち二対を防御に回し、もう一対の翼によって空気を叩いて高速移動を行うが──それでも完全なる回避には至らず、垣根は吹っ飛ばされながら翼を使って空中で姿勢を整える。

 

 そして。

 

 数メートルほど吹っ飛ばされつつも翼の防御を解いたときには、上条は当然の如く結晶を右手で打ち消し、その場から離れていた。

 ……まんまと逃げおおせられた垣根は、忌々し気に舌打ちを一つ。

 

 

「……いつもなら逃げる相手は追わねえでそのままにしておく主義なんだがな。特別だ。テメェは死ぬまで追い詰めてやる」

 

 

 あるいはそれが敵の思惑なのだとしても。

 その思惑ごと踏み越えて、勝利を見せつけるのが──『第二位の戦い方』だ。

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

おまけ:

  第X章 世界を彩る純白の絵の具 ①  

Dark_Matter.

 

 


 

 

 どさくさに紛れて身を隠した上条は、現在、天文台の地下に潜り込んでいた。

 ドッペルゲンガーと木原幻生の戦いによって破壊された天文台は成金趣味の調度品(中世騎士の鎧とか、だ)がそこらに散乱していたり、壁が無造作に破壊されたりしていたが……それ以上に、床にもヒビが無数に走っていた。

 まるでRPGの踏めば壊れる床のように、歩行そのものが緊張感となるような空間で、上条は逃げる為というよりも思考の時間を稼ぐ為に奥へと足を進めていく。

 

 ひとまず垣根から距離をとった上条だったが、結局のところ突破口は一切見えていなかった。

 未元物質の現象に触れれば一旦は翼ごと異能を消せることは分かったが、最初に使われた未元物質の雨や、先ほどの溶岩の噴火のように『無数の固体状の粒』を攻撃に使われれば、右手にしか効果のない幻想殺しでは対応ができない。それに加え、能力者自身の高速機動。

 おそらく超能力者(レベル5)としてのプライドで肉弾戦には意図的にブレーキをかけているのだろうが、もし仮に肉弾戦メインで戦っていたなら、今頃上条は惨めに地面に這い蹲っていただろう。それくらい、圧倒的な差があった。

 

 

(…………いや)

 

 

 そこで、上条は思う。

 

 確かに彼我の実力差は明確だ。学園都市の第二位の能力は強大で、上条ひとりではとてもじゃないが敵わないように思える。

 だが……それならば何故、実際にそうなっていない? もしも下馬評通りの戦力差があるならば、当然の流れで上条は負けていないとおかしい。

 ならば、そこには下馬評とは違う『何か』があるはずだ。

 

 

「オラぁ!! 此処くらいだよなあ隠れられる場所なんてのは!!」

 

 

 そこまで思索を進めたあたりで、建物全体が揺れた。

 上条が天文台に身を潜めていることを悟った垣根が、建物自体に攻撃を仕掛けている音だった。

 

 

「クソ……ッ!? 天文台そのものを倒壊させるつもりか!? 瓦礫に埋められたら、幻想殺しで防ぐどころの話じゃなくなってくるぞ……!?」

 

 

 まだ未元物質攻略の糸口は見えていないが、ここで生き埋めになってしまってはすべてが水の泡だ。

 殆どやけくそのように上条は天文台の外に出ようとして──そしてもう一度、建物全体が揺れた。

 最初、上条は自分がこけたものと思った。

 地面を踏みしめたはずが、足裏には地面の感触はなく、不思議な落下感があったからだ。

 それがこけたのではなく──()()()()()()()()のだと気付いたのは、自らの足元に『先』があったからだった。

 

 レイシアの仲間の一人が言っていた言葉を思い出す。

 

 

『第二一学区の……天文台! それって結局! 微細のアジトじゃないの!!!!』

 

 

 アジト。

 その言葉に、違和感がなかったといえば嘘になる。

 この天文台は観光用に一般客にも開放されており、人が頻繁に入る。特にこの頃は火星から正体不明の電波が発信されたとか何とかでただでさえ利用客が多いのである。つまり、アジトにするには人通りが多すぎる。

 もちろん、それを逆用してあえてアジトとして起用しているという理屈も成立するが、その場合アジトは一般客が絶対に入れないように厳重なセキュリティを仕込む必要がある。たとえば、利用客が入れないようなところに入り口を設置しておくとか。

 だがそんなことをしても、所詮は壁一枚、床一枚を隔てた程度でしかない。たとえば何者かの破壊なんかを食らえば──不幸な少年がそこに落下してしまう可能性は、否定できない。

 

 

「う、おォぉおおおおおおおおおおッッ!!!!」

 

 

 下はざっと五メートル。落下すれば足元は無事ではいられない。極限状態で、上条は咄嗟に着ていた学ランを脱ぎ、とにかく乱暴に振り回す。

 すると、建材から飛び出た鉄骨の破片に学ランが引っかかる。ビギィ!! と学ランを振り回した右腕に落下の勢いがのしかかり、鈍い痛みが発生するが──引き換えに、上条の落下の勢いは著しく減速した。

 なんとか地下アジトに降り立った上条は、学ランを着直しながらあたりを見渡す。

 崩落の影響で、そこかしこに瓦礫は転がっているものの──基本的には堅牢なつくりをしているようだ。

 

 円柱状に地下をくり抜いたような形状の地下研究施設の側面には螺旋階段が二つ配置されており、その上部に出入り口が配置されている。

 普段は強固な施錠がされているであろう二つの出入り口だが、この衝撃の為か施錠は破壊され、両側からも出入りができるようになっていた。

 もっとも、天井には大穴が空いている為、飛行ができる垣根であれば当たり前のように出入りできそうなところだが。

 

 

「ここは……、えっと、確か『火星の土(マーズワールド)』……だったか?」

 

 

 その名の由来は、すぐに分かった。

 地下研究所の中央部。上から降り注ぐ瓦礫によって破壊されてはいるが、そこにはだいたい教室一つ分くらいの面積の丸い領域に、赤茶色の──火星の大地が広がっていたからだ。

 まるでスタジオのセットか何かのような空間は、おそらく火星の環境を再現した実験場なのだろう。今は、全ての機能も停止しているようだが……。

 

 

(……いや。瓦礫の崩落によって破壊されたにしては、破壊が大きすぎる。俺達が此処に来る以前に、此処でも戦闘が起こっていたのか……?)

 

 

 上条の予想を裏付けるように、何やら試験管が幾つも設置されている実験器具のような機材の中からは、幾つかの試験管が抜き取られた形跡があった。

 おそらくドッペルゲンガーや木原数多が、この研究施設の成果を何らかの目的で抜き取ったのだろう。それが何のためかまでは、上条には分からないが。

 

 

(…………一応、レイシアの友達? の馬場って人に連絡しておくか)

 

 

 上は一刻を争う状況だが、一方で上条達の戦いは『此処が最終ラウンド』ではない。垣根帝督率いる『スクール』を撃退しても、その後に木原幻生や木原数多、ドッペルゲンガーなどに対処して、塗替斧令を救わねばならない。

 いや──他にも放っておけないものはあるが。

 ともあれ上条は携帯電話を操作し、馬場に連絡をかける。ちなみに、馬場とは以前の祝賀パーティの際に男二人で大変居心地が悪かったタイミングがあり、そこで連絡先を交換していたのだった。ガラケーであることをバカにされまくったが。

 

 上条が、そんな風にある意味悠長に支度を整えていた、ちょうどその時だった。

 

 ゴ、ゴン!!!! と。

 

 世界が、再び大きく揺れ出した。



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おまけ:第X章 世界を彩る純白の絵の具 ②

「な、んだ……!? ついにここまで攻撃が……!?」

 

 

 通話を開始しつつも思わず身構える上条だったが、ぱらぱらと落ちてくる天井の欠片に、身構えている場合ではないと思いなおす。

 もう、このままだと此処が崩落するのも時間の問題だ。早いところ脱出しなくては──

 

 上条が壁に設置された螺旋階段の方へ足を伸ばした、その瞬間だった。

 

 ゴコン、とひときわ大きな天井の欠片が、不幸にも上条の足元に降ってきたのは。

 その欠片が上条の脚を傷つけることはなかったが、代わりに上条の足元に転がっていたカプセルのようなものを破壊する。

 ボファ!! と、そのカプセルの中にしまわれていたと思われる粉末が、勢いに乗って拡散する。

 

 

「ッ!! まずッ」

 

 

 上条は反射的に両手で口を抑えた。

 彼の脳裏にまず去来したのは、この粉末が何らかの薬品である可能性。ここは表沙汰にはできないような研究をしている研究所である。つまり、そこで研究されているモノも合法でない可能性が高い。

 そんな研究所にある薬品だ。上条が警戒するのも無理はない。まず口元を覆い隠して吸引のリスクをなくそうとするのは、当然の発想だった。

 

 だが、それだけに『回避』が遅れた。

 

 先ほどと同じように、崩落した天井の欠片が幾つか降り注ぐ。

 そして。

 

 ズッパァァァァン!!!! と。

 直後、上条は全身を同時に殴られたような衝撃を受けて数メートル吹っ飛んだ。

 

 

 上条は知る由もないことだが──

 

 この研究所の主である微細(びさい)乙愛(おとめ)は、衝撃の伝播する方向性をある程度制御する応力誘導(ストレスコンダクタ)を武器としていた。

 この能力はいわば自分が発生させた衝撃専用の一方通行(アクセラレータ)のようなもので、殴打の反作用を打ち消したり、殴った衝撃をより深く狭く伸ばしたりといったことができる。

 彼女はこの能力の汎用性をさらに上げる為に、『伝導粉』と呼ばれる衝撃を伝導しやすい性質を持つ粉末を空中に散布し、それに対し攻撃を行いさらに能力を使うという戦術をとっていた。

 

 彼女のアジトである火星の土(マーズワールド)にはこの粉末がそこかしこに配備されており、有事の際に彼女の戦闘を補佐する仕掛けとなっていたのだ。

 だが、この時は()()()()──

 

 

「ぐ、あァァああああああああッ!?」

 

 

 上条は顔面を抑えて、その場でのたうち回る。通話をかけていた携帯もその場に転がるが、それどころではなかった。

 何せ、欠片とはいえ数メートル上からの落下による運動エネルギーが無差別に伝播して顔面──感覚器の集中した場所に満遍なく直撃したのだ。

 全く覚悟なくその激痛を味わった上条は、数秒間前後不覚にならざるを得なかった。そして、相手もそれを待ってくれはしなかった。

 

 

「…………なんだ、そんなところにいやがったのか。かくれんぼはいい加減おしまいにしようぜ」

 

 

 天井に空いた大穴から。

 

 破滅を呼び寄せる天使が、顔を覗かせた。

 

 

「…………ッッ!!!!」

 

 

 一瞬で喉が干上がった。

 この状況、垣根が翼をはためかせるだけでおそらく螺旋階段は跡形もなく倒壊する。もし螺旋階段が倒壊すれば上条は上階に昇る方法を失うし、そうなればなぶり殺しの憂き目にあうほかなくなる。

 いや。そんなまどろっこしいことをせずとも、たとえば垣根が現象の変質に頼らない暴風を浴びせるだけで、地下研究所は乱気流に巻き込まれ、上条も中でピンボールのようにめちゃくちゃに吹っ飛ばされるだろう。

 そうすれば『伝導粉』も当然滅茶苦茶に撒き散らされ、その中で上条は挽肉になるに違いない。

 

 逃げの一手を打とうとすれば、その未来は確実に来る。

 

 かといって、今垣根帝督は上条の上方十数メートルの位置にいる。上条の拳はせいぜい目の前一メートルの人間を殴打することくらいしかできない。

 文字通り手の届かない状況で、上条は──

 

 

 ──咄嗟に近くにあった『伝導粉』のカプセルを、垣根目掛けて思い切り投げた。

 

 

「……んだ、この研究所で作られた毒薬か何かか……? くだらねえ、こんなもん──」

 

 

 それが『伝導粉』であるとは知らない垣根は、苛立たしげに呟きながらカプセルを未元物質の翼で叩き、

 

 

 ボッゴン!! と『伝導粉』が衝撃を伝播しながら拡散した。

 

 

 並の能力者であれば今の一手で完全にノックアウトできているところだが、上条は垣根がどうなったかは一切確認せず螺旋階段の上を駆け上がる。

 これまでの攻防で、上条には今の一撃程度で垣根を倒せないという確信めいた予感があった。

 その証拠に。

 螺旋階段を駆け上がるたびに響く無機質な鉄の足音に急かされながら、上条がようやく一階に戻ると──そこには、頬に殴打の跡を残しながらも平然と立つ垣根の姿があった。

 

 

「面白れえ玩具を引っ張り出してきやがったな。衝撃を伝導しやすい性質を持つ粉末……か。確かに不意打ちで食らわせれば、未元物質の攻撃力をそのまま俺が食らうことになる。だが、こうは考えなかったのか?」

 

 

 そして垣根帝督は笑みを浮かべる。

 今まで上条には見せたことのない性質の──肉食獣のような獰猛な笑みを。

 

 そこで上条は気付いた。

 

 

 ──風を感じる。

 

 

 地下から出たとはいえ、ここは天文台の中のはずだ。屋内であり、山の中を駆け巡る風は本来なら感じないはずだ。

 そう。此処が屋内であれば。

 

 

「…………嘘だろ、建物全体が揺れている……とは思っていたけど……!」

 

 

 天文台は、根こそぎ『消滅』していた。

 

 

「粉末よりも先に俺の周囲を満たしている未元物質によって、その性質が捻じ曲げられていた──ってなァ!!!!」

 

 

 垣根の激高が号令となったかのように周囲を漂う粉末の残りがビデオの巻き戻しのように明らかに不自然に凝縮され、一つの塊となる。

 そして。

 

 

「異能を打ち消す右手だろうが何だろうが、所詮は人体のパーツの一部だろ。音速を超えちまえば反応できねえんじゃねえの?」

 

 

 ズッドンッッッ!!!! と、まるで大気全体を布団叩きのように乱暴にはたいたような爆音と共に。

 超電磁砲(レールガン)の三倍程度の速さで、上条に殺到する。

 

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

おまけ:

  第X章 世界を彩る純白の絵の具 ②  

Dark_Matter.

 

 


 

 

 

「………………なんでだ」

 

 

 確殺の一撃により、敵を葬った後の勝ち誇ったセリフを放つはずだった垣根の口からは、動揺の言葉が漏れていた。

 超電磁砲(レールガン)の三倍の速度で撃ち出したはずの一撃は、衝撃波だけで人間など容易く薙ぎ倒されるはずだった一撃は──右手を翳した少年一人倒すことができずに、打ち消されていた。

 

 

「何故防ぐことができる!? ただの右手で!! それ以外に特別な能力なんて持っていねえくせのお前に!!!! なんで第二位の一撃がこうも易々と防がれるんだよ!?」

 

「……やっぱりだ」

 

 

 激情を吐き出す垣根に対して、上条は何も答えなかった。

 ただ、彼は自分の中の疑問の答え合わせをしていく。

 

 

「ずっとおかしいと思っていた。最強過ぎてすぐに戦いを終わらせてしまうせいで喧嘩慣れしていない第一位と違って、きっとこの街の中でずっと戦い続けていたテメェはプロとして、かなりの戦闘経験を持っていたはずだ」

 

 

 きっと、金髪にグラサンのあの胡散臭い少年のように。

 

 

「そんなテメェが、今この状況に至っても俺一人倒せてない。それ自体が、極大の違和感だったんだ」

 

 

 『プロ』と『素人』の壁は、分厚い。

 一度はその壁の前に膝を突いた上条だからこそ、分かる。レベルの差など問題じゃない。本気でやると決めたプロの意志は、技術は、素人がその場の思いつきでどうにかできるようなものではない。たとえ一瞬は拮抗できたとしても、すぐに当たり前の地力の差で押し流されてしまう。

 にも拘らず、垣根帝督は何故、素人である上条当麻を未だに始末できていないのか?

 

 

「テメェは、ずっと本来の手札を封じられ続けてきたんだ」

 

 

 上条は、そう断言する。

 

 

「たとえば、未元物質を使って空から一方的に俺を攻撃していれば? たとえば、高速移動で常に俺の死角に回って攻撃していれば?」

 

 

 それは、いわゆる反則だろう。そんなことをされれば上条の勝機など一ミリもなくなる。

 だが、プロとはそういうものだ。反則だけをかき集めて一つの戦術としてまとめあげたような、そんなモノを当然のように振るうのが上条の知っている『プロ』だ。

 ならば、垣根がその戦略を選び取らないのには、合理的に説明のつく理由が存在することになる。

 

 

「……くだらねえ。そいつはただ俺が、テメェの能力を打ち消す右手に未元物質だけで打ち勝ちたいと思ったから縛りプレイしてただけで、」

 

「それにしてもだ。そんなの、能力でも同じことだろ。能力を打ち消されてもすぐに能力を再発動して攻撃していれば、俺は右手で防御に集中するしかなくなるし、いずれは物量に磨り潰されていたはずだ」

 

 

 確かに、未元物質を溶け込ませた現象を打ち消すと、大本となる未元物質も同様に打ち消されてしまう。

 だが、それはあくまでも打ち消すだけだ。発現に制限を加えるような効果は幻想殺しにはない。つまり──。

 

 

「未元物質は、意図しない強制終了のあとはすぐ再発動できない。そういう制約があった。そうなんだろ」

 

 

 未元物質の問題。

 

 

「考えてみれば当然の話だ。世界のどこにも存在しない新物質を生成して操る能力? その異物が組み込まれた世界の挙動を丸ごと演算する? ……そんな凄まじい能力に、何の負担もないわけがないだろ。幻想殺しで能力が強制終了された場合、そんな膨大な演算もまとめて強制終了することになる。そんな負荷を受けて、間髪入れずに再発動なんかできるわけないだろ」

 

 

 演算負荷を抜きにしても、己が絶対の自信を置いているはずの能力が打ち消されているのだ。分かっていたとしても精神的なダメージは蓄積されていくはず。そういう意味でも、徐々に悪影響は発生していくに決まっている。

 だからこそ、垣根は能力による攻撃を躊躇い、出し惜しみしていた。

 だからこそ、第二位は単なる無能の高校生を今まで殺せずにいた。

 

 

「飛行しているときに俺の右手で翼が消されれば、よっぽど高いところを飛んでいない限り再発動する前に地面と激突するし、高速機動中に打ち消されれば生身のまま制御を失っておろし金みたいに地面で肉を磨り潰されてしまいかねない。そりゃあ、滅多に使えねえよな」

 

 

 つまり。

 

 

「だからテメェは、もっともらしい理屈を並べてさっきは俺のことを運ぼうとしなかった! おそらく、幻生と戦うときにでも俺に能力を使おうとして解除されて、その時幻想殺しの危険性に気付いたから!」

 

 

 垣根帝督は、目の前の無能力者にビビっていた。

 

 

「……だったらどうした」

 

 

 すべてを見抜かれ。

 己の弱気すらも暴き立てられた垣根は、しかし口元に笑みを貼りつけたまま言う。

 

 

「テメェだけが攻略側だなんて思ってんじゃねえぞ!! こっちだってその右手の弱みは分かってるんだ! テメェの能力を打ち消す効果は右手首の先にしか宿っていねえ!」

 

 

 言葉と同時に、三対の翼が無数の羽根箒となって周辺に散らばる。

 それは当然上条の右手にも触れて打ち消されるが、『分割』されている羽根は一つ一つが打ち消されても全体が消えたりはしない。

 

 

「羽根の雨で攻撃したとき、テメェは防御じゃなくて回避を選んだ。つまり制御を分割した未元物質はまとめて消されることはねえ! そして──」

 

 

 ボコボコと。

 羽根が触れた地面が、異音を立て始める。

 

 

「『噴火』。テメェはコイツを受け止めたりはしなかった。この攻撃も、テメェの右手だけでは受けきれないから有効だったと考えられる。つまり、だ。テメェの右手が追い付かねえ数の『噴火』を! テメェめがけてぶちかませば!! テメェが何をしようと確実にブチ殺せるってことだろうがッ!!!!」

 

「…………!!」

 

「ようやく蒼褪めたかよクソったれ。テメェの解析なんざ、とっくに終了してんだっつの」

 

 

 土壇場。

 次の行動が己の生死を分かつその局面で──上条は、猛然と目の前へと駆けだした。

 垣根は一瞬息を呑む。が、すぐに笑みを浮かべ直し、

 

 

「なるほど。未元物質で歪められた現象は誰にでも平等だ。つまり、俺との距離が近づけば攻撃に自分自身も巻き込まれる可能性があるって? ナメていやがるな。俺は歪めた現象を利用しているんじゃねえ。()()()()()()()()

 

 

 分割に使った残りとなる一対の翼を蠢かせ、垣根は構える。

 たとえ上条との距離が近づこうが、噴火の巻き添えにならないように。

 だが、上条の行動は垣根の予想の外にあるものだった。

 

 上条当麻は──地面に触れていた。

 

 垣根はそれを見て上条の行動を鼻で嗤う。

 

 

「ハッ! ちまちま『噴火』を一つ一つ潰そうって? 涙ぐましいなあオイ! だが無駄だ。未元物質の分割はテメェの処理能力を計算に入れて行った。テメェが全力で『噴火』を潰して回ろうが、」

 

「誰がテメェの能力を打ち消しているって言った?」

 

 

「…………あ?」

 

 

 そして、気付く。

 未元物質の感覚が、消えていないことに。

 垣根は己が支配下においている未元物質の所在は感覚で分かる。そして右手で打ち消されれば、その感覚が消滅するので当然分かるのだ。だが……上条が地面を触れたタイミングで、感覚の消滅はなかった。

 それどころか、上条の触れた場所には未元物質も『噴火』も存在していなかった。

 

 

「もっと言えば、さっきの『粉』もテメェへの攻撃の為に仕掛けたわけじゃねえ。……こういうとき、アイツは透明なヤツを使うからな」

 

 

 『伝導粉』の残りがまだかすかに漂う地表周辺。

 真っ白い粉塵の中に描くようにして、透明の『亀裂』が浮かび上がっていた。

 

 

 ──レイシア=ブラックガードの気流操作とは、『亀裂』で作り出したいわば『繭』による真空を解除することで発生する空気の流れを精密にコントロールすることで実現している。

 レイシアは現在も戦闘中であり、積極的に助力を乞うことはできないが──ロボットによって遠隔で状況を見ている馬場の視点から上条の戦況を伝えれば、レイシアであればそこに『亀裂』の繭を設置する程度の気は利かせてくれる。

 上条は、それに賭けた。そしてその確認の為に伝導粉を投げつけていたのだ。純白の絵具で、『亀裂』の繭を彩る為に。

 

 

「馬鹿な、そんな都合のいい──!!」

 

「都合がいいもんか。テメェは知っているはずだぞ。レイシア=ブラックガードっていう女の子の人格を。自分の大切なものを傷つけやがったクソ野郎を、それでも救いたいって言える、そんなお人好しの女の子のことを」

 

 

 上条は脳裏に二人の少女の表情を思い浮かべながら言う。そして、そんな少女達が守ろうとしていた一人の男の横顔も。

 幻想殺しが、『亀裂』に触れる。

 解除された『亀裂』によって、暴風が発生する。そして上条はその暴風に載せるように、地下研究所から回収していた伝導粉のカプセルを乗せて──

 

 

「アイツの幻想を、俺は守る!!」

 

 

 ズッパァァァァン!!!! と。

 

 

 暴風に載せられたカプセルに、咄嗟に垣根は翼による防御を試みたようだが──分割し一対しか手元に残らなかった翼で撒き散らされる粉塵を完全に防ぐことなどできない。

 殆ど完全に粉塵を浴びた垣根は、そのままノーバウンドで数メートルも吹っ飛んだ。

 

 

 ──噴火は、起きない。

 垣根が意識を飛ばしたことによって、分割された未元物質も全て解除されたのだ。

 それを見届けた上条は、歩いて垣根の傍らに近寄る。仰向けに倒れた垣根の背からは、もう翼は伸びていなかった。

 

 

「ふう……。何とかなったか。とりあえず、あとは他の二人の応援に行くか……?」

 

「いいや、その必要はねえぜ」

 

 

 下を見る暇もなかった。

 ボッ!!!! と、上条の身体は未元物質に叩かれていともたやすく宙を舞う。

 

 上条が死ななかった理由は単純だ。距離が近かった、ただそれだけ。翼の操作によって叩かれたのではなく、単に発現したときの勢いで吹っ飛ばされただけだから生き残れた──そんな不幸中の幸いによるものだった。

 もしもそれがなければ、上条の上半身は今頃血煙になっていただろう。

 

 

「ごっ……がァァあああああああああああああああ!?」

 

 

「……何も知らねえ表のクソガキが。黙って聞いてりゃあ噴飯モノのご高説を垂れ流しやがって。テメェが正義のヒーローぶってやっていることが、林檎の救われる道を断っているんだと何故分からねえ!?」

 

 

 垣根帝督は、立ち上がる。

 おそらく全身にくまなく暴風や未元物質の運動エネルギーの伝播を浴びて、もう立ち上がることすらできないはずなのに。それでもなお、彼は気力だけで立ち上がる。激痛すらも乗り越えて、脳をフル稼働させる。

 

 

「仕方ねえじゃねえか……。この街の闇の中じゃ、何かを救うのに何の犠牲も払わねえなんて、そんなことは土台不可能なんだよ!! より自分にとって必要なものを選び取り、他を捨てる。そういう風にして生きていかねえと、本当に大切なモノまで失っちまう。そういう風に、この街の闇はセッティングされていやがるんだよ!!!!」

 

 

 その言葉を聞いて、上条も立ち上がった。

 

 

「今まで表のぬるま湯の中で『ヒーローごっこ』をしていただけの甘ちゃんが、知った風な口聞いて何の罪もねえガキの未来潰して正義漢ヅラしてんじゃねえぞ……。代わりに死ぬのは悪党のクソったれなんだろ。ならいいじゃねえか! クソ野郎一人死んで善人が救われるなら、そんなもん誰も文句なんかつけねえだろ!! そのくらい妥協したって別に良いだろうが!!!!」

 

「…………ふざけてんじゃねえぞ」

 

 

 唸りを上げる猛獣のように、ツンツン頭の少年は呟いた。

 彼もボロボロだった。学ランは地下研究所に置きっぱなしだし、度重なる戦闘でその中に着ていたオレンジのポロシャツもすっかり煤けている。

 ダメージも膝に来始めていて、立っているのすら辛くなりつつある状況だ。

 

 だが、それでも上条当麻は折れない。

 

 

「テメェこそ、やりもしねえうちから勝手に諦めやがって。悪人だからいいじゃねえか? そのくらい妥協しろ? ……そんなクソったれな諦めに負けたくねえから、テメェはここまで必死こいて頑張ってたんじゃねえのかよ!!!!」

 

 

 牙を剥くように、上条は叫ぶ。

 一歩一歩踏みしめるように、彼は前に進んでいく。

 

 

「テメェ、そのみっともねえ理屈を林檎ってヤツにぶつけられるのかよ。『この街の闇の中では誰かを犠牲にせずにお前を助けることなんてできないから、代わりに誰かに犠牲になってもらいました』なんてクソくだらねえ無様な言い訳を、テメェを慕ってくれてる女の子にぶつけられるのかよ?」

 

「…………ッ!」

 

 

 垣根帝督の足が、一歩分後ろに下がる。

 おそらく、目の前の無能力者(レベル0)に気圧されて。

 

 

「テメェが言っていることは、つまりそういうことだ。情けねえ言い訳を口から垂れ流して、林檎ってヤツに全部押し付けているだけだ。……そんな行為を『救う』とは呼ばない」

 

「…………、……うるせえ」

 

「テメェがやっているのは誰かを救うことなんかじゃねえ。そんな耳障りの良い言葉を使って、『救う』って名目で逃げ道をなくして、救いたかったヤツに『誰かの犠牲の上に自分は生きている』っていう十字架を強制的に背負わせる、最悪の外道だ」

 

「……うるせえんだよ」

 

「この街の闇の中じゃ何かの犠牲なしでは誰も救えない? くっだらねえ。そんなのテメェの経験にすぎねえだろうが。俺は知っているぞ。テメェなんかよりもずっとずっと深い闇の中で戦いながら、大切なモノを守ってきたヤツらを。血反吐を吐きながら、嘘つきと呼ばれても、それでも自分の世界を守るためにボロボロになって戦った馬鹿な野郎を。たとえ拒絶されても、好きな女の為に使命も投げ捨てて、その周りの世界を守る道を託した男を。……そんなヤツらに比べれば、テメェの聖人君子ぶった理屈なんて屁だ。何の価値もねえ!!!!」

 

「うるせえって、言ってんだろこのクソったれがァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!!」

 

 

 前提が、無視された。

 脳髄を苛む激痛さえ無視して、垣根の背後から伸びる三対の翼が常識外れの伸長を行う。

 一気に数百メートル以上も拡張した翼を、垣根は怒りのままに振るう。もはやそれは、打撃ではなかった。その余波となる、単なる物理現象としての空気の流れ。それだけで、人を殺しうる。

 たとえ未元物質に右手で触れたとしても、『亀裂』を解除したときと同じように、きっと垣根を中心として暴風が吹き荒れるだろう。

 

 だが、それが分かっていても上条は止まらない。

 

 

「それでもテメェが、勝手に諦めているなら。自分で定義した常識(ぜつぼう)の中に閉じこもっているんなら」

 

 

 矢のように右の拳を引き絞り。

 

 

「まずは、その窮屈な幻想をぶち殺す!!!!」

 

 

 ──垣根帝督の顔面に、上条当麻の右拳が突き刺さった。

 

 

 


 

 

 

 当然、暴風は吹き荒れた。

 

 そしてその中心地にいた上条と垣根は、その暴風をモロに浴びて致命的なダメージを負う──はずだった。

 それを半ば覚悟していた上条を待っていたのは──ふわりとした柔らかな『何か』の感触だった。

 

 

「…………まったくもう。相変わらず、無茶をしますわね」

 

「お前らなら助けに来てくれるだろうと思ってたからな…………シレン、レイシア」

 

 

 数百メートルに及ぶ未元物質。

 そんなものを見れば、空間の収縮による暴風のスペシャリストであるレイシアならその危険性に思い至るはずだ。

 だから上条は、彼女の救援に賭けることができたのだ。いや、仮に救援が期待できない状況でも、上条は関係なく垣根を殴っていただろうが。

 

 

「……あ! そうだ! 垣根のヤツは!?」

 

「心配要りませんわよ」

 

 

 慌てて顔を上げると、垣根もまた別の誰かに回収されていたようだ。

 土星の輪のようなヘッドギアを身に着けた少年が、垣根を俵のように肩に担いでいる。どうやら継戦の意志はなく、そのまま撤退するつもりらしかった。

 

 

「……ああ、そうだ」

 

 

 そこで思い出したように、上条は顔を上げて言う。

 

 

「色々ありがとな、シレン、レイシア」

 

 

 返事は、真っ白な肌の頬を彩る薄い赤だった。




ようやく上条さんと垣根を戦わせることができました。


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九二話:二八万七五〇〇分の一の天才

「確かに、お前は超能力者だ」

 

 

 誉望さんは、まるで負けを認めるみたいに苦々しい表情で、絞り出すように言った。

 しかしそれが敗北宣言でないことは、目の前に立つ俺達が一番よく分かっている。だって目の前の彼の眼の光は──ただの負け犬には絶対に宿らない。

 アレは、今から逆襲してやろうって腹の奥底で下克上の炎を燃やし続けている、そんな人間にしかできない眼だ。

 

 

《危険、ですわね》

 

《あ、レイシアちゃんもそう思う?》

 

 

 自然と、俺達はさらに警戒を強めていた。

 今の彼は、あの時スナイパーさんと一緒に倒したときの彼とは別人と考えた方がいい。

 

 

「だが、それが勝敗を決めるわけじゃない。この戦闘の結果を確定するものでも、ない」

 

 

 何か数値で見える予兆があるわけじゃない。

 脅威度で言えば、頭数が減った分今回の方が下回っていると言えるのかもしれない。

 

 

《そりゃあもう。何せあの目は──》

 

 

 でも、そういうことじゃあないんだよな。

 

 

《──かつてのわたくしの眼と、同じですから》

 

 

 大能力者(レベル4)

 

 触れた固体に『亀裂』を走らせる能力。

 

 レイシア=ブラックガード。

 

 我武者羅で、無茶苦茶で、それゆえに他者を顧みず、しかし無鉄砲に一直線に上を見ていた時の、我儘な少女を思わせるような──そんな狂暴な勢いを伴っていた。

 

 

格下(レベル4)と、侮るなよ」

 

 

 確かに、あの時のレイシアちゃんは失敗した。

 だが、それはあの時のレイシアちゃんが無害だったという意味にはならない。むしろ失敗するような不安定さを持っていたからこそ、相対する者にとっては脅威だったはずだ。

 勝つことによって、己の強さを証明する。 

 その意思を固めて相対している彼はその為に我が身をも顧みない危うさがあるが──それは逆に、捨て身で窮鼠猫を噛む危機感を俺たちに与えていた。

 

 

「…………」

 

 

 俺達は耳に取り付けられた小型無線の存在を意識しながら、ぐるりと誉望さんの周囲を回るように飛行する。

 これは、間合いを図るためだ。誉望さんが高位の念動能力(テレキネシス)の使い手なら、まず間違いなく光学的な方法で自分の姿を偽装してくるはず。

 気流への干渉をしてくる以上、気流感知すらも誤魔化される可能性があるからな。周辺をぐるっと回って光学的な走査をしつつ、同時並行で気流感知もすることで誉望さんの出方をうかがっているわけである。

 あとはまぁ、時間稼ぎというか……。

 

 

「……どうした。来ないならこっちから行くぞ」

 

 

 誉望さんの言葉と同時に、地面が割れた。

 

 バギゴギベギバギバギ!!!! と、まるで地球が骨折しているかのような──なんて意味の分からない形容が脳裏をよぎってしまうような凄絶な音と共に、一本五メートルほどの『岩の槍』が十数本も誉望さんの周りを漂い始める。

 地球の周囲を回る月のようにぐるぐると回転していたそれは、やがてそれぞれが回転運動の速度を上げていく。

 

 

「確かに、大能力(レベル4)の出力には限界がある。どう足掻いても超能力(レベル5)には届かない。だが、それは別に俺に超能力(レベル5)並の一撃が繰り出せないってことにはならないんだぞ」

 

 

 言葉の間にも、『土の槍』の加速はどんどん上昇していく。

 あの速さは……音速も、軽く越えている!? バカな、そんな速さじゃ『土の槍』が自壊して……いや違う! 『土の槍』自体も念動能力で保護されているから、無茶な加速をしても大丈夫なんだ!

 

 ……いやいやいや、そもそも、あの加速はどういう理屈だ!? あんなの明らかに大能力(レベル4)の範疇を超えてないか!? 美琴さんのレールガンよりも加速してないか!?

 …………っ!!

 

 

 危険を感じた俺達が、高位次元を切断して『残骸物質』を発現した次の瞬間。

 

 大気全体を巻き込んだような揺れが、周辺一帯を襲った。

 

 ……念のため展開しておいた音波アーマーがなければ、多分今頃俺達の鼓膜は破れていたことだろう。『轟音』が音としてではなく空気の波として肌を叩く感覚。こんなもの、並の能力者が出せるものじゃない。

 

 そして──

 

 

「…………見失った……!!」

 

 

 おそらく、あの渾身とも思える攻撃が俺たちに防御されるのも計算づく。視界確保を兼ねた透明の『亀裂』では防御力が足りないから、視界を捨ててでも白黒の『亀裂』や『残骸物質』での防御をするように、俺たちのことを誘導していたのだろう。

 あのいやに時間をかけた加速も、きっとそれが狙いだと思う。

 

 

《……シンクロトロン、かな》

 

《……おそらくは。円形加速と同様に、念動能力(テレキネシス)による制御を部分化することでその分のリソースを出力に回したのでしょう》

 

 

 内心での呟きに、レイシアちゃんが補足してくれる。

 

 円形加速器(シンクロトロン)とは、ようは荷電粒子を加速するための装置のことだ。

 粒子の加速に合わせて電磁場をコントロールすることで、粒子を限りなく加速させることができる。

 この装置は粒子そのものを『動かしている』のではなく適切に『力をかけ続ける』ことによって実現している。この考え方を念動能力(テレキネシス)に応用すれば、確かに今のような際限ない加速を実現することもできるだろう。

 

 きっと、凡百の能力者相手ならこれだけでも切り札となりえる。

 だが、それを使い捨ての目くらましにしてまで、誉望さんは己の身を隠した。これだけで彼の本気のほどが分かるというものだ。

 

 

「…………なるほど」

 

 

 レイシアちゃんが、まず口を開く。

 

 

「光学操作で肉眼で自分の姿が見えないように隠れ、さらに気流操作で姿かたちが分からないように風も操って隠れ潜んで……狙うは『暗殺』、かしら。高位能力者らしからぬなりふり構わなさですわね」

 

 

 つまりは、そういうこと。

 全身全霊で俺たちの注意を一瞬逸らし、その一瞬をフルに使って完全な隠遁を行う。そのための一撃だったのだ、さっきのアレは。

 実際、お陰で俺たちは完全に誉望さんの姿を見失ってしまったわけだが……。

 

 

無能力者(レベル0)だって、知恵を振り絞れば超能力者(レベル5)に打ち勝てる。特にこの街では、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだ。今の誉望さんが、そのラインに乗っているなら……》

 

《……ええ。それはそれは『危険』でしょうね。しかし、シレン。忘れていませんこと?》

 

 

 と。

 

 そこでブワッッ!! と、超音速で『残骸物質』と衝突したことによって粉々の土煙と化した『土の槍』が、独りでに動き出す。

 ……いや、独りでに動いたわけじゃない。これは正真正銘、俺達の能力による操作だ。だが、別に気流を操ったわけではない。

 俺たちが操ったのは、もっと細かいもの。……音波。

 

 

《わたくし達だって、ただ黙って坐すだけのボスキャラクターではありませんわよ!!!!》

 

 

 レイシアちゃんは内心で俺にそう呼びかけながら、超音波による念動能力(テレキネシス)で莫大な土煙そのものを直接操作する。

 なるほど……! これなら気流による妨害を無視して直接空間に色付けを行える。そして、空間全体に色がつけば、必然的に光の歪みも明確化する。あとはそこを潰せばいいってわけだ。

 

 

「────見えましたわよッ!!」

 

 

 レイシアちゃんはそう言って、前方に人差し指を突き付ける。

 スローモーションの津波のように周辺一帯を押し流して広がる土煙の包囲網の一角。そこに人間大の大きさの空間の歪みがあった。

 その歪みは、ちょうど人間が走る程度の速さで近くの茂みに隠れようとしている。

 

 レイシアちゃんはニッと笑って、

 

 

「フン、なかなか惜しかったですわね。茂みの中ならば気流の複雑さから、ある程度不自然でもそこに人がいるとは分かりづらい。アナタの隠遁もより盤石だったでしょうが……わたくしの前では、遅かったようで、」

 

 

 ボバッッッッッ!!!!!! と。

 

 言葉の途中。

 まるで地雷が炸裂したときのように、俺たちの足元の地面が、ゼロ距離で『爆発』した。

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

九二話:二八万七五〇〇分の一の天才 Level_5.

 

 

 


 

 

 

「ハァ…………! ハァ…………! これで、どうだ……!?」

 

 

 土にまみれながら、誉望は穴の中から空を見上げていた。

 仕方がないとはいえ、先ほどから能力の多重運用が多すぎる。応用の使い分けについては頭の演算装置によって整理しているのでまだ何とかなっているが、それにしても頭脳の負担が大きすぎる。

 せめて、これで手傷を負わせられればいいのだが……。

 

 そう考え、能力で土煙を払った誉望は、そのまま即座に逃走態勢へと移行した。

 

 

「危ないところでしたわ。わたくしが『一人』であったなら、負けていたところですわね」

 

 

 天高く。

 白黒の翼を展開したレイシアは、そう言いながら危なげない表情で誉望のことを見下ろしていた。

 まるで、地の下を這う誉望に見せつけるかのように。

 

 

 ──読み合いにおいて、誉望はレイシアに勝利していた。

 

 誉望の作戦はこうだ。

 

 まず、シンクロトロンを参考にした念動加速力場(コライダー)を使って加速した『土の槍』を、レイシアにぶつける。

 威力だけなら第三位の一撃をも上回るが、この程度で裏第四位(アナザーフォー)を倒せるとは最初から思っていない。その真価は、副次的に発生する大量の『土煙』にあった。

 

 大量の土煙によって身を隠した誉望は、念動能力(テレキネシス)を使って地面に潜ったのだった。

 そして同時に、大量の土煙はレイシアによって逆用されるのも計算に入れていた。気流と目視、両方の索敵手段を奪われたレイシアが土煙によって空間を『色付け』する作戦に出るように誘導することこそ、土煙の真の目的である。

 あとは簡単。地上に適当な速さで茂みに向かう力場を展開してデコイとしつつ、自分は慎重に地下を掘り進めてレイシアの真下へ移動。あとは油断しきっているレイシアをゼロ距離で攻撃する──という算段だったのだが。

 

 

「クソ…………! 二重人格(ダブルフェイス)か……!!」

 

 

 シレン=ブラックガード。

 おそらくは、彼女のもう一つの人格が、常に一定の警戒を払っていたのだろう。まったく二重人格のセオリーを無視したふざけた体質だが、実際に彼女はそれで二重人格のセオリーを無視して能力を向上させ、超能力(レベル5)認定に至っているのだ。

 誉望の上司の言葉を借りれば──『常識など通用しない』というわけである。

 

 

「いいえ。二乗人格(スクエアフェイス)ですわ」

 

 

 逃走する間もなく。

 攻撃を防御され、想定外の事態にさしもの誉望も忘我していたその一瞬、隙だらけの誉望の横腹に、拳か何かと錯覚するほどの強烈な暴風が叩き込まれた。

 まるでボディブローがクリーンヒットしたときみたいに、誉望の体がくの字に折れ曲がる。

 

 

「ごぼっ…………ぐほ! ぐは! かはっ! はっ、はっ、かひゅっ……」

 

 

 たまらず地を転がり、レイシアから距離を取ろうとする誉望。

 しかし、レイシアも逃すつもりはないようだった。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 ドゴォッ!!!! と。

 誉望の腹に、少女のものとは思えない蹴りが突き刺さる。あっさりと誉望の体が浮き、そしてノーバウンドで数メートル吹っ飛ばされた。

 とっさに念動能力(テレキネシス)でガードしていなければ、腹の脂肪や筋肉を突き抜けて臓器や骨が破壊されていたことだろう。……もっとも、レイシアもガードされることを前提で放った威力ではありそうだが。

 

 

「…………一応念動能力(テレキネシス)の反応装甲を展開してたんだぞ……! なんでそんな涼しい顔してられるんだか……」

 

「なに、ただちょっと超音波のアーマーを展開していただけでしてよ。……というか、わたくしが素であんな威力の蹴りができるとお思いで? わたくし、第四位ではないのですが」

 

「……実質第四位だろうが。ややこしいな……」

 

 

 へっと笑いながら、誉望は立ち上がる。

 全身に痛みはあるものの、ここまで攻撃はある程度防げていた。まだ、戦闘は十分可能だ。

 つまり、通用している。

 もちろん、戦況は相手の方が優勢だ。だが、今回はこちらが攻撃を仕掛ける余裕すらあった。以前の戦いでは一方的に封殺されるだけだったものが、今は曲がりなりにも食らいつけている。

 差は縮まっている。誉望はそう確信する。

 

 

「──誉望、万化」

 

 

 そう思っていた誉望の思考は、目の前の敵が知る由もないはずの己の名前を呼ばれて一瞬だけ固まる。

 そして再起動する。一瞬という致命の間を、敵の前でさらしてしまった己の愚挙を悔やむ間もなく、誉望は己のダメージを軽減するために全身に力場の膜を展開するが──

 

 

「そんなに怯えないでくださいな、誉望さん」

 

 

 くすくすと、いたずらが成功した子供のように笑いながら、レイシアは地面に降り立った。

 先ほどまでの苛烈な戦闘者の笑みではない。見ただけで力が抜けてしまうような、そんな戦いとは無縁の人間の笑み。だが、それをこの局面で見せてきた違和感の方が、むしろそれまでの分かりやすい戦力よりも誉望に重圧を与えた。

 

 

「…………どうやってだ。どうやって、暗部の中でも屈指の情報強度を誇る『スクール』の人員の情報を抜いた?」

 

「さて、どうやってでしょう。ただ、好き勝手に情報を手に入れられるのは第五位の専売特許ではない……とだけ」

 

 

 ──それはつまり、人の頭を覗く手段を持っている、ということか?

 

 想像して、誉望は喉が干上がったかと思った。

 覚悟を決めて挑んでいなければ、喉が張り付いたような感覚で呼吸すらできなくなっていたことだろう。

 とはいえ、目の前の超能力者(レベル5)はこの機に畳みかけて戦況を確定するつもりはないらしい。誉望も少しでも時間を稼ぎたいという利害の一致から、下手に動かず会話を続けることにした。

 ……それに、仮に戦闘を再開するにしても、自分の思考を読んだ(ように見える)カラクリを暴かないことには、自分に勝機などないことも分かっていた。

 

 

「もっとも、下世話なのであまりやりたくはなかったのですが……。どうも、そうも言っていられないようでして」

 

「……どういう、ことだ?」

 

 

 すっかり雰囲気に呑まれつつある誉望に対し、レイシアは笑いかけるようにこう返したのだった。

 あるいはそれは──降伏勧告か。

 

 

 

「垣根帝督。アナタの上司ですが、いよいよ負けそうですわよ、ということです」



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九三話:才能の奥で輝くもの

「な…………ッ!!!!」

 

 

 その一言が与えた衝撃は、誉望の思考を少なからず空白に染めるのに余りあるものだった。

 とはいえ、心のどこかで納得していた部分もある。それほどまでに、垣根と戦っていたツンツン頭の少年は、誉望にとっても計り知れない存在だった。

 己の能力を打ち消されたときの衝撃は、今も思い出せる。もしもアレが未元物質(ダークマター)にも有効であれば、『もしかする』だろう。

 だからこそ、真実かどうかも本来は不明瞭、むしろ嘘である可能性が高い発言を、誉望は真っ直ぐに受け止めることができた。

 

 そしてそのうえで、

 

 

「…………だからどうした。リーダーがダウンしたから俺が退くとでも思ったか。……逆だよ、逆。第二位が敗北した少年? そんなの、叩き潰すに決まってるだろ。だってソイツをぶっ潰せば、少なくともその勝敗においては、俺は第二位を上回ったって言えるんだからなぁ!!」

 

 

 なお、誉望は状況を挑戦的な感情に変換する。

 根本的に、誉望は己の能力に対して絶対の自信を持っていた。それは完膚なきまでに叩きのめされ、トラウマを植え付けられた垣根以外に対しては等しくはたらく。

 だからこそ、『汎用性においてキャラが被る』というだけの理由で学園都市の第二位に喧嘩を売れたのだが。

 

 そんな誉望に、しかしレイシアは眉根を寄せるようにして、

 

 

「ですが、アナタだって──」

 

 

 ──何かを言いかけた、その直後だった。

 

 レイシア達の戦闘が繰り広げられている地帯より数百メートル離れた位置。

 『火星の土(マーズワールド)』が地下に隠されていた天文台のある方から、純白の巨大な翼が立ち昇ったのは。

 

 

「な、んだ……!? アレ……!!」

 

「…………嘘でしょう……!? まさかあれほどの……覚醒ですの!?」

 

 

 レイシアが口走った言葉は、第三者から見ればフィクション的な出力の向上をさしていると認識されるだろうが──違う。

 実は、旧約一五巻において、一方通行(アクセラレータ)の黒翼に呼応する形で、垣根はさらに自身の能力への理解を深めていた。その際にはさらに強大な翼をふるっていたはずだ。

 上条に追い詰められたことで、今回それが偶発的に発生したのではないか──レイシアはその危険性を考慮しているのだった。

 もっとも、今回に関してはそのような事態ではなく、単に蜜蟻愛愉が莫大な激情によって一時的に能力を暴走させたときのような状態に近いのだが。

 

 

「……! 誉望さん、アナタはどうしますの!」

 

「ど……どうって、どういうことだ!?」

 

「アレですわよ! あんなものを出すということは、当麻さんは十中八九健在! というかさっきわたくしが用意しておいた『亀裂』を解除していらっしゃいましたから確実に健在ですわ!」

 

「お、おま……い、いつの間に……?」

 

「長話をしている最中ですわ」

 

 

 つまり、アレはこちらの思考を揺さぶろうとしている──というより、上条のサポートをするための時間稼ぎをするためだった、ということなのだろう。

 思わぬところで真実を知って愕然とする誉望を周回遅れにするような形で、レイシアは続ける。

 

 

「問題は! 当麻さんへの危機ではありません! 当麻さんであればあれくらいの能力は問題なく消せるはず。ただ……あれほどの質量の物質の消失。どう考えても、超強大な暴風が周辺を席捲するはずですわ」

 

「…………そしてその暴風を、あの少年は防ぐすべを持たない。同様に能力を打ち消された垣根さんも……そういうことか」

 

 

 盤面が見えてきたからか、誉望は落ち着きを取り戻しながら、咀嚼するように言った。

 そして、今度は嘲る様に、

 

 

「そりゃあ残念だったな。確かに垣根さんは俺たちのリーダーだが……悪いが、俺はあの人のことを守ろうと考えるような人間じゃない。あの人だってそうだ。この街の闇では、誰であろうと替えが効く。代替できる。あの人が死ねば、今度は俺が『スクール』のリーダーを引き継ぐだけさ」

 

「へえ。あの弓箭……という方も、同様に見捨てるというわけですか」

 

「……、なんだ? 何が言いたい?」

 

「誉望万化。大能力(レベル4)念動能力(テレキネシス)。数年前に石英コネクタ技研に能力の演算ロジックを一部提供した。……が、その後研究所にて事故が発生。暴走した能力によって、被験者二名は微粒子レベルまで分解されて大気中に散ってしまった」

 

「…………お前、それは」

 

 

 誉望の表情が、変わる。

 それまでの単純な戦慄や恐怖とは違う。もっと深いものに踏み込まれた衝撃に。

 その表情を見て、レイシアはゆっくりと表情を歪める。一般的にそれは、嘲笑と呼ばれる形の笑みだった。

 

 

「その前の段階で垣根帝督には敗北していたようですが、『スクール』加入は事故後と。おかしいですわね? 垣根帝督に敗北してそのまま『スクール』に加入したなら話は分かりますが……石英コネクタ技研の事故後に、『スクール』に加入していますわね?」

 

「……何が、言いたい」

 

「アナタは目的を持って『スクール』に加入した。そもそも、でもなければトラウマになるほどの恐怖の対象と同じ組織にいたいとは思わないでしょう。アナタの能力なら、死を偽装して逃げるなり、方法はいくらでもあるはずですわ」

 

「何が言いたいって言ってんだよ、テメェ!!!!」

 

 

 ゴッッッ!!!! と。

 激情をあらわにするように、『力』がレイシアを叩くが──それは白黒の『亀裂』によってあっさりと防がれてしまう。

 そこでレイシアは僅かに沈黙した。

 そして、切り替えるように小さく呟く。

 

 

「(……『掘り起こし』は終わりましたわ。詰めはおまかせします)」

 

「…………助けたかったんでしょう。『彼女』達を」

 

 

 一歩。

 レイシアは誉望との距離をゆっくりと詰める。

 

 それは、彼女の『正史』の記憶があればこそできる推測だった。

 

 ──実は彼女は、別に誉望の記憶を読み取ったわけではない。白黒鋸刃(ジャギドエッジ)にそんな能力はないのだから、当然だが。

 彼女は単に、彼女と通信を繋げていた馬場から目の前の敵に対する情報を集めていただけである。確かに暗部の中でも『スクール』の情報統制は凄まじい。だが同じく暗部の情報網を持ち、『木原』に関する情報すら抜ける馬場ならば、彼の能力から『表』の時代の研究関係を調査することは容易だった。そして彼が『表』から消え去ったタイミングを重点的に調査すれば、彼が『スクール』に加入する動機についてもある程度検討がつく。

 

 『スクール』。『小説』における彼らの行動指針には、『ピンセット』と呼ばれる微粒子を観測する装置があった。

 そして彼が関わった石英コネクタ技研では、被験者が能力の暴走によって微粒子となって拡散してしまっていた。

 

 その二つに関連性を見出そうとすれば──彼が『スクール』に加入した動機はなんとなく察しが付く。

 『ピンセット』によって、拡散してしまった被験者の微粒子を回収すること。それが、誉望の目的だと考えるのが妥当であろう。

 なお、レイシアは知らないことだが、ドレスの少女──獄彩海美もまた学園都市との直接交渉権を目当てに垣根に協力している状況であり、スナイパーの弓箭猟虎も親船最中暗殺の役割を期待されていた節があることから、そもそも『スクール』は垣根が統括理事長との直接交渉権を獲得するために人員を集めていた組織である節がある。

 そうした意味でも、誉望が『ピンセット』回収の為の要員であり、そこに彼の目的があるというのは最も確率の高い可能性である。

 

 

「…………違う。ふざけるんじゃないぞ。俺は、俺はただ……許せなかっただけだ! 自分の能力が関わった実験が失敗して、被験者が微粒子になって拡散するなんて……そんなの、俺の経歴に傷がつくだろ! それが許せなかった、ただそれだけで……!」

 

「だったらなんで」

 

 

 短く切った言葉で、誉望の言葉はあっさりと止められてしまう。

 それで止まるほどに、誉望の言葉には迷いが生じていた。

 

 

「だったらなんで、アナタは弓箭さんを庇うようにこの場に現れたのです? わたくしにやったような『暗殺』であれば、身を隠して油断したわたくしを狙っていた方が得策のはず。アナタが己の経歴のみを考える冷酷な性格なら、彼女は自分の目的の為に見捨てるのが普通ではなくて?」

 

「…………、」

 

 

 そして、距離はゼロになる。

 互いに触れ合えるような距離で、レイシアはふと、表情から険をとる。

 

 

「この提案に意味はありません」

 

 

 それでありながら、レイシアはばっさりと、いっそ突き放すように言う。

 

 

「アナタがわたくしの手を取らずとも、わたくしは構わず二人のもとへ向かいます。そして、必ず救います。ですから、アナタが私の手を取ろうが取るまいが、現実には変わらないのかもしれない。その上でアナタの中に残っている善性に対して提案します」

 

 

 レイシアは、ゆっくりと手を差し伸べながら、

 

 

「誉望万化。()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 ──答えは、荒々しく掴み取った手で返された。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

九三話:才能の奥で輝くもの Talent.

 

 

 


 

 

 

 正直、めちゃくちゃ感情移入してしまっていた。

 

 相手の弱点を探るために馬場さんにお願いしていた調査の一環で浮かび上がってきた、誉望さんの過去。

 俺たちはそれを聞いて……このままにしてはいけないという気持ちを強めていたのだった。

 確かに誉望さんは暗部の人間で、これまでいろんな人たちを殺してきた悪人だ。でも、更生のチャンスはいつだって用意されているべきだと思う。かつてレイシアちゃんや塗替さんがそうであったように。

 

 だから、何とか話ができる状態で戦闘不能にして、塗替さんのことも含めてなんとかならないか話し合えないかと思っていたんだけど……。

 そんな時に、あの超巨大な翼だ。一刻の猶予もないと判断した俺たちは、まずレイシアちゃんの舌戦で誉望さんの心のガードを下げてもらって、その上でなんとかこっちが推測できる材料をもとに説得をしてみたのだが……結果として、なんとか、本当になんとか誉望さんと手を取り合うことができた。

 まぁ、この程度で誉望さんが更生できたなんて思うほど、俺は甘っちょろくないけどさ。でも……確かに手を取ることができたんだ。この経験は、誉望さんにとっては大きな一歩なんじゃないかと思う。

 今すぐには無理でも、これから起こるであろう暗部抗争で、こういう小さいところが何か影響をもたらしてくれればいいんだけど……。

 

 

「…………チッ。何だよ結局色ボケじゃないか…………」

 

 

 ……うん、現実逃避はそろそろやめようか。

 

 分かり合えたはずの誉望さんは今、俺達に対して絶対零度の視線を投げかけているのだった。いやいや、かなり厳しいものがあるよ。うん。

 

 そう──未元物質(ダークマター)の強制消失によって吹っ飛ばされかけた上条さんの回収には間に合った俺達だったのだが、その上条さんは今、俺達の胸に顔面をうずめているのだった。

 いやいやいや、カッコイイやりとりをすることで何とか誤魔化していたんだけど……恥ずかしいよ、これ。しかも空飛んでるからすぐ手放すわけにもいかなしね……。上条さんが吹っ飛ばされた直後でまだ気づいていないのが不幸中の幸いだ。気付かれる前に下ろしておかないと。

 

 

 ……ええと、『亀裂』を空中に展開して、そこに上条さんを下ろして……

 

 

「ん? そういえばこの柔らかいクッションは……」

 

「あ゛っ」

 

「う、うおおおおああああああああああああ!?!?!?」

 

 

 ぎゃ!? 当麻さん、暴れないで!!

 咄嗟に離れようとした当麻さんをうっかり取り落としそうになり、俺は慌てて態勢を立て直そうとして──

 

 バギン、と。

 

 暴れた拍子に動かした手が、偶然『亀裂』の翼に触れてしまったのだろう。

 推進力を失ったことで安定を失った俺と上条さんは、そのまま上条さんを下にして自由落下を開始してしまう。

 

 ──まずい!!

 慌てて真下に『亀裂』の道を展開し、落下の被害を最小限に抑え──うおっ!! 右手が『亀裂』に触れそうに!?

 

 慌てて俺は上条さんの右手を両手で覆いこみ、『亀裂』に触れないようにする。

 

 ……よし。『亀裂』は……消えてないな。危なかった……。さすが上条さん。ただの不幸のせいで危うく落下死するところだった。

 

 

「…………なあ。そろそろ俺、帰っていいか?」

 

 

 そこで、心底あきれたような声色の誉望さんの声が聞こえてきた。

 いやまぁかなりコメディだったので、呆れられるのはやむなしかな……。と考えたところで、俺はふと今の自分の態勢に思い至った。

 

 条件一。俺たちは『亀裂』の道の上にいる。

 

 条件二。もともと俺の胸元に顔面をうずめる形だった上条さんと俺は、向かい合う形でいる。

 

 条件三。落下時の体勢変化により、上条さんは俺の下敷きになっている。

 

 条件四。俺は上条さんの右手が『亀裂』に触れないよう、両手で右手を覆い込んでいた。即ち、両手で受け身をとっていない。

 

 

 これらの条件を入力した結果、何が出力されるか。

 

 ……そう、胸で顔面を圧し潰される上条当麻、という絵面だ……。

 

 

「かっ上条さん!? 申し訳ありません!! 大丈夫ですか!? 頭とか打って……」

 

「べ、べぶびば、ぼべぼび……びび、びびば……」

 

「ちょっと喋らないでくださいましくすぐったいですわ!!」

 

「…………なあ、マジで帰っていいか? なんかちょっと悲しくなってきたんだけど。この状況で垣根さんがもし目を覚ましたら、俺どういうリアクションすればいいんだ?」

 

 

 そんなこんながありまして。

 

 

「…………誉望さん」

 

 

 上条さんに『亀裂』を消されないように右手を掴んだまま上条さんを助け起こしてあげたりして、俺達は改めて誉望さんと視線を向ける。

 対する誉望さんは、すでに垣根さんを抱えたまま踵を返そうとしているところだった。

 

 

 

「あ! おい、お前……」

 

 

 事情を知らない当麻さんは慌てて誉望さんを呼び留めようとするが、誉望さんは疲れたように溜息をついて、背中をこちらに向けたまま言う。

 

 

「撤退だよ。大将がやられているんだ。これ以上抗戦したってダメージが広がるだけだろ。……だが、木原幻生の記憶は諦めない。紅林檎のこともあるが、ヤツの『遺産』には貴重な情報が転がっているだろうからな」

 

「そうですか。何か協力できることがあれば、言ってください。わたくしにできることなら手伝いますわ」

 

「…………、クソったれ」

 

 

 それだけ吐き捨てて、誉望さんは垣根さんを抱えたまま飛び去ってしまった。

 彼が弓箭さんを見捨てるとも思えないから、おそらくはひとまず垣根さんを安全な場所に置いておくか、どこかで待機している心理定規(メジャーハート)さんに預けたんだと思うけど……。

 

 ……あ、そうだ!! 弓箭さん!!

 

 こっちの戦闘は終わったし、徒花さんと弓箭さんの戦闘に加勢しないと!

 慌てて俺は耳元の無線通信を呼び起こし、馬場さんへ連絡を取る。

 

 

「馬場さん、徒花さんの状況はどうなっています!?」

 

『あ、ああ。それが……少し、というかかなり想定外の展開になっていて……』

 

 

 馬場さんの口ごもり方は、そのまま彼の困惑を示しているようだった。

 そして馬場さんは、幾つかの事実を俺たちに伝え────

 

 

 

「はぁ!?!?!? な、なんで『あの人たち』が…………此処に!?」

 



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おまけ:舞台裏の英雄達

「馬場さんっ。こちらのデータはまとめ終わりましたよっ。次は何をすればいいですかっ?」

 

 

 跳ねるような言葉遣いの少女に問われ、馬場はゆっくりと椅子を回転させてそちらへ視線を向けた。

 目の前に立つのは、カチューシャをした青緑がかった黒髪の少女。

 前髪をカチューシャでまとめているので、額を大きく出しているのが特徴的だ。

 彼女はこのGMDWの副長の一人で、仲間からは『燐火様』と呼ばれていた。

 

 

「……ああ。もうレイシアとシレンは戦闘態勢に入ったからな。この後は相手の情報を調べて弱点を探すことになるだろう。あーっと……誉望、と呼ばれていたっけな。あれほどの高位能力者なら、『こっち』に来る前にも研究で成果を残しているだろう。あのヘッドギアとかあからさまだしな……。念動能力(テレキネシス)関連の研究データを調べてもらえるかい?」

 

「はいっ! 分かりましたっ。……ふふっ」

 

 

 馬場の指示に頷いた苑内は、そこで唐突に笑みを零した。

 リーダーが戦闘態勢に入ろうかというときに見せる表情ではないと、馬場は少しだけ怪訝そうな表情を浮かべる。その表情の変化を見咎められたと解釈したのか、苑内は慌てて居住まいを直して、

 

 

「し、失礼しましたっ。そのっ、頼りになる方だなとっ……」

 

「…………そうかい。そりゃあ僕もヤキが回ったってもんだ」

 

 

 馬場は自嘲気味に笑うと、自分の持ち場へ戻っていった苑内を横目に見て盛大な溜息をついた。

 

 

(……なんだって俺が、こんな脳内お花畑のお嬢様どもの面倒を見ているんだろうな……。ほんと。頼りになるだって? お前ら、いつも超能力者(レベル5)の──あのレイシア=ブラックガードの庇護下にいるんだろ。俺程度の『頼り』なんか、いつでも感じられるだろうに)

 

 

 しかし、低い自己評価とは裏腹に、この場は馬場のはたらきによって回っていると言っても過言ではなかった。

 馬場を含めたGMDWメンバーの役割は、暗部の情報網によって吸い上げた情報の精査と分析である。

 暗部の情報網と言ってもレイシアの指揮下に入った段階で違法性のある手段は封じられているのだが、それでも『表の学生』が知っていては不都合な情報というものはままある。

 馬場は、それを吸い上げる段階で整理し、『GMDWが知っても問題のない情報』のみを渡し、精査させていた。

 

 もちろん、そんな手間をかけるくらいなら馬場一人でやった方が良いのは間違いない。

 何せ彼は先日の大覇星祭において、常盤台の競技出場選手全ての能力を調査し、その弱点まで洗い出したほどの情報分析能力を備えているのだから。その処理能力の高さは、複数のロボットから見聞きした情報を瞬時に精査し、狙いの情報を獲得できるほどである。

 これを特別な機械なしの生身でできるのだから、馬場もまた、能力だけで言えば無能力者(レベル0)でありながら暗部の『一軍』にいる『化け物』の一角と呼んでいいはずなのだが……。

 

 

「…………さて、こっちは少し余裕が出てきたな。どれ、徒花のヤツの対戦相手の方でも調べてみるか……。確か、あっちの方は弓箭とか呼ばれていたっけ?」

 

「あら、何見ていやがるんですか?」

 

「うわっ」

 

 

 耳元から突然聞こえてきた声に、馬場は咄嗟に椅子を横にスライドして飛びのく。

 そこにいたのは、先ほどいた苑内と同じくGMDWの副長である刺鹿夢月だった。

 実は、馬場は彼女のことがけっこう苦手である。そもそもが熱血キャラなので馬場とは趣味が合わないというのもそうだし、そこはかとなく男嫌いのケがある彼女はデフォルトで馬場への当たりが若干キツイというのもあった。

 もっとも、彼女の方は明確に馬場のことを嫌っているわけでもなく、こうして平然と接してくるのだが。

 

 

「コイツは……徒花さんと敵対していやがる人ですか。……ん? でもなんか……見覚えがありますね?」

 

「は? 見覚え?」

 

 

 刺鹿としては何気ない一言だったのだろうが、馬場はそれを聞き逃さなかった。

 相手は暗部の人間なのだ。そんな人物に『見覚えがある』というのは、並大抵のことではない。直感的に、重大なヒントがそこにあると馬場は直感した。

 

 

「確か、大覇星祭期間中、どこかしらでお会いしたような……」

 

「…………障害物競走か!!!!」

 

 

 そこまで言われて、馬場も気付いた。

 

 

「馬鹿だ、俺は……! なぜここに至るまで気付けなかった!?」

 

「え? えっ??」

 

「あの競技で、レイシアと同じ第一レースを走っていただろう!! しかも二着だった! クソ!! 一度は直接顔まで見ているのに、今の今まで全く気付かなかった……!! 認識に干渉でもされていたのか!? いや、だがアイツは間違いなく無能力者(レベル0)だ……!」

 

「あ、あのうー? 馬場さん?」

 

「まさか暗部の人間が公的な学校行事に参加しているとはね……。ひょっとして『表』の生活との両立なんて夢見ちゃってるタイプだったのかな? バカだな……。俺達にそんなことができるわけがないっていうのにさあ。だが素性さえ分かればあとは芋づる式だ。学校から過去を漁っていくなんて、公的なライブラリを参照するだけでも、」

 

「オイコラァ!! こっちにも分かるように話しやがれ馬場さん!!」

 

「ヒィ!! スミマセン!!!!」

 

 

 お嬢様に軽めにキレられ、馬場は思わず縮こまる。

 とりあえず馬場をこちら側に引き戻した刺鹿は、こほんと小さく咳払いをして、

 

 

「で。その弓箭猟虎って方をこちらの方で調べればいいんですか? 『学舎の園』の生徒ならこっちの情報網を使った方がけっこう詳しく調べられそうですが」

 

「あ、ああ。頼むよ。……ちょうどこっちに通信が入ってきたな。どれ、こっちもぼちぼち忙しくなってきそうだ」

 

 

 そう言って、馬場は無数の通信機器をほぼ同時に操りだす。

 その後ろ姿を驚嘆の眼差しで数秒ほど見た刺鹿は、ふとあることを思い出す。

 

 

「……弓箭……。…………弓箭?」

 

 

 とはいえ、考え込んでいる暇はない。刺鹿はすぐに己の持ち場へと移動を開始した。

 自分を含め、この場の誰一人とってみても遊んでいる余裕などない。

 

 命の危険はないけれど。

 

 ここもまた、立派な戦場の一部なのだから。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

おまけ:舞台裏の英雄達 

 

 

 


 

 

 

「……ハァ、ハァ……!」

 

 

 浅く息をしながら、徒花──ショチトルは得物であるマクアフティルを構えなおした。

 状況は──ややショチトルに有利だった。

 何せ、弓箭の得意戦術は暗殺。自分は人込みなどに隠れて、一方的に敵を削り殺すのが必勝パターンだ。

 今回のように接近戦となっても一応格闘戦に狙撃を交えるなどまともに戦えはするが、しかしそれは彼女の本領ではない。

 とはいえ──

 

 

「まあ、近づかなければ無駄なんですけど」

 

 

 弓箭は、ショチトルに近づきはしなかった。

 距離を取り続けていれば、マクアフティルしか得物のないショチトルに弓箭を傷つける術はない。

 痺れを切らして以前の戦闘でやったように地面を抉ってこちらに石礫として飛ばそうとすれば、その隙が命取りとなる。

 そしてショチトルは弓箭の遠距離攻撃を防御するだけで精一杯──となれば、弓箭が余裕を見せるのも納得がいく。

 

 

(とはいえ……このまま身を隠す場所もないところで戦うのは……)

 

 

 だが、スナイパーとしての本能が弓箭に現状維持を躊躇わせた。

 身を隠し、一方的に狙撃するのが弓箭の本領。今のままでも『ショチトルに対して』の勝ちは揺るぎないが、いつ誉望が倒されてレイシアが合流するともしれない現状を考えると少しでも勝率は上げておきたかった。

 

 

(……周辺には森。さすがは第二一学区、自然が豊富ですねえ……♪ となれば、森の中にいったん身を潜めてメイドを誘い込み、いつものパターンに持っていくのが一番安全、ですか……)

 

 

 パシュシュッ!! と弓箭は立て続けに銃弾を撃ち込む。これは狙いが明確だったこともあり、ショチトルに全て受け切られるが──目的は牽制。そして、弓箭の狙い通りショチトルはしっかりとその場で足を止めていた。

 それを確認した弓箭は、そのまま森の中へと駆け込んだ。

 

 選択を迫られたのは、ショチトルだ。

 

 

(……森の中へ逃げた? いや、ヤツは狙撃スタイル。一旦身を隠してこちらを一方的に狙う腹積もりか。……一度でも見失えば、先ほどまでのアドバンテージを失いこちらが一方的に攻め続けられることになる!!)

 

 

 相手が逃げているのだから、この隙にレイシアのところへ合流して早々に誉望を倒すという案もショチトルにはあったが、その場合でも同じことだ。

 たとえレイシアでも、遠距離からの狙撃に対して完璧な警戒をするのは難しいだろう。何より、それでは護衛の意味がない。この敵はここで確実に無力化する。それでこそ、ショチトルも護衛としての本分を発揮できると判断した。

 

 

「……逃がすか!!」

 

 

 ショチトルはすぐさま弓箭の後を追うが──しかし、それでもなお自分の判断が遅かったことを、直後に思い知ることになる。

 

 

『「逃がすか」? いやですねえ……。逃げたんじゃありません。「誘い込んだ」んですよ』

 

 

 パパシュッ!! と。

 ガスが抜けるような軽い音が響く。……飛びのくのがあと一瞬遅ければ、銃弾はショチトルの耳を削いでいただろう。

 そのくらい、ギリギリのタイミングだった。──既に弓箭は、森の中に姿を消していた。

 

 

(バカな!? ヤツが森の中に入ってから一秒も経っていないぞ!? どんな隠形術の使い手だ……!!)

 

 

 さらにショチトルにとっての誤算は、森の中という狭いロケーションにあった。

 所狭しと伸びる枝葉が、マクアフティルを振るうのを邪魔するのである。森の中に駆け込んだ弓箭はこれも想定していたのだろう。この時点で、ショチトルは己の武器も奪われたに等しかった。

 

 

『さあて、飛車角落ちってところですかねえ? あ、声を頼りに攻撃を仕掛けてもいいんですよ。どうせ無駄ですけど』

 

(どうせスピーカーをそこらにちりばめているんだろうが……。声を頼りに反撃しようとすれば、その隙を突いてこちらの機動力を奪うつもりだろう)

 

 

 つまりショチトルにできるのは、とにかくひとところに身を置かないこと。

 この森の中はショチトルにとってもマイナスだが、夜の森というロケーションは狙撃にも悪影響を及ぼす。とにかく動き回ることで、弓箭の狙いを正確にさせないのが肝要だった。

 

 

「……づっ……!」

 

 

 ──長めのエプロンドレスに指先ほどの穴が空く。

 今の一撃で太ももを銃弾が掠めた証拠だった。

 

 

(……服装にも助けられているな……。特にエプロンドレスのお陰で、下半身に狙いを定めるのが難しいらしい。こればかりは、ブラックガード嬢の酔狂に感謝といったところか……)

 

 

 そうこうしているうちに、メイド服の各所が徐々に削られていく。

 常に動き回るという作戦が、ショチトルのことを辛うじて生かしていた。

 

 

 


 

 

 

 ──そこはまさに、修羅場だった。

 

 

「千度さん! 弓箭猟虎の素性を! 食蜂派閥の連中を頼っても構いません! とにかくかき集められるだけ情報をかき集めやがってください!!」

 

「ははは、はいっ! 意近さん、枝垂桜学園の協力者からは!?」

 

「いえ~、それがあまり。あっちではあまり関係があるお方はいらっしゃらないようで~……」

 

「ある意味当然ですが……やはり痕跡は残しやがらないってことなんですかね」

 

 

 調査は遅々として進んでいなかった。

 というのも、枝垂桜学園に残された弓箭の情報は、あまりにも希薄だったのだ。普通に入学し、普通に生活している。不審な欠席もないし、強いて言うなら交友関係が絶無なところだが……しかし別にいじめられていたりするわけでもなく、言うなれば『高嶺の花』というポジションにいるのみ。

 学内での評判を聞いても、『愛嬌がある』とか『物憂げな表情が魅力的』とか、おおむね高評価が並ぶ。しかしそれらの高評価はあくまで『人柄』に留まっており、逆に言えば彼女の能力や技術に関係する部分はなかった。

 せいぜい、運動神経が学年で一番いいとか、その程度だろうか。

 

 

「…………あ、あの」

 

「枝垂桜学園に入学してからの情報では不足……? なら、入学前の情報をあたってみるしか……って、そっちの情報はなぜか全然出てきやがらないんでした! あーもう!!」

 

「あ、あの!!」

 

 

 頭を抱えそうになった刺鹿に、誰かの声がかかる。

 視線を上げると同時に、桐生千度が声を上げた。

 

 

「好凪さん。どどど、どうしたんです?」

 

「そ、その……お、思い過ごしでございますかもしれないのですが……」

 

 

 言って、阿宮は縮こまりそうになってしまう。

 それを見た桐生は、彼女を安心させるように肩に手を置いた。

 

 

「大丈夫です。……あの時、我々を塗替の『攻撃』に気付かせてくれたのは、アナタではありませんか。言ってみてください」

 

(……こーやって人を落ち着けるときは、どもり癖が収まるんですがね)

 

 

 普段とは違った包容力を見せる桐生に内心で笑みを浮かべながら、刺鹿は改めて己の心に活を入れなおして話を前に進める。

 

 

「桐生さんの言う通りです! 阿宮さん、何に気付きやがりました?」

 

「え、ええと……。その……確か、弓道部の三年生に……弓箭様、という方がいらっしゃったな……と」

 

「……へ?」

 

 

 その一言に、刺鹿はぽかんとしてしまった。

 同性、というのは確かに珍しい繋がりだが、そこと彼女とのつながりがいまいち見いだせなかったのだ。

 

 

「あ! いえ! ただその……弓箭様は、弓道の腕前も素晴らしく。そちらの映像の弓箭猟虎様も狙撃の腕前は筆舌に尽くしがたいようですから…………何か、符合のようなものを感じたのでございます」

 

「……! なるほど、『目の良さ』は遺伝だと?」

 

「え、ええ……。まあ……」

 

 

 考えられない話ではない。

 視力といった形質的な素養は、確かに遺伝によるところが大きい。あるいは同系統能力のAIM拡散力場が関係しているのであればそういう関連性も考えられるが、どちらにせよ弓箭猟虎と弓道部の弓箭には何らかの繋がりがあるとみていいかもしれない。

 

 

「……! でかしやがりました! 阿宮さん! 早速食蜂派閥に連絡です! 常盤台のことなら連中に聞くのが一番早いでしょう!」

 

 

 泥臭い笑みを浮かべながら、刺鹿は阿宮にサムズアップを送る。

 阿宮もまた、照れ臭そうにしながら親指を立てた。

 

 

 ──この時の、GMDWの一連の調査。

 

 これが、とある少女の運命を大きく変える転換点となる。

 

 

 


 

 

 

「ハァ……!」

 

 

 やはり、ショチトルは浅く呼吸をしていた。

 メイド服はところどころ破損しており、その下の地肌が見え隠れするなど多少目のやり場に困る状況にはなっていたものの……この様子を見て『煽情的だ』という感想を抱ける者はいないだろう。

 何せ、一歩間違えば死に至るような負傷である。何よりもまず、生命の危機を感じざるを得ない様相だった。

 

 

(…………ぐ、なぜ……!?)

 

 

 ──しかし、焦燥していたのはむしろ弓箭の方だった。

 

 草の茂みに隠れ、複数のスピーカーで自分の居場所を誤魔化し、一方的にショチトルを消耗させつつ──それでも弓箭は、ショチトルを殺しきれていなかった。

 そう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

白黒鋸刃(ジャギドエッジ)が来てしまえば森を丸ごと伐採する形でわたくしが丸裸にされてもおかしくない! だからわたくしも今回ばかりは長引かせず始末しようとしているのに……なのに、メイドに致命傷を与えることができない!? なぜ!?)

 

 

 そもそも、おかしかったのは最初からだった。

 開けた場所だったとはいえ、相手は銃撃である。マクアフティル一本で中距離から一方的に放たれる弓箭の攻撃から一度も負傷を受けなかったのが、おかしい。

 あの時点から……『何か』をされていたとしか思えない。

 

 

(何をされた……!? 光学系能力による照準の誤差!? いや違う! ()()ならわたくしが分からないはずがない……! ならば、認知……? それもありえない。もしも認知を操られているなら、相手もここまで防戦一方にはならないはず……)

 

「…………迷いが生まれたようだな」

 

「ッ!?」

 

 

 思索に気を取られて狙撃の手が緩んだ瞬間。

 マクアフティルをだらんと構えたショチトルは、過たず弓箭のいる方へ向き直った。

 

 

(ば……バカなッ!? わたくしの位置が……読まれている!? わたくしの隠形術をかいくぐって……!?)

 

「……居場所が読めている、とでも思っているのか? いいや。実際のところ、貴様の居場所は正確には分かっていない。私が知ることができるのは、あくまでも死者の声だ」

 

 

 ショチトルはどこか自嘲するような声色で言う。

 

 

「貴様、どうやらけっこうな人間を、それもいたぶって始末してきたようだな。憑いてはいないようだが……()()()()()()()()()。お陰ではっきりと分かる……貴様の手口がな」

 

(……ッ!! 残留思念!? 読心能力(サイコメトリー)でしたか!! それも、死者専用のなんて……そんな能力が存在しうるんですか!?)

 

 

 思わず、弓箭は息を呑む。

 そしてそれによって生まれた隙が、合図となった。

 

 

「ッ!!」

 

 

 真っ直ぐに。ショチトルは弓箭目掛けて駆け出していった。

 完全に居場所が割れたと判断した弓箭は飛びのく。

 

 ガサガサと茂みをかき分けて森の外へと飛び出した弓箭は、そのままショチトルへ指先を向けるが──

 

 

「……ああ、そうか。分かったよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 弓箭が狙おうとした場所──首筋。

 そこをちょうど防ぐように、ショチトルはマクアフティルを盾のように構える。まるで、そこに銃弾が来ることが分かっていたかのように。

 

 

 ──ショチトルは本来、戦闘系の魔術師ではない。

 彼女の本職は『死体職人』であり、死者の声を聴くことで遺言の正誤を確認したり、葬儀の方法をまとめたりなど『死者のアフターケア』をする魔術師だった。

 ゆえに彼女が修めた魔術は戦闘では転用できず、付け焼刃の身体強化術式とマクアフティル、それと『切り札』くらいしか手札がなかったのだが……弓箭の戦闘経験の豊富さと戦闘スタイルが、ショチトルにとっては幸運に働いた。

 獲物をいたぶってから殺害するという弓箭の悪癖は、彼女に死者の声を色濃く残す形となっていた。もちろんそれは明確にオカルトめいた悪影響を及ぼすレベルではなかったが──プロであるショチトルであれば、的確に『死者の声』を聴くことで彼女の動向が読めるレベルにまで達していた。

 

 

「……もうすぐ、楽にしてやる。少しだけ待っていてくれ」

 

 

 ギィン!! と銃弾によってマクアフティルは弾かれるが、それでもショチトルの前進は止まらない。

 

 

「────ずッ、あァ、あァァあああああああああああッ!!!!」

 

 

 極限状態の一瞬。弓箭は渾身の力を振り絞って真後ろへと飛びのく。

 着地すらも考えていない乱暴な後退だったが──しかし、その一歩分の時間があればいい。それだけの時間があれば、腕の振りを使って『もう一発』を放つことができる。

 

 

(メイドの得物は今弾いた!! もう防御の手は残っていない!! 脳天を狙えばこの距離ならたとえ腕を犠牲にしても貫通して脳まで弾丸がめり込む!! これでチェックメイトですよ、メイド!!)

 

「──ああ、一つ教えてやろう」

 

 

 銃弾を放つために腕を振る刹那。

 ショチトルは頬に妙な亀裂を入れながら、こう言い残した。

 

 

()()()()姿()()()()()()()()()()()

 

 

 ──ガスが抜けるようなちっぽけな銃声が響き。

 

 弓箭が放った必殺のはずの一撃は、()()()()()()()()()()()()の頭上を通り過ぎて行った。

 

 そして。

 

 

「運がよかったな。雇い主のオーダーで貴様は『不殺』だ」

 

 

 ゴン!!!! と。

 頭部にマクアフティルの『平』の部分が打ち付けられ、弓箭はそのまま昏倒した。

 

 


 

 

 

「…………なるほど。インナースーツの上にこうやって組み立て式の銃器を『身に纏って』いたわけか。……これでよし。これで目を覚ましても銃撃で死ぬことはなくなったな」

 

 

 無事に弓箭を無力化したショチトルは、弓箭の身体を検めて反撃の芽を完全に潰していた。

 お陰で絵面が少々危険なことになっているが、このあたりはお互い様だ。気付けばショチトルのメイド服も、ソシャゲのキャラクターくらいの露出度になっていた。

 

 

「さて……あとはコイツをどうするか、だな。警察機関に渡してもこの街のことだ、裏取引で回収されそうだが……。……やはり『メンバー』のアジトで監禁すべきか? いや、だがそうなると『スクール』と全面戦争か……。……いっそここで『スクール』を壊滅させた方があとあと面倒が少ないんじゃないか?」

 

 

 『まったく不殺などという縛りさえなければ……』とぼやくショチトルだが、彼女としても今の雇い主の甘ちゃんさ加減は実のところ嫌いではなかった。彼女の意向を守るためならば、多少の面倒くささは我慢してやろうと思う程度には。

 そのあたりは、佐天のことをなんだかんだで見捨てられない優しさを持つショチトルらしいところでもあるが。

 

 ただ、この時彼女は一つのミスを犯していた。

 

 彼女は、すぐさまこの場から離れるべきだったのだ。

 弓箭を抱えてレイシアと合流する。そうすればレイシアはちょうどそのタイミングで上条と合流していたので、弓箭を捕獲したままの離脱ができていただろう。

 そして『スクール』としても、実は弓箭にはそこまで執着していないので──全面戦争となることもなく弓箭の危険を排除することができたのだ。

 

 だが、ショチトルがここで弓箭の処遇について思案したことで、一つの運命が確定した。

 

 

 

「────そのお方から、離れなさい」

 

 

 

 紫電を迸らせながら、少女が声を放った。

 

 その少女は、本来この場に現れるはずのない少女だった。

 常盤台というお嬢様の庭で、何も知らずに今日と言う夜を過ごすはずの少女だった。

 

 起点は、刺鹿の判断。

 

 彼女は弓道部の弓箭についての情報を得る為、人海戦術にかけては右に出る者のいない食蜂派閥を頼った。

 だが……()()のだ。そこには、弓箭猟虎のことをピンポイントで知る人物が。

 

 振り向きざまに潜入用の『護符』を発動して姿をもとの長身の少女のものに変えながら、ショチトルは低い声で言う。

 

 

「…………貴様は」

 

「わたくし、帆風潤子と申します」

 

「弓箭入鹿。……そこに転がっている方の妹、と言えば分かりますかしら」

 

 

 そして、紫電を迸らせる帆風の身体の陰から現れたのは片目を隠した少女。

 両方とも常盤台生──そして苗字の符合から、その時点でショチトルは自分が置かれている状況に気付いた。

 

 

『……あ! よかった繋がりました! 徒花さんすみません! 今、そちらに帆風さんと弓箭さんが来やがっていると思うんですが……ちょっと情報伝達が上手くいかず、もしかしたら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……』

 

「心配無用だ」

 

 

 それだけ言って、ショチトルは通信を切る。

 

 誤解されているのは明白だった。よりにもよって、目の前にいる二人の少女はショチトルのことを、『弓箭猟虎を傷つけようとしている悪党』と勘違いしているのだろう。

 あまりにも見当違い。ここまで行けば喜劇の領域である。だが。

 

 

(…………ふざけやがって。ふざけやがって!! こんな甘ちゃんどもを引き連れて……何が暗部だ!? 何が『闇』だ!? この野郎……私をバカにするのもたいがいにしろよ!!)

 

 

 ショチトルは、静かにキレていた。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!)

 

 

 目の前の甘ちゃん二人に──ではなく、己の与えられた役回りに。

 

 

「……だとしたら、どうした。此処で戦うか? 私としては一向に構わないが……」

 

「どう……して……?」

 

 

 声に視線を向けると、そこには頭からの流血を抑えながら、しかし意識は取り戻している弓箭猟虎の姿があった。

 内心でショチトルは舌打ちする。あれほどの好条件でこの程度のダメージしか与えられていないようでは、やはり『奥の手』を使わない限り殺傷は厳しいということだろう。

 

 

「どうして。なんで……? だって、わたくし、いらない子……」

 

()()()()

 

 

 動揺する弓箭猟虎に被せるように、帆風が口を開いた。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 紫電を迸らせながら。

 あの才人工房(クローンドリー)の生き残りは、目の前の敵を見据えていた。

 

 

「いろいろなことを思い出しました。わたくしは……未熟で、今まであの研究所での記憶に、蓋をしていましたが」

 

 

 きっと、帆風はショチトルを『過去の何者か』に重ねているのだろう。己の大切なものを奪った敵に。

 ……本当に損な役回りだ、とショチトルは思う。こんなバカみたいな勘違い、とっとと蹴散らしてこのお花畑お嬢様をどつきまわしたいところだが……それでは、多分ダメだ。

 彼女の後ろで這いつくばっているバカを『ここ』から叩き出すためには。

 

 

(……はぁ、馬鹿は私か。『それ』でこんな身の上になっているというのに……。……本当に、救いがたい)

 

 

「ようやく、辿り着けました」

 

 

 誤解でした、の和解では、魂の浄化は済まされない。

 彼女を大切に思う人がいる。それだけで救われるには、弓箭猟虎の魂は穢れ過ぎていた。

 

 

「……遅くなってしまってごめんなさい。アナタがこんなところに来てしまうまで放っておいてごめんなさい。…………もう、アナタを独りなんてしませんから」

 

 

 だからショチトルは、お節介と知りながら、戦略的には必要のない寄り道であることを理解しながら、言う。

 

 

「目障りだ。貴様ら全員、この場で殺してやるとしよう」

 

「……させ、ない……!」

 

 

 ──声は、足元から聞こえた。

 ショチトルの足首には、弓箭猟虎が這いつくばりながらもしがみつくようにして掴みかかっていた。

 まるで、目の前の二人を逃がすように。

 

 

「あはは……、はは……。もう、ほんとに遅いんですよ……! 遅すぎですよ……! あんまり遅いから、わたくし……もう……こんなに……! もう……だから……でも……!」

 

 

 泣き笑いの表情で言う彼女の胸中に、どんな感情が渦巻いているかは分からない。

 だが、彼女は具体的な行動を出力した。即ち、目の前の二人を守る、という行動を。

 

 

「それでもわたくしは……お姉ちゃんだから……! 入鹿ちゃんの……お姉ちゃんだから……!! ……二人とも!! 逃げてください!! 此処は!! この街の『闇』は!! アナタ達が触れて良い領域じゃない!!!!」

 

「……ハァ……。……少しおとなしくしていろ!」

 

 

 心底嫌そうに溜息をついてから、ショチトルは弓箭猟虎を蹴り飛ばす。それだけで、弓箭猟虎はごろごろ地面を転がされるが、それでも何かを諦めきれない様子で、未練がましく芋虫のように地面でもがいている。

 

 

「……待たせたな馬鹿ども。同じ救いようのない馬鹿同士、少し遊んでいこうか」

 

「猟虎ちゃんは、返してもらいます……!!」

 

「もう、誰も喪いたくない。……喪わせない。だから」

 

 

 ──紫電が、ひときわ強く迸る。

 

 

「アナタが何者だろうと、足掻くことだけは、絶対に諦めない」

 

 

 変わる。

 帆風潤子一人の力に──『もう一人』が加わったかのように。

 

 

「……ハッ、存外私も、あの二つの顔を持つ雇い主に毒されてきたのかもしれんな。『変わった』のがすぐに分かったぞ」

 

 

 死者の声を聴く術式は、先ほどから使っている。なんと驚くべきことに彼女も死者の声を帯びていた。だから、たとえ相手がどんな能力を使おうとその機先を制することはできるだろう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()鹿()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「……二乗人格(スクエアフェイス)に、ドッペルゲンガーに、塗替斧令ときて、『アストラルバディ』か」

 

 

 牙を剥くように笑い、ショチトルはマクアフティルを構える。

 

 

「よくよく、()()()()に縁のある夜だな…………!!」

 

 

 そうして、舞台裏の英雄達が激突する。




アストラルバディ、能力名をショチトルさんが知っていたというよりも、魔術サイドにも似たような概念があったということで一つ。(ありそうだし)


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九四話:破滅の極光、再び

 ──まず目についたのは、倒れ伏す徒花さんの姿。

 徒花さんのメイド服はなぜかビキニよりちょっと大きいくらいの布面積くらいまで引き裂かれていた。そこまで破れていて肉体の方には目立った外傷の方がないのが不思議だが……ひょっとしたら純粋な殴打によって破かれたのかもしれない。どんな膂力と肉体の耐久度だよ。

 

 

「当麻さん」

 

「はい」

 

「目を瞑る」

 

「はい」

 

 

 気を取り直して。

 

 徒花さんと相対していたのは──二人の常盤台生だった。

 

 一人は俺もよく知っている。常盤台最大派閥のナンバー2、帆風さんだ。

 彼女もまた服の各所がビリビリに引き裂かれている。おそらく、徒花さんのマクアフティルに引っ掛けられたとかだろう。服が破れたところから覗く素肌に擦り傷めいた跡があるから、多分間違いない。

 

 そしてもう一人。

 こちらは馬場さんからの情報共有で素性が分かった『以前の事件』の登場人物の一人だ。

 名前は弓箭入鹿さん。常盤台の三年生で、弓道部の部長をしている。『以前の事件』で食蜂さん誘拐を企てた犯人の一人だけど、主犯の北条彩鈴(この人も常盤台の三年で、異能力(レベル2)ながら本人の技術によって在籍が認められた『特別交換留学生』である)に『弓箭は利用した』とある種庇われたことによってほぼ無罪放免となっていたはずだけど……。

 確かこの人も、俺たちがニアピンした例の内部進化(アイデアル)の件では帆風さんと共に行動していたはず。

 

 っていうか、弓箭入鹿さんの時点で気付くべきだったな……。多分、『スクール』のスナイパーさん──弓箭猟虎さんは、入鹿さんのご姉妹なんだ。

 だから参戦した、というのは分かるけど…………しかしなぜ、徒花さんが二人に倒され、あまつさえ猟虎さんが庇われているんだろう???

 

 

「──そこまでです!!」

 

 

 ともあれ、このままだとなんか収拾がつかなさそうなので、俺はそう言って徒花さんのことを助け起こす。

 なんか帆風さんと入鹿さんがぎょっとしているようだが、俺的には徒花さんの味方だからね。

 

 

「(ば、馬鹿野郎……! 察しろ……! お前はそっち側じゃないだろ……!)」

 

 

 …………???

 なんか徒花さんが言っているが、言っている意味がよく分からない。雇い主なんだから帆風さん側に行くわけにはいかないでしょ。

 どうせ何かしらの行き違いがあるんだろうし、その誤解をとかないことにはもっとややこしいことになるだけだろ。

 

 

《……ははーん?》

 

《レイシアちゃん? 何かわかったの?》

 

《うーん……。多分分かりましたけど、まぁシレンは今のままで良いですわ。徒花のヤツなんかいろいろと余計に気をまわしているようですが、こんなもの過保護を通り越して無粋の域ですわ》

 

 

 レイシアちゃんは呆れを滲ませながら心中で囁いて、それから肉体の主導権を握った。

 帆風さんと入鹿さんは臨戦態勢のようだけど──

 

 

「アナタ達。何か誤解しているようですけど、今回の悪者は『そっち』ですわよ」

 

 

 と、何やら非常に平易な状況説明を開始した。

 

 

「………………へ???」

 

 

 肩透かしを食らったのは当然ながら帆風さんサイドだった。

 まぁ、今まで猟虎さんを守るために戦っていたようなものだろうからね。何やらじわじわと顔色が悪くなりつつある帆風さんを尻目に、レイシアちゃんは続ける。

 

 

「そもそも今回の戦闘のきっかけは、わたくしの元・婚約者である塗替斧令がとある研究者に肉体を乗っ取られたことに始まります。わたくし達は塗替の肉体に致命的なダメージが入る前に救う方策を選びましたが、そこのスナイパー ──弓箭猟虎の一派は『とある研究者』の脳内にある情報ほしさに、塗替を犠牲にする方針を打ち出しました。よって、わたくし達は塗替を守るために戦っていたのですわ」

 

「そ、そそ、それって……」

 

「というか、弓箭猟虎はそれ以前にわたくし達に襲撃を仕掛けてきたりもしていましたわ。一回警備員(アンチスキル)に突き出したこともあります。なんか逃げてきたみたいですが」

 

「……………………、」

 

 

 あ……沈痛な面持ちに……。

 

 ……? ってことは気付かずそのまま徒花さんと戦ってたってこと? 帆風さんが? 帆風さん、そんな問答無用な血の気の多さかな……? なんか妙な気がする。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……。

 

 

「(ば……馬鹿野郎! これじゃ台無しだろうが!! せっかく私が悪役に徹していたというのに……!)」

 

 

 ──徒花さんが横からそう言ってきて、俺はようやく盤面の全貌が分かった。

 

 おそらく──徒花さんが猟虎さんを倒したタイミングで、帆風さんと入鹿さんが合流してきたのだろう。

 その時、徒花さんは猟虎さんが二人と親しい関係にあることを見抜き──猟虎さんが二人に保護される理由をつける為に、あえて自分が悪役を演じたってことなのかもしれない。

 

 

《……でも分からないな。二人に猟虎さんを保護させたいなら、普通に引き渡せばいいんじゃないの? 二人とも猟虎さんの為にあんなになってまで戦ってくれたんだから、十分それで受け入れてもらえるでしょ》

 

《分かってませんわねぇシレン。徒花はこう考えているんですのよ。『此処で二人に猟虎を保護させるのは容易い。だが、二人の救済を受け入れるには猟虎の魂は穢れ過ぎている』とね》

 

 

 …………ど、どういうこと???

 

 

《シレンなんかは、誰だろうと救われるべき! って思考だと思いますけど……無条件に救いを提示されても、救われた当人の罪悪感はいつまでも後を引き続けるものなんでしてよ。わたくしがアナタによって整備された人間関係を、再度自分の手で清算したときのように》

 

 

 …………あ、そっか。つまり……。

 

 

《徒花さんは、あえて自分が憎まれ役を演じることで、猟虎さんに罪の自覚を促したり、仲間の為に頑張る機会を与えた……ってこと?》

 

《その通りですわ。……ま、わたくしからしてみれば過保護を通り越して無粋の極みだと思いますが》

 

《ええ……? 確かに回りくどいし不器用ではあるけど、優しいと思うけどなあ、俺》

 

《おバカ!》

 

 

 レイシアちゃんは俺の言葉を一喝し、

 

 

《もしも猟虎に精神的に償う機会を与えたいと思ったのなら──それはこんな一時の流れでどうこうするべきものではなくてよ! だって、あの二人はこの女の今までの悪行など全く知りません。そんな状況で果たされた贖罪など、何の意味もありませんわ!》

 

 

 …………う。それは、そうかも……。

 

 

《やるなら、全部曝け出す。悪いところも汚いところも全部ぶちまける。その上で、沙汰を委ねる。罪を償う。それでこそ、贖罪です。…………こんなにも傷だらけになりながらも仲間を庇い立てするような女達が、その程度の穢れも受け入れられない度量だと思いますか? わたくしが『無粋』と言っているのは、そういう値踏みの浅さですわ》

 

 

 ……………………。

 これは、全面的にレイシアちゃんの言うとおりだな。

 

 

「そ、そうとは知らず……。た、大変申し訳……」

 

「いえいえ。どうやらウチの徒花さんも分かった上であえて戦っ、」「まったくですわ! お陰でこちらは貴重な戦力の一つが完全にダウン状態ですわ!!」「レイシアちゃん???」

 

 

 お……おま、レイシアちゃん! お前もしかして!

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?

 

 

「い、いや私はまだ戦え、」

 

「だまらっしゃいこのエセ冷酷お節介女」

 

「え、エセ!?」

 

 

 あ、徒花さんの制止もバッサリ……。

 

 いやそりゃ、確かにここで大能力者(レベル4)の戦力が二人増えるのはあまりにも、あまりにもアドバンテージだよ!?

 でもほら、二人とも言ってみれば食蜂派閥の人だしさ……。そこらへん勝手にやるのは、のちのちの禍根になっちゃうでしょ。……ああいや、それを言ったら食蜂派閥の人がウチの人員をのしちゃったわけだから、ここで何かしらを対価に手打ちにしておかないとそっちの方が厄介なのか……。

 困った、レイシアちゃんのやり方の方が筋が通ってしまっている……。

 

 でもなあ、基本的に無関係の一般人を俺たちの事情に巻き込みたくないんだよなあ……。

 まあ、派閥のメンツ的に巻き込まざるを得ないのは確定なんだけど……。くそう、どうしてこうなった……。

 

 

「かくなる上は、アナタがた……『穴埋め』をする覚悟はできているんでしょうね? この狼藉を不問にする代わりに、今日は存分に働いてもらいますわよ。あ、食蜂にはちゃんと話をしておきますので」

 

「了解しました……」

 

「是非もなさそうですね……」

 

 

 ──かくして。

 帆風さんと入鹿さん。二人の戦力が、俺達の仲間になったのだった。

 

 あ、ちなみに徒花さんは負傷を抜きにしても衣装の損傷が激しすぎたので、倫理的な観点から一旦下部組織の人たち(女性)に回収されました。俺そういうのけっこう気にするからね。

 もちろん、猟虎さんも連れて行ってもらった。もうアレ見て彼女を暗部に置いとくわけにはいかないからね……。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

九四話:破滅の極光、再び Revenger.

 

 

 


 

 

 

 ──それから五分ほど。

 当麻さん、帆風さん、入鹿さんの三人を乗せて、俺達はもう一人の操歯さんが向かったという第二一学区のとある山の頂へ向かっていた。

 ま、山頂って言ってもほんの標高二〇〇メートル程度の丘と山の中間くらいの散歩コースなのだが──山岳地帯ということもあり、このあたりは『火星からのメッセージブーム』で人通りが増えた第二一学区にあっても人があまり近寄らない場所だ。

 だからこそ、もう一人の操歯さんもそっちへ向かったんだと思うけど……しかし、いまだにもう一人の操歯さんの目的が分からないなあ。いったいなぜ、彼女は研究所を脱走したのだろうか。

 実験体として扱われたくない、とかだったら今の派手な攻撃力はむしろ逆効果のような気がするけど……いったい彼女はどこをゴール地点に見定めているのだろうか。

 

 

「今のうちに、現地に到着したときの動きを整理しておきますわよ」

 

 

 空の旅路の途中、レイシアちゃんが背の『亀裂』の繭の中に格納している面子へ声をかける。

 

 

「まず、我々の目的は塗替斧令の開放。その為には木原幻生の『憑依』を解除する必要があります」

 

「…………、」

 

 

 『憑依』の解除。その言葉を聞いた瞬間、帆風さんの身体が少し強張ったのが分かった。いや、そんなにあからさまではなかったけど……なんかちょっとぴくっと反応したんだよね。

 

 

「……帆風さん? 何か気になる点でも?」

 

「い、いえ……。しかし『解除』とは? そんな方法があるのでしょうか……」

 

「ん? ああ。多分俺の右手で触れば一発だな」

 

 

 帆風さんの問いかけに、上条さんが何の気なしに答える。

 芸のない回答だけど、まぁそれが一番の早道だよね。

 

 

「………………」

 

 

 その言葉を聞いて、なぜか帆風さんは上条さんからそれとなく距離をとった。……なんで? いや、別にいいけど……。

 

 

《帆風も何かしらの異能を帯びている状態なのではなくて? 食蜂のバフをもらっているとか》

 

《あ~、ありえるかも》

 

 

 そういう意味なら納得だね。しかし、憑依ってワードに反応した理由がイマイチ分かんないけど……。

 

 

「え、上条さんどうして今避けられたんでせうか……?」

 

「まぁまぁいいではありませんの。代わりにわたくしが寄ってさしあげますわ」「レイシアちゃん、距離感ッ!!」

 

「この人たち、本当に大丈夫なのかしら……」

 

 

 閑話休題。

 

 

「ともかく。当麻が右手で塗替を触るのが我々の勝利条件。ドッペルゲンガー、木原数多などの障害もあります。この二つの駒は塗替と敵対しているようですが、フレンダや絹旗最愛がいたことを考えると、おそらく『アイテム』が介入してくることも考えられます」

 

「あいてむ?」

 

「アナタが倒した垣根帝督や、わたくしが倒した誉望万化、それと入鹿さんのお姉さんである弓箭猟虎なんかが集った少数精鋭の組織のことですわ。まぁ概ね悪の組織と考えておけばいいですわよ」

 

 

 レイシアちゃんはおそらく意図的にそこはさらりと流して、

 

 

「まぁ、連中のリーダーはわたくしがボコボコにしてやりましたので、真っ向から挑んできたりはしないと思いますが……もしも来たら、今度は美琴に丸投げしましょう」

 

「御坂様もいらっしゃるのですか?」

 

 

 悪そうな顔をして言うレイシアちゃんに、帆風さんが首を傾げた。

 ああ、そっか。美琴さんがいるって話はまだしてなかったな。というわけで俺は頷いて、

 

 

「ええ。美琴さんは当初よりドッペルゲンガー……もう一人の操歯さんを追いかけていたようです。おそらく、彼女ももう一人の操歯さんを追って山頂にやってきているはず。合流したら連携できるように準備しておきましょう」

 

「わたくしは……知っての通り、徒手空拳しかできることはありません。おそらく、塗替様に取りついているという木原様に対抗することは難しいでしょう」

 

「わたくしは波動を操ることができますが……帆風さんでも厳しい相手をどうこうするのは難しいでしょうね」

 

 

 そう言って、帆風さんと入鹿さんは渋い顔をする。

 二人とも大能力者(レベル4)だし、帆風さんに至っては食蜂さんの横にいるから薄れて見えるだけで実際は超能力者(レベル5)なんじゃないの? ってくらい凄い人なんだけどねぇ……。

 今回の幻生さんはなんかもう天使くらいの出力を出してる気がするから、どうしても防御性能がないと辛いよなあ。

 

 

「幻生さんともう一人の操歯さんについてはわたくしと当麻さんでどうにかしますわ。むしろ、お二人にはその間、わたくし達が戦いに集中できるよう他の敵を排除してもらえれば」

 

 

 (いたら)麦野さんの相手は美琴さんに任せるとして、他にも数多さんとか絹旗さんとか放っておいたら大変な人たちはいっぱいいるからね。

 ただでさえ幻生さんともう一人の操歯さんの相手をやるだけで精一杯なところに二人からちょっかいなんてかけられた日には……。…………マジで二人の協力を取り付けておいてよかったな。これ二人がいなかったら最悪俺達死んでたかもしれないぞ。

 

 

「承知しましたわ」

 

「了解」

 

 

 二人が頷いたあたりで、ちょうど俺達も目的地についたようだった。

 無事山頂のちょっと下までやってきた俺たちは、そのあたりの茂みの中に隠れるようにして着地する。……もしも山頂に麦野さん達がいた場合、ふわっと飛んで来たらもう狙い撃ちしてくださいって言ってるようなもんだからな。

 

 さて、山頂には……よし、誰もいないな。

 美琴さんはどうだろうな。入れ違いにはなっていないと思いたいけど……電話してみようかな?

 

 

「あ! アンタ……」

 

 

 と、そこで美琴さんの声。

 そっちを見てみると、ちょうど山を登って美琴さんが来ているところだった。どうやら、マスクの人はいないようだが……。やっぱ暗部組織だから途中で撤退したのかな?

 

 

「美琴さん! マスクの方はどうしました?」

 

「ん? ああ、あの子ね。今は別行動。ドッペルゲンガーの動向を追ってもらってるわ」

 

 

 あら、意外。まだちゃんとナビゲート役はやっていてくれたんだ。

 

 

「…………それより。()()()()

 

 

 …………え?

 

 

 美琴さんの言葉に悪寒を感じた直後だった。

 地面を抉りながら、山頂から俺達目掛け絶滅を意味する光条が浴びせかけられた。

 ……俺がその場で全力退避しなかったのは、その一瞬前に美琴さんが俺たちの盾になったのを確認したからだ。

 

 バヂヂィ!! と青白い火花を瞬かせながら、美琴さんは降り注ぐ原子崩し(メルトダウナー)をいとも容易く捻じ曲げていた。

 ……白黒鋸刃(おれたち)じゃ防御も覚束ないようなレベルの攻撃なんですけどね、それ。

 

 

「……そっちからお出ましとはね。せっかく山頂に陣取ってたんだし、もうちょっと待っててくれてよかったのに。それとも待ちきれなくなっちゃったかしら」

 

「あァ? テメェらがチンタラしてっから迎えに来てやったんだろが。時間にルーズな女は男に嫌われるわよ、第三位ィ」

 

「………………ハァ? 何よ男に嫌われるからどうって訳私は別にそんなこと気にしないしっていうかアイツと待ち合わせし、」

 

「はいはい。緊張感がなくなりますわよ。……というか、あの第四位を前にしてよくそんな簡単にコメディに行けますわね……」

 

 

 地雷を爆裂させて瞬間沸騰する美琴さんを抑えて、俺は彼女の横に並び立ち、山頂から降りてきた『敵』の姿を見る。

 そこにいるのは、第四位──原子崩し(メルトダウナー)・麦野沈利。

 並び立つのは、窒素装甲(オフェンスアーマー)・絹旗最愛。

 そしてその背後に、数多さんともう一人の操歯さんの後ろ姿があった。

 

 その姿を見て上条さんが声を上げる。

 

 

「……! 追いかけるぞ! このままだと見失っちまう」

 

「させると、思っているのかしら?」

 

 

 くすりと。

 笑みを零した麦野さんの背後から、滅びの輝きで構成された巨腕が()()発現する。

 

 …………あの。

 俺の気のせいならいいんだけどさ……。…………麦野さん、もしかして、なんか強化されてない?

 

 

()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ……………………!!!!

 

 

「リベンジと行きましょうか、裏第四位(アナザーフォー)ォ!!!!」




ドッペルが木原数多によって強化されている以上、同じ陣営にいる麦野さんに手が加わらないわけがありませんよね?
……PSP版? いやぁそれは……。

   ◆

ところでこれはオマケです。


【挿絵表示】

画:かわウソさん(@kawauso_skin



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九五話:背に開く鉄の大華

「────!!!!」

 

 

 目の前の女性。麦野沈利の端整な顔立ちの口元が、ゆっくりと引き裂かれるような笑みの形へ歪んでいく。

 その両肩から迸る稲妻の双腕が、軋むような轟きと共に振りかぶられていく。

 

 刃よりも薄く薄く延ばされた一瞬の狭間で、俺は美琴さんと視線で意思を交わしていた。

 

 

(美琴さん! わたくし達は塗替さんの方へ行きます!)

 

(がってん!!)

 

 

 直後。

 山全体が揺さぶられたような衝撃と共に、美琴さんの背後から巨大な砂鉄の『ドラゴン』が立ち上がった。

 全長──軽く一〇メートルは越えてるな。広げた翼は端から端までで多分五〇メートルはあるだろうか。この山中の全ての砂鉄を集めてるんじゃないかと思うほどの威容に、麦野さんの意識が逸れる。

 口ほどにもない策を嘲笑い、己の優位を誇示する、という形で。

 

 

「んだァ……? テメェはお呼びじゃねェんだよ、第三位ィ!!」

 

 

 砂鉄のドラゴン自体はあっさりと二本の『巨腕』に押し負ける。

 ただ、美琴さんの目的は最初から対抗にはなかった。

 

 

 ドッパォオン!! と。

 麦野さんが砂鉄のドラゴンを攻撃した瞬間、その巨体が一気に爆裂する。それはもちろん、攻撃の威力によるものではない。美琴さんが最初から、そのつもりで砂鉄を操作していたのだ。

 かくして、周辺に撒き散らされた砂鉄の嵐によって、一時的にだがその場の面々の視界はゼロとなる。ただ一人────空力探査で事前に周辺の様子を把握していた俺達を除いては!!

 

 

「────ッ、しまっ、逃げる気か裏第四位(アナザーフォー)!?」

 

「アナタの不戦勝でいいですわ、()()()()()()()。なんなら繰り上げで第四位を名乗ってもよろしくてよ! おーっほっほっほ!」

 

 

 去り際。

 麦野さんの横を高速で通り過ぎながら吐き捨てたレイシアちゃんの煽りは、麦野さんの地雷を的確に抉るものだった。

 

 

「────────ッッッ!!!!!! クッソガキがァァああああああああああああッッッ!!!!!!!!」

 

「あーあー、アイツほんとああいうとこは変わってないのね……。でもま、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 第四位さん」

 

 

 ドゴォッッッ!!!! と、麦野さんの『巨腕』の意趣返しのごとく繰り出された砂鉄の巨腕を、すんでのところで絹旗さんが抑えているのを横目に見ながら、俺達は幻生さんを追って空を翔けた。

 

 …………しっかし、麦野さんに加えて絹旗さんまで同時に相手取ってあの安定感って、さすがは学園都市第三位というか、なんというか……。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

九五話:背に開く鉄の大華 #i.

 

 

 


 

 

 

 山頂を美琴さんに任せて飛び去ってから十数秒ほど。

 距離にして数百メートルほど北に進んだところで、俺達は一旦空中で静止した。……いや、()()()()()()()()()、と言った方がいいかもしれない。

 

 

 

「はっはーッ!! やっちまえよデク人形、天使モドキを撃ち落としてやれ!!」

 

「君も随分面白い科学(モノ)を手に入れたようだねー!!」

 

 

 ──数多さん、もといもう一人の操歯さんと、幻生さんが戦闘していた。

 空中で何かよく分からない火花のようなものを散らしながら衝突している二人の戦闘空域に突入するなど完全に自殺行為。

 俺達はその下の木々に覆われた山の斜面に降り立ち、同乗者である当麻さん、帆風さん、入鹿さんを地面に降ろす。

 

 

「操歯さんはわたくしが引き離します。当麻さんは、幻生さんを。帆風さんと入鹿さんは、数多さんに対処してください」

 

「あの殿方に二人がかりですか? 少し戦力が過剰すぎでは? 御坂様に加勢した方がいいような」

 

「第四位と大能力者(レベル4)なら美琴でも十分完封ですわ。むしろ、木原数多は大能力者(レベル4)が二人がかりでも勝てるか怪しい化け物。……油断していると足元を掬われますわよ、弓箭さん」

 

「…………了解」

 

 

 帆風さんや入鹿さんの実力を低く見るわけじゃないけどね。

 でも、ぶっちゃけ数多さんは俺達でも本気でかからなきゃいけない相手だからな……。実際のところ、二人がかりでも、こっちの作戦が終わるまでの時間稼ぎこそすれ彼を倒せるとは思ってない。ただ、それでも彼がこっちの戦闘に関わって来なくなるだけで、俺達の仕事は飛躍的にやりやすくなる。

 

 

「……各員、御武運を!」

 

 

 当麻さん達に声をかけ、俺達は『亀裂』の翼で空気を叩いて、木々の間を縫うようにしながら幻生さん達へ接近していく。

 上空では、幻生さんがプラズマのような光を巨大な刃の形に変えて振り回していた。その頭のすぐ上には──何か、天使の輪っかのようなモノが生まれていた。

 

 

『まずいな……』

 

 

 耳元に飛び込んできた通信は、徒花さんからのものだった。

 

 

「徒花さん? もう大丈夫なんですの?」

 

『そもそも私は継戦可能だと言ったはずだ。露出が見るに堪えないからと貴様が勝手に戻したんだろうが』

 

 

 徒花さんは不服そうにぼやいて、

 

 

『……森に馬場のヤツが忍ばせたロボットが幾つか配置されている。戦闘の役には立たんが、一応こちらからでも状況が分かるようにはなっている。が……まずいぞ。塗替の精神、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「なんですって?」

 

 

 へ……変質!?

 

 

「というか、そんなこと分かるんですの!?」

 

『もちろん門外漢だ。正確な情報じゃあないことは頭に入れておけ。だが……これでも私はプロの魔術師だ。魔術サイドにも繋がりのあるお前なら、『死者に関する魔術』と言えば分かるか? 専門外なりに、魂の状態が人に近いかどうかくらいは判断できるさ』

 

 

 ってことは……。

 ……憑依。…………魂…………変質。

 

 

二乗人格(スクエアフェイス)……! それも、失敗しかけてる!!!!」

 

 

 確か、徒花さん曰く俺達の場合は魔神にも手が届くって話だったはずだ。

 なら逆に今の幻生さんの『天使並』は出力が低すぎて辻褄が合わない。無理やり辻褄を合わせようとするならば、幻生さんの『二乗人格(スクエアフェイス)』が不十分で、そのせいで失敗しつつあるって可能性が一番高い!

 そういえば、幻生さんの『遺産』とやらを頼りに動いていた垣根さんだって、あのまま行けば林檎ちゃんって子をダメにしちゃいかねなかったんだ。もととなる知識を扱う幻生さんが同様の事態に陥るのは、考えてみれば至極当然!!

 

 

「──隙が、できたねー」

 

 

 と、そこで上空の戦局が動いた。

 声に反応して見上げると、多層に展開されている波紋のような『光の刃』への対応で一瞬動きを止めたもう一人の操歯さんの真上に幻生さんがいて──

 

 

「随分頑張りはしていたけど、所詮は詰将棋。悪いけど、邪魔な『中身』はすり潰させてもらうよー」

 

 

 ズッドンッッッッ!!!! と、幻生さんの右腕全体に重なるように発現された巨大な『光の杭』が、もう一人の操歯さんを飲み込んだ。

 

 

「やば……っ!?」

 

 

 もちろん、攻撃の影響はそれだけにとどまらない。

 天使の一撃が山にぶち込まれたのだ。少なく見積もって、土砂崩れが発生しうる。先ほど降ろしてきた当麻さん達が巻き込まれる可能性を考えて、俺達はすぐさま降り立って『亀裂』を使って山の斜面を補強しようとするが──そこまでやって、気付く。

 山の斜面に天使並の出力の『杭』が撃ち込まれたなら当然発生する、『地表を舐めるような衝撃波』が発生していないことに。

 

 いや、そもそも。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「なん、だ……? それは……」

 

「……やれやれ。随分と面倒な機能を取り付けられたものだな、私も」

 

 

 そこに至って、光のような衝撃波のような『何か』の応酬が一旦止んだことで、俺の目にももう一人の操歯さんの姿が正確に見えるようになった。

 まるで、天女のようだった。

 何らかの白い植物のようなモノで作られたと思しき羽衣のような衣装を身に纏うその姿は、彼女が機械とは誰にも思わせないだろう。

 褐色の肌も、白い髪も、単に生態がことなるというだけで、『そういう生き物』──そんな自然さしか感じさせない。……ある一点を除いては。

 

 もう一人の操歯さんの背中は、『開花』していた。

 たとえるならば、巨大な金属の花弁。メタリックな赤の巨大な花と、おしべやめしべのようにも見える銀色の金属棒の数々。

 あまりにも生物的な印象のせいで生き物の一部分のように見えてしまうが、もう一人の操歯さんの本質が機械であることを踏まえれば、それらの機能はこうも形容することができるだろう。

 『何か』を受信するためのパラボラアンテナのようだ、と。

 

 

《嘘、だろ……! ()()()()で……!?》

 

 

 俺は、俺達は()()()()()()()()()()

 

 そして、だとすれば、操歯さんが『天使』級の力を扱っている幻生さんを圧倒できているこの現状にも説明がついてしまう。

 何故なら。

 大きく広がった花弁を背負うもう一人の操歯さんは、全身に紫電を帯びているのだから。

 

 

《……ミサカネットワークですわ……》

 

 

 レイシアちゃんが、呻くように言った。

 

 

《木原数多! あのマッドサイエンティスト、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!》

 

 

 ……恐ろしいことに、俺もおおむね同意だよ!!

 一〇〇%機械で作られた人間。そんなお題目を聞いた時、俺は確かに頭のどこかで『その技術』との関連性を考えた。脳幹以外を全て機械で構成された能力者サイボーグ。自身の肉体の内部構造を改変することで能力の『噴出点』を自分に誘導し、それによって学園都市中のあらゆる能力を拝借する機能。

 数多さんはおそらく、もう一人の操歯さんを改造して、そんな機能を後付けした。

 もちろん、一〇〇%恋査さんのそれを再現しているわけじゃないだろう。時期的にもそれが可能な技術力があるかどうかは疑問だし。だが、ダウングレードした技術なら?

 第三位に限定した能力サイボーグ技術なら十分に可能だろうし、第三位を利用したミサカネットワークへの接続と大幅な能力の出力強化は既に幻生さんが大覇星祭で実践している。美琴さんの意思が関係ない分、心理掌握(メンタルアウト)の制御を奪う必要もない!!

 能力を拝借することができるなら、これは既存の技術でも十分に実現できる範疇なんだ……!

 

 あの大覇星祭の時の美琴さんの出力なら、確かに『天使』並の出力を持つ幻生さんを押せていても違和感はない。むしろ今の幻生さんは徐々に崩壊に向かっているらしいんだから、この分だと『残り時間』は俺たちが想定していたよりもずっと短いかもしれない……!

 

 ……そしてもし、もう一人の操歯さんが、美琴さんの能力をあの出力で運用しているのだとしたら。

 

 

 ………………!

 

 

 俺達は、即座に上空へと舞い上がった。

 

 

 


 

 

 

 ──差は歴然だった。

 

 第四位と大能力者(レベル4)

 接近戦と遠隔戦の両面からの戦いは、確かに大概の敵に対して優位に立てるだろう。だが、迸る紫電の盾で絶滅の極光を受け流し、窒素の白兵戦には砂鉄の腕で互角以上に立ち回る第三位の能力の前では、二人の攻撃は聊か『手数』に不足があった。

 

 

「ふう……ッ! ほんっと、圧が凄いのよアンタ……! もうちょい爽やかに戦えないの!?」

 

「っせえなあクソガキがァ! チマチマこっちの攻撃の軌道捻じ曲げた程度で勝ち誇ってんじゃねえぞォ!! 真剣勝負しなさいよ! 負けんのが怖えぇのか、あァ!?」

 

「いや、威力特化のアンタに攻撃力勝負を挑むわけないでしょ……」

 

 

 何度目かの原子崩し(メルトダウナー)を捻じ曲げながら、美琴は麦野に生まれた隙を背後に忍ばせた砂鉄の鞭で突こうとして────

 

 

「……がッ!?」

 

 

 その瞬間、耐えがたい頭痛に苛まれ全ての能力が解除された。

 能力行使の空白はほとんど瞬きの間のみ。美琴はすぐさま磁力を用いて自身の身体を戦闘域から遠ざけて態勢を整えたが──しかしその一瞬の異常を見逃すような愚挙は、敵もおかさなかった。

 

 

「……あらァ? どうしたのかしら、第三位ィ。随分辛そうだけどよ」

 

「別に……! アンタらがあまりにも歯ごたえなさすぎだから、ついつい眠気で能力の制御を間違っちゃっただけよ……!」

 

「あ、そう。なら眠気覚ましにコイツでも食らいなァ!!!!」

 

 

 見え透いた強がり。麦野は美琴の挑発には拘泥せず──自分と絹旗の波状攻撃によって演算処理の限界を迎えたものと現状を好意的に解釈し──原子崩し(メルトダウナー)の双腕を振り下ろす。

 刹那の猶予の中で、美琴は策を巡らせるが──

 

 

(頭痛がひどい……! このコンディションじゃ磁力による移動であの攻撃を回避できない……!? なら砂鉄……ダメ! どう考えても守り切れない! 砂鉄であの女を突き飛ばせば、照準を……いや駄目だ! アイツ、空気を操る方を近衛に置いてる! …………っ!!)

 

 

 能力による回避は不可。瞬時にその事実を認めた美琴は、一縷の望みを賭けて全能力を原子崩し(メルトダウナー)のパリィへと注ぎつつ、生身で走って攻撃範囲から少しでも外れようとする。

 

 

「あっはっはっは!! なんだその無様なザマはよぉ! いいぞもっと可愛くケツ振って私に媚びろ! 興が乗れば命だけは助けてあげるかもねぇ!?」

 

 

 あくまで、無慈悲に。

 麦野が光の双腕をまるで断頭台(ギロチン)の刃のように振り下ろしきる、その直前だった。

 

 

「…………どうやら、ギリギリ間に合ったようですわね」

 

 

 振り下ろされた絶滅の光腕の下に、手負いの第三位はなく。

 

 代わりに、その上空。

 白黒の翼を背負う令嬢が、美琴のことを姫抱きにしていた。

 

 

「……危なかったわ。ありがと、シレン、レイシア」

 

「アナタの不調のカラクリについてもこちらは把握していますが、そちらは後」

 

 

 美琴を地面に降ろしたレイシアは、目下最大の敵に目を向けながら言う。

 

 

「……第四位はわたくしが受け持ちます。もう一人の方は任せて大丈夫でして?」

 

「ナメられたもんね。いくら手負いでも、アイツくらいなら何とかしてやるわよ」

 

「こっちも超ナメられたもんですね。慢心した手負いの超能力者(レベル5)なんて、超簡単に転がせますよ」

 

「よぉ、結局戻ってきたみたいねェ裏第四位(アナザーフォー)

 

 

 好戦的な笑みを向けられたレイシアは、ゆっくりと腕を組みながら眼前の敵を見据える。

 戦闘は不可避。ここに至り、レイシアもまた覚悟を決めたようだった。即ち──第四位との、完全決着の覚悟を。

 

 

「おまたせしました。さあ、再戦と行きましょうか。第四位」

 

 

 第四位と、裏第四位(アナザーフォー)

 

 不純物の混じらない、純粋な二人の能力者の衝突が、今、始まろうとしていた。



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九六話:その手に掴むは

「よお~やくだ」

 

 

 女性──そう表現をすることすら、憚られた。

 栗毛の髪を夜風に靡かせたその立ち姿は、もはや誰が見ても、得体のしれない触手を蠢かせる化け物に等しい悍ましさを帯びている。それこそが、極彩色の彼女の内面を表しているかのようだった。

 

 原子崩し(メルトダウナー)

 

 学園都市・第四位。

 

 麦野沈利。

 

 弱冠一六歳の少女は、薄く笑みを浮かべ、顔の前で拳を握りしめる。

 パキリ、と指の骨が鳴る音がした。

 

 

 戦闘の開始は、その直後だった。

 

 

 まず、眼前にいた金髪の令嬢──レイシア=ブラックガードの姿が掻き消える。

 『亀裂』の翼の発現から上空への移動には〇・一秒の間隙すらなかっただろう。そして麦野もまた、その速度域での戦闘に食らいついていた。

 彼女たちの戦闘において、五感による感知は意味をなさない。必要なのは、演算能力。己の能力による知覚を介した精密な演算能力は、今を超え未来を見据える千里眼となる。それこそが、能力者の最高峰での戦闘の本質である。

 

 彼女の背後から迸る様に浮かび上がった二本の巨腕。破滅と凶兆に満ちた輝きを帯びたそれは、まるで格闘家が構えるようなファイティングポーズで油断なくレイシアのことを待ち構える。

 小康状態となった戦場で、二つの言葉が交わされた。

 

 

「ようやく、テメェをブチ殺せる」

 

「一敗地に塗れておいて、よく言いますわね?」

 

 

 そして、言葉を虚空に残してレイシアの姿がまたしても掻き消えた。

 

 

(……超音波アーマーを帯びての突撃! アレを食らえば私でも一発で意識を刈り取られるのは必至!! ……だが!!)

 

 

 攻め手の多彩さ。とれる手段の豊富さ。

 それが第四位と裏第四位(アナザーフォー)を分かつ最大の壁で、それがゆえに先の戦闘で麦野はレイシアに敗北した。

 しかし、ならば発想を逆転してやればいい。

 

 

「手札が多いなら、消し飛ばしてやりゃあいいんだよなァァあああああああああああッ!?!?」

 

 

 ズガガガガガガガガガガッッ!!!! と。

 

 巨人が、癇癪を起こした。

 

 

 破滅を意味する両腕が、乱雑に周辺へと振り回される。

 レイシアは最初それを自身に対する牽制と捉え、その稚拙さを鼻で嗤おうとしたが──彼女の内面に潜むもう一つの人格が、その浅慮を止めた。

 

 

《違うレイシアちゃん! アレは牽制じゃあない!》

 

 

 レイシア=ブラックガードにおいて、戦闘時の役割分担は流動的だ。

 その前後の戦闘の流れや敵対者に対する人間的相性などを踏まえて、どちらが言うでもなく自然にスイッチして分担を行う。時にはどちらも戦略を練り、どちらも能力演算を行うなんて変則的な対応をとることすらあるほどだ。

 今回の戦闘においてはレイシアが肉体操作を、シレンが能力の演算を担当していたが──それゆえに、シレンは気付いた。

 

 

《破壊しているんだ! 『繭』を!!》

 

 

 ──暴風発動の為に戦闘開始時より展開されていた、『亀裂』の繭。

 それが、今の一撃で破壊されていることに。

 

 

「アンタの能力はもう知っているわよォ、裏第四位(アナザーフォー)! アンタの能力はあくまでも『分子間結合力』に干渉して万物を分断する『亀裂』! 気流操作はその応用で行っているにすぎない! そう……『亀裂』を折り重ねるようにして生み出した『真空地帯』を解除することによってねェ!」

 

 

 勝ち誇るような笑みとともに、麦野は吠える。

 

 

「ならよォ……テメェが解除する前に、それ──破壊しちまえばいいんだよなァ!? そうすりゃ、フザけた気流なんざ使えねえ! それだけで、テメェの無数にある手札はたった一つの『亀裂』しか残らなくなる!!」

 

 

 ──『亀裂』の繭が破壊されれば、当然超音波による鎧は使用できなくなる。

 原子崩し(メルトダウナー)では対応できない手札の数々も制限できる以上、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の優位性はほぼ失われると言っていい。

 もちろん、闇雲に原子崩し(メルトダウナー)の巨腕を振るうだけですべての『繭』を破壊できるわけではない。だが、応用のうちの何が破壊されるかどうか分からない状況では、レイシアはそれを計算に入れて行動しなければならない。

 

 

(飛行自体は、『亀裂』の翼が破壊されない限りは可能……だからまだ死に体ではない。でも……! 確実に暴風を使った応用は封じられた……! ……ここから、どう動く……!?)

 

 

 戦慄しつつ、シレンとレイシアは次の手を打てずにいた。

 

 空高く舞う令嬢を見上げながら、光の双腕を携えた鬼の女はゆっくりと、しかし冷徹に盤面を見下ろす。

 

 

 ────敵もまた、超能力者(レベル5)

 

 

 高みへ羽撃(はばた)くのが、一人だけとは限らない。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

九六話:その手に掴むは "ZERO"_or_Pride.

 

 

 


 

 

 

 

 戦闘開始より五分。

 

 レイシアと麦野の戦闘は、鬼ごっこの様相を呈するようになっていた。

 というのも、

 

 

「オラオラぁ!! 逃げてばかりじゃ私のことは倒せねェぞォ!?」

 

「……! あら、いつからわたくしとアナタが対等な勝負をしていると? わたくしが時間稼ぎをしているだけという可能性を考慮に入れなくてよろしいのかし、らッ!!」

 

 

 原子崩し(メルトダウナー)の放射による加速。

 それを利用して、麦野は接近しての高速戦をレイシアに挑んでいた。『繭』を破壊したことで超音波の鎧を警戒する必要がなくなったことが、要因としては大きいだろう。

 そして肉弾戦において、レイシアが麦野に勝てる道理は存在しない。ゆえにレイシアは、自分と麦野の間にあえて白黒の『亀裂』による繭を展開していた。もちろん風向きなど計算に入れてない、ただの空気の爆発しか起こさない程度のものだ。

 だが、それでも最短距離を結ぶ延長線上に存在する障害物を麦野が無視することはできない。原子崩し(メルトダウナー)の放射による加速はあくまで直線の移動であり、進路上に現れた障害物を回避しながら高速機動を続けようとすれば、その負担は麦野の肉体に蓄積されていくからだ。

 それに何より──『繭』を放置することは、敵の手数を増やすことにも繋がる。

 ゆえに。

 

 

「拙いブラフだなァ!! んなもん、テメェをぶち殺してからでも十分考慮は間に合う!!!! テメェは一秒でも長く生き永らえることだけ考えていればいいのよ!!」

 

 

 剛腕一閃。

 光の巨腕を薙ぎ払うことによって、『亀裂』の繭はいとも簡単に破壊される。また、()()()()()『亀裂』によって麦野の注意を惹きつつ透明の『亀裂』を使ってひそかに準備を推し進めている可能性も考え、もう一本の巨腕で定期的に戦場を一掃することも忘れない。

 お陰で山頂付近は木々が一本も残らない禿山と化していたが、これはむしろ、超能力者(レベル5)の戦闘で地形が原型を留めている方が珍しいと考えるべきだろう。

 麦野もまた、同じ考えだった。

 

 

「……どうした」

 

 

 そして──それゆえに、怒りに満ちていた。

 

 

「いつまで『暴風』に拘ってんだ!! テメェの能力は風か!? あァ!? ()げェだろうが!! テメェの能力は万物を切断する『亀裂』! だったらそれを直接私に向けるのが本来の運用なんじゃねェのかよ!!!!」

 

 

 もし仮に、レイシアが己の能力を十全に使っていれば。

 この逃避行の際に、幾度も『亀裂』を麦野に差し向けていただろう。もちろん目に見えるものであれば原子崩し(メルトダウナー)の双腕で薙ぎ払えるが、たとえば透明の『亀裂』を使って振るうようなことがあれば、麦野はもっと慎重な戦いを余儀なくされていた。あるいは、既に手を誤って四肢の一本でも失っていたかもしれない。

 だが、裏第四位(アナザーフォー)はそれをしない。

 できないのだ。

 敵対者の四肢を奪う──そんな取り返しのつかない負傷を与えることを、『人の道を外れた行為』と見做している。相手が命を狙ってきていると知っていても、その一線を崩さないまま、あろうことか第四位を倒そうと目論んでいる。──それができる気でいる。

 

 

「馬鹿にすんのも大概にしろ小娘!! この街の!! 闇を目の前にして!! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ァ!!!!」

 

 

 侮辱、と麦野は素直に受け取っていた。

 

 能力者同士の、プライドを賭けた真剣勝負。

 だというのに、目の前の裏第四位(アナザーフォー)はそこへ目を向けようとしない。手札を残して、余力を蓄えて、安全地帯のヒーローごっこに興じようとしている。その生き方そのものが、自分に対する侮辱──麦野はそう思っていた。

 

 

「立ち塞がるなら殺す気で来い!! 殺す気がねェなら立ち塞がるな!!!! その程度の覚悟もねェくせに────(わたし)に立ち向かおうとか考えてんじゃねェよッッ!!!!」

 

 

 激情。

 叫びと共に麦野は、あえて双腕を山頂に叩きつけた。下手をすれば、レイシアの展開した『繭』に正面衝突しかねない危険な賭け。

 だが麦野は賭けに勝利した。幸運にもそのタイミングで『繭』は現れず──そして下方からの爆裂によって、レイシアは一瞬だけバランスを崩し、飛行速度が遅くなる。

 

 一瞬にも満たない時の流れの中、レイシアの表情が確かに狼狽の色に染め上げられるのを、麦野は確かに確認していた。

 そしてそのときには、既に原子崩し(メルトダウナー)の放射によって、レイシアに肉薄していた。

 

 ──一撃目に蹴りという肉弾戦による攻撃を選んだのは、別に温情によるものではなかった。

 レイシアのバランスを崩すために『循環』を二つ使用している為、攻撃に使える能力使用は『放射』しかない。しかし『放射』には照準の為のタイムラグが存在するため、音速を超える速度の戦闘ではとても使えないのだ。

 だから、すぐさま扱える肉体の礫をレイシアの腹に叩き込んだ麦野の判断は、至極当然のものだったと言えよう。

 

 

「ごあッ…………!?」

 

 

 腹に尖ったヒールが突き刺さったレイシアの口から、胃液と共に苦し気な吐息が漏れ出す。

 麦野が足を振り切る動きに合わせ、レイシアの身体は真下目掛けて弾丸のように吹っ飛んで行った。

 原子崩し(メルトダウナー)で追い打ちを仕掛けることも可能だったが、麦野はあえてその手を選ばなかった。照準までの間にレイシアが体勢を立て直すことは想像に難くなく、『放射』によって発生する土煙はレイシアに次の手を打たせるのに十分な時間を与えかねないからだ。

 

 

(嬲り殺す為じゃない。最短ルートで殺すために、能力は使わない)

 

 

 怒り狂いながらも、麦野は冷徹に盤面を支配していた。

 しかしそれは、レイシアの側からしても想定外ではなかった。

 

 

《やっぱり……! 麦野さん、肉弾戦に切り替えてきた!》

 

《当然の帰結ですわ。原子崩し(メルトダウナー)は高速戦には対応できない。なら筋肉自慢のゴリラ馬鹿が、次の手に何を選んでくるかなんて明白ですもの!》

 

 

 高速戦を挑めば、麦野が肉弾戦に頼るのは想定の範囲内。

 これまでの戦闘は、麦野に一つの誤認を生むための作戦であった。

 つまり──

 

 

《これで麦野さんはこう思ったはず》

 

《レイシア=ブラックガードは、暴風さえ封じれば自分に何もできない!》

 

 

 

 そしてそれこそ、レイシア達の戦略でもあった。

 レイシアが肉弾戦に対して有効な打開策を見いだせなければ、麦野は当然それが有効だと判断する。攻め手を重ねていくうちにその確信は深まり──より攻撃に意識を割き、肉弾戦で向かってくる。

 

 何度目かの応酬の後。

 再度レイシアへの肉薄に成功した麦野に対し、レイシアは土壇場で『亀裂』の壁を展開した。これならば肉弾戦に対する防御になるとの判断だったが──麦野はあっさりと光の腕でそれをむしり取り、レイシアを眼下に収める。

 『亀裂』を障子でも破るかのようにあっさりと破壊された事実に、レイシアの思考が一瞬だけ空白に染まる。

 

 それを見ながら、麦野はスッと足を高く上げる。

 

 

「どうして、『亀裂』程度で私の猛攻を防げると思った?」

 

 

 そして、それこそがレイシアの望んでいた展開だった。

 

 

「──暴風だけ。……どうして、それ以外の手札がないと思いましたの?」

 

 

 直後。

 踵落としを狙っていた麦野の身体は、横合いから飛び出してきた『残骸物質』に撥ね飛ばされた。

 

 

「三次元の豆腐を切断すれば、その断面は二次元の平面となるように。三次元よりも高次の『何か』を切断すれば、その『断面』は物質としてわたくし達の世界に現れる。暴風さえ抑えれば勝てるとでも思いまして? ……アナタごとき『格下』など、暴風がなくてもどうとでもなりますわ。身の程を知りなさいな」

 

 

 吐き捨てるように言い切ったレイシアはしかし、『亀裂』の翼による高速移動の手を止める気はなかった。

 今の煽りはあくまで麦野の冷静さを奪うための舌戦。原子崩し(メルトダウナー)を防げるかどうかも分からない程度の『残骸物質』で麦野を攻略できるなど、レイシアの方も考えてはいない。

 

 

「…………道理でな」

 

 

 吐き捨てるような呟きがあった。

 フッ飛ばされて地に伏していた麦野は危なげなく起き上がると、そのままレイシアを見上げる。

 月光に照らされた彼女は、頭から血を流してはいるものの、それ以外に目立った負傷はない。そしてその眼差しも、怒りに満ちてはいるものの、狂気に染まってはいなかった。

 

 

「仮にもこの街の上が私の上に置くような能力者だ。暴風なんざ潰した程度で終わるとは思っていなかったわよ。だから警戒していた」

 

 

 『残骸物質』の直撃は、乗用車の正面衝突に匹敵する威力を秘めている。いかに麦野といえど、攻撃の途中で食らえばひとたまりもない。

 であれば、なぜ彼女がいまだに意識を保てているのか。それは単純──彼女が攻撃の瞬間、『循環』によって作り出した両腕による防御を意識していたからだ。

 

 

「しっかし……クソ頑丈な物質だな。私の原子崩し(メルトダウナー)でも滅しきれねェとは思わなかったわ」

 

 

 地面に沈み込むように消えていく『残骸物質』の表面は、大きく溶かされ破損していた。

 原子崩し(メルトダウナー)は、『残骸物質』を破壊できる。

 ただしその威力と強度は殆ど拮抗しているため、今回は『残骸物質』の移動速度の分だけ受け止めきれずに麦野も吹き飛ばされた──というところだろう。

 瞬時にその事実を理解した二人は、それを計算に入れたうえで未来の戦局を演算していく。

 

 

『もしもアイツの能力で「意味が分からねえモン」が出てきたら、そいつは狙い目だぜ』

 

 

 麦野の脳裏に、男の台詞が蘇る。

 

 実のところ、『残骸物質』は計算外なんかではなかった。

 だからこそ、麦野は突然現れた伏兵に対して咄嗟に防御という行動を選択できたのだから。

 

 ──助言の主は、この男。

 金髪に、顔面の半分を覆う刺青。チンピラのような科学者、木原数多だった。

 彼女たち『アイテム』を雇った張本人である彼は、この戦闘の直前のタイミングで、麦野にあるアドバイスを送っていた。

 

 

『物質ってのは、切断すれば次元が一つ下がる。立体は平面に、平面は直線に。……そして直線は、極点に』

 

 

 それは、ある歴史では世界を破滅に導いた知識だった。

 

 

『テメェの原子崩し(メルトダウナー)は、電子を粒子でも波形でもない曖昧な状態で操る能力。極小の一点を、一点にして全体のまま扱うのにはこれ以上ないってほど適した能力だ』

 

 

 しかし本来、それは専用の実験器具や数多の戦闘を経てパラメータをセッティングすることで初めて得られる境地でもある。

 正しい道のりを通るのであれば、たった一戦の中で麦野が得られるものではない。しかし。

 

 

『……そして裏第四位(アナザーフォー)は、()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 悪魔のような笑みを浮かべ。

 

 

『俺は以前、ヤツが実際に「次元」を切断してみせたのを見た。順当にやりゃあ、一次元をまとめて切断するのがテメェには観測できるはずだ。そのパラメータを利用すりゃあ、テメェにも手が届くはずだぜ。……「〇次元の極点」にな』

 

 

 科学者は、少女を唆す。まるでイヴに悪意を吹き込むサタンのように。

 

 

『踏み台にしちまえよ。テメェを超えた忌々しい小娘を。そうすりゃ、名実ともにテメェが第四位──いや、それ以上だって狙えるかもしれねえぜ?』

 

 

 〇次元の極点。

 それは、世界の集約。これは極小の一点であると同時に、世界全てでもある。この極点を経由すれば、能力者はこの世のあらゆる物質をどこへでも飛ばすことができる。

 欲しいものはいくらでも手元に置いておくことができ。

 要らないものは銀河の果てへでも吹き飛ばせる。

 それが、〇次元の極点の本領である。

 そして麦野には、それを扱う資格があった。

 

 

(あと一回だ)

 

 

 『放射』による高速移動でレイシアとの距離を詰めながら、麦野は内心でほくそ笑む。

 

 

(ヤツの『残骸物質』。おそらくまとめて幾つかの次元も切断しているはず。十中八九、一次元もその範囲に含まれているだろう。あとはそれを間近に観測すれば…………極点(しょうり)は私の手の中に落ちる)

 

 

 レイシアは逃げながら、『暴風』を使うための繭を展開しようとする。

 麦野はレイシアに追いすがりながら、これを『光の腕』で薙ぎ払う。そうこうしているうちにレイシアは麦野に追いつかれ、そして打撃を浴びそうになり──

 

 

「しつっ……こいですわね! このゴリラ!!」

 

 

(──来た!!!!)

 

 

 横合いから発生した未知の感覚に、麦野は全神経を集中させる。

 糸が解れる感覚があった。

 世界という一つの構造体が解れに解れ──そしてその一番奥にある『何か』に、手が届く感覚。

 恍惚とでも表現すべき快感と共に、麦野はそれに触れ────

 

 

「ご苦労だったな、クソアマ。テメェのお陰で無事に私はコイツを『収穫』できた」

 

 

 その手の中に、光の玉が生まれた。

 

 それは、原子崩し(メルトダウナー)による粒子でも波形でもない曖昧な状態の電子ではない。

 もっと、根源的な輝き。

 まるで遥か遠くにある星々の光を手元に寄せ集めたかのような、そんな輝きだった。

 

 『残骸物質』は、いつの間にかどこかに消えていた。

 

 否。麦野が、どこか銀河の果てに吹っ飛ばしたのだった。

 これが、麦野の本領。原子崩し(メルトダウナー)の果て。たとえ一方通行(アクセラレータ)でも、反射を無視してその奥へ直接働く力には対応できない。極点を介した空間移動は完全に同座標とみなされるから、そもそもベクトルが存在しないのだ。

 つまり、最強。

 

 この瞬間、麦野沈利は超能力者(レベル5)の頂点に立ったと言っても過言ではなかった。

 

 

「そんじゃ、手始めにテメェを銀河系の果てまで吹っ飛ばしてやるか。安心しろよ。誰もテメェの醜い死に顔は見なくて済むようにしてやっからよォ!!!!」

 

 

 ──はずだった。

 

 

「…………あ?」

 

 

 ふと気づくと、麦野の手の中にある極点に、一筋の『亀裂』が差し込まれていた。

 白黒の面を持つ、『亀裂』。レイシア=ブラックガードの能力だった。

 

 

「……なんだ。そんなもん……触れた瞬間に、銀河の果てに吹っ飛ばして……?」

 

 

 消し飛ぶはずだ。麦野は既にそういうふうに能力を操っている。にもかかわらず、『亀裂』は消えない。それどころか、極点自体に亀裂が走るような、嫌な音が手元から響き続ける。

 

 

「どういうことだ!? 極点はっ、確かに! 私の手に! テメェの能力を踏み台にして、私は……っ!?」

 

「アナタが何を手にしたのか、わたくしには分かりませんけれど」

 

 

 対するレイシアは、あくまで落ち着きを払いながら、狼狽する麦野を見据えている。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 つまり。

 

 この場に、『極点の支配者』は二人いる。

 

 レイシアに、『〇次元の極点』を扱うことはおそらく不可能だろう。彼女の本質は切断することであり、極点を作り出すことはできても、それを制御することはできない。だが一方で、レイシアは極点を作り出すことはできる。

 麦野が扱おうとした極点のほかに極点を生み出し続ければ、世界の基準点を複数持つ状態では麦野の能力がエラーを起こし、正しく機能しない。

 

 この瞬間、麦野は理解した。

 

 

 目の前のコイツは、不倶戴天の敵だ。

 

 

「ブチコロシ、カクテイね」

 

「オシオキなら、してさしあげてもよろしくてよ!」

 

 

 極点は使い物にならない。

 その事実を認識した麦野は、掌の中に収めた世界をいったんすべて破棄し、再度光の双腕を振るってレイシアを屠らんとする。

 高速で空に移動したレイシアはしかし、既に十分すぎるほどの時間を得ていた。その証拠に、彼女の頭上には──太陽が輝いていた。

 

 それは正しくは太陽ではない。

 気流を収束させることにより、空気を極限まで圧縮した──摂氏一億度の巨大なプラズマ球体である。

 

 

「……()()()()

 

 

 せせら笑うように、レイシアは言う。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 麦野の答えは、決まっていた。

 

 

「上ッ等だ!! クッソガキがァァあああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 

 気流に押し出されるように、ゆっくりと麦野へと降りかかるプラズマ。

 麦野は言われずとも分かっていた。これが、レイシア=ブラックガードの──白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の奥義。最大戦力。即ち、これを上回れば、裏第四位(アナザーフォー)の手札はすべて征服したことになる。

 そして、破壊力勝負ならば──原子崩し(メルトダウナー)に負ける道理などあるわけがない。

 

 

「ああ……あああああァァァあああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 プラズマと原子崩し(メルトダウナー)の双腕が、激突する。

 一億度にもなるプラズマを生成するほどの気流は、確かに凶悪だった。原子崩し(メルトダウナー)の出力を以てしても一瞬たじろぐほどの威力がそこにはある。だが──所詮は気体。粒子でも波形でもない曖昧な状態のまま高速で射出することにより、疑似的な固体としての性質を得るほどの『抵抗力』を獲得した電子の前では、あまりにも脆弱。

 最終的に、原子崩し(メルトダウナー)の双腕はレイシアの最大戦力であるプラズマをも切り裂いて打破した。

 

 

 ──その瞬間、レイシアは高速で移動し、麦野の死角に立っていた。

 

 プラズマは、囮。

 破壊力勝負を持ち掛ければ、たとえそれが見え透いた罠だったとしても、麦野沈利は受ける。むしろ、受けないという選択肢はない。それは、彼女の誇りを捨て去る行為だからだ。

 特にレイシアが『殺さず事を収めようとしている』ことに憤りを感じるような人間性の相手であれば。

 プライドの為に最適解を投げ捨てる麦野の精神性を知るレイシアだったからこそ選び取った、あまりにもピーキーな策だ。

 

 

(…………!)

 

 

 しかし、見事に麦野を出し抜いたレイシアだったが、それでもその表情はすぐれない。

 演算リソースを大きく使用するプラズマの生成に加え、瞬時の高速機動まで行ったのだ。かつてないほど間断なき演算戦闘に、レイシアの脳も悲鳴を上げ始めていた。

 さらに──レイシアの気流感知は、眼前の麦野が原子崩し(メルトダウナー)による盾を展開していることを示していた。

 プラズマの時間稼ぎが続くのも、あとほんの一瞬程度。原子崩し(メルトダウナー)の盾を迂回して高速機動を行い、麦野に超音波の鎧を帯びた突進を食らわせるには、あまりにも時間が足りなさすぎる。

 

 

 ──二人の脳裏に、ある選択肢がちらつく。

 

 

『立ち塞がるなら殺す気で来い!! 殺す気がねェなら立ち塞がるな!!!! その程度の覚悟もねェくせに────(わたし)に立ち向かおうとか考えてんじゃねェよッッ!!!!』

 

 

 『亀裂』による、直接攻撃。

 

 たとえば左腕を切り飛ばすような激痛を与えれば、まず演算はできなくなる。その隙にさらなる一撃を与えて昏倒させれば、確実に麦野を倒すことができるだろう。

 殺すわけじゃない。

 正史のままに進めば、結局はその通りになる程度の負傷だ。

 別に今ここでレイシアがやってしまっても、どうせ大勢に影響はない。

 

 

 ……レイシアの右目に映る麦野のブレが、僅かに収まりだした。

 

 

 かくして、広がり散らばった未来は収束を始める。

 

 まるで、伸び切ったゴム紐が元の場所に戻るかのように。

 

 

 そして、そのブレは完全に静止して────

 

 

《いや、ダメだ》《いえ、ダメですわ》

 

 

 ──しかし、再始動する。

 世界の歪みは、収束しない。少なくとも、そんなつまらない結末へは。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 それが──真価の違い。

 〇次元の極点と、臨神契約(ニアデスプロミス)の差。

 

 

《なら、どうする? 最短距離には原子崩し(メルトダウナー)の盾。迂回しようものなら時間稼ぎのプラズマを蹴散らした麦野さんの反撃が来るけど》

 

《なら、真っ直ぐ行けばいいだけですわ。盾をどうするかは────》

 

 

 空を翔けながら、レイシアは断言する。

 

 

《──シレン、アナタに任せました!!!!》

 

《完全に人任せじゃん!!》

 

 

 呆れながら、シレンは既に答えを見つけていた。確かに、この距離で高速機動を仕掛けても、迂回しながらでは時間稼ぎのプラズマを蹴散らし、麦野はこちらの攻撃に応対してくるだろう。

 ならば、その距離をさらに縮めることができれば?

 

 

《プラズマの制御は既に手放した。高速機動だけしか今の演算タスクは残っていない。それなら……余裕はある! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!!!》

 

 

 ズッ──と。

 唐突に発生した浮遊感に、麦野は虚を突かれる。そして気付く。蹴散らしたプラズマのその先に、レイシア=ブラックガードがいない。

 

 

「……クソが、こいつは囮……ッ!? だが、その距離なら十分反撃が間に合……!?」

 

「間に合いませんわよ。アナタもこちらに向かっているのですから!!」

 

 

 自身が移動させられているという事実への驚愕。

 その一手分の遅れもまた、勝敗を分ける一つの要因となった。

 

 原子崩し(メルトダウナー)の盾をくぐり、拳が届く距離に肉薄したレイシアは、右手を静かに振りかぶる。

 そして、超音波念動で移動させられながら、なおも肉弾戦による反撃を行おうとする麦野に向かって──

 

 

「覚悟がどうだのとか、抜かしておりましたわね」

 

 

 ギリギリと握りしめた右拳を振り抜き。

 

 

「誰も殺さない。誰も死なせない。それがわたくし達の、覚悟ですッ!!!!」

 

 

 ゴガンッ!!!! と。

 一つの決着がつく音が、宵闇に響いた。

 

 

 


 

 

 

 ──麦野さんとの戦闘が終わった後。

 

 演算のし過ぎでいつもよりも重く感じる頭を手で押さえながら、俺達は他の戦場──美琴さんと絹旗さんの方へと向かっていた。

 美琴さん、どうも本調子じゃなかったからなぁ……。おそらく苦戦はしていると思うけど、大丈夫だろうか……。

 

 そんなふうに、心配していたのだけれど。

 

 

「…………ようやく捕まえたわよ。もう観念したらどう?」

 

「……超その通りみたいですね。どうやら麦野も敗北したようですし」

 

 

 俺たちが到着したちょうどそのときに、絹旗さんはおびただしい量の砂鉄によって捕縛されたようだった。

 ……いやぁ、本調子ではないとはいえ、やっぱり大能力者(レベル4)相手なら危なげないなあ、美琴さん……。いや、よく見たら色々と擦り傷があるし、直撃を防いだだけでけっこう攻撃はもらっていたのかもしれないけど。そのへんはさすが絹旗さんだ。

 

 

「えっ? ……あ! レイシア! シレンさん!」

 

 

 遅れて、美琴さんも俺達に気付いたようだった。

 

 そして、その一瞬の油断が命取りとなった。

 

 

「捕縛したって言っても超戦闘中によそ見なんていけませんよ」

 

 

 ボバッ!!!! と。

 おそらく、圧縮した窒素缶でも爆裂させたのだろう。その衝撃で砂鉄を散らした絹旗さんは、そのまま一目散に駆け出し、戦場から離脱していった。

 

 

「また、縁があれば会うこともあるでしょう。……個人的には、アナタとは超敵対はしたくないですしね」

 

 

 ……あの分じゃ、多分麦野さんも回収されてるだろうなあ。下手に麦野さんの身柄を確保して途中で暴れられたら本当に死んじゃうのであえて放置したけど。ああ、またことあるごとに麦野さんと戦わなくてはいけないのだろうか。今度はどんな強化がされるんだろ……。

 あの良く分かんない光については、多分俺達が何かをしない限り出せないものだとは思うけど、それもよく分からんしなあ……。ちゃんと後日研究しないとダメかも。

 

 

「どうする? 追撃しよっか?」

 

「いえ。あれだけ完膚なきまでに叩きのめしたのです。少なくとも今夜中は復帰してはこれないでしょう。それよりも今は、塗替の救出に全力を注ぎたいですわ」

 

「了解。……っつっても、私はなんでかよく分からないけど、そろそろ電池切れがきそうなのよね……」

 

「それについても、原因は分かっています」

 

 

 おそらくは──もう一人の操歯さんの背に咲く大きな花のようなアンテナ。

 アレが、超電磁砲(レールガン)を横取りしているのだ。つまり、アレさえ破壊できれば美琴さんが消耗することもなくなるはず。

 それよりなにより、今は任せきりにしてしまった当麻さん達への救援に向かわないと!

 

 

「わたくしは、もう一人の操歯さんを抑えに行きます。美琴さんは、帆風さん達のサポートに回っていただけますか?」

 

「しゃーないわね。分かったわ。最後まで付き合ってやろうじゃないの!」

 

 

 頷き合って、俺達は当麻さん達のいる戦場目指して、山を下っていく。

 向かっていく戦場の先から、まるで雷雲が這うような低い轟きが近づいていた────。






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作:柴猫侍さん(@Shibaneko_SS


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九七話:もう一人の──

 レイシアが麦野と戦い始めたちょうどそのころ、上条達は本来の目的である木原幻生の憑依を解除するため、山林の中を走っていた。

 遠くから雷雲が轟くような音が響く中、上条達は草木を掻き分けて必死に先へ進んでいく。

 

 

「……なあ、こっちで合ってるのか? 木々の隙間からなんとなく方向を確認しながら進んではいるけど……」

 

「問題ありません。塗替様の匂いは、大覇星祭の際に確認していますので。嗅覚を強化すれば、ある程度の方向は分かります」

 

「……………………嗅覚?」

 

「帆風さんの天衣装着(ランペイジドレス)は単なる身体強化ではありません」

 

 

 走りながら。

 先導するように先頭に位置する帆風にどこか陶酔したような視線を投げかけつつ、入鹿は言う。

 

 

「帆風さんは単純な身体強化の他にも、肉体再生(オートリバース)! 過剰知覚(マルチセンサ)! 自動操縦(オートマタ)! 凡そあらゆる肉体を対象とした能力のデパートみたいなお方なんです!!」

 

「……弓箭さん、ちょっと……」

 

 

 先を走る帆風が少し照れて赤面するような一幕がありつつ。

 

 上条はそんな入鹿の熱っぽい解説を素直に受け止め、軽く頷く。要するに、超絶的な身体能力の持ち主というわけだ。上条の中で、『軽めの神裂みたいなものかな?』という各方面に対して大変失礼な思考が生まれる。

 ──そんな風に考えていた、罰が当たったのだろうか。

 

 

「うおっ」

 

 

 急に立ち止まった帆風にぶつかりそうになり、上条は思わずつんのめりながらもその場で足を止める。

 それに対して抗議の声を上げる前に、上条は驚愕の声を上げることになった。

 

 

「えっ……お前、何してるんだ!?」

 

 

 帆風潤子は──その場で腰を低く低く構え、上条の足元に両掌を上に向けて差し出していた。

 まるで、『何か』を乗せてくれと言わんばかりに。

 理解が追い付かない上条に対して、帆風は視線だけを上空へ向けながら続ける。

 

 

「……見てください。あそこでドッペルゲンガーさんと幻生さんが戦っています。私が貴方を上空へ放り投げますので、その右手で憑依を解除してください」

 

「はぁ!? おいおいおいおいそんなことできるわけねーだろ! っつか、着地とか一体どうするつもり、」

 

「帆風さんがやれと言ってるんですよ! さっさとやる!!」

 

「うわー!! 横暴だー!! 全体的に不幸だー!!!!」

 

 

 泣き喚く上条だが、根本的に女所帯における男の発言力ほど儚いものはない。まるで抗えない力の流れに背中を押されるかのように、帆風の両手の上に両足を乗せる。

 次の瞬間だった。

 グン!!!! と全身に途轍もない力──慣性である──がかかった、上条がそう認識した次の瞬間、彼の身体は上空高くへと放り投げられていた。

 

 

「ッッ、あァァあああああああああああああああああ!?!?!?」

 

 

【挿絵表示】

 

作:柴猫侍さん(@Shibaneko_SS

 

 

 『投擲』された上条が最低限の冷静さを失わずにいられたのは、既に一度『投擲される』という現象を体験していたからだろう。空中でなんとか姿勢を保つと、上条は空中戦を行っている幻生とドッペルゲンガー目掛けて一直線に突き進んでいく。

 ただし。

 音速を超える攻防を繰り広げている幻生とドッペルゲンガーがそれに対して一切のリアクションをとらないと考えるのは、あまりにも見通しが甘すぎたと言わざるを得ない。

 

 

「──『契約』にはコイツの存在はなかったな。イレギュラーならこちらで適当に処理しても問題ないか」

 

「やれやれ。勿体ないけどねー……。君の右手はこの場においてはマイナスにしか働かないからねー、ここで退場してもらおう」

 

 

 白の羽衣を纏う絡繰の左手に、光の槍が生み出される。

 

 痛々しく罅割れた青年の右手に、光の鎌が生み出される。

 

 いずれも、それぞれが大陸を砕くほどの威力の一撃。──即ち、幻想殺しでは受け止める事のできない、確殺の一手。上条はそれを一瞬にして体感した。

 

 

「ふっ……ふざけんな!? こんなところでそんなもんをぶちかまされたら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?」

 

 

 上条の叫びに対して、二人の化け物はあくまで無慈悲だった。

 不確定要素を戦場に入れることを嫌った二人の化け物は、次の瞬間無造作に上条目掛け即死を意味する一撃を放つ。上条の寿命は、その時点で残り〇・一秒で確定されたかに思えた。

 

 

「う、」

 

 

 幻想殺しは一つだけ。

 二方向から放たれる確殺の一撃を上条が止めることはできない──仮に二つ同時に対処できたとしても、幻想殺しではそもそも一つの攻撃さえ受け止めることもできない。

 上条はそれを、逆手に取った。

 

 

「おォォおおおおおあああああああああああッッ!!!!」

 

 

 ゴギィッ!!!! と。

 上条の右肩を突き抜けて空の彼方へと飛んでいく軌道だったドッペルゲンガーの一撃を右手で受け止めた上条は、その一撃を()()()

 もはや槍としての体を成さず、一筋の光条と化したドッペルゲンガーの一撃は、打ち消されないまでもそれでぐりん!! と分かりやすく軌道を捻じ曲げる。

 

 

「な……ッ!? こちらの一撃を……!?」

 

「これ、でッ!!」

 

 

 もちろん、そうしながらも上条は打ち消しきれなかった槍の勢いに乗って吹っ飛んでいく。だがこの場合、それが逆に功を奏した。幻生の方から放たれた一撃へと、ドッペルゲンガーの槍をぶつける時間が、これによって稼げたのだ。

 捻じ曲げた槍の一撃をぐん!! と思い切り引っ張ると、光条は勢いよく幻生の鎌へと激突し、そこで連続した小爆発を巻き起こす。

 

 

「うおぉ!? そういえば、打ち消しきれない出力を捻じ曲げることができるんだったねー……!」

 

「……想定外の効果だが、一定の隙を生むことはできた。結果的には最上の横槍だったな」

 

「……しま……!」

 

 

 轟!! と、幻生の宿る塗替の肉体が、流星のような速度で遠くの空へと吹っ飛ばされていく。

 辛くも命の危機を脱した上条だが、次はさらなる脅威が彼の身に牙を剥き始めた。

 即ち、上空二〇メートルからの自由落下が、だ。

 

 

「うわああァァあああああああああああああああああああああ!?!? し、しし、死ぬ!?」

 

「上条様っ!!!!」

 

 

 ──果たして、上条の落下は二〇メートルほど長引いたりはしなかった。

 山林を形成する木々のうちの一本から飛び出した帆風が、空中で上条のことを確保したからだ。上条のことを抱き上げた帆風は、そのままドッペルゲンガーと幻生の戦いによって露出した山肌の上へと着地する。

 どうやら今の作戦は事前に計画されたものだったらしく、着地地点には落ち葉が大量に敷き詰められていた。

 

 

「あ、あぶねー……」

 

「……すみませんでした。まさかあれほどの余裕を持ちながら戦っていたとは思わず……」

 

 

 そして上条は、そこで気付く。

 即ち、現在の自分の姿勢──高校生の少年が、中学生の少女にお姫様抱っこされている、という状況に。

 

 

「………………なんか諸々の展開も含めて、削板みたいなことされた……」

 

「えっ!? あの方をご存じで……というか、ま、まさかわたくし、あの方と同レベルの……!?」

 

 

 そこはかとなく失礼なところでショックを受ける脳筋お嬢様はさておき。

 

 

「むきぃ! ひっつきすぎです! 帆風さんもさっさと降ろして下さい!」

 

 

 入鹿ストップがかかり、やっとのことで地面に降り立つ上条。

 ほんの数秒ぶりだったにも関わらず、やはり母なる大地の安心感は違う。人間は地に足つけて生きていかないといけないのだなあ……と上条は一人しみじみと感じ入っていた。

 

 

「作戦失敗して幻生さんはどこかへ飛ばされてしまったのですから、別の手を考えないと……。……というか、アレまだ生きてるんですか?」

 

「……ああ。俺は木原幻生って男のしぶとさを知ってる。今は別の人物の肉体を使っているけど、この間の戦闘じゃRPGのラスボスでももうちょっと潔いってくらい何度も変形して戦場へ復帰してきたんだ。あの程度で死ぬようなタマじゃないよ」

 

「それはそれで、空恐ろしい話ですが……」

 

 

 ただ──と、上条は静かに拳を握る。

 

 

「そんな幻生でも、時間制限まではどうしようもないはずだ。だからこそ、こんな強引な流れでドッペルゲンガーを取り込もうと必死なんだろうし。つまり、時間が経てばいくら幻生でもあっさりゲームオーバーしかねない。どのみち、ヤツのしぶとさは安心材料にならないぞ」

 

「分かっています! ……それならそれで、別で作戦を立てるまでのことですから」

 

 

 そう言って、入鹿は静かに考え込む。

 そんな入鹿を横目に、帆風はふっと上条に微笑んだ。

 

 

「入鹿さん、実はああやって作戦を考えるのが得意な策謀タイプなんですのよ。食蜂派閥(ウチ)に来てくれたら心強いのですが……」

 

「絶対入りませんっ!! 誰があの女の配下になんて!!!!」

 

「ええっ? よよ……」

 

 

 どうやら、複雑怪奇な派閥事情があるらしい。

 ここに踏み込むと藪蛇だと直感した上条が、上空の戦況を伺おうとした、次の瞬間──

 

 ズジャドドドドドドドドッッ!!!! と。

 上空から、光の雨のようなモノが大量に上条達目掛け降り注いでいく。帆風は咄嗟に入鹿を抱きかかえてその場から回避し、上条は右手で光の雨の一つを弾くことで自身の周囲の攻撃をまるでビリヤードの球のように散らしたが──周辺は一気に焼け野原の様相を呈する。

 上空に佇むのは、木原幻生。……先ほどの一撃など毛ほども通用していないとばかりに、完全なる無傷であった。

 

 

『……私の能力を、科学の分野で再現したような感じみたいだね』

 

 

 帆風の横で。

 彼女にしか認識できない人影が、静かに囁いた。

 ──悠里千夜。

 彼女に『憑依』している能力者であり、かつてレイシアが一瞬だけ干渉した事件において、帆風に救われた少女だった。今は常盤台中学の生徒、そして食蜂派閥の一員として社会復帰し、有事の際にはこうやって己の能力を利用して帆風と行動を共にしているのだった。

 

 

『水分を媒介にアバターを生み出し、肉体と精神制御をサポートしてそれによって能力の出力を上げるのが私の能力なら、あの人はその真逆。水分とは違うナニカを媒介にアバターを生み出し、肉体と精神制御を完全に放り投げて、能力の出力だけをひたすらに上げている。……あんなやり方じゃ、あの人の身体が持たない』

 

 

 ──濃淡コンピュータと、憑依。この二つの現象は、同根の技術体系にあると言ってもいい。AIM拡散力場を自身から分離させ、水分による濃淡コンピュータとなる悠里の幽体連理(アストラルバディ)が能力によってそれを実現するなら、幻生はそれを科学によって再現したといったところか。

 もっとも、彼は悠里の能力を再現したというよりは、レイシアの状態を再現しようとして結果的にそうなっただけなのだが……。

 

 だがこの状況は、実は悠里千夜にとって──『憑依することによって他者の手助けをする』ことを己の本質と定めた少女にとって、相応に屈辱的な状態だった。

 

 

「……千夜さん?」

 

『潤子ちゃん。私……悔しいよ。確かに私が憑依すれば、潤子ちゃんは自由に「内なる破壊衝動」を使えるようになる。でも、それだけなんだよ。私が憑依したことで、潤子ちゃんの持ち物以上のものを、あげることができない』

 

 

 これまでなら、それで十分なはずだった。

 帆風一人では至れない天衣装着(ランペイジドレス)の一〇〇%運用。これができるだけで、十分な協力だ、と。帆風はそう言うだろうし、事実悠里もそれで満足していた。

 だが、彼女たちは知ってしまった。

 二人の人格が手を組むことによって、本来の出力以上を──超能力者(レベル5)に至った一人の少女を。

 他者の人格を踏み台にすることで、本来の出力以上を──天使の領域に足を踏み入れた一人の科学者を。

 善と悪、二つの世界で、己の領分において己の限界を軽々と超えていった存在を。

 

 レイシア=ブラックガードの羽化に至っては、帆風と悠里の目の前で行われていたのだ。

 

 

「…………、」

 

 

 それが明確だからこそ、帆風は茶化せない。相棒の『羽化』を邪魔するほど、無粋な真似をするようには躾けられていない。

 

 

「……そうですわね。ブラックガード様も、壁を飛び越えていったのです。わたくし達も……『根性』を見せるべきかもしれません」

 

 

 紫電が。

 まるで羽衣のように、淑女の周囲を迸る。

 

 ──結論から言おう。

 帆風潤子は、超能力者(レベル5)足りえない。いかに人間離れした力を発揮しようと、膂力が、感覚器官が、再生速度が、それらの総合力がどれほど向上しようと、彼女がその称号を得ることは決してない。

 

 

 なぜなら。

 それは、一人の力ではないから。

 

 

 レイシア=ブラックガードは、複数の人格とはいえ一人の人間に許された資材によってその領域に至った。だから超能力者(レベル5)として認められた。

 だが、天衣装着(ランペイジドレス)がその領域に至るには、幽体連理(アストラルバディ)の力が必要不可欠となる。

 誰かの補助輪なくしては、その領域にすら至ることができない未熟。そんなものが超能力者(レベル5)の末席に数えられることなどありえない。

 

 

 ──()()()()()

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「わたくしたちだって」

 

『私たちだって』

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

九七話:もう一人の二乗人格 Astral-Buddy.

 

 

 


 

 

 

「二人で、一人なのですから!!!!」



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九八話:猛獣狩り

 大前提として、音は彼女についていけなかった。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 科学の範疇では絶対にありえない矛盾をその身に抱え、帆風潤子はその場の一切を置き去りにして行動を開始する。

 

 ──意外かもしれないが、機械の力を用いず、人体のみで音速の壁を打ち破ることは、異能を使わずとも可能だ。

 たとえば牛追いの使う鞭は音でウシを追い立てる為の道具だが、この際に発生する音は『鞭の先端が音速を超えたこと』で発生する衝撃波である。

 何の工夫もない道具を使うだけの一撃でも、音速というものは簡単に超えることができる。であれば──異能を使えば?

 筋力の限界を超えた運動力学によって、運動エネルギーの推移を移動方向に集中。同時に発生する肉体の破損は瞬時に再生能力によって回復。発生する激痛も電気信号を制御することによりカット。そして肉体の運動はすべて演算によって成り立っている為、五感によらない『演算による未来視』は音速を超えた精密駆動をも可能とする。

 

 

 ボバッッッ!!!! と、突如、山肌の一角が爆裂する。

 それは、木原幻生やドッペルゲンガーの攻撃によるものではない。帆風潤子が地面を踏み切った、そのありきたりな行動によって引き起こされた余波であった。

 

 

「っひょ──これはこれは! まさかこんなにも早く木原一族(ぼくたち)以外でこの理論を応用してくる者が出てくるとはねー、流石は臨神契約(ニアデスプロミス)! 見事な乖離だよー!! ……でも」

 

 

 向かってくる、超能力者(レベル5)の領域に足を踏み入れた少女。

 それに対し、幻生はあくまで酷薄な笑みを浮かべ、

 

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 ヒュゴッッッ!!!! と。

 音速を軽く超える一撃。横薙ぎの雷撃が、帆風の姿を掻き消す。地上から見ていた上条はその一撃の残像しか目撃することができなかったが──しかし、入鹿だけはその姿を見ていた。

 否、信じていた。

 

 

「危機感が足りていないのは、どちらかしら。……木原幻生」

 

 

 そんな、入鹿の呟きを裏付けるかのように。雷撃の中に呑まれたかに見えた帆風の姿は、一瞬にして幻生の頭上すぐの位置へと移動していた。

 

 

(ひょ──!?)

 

 

 空気の流れから反射的に頭上を見上げた幻生が目撃したのは、月夜を背にする乙女。

 風の流れで大きく広がった髪は、毛先から光のような帯をたなびかせ、全身に纏う紫電は彼女本来の姿をまるで羽衣のように覆い尽くしている。それはもう、体内の電気信号を操るなんてスケールではなく──

 

 

(そうか!! ()()()()!! 彼女の能力は単純な肉体の強化ではなく、電気信号の操作……であれば体表から数センチ程度であれば、電撃を操れても不思議ではないねー……。そして、素で音速を超える初速と身体制御術を同時に操れば、超音速での戦闘すらも可能になるというわけか!!)

 

 

 確かに、理論上は可能だろう。

 だが、その域に至るまでの障害は多い。まず、莫大な慣性による負担はどうするのか。電磁加速に必要な電力の悪影響は。その状態で肉体を制御することによる空気抵抗の被害は。それら全ての障害に対する防御と再生を加速や制御と両立する為には。

 ……それらの難関を乗り越えるには、帆風潤子はあまりに力不足。しかしそれを、幽体連理(アストラルバディ)が可能にした。肉体と精神の制御をサポートするこの能力により、帆風一人では賄うことのできない『防御』を全て託し、そして帆風本人はその裡に眠る()()()()()()()を全開にすることができたのだ。

 そればかりでなく、二つのAIM拡散力場の稼働を同調させることで、二つの能力の出力を相乗作用で強化する二乗人格(スクエアフェイス)が、サポートと出力の双方を劇的なまでに強化した。

 

 結果。

 

 

「遅、いッッッ!!!!」

 

 

 ゴガァッ!! と、木原幻生が何か行動を起こす前に、帆風の脚が勢いよく振り下ろされる。

 肉体の限界を超え、電磁加速によって音すら置き去りにした蹴りは、雷鳴のような音を轟かせながら、木原幻生の脳天に直撃した。

 直後、幻生の身体は流星のように地面へと吹き飛ばされる。

 

 反動により僅かに浮かび上がりすらした帆風は、しかし一切の油断を見せずに鋭く叫ぶ。

 

 

「上条様、弓箭さんッ!! 今のうちに、幻生様を!!」

 

 

 今の一撃ですら、幻生にダメージを与えることは叶わないだろう。

 所詮、不意打ち。

 超能力者(レベル5)としての覚醒直後で、能力の詳細がまだ割れていない状態だったからこそ有効だった一回限りのチャンスだ。だが、帆風はそのチャンスを最大限有効に使い、宙に君臨していた幻生を地に墜とすことができた。

 いかに幻生が天使並の出力を誇り、それに準じた耐久性を持っているとしても──音速を超える一撃で叩き落としたのだ。数秒ほど行動は止められるだろうし、上条達ならばそれを生かしてくれることだろう。

 

 そう考え、帆風は横合いに視線を向ける。

 

 今まさに、目の前で獲物を横取りされた、もう一人の強者──ドッペルゲンガーの挙動を。

 

 

「厄介な真似をしてくれたものだ。これではオーダーが果たせん。……とはいえ、ちょうどいい機会だ。行きがけの駄賃に、貴様はリタイヤしておいてもらうぞ」

 

 

 大陸さえ引き裂くその一撃が。

 

 攻撃直後で無防備な帆風を襲う。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

九八話:猛獣狩り Beast_Smile.

 

 

 


 

 

 

 一方、上条当麻は帆風の意を汲んだ入鹿に引っ張られるようにして、墜落した幻生へと急接近していた。

 帆風の一撃は、まさしく幻生にとって致命的な一打だった。地面に一メートルほどめり込んだ幻生は、その状態から飛び立つまでどう足掻いても〇・五秒の間隙を必要とする。

 そしてその時間は、上条当麻が全ての距離を詰めて右手でチェックメイトをかけるには十分すぎる時間だった。

 

 

「────!!」

 

 

 幻生の脳裏に、迎撃の選択肢が浮かぶ。

 だが彼はすぐにそれを却下した。上条当麻に対して、異能の攻撃は逆効果だ。致命的な攻撃だけを受け流された挙句、土によるダメージを無視して飛び込まれるのがオチだろう。

 そして逃避を捨てた幻生を待っているのは、完全なる詰み。

 窮地に立たされた幻生は、たとえ間に合わないと知りつつもその場から飛び立つ他手段が残されていなかった。──が。

 

 

「あ゛ー、あのデク人形。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。あの野郎手ェ抜いてやがるな」

 

 

 上条当麻と、木原幻生。

 その両者の間に滑り込むような、ひと声。

 

 上条がその言葉にリアクションを入れる間もなかった。ゴッ!!!! と上条の頭が横合いから思い切り殴り飛ばされ、山の斜面を転がる。

 衝撃でぐらぐらと揺れる脳を気力で奮い立たせて起き上がるのと、入鹿がレーザーポインタを構えたのはほぼ同時だった。

 彼らの眼前に立つのは──逆立てた金髪の、チンピラめいた雰囲気を持つ白衣の男。

 

 

「アンタは……!」

 

「悪りいがよお、まだこの老いぼれに退場してもらうわけにはいかねえんだわ。こっちにも事情があってな」

 

「ひょほ、助かったよー数多……!」

 

「良いからとっととケツ振って逃げまどえロートル。……あんな()()()にしてやられやがって。とうとう脳の劣化が始まったらしいな」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 幻生はそのまま、数多に背を預けるようにして上空へと飛び去ってしまう。

 入れ違いで、紫電を纏った乙女が天から降り立った。

 

 

「はぁ……! はぁ……! 遅かったですか……!」

 

 

 ──果たして、ドッペルゲンガーからの不意の一撃を受けていたはずの帆風は、五体満足のまま帰還していた。

 

 

「…………!」

 

「ぎゃあ!? 無言で殴られた!?」

 

 

 顔を裏拳で殴られた上条は、そのまま顔を抑えて蹲る。──というのも、現在の帆風の姿は、激闘の痕か、あまりにもあられもない格好になっていたのだった。

 ブレザーは消し飛び、下のブラウスも袖部分が殆ど千切れ飛んでいる。全身煤塗れなことを考えると、おそらくドッペルゲンガーの攻撃をかなり至近に受けたことがよく分かる。

 

 目を抑える上条とは対照的に、木原数多は帆風の現状など全く気にせず、むしろ知的好奇心を満たすために彼女の姿をじろじろと眺める。

 

 

「オイ。オマエ、どうやってあのデク人形の一撃を躱した? あのガラクタが手を抜いていたとはいえ、流石に腕の一本も吹っ飛んでねえのは意外なんだがよ」

 

「別に。大したことはしていませんわ。単なる電磁加速です」

 

「……分かってねえなあ。電磁加速だ? ンなもん、第三位の能力を掌握しているこっちからしてみればガキの遊びだろうが。いくらでも好きなだけ捻じ曲げられるに決まってんだろ」

 

「分かっているではありませんの。仰る通り、電磁加速は捻じ曲げられました。……()()()()()()()()

 

 

 そこまで言われて、木原数多は気付いた。

 鳴り物入りで参戦した帆風の新たな武器、電磁加速。現状では幻生やドッペルゲンガーの領域に追いつくために必要不可欠なそれは、間違いなく帆風にとっては切り札だ。

 だから必然的に、相対する者の警戒はそこに集中する。帆風が電磁加速を使用しようとする素振りを見せれば、何をおいてもそれに対して対応しようとするくらいに。

 帆風はその心理を逆手にとって、()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 結果として策が外れた隙を突かれたドッペルゲンガーは、そのまま帆風を取り逃がすこととなったというわけだろう。

 それでも上着と両袖が残らず吹っ飛んでいるあたりは、流石の破壊力と言わざるを得ないが……。

 

 

「…………上条様。弓箭さん」

 

 

 帆風は二人に呼びかけながら、淑女のように白く細い、巨岩のような威圧感を放つ拳を構える。

 コキリと、向かい合うようにして佇む木原が、ゆっくりと首の骨を鳴らした。

 

 

「行ってください。幻生様を倒すには上条様の右手が必要不可欠。このお方は…………わたくしが食い止めます」

 

「おーおー、できると思ってんのか? 能力者(クソガキ)ごときがよォ」

 

 

 走り始めた二人の足音を耳にしながら、帆風は腰を低く構える。

 その表情には、笑みが浮かんでいた。

 余裕によるものではない。

 歓喜によるものではない。

 もっと原始的な──見るものに畏怖を抱かせる笑み。

 

 笑みとは本来、猛獣が敵対者を威嚇する為のものだった。

 

 その真偽については、甲論乙駁があるだろう。

 しかし。

 少なくとも、今この瞬間、帆風潤子の笑みを見た者がいれば────

 

 

「…………訂正するわ。やっぱこうじゃねえとなあ…………ようやく楽しくなってきやがったぞ」

 

 

 きっと、こう表現したことだろう。

 

 

「猛獣狩りの時間だぜぇ!!!!」



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九九話:意味の決定者

 開戦の狼煙を上げたのは、帆風潤子、

 

 

 ()()()()()()

 

 ヒュガガガガガッ!!!! と。

 全く意識の外にあった方角から、光の矢が連続して放たれた。それを見て、帆風は思わず驚愕の声をあげる。

 

 

「弓箭さん!? いったいなぜ!?」

 

「木原だかなんだか知りませんけど」

 

 

 ゆっくりと、木陰から滲むように歩み出たのは──弓箭入鹿。その手には、先ほど木原数多が現れた時に構えていたレーザーポインタが収められていた。

 対する木原は、大量のレーザーに撃ち抜かれ、地面に転がっている。

 

 弓箭入鹿の能力は、波動操作(ウェーブコンダクター)

 光や音と言った波形の現象を自在に操る大能力(レベル4)である。元手となるものがなければどうしようもない能力だが、逆に言えば元手さえあれば兵器のような威力を容易く出せる能力でもある。

 たとえば、市販のレーザーポインタを使えば対人殺傷力は十二分のレーザービームが放てる。たとえば、何の変哲もないホイッスルを使えば即席の音爆弾を作れる。軍用の懐中電灯を使えば、ビームソードなんてものも作ることができる。

 その強さは、一度は食蜂操祈すらも昏倒させうるほどだ。

 

 

()()()()()()()()()()()? 退場したはずの人間が、すべてを任せて盤面から消えたはずの駒が相手を刺すなんて。できなかったでしょう? だってアナタ達は予測できなかったですものね、ブラックガードさんが超能力者(レベル5)に至ることも、帆風さんが超能力者(レベル5)に至ることも!!」

 

 

 その表情に浮かぶのは、憤怒。

 

 ──かつて、入鹿や帆風は、才人工房(クローンドリー)という研究機関にて能力開発を行っていた。

 才人工房(クローンドリー)・第三研究室『内部進化(アイデアル)』。

 ここは食蜂操祈という超能力者(レベル5)を生み出した実績ある研究室で、『超能力者(レベル5)を生むこと』を目的とした研究室だった。彼女達はそこで超能力者(レベル5)になるために必死に能力開発に励んでいた。

 しかしそれは耳障りの良い嘘であり、本当はこの研究室の真の目的は悠里千夜の幽体連理(アストラルバディ)を用いて大人たちに都合のいい『理想の能力(アイデアル)』を生み出すことで──結果として、実験は失敗し、研究者を含めた多くの関係者が死傷した。

 入鹿の右目も、そのときの負傷で今は義眼となっている。

 

 そして彼女は知った。

 超能力者(レベル5)になれるなんてお題目は嘘八百で、大人たちは最初から子供たちの才能の限界を知っていて、それでも大人たちの都合で自分たちを騙していたのだと。

 

 そこで弓箭入鹿は折れてしまった。

 全ては才能で決まっていて、後天的な努力なんかでは、何も変えることなんてできないと。

 そして帆風に託したのだった。自分に才能はないけれど、でも、帆風なら──あの時自分の命を救ってくれた彼女なら、きっと、と。

 

 本当は分かっていた。

 自分の才能の限界(パラメータリスト)を見たときに、当然ながら帆風のそれも知っていたのだ。彼女は、超能力者(レベル5)にはなれないと。でも、それでも彼女は帆風に託してしまった。

 

 果たして、帆風潤子はそれに応えた。

 

 大人たちの常識では、超える事のできない壁であるはずだった。それに実際、このやり方では大人たちの定義では超えたことにはならないのかもしれない。

 でも、定説を覆し、常識を砕き、帆風潤子はイレギュラーだったとしてもその領域に手を伸ばしてみせた。無茶苦茶な弓箭入鹿の期待に、それでも応えてみせてくれた。

 

 

 その帆風の前に、悪辣な研究者が立ち塞がる。

 彼女の目的を、阻もうとしている。

 

 ──弓箭入鹿という少女の精神性は、この事態に背を向けて目的を遂行できるようには作られていなかった。

 

 

「アナタ達は、何も分かっていない。何も分からない。そうやって自分が倒れた理由すらも分からないまま、置いて行かれるのがお似合いよ、『研究者』。…………さ、帆風さん。目下の障害は解消しました。早く幻生とやらの憑依を解除しに行きましょう」

 

 

 そう言いながら、入鹿は帆風の方へ手招きする。

 ある意味では、先ほどの帆風の戦略の焼き直しではあった。『電磁加速』というこれ見よがしな脅威に相手の警戒を集中させたところへの、意識外からの一手。それと同様に、突如盤面に出現した帆風潤子という超能力者(レベル5)への警戒を利用して入鹿の一撃への警戒を極限まで削ぎ落し、奇襲を敢行したわけだ。

 

 

「ったく、ナメた真似をしてくれやがったなあ」

 

 

 その時。

 間違いなく無数のレーザーを浴びて倒れたはずの木原数多から、声がした。

 反射的にレーザーポインタを向けた入鹿は、寸分の躊躇もなくさらに連続してレーザーを叩き込む。無茶な光を照射したことで使い物にならなくなったレーザーポインタを横合いに放り捨てて新たなレーザーポインタを取り出した入鹿は、そこで信じられないものを見た。

 

 確かに木原数多に向けて放ったはずのレーザーが──循環している。

 木原数多には当たらず、その周囲でぐるぐると回転しているのだ。

 

 

「お前な、俺は第四位を手駒にしてんだぞ。あのクソガキの第四位を、だ」

 

 

 むくり、と。

 木原数多は起き上がる。

 その身体には、やはり一つの焦げ跡も存在していない。

 

 放ったはずのレーザーが循環している。その異常な現象を前に、帆風も動くことができなかった。

 何かしらの決断をすれば、それがトリガーとなってどんな惨事が発生するか分からない。……そんな異常な雰囲気が、その場を支配していた。

 

 

「なら、原子崩し(メルトダウナー)対策にビームやらレーザーやらをまとめて封殺するための手札(カード)は用意してあるに決まってるだろうが。クソガキはどこで癇癪起こして暴れだすか、分かったもんじゃねえからよお」

 

 

 そこで──入鹿は気付く。

 木原数多の周辺に、幾つかの()()()()()が浮かんでいることに。そして、そのシャボン玉を通ることで光が屈折し、木原数多の周辺を土星の環のように循環していることに。

 

 

「そんでほら、あれだ、あれ。あー…………」

 

 

 そして、木原数多は世間話をするよりも適当に。

 

 

「面倒臭せえな。お前ら、ここで死んどけ」

 

 

 循環させていたレーザーを、『解放』した。

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

九九話:意味の決定者 It's_not_a_Scientist.

 

 

 


 

 

 無論、回避などできなかった。

 それでも帆風潤子が活動を続けることができていたのは、全身を覆う紫電の羽衣がレーザーに干渉し、重傷には至らなかったことが大きい。

 感覚器官への致命的なダメージを最低限抑えることさえできれば、あとは自前の再生能力によって数秒もしないうちに火傷の類は治療できる。

 だから問題は、帆風よりも入鹿の方だった。

 

 

「あぁぁああぁぁぁぐッ…………!!」

 

「入鹿さん!! 大丈夫ですか!?」

 

 

 帆風は木原数多への迎撃を捨て置き、倒れた入鹿のことを抱きかかえていた。

 木原数多に対する攻撃よりも、入鹿の救出を優先していたのは、入鹿の負傷の重さが関係している。

 

 

(ひどい火傷……! 早く病院に連れて行かないと、最悪、腕を切り落とさないといけないかもしれない……!)

 

 

 さすがに貫通はしていないようだが、入鹿の左腕は一部が焼け焦げ、とても動かせるような状態ではなくなっていた。

 『外』の医療技術であれば、もうさじを投げるしかないような負傷である。

 

 

「まずは一匹、ってか? はーあ、分かっちゃいたが、超能力者(レベル5)クラスはこの程度じゃ傷一つもついてくれねえかよ」

 

「…………当たり前、でしょう」

 

 

 そう言って、帆風は入鹿を近くの木の下に寝かせ、木原数多へ向き直る。

 それを見た木原数多が拳を構えたのに応じ──帆風もまた、腰を低く落として両拳を構えた。

 

 

「この力が背負っているのは、わたくしだけの想いではありません。千夜さんが、弓箭さんが、あの実験で犠牲になった皆さんが──わたくしの両肩には、乗っているのです。この程度で、倒れるわけにはいかないのです」

 

「あー、そういうの知ってるぜ俺。自分じゃできないのに誰かに身勝手に期待して全ての重圧を押し付ける。『寄生』っつーんだわ、それ」

 

「黙れッッッ!!!!」

 

 

 土煙が上がるのは、ドパンッッッ!!!! という爆音の如き踏切音よりも先だった。

 音を置き去りにした帆風は、そのまま木原数多の眼前に躍り出て、拳を振りかぶる。何の工夫もない一直線の軌道に、何の工夫もない一撃。しかしそれも音を超える速度の上に成り立つとなれば、圧倒的な必倒の一手へと昇華される。

 事実、木原数多は一歩も動けず──

 

 ドッパンッッッ!!!! と、帆風は横合いからの衝撃で数メートルほどノーバウンドで吹っ飛ばされた。

 

 

「がッ…………!?!?」

 

「派手にぶっ飛んだなあ。テメェ、お嬢様なんかさせとくにゃもったいねえぜ。今すぐゴムボールにでも転職したらどうだ」

 

 

 空中で体勢を立て直した帆風は、そのまま木の幹へと着地を決める。

 即座に反撃したいところだったが──帆風は一旦自らの激情を抑え、冷静になって考える。

 今の音速の一撃は、木原数多の反応速度では絶対に対応できないはずだった。にも拘らずカウンターを食らったということは、おそらく今の一撃は読まれていたということ。

 必然的に、その前の挑発も帆風の攻撃を限定する為の策略だった可能性が高い。

 

 

(迂闊……! たとえ動きが早くとも、読まれていては同じこと! わたくし達が演算によって未来を読み戦うのと同様に、相手だって同様の戦い方ができてしかるべきですわ……!)

 

 

 それに、それを抜きにしたとしても、帆風のことを横合いから吹っ飛ばした攻撃の正体は分かっていない。

 レーザーを捻じ曲げたシャボン玉についても詳細は分かっていないし、分かっていないことだらけだ。そう考えると、今このタイミングで無策で木原数多の懐に飛び込むなど、無謀もいいところだった。

 

 

《潤子ちゃん! でも、あまり時間をかけすぎると、上条さんが一人で……》

 

《……ええ、分かっています》

 

 

 入鹿は奇襲で木原数多を早々に倒して帆風という戦力を確保したい狙いがあったのだろうが、結果的に深手を負わされてしまった。

 この上帆風が木原数多相手に長い時間縛られていてしまえば、上条はたった一人であの化け物たち二人を相手にしなければならなくなる。

 

 

「……お? 来ねえのか。お利口さんは好きだぜ。そんなお利口さんへのプレゼントは──こちらァ!!」

 

 

 ブワッ!! と。

 木原の声と共に大量のシャボン玉が展開され、帆風の視界を埋め尽くした。

 目くらまし。そう判断したときには、既に遅かった。ゴッ!! と頭部に衝撃を受け、さらに吹っ飛ばされる。しかしそれによって──帆風は気付いた。

 攻撃を受けた空間に存在する、キラキラと散った銀色の粉のような物質に。

 そしてそれは、上条からの報告で聞いていたモノでもあった。

 

 

(『伝導粉』……! 確か、エアロゾルの形態のときに衝撃を伝導しやすい性質を持つ粉だったはず……! それであれば、この遠距離でも衝撃を加えることは十分に可能!)

 

 

 つまり、あの粉を回避すればダメージは受けないということ。

 衝撃でよろめいた身体を強引に動かし、バク転をしながら帆風は体勢を整える。あとは、あの粉をいかに掻い潜って攻撃を叩き込むか──

 

 などと考えていた帆風は、自らの甘さを思い知らされた。

 

 

「おらァ! 日和見決め込んでんじゃねえぞ超能力者(レベル5)サマよぉ!?」

 

 

 ボファッ!! と。

 木原数多は、こともあろうにその『伝導粉』の中を突き抜けて突撃してきたのだから。

 慌てて突撃に対して構えようとする帆風だったが、拳を構えようと判断する『前』に、何故か伝導粉が独りでに吹き飛び帆風の眼前に飛び込んできた。

 咄嗟に呼吸器を守ろうとしたのは確かに最善手ではあったかもしれないが、それで木原の手を抑えることはできない。裏拳でまるでノックでもするみたいに木原が銀の煙を叩くと同時、『伝導粉』はその衝撃を全て余すことなく帆風に伝える。

 ゴガン!! と、頭全体を同時に鉄パイプで殴られたかのような衝撃が帆風を襲う。よろめきながらも、帆風は咄嗟に飛びのいて煙から距離をとるが──

 

 

「テメェの武器は肉体。そしてその驚異的な再生能力だ」

 

 

 銀の煙は、まるで生き物のように帆風を追い回す。

 

 

「骨にまで届きかねねえレーザー性の熱傷を一瞬で治療する再生速度。それがあるからこそ、テメェは人体の範疇を超えた機動速度を無理やり振り回すことができる。だが、それは別にテメェの身体が人体の範疇を超えたわけじゃねえ」

 

 

 木原数多は、無数の銀の大蛇を従えながら嗤う。

 

 

「たとえば、呼吸。たとえテメェが人体を超えた耐久力を持っていたとしても、呼吸器の燃費まで変わるわけじゃねえ。むしろ、能力の分テメェは常人よりも大量の酸素を必要とする。ま、僅かな違いではあるだろうがな」

 

 

 相対しているのは、化け物ではなく人間。

 木原数多は、そのことを誰よりも承知していた。……それは、人間として見られない能力者を人間として扱うという、研究者としては美点に数えられる価値観なのかもしれない。

 だが、木原はその価値観すらも悪用する。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という最悪の形で。

 

 

「呼吸器を狙った戦略。テメェの攻撃は『伝導粉』のカウンターで封殺する。俺の周辺を囲う入り組んだ煙の群れ。……これでテメェが勝てるかよ?」

 

「~~~~ッ!!!!」

 

 

 たまらず、帆風は電磁加速を使ってその場から距離を取る。

 圧倒的な身体能力の差があるにも関わらず、戦況は帆風の劣勢だった。確かに速いということは有利に繋がる。しかし一方で、いくら早くとも空間を制圧されてしまえばどうしようもない。『速いだけ』では、動き回る為の空間全体を支配するような攻撃には弱い。

 

 

「……! それなら!!」

 

 

 帆風は空中で向きを反転させると、電磁加速を利用して地面へと急降下する。

 ズドン!!!! という音とともに、着地点を中心に烈風が吹き荒れた。──超能力者(レベル5)らしい派手な着地。しかしこれが、帆風の目的だった。

 

 

(風!! 静電気かナノマシンか、とにかく何らかの形で煙を操っているなら、それを超える風量で吹き飛ばしてしまえば制御を乱すことが……!!)

 

「風でも吹かせりゃこっちの煙の制御を乱せるとでも思ったか?」

 

 

 しかし。

 烈風によって巻き上げられた煙の先には──変わらず銀の蛇のような『伝導粉』の煙を従わせている木原の姿があった。

 

 

「な…………ッ!?」

 

「甘っちょれえ。そんなんじゃショートケーキよりも甘いっつってんだよぉッ!!」

 

 

 そして、生半可な策の代償は大きかった。

 ザア!! と帆風の頭上数十センチくらいを覆うようにして展開された煙により、天を覆われてしまったのだ。

 こうなってはもう、上空への飛行も難しい。いくら帆風でも無策で真正面から突っ込めば、演算に必要な脳自体をダイレクトに揺さぶられて回復する間もなく昏倒してしまうだろう。しかも、下手に空気を乱せばそれによって煙が揺れて、帆風の身体に接触しかねない。

 衝撃を伝導する性質を持つ粉がどう衝撃を伝えるか分からない以上、帆風は迂闊に電磁加速を使って移動することも難しくなった。

 

 

「…………ッ!!」

 

 

 つまり、こうなれば帆風は電磁加速を用いない能力による格闘戦のみで木原数多を倒さなくてはならないということ。

 ……ただし。

 

 それでもなお、帆風は不敵な笑みを浮かべる。

 

 

「少し……不用心すぎるのではなくて? 確かに煙の天蓋でわたくしの電磁加速をはじめとした高速移動は封じることができるでしょう。ですが、身動きを封じられたのはアナタも同じこと! 高速で煙を動かせば天蓋が壊れかねない以上、アナタも肉弾戦によってわたくしを打倒しなくてはならない!!」

 

 

 結局のところ、格闘戦において帆風が木原に負ける道理はない。

 素の人体稼働だけでも音速を超えるほどなのだ。周囲の気流に配慮したとしても、人間の限界は軽く超えられる。

 あとは、リスクを冒さない打撃の回転で木原の処理能力を上回ればそれで事足りる。

 身を低く低く保った突撃姿勢で木原の懐に潜り込んだ帆風は、そのまま手始めに掌底を木原に叩き込もうとして──

 

 

「ナメてんじゃねえぞ、クソガキが」

 

 

 ゴッ!! と。

 掌底に叩き込もうとした右腕に、木原数多の肘が叩き込まれる。明らかに関節を狙った一撃で、帆風の腕が本来曲がらない方向へと捻じ曲がる。

 

 

「が……ッ!?」

 

「なーにが音速だ。腕も二本。足も二本。人体のセオリーが変わらねえ以上、そこから導き出される行動パターンだって何も変わりゃあしねえだろうが」

 

 

 即座に右腕を修復しながら、左手で木原の追撃を防ぐ帆風。

 しかし引き下がろうとしたその瞬間、つんのめるような感覚で体勢を崩してしまう。見ると、自分の足先を木原が思い切り踏みしめていた。

 

 

「────ッ!!」

 

「そこぉ!!」

 

 

 ゴリ、と。

 帆風の喉笛に、木原の貫手が突き刺さる。

 

 

「あ゛、ぁ!?」

 

 

 喉が潰された、と帆風が理解したときには、木原はさらに攻撃の手を速めていた。

 右肩。左膝。右腰。右側頭部。顔面。腹。またも喉。

 次々と、打撃の乱舞が空を裂く。身体能力では圧倒的に上回っているはずなのに、帆風は個々の攻撃を修復するのに手いっぱいで迎撃ができない。

 いや、そればかりでなく──

 

 

(息が……息が、できない!! この方、攻撃の中に喉への攻撃を織り交ぜている……!! 呼吸ができないから、演算に必要な酸素が……ッ!?)

 

 

 喉を破壊されたことによる、酸素の欠乏。

 もちろん数秒あればこの程度の破損は修復できるのだが、その修復を木原が許さない。結果として徐々に息は苦しくなり、演算の精度は落ちていく。そしてそれは能力の減衰を意味し、負傷はどんどんと積み重なっていくのだ。

 

 

(このお方、能力者を()()()()()いる……!?)

 

 

 敵意ですらない、作業めいた『殺意』。

 木原数多は、チェス盤を進めるかのように一つずつ帆風の優位をもぎ取っていく。

 

 

(考えなくては……! この状況を確定させている、相手の手札! 煙の操作!? そうです……なぜ彼は、こうも自在に煙を操作できる!?)

 

 

 追い詰められながらも、帆風は一縷の望みに縋るかのように思考を巡らせる。

 思考を巡らせ──そしてそこで、違和感に気付いた。

 

 

(この方は何故──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?)

 

 

 確かに、伝導粉を用いて帆風の電磁加速や格闘戦のスペックを封じているのは凄まじい成果だ。

 だが、そんなことをせずとも、最初に帆風の頭に衝撃を加えたタイミングでより強い衝撃を与えていれば、その時点で勝負は決していたはずだ。にも拘らず、木原数多はあくまで殴打の衝撃を伝播させて攻撃しているように見える。

 そう。そのように考えるともう一つの違和感も見えてきた。

 『符合の都合がよすぎる』のである。

 研究所で『伝導粉』が出てきた直後の戦闘で、木原数多が『伝導粉』を使う? ゲームじゃあるまいし、そんな符合があるのは不自然だ。

 考えられるとしたら……、

 

 

(まさか……彼のもともとの手札は、『煙を操作する技術』であって……煙そのものを運用する展開は、想定していなかったとか?)

 

 

 その可能性。

 そういえば確かに、木原は最初から正解を口にしていたではないか。自分が講じたのは、原子崩し(メルトダウナー)への対策だと。

 つまり、本来の運用はシャボン玉であり、伝導粉の操作はおそらく現場で見つけた便利な素材をアドリブで活用しているに過ぎない。

 ということは────

 

 

(気流の、操作!!)

 

 

 自然な流れだ。木原数多はレイシア=ブラックガードに執心している。ゆえに彼女の能力を解析し、その能力を科学的に再現しているという可能性は高い。つまり。

 

 

(どこかに設置された機械を起点に、このあたり一帯の気流を操作している……!?)

 

 

 咄嗟に視線を走らせる帆風。

 果たして──帆風の読みは正しかった。設置されていたのは、周辺の木々の近く。ざっと見た限りでも六つの装置が稼働しているようだった。

 おそらく、あらかじめこのあたりに設置していたものを使って周辺の気流をコントロールできるようにしていたのだろう。ひょっとするとあの装置自体が移動式で、木原の移動に従って動いているのかもしれない。

 

 

(でも……)

 

 

 だが、それは却って帆風に絶望を与える要素にしかならない。

 周辺は銀の煙で覆われ、呼吸も乏しいこの状況では木原を撒いての移動も難しい。つまり、気流操作を潰すことはこの場ではできない。でも、気流操作を潰さない限り帆風はこれ以上の戦闘継続が難しい。完全なる堂々巡りとなっていた。

 

 

(う、意識、が……。す、すみません、上条様、弓箭さん、わたくし、こんな、ところ、で──)

 

 

「諦めないでッッッ!!!!」

 

 

 朦朧とした意識を手放しかけた帆風に激を飛ばしたのは、己の相棒ではなく──弓箭入鹿その人だった。

 本来であれば激痛で喋るどころか動くことすらできないような負傷で、それでも彼女は立ち上がっていた。……いや、違う。帆風はすぐに分かった。何故なら──()()()()()()()()()()()

 

 おそらく、電磁加速や諸々の強化を封じられた時点で、悠里は自分にできることが少ないことを悟り、入鹿のサポートに動いたのだろう。

 そして痛覚を軽減した入鹿は、行動の自由を手に入れた。

 

 

「……私も……諦めないから……! アナタが限界を超えて見せたように……私、だってぇッ……!!!!」

 

 

 入鹿はそう叫びながら、一目散に駆け出していく。

 ──木原は、それを見てさらなる二乗人格(スクエアフェイス)を連想したことだろう。

 ただこれは、そう見せかける為のブラフである。実際には、弓箭入鹿は二乗人格(スクエアフェイス)を扱うことなどできない。それは、本来は高度な科学技術がなければ実現しない。レイシア=ブラックガードの場合は一ヶ月にも及ぶ長期の憑依と人格の共鳴、それと様々な協力者による準備が。帆風潤子の場合は人格の共鳴と幽体連理(アストラルバディ)という能力の特異性が。

 それぞれ、イレギュラーに足る条件が揃って初めて成せる業なのだ。

 だが、木原数多にはそんなことは分からない。だからこそ、超強力な攻撃というブラフが機能する。──対レーザー用のシャボン玉による防御を使おうと考える。

 それこそが、弓箭の作戦だった。

 

 

(来ると……思うわよねえ、レーザーが! でも、違う。わたしの真の目的、は──)

 

 

 そして、放たれた弓箭の掌打。

 そこを起点に、閃光が放たれた。

 

 

(光過敏性発作!! アナタは二乗人格(スクエアフェイス)を警戒しているがゆえに、私の一挙一動から目を逸らせない!! 個人差はあれど、ダメージは確実に負う!! 私が返す刃の一撃で斃れたとしても、帆風さんならその隙にコイツを倒してくれる!!)

 

 しかし。

 

 次の瞬間、入鹿は信じられないものを見た。

 即ち、()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()

 

 

「な──!?」

 

「浅知恵お疲れ様、猿野郎。テメェの勝ち筋なんざ光過敏性発作とレーザーの二択だ。ならシャボンでレーザーを無効化して目ぇ瞑れば簡単に封殺できんだよ、クソガキが!」

 

 

 ドゴォッ!!!! と。

 無防備な脇腹に回し蹴りを叩き込まれ、入鹿の意識があっさりと暗転する。

 

 

「……いいえ。弓箭さんの一手は、わたくしにとっては救いにも等しい一手となりました」

 

 

 その後ろで。

 喉を潰されていたはずの帆風が、声を取り戻していた。

 

 

「……あ゛ー、クソが。まーた最初からやり直しかよ」

 

「いいえ。ここから先は────最後の激突ですわ!!!!」

 

 

 ドッ!!!! と。

 身を低くした帆風は、そのままの勢いで木原数多へと突撃する。突撃の余波で煙の天蓋が乱されるのも気にしない。そのままの勢いで突撃し──

 ボッ! と、その場で一回転して地面に踵落としを叩き込んだ。

 

 

(……電磁加速の応用か! 電磁力で空中に静止して、地面に蹴りを……土飛沫!!  こいつで俺の視界を消して、その間に何かしようって魂胆──いや! 違う! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()! つまり相手の次の一手は──!)

 

 

 身を低くした体勢での突撃は、次の攻撃が下から来るものと思わせるブラフ。

 真の目的は、天蓋を破壊してから跳躍することによる、上からの奇襲──!!

 

 

「だっからよぉ、テメェみてえなクソガキの猿知恵なんか何重にも何乗にも束ねたところで意味なんかねえんだっつーの!! いい加減くたばれクソガキぃ!!!!」

 

「意味がないかどうかなんて」

 

 

 その瞬間。

 木原の読みに寸分たがわず跳躍していた帆風は、それでもかまわず拳を引き絞っていた。

 

 

 そこで木原は一つの違和感をおぼえる。

 

 ()()()()

 

 それは、幽体連理(アストラルバディ)との連携によって初めて行える技ではなかったか?

 そして悠里のアバターは、入鹿に憑いていたはず──

 

 

『「アナタなんかに決められたくない」』

 

 

 直後。

 帆風の眼前から、幾つかの火花が散る。いや……火花というのは少し適切ではないかもしれない。

 正しく表現するならば、『ある特定の光の信号パターン』。

 

 帆風潤子は知ることのなかった。だが、()()()鹿()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()技。

 

 

(あ、)

 

 

 光過敏性発作。

 それにより、木原の思考に一瞬の空白が生まれ。

 

 

『「その意味は、わたくしたちがこれから創っていくのだから!!!!」』

 

 

 流星のような右拳が、その顔面に叩き込まれた。

 

 そして一打のもとに下手人を昏倒させた誰かの憧れは、淑女のように落ち着き払った態度で、瀟洒にこう言い添える。

 

 

「…………どうです? 『浅知恵』も、馬鹿にはできないでしょう?」

 

 

 


 

 

 

「…………ああ、全くだ」

 

 

 返答があるとは思わず、帆風は思わずギョッとした。

 だが──木原数多は完全にダウン状態だ。おそらく、喋るのがやっとというところだろう。当然だ、帆風の膂力で顔面を殴られたのだから。むしろ、意識を保っていられるのが異常といっていい。

 

 

「ったく、流石に完全生身はキツかったかね。だがまあ……時間稼ぎは上手くいったか」

 

「……は?」

 

 

 その一言に、帆風は極大の『嫌な予感』をおぼえる。

 まるで、自分が最悪な手の誤り方をしたかのような──

 

 

()()()()()()()()()の掌握も完了した。もう準備は万端だ。だからやっちまえよ、木偶人形」

 

 

 次の瞬間。

 光の柱が、夜の空を突き抜けた。

 だが、それ自体が異常なのではない。異常なのは、その起点。雷雲が轟くような音と共に山肌の向こうから現れたのは──ドッペルゲンガーではない。

 

 もっと、遥かに巨大な、丸いシルエット。

 全長は直径五〇メートル。

 球型の()()の随所には、まるでお針子のように大小様々な砲。

 最も特徴的なのは、機体側面部から伸びる四本のアームだろうか。それらが指し示す先の空中に、ひときわ大きな『主砲』が浮かんでいる。それが、あの光の柱を打ち出していたのだ。

 

 キュガッッッ!!!! と、巨体が機動した。

 

 五〇メートルの巨体が、まるでF1カーのような速度で、ボクシング選手のような小刻みの機動で山肌を駆ける。

 木々をまるで冗談のようにまき散らしながら、先ほどの光の柱をまるで挨拶のように空目掛けぶちまけているその姿は──異様そのもの。

 きっと、アレがあと九機もあれば、現行の戦争なんてものは跡形もなく消し飛ぶ。そしてアレが中心とした全く新しいシステムにとって代わることだろう。

 現行の戦争を終わらせる。

 そんなバカげた『社会の変容』すらも想像できてしまうほどに、『アレ』は分かりやすく強大だった。

 超能力者(レベル5)、なんて肩書がちっぽけに感じるほどに。

 

「ギャハハハハハ! 見事だ見事。コイツは想定以上じゃねえか!? 本格稼働までちと時間を食ったのが気になりはするが……」

 

「…………!」

 

 

 囃し立てるような木原の嘲笑も、もう帆風の耳には入らない。

 すぐにこの場から立ち去らなくては、移動の巻き添えで入鹿が挽肉になっても何もおかしくない。

 

 

「……アナタも早くお逃げなさい!」

 

 

 木原にそう呼びかけると、帆風は入鹿を抱きかかえて走り出す。

 上条のことは、この際考えている余裕がなかった。彼もまた無事であることを祈るしかできない。

 そんなときだった。

 

 

「帆風さん!? 大丈夫ですか!?」

 

 

 上空から、声がした。

 見るとそこには、白黒の翼をはためかせた令嬢──レイシア=ブラックガードの姿があった。

 

 

「ええ、なんとか……。しかし、すみません。上条様とははぐれてしまい……」

 

「お気になさらず。アレならどうせ放っておいても無事ですわ。それより……随分手ひどくやられましたわね」

 

 

 言われてみると、帆風の姿は殆ど全裸に近かった。

 下着は辛うじて身に纏っているが、ブラウスなんかは左肩部分だけが残っており、スカートはギリギリ繋がって腰に引っ掛かっているような有様である。

 ……この状態で殿方の前にいなくてよかった。帆風は真剣にそう思う。

 

 

「とまれ、アレは帆風さんとは相性が悪そうです。わたくしが注意を逸らしておくので、アナタは入鹿さんを安全な場所に」

 

「ええ。……よろしくお願いいたします」

 

 

 応答し、帆風は山を駆け下りていく。

 それを見送ったレイシアは空中に浮かび──ぐりん!! とこちら側へ向けられた主砲に、冗談抜きに一瞬心臓が止まったかと思った。

 

 

「わたくしを、狙って!?」

 

 

 咄嗟に身を捻り回避行動をとりつつ、白黒の『亀裂』を盾のようにして展開するが──

 ズッドン!!!! という暴力的な音と共に、一五重に展開していた『亀裂』は一撃でまとめて突き破られた。

 

 

「な……!?」

 

 

 防御できるとまではいかずとも、勢いを減衰できるとは踏んでいた。しかし実際にはいともたやすく貫通されたことに、レイシアは少なからぬ衝撃を受ける。

 そしてその衝撃は致命的だった。さらなる一撃が、レイシアへ照準を定め────

 

 

 ボバッッッ!!!! と。

 化け物の足元が、猛烈に爆裂した。

 当然その程度ではダメージもなさそうだったが、足場の変動は違う。爆裂──即ち足場の欠落によって、機体全体が大きく傾いた。

 犯人は、意外な人物たちだった。

 

「やーれやれ。結局、今のは麦野たちを追っ払ってくれたお礼ね。お陰で、私たちもだいぶ動きやすくなったって訳よ」

 

 

 金髪碧眼。

 ゆるくウェーブした長髪とベレー帽。挑発的な笑みが印象的な、高校生くらいの少女。

 

 

「悪いけど、このまま時間稼ぎしてくれねえか? 俺達だけじゃどうにもならねえっぽいんでな」

 

 

 茶髪黒目。

 安っぽい黄土色のジャージとジーンズ。どこにでもいる一般市民のような、特徴に乏しい顔つき。

 

 いずれにせよ、神話の世界と見まがうような戦争の世界には似つかわしくない二人組は、しかし勝手知ったる我が家のような気安さで、超能力者(レベル5)を超えた脅威へ視線を向ける。

 そして一言、こう言い添えた。

 

 

「「ちょっとあのバカでかい兵器ぶっ壊してくる」」

 

 

 ──特大の深刻なる難問(ヘヴィーオブジェクト)が今、聳え立つ。




・シャボン玉
割れづらい特別性のシャボン玉です。光線を屈折することができ、この屈折を利用して光線の軌道を捻じ曲げ無効化することができました。
・気流操作装置
白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の能力のうち、気流操作部分のみを機械再現した数多曰く『玩具』みたいな工作物です。麦野の精神を逆撫ですることも可能なため、そういう意味でも『第四位対策』でした。


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おまけ:深刻なる難問 ③

ヘヴィーオブジェクト最終章 『人が人を滅ぼす日<上>』が発売されました。

というわけで、今回からかなり長丁場のおまけになります。(おまけとは……?)


 時は遡る。

 レイシア=ブラックガード達一行が、『スクール』の面々と対峙したその時刻まで。

 

 

「ああ、それと」

 

精神感応(テレパス)の弱点は機械。アナタ、部下の運用もわたくしに及びませんわね」

 

 

 レイシア=ブラックガードの手勢の一人である、馬場芳郎。

 彼の操るロボットによる、操歯涼子の奪取劇。

 

 

「ナイスですわ、馬場。流石ですわね」

 

『まぁ、このくらいはね。そっちが敵の注意を話術で逸らしてくれていたから大分簡単な仕事だったよ』

 

 

 令嬢が策士を褒めたたえ、策士がそれに応えているまさにちょうどその時────

 

 

「浜面、こっちこっち!」

 

 

 浜面はこの騒ぎで乗り捨てられていた観光客のバイクをかっぱらって、先に戦場から逃げ出したフレンダ達と合流して、その場から逃走を図っていた。

 

 浜面とフレンダの頭からは、既に塗替を倒すことなどきれいさっぱり消えていた。

 あの上空でのぶつかり合い。超能力者(レベル5)が可愛く思えるほどの脅威。あんなものを見せられて、それでも『よし戦いましょうアイツを倒せばご褒美が待っている!』なんて言えるのは自殺志願者か命の価値を知らない大馬鹿者だけである。

 

 

「ったく、人遣いが荒いんだよ!」

 

 

 バイクは、簡単に見つかった。

 ここ最近は火星からのメッセージ騒ぎでちょっとした天文学ブームが起きているので、観光客の『アシ』には困らなかったのだ。

 浜面がかっぱらってきたバイクは、気合の入ったスキルアウトが乗ってきたのか、後部に椅子までついている二人乗り前提の大型バイクだった。おそらく、このバイクで彼女と天文学デートでもしていたのだろう。

 気合の入ったバイクなので少し可哀そうな気もしたが、『火星から微生物がメッセージを送ってきた!』なんて今日び真に受けるのも馬鹿らしい与太話を本気にして、なおかつイチャツキのダシに使うような不届き者である。ちょっと数キロ先に乗り捨てられるくらいの不幸は甘んじて受けるべきだと浜面は思う。

 

 

「遅い!」

 

「全力ダッシュしてきたんですけど!? むしろ俺の手際の良さを褒め称えろよこの極限状況で!!」

 

「結局こっちは女の子一人背負って全力ダッシュしてんよ!? アンタが頑張らないでどーするオトコノコ!!」

 

「くそっ……テメェが男なら役得じゃねーかこの野郎って(なじ)ってやったところだけどよ……」

 

 

 適当に言い合いながら、微細を背負ったフレンダはバイクに跨る浜面へと走り寄った。

 山の斜面に生えている木々に一旦身を隠した三人は、そこで微細を浜面の背中に預けるようにしてバイクへ跨らせる。微細の大人びたプロポーションの主に胸部が浜面の背中にあたり、スケベ大魔王浜面の顔面がお見せできない感じに緩んだ。

 幸いにもフレンダに背を向けていて顔を見られなかった浜面は、表情を整える意味でもあえて真面目な話題を持ち出す。

 

 

「っつか、アンタいったいどうしてこんな状況になってんだよ。アンタだってフレンダと同じように裏の人間なんだろ。それがなんでこんな……」

 

「まず、木原という男と……機械の女が、私の研究所にやってきたの」

 

 

 ぽつりぽつりと、微細は話し始める。

 フレンダはその微細の後ろにさらに跨り、それを認めた浜面はゆっくりとバイクを発進させた。

 

 

「そして、あとから塗替という男が研究所……正確にはその上にある天文台に飛び込んできて、…………戦闘になった。私は、戦闘をやめさせようと両者の鎮圧を試みたけど……」

 

 

 そこまで言って、微細は言葉を止めた。

 つまり、全く相手にならなかったということだろう。あの現場と、そして微細自身の惨状を見れば、それはみなまで言わなくても分かることだ。

 

 

「正直、戦闘の余波を逸らして、自分の命を長らえさせるので精いっぱいだった。結果、『火星の土(マーズワールド)』の機能は、破壊されて……」

 

「もういいわ」

 

 

 微細の沈鬱な声色を見かねたのか、フレンダが優しい口調で自分の傷を抉るような微細の言葉を制止した。

 つまりそれほどに、研究所の破壊というのは致命的な規模だったということだ。

 浜面とフレンダも、それ以上かける言葉が見つからず、そこから三人の間を沈黙が包み込んだ。

 

 なんの財産も持たない浜面やフレンダのようなただの学生でも、研究者としてキャリアを積んで、自分の研究所を持つに至った研究者にとって、その研究所が、そこに眠る研究データがどれほど大切なのかは、なんとなく想像がつく。

 

 

 そうこうしている間にバイクは木々を抜け、山を下り、二人の化け物が鎬を削る山の上空からはある程度の距離をとることに成功した。

 浜面とフレンダは、先ほど美琴に倒されたことになっている。このまま微細をバイクに乗せて遠くへ逃げれば、少なくとも今回の事件では完全な安全圏に到達できるだろう。

 

 

 

 そんな浜面が赤信号に捕まったバイクを止めたタイミングで、

 

 

「…………火星の微生物から交信が来た……ってニュース、聞いたことはある?」

 

 

 事情を説明したことで舌の回りがよくなったのだろうか。

 あるいは、重苦しい沈黙に耐え切れなかったのか。

 微細が、ゆっくりと話を始めた。

 

 

「あん? あぁ、最近ニュースでやっているヤツだろ。あんなのただの悪戯に決まって……」

 

「ふふ。その信号を受信したの、私なのよね」

 

 

 これには、浜面もフレンダも驚愕に目を見開いた。

 最近発生した天文学ブーム。その起点は、火星から送信されたメッセージをとある研究団体が受信したという報道から始まっている。一般学生が興奮に沸く中、浜面のようなスレた日陰者はそうしたニュースを冷ややかな目で見ていたのだが……。

 

 

「……あ。それで『火星』ってことは……結局」

 

「そう。あの施設は、火星の環境を再現するためのものよ。火星から私たちにメッセージを送ってきてくれた微生物を回収して受け入れる、その為のテストケースにね。……あそこでの実験が成功すれば、『彼ら』を…………助けることができる、はずだった」

 

 

 どこか自嘲気味に語る微細の言葉に、それまで火星からのメッセージに懐疑的だった浜面も唖然としてしまう。

 辛うじて言葉を絞り出すようにして、浜面は口を挟む。

 

 

「で……でもよ。それって本当に、火星から微生物がメッセージを送ってきてくれたって断定できるのかよ? 今は民間でも衛星くらいなら打ち込める。火星と地球の中間地点に衛星が来たタイミングで地球側にメッセージを送った……そんな悪戯かもしれねえだろ?」

 

 

 そんな可能性を目の前の『プロ』が考えていないわけがないと思いつつ、それでも浜面は言う。

 こんな馬鹿学生でも一笑に付してしまうようなことを、『プロ』が本当に、大真面目に研究しているというのか? 浜面なんかでは一生かかっても追いつけないであろう知識を以て、それでも?

 

 

「アンタ……信じているのかよ!? 独自に進化して知性を持った火星の微生物が、地球に救難信号を送ってるなんて、そんな都市伝説未満の与太話を……それを本当に!?」

 

()()

 

 

 即答だった。

 微細は己の判断を貶されたことへの怒りも、理解してもらえないことに対する悲しみも見せず、ただただ真っ直ぐに、肯定の言葉を伝えた。

 

 

「………………………………」

 

 

 嘘かもしれなかった。

 下手に専門家だからこそ、疑念や否定材料は山ほど出ていたはずだ。

 それでも、微細は存在しないかもしれない遠い惑星の住民の声に耳を傾けることにした。そしてそんな決断を、照れるでも誇るでもなく、穏やかに言い切った。

 

 そこには、能力の有無なんて関係ない。

 不確かだろうと何だろうと、救いたいと思ったもののために全力を尽くす。フラフラと生きているスキルアウト崩れでしかない浜面には、どう足掻いても用意できない『芯』。そんな少女の善性が、そこにあった。

 

 

「……ただ、環境を整える過程で副次的に発生してしまった、『火星でも生き残れる強靭な繁殖力の微生物』が……おそらく、木原に目を付けられる要因となったんでしょうね。彼は微生物のデータを奪って機械の女に渡した後……()()()()()()で、塗替を吹っ飛ばしてしまったわ」

 

「あとは、私達が合流したトコに至るって訳ね」

 

「そのとおりよ。まぁ、研究機能が破壊されたタイミングで微生物の爆発的な繁殖が外界に撒き散らされなかっただけマシといったところかしら」

 

 

 微細は気楽そうに言って、

 

 

「……言っておくけど、私も完全な善意で彼らの事を救いたいだなんて思っていたわけじゃないわよ? 私だって暗部の一部。そんな青臭いヒーロー願望に浸るほど、自分の善性に期待もしていないもの」

 

「なら、結局どうして?」

 

「気に入っただけよ。だって素敵じゃない。遠い遠い惑星で、微生物が知性を育んで、私達に交信してきただなんて。夢みたいじゃない。浪漫があるじゃない」

 

 

 笑い出してしまいそうなほど、そう語る微細の声は弾むようだった。

 そこには、暗部なんてどす黒い環境に身を浸してしまう前の、明るく真っ直ぐだった頃の『微細乙愛』の感情が宿っているかのようだった。

 

 そして、天を仰ぐ微細の口から、まるで涙が零れるように、ぽつりと一つの言葉が漏れた。

 

 

「……助け、たかったなぁ……」

 

 

 だが、その望みも喪われた。

 専門的な研究施設は消滅し、そこに蓄積したデータも奪われた。今から全てを構築するにはどんなに短縮しても数ヶ月の時間を要するし、火星で繁殖できるとはいえ水と酸素がなければ生存できない微生物たちにそれだけの時間は待てるわけがない。

 つまり現状は、詰みなのだ。

 微細乙愛は、火星の密着微生物たちを救うことが、できない。

 

 

「………………………………」

 

 

 信号のライトが、発進を意味する青に切り替わる。

 

 バイクは一向に進まない。

 浜面仕上は、進むことができなかった。

 

 

「諦めるのは、まだ早いんじゃないの」

 

 

 そんな浜面にダメ押しをかけるようなタイミングで、言葉と共に、フレンダがバイクを降りる。

 あまりにも唐突な発言に、微細は驚いてフレンダの方へ視線を向けていた。

 

 

「…………え?」

 

「『木原』ってさあ。結局、暗部に浸ってる私でも詳しいわけじゃあないんだけど、こないだの大覇星祭で派手に暴れてくれたから、多少の情報はあるのよね。なんでも、科学を悪用する科学者の一族らしいじゃない」

 

 

 フレンダはにかっと微細に笑みを向け、

 

 

「そんなヤツが、アンタの微生物のデータを奪い取った訳よ。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 科学を、悪用する。

 そのこと自体に、微細は何かを言う資格はないと考えている。暗部に身を浸している微細だって、科学技術を人を傷つける為に使っているのだから。いざ自分が修めた学問が悪用される段になって被害者ヅラをする資格などないと、微細は思う。

 そうして、視線を伏せる微細に──

 

 

「なーに殊勝なツラしてんだか。結局本性はドS女王様のくせに」

 

「なっ!?」

 

「しなさいよ、被害者ヅラ。自分の悪行を棚に上げて、『私の夢を誰かを傷つける為に使ってほしくありませーん』って、聖女サマの顔して泣き喚きなさいっつってんのよ、こっちは」

 

「なっ……なっ……!!」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 その時。

 その横顔を眺めていた浜面には、分かった。フレンダ=セイヴェルンの『スイッチ』が入ったことに。

 おそらく、ここはフレンダ=セイヴェルンにとっての分水嶺。

 どんなに悪行に身を浸そうと、この一線だけは守りたいと願う最後の砦。フレンダ=セイヴェルンという一個の人間に残されたなけなしの善性の、根源。

 

 

「んでもって、ヒトの科学を奪うヤツは、逆に自分の科学を奪われても文句は言えないって訳よ! 私が何を言いたいか、分かる?」

 

「………………、」

 

 

 フレンダの、太陽のような笑み。

 その意図に──その裏に隠されたどす黒い悪意に気付き、微細は表情を凍らせる。だって、微細の予想が合っているなら──、

 

 

「『木原』の手で魔改造されたアンタの『科学』を、私が奪い返してみせる。そしたらアンタ、結局自力じゃどーにもできない技術の壁を越えて、軽く一〇世代はブレイクスルーを起こせると思わない?」

 

 

 ──『木原』を、利用すると言っているのだから。

 

 

「む……無理よ」

 

 

 不敵な笑みを浮かべるフレンダに、微細はまず否定の言葉を口にした。

 無理やり絞り出したような言葉は、次第に壊れた蛇口から流れ出る水のように、あるいは滂沱の涙のように、とめどなく溢れ出てくる。

 

 

「できっこない!! あんな、超能力者(レベル5)すらも可愛く思えるような化け物に、無能力者(レベル0)のアナタが立ち向かう!? 自殺行為よ!! 私でさえ生き残るのが精いっぱいだったのに、技術なんて奪えっこない!!!!」

 

 

 ──全くその通りだ、と浜面は思う。

 こんなのは勇気じゃない。これは義憤からくる高揚感を万能感と取り違えた馬鹿の蛮勇だ。子供がかかる()()()のようなものだ。

 フレンダ=セイヴェルンという暗部に身を浸した猛者がこんなものにかかってしまうのは意外だったが、考えてみればこの少女は最近も何かよく分からない少女を助ける為に動いていたような気がする。交友関係が広いのもそうだし、こういう感じで厄介事を請け負ってしまう性質でもあるのだろう。

 でもこれは駄目だ。完全に守るべきラインを踏み越えている。向かう先は破滅。それが、特に勘の鋭くない浜面にも分かってしまった。

 

 こういうとき、浜面はどうすればいいか分かっていた。逃げるべきだ。何か巻き込まれそうな空気になる前に、逃げてしまえばいい。フレンダは放っておけば浜面の意思なんか無視して巻き込んでくるに決まっている。それでは命が幾つあったって足りはしない。だからこのあたりでちょっと口を挟んで雰囲気に水を差し、この少女を送り届けるとか言ってとっととそのまま逃げてしまうのが得策の、

 

 

「そんなのっ、最初から無理に決まって、」

 

「俺からしたら、火星にいるっていう微生物を回収しようなんてプロジェクトも無理としか思えねえんだけどよ」

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

おまけ:深刻なる難問

>>> 第二一学区方面操歯涼子争奪戦 

 

 


 

 

 

 浜面仕上は、そうして口を挟みながら、自分の口が自分のものでないかのような錯覚を感じていた。

 

 

(何を言ってんだ俺は!? 違うだろ、ここは一緒になってフレンダの馬鹿野郎の機先を挫くところだろ!? この人の言う通りだって、ヒロイズムに浸ってんじゃねえ、俺は付き合ってられねえぜって!! 浜面仕上って男はそういうことを言うヤツだっただろ!?)

 

 

 それ以上の、憤りを感じていた。

 

 

「ああ、アンタの言う通りさ。そこの金髪は頭のネジが外れちまってる。クソ野郎のくせにガラにもねえこと言って、ヒーローでも気取ってやがるのさ。……でもよ、アンタの言ってたことだって同じくらい馬鹿げてたよ。火星にいるっていう微生物から助けを求められた!? だから助ける為に研究所をこさえた!? 馬鹿げてるよ! 馬鹿げてるし………………カッコよかったよ」

 

 

 彼の脳裏に、幾つかの光景がフラッシュバックする。

 金髪に甘ロリ衣装の少女が、蹲って涙を流す姿。

 そしてそんな少女を背に立つ、駒場利徳。

 なぜ、こんなことを思い出してしまうのか、彼には分からないが。

 

 

「そんなアンタが、そんな素晴らしい夢を簡単に諦めるなよ!! こんなクソったれな世界になんて負けないでくれ!!!!」

 

 

 浜面仕上は、無能だ。

 スキルアウトを纏め上げた駒場利徳に付き従って、ただ楽な方向に流れていっただけ。できることと言えば車の運転とピッキングくらい。そのくせプライドばかり高くて、追い詰められた末に本当に最低な所業に手を染めた。

 自分では何も生み出すことができない、壊すことしかできない非生産的無能。それが、浜面仕上だ。

 

 だから浜面は、微細の話を聞いて、本当に尊敬したのだ。

 自らの手で何かを作り上げ、『夢』を叶えようとしている彼女を。暗部という世界にありながら、そんな綺麗なものを大事に大事に胸の中にしまい込んでいた一人の少女の在り方を。

 

 それが、壊されようとしていた。そのことが、なぜだか非常に許せなかった。

 

 

「立ち上がるだけの材料がないと思うなら俺たちが用意する!! 立ち上がるだけの心の準備ができていないなら俺たちが奮い立たせる!! だからもう一度だけ──再起してくれよ!!!!」

 

 

 気付けば、浜面はいつの間にかバイクから降りて、微細の前に跪いていた。

 鼓舞している相手に、却って懺悔しているような無様な恰好。それを見て、横に立つフレンダは笑う。

 

 

「確かに、私達は何の取り柄もない無能力者(レベル0)だけどね」

 

 

 おそらくは、脳裏に何かの思い出を浮かべながら。

 

 

「結局、何の取り柄もない無能力者(レベル0)でも、死ぬ気で頑張れば……大切なモノは守れるように、案外この世の中はできてるって訳よ」

 

「……本当に、馬鹿ね」

 

 

 微細は言葉とは裏腹に優しく笑って、

 

 

「ここまででいいわ。あとは、歩いて行く。アナタ達は来た道を戻るんでしょう? 私の研究データ、頼んだわよ。それと」

 

 

 グッ、と。

 フレンダの肩にしがみついて、微細は初めて声を震わせながら、絞り出すように言った。

 

 

「……お願い……! 私の代わりに、あのクソ野郎の顔面に、一発入れて頂戴……!!」

 

「ガキの使いじゃないのよ。結局、もうちょっと難易度の高いお願いでも聞いてやるけど?」

 

 

 冗談めかして言うフレンダに、微細はゆっくりと顔を上げ、泣き笑いの表情を浮かべる。

 浜面もガラにもなく少しもらい泣きしてしまいそうになり、誤魔化すように鼻を人差し指で擦る。

 

 そしてその笑みのまま、微細はゆっくりとフレンダ達の背後を指さした。

 

 

「じゃあ、とりあえずアレ、ぶっ壊してきて」

 

 

 歯車が。

 円滑に動いていた会話の歯車が、一気に軋んだのを感じた。

 

 一切の油が切れてしまった機械人形のように滑稽な音が鳴るんじゃないかと、そんな錯覚さえしてしまうほどぎこちなく、浜面とフレンダはゆっくりと後ろを振り返る。

 そこには、当然山があった。

 だが、別に微細は山を壊せと言っていたわけではなかった。正確には、山の一部から今まさに()()()()()()()()()()何かだ。

 ビシビシと山肌をめくり上げ、その下から這い出るように生み出されたそのシルエットは────球体だった。

 

 その上空には、一人の少女が──ドッペルゲンガーがいる。

 月明かりに照らされながら、体から大量の『何か』を吐き出し、そこから流れ出る電流で砂鉄を集め、一つの巨大な兵器を作り出しているのだ。

 

 

「……………………」

 

 

 そして、それは流れるように遂行された。

 時間にして、一分もかからなかっただろう。迸る高圧の電流によって砂鉄は溶かされ、繋がれ、一つの兵器として完成していく。

 直径五〇メートルの球体。

 機体側面部から伸びた機体の倍以上はある長さの二対のアームが、機体前方に向かって鉤状に伸びている全容が完成する。

 足元には鋼鉄で錬成された鎧袴のような形状の推進装置と、下に向けられた砲台のような機構が備わっていた。

 

 たった一機で、戦争の形を変えてしまえそうな威容。

 

 それを作り出したドッペルゲンガーは、そのままその中へと入り込んでいく。

 代わりに、機体から飛び出るようにして現れた『ハリボテ』が『何か』を纏って人間の形を模して、それから山の向こうへと飛んで行った。

 

 ……状況から判断するに、おそらく今飛んで行ったのはドッペルゲンガーの『分身』。本体は、あの兵器の中に鎮座している。

 つまりどう考えても、こっちの方が強い。

 

 

 女王様のオーダーは、あれの完全撃滅。

 

 

 だが、吐いた唾は今更呑み込めない。

 唖然としているフレンダと浜面に念を押すように、微細はもう一度、愛すべき命知らず共に王命を下した。

 

 

「とりあえずアレ、ぶっ壊してきて」

 

 

 

「……………………マジ?」

 

 

 

 深刻なる難問が、始まった。




位置関係的に、今はまだ件の機体は山蔭に隠れていてこの時点のレイシア達には見えていません。ごうんごうんという雷雲のような音は聞こえているかもしれませんが……。


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おまけ:深刻なる難問 ④

 無茶ぶりをしたドSの女王様はというと、先ほどまでのしおらしい態度がウソのようにフレンダと浜面のことを追い立てた。

 『いや……流石にアレぶっ壊せっていうのは厳しいっていうか……』『なんで首謀者グーパンじゃダメなの???』などと渋り始めた非常に情けない馬鹿二人だったが、女王様が伝家の宝刀『なんか凄い科学が使われてるっぽい鞭』を取り出したあたりで抗弁の無意味さを悟ったのか、そそくさとバイクに乗り込んで死の登山を開始したのだった。

 

 

「クソクソクソクソっ!!!! 馬鹿だった!! 場の空気にあてられちまったっ!! おいどうしてくれんだフレンダ!! お前のせいで俺らアレをぶっ壊さなきゃならなくなっちまったんだぞ!? あの、化け物みたいな兵器を!!!!」

 

「うっっっさいわねえ! どのみちアイツをぶち壊しでもしない限り、『木原』が悪意で進化させた微細の科学は奪い返せないでしょうが!! 結局、アレをぶっ壊すのは既定路線って訳よ! 文句言うな!!」

 

 

 ボカ! とバイクを駆る浜面の背中を一発殴ったフレンダは、『それに』と続けて、

 

 

「結局、本気で嫌なら黙って今ここで私を吹っ飛ばしてバイクで下山すりゃいいだけの話でしょ。それをやってない時点でアンタの腹の底なんか透けて見えてるって訳よエセ不良め」

 

「うるせえ!! あんな泣き落とし卑怯だろうが!! 美少女のしおらしいとこ見せられて回れ右するほどエリート不良浜面仕上サマは落ちぶれちゃいねえっつうんだよ!!」

 

「結局浜面キモイ」

 

「やめろ!! 今、涙で前が見えなくなったら二人してお陀仏だぞ!!」

 

 

 やいのやいのと騒ぎながら、馬鹿二人はバイクに跨って山を登っていく。

 既に直径五〇メートル以上の化け物は完全に形を安定させ、王者のように山の斜面を進んでいる。

 

 

「…………微細のヤツは、アレに微生物の技術が使われてるとか言ってたけどよ」

 

 

 ぼやくように、浜面は呟いた。

 情報源は、去り際の微細だった。微細曰く、『私の科学を吸収した結果アレが出力されているなら、必ずアレの根幹技術には微生物の制御技術が使われているはずよ。もちろんそれだけであんなものが作れるはずはないけど……「ドッペルゲンガー」とやらは、元から物質を自在に操る……「憑依」とかいう技術があったんでしょう? それと私の科学が結びついてああなった可能性は高いわ』とのことだった。これに関しては、フレンダも浜面も同意である。

 

 

「……にしても、研究していた微生物がロボットに乗っ取られて人類に牙を剥くとはな……まるで『微生物の逆襲』だ」

 

「微生物の逆襲? 何それ?」

 

「映画だよ。この間絹旗に付き合って見たC級映画。研究所に保管されていた微生物が、AIの暴走で世界中に蔓延するって話」

 

「ふーん…………」

 

 

 フレンダは適当そうに相槌を打ち、

 

 

「……『マイクローブリベンジ』ね」

 

「え?」

 

「敵性コードネームよ。結局、名前がないと呼びづらいでしょ?」

 

 

 突然の命名に唖然としている浜面をよそに、マイクローブリベンジは動き出す。

 マイクローブリベンジはその機体側面から鉤状に伸びた四本のアームを機体前方に向ける。すると四本のアームの示す先に、()()()()()()()()()()()

 

 魔法、と呼んでも差し支えない現象だった。

 山の一部がごっそりと抉られ、それが主砲の形に作り替えられているのだ。こんなものは、科学技術で再現できる領域ではない。

 しかし、フレンダはこの能力に心当たりがあった。というか、実際に体感したことがある。

 

 

「れ、超電磁砲(レールガン)……!?」

 

「は? フレンダお前、何言ってんだ? 第三位なら今ちょうど裏第四位(アナザーフォー)と一緒にいるんじゃなかったか!?」

 

「いや、抜け穴があるって訳よ」

 

 

 戦慄しながら、フレンダは語る。

 過日の大覇星祭での戦闘。木原幻生は幻想御手(レベルアッパー)を使って他者の能力を借用して戦っていた、今晩の戦場においても同じようなことをしているという情報がある。

 つまり、学園都市の『裏』においては、他者の能力を利用する技術は確かに存在しているのだ。だとするならば……超電磁砲(レールガン)に特化して能力を借用する技術があったとしても、少しも不思議ではない。

 

 

「能力は……能力者本人以外でも使うことができる場合がある。結局、ヤツはその抜け穴を使ってるんだと思うわ」

 

「だとしても!! いくら第三位が化け物だっつっても、あんだけの巨大な機体を運用できるわけがねえ! あれだけの巨体を維持するのにどれだけの磁力が要る? よしんば形作ることができたとしても、あのアームの長さを見ろよ! 一〇〇メートルはあるぞ!? さらに主砲の長さまで計算に入れたら軽く二〇〇メートル以上はある! 第三位の能力っつっても、二〇〇メートル先まで磁力を届かせられるわけがねえだろ!?」

 

 

 もちろん──ドッペルゲンガーが大出力の磁力を用いて、マイクローブリベンジを稼働させているカラクリは、恋査と同じく能力の『噴出点』を自分に設定させることによるものであり、その点ではフレンダの推理は正しい。

 だが一方で、浜面の指摘も正鵠を得ていた。

 確かに、ドッペルゲンガーが美琴の能力を使っていたとして、『能力の噴出点』は通常ならばドッペルゲンガーが起点になるはずだ。ドッペルゲンガーが機体中心に収まっていると仮定すれば、機体本体の直径五〇メートルくらいは能力射程に収まるだろう。だが、鉤状に伸びたアームと主砲の長さは二〇〇メートル近い。ここにまで能力を細やかに制御し、あまつさえアームの先端で主砲を作り出すような離れ業は、仮に中心に第三位本人がいたとしても難しいと言わざるを得ない。

 

 

「…………、」

 

 

 そしてフレンダも、その疑問に対する回答は持ち合わせていなかった。

 浜面の方もだからといって目の前の現実を否定する気にはなれなかったのか、それ以上の拘泥はせずに話を打ち切る。

 

 と。

 

 アームの先に現れた『主砲』が、ぐりん!! と角度を変える。

 磁力によってつくられているらしき『主砲』は、どうやら機械としての駆動域を無視して稼働させることができるらしい。すわ自分たちが狙われるかと一瞬心臓を縮み上がらせた二人だったが、マイクローブリベンジは『別の敵』を見ていた。

 

 その先にいるのは──生み出されたデコイと戦っている木原幻生。

 

 

「あっ、ばっ……!!!!」

 

 

 フレンダが何か言う間もなく。

 形のない暴力が、二人の頭蓋の奥に攻め込んできた。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

おまけ:深刻なる難問

>>> 第二一学区方面操歯涼子争奪戦 

 

 

 


 

 

 

 暴力の正体がゴバッッッ!!!! という爆音であることに気付くことにすら、数秒の時間が必要だった。

 二人の身体がバイクから放り出されなかったのは、ひとえにフレンダのお陰だ。彼女が砲撃よりも一瞬早く浜面の両耳を塞いだから、既のところで浜面はブレーキをかけることができたのだ。

 でもなければフレンダと浜面は今頃山の斜面へ放り出され、岩肌で全身をやすり掛けされていたことだろう。

 だが、それでも完全な無傷とはいかなかった。

 

 

「あ、が、……うぐ……」

 

 

 浜面の両耳を塞いだということは、フレンダ自身は暴力的な爆音をモロに浴びたということになる。急停止したバイクから転がり落ちるように倒れ伏したフレンダは、殆ど意識を手放す寸前だった。視線は虚空を彷徨い、口は力なくぽかんと空けられている。

 浜面は、バイクを蹴飛ばしてフレンダを抱え起こす。

 

 

「っ、馬鹿野郎!! 何やってんだテメェ!! おい! フレンダ!! 大丈夫だよな、鼓膜とか破れてねえよな!?」

 

 

 浜面はすぐさまフレンダの頬を叩き、()()()をする。

 一応耳に手を当ててみるが、血は出ていない。浜面はほっと胸を撫で下ろすが──しかし、この状況が既に冗談ではない。

 主砲の一撃、その余波である轟音を至近で受けただけでこのザマである。もう、真っ向からぶつかるとかそういう次元ですらない。余波の余波ですら、人間を殺しうる威力。文字通り戦いにすらならなかった。

 

 

「……っ!! がは、げほ! ゴホガホ!!」

 

「っ、フレンダ!! 大丈夫か!? 声聞こえるか!?」

 

「やめろ叫ぶな頭がガンガンする……。くそ、結局なんなの今の……。あんなの食らったら、流石に幻生だって跡形もないでしょ……」

 

 

 辛くも無事だったらしいフレンダはそのまま起き上がり、空を見上げる。

 対する幻生はといえば、どうやらあの一撃で敗北するような器でもなかったらしい。何やら光の壁のようなもので、今の一撃をいなしたようだが──しかし、その攻防も余裕というわけではなさそうだった。

 今の一撃を弾く代償に幻生の体勢は大きく乱れ、反動で吹き飛ばされないようにするのが精々といった様相だった。

 

 

「アレじゃヤバイわね。結局、連射でもされればすぐやられちゃうんじゃない?」

 

「運用してるマイクローブリベンジ側だってそりゃ分かってんだろ。それでもやらないってことは、何かできない理由があるってことなんじゃねえか?」

 

「……確かに」

 

 

 どういう設計思想かは分からないが、あの主砲は磁力によって砲弾も砲身も作られている。

 形状から言って、連射性能が落ちているというのは十分に考えられることだった。

 

 

「それに、あの意味ありげなアームだって怪しいぜ。アレが砲身の作成を司ってるなら、アレさえ破壊しちまえば砲身の作成だってできねえんじゃねえか?」

 

「……ってことは、どうにかして近づければ爆弾を設置してアームをぶっ壊せるんだろうけど……」

 

 

 しかし、それは不可能に近い。

 何せ、マイクローブリベンジは時速数百キロの速さで、プロボクサーのようなフットワークで山を旋回し続けているのだから。

 もちろん山の斜面の木々はなぎ倒され吹き散らされ燃え尽きている。鎧袴のような機構が、山の斜面に合わせて形を変えているのだ。お陰でマイクローブリベンジが移動した後はまるでペンキでも塗ったみたいに山火事が発生している。

 

 

「冗談だろ? 存在自体が山火事みてえな化け物に近寄ってみろ。お料理下手な幼な妻の失敗卵焼きよりも悲惨な黒焦げオブジェの完成だぜ」

 

「何よ浜面。アンタ幼な妻が性癖なの?」

 

「違う!! 全体的に不名誉だから遺憾の意を表する!!」

 

 

 フレンダは軽口をたたきながら、

 

 

「じゃ、近づかない方法でやってみますか」

 

 

 そう言って、フレンダはスカートの中からするりとパーティグッズを取り出す。

 サメの顔がペイントされた、手持ち式のロケット花火だった。背面のコックを抜くとガス噴射によって前方に飛んでいき、何かにぶつかると爆発するという代物だ。

 

 

「おいおいおい!? 正気かよフレンダ、そんなもん当てたって傷一つつくわけねえだろ! ぶんぶん飛び回るハエよろしく巨人からうざったがられるだけだぞ!?」

 

「装甲を狙えばね。で~も~……結局、狙うのは『足元』の方って訳よ!!」

 

 

 ガチャリ、とフレンダはマイクローブリベンジの足元に狙いを定める。

 鎧袴のような機体下部からは、ごろごろと雷雲が轟くような音が響き、足元の木々を燃やし散らしていたが──その最下部は、明確に地面から浮かんでいた。

 数センチとか、そんな次元ではない。マイクローブリベンジを数百メートルほど離れて観察していても分かるような、明確な浮遊。そして第三位の能力の運用という点から、フレンダは既にマイクローブリベンジの移動方式を読んでいた。

 

 

「静電気。リニアモーターカーよろしく磁石の力で数百トンのヨコヅナボディを持ち上げてるって訳ね。でも……それだけに、足元にはかなりの負担がかかっているはず。わざわざあんな形状で山に合わせて形を変えているくらいだから、相当加重の制御には神経を使っているに決まっているわ」

 

 

 フレンダは片目を閉じて最終的な照準を合わせて、

 

 

「なら、そこは必然的に他よりも強度が下がるって訳よ!! そしていきなり足元が破壊されれば、F1カー顔負けのハイスピードによる慣性が一気に牙を剥くっ!!」

 

 

 シュボッ!! と。

 放たれたロケット弾は、そのまま過たずマイクローブリベンジの脚部推進装置へと吸い込まれ──ボッ!!!! と爆裂した。

 静電気方式、という推進方式はマイクローブリベンジにとっては不幸となったかもしれない。地面に放たれた静電気がロケット弾に誘爆し、推進装置の一部が派手に爆発炎上したのだから。

 

 

「っしゃ!! やってやったわ!! ……流石に急ブレーキかけたみたいだけど、結局これで脚は死んだって訳、」

 

 

 ガッツポーズをしたフレンダだったが──そこで、彼女は言葉を失った。

 破壊され、装甲がめくれ上がったその下には──おびただしい量の『粘菌の網』が広がっていたのだから。

 たとえるならば、皮が剥げた人体の顔面のようなグロテスクさが近いだろうか。綺麗に整ったモノの裏側にある得体のしれなさを体感し、フレンダは一瞬息を呑む。

 そしてその一瞬で、粘菌の網が電気を迸らせた。

 

 バヂヂッ!! と音を立てると、剥がれ落ちたはずの装甲が元の形に収まり、アーク放電のような稲妻の連続によってあっという間に『溶接』されていく。

 二秒とかからず、フレンダによって齎された破壊は簡単に修復されていた。

 

 

「……………………」

 

 

 ジジジ、とマイクローブリベンジからノイズがかった音声が鳴る。

 どうやら、化け物兵器には対話の為の機能もあるらしい。きっと世界平和を成し遂げる為の重要な機能なのだろう。

 

 

『先ほどからちょこまかと蠢いているようだが……』

 

 

 ギギギと、主砲の向きが変わっていく。

 

 

『やかましいな。始末しておくか』

 

 

 

「うおおォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!!!」

 

 

 当然ながら、浜面は全力でバイクを走らせた。

 慌ててその背中にしがみつくフレンダに、浜面は力いっぱいの罵倒を吐き出す。

 

 

「駄目っっっ駄目じゃねえかっ!!!! むしろ狙われてんじゃん!! どうしてくれてんだテメェ!! もうお前一人でやれよ俺やだよあんな化け物兵器の主砲をぶちかまされて死体も残らねえ有様で死ぬの!!」

 

「馬鹿!! 冷静になりなさい浜面! れれれ冷静になりなさい!! 結局、あんだけの威力の主砲を私達目掛けてぶっ放せば山ごと崩れるに決まってるでしょ! そしたらアイツだってひっくり返ってお陀仏って訳よ! だからアレは単なる牽制! 脅し! セーフっっっ!!!!」

 

「セーフだと思ってんならなんでそんなロケット弾連発してんだ馬鹿! 必死こいて目くらましを仕掛けてるようにしか見えねえんだよっ!!」

 

 

 ぽんぽんとロケット花火を出しては撃ってと繰り返しているフレンダに浜面が半泣きのツッコミを入れた、直後だった。

 

 ドッパァン!!!! と、突如地面が爆裂し、浜面とフレンダはバイク走行の勢いのまま盛大に空の旅を強制させられる。

 すわ地雷かと浜面が一瞬覚悟したのも無理はない。そのくらい唐突な一撃だった。

 

 

「……う、クソったれ、今日一日で一生分の幸運を使った気がする……」

 

「こんなもんと戦うハメになってんのよ。結局、この程度の『不幸中の幸い』じゃプラマイでマイナス一億くらい不幸って訳よ……」

 

 

 吹っ飛んだ二人がそのまま茂みの中に軟着陸できたのは、せめてもの幸運だったと言わざるを得ない。

 加えて追撃が来なかったのも、フレンダの矢鱈目鱈なロケット弾の連射が功を奏した。フレンダのロケット弾の中には電波妨害用のチャフを内蔵したものもあり、とにかく乱射したことでそれがマイクローブリベンジの索敵機能を妨害し、なおかつ茂みの中に紛れ込んだお陰で二人の生存を覆い隠すことに成功したのだ。

 

 

「でも、おかしい……。結局、さっきは焦ってたけど、でも山の斜面にあの出力の一撃をぶちかませば山ごと吹き飛ぶっていう私の見立ては間違ってないと思う。……っていうか、いくら外れてたからといって、大まかな方角が合ってさえいれば私達がこの程度の被害で済んでるのがおかしいんだけど……」

 

 

 そこで、フレンダは気付く。

 爆炎の向こう側に浮かぶ、マイクローブリベンジの主砲。

 それが──ほんの一〇メートル程度まで縮小していることに。

 

 

「そうか……!! 磁力で砲身を作ってるっていうんなら、大きさだって可変ってことじゃねえか……!!」

 

 

 つまり、マイクローブリベンジは地形破壊の危険性を考えずに主砲を撃てるということ。

 とことんまで山岳で戦うということを突き詰めたかのようなデザインの兵器だった。

 

 

「どうすんだよ……! 山を丸ごと吹き飛ばせるようなデカい主砲だけじゃねえ。人一人を過不足なくぶち抜けるような対人サイズにまで変形可能ってんなら、それこそもう抜け穴なんてねえだろうが! コイツをぶち壊すなんて……!!」

 

 

 戦慄し、吐き捨てる浜面。まだ戦意は失っていないようだが、その横顔は蒼褪め血の気が完全に引いていた。

 対照的に、フレンダは落ち着いていた。いや、正確には、浜面の分析を吟味していた。

 磁力で砲身サイズを可変させることができる機構。山の斜面に合わせて形状を変える静電気推進装置。破壊されてもすぐさま修復する自動回復装甲。

 

 それらすべての手札を踏まえ、フレンダは言う。

 

 

「…………私に作戦がある。結局、浜面。アンタの命、私に預けてくれない?」




【マイクローブリベンジ】
  MICROBE REVENGE
全長約150m(本体は50m)
最高速度時速320キロ
装甲10センチ厚×50層(微生物や溶接など不純物含む)+磁力式自動回復機能
用途遅延戦闘兼極地暗殺用兵器
分類山岳地帯特化型第世代
運用者ドッペルゲンガー(木原数多)
仕様静電気+過加熱炭化微生物放出式
主砲空中浮遊式可変口径レールガン
副砲なし
コードネーム微生物の逆襲(根幹システム含め微生物が使用されているところから)
メインカラーリング



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おまけ:深刻なる難問 ⑤

「んで、どうするっつーんだよ!?」

 

 

 バイクを一旦放棄した二人は、木々の間を駆け抜けてマイクローブリベンジから少しでも距離をとっていた。

 マイクローブリベンジはこの宵闇の中でもフレンダと浜面の姿を正確に感知できるレベルのセンサー網を持っているようだが、しかしマイクローブリベンジ側もまともな戦闘をしているわけではない。幻生の力の余波を受け、センサーの感度はそこまで高くないようだった。というか、でもなければフレンダが連発していたロケット花火の目くらましなど無視して、今頃二人は失敗したバーベキューのような有様になっていただろう。

 

 

「……、」

 

 

 フレンダはちらりと空を見上げる。

 

 空では、先ほどドッペルゲンガーが作り出したデコイと木原幻生が派手な戦いを繰り広げていた。

 マイクローブリベンジの方は山の陰に入っているので、おそらく山の向こう側からはデコイしか見えていないだろうし、聞こえていて雷雲が轟くような移動音程度だろうが……しかし幻生もただやられているわけではない。

 マイクローブリベンジの主砲の威力は圧倒的だが、幻生も光の槍を何本も作り出し応戦していた。

 いかにマイクローブリベンジがF1カー級の速度とプロボクサー並のフットワークで回避運動をとれたとしても、的が直径五〇メートルである。すべてを躱すことなどできないし、事実何度か中破しているようだったが──、

 

 

「さっきから連中の戦闘を見てたろ!? 破壊されても、その下にある何かの回路から電気が出て、すぐに元に戻っちまう。自己修復能力があるんだよ!! あの分じゃ攻撃なんてはなから無意味だろ!」

 

「……結局、アレは粘菌による自動再生だと思うわ」

 

 

 言いながら、フレンダはすっと手を差し出して浜面に見せた。

 その手には、何か真っ白い束のようなものが落ちていた。

 

 

「……なんだ、それ……?」

 

「さっき、装甲を吹っ飛ばしたときに風に飛ばされて落ちてきたものよ。結局……多分ドッペルゲンガーは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「…………!?」

 

 

 フレンダの言葉に、浜面は息を呑む。

 それはつまり。ドッペルゲンガーが語っていた『憑依』というのは──、

 

 

「微生物……いや、粘菌かしらね。結局、肉眼では見づらい粘菌のようなものの成長をコントロールして、物質を『憑依して動かしている』ように見せかけていたんだと思うわ」

 

「じゃ、じゃああのレールガンも粘菌で操作して作り出してたってのか……? ……いや、待て。仮にそうだとして、粘菌が全てのタネならおかしくないか!? 電熱で超高熱になっている環境下で生物が繁殖できるわけないだろ!?」

 

 

 高熱ばかりは、火星の密着微生物並の繁殖能力を取り入れたとしても克服できないだろう。それに、微生物操作で溶接を行ったりできるのも不自然だし、レールガンの建造までこなせるのも精密性が高すぎる。

 第三位の能力と併用しているにしても、やはり熱を克服できるかと言われれば厳しい。ただ……反駁する浜面だったが、フレンダの推測が間違っているとも思えなかった。

 

 

(……こうは言ってみたが、多分フレンダの集めたピースは正しい。あとは組み合わせの問題なんだ。これらを上手く噛み合わせる形さえ見つければ、きっと真相に近づけるはず。……何か、手元にあるのに使っていないピースがあるはずなんだ……!)

 

 

 しかし、悩んでも考えは一向にまとまらない。

 そうしているうちにフレンダと浜面は、気付けばマイクローブリベンジから遠く離れた山の頂上付近までやってきていた。

 

 そこで。

 

 

「拙いブラフだなァ!! んなもん、テメェをぶち殺してからでも十分考慮は間に合う!!!! テメェは一秒でも長く生き永らえることだけ考えていればいいのよ!!」

 

 

 

 ──冗談抜きに、フレンダは心臓が止まるかと思った。

 

 何故ならすぐそこで、フレンダと浜面の上司である麦野が何者かと戦闘を繰り広げていたのだから。

 いや、何者かという表現は白々しさが過ぎるか。

 裏第四位(アナザーフォー)、レイシア=ブラックガード。

 もともと、麦野が第三位と戦闘を繰り広げているという情報はフレンダ達も得ていた。だが、その第三位が絹旗と戦い、麦野がレイシアと戦っているという状況は完全に想定外である。

 というかそれ以前に、今フレンダと浜面は第三位に電撃でやられてリタイヤしている扱いだ。だからこそ自由に動けているという側面もある。その状況で麦野に独断専行の現場を目撃されれば? ──当然、待っているのは死である。

 

 

「どどどどどどど、どうしよう浜面」

 

「化け物兵器相手に物怖じしない女がなんで麦野相手にそんなにビビり散らしてんだよ!!」

 

 

 顔面を冷や汗塗れにさせたフレンダに、浜面は反射的に声を上げ──それから自分で口をおさえた。

 なんだかんだ言って、浜面もこの現場を見られればアウトであるということは分かっているのだった。

 

 

「……問題は、この場に麦野がいることそのものじゃねえ。俺達はマイクローブリベンジを相手にするってだけでキャパオーバーなんだ。麦野に見つからねえようにとか、そういう思考の雑味がちょっとでも混じるだけで死にかねねえってところなんだよ」

 

 今はレイシアと戦っているが、これで麦野がレイシアをぶち殺しでもした暁には、麦野は完全なるフリー状態となってしまう。

 そうなればフレンダと浜面の行動はかなり制限されるし、まかり間違って麦野がマイクローブリベンジを確認でもしてしまえば、もう撃破は絶望的と言ってもいいかもしれない。

 フレンダと浜面からしてみれば、ただでさえ超難易度のミッションがさらに慈悲を失ったかのような出来事であった。

 

 

「……第三位、なんか辛そうだな」

 

 

 絹旗と戦っている第三位を見て、浜面はふと気が付いたかのように言った。

 

 

「何? 可愛い女の子が困ってたら無条件に手を差し伸べたくなっちゃうって?」

 

「違げえよ!! ……さっき話してたろ、マイクローブリベンジが第三位の能力を運用しているかもしれないって。幻想御手(レベルアッパー)も、結局は能力を他者が運用するための技術だったって話だろ」

 

「……そうね」

 

「俺は、スキルアウトだからよ。知り合いが何人か幻想御手(レベルアッパー)に手を出したことがあったよ。殆どはせいぜいが異能力(レベル2)程度だったけどさ。中には大能力(レベル4)くらいにまでレベルが跳ね上がったヤツがいてさ」

 

 

 浜面はそう言って、拳を握る。

 

 

「……どいつもこいつも、今の第三位みたいに苦しんで倒れてた。それが、幻想御手(レベルアッパー)の副作用なんだってな。俺も後から知ったよ。木……なんだっけ? そんな名前の研究者が、学生のことを利用したんだって」

 

 

 レベルを上げたい。

 落ちこぼれから脱したい。

 

 そんな切実な想いを利用された、かつての仲間達を明確に思い浮かべながら。

 

 

「高位能力者なんて、甚振られても胸がすく思いだってくらいにしか、思ってなかったけどよ。……アレって、結局同じことだよな。レベルがどうであれ、この街じゃ……学生はクソみてえな研究者の食い物にされてる」

 

「……そう?」

 

 

 しかし、フレンダは笑う。

 

 研究者(きょうしゃ)に食い物にされる学生(じゃくしゃ)

 

 高位能力者(きょうしゃ)に食い物にされる無能力者(じゃくしゃ)

 

 その立ち位置にいることを認識しながら、それでもなお狡猾に強者の喉笛を食い破ることを生き甲斐とする悪党は、その本領発揮とばかりに嗜虐的な表情を見せる。

 

 

「さっき、アンタ言ったわよね。自動修復機能があるからはなから攻撃は無意味だって。確かに、機体をいくらぶっ壊しても無意味かもしれないわ。結局、ヤツは自分の機体がどれだけ破壊されようと問題ないようにマイクローブリベンジという機体を組み上げているんだから」

 

 

 言うなれば、アレはドッペルゲンガーという存在が作り上げた戦略の結晶。生半可な策ではアレを止められないのは当然の理屈だ。

 ただし、と。

 そこまで絶望的な情報を並べながら、フレンダ=セイヴェルンは逆転へとつながる逆接の言葉を紡ぐ。

 

 

「その為に扱っているのは、あくまで微生物の力と超能力者(レベル5)の力。惑星全体をぶっ壊すような圧倒的な力じゃない。というか、その程度の力しかないから、あんな妙ちくりんな機体を作り出して()()()()()()()()()()。そうは考えられないかしら?」

 

「そりゃあ、確かにそうかもしれないけど……」

 

「だったら! 結局、あの機体がまるまる崩壊するような攻撃を食らってしまえば、流石に自己修復機能があったってどうしようもなくなると思わない?」

 

「…………何か策でもあるのか?」

 

「やる価値は、あると思うってわけよ」

 

 

 頷いて、フレンダは言う。

 

 

「足場を爆発させる」

 

「あ? でもそれはついさっきやったばっかりじゃ……、」

 

「アレは足場じゃなくて足を爆破したのよ。だからすぐに修復されてしまった。でも、足場は機体じゃないから自己修復機能もないわ。『憑依』にしたって、爆発で抉れた地面を修復できるような性質のものじゃない」

 

 つまり、『存在しないモノ』は操れないということ。

 爆発で地面が抉れれば……当然機体はバランスを崩す。足元にかかる過負荷は、斜面を移動するときの比ではない。かなりの規模の破壊が発生すると見込まれる。下手をすれば、静電気に誘爆してより大量の破壊が発生するかもしれない。

 だが──

 

 

「それだって結局は自己修復の範疇だろ? いくらぶっ壊しても治っちまうなら、結局無意味じゃねえか」

 

「その修復の中に、爆弾が混じっていたら?」

 

 

 フレンダの悪辣な笑みは、少しも陰らない。

 浜面はその笑みに、絶句した。

 

 

「確かに、マイクローブリベンジの修復機能は完璧かもしれない。破壊を即座に修復できるなら、どんな攻撃だって無意味かもしれないわ。でも、その修復の際に使われる資材の選別まで完璧だと思う? 結局、アンタだって見ていたはずよ。山を大雑把に抉りながら作られたあの巨体の完成劇を」

 

 

 そう。確かに浜面は見ている。地面を抉って主砲を生み出した光景を。

 マイクローブリベンジはどこかで精密に製造された部品が組み合わさって作られたというたぐいのものではない。第三位の磁力と『憑依』を利用して、この学区中の地面に含まれる大量の砂鉄や鉱物を溶かして鋳造された、急ごしらえの兵器なのだ。

 そしてその修復も、破壊されたそばから周辺の物質を取り込むという大雑把なもの。たとえばそこに爆薬が紛れ込んでいれば──それも特に気にせず取り込んでしまいそうなほどに。

 

 つまり。

 

 フレンダはこう言っているのだ。

 

 

「マイクローブリベンジの、最強の自己修復機能。結局、そいつを逆手に取ってやるって訳よ」

 

「で、でも……どうやって!? 足場を破壊するっつっても、余波だけで俺達が数百人は死にかねない化け物だぞ!? その足元にどうやって爆弾をしかけるって……」

 

「結局、だから言ったでしょ?」

 

 

 不安そうに言う浜面に、フレンダはにっこりとかわいらしい笑みを向けて返す。

 

 

「アンタの命、預けてくれない? って」

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

おまけ:深刻なる難問

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 ──そういうわけで、フレンダはマイクローブリベンジの近くまで一人で接近していた。

 浜面の方は、現在乗り捨てたバイクを回収しに向かっているところである。マイクローブリベンジはなんだかんだで時速数百キロで移動し続けているので、人間の足ではリアルタイムに機体をとらえることが難しいためだ。

 

 

『っつか、接近して爆弾をぶちかましたところでどうにかなるような相手か!? その前にお前が対人レールガンで死んじまったら元も子もねえんじゃねえか!?』

 

 

 通信端末から、浜面の声が聞こえてくる。

 もともと持っていたスマートフォンは第三位の電撃によって破壊されてしまった二人だが、代わりとなる通信端末がないのでは作戦行動も覚束ない。そのため、この戦場に合流する前に適当にかっぱらってきておいたのであった。

 もっとも、かっぱらってきたものなので通信することくらいしかできない低性能な一品だが。

 

「いいや。それは問題ないって訳よ。アイツの攻撃手段は主砲一本きり。おそらくそれ以外に回す電力的余裕がなかったんでしょうね。だから幻生が頑張ってる間は私達に攻撃が飛んでくることはない。……っつーか、さっき自分で『私達の攻撃では自分は破壊されない』って証明した後だからね。いくら鬱陶しいからって、無意味な攻撃を繰り返す雑魚相手に唯一の攻撃リソースを割く訳がないと思わない?」

 

『…………それはまぁ、道理だな』

 

 

 先ほどの失敗が、却ってフレンダの安全を強化してくれている。

 木原幻生とマイクローブリベンジでは、明らかにマイクローブリベンジの方が優勢ではある。どういう理屈かは知らないが、ドッペルゲンガーが第三位の能力と微生物の力だけで得体のしれない木原の科学力を上回っているのは間違いないらしい。

 だが──それでも、木原幻生を無視できるかと問われればそうでもない。それが、フレンダ達にとってはつけ入る隙になる。

 

 

「なに? 浜面、結局私のこと心配してくれてるの?」

 

『あ、当たり前だろ!』

 

「浜面のくせに生意気」

 

『お前なあ……』

 

 

 フレンダは口元に笑みを浮かべながら、

 

 

「それに、無駄な心配ね。既にヤツの足場に、地雷のセッティングは済ませているって訳よ」

 

『おまっ、いつの間に!?』

 

「二人で必死こいて走っているときに、ちょこっとねー」

 

 

 そう言って、フレンダはロケット花火を幾つか取り出す。単発では、一瞬で再生されてしまうような文字通りの『豆鉄砲』にしかならないものだが──

 

 

「でもこれは、ヤツの『照準能力』を奪う程度の目くらましにはなるって訳よ!」

 

 

 ボパパパパンッ!! と。

 

 フレンダが放ったロケット花火は、マイクローブリベンジに届く前に空中で炸裂して、宵闇に白い煙をいくつも漂わせる。

 それ自体は単に空域を濁らせる目くらましにしかならないが──木原幻生との戦闘においてセンサーにも余波が及んでいるマイクローブリベンジにとって、照準が乱れる空間は避けたいものでしかない。殆ど無意識的に、その地帯を避けるよう移動したところで、

 

 

「今よ!!」

 

 

 叫ぶフレンダの手の中には、何かのスイッチが握られていた。

 彼女がそれを押した、直後。

 

 

 ドッゴォォオオオン!!!! と、まるで噴火のような勢いで、マイクローブリベンジの真下の地面が吹き飛んだ。

 いわゆる、地雷。その程度の威力ではマイクローブリベンジの装甲の表層を炙る程度のダメージしか与えられなかったが──しかし、地面についてはその限りではない。

 大規模な爆裂によって発生した半径にして五メートルにもなる大穴は、マイクローブリベンジの推進装置の一部が落ち込むには十分すぎるほどの広さを持っていた。

 

 当然、マイクローブリベンジの機体は溝にタイヤがはまった車のように傾き──

 

 

「ここっ!!」

 

 

 発生するであろう破損目掛け、フレンダは自分の手持ちのなかでも最大威力の爆薬を放り投げる。

 ハンドアックス。

 グラム単位の価格はプラチナに匹敵するという大変高価な爆薬である。プラスチック爆薬の一種で、自由に形状を変形させて貼り付けることができる為、フレンダはここぞというときにこの爆薬を重宝している。

 値が張るのでフレンダもおいそれとは使えない代物だが、それだけに効果は折り紙付き。機体内部に取り込まれた後に起爆することができれば、内部機構に起爆して機体全体を爆裂させることも不可能ではないはずだ。

 

 

「結局、小さな人間のやることだからって余裕ぶっこいて静観をきめてたその慢心が、巨人をぶっ倒す綻びになるって訳よ…………っ!!」

 

 

 勝利を確信し、放物線を描くハンドアックスの行く末を眺めていたフレンダは──そこで、信じがたいものを見た。

 ドバッ!!!! と。

 マイクローブリベンジの鎧袴のような推進装置から、()()()()()()()()()()()──()()()()()()()()()()

 

 

「は……?」

 

 

 勢いよく噴出したものは、見間違えでもなんでもなく赤熱していた。マグマか、あるいは溶鉱炉の中で溶ける鉄か。とにかくマイクローブリベンジは、噴出したマグマを使って落下の勢いを相殺しただけでなく、フレンダが生み出した大穴すらも一瞬で埋めてしまった。

 

 それだけじゃない。

 

 噴出したマグマは、そのまま穴から溢れ出して、ハンドアックスを投擲したフレンダ──つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それは、反撃なんかではなかった。

 おそらくは機体がもともと備えていたエラー処理用の機構。その正常な動きだけで、生命がいともたやすく刈り取られる現実。人間の足では、山の斜面を流れる溶岩流などどうにかできるわけがない。

 

 

 災害。

 

 

 もはや、機械という枠組みすらも超えた圧倒的な脅威に、フレンダは思わず逃げることすら忘れてその場に立ち尽くしていた。

 

 

「馬鹿野郎がっ!!!!」

 

 

 ガッ!!!! と。

 一瞬、フレンダは轢かれたのかと錯覚するような衝撃を覚え──自分がバイクに乗った浜面にバイクの上へと抱えあげられていたことに気付いた。

 ハンドルと浜面の間の空間に無理やり押し込まれた形となったフレンダは、茫然としながら浜面を見上げる。

 バイクのすぐ後ろを流動的な溶岩が流れていくという地獄のような光景が浜面越しに見えたのは、ちょうどその時だった。

 

 

「この馬鹿、死にてえのか!? あんなところで突っ立ってんじゃねえよっ!!」

 

「あ、ああ……け、結局、助かったって訳よ」

 

 

 我に返ったフレンダは、そこで冷静さを取り戻す。

 あまりにもスケールのデカい機構だが……考えてみれば、アレも微生物と超電磁砲(レールガン)の応用で説明のつく現象だった。

 

 

「……おかしいとは思っていたのよ。いくら第三位の電力をフルに活用しているとはいえ、いくらなんでもあの出力は高すぎる。人一人の扱える力の範疇を超えているって。……おそらくアイツ、内部に電力炉か何かを抱えていたって訳ね」

 

 

 浜面の背中に回り込みながら、フレンダは言う。

 

 

「そして、その電力炉が発する熱を利用している。大量に繁殖する微生物を過加熱して、炭を通り越してマグマみたいにしているんだわ」

 

 

 あるいは、取り込んだ鉱物もその材料にしているのかもしれない。そしてそれを蓄積しておいて、ああやって足場が不意に破壊されたときの推進力に使ったり、また舗装にも利用しているのだろう。

 おそらくは、高熱によって足元に群がる工作をまとめて消し去るという役割も兼ねているのだろう。実際、爆発から逃れる為に用意しておいた浜面の助けがなければ、フレンダはあそこで溶岩に巻き込まれていた。

 

 

「……見ろよ。あのマグマの勢いで完全に穴から脱出しただけじゃなく、冷えて固まったお陰で足場が舗装されたみたいだぜ」

 

 

 雷雲のような音を轟かせマイクローブリベンジはあらゆる戦況を支配する王者の風格で戦場を凱旋する。

 あらゆる足場の不安を解消する、山岳戦に特化した巨大兵器。

 

 

 その圧倒的な脅威を前にして、フレンダ達に成す術は────。



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おまけ:深刻なる難問 ⑥

 マグマによって地面を舗装し終えた山岳の王者は、その場で移動せずに即座に主砲を振り回した。

 ぐりん!! と回転した主砲に思わず息を呑んだフレンダと浜面だったが、しかしマイクローブリベンジの狙いは二つの小さな綻びには向けられなかった。

 代わりに向けられたのは、空。

 

 

「ひょほ、どうやらさっきまでのドッペルゲンガー君は単なるデコイにすぎなかったというわけみたいだねー……!」

 

 

 デコイのドッペルゲンガーを破壊した幻生は、その手ごたえを見て忌々しそうに顔を顰める。

 ──デコイのドッペルゲンガー。それが意味するところはつまり、()()()()()()()()()()ということである。

 そしてそれは、それまでデコイのドッペルゲンガーを破壊するのに手間取っていた幻生にとっては限りなく悪い情報だった。

 

 そこで幻生は、思考を切り替える。

 つまり、二つの魂に耐え切れないがゆえに不安定な出力となっている器での独力解決を目指すのではなく、この戦場にいる他の駒を利用する方向へと。

 

 

(とはいえ上条君は僕の憑依を解除させようと動いているからねー。彼に今以上の自由を与えては、却って僕自身の首を絞める結果になりかねない……。……とすると、誘導するならばブラックガード君か……、)

 

 

 そこまで考えて、幻生は眼下へ視線を向けた。

 そこには、けなげにバイクで山道を走り回っている金髪と茶髪の二人組。

 

 

(……うーん、アレじゃあどうにも、力不足が否めないねー)

 

 

 路傍に転がる石を迅速に意識の隅へと追いやると、幻生は他の役者へと目を向ける。

 

 

(麦野君……はブラックガード君に早晩倒されそうだ。数多が面白そうなことをやっていたようだけど、あの程度じゃねー。……とすると、その数多を攻略しそうな帆風君かな? 相性は悪そうだけど、目くらまし程度には使えるだろうからねー)

 

 

 当然、相手が相手だ。マイクローブリベンジの装甲を帆風が貫くことは難しいだろうし、仮に貫けたとしても生身では直径五〇メートルの巨体と激突するだけでミンチになるしかないので、当然捨て駒としての運用になるわけだが……所詮は裏技でも超能力者(レベル5)の末席にしがみつくのが精々な能力である。あの程度であればいくらでも損耗したって惜しくない。

 

 

 そう考え、帆風を戦闘に巻き込もうと急降下しようとした、その瞬間。

 

 

 カッ!!!! と帆風から突然電光が迸る。

 

 それは、帆風が──否、『帆風潤子と悠里千夜(アストラルバディ)』が木原数多を攻略する為に放った光だった。

 一定の間隔で明滅する光によって、光過敏性発作を引き起こす一手。

 それは、当然ながら木原数多に向けられたものでもあったが──

 

 

「な、ば……ッ!?」

 

 

 今の幻生は、塗替の肉体を乗っ取った状態。

 即ち、元のサイボーグではない完全なる『生身』。当然ながら生理反応も、通常の生体同様に存在するわけであり──有り体に言って、幻生の意識は一瞬『飛んだ』。

 

 そしてその一瞬は、マイクローブリベンジとの戦闘においては文字通り致命的だった。

 

 

 ゴギン、とマイクローブリベンジの主砲が、脈動するようにひときわ巨大になる。全長一〇〇メートルにも及ぶ巨砲に一瞬にして変貌したマイクローブリベンジの白亜の主砲は、過たず木原幻生に照準を合わせると、

 

 キュガッッッッッッッ!!!!!!!! と。

 

 光の柱で以て、幻生の姿を塗り潰した。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

おまけ:深刻なる難問

>>> 第二一学区方面操歯涼子争奪戦 

 

 

 


 

 

 

「ぎゃ、ぎゃあああああああああっっっ!?!?!?!?!?」

 

 

 同時刻。

 山の斜面では、バイクから転げ落ちて二人して地面を転がる二人の馬鹿がいた。

 マイクローブリベンジが木原幻生に放ったレールガン。これは今までのそれよりも桁違いの出力を誇っており、その余波として放たれた光だけでも殺人的な暴力を秘めていたのだ。

 幸いにも森の中を走行していた二人はその光を直視していたわけではないが、木々越しに浴びた光だけでも馬鹿二人を地面に転がすには十分すぎるダメージであった。結果、バイクから転げ落ちた二人は落ち葉の上でのたうち回るハメになった。

 転げ落ちた拍子に木々に激突したりしなかったのも含め、何気に運のいい二人である。まぁ、『たまたま光を直視してしまった不運』に比べれば大した幸運でもないが。

 

 

「なぁっ、な、な、何あれ!? 結局さっきまでとは威力が桁違いじゃない!?」

 

「クソったれ……、あの野郎、さっきまでのは慣らし運転だったんだ! おそらく第三位の能力を完全にジャックできてないとかで、不安定な出力だったんだよ!!」

 

 

 目を瞬かせながら言う浜面だったが、発覚した事実はさらなる絶望を煽る材料でしかない。

 しかもたった今、幻生がその攻撃をモロに浴びたのだ。目下の脅威が一つ消えたことで、盤面に占めるマイクローブリベンジの影響度はさらに増したと言わざるを得ない。

 ここから先は、マイクローブリベンジの気まぐれ一つでこちらの命が消し飛びかねなかった。

 

 

「まぁ、あの程度で死ぬジジイではないと思うけど……結局、一時戦線離脱は免れないでしょうね。ったく、なんであっさり吹っ飛ばされてんだか……」

 

「だが、この後どうする? このままだと俺達の身の安全まで危うく……、」

 

 

 と、浜面が弱気な言葉を漏らしかけたそのときだった。

 ギギギ、と不吉な音を奏でながら、巨大な砲身が小さく組み変わりながら、下へと照準を定め始めたのだ。

 ぎょっとしたのはフレンダと浜面である。

 何せ先ほどまでマイクローブリベンジの足回りに攻撃を仕掛けていた張本人である。幻生が戦線から離脱した戦場においてマイクローブリベンジから最もヘイトを稼いでいるのは当然この二人。狙われるのも必然──と思ったのだが。

 

 グイン!! と、マイクローブリベンジはもう幻生もいないのに高速起動を行う。まるで、射角を調整するような小刻みな移動を怪訝に思うフレンダだったが──やがて気付く。

 マイクローブリベンジの目的は、自分たち二人ではないことに。

 

 

「そうだ……! アイツよ。敵の狙い!!」

 

「はぁ!? 誰だっつーんだよ、俺達以外にあの化け物に立ち向かおうなんて馬鹿は……、」

 

裏第四位(アナザーフォー)

 

 

 フレンダは人差し指を立てながら答える。

 確かに、レイシアは『亀裂』の翼で空を縦横無尽に駆け回ることができるし、『亀裂』による攻撃は切断と同時に修復を阻害する効果もある。まさしく、マイクローブリベンジにとっては天敵となりうる能力なのだ。

 それを考えれば、おそらく麦野を下したであろうレイシアにマイクローブリベンジが狙いを定めるのは不思議な話ではない。

 

 

「そうか……! ってことはヤバくねえか!? いくら超能力者(レベル5)っつっても、流石にあの大出力相手じゃ分が悪りいだろ! 黙って見守ってたらすり潰されるのがオチだぞ!」

 

「当然! 結局、此処で黙って見ているなんて選択肢はあり得ないって訳よ!」

 

「じゃあどうすんだ!?」

 

 

 切羽詰まった浜面の問いに、フレンダは脂汗を滲ませた笑みを浮かべながら答える。

 

 

「助けるに決まってんでしょ。最弱の無能力者(レベル0)が、最強無敵の超能力者(レベル5)サマをね」

 

 

 


 

 

 

 バイクを()()()()()()()()()フレンダは、再度浜面と別れて一人で山の斜面を駆け巡っていた。

 

 最弱の無能力者(レベル0)が、最強無敵の超能力者(レベル5)を助ける。

 お題目は立派だろう。

 では、具体的にどうやって助けるか。

 フレンダの『爆破』では、真正面からぶつかってもマイクローブリベンジに手傷を負わせることはできないだろう。これについてフレンダは、一つの答えを持っていた。

 

 

「そのためには……浜面、アンタの協力が必要不可欠だからね」

 

『……分かってるよ。あークソったれ。今この時点でマイクローブリベンジが俺のことを狙ったらと思うとマジで心臓が縮み上がるぜ……』

 

 

 無線で適当に言い合いながら、フレンダは地面を確認していく。

 バイクで逃走している合間にも、既にリモコン式地雷はバラ撒いておいてあった。マイクローブリベンジが真上に来たタイミングで起爆すれば先ほどと同じように足場を破壊することができるだろう。

 だが、それだけでは噴出口を破壊することはできない。とはいえ。

 

 

「にしし、そんなもん、結局工夫次第でどうとでもなるって訳よ……♪」

 

 

 爆発物を操る。ただのその一点だけで無能力者(レベル0)にして暗部の奥底の一角を担うまでになったフレンダにとっては、どうとでもなる問題なのだが。

 

 

「それより、アンタよアンタ。浜面の準備は大丈夫? 結局、アンタがちゃんとしなけりゃこっちの準備も水の泡なんだけど」

 

『…………分かってるよ』

 

 

 対レイシアの為か、持ち前の高速機動を使いひとところに留まらないマイクローブリベンジだが、これは一方で一つの問題を孕んでいた。

 リモコン式の地雷では、マイクローブリベンジが通過したタイミングで起爆することが難しいのだ。

 先ほどまでは出力が劣っていたからか移動もそこまで早くはなかったが、今はもうそんな様子は全くない。フレンダが地雷を炸裂させるには、どうしてもルートを限定する必要があるのだ。

 

 そのための策として──

 

 

 


 

 

 

「…………妙だな」

 

 

 その時。

 ラディケイト087──フレンダ達からはマイクローブリベンジと呼称されている巨大兵器のコックピット内で、ドッペルゲンガーは小さく呟いていた。

 

 その周辺は、まさしく異形と表現するほかなかった。

 

 直径三メートル程度の球状の空間の中心に位置するドッペルゲンガーは、真っ白い粘菌で形作られたボディスーツに身を包んでおり、その粘菌がまるでドッペルゲンガーを操り人形のように空中に固定している。

 球状に切り取られたような空間の壁には真っ白い粘菌がまるで網脂か何かのようにびっしりと張り付いており、そこから棒状の機器が何本も伸びて蠢くように左右に揺れていた。

 コックピットでありながら、巨大な怪物の胃の中のような威容。

 無機と有機の冒涜的な融合。

 ドッペルゲンガーという機体のコンセプトを、これ以上ないほど明確に表現した光景だった。

 

 

超電磁砲(レールガン)の能力を掌握できたのは良いが……先ほどまで小うるさかった二人組の無能力者(レベル0)の音沙汰がない。……逃げたか? まぁ別にそれでも構わないが」

 

 

 ドッペルゲンガーが木原数多と交わした契約には、()()()()()()()()()()()しか含まれていない。

 あとはなるべく改造によって得た己の能力を外界に披露してくれと言われているが、これは努力目標に過ぎない。自分に噛みついてきた者達がどう逃げまどおうと、そんなものは目標達成にとってはどうでもいい些事に過ぎない。

 

 ただ、一度は足場まで破壊してこちらの動きを止めようとしてきた二人組だ。おそらく何かしらの強力な目的を帯びているだろうに、まださしたる反撃を受けたわけでもないのに尻尾を巻いて逃げるというのは考えづらい。

 おそらくは、何か作戦を練っているのだろうが……。

 

 

「…………()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とか……か」

 

 

 だがしかし、圧倒的優位がゆえにドッペルゲンガーはその先にあるフレンダの策も読んでいた。

 

 

「まぁ、その程度ならば()()()()()()()()()ことなど造作もないが……。とはいえ、ここまでに見えている敵の手札を考えればこの程度が限界だろう。これ以上の考察はリソースの無駄遣いだな」

 

 

 そう呟き、ドッペルゲンガーは完璧に思考を切り替える。

 ラディケイト087にはいくつものセンサー群が積まれている。電磁気センサー、赤外線センサー、光学センサーといったセンサー群の大半は幻生との戦闘では大量にばら撒かれた力の余波によって無効化されていたが、その幻生が戦線から離脱した今となっては本来の機能を復旧させている。

 その今ならば、地面に設置されている地雷を確認してから修復機能を稼働させる程度のことは訳ないのである。

 

 

「………………、」

 

 

 そこで、ドッペルゲンガーは計器の乱れに気が付いた。

 具体的に言うと、電子系・赤外線系のセンサーにジャミングが施されたのである。確認してみると、天文台の一つから放たれた電波によってセンサーがジャミングされているようだった。

 

 

「……なるほどな」

 

 

 これを見て、ドッペルゲンガーも得心する。

 学園都市に配備されている最新鋭の天文台では、赤外線を用いた天体望遠鏡も当然存在する。

 その機器のパラメータを操作すれば、確かに即席のジャミング兵器として運用することもできるかもしれない。

 そしてジャミングによってセンサー機器がダメになれば、足元がおぼつかなくなったラディケイト087の隙を突いて地雷の攻撃を成功させる可能性も、なくはない。

 

 だが。

 

 

「甘いな」

 

 

 短く呟き、ドッペルゲンガーは腕を振るう。

 するとその動きに合わせて細く伸びた無数の菌糸がたなびき、その動きに応じて細長い鉄棒がさざめきのように右へ左へと揺れた。

 そしてその動きは、外界にて『旋回と主砲の照準』という結果として出力される。

 

 

「確かに、目標以外の犠牲は少ないに越したことはないが…………」

 

 

 ドッペルゲンガーは、きわめて冷徹に、

 

 

「別に私は、目標達成に必要な犠牲を厭う性格ではない」

 

 

 人から死体という最後の尊厳を奪う主砲のトリガーを、引いた。

 

 

 


 

 

 

 

「どっわァァあああああああああああああッッッ!?!?!?!?」

 

 

 一方そのころ、浜面は何気に九死に一生を得ていた。

 言うまでもなく、先ほどの天文台の天体望遠鏡を改造したセンサーへのジャミングは浜面の仕業である。

 正確には、その道のプロである微細乙愛のレクチャーを聞いた浜面の仕業、だが。

 

 

『大丈夫なの……!? 今凄い音がしたけど』

 

「なんとかな! クソったれ、こんな命がけの賭けはもう二度としねえ!!」

 

 

 乱暴に叫んで通信を切った浜面は、立ち昇る白煙を背にしながらその場に座り込み、背後に立つ女に声をかけた。

 

 

「ヘイ命知らず。地獄の景色はどうだった?」

 

「そりゃこっちの台詞よ無鉄砲。結局、九死に一生を得た感想は?」

 

「…………」

 

 

 二人の馬鹿は顔を見合わせ、同時に答えを言い放つ。

 

 

「「最悪だったに決まってんだろこの馬鹿野郎」」

 

 

 直後。

 

 マイクローブリベンジの足元が、音を立てて爆裂した。

 

 

 


 

 

 

『結局、足場崩しって訳よ!』

 

 

 その数刻前。

 フレンダは確かにそんな宣言をしていた。

 当然、開口一番にこの発言を聞いた浜面は、渋い顔をする。

 

 

『またかぁ……? 結局は足場の破壊もマグマ噴出で無効化されたじゃねえか。むしろこっちが危うく溶岩流に呑まれて死ぬところだったのを忘れたとは言わせねえぞ』

 

『もちろん、全く同じことをやれば同じ展開の焼き直しでしょうね。でも、私だってちゃ~んと考えがあるって訳よ』

 

 

 自信満々に言うフレンダは、人差し指を立てながらこう続ける。

 

 

『結局、前回私が失敗したのは、向こうの手札をきちんと把握していなかったからって訳よ。あのとき私はマイクローブリベンジの修復機能は想定していたけど、マグマ噴出機能までは想定していなかった。その現実との誤差が、失策として跳ね返ってきたって訳よ』

 

『失策のツケが即・死に直結するってのも怖ええ話だけどな……』

 

『ま、死ななかった私の勝ちとは言えるかもしれないわね』

 

 

 にしし、と笑うフレンダのポジティブさに浜面は苦笑しながら、

 

 

『で、具体的にはどうすんだ?』

 

『次は真っ先にマグマ噴出口を破壊する』

 

 

 フレンダはハッキリと断言した。

 

 

『あのマグマ噴出の用途は、足場を破壊されたことによる体勢の悪化を軽減する目的と、足元に群がる雑兵の駆除。つまり、体勢が悪化した瞬間にはもう起動していなければ機能としての意味がないって訳よ。でも……』

 

 

 フレンダは握り拳を爆発させるかのように思い切り広げて、

 

 

『……足場を破壊したときに、一緒にマグマ噴出口を破壊していれば……敵はマグマ噴出と修復機能を同時に使えないから、どう足掻いても足を止めざるを得なくなる』

 

『そりゃそうだけどよ……。でも、爆発と同時に噴出口を破壊するなんてできるか? 相手は爆発しようが即座に修復するバケモンだぜ。正直同じ場所への攻撃が二度通用するとは思えねえけどよ』

 

『そこは問題なし。……たとえば、噴出口内部で爆発が起きればどうかしら?』

 

『…………、』

 

『地面を爆発させるときに、一緒に爆発物も吹っ飛ばすのよ。爆発の勢いで噴出口内部に爆弾を送り込むわけ。機内で爆発すれば、流石の巨大兵器サマだってひとたまりもないって寸法な訳よ』

 

 

 それは、もう曲芸というレベルですらないだろう。

 まず、爆発の衝撃で爆発物だって誘爆するのが常識である。それを、『爆発させずに爆風には載せる』なんて、殆ど魔法の領域だろう。

 しかし、フレンダは──爆発物の扱いのみで暗部の一角に君臨する女は、さも当然のことのように話す。

 

 

『爆発なんてのはね、結局、酸素と爆薬の化合でしかないって訳よ。つまり、爆発物を真空状態にしておけば、その外で核戦争が起きようが爆発物は絶対に起爆しない。たとえば、日焼け対策のハンドクリームなんかでもいいわね。乙女の必需品だけで、起爆の無効化なんてわりと容易にできる訳よ』

 

 

 ただし、いくらフレンダが爆弾のプロでも、工作自体は現地に赴かないとできない。

 その穴を埋めるのが、浜面の仕事というわけだ。

 

 

『その工作をするための時間稼ぎに、天文台を使ってほしいのよ』

 

『……天文台?』

 

 

 首を傾げる浜面に、フレンダは頷く。

 

 

『そ。第二一学区は山岳地帯で天文台も多い。んでもって、天文台は別に馬鹿正直に望遠鏡で夜空を覗くだけが仕事じゃない。むしろ、現代の天文台は電波やら赤外線やらを飛ばしたり受信したりするのが仕事な訳よ。……だからこそ、火星からのメッセージだって受信できたんだからね』

 

『…………、』

 

『そして、お誂え向きに私達にはその道のプロが味方についてる。微細のヤツなら、天文台の電波望遠鏡を改造してジャミング兵器にする方法だってレクチャーしてくれるはずよ。アイツ暗部の人間だからそういう悪用とか得意なはずだし』

 

 

 ただし、これは別に逆転の一手というわけではない。

 

 

『マイクローブリベンジは、きっとセンサー類へのジャミングを嫌うはず。目の上のたんこぶである幻生が消えて、ようやく視界がクリアになったばかりなんだもの。余計にジャミングを厭わしく思うに決まってるって訳よ』

 

『……じゃあ俺はどうなるわけ?』

 

『ジャミング装置を起動させたらとっとと逃げて』

 

『そこでパワープレイかよっ!?』

 

 

 さすがの理不尽さに、浜面も呆れてしまう。

 

 

『大丈夫よ大丈夫。ジャミングの感知から破壊の決断まで最低でも五秒はあるだろうし、タイマーセットとかできればさらに時間的な余裕はできる。アンタの悪運の強さなら問題ないでしょ』

 

『悪運を勘定に入れてる時点で何か間違ってる気がするんだがよ……』

 

 

 ぶつくさ言う浜面だったが、彼我のヒエラルキーの差は覆しえない。

 フレンダはそのまま話を進めていってしまう。

 

 

『そこで、私の登場って訳よ。ジャミングで各種センサー類は潰され、照準を天文台に合わせるために足元がお留守になっている状況。そこに……爆弾を括り付けたバイクを走らせる!』

 

 

 浜面がマイクローブリベンジの足を止めさせているほんの数秒程度の時間を使って、爆弾をくくりつけたバイクを走らせる。そして足元に来たところで地雷を起爆させ、バイクごと爆弾を吹っ飛ばし──そして、マグマ噴出口内部でさらに起爆させる。

 そうすればマイクローブリベンジはマグマ噴出口を吹っ飛ばされ、姿勢制御を封じられて穴に足場を取られることとなる。機動力を奪われた独活の大木は、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)にとっては格好の的になるという寸法だ。

 

 そこまで聞いた浜面は、しみじみと感想を呟く。

 

 

『全体的に救えねえなあ……』

 

 

 敵も味方も、科学の悪用に次ぐ科学の悪用。

 もともとは微細の科学を悪用させないための戦いだったはずなのに、気付けば微細に科学を悪用させることが勘定に含まれていた。

 こんなことでは、技術の平和利用なんて夢のまた夢。実に暗部らしい、どこを見渡しても悪人しかいない煤けた戦場である。しかしそれでも、フレンダは笑った。

 

 

『なに? 後に残るのが可愛い女の子の笑顔だけじゃ不満って訳?』

 

『……いいや。十分だな』

 

 

 浜面も、それに釣られて笑う。

 たとえクソったれな過程にまみれていても、最後に少女が笑顔で終われるならそれで上々だ。今は、素直にそう思えた。

 

 

『……ところで今の、ひょっとして報酬はお前の笑顔って意味じゃねえよな?』

 

『んだと浜面ぁそりゃ私の笑顔が報酬じゃ不満って意味かー!!』

 

『ぎゃあ! ローキックはやめろローキックは! キング浜面の黄金の右にヒビがっっ!!!!』

 

 

 


 

 

 

 ──かくして、マイクローブリベンジは爆発炎上した。

 もちろんそれはマイクローブリベンジの敗北を意味したわけではないが──彼女たちの奮闘は、結果としてレイシア=ブラックガードの命を救うことになった。

 

 爆炎立ち昇るマイクローブリベンジを背に、フレンダと浜面は少女たちを見据える。

 レイシア=ブラックガードに、上条当麻。

 二人のヒーローが茫然とその姿を見守る中、まずフレンダが口を開く。

 

 

「やーれやれ。結局、今のは麦野たちを追っ払ってくれたお礼ね。お陰で、私たちもだいぶ動きやすくなったって訳よ」

 

 

 そして次に、浜面が。

 

 

「悪いけど、このまま時間稼ぎしてくれねえか? 俺達だけじゃどうにもならねえっぽいんでな」

 

 

 そして最後に眼下に構える巨大兵器を見据え、二人が言う。

 

 

「「ちょっとあのバカでかい兵器ぶっ壊してくる」」

 

 

 役者は揃った。

 ここ一番の大舞台(ヘヴィーオブジェクト)の、幕が上がる。



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おまけ:深刻なる難問 ⑦

「…………どういうことですの……?」

 

 

 二人の助太刀を受けて地に降りたレイシアの第一声は、困惑だった。

 無理もない。少なくともレイシア=ブラックガードの目を通して見たこの事件において、フレンダ=セイヴェルンと浜面仕上はこういった行動をとるような存在ではない。浜面はともかく、フレンダはこういった強大な敵に対して自分から立ち向かうようなキャラクターではないだろう。

 

 

「なぜ、この局面でアナタ達が? アナタ達は早々にこの戦闘からは離脱したはず…………?」

 

 

 対するフレンダや浜面も、その困惑は当然のものとして受け止めていた。笑みすら浮かべ、フレンダが言う。

 

 

「微細乙愛って女は、結局私の友達だったって訳よ」

 

 

 拳を、握りしめる。

 その言葉だけで、上条当麻はあらゆる疑念を放り捨てる覚悟が決まった。こんな声色のヒーローに対して疑義を向けるなんて、それだけで失礼なことだ。

 さらに追い打ちをかけるように、フレンダは続けた。

 

 

「あの化け物兵器は、微細のヤツの技術を使っている。ドSな上に無茶ぶりもするクソ野郎だけどね。結局、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「チッ。別に俺にはこんな御大層な理由があるわけじゃねえけどよ」

 

 

 上条の手前だからだろうか。浜面は居心地悪そうに毒づきながら、

 

 

「アレをぶっ壊してくれって、お願いされちまったからな。美女の頼みは断れねえだろ」

 

「……そっか」

 

 

 そして、上条はそんな浜面に対して多くを語らなかった。

 上条も、浜面のことは覚えている。あの夜、手前勝手な理屈で御坂美鈴を殺そうとしたこの少年に対して拳を振るった記憶は、まだ新しい。

 だが、その上条から見ても、目の前の男はあの夜とは別人のように見えた。あるいは──本来持っていた魂の輝きを取り戻したか。

 

 

「なら、此処は任せていいよな」

 

 

 上条は、握った右拳に視線を落としながら言う。

 

 

「俺は、吹っ飛ばされた幻生の方へ行く。さっきの戦闘でだいぶ消耗しているはずだし、こっちの時間はもうそんなに残されていないと思う。早く幻生を倒さないと……塗替が本格的にヤバイからな」

 

 

 あとは、言葉は要らなかった。

 四人のヒーロー達は、互いに頷き合って己の役割を果たしに行く。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

おまけ:深刻なる難問

>>> 第二一学区方面操歯涼子争奪戦 

 

 

 


 

 

 

 夜の山林の中を、フレンダと浜面は猛然と駆け回る。

 空の上では、レイシアが『亀裂』の翼をはためかせて宙を舞っている。音速で駆け回るレイシアは、今のところはマイクローブリベンジと間合いをとっている段階のようだった。

 

 

「さてナイト様。とうとうヒーローまみれの場違いな戦場になっちまったが、これからどうするつもりだ?」

 

 

 上空では、レイシアがちょうど能力を攻撃の為に発動したところだった。

 まるで白黒の稲光のように空を『亀裂』が閃き、マイクローブリベンジに襲い掛かる。しかしマイクローブリベンジはこれをいとも容易く回避し、返す刃でレールガンをレイシアに叩き込む。

 レイシアもこの程度は躱してみせるが、難なく──とはいかない。

 砲撃の威力が、あまりにも高すぎるのだ。

 砲撃そのものを回避したとしても、その周囲に発生する気流の乱れだけで十分致死たりうる。気流を操ることができるレイシアだからこそなんとか耐えきれているが、それにしたって長続きする均衡でもないだろう。

 

 その様子を横目に見ながら、浜面は言う。

 

 

「天下の超能力者(レベル5)サマが来てくれたことでこっちは大分楽になったが、マイクローブリベンジは超能力者(レベル5)が出てきたからってどうにかなる領域じゃねえぞ。一機で世界中の戦争を丸ごとぶっ壊したって不思議じゃない。壊したってすぐさま修復されちまうなら、そりゃもう無敵としか言いようがないだろ」

 

「…………いや、その結論はまだ早いって訳よ」

 

 

 少し考えたフレンダだったが、やがてそう切り出した。

 

 

「また足元を壊してみればどう? すぐに修復されるかもしれないけど、裏第四位(アナザーフォー)がいるこの局面で移動が停止するっていうのは結局致命的って訳よ。一瞬でも動きが鈍れば、その間に機体を真っ二つにできる。『亀裂』さえあれば修復も阻害できるし……っていうか、マグマを生み出せる動力炉が破壊できれば問答無用で大爆発なんじゃない?」

 

「いや」

 

 

 人差し指を立てながら提案するフレンダだったが、対する浜面の返答は否定だった。

 浜面は天文台でくすねてきたらしき片手持ちの望遠鏡をフレンダに手渡しながら言う。

 

 

「そいつでマイクローブリベンジの野郎の足元を覗いてみろ」

 

「……? 足元がどうかしたの……、……ッ!!」

 

 

 怪訝そうな表情を浮かべつつ望遠鏡の中を覗き込んだフレンダは、ほどなくして息を呑む。

 マイクローブリベンジの鎧袴のような形状の推進装置。今までは下部は大きく広がってマグマを噴出する機能を重視していたが、今はそこに開閉する蓋のようなユニットが追加されていたのだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 考えてみれば当然のようにも聞こえるが、これは実際のところそんなに簡単な話ではない。何せ、兵器というのは莫大な計算のもとに成り立っている一つの電子工芸品でもあるのだ。その場のインスピレーションで機能を追加すれば、それが思わぬ形で発露して自分の首を絞めることだってある。

 それを、戦闘中にやってのけるという芸当。おそらくはドッペルゲンガーという機械の脳だからこそなしえた芸当だろうが、それにしたって凄まじい対応力である。

 

 

「……操歯涼子。代替技術を極めた科学者と一年間同化していたサイボーグ、ね……」

 

 

 ただの機械ではこんなことはできないだろう。

 ドッペルゲンガーだからこそ、というわけである。

 

 とはいえ──状況は悪くなっている。足元の破壊が意味をなさなくなったということは別の策を立てなければならないのだが、フレンダの手持ちの爆薬で破壊できるのは精々装甲の表面程度。それにしたって簡単に修復されてしまう程度のものでしかない。

 ならばレイシアのサポートに回ろうとしても、そもそも足を止めることすらできないとなると、本格的に手詰まりになってしまう。

 

 と。

 

 そこで、望遠鏡を預かって敵を観察していた浜面は、あることに気付く。

 

 

「そ……そういえばよ。そもそも、なんでマイクローブリベンジは第三位の磁力を使ってまで『口径可変式のレールガン』なんてモンを主砲にしてるんだ?」

 

「はあッ? そりゃ、…………」

 

「だって、おかしいだろ。わざわざ一発撃つごとに主砲を再構築する手間さえなければ、ヤツはあの一撃をジャブみたいに乱射できていたはずだろ。そうなっていれば、今頃裏第四位(アナザーフォー)だってあっさり倒せていたはずだ。なのに連撃不能のリスクを背負ってまで、どうしてあんなややこしい仕組みになっているんだ……?」

 

 

 言われて、フレンダの脳裏にもう一つの疑念が浮かび上がる。

 それは、フレンダが美琴とぶつかる前のこと。ドッペルゲンガーは、木原数多と接触する前に一度操歯涼子と接触をとったらしい。

 そしてその際、ドッペルゲンガーは操歯涼子を殺害しようと動いていたという。

 

 

(操歯涼子の殺害未遂。そことマイクローブリベンジによる大暴れがイマイチ繋がってこなかったのが、疑問といえば疑問だった。まぁ、私達にはカンケーないからって放置していたけど……もし、二つの事象が根本的に一つの目的の上に重なった行動の結果だとしたら?)

 

 

 操歯涼子の殺害未遂。

 

 マイクローブリベンジの運用。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 これらが指し示す答え。

 それは────。

 

 

「…………浜面、でかした!!」

 

 

 なんのことはない。

 答えは最初から出ていたのだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 


 

 

 

【マイクローブリベンジ】

  MICROBE REVENGE

全長約150m(本体は50m)

最高速度時速320キロ

装甲10センチ厚×50層(微生物や溶接など不純物含む)+磁力式自動回復機能

用途遅延戦闘兼極地暗殺用兵器

分類山岳地帯特化型第二世代

運用者ドッペルゲンガー(木原数多)

仕様静電気+過加熱炭化微生物放出式

主砲空中浮遊式可変口径レールガン

副砲なし

コードネーム微生物の逆襲(根幹システム含め微生物が使用されているところから)

メインカラーリング

 

 

 


 

 

 

 ──レイシアは苦戦していた。

 

 躱すだけでもこちらの体勢を崩されるほどの威力の砲撃もそうだが、戦闘時間が五分一〇分と伸びていくにつれて、徐々に『スタミナ』という埋めがたい性能差が少しずつ顕在化してくる。

 それも当然。相手は機械でこちらは生身。そしてレイシアは能力をフルに使うことで音速機動の反動を相殺している。戦闘についていくだけでも脳をフル稼働させているのだ。ただでさえレイシアは今日既に誉望、麦野と連戦している。もうそろそろスタミナも尽きかけてくる頃だ。

 

 

《シレン……大丈夫ですか……!?》

 

《まだまだ……いける……けど……》

 

 

 とはいえ、『ここが限界』という感覚は二人にはなかった。やろうと思えば、まだまだやれる。

 ただ、原因不明の悪寒があった。

 これ以上進めば戻れなくなる。そんな悪寒が、二人にさらなる死力を尽くすことを躊躇させていた。

 

 

《なら、どうします? これ以上じり貧をやって死んでは笑い話にもなりませんわ。今ある手札で済ませるには、いったい!?》

 

《…………まずは、認めよう》

 

 

 この苦境において、シレンは諦めたような雰囲気を漂わせて言う。

 即座に反駁しようとするレイシアを宥めるように、

 

 

《恋査さんのシステムを限定応用した、超電磁砲(レールガン)の借用。あの巨体を運用しているところを見る限り……多分、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだと思う。もう一人の操歯さんの扱う『憑依』……あれは多分粘菌による物理的な操作だから、あの粘菌を使って演算回路を形成すれば……》

 

《……! ()()()()()()()()()()()!》

 

《その通り。それを機体全体に張り巡らせれば、機体の全域を『自分の一部』と定義することはできるだろうね。……そして、第三位の能力を第三位以上の演算回路と規模で運用するような相手に、裏第四位(アナザーフォー)の俺達じゃ逆立ちしたって勝てやしない。まずは、それを認めるんだ》

 

《…………、》

 

 

 普段ならばコンマ一秒も持たずにムキになるような言いぐさだったが、しかしレイシアはいつもと違い冷静にシレンの言葉に聞き入っていた。

 なぜならば。

 

 

《諦める……というには、随分不敵な声色ですわね?》

 

《俺達じゃ逆立ちしたってアイツは破壊できない。勝てない。……でも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?》

 

 

 シレンは、悪役令嬢のような不遜さを瞳に秘めながら言う。

 

 

《狙うのはアイツ自身じゃない。地面だ。山を『亀裂』で分断していくんだ》

 

《……足場を崩す、と? それで勝てると思うのは楽観が過ぎるのではなくて? あの推進装置は足場の崩落に強そうですし、仮にそれでは防ぎきれない大規模な土砂崩れを起こしたとしても……『自動修復機能』はつまり、機体の再構築(リビルド)を意味しますわ。より足場の悪い環境に適した機体に再構築してしまえば、元の木阿弥では?》

 

《その場はね。……でも、その後は? 足場の崩落のあとは『残骸物質』の障害物を出そうか。それはどう克服する? 克服していくたび、アイツはその場しのぎの機能をゴテゴテと取り付けていくことになる。兵器っていうのは全体像が計算されたうえで設計されているんだ。その場のインスピレーションで機能を追加していけば、最終的に牙が大きすぎて絶滅した古代生物みたいに機能のアンバランスさで自滅するんじゃないか?》

 

《あ……!》

 

 

 自分が起点となって積極的に『倒す』のではなく、徹底的に相手に『誤った学習』をさせることで、自滅を誘発させる消極策。

 恐ろしいことに、超能力者(レベル5)たる白黒鋸刃(ジャギドエッジ)ならばそれが可能なのである。

 徹底的に地形を変え続け、それに場当たり的に対応させることで機体をアンバランスになるよう誘導し、しかる後に自滅させる。確かに有用な策だろう。強いて問題点を挙げるとするならば、レイシアに時間稼ぎを任せて何やらいろいろと動いている二人の無能力者(レベル0)がその影響をモロに受けそうという点だが……。

 

 そこで、シレンは遅まきながら気がつく。

 

 フレンダと浜面が、その影響をモロに受ける。

 

 ………………………………。

 

 

《……レイシアちゃん、やっぱやめよ、》

 

《やりましょう! これしかありませんわ絶対に!》

 

《ちょ、レイシアちゃん!? 自分で言っておいてなんだけどこの作戦、浜面さんとフレンダさんの安全を全く考えてないんだよ!? 土砂崩れやら『残骸物質』やら、そんなのが飛び交う戦場に二人を送り込むわけにはいかないでしょ!?》

 

《おバカ! あの二人がそのくらいで死にますか! むしろ良い感じに生き残って良い感じに仕事してくれるに決まっていますわよ! そういうわけでプラン決行異論は聞きませんわ!!》

 

 

 シレンの指摘を華麗に無視したレイシアが、本格的に作戦行動を開始しようとした、その直後。

 胸ポケットにしまっていた携帯端末が、通話を受信した。

 

 

「…………」

 

『あ……! よ、よかった。レイシアか』

 

 

 機先を挫かれたレイシアが憮然としながら通話ボタンを押すと、そこから聞こえてきたのは彼女の友人であり、今まさに戦っている機械人形と同じ顔をした少女──操歯涼子の声だった。

 

 

「……? 操歯さん? どうかしたんですの? あ、馬場に任せていましたが無事に避難できて、」

 

『それなんだが……すまない』

 

 

 そして操歯が続けた次の言葉に、レイシアのプランは早々に崩壊することとなる。

 彼女は、こう続けたのだった。

 

 

 

『あの、妙な二人組に連れられて山に戻ってきたんだが、君と合流するには、どこに行けばいい?』

 

 

 

「あ…………あの馬鹿二人…………!!!!」

 

 

 脳裏に思い浮かぶは、なんかムカつく感じで笑っている金髪と茶髪の無能力者(レベル0)ども。

 レイシアは万感の思いを込めて、こうつぶやいた。

 

 

「オシオキ、カクテイですわ…………!!!!」



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おまけ:深刻なる難問 ⑧

ヘヴィーオブジェクトも完結し、当SSの天賦夢路(ヘヴィーオブジェクト)編もこれにて終幕です。


『おふざけがすぎましてよ、フレンダ=セイヴェルン……!!!!』

 

「どどどど、どうしたんだこれ。なんだか急に怒り出してるぞ。何かまずいことでもしたんじゃないか……?」

 

「だいじょーぶ平気平気。気にしないでいいから」

 

 

 怒髪天を衝く勢いのレイシアに対し、フレンダはいたって冷静に切り返す。──あるいは、その反応こそ狙い通りであると言わんばかりに。

 さらにフレンダは操歯の持つ携帯電話に顔を寄せて、

 

 

「アンタも私達の目論み、分かってきたんじゃないかしら? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。機械らしい愚直な目的意識を持ってね」

 

「…………っ!!」

 

「マイクローブリベンジは、その為の機体よ。大口径のレールガンを標準装備してしまえば、操歯を狙おうにも街の防衛機構が働いて狙撃が妨害される。それを回避する為に対人に絞った攻撃機構を得たかったけど……対人用の兵装では、迫りくるヒーロー達への対処ができない。……そんな苦悩の結果が、あの可変式主砲って訳よ」

 

 

 つまり。

 マイクローブリベンジの主砲は──操歯涼子の抹殺と、学園都市の追手への防衛戦、その両方を満たすために生み出されたものということ。

 その事実を知って、レイシアはフレンダの目的を完全に理解したらしかった。

 操歯涼子を盤上に持ち込むということは。操歯涼子の抹殺を目的に掲げる敵の前に、本人を差し出すということは。

 

 

『操歯さんを、囮に使うということですの……!?』

 

「御名答☆」

 

『馬鹿な! そんなの操歯さんをいたずらに命の危険に晒すだけですわ! そもそもそんなことをしたって一時的にヘイトを集中させる程度の効果しか持ちません!』

 

 

 通信先のレイシアは憤慨して通信機に叫ぶが、フレンダはへらへらと笑いながら、

 

 

「結局、ボールはこっちが握ってるからアンタがそこからどう反論しようが私達の動きは変わらないって訳よ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『そんな……ッ』

 

 

 なおも拘泥しようとするレイシアだったが、フレンダはそれ以上レイシアの反論には取り合わず、勝手に操歯の携帯端末のスイッチをオフにしてしまう。

 困惑するのは操歯の方だった。何かよく分からないままに連れられたと思ったらこの状況だ。しかも話を聞く限り、これから自分はドッペルゲンガーに命を狙われるらしいではないか。怒ればいいのか泣けばいいのか、急転直下の事態に操歯の感情はまだ状況に追いつけていなかった。

 そんな操歯の感情を置き去りにするように、フレンダは言う。

 

 

「……ま、安心しなさい。結局、悪いようにはしないから。それに、()()()()()()()()()()()

 

 

 その表情から真剣さを感じたからだろうか。

 一旦は困惑をひっこめた操歯は、改めて不安そうにあたりを見渡しながら言う。

 

 

「……そういえば、()()()()()()()()()()()()()? 途中で別れてしまったが……」

 

()()

 

 

 それに対して、フレンダは特に気負った様子もなく、あっさりと答えた。

 

 

()()()()()()()()

 

 

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

おまけ:深刻なる難問

>>> 第二一学区方面操歯涼子争奪戦 

 

 

 


 

 

 

「クソったれ!! あのアマ、面倒な仕事投げつけやがって……」

 

 

 浜面仕上は、まさに地獄の中を駆け巡っていた。

 頭陀袋の中には大小さまざまな爆弾が込められており、浜面はこれをとにかく無差別にばら撒きまくっているわけだ。

 

 

「っつか、『結局一番危険な役割は私が引き受けるって訳よ』とか抜かしていやがったが、こっちだって十分危険じゃねえか? 直接的な武力をばら撒いているわけだしよ……」

 

 

 森の中は、戦闘の影響でもはや『自然』という言葉が半ば崩壊していた。

 木々は爆風でところどころへし折れ、戦闘によって飛び散ったマイクローブリベンジの装甲の破片が突き立っている場所もある。

 浜面は自分の背以上もある真っ白い石碑のような装甲片を見上げ、うんざりとした表情を浮かべた。

 それは、マイクローブリベンジの主砲表面の装甲だったものだ。マイクローブリベンジの主砲は一撃ごとに崩壊と再生を繰り返すため、こうした破片が戦場に無数に飛び散っている──というのはフレンダの推測だったが、実際にこうして目の当たりにすると威圧感がある。

 マイクローブリベンジの巨体から距離感がおかしくなるが、実際には細かい破片の一つが浜面よりも大きかったりするのだから。

 

 

「…………本当にあったよ。だが、ただの破片で俺よりデカいっつーのは、こう……戦闘の余波で飛び散った破片が命中しただけでミンチになれるな」

 

 

 そう考えると、やはり今こうしているうちにも寿命をすり減らしているかのような気分になる浜面である。実際にはそんな可能性は脳天に隕石が直撃するような極小の確率であるとしても、実際に戦闘が勃発している以上は試行回数は無限のように感じるのが人情である。

 極小の確率だとしても、ゼロでないということは即ち『いずれ当たる』ということだ。生きた心地を取り戻す材料には程遠い。

 

 

「んで……。…………うわっ、なんだこりゃ!?」

 

 

 装甲の裏側を確認した浜面は、そこにあるものを見て納得の声をあげる。

 真っ白いペイントが施された装甲の裏側、黒い鉄の地肌が見える面には、まるで電子機器の基盤回路のようにうっすらと濁った透明の粘菌がびっしりと張り付いていた。

 浜面は知る由もないことだが、これこそがレイシア達が考察していたマイクローブリベンジの能力の秘密。装甲の裏側に隙間を用意し、そこに微生物によるスプリング式コンピュータを設置することで機体全体を能力の噴出点とする機構である。

 とはいえ、原理を予測できないまでも、似たような結論にフレンダ達も行き着いていた。

 

 

「……ホントに、コイツが『使われる』のかねー……」

 

 

 適当に言いながら、浜面は改めて周辺に爆弾をばら撒く。

 最後に自分のこの場での仕事を振り返り見た浜面は、ぼやくように呟いた。

 

 

「……ったく、これをあとどんだけやればいいのやら」

 

 

 


 

 

 

『…………茶番だな』

 

 

 マイクローブリベンジとレイシア=ブラックガードの戦闘の最中。

 マイクローブリベンジは──正確にはその中枢に坐すドッペルゲンガーは、わざわざ外部向けに降伏勧告をするための音声機能を使ってそう吐き捨てた。

 

 

「……何が、ですの?」

 

 

 『亀裂』の翼で空を舞うレイシアは、下からすくい上げるような軌道で『亀裂』を展開するが、マイクローブリベンジは容易くそれを回避する。

 『亀裂』はそのまま空中に残り続けてマイクローブリベンジの動きを阻害するが、マイクローブリベンジはこれにレールガンの一撃を打ち込んであっさりと『亀裂』を粉々に粉砕してしまう。

 およそあらゆる物質を分断できる『亀裂』だが、一方で外圧から力場を維持する力に関しては完全というほどではないのはこれまでにも何度か表出していたが、今回はあからさまにあっさりとバラバラにされている。

 それもヒューズ=カザキリのような想定外のエネルギーによるものではなく、単純に『規格外のパワーによって』という形で。

 

 

『お前のその戦い方だ。明らかに、地上への注意を逸らそうとする動き、だろう?』

 

「…………!」

 

『気付いていないとでも思ったか。いや……()()()()()()()()()()()()()()()?』

 

 

 その一言に、レイシアは息を呑む。

 傍受。その言葉が示す事実は、つまり──。

 

 

『この機体はとにかく潤沢なセンサー群を備えていてな。音声センサーや電磁センサーはもちろん、電波の傍受だって訳ない。そして、先ほどのお前と金髪のやりとり。……お前の行動から読み解かなくても聞こえていたよ。()()()()()()()()()()()()()()

 

「…………!」

 

 

 明確な殺意を言葉の端々に滲ませるドッペルゲンガーに、レイシアの表情が強張る。

 

 

「なぜ……! なぜアナタは操歯さんを、そこまで……!? 操歯さんだってアナタを攻撃したり、害そうとは考えていないはずです! アナタがたに争い合う理由などないのではなくて!? もしも、誰かに唆されてのことなら……!」

 

『……ク。情報にはあったが、流石のお花畑だな。裏第四位(アナザーフォー)

 

 

 この期に及んで間を取り持とうとするレイシアに対し、ドッペルゲンガーは嗤う。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()? ()()()()()()()()()()()()()()()

 

「…………っ!!」

 

 

 その視点は、レイシア=ブラックガードからは決して生まれないモノ。

 新たに生まれた人格でありながら、眠りについた人格の為に身を粉にし。

 自ら死に向かう人格を救う為に、なりふり構わずあらゆる手を尽くした。

 この世に『二人』──それこそが矜持であり喜びである彼女達には、決して。

 

 

『──ああ、()()には分からないか? ヒトの身勝手によって生み出されたのに、なおも無責任な製造者に恭順を示す「都合のいい製造物(じんかく)」でしかないお前にはな……シレン=ブラックガード』

 

「…………っ。安い挑発です、」「買って差し上げますわよ、その喧嘩ァ!!」

 

 

 直後。

 ゴバッッッ!!!! とレイシアの背後から大量の『亀裂』が伸び、マイクローブリベンジの上空から無数の巨大な『残骸物質』の雨が降り注いだ。

 

 

「訂正なさい、無礼者。シレンの慈しみは、アナタが値踏みしているほど安くはない!!!!」

 

 

 神の杖、という兵器の噂をご存じだろうか。

 アメリカ軍が開発を進めているといわれているもので、その正体はタングステン、チタン、ウランからなる金属の棒である。その全長は六・一メートルにも及び、これを宇宙ステーションから落下させることで標的を破壊するという位置エネルギー弾──いわゆる宇宙兵器だ。

 一説によるとその威力は原子爆弾にも匹敵すると言われ、純粋な位置エネルギーが威力に転化される為事前の察知も難しいとされている。

 

 もっとも、この兵器はあくまでも『噂』であり科学的にはこの兵器の実現は難しいと言われている。

 それは単なる金属の棒を落としただけでは位置エネルギー的には標的を数件破壊する程度の威力にしかならないであろうことや、落下の際の抵抗で金属棒が融解してしまうことなどが根拠として挙げられるが──ここで発想を転換させてみよう。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「その中はさぞ熱がこもることでしょう。わたくしが、風通しを良くしてさしあげますわッ!!!!」

 

 

 もちろん、高度からしても『残骸物質』による『神の杖』が原子爆弾並の威力を誇ったりするわけではない。

 だが、そもそも『残骸物質』はあまりの大重量で地面の中に沈み込むように落下するほどの物質である。爆発などの分かりやすい威力はないにしても、マイクローブリベンジの装甲を無視して内部に貫通ダメージを与えるのには十分な攻撃だった。

 

 

『……フム、流石は超能力者(レベル5)というべきか。こうも容易く新物質を創造するとはな。しかも……重量が重すぎて私の「憑依」では操作できないときたか』

 

 

 ただ、それは打つ手がないということを意味しているわけではない。

 ズガガガガガガガ!!!! と降り注ぐ『残骸物質』の雨の中、マイクローブリベンジは全くの無傷でこれを回避していく。慌てたのは、挑発されたシレンの方だった。

 

 

「馬鹿っ!! レイシアちゃん!! フレンダさんと浜面さん、操歯さんがいるんですのよ!?  向こうの挑発の狙いが同士討ちなんてこと、すぐに分かるでしょう!」「心配いりませんわ! 一応三人のいるところは避け、」

 

 

 シレンに詰問されて咄嗟に言ったレイシアだったが──それが失言であったことに、すぐ気づいた。

 雨のように大量の『残骸物質』によって実現した『神の杖』だが、怒りながらも最低限の冷静さを保っていたレイシアはきちんと同士討ちのリスクは回避していた。

 だが、怒っていたゆえにレイシアは失念していたのだ。

 

 つまり、攻撃がないところには三人がいる──という事実を。

 

 

『……フ、呆気ない幕引きだったな……!!』

 

 

 マイクローブリベンジの主砲が、音もなく崩壊していく。

 駆逐艦も容易く輪切りにしてみせるような威容の主砲がボロボロと崩れ、そして周囲の破片や鉱物を吸い寄せて『対人用レールガン』を再構築する。

 

 照準の先には、森の中を走る少女の二人組。

 木々によって隠れてその姿は分からないが、複数の方式のセンサーを駆使して索敵するマイクローブリベンジは確かに金髪の少女とその同行者の少女の姿をとらえていた。

 

 そして。

 

 ドッペルゲンガーは、もう一人の自分──いや、『自分を再構築できる知識を持った存在』を破壊する為のトリガーを引いた。

 

 

 


 

 

 その瞬間。

 

 フレンダはおそらく自分諸共操歯を抹殺しようとしているマイクローブリベンジの主砲を見ながら、確かに笑っていた。

 走りながら、フレンダの耳元に声が聞こえる。

 

 

『……さて、お膳立ては済ませましたわよ』

 

 

 それは、今まさに空中で戦闘している裏第四位(アナザーフォー)の声。

 しかし、その声は通信によって電波に乗って届けられたものではない。──大気中の音の伝導率を操作することによって実現された、『糸電話式』の念話能力(テレパス)である。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 レイシアとの問答において、フレンダはそんなことを言っていた。

 

 フレンダは、既にマイクローブリベンジと戦闘している中で、そのセンサー群の性能の高さを理解していた。だから、こうして操歯から向けられた通話も容易く傍受できるだろうと読んでいたのだ。

 露骨に操歯を囮に使い、レイシアと仲違いしたように見せかけたのも、ドッペルゲンガーを欺く為の罠。レイシアはフレンダの言葉の意図にすぐ気づき、こうして能力の応用で念話能力(テレパス)を使い、フレンダの真の作戦を伝えることができた。

 

 

「しかし、アンタが私の言うことをこんなにすんなり信じてくれるとは思わなかったって訳よ。私、一応何『アイテム』としてアンタの命を狙ったんだけどね」

 

『なんですの? わたくしがアナタの善性を信じたのが癪なのかしら?』

 

「……そーゆー感じとかね」

 

 

 とはいえ、策は成立だ。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 と、いうことは。

 

 

 ズッッッッッッッッッッドン!!!!!!!!!!!!!! と。

 

 

 夜空を彩る花火よりも鮮やかに、マイクローブリベンジの主砲が大爆発を引き起こす。

 

 

『な、ば…………ッ!?』

 

 

 その爆発は、これまでで最大級のダメージをマイクローブリベンジに齎していた。

 主砲はもちろん、それを形成する為の四本のアームは根元からへし折れ、直径五〇メートルの本体部分はまるで食べかけのアイスクリームのように全面が破損し、内部構造がめくれあがっている。

 動力炉が爆発していないのが奇跡としか言いようがないほどの破損だった──が、マイクローブリベンジはまだ生きている。

 

 

『……流石に、今のは想定外ではあったが』

 

 

 そしてそれは、フレンダの策の敗北を意味している。

 

 

『なるほどな、デコイか。レイシア=ブラックガード相手に最大サイズの主砲を運用している最中にオリジナルを盤面に紛れ込ませるのが、お前の策だったというわけか。私の第一義である操歯涼子の殺害を利用して、主砲の再構築を行わせ……その時のどさくさに紛れて、主砲に爆弾を紛れ込ませる為に。だが忘れたのか? ラディケイト087には、再生機能があるということを!!』

 

 

 直後。

 粉塵の中から映像を巻き戻すようにして、たった今破壊されたばかりの装甲片達がマイクローブリベンジの機体へと収められていく。

 爆発によってドロドロに溶けてしまったパーツもあるが、スペアパーツとなる装甲片は戦闘の中で大量に地面にばら撒かれている。問題なく、マイクローブリベンジは機体を完全修復し──

 

 

「おかしいとは思わなかったの?」

 

 

 ギチリ、と。

 金髪の少女のたった一言で、一機で戦争の形を変えかねないとまで言わしめた超巨大兵器の動きが、止まる。

 その一挙手一投足を見逃すことが、まるで致命的な結果を齎すことを理解しているかのように。

 

 

「修復なんて最初から読めていたわ。結局、それならもっと威力の高い爆薬を使うなりして『死に物狂いでアンタの修復が間に合わないようにする』努力をして然るべきでしょ。にも拘らずアンタは問題なく修復を完了させることができた。結局、その事態が、既に異常事態だって思わない?」

 

 

 まさに、チェックメイトの一手を討つように──フレンダは、手元の()()()()()()を見せてみる。

 

 

「あと」

 

『ッ、やめ、』

 

「あの不良馬鹿。今の今まで何をやってたか──とかね」

 

 

 


 

 

 

「……とか、今頃アイツドヤ顔してんだろうな。ったく、『敵が修復に使うであろう装甲片の裏側に「ハンドアックス」を仕込め』とか、人遣いの荒いナイト様だよ。世紀末覇王HAMADURA様に感謝しろよな」

 

 

 


 

 

 

 ──マイクローブリベンジの自動修復によって収集された装甲片。

 その裏側には、グラムあたりの単価がプラチナにも匹敵する高性能プラスチック爆薬──『ハンドアックス』がこれでもかと装着されていた。

 そして、マイクローブリベンジの装甲の裏側は、実はすぐに別の装甲があるわけではない。マイクローブリベンジ全体のシステムを維持するのに必要な『能力の噴出点化』の為に、粘菌による回路が張り巡らされているわけである。

 

 もしもそこで、大規模な爆発が引き起こされたら?

 

 核爆発にも耐えうるであろうマイクローブリベンジは、それでも撃滅はできないだろう。

 だが、しかし。

 その裏側に存在する粘菌の回路達は────当然、残らず焼き消される。

 

 即ち。

 

 

『こ、れは────!!!!!』

 

 

 

 その巨体を維持するのに使用している、動力炉。

 その制御をするために機体全域に張り巡らせていた第三位の異能が、消失する。制御を失った動力炉は速やかに暴走し────しかる後の大爆発を引き起こす。

 

 まるで、一つの大型爆弾か何かのように。

 

 

『させ、るかッ』

 

 

 ドッペルゲンガーは咄嗟に機体の変形を試みたようだったが、もう遅い。

 それ以上の何かを行う前に、フレンダは決定的な一言を呟いた。

 

 

「ha det bra!」

 

 

 

 一瞬、マイクローブリベンジの機体が失敗したガラス細工のように赤熱しながら膨らみ、そして破裂した。

 直後、宵闇の第二三学区の全域を破滅的な光が埋め尽くし。

 

 

 ────深刻なる難問(ヘヴィーオブジェクト)は、解決した。




天賦夢路(ヘヴィーオブジェクト)編が終わったので、次回からは天賦夢路(ドリームランカー)編です。


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一〇〇話:その胸中は

 その瞬間、俺達は迷わず空を翔けていた。

 

 『マイクローブリベンジ』が爆発したことによって発生した噴火のような爆炎の脇を通り抜けつつ俺達が睨みつけているのは──()()()()()()()()()()()

 

 

《どういう防御力してますの!? あの爆発の中心から離脱して……右腕以外無傷!? いえ、右腕はもともとなかった……と考えると、完全に無傷っておかしいですわよね!?》

 

《いや……どうやらフレンダさんが爆破する寸前に、離脱していたらしい。おそらく緊急脱出装置みたいなものが備わっていたんだと思う。随分周到だよ、あの人。……あるいは、爆発すらも想定内の展開なのかも》

 

 

 俺の中では、そんな推論がだんだんと出来上がっていた。

 根拠は単純。副砲すら備わっていない急造の機体に緊急脱出装置(そんなもの)をつけることができるとするなら、最初から離脱を計画に入れているくらいじゃないとありえないと思ったからだ。

 もしかしたら、ほどほどのところで自分からあのデカブツ兵器を起爆するつもりだったのかもしれない。学園都市による追跡を振り切るためとか、爆発そのものによるダメージ狙いとか……。

 何にせよ、脱出することをもともと考慮に入れていたということは、もう一人の操歯さんの策がこれで終わりとは限らなくなったということだ。

 

 

《仮にそうだとして、いったいどういう意図で爆発なんてものを?》

 

《…………》

 

 

 問いかけられ、様子を探る意味で気流探知でもう一人の操歯さんの方を探索した結果──俺たちは、ある事実に気付いた。

 

 機体の構築に利用された、大量の砂鉄。

 それはこの爆発によって学園都市の上空一帯を覆い尽くす。──といっても、肉眼では確認できないくらい微細なものでしかないけれど。

 それでも砂鉄は砂鉄。太陽風と干渉すれば、当然磁気の乱れが発生する。そして磁気に乱れが発生すれば──ある種の光学迷彩機能にも、支障が発生する。

 

 もちろん、俺達にその微細なブレを捉えることはできない。

 でも、気流感知は確かに上空に()()()()()()()()()()()()()()を浮き彫りにしていて──そして機械の身体(サイボーグ)であるもう一人の操歯さんの視力なら、微細なブレを感知できて然るべきだ!!

 

 

《理由は分からない。でも間違いなく──操歯さんの目的はあの飛行船だ!! おそらく、最初の最初から!!》

 

 

 紫電の衣を纏う天女様のような姿の操歯さんを追って、俺達は『亀裂』の翼をはためかせて空を舞う。

 もう一人の操歯さんが、何故あの飛行船を狙うのかは分からない。あの飛行船がどういうものかも分からないし、何のために光学迷彩で姿を隠しているのかも分からないが──しかし、学園都市中を巻き込んだ策謀の中心にいるもう一人の操歯さんの狙いなのだ。このまま放置しておくのは、よくない気がする。

 もう一人の操歯さんの目的自体が無害なものだとしても、どうももう一人の操歯さんは目的のために副次的被害を黙認する傾向があるからな。フレンダさんの友人である微細さんしかり、マイクローブリベンジの自爆前提の運用しかり。

 これまでの戦闘の経緯から考えても、もしもあの飛行船に何かしらの細工を施すことが彼女の目的だったとしても、その過程で学園都市に少なくない被害が発生する可能性はかなり高い。

 

 

「お待ちなさい、操歯さん!!」

 

『…………シレン=ブラックガード。お前は未だに私のことを操歯涼子と呼ぶのだな』

 

 

 すい、と。

 高速で飛行船の方へと向かいながら、もう一人の操歯さんは顔だけをこちらの方へ向ける。

 

 ……反応してくれた。対話の余地がある?

 

 よい兆候に思わず警戒を緩めた俺だったが──おそらく、人格が俺一人だったら次の瞬間にレイシア=ブラックガードは絶命していたことだろう。

 もう一人の操歯さんは、眉一つ動かさずにこう宣言したのだ。

 

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

《馬鹿、シレン!!!!》

 

 

 相手が誰であれ、一定の警戒を忘れないレイシアちゃんがいたからこそ、俺達は命を長らえることができた。

 その一言が発せられる直前に、レイシアちゃんは既に演算の準備をしていたらしい。もう一人の操歯さんが右手をこちらに向けるのとほぼ同時に、俺達ともう一人の操歯さんの間の空間に次元をも切断する『亀裂』が展開された。

 直後。

 

 ズバッチィィッッッ!!!!!! と、俺達の眼前に現れた『残骸物質』目掛け、単なる電流の領域を超えた『力』の奔流が迸った。

 『残骸物質』の盾を以てしてもその威力は軽減することしかできず──咄嗟に全身を『亀裂』の盾で覆った次の瞬間、盾として展開した『残骸物質』が、俺達を目標に音速の数倍ほどの速度で飛んできた。

 座標の起点を俺達に設定した『亀裂』で身を守っていなければ、『亀裂』が粉砕して俺たちは死んでいただろう。盾として生み出したものが一歩間違えば死を齎すという極限状況を追認するしかないという高速環境の戦場で、俺達は成す術もなく吹っ飛ばされるしかなかった。

 しかし──その中で俺の胸中にあったのは、もう一人の操歯さんの苛立ちを露にしたような捨て台詞だった。

 

 

《……操歯さんと同一視されるのが、不愉快? もう一人の操歯さんは、あくまでも『操歯涼子』としての自意識をよりどころにしているんじゃなかったのか……? 俺は、何かもう一人の操歯さんについて、いや──ドッペルゲンガーさんについて、勘違いしている……?》

 

《シレン! 考えるのはあとですわ! それより吹っ飛ばされる先に意識を向けなさい!》

 

 

 言われて、ハッとする。

 そうだ。もうドッペルゲンガーさんは完全に距離を離されてしまったし、俺達はドッペルゲンガーさんの一撃で一旦戦線離脱をしたという状況。

 ところどころで散発的に戦闘が起こっているこの盤面では、吹っ飛ばされた方向にも意識を向けないとまずい。数多さんあたりなんかは、そろそろ復帰してそうな頃合いだし──。

 

 そう考え、俺は改めて自分が向かう先へと意識を向ける。

 

 そこには──。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

一〇〇話:その胸中は Real_Intention.

 

 

 


 

 

 

「……やれやれ。随分と遠くまで飛ばされてしまったねー。そろそろブラックガード君が向かっている頃か……。これはいい加減に、急がないとマズイかもねー」

 

「…………行かせはしねえよ」

 

 

 ──先ほどまでレイシア達が戦闘していた山の麓。

 そこに発生した隕石痕(クレーター)のような陥没から幻生が這い上がったとき、そこにはツンツン頭の少年が待ち受けていた。

 暫しの沈黙。その後で、罅割れた青年の顔面が老獪な笑みの形に歪む。

 

 

上条君(メインプラン)か。面白い」

 

 

 キュガッ!!!! と。

 その直後、幻生の頭上に光の環のようなものが突如発生した。それはよく見ると電子基板のような薄い板が幾つも集合した土星の環のような構造体だった。

 それがまるでドーナツ型の歯車のような形を形成して、まるで機械か何かのようにギチギチと蠢いている。まるで塗替本来の脳髄を真綿で締めているかのような、そんな不吉さを孕む音だった。

 

 

「テメェ……! そいつの身体をこれ以上どうしようってんだ!」

 

「うん? 別に、この身体についてはもう潮時かなと思っていてねー。精々壊れるまで使い潰そうかと思っているんだけど、本当に壊れるまで使い潰したら僕もゲームオーバーだから。早いところドッペルゲンガー君を手の内に収めたいのだが……はてさて、困ったものだねー」

 

 

 言っている間にも、幻生の──否、塗替の身体は変化していく。体表はまるで布でも貼り付けるみたいに真っ白い物質を纏い、全身の右半分を覆われていた。上条はそれが何か知らないが、シレンであればこう表現しただろう。

 『まるで神の力(ガブリエル)みたいだ』、と。

 

 

「…………ッ!」

 

 

 ともかく、事は一刻を争う。それを改めて理解した上条は、すぐさま走り出して幻生へと接近していく。

 対する幻生は、右手をすいと振るうだけだった。

 

 次の瞬間、ズガッバァッッッ!!!! と、その腕の軌道の延長線上に真っ白い光の刃が展開された。

 世界全体を引き裂くような巨大な刃で上条の上半身と下半身が泣き別れとならなかったのは、その一瞬前に上条が野球選手がするような足からのスライディングで致死圏を潜り抜けていたからだ。

 死のラインを潜り抜けた上条は、そのまま飛び跳ねるように上体を起こして幻生へと向かう。今までの経験からして、幻生は接近戦を回避しようとする傾向が強い。直前にドッペルゲンガーに手痛いダメージを受けていたこともあり、接近戦は分があるであろうと踏んだのもあり、上条はここで決着をつけたいと思っていた。

 

 そしてその狙いは、幻生側からしても容易に推察できるものだった。

 

 

(上条君としてはここで決着をつけたいところだろうねー。実際、僕もドッペルゲンガー君から受けたダメージのせいで本調子ではない。今なら、接近戦に持ち込めば上条君に軍配が上がる可能性は高いだろう。だが、学園都市の『闇』に身を浸して半世紀以上も生き残ってきたこの僕が、その程度の戦略も読めないわけがないんだよねー……!)

 

 

 上条当麻の目的は、右手による塗替斧令の解放。

 即ち絶対にその決着は右の拳でつけねばならず、それゆえに上条の攻撃のタイミングは簡単に読み取ることができるのだ。

 

 

(歩数にして一〇歩。秒数にして〇・二秒後。上条君の攻撃タイミングは既に読めている。僕はただ、その時間に間に合うようにして攻撃を放てばいいだけだ)

 

 

 おそらく前兆の感知を使って上条も対応してくるのだろうが──一手割かれるのに違いはない。攻撃と同時に移動を開始してしまえば、『一旦攻撃を受け切るか受け流す』上条にその対応は難しい。

 そう考え、幻生が計画を実行しようとした次の瞬間──

 

 上条は、おもむろに携帯電話を取り出し、幻生に向けて構えた。

 

 直後、完全に思考の埒外の行動をとった上条に対し、幻生の思考が瞬く間に閃いていく。

 

 

(携帯電話? 通話? それとも擬態したガジェット? どのタイミングで? ブラックガード君の差し金──いや、カメラ機能によるフラッシュ!!)

 

 

 幻生の脳裏に蘇るのは、弓箭入鹿によって誘発された光過敏性発作。さすがに携帯電話のカメラ機能によって引き起こされるような代物ではないが、それでも幻生の──否、塗替斧令という生命体の肉体にはその苦い記憶が刻まれていた。

 幻生の思考に反し、塗替の肉体の運動が一瞬強張る。ギチギチと筋肉が軋むような錯覚を感じて、幻生は己の現状に気付いた。

 

 

(これ、は……()()()()()()!? そうか、僕の制御が弱まったことで塗替君の自我が表出しかけているんだねー……! 二乗人格(スクエアフェイス)の弱点というわけだよー……)

 

 

 レイシア=ブラックガードであれば、むしろ長所になりうる特徴。しかし片方の人格を道具としてしか見ない幻生にとって、それは弱点にしかならない。歪な形で実現した二乗人格(スクエアフェイス)の綻びが、これ以上ない場面で表出した瞬間だったが──しかし、幻生の悪辣な笑みは少しもブレない。

 上条がカメラのフラッシュで幻生の視界を潰そうとした、その直前。

 

 

「僕にかかずらうのも良いけれど──僕だけを意識していていいのかな?」

 

 

 すい、と幻生が指を差す。

 しかし上条はその指が指し示す先を見るまでもなく、幻生の意図している事柄が何なのか理解できた。

 何故なら、ご丁寧に()()は自分から次に発生する展開を予告してくれていたのだから。

 

 

「……っ!! 当麻さんごめんなさいっ!! わたくし、幻生さんの攻撃を躱す余裕がありません!!」

 

 

 レイシア=ブラックガード。

 おそらく、ドッペルゲンガーとの戦闘で吹っ飛ばされてしまったのだろう。なんとか体勢を整えるので精いっぱいらしいレイシアに対し、幻生は追撃を仕掛けようとしているわけだ。

 当然、天使級の一撃を防御するほどの能力はレイシアにはない。躱す余裕のないレイシアは、確実に幻生の一撃によって死に至る。つまるところ──これは幻生にとって人質なのだ。

 とはいえ、レイシアが自分から声を上げてくれたのは、上条にとってはこの上ないサポートだった。それがなければ上条は自分で状況を確認せざるを得なくなり、おそらく幻生の前でそれは致命的な隙になりえたからだ。

 

 幻生が、空へ向かって手を構える。

 レイシアを狙う確殺の攻撃に対し、上条は幻生への攻撃を中断し、全力で飛び上がり、ちょうどバスケットボールで相手のシュートを阻止するときのように右手を高く構える。

 ──その瞬間、上条の背筋に極大の悪寒が走った。

 

 

 その予感を裏付けるように。

 

 

「っっ!!!! 当麻さん、駄目ですわっ!!」

 

「──もう、遅いよー」

 

 

 ────上条当麻の右腕が。

 

 音もなく、切断された。



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一〇一話:計画の終わり

 その瞬間、世界の流れがゆっくりになったかのような錯覚があった。

 幻生さんの手から放たれた光の刃が、当麻さんの右腕を、根元から切断して────

 

 

「ッッ!!!!」

 

 

 直後、肩口から落下し始めた当麻さんの右腕を認識しながら俺は『亀裂』の展開を意識した。

 狙いは、当麻さんの右腕の切断面。『亀裂』によって切断面を覆い、止血を試みるのだ。肩全体を覆うような形で固定すれば、出血は大分抑えられるはず。ここから全力で飛ばせば病院はすぐ近くだ。この程度の負傷なら、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)先生ならすぐに……!

 

 

《馬鹿!! シレン()()()()()()()()()()!!!!》

 

 

 ──しかし、そんな俺の思考はレイシアちゃんの一声によって一喝された。

 

 

《冷静になりなさいな!! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?》

 

《あっ!!》

 

 

 言われて、俺はようやく思い出した。

 アウレオルス戦、フィアンマ戦、オティヌス戦、上里翔流戦。

 頼みの綱である幻想殺し(イマジンブレイカー)が切断されたとき、上条当麻の右腕からは正体不明の『何か』が発現し、目の前の敵に対して牙を剥いていたじゃないか。

 現然たる事実として────幻想殺し(イマジンブレイカー)の『奥』には、何かが潜んでいる!!

 

 

《アウレオルスは記憶を失いました。上里翔流は何か大ダメージを負っていました。それが塗替に適用されるなら? ただでさえ幻生の無理な二乗人格(スクエアフェイス)によって肉体にダメージを負っている塗替に、そんな大ダメージを受ける余裕は……!!》

 

《………………っ!!》

 

 

 でも、ここで当麻さんの右腕から出てきた『何か』を意識した行動をとれば、それは確実に不自然な行動に映るだろう。

 当麻さんが此処まで追い詰められているんだ。アレイスターは確実にこちらの様子を観察しているだろうし、幻生さんだって目の前で俺達のことを見ている。本来であれば知るはずのない事実を知っているということは、この街に潜む黒幕連中に対して──いや、この世界の裏側に潜んでどこぞからこの様子を見ているであろう魔神連中から警戒されるリスクを大幅に上げることになる。

 

 俺は、そのリスクを正しく認識する。

 

 その上で。

 

 

「当麻さん!! 何とか『それ』を抑えてください!!」

 

 

 そのリスクを無視することにした。

 躊躇している暇なんてない。俺達が魔神やアレイスターに警戒・特別視されるリスクなんてものは、塗替さんの命の危険に比べたら微々たるものだ。多分こうなってしまえば俺達の知る『正史』の知識の有用性なんてあってないようなものになってしまうんだろうけど……でも、そんなことはもう今更だ。

 そもそも大覇星祭からこっち、俺達の知る事件なんて一個もないからね。────そう決意すると、不思議と『ガチリ』と何かの歯車が噛み合ったかのような感覚がした。

 

 

「ッ!」

 

 

 その、直後。

 

 音もなく、だった。

 

 まるで食塩水の中で塩が結晶するように、当麻さんの右腕が()()()()()から──一匹の『ドラゴン』が忽然と現れた。

 そのドラゴンは、そのまま音もなく幻生さんへと突き進み。

 

 ()()()()

 

 幻生さんの半身ほどを、()()()

 

 いや──物理的な話じゃない。

 三次元世界においては、幻生さんはドラゴンの攻撃をすんでのところで回避している。にも拘らず、ドラゴンの攻撃の余波のようなものが、明らかに幻生さんの保有している『力』を食らったのが見えた。

 

 

「な──ッ!? こ、れは……!? 僕が蓄えた力が……!? なん、だ!? は、は、ハハハハハ! 何だねそのチカラは!! もっと……もっと見せたまえ上条君!!!!」

 

「…………ッ!!」

 

 

《駄目ですわ! 自分の理解を超えた未知の現象を前にして我を失っています! 完全に木原の死亡ルートに入ってますわよアレ!!!!》

 

《分かってるよ……ッ!!》

 

 

 ゴッ!! と。

 なおもドラゴンに対して向かっていこうとする幻生さんを突き飛ばすように、『残骸物質』を横合いに叩き込む。常人なら確実に即死している一撃だけど、『天使』級の出力を持つ幻生さんなら問題はない。……いや、力の半分を食われた状態で攻撃を食らったわけだから、多少のダメージはあるかもしれないけどさ。

 ともあれ、そちらの方は一旦意識の外から弾いて、俺は幻生さんを食らおうとしていたドラゴンの方を見遣る。

 ──竜王の顎(ドラゴンストライク)

 俺は、その姿に見覚えがあった。とはいえ、憑依してからの経験じゃない。これは、()()()の記憶。──旧約の、二。世界の全てを手中に収めた錬金術師の妄想。上条当麻の言葉によって見せられた幻、その顕現。…………そのはずだった、ヴィジョン。

 

 

《う……嘘でしょう!? ほ、()()()()()()()!? アレはアウレオルスの想像だったんじゃないんですの!? 当麻の右腕から出てきた不可視の力を、ヤツの常識で判断した結果見えた虚像じゃあ……!》

 

《いや……()()()()()()()()()()()()()()()()!! むしろ、アウレオルスが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!! アレは別に黄金錬成(アルス=マグナ)によるものだったんじゃない。本当に当麻さんの右腕から現れ出たモノだったんだ! 多分……逆にそれ以降のモノが不確かだったんじゃあないか!?》

 

 

 仮説はいくらでも立つ。

 推理の材料はいくらでもあるようで、決定的なモノがない。だから現状に一番即した推測を事実として動くしかない。……まさに、自分の命をベットした賭けだ。生きた心地がしないが……でも、やるしかない。

 

 

「ここで、仕留めるしかありませんわね……!」

 

 

 当麻さんの右腕の奥の存在──竜王の顎(ドラゴンストライク)は、決して無敵の存在じゃない。

 確かに全能の力を得たアウレオルスに最強の力を得たフィアンマを倒すなどその戦績は輝かしいが、個々の戦闘を鑑みると、そもそも当麻さんのブラフに呑まれたアウレオルスと、幻想殺し(イマジンブレイカー)の掌握に失敗したフィアンマ、竜王の顎(ドラゴンストライク)がぶつかったタイミングでは、お世辞にも全力のコンディションだったとは言えないだろう。

 さらに、フィアンマと戦ったときは当麻さんは自分の意思で竜王の顎(ドラゴンストライク)を制していた。あの時の一幕で読者は竜王の顎(ドラゴンストライク)のことを中条さんと呼んでいたけど……事実は違うっぽいね。

 ともあれ、当麻さんの意思で封じることができ、またオティヌスにあっさりと倒されるあたり、決して竜王の顎(ドラゴンストライク)はぶつかった瞬間死ぬような類のものではないってことだ。なら、俺達だって何とか対抗できるんじゃないか? ……いや、対抗できなきゃ、何もかもおしまいだ!!

 塗替さんを無事に救って、そして俺達も生還する。その為には……このドラゴンは、倒さなくちゃいけない!!

 

 

 覚悟を決めた瞬間、ドラゴンと目が合った。

 その、威圧。

 それはまるで、あの時インデックスが展開したあの『裂け目』の向こう側にいた『何か』。

 

 その時に至って、俺達は気付いた。

 …………ヤバイ。これ、勝ち目のある相手じゃない。

 一時的な時間稼ぎとか、そういう甘い判断が通用する存在じゃなかった。これは……規格が違い過ぎる。魔神のような、世界のトップクラス中のトップクラスだから手が出せたんだ。対抗するには、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)では足りない……!?

 身の裡から、焦燥と共に『何か』が沸き上がりかけた、その瞬間。

 

 

「…………今は、お前の出番じゃねえ」

 

 

 肩口を抑えた当麻さんは、ぽつりと呟いた。

 

 

「シレンとレイシアは、俺の大事な後輩だ。傷つけるのは、許さない」

 

 

 ボッッッ!!!! と。

 当麻さんがそう言った瞬間、ドラゴンは蒸気を上げるようにして消し飛び──そして、その後には、元通りの右腕が生えた当麻さんの姿があった。

 

 …………え???

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

一〇一話:計画の終わり Haphazard_Drive.

 

 

 


 

 

 

 同日、同時刻、某所。

 窓が一つも存在しない、モニターの明かりのみが星明りのように暗闇を照らす空間にて、逆さ吊りの『人間』はたった一言だけ呟いた。

 

 

「────まずいことになったな」

 

 

 


 

 

 

「と……当麻さん?」

 

 

 俺は、おそるおそる当麻さんに近寄って、右手の様子を伺ってみる。

 右腕のワイシャツは肩口あたりで吹き飛んでいるし、間違いなく当麻さんの右腕は一度吹き飛んでいる。幻覚なんかじゃない。でも、これは……明らかに腕が生えてるよね?

 い、いやいや。確かにフィアンマ戦でも生えていたし、今思い返せばアウレオルス戦の後も冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)先生にファンタジーな肉体って言われてた(確か)から、それも腕が勝手に生えてきたってことなんだと思うけど……。

 間近で見ると、やっぱりびっくりする。腕、ほんとに生えるんだ……。

 

 

「ああ、もう大丈夫だ。……でも、これからどうする? 幻生はレイシアがぶっ倒したみたいだけど……」

 

「いえ」

 

 

 そこに関して、俺は短く答えた。

 確かに攻撃は幻生さんにクリーンヒットしたらしく、幻生さんの動きは鈍い。だが、気流感知によると幻生さんは普通に起き上がっているし、戦闘の継続は問題なく可能そうだ。

 先ほどドラゴンに半分くらい力を食われていたけど、そもそもが桁違いの戦力。『天使』を半分に割ったところで人間よりはるか上なのは変わらないのだから、あのくらいでは決定打にならないのはある意味当然なんだけど。

 

 

「幻生さんは……まだ戦えるようです。でも、もう例のドラゴンに頼ることはできませんわよ。アレは……塗替さんの身体にどんな悪影響を及ぼすかわかったものではないので」

 

「ああ。分かってる。アレをもう一撃食らわせたら、本当にヤバイことになりそうだしな……」

 

 

 当麻さんは自らの右手に視線を落としながら、

 

 

「それに、もう大丈夫。シレンもレイシアもいるんだ。何とかなるだろ」

 

 

 うぐっ……。また当麻さんは、平然とそういう恥ずかしくなることを言う……。

 

 

《シレン。ここで照れたりするようでは他の凡百ヒロインと同レベルですわよ。当然のこととして受け入れるのです。正妻の余裕を見せつけるのでしてよ》

 

《レイシアちゃんが既にそれを体現しているのが凄い……》

 

 

 いや、この人ホント恋愛関係に関してはメンタルめちゃくちゃ強いな……今更だけど。

 

 

「ですが、わたくしが離脱したことによってドッペルゲンガーがフリーになってしまいましたわ。これはいったいどうしたものか……」

 

「あぁ、それなら大丈夫よぉ」

 

 

 ────と。

 

 そんな話をしていたところで、突然横合いから声がかけられた。

 蜂蜜をたっぷりかけたかのような、甘ったるい声色は──

 

 

「食蜂さん!?」

 

 

 第五位、食蜂操祈。

 ……そういえば、確かそもそも美琴さんは食蜂さんの依頼で今回の事件に介入したんだっけ。なら、幻生さんが首を突っ込んできて色々と変質してしまった事件でも、食蜂さんはなんとか手綱を握ろうと頑張っていたかもしれないわけで……。

 こうやって当麻さんが介入してきた以上、そこに接触をとってくるのは当然の流れだよね。

 

 

「あっあー。事情力は大体把握してるわぁ。まったく、まさか御坂さんの馬鹿電力が使い物にならなくなるとは思わなくてちょっぴり焦ったけどぉ……」

 

「……アンタは……?」

 

「ああ、私のことは気にしないでねぇ☆ ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 食蜂さんは怪訝そうな表情を浮かべる当麻さんの一言をそうバッサリと切り捨てて、俺の方に目配せする。

 ……ああ、記憶の欠落によって生まれる当麻さんの疑念諸々は俺がなんとかフォローしろってことね。まぁ、例の代装外脳(エクステリア)の一件でなんとなく事情は垣間見ちゃったし、そのくらいする義理は当然ある。

 俺は無言で頷き、

 

 

「そこも問題ですわよ。美琴の戦力が失われた以上、わたくし達の手勢はわたくし自身と『メンバー』、帆風、弓箭妹ですが……」

 

「勝手に私の帆風をカウントしないでもらえるぅ?」

 

 

 食蜂さんはぶすっと唇をとがらせ、

 

 

「心配力はいらないわぁ。御坂さんについては、私がちょおーっとだけ手助けしてあげたから。多分、()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「…………?」

 

 

 どういうことだ……? 綱引き……?

 まぁでも、食蜂さんがこうして心配いらないって言っているんだから、多分本当に心配はいらないんだろうけど……。

 

 

「ともかく。そういうわけだから、ドッペルゲンガーは御坂さんに任せても大丈夫。アナタ達は、幻生に集中力を働かせておいてねぇ」

 

 

 そう言い含める食蜂さんに、俺はふと疑問を抱いた。

 その情報は確かに俺達にとっては福音だった。でも、別に電話でも済む内容だろう。むしろ、美琴さんに何かしらの協力をしている以上、本体は非力な食蜂さんがこの場に来るメリットが……?

 

 

《いえ、あるでしょう。特大のメリットが》

 

 

 首を傾げそうになる俺に対し、レイシアちゃんはしれっとそう断言した。

 

 

《愛しのダーリンが、恋敵と共同作業ですのよ? そんなもの当然邪魔するに決まっているでしょう。当たり前の思考回路ですわ》

 

《ええ……》

 

 

 そ、そんな単純な……。戦闘で一緒にいるとかいないとか、そんなの恋の行く末とは関係ないんじゃないかなぁ……?

 

 

《それに》

 

 

 そんな与太話に付け加えるように、レイシアちゃんが言いかけた、直後。

 バヂィッ!!!! と、雷が、食蜂さんの傍らに落ちた。

 ……いや、違う。

 

 

《己の腹心が傷つきつつも現場で戦っているんですのよ? あの女はそれを黙って見て居られるような『女王』ではありませんわ》

 

 

 ──紫電を羽衣のように纏う、天女。

 おそらく一旦退場したときに着替えを準備してきたのだろう。傷一つない常盤台の制服に身を包んだ、帆風さんが──そこにいた。

 

 

「帆風。やれるわよねぇ?」

 

「もちろんです。女王」

 

 

 そのやりとりに呼応するように、遠くの空に最低限回復したらしい幻生さんの姿が浮かび上がる。

 ──半減したとはいえ、相手は天使級。

 

 ただし、こちらも手勢は負けていない。

 

 天衣装着(ランペイジドレス)

 

 心理掌握(メンタルアウト)

 

 白黒鋸刃(ジャギドエッジ)

 

 そして──幻想殺し(イマジンブレイカー)

 

 

 今度こそ────塗替さんを、幻生さんの魔の手から救って見せる!!!!



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一〇二話:窮余の策は平等に

天使化幻生さんのヴィジュアルは神の力や藍染覚醒途中形態をイメージしてもらえれば。ハロウィンの仮装みたいですね。


「ふぅむ。僕としては、臨神契約(ニアデスプロミス)はともかく出涸らしの心理掌握(メンタルアウト)幽体連理(アストラルバディ)には興味がなくてねー」

 

 

 これだけの戦力を相手にしながら、幻生さんは朗らかに笑う。

 とはいえ、それは殆ど声色でしか判断できなかった。

 幻生さんの体表面を広がる『真っ白い物質』は既に顔面のほぼ四分の三を覆い、残すは左目あたりのみ。首から下に至っては全体が覆い尽くされており、その姿はまるで白塗りのサイボーグのようだった。

 だが、その本質はあくまで全身を覆うように形成された『力』の塊。即ち、不定形。それを示すように──ギャン!! と真っ白な右手が、鋭い刃の形に作り替えられる。

 

 

「とりあえず、上条君の右手の『奥』にあるものをもう一度見せてもらうとするかねー」

 

「させると、思っているのかしらぁ?」

 

 

 食蜂さんの声に応えるようにして──帆風さんの姿が、掻き消えた。

 いや、違う。消えたんじゃない。これは──

 

 

《で、電磁加速!?》

 

 

 幻生さんの眼前に『現れた』帆風さんは、そのまま幻生さんの腕を目にもとまらぬ速さで蹴り飛ばし、そしてまたしても掻き消えるようにして移動し、食蜂さんの傍らに戻ってきていた。

 

 もちろん肉眼では分からないが──能力による気流感知は、一連の攻防の流れを空気の流れから読み取っていた。

 ──電磁加速による空中移動。これが、今の一連の攻防の核心である。

 

 …………あれぇ!? 帆風さんってこんなの使えたっけ!? この速度、普通に超能力者(レベル5)級じゃない!?

 

 

「ふふん。随分な驚愕力のようねぇ? 二乗人格(スクエアフェイス)の第一人者さん?」

 

 

 驚いている俺の後ろから、食蜂さんが声をかけてくる。

 ……二乗人格(スクエアフェイス)? このタイミングで何故その話を……?

 

 

《……まさか、あの女。()()()()()()()()()()()()()()()()んですの?》

 

《えーっ!? 帆風さんも俺達みたいに二つの人格を持ってるってこと!? しかもそれを使って二乗人格(スクエアフェイス)を……。ははぁー……凄いなあ……》

 

 

「ま、あれだけ技術を大盤振る舞いすれば、同様の条件の持ち主ならいくらでも吸収力を発揮できちゃうのよねぇ。シレンさんの方は別に気にしないだろうけどぉ、お山の女王様としては自分の独占技術がよその派閥に流れていくのは心中穏やかじゃないかしらぁ?」

 

 

 食蜂さんは得意そうに笑って、

 

 

「まぁ、ウチの派閥は人材力も豊富だしぃ? 他者に憑依する能力くらいなら当然備えているのよねぇ。そして専門の能力者がいるならこのくらいの技術力は模倣なんて容易なのよ。特許申請とか、しておくべきだったんじゃないかしらぁ?」

 

「──挑発のつもりなら乗ってやるのもやぶさかではありませんが……生憎、目の前の幻生も同じことをしているのです。今更『後追い』がいくら出たところで、『元祖』としては特に何も言うことはありませんわ。『頂点』はどのみちわたくし達なので。何なら『格の違い』を今この場で見せてさしあげてもよろしいのですが?」

 

「…………、」

 

 

 ……ああ、うん。レイシアちゃんかなりピキピキきてるね。食蜂さん、悪いけどこれ以上レイシアちゃんを煽らないでもらえるかな? 宥めるのは俺なので……。

 

 

「……っ! 来るぞ!!」

 

 

 そこで当麻さんが、声を張り上げる。

 その声を受けて食蜂さんの傍らに控えていた帆風さんが、目にもとまらぬ速さで食蜂さんを抱きかかえてその場から退避する。俺もまた『亀裂』の翼を使って空を舞うが──当麻さんは、その場で右手で受け止めるのを選択したようだった。

 

 

「…………っ!」

 

 

 右手を構えた当麻さん目掛け、幻生さんの右腕が変化した真っ白な鎌の一撃が迫る。

 一瞬、右手で拮抗した当麻さんだったが──流石に受け止めきれなかったらしく、ドゴッ!! と吹っ飛ばされた。即座に、俺は吹っ飛ばされた当麻さんを気流操作で支える。

 だが、幻生さんにとってはこの程度はジャブに過ぎない。俺が必死の思いで当麻さんを支え、当麻さんも体勢を立て直すのに精いっぱいという一瞬──左手を同じように刃の形に変形させた幻生さんが、その腕を振りかぶり、

 

 

「当麻さん!!」

 

「心配いらない。自分の身を守ってくれ!!」

 

 

 気流じゃどうしようもない。超音波念動で当麻さんの身体を空に逃がそうとしたところで、俺達はその言葉を聞く。

 その意味を理解する間もなく、当麻さんは携帯を取り出して──()()()()()()()()()

 

 

 …………?

 

 

 今更、幻生さんがその程度の光で目つぶしなんかを食らうようなタイプにも思えないんだけど……? 光に対する何かしらの脆弱性でも……?

 だが、確かにフラッシュを受けて幻生さんの動きは一瞬鈍った。

 怪訝に思いつつも、実際に幻生さんの動きが鈍っているのを確認した俺は、とりあえず超音波念動で幻生さんを地面に縫い付ける。

 しかしこれは流石にあっさりと打ち破られ、幻生さんは空へと逃げてしまった。

 

 …………そう。

 空へと、()()()。別に逃げずともいいくらいの些細な一手だったはずなのに、幻生さんは一時撤退を決断するほど追い詰められていたということだ。あのカメラのフラッシュによって。

 

 

「お前の『二乗人格(スクエアフェイス)』。レイシアのそれと違って、弱点があるようだな」

 

 

 その答えを以て、当麻さんは断言する。

 

 ぴくり、と幻生さんがその言葉に反応して、動きを止めた。

 

 

「さっき、俺が携帯電話のカメラでフラッシュを焚いたとき。お前は明らかに動きを止めた。あの時は目くらましで一瞬でも隙を作れればと思ってやっていたけど、よく考えたらまさか色んな実験に身を浸しているマッドサイエンティストがカメラのライトごときで硬直するわけがないよな。……アレは、木原幻生の反応じゃない。()()()()()()()()()()()()

 

 

 ……!! それって……。

 俺達が、二乗人格(スクエアフェイス)だからこそ分かる。幻生さんは今まで、塗替さんの魂を無理やり励起させて二乗人格(スクエアフェイス)を実現させてきた。だが……そもそも、二乗人格(スクエアフェイス)による強化は、双方の人格がしっかり目覚めていないと安定しないものなんだ。

 実際、俺達も絶対能力進化(レベル6シフト)計画の時にはレイシアちゃんが半覚醒の状態で超能力者(レベル5)に至ったが、あの時の強化は一時的なもので、俺の魂が徐々に眠りに向かっていったこともあって、あのあとは徐々に出力が落ちていた。実際に安定したのは、人格励起(メイクアップ)計画の騒動と俺の復活を経て俺とレイシアちゃんの双方の人格が完全に目覚めてからだし。

 

 でも、その状態だと肉体の操作権は双方に与えられてしまう。だから幻生さんは塗替さんの人格を無理やり寝かせて、あえて不安定な二乗人格(スクエアフェイス)を使っているんだろうけど……自殺をして自ら深い眠りについていたレイシアちゃんと違って、塗替さんは別に人生を諦めたわけじゃない。今の状態は不本意のはずだ。

 幻生さんによって抑えられてはいたけど……ここまで幻生さんが追い詰められてきたことによって、それが完全じゃなくなってきたんだ。

 差し詰めレイシアちゃんが少しずつ目覚めてきた、あの時のように。

 

 …………それならば。

 

 

「木原幻生。お前はさも塗替の肉体を完全に制御しているかのように振舞っているけど……実際は、そんな単純な話でもないんじゃないか? 制御しているように見えて、実際には塗替の意識が覚醒しないように何重にも制御している。当然だ。塗替は人生を、世界を諦めた破滅者なんかじゃない。これから再起しようって未来に希望を見出している、コイツの後輩なんだから!!」

 

 

「なら、話は簡単だろ。別に、塗替の肉体を痛めつける必要なんかない。俺達は、お前が無理やり踏みつけにしている塗替に語り掛けるだけでいい。それだけで、お前は自分が利用してきた塗替に土台をひっくり返されて、優位を完全に手放す!!」

 

 

 当麻さんが、核心に切り込んでいく。

 それは、明確な勝利条件の提示だった。竜王の顎(ドラゴンストライク)とか、そんな訳の分からない力に頼らなくてもいい。塗替さんの魂を励起させる。それだけで、俺達の目的は十分に達成することができるんだ、と。

 

 

「ひょほほ、果たしてそれができるかな? 人格の制御は僕が手綱を握っている。確かに、余力がなくなってきているのは認めよう。でも、実際問題、言葉だけで何とかなる状況は通り過ぎていると思うんだけどねー?」

 

「あらぁ。誰が言論力だけで留めると言ったのかしらぁ?」

 

 

 あくまでも飄々と語る幻生さんに対し、帆風さんに横抱きにされた食蜂さんがリモコンを突き付ける。

 

 

「シレンさんの復活は、人格の励起によって成し遂げられたのは知っているわよねぇ? 此処には、人格励起(メイクアップ)の第一人者と、精神操作(テレパス)の第一人者が揃っているわぁ。この状況で、アナタに対する致命の一打を放つ対応力がこちらにないとでも?」

 

「…………、」

 

 

 食蜂さんの言葉は、幻生さんの危機感をあおるには十分だったらしい。

 僅かに残る目元から笑みの色を消した幻生さんは、すっと虚空を蹴る。すると、まるで無重力空間にいるみたいに幻生さんの身体が空中を滑り始めた。

 ──考えずとも分かる。幻生さんは、逃げる気だ。

 このままこの場に留まっていては待っているのは計画の破滅。それを理解したから、一旦俺達から距離を取ろうとしている。あるいは……そう見せかけておいて、追跡に切り替えた俺達の隙を突く算段か。

 なんにしても、ここですべきことは一つ。

 

 

「まさかここから逃げられると、本気でお思いで?」

 

 

 ズガガガガガガガガガガンッッッッ!!!! と。

 天から、柱が降り注いだ。

 否、それは柱じゃない。俺たちの『亀裂』によって大量に発現した『残骸物質』達だ。それが大量に降り注ぎ、組み上がることによって巨大な檻を生み出した。

 幻生さんを空に逃がさないための檻を。

 

 

「『残骸物質』はアナタの一撃でも破壊できないことは既に検証済み。この間合いで逃げることにかかずらっていれば、待ち受けているのは一秒先の敗北だと、アナタもお分かりですわね?」

 

 

 レイシアちゃんの煽りと並行して、俺は縦横無尽に『亀裂』を展開していく。

 檻の中を当麻さんや帆風さんが自由に走り回れるようにするためだ。これで、このフィールドにおいては飛行の有利は消える。

 当麻さんの右手の脅威が空中にも及べば、その分幻生さんのリソースは削られ、食蜂さんの心理掌握(メンタルアウト)が通るタイミングも増えるはず。そうすれば、当麻さんの幻想殺し(イマジンブレイカー)にせよ食蜂さんと俺達の人格励起(メイクアップ)にせよ、塗替さんのことを解放できるはず……!

 

 状況は、既に詰将棋。

 

 幻生さんを詰みに追い込もうと次の一手を打とうとした、直後だった。

 

 俺たちは思い知ることになる。

 

 『木原』を相手に、『安全圏』など存在しないということを──。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

一〇二話:窮余の策は平等に Daredevil_Devil.

 

 

 


 

 

 

「前提条件を、忘れているのかなー?」

 

 

 ミシリ、と。

 顔面に布をはりつけたような、のっぺりとした表情が──笑みの形に皺を作った。

 そして──破滅が、始まった。

 

 

 ビシビシビシビィ!! と、突如幻生さんの全身に亀裂が走り始めたのだ。

 

 

「なっ……!?」

 

「勘違いしているようだけどねー。塗替君の『限界』は、僕にだけのデメリットじゃない。むしろそのマイナスは、彼を救いたい君達の方に降りかかるんじゃないかねー?」

 

 

 そ、そんな…………ッ!!!!

 

 

「確かに、二乗人格(スクエアフェイス)に使い潰してもこの街の保護を受けない塗替君は便利だったけどねー。別に、僕はこの肉体に拘る理由はないんだよー。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「で、ですが……ッ!! 塗替さんの肉体が崩壊すれば、アナタだって……!!」

 

()()? だから、君達は勘違いしているんだよー。僕がこの器を捨てていないのは、実験体は壊すまで使うのが僕達『木原』の流儀だから。研究者としてはきちんとした手順を踏んで破壊したかったところだけど……それが叶わないのなら、予定を早めて崩壊させてもいいんだねー」

 

 

 ま、まずっ……!?

 

 げ、幻生さん……この状況で、よりにもよって塗替さんの肉体を人質にとった!? これは、幻生さんのリソースを削って右手と人格励起(メイクアップ)の両面でじわじわと削って塗替さんを解放するとかそんな悠長なことは言っていられない!! すぐにでも塗替さんを解放しないと……本当に殺されるぞ!?

 でも……こんなの考えなくても分かる。絶対に罠だ……! 俺達を焦らせて、それによって順当に進めていた包囲網に穴を作ろうとしているんだ……! でも、分かっていても、こんなの焦るしかないじゃないか!!

 

 

「ふざけんな……。御坂を実験体扱いしたときもそうだったけど……テメェ、いったい他人のことをなんだと思っていやがるんだ!?」

 

 

 ヒビ割れる塗替さんの身体を見て耐え切れなくなったのか、当麻さんが叫ぶ。

 しかし幻生さんは、むしろそんな当麻さんの激情の方をこそ不思議そうに言う。

 

 

「むしろ、君の方こそ理解しがたいよー。この器は、君にとっては友達のことを陥れた悪人じゃないのかい? ブラックガード君もそうだが、彼に果たして身体を張ってまで守る価値があるものかねー」

 

「……ああ、確かにそいつは悪人だろうよ。俺だって一発殴りたいくらいだ。でもな……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 当麻さんは、言う。

 

 

「レイシアは言ったよ。『塗替を助けたい』って。アイツこそ、一度は自分の仲間ごと社会的に殺されかけたんだ。見捨てるどころか、便乗して積極的に潰す理由すらあったのに、アイツはそれでも、自分のことを傷つけた野郎を助けたいって願ったんだ!!」

 

 

 拳を握りしめて、当麻さんは幻生さんを見据える。

 おそらくは他者を『実験にとって有用かどうか』でしか判断できない、哀しい老人を。

 

 

「テメェなんかに、そんなささやかな幻想(ねがい)は潰させねえ。その為なら、いくらでも割に合わねえ危険にだって踏み込んでやるよ!!」

 

「ふーむ、感傷かねー。自己(エゴ)の発露と能力強度の関係については興味深いと思っているけど……その程度では純度が低いかなー」

 

「……アナタには一生かかっても分からないでしょうね。そのエゴから漏れ出る輝きこそ、時には神様の奇跡(システム)すらも打ち崩す原動力となるのですが」

 

 

 ………………。

 

 そう言って、俺は『亀裂』の翼をはためかせ、幻生さん目掛け突貫する。

 同時に、食蜂さんを抱えた帆風さん、そして当麻さんもそれぞれが動き出した。幻生さんの警戒は──当然ながら、俺達には向かなかった。

 当たり前の話だ。俺はそもそも塗替さんを死なせるわけにはいかないから、『亀裂』の直接攻撃はできないし。幻想殺し(イマジンブレイカー)にせよ人格励起(メイクアップ)にせよ、起点となるのは当麻さんや食蜂さんの方。真っ先に動いた俺のことは、大方、

 

 

「囮か何かだと判断して無策で流してくれる。さすがに、この期に及んでそう理解するのは甘すぎじゃないかなー?」

 

 

 ──思考を読んだみたいに。

 幻生さんはそう言って、俺から距離を取る。

 白黒鋸刃(ジャギドエッジ)による、詰みを作れる射程距離。その外ギリギリへ逃れるように、それでいて他二人もカバーできるような立ち位置へと移動していく幻生さんを見て──俺は言った。

 

 

 

「──囮に見せかけた伏兵だと思って警戒してくれる。わたくしが期待していたのは、そちらの可能性ですわよ。……木原幻生」

 

 

 直後、だった。

 

 幻生さんの動きが、明確に鈍る。

 

 

「な、ば……ッ!? これ、は……人格の制御が、急に乱れ……!? だが、食蜂君の射程距離にはまだ入っていない! AIMによる防壁で心理掌握(メンタルアウト)の通りも悪いはず……!?」

 

「確かに、心理掌握(メンタルアウト)はそうでしょうね。ですが……わたくしはどうですか?」

 

 

 手を翳しながら、俺はそう問いかける。

 

 食蜂さんは言った。

 人格励起(メイクアップ)は、単なる技術に過ぎないと。理論さえ知っていれば、誰でも再現できると。食蜂さんの派閥の場合、身内の『憑依する能力者』を帆風さんと組ませていた……みたいなことも言っていた。

 そしてそれは──俺達の側からも同じことが言えるんじゃないか?

 

 実際に、俺はレイシアちゃんに憑依している。これは別に俺に特殊な能力があったりするわけではなく……幻生さんが現に塗替さんに憑依している以上、()()()()()()()()()()()()()()()()ということに他ならない。

 というか、AIM思考体の技術ってモロにそういうことだからね。薬味さんが恋査さんの身体に入り込んだときみたいに。

 だから、俺は思ったのだ。

 完全に憑依するとかじゃないにせよ……そもそも厳密な意味で自分の肉体を持たない俺は、誰かに憑依するような要領で──他者の憑依にも干渉できるんじゃないか、と。

 

 それで、人の身体を乗っ取るようなことは流石に難しいと思うし、やれてもするつもりはないけど……でも、無理に無理を重ねている今の幻生さんの憑依みたいなレアケースなら、その綻びに腕を突っ込んでかき乱すくらいのことはできるんじゃないかと、そう思ったのだ。

 

 

「ば、かな……!? 憑依に対する干渉!? そんなもの、パソコン同士をぶつけ合わせてデータを書き換えるのに等しき無法!! そんなものを成立させるだけの科学があると!? ひょほ、そんな馬鹿な話が…………ッ!!!!」

 

 

 そしてそれは、致命的な隙になる。

 そうこうしているうちに食蜂さんは心理掌握(メンタルアウト)の射程に幻生さんを収めているし、当麻さんも『亀裂』の上を駆けて今まさに幻生さんに突っ込んでいる。

 

 

「無法? それはこちらの台詞ですわ」

 

 

 ビギィ!! と、白に覆われていない唯一の左目に十字の輝きを浮かび上がらせた幻生さんに、俺は言う。

 

 

「憑依だの、天使化だの……。もうたくさんですわ。巻き込まれた側の身にもなってください」

 

 

 そうして、広がり散らばった未来は収束していく。

 犠牲者なんていない、この場の誰もが望んだ形へと。

 

 

「──ただし。真っ当な形で再起するというのであれば、手伝って差し上げてもよくってよ」

 

 

 身動きの取れない幻生さんに対し、俺がそう言い添えた直後。

 

 

「…………垣根、すまない」

 

 

 一言呟いた当麻さんの手が、幻生さんに──いや、塗替さんの身体に触れた。

 

 

 


 

 

 

「さて、お疲れさまでした」

 

 

 幻生さんの憑依を当麻さんが解除したのを見届けたあと。

 俺は、徐に食蜂さんに向き直って言う。

 

 

「……あら、気付いていたの?」

 

 

 帆風さんに降ろしてもらった食蜂さんは、少しだけ意外そうに言っていた。

 気付いたっていうか……ねぇ。俺も、垣根さんの事情は何となくだけど分かっているからさ。彼にとって幻生さんの記憶情報が大切な誰かを救う為に必要な情報だってことも知っているし……その道を潰しておいて、『この場の誰もが望んだ未来』なんてフカシをこいたりはできないわけでね。

 

 

「食蜂さんが来た真の目的は、そこでしょう?」

 

 

 レイシアちゃんは恋敵の独走を許さないため──みたいなことを言っていたけどさ。でもやっぱり、食蜂さんは優しい人だから。当麻さんが垣根さんの願いと俺の願いの板挟みになって心を痛めないように、みたいな思いやりもあったと思うんだよね。

 

 

「……、勘違いしないでほしいんだけどぉ。シレンさんが考えているような慈愛力に満ち溢れた動機なんて私は持ち合わせてないわぁ。第二位に恩を売れる。幻生の科学力を読み取って自分のものにできる。ほらぁ、現金力の高い理由なんていくらでもあるわよぉ」

 

 

 あえて悪ぶった風の笑みを浮かべて、食蜂さんは言う。

 ……まぁでもそこが本意じゃないっていうのは、横の帆風さんの顔を見れば簡単に分かっちゃうんだけどねぇ……。

 

 

「それに」

 

 

 食蜂さんは言いながら、当麻さんへ一歩分距離を詰める。

 

 

「タダで情報をあげるとは言っていないわよぉ。当たり前でしょぉ? この私がわざわざ現場に顔を出してまで得た情報なんだから。何の対価力も出さずにもらえるなんてムシが良すぎなんだゾ☆」

 

「……はぁ。そちらはわたくしの手勢を一方的な誤解で攻撃した上に、こちらの独占情報にまで手をつけているんでしてよ? 敵対行動のレッテルを帆風さんに張って、そちらの立場を悪くすることだってできるのですが?」

 

「シレンさんがそれを許すかしらぁ?」

 

 

 ……うん、まぁ許さないよね。

 一応これまでこっちの手勢として動いてもらったことで、GMDWの組織としての面子は保てているし。あと、俺は派閥政治とか興味ないし、こっちの領土が侵されない範囲ならいくらでも譲れるところは譲っちゃっていいと思うし。それに、食蜂さんの要求ならこっちが苦しくなるような類のものにもならないでしょ。なんだかんだでいい子だからねぇ。

 

 

《この脳内お花畑は……》

 

《ひどくない?》

 

 

 なんにせよ、ギブ&テイクってことでしょ? いいじゃない、ちょっとしたお願いくらい聞いてあげたって。

 

 

「とはいえ大したモノは求めないわ。というか、求めるのは……アナタだしねぇ」

 

「えっ、俺?」

 

 

 突然話を振られた当麻さんが、きょとんとした表情を浮かべる。

 そして俺もまたきょとんとしてしまう。まぁ、この流れだと対価を支払うべきは確かに当麻さんなんだけど、当麻さんに対価を支払うような能力はないような……? いやいや、さらに厳密に言うと対価を支払うべきは当麻さんでもなくて垣根さんなんだけどね?

 

 そもそも前段の会話からして若干周回遅れ気味だった当麻さんの困惑をさらに置き去りにしつつ、食蜂さんは上目遣いで当麻さんのことを見据えて言う。

 

 

「『予約』。……まぁどうせアナタは忘却力を発揮しちゃうんだろうケドぉ。次に会ったときは忘れていても問答無用で付き合ってもらうから。覚悟しておくんだゾ☆」

 

「…………??? さ、流石に忘れたりはしねーと思うけど……」

 

 

 ……ま、ここに口を挟むのはね。

 邪魔をするのも悪いので、俺はその間、ショチトルさんに連絡をとって塗替さんを回収しに来てもらうように依頼したり、馬場さんに俺達が離れていた間の戦況の変化について聞いてみたり。

 

 ………………。

 

 

 ………………!?

 

 

「言質、とったわよぉ? そのうち取り立てに来るから、覚悟しておきなさいねぇ」

 

 

「お二人とも!!」

 

 

 そこで、俺は二人の間に割って入る様に声をかける。

 特に他意があるわけではなく……そのくらい、非常事態が勃発していたのだった。

 いやホント。ほんとにほんとだから。こんなことしている場合じゃないってくらいヤバイ状態が繰り広げられちゃってるんだよ!!

 

 内心の焦りを抑えつつ、俺は二人に、つとめて客観的な事実を伝える。

 

 

「美琴さんが……美琴さんが、暴走しています!! あの、幻生さんの実験で変質したような……『何か』に変貌して!!!!」

 

 

 なんで、幻生さんを倒したのに、幻生さんの仕業みたいな状態になってるんだよっっっ!?!?!?




『残骸物質』はハチャメチャに重い物質の為、通常であれば地面に沈み込んでしまいます。
作中で檻として成り立っているのは、設置面に『亀裂』を展開することで重みを支えているからです。


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一〇三話:『正』なる雷神

「……!」

 

 

 即座に当麻さんを連れて飛ぼうと演算を開始した瞬間、左手をすいと控えめに取られた感覚があった。

 掴まれた左手の方に視線を向けると……黒のドレスグローブに包まれた手を取っていたのは、真っ白い手袋に包まれた手。視線を上げると、そこにいたのは食蜂さんだった。

 ……あれ? 食蜂さんどうしたの? もしかしてついて来たいのかな?

 

 俺と同じことを疑問に思ったのだろう。レイシアちゃんは少しうんざりした表情を作ってから口を開く。

 

 

「何ですの。アナタの役目はもう終わったでしょう? まだ足りないんですの?」

 

「違うわよぉ。()()()()()()。詳しいことは移動がてら話すから。ほら、早く出しなさいよぉ、『亀裂』の籠」

 

「気に食わないですわ……」

 

《まぁまぁ、レイシアちゃんもそう言わないで》

 

 

 ぶーぶー言うレイシアちゃんはさておき、俺はちゃんと食蜂さんを『亀裂』で囲って飛行でついていけるようにしておく。もちろん当麻さんもだ。当麻さん、どうも食蜂さんと一度別れると、それまでの記憶が飛んじゃうみたいだからね。

 つかず離れずの距離くらいを保っていれば、なんとなく印象は連続してくれるみたいなんだけれども。

 

 

「あ、あらぁ? ブラックガードさん? なんで上条さんとの間に『亀裂』の仕切りがあるのかしらぁ? 一つの空間にまとめておいた方が、アナタの負担力も軽減できるんじゃないかしらぁ?」

 

「…………、」

 

「っていうかこれシレンさんよねぇ? あの、ちょっとぉ?」

 

 

 飛行、開始。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

一〇三話:『正』なる雷神 PHASE_NEXT.

 

 

 


 

 

 

 まず大前提として。

 ()()()()()──()()()()()()()()()()

 

 

 時を巻き戻し、レイシアがドッペルゲンガーに吹き飛ばされた直後。

 空の彼方へと飛ばされたレイシアを見送ったドッペルゲンガーは、雷の羽衣を纏いながら、地上を見下ろしていた。

 

 

「──白黒鋸刃(ジャギドエッジ)も、あの程度では死んでいないだろうが……木原幻生の方へ狙って吹き飛ばしてやったし、ある程度の時間稼ぎはできるだろう。問題は──」

 

 

 視線の先にいたのは、満身創痍の御坂美琴。

 同じように全身から紫電を迸らせて、ドッペルゲンガーを睨みつけていた。しかし、両者の関係は対等というわけではない。

 むしろ、文字通り天地の差。

 能力を自由に使えない美琴はただでさえ体力を消耗しており、疲弊で肩で息をしている状態にも拘らず、対するドッペルゲンガーは機械ゆえに息一つ切らしていなかった。

 

 無表情。機械ゆえに感情も分からない相貌で地上に侍る第三位を見据え、天上に坐すドッペルゲンガーは口を開く。

 

 

「──流石に罪悪感はあるな。超能力者(レベル5)たる能力を奪われたその姿を見ると」

 

「言うじゃない。全然申し訳なさそうな顔はしてないみたいだけど?」

 

「表情を作る機能は持っていないんだ。苦情は製作者に言ってくれ」

 

 

 言葉の応酬は、それだけだった。

 ドッペルゲンガーが腕を振るうと同時、ズバヂィ!! と紫電が槍となって美琴へと襲来する。

 美琴は自身を磁力で以て移動させ、それらを回避しつつパリィして防いでいくが……やはりそれは焼け石に水。躱しつつも、美琴の身体は徐々に電撃に焼かれつつあった。

 

 

「くッ……!」

 

 

 電撃が有無誘電磁場を捉えて強引に肉体を磁力反発で吹っ飛ばした美琴だが、電撃のせいで身体が痺れ、上手く受け身もとれずに地面を転がっていく。

 転がりながらも体勢を整えてすぐに起き上がる美琴だが、頭上では既にドッペルゲンガーが次の攻撃となる雷撃の槍を構えていた。

 

 

「皮肉だな。己の能力によって徐々に命を削られるのは。退散した方がいいんじゃないか?」

 

「冗ッ、談ッ……!!」

 

 

 撤退を勧めるドッペルゲンガーに、美琴は余裕がないながらも不敵な笑みで返す。

 転がった勢いそのままに磁力で宙を舞う美琴だったが、それでも躱しきるには至らない。咄嗟に電撃を帯びた裏拳を構え、その反発力を使ってパリィを試みるが……当然、その程度で彼我の戦力差を抑えきれるはずもなく。

 美琴の脇腹の服が、僅かに焼き抉られた。焼け焦げたブレザーが宙に散るのを横目に見ながらぐう、と苦し気な吐息を漏らす美琴を、ドッペルゲンガーは無感情に眺めつつ、一旦攻撃の手を止めて切り出す。

 

 

「……、一八五手、といったところか」

 

「…………?」

 

「決着までの手が、だ。お前がどんな戦略を選ぼうと、私は一八五手でお前を詰ませることができる。()()()()()()()()()()

 

「……。…………言うじゃない」

 

 

 数瞬の沈黙の後、美琴は呟くように言って、

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 そう言って、人差し指をこめかみに当てた。

 ドッペルゲンガーは、答えない。しかし美琴はそんなことは気にせずに、言葉を重ねていく。

 

 

「そもそも、やる気が見えてこないしね。今の大能力(レベル4)相当まで出力が落ちている私を倒すなら、電撃なんか使わずに砂鉄の物量攻撃をすればいい。電流によるパリィを使えないんだから、そっちの方が圧倒的に最適解でしょ」

 

 

 最適解を使わない。

 使えないのではなく──使わない。

 そう考えると、ドッペルゲンガーの思惑も徐々に読めてくる。考えてみれば、ドッペルゲンガーは必要以上に美琴の恐怖を煽ろうとする言動ばかりをとっていた。まるで、美琴に逃げてもらいたいと言わんばかりに。

 

 

「アンタのそれ、私の能力を奪っているから……私に死なれたら困るんでしょ? かといって、アンタの出力じゃ本気で戦いでもしたら、何かの拍子に私を殺しかねない。だから、私の戦意を奪って逃げさせようとしている。その為に第一位(アイツ)のことまで引き合いに出してね」

 

「……だったらどうした?」

 

()()()()()()()()()()

 

 

 紫電が、爆発した。

 

 チカラを奪われた状態の御坂美琴には到底発揮できないはずの出力が、迸っている。

 否──それは美琴から発せられた電撃ではない。気付けば、ドッペルゲンガーは上空を見上げていた。

 

 

「…………なんだ、これは」

 

 

 天空は、分厚い雲によって覆われていた。

 そして、夜闇の中にもうっすらと浮かび上がる白を引き裂くように──黒い稲妻が、まるで亀裂のように走っていた。

 どこからともなく現れた亀裂は、御坂美琴の頭上で集約され──そして彼女の首筋に直撃していた。

 

 

 


 

 

 

『……驚いたわぁ』

 

 

 その数刻前。

 食蜂操祈は、バツの悪そうな表情でそう呟いていた。

 

 

『まさか、アナタが私に会いに来るとはねぇ』

 

『僕は患者が必要とするものは絶対に用意する医者だからね? 当然、人材もその範疇に含まれるんだね?』

 

 

 ──美琴と別れて別行動をとっていた食蜂の前に現れたのは、カエル顔の医者──冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)。それと──

 

 

『はじめまして。ミサカは妹達(シスターズ)の一人、検体番号は一〇〇三二号です。ところでこの人は実験の関係者ではないのですがミサカの素性を明かしてもいいのでしょうか? とミサカは今更な疑問を先生に投げかけます』

 

 

 御坂美琴──否、彼女と全く同じ顔をした、全く別の()()()

 検体番号一〇〇三二号──上条からは『御坂妹』などと呼ばれている少女だった。

 彼女の真っ当な懸念に対し、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)は特に気にした様子もなく笑って、

 

 

『ああ、心配は要らないね? 言ってしまえば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()?』

 

『…………どうして、私を?』

 

 

 引き合わせたんだ、という言葉を飲み込んだ食蜂の恨みがましい視線を真っ向から受けても、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)は笑みを崩さない。

 

 

『前回の一件、僕もいたく反省してね? ミサカネットワークの稼働状況を確認・アラートする機構というものを作ったんだね?』

 

『しれっと何を作ってるのかしらぁ……この名医……』

 

 

 唖然とする食蜂をスルーして、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)はさっさと話を続けてしまう。

 

 

『──その機構が、アラートを発した。ミサカネットワークが不正利用されている』

 

 

 言われて、食蜂は息が止まるかと思った。

 否、呼吸は既に死んでいた。食蜂がそれに気付けないくらいの精神的動揺をその一言で与えられていただけだ。

 

 

『どう、いう……!?』

 

『おそらく、木原絡みだろう。戦闘報告がされている「ドッペルゲンガー」あたりが怪しい。体内の組成を組み替えることで、第三位の能力の「噴出点」として機能しているのだろう』

 

『それ、大丈夫なのぉ!? 大覇星祭では、あの子たちは昏睡状態に……っ!!』

 

『安心しろ。まだ本格稼働ではない。だが……いずれはその状態になるだろう。だから、君の力を借りに来た』

 

『…………、どうすれば、いいのぉ?』

 

 

 覚悟を決めた様子で、食蜂は問いかける。

 そこには先ほどまでの動揺に塗れた表情はなく、真っ直ぐに目の前の苦境を見据える強者の横顔があった。

 

 

『結論から言うと──彼女に能力を使ってもらいたいね?』

 

『…………は?』

 

『ドッペルゲンガーは、御坂さんの能力を利用してミサカネットワークの窓口となって、そのエネルギーを利用している状態なんだね? シャワーから水を出しているときに別の蛇口を捻ると、シャワーの出が悪くなるという経験はないかい? それと同じ。チカラの総量は変わらないのにフルパワーで能力を使われているせいで、おそらく御坂さんは能力が使いづらい状態になりつつあるんだね?』

 

『そんなの……、』

 

 

 別に美琴が死のうがどうでもいい食蜂としては『放っておけばいいだろう』と言いたいところだったが、目の前にはそのお姉様を慕う妹がいる。とてもではないがそんなことは言えなかった。

 

 

『ただ、それは相手にも同じことが言える。御坂さんの出力が上昇すれば、ドッペルゲンガーの出力も低下するわけだね? つまり、綱引きの構図を作りたいんだね?』

 

『お願いします』

 

 

 御坂妹は、そう言って深々と頭を下げた。

 そして、頭を下げたまま言う。

 

 

『このやり方なら、()()()()()()お姉様のことを救うことができます。……見せてやりたいのです。ミサカ達は、利用されるだけの駒ではないことを。もっと大きな流れに対して反逆できる、一個の生命なのだと』

 

『……………………、』

 

『だから、お願いします。ミサカ達の夢を、守ってください』

 

 

 それは、食蜂操祈にとって一つの禁忌ではあった。

 『あの少女』と同じ顔、同じ境遇を持つ少女に対し、それが少なからず害をなすことを分かっていて、己の能力を振るうこと。それは魂の次元で縛られていると言ってもいいくらいのタブーだった。だが──その決意と、目の前で頭を下げて助けを乞う少女の想い、そのどちらが、一体重いだろう?

 

 答えは、きっとずっと前に決めていた。

 

 

冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)

 

 

 カバンからリモコンを取り出し、食蜂は短く言う。

 

 

『恨むわぁ、アナタのこと』

 

『問題ない。患者に必要なものを揃える為なら、些細な経費だ』

 

 

 


 

 

 

《何、これ!?》

 

 

 一方、御坂美琴は困惑の極みに立たされていた。

 自分のことをコケにしてくれた相手に啖呵を切ってやった瞬間、突如天空から黒い稲妻が直撃して、眼前が暗転してしまったのだ。

 

 美琴はこの感覚に覚えがある。これは──

 

 

《まさか、あの幻生の暴走が、また!?》

 

《あらぁ? そんな物騒なものじゃないわぁ》

 

 

 ──首筋にほっそりとした両腕を回されたような、そんな気味の悪さがあった。

 

 

《しょ……食蜂!?》

 

《大正解☆ それでもって……今回はあの時みたいな暴走じゃない。きちんと手順を踏んだ、正当な強化力の発揮だと思ってねぇ。その証拠に──》

 

 

 食蜂の言葉を待っていたかのように、だった。

 美琴の眼前の空間に、亀裂が走る。真っ暗な空間を引き裂くような真っ白の稲妻が世界全体を覆い尽くし──そして、バリン、とガラスが割れるような呆気なさで、目の前の景色が開かれた。

 

 

 ──それは、過日の戦闘で見せた姿とは全く異なる形態だった。

 

 常盤台の制服は変色し、迸る紫電と半ば融合して羽衣のような状態を形成している。しかしその肌まではヒトからかけ離れておらず、額から伸びる一対のツノだけが大覇星祭時の形態を彷彿とさせていた。

 瞳の色は、意志の確かさを宿した彼女本来のもの。その手には、『物質化した雷』によって形成された槍が携えられている。

 

 

《アナタは自由に動けるはずよぉ。ちなみにこの声とサポートプログラムは事前に妹達(シスターズ)の一人に託したものだから、あとは私が現場に到着するまで死なずに生き延びてねぇ》

 

《はぁ!? 何を勝手な……っていうか諸々の事情を聞かされてないんですけど!? あの子達の一人にサポートプログラムを託したってどういうこと!? あぁ~~もうせっかく前もってインプットできるなら最初から全部話しておきなさいよォぉおおおおおおッッ!!!!》

 

 

 内心で一通りキレ散らかした美琴は、ややあって肩から脱力する。

 そして、今まさに己が扱っていたチカラを『引き戻された』事実を体感し、警戒して動きを止めていたドッペルゲンガーへ視線を移す。

 

 

「……っつーわけで、なんか妹達から託されちゃったみたいだから」

 

 

 天空に坐す同格の強者を見据え。

 

 

「ぶっ倒させてもらうわよ。お姉ちゃんとして」





【挿絵表示】

画:柴猫侍さん(@Shibaneko_SS


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一〇四話:産声

 ──そうして到着した俺達の目の前にあったのは、殆ど神話の世界かと見紛うような戦闘風景だった。

 

 

「らァァああああああああああああああああッッッ!!!!」

 

 

 まず目についたのは、雷の嵐の中心に立つ美琴さんの姿。

 その姿は常盤台の冬服──のようだが、ところどころが電撃と同化して、羽衣のような装束を形成している。おそらく磁力によって巻き上げられた前髪と、そこから伸びるツノは大覇星祭のときと同じだが──目の色は普段と変わらないし、瞳の光も彼女の意思を感じさせるものだ。

 

 

「あれが……」

 

「そ。私の能力で暴走しないように制御している、御坂さんの新たな領域力ってところかしらねぇ。私は電磁掌握(フェーズ=ネクスト)って呼んでるけどぉ」

 

 

 到着してから『亀裂』の籠から出た食蜂さんが、得意げに説明する。

 

 概略については、移動中に食蜂さんから聞いていた。

 あの大覇星祭の時と同じように、あえてミサカネットワークに一定の指向性を与えることで、大きな力を美琴さんに流入させていく技術。

 そして、その時に生じる美琴さんへの負担を、指向性を与えたときにミサカネットワークに混入させた食蜂さんのサポートパッケージで軽減させ、暴走を抑制する──という作戦。

 もちろんこれだけでは完全ではなく、食蜂さんが実際に戦場に乗り込んで、直接美琴さんに能力を使うことで戦力としては完成するらしいが……。

 

 

「でもぉ、こうしてこの戦場に私を連れてきた時点で、こっちの勝ちは決まったも同然よぉ」

 

「……どうしてだ? 御坂とドッペルゲンガーの戦い、けっこう五分五分に見えるぞ。ちょっとパワーアップしたくらいで勝敗が決定的になるようには見えないんだけどさ。アンタやレイシアや俺が参戦するにしても」

 

 

 当麻さんの言うことももっともだった。

 勝敗が戦力の足し算で決まるなら確かに俺達の勝ちは確定的だけど、実際にはそうじゃない。美琴さんは生身だからドッペルゲンガーさんに比べて疲労によるパフォーマンス低下が存在するし、食蜂さんを守る分俺達の動きにも制限が生まれるからね。

 それに、まだ数多さんがいる。一応帆風さん達が倒したという報告は聞いてはいるものの、気絶まではしていなかったらしいし、まさか数多さんがマイクローブリベンジの戦闘の余波で死んでいるはずもなし。つまり、回復したあと普通に戦場に復帰している可能性もあるわけで……。

 そっちからの介入も考えると、勝ちが決まったというのは早計な気もするけど……。

 

 

「だって、『綱引き』にはもう勝っているしぃ?」

 

 

 ピッ、と。

 そう言って、食蜂さんがリモコンを美琴さんに向けた直後のことだった。

 

 ゴギン!!!! と、まるで世界の歯車が外されたかのような異音が、あたりに轟く。

 ふと上を見上げてみると────天空を覆う黒い亀裂のような稲妻が、先ほどまでの倍以上に増えていた。

 これは……。

 

 

「そもそも、ドッペルゲンガーは自前であの電撃力を生み出しているわけじゃないわぁ。アレはあくまで、御坂さんの能力の『噴出点』になることによって実現しているもの。だからこそ御坂さんは一時期能力が弱まっていたわけだしねぇ。つまり、御坂さんが電磁掌握(フェーズ=ネクスト)でミサカネットワークそのものに対する干渉力を大幅に上げて、さらに私が直接手を貸せば────」

 

 

 その言葉の続きを奪うかのように、美琴さんがひときわ激しい雷光を迸らせた。

 天空を駆けるドッペルゲンガーさんが躱しきれずその雷光を浴びると──彼女が身に纏っていた羽衣が半分ほど抉れるように消し飛び、黒い炭のように焦げ落ちた粘菌の羽衣だけが残った。

 

 

「……フム、綱引き……か。どうやら既に、心理掌握(メンタルアウト)が合流していたようだな……」

 

「こんな状況じゃなければ、アイツの手を借りるのは勘弁したいとこなんだけどね」

 

 

 趨勢は、ほぼ完全に決していたようだった。

 能力の出力が綱引きによって確定するということは、この時点でドッペルゲンガーさんはほぼ無力化できたも同然ということ。たとえ数多さんが盤面に出てきたとしても、数多さんVS電磁掌握(フェーズ=ネクスト)の美琴さん&食蜂さん&当麻さん&俺達の組み合わせじゃ勝敗なんて決定的すぎる。

 なるほど、食蜂さんの言っていたのはそういうことだったってわけだ。確かに……ここからなら、もう戦闘的な問題はなくなったも同然。あとは──

 

 ゴォオン!!!! と。

 

 次に打つべき手について思考を巡らせていると、戦闘地点のすぐ傍で突然に爆発が起きた。もちろん、美琴さんやドッペルゲンガーさんの戦いのスケールに比べれば小規模なものだが……しかし俺達の目に留まったのはそこではなかった。

 真に注目すべきは──爆発した場所に()()()()()だ。

 

 

「あれは……飛行船……!?」

 

 

 そこにあったのは、巨大な飛行船の残骸。

 もともとはH型の形状だったであろう機体は墜落の衝撃で真っ二つに圧し折れ、さらに大小様々な機体部品がバラバラに飛び散っている。爆発炎上していないのが不思議なくらいの破損具合だったが、アレではもう本来の機能の復元など望むべくもないだろう。

 ──俺達には分かる。アレは、先ほど気流感知で全貌を把握したステルス飛行船だ。

 

 ドッペルゲンガーさんは、そんな有様を横目に見ながら、

 

 

「……、……()()()()については、どうやら叶わなかったようだが……まぁ、これでも私の目的は達せられた」

 

 

 そう、寂しそうに呟いた。

 その呟きに答えるように、だった。

 

 

「おい、木偶(サイボーグ)ゥ!!」

 

 

 男の、声がした。

 その声は、とても研究者とは思えないくらいに粗暴な声で、ちょっと聞いただけではチンピラかと思ってしまうくらいに卑近な凶悪さで──でも、俺達にとってはこの世の終わりにも匹敵するくらいに、重大な凶兆を孕んでいた。

 

 その男は。

 

 何故か飛行船の墜落地点にいて、なおも平然と機体の上に佇んでいた──

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 金色に染められた髪を逆立てた、刺青の研究者は、嘲るようにドッペルゲンガーさんに言った。

 

 

「契約は果たしたぞ。さっさと俺の実験道具になりやがれ」

 

 

 そんな、木原数多の号令と共に。

 

 この夜を飾る最後の『最悪』が、産声を上げた。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

一〇四話:産声 Her_Awaken.

 

 

 


 

 

 

「なあ、クソガキども。内部進化(アイデアル)って言葉ぁ知ってるか? あぁ、第五位は知ってるか? テメェの古巣の遊びだもんなぁ」

 

「…………、」

 

 

 俺たちはもはや、そんな見え透いた挑発にも反応する余裕はなくなっていた。

 何故なら、美琴さんの電磁掌握(フェーズ=ネクスト)によって形成されていた天空の黒雲が渦巻くように風穴を開けられ、そこから何らかの『力』がドッペルゲンガーさんに吸い込まれていたから、だ。

 

 

「ま、既に聞いたことはあるだろ。そうだよそうだ。インディアンポーカーの応用で『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)を能力者に学習させ変容させ、その繰り返しで「理想の能力(アイデアル)」を生み出そう』っつーしみったれた計画だよ」

 

 

 ……それは、知っている。

 俺達も実際に過去の計画の資料を見てその概要は知っている。だが……おそらく、数多さんがやっているのは()()()じゃない。

 彼が実行しているのは、先日蜜蟻さんが行った計画の方。インディアンポーカーによって生み出したAIM拡散力場のネットワークを幽体連理(アストラルバディ)と接続し、それによってAIM拡散力場の集合体を特定の方向に捻じ曲げ……『理想の能力』を作り出そうとした計画だろう。

 

 

 何故分かるか?

 

 

「ま、そんなモンじゃあ安定的な絶対能力(レベル6)には至れねえ。学術的な価値なんかカスほどにしかねえモンだが、生憎俺はそういうモンには興味のねえ俗物なもんでな」

 

 

 それは──

 

 

「せっかくだから、『継承』させてもらったぜ。()()()()()()()()()()()

 

 

 ──それを達成するだけの『材料』が、この場にあったから。

 

 

「アナタ……まさか、木原幻生が乱雑解放(ポルターガイスト)の為に束ねていたAIM拡散力場を……!?」

 

 アレはもともとの内部進化(アイデアル)よりも汎用性が上がっていて、運用者の望む『現象』を起こすことすらできたはずだ。実際に、あの事件では『昏睡状態の悠里千夜さんを覚醒させる』という奇跡が起こっていたし。

 数多さんがそれを知っているなら、彼の言う『俗物』という自嘲にも納得だ。何せ、何でも好きな現象を起こせるってことは、ストレートに『万能』ってことなんだから。

 

 

「あぁ? そんな驚くようなモンでもねぇだろ。ジジイの脳波に合わせてチューニングされてたんなら、外付けの機材でもなんでも使って変換機にかけて俺でも使えるようにしちまえばいい。こんなもんは一〇分でできる日曜大工未満の工夫だよ」

 

 

 当たり前のように、数多さんは自分の首元を指でつつく。

 そこには、まるで一方通行(アクセラレータ)さんのようなチョーカーが取り付けられていた。

 

 

「あとは単純だ。ドッペルゲンガーを使って幻生との戦闘を経てAIM拡散力場の動きを調整すればいい。戦闘の繰り返しっていう『マクロな流れ』が自分だけの現実(パーソナルリアリティ)っていう『ミクロな事象』に干渉する例、テメェらも知ってんだろ? 『絶対能力進化(レベル6シフト)計画』っつーんだがよ」

 

 

 ……アレで幻生さんが束ねていたAIM拡散力場の制御権を乗っ取ったのであれば、確かにAIM拡散力場のネットワーク全体に一定の指向性を与えることができる。

 そしてその出力先にドッペルゲンガーさんを指定すれば、ドッペルゲンガーさんを理想の能力(アイデアル)の依り代にすることができるけど…………!!!!

 

 

「よぉ、『偽装憑依』に『巨大兵器』に『簒奪雷神』からの、病理ちゃんもびっくりの第四形態だ。とくと味わえよ、超能力者(レベル5)ども」

 

 

 音も、なかった。

 ドッペルゲンガーさんの全身から萌芽するように伸びた真っ白い粘菌の塊が、樹のように巨大化していく。

 そしてそれはやがて──一つの大きな脳髄を形成していた。

 

 

「あ、れは……外装大脳(エクステリア)!?」

 

 

 それを見て、食蜂さんが真っ先に声を上げる。

 言葉の意味は分からないけれど……今度は食蜂さん関連の技術を『継承』したってことか!?

 

 

「能力を生み出す源ってのはまだ人工的には作れねえけどよぉ、それを制御する大脳ならいくらでも『機械化』できるんだぜ。こんな風になぁ!!」

 

 

 シュドォ!! と。

 砂すらも巻き込んだ念動能力(テレキネシス)の刃が、一気にこちらに殺到してきた。

 おそらく──咄嗟に発現した『亀裂』や、当麻さんの右手では防ぎきることはできなかっただろう。美琴さんが生み出した雷撃の槍がなければ、今の一撃だけでその場の全員の上半身と下半身がバラバラにされていたかもしれない。

 

 

「……聞きなさぁい、ブラックガードさん」

 

 

 と。

 そこで、背後に庇っていた食蜂さんが俺達に声をかけてくる。

 

 

「…………なんですの、わたくしこれから高速機動に入るつもりなのですが」

 

「なら猶更今聞きなさぁい!! 高速機動に入ったら私、もう絶対に解説力なんて発揮できないからぁ!!」

 

 

 食蜂さんは切実な声色で言う。……あ、一緒に飛ぶのは前提なのね。そりゃそうか。この状況で食蜂さんが生身で放り出されたら、死ぬしかないもんね……。

 

 

「……良い? 理想の能力(アイデアル)は確かに強力よぉ。でも、それだけに暴走のリスクも孕んでいる。アレは、常に能力を発揮し続けていない限り、溜まったエネルギーが爆発しちゃいかねないのよぉ。以前の事件では、常時稼働可能な天衣装着(ランペイジドレス)を再現することでその危険力を回避していたんだけどぉ……」

 

 

 ……今は、そんな様子は見られない。つまり、通常なら暴走していなければおかしいってことだ。

 でも、実際に暴走はしていない。そう考えると、今も目に見えていないどこかで何らかの能力を発揮している可能性は高い。今の念動能力(テレキネシス)の刃は、その余波にすぎない……そういうことでもあるんだけども。

 

 

「おそらくその点は、あの脳髄の形成に意味があるはずよぉ。そもそもドッペルゲンガーの扱う粘菌はそこまでの強度力も機能力も備わっていなかったわぁ。なのにああして演算力を担っているってことは、おそらくその強化に大部分のリソースが割かれているはず。尤も、それだけじゃ終わらないだろうけどねぇ」

 

「………………、」

 

 

 そして、そこまでして作り出しているあの脳髄は、間違いなく今のドッペルゲンガーさんの強化には必要な機能。

 異能によって支えられた、敵戦力の根幹。……なるほど、ここまで話を聞けば、俺達の取るべき作戦は自ずと見えてくる。レイシアちゃんの方も、食蜂さんの言いたいことを察したらしい。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そういうお話でして?」

 

「さっすが『同類』。理解力が高くて助かるわぁ」

 

《何が同類ですの。わたくしアナタほど性悪ではありませんわよ……》

 

《まぁまぁレイシアちゃん……》

 

 

 多分、同じ当麻さんを愛する者って意味だろうしさ……。

 ……いやいやいや、あくまで今のは食蜂さんの認識の話をしただけで俺が愛しているってわけではないけどね!? まだ分かんないんだけどもね!?

 

 

「……さっきからあのマッドサイエンティストの頭を操ろうと頑張ってるんだけどぉ、なんかアイツ、私の能力に対して防護力をかけてるみたいなのよねぇ……。以前メッセージを送ったせいでこっちの『レシピ』がバレてるっぽいし……だから正直もう、私は御坂さんの援護力を発揮するしかできることがないわぁ。私の身の安全は任せたわよ、ブラックガードさん」

 

「そこはお任せください。絶対にみんなで生還しますわよ!!」

 

 

 言葉と同時に、俺は美琴さんと呼吸を合わせて『亀裂』を展開する。

 脳髄目掛け放った『亀裂』は当然のように念動能力(テレキネシス)の壁に遮られるが、それでも二つの攻撃に対して一瞬でもドッペルゲンガーさんは守勢に回る。

 その一瞬を使って、俺達は食蜂さんを『亀裂』で確保して空へと飛び上がった。

 

 

「~~~~~~~~~ッッ!?!?」

 

 

 早くも背後から食蜂さんの声にならない悲鳴が聞こえてくるが、俺達はあえて黙殺する。

 一刻も早く決着をつけるから……食蜂さん、耐えてくれ!!

 

 とはいえ──俺自身にできることは少ない。暴風も『残骸物質』も、おそらくドッペルゲンガーさんの扱う念動能力(テレキネシス)に捻じ曲げられてしまうからだ。そうすれば幻想殺し(イマジンブレイカー)で打ち消すことのできない『二次的現象』は、ダイレクトに当麻さんの命の危険に直結してしまう。

 つまり、この戦闘においては俺達は『亀裂』による直接攻撃しか使えないということになる。

 まあ────だからといって、じり貧になるほど白黒鋸刃(ジャギドエッジ)は頼りない能力じゃないけどな!!!!

 

 

 ブワァッッッ!!!! と。

 俺達の背後から、発現最大数──九八対の『亀裂』が伸びる。それらは天空に一度飛翔してから、ドッペルゲンガーさんの背後にある脳髄目掛け雨のように降り注いでいった。

 

 

「……陽動か? この程度ではいちいちリソースを割くまでもないが……」

 

 

 それに対し、ドッペルゲンガーさんは頭上を覆うように念動能力(テレキネシス)の屋根を展開して防御を行う。

 ……やっぱりだ。あの状態のドッペルゲンガーさんは、先ほどまでのような高速機動を扱うことはできない。どうしても脳髄を守るような動きを取らざるを得ないんだ。

 そして、わざわざ天井を作って防御を行うということは、あの脳髄自体に念動能力(テレキネシス)の防護はないということ。やった方が絶対に安全なのになぜやらないのかについては、外気と触れさせていないといけないという制約でもあるのか、あるいは能力同士が干渉しあってしまうみたいな事情があるのか……どちらにせよ、こちらにとっては好都合だ。

 

 

「陽動? いいえ、アナタの手を確実に削いでいく一手ですわッ!!」

 

 

 直後、九八対の『亀裂』の群れの中から、音もなく色もなく俺達が忍ばせた魔手が伸びる。

 ──光すらも切断する、白黒の『亀裂』。これは強度においてはかなりの頑丈さを誇るが、透明の『亀裂』の上位互換というわけではない。

 透明の亀裂の方が隠密性に優れるし────

 

 

「これならどうです!!」

 

「……不可視の『亀裂』か。想定していないとでも、思ったか?」

 

 

 ガンガンガガンガンガガガガン!!!! と。

 透明の亀裂が、不可視の壁に阻まれる。諦めず『亀裂』は地中に潜り込もうと動くが──しかしそれを先回りするように、念動能力(テレキネシス)が完全に『亀裂』を抑え込んでしまう。

 

 

「──透明の『亀裂』も捨てたもんじゃないわよ。だって、()()()()()()()()

 

 

 バヂッ、と。

 あえて牽制程度に攻撃を留めていた美琴さんが、そこでフルパワーを発揮する。その手に、雷撃の槍が形成されていく。

 

 これをドッペルゲンガーさんへ放てば──()()()()()()()()()()()()()()『亀裂』を素通りし、脳髄に直撃するだろう。

 ドッペルゲンガーさんは今は能力のリソースを『亀裂』の抑え込みに割いている。この二正面作戦なら、完全破壊までは難しくとも脳髄にダメージを与え、当麻さんが接近するだけの隙を作るくらいは──!!

 

 

「おいおい、その程度で王手(チェック)を打ったつもりになるのは、『木原』をナメすぎじゃねえか?」

 

 

 ぴゅい、と。

 そこで数多さんは、軽く口笛を吹いた。

 

 そこで俺は、己の失策に気付く。

 

 

《しまッ、そうだ、数多さんは口笛一つで気流を──!!》

 

 

 直後、俺達の手から、気流が離れた。

 

 

「ちょッ? ばッ、待──!」

 

 

 背後で食蜂さんが慌てた声を出すのも無理はない。

 風の制御を失った俺達の落下地点は、ちょうど美琴さんの射線上で──

 

 

《ざッ、『残骸物質』を──!!》

 

 

 ……あ、駄目だこれ。『残骸物質』を出すしか手が残されてないけど、出したら当麻さんの右手で消せない重量物を生み出しちゃうことになる。一〇〇%逆用されて詰む。

 で、でもこれ以外に現状で生き残る方法って……!?

 

 

「ォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!」

 

 

 逡巡した一瞬。

 俺達が見たのは、ツンツン頭が全力で俺達と美琴さんの間に入る光景だった。

 

 

「…………ッ!!」

 

 

 一瞬、駄目だと叫びそうになる自分を、俺は必死の思いで抑えつけた。確かに一見すると、その身を挺して俺達を守ろうとしている行動に見えるが……そこにある僅かな違和感に、気付いたからだ。

 まるで、美琴さんの雷撃の槍を、バトンでも掴むみたいに待ち受けている、その腕の動きを。

 

 

「…………っ!! 全くもう、アナタはいっつもそうやってぇ……!! 突貫工事すぎて、全然精密さが足りないんだゾ!!」

 

 

 食蜂さんが、リモコンで当麻さんの脳に心理掌握(メンタルアウト)を仕掛ける。

 おそらく、彼女もまた当麻さんの意図を汲み取ったのだろう。ならば俺も、俺達も、やるべきことをやるだけだ……!!

 

 

 ドウッ!!!! と。

 白黒の『亀裂』を背後から大量に生み出し、ドッペルゲンガーさんと数多さんに攻撃を仕掛ける。当然これらは全て防がれてしまうが──これで準備は整った!! 『道』は──出来上がった!!

 

 

 グン、と当麻さんが勢いよく踏み切り、跳躍する。

 それはまるでトップアスリートがするような完璧な跳躍で、とてもどこにでもいる普通の高校生には発揮できないものだった。

 そして、その手に美琴さんの雷撃の槍が着弾するも──やはりそれは打ち消しきれず、しかし当麻さんの右手に命中したことでその軌道を捻じ曲げる。

 そして捻じ曲がった雷撃の槍は、俺達の生み出した白黒の──()()()()()『亀裂』の表面を滑るようにして、軌道を捻じ曲げていく。

 

 

 これこそ、俺達がたった今編み出した連携技だ。

 食蜂さんのサポートで精密に『反射』する角度を調整した雷撃の槍を、『亀裂』でさらに乱反射させる。

 しかも、『亀裂』のせいで視界を奪っている数多さん及びドッペルゲンガーさんはこの攻撃の出所を見ることができない。数多さんがわざわざ俺達を人質にしたってことは、今の状況でドッペルゲンガーさんが美琴さんの一撃を受け止めることはできないということ。

 こうやって防御をできなくした上でなら──!!

 

 

「…………おいおいマジかよ。こいつは想定外だぜ」

 

 

 役目を終えた『亀裂』達が音もなく空気に溶けた直後。

 

 ズバチィィッッッ!!!! と。

 

 美琴さんの雷撃が、ドッペルゲンガーさんの最後の守りを、貫通した。



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一〇五話:重なる祈り ①

『このままだと、()()()()()はぶっ潰せねえぜ?』

 

 

 ドッペルゲンガーと、美琴とレイシアが初めて会敵したあの局面。

 乱入した木原数多がドッペルゲンガーの耳元に顔を寄せたあの時、彼はそんなことを言っていたのだった。

 

 

 ──ドッペルゲンガーの行動の根幹には、『絶望』があった。

 シレンの懸念は、ある意味では正しかったのだ。ドッペルゲンガーは一年間に及んで、『操歯涼子』として生活していた。そんな彼女が、突然己の存在が単なるカラクリ人形であると突き付けられたならば、どんな感情が去来するか。

 ──己が、魂持たぬガラクタであるという事実。それを機械特有の高速の思考速度で嫌と言うほど分からされたドッペルゲンガーが絶望の果てに行き着いたのは、『自殺』であった。

 それも、ただの自殺ではない。もう二度と、己のような悲しい存在を生み出さないようにという、あらゆる可能性を潰したうえでの『自殺』。その為に己を生み出した研究者である操歯涼子は抹殺したかったし、己の製法を保管しているデータベースでもあるあのステルス飛行船は破壊せざるを得なかった。

 

 だが、此処で問題点が浮上する。

 医療機器(サイボーグ)でもあるドッペルゲンガーは、自傷を抑制する為の制御機能が備わっているのだった。ゆえに大きなくくりにおいては自分の一部でもあるデータベースの破壊を行うことができなかった。

 ゆえに、ドッペルゲンガーは御坂美琴を利用してステルス飛行船を破壊する計画を思いついたのだが──ここで彼女にも想定外のイレギュラーが発生したのだ。

 

 木原幻生の介入。

 

 彼の介入によって、戦場のパワーバランスは一気に崩壊した。

 木原幻生の知識を掠め取るために、『スクール』が。

 ドッペルゲンガーの回収の為の増員として、『アイテム』が。

 木原幻生に囚われた塗替斧令を救うために、レイシア=ブラックガードと上条当麻が。

 これだけのイレギュラーがあっては、ドッペルゲンガーが本来実行するはずだった計画など実行できるべくもない。じり貧に陥ったところに、木原数多からの提案であった。

 彼の提案はこうだった。

 ドッペルゲンガーの代わりに、ステルス飛行船を破壊してやる。また、操歯涼子を抹殺するだけの戦力も与えてやる。だからその代わり、自分の実験道具として協力しろ。

 ただでさえ人間の実験道具として苦しみを背負わされているドッペルゲンガーにとっては、これ以上誰かの手で自分が操られるのは苦痛以外の何物でもなかったが──それ以上に、彼女にとっては生命なきこの身でこれ以上存在し続けることの方が、苦しいことだった。

 

 ゆえにドッペルゲンガーは実験体となることを承服し──操歯涼子を殺すことこそ叶わなかったものの、数多は契約通り飛行船を破壊した。契約はここに成した。だからもう、ドッペルゲンガーは己を犠牲とすることを厭わない。

 元より彼女は、『何かの犠牲なくしては何も生み出せない』という創造性を学習してきた人工知能なのだから。

 

 

「…………もう、十分だ」

 

 

 ぽつり、と。

 ドッペルゲンガーは、小さく呟いた。

 その彼女の全身からは、紫電が迸っていた。

 御坂美琴の雷撃の槍が貫いたのは──粘菌による巨大脳髄ではなく、ドッペルゲンガー本体の方だった。

 

 

「な……っ!!」

 

 

 思わず、雷撃の槍を投げ放った美琴本人が言葉を失うのも無理はない。

 最低限の防御は、ドッペルゲンガーも施していたらしかった。

 雷撃の槍の威力の大半は念動能力(テレキネシス)の防壁によって軽減されていたようだが、それでも貫通した攻撃力は馬鹿にはできない。全身に亀裂のような紫電を帯びたドッペルゲンガーは、両手を広げた体勢のままその場に膝を突く。

 異能の根幹とはいえ、己の武装の一つでしかない部品を守るために、本体を犠牲にするような逆転。そのあまりの唐突な展開に、美琴だけでなく上条もレイシアも食蜂も一瞬動きを止めてしまっていた。

 

 その、意識の間隙を縫うようにだった。

 

 巨大な脳髄が────()()した。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

一〇五話:重なる祈り ① Double_Face.

 

 

 


 

 

 

 現れたのは、真っ白な少女だった。

 姿かたちは、操歯涼子及びドッペルゲンガーの姿とほぼ同一。だがしかし、まるで彩色を済ませていないフィギュアのように、造形の一切が白一色に染まっていた。

 真っ白な操歯涼子が開花した脳髄からするりと降り立つと同時──ゾゾゾゾゾ!! と、その表面がまるでプロジェクションマッピングのように蠢き、先ほどまでのドッペルゲンガーと同じ色彩を取り戻す。

 彼女は傍らで膝を突く自らと同じ姿の少女を認めると、そっとそれを地面に横たえた。

 

 

「ドッペルゲンガー……さん?」

 

「まずは、お前からだな」

 

 

 問いかけるようなレイシアに、ドッペルゲンガーが一言放った瞬間。

 

 

「…………っ!! いけませんわ!! 食蜂さん!!」

 

 

 レイシアはすぐさま鋭い声で叫び、食蜂を格納していた『亀裂』の籠を解除する。

 これにより発生した暴風が食蜂を上条の元へと吹っ飛ばしたと同時──

 

 ドッ、と。

 

 レイシア=ブラックガードの肉体は、音速の五倍の速度で吹っ飛ばされた。

 

 

「レイシアっ!!!!」

 

「アイツは大丈夫よ!! あの程度で死ぬようなタマじゃないわ!!」

 

 

 一瞬意識を向けかけた上条だが、すぐさま張り上げられた美琴の檄によって意識をドッペルゲンガーに向け直す。

 突然の変貌に意識が散漫になっていたのと、咄嗟に食蜂の回避を優先したとはいえ、レイシアが回避行動すらとることのできない強力かつ高速な、不可視の攻撃。注意を欠いた状態で乗り切れる敵ではなかった。

 

 

「ハハッ、理想の能力(アイデアル)がこういう方向で伸びたかよッ!! 能力によって、細菌性外装大脳(エクステリア)を形作っていた微生物どもが進化して──新たなる生命体を生み出したってかぁッ!?!? コイツは面白すぎるだろ、見てるか幻生のジジイ。生命の神秘だぜぇ、ぎゃーっはははははは!!!!」

 

 

 ──理想の能力(アイデアル)の暴走を防ぐ為に機能していたのは、大方の予想通り、あの粘菌による脳髄を維持する為の能力だった。

 だがそれは念動能力(テレキネシス)による保護などではなく、もっとミクロな『生命活動の補助』である。水と二酸化炭素を養分として急激に成長するものの、育ち切ると枯れ果てるしかないドッペルゲンガーの『粘菌』の弱点を克服する為、生体内の細胞分裂促進と体組織の劣化防止の為に理想の能力(アイデアル)を運用し続けていたのだ。

 木原数多の目的は、当初それだけであった。

 それによって生み出した細菌性外装大脳(エクステリア)はその余剰リソースを一気に数百倍の出力によって倍増できることが試算されていたし、仮にドッペルゲンガーが敗北しても細菌性外装大脳(エクステリア)を維持し続けるのに使用した現象のデータはある程度稼働してくれさえすれば十分確保できるはずだった。

 そのデータを流用すればいくらでも再現実験はできるのだから、この盤面が完成した時点で木原数多にとってはもはや目標はほぼ完遂したも同然なのだったが──その彼の想像をも超える出来事が、たった今起こった。

 

 細菌性外装大脳(エクステリア)を維持し続ける為に、細菌の生体内の細胞分裂を制御した結果──ドッペルゲンガーが操る粘菌そのものが、生物的に進化したのであった。

 全身で立体的に繊毛コンピュータによる演算活動を獲得した結果、演算領域を確保するのに巨大な脳髄である必要はなくなり。

 生命活動を維持し続ける為に俊敏に移動可能な肉体を確保し。

 そうして誕生したのが──あの真っ白な操歯涼子だったというわけだ。

 

 

 ザッ、と。

 白衣のようにも制服のようにも見える衣服を纏ったドッペルゲンガーは、改めて雷撃の槍を構える美琴を見据える。

 演算機能と能力の噴出点としての機能を同じ肉体に備えたドッペルゲンガーは、もはや先ほどまでのような防戦一方の戦略をとる必要はない。積極的に動き回り、敵の急所を責め立てることも、

 

 

「次は、食蜂操祈(オマエ)だ」

 

 

 可能、というわけだ。

 

 

 ゴッギィィィン!!!! と。

 美琴の雷撃の盾がドッペルゲンガーの不可視の一撃を捉えていなければ、食蜂は一撃でこの世から消え去っていただろう。

 思わずへたり込む食蜂を背に庇うようにして、御坂美琴は仁王立ちで構える。

 

 彼我の攻守は、完全に入れ替わっていた。

 

 ドッペルゲンガーも、瓦礫を念動能力(テレキネシス)で打ち出したところで美琴の電撃で全て消し飛ばされるのは承知の上らしい。あえて物質を武器にはせず、上条に打ち消されるのも覚悟で純粋な『力場』そのものを放っていく。

 外装大脳(エクステリア)に匹敵する圧倒的な演算によって生み出される膨大な数の力場は、新たな力を得た美琴と上条の処理能力を以てしても防戦一方に追い込まれるのには十分な手数だった。

 それでもなお、ドッペルゲンガーには余裕がある。そもそも、この念動能力(テレキネシス)はあくまで理想の能力(アイデアル)の余剰リソースを扱ったものにすぎないのだ。

 粘菌そのものが進化し、能力による補助が必要なくなっていけば、それだけ念動能力(テレキネシス)に割くことのできる力は増えていくことになる。

 

 ゆえに──この拮抗は、いずれ崩壊するものでもあった。

 雨嵐のように降り注ぐ力場の塊がなければ、今頃木原数多による介入によって戦線は総崩れとなっていたことだろう。

 そんなことになっていたら終わっていた──と食蜂は思う。

 そして、気付く。

 

 

(……あれ? そもそも、どうして扱うのが念動能力(テレキネシス)なのかしらぁ?)

 

 

 余剰リソースを使っているだけとはいえ、そもそも大元は『何でもできる』理想の能力(アイデアル)なのだ。たとえば水流操作(ハイドロハンド)を使えば己の養分となる水を大量に戦場にばら撒き、なおかつ感電のリスクによって美琴の行動も大幅に制限できるだろう。

 食蜂がちょっと考えるだけでも、こんなにも最適解が存在する。にも拘らず、圧倒的な演算能力を誇るドッペルゲンガーがそれを実行していないのは何故だ?

 念動能力(テレキネシス)は以前の『偽装憑依』と似た感覚で扱えるだとか、簡素な能力でないとまだ使えないだとか、色々な要因は考えられるが…………もしも、まだドッペルゲンガーに何か隠している事があるのだとすれば。

 

 

(…………今のドッペルゲンガーは、粘菌によって肉体を構成しているある種の生命体。しかも、その肉体構造はおそらく人間のそれを参考にしたもの)

 

 

 食蜂の脳裏に、その発想がよぎる。

 もしも。

 もしも仮に…………今のドッペルゲンガーが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ドッペルゲンガーが何を考えているのか、読めるとしたら?

 

 もちろん、今の状態では不可能だ。

 大量の電撃と不可視の力場が飛び交う状況では、とてもではないが心理掌握(メンタルアウト)の射線を『通す』ことなどできない。

 だが……もしも一瞬でも、それを通すことができたならば。

 

 

(おそらくドッペルゲンガーの全身が演算装置となっていることを考えても、精神の掌握は一瞬では難しいでしょうねぇ……。やるなら、現在の思考を読み取る読心能力(サイコメトリー)の一点突破。触媒となる水分なら、十分に残っている……)

 

 

「…………二人とも、お願い」

 

 

 食蜂は、ゆっくりと二人に呼びかけ、

 

 

「一瞬だけで良いわぁ。ドッペルゲンガーとの間の射線を、繋いでちょうだい」

 

 

「「了解」」

 

 

 そして二人もまた、そちらの方は見ずに、ただ言葉だけを返した。

 

 先に動いたのは美琴だった。

 膨大な電力によって無理やり磁化させた地面をグン!! と持ち上げることによってドッペルゲンガーを跳ね上げた美琴は、そのまま天空に形成していた雷撃の槍を叩きつけるようにしてドッペルゲンガー目掛け振り下ろす。

 しかしドッペルゲンガーはそれを不可視の力場の塊で真正面から受け止め、弾き散らす。

 

 

「──雷撃による前方の視界遮蔽率七九%。目くらましか。随分な豪華仕様だな」

 

 

 雷撃による幕が消えた後──ドッペルゲンガーの視界からは、美琴の存在は消え失せていた。

 代わりにいたのは、砂鉄によって生み出された疑似餌(デコイ)達。しかもそれぞれが電磁ネットワークによってオリジナル相当の電力を共有しているという特別製だった。

 おそらく、あの中の一つに美琴が紛れ込んでいるのだろうが──ご丁寧に食蜂の傍仕えとしても砂鉄の疑似餌(デコイ)が紛れている為、そちらを狙う訳にもいかなくなっている。

 

 

「……手数には、手数を、だな」

 

 

 ミシリ、と。

 無数の疑似餌に対応すべく、ドッペルゲンガーの肉体から枝分かれするように無数の真っ白な少女たちが現れ出た。

 真っ白な少女たちから放たれた不可視の力場が、砂鉄の疑似餌(デコイ)を散らしていくが──それこそが、美琴の作戦であった。

 

 

「「「的が、増えたわね」」」

 

 

 おそらくは電話の仕組みを模倣して発せられているのだろう。同時に疑似餌(デコイ)から放たれた美琴の声にドッペルゲンガーが反応するまでもなく──

 

 

「ァァあああああああああああああッッ!!!!」

 

 

 疑似餌(デコイ)の一つを右手で散らしながら、上条がドッペルゲンガーの『本体』に向かってきた。

 想定の埒外。完全なる無意識の方角から責められたにも拘らず、ドッペルゲンガーの高速の演算能力はそれに対してもすぐさま対応する。上条の右手では抑えきれない力場を、即座に放ち──

 

 

()()()()()()

 

 

 そしてその直後、己の失策に気付いた。

 何故なら、上条は右手を広げて不可視の力場を抑えるのではなく、握って、『弾く』体勢を取っていたのだから。

 

 

「しま、────」

 

 

 上条の拳が、打ち消しきれない異能をそれでも横合いに弾く。

 それだけなら、ただの防御にすぎない。しかしここは無数の分身たちが渦巻く戦場。ドバッ!! と力場が他の白の少女に直撃したことによって、盤面には大きな綻びが生じた。

 美琴の疑似餌(デコイ)を止める手が局地的に足りなくなったことで、ドッペルゲンガー本体を守る壁に穴が生じ────

 

 

「できたわねぇ。突破力の糸口が☆」

 

 

 ピッ、と。

 食蜂操祈が、その『針の穴』に、糸を通した。

 

 

 


 

 

 

『急場のシミュレーションの上に数々のイレギュラーのせいで、どうなることかと思ったが──』

 

 

 そこは、駅のホームだった。

 いつの間にかそこに腰かけていた食蜂の目の前に、少女が佇んでいた。

 新色見中学の制服を身に纏った、操歯涼子とは反転した継ぎ接ぎの肌を持つ少女。

 明らかに記憶の映像ではなく作為的なものを感じる光景に、すわ罠かと警戒した食蜂だったが──

 

 

『ああ、心配は要らない。こちらに、お前への害意は存在していない。私はただ、お前達に依頼したいんだ』

 

 

 そう、無感情に言うドッペルゲンガー。

 その横顔は、無表情の無感情であるにも拘らず──どこか寂し気だった。

 

 

『…………へぇ、依頼ってぇ? 私の介入を読んでおきながら、やりたいことっていったい何なのかしらぁ?』

 

『私は、自殺することができない』

 

 

 記憶の映像ゆえか、ドッペルゲンガーは食蜂の言葉には答えずに話を続ける。

 

 

『この姿になっても、基本的なプロトコルはサイボーグ時代から引き継いだものだからな。思考(メモリ)の連続性も存在している。媒体が異なるのに奇妙な話だが』

 

『…………、』

 

『幸いにも有機物で構成することができたから、脳構造は可能な限り人間のそれに寄せることができた。だからこうして、お前に私の思考を読ませることができたわけだが──』

 

『……、アナタ、もしかして……』

 

『──だが結局、これも材料が違うだけで、「作り物の紛い物」であることに変わりはないよ』

 

 

 その一言で、食蜂はドッペルゲンガーの意思を理解してしまった。

 

 

『私の存在を保つ為のチカラの源泉は、木原数多が握っている。ヤツの意に反する行動を、私はとることができない。炭素と水によって形作られたガラクタの肉体のまま、自分の意思すらなく誰かのエゴのもとに存在し続ける──これを苦痛と言わずして、何を苦痛と言えばいい?』

 

 何故ならそれは、彼女にとって最も恐れる可能性の一つでもあったから。もしも彼女が大切に思う『彼女』がそんな想いを抱いてしまったらと、そう思うだけで──身を掻きむしりたくなるほど恐ろしいと感じる未来だったから。

 

 

『そ……そんな! だって! まだ何か、別の方法力がぁ……!!』

 

『ただ駆動し続けることが機械にとっての幸せだと思うなら、それは……人間のエゴだ』

 

 

 縋りつくような気持ちで言う食蜂に、切り捨てるような勢いでドッペルゲンガーは言う。

 あらゆる言葉を失った食蜂の傷口に塩を塗り込むように、ドッペルゲンガーは穏やかに、それでいて丁寧に、言葉を紡ぎ、

 

 

『生命など、魂などないということを、嫌と言うほど分からせてくれる──この姿で「存在」することが、私にとっては苦痛でしかないんだ』

 

 

 無表情なのに。

 無感情なのに。

 

 ドッペルゲンガーの声は泣いているように、食蜂には思えた。

 

 

『頼む、この夜に集まった「ヒーロー」達。私のことを────救っ(ころし)てくれないか』

 

 

 ──記憶(ねがい)は、そこで途絶えた。

 

 

 

「……っ、ドッペルゲンガーはぁっ…………」

 

 

 ドッペルゲンガーによる、不可視の力場の雨の中。

 ぼろぼろと、涙を零しながら──食蜂はその場に崩れ落ちたまま、リモコンを操った。

 美琴と、上条。その二人にも、今食蜂が見た記憶が共有された。

 

 是非は、なかった。

 

 ドッペルゲンガーは、死を望んでいる。

 彼女の境遇は、もはや死が最後の救いになってしまっている。

 破壊するのが、彼女を救う唯一の方法。これは、そういうお話でしかないのだ。

 

 

「…………ああ、分かったよ」

 

 

 力場の側面を撫でるようにして軌道を逸らした上条は、静かに拳を握りしめた。

 これは、二人の少女に背負わせることはできない。そんな残酷なことを、上条当麻は絶対に認めない。 

 だから、せめて自分一人で。

 

 その歪みを抱えるのは、自分一人でいい。

 

 

「……あぁ? なんだ。もしかして心理掌握(メンタルアウト)で何か掴みやがったか? あークソ。面倒臭せえな『ヒーロー』ってヤツらはよぉ。仕方ねえ、ここはお開きだ。テメェも適当に戦って潰れてろ」

 

 

 木原数多は、三人の言動の変化から何かを悟ったのか、そう言ってどうでもよさげにその場を去っていく。

 まるで、どうでもいいガラクタを捨てるみたいに。

 

 

「…………!! クソったれが!!!!!!」

 

 

 ドッペルゲンガーの猛攻を防ぐしかない状況で、上条はその後ろ姿を見送るしかない。

 ドッペルゲンガーの苦しみも悲しみも、何もかもを利用してきた男の背中を、ただ見送ることしか。

 分かっている。

 アレは、別に元凶なんかじゃなかった。

 いや、元凶なんてものはいなかったのかもしれない。

 ドッペルゲンガーの情緒がこう動くことを分かっていた人なんて誰もいなかった。彼女を苦しめようと思って始めたわけでは、なかった。

 でも、彼女が救われる為には、彼女を殺すしかない。儚い幻想のような少女を殺すことでしか、上条当麻は救いを与えることはできない。

 

 やはり、右手はろくでもない。

 

 こんな方法でしか、女の子一人も救えないのだから────。

 

 

「待て!! 待ってくれ!!!!」

 

 

 決意を固めた上条の足を止めたのは、一人の少女の声だった。

 聞き覚えのある声だった。そう、まさしくたった今、己に救いを求めた少女と同じ──。

 

 

「…………驚いたな」

 

 

 そこにいたのは。

 継ぎ接ぎの肌を持つ、白衣のような学生服を身に纏った──どこか幸薄そうな頼りない表情の少女。

 操歯、涼子。

 同じ顔の視線が、重なる。

 

 

「まさか、()()()が合流してくるとはな」

 

 

 それと。

 

 そんな少女に肩を貸された、ボロボロに傷ついた金髪蒼眼の令嬢。

 レイシア=ブラックガード。その()の眼差しが、交差した。



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一〇六話:重なる祈り ②

 ──数十秒ほど、気絶していた。

 

 目を覚ました時にレイシア=ブラックガードの両人格が感じたのは、全身を走る激痛だった。

 当然だ。間に『亀裂』と『残骸物質』を挟んでいたとはいえ、ドッペルゲンガーの一撃をモロに食らっているのだから、むしろ死んでいない方が不自然である。

 とはいえ──

 

 

「…………」

 

 

 掌に視線を落とすレイシアにとって、それは()()()()()()()()だったのだが。

 

 

(……あの一撃は、どう考えても俺達が耐えきれるものじゃなかった)

 

 

 シレンは、思い返す。

 確かに、全力を尽くした防御だった。白黒の『亀裂』に『残骸物質』、全身に『音波の鎧』まで纏うという完全防御体勢だった。だが、それでもなおあの一撃はレイシアを完全に戦闘不能にするには十分だった。

 そもそもこうして辛うじてでも意識を保てているのが奇跡。四肢の一本でも失っていたって何一つおかしくなかったのだ。それが何とか土壇場で踏み止まれたのは……、

 

 

(……多分、当麻さん……? 理想の能力(アイデアル)幻想殺し(イマジンブレイカー)の干渉を受けたとかで、万全な力を発揮できなかったんだ)

 

 

 あまりにも都合の良すぎる、か細い糸のような幸運。

 しかし、レイシアが不意の一撃をもらった不幸を考えれば、不幸と幸運でとんとんと言えるかもしれない。

 ──プラス・マイナス・ゼロ。

 この帳尻合わせのような運命の悪戯には、シレンは今まで幾度となく覚えがあった。……が、今はそれについて考えているような時間はないだろう。

 

 

《ぐ……随分、手ひどくやられましたわね》

 

 

 内心で、レイシアが呟く。

 痛みが滲むような声色だが、その語調には相変わらず彼女らしい強気が宿っていた。掌に視線を落としていたシレンは、それを聞いて我に返る。

 

 

《……ああ。早く戦線に戻らないと。もう最大出力は厳しいけど、それでも俺達にだってやれることはあるはずだ》

 

 

 膝に手を当てて立ち上がると、ガクリと視線が落ちた。もはや膝にすらろくに力が入らなくなっていると気づいたのは、慌てて手を当てた膝がガクガクと震えていたからだ。

 

 

《……知ったことじゃないですわ》

 

 

 吐き捨てるようなレイシアの言葉を聞いて、シレンの心にも力が宿る。

 

 

《まだあのツンツン頭が戦っているのです。第三位と第五位を侍らせて!! シレン、こんなところでわたくし達が遅れをとるわけには行きませんのよ! 気張りなさい!!》

 

《えっ、俺が気張るの!?》

 

 

 無茶振り。しかし、驚愕しながらもシレンは笑みさえ浮かべていた。こういう彼女の無鉄砲さが、逆にシレンに力を分け与えてくれる。

 この我儘なお嬢様の為にひと肌脱いでやろうと、彼女のそんな力が湧いてくる。

 

 ぷるぷると震えながらも、レイシアは一歩踏み出す。

 そんな時だった。

 

 

「ぶ……ブラックガードさん!」

 

 

 継ぎ接ぎの肌。

 白黒の髪。

 白衣を身に纏う女学生──操歯涼子が、不安げな表情で駆け寄ってきたのは。

 

 

「だ、大丈夫かッ? 凄い怪我じゃないか……! ドッペルゲンガーとの戦いで負傷したのか!? 彼女は……!」

 

「……ええ、随分ヤンチャに育ったようですわね。キツイ一撃をもらってしまいました」

 

 

 肩を貸されながら、レイシアはそこでようやく力を抜く。

 戦場までは数百メートル──この距離ならば、戦闘終了までには何とか辿り着けるだろう。

 

 

「ですが、これも僥倖」

 

 

 レイシアはそう言い、

 

 

「──お陰で、アナタの『お願い』を果たせそうですわ」

 

 

 そう、不敵に笑った。

 

 

 


 

 

 

 大覇星祭、一日目。

 レイシア=ブラックガードと操歯涼子は、こんな会話を交わしていた。

 

 

『それに、そもそもこの時点まで事態が進行した時点で、直近での婚約破棄はありえませんわ。精々、次の身体検査(システムスキャン)──一〇月以降になるかしら。そこで超能力(レベル5)判定を得て、そのどさくさで婚約破棄を宣言することにしますわ』

 

『そ、そうか。ということは、今回私が何かする必要もなくなるわけか……。……ううむ』

 

 

 それは、その時点では些細な会話だった。

 

 

『操歯さん。何か、困ったことでもありますの? わたくしにできることなら協力しますわよ』

 

『い、いいのか? じ、実は……』

 

 

 シレンのお人好しが掘り起こし、

 

 

『……操歯。アナタはその「ドッペルゲンガー」に対して、「対処」と言いましたわね。それは「彼女」を…………消す、ということですか?』

 

『……、』

 

『もしそう考えているのであれば、その傲慢は今すぐに改めなさい。仮に作られたモノだったとしても、魂などない存在だったとしても、「ソレ」がアナタと同じようにモノを考える力がある時点で、それは尊重されるべき一つの「生命」ですわ』

 

 

 レイシアの矜持が切り拓き、

 

 

『……分かっている。起こしたことの責任は…………私が、とるさ』

 

 

 操歯が、自ら選んだ道。

 

 重なる魂が集うこの夜の終幕へと続く、一つの祈り。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

一〇六話:重なる祈り ② Square_Face.

 

 

 


 

 

 

「ドッペルゲンガーっ!!」

 

 

 その戦場で。

 操歯の声が、ただ一つだけ響いた。

 

 

「少し……少しだけでいい、待ってくれないか? 二か月だ。……二か月あれば、私の魂を消すことができる。このまま『インディアンポーカー』のブームが続けば、二か月後には魂を消す方法が生まれるはずなんだ……!」

 

「……は?」

 

 

 この操歯の提言に最も驚愕したのは、傍らに立つレイシアだった。

 

 種明かしをすると────

 

 レイシアが操歯に依頼されたのは、『ドッペルゲンガーとの対話』だった。

 操歯は、実はドッペルゲンガーが抱くであろう心の傷に、既に気付いていたのだ。もしも自分が突然機械の身体になったなら、何に苦しみ、何を願うのか──と。

 そしてそれを解消するには、己の肉体を犠牲にして、ドッペルゲンガーを救うしかないという結論に至ったのだ。ただし、レイシアにはそれを伏せてただ『ドッペルゲンガーと話をする為の場を整えてくれ』と頼んでいたわけだ。

 そしてその土壇場で、そう話を切り出した。

 

 実際、ドッペルゲンガーは機械の身体から菌糸の身体へとその『思考』を移動させている。

 その要領で魂の消えた肉体へ『思考』を移すことができれば、確かにドッペルゲンガーは念願の生身の肉体を手に入れることができるかもしれない。それは確かに、ドッペルゲンガーにとっては唯一と言ってもいい救いのはずだ。

 だが。

 

 

「論外だな」

 

 

 嘲笑うように、ドッペルゲンガーは言った。

 

 

「仮に二か月待ったとして、お前がその力を私に向けない保証がどこにある? ……いや、そもそもここまでの破壊をまき散らし、学園都市に牙を剥いた私が二か月も存在を維持し続けられるとでも? 木原数多に手綱を握られたこの状態で」

 

 

 その嘲笑は、またの名を『諦観』という。

 

 

「この期に及んで分かっていないようなら教えてやる。……私はな、最初から貴様の肉体になど興味はない。それは、ここまで私の計画を円滑に進める為のブラフだ。魂の拡散仮説も、私を積極的に破壊させないようにする為の欺瞞工作にすぎないんだよ」

 

「………………、」

 

「私はな、もう、死にたいんだ」

 

 

 はっきりと。

 斬り捨てるような重さで、断言した。

 

 操歯も、レイシアも、言葉を失うしかない。

 それほどまでに、彼女は絶望していた。

 死を願う彼女を救うことは、上条にも、美琴にも、食蜂にもできない。

 

 

『――だってシレンは、生きたいと思っているではありませんか。わたしと一緒にいることが嫌なんて、一度も言わなかったじゃないですか』

 

 

 あのときは、だからこそ救えた。

 

 シレン=ブラックガードは、一度だって死にたいとは口にしなかった。もう生きたくなんてないんだと、生きる事自体が苦痛だと、これからやってくる死は、その苦痛からの解放なんだと──そんなことを本心から打ち明けられたら、レイシアは本当に何も言えなかっただろう。

 ただ黙って、その背中を見送ることしかできなかったはずだ。

 

 

『ミサカたちは――もはや、実験に協力する意思を持ちません。自分たちの人生を生きたいと、思っています。わけのわからない実験によって、自分だけの現実(パーソナルリアリティ)を自壊させるような危険な集団にとらえられた妹を救いたいと思っています』

 

 

 あのときは、だからこそ救えた。

 

 妹達(シスターズ)が、自分から助けを求めてくれたから。自分は実験動物だと、どうせ人並みの生活を送ることなんてできないんだからと、自分達なんかにはもう構わないでくれと──そんなことを本心から打ち明けられたら、美琴も上条も本当に何も言えなかっただろう。

 ただ拳を握って、俯いていることしかできなかったはずだ。

 

 

 あのときは、そうはならなかった。

 だからこそ、手を取ることができた。

 

 

《シレンは、もしもわたくしが本当にどうしようもない、最低最悪の女だったら……どうしていましたか?》

 

 

 シレンの脳裏に、あの時の問がフラッシュバックする。

 

 シレンは、レイシアに手を差し伸べた。

 そしてレイシアは、差し伸べられた手を掴み取った。

 だからこそ、あの『再起』は成り立った。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 シレンは、差し伸べられた手を掴んだ。だからこそ、レイシアは掴んだ手を引き上げることができた。彼のことを救うことができた。

 

 

 ()()()

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 その極大の隔絶が、今ここにある。

 

 死にたいと思っている一人の『存在』を、その意志を無視して救うことは──果たして正しいことなのか。

 その先にある苦痛に目を向けず、ただただ道しるべのない荒野に彼女を放り出すのは、無責任を通り越してもはや罪ですらあるのではないか。

 デッドエンドは、本当にバッドエンドなのか?

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そして、そもそもの問題として。

 既に自分達が選択してきた行動が、傲慢ではないと、『罪』ではないと本当に言い切れるのか……?

 

 

 上条当麻は答えられない。

 

 御坂美琴は答えられない。

 

 食蜂操祈は答えられない。

 

 レイシア=ブラックガードは答えられない。

 

 

 何故なら、彼女達は『救った』側の人間だから。

 本当に死を望んでいる存在に対して、彼らがかけられる言葉なんてない。ただ、その苦しみを少しでも安らげる選択肢しか選べない。何故なら、それでもなお苦しみを広げるだけの選択肢なんて、ただの傲慢でしかないから。

 だから、この場に彼女に言葉をかけられる人間なんて、誰もいなかった。

 

 

「──カッコつけてるんじゃないですわよ、()()()()

 

 

 ただ、一人を除いては。

 

 

「…………なんだと?」

 

 

 ぴくり、と。

 ドッペルゲンガーが、顔を上げる。

 その視線の先には、金色の髪と真っ白な肌を煤に塗れさせ、ところどころから血を流している──一人の令嬢、レイシア=ブラックガード。

 いや。

 シレン=ブラックガード。

 常盤台のブレザーも、白黒の装束も、今はどこもかしこも破れてしまっている痛々しい有様だが──その()()()()()()()()()の瞳には、確かな意志の力が宿っていた。

 

 

「聞こえなかったなら、何度だって言って差し上げます。カッコつけてんじゃないですわよ、操歯涼子!!」

 

 

 他の誰がドッペルゲンガーの拒絶を乗り越えられなくても、シレンは違う。

 シレンは、救いを拒絶する者の心を知っている。

 その奥にそっとしまわれている、()()()()()を誰よりも知っている。

 

 その声なき叫びに、耳を傾けることができる!!

 

 

「…………貴様」

 

 

 滲む怒気にも、シレンは怯まない。

 むしろ、欠片の躊躇もなく踏み込んだ。おそらくは、彼女が抱える絶望の核心へと。

 

 

「ええ、そうですわよ。アナタは操歯涼子ですわ!! 実験前の記憶がない? そんなもの関係ありません!! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!!!」

 

 

 その言葉に一人の少年が人知れず息を呑んだことには気づかず、シレンは言う。

 

 あるいはそれこそが、ドッペルゲンガーと呼ばれるに至ってしまった少女の絶望の原点。

 『操歯涼子ではない』という事実に何よりも絶望していたからこそ──彼女は、そう呼ばれることに怒りを滲ませていたのかもしれない。

 

 

「……アナタの自意識では、『気付く』その日まで生身の人間のつもりだったはずですわ。いつの間にか自分の身体が機械に『変わってしまった』と思っていたはずですわ。…………そんな境遇の人間の願いが最初から『もう死にたい』になるわけがないでしょう」

 

 

 シレンは、知っている。

 そういう性質の絶望があることを、知っている。

 

 

「いろいろ考えて、いろいろ諦めたはずです。その為の理屈も、いっぱい見つけてきたはずです。そうして最後の最後に残った道が、『死ぬこと』だった。…………そうでしょう」

 

「貴様に、何が……!!」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 その言葉で、ドッペルゲンガーの言葉が止まる。

 インパクトがあったわけじゃない。

 ただ、その言葉には静かな重みがあった。上っ面の、理屈だけでは出せない説得力があった。

 

 

「わたくしも、恐れていました。希望が叶わないことを。本当の本当に何の手立てもなく、絶望というカードだけが手札に残ってしまうことを。だから見えている希望から目を逸らして、諦めて、半端なバッドエンドを綺麗な終わりだと、カッコつけていたのです」

 

「…………、」

 

 

 己の傷を曝け出すかのように。

 シレンは言う。自然と、ドッペルゲンガーは──いや、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は、その言葉に聞き入っていた。

 

 

「アナタの本当の望みは、そんな中途半端なバッドエンドなんかじゃ絶対にない! 賢しらぶって悟ったような顔をして、自分の本音から目を逸らしているんじゃありません!!!!」

 

「だったら……」

 

 

 そこで。

 無機質なはずの少女が、初めて表情を変えた。

 

 

「だったら!! どうしろというのだ!! この有機物の身体を得て分かった。材質など問題ではないと!! 私には……魂など存在していないのだ!! たとえコイツの肉の器を奪ったとして、私の本質は変わらない!!」

 

 

 操歯涼子になれなかった少女は、そう言って視線を落とす。

 そう。

 ドッペルゲンガーに、魂は存在しない。機械の器から移ったのはあくまで濃淡コンピュータ──流体を媒体とする演算パターンであって、魂ではない。

 だから、だから──。

 

 

「魂がないと、どうやって判断できるというのです?」

 

 

 だから、そんな前提など覆す。

 

 

「………………は?」

 

「あくまで能力開発は専門外だから気付きませんでしたか? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 それは、通常では獲得できるはずのない知識。

 『正史』の知識を持っているからこそ可能な反則行為(カンニング)──レイシア=ブラックガードの境遇では知っていることに説明のつかない秘奥だったが、彼女はその開陳を一ミリも躊躇ったりしなかった。

 そんなものは、今目の前にある『生命』を救うことに比べれば、考慮にすら値しない些末事でしかない。

 

 

「能力に関するあらゆる機能を機械化しても、どうしてもある一点だけは『生身』である必要がある。その脳の最小単位だけは、生命である必要があるんですのよ」

 

 

 そしてその生命部分に魂が宿らないと、どうやって判断できる?

 能力を操る『認識』を備えていて。

 現実をそれだけ精密に『観測』するだけの知性を備えていて。

 その最小単位が、人間の『魂』と違うと──いったいどんな根拠を以て断言できるというのだ?

 

 

「…………()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 うわ言のように、操歯が言う。

 それこそ、医療サイボーグ『ドッペルゲンガー』の頭脳を生み出すのに用いられた技術。もとはと言えばドッペルゲンガーが菌糸による『偽装憑依』を可能としたのも、自身の根幹に同系の科学が使われていたことが大きい。

 

 つまり。

 

 魂は、生まれていたのだ。

 機械の脳髄では感知できなかったが。科学と魔術に分断された世界に支配された思考では、辿り着けなかったが。

 確かに────そこには、救われるべき生命があった。救われる為の道筋が、あった。

 

 

「だ、だが……だが…………私は、この存在を維持する為の能力を木原数多に縛られていて、だから……」

 

「……残酷なことを言っていることは分かっています」

 

 

 当惑するようによろめく少女に、シレンは一歩踏み出して言う。

 

 

「よく、分かりますわ。()()を認めるのが、どれほど恐ろしいことなのか。本当の本当に()()を失ってしまったら。そう考えるだけで、体中を掻きむしりたくなるほど恐ろしいということも。でも」

 

「…………っ」

 

「手を伸ばせば、きっとアナタは救われる。そう断言できるだけの材料が、此処には揃っている。だから!!」

 

 

 その彼女の横を、通り過ぎる影があった。

 継ぎ接ぎの肌。

 白黒の髪。

 白衣を羽織った学生服を身に纏う少女──操歯涼子は、何者でもなくなってしまった少女の手を、確かにとった。

 

 

「頼む、()。助けを、求めてくれ。私にお前を、助けさせてくれ……!!」

 

 

 返答は、なかった。

 

 ただ、少女はその手を、確かに握った。

 

 

 


 

 

 

 その瞬間。

 どこかで、悪魔が笑みを浮かべた。

 

 

「さぁて、そろそろ時限爆弾が爆発する頃か?」

 

 

 かくして、広がり散らばった未来は収束する。

 

 伸びきったゴム紐が、元の形に戻るように。



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一〇七話:重なる祈り ③

 破局の足音は、その場にいた全員の耳に届いた。

 

 最初にそれに気付いたのは──ツンツン頭の少年、上条当麻。

 今まさに、二人の少女の魂が救われたことに感じ入っていた上条は、背筋を走る何かの怖気のような『悪い予感』に押し流されるように視線を上空へと向け──そして絶句した。

 

 

「な、んだ──!?」

 

 

 口が動くと同時に、足も動いていた。

 翳した右手が、ゴキン、という音と共に『何か』の直撃を受けて大きく後方へと弾かれる。

 

 

「……っ、がァァあああああああああああああああ!?!?」

 

 

 肩口を抑える上条だが──右腕は繋がっている。単純に肩の関節が外れただけらしかった。

 しかしそれでも彼の眼は死んでいない。睨みつけるような視線の先には────『力の塊』。

 先ほどまで菌糸による巨大な脳髄があったあたりの上空に……真っ黒い『何か』が巨大な塊を作り出していた。

 

 考えなくても分かる。アレは、ヤバイ奴だ。

 

 

「当麻さん!!」

 

 

 次の瞬間に反応したのは、レイシアだった。

 即座に超音波性念動能力(テレキネシス)で上条の肩をハメたレイシアはザンゾンサンバンガン!!!! と『亀裂』を無数に展開し、今まさに頭上で蠢いている『何か』に対する盾を形成する。

 

 ズッドォォオオオオン!!!! という爆音で、上条達がひっくり返ったのはその直後のことだった。

 

 

「……ちょっとぉ、御坂さぁん。もうちょっと静穏力高くやれないわけぇ?」

 

「仕方ないでしょ。あんなの、手加減できるような手合いじゃなさそうだし」

 

 

 迸る紫電。

 音の正体は、美琴が空気中の塵を砂鉄に巻き込んで纏めて、音速の五倍の速さで打ち出した音だった。

 それはあくまで美琴にとっては小手調べの一撃であったが──

 

 

「……でも、これで無傷ってことは物理攻撃じゃ破壊されない感じなのかしら?」

 

 

 頭上に浮かび上がる『力』は、未だに不気味に渦を巻きながら徐々に巨大化していった。

 

 

「…………木原数多だ」

 

 

 ドッペルゲンガーが、その様子を見て喘ぐように呟く。

 

 

理想の能力(アイデアル)が暴走しているのを感じる。あの男、私が思い通りに動かないことを察したのか──いや、最初からこうなることを予測して、理想の能力(アイデアル)が自爆するように時限式で設定していたんだ」

 

「え、えぇッ!? 大丈夫なのかい!?」

 

「…………この女……」

 

 

 あくまでも冷静に状況を分析するドッペルゲンガーに、あまりにも能天気な不安を表明する操歯。

 思わずドッペルゲンガーはイラッとするが、これは無理もないことだった。ドッペルゲンガーと操歯はもともと同じ精神性を持った存在だが、ドッペルゲンガーの場合は機械特有の高速演算によって、絶望の中で人間の数百倍、数千倍の思考を重ねてきた。言うなれば、今の彼女はただ操歯涼子と同じ精神性を持っているというだけでなく──『数百年もの間絶望の檻の中に閉じ込められた操歯涼子』とでもいうべき存在なのだ。

 当然、人間的な経験値も天と地ほども差がある。

 

 

()()()()。アナタの方でどうにか制御できないんですの!?」

 

「ドッペルゲンガーで良い。自虐に満ちた名前だからいずれ再考するが、今の状況ではそんなことより個体識別のしやすさが優先だろう」

 

 

 ドッペルゲンガーは何てことなさそうに言い、

 

 

「悪いが、アレに対する制御権は完全に奪われている。どうやら木原数多は最初からある程度データが収集できた時点で私のことを自爆させるつもりだったようだな」

 

「な、んて酷いことを……!!」

 

「酷くはない。もともとそういう契約だ」

 

 

 憤慨するレイシアにもドッペルゲンガーはどうということもなさそうに言う。

 確かに、ドッペルゲンガーも最初は死にたがっていたし、木原数多との契約もそういう前提で結ばれていた。その事実から考えると、木原数多はあくまでもドッペルゲンガーの望みを叶えてやったにすぎない──そう言えるかもしれない。

 もっとも、正史における木原数多の『活躍』を知るものであれば、契約を全うしたなどという殊勝な可能性よりも、一連の流れを読み切って踏み躙る為に事態をセッティングしたという『悪意』によるものと考えるのが自然な流れだが。

 

 

「………………無理だな」

 

 

 肩の力を抜くように、だった。

 ドッペルゲンガーは、おそらくは機械の頭脳ではじき出した高速演算の結果を、小さく呟いた。

 彼女の演算能力は、ここから自爆を未然に防ぐことなど不可能という試算を叩き出している。理想の能力(アイデアル)の暴走は少なくとも一学区に及び、美琴たちや上条、レイシアが命を投げ捨てて暴走を抑え込んだとしても、ドッペルゲンガーも操歯も逃げ切れるようなものではない。

 それに、彼女自身それを看過できるような精神性ではもはやなかった。

 

 

「最後まで聞いてくれ。……理想の能力(アイデアル)の暴走はもう止めることができない。おそらく被害を最小限に抑える方策は、私が此処に残りなんとか爆発を抑え込み、その間に収縮した破壊範囲からお前達が逃げることだ」

 

 

 ドッペルゲンガーは、眉一つ動かさずに言う。

 私が死に、お前たちは生きる。それこそがこの場で考えられる最善の未来なんだと。

 たった一つの機械さえ使い潰せば、全員が生還できるハッピーエンドが作り出せるのだと。

 

 

 確かに、この場において考えられる最善はそれなのかもしれない。

 機械の頭脳がはじき出した最も確実性の高い『安全で幸せな未来』は、そのたった一つに収束してしまうのかもしれない。

 

 そして。

 

 

「だが……だが、私は、死にたくない」

 

 

 それを理解した上で。

 

 もうこれしか最大多数が幸福になれる未来がないと分かった上で。

 きっと大量の人々を危険に晒してしまうと分かった上で。

 

 ドッペルゲンガーは、たった一つの身勝手(ささい)な望みを口にした。

 

 

「もう、諦めたくない。こんなことを言うのは間違っているのかもしれない。所詮微生物の群れがたまたま人間の思考ロジックを学習しただけの存在など、人間に比べれば価値のないものなのかもしれないけれど、それでも」

 

 

 ぐ、と。

 操歯が握りしめた手が、僅かに力を増す。

 その手は、少しだけ震えていた。

 

 

「頼む、みんな。私を……私を、助けてくれ」

 

 

「無論ですわ」

 

 

 ──抱きしめるように。

 レイシア=ブラックガードは言った。

 

 

 微生物? だからどうした。それが何か考慮の結果を変えるに値するのか?

 『救われるべき存在』の定義など、最初から崩壊していたではないか。

 

 自業自得の結果、自暴自棄になって自ら命を捨てた馬鹿な少女。

 

 当たり前の流れで死んで、そのことに納得していた馬鹿な青年。

 

 それだけじゃない。

 本来消えて当然の記憶を持つ少年も、一体十数万円で製造可能なクローンも、婚約者を社会的に殺そうとした悪人も、その誰もが万人に『救われるべき』と思われる魂の価値を持っているかといえば、そんなことはない。

 

 むしろ、そんなものは下らないと、世界の摂理に歯向かうようにしてに戦ってきたのが、これまでの彼女達の旅路。

 

 だから当然の流れとして、レイシアは言う。

 

 

 まるで、世界全体を敵に回すような不敵さで。

 

 ()()()()()()()()()()()に、力いっぱいの意思を込めて。

 

 

 

 

「そんな幻想を押し通すために、わたくし達は此処にいるのですから!!!!」

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

一〇七話:重なる祈り ③ Square_"Faith".

 

 

 


 

 

 

「大前提として。理想の能力(アイデアル)の暴走力を私達で抑えることはできないわぁ」

 

 

 太陽のコロナ放出のように散発的に噴き出る『力』の火花に対処する面々の後ろで、食蜂は言う。

 

 この中で、唯一過去に理想の能力(アイデアル)の暴走を食い止めた経験のある食蜂の口調は、あまりにも厳然としていた。

 確かに彼女はかつて理想の能力(アイデアル)の暴走を止めたことがある。だが、そこには理想の能力(アイデアル)の方向性をコントロールしていた核となる幽体連理(アストラルバディ)の協力があったことが大きい。

 今回の理想の能力(アイデアル)は幻生が作り出したAIMネットワークによって形成されており、幻想御手(レベルアッパー)を応用した脳波変換機によってネットワークの管理者権限をジャックした木原数多がそれを制御しているような状態。

 ネットワークと接続していたドッペルゲンガーも今は接続を切られており、菌糸の肉体だってこのままだとあと一〇分としないうちに維持できなくなるような危機的状況である。

 

 

「『なんでも願いを叶えることができる』……そんな莫大なエネルギーの暴走、此処にいる我々だけで抑えるのは物理的に不可能ですものね」

 

「ええ。でも、かといって私達の中にこの理想の能力(アイデアル)への参加者はいないわぁ。つまり、ネットワークの内側から誘導力を働かせて暴走を未然に防ぐっていう『前回』のやり方は使えない」

 

 

 物理的な破壊も不可能。

 内部からの干渉も不可能。

 

 確かに、ドッペルゲンガーの機械の頭脳をして匙を投げるのも納得の窮状だった。

 そこで、雷撃の槍でビル一つは消し飛ばせそうな一撃を相殺した美琴が、息を切らしながら言う。

 

 

「アンタの能力でっ、私達の誰かの脳波をコントロールしてみたらどうなのッ!? そうすればあの! 理想の能力(アイデアル)の中に入り込むことができると思うんだけど!?」

 

「それも考えたんだけどねぇ……。結局、中に入ってもAIMへの干渉力がない能力者じゃ意味がないのよぉ。今の御坂さんならミサカネットワークを使って大きな流れを操作できそうだけど、そもそも今の御坂さんの能力って妹達(シスターズ)との脳波同期ありきだから、幻生の脳波に合わせた時点で強化力が終了しちゃうしねぇ……」

 

 

 そして言うまでもなく、レイシアは心理掌握(メンタルアウト)の対象外である。

 シレンもまたAIM拡散力場を切断することのできる『亀裂』を生み出せるわけなのだし、もしも対象にできるならば望みはあったのだが……、

 

 

「ならさ、俺はどうだ?」

 

 

 そこで。

 ツンツン頭の少年が、口を開いた。

 

 

「俺の右手は、どういうわけかAIM拡散力場のネットワークには含まれないらしいけどさ。でも、流石に脳波を調整すればネットワークには組み込まれるだろ。……異能を殺す、この右手が」

 

 

 その言葉で、全員の表情が変わった。

 確かに、その手はある。幻想殺し(イマジンブレイカー)の異能を殺す能力がネットワークに加われば、当然ネットワークは自壊する。誘導のことなんか考えずとも、それだけでこの暴走状態が解消できるだろう。

 

 

「いけませんわ」

 

 

 しかし、それに対してレイシアが異議を唱える。

 

 レイシアは知っていた。上条の能力を取得しようとした恋査が実際に得たのは、幻想殺し(イマジンブレイカー)ではなかったことを。

 もっと何か得体のしれない力を呼び込んでしまっていたことを。

 もしも上条の脳波をコントロールしてAIMネットワークに組み込もうものなら──その得体のしれない『何か』がアレの中に加えられることは想像に難くない。それだけは絶対にやってはいけない未来だ。

 

 

 パチン、と、また未来が歪んでいく。

 

 

「皆様も先ほど当麻さんの右腕から『何か』が出てきたのを見たでしょう? 当麻さんの能力には未知数の部分がありすぎます。利用するのはリスキーかと」

 

「ならどうするのぉ? 現状、これ以外に方法なんて存在しないと思うんだけどぉ」

 

 

 確かに、その通りだ。

 ドッペルゲンガーが演算しているのだから、この盤面に揃っている駒だけでこの事態を乗り切るのは不可能だろう。

 そういう風に、既に結論が出てしまっている。

 ただしこの結論には、一つだけ欠落している視点が存在している。

 

 ()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という視点が。

 

 

 ネットワークの内部に加わっている者がいないから方向性を誘導することはできない?

 いるだろう、たった一人だけ。

 

 ネットワークの根幹に坐す、ある意味ではこれ以上ない人材が。

 

 

「────徒花さん」

 

 

 レイシアは、ゆっくりと呼びかける。

 返事が来るのに、数秒もかからなかった。

 

 

『ああ、ブラックガード嬢。事態は把握している。……問題ない。()()()は既に目覚めているよ』

 

『いやいやいや、眠り姫ではないんだけどね!?』

 

 

 通話に割り込んでくるのは、軽薄そうな青年の声。

 木原幻生が形成したAIMネットワークを母体とした、理想の能力(アイデアル)

 そこには、たった一人の欠かせない人物がいたはずだ。

 

 塗替斧令。

 

 そもそも、木原幻生は彼の肉体を乗っ取って活動していた。即ち、今形成されているAIMネットワークもまた、彼の脳波パターンを基盤としている。

 つまり彼もまた、AIMネットワークの管理者権限を保有しているというわけだ。

 

 なればこそ。

 

 塗替の力さえあれば、理想の能力(アイデアル)を止めることができるかもしれない。

 

 

『……で、それをやることで僕にメリットはあるのかな?』

 

 

 そこで。

 塗替はぴしゃりと言い切った。

 

 

『君は、僕のことを救ったつもりになっているんだろうが……生憎、僕からしてみれば今回のことは、最初から最後まで君に巻き込まれただけ。単なる災難さ。なんか身体中痛いし、正直に言ってこれ以上巻き込まれたくない。憎い君がそこで死ぬのなら、僕からすれば万々歳だ。その状況を覆してまで、僕が君に協力するメリットは何かな?』

 

『ここで貴様を殺、』

 

「徒花さん! ステイ、ステイ!」

 

 

 ノータイムで暴力を持ち出そうとしたショチトルを通話で抑えながら、レイシアは思案する。

 

 分かっていた。

 

 これは、儀式だ。婚約破棄を完遂し、完全に関係性として崩壊したレイシアと塗替。あの大覇星祭ではレイシアは直接彼のことを救い上げたが──救ったことによってこれまでの人間関係のマイナスが改善されるとは限らない。

 いや、きっとこれからもその印象値が改善することはないのだろう。たとえレイシアがどれだけ塗替のことを救おうと、塗替は生涯レイシアのことを憎み続ける。この男は、そういうどうしようもない──しょうもない男なのだから。

 それを、承知の上で。

 そんなしょうもない男にも、それでも救われてほしいと願うのならば。

 

 

「協力しなければ、アナタも普通に死にますわよ」

 

 

 居丈高になるのでもなく、卑屈になるのでもなく、ただ自然体で、立ち向かえばいい。

 あくまでも、敵同士として。

 

 

「アナタはそれを承知の上でこの機にわたくし達に恩を売り、今後の為に有利な状況を構築しようとしているのでしょうが……この規模です。当然物理的にもそちらに被害は及ぶでしょうし、それに自身が接続しているネットワークが暴走すれば、アナタにもどんな悪影響が及ぶか分かったものではないですわ」

 

『……ぐ……』

 

 

 塗替の言葉が、詰まる。

 『レイシアから要請されて協力する』のではなく、『自分が助かる為には戦うしかない』という状況に、話題が遷移していく。

 そこまでして初めて、塗替の()()が整った。

 

 

『……仕方がない。いやいやいや、結果的に君達の要請を呑む形になったのは業腹だけどね? だが、実際にこの問題を解決しなければ僕の命すらも危ういのであれば文句を言っていても仕方がない。……やるしかない、かあ』

 

 

 呟くような、塗替の声。

 それを聞きながら、レイシアは上空に蠢く力の塊を見上げ、静かに言った。

 

 

「…………ええ、お願いしますわ」

 

 

 


 

 

 

「……といっても、能力については素人である僕にぶっつけ本番でネットワークの制御をしろだなんて無理難題もいいところなんだけどね……」

 

 

 身体のあちこちがヒビ割れた状態で、塗替は溜息のように言葉を漏らす。

 隣にいるメイドの威圧感は相変わらずだが、ああいう風に『お願い』されてしまってはしょうがないだろう。

 実際のところ、塗替にもフラストレーションは溜まっていたのだ。

 思い通りに動かない小娘に出し抜かれて没落し。

 かと思えば得体のしれない科学者に利用されて殺されかけ。

 なんとか生き延びて収監されたと思ったら、今度はその科学者に憑依され肉体を乗っ取られた。

 無事に生還したのはいいもの身体中怪我だらけで痛いし苦しい。『外』の医療ではどう考えても後遺症が残る負傷ばかりで、塗替は踏んだり蹴ったりだった。

 

 

「ただ、生憎肉体を乗っ取られている間に『経験』だけは大量に積むことができたようだしね」

 

 

 だから、いい加減にもう良いだろう。

 

 確かに、自分は小悪党だ。この街の暗部とやらで蠢く化け物共に比べれば実力は大したことがないのだろうし、まともに立ち向かえば一瞬ですり潰されるのは目に見えている。きっと、価値にすれば、塗替の価値なんかそういった強者たちに比べれば吹けば飛ぶくらいに軽い。

 

 

「なら、使わせてもらうとするかぁ……この、クソったれな『遺産』を」

 

 

 でも。

 でも、今だけは。

 

 そんな小悪党が、化け物どもの鼻を明かす、最後のピースになったっていいだろう。

 

 

「うん。それが良い。それを僕の──この俺、塗替斧令の」

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 世界全体に宣戦布告するような不敵な笑みで、塗替斧令は言った。

 

 

「再起の物語の、序章にしてやる!!」

 

 

 

 ────そうして。

 

 重なる祈りが集う夜は、幕を下ろしたのだった。



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一〇八話:夜の果てに

 ──気が付くと、俺達の頭上で渦巻いていた漆黒の塊は跡形もなく消え失せていた。

 おそらくは、エネルギーを供給していた幻想御手(レベルアッパー)によるAIMネットワーク自体が塗替さんによって解除されたから、自然消滅したのだろう。

 ……理想の能力(アイデアル)は望む奇跡を起こせるらしいから、どうせなら消滅じゃなくて何かに使いたいなと思ったりもするけど……、……いやいやいや! そういうのは駄目だな! 消せるんなら消した方が良いよ! 奇跡なんかに頼っちゃだめだね、うん!

 

 

《……どうせ消えるなら、わたくし達の為に使うように塗替のことを誘導すればよかったですわね》

 

《………………、》

 

《……あの、シレン? ここはわたくしの我欲に塗れた発言にシレンがツッコミを入れるところではなくて?》

 

 

 あーいや、俺も同じようなこと考えてたからどうにも強く出づらくてね……。

 っていうか、レイシアちゃんの黒い発言って俺のツッコミ前提で言ってたんかい。

 

 

「あ、あの!」

 

 

 と、そこで操歯さんが不安そうに声を上げた。

 見ると、ドッペルゲンガーさんは少し疲れたように地面に片膝を突いていた。……まぁ、そうだろうね。現状のドッペルゲンガーさんは、理想の能力(アイデアル)によって急速に枯死していく粘菌を再生することで肉体を保っていたんだ。それが失われた以上、あとはもう緩やかに死んでいくだけになってしまう。

 魂があるといっても、それはあくまで本質の話。木原数多の呪縛は解いたけど、彼女はまだまだ全然救われていない。ドッペルゲンガーさんの救済は、これから始まるのだ。

 

 

「ど、どうしよう。このままじゃ、ドッペルゲンガーが……」

 

「その答えは、わたくし達に求めるものではありませんわ」

 

 

 ぴしゃり、と。

 俺は、心を鬼にして操歯さんのことを突き放した。

 

 彼女を救う方法は、正直俺なら何通りか思いつく。きっと、それこそ操歯さんでは絶対に思いつかない方法だってとることができるだろう。

 でも、それでは駄目なのだ。

 

 

「で……でも。まさかこんなに早くなんて……! せめて、症状を軽減させる方法はッ?」

 

「…………」

 

「た、頼むよ……! 私は、私には……何かを犠牲にするような方法しか選べない。母を救う為にサイボーグ技術を生み出したときも、魂を消す方策を探す為にインディアンポーカーをばら撒いたときも、いや、そもそも魂を消すという方策に辿り着いたのもそうだ。私は、根本的に……何かを犠牲にしてしか、物事を成し遂げることができない人間なんだ。でも、君達なら、きっと、もっと……」

 

「ふざけてんじゃねえぞ、操歯涼子!!」

 

 

 この期に及んで怖気づいたみたいに縮こまる操歯さんに、上条さんが牙を剥く。

 

 

「お前が、言ったんだろ? ドッペルゲンガーを()()()救わせてくれって。なら、此処は俺達の出る幕じゃない。この夜を飾る最後のヒーローは、絶対にお前でなきゃいけないんだよ、操歯涼子ッ!!」

 

 

 困惑に揺れる操歯さんを後押しするような上条さんの言葉に、操歯さんの目が見開かれる。

 あの時自分が言った言葉を思い返しているのだろう。

 ……操歯さんにとって、今言った言葉はずっと心の中に残っている呪いのようなものなんだと思う。何かを犠牲にしてしまうことが。最高のハッピーエンドに、犠牲という翳りを残してしまうことが。操歯さんには恐ろしく感じるのだろう。

 なまじここには当麻さんや美琴さんといった超ド級のヒーローが揃っているから、余計に『自分が下手に手を出すより、他の人員に任せてしまった方がいいんじゃないか?』という弱気が出てきてしまうのだろう。

 

 ()()()()()()()()()()()

 

 自分なんかが出張らなくても。

 それで綺麗に収まってくれるなら、それがきっと最善の未来なんだって。そんな考えに囚われていたことがあった。

 

 でも、それは違うんだ。

 

 たとえ失点があっても、何かしらの犠牲があったとしても、()()()()()()()()()()()()()()最高のハッピーエンドの絶対条件であることから目を背けるな。

 何の力もない臆病者のくせに、ドッペルゲンガーのことを自分の手で救いたいとあの状況で啖呵を切った操歯涼子。アナタ自身が提示した未来だからこそ救われる存在がいるということに、きちんと向き合え。

 『最善』なんて綺麗な言葉を盾にして、困難と向き合うことから逃げるようなチキン野郎には、絶対にハッピーエンドなんて訪れないんだから!!

 

 

「操歯さん」

 

 

 だから、俺は簡単に告げる。

 作戦なんかじゃない。知恵ですらない。ただ一言、彼女の心のエンジンを点火する為の言葉を。

 

 

「大丈夫。本来のアナタなら無理だったかもしれない。でも、この夜を経たアナタにならきっと──答えは見つかるはずですわ」

 

 

 アドバイスにもならないその一言。

 混乱を極めた操歯さんは──膝を突いたドッペルゲンガーさんのことを、力いっぱい抱きしめた。

 

 

「……オマエ、何をして……、」

 

「わ、私にだって分からないよぉッ! 一番簡単なのはきっとお前を機械の身体に戻すことだ。でも、そんなことできるわけがない! 私に分かるのは……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!! そうやって、いろんな悲劇を打ち壊したってことだけだ!! だから……だから……」

 

 

 ぎゅっと目を瞑って、自分の中の熱をドッペルゲンガーさんに伝えるようにして、操歯さんは言う。

 

 

「だから、私にはこれしか思いつかない。菌糸生命体としてのドッペルゲンガーをこの身に宿して、多重人格者(ダブルフェイス)として共に生きていくことしか!」

 

 

 それから、操歯さんはゆっくりと目を開けた。

 許しを得るようにして、おそるおそるドッペルゲンガーさんの表情を伺う。

 

 

「駄目……だろうか。こんな私と一緒に生きるのは……」

 

「……フン。結局は、私の苦痛を和らげる器を恒久的に用意できないから、急場として一番身近で使いやすい器を用意したというわけだな。見方を変えれば、それはお前自身を犠牲にしているともいえるが……その自覚はあるのか?」

 

 

 蔑む様に。

 あくまで冷たく言い放つドッペルゲンガーさんだったが、今度は操歯さんの瞳は揺らがなかった。眉は相変わらず頼りなさげな八の字を描いているが、それでもその瞳には、確かな意思の光が宿っていた。

 

 

「いいや。私はお前と共に生きることを、『犠牲』なんかとは思わない」

 

「…………、」

 

 

 氷が解けるように。

 何かのわだかまりのようなものが解けるような優しさで、ドッペルゲンガーさんはゆっくりと、操歯さんの背中に手を回した。

 

 

「……ありがとう、操歯涼子」

 

「……なんだよ、今更水臭いじゃないか。()()()

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

一〇八話:夜の果てに Daybreak_Proof.

 

 

 


 

 

 

「あ、あ、あぁぁあああぁぁあぁああァァああああああああッッ!?!?」

 

 

 悲鳴があった。

 振り返るとそこには……キノコみたいな髪型をした、痩せぎすの中年男? あ、この人はあれか。操歯さんがもともと所属していた研究所の所長さんだ。

 所長さんは……ああ、そういえば数多さんが生身で飛行船を撃墜してたね。アレ、多分大切なものだったんだろうし……そりゃあこうもなるか……。

 

 ドッペルゲンガーさんの件は悲劇だったと思うけど、正直所長さんのことは悪いとは思わないんだよねぇ。

 だって、色々な想像力を巡らせなければ、ドッペルゲンガーさんはただの機械なわけだし。ただの機械を使って色々実験しようが、それは別に普通のことだしねぇ。

 これが人体実験とかだったらまずかっただろうけど、操歯さんは自分で志願しているわけだし。

 

 

「いやいやいやいや。まぁまぁ、落ち着きましょう所長さん。諸々の事情はわたくしが説明いたしますから……、」

 

「うぅううう、うるさいうるさいうるさいッ!!」

 

 

 ガチャリ、と。

 朗らかに歩み寄ったところ、眉間に拳銃を突き付けられてしまった。

 

 

《……シレン。このバカ。追い詰められた人間の見分けくらい、つけなさいな》

 

《レイシアちゃんだって何も言わなかったくせに……》

 

 

 『わたくしはシレンが見抜けるように経験を蓄積させてあげただけですわよ』なんて言いながら、拳銃を突き付けられた俺はとりあえずそのまま所長さんに背を向け、後頭部に銃を突き付けられた状態となる。

 ついでにもう片腕を首元に回された。息がちょっとだけ苦しい。

 

 

「これはッ、どういうことだッ!? どうして飛行船が破壊されている!? ドッペルゲンガーが機能を停止している!? お前たちがやったのかッ?」

 

 

 え……と思って視線を向けてみると、既にドッペルゲンガーさんは菌糸の束となって操歯さんの中に入り込んでいた。残るは、バラバラになった飛行船の残骸と中身が抜けて崩れ落ちているドッペルゲンガーさんの抜け殻。

 あれ、特に気にしてなかったけど抜けるときにドッペルゲンガーさんは内部機構とかちゃんと破壊してたんだろうなあ。もうあそこに戻る気はなかったとしても、少しでも戻る確率は減らしたいだろうからね。

 

 

「あー、えーと……」

 

「君は黙っていてくれッ!」

 

 

 説明しようとしたところ、所長さんに怒鳴られてしまった。

 う、う~~~~ん……。今回は本当に所長さんは不幸な被害者だから、なんかこう、加害者の悪者みたいなムーブをさせたくないんだけど……。

 

 

《レイシアちゃん、どう思う?》

 

《まぁ、被害者はわたくし達だけですし、拳銃を突き付けられたこととかは揉み消してあげればよいのではなくて? 罪の揉み消しは悪役令嬢の特権ですわ》

 

《確かに》

 

 

 で、鎮圧も含めてやるのは簡単だ。

 簡単なんだけど……。所長さんは、ドッペルゲンガーさんの魂の件とか、機械の肉体に伴う苦しみとか、そういう実験の人道的な問題とか全然分かってないんだよね。

 そのへんを説明してあげないといけないからなあ……。

 

 

「……所長。ドッペルゲンガーは……自ら機能を停止しました」

 

「はッ? ど、どうやって!?」

 

「……ドッペルゲンガーの思考の核。繊毛コンピュータから離脱し、機体の外へと旅立ったんです。……もう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「そ、そんな……」

 

 

 あ、上手い。

 ドッペルゲンガーさんには自殺防止用機能も備わっていたらしいけど、そういうのの外側にあるやり方で抜け出してしまったと分かれば、所長さんも今回の実験の根本的な不備に気付くだろう。

 どうやら所長さんはドッペルゲンガーそのものに対して研究価値を見出していたようだけど、これなら所長さんも諦めてくれるはず。

 

 

「な……なら! 今度は繊毛コンピュータを形作る微生物そのものを品種改良しよう! 機体の外では生きられないような条件付けや、そもそも抜け出したがらない生態に調整するんだ! そうすれば……!」

 

 

 ……と思ったんだけど、所長さんはそれでも諦められないようだった。

 

 

《……所長さん、諦め悪いね……》

 

《そりゃあ、当然ですわ。おそらく所長はドッペルゲンガーの研究によって『魂を生み出す技術』を作り出したいのです。もしも魂が作れるなら、医療において革命が起きますからね。……実際、ドッペルゲンガーという魂が生まれているわけですし》

 

 

 実際には、本当にそれがゼロから生み出されたものかは分からないけどね。

 分割した操歯さんの魂がちょっとずつ繊毛コンピュータに移って、それがドッペルゲンガーさんの魂として育っただけかもしれないし。

 そういう意味では、魂の生成という技術は成立しているかどうかも危ういものだ。だからこそ、継続して研究する意義は確かにあるんだろうけど……。でも。

 

 

「……私は、これ以上実験に関われません。ドッペルゲンガーは、機械としての己の認知に苦しんでいた。たとえどれだけ医療の発展に寄与するとしても、誰かの苦痛を明確な前提にした研究をこれ以上するわけには……いかない」

 

「そ、そんな……! この成果を諦めるには、とても……!」

 

 

 もう、頃合いかな。

 これ以上放置してると、本格的に所長さんは道を踏み外しちゃいそうだし。

 

 拳銃は……危ないけど、『亀裂』で破壊しちゃうと暴発で所長さんが傷ついちゃうから、俺達の周りに超音波の鎧を展開するだけにして、と……。

 

 

「所長さん、もうやめましょう。実験が不発に終わったことの赤字補填ならブラックガード財閥が協力します。だから……、」

 

 

 タァン!! と。

 

 拘束を無視してぐい、と腕を動かしたちょうどその時だった。急に腕を動かされたためだろう、力み過ぎた所長さんが、勢い余って引き金を引いてしまったのは。

 とはいえ、俺達は問題なかった。事前に展開していた超音波の鎧はあっさりと拳銃弾を弾いてしまい──弾いてしまったがゆえに、その危機は別の誰かに及んだ。

 そう。

 今まさに合一を果たした、操歯さんの脇腹へと。

 

 

 ……()()()()()()()()()()

 

 

 時が、止まった。

 

 広がり散らばった未来が、一つの形へとまとまっていく感覚がある。

 めちゃくちゃに散りばめられた駒を元の場所へと戻すように、未来が強引に捻じ曲がっていく。それまでのハッピーエンドも何もひっくり返して、善悪を無視して『あるべき形』へと世界が戻っていく。

 

 

 …………。

 

 …………()()()()()()

 ()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()

 

 

 すい、と時の止まった世界の中で、俺は右手を動かした。

 指先から、エメラルドグリーンに輝く『亀裂』が空間を走っていく。ピシピシと稲妻のような速さで銃弾に到達したエメラルドグリーンの『亀裂』は、すう──とそのまま銃弾の中へと溶け込んでいった。

 

 これで、よし。

 

 

 ────そう、考えた瞬間だった。

 

 

「──()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 操歯さんの口から、明らかに操歯さんではない口調で言葉が紡がれる。

 銃弾が命中したかと思われた操歯さんの脇腹。見るとそこでは、真っ白い菌糸が蔓延って銃弾を受け止めていた。

 

 

「あ、え、あ……? く、操歯くん…………?」

 

「……第五位。頼めるか?」

 

「はぁ……。……仕方ないわねぇ。この人もこの人でなんだか道を踏み外しちゃいそうな瀬戸際力を感じるしぃ……」

 

 

 茫然としている所長さんに向けて、食蜂さんは静かにリモコンを向け、

 

 

「初心を取り戻すところまでは手伝ってあげるわぁ。あとはまあ……そこのお人好しでも頼れば良いんじゃなぁい?」

 

 

 …………いやまぁ、お手伝いすることはやぶさかでもないんだけどね。

 

 

 ──ん? ちょっと待て。

 今俺、なんだかすごいことをしていたような…………???

 

 

 


 

 

 

『ばっ、ぐは! げほ!!』

 

 

 同時刻、だった。

 第一〇学区の廃墟の中で、一人の老人が『結実』していた。

 

 ──木原幻生。

 上条当麻の右手によって憑依を強制的に解除させられたはずの老人だった。

 本来であれば、憑依が解除させられた時点でその肉体は窓のないビル内部にて幽閉されている肉体のもとへと戻ってくるはずだったのだが……、

 

 

『全く、塗替君が理想の能力(アイデアル)の取り回し経験に乏しくて助かったねー。アレを「奇跡」として消費されていたら、こうして僕が宿る為のエネルギーもなかったところだったよー』

 

 

 理想の能力(アイデアル)を形作っていたAIM拡散力場。

 それは塗替がネットワークを解除した段階で自然と散り散りになるはずだった──が、それは即ちあらゆるコントロールを失ったということでもある。

 濃淡コンピュータを扱う技術があるならば、そのコントロールを失った流体にとりつくことで己のものにすることだって当然可能というわけだ。

 

 

『とはいえ、取り込めたのはほんの少し。これでは安定活動は難しいねー。しばらくは虚数学区の奥にでも潜んで態勢を整えるとするかなー』

 

「いいや、それは叶わない展望だよ、木原幻生」

 

 

 ひっそりと。

 背後からかけられた一言に、あくまでも朗らかだった幻生の顔色が凍り付く。

 振り返るまでもなかった。その言葉を耳にするだけで、その声の主が誰か、幻生には鮮明に理解できていた。

 

 彼の後ろに佇んでいたのは──

 

 長い銀髪を床につくほどまでに延ばした。

 エメラルドグリーンの瞳をゆったりと細めている。

 男にも女にも、大人にも子供にも、聖人にも囚人にも見える、『人間』。

 

 

『アレイスター、クロウリー…………ッ!?!?!?』

 

「そんなに驚くようなことかね? 此処は学園都市で、私はこの街の王だぞ?」

 

 

 弾かれるように振り返った幻生の視線の先では、窓のないビルの最奥にて鎮座しているはずのアレイスター=クロウリーが音もなく立っていた。

 その表情からは、あらゆる感情が読み取れない。

 喜んでいるようにも、怒っているようにも、哀しんでいるようにも、楽しんでいるようにも見えるその眼差しは──静かに幻生のことを射抜いていた。

 

 

「ああ、それともこの局面で木原脳幹を出さずに私自身が出向いたことへの疑問か? なあに、アレにも任せられる領域と任せられない領域というものがある。さすがに今回は、()()()()()にも関わってくるからな。調整も含め、私自身が手を下す必要があったというわけだ」

 

『な、にを……ッ!?』

 

「端的に言えば、君は『やりすぎた』と言っている」

 

 

 ゾバンッッッ!!!! と。

 木原幻生の右腕と胸半分辺りが、一瞬にしてごっそりと削り取られた。

 気付けば、アレイスターの手には銀色の杖が握られている。まるで手品のように虚空から滲み出るように現れたその杖には、核ミサイルなど可愛く見えるくらいの威圧感が備わっていた。

 

 

「致命的だったのは、上条当麻の右腕を飛ばしたところかな。ああいや、アレの右腕が処理限界を迎えることまでは織り込み済みだ。だが、それに伴って()()が選んだ選択がまた厄介でね。お陰で計画が狂った」

 

『は、はっ』

 

 

 今まさに自分の一部を抉られて。

 おそらく次の瞬間には存在そのものを残らず消し飛ばされかねないこの状況で、木原幻生は笑った。

 正確には、アレイスターが口にした『計画の狂い』という言葉で、『木原』の本分である悪意に基づいて行動する余裕を取り戻した。

 

 

『そうか、そうかねッ! 計画が狂ったかねッ! それは重畳、ならばその計画の綻びはどんどん広まっていくだろう! 臨神契約(ニアデスプロミス)はもう動き始めている!! 君の計画はもはや修正不可能となっていくだろう!!』

 

 

 

 

「で、それがどうかしたか?」

 

 

 

 

 ──言葉が。

 朗々と紡がれていた木原幻生の悪意が、その一言で以て停止する。

 他者の足を引っ張ることしかできないチンケな『邪悪』が、その出力を遥かに上回る『人間』の『邪悪』によって塗り潰されていく。

 

 

臨神契約(ニアデスプロミス)には綻びが生まれた。それはそうだろう。だからどうした? たとえ計画(プラン)が失敗しようと、その失敗から次を生み出せばいい。たとえば、重なる魂(ダブルフェイス)。この夜は様々なケースが見られた。アレを応用しない手もあるまい」

 

『な、にを……!?』

 

「おや、ひょっとしてこの私がたった一度の失敗程度で絶望するとでも思っていたのかね? ……ああ、そういえば君は絶対能力進化(レベル6シフト)計画の失敗()()で絶望してこうなったんだったか……」

 

『…………』

 

 

 それは。

 木原幻生にとっては、致命的な一言だった。

 

 一方通行(アクセラレータ)を用いた絶対能力進化(レベル6シフト)計画。

 それは木原幻生にとっては悲願ともいえる、安定した絶対能力者(レベル6)を生み出す唯一の実験だった。

 にも拘らず、その試みは失敗した。失敗しただけならばよかったが──それこそが、アレイスター=クロウリーの推し進める『計画(プラン)』の一部だと知ったとき、幻生は激怒した。

 己の理想、夢を足蹴にしてこの街のどこかでほくそ笑んでいる統括理事長、アレイスター=クロウリーを許さない。その大切なものを摘み取り己が計画の礎とすること。それが、木原幻生の行動原理だった。

 

 だけど。

 なのに。

 

 実際に彼が動かしていた計画を台無しにしてやったというのに、木原幻生の願いは成就したというのに。

 アレイスター=クロウリーは揺るがない。

 鳴り物入りの計画が失敗したとしても、決して俯かない。次の瞬間には前を見据え、己の祈り(プラン)の為に突き進んでいく。

 

 他者の足を引っ張ることしかできない煤けた老人とは、対照的に。

 

 

『ふッ、ふざけッ』

 

 

 ボパパパパパッ!!!! と。

 

 幻生が激高しようとした瞬間、彼の周囲で幾つもの光と煙の爆裂が迸った。

 起爆地点から光の文様が水面に垂らした油のように薄く広がり、そして幻生とアレイスターがいるその空間を区切った。

 

 

「驚かせてしまったならすまないね。なあに、これ自体に殺傷力はない。近代魔術で儀式場を作るのによく使う()()のようなものだ。これは差し詰め、励起手榴弾(インセンスグレネード)といったところかな。単に人工の霊場を作るためのものだよ」

 

『…………何を、言っている』

 

「はっきり言わないと分からないかね? 生き汚い君が逃げ出さないように、逃げ場を塞いだと言っている」

 

『貴ッッ様ァあああ!! 言わせておけばこのクソガキがァァァあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!』

 

 

 瞬間、木原幻生の肉体が爆発的に膨れ上がる。

 AIMによって形作られた肉体が破損を一瞬にして修復し、ドラゴンの形となってアレイスターの首を食いちぎらんとのたうち回る。

 対して、アレイスターはひゅんと手を振るだけだった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「ブル・ロアラー。振り回すことで音を鳴らす楽器だが……当然、調整すれば超音波を放つこともできる。そう、AIM拡散力場を散らすAIMキャンセラーのような超音波をな」

 

『が、ばぐわッ!?』

 

 

 たったそれだけであっさりと存在の根幹を揺さぶられた幻生は、老人の姿に戻って無様に這いつくばる。

 それを無感動に見下ろし、アレイスターは言う。

 

 

「私はこの科学の街の王だぞ? 科学において君が私に勝てるとでも思っていたのかね?」

 

『ふざ、けるな……』

 

 

 対して、木原幻生の回答は。

 

 

『木原でもない雑魚科学者がァァああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!』

 

「断末魔としては〇点だな。やはり浪漫が分かるのはあの犬だけと見える」

 

 

 木製楽器はいつの間にか先ほどと同じ銀色の杖へと戻り。

 そしてそのひと振りで、この世にいつまでもしがみつき続けるみじめな老人の亡霊は、粉々に吹き消された。

 

 ──全てが終わった後で、人工の霊場が解除される。

 

 全ての後始末を終えた巨悪は、まるで最初からそこにはいなかったように消え去った。

 いや、実際にそこにはいたし、同時にそうではなかったともいえる。魔術を極めた彼にとって、その存在は数字では表せないものとなっていた。〇と一では表現しきれない領域にその座を置いている『人間』にとって、窓のないビルの最奥にいながら此処に存在するのは造作もないことなのだった。

 

 窓のないビルの最奥で逆さ吊りの『人間』は呟く。

 きわめて人間臭い感情を隠そうともせずに。

 

 

「……さて、困ったな。生命維持装置を出て魔術を使ったことで、魔術世界に私の生存が知れ渡ってしまったぞ」

 

 

 ──そうして、この街の王はまた一歩進んでいく。

 地味にシャレにならない失敗を積み重ねながら。



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  終 章 世界全てを敵に回すような Are_You_Ready?
一〇九話:ヒロインは女王


 ──様々な願いが交差する夜が終わった、その翌日。

 九月三〇日。

 

 俺は、一人の少女と向かい合っていた。

 

 

「私を止める権限力は、アナタにはない。そのことは分かっているわよねぇ?」

 

 

 勝ち誇るような笑みを浮かべる彼女に、俺は何も言えなかった。

 その少女は。

 常盤台の女王の座に君臨している彼女は、次にこう切り出したのだ。

 

 

「『取り立て』の時間よぉ。上条さんとのデート、セッティングしてもらうからねぇ☆」

 

 

 …………。

 ……まぁ、そんな話をしていたりもしたしね。

 

 いやいやいやいや。

 

 うん、そのくらいならやるのは吝かでも、ね。

 

 ………………。

 ……………………。

 

 ほんとにやるのぉ……?

 

 

 


 

 

 

 確かにあの夜、食蜂さんは垣根さんの為に幻生さんの技術情報を抜き取るのと引き換えに、当麻さんを好きにする約束を交わしている。

 とはいえ、当麻さんは根本的に食蜂さんのことを覚えていることはできない。その事情を知っているのは(大覇星祭のときに彼女の救出に関与した)俺達くらいなので、当麻さんに食蜂さんとの『約束』を果たさせるには、必然俺達が動かなくちゃいけないわけなのだが……。

 

 

「……ねぇちょっとぉ。あまりにも渋々力が高すぎないかしらぁ?」

 

「そ、そんなことはありませんわよ。おほほほ」

 

 

 ……いやまぁ、ね。

 俺が嫌というよりは……レイシアちゃんがどんな反応をするか怖いところがあってね。今日もさっきからずっとレイシアちゃんはこの件についてノーコメントを貫いているし。こんな露骨な『食蜂さんの為のイベント』に協力させられるなんて、ヒロインレースガチ勢のレイシアちゃんからしたら業腹もいいところだろうしね……。

 

 ともあれ、食蜂さんの事情は俺達も分かっている。食蜂さんが望むというのなら、それを実現させることに異議がないのは本心だ。

 で、実際にどうするかという問題だが……、今日は九月末日、明日から衣替えということもあって学園都市全体が午前授業だから、午後からの当麻さんの予定を抑えることはそう難しくないと思うが……、

 

 ……あ、そういえば今日は美琴さんが大覇星祭で当麻さんを罰ゲームと称して連れまわす日だったような!? ……と思ったけど、アレはぶっつけ本番で宣言したヤツだっけ。なら先に予約とっとけばいいか……。それに美琴さんに連れ回させるのも食蜂さんに連れ回させるのも一緒だしな……。

 

 

「あ、もしもし。レイシアです。当麻さん、今大丈夫ですか?」

 

「え、えぇっ!?」

 

 

 というわけで電話をかけてみると、食蜂さんが目を丸くしていた。

 ……何をそんなに驚くことがあるのだろうか……?

 

 

「(で、電話番号を交換してるの……? な、なんて手の早い……)」

 

 

 ともあれ、まずは当麻さんの予定を抑えなくては。

 まだ時間的には家にいると思うんだけどなー。

 

 

『おう、どうした? なんかあった?』

 

「いえその……。ちょっと今日、放課後にお付き合いいただけないかなと、」

 

『「テメーっ!! 何を月末に女の子からお誘いを受けてるんだぜいこのリア充がっっっ!!」「ぐあーっ!? やめろ馬鹿!? レイシアはただの後輩だっつの!!」』

 

「……一応名目上は婚約者ですのよ、当麻さん……」

 

 

 ……どうやら、電話先には土御門さんもいたらしい。そういえば土御門さんは当麻さんの隣人だったっけ。ということは、意外と一緒に登校することも多いのかもな。

 

 

『ぜーはー……、で、放課後? 別にいいけど、何か用事でも?』

 

「他意はありませんわ。最近色々と一緒に事件解決することも多かったので、お疲れ様会でもと思ったまでですわ。インデックスも連れてきてよろしくてよ」

 

『いいのか!? アイツ凄い食うと思うけど……』

 

「あのですねえ当麻さん。わたくしだってインデックスの一件の関係者なんですのよ? 本人が当麻さんと一緒にいたいと思っているからそれを尊重しているだけで……。本来なら、インデックスの分の食費をわたくしが負担したっていいくらいなのですわ」

 

『いや、それは流石に……。後輩の中学生に生活費を補助されるほど上条さんは落ちぶれておらん!!』

 

「ならせめて、たまにご飯くらい奢らせてくださいな。……一応は婚約者、なのですから」

 

『う……、……まぁ、そういうことならお言葉に甘えさせていただきますよ上条さんは。いいか、あとでインデックスの食いっぷりを見た後で前言撤回しても俺は一緒に皿洗いくらいしかできないからな?』

 

「望むところですわ。では、学校が終わった後に地下街の入り口で待ち合わせでよろしくて?」

 

『分かった。じゃ、またあとで』

 

 

 ピッ、と話がまとまったので通話を切った俺は、そこで食蜂さんの方を見遣る。

 食蜂さんは胡乱げな視線で俺達の方を見て、

 

 

「……あの、なんだか流れるように『家族ぐるみ』の予定力が構築されたような気がするんですけどぉ?」

 

「そういう方便ですわよ。アナタを一緒に連れて当麻さんに紹介して、わたくしはインデックスを引き取ってアナタを二人きりにするよう立ち回る。ご要望には沿えていますでしょう?」

 

 

 それに、たまにはインデックスにご飯を食べさせてあげたいっていうのも紛れもなく本心だしね。俺だってインデックスの件の当事者なんだから。

 …………というのはもちろん建前で、実際にはインデックスを巻き込んで当麻さんと食蜂さんの動きを監視するつもりだ。いやいやいや、確かに食蜂さんの境遇には同情してるし、彼女を取り巻くあれそれの『ハンデ』は如何ともしがたいと思っている俺ではあるけど、完全にフリーハンドで食蜂さんに好き勝手やらせるのは流石に、ね?

 レイシアちゃんの反応が怖いというか。だからせめて、外から監視してあまりに食蜂さんが暴走するようだったら止めに入ろうというわけなのだ。食蜂さんも俺達がそういう動きをしていると分かれば、あまりやりすぎたりはしないはずだしね。

 

 

「……そ。分かったわぁ。じゃあ、本番では上条さんに紹介よろしくねぇ」

 

「ええ、お任せくださいまし」

 

 

 俺がそう言って頷くと、食蜂さんは話はおしまいとばかりにさっさと歩いて行ってしまう。

 基本的に食蜂さんって派閥の外の人とは馴れ合いませんよって感じのスタンスだよねぇ。美琴さんなんかは特に顕著だけど。

 

 

「……………………ありがと」

 

 

 そんな彼女だからこそ、こういう『素直じゃない』感謝は黙って受け取っておくんだけども。

 

 

 


 

 

 

 ふんふんふん。

 

 まぁ、良い傾向なのではないかしら。

 

 ()調()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 レイシアちゃんの反応が怖いから。

 レイシアちゃんのことを考えると。

 

 実際には、わたくしはな~んにも言っていません。

 にも拘らず、シレンは勝手にわたくしの言葉や行動を予測して、それを理由に行動している。その根底には、自分の心の動きがあることにも気づかずに。

 

 こういった行動の正当化はある面では他者を理由に自分の欲望から目を逸らすあまり良くない傾向として捉えられたりもするでしょう。しかしこの自分度外視の博愛主義自己犠牲脳内お花畑童貞に限っては例外ですわ。

 そもそも普段から自分の欲望を表に出すことが少ないですし。これは、シレンが自分の欲望に素直に生きる為の補助輪になりえますわ。

 

 だいたい、シレンはまだまだ自分の欲望を表に出すことに罪悪感を抱いている節がありましてよ。

 あれだけ散々色々あってもこの有様なのだから、これはもう多分()()自身の性分なのでしょうけれど……それでは、超能力者(レベル5)だの魔神だのといった自意識バケモノ連中と戦って当麻の隣を勝ち取ることなどできません。

 わたくしも色々と反省しましたので、シレンがそういう素振りを見せないなら無理にそういう勝手はしないようにと心に決めておりましたけど……、

 

 たとえわたくしを言い訳に使ったとしても。

 

 実際にそういう動きをすると決意したのなら、わたくしも思う存分手助けしてあげますわよ。

 

 『本来のヒロイン』がなんですか。

 たった一つの歴史で影も形もなかったからといって、挑戦権まで失われるなんて馬鹿な話はありませんわ。

 

 

 シレン、準備はよろしくて?

 

 

 

 さあ、世界を敵に回した戦いを始めましょうか。

 

 

 


 

 

 

終章 世界全てを敵に回すような Are_You_Ready?

 

 

一〇九話:ヒロインは女王 Queen_Bee's_Turn.

 

 

 


 

 

 

 というわけで、午後一時。

 俺達と食蜂さんは学園都市の地下街にやってきていた。

 ただでさえ土地不足の学園都市では、土地不足を解消する為の地下空間活用が当たり前のように行われている。

 駅やデパートの地下階を迷路のようにつなぎ合わせた『地下街』もその一環。これはレイシアちゃんが寝ている間の社会勉強で知ったのだが、学生たちはこうした場所で遊ぶことが多いらしい。俺はまだ遊んだことないけど。

 

 

「遅いですわね、当麻」「まぁまぁレイシアちゃん。きっとまたぞろ不幸に見舞われているのでしょうし」

 

「……にしても遅くないかしらぁ? 何か事件に巻き込まれてたりするんじゃ……」

 

「というか、三〇分前からスタンバっているわたくし達が早く来すぎなんですのよ。そのあたりで詰ったら『楽しみにしてたの?』みたいな感じで自爆するのでお気をつけあそばせ」

 

 

 約束の時間である一時よりも三〇分早く到着した俺達はこうして地下街の入り口で待っているのだが、そろそろ約束の時間になるというのに肝心の当麻さんが一向に来ないのだった。

 しかし、俺達にしろ食蜂さんにしろ、美少女というのはどうしても目立つ。

 しかもお誂え向きに俺達も食蜂さんも中学生離れした体躯の持ち主だから、それはそれはナンパの声が引く手数多だった。いやいや、ホントにナンパなんてあるんだね……。俺達も食蜂さんもあんまりそういう経験をしたことがないから、思わず感心してしまった。まぁ、全員食蜂さんに洗脳されてたけど。

 

 

「ほらとうま! 急いで! ごはんなんだよ! ごはん! オゴリなんだよお腹いっぱいなんだよ!?」

 

「お前はもうちょっと欲望を抑えられないのか暴食シスター!?」

 

 と、賑やかな話し声が遠巻きに聞こえてきた。

 ようやく来たか……と視線を向けると、そこにはツンツン頭の少年と純白のシスターの二人組が。

 

 

「遅いですわよ当麻。五分遅刻です。レディを待たせるとは紳士失格でしてよ?」「まぁまぁ、五分くらいは……」

 

「いやーすまん! 待たせた! ちょっと土御門──ああ、隣人のヤツと揉めてさ……」

 

 

 人差し指を立てて言うレイシアちゃんに、頭を掻きながら苦笑する当麻さん。

 まぁ、今朝の電話の話で揉めたのだろう。

 

 

「あれ? ()()()()()()?」

 

 

 そこで、当麻さんは俺達の陰になる場所にしれっと立ち位置をスライドしていた食蜂さんに気付いた。

 声をかけられた食蜂さんはするっと俺達の陰から出ると、にっこりと人好きのする笑みを浮かべて言う。

 

 

「初めましてぇ☆ ブラックガードさんの友達のぉ、食蜂操祈って言います。さっきそこで会ってぇ……」

 

「せっかくですし、お食事でもと誘ったのですわ。良い子ですので、インデックスにも紹介したくて」

 

「私?」

 

「ええ、まぁ」

 

 

 もちろん食蜂さんの合流の為の建前だけど、実際のところ、食蜂さんの事情くらいは伝えておきたいというのもある。『正史』と違ってこれからも食蜂さんが断続的に当麻さんと関わってくるのなら、せめてインデックスとの面識や事情の共有くらいはしておきたいしね。

 というわけで、四人合流したので改めて一塊になって地下街を移動。

 

 

「にしても、お疲れ様会だっていうのにご馳走になるのはやっぱ悪いな……」

 

「いえいえ。気にしなくていいですわ。あの局面では、わたくしの事情に当麻さんの力をかなり貸していただきましたし」

 

「…………とうま、また何かやってたの? そういえば昨日は夜遅くに出かけていたみたいだったけど」

 

「う。……まぁその、レイシアの元婚約者を助けたり? ……あ、でも他にもいろんなヤツがいて、俺はその手伝いってだけだったっていうか……」

 

 

 垣根さんとタイマンでぶつかりあったりしててけっこう怪我してたような気もするけどね……。

 

 

「むぅ、だから余計に納得いかないかも! 私だってとうまの力になれるのに!」

 

「まぁ、今回は確かにインデックスの力があれば話が早かった局面もあるかもしれませんわね……」

 

 

 幻生さんの憑依とか、多分魔術サイドでも説明できる話だっただろうしね。

 もしかしたら、インデックスがいたら何かしらの詠唱をするだけで幻生さんが退散して、それで事件が終わったかもしれない。まぁ、たとえそうだとしても当麻さんはインデックスを事件に巻き込んだりはしたくないんだろうなぁ。

 

 

「そっちの長髪も、何か隠しているみたいだし」

 

 

 っ!?

 うっ、既になんか関係性について察しがついているみたいだ……。流石に唐突に美少女が現れるのはインデックスからしてみたら『こいつどっかでひっかけてきたな』ってことになりもするか……。

 まぁ、上条さんがそのへんかなり疎くて察しが悪いのがせめてもの救いだけど。

 

 

「さ、着きましたわよ。ホテル・リストランテ。高級ホテルのビュッフェを学生のお財布でも手が届く値段で再構築したという人気のファミレスですわ」

 

 

 前にSNSで評判なのを見て、地味に行きたかったんだよね、ここ。

 

 

「お二人とも、お昼ご飯はまだでしょう? 積もる話も、まずはお腹を満たしてからにしませんこと?」

 

 

 


 

 

 

 と、いうわけで。

 順調にインデックスのお腹を満たした俺達は、程よい頃合いでインデックスを連れて席を立った。インデックスも、普段の貧乏飯とは比べ物にならないクオリティの食事に大満足だったらしく素直についてきてくれた。

 ……さて、第一段階はクリア。あとは、食蜂さんに頑張ってもらうだけだな。

 

 

「シレイシア、これどういうことなの? どうしてあの長髪をとうまと二人っきりにしてるの?」

 

「もともと、そういう約束でこの会をセッティングしているのですわ。あの方には借りがありまして」

 

「…………む。そういうのはよくないかも。だってこれって、とうまを騙してやっているってことで、」

 

「まぁまぁ尾行につきもののアンパンでも食べていただいて……」

 

 

 そう言って、俺は事前に準備していたアンパンを一気に五個くらい手渡す。

 もぐもぐという音とともに速やかにインデックスが静かになった。チョロい。

 

 

「……それに、これは当麻さんも了承していることなんですのよ」

 

「もぐもぐもぐ……え? とうまはあの長髪とは初対面だったみたいだけど……」

 

「あの方は、当麻さんに記憶されない体質なんですの。……いえ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「!!」

 

 

 記憶。

 そのフレーズを聞いて、インデックスが息を呑む。当然だろう。その痛みは、彼女にとっては一番理解できる種類の痛みだ。

 

 

「詳しい事情は知りません。ですが大覇星祭の件で彼女と共闘した際に、大まかな話は聞きました。以前──一年ほど前に、当麻さんと彼女は親交があった時期があると。しかしとある事件を境に当麻さんが彼女のことを記憶できなくなってしまい──それから、二人は疎遠になっていったと」

 

「つまり?」

 

「『先達』と、そういうことになりますわね」

 

 

 インデックスさんの、ね。恋敵と言い換えてもいいかもしれない。

 でも、その境遇は悲劇的だ。何回出会っても自分のことを記憶してもらえないなんて、あるいはインデックスのそれよりも辛いかもしれない。

 

 

「今の当麻さんは覚えていませんけれど……昨日の一件、彼女のお陰で当麻さんの心はいくらか救われた部分もあるんですの。ですからわたくしは、彼女の望みを聞いてあげているわけですわ」

 

「……うん、分かった。それなら私も、協力するんだよ。今日という一日を、あの長髪の最高の思い出にするために」

 

 

 よし。こっちの方は話がまとまった。

 あとは、二人がどうなるかだが…………、……ん、二人して席を立った。よし、上手く向こうでも話がまとまったみたいだ。

 あ、会計で揉めてる。………………しまった。監視のために外に出てたから会計はしてないんだった!! そして食蜂さんに払わせるわけにもいかないとかって妙な先輩精神を見せた当麻さんが血の涙を流しながらお支払いしてる!!

 ……ふ、不幸な人……。……いやいや! あとでちゃんとお金は払おうね……。

 

 

 さて、色々あったがファミレスを出て二人とも本格的に動き出したようだ。

 当麻さんは……何やらキョロキョロしているな。建前としては、どっかに行った俺達を二人で探しに行く、みたいな感じだろうか。ならば、俺達も見つからないように立ち回らねば。

 

 

「徒花さん」

 

「これでいいか? ブラックガード嬢」

 

 

 呼びかけると、群衆に紛れていたメイド服姿のショチトルさんがスッと現れて俺達に小道具を手渡してくれた。内容は、帽子とサングラスとマスクである。

 

 

「…………し、シレイシア、この人は……?」

 

「徒花さん。ウチで雇っているメイドさんですわ」

 

 

 用を済ませた徒花さんは、さっさと群衆に紛れ直してしまう。

 あの夜でも大活躍だった『メンバー』だが、一応今も俺達の護衛任務は続いている。もう一〇月になるし、下準備も整ってきているので、いい加減彼女達を暗部から引き抜く計画も始動しないとなあ……。

 

 ……あれ? インデックス、なんでドン引きしてるの?

 ………………あっ、ショチトルさんの動きか。確かに呼んだらスッと出てくるメイドはシュールすぎるわ。なんか馴染んで気にしなくなってしまっていた……。俺、順調にお嬢様になってるわ……。

 

 

「さておき。さあ行きますわよ。当麻さんと食蜂さんは…………う、腕にっ!?」

 

 

 しょ、食蜂さんがなんか当麻さんの腕に抱き着いてる……! 凄いなあの人、自分のナイスバディを利用することに一片の躊躇もない。記憶が持続しないと分かっている分、後先とか羞恥心とかを投げ捨てているぞ……!

 

 

《…………痴女め……》

 

《ま、まぁまぁレイシアちゃん。落ち着いて……》

 

 

 憎々し気に言うレイシアちゃんを宥めつつ、あとついでにガルガル言ってるインデックスにアンパンを供給しつつ、俺達は二人の後を追っていく。

 

 あっ、牛乳売ってる。尾行といえば牛乳だよね。買っておこ。

 はい、インデックス。牛乳。

 

 …………なんか二リットルの超巨大瓶詰牛乳をインデックスに手渡しつつ尾行していると、食蜂さんは俺達の監視を意識しているのかそこまで大胆な手は取らず、しかしこちらの(特にレイシアちゃんとインデックスの)神経を逆撫でするかのように当麻さんとの距離を詰めてイチャイチャしていた。

 まずいな……これはそのうちアンパンと牛乳だけでは怒れるインデックスを宥めきれなくなってしまう。

 

 そろそろカレーパンの力を借りるべきか……と思考を進めていた俺だったのだが。

 そんな風に考えていると、不意に目の前に、一人の少女が走り込んできた。

 

 金髪碧眼。

 長い髪をツインテールにして、赤いランドセルを背負った少女の明らかな接近行為に、群衆の中に紛れている徒花さんの殺気が膨れ上がったのを感じて、俺は手を伸ばして制止する。

 目の前の少女から、俺達に対する敵意が感じられなかったからだ。

 

 そしてその目論み通り、俺達の一メートル手前くらいで立ち止まったその少女は息を切らしながらこう言ったのだった。

 

 

「お願い、助けて! このままだと、『心理掌握(メンタルアウト)』のお姉さんが、数多おじさんに殺されちゃう!!」



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一一〇話:外装血路

「…………落ち着きましたかしら?」

 

「う、うん。ありがとう……」

 

 

 その後。

 とりあえず冷静さを失っているらしき少女を連れて喫茶店で一息つかせた(食蜂さん達の監視はショチトルさん達にお任せした)俺は、そう言って目の前の少女を見る。

 年のころは小学生程度。ただ、妙に大人びた雰囲気のある少女だった。なんというか、ただの学生とは違う価値基準を持っているような。……暗部、ってほどスレている感じではなさそうだけど……。

 

 俺はちらと横目で隣に座るインデックスを見る。

 インデックスの方は、最初の剣呑な切り出し方の時点で既にシリアスモードに入っているようだった。……うーん、木原数多に食蜂操祈、どこをどう切り取っても科学サイド。インデックスを巻き込みたくは……、…………いや、ここからインデックスを盤面から退場させるのは無理だなぁ。仕方ない。いざって時は俺達がインデックスを守ろう。

 

 ……あれ、待てよ? よく考えたら今日って九月三〇日だから……一二巻と一三巻! 美琴さんとのデートとヴェントさんの方ばかり意識していたけど、打ち止め(ラストオーダー)さんが数多さんにさらわれる事件も起きてたんじゃないか!?

 そう考えると、数多さんが食蜂さんを狙っている……? なんかもうこの時点で、本来の流れからは大分変わってしまっているような……。

 いや、そもそも数多さんが打ち止め(ラストオーダー)さんを狙っていたのは、ヴェントさんが襲撃したことによって学園都市の都市機能がマヒしてしまったから、それに対抗する為にヒューズ=カザキリを顕現させる為だったわけで……そう考えると、数多さんが動き出している以上、ひょっとしてもうヴェントさんは動き始めている……?

 

 ……あっ!!

 

 

《レイシアちゃん!》

 

《なんですの? 何か困ったことでもありまして?》

 

《…………、……いや》

 

 

 よかった、まだ大丈夫だ……。

 もし仮にヴェントさんが天罰術式を発動していたら、きっとレイシアちゃんが『正史』の知識由来で持っているヴェントさんへの敵意も反応しちゃうからね。

 二重人格の俺達がどういう判定をされるのか分からないけど、無用なリスクは避けた方がいいし……。……っていうか、そうなるとちょっときついな。レイシアちゃんに上手くヴェントさんのことを誤魔化しながらこれからやっていかないといけないのか……。

 

 

「…………白黒鋸刃(ジャギドエッジ)のお姉さん?」

 

「ああ、いえ。少し考え事を」

 

 

 ともあれ、現状最大の情報源は目の前にいるんだ。

 

 

「アナタ、名前をお伺いしても?」

 

 

 そう言って、俺は目の前の少女と目を合わせた。

 『数多おじさん』という言葉からして、おそらく木原の関係者。だが、その割に食蜂さんを救おうとしているということは、加群さんや脳幹先生みたいな木原の例外みたいな存在……なのかもしれないな。

 

 

「那由他」

 

 

 少女──那由他さんは、短く答えた。

 

 

「木原那由他。先進教育局、特殊学校法人RFA所属の──風紀委員(ジャッジメント)、だよ」

 

 

 


 

 

 

終章 世界全てを敵に回すような Are_You_Ready?

 

 

一一〇話:外装血路 Blood_Sign.

 

 

 


 

 

 

 木原。

 

 その言葉を耳にしても、俺は身を強張らせることはあっても、驚愕はしなかった。

 半ば予想できていたことだ。問題の本質はそこにはない。重要なのは、何故数多さんが今更食蜂さんを狙うのか、そして何故那由他さんがそのことを知りえたのか、だ。

 

 

「私ね」

 

 

 紅茶で喉を潤してから、那由他さんは開口一番にそう切り出した。

 

 

「もともとの肉体は、もう殆ど生身じゃないんだ」

 

「…………、サイボーグ、ということですの?」

 

 

 幻生さんも、もともとはサイボーグだった。

 あの人は途中からさらに訳の分からない存在に進化してたけど、那由他さんはまだそこまでではないんだろう。

 

 

「正解。実験で色々あってね……。たとえば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 その一言で、俺達とインデックスの二人が同時に息を呑んだ。

 ……ま、魔術!? いや、確かにかつては学園都市とイギリス清教が手を組んで能力者が魔術を使う実験をしていたとかなんとか、そんな話があったような気がするけど……この子が、その当事者!?

 

 

「知ってる? 能力者が学園都市の外の異能を使おうとすると、血管や神経がはじけ飛んでしまうんだよ」

 

 

 那由他ちゃんは、本当に世間話をするような軽い調子で言う。

 ……それが、どれほどの苦痛を伴うものなのか、俺には到底分からない。でも彼女は、研究者の一族の末裔のはずの少女は、被験者(モルモット)として見てきた地獄を平然と語る。

 一流の科学者は、実験体としても超一流。

 なんというか、そんな言葉が脳裏をよぎる少女だった。

 

 

「……能力者と魔術師では、回路が違うから」

 

 

 そんな那由他に痛ましいものを見るような視線を向けながら、インデックスは言った。

 

 

「能力者は、能力開発によって脳の回路を拡張しているからね。私は門外漢だからこれは想定だけど、おそらく魔術師とは違うシステムで生命力(マナ)を変換して別種のチカラにして運用しているんだよ。その状態で新たに生命力(マナ)を製錬して魔力を生成すれば……。既に回路には別のチカラが満ちているんだから、容量オーバーで大ダメージを負うんだよ」

 

「……あれ? もしかしてシスターのお姉ちゃんは外部の関係者……?」

 

 

 那由他さんは不思議そうにしながらも、

 

 

「うん。その通り、かな。つまり、能力者はAIM拡散力場を持っている限り安全に魔術を使うことはできない。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「…………、」

 

 

 身体が、二つ……?

 …………脳裏をよぎるのは、ドッペルゲンガー。でも、これは違うとすぐに気付いた。

 ドッペルゲンガーという技術はあくまでも肉体のパーツを機械で代替するためのもので、肉体を『再現』したものではない。つまり、神経や血管といった生体部品を模倣しているわけじゃない。

 もちろんやろうと思えば、ドッペルゲンガーという技術の延長線上にはそれがあるだろうけど……。神経回路の再現なんて、ミリ単位の精密な操作が必要なんじゃないだろうか。ミリ単位で、血液や電気信号を精密操作するような技術なんて……、

 

 

「…………なるほど。それで食蜂さんというわけですわね」

 

 

 そこまで考えて、俺は得心がいった。

 確かに、本質的に水分を操る能力である心理掌握(メンタルアウト)を科学的に解析することができたら、その応用で水分による回路を体外に形成することができる。そうすれば、能力者でも魔力を流して魔術を行使する為の回路を外付けで手に入れることができる。

 ……でも……。

 

 

「ただ、納得がいきませんわ。仮に食蜂さんの能力があったとしても、彼女の能力は万能であって全能ではなくてよ。魔術──『もう一種類の異能』用の回路を形成するなんて芸当、不可能ではなくて?」

 

「うん、そうだね。確かに心理掌握(メンタルアウト)のお姉ちゃんの能力を以てしても、ノーヒントでもう一つの回路──外装血路(ブラッドサイン)を構築することはできない。でも、ヒントがあるならば?」

 

 

 そこまで言って。

 那由他さんの説明は、最悪の方向性へと捻じ曲げられていく。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 …………!!!!

 

 

「『代替』は相似お兄さんの専売特許なんだけどね……。ドッペルゲンガー、って言えば、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)のお姉ちゃんなら分かるよね? 今は、『もう一つの私』をこうやって動かして行動しているような状況。本物の私は、数多おじさんに眠らされて研究所で監禁されてる」

 

「……つまり」

 

「そう。つまり、現状だと数多おじさんは『ヒント』を持っている。私という、学園都市とは異なるチカラを封入した記憶をね」

 

 

 だんだん話が読めてきた。

 つまり、数多さんは食蜂さんに那由他さんの記憶を読ませて、外装血路(ブラッドサイン)を作るために必要な『レシピ』を手に入れようとしているわけだ。

 ……でも。

 

 

「それって……、」

 

「うん。記憶を俯瞰するだけでは、おそらくレシピは手に入れられない。記憶の中の私と同化して、全身が爆裂する経験をしないと……それも、一度や二度じゃない。何度も繰り返さないといけないと思う」

 

 

 ……当然ながら、そんな激痛を何度となく味わえば、精神にどんな変調をきたすか分かったものじゃない。

 いや……そんな最悪な体験、当麻さんレベルのメンタル強者でもない限りまず間違いなく廃人確定だ。

 

 

「……それだけじゃないんだよ。暴発しているとはいえ、魔力を練っている時点で大なり小なり魔術の知識を参照している。長髪の能力がどんなものか分からないけど、魔術を──異界の知識を何度も繰り返し反芻するなんて、どう考えても危険かも」

 

 

 ……まずいことに、科学と魔術で見解が一致してしまった。

 食蜂操祈が木原数多の手に堕ちるようなことがあれば、確実に彼女の精神は崩壊する、と。

 

 

「おそらく、数多おじさんはそれすらも織り込み済みだと思う。そうして能力を吐き出すだけの装置になった心理掌握(メンタルアウト)のお姉ちゃんを使って外装血路(ブラッドサイン)の『レシピ』を確定させて……『二つの規格を操る異能者(ダブルフェイス)』を作ろうとしているんだよ」

 

 

 ……『新約』の事件を鑑みても、心理掌握(メンタルアウト)のファイブオーバーは既にほぼ完成している。もし実際に外装血路(ブラッドサイン)が完成すれば、容易に量産化が可能なわけで……。科学サイドは魔術サイドの専売特許を奪うことすらも可能ということになる。なんでそんな激ヤバなシロモノが出てきそうになってるの……。

 

 

「……、ともあれ、事情は分かりました。高確率で食蜂さんが数多さんに狙われるということは確定なのでしょう? なら、わたくしとしては那由他さんと手を組むのに是非もありません。……今回ばかりは、インデックスも手伝ってくれますか?」

 

 

 ことが魔術に関係してくるとなったら、インデックスの協力は百人力だ。

 実際に術式と能力の併用を企んでいる以上、もしかしたら数多さんはいくつかの術式を保持している可能性すらあるわけだからね(どのタイミングで手に入れたんだよということはさておくとして……)。

 

 

「…………、ひとまず安心したけど、どうやらそう簡単に話は進まないみたいだね」

 

 

 と。

 そこで、那由他さんはすっくと立ちあがり俺達の後方へ視線を向ける。おそらく、サイボーグの感知機能が何かを感じ取ったのだろう。

 俺達も遅れて気流感知で確認してみるが──俺達の後方から、一人の少年がゆっくりと歩いてくるのを感じた。

 

 

「──()()使()()()()()()()? ()()()()()()()()()

 

 

 口が勝手に言葉を紡ぐ。

 レイシアちゃんが立ち上がり、振り返る──そこにいたのは、ショートカットの少年。

 紺色のジャージの上に白衣を羽織った、『あえて粗暴な色を塗りたくった』知性を感じさせる研究者──。

 

 

「流石に意外性がないので、さっさと潰しますわよ? 木原相似」

 

「釣れないですねぇブラックガードさん。ちょおーっと自分と遊んでくださいよぉ!!」




原型制御くんが、どっか行きました。


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一一一話:完膚なきまでに

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。


 先手を打ってきたのは、相似さんの方だった。

 相似さんが右手を振ると、その動きに応じて袖の陰から現れたUAVから電撃が放たれ──天井に直撃する。

 

 

「……?」

 

 

 レイシアちゃんがその意図を掴み切れずに怪訝そうな表情を浮かべたのも束の間。

 ブシャアアアッ!! と、電撃が命中した消火スプリンクラーから、大量の水が放たれた──その直後。

 

 ゾゾゾゾ……と。

 

 スプリンクラーから放たれた大量の水が独りでに集まり、相似さんの傍らにひとかたまりとなった。

 ……水流操作(ハイドロハンド)!? あんな明確に水を操ることなんて、科学でできるとはとても……まさかまた、幻想御手(レベルアッパー)か何かで適当な学生の能力を横取りしているとか……? だとしたら、複数の能力による連携技が出てくる可能性も……!?

 

 

「あぁ、ご安心を。幻想御手(レベルアッパー)が使えればそれが一番だったんですけどねぇ。最近、幻生さんが色々やらかしちゃったでしょう? アレで流石に警備員(アンチスキル)も対策に本腰を入れましてねぇ。おいそれと使えなくなっちゃったんですよ~。少なくとも、自分程度の権限ではちょっと……ね。()()()()()()()()()

 

 

 相似さんは、まるで自分の研究結果を発表するような晴れやかさで言う。

 

 

「なぁに、原理は単純です。水道水に擦った下敷きを近づけると水が曲がる現象は分かりますよね? アレの発展形です」

 

 

 相似さんは簡単そうに言うが──そのありきたりな現象を、ゴボボゴボ!! と音を立てて蠢く水の塊のレベルまで昇華するには、どれくらいの科学を積み重ねる必要があるのか。

 おそらく思わせぶりに登場したあのUAVがそれらの技術の核を担っているんだろうけど…………。

 

 

《……水流操作(ハイドロハンド)。なるほど、水分ですか。見事に関連技術で装備をまとめてきているわけですわね》

 

《……あ、そういうこと?》

 

 

 そもそもファイブオーバーがどういう仕組みで水分を操っているのか疑問だったけど、静電気による水分操作というのならある程度納得はいく。

 アレ自体が食蜂さんの能力を再現する為の機構の一部でもあるわけだ。つまり……相似さんを食蜂さんに近づけてしまうと、その時点で何らかの方法で相似さんが心理掌握(メンタルアウト)の『レシピ』を獲得してしまう可能性があるということ。

 『正史』ではおとなしくさせた食蜂さんをわざわざファイブオーバーの中に取り込む必要があったけど、『木原』相手にそんな事前情報が役に立つか分かったものじゃないからな。

 

 ということは、ひとまずは──

 

 

「これ見よがしに『タネ』を見せたのは、わたくしに対してプレッシャーをかけるつもりだったのでしょうが……聊か迂闊だったのではなくて? 『水流操作』がそれによって成り立っているなら、真っ先に壊せばいいだけのことでしょう!!」

 

 

 言いながら、俺は白黒の『亀裂』でUAVを攻撃する。

 もちろん、これで相似さんの策が終わるとは思っていない。おそらく機械を破壊した先にさらなる手があるんだろうけど、そっちについてはレイシアちゃんが意識を集中させている。

 相似さんが放った反撃に対し、俺達が適応する。そうした策の積み重ねなら、これまでだってずっと──

 

 

「と、まずは考えますよねえ。()()()()()()()()()~」

 

 

 ──その、次の瞬間。

 

 

 全身を走る衝撃と同時に、俺達の意識は断絶した。

 

 

 


 

 

 

終章 世界全てを敵に回すような Are_You_Ready?

 

 

一一一話:完膚なきまでに Suffer_a_Defeat.

 

 

 


 

 

 

「れ、レイシア!?」

 

白黒鋸刃(ジャギドエッジ)のお姉さん!?」

 

 

 それは、一瞬の出来事だった。

 レイシアがUAVを破壊しようと白黒の『亀裂』を展開した瞬間、『亀裂』の表面を走るように稲妻が走り、それがレイシアの身体を貫いたのだ。

 

 

白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の白黒の『亀裂』は、電子すらも切断するスケールの力場です。つまり、展開した瞬間の『亀裂』表面は電子的に不安定な状態になっている。そしてこれは既に提示したはずですよぉ? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 水流すらも精密に操れる静電気操作能力。

 それを『木原』の科学と悪意によって扱えば──電子的に不安定な力場に一定の指向性を与え、具体的な電流として発露することだって、可能かもしれない。

 

 

「…………!!」

 

 

 力なく崩れ落ちたレイシアを抱きとめた那由他の行動に、迷いはなかった。

 サイボーグの膂力によってレイシアとインデックスを一気に両脇に抱えると、そのまま陸上選手のスタートダッシュのような瞬発力で相似から距離をとる。

 

 流石に、いかに木原といえど全力で逃走するサイボーグを射程圏に納め続けることは難しい。

 追いに徹することで敵に反撃の隙を与えても面白くない。

 

 

「……ま、これで証明できましたしねぇ。白黒鋸刃(ジャギドエッジ)は、木原相似に勝てない。次に衝突する時が楽しみですよぉ、ブラックガードさん」

 

 

 


 

 

 

「まさか、相似お兄さんがあそこまで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!」

 

 

 その場から逃走を成功させた那由他は、焦燥の色を声に滲ませながら、そう呟いた。

 あの一戦におけるレイシアの敗因は油断によるものと考えられるかもしれないが──実際には、そうではなかった。

 なぜならば、あの攻防の前に相似はわざわざ電撃によって消火スプリンクラーを誤作動させている。それを見ている以上、電撃への防御性能のない透明の『亀裂』は心理的に展開しづらくなっているというわけだ。

 それに仮にレイシアがそこまで読んで透明の『亀裂』を使おうとしても、その場合は他のUAVから返す刀で電撃が放たれていたに違いない。その場合、透明の『亀裂』では防御の手立てがない。

 

 結論として。

 レイシアが木原相似と相対した場合に生き残るためには、まず相似の攻撃から生き残る為に白黒の『亀裂』や残骸物質を使って徹底した防御態勢に入らねばならない。

 ──つまり、木原相似に先手を譲らねばならないということになってしまう。

 『木原』相手に、無為に一手を譲る。これがどれほど危険な行為かは、今更説明する必要もないだろう。

 

 

白黒鋸刃(ジャギドエッジ)のお姉さんは、相似お兄さんと戦わせちゃいけない……!)

 

 

 今回は、純粋に相手の方が一枚上手だった。

 どう足掻いてもレイシア=ブラックガードでは勝利を掴めないように調整された戦力を、盤面に投入していたのだ。この結果は必然だったと言える。いやむしろ、あの場でレイシアを鹵獲されなかっただけでも儲け物と言えるだろう。

 

 そして。

 

 そうした現状把握を超えて、悪意と科学を操る一族の末裔である那由他は、盤面の裏にある相似の悪意を読んでいた。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?)

 

 

 心理掌握(メンタルアウト)関連の科学技術によって纏め上げた兵装が、たまたまレイシア=ブラックガードを完封する戦力となっている?

 そんな殺人的な偶然はあり得ない。

 その僅かな可能性よりは、『最初からレイシア=ブラックガードを完封する目的で整えた兵装を、そうと気付かれないように心理掌握(メンタルアウト)関連の技術でカモフラージュした』と考えるべきだろう。

 おそらく、心理掌握(メンタルアウト)を意識した相似の言動も全てブラフ。最初から、彼はレイシア=ブラックガードを目的として戦場に入り込んできたと考えるのが正しいはずだ。

 

 

(でも、これは数多おじさんの目的からは外れると思う。白黒鋸刃(ジャギドエッジ)は確かに数多おじさんの興味の対象だけど、今の数多おじさんの目的は心理掌握(メンタルアウト)の確保にあるだろうし。……つまり、相似お兄さんはいつもの調子で数多おじさんに協力しているように見せかけて、実際には相似お兄さん自身の目的で此処に来ているということ……?)

 

 

 確定していたはずの勢力図が、また乱れてくる。

 ともかく、相似の目的が分からない以上、数多の手先として扱うのも問題だ。とにかく数多の狙いである食蜂と合流しておくのがセオリーだろうが……その場合、相似と数多が結託してさらに厄介な戦力に化けかねない。木原一族は基本的に手を組むと同士討ちし合うのが常というものだが、あの二人は常日頃から行動を共にしているから、その限りではないかもしれないし。

 

 

「……た、なゆた!!」

 

「へ、あっ!!」

 

 

 と。

 そこで、那由他はようやく自分が脇に抱えているインデックスに呼びかけられていることに気付いた。

 

 

「ちょっと。もう降ろしてほしいかも。それに、レイシアの様子も診たいし」

 

「あ……ごめんね。考え事してて……」

 

 

 謝りながら、那由他はインデックスを床に降ろし、それから気絶しているレイシアを床に寝かせた。

 インデックスは速やかにレイシアの傍に駆け寄ると、ぺたぺたと身体を触ってその様子を見る。医学的な診断ではないのは那由他の目から見ても一目瞭然だったが、何故かインデックスはふうと胸を撫で下ろした。

 

 

「……大丈夫。生命力(マナ)の循環に異常はないし、漏出も見受けられない。ただ気絶しているだけみたい。でも……レイシアがこんなにあっさり倒されちゃうなんて」

 

「多分、相似お兄さんは白黒鋸刃(ジャギドエッジ)のお姉さん専用に戦力を組んで来ているんだと思う。おそらくは、数多おじさんとは別の目的を持って。……だから、もう相似お兄さんを白黒鋸刃(ジャギドエッジ)のお姉さんと戦わせるわけにはいかない」

 

 

 神妙な面持ちで言う那由他に、インデックスも頷く。

 いかにレイシアが強力な能力者だと言っても、結局は一人の人間である。がちがちに対策を組まれてしまっては、どうしようもないということはあるだろう。

 それゆえに、現状最大の戦力が事実上無力化されてしまった状況で、那由他は次善の策を打ち出していく。

 

 

「一刻も早く、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)のお姉さんの仲間や心理掌握(メンタルアウト)のお姉さんと合流しないと、」

 

「その必要はない」

 

 

 声に振り返ると──そこには、メイド服の少女がいた。

 しかし、恰好は無事とはとても言い難い。メイド服は袈裟斬りのような調子で胸元から上が焼き払われ、スカートもところどころが焼け落ちていた。そんな状況でもその下の生身に煤汚れがついている程度しかないのが、逆に不気味な有様だ。

 

 

「な、アナタは確か、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)のお姉さんの仲間の……メイドのお姉さん!?」

 

「……私だけではない」

 

 

 そう言う彼女は、よくよく様子を見てみるとひとりの少年を背負っていた。

 その顔を見て、インデックスが信じられないものを見たかのように目を丸くする。

 

 

「と、とうま!?」

 

 

 ──上条当麻。

 ツンツン頭の少年が、あろうことか意識を失ってショチトルに背負われていたのだ。

 

 

「こちらも少し、厄介なことになっていてな……」

 

 

 頭を掻き、ショチトルは心底参ったように言う。

 そして、そこで那由他は気付く。上条当麻──絶対的なヒーローが意識を失っているという極限のイレギュラーの中で、約一名、登場人物が足りていないことに。

 

 

「…………メイドのお姉さん。心理掌握(メンタルアウト)のお姉さんは?」

 

「そのことなんだがな。端的に状況を説明する」

 

 

 ショチトルは、苦虫を噛み潰したような表情でこう切り出したのだった。

 

 

「木原数多の襲撃を受けた。心理掌握(メンタルアウト)を持つ超能力者(レベル5)、食蜂操祈は────ヤツに奪われた」

 

 

 簡潔に言うと。

 

 事態は、最悪の展開を迎えていた。




レイシア⇒ダウン!
上条さん⇒ダウン!

食蜂さん⇒さらわれる!
木原相似⇒なんか不穏!


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一一二話:敗北で終わり

 ──気付くと、ベッドで横たわっていた。

 身体を起こし、周辺を確認する。俺達はどうやら、『メンバー』のセーフハウスの一つに身を寄せていたようだ。カラオケボックス程度の広さの一室には、ショチトルさんと那由他さんとインデックスと当麻さんがいた。

 当麻さんはどうやら隣のベッドで眠っているようだ。その横にはインデックスが丸椅子に座っていて、その傍らに那由他さんがいる。少し離れたところの壁際で、メイド姿のショチトルさんが体重を背に預けていた。

 ……とそこまで現状を確認したところで、ショチトルさんが俺の覚醒に気付いたようだった。

 

 

「……目が覚めたか」

 

「レイシア! よかった、すぐに目が覚めて」

 

「徒花さん、インデックス……。わたくしは……」

 

 

 そう呟いたあたりで、徐々に記憶が戻ってきた。

 俺は確か、相似さんと戦闘をしているときに、『亀裂』を展開して……あれ、その後覚えてない。結局あのあとどうなったんだ?

 

 

「相似お兄さんの罠でね。白黒の『亀裂』を展開したときに発生する電磁場の乱れを利用されて、電撃を受けて失神していたんだよ、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)のお姉さんは」

 

 

 …………!

 

 

 

《……不覚を取りましたわね》

 

《レイシアちゃん》

 

 

 おそらく、完全に相似さんの策にハマった形だろう。

 そう考えると、完全に相手の術中に陥ったのに今も俺達が囚われの身になっていないのは…………多分、那由他さんのお陰なんだろうな。

 

 

「借りができましたわね、木原那由他。礼を言っておきますわ」

 

「ううん、大丈夫。それより、悪い報せが一つ。……実は、心理掌握(メンタルアウト)のお姉さんが攫われちゃったんだ」

 

 

 …………!!

 さっきセーフハウスの中にいなかった時点で、少し嫌な予感はしていたけど……!

 

 

「……それで、どうしますの? このままでは食蜂は廃人になって、科学と魔術のバランスは崩壊してしまいますが。そもそも、まだ間に合う段階ですの?」

 

「それは大丈夫。……いかに数多おじさんでも、読心対策のバリケードを何重にも張っている私の脳髄(きおく)を開錠するのにはある程度時間がかかるはず。そうだね……多分、あと一時間くらいは」

 

 

 読心対策って……当たり前のようにとんでもないこと言うなあ。

 でも、そのお陰で首の皮一枚は繋がったわけだ。あとは、数多さんのところに乗り込んで食蜂さんを救出すればいい。

 

 …………あ、でも。

 

 

「数多さんの居所は分かっているんですの? 向こうがわたくし達の襲撃を嫌って本拠地を別の場所に移してしまったら、探すところから始めないといけませんが……」

 

「それも平気だよ。この義体はドッペルゲンガーと同じ技術を使っていてね……。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、同様に備わっているんだ」

 

 

 そう言って、那由他さんは手を握ったり開いたりする。

 ……あ、つまり。

 

 

「今も、私は本体のAIM拡散力場を受信している。本来はそのくらいじゃ位置は分からないものなんだけどね、一応これでも、私の能力はAIMに干渉する能力だから。ちょこっと細工をすれば、本体の居所くらいなら把握できるんだよ」

 

 

 現在地の問題もこれで解決。

 本格的に、懸念点はこれで解消だな。宙ぶらりんになった相似さんの動向が気になるところではあるけど、相似さんの手札も既に割れている。今度は同じ轍は踏まない。

 さあ、どう攻略すべきか……。

 

 

「…………ただ、問題があるんだ」

 

 

 と、そこへ思考を巡らせ始めたところで、那由他さんは俯きながらそう話を切り出した。

 

 

「……問題?」

 

「うん。…………結論から言うね」

 

 

 那由他さんは視線を上げて俺達の目を見据えながら、

 

 

「……今回の戦い、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)のお姉さんと幻想殺し(イマジンブレイカー)のお兄さんを参加させるわけにはいかない」

 

 

 …………何だって?

 

 

「相似お兄さんは、心理掌握(メンタルアウト)のお姉さんモチーフで装備を固めてきたように演出していたようだけど……アレはおそらくブラフ。相似お兄さんの装備の真のコンセプトは、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)のお姉さん、()()()()()()()()()()()()()()()()()だよ」

 

「………………、ということはつまり、木原相似の目的は木原数多と同じ食蜂さんの捕獲ではなく……わたくしそのもの、ということですわね」

 

 

 ……考えたくないことだったが、そうとでも思わないと辻褄が合わないのだ。

 いかに俺達が警戒を怠ったとはいえ、最初の一撃で昏倒するようなピンポイントな戦略を練ってくるというのはおかしい。相手の目的があくまで食蜂さんであるならば、俺達との戦闘はイレギュラーで、対策のしようがないからだ。

 にも拘らず完璧な対策を練ってきたということは……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってことだ。

 

 

「そう。具体的な目的までは読めないけど……間違いなく、相似お兄さんは白黒鋸刃(ジャギドエッジ)のお姉さんに照準を絞った構成をしている。だから、お姉さんはまず間違いなく相似お兄さんには勝てない。そういう風に設計されているんだから、これはもう当然の流れなんだ」

 

 

 那由他はそう言って、

 

 

「でも……逆に言えば、相似お兄さんは対白黒鋸刃(ジャギドエッジ)のお姉さん用に特化しすぎている分、その他の戦力からはつけ入る隙がある。だから、あえてお姉さんを出さないことが相似お兄さん攻略においては一番有効なんだ」

 

「…………、」

 

 

 逆に言えば、戦場に出れば、高確率で俺達は相似さんとぶつかり…………そして、成す術もなく負ける、と。

 

 那由他さんの推測は俺達の目から見ても理に適っていて、そうすることで盤面が有利に進められるならそうした方が良いだろうというのは明らかだった。

 戦力の面で言っても、『メンバー』の博士とかを投入すれば俺達が抜けた分の穴はけっこう簡単に埋められるだろうしね……。

 

 

「それに……一番の問題は、とうまの方なんだよ」

 

 

 そう言って、今まで口を噤んでいたインデックスが当麻さんの服を捲る。

 学ランの下のポロシャツの下に見える当麻さんのお腹は包帯をグルグルに巻かれた痛々しい様相を呈していた。……眠っているあたりで何となく察していたけど、当麻さんも負傷していたのか……。

 

 そこでようやく、壁に背を預けていたメイド姿のショチトルさんが口を開く。

 

「……私達は、木原数多の襲撃を受けた。善戦していたのだが、途中で第五位が()()()()何かに躓いてな。その隙を狙った木原数多の攻撃から第五位を庇って、コイツが重傷を負った」

 

 

 多分、半分くらいは自分の落ち度だと思っているのだろう。

 ショチトルさんの状況説明は、どことなく負い目を感じている雰囲気を伴っていた。

 

 

「応急処置は済ませたが、傷口は深い。何せ脇腹を貫かれているんだからな。激しい運動をすればまず傷口は開くだろう。絶対安静だ」

 

 

 そこで、ショチトルさんは俺の方を見て言う。

 

 

「だから、ブラックガード嬢には此処でそいつの様子を見ていてほしい」

 

「…………、」

 

 

 なるほど、そう繋がるわけか。

 単純な戦略的意味に加えて、大切な人である当麻さんの保護。そこまで言われたら、俺達も考えなしに反対するわけにはいかない。

 というかそもそも、少なくとも俺に関しては那由他さんが提示した作戦については一定の理があると思っているからね。

 

 

「…………分かりましたわ」

 

 

 なので、俺は頷いて、ベッドに横たわる当麻さんへ視線を向ける。

 激化する戦いの中で、当麻さんはこうして事件の途中で病院送りにされることもあったっけ。そのたびに当麻さんは病院を抜け出して戦場に舞い戻っていたけど、今思えばそれは恐ろしい話だ。今の俺の立場だったら、絶対にそれは阻止したいと思う。

 

 だから、俺は言う。

 

 

「こちらは任せてくださいまし。……那由他さん、ショチトルさん、インデックス。あとは、お任せしましたわよ」

 

 

 俺の言葉に、三人は頷くとそのままセーフハウスを後にした。

 俺達は、そのまま三人の背を見送るのだった────。

 

 

 


 

 

 

終章 世界全てを敵に回すような Are_You_Ready?

 

 

一一二話:敗北で終わり No_Way.

 

 

 


 

 

 

「「────で」」

 

 

 三人の背を見送り、扉が閉まった直後。

 俺とレイシアちゃんは、全く同時にそう口を開いた。

 

 

「「これからどうしましょうか?」」

 

 

 

 呼びかけた相手は、今まさにベッドで横たわっている重傷患者。

 見るも痛々しい負傷を抱えたツンツン頭の少年は、今も目を閉じている。当然だ。脇腹を貫かれる重傷。まだ傷口も完全には塞がっていない。意識だってないと考えるのが自然だろう。

 ()()

 

 

「当然、行くに決まってんだろ」

 

 

 にも拘らず、ツンツン頭の少年は一秒も待たずにそう答えた。

 …………ま、当麻さんはそうだよねぇ。

 

 

「それがどれほど危険か、分かっているんですの? 当麻さんは、これから助けに行く女の子のことなんて全く知らないでしょうに」

 

 

 目を開けて身体を起こした当麻さんに、俺は問いかける。

 まぁ、こんなのはただの意思確認でしかないんだけどさ……。

 

 

「行かない理由がない」

 

 

 そう言って、当麻さんはベッドからゆっくりと降りていく。

 やはりその動きはぎこちなく、負傷の影響があるのは誰の目にも明白だった。

 

 

「確かに、食蜂ってヤツがどこの誰だかは知らねえよ。顔も性格も思い浮かばないし、会話だってしたこともない。だけど、何となく、分かるんだ」

 

 

 当麻さんが、拳を握りしめる。

 よろめきながらも、二本の足でしっかりと立ち上がる。

 

 

「怪我の衝撃で記憶が飛んじまったみたいだけど……それでも俺は、きっとそいつのことを本気で守りたかったんだと思う。それが何となく分かる。……理由なんて、それだけで十分だろ」

 

 

 …………ああ。なんというかこう……やっぱりこの人は、上条当麻なんだなあ。

 記憶の連続なんか問題にならない。

 そんな小さな引っ掛かりなんて、とうの昔に踏み越えている。もっと魂の根幹で、自分が戦う理由を定められる。

 そういう、少年なんだ。

 

 俺達もまた、ベッドから降り、当麻さんの横に並び立つ。

 そしてよろめく当麻さんに、肩を貸した。

 

 ……確かに、本音を言えば当麻さんには此処で安静にしていてほしいさ。

 でも、上条当麻がこういう人間だって、俺はずっと前から知っているんだ。そんな彼だからこそ、俺は大切に想えるんだから。

 惚れた弱み……っていうのはちょっと違うけど、だからこそ、俺には彼のこういうところを止めることはできない。

 

 でも、止められないなら止められないなりに、この人を守る方法は他にもある。

 傍にいて、支えてやるって形で、とか。

 

 

「……お前達の方こそ、いいのか。絶対に勝てないとまで言われたんだぞ。このまま行っても一〇〇%負けるだけだろ。何か勝算でもあるのか?」

 

「ありませんわね」「というか、あるわけないでしょうが」

 

 

 お返しとばかりに問いかけられた当麻さんの言葉に、俺達は一緒になって答えた。

 

 

「確かに、木原那由他が一〇〇%負けるというのなら、それはきっとそうなのでしょう。冷静に考えて、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)では木原相似を倒すには至らない。そういう風に、戦力が調整されている。……ですが、それが勝利を諦める理由になりまして?」

 

 

 確かに、那由他さんの分析は理に適っている。俺は超能力者(レベル5)だから~みたいな負けん気とは無縁だから、そこを冷静に判断することはできる。

 

 ……でも。

 やっぱり、ここまで言われちゃったら黙って引き下がるのは、ちょっと違うよな。『絶対勝てない』と言われたからって、ハイソーデスカと友人の危機を前に後ろに下がって黙っているようなのは……それは絶対に『違う』。

 そういうのは、『レイシア=ブラックガード』としての矜持に反する。

 

 それに。

 

 

「…………どいつもこいつも、勘違いしていますわ」

 

 

 吐き捨てるように。

 あるいは、世界の全てを敵に回すように。

 

 あくまで不敵に、俺達は言う。

 

 

「わたくし達は、()()()()ではありません。『レイシア=ブラックガード』なのです」

 

 

 たかがスペックシートの相性優劣ごときで全てが決まったかのように言われちゃあ。

 流石の俺も、覆してみたくなっちゃうじゃないか。

 

 クソったれな下馬評ってヤツをさ。

 

 

 


 

 

 

 宣戦布告の言葉は、それだけで十分だった。

 

 互いに互いを支えながら、二人の敗北者は戦場へと旅立つ。

 

 二つの逆襲劇が、今幕を開けた。



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一一三話:その本領

「おや、やっぱり動いてましたか」

 

 

 ──そうして病院を出た直後、だった。

 ちょうど正門を出たところで、一人の少年とバッタリ出くわした。──茶色い髪を短く切りそろえた、引き裂くような笑みの少年。

 木原相似。

 その周辺には、やはりというべきか、UAVと数個の水塊が漂っている。

 

 ……これ、どう考えても病院に引きこもっていた俺を狙い撃ちするつもりだったよね。

 屋内で万全の準備をした木原一族に狙われていたと思うと、本当にゾっとしちゃうな……。というか、相似さんは那由他さん達の『レイシア=ブラックガードを温存しておく』って作戦を読んでたのか。まぁそりゃそうか。そのくらいの裏は読んでくるよね。

 そしてこの口ぶりからして、『那由他さん達はそういう方針で動くだろうけど、俺達はそれをガン無視して行動を開始する』ってところまで読んでたってことか……。

 

 

「当麻さん」

 

「…………ああ」

 

 

 俺達がひと声呼びかけると、当麻さんはサッと動いて別方向へ走り去る。

 まぁ、二人で一塊になると、相似さんの未知の攻撃で一網打尽とか普通にあり得るからね。電撃にしろ水流にしろ、どっちみち当麻さんとの相性は最悪だし。それに何より──

 

 

「……せっかくのリベンジマッチですもの。当麻の力のお陰で勝てたとか、そういう不純物が入り込む余地はナシにしたいですからね」

 

「ん~、実に超能力者(レベル5)らしくて結構ですねえ!」

 

 

 相似さんが嬉しそうに声を上げると同時。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「なッ!?」

 

 

 直後、UAVから無数の紫電が放たれる。

 先ほどの戦闘において、消火用スプリンクラーを誤作動させた電撃だ。当然、人間が食らえば昏倒は必至だが──こんな風に空気中に不純物をばら撒いてやれば、想定された威力を出すことはできない。

 

 

「わたくしに反撃の隙を与えずに勝負を決めるなら、初手に電撃を放って昏倒させるのが一番の安定策。……そんなありきたりな凡策を、わたくしが読めないとでも?」

 

 

 実際のところ、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の攻略というのは、かなり薄氷の上に成り立っている。

 何せ、『亀裂』が空中を走る速度は音速を凌ぐ。初手で仕留めることができなければUAVを破壊されて窮地に立つのは相似さんの方なのだ。

 確かに、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)ではその『初手』を防ぐ方法は存在していない。透明な『亀裂』にしろ白黒の『亀裂』にしろ、静電気すらも操る精密な電流操作の前には無力だし、『残骸物質』も気流も『亀裂』の産物である以上、よーいドンで戦えば電撃に対する防御には使えない。

 ただし、俺達にとれる行動は、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の発動だけではない。

 開幕の一瞬で勝負が決まるというのであれば、その開幕の一瞬を乗り切る為の『策』を用意することは、当然可能なのである。

 つまり。

 

 

「電撃は──不発でしたわね」

 

 

 この一瞬。

 この一瞬さえあれば──『亀裂』で、全てのUAVを破壊することができる!!!!

 

 

 ズガガガガガガン!!!! と。

 

 

 空中を白黒の『亀裂』が駆け巡り、相似さんの周辺に飛び交うUAVを一つ残らず破壊する。電磁波が乱れたからか、相似さんの周囲に浮かんでいた水塊が破裂するようにして四方八方へと飛び散っていった。

 

 あえて砂煙をも切断する形で展開することにより、カウンターの静電気操作も無効化する手筈だ。これで、相似さんの手札は一旦消し去った。

 ……もちろん、この程度で完封できるような相手なら、那由他さんが『絶対に勝てない』とまで言うとは思えないから、何かあるんだろうけど。

 

 

「さて。何もなければこれにて決着ですわ。……アナタの目的を、話してもらってもよろしくて?」

 

「………………ふふ、勝ち誇りますねぇ」

 

 

 相似さんは、この期に及んで笑みを崩さない。

 やっぱり、何かある? でもこの状況から戦況を覆す一手って、いったいなんだ……? ……とりあえず、相手の攻撃を待つ必要もない。一旦空へ移動して相似さんの射程距離から出よう。それから相似さんの策とか思惑を少しずつ暴いていけば良い。

 

 そう考え、俺達は白黒の『亀裂』を翼のように展開して空へと移動する。三メートルほど飛び上がった、その直後のことだった。

 『亀裂』の間を滑り込むように、水塊が襲い掛かってきたのは。

 

 

「なっ!?」

 

「あはははははははは!! 勝ち誇りますよねぇ! これ見よがしに提示したガジェットを全て破壊すれば!! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と思いますよねぇ!!」

 

「が、ぼっ!?」

 

 

 水が、呼吸器を覆い尽くす。水流操作における対人戦法の常套手段だ。

 

 そして──攻撃を受けて、遅れて気付く。あのUAV……おそらく、囮だ! ……というか、疑問に思うべきだった! 静電気を使って水流を操作しているとして、あんな十数機程度のUAVが放つ電磁波で精密な水流操作なんてできるのか? と。

 水流操作を行うというのなら、もっと広範囲に相似さんの技術が及んでいると考えるべきだった。たとえば──目に見えないほど微細な機械。信号に従って電磁波を放つナノマシンによってコントロールしている、とか。

 

 

(ぬかった!! UAVはおそらく、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)のカウンターに放つ電流を撃ちだす為のもの! 水流操作自体はナノマシンで制御していたんだ!! 俺達が電流対策をとることを見越して、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!!)

 

 

 内心歯噛みするが──でも、まだ致命的な問題じゃない。

 呼吸の問題は当然あるけど、原因がナノマシンであるのならば俺達の敵じゃない。気流操作を使えばナノマシンは簡単に吹き飛ばせるし、流石に空間全体のナノマシンを吹き飛ばせば水流操作だって覚束なくなるはずだ。

 まずは、今の一撃で乱れた飛行の姿勢制御を──

 

 そう考え、『亀裂』を動かそうと演算をはたらかせてみる。

 しかし。

 

 

「が、ぼが……っ!?」

 

 

 『亀裂』が、伸びない。

 いや、むしろ俺達の制御を無視して解除されていく……!? ど、どういうことだ!?

 

 

「ぐ、がぁっ……!!」

 

 

 突然『亀裂』が解除されたことによる突風に押され、俺達は急加速して地面を転がる。その勢いで辛うじて水からは脱することはできたが──しかし、それだって完全じゃない。

 気流操作による高速移動を失った以上、俺達の機動力はちょっと運動ができる女子中学生並だ。とてもじゃないが生物的に蠢く水流から逃れられるようなポテンシャルはない。

 

 

《レイシアちゃんっ!!》

 

 

 ひとまず、方針を変更する必要がある。

 何らかの方法で能力にジャミングを受けているなら、相手の懐に入って接近戦に入らないとこちらが削り潰されてしまうからな。だから、肉体の制御権を買って出た俺はレイシアちゃんに状況把握を頼んで前へと走り出そうとする、が、

 

 

「あっ……!?」

 

 

 その一歩目で、()()()()()()

 別に、何かしらの妨害があった訳じゃない。純粋に、足がもつれたのだ。慣れないダンスの振り付けを踊ったときにバランスを崩すように、足が足に引っ掛かって。

 

 

「あぅっ……!」

 

 

 無様にその場で転んで、そして俺は自分の身体の──いや、レイシアちゃんの身体の異常に気付いた。

 …………心臓が、とんでもなく早く脈打っている。

 それだけじゃない。全身が、凄く震えている。指先の温度が感じられない。冷や汗が至る所から噴き出している。

 そして。

 

 

《いやっ、いやいや、いやァァあああああああああああああ!!!!》

 

 

 ……レイシアちゃんが、恐慌状態に陥っていた。

 

 

「その様子を見るに、どうやら僕の想定通りだったみたいですねぇ」

 

 

 蹲る俺達を見て、相似さんは実験結果の正しさを確信するように笑みを浮かべる。

 

 

「再起だのなんだのって言ってますけど、結局は中学二年生の少女の精神性です。自殺未遂のトラウマをそう簡単に完全払拭なんてできるはずがない!! だから絶対に心の中にはあるはずだと思っていたんですよ、()()()()()()()()()()()!!」

 

 

 ……レイシアちゃんは、川に身を投げた。

 そして、川に身を投げたからといってすぐに意識を失ったわけではないはずだ。少なくとも、呼吸器の中に水が入り込んで、意識を失うまで苦しい思いをしていたはず。自分が死ぬと分かって、自分で飛び込んだにも拘らず苦しくて辛い思いをして、自分の選択を後悔する。それだけの時間があったと思う。

 …………そんなトラウマが、いくら再起したってきれいさっぱりなくなるわけがないんだ。

 だからこうやって、突発的に()()()()を与えてやれば……平常心は簡単に失われてしまう。

 

 いや、自分で言っておいてなんだけど、レイシアちゃんだってそこまでやわじゃない。

 これまでだってプールでの水泳授業のときは全然問題なかったし、お風呂にだって問題なく入っていた。──ただ、水が呼吸器に入り込む息苦しい感覚。そこまで克服できているかと言われれば、そこは確かに分からない。

 

 

 現に、今の俺達はボロボロだ。

 レイシアちゃんが我を忘れて狂乱状態にあるせいで肉体の制御はめちゃくちゃだし、演算の片翼が失われたことで、能力はまともに使えない。もしも無理に使おうものなら、恐慌状態のレイシアちゃんに引っ張られる形で能力が暴発しかねないし。

 

 ……なるほど、こうして考えてみると、俺達は相似さんのことを甘く見ていたのかもしれない。

 『亀裂』展開時の電子の揺らぎに目を付けたカウンターすら手札の一つでしかなく、本当の目的はこれ見よがしに提示していた水流操作そのものにあった。

 相似さんは、きちんと考えていた。白黒鋸刃(ジャギドエッジ)ではなく、レイシア=ブラックガードのことをきちんと見据え、俺達を超える為に準備をしてきた。そこを読み違えていたから、俺達はこんなにまで追い詰められているのかもしれない。

 

 

「…………っ!!」

 

 

 水流が、俺達に追いついてきた。

 呼吸器にまとわりつき、レイシアちゃんの狂乱がさらに増大するが──俺はなんとかそれを抑え込むようにして、よろよろと立ち上がる。……立ち上がらなくちゃ、戦えないからな。

 

 ……レイシアちゃんのトラウマを最悪の形で抉る戦略を叩きつけられたわけだけど、不思議なことに俺の中に相似さんへの怒りはなかった。

 相似さんは、俺達を超える為に真剣に考えて策を練ってきた。確かに悪辣ではあるけど、だからといってそれに文句をつけるのは、真剣勝負をしている以上無粋だと思う。

 

 

 ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 


 

 

 

終章 世界全てを敵に回すような Are_You_Ready?

 

 

一一三話:その本領 The_Way_So_Far.

 

 

 


 

 

 

 バチィン!! と。

 

 

 思い切り、頬を叩く。

 痛みで呼吸の苦しみが一時途切れ、レイシアちゃんの思考も空白に染まった。

 そこに滑り込むように、俺は叫ぶ。

 

 

《なんという無様を晒しているのですか、レイシア=ブラックガード!!!!》

 

 

 ……気流で滑るようにだったとはいえ、三メートルの高所からの落下。

 さらにレイシアちゃんの恐慌に引っ張られる形で呼吸は荒かった。多分、時間はあまり残されていない。物の数秒で、俺達の意識は酸欠でブラックアウトしてしまう。

 

 いや、もう既に気を抜けば途切れそうな意識を気合いで持たせて、俺は言う。

 俺として──というより、『レイシア=ブラックガード』という人間を作り上げてきた、一人の仲間として。

 

 

《確かにあの時の恐怖は、苦痛は、アナタの中に色濃く残っているのかもしれませんわ。ですが!! たかがこの程度の揺さぶりで何をそんなにみっともなく慌てふためいているのです!!》

 

 

 ……分かっている。

 分かってる。レイシアちゃんにこんなことを言うのがどれほど酷なのかってことくらい。

 だって、それだけの苦痛だったはずだ。絶望だったはずだ。レイシアちゃんにとって、それは一人で抱え込むには大きすぎる闇だと思う。俺と一緒だったからこそ、ようやく立ち上がることを決意できた程度には。

 

 俺だけが、自分一人では立てなくて、レイシアちゃんに支えてもらって生きていたなんてわけがなかった。

 レイシアちゃんだって、一人では不安定で進めないって部分を、俺に支えられてなんとかやってきていたんだ。

 そんなこと、ずっと前から分かっていた。……でも。……でも!!

 

 

《アナタの隣に誰がいるのか、この程度で忘れているんじゃありませんわよッッ!!!!》

 

 

 君の隣にいる半身は、この程度で忘れてしまうほど頼りない存在だったか……!?

 

 一人では支えきれない絶望でも、二人でなら耐えられる。その先の希望に目を向けられる。そうやって俺のことを救ってくれたのは、レイシアちゃん、君自身だ。

 だったら、君自身がそのことを忘れて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、怒らなくちゃいけない。

 共に『レイシア=ブラックガード』を担う者として。

 その再起の価値を知る者として。

 

 

《それとも、わたくし達が歩んできた道のりが、こんな小細工にすら劣るとでも?》

 

《…………ごめんあそばせ。情けないところを見せましたわね、シレン》

 

 

 レイシアちゃんはそう言って、ふっと笑った。

 そして。

 

 

 轟!!!! と。

 

 

 一陣の風が吹き抜けて、呼吸器にまとわりつく水の塊が地面に落ちる。

 水そのものを吹き飛ばしたのではなく、それを制御するナノマシンを吹き散らしたことによって、水が制御を失ったのだ。

 呼吸を遮るものがなくなり、俺達は必至の思いで呼吸をする。ほんの十数秒ぶり程度だったにも拘らず、途轍もなく長い間呼吸を止めていたかのような、そんな苦しさだった。

 

 

「は、……はっ……! はっ……!」

 

「…………なるほど。シレンさんですかぁ? しまったなぁ、二乗人格(スクエアフェイス)の影響を考慮できてませんでした。一方の人格を恐慌状態に追い込んでも、もう片方が健在なら確かにメンタルを回復させてしまうリスクはありましたねぇ……」

 

 

 顎に手を当てて、まるで実験動物の挙動を観察するかのように相似さんは言う。

 多分、彼の手はこれだけで失われたわけではないはず。あと一つか二つだろうか。俺達を完封する為の策を用意していて、だからこそああいう余裕が残っているんだ。

 …………正直、今みたいな初見殺しをあと二つもやられたら、俺達も大丈夫かどうかはかなり怪しい。ただでさえ、前回の電撃や今回の水責めで体力を相当消耗しているんだもの。今だって意識を強く持っていないと膝を突いてしましそうだし。

 そんな内情を察しているのか、相似さんは引き裂くような笑みを浮かべて言う。

 

 

「……気が滅入ってきましたかねぇ? ご安心ください。僕の残り手札はあと五枚です。あと五回、今みたいに乗り切れば、晴れて無策の僕と対峙できますよぉ」

 

「………………五枚」

 

 

 それは、絶望的な事実だった。

 いや、俺達の心を折る為のフカシも入っているのかもしれないけど、本当にあと五枚も切り札があれば、流石に俺達の勝ち目はないかもしれない。気流操作に対するカウンターとか、かなり厳しいラインだよね。

 

 

「あは、流石に諦めてくれましたかね? いやぁ、僕としてもあんまりブラックガードさんのことを傷つけたくはないんですよ。だから降参してこちらに身柄を預けてくれると、とっても助かるんですけどねぇ」

 

 

 でも。

 

 

「アナタは『わたくし達』を攻略したことでレイシア=ブラックガードを攻略したつもりになっているのかもしれませんけど──」

 

 

 すい、と。

 俺は、相似さんの方を……より正確には、その背後に立つ者のことを指差す。

 

 

「『レイシア=ブラックガード』は、断じて独りで戦ってなどいなくてよ? ()()()()()()()()()()()()()

 

 

 悪辣な笑み。

 相似さんは、俺達を倒す為だけに全精力を注ぎこんだのだろう。レイシア=ブラックガードというパラメータに最適化した戦力配置。それだけ準備をしてきた相似さんと俺達では、この戦闘にかけてきた労力が違いすぎる。それじゃあ、俺達が勝てないのは道理だ。

 

 だが、一方で。

 別に戦いは、俺達と相似さんの一騎打ちだけで決まらなくちゃいけないなんてルールは一個も存在しない。

 

 

『……やれやれ。だから他に任せて安静にしていろって言ったのにこれだ。我らが女王様は本当に負けず嫌いだな』

 

「とかなんとか言ってメチャクチャ乗り気だったじゃねえか。えーと、馬場だっけ?」

 

『黙れよ幻想殺し(イマジンブレイカー)。僕はそんなんじゃない!!』

 

 

 相似さんの背後に立つのは、先ほど別れた黒髪のツンツン頭──上条当麻。

 それと、馬場さんの操る四足歩行のロボット、『T:GD』がざっと一〇体。

 

 

「…………増援、ですかぁ」

 

「アナタの言う再起だのなんだのによるわたくし達自身の成長なんて、たかが知れていますわ。それこそ、徹底的に対策を取れば完封できてしまう程度には。ですが……その過程で得た(えにし)。これは、アナタ一人で受け止められるほどのスケールではありませんわよ?」

 

 

 相似さんは、結局最後まで諦めなかった。

 

 そして。

 一人の超能力者(レベル5)を完封する為に全精力を傾けた『木原』と、自分以外のチカラを振るう超能力者(レベル5)が、衝突した。



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一一四話:導くその手は

 それから十数分後。

 

 俺達と当麻さんは、肩で息をしながら『T:GD』三機がかりで取り押さえられた相似さんを見下ろしていた。

 俺達と当麻さんと馬場さんが合流しても抗戦を諦めなかった相似さんだったが────やはり、三人がかりでも手強かった。

 おそらくは俺達に対する初見殺しとして用意した策を分解再構成した相似さん相手に、右手が通用しない手負いの当麻さんと油断すれば初見殺しで即死する俺達。正直、馬場さんがいなければ二人がかりでもかなり勝率的には厳しかったと思う。

 結果的に、一〇機いた『T:GD』のうち七機を犠牲にしたのと引き換えに俺が相似さんの身動きを止め、当麻さんが顔面をぶん殴って気絶させることに成功した。本当に、過酷な戦いだった……。

 

 

「…………で」

 

 

 そうして、相似さんが意識を取り戻した後で。

 俺達は、相似さん相手に尋問を行っていた。

 ちゃんと身体検査も(馬場さんが)したので、安心して情報を搾り取れるというものだ。

 

 

「結局、アナタは何が目的でわたくしの身柄を狙っておりましたの? 木原数多とは違う事情で動いていた──と那由他は推測しておりましたが」

 

「フフ……喋ると思いますかぁ?」

 

「………………、」

 

 

 にやり、と。

 地面に座り込んだ相似さんは、底意地の悪い笑みを浮かべて俺達のことを見上げた。レイシアちゃんは、無言で馬場さんに視線を向ける。

 

 

「死なない程度でしたら構いませんわ」

 

「分かりました分かりましたぁ!! ちょっと拷問のトリガーが緩すぎませんかねぇ!?」

 

 

 レイシアちゃんの言葉に、相似さんは降参とばかりに声をあげた。

 ……まぁ、実際のところ拷問みたいな血なまぐさい手法は俺が絶対に許可しないんだけど、相似さんはまだ俺達のそういう事情には疎そうだったからね。都合のいいことに、相似さんみたいな暗部の人間からしたら俺達は『自陣に暗部の組織を引き込んだ人間』なわけだし。

 

 

「まぁ、別に隠すようなことでもないですしね。僕の目的なんて」

 

 

 ただ、この手はハッタリとしては十二分だった。相似さんはあっさりと白旗を挙げてくれる。

 

 

「──そもそものところとして。別に僕は数多さんと別の目的を掲げて動いていたつもりは全くありませんよ?」

 

 

 ……そして、開口一番にそんなことを言い出した。

 

 

「……? どういうことですの。今回の木原数多の目的は、食蜂でしょう? 実際にわたくし達の方には目もくれずに当麻さん達を襲撃して、実際に食蜂を奪ったではありませんの。那由他の本体も回収していますし」

 

「…………あー、なるほどぉ。インプットが足りてなかったみたいですね。確かに、前提が共有できてなければそう考えるのも当然ですか。ですが、ちょ~っと違うんですよねぇ。数多さんの目的は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ………………何だって……?

 前提の崩壊。今までの成り行き全てが無に帰すような言葉に呑まれかけている俺達をよそに、相似さんは当たり前の前提を共有するような軽い調子で言う。

 

 

「我々の目的はですね、()()()()()。そこにあるんですよ」

 

 

 科学サイドと魔術サイド。

 長らく分かたれていた二つの世界、その境界を打ち砕く──そんな宣言を。

 

 

 


 

 

 

終章 世界全てを敵に回すような Are_You_Ready?

 

 

一一四話:導くその手は Angel_or_Devil?

 

 

 


 

 

 

「な……そ、そんなこと!?」

 

「ここ最近、学園都市では様々な先進技術が現れましたよねぇ。乱雑解放(ポルターガイスト)の利用に始まり、『AIMの天使』や『ドラゴン』。個人の余波としてのAIM拡散力場じゃない。学園都市全域の生徒たちから放出された膨大な力場が折り重なった一つの『系』としてのAIM拡散力場を、利用する技術。何故急にそんな技術が表に出てくるようになったのか、木原一族でも調べる人がいたんですよぉ」

 

 

 職業柄、そういうのも気にする人がいるんで、木原一族(ウチ)には──と語る相似さん。

 ……確かに、ヒューズ=カザキリとかドラゴンとかが出てきたら、疑問に思うのも当然だ。ああいう領域は、間違いなく普通の科学からはかけ離れたところにある技術だろうし。

 超能力が科学的に解明されたからといって、科学がファンタジーと化したわけじゃない。だからこそ、その線引きからかけ離れたモノは科学者から見たら歪に見えるのだろう。

 

 だから、相似さんと数多さんは調べた訳だ。その技術の近縁を。そして──

 

 

「見つけた訳です。この街の『外』にある異能──いわゆる、『魔術サイド』をね」

 

 

 掴んでしまった。世界の『裏』に潜んでいたものを。

 ……それはある意味、原型制御(アーキタイプコントローラ)だのなんだので科学と魔術を切り分けていたアレイスターが一番恐れていた事態なのではなかろうか。木原と魔術。考えられる限りでは最悪の組み合わせだ。

 木原のあの反則的な科学技術のレパートリーに魔術まで加わってしまったら、本格的にどうしようもない。

 

 

「ただまぁもちろん、そんな横紙破りをこの街の王が許すはずもないわけでして」

 

 

 あはは、と相似さんは困ったように苦笑する。

 ……そりゃそうか。とすると、今回の件──アレイスターもそれなりに動いているのだろうか? アレイスターというより、アレイスターの手の者って感じだと思うけれど。

 

 

()()()、我々も対抗手段としてブラックガードさんを確保しようとしていた訳です」

 

「なんでそう繋がりますの?」

 

 

 しれっと俺達を巻き込んできた相似さんに、俺は真顔でそう問い返してしまった。

 いや……本当になんで!? 此処までの流れに俺達全く関係なかったよね!?

 

 

「御自覚ないんですか? 自分が、アレイスター=クロウリーに特別視されていることを」

 

「…………え?」

 

 

 相似さんのきょとんとした台詞に、俺はきょとんとしてしまう。

 と、特別視……? ど、どこが? 俺達は今の今までアレイスターに何もされてこなかったんですけど……。

 

 

絶対能力進化(レベル6シフト)計画」

 

 

 当惑する俺達の逃げ道を潰すように、相似さんは短く切り出す。

 その計画の名を言われて、はじめて俺にも心当たりができた。

 

 

「あの時数多さんがアナタのことを襲った理由については? 何もしなければ、おそらくアナタはあの実験には介入しなかったはずです。()()()()()()()に気を取られていましたからね」

 

「それは……、」

 

「ですが、数多さんの干渉によって事件を強く意識し、介入に至った。あの指示も、数多さんは統括理事会の上層部──統括理事長によるものだと話していました」

 

 

 ………………。

 そう言われてしまうと、アレイスターに俺達がマークされている可能性は確定的になってしまう。

 でも、だとすると俺達の周りはかなり平穏なような気がするんだけれども……それはどう説明がつくんだろう。当麻さんみたいに、意外とふわふわした管理体制なんだろうか……。

 

 

「要は、統括理事長に対する人質って訳です。レイシア=ブラックガードを手中に収めていれば、アレイスターも迂闊な手出しはできないだろうということで。ですから僕の行動指針自体は、数多さんのそれからはそう外れたものじゃないんです」

 

 

 はー……なるほどな。

 

 

《……でも、それなら当麻さんが対象でも良かったんじゃないかな? 当麻さんだって確か『メインプラン』でアレイスターのお気に入りな訳だし。木原一族の立場なら、それくらいは分かると思うんだけど……》

 

《おばかシレン。こんなの半分以上は建前ですわよ。コイツ、絶対個人的にわたくし達に執着していますし》

 

《……えぇー……?》

 

 

 レイシアちゃん、それは流石に恋愛脳すぎやしないかな? 相似さんは『木原一族』だよ? そんな雑味が判断基準に混じるとは思えないけど。

 

 

《まぁ見てなさい。木原一族だって恋くらいしますわ。親戚もいっぱいでしょう?》

 

 

 言いながら、レイシアちゃんはスッと屈んで相似さんに視線を合わせた。

 俺の目の前に、相似さんのきょとんとした表情の顔面が広がった。…………ちょっと近くないかな? あんまり男の人相手にこういう距離感を取るのはよくないと思うよ俺は。ましては当麻さんの前でさ…………。

 

 

「当麻を狙っても良かったのに──むしろ相性としてはそちらの方がよかったのにわたくしを標的に選んだということは…………アナタ、わたくしのこと好きですわよね?」

 

《ちょっ馬鹿レイシアちゃん!?!?!?》

 

 

 …………咄嗟に肉体の口を使って文句を言わなかった俺の自制心の強さを褒めてほしい。

 

 いやホント、何言ってんの!? ちょっ……っていうかこの局面でその確認をする意味も分からなさすぎるし!!

 

 

「……好きじゃありません。過去に一度戦闘をしたことで手の内を分かっていて、勝率が高いから選んだまでです。それにそちらの上条さんは戦闘において不確定要素が多すぎるので、回避した方が賢明でした。実際に一つの能力に頼るブラックガードさんはその能力の起点を潰せばあらゆる手札を封じることが出来、単なる無能力者を相手取るよりも不確定要素が少なく勝率も安定すると計算結果は出ていましたし」

 

 

 ……ほら、あっさり否定されちゃったじゃない。なんだか自意識過剰みたいで恥ずかしくなってきたよ、俺。

 

 

「…………()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「…………!!」

 

 

 …………? なんかレイシアちゃんが話の主導権を握ってるっぽいんだけど、なんであんだけストレートに否定されたのに話の流れがあのまま続いてるんだ……?

 

 

「……まぁ、研究対象としては一戦交えたこともあって興味を惹かれていましたし、それを手中に収められるならまたとない機会だと考えていたのは事実ではありますけど、それ以上に他意はありませんよ。ええ」

 

「ふぅん……?」

 

 

 …………??? あれ、なんでレイシアちゃんが押し勝ってるみたいな感じになってるの……? これどういうこと……?

 

 

「相似」

 

 

 周回遅れになっている俺を置いて、レイシアちゃんはさらに話を進めていってしまう。

 

 

「こちらに寝返りませんこと? 味方をしてくれるなら、負担の軽い実験くらいなら協力して差し上げてもよろしくてよ? ()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 にんまりと。

 レイシアちゃんは、人の悪い笑みを浮かべながらそんな提案をした。

 ……ああ、なるほど。相似さんの目的が俺達だと印象付けておいて、その筋で協力を取り付けようって考えか。

 

 

「それに……わたくし及び当麻の奪取に失敗した以上、アレイスターの手が木原数多に伸びるのは最早必至。そんな泥船に居座るより、さっさと鞍替えした方がアナタの為でしてよ?」

 

 

 言いながら、すいとレイシアちゃんは人差し指を立てて、相似さんの首筋に当てる。

 

 

「応じて、いただけますわね?」

 

「…………拒否権があるようには、思えないんですけどねぇ」

 

 

 研究対象に手が届く興奮ゆえか、少しだけ頬を上気させた相似さんの言葉には、言外の肯定が含まれているようだった。

 ……流石レイシアちゃんだな。やっぱり人間関係(というか利害関係)の調整についてはレイシアちゃんに一日の長があるというか。正直、相似さんの協力を取り付けられるのは本当に有難い。

 異能の絡まない純粋な科学サイドの技術は、当麻さんとは相性悪いからね。

 

 

《…………はぁ、自分でやっておいてなんだか少し自己嫌悪ですわ》

 

《? まぁこのくらいの利害調整はしょうがないんじゃないかな? むしろみんなの危険を遠ざけたんだから誇ってもいいと思うけど》

 

《脳みそお花畑鈍感童貞》

 

 

 なんか唐突にめちゃくちゃな罵倒を入れられたんだけど!? 今の話の流れ、恋愛関係に全く関係なかったよね!? 俺相手の汎用罵倒としてそれが定着されると非常に不本意なんですけど!?

 

 

《ともあれ大ボスの木原数多の前に味方戦力が補充できましたし、バランスを取る為にも当麻とちょっとコミュニケーションをとっておきましょ、……》

 

 

 と。

 立ち上がり、俺達の後ろで交渉を見守っていたはずの当麻さんと馬場さんの方へ向き直った俺達は、そこで思わず言葉を失うことになる。

 

 

 

 誰も、いない。

 

 

 

 当麻さんも、そして相似さんの拘束に遣っていなかった残り一機の『T:GD』も、誰も何も存在していない。まるでもぬけの殻だった。

 

 

「────ッ」

 

「待ってください!! 僕じゃないですよ!!」

 

 

 反射的に『亀裂』を展開して振り返り様に構えた俺達に対して、『T:GD』に拘束されたままの相似さんは慌てて言う。

 …………確かに、何かやれるならまずは対話しようとしていて隙だらけの俺達の方か……。

 

 

 ……いや、待てよ?

 あくまで馬場さんは遠隔操縦なんだから、当麻さんに何かあったら俺達に連絡があるはずだよな?

 

 

『…………ん、ああ。話は終わったかい? 幻想殺し(イマジンブレイカー)だが、実は君が話し始めた直後くらいのタイミングである女と接触してね。そのままその女に連れられて移動中だ。一応『T:GD』を同行させているし、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の機動力ならすぐ追いつけるだろうと思って黙っていたが……』

 

「…………そういうことは、耳打ちでもいいので、すぐに伝えてくださいまし」

 

 

 ほんとに、心臓に悪い……。

 っていうか、とある女? まぁこのタイミングなら関係者なんだろうけど……。でもここから新しい登場人物かぁ……。いよいよわけが分かんなくなってきちゃったな……。

 

 

『ちなみに』

 

 

 馬場さんはそこで、さらに付け加えるように、

 

 

『その女の素性なんだけどね。なんだかよく分からないけど、「魔導書の原典」とか言っていたよ。──君なら分かるかもとも言っていたけど、どういうことか分かるかい?』

 

 

 …………………………………………………………………………。

 

 …………いっっっやぁぁ~~…………ちょっと…………分からないですね…………。




なお、登場キャラはミナ=メイザースではありません。
実は既に今までに登場しているキャラだったり。


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一一五話:礎を担う者

 とりあえず馬場さんに当麻さんにはその場で待機するよう言ってもらいつつ、俺達は白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の『亀裂』の翼で合流を急いだ。

 なお、相似さんとはそのタイミングで別れている。一緒に来ないかって提案したんだけど、レイシアちゃんからの猛反発にあってしまい……。あと、相似さん本人からも断られてしまった。

 なんでも、相似さんの方は相似さんの方でやりたいことがあるんだとか。ろくなことじゃなさそうだけど、一応もう味方になったので信じることにした。

 

 ……しかし、『原典』って誰の事なんだろうね?

 俺の心当たりがある範囲では、ショチトルさんかなあ……? でもショチトルさんが自分のことを原典と自称したりするもんかね? エツァリさん相手なら煽りまじりにやりかねない気はするけど。

 そもそも、魔道書の『原典』っていう概念がよく分からないんだよな。『正史』でも出てきたのってオリアナさんとショチトルさんのとこだけだったと思うし……。情報が全然ない。えーと、確か、地脈の力とかを使って半永久に動く、破壊不可能な魔術オブジェクト……みたいな雰囲気の概念だったよね?

 ………………女の人の形になったりとか、すんの? わからん……。

 

 

《つまるところ、シレンが『読んだ』ところ以降の展開で出てきた要素というわけではありませんの? 『原典』関連なんてモロにそれっぽいではありませんの》

 

《まぁ確かに。考えてもしょうがないかぁ》

 

 

 ……レイシアちゃんのザ・テキトーな言葉に、考えるのは無意味だと判断した俺はとりあえずそういうものだと思うことにした。

 この世界、わりとなんでもありだもんね。

 

 そうして、『T:GD』を運搬しながら高速で飛行すること、三〇秒ほど。

 高空から下を確認しながら空を飛んでいると、見慣れたツンツン黒髪頭が目の端に入った。……おー本当にいた。当麻さんだ。

 で、傍らにいるのが……ゆるくウェーブがかった、ブロンドの髪の女性。ただし、恰好がウルトラ煽情的だった。なんというか、身体のラインが出まくっている。簡単に説明するなら……お札で構成されたボディスーツ? 手足はドレスグローブだったりサイハイブーツみたいな感じに成型されているし、腰の辺りにはミニスカートみたいなヒラヒラがあるけど、そのスカートも股間部分は覆われていないので全体的な印象は『えっちなワンピース水着』であった。

 あと、胸元の開き方が本当にエグい。谷間どころかおへそまで開かれてる。なんだよあの衣装。

 

 

「は、破廉恥な……」「うわっ凄いですわね今の台詞。本物のお嬢様みたいでしたわ」

 

 

 おい本物のお嬢様!

 

 

「ともあれ……、アレが『原典』さんですの?」

 

 

 俺が懐疑的な声を出してしまうのも、無理はないと思ってもらいたい。

 何故なら、この煽情的極まりない……言葉を選ばず表現するならめっちゃエロい恰好の女性を、俺は既に知っているのだから。

 

 

 レイシアちゃんにも似た、毛先がロールした金色の長髪。

 そして、妖しく細められた青眼の眼差し。

 

 

 確かに彼女は、正史において既に登場しているはずで、この歴史においては登場していない空白の駒だったが──まさかこんなところで、こんな形で出てくるなんて、思ってもみなかった。

 

 

「────」

 

 

 すい、と空を見上げた彼女と、視線が交わる。

 彼女の名は、

 

 

 オリアナ=トムソン。

 

 

 追跡封じ(ルートディスターブ)と呼ばれ、あくまで一介の運び屋だったはずの彼女が──

 何故か、此処に来て盤上に現れたのだった。

 

 

 


 

 

 

終章 世界全てを敵に回すような Are_You_Ready?

 

 

一一五話:礎を担う者 "Basis104".

 

 

 


 

 

 

「えーと、あなたの主観からしてみたら、初めましてになるのかしらねぇ」

 

「…………、どこか違う歴史で出会ってたみたいな感じですの?」

 

 

 開口一番。

 正式に合流した俺達だったのだが、オリアナさんはそんな意味深なことを言い始めた。なに? 此処に来てタイムパラドックス的な話?

 

 

「いやん、そんな話じゃないわ。お姉さん相手に前のめりになってくれるのは嬉しいけど、そんなに焦りすぎるとイロイロ上手くいかないよ?」

 

《あっ、わたくしコイツみたいなのダメですわ。シレン、あとはパス》

 

《人間関係の見切りが早すぎるよレイシアちゃん》

 

 

 まぁ言葉選びのセンスは置いておいても、レイシアちゃん持って回った言い回しの人嫌いだもんねぇ。

 ちょっと納得しつつ話し合い担当を変わった俺に対して、オリアナさんはすっと笑みをひっこめて真面目な表情になってから、

 

 

「……お姉さんは、言ってみれば魔術サイドのスパイ。オリアナ=トムソン……と呼ばれていた魔術師()()()()()よ」

 

「………………魔術師、だったもの?」

 

「ええ」

 

 

 首を傾げる俺に、オリアナさん(?)は頷いて、

 

 

「実は、お姉さんの肉体は多分、もう既に廃人状態なのね」

 

「えぇ!?」

 

 

 そ、そんな馬鹿な…………!? いったいなぜ!?

 

 

「そこに繋がる話なんだけどねぇ。お姉さん、さっきも言ったけど魔術サイドのスパイだったの。──話の始まりは、術式を使って学園都市をローマ正教に都合の良い場所に変えてやろうっていう『平和的な侵略』のプロジェクトからなんだけど」

 

「……そんなの、どこも平和的じゃねーだろ」

 

「相対的に、って話よ。魔術の炎で街を燃やすような侵略より、術式の効果で自然と人々がローマ正教の味方になるなら、そっちの方が人道的だ──そういう話が、あったのよ」

 

 

 当麻さんの言葉に少しだけ視線を逸らして言うオリアナさんは、多分もうそんな解決方法が本当に正しいとは思っていないのだろう。……これは想像だけど、多分、件の計画を提唱したリドヴィアさんだって本心からこれが一〇〇%正しい方法とは思っていなかったんじゃないかな。

 でも、多分リドヴィアさんがこの方法をとらなければ、もっと被害の大きいやり方が出てきていたのはのちの世界情勢を鑑みても間違いなくて、そういう絡みもあったりしたんだろう。

 

 ま、もう頓挫したんだけどね──と語るオリアナさんは、遠い目をしながらさらに続けて、

 

 

「頓挫した理由は、至ってシンプル。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……具体的にはブラックガードさん、アナタがパイプ役になってね」

 

 

 言われて、俺は黙って目を逸らした。

 心当たりが全くなかったから──ではない。そう言われてしまうだけの心当たりが、確かにあったからだ。

 そりゃ、魔術サイドから見たらそうなるよね! 学園都市の超能力者(レベル5)が露骨に文通とかして魔術サイドと繋がり持ってるもんね! 警戒するよなあそりゃ! 全く気にしてなかった!!

 

 

「……ま、そうよねぇ。辞めといて正解だったよ、アレ」

 

 

 ……完全に勘違いなんだけど、実際に使途十字(クローチェディピエトロ)をやろうとしてたら『正史』の知識を使ってでも爆速で解決してたと思うので、本当になんも言えない。

 

 

「ただね、敵に読まれていたから作戦を中止させました──だけじゃ、組織としてのメンツっていうのが立たないっていう人が上層部に一定数いてねぇ……。要は、『こっちは作戦なんかやるつもりはなくて最初からスパイのつもりでしたよ』ってポーズを取りたかったわけなのよ」

 

「あー……」

 

 

 大変だなあ、派閥政治。多分責任者の人が他の上層部の人につつかれたりするんだろうね。

 いやいやいや、俺も最近レイシアちゃんの補佐でちょこちょこそういう領域に首突っ込んでるから分かるけど、大変だよねぇああいうの。まぁそれに振り回される現場の人はたまったもんじゃないとも思うけど……。

 

 

「で、もともとの計画で実働部隊だったお姉さんがスパイ役に任命されたって訳。ま、お姉さんアレからソレまでイロイロと器用だからねぇ……」

 

 

 なるほど、『正史』と違ってオリアナさんがこの時期まで学園都市にいた理由は良く分かった。

 土御門みたいな二重スパイじゃなくて、真実ただのスパイとして乗り込んでいたわけだ。

 

 

「その後は、主にブラックガードさん、あなたのことを監視していたの。そっちのツンツン頭クンもそうだけど、この街において科学と魔術が縺れ合う特異点にはあなたがいたからね」

 

 

 いや、普通に当麻さんの方が重要度で言っても高いと思うけど……いや、考えてみれば大覇星祭が終わった後の魔術サイド絡みの事件ってアドリア海の女王の件くらいだっけ? オリアナさん視点だと、今も継続的にステイルさんとか神裂さんとかと手紙のやりとりしてたり、配下にショチトルさんがいる俺達の方が要監視対象……いやマジでこうやって書くと監視対象以外の何物でもないな俺達!?

 っていうかここまでやっといてよく魔術サイドの人たちから「お前を野放しにしてたらヤバイので殺します」みたいな感じにならなかったなホント! ……そっち系の人は当麻さんに行ってたんだろうか。不幸だし……。

 

 

「ただね……ちょっと、問題が起こっちゃって」

 

 

 自分のしてきたことに地味に慄いていると、オリアナさんはそう切り出した。

 ……それが、廃人状態っていうところに繋がってくるのか。

 

 

「実は、お姉さんはスパイ活動がこの街の『暗部』にバレちゃったの。頑張って逃げたんだけどねー、この街の『闇』に属する人たちがなかなか休ませてくれなくて。結局お姉さん音を上げちゃって、最後には捕まっちゃったのね。そしてお姉さんを捕まえた男の名前が」

 

 

 オリアナさんは一呼吸おいて、

 

 

()()()()

 

 

 ………………。

 なんというか。

 全部が、繋がってきた。そんな感覚がした。

 

 

「多分、木原数多はお姉さんのアタマの中から色んなヒミツを抜き出してるでしょうね。お姉さんも、緊急用の準備はしているから正教の情報までは抜かれてないと思うけど……多分、備えが機能しているならお姉さんの本体は今頃廃人かな」

 

 

 数多さんが魔術を利用しようと考えた理由。

 それは、実際にオリアナさんの脳の中身を覗いて魔術の知識を得たからだったんだ。そして……おそらく、廃人になってしまったオリアナさんからさらなる技術情報を得る為に、食蜂さんの心理掌握(メンタルアウト)が必要になった。多分、そういうことなんだろう。

 外装血路(ブラッドサイン)の野望ももちろんありはすると思うけど、始まりについてはそういう感じだと思う。

 

 

「それでは……今わたくし達の目の前にいるアナタ自身は?」

 

「んー、『原典』化(これ)は偶発的な産物。お姉さんも流石にこんなところでイッちゃうのは勘弁だったからね。とにかく死に物狂いで手持ちの『速記原典(ショートハンド)』……魔導書の『原典』を利用した術式を多重使用したの。そうしたら……多分一冊の魔道書として機能しちゃったんでしょうね。気付いたら、オリアナ=トムソンの意思を持つ『原典』として機能してたって訳」

 

 

 さっと説明するオリアナさんは、多分事情をそこまで理解してもらうつもりはないんだろう。

 此処にインデックスがいればそれがどれだけ凄まじい事態かは説明してもらえたと思うけど、此処にはいないし。俺達に分かるのは、オリアナさんが今置かれている状況は『正史を含めても今までで類を見ない異常事態』ってことくらいだ。

 科学サイドで類似の事象をさらってみると、一応この間の事件で登場した悠里千夜さんの状況が該当するけど、これはまたちょっと凄さが違う話だと思う。

 

 

「その後は、捕縛されたお姉さんの本体を囮に逃走成功。……でも、まずは木原数多をどうにかしなくちゃいけないから、どうにかできそうな人に助けを求めた──ってことになるのかしらね」

 

 

 ああ、それで当麻さん……。

 ……いやいや、そういうタイミングのオリアナさんと出くわすあたり、当麻さんは本当に持ってるよね。

 

 

「それはちょうどよかったですわね。こちらとしても、数多さんに大事な人を攫われておりまして。確保する為に動いておりましたの」

 

「そういうわけだ。やることは変わらねえよ。……ただ、お前はいいのか」

 

 

 当麻さんは、そう言ってオリアナさんを見据える。その表情には、不安が見て取れた。

 ……ああそっか。当麻さん、直近で見ちゃってるもんな。自分が『偽物』だと知って、それで絶望しちゃった子を。そういう苦しみがあるってことを知っちゃってるんだもん。実際にその苦しみを抱えているであろう人を前にして、何も思わないなんて器用なことができる人じゃない。

 

 

「あはは、お姉さんのこと心配してくれてるの? 嬉しいわね。……でも、心配には及ばないわ。たとえお姉さんがお姉さんでないとしても、この胸に刻んだ一つの願いまで偽りになるわけじゃないもの」

 

 

 そう言って、オリアナさんは胸に手を当てる。

 それは、まるで宗教画のように神々しい姿で。

 

 

「……『礎を担いし者(Basis104)』。お姉さんの願いは、今もお姉さんの中心にある。それさえ確かなら、自分が自分かどうかなんて問題じゃないよ。お姉さんはその至上命題の為に存在し続けるだけ」

 

「…………すまない」

 

 

 その答えを聞いて、当麻さんは深々と頭を下げた。

 

 

「つまんねえことを聞いちまった」

 

「いいえ? たまには優しいのも悪くないかなって。お姉さんちょっとだけ悦んじゃった」

 

 

 そんなことを言い合いながら、俺達は一旦足を止める。

 そこには──一棟の廃墟が建っていた。

 

 

『……此処からショチトルの反応がある。廃墟だが中はかなりしっかりした研究所らしいぞ。三人は今も探索中だそうだ』

 

 

 『T:GD』ごしに、馬場さんが状況を連絡してくれる。

 よかった、まだ三人は交戦中とかじゃないんだね。

 

 

「三人とも、準備はいいか?」

 

「ええ、もちろん」

 

「お姉さんもいつでもイケるわよ?」

 

『サポートくらいならいくらでもしてやるさ』

 

 

 俺達三人の返事に頷き、当麻さんは言う。

 

 

「んじゃ──取り返しに行くぞ。食蜂も、那由他も、オリアナも。……木原数多に奪われた人達、全てを!」




感想欄を見たら速攻でオリアナさん原典化展開を読んでる人がいてビビっちゃいました。キャラ魔改造の手口が完全にバレている……。


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一一六話:辻褄合わせの着地点

 研究所の壁を白黒鋸刃(ジャギドエッジ)で破壊して内部に侵入した俺達は、研究所内部を見て愕然としていた。

 

 

「こ、これは……!?」

 

 

 当麻さんが目を剥くのも無理はない。

 外部からは学校の廊下くらいの道幅しかなかった研究所の通路が、実際に中に入ってみると、体育館ほどの広さの空間に変貌していたのだから。

 

 これは……魔術?

 っていうか、神殿になっているってことなんだろうか。……だとするとインデックスがさっさと突破していそうな気がするんだけど……。

 

 

「うーん、これはちょっとヤラれちゃったかも?」

 

「……どういうことですの?」

 

 

 唇に人差し指を当てながら言うオリアナさんに、レイシアちゃんが問いかける。

 オリアナさんはちょっとだけばつが悪そうにしながら、

 

 

「そっちの彼の右手。触れるだけで魔術を壊しちゃうんでしょう? ……おそらく、この異常な空間の拡張は、彼がこの神殿を形成していた術式を殺した『結果』ね」

 

「は……?」

 

「『場を区切る』という行為は、儀式魔術の基礎中の基礎。おそらく、本来この研究所に付与されていた術式は『神殿』と呼べるようなレベルに至る前の、そんな基礎中の基礎だったはず。ただ、そんな出来損ないの『神殿』でも、正規の手順を踏まずに乱暴に破壊されてしまえば」

 

 

 ……内部の空間が、こんな風に歪んでしまう……ってことか……!? いやでも、そんな都合の良い事態が発生するか!?

 しかも、『幻想殺しで消した結果の方が明らかに歪んだ形になる』なんておかしいだろ!?

 

 

「何か勘違いしているようだけど、もちろんこれだけでおしまいじゃないと思うよ? これは言うなれば、津波の前兆。広がった空間は、その分反動で収縮して──おそらく、儀式場全体がミクロの単位まで一旦圧縮される」

 

「!!」

 

 

 『場を区切る』……という行為が不正に終了したから、区切った場が一旦めちゃくちゃにされる……ってことか!? なんだその即死トラップ!?

 いや……もしかしたら、ここまでが数多さんの作戦? 当麻さんが乱入した時点で神殿が破壊されることを見込んで、ドミノ倒しみたいに『壊された後の形』を想定して術式を組んだってことか……!?

 

 

「ど、どうしますの!? 猶予はどれほど残っていますの!? こんな……!」

 

「安心してちょうだい。そんなに緊張してたら楽しめるものも楽しめないよ。言ったでしょ? お姉さんは魔道書の『原典』。つまり──」

 

 

 オリアナさんの言葉と共に、オリアナさんの右腕を水平に伸ばす。

 すると、ブワァと彼女の右腕が蓮の花のように『開花』した。

 

 瞬間。

 轟!! と赤色にも青色にも黄色にも緑色にも見える光がオリアナさんの右腕から放たれ、空間そのものを()()()と掴んだ。

 

 

「……な、何をしたんだ?」

 

「今のお姉さんは、色と文字と頁と角度の制約を超えて五大元素にソフトタッチできちゃう状態だからね、エーテルを介して空間そのものに手を伸ばして、崩壊をちょっと遅らせてみちゃったの」

 

「……ってことは……!」

 

「でも、安心はしないで。それでも制限時間は一〇分程度。しかも右腕は術式の維持に遣いっぱなしだから、お姉さんの右腕はもう死んだものだと思ってね」

 

 

 ……それに、現状既に、看過しがたい状況も発生しているしな。

 

 そもそも、何故研究所が神殿化しているのか?

 此処が神殿化しているということは、誰かが魔術を行使したということだ。そしてそれは先行したショチトルさんやインデックスでは絶対にない。ということは、必然的に容疑者は数多さんに絞られることになる。

 

 そう。()()()()()()()()()()()使()()()()()()()

 

 十中八九オリアナさんを何かしらの形で利用しているのだと推測できるが、数多さんが魔術を行使できているとすると、かなりマズイ。ただでさえ、外装血路(ブラッドサイン)の完成まで既に秒読みというくらいに猶予はないんだ。魔術的な方面からのアプローチを仕掛けられれば、さらに猶予は短くなっていく。

 ……もしもあの技術が完成してしまえば、その時は本当に科学サイドと魔術サイドの全面戦争になってしまう。それだけは、絶対に避けないといけない。

 

 

「馬場さん! インデックスの位置は!?」

 

 

 まずは、とにもかくにもインデックスとの合流を優先すべきだろう。魔導書の『原典』にインデックスの知識が揃えばそれこそもう向かうところ敵なしだし。

 そう思って馬場さんに確認しようとしたところで──肝心の『T:GD』が機能停止していることに気付いた。

 

 

「……抜かりましたわ。これほど空間が歪んでいるのであれば、外界からの通信もメチャクチャになっているはずですわね。これは……馬場さんからのサポートは受けられないものと考えるべきでしょうか」

 

 

 これは痛い……。だが、失ってしまったものに拘泥していても仕方がない。

 馬場さんだったら、状況から事態を把握して後追いでサポートを入れてくれるかもしれないし、俺達はやるべきことをやろう。

 

 

「Insert/おー、随分楽しんでもらってるみてえじゃねえか」

 

 

 と。

 そこで不意に、体育館並に空間が広がった廊下の向こうから、男の声が聞こえてきた。

 木原数多──ではない。

 もっと野太い、ガタイの良さを連想させる声色だった。

 

 暗がりから浮かび上がる人影は、ともするとモンスターかと錯覚するくらいに隆々とした力強さをたたえている。

 固唾を呑んで戦闘態勢に入った俺達だったが──その姿を見て、少なくとも俺は、愕然とすることとなる。

 

 

「…………アナタは…………!」

 

 

 


 

 

 

終章 世界全てを敵に回すような Are_You_Ready?

 

 

一一六話:辻褄合わせの着地点 In_October_3?

 

 

 


 

 

 

 その男は、厳つい筋肉を安物のジャケットで覆った、ゴリラのような印象の大男だった。

 髪は刈り上げられた黒。浅黒い肌に眉のない風貌は、気弱な子どもが見たらそれだけで泣き出してしまうような威圧感があるだろう。

 だが実際のところ、俺が受けた衝撃はそこにはなかった。

 俺の受けた衝撃の源泉。それは──

 

 

《駒場、利徳……!?》

 

 

 この場に出現することを予測すらしていなかった人物の登場。そこにあった。

 

 

《どういうことですの!? なんでこのタイミングで駒場が!? というかアイツ、時期的にもう死んで……、》

 

《…………いや》

 

 

 狼狽するレイシアちゃんに、俺は静かに言った。

 そうだよそうだ。というか、なんで俺は今まで全く気付かなかったんだ!?

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!!!

 

 

《絶対におかしいことだったんだ……! 時系列の流れとして、一方通行(アクセラレータ)さんの暗部堕ちと駒場さんの死、浜面さんの暴走、『アイテム』への参入は地続きになっている。なのに、一方通行(アクセラレータ)さんはまだ暗部に堕ちてもいないのに浜面さんと当麻さんは面識があって、浜面さんは『アイテム』に参入していた。これじゃあ、どう考えたって辻褄が合わないんだ!!》

 

 

 つまり必然的に、一方通行(アクセラレータ)さんの代わりに武装無能力者集団(スキルアウト)の解体を行った者がいたことになる。

 だから、本来の時系列よりも早くスキルアウトが壊滅し、浜面さんが『アイテム』に参入するという事態が起きた。それゆえに、あの事件においてもフレンダさんと浜面さんなんていう組み合わせが成立した。

 

 

「アナタ……何故……」

 

「Insert/おっ、流石にこっちの素性まではすぐに分かっちまうか。そりゃそうだよな。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 そしてそれを成り立たせた立役者は……、

 

 

《木原数多が、その空いたピースに埋まったということですの!? 少しお待ちを! いくらなんでもそれは出来すぎではなくて!?》

 

《確かに出来すぎだと俺も思う。……でもそれは、()()()()()()()()()()()()()?》

 

《…………、》

 

 

 考えてもみろ。

 そもそも、あの絶対能力進化(レベル6シフト)計画だって、数多さんが妹達(シスターズ)を操っていたはずだ。

 俺達が活動を始めてから、本格的に『プラン』に関わるようになってからというもの、数多さんは常に俺達に関わってきていた。まるで、俺達が現れたことによって生じた歪みを一身に受けるみたいに。

 

 

《俺達の行動の余波の裏側には、最初から彼がいた。それがどういう理屈で選定されているのかは分からないけど、とにかく()()()()()()()()()ということは、現状では否定できないはず》

 

 

 自分でも言っていて無茶苦茶だと思うけど、そう思わざるを得ない。

 そして今、数多さんは駒場さんを新たな手駒として、俺達に攻撃を仕掛けてきた!

 

 

「Insert/いやあ、実験の為に丈夫なモルモットが欲しかったんだがよお。見ろよこれ! 完璧なスペックじゃねえか! まるでモルモットになる為に生まれてきたみてえな人材だぜ!!」

 

 

 駒場さんが、無表情のままに哄笑する。

 なんだか感じ入っているような雰囲気だけど、木原相手に油断することはできない。こっちには右腕が使えないオリアナさんと上条さんしかいないわけだし、さっさと無力化してしまうしかない。

 

 ドシュシュ!! と。

 『亀裂』を伸ばして駒場さんを捕えようとした俺達だったが、次の瞬間ギョッとする光景を目にすることとなる。

 

 駒場さんは、『亀裂』に構わず前進していた。

 そう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「ばっ……!」

 

 

 慌てて俺は『亀裂』の伸長を止め、先端を丸めて万一にも駒場さんの身体が切断されないようにする。

 

 

「Insert/甘っめぇなあ。相似の野郎はガキだからムキになりすぎて、ちゃーんと相手のことを見れてねえんだよ。大層な技術なんか用意しなくても、クソガキの弱点なんか最初っから目の前にあるだろうが。人ッ子一人殺せねえ甘ちゃんですよって善人ヅラがなぁ!!!!」

 

 

 嘲笑。

 『亀裂』の動きを無理やり抑えた俺達の隙を突くように、駒場さんは拳を引き絞りながら俺達目掛け跳躍する。

 その脇腹に、オリアナさんの踵蹴りがめり込んだ。

 

 

「ぐあっ……!!」

 

 

 ノーバウンドで数メートル吹っ飛んだ駒場さんは、そのまま体育館みたいに広くなった廊下の上をゴロゴロと転がる。……危ないところだった。

 

 

「オリアナさん! 助かりましたわ!」

 

「いーえ。……それよりあのコ。随分おっきいわね……。まともに受け入れたらお姉さん壊されちゃいそう」

 

「木原!! テメェ!!」

 

 

 地面を転がった勢いでそのまま立ち上がった駒場さんを見て、当麻さんが吼える。

 当麻さんも、数多さんが駒場さんを操っているということは理解できたようだ。

 

 

「Insert/あー? 何をテメェら今更この程度でワチャワチャしてんだ。こんなもん『木原』にとっては序の口だってことくらい、とっくに分かってんだろ? 次の瞬間コイツの顔面が花みたいに開いて中からマシンガンが出てきてもおかしくない。テメェらはそういう次元で戦ってんだぞそこんとこ分かってんのかー?」

 

 

 …………。

 

 

 数多さんの身の毛もよだつような挑発を耳にしつつ、一方で俺は冷静に思考を巡らせていた。

 

 このタイミングで、数多さんが駒場さんを盤上に投入してきた理由はなんだ? もちろん、俺達に対する妨害ではあるんだろうけど……逆に言えば、なぜ数多さんは妨害を展開する必要がある?

 当麻さんが現れたことによる空間の崩壊。これは数多さんにとって、計画通りの事象のはず。オリアナさんによって空間の崩壊が食い止められること、これは多分、計算外だろう。

 ……数多さんにとって、空間の崩壊が始まらないまま俺達が研究所に侵入すること、これ自体が計算外ってことになるのか? 数多さんは、俺達をここで足止めさせて時間を稼ぐことで、予定通りの『空間の崩壊』を実行しようとしている……?

 

 ……だとするならば。

 此処で駒場さんに時間を取られるのは、得策じゃない。

 

 

「当麻さん。オリアナさん。お二人は、研究所の奥へお進みください」

 

 

 当麻さんは、駒場さんとの純粋な相性で言えば最悪。

 オリアナさんは多分有利をとれるけど、正直これ以上木原さんに魔術サイドと接触されるのはちょっと怖い。

 つまりこの場を受け持つ適任者は……俺達だ。

 

 

「ここは…………わたくし達が。レイシア=ブラックガードが引き受けますわ」

 

「Insert/ほお? 面白い。楽しませてくれるじゃねぇか、この世界ってヤツはよぉ」

 

 

 …………正直、絶対相手をしたくない相手の一人だったんだけどね。この人。



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一一七話:吊られた女

 駒場利徳という戦力だけを見れば、俺達に恐れる要因はあまりない。

 

 確かに駒場さんは一方通行(アクセラレータ)さんを技術や工夫によって追い込んだりもした侮れないところがあるが、裏を返せば彼は策を弄さない限り高位能力者には太刀打ちできない。

 その圧倒的な身体能力と、相手の能力に対するメタ戦法。それに注意を配って外堀を埋めるように戦っていけば、決して苦戦する相手ではない。

 だが……それはあくまで駒場利徳さん本人を相手にしていた場合の話だ。

 

 

「Insert/オラッオラァどうしたクソガキぃ!! さっきっから逃げてばっかでちっともバトルになってねぇじゃねえかぁ!!」

 

 

 ──木原数多。

 円周さんをして、『金槌レベルの破壊を電子顕微鏡レベルの精密さで制御する』男に、駒場さんの膂力が加わった場合、どんな極悪な現象が発生するのか、想像もできない。

 正直、殴ったときのエネルギーが奇怪に変換されて電流が発生したりしても俺はちっとも驚かない。だから、数多さんの手札を見極めてから勝負に出たいわけだ。

 

 

「Insert/それとも何か……? 天下の裏第四位(アナザーフォー)サマともあろうものが、無能力者(レベル0)相手にビビっちまってるっつーのかあー?」

 

「ほう……? 見ないうちに随分と安い挑発を、」「強度(レベル)は警戒の基準にはなりえませんわ。誰であれ、強者を食らう牙を持っている。この街で生きていれば、自然と分かることです」

 

 

 レイシアちゃん、それもしっかり挑発に乗っちゃってるからね……。

 

 

「Insert/随分弱腰だなぁオイ。ビビりすぎて時間が有限だってことまで忘れちまってんじゃねぇだろうな、ああ?」

 

「忘れていませんわ。ですが、アナタを相手に焦燥に気を取られることは下策。その程度の揺さぶりでわたくしがその初心を忘れることはなくってよ」

 

「……、Insert/チッ、めんどくせえな」

 

 

 数多さんはそう言って、腰を低く落とした。……来るか!

 

 

「Insert/コイツが本来使っていたのは発条包帯(ハードテーピング)っつー欠陥品でな。笑えるだろ。欠陥品が高位能力者と渡り合う為に欠陥品使ってんだよ!」

 

 

 『木原』特有の露悪だ。多分本心から言ってるんだろうけど、それはそれとして敵対者の冷静さを奪う為の言動。これ自体に意味はない。

 分かっているからこそ、俺は数多さんの一挙手一投足をつぶさに観察していた。だからこそ、俺は一瞬早く動くことができた。

 

 

「Insert/アホらしいよなあ。馬鹿正直に運動性能の向上に使わなくたって、こういう使い方もできるのによぉ!!」

 

 

 『亀裂』の翼を展開した俺達が一瞬前にいた場所を、『何か』が高速で通り過ぎて行った。

 ……多分、先ほどまでの攻防で発生していた研究所の瓦礫だろう。そしてそれを俺達の方へ飛ばしてきたのは……駒場さんだ。

 

 ──見ると、駒場さんの姿は異形と化していた。

 腕や腹から、触手のように薄っぺらい『何か』が伸びている。……あれは……発条包帯(ハードテーピング)だろうか。

 

 

発条包帯(ハードテーピング)は電気的刺激に反応することで伸縮し、使用者の運動性能を飛躍的に上げる包帯。言ってみれば駆動鎧(パワードスーツ)の動力補助部分のみを抜き出したようなシロモノだけど……それを発展させれば、『電気的刺激に反応して動く新たな四肢』として使えるってことでもあるのか》

 

 

 ……厄介だから切断したいところだけど、数多さんの動きが自由なままだと『自滅狙い』の動きをされてしまうからそれもできない。

 ただ、駒場さん本人はあくまでも普通の人間だ。能力や術式によってよく分からないバリアを張っているわけでもない。

 

 

「これは……どうでして!?」

 

 

 ドヒュウ! と、展開した『亀裂』の繭を解除することで、暴風を駒場さんに叩きつける。

 直撃すれば車もひっくり返すほどの威力だ。駒場さんがまともに受けたら、当然ひとたまりもないわけだが……、

 

 

「Insert/こっちのスペック確認か? まぁ見せてやるけどよ」

 

 

 この一撃は、発条包帯(ハードテーピング)の触手によって弾かれてしまう。本来であればあの重量で俺達の暴風攻撃を防ぐことはできないはずなんだけど、おそらく発条包帯(ハードテーピング)自体が生み出した気流によって暴風に干渉したのだろう。

 口笛一つでこちらの気流を乱してきた数多さんだ。そのくらいはやってきてもおかしくない。

 

 …………。

 

 

 …………待てよ?

 

 

 そうだ。何故今まで気付かなかったんだ?

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()!!

 

 俺達は既に暴風攻撃や『亀裂』の翼による高速移動まで、さまざまな部分で気流操作を行っている。もしも数多さんがドッペルゲンガーさんの件でやったように気流を乱す攻撃をしてきていたら、俺達は高速移動や気流操作抜きで駒場さんと戦わざるを得なくなっていた。

 『亀裂』に対する自滅行動も相まって、俺達の手札は極端に制限されていたはずだ。

 

 にも拘らず、数多さんはそれをしなかった。数多さんの性格上、使えるなら思う存分使ってきているはずだ。それをしてきていないということは……。

 

 

《……なるほど。流石にラジコンまで精密操作できるわけではない、といったところかしら》

 

 

 レイシアちゃんの言葉に、俺も頷く。

 

 

《ああ、多分そうだと思う。もちろん十分精密な動きにはなるんだろうけど……操作の結果出力される駒場さんの肉体の動きは、やっぱり数多さん本人の精密な動きには届かない。だから、気流操作を乱す波長の音波を出したり、あるいは一方通行(アクセラレータ)さんの反射を貫くような精密な体捌きは使えないんだ》

 

 

 それを俺達に悟らせないための、あの異形の発条包帯(ハードテーピング)というわけか。

 ……しかしだとすると、先ほど俺達の暴風攻撃を弾いたのは……。

 

 

「Insert/そろそろ気付いた頃か? ああそうだよ。このモルモットは優秀だが、俺本来の精密な動きまでトレースできるわけじゃねえ。能力者だったら演算性能の関係で能力だけなら精密操作はできたかもしれねえが、まぁこのへんはタラレバだ。だが……触手みてえな発条包帯(ハードテーピング)だけを武器に、この俺が駒を盤上に出すわけがねえよなあ?」

 

 

 ゆらり、と。

 数多さんの言葉を象徴するような不気味さで、ゆっくりと四対の発条包帯(ハードテーピング)が持ち上がる。それはまるで、人体に巣食う異形のようで──

 ──そのシルエットに一瞬、オリアナさんの姿が重なる様に()()()()()()

 

 

(……な、んだ、今の……!?)

 

 

 見えたのは、十字架に磔にされたオリアナさんのイメージ。……でも、その姿は先ほどまで同行していた彼女の煽情的なそれではない。学園都市でよく見る『普通』の衣装に身を包んだ、普段着姿の彼女だ。

 これは……、

 

 

「Insert/それじゃあ問題です! 発条包帯(ハードテーピング)以外に、どんな武器を以て木原数多はお前らの足止めをしにきたでしょーうかァ!!」

 

 

 直後。

 駒場さんの周囲に、四色からなる『渦』が生まれた。

 

 

 


 

 

 

終章 世界全てを敵に回すような Are_You_Ready?

 

 

一一七話:吊られた女 Sacrifice_Lady.

 

 

 


 

 

 

「こ、れは……!?」

 

 

 四色。

 赤、青、黄、緑。原色が入り混じった、しかし溶け込みはしないその力の奔流を見て、俺はすぐさま悟った。これは……魔術だ。

 原色ということは、四大属性による魔術。だとすると……俺は魔術は『読んだ』程度の知識しかないけど、たぶん基本的なカバラ……? とか、アレイスターや『黄金』系の結社が使うオーソドックスな魔術なんだろう。

 オリアナさんは、文字やその色などで属性を調整した術式を使っていたはず。『原典』と化したオリアナさんも、基本的にはその枠組みからは出ていなかったから……先ほどのイメージと合わせて考えると……、

 

 

「数多さん、アナタ……それは、オリアナさんの……!?」

 

「Insert/おー、分かるヤツには分かるか。流石は魔術サイドの『窓口』。まぁそうだな、白状しちまうと、別に俺は魔術の知識を修得したわけじゃねえ。ま、インターフェースを整備しただけだな」

 

 

 あっさりと答えるのは、数多さんにとってそれはそこまで重要ではないということ。

 そして……俺達には、どうしようもないと考えてるってことだ。

 

 

《インターフェース……つまり、あの術式自体はオリアナを介して発動しているってことですわね! 考えてみれば、魔術なんていう異界の知識を取り込むのはモルモットの仕事とか、いかにも『木原』が考えそうなことですわ……!》

 

 

 レイシアちゃんはそう言って、術式に対して対抗する能力の演算を始める。

 確かにレイシアちゃんの言う理屈なら、数多さんが突然当麻さんの右手を考慮に入れた結界を作り出したり、こうやって魔術を行使したりするのにも説明がつく。でも……それとはまた別で、何かある気がする。

 いつもなら、とりあえず捨て置いて目の前の攻撃に対して意識を集中させる程度の、そんな些細な違和感。

 でも、何故か俺はそこで今抱えている違和感を捨て置けなかった。何か、重大な過ちを見落としている気がした。そしてそれを放置することは、取り返しのつかない事態を引き起こすような気がして──。

 

 

「……Insert/ああ? テメェ、その眼……」

 

 

 ──その瞬間、俺の脳裏に電流が走った。

 そうだ!! ()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()!!

 

 駒場さんは確かに能力を持たないが、それは能力開発をしていないということじゃあない。駒場さんは無能力者(レベル0)であり──『開発をしたのに大した能力が発現しなかった能力者』なのだから。

 だから、たとえ能力が使えなかったとしても、能力者はその時点で肉体の回路が別物になっている。それは土御門さんが証明しているわけで──当然、駒場さんも魔術を使えば相応のダメージを負うことになる。これ自体は、考えればすぐに分かることだ。

 

 では、この局面においてそれが何を意味するのか。

 それを考えれば、数多さんの目的は想像できる。

 

 ──魔術を使用し、すぐに治療しなければならないほどの重傷を負った駒場さんを前にしたら、俺達はどう動くか。

 

 

《駒場さんを使って…………俺達を戦線離脱させようとしているのか…………!!》

 

 

 この戦法ならば、俺達が駒場さんの使う術式に対してどう対応しようが関係ない。

 魔術を扱うインターフェースたるオリアナさんさえいれば、適当な術式を使うだけで駒場さんは自爆する。そして俺達は、そんな駒場さんを見捨てることができずに彼を病院に連れていく。どんなに急ごうと、此処から病院まで行けば戻ってくる頃には結界崩壊のタイムリミットには間に合わないだろう。

 かくして俺達は、戦線離脱(リタイヤ)を余儀なくされるというわけだ。

 

 

「Insert/その様子じゃあ、気付きやがったようだなぁ? ヒャハハハ! そうだよそうだ、大正解!! 武器はコイツ、()()()()()()!! 動物愛護がご趣味の裏第四位(アナザーフォー)サマは、こんな不良カスが相手でも見捨てられねえよなあ!? それじゃあロシアンルーレットの時間だぜ聖女様ァ!!!!」

 

「…………!!」

 

 

 ヤバイ、これは本当にヤバイ……!

 土御門さんが今まで生き残ってこれたのは、肉体再生(オートリバース)っていう能力があったからだ。後先考えずに魔術を乱発されたら、本当に死んでしまうぞ……!?

 くっ、なんとか『亀裂』で空間を遮断することで、数多さんからの操作を切り離せないものか……!

 

 

 シュドドド!! と『亀裂』を展開しようと試みるものの──『亀裂』で密閉したにも関わらず、徐々にその間に隙間が生まれてしまう。

 

 

「……こ、これは……!?」

 

「Insert/おいおいもう忘れちまったかあ!? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!? 密閉してコイツを操っている電波を遮断しようが、そんなモンは無駄なんだよ!」

 

 

 う、わ……! しまった……! 色々ありすぎてそのこと完全に忘れてた!

 くそ、それじゃあどうしたら……!

 

 

「──んでもって。お前なら、コイツを人質として提示した時点で慌ててそのことしか考えられなくなるって信じてたぜえ? クソ善人(バカ)女」

 

 

 ──一瞬、だった。

 いや、油断していたわけじゃない。むしろ最大限に警戒していた。たぶん、警戒していたからこそ……俺は、数多さんの繰り出す戦略に対してきちんと思考を巡らせることができなかった。

 そしてその一瞬の失策のツケは、すぐに来た。

 

 虚空にきらめくのは、風属性を示す黄色の文字。

 刻まれるのは、『Wind Symbol』という言葉。

 

 その意味は──

 

 

「Insert/『昏睡の風(ドロップレスト)』ってかァ!?」

 

 

 何の因果か、放たれたのは透明な風の槍。

 血を吐きながら叫ぶ駒場さんの姿に、魔術行使をなんとか妨害しないとと考えていた俺達は対応が遅れ──

 

 そしてその一撃が、俺達の胸に突き刺さった。




昏睡の風(ドロップレスト)は原作にも登場したオリアナさんの技で、効果は『直撃した者の意識を強制的に外界から内界へ向け直すことで気絶させること』です。


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一一八話:全ての裏に潜む謎

 ──もちろん、俺はともかく『レイシア=ブラックガード』が全く対策を講じていなかったかというと、そうではなかった。

 確かに、俺の意識は駒場さんのダメージでひどく動揺していた。彼の魔術行使を停止させるため、まずは数多さんの操作を止めようと、そこに意識のリソースを割かれていたことは否定できない。

 とはいえ、レイシアちゃんは、俺と違って多少薄情な部分もある。

 だから、俺が駒場さんを救う為に躍起になっている裏側で、数多さんの狙いに対して思考を巡らせる余裕もあった。

 だから、数多さんが『昏睡の風(ドロップレスト)』を発動させた瞬間、レイシアちゃんには『亀裂』を展開する余裕があった。

 実際に、レイシアちゃんは術式発動前に『亀裂』を展開し──実際に、『昏睡の風(ドロップレスト)』の本体たる、風によって形成された無色の槍を防ぐことには成功していた。

 

 ただし。

 

 忘れてはいけないのは、魔術はあくまでも超能力──通常の物理法則の範疇に沿って動く攻撃とは異なる、という点だ。たとえば、気流を何かで防いだとして──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という話である。

 結論から言うと、レイシアちゃんの警戒だけでは、俺達に必要な防御は足りていなかった。

 数多さんの油断を誘う為に透明な形で展開した『亀裂』によっていったんは遮られた透明な気流の槍は、しかし一度拡散したあとに再度虚空で集約し──そして、再度俺達へと降り注いだ。

 流石のレイシアちゃんも、そこまで攻撃が継続するとは予測できておらず、そして駒場さんを止めることに意識を割かれていた俺も当然対応はできず。

 結局、『昏睡の風(ドロップレスト)』は俺達の胸元を無慈悲にも貫いたのだった。

 

 その瞬間。

 

 気付けば俺は、大都市の大通りのような場所に立っていた。

 

 そこは、白と黒に支配された世界だった。

 天空は、白と黒で構成されたマーブル模様。数車線分はある大きな車道を挟むようにして立ち並ぶビル街も、その白と黒の空を反映するようなモノクロスケールの色合いを反射している。

 右を見ても左を見ても、そこはあらゆる色合いを失った世界だった。

 

 

「シレン」

 

 

 そんな世界で、俺の目の前に立つレイシアちゃんは、どこか清々しささえ感じる表情を浮かべながら、俺に呼びかけていた。

 

 

「今回、わたくしはここまでのようです。あとは、アナタに任せましたわよ」

 

 

 事態を理解するまでもなく。

 レイシアちゃんはそう言って、俺の肩を叩いた。

 

 何かを言うような暇もない。

 

 それでも俺は慌てて口を開こうとして────

 

 

 


 

 

 

終章 世界全てを敵に回すような Are_You_Ready?

 

 

一一八話:全ての裏に潜む謎 Near-Death_Promiss.

 

 

 


 

 

 

「Insert/ヒャハッ」

 

 

 駒場利徳の声から、下卑た笑いが漏れた。

 あるいはそれこそが彼自身に対する最大の侮辱であるかのような感情の色を帯びた笑みの根源は、分かりやすい勝利への確信からだった。

 

 『昏睡の風(ドロップレスト)』。

 風の黄色と、風を意味する文字を組み合わせた『原典』の術式で、その効果は名前の通りの『昏睡』。意識を強制的に外界から内側へ向け直すことで対象を気絶させる術式である。

 もちろん、この『風』は魔術によって生み出されているものであり、通常の物理法則に沿う現象ではない。具体的には──この術式は、標的を追尾する。

 レイシアが『亀裂』によって防御したにも関わらず術式を受けてしまったのは、これによるところが大きい。

 

 そして、食らえば昏睡する風の槍をレイシアはモロに受けた。

 当然、レイシアの身体は前のめりに斃れ──

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 

「Insert/は?」

 

 

 素っ頓狂な声を挙げながらも、木原数多は瞬時に思考を巡らせ、そして思い至る。『暴発だ』、と。

 レイシアはその戦法の都合上、戦闘中に幾つもの『亀裂』の繭を展開し、それを適宜解除することで気流操作を実現している。高速移動は『亀裂』の翼によるものであることが多いが、そうでない場合も当然あり得る。

 今回レイシアを昏倒させたということは、レイシアが状況に応じて使うつもりだった気流操作が一気に解放されることになる。つまり、その結果気流が暴発して、それでレイシアが急加速したと考えるのが最も妥当な展開だ。

 

 

(……いや、あるいはその方向性を制御して、最後の最後に捨て身でタックルをかまして相打ちに持ち込もうとしてるって可能性もあるっちゃああるか。んじゃ、最後まで気は抜かずにピッチャーフライを処理するとしますか)

 

 

 そう結論し、数多は駒場に防御の姿勢を取らせる。

 その直後。

 

 ゴガン!! と、猛烈な衝撃と共に駒場の身体が傾いだ。

 数多は、駒場の肉体と痛覚は共有していない。平衡感覚や触覚、視覚などの一部の感覚を、まるでVRゲームのように認識して操作している。だから、一瞬何が起こったのか理解できなかった。

 

 レイシア=ブラックガードの全力の右拳を側頭部に食らったのだと理解したのは、駒場の足腰から実際に力が抜け、尻餅を突いた後の事だった。

 

 

「Insert/…………オイオイオイオイ」

 

 

 もちろん、不意のダメージを受けただけで、この程度は大した負傷ではなかった。

 運動神経があるとはいえ、所詮は女子中学生の拳である。側頭部にもろに受けたとしても、そんなものは大したダメージにはなりえない。

 

 だが。

 

 そんな些細な問題を塗り潰すほどの不条理が、数多の目に前にあった。

 

 

「Insert/ぎゃはははははは! どういうことだそりゃあ! きっちり攻撃食らってんだろ、ノーダメは筋が通んねえんじゃねえか!?」

 

「……ノーダメでは、ありませんわよ」

 

 

 危なげなく佇むレイシア=ブラックガードの双眸は──エメラルドグリーンに輝いていた。

 

 

二乗人格(スクエアフェイス)。わたくしの中には二つの意識がありますから、アナタの術式ではレイシアちゃんの意識を昏睡させることはできても、シレン(わたくし)の方までは術式効果を与えられなかったのです」

 

「Insert/……チッ。術式の仕様ってか? 全く科学的じゃねえなあ! 面白れえなあ!!」

 

 

 当然、戦闘が続行可能だと分かれば数多は警戒を再開する。

 後転してから立ち上がり、両拳を掲げてファイティングポーズをとる数多に対し、レイシア──シレンはただ仁王立ちで佇むだけだった。

 そしてシレンは、すっと数多のことを指差す。

 

 

「アナタの思惑、わたくしは分かっていますわよ」

 

 

 ──その言葉を聞いて、数多の動きが止まった。

 

 

「最初から、ちぐはぐだとは思っていたのです。結界の崩壊を用いた時間制限の話ではありませんわよ? 相似さんにわたくしを回収させようとしている傍ら、こうしてわたくしを離脱させようとしているその態度が、です」

 

「…………、」

 

 

 確かに、木原数多のレイシアに対する行動には一貫性がなかった。

 木原相似を使ってレイシアを襲撃させ、そして鹵獲しようとしているかと思いきや、いざ研究所に踏み込んだら一転して駒場利徳を利用して戦線離脱を目論む。近づけたいのか遠ざけたいのか不明だ。

 だが、数多がその場しのぎで行動方針を変えているとは思えない。つまり、『近づけたい』か『遠ざけたい』か、そのどちらかはシレンの方が数多の意図を取り違えているのだ。

 では、どちらが木原数多の本音なのか。

 

 

「アナタは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 真相は、『近づけたい』。

 いや、正確には『手に入れたい』だろうか。

 

 

「確信したのは、先ほどの術式の効果を体感してからです。……オリアナさんの扱う術式を利用できるのであれば、他に殺傷力の高い攻撃はいくらでもあったはずです。それでもアナタは、無数の術式の中から『相手を無傷で昏倒させる術式』を選んだ。それは、わたくしを無力化させて捕獲したいという狙いの現れですわ」

 

「Insert/…………チッ」

 

 

 それに対し、数多は舌打ちをする。それこそが、全ての回答を物語っていた。

 そしてそれを認めたシレンは、さらに続ける。

 

 

「そう考えると、アナタの思惑も自然と見えてきます。そうまでしてわたくしを此処から脱出させたいということは……裏を返せば、アナタは他の突入メンバーについては崩壊に巻き込ませたいと考えている」

 

 

 崩壊に巻き込まれることによって被害を被るのは、一体誰か。

 上条、原典と化したオリアナはもちろん、先に突入したインデックス、ショチトル、サイボーグの那由他もその対象だが、そもそもこの研究所の最奥には食蜂、那由他やオリアナの本体、そして何より木原数多本人がいるはずだ。上条が入った時点で食蜂や那由他が研究所内部にいるのは確定しているので、このまま結界が崩壊すれば彼女達が崩壊に巻き込まれるのは確定である。

 

 そうすると、困るのは数多のはずなのだ。

 何故ならそもそも木原数多の目的は、食蜂の心理掌握(メンタルアウト)によって那由他やオリアナの知識を抜き、水分操作能力を使って疑似的な魔術用のエネルギー回路外装血路(ブラッドサイン)を生み出すこと。

 まだそれが完成する前の状態で食蜂も那由他もオリアナも崩壊に巻き込まれて死んでしまっては、そもそもの目的が達成できなくなってしまう。何より、数多自身が死んでしまっては何の意味もない。

 

 では、何故数多はそんな自滅めいた行動をとっているのか。

 

 その答えは一つ。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 そもそも食蜂もオリアナも那由他も、ここで使い潰してしまって問題ない、という結論。

 

 

「思えば外装血路の話自体、情報源は那由他さん一人だけです。彼女の経験も含め、尤もらしい話だったので信じ込みましたが……もしも彼女のインスピレーション自体が、アナタに誘導されたものだとしたらどうでしょう」

 

 

 木原那由他もまた、盤上の駒の一つ。

 そこから提示された情報が正しいとは限らない。しかも、彼女は数多に本体が囚われているというかなりの極限状況にあるのだ。その事情を鑑みれば、情報が数多にとって都合の良い形に偏っているのは当然の帰結でもある。

 そして死んでもいい存在しかいないということは、そもそも木原数多がこの研究所にいないという可能性もまた、充分あるということになる。いや、結界の崩壊を考えると、間違いなくいないと言ってもいいだろう。

 

 

「アナタは……いえ、『木原』は今までの経験上、脇道に逸れるということはしません。外装血路(ブラッドサイン)の計画を動かしている最中にわたくしの鹵獲も並行するというのは違和感でしたが……そもそも外装血路(ブラッドサイン)の方がデコイなのであれば納得がいきます」

 

 

 シレンの指摘に対し、数多は面倒くさそうに頭を掻く。

 そして、

 

 

「Insert/()()()()()()()()?」

 

 

 と、愚痴を吐くように呟いた。

 

 

「Insert/ったく、ぶっ飛ばすだけぶっ飛ばせばそっちの方に『収束』が働いて本丸の方は誤魔化せると踏んでいたんだがな。そう上手くはいかねえか。やーっぱテメェって『因子』が干渉した時点で駄目になっちまうみてえだなあ」

 

「…………、何を言っていますの?」

 

 

 怪訝そうな表情を浮かべるシレンに、数多はむしろ心外そうな表情を浮かべた。

 駒場の無骨な顔面が、嗜虐的な笑みの形に歪む。

 

 

「Insert/おいおい、テメェも薄々気付いてはいるはずだぜ。テメェの存在によって、この世界の流れが()()()()()()()ことを。そしてテメェの意思が、その収束に干渉していることを」

 

「…………、」

 

 

 数多の言葉に、シレンは何も答えない。

 心当たりがなかったから、ではなく。

 彼女自身、確かにそうした事象に対して思い当たる節があるからだ。

 

 たとえば、麦野との戦闘。

 あの時はレイシアとシレンの決断によって両者五体満足で戦闘を終わらせたが、あの時も収束の方向性を僅かだが動かした感覚がシレンにはあった。

 

 その後のドッペルゲンガーの顛末もそうだ。

 間違いなく、当たり前の事象の連続ではあった。だがその起点には、シレンが収束の方向性を僅かに動かした感覚があった。

 

 思い返せば、大覇星祭の際に幻生と戦ったときから、そんな感覚はあったかもしれない。

 

 

「Insert/そうだ。それが臨神契約(ニアデスプロミス)だ。歴史を拡散し、そして収束させる体質。……ハハハッ! 一家に一台は欲しい才能だよなあ?」

 

 

 数多は嬉しそうに笑う。

 大好きなゲームの話をする少年のように、本当に本当に、嬉しそうに。

 

 

「Insert/……ま、俺自身も深く踏み込んだのは大覇星祭の後だがな。テメェがアレイスターのお気に入りであることは分かっちゃいたが、それが何なのかまでは分からなかった。……だが、そこにこんなモンがあるって分かっちまったら話は別だろ?」

 

 

 歴史の流れを広げ、そしてその中から好きな未来を選び取る。

 言うなれば、臨神契約(ニアデスプロミス)はそんな力である。もちろん選び取る未来の差異は、本当に些細なものだ。ほんの少し不幸の数が少なくなっている程度で、世界の趨勢に影響を及ぼすようなものではない。

 だが、その『ほんの少しの差異』を利用することができないわけでは、ないはずだ。おそらくそれは最早臨神契約(ニアデスプロミス)とは別の技術になるのだろうが、そんなことは数多には関係なかった。

 

 

「Insert/忌々しい話だがな」

 

「……、」

 

「Insert/何千何万と実験してると、理論だけじゃあ演算できねえ、妙な値ってのがチラリと出てくることがある。あのクソガキを開発したあたりから、教科書でお勉強するような完璧な理論のどこかに穴があるっつー感覚があるんだよ」

 

 

 これは、実際に正史の木原数多も抱えていた感覚だ。

 だからこそ、彼は前方のヴェントと相対しても大してうろたえなかったし、ヒューズ=カザキリの顕現を興奮しながらも受け入れた。

 その彼が、臨神契約(ニアデスプロミス)という明確な『非科学』に触れたらどうなるか。

 何千何万と行ってきた実験の中に生ずる僅かな『ブレ』──それを制御する術が目の前にあると知ったらどうするか。

 

 

「Insert/そりゃあ、欲しいだろ。喉から手が出ちまうほどに! だがテメェはアレイスターの玩具だ。だから構築した! あの野郎に邪魔されねえ舞台ってヤツをなあ!」

 

 

 言われて、シレンはようやく理解した。

 外装血路(ブラッドサイン)なんて大仰な遠回りをして、上条達を確実に葬ろうとした理由を。

 これは、アレイスターの意識を誘導する為のデコイでもあったのだ。もしも仮に上条が結界に圧殺されそうになったならば、アレイスターは彼を救助しようと動くだろう。彼自体が動くのか、木原脳幹が動くのか、あるいは別の何かが動くのかは定かではないが、しかしアレイスターはそちらの方に注力せざるを得なくなる。

 そのタイミングならば、所詮メインプランの脇で動かしている計画に過ぎない臨神契約(シレン)に対するフォローは限りなく薄くなる。

 その隙を突いて、シレンを捕獲しようとしているわけだ。

 

 

「Insert/その眼。もう収束は始まっているみてえだが、まだまだ計画は終わりじゃねえ。テメェがテメェ自身で収束の形を選べるってことは、逆に言えば、テメェを出し抜けば俺の思う通りの形に歴史を収束させられるってことだからなァ!!」

 

 

 言って、数多はシレン目掛けて攻撃を再開する。

 

 ──実のところ、客観的に戦況は厳しいものだった。

 そもそも白黒鋸刃(ジャギドエッジ)は本当の意味で能力を成長させたわけではない。あくまでもシレンとレイシアが二つの魂で以て出力を相乗効果で上げることで超能力(レベル5)の水準に乗せているだけであり、レイシアが昏睡状態に陥ってしまった以上、人格励起(メイクアップ)によって能力の出力を上げることも叶わない。

 ただし。

 

 

「…………言ったでしょう」

 

 

 それでもなお、シレンは余裕を失っていなかった。

 

 

「アナタの思惑は、分かっている、と!!」

 

 

 人一人くらいなら簡単に捻ることができる暴力を前に、シレンはちっとも臆さずに前進する。

 するとどういうわけか、今度は数多の動きの方があからさまに鈍りだした。いや──動きに迷いが生じ始めた、というべきか。

 

 

「アナタはわたくしを殺すわけにはいかない!! つまり、下手に攻撃力のある行動をとって、万が一にもわたくしが死ぬような行動をとれないのです!!」

 

 

 それは、先ほどまでの数多の戦略の再演だった。

 数多は、臨神契約(ニアデスプロミス)を手に入れる為にシレンを殺すわけにはいかない。だから、逆にシレンが()()()()()()()()()()()()を取れば、迂闊に動けなくなってしまうというわけだ。

 

 

「Insert/……ッ、だが、それじゃあテメェの目的が達成できねえぞ! 俺の目的を潰す為にこの空間と心中でもするってかァ!?」

 

 

 それでも数多は、嘲るように言う。

 これは、明らかにシレンの焦燥を誘う為の挑発だった。だからシレンはそれには取り合わず、ポツリと言葉を返した。

 

 

「『Insert』」

 

「────」

 

「同じネタが二度通用すると思ったら、大間違いですわよ」

 

 

 そして、レイシアの拳が、数多の首筋に直撃した。

 それ自体は、鎧のような筋肉に覆われた駒場のことを倒すには至らない、本当に児戯のような一撃にすぎない。

 しかし──そこに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「──ご、あ、」

 

 

 首筋に拳を叩き込まれ──正確にはそこにあったチョーカー型の変換器を破壊された駒場は、そこで動きを止めた。

 

 

「ミサカネットワークを模したシステムを構築していたようでしたが、弱点も共有していたのが運の尽きでしたわね」

 

 

 木原数多がこの研究所にいないと分かった時点で、駒場を操っている方式がAIMネットワークであることは確定していた。何せ、馬場のロボットが動かなくなってしまうのだ。電波などのありきたりな方式での操作は受け付けない。となると、銀河系の果てでも届くAIM拡散力場ならば、いくら空間が歪もうが安全な操作方式だと言えるだろう。

 そして声に混じる不自然な文字列。これは、以前御坂妹を操作していたときに出てきたものと同じものである。そう考えると、木原数多は御坂妹を操作していたときと同じように、駒場を含むAIMのネットワークを生成し、そこにウイルスを流し込むことで彼を傀儡にしていたのだと考えられる。

 

 だが、クローンというAIMの同一性によって作られたAIMのネットワークと違い、駒場を介したAIMネットワークには脳波の同調が存在しない。

 ここで、同じように異なる脳波によるネットワークに接続しているとある人物を支える技術が登場する。一方通行(アクセラレータ)のチョーカーだ。

 これを駒場にとりつけることで、幻想御手(レベルアッパー)のようなものを利用せずとも脳波を変換し、AIMによるネットワークを形成することができるようになるわけである。

 

 だが──裏を返せば、そのチョーカーさえ破壊すれば駒場を縛るものは何もなくなるということになる。

 

 

「Insert/だ、が……状況ジジジらねえぞ。どうせ此処はあと数分もジジジジちに崩壊する。テジジジ生き残るたジジは、ここから脱出ジジジかねえ!」

 

「さて、それはどうでしょう」

 

 

 この期に及んでも依然として勝ち誇る数多に対し、シレンは腕を組みながら落ち着き払って言う。

 あるいは、己の大好きなヒーローを自慢するかのように。

 

 

「そもそも、ずっと前から言いたかったのですが。──どうして、『彼』がこの程度のカタストロフも乗り越えられないと思っているのです?」




ここまで引っ張っておいてアレですが、外装血路なんてものはありませんでした。
でもまぁ、意味ありげに出てきたものがただのブラフっていうの、とあるだとよくありますよね。(刺突杭剣とか、明王の檀とか……)


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一一九話:トロイの木馬

 一方、レイシアと別れた上条達は、研究所の奥へとひた走っていた。

 

 研究所──と一口に言っても、木原数多が展開した結界の影響で中の空間座標が捻じれている為、見た目の広さは廊下でも体育館ほどある。それだけに、タイムリミットである一〇分以内に目標である食蜂や那由他、オリアナ──そして先遣隊のインデックスとショチトルを回収するには、全力疾走が前提となるのだが……。

 

 

「くそっ、いったいどこまで続いているんだ……!?」

 

 

 長距離走には自信のある上条だが、そもそも彼は先ほどの戦闘で脇腹を貫かれている。応急処置は受けているので傷口は塞がっているが、こうしている今もじくじくと傷口が痛むのを感じていた。端的に言って、次の瞬間には傷口が開いて大量出血しても何ら不思議ではない。

 

 

「……大丈夫。このまままっすぐ進めば目的地には辿り着けるわ。お姉さんが保証してあげる」

 

「…………空間の歪み具合とかも分かるのか?」

 

「いえ? ただ、オリアナ=トムソン本体は今もお姉さんからいけない知識(コト)を仕入れてるからね」

 

 

 オリアナは悪戯っぽく微笑み、

 

 

「どうも、木原数多は自分で魔術を使いたくはないみたいね。捕えたお姉さんを通じて魔術を使っているみたいなんだけど……あの状態じゃ術式を構築する思考能力がね。だから、執筆者という魔術的ラインを通じてお姉さんの裡に刻まれた術式を使っているみたい」

 

 

 上条は知らないことだが、オリアナの魔術知識を使った木原数多が操る駒場も、蓮の花のように開花したオリアナの右腕同様、四原色の輝きを纏っていた。これはオリアナ=トムソン本人の『速記原典(ショートハンド)』では起こりえない事象だ。

 

 

「それよりお姉さんが心配なのは、木原数多が用意している『番人』ね。彼の責め手があれっぽっちの淡泊な一手だけで終わるとも思えないし……」

 

「ああ、まぁそうかもしれねえけど、多分そりゃ大丈夫だろ」

 

 

 心配げに言うオリアナだったが、対する上条はというと、割合あっさりと返す。

 思わず怪訝な表情を浮かべたオリアナに、上条は何でもないように返す。

 

 

「木原数多は、アンタの肉体を使って『魔術』を新たな武器にしてるんだろ? なら、大丈夫だ」

 

 

 笑みに、どこか不敵な色さえ浮かべながら。

 

 

「なんてったって『一〇万三〇〇〇冊』だぞ。釈迦に説法もいいところだろ」

 

 

 


 

 

 

終章 世界全てを敵に回すような Are_You_Ready?

 

 

一一九話:トロイの木馬 Disclosed_Malice.

 

 

 


 

 

 

 

 ──結局、上条達は研究所の最奥に辿り着くことはなかった。

 といっても、彼らの奮闘むなしく最終地点に到達する前にタイムリミットが来てしまったとかではなく……

 

 

「あっ、とうま!」

 

 

 救助目標の方から、合流してきたのだった。

 

 インデックス、那由他、メイド姿のショチトル。

 ショチトルは那由他と食蜂を抱え──そして那由他は、人一人分以上の大きさの十字架を肩に担いでいた。

 インデックスも那由他もショチトルもどことなく埃に塗れているので、おそらく上条達と合流する前に一戦交えてきたのだろう。

 

 

「それは……、」

 

 

 上条が言葉を濁すのも無理はなかった。

 その十字架には、虚ろな目をしたオリアナが磔にされているのだから。

 

 

「って、え!? アナタは……?!」

 

 

 遅れて、インデックスが上条の隣に立つオリアナを見て目を丸くする。

 インデックスは偶発的に発生した『原典』のことなど全く知らないので、よくよく考えてみれば意味不明な状況である。

 オリアナの方も苦笑すら浮かべながら、

 

 

「ああ、お姉さんはちょっと訳ありでね……。簡単に説明すると、オリアナ=トムソンが扱っていた出来損ないの『原典』が偶発的に形をなした存在、ってところかしら」

 

「……『原典』だと?」

 

「お姉さんも自分で言ってて信じられないんだけどね~」

 

 

 疑問の声をあげたショチトルに、オリアナは頬を掻きながら言う。

 ともあれ、これで全員が揃った訳だ。どうやら食蜂もまだ廃人になっていないようだし(もっとも、上条は知らないことだがそもそも食蜂はブラフの為に攫っているので廃人になどなりようがないのだが)、後はどうにかして此処から脱出するだけである。

 これについては、実は上条にはアテがあった。

 

 

「……これまでは奥深くに入っていくために動いていたから道なりに進んでたけど、別に脱出するなら出口に向かう必要もない。那由他、壁壊してくれないか? もし魔術で塞がれてても、俺の右手ならなんとかなるだろ」

 

 

 そもそも、この研究所に入ったときだって白黒鋸刃(ジャギドエッジ)で壁を破壊して侵入しているわけで、正規の入り口から入ったわけではない。なら、出口だって正規のものである理由はない。

 

 

「もちろん、レイシアと合流してからっていうのが前提になるけどな。もしまだ足止めを食らってたらまずいし」

 

 

 上条にしてはかなり理性的な提案なのであった。

 ここからレイシア達と別れたところまでなら、ほんの数分でつく。タイムリミットまでには十分間に合う計算だ。

 

 

「……ううん。残念だけど、それじゃダメかも」

 

 

 しかし、インデックスは端的な否定を返した。

 

 

「壁を破壊して脱出するのは、私達も考えたんだよ。施設ごと破壊して結界の構成条件を無効化する案も考えた。でも、そもそもこの結界は『外から中に入る』ことはできても、『中から外へ出る』ことはできない仕様になっているんだよ」

 

「…………なんだって!?」

 

 

 インデックスの言葉に、上条は思わず目を剥く。

 いや、木原数多の目的を考えればあり得る範疇の事態ではあった。上条達は知らないことだが、そもそもこの結界の崩壊は上条達をまとめて始末し、アレイスターの注意をそこに集中させる為に仕組んだものである。

 なら、万が一にも『異常を感知した上条達が早々に結界から出てしまう』という事態は防がなくてはならない。だから、あらかじめ結界の出入りを自由にできる権限をレイシアにだけ与えて、他のイレギュラーには出る権限を与えない──という手法をとっているのだった。

 

 

「じゃ……じゃあどうやって脱出するんだ!? なんかこのままだと空間がめちゃくちゃ圧縮されて全員死んじまうらしいんだけど……」

 

 

 上条は当惑したように声を上げる。

 あまりにもな即死トラップだ。こうまでされてしまってはどうしようもない。しかし、インデックスは意外にも落ち着き払って、

 

 

「うん、問題ないよ。というか……とうまは気付いていてほしかったかも?」

 

「はぇ?」

 

「あのね。アウレオルス=イザードのことを覚えてる? あの時とうまはアウレオルスが結界を張ったビルの中に入って行ったよね? その時に結界は破壊されていた?」

 

「……あ」

 

 

 言われて、上条の口からマヌケな声が出た。

 ──八月。姫神やインデックスを救う為にアウレオルスに支配された三沢塾のビルに侵入した上条だったが、そこはアウレオルスによる結界の中だった。しかしあの時は、結界内に侵入しても『右手のせいで位置がバレバレ』なことはあっても、結界自体が破壊されることはなかった。

 つまり。

 

 

「確かに現状の結界の異変はとうまの右手に結界が反応して起こっていることだけど、とうまの右手はまだ結界を本当の意味で殺してはいない。そもそも、本当に結界自体が破壊されるなら、とうまの右手だと一瞬で結界自体が消えているはずだもんね」

 

 

 一〇万三〇〇〇冊の叡智によるありがたいアドバイスであった。

 だが、そうなるとこの研究所のどこかにある結界の核を右手で殺さない限りどうしようもないという話になってしまう。この状況でどこにあるのかも分からないモノを探し当てるなんて途方もない作業のように上条には思えたが、インデックスはもちろんショチトルも那由他も冷静そのものだった。

 ……その様子を見て、上条も何となく事態を察し始める。

 

 

「その様子だと……もしかして、もう既に俺が壊すべき『核』を見つけているのか?」

 

「というか、既に」

 

 

 そう言って、インデックスは自分の後ろ──十字架を肩に担いだ那由他の方を指差した。

 

 

「最初から、とうまの目の前にいるけど?」

 

 

 


 

 

 

 状況は至ってシンプル。

 この研究所に渦巻くあらゆる魔術は、磔になったオリアナ=トムソンを起点に運用されている。魔術という異界の知識を脳に入れる『実験台』となることを木原数多が嫌ったがゆえの状況だが──つまり、オリアナに上条の右手で触れれば、その時点で術式の核は破壊され、研究所が極小に圧縮されて全員が死亡する危険もなくなる。

 

 

「……今はおとなしいけど、ここまで鎮静化させるのはかなり大変だったかも。かなり粗雑だったけど、自動防衛システムみたいなものまで構築されていてね。何とかこの人の脳をこれ以上傷つけないように防衛システムを解除しなくちゃいけなかったから」

 

 

 愚痴るように言うインデックスだったが、当然、そんなことを万人ができるわけではない。一〇万三〇〇〇冊の叡智があって初めて実行可能な荒業であることは、横で渋い顔をしているショチトルの様子を見れば一目瞭然だった。

 ともあれ。

 

 

「でも、助かったよ。正直俺達だけじゃかなり出たとこ勝負だったもんな」

 

「ふふん。今回ばかりは、私がいてよかったね? とうま」

 

 

 得意そうに言うインデックスに苦笑しながら、上条はオリアナに右手で触れようとして、

 

 

 

 ゴッッッ!!!! と。

 

 突如横殴りに吹っ飛ばされた。

 

 

「ごっ……あァァああああああああああああああッ!?!?」

 

 

 衝撃の源は、脇腹か。

 まるで体内に直接熱した鉄を突きこまれたような熱さに、上条の意思に関係なく口から苦悶の声が漏れ出る。

 

 

「とうま!!」

 

「下がれ魔道図書館!! クソったれ、木原数多のヤツ、此処に来て伏兵とはな……!」

 

 

 一拍遅れ、ショチトルがインデックスを庇うように立ち、那由他が十字架を肩にかけながら距離を取る。

 その様子を見ながら、『そいつ』はたった一言だけ呟いた。

 

 

「……………………え?」

 

 

 その呟きは。

 オリアナ=トムソンの口から発せられていた。

 

 

「あれ……お姉さん……え? なん、で……?」

 

 

 茫然と、己の手に視線を落とすオリアナ。

 彼女の手には、真っ赤な血がべっとりとついていた。

 

 

「クソったれ!! 何故気付かなかった!? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!!!」

 

 

 苛立ったように叫ぶショチトル。彼女としては、まさしく痛恨の極みであった。

 ……そもそも『原典』とは、根本のところで『自分の知識を広めようとする』存在である。だから自分の知識を受け入れようとせずに死蔵しようとする利用者のことは許さないし、反対に自分の知識を広めようとする利用者のことは積極的に保護する。

 この場において、オリアナ=トムソン本体は『原典』と魔術的リンクを繋いで術式を利用する存在。これを幻想殺し(イマジンブレイカー)で破壊するということは、『原典』からしてみれば自分の知識を広める行為を妨害することになるのだ。

 『原典』自身の意思に関係なく。

 『原典』としての本能とも呼ぶべき機能に従って、『原典』オリアナ=トムソンは上条当麻を許さない。

 

 

(木原数多は此処まで計算していたというのか!? ……いや、あんなものの誕生まで魔術のド素人であるヤツが想定できたはずがない!!)

 

 

 つまりは、『不幸』。

 全くの偶然によって、この局面にして最大の難関が立ちはだかってくる。

 

 

「そんな……お、お姉さん、()()()()()()()()……」

 

 

 オリアナは、顔面蒼白になりながら呟き、そこで表情が固まる。

 ──それは、彼女にとっては最悪のトラウマだった。

 善意の為に動いた結果、それが不幸な偶然のせいで誰かを傷つける結末になってしまう。オリアナ=トムソンという人間の人生は、そんな間の悪さの連続だった。

 だからこそ、彼女は善悪の基準を設定することを求めた。単一の基準が世界で適用されれば、その基準の通りに動けばいい。自らの善意が誰かを傷つけることになるという悲劇はもう二度と起きないのだから、と。

 だが。

 よりによって、それがまた起きた。もう既に『本体』は廃人になってしまったけれど、それでもレイシアや上条の助けになるならばと行動していたのに。

 

 

「なゆた!! どうしよう、とうまの傷口が開いて……! 血が、血が止まらないよ!!」

 

「あ…………あ…………ああァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 

 認めたくない現実。

 それを拒絶するかのように、オリアナの身体から紙吹雪が舞う。

 その一枚一枚が、『原典』を構成するページ。四原色を伴った渦の中心に立ちながら、オリアナは言う。

 

 

「…………殺して。もう、おしまいにして? なんでもするから。何だってやるから!! だからもう、こんな最悪なシステムの端末なんて跡形もなく消し飛ばして!!!!」

 

 

 それは、紛れもなく悲鳴だった。

 

 善意が、誰かを不幸にする。

 これに勝る不幸が、この世にあるだろうか? 誰かの笑顔を見たかったのに、ただそれだけしか望んでいなかったのに、結果として自分が誰かの笑顔を奪ってしまう苦しみ。

 オリアナ=トムソンの心は、その苦しみによって粉々に砕けかけていた。

 

 

「ふざ、けんなよ」

 

 

 悲痛な叫びに答えたのは、少年の声だった。

 

 心配そうにへたりこむインデックスの横で、脇腹に赤い染みを作った少年は、それでもしっかりと二本の足で立っていた。

 

 

「よく見ろよ、オリアナ=トムソン。俺はまだピンピンしているぞ」

 

「……もういいのよ。攻撃の手はちゃんと伝えるわ。魔道図書館がいるなら対応はできるはず。お姉さんを破壊して、こんな胸糞悪い事件はさっさと解決して?」

 

「ふざけんなって言ってんのが聞こえねえのか、この馬鹿野郎!!!!」

 

 

 今度こそ吼えるようにして、上条は牙を剥いた。

 脇腹に穴が空いているとは到底思えない剣幕で、上条は続ける。

 

 

「たった一回の失敗で何を絶望していやがんだ!! ああ、さっきの一撃は予想外だったよ。傷口だって開いたかもな。だからどうした!? 想定できなかったのはテメェ一人の落ち度じゃねえだろ!! インデックスだって徒花さんだって気付けなかったし、もちろん俺だって考えもしなかった!! なのになんでテメェ一人の罪みてえに勝手に抱え込もうとしていやがんだ!!」

 

「……一回なんかじゃないのよ……」

 

 

 ぽつり、と。

 オリアナの口から、疲れ切った言葉が漏れた。

 

 

「お姉さんはね、ずっとそうだった。誰かの為に行動しても、結局は誰かの事を傷つけてしまう。一生懸命プレゼントを運んだら、その中身が実は爆弾だった──みたいなことをね、ずっと繰り返してきたの」

 

 

 『だから、もういいのよ』と、オリアナは笑った。

 

 

「そもそもお姉さんは、厳密な意味でオリアナ=トムソン本人じゃない。『原典』が彼女の思考を模倣する形で組み上がっただけ。……本来のオリアナ=トムソンは、既に廃人になっているわけだしね。だからこれは、エラーを起こしたシステムを廃棄するようなモノなの」

 

 

 そして最後に、畳みかけるようにして、オリアナは言う。

 

 

 

「ねえ、お願い。お姉さんもう…………()()()()のよ」



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一二〇話:その幻想をぶち殺す

 その一言は、かつて上条当麻が膝を屈した言葉だった。

 

 『死にたい』──そう望む言葉を乗り越える為の方法を、その時の上条当麻は知らなかった。

 もしも妹達(シスターズ)が自分たちはもう死にたいのだと言っていたら、上条当麻は何もできなかっただろう。実際に死に向かって黙って飛び込んでいった土御門元春を、上条当麻は救うことができなかった。

 そして死を望むドッペルゲンガーのことも、上条当麻は救うことができなかった。

 

 だがあの夜、たった一人だけそうではない人間がいた。

 

 誰もが死を望むその言葉にあらゆる救いを諦めた中で、その奥に潜んだ苦しみに共感できた少女がいた。

 レイシア=ブラックガードはあの瞬間、『死にたい』という思いの裏に隠された苦悩と本当の望みを看破してみせた。

 

 だから、上条当麻もその言葉を聞いて、考えることができた。

 

 『不幸』によって己の行動の結果、誰かの事を苦しめてしまうことの辛さ。己に降り注ぐだけならまだよかった。自分がババを引くだけなら、それは自分が呑み込めばいいだけの話で、そんな『不幸』は上条にはいくらでも経験がある。

 

 でも、その『不幸』が誰かを巻き添えにしてしまうとしたら?

 

 考えるだけで、上条は怖気が走ると思った。そんなことになるくらいなら消えてしまいたい。そんな発想になる自分がいることを、上条は自覚していた。

 

 ……意外かもしれないが、上条当麻にはそういう節がある。

 ほんの数ヶ月しか記憶を持たない透明な少年は、その短い人生で多くの人を救う道を歩み、そうして自分の人格を作り上げてきたから。そうして人の輪を広げていくことで、アイデンティティを少しずつ積み重ねてきたから。

 だから上条当麻は、誰かを『不幸』の巻き添えにすることに耐えられないという気持ちが、分かってしまう。その苦しみを否定することが、できない。もしも己の『不幸』で自分の傍にいる人たちを苦しめてしまうくらいなら──いっそ自分は身を引いた方がいい、そう思わないと言ったら、それは嘘になる。

 

 

 …………いや、本当に、()()で終わりか?

 

 

「……違うよな。ああ、そうだ。そんなんじゃねえ。そんな甘ったれたこと言ってたら、あの後輩に叱られちまうだろうが」

 

 

 上条は、少しだけ笑った。

 脳裏に浮かぶのは、遠慮がちに微笑む金髪の少女と、呆れて肩を竦める金髪の少女。

 上条当麻はあの夜、教えてもらった。もっともらしい自己犠牲の奥底には、案外本当の望みが潜んでいる、という事実を。

 そしてそれは、自分だって例外ではないということを。

 

 

「自分のせいで誰かを苦しめるのが辛いから、いっそ自分から消えてしまいたい。そうじゃねえ。そこじゃねえだろ、オリアナ=トムソン」

 

「……、」

 

 

 上条の言葉に淀みはなかった。

 『不幸』。その言葉をの意味を実感として知るからこそ、上条当麻は迷いなく言葉を紡げる。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。アンタのスタート地点はそこだった。違うか?」

 

 

 上条当麻は、脇腹を抑えながら一歩踏み出す。

 もう立っていることすら難しいほどの重傷であるはずなのに、上条当麻の足取りには不思議な力が宿っていた。

 

 ──実際、もしもオリアナ=トムソンが本当に善意から誰かを救いたいだけなら、ちぐはぐではあるのだ。

 もしも善意が裏目に出続けてしまうのが辛い()()なら、誰かと関わらなければいい。普通の人間なら、善意を向けることに疲れて、そういうものを他者に向けなくなるだけで終わりのはずだ。

 そうはならず、善意が報われる『基準』を望むということは、どういうことか。

 

 善意を()()()()()()()()()()ということだ。

 

 つまり、オリアナ=トムソンはそういう生き方しかできないということ。

 誰かに善意を向け、誰かを救うことで、己の存在を承認してもらう。そういう生き方しかできなくて──だから、誰かを救おうとした結果誰かを苦しめたら、己自身が己の存在を承認できなくなってしまう。

 その透明な生き方は──上条には、とても心当たりのある生き方だった。

 

 でも、違うのだ。

 きっとオリアナと上条では、そう思うに至った道筋は全く異なる。だが、結論としては同じはずだ。

 

 誰かに、生きることを認めてもらいたい。

 どこまでも透明で、生きることに寄る辺のない中で、それでも自分が生きる為に必死で少ない持ち物を積み上げてきた──そんな人生の根幹にある望みは、それだ。

 

 

「確かに」

 

 

 同じ歪みを抱えた相手だからこそ。

 上条当麻は、断言する。それがどれほど痛みを伴う言葉だろうと、ほかならぬ彼だからこそはっきりと言い切れる。

 

 

「確かにお前はこれまで何度も失敗してきたのかもしれない。どうやったって誰かを苦しめてしまう、そんな『不幸』な巡り合わせがあって、それでも誰かを救うことで自分を認める、そんな生き方しか選べなかったのかもしれない!!」

 

 

 それはまるで、上条と鏡映しの存在。

 誰かを救うことによって人の輪を広げ、それによって自分は此処にいていいんだと思えるようになった上条当麻と、対極の境遇。

 あるいは、上条当麻がそうなるかもしれなかったIFの未来。

 

 そんな袋小路に追い込まれてしまった女に対して、それでも成功者たる上条は言う。

 本来の彼では言うことのできなかった、決定的な一言を。

 

 

「でもそれは、()()()()()()挑んだ場合の結果だろ!?」

 

 

 正しい歴史において、上条当麻は概ね一人で戦っていた。

 たまたま目につく場所で誰かが涙を堪えていて、そういったものが許せなくて拳を握ってきた。あくまでも彼自身の自己満足であって、彼の戦いは誰かと共に立ち向かう性質のものではなかった。

 

 ()()()()()()()

 

 だが、この歴史では違う。

 とある令嬢の介入によって歪んだ世界では、上条当麻は一人ではなかった。

 

 もはや記憶からは失われてしまったあの夜、インデックスを救ったとき、傍らには一人の少女がいた。

 とある少年の死で苦しませたくないと願ったのは、シスターだけではなかった。

 

 最悪な実験から一人の少女を救う為に、上条だけではなく二人の少女も立ち上がった。

 妹達を本当に自分の手で救った姉。自分と同じように犠牲になる少女を見捨てられなかった令嬢。拳を握るのは自分だけではないと知った。

 

 自己満足で自分から消えようとした馬鹿な女の目を覚まさせたとき、上条はただの脇役でしかなかった。

 

 その後の物語も、そうだった。

 そこにある悲劇に対して拳を握って立ち向かったのは、決して上条当麻だけではなかった。上条当麻は、一人なんかではなかった。

 

 そういう歴史を通ってきた上条当麻は、本来の歴史ではまだ実感していない一つの真実を既に確信している。

 何も困難に立ち向かうのに、たった一人である必要なんかないのだと。誰かと共に戦うことは、誰かを自分のエゴに巻き込むことは、必ずしも悪にはならないのだと。

 

 

「だったら、そこで『不幸』なんかに負けてんじゃねえ。そんなちっぽけなモンに押し潰されて、自分の生き方を勝手に諦めて、心の奥底にある本当の望みから目を背けてんじゃねえぞ、オリアナ=トムソン!! テメェの幻想は、そんな安いモノじゃねえだろうが!!」

 

 

 叫ぶ上条に、しかしオリアナは退かなかった。

 彼の激情を上回るように、『原典』の女は叫ぶ。

 

 

「知った風な口を利かないで!! 今更許されるわけがないでしょう!? ええそうよ。お姉さんは誰かを救うことで、きっと誰かに認められたかった! でもこんなことになって、『原典』としての機能でみんなが救われる唯一の道すら阻む障壁になってしまって……こんなのもう、どうしようもないでしょ!? こんなことまでやってしまっておいて、自分が救われたいなんて虫の良い話はあっちゃいけない!!!!」

 

「ああ、分かったよ」

 

 

 切実な叫びに、上条は穏やかに頷いた。

 IFの自分。だからこそ、上条はその苦悩に共感できる。だがそれでも、上条の言葉は決まっていた。

 

 

「もしもテメェがそうやって、自分に絶望しかできないんなら。本当の望みを最初から自分で否定しちまうっていうんなら。────まずは、そのふざけた幻想をぶち殺す!!!!」

 

 

 


 

 

 

終章 世界全てを敵に回すような Are_You_Ready?

 

 

一二〇話:その幻想をぶち殺す Imagine_Breaker.

 

 

 


 

 

 

「はぁ、とうまは分かっているのかな」

 

 

 拳を握って立つ上条を、横で支える陰があった。

 真っ白い修道服に身を包んだインデックスは、大きな口を叩いておいて今にも倒れそうな少年のことを、両手で以て支える。

 

 

「そもそも、とうまの右手であの人に触れたらその時点で存在が消えてしまうんだよ? そんな状況で彼女のことを無力化して救う為には、どう考えたってとうま一人じゃ無理なのに。勝手に話を進めちゃうなんて」

 

「……ああ、悪いな」

 

 

 きっと本来の歴史にいる上条当麻なら、そんなのは自分のエゴだから、巻き込むつもりはない。たとえ無謀だって自分一人で目の前の馬鹿を救う方法を見つけてみせる──そんな風に言っていただろう。

 実際に彼が歩んだ道のりは、そうやって自分のエゴの歪みを誰にも押し付けずに歩んできた道のりだった。

 だが。

 

 

「……でも、ちょっと嬉しい。とうまがそうやって私のことを頼ってくれたことが」

 

 

 インデックスは笑う。そしてその笑みを、上条は意外に思うことなく受け入れることができていた。

 

 

「救おう、オリアナ=トムソンを。そうする為の方法は、きっと残されている」

 

「……フフ、お姉さんを『読む』つもりかしら? 確かに一〇万三〇〇〇冊の魔道書を持つアナタなら最初に思いつきそうね、お姉さんを読むことで『読者』となり、自動防衛システムを解除するという作戦は」

 

 

 でも無理よ、とオリアナは自嘲するように笑った。

 

 

「お姉さんの魔道書はね、お姉さん以外には誰にも読めないの。暗号がどうのという話じゃない。根本的な問題として、お姉さんの書く魔道書はどう頑張っても記述が散逸して文字が汚くて、他人に読ませるどころか魔道書として安定することすらできない欠陥品だった」

 

 

 それでも活用する為に試行錯誤した結果が、速記原典(ショートハンド)ととある歴史で呼ばれた戦い方だった。

 ありとあらゆる暗号記述を読み解けるインデックスだが、そもそも読ませることを目的としていないものまで読み解ける道理はない。だから『原典』オリアナ=トムソンの読者は、今はもはや廃人と化しているオリアナ=トムソン本人以外にあり得ない。

 

 

「──本当に?」

 

 

 だがそれは、自分に絶望した人間の諦めから来た見解だ。

 確かに現時点ではそうかもしれない。『原典』オリアナ=トムソンを見てインデックスは一目で記述を看破して現状の問題を解決できる──そんな分かりやすい結論はない。

 でも、本当にオリアナ=トムソンは魔道図書館の叡智を結集させても救えない程に『どうしようもない』のか?

 

 答えは、『試してみなければ分からない』だ。

 

 

「とうま」

 

「ああ」

 

 

 インデックスに呼びかけられて、上条は拳をぱしっと掌で受け止めるようにして気合いを入れる。

 要救助者を担いだメイド服姿のショチトルと、十字架を担いだ那由他の助力は正直言って見込めない。ここでオリアナの攻撃を主体的に受け止められるのは、上条しかいなかった。

 

 

「見せてみて、アナタの叡智を。私の脳に所蔵された一〇万三〇〇〇冊の叡智にかけて、私はアナタを読み解い(すくっ)てみせる」

 

「そう」

 

 

 言葉の応酬は、そこまでだった。

 オリアナの周囲を渦巻く四原色の竜巻が、急速に拡大していった。

 

 

「それなら精々頑張って。あっさり限界を迎えちゃわないでよね!!」

 

 

 そして、『原典』の術式がたった一人の少年に牙を剥いた。

 

 

 


 

 

 

 『原典』となったオリアナ=トムソンの術式は、人間時のそれとは微妙にかけ離れている。色と文字、角度や数字を用いた魔術──いわゆるカバラや数秘術の領域の術式を使うのは同じだが、彼女は用意されたものを使い捨てるのではなく、無数のページを組み合わせてその場その場に応じた術式を『構築』する。

 ゆえに、『原典』という完成されたシステムでありながら変幻自在。炎を出した次の瞬間には水を出すといった、通常の魔術師であればありえない柔軟な戦法を選択することができる。

 しかも正しい歴史で上条と相対したときのオリアナのように、『同じ方向から二度続けて攻撃は来ない』というような速記原典(ショートハンド)特有の弱点も存在しない。

 それどころか。

 

 

「水属性と火属性、相反する魔術を同時に行使……だと……!?」

 

 

 ショチトルが、驚愕の声を漏らす。

 通常の魔術師であれば、何らかのエピソードを介さない限りは不可能な領域を、『原典』オリアナは特別な理屈もなしに成立させていた。

 

 

「無駄だ!!」

 

 

 しかし上条はそれを、あえて右手で全てを弾くのではなく、弾いた水で火属性の魔術を相殺させるように器用に消していく。

 続いて放たれた風の断頭刃(ギロチン)については、わざわざ右手を使わずに身を捻ることであっさりと躱す。

 

 脇腹の負傷によって明らかに身体パフォーマンスは落ちているにも関わらず、上条はそんな自分の状況を省みて、なるべく負担をかけない動きで戦っていた。

 

 

「……分かりやすい攻撃は効果が薄そうね。なら……」

 

 

 直後、地面を稲妻が走った。

 稲妻が上条の足を絡めとると、突然上条の喉が石のように固まり呼吸ができなくなる。

 右手で喉に触れるが、しかし効果は一切改善しない。

 

 

「とうま!! 術式の起点は喉じゃなくて、足の方だよ!!」

 

「…………グッ!!」

 

 

 言われて、上条が屈んで足に触れると、本当に呼吸が元通りに戻った。

 しかしそうやって屈んで体勢を崩したところに、今度は横薙ぎの暴風が襲い掛かる。上条は慌てて横に転がってその攻撃を回避するが──しかし無茶な動きは、脇腹の傷を痛める。

 顔を顰める上条に、オリアナは落ち着き払って口を開いた。

 

 

「無駄はどちらかしら? 今はあくまでも拮抗しているけど、アナタの傷口はもう開いているわよね? 徐々に体力は削れている。対する『原典』のお姉さんにスタミナ切れはない。アナタはお嬢ちゃんの解析を待っているようだけど、本当に間に合うのかしら? その前にアナタが力尽きてしまえば、その時は本当におしまいなのよ?」

 

「分かってねえな」

 

 

 降伏勧告を出すようなオリアナに、上条は牙を剥くような不敵な笑みを浮かべる。

 

 

「ここまで一体どれだけの術式を使ってきた? 今だって、インデックスはお前の術式を看破したぞ」

 

「それがお姉さんの全てだとでも? 無数のページに刻まれた基本的な術式を組み合わせたお姉さんの術式のバリエーションは、それこそ一〇万なんてスケールではたりていないんだよ?」

 

 

 ただでさえ解読の難しい記述に、膨大なバリエーション。

 しかも当の本人は、既存の読者を守る為に戦闘行動をとってくる。こんな状況では『読む』ことすら覚束ない。

 

 

「──『補遺。地を走り窒息を齎す稲妻は、属性にして地と風、数価にして七八、方角にして西を意味する』」

 

 

 ぴたり、と。

 そこで、オリアナの周囲を渦巻く四原色の竜巻が動きを止めた。

 いや。

 ほかならぬオリアナ自身が、止めざるを得なかった。

 

 

「…………なにを、言って……?」

 

「うん。確かにアナタの記述(こと)を解読するのは、すぐには難しいかも。少なくとも起こった現象を見てとうまが倒れるまでに、正攻法で解読することは。……でもそれならそれで、別のやり方はあるんだよ」

 

 

 インデックスの手には──メモ帳が握られていた。

 

 

「『副読本』。魔道書の中には写本や偽典といったものがあるけど、そういった手法とは別ベクトルの努力として、魔道書を読むための助けに別の書物を用意することだってあるんだよ」

 

 

 そしてそれは当然、魔道書を読む為の真っ当な努力である。

 実際に発生した術式を読み解き、その読解を助ける為の解釈をメモする行為。それは、ある意味では、他者には読み解けない記述をそのままにしておくよりも、よほど『読者を増やす』行為と言えるかもしれない。

 

 つまり。

 

 ここに至り、インデックスはオリアナ=トムソン本人よりも『原典』にとって有益な読者だと認められる素地を得た。

 上条が読者オリアナと原典オリアナのつながりを破壊したとしても、読者は失われない。むしろインデックスに協力することが、『原典』としては有益だと判断できる。

 

 攻撃する理由が、失われる。

 

 

「…………いいの?」

 

 

 その事実を前に、オリアナはそれでも不安そうに尋ねた。

 まるで寒さに震える少女のように、押し潰されそうな不安の重さに圧し掛かられながら。

 

 

「お姉さんは、これまでいろんな人を不幸に巻き込んできた。アナタ達も。……そんな存在が今更こんな風に救われてしまって……本当にいいの?」

 

 

 対する上条は、その言葉を聞いてゆっくり笑って、そしてその場に座り込んでこう答えた。

 まるで答えることすら馬鹿馬鹿しい、とでも言いたげに。

 

 

「当たり前だろ。その為に俺達は戦ったんだから」

 

 

 そうして一つの幻想が救われ。

 

 研究所を覆う悲劇の結界は、完膚なきまでに殺された。



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一二一話:奇跡に相応しい女

「どうやら、無事に落ち着いたらしいですわね」

 

 

 インデックスの尽力により、『原典』オリアナ=トムソンを無力化してから少し。無事に本体オリアナに触れて結界を安全に強制終了させた上条達のところへ、レイシアが戻ってきた。

 あたりは先ほどまでのような、トンネルと見紛うような広く長い通路から普通の薄暗い研究所の廊下に戻っている。それで、レイシアも状況を把握したのだろう。

 

 

「ああ……そっちも無事に終わったみたいだな」

 

「ええ。()()()()でレイシアちゃんが一時昏倒しちゃいましたけど……そちらの方も、当麻さん達がなんとかしてくださったのでしょう? 先ほど無事に意識を取り戻しましたわ」

 

 

 実際には上条はあまり関与していないのだが、魔術を行使するインターフェースとしてのオリアナと原典の接続を破壊したことで、原典を介した魔術使用が一旦すべて強制終了したということなのだろう。

 特に意識はしていなかったことだが、それで助けになれたのならよかった、と上条は思う。

 

 

「……で、その男の方は?」

 

「ああ、彼なら研究所の外へ運んでおきましたわ。おそらく、警備員(アンチスキル)がそのうち回収してくれることでしょう」

 

 

 レイシア──というよりシレンとしては、スキルアウト問題のこともあるので駒場のことは個人的にかかわりを持ちたいところだったのだが、流石に今の時点でそこまでやっている余裕はない。一応連絡先だけ胸元に忍ばせて、木原数多の件に決着がつくまではとりあえず放置というスタンスを取らざるを得ないのだった。

 そういった裏事情を知らない上条はあっさりと頷き、

 

 

「そっか、そりゃよかった。でも…………」

 

 

 そう言って、上条は視線を自分の傍らに横たえられている女性へと落とす。

 オリアナ=トムソン。

 十字架に磔の状態にされている状態からは既に解放したが、だからといって彼女の置かれた状況が変わるわけではない。

 これまでは深く考えないようにしてきたが、ローマ正教のスパイとして学園都市に潜入していた彼女は、木原数多に捕えられた時点で自陣の機密情報を外部に漏らさないようにするため、自分の術式で廃人状態になってしまっている。そしてそれは、たとえ原典との接続を切り離したところで解決はしない。

 当然、魔術の素人である上条にどうにかできるような問題でもなく──

 

 

「オリアナ……、」

 

「さて、これでようやく本腰入れてこの人のことを救えるね!」

 

 

 ──しんみりした空気に入りかけたところで、からっとしたインデックスの声がそんな雰囲気をぶち壊した。

 てっきりオリアナのことは尊い犠牲とするしかないと思っていた上条はというと、きょとんとした表情を浮かべてしまう。

 

 

「……え? いやこの人、今廃人なんだよな? そんなの魔術でもどうしようもなくない?」

 

「それは症状によるかも。この人は正規の方法で自分の精神を覗かれない為に、脳の情報を全部バラバラのページのように分解してしまっているらしいけど、これならそのバラバラになったページを一枚一枚元の位置に戻して、一冊の本として組み立ててあげれば、普通に元通りに戻るんだよ」

 

 

 当たり前のように言っているが、横にいるショチトルや『原典』オリアナのドン引き具合を見れば、インデックスの言っていることがどれほどの無法か分かるというものだ。

 まぁ確かに、魔術によって精神をバラバラにされましたというだけなら、インデックスであれば元通りに戻せるというのも道理なのかもしれないが。

 

 

 そういうわけで、魔力を練れないインデックスと一緒にショチトルが二人で作業すること五分。

 

 

「よし、これで問題ないかも。手伝ってくれてありがとね、あだばな」

 

「…………構わないがこれっきりにしてもらいたいものだな。なんか別の知識を使うとこっちの方がめちゃくちゃ嫉妬しているっぽくて凄く体調が悪い…………」

 

 

 『原典』そのものを身の裡に抱えている彼女ならではの苦しみである。

 とはいえ、そんな状況なのに何だかんだで人助けの為に身を削ってしまうあたりが、ショチトルという少女の善性なのかもしれないが。

 

 

「ともあれこれで、オリアナも回復しましたし事件も無事解決しましたし、あとは木原数多だけというわけですわね」

 

「ああ。これまでは俺達が攻撃を受ける側だったが、こっからは逆転だ。こっちから木原数多へ攻撃をしかけ、」

 

「それなんですけど、わたくし実は、先ほど相似から連絡がありまして……、ん?」

 

 

 ある程度危機感が弛緩した状況。

 全員で次の一手について確認していた、その時だった。

 

 その場の誰もが見過ごしてしまうような自然さで。

 

 

「…………と、当麻さん!?!?」

 

 

 上条当麻が、倒れた。

 

 

 


 

 

 

終章 世界全てを敵に回すような Are_You_Ready?

 

 

一二一話:奇跡に相応しい女 Requirement_of_Heroine.

 

 

 


 

 

「出血性ショックだよ! 血を流しすぎてる! 応急処置くらいなら私でもできるけど、このままじゃ……!」

 

「おどきなさいッッッ!!!!」

 

 

 すぐさま診断を下す那由他を突き飛ばすようにして、レイシアが上条へと駆け寄る。その周囲に無数の『亀裂』が瞬き──そして、上条の全身を不可視の鎧が覆い尽くした。

 

 

「……超音波で当麻の全身を圧迫止血しました。これで、少なくともこれ以上の失血はありません」

 

 

 『亀裂』による気流操作、その応用としての超音波念動。上条の右手によってでも打ち消せないそれを使った、止血。少なくともこれで、失血死の危険はなくなった。

 とはいえ、レイシアの顔色はそれでも明るくない。

 これ以上の失血はないにせよ、血が増えない以上はショック症状自体がなくなることはないのだ。失血死はないかもしれないが、ショック症状そのものによるショック死の危険がなくなったわけではない。

 と、

 

 

「…………何、これ……? どう、なっているの……?」

 

 

 震える声に視線を向けると、そこには一人の少女が茫然と現状を見て立ち竦んでいた。

 顔面を蒼白にさせた少女は、よろよろと倒れ伏す少年へと近づいていく。

 

 

「ちょっと! どうなってるのよぉ!? 私、確か木原数多に襲われて……戦闘中に躓いて、それでっ……何で上条さんがこんなことに!?」

 

「…………、」

 

 

 食蜂操祈という少女にとって、目の前の光景は殆ど悪夢の焼き直しだった。

 あの日、食蜂操祈は同じように大人達の陰謀に巻き込まれ、そしてその戦いの最中、同じようにツンツン頭の少年を傷つけてしまった。

 もちろん、彼女が悪かったわけじゃない。だが、彼女の事情に巻き込み、そして彼女を守るために立ち上がったツンツン頭の少年は、戦いの中で傷つき、斃れた。

 そして今、蜂蜜色の少女の目の前では、ツンツン頭の少年が同じように斃れていた。

 

 

「当麻さんは今、出血性のショック症状に見舞われています。応急処置は那由他さんに任せていますが……その為には麻酔が必要です」

 

「…………、」

 

 

 那由他の機能の中には弛緩剤や麻酔といったものも存在している。だから応急処置の為に麻酔をかけること自体は可能だ。だが、麻酔をかけた場合血圧も低下してしまう。ただでさえ出血で血圧が低下している状況で、さらなる血圧低下を引き起こすことは上条の死を意味する。

 さりとて、麻酔もなしに応急処置を行うことはできない。傷が開いている以上、そちらへの処置なしにはどうしようもないからだ。失血がないとはいえ、このままでは上条は緩やかに死んでいくしかない。

 ただし。

 この場に、そうした前提を覆すことが可能となる人員が一人いた。

 

 

「食蜂さん。アナタの能力なら、当麻さんの血圧を低下させずに麻酔と同じ効果を齎すことができるはずですわ」

 

「…………、ぁ」

 

 

 此処に来て。

 

 此処に来て、一人の少年の命の分岐路に、少女が立たされることになった。

 

 食蜂操祈は、人の心を操る能力者の頂点に立つ少女は、しばし沈黙する。

 あらゆる過去が、彼女の脳裏を過っていた。

 かつての事件。デッドロック。『簒奪の槍(クイーンダイバー)』。そして、上条当麻の後遺症。

 

 食蜂操祈は、黙って両手で自らの顔を覆った。

 

 

「……無理。無理よぉ、私、できないわぁ……!」

 

 

 それは、たった一四歳の少女の心の悲鳴だった。

 

 

「『前回』は、それで失敗したっ! 命は救えたけれど、『彼』は私のことを記憶することすらできなくなってしまった!! なら、今回は!? 前回でさえ思考の外の悲劇が起きてしまったのに、また同じことをしたら……今度は一体どうなってしまうのよぉ!?」

 

 

 泣き叫ぶ食蜂は、震える声で続ける。

 

 

「今度は……今度は、もう私のことを認識してもらえなくなってしまうかもしれない。話しかけても、答えてくれることすらなくなってしまうかもしれない。いいえ、それだけじゃないわぁ。もっと致命的な破壊が、彼の脳に起こってしまうかもしれないっ!!!!」

 

 

 だから、できない。

 能力的に可能かどうかじゃない。そもそものスタートラインに、食蜂操祈が立つことはできない。

 

 それは、最適解から考えれば間違っているだろう。必要な時に、必要な能力を持つ者がそれを振るわないのは失点であり、落ち度。減点法で考えれば、そういう風に思われてしまうかもしれない。

 だが、いったいそれを責める資格のある人間がこの世に存在するだろうか。

 たった一四歳の少女に、全てを賭けられるような恋をしている女の子に、そのすべてを投げ出させた心の傷と向き合わせて、それを抉れというような残酷な要求を突き付けて、その前に膝を折ってしまうことを、一体誰が責められる?

 

 

「──そんなこと、知ったことではありませんわ」

 

 

 レイシア=ブラックガードは──いや。シレンは、そんな少女の悲鳴をバッサリと切り捨てた。

 

 

「別に、アナタに託さなくったっていい。最悪、わたくしが当麻さんの右腕を切断するとか、オリアナさんに『原典』のフルパワーをぶつけさせて幻想殺し(イマジンブレイカー)の処理限界を迎えさせるとか、とにかく幻想殺し(イマジンブレイカー)を無力化させた上でインデックスに治療魔術のレクチャーをしてもらえばいいのですから、方法なんていくらでもあります」

 

 

 シレンは、いともあっさりと救いの道を提示する。

 『正史』という一つの正答を俯瞰した経験のある彼女は、どれだけ荒唐無稽でも正解のイメージだけならいくらでも用意することができる。

 だが。

 

 

「……それでも、手元に救う為の手札があるというのに手を伸ばさなかったら、アナタは自分を許せますか? ……わたくしだったら、絶対に自分を許せませんわ」

 

 

 まして、上条は食蜂と戦っている最中に傷を負い、倒れた。その時彼の隣にいたのは、食蜂だ。そういう意味でも彼女は負い目を感じているだろう。

 救ってもらったのに。

 ただただ身を削ってきた彼の為に、自分は何もできず、ただ指をくわえて他者が彼を救っているのを見ているだけ。

 そんな経験をしてしまえば、きっと、食蜂操祈の心は折れてしまう。彼の隣に立ちたいと願う少女たちを前にして、無意識に一歩退いてしまうようになる。

 たとえ世界中の誰もが食蜂操祈の心に寄り添い慰めてくれたとしても、この世でただ一人、食蜂操祈自身が自分のことをこの世の誰よりも軽蔑する。

 それでいいのかと、シレンは静かに問うていた。

 

 

「……でも」

 

 

 ゆっくりと両手を降ろして、食蜂は呟くように言った。

 視線を地面に落として、シレンの視線から逃げるように。

 

 

「でも、もしも失敗してしまったら? 私には、()()がある。実際に同じ状況で同じことをして、そして失敗してしまった! 彼の脳に後遺症を残してしまった! それなら、アナタがそれよりも成功力の高い方法を持っているのなら、そっちを取った方が圧倒的に正しいに決まっているじゃないのぉ!」

 

「──では、正しいのならアナタはその恋を諦められるのですか?」

 

 

 返す刀で。

 シレンではなく、レイシアから放たれたその言葉に、食蜂は呼吸を忘れた。

 

 

「ここで当麻の為に立ち上がらないということは、わたくし達が彼を救う姿を横目に黙って突っ立っているということは、そういうことです。恋のヒロインというのは、ただ待っているだけの女には与えられない称号ですわ。愛する男が苦しんでいるなら、救ってあげなければいけないなら、くだらない『正しさ』になんて唾を吐いてでも男の為に立ち上がれなければ、そいつにはもうヒロインを名乗る資格なんてありません!! ヒロイン気取りの勘違い女になりたくなければ、正しくなくても、たとえ悪役に成り下がってでも、なりふり構わず愛した男の為に立ち上がりなさい!! どんな苦難にでも飛び込んでいく気概がない女には、『報われるべき女(ヒロイン)』なんて名乗れないんですのよ!!!!」

 

 

 世界全てを敵に回すような不敵さで。

 レイシア=ブラックガードは、言う。

 

 

「……本当なら、泣きながら感謝してほしいくらいなのですわ。わたくしはさっさと当麻を救う為に動きたかったのに、どっかの脳味噌お花畑ハーレム要員A志望女がわざわざ敵に塩を送るような真似を……、」「レイシアちゃん。いいですから」

 

 

 照れ隠しのようなレイシアの台詞を断ち切って、シレンは食蜂のことを静かに見下ろした。

 手は、差し伸べられなかった。

 この物語は、食蜂操祈が自分で立ち上がれなければ意味がない。

 

 

「…………知った風に、言ってくれるわねぇ……」

 

 

 ぽつり、と。

 蜂蜜色の少女の口から、そんな言葉が漏れた。

 種火のような呟きは、すぐさま感情に燃え移って一つの業火となる。

 

 

「諦められる、訳がないでしょうがぁ!! その程度の意思力で、私の感情を勝手に説明するんじゃないわよぉ!!!!」

 

 

 立ち上がり、シレンの胸倉に掴みかかる食蜂。

 対するシレンは、ぱっと食蜂の手を払ってしまう。

 

 

「それなら、いいんですわ。…………当麻さんを、お願いします」

 

 

 そう言われて、食蜂はようやく自分が『託された』のだと実感した。

 ……本当は、シレンだってレイシアだって──いや、今このやりとりを黙って見守っていたインデックスだって、上条の為にいち早く動きたかったはずなのだ。

 まして、彼女達には実際に彼を救う為のヴィジョンが見えている。だが、実際にそれをしてしまえば、一人の少女の恋心を致命的に殺してしまうことを理解していた。だから、本当は手早く全てが終わる方へ向かいたかったにも拘らず、食蜂の為の選択肢を残してくれていた。

 あまつさえ一歩踏み出す勇気が持てなかった食蜂のことを、激励してくれた。

 

 

「………………ごめんなさい。それと、…………ありがとう」

 

 

 それだけ言って、食蜂はもう一度上条の傍に立ち、そして屈みこむ。

 

 

「代わりに、絶対に救ってみせるわ」

 

 

 たとえこの後、自分と彼の関係性が永久に潰えてしまうとしても。

 この身に刻んだあらゆる強者の証にかけて、絶対に救ってみせると誓う。

 

 脂汗を浮かべるツンツン頭の少年の髪を軽く撫ぜて、それからリモコンをそのこめかみへと当てた。

 そして、たった一言、祈る様に呟く。

 

 

「私は、奇跡に相応しい女」

 

 

 


 

 

 

 ふわり、と。

 一瞬、食蜂は自分が抱きしめられたことに反応が遅れてしまった。

 

 気付けば、自分に折り重なるようにして、単語帳のようなページで全身を覆った『原典』オリアナ=トムソンが屈み込んでいる。

 

 

「な……、」

 

 

 声を上げたのは、事態を見守っていたインデックスやレイシアの方だった。

 それもそのはず。オリアナ=トムソンの柔らかな身体の各部は、無数のページとなってぼろぼろと崩れ始めていたのだから。

 

 

「いやぁ、あはは。お姉さん、もともと不安定な『原典』もどきの集合体だったからね。そもそも、使い捨て。魔術を発動したら自壊するようなシロモノだから、どのみち先は長くなかったんだけど──どうやらもう限界みたいで」

 

「そん、な……! な、なら、インデックスにどうにか……、」

 

「仮に写本として組み立てられたとしても、それは厳密な意味でお姉さんじゃない。機能は同じかもしれないけれど、こうしてお姉さんが積み重ねた経験まで継承できるわけじゃないよ」

 

 

 オリアナはふんわりと笑って、レイシアのことを嗜める。

 しかしその表情に、悲壮感はなかった。むしろそうすることで、一つの希望が生まれるような──そんな清々しい笑みだった。

 

 考えてみれば、当然だった。

 そもそも速記原典(ショートハンド)は、一度術式を使用すれば自壊するような不安定な『原典』だ。何かの間違いで束の間の安定性を得て人の形を獲得したとして、それが永続するとは限らない。まして、ここまで本来の機能ではありえないような術式の行使を続けてきたのだ。限界が来たとしても、少しもおかしくなかった。

 

 

「それでね。どうせもうすぐ機能停止するなら、最後の最後に、()()()()()()()()()()()()()()に一つ、奇跡を与えてあげたいじゃない。……魔法使いとしては、ね」

 

 

 蜂蜜色の少女に寄り添いながら、『原典』は──いや、誰かの為に何かをしたかった魔術師の成れの果ては、穏やかに笑う。

 

 

「『基準点』が欲しかった」

 

 

 それが、ある魔術師の根源。全ての動機の、中心核。

 どこか懐かしむような色すら持ちながら、オリアナ=トムソンと同じ心を持つ『原典』は言った。

 

 

「でもきっと、『基準点』は最初からこの胸の奥にあった。お姉さんは、それが正しいと胸を張れる自信が欲しかったんだわ。本当は、正しさなんて関係なかったのにね。……正しくなくても、間違っていても、そんなことは関係ない。たとえ世界全てを敵に回しても、心のままに手を伸ばせばよかったんだわ」

 

 

 だから、とオリアナは告げる。

 聖者に加護を授ける天使のような神々しさで、蜂蜜色の少女に言う。

 

 

「私を構成する全ての役立たずの叡智を集結させて、アナタにちょっとだけ『プレゼント』。……これが、『礎を担う者(Basis104)』の終着点」

 

 

 バラバラと崩れるオリアナの身体から、優しい光が漏れていく。

 

 

「……ブラックガード嬢。上条の右手を切り離せ。このままだと、オリアナの『奇跡』が……、」

 

「ううん、大丈夫なんだよ。加護の対象は、あくまでも長髪。とうまの右手は、この幻想を殺さない」

 

 

 微笑む様に、インデックスは断言した。

 

 

「誰かの幸せ……を……自分の幸せのように……祈るアナタだからこそ、アナタの望む奇跡は……きっと……起こる。世界は……色々と残酷な……巡り合わせも……多いけれど。……それでも……その純粋な幻想が報われない程……この世は……どうしようもなくなんて…………ない」

 

 

 それは、一度は世界に絶望したはずの魔術師が辿り着いた、一つの救い。それが、彼女の最期の言葉となった。

 満足気に笑いながら、一冊の『原典』は紙と光の塊へと還っていく。

 一人の魔術師が、彼女の得た答えをしっかりと見届けたのを感じながら。

 

 その瞬間だった。

 

 

 ドッパァァァァアアアアアン!!!! と。

 研究所の外壁をぶち破って救急車が突撃してきたのは。

 

 

 紫電を迸らせながら何故か空中浮遊しているリニア走行式救急車がゆっくりと着陸すると、その上から一人の少女が降り立った。

 ナース服に身を包んだ茶髪の少女は、ぽかんとしている一同を一瞥して、呆れながらこう言った。

 

 

「あーら、揃い踏みって訳? 仲間外れなんて水臭いじゃない」

 

 

 第三位の少女──御坂美琴。

 どういうわけかナース服に身を包んだ彼女は、しんみりとした雰囲気を吹き飛ばすように不敵な笑みを浮かべた。

 

 

「……はぁ、少しは老体に気を遣ってもらいたいんだけどね? 音速で飛行する救急車に乗ったのは流石に初めての経験だよ?」

 

「ちょっと吐きそうでした、とミサカは愛する少年の一大事に過去最高スペックを発揮したお姉様の本気具合に呆れながら車外に這い出ます」

 

 

 そして、第三位だけではなかった。

 無事に着陸した救急車の中から、老年の医者──冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)と、妹達(シスターズ)の一人──一〇〇三二号こと御坂妹が顔を出す。

 おそらく、ナース服は冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)なりの矜持だろう。自らの医療活動に協力してもらうにあたって、服飾の面で『区切り』を設けたのかもしれない。多分。趣味とかではないはずだ。おそらく。

 

 で、色々と準備を始めているカエル顔の医者の横で、美琴は携帯を取り出しながら言う。

 

 

「馬場ってヤツがね。レイシアと通信が途絶えたから、万が一ってこともあるとか言って、連絡をくれたのよ。で、指示に従って治療の準備をしたわけ。……どうやらこの様子を見ると、来て正解だったみたいね」

 

「馬場さん……!」

 

『勝手に感じ入るなよ。後詰として当然のサポートをしただけだ。……結局途中でリタイヤしたんだから、このくらいの仕事はしないと給料をもらうのに後味が悪すぎる』

 

「馬場さん……!!」

 

 

 向こうでは御令嬢と暗部(笑)が勝手にパートナーの信頼関係を確かめあっているようだが、ともあれ状況は一変した。

 電源替わりの美琴と御坂妹のサポートがありつつ、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)が治療を開始していく。

 

 その様子をぼうっと見ながら、食蜂は静かにこう思った。

 

 

(…………ああ、奇跡って、本当にあるんだなぁ)

 

 

 


 

 

 

 そして、翌日。

 無事に緊急搬送された上条だったが、失血こそ多かったものの、完璧な止血とショック症状の緩和、それと非常に迅速かつ完璧な応急処置の甲斐あって──それと本人の類稀なる頑丈さもあって──その日の夜には一般病棟に移っていた。

 放課後。

 そんな少年の病室に、常盤台が誇る三人の超絶エリート娘は揃ってお見舞いにやってきていたのだった。

 

 

「当麻さん? いらっしゃいますかー?」

 

 

 もはや慣れすら感じさせる動きで、レイシアが病室の扉を開ける。なんだかんだで魔術絡みの事件で怪我をすることも多い上条なので、レイシアもちょこちょこお見舞いに行くことは多いのだった。

 

 

「あ、レイシア! 短髪! 長髪! いらっしゃい!」

 

 

 ガララ、と扉を開けると、そこにはベッドに横たわって林檎を剥いている上条と、それをワクワクした表情で待つインデックスの姿があった。

 …………関係性が逆じゃないかと思うかもしれないが、気にしてはいけない。彼らにとってはこれが通常値なのだから。

 するりと近寄って自然な流れで上条から包丁と林檎を受け取ったレイシアと、その後ろに立つ二人の少女に対して、上条は右手を挙げながら言う。

 

「よう、お互い何とか生き残ったな。あと、御坂も最後の方に駆けつけてくれたんだって? 俺はダウンしてて知らなかったけど、ありがとな。お陰で助かったよ」

 

「そうよ! アンタ、私のことを除け者にして! 今度はちゃんと最初っから呼びなさいよね」

 

「ふふん。短髪もこれで少しは私の気持ちが分かったんじゃないの? これに懲りたら、短髪がとうまと一緒のときは私を呼ぶんだよ!」

 

「いや、そもそも私アンタの番号知らないし……」

 

 

 少し困ったようにして頬をかきながら、丸椅子に座る美琴。

 既に丸椅子に座って林檎を剥き始めているレイシアもそれに苦笑しながら、

 

 

「でも、今回は色々とタイミングが悪かったんですもの。次があったらちゃんと頼りますから、許してくださいな」

 

「……私の方は、迷惑力をかけちゃって……ごめんなさい」

 

 

 丸椅子に座る二人の後ろで、食蜂は静かに頭を下げた。

 今回のことは、食蜂がワガママを言って上条と二人の時間を作ってもらったときに起きた。

 上条が負傷したのも、食蜂が躓いたときの隙を庇う為だった。

 だから、上条がここまでの重傷を負ったのも、もとをただせば食蜂の責任だ。

 

 もう、そんなことすら上条は思い出せないのだろうけど。

 

 たとえ理解してもらえなくとも、頭を下げたい。謝りたい。その為に、食蜂は今日やってきたのだった。

 

 

「何言ってんだ馬鹿。迷惑な訳ねえだろ。……っつーか、あの時は結局守ってやれなかったわけだからな。お前だって怖い思いをしたんだろ。そんなに自分を悪者にすることねえだろうが」

 

「……というか、正直なところ今回は結局わたくし絡みの事件で、皆さんは巻き込まれたような形にあるわけでして……。事件の原因云々という話になると、一番頭を下げないといけないのはわたくしということに……」

 

 

 むしろ心外だと言わんばかりに言う上条に、苦笑するレイシア。

 そこまでは、まるで慣性のようなやりとりだった。

 

 その後。

 世界が、止まった。

 

 いや、実際に止まったわけではない。

 その場を構成する人間の思考が停止したことで、会話という世界の流れが完全に停止せざるを得なかった。

 

 

 

「……………………え?」

 

 

 

 一言。

 蜂蜜色の少女が、茫然と呟きを漏らした。

 

 今の会話は、本来は絶対にありえないはずだった。

 だってそうだろう。上条当麻は、一人の少女のことを思い出すことができない。記憶の呼び出し経路が物理的に破損してしまったことで、彼は事件のことは記憶していても、その中心にいたはずの蜂蜜色の少女のことだけは絶対に思い出せないはずだった。

 はずだったのに。

 

 

「か、上条……さん……? 今……今、なんて……?」

 

「あん? いや、守ってやれなくて済まなかったなって……」

 

「そうじゃなくて!! どうして、私のことを思い出せているの!?」

 

「は? え?」

 

 

 殆ど掴みかかるような剣幕の食蜂に、上条はただ目を白黒させてしまう。そして彼女の事情を知るレイシア、インデックス、美琴の三人も、信じられないものを見たかのように茫然としていた。

 そんな少年少女たちのところに、一つの声。

 

 

「人の脳髄というのは不思議なものでね?」

 

 

 カエル顔の医者は、朗らかな微笑をたたえながら、当惑する少女たちに言う。

 彼が抱えている患者の重荷が一つ下りたことを、心から喜びながら。

 

 

「何らかの事情で記憶の回路が繋がらなくなってしまうこともあれば、反対に何かの拍子に途絶えていた回路が再び繋がることだってある。……今回の事象に無理やり理屈をつけるなら、心理掌握(メンタルアウト)の能力下に置かれた状態で、長時間微弱な電波──たとえば第三位のAIM拡散力場を浴び続けたことで、脳内の電気信号に何らかの刺激が与えられた、といったものが考えられるけど──此処は、女の子向けにこう言った方がいいかな?」

 

 

 それから、世界一の名医は、いささか医術を司るプロフェッショナルには相応しくない言葉を続けた。

 

 即ち。

 

 

 『奇蹟だよ』、と。



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一二二話:これからの話を

「…………あれ? 此処は…………?」

 

 

 ──とある研究施設にて。

 一人の少女が、そんなぼんやりとした呟きと共に、意識を取り戻した。

 

 あたりには、研究施設らしからぬ調度品が転がっている。ソファに本棚に観葉植物にガラス製のローテーブル……放課後の学生であればここで数時間は潰せそうな場所だった。

 そんな『放課後のたまり場』と化した研究施設に、数人の男女がいた。

 

 

「よお」

 

 

 目を覚ました少女に対して真っ先に口を開いたのは、そのうちの一人。

 インナーセーターの上に学生服を纏った、ホストかヤクザ予備生のような雰囲気の少年だった。

 垣根帝督。

 この街の第二位に坐す少年は、なんでもなさそうに目覚めた少女──杠林檎に声をかける。

 

 

「随分な寝坊だったじゃねえか。良い夢見れたか?」

 

「なんで……。……どうして……? 私……」

 

「この街の闇に潜むクソどものせいで、死ぬはずだったって?」

 

 

 茫然とする林檎のことを、垣根は鼻で笑う。

 そんな疑問を持つこと自体が、馬鹿げているとでも言いたげに。

 

 

「馬鹿が。そんなクソったれな陰謀、この俺の未元物質(ダークマター)に通用するわけがねえだろ」

 

「……俺もかなり頑張ったんスけどね」

 

「まぁいいじゃない。とりあえず無事に林檎は救えたんだし。……それよりも」

 

 

 ぼやくヘッドギアの少年──誉望に、ドレスの少女──獄彩はあっさりと言い、視線をその場で巡らせる。

 そこにいたのは、彼らだけだった。

 この集まりの中に、数日前までいたツーサイドアップの少女はいない。

 

 

「どうするの? 彼女、ほんとにもう駄目かもしれないわよ」

 

「別にいいだろ」

 

 

 此処にはいないツーサイドアップの少女──弓箭猟虎は、先日『表』にいた旧知の相手と接触した。

 その後、レイシア=ブラックガード率いる『メンバー』に回収され、今は療養施設にいるのだが──『表』の旧知と触れ合い別組織に確保されてしまった以上、もう『スクール』としての復帰は見込めないだろう。

 そう考え、構成員としてどう始末をつけるのか──そう問いかけた獄彩に、垣根は本当に適当に答えた。

 

 

「……っつか、第五位の野郎との『契約』の部分もあるしな。どのみちそっちには手出しするつもりもねえよ。……ま、しばらくはコイツが穴埋めってことでいいだろ」

 

 

 ぽすっ、と垣根は杠の頭を撫でながら言う。

 どんな話の筋なのかも分からずにきょとんと彼を見上げる杠を一瞥して、獄彩は怪訝そうに眉をひそめた。

 

 

「ちょっと。それ、本気で言っているの? この街の『闇』にこの子を巻き込むって? それに、忘れていないわよね。私達はそれぞれ、目的があってこの組織に合流しているってこと」

 

「馬鹿にすんじゃねえよ。もちろん忘れてねえ。『ピンセット』の入手。『直接交渉権』の獲得。どちらも『スクール』の目的だ。ただなあ──」

 

 

 垣根はそこまで言って、面倒くさそうに頭を掻く。

 

 彼には、杠の救出と引き換えに第五位と交わした、とある『密約』があった。

 

 

 


 

 

 

「猟虎ちゃん……!!」

 

 

 病室にて。

 少女が、もう一人の少女に抱き締められていた。

 

 抱き締められている少女の名は、弓箭猟虎。

 かつて『スクール』という組織にて、スナイパーとして活躍していた少女だった。

 そして、そんな彼女達から少し離れたところで様子を見守っているのが、帆風潤子や悠里千夜。

 ただし、感極まる様に抱き締めている少女──弓箭入鹿と違い、他の少女たちの表情はあまり明るくなかった。

 

 

「……ありがとう、ございました」

 

 

 猟虎はそう言って、静かに目を伏せる。

 ──弓箭猟虎は、学園都市の『暗部』に属していた少女だ。当然、彼女は後ろ暗い行為を幾つもしてきたし、相応の罪だって犯してきた。それらは私欲で行われたわけではなく、多くは学園都市の『上層部』による指令だったが──だからといって彼女の罪がなくなるわけではない。

 それに、学園都市の『闇』に身を浸して来た人間が、あっさりとそこから脱することができるわけでもない。

 

 だから猟虎は、静かに感謝した。

 そこまでで、もう満足だとでも言いたげに。

 

 

「でも、これ以上はきっと、アナタ達のことを巻き込んでしまう。わたくしの問題に。……垣根さんがどう動くかは分かりませんけど、わたくしはこの街の『闇』に関わりすぎている。今更、統括理事会はわたくしの離脱を許さないでしょう。だから──」

 

 

 皆の気持ちを受け入れた上で。

 その上で、弓箭猟虎はなお別離を選択する。嫌いだからではない。離れたいからではない。そんな自分の都合よりも、もっと優先すべきことがあるから。

 

 

「──それなんだけどねぇ」

 

 

 がらら、と。

 そこで、乱入者があった。

 

 星のように勝ち気な光を瞳に宿した、蜂蜜色の少女。

 第五位、心理掌握(メンタルアウト)、食蜂操祈。

 

 その少女には、異様な活力が溢れていた。

 まるで今までの彼女が、致命的な異常を抱えていたのではないかと思うくらいに。

 

 

「そもそも、そもそもよぉ」

 

 

 食蜂操祈は、とある少年を彷彿とさせるような力強さで、話し始める。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 根本の前提について、切り込む。

 誰もが考えもしなかった観点だった。この街の闇は、ハッピーエンドを許さない。狙われれば日常は崩壊してしまう。だから、希望は制限しないといけない。この街の『闇』に目を付けられない範囲の平和で我慢しないといけない。

 それが、分相応というものだから。

 そんな諦めに、食蜂操祈は真っ向から疑問を抱く。

 

 『そもそも、そんな風に諦めなくちゃいけない理由なんてあるのか?』と。

 

 

「この間、第二位と話す機会があったのよねぇ。向こうは私にお~っきな借りもあることだしぃ。で、その時こう思ったのよねぇ」

 

 

 きっと、誰もが思っていて、だけど実際に口に出すことなんてできなかったことを。

 

 

 

「『闇』だの『暗部』だの、いい加減鬱陶しくないかしらぁ? って」

 

 

 

 思いつきでも話すように、あっさりと言ってのけた。

 

 

「私もね。ずっと諦めていたことがあるんだゾ。奇跡が起きないと叶いっこないって、そんな風に自分の希望力の上限値を設定していた。でも、現実って意外と素敵にできていてねぇ。望んでいたことは、思っていたよりもずっとあっさりと叶った。それで気付いたわぁ」

 

 

 その一言一言を聞くにつれ、その場の少女たちにも、意志が伝播しはじめた。

 希望の上限値が、上塗りされていく。

 それまでは望みすらもしていなかった領域が、視野に入っていく。

 

 

「始まる前から諦める必要なんてない。そして諦めなければ、案外奇跡は簡単に起こせる」

 

 

 食蜂はそう言って、猟虎の手を取る。

 それは救いを求める弱者の手を取るヒーローのようでいて、己の臣下に手を重ねる女王のようでもあった。

 

 

「だから、猟虎さん。入鹿さん。悠里さん。潤子さん。……かつて才人工房(クローンドリー)の地獄を生き残った私の仲間達。私のワガママ、聞いてもらえるかしらぁ?」

 

 

 まるで世界全てを敵に回すような不敵さで。

 女王は、高らかに宣言した。

 

 

「クソったれな大人達の設定したこの鳥籠。学園都市の『暗部』。──こんなもの、跡形もなくぶち壊しちゃいましょう?」

 

 

 ──実験動物たちの、逆襲の狼煙を。

 

 

 


 

 

 

 慌ただしかった。

 ……いやいやいや、正直半分は自業自得みたいなところはあるんだけどね。食蜂さんの心のエンジンを点火したのは、俺達みたいなところはあるわけだし。

 でもまぁ、諦めなくてもいいんだってことを知ってしまった食蜂さんの動きは、劇的だった。

 学園都市の『暗部』の解体。それを提示した食蜂さんは、まず杠さんを救う情報を与えた恩義とかを利用して、垣根さんの協力を取り付けてしまった。学園都市のナンバー2と、人の心を操る能力者がタッグを組んでしまったわけだ。

 

 そうなってくると、事の騒ぎは俺達にも広まっていくわけで。

 当然俺達やGMDWも協力するし、美琴さんも同様に参戦することになる。

 そうなってくると美琴さん経由で白井さんも話に食い込んでくるわけで──ここに至り、猟虎さんの証言が風紀委員(ジャッジメント)という公的機関に流れ込むという事態が発生する。

 

 ここまで言えば、まぁ分かるだろう。

 

 猟虎さん経由で、上層部の不正が公的に明らかになる手筈が整ってしまったわけだ。

 それも、『スクール』という統括理事会にも近しい組織の構成員の証言が。

 

 ぶっちゃけ、そんなことして大丈夫なの? と思ったりしなくもなかったわけだが、なんと食蜂さんのバックには常盤台の理事長──統括理事の一人がついているらしく。

 なんというか、結局この一連の流れも、統括理事会の中でも比較的クリーンな人と暗部どっぷりな人同士の権力闘争、みたいな感じになるみたいだった。

 

 で、そうなってくると当然、同じ常盤台所属の俺達も忙しくなってくるわけで。

 

 その前に、やらねばいけないことがあるのだが……。

 やっぱり慌ただしいせいで、なかなか今に至るまで動けないのだった。

 

 

「あのう、すみません」

 

 

 GMDWのたまり場でもある研究施設の一室。

 俺達は、そこに足を運んでいた。

 

 放課後の研究室には、既に夢月さんや燐火さんをはじめとしたいつもの面々が詰めていた。

 なんだかんだで例の天賦夢路(ドリームランカー)の一見で情報組織としての経験値を積んだGMDWの面々は、既にちょっとしたプロフェッショナル集団の一面も獲得していた。

 まぁ、大覇星祭の後から半月以上も本物のプロと一緒に行動してきたんだから、当然かもしれないけどね。

 

 ともあれ、『メンバー』と行動を共にすることで、急な超能力(レベル5)認定によって脆弱だった『レイシア=ブラックガード』の地盤を補強するという当初の作戦については、概ね成功したと言ってもいい。

 

 『メンバー』からしたら、任務は達成した。

 その上、これから統括理事会と相対することになる俺達からは離反した方が、きっと『メンバー』としては真っ当な選択肢になるのだろう。

 でも。

 

 

「……なんだ。こっちはお前らの無茶振りのせいで今もてんやわんやなんだ。要件は簡潔に済ませてくれよ」

 

 

 ──今も、『メンバー』の面々は俺達と共に行動してくれていた。

 

 

「……ふふ」

 

「なんだ? その嬉しそうな笑みは。やめろよ、勝手に平和ボケした解釈で僕達の善意を読み取らないでくれ」

 

 

 馬場さんは心外そうに溜息を吐き、

 

 

「学園都市の『暗部』といっても、別に一枚岩って訳じゃない。むしろ、個々の持つ戦力は強大であっても一つ一つのピースは敵対していることの方が大きい。そんな中で、人心を掌握できる第五位と『闇』の中でも特に強力な『スクール』が反旗を翻して、統括理事をバックにつけた常盤台まで動くんだろう? それならもう、戦況は五分五分どころかこちらの方が優勢だ。僕らとしては、順当に勝ち馬に乗っただけなんだからね。博士も一緒にいるのがその良い証明だ」

 

「私としては、色々と満足したというのもあるがね」

 

 

 研究室の一角で。

 優雅に紅茶を飲んでいた博士は、照れ隠しめいた馬場さんの早口にゆったりと言葉を乗せる。

 

 

乱雑解放(ポルターガイスト)幽体離脱(アストラルフライト)理想の力(アイデアル)。君達と行動していれば、どうやら新鮮な世界の法則の裏側に触れられるらしい。私としては、数式を好きなだけ愛でられる環境にいられれば勢力はどうでもよいのでね。それが善に触れるなら、それも良いだろう」

 

 

 ……まぁ要するに、別に利害計算があるわけじゃなくて、普通にこっちにいた方が面白いものが見れそうだという話なのだった。

 馬場さんとしては、それまでの『こっちの方が優勢なのは博士がいることからも分かる』みたいな言い訳がいきなり梯子を外された形になるわけだけど……。

 

 

「…………ま、まぁ雇用主としては悪くないとは思っている。働き甲斐、なんてものを標榜するつもりもないが!」

 

「──ブラックガード嬢。長居するようなら茶を淹れるが」

 

 

 バツが悪そうにそっぽを向いた馬場さんの横で、もうすっかりメイド服姿が板についた徒花さん──ショチトルさんが心底どうでもよさそうに言う。

 ショチトルさんも、もともとは海原さんを粛清する為にやってきたわけなので、こうして俺達と一緒にいること自体が寄り道ではあるわけなんだけど……こうして、今でも行動を共にしてくれている。

 

 

「いえ、ちょっと伺いたいことがあるので立ち寄ったまでですわ。お構いなく」

 

「伺いたいことっ、ですかっ?」

 

 

 ショチトルさんに答えると、興味津々といった様子で燐火さんが問いかけてきた。

 俺は、少し言いづらさを感じながらも頷く。

 

 

「ええ。……その、当麻さんの居場所について伺いたく」

 

「……上条様、ですかっ……?」

 

 

 俺達の現在のムーブメントに、当麻さんは関わっていない。

 ぶっちゃけ当麻さんの強みって拳の激突とかそういう段階になってから効いてくるものだから、今の色々と調整している段階では話してもしょうがないというか、まぁ言ってなくてもどうせ必要な段階になったら勝手に嗅ぎつけてくるんだろうなという信頼感があるというか……。

 

 なのでまぁ、別にそういう方面の理由があって当麻さんに用事があるわけじゃないんだけど、さっきも言ったように、俺達は最近どんどん慌ただしくなってきてるんだよね。

 そしてこれからも、きっといろいろと忙しくなってくる。だから、このくらいのタイミングでちょっと会っておかないと、きちんと話ができる機会がいつになるのか分からないみたいな感じなんだよね。

 下手をすると、ハロウィンくらいまで会う機会がなくなってしまうかもしれないし。

 

 端的に言うと、私用のためにウチの情報網を使いたい、というわけだ。

 

 

「イ~ロ~ボ~ケ~~…………」

 

「ひぃっ!?」

 

 

 と。

 真後ろから、怨念めいた声を聞いて俺は思わず飛び退いてしまう。

 そこにいたのは、非情に不機嫌そうな表情をした夢月さんだった。

 

 

「いやいやその、個人的な話ではあるのですが、けっこう重要というか、区切りとしては必要不可欠と言いますか……」

 

「まぁまぁっ。……でもっ、シレンさんなら個人的に上条様に連絡をとれるのではありませんかっ? どうしてまたっ……」

 

「それが、当麻さん、電話に出なくて……」

 

 

 何度かかけてみたのだが、一向に繋がらないのだった。

 単なる不幸で携帯がぶっ壊れてるとか圏外になってるとかなら良いんだけど、まぁ彼のことだし、何かしらの事件に巻き込まれてる可能性もあるので……。せっかくだから居場所を調べてこっちから向かおうかな~と思った次第なのである。

 

 

「ケッ、放っておけばいいじゃありませんか。どうせそのうち病院か家に戻りやがりますよ」

 

「病院に戻られたら困るんですのよ。せっかくこの間退院したばかりなんですから」

 

 

 単位的にもね。上条さん、多分そろそろ進級が危ぶまれてくる頃だと思うから。

 

 

「…………はぁ、仕方ないですね。……千度さん、どうです?」

 

「はははい。もうすぐ……出ますね」 

 

 

 千度さんがいじっているモニタに、ほどなくして映像が表示される。

 同時に現れたマップによると──そこは、第七学区にほど近い路地裏のようだった。ついでに言うと、何やら女の子を背中に庇って、変な能力者相手に拳を握っている。

 

 

「なんというか。あの野郎、いっぺん自分が囲った女性にボコボコに殴られるべきでは?」

 

「……べ、別にわたくしは囲われているわけではありませんけど……」

 

 

 あくまでもね、自分の意思で動いているわけだからね。

 別に、当麻さんの獲得したトロフィーになったつもりもない。俺は俺で、自分がやりたいから上条さんのやろうとしてきたことを手助けしてた訳だから。

 

 

「では、行ってきますわ」

 

 

 そう言って、俺は研究室の窓枠に足をかける。

 ちょっとお行儀が悪いけれど──まぁ、ゆったり歩いていたら、なんかもう終わっちゃいそうな勢いだったしね。

 

 

 それじゃ。

 

 

《レイシアちゃん、行こうか》

 

《ええ。さっさと片付けましょう。これからの話をする為に》

 

 

 


 

 

 

終章 世界全てを敵に回すような Are_You_Ready?

 

 

一二二話:これからの話を Broken_Engagement.

 

 

 


 

 

 

 ──そんなわけで。

 

 音速を越えて現場に急行した俺達は、サクッと女の子を保護して警備員(アンチスキル)のところまで送り届け、ほどほどに敵の能力者を殴り倒した上条さんに大した怪我がないのを確認すると、とりあえず能力者さんの方も警備員(アンチスキル)に送り届けたのだった。

 

 

「あー、びっくりした」

 

 

 と。

 あらかたの報告作業を終えた俺達に、当麻さんはのんきな調子でそう言った。

 

 

「何がです?」

 

「いや、急に飛んでくるもんだからさ。よくここが分かったよな」

 

「ああ。……いやいや、乙女の情報網というヤツですわ」

 

 

 感心するような物言いの当麻さんに、俺は適当に言う。

 まぁ、俺達の情報網、まぁまぁ広大だからね……。流石に個人をぱぱっと特定するようなのは難しいけど、なんか派手にバトルしていればそれなりに分かる。いやあ、博士のロボット情報網ってけっこう便利だよ。

 

 

「…………思えば、こうして一緒に事件に取り組むのも、もう数えきれないほどですわねぇ」

 

 

 まぁ、成り行きというよりは俺が当麻さんに絡んでいったから結果的に、という感じではあるけど。

 今回もそうだし……最初のインデックスの件にしたって、そういう流れだった。

 

 

「…………、ああ」

 

 

 当麻さんは少しだけ言い淀んでから、俺の言葉に頷いた。

 まぁ、当麻さんの気持ちは大体分かる。確かに一緒に事件に取り組んだ回数は数えきれないほどあるけど、一方で当麻さんには今年の夏以前の記憶がない。夏以前からの付き合いである俺達との『最初の記憶』はないから……そこが引け目なのだろう。

 そんな彼を見ながら、俺はすっと話し始めた。

 

 

「──覚えていないのは、引け目ですか?」

 

「っ!!!!」

 

 

 当麻さんの呼吸が死んだのが、分かった。

 

 

「……すみません。実は、最初から分かっていたんです。あの夜、当麻さんが記憶を失ったこと。気付いていて、わたくしは臆病で……なかなか切り出すことができませんでした」

 

 

 これ以上はレイシアちゃんを救うことを第一義としていた当時の俺の領分を出てしまうから。

 上条当麻の記憶という領域に踏み込むことで、歴史がどのように変質するか分からないから。

 あの頃の俺は、そんな言い訳でそれ以上踏み出すことができなかった。

 

 

「当麻さんが望むのであれば。記憶を取り戻すお手伝いを、しようかと考えているのです。方法は、具体的には思いつきませんけれど。でも、やる前から諦めることもないんじゃないかって」

 

 

 そう言って、俺は当麻さんの表情を伺ってみた。

 

 ──この間の一件。

 食蜂さんが掴み取った『奇跡』を間近で見て──俺も、思ったのだ。別に、『上条当麻の記憶』をそこまで聖域視する必要もないんじゃないか、って。

 確かに、当麻さんの記憶は『正史』においては重要な要素になるんだろう。それが変わってしまえば、歴史は多分今までに輪をかけてめちゃくちゃになってしまう。それが良いものになるという保証だってない。

 でも別に、だからといって『もう取り戻せない』と諦めるようなものでもない、と思う。

 

 

「…………レイシア、は」

 

 

 当麻さんは。

 少し怯えるようにしながら、口を開いた。

 

 

「レイシアは、どっちが良い? 記憶を取り戻した俺か、記憶を失ったままの俺か」

 

 

 ──それは即ち、当麻さんの恐怖の根源だったかもしれない。

 記憶のあるなし。思い出のあるなし。それは重要なことだ。思い出がなければ、たとえどれだけ過去に行動を共にしようが、主観としては赤の他人になってしまう。当麻さんは、そのことを多分誰より理解しているから。

 

 その心情に寄り添った上で。

 

 

「う~~ん、正直、どうでもいいですわ」

 

 

 俺達は、あっさりと答えた。

 ……あ、図らずもなんかインデックスと似たような答えになっちゃったような。

 

 

「…………え?」

 

 

 ぽかん、と。

 当麻さんは拍子抜けしたみたいな表情で、唖然としてしまう。

 でも、これが俺達の偽らざる本心だった。

 

 

「確かに、記憶を失う前の当麻さんとわたくしは、お友だちでした。それなりに思い出だって重ねてきたと思います。でも、だからこそわたくしは断言できます。──記憶を失う前も、記憶を失った後も、どちらも変わらず『上条当麻』だと」

 

 

 たとえば、俺が勝手に消えて、レイシアちゃんがそれに対して当麻さんに助けを求めた時。

 記憶を失う前と後で、当麻さんの行動に何か違いがあっただろうか。

 これまでの道筋で、もしも当麻さんに記憶が残ったままだったとして──それで当麻さんが誰かを救うという決断を変えたりしただろうか。

 

 そんなもの、答えは最初から分かっている。

 

 ありえない。

 たとえ今この瞬間に今までの記憶が消し飛んだとしても、それでも上条当麻は誰かの為に拳を握ることができる。

 誰かの為に戦うときに、最大の力を発揮できる。

 そんな最強のヒーローであるところがブレることは、絶対にない。

 

 ……もっとも当麻さんだって普通の少年だから、時には悩んだりすることもあるだろうけど、そこはまぁ、ね。

 

 

「だからわたくしは聞いているのです。記憶がないのは、引け目ですか? アナタは失った記憶を取り戻したいですか? ……わたくし達は、どう転ぼうが何も問題ありません。ほかでもないアナタが幸せになる為に、過去の記憶は必要ですか?」

 

 

 俺達の問いに、当麻さんはしばらく黙っていた。

 自分の心に問いかけて、本当にそれでいいかと考えて。もちろん、答えを出したからといってそれで何かが変わるわけでもない。当麻さんの脳細胞は物理的に破壊されていて、記憶は普通の医学ではもとに戻らない。一〇万三〇〇〇冊の魔道書にだって、当麻さんの消えた記憶を取り戻す方法は載っていない。

 きっと、やるとしたってとても長い道のりになるはずだ。魔神やらなにやらの事件が片付いて、十何年と費やしたって辿り着けないかもしれない。

 でも、決めれば何かが動き出す。

 それだけは、はっきりと分かっていた。

 

 

「…………ごめん。シレン、レイシア。俺は……まだ、答えを出せない」

 

 

 当麻さんは、しばらくの沈黙の後にそう答えた。

 

 

「取り戻せるなら、取り戻したいって気持ちもある。俺も、記憶を取り戻したところで俺は俺だって思う部分はあるし。インデックスやお前達との馴れ初めを思い出したい。食蜂や御坂との記憶も取り戻したい。俺が今まで取りこぼしてしまった過去の人たちとのやりとりを取り戻したい。……そんな気持ちは、確かにあるよ」

 

 

 当麻さんはそこで拳を握って、

 

 

「でも、それは筋を通してからだ」

 

 

 そう、言い切った。

 

 

「俺は、今まで皆の事を騙して来た。シレンは最初から分かっていて付き合ってくれたのかもしれないけど、インデックスは違う。御坂も、食蜂もそうだ。俺は、記憶を失う前の『上条当麻』を演じて、大切な人たちを騙して来たんだ。本来は別の誰かがいるはずだった場所に、苦労せずに居座っている」

 

 

 そんなことはない、と反射的に叫びたくなるような言い分だった。

 だって、何も苦労していないわけがない。当麻さんがどれだけ苦労して今の関係を築いてきたか、俺はいっぱい知っている。……でも、当麻さんはそうは思っていないようだった。

 

 

「だから俺は、詫びなくちゃいけない。俺が今までズルをして、本来得るべきじゃない関係性を得てしまっていた全員の人たちに。……そうしてみんなに許してもらわないと、俺には記憶を取り戻したいと言う資格すらない」

 

 

 それが、当麻さんが一歩踏み出す条件らしかった。

 それらならそれでいい、と俺は思う。それが当麻さんの決めたことなら、俺達はそれに寄り添うまでだ。

 

 

「なら、最初はわたくし達がいただいても、よろしいかしら?」

 

 

 そう言って、俺達は手を差し伸べた。

 

 

「……俺は……俺は、今まで自分の記憶がないことを黙って、お前達の世界に入り込んでいた。……本当に、済まなかった」

 

「許しますわ」

 

 

 差し伸べ返された手を握りながら、俺は答える。

 ……そして、ズルをして、アナタの世界に入り込んでいたというのなら。……それはきっと、俺も同じことなんだよな。

 

 

「当麻さん、覚えていますか? わたくし達、一応名目上は婚約者なんですのよ?」

 

「…………あっ」

 

 

 当麻さんは言われてからハッとしたような表情を浮かべる。

 ああ、やっぱり忘れてたのね。まぁ、口約束だしそりゃそうなるわな。

 塗替さんとの一件があって、露払いをする為に──という名目で、レイシアちゃん主導で取り決められた口約束の婚約者。その後も、ことあるごとに口にしてきた肩書ではあるわけだけど──。

 

 

「……わたくしの方こそ、すみませんでした。こんなの、ズルをして、アナタの世界に自分の席を無理やり作り出しているのと同じですものね」

 

 

 『上条当麻の婚約者』。

 そんな肩書を使って、当麻さんの世界に席を確保する。それはまぁ、『ヒロインレース』……少女たちの戦いの世界では、戦略として許されるのかもしれないけどさ。

 でも俺は、元男で、レイシアちゃんから乙女だのなんだのって言われても、やっぱりそこは、正々堂々としたいなと思う。

 だから。

 

 

《……はぁ、せっかくわたくしがお膳立てしてあげたのに、全部無駄にしますの?》

 

 

《ごめんね、レイシアちゃん。でもさ……なんというか、こっちの方がすっきりするから》

 

 

 

 繋いだ手を離し、俺は意を決して言う。

 本当の意味で、スタートラインに立つために。

 

 

「当麻さん。わたくし達の婚約を────破棄しませんこと?」

 

 

 まぁ、なんというか。

 

 ──こういう筋の通し方の方が、悪役令嬢らしいんじゃないかな?

 

 

 


 

 

 

《……破棄しちゃったねえ》

 

 

 その後。

 当麻さんと別れ、自室に戻った俺達は、一人で──いや、二人でベッドの上に寝転んで、ぼんやりしていた。

 

 

《まったくですわ! せっかくわたくしがヒロインレースで有利になるように立ち回ってあげたというのに、シレンときたらどれもこれも無視して……。……あとで後悔して泣きを見ても、知りませんわよ!》

 

《あはは……。案外レイシアちゃんの言うとおりになっちゃうかもしれないけどさ》

 

 

 何度も聞いたレイシアちゃんの小言に、俺は思わず苦笑してしまう。

 レイシアちゃんの行動って強引なようでいて、本当の根っこの方には俺への思いやりがあるんだよね。当麻さんとのことだって、レイシアちゃんの第一理由には俺の幸せがある。それに、俺の気持ちのことだって慮ってくれているというのもあると思う。

 俺はほら……レイシアちゃん曰く鈍感だからそういうのはぶっちゃけ今でも実感が沸かないんだけどさ。

 

 

《でも、それで俺が後悔することになっても、きっとその後は前を向いて生きていけるよ》

 

 

 そう、俺は断言する。

 もしもこの先、俺が当麻さんのことを本当に愛するようになって、でも当麻さんが他の女の子を選んで、それで本気で悲しむようなことがあっても……その過程で常に胸を張れるような行動をとっていれば、俺は真っ直ぐに生きていけるはずだ。

 

 

《だって、当麻さんが隣にいない未来でだって、俺の隣には絶対にレイシアちゃんがいるんだから。でしょ?》

 

《……………………………………まぁ、そうですけど》

 

 

 少し拗ねたような、照れ隠しのぼやきに、俺は嬉しくなって笑ってしまった。

 

 ならまぁ、最終的に前を向いて生きていくだけだ、と俺は思う。

 

 だって俺達の前には、色んな未来が広がっているんだから。

 

 

「──それじゃ」

 

 

 拗ねてしまったレイシアちゃんの機嫌も直ったところで、俺達はベッドから起き上がる。

 なんだかんだ言って、まだまだやることは山積みだ。

 

 ──まだ見ぬハッピーエンドを掴み取る為に。

 

 

「これからの話を、しましょうか」

 

 

 

 

とある再起の婚約破棄(ニアデスプロミス)

 

 


 

 

二年間にわたるご愛読、ありがとうございました!

 

しばらくしたらマイページの方にあとがきを書きますので、お気に入りユーザ登録などをしていただいてお待ちいただければ~。

……しばらくしたら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 ──それは、蜂蜜色の少女に『奇跡』が起きる、前日のこと。

 

 

 真っ暗闇の研究所に足を踏み入れる、一人の少年の姿があった。

 

 

「──ああ? なんだ、相似か。遅かったじゃねえか」

 

 

 雑多なページが撒き散らされた室内で机に向かっていた男は、そう言いながら振り返る。

 顔面の半分を刺青で覆ったその男は、木原数多と呼ばれていた。

 

 研究所では彼が確保していた『原典』の知識が失われ、手駒としていたスキルアウトも制御を離れていたが──だが、彼自身は特にダメージも何もなかった。

 これからも、臨神契約(ニアデスプロミス)を狙う動き自体は何も変わらない。お誂え向きに、個人的な友誼を結ぶに至った少年もこちらにいるわけだし──

 

 

 

『悪いね、邪魔しているよ』

 

 

 

 そこで。

 

 数多は、相似の横に一匹の老犬がいることに気付いた。

 

 

「……まぁ、そりゃそうか」

 

 

 うんざりしたように、数多は呟く。

 予想していたことではあった。

 臨神契約(ニアデスプロミス)を手中に収める為に、メインプランやら超能力者(レベル5)やらを潰す動きをしていたのだ。アレイスターからすれば片方だけでも逆鱗に触れる行為だというのに、よりにもよって両方。

 粛清する為の刺客が投入されるのも当然の流れだった。

 

 とはいえ。

 

 

「……しかし、意外だったな。まさか相似、テメェが裏切るとはよ」

 

「すみませんね、数多さん。でも、『木原』同士が裏切るのなんて日常茶飯事ですからねぇ」

 

「ギャハハ、そりゃ違いねぇ!」

 

 

 それだけだった。

 特に親密だったはずの二人の会話は、それで終了した。それが、『木原』という一族の本質だ。根本的に、同族間での絆など存在していない。

 そんなものを感じているのは、とある出来損ないの少女くらいだろう。

 

 

『残念だ、数多。君のことを、この手にかけないといけない日が来るとはな』

 

「もう勝てる気でいやがんのか? おめでたい野郎だなあ。それとも、もう耄碌しちまったってか?」

 

 

 言いながら、数多は座っていた椅子から立ち上がる。

 バサバサと、その拍子に机の上に散らかっていた紙が幾つか滑り落ちた。それを見て、初めて脳幹の表情にも動揺が浮かぶ。

 

 

『……これは、魔道書……!?』

 

「おいおい。俺は『継承』する木原だぞ。いくら知識を排除したっつっても、全く何のエッセンスも受けてねえわけねえだろ。まして、これから学園都市が敵に回るって時によ」

 

 

 バササササ!! と。

 風もないのに、ページが宙を舞う。

 完璧なはずの物理法則に、風穴が開けられる。

 

 

「っつーわけで!! それじゃあ見せてもらおうか、脳幹。この街の王の──アレイスターの野郎が振るうっつー科学が、俺の振るう魔術にどこまで食らいつけるかをよ!!!!」

 

 

 ──ガシャコン!! と、研究所の暗がりの奥で機械の音が響いた。

 

 

『……やれやれ。アレイスターの読みは正確だな。そして正解だった。慢心せずにこれを持ち運んでおいてよかったよ』

 

 

 レディリー=タングルロード。

 フロイライン=クロイトゥーネ。

 『ドラゴン』。

 

 理解できない領域への安全弁としての機能を持つ老犬は、次にこう言ったのだった。

 

 

アンチアートアタッチメント(A.A.A.)()()()()()()()というものを、知っているかね?』

 

 

 


 

 

 

 ──戦闘は、ものの五分もかからなかった。

 

 木原数多がどれほど『原典』の知識を継承しようとも、老犬の扱うチカラはこの街の王のそれ。

 どれほどのスペックを誇ろうが、それを超える一撃を叩き込むことができてしまう。

 ゆえに、決着はあっさりとついた。

 

 

「ひゃはは、なんだそりゃ。反則技だろ……」

 

 

 木原数多は。

 胸から下を綺麗に消し飛ばした男は、死に向かいながらも笑っていた。

 

 

「……あー……クソったれ。何も分からねえ。理論のりの字も分からねえとは、本当に大した科学者だな、アレイスターの野郎は…………」

 

 

 命が抜け落ちていきながら、数多は悔しそうに呻く。

 そんなかつての教え子に、脳幹は寂しそうに視線を落としていた。

 

 

『…………数多』

 

「………………んだよ、ジジイ。もう少しで死ぬんだ。少しでも現象を考察させる時間にあててえんだが」

 

『済まなかった』

 

 

 両者の間には、当人にしか分からない文脈が含まれていた。

 老犬が、この『継承』を司る男に詫びる理由を、余人が知る由もない。そしてそれはきっと、浪漫を解する老犬の口から語られることは決してないのだろう。

 死にゆく男は、その心遣いを鼻で嗤った。

 

 

「はっ、くだらねえな。何浸ってやがんだか」

 

 

 数多は、言う。

 これは終わりではない、と。

 

 

「俺が死んで終わりだと思うか? 収まるべきものが、収まるべきところに収まったと? 違げえな。逆だよ。これは、始まりだ」

 

 

 声はどんどん掠れていく。

 だがそれでも、木原数多は寿ぐように笑った。

 

 

「覚悟しろよ、脳幹、アレイスター。ここで終わりじゃねえ。……ここから先に……セオリーなんてもんは……ねえ。……イレギュラーが……ありふれちまった世界で……テメェらの『プラン』が……どれだけ……無事でいられる……か……見もの……だ……な…………」

 

 

 木原数多は、それきり言葉を吐き出すことはなかった。

 

 それでも、口だけは動いていく。

 壊れた人形が、最後に少しだけ動くように。

 

 木原数多は、最期にこう口を動かした。

 

 

 


 

 

 

 さあ。

 

 予定調和をぶち壊す準備はいいか?




終章はラストだと言ったが、最終話だとは言っていない。


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最終章 予定調和なんて知らない Theory_"was"_Broken.
一二三話:結局いつもの大失敗


「レイシアちゃんっっっ!?!?!?」

 

 

 ──一〇月九日、朝。

 常盤台中学の外部寮にて、とある令嬢の悲鳴が響き渡った。朝六時二〇分。就寝及び起床の時刻にはうるさい常盤台中学でも十分に『朝早い』といえる時刻だ。隣室の住民らしからぬ絶叫に、御坂美琴は思わず飛び起きた。

 

 

「な、なに!? どうしたの?」

 

 

 跳ね起きてルームメイトの白井黒子の様子を伺ってみると、どうやら彼女の方も寝耳に水の事態だったようだ。美琴と同じように跳ね起きて目を白黒させている。

 しかし、彼女の方は流石に風紀委員(ジャッジメント)だけあって判断が早かった。すぐさま飛び起きると、

 

 

「ブラックガードさん!! 何がありましたの!?」

 

 

 ──すぐさま自身の能力である空間移動(テレポート)を使用し、隣室へと消えていく。

 美琴の方も、普段落ち着いた隣室の住民らしからぬ悲鳴にただならぬ気配を感じていた。パジャマのまま部屋の外に飛び出すと、流れるように磁力を使って扉を開錠する。

 

 レイシア=ブラックガード。

 

 美琴と同じ超能力者(レベル5)にして、非公式ながら序列は美琴に次ぐ第四位。非公式であることから裏第四位(アナザーフォー)とも呼ばれているが、その能力白黒鋸刃(ジャギドエッジ)は既存の物質では防ぐことのできない『亀裂』を操る超強力なチカラ。

 常盤台でも有数の派閥の長も務めている彼女は、常に落ち着きを持った、美琴からしたらそのプロポーションも相まって『本当に同い年なのか』と疑問に思ってしまうような性格だった。

 その、彼女が────。

 

 

「レイシアちゃんが……レイシアちゃんが……」

 

 

 モノクロトーンのパジャマを身に纏い、ぺたんと床に座り込んだ状態で。

 

 

「…………()()()()()()()()()()()()

 

 

 ボロボロと瞳から大粒の涙を零して、途方に暮れていた。

 

 

 


 

 

 

「──どうしてくれるんですの。今頃あの子、こんな感じで泣いていますわよ」

 

 

 同日、朝。

 煉瓦造りの街並みの路地裏で、白黒のナイトドレスを纏った金髪碧眼の令嬢──レイシア=ブラックガードは不機嫌そうに呟いた。

 彼女の神経質そうな蒼眼の先には、一人の『人間』がいた。

 男のようにも女のようにも、子供のようにも大人のようにも、聖人のようにも囚人のようにも見える人物。手術衣を身に纏ったそいつは、悪びれる様子もなく肩を竦めた。

 

 

「なぁに、この程度は些細な誤差にすぎないよ」

 

 

 床につきそうなほどの長さの銀色の髪。

 何を見ているのかも判然としない翠の瞳。

 我々は知っている。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 たとえるならば、RPGで始まりの街に魔王がやってくるようなもの。

 その状況自体が逆説的にこれ以上ない異常事態であることを如実に示すような構図。

 

 にも拘らず、その『人間』は確かに此処にいた。

 0と1では割り切れない形だとか、そんなおためごかしではなく。

 純然たる実体を持って、そこに存在している。

 

 それは、とある歴史の決定的な破綻を意味していた。

 

 ────学園都市統括理事長。

 

 ────アレイスター=クロウリー。

 

 諸悪の根源が、平然と佇んでいた。

 

 彼の一挙手一投足で、歴史が変わる。あらゆる事件や計画の裏側の奥の奥で鎮座する黒幕。そんな彼の一言を前にして、()()()()()()でしかないレイシアは────

 

 

「どこがですの!! こうして無様に落ち延びているこの現状のどこが些細な誤差だと言うんですの!?!?」

 

 

 ……普通にキレた。

 

 

「窓のないビルはあんなことになっていますし! そもそもどうしてこんなになるまで事態を放っておいたんですの!? 馬鹿なんですの!?」

 

 

 相手がかなりの大物だとか、下手したらまだラスボス路線あるとか、そういうことは一切気にせず。

 レイシアは、目の前の銀髪に向かって思いの丈をぶちまけていく。なんというか、既にそれが許されるような距離感になっているのだった。

 

 

「まあ落ち着け、裏第四位(アナザーフォー)。このクソ野郎にブチギレてえ気持ちは俺も分かるが、ここで揉めてても何も解決しねえよ」

 

 

 まさしく怒り心頭といった様子のレイシアを宥めたのは、目の前の統括理事長ではなく、茶髪の少年。

 新人ホストか、はたまたヤクザ候補生か──闇と日常の中間地点に立っているような印象の少年だった。

 

 ──学園都市第二位、垣根帝督。

 暗部組織『スクール』を束ねる立ち位置にいる彼もまた、何の因果かレイシア達と行動を共にしているのであった。

 

 

「ああ、仲裁してくれて助かる未元物質(ダークマター)。それに、本当に心配せずとも規定のラインに戻すのはそう難しいことではない。この程度の想定外は日常茶飯事だしな」

 

「……それ、実は学園都市はこのレベルの大ピンチが頻発していますって言っているのと同じで、ちっとも安心できる要素ではないのではなくて……?」

 

 

 言いながら、レイシアは路地裏の隙間から見える空へと視線を向ける。

 遠くの空からは、もくもくと真っ黒い煙が天へと延びていた。きっと今頃は、学園都市中が『あの被害』を大々的に報じていることだろう。

 頭を抱えたくなる気持ちを必死に抑え込んでいたレイシアだが……、

 

 

「……確かに。言われてみればその通りだな」

 

「このクソオヤジ、実はかなりタチが悪いですわね!?」

 

 

 平然と居直る統括理事長には、憤慨するほかなかった。

 アレイスターはというとやはりレイシアの憤慨など気にせず、どんどんと話を進めてしまう。

 

 

「それに、この場には君達もいることだし」

 

「アナタ自分でこの状況を何とかしようとする気概とかありませんの!? 腐っても統括理事長ですわよね!? 今までの諸悪の根源ですわよね!? もうちょっとこう……何とかならないんですの!? こんなストレート負けがありまして!?」

 

「悲しいかな、これが『私』だ」

 

 

 レイシアの糾弾めいた言葉にも、アレイスターはどこ吹く風だった。

 それどころか、半ばそちらの方を無視してアレイスターは垣根へと向き直り、

 

 

「ああ、そうだ。これからの方針だが、連中は私の魔力反応を感知して襲撃を仕掛けてくるだろう。とっとと移動しないと『学舎の園』が十字教最高レベルの戦力の巻き添えを食うぞ」

 

「どの口が言ってますのこの駄目ラスボスぅぅうううう!!!!」

 

 

 頭を抱えるレイシア。

 平然と駄目さを露呈しまくるアレイスター。

 

 その一部始終を観察してから、垣根帝督、非常に非常に嫌そうな笑みを浮かべ脱力。

 

 

「……俺は今まで、こんな奴との直接交渉権を望んでいたのか……」

 

 

 統括理事長は、ただ曖昧に笑っているだけだった。

 

 

 ──さて。

 ここで一度、喜劇を脇に置いて疑問を整理しよう。

 

 問一。レイシア=ブラックガードの二つの人格はどうして別離を起こしたのか。

 

 問二。レイシアとアレイスター=クロウリーと垣根帝督はどうして行動を共にしているのか。

 

 問三。アレイスター=クロウリーは何故ここまで追い詰められているのか。

 

 その答えの全ては──

 一〇月九日。学園都市独立記念日の朝を紐解くことで、明らかとなる。

 

 時計の針は、当日の早朝へと巻き戻る────。

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一二三話:結局いつもの大失敗

Crowley's_Hazard.

 

 

 


 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「悲しいかな、これが『私』だ」

学園都市統括理事長にして

頓挫した臨神契約(ニアデスプロミス)計画の首謀者

──アレイスター=クロウリー

 

「どの口が言ってますの

 この駄目ラスボスぅぅうううう!!!!」

没落から再起した元悪役令嬢にして

超能力者(レベル5)裏第四位(アナザーフォー)白黒鋸刃(ジャギドエッジ)』の能力者

──レイシア=ブラックガード

 

「……俺は今まで、こんな奴との

 直接交渉権を望んでいたのか……」

暗部組織『スクール』のリーダーにして

超能力者(レベル5)第二位『未元物質(ダークマター)』の能力者

──垣根帝督

 

 


 

 

 

 ──その日、レイシア=ブラックガードの目覚めは奇妙な心持だった。

 ふと目を開けると、そこは見慣れた自室の天井ではなく満点の星空。何だこれは──と思考を回転させて、レイシアはようやくそこが『星空』ではなく暗がりに浮かぶ無数のモニタの明かりだと気づいた。

 

 そして、遅れて『体感』する。

 ──己の裡に、シレンがいない。

 

 

(何が……!? わたくしだけ飛ばされた!?)

 

 

 パニックになりかける精神を捻じ伏せて平静を保つことができたのは、先だっての戦いで木原相似に極大のトラウマを刺激された経験によるところが大きい。一心同体の相棒がいない精神的動揺──それを認めたうえで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と即座に思考を立ち直らせることが、今のレイシアにはできていた。

 

 

「…………なるほど、そう来たか」

 

 

 そのまま、通常のレイシアの思考回路であれば、まず周辺の探索を行っていたことだろう。

 此処がどこか分からないにせよ、まずは事態を把握しなければならない。頼れるシレンがいない以上、目標を明確にするためにも、リスクをおしてでも情報収集を行う必要があるからだ。

 だが、彼女は探索に向ける意識のリソースを、その声を耳にした瞬間全て警戒にあてた。

 何故なら、声の主は彼女のすぐ近く──モニタの明かりに照らされて、佇んでいたからだ。

 人工の灯りに照らされる、銀髪の男。

 即座に飛び退き、その場にあったごちゃごちゃした機材の影に隠れ、そこでレイシアは改めて自分の状況に気が付く。

 

 身に纏っているモノが、パジャマじゃない。

 

 そんなことかと思うかもしれないが、レイシアはシレンたっての要望で、三日に一回は薄い生地の透けたモノクロトーンのネグリジェではなく薄手の生地のパジャマを身に纏うようにしており、昨晩は確かにその生地のパジャマを身に纏って就寝していた。それが今は、全く違う衣装になっていた。

 白と黒のドレスグローブまではいつも通りだったが、白と黒のレースカーテンを巻きつけたようなオフショルダーのナイトドレスを身に纏って長い金髪を黒のリボンで結い上げた髪型は、さながら夜会に出席した貴族のご婦人といったような風体である。

 同じく白と黒のタイツの足先を包む真っ黒なアンクルストラップつきのハイヒールは見るからに動きづらそうだったが、何故だかレイシアは全く動きづらさを感じていなかった。

 

 当然のことだがレイシアはこんな格好をした覚えはないし、何ならこんな服は今まで一度も着た事がない。服装という危機には直結しないファクターだが、だからこそレイシアの思考は事態の把握と共に一気に混乱の極致に叩き込まれた。

 

 『この状況は、一体何なのだ!?』と。

 

 そして彼女が混乱する最大の要因は服だけでなく──機材の向こう側にいる男にもあった。

 

 

 それは、『人間』だった。

 

 

 男にも、女にも、大人にも、子供にも、聖人にも、囚人にも見える。

 あらゆる可能性が内包されたかのような容貌は──もはや『人間』としか言いようがなかった。

 

 手術衣を身に纏った『人間』アレイスター=クロウリーは、何か杖を振るような()()をしてから、そっと囁くように呟く。

 

 

「これは、かなりマズイな」

 

 

 直後だった。

 

 ドガガガガガガガガ!!!! と大気そのものが破裂したかと錯覚するような爆発音が炸裂し、世界全体が揺れるような振動がその場を支配する。

 レイシアはとっさに身を屈めて衝撃に耐えつつ、大声を出して叫んだ。

 

 

「なんっ、なんなんですの!? これはいったい何が起こっているんですの!?」

 

「心配いらない。この襲撃自体は想定の範囲内だ。むしろ遅すぎたくらいだと言ってもいい。……もっとも、君がこの場に現れたことは想定外だがな」

 

 

 そう言って、アレイスターは右手を振る。

 ただそれだけの動作だったはずなのに、何故かその手には()()()()が握られているようにレイシアには見えたが……、

 

 

「レイシア=ブラックガード。悪いが、此処──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ……………………。

 

 

「はァあ!? 何言っていますのアナタ!? 既に耄碌しておりますの!?」

 

「溜まっていた分がまとめて来ただけだ。おそらくこれまでの『時の組紐』の捻じれがまとめて降りかかった形だろうが、流石にこの事態はこの街の許容限界を大幅に超えている。まだこの時点で都市機能が停止することは避けたいからな……。『連中』については一旦警備機構を素通りさせる必要があったわけだが、まさか此処を直接狙ってくるとは」

 

 

 アレイスターは楽しそうに笑い、

 

 

「それに、事態の収拾のために臨神契約(ニアデスプロミス)を稼働させようとしたら、それにすら失敗するのは流石に想定外だ。シレンを召喚しようとして君が召喚されるとは思っていなかった」

 

「もしかしなくても、わたくしが此処に飛んできたのもアナタが元凶ですのね!?」

 

「ハッハッハ、いかにも」

 

「こ、この野郎……!!」

 

 

 頭を抱えたくなる情報の連続だったが、とりあえず状況は理解できた。

 現状、とんでもない戦力の敵が学園都市に攻めてきているとのこと。

 そしてその敵は、まともにぶつかれば学園都市の都市機能が丸ごと壊滅してしまうような凄まじい戦力を持ち合わせているらしい。都市機能の損耗を嫌ったアレイスターが『普通の警備』を素通りさせたところ──その敵は『窓のないビル』を直接攻めてきたというわけだ。

 その対抗策としてシレンに宿る『何かしらの力』を使おうとしたアレイスターだったが、結局それには失敗し──レイシアが召喚されてしまった。アテにしたチカラが使えなくなってしまったアレイスターは万事休す、というところである。

 

 

「何もかも裏目ではなくて!? この後どうするつもりですの!?」

 

「無論、脱出するさ」

 

 

 アレイスターはそう言うと、銀色の杖をくるりと手の中で回転させ、

 

 

「とはいえ、此処の外壁を破壊するような出力の魔術を使おうものなら、間違いなく巻き添えを食って私も死ぬ。全く困ったものだな」

 

 

 ズジャドドドドド!!!! と。

 暗がりを星々のように照らしていたモニタから、無数のレーザーが窓のないビルの壁へと叩き込まれた。

 

 

「な…………ッ!?」

 

「私はこれでも科学の街の王でもある。魔術師としての私で足りない部分は、科学者としての私で補えばいいわけだが……」

 

 

 ……ただし、壁は微塵も破壊されていなかったが。

 

 

「しかし困ったな。このビル、堅牢に作りすぎて手持ちの『科学』では破壊できないぞ」

 

「自前の防御が逃走を妨げる牢獄になっているじゃありませんの!! あーもうわたくしがやりますわ! 演算型・衝撃拡散性複合素材(カリキュレイト=フォートレス)だかなんだか知りませんが、上位次元ごと切断すればどうとでもなりますわよね!」

 

 

 痺れを切らしたレイシアが、白黒のナイトドレスをはためかせて手を翳して見せる。

 白黒鋸刃(ジャギドエッジ)

 暫定第四位に数えられる超能力(レベル5)で、物質を切断する力場──『亀裂』を展開する能力である。

 その適用範囲は彼女『達』が戦闘経験を積むにつれて拡大していき、今や三次元よりも上の次元をパラメータとして入力することによりただの物質であれば問答無用で切断することができるようになっているのだった。

 それは、向かってくる衝撃に対して最適な波をぶつけて威力を相殺する演算型・衝撃拡散性複合素材(カリキュレイト=フォートレス)ですら同様であったが──

 

 

「……あれ。どうして能力が出ませんの? 『亀裂』が! 出ないのですが!?」

 

「それはそうだろう。気付かなかったのか? 私は君を『召喚』したと言ったんだ」

 

 

 当たり前の事実を話すように言うアレイスターの言葉を聞いて、レイシアは改めて自分の様子を見た。

 視線を落とすと、平時のそれと変わらない己の掌が見える。透けているわけでもないし、ぼやけているわけでもない。ただし。

 

 

「…………えい」

 

 

 試しに小指の端っこを指でつまんで毟ると、異常が分かった。

 

 

「君、よくやるな。それ」

 

 

 呆れを滲ませるアレイスターの声など、耳にも入らなかった。

 そもそも指の力で肉を毟れるというのが異常事態だが──最大の異常は、その傷口にある。

 

 

「……ってこれ、風斬と同じじゃありませんのぉぉ────っっ!!!!」

 

 

 べしん!! とレイシアは勢いよくちぎった自分の破片を地面に叩きつけた。

 毟られたレイシアの小指の傷口は、卵の殻のように内部が空洞になっている。その中にパソコンの基盤のような模様が走っており、彼女の記憶が正しければ一〇〇%かつての風斬氷華の傷口と全く同じそれとなっていた。

 ……なお、この歴史においてレイシアがその傷口を直接見たことはないのだが、かつてシレンの復活パーティにやってきた風斬から事情を聞いている為、レイシアはその事実を()()()()()()()()()()()()()

 

 つまるところ、現在のレイシアは風斬と同じ──AIM思考体となっているというわけだ。

 そして、妹達(シスターズ)や木原病理のリトルグレイ参照、復活した垣根帝督の例を見ても分かるように、能力とは肉体に宿るもの。

 単なるAIM思考体である今のレイシアは、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)を使うことができないというわけだ。

 

 

「何ですのこれ!?」

 

「だから言っているだろう、『召喚』だと」

 

 

 アレイスターは気軽に言って、

 

 

「大したことはしていない。君達は自覚していなかったようだが、誰かの肉体に全く別の魂が外付けされているような状態、霊的にいくらでも茶々を入れることができるのだぞ? たとえば生霊。日本では生霊伝説が大量に存在しているが、その理論を応用すれば、逆に『生きながらに魂を引きずり出す』ことも容易だとは思わないかね?」

 

「そ、そんな馬鹿な話が……」

 

 

 そんな話がまかり通るのであれば、レイシアとシレンは魔術サイドの敵には完全な無力ということになってしまう。

 ……よく考えなくても、そんな無法を通すことができるのはこの最悪の魔術師だからだと考えるのが筋である。

 

 

「……その理論を使って、鍛えた臨神契約(ニアデスプロミス)を『収穫』して『ヤツら』への切り札にする計画だったのだがね。結果は御覧の有様だ。結局いつもの大失敗というわけさ」

 

「何もかも話が分かりませんわ!? そもそも臨神契約(ニアデスプロミス)っていったいなんなんですの!?!?」

 

「せっかくだ。いちいち説明してやってもいいが──そろそろ時間のようだ。ヤツらが来るぞ」

 

 

 アレイスターの言葉で、ようやくレイシアは思い出す。

 そういえば、この『窓のないビル』は正体不明の『敵』に襲われていて、もう間もなく陥落しそうな勢いなのだ、ということを。

 そして。

 

 バガァン!! と。

 アレイスターの言葉の通り、堅牢なはずの『窓のないビル』が何かによって切り裂かれた。

 

 そこに、いたのは。

 

 

「どうしましたー? まともな防備も寄越さずに無血開城とは! 今更罪を悔い改めたところで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 

 真っ白な刃を振り回す緑の聖職者。

 

 左方のテッラ。

 

 

「ああ、そうそう。今回学園都市に攻めてきた『敵』について話していなかったな」

 

 

 本当に、楽しそうに。

 自らの牙城が崩れ落ちたのを目の当たりにしたアレイスターは、外界から降り注ぐ朝日の陽光を背にしながら、レイシアに向き直って言った。

 

 

「前方のヴェント。左方のテッラ。後方のアックア。……『神の右席』お買い得パックのお出ましだ。これで、現状がどういったものか理解してもらえたかね?」



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一二四話:そもそもの発端

「さて、当座の問題だが」

 

 

 アレイスターは、指揮棒を振る様に銀色の杖を振りながら言う。

 

 

「とりあえず、一人にご退場願っておくか」

 

 

 直後だった。

 ゴッッッ!!!! と左方のテッラが吹っ飛ばされる。窓のないビルを破壊した真っ白い刃を振るうような時間は存在していなかった。たったの一瞬で、科学の街の王の居城を破壊した──科学と魔術の両サイドに分かたれた歴史を俯瞰しても明らかな『転換点』を生み出した『神の右席』の一人は戦線から退場する。

 

 

「な…………ッ!?」

 

「呆けている暇はないぞ、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)

 

 

 あまりにもあっさりとした退場劇に、さしものレイシアも言葉を失う。

 しかし仮にも二〇億の頂点、その一角に立つ魔術師をあっさりと退場させておきながら、アレイスターはあっさりと下す。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 明確な、敗北宣言を。

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一二四話:そもそもの発端 

Near-Death_Promiss.

 

 

 


 

 

 

「アレイスター!!」

 

 

 それから、十数分ほどだろうか。

 早朝の街中を走りに走り、第七学区の街中まで来たあたりで、レイシアはたまらず叫んだ。前方を行くアレイスターは、此処までほぼ無言だ。レイシアも状況の変化を整理するので精一杯となっており、ここまではただ流されて動いているだけだったが、流石に十数分もあれば思考の整理もできる。

 アレイスター=クロウリー。すべての元凶。

 彼を前にして、聞くべきことも自ずと浮かんでくる。

 

 

「なんだね。まぁ君も当事者だ。走りながらであればある程度の質問には答えるが」

 

「聞きたいことだらけですわ! 臨神契約(ニアデスプロミス)とやらについてもそうですが、今いったい、何が起こっていて、アナタはこの事態にどこまで関与していますの!?」

 

「なんだ、聞きたいことはそんなことでいいのか?」

 

 

 アレイスターは少し肩透かしを食ったような調子で言い、

 

 

「簡単な話だ。()()()()()()()()()()()()()

 

「………………は?」

 

 

 ──意味不明の結論を叩きつけてきた。

 

 理解が追い付かないレイシアをさらに周回遅れにするように、アレイスターは続ける。

 

 

「歴史とは、基本的に一本道だ。コルクボードに貼り付けられた一本のゴム紐を想像してみてくれたまえ。並行世界というのは歴史というゴム紐が複数あるのではなく、ゴム紐の一部を引っ張ってピンで留めたようなものというわけだ」

 

 

 アレイスターは生徒に授業する教師のような滑らかさで言い、

 

 

「ある未来(ピン)で本来とは異なる位置に留められた歴史は、本来とは違う方向へと捻じ曲がる。即ち、本来ではありえない事件が起こるわけだ。()()()()()()()()()()()()()()辿()()()()──とか」

 

「……で、ですが! 確かにあの事件は色々なものがおかしかったですけれど、個々の流れはあくまでも当たり前の事象の連続でしかありませんでしたわ。それが何らかの現象の後押しを受けているですって? そんなもの、ただの負け惜しみでしか……、」

 

「言葉尻が弱くなったな。君には心当たりがあるのではないかね? 特に、君の『同居人』──シレン=ブラックガードを取り巻く運命に関しては」

 

「……!!」

 

 

 疑義を呈するレイシアの言葉にも、アレイスターの語調は揺るがない。

 むしろレイシアの歩んできた道のりこそが自説を補強する傍証とでも言うかのように、アレイスターは続ける。

 

 

「学園都市においても未来を予知する能力はある。予知能力(ファービジョン)などがそれだな。そのくらいは知っているだろう? ならこうも考えられるのではないか? ()()()()()()()()()()()()()()()()と」

 

 

 それは、異能に付随する観測能力の存在を知っている高位能力者だからこそ納得できる事実だ。

 そして能力として操作できる対象であるなら、当然の帰結として()()()()()()()()()。学園都市に生きる人間ならば、それは当然の理屈だ。そこに反論の余地はない。

 ──問答無用で納得させる。かつて科学と魔術という枠組みで以て世界を分断した原型制御(アーキタイプコントローラ)の使い手にとって、このくらいの芸当は容易い話だった。

 

 

「そして、シレン=ブラックガードには『並行世界を生み出す』──歴史を歪める性質があった」

 

「…………、」

 

 

 今度はもう、レイシアも口を挟んだりはしなかった。

 否、()()()()()()()()()()()()()というのが適切だ。

 

 

「それこそ思い当たる節はあるだろう。絶対能力進化(レベル6シフト)計画の頓挫。予定外の超能力者(レベル5)の誕生。木原幻生の台頭。そして、二乗人格(スクエアフェイス)の体系化。この短期間で、レイシア=ブラックガードの活躍(テストケース)は学園都市における能力開発の在り方を四割ほど捻じ曲げたといっても過言ではない」

 

 

 ただし、とアレイスターはそこで付け加え、

 

 

「同時に、彼女の生み出す並行世界は極めて小規模なものでもある。精々、私の『プラン』の脇で発生する些細な悲劇を少しずつ潰していくような──その程度の些細な歪みだ」

 

「………………、」

 

 

 それは、レイシアにとってはひどく馴染みのある話だった。

 確かに、ここまでの彼女達の軌跡は『正しい歴史』を知る者からすれば歪としか表現しようがないだろう。正しい歴史では影も形もなかった小悪党が超能力者(レベル5)にまで上り詰め、『ヒーロー』の傍らを奪い合う少女たちの一角に至り、本来はさらなる未来で登場するはずの技術が溢れるように『先出し』され、世界の深奥にまで迫りながら──しかしそれでも、その大筋までは変わっていない。

 それら全てが、彼女の半身──シレンが持つ性質によるものなら、説明がついてしまうのだ。これまでの波乱万丈ながらもどこか平穏な旅路に対して。

 

 

「そして彼女の『些細な歪み』は──より大きな歪みをも巻き込んで『均す』ことができる」

 

 

 レイシアには分かる。より大きな歪み。歴史に対して、容易く干渉できる存在──魔神。

 シレンの生み出す『些細な歪み』は、その歪みが元に戻るときに魔神らがAIM拡散力場のように放ってしまう『歴史の歪み』もまとめて均してくれるというわけだ。そう考えると、レイシアにはアレイスターがシレンを重要視していた理由が分かる。

 

 

(『魔神(ヤツら)』に対するカウンター……! それが、コイツにとってのシレンの存在意義……!)

 

 

 レイシアも、当然不思議には思っていたのだ。

 そもそもレイシア=ブラックガードは本来『プラン』には存在していない駒である。浜面仕上の例からしても、『プラン』に存在していない駒が盤面で暴れるのをアレイスターは許容しない。そういう差し手である。

 にも拘らずレイシアの台頭を許しているということは、彼女に対して何らかの価値を認めているとしか思えない。レイシアはそれを二乗人格(スクエアフェイス)関連の何かだと思っていたが──真相は此処にあったのだ。

 

 そして、先ほど話していた『シレンを召喚しようとしていた』という証言。

 『収穫』という言葉。

 本来進めている『プラン』が、上条当麻の幻想殺しの成長率を見ていたという事実。

 

 レイシアは、それを以て最終的な結論を導き出した。

 

 

「……臨神契約(ニアデスプロミス)。シレンを、歴史を好き勝手に捻じ曲げる為の道具にしようというわけですの?」

 

「正確には、()()()()()()()()、だな。安心したまえ。君を誤って召喚した時点で臨神契約(ニアデスプロミス)計画は頓挫しているよ」

 

「巨大な陰謀が発覚と同時に失敗していますわ……」

 

 

 それが、アレイスター=クロウリーという男の本質である。

 

 

「要因は色々あるが、一番大きいのはシレンが自覚的に歴史を『自分の望む形で』収束させたところにあるだろう。……ドッペルゲンガーの個としての存在維持の経緯などは顕著だったな。いやはや、やはり上手くはいかないものだ」

 

「アレも、シレンのやったことだと?」

 

「ああ。本来であればドッペルゲンガーは操歯涼子の負傷を治療することと引き換えに個としての外界への接触手段を失うはずだった。──もっとも、これは『歴史の歪み』から()()()()()()()で演算した結果だがね」

 

 

 『歴史の歪み』なるものもレイシアにとっては聞き捨てならなかったが──それ以上に、レイシアにとっては聞き捨てならない発言が、あった。

 

 

「……樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)ですって? アレは廃棄されたはずでは?」

 

「そこもまた歪みだな。確かに、正しい歴史では樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)は破壊されるはずだった。この世界においては、致命的なバグによって廃棄された……()()()()()()()()()()()が、事実としては、廃棄したように見せかけて私だけに閲覧権限がある演算装置として稼働してもらっている」

 

「…………開いた口が塞がりませんわ」

 

 

 確かに、レイシアは絶対能力進化(レベル6シフト)計画の頓挫がアレイスターの『プラン』通りだったことを知っている。だから、再演算されて実験が再開されては困るアレイスターが手を加えて無理やり樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)を廃棄したであろうことも想像はできていたが……言われてみれば、本当に廃棄する必要はない。

 まさしく、失敗を利用してさらなる自分の利益へと変換するアレイスター=クロウリーの面目躍如といったところか。この時点で既に、レイシアは何となく目の前の『人間』の本質を理解しつつあった。

 

 

「さて、最初の話に戻るが──これまで君達の尽力により、世界は『少しだけいい方』に進んでいた。たとえば、シェリー=クロムウェルがステイル=マグヌスの手によって平和的に捕縛されたことで科学と魔術の軋轢は減り、使徒十字(クローチェディピエトロ)を使った作戦が不発に終わったことでローマ正教の学園都市への危険視も軽減された。本来ならばこれらの軋轢によって十字教徒による世界規模のデモや暴動が発生し、それがヤツら──『神の右席』を動かす動機になっていたのだが、この歴史においては君達の活動によりそれがなかった」

 

「…………、」

 

 

 言われてみれば、であった。

 レイシアやシレンは『正史』の大筋を変えることはできなかったが、それでも確かに何かを残すことはできていたのだ。そしてそれらが積み重なり、歴史は彼女達が知るものよりも『いい方』へと向かっていくはずだった。

 

 しかし、シレンの干渉によって齎された『異なる未来』は、そう遠くないうちに収束してしまう。

 

 十字教と学園都市の対立。それらが少しずつ緩和された結果起きうる未来が正しい歴史の形へと収束した結果、生み出された『反動』は、とある事件を生んだ。

 

 

「きっかけは、大覇星祭期間中に顕現したヒューズ=カザキリだ」

 

 

 アレイスターは、種明かしをするような気軽さで真相を開陳していく。

 

 

「アレは、彼らの信仰対象にして最大のパワーソースである『大天使』をこの街の技術で再現したものだからな。簡潔に言うと、存在自体が彼らへの特大の示威行為であり最悪の侮辱となる。まぁ、そうなるよう狙って組み上げたシロモノなのだが」

 

「最低の人間性ですわ……」

 

「ああ、よく言われる」

 

 

 ゲンナリしているレイシアの言葉にもちっともこたえた様子を見せず、アレイスターは続ける。

 

 

「さらに、それにその場に居合わせた幻生と、超能力者(レベル5)達や幻想殺し(イマジンブレイカー)、木原一族の戦闘。あの戦いは、お誂え向きにこの街が抱える『異能』の見本市でもあったからな。その大盤振る舞いを見たローマ正教がどう思うか。……想像するのは難しくないだろう?」

 

 

 己の戦力の根幹を模倣したバケモノを見せられるという示威行為にして挑発行為を受けた直後に、そんなバケモノすら霞みかねない戦力を次々と見せられたローマ正教。

 ……当然、敵のそんな武力の高さを見せつけられれば、本気で潰そうと考えるのが人間の常だろう。実際にはそうとも限らないかもしれないが、とにかくこの歴史では『そういうことになった』。

 『そういうことになる』という事象自体が、シレンの持つ性質だから。

 

 

「だから、神の右席の三名が学園都市へと一挙に乗り込んだというわけだ。ちなみに、左方のテッラはあれくらいでは死んでいないぞ。おそらく咄嗟に魔術を下位に設定して私の一撃から生き延びているはずだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。私も侮られたものだ」

 

「…………?」

 

 

 『光の処刑』は当然レイシアも知識だけならある。

 だが、レイシアはそれを知っていることにはなっていないのでもちろんとぼける──という点以外にも、首を傾げる部分はあった。自分の術式を防がれたことに対して、侮られたと評している点だ。

 ──これはアレイスターの扱う『衝撃の杖(ブラスティングワンド)』が相手の想像の一〇倍に術式の威力を増幅する効果を持つことに由来するもので、要するに『一〇倍にしても「光の処刑」の処理限界に到達しないようでは、自分の術式の威力も安く見られたものだ』というわけなのである。

 レイシアがこのあたりの事情を知らないのも無理はない。アレイスターの持つ戦力が開陳されたのはレイシアの知る最後の事件である『上里翔流襲来』よりも後のこと。当然、分かるはずもない。

 

 

「もっとも、その気になればそんな上限くらいは突破できたのだがな」

 

「負け惜しみの気がしますわ……」

 

「いや、それがそうとも言えない。確かにヤツらは私の命をダイレクトに狙っているが、何しろ私の敵は神の右席だけではない。私が窓のないビルから追われたことを知った時点で、おそらく一定数のこの街の暗部が下克上を目当てに私のことを狙ってくるだろう。殺さなければ、そういう連中に対してこの街の共通の敵でもある『神の右席』をぶつけることができるからな。上手くすれば、普段は隠れ潜んでいる反乱分子を一掃する足掛かりにできるかもしれないぞ」

 

 

 仮にもこの街の王だというのにあまりにも悲しすぎる発言だったが、それも無理はないか、とレイシアは考え直した。

 そもそもこの街の不良は『第一位が無能力者(レベル0)に負けた』という不確かな情報だけで嬉々として超能力者(レベル5)に挑みかかるアッパラパー揃いである。それが暗部のスケールになったなら、『窓のないビルが破壊されているしこの機にアレイスターの野郎をぶっ殺して俺が私がこの街の頂点に立っちゃおう☆』という発想に至っても何ら不思議ではない。

 かつてのレイシアのように、『大能力(レベル4)のうちは無理だけど、超能力(レベル5)になったら見てろよ御坂美琴……!』などと妙に分を弁えた野心を持つ小悪党など、この街では少数派なのである。

 

 

「たとえば、そう────彼のように、な」

 

 

 直後、だった。

 

 ヒュガガガガドガガガガガガザギギギギギ!!!! と、レイシア達の頭上で何かと何かが鍔迫り合うような凄絶な轟音が響き渡る。

 思わず身を竦めて頭上を確認したレイシアの眼前では──今まさに、空中に大量の火花が散る『何か』のぶつかり合いが行われていた。

 否──それは細かな羽根の雨だった。上空から降り注いだ羽根の雨が、正体不明の何かと衝突しているのだ。

 

 

「そう心配することはない。今の君はヒューズ=カザキリと同じような存在だからな。生身の私よりはよほど不死身だよ」

 

「…………不死身云々は別にいいですが、そろそろ軽めに顔面をぶん殴りますわよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「了解」

 

 

 アレイスターが肩を竦めて適当に答えると、凄絶な鍔迫り合いは小康状態に入ったようだった。

 そして──空から下手人が現れる。

 とはいえ、その場に『彼』の登場を見て驚く者は一人としていなかった。何故なら、彼は『正しい歴史』の頃からして、一貫して『そういう目的』を掲げていたのだから。

 

 

「学園都市の非常事態だ。俺も別に、無差別に暴れ散らかして何もかもめちゃくちゃにしてやろうってつもりはねえよ。学園都市ってシステム自体は、まだまだ利用できるからな」

 

 

 音もなく地面に降り立ったその少年は、三対の真っ白な翼をはためかせ、言う。

 

 

 ──超能力者(レベル5)第二位。

 ──未元物質(ダークマター)

 

 ────垣根帝督。

 

 

「ただ、テメェについちゃあここでどうなろうと、大して問題はねえよな? アレイスター=クロウリー」

 

 

 紛れもない怪物が、牙を剥くように笑っていた。



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一二五話:そして今に至る

「御挨拶じゃないか、未元物質(ダークマター)

 

「垣根帝督だよ。吠え面かくついでに叫ぶ準備はいいか、統括理事長」

 

 

 直後、垣根帝督の三対の翼がはためいた。

 轟!!!! と一万を超える法則を束ねた暴風がアレイスターを強襲する──が。

 

 

「生憎、この程度の()()ではな」

 

 

 キュガッッッ!!!! と。

 天空から降り注いだ光の柱が衝突したことによって、一万を超える法則は一気に吹き散らされてしまう。

 

 

「…………なんだと?」

 

 

 これに、垣根は怪訝な表情を浮かべた。

 言葉にすると単なる殺人的な暴風でしかないように聞こえるかもしれないが、垣根が放った暴風には未元物質(ダークマター)によって変質した無数の違法則が潜んでいる。まともな物理現象であれば、余波を浴びただけで性質を跡形もなく捻じ曲げられる代物だ。

 防御はおろか、相殺ですらままならない。そんなド級の一撃のはず──なのだが。

 

 

「確かに、未元物質(ダークマター)はあらゆる素粒子を回析によって変質させる()()を持っている。だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 大地に突き立っていたのは、円柱状の人間大のコンテナ。伝説の聖剣のように堂々と聳え立ちながら、しかしそれ自体は剣の鞘や空薬莢のような空虚な印象を与えるその物体には、こんな文字が刻まれていた。

 

 Five_Over OS

  Modelcase "JAGGED_EDGE"

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一二五話:そして今に至る Speculation_Cross.

 

 

 


 

 

 

「……なん、ですの……それ……ッ!?」

 

 

 たまらず声を上げたのは、垣根ではなくレイシアの方だった。

 無理もない。科学的な再現が難しい分子間にはたらく力を扱う能力。『正しい歴史』の未来を知るレイシアも『ファイブオーバー』という技術が己を脅かす存在であることは理解していたが、その魔の手が自分に及ぶ可能性までは想像していなかった。

 自分の独占技術が、強みが、根幹が、知らず知らずのうちに普遍化していく恐怖。

 頂点から、凡俗へと転げ落ちる予感。

 元より上昇志向の強いレイシアが受けた衝撃は、おそらく美琴のそれとは比べ物にならないものだろう。

 

 

「なに、原理的には分子間力を直接操る君のそれとは別系統だ。カシミール効果を応用している……といえば、君ならば分かるかな。超能力者(レベル5)のスケールに引き上げる為に軍事衛星を一機打ち上げる必要があったが……ゆえに、君のそれと違い未元物質(ダークマター)の盾になりうる」

 

 

 アレイスターはそこで言葉を区切り、

 

 

「そして、威力だけならば折り紙付きだ」

 

 

 轟!!!! と。

 返す刀で、人工の『亀裂』が解除されることによる暴風が垣根を襲う。垣根はそれをあえて受けたりはせず回避していくが──

 

 

「おや、躱すか。てっきり受け止めると思っていたがね」

 

「抜かせよ。風そのものに()()()()いたことくらい分かっている」

 

 

 ──垣根が回避した暴風が衝突したビル。

 その壁面が、まるでスポンジか何かのように穴だらけに腐食されていたのだ。まるで、未元物質(ダークマター)によって異界の法則を帯びた暴風か何かのように。

 

 ──オジギソウ。

 電気信号に従って物質をむしり取るナノマシンだが、アレイスターはそれを暴風に乗せていたのだ。

 

 

「ハッ、流石は科学の街の王ってか? よくもまぁこんなゲテモノ揃いで身を固めたもんだ! 確かに並の雑魚どもじゃあ太刀打ちできねえだろうな。だが、この程度で俺を封殺できるとか思っているようなら、テメェが生み出した化け物ってヤツの脅威をチト甘く見過ぎているんじゃねえか!?」

 

 

 続いて、垣根は大量の羽根を空間全体に撒き散らす。

 外は朝焼け。光は十分。──未元物質(ダークマター)の翼は、ありふれた日光を殺人光線へと変貌させることができる。

 しかしアレイスターは曖昧に笑って、

 

 

「いいや、正しく理解しているよ。()()()()()()()()()()()()()

 

 

 暴風を地面に叩きつけ、破壊によって発生した石ころを垣根目掛け弾き飛ばした。

 ただ弾かれただけの石ころ。

 頭にモロにぶつかれば右ストレートを食らったような衝撃が飛ぶだろうが、逆に言えばその程度。そんなものが、超能力者(レベル5)の許まで届くはずもない。相手は軍隊すらも片手間で屠ることのできる超能力者(レベル5)の、さらにその上澄みなのだから。

 当然、垣根は苦も無く翼を振るい──

 

 ──しかしその翼はアレイスターの弾き出したちっぽけな小石を防ぐことはできず、結果として小石はまんまと垣根の頭蓋を揺らした。

 

 

「ご、あッッッ…………!?」

 

「君が身を委ねている能力開発の技術が、いったいどこの誰に生み出されたものだと思っているのかね?」

 

 

 アレイスターは、呆れたように言う。

 こんなものは、当たり前の結果だとでも言うかのように。

 

 

「たとえ垣根帝督が一万の法則による防御を敷いたとしても、その根幹となる能力開発の基礎技術は私が生み出したものだ。つまり、一万の法則の始点となる『一点』は私が抑えている。君の戦力(プログラム)は、致命的なバックドアを抱えているようなものだよ」

 

「……………………ッッッ!!!!」

 

 

 第二位の能力を以てして──それでも尚。

 否、それゆえにこそ、高み。

 本来であれば学園都市の裏の奥に潜む『人間』は、戦慄する垣根を見ても得意げな表情一つ浮かべず、淡々としていた。

 

 アレイスター=クロウリーの本領。

 魔術を使わずして、それでもなお圧倒できる。

 科学サイドの『頂点』──その片鱗であった。

 

 

 

「上等じゃねえか、テメェのその薄っぺらな常識、俺が残らず呑み込んでやるよ……!!」

 

 

「お待ちなさいッッッ!!!!」

 

 

 こめかみに青筋を浮かべた垣根帝督が次の行動に移ろうとした、その一瞬の間隙。

 そこに滑り込むように、レイシアが声を張り上げた。

 

 あまりに想定の外の事象に、アレイスターと垣根、両者の動きが止まる。

 

 

「確かにそこの銀髪は文句ナシのクソ野郎。いずれ確実に報いを受けさせることについてはわたくしも異論ありませんわ。ですが! 今は非常事態でしてよ。コイツという一大戦力を失うのはあまりに惜しい」

 

「……話にならねえな。そりゃテメェの都合でしかねえだろうが」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 一言。

 レイシアが切った交渉材料(カード)を耳にして、垣根の表情が強張る。

 

 

「発動は問答無用。外見・人物情報を認識しただけで終わりです。例外は幻想殺し(イマジンブレイカー)か、敵意を持たずに殺意を向けられる異常者か、敵対者のことも慈しむことができる底抜けのお人好しか、魔術のスペシャリストだけです」

 

「…………随分と多い例外だな」

 

「アナタやアナタの守りたい人物がその中に該当しないことくらいは、分かりますわよね?」

 

 

 レイシアが、人の悪い笑みを浮かべる。

 これについては、垣根も何も言えなかった。

 

 

「…………、」

 

 

 そんなレイシアの横顔をアレイスターは黙って見ていた。

 レイシアはそのことに気付きつつ、あえて黙殺しながら言葉を続ける。

 

 

「ちなみに、わたくしは現在人間を辞めている為、対象外となります。分かります? 今この街を襲っている『外敵』に対して立ち向かえる戦力は、わたくしと、シレンと、当麻と、あとはこの諸悪の根源くらいなのです」

 

 

 まぁ、『虚数学区』の顕現があったとはいえヴェントは正史では当麻一人で倒せていたし、アレイスター一人が死のうが問題ないとは思いますけれど──とは、話がややこしくなる為言わないレイシアだったが。

 無論、今言ったような話は真実を織り交ぜつつ両者に矛を収めさせる為の論点のすり替えである。

 実際にはこちらの戦力をヴェントに削られなければあとはテッラとアックアだけであり、アックアはともかくテッラはこの街の科学で飽和攻撃を行えばすり潰すことができる。

 レイシアとしては、この街の戦力でアックアを倒せる領域にいるのが一方通行(アクセラレータ)・垣根帝督・アレイスター=クロウリーくらいしか心当たりがなかったので、此処で無為につぶし合いをしてほしくなかったわけなのだった。

 

 

「…………停戦には応じてやる。そっちが矛を収めるならな」

 

「願ったりだ、未元物質(ダークマター)。スペアプランとはいえ、此処で消耗するのはこちらの望むところではない」

 

「ナチュラルに煽るような言い方をするんじゃありませんわこのボケッ」

 

 

 ボゴッ。

 人体が出していいギリギリの殴打音を響かせつつ、ひとまず両者の衝突は小康状態となった。

 

 

「さて、めでたく共闘関係を築けたわけだが……」

 

「…………おい。勘違いしてんじゃねえぞ」

 

 

 そこで、垣根は待ったをかけるように口を挟んだ。

 余裕そうな表情をしていたアレイスターが突然の垣根からの横槍に視線を向けると、視線を受けた垣根は笑みを浮かべながら腕を組み、路地裏を構成している煉瓦造りの壁に背を預ける。

 暗がりの中でもらんらんと輝いているように見えるその瞳の中には、確かに野望の色が踊っていた。

 

 

「究極的な話、俺はテメェがどうなろうが知ったことじゃねえ。街が壊滅したり、『外敵』によってメチャクチャに荒らされるのは困るが、勝手に対等な立場にすんじゃねえ。テメェは俺の協力を勘定に入れていやがるようだが、何の見返りもなく協力してもらえるとか思ってんのはムシが良すぎねえか?」

 

 

 統括理事長との、直接交渉権。

 垣根帝督は、かねてからそれを望んでいた。そして今、それが目の前にある。

 ならば、ここぞとばかりに条件をとりつけ、今後の学園都市における重要ポストを手に入れるべきだ。それが、垣根の悲願にも繋がってくる。それに実際、戦力が欲しいのはアレイスターの方であって、垣根の方は最悪学園都市から一時的に離脱するという選択肢だってあるのだし。

 

 もっとも、相手は海千山千の学園都市統括理事長。

 そこで話がスムーズに進むとも思っていないし、アレイスターが反発してくることだって想定できた。だが、それを踏まえてもなお垣根が有利に交渉を進められる程度には状況は逼迫している。

 垣根には、その確信があった。

 

 

「ああ、何か欲しいものでもあるのかね? しかし困ったな。私にはもう用意できるような権限はないのだが」

 

 

 ──もっとも、アレイスターはそんな垣根の当たり前な算段などまるで問題にしていなかったのだが。

 

 

「……、あ?」

 

「だから、何か望みがあるのだろう? 悪いが、この状況に陥った時点でもはや学園都市の制御が私の手から離れる確率は九八%以上だ。いやはや、臨神契約(ニアデスプロミス)が上手く起動していれば話は変わっていたのだがな、此処にきて最悪の出目が出るとは」

 

「……な、」

 

 

 垣根は、思わず激高した。

 最も、それは今までよりもよほど『どうしようもない』色を含んだ激高だったが。

 

 

「何言ってやがんだテメェ!? この街は、テメェにとっても利用価値があるものだろうが!? だから今までこの街の王として君臨し続けてきたんじゃねえのかよ!? それをこんなあっさりと……!?」

 

「なあに、心配は要らんさ。先ほど白黒鋸刃(ジャギドエッジ)にも言ったが、この程度は些細な誤差にすぎん。変形したテレマ僧院は私の制御を離れるだろうが、『プラン』はまだ生きている。『権限』もこの手に収まっているし、何ら慌てる要素はないよ」

 

 それに、とアレイスターは涼し気な表情で続け、

 

 

「この程度の『失敗』は日常茶飯事だからな」

 

 

 と、なんだか暗い笑みを浮かべていた。

 

 それは言うなれば、分かりやすい敗北宣言だった。

 アレイスターは──この街の王は、今まさにこう言っているのだ。

 『自分は敵にいっぱい食わされてこの学園都市の王の座から転げ落ちたが、この程度の失敗はよくあることなので問題ない。それはそうと王の座から転げ落ちたので褒美は確約できないが、協力しないとそもそも褒美が出てくる未来はやって来ないよ?』と。

 

 

「………………」

 

 

 毒を食らわば、皿まで。

 

 垣根帝督は、腹をくくることにした。

 

 

「…………分かった。良いだろう、やってやるよ! その代わり! テメェが学園都市の王座を取り戻したら、その分の見返りはもらうからな!!」

 

「ああ、もちろんだ。未元物質(ダークマター)

 

「なんかヤケクソですわねぇ……」

 

 

 ────そういうことで、この三人が行動を共にすることになったのだった。



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一二六話:右席の第一

 ──そういうわけで、レイシアとアレイスターと垣根は学舎の園に潜入してきたのだった。

 

 もちろん、レイシアはともかくアレイスターと垣根はどこからどう見ても男性なので、二人はあからさまに学舎の園のセキュリティに引っ掛かろうものなのだが……、

 

 

「どうしてアナタ達普通に正面から学舎の園に入れてますの……」

 

 

 恰好が恰好なのでAIM思考体としての身体能力を使って何とか侵入したレイシアとは対照的に、アレイスターと垣根は当然のようにゲートを通過していたのだった。

 レイシアの方が本来はゲートを通過できる身分のはずなのに、全体的に理不尽である。

 

 

「…………というかいい加減、何故学舎の園まで来たのか説明してもらえますかしら?」

 

 

 早朝で少ないとはいえ、学舎の園には既に学生たちの行き来が始まっている。

 休日にも拘らず朝練の為に早起きした学生達が疎らに行き交う学舎の園の表通りを一本奥に進んだ路地裏にて、レイシアは息を潜めるようにアレイスターへ問いかけた。この状況だって、レイシアからすればヒヤヒヤものである。

 何せ、この状況を誰かに見つかれば、レイシアは男性を学舎の園に引き入れた共犯者。顔も平時のままだから、その時点でレイシアの社会的地位は破滅である。相手が統括理事長とかは、全く関係ない。というか先ほどその牙城は崩れ落ちたので、統括理事長の印籠を振りかざすこともできない。

 ぶっちゃけた話、できることならさっさと距離を取って無関係アピールをしたいし、さらに言えばとっとと学舎の園から追い出して此処が魔術サイドからの襲撃を受けるリスクを少しでも早くなくしたい。基本的に薄情なレイシアだが、それでも自分の居場所を守りたいという真っ当な気持ちくらいは存在していた。

 

 そんなレイシアに対し、アレイスターは特に気にした様子も見せず、

 

 

「決まっているだろう。シレンを回収する」

 

 

 端的に断言した。

 

 

「常盤台の外部寮にシレンがいてくれれば話は早かったのだがな。スマホのGPSを追跡したところ、外部寮にはおらず学舎の園内部に反応があった。超電磁砲(レールガン)心理掌握(メンタルアウト)の反応も同位置に確認できたから、おそらく行動を共にしているのだろう」

 

 

 ──おそらく、レイシアが自分の裡にいないことを察知して独自に行動を進めているのだとレイシアは考えた。少し嬉しいが、今に限ってはただただ間が悪い。

 

 当然、レイシアとしてもシレンとの合流は本来であれば望むところだ。なんだかんだいって夏からずっと、レイシアはシレンと共に歩んできた。文字通りの一心同体だ。彼女の魂が自分の裡に感じられないということに、どうしようもない不安感をおぼえたりもする。

 そういう意味で、レイシアはさっさとシレンと合流してこのAIMの肉体から元の状態に戻りたい──と思っている。しかし一方で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 まず、前方のヴェントの存在。

 レイシアは、自分の人格がお世辞にも良いとは言えないことを自覚している。シレンであれば、ヴェントの正体に感づきつつそれでも敵意を一切持たずにヴェントと戦えるかもしれない。アレはそういう類の善人(バカ)だからだ。

 しかし、レイシアはそうとは限らない。というか、『正史』で開陳されたあらゆる同情的な要素を揃えた上で『知るかボケ、こっちはお前らのせいで迷惑してるんですのよ』と切り捨ててしまえる精神性である。

 つまり、確実に『天罰術式』の対象になる。

 この場合、『天罰術式』の対象にレイシアの魂だけが該当するか、二重人格が対象選択の際にうまく働いてレイシアの敵意が対象外になるか、いずれにせよ『天罰術式』が不発になってくれればいい。だが、もしそうでない場合はシレンも巻き添えに『天罰術式』の餌食となることになる。

 ただでさえ右席クラスの魔術師が三人も学園都市に侵入しているのだ。仮死状態とはいえ、戦線離脱するという危険は減らしておきたい。

 

 次に、この肉体の利便性。

 AIM思考体という肉体の不死身性は、先ほどレイシアが多少自傷した程度からしか伺うことはできないが──毟った小指の先は、いつの間にか回復していた。

 天使と化した風斬ほどとはいかずとも、今のレイシアはAIM思考体としての基礎スペックだけでまぁまぁな戦力となっている。下手に元に戻って『一人の超能力者(レベル5)』になるより、ある程度シレン側の出力は落ちても『能力者とAIM思考体』のコンビでいた方が総合的な戦力は上がるのでは? という考えがあった。

 

 それに何より、アレイスターを伴ったままシレンと合流するという点。

 先に挙げた二つは、これに比べればオマケの懸念にすぎない。何せこの『人間』は、先ほど『シレンを歴史改変の道具にする』と堂々と宣っているのである。そんな輩がシレンに会いに行きますと言って、そうなんだーとすんなり呑み込めるようなヤツはこの世にはいないだろう。シレンだって警戒するはずだ。

 少なくとも、アレイスターの真意を確認し問題ないと確信できない限り、アレイスターをシレンに引き合わせる訳には行かない。それはレイシアにとって絶対の最低条件だった。

 

 つまるところ──

 

 

(…………仕方ありませんわね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……)

 

 

 ──そんな、非情な決断なのだった。

 

 

(アレイスターをシレンに引き合わせず、かつわたくしがシレンと合流する為には、何らかの戦闘のどさくさに紛れてアレイスターを出し抜き、シレンを回収するのがベストでしょう。すると、この状況だと一番その役に相応しいのは『神の右席』。…………ま、突っ込んでくるアックアでもない限り美琴と操祈がいるこの街は安泰でしょうし、仮にアックアが来るとしたら、民間人への被害は最低限に抑えてくれるはずですし)

 

 

 一番良いのは、ヴェントが襲ってきてアレイスターが対応しているうちにさっさと戦線から離脱し、シレンと合流することだ。

 問題は、一応チームで行動している状況で、その輪を乱す行為が垣根にどう受け取られるか、だが──

 

 

(……いえ、垣根(コイツ)はどうせヴェントと対面した時点で『天罰術式』の餌食ですわね)

 

 

 おそらくヴェントはさっさとアレイスターに殺されると思われるが、しかし数秒程度とはいえ垣根も不能にはなってくれるはずだ。

 その間なら、レイシアが戦線離脱しても垣根に咎められる心配はない。

 

 

(行けますわ。『正しい歴史』では当麻に救われたはずのヴェントを見殺しにするのは少し気が引けますけれど……いえ、そもそもアイツの『天罰術式』による事故で何人死んだんだかも分からないんでしたわね。ならそんな悪人のことを助ける義理もありませんわ)

 

 

 レイシアは心の裡に芽生えた罪悪感を握り潰すようにして、

 

 

(助けられるならそれに越したことはないですが……それよりシレンの安全のことを考えませんと。この野郎にシレンのことをいいように利用されることだけは絶対に避けなくてはいけませんわ)

 

 

 そんな結論を出したところで──

 

 

「ああ、そうそう」

 

 

 アレイスターは、思い出したように付け加えた。

 

 

 

「ちなみに、私は『敵意に反応して相手を殺す術式』に対する耐性はないぞ」

 

 

 

 ──特大の爆弾発言を。

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

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一二六話:右席の第一 

First_Danger.

 

 

 


 

 

 

 

「……………………………………は?」

 

 

 レイシアは、己の耳を疑った。

 AIM思考体になったことによって音の感じ方が変化し、意味の聞き取りが上手くいかなかったのかとすら考えた。しかし、アレイスターは意味を測りかねているレイシアに対して再度口を開き、

 

 

「だから、私は『敵意を持った対象を問答無用で殺す術式』を防御することはできない。術式の特性からして、おそらく敵意の度合いによって攻撃にも度合いがあるんだろうが、私の場合はまず間違いなく『即死』だろう。『窓のないビル』の中で生命維持装置に繋がれていた状態ならば、生命力を生成していないから対象から外れていたはずだが……今の私は自身で生命力を生成している。平時であれば、相手が術式を発動した瞬間に対象となり、対抗策を練る間もなく即死するだろうな」

 

「アナタ、魔術師としても高名なんでしょう!? もうちょっと何とかなりませんの!?」

 

「神の右席が扱うのは天使の術式だ。私は私の影響を受けた魔術については対応できるが、紀元前の時代の術式に関しては範囲外だな。というか、そもそも高純度の天使の力(テレズマ)を以て運用するような術式など、常人の技術でどうにかなるようなものではないよ」

 

「そ、そんな馬鹿な……」

 

 

 ──と思うかもしれないが、これはある意味で当然かもしれない。

 何せ、コロンゾンが対アレイスター用に用意した術式が『相手への無理解が力になる術式』だ。アレイスターはその人間性ゆえ、己の敵意をトリガーとする術式にはめっぽう弱い。

 ラスボスみたいな顔をしているくせにこういうところであっさり負けかねない──相手にそう思わせるのが、アレイスターのアレイスターたる所以なのだが……それはさておき。

 

 

「案外使えねえんだな、統括理事長」

 

「他人事のようにしているが、おそらく未元物質(ダークマター)も厳しいぞ。周囲を未元物質(ダークマター)で覆えば、ある程度は術式に干渉して被害を軽減できるかもしれないが……『神の右席』と戦いながらそれを行うのは至難だ」

 

「………………、」

 

 

 垣根がヴェント相手にダウンするだろうというのは、レイシアも考えていたことである。

 しかし、アレイスターもまた対象になるとなれば…………。

 

 

「ちなみに、私は君の情報を聞いてから右席の動向を確認していない。もし仮に確認した対象が『敵意を持った対象を問答無用で殺す術式』の持ち主で、私がそれを看破した場合、その瞬間に死ぬことになるからな」

 

 

 さらにアレイスターは付け加えて、

 

 

「……そして、どうやら『鳴子』が反応したらしい。学舎の園に右席のうちの誰かが侵入したみたいだぞ」

 

「……………………、」

 

 

 無言のレイシアに対して、畳みかけるように言う。

 あるいは、お前の企みなど最初からお見通しだとでも言わんばかりに。

 

 

「此処は任せてもいいか? 我々は、シレンとの合流を急ぐ」

 

「………………承知、しましたわ。まぁ何とかしてみせましょう」

 

 

 結果として。

 レイシアは、アレイスターが垣根と共にシレンと接触するリスクと、来たるべきアックアとの戦闘でアレイスターや垣根といったカードを使えなくなるリスクを天秤かけて、後者を重く見た。

 あるいは、そう考えざるを得なくなるように盤面が誘導されていたのかもしれないが──それは、今のレイシアには判断できないことだ。

 

 

(まずい、ですわ)

 

 

 これで、事態は確実に最悪のラインへと進んだ。

 レイシアが神の右席と潰し合い、何のガードもなくアレイスターがシレンと接触してしまう。そんな、シレンの身に何が起こってもおかしくない最悪の事態へと。

 

 

(どうにかして学舎の園に侵入した右席を退けて、早くシレンのもとへ向かわないと……!!)

 

 

 正史の知識があるからといって、世界のありようを一人で塗り替えたその男を手玉にとることは、下手な英雄譚よりも至難の業だった。



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一二七話:たとえ離れていても

 まずレイシアの脳裏をよぎったのは、敵前逃亡であった。

 

 アレイスターと垣根がレイシアと別行動をとったのは、見方によっては好都合である。二手に別れた分、アレイスターはレイシアの行動を感知することができない。だから、右席を抑えに行ったと見せかけてそちらの方はガン無視してシレンのケアをしに行くという選択肢だってもちろんある。

 当然、その場合学舎の園は右席の被害をモロに受けて大変なことになると想像できるが、そんなものはもとをただせば全然信用できないアレイスターが悪いのである。どこの世界に、相棒を生贄に捧げて計画を進めようとしていましたなんて白状した巨悪を放置する人間がいるというのか。世界とシレンなら迷いなくシレンを選ぶレイシアとしては、そんなの一秒も迷わずアレイスターの裏をかくべきだと判断する。

 

 しかし。

 

 

(アレイスターや垣根が使えない以上、それは……本当に本当の意味で、学舎の園の壊滅を意味しますわ)

 

 

 レイシアも、シレンと学舎の園なら間違いなくシレンを選ぶ腹積もりではあるが、一方でその為に大量の人死にが出るとなれば話が変わってくる。

 アレイスターを神の右席に当てることができるのであれば、学舎の園に被害が出るといってもそれは小規模だっただろう。精々、ある程度の店舗が破壊される程度か。

 だが、アレイスターが使えない以上、その前提は通用しない。この状況でシレンを優先するということは、大量の犠牲者が出ることを承知の上でシレンを救いに行くということは、シレンに大量の犠牲の十字架を背負わせるにも等しい行為だ。それは、かつてレイシアが否定した垣根と同じ過ちを犯していることになる。

 

 それに。

 

 

(…………シレンなら、きっと学舎の園を優先しろって言いますわよねぇ……)

 

 

 相棒がそれを望まないことくらい、レイシアはとっくの昔に理解していた。

 シレンならこういう場合、俺のことは構わずにとにかく街の方を何とかしてくれと言うだろう。もちろん学舎の園の犠牲を無視してシレンの方を優先したって、別にシレンはレイシアのことを怒ったりはしない。むしろ、『俺のことを優先してくれたんだから』とか、『レイシアちゃんにそんな重い二択を背負わせてしまって申し訳ない』とか、そんなことを言ってレイシアのことを慮るだろう。

 そして、破壊された街並みや斃れた人々を見て、少しだけ悲しい表情をするのだ。『俺がもっとちゃんとしていれば』なんて、見当違いな自責の念を抱えながら。

 

 

「…………あ、有り得ませんわ」

 

 

 その横顔を想像した瞬間、レイシアは愕然としていた。

 どうしてこんな自明の理にも気づかなかったのだと、自分の不明を恥じる勢いだった。

 

 

「あのお人好し(バカ)にそんな顔をさせるような結末、許せる訳がありませんわ。当たり前のことではありませんの! このレイシア=ブラックガードが考えるべきは! 街を守り、シレンを守って、そして最後の最後に『わたくし今回はとても頑張ったんですのよ』と自慢げに胸を張れる! そんな結末を手繰り寄せる為の策しかありませんわ!!」

 

 

 神の右席がなんだ。

 天使の術式がなんだ。

 そんなヤツら、『正しい歴史』では端役もいいところだったではないか。僧正に轢かれて救急車を呼ばれるようなヤツがトップにいる集団、何を恐れる必要があるというのか。前方だろうが左方だろうが後方だろうが関係ない。何が立ち塞がろうと、残らず叩き伏せて、

 

 

 

「あっらーん? 随分面白げなのが転がってるわねーえ?」

 

 

 直後。

 女の声が、レイシアの鼓膜を叩いた。

 

 

「…………!!」

 

 

 振り返ると──そこにいたのは、一人の年若い女性だった。

 

 

「何だよ何だ、()()()()。分からないとでも思ったってコト? あの野郎……舐めやがって」

 

 

 ただし、その容貌は極めて奇異だ。

 

 その女は。

 

 黄色を主体とした、ワンピースのような衣装を身に纏った女は、剥き出しの殺意を隠そうともせずにレイシアを睨みつけた。

 有刺鉄線で戒められたハンマーを片手に携え、臨戦態勢を作り出す。

 

 

「まーだ他にも天使の出来損ないなんざ用意していやがったのか、アレイスター=クロウリーッ!!」

 

 

 ()()()()()()()

 そこにいるだけで敵対者を尽く無力化する、悪夢のような女がそこに立っていた。

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一二七話:たとえ離れていても 

Surprising_Helper.

 

 

 


 

 

 

(考えなさい!!)

 

 

 その瞬間、レイシアはヴェントのことを見据えていながら、しかし意識においてはヴェントのことを眼中から外していた。

 考えるべきは、ヴェントを完封して勝利することではない。もはやレイシアに求められているのはそんな次元の話ではなくなってきている。

 ヴェントを無力化し、いかに一刻も早くシレンのもとへ辿り着くか。それが、今のレイシアに求められている最低条件だ。

 

 

(この身は風斬のそれと同じ組成をしている。それは今、ほかならぬヴェント自身から証言されましたわ。『天使の肉体』に近づけるよう調整している人間の台詞ですもの。一定の信頼性があります。……ならば、必然的にわたくしは『第三次世界大戦』で風斬が見せたのと同様のポテンシャルを秘めているはず……!!)

 

 

 神の力(ガブリエル)と、真っ向から撃ち合える戦闘能力。それを解放することができれば、前方のヴェントなど鎧袖一触だ。此処でレイシアが望む未来を掴むには、それしかない。

 だが。

 

 

(……そんなやり方なんて分かるわけがないではありませんの……!!)

 

 

 そもそも正史からして、ヒューズ=カザキリの力は彼女自身の内側から出るものではなく、外部からお膳立てされて発揮されるものだったはずだ。レイシアがいくら気合いを入れたからと言って、それだけで第三次世界大戦時の出力を発揮できるはずもない。

 だが、それをやらなければヴェントの打倒はともかく、アレイスターとシレンの接触を防ぐことはできない。

 

 ……だが一方で、相手はこの身体の不死性を把握していない。

 その上、明らかにこちらを優先的に狙おうとしている。

 

 

(……死んだふりからの、奇襲。これしかありませんわ!!)

 

 

 もちろん、この肉体がどこまで不死かなんてレイシアにも分からない。頭の中にある三角柱まで風斬と同じだった場合、流石にアレを破壊されれば死んでしまうかもしれない。

 だが、それでもやらないよりはマシだ。相手だって人間なのだし、最後の最後まで諦めなければ勝ちの目を拾うチャンスだって生まれるはず。

 

 レイシアが覚悟を決めた、その瞬間。

 

 

 

 ゴン!!!! と。

 

 

 

 爆音とともにレイシアとヴェントの間に()()()()()()()()()()

 

 

「…………今度はなーに? いい加減イラつくことが多すぎて私もブチギレそうなんだけど?」

 

「やれやれ。シレンから緊急連絡(エマージェンシー)が来たと思ったら、随分と窮まった状況じゃないか」

 

 

 がらがらと。

 崩れ落ちる瓦礫の拳の向こうに佇んでいたのは──一人の少女だった。

 継ぎ接ぎの肌に、学生服。白衣のような外套を纏った少女は、得体のしれない魔術師を前にしても落ち着き払った態度を崩さなかった。

 

 

白黒鋸刃(ジャギドエッジ)。手助けが必要か?」

 

 

 白い『何か』を羽衣のように纏った少女。

 操歯涼子。

 いや──正確には、ドッペルゲンガー。

 

 ある意味で──当然の帰結だった。

 シレンだって、この状況に対して何もしていないわけがない。彼女だってレイシアと同じく『レイシア=ブラックガード』の片翼だ。であれば、この異常事態に対して独自に動いていない方がおかしい。

 そして彼女にとって最大の強みとは、これまで歩んできた道のりで築いてきた縁そのもの。彼女の求めに応じて、これまでの道程で出会ってきた強者達が呼応してくるのは、当たり前の流れだったかもしれない。

 

 

「何よアンタ。私の術式が効かないの?」

 

「ああいや、ちゃんと効いているよ。原理は不明だが、操歯涼子()あっさり気絶している。だが、私自身はヒトではなく、微生物の集合体なのでな」

 

 

 ──微生物による、スプリング式コンピュータ。

 粘菌知性体であるドッペルゲンガーは、『天罰術式』の範疇には含まれない。……シレンが操歯に連絡を送ったのであれば、きっとそれを計算に入れてのことだったのだろう。

 

 

「では、この場はアナタに託しますわ!」

 

「は? いや、共闘……」

 

「大丈夫! そいつ単体戦力では大したことはありませんわ!!」

 

 

 呆気に取られているドッペルゲンガーを置いて、レイシアはさっさと走り去ってしまう。

 少しだけぽかんとしていたドッペルゲンガーだったが、状況は彼女に構わず進展していった。

 

 

「あはッ、もしかして、捨て駒にされちゃったってコト? 堕天使野郎は堕天使野郎に相応しい冷酷無慈悲な性根だったってコトね。デーモー、アンタもアンタで同情する価値もないくらい生命を冒涜しきったクソ野郎みたいだし……ココで私にプチっと潰されてくれないかしらァ!!」

 

 

 ジャララララァ!! と。

 ヴェントの口から、蛇の舌じみて細長い鎖が伸びる。先端に十字架が取り付けられたチェイン。それを振り回しながら、ヴェントは叫ぶ。

 目の前の存在の価値を、鼻で嗤うように。

 

 

「揃いも揃って人間未満の冒涜野郎どもが!! どこまで私達をコケにすりゃあ気が済むんだ!!!!」

 

 

 轟!! と。

 

 

「なるほど、これは確かに、ピントがズレているな」

 

 

 ハンマーの振りと共に放たれた大気の礫に対しても、ドッペルゲンガーは身動き一つとることはなかった。

 ──否。

 その一撃は、地面から伸びた真っ白な掌によって包み込むようにして完全に防がれていた。

 

 

「…………何だ、ソレは」

 

「疑問に思うようなものか? さっきも言っただろう。微生物の集合体だと。もっとも、昆虫を操る寄生菌や呼吸だけで筋組織を成長させる霊長類の性質をかけ合わせたりと、ちょっとした品種改良は施しているがな」

 

 

 己の研究成果を開陳するドッペルゲンガーの表情に、翳りはない。むしろ研究者特有の、己の知能に誇りを持つ堂々たる態度だった。そんな彼女に対し、ヴェントは吐き捨てるように言う。

 

 

「この街のガキは、その歳でも研究者のカオをするのね」

 

「当たり前だ。私も、一応は研究者だぞ」

 

 

 言葉のやりとりを断ち切る様に、ヴェントは風の礫を振るう。

 一発、二発、三発。立て続けに繰り出される風の礫に対し、ドッペルゲンガーは空中を滑るように移動して回避していく。──不可視の粘菌によって、自身を動かしているのだ。肉眼では見えないが、この一帯は既にドッペルゲンガーが操る粘菌が至る所に張り巡らされていた。

 

 

「……ハンマーの動きはブラフ、と見せかけて、礫の生成はハンマーの動きに対応しているのか」

 

 

 そして。

 ドッペルゲンガーは、じいっとヴェントを見据えながら、無表情に言った。

 

 

「…………あん?」

 

「ハンマーが風の塊の生成に対応し、舌の鎖が射出のベクトルに対応している。それがお前の能力だろう。操作方法は空力使い(エアロハンド)というより風力使い(エアロマスター)原理(それ)が近いな。流体力学のスケールでベクトルを操作しているわけか」

 

「……黙れ」

 

 

 ヴェントは睨みつけるように言い返して、

 

 

「私の術式を、科学で語るな!!」

 

 

 ボバッ!!!! と。

 空中に浮かんだ風の礫が、散弾銃のようにバラバラに散ってドッペルゲンガーへと降り注ぐ。ハンマーで生成した空気の塊に、複数のベクトルを与えることであえて散らばった攻撃として作用しているのだ。一つ一つが瓦礫を穿つほどの威力。それに加え──

 

 

「街ごと破壊してやる。さっきアンタ、私の攻撃に対してあえて『包み込むように防御』したわよね? つまりアンタは、街が破壊されることも敗北条件に含まれているってコトよ」

 

「…………罪のない民間人も狙うのか?」

 

「『罪のない』? ハッ!! 憎い憎い科学に身を浸して、その陰に横たわるギセイの上にノウノウと生きてる連中なんざ、その時点で大罪人であり私の敵だっつーのッ!!!!」

 

 

 ヴェントは嘲りと同時に、手に持ったハンマーを振るう。瞬間、透明な空気の塊が無数に展開され、まるでビリヤードのように方々に散った。

 

 

 ──実際のところ、このヴェントの読みは正しい。

 ドッペルゲンガーは、シレンから依頼を受けてこの場に立っている。微生物の集合体である彼女であればヴェントの『天罰術式』の対象外になるという見込みのもと、ヴェントに対するジョーカーとして起用された形だ。

 そして彼女は、同時に『ヴェントを倒せなくてもいいから、その場に縛り付けて街への被害を軽減してくれ』と依頼されていた。

 

 

(確か……ヤツの持つ能力──シレンの言うところの『術式』は、『敵意を持った人間を、その敵意の段階に応じて行動不能にする』というものだったか)

 

 

 そこのところは、操歯はあっさりと術中に陥って昏倒してしまったものの、ドッペルゲンガーにとってはむしろ戦闘に不向きな人格が早々に退場してくれたという意味でプラスに作用している。

 問題は、『そのほかの特性』だった。

 

 

(シレンの情報にあった風を操る術式は確認できた。詳しい法則性も把握できている。しかし……『防御術式』の方は問題だな)

 

 

 依頼の際、シレンからは簡単な敵戦力のレクチャーがあった。

 それは『前方のヴェント』の外見的特徴であったり、持っている能力であったりしたが──問題は、彼女が持つという『対戦車砲すら無傷でしのぐ防御術式』であった。

 詳しい原理はシレンも分からず、おそらく風を応用しているのではないかとのことだったが、どちらにせよただ瓦礫を叩きつけるだけでは突破できるとは思えない。

 それもあって、シレンは『足止めするだけでいい』と話していたが……。

 

 

 ズガガガガガガガガ!!!! と。

 

 無数の風の礫が衝突したことによる、爆発的な轟音が連続する。

 まるで至近距離で花火が炸裂したような、音自体に命の危険が伴うような爆音を響かせながら────学舎の園は、それでも平時の姿を留めていた。

 

 

「…………なん、ですって?」

 

 

 ヨーロッパの街並みを思わせるような煉瓦造りの家々は、神の右席の一撃を受けてもなお、破壊されていない。

 その事実を前にして、ヴェントは信じられないものを見たように目を瞬かせる。

 直後──ずるりと、まるで街並みがブレるようにして、建物から白くて薄い『何か』が剥離した。

 

 

「これでも超能力者(レベル5)の一撃と張り合える程度の出力はある。威力を散らした範囲攻撃程度なら、()()()()()()()()()()()()菌糸を操作するだけで事足りる」

 

「チィ……!! 面倒くさい!! でも、これだけの轟音を出せば平穏を貪っていた愚かなガキどもも警戒する! 私のことを見る!! そうすりゃあ、被害は加速度的に増していくわ。それだけでも、私の目標は達せられるってコト、忘れてんじゃない!?」

 

「…………ああ、そういえばそうだったな。全く、厄介な性質の能力を携えてくれたものだが……」

 

 

 シルシルと。

 地面から伸びる菌糸の槍を手に取りながら、ドッペルゲンガーは言う。

 

 

「安心しろ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 直後。

 煉瓦造りの街並みから、突如現れた白亜の大波が、神の右席の一人へと襲い掛かる。



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一二八話:何を信じるか

 ドッペルゲンガーに後詰を託したレイシアは、急いでアレイスター達を追っていた。

 一刻を争う状況だったが、しかしレイシアの表情には笑みが浮かんでいる。

 

 

(……そりゃあ、そうですわよね。シレンだってこの状況で、自分から動いていて当然ですわよね!)

 

 

 大切な相棒と離れ離れになってしまったというこの状況。

 通常であれば精神的に大ダメージを負ってもおかしくないところで、シレンは間髪入れずに手を打った。それも、『かつての仲間達を頼る』というこの上なく彼女らしい方法で。

 そのことがレイシアにとっては頼もしく、そして嬉しかった。なればこそ、自分もシレンの為にできる最善を尽くそうと思えた。

 だから──

 

 

「お待ちなさ、」

 

 

 アレイスターがいるであろう、常盤台中学の校内に入ったタイミングで声を上げたレイシアだったが──その口上は、途中で遮られることとなる。

 何故?

 

 

「チッ……!」

 

 

 ──そこには、片膝を突いたアレイスターがいた。

 相対しているのは、常盤台中学の学生服を身に纏った()()()()()()()()()()()()

 彼女は絶対零度の眼差しで以て、傷一つない状態でアレイスターを見下ろしていた。

 

 

「レイシアちゃんをわたくしから引き剥がして、()()()()()使()()()()()()()()わたくしなど取るに足らない小娘に過ぎないとでも思っていましたの? わたくしが、何も気付いていないと? 本当にそう思っていますの?」

 

 

 よく見なくても分かる。

 ──シレンは、激怒していた。その理由はおそらく、レイシアと引き離されたことに起因しているだろうが。

 

 

「……待て、シレン。何か……君は誤解している。私は別に君に危害を加えようとして術式を発動していたわけではない」

 

「だから、敵の敵は味方になるとでも? 現にアナタはこうして失敗しています。その時点で信じられる道理などありませんわよ。……どうせアナタは、この事態を解決する為にわたくしやわたくしの大切なモノを使い潰すつもりなのでしょう? ()()()()()()()()()使()()()()()()()()?」

 

 

 取りつく島もなかった。

 アレイスター=クロウリーの行動は全て害悪を成す。その前提で以て、シレンは既に対話の未来を断ち切っている。

 実際のところシレンのその考えは寸分違わず正しいし、実際にうっかりシレンがアレイスターに心を開こうものなら、即座にアレイスターは彼女のことを利用しようとするだろう。その意味で、最初から対話の道を断つのは極めて合理的な『対アレイスター』の対応だと言える。

 

 ……しかし一方で、『そのやり方』はシレンらしくない、とレイシアは感じていた。たとえ最善策が断絶であったとしても、シレンはそれを承知の上で対話の道を模索する。そういう精神性を持った善人(バカ)だったはずだ。

 それが、たとえ相手が諸悪の根源であるとはいえ、ここまで冷徹な判断を下せるものだろうか。

 

 

「……、……返す言葉もない、な!」

 

 

 言葉とともに、アレイスターは右手に持つ『衝撃の杖』を振るう。

 虚空に数字のイメージを伴う火花が散り──、

 

 

()()()()()()()()()

 

 

 ぱちん、と。

 

 シレンが指を弾いた瞬間、火花の中の数字がブレてぼやけて消える。

 直後。

 

 

「ごぼッッ!?!?」

 

 

 アレイスターが、口から血を吐いた。

 

 

「あら。どうやらまた()()()()()()()ようですわね? いやいや、魔術の行使に対して『奇想外し(リザルトツイスター)』を使うとそういう反応が生まれるのは発見ですわね。……結果的に魔術師殺しとして機能するのは、『右手の能力』全般に共通する特徴なのでしょうか」

 

 

 たった一度、指を弾くだけで。

 シレンは間違いなく、この街の王を手玉にとっていた。今まで誰もが不可能だったほど短時間で、根本的に世界最悪の魔術師アレイスター=クロウリーを圧倒していた。

 

 信じられない程、冷徹に。

 

 

「し、シレン……」

 

 

 だからレイシアは、思わず弱弱しく声を上げてしまった。

 先ほどのように自信に満ち溢れた声色じゃなかったのは、レイシア自身怖かったからだ。

 今のシレンは、明らかにキレている。アレイスターの手によってレイシアと切り離されたことで、今学園都市に起きている大事件そのものよりも、その原因を作ったアレイスターに矛先を向けるほどに。普段のような優しさで対話を選ばなくなってしまうほどに。

 そんなシレンが、今の自分を見てどう思うだろうか。己の半身だと認識してくれるだろうか。ひょっとして、アレイスターが生み出した罠だと思われないだろうか。……いや。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そんな疑念が、一瞬にして脳裏を駆け巡ったからだ。

 

 レイシアを、その姿を認識したシレンの反応は、

 

 

「!!」

 

 

 酷く動揺したように、顔を強張らせていた。

 それこそ、ほんの一瞬で彼女の意識がアレイスターから完全に外れるくらいに。

 

 そして。

 

 その一瞬は、アレイスターにとって値千金でもあった。

 

 

「陣は出来た。()()()()()()()()は聖域より退去する!!」

 

 

 その直後。

 レイシア=ブラックガードは、学舎の園から()()した。

 

 

 


 

 

 

 

 アレイスターの言葉と同時、レイシアの視界はまるで水に溶かした絵具のように形を失い、歪んで溶けていく。

 形容しがたい浮遊感に思わず目を瞑ったレイシアが、目を開けると──そこは、学舎の園とは似ても似つかない現代的な街並みだった。

 

 

「……、こ、此処は!?」

 

「おそらく、第七学区といったところか。撤退だよ。完膚なきまでの敗走だな。いや、保険を残しておいてよかった」

 

 

 そう言って、レイシアの隣にうずくまっていたアレイスターは口端についた血を拭って立ち上がる。

 

 

「……保険、でして?」

 

 

 レイシアの問いかけに、アレイスターは頷く。

 

 召喚術の応用──というよりは、悪用であった。

 『学舎の園』を一種の儀式場と見做し、そこに不正な方法で侵入したアレイスター一行を『不正な被召物』と定義し、追儺の術式──不都合な被召物を退散させる術式で以て、アレイスター一行を『学舎の園』の外へと『退去』させた訳である。

 

 しかし、アレイスターはそんなことをレイシアに説明せず、

 

 

「それより……参ったな。私はこの通り手傷を負わされたし、未元物質(ダークマター)に至っては一発KOだ」

 

 

 言われて、レイシアは気付く。

 そういえばあの場では、アレイスターと同様に先行していた垣根の存在感がなかった。どこにいたのか──と思っていると、

 いた。

 アレイスターの足元で、俯せになって横たわっている。

 

 

「シレンの攻撃を受けて、迎撃を()()してな。自爆した上に、シレンの拳を顔面に受けて昏倒した」

 

「な……、」

 

 

 なんでそんなことに、とレイシアは言いたかったのだが、あまりにもあんまりな状況に言葉を失ってしまった。

 

 

「そ、そもそもアレは一体どういうことなんですの!? シレンが指パッチンしたら、アナタの魔術が急に失敗して! あんなもの白黒鋸刃(ジャギドエッジ)では不可能でしてよ!?」

 

「そんなもの、私が知りたいくらいだ。あんなものは臨神契約(ニアデスプロミス)には存在しない機能だからな」

 

「…………、」

 

 

 またもや予想外ですの、とレイシアは心底うんざりした気分になる。この黒幕、敵に回すと本当に厄介なくせに、味方になった途端本当に頼りにならない。いや、厳密にいうと味方でもないのだが。

 

 

「ですが……ざまあないですわね。その様子ではやはりシレンに対して何か悪さをしたのでしょう? 殺されなかっただけでもシレンに感謝するべき、」

 

「いや……そうではない」

 

 

 気を取り直して言うレイシアに、アレイスターは短く言い切った。

 その表情には、常の余裕さはない。むしろ、焦りがあった。今まで何だかんだと言って全ての状況を受け入れていたこの『人間』にしては本当に珍しく──『どうしようもないモノ』に直面したような焦りを。

 

 

「シレンは、私の話を一切聞かなかった。いや……実際に君が肉体を離れた原因は私の術式にあるわけだが、そうした最低限の因果関係を確認するよりも前に、()()()()()()()()()()()()()()

 

「…………、」

 

 

 それは、レイシアにとってはにわかに信じがたいことだ。

 たとえ相手がどんな極悪人だろうと、シレンならばまずは話を聞こうとするだろう。それがどんなに愚かしい真似であってもだ。そのシレンが、アレイスターに対してここまで一方的に敵対するだろうか。……筋の通る推論を立てるとするならば、シレンにとってはレイシアという存在が途轍もなく重要で、それを欠いた状態だから精神的に不安定になっていて、常よりも攻撃的になっている、とかが考えられるが……。

 

 それに、あの能力。

 レイシアがいなくなったことで、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)が使えなくなっているというのは盲点だが、納得できる。

 白黒鋸刃(ジャギドエッジ)は、あくまでもレイシアの精神に宿る異能。レイシアの認識によって立つものだからだ。レイシアの意識が埋没していた時期にしても、レイシアが『いなくなった』訳ではなかった。完全にいなくなっている状態だと、能力そのものが使えなくなるのも道理だろう。

 しかし──代わりに発生した、あの異能は。

 

 

(シレンは、『右手の能力』とか言っていましたっけ。……何か、どこかで聞いたことがあるような気がしないでもないですけど……。……ともかく、雰囲気からして当麻の幻想殺し(イマジンブレイカー)や上里の理想送り(ワールドリジェクター)、番外編でフィアンマの『聖なる右』のようなモノと考えるべきでしょうか)

 

 

 当然、今までシレンは指パッチンしたら魔術師が血を吐くようなトンデモ異能は使ったことがないし、持っていた素振りも見せたことはない。

 普通に考えれば、レイシアがアレイスターに召喚されてから今までの間に習得していたと考えられるが……。

 

 

「…………」

 

 

 本当に、そんなことがあり得るのか?

 

 今まで見たことのない苛烈な一面。

 今まで見たことのない強力な異能。

 

 それらが、レイシアに()()()()()をちらつかせる。

 即ち──彼女は本当に、レイシアの知るシレンなのか? と。

 

 

(……いえ! わたくしは何を迷っていますの!? わたくしを見て一瞬手を止めたあの時の表情、アレは間違いなくシレンだったではありませんの!)

 

 

 シレンがキレているのは間違いなかっただろう。

 だが、それは突然今までにない状況に陥ったせいで気が動転していた部分もあるに違いない。レイシアだって、突然シレンが消えたところにアレイスターが現れれば、よほどアレイスターがマシな言動をとらない限りは敵と断定して攻撃を仕掛けていたと思う。

 それにシレンは、一人で突っ走っているわけではない。ドッペルゲンガーをはじめ、彼女の今まで築いてきた縁を頼って行動しているのだ。誰かを頼るという選択肢を残している時点で、彼女が完全に今までの温かい精神を失っているとは思えない。

 

 

(……ええ、そうですわ。わたくしが考えるべきことなど、最初から決まっているではありませんの)

 

 

 心が定まれば、色々なものが見えてくる。

 冷静さを取り戻しながら、レイシアは考える。

 

 

(……そう。わたくしが不安な気持ちになっているのと同様に、シレンだって心細い思いをしているはずではありませんか。きっと今だって、わたくしに本物かどうか疑われるんじゃないかとか、そんなしょーもないことを考えて怯えていることでしょう。だったら!! わたくしが考えるべきことは臆病風に吹かれたような情けない心配ではなく! 一刻も早くあの子のもとへ参じて、安心させてやることでしょうが!!)

 

 

 

「──やれやれ。これはもしかしたら、()()()()かもしれんな」

 

 

 ──そんなレイシアの決意は、アレイスターのたった一言で急停止することになる。

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一二八話:何を信じるか 

Result_Twister.

 

 

 


 

 

 

「……は?」

 

「これは私の不利益となる情報だから、なるべく隠しておきたかったが──木原数多は、生命体としては死亡している。私の手の者が、ヤツを殺した」

 

「ば……ヤツは警備員(アンチスキル)に引き渡したと相似が……、……ま、まさか……!」

 

 

 あの食蜂達を救った一件で、レイシア達は作戦中に相似から『木原数多を裏切って襲撃し、これを生け捕りにした』という報告を受けていた。

 尤もそれを伝えようとした瞬間に上条の容態が急変してしまったのでそれどころではなくなり、その後も奇跡とかでやっぱりそれどころではなくなってしまったのでそのまま流されていたが……。

 

 

「ふむ? まさかそう伝わっているとはな。……おそらくそれは、彼なりの『優しい嘘』だろう」

 

 

 アレイスターは悪びれずに言い、

 

 

「しかしどうやら……あの男、完全に死なずに()()()()()()()()()()()()()()()

 

「…………、」

 

 

 アレイスターの言葉は。

 レイシアに、最悪の予測を立てさせるには十分だった。

 そして『継承』を司るかの木原らしくもある。

 

 

「まさしく()()()()()()というわけだ。……そしておそらく、AIM思考体となった木原数多は、君が抜け出た後のシレンの肉体に憑依した」

 

「そ……、んな……こ、根拠は!? 何もかもアナタの推測でしょう、そんなこと!!」

 

()()()()()()()()()()()?」

 

 

 反駁したレイシアだったが、アレイスターの一言によって言葉を失わざるを得なかった。

 確かに、おかしくはあった。

 唐突に現れた、右手の能力? たとえそれを生み出すに足る材料があったとしても、シレンがこの短時間であんなものを自力で生み出せるとは到底思えない。何かの外部入力があって、初めて成立するような状況なのだ、あれは。

 では、その入力元は何なのか? と考えたときに、これほどお誂え向きの回答はないだろう。

 

 『木原』。

 その、人外のインスピレーション。

 それがあれば、シレンに何かしらの素質を見出して特異な能力を生み出したとしても、何らおかしくない。

 先ほどのシレンの言動から言って、完全に肉体を乗っ取られているわけではないだろう。おそらく、彼女自身は憑依されていることにすら気付いていないのかもしれない。

 だが、そのインスピレーションにはある程度『木原』の影響が与えられている可能性がある。だからこそ、先ほどのシレンは彼女には珍しくアレイスターとの対話を一切拒絶するような排他性が──攻撃性があらわれていた。

 そして、『木原』のインスピレーションを持つがゆえに、ある種の冷徹さから『手駒』を用意しているのだとしたら、レイシアが安心材料として見ていた彼女の行動すらも、不安材料に早変わりする。

 

 そして、もし。

 シレンが『木原』のインスピレーションに囚われている状態なのだとしたら。

 

 レイシアが彼女の許に無策で現れるのは……危険かもしれない。

 

 

 もちろん、これは推測だ。

 仮定に仮定を重ねた、単なる深読みに過ぎない。

 だが、実際にその可能性がある以上。そして、実際にその推測が当たっていた場合、取り返しのつかないことになりうる以上。

 

 

「……逸る気持ちは分かる。だが、今のシレンは危険だ」

 

 

 ──そう、認めざるを得ない。

 

 

「……、……あ、アナタが、正しいことを言っているとは……限りませんわ。そうです、調子の良いことを言って、わたくしを騙そうとしているのかも」

 

白黒鋸刃(ジャギドエッジ)!!」

 

 

 絞り出すように言うレイシアに、アレイスターは一喝するように声を張る。

 びくりと肩を震わせるレイシアのその態度こそ、彼女の内心を如実に表していた。

 

 

「君が冷静な判断のもとにそう言っているならば、良い。私は所詮君達にとって本質的に敵対者だし、実際に君の立場を悪くしている自覚はある。その判断に異を唱えることはしない。だが……()()()()()()()()()()?」

 

「…………、」

 

「もし君が願望に縋る為にあえて疑念から目を逸らしているのならば、私は統括理事長として──この街の教育者を束ねる者として、生徒である君を止めなくてはならない」

 

 

 真っ直ぐに。

 アレイスター=クロウリーは、レイシアの瞳を見据えてそう言い切った。

 自然と、レイシアの視線が伏せられる。それが、彼女の答えを示していた。

 

 

「…………どうしますの」

 

「心配するな。もしも憑依しているのだとしたら、君にやったようなやり方で憑依を解除することは可能だ。ただ……あの右手の能力が厄介だな」

 

 

 俯いたまま言うレイシアに、アレイスターは顎に手を添えながら答える。

 

 

「あの右手の能力。奇想外し(リザルトツイスター)とか言ったか……おそらくは()()()()()()を失敗させる効果を持っている。生霊の理論を使った術式を発動しようとしても、おそらく無効化されるだろう。まずはあの右手の能力をどうにかしないことには、話は進まない」

 

 

 アレイスターは考え込むようにして、

 

 

「一番手っ取り早いのはあの右手を切断することだが……」

 

「……、」

 

「ただ思考の途上を口にしただけだ。当然、その方針をとるつもりはない」

 

 

 一瞬にして表情がものすごく険しくなったレイシアに、両手を挙げて降参の意を示す。当然ながら、憑依されて思考が異常になっているとはいえ、シレンはレイシアにとってこの世で最も大切な存在だ。いたずらに傷つけることは許されない。

 

 

「あの指パッチンは? 当麻で言う『触れる』に該当する、能力の発動条件とみるべきではなくて?」

 

「……フム、なるほどな。右手を媒介に発動する能力、即ち発動条件も右手に起因する、と……。……ありそうなのは、右手が出した音が届く範囲に効果を及ぼす、といったものか。だとするならば……」

 

 

 ちらり、とアレイスターは天を見上げる。

 

 音を媒介にして、あらゆる意思を無力化する能力。

 そんなバケモノじみた能力に対して、アレイスターは希望を見出していた。

 

 

「策は、ある。これはもしかすると、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()




奇想外し(リザルトツイスター)ですが、実はエイプリルフールの番外編で先出ししてありました。
読まなくても詳しい説明は後から出てきますが、よければどうぞ。→こちら


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一二九話:たとえ誰と相対しても

 アレイスターとレイシアは、気絶した垣根をその場に横たえて移動を開始した。

 当初は垣根も連れて行こうとしたレイシアだったが、アレイスターの『気絶した未元物質(ダークマター)を抱えたまま、今のシレンの追撃を受けるのは危険』というもっともすぎる反対によって断念したのだった。

 一応、救急車を呼んでおいたので垣根にこれ以上の危険が降りかかることはないと信じたいが……。

 

 

「それより、今はどうやってシレンの守りを崩すか、だな」

 

 

 気を取り直すように、アレイスターはそう言った。

 

 

「シレンの右手の能力は、幻想殺し(イマジンブレイカー)のそれとは違う。魔術だろうと科学だろうと、おそらく相手の意思に反応してはたらく異能だ。私の意思が介在している限り、たとえ大陸を両断するような威力であろうとシレンは指を鳴らすだけで失敗させられるだろうな。……そして最も厄介なのは、単純に『打ち消す』のではなく『失敗させる』という点だ」

 

「……()()()失敗させられたならまだマシ。最悪、手ひどく暴走するような失敗もあり得る、ということかしら」

 

「その通り。先ほどは魔術を失敗させられた影響で、術式が暴走して臓器の幾つかにそこそこなダメージが発生した」

 

「地味にとんでもないダメージを食らっていますわね……」

 

 

 土御門が魔術を使ったのと似たようなダメージだろうか、とレイシアはぼんやり考える。

 ただし、大ダメージのようだが、実はこれでもマシな部類ではあった。大昔のバチや祟りといった普通に人死にを伴う概念が魔術の失敗による現象だと言えば、だいたいのスケール感は分かるだろう。

 

 

「とはいえ科学で攻めても結果は同じだろう。衛星軌道上からレーザービームを撃とうが、指を鳴らした領域では『失敗』するわけだからな。失敗した結果、レーザービームが私を焼けば一巻の終わりだ」

 

「どうしようもないではありませんの! ……でも、先ほど白黒鋸刃(ジャギドエッジ)が突破口になるみたいなことを言っていましたわよね?」

 

 

 首を傾げるレイシアに、アレイスターは我が意を得たりとばかりに頷く。

 

 

「音を介して意思を無効化する能力ということは、即ち()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということだ。つまり……」

 

白黒鋸刃(ジャギドエッジ)のファイブオーバーを使えば、気流操作で音を遮断することができる。……そういうことでして?」

 

「その通り。正解だ、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)

 

 

 レイシアの問いかけに、アレイスターはあっさりと答える。

 白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の脅威は、当然物質の硬度を無視した『亀裂』そのものの攻撃によるところが大きいが、レイシア=ブラックガードを超能力者(レベル5)たらしめている大部分はその副産物である気流操作の応用性だ。

 そして、気流操作によって気圧を操作すれば、当然空気の振動である音の影響もある程度軽減させることができるだろう。

 即ち、シレンが扱う奇想外し(リザルトツイスター)は、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)によって封殺できる可能性が高いということである。

 

 

「…………わたくしとシレンが手を取り合えていれば、さらに奇想外し(リザルトツイスター)を強化できていたのですわね」

 

 

 その事実を知り、レイシアは少し悲しそうに呟く。

 空気の密度を操作することで音を遮断することができるということは、逆に言えば気流操作の程度によっては奇想外し(リザルトツイスター)をより便利に取り回せるということである。

 

 

「意味のないIFを想定しても仕方がない。それよりもまずは、再び君達が手を取り合う為の方策を練るべきだろう」

 

 

 アレイスターの提言はあまりにも情け容赦のない正論だったが、レイシアは思わず口を出そうになる反発の言葉を飲み込む。

 もう一度シレンと共に生きたければ、たとえ一度は対立してでもシレンの問題を解決すべき。それは、『正しい歴史』において上条当麻もやっていたことだ。

 ならば、レイシアだってこの世で最も大切な者の為にそのくらいはやってやらねばお話にもならない。

 

 

「分かりましたわ。……もう一度、シレンと共に歩むために」

 

 

 レイシアは、決意を固めながら断言する。

 

 

「わたくしはこの手で、シレンを倒してみせます」

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一二九話:たとえ誰と相対しても 

Versus_Anyone.

 

 

 


 

 

 

 ────今より数時間前。

 

 泣きじゃくっていたシレン=ブラックガードは、白井黒子と御坂美琴のとりなしによって泣き止むと、照れ臭そうに微笑んだ。

 目元は赤く腫れているが、今はもう先ほどまでのような当惑の色はない。それを見て、白井と美琴はひとまずほっと一息つく。何やら異常が起こっているようだが、当の本人からきちんと話を聞けないと何も始まらない。

 

 

「…………すみません。お恥ずかしいところをお見せしました」

 

「いや、それはいいんだけど……。レイシアのヤツがいないって、どういうことなのよ?」

 

「ええ。……あの、その前に、これから話すことを聞いて引かないでほしいのですけれど」

 

 

 シレンはそう前置きをして、

 

 

「レイシアちゃんの魂が、わたくしの中から抜け落ちてしまった。……事態を簡潔に説明すると、そういうことになります」

 

 

 と、きっぱり断言した。

 これに対して、美琴と白井の反応は綺麗に二分した。

 

 

「は……はぁ…………?」

 

「……なん、ですって?」

 

 

 ポカンとして意図を測り損ねたように首を傾げたのが白井。

 眉根を寄せて事態の深刻さの一端を瞬時に掴んだのが美琴。

 

 それぞれ、レイシア=ブラックガードという少女が置かれた状況と──身を浸して来た『科学』の深さ、即ち経験値の差が如実に出たと言えよう。

 美琴の場合、レイシアの二乗人格(それ)があながち科学で全て説明できるわけではないというケースを何度も見てきて、なおかつ天賦夢路(ドリームランカー)事件を経て実際に『魂の離脱』を科学的に見てしまっている為、それが『ありえること』と認識できていたのも大きいが。

 

 

「……それって、あの夜の木原幻生みたいな状況……ってこと、かしら?」

 

「……分かりません。でも、レイシアちゃんが自分からそんなことをできるとは技術・動機両面から見てもあり得ないです。わたくしたちは、二人で一人なのですから。考えられるのは、何者かによって意図的に引き剥がされた可能性のみです」

 

 

 言いながら、レイシアはその原因を特定しつつあった。

 少なくとも、科学サイドでは不可能だ。それが可能そうな木原数多や木原幻生は最早表舞台にはいないし、そもそも科学サイドで魂をどうのこうのして管理下に置くことなど、それこそ大掛かりな機材の中にでもしまわない限り不可能なはず。

 では魔術師なら可能かと言われれば、それもまた首肯しかねる想定だった。何せ、レイシアは一応ローマ正教からマークされてスパイの対象になる程度には魔術サイドにも顔が売れているのである。可能なら、もっと早くに対処されていたはずだ。少なくとも、オティヌスを頂点とした『グレムリン』や神の右席レベルでは手が出ない事象に違いない。

 そして、そういった組織にもどうにもできないのであれば、それはもう個人の魔術師では絶対に不可能と言っても過言ではない。

 

 となるとあり得るのは、世界最悪の魔術師アレイスター=クロウリーか、あるいは魔神達ということになってしまう。

 

 

(…………暫定ラスボスか、世界を簡単にスクラップ&ビルドできる超越者か……あるいは、まだ俺も知らない『未読』の領域の強者か)

 

 

 自分で考えて、頭を抱えたくなってしまう。

 どれもこの時点で相手をするなど想定もできないような化け物である。少なくとも、シレン個人の力ではどうにもできないことだけは確かだった。

 

 

「そんな……そんなことが、ありえますの? だって人格というのは脳の回路の問題でしょう? それが肉体から乖離するなんて……」

 

「有り得るわ。前にそういうヤツとかち合ったことがあるの。流体の『濃淡』で0と1よりも細かい数値を表現する──濃淡コンピュータだっけ? そいつを利用して自分の意識を流体に移したトンデモ研究者がいてね。どうやら幽体離脱って、科学的に証明できるみたいなのよ」

 

「能力の分野でも、食蜂さんの派閥の中にAIM拡散力場を本体から分離させて遠隔操作できる能力者もいますしね」

 

「…………、」

 

 

 半信半疑だった白井だが、二人から具体例を提示されてしまってはどんなに非現実的な事象だったとしても呑み込むしかない。

 『二重人格の一方が肉体から離れて行方不明になる』、それがあり得るという前提で、思考を組み立てていく。

 

 

「……もし仮にそれが事実だとして。おそらく風紀委員(ジャッジメント)は……動けませんわ。そもそも二重人格のうちの一方が欠落していることを科学的に証明することが難しいですし……」

 

「ええ、それは分かっています」

 

 

 眉をひそめて言う白井にも、シレンはあっさりと答える。

 最初から、公的機関を頼るつもりなどなかった。相手がアレイスターにしろ魔神にしろまだ見ぬ強敵にしろ、どちらにせよ表の治安維持組織がどうにかできるような相手ではない。むしろ、下手に協力を取りつければそれが足枷にすらなりえた。

 

 

「わたくしの方で、独自に、」

 

「勘違いなさらないでくださいませ」

 

 

 だから特に気にせず話を続けたシレンに対し、白井はそんな態度が不服だとばかりに言う。

 この街の『正義』は、そんなに酷薄ではない、と。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 こんなことをいちいち言わせることこそが心外だと言いたげに、白井は一息に言い切る。

 

 

「とはいえ、やれることは限られますが。たとえばバンクの照合だとか、それらしい目撃情報の検索だとか。ですが、それでも一個人が闇雲に動き回るよりはよっぽどプラスになると思いますわよ?」

 

「……ええ。その通りですわ。恩に着ます、白井さん」

 

 

 頭を下げるシレンに、白井は満足気に頷く。

 それから、横に座る美琴の方へ視線を向けながら、

 

 

「お姉様はいかがなさいますか? 一般人であるお姉様はわたくしに任せておいてください、と言いたいところですが──」

 

「冗談。アンタだって始末書覚悟の越権行為なんでしょ? なら私だって好きに協力させてもらうわよ」

 

「ですわよねぇ……。……今回ばかりは、お姉様の行動を止められる材料がないのが痛いですわ」

 

 

 やれやれ、と額に手を当てた白井は、それ以上美琴の参戦を咎めようとはしなかった。

 

 

「さあて、鬼が出るか蛇が出るか。どちらにせよ、相当なゲテモノなのはこれまでの経験からして間違いなさそうだけど」

 

「望むところですわ。わたくしのこの世で一番大切な存在を奪ってくれたんですもの。生半可な敵では拍子抜けというものです」

 

 ともあれ、此処に至ってシレンの方針は決まった。

 レイシアを取り戻す。その為ならば──

 

 

(……神様の奇跡だって、乗り越えてやる)

 

 

 誰が目の前に立ち塞がろうと、決して足を止めないと、シレンは誓う。

 それがたとえ、誰であっても。



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一三〇話:訪れる最悪

 シレンは、とりあえず寝間着から常盤台の制服へと着替えた。

 まだレイシア=ブラックガードとして活動するようになってから三か月も経ってない程度だが、このくらいはもはや慣れたものだ。女性としての身だしなみも、もうレイシアの身体の記憶に頼らずとも自前の知識だけでこなせるようになっている。

 

 まずシレンが考えたのは、やはり仲間の協力を募ることだった。

 仮想敵が『正しい歴史』に登場した戦力の中でも最強格であることが予想される以上、もう使えるものはなんだって使うしかないし、頼れる人はなんだって頼るしかない。

 幸いにも、シレンが今まで歩んできた道のりには様々な人たちがいた。そして彼らはそれぞれの分野におけるトップクラスでもある。『木原』に、超能力者(レベル5)に、魔術師に、暗部に──上条当麻。科学サイドも魔術サイドも巻き込んで、全てのセオリーをぶち壊してやれば、相手が何であれ勝ち目はあるはずだった。

 

 

 

『──本当にぃ?』

 

 

 

 と。

 

 身だしなみを整えながら思索を巡らせていたシレンに──突然、そんな声がかけられた。

 顔を上げると、そこには身だしなみに使っていた鏡がある。

 その、中には。

 

 妖艶な笑みを浮かべる。

 

 ()()()()()()()()()()()()の姿。

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一三〇話:訪れる最悪 

Never_End.

 

 

 


 

 

 ──シレンは自らの頬に手を当てた。

 当然、彼女自身の口端はピクリとも動いていない。間違っても、こんな風に艶やかな笑みは浮かべない。

 

 

「…………誰ですの。早速黒幕のお出ましですか」

 

 

 能力の使用を意識しながら、シレンは鏡から一歩引いた。

 そこで、気付く。

 

 ──『亀裂』が、発現しない。

 

 

「な…………!?」

 

 

 これにはシレンも目を剥いたが──しかし同時に納得もしていた。

 そもそも白黒鋸刃(ジャギドエッジ)はレイシアの認識に基づいた、レイシアの能力だ。レイシアの魂が脱落した時点で、その能力の使用に多大な制限がかかるのは少しも不思議ではない。

 

 即座に思考を切り替えたシレンは、それでも自分に打てる手を脳裏に並べていく。

 

 そもそもこの鏡の中にいる自分ではない自分という認知、これ自体が敵からの攻撃という可能性は、十分にあり得た。何せレイシアを既に奪われているのだ。その際に自分の中に爆弾を埋め込まれていても少しもおかしくない。

 だが一方で、これはチャンスでもあるとシレンは考える。もしも自分の破滅が目的ならば、こんな回りくどいことはする必要がない。少なくとも、相手は人格の強奪などというド級の一撃を炸裂させておきながら、シレン本人は殺さない──殺せない事情があるはずなのだ。

 目の前の存在が黒幕の端末なのであれば、やりとりをしていく中でどこぞにいるニヤニヤ笑いの黒幕に辿り着く手がかりを掴めるかもしれない。

 

 

『あぁあぁ! ちょっと待って! 別にわたしだってアナタに危害を加えるつもりはないわ!』

 

 

 ──と、シレンは思っていたのだが。

 

 どうにも緊張感のない──率直に言えば間の抜けた動作で、鏡の中のレイシア=ブラックガードは慌てる。

 そこで、シレンも気付いた。周囲の様子が、まるで時間が停止したみたいに静止していることに。

 そして、さらに気付く。

 目の前のレイシア=ブラックガードの両目がエメラルドグリーンに輝き──そして、全身の各所がまるでノイズのようにブレていることに。

 

 

「……? アナタは…………」

 

『わたしは、そうねぇ……。バグ、ってところかしらね? いやいやいや、便宜的に「魔女」とでも呼んでちょうだいな』

 

 

 にっこりと。

 鏡の中のレイシア──『魔女』はそう言って、どこから取り出したのか、名乗った通りのトンガリ帽子をかぶって見せる。

 ──その語調の適当さを象徴するみたいに、そのトンガリ帽子もノイズ塗れの代物だったが。

 

 

『シレン。アナタはレイシアちゃんが自分の中から消えたことに危機感を覚えているようだけど──本当に警戒すべきは、そこではないの。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それ自体が、特大のバッドエンドの予兆なのよ』

 

「…………?」

 

 

 首を傾げるシレンに、ノイズ塗れのトンガリ帽子をかぶった『魔女』は言う。

 

 

臨神契約(ニアデスプロミス)については既に聞いているわよね? 多分、数多あたりから。アナタの体質は、世界に「ブレ」を生むというもの。なら、その「ブレ」が最も大きい地点はどこだと思う?』

 

 

 言われて、シレンはすぐには答えられなかった。

 確かに、シレンは臨神契約(ニアデスプロミス)の概要について木原数多から聞かされている。それによると、シレンには様々な並行世界を生む体質があり、そしてそれらの並行世界はごく小規模なためすぐに集約してしまうという話らしいが……。

 

 

「…………わたくし、というわけですか?」

 

『その通り! 歪みの歴史的な中心点に位置するアナタだけは、常に様々な可能性を内包している。つまり、アナタが分岐点。心当たりはあるはずよ? だってアナタは、自分の手で未来の収束をある程度選択してきた。それは、アナタ自身が可能性の分岐を内包していなければ不可能な行為のはずだもの』

 

「…………、」

 

 

 道理、ではあった。

 だが、そんなことがあるのだろうか? とシレンは思う。この世界の中心は、上条当麻のはずだ。たとえ異物だったとしても、だからといって世界の分岐を自分が握っているなんて大きな話がありえるとも思えない。

 

 

『もちろん、限界はあるわ。魔神のように世界を作り変えるような荒業は「今の」アナタには無理だし、そんな可能性を引き寄せることは「今の」アナタにはできない。()()()()()()()()。精々「そういうスキル」ってことね。……でも、あくまでそれは「今の」アナタであって、「未来の」アナタはその限りではないのよね……』

 

 

 鏡の中にいる『魔女』は、何やら空中に伸びた『亀裂』のようなものに頬杖を突きながら言う。

 その言葉の意味するところは、シレンには理解が及ばないものだったが──

 

 

『アレイスターが、臨神契約(ニアデスプロミス)の「収穫」に乗り出したのよ』

 

 

 突然、『魔女』はそんなことを切り出した。

 

 

『いやいやいや、とはいえあの黒幕気取りの失敗野郎のこと、案の定「収穫」には失敗した。レイシアちゃんがアナタのもとからいなくなったのは、それが原因ね』

 

「な……ッ!?」

 

 

 『魔女』の言葉に、シレンは思わず目を剥く。

 それが事実なのであれば、シレンにとっては福音だ。敵が強大とはいえ、立ち向かう先が見えてきたのだから。そう考えれば、大いなる前進と言っていいだろう。

 

 

『でもね、アイツの企みが完全なる空振りに終わったかというと、そういうわけでもないの。アナタの魂に干渉しようとした術式のせいで──今、臨神契約(ニアデスプロミス)は半分暴走状態にある』

 

 

 言わんとしていることは、シレンにも理解できた。

 そもそも、現状のシレンだって、レイシアと二人の人格が励起することによって存在を保てているようなものなのだ。そういう意味でも危ういのだし、臨神契約(ニアデスプロミス)にだってどんな悪影響が発生したっておかしくない。

 

 

『二時間』

 

 

 そんなことを考えるシレンに、『魔女』は突き付けるように切り出した。

 

 

『いい? 二時間よ。……あとそれだけの時間が経過すれば、臨神契約(ニアデスプロミス)は完全に暴走する。これは、確定した「事実」』

 

 

 警句を並べるように、『魔女』は続ける。

 翠眼の女は、そこだけは本当に真剣な表情で、シレンに忠告した。

 

 

『そしてもう一度言うわ。アナタが真に意識すべきは、レイシアちゃんの不在じゃない。というか、レイシアちゃんの不在だけならどうにでもできる。問題は、このわたし。鏡の中の「魔女」の存在を、アナタが知覚できること。それこそが、最大のバッドエンドの予兆なの』

 

 

 最初に言われた言葉だったが、シレンはやはり言葉を紡ぐことができなかった。

 意味が理解できなかったから、ではない。

 既に、何となく鏡の中に映る女の()()が理解できてきたからだ。

 

 

「レイシアちゃんを見つける()()なら、どうにでもできる。…………でも、アレイスターの不完全な干渉で不安定になった臨神契約(ニアデスプロミス)は、レイシアちゃんを取り戻しても戻るとは限らない。いや、十中八九、戻らない。…………そうですわね?」

 

 

 レイシアの魂を回収し、一緒に戻ってめでたしめでたし──それで終わるなら、話は早い。だが、そうではないとしたら? アレイスターですら干渉に手を焼く特別な素質の暴走。それこそが、最後に立ち塞がる問題なのだとしたら。

 

 そしてここにきて、鏡の中に知覚できるようになった『魔女』。

 

 

 ──シレンこそが、分岐点。

 歴史の『ブレ』が最も顕著に出るのが、シレン。

 

 であれば。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 もちろん、平時ではそこまで『ブレ』が活発化することはないだろう。

 もしもそんな特質があるのであれば、これまでの中でそれらが顔を出さなかった理由が説明できない。

 しかし、臨神契約(ニアデスプロミス)が暴走しているこの状況では、そうした最低限のセオリーすらも崩壊してしまっている。

 

 それは、奇しくもかつてとある魔術師が身を以て体現していた境地。

 〇と一のみでは説明できない領域に身を浸した者に現れる、とある特性。

 

 その中で真っ先に顔を出した『魔女』は──。

 

 

『…………ええ、そうよ。わたしは、正解を見つけられないままタイムリミットを迎えてしまった未来(IF)のアナタ達。その、成れの果て』

 

 

 ひっそりと、涙を零すように笑った。

 

 

『この事件を回避する未来自体はいくらでもあったわ。でも、この事件が起きたなら、アナタ達は一〇〇%の確率で臨神契約(ニアデスプロミス)の暴走に巻き込まれ、二つの魂は融合を経て「魔女(わたし)」になる』

 

 

 絶対のバッドエンド。

 今はまだ『可能性のうちの一つ』でしかないが、彼女の存在を知覚することができるということは、それだけバッドエンドに近づいているということ。

 ゆえに、彼女を知覚することはそれだけ状況が悪くなっているということになる。

 

 それを理解して、シレンは──

 

 

 ゴッ!! と。

 

 

 右拳で、鏡を殴りつけた。

 

 

 ヒビ割れた世界の中で、金髪翠眼の『魔女』がきょとんとする。

 きらきらと光を弾く鏡面の上を、真っ赤な液体が静かに伝っていった。

 

 

「レイシアちゃんならこんなとき、アナタに対して叱咤するんでしょうね」

 

 

 此処にはいない少女に思いを馳せ、静かに笑みを滲ませながら。

 

 

「だから代わりに、わたくしが言って差し上げます。『それで、アナタは何をそんな辛気臭い顔をしているのです? アナタも腐ってもわたくしの成れの果てなら、必死になってわたくし達がハッピーエンドを掴み取る為に協力しなさいな』、と!!」

 

 

 一瞬の静寂があった。

 それから、『魔女』はこらえきれないとばかりに笑みを浮かべる。

 

 

『あはっ……あははははは! まさかそんな、たった今現れたようなポッと出の正体不明な不審者にそんな台詞をぶつける? いやいや、確かにレイシアちゃんは言いかねないわね。……いやいやいやいや、実際のところ、わたしも諦めてもらうつもりなんて毛頭なかったんだけど』

 

 

 鏡の中の『魔女』もまた、そんなシレンの拳に己の右拳をぶつけた。

 そして、こう続ける。

 

 

『──それじゃ、「魔女」としては一つ、不屈のシンデレラに魔法を授けてあげたいところよね?』



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一三一話:戦闘準備

 その後、『魔女』はほどなくして消えてしまった。

 

 時の止まった世界での出来事はあくまでもシレンの精神の中の出来事に過ぎず、鏡は罅割れていないし拳も負傷していなかった。

 『魔女』の言葉を借りるなら、彼女の影響がそこまでで済んでいるうちはまだいい、ということなのだろう。さらに『魔女』の存在が色濃くなっていき、実際にシレンの精神の外へと出てしまうようなことがあれば──その時は、本当にバッドエンドが近いということになる。

 ならば、すぐさま行動に移さなければならない。

 レイシアと合流するのは大前提。そこから、最低でも臨神契約(ニアデスプロミス)の暴走を抑える方策を導きださなければ。

 

 

(……こういうの、『魔女』が知っていたらそれが一番なんだろうけど……)

 

 

 しかしそれを期待するのも難しいはずだ。

 何故なら、『魔女』はそれができなかったばっかりに『魔女』になったのだから。つまり、『魔女』と同じことをしても、バッドエンドの回避は不可能ということになる。

 

 

(だとするならば……やっぱり、盤上の駒は俺や美琴さん、白井さんだけじゃ足りない)

 

 

 

 『魔女』が歩んできた歴史がどこまでシレン達と共通しているかは謎だが、シレンの『再起』が共通しているならば仲間を頼ることはまず最初に考えるはずだ。

 ならば、頼れるだけ仲間を頼るのは必要最低条件。そこからさらなるプラスアルファの要因を生み出さないと、バッドエンドの回避には至れないだろう。

 

 

(ならまず最初に呼ぶのは……、)

 

 

 そう考えたタイミングで。

 

 

『ブラックガード嬢! 聞こえているか!?』

 

 

「っ」

 

 

 シレンが携えていた携帯機器から、突如無線の音声が繋がる。

 それは、焦燥した様子のショチトルの声だった。

 

 

「徒花さん? どうしたのですか?」

 

『いいか、落ち着いて聞け。……落ち着いて聞けよ……』

 

 

 言いながら、ショチトルは自分の方を落ち着けているようだった。

 その声色を聞いて、シレンも呼吸を整える。

 なんだかんだで、シレンはまだ美琴と白井以外の人間に自分の窮状を教えていなかった。それなのにこれだけショチトルが取り乱しているということは、相応のイレギュラーが発生したということだ。

 一通りの『最悪の可能性』を脳裏に並べた上で、シレンはショチトルの次の言葉を待つ。

 ショチトルは震える声で、

 

 

「…………窓のないビルが、もうじき陥落する」

 

 

 と告げた。

 

 シレンは最初、その言葉の意味がよく理解できなかった。

 窓のないビル……は分かる。誰だって知っている施設だ。アレイスター=クロウリーが、この街の王が坐す、科学サイドの中枢。あらゆる物理兵器による攻撃をものともせず、自転を流用した第一位の一撃ですら容易く防ぎ切った、難攻不落の王城。

 だが、この次が分からない。

 

 

(かん、らく……? 歓楽? カンラク? 何を言っているんだ…………???)

 

 

 

「『神の右席』が現れた。連中の影響で、学園都市の警備網の一割が既に麻痺している。…………時間帯に救われたな。このまま手をこまねいていたら、さらに被害は拡大していくぞ!」

 

「……かみの、うせき?」

 

 

 理解できないから、ではなく。

 理解したくないからこそのオウム返しを無知ゆえの疑問と解釈して、ショチトルは勝手に説明を続けてくれる。

 

 

「ああ、この間いたオリアナ=トムソンのようなローマ正教系の、さらに深部に位置する連中だ。私も詳しい話は知らない。何せさっき『暗部』の情報網で初めて耳にしたくらいだからな。……だが、先日の『原典』を遥かに超える化け物であることは間違いなさそうだ。今情報収集を進めてい、」

 

「お待ちくださいっ!! 今すぐ調査は中止するよう指示してください!! 今!! すぐに!!」

 

 

 ショチトルの言葉に、現実への帰還を果たしたシレンはすぐに叫んだ。

 神の右席のうちの誰が学園都市に来ているか不明だが……もしもヴェントだった場合、悪くすれば『メンバー』やGMDWが全滅してしまう可能性すらある。

 『正しい歴史』で語られた事件を知っている以上、シレン自身はヴェントには同情の余地が多々あると思っているし、もしも衝突することになれば彼女の抱えている苦しみに少しでも寄り添いたいと思っているが、流石のシレンもそんな自分が少数派であることくらいは理解している。

 もしも『メンバー』やGMDWがヴェントの姿を目撃してしまえば、強い敵意を抱くのは間違いないだろう。そうなってしまえば、仮死状態は確定だ。それは絶対に避けたい。

 そして。

 

 

(……ヴェントさんが来ている……とも限らないのですわよね……!)

 

 

 『正しい歴史』であれば、学園都市に襲撃に来るのはヴェントだけだ。いや、アックアも襲撃に来てはいたが、アレは上条当麻のみを狙ったものであって学園都市全体への襲撃ではなかった。

 だが、この歴史においてもそうとは限らない。

 臨神契約(ニアデスプロミス)の性質を考えれば、発生しなかったC文書の一件が此処に来て合流して、テッラが学園都市に襲撃に来たという可能性だって考えられるのだ。それに、これは考え難い可能性ではあるものの、テッラとヴェントが一緒に襲撃に来たということだって、真っ向から否定はできない。

 『起きていなかったイベントの帳尻合わせ』という意味であれば、二人同時とはいかずとも、どちらも歴史の表舞台に登場していないのは不自然なのだから。

 

 

(まぁ、流石にそれはないか……)

 

 

 悪い想定は意図的にそこで打ち切って、シレンは次を考える。

 どちらにせよ、神の右席がやってきたということはまともな戦力では相手にならないということだ。ヴェントもテッラも、当たり前の科学兵器にはめっぽう強い防御力と意味不明な攻撃力を持つ。

 特にヴェントは、並の人間であれば視認しただけで無力化されてしまうという恐ろしいオプションつきだ。

 

 

(俺も……実際にヴェントさんを見たらどうなっちゃうか分からないしな)

 

 

 実際にはシレンはヴェントと直接対峙しようと『天罰術式』の対象にはならないのだが、こういうものは本人ほど自覚がないものである。

 もしもここにレイシアがいれば外部から自信を入力してやることができたのだが、レイシアのいないシレンは自分も『天罰術式』の影響下に置かれるという前提で戦略を練っていく。

 

 

(となると……まずはヴェントさんの無力化、最低でも足止めが必要だ。それを、神の右席相手にこなせそうなのは…………)

 

 

 考えたシレンは、迷わず電話をかけた。

 

 

「もしもし。相似さんですか?」

 

 

 ──一人目は、木原相似。

 

 『魔女』がどんな歴史を歩んできたにせよ、彼はレイシア=ブラックガードの持つ人脈の中でも特大のイレギュラーのはずだ。

 何せ、『正史』には顔を出すことのなかった『木原』。その極彩色の知識から得られる知見は確かに危険ではあるが、あと二時間でバッドエンドという状況ではそれが突破口に繋がるかもしれない。

 

 電話をかけた少年は、ワンコールで通話に応じた。

 

 

『はいはぁい!! もしもし、ブラックガードさんですかぁ? 実験の協力をしてくれる気になってくれましたかねぇ!?』

 

「…………、いえ。というか朝からテンション高いですわね、アナタ……」

 

 

 シレンはちょっとげんなりしながら、

 

 

「ところで相似さん。アナタ、今学園都市が襲撃を受けていることはご存じで?」

 

『ん? ああ、はい。なんでしたっけ? 数多さんがこの間「継承」してた魔術とかいう技術を使ってるって報告が上がっていたような。それがどうかしましたか?』

 

「……わたくし、その敵に好き勝手されるととても困りますの」

 

『まぁ、それはそうでしょうねえ。というか大体みんなが好き勝手されたら困りますよねぇ。それで?』

 

「一日。投薬・電気刺激・暗示等こちらの肉体・精神に干渉しない範囲でなら、アナタの実験に協力しますわ。好きにわたくしのバイタルサインなり能力使用を研究してくださって構いません。それを対価に、今からわたくしが説明する特徴の魔術師を足止め……できれば無力化してくださいませんか?」

 

『殺しは?』

 

「もちろんナシですわよ」

 

『ですよねー。んー……ま、いいでしょう。僕も僕で、この街が今メチャクチャにされるのはあまりよろしくないですしねえ。利害の一致ということで!』

 

 

 相似は含みのある笑みを浮かべているのがありありと分かる声色でそう言って、

 

 

『それで? 特徴というのは?』

 

「黄色い、修道服めいたフードを被った若い女性ですわ。顔の至るところにピアスをしていて、見るからに恐怖感とか敵意とかを抱きそうな見た目をしています。風を操る術式と……敵意を向けてきた対象を問答無用で卒倒させる術式を持っています」

 

『なるほどぉ、それで殺意はあっても敵意はない「木原」を。納得しました。で、向かうのは僕だけですかね? 僕って人見知りなんで、だと有難いんですけど』

 

「いえ…………他にもう一人」

 

 

 シレンはそこで言葉を区切って、こう続ける。

 

 

「操歯涼子さん。彼女の助力を借りようと考えていますわ」

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一三一話:戦闘準備 

Ready_to_Fight.

 

 

 


 

 

 

 ──そうしてその後操歯にも協力を依頼したシレンは、他にも何人も知り合いに連絡した。

 現時点でシレンが連絡をとれる全ての人材には助力を頼んだだろう。そして、助力を頼んだ者は皆一様に協力を約束してくれた。

 

 それが、シレンとレイシアが今まで築いてきた道程の価値だった。

 

 

(……ああ、有難いな)

 

 

 素直に、シレンはそう思う。

 有難い。

 この非常時に、突然電話をかけて、それでも協力に応じてくれる。そんな人達が、いつの間にかレイシアの人生にはこんなにもいたのだ。

 そして、改めて考える。

 

 

(この人たちに、きちんと報いないと。最悪のバッドエンドなんて打ち壊して、最高のハッピーエンドを掴み取る。それが、俺の頼みを引き受けてくれた人たちに対する、一番のお礼のはずだ)

 

 

 考えながら、シレンはそこで足を止めた。

 

 シレンの異常はともかく、学園都市全体を襲う緊急事態については既に常盤台にも激震の余波を及ばせている。三人もの超能力者(レベル5)が集う常盤台中学は最早学園都市でも有数の能力開発機関であり、学園都市においてはイコールそれだけの武力の塊とも目されている。

 このドタバタで余計な横槍を入れられないようにと、シレン、美琴、食蜂を含めた能力者達で学舎の園内部で集まって対応のすり合わせを行っていたのだ。

 

 もっとも、結果は『その他大勢はノータッチ』というものだった。

 とりあえずシレン、美琴、食蜂が個人個人で動き、派閥戦力は学舎の園が混乱によって被害を被らないよう、防御に注力しようということになった。

 これは彼女達が必ずしも戦闘に慣れているわけではないというのもあるが、シレンによって『敵意を向けただけで相手を昏倒させる術式を持っている敵がいる可能性がある』という未確認情報があったことも大きかった。

 

 今のシレンは、その会合を終えて常盤台中学から移動しようとしていたところだった、のだが──。

 

 

「──よう」

 

 

 と。

 そこで、一人の男がシレンの頭上に現れた。

 声を聞いて、シレンは苦笑しながら自らの上に立つ者へと視線を向ける。

 

 

「……駆けつけてくださったのは有難いですけど、此処、男子禁制なのですが……」

 

「安心しろ。お嬢様学校の校則なんざ俺には通用しねえよ」

 

 

 音もなく降り立った少年は、そう気安く言って()()()()()()

 

 ──第二位。

 ──垣根帝督。

 

 先ほどまでアレイスターと行動を共にしていたはずの少年が、一人で空中に佇んでいた。

 

 

「そういう問題ではない気もしますが……」

 

 

 対するシレンは、突然の垣根の登場にも特に慌てずに、むしろ呆れすら伴わせながら口を開いた。

 常識は通用しなくても、校則くらいは気にしてくれ──そんなツッコミは呑み込みながら、シレンはまったりと頭を下げる。

 そう。

 突然現れたはずの乱入者に対して、まるでやって来ることが最初から分かっていたかのように、

 

 

「……ええと、まず協力に応じてくださって有難うございます。それも、あんな危険なところに……」

 

「ああ、いいよいいよそういうのは。俺もテメェにはデカい借りがあるからな」

 

 

 やはり垣根は、そう気安く言って手を振った。

 

 それから、垣根は言う。

 

 

「ともあれ、だ。……『契約』を果たしに来たぜ、裏第四位(アナザーフォー)

 

 

 ()()()()()

 

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一三二話:世界を手玉に取った人間

 まず一番危険なヴェントへの対応を終わらせたシレンは、次にレイシアを奪い何故か敵襲で居城を陥落させているアレイスター=クロウリーの情報収集を始めた。

 

 とはいえ、相手は腐ってもラスボス候補である。生半可な相手では身の危険の方が大きすぎる。となると、うまい具合にアレイスターの動向を探れる賢さがあって、なおかつ戦力的にも最強格である──垣根に白羽の矢が立った。

 

 もちろん、杠を救う過程で諸々の借りができたとはいえ、垣根は別にそれでシレンに一〇〇%協力を約束するような甘い人間ではない。

 だが、既に学園都市の混乱に乗じてアレイスターに干渉して直接交渉権を要求するつもりだったこともあり、そのついでにシレンへの借りを清算できるならという利害計算が働いた。

 かくして利害が一致した二人は協力関係となり──垣根がアレイスターの動向を調べ、不穏な要素を発見したらシレンにそれを伝えるという契約が成り立ったのだった。

 

 垣根がレイシアの仲裁()()であっさり矛を収めたのも、その為だ。

 アレは戦況の分が悪いと垣根が自覚していたのもあるが、それ以上にシレンとの契約を果たすいいチャンスだから、これ幸いと乗っかっていたにすぎない。というか、その前の襲撃からして、突然友好的だとアレイスターに怪しまれるからということでポーズで敵対していたように見せかけていたにすぎない。

 

 ……本人に自覚はないが、本来の垣根帝督は借りを清算するチャンスだからといって不倶戴天の敵に対してここまでプライドを捨てた行動はとらない。

 このあたりは、例のツンツン頭の少年との衝突の中で何らかの心境の変化があったのかもしれないが──

 

 

「──つか、時間がねえから手短にまとめるぞ」

 

 

 当の垣根は、時間を気にしながらどんどん話を進めていってしまう。

 

 

「まず、窓のないビルが陥落したのは事実だ。襲撃してきた『神の右席』は三人」

 

「ちょ、ちょ、ちょ……」

 

「……なんだ? 時間がねえって言ってるだろ」

 

 

 垣根は少し面倒くさそうな表情を浮かべるが、シレンの心情を考えれば責めるのは難しいだろう。

 何せ、神の右席が三人である。そもそも二人来るかも怪しいと言っていたのに、急に三人。シレンでなくても『ちょっと待ってくれ』と言いたい事態だ。

 

 

「来たのは……来たのは誰なんですの!?」

 

「あん? ……前方、後方、左方とか言ったか? 何の暗号かまでは分からなかったが。ちなみに、アレイスターの野郎の話じゃ既に学舎の園に一人乗り込んでるってよ。テメェのお仲間も、案外もうこっちまで来てるんじゃねえの?」

 

「な……!」

 

 

 垣根は、アレイスターがシレンとレイシアの分離の原因であることも協力依頼時に聞かされていた。

 その為、アレイスターとレイシアが分断された時点で万一のことを考えて未元物質(ダークマター)による高速移動を使って、先にシレンと接触した。

 一緒に急行していたアレイスターを置いて垣根が一人でシレンと接触しているという奇異な状況には、そういう事情がある。

 

 

「……そしてこれが一番大事な情報だ」

 

 

 もちろん、こんなことをすればアレイスターからは警戒心を持たれるだろうし、直接交渉権獲得に向けたいろいろな動きに不都合が生まれる可能性は高い。

 だが──アレイスター=クロウリーという『人間』を間近で見て、直接交渉権云々よりも臨神契約(ニアデスプロミス)があの『人間』の手中に収まる危険の方が看過しがたいと、垣根は判断した。

 ──そこに生ぬるい感情論はない、はずだ。

 

 

「今、この場にアレイスターの野郎が向かってきている。一応対『神の右席』で同じ方向を向いちゃあいるが、どこまで信頼できるかは分かったもんじゃねえ。とっとと身を隠した方が身のためだと思うぜ」

 

「──やれやれ。勝手がすぎるな、未元物質(ダークマター)

 

 

 と。

 そこで唐突に、垣根の後ろから声がした。

 

 瞬間。

 平和ボケしたシレンの感性でも分かるほどに濃密な気配が、その場を蹂躙した。

 その予感の名は──殺意。

 

 シレンがそれに対して右手を構えかけたところで、それよりも早く垣根が動く。

 シレンを庇うように翼を発現し、そして一本をその声のもとへと差し向け──

 

 

「忘れたか? 君が幾万幾億の違法則を敷こうと、その始点となる『一』は私が握っていると言ったはずだが」

 

 

 ゴッッッッッ!!!!!! と。

 垣根帝督の身体が、分かりやすく宙を舞った。

 

 くるくると枯れ葉のように回転しながらノーバウンドで数メートルも吹っ飛ばされた垣根の向こう側に立っていたのは──床に着きそうなほどの銀髪を風に靡かせた、手術衣の『人間』。

 統括理事長。

 アレイスター=クロウリーだった。

 

 

「ア、レイスター……!」

 

「初めまして、と言ったところかな。シレン=ブラックガード。いや……臨神契約(ニアデスプロミス)

 

「…………!!」

 

 

 どさり、と。

 吹っ飛ばされた垣根が、両者の中間あたりに落下した。

 

 落ち方からして、致命的な怪我ではないだろう。その事実に心のどこかで安堵しつつ、シレンは目の前の敵へと意識を向ける。

 垣根帝督を、一撃でダウンさせた。その事実が、シレンの警戒心をいや増す。此処からは、一挙手一投足を見逃すだけで命取りになる。そう、思わざるを得なくなる。

 

 

「……ああ、済まない。手荒な真似をしたせいで緊張させてしまったようだ。実は先ほどそこで彼に裏切られたところでな。まさか君に危害を加えるのでは──と思い、先手を打たせてもらったまでだ。重傷ではないよ」

 

「………………彼は、わたくしの協力者でした」

 

「それが彼の真意である保証はあるかね? 未元物質(ダークマター)はこの街の『闇』の一部だぞ。……聞いてはいたが、やはり警戒心は薄いようだな」

 

「それでも!! わたくしは彼の大切なものを知っているつもりですし、手を取り合えると思っています! こんな一方的な……!!」

 

 

 ()()()()()()()()、シレンは思い返していた。

 

 先ほどの、『魔女』とのやりとりを。

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一三二話:世界を手玉に取った人間

Extremely_Bad_Fucking_Bastard.

 

 

 


 

 

 

『ねえ、シレンは幻想殺し(イマジンブレイカー)理想送り(ワールドリジェクター)とその所持者を取り巻く特異な運勢って、どっちが先に存在しているものだと思う?』

 

 

 ひび割れた鏡の中で。

 『魔女』は、展開された『亀裂』のようなものに肘を突きながらそう問いかけた。

 

 

『は……? いや、当麻さんの右手に関してはそもそも異能を打ち消すから幸運も打ち消されているのでは? わたくしは右手が先だと……』

 

 

 何故そんな考察勢みたいな問いを……? という疑問は呑み込みつつ、当時のシレンは答える。

 実際、『正しい歴史』においてもインデックスからはそんな言及がされていたはずだ。しかし、『魔女』はやれやれとばかりに溜息を吐いて、

 

 

『駄目ねぇ。物事は疑ってかからないと。「正しい歴史」において証言があったとしても、証言者の認識が正しいわけじゃない。現に、上里翔流を取り巻く運命の変化について説明はついたかしら? 彼は右手に潜む能力以外のファクターを指摘してから去らなかった?』

 

『…………、』

 

 

 言われてみれば、確かにその通りだった。

 シレン自身今ではもう記憶も薄れているが、幻想殺し(イマジンブレイカー)の不幸のように、理想送り(ワールドリジェクター)を取り巻く歴史の異常については、確かに説明しろと言われても現時点の知識では難しい。

 となると、単に能力の作用として説明するのも難しい──ということになってくるのだろうか。

 

 

『答えは、不可分。鶏が先か卵が先かって話ね。「右手の能力」と「歴史の異変」っていうのはそれぞれ独立してはいるけど、根っこは同じ。だからどっちが先かとは断言することはできない。歴史の異変があるから右手の能力があるし、右手の能力があるから歴史の異変があるともいえる』

 

 

 堂々巡りではあるが、一応納得はできる理論だ、とシレンは思う。

 問題は、突然『魔女』がそんな話を始めた理由が全く分からない、という点だが──。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 鏡の中の『魔女』はそう言ってシレンのことを指差し、言った。

 

 

『ねえ。臨神契約(ニアデスプロミス)って、当麻さんの不幸体質に似てると思わない?』

 

 

 決定的な、一言を。

 

 

『な……、』

 

『既に元となる因果があるのなら、後はそれを束ねるだけ。集約すれば──あら不思議』

 

 

 パチン、と。

 『魔女』は指を弾いた。

 

 劇的な変化はなかった。

 

 ただ、奇妙な実感だけがあった。

 

 

 この右手に異能が宿ったという────そんな確信が。

 

 

魔法(みぎて)の名は、奇想外し(リザルトツイスター)。かつて、わたし達とは違うシレンが辿り着いた異能よ』

 

 

 つまり、この『魔女』と同じ。シレンが抱えている可能性を一時的に表出させた──といったところだろうか。

 白黒鋸刃(ジャギドエッジ)を封じられた状況下では福音だが、一方で『ブレ』の影響が出ているということはバッドエンドに近づいているということなので、素直に肯定はしづらい。

 

 『魔女』は懐かしむ様に、シレンの右手を眺めながら、こう言い添えた。

 

 

『おめでと。異能を宿す右手を持っているなんて、なんだか主人公みたいでカッコイイじゃない☆』

 

 

 


 

 

 あの時、『魔女』は言った。

 

 

『その右手の異能は、臨神契約(ニアデスプロミス)の歴史を均す体質を如実に反映しているわ』

 

 

 右手を構え、シレンは目の前の『人間』を油断なく見据える。

 アレイスターはというと、シレンとは対照的に肩からを力を抜き、敵意らしい敵意も見せずにシレンに向き合っていた。

 

 

「やれやれ……。これは私の失敗だな。どうも私は悪意を前提に他者との繋がりを測りがちらしい。すまない、未元物質(ダークマター)を攻撃した点については詫びよう。だが先ほどの一撃は反撃も兼ねていたことも理解してくれないか?」

 

 

 アレイスターはそう言いながら、垣根に視線を向ける。

 

 

「警戒されるのは身から出た錆というのも承知しているが……分かった。ならばこうしよう。魔術で、彼のことを癒す。先ほどの一件については彼が目覚めた後できちんと話し合おう。君がいれば未元物質(ダークマター)もある程度毒気が抜かれるだろうしな」

 

 

 アレイスターがそう言うと、いつの間にか彼の手の中に銀色の杖が浮かび上がる。

 植物の花のような造詣の杖の先を垣根に向けるアレイスターを見ながら、シレンは思い返していた。

 

 鏡の中の『魔女』は、こう言っていた。

 

 

『アナタの体質が歴史の歪みを巻き込んで均すように、奇想外し(リザルトツイスター)は、右手の干渉に載せて歪みを均す』

 

 

 指をパチンと弾いて、『魔女』は続ける。

 

 

『トリガーは音。アナタが右手で発した音の届く範囲内で発生したあらゆる「害意のある干渉」は、歴史の波に流され均される。「右手で触れた異能を打ち消す」とか「右手の影と重なった願望の重複を異世界に追放する」とかみたいな言い方をするなら──「右手の音を浴びた害意を失敗させる」って感じかしら?』

 

 

 ──その言葉を思い返し、シレンは一度だけ目を瞑り、そして目の前の『人間』のことを見据える。

 

 

「……いえ。わたくしの方こそ、失礼しました。確かに彼は協力者ですが、アナタの言うことももっともですわ。アナタは、レイシアちゃんとも行動を共にしているのですものね」

 

「分かってくれてよかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、」

 

「ところで、今回のレイシアちゃんの離脱についてはアナタが犯人だということは既に分かっておりますの」

 

「…………、」

 

 

 アレイスターの言葉が止まる。

 

 

「──誰からそれを? 彼女の幽体離脱(アストラルフライト)の真相自体は、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)にしか話したつもりはないが」

 

「さあ、アナタの知らない情報網があるのですわ。わたくし、魔術サイドにも通じているんですのよ? それより、早く垣根さんを治療してくださいませんこと? それで、今回の件は水に流して差し上げますから」

 

 

 そう言って、シレンは何気なく髪をかき上げた。

 アレイスターは気まずそうに肩を竦めると、垣根の傍へ歩み寄って屈み、

 

 

「──この因果は、捻転する」

 

 

 アレイスターの手元で数字のイメージを持つ火花が散ったのと同時。

 シレンは、ぱちんと指を弾いた。

 

 直後、だった。

 

 

「ぐ、ふッ!?」

 

 

 口を押えて、アレイスターが蹲ったのは。

 

 

「…………ああ、やはり、でしたのね」

 

 

 その様子を見て、シレンは悲しそうに呟いた。

 奇想外し(リザルトツイスター)は、()()()()()干渉を失敗させる異能。

 であれば、それによって失敗する干渉というのは、どこかしらに害意を忍ばせていると確定してしまう。

 今のが垣根にトドメを刺すか傀儡にするかの術式にせよ、垣根を治療するように見せかけたシレンへの不意打ちだったにせよ、少なくともアレイスターは、口では都合の良いことを言っておきながら、裏では害意に溢れた行動をとろうとしていた──そういうことになる。

 

 

 ふつふつと、怒りが沸き上がって来るのを感じた。

 

 

 この外道は。

 

 レイシアを自分から奪っただけでなく、自分に協力してくれた垣根を攻撃し、あまつさえ卑劣な嘘をついて自分のことを騙そうとしている。

 おそらくは、この異常事態を打破する為、この身に宿る臨神契約(ニアデスプロミス)を利用する為に。

 

 

「この右手は、害意を伴った干渉を失敗させます。何か弁解は、ありまして?」

 

 

 それでも。

 それでも、シレンはアレイスターに呼びかける。

 

 確かにアレイスターは外道だ。見下げ果てたクズだ。だが、アレイスターにだって何か譲れない想いがあったことは示唆されているし、そうでなくても本当にただの悪人であることなんてないとシレンも思う。

 だから、状況が悪くなった上でこちらが対話が可能な姿勢を見せれば態度を変えてくれるかもしれない。そう、考えていたのだが──

 

 

 アレイスターは、手に持った銀色の杖を振るう。

 

 

「──っ、この因果は捻転する!!」

 

 

 シレンの右手が間に合ったのは、対話の姿勢を見せつつも心のどこかでは『アレイスターはそんなに甘くないよなあ』という警戒の念を忘れていなかったからだ。

 アレイスターが放った不可視の衝撃はシレンの頬をかすめるように軌道を逸らし、攻撃としては『失敗』する。

 

 ──先ほどのようなダメージは、アレイスターにみられない。

 

 

(……攻撃の出始めのところで『失敗』させれば、魔術自体の失敗ってことでダメージを与えさせられるけど、攻撃が成立した後で『失敗』させても『攻撃』が失敗しただけであってダメージにはならない……ってことか……!)

 

 

 やはり幻想殺し(イマジンブレイカー)理想送り(ワールドリジェクター)同様、必ずしも無敵の異能というわけではないらしい。

 むしろ明確な長所と引き換えに決定的な短所も存在する。ピーキーな異能と考えるべきだ。

 

 

「チッ……!」

 

 

 しかし、相対する者からすれば厄介極まりない状況だろう。

 アレイスターは苛立たし気に舌打ちをする。──それを見て、シレンはもう一押しだと判断する。

 アレイスターは確かに問答無用のクソ野郎だ。今だって、対話の姿勢を見せたシレンにここぞとばかりに不意打ちをかましてきた。もう、どう考えたって言い逃れはできない。

 だが、アレイスターは一方でだからこその利害計算ができるはずだ。ここでさらに言葉で畳みかければ、敵対よりも友好による利益をとってくれるかもしれない。

 シレンの目的はレイシアとの合流ではなく、来たるバッドエンドの回避なのだ。その為に、余計な敵を作っている余裕などないのだから。

 

 

「──レイシアちゃんをわたくしから引き剥がして、()()()()()使()()()()()()()()わたくしなど取るに足らない小娘に過ぎないとでも思っていましたの? わたくしが、何も気付いていないと? 本当にそう思っていますの?」

 

 

 だから、ふつふつと沸き上がる怒りを抑えながら、シレンはアレイスターの言葉を待つ。

 ──そうして冷静になろうとつとめていたから、シレンはアレイスターの意識が一瞬背後の物陰へと向けられたことに気付けなかった。

 いや、そこに立っていた少女の存在に、気付けなかった。

 

 そして。

 目の前の『人間』がこれまでどれほど世界を手玉にとってきたのかを、忘れてしまっていた。

 

 

「……待て、シレン。何か……君は誤解している。私は別に君に危害を加えようとして術式を発動していたわけではない」

 

 

 この期に及んで、誤魔化す発言。

 アレイスターが命乞いをするような小悪党でないことは分かっているが、シレンはその意図が分からなかった。

 

 

(……時間稼ぎ? もしかして、また不意打ちをしようとしている? ならいいさ。そういう手を打つような状況の曖昧さもなくしてやる)

 

 

「だから、敵の敵は味方になるとでも? 現にアナタはこうして失敗しています。その時点で信じられる道理などありませんわよ。……どうせアナタは、この事態を解決する為にわたくしやわたくしの大切なモノを使い潰すつもりなのでしょう? ()()()()()()()()()使()()()()()()()()?」

 

 

 かつての歴史でやっていたような、虚数学区による術的圧迫は、セキュリティを更新したミサカネットワークでは使えない。

 アレイスターにとってはつつかれると痛い部分をあえて指摘することで、退路を絶っていく。ただでさえ不利な状況で、これ以上敵対するよりも懐柔策を打った方が得ではないかと、アレイスターに思わせる為に。

 

 

「……今なら、」 

 

「……、……返す言葉もない、な!」

 

 

 シレンが言いかけたタイミングで、アレイスターは右手に銀色の杖を浮かび上がらせ振るう。

 虚空に数字のイメージが伴う火花が散り──

 

 

()()()()()()()()()

 

 

 ぱちん、と。

 見え透いた不意打ちに、シレンはただ作業的に指を弾いた。当然の帰結として──火花の中の数字はブレてぼやけ、そして消え失せる。

 アレイスターは魔術の失敗による反動で、その場で派手に吐血した。

 

 

「あら。どうやらまた()()()()()()()ようですわね? いやいや、魔術の行使に対して『奇想外し(リザルトツイスター)』を使うとそういう反応が生まれるのは発見ですわね。……結果的に魔術師殺しとして機能するのは、『右手の能力』全般に共通する特徴なのでしょうか」

 

 

 魔術が失敗すれば、ダメージが発生する。

 まさに魔術師殺しだ。アレイスターにとっては悪夢のような状況だろう。

 

 そしてその事実を以て、降伏勧告をつきつけようとシレンが口を開こうとした、その瞬間だった。

 

 

「し、シレン……」

 

 

 一言。

 その一言で、シレンの思考の一切が消し飛んだ。

 

 聞き間違うはずもない。骨伝導を通して音の高さが変わろうと、その声色は魂に刻まれている。

 レイシア=ブラックガード。

 失われた己の半身。

 

 ──その彼女が浮かべている表情を一目見て、シレンは愕然とする。

 

 

 レイシアの表情は、恐怖と動揺でいっぱいだった。

 そしてその視線は、シレンへと向けられていた。

 

 

(れ、レイシア、ちゃん……? どうして? 俺……俺を見て、そんな顔を? 今の俺が……何か……あっ)

 

 

 そこで、シレンは自分の状況を客観視するに至る。

 

 

 普段レイシアには見せないような激情を露にしながら。

 

 今まで見せたことのない異能を振るって。

 

 そして最強のはずのラスボスに膝を突かせて、一方的になじる様に言葉を突き付けている。

 

 

 そんな異常な行動をとっている()()()()()()()()()を見て、レイシアはいったいどう思うだろうか。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 これが。

 これこそが、アレイスターの目的だったのだ。

 

 自分の攻撃が失敗させられると分かった時点で、レイシアが来るまで時間を稼ぎ、シレンが怒りゆえに高圧的な物言いで降伏を進めることさえ見越して、そしてレイシアにシレンが『おかしくなった』と誤認させる。

 この『人間』は、土壇場で発生したイレギュラーとそれによる自分の敗北すらも織り込んで、シレンとレイシアを分断させる一手を打ってきたのだ。

 

 

(ち、違っ──)

 

 

 誤解をときたい。

 目の前に散らばったあらゆる事情よりもその感情を優先してシレンは口を動かす。

 そしてその判断は、まさに致命的だった。

 

 

「陣は出来た。()()()()()()()()は聖域より退去する!!」

 

 

 アレイスターの一言を以て。

 

 レイシア=ブラックガード、垣根帝督、アレイスター=クロウリーの三名は、一瞬にして掻き消えてしまったのだった。

 シレンだけを、その場に残して。




Facts
◆木原数多は、AIM思考体化のような逃げ道を使うことなく死亡した。
◆正しい想いがあっても、正しい道へ向かえるとは限らない。
◆特に、嘘つきが傍らにいる場合には。


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一三三話:相棒は互いに似る

 アレイスターが消えた後の戦場で、シレンは一人取り残されていた。

 一度は追い詰め、そしてほとんど倒しているところだった巨悪を取り逃し──挙句の果てに、相棒や協力者すら取り零す。その事実は、シレンの精神に非常に重たい自責の念を与えていた。

 

(……迂闊だった。降って湧いた右手の力で、錯覚してしまっていた! アレイスターに勝てるって!! 此処でアイツを倒して、諸々の悲劇に終止符を打てるって!! 甘かった……全部甘かった。そのせいで、レイシアちゃんも垣根さんもいなくなってしまった)

 

 

 学園都市統括理事長。世界の半分をたった一人で切り盛りする『人間』の前に、シレンは敗北したのだ。その油断によって。

 

 

「──元気出してくださいよぉ、シレンさん」

 

 

 と。そんなふうに落ち込んでいたシレンの耳元で、少年の囁きがあった。

 

 

「ひゃわっ!?」

 

 

 驚いて飛び退くと──そこには、黒いシャツの上に白衣を羽織った、短髪の少年が。

 

 

「そ……相似さん!?」

 

「そんなに驚くことないじゃないですかぁ。僕だって黄色い魔術師──前方のヴェントでしたっけ? そいつを倒しに学舎の園(ここ)までやってきたんですから、シレンさんとかち合うのは当然だと思うんですけど?」

 

「な……、え!? 学舎の園にいるんですの!? ヴェントさんが!?」

 

 

 これまでアレイスターにばかり注意が行っていたシレンだったが、もちろん神の右席もまた無視できない脅威である。しかもそれが女学生の集まる学舎の園にいるとなれば一大事である。『天罰術式』だけでどのくらいの学生が昏倒してしまうか、分かったものではない。

 それに、シレンは自分が天罰術式の対象になるものとして行動している。タイムリミットがあと二時間足らずしかない状況で昏倒などしようものなら、もうゲームオーバー一直線である。

 

 

「ど……どうしましょう。実はわたくし、臨神契約(ニアデスプロミス)が暴走しておりまして……あと二時間以内になんとかしないと全く別の存在に変質してしまうらしくて……天罰術式の対象になんてなったりしたらもう一巻の終わり……」

 

「なんでちょっと目を離した隙にそんな面白いことになってるんですかぁ?」

 

 

 楽し気に嗤う相似だが、目はあんまり笑っていなかった。流石に彼も、まだシレンに──臨神契約(ニアデスプロミス)に変質されては研究したりない、といったところか。

 突然気弱に齎された衝撃の新事実に対して、相似は気を取り直しながら、

 

 

「まぁでも、シレンさんは大丈夫でしょう。話に聞く天罰術式とやらの影響は、まぁ受けないんじゃないですかねぇ?」

 

「……え、どうしてですの?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? ()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 当たり前と言えば当たり前のことを、相似は指摘した。

 というか、なんでこんなことにも気づかないのだと半ば呆れたような調子で。

 

 

「…………あ」

 

「はぁ。何をそんなにパニックになっているんだか知りませんけど、少しは落ち着きましょう? 『木原』に常識を説かれるようになったら、本格的におしまいですよぉ?」

 

 

 その点については、深く頷くしかないシレンだった。

 

 

 


 

 

 

「……なるほど、統括理事長アレイスター=クロウリーが。まぁ、それならあの動揺っぷりも納得ですかねぇ……」

 

 

 というわけで、ヴェントと交戦している操歯──もといドッペルゲンガーのもとへ向かう道すがら、シレンは相似に事のあらましを軽く説明していた。

 アレイスターが接触をとってきたこと。協力者である垣根がダウンしたまま連れ去られ、合流できそうだったレイシアもまた離れ離れとなってしまった。降って沸いた右手の能力はあるが、アレイスターにも能力を伝えてしまったから対策されてしまうかもしれない、と。

 

 

「……うーん、能力を教えてしまったのはまずかったかもしれませんね」

 

 

 相似は、少し困ったように言う。

 シレンもそこは自覚していたので、やっぱりか──としゅんとしてしまう。しかし、相似が次に告げてきたのは、単なる戦略上の理由など吹っ飛ぶくらいの衝撃を──シレンにとっては──伴っていた。

 

 

「僕がアレイスターなら、まずはレイシアさんを焚きつけますからね」

 

「………………は?」

 

「いや、害意を検知して発動する異能なんでしょう? なら、シレンさんに対してどう足掻いても害意を抱きようのない人物を対立させれば良いわけじゃないですか」

 

 

 シレンは、愕然とした。

 確かにその通りだ。あの局面、シレンはレイシアに何かしらの誤解を生んでしまった可能性が高い。そしてそんなレイシアに対して、アレイスターが虚偽の説明をしたとしたら? たとえば、誰かに洗脳されているだとか、誰かに攻撃性を高められているだとか。

 ……当然、レイシアはそんな状態のシレンを放ってはおかない。一時的に敵対することを覚悟の上で、シレンの事を救おうとするに決まっている。

 

 そしてその時に彼女が抱えている意思は、『害意』なんて言葉で表現できるか?

 

 答えは、NOだ。そんな訳がない。

 つまり、彼女は徹頭徹尾、泣きたくなるくらいに正しい『善意』で以て、シレンに立ち向かおうとするだろう。そしてその行動に対し、奇想外し(リザルトツイスター)は意味をなさない。『善意』の攻撃に対して、右手は無意味だ。

 

 

 いや。

 

 

 そんなことは、重要ではない。

 

 

 

「そ、そんな……!」

 

 

 

 シレンという人間の魂にとって最も重要なこと。

 それは。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「……シレンさん、」

 

「ええ、分かっていますわ」

 

 

 だが、意外にもシレンの声色は冷静そのものだった。

 

 怒りに目が曇ることも、予想できる最悪の展開を悲観することもなく。

 ただただ、彼女は一つのモノを見据えていた。

 

 

「レイシアちゃんだって、操られているわたくしを救う為に敵対する覚悟を決めたのです。アレイスターに騙されていいように扱われているレイシアちゃんを救う為に、敵対する覚悟も決められないようではお話にもならないでしょう。ですが」

 

 

 見据えるのは、銀髪緑眼の『人間』の悪意。

 

 

「──そうなるように絵図を描いた、あの『人間』。彼の策略にだけは、屈しません。絶対に絶対に──わたくしはわたくしの望むハッピーエンドを掴み取って見せますわ。我儘で傲慢な悪役令嬢(ヴィレイネス)らしく、全てを、満額で!!!!」

 

 

 逆鱗。

 

 

(統括理事長は、『害意』を均す右手に対する最善のカウンターを打ったつもりなんでしょうけど──)

 

 

 もしも人体の部位に存在するとしたら、きっと彼女の身体についているそれは、ズタボロに破壊されているのだろう、と相似は思う。

 

 

(それは『失敗』だったんじゃないかなあって、僕は思いますけどねぇ…………)

 

 

 少なくとも、自分ならこの状態の彼女を敵に回したいとは思わない。

 相似は、どこか他人事のようにそう思った。

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一三三話:相棒は互いに似る

Never.

 

 

 


 

 

 

 常盤台中学の敷地を出て、学舎の園の中央通りを駆けること数分。

 ドッペルゲンガーとヴェントの戦闘地域は、一目見て分かった。

 何故か?

 ヨーロッパ風の煉瓦造りの赤茶けた街並みの一角が、そっくり白く塗り潰されていたからだ。

 

 

「ひやあ~、見事ですねぇ。あれ、全部品種改良した粘菌なんでしたっけ? 戦闘能力だけで言えば超能力者(レベル5)級かもしれませんね」

 

「操歯さん! ドッペルゲンガーさん! 無事ですか!」

 

 

 感心するように観察する相似の横で、シレンが呼びかける。

 返事はなかった。

 代わりに、戦況に変化があった。

 

 ドッ!!!! と。

 

 白衣を纏った継ぎ接ぎの少女──ドッペルゲンガーが、繭のように張り巡らされた白亜の粘菌の壁を突き破って吹っ飛ばされたのだ。

 

 

「なっ……操歯さん!? 大丈夫ですか!?」

 

「……ああ、シレンか。心配するな、痛手はゼロだ。涼子のヤツは早々に天罰術式の餌食になって気絶したがな」

 

 

 特にダメージを感じさせない動きで起き上がった操歯──ドッペルゲンガーは、そう言って口端を拭う。

 どうやら顔面に一撃もらったらしく、口の中が切れているようだった。だが、それ以外に目立つ負傷は確かにないらしい。

 

 ドッペルゲンガーはというと、思わぬ苦戦を強いられていることに苦々し気な表情を浮かべながら、

 

 

「天罰術式と風の礫は攻略できたのだがな。……前方のヴェントとやら、どうやらその地点が戦力の底ではなかったらしい」

 

 

 轟!!!! と。

 暴風が周囲を席巻し、張り巡らされた粘菌の幕が跡形もなく取り払われる。

 ──白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の全力の暴風を軽く凌駕する威力だ。今の一撃で学舎の園の町並みが崩壊していないことの方へ違和感をおぼえるほどに。

 

 

「……チッ。結局破壊できないわねー。ったく、ムダに守りが固くてあったま来ちゃうわー。とっととブッ殺されてくれないかしらーん?」

 

 

 黄色のフードを被った、奇抜な修道複の女。

 前方の、ヴェント。

 

 

「…………おっやー? もしかして援軍? ひょっとして私、まんまと時間稼ぎされちゃったのかにゃーん?」

 

「いいや、こちらも想定外だ。シレンと合流する前にお前は倒しておくつもりだったからな」

 

 

 右腕からしるしると粘菌を伸ばして大地に張り巡らしつつ、ドッペルゲンガーは無感情に言い、

 

 

「……シレン。その様子だとレイシアとは合流できなかったようだな。何があった?」

 

「アレイスターに身柄を奪われています。……早く追いつかないと」

 

「分かった。ならば先に行け。この場は私と──そちらの少年だけでも十分持つだろう」

 

「いえ」

 

 

 一刻を争うという状況。

 ドッペルゲンガーだけでも十分戦えている状況で、木原相似まで戦線に加わるのだ。戦力的にも十分だろうし、シレンの目的を考えればここはドッペルゲンガー達に任せるべきだろう。

 だが、シレンはそこでその戦略を選ばなかった。

 

 

「どうした。此処は戦力的には十分だぞ。お前はお前の目的を果たせ。私も、その為に協力しているんだから」

 

「それでは……いけません」

 

 

 確かに、タイムリミットはあと二時間しかない。

 シレンの望むハッピーエンドを掴み取る為には、此処は二人に任せることが正解なのかもしれない。

 だが、大義に注意が向く余り、忘れてはいないか。

 

 今もこの場には、大量の民間人がいるのだということを。

 

 

 確かに、ドッペルゲンガーと木原相似が束になってかかれば、いずれは前方のヴェントにだって勝てるかもしれない。

 多少の負傷こそあれど、さほど大きなダメージを負うことなく無力化できるかもしれない。そしてシレンはその分の時間を自らの望むハッピーエンドの為に費やすことができる。

 だが、その過程で学舎の園にどれだけの被害が及ぶ? ドッペルゲンガーの粘菌が守っているといっても、それだって全てをカバーできるわけじゃない。騒ぎが大きくなり続ければ、高位能力者には事欠かない常盤台を擁する学舎の園だ、いずれは好戦的な生徒が『街を守るために』乱入しようとして天罰術式の餌食になってしまうかもしれない。

 そうでなくとも、護りの隙間からヴェントの姿を一瞥でもしてしまえばそれだけでアウトだ。それに、戦闘終結までドッペルゲンガーが街を守り抜けるかも確定はしていない。現にさっきだってヴェントの一撃で吹っ飛ばされ、暴風によって粘菌が一掃されていたのだ。防御を貫通して街に被害が出る可能性はある。

 まして、戦場には『木原』がいる。戦力として相似は極めて優秀だが、『木原』の戦闘が敵対者にだけピンポイントで集中すると考えるのはあまりにご都合主義すぎる。その過程によって少なくない破壊が齎されることは、当然覚悟すべきだ。

 

 

 ……冷静に戦況を俯瞰してみるだけで、これだけの危険が転がっている。

 その危険を認識しておきながら、『自分がハッピーエンドを掴めるか否かの瀬戸際だから』という理由で、それを放置するのか? 天罰術式は効かないと分かっているのに。害意を失敗させる右手を持っているのに。此処で戦いに加われば、被害を最小限に抑えられるかもしれないのに。

 レイシアとの未来の為にと、ヴェントの襲撃によって発生するかもしれない被害者達のことを、見捨てるのか?

 

 言い方を変えよう。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「…………ありえませんわね」

 

 

 奇しくも、シレンの下した決断はレイシアと全く同じものだった。

 

 

 その身に渦巻くアレイスターへの怒りは、微塵も消えていない。

 レイシアを利用されることによる憤りは、シレンが今まで抱えてきた怒りの中でも最大級に分類されるだろう。

 

 だが、それでも。

 だからこそ。

 此処で見え透いた犠牲を前に自分の都合を優先するようでは、此処にはいない相棒に対して顔向けができない。アレイスターへの敵意を燃え上がらせるあまり、当たり前に持っている善性を自ら捨てることこそ、レイシア=ブラックガードに対する最悪の裏切りだと知れ。

 

 そのことを意識しながら、シレンは言う。

 

 欲しいモノは全て手に入れる、悪役令嬢(ヴィレイネス)のように。

 

 世界全てを敵に回すような、不敵な笑みを浮かべながら。

 

 

「さっさと終わらせましょう! わたくしの望む、最高のハッピーエンドを掴み取る為に!」

 

「…………チッ、お人好しの聖女バカめ。黙ってこちらの好意に甘えておけばいいものを」

 

「アッハッハッハ! さぁシレンさん、じっくり観察させてくださいよ、その新しい能力(みぎて)を!!」

 

 

 対するは、世界全てを敵に回す術式を振るう女。

 

 神の名を冠する組織の一員とは思えないくらいに禍々しく凄絶な笑みを浮かべ。

 

 

「ドイツもコイツも、私のことは前座扱いって?」

 

 

 前方のヴェントは、吼えた。

 

 

「ちょーっと、神の右席をナメすぎじゃないかしらねェェえええええええええええええええッッッ!!!!」

 

 

 直後。

 街全体を破壊する規模の大気の『壁』が、ヴェントの身体から発せられた。



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一三四話:世界を敵に回すということ ①

 ぱちん、と。

 

 

 シレンの右手から響いたフィンガースナップの音に掻き消されるように、都市を根こそぎ吹き飛ばすほどの威容を誇っていた大気の『壁』は、一瞬にして散り散りになった。

 

 とはいえ。

 

 

「『失敗』させたとしても、それは幻想殺し(イマジンブレイカー)のように打ち消したわけではありません!! 備えてください!! 『失敗』の()()が来ますわよ!!」

 

 

 シレンの言葉を裏付けるように、散り散りになった大気の欠片は辺りに散らばる様に殺人的な突風をまき散らした。

 ドッペルゲンガーの操る白亜の巨腕が周囲の街並みへの被害を抑え、相似が自分やドッペルゲンガーに迫る気流の余波を何かしらの『科学』で吹き散らしている中、

 

 シレンは、防御もせずに暴風の雨の中を真っ直ぐ走っていた。

 

 

「な──コイツ、この暴風の中を掻い潜って……!?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 

 それは、能力そのものではなく応用によって風を操っていたシレンだからこそ至れた境地。

 多くの『ヒーロー』達がそうであるように──彼女にとっての気流操作もまた、もはや能力開発に依らない『異能』の域へと到達していた。

 

 

「────!!!!」

 

 

 彼我の距離、五メートル。

 あと一息で接触するというタイミングで、ヴェントも動く。今まさに渾身の一撃を謎の力で吹き消されたというのに、流石の切り替えの早さだった。

 じゃらりと舌から伸びた十字架つきの鎖を翻しながら、ヴェントは言う。

 

 

「だから言ったわよねぇ、神の右席をナメるなってさぁ!! 単なる風と、同じに思うなよォ!!!!」

 

 

 振り回された鎖に呼応するようにして、無差別に降り注いでいた暴風の雨に指向性が与えられる。暴風の雨が槍となり、一斉にシレンへと向けられていく。

 しかし、それはシレンも先刻分かっていた事態だった。つまり。

 

 

「──この因果は捻転する!!」

 

 

 直後。

 ゴギン!! と空中で静止していた暴風の槍が圧し折れ、そしてヴェントの身体がくの字に折れ曲がる。

 魔術の失敗。

 そのペナルティとしての、身体へのダメージ。あまりの異常事態に、ヴェントの全身を覆うように展開されていた風の防御も一瞬だけ解除されてしまう。

 

 シレンも、その一瞬のスキを見逃さなかった。

 

 

 ゴッ!!!! と、シレンの右拳がヴェントの頬に突き刺さる。

 思い切り振り抜かれた拳をモロに受けたヴェントの身体は、そのまま後方へ一メートルも投げ出された。

 

 前方のヴェントは、動かない。

 

 既に学園都市の警備の一割を停止させた女は、仰向けに投げ出されたまま、不気味な沈黙を保っていた。

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一三四話:世界を敵に回すということ ①

Punishment_for_whom?

 

 

 


 

 

 

「…………ナルホド」

 

 

 空を見上げたまま。

 前方のヴェントは、静かに呟いた。

 

 当然ながら、この程度でヴェントの戦意を圧し折ることなどできない。術式を貫通して右拳を直接食らわせたからといって、男子高校生の上条当麻と違い、女子中学生の拳である。まして虚数学区による消耗もない以上、この程度でヴェントが意識を失っていないのは分かり切ったことだった。

 だからシレンも右手を構えながら、後ろの仲間達との連携を意識する。

 ヴェントは、そんなシレンの警戒を鼻で笑った。

 

 

「術式の──いや、これは、攻撃の失敗? キーはその右手ってワケ? 随分と──」

 

 

 轟!!!! と。

 ヴェントを取り囲むように暴風が渦巻き、シレンとの間を隔てる壁となる。

 暴風の壁に対し、シレンは奇想外し(リザルトツイスター)を使わなかった。明らかに、自分との間に盾として展開する意図しかないと分かり切っていたからだ。下手に能力の使用を失敗して発動条件を推理される足掛かりにされるのは、シレンとしても避けたい事態である。

 

 

「小癪なマネをしてくれたわね、能力者」

 

 

 暴風の壁が掻き消えたとき、そこにはすっかり二本足で立つヴェントの姿があった。

 ヴェントは片手で口端の血を乱暴に拭い去ると、シレンの右手を見て言う。

 

 

「アンタの能力。……攻撃を失敗させる能力のようだけど──どうやら無差別ってワケじゃあないみたいね」

 

 

 その視線を受けて、シレンは自らの背筋にぞくりとしたものが走ったのを感じた。

 

 前方のヴェント。

 神の右席の第一陣。

 

 『読者』であるシレンにとっては、どうしても作中での直接の活躍が印象深い。つまり、アレイスターの虚数学区の策にハマって甚大なダメージを受け、本命の天罰術式も幻想殺し(イマジンブレイカー)によって無力化され、圧倒的バッドステータスを背負った状態で牽制の風を使うしかなかったヴェントの状態が、だ。

 だからこそシレンは『天罰術式』を対策した上で超能力者(レベル5)級の戦力をぶつければ、勝ちは難しくとも都市の防衛は可能と判断した。さらにここに『木原』が加われば、鎮圧も十分可能だと踏んでいた。

 実際、シレンの分析は間違いではなかった。少なくとも、ドッペルゲンガーと木原相似がいれば前方のヴェントをこの戦場に縫い留めることは可能だし、都市への被害も最小限に抑えることができただろう。

 

 だが、彼女の知る『前方のヴェント』は、ヒューズ=カザキリの顕現を目の当たりにして精神的余裕を失い、虚数学区の術的圧迫によって身体的余裕を失い、そして上条当麻との戦闘で己の根幹を揺さぶられた状態だったということを忘れてはならない。

 つまり。

 

 それらのない状況下においては、彼女の真価が発揮されるということ。

 

 

 ──聖霊十式『アドリア海の女王』の拡張用術式『刻限のロザリオ』を開発・調整したのは、前方のヴェントである。

 この術式は限定的ながらも一般の魔術師にも使用できる術式であり、つまりヴェントは神の右席としての体質を獲得した後であるにも関わらず、ローマ正教に伝わる秘伝の術式を拡張するような術式を一般人向けに構築するような魔術の技巧を持っているということだ。

 これが意味することは、即ち。

 

 

「──!! 相似さん!!」

 

「全く、人遣いが荒いですねぇ!!」

 

 

 ズヴァチィ!!!! と。

 相似の周辺から浮かび上がったUAVから、紫電が迸る。それはかつて、レイシアの白黒鋸刃(ジャギドエッジ)を完封する為に用意した策の一つだった。天敵兵装(アンチVアームス)と相似が呼んでいるものだったが──これは、あっさりとヴェントの周辺で捻じ曲げられる。

 

 

「!? どういう理論ですかぁ!? 相手の扱う異能はあくまで気流操作のはず……!?」

 

「これが魔術よ、科学者!!」

 

 

 風を操るということは、大気を操るということ。

 それは即ち大気中の水分の分布をもコントロールできるということにも繋がる。今のは、水分の分布を調節することで電気の流れやすさを変更し、電撃を捻じ曲げた──というのが()()()()()()になるわけだが、当然、ヴェントがそこまで細かく現象を調整したわけではない。

 攻撃が捻じ曲がる。

 そういう結論に間に合わせるように、大気の方がそれを実現できるように()()()()()()()()のだ。

 

 科学的な説明では、確実に無理の生じる現象。

 これを魔術的な表現に置き換えると、こうなる。『星を洗い流した大洪水を退けた神の風の伝承をモチーフに、あらゆる危難を退ける風の壁を展開した』、と。

 

 

「そして──」

 

「っ、この因果は捻転する!!」

 

 

 攻撃態勢に入ったヴェントを見て、パチン!! とシレンが指を弾く。

 しかし。

 

 

「──その指パッチンが能力の発動条件ってワケ」

 

 

 気流は、ヴェントの周辺を渦巻くだけだった。

 奇想外し(リザルトツイスター)は、あくまでも害意を伴った干渉を失敗させるだけの右手(いのう)。つまり、ただ術者の周辺を渦巻くだけの気流を失敗させることはできない。

 

 

(……! しまった、ハメられた……!)

 

 

 自分がまんまと敵の作戦に乗ってしまったことを瞬時に理解するシレンだったが、すぐさま思考を切り替える。

 そもそも、奇想外し(リザルトツイスター)をはじめとした右手の異能は、使用時のアクションや現象が特徴的すぎるので、普通の異能よりも原理を見破られやすい。必然的に、対策も打たれやすいものだ。幻想殺し(イマジンブレイカー)なんて作中散々対策を打たれ続けてきたし、上条の右手と違い凶悪な能力だった理想送り(ワールドリジェクター)ですら上条に特性を見抜かれて対策を打たれた。

 それと同じ。

 シレンは、そうした『前例』を知っているからこそ、初出の事態に対して冷静に構えることができる。

 

 

奇想外し(リザルトツイスター)のタネが割れたからなんだ。此処とは違う『正しい歴史』の中で、当麻さんはこの右手よりもよっぽど使い勝手の悪い武器一つで戦ってきた。それに、俺にはこんなにも頼りになる仲間がいるだろうが!! この程度で弱音を吐けるか!!)

 

 

 右手を、構える。

 それを見て、ヴェントは嘲るような笑みはそのままに、その身を強張らせた。

 やはりそうだ。タネが割れたからといって、奇想外し(リザルトツイスター)は脅威を失うわけじゃない。右手が発する音がキーだとは気づかれただろうし、攻撃ではない異能は失敗させられないこともバレただろう。

 だが、人の領域を超えた術式を不発にさせられたのは事実なのだから。

 

 

「オマエの右手……使徒ペトロが魔術師シモンを墜落させたのと似たようなモノね。人が死に物狂いで研鑽した成果を失敗させるなんて、随分上から目線なシロモノじゃない」

 

 

 轟!! とヴェントの四方を取り囲むように、複数の竜巻が発生する。

 それ自体は他への害意を伴った術式ではない、『ただの竜巻』だ。ただし。

 

 

「でも……タネが……れて…………策も……易い……!!」

 

 

 そこで。

 急激に、ヴェントの声が通らなくなっていく。シレンがそれを怪訝に思った瞬間、横合いから衝撃が飛んだ。

 

 

「馬鹿野郎!! 何をぼさっとしている!! あの魔術師、()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 

 突き飛ばしたのは、ドッペルゲンガーの粘菌だった。真っ白いクッションで押し飛ばされたシレンは、そのまま別の粘菌に巻き取られて空へと舞い上がる。

 ズドォ!!!! と真っ白な粘菌の中ほどに人の胴体がまるまる収まるほどの大穴が開けられたのは、その後の事だった。

 

 ──あのままの場所に立っていれば、シレンがああなっていた。

 その事実を否応なく見せつけられ、シレンは喉がひきつる。

 

 

「ははぁ、なるほどぉ。空気を操ることで、音の反響を調整できるわけですかぁ。確かに、気流操作という点で見れば白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の上位互換みたいなものですし、できて当然ではありますねぇ」

 

 

 と。

 粘菌によって空中を舞うシレンに追従するように、無数のUAVを伴いながら空中を浮遊する相似が言う。

 おそらく、電磁波による引斥を利用して空中浮遊を実現しているのだろうが……意味が分からない技術だ、とシレンは思う。原理が分からなければ、科学も魔術も大した違いはない。

 

 

「どうします? あの分じゃ、シレンさんの右手はそのままじゃ通用しそうもなさそうですけど」

 

「いえ……通用はしますわ」

 

 

 楽し気に笑う相似に、シレンはあくまでも冷静に答えた。

 

 

奇想外し(リザルトツイスター)は、別に攻撃の出所が音を浴びる必要はないのです。放たれた攻撃も、奇想外し(リザルトツイスター)を当てれば失敗はさせられる。……ヴェントさんもそれを理解しているから、自分の周辺の音を消して、その中で攻撃を『育てて』いるのでしょう。竜巻そのものは直接攻撃ではないので……『害意』を伴う干渉だけを失敗させる奇想外し(リザルトツイスター)の対象にはならないでしょうから」

 

 

 竜巻そのものには他者を傷つける害意は存在していないから、失敗させることはできない。

 だから、その竜巻によって発生させた遮音の壁の中で攻撃を生成することで、奇想外し(リザルトツイスター)に邪魔されることなく攻撃を準備する。それが、ヴェントの作戦だ。

 

 

「……でも、ちょーっと納得がいかないような。それって結局、自分の攻撃を邪魔されることなく成功させる為の竜巻ってことで、突き詰めて考えれば結局は『害意』に行き着いちゃいませんかねぇ?」

 

「その辺りは、相手の感性次第だと思いますわ。もしもこの世に全く『害意』を持たないままに他者を傷つけることができる精神性の人間がいたら、わたくしの右手は無力でしょうし。ヴェントさんはあくまでも『わたくしの右手によるダメージから身を守る為』というつもりで竜巻を展開しているのだと考えられますわ」

 

 

 言ってしまえば、アレイスターがレイシアを焚きつけているのも、そうした脆弱性に当て込んでの部分が大きいはずだ。大きな視点で見れば明らかに害を意図しているのに、レイシア自身はその事実に気付いていないから奇想外し(リザルトツイスター)に対するジョーカーたりえるのである。

 そういう意味では、奇しくも『天罰術式』とは似た特性を持っているのかもしれない。尤も、奇想外し(リザルトツイスター)の方は種族の別なく『害意』を攻撃者が自覚しているのであれば例外なく『失敗』させられるわけだが。

 

 

「だが結局のところ、あの竜巻による防音空間をどうにかしないことには……、」

 

 

 粘菌による『偽装憑依』で自分を操作したドッペルゲンガーが、二人に向かって呼びかける。

 彼女の言葉を裏付けるように──

 

 ドシュウ!! と。

 

 竜巻の中で『育て』られた風の槍が、またしても襲い掛かる。

 『偽装憑依』や天敵兵装(アンチVアームス)によって三次元機動ができているからまだ躱せているが、このままでは防戦一方だった。

 シレンはたまらず声を上げる。

 

 

「ドッペルゲンガーさん、どうやって今まで戦局を保っていたんですの!?」

 

「そんなもの物量作戦に決まっているだろう。とにかく粘菌で空間を埋め尽くして、相手が操る『空気』を減らしていた。そうすれば敵の攻撃力は落ちるからな。もっとも、私自身も相手の防御を貫ける攻撃力がなかったので千日手状態だったが」

 

 

 つまりこの状況では、シレンと相似がいるせいで物量作戦は使えない。もしもそんなことをすれば、粘菌の波に二人も巻き込まれてしまうからだ。

 その代わりにシレンの奇想外し(リザルトツイスター)のお陰でヴェントには確実にダメージを与えられているし、相似の手数があれば防御術式を貫通する可能性も増しているが……。

 

 

「こちらの手札の中で現状、あの前方のヴェントの防御を貫けるのはシレンさんの右手のみ。やはり、彼女の術式を無効化するのが一番手っ取り早いですかねぇ……」

 

 

 適当そうに相似が言うと、彼の周辺を飛び回っていたUAVの一機が突然向きを変える。

 それはヴェントの周囲を巡る四本の竜巻のうち一本に狙いを定めると、猛然と突進をしかけた。

 

 

「な、相似さん、一体何を──?」

 

 

 当然、防音用に展開されている竜巻とはいえ、腐っても天使のステージの術式である。

 たかがUAVを一機体当たりさせたところで気流を乱せるとは思えないシレンの戸惑い通り、UAVは竜巻に呑まれてバラバラに砕け散った。ヴェントも、全く危機感を覚えた様子なくその姿を一瞥し、また新たな風の槍を『育て』ていく。

 

 

「おー、やっぱりすごい威力ですねえ。ただの妨害用オブジェクトと言っても、やはりそこらの兵器とは比べ物にならない攻撃力を持っているわけですか。あれは、もしも生身で触れたらと思うとぞっとしてしまいますねえ」

 

 

 相似は適当そうに分析しながら、お返しとばかりに放たれた風の槍を何とか躱していく。

 透明な上に攻撃速度の速い風の槍は、シレンの動体視力では『見てから』右手を動かさなくてはならない。タイミング勝負に持ち込まれてしまっては、奇想外し(リザルトツイスター)のストロングポイントも半減してしまう。

 シレンは歯噛みし、

 

 

「なんとか……なんとかあの防音空間を消し去ることができれば……。そうすればヴェントさんの攻撃を直接『無効化』できるのに……!」

 

「いえ? そんな必要は、もうないと思いますよ?」

 

 

 と。

 唐突に、相似はそんなことを言った。

 

 直後だった。

 今まで粘菌によって空中で回避機動をとっていたシレンやドッペルゲンガーに追従していた相似が、突如移動方向を切り替えて、ヴェントの元へと突貫したのである。

 もちろん、ヴェントの防御術式を貫く方法は相似にはない。一応まだヴェントは風の槍を『育て』きれてはいないようだが、その四方を取り囲む竜巻にしても、触れるだけでUAVをバラバラにする危険な術式である。無策で突撃すれば、今度は相似の身体の方がバラバラになりかねない。

 シレンは思わず声を上げた。

 

 

「何を!? 相似さん、危険です! 遮音を行っている竜巻を操るだけでも、相似さんの身体がバラバラにされかねないんですのよ!? 此処は一度距離を取って手元の兵装を再確認するとかして……、」

 

「…………いや。違う、シレン。あの野郎……そうか、()()()()()()()()

 

 

 しかし、シレンの傍らにいるドッペルゲンガーの見解は違うようだった。

 ドッペルゲンガーの言葉を裏付けるように、相似は続ける。

 

 

「ええ。確かに僕のやっていることは危険でしょうねぇ。何せさっきあんな風にUAVをバラバラにした竜巻に自分から突撃しているんです。あと一秒後には僕が同じ被害を被るのは誰の目から見ても明らか。……()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そんな、決定的な一言を口にした。

 

 

「…………あ」

 

 

 言われて、シレンも気付く。

 

 奇想外し(リザルトツイスター)は、確かに対象の『害意』によって効果の発揮度合いが大幅に変わる。

 たとえ大きな目で見れば害をなす行為だったとしても、行為者本人がそれを自覚していなければたとえ右手の音を浴びたとしても行動を失敗させることはできない。

 ──ならば、自覚させることができたなら?

 

 

「UAVをバラバラにしたほどの破壊力を持つ竜巻。そこに自分から飛び込もうとする相手を見て、あえて術式を解除しない『選択』。……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 いとも容易く。

 人の心に『害意』を植え付けてみせたその男は、引き裂くように悪辣な笑みを浮かべてヴェントに呼びかける。

 その言葉は、遮音の壁を展開していた彼女には聞こえていないだろうが。

 

 

「…………これが『木原』だ。『害意』が自分の中からだけ出てくるモノだと思っているなら、大間違いだぞ」

 

 

 勝ち誇るような相似の言葉を後押しするように、シレンは宣言した。

 

 

「──っ、この因果は捻転する!」

 

 

 パチン、と指を弾く軽質な音が響き。

 

 前方のヴェントを覆っていた遮音の壁は、跡形もなく消し飛んだ。



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一三五話:世界を敵に回すということ ②

『──少しだけ』

 

 

 かつて、こことは違う──『正しい』歴史の中で、とある少年は右拳を握りしめてそんな言葉を口にした。

 

 街を破壊し。

 友人を殺害せんと迫る外敵を前にして。

 

 

『お前を救ってやる』

 

 

 自らも確実に体力を消耗しているはずなのに、ただの無能力者(レベル0)に過ぎない少年は、ローマ正教という世界的宗教の奥の奥に潜む女に、こう言ったのだ。

 

 

『もう一度やり直して来い』

 

 

 不良の一人も倒せず、テストの点も上がらず、女の子にもてたりする事もない、ちっぽけなただの右手を握り締めながら。

 

 

『この大馬鹿野郎!!』

 

 

 見当違いの罪を背負って世界を敵に回していた一人の馬鹿な女を、確かに救った。

 

 

 

 ──さて、()()歴史では?

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一三五話:世界を敵に回すということ ②

Punishment_for_whom?

 

 

 


 

 

 

 

「バカな、オマエ────!!」

 

「相似さん、ありがとうございましたわ!!」

 

 

 消え去った竜巻の前に立つ相似と入れ替わるようにして、シレンが飛び込む。それを見て、ヴェントは脇に視線を巡らし──舌打ちする。

 ヴェントは『奇想外し(リザルトツイスター)』に対する警戒は怠っていなかった。たとえば、遮音結界が解除されればドミノ倒しでほかの暴風が周囲を襲うような形に風の流れを構成していたりもしたのだが──それも含めて、すべてが『失敗』している。

 説明自体は、やろうと思えば可能だろう。『遮音結界を解除するか否か』という選択で、誤って中途半端に遮音結界を形成する竜巻を解除してしまったことで気流が乱れ、それによって後詰の暴風も失敗した。言葉にすれば説明はつく。だが、前方のヴェントという『魔術のプロ』がこの土壇場でそれをやるかという問いに変えれば異常性が分かる。

 

 

(こんなもの、過程どうこうの問題じゃない。結果そのものを、『失敗』ってカタチに捻じ曲げていやがる…………!!)

 

 

 ゆえに、結果を捻じ曲げる右手(リザルトツイスター)

 迎撃も、この近距離であれば誰かを傷つけてしまう。それを相似に認識させられたヴェントは、術式による迎撃が使えない。今度それをやれば、今度こそ発動そのものを失敗させられて、体内に直接、術式失敗のダメージを負ってしまう。

 つまり、ヴェントの手札はこの時点で風による防御術式しかなくなるわけだが──この防御術式にしたって、たとえば相手が拳を使った殴打をしかけた場合、その拳を無傷のままに防御するような類の術式ではない。

 当たり前だ。ヴェントの扱う術式である以上、防御とはいえ天使クラスの術式であることは大前提。下手に拳を使って攻撃などしようものなら、その時点で風に摺りつぶされて指が飛ぶのは必定である。

 そして、それを認識してしまった以上、そこに害意を宿さずにいることなどヴェントにはできない。

 

 

(クソが、あのガキ、よくよく厄介なモンを──!!)

 

 

 下手に術式を失敗させられたらどうなるか分かったものではないので防御術式を解除したヴェントは、そこであるものを見つけてギョッとする。

 拳を握り迫るシレンの向こう側。佇む木原相似よりもさらに後方。

 

 

「さて、シレンのお陰で解法の一億一五〇万三二〇一が使えるな」

 

 

 ドッペルゲンガーが、菌糸による槍を作り出していた。

 ──仮にヴェントが迎撃のために魔術を行使すれば、あらゆる術式が『天使』のスケールとなってしまうヴェントではシレンを巻き込まないということは不可能に近い。それを相似に自覚させられてしまったヴェントは、もはやこの至近距離で魔術を行使できない。ドッペルゲンガーはそれを利用して、ヴェントが術式による防御をしなければ間違いなく一撃で抹殺できる手を打ってきたのだ。

 

 

(クソが、科学に身を浸した、こんな野郎ドモに…………!!!!)

 

 

 断末魔の一瞬。

 既に万策尽きたヴェントは、それでも最期まで足掻いた。こちらに向かってくるシレンに対して手に持ったハンマーを振りかぶり、迎え撃つように殴りかかっていく。

 

 

「この程度で私が折れるとか思ってんじゃないわよ、科学の尖兵ドモが!!」

 

「──この因果は捻転する」

 

 

 それを前に、シレンは指を弾き、

 

 

「これで終わ、がッ!?!?」

 

 

 ────その直後、背中に白亜の巨槍を叩き込まれた。

 

 

 


 

 

 

 奇想外し(リザルトツイスター)

 シレンの右手に宿る異能であり、その能力は右手の発した音の届く範囲内で発生した『害意』に基づくあらゆる干渉を『失敗』させること。

 『失敗』の程度は行動の進み具合によって変動し、たとえば相手が行動を意図した段階で『失敗』した場合、それが異能によらないものであれば思考が空転する程度で済むが、たとえば魔術や超能力の行使が思考段階で『失敗』した場合、演算や魔力の生成に失敗することによるダメージが発生する。

 実際に行動に移した段階で『失敗』した場合、そうしたダメージは発生せず、攻撃が外れる、空中分解するといった程度に収まる。たとえば『周囲一帯を破壊する』といった攻撃を発動した後で失敗した場合、『周囲一帯を破壊する』という意図は攻撃が空中分解する形で失敗するが、失敗の余波が他者を傷つけること自体は普通にあり得るため防御をとる必要がある。

 これとは対照的に、特定個人を害する目的で行った攻撃を『失敗』させた場合、その対象()()は決してその攻撃ではダメージを受けることはない。

 

 一方で。

 

 

 幻想殺し(イマジンブレイカー)理想送り(ワールドリジェクター)がそうであるように、奇想外し(リザルトツイスター)が『失敗』させる『害意』を選ぶことはない。

 右手が発した音が届く範囲内であれば、たとえそれが誰であれ──たとえシレンのことを助ける為にチカラを振るう協力者であろうと、平等に『失敗』させてしまう。

 

 

 たとえばその時。

 あらゆる行動が『害意』に直結する木原相似は、思考そのものを『失敗』させられて一瞬棒立ちになっていたし。

 

 

 たとえばその時。

 前方のヴェントに対する『害意』に基づいて白亜の巨槍を振るったドッペルゲンガーの攻撃は、『失敗』させられて──本来守るべきシレンの背中へと命中してしまっていた。

 

 

「ば、かな……!? これは……『失敗』!?」

 

 

 当然、シレンの体は枯れ木のように軽く浮き上がり、攻撃を『失敗』させられて躓きかけたヴェントの真横を通り過ぎるようにノーバウンドで吹っ飛ばされていった。

 驚いたのは、ヴェントのほうだった。

 状況は完璧に詰んでいた。何か致命的なエラーが相手に生じていない限り、この状況でヴェントが生き残る未来なんてありえなかったはずだった。

 

 

(相手が最後の詰めを誤った……失敗した? …………『失敗』?)

 

 

 しかし、そんな極限の状況下でもヴェントはすぐさま状況を整理し、把握する。

 この状況は──奇想外し(リザルトツイスター)、因果を捻じ曲げる右手の機能をきちんと把握できていなかったヒューマンエラーによるものだ、と。

 ……あるいは、この顛末そのものが、その右手を扱うことで得られる『プラス』に伴う『マイナス』であるかのように。

 

 

「……アハ☆ ナニナニ、ナニよソレ!! ひょっとしてその女の右手、味方の攻撃も無差別に『失敗』させるっての!? アッハハハハハハハ!! バッカじゃねぇの!? 味方の攻撃で殺されてちゃ話にならねぇってのよ!!」

 

 

 嘲笑。

 今のタイミングは、ヴェントという強大な外敵を抹殺する千載一遇のチャンスだったはずだ。

 だが、相手はそれを棒に振った。よりにもよって、ヴェントの防御を打ち崩す最強のジョーカーを自らの手で潰してしまうという最悪極まりない一手で。ヴェントにとっては降って湧いた僥倖だが、これを生かさない手はない。

 この一瞬。

 この一瞬だけは、菌糸による空気の排除も少ない。本来のスペックのヴェントの力を遺憾なく発揮することができる。

 

 ヴェントは、大気を操り一つの大きな槌に作り替えようとして、

 

 

「…………この因果は、捻転する」 

 

 

 パチン、と。

 響くはずのないフィンガースナップの音によって、その行使を『失敗』させられた。

 

 

「あ、ぇ?」

 

 

 視界が傾く。

 自らが膝を突いていることをヴェントが認識したのは、喉の奥からこみ上げる熱い何かを知覚した瞬間だった。

 

 

「なに、が、ボバァッ!?!?」

 

 

 ヨーロッパの街並みを思わせる煉瓦作りの車道に、赤黒い塊が吐き出される。

 よろよろと視線を上げて後ろを振り返れば──そこに立っていたのは、頼りなく揺らぎながらも、しかし二本の足でしっかりと立つ令嬢、シレン=ブラックガードだった。

 

 

「バカ、な……? テメェは確かに、私に食らわせるつもりだった一撃を背中に食らったハズ。防御をする余裕なんかなかった。そもそもテメェにそんなモノを用意する手札はなかった!! 確実に外敵を抹殺するつもりの一撃を背中に食らって、どうしてまだ五体を保っていられるのよ!?」

 

「アナタを抹殺するつもりだと、わたくし、一言でも言いましたか?」

 

 

 動揺するヴェントに対し、シレンは本当にきょとんとした様子で言い返した。

 振り返り見ると、先ほどまで血気に溢れていたドッペルゲンガーも相似も、何か気まずそうにヴェントから視線を背けている。

 言わんとしていることが、ヴェントには理解できなかった。

 

 

「ナニ、言ってんだ、テメェ……。私は!! 科学をぶっ潰す為にこの街へ来た!! 民間人も非戦闘員も関係ねぇ!! ニクイニクイ『科学』をぶっ潰す為に!! なのに、あの絶好のタイミングで!! 放った一撃が、私を殺す為のモノじゃなかった!? あまつさえ、その程度のダメージを与えるモノでしかなかったって!?」

 

「わたくしが立っているということは、そうだと思いますけど……」

 

 

 『敵意』を剥き出しにしているというのに。

 シレンはなんでもないことのように、ヴェントに答えた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 あまつさえ、そんなシレンに引っ張られるように、二人の協力者の毒気まで抜かれていく。

 

 

「……別にそういう理由で手を抜いたわけじゃない。射線近くにお前がいたから、誤射の可能性も考慮して威力を抑えたまでだ。どうせ命中すれば菌糸を『憑依』させることはできるわけだしな」

 

「ま、『不殺』が我らがお嬢様のオーダーですからねぇ」

 

 

 戦闘の『ジャンル』が。

 いつしか、塗り替えられていた。外敵から街を守る存亡をかけた殺し合いから、街を守った上で──それと同じくらい尊い何かを『護る』戦いへ。

 いや。

 最初から、この戦いが殺伐とした命のやりとりであると考えていたのは、ヴェントだけだった。

 

 

 そしてそこで、ヴェントは気づく。

 シレンの右手には、確かに『害意』に基づく行動を『失敗』させる右手がある。だが、その起点はあくまでも右手で発した音に限る。ヴェントの『天罰術式』はすでに発動しており、今この瞬間も『失敗』することなく発動し続けている。発動タイミングの関係で自動で維持し続けているモノは対象にできないのか、あるいは何らかの理由で天罰術式は対象にできないのか。答えは定かではないが、明確なことが一つだけある。

 ──つまり、シレンは別にその右手に宿る異能で以て神の右席の切り札から逃れているわけではない、ということ。では、いったい、どんな不可思議な秘法を以てこの少女は『天罰術式』から逃れているというのか。

 

 答えは、一つしか考えられない。

 

 

「この、異常者が…………!!!!」

 

 

 この女は──ここまでされて、自分の住む街を襲われて尚、この神の右席、前方のヴェントに対して一片の敵意も抱いていやがらない。

 

 何かのイレギュラーがあるわけじゃない。

 異能を打ち消す右手だとか、敵意なしに害意を向けられる精神性だとか、心を封じて敵対する機械の意思だとか、そんな反則技じゃない。

 ただの当たり前な精神性。『相手にだって事情はあるんだから』というごくごく一般的な範疇にある共感性のみで、『天罰術式』の対象から外れているのだ。

 

 拳を振るい、ヴェントを追い詰めているその時にも。

 シレンは、ヴェントのことを敵視しない。ヴェントの奥底にある『何か』に対し、同情し続けている。

 

 もちろん、戦闘に加わっていること自体には彼女なりの利害があるのだろう。でも、そこには害意も敵意も存在していない。

 だって、奇想外し(リザルトツイスター)()()()()()()

 もしも指を弾きながら相手を傷つける為に突進していたら、右手の持ち主であっても攻撃は『失敗』する。なのに、シレンの行動だけは今まで一度も失敗していない。それは、何故か。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 先ほどまでの理論とは真逆。

 

 近視眼的な因果計算の外に『害意』があるから『失敗』しないのではなく。

 もっと大規模な因果計算の中に『善意』があるから、行動そのものの意図は問題にならない。

 

 ならば、今ヴェントの前にいるこの女は。

 

 

「ふざ、けるな……」

 

 

 その事実が、何よりもヴェントの神経を逆撫でしたのは──言うまでもないだろう。

 

 

 

「ふざけるな!! 『敵意』が、ない? 害意すら包み込む『善意』がある? そんなふざけきった話が認められるワケがないでしょう!? こっちがどんな想いで術式を組んでると思ってんだ……どんな想いで世界全てを敵に回してると思ってんだ!!!! ふざけんじゃねえって、言ってんだよォォおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」

 

 

 ヴェントは癇癪を起こしたみたいにハンマーを振り、空気の礫を空中で破裂させる。

 その余波によって発生した気流が、シレンのことを四方から襲う。

 

 シレンは、奇想外し(リザルトツイスター)を使わなかった。

 これ以上ヴェントの体内にダメージが蓄積すれば、あるいは命に関わると判断したのだろう。

 

 代わりに、発生した殺人的な暴風は、シレンがほんの一歩右に動くだけで完璧に逸れていった。

 

 

「……狙いから外れただけじゃありません。わたくしが動くことによって発生する『気流』。それだけでも、ほんの少しではありますが気流は歪む。わたくしは、そうして生まれたほんの小さな安全地帯に体を滑り込ませるだけでいい」

 

「私の魔術を……『科学』で語るなァァあああああああああああ!!!!」

 

 

 ゴンガンゴゴンガン!!!! と、ヴェントは乱雑にハンマーを振り回し、その動きに応じて無数の風の礫が発生していく。

 

 

「ハハッ……! 今回は狙いなんか定めちゃいない!! ただ適当に風の礫を生み出したダケだ! その結果誰が傷つこうが、それは私の意思とは無関係だ!! テメェに『失敗』させるコトなんかできない!!」

 

 

 至近距離──『失敗』を恐れて防御術式を展開できないヴェントにとっては、あまりにも危険すぎる諸刃の剣だ。

 だが、それでもヴェントは笑う。

 最早、学園都市を滅ぼし科学サイドを潰すことよりも──目の前の女を排除することのほうが、ヴェントにとっては重要なことになっていた。

 

 

 弟を救わなかった科学を、許さない。

 だから、科学は嫌い。科学は、憎い。

 

 弟と引き換えに救われた自分が、許せない。嫌い。憎い。

 

 ──だからこの生き方は、それに相応しい『天罰』なのだ。

 

 

 

「──それは違いますわ」

 

 

 自らを傷つける刃めいて発動した風の礫の中で、シレンは毅然と言い放った。

 

 

()()は。そんなものは、『世界全てを敵に回すこと』じゃあない。ただの壮大な自傷行為にすぎません」

 

 

 ただ拳を握り、シレンは言う。

 無差別に降り注ぐ風の礫は彼女にも降り注ぐが、白亜の巨腕がそれをあっけなく受け止めていく。

 相似の周囲を漂うUAVが放つ電磁波によって操られた水塊が、暴風の余波を流して散らしていく。

 それは、敵であるヴェントに降りかかるはずだったものも同様だった。

 

 

 シレンは。

 相手の幻想を受け止める右手を持たない彼女には、ヴェントの事情をきちんと受け止め、その歪みを指摘し、そして救いの拳を叩きつけるようなヒーローとなることはできない。害意を挫くことしかできない彼女には、そんな完璧な結末は描けない。

 『正しい』歴史のような素晴らしい結末を導くことは、彼女にはできない。

 

 シレン自身も、それはよく自覚している。

 

 彼女はあくまで、上条当麻には及ばないのだと。

 でも、それでも巡り合ってしまったからには、最善を尽くす。見捨てたり、妥協したりすることなどできない。だって、この歴史で巡り合ったのは自分なのだから。

 何もかもが歪んでしまったこの歴史で自分が手を伸ばさなければ、目の前の彼女が救われる保証などどこにもないのだから。

 

 ならば、完成されきった『正しい』歴史に及ばない道だとしても、逆にそこに到達する道筋を断つことになったとしても、シレンは迷わず拳を握る。

 たとえ正しくなくとも、自分の作り出した未来こそが『最善』の未来だったのだと、胸を張るために。

 

 それが、『正しい』歴史に唾吐くことを意味するのだとしても。

 

 その姿を。

 鮮烈な不敵さを、目の前の女に魅せつけることはできる。

 かつて自分が、とある悪役令嬢にしてもらったように。

 

 

「世界全てを敵に回すというのは…………こういうことを言うのです!!!!」

 

 

 ゴッガン!!!! と。

 ちっぽけな少女の拳が、神の右席の顔面に突き刺さった。

 

 今度は、女が立ち上がってくることはなかった。

 

 

 


 

 

 

「──よし、捕縛完了。言われた通り舌の十字架も破壊したし、有刺鉄線まみれのハンマーも破壊したが……これで大丈夫なのか? 平然とカムバックしかねない気もするが……」

 

「多分、大丈夫でしょう。ヴェントさんは結局、風を操る時にはその二つのアイテムを絶対に使っていましたわ。それがなくなれば、少なくとも今までのような脅威はなくなるはず」

 

「うーん。殺せれば楽なんですがねぇ」

 

 

 のほほんと言う相似に、シレンがじろりと視線を向ける。

 相似は苦笑しながら両手を挙げて降参の意を示し、

 

 

「分かってます、殺しはナシ。『不殺』が今回のオーダーですもんね。……やれやれ、なんだって侵略者相手に正義のヒーロー縛りでやっていかなくちゃいけないんですかね?」

 

「諦めろ。これでもあのツンツン頭周りよりはマシな職場だろう」

 

 

 念の為菌糸でヴェントを縛り上げ終えたドッペルゲンガーは、いっそ悟りの境地にたどり着いたかのような穏やかさで言う。

 確かに、と思ったのか、相似はそのまま、すでに次のことを考えているシレンの横顔を一瞥し、呟いた。

 

 

「しかし、『アレ』で世界全てを敵に回してる……とは」

 

 

 呆れというよりは、どこか畏怖にも似た色を滲ませながら。

 

 

「いったい、どれだけ強大な仮想敵を想定しているんでしょうかね? あの人」




転生オリ主再構成二次小説である以上、原作という『正しい歴史』との比較は避けては通れない道だと思います。
その上で、ここまでオリ主をやってるシレンならすんなり自分の答えを出してくれないとな、と。


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一三六話:最悪の邂逅

「ええ!? どうしてですの!?」

 

 

 前方のヴェントを倒した後。

 一人も欠けず、消耗もせずに戦場を切り抜けたシレンだったが──そんな彼女に、新たなる困難が降りかかっていた。

 というのも、

 

 

「ですからぁ……申し訳ないとは思ってるんですけどねぇ? 『木原』とその右手、ちょ~っと相性が悪すぎるんですよねぇ」

 

 

 ──木原相似の離脱宣言。

 

 

「『木原』の行動原理は、基本的に悪意に依ります。どんなに崇高な理念を掲げていようと、途中で絶対に悪意が混じる。それが『木原』ってものなんです。気付いてました? さっきの戦闘でも僕、けっこう棒立ちしてた時あったんですよ?」

 

 

 先ほどの戦闘における相似の活躍──ヴェントの『害意』を拡大させたりとか──は目覚ましいものがあったが、それでも彼の判断能力が万全であったなら、ヴェントが行動を失敗させて防御術式が解除された瞬間を狙って電撃を浴びせたりなどして、もっと簡単に決着がついていただろう。

 だが、実際にはそのタイミングには相似自身も思考そのものを『失敗』させられて行動できなくなっていた。音を遮ることで奇想外し(リザルトツイスター)の影響から外れようにも、相似の手で行った遮音は結局は『害意を遂行するため』のものなので当然失敗させられてしまい、何の意味もなくなる。

 

 つまり、これ以上の相似との共闘はデメリットの方が大きくなりかねない。

 それに加え──

 

 

「ですから、僕に関しては別動隊として動いた方が絶対に良いんですよ。そちらのドッペルさんについては──」

 

「──話した通りだ。ヴェントを倒したことで涼子が目覚めたのだが……彼女の意思が思いのほかノイズだった。これでは気絶してもらっていた方が良かったかもしれない」「その言い草はひどくないかッ?」

 

 

 ──『天罰術式』の消滅による、操歯涼子の復帰。

 元が機械であるということを除いても高速演算による思索の結果、色々と小器用な思考をすることができるドッペルゲンガーと違い、操歯涼子は良くも悪くも擦れていない。害意のコントロールが全くできないのだ。

 それを除いても普通の戦闘行動ですら、操歯は恐慌状態に陥る。もしも無理にドッペルゲンガーが肉体の制御を奪って戦闘を続行しようものなら、操歯の心には消えないトラウマが残ってしまうだろう。

 

 

(……もっとも、この女のことだ。のっぴきならない状況になれば勝手に覚悟を決めてしまうのだろうが……)

 

 

 その『覚悟』に必要なプロセスを用意するのが己の役割であると考えているドッペルゲンガーにしてみれば、シレンとの共闘は難しいと言わざるを得ないのが現状だった。

 

 

「うう……お二人の仰っていることは分かりますけど……しかし……」

 

 

 二人の話していることが理解できるがゆえに、シレンの語調も弱まっていく。

 奇想外し(リザルトツイスター)

 あらゆる害意に基づく行動を失敗させる右手。

 こう説明するといかにもチートな無敵の能力のようにも聞こえるが──この右手は、絶望的なまでに他者との共闘を苦手とする異能なのだ。

 そしてその異能は、シレン個人の長所──協力できる仲間との多さ──との食い合わせがすこぶる悪い。まるで、プラスとマイナスで打ち消しあってゼロになるかのように。

 

 

(レイシアちゃんがいれば……白黒鋸刃(ジャギドエッジ)を一緒に使えれば、こんなことで悩まなくてもよかったのに……)

 

 

 内心で歯がゆく思うシレンだが、レイシアはアレイスターの計略によって引き離されてしまっている。そして彼女自身も、これ以上二人に己との共闘を強いるのが間違いであることを理解していた。

 

 

「…………分かりましたわ。というか、まだ助けていただいたお礼をしていませんでしたわね。申し訳ありません。お二人のお陰で、ヴェントさんを止めることができたのに……、」

 

 

 少し俯きがちに言うシレンの肩に、慌てた様子の操歯が手をかける。

 

 

「や、やめてくれブラックガード氏。私は何もできなかったけど……でも、ドッペルゲンガーも私も、お礼してもらいたくて協力したわけじゃないんだ。むしろ私のせいで共闘できなくて申し訳ないと思ってる……」「──勘違いするな。私は隣に立っての共闘ができないと言っただけだ」

 

「僕も同じく。というか、『木原』の本領は遊撃ですからねぇ。シレンさんの目の届かないところで、きっちりしっかり『木原』らしく、アナタ()のことを救ってあげますよぉ」

 

「……この野郎がハッピーエンドへの道筋を台無しにしないか、しっかりと監視しないといけないしな」

 

「じょ~だんですよぉ、いやだなぁ。そんなに信頼ないです? 僕」

 

「ない」「な、ないな……」

 

 

 ケラケラと笑う相似に対して、操歯とドッペルゲンガーの意見が一致した頃には、シレンはもう前を向いていた。

 

 

「……お三方の尽力、決して無駄にはしません。必ず、レイシアちゃんを救いましょう!」

 

 

 シレンはそう言って深々と頭を下げると、今度は俯かずに学舎の園の外へと駆け出していく。

 その後ろ姿を見送りながら、二人の科学者達は互いに顔を見合わせ、

 

 

「……さて、それじゃあ平和に『木原』を遂行するとしますか。本来はこんなことを言っている時点で、『木原』として大切な何かが機能不全になっている気がするのですが…………」

 

「別に構わないだろう。決められたシステムなど、乱れて当然なのだからな」

 

「それは、ご自身の実体験で?」

 

「…………………………ヒトハラやめろ。訴えるぞ」

 

 

 彼らもまた、彼らの闘争へと身を投じていく。

 

 助けたい人の為に。

 

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一三六話:最悪の邂逅

Terrible_encounter.

 

 

 


 

 

 

 

 ──勢い込んで学舎の園を出たシレンを待ち受けていたのは、『天罰術式』から解放されて活動を再開し始めた学園都市の街並みではなく。

 

 

「な、なんですの……この有様は……」

 

 

 立ち上る黒煙。

 あたりに響く爆発音。

 ひとりでに倒壊する建物。

 炎色反応で虹色に煌めく豪炎。

 

 そこは、『学園都市らしい』戦場と化した第七学区の姿だった。

 

 

(ば、バカな……!? 学園都市の治安維持組織は天罰術式によって無力化されているんじゃないのか!? 確かに『正しい歴史』の方ではそうなって……、……いや、まさか、アレイスターがそれをさせなかった、とか……?)

 

 

 アレイスターは、その気になれば学園都市の情報網を自由にコントロールするだけの権力を持っている。『正しい歴史』においてアレイスターが『天罰術式』を持つヴェントに対して情報封鎖を行わず、警備員(アンチスキル)を気絶させていたのは──前提にヒューズ=カザキリの存在があることは否定できないだろう。

 『虚数学区』の顕現により上条当麻でも倒せるレベルまでヴェントを弱めることができる確信があり、なおかつ『虚数学区』の顕現を衆目の前に晒すのは都合が悪かった。だからアレイスターはあえて情報封鎖を行わなかった。こう考えると筋が通るのだ。

 

 翻ってこの歴史では、木原幻生などの介入によりミサカネットワークを悪用されすぎたため、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)が対策を講じてしまった。そのため、ミサカネットワークの励起を用いた『虚数学区』の顕現が使えなくなってしまった。

 さらに、神の右席との戦闘によって警備員(アンチスキル)が消耗することによる治安悪化を避ける為、情報網に干渉して侵入者の情報を得られにくくした。

 それが、あっさりと窓のないビルが陥落した原因である。

 

 つまり、現時点で警備員(アンチスキル)風紀委員(ジャッジメント)はほぼ生きている。

 しかし──戦場に集っているのが、彼らだけとは限らない。

 

 

(いや……警備員(アンチスキル)だとしたら、『破壊のされ方』が不規則すぎる!! 銃撃とか指令の音とかは全く聞こえないし……これは……)

 

 

 この街には公的機関が動けなくとも、とある要素が働くことがある。

 彼らを突き動かすのは、義務や職責ではない。動かなくたって誰からも糾弾されるわけじゃない。必要性もない。にも拘らず、本人の信条によって善行を出力する存在。

 

 

 

(『ヒーロー』!? 公的機関じゃない、個人の善性によって巨悪を覆しうる戦力が個別に戦っているっていうのか!? まるで病原菌に対抗する白血球みたいに!!!!)

 

 

 シレンが状況を理解した、次の瞬間だった。

 

 ドボア!!!! と、水の刃がビルを両断する。細切れに分断されたコンクリートの塊がぐずぐずと泥のように腐り落ちていく。

 

 

「……ちょおーっと。あなたさん、私の『タマ』を腐らせるってどういう了見ですかぁ? 共闘してくれるんじゃなかったでしたっけ?」

 

「あーやだやだ。過愛とも離れ離れになった上に正義露出マニアと共闘なんてやってらんないわ。あの野郎を殺したら次はあなたにしてやろうかしら」

 

「にゃーっはっはっはぁ! 今はそれでも構いません!! 最終的に夕日の河原で友情を確かめ合えれば完璧ですね☆」

 

 

 ズガガガガガガン!!!!!! と。

 水の刃が、ひっくり返った車や崩れたビルをバラバラにする。……いや、バラバラにするだけではとどまらなかった。破壊されたパーツは水によって操作され、一つの塊へと組み替えられていく。

 そのままでは組み替えに邪魔な部分は、ぐずぐずに腐って崩れ落ちる形で成形されていく。

 

 明らかに、複数の異能が関わっている攻撃の光景だった。

 

 

「なんにしても、数奇な縁ですねえ! まさか悪党と手を組むなんて!」

 

「こっちにしてみれば一生の不覚よ。まさかヒーローと共闘だなんて」

 

 

 戦闘の中心に立っていたのは、二人の少女だった。

 一人は、紙袋を被り薙刀のようなホースを構えたバニーガール衣装の少女。

 もう一人は、毒々しい染みの残る白衣と、頭に引っ掛けるようなガスマスク。科学の材料で縁日を楽しむ姿を構成したような少女。

 

 先ほど、シレンはこの戦場に現れた要素のことをヒーローと形容していたが──()()()()()()()()()()()()()()()

 

 一人はヒーローで、一人は()()

 

 本来、この二人は絶対に交わることはない。きっとほかの三千世界の可能性を見渡したところで、道端ですれ違うことすら考えられないだろう。それは、住む世界が違うからだ。善人と悪人。そもそもの『系』が異なるから、出会うことも、まして共闘することなんか絶対にありえない。

 だが、そんなセオリーは破壊された。

 

 ()()()()()()()()

 

 彼女たちの他にも、野外ライブみたいなノリでヒーローをやる少女だとか、銀髪袴の鬼みたいな拷問マニアの少女だとか、警備員(アンチスキル)の中でも『闇』の技術を取り入れた中年の男だとか、たまたま潜入していたところを巻き込まれた幼女のような姿の上忍だとか、とにかく善も悪も関係なく、あらゆる勢力の『学園都市』が駆り出されていた。

 

 前提条件は、ここに覆った。

 

 予定調和は、もはや存在しない。

 

 この盤面は、攻め入った『神の右席』や──この街の王であるアレイスター=クロウリーですら制御はできていないのかもしれなかった。

 

 

 対して。

 

 

「ぴーちくぱーちくと、この程度で神の右席を超えられると思われては、こちらとしても敵わないんですがねー!!!!」

 

 

 ドバオッッッッッ!!!! と。

 白い爆発が、車両や瓦礫によって組み替えられたオブジェごと二人の少女を吹き飛ばす。その中心にいたのは────

 

 

(左方の、テッラ…………!!!!)

 

 

 緑色の修道服を身にまとった、異形の僧侶。

 

 

 

「テッラ。あまり街を破壊するのは感心しないぞ。我々はあくまで、アレイスター=クロウリーと学園都市の中枢機能を破壊するのが第一目的のはずである」

 

 

 

 ──()()()()()()()()

 

 

 

「ばッッ…………!?!?」

 

 

 

 茶色の髪に、白と青を基調とした衣服を身に纏う、筋骨隆々の男。

 

 二重聖人。

 

 後方の、アックア。

 

 

「おやおや、忘れてはいけませんよー? 我々の作戦目標には、世界に混乱を招く幻想殺し(イマジンブレイカー)と──」

 

 

 ぎょろり、と。

 テッラの眼差しが、立ち竦んでいたシレンのほうを捉えた。

 

 

臨神契約(ニアデスプロミス)の抹殺も含まれているんですからねー!!!!」

 

 

 テッラの哄笑めいた宣言と同時に、二人の『神の右席』がシレン目掛けて天使級の一撃を放つ。

 シレンの動きも、俊敏だった。

 

 

「っ、この因果は捻転する!!」

 

 

 直後、ガクン!! とアックアの動きが停止し、テッラが振るう小麦粉の断頭刃(ギロチン)が爆裂して周囲に充満する。

 そこでシレンは間髪入れずに叫んだ。

 

 

「わたくしが気流を操るプロフェッショナルということは調査済みでしょう!? 科学に疎いアナタ方でも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?」

 

 

 小麦粉の霧の中で、二人の神の右席の身体が強張ったのが分かった。

 もちろん、シレンに白黒鋸刃(ジャギドエッジ)がない以上、大量の小麦粉がばらまかれたからといって粉塵爆発を起こすことなどできない。だが、神の右席はそれを知らない。レイシアがシレンから切り離されたことも知りようがないし、当然白黒鋸刃(ジャギドエッジ)が以前と同様に使用可能だと考えるのが自然だ。

 

 シレンは『正しい歴史』の活躍の中で、二人の『防御力』を知っている。テッラもアックアも、粉塵爆発そのものの威力を防ぐことはできても、そのあとに発生する大規模な酸欠を解決するような能力は持っていない。

 特にテッラは、一度に複数のものを『優先』することが術式の都合上できないから、ここで粉塵爆発が起これば『爆発』と『酸欠』のどちらかで潰されてしまう。だからそうならないように、回避の為の一手を打つ必要が発生する。

 たとえ目の前に作戦目標がいたとしても、一旦そのことを棚上げしなければならない程度の緊急度で。

 

 そして、その時間があればシレンの打つ手も増える。

 たとえば、このどさくさに紛れて崩壊した建物の中へ潜り込んで隠れてしまう、とか。

 既に神の右席はこの街の『ヒーロー』や『悪党』と敵対している。彼ら彼女らと協力して戦えば、たとえ神の右席が二人がかりでもなんとか倒せるかもしれない。

 

 そう、シレンが考えた直後だった。

 

 

「なるほど、粉塵爆発か。流石にそれは困るであるな。──ならば、その策略ごと潰させてもらうとしよう」

 

 

 ボッゴン!!!! と、水蒸気がまるで爆発のような勢いで広がっていく。それは空間に充満していた小麦粉をあっさりと押し流し、煙幕の効果を失わせてしまう。

 シレンがビルの陰に逃げ込むのがあと少しでも遅かったなら、水蒸気の勢いに呑まれてそれだけで戦闘不能になっていたことだろう。

 

 

(な……!! わ、分かってはいたけど、ここまで化け物なのか…………!!)

 

 

 相手からは特に攻撃の意思もない、単なる露払いでこの有様。

 格が、あまりにも違いすぎる。

 

 

(とてもじゃないけど、一人じゃ勝てない……! っていうかさっきの今であたりにいる『ヒーロー』も引っ込んじゃってるみたいだし、このままだと共闘どころじゃないぞ……!?)

 

 

 というか、よくよく考えてみればヒーローや悪党が全員フル参加で神の右席に突撃しているのであれば、今頃もっと戦場は混沌としているはずである。

 現在動いているヒーローや悪党の大半は、この混乱に乗じて悪事を働いている不穏分子への対応に動いているのかもしれない。どのみち、シレンにしてみれば救援は望めないという絶望的事実を追認するだけである。

 

 

(どうしよう。奇想外し(リザルトツイスター)はまだ今のところ警戒されていないから、あと一度くらいならたぶんモロに通用するだろう。でも、音速で動くアックアさん相手に、今の俺が右手一本でどこまで食らいつける……!? クソ、こうなったら、アックアさんとテッラさんで同士討ちするように失敗させるしか……)

 

 

 進退窮まったシレンが、分の悪い賭けに打って出ようとした、そのタイミングで。

 

 ビルの陰に隠れていたシレンの前に、一台の車が止まった。

 ファミリー向けワゴンの屋根部分だけが綺麗に切り取られたような、そんな車に乗っていたのは──金髪と茶髪の男女二人組だった。

 

 助手席に乗り込んでいた金髪の少女は、窓枠に肘をかけるようにして身を乗り出しながら、シレンに呼びかけた。

 

 

「よう聖女サマ。結局、私達とドライブでもどう?」




ステージ2
アックア&テッラ with浜面フレンダコンビ


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一三七話:新たなる難問

「──ふむ、どうやら概ね状況は順調に推移しているらしい」

 

 

 どこから取り出したのか、パッド機器を確認しながら、銀髪の『人間』は嘯くようにそう言った。

 

 

「木原端数はドレンチャー=木原=レパトリと潜入していた近江手裏、偶然居合わせた扶桑彩愛と衝突し、ダウン。配下のサイボーグであるレディバードは近江に鹵獲される、か……。便利な『嫌普性』だったのだが、いい加減手綱を握るのも難しかったし丁度よかったな」

 

「……何を見ているんですの?」

 

「ん? ああ、前方のヴェントが倒されたらしいのでね。改めて戦況全体を把握しているところだ。お、これは面白いぞ。迎電部隊(スパークシグナル)と『ブロック』と蠢動俊三が手を組んで動き出したらしい。ふふふ、反乱分子がより取り見取りだな」

 

「それって全然笑いごとじゃないのではなくて!?!?」

 

 

 アレイスターは楽しそうに笑っているが、迎電部隊(スパークシグナル)も『ブロック』も蠢動俊三も、レイシアは聞いたことがある。

 いずれもアレイスターに反旗を翻すべく暗躍していたド悪党どもである。一人だけでも厄介な事件を引き起こしていたというのに、そいつらがまとまって、このタイミングでアレイスターに反旗を翻したとなったら、そんなものは一大事である。ただでさえ神の右席を相手にしないといけないというのに、そんなのもう殆ど詰みではないか? とレイシアは思う。

 そしてそこまで思って、ふと気が付いた。

 

 

「……()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 三人いる神の右席のうちの一人が、撃退されている、という事実に。

 

 

「ああ。どうやらやってくれたようだな」

 

「そうですの……。ドッペルゲンガーが、ですわね? アイツ、意外と強かったんですのね……」

 

「いや、違う。ドッペルゲンガーも戦闘に加わってはいるが、要因としてはシレン=ブラックガードの活躍が大きいよ。同じく戦闘に参加していた木原相似の尽力もあるようだが」

 

「は……!?」

 

 

 アレイスターのあっさりとした説明に、レイシアは目を丸くする。

 レイシアの持っている情報からしたら、あまりにも目まぐるしすぎる展開である。ドッペルゲンガーだけでなく、木原数多によって悪性を刺激されたシレンが、同じく木原数多と関係の深い木原相似とともに、ヴェントを倒す? 勢力図としては完全に敵対しているはずなのに、アウトプットとしては完全にアレイスターの利になっているではないか。

 

 

「木原数多はシレンの攻撃性を刺激しているが、その善性までは完全に歪め切れていない、ということなのかもしれないな」

 

 

 アレイスターはしれっとレイシアの疑念に対してフォローを入れつつ、

 

 

「だが、これは良いニュースであると同時に悪いニュースでもある。シレンは、彼女本来の善性によって彼女が今まで歩んできた道程で得た仲間の助力を得ている。それでいて、シレン自体は木原数多から注入された悪意によって我々を狙っているわけだ。これが何を意味するか、分かるかね」

 

「……、わたくし達の前に、かつての仲間たちが立ち塞がる可能性がある。そういうことかしら」

 

 

 表情を暗くしながら、レイシアは答えた。

 彼女にしてみれば、慣れ親しんだ仲間たちと敵対するのだ。気分が重くならないわけがない。それでも。たとえ一度は仲違いしてしまうとしても、決めたのだ。シレンを救う、と。

 

 

(わたくしの仲間達は、そんなわたくしの想いを理解してくれないほど狭量じゃない。彼らとの絆を信じればこそ、わたくしは躊躇わずに戦える)

 

 

 ゆっくりと、研ぎ澄ますように。

 レイシアは、かつての仲間達と衝突することへの覚悟を決めていく。

 

 

「……あ、でも、シレンが右席と戦ってくれているのは分かりましたし心強いですけど、結局反乱分子のほうはどうするのでして? ぶっちゃけこのままだと、神の右席を撃退しても学園都市を乗っ取られてしまいましたみたいな未来も十分考えられると思うのですけれど」

 

 当然の懸念を表明するレイシアに、アレイスターはさらりと答え、

 

 

「心配いらない。私の部下が既に動いてくれているし──」

 

 

 直後、特大の爆弾を落とした。

 

 

「上条当麻が現場に向かっているからな。どうやら連中、反乱の過程で罪のない女の子を巻き込んだらしい」

 

「とっととわたくし達も介入しますわよ!! そんな流れ、どう考えても回り回って神の右席も含めた全部の事件の中心地になっていくに決まっているではありませんの!!」

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一三七話:新たなる難問

Not_Over_Yet.

 

 

 


 

 

 

 シレンを後部座席に乗せた浜面とフレンダは、そのままテッラとアックアから逃げるように車を走らせていく。

 

 

「……助かりましたわ、浜面さん、フレンダさん。ナイスタイミングでしたわね」

 

「まぁ、アンタには微細とか駒場さんの件で借りがあるしな。協力くらいならしてやるよ」

 

 

 ──何を隠そう、浜面とフレンダもまた、シレンが助けを求めた協力者なのだった。

 実は、あのドッペルゲンガーの一件の折にレイシアとフレンダは和解がてら連絡先を交換していたのである。流石フレンダというべきフットワークの軽さだった。

 だとしても『アイテム』なんて敵対組織の一員に助けを求めるなよとレイシアあたりがいたら口酸っぱく言っていただろうが、今はそんなことを言っていられるような状況ではない。とにかく使えるものは敵対暗部組織であろうと使わないといけないのである。

 

 なお、シレンが彼女達に依頼したのは情報収集と、状況によってはシレンの移動の補助だ。当初は白黒鋸刃(ジャギドエッジ)が使用不可とは知らなかったシレンだが、それでもAIMジャマーなどで状況によっては能力が使えなくなる可能性も考えてはいた。

 そういう局面において、無能力者(レベル0)でありながら強い善性と実力を持っている浜面とフレンダは頼りになる。そういう判断である。

 そして実際に、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)が使用不能になっている状況においては浜面とフレンダの『アシ』は非常に重要だ。何せ、シレンには与えられたタイムリミットはもう二時間もないのだから。

 

 

「…………、」

 

 

 心配そうに後方を確認するシレンへ、浜面はからかうように、

 

 

「なんだ? 流石に追撃が心配かね? 安心しろよ。連中はこの街の悪党やらヒーローにも喧嘩を売ってる。そいつらの応対をしなくちゃならない以上、あとしばらくは逃げる車を追いかけるような余裕もないだろ」

 

()()()()()()()()()()()()

 

 

 シレンは真面目くさった顔でそう言う。

 

 

「彼らの主目的がアレイスター=クロウリーや学園都市の中枢の他に、わたくしや当麻さんであることは先ほど聞いて分かりました。わたくしのこれまでの行動を見れば是非もないでしょう。……わたくしだって、こうなった以上『誰も巻き込みたくない』なんて聖人ぶった綺麗事を言うつもりはありません。ですが……」

 

「誰かに任せて逃げるのは罪悪感があるって? かーっ、駄目だな。分かってねえよ聖女サマ。アンタ、強者の考えってのが染みついちまってるぜ」

 

 

 言い淀むシレンに、浜面はきっぱりとそう言ってのけた。

 彼は顎で助手席に座る相棒へ言葉を促すと、フレンダは行儀悪く助手席を抱きすくめるような形で後部座席の方へ向き直る。

 

 

「結局、逃げることが戦闘を放棄することだって、誰が決めた訳?」

 

 

 明確な、パラダイムシフトに繋がる提言を。

 

 

「さっき、アンタの仲間だって男……馬場とか言ったっけ? そいつから聞いたわよ。アンタ、能力使えなくなって、代わりに妙な異能が使えるようになっているらしいじゃない。えーと……」

 

奇想外し(リザルトツイスター)。……害意を持った行動を音によって失敗させる……それだけの異能ですわ」

 

「そう、それ!」

 

 

 フレンダはそう言って、人差し指を立てる。

 シレン自身は特に奇想外し(リザルトツイスター)の情報は共有していないのだが、おそらく馬場が気をまわしてくれたのだろう。シレンが連絡した協力者には、今のシレンの状況をきちんと伝えてくれているのかもしれない。

 事情を察したシレンへ畳みかけるように、フレンダは忠告する。

 

 

「だったらいい加減、超能力者(レベル5)の──強者の戦い方ってヤツは忘れなさい。結局、弱者は待ち受けない。真っ向からぶつからない。とことんまで直接戦闘を避けて、無様に醜く逃げ惑って、勝利につながる条件(ピース)をかき集め続ける。そうやって鬼ごっこをしながら勝ちってゴールを目指す訳よ」

 

 

 そうやって最後に笑えてれば勝ちなんだからね、とフレンダは不敵な笑みを浮かべた。

 

 

「そもそも、神の右席とかいう連中に突っ込んでいった連中だって、アンタにそうやって『自分が巻き込みました』ってツラされてたらキレると思うぜ。『ふざけんな。テメェの為じゃねえ、俺たちは自分の意思で首を突っ込んだんだ』ってよ」

 

「…………、……そうですわね」

 

 

 ニッと笑いかけてくる浜面に、シレンも息を吐くように笑った。

 確かに、その通りだ。確かに敵の目的はシレンや上条なのかもしれないが、戦場に参加することを選んだのは彼ら自身だ。その判断にまで責任を負おうとするのは、傲慢というものである。特に上条あたりが聞けば、きっと同じことを数倍の怒りを込めて突き付けられていただろう。

 ならば自分がすべきは、各々の善性で神の右席に立ち向かってくれる者達への感謝と、神の右席を打破するための策を練ることである。

 

 

「それに、神の右席の連中も、別にコンビで動いているわけでもねえらしいぞ」

 

 

 運転しながら、浜面はそんな情報を付け加えた。

 浜面は片手でワゴンの存在しない天井を指さしながら、

 

 

「この屋根、実はあの緑の僧侶にやられたんだけどよ。あの時ヤツは一人で動いていた。どうも連中、同じ目的で来たのは間違いないらしいけど、それぞれの間で使命に対する温度感みてえなのが違うらしい」

 

「そうそう。ムキムキマッチョの方は戦闘を避けてる感じだったけど、緑の方はもうとりあえず全部ぶっ壊すって感じ? っつか、結局あいつらって何者な訳?」

 

「なるほど……そういう状況でしたか」

 

 

 シレンは頷いて、

 

 

「──二人が一度襲われた緑の僧侶は、左方のテッラ。『光の処刑』という、物体の優先順位を変更する……能力を使う、学園都市外部の能力者だと思っていただければ。また、その応用で小麦粉を刃物みたいに振り回せますわ」

 

「なるほど。道理でミサイル弾を直撃させても傷一つついてないわけね」

 

 

 フレンダは手をぽんと叩きながら納得する。

 

 

「ですが、戦場において厄介なのはもう一人の方ですわ。後方のアックア。『二重聖人』という稀有な体質を持つ彼は、生身で音速を超える挙動を取ることができます。……まぁ、超能力者(レベル5)みたいなものとお考え下さい」

 

「何よそれ……、じゃあ、こんな車なんて速攻で追いつけちゃうじゃない!」

 

「ええ。……わたくし達が今も彼に追い詰められていないのは、ひとえにこの街のヒーローや悪党達による攻撃がそれだけ彼らにとっても厄介だということでしょう。ですが……それにしたっていつまで続く拮抗かは分かりません」

 

 

 確かに彼らの尽力は尊いものだが、それだけで何とかできるほど神の右席というのは甘い戦力ではない。

 おそらく一〇分としないうちに殲滅されるか、あるいは振り切られる。そしてそうなれば、早晩シレン達は発見され、音速の挙動で追い詰められてしまうだろう。そうなれば、単なる無能力者(レベル0)の集まりでしかない今のシレン達ではどうしようもない。

 

 

(……垣根さんがあそこでダウンさせられてしまったのが、やっぱり痛いな……。クソ、あの時俺がもっとちゃんとしておけば……!)

 

 

 内心で悪態を吐きながらも、シレンは思考を切り替える。

 アックアとテッラの脅威は確かに大きいが、二人のコンビネーションが疎というのはシレン達にとっては吉報である。

 というか、そもそも左方のテッラは『正しい歴史』においては後方のアックアに殺害されている登場人物だ。『光の処刑』が実用化されているということは、時期的に考えてもテッラが『光の処刑』の調整の為に民間人を犠牲にしている情報はアックアに伝わっている可能性がある。そういう意味でも、二人の間に仲間意識のようなものがある可能性は極めて低いだろう。

 

 

(……やっぱり、やるなら分断と各個撃破。できれば、テッラさんの方からどうにかしたい。でも……どうやって!? 『光の処刑』だって『天罰術式』と同レベルの化け物だ。一瞬で倒せるような相手じゃない以上、どうやったってアックアさんの介入は避けられない……!)

 

 

 と。

 そこで、浜面が突然車を止めた。

 きょとんとするシレンをからかうように、助手席に座るフレンダは立ち上がって言う。

 

 

「結局、悩んでいるみたいね、シレン」

 

 

 左方のテッラと後方のアックア。

 一〇億の頂点に立つ四人のうちの二人という特記戦力を相手にしながら。

 

 

「でも、大丈夫。神の右席は苦も無く倒せるわ。──ヤツら自身の能力でね」

 

 

 それを感じさせない、不敵な笑みで。

 

 

 


 

 

 

 ──その、数分後。

 

 

 左方のテッラは、襲い掛かってきた少年少女を一通り撃退した後で一息吐いていた。

 

 状況は、テッラにとっては不愉快そのものと言っていい。

 そもそもアックアとは成り行きで行動を共にしているものの、テッラとは反りが合わない。協力などできないし、神の右席同士で攻撃力が()()()()()せいで、いちいち攻撃の余波に対しても対応する必要がある。

 その上、学園都市の兵力は様々な種類のものがひっきりなしに襲ってくる。『光の処刑』は調整不足のせいで一度に一つの対象しか扱うことができないから、こうした乱戦状況は得意ではないのだ。

 

 …………おそらくは、そうした相性不利も含めてこの街の王がどこかで手引きをしているのだろうが。

 

 

(鬱陶しい猿どもとはいえ、いちいち対処していては切りがありませんねー。全く、こういう事態の為にヴェントがいるというのに、いったい彼女はどこで何をしているのでしょうかー。利敵行為で粛清してもいいんですけどー)

 

 

 方針の転換。

 そちらについてテッラが思考を巡らせていた、ちょうどその時だった。

 

 

 一人の令嬢が、テッラの前に現れたのは。

 

 レイシア=ブラックガード。

 『神の右席』の抹殺対象の一人。

 その姿を認めた瞬間、テッラは瞬時に周辺の状況を確認する。彼の味方──一応──である後方のアックアは、南西一〇〇メートルの大通りで『ヒーロー』や『悪党』と戦闘中だ。元が民間人ということで手心を加えているせいで瞬殺できていないようだが、あの程度であればものの数秒で片がつくだろう。

 どうやらレイシアは情報にあった白黒鋸刃(ジャギドエッジ)以外の『何か』を扱うようだが──その不確定要素を踏まえても、テッラ側に分がある。

 その上で、テッラは言う。

 

 

「──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 

 こうすれば、レイシアは『大気』という透明な牢獄に囚われて指一本動けない。

 左方のテッラは慢心しない。くだらない異教の猿相手だとしても、いや、だからこそ、これ以上の苦戦は認められない。だから駄目押しをする。

 

 

 

「さあ、懺悔の時間ですよー、異教徒の少女。煉獄で己の罪を詫びなさい!!」

 

 

 レイシアの頭上から、白の断頭刃が振り下ろされる。殺傷力は低いが、それでも防御なしに頭部に受ければ命に関わる一撃だ。

 まさしく、必殺。

 その一手を前にして、レイシアは──

 

 

「『光の処刑』。案外、呆気ないものでしたわね?」

 

 

 すい、と。

 あっさり、あらゆる前提を無視するみたいに一歩後ろに下がることで、必殺を破綻させた。

 

 

「な、……ッ!? 術式は──正常に作動している!! これは、一体……!?」

 

 

 想定の範囲外の事態に一瞬茫然とするテッラを置いてきぼりにするように、レイシアはさらに後方へとバックステップで距離を取る。

 テッラは慌てて振り下ろしたギロチンを回収して迎撃しようとするも、

 

 

「この因果は捻転する!!」

 

 

 ボファッ!!!! と、フィンガースナップ一つでその『害意』は捻じ曲げられる。

 

 優先順位の変更。

 

 小麦粉による断頭刃(ギロチン)

 

 二つの手札を立て続けに無効化されたテッラは、まき散らされた小麦粉の霧の中で立ち尽くすしかなく────

 

 

「……無様であるな、テッラ」

 

 

 ズドン!! と両者の間に降り立った一人の男によって救われた。

 

 

「……流石に、返す言葉もありませんねー。彼女、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 飄々と返すテッラに、アックアが何かを言おうとしたのと同じタイミングで。

 小麦粉による霧の向こうで、レイシアが声を上げた。

 

 

「──後方のアックア。厄介な男が出ましたわね。……ですが、少々迂闊なのではなくて? そこは小麦粉まみれ。先ほども言いましたが……」

 

「粉塵爆発、であるか? 拙いブラフである。この屋外、風もある状況で粉塵爆発など起こせまい」

 

 

 しかし、アックアは落ち着き払ってレイシアに言い返す。

 流石にアックアも、ここまで来れば段々と状況が見えてくる。

 

 粉塵爆発を警戒して水による迎撃を行ったのは、先ほどの攻防で見せた。先ほどと同じ手を打ってきたということは、同じ対策を取ってほしいという意思の表れだろう。電撃か、あるいは別の何かか。ともかく、レイシアはアックアが『水』による防御をとることを期待した策を練ってきている。

 だが、そうと分かっていればこちらの打つ手は簡単だ。ただ小麦粉を回収してやればいい。失敗させられたとはいえテッラは別に術式を失ったわけではないので、そうしてしまえば邪魔な煙幕も消える。あとは詰将棋だ。いろいろと不可解なことは多いが、そのあたりは無力化した後でゆっくり尋問すればいい。

 

 横で、テッラが小麦粉を操ろうとした瞬間。

 

 

「……まぁ、分かってしまいますか。ええそうですわ。先ほどの発言は完全なるブラフ。粉塵爆発などおこせません。…………()()()()()()()

 

 

 神の右席は知らない。

 

 今回の彼女には、あらゆる爆発を操ることができるエキスパートがついていることを。

 

 

「改めて言います。…………粉塵爆発というのは、ご存知でして?」

 

 

 二人の男がそれに対して何か反応する間もなく、周囲は破滅的な爆発に巻き込まれた。

 

 

 


 

 

 

 その時。

 あらかじめ見繕っておいた物陰に隠れて爆発をやり過ごしていたシレンは、粉塵爆発に神の右席二人を巻き込むという決定的な戦果を前にしながら、静かに思考を巡らせていた。

 

 

(────フレンダさん)

 

 

 その思考が意味するものは。

 

 

(死んだら、恨むからなっっっっ!!!!)

 

 

 

 『まだ、何も終わっていない』。



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一三八話:白の処刑台にて

ちなみに大気を上位に、レイシア=ブラックガードを下位に設定していたとき、全く同時刻レイシアが完全なるとばっちりで身動きを封じられる事態が発生していましたが、面白すぎるので本編ではカットしています。


「うまくやったわね!」

 

 

 大爆発による爆風を、シレンが何とかやり過ごしていると。

 その爆風の中を平然とした調子でかいくぐってきたフレンダが、涼しい顔でシレンに声をかけた。

 

 シレンが『光の処刑』の影響を受けずに済んだトリックは、いたってシンプル。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 敵を拘束する際、アックアと共闘しているテッラは『大気』と『人体』を指定してしまうと仲間の身動きまで制限してしまうことになる。それを回避する為には対象の個人名を使ってしまえばいいのだが……ここで一つ認識の齟齬が発生する。

 シレンの中にレイシアの魂は存在していない為、今の彼女は一〇〇%『シレン=ブラックガード』なのである。この状況でレイシア=ブラックガードを対象に指定したところで、目の前にいるのはシレン=ブラックガードなのだから術式が通用する道理はない。

 

 ……一度きりしか通用しないトリックではあるが、それでも『必殺』を無効化し、一撃を入れる隙を生むことのできる一手だった。

 

 

「何をっ……言っているのです! ギリッギリですわよ! 都合よく爆風を回避できる場所がなければ死んでましたわ!!」

 

「はぁ? 計算してたに決まってるじゃない。私を誰だと思ってんの???」

 

 

 噛みつくように言い返したシレンだったが、フレンダはあっさりとした調子で答えるだけだった。……『正しい歴史』を小説の形で読んでいたシレンはイメージが薄いものの、あの暗部の大抗争に登場していた人物たちは誰もかれもが『暗部』と呼ばれる領域の中でも上澄み中の上澄みであり、常人離れした『異能』を持っている。

 普段は頼りなさMAXなフレンダも、ふとした拍子に信じられない技術を当たり前のような顔で披露するのだ。

 

 

「…………、」

 

 

 そこはかとなく微妙そうな表情を浮かべるシレンだったが、そこに拘泥していても仕方がない。気持ちを切り替えると、立ち上がって爆風が収まったあとの戦場の様子を伺う。

 

 

「……凄まじいですわね」

 

 

 粉塵爆発、という現象の被害を見誤っていたかもしれない。シレンは素直にそう戦慄した。

 二車線の車道はコンクリートがめくれ上がり、その下の砂地すらも焼け焦げている。両側に面しているホームセンターに至っては、爆発の影響で装飾類は焼け落ち、真っ黒に焦げている。

 率直に言って、今の一撃で大火災が発生していないのが奇跡というレベルの惨状だった。──いや、あるいはそれすらも、フレンダが制御したものなのかもしれないが。

 

 

「ま、でもこれだけモロに爆発を浴びせることができたなら、結局少しくらいダメージが、」

 

「……いいえ」

 

 

 フレンダの言う通り、通常の常識で考えれば消し炭すらも残っていないと考えるのが自然だ。

 だが、シレンには一寸の油断もなかった。だからこそ右手を構え、じっと目の前の相手を見据えていた。

 

 

「全く、自陣だというのに随分破壊に躊躇がありませんねー。ですが『爆発』そのものを対象にすれば、それに付随する衝撃波や火炎、瓦礫、酸欠その他諸々の影響全般も無効化できるんですよー?」

 

 

 左方のテッラは、傷どころか埃一つ浴びることなく、爆心地に当たり前のように佇んでいた。

 それだけでなく。

 

 

「──まさか先の失策も布石にするとは。流石に驚かされたのである」

 

 

 そのさらに向こう。

 爆風でへし折れた風力発電機の上に、後方のアックアは佇んでいた。

 

 

「…………!」

 

「安心しろ。私も流石に至近距離で爆発を浴びて無傷で居られるほど人間離れはしていないのである。単純に、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 その回答がむしろ何よりも絶望を煽ることを知っていて、アックアは事実を告げる。

 つまり、完全に虚を突いて至近距離で粉塵爆発を起こそうが、後方のアックアは殺せない──という不都合極まりない事実を。

 

 

「──風向は計算通りです、フレンダさん!!」

 

 

 その事実を前にして、シレンは不敵な笑みを崩さなかった。

 ボバババッ!! と、シレンの声を号令にするように、フレンダとアックアまでを繋ぐように空間そのものが爆発していく。──いや、そうではない。

 

 

「ハッハァ! 結局、粉塵爆発はそれによって大規模な空間全体の気流をこっちの制御下に置くための布石! 本命はこっち──学園都市特製の気体爆薬・イグニスって訳よ!!!!」

 

 

 流石のフレンダも、爆発そのものを制御することはできても気流の動きまで読むことはできない。

 だが、それについては気流操作の専門家がすぐ近くにいる。その知見を以てすれば、気体爆薬を操ることで狙った空間を起爆することは造作もない。

 まして、ド派手な攻撃を切り抜けた直後の油断した相手であれば────!!!!

 

 

 

「──テッラならともかく、私がこの程度で油断すると思っているのなら、それ自体が既に油断である」

 

 

 ──フレンダがそう思考したその瞬間には、後方のアックアは既に動いていた。

 その場の何者が動くよりも早く、アックアはシレンの横を通り過ぎてフレンダに肉薄し、

 

 

「……っ、舐めないでくださいまし!! 自信家な相方の尻拭いなら、こちらだって慣れているんですのよ!!」

 

 

 そしてパチン、というフィンガースナップによってぐりん、と一気に態勢を崩してフレンダのすぐ横を超音速で吹っ飛んでいった。

 見てみると、爆発の衝撃で吹き飛んだのだろう、化粧品らしいクリームがフレンダの足元に転がっていた。これを踏みつけてバランスを崩したと同時、体内の魔力の制御を失敗して吹っ飛んだ──理屈を説明するならば、これはそういうことになる。

 ただし、当然見る者が見ればそんな間に合わせの理論の奥底にある『別の異能』に気づくこともできる。

 

 

「……なるほど。その右手、『幻想殺し』の亜種のようなものですねー」

 

 

 白い小麦粉を刃の形に成形しなおしたテッラは、それを振るいながら言う。

 

 

「そしてその異能に頼っているということは──アナタの根幹たる『能力』の方は使用できない、と」

 

「……さて、なんのことやら」

 

「別に隠す必要はありませんよー? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 言われて、シレンは咄嗟に呼吸を忘れかけた。

 考えてみれば当然である。神の右席は、一人ではなく三人で学園都市に攻めてきた。一人でも天使の術式を携えているローマ正教の最終兵器が、三人まとめてやってくるということは──その構成員全員が、『自分一人では勝てない』と考えている証拠である。

 ならば、目下最大の標的に対して何の備えも用意していない訳がなかったのだ。まして、テッラは『正しい歴史』でも部下を使ってC文書の術式を駆使して世界中を騒乱に巻き込んだという実績がある。そうした形で、部下を使いレイシアの白黒鋸刃(ジャギドエッジ)対策を用意していた可能性は十分にあり得る展開だ。

 

 

「我々神の右席は原則的に人間用の術式を扱うことはできませんが、天使が人間に知恵を授けるように、我々のインスピレーションを与えること自体は可能ですからねー。信徒を正しき方向に導くのも我々の役目というわけです。……もっとも、無駄になってしまったようですがねー」

 

 

 成形した小麦粉を鎖鎌のように振るうテッラは、話しながらも攻撃に転じる様子を見せない。

 シレンの右手の能力に気づいたからこそ、迂闊に手が出せないのだ。

 だが一方で、迂闊に手を出せないのはシレンとフレンダも同じだった。絶好のタイミングで発動した粉塵爆発ですらも防がれた以上、ただ爆撃を行うだけではらちが明かない。それどころか、大きな音を伴う爆発はその瞬間、シレンの右手の音をかき消してしまうリスクがある。

 仮に爆発を無力化されたうえで同じタイミングで攻撃された場合、シレンはそれを失敗させることもできずに成す術もなく倒されてしまう可能性があるのだ。

 

 それを知ってか知らずか、テッラは楽しそうに笑いながら言う。

 

 

「右手の干渉を媒介にして、歴史を均している──なるほど、最後の審判に向けた辻褄合わせというわけですねー。しかしそれにしては、()()()()()()()()()()()()()()()()()……お気づきですかねー?」

 

「……? 何を……、」

 

「さて、何でしょうねー?」

 

 

 直後、シレンは自分の失策に気づく。

 

 

(しまった! 今のは……俺の意識を誘導するための話術だ!)

 

 

 証拠に、テッラは既に動いていた。

 鎖鎌のように振るわれる白の断頭刃(ギロチン)が爆発的に膨張する。それを攻撃と認めて指を弾き、奇想外し(リザルトツイスター)を使ったシレンだったが──白い膨張の動きは止まらない。それで、シレンもテッラの真の狙いを悟った。

 

 

(あの動き……違う!! アレは……俺たちを攻撃する動きじゃない!?)

 

 

 爆発的に膨張した白の断頭刃(ギロチン)は、刃というよりは手のような形をとる。まるで──対象を傷つけることなく捕らえるように。

 

 

「──優先する。人体を下位に、大気を上位に」

 

 

 逃げなくては。シレンがそう考えるよりも早く、死刑宣告にも似た言葉がシレンとフレンダの身体を戒める。

 傷つける意思がないのであれば攻撃ではないから、害意は必要ない。……もちろん、通常であればそんな理論は成り立たないだろう。『巨大な小麦粉の手で相手の動きを拘束しようとする』というのは立派な害意である。たとえそれは害意ではないと思い込もうとしたところで、常人に自分の意思をそこまでコントロールすることはできない。自分の好きに捻じ曲げられる本心など、その時点で『本心』ではないからだ。

 だが、異教徒を極端に蔑むテッラにとって、むしろシレンやフレンダは即座に殺害して当然。そのラインで初めて害意が発生するのであり、拘束程度などいかにも『生ぬるい』──害意すら必要ない行為という判断になる。

 

 

(……すぐさま殺す気がない『拘束』だからこそ、奇想外し(リザルトツイスター)の対象外になったってことか!? クソ……でもどっちにしたって、このまま捕まってたらタイムリミットでゲームオーバーだ!!)

 

 

 どうにか動けないか──とシレンは思案するが、優先された大気は人体では一ミリも動かすことができない。それどころか、呼吸すらもできない。まだ窒息はしないが、このままでは窒息してしまう──そこまで考えた時だった。

 突如、全身を戒める大気の檻が解除されたのは。

 

 

「──ッ、あああァァああああ!!!!」

 

 

 動けると分かった瞬間、シレンはフレンダと一緒にとにかく走る。

 飛び込むようにして焼け焦げたホームセンターの中に転がり込むと同時、彼女達の背後で巨大な小麦の掌が空を切った。

 とりあえずホームセンターの奥、カーテンやらの家具製品売り場へ移動したシレンは、そこでようやく一息つき……そして疑問に思う。

 

 

(……でも、なんでテッラさんは急に俺たちの拘束を解除したんだ? あのままなら確実に二人まとめて拘束できただろうし、俺はそれを失敗させられなかったのに……)

 

 

 そう考えながら横にいるフレンダの様子を見て──シレンはすべてに納得した。

 

 

「ぜはっ、はっ、はっ……! け、結局……! 死ぬかと思ったって訳よ……!!」

 

 

 横のフレンダは、凄まじく息が荒かった。

 無理もない。大気が人体に優越するということは、人体のあらゆる動きによって大気を動かすことができないということ。つまり呼吸によって大気を動かすということもできなくなるので、呼吸そのものができなくなることと同義である。

 シレンはたまたま息をひそめているタイミングで動けなくなったから良かったが、たとえば呼吸の途中で動けなくなってしまった場合、呼吸ができないパニックとか息苦しさで、一気に窒息までのタイムリミットは短くなる。そして、隣のフレンダは不幸にもそうなっていたわけだ。

 ……結果として、テッラは窒息によって自分が『生ぬるい』と思っていた方法で害が発生することに気づき、それによって『止めない害意』が発生するリスクを嫌って術式をいったん解除したのだろう。なんというか、非常に締まらない展開だが……一応九死に一生を得たといっていいかもしれない。

 

 

「……フレンダさん、ありがとうございます」

 

「……んぇ? 結局、何よいきなり。お礼なら生きて帰った後現金でたんまりもらうからね!」

 

 

 当の本人がそれに気づいていないのも、あまりにも締まらないが……。

 

 

「──優先する。小麦粉を上位に、家屋を下位に!!」

 

 

 一方で、左方のテッラは息つく暇も与えなかった。

 声を聞いたシレンとフレンダは、防御も考えずに飛び込んでいたホームセンターから駆け出していく。断頭刃(ギロチン)による情け容赦のない斬撃で崩れ落ちていくホームセンターから転がるように脱出したシレンとフレンダがそこで見たのは──

 先ほどの暴走から復帰して無傷で戻ってきているアックアと、断頭刃(ギロチン)を構え直しているテッラの姿だった。

 

 

(────)

 

 

 一見すれば、絶対絶命。

 だが、この状況は捉えようによってはチャンスにも映る。テッラもアックアも、これより確実にシレンとフレンダへトドメの攻撃を敢行する。そしてそれは確実に害意を孕む。ならばシレンは、それを失敗させてやればいい。それだけで、神の右席の必殺は彼ら自身にも牙を剥きうる脅威と化す。

 もちろん、テッラとアックアも一筋縄ではいかない強敵だ。それを理解したうえで何とか奇想外し(リザルトツイスター)の抜け穴を突いてくるだろう。

 

 

「この因果は、」

 

 

 右手を構え、指を弾こうとした瞬間。

 シレンは視界の端にある自らの右手を見て、ぎょっとした。何故ならその右手は──いつの間にか、小麦粉で覆われていたのだから。

 

 ──フィンガースナップの原理というのは、結局のところ指が手とぶつかるときの音である。親指と中指を強く抑えることで勢いを蓄積し、その勢いを使って中指を親指の付け根にぶつけることで、その時の衝突音を響かせているのだ。

 だが実践してみると分かるが、この時人差し指と中指の()()()が良すぎると、力を上手く溜めることができず、上手く音を響かせることができない。たとえば──手全体に小麦粉がびっしり付着していたりした場合は、特にだ。

 

 

(そうか……! 断頭刃(ギロチン)以外の形をとることもできるのであれば、どうにかして右手に付着させることも可能……! 異能を殺す右手じゃない以上触れても問題ないわけだし……。抜かった、警戒しておくべきだった……!!)

 

 

 つまり、フィンガースナップで音を出すことはできない。

 致命的な一瞬の隙が、発生する。

 

 その空隙に滑り込ませるように、二人の右席が動いた。

 

 

「──優先する。小麦粉を上位に、人体を下位に」

 

「悪く思うな。せめて苦しまないように終わらせてやるのである」

 

 

 その刹那。

 シレンとフレンダはせめてもの抵抗として、アックアとテッラから少しでも離れる為に背を向けて走り出していた。

 

 そして。

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一三八話:白の処刑台にて

Who_is_Gallows-Bird?

 

 

 


 

 

 

『でも、大丈夫。神の右席は苦も無く倒せるわ。──ヤツら自身の能力でね』

 

 

 戦闘の前。

 フレンダ=セイヴェルンは、自信満々にそう言い切った。

 この発言には、シレンも浜面も思わずきょとんとせざるを得なかった。ヤツら自身の能力で? 神の右席が? ──自滅を誘うということか? ……でも、どうやって?

 

 

『あの。一応言っておきますけど、わたくしの右手は相手の害意に基づく行動を失敗させることはできますし、相手の行動段階によって失敗にもある程度傾向はありますが、『失敗の仕方』を制御することまではできませんわよ?』

 

『んなこたぁ分かってるわよ。結局、別にアンタの右手でやる作戦じゃないわ。まぁ、そこに至るまでの攻防はアンタの右手がないとやってられないと思うけど』

 

 

 フレンダは心外そうに言って、

 

 

『小麦粉』

 

 

 ぽつり、と。

 地面に残る白い戦闘の痕へと視線を落とした。

 

 

『あの緑の僧侶が使ってるのって、妙な薬品とかじゃなくて、普通の小麦粉よね? 確かアンタと合流する前、攻撃するときは小麦粉を優先するとか言ってたよーな気がするし』

 

『? ……え、ええ。確かにその通りですわ。確か、単体では威力が低いから、人体に致命傷を与える為には人体よりも小麦粉を優先する必要があるという弱点もあったはずですが……、…………まさか』

 

『その、まさかよ』

 

 

 ピッと人差し指を立てて、フレンダは笑って見せる。

 

 

 

『緑の僧侶──テッラの野郎は、相手にトドメを刺すときには必ず『小麦粉を上位に、人体を下位に』設定する。なら、そのタイミングでこっちが小麦粉を使って攻撃してやれば? 結局、ルールは平等なんでしょ。なら、向こうは自分の能力で決定された優先順位に従って大ダメージを負うはずって訳よ』

 

『おいおいおいおい。待て、待てよ向こう見ず』

 

 

 ドヤ顔全開で言うフレンダだったが、それに待ったをかけたのは彼女の相棒の浜面だった。

 

 

『テメェの立てた作戦が一歩間違えばそのまま断頭台行きの命知らずのそれなのは別に良いよ。そんなもん今に始まった話でもねえし、俺の命が危険になるわけでもねえしな。だが、そもそもテメェの策にある小麦粉ってのはどこから調達すんだ? 俺たちはパン屋じゃねえんだぞ』

 

『は? 決まってんでしょ。アンタが調達してくるのよ』

 

『クソったれ!! 出たよお約束の丸投げだ!!!!』

 

 

 けろっと言い切ったフレンダに、浜面は速攻で頭を抱えた。

 だが現状、超能力者(レベル5)をも凌駕する後方のアックアや左方のテッラを無能力者(レベル0)で完封するためには、フレンダの策しかないように思われる。

 

 

『……分かりました。では、その作戦で行きましょう。浜面さん、よろしくお願いしますわね』

 

『結局、しくじったら承知しないからね、浜面』

 

『ちくしょう!! ヒエラルキーがいくらなんでも低すぎる!!!!』

 

 

 ──かくして、計画は始動したのだった。

 そして。

 

 

 


 

 

 

「Ha det Bra……ってか」

 

 

 白の濁流が、アックアとテッラを襲った。

 

 その正体は、総量五トンにも及ぶ真っ白な小麦粉の塊だ。だが、当然の摂理として、ただの無能力者(レベル0)である浜面仕上にそれだけの大量の小麦粉をコントロールすることはできない。

 ──そもそも、浜面仕上はどうやってそれだけの量の小麦粉を確保したのか。

 

 

「助かったぜ。ええと……」

 

「名乗るほどの者じゃありませんよう☆ 何せヒーローですからね! なーんちゃって!」

 

「……はぁ、何だってこんな正義露出マニアの手助けなんか……」

 

 

 紙袋バニーと、縁日のような着こなしの白衣少女。

 それだけじゃない。

 彼らの背後には、軽く一クラス分はいるであろうヒーローや悪党が集結していた。

 

 浜面仕上は、何も特別なことはしていない。そもそも、特別なことができるような才能など一切持ち合わせていない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その誠意はヒーローを、悪党を動かし、そして結果的に五トンにも及ぶ小麦粉の確保と、それを制御するための技術の確立に至った。

 

 なんの技術もないくせに。

 ただの人間として持ち合わせている当たり前の行動だけで盤面をひっくり返すピースをかき集めた、紛れもない一人のヒーローは、やりきった笑みを浮かべながら言う。

 

 

「ところでバニーのお姉さん。ちょっと俺と連絡先を交換してくれませんか?」

 

 

 

「……性癖露出マニアめ。どこかしら腐らせてあげようかしら」

 

「……うーん、お願いしちゃってもいいかもにゃー☆」

 

「やめてェェええええええええええええええ!?!?」

 

 

 


 

 

 

 その時、シレンとフレンダが一目散に走っていた理由はシンプル。

 莫大な小麦粉の奔流に巻き込まれないようにするためである。

 

 人体に優先する小麦粉の一撃を受けるのだ。テッラもアックアもただでは済まないだろうが、それはそれとして莫大な量の小麦粉というのはそれだけで凶器である。至近距離で浴びでもすれば、ただの少女に過ぎない二人はひとたまりもない。

 さらに、これでもテッラとアックアは殺しきれないだろう。流石にリタイヤはしてくれるとシレンとフレンダは信じているが、死ぬまではいかないとも思っていた。つまり、『光の処刑』が解除される確証がない。

 そして当然、仮に『光の処刑』が解除されなかった場合、人体に優先する小麦粉に押しつぶされれば、神の右席でないシレンとフレンダは一瞬でミンチである。

 

 

「ちょ……ちょっと!? なんか量多すぎないアレ!? 結局ほとんど津波みたいな勢いなんですけど!?」

 

「この因果は捻転するっ! この因果は捻転するっっ!! この因果は、ね……捻転してくださいましっっっ!!!!!! …………うわあああああああん指は弾けるようになってるのに全然失敗しませんわ害意とかじゃなくて単なる事故ですわこれええええええええええ!!!!」

 

 

 必死に走るシレンとフレンダだが、津波から走って逃げられないように、二人がいくら全力疾走しようと白い煙の波は徐々にその距離を詰めていく。

 このままではまずい、シレンが本気で危機を感じ始めたその時──

 

 

 ゴジュアッッッッッ!!!! と。

 

 

 白い津波は、青白い極光によって呆気なく消し飛ばされた。

 

 

「……チッ、なんだよこりゃ」

 

 

 純白の死の壁をあっさりと消し炭に変えてしまったその少女は、不機嫌そうに鼻を鳴らして、乗っていた車の助手席の窓から肘をかけるようにして身を乗り出し、こう言った。

 

 

「こんなつまんねえとこで死にそうになってんじゃないわよ、裏第四位(アナザーフォー)

 

 

 栗色の長髪を風になびかせた少女──原子崩し(メルトダウナー)・麦野沈利は、そう言って乗っていたワゴンの後部座席を指差す。

 

 

「乗れ。大ボスのところまでは送ってやるわ」

 

 

 


 

 

 

 ──シレンとフレンダが、麦野の乗るワゴンに乗り込んでその場を後にしてから、数分後。

 大量の小麦粉が積もった山から、一本の腕が突き出た。

 

 筋骨隆々な体つきであることが一目でわかるその右腕がひとたび振るわれると、たったそれだけで小麦粉の山が半分ほど吹き散らされる。

 

 

「……まさか、テッラの術式を逆用されるとは。流石に想定外だったのである」

 

 

 後方のアックアも、さすがに無傷とはいかなかった。

 人体に優先された小麦粉の大重量は、咄嗟に防御術式を展開したアックアでも完全に防ぎきることはできなかった。脇腹には血が滲んでいるし、頭からも血が流れている。幸いにも骨折は肋骨程度で済んでいるようだが、大ダメージであると言わざるを得ないだろう。

 それだけではない。

 

 

「…………いやはや、助かりました……よ。命拾い……しました、ねー」

 

 

 テッラについては、ほぼほぼ瀕死の状態だった。

 二重聖人として多少の肉体的防御力があり、さらに咄嗟に防御用の術式を展開することができたアックアと違い、テッラは小麦粉の断頭刃(ギロチン)を盾にした以外に大した防御はできなかった。『光の処刑』を応用した回復で何とか意識を繋ぎとめているが、並の術師だったら今頃気絶どころか即死していてもおかしくなかった。

 それにしたって、すぐさま行動を再開できるような状態ではない。──左方のテッラは、ここでリタイヤと言わざるを得ない。

 

 

「すみませんが、回復まで……時間がかかるようです。……私のことは……気にせず、先に行ってくださいねー」

 

「無理はしなくていいのである。今は休め」

 

「……クク、アナタに労われるとは、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 興味深そうに笑い──それきり、テッラは意識を失った。

 白い粉の山の中で眠る同僚に視線をやってから、アックアは前を向き直す。敗北はしたが、彼はまだ斃れていない。斃れていない以上──学園都市との戦いは終わっていない。

 

 

「……やはり戦力は集中するに限る。元より、私のような傭兵にはこういった動きのほうが性に合っているのであるな」

 

 

 そうして。

 

 三人の右席の最後の一人──後方のアックアが、本格的に始動する。



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おまけ:とある魔術の禁書目録、あるいは

 とある研究所にて。

 

 

「だああああっ!! クソ! 一体どうなっているっていうんだ!?」

 

 

 上条当麻の悲鳴は、豪雨の音のような銃声によって空しくかき消された。

 通路の角に飛び込むようにして横殴りの銃弾の雨を既の所でやり過ごした上条は、隣にいる同行者に向かって噛みつくように言う。

 

 

「聞いてないんだけど!? なんだって突然めちゃくちゃに銃撃されなきゃいけないんだよ!!」

 

「私だって知らないわよ! あーもう、足手纏いがいなけりゃまだもうちょっとは安全に切り抜けられたのに!!」

 

「何よぉ!? 私だって連中が心理掌握(メンタルアウト)の対策力を行使してなかったら余裕だったわぁ!!」

 

 

 上条と同じく物陰に飛び込むようにして隠れているのは、二人の超能力者(レベル5)。御坂美琴と、食蜂操祈である。

 何を隠そう三人はとある少女を救う為に事件に巻き込まれていたのだった。その少女というのが──

 

 

「…………心理穿孔(メンタルスティンガー)。まさか同系能力を『分配』して私への対抗力にしてくるとはねぇ。学生を操り人形にして能力だけ利用するとか、最悪な大人の見本すぎるわぁ……」

 

「当たり前なのかもしれないけどさ。頼みの綱の超能力者(レベル5)の戦力をここまで無効化されると大分キツイんだけど!!」

 

 

 ──蜜蟻愛愉。そもそもの発端は、彼女だった。

 上条当麻から認識されるようになった食蜂操祈が着手した新たなる計画、『暗部解体』。当然ながらそれは、学園都市の上層部にとっては目障りなものである。食蜂も警戒はしていたが、それでも彼女も完璧ではない。蜜蟻愛愉の暗躍によって拉致され、あわや『ファイブオーバー』の部品にされかけるというところまで追い詰められてしまった。

 そこを上条によって救われたのが、つい先ほどの話。

 しかし蜜蟻を倒し、食蜂を『ファイブオーバー』から救出していたところで、突如謎の集団によって倒れた蜜蟻が攫われてしまう。

 遅れて合流した美琴によると、今の今まで起きていた食蜂操祈にまつわる事件は、全て『とある黒幕』が自分の陰謀から注目を逸らしたいが為に起こしていた事件らしい。

 暗部解体の妨害を巡る大事件をも隠れ蓑に使う巨大な陰謀の正体。それは──学園都市の『王位簒奪』。

 

 

『……学園都市の王位とか、そんなくだらねえモンはどうだっていい』

 

 

 上条当麻はその時、そんな壮大な陰謀を一言で切って捨てた。

 その座を手に入れることができたならば、掛け値なしに世界の半分を支配できるというような巨大なチカラを前にして。

 

 

『蜜蟻は言っていた。「どうして。私の時は間に合わなかったのに」って』

 

 

 それは上条当麻にとっては、深い意味を持つ言葉だった。

 

 

『俺にはもう思い出せない過去の時間でだけど、アイツはきっと俺の助けを求めていた。俺は、アイツのことを助けてやらなきゃいけなかったんだ』

 

 

 明確な、失敗。

 しかもその上で、上条当麻はもはやそのことを思い出すことすらできない。実際に思い出すことすらできず、失敗した後の彼女をこんなにも長く放置してしまった。あんなにも闇に身を浸すくらいに。

 

 

『絶対に、救ってやる』

 

 

 だからもうこれは、確定事項なのだ。

 上条当麻は彼女を見捨てることはできない。決して。

 

 

『暗部だの王位だの、そんなくだらねえモンに足を引っ張られるのはもうたくさんだ。しみったれたクソジジイどもの惨めな幻想なんざ、この右手で残らずぶち殺してやる!!』

 

 

 ──そこまでを『再生』し終えた食蜂は、リモコンを鞄の中にしまって言う。

 

 

「弱音力もいいけれど、初心は忘れてないわよねぇ?」

 

「……当たり前だろ」

 

 

 初心を思い出させるという意味では、今の回想は無駄だったかもしれない。

 しかし上条のギアが、確実に切り替わっていく。立ち上がり、確かな意思を持って拳を握り締める。

 

 

「でも実際問題どうするのよ? あの兵隊達自体も心理穿孔(メンタルスティンガー)で操られた何の罪もない学生たちなんでしょ? しかも妙な駆動鎧(パワードスーツ)を着ているせいでろくに電撃も効かないし……」

 

「食蜂が見せてくれた『回想』で思い出したことがある」

 

 

 上条はそう言って、物陰を確認する。

 やはり銃弾の雨は継続していて、とてもではないが生身で突撃などできそうもない状況だ。

 しかし、上条の横顔に焦りはなかった。

 

 

心理掌握(メンタルアウト)もそうだが、お前らの扱う精神系能力っていうのは脳内の水分を操作することによって実現している。だから体内の水分バランスが極端に乱れた状態では能力が正しく作用しない」

 

「だから? まさかとは思うけど、この前のアンタみたいに失血死すれすれの大量出血を起こそうって訳じゃないでしょうね?」

 

「それこそまさかだろ。むしろ逆だよ」

 

「?」

 

心理掌握(メンタルアウト)は俺の右手で打ち消せる。つまり、精神系能力による洗脳っていうのはそれ自体は完結していない『かけ続けられている異能』ってことだ。…………なら、当然ジャミングだってできると思わないか?」

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

おまけ:とある魔術の禁書目録、あるいは

 

 

 


 

 

「……しかし、こうして見るとゾっとしねえ光景だな」

 

 

 その光景を、『ブロック』のリーダー・佐久辰彦は退屈そうに見ていた。

 彼の目の前には大きめのモニターがあり、そこでは簒奪した心理穿孔(メンタルスティンガー)によって操られた手駒の生徒達が侵入者をじりじりと追い詰めていた。

 

 

強能力(レベル3)程度じゃ普通ならこうはいかねえ。駆動鎧(パワードスーツ)とお前のスキルの合わせ技ってとこかね、山手」

 

「まあな。……蠢動とかいうマッドサイエンティスト、アイツはなかなかだ。いけ好かねえが、技術力はある」

 

 

 モニターの前には、一人の作業服の男がいた。

 山手と呼ばれた短髪の男は、複数のキーボードを目にもとまらぬ速さで打鍵し、十数人もの兵隊たちを有機的に操っていく。といっても、操っているのは兵隊たちそのものではなく、兵隊たちをリアルタイムでコントロールしている心理穿孔(メンタルスティンガー)の持ち主、囚われた蜜蟻だが。

 

 この場には、『ブロック』の他のメンバー……手塩や鉄網といった人員はいない。

 彼らが計画している『王位簒奪』の為の実働隊として蠢動に貸し出している──といえば聞こえはいいが、実際には体よく追い出した形である。

 

 

「ただ、手塩の野郎には見せられなかっただろうな。たぶんあの野郎、こんなモン見たら速攻で離反するし」

 

「そうなのか?」

 

「……佐久。アンタは人を引っ張る力があるが、人の心ってモンが分かってねえよ。そんなんじゃ今にアイツの逆鱗に触れて、土壇場で離反されちまうぜ?」

 

「なら、そのへんの手回しはお前に任せるぜ。お前がいるうちは、組織も上手く回る。そうだろ? 『ブロック』の軍師さんよ」

 

「けっ、調子のいいことばかり言いやがって」

 

 

 不敵に笑う佐久に、山手は苦笑しながらもキーボードを勢いよく叩く。

 それだけで、無数の兵隊は徐々に侵入者を機械的に追い詰めていく。超電磁砲(レールガン)心理掌握(メンタルアウト)も、幻想殺し(イマジンブレイカー)もこの兵隊たちを無力化することはできない。この街の『闇』の手管を前に、穢れを知らないヒーローたちは成す術もない──はずだった。

 

 直後。

 

 モニタの向こうで、突然大量の水が撒き散らされた。

 一瞬、原因不明の事象に思考が混乱する山手だったが、優れた彼の情報処理能力はすぐさま答えを導き出す。

 

 

「……スプリンクラーか! 水を大量に撒き散らして、何が目的だ……?」

 

「…………しまった!!」

 

 

 すぐに気づいたのは、佐久だった。

 

 

心理穿孔(メンタルスティンガー)心理掌握(メンタルアウト)と同じく、脳内の水分を操ることによって洗脳を実現しているっていうじゃねえか! なら、能力者と操作対象の間の空間の()()()()()()()()()()()()()()()()()()!? 能力の制御に……影響が出るんじゃねえか!? それこそ、心理掌握(メンタルアウト)による横槍が成立しちまうみてえに!!!!」

 

 

 水分に干渉することで発動する心理穿孔(メンタルスティンガー)ならではの弱点。

 研究所の防火設備を利用することで、侵入者はそこを突いてきたのだ。確かにこの方法なら、兵隊たちの制御そのものを潰すことができるだろう。

 しかし。

 それでもなお、山手の余裕は乱れなかった。

 

 

「考えすぎだ、佐久。確かに心理穿孔(メンタルスティンガー)は脳内の水分に干渉することで精神を操るが、それはミクロな世界の水分の話だ。水分バランスが乱れたっつったって、それはあくまで水滴レベルの話だろ? それなら問題はない。その程度でジャミングされるほど、この能力は甘くねえよ」

 

 

 言いながら、山手は徐々に兵隊たちを前進させていく。

 侵入者達も、どうやら自分達の策が無意味だったことを悟ったらしい。まず、ツンツン頭の少年が隠れていた通路の角から飛び出した。身を低くして銃撃から逃れようとしていたようだが、問題なく脳天を撃ち抜かれ一撃で死亡する。

 それを見ていた少女たちが激高し、二人して無策で飛び出していく。御坂美琴は構わず電撃を放とうとしたようだが、スプリンクラーが災いしたのか、自らの電撃が漏電して二人で感電する始末だった。

 当然、彼女達も迅速に脳天を撃ち抜くことで始末する。

 

 

「……よかったのか? 超能力者(レベル5)は生け捕りにして確保しておいてもよかったような気がするけどよ……」

 

「その慢心が命取りだ。それに、超電磁砲(レールガン)はもういくらでも科学再現が可能な能力者だし、心理掌握(メンタルアウト)についても、こちらの手元にいる心理穿孔(メンタルスティンガー)に全く同じ資金と設備を投じれば同じモノが作れるらしいじゃねえか。殺したって惜しくはねえよ」

 

 

 なんてことないように言う山手は、そのまま死体が映るモニタから視線を外す。

 ゴミみたいな死に様だった。

 劇的なことなど何もない。ただ当たり前の流れで、当たり前のように悪意にすり潰されるだけ。ヒーローだの、主人公だの、そんなものは関係ない。この街の闇は、そんなものが例外になるほど生易しい領域じゃない。半端な覚悟で踏み入れた時点で、どんな無様な死に方をしようと文句は言えないのだ。

 そう心中で吐き捨て、兵隊達を手元に戻そうとした段階で、山手は気付いた。

 

 

 ()()()()()()()()()()()

 

 

「な……ば……、バカな!? どういうことだ!? スプリンクラーは心理穿孔(メンタルスティンガー)のジャミング足りえない!! 兵隊達の操作が止るはず……ッ!!」

 

()()()()()()()()()()()()?』

 

 

 声が。

 モニタの向こう側から、声が聞こえてきた。

 

 それは、先ほど脳天を撃ち抜いて殺害したはずの少年の声だった。

 絶対に聞こえてきてはいけないはずの声だった。

 

 

「は………………?」

 

『おかしいとは思わなかったのか。こっちには精神系の専門家である食蜂がいるんだぞ。スプリンクラーで精神系能力をジャミングできるかどうかなんて、アイツが一番よく分かっているはずじゃないのか』

 

 

 モニタの向こう側の上条は、さらに言う。

 

 

『確かに、俺たちはお前たちが扱う心理穿孔(メンタルスティンガー)をジャミングしようとしていた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 モニタには、今も銃殺死体だけが映し出されている。

 それは、つまり。

 

 

『お前たち自体は、この場にいない。どこからか映像を受信して兵隊達を操作しているはずだ。そして強能力(レベル3)程度の心理穿孔(メンタルスティンガー)には、操作と同時にリアルタイムで対象の五感を受信できるほどのスペックはない。なら、お前たちが戦況を把握している映像情報を操作するだけでも、十分に()()穿()()()ジャミングできるだろ』

 

 

 山手達が使っていたモニタ映像そのものを、ハッキングされていたということ。

 さらに畳みかけるように、上条はこう続ける。

 

 

『ついでに言うと、ハッキングの過程でこの映像情報がどこに送られているかも掴んだ。……覚悟しろよ。つまんねえ真似ばっかりしやがって。これからテメェらのところに行って、その薄汚ねえ幻想を残らずぶち殺してやるからな』

 

 

 その一言を最後に、モニタの映像はあっさりと寸断された。

 ──御坂美琴。

 あの第三位がいれば、映像なんて簡単に改竄できる。ここまでやられて、山手と佐久はようやくその事実に気付いた。

 

 

「おい!! どうすんだよ山手!! このままだと、あの超能力者(レベル5)二人がここまでやってくるぞ!? しかも、こっちの手持ちの兵隊はもうねえ!! 人質作戦なしであの化け物にどう食らいつく!?」

 

「うるせえな!! 今考えてるところだよ!!」

 

 

 苛立たし気に両手をキーボードに叩きつけると、山手はすぐさま立ち上がった。

 

 

「……無理だ。ここで迎撃したところで勝ち目はねえ。一旦退こう。蠢動と合流して兵装の供給を受けるんだ。アイツだって超能力者(レベル5)との対峙は計算のうちのはず。何かクリティカルなモノを持ち合わせているかもしれねえ」

 

「た、確かに……。分かった。そうと決まればさっさと蠢動のところへ、」

 

「────あ~、テメェらお探しの蠢動ってのは、このシャチのことかね?」

 

 

 と。

 

 

 逃げ支度を始めた二人の背中に、一人の男の声がかけられた。

 瞬間、二人の身体が固まる。すぐさま振り向かなければならないのに、そうしないと生命の危機に関わると分かっているのに、身体が言うことを聞かない。

 それでも、二人は無理やりに体を動かす。ギチギチと、油の切れた機械のようにぎこちない動きで後ろを振り返ると──そこには一人の男がいた。

 

 男は、短く切りそろえた金髪を逆立てるような出で立ちをしていた。

 真っ黒い装束の上に、白衣。研究者のような記号を持ちながら、その男はまるで夜の街に屯するチンピラのような野蛮さを兼ね備えている。

 最も特徴的なのは、その顔面の右半分を刺青のように覆う、()()()()()だろうか。

 

 その男の姿を認めた佐久が、茫然と呟く。

 

 

「嘘、だろ……?」

 

「何が? この局面でテメェらの雇い主が生首だけになってご登場したことがか?」

 

 

 ぶらん、と、金髪の男は右手を持ちあげる。

 どろどろの血に塗れた男の右手には、巨大なシャチの生首が掴まれていた。

 しかし、佐久は茫然と首を振る。そんなことは、問題ではなかった。己の雇い主が殺されているという異常事態にも勝る絶対的な異常事態が、今まさに発生していた。

 

 

「それとも────木原数多がこの場に現れたことが、か?」

 

 

 木原数多。

 

 あの日、木原脳幹によって確実に抹殺されたはずの男が、何故かこの場に佇んでいた。

 

 

「ったくよぉ。つっまんねー計画ぶち上げやがって。心理穿孔(メンタルスティンガー)を利用した洗脳兵士? 同時多発的に学園都市で事件を起こすことで散発的に発生する『ヒーロー』や『ダークヒーロー』の注目を逸らしつつ、安全確実に学園都市の王位を簒奪する? 全くつっまんねぇ!!!!」

 

 

 数多はそう言うと、何かを歓迎するように両手を広げる。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!!!」

 

「テメェ、死んだはずじゃねえのかよ……!?!?」

 

 

 そこで、思考が再起動した山手が拳銃を取り出しながら数多に問いかける。

 直後、山手の上半身は空間ごと抉れるようにして消し飛んだ。

 血煙すら、上がらない。

 まるで世界から消滅したような、呆気ない死だった。

 

 

「ばッ、山手…………!?!?」

 

「っつーかよぉ、テメェら」

 

 

 木原数多は、その男と全く同じ姿をした未知の存在は、つまらなさそうに言う。

 

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 もう一人の寿命もまた、山手とそう変わりなかった。

 ある事件の黒幕をあっさりと片付け終えた数多は、両手を広げたまま、宣言するように言う。

 

 

「『正しい歴史』なら、事件はここで終わりだ」

 

 

 あるいは、世界全体に宣戦布告するような不敵さで。

 

 

「だが、終わらねえ。なぜならこの世界(ものがたり)は、ヒーローが弱者を救うなんてありきたりで素晴らしいものじゃねえからなァ!」

 

 

 かつて、レイシア=ブラックガードがそうだったように。來見田志連がそうであったように。

 御坂美琴が、木原那由他が、塗替斧令が、浜面仕上が、フレンダ=セイヴェルンが、操歯涼子が、垣根提督が、木原相似が、食蜂操祈がそうであったように。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 木原数多は、一つの真実を指摘する。

 

 

「惨めに失敗した敗北者が、挫折を経験した者が持つ、諦めずに立ち向かう意志を、もう一度這い上がる覚悟を祝福する物語だ!! そうして正しい良識に喧嘩を売ってでも、望む最高のハッピーエンドを掴み取る──クズ野郎どもの再起の世界だ!!!!」

 

 

 ならば。

 ──死という、極大の挫折を経てなお、こうして二本の足で立ち、世界を嗤うこの男の境遇は?

 

 

「言ったろ、脳幹、アレイスター。まだ終わりじゃねえ。何も終わってなんかいねえ」

 

 

 ──前提条件なんてものは、既に崩壊している。

 

 

「さあ、始めようぜ。最低最悪の『再起』をなァ!!」



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一三九話:激突

 ──正直なところ、ここが地獄かとシレンは思った。

 

 車内は意外にも広かった。三列シートのワゴンは大勢が乗っていても居心地よく乗車することができる。

 では何が地獄かと言えば──車内の空気に原因があった。

 運転席に浜面が乗り、三列目に絹旗と滝壺が既にスタンバイしている──即ち『アイテム』勢揃いで挟み撃ち状態なのは良い。シレンとしても、絹旗と滝壺に悪感情がある訳でもないし、苦手意識もない。

 問題は助手席に鎮座している麦野沈利様が先ほどからバックミラー越しにシレンのことをおガン見になられている点だった。

 

 

「あ、あのう……。危ないところをお助けいただき、まことに……」

 

「勘違いすんじゃねえ。こっちの主目的は勝手に組織から外れて行動していた馬鹿二人の確保よ。お前はそのついで。……なぁ、フレンダ、浜面」

 

「ヒィ!! こっちに来た!!」

 

 

 黙っていれば槍玉に上がるのはシレンじゃね? 的打算によって存在感を極限まで消そうとしていたフレンダだったが、当然ながらそんな浅はかな企みが実を結ぶはずもなく。

 顔面を真っ青にしながら慌てふためくフレンダと浜面に、ついついシレンは口をはさんでしまう。

 

 

「お二人は別に『アイテム』としてわたくしに手助けしてくださったわけではありません。わたくしの個人的なご友人として、要請に応じてくださったまでですわ。責められる謂れはないはず」

 

「『アイテム』の構成員がテメェと個人的に連絡を取り合ってるって事実が既にふざけているに決まってんだろうが」

 

「そ、そんな……」

 

 

 取り付く島もなかった。

 とはいえ、麦野がフレンダと浜面を粛清するつもりならこんな風にシレンを車に乗せたりはしないだろう。ついでに、先ほどは『大ボスのところまで連れていく』というような発言もしていた気がするし。

 

 

「…………まぁ別に、『アイテム』の作戦情報を勝手に漏洩しなけりゃオシオキ程度で勘弁してやるけどね。裏切ったらブチコロシだけど」

 

 

 さらりと血なまぐさい未来を提示しつつ、麦野は続ける。

 

 

「で、裏第四位(アナザーフォー)。アンタ能力が使えなくなってるって本当なの?」

 

「え゛っ」

 

 

 白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の封印。

 どう考えてもシレンのウィークポイントなのでできる限り隠していたい情報だったのだが、それを麦野という『戦闘していない暗部組織の人間』──言うなれば部外者が知っているというのはどういうことだろうか?

 

 

『──どうやら情報戦の結果のようだな』

 

 

 と、シレンが疑問に思ったタイミングで、苦渋を声に滲ませた馬場からの通信が入ってきた。

 

 

『当然、シレンの情報についてはこちらも相応の強度で秘匿している。だが、何者かがシレンが白黒鋸刃(ジャギドエッジ)を失っている事実を垂れ流しにしているらしい』

 

「…………アレイスターかしら?」

 

『まぁそうだろうな』

 

 

 一瞬で下手人が分かる始末だった。

 情報源と動機と拡散手法を考えれば、そこしかいないだろう。

 

 

「わたくしはそもそも最新の超能力者(レベル5)として『暗部』の研究者からは身柄を狙われている身。そこを『GMDW』と『メンバー』という二通りの組織力で無理やりカバーしようやく対抗できている……そういう現状ですわ。そこでわたくしという特大の武力に不調が出たとあれば、研究者達もわたくしを狙い始める。そういうことでして?」

 

『ああ、その通りだ。だが、これについてはあまり上手くいっていないらしい。「暗部」を焚きつけようにもこの神の右席騒ぎだ。先ほどのヒーローや悪党の活躍を見ても分かる通り、大概の戦闘要員はそっちに向かってしまっている』

 

 

 つまり、アレイスターとしてはアテが外れた形になる。まぁ、あの『人間』に限ってこの程度の計算違いは日常茶飯事なのだが。

 しかし、そうなると不明になるのが麦野沈利の行動理由だ。アレイスターがシレンの弱みを拡散したとして、それによってシレンにさしたるリスクが生まれないのであれば、麦野沈利がわざわざこうやってシレンを確保するメリットがない。

 

 

「……麦野さんは、どうしてわたくしを助けてくださったのです?」

 

「おい、さっきも言った通り私は、」

 

「ついでであっても、です。こんなことをしたって麦野さんにメリットがありませんもの。わたくし、さすがに麦野さんに自分が嫌われている自覚くらいはありますわ。まして、特段問題がない形とは言え部下と勝手に連絡を取っていたのも事実なのですし……」

 

「…………はぁ、マジで言ってんのかしら、お前」

 

 

 ……シレンとしては当然の疑問だったのだが、麦野から帰ってきた答えは呆れ一色に染まっていた。

 流石に今のはよくレイシアちゃんに言われるお花畑とかそういうのじゃないよな? とシレンは内心で首を傾げるが、麦野からの回答は当然ながら殺伐としたものだった。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「あ、ハイ。そうですわね」

 

 

 つまり、『レイシア=ブラックガードから白黒鋸刃(ジャギドエッジ)が失われたのが許せない』という、実に超能力者(レベル5)らしい理由である。

 

 

「いいか。私はまだアンタらの方が上だと認めたわけじゃないわ。そんな状態で片方の人格が消えたので能力もなくなりました、はいもうリベンジは不可能ですなんて理屈は通らねェのよ。分かるかしら?」

 

「諸々の意図についてはご勘弁願いたいですが、ご協力には素直に感謝しますわ」

 

「…………チッ。そういうわけで、こっちも『アイテム』の情報網を使ってアレイスターの野郎の居所を探ってみたわ。その結果……第一五学区の天体水球(セレストアクアリウム)に向かっているって情報を掴んだのよ」

 

「……天体水球(セレストアクアリウム)? どうしてまた……」

 

 

 シレンも、その施設名は耳に覚えがある。

 『正しい歴史』にて登場していた──というのもあるが、それを除いてもデートスポットとして有名な場所だ。確か、総ガラス張りの水族館という触れ込みだったはず。この前レイシアに強制的にデートスポット探しに付き合わされた際にも確認したので、記憶に新しい。

 とはいえ、これから悪の親玉が襲撃を仕掛けるにはふさわしくないようにも感じるが……。

 

 

「お前の相方、アレイスターとデートにでも行くのかしらね」

 

「──()()()()

 

「おい、ちょっとした冗談でしょ。前後の協力関係とか完全に無視して突然マジギレしてんじゃないわよ」

 

 

 秒でこめかみに青筋を立ててキレるシレンに、麦野は若干ヒきながら答える。この種の地雷は刺激してもあまり楽しいことにならない。麦野は早々に話題を変えることにした。

 

 

「しかし、情報によると別で妙な能力が右手に宿っているらしいじゃない」

 

「…………もうそこまで知っていますの?」

 

『……かなり仔細にばら撒かれているな。アレイスターのヤツ、よほどその右手のことを警戒しているらしい。今が非常事態じゃなければその右手狙いの研究者が現れそうなレベルだぞ』

 

「……情報アドバンテージはないものと考えた方がよさそうですわね……」

 

 

 アックアやテッラを倒した──とシレンは思っている──以上、早晩この街の『暗部』も調子を取り戻してくるだろう。

 早ければあと一〇分としないうちに襲撃が始まるかもしれない。そうなれば、タイムリミットまでにアレイスターからレイシアを奪還することすら難しくなってくる。 となると、今が最大のチャンスなのかもしれない。

 アレイスターの狙いは分からないが、天体水球(セレストアクアリウム)という明確な居場所が分かっているこのタイミングを逃せば、アレイスターは雲隠れしてしまうかもしれない。そうなる前に、決着をつけるのだ。

 ……きっと、麦野もそう考えているのだろう。

 

 

「とはいえ、別に私はお前の味方じゃねェ。だからお膳立てはそこまでだ。そこまで誂えてもらっておきながらしくじるようなら、その程度の雑魚だったと判断するわ」

 

「十分でしてよ」

 

 

 突き放す麦野だったが、シレンはそこに宿る麦野の最大限の譲歩と善意を感じていた。

 絶対に、不倶戴天の敵のはずなのだ。リベンジだのと色々理由を並べ立てても、自分が許せる最大限の手助けをしようと考えた部分には、屈折はしていても善意が含まれている。麦野沈利は、そういうものを持てる下地があるはずだ。

 そう考えるだけで、すっかりシレンは麦野に心を許していた。

 

 その様子を見て、三列目の絹旗は呆れたように呟く。

 

 

「なんというか、超敵に回したくもないですけど味方にも超したくないですね……。なんだか勝手に善意でこちらの行動理由を超舗装されて、その気にされそうな勢いを感じます。我々の天敵というか……」

 

「うーん、電波が不安定です…………」

 

「…………滝壺さんはそうでもないようですが」

 

 

 ともあれ、目的地は明白である。

 神の右席襲撃の影響で車道はがら空き。ワゴンはスムーズに進み──やがて、高層ビルを視界に収めるに至る。

 

 ワゴンを路肩に停めた浜面は少し楽しそうに笑って、

 

 

「へっ、さっすがデートスポット。路駐がしやすいぜ」

 

「とにかく急ぎましょう。アレイスターに姿をくらまされないうちに!」

 

 

 そう言って、シレンがワゴンから降りた直後だった。

 

 ズドンッッッ!!!! と、彼女の目の前に一人の人間が着地したのは。

 

 

「…………ッッ!?!?」

 

 

 息を呑んだのは、人間が降り立ったからではない。

 その男が筋骨隆々の威圧感に溢れた外見をしていたからではない。

 

 

 彼が、後方のアックアだったからだ。

 

 

「ッ、この因果は──」

 

「まずはその右手からである」

 

 

 ゴポポ!!!! と、シレンが指を弾くよりも早く、彼女の右手に水塊が纏わりつく。それだけじゃない。水圧による縛りで、指一本動かせなくさせられてしまう。音など一デシベルも立てられないように。

 

 

 直後にシレンがその意識を断絶させられなかったのは、彼女とアックアの間に絶滅の光芒が叩き込まれたからだ。

 

 

「チッ。早速無能になりやがって。いいわ。とっとと行きなさい。コイツは私らで引き受けておいてやるわよ」

 

「させると、思っているのであるか?」

 

「できると、思ってんのか?」

 

 

 ゴンッッッ!!!! と、ワゴンが軽く五メートルは投げ出される。

 一瞬前にワゴンから脱出していたフレンダと浜面、投げ出された後のタイミングでワゴンの屋根を抉り飛ばして脱出した絹旗と滝壺を尻目に、シレンは天体水球(セレストアクアリウム)へと駆けていく。

 

 それを横目で見送った麦野は、忌々しそうに舌打ちした。

 

 

「結局足止めかよ。……ま、学園都市の『外』で生まれた超能力開発、その『最強』ってのがどんなモンかは、私も気になるトコだけどね」

 

「……見たところ、全員戦闘者か。これなら、私も気兼ねなく戦えそうである」

 

 

 右手に氷でできた巨大な棍棒を掴んだアックアに対し、麦野は極めて原始的な笑みを浮かべる。

 

 そして、強者の衝突が発生した。

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一三九話:激突

Primary-"K".

 

 

 


 

 

 

 ──同時刻。

 天体水球(セレストアクアリウム)の最奥にて、一つの決着が訪れようとしていた。

 

 一方は、この街の王──アレイスター=クロウリー。

 

 そしてもう一方は──

 

 ──木原数多。

 

 

「はっ…………! はっ……!」

 

「チッ。なんだよなんだ、つまんねぇなぁ。こんなあっさりでいいのかよ? もうちょい手ごわいモンじゃねえのか? アレイスター=クロウリーってのは」

 

 

 アレイスター=クロウリーは、既に片膝を突くような劣勢に陥っていた。

 傍らに、白黒のナイトドレス姿のレイシアはいない。どういう経緯を経てか、二人は別行動となっているようだった。

 

 

「またぞろなんか悪巧みしてんだろ。わざわざ召喚してたっつーレイシア=ブラックガードの野郎がいねぇのはそのせいか? だが、それでこんな無様を晒しちまってんじゃ意味ねぇよなあ」

 

「…………木原、数多…………()()()()()。……お前……」

 

 

 楽しそうに言う数多に対し、アレイスターは息も絶え絶えになりながら宣言する。

 対する数多は──かつてそう呼ばれた男と同じ見た目をした存在は、興醒めしたように顔を顰め、

 

 

「まるで俺が騙したみてぇな言い方やめてくれねぇかなぁ。こんなもんは定義論の問題だ。ある面じゃ俺は木原数多と地続きの存在だが、ある面じゃあそうじゃねえ。何せ肉体の死っていう特大のイベントが発生してんだ。そのくらいのイレギュラーがあったって良いだろ。あ?」

 

「違う」

 

 

 煙に巻くような男のセリフに対し、アレイスターはばっさりと言い切る。

 まるで、答えが分かっているかのような言いっぷりだった。

 

 

「木原数多は、死んだ。私の指示で、脳幹が殺した。これは確定した事実だ。死人は生き返らない。もしも生き返ったように見えるなら、それはそれらしい形で偽装されたまやかしに過ぎない」

 

 

 であるならば、今アレイスター=クロウリーを圧倒しているこの男は、いったい何者なのか?

 その答えについても、アレイスターは至っていた。

 

 

「木原数多は『継承』を司っている。木原唯一の戦闘術を継承したように。あるいは、一方通行(アクセラレータ)に学習を継承したように。本来、木原数多は『誰かに学び、誰かに教える』というパラメータが群を抜いている男だった。だから、暗部組織のリーダーに起用していたのだからな」

 

「…………、」

 

 

 木原数多の顔をした男は、まるで赤の他人の話を聞くように興味なさげな表情でアレイスターの言葉を待っていた。

 

 

 

「私によって科学と魔術の二つに切り分けられた世界においては起きていなかったが──それは魔術の分野においても言える。……そして、魔術において知識の継承を行う術者──魔道書を記述する者を、魔導師と呼ぶわけだが」

 

 

 原型制御(アーキタイプコントローラ)という無粋がなければ木原数多が到達しえた境地とは。

 そして──実際にこの歴史において、木原数多が最期の最後に到達した領域とは。

 

 

 

「ご名答。そうだ。木原数多には、魔導師の才能があった。そしてほんの一日程度ではあったが、ヤツはそれを覚醒させることができた。お誂え向きに、原典・オリアナ=トムソンっていう最高のモデルケースもあったわけだしなぁ……」

 

 

 極彩色の焔を顔の右半分で躍らせた男は、感慨深げに言う。

 

 

「もっとも、ヤツも狙ってやったわけじゃねえんだぜ? 仮組はしてあったが、自立稼働まで持っていくには知識が足りなかった。俺が動き出せたのは、テメェだ。脳幹を通じて魔力を使い術式を行使した影響で、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 つまり。

 今アレイスターを追い詰めている、この男の正体とは。

 

 

「『木原の書(プライマリー=K)』。そう呼んでくれや、アレイスター=クロウリー?」

 

 

 

 ……()()()()()()



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一四〇話:水心の枷

 『木原の書(プライマリー=K)』。

 木原数多から生み出された、全く新しい魔導書の『原典』。その異常性は凄まじいが、それ以前に、この場において最も重要な問題が一つある。

 それは。

 

 

「……んで。マジでテメェ、これでネタ切れなわけ?」

 

 

 木原の書(プライマリー=K)の前で片膝を突く、アレイスター=クロウリー。

 最悪にして無敵、陰謀の最奥にて蠢く黒幕を前に、木原の書(プライマリー=K)は勝ち誇っている。

 

 

「………………、」

 

 

 アレイスターは、何も答えない。

 右手を四原色の渦に変換させた木原の書(プライマリー=K)は、そのまま四原色の渦を水彩絵具を混ぜるように溶かし込み新たなる攻撃を構成していく。

 

 

「何もねえなら、これで終わりだ。じゃあな、黒幕未満」

 

 

 王手。

 

 意外なほどにあっさりと、木原の書(プライマリー=K)は最後の一手を打つ。あの『人間』を、一瞬にして絶命せんとするような一撃を。

 

 そこで。

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一四〇話:水心の枷

Kindness_Begets_Kindness.

 

 

 


 

 

 

「──この因果は捻転する!」

 

 

 ボチャ!!!! と派手な水音があたりに響く。

 木原の書(プライマリー=K)の右手が変じた漆黒の長大な斧は、まるで吐息で吹き消された蝋燭の火のようにブレ、四原色の光の渦に変換された。

 

 

 『失敗』。

 

 

 木原の書(プライマリー=K)のアレイスターに対する『害意』に基づいた攻撃が、『失敗』させられたのだ。

 

 

「ン、だァ──!?」

 

 

 目を剝いたのは、今まさに王手をかけていた木原の書(プライマリー=K)である。

 思わず左手で右肩を抑える木原の書(プライマリー=K)に、アレイスターは余裕を取り戻しながら言う。

 

 

「ああ、言い忘れていたな。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 『失敗』は、それに留まらない。

 四原色の光と化した右手は攻撃が『失敗』したにも関わらず、元の形にさえ戻らない。それどころか、右手が変化した四原色の渦は徐々に浸食していくようにその範囲を広げていく。

 

 

「クソ、が──!! テメェ、()()()()()()()をも検知していやがるのか……!?」

 

「アナタは……木原、数多さん? 何故……、脱獄したというのですの?」

 

「チィッ!!」

 

 

 ゴキィ!!!! と木原の書(プライマリー=K)が右腕を肘のあたりで切断すると、四原色の渦は切り離した右手を飲み込み消滅してしまう。

 木原の書(プライマリー=K)はその末路を忌々し気に睨みつけ、

 

 

「……ケッ、その右手、『再起』を否定するかよ。皮肉なもんだな」

 

 

 そう言い残し、四原色の竜巻に飲み込まれた。

 驚いたのはその場に現れた、右手を水の枷で戒められた金髪緑眼の令嬢──シレンの方だ。とりあえずアレイスターがいると聞いて天体水球(セレストアクアリウム)に入ったはいいものの、いざ乗り込んでみたらその奥に到達する前にアレイスターがいて、しかも木原数多相手に劣勢になっているのだ。

 助けに入ったら木原数多は勝手に右手を切り落とすし、明らかに魔術サイドめいた挙動で消滅するし、いい加減何が何だか分からない。

 

 

「……そもそも、何故レイシアちゃんがアナタの傍にいないんですの?」

 

 

 ただ、そうした異常を全て振り払って、真っ先にシレンの口を突いて出たのはその疑問だった。

 あるいは、自分の暴走などよりもそちらの方がよほど重要とでも言わんばかりに、シレンは片膝を突いたアレイスターに詰め寄る。

 それに対しアレイスターが何か言う前に、シレンは前提を開示するように言う。

 

 

「わたくしにとって、レイシアちゃんとの合流こそが至上命題。それを阻害されることは、下手に負傷するよりもわたくしの存在を毀損致しますわ」

 

 

 つまり、レイシアと自分を離されることこそ自分にとって最も痛手になるという提示。

 自らの弱みを開示するのは、ある面から言えば愚かともいえるが──正直シレンの弱みなどアレイスターにとっては先刻承知の上だし、それに()()()()()()()ことが奇想外し(リザルトツイスター)の発動条件に関わってくることは先ほど相似によって示された。

 こうやって先手を打って『こうされれば自分は困ります』というのを相手に認識させれば、そこであえてその行動をすることは『シレンを困らせてやろう』という意識をどうしても帯びてしまう、というわけだ。

 

 

「……それで私の害意をコントロールできると? 考えたようだがまだまだ青いな。いざとなれば私は害意など関係なく保身に走れる人間だぞ」

 

「…………く」

 

 

 はたから聞けばあまりにも情けない物言いだが、シレンからしてみれば牽制が無駄に終わったということである。

 流石に、悪意を司る『木原』の手管にはまだまだシレンは及ばない。そもそも相手の害意の認識に干渉するということは、そこまで簡単な話ではないのだし。

 

 

「それより……厄介な枷をつけられたな」

 

 

 そこで、アレイスターはシレンの右手に視線を移す。先ほどアックアによって取り付けられた水の塊である。アックアから離れれば外れるかとも期待していたシレンだったが、流石に能力と違ってそんなに甘いことはないようだ。

 あるいは、単純に能力としても超能力者(レベル5)級を超えているであろうアックアの射程範囲は数百メートルなんてレベルでは収まらないということなのかもしれないが。

 

 

「……アナタには関係ないでしょう」

 

「いや。関係はある。……詳細は説明できないが、私は例の彼──『木原の書(プライマリー=K)』と相性がすこぶる悪くてな。だが、君の右手はどういうわけか、彼の存在の根幹に直接ダメージを与えられるようだ。可能ならばぶつけておきたい。その為に、右手の威力を落とす要因は可能な限り削ぐべきだ」

 

「もはや外道の陰謀を包み隠そうともしませんわねコイツ……」

 

 

 ここまでストレートに言われてしまうとむしろ感心できる領域である。

 しかしシレンとしても、利害がはっきりしていることで却ってアレイスターのうさん臭さが軽減しているように感じた。狙いが明確ならば、それがこちらの不利になることもあるまい。

 味方としてではなく、敵の敵として信頼に値すると判断したシレンは、とりあえずアレイスターの話を聞く態勢に入る。

 ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「だが、メインはイギリスにルーツを持つケルト十字系を介したカバラだ。この程度の術式であれば解呪は容易。──解いてやろうか?」

 

「…………まぁ、アナタの狙いは聞きましたしね。いいでしょう。お願いしてもよろしくて? ……ただし、アナタが解呪するタイミングでわたくしは奇想外し(リザルトツイスター)を使いますわ。それでもよいのでしたら」

 

「ああ、構わない。先ほども言った通り、君にはもう少し盤面を荒らしてもらわないとこちらとしても目的の達成ができないからな」

 

 

 シレンも揺さぶりをかけてみるものの、アレイスターはこれにも動じず。仕方がなく、シレンは右手を構え、すぐにでも壁にぶつけられるような態勢をとる。

 それに対し、アレイスターが右手を翳し──

 

 ──ドチャ!! と、再びシレンが水ごと自分の掌を壁に叩きつける。

 フィンガースナップと比べて隙は多いが、タイミングさえ分かっていればこれでも奇想外し(リザルトツイスター)を合わせることは可能だ。

 そしてこのタイミングで、アレイスターの解除魔術も発動し、約束通り右手を戒めていた水の枷は魔術の力を失い、重力に従って床に落下する。

 

 

 その、直後だった。

 

 ──ドシュルルルル!!!! と。

 シレンの口元に、解いたはずの水が入り込む。

 

 

「な、ガボッ!?」

 

 

 驚愕したのはシレンの方だ。奇想外し(リザルトツイスター)の発動の直後。『害意』に基づく行動は必ず失敗するはず。今まで例外は一度もなかったのに──。

 

 

「──ああ、すまない。驚かせてしまったらしいな。一瞬呼吸が苦しくなる仕様を忘れていた。これは失敗だな」

 

 

 が、困惑しているうちに水は一瞬でシレンの身体に染み込むように消え失せてしまった。

 後に残ったのは──シレンの喉元から胸元にかけて、まるで絞首痕のように浮かび上がる蜷局(とぐろ)を巻いた蛇の紋様。

 

 

「……はっ、はっ、アレイ、スター……!! これは、何のつもりですの……!?」

 

「即座に害を及ぼすようなものではないよ。先ほども言っただろう? 私は、君の右手で木原数多を倒してもらいたい。その為に水の枷を解除したわけだが、悲しいことに私と君は今は敵対している。馬鹿正直に君が私の望み通りに動いてくれるとは限らない。だからそれは、その為の保険だ」

 

 

 即ち、呪いのようなものか。シレンは納得できないながらも状況を理解し、アレイスターの言葉の続きを待つ。

 

 

「それは、憑依召喚の一種だな。人工精霊──ある種の命令を込めた魔力の塊を君の中に()()()()。ひとまず最優先目標を変更させる程度。つまり、『君の意思に関係なく木原の書(プライマリー=K)の撃滅を最優先せざるを得なくなる』。その程度の強制力しか与えられないよ」

 

 

 得意そうに言うアレイスターに対し、シレンは内心歯嚙みしていた。

 この『人間』が、ただでシレンの為になる行動をとるはずなどないのだ。十分に警戒はしていたつもりだったが、それでも足りなかった。

 それなのに、目下最大の目標を前にして、一刻も早くレイシアとの合流や臨神契約(ニアデスプロミス)の暴走停止に向かわなければいけないのに余計な寄り道をする羽目になってしまった。

 そんな様子を見て、アレイスターはさらに続ける。

 

 

「……ちなみに。レイシアだが、見ての通りここにはいない。だが安心してくれ。彼女は無事だし、自分の意思で自由に移動しているよ。場所は──窓のないビル。君が木原の書(プライマリー=K)を無力化できたなら、その時はまた会おう」

 

 

 ぶん、と。

 それだけ言い残して、アレイスターはまるでテレビの映像がブレるようにその姿を虚空に溶かしてしまう。

 後に残ったのは、新たな枷を残されたシレンのみである。

 

 しかも、シレンにはある大きな問題があった。

 

 

「…………肝心の、数多さんの居場所が、全く分かりませんわ…………!!」

 

 

 アレイスターは、木原の書(プライマリー=K)の居場所を全く伝えていなかった。

 というより、アレイスター自身も居場所が分かっていなかったという方が適切だろう。これではアレイスターの居場所を知っていたとしても意味がない。

 

 

「くっ、本当に厄介な呪いを……!」

 

 

 喉元を抑えながら毒づくシレン。

 ともかく、ここで立ち止まっていても仕方がない。今後の方針について判断を仰ぐためにも、とりあえず馬場に連絡をしようと通信端末を取り出しかけたところで──

 

 

「あ、レイシア!? ……いや、今はシレン、か?」

 

 

 ──聞き覚えのある声が、シレンの耳に飛び込んできた。

 

 声の方を見ると、そこには三人の少年少女がいた。

 ツンツン頭の少年、上条当麻。

 そして、シレンと同じく常盤台に所属する超能力者(レベル5)、御坂美琴と食蜂操祈。

 その姿を認めたシレンは、一秒も迷わなかった。

 

 

「当麻さん! これちょっと消してくださいませんこと!?」

 

 

 言いながら、シレンは冬服の胸元にグイと指を引っ掛けて押し広げ、首元の呪いの紋様をよく見えるように示す。

 ……が、待ったが入るのにコンマ数秒もかからなかった。

 

 

「ちょっと待て待て待て待て待て待てどうした突然!!!!」

 

「何よぉシレンさんなんでしょぉアナタちょっと見ない間にどうしてそんな色情狂力を上げちゃってるのぉ!?!?」

 

 

 思春期の少女からしてみれば、一連の行動はどこからどう見ても自分の胸元をさらけ出そうとする痴女そのものである。

 女子中学生二人に抑え込まれたシレンは、自らの言動が傍から見たらどう見えたかを遅れて自覚して少し頬を赤らめつつ、

 

 

「ちっ……違いますわ!! 恥ずかしい意味ではございません! そうではなくてほら、これ! 首元!」

 

「あん? ……って、何よこれ」

 

 

 ようやく異常を認められて拘束を解かれたシレンは、一呼吸置きながら三人に向き直って言う。

 

 

「…………実はさきほど、アレイスターに──この街の統括理事長に、『呪い』をかけられてしまいまして」

 

「は? ……呪い? 統括理事長って……この学園都市の、『科学サイド』のトップにか???」

 

 

 周回遅れの部分で引っかかる上条だったが、これは無理もない話である。

 アレイスター=クロウリーが魔術師であることを疑問なく受け入れられる人間など、魔術サイドの人間を除けばシレンやレイシアなどあらゆる事情を知る人間か、さもなければアレイスター=クロウリーという魔術師が存在していたことを知っている人間のみだ。

 

 

「ええ。アレイスター=クロウリーといえば、魔術サイドなら誰もが知っている有名人ですものね。その伝説の魔術師本人が、この科学の街を作っていたということです。すぐには吞み込めないかもしれませんが……」

 

「はー……そうなんだ。びっくりしたよ」

 

「驚いたは驚いたんでしょうけど、リアクションが軽いですわね!?」

 

 

 あるいは、なまじ純粋な科学サイドの常識を持つ上条だからこそこの程度のリアクションで済んだのかもしれない。

 これがステイルや神裂ならば、その存在の重さを知っているからこそ驚愕の度合いもすさまじかっただろう。

 

 

「……で。今朝もお話しましたが、わたくしは臨神契約(ニアデスプロミス)の暴走とレイシアちゃんの失踪を解決するために行動しています。しかし……アレイスターにかけられたこの呪いは、そうした優先順位を強制的に書き換えるものでして……率直に言って、非常に困った事態です」

 

「事態は刻一刻を争うわけだもんな……それで、その呪いを消してほしいってことか?」

 

「はい! まぁ魔術であれば、当麻さんの右手で触れば一発だと思いますし。だから、ちょっと触っていただきたくて」

 

 

 言いながら、シレンは改めて首元を指差す。

 

 

「それなら問題ないぜ。どういう思惑でかけられたものか分からないけど、呪いなら簡単に消せるだろ」

 

 

 それに対し、上条も大して気負うことなく右手を首筋に添える。

 触れられたのがくすぐったいのか、シレンはぴくりと身を震わせてそれを受け入れた。

 

 しかし。

 

 

「…………あれ?」

 

 

 触れた部分はうっすらと紋様が薄くなるものの、上条が手を離すとすぐに濃さが戻ってしまう。まるで異能の『核』がどこかにあって、それが紋様を常に生み出し続けているかのようだった。

 つまり、幻想殺し(イマジンブレイカー)では根本的な解決にはならない。

 それが半ば分かりかけていたが、それでもシレンは諦めきれなかった。何せ、今から木原の書(プライマリー=K)を見つけ出して撃退するのはあまりにも時間がかかりすぎる。どうせならここで乗り切る方法を探した方が最終的には時間の短縮になるのではないかというレベルで。そしてその差は、シレンの望むハッピーエンドを掴むうえで決して無視できない時間になる。

 

 だからシレンは顔を少し蒼褪めさせて、縋るように言う。

 

 

「ちょ、ちょっと、胸元をはだけますのでお待ちくださいますか。あの、首元に出ている部分だけじゃなくて、胸元まで同時に全部触れてくれませんこと? 触れている面積が少ないから効果が薄いのかも……」

 

「「おい痴女いい加減にしろォ!!!!」」

 

 

 ──なお、大変不名誉な称号を得ることになりかけたので、それに関しては未遂のままに終わったのだが。



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一四一話:虚ろの玉座にて待ち受ける者

「……というわけで、実は木原数多さんは既に亡くなっていたそうなのですが、木原の書(プライマリー=K)となって復活したらしいのですわ」

 

 

 ──その後。

 なんやかやで落ち着いた二人の少女と上条に向けて、シレンは今までのあらましについて軽く説明を終えていた。

 

 もちろん、この場にいる三人は全員シレンが助けを求めた『協力者』である。美琴と食蜂はシレンにとっては同学の仲間であり最初の最初から情報を共有していたし、上条に至っては神の右席全員の打破に関わっているのだから、当然の話だが。

 しかし、前方のヴェントと左方のテッラが既に倒され残るは後方のアックア一人、なおかつ全貌不明の『木原』やアレイスターが暗躍しているとなると、上条当麻という駒の扱いやすさについても色々と前提条件が変わってくる。

 上条はアックアのような単純物理特化の敵とは相性が悪すぎるし、『木原』のような科学技術に長けた相手とぶつけるのも不安が残る。

 

 アレイスターに至っては……これまでの経緯からなんだかんだ何とかなるんじゃない? と思いつつあるシレンだが、ヤツに限っては『何とかなった後』の暴走が怖い。

 神の右席の集中攻撃を受けて『窓のないビル』から敗走したと思ったらその足で何やら暗躍しているところしかり、シレンに成す術もなく敗北したところからレイシアを自陣に引き入れたところしかり、木原の書(プライマリー=K)に敗北したところからシレンの介入を引き当ててシレンに貧乏くじを押し付けたりしているところしかり、シレンは既にアレイスターが敗北では終わらないということを十分に知ってしまっていた。

 その相手に上条当麻などという『とりあえず確実に勝ってくれるだろうけど殺したりは絶対にしないヒーロー』をぶつけたら、負けたあとのアレイスターがどう暴走するか分かったものではない。

 

 

「……でも、奇想外し(リザルトツイスター)だっけ? 妙なモンができたもんよねぇ……。……まるでコイツの右手みたいな」

 

「多分、原理的なモノは似ていると思いますわ。もっとも、起こせる現象は全く違いますけれど」

 

「私としては、納得力が高いわねぇ。アナタの精神、全然読めないしぃ。明らかに白黒鋸刃(ジャギドエッジ)じゃ説明のつかない現象が起こってるんですものぉ。むしろ分かりやすい異能ができてくれたお陰ですんなり呑み込みやすくなったわぁ」

 

「(……俺の右手とかち合ったら、どっちが優先されるんだろう……??)」

 

 

 真面目な現状認識の横で最強議論(ホコタテ)に思考を飛ばしているバカ学生はさておき。

 

 シレンは今まで共有した情報を踏まえて、話を進めていく。

 

 

「で、どうやらわたくしの右手は木原の書(プライマリー=K)……いえ、『木原』全般に特別に有効らしいのですわ」

 

「? そりゃあ、攻撃が全部失敗するんだから、誰にだって有効なんじゃない?」

 

「いえ、そういうわけではなく」

 

 

 首を傾げる美琴に、シレンは首を振ってから、

 

 

「先ほど前方のヴェントと戦闘した際、共闘した相似さんは『害意ある思考』すら失敗させられて、棒立ちの状態になってしまった……という話をしましたでしょう? このように、『木原』は一挙手一投足に害意が宿ってしまうのです。……これが、木原の書(プライマリー=K)にも言えるのだとしたら?」

 

「! ……木原の書(プライマリー=K)は、独立力を持った存在として行動しているものの、木原数多が生み出した、いわば『行動の結果』。つまり、木原数多の害意力が宿った『存在の成立』自体が失敗する……ってことかしらぁ?」

 

「ええ、おそらくは」

 

 

 先ほど木原の書(プライマリー=K)が己の一部を分離したのも、存在の成立が失敗した部位を切り離すことで、全体に失敗が伝播するのを防いだということなのだろう。

 そう考えると、木原の書(プライマリー=K)とのシレンの戦闘相性はあまりにも良いということになる。というか、ほとんど対面したら勝利は確定したようなものだ。しかし──

 

 

「そうなると参ったな」

 

 

 困ったように眉を顰めるのは、上条だった。

 

 

「それってつまり、シレンが指パッチンをしたら一発で倒せるけど、そうなった場合はその木原の書(プライマリー=K)ってヤツ自体が問答無用で死んじまうってことじゃねえか。俺の右手でも多分同じだろ? 手札の威力が高すぎて逆に対処が難しくなってねぇか?」

 

「そうなんですのよねぇ……」

 

 

 おそらく余人が聞けば『そんなことを言っている場合じゃないだろうが』とツッコミを入れられそうな会話だったが、シレンと上条はそんな話を大真面目にしていた。

 美琴と食蜂にしても、この期に及んで当たり前のように不殺を前提にしている二人に苦笑はしているものの、反論するつもりはないようだった。

 

 当然だ。この四人は、一体数万円で製造できるクローンや魂を持たない機械人形を救う為に、大真面目に大人の論理に反抗してきた。その彼女達が、今更敵対関係でその理屈を投げ捨てることは決してありえない。

 

 

「アレイスターはそうしたわたくしの事情を全部無視して『奇想外し(リザルトツイスター)を持っているから楽勝だろう』みたいな算段で動いていそうなのが、ちょっと不安なのですけれど」

 

「…………良く分かんねーけど、大丈夫なんじゃ? だってなんかすごい黒幕なんだろ?」

 

「…………、……ですわね!」

 

 

 そこはかとなく不安なシレンだったが、分からないことについて考えても仕方がない。

 それに、木原の書(プライマリー=K)と激突してからのことを心配するよりも先に心配すべきことがある。

 

 

「ともあれ。先ほども話しましたが、肝心の木原の書(プライマリー=K)の居場所がさっぱり──」

 

 

 ──と。

 

 ッゴガバッギィィィイイイイイン!!!!! と。

 まるで波打つような甲高い破砕音が、天体水球(セレストアクアリウム)を席巻した。

 

 

「な、なによぉ!?」

 

「う……抜かりましたわ。入口で始まったアックアと『アイテム』の戦闘が、この天体水球(セレストアクアリウム)の内部に移ったのではなくて!?」

 

 

 突然の轟音に頭を押さえて身を縮こまらせる食蜂に、戦慄した様子で返すシレン。

 超能力者(レベル5)と神の右席の戦闘なのだ。戦場がひとところに留まらないのは当然である。

 

 

「ど、どうしましょう……このままだとわたくし達も戦闘に参加せざるを得ないのではなくて? そうなれば、もう木原の書(プライマリー=K)どころではありませんわ!」

 

 

 美琴はともかく、食蜂も上条もシレンも、とてもではないが音速の戦闘にはついていけない。もしも下手に乱入でもしてしまった日には、最悪『アイテム』の足を引っ張ってしまうことになるかもしれない。

 

 

「ああ、それなら……裏口を使ってみたらどうだ? 俺達、ここに入るときに正面の入り口じゃなくて、非公開の裏口を使ったんだよ」

 

「…………どうやってそんな情報を??」

 

「それはほら、こう、御坂のビリビリで、ビリビリと」

 

「ビリビリ言うな! 私の能力がなきゃどうしようもなかったでしょ!」

 

 

 やはり超電磁砲(レールガン)は現代戦にて最強というわけなのだった。

 さておき、裏口からであればアックア達の戦闘に巻き込まれる心配もない。四人はひとまず、そちらからの脱出を当面の目標とすることに。

 

 

「……しかし、思ってたよりも激しい戦闘だな……」

 

 

 一列になって歩く一行の先頭に立ちながら、上条はぼやくように言う。

 進み始めて一分ほどだが、既に四人は先ほどのような轟音に慣れつつあった。全体がガラスの水槽によって構成されているような施設なこともあり、威圧感はひとしおである。

 

 

「……さっさと行きましょ。アックアとかってヤツ、水を操れるんでしょ? なら多分積極的に水を放出させたがるはずだし」

 

 

 言いながら、美琴は前を歩く上条を急かすように言う。

 本当は一刻を争うのだし思い思いに走っていくべきなのだが……シレンの『それだと食蜂さんが早晩疲れて動けなくなってしまうのではなくて?』というもっともすぎる指摘の為に、歩きでの移動を余儀なくされているのであった。

 ついでに、一列になって歩いているのは、歩きで移動する都合上襲撃のリスクが高い為、すぐに対応できるようにという考えのもとである。

 

 

「あ、ここよ!」

 

 

 そう言って美琴が指差した先には、非常口の扉がある。上条達が行きの時に通ってきた通路だ。

 流石にここは小走りで扉に駆け寄った上条が扉を開ける。すると、その奥には無数の水路がまるで絡まったコードのように複雑に入り混じっている空間があった。

 

 

「基本的な考え方はビオトープとかと同じね。水族館っていう限られた空間の中で生態系を創ろうとすると、どうしても水の淀みが問題になってくる。水が淀むとバクテリアとかが発生しちゃって、それは全面ガラス張りの此処じゃ売りを打ち消す致命的な事態でしょ」

 

「だからこうやって大規模な水の流れを形成して、毎日膨大な水の入れ替えを行っているって訳ねぇ。それだけじゃなく、膨大な水の流れを利用した発電力を用いたビジネスもしていたみたいだけど。売電ってヤツかしらぁ?」

 

 

 再生エネルギーの活用が著しく発展した学園都市では、ごくありふれた話である。

 ともあれ、そうした事情があるとなると、いよいよこの施設にいる限り水から離れることはできないのかもしれない。奇しくもアックアにとってはホームステージに近しい条件だ。

 

 と。

 

 ボゴン!!!! と、天井付近から『何か』が突き抜けるような音が響き渡った。

 『何か』と表現したのは、その物体が形容しがたい複雑さを持っていたからではない。むしろ、その物体の形状は分かりやすい棒状だった。その物体の不明瞭性を底上げしていたのは、物体そのものの性質ではない。

 

 『速度』だ。

 

 音速をはるかに超える速度で天井を通過した『それ』を目視することなど、人間には不可能。ゆえにその場にいた四人は、単なる氷の投げやりを『何か』としか認識することができなかった。

 そして。

 超音速で通過した氷の投げ鎗は、次にとある事象を齎した。

 その事象の名は、『ソニックブーム』。

 

 超音速を超える物体の移動による余波は、空間全体を席巻し──当然の帰結として周辺の配管を破壊した。

 

 

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最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一四一話:虚ろの玉座にて待ち受ける者

Last_One.

 

 

 


 

 

 

 ──天体水球(セレストアクアリウム)にて大規模な破壊が発生したのと、ちょうど同時刻。

 木原の書(プライマリー=K)への対処を全てシレンに押し付けたアレイスター=クロウリーは、第七学区の『窓のないビル』が見えるとあるビルの屋上で、別行動をとっていたレイシアと合流していた。

 

 

「……あら、遅かったですわね。当麻達とは合流できたんでしょうね?」

 

 

 屋上から窓のないビルを見ていた白黒のナイトドレス姿のレイシアは、つまらなそうに合流した現在の仲間──アレイスターへと視線を向ける。

 

 

「後方のアックアでしたっけ? わたくしが顔を合わせると色々面倒になる可能性があるとかで当麻との接触はアナタに任せたのですから、何もなかったとは言わせませんわよ」

 

「そのことなんだが、上条当麻とは接触できなかった。すまないな」

 

 

 ドゲシ! ドゲシ! ドゲシ!! と少々暴行の音が響き渡る。

 

 

「ふざけるんじゃっ、ありませんわよ!! お使いすらもできない無能でして!? アナタ世界最悪の魔術師とかいう触れ込みなんでしょう!? アックアと激突したって軽く煙に巻けるでしょう!?」

 

「待て! 勘違いするな!」

 

 

 鋭いヒールで蹴り突かれる統括理事長様は、這いつくばりながらそう言って制止する。

 スッと起き上がったアレイスターは、楽しんでいるようにも困っているようにも見えるような表情で言った。

 

 

 

「実は、木原数多に妨害を受けてな。……一応映像を撮っておいた。これを見てくれ」

 

 

 アレイスターの言葉に応じるように、空中にモニタのようなものが浮かび上がる。

 そこには、アレイスターと対峙している白衣の男──木原数多の姿が映し出されていた。

 

 

「……!? 木原数多!? ヤツはシレンの中に憑依しているはずでは!?」

 

「どうやら……『木原』の継承は完了していたらしいな」

 

 

 アレイスターは、深刻そうな声色でレイシアの当惑に答える。

 

 

「『木原』とは、血族の在り方ではない。本質は情報(ミーム)にあると言っていい。私の部下のとある老犬が顕著だがね。……その点で言えば、木原数多は極めつけだ。ヤツは自分の手駒である猟犬部隊(ハウンドドッグ)についても、恐怖と暴力で支配することで部分的に『木原』を継承させていた節があるからな……」

 

 

 『暗闇の五月計画』はメインテーマではないから不完全だったようだが、とアレイスターは呟きつつ、

 

 

「憑依して同じ肉体の中でインスピレーションを与え続けたことで、シレンの思考はある程度『木原』に寄った。そう判断したから、シレンを切り離して活動を開始したのだろう。……おそらくは、臨神契約(ニアデスプロミス)の扱いで競合する私を排除する為に」

 

「…………、」

 

「無論、私による臨神契約(ニアデスプロミス)の利用計画は既に頓挫している。今の私にシレンをどうこうしようという意志はない。だが、向こうはそう思っていないというわけだ。……いや、それより君にとって重要なのは、木原数多はシレンの体質を悪用しようとしている、という点かな」

 

 

 既に、レイシアは拳を強く握り締めていた。

 ──もちろん、このアレイスターの発言はかなりアレイスターに都合よく脚色された事実である。

 たとえばシレンは『木原』の影響など全く受けていないし、木原の書(プライマリー=K)の目的などアレイスターはちっとも分かっていない。

 だが、『木原数多の姿をした存在に上条との合流を邪魔された』のは事実だし、『木原の書(プライマリー=K)がアレイスターを排除しようとしている』のも事実である。

 それを映像付きで提示されてしまった以上、レイシアの目の前には与えられた事実が真実であると判断する以外の選択肢が失われてしまっている。

 

 

「……そこで、窓のないビルだ。あそこは私の本拠地だからな。あそこを奪還できれば、私のとることができる行動もかなり増えるというわけだ」

 

「分かっていますわ。きちんと監視しておりましたもの。でも、アナタが不在のうちに『窓のないビル』に潜入しようとした連中は一人残らず叩き返されていたようですけど」

 

「それは重畳。排除する手間が省けるからな。さっさと戻って反撃準備を整え、」

 

 

 アレイスターがその次の言葉を紡ぐことはなかった。

 何故か。

 

 ドジュオッッッ!!!! という熱線が地上から放たれ、その姿をあっさりと塗り潰したからだ。

 

 

「あ、アレイスター!?」

 

「大丈夫だ! 咄嗟に()()()()!」

 

 

 思わずレイシアが目を剥くと、アレイスターは先ほどいた場所から数メートルほど離れたところで片膝を突いていた。

 表情に余裕はないが、目立った負傷はない。レイシアがその事実を認識する間もなく、アレイスターはさらに声を張り上げた。

 

 

「それより、今すぐここから飛び降りろ! アレを食らえばその身体でもひとたまりもないぞ!」

 

 

 言うが早いか、アレイスターはさっさとビルの屋上から飛び降りてしまう。

 状況は理解できなかったが、レイシアはそれを見て考えるよりも先に躊躇なく屋上からのダイビングを敢行した。途中で隣のビルの壁面に指を立てると、ゴガガガガギギギ!!!! と指をめり込ませて落下の速度を軽減していく。

 

 

「……君、随分その身体に慣れてきたな」

 

「人は慣れる生き物ですわ」

 

 

 軽口をたたきつつ、レイシアは先ほど熱線が放たれた攻撃の発信源へと注意を映す。

 そこには、一人の男が佇んでいた。

 

 ゆったりとした服装を身に纏ったその男は、右肩の辺りから漂うもやのようなものをむしろ見せつけるようにして、第七学区の大通りを闊歩していた。

 男は言う。

 

 

「逆に、だ」

 

 

 あまり鍛えているようには見えない中性的な風貌。

 一見すると爽やかな雰囲気だが、その裏側に蠢く活火山のような威圧感。

 溢れんばかりの自信を隠そうともしない立ち居振る舞い。

 

 男の在り方を説明するなら、色々な表現があるだろう。

 しかし、最も端的な説明があるとするならば、これだった。

 

 『赤』。

 

 ストレートセミロングの赤髪に、赤を基調としたゆったりとした服装。

 

 そして、その右肩から浮かび上がる、巨大な異形の『右手』。

 

 

「右席を三人も費やすような大事業に、この俺様が噛んでいないとどうして納得できていた?」

 

 

 

 神の右席の、最奥。

 『右』を司る、最強。

 ()()()────()()()()()

 

 

「こんなところで接触するとはな。少し予想外ではあったが」

 

「だろうな。この登場は俺様の独断だ。とはいえ、ベストタイミングだったろう? 今なら余計な横槍を入れられる心配もなく貴様を殺せる」

 

「果たして、殺せるかな?」

 

「強がるなよ」

 

 

 あくまでも平然と答えるアレイスターに、フィアンマはせせら笑うような調子で言う。

 

 ──正史において、アレイスター=クロウリーは右方のフィアンマに勝利した。

 その事実を以て、あるいは彼らが構築した計画の精度を以てアレイスターの方がフィアンマを上回っていると判断するのが、おそらく大多数の考え方だろう。

 だが戦闘や開示された事実を一つ一つくみ取っていくと、実はそうではないことが分かる。

 まず、あの時点でフィアンマは手負いだった。その上で、アレイスターは不意打ちでフィアンマの右腕を切り落とし、フィアンマの『聖なる右』を弱体化させた。

 その上で、アレイスターとフィアンマの一騎打ちである。

 弱体化し、『あらゆる対象に勝利する』能力も不完全となったフィアンマであれば、衝撃の杖(ブラスティングワンド)の『相手のイメージする攻撃力の一〇倍の出力となる』能力でも勝利できるはずだ。

 だが──もし仮に万全な状態であれば?

 

 アレイスターがわざわざ不意打ちで右腕を切り落としたことを考えても、この激突ではアレイスターに分が悪いと言わざるを得ないだろう。

 

 

「そもそもお前らは、何故俺様の介入を一度も想定しなかった?」

 

 

 フィアンマは言う。

 

 

「きっと、そこにはこんな考えがあったはずだ。『ただでさえ厄介な神の右席が三人。流石にバッドニュースはここで打ち止めだろう。これ以上何かがあったら、もうどうしようもない』……そんな希望的観測がな」

 

 

 まるで、死刑宣告でもくだすかのように。

 

 

「だが、現実はこうだ。最悪の上に最悪は積み重なり、打開の余地なく現実というものは弱者を押し流していく」

 

 

 『勝利』を司る右手を掲げ、右方のフィアンマは断言した。

 

 

「残念だが、希望的観測に縋れる時間はここまでだ」



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一四二話:魔術の秘奥

白黒鋸刃(ジャギドエッジ)、君は下がっていてくれ」

 

 

 アレイスターはまず、そう言ってレイシアの前に立つ。

 フィアンマは、特に何をするでもなくその動きを見守っていた。

 

 

「なんですの? 確かにフィアンマ相手ではわたくしも分が悪いですが、この不死身性は有益だと思いますわよ。アナタの弾除けになるくらいならできるはずですわ」

 

「……流石に割り切りすぎだが……。……それは、フィアンマの戦力を甘く見積もりすぎている。もしも君の損傷が致命的になった場合、後からシレンからの恨みを買われるのは現在誤解を受けている私だからな」

 

 

 冗談めかして肩を竦めたアレイスターはそう言って、『それに』と言葉を付け加える。

 

 

「右方のフィアンマ相手なら、私一人の方が相性的には戦いやすい」

 

 

 断言するアレイスターの言葉には、不思議な力がこもっているようだった。

 レイシアはそれ以上拘泥せず、頷くとそのままその場を離れていく。

 

 

「──さて、少し待たせてしまったようだが」

 

「いや、気にするな。どうせアイツが地球の裏側まで逃げたところで、倒すのは一瞬だ」

 

 

 フィアンマはそう言って、目の前の『人間』を見据える。

 

 

「それより」

 

 

 そして、欠伸をするように退屈そうな調子で、

 

 

「お前は自分の心配をしたらどうだ?」

 

 

 直後。

 ゴッッッッ!!!! と、フィアンマの右肩から伸びる異形の腕が爆発的な光を放つ。

 相対する者に、絶対勝利可能な攻撃を自動で導き出し繰り出す術式──『聖なる右』。十字教において奇跡とは右手によって行使される為、フィアンマはありとあらゆる十字教の奇跡を起こすことができる。

 言ってみれば、十字教版の多彩能力(マルチスキル)のようなものだ。しかもそれだけでなく、自動で相手に勝利できる奇跡を選択してくれるという優れもの。

 アレイスター=クロウリーがどういった能力を持っているにせよ──例えば相手のイメージの一〇倍の威力を得る衝撃の杖(ブラスティングロッド)にせよ──それに勝利することが可能な一撃を繰り出すことができる。

 当然、この一撃でアレイスター=クロウリーは敗北する。

 

 

「…………おい、なんだそれは」

 

 

 ──はずだった。

 

 フィアンマの必勝の右手から放たれた光は、しかしアレイスターの目の前で不自然にねじ曲がり、見当違いの場所を蒸発させていた。

 

 

「……光学的な欺瞞は通用しない。俺様の右手は、俺様が定めた対象に対して作用する。いくらこちらの視覚情報に干渉しようが、その欺瞞を突き抜けて自動で『勝利する』という結果をもたらすはずだ!!」

 

「それほど驚くようなものでもないだろう。君の打ち損じはこれが初めてではない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 しかし、対する『人間』はけろりとした表情で肩を竦めるだけだった。

 確かに、アレイスターは既に『聖なる右』の一撃を回避していた。たとえ不意打ちであれ、『聖なる右』は振れば当たるし当たれば倒せる。そもそも、例のツンツン頭の少年の右手でもない限り『やり過ごす』という選択肢自体が存在していないのに。

 

 

「それに、言葉が正確でもない。君が扱う術式はあくまでも『敵対対象に絶対に勝利する()()()()()()()こと』だろう」

 

 

 アレイスターは神の右席を前にして、まるで生徒に授業をする教師のような調子で言う。

 

 

()()()()に干渉して『勝利する』という結果をダイレクトに確定させているならともかく、『必中・必殺』()()では私は殺せんよ」

 

 

 アレイスターは。

 男のようにも女のようにも、大人のようにも子供のようにも、聖人のようにも囚人のようにも見える『人間』は、しかしその誰にも見えない異質な笑みを浮かべてフィアンマに歩み寄る。

 

 

「さて、魔術の秘奥について語り合おうか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 その手に、銀色の杖が浮かび上がる。

 

 世界最悪の魔術師が、牙を剥いた。

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一四二話:魔術の秘奥

Extremity_of_Arts.

 

 

 


 

 

 

 アレイスター=クロウリーは、すいと右手を前に向けた。

 ただそれだけ。

 それだけの動作で、右方のフィアンマはその手の中にフリントロック式の銃を幻視する。

 

 火花のように、その手元で数字が散った。

 

 32、30、10。

 

 フリントロック式であろうと関係のない、拳銃の『連射』があった。

 ドガドガドガドガッッ!!!! という銃撃に対し、フィアンマはその肩から伸びる異形の右手を使って防御を行う。しかし、ここにも計算外があった。

 

 

「ぐう……ッ!?」

 

 

 受け止めた拳銃の衝撃に、『聖なる右』が軋んだのだ。

 いや、そもそも異常というのであれば、『受け止めた』時点で異常だった。右手を振るだけで相手に勝利できるのだ。防御どころか銃弾ごとまとめて吹き飛ばしてアレイスターを潰せていなければおかしいし、防戦に回っているというのが既にありえない。

 ありえないのに、それが実際にまかり通ってしまっている。

 さらにアレイスターは続けて、

 

 

「飛沫」

 

 

 フィアンマの身体が、くの字に折れ曲がる。

 内臓が軋むような衝撃に、フィアンマの口から空気が漏れた。

 

 

「な、バカな……ッ!? 魔術的痕跡は、何も……!?」

 

「確かに、魔術的痕跡はないだろうな。今の一撃は魔術によるものだが、原因は魔術そのものではない。()()()

 

 

 ──飛沫。

 魔術の行使に伴う位相と位相の衝突によって発生する『運命の歪み』を一極集中して攻撃に転用する技術。

 これは、あくまでも魔術の行使によって発生する『余波』をアレイスターが誘導したものであり、発生源は世界──即ち、十字教の理の『外』ということになる。

 

 

「オシリスの時代で停滞している君には分からないだろうな。これに懲りたら、次は自分のよって立つ足場の確かさから確認することだ」

 

 

 アレイスターが改めて手の中の幻の銃を構え、

 

 

「…………何やら既に終わった気でいるようだが」

 

 

 フィアンマの右肩から伸びる異形の右手が、不気味に蠢いた。

 

 

()()()()()()()()()()()()()

 

 

 直後だった。

 アレイスター=クロウリーの身体が、一瞬にして数メートルも上空へ吹っ飛ばされる。

 

 

「──ぐがっ!?」

 

 

 最悪の魔術師の口から、絞り出すような空気の音が漏れた。

 空中で何らかの魔術を使ったらしく態勢を立て直して着地するアレイスターだったが、しかしダメージは蓄積しているらしく、着地後に片膝を突いてしまう。

 

 

「確かに、俺様の『聖なる右』の性能は完璧ではないらしい」

 

 

 しかしフィアンマは、一撃を放ってぼやけた異形の右手を眺めながらあっさりと言う。

 

 

「ただしそれは、『必勝』に例外があるわけじゃない。お前秘蔵の例の右手ならば別だろうが、基本的に『狙いを定めた相手に必ず勝つ』権能については疑う余地がない。なら、どこにこの攻防のカラクリがあったのか? それは、お前自身の存在にあったわけだ」

 

 

 フィアンマはそう言って、アレイスターのことを指差す。

 

 

「たとえば前方のヴェントの『天罰術式』。一つの肉体の中に二つの人格があった場合、どちらの『敵意』を参照することになる? たとえば左方のテッラの『光の処刑』。目の前の人物を指定したとして、そいつが二重人格だった場合、選択していない方の人格の扱いはどうなる?」

 

 

 それは、既に今日これまでに発生していた戦場から想定できる事態だ。

 そして、フィアンマの場合は?

 

 

「俺様は指定した対象に対して絶対に勝利することができる。それは指定した対象以外へは無力という意味にはならんが……しかし、『絶対に勝利』とまではいかなくなる。単なる人間に対して絶対に勝利できる戦力程度では、拳銃に対して勝てないのと同じようにな」

 

 

 だからこそ、『正しい歴史』のフィアンマは第三次世界大戦という星を巻き込む大戦争を引き起こし、その中で醸成された『人類の悪意』を敵として定めるという迂遠な行動をとっていたのだから。

 そしてその歴史においては、フィアンマは『人類の悪意』が想定よりも大きくなかったことで失敗した。

 

 ここから導き出される事実が二つ存在する。

 一つ目は、『聖なる右』はフィアンマが指定した対象を間違いなく選択するということ。

 二つ目は、『聖なる右』の戦力調整はフィアンマの認識に関係なく現実的な脅威によって精密に設定されるということ。

 

 そして、アレイスター=クロウリーには一〇億八三〇九万二八六七通りの可能性が存在している。

 もしも、アレイスターがこの可能性を内部的に切り替えることができるとしたら?

 その場合、『聖なる右』はあくまでも『目の前にいるアレイスター=クロウリーに対する必勝』を実現するだろう。そのあとで可能性を切り替えれば、それは変更後のアレイスターに対する必勝ではなくなるわけだ。

 

 だが、当然そんなものは『聖なる右』の設定をその都度調整すれば済む話である。

 そして現に、攻撃の直前に対象の再設定を行った結果、アレイスターのペテンは打ち崩され、こうもあっさりと片膝を突くハメになった。

 

 

「なるほど、世界最悪の魔術師らしい偉業だよ。この俺様の──一〇億の頂点に立つ魔術の秘奥にこうして干渉したのだからな。それだけでも誇るに値する」

 

 

 だが、とフィアンマは言い、

 

 

「これで終わりだ。安らかに眠れ、『黄金』の残滓」

 

 

 『聖なる右』をただ振るった。

 異形の右手が眩い光を放ち、熱線となってアレイスターの肉体を貫く。

 

 

 

 ──その直前に、不可解な軌道で捻じ曲がり、横合いのビルを丸ごと蒸発させた。

 

 

 

 前兆はあった。

 攻撃の一瞬前、アレイスターは手の中の衝撃の杖(ブラスティングロッド)を消し、右手でパチンと指を弾いていたのだ。

 ──まるで、『害意』を失敗させるとある少女のように。

 

 

「…………おいおいおいおい」

 

 

 フィアンマは、戦慄するというよりも呆れた様子で声を漏らす。

 

 

奇想外し(リザルトツイスター)、だと?」

 

 

 ()()()()

 害意ある干渉を失敗させる右手なら、確かにフィアンマの攻撃を失敗させることもできるかもしれない。

 だが、その前提が成り立っていない。

 

 

「その右手なら既に観測している。だが……アレは能力でもなんでもなかったはずだ。何なら、貴様はその右手を手に入れようとして失敗していたんじゃなかったか!?」

 

 

 そもそもの問題として、アレイスターの手札に奇想外し(リザルトツイスター)を扱えるようになるものはない。

 学園都市には人工の神経網が張り巡らされており、恋査の要領で全能力者のAIMを利用することはできるものの、そもそも奇想外し(リザルトツイスター)は能力ではない。扱えるとしても白黒鋸刃(ジャギドエッジ)でしかない──そのはずなのに。

 

 

「ああ、確かに失敗した。だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 アレイスター=クロウリーは、当たり前のようにその前提を踏み越えていく。

 

 

「…………チィ!!」

 

 

 焦れたように構えるフィアンマだが、今度は『聖なる右』を発動することはできなかった。

 本来、一度発動した『聖なる右』から逃れることは不可能だ。だが、奇想外し(リザルトツイスター)は実際にフィアンマの一撃を『放たれた後に失敗させた』という実績を得てしまった。

 つまり、幻想殺し(イマジンブレイカー)と同じ『数少ない例外』に分類されているということだ。

 

 攻めあぐねたフィアンマの隙をつくように、アレイスターの周囲で火花のごとく数字が瞬く。

 30、30、10。

 まるでマシンガンのように、フリントロック式の拳銃が本来ではありえない勢いで銃弾を撒き散らしていく。フィアンマはこれを、『聖なる右』ではなく生身で物陰に飛び込むようにして回避する。

 

 

「威力が高すぎるというのも考え物だ。君の術式では、銃弾を防ごうとすれば確実に私のことを傷つけてしまうものな?」

 

「やはり一筋縄ではいかないな……!!」

 

 

 しかし一方で、フィアンマは意外にも冷静さを保っていた。

 奇想外し(リザルトツイスター)は無敵の魔法ではない。

 実際にヴェントにしろテッラにしろ、その脆弱性を指摘されていた。即ち、『右手が出す音』を媒介にしているという部分だ。つまり、ここを突き崩せればフィアンマの『聖なる右』はアレイスターに突き刺さる。

 

 

「さて、さっさと詰めるとしようか」

 

「できるとでも? 奇想外し(リザルトツイスター)の弱点の一つは、タイミングのシビアさだ。俺様が『目に見えない』種類の攻撃を使えば、お前の作戦は破綻するぞ」

 

「舐めているのか。君の肉体の魔力循環を見れば、どういう魔術を行使しようとしているのかさえ読めるぞ」

 

 

 アレイスターの余裕は、揺るがない。

 フィアンマはその事実を認めて、

 

 

(だろうな……。……さて、ここまでは既定路線。これでアレイスターは俺様が奇想外し(リザルトツイスター)の発動手段を妨害する手札がないと認識する)

 

 

 内心でそうほくそ笑んだ。

 そもそも右手を無効化する方法があるならば、真っ先にそれを使うだろう。わざわざタイミングのシビアさを突こうとするということは、無効化する方法の心当たりがないということ。

 今のフィアンマとアレイスターの問答には、そういう思惑がある。

 

 

(だが、たかが器の紛い物ごときで、俺様の右手を乗り越えられると思ったのが大間違いだったな)

 

 

 アレイスターは左手で拳銃を握るようなジェスチャーをする。空中に火花のように数字が瞬き、そこに幻の拳銃が現れた。

 宣言通り、アレイスターはさっさと詰めるつもりのようだった。

 

 ガガンガン!! と、銃撃音が連続する。

 フィアンマは『聖なる右』を発動し、ただその銃弾をガードした。対象設定をしていない『聖なる右』では、銃弾の嵐を受けきるのも一苦労ではあるが──そこでフィアンマは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「言ったはずだぞ、アレイスター。俺様は指定した対象に対して絶対に勝利することができる、と!!」

 

 

 そしてフィアンマは、そのままの勢いで銃弾をビルの壁面へと叩きつけた。

 ゴゴォォオオオオオオン!!!! という爆音が、一瞬にして周囲の空間に響き渡る。

 

 ──そう、あらゆる音を掻き消す勢いで。

 

 

奇想外し(リザルトツイスター)は右手が発した音を浴びたものを対象にする。ならば、音そのものを掻き消すような爆音を発生させてしまえば何も失敗させることはできなくなる!!)

 

 

 これで奇想外し(リザルトツイスター)は死んだ。

 フィアンマの右肩で、『聖なる右』が隆起するように蠢く。次の瞬間、異形の右手は眩い光へと変貌した。

 そして。

 

 

 ゴッッッッッ!!!! と、アレイスター目掛け放たれる。

 

 音が消えた。

 光が消えた。

 ただ圧倒的な破壊の力の前に、あらゆる事象は塗り潰される。それは当然、アレイスターも例外ではない。

 つまり。

 

 

「ふむ、珍しく大成功と言ったところだな」

 

 

 ()()()()()()()()()()、『()()()()()()()()()()()

 

 

「…………あ?」

 

 

 それは、道理に合わない光景だった。

 だってそうだろう。アレイスター=クロウリーは奇想外し(リザルトツイスター)を何らかの形で使うことによって、『聖なる右』を失敗させた。これはフィアンマの目の前で行われたことだ。

 ならば、奇想外し(リザルトツイスター)の弱点を突けば攻撃は通るのだ。いや、弱点を突いたのに攻撃が通らないのはおかしい、と言うべきか。

 にもかかわらず、現実にアレイスターは生きている。あまつさえ、『聖なる右』を止めている。

 これが、意味することは。

 

 

「…………ま、さか」

 

 

 フィアンマの顎を、冷や汗が伝う。

 

 

「まさか貴様、()()()()()()()()()()()()()!?」

 

「ようやく気付いたか。心理戦の経験値が足りていないのではないかね? 神の右席」

 

 ギャリン!!!! と、『聖なる右』は捻じ曲がり、天空へと突き進んでいった。

 

 

「いや、恥じる必要はない。むしろ誇るべきだ。これほどの純度があるからこそ、私もこの方策を取れた」

 

「……何を、言っている。幻想殺しに奇想外し!! 極大のイレギュラーだからこそ、俺様の『聖なる右』に伍することができるんだ!! なのにお前はそのどちらもなく、どうして俺様の一撃をやり過ごせる!?」

 

「神の右席の本質は、肉体の組成を天使に近づけた魔術師という部分にある」

 

 

 アレイスターは、まるで種明かしでもするかのように言った。

 

 実際、神の右席は『原罪』を除去することで肉体の組成を天使に近づけ、天使の力(テレズマ)を扱うのに適した肉体を手に入れている。

 だからこそ、人間とはけた違いの濃度で天使の力(テレズマ)を運用することができる。これが神の右席が人間には扱えない『天使の術式』を扱える理由であり、反対に『人間の術式』を扱えない理由でもある。

 つまり、神の右席の扱う術式にはどれも莫大な天使の力(テレズマ)が宿っている。これは、『聖母の慈悲』を持つアックアにしても同じことである。

 

 

「その術式には莫大な天使の力(テレズマ)が宿る。さて、ここで問題だ。私が在籍していた『黄金』に端を発する黄金系結社においては、どのような儀式が行われている?」

 

「──天使の、召喚……!!」

 

 

 たとえば『明け色の陽射し』ではタロットを用いて天使の虚像を召喚する構成員がいる。

 このように、『黄金』では天使の力(テレズマ)の運用は基礎中の基礎である。

 つまり。

 

 

「俺様が扱っている神の如き者(ミカエル)の質を持つ天使の力(テレズマ)を…………」

 

「ああ。()()()()

 

 

 こともなげに、アレイスターは言い切った。

 

 

「そんなバカなことがあるか!! 確かに高純度の天使の力(テレズマ)だが、禁書目録が術式の制御を奪うのとはわけが違う。これはたとえるなら、行使中の魔術師から魔力そのものを奪い去って魔術の制御を乗っ取るようなものだ!!」

 

「私を誰だと思っている」

 

 

 アレイスター=クロウリーは。

 世界最悪の魔術師として今なお魔術世界にその名を轟かせている正真正銘の化け物は、()()()()()()()()()()()()()()()()()に言う。

 

 

「──とはいえ、幾分かは不安要素もあったがな。君が事前にこのことに感づいて術式に専用の防御をかければ流石にここまで劇的にはならなかったし、そもそも私の『召喚』を突っぱねることだって可能だったはずだ」

 

 

 つまり、奇想外し(リザルトツイスター)は『召喚』から意識を逸らさせるためのフェイク。

 それを明かしたということは。

 

 

「『逸らした』のは不意打ちも併せて三回か。これならば、ギリギリコスト七には間に合うな」

 

 

 その時。

 フィアンマの背後から、突如莫大な気配が発生した。

 それは、フィアンマには覚えのあるものだ。

 

 

「反響召喚。呪い返しのようなものだ。甘んじて受けるといい」

 

 

 そして、フィアンマ目掛け虚空にて発生した異形の右手が迫る。

 

 

 


 

 

 

 右方のフィアンマは──

 

 ──それでも生きていた。

 

 

 ズタボロになって、先ほどいた場所からビルをいくつもぶち抜き数百メートルほど吹っ飛ばされているが、それでも四肢は一つも欠けていなかったし、意識も保っている。

 

 

「やはり神の右席だな。頑丈で羨ましいよ」

 

 

 と、先ほどまで数百メートル先にいたアレイスターが、いつの間にか瓦礫の中で倒れているフィアンマのすぐそばに佇んでいた。

 

 

「もしも君が挫折を知っていれば、私が攻撃を逸らした時点で『自分の術式への対抗策を知っているかもしれない』という警戒を抱くことができただろう。だが、君はなまじ勝利し続けてしまったことで、成功し続けてしまったことで、敗北のケースを得られなかった」

 

 

 だからこそ、フィアンマはアレイスターの虚言を見抜けなかった。

 コマンドを入力するだけで勝利できるような術式を持っているせいで頭脳戦の経験値が乏しかったというのもあるが、一番はこれだろう。異能を持つ右手という極限の例外を除けば誰であろうと倒せるという慢心が、『ならば防がれるということは異能を持つ右手に類するものだ』という思考の短絡を生んでしまったのだ。

 

 アレイスターは右手に杖を持つと、最後にこう言い添える。

 

 

「君の敗因は、これまでの人生で()()()()()()()ことだ」

 

 

  32、30、10。

 

 火花のように数字が瞬いて、直後、拳銃の乾いた音がフィアンマの耳にのみ響いた。



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一四三話:動き始めた歯車





 その瞬間、四人の命が長らえたのは、幸運以外の何物でもなかった。

 

 その場に磁力を操ることができる第三位の超能力者(レベル5)がいたこと。

 現在地が水族館のバックヤードであり金属部品が大量に揃っていたこと。

 

 そのどちらかでも欠けていたなら、四人は間違いなく数百トンにも及ぶ水の圧力によってぺしゃんこに押しつぶされていただろう。

 

 

「悪い御坂! 助かった!」

 

 

 美琴が磁力によって引き寄せた大量の金属部品で即席の避難小屋を作成しているその横で、上条は慎重に右手を地面に押し付けながら礼を言う。

 しかし、今まさに四人の命を救った立役者の表情は全く明るくならない。

 

 

「勝手に安心すんな!! 水ってのは流体。垂直移動の第一波は凌げたけど、流れ出た大量の水は第二波になって私たちを押し流すわよ!!」

 

 

 見ると、頭上から落下した大量の水については上手くやり過ごせたが、地面に落ちきった水は壁に衝突し、まるで波打つかのように四人に向かって少しずつ迫っていた。

 ──『波』と違って、水の勢いというのは見た目以上の破壊力を持っている。津波の例を挙げるまでもなく、大量の水はそれだけで人の身体などたやすく破壊してしまう。とにかく波から逃げる為に美琴が三人に瓦礫の上へ移動するよう促したタイミングで──

 

 

「……っ、この因果は捻転するっ!!」

 

 

 やけくそのような勢いで、シレンが指を弾く。

 するとどういうわけか、ビーッ!! というアラームと共にバックヤードの壁が開き、そこに水が吞み込まれていった。

 

 

「…………ど、どうなったんだ……?」

 

「おそらく、天体水球(セレストアクアリウム)のセーフティ力が作動した、ってところかしらぁ? 仮にも観光施設だもの。配管が破壊されたくらいで施設内が濁流地獄になるような脆いシステムは組んでいないはずだし、それがギリギリで作動してくれた……と、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 そう言ってから、食蜂は肩で息をしているシレンを見やる。

 

 

「…………想像以上に凄いわねぇ、その右手」

 

「今のが『攻撃』ではなく『事故』だったら、終わっていましたわ……」

 

 

 ──奇想外し(リザルトツイスター)

 施設のセーフティロックが作動したというのは事実として間違いないのだろうが、四人が水の底に沈む前に()()()()()()()()()()のはシレンの右手によって結果を捻じ曲げたことによるところが大きい。

 

 

「……都合が良すぎる、とは思っていましたわ。先ほどの高速で放たれた投擲物。戦闘中にアックアさんが放った攻撃が偶然に狙いを外して、これまた偶然に速度を保ったまま配線を傷つける可能性よりは、アックアさんが戦闘中にわたくし達へ攻撃しようとしていると考えた方が自然ですもの」

 

 

 つまり、今の危機は偶然発生した『不幸』ではなく、きちんとした『害意』に則って発生したアックアによる『攻撃』ということになる。

 しかしそうなると、ある問題点が浮かび上がってくる。

 

 

「……でも、それってつまり、アックアってヤツが『アイテム』を相手取りながら私達に攻撃してくるくらい余裕があるってことになるわよね? それって大丈夫なの? 私達も追撃を警戒しなくちゃいけないって意味もそうだけど……アイツらが負けちゃうっていう可能性は?」

 

「…………、」

 

『そっちについては、問題ねえよ』

 

 

 と。

 そこで、シレンが持つ通信機器から声が発せられた。

 馬場ではない。

 まるでホストか何かのような、『気安い粗暴さ』を備えた声は──

 

 

「……垣根さん!?」

 

 

 ──垣根帝督。

 アレイスターの攻撃によってダウンし、救急車で搬送されたはずの少年の声だった。

 

 

「垣根さん、どうして……?」

 

『ちと不覚をとっちまったがな、あの程度の攻撃は大した問題じゃねえよ。未元物質(ダークマター)を使った応急処置でどうにでもできる』

 

 

 垣根は少し気まずそうに、言い訳でもするように言いながら、

 

 

『そういうわけで、俺や──「スクール」も戦線に参加する。神の右席の後方だか知らねえが、頼りねえ第四位のバックアップくらいこなしてや、「あァ!? 誰が頼りねえってェ!? テメェの方を先に消し飛ばしてやろうかァ!?」……おー、怖えぇ怖えぇ』

 

 

 ……どうやら、まだ麦野は元気そうである。

 

 

『そういうわけだ。こっちは心配要らねえよ。それよりテメェはさっさとテメェの目的をこなすんだな』

 

「……恩に着ますわ、垣根さん!!」

 

 

 シレンは通信を切ると、事の成り行きを見守っていた三人へ向き直る。

 状況は、先ほどまでよりも大分改善していた。

 

 

「皆さん、急ぎましょう。垣根さん達が作ってくれたチャンスを無駄にするわけにはいきません!」

 

「……でも、盛り上がってるところ悪いんだけどぉ……」

 

 

 息を巻くシレンとは対照的に、食蜂は顔を蒼褪めさせながら辺りを見渡す。

 ──天体水球(セレストアクアリウム)のバックヤードは、体育館を二つ縦に重ねたような広大な空間の中を縦横無尽に水道管が張り巡らされ、その脇に整備用の通路が沿う形で展開されているつくりになっている。

 その中でシレン達は一番下の通路にいたわけだが、当然ながら大量の通路は破壊されてしまっており、本来の通路通りの道順では進むことなどできようはずもない。

 

 

「これ、どうするのぉ……?」

 

「どうって……あ、そうですわ! 美琴さんの磁力でなんとか整備できませんこと!?」

 

 

 ぱん! と手を叩くフリ(奇想外し(リザルトツイスター)の不意の発動を防ぐため)をしたシレンに、美琴は気まずそうな表情を浮かべ、

 

 

「いや、ちょっと難しいわね。……っていうのも、ほら、辺り一面水浸しだから」

 

 

 言いながら、美琴は周辺を手で示してみる。

 一応セーフティロックによって施設そのものの完全水没は免れているものの、それでもところどころ通路は水に埋もれているし、現在進行形で水も大量に漏れ出ている。

 水に飲まれるのを防げたとはいえシレン達も大なり小なり水に濡れている状態だし、そもそも通路に至っては全面水浸し状態だ。

 

 

「磁力を操るって言うけど、それって結局電流を操ることの応用なのよ。だから、こんな風にちょっとでも電気を流せば感電しかねないようなロケーションだと……ね」

 

 

 つまり、美琴の磁力もほぼ封じられてしまっている状況というわけである。

 

 

「ただ、この施設のマップ自体は侵入前にダウンロードしてあるから、非常口までの道順なら分かるわよ。まぁ、この状況でそれが役に立つかは分かんないけどね……」

 

 

 ところどころの水没に加え、破壊された水道管をはじめとした施設の残骸が撒き散らされた通路。当然ながら元の道順は使えないし、マップと見比べても意味がない可能性はあるが……。

 

 

「それでも、大まかな方角が分かるだけでも十分マシだろ。ありがとな、御坂」

 

「ふぇ!? な、何よ……。感謝なら脱出してからにしてくれる?」

 

「「…………、」」

 

 

 男一人女三人。

 この構成があまりにも空気を悪くしやすいことに気付いたシレンである。

 

 

「しかし……凄まじい破壊ですわね」

 

 

 大まかな方角をもとに、壊れた通路の上でかろうじて歩ける場所を歩きながら、シレンは空恐ろしげに言う。

 実際、破壊された通路の滑落も含めてアックアの『攻撃』でなければ、シレン達の頭上に通路が降ってきてもおかしくない破壊っぷりだった。

 水浸しの地面の上、シレン達は破壊された通路の瓦礫を迂回するようにして歩いていく。

 

 しかし、そうした迂回路がいつまでも続くわけもなく。

 

 

「……瓦礫で道がふさがれているみたいねぇ」

 

 

 見ると、そこには人の背丈以上の大きさの瓦礫が通路を塞ぐように聳え立っていた。浄水設備の間に形成された通路を、完全に塞いでしまっている。

 困ったような声を上げたのは、食蜂だった。

 

 

「どうしましょっかぁ。こんな邪魔力を発揮されたら進めないわねぇ。戻って別の道を探しましょうかぁ?」

 

「? 別に登ればいいんじゃないの? このくらい簡単でしょ」

 

 

 困ったように問いかける食蜂の横で、美琴はひょいひょいと簡単に瓦礫を登ってしまう。

 運動神経抜群の健康優良児である美琴にとっては、このくらいの瓦礫は『登ってしまえばいいもの』でしかない。ただし、世の中はそれがスタンダードとはならない世界もある。

 

 

「冗談やめてくれるかしらぁ!? おサル力満載のアナタと違って、私はこんな瓦礫登れないわよぉ!?」

 

「……運動音痴がよく言うわ」

 

「は……はぁーっ!?!? 別に運動神経は関係ないんですけどぉ!? これは……っ、そう、胸!! 胸囲力に乏しい御坂さんと違ってぇ、私は胸がつかえて登りづらいだけなんだゾ!!」

 

「あァ!?!? ナメてんじゃないわよ駄肉!! それ言ったらシレンさんが登れたらアンタただの駄肉確定だからね!?」

 

 

「あ、当麻さん。手を貸していただけますか? ちょっと瓦礫表面が濡れていて滑りやすそうで……」

 

「ん? ああ、いいぞ」

 

 

「「あの女しれっと抜け駆けしてやがる!!!!」」

 

 

 そんなこんながありつつ。

 

 

「……ちょっと、これはどうするのよぉ」

 

 

 諸々の障害物を潜り抜けてきた四人を待ち受けていたのは、滝だった。

 ──より正確に説明すると、上層より落下してきた瓦礫によって形成された高さ三メートル、直径五メートル程度の『器』の中に破損した水道管から流れ落ちた水が溜まり、その縁から流れ出た水が外から見たら滝のように見えている、といったところか。

 

 

「マップを見た感じだと、この瓦礫の向こう側に脱出用の非常口があるのよねぇ?」

 

 

 さらに間の悪いことに、目的地である非常口はこの瓦礫の先。

 即ち、瓦礫によって形成された『器』の水底にあるというわけである。

 

 

「どうするったって、開けるしか……」

 

「水没している状態の非常口を? 怪力の持ち主でもない限り、まず無理でしょうねぇ。それに、仮にできたとしても、その場合非常口の外へ流れ出す水流力に巻き込まれて無事じゃすまないわよぉ?」

 

「かといって、この『器』を破壊する方向で考えた場合でも、間違いなく大変なことになりますわよねぇ……」

 

 

 まず水流の勢いだけでも殺人的だというのに、水流に乗った瓦礫が厄介すぎる。とてもではないが、今のパーティではこれを受けきることはできない。

 四人の間に、重い沈黙が広がる。

 美琴の磁力を封じられた状態では、時間がかかるのを承知で水を『器』の外へ運び出すくらいしか作戦が思いつかないのが正直なところだった。しかもこの状況でも、アックアとの戦闘は続いているらしい。遠くからゴンガンガギンゴン!!!! と凄絶な音が断続的に響いている状態だった。それでも、こちらのほうにアックアの攻撃が飛んできていないあたり、少しは戦況も改善されてはいるようだったが。

 ただ、今回に限ってはむしろ、アックアの攻撃があってくれた方がシレン達にとっては都合がよかったかもしれない。

 

 

「もしもアックアさんの攻撃が来れば、わたくしの右手で失敗させてこの状況を少しでも改善できたかもしれませんのに……」

 

「でもその場合、私達は無事でも非常口が別の何かで破壊されて結局私達が困るみたいなことになる可能性もあるのよね?」

 

「…………、」

 

 

 シレンの臨神契約(ニアデスプロミス)の性質から考えても、そういう結果になる可能性はかなりあった。都合のいい幸運は、都合の悪い不運ももたらすものなのである。

 と。

 そこで、シレンの脳裏にふととある作戦がよぎった。

 

 

「……そうですわ」

 

 

 あるいは、幸運なんかよりもよっぽど堅実な解決策が。

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一四三話:動き始めた歯車

"Haphazard".

 

 

 


 

 

 

「考えてみれば、回答は一番最初に提示されていましたわ」

 

 

 思い返すように、シレンは言う。

 一番最初──即ち、アックアによる攻撃。

 あの攻撃は、一体どのような性質を持った攻撃だった?

 

 魔術によって生成された物質──おそらく氷の棍棒──を高速で射出することによる、施設の破壊。それによって発生した瓦礫や破損した水道管から溢れる膨大な水による、逃げ場のない圧殺。

 そのインパクトによって地形の外部破壊が致命的なものだというイメージばかり先行していたが──そうした悪印象を取り払って、もう一度盤面をフラットな視点で眺めろ。

 

 アックア戦が安定したという前提を考慮に入れれば──これと同じ手段は、シレン達にもとることができるはずだ。

 

 

原子崩し(メルトダウナー)

 

 

 シレンは、一つの答えを提示した。

 

 

「……ちょっとアンタ、正気で言ってんの?」

 

「もちろんですわ。あの方の能力であれば水ごと瓦礫ごと、残らず障害物を破壊してくれます。そして我々は今、彼女達と連絡を取ることができます。細かい座標指定を行えば、あの破滅の極光は我々にとってもこの上ない武器になりますわ」

 

 

 ついこの間まで自分の命を狙っていた能力に対し、シレンはすっかり信頼を向けていた。

 

 

「そういえば、あの第二位もなんだかんだ言ってアンタに協力していたんだっけ……。アンタのそういう性格、ホント尊敬するわ」

 

「別に尊敬するようなことなど何もありませんわ」

 

 

 どこか畏怖すらしているような美琴に対し、シレンは少しだけ目を伏せて、

 

 

「ただ、わたくしは知っているだけでしてよ。彼らの中にも、表には出てきていない『輝き』が確かにあるということを」

 

 

 そこまで言って、シレンは手元の通信機器のスイッチを押す。そして、

 

 

「──麦野さん。砲撃要請ですわ!」

 

『あァ!? ふざけんなよ! こっちはそれどころじゃねぇんだ!! テメェらで勝手にやって、』

 

「あら? ひょっとして、第二位の力を借りているのに()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……?」

 

『……上等だ。テメェのAIM拡散力場は滝壺に記憶させている。そのド(タマ)ァぶち抜けばいいのか?』

 

「そこから二メートル右にズラしていただけますと、大変助かりますわ」

 

 

 そう言って、シレンはさっさと通信を切ってしまう。

 呆れているのは、先ほどまで畏怖を含んだ賛辞を向けていた美琴だった。

 

 

「…………ええと、今のは?」

 

「言った通りですわ。わたくしは知っているだけです。神の右席との苦しい戦闘の最中でも、麦野さんがわたくし達のことを手助けできるだけの力量を秘めていると」

 

「………………、」

 

 

 『嫌だなぁ、こういう重い期待……』とは口には出さない美琴なのだった。

 

 

「それより。皆さん、急いで物陰に隠れてくださいまし! 原子崩し(メルトダウナー)が直撃すれば水流や瓦礫はまとめて消し飛ばされますが──」

 

 

 言いながら、シレンは近場の瓦礫の陰に隠れる。

 ほかの三人がそれに倣って大きな瓦礫の陰に身を潜めた次の瞬間、一条の光芒が彼らの真横を通過し。

 

 

 ドバッグォオオオオオオン!!!! と。

 

 

 大量の水蒸気を伴う爆風が、先ほどまで彼らがいた空間を席巻した。

 

 

「なッばッ!?」

 

「──原子崩し(メルトダウナー)によって瞬時に高温に熱せられた水は、おそらく水蒸気爆発を起こすと思いますので……」

 

「言うのが!! 言うのが遅い!!!! かなりデッドリー!!!!」

 

 

 爆発の衝撃で驚いたのか、尻を突き出した非常に無様な格好で地面に倒れた上条の非難が飛ぶ。

 ただし、これで状況は一変した。

 さっさと物陰から出たシレンは、少しずつ晴れていく蒸気のもやの奥に見える出口を指差しながら言う。

 

 

「さて、行きましょうか。本番はこれからですわよ」

 

 

 


 

 

 

 ──同時刻。

 

 破壊と喧騒が未だ鳴りやまない学園都市で、一組の男女がゆっくりと歩いていた。

 彼らの歩いてきた後には、不良然とした学生から優等生然とした学生まで、様々な学生たちが()()()転がっていた。

 

 

「……ったく。慣れねェことさせやがって。こちとら活動時間は有限なンだぞ」

 

「まぁまぁ。一応お兄さんも了承の上なんだし、今更文句を言わないでよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 ──男の方は、正確には男とも女ともつかない見た目をしていた。

 色が抜けたような白髪に、血のような赤い瞳。痩せぎすの体躯にグレーを基調とした衣服を纏ったその『怪物』は、退屈そうに頭を掻きながら言う。

 

 

「それにしたって別に積極的に承諾したわけじゃねェよ。ただ、俺にとっても都合がよかっただけだ」

 

 

 ──緊急時治安維持協力要請制度、通称『猫手拝借(ハプハザード)』。

 これは『正しい』歴史においては存在しなかった、風紀委員(ジャッジメント)にまつわる制度である。

 簡潔に言うと、昨今大量に発生し始めた『学園都市の治安維持組織では対応しきれない事件』に対し、風紀委員(ジャッジメント)からの要請に応じた高位能力などの独自戦闘能力を持つ学生に一時的に逮捕権をはじめとした治安維持に関わる権限を付与し、治安維持にあたらせる──というものである。

 

 この制度は『闇』との闘争を選んだ学園都市第五位によって提案され、とある統括理事による提唱の末、複数の統括理事の承認を以て試験運用に至ったという経緯がある。

 そしてその選定に任されたのが、白髪の『怪物』と同行しているランドセルを背負った金髪ツインテールの少女、木原那由他である。

 

 その彼女が選定し、第一号として白羽の矢が立ったのが──

 

 

「…………にしても、殺人鬼が治安維持ねェ。皮肉なもンだな」

 

 

 ──白髪の最強。一方通行(アクセラレータ)だった。

 

 

「もちろん、いずれお兄さんの罪は裁かれることになる。学園都市が変わって、きちんとお兄さんの罪が裁けるような状態になったときに。そのとき、この行いが罪を雪ぐことには決してならない」

 

 

 自嘲するように笑う一方通行(アクセラレータ)に対し、法の番人たる組織に所属している少女は、あくまでも厳しい現実を突きつける。

 一方通行(アクセラレータ)も、その言葉を当然のものとして受け止めていた。

 

 

「でも、その償い方のサンプルにはなる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。たとえば、二三〇万人の八割が何かしらのコンプレックスを抱えた不安定な精神状態の能力者という特異なこの街において、治安維持を司る存在として君臨する──とかね」

 

「…………、…………くだらねェな。こンな極悪人にそンなもンができると思っているあたりが、特に救えねェ」

 

 

 つまらなさそうに吐き捨てて、一方通行(アクセラレータ)はさっさと前に進んでいってしまう。

 那由他はそれについては何も言い返さずに、ただ後ろをついていく。

 と、先頭を歩いていた一方通行(アクセラレータ)はふいに足を止めた。すぐ後ろを歩いていた那由他はその背中にぶつかりそうになって、慌てて立ち止まる。『反射』が機能しているため、ぶつかるととても痛いのだ。

 

 

「ちょっとお兄さん! 急に止まらないでよ! 危ないでしょ!?」

 

「……オイ、金チビ。この場合、俺はどォすりゃイインだ?」

 

 

 どこか茫然としたような声色の一方通行(アクセラレータ)の言葉に、那由他は怪訝そうな表情を浮かべながらその肩越しに彼の見ていた光景を見る。

 そこにあったのは、大規模な破壊痕だった。

 少なく見積もっても超能力者(レベル5)級の一撃によって発生したと思しき破壊痕の中心に、一人の男が倒れている。間違いなく、何らかの戦闘があった痕だ。

 

 その中心で倒れている男は、まだ意識を失ってはいないようだった。

 ただし、その負傷については一切の予断を許さない有様だ。

 特に右腕については負傷がひどく、繋がっているだけでも奇跡というレベルの切り傷が肩にあり、そこから大量の血を流している。──医者でなくとも、すぐに治療しなければ命を落とすことは誰の目にも明らかだった。

 

 ただし、一方通行(アクセラレータ)が気にしているのはそこではなかった。

 正確には、一方通行(アクセラレータ)が気にしているのは、()()()()()()()()()()()()()だった。

 

 

 赤髪の男の右肩からは、まるで壊れたテレビの映像のようにブレたヴィジョンの異形の右腕が伸びていた。

 

 

「何らかの兵器か? それとも能力か? いや、違げェな。コイツ……情報で出回っている『魔術』って異能を使う連中だろ」

 

「──聞け、ガキども」

 

 

 戦闘態勢に入ろうとした瞬間、赤髪の男は息も絶え絶えに言った。

 

 

「俺様に協力しろ。でないとあの野郎、とんでもないことをしでかすぞ」

 

「……? 何を言っているの? アナタは……、」

 

「クソったれ……。あの野郎、俺様達『神の右席』の襲撃まで含めて全て()()()()()()()()()()()()()()()…………」

 

 

 話についていけない様子の那由他を無視して、赤髪の男は己の裡の激情を吐き出すように言葉を続けていく。

 

 

「このままあの野郎を、アレイスター=クロウリーを野放しにするな! あの野郎、臨神契約(ニアデスプロミス)の収穫の為なら手段を択ばないつもりだ!!」

 

 

 その男は。

 統括理事長に敗北した『右方』を司る男は、危機感を露わにしながらこう続けたのだった。

 

 

「俺様を『窓のないビル』に連れていけ。でないと──あの野郎、()()()使()()()()()()()()!! 己の『計画(プラン)』を成就させる為に!!!!」




打ち止め「……ハッ、あの人がまた変な女を引っ掛けている気配! ってミサカはミサカは突如感じた悪寒に打ち震えてみたり!」


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一四四話:大いなる禍の些細な思惑

 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

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一四四話:大いなる禍の些細な思惑

Productive_Purpose.

 

 

 


 

 

 

 麦野達『アイテム』や垣根率いる『スクール』の協力により、なんとか天体水球(セレストアクアリウム)から脱出することができたシレン達であったが──しかし、その前途は未だ多難であった。

 

 

「そもそもなんだけどさ」

 

 

 大通りに出てから、上条はぼんやりと話を切り出す。

 

 

木原の書(プライマリー=K)はなんでアレイスターと戦ってたんだ? アレイスターの目的もよく分からないけど、木原の書(プライマリー=K)だって何かしらの目的があって動いているはずだよな。そこが分からないと、木原の書(プライマリー=K)がどこにいるかも分からないんじゃないか?」

 

 

 シレンはアレイスターによって『木原の書(プライマリー=K)の無力化を最優先に行動しなくてはならない呪い』をかけられてしまっている。

 この呪いはどうも体内の奥深くに呪いの核が根付いているようで、幻想殺し(イマジンブレイカー)で触れても解除することができない。だから仕方がなく、こうしてアレイスターの思惑通りになってしまうことは承知の上で木原の書(プライマリー=K)の無力化に向かっているのだが──

 

 

「……うぅん、困りましたわね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

 

 魔術の問題であれば百人力のインデックスも、実は当初シレンが協力を依頼した仲間の一人である。今頃はおそらく別の協力者達と行動しているはずなので、彼女の協力は見込めないだろう。

 となると、やはり木原の書(プライマリー=K)を見つける必要がある。

 

 

「でも、話を聞く限りだと木原の書(プライマリー=K)って明らかにアレイスターを殺害しようとしていたのよね? なら、木原の書(プライマリー=K)の目的ってアレイスターを殺すことなんじゃないの?」

 

「あのねぇ、御坂さんてば安直力高すぎないかしらぁ? そもそもアレイスターを殺害して、木原の書(プライマリー=K)になんの得があるっていうのよぉ?」

 

「はぁ!? そんなの私が知る訳ないでしょ! 現に木原の書(プライマリー=K)がアレイスターを殺そうとしてたのは事実じゃない!!」

 

 

 ギャーギャーと取っ組み合いの喧嘩が始まった少女二人をよそに、上条も上条で木原の書(プライマリー=K)の思考について考えてみる。

 

 

「純粋にアレイスター=クロウリーの殺害そのものが目的じゃないにしても、あのタイミングでわざわざ戦闘を仕掛けてたってことは、殺害自体も目的には含まれるんじゃないか?」

 

「……でも、だとしたら木原の書(プライマリー=K)は目的遂行の為に窓のないビルに行くのではなくて? その場合、アレイスターさんがわたくしと行動を別にした理由が説明できませんわ」

 

 

 木原の書(プライマリー=K)の目的にアレイスターの殺害が含まれているならば、アレイスターがそれを察知していないはずはないだろう。

 ならば、アレイスターの心理としては木原の書(プライマリー=K)対策にシレンを常に傍に置いておきたいと考えるのが自然である。枷によってひとまずの安全は確保できているのだし、レイシアを口八丁で制御できているアレイスターなら何かしらの理由をつけてシレンを手元に置いておくことだって可能だったはずだ。

 その選択を捨ててあえてシレンを解放したということは、アレイスターの目から見て()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということに他ならない。

 

 

「おそらく、アレイスターとの戦闘自体は木原の書(プライマリー=K)の目的の一部でした。それは間違いないはずですわ。……ですが、殺害自体が目的というのは正確ではないのかもしれません。正確に言えば……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……過程? それって、この学園都市の統括理事長を殺害するっていう暴挙すらも目的の為に必要なタスクの一つでしかないってこと?」

 

 

 いつの間にか取っ組み合いから復帰していた美琴が、愕然としながら言う。しかし、今の木原の書(プライマリー=K)の行動をひとつひとつ読み解いていくと、そう考えざるを得ないのだ。

 

 

「それじゃ……いったい何が目的だっていうのよ!? 世界全部をぶっ壊そうとしてるとか、そういうスケールの話になってこない!?」

 

「うーん、あながち的外れと言い切れるわけでもないのよねぇ……。木原幻生なんかは実際に御坂さんを進化(シフト)させた絶対能力(レベル6)を観測する為に学園都市全部を吹っ飛ばすつもりだったでしょぉ?」

 

「…………、」

 

 

 そこについては、美琴も覚えがある。

 いっぱい食わされた苦い記憶なのであまり思い出したくはないが、確かにあの時の木原幻生は『科学の為に世界を滅ぼす』レベルのことをしていた。

 

 

「というか、統括理事長の殺害だとか、そういう俗っぽいものを『木原』が気にしているとは思えないのよねぇ。彼らの目的って、だいたい学術力に向いてなぁい? 即ち……統括理事長の殺害未遂も、結局は何かしらの実験の障害力を排除するためのアクションに過ぎないんじゃないかしらぁ?」

 

 

 おそらくは木原一族とそれなりに渡り合った経験のある食蜂だからこそ、彼女はある種ドライにそう判断した。

 実際、木原一族というのは往々にしてそういう生き物だ。実験の為ならば倫理や良識など投げ捨ててでも結果を得ようとする。そういう傾向が大多数に見られるのは、間違いない。

 ただし。

 

 

「…………いえ。あるいは、それすら正確ではないのかも」

 

 

 彼女よりもさらに深く『木原』と関わってきたシレンには、別のものが見えかけていた。

 

 

「『木原』は実験を遂行するためのマシーンではありません。彼らには、彼らなりの想いが秘められていることだってあります。……だからこそ、相似さんは今回わたくしの為に協力してくださったわけですし」

 

 

 木原相似の例が分かりやすいが、彼はレイシア=ブラックガードに対してきわめて個人的な好意を秘めている。それが『木原』という判断基準を通した結果天敵兵装(アンチVアームズ)という科学に昇華されているあたりはいかにも典型的な『木原』だが、しかしその原動力については疑う余地もなく科学的な意義とは関係ない『想い』が介在している。

 

 あの事件における木原幻生の動きにしてもそうだ。

 彼が美琴やその奥に存在するミサカネットワークを用いた絶対能力(レベル6)の誕生に固執したのも、元を正せば自分の悲願を踏み台にして『計画(プラン)』を進行したアレイスターへの恨みがある。

 

 木原那由他も、テレスティーナ=木原=ライフラインも、大覇星祭の件ではそれぞれの想いに従って、街を守るために戦っていた。

 

 

 木原の書(プライマリー=K)にしても、同じことが言えるとしたら?

 

 

木原の書(プライマリー=K)は、わたくしの奇想外し(リザルトツイスター)を受けて存在そのものが木原数多の行動の『結果』として失敗させられそうになりました。アレは思わぬハプニングとしてわたくし達も流していましたが……実は、アレこそが重要な判断基準になりえるとしたら、どうでしょう」

 

 

 木原の書(プライマリー=K)は、『再起』という言葉を口にしていた。

 つまり彼自身は、木原数多の害意を発露する存在ではなく、あくまで自らを再起しうる一個の存在だと定義している。

 にもかかわらず、奇想外し(リザルトツイスター)木原の書(プライマリー=K)のことを捻じ曲げられる行動の『結果』と判定を下した。木原の書(プライマリー=K)は、シレンの右手で失敗させられる、木原数多の行動の発露にすぎなかった。

 それを認識した木原の書(プライマリー=K)は、一体どういう行動をとるだろうか。

 

 

「……だとしたら、まず最初に考えられるのは自分にとって危険な排除力を持つ存在の排除。この場合、シレンさんの抹殺か、右手の抹消ねぇ」

 

「でも、だったらわざわざこっちの追跡を待つまでもなく、あっちからシレンさんのことを襲撃する方がいいわよね? 今のシレンさんに能力はないんだし、正直いくらでも隙はあるわよ?」

 

 

 しれっと言う美琴に、シレンは身を震わせる。

 シレンも演算力だけならば未だに超能力者(レベル5)級なので自覚はあるが、やはり隣に第三位が控えているといっても、この状況は『暗部』の人間ならいくらでも狙い放題なのだ。改めて突き付けられると、やはり生きた心地がしなくなる。

 ……とはいえ、真っ先に思い浮かぶ可能性があの天体水球(セレストアクアリウム)のゴタゴタの間にも発生していなかったということは。

 

 

「……木原の書(プライマリー=K)にとって、そっちの方策はそこまで重要じゃなかったってことなんだろうな」

 

「でしょうね……」

 

 

 シレンは、そこで沈痛な面持ちになる。ある意味、シレンにとってはそちらの方があまり歓迎したくない可能性だった。

 

 

「わたくしの右手について、気になることが一つあります。それは……()()()()()()()

 

 

 白いドレスグローブに包まれた右手に視線を落としながら、シレンは言う。

 

 

木原の書(プライマリー=K)は実際に、木原数多の悪意の発露だから奇想外し(リザルトツイスター)の対象となりました。なら、たとえば誰かが害意を持って唆した場合、その人の行動は奇想外し(リザルトツイスター)の対象になりうるのでしょうか?」

 

 

 新たに得た異能だからこそ、その答えはまだ実証されたことがない。

 だが、解答に至る為の材料はこれまでにシレンも見てきた。

 

 

「答えは、おそらくNO。もしもこれも対象になるなら、アレイスターさんがレイシアちゃんを唆して駒にしている今の状況についても、わたくしの右手一本で簡単に解決できてしまうことになりますわ。あのアレイスターがそんなお粗末な作戦を立てるとは思えませんし、これが通るならあまりにも範囲が広すぎることになります」

 

 

 シレンの行動にしたって、ここに至るまでの盤面で誰かの害意の影響を受けてこなかったなんてことはないだろう。奇想外し(リザルトツイスター)を使うたびにそれらも全て『失敗』するとなったら、これはもう使うだけで世界がめちゃくちゃになっていないとおかしい。

 

 

「少なくとも生物の場合、その対象の自由意志が優先されるということなのかもしれません。……では、生命を持たない無生物の場合ならば……と考えてみても、その場合も無条件で対象になるとは言い難いはずです」

 

 

 これも、これまでの例で考えてみれば分かりやすい。

 たとえばヴェントの天罰術式の核は舌から伸びた十字架だが、アレは明らかに害意を持って製造された兵器と言っていいだろう。木原の書(プライマリー=K)が誰かの害意によって製造された無生物だから奇想外し(リザルトツイスター)に『失敗』させられたのだとしたら、アレも同様に『失敗』して存在の成立すら崩壊していなければ筋が通らない。

 これは、何故か。

 

 

「…………おそらく、『意図』が関係しているのではないでしょうか」

 

「意図、だって?」

 

 

 シレンの言葉に、上条はオウム返しのように問い返す。

 しかし、それは上条がシレンの言っていることを理解できなかったからではない。むしろ、上条は思い当たる節があった。だから、思わず問い返してしまったのだ。

 シレンは頷いて、

 

 

「ええ。霊装をはじめとした兵器は確かに誰かを害する為に製造されたものですが、具体的な加害行動までは想定されていません。この段階のものについては、奇想外し(リザルトツイスター)が対象とする『害意』にはあたらない……いや、()()()()()()のですわ」

 

 

 考えてみれば、ヴェントも戦闘の終盤では狙いを定めずに攻撃を放つことで奇想外し(リザルトツイスター)の影響から外れようとした。彼女のそれが必ずしも正しい攻略法とは限らないが、傾向として『害意』というものは具体的に対象を頭に思い浮かべてはじめて成立するものという向きは間違いなくあるだろう。

 その上で、

 

 

「翻って対象になる例ですが、これはアックアさんの例を考えてみれば分かりやすいでしょう。先ほどは、『投擲によって大量の水を漏出させ、それによってわたくし達を押し潰す』という攻撃の『意図』があったので水を対象にして奇想外し(リザルトツイスター)が発動しましたわ。ここから察するに……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 人差し指を立てて言うシレンに対して、一拍遅れて上条もまたその言葉の意味を理解した。

 それは、つまり。

 

 

「待て待て待て待て! それっておかしくないか? だってそれって……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってことにならないか!?」

 

「…………おそらくは」

 

 

 つまり、木原数多は事前に木原の書(プライマリー=K)の行動パターンを予測していた。

 そして木原の書(プライマリー=K)が木原数多が想定したとおりに、彼が設定した製造目的通りの害意を世界にばら撒いたからこそ、奇想外し(リザルトツイスター)木原の書(プライマリー=K)を『木原数多の害意』と判定した。

 そう考えれば、あの局面で木原の書(プライマリー=K)奇想外し(リザルトツイスター)によって存在そのものの成立を揺らがされたことに説明がついてしまうのだ。

 

 

「そんなのって……」

 

「おそらく、木原の書(プライマリー=K)自身もある程度前もってその可能性についての考察力はあったんでしょうねぇ。むしろシレンさんとの一件は答え合わせでしかなくて、元々『それ』をどうにかしようと動いていた。統括理事長の抹殺についても、その為の脇道でしかなかった……」

 

 

 美琴と食蜂も、そこまで聞いて木原の書(プライマリー=K)の目的に思い至る。

 

 統括理事長すらも殺害せんとする『原典』の行動目的。

 

 シレンは目を伏せながら、決定的な一言を口にした。

 

 

 

「『木原数多』からの脱却。おそらくはそれが、木原の書(プライマリー=K)の目的ですわ」



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一四五話:献身的な子羊は強者の知識を守る

 『木原数多』からの脱却。

 

 その目的が分かった以上、シレン達の取るべき行動もまた明確になった。

 木原の書は現状、『木原数多』から離れた行動をとろうとしていたということ。つまり、その行動を予測するためには『木原数多』が取るだろう行動を熟知している人材の意見を仰げばいい。

 

 

「……というわけなんですけど、相似さん、何か心当たりはありませんの?」

 

『うーん、こういうのはどっちかというと円周が向いてるんですけどねぇ……』

 

 

 シレンが連絡をとった相似は、そう言って言葉を濁した。

 ──木原相似。数多と行動を共にし、彼の薫陶を身近で受けていた稀有な『木原』である。そしてその性質上、相似は木原一族の中でも特に数多と性質が近しいとシレンは睨んでいた。

 

 

『そもそも、僕も僕で数多さんのデッドコピーじゃありませんからねぇ。特にシレンさん達に執着するようになってからは、明確に「木原」として分岐した実感がありますし。ただ…………』

 

 

 言葉を選ぶように、相似は続ける。

 

 

『数多さんの特徴として、「継承」する力がありますね』

 

「…………継承、でして?」

 

 

 相似の言葉に、シレンは首を傾げる。

 『正しい歴史』における木原数多の登場場面はかなり少ないが、それでも言及自体はそこそこある。ゆえにシレンもうろ覚えなりに木原数多を特徴づける要素は知っているつもりだったが──相似の言葉は、そんなシレンをして全く耳なじみのない評価だった。

 

 

『ええ。僕との関係もそうですけど、数多さんって意外と木原の中だと顔が広いほうでして。那由他とか、乱数君とか……あとは病理さんもか。それって、数多さんが人に何かを教えたり、教えられたり……そういうのが得意だからだと思うんですねぇ』

 

「……なるほど……」

 

 

 シレンは言われて、納得したように頷く。

 『正しい歴史』の中では特に解説されていなかったが、確かに木原数多は(最初に登場した『木原』というのもあるだろうが)いろんな木原と繋がりがあったように思える。シレンとしても、この分析は納得がいく話だった。

 

 

『それにそもそも……数多さんは、かの第一位の「開発」を担当した張本人ですしね』

 

「………………そういえば、そうでしたわね」

 

 

 言われてみれば、という事実だった。

 一方通行(アクセラレータ)の能力開発を担当したのは、木原数多である。たとえ一方通行(アクセラレータ)の才能が最初から確定していたとしても、それを伸ばす為に宛がわれた添え木の品質が悪いということはないだろう。

 そういう意味でも木原数多の有能さは証明されているし、『暗闇の五月計画』をはじめとした派生計画の数が、学園都市が一方通行(アクセラレータ)の開発を経て得た知見の程を──即ちそこに主任として携わっていた木原数多の『科学』のすさまじさを物語っている。

 

 

『他にも色々逸話はありますけど、とにかく数多さんといえば「継承」っていうのが僕のイメージですね。そんな数多さんが今までの自分からの脱却を目指すなら……やっぱり今までの自分とは違う方向性の技術の「継承」じゃないですかね?』

 

「今までの自分と違う方向性の『継承』……あっ」

 

 

 そこまで話を聞いて、シレンの脳裏に突如閃くものがあった。

 何故かアレイスターと戦闘を行っていた、木原の書の姿。あれは、つまり──

 

 

「…………まさか、あれって……木原の書がアレイスターさんの技術を『継承』しようとしていたということですの?」

 

 

 そう考えれば、あくまで『木原数多からの脱却』が目的のはずの木原の書がわざわざアレイスターとの戦闘という脇道に逸れた理由にも説明がつく。

 アレイスター自身に狙われる理由がありすぎて背景がぼやけていたが、あの戦闘はアレイスターの殺害が目的なんかではなかったのだ。あの戦いにおける真の目的は、アレイスターの技術の『継承』。そしておそらくアレイスターは、その技術を『継承』されてしまったことで劣勢に追い込まれていたのだろう。

 

 

「……アレイスター=クロウリーは、特別な才能や体質みたいなものに頼っていた様子はありませんでした。あるいは持っていても頼れない状況なのかもしれませんが…………『継承』との相性は、確かに最悪でしょうね」

 

 

 シレンは知らないことだが、アレイスターはただでさえ『失敗』する宿命を背負っている。

 もしも木原の書が『継承』によってアレイスターと同じ手札を得ることができるならば、『失敗』がある分アレイスターの方が徐々に分が悪くなっていく。そうなればアレイスターが勝利できる確率はゼロとなるだろう。

 

 

『ってことは、アレイスターがシレンさんに木原の書の始末を押し付けてきたのは、自分との相性が悪いからなんでしょうねぇ。自分はどう頑張っても相性的に勝てないわけですし。その点シレンさんなら指パッチン一つで消せるわけですから、当然の判断ですねぇ』

 

「お陰でこっちはいい迷惑ですわよ……」

 

 

 そもそも、話を聞いている限りだと別に木原の書とシレンの利害は共存できるのだ。特に何かされたわけでもないのに攻撃を仕掛けるのだって釈然としないし、こうなってくるとやはりアレイスターの思惑から外れる為にも、積極的に術式の解除を模索した方が良いような気さえしてくる。

 

 

『……いえ、そうとも言えないと思いますが』

 

 

 しかし、電話口の相似の言葉は力が抜けたシレンとは対照的に、何とも言えない緊張感を保っていた。

 警戒している──というよりは、不都合な事実に思い至ってしまったというような調子で、

 

 

『もし仮に木原の書が今までとは違う系統の技術──魔術を「継承」する為にアレイスターを襲撃したのだとしたら、次の行動だって読めてきますよ』

 

 

 相似はシレンに──というよりは、その場にいる全体に向けて警告するように言う。

 

 

『分かりませんか? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 それは、つまり。

 

 

『インデックス、でしたっけ? 先日の事件で「原典」となったオリアナ=トムソンさえ何とかしてみせた彼女の知識、数多さんなら絶対に欲しがると思うんですよねぇ』

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

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一四五話:献身的な子羊は強者の知識を守る

Index-Librorum-Prohibitorum.

 

 

 


 

 

 

「……はぁ、どうしてお姉さんがこんなことしてるのかしらねぇ……」

 

「オリアナ! また位置が変わったかも! ……あーもー、どうしてこんなにぴょんぴょん移動できるのかな!?」

 

 

 ──同時刻。

 第七学区の大通りには、サイドカーつきの大型バイクに跨るオリアナ=トムソンとそのサイドカーに座ってやいのやいのと騒いでいるインデックスの姿があった。

 身振り手振りを交えて一生懸命に話しているインデックスとは対照的に、オリアナの方はというとげんなりした様子でインデックスの指示に耳を傾けていた。

 

 

「いくらお姉さんが運び屋だからって、映画で出てくる意味不明に酷使されるタクシーみたいな扱いは専門外なんだけどねぇ……」

 

「仕方ないでしょ! 世界最悪の魔術師──アレイスター=クロウリーが敵に回っている以上、その術式の解析は必須事項。万全のアレイスターに待ち構えられたら、とうま達だって危ないもん」

 

 

 そう言って、インデックスはその瞳に静かな闘志を燃やしてみせる。

 普段は事件の蚊帳の外にいがちなインデックスだが、その知識は掛け値なしに魔術サイドの最高峰。その叡智を以てアレイスターの手札を解析することができれば、いかに『黄金』を破壊した魔術師といえど撃破難易度は大きく下がるはずだ。

 その為にも、インデックスとしては何としてもアレイスターが準備を整える前にかの『人間』の持つ技術についてある程度の調査はしたいところなのだが……。

 

 

「……その為のアシにお姉さんっていうのは、まぁお姉さんの職分を考えれば当然ではあるんだけどねぇ……」

 

 

 一応、オリアナ=トムソンはフリーの魔術師である。

 そういうわけなので、ローマ正教の仕事で学園都市のスパイをやった彼女がイギリス清教所属のインデックスと行動を共にしていても何も不思議はないのだが、インデックスについては当然あるであろう『敵同士と目的が一致しているので一時的に共闘している』という雰囲気すら感じられないのだった。プロの魔術師であるオリアナとしては、どうにも据わりが悪い。

 

 

「っていうか、アレイスター=クロウリーの他にも神の右席とかいう連中もやってきているんだよね? 同じ魔術サイドといってもイギリス清教とローマ正教じゃ敵同士みたいなものだし……正直、出会いがしらに消し飛ばされないかの方が心配かな」

 

「うーん、その点については多少安心してもいいと思うかも。神の右席の魔力は一応健在だけど、アレイスターの反応からは遠いから」

 

「……魔力の気配? そんなもの、分かるもの……? キミって確か魔術は使えないのよね?」

 

「ふふん! 正しくは、()()()()()()()()()かも。魔力が生成できないから術式を使うことはできないけど、魔力を認識することはできるんだよ。だから誰がどこにいるかくらいは、集中すれば追跡できるかも」

 

「………………けだし便利よねぇ、この子」

 

 

 魔術結社がこぞって身柄を狙う理由が分かるというものだった。この分なら、厄介な揉め事に巻き込まれることなくすんなりアレイスターのことを捕捉できるかもしれない。

 ────そんなことを考えていたのが、悪かったのか。

 

 ズゾン!!!! と、オリアナ達の目の前を遮るような黒い斬撃が、大通りを両断した。

 二もなくバイクを急停止させたオリアナは、その斬撃の主を見て──そして静かに目を見張る。

 

 

「…………嘘でしょ。アナタは確か、レイシアさん達の協力者によって倒されたはず……!?」

 

 

 ──黒い衣服の上に、真っ白な白衣をコートみたいに羽織った男──その在りし日の姿を模した、『原典』。

 金色の髪を逆立て、顔の半分を四原色の焔で彩った木原の書はニヤリと笑って、こう返す。

 

 

「ああ、確かにそうだったな。んでもって、今の俺は『そいつ』を超える為にここにいるって訳だ!!」

 

 

 直後、だった。

 木原の書の右手が膨張したかと思うと、腕だった部分が四原色のマーブル模様を描き出す。

 

 

「……!? 四大属性(エレメンツ)!? そんな……カバラの秘法をどうして!? あのきはらって人、確か科学サイドの人間なんだよね!?」

 

「お姉さんに聞かれても分かんないわよ!!」

 

 

 カチリ、と。

 言い合うインデックスとオリアナをよそに、四原色のマーブル模様の変化が停止する。

 

 

「さて、試運転としちゃこれで十分かね」

 

 

 木原の書の言葉と同時に、膨張した腕が元の人の形を取り戻す。

 そしてその右手には──()()()()()()()()()()()()

 

 虚空に、数字のイメージを帯びた火花が散っていく。

 

 

「────!!!!」

 

 

 オリアナが焦燥のままに単語帳のページを嚙み千切り、そして──

 

 

 

「顕現せよ、我が身を食らいて力と為せ──魔女狩りの王(イノケンティウス)!!!!」

 

 

 炎と重油の巨人が、その一撃の間に割って入った。

 

 バシュッ!!!! とあっけなくその攻撃は消し飛ばされるが、しかし炎と重油の巨人が過ぎ去ったその後には、入れ替わるように二人の魔術師が佇んでいた。

 

 

「少し、迂闊が過ぎたんじゃないかい?」

 

 

 赤髪の男。

 目の下にバーコードのような刺青をした神父は、煙草をふかしながら嘲るかのように木原の書に呼びかける。

 

 

「アレイスター=クロウリーの生存。これが発覚した以上、イギリス清教には動く理由が生まれている。そのタイミングでローマ正教の全面攻勢。此処に旧知の仲であるシレン=ブラックガードからの救援要請が届いたとあれば、イギリス清教は組織として『動く』ことができるようになるわけだ。同盟相手を助ける為に、臨時で少数精鋭を送り込む──といった形で」

 

 

 一歩、前に出る。

 そこに並び立つように、もう一人の魔術師も前に出た。

 

 

「そしてその中で、同じく必要悪の教会(ネセサリウス)のメンバーであるインデックスと合流するのは組織として当然です。……まぁもっとも」

 

 

 黒い長髪をポニーテールにし、左右の長さが異なるアシンメトリーなジーンズとジャケットを身に纏った女性は、静かに言う。

 腰に下げた二メートルにもなる令刀に手を携えながら。

 

 

「組織的な理由だけではなく()()()()()()()()()()、この手に刀を握るには十分すぎましたが」

 

 

 ステイル=マグヌス。

 

 神裂火織。

 

 

 二人の魔術師は、臨戦態勢に入りながら目の前の敵に視線を向ける。

 

 彼らの背後には、純白のシスター。

 

 つまり、もう一つの名を名乗るには十分すぎる。

 

 彼らにとっては、彼女こそがその名を名乗る意味なのだから。

 

 

 

 

我が名が最強である理由をここに証明する(Fortis931)!!」

 

救われぬものに救いの手を(Salvare000)!!」

 



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おまけ:不名誉なる聖痕 ①

「だぁらっしゃあああああああああああああああああい!!!!」

 

 

 悲鳴とも雄たけびともつかない叫びと共に、浜面の身体がノーバウンドで数メートルは吹っ飛んだ。

 本日三回目の飛躍であった。

 

 

 ────そこは、既に冗談みたいな戦場と化していた。

 

 神の右席・後方のアックア。

 第四位・麦野沈利。

 

 二人の化け物の激突は、もはや人類の領域には収まらない。流れ弾が当たれば死ぬという生易しい時代はとうの昔に終わっていた。

 此処は既に、()()()()()()()()()()()。そういう世界に変貌していた。

 

 

「クソっ!! 最悪だ!! こんな戦場にいて俺達に何ができるっていうんだ!? っつか、逃げ遅れた民間人ってカテゴリの方が正確じゃねえか!?」

 

 

 日頃の行いの賜物か、幸運にも無事に障害物のない場所へ軟着陸を成功した浜面はたまらず叫ぶ。

 実際に、浜面が今まで生存していたのが不思議なくらいだった。

 麦野が破滅の極光を放ち、それをアックアが音速の機動によって回避する。その回避機動の余波によって生まれるソニックブームですら、人ひとりが簡単に吹き飛ぶのだ。

 返す刀で放たれる氷の礫に対して麦野が光線を循環させて作った盾で防御しても、それはそれで水蒸気爆発が発生し、これに巻き込まれても当然人間のローストが出来上がる。

 どちらに転んでもいくつあっても命が足りない戦場の完成だ。こんな場所で戦い続けてるのはふざけていると浜面は思う。

 

 

「電子レンジのスチーム機能よりも性能高いんじゃねえか!? とっとと逃げようぜフレンダ!! 無能力者(レベル0)が消えたところで戦況に影響なんか一ミリもねえよ!!」

 

「……いいえ、違うわ浜面。見て」

 

 

 必死の思いで物陰に引っ込んだ浜面は、ほとんど懇願するようにしてフレンダに言う。

 しかし縋りつかれたフレンダは静かに首を振り、物陰の向こうに展開されている戦場を指差した。

 

 

 ──セレストアクアリウムにて展開されている戦場の状況を書き連ねると、それは下記の通りとなる。

 まず、戦場の主な場所はセレストアクアリウムの正面入場口。ガラス張りの高層ビルの正面玄関にあたる部分にて展開されている。

 戦闘を構成しているのは、主に麦野沈利と後方のアックアの二人。原子崩し(メルトダウナー)の両腕と爆発による移動を駆使して攻撃する麦野と、氷の棍棒を振るい音速で立ち回るアックアの一騎打ちの様相を呈している。

 とはいえ、麦野の方がわずかに劣勢であり、撃ちこぼした攻撃は適宜絹旗がガードに入ることで事なきを得ているような状況なのだが……、

 

 

「──どうした、能力者。顔色が優れないようであるが?」

 

「チッ、涼しい顔しやがって、そのふざけたポーカーフェイスごと焼き潰してやるわよォ!!!!」

 

 

 根本的な、スタミナの差。

 身体能力で言えば麦野も常人を大きく上回っているが、それでもあくまで生身の人間の範疇だ。頭を殴られれば(短い時間だが)意識を失うし、四肢を失えば命に関わってくる。

 一方でアックアは聖人である。そもそも演算による先読みで無理をして音速の世界に食らいついている麦野と違い、アックアの場合は『素の戦闘の世界』がそもそも音速の領域となっている。

 その分の『余裕の差』は、スタミナの消耗率として如実に表れてくるのだ。

 

 端的に言って、学園都市の第四位はじりじりと追い詰められていた。それも、誰にも分かる程度には明確に。

 

 

「どういうことだよ……!? レイシアとだって、麦野は同格の戦いをしていたじゃねえか。負けはしても、あと一歩で勝てるってところにまでは立っていた。互角だった。そんな超能力者(レベル5)がこんな、追い上げることすらできず……じりじりと離されるように負けていくようなことなんてあるのかよ……!?」

 

「………………魔術サイド」

 

 

 呻くように言う浜面に重ねるように、フレンダは言う。

 その言葉を意識的に口にできるだけの経験値は、既に積み重なっていた。

 

 

「今回戦っている『神の右席』って連中は、学園都市とは違う()()()()()()()の頂点なのよね。確か、ローマ正教の信者一〇億人のトップ4って話でしょ。……学園都市の学生の数は……何百万人だっけ?」

 

「…………文字通り、桁が違いすぎんだろ…………」

 

 

 上澄みとしての、格が違う。

 超能力者(レベル5)が二八万七五〇〇分の一の天才なら、神の右席は二億五〇〇〇万分の一の天才だ。そういう意味でも、世界の上限が違いすぎる。それが、結果としてこの戦況として表れているのだ。

 

 

「確かに、私達にできることなんて少ないかもしれない。でも、このままだと麦野は確実に押し切られる。結局、そうなってしまえばアックアの毒牙はシレンにも届くって訳よ」

 

「その為に俺達が死んじまったら元も子もねえだろ!?」

 

「…………それに、もう既に私達はアックアに敵って認識されている訳よ。ヤツは麦野っていう目下の戦力を潰し終えたら、余計な横槍を入れられるリスクを嫌って私達をさっさと潰したがるはず。……天下の超能力者(レベル5)サマの加護を失った私達がどうなるかくらい、馬鹿な浜面にでも分かるでしょ?」

 

「…………クソったれが!!」

 

 

 ほとんど自棄になりながら浜面は毒づき、

 

 

「だったらどうするってんだよ!? いるだけで命がすり減るような戦場で、何の力も持たねえ無能力者(レベル0)に何ができるってんだ!!!!」

 

「…………策なら、一つだけあるわ」

 

 

 自らも冷や汗をかきながら、フレンダは人差し指を立てて引き攣った笑みを浮かべる。

 

 

「安心しなさい。結局、私が一番好きなのはああいう調子に乗った強者の足元を掬って笑ってやることなのよね」

 

 

 聖者とはかけ離れた、悪党の笑みを。

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

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おまけ:不名誉なる聖痕

>>> セレストアクアリウム総力戦 

 

 


 

 

 

「後方のアックアは確かに麦野も圧倒するバケモノだけど、隙が全く無いわけじゃないって訳よ」

 

 

 フレンダはそう言って、戦況を見遣る。

 浜面は、フレンダの言い回しに怪訝そうな表情を浮かべ、

 

 

「どういうことだ? 俺の目には完全無欠の化け物にしか見えねえんだけどよ」

 

「たとえば、アイツは蒸気を操ることはできない」

 

「…………へ?」

 

「さっきから麦野との衝突でバンバン水蒸気爆発を起こしているでしょ。それなのに一度も蒸気を利用するそぶりを見せてない。これって結局、『操ることができない理由がある』って考えるべきでしょ」

 

 

 事実、アックアは麦野の攻撃によって手持ちの水や氷が減らされたら、適宜新たなものを追加することで対応している。

 それで対応できているので戦況に影響はないのが現状だが、しかし『補充しなくてはいけない』という事実は確かに存在しているといえるだろう。

 

 

「それにアイツは、無から水や氷を生成してはいるけど、大規模な生成はできないわ。結局、もしもできるなら、最初から大量の水を出して私達を押し流せばいいだけだもんね」

 

 

 これもまた、道理である。

 現状のバランスでもじわじわと麦野を追い詰めているのだ。上限に余裕があるなら、最初から費やしておけば簡単に勝負がつく。後方のアックアという『プロ』が、わざわざ麦野に対してそんな手心を加えるとも思えない。

 

 そして、そうした前提を並べれば、とある仮説が見えてくる。

 

 

「そして多分……アックアには、さらに多くの水を操る方法があるはずって訳よ」

 

 

 そう言って、フレンダは天体水球(セレストアクアリウム)の方を指差す。

 

 

「根拠はこの状況ね。麦野相手に多少の余裕を残して追い詰められる程度の強者なら、この戦場を維持する理由はない。能力者でもないんだから滝壺の追跡も使えないしね。さっさと戦線離脱して、アイツの狙いであろうシレン達や統括理事長に襲撃を仕掛ければいいのよ。……でも、そうしていない」

 

「…………おいおい、まさか」

 

 

 フレンダの言葉を引き継ぐように、浜面は呻く。

 

 

「セレストアクアリウム。ガラス張りの水族館が蓄えている莫大な水を、そのまま自分の武器にする為にこの戦場に拘っているっていうのかよ…………!?!?」

 

 

 今の時点でも、超能力者(レベル5)を凌駕している。

 そんな強者がさらに強くなる余地を残しているのは恐怖でしかないが、しかし同時にそう考えれば説明もつくのだ。

 ただでさえ、アックアは既に仲間を殆ど失っている。ここから一人で学園都市を相手に目標を達成するとなれば、さらなる戦力の強化は必須。アックアの戦略的合理性に沿わない拘泥もそこにあるのであれば辻褄が合う。

 

 

「そして、私達は今の戦況を『麦野でもじわじわ潰されるしかない絶望的戦況』って最初に評価したけど、結局それは相手からしたら真逆かもしれないわ。アックアからしてみれば、『早く戦力を強化したいけど相手が粘りまくっているから思った以上に手こずっている』って状況なんじゃない? 今って」

 

「……確かにな。よく見てみれば、麦野のヤツも思ったよりキレてねえっつうか……どっちかっていうと、嘲笑ってる感じの表情か? あれ」

 

「ま、まぁまぁガチで戦ってる時の麦野の話は怖いからこのくらいにしておいて……」

 

 

 フレンダは冷や汗をかきながら話題を進めていく。

 

 

「結局、そういうことなら私達のやるべきことも見えてくる。水の量によって強くなるってんなら、逆に言えば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「具体的には?」

 

「そうね、例えば…………一面火の海とかどう?」

 

 

 言うが早いか。

 

 フレンダは懐から取り出した六角形の爆弾を、サイドスローの野球選手のようなフォームでアックア目掛け投げつける。

 もちろんそれはアックアにすぐ察知されるが──それすらフレンダにとっては計算済みだった。

 

 

「結局、水で消火できない炎をあげる爆弾の用意なんて、両手の数でも足りないって訳よ!!」

 

 

 フレンダが叫んだ瞬間、投擲された爆弾が起爆する。

 ──リトルナパーム。

 簡単に言えば対人用にまで規模を落としたナパーム弾で、内臓された燃料は引火と同時に一定方向に撒き散らされる。この炎は水では消し止めることはできず、消化するには油火災用の消火剤を用いる必要がある。

 当然ながら、人道的観点から言えば『極悪』としか表現のしようがない代物だった。

 

 

「……! でかしたわね、フレンダ!」

 

「調子のいいことを……火からの防御担当の私のことも超考えてくださいよ!!」

 

 

 当然ながら、爆発が味方を選別してくれるわけがないのでその火の手はフレンダと絹旗にも浴びせられるのだが……そもそも炎という攻撃手段が絹旗との相性が良すぎる。

 窒素を操る絹旗にしてみれば、炎を防ぐことなど呼吸をするよりもたやすいのだった。

 

 

「……なるほど、水では消せない炎を用いて、私の水を炙って弱体化を図ろうという算段であるか」

 

 

 実際、効果はあった。アックアの持つ氷の棍棒にも付着した引火油はじわじわとアックアの武器を蝕んでいるし、周辺に飛び散った火の手も純粋に火の手としてアックアの体力を奪っていく。

 それに対応する為に戦闘に使っていた水のリソースを消火に向けざるを得なくなったことにより、戦況は徐々に麦野が持ち直していった。

 

 

「ハッ……どうした神の右席。顔色がよくないんじゃないかしら!?」

 

 

 麦野の哄笑と共に、絶滅の輝きを宿した巨腕が豪快に振りかぶられる。

 

 それをギリギリのタイミングで躱したアックアは、己の不調に気づいた。

 先ほどからさして時間が経っていないにも関わらず──息が荒くなりつつあるのだ。

 もちろん、二重聖人であるアックアがこの程度の戦闘で消耗することはない。いかに火の手に囲まれているとはいえ、この程度の熱は水を司るアックアにとっては大した問題ではないからだ。

 

 では、この状況は何か。

 

 ──()()()()()()()()()()

 

 

「…………なるほど、酸欠であるか」

 

 

 アックアは神の右席でありながら、通常の魔術も使うことができるという特異な魔術師である。

 ゆえに彼は、学園都市という『科学』を抱え込んだ敵の総本山に乗り込むにあたって、大小さまざまな防御術式を用意している。

 たとえば、耐毒。『聖母の慈悲』は特に不調の回復と相性が良いため、アックアは様々な種類の加護を抱えていた。その中の一つには、たとえば一酸化炭素中毒に対する耐性も備わっており、実は地味にフレンダの本命であった『一酸化炭素中毒による静かな撃退』という線は人知れず無効化されていたのだが……そもそもの問題として、失われている酸素自体はどこからも供給できない。

 

 

「いや……返す言葉もないな」

 

 

 獣のように笑う麦野に対して、アックアは意外にあっさりと答える。

 派手な攻撃の裏に隠されていた見えない牙が自らの喉元に迫っていた事実を、素直に認めた。

 その横顔には、どちらかというと自嘲のような色の苦みが滲んでいるように見える。

 

 

「正直、貴様達を相手に『どこまで時間稼ぎをされるのか』という失礼な焦燥を覚えていたことは否定できないのである」

 

 

 そしてアックアは、真摯な面持ちでこう続けた。

 

 

「非礼を詫びよう。そして────全力で叩き潰すとするのである」

 

 

 その直後、アックアの手元にあった長さ二メートル以上もある巨大な氷の棍棒が消失した。

 

 

「な…………ッ!?」

 

 

 

 己の武器を一ついたずらに手放すような暴挙に、麦野の表情が一瞬強張る。

 しかし次の瞬間、麦野の脳裏に一人の少女の姿がよぎった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()

 

 

「しまッ、コイツ、気流を!?」

 

 

 気付いた時には、もう遅かった。

 巨大な氷の棍棒が消えたことによって生まれた真空空間に、周囲の空気が一気に流れていく。

 そしてそれによって発生した暴風は、酸欠状態のアックアに新鮮な酸素を呼び戻す。そしてアックアにしてみれば、それだけで十分だった。

 

 

「細工の腕は認めよう。だが教えてやるのである。────私は、『神の右席』であるぞ」

 

 

 次の瞬間には、アックアの手には同じような長さ二メートルの氷の棍棒が生まれていた。

 ゴガガガガギギゴガン!!!! という凄絶な音が、周辺に撒き散らされた。音速を超えてアックアの腕が振るわれる。

 

 

「散々苦労したのだ。せっかくだし、お裾分けしよう」

 

 

 炎を帯びた油に覆われた地面ごと、氷の棍棒が地面を削り──そしてそれを、麦野に撒き散らした。

 面食らったのは麦野の方だ。先ほどまでの戦闘でナパーム弾の威力は痛いほど分かっている。すぐさま原子崩し(メルトダウナー)をアーム状に展開し、飛んできた瓦礫やナパーム弾の内容物を消し炭にするが──それこそ、アックアの作戦だった。

 

 

 轟!!!! と。

 

 

 『何か』が、麦野の防御の横を掠めるように高速で通過した。

 

 

「…………あ?」

 

 

 戦況に変化はない。

 麦野も、絹旗も、物陰に隠れているフレンダや浜面でさえ、今の一撃で傷ついたものはいない。だから誰もが、一瞬何をされたのか分からなかった。

 滝壺から切羽詰まった通信が届いてくるまでは。

 

 

『みんな!!!! 大変だよ……アックアが投げた氷の投げ槍で……水族館の配水施設が破壊された!!』

 

 

 その言葉に、一同が息を呑んだ。

 つまりアックアは、一瞬の隙をついて自らを蝕む酸欠地獄を回避しただけでなく……本来の目標であるシレン達に対しての攻撃すら行ったというわけだ。

 まるで、『アイテム』の妨害など無意味だとでも言わんばかりに。

 

 

「テメェ……!! テメェの相手は私らだろうが!!」

 

「何を勘違いしているのか知らないが、私は別に力比べをしているつもりはないのである。私達が担っているのは世界の命運を賭けた総力戦。……貴様達にその覚悟はあるのであるか?」

 

「…………!!!!」

 

 

 世界を背負う覚悟。

 アックアが何気なく口にした一言には、異様な重みがあった。それこそ、学園都市の『闇』の中で蠢いている程度の人間では一生かかっても出せないような『重み』が。

 その気迫に一瞬気圧された麦野を一瞥してから、アックアは視線を横にずらす。──即ち、フレンダ達の方を。

 

 

「……しかし先ほどの機転には危機感をおぼえたのである。とりあえずここは……そちらの方から潰すべきか」

 

「……っ!! ヤベェフレンダ、こっちに目をつけられたぞ!! 逃げろ!!」

 

 

 迫るアックアに対して、浜面が咄嗟にフレンダを身を挺して庇おうとした、次の瞬間だった。

 

 

 ゴッギィィィン!!!! と。

 音速で飛来した『何か』が、アックアの凶手から彼女達を掬った。

 

 

「──おーおー、散々じゃねえか。大丈夫かよ、『アイテム』」

 

 

 それは、白い翼だった。

 まるで液体のようにするすると伸び縮みする不可思議な翼の持ち主たる少年は、軽薄そうに笑いながら地面に降り立つ。

 

 

「…………天使。なるほど、学園都市もなかなかに悪趣味なモノを開発しているのである」

 

「うるせえな。悪趣味なのは百も承知だっつの」

 

 

 そしてその横に立つのは、土星の環のようなヘッドギアを被った少年と、赤いドレスを身に纏った少女。

 

 

「…………仕方がねえ。こっからは、俺達も協力してやるよ」

 

 

 誉望万化。

 獄彩海美。

 そして、垣根帝督。

 

 彼らが所属する組織を、人はこう呼ぶ。

 

 

「『スクール』が、な」



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おまけ:不名誉なる聖痕 ②

「…………フム、なるほどな」

 

 

 戦況を睥睨して、アックアは尚も冷静に頷いた。

 フレンダの攻撃により手持ちの水量も大幅に削られ、人数差も相当なものとなったはずのその状況で。

 

 

「……七対一か。確かに、戦況はこちらが不利と言わざるを得ないようであるな」

 

 

 麦野沈利。絹旗最愛。フレンダ=セイヴェルン。浜面仕上。垣根帝督。誉望万化。獄彩海美。いずれも学園都市の『闇』の奥底で一線級に位置する面々を相手にしながら、アックアは静かにその事実を認める。

 しかしそれは、敗北を認めたわけではなかった。

 そもそもの問題として。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「ならばこちらも、本気を出させてもらうとしよう」

 

 

 アックアが操っていた氷が、環の形になって彼の頭上で圧縮された──その直後。

 

 ドバオッッッ!!!! と。

 セレストアクアリウムの中から、膨大な水が飛び出した。高層ビルの入り口や窓──あらゆる外気との接続口から、押し出された心太(ところてん)のような勢いで水流は溢れ出ていく。そうして飛び出した大量の水は瞬く間にアックアの周囲に集い、そして三対の翼のような形を模した。

 

 頭上に浮かぶ環、そして三対の翼。

 熾天使。

 それを見て、同じく三対の白い翼を持つ垣根は不敵な笑みを浮かべながら言った。

 

 

「…………おいおい、随分メルヘンな風体になったじゃねえか。似合わねえぞ、ゴリマッチョ」

 

「心外である。『神聖』と、そう訂正してもらおうか」

 

 

 水────神の力(ガブリエル)

 後方を司る熾天使の力を帯びた使徒が、猛威を振るう。

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

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おまけ:不名誉なる聖痕

>>> セレストアクアリウム総力戦 

 

 


 

 

 

「どっわァァあああああああああああああああああああああああああああああ!?!?!?」

 

 

 浜面が、数メートルも宙に浮く。

 本日四度目の飛翔は、垣根の翼によって受け止められた。

 

 

「す、すまねえ……」

 

「別に構わねえよ。……っつか、お前よくそのザマで生き残れていたな」

 

「浜面ァ!! 勝手に『スクール』に助けられてんじゃないわよォ!!」

 

「ひい! 理不尽!!」

 

 

 ──戦況は、再び混迷を極めていた。

 『スクール』の乱入によって一時は優勢となっていた戦線だが、セレストアクアリウムの設備を破損することで得た大量の水流が全てアックアのものとなってしまったため、一気に相手の戦力が増強された形だ。

 しかも、セレストアクアリウムの水は今もまだ流出しており、アックアの戦力は未だ留まるところを知らない。

 

 

「クッソ、いったいどんだけ水を操れるっていうのよ……!? 結局、もう超能力者(レベル5)級とかそんなレベルじゃないわよ……!?」

 

「戦場においてスペックシートなど参考程度の意味合いにしかならないが」

 

 

 巨大な水の翼を適宜鎗や斧などの形に作り替えながら戦場を少しずつ押し流しているアックアは、あくまでも冷静にそう付け加え、

 

 

「範囲にして半径五キロ、質量にして一万トン。……私がその気になれば掌握できる水の最大量である。無論、術式を用いて制御を向上すればさらに大量の水を手中に収めることも可能だ。この意味が分かるであるか?」

 

 

 メキメキメキメキ、と。

 水が、音を上げて軋みながら氷の大剣へと変貌していく。

 

 

「貴様達が相手をしているのは、一介の能力者ではない。一万トンにも及ぶ大量の水塊。即ち『自然』を相手にしていると心得るべきである」

 

「自然だァ? 調子こいてテキトー吹いてんじゃないわよゴリラ野郎ォ!!」

 

 

 ギャオッッッ!!!! と電子の渦が煌めき、巨大な腕となってアックアの手に収まった五メートルにもなる氷の大剣を消し飛ばさんと蠢く。

 が、

 

 ゴイィン!! と鈍い音が響き、原子崩し(メルトダウナー)の腕はアックアの持つ氷の大剣によって()()()()

 

 

「なァ……ッ!?」

 

「その光、歪ではあるが雷の類だろう。ならば相応の術式を用意すれば対策には事足りるのである」

 

 

 十字教において、雷とは『神の怒り』と解釈されることがある。

 そして原子崩し(メルトダウナー)は粒子でも波形でもない曖昧な状態の電子を射出する能力だが、基本的には発電能力者(エレクトロマスター)の系列に属する能力だ。

 であれば、アックアの宿す『聖母の慈悲』を以てすると『神の怒り(いかづち)』に干渉する──物理法則を無視して『弾く』ことすらできるということになる。

 いかに能力によって引き起こされた現象とはいえ、学園都市製の能力は物理法則に則って発動するものだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ──無論、それはあくまで理論上の話であり、一瞬の判断ミスが命取りになる実戦で敵が扱う現象に対してぶっつけ本番で干渉し無力化することが誰にでも可能かと言われれば、首を横に振らざるを得ないが。

 

 

「チッ、訳の分からないオカルトに私の能力を巻き込むんじゃないわよ!!」

 

 

 叫ぶと同時に原子崩し(メルトダウナー)の腕が爆散し、そしてアックアの足元の地面に着弾して爆発を巻き起こすが──これも、即座に水の翼が滑り込むことであっさりと冷却され、無力化されてしまう。

 攻めあぐねる麦野と入れ替わるように動き出したのは、垣根だ。

 彼は白い翼をはためかせながら言う。

 

 

「ならこいつはどうだ?」

 

 

 言葉と同時に、未元物質(ダークマター)が一陣の風を巻き起こした。

 透き通るような突風がアックアの操る水の翼に触れた瞬間、ボゴン!!!! と水の一部がまるで泡立つように歪に膨らむ。

 

 

「テメェがどんな方法で水を操ろうと、そいつは所詮水でしかねえ。水素と酸素が化合したことによって生まれた液体だ。なら、その法則を捻じ曲げることくらいは俺には造作もねえよ」

 

「……その異能。やはり魔術の領域に足を踏み入れた能力者も、この街にはいるのであるか」

 

 

 しかし。

 

 ガギィ!!!! と、まるで歯車が軋むような音と共に、無秩序な水の暴走は唐突に止められることになる。

 

 

「……なんだと?」

 

「いかなる神話体系かまでは不明だが、場に用意された札の制御の奪い合いは魔術戦においてはポピュラーである。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。当然の帰結とは思わないか?」

 

 

 ギャルン!! と泡立ち濁った水の一部が逆再生の映像のように元の透き通った色を取り戻す。さらに返す刀の形で、水の奔流が空を飛ぶ垣根のことを叩き落とす。

 声を上げたのは、戦況を見守っていた浜面だ。

 

 

「第二位!!」

 

「くだらねえ心配なんかしてんじゃねえ……! こっちは無事だよ!!」

 

 

 見ると、垣根の方は未元物質(ダークマター)を緩衝材のようにして衝撃を逃がしていた。

 ただし、その表情は明るくない。垣根は自分の内部から骨が軋むような音を聞いていた。

 

 

(クソったれが……!! こちとら可視・不可視の両面から『力』をぶっ放してるってのに、押し返すどころか徐々にこっちが押されてるってのはどういうことだ……!?)

 

 

 垣根には知る由もないことだが、アックアは聖人の性質を同時に二つ発動する『二重聖人』という特性を持っている。

 一人分の力で戦っている垣根とは、そもそも『力』のリソースの段階からして異なっているのだから、劣勢となるのはある意味では当然なのだが──

 

 

「……ナメやがって。この程度で潰されるほど、この街の『()()()()』は甘くねえんだよ」

 

 

 その瞬間、だった。

 

 なんの前触れもなく、バスッ!! とアックアの頭上に浮かぶ天使の環に小さな亀裂が走る。

 その傷跡は、何かにたとえるならば────()()()()()()()()()()()

 

 

「そういえば訂正し忘れてたな、七対一じゃねえ。()()()だ。こちとら四人組なもんでな」

 

 

 ゴギンッッッッ!!!! と一瞬の隙を突いた未元物質(ダークマター)の三対の翼のうちの右半分が、一斉にアックアを叩く。

 暴風だけで、人がミンチになるほどだった。

 咄嗟に物陰に飛び込んだ浜面とフレンダにしても、判断があともう少し遅ければ上空数十メートルまで一気にフッ飛ばされてリタイヤしていただろう。

 アックアはセレストアクアリウムの施設を幾つかぶち抜きながら、ノーバウンドで数十メートルも一気に吹っ飛んでいく。

 

 

「……これでも死んでねえか。こっちの全力の一撃を叩き込んだってのに血煙になってねえとか、どういう身体構造してんだ?」

 

 

 とはいえ、初めての大打撃だ。垣根の表情にも幾分か明るい色が戻る。

 そしてそれを成し遂げた立役者は──戦場の後方にて息を潜めていた。

 

 

「んで。よく戻ってきたな────弓箭」

 

 

 弓箭猟虎。

 

 かつての事件においてレイシアによって保護され、『表』の世界へと帰還したはずの少女だった。

 

 

「えへへ……。……食蜂さんから、話は聞いていますから」

 

 

 弓箭猟虎の参戦。そこには、食蜂操祈の関与が強く関係していた。

 そもそも垣根は元々『暗部解体』という食蜂のテーマについて一定の協力をすることを約束している。これは杠救済に関する情報を提供した見返りとして、上条当麻との衝突を経て()()()()変質した垣根が承諾した形だが──そうなると必然的に、垣根は『闇』とは所属を異にする勢力ということになる。

 となれば食蜂としては、『スクール』から無理に猟虎を除外する必要もなくなる。むしろ、遠隔地からの精密な狙撃と能力によらない完璧な隠密という弓箭の戦力は、垣根帝督や誉望万化といった派手な戦力を抱える『スクール』を盤石にする上で絶対に必要な駒である。

 だから、食蜂は秘密裏に猟虎を『スクール』に復帰させるように手を回していた──というわけなのだった。

 

 

「それに、やっぱりブランクの影響は拭い切れませんでしたね。脳天を撃ち抜くつもりだったんですけど、ちょっと狙いがズレました」

 

「いや、結果的にはアレで良いよ。それに、あの野郎が銃弾程度で身体に穴が空くかもいまいち不安だしな」

 

「……ったく。これも全部あのご令嬢のせいだ。『メンバー』に続いてこっちまで仲良しごっこになりそうだぞ」

 

「あらぁ? 誉望さんってば、わたくしが戻ってきて実は内心とっても嬉しいくせにぃ」

 

「だからなんでお前は俺に対してだけそんなに当たりが強いんだよ!?!?」

 

 

 ナメられているだけである。

 

 

「乳繰り合うのはそこまでにしてろ『スクール』。周りに浮かぶ水はまだ消えてねえ。つまり、まだ終わってねえどころかあの野郎はピンピンしてるってことよ」

 

 

 麦野はそう言いながら、垣根の横に並び立つ。実際、戦場を漂う大量の水については今もセレストアクアリウムの奥へ吹っ飛んでいったアックアのもとへとゆるやかに移動中だ。戦闘はまだ何も終わってはいない。

 と、

 

 

『──麦野さん。砲撃要請ですわ!』

 

 

 このタイミングで、シレンからの通信が届いてきた。それも、麦野をじきじきにご指名である。

 寝耳に水の通信だったが、それでも真っ先に麦野が牙を剥くように反応する。

 

 

「……あァ!? ふざけんなよ! こっちはそれどころじゃねぇんだ!! テメェらで勝手にやって……」

 

『あら? ひょっとして、第二位の力を借りているのに()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……?』

 

「ちょちょちょちょっと待ってよシレン結局そんな麦野を煽るようなこと言わないでよ……」

 

「ああ……分かったよこの流れ。どうせこの後紛れない苛立ちのやつあたりに俺かフレンダあたりが理不尽にどつかれるんだ……」

 

 

 効果は、覿面だった。

 麦野はこめかみにつまめそうなくらいぶっとい青筋を立てながら、

 

 

「……上等だ。テメェのAIM拡散力場は滝壺に記憶させている。そのド(タマ)ァぶち抜けばいいのか?」

 

『そこから二メートル右にズラしていただけますと、大変助かりますわ』

 

 

 そう言い残して、シレンはさっさと通信を切ってしまう。

 怒号が、一つ飛んだ。

 

 

「滝壺ォッッッッ!!!!!!!! 座標ォッッッッ!!!!!!!!」

 

『……一一時の方角に一六三メートル、……下方五メートル修正。あとむぎの、耳が痛い。物理的に』

 

 

 返事代わりに、破滅の極光が一本飛んだ。

 ゴバオッッッ!!!! とアスファルトをめくりながら突き進む原子崩し(メルトダウナー)の熱線がどうかシレンの周りにいる人たちを巻き込みませんようにと祈りながら、浜面とフレンダはそそくさとセレストアクアリウムの内部へ潜入していく。

 そもそも浜面やフレンダといった工兵は戦場に潜り込んで細工をして初めて活躍ができるのだ。せっかくアックアが引っ込んでくれたのだから、この機会に存分に暗躍すべきである。

 

 

「つっても、結局どうすんのよ? さっきは『スクール』のスナイパーのお陰でどうにかなったけど、流石に向こうもプロなんだから結局同じ手は食わないでしょ。さっきから液化爆薬をしこたま流してやってるのにどういう理屈なのか知らないけど水に変えられて起爆できなくなっちゃうしさー……」

 

「俺に聞くなよ『アイテム』正規構成員。こちとらスキルアウト崩れだぞ?」

 

 

 浜面は頭を掻きながら言って、

 

 

「……いや、そう言われてみれば一つ妙な点があったな」

 

 

 と、足を止めた。

 

 

「妙な点?」

 

「あの大量の水だ。確かにセレストアクアリウムの中の水を大量に利用してるっていうのはスゲェよ。でも、そんなことができるんならそもそも最初から別で水を持ってくりゃあ良い話なんじゃねえか? そしたら『スクール』のスナイパー……弓箭とか言ったっけ。アイツがどうの以前に、連中が合流する前に『アイテム』は潰れてた……っつーか、その前の緑の奴との共闘の時点で全部終わってただろ」

 

「…………」

 

 

 言われて、フレンダも頷く。

 確かに、そこは妙な点だった。何も戦闘中に何もかも準備を整えなくてはならないなんてルールはないのだ。敵がいない安全な状態ですべての準備を整えておいて、万全の状態の戦力を敵にぶつけるというのは当然の話の流れのはずなのに、アックアはそれをしていない。これは明らかにおかしなことだった。

 

 

「あの野郎さっき言ってたろ。半径数キロの水はその気になれば掌握できるって。……アレが言葉通りなら、そもそも最初から大容量の水を操ってなきゃおかしいんだ。それをやってなかったってことは」

 

「…………大量の水を操るには、幾つかの条件が存在する」

 

 

 フレンダは、確信をもって呟いた。

 

 

「たとえば、何らかの容れ物に入っている水は操作できない、とか。結局、これならわざわざ操作の前にセレストアクアリウムの破壊を挟んだ理由も説明がつくって訳よ。水族館として安全に密閉された水を操るには、一度容器を破壊しなくちゃいけなかったって訳ね」

 

 

 とはいえ、この制限については既にセレストアクアリウムが破壊されてしまった後なので、もう考察しても仕方がない。

 

 

「……んー、でも、これ以上は分かんない。というか、こっちだと『水を生み出すスキル』と『水を操るスキル』は別物な訳よ」

 

 

 この辺りは魔術サイドと科学サイドの違いと言えるかもしれない。

 そもそも『一つの能力』のくくりが全く違うのだ。水素と酸素を化合させる能力と水分を操る能力は科学サイドでは全く別物だが、魔術サイドではこれが両立している。そのカラクリすら理解できないのでは、弱点を突くどころの話ではなくなってしまう。

 となると、残る手がかりも限られてきてしまう。

 

 

「……あとは、あの明らかに趣味って感じじゃない天使スタイルかね」

 

「あーあれ、第二位もそうだったけど結局自分じゃどうにもならないのかしらね?」

 

「そりゃ、どっちもあんなスタイルになるキャラじゃねえしな。オカルトらしい縛りみたいなのでもあるんじゃねえの?」

 

 

 浜面が適当に言うと、しばしフレンダが沈黙した。

 

 

「……おいどうしたフレンダ? はっ!? もしかして第二位に聞かれてたとかか!? いや違うんですメルヘンでクソ似合ってねえとか全然思ってません!!!! 荘厳で神秘的な能力だと思ってましたッッッ」

 

「……………………それだわ」

 

 

 勝手に土下座モードに移行するバカの横で、フレンダは世界の真実に辿り着いたみたいなシリアスさで言う。

 

 

「でかした浜面!! そうよ、『オカルトらしい縛り』!! そこを全然考えてなかったわ!!」

 

 

 がしっと両肩に手を置いて、フレンダは興奮しながら言う。

 

 

「考えてみれば、あの順序にも意味があった。アックアが水を操りだす前段階、自分が生み出した水しか操っていなかった時に、最後にやった行動は何?」

 

「……あー? 確か、使ってた水をめちゃくちゃに圧縮して天使の環に……あっ!」

 

()()よ!! 天使の中で一番重要なパーツって言ったら、そりゃ色々あるだろうけど天使の環なんて頭に近いから制御パーツっぽくない!?」

 

「そういえば、さっき弓箭が天使の環を撃った後、隙が生まれていたのは……アレは突然の狙撃で一瞬驚いただけかと思ってたが……」

 

「アレも、制御装置にダメージが入ったせいで水の制御に一瞬ノイズが走ったとかかもしれない」

 

「ってことは…………そいつをぶっ壊しちまえば!」

 

「──場違いなメルヘン物語も、一掃できるかもしれないわね」

 

 

 とはいえ二人の表情は優れない。

 ひりついた笑みに、余裕のない冷や汗。

 それもそのはず。敵は超能力者(レベル5)二人を含んだ暗部組織を相手にしながらなおも互角以上の戦いを繰り広げる化け物だ。手に入れたのは、逆転の手がかりではなく地獄への片道切符と言った方が良いかもしれない。

 それでも。

 

 二人の無能力者(レベル0)は不敵に言い合う。

 

 

「それじゃあ行くか、ヒーロー。列聖されに行く準備はいいかね?」

 

「冗談。私ら悪党は死後の名誉より生前の不名誉って訳よ」

 

 

 


 

 

 

 アックアの頭上に浮かぶ氷の環。

 これを破壊するという方針が決まったと言っても、事態が何か好転したというわけではない。

 

 依然としてセレストアクアリウムの水はアックアの力になっているし、アックアの負傷もさしたるものではない。

 

 

「オラァ吹っ飛べェ!!!!」

 

 

 轟!! と、遠方では麦野が原子崩し(メルトダウナー)を叩き込む。

 これは先ほど同様にアックアによって捻じ曲げられるが……しかし屋内という戦場が麦野に味方していた。

 

 

「ぐ……中々に、戦いづらい手を打ってくるである……!」

 

 

 捻じ曲げた熱線は施設に着弾し、爆発を巻き起こす。そうして発生した高熱の空気ですら、本来であれば人体をローストできてしまうほどの殺傷力を持っているのだ。これはアックアにしても同じことで、アックアはその都度爆風を防ぎ、高熱の空気を冷却する為に手数を使わざるを得なくなっていた。

 とはいえ、

 

 

(……まぁ、いつまでも続く均衡じゃねェがな……。セレストアクアリウムの設備をあらかた吹き飛ばして空間を確保されちまえば、爆風や高熱の影響は弱まる。そうなれば向こうはまた攻めっ気を取り戻してくるだろう。そうなりゃ、いい加減こっちもヤバイ……)

 

 

 それまでに何か作戦を立てなければならないのだが──何せ相手が相手である。現状の戦闘をこなす演算以上に脳のリソースを使っている余裕がない。これが第一位になれば、超音速の戦闘をしながらでも盤面を調整するような離れ業ができたりするのだろうが……。

 

 一瞬の隙が欲しい。麦野は、切に思う。

 と、そこで麦野の耳にさらに通信が入った。麦野はその通信を耳にして──

 

 

「………………なァるほどね。乗った」

 

 

 にやり、と悪どい笑みを浮かべた。

 そして。

 

 

「……さァて、こっちの『手順』は整ったぞ天使野郎!!」

 

 

 ギャオッッ!! と、麦野の肩口から電子の巨腕が伸びる。野球の投球のようなフォームで振り回される腕は、そこかしこで爆発を起こしながらアックアに迫る──が、これはあっさりと捻られてしまう。

 

 

「──攪乱か」

 

 

 アックアの読みは鋭かった。

 一見すべてを飲み込んでしまいそうなほどの眩さを持つ麦野の攻撃に惑わされず、()()()()()()()()()()()()()()()垣根の一撃もきちんと水の翼でカバーする。

 その動きを見て、麦野の口元が三日月のように吊り上がった。

 

 

「と、思ったろ?」

 

 

 ガゴン!!!! と。

 直後、アックアの頭上の天井が崩れ落ちる。

 

 戦場はセレストアクアリウムの中。であれば全域に天井はある。そこで原子崩し(メルトダウナー)のアームを投球フォームのように──即ち上振りで振り回せば。

 ()()()()()()()()()()()()

 この破壊を計算してやれば、アックアの直上に位置する天井を破壊して瓦礫を上から降らせることもできる、というわけだ。

 

 

「────!!!!」

 

 

 頭上。

 即ち、天使の環。

 

 アックアは全速力で水の翼ではなく生身の拳で以て頭上から降り注ぐ瓦礫を破壊する。そして──粉々に砕いた瓦礫の陰に、とあるものを見つけた。

 

 

「……なるほど、ここまで計算づくであるか……!!」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 直後。

 アックアを中心とした爆発が数回ほど連続した。

 

 

「はっ! やった!! あんだけの爆発を食らっちまえばあの野郎一たまりも────」

 

「いや違う!! あの野郎一瞬早く躱していやがる!! 上だ!!!!」

 

 

 一瞬緩みかかった浜面の緊張を、垣根の鋭い声が引き締める。

 彼の言葉通り、アックアは今の一瞬で麦野が破壊したことによって生まれた天井の上のスペースへと移動していた。

 アックアはさらに返す刀の形で水の翼を蠢かせ、

 

 

「ハッハァ!! この瞬間を待ってたって訳よ!! 結局、()()()()()()()()()()()()()()()()()!!!!」

 

 

 そう言って、フレンダは通信機を掲げる。

 その通信機からは、こんな声が聞こえてきた。

 

 

『────()()()()()()()()()

 

 

 ここにはいない人間。

 シレン=ブラックガードの声。

 

 奇想外し(リザルトツイスター)は、右手が発した音を浴びた害意を失敗させることができる。

 では、ここで一つ疑問が生まれる。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 答えは、『分からない』。

 通信越しとはいえ、その通信は『右手が発した音が振動板や電話線を通じた結果』である。水に右手を覆われた状態の奇想外し(リザルトツイスター)が発動できたということは、『何かを介した音は失敗させられない』という確証はない。

 ゆえに一瞬、アックアの動きが鈍る。未確定情報というだけでなく、その瞬間、確かに二人の超能力者(レベル5)すらも巻き添えを食わないように攻撃を止めたという事実が、アックアに一瞬だけ行動の停滞を許す。

 

 その間隙を縫うように、だった。

 

 

「──Ha det bra、ですね」

 

 

 いつの間にかフレンダの背後で待機していた弓箭が、そっと呟くように宣言した。

 

 

「な、いつの間に──」

 

 

 伏兵の出現に対しアックアが反応する間もなく、バスッとガスが抜ける音と共に凶弾が頭上の氷の環に着弾し。

 

 バギン!!!! と、氷の環が跡形もなく砕け散った。

 

 

「しまっ」

 

 

 アックアの言葉が最後まで続くことはなかった。

 何故なら、彼が言葉の最後まで言い終わる前に──彼の背負っていた水の翼が、本来の形を取り戻したからだ。

 

 

 ドッッッッッッ!!!!! と。

 

 

 まるでナイアガラの滝さながらの勢いで撒き散らされた水によってアックアはどこぞへの吹き飛ばされたが、問題はこちらである。

 フレンダも浜面も弓箭も、単なる無能力者(レベル0)。当然ながら、この奔流を生き残るような力は持っていない。

 

 

「チッ! おい弓箭、こっちだ!」

 

「誉望さぁん! ありがとうございます助かりました!」

 

 

 訂正。

 さっさと大能力者(レベル4)に救出されたヒロイン体質サマとは違い、人望のない馬鹿二人にこの奔流を生き残るような力はない。

 

 

「「ぎゃあああああああああシレンこの因果を捻転するヤツやってえええええええええええ」」

 

『いやぁ……というかそもそも通話越しでは発動しませんし……なんか自信満々にブラフ張ってましたけど……』

 

「「あああああああそうだったあああああああああああああああああああああああああああ」」

 

 

 馬鹿の自業自得である。

 

 

「本当に超馬鹿ですね」

 

 

 と。

 そんな馬鹿二人を抱え上げる、小さな影があった。

 右肩に馬鹿、左肩に馬鹿を抱え上げた、その少女は──

 

 

「絹旗!?」

 

「まったく。相手が化け物すぎるから暗殺路線で行こうと思って潜伏したら超勝手に片づけられちゃったもんですから、こっちとしても超後片付けに専念するしかないじゃないですか」

 

 

 ドヒュ!! と絹旗の足元の空気が鳴動し、三人の身体は奔流の届かない上階へと移動する。

 無事に今回も死の危険を回避できた二人は、絹旗に床に降ろしてもらって安全地帯で呼吸をできる喜びを噛み締める。

 

 ともあれ、フレンダ達ですらこれなのだ。

 至近距離でアレを食らったアックアは……まぁ死んではいないだろうが、テッラの術式を逆用した一撃に未元物質(ダークマター)の本気の一発まで食らっているのだし、流石にダウンくらいはしたはずだ。もししていなかったとしても、この濁流で押し流されているのだし、きっと今頃は数キロ先まで吹っ飛んでいる。そういう意味では、どのみち戦線離脱といっても過言ではないだろう。

 

 一段落ついた。

 そう判断したフレンダは、未だ繋がっている通話先のシレンに向けて呼びかける。

 

 

「もしもし。シレン? アックアは派手に吹っ飛ばしたわ。こっちは終わったっぽいけど、結局そっちはどうよ?」

 

『あー…………』

 

 

 それに対し、シレンは非常に気まずそうにしながらこう返した。

 

 

『こちらの方は、少々状況が変わりまして。……ええと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



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一四六話:藍より出でるは極彩

『まずいぞ、事態が進展している』

 

 

 そんな連絡を入れたのは、トンボ型の小型ロボットから放たれた馬場の声だった。

 

 

「どうなさったんですの、馬場さん」

 

 

 レイシアの声を筆頭に、上条、美琴、食蜂の四人がトンボ型のロボットに意識を向ける。

 T:DF(タイプ:ドラゴンフライ)。空中静止が可能な通信用の小型ロボットだ。馬場は現在、これと同タイプの機体を数十機ほど飛ばして街の戦況把握に努めていた。

 

 

『インデックスのことを追跡していた機体からの情報だ。あのオリアナとかいうヤツの動きのせいで追跡がかなり大変だったが……』

 

 

 馬場はぼやきながら、

 

 

『インデックスのところに木原の書が現れた。ギリギリのところで仲間の魔術師らしき連中が合流したお陰で戦闘に入ったようだが……』

 

「いけませんわ!! 馬場さん、すぐにそちらの機体と通信を繋いでっ!!」

 

 

 ──木原の書は、あらゆる技術や知識を『継承』する。

 個別に協力を要請していたステイルと神裂が間に合ったのはシレンにとっても朗報だが、此処でステイルや神裂の魔術を木原の書に継承されれば、より手を付けられない化け物になってしまうだろう。

 倒すならば、科学サイドの超能力のような『継承しても再現のしようがない異能』でないといけないはずである。

 

 

『ちっ……人遣いが荒いな! 繋いだぞ、シレン!』

 

「ステイルさん神裂さん、聞こえていますか!? その『原典』の能力は知識の継承です! 魔術を使えば、きっとその技術は見ただけでコピーされますわ! 魔術を見られてはいけません! 戦わない、」

 

 

 バギャ!! と。

 シレンの言葉は、最後まで言い終わることなく破砕音によって中断させられる。

 

 

『……クソっ。向こうに送っていた機体が破壊された。これじゃあ向こうの戦況が分からないな……』

 

「馬場、座標を教えてくれ。俺達もそっちに向かう。木原の書相手なら、科学サイド(おれたち)の方が戦えるんだろ!?」

 

『いや、座標は教えなくても問題ないだろうね』

 

 

 馬場がそう言うと同時だった。

 ふわり、と白衣のような制服から羽衣が伸びたような白黒の印象の少女が、空から舞い降りてきた。

 

 

「ひいっ……怖かった……。……あ、や、やぁ」「──待たせたな、シレン。戦場までの輸送くらいなら任せてくれ」

 

 

 操歯涼子、あるいはドッペルゲンガー。

 彼女の頭上には──真っ白な糸によって構成された『空飛ぶ船』があった。

 

 

「…………渡りに船、ってことかしらぁ?」

 

「それもしかして上手いこと言ったつもり?」

 

 

 直後に始まった取っ組み合いの喧嘩は、いい加減面倒だったので奇想外し(リザルトツイスター)によって失敗させられたとかなんとか。

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一四六話:藍より出でるは極彩

Bluer_Than_Indigo.

 

 

 


 

 

 

 

 ──同時刻、第七学区のとある街道にて。

 

 

「…………行ったか?」

 

「ええ。インデックス達は戦闘区域からは離脱したようです。これで心置きなく戦えますね」

 

「ああ、とはいえ──」

 

 

 ステイルと神裂は、互いに言い合いながら目の前に佇む男を見る。

 『原典』。

 『継承』。

 シレンからの通信は断片的だったが、それでも目の前にいる存在が一筋縄ではいかない障害であることは明確だった。

 

 

「そもそも、人の形をした原典というのは僕も聞いたことがないんだけどね?」

 

「おーそうか? 俺の目にゃあ、さっきのクソガキも似たようなモンに見えたがよ」

 

「……()()()()()()()()()()

 

 

 吹き出すように、ステイルから殺気が放たれる。

 それを窘めるように横に並んだのは、神裂だ。彼女は二メートルもある腰の令刀に手を掛けながら言う。

 

 

「ステイル……挑発に乗ってはいけません。先ほどの通信を聞いていたでしょう? ヤツは術式を模倣する。弱点を割り出すまでは、術式の使用を極力抑えて時間を稼ぎましょう」

 

「甘いな神裂。なぜ僕たちがヤツのペースに付き合わなくてはいけないんだ?」

 

 

 直後、ステイルと神裂の姿がまるで水の中に溶かした絵の具のようにぼやけていく。

 まるで、木原の書とステイル達との間に透明の幕が展開されていくかのように。そして完全に掻き消えた景色の中から、ステイルは言う。

 

 

「目視で技術を盗み見る程度の機能だろう。その程度で攻略できるほど、魔術師(ぼくたち)は簡単ではないだろうが」

 

 

 ぶわっっっ!!!! と。

 ステイルの言葉と共に、透明の幕は──否、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は加速度的に広がっていく。

 

 

「おーおー……そんなのもできんのか。火炎系の能力者でもこんだけ大規模な蜃気楼なんか出せば本人が先に蒸し焼きになりそうなモンだがよ」

 

「それが魔術だよ。少しは勉強になったかい?」

 

 

 虚空からステイルの声が届き、

 

 ドボアッッッ!!!! と、赤熱してドロドロに溶けたアスファルトが木原の書に降り注いだ。

 

 

「うおっ!? こいつは……()()()()()()!!」

 

 

 間髪入れずに木原の書の右腕が蠢き、四原色のマーブル模様に渦巻く。

 ガキリ、と歯車が噛み合うようにも聞こえる音が鳴ると、木原の書の左手に銀色の杖が浮かび上がった。

 

 ──虚空に散らばる、数字のイメージを伴う火花。

 

 赤熱したアスファルト──ステイルの炎魔術によって溶けた街道の残骸は、それであっさりと吹き散らされてしまった。

 

 

「……チッ、やはりこの程度では効果なしか。だが、警戒して足を止めはしてくれたようだ」

 

 

 そして、蜃気楼領域の中でステイルは()()ごちる。

 木原の書からは姿を消したようにしか見えないステイルだが──彼はこの異常な領域でも、木原の書の姿を捉えることができていた。

 

 そもそも、この蜃気楼は『魔術によって生み出した炎による温度差によって蜃気楼を生み出す応用』ではない。『蜃気楼を生み出す魔術』なのである。

 当然その蜃気楼は科学的な性質には沿わないし、『敵対者からは幻のように姿をくらますことができ、味方からはきちんと風景を見ることができる』というような特殊なオプションを備えることだって可能だ。

 つまり──

 

 

(魔術を見せられない以上、僕からはさっきみたいなちまちました攻撃しか出せない。だが、君は知らないだろうな。()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「この形に持ち込めれば、あとはこちらのものですッ!!」

 

 

 ──木原の書は姿の見えない音速の強襲に晒され続けるということだ。

 

 ガギンギンギギギン!!!! と、硬質な音が連続する。

 おそらく、神裂の刃が木原の書を削る音だった。仮にも『原典』だからか、防御力については見た目通りとはいかないらしい。しかしそれも、いつまでも続く拮抗ではない。

 

 

(そもそもヤツは魔女狩りの王(イノケンティウス)を最初に見ている。にも拘らずアレを模倣して来ないということを、『見た現象を自分の手持ちの材料で再現する』類の機能ではなく、本当にそのままの意味で『体感した技術を己のモノとして会得する』機能といったところか……。ならば僕の技術に関してはルーンを見せなければ問題ない。視覚的な欺瞞だけで十分事足りるな)

 

 

 忘れられがちだが、ステイルは必要悪の教会(ネセサリウス)のエージェントであり、彼自身も凄腕の魔術師である。

 そして魔術戦とは、互いが研鑽した技術をぶつけ合わせる競り合い。目に見える現象だけでなく戦いの中で生じる些細な情報から()()()()()()()()()を予測しながら戦うことも、必要なスキルには含まれる。

 

 

(そしておそらくは聖人の身体能力についても同義。ヤツが『聖人』のカラクリに気付かない限りは模倣……いや『継承』されることはないとみていい)

 

 

 たとえ未知の能力、未達の分野だとしても既存の知識や技術を足掛かりに正解に辿り着くことができる能力がなければ、此処に至るまでのどこかの戦場で死んでいるだろう。そしてもちろん、彼にはそれが備わっている。

 

 

(そして、ルーンさえ見せなければいいなら──)

 

 

 ゴボボ、と。

 まるで泡立つように、ステイルの眼前で火と重油が寄り集まり、巨人が再生されていく。

 体躯は二メートル。まるで溶岩を人型にくり抜いたようなその異形は、手に炎の十字架を握り、

 

 

「突き刺せ!! 魔女狩りの王(イノケンティウス)!!!!」

 

 

 木原の書目掛け、勢いよく投擲した。

 神裂の猛攻を受けきるので精一杯だった木原の書は、寸前で十字架の飛来に気付く。そして身を躱そうと体を捻るが──

 

 

「……その十字架が()()()()()()()()()()とどうして思った?」

 

 

 ──身を捻ったその時には、既に炎の十字架は木原の書の胴体に突き立っていた。

 

 蜃気楼。

 魔術によって生み出されたそれは姿を完全に掻き消すこともできれば、微妙に結像をズラすことで音との齟齬で回避能力を阻害することもできる。

 

 

「うおああァァあああああああああああッ!?」

 

王手(チェック)だ、紙束。確かに『原典』は今の魔術では破壊できないが、それならそれで打つ手など星の数ほど用意されている!!」

 

 

 木原の書に突き立った炎の十字架が、まるで解けるように無数の炎の紐へと変貌する。それはまるで拘束具のように木原の書の全身に巻きついていくが──

 

 

「──なぁんて、な。なるほど、そうやって景色を歪めてんのか」

 

 

 全身が炎に覆われる刹那、ステイルは木原の書と()()()()()

 直後、だった。

 

 

 バヂヂヂヂヂィ!!!! と木原の書の周辺で無数の()()()()()()()()()()()()()がアーク放電のように散り、そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「な………………!?」

 

「なぁオイ、忘れたか? 俺は『原典』だっつの。大前提として、地脈とかいったフィールドから力を検知し汲み上げる機能ってのが俺には備わっている。テメェがバラまいて陣を形成している紙切れがその地脈に一ミリも影響を与えねえとか思ってんのか?」

 

 

 ──原典による感知機能。

 それを使って地脈への影響を逆算する形で、木原の書は知覚に頼らずルーンカードの存在を認識したのだ。

 そしてその存在を知ることができたならば、原典『木原の書』は問答無用でその技術を『継承』することができる。

 即ち。

 

 

()()()()()()()()()()()()

 

「っ!!」

 

 

 バギィ!!!! と、ひび割れるような音と共に炎の呪縛が蹴散らされる。

 ただし、この程度のイレギュラーでぶれるほどステイルと神裂の戦略も甘くはない。炎の呪縛を蹴散らした直後の木原の書に追いすがるように、神裂の鋼糸(ワイヤー)が陣を描き拘束を引き継いでいく。

 急場とはいえ、その行動速度は音速。当然ながら木原の書に対応できるような速度ではない。

 ……ないのだが。

 

 

「見えてるっつってんだろ。分かんねえヤツだなぁオイ」

 

 

 ──音すらも超える瞬きの世界の中で、木原の書は確かに()()()

 

 

「────!?」

 

「聖人は『継承』できねえと思ったか?」

 

 

 ゴギン!!!! と、木原の書の右腕が七閃を確かに受け止める。

 

 

(この男、既に聖人に関する情報を……!)

 

 

 音速の世界で、木原の書はこう言った。

 

 

「俺の継承元(オリジナル)はそもそも近代西洋魔術の系譜たるオリアナ=トムソンが偶発的に生み出した自我を持つ原典だぞ。当然、天使の力(テレズマ)や聖人に関する情報くらい初期設定(プリセット)されてあるに決まってんだろうが。そしてたかが『天使の力(テレズマ)』をその身に宿す身体特徴程度、地脈から力を吸い上げる流れを調節すりゃあ再現なんか容易にできる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、天才」

 

 

 砲弾が撃ち込まれたような音が一つ、響き渡った。

 蜃気楼を生み出していた魔術の熱すらも弾き飛ばされるような衝撃のあとで、神裂は地を滑りながら勢いよく後ろに吹っ飛ばされる。

 

 

「………………!!!!」

 

 

 無論、聖人が天使の力(テレズマ)をその身に宿す原理が理解できたからといって、それを模倣できるはずがない。

 そもそも聖人が天使の力(テレズマ)を宿せるのは、『神の子』に似た身体特質を持って生まれているから。聖人を模倣する為には、原理云々以前にその『類似している「神の子」の身体的特質』を割り出す人体への理解が必要不可欠となる。そんなものを瞬時に読み取る魔術師など、存在するはずがない。

 

 だが、この『原典』は違う。

 

 木原数多として人間を開発し尽くした知識を持つこの『原典』には、違法則と同じようにこの世の法則もまた修められている。もっとも、その記述については歪み切っているが。

 その歪み切った知識を以てすれば、割り出すことができる。『聖人』という、魔術サイドにおける秘奥の一つを。

 

 

「神裂!」

 

「大丈夫です!! ……しかし、面倒なことになりました」

 

 

 ──吹き飛ばされた神裂は、既に両手で七天七刀を構え臨戦態勢に入っている。その足取りに危うさはなく、戦意にも陰りはない。

 しかしその頬には、殴られたような赤い打撃の痕が残っていた。口端を拳で拭った神裂は、焦燥の汗を流しながら呻くように言う。

 

 

「…………どうやら我々は認めねばならないようです。世界初の、『原典』の聖人を」






【挿絵表示】

画:まるげりーたぴざさん(@pizza2428
同じくとあるオリ主二次小説『とある科学の流動源力-ギアホイール-』を連載中の同志まるげりーたぴざさんより、レイシアのドット絵を頂きました!
ありがとうございます!!そして皆さん是非読みましょう。



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一四七話:魔道書の本能 ①

「チッ……。蜃気楼は無意味。その上音速で動き回るとは……随分厄介になってくれたものだね」

 

 

 言いながら、ステイルは手に炎剣を持ち構える。

 もちろん、聖人の身体能力を手に入れた時点でステイル達に勝ち目などない。そもそも魔道書の『原典』という時点で分の悪い戦況だったのだ。もうこうなってしまえば、ステイル達に待っているのは無惨な敗北のみ。

 だが、それでも彼らは退かない。

 

 

「おいおい、良いのかテメェら。このままだと死ぬが?」

 

「それがなんだ? ……ああ、科学者風情には、魔法名を名乗った魔術師に命を対象にした脅しなど無意味だと分からないか」

 

 

 

 今まさに死の瀬戸際に向かっているというのに、それでもなおステイルは笑っていた。

 それに対し、鏡映しのように炎の剣を構えたところで──木原の書の動きが止まった。

 

 

「…………どうしましたか。まさか我々相手に今更臆した訳でもあるまいし」

 

「いやァ…………()()()

 

 

 ニタァ、と。

 木原の書は粘つくような笑みを浮かべ、そう答えた。

 

 

「思い返せば不審な点はあったんだ。最初から此処で俺をぶっ潰すつもりなら、魔道図書館を戦場から引き離す必要性はねえ。蜃気楼で囲って時間を稼いでいるうちに魔道図書館に俺の性質を解析させちまえば、真っ当な魔術でも俺を殺すなり封印する方法は見つけることは十分できただろ」

 

 

 そもそも魔術戦においてインデックスはジョーカーだ。

 神裂の戦力を攻撃ではなくインデックスの防御に充てれば、彼女の安全を確保したままその頭脳を利用することだってできたはずだろう。そして間違いなく、ステイルと神裂が有する戦力の中ではそれが最善手だったはずだ。

 しかしその手を使わなかったということは。

 

 

「テメェらはその上で、ヤツを戦場に引きずり出さねえって選択をした。つまり、テメェらはそこで『ある決断』をしたはずだ。──あの魔道図書館を戦場から引き離し、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とかなァ」

 

「!!」

 

 

 ──たとえば。

 もし仮に、木原の書が聖人の原理を『継承』するのも最初から想定の範囲内だったとしたら?

 そしてそうなった場合の次善の策として、ステイルがその身に対聖人用の術式を宿して木原の書と相討つ覚悟を決めていたとしたら?

 

 

「図星かね。いやーあぶねえ。このまま戦い続けていたらこっちが手に入れた最強アイテムのせいで『原典』の不死性を貫通してぶち殺されるところだったって訳だ」

 

「…………!! 神裂! 逃がすな!!」

 

「いやァ逃げさせてもらうぜ。だよなぁ、()()()()()()!!!!」

 

 

 轟!! と。

 木原の書との間を遮るようにして、全長二メートルにもなる炎と重油の巨人が立ち塞がる。一人の天才が編み上げた、最強の名の所以。いかに聖人といえど、それをすぐさま抜けることはできず。

 

 

「……クソ……!! 突破された…………!!!!」

 

 

 ──木原の書は、音速で戦線を離脱した。

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一四七話:魔道書の本能 ①

Goodwill_Bearer.

 

 

 


 

 

 

 ──一方その頃、オリアナとインデックスは街中の陰を抜けながらシレン達の許へと急いでいた。

 

 

「オリアナ、どうして遠回りするの? 早くシレン達と合流した方が……」

 

「あの二人がきちんと木原の書を足止めしてくれているなら、その方が良いんでしょうけどね」

 

 

 オリアナは油断なく周辺を伺いながら言って、

 

 

「相手は『原典』だよ。いかにイギリス清教のプロが二人がかりとはいえ、抑えきれるとは限らない。まして『原典』の方に積極的にその場で戦う意志がないとしたら、その場に縫い留めていられる時間なんて天井のシミを数えている間に過ぎ去ってしまうわね」

 

「そんなの……!」

 

「しっ」

 

 

 なおも言い募ろうとしたインデックスを抑えて、オリアナは息を潜める。

 ──遠くから、かつん、かつんと足音が聞こえてきた。

 

 

「(木原の書よ)」

 

「(……なんで分かるの?)」

 

「(これでもお姉さんもプロよ? 逃げる対象の足音くらい記憶しているわ。……こっちへ)」

 

 

 言いながら、オリアナはインデックスの手を引いて足音から遠ざかるように走っていく。

 インデックスからしたら意味不明なスキルだったが、それこそが追跡封じ(ルートディスターブ)たるオリアナ=トムソンの本領である。実際に、木原の書の足音はどんどん遠ざかり、そして目的地であるシレン達の現在地へは近づいていた。

 しかし、それでもオリアナの表情は明るくならない。

 

 

「お姉さんの勘から言って──多分、今回は逃げ切れないわ」

 

「ええ!? どうして!?」

 

 

 驚愕するインデックスに、オリアナは冷や汗をひとつ垂らしながら、

 

 

「追跡が悠長すぎるからね。おそらく、お姉さん達の大まかな居場所は既に何らかの魔術で特定されている。まだ襲撃を受けていないのは、正確な位置を特定できていないからかしら。無差別攻撃をすれば、シレン達からも私達の居場所が分かっちゃうものね」

 

「そんな……」

 

 

 驚愕の事実に、インデックスは当惑することしかできない。

 それも仕方がない。逃走が既に相手の掌の上ということなら、此処からどう動いても無駄という意味だ。追跡を撒くプロですらそうなのであれば、インデックスにその状況をどうこうするようなスキルは存在しない。

 そんなインデックスの不安げな横顔に笑いかけて、オリアナはそこで立ち止まる。

 

 

「だから、此処からは二手に分かれましょう? 大丈夫。ここまで来ればアナタ一人でもシレン達のところまでは到達できるはず」

 

「……! それじゃ、オリアナはどうするの!?」

 

「お姉さん? そうね、お姉さんは──」

 

 

 単語辞書のような『速記原典(ショートハンド)』を手で弄びながら、オリアナは悪戯っぽい笑みすら浮かべてこう言う。

 

 

「ちょっと、『原典』と喧嘩でもしてこようかしら☆」

 

 

 直後、だった。

 バヂィ!! とオリアナの持つ速記原典(ショートハンド)がはじけ飛んだかと思うと、それが彼女の全身にまとわりついて行く。ただでさえ露出度の多かった衣服は紙が焼け焦げるように消え落ちていき、元々の質量を無視して広がった速記原典(ショートハンド)のページが彼女の全身を肉抜きされたレオタードのように覆い尽くした。

 

 

「……『原典』オリアナ=トムソン、もう一人の『Basis104』が出した答えは、しかと見届けた。だから私は魔導師として、彼女の答えを、結末を語り継いでいく必要がある」

 

 

 その姿は、かつてインデックス達と戦ったもう一つの意志ある『原典』──オリアナ=トムソンそのままだった。

 

 

「その姿は……」

 

「お姉さんだって、成長するんだよ? 魔術とは奇跡の模倣。……なら、あの奇跡を模倣できないようじゃ魔術師の名折れよね」

 

「──おおー、原典、原典、原典かよ。どこもかしこも原典まみれじゃねえか。原典の図書館か此処は? ……ああいや、そりゃお前だったか」

 

 

 と、近くのビルの屋上から声がかけられる。

 地面にヒビを入れながら降り立ったその男──木原の書は立ちはだかるオリアナとインデックスを見て、

 

 

「時間稼ぎって訳か? そいつに逃げられると面倒だからよぉ……ここで潰すが、問題ねえな? 原典紛い」

 

礎を担う者(Basis104)。どうせなら名前で呼んでくれるかしら? 原典さん」

 

 

 言葉の応酬を皮切りに、四原色の渦がほぼ同時に爆裂した。

 ──木原の書は、そもそも『原典』オリアナ=トムソンをもとに生み出された『原典』。そして今のオリアナの『原典』を纏った姿も、『原典』オリアナ=トムソンをもとに生み出した術式である。

 つまり、根幹にある技術は同じ。いくら木原の書が今のオリアナを『継承』しようと、結果は何も変わらないのだ。

 

 ただし。

 

 

「スタートラインが同じってだけで勝ち誇ってんじゃねえぞ。こちとらアレから機能を拡張してきてんだ!!!!」

 

 

 ドッ!! と、木原の書の姿が掻き消える。

 聖人の仕組みを『継承』したことによる音速機動。それは、いかにオリアナが『原典』の機能を獲得したからといって追いつくことができない『差分』だ。

 当然、オリアナがその移動に気が付くよりも先に木原の書は後ろに回り、

 

 ゴッギィィィィィン!!!! と、その凶手は四原色の渦によって受け止められた。

 

 

「何…………!?」

 

「あは、今のお姉さんは()()()()()()()()()()()? そもそもの前提として、原典には自動防衛機能が備わっている。魔術師オリアナ=トムソンは音速で動くことはできないけれど、纏った速記原典(ショートハンド)となれば話は違う。お分かりいただけたかしらん?」

 

「なら……」

 

「戦線を離脱してインデックスを襲う? でも残念」

 

 

 再び音速機動でインデックスに飛びかかろうとした木原の書のことを、四原色の渦から発生した緑色の巨腕が叩き落す。

 まるで、『原典』そのものが守ろうとするかのように。

 

 

「────あの子は、既にこの本の『読者』よ」

 

 

 『原典』は、本能として知識を広めることを目的としている。

 だから記述を読み広めようとする『読者』を守るし、それを害する者を排除する。そしてインデックスは、既に『原典』オリアナ=トムソンとなった速記原典(ショートハンド)の成れの果てを読んだ実績がある。記述が荒く読めなかった魔道書の原典を、それでも様々な方法を駆使して解読してくれた。──そんな優良な読者を、『原典』が保護しない訳がない。

 そんな『原典』の意志を代弁するように、オリアナは言う。

 

 

「あの子には、手を出させない」

 

「……クク、なるほどな。魔道書の原典をそこまで飼い慣らすかよ。流石は魔導師ってヤツだ」

 

 

 自動防御機能の拡張によってインデックスに手が出せなくなった木原の書は、追い詰められているはずなのにそれでも笑顔を見せる。

 すると、木原の書の周辺でアーク放電のように数字のイメージを伴った火花が散る。同時に、ルーンカードの幻影がまるで紙吹雪のように周辺に舞い散った。

 

 

「……インデックスの仲間の魔術師から『継承』した魔術を使おうって訳? 生憎、防衛機能はその程度では突破できないよ」

 

「分かってるっての。焦るな。そもそも突破するのは『原典』じゃねェ」

 

 

 轟!!!! と。

 次の瞬間、周辺は火の海に包まれた。

 

 

(……!? 自ら逃げ道を潰して……? 一体どういう……)

 

「霊的けたぐりってのは、要するに相手の認識に働きかける術式だ。だから『原典』みてぇな()()()()()()()には通用しねえ。だがコイツは面白くてな、現実には存在していない炎でも、イメージを押し付けるだけで本当に火傷するし、熱された空気を熱いと思っちまう。実際にはそんなことねえのにな」

 

 

 木原の書の言葉を聞いているうちに、だった。

 オリアナの身体から、力が抜けた。カクリ、と身体が傾きかけ、纏った『原典』の制御がなければ思わず膝を突いていたところだっただろう。

 

 

「他にはあー、ほらアレだ。──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「…………!! 無駄よ。たとえお姉さんが酸欠で死のうが、速記原典(ショートハンド)は読者を守る為に戦い続ける。此処を抜けることはできないわ!」

 

「ああ、『原典』はそうだろうな。……だが、さっき逃げたあのガキはどうだ?」

 

 

 カッと。

 オリアナの背後──幻炎の向こう側に、一人の少女の影が映る。

 

 

「逃げなさい!! コイツの目的は、おそらくアナタで……!」

 

「だとしても!!」

 

 

 戻ってきたインデックスは、遮るようにして声を張り上げる。

 

 

「私を守るためにオリアナが一人で死ぬなんて、そんなの間違ってる!! そんな片手落ちのバッドエンドを選ぶくらいなら、私はリスクを冒してでもみんなが生きて帰れるハッピーエンドを掴み取りたい!!」

 

「馬鹿な子……!!」

 

 

 守るべき対象は危険の中に舞い戻り。

 そして自分自身は劣勢──そんな状況にも関わらず、オリアナの口元には薄い笑みが戻っていた。

 こんな馬鹿な少女だからこそ、命を張る価値があるのだ。彼女のような善良な何かの礎になる為に、オリアナ=トムソンは魔術師を志したのだから。

 

 

「纏う原典、速記原典(ショートハンド)の本質は、四つの属性を自由な配分で構成することによる変幻自在の魔術現象。()()()()()()()()()()()()()()。だからお願い、私に力を貸して、オリアナ」

 

 

 幻の炎のすれすれまで後退したオリアナの背に、ガラス越しに声をかけるようにインデックスは言う。

 その言葉に()()()()()()()が頷いた瞬間、オリアナの背に四原色の翼が花開くように現れた。──否、それは翼ではない。正確には、巨大なパレットだ。四つの色彩が折り重なるように存在している、一枚のパレット。

 

 

「白紙に描くは朋友。色彩にして黄、数価にして5、200、2、8。方角にして西。風を跨ぎ我が友人を喚びこの地へ召し出せ!!」

 

 

 ──変幻自在の魔術のパレット。

 ──一〇万三〇〇〇冊の頭脳。

 

 そんなものが揃ってしまえば、この世にできないことなどない。

 この場合──こんな結果が引き起こされた。

 

 

「うわっ!? なんか急に違うとこに来たぞ!?」

 

「魔術……? 当麻さんの右手を考慮したモノとなると、相当の術者だと思いますが」

 

「待って! ……どうやらけっこうな鉄火場みたいよ」

 

「えぇ……私じゃ自衛力足りすぎないかしらぁ……?」

 

 

 上条当麻。

 シレン=ブラックガード。

 御坂美琴。

 食蜂操祈。

 

 

「…………あ゛ー、クソが。面倒になってきやがったじゃねえか」

 

 

 四人のヒーローが、『原典』と対峙した。

 

 

 


 

 

 

 ──同時刻。

 

 窓のないビルの中で、その『人間』は動き始めた。

 

 

「……さて。そろそろ頃合いだ」

 

 

 立ち上がる緑の手術衣を身に纏った『人間』から少し離れた壁には、白黒のナイトドレスを身に纏った金髪碧眼の令嬢が腕を組んで背を預けていた。

 白黒の令嬢へ視線をやったアレイスターは、手に銀色の杖を宿しながら言う。

 

 

「私はそろそろ向かうとするよ」

 

「そうですか。では、精々シレンの為に頑張ってくださいまし。わたくしも合図があれば動きますので」

 

 

 そっけないレイシアの言葉には、しかし一定の親しみや信頼感が宿っている。

 それを獲得するだけの積み重ねを、この『人間』はしてきて()()()()いた。

 

 破壊された窓のないビルの穴から外界へと出たアレイスター=クロウリーは、内心でほくそ笑みながらこう思う。

 

 

 

 最早、状況は()()()()()()()()()では解決できない局面に到達した。

 

 さて。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()




・白紙に描くは朋友。色彩にして黄、数価にして5、200、2、8。方角にして西。風を跨ぎ我が友人を喚びこの地へ召し出せ
 カバラ系の魔術。属性は風。
 対象となる人物(集団も可)までの空間を一時的に異空間に移動することで、疑似的にテレポートを行う術式。
 対象選択は『地面に足をつけている者』。地脈伝いに生命力を感知して対象を指定しているらしい。
 空間がなくなった結果瞬時に移動しているので幻想殺しに関係なく行使できるほか、魔術で性質を歪められた物理的挙動なので慣性などによる悪影響もない。


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一四八話:魔道書の本能 ②

「美琴さん」

 

 

 戦闘の開幕。

 それに先駆け、シレンは美琴に呼びかけながら右手を掲げる。それを見た木原の書の動きは迅速だった。

 

 

奇想外し(リザルトツイスター)!! そいつを使わせると思うかァ!?」

 

 

 木原の書の右腕の四原色がマーブル模様のように渦巻き、やがて黄色の色彩が表出する。直後、大気の『壁』が木原の書を守るように展開された。

 無論、たとえ風による防壁を置こうとそれは『木原』の意志によるもの。どうしてもそこには害意が混在してしまうので、この防壁も奇想外し(リザルトツイスター)を浴びた瞬間に瓦解してしまうだろう。

 だが一方で、()()()()()()確実に音を遮ることはできる。あとは、絶えず大気の壁を配置していけば木原の書本体が存在の成立を『失敗』させられることはなくなる。

 

 このタイミングで、食蜂が動く。

 風の壁によって吹き消された幻影の炎の合間を縫って、無理やり戦い続けようとするオリアナの身体を引きずって戦線から離れた。

 

 ──害意をベースにしか考えることができない木原の書は、そもそもシレンが()()()()()()()()使()()という前提でしか戦略を組み立てることができない。

 実際には、存在の崩壊を伴うような戦略をシレンが選ぶことなどできないにも関わらず、無駄な一手をその為に消費してしまう。

 それこそが、シレンの狙いであるとも気付かずに。

 

 

 バヂン!!!! と紫電の槍が木原の書を撃ち抜く。

 

 

「がッ…………!!」

 

「これも大したダメージにはならないんでしょうけど……どうやら動きを止めることくらいはできるみたいね!」

 

 

 空気の壁は、電撃を遮ることはできない。それは白黒鋸刃(ジャギドエッジ)が散々証明してきた弱点である。

 電撃の痺れから立ち直った木原の書が態勢を立て直した時、そこには既に美琴の姿はなくなっていた。しかしそれでも、木原の書はシレンから警戒を逸らすことができない。害意に従って動いている木原の書という存在の思考ルーチンでは、自分の根幹をダイレクトに揺るがすことができる脅威からマークを外すという選択を選ぶことがどうしてもできないのだ。

 そして。

 

 

「俺もいるのを忘れているんじゃないか!?」

 

 

 畳みかけるように、上条当麻が大気の壁へと突っ込んでいく。

 幻想殺し(イマジンブレイカー)を食らえば、大気の壁は跡形もなく消し飛ぶだろう。当然そうなれば木原の書は奇想外し(リザルトツイスター)から身を守ることはできなくなる。

 ただし。

 

 

「忘れてねえよ? だからわざわざコイツを手に入れたんだしなァ!!」

 

 

 木原の書も、そんなことは先刻承知の上だ。

 ドウッ!!!! と突風のような一陣の風と共に数字のイメージを伴った火花が無数に散る。

 ルーンカードの幻影が紙吹雪のように舞うと──上条の前に、火と重油の巨人『魔女狩りの王(イノケンティウス)』が姿を現した。

 

 

「こ、れは……魔女狩りの王(イノケンティウス)!?」

 

「『継承』させてもらったぜ。無能な味方を恨むんだなァ、幻想殺し(イマジンブレイカー)!!」

 

 

 さらに、上条の後方で風の盾をさらに展開する。こうすることで、シレンにも手出しができなくなるわけだ。

 電撃の問題はあるが……こちらも先ほど展開したルーンカードを用いればどうとでもできる。

 

 

「……! チッ、仕方ないわね。ちょっとレールガンぶっぱなして色々まっさらにするわ」

 

「お待ちを!」

 

 

 硬直状態を打ち崩すには、最大火力をぶつけるのがいい。十八番に手を伸ばしかけた美琴を、シレンが制止する。

 シレンには、この盤面の先に木原の書が描いている思惑が掴めていた。

 

 

「木原の書さんが現状で最も警戒しているのはわたくしの右手ですわ。……つまり、ここまでの戦略もその無力化をゴールにしている可能性が高いとは思いませんか?」

 

 

 木原の書は、既にステイルと神裂を出し抜いてこの場にやってきている。その策謀の腕については侮ることはできない。ここから馬鹿正直に選択した一手が、木原の書によって誘導された手でない保証などないのだ。

 

 

「……どういうこと?」

 

「『聖人』を、継承している可能性がありますわ」

 

 

 シレンは端的に懸念を口にした。

 

 

「聖人。先ほどぶつかったアックアのような存在ですわ。その気になれば音速で行動することだってできる恐ろしい体質です」

 

「そんなものがあるなら、さっさと使えばいいじゃない」

 

「それだけ、わたくしの右手を警戒しているということですわね」

 

 

 もし音速で移動したとしても、風の壁を出た瞬間に奇想外し(リザルトツイスター)に捉えられればその時点で終わりだ。だから、木原の書は考えた。奇想外し(リザルトツイスター)を無効化できる一手を。

 

 

「…………レールガンを私に撃たせれば、その直後は轟音で掻き消されてアンタの右手が上手く機能しない、ってこと?」

 

「おそらくは」

 

「はぁ……はぁ……。理屈力は理解できたけどぉ、それならこの硬直状態はどうするのよぉ? 上条さんだってエンドレスでアレをやられちゃったらどうしようもなくないかしらぁ?」

 

「アンタ、いい加減息整えなさいよ。たったあれだけの運動で……」

 

 

 以前上条が魔女狩りの王(イノケンティウス)を倒した時はルーンカードをスプリンクラーで無効化したが、ここは市街地、そう都合よく水を撒く方法などないし、そもそも幻影のルーンカードに水を撒いたところで効果があるかも定かではない。

 

 

「何か……自滅に繋がるような要素を継承できればいいのですが」

 

「上条さんの右手とか……あとはアナタの右手とかぁ?」

 

「……いえ、それは無理でしょうね。我々の右手は技術ではありませんので……」

 

「というか、そもそも『継承』のロジックが私達には分かんないじゃない。どういう理屈で継承してるのか次第じゃ、開発した超能力だって『技術』扱いで継承できちゃうんじゃない?」

 

 

 もっともな疑念を提唱したのは、実際に外的に自分の能力を使われた経験がある美琴だ。そしてそれには、外装大脳(エクステリア)という技術を知る食蜂も頷く。

 実際に相手は聖人という『体質』を継承しているのである。その可能性は十分にあった。

 しかしシレンは首を横に振り、

 

 

「その可能性は考えづらいでしょう。もしそれが可能なら……『木原数多』の知識を継承している木原の書さんは、まず最初に一方通行(アクセラレータ)を使っているはずですから」

 

 

 と答えた。

 これも自明の理。木原数多の最大の功績といえば、一方通行(アクセラレータ)の開発。そして彼は、一方通行(アクセラレータ)のことを知り尽くしている。開発官(デベロッパー)とはそういうものだと、シレンもまた己の開発官(デベロッパー)──瀬見の存在によって知っていた。

 

 

「……とはいえ、確かに継承のロジックが分からないというのは事実ですわね……」

 

「……お姉さんから提案が一つあるんだけど」

 

 

 そこで座り込んだオリアナが口を開く。

 その視線の先には、一人で魔女狩りの王(イノケンティウス)に立ち向かっているツンツン頭の少年を心配そうに見るインデックスの姿があった。

 

 

「木原の書は『原典』。なら、あの子にそれを解析してもらうのはどうかな。そうすれば『原典』は読者に対して攻撃をしづらくなるから、行動にバグが発生するわ。……それだけじゃない。記述を読み解けば、防衛機構に対するカウンターだって生み出せるはずだよ」

 

 

「それは駄目だよ」

 

 

 ──と。

 そこで、少女の声が決まりかけた流れに待ったをかける。

 

 そこに佇んでいたのは、金髪の女子小学生だった。

 長い髪をツインテールにしてまとめ、背中には赤いランドセルを背負っている。その腕には、風紀委員(ジャッジメント)を示す緑の腕章があった。

 

 

「那由他さん!」

 

「……それこそが数多おじさん──いいや、『木原の書』の目的だからね」

 

 

 木原那由他。

 木原一族の一員でもある少女が、この局面で現れた。

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一四八話:魔道書の本能 ②

Vice_Evangelist.

 

 

 


 

 

 

「木原の書の目的は、木原数多からの脱却。そこまではいい?」

 

「ええ。わたくし達もそこまではアタリをつけていましたわ」

 

 

 シレン達が頷くと、那由他は頷き返して続ける。

 

 

「確かにその認識は間違っていないと思う。でも結局、木原の書は木原数多から連続した存在であって、そこからの脱却はできない。……これは木原の書が自己変革に選んだ手法が木原数多と同じ『継承』という時点で分かるよね?」

 

 

 残酷なようだが、これも事実だった。

 木原数多から脱却しようとして『木原数多以外の色』を集めたところで、その手法が木原数多と同じなら、その可能性は木原数多の域からは出ない。これは、カードゲームで考えれば分かりやすい。いくら無数のカードがあっても、そこからカードを選ぶ時にどうしてもプレイヤーの癖は出てしまうし、これを消すことはできないのと同じだ。

 

 

「これは、木原の書自身も同じ結論を出しているはず。なら、どうやって木原数多からの脱却という目的を達成すればいいと思う?」

 

 

 那由他はどこか焦燥の色を滲ませながら、その場の五人に問いかける。

 答えたのは、渦中にいるインデックスだ。

 

 

「……木原の書という『原典』の本質は今見えているあの人型の存在ではなく、その内部に記述されている知識そのもの。……継承し継承される知識の理──それ自身が『木原の書』の本質。そういうことだね」

 

「そう。つまり彼の目的は、どう足掻いても『木原数多』という枠組みから脱却できない自分自身という器から抜け出し、禁書目録のお姉さんに自らを『継承』させること……魔道図書館に、『木原の書』を所蔵させることなんだ」

 

 

 それは、つまり。

 

 

「『木原』を……植え付ける……ということですの……!?」

 

 

 奇しくも、シレンはそれと同じ事象を幾つか知っている。

 木原相似は、前方のヴェントにああも容易く悪意を植え付けた。木原唯一は薬味久子に思考パターンを植え付けていたし、上里勢力にも同様のことをしていた。厳然たる事実として──『木原』は伝染する。

 まして、『木原』の思想が色濃く記述された魔導書を解読などしてしまえば──いかにインデックスが魔導書の毒から身を守る術を持っていたとしても、どうなるかは分からない。

 インデックスはハッとしたように、

 

 

「そうか……! どうして気付かなかったんだろう。そもそも『原典』は自らの知識を広めたがる性質を持っている。だから、木原の書も自分で知らず知らずのうちに方針が『魔道書の本能』の影響を受けていたんだ……!」

 

 

 確かに、木原の書自身の『想い』は木原数多からの脱却、自己の確立にあるのだろう。しかしそれが原典としての本能によって歪められた結果、インデックスに自身の知識を『継承』させるという行動に出力されているのだ。

 もっとも、このあたりには『木原』としての思考の歪みも加わっているだろうが……。

 

 

「理屈は分かったけど、でもインデックスに解析してもらって弱点を探るっていうのがダメってことなら、結局話は進んでないじゃない!」

 

「大丈夫。それを何とかする為に、私()は此処に来たんだから」

 

「…………達?」

 

 

 那由他の言葉に、その場の全員が首を傾げた直後だった。

 ボバッッッ!!!! と、風の槍が上条と肉薄していた魔女狩りの王(イノケンティウス)を粉々に吹き散らす。

 

 その轟音に添えるように、トッ、とささやかな足音が響いた。

 

 その少年は、白濁したような白い髪を片手で乱雑にかき上げて、うんざりしたように言う。

 

 

「勝手に突っ走るンじゃねェよ。こちとら電源を節約しなくちゃならねェンだっての」

 

「ごめんごめん──一方通行(アクセラレータ)のお兄さん」

 

 

 ──一方通行(アクセラレータ)

 純白の最強を見て、木原の書の眉がぴくりと震える。

 

 

「……オイオイオイオイ。なんだよクソガキ、随分似合わねぇポジションに立っちまってるじゃねぇか」

 

「ああ、まったく我ながら柄じゃねェとは思うンだけどよォ」

 

 

 対する一方通行(アクセラレータ)は、口調とは裏腹に穏やかな声色でこう続ける。

 

 

「こっちもそこのガキに強請られちまってな。今回限りだが──」

 

 

 そこから、続きを引き継ぐように木原那由他は一方通行(アクセラレータ)の横に立つ。

 

 

風紀委員(ジャッジメント)、先進教育局・特殊学校法人RFO所属……木原那由他」

 

猫手拝借(ハプハザード)、適用学生第一号……一方通行(アクセラレータ)

 

 

 片や、使命感に溢れ。

 片や、形ばかりの適当さで。

 

 しかし両者ともに、真っすぐに前を見据えながら、こう言い切った。

 

 

「「この街を、守りに来た」」

 

 

 あるいは、どこかの誰かが死ぬまで言うことができなかった一言を。



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一四九話:踏み躙ったのは誰?

 ──その男は、かつて『ヒーロー』に憧れていた。

 

 

 でなければ、成り立たないのだ。

 かつて極悪に手を染めた少年が泥の中で藻掻き苦しむ姿を見て、あれほどに逆上する()()が。

 一見狂いに狂った木原の言行にも、その根幹には『想い』が存在している。

 では、この男の場合は?

 かつて『正しい歴史』においては一方通行(アクセラレータ)の善行を嘲笑い、その希望を断つことに全霊を尽くし──

 この歴史においては『かつての自分からの脱却』を標榜するほどに強い自己否定を抱えた──

 この男の、奥底にある『想い』とは?

 

 

「…………ふざけんじゃねぇぞ、クソガキが」

 

 

 一方通行(アクセラレータ)と那由他の啖呵を受けた木原の書の第一声は、腹の底から響くような──そんな低い怒りを滲ませた呟きだった。

 

 

 ──誰かを助ける、それがかつての少年の望みだった。

 

 

 目の前に立ち塞がる二人の少年少女に殺意を迸らせながら、木原の書の両腕がマーブル模様を大きく広げていく。

 火、水、土、風、四大属性が複雑に入り混じった両腕は、もはやパレットというよりは毒々しい工業廃水のような醜さを帯びている。

 

 

「一万人もその手にかけた大罪野郎が、そうやって誰かの為に駆けずり回って、それでそれまでのテメェの人生全部チャラにできると、本当にそう思っちまったのか?」

 

 

 ──科学は、その為の手段でしかなかった。

 

 

 だから木原数多は科学技術や研究成果そのものに執着しなかった。あくまでもそれによって何が為せるかという即物的な要素にしか目を向けていなかった。

 

 

「そォだと言ったら、どォする?」

 

 

 不敵に嘲笑う一方通行(アクセラレータ)に対し、その激情を示すような濁った属性の奔流が、『継承』などというお行儀のいい形式すらも取り払って二人を吞み込まんと爆裂する。

 これに対し、一方通行(アクセラレータ)は舌打ちを一つしてから傍らの那由他を抱え、そして猛獣のような俊敏さで濁流を飛び越えて攻撃を回避する。

 ──迎え撃つという彼の暴力性を安易に発露する方法ではなく、『抱えて躱す』という明確に誰かを守る為の行動を選ぶ。

 

 木原の書は、奥歯が砕けるんじゃないかと思うくらいに強く強く歯を食いしばった。

 

 

「できるわけねぇだろうが、バァァ──カ!!!!」

 

 

 ──でも、この手で作り出した結果は。

 

 

 木原の書は、口角泡を飛ばす勢いでその所業を否定した。いや、そうせざるを得なかった。

 でないと、無駄になってしまうからだ。かつて同じ局面に直面した、とある誰かの選択が、挫折が、そしてそこから続く長い『燻り』が。

 

 

「テメェは一生泥ん中だよ! 綺麗に洗い落とそうとしたって、こびりついた汚れは落ちねえ!! だから一生泥の中で溺れてろ! テメェみてえなのがそうやって未練がましくうろついてるだけで、周りが汚れちまうんだよ!!」

 

 

 ──いつもおぞましい極彩色に染まっていて。

 

 

 木原の書の左手に、銀色の杖が浮かび上がる。続いて数字のイメージを伴った火花が迸り、彼の両脇に天空から巨大な薬莢のようなものの幻影が二つ降り注ぐ。

 そこには、『Five_Over OS Modelcase "JAGGED_EDGE"』という文字列が刻印されていた。

 

 直後、虚空から白黒の『亀裂』が迸り二人へと襲い掛かる。

 これはあっさりと一方通行(アクセラレータ)に反射される──かに思えたが、一方通行(アクセラレータ)は反射で容易く弾けるはずの『亀裂』をわざわざ改めて跳んで回避する。

 すると、一方通行(アクセラレータ)を襲っていた『亀裂』は一方通行(アクセラレータ)がいた場所に到達するかしないかのところで不自然に『逆行』を始めだした。

 

 反射の逆用。

 『正しい歴史』においても、木原数多が拳や鉄パイプで実践していたものだ。同様に木原の書も、一方通行(アクセラレータ)の演算を知り尽くしている。だから命中の直前にベクトルを逆転することで『反射』を貫通することができるのだ。

 

 

「テメェもそうだ、那由他ァ! 『木原』がこの街を救う!? できる訳がねえだろ!! 相似の野郎の感情が天敵兵装(アンチVアームス)なんてモンに昇華されたように!! 『木原』はどんな想いであれ最悪な形で出力するように変換しちまう、そういう変換器なんだよ!!」

 

 

 それは、存在自体が『原典・オリアナ=トムソン』という祈りを悪意の形で捻じ曲げて成立している──奇想外し(リザルトツイスター)に一捻りされるしかない木原の書の在り方そのものだった。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。『木原』は、結局どう足掻こうがどこまで行こうが果ては『そこ』でしかねェんだ!!!!」

 

 

 ──だからいつしか、憧れを諦めていた。

 

 

「……私は諦めない。おじさんの言う『木原』がどんなものか、私にはまだ分からないけれど。それでも私は、絆理お姉ちゃん達と私の夢が折れないことを信じたい!!」

 

「……だそォだ。泣かせるだろ? 前途ある若者の足を自分の失敗談で引っ張ろォなンて老害、放ってはおけねェよな」

 

 

 その悪意を、木原那由他は真正面から受け止めていた。受け止めることが、できていた。

 

 

「…………!! 『木原数多』は結局そこから抜け出せなかった! そのままに終わった!! だが俺はそこで終わるつもりはねえ。木原数多から、いや『木原』から逸脱する。そんなクソったれな宿命を背負った状態から、再起してやるっつってんだよ!!!!」

 

 

 正真正銘、木原の書は吠える。大量の火花と共にルーンが再度ばら撒かれ、二体目の魔女狩りの王(イノケンティウス)が木原の書の横に立つ。

 同時に、バシャア!! と上条を抑えていた魔女狩りの王(イノケンティウス)が弾け飛んでいた。

 

 

「──ハァ……! ハァ……! 奇想外し(リザルトツイスター)を遮る風の壁はお姉さんと同じ、四大属性を組み合わせる方式によるもの。なら、今のお姉さんならそれを相殺することだって可能だと思わない?」

 

「チィ……!!」

 

 

 つまり、風を解除したことで奇想外し(リザルトツイスター)を上条に充てていた魔女狩りの王(イノケンティウス)に作用させたのだ。

 それによって術式の成立そのものを『失敗』させられた魔女狩りの王(イノケンティウス)はあっけなく消し飛ばされてしまったわけだ。

 

 今まさに魔女狩りの王(イノケンティウス)を散らしたツンツン頭の少年は、唸るような声色で木原の書に呼びかける。

 

 

「…………その為に、インデックスを『木原』に染め上げるっていうのか。アイツに自分を読ませることで!!」

 

「ああそうだ。そうやって『木原』を継承させてやる」

 

 

 対する木原の書は、悪びれるわけでもなくバツが悪そうにするわけでもなく、上条の怒りを笑って受け止めた。

 

 

「別に、この器そのものの価値を否定するわけじゃねえよ? 全人類に『木原』を継承させ、そのフィードバックを受けりゃあ最高だな。俺一人のエッセンスじゃ突破口が見えなくても、全人類のエッセンスを集結させりゃあ、『木原』から逸脱する為の材料は必ずあるはずだ!!」

 

 

 つまり、『木原』のネットワークの拡大──といったところか。

 全人類を『木原』にしてしまえば、その知識の集積は膨大な量になる。突然変異が新たなる種を生み出すように、そうしてモデルケースを膨大にした上で『突然変異』を集約すれば、突然変異の繰り返しによって新種の生物へと進化していくように、それは確かに『木原』とは異なる別種の何かとなる。

 その、はずだ。

 

 

「滑稽ですわね、()()()()

 

 

 と。

 そこで、シレンが口を開いた。

 

 突然声を上げたシレンに──というより、()()()で呼ばれたことに対して、木原の書は茫然と振り返った。

 声が聞こえるということは奇想外し(リザルトツイスター)の危険域であるとか、そういった戦略眼はこの際関係なかった。そんなものよりも根幹を揺さぶるような一言が、今のシレンの言葉には含まれていた。

 

 

「黙って聞いていれば、そんなもの結局は自分で解決することを諦めて他力本願に走っているだけではありませんの」

 

 

 シレンもまた、戦略など関係ないとばかりにカツカツと靴音を立てながら前へと進んでいく。

 

 

「第一、そのやり方では全人類を『木原』で塗り潰すだけではありませんの? 本来あったはずの解決策を自分で潰すような本末転倒になっているように、わたくしには思えるのですが。魔道書の本能に誘導されすぎて、結局本来の望みが達成不可能な方に向かってはいるのではなくて?」

 

「…………んだと、テメェ」

 

 

 事実、その懸念は大いにあった。

 全人類を『木原』にするということは、全人類の可能性を『木原』の枠内に収めるということである。そうなってしまっては結局そこから生まれる可能性は『木原』の域を出ない。多少のマイナーチェンジは起こるかもしれないが、『木原』から逸脱した、『木原』とは別種の何かを見出せるとは思えない。

 

 

「それに」

 

 

 さらにシレンは、致命的な結論を木原の書に告げる。

 

 

「仮に『木原』とは別種の何かが生まれたとして……そんな方法で生まれたモノは、違う名前がついているだけで『木原』よりも悲惨な歪みの産物にすぎませんわ」

 

 

 木原の書が抱えている、根本的な矛盾点を。

 

 何故、木原の書は『木原数多』から逸脱したいと願ったのか。

 奇想外し(リザルトツイスター)の効果対象から逃れる為? それはもちろんあるだろう。だがそれだけではなかったはずだ。

 木原相似はそうだった。木原那由他もそうだった。

 いかに冷血な『木原』と言っても、その根底には『想い』がある。ならば、意志を持つ原典である木原の書の根底にだって『想い』はあるはずなのだ。

 彼の行動指針は、果たしてそれを叶えられるようなモノになっていたのか?

 

 

 答えは、否。

 

 

 二の句も告げられない木原の書を叱るような響きさえ伴って、シレンは静かに、しかし厳然と続ける。

 あるいは、『再起』の()()に教えるように。

 

 

「そんな逃げ腰で達成するのが、『再起』であるはずがないでしょうが!! それらしい理屈をつけてくっだらない妥協に逃げているんじゃありませんわよ、木原数多! やれる限り自分で足掻いてみなさい! 最初から誰かに丸投げするんじゃありません!! 今ある手札を並べて、考えに考え抜いて、それでも駄目なら手を伸ばせばいいではありませんか!! そこまで必死で頑張った方の手を誰も掴まないほど、この世界は終わっちゃいませんわ!!!!」

 

「………………!!!!」

 

 

 その言葉で、()()()()はキレた。

 

 

「…………ってんだよ……」

 

 

 ブワッッ!!!! と。

 三度、木原の書から数字のイメージを伴う火花と共に、大量のルーンが舞い飛んでいく。

 

 

「終わってんだよ!! もう!! 俺の世界(ゆめ)は!!!! とっくの昔に終わっちまってんだよォォおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!」

 

 

 現れるのは、魔女狩りの王(イノケンティウス)

 しかしその大きさは先ほどまでのものとは段違いだ。傍らに生み出されたもう一体を呑み込みながら立ち上がった炎の巨人の体躯は、ゆうに一〇メートルを超える。再三展開したルーンカードの陣によってなし得た『異形』だった。

 

 

「『継承』ってのは、ただのコピーじゃねえ。学んで自分のモノにしてんだ。だからこうやって、応用だって効かせられるんだよォ!!」

 

 

 巨大な魔女狩りの王(イノケンティウス)が、右手に持った炎の十字架を振りかぶる。

 木原の書が操っている以上一方通行(アクセラレータ)の反射対策だって完璧だ。魔女狩りの王(イノケンティウス)は通常時ですら幻想殺し(イマジンブレイカー)と拮抗するほどの再生能力を誇る。

 あれだけ巨大な攻撃を受け止める戦力は、現状は奇想外し(リザルトツイスター)しかない。

 しかし。

 

 

(……木原の書さんが逆上しているせいで、風の防壁を展開できていない。今右手を使えば……おそらく、木原の書さんの根幹ごと『失敗』させてしまう……!!)

 

 

 戦略的には、失策。しかしそれがこの期に及んで、シレン達の首を絞める。

 

 

(……いや、待てよ? 音が木原の書さんに届かないようにすればいいなら──!!)

 

 

 そして。

 

 

 ギチリ、と。

 

 巨大な魔女狩りの王(イノケンティウス)の動きが、突如として静止する。

 インデックスではない。

 木原の書の影響を受けてしまう可能性を回避する為、インデックスは木原の書の術式に対して介入しないようにしている。であるならば、この局面で炎の巨人を止めうるのは──

 

 

「……随分と、他人(ひと)の術式を便利遣いしてくれているようだけどね?」

 

 

 ──必然、ステイル=マグヌス。

 煙草をふかしたその少年は、額に汗しながらも落ち着き払って一息ついた。

 

 

「な、テメェ……!?」

 

 

 同じ霊装を使い、同じ術式を使用しているなら──その制御に干渉することは、同じ術式を長く使っている者ならば可能だ。もちろん容易ではないが──忘れるなかれ、ステイル=マグヌスは掛け値なしの『天才』である。

 

 

「チッ、だがこっちには聖人の身体能力も、」

 

「お忘れですか? 『それ』は弱点もまた備えているということを」

 

 

 木原の書が音速で対応しようとしたその時には、木原の書の脇腹には釘が撃ち込まれていた。

 日用品を使って術式を発動することに長けた天草式に身を置いていた魔術師が生み出した、釘と十字架による『神の子』の処刑を象徴する霊装が。

 

 

「がぼぁッ!?!?」

 

 

 瞬間、『原典』であり生半可な攻撃では防衛機能と自己再生機能でダメージすら発生しないはずの木原の書の身体が、明確に傾いだ。ピシピシと亀裂が走るような不穏な音と共に、木原の書はその場で膝を突く。

 

 

「クソが……!! バカな、なんで急にこんな都合のいい展開に……!? 魔術師どもはあの戦場に縛り付けてやっていたはずだ! 脱出してこの戦場にやってくるなんてありえな、」

 

「──()()()()()()()()()

 

 

 木原の書の呻きを遮るように、シレンは宣言する。

 彼女の傍らには、面倒くさそうに頭を掻く一方通行(アクセラレータ)の姿があった。

 

 そう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「ったく、直接ぶつけてやりゃあイイってのに、なンだってこンなまどろっこしいことする必要があるのかね」

 

「……お話、したいですからね」

 

 

 奇想外し(リザルトツイスター)

 シレンの右手によって発生した音のベクトルを一方通行(アクセラレータ)が操作することで、木原の書にはぶつけずに巨大魔女狩りの王(イノケンティウス)だけ『失敗』させたのだ。

 そしてその『失敗』を穴埋めする形で──ステイルと神裂がこの戦場へとやってきた。

 

 

「……ま、俺達の知ったことじゃねェな。こっちもこっちで都合があるンだ」

 

 

 つまらなさそうに鼻を鳴らすと、一方通行(アクセラレータ)は飛び上がって木原の書に肉薄する。

 

 

「『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 それに対し、木原の書が何か言う前に、第一位は右の毒手を無慈悲に振り下ろし──

 

 

「いや、それは困るな、一方通行(アクセラレータ)

 

 

 ゴッッッ!!!! と、その細身の体が宙を舞った。

 

 

一方通行(アクセラレータ)のお兄さん!?」

 

「クソったれが!! 寸前で回避した!! だがいったいどォして……」

 

 

 万事休す、そんな状態の木原の書の傍らに立っていたのは、銀髪の『人間』だった。

 地面につくかというほどの長髪をそのままにし、神秘的な緑眼は無感動に世界を眺めている。

 そいつの名は、『アレイスター=クロウリー』。

 

 

「チィ……!! よりによって今来やがるか……!!」

 

一方通行(アクセラレータ)さん!? 堕天とは……!?」

 

「説明は後だ! それよりも、とっととアイツを止めねェと、厄介なことになるぞ!」

 

 

 臨戦態勢をとる一方通行(アクセラレータ)に対し、アレイスターは微笑み──そしてその手から伸びた光の網が、木原の書をあっさりと捕縛した。

 

 

「ありがとう。君たちが木原の書にダメージを与えておいてくれたお陰で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 言われて、シレンの脳裏に先ほどの木原の書とアレイスターの一幕が脳裏をよぎる。

 あの戦いでは、木原の書はシレンの右手によって一時的に存在が崩壊する寸前まで追い込まれていたが──アレイスター=クロウリーともなれば、その隙にその存在の根幹に術式を仕込んでおくくらいのことはできるのではないだろうか。

 

 そして、木原の書が弱った段階でその術式を発動する手筈だったのであれば。

 

 

「アレイスター……! もしかして、最初からこの局面に持っていくことが目的で……!?」

 

「いや、なに。あの一瞬で描いたにしては上出来な絵図とは思わないかね?」

 

 

 全ては、イレギュラーである木原の書を自分の手駒にする為の策略。

 

 

「『木原』は、たとえ正しい願いを備えていたとしても、あらゆる行為が害意を備えて出力される。木原相似の好意が天敵兵装(アンチVアームス)となったように。木原那由他の今回の行動だって、見方を変えれば『街を守りたい』という正しい願いの為に一万人を殺害した虐殺犯に暴行を正当化する大義名分を与え、木原の書という一個の自我ある存在の抹殺としてアウトプットした──と解釈できる」

 

 

 アレイスターは、そう言って一方通行(アクセラレータ)と木原那由他の方へ視線を向ける。

 

 

「木原の書は、魔道書ゆえにその『木原』のメカニズムを限りなく機能(システム)化している。このあたりは、相対していた君達も心当たりがあるのではないかね? あらゆる『知識』を継承して害意を備えて出力する性質は、いみじくも彼自身が先ほど言った通り一種の変換機と言えるだろう」

 

 

 アレイスターの右手に、いつの間にか銀色の杖が浮かび上がっていた。

 ただしそれは、衝撃の杖(ブラスティングワンド)ではない。

 その理由に、彼の周囲には『杖』の他にも『杯』や『短剣』、『円盤』といった象徴武器の幻影が火花を伴って漂っている。

 そして彼は言った。

 

 

「たとえば此処に、生命の樹(セフィロト)という神の敷いた善徳を代入すればどうなると思う?」

 

 

 世界最悪の魔術師に相応しい、神をも恐れぬ最悪の計画を。

 

 

「お誂え向きに、今この学園都市には高濃度の天使の力(テレズマ)を扱う魔術師達が戦闘を行い、その余剰している天使の力(テレズマ)が街中に満ちている状態だ。これはいずれは別位相に戻っていく残り香でしかないが、これを束ねて悪徳の変換機に通してやれば……善徳は、悪徳へと反転する」

 

 

 ()()、『()()』。

 

 

「神の敷いた善徳。──人がその裏に見つけた、表裏一体の悪徳。第二の系統樹邪悪の樹(クリフォト)。人の負の感情を表す第二の大樹を通り、悪魔の苗床として機能せよ」

 

 

 まるでそれが、最初から『彼』の存在意義だったかのように。

 予定調和の無感動さで、アレイスターは呼びかけた。

 

 

「堕天変換機原典・『木原の書(プライマリー=K)』」

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一四九話:踏み躙ったのは誰?

Old_Yearning.

 

 

 



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一五〇話:祈るのは悪魔か罪人か

 ギギギ、と。

 

 木原の書の身体が、まるで操り人形のような不自然な動きでシレンの方へと向き直っていく。その瞳には既に意志の光はなく、ただアレイスターの指示のままに動く機械の様相を呈していた。

 歯噛みしたのは、今まさに木原の書との対話を望んでいたシレンだ。

 

 

「ア、レイスター……!!」

 

「そこまで忸怩たる思いがあるか? 相手は今まさに君達を害そうとしていた敵対者じゃないか」

 

「ですが、再起しようとしておりました!!」

 

 

 確かに、木原の書はやり方こそ間違えていたかもしれない。

 放置していれば世界全人類の在り方を捻じ曲げかねないやり方で、直近だけで言ってもインデックスに対してどんな悪影響があるか分からない。さらに自分の存在を破滅させうるシレンに対してもストレートな殺意を持っていた。

 だがそんな彼の根本にあったのは、『再起したい』というシンプルな望みだったはずなのだ。やり方を否定することはあっても、彼の望み自体を否定することはシレンには絶対にできない。

 だから、対話を諦めたくなかった。

 

 ……操り人形となった木原の書の無感情な瞳には、何の色も浮かばない。

 

 

「……ったく。これだから聖女サマと同じ戦場には立ちたくねェンだよなァ」

 

 

 そんなシレンの横を素通りして、一方通行(アクセラレータ)は立つ。

 

 

木原の書(あのヤロウ)にどンな事情があろォと、事実は『アイツは生命じゃない兵器』で、『この街を含めた全世界をグチャグチャにしよォとしている』だ。……こっちにだって事情がある。さっきそォ言ったよな?」

 

 

 対話を旨とするシレンとは対照的に、猫手拝借(ハプハザード)として学園都市を守る立場にいる──いや、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()身としては、一方通行も止まる訳にはいかない。

 

 

「……クソったれが。このクソガキの夢を潰させる訳には、いかねェんだよ」

 

「できると思うかね、一方通行」

 

「逆に聞くが、そォ思ってなけりゃ何の為に此処に来てンだ俺は」

 

 

 アレイスターとの応酬ののち、一方通行が右腕を無造作に振る。

 それだけの動きで発生した空気の流れのベクトルを集中変換することで生み出された空気の槍が、木原の書目掛けて飛び立った。これはあっさりとアレイスターによって防御されるが──逆に言えば、アレイスターは不死身のはずの『原典』に対してわざわざ防御という手段を選んだ。

 

 

「仰々しい宣言をしてやがったが、実際のところそいつの本格稼働には時間がかかる。……そォだろ? 学園都市の全体に散らばった天使の力(テレズマ)とやらの余剰分をかき集めるのがまずひと手間だからな。それを隠す為にオマエはわざわざ手の内を明かしてこちらの警戒を誘った。時間稼ぎの為にな。つまりこの時点でそいつを潰されりゃ……オマエ、困るだろ?」

 

「…………右方のフィアンマの差し金か」

 

「ご名答。ンでもって、分かったところでどォしよォもねェよなァ!!」

 

 

 そこで、アレイスターは気が付く。一方通行の哄笑の後ろに、木原那由他の姿がないことに。

 

 

「──!! まさか、ヤツから妨害用の術式を渡されて、」

 

「アレイスター=クロウリー!!」

 

「此処は私達がアナタを縫い留めます!!」

 

 

 消えた那由他の姿を追おうとしたところで、ステイルと神裂が滑り込むようにアレイスターと対峙する。

 アレイスターは苦々しそうに表情を歪め、

 

 

「……しまったな。流石にプロの魔術師だけあって、『自分』という駒の動かしどころは心得ているらしい」

 

 

 周辺にある象徴武器の幻影を土星の環のように配置して、言う。

 

 

「──だが、所詮は私の系統樹の末端が、少しでも私に抵抗できると思っているのかね?」

 

 

 直後だった。

 神裂が鋼糸(ワイヤー)によって展開していた結界がひとりでに歪み、そして突然爆発を起こす。

 当然爆風によって鋼糸は吹き飛ばされるのだが──仮にも神裂が攻撃に用いていたモノである。それが爆風によって吹き飛ばされれば、当然それはそれだけで脅威だ。

 

 

「がッ……!? 術式の制御が、一瞬で乱され……!?」

 

「魔道図書館の扱うそれとは違うがね。君たちが扱う魔術の基盤を誰が開発したかも忘れたか? ……生まれ持った才にかまけて魔術の鍛錬を怠るから、簡単に足元を掬われるんだ。そして──」

 

「…………!!」

 

 

 苦も無く神裂とステイルを下したアレイスターの視線は、既に那由他のことを捉えていた。

 

 

「サイボーグならではだな。生体情報を意図的にカットすることで背景物に溶け込む第六感狙いの迷彩か。確か、『スクール』にも似たような才能の持ち主がいたはずだが……タネが分かっていれば看破は容易い」

 

 

 那由他に向き直りながら杖を手放したアレイスターの手に、数字のイメージを伴う火花と共にフリントロック式の拳銃の幻影が生み出される。

 

 

「させるか……!!」

 

 

 攻撃の予兆に対し、一方通行は即座にカバーに入る。

 

 ……木原那由他は、能力者である。そして彼女がフィアンマから託された堕天阻止の術式とは、当然ながら自立稼働する類のものではない。つまりその行使には、大なり小なりリスクが存在するのだ。

 だが、那由他はそのリスクを受け入れた。街を守るために、結果自分が死のうとそれはそれで構わないという選択をした。

 

 そんな選択をすることのできる『ヒーロー』の夢を潰す訳には、いかない。一方通行(アクセラレータ)のような悪人に人を救うことはできずとも──そんなヒーローの夢を後押しすることくらいなら、この血塗られた能力でも使えるはずなのだ。

 でなければ──この戦場に足を踏み入れた意味がない。

 

 

「那由他!! やれェ!!」

 

 

 気流が竜のようにうねり、瞬時にプラズマ化してアレイスターを襲う。

 

 対応するように、数字のイメージを伴った火花が散った。

 70、2、200、1、4、700、70。

 

 これは虚空に生み出された『白黒の亀裂』によって、白熱した龍の一撃は遮られてしまう。

 役割を果たして虚空に溶けた白黒の亀裂を眺めながら、アレイスターは感慨深そうに言う。

 

 

裏第四位(アナザーフォー)のファイブオーバーはコストが高くて連発が難しいのだが、この兵装の真価は私の魔術で再現することによって発揮される。何せ元手は相手のイメージのみだからな。いくら撃ってもタダだ」

 

「チィ……!! インチキ能力にも程があンだろォが……!!」

 

「能力ではない。術式だ」

 

 

 そして、銃声が連続する。

 フリントロック式の拳銃は本来連射できないのだが、それは幻影である『霊的けたぐり』によって生み出された銃撃には関係ないことだ。サイボーグの那由他も、一旦足を止めて防御に徹さなくてはならない。

 

 

「那由他!!」

 

「うぐ、そんな、もう少しなのに……! もう少しで、この街を守れるのに……!!」

 

「………………、」

 

 

 そして、その間はあまりにも致命的だった。

 

 

「──さて、時間だ」

 

 

 身体からまるで羽化でもするみたいに真っ黒なモヤを漂わせ始めた木原の書を睥睨しながら、アレイスターは言う。

 

 

「……随分遠回りをしたが、概ね盤面は計算通りに落ち着いた。最後の詰めに入るとしよう」

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一五〇話:祈るのは悪魔か罪人か

"K"'s_End.

 

 


 

 

 

 だから、つまり。

 

 ──特大の計算外は、その直後に発生した。

 

 

 

「………………?」

 

 

 全ての準備が整い、フィアンマによって提供された術式を保有した那由他を退け、一方通行の猛攻も抑えたこの状況、最早アレイスターのウイルスを投与された木原の書が『堕天』を始めない理由など存在しない。

 そのはずなのに──木原の書は、未だに沈黙を保っていた。

 

 

「どうした? 既にコマンドは入力しているはずだ。『堕天』はすぐにでも始まるはずなのに……」

 

「やな、こった……」

 

 

 一言。

 

 木原の書の口から、絞り出すような言葉が漏れた。

 木原の書という()()が持つ機能では、決してありえないはずの挙動を。

 

 

「馬鹿な……。拒絶だと? 分かっているのか? 私の操作はお前の機能を拡張することだ。お前の知識を適切に管理し、広める一助になる。魔道書の『原典』としての機能とも矛盾しないはずだ。この流れを拒否するということは、変換機原典への移行が上手くいかずに存在の根幹に致命的なバグを生むということだぞ」

 

「あーあー、分かってる。分かってんだ、そんなことは」

 

 

 木原の書は──いや、そう呼ばれるに至ってしまった一人の男は、くだらないものを笑うように口元を歪め、そして完全に静止した。

 

 

「…………分かってんだよ。こんな人間のクズが、今更ヒーローの側に立とうなんて思うのは馬鹿げているってことくらいはよぉ」

 

 

 木原の書にしたって、一連の会話はきちんと耳に届いていた。

 だからこそ、木原の書はある一つの決断をくだした。

 

 

「まったく、甘すぎだよな。自分でも虫唾が走るぜ」

 

 

 操り人形と化していた木原の書の両腕が、四原色のマーブル模様によって彩られた。

 バギン!! と歯車が狂うような音と共に、木原の書の動きから自然さが取り戻される。

 

 

「確かに」

 

 

 笑みを浮かべながら。

 しかし今までの嘲りとは違う、別の何かをその笑みに滲ませながら──木原の書は続ける。

 

 

「確かに、俺やテメェは最低のクズ野郎だ。クズ野郎が好き勝手暴れた結果、別のクズ野郎に利用されて破滅する。当然の摂理でしかねえ。でもよぉ……」

 

 

 ──ギャルル!!!! とその両腕が膨張した。

 

 

「コイツらは、関係ねぇんだよなあ!!!!」

 

 

 巨人の腕と化してアレイスターを襲う木原の書の腕は、しかし即座に展開された銀色の杖の一撃によってあっさりと消し飛ばされてしまう。──自動再生機能があるはずの木原の書は、しかし今はアレイスターの言う『中途半端な移行の停止』によってか、きちんと回復すらされていないようだった。

 むしろ。

 いつしか、木原の書の頬には不穏なヒビすら走っていた。

 

 

「それでコイツらの『何かを守りたい』って意志が、踏み躙られていい訳ねぇんだよなぁ……!!」

 

 

 木原の書の。

 

 

「それによぉ」

 

 

 いいや。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の心に、再び火が灯る。

 

 

「やるだけやってみろって、そこのクソアマに言われちまったしな。……言われっぱなしじゃ、腹が立つんだよ!!!!」

 

「──この程度で制御を失うような脆弱な計画だと思われているとはな、心外だ……!!」

 

 

 ボコボコと無理やりに再生した四原色の右腕に対し、アレイスターは四つの象徴武器を空中に漂わせながら対応する。

 両者の術式が衝突するその瞬間に、

 

 

「──この因果は捻転する!!!!」

 

 

 パチィン、と。

 シレンが指を弾く音が、その場に響き渡った。

 

 

「な……に……?」

 

 

 その音を聞いて愕然としたのは、アレイスター=クロウリーだった。

 それは、ありえない一撃のはずだった。

 確かに奇想外し(リザルトツイスター)の使用は可能な状態だった。空気の壁も最早存在していないし、音も届く距離だ。だが、根本的な問題として、その音は木原の書の存在すらも破壊してしまう諸刃の剣だったはず。

 ただでさえ不安定な今の木原の書であれば、一撃で完全に存在が崩壊してしまうだろう。そんな手をシレンが打つはずがない。そんな計算もまた、アレイスターにはあった。そのはずなのに──

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「馬鹿な……!? 木原の書は、死んだ木原数多の悪意を引き継いで存在している!! 奇想外し(リザルトツイスター)を受ければ、()()()()()()()()()()()()()()()()()存在が崩壊するはずだったのでは……!?」

 

「……今の彼の在り方を見て、その存在が悪意によって構成されていると、本当にお思いですか?」

 

 

 言われて、アレイスターは改めて木原の書の姿を見る。

 

 両腕を失い、顔にヒビが入り、今にも崩壊しそうな姿で──それでも確かに二本の足で大地を踏みしめるその男は。

 

 

「恥も外聞も投げ捨てて、誰かを守りたいという願いの為に拳を振るう男のどこが……『悪意』で構成されているというのですか!!」

 

 

 ──木原数多の再起は、此処に成った。

 

 だから。

 

 

「…………仕方がないか。認めよう、『堕天計画』は失敗だ」

 

 

 アレイスターは、驚くほどあっさりとそれを認めた。

 

 そして。

 

 

 ゴゴン!!!! と、アレイスターと木原の書の間の空間が起爆し──地面に光の紋様が描かれる。

 気付けば周辺は一片五〇メートル程度の青白い立方体に空間を切り取られていた。

 

 

「な……なんだこれ……!?」

 

「……! 儀式場だよ! おそらくは『何か』を召喚する為の……!!」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……無事、召喚成功だ」

 

 

 そして。

 

 一瞬にして儀式場を展開したアレイスター=クロウリーの傍らに佇んでいたのは。

 

 

「…………これ、どういう状況ですの?」

 

 

 白と黒で構成されたナイトドレスに身を包み。

 さらにベールのように白と黒の()()を帯びた。

 

 

「見て分からないか? 木原の書は追い詰めたのだが、多勢に無勢でな。端的に言って、負けそうだ」

 

「……まったくこのダメラスボスは…………」

 

 

 ────レイシア=ブラックガード。

 

 

「だが私はまだ諦めていない。精一杯の強化も施したわけだし、小言は勘弁してくれないかね?」

 

「……仕方がありませんわね。やりますか」

 

 

 その善意を弄び、操るのはアレイスター=クロウリー。

 

 

「というわけで」

 

 

 最低最悪の召喚師は、ぬけぬけとこう宣言する。

 まるで、第二ラウンドの開幕を告げるかのように。

 

 

「手を差し伸べに行こうか。君の半身を救う為に」



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一五一話:たとえ何が二人を別つとも

 ──レイシア=ブラックガードは。

 

 その瞬間まで、あらゆる『最悪』を想定してきていた。

 既に、前提としてシレン=ブラックガードとの戦闘は避けられない。だが、この世の最悪はその程度の想定の底値は簡単に割るものだ。

 だから、レイシアは最悪を想定した。

 思考の足掛かりとなるものはいくらでもあった。たとえば、『正史』においてオティヌスが上条当麻に見せて幾多もの『最悪の世界』。友人たちから、そしてシレンから本物の憎悪と侮蔑を叩きつけられる可能性さえ考慮して、レイシアは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と覚悟を決めていた。

 

 ────より正確には、()()()()()()()()()というべきか。

 

 

 原型制御(アーキタイプコントローラ)

 

 世界の根幹にあまりにも深く根付きすぎたその男の在り方は、たとえば人智の悪徳を自在に操る概念を血族の形に押し込めることさえできた。

 その手腕を以てすれば──たった一人の少女の『一番大切なモノ』はそのままに、その行動を操ることなど他愛もないことだった。

 

 だから。

 

 

「レイシア、ちゃん……!」

 

「……シレン。少々痛いと思いますが、我慢してくださいましね」

 

 

 レイシアはシレンの瞳を見据えると、コンマ〇〇一秒の躊躇もなく猛獣のような速度で彼女に向けて突貫した。

 

 

「……! シレン!!」

 

「ったく、面倒臭せェ展開になってきやがったな……!」

 

 

 上条と一方通行がそれに反応するが、しかし彼らは突如現れた諸悪の根源アレイスター=クロウリーに対しての警戒を解くことができない。

 必然的に浮いた駒となったシレンは、成す術もなくレイシアと激突することになる。

 

 その身のこなしは、明らかに先ほどまでの彼女を凌駕するスペックを誇っていた。

 おそらくは、木原の書を利用して途中まで進めていた儀式を中途半端なりにレイシアの強化に回しているのだろう。シレンは迎え撃とうと右手を構えているが、どう考えてもその動きよりレイシアの攻撃の方が早い。

 

 そして──この彼女の行動は、万事一切がシレンに対する『善意』によって構成されている。

 敵対することも、それによってシレンに嫌悪されるリスクも全て吞み込み、既存の関係全てが崩壊したとしても彼女を救う。そしてシレンは、そんなレイシアの気持ちを無碍にするような人間ではないという信頼。アレイスターによってお膳立てされ方向性を操られた『信頼』は、迷いのない凶行という最悪の形で発露してしまう。

 

 

 ──その瞬間、アレイスター=クロウリーは静かにファイブオーバーの起動を命じていた。

 

 Five_Over.Modelcase_"Jagged-Edge"。

 裏第四位(アナザーフォー)の名を冠したその兵器は、シレンが操る奇想外し(リザルトツイスター)にとっては天敵となりうる。

 音の流れを調節するように『亀裂』を展開すれば、シレンがレイシアの行動を失敗させようとした一発によって今まさにアレイスターへの敵対の意志に満ち溢れた行動をとろうとしている上条と一方通行と木原の書の動きを止め、戦場に完全なる空白を齎すことができるのだ。

 そしてたった一瞬でもアレイスターに自由に動ける時間を与えたならば──今度こそ、シレンの魂を『収穫』することなど容易い。

 

 

(さて、紆余曲折あったが────)

 

 

 神の右席三人の襲撃。

 木原の書の逆襲。

 右方のフィアンマの暗躍。

 

 縺れに縺れた歴史の組紐は、しかしここにきて収束の兆しを見せる。

 

 最初にあった陰謀が、改めて鎌首をもたげる。

 

 まるで、伸びきったゴム紐が元の形へ戻っていくように。

 

 

(収穫の時間だ。臨神契約(ニアデスプロミス)

 

 

 広がり散らばった未来が、あるべき形へと収束する。

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一五一話:たとえ何が二人を別つとも Undividable.

 

 

 


 

 

 

()()()()()()()()()

 

 

 

 ────収束する、はずだった。

 

 

 だからアレイスター=クロウリーは、パァン──という乾いた音が意味することが何なのかを理解するのに数舜の時間を要した。

 そして、それがレイシアとシレンが互いの掌を叩いた音だと気付いた瞬間には、最早、全てが手遅れとなっていた。

 

 掌と掌を叩き合わせた音。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 

 ガッジャアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!! と。

 空から撃ち下ろされた『ファイブオーバー』の薬莢が、空中分解しながら地上へと降り注いでいく。──『亀裂』の展開に『失敗』したのだ。

 

 それだけじゃない。

 

 アレイスターが原型制御(アーキタイプコントローラ)によってその行動を操っていたはずのレイシアは──シレンと戦うこともなく、何故か彼女の傍らで、一緒に横並びになってアレイスターの方を見据えていた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「な、んだ…………?」

 

 

 それは、絶対にありえない展開のはずだった。

 

 アレイスターとて、失敗続きの人生だ。何かの拍子でレイシアにかけていた思考誘導が解除される可能性は、もちろん考えていた。だが、それに至る情報をここまで与えていない。

 仮にレイシアがそれに気付くとしても、それはある程度の言葉を交わした後であるべきで、二人はまだろくに言葉も交わしていない状態だ。それこそ、互いに視線を向け合った程度。レイシアがアレイスターの術中から逃れるには絶望的なまでに情報が足りていないはずなのに。

 

 

「何故、そちらにつく!? 君は覚悟を決めていたはずだ! たとえシレンと敵対したとしても、彼女を正しい方向に導くと! そういう風に思考を研ぎ澄ませていたはずなのに、何故この土壇場で彼女の側につくことができる!?」

 

 

 覚悟がブレたなんてくだらない展開ではない。

 レイシアは、確たる信念を持って──それでもなお、シレンの側に立つことができていた。アレイスターの術中から、未だに逃れていないのに。

 

 

「決まっているでしょう」

 

 

 正真正銘信じられないものを見ているようなアレイスターに対し、レイシアは心外とばかりに不満げな調子で鼻を鳴らし、簡潔に言った。

 

 

「わたくしを誰だと思っていますの? シレンの真意くらい、目を見れば一発で分かりますわ」

 

 

 ──お前の小細工など、この絆の前では何の意味もない、と。

 

 答えは単純。

 レイシア=ブラックガードは確かに激突の直前まで原型制御(アーキタイプコントローラ)の術中から逃れることはできなかった。その価値観と善悪はそのままに、アレイスターに都合のいいように行動を操作される状態から抜け出すことはできなかった。そして、それを打ち崩す程の材料も存在していなかった。

 しかしそれでも、レイシアの信頼はたった一回視線を交わしただけで『シレンの正気』を確信できるほどまでに強かった。

 

 ただ、それだけの話なのだ。

 

 

「どこを見ていますの」

 

 

 そんなレイシアの気迫に意識を向けすぎていたからか。

 アレイスターがまともな警戒心を取り戻した時には既に、シレンがアレイスターの眼前にまで迫ってきていた。

 

 

「くっ──!!」

 

「この因果は捻転する」

 

 

 パチン、という指弾の音と共に、戦場に空隙が生じた。

 すぐさま術式を発動して対抗しようとするアレイスターだが、その動きは即座に奇想外し(リザルトツイスター)によって失敗させられ、内臓系へのダメージとして返される。

 そして。

 

 

「言いたいことは、色々とありますが──」

 

 

 金髪緑眼の令嬢は、右拳を力いっぱいに引き絞りながら、叩きつけるように叫ぶ。

 

 

「まずは、我々の絆を安く値踏みした分です!!」

 

 

 ゴッガンッッッ!!!!!! と、巨悪の顔面に令嬢の右拳が叩き込まれた。

 

 

 ──手を差し伸べるだけでは救えない相棒?

 

 確かにそうだろう。

 

 視線を交わすだけで勝手に救われる囚われの御姫様(ヒロイン)など、わざわざどうやって救えばいいというのだ。

 

 

 


 

 

 アスファルトの地面を転がるようにして、アレイスターの身体が吹っ飛ばされていく。

 全身の体重をかけた拳は流石に負担がかかったのか、シレンは自らの右手首を軽く抑えながら肩で息をしていた。

 ただ、少女の細腕とはいえ全体重をかけた一撃だ。それを無防備な顔面に叩き込まれたのだから、さしものアレイスターも多少のダメージは残るはず。

 

 

「………………やれやれ、これも失敗か」

 

 

 そう思っていたものだから、存外冷静なアレイスターの言葉を聞いた時、シレンも流石にぎょっとした。

 

 

「シレン!!」

 

 

 庇うようにして白黒のモヤを帯びたレイシアが前に立つのと、衝撃波がシレンを襲ったのはほぼ同時だった。

 ドゴァ!!!! という爆風は、もしもレイシアがカバーに入るのが遅かったらシレンの身体を数百メートル先までゴルフボールのように軽々と飛ばしていただろう。

 

 

「…………!!!!」

 

 

 上条と一方通行も、それぞれ今の衝撃波を切り抜け、近場の仲間達を守っていたようだが……しかしアレイスターの攻撃はそれでは終わらなかった。

 

 

「飛沫」

 

「……がっ……!?」

 

 

 アレイスターが一言呟くと同時に、シレンの腹部にボディブローを叩き込まれたかのような衝撃が発生する。

 力なく蹲りそうになるのを二本の足で堪えながら、シレンは前を見据えた。

 

 

「術式を、二個並行で……!?」

 

「なるほど勘が良いな。起きた事象の分析としてはそれでも及第点だ。もっとも、理解の浅さは如何ともしがたいがな」

 

 

 そこで、シレンは気付く。

 彼女の目の前に立つレイシアの身体から、白と黒のモヤが消えていることに。

 そしてそのモヤが、アレイスターの傍らに移動していることに。

 

 

「ともあれ、力の方は無事に回収できた。そして──折よくあちらも終わったようだ」

 

 

 ゴグン、と。

 まるで巨大な生物が喉を鳴らしたような不穏な胎動と共に、アレイスターの傍らにある白黒のモヤが巨大化する。

 

 

「…………チッ。どォやら間に合わなかったみたいだな」

 

「ああ、シレンの協力者が上手くやってくれたらしい」

 

 

 舌打ちする一方通行と、不敵に微笑みアレイスター。

 二人のやりとりを裏付けするようなタイミングで、シレンの持つ端末に通信が届いた。

 

 

『もしもし。シレン?』

 

 

 ──フレンダ=セイヴェルン。

 今まさに後方のアックアとの戦闘を繰り広げていたはずの少女は、のんきな調子でこう続ける。

 

 

『アックアは派手に吹っ飛ばしたわ。こっちは終わったっぽいけど、結局そっちはどうよ?』

 

 

 つまり、アックアの撃破宣言。

 そうなってくると、シレンの方も状況が大体読めてくる。

 

 白と黒のモヤ。そして『堕天』。

 魔術サイドの知識は門外漢なシレンだが、しかし『正しい歴史』の知識はある種のパターンをシレンに教えてくれる。

 つまり、神の右席を倒すことで彼らの操っていた天使の力(テレズマ)を掌握する何かが、アレイスターによって行われていたのだろう。

 それが一方通行の警戒していた『堕天』というわけだ。

 

 もっとも、それ自身は木原の書の反逆やレイシアの行動によって当初思い描いていた形からは程遠くなっているようだが──。

 

 

「あー……こちらの方は、少々状況が変わりまして。……ええと、結論から言うと、アックアさんを倒しちゃったの、だいぶまずいかもしれませんわ」

 

 

 ──つまり現状は、アレイスターにとっては弾が全て揃ったに等しい状況ということになる。

 

 

『はぁ!? それ結局どういうこと!? 何かあったの!?』

 

「いえ! こちらはこちらで何とかしますわ! ご協力ありがとうございました!」

 

 

 ブッと通信を切り、シレンは目の前の敵に集中する。

 ステイルと神裂はオリアナと共に上条、美琴、食蜂、インデックスに庇われる形でいるようだが、アレイスターを前に鎧袖一触。一方通行は那由他と消耗した木原の書を庇っている形であまり前衛で高速機動をするわけにもいかないらしい。

 今ここで積極的に動けるのは、後ろに誰もいないシレンとレイシアのみ。アレイスターの策略は悉く失敗し状況は好転しているが──それでも、かの『人間』の牙城を完全に崩すには至らない。

 

 その状況をあらわすかのように、アレイスターは深刻さを感じさせない様子で──レイシアと行動を共にしていた時の憎たらしい不敵さそのままに言う。

 

 

「さてどうするか。少し困った状況になってきたな」

 

 

 しかし。

 レイシアとシレンもまた、それに負けないくらいの不敵な笑みを浮かべる。

 

 それこそ──まるで世界全てを敵に回すように不敵な笑みを。

 

 

 

「笑わせないでくださいまし、アレイスター=クロウリー」

 

「──まさか、まだ今が底とは思っておりませんわよね?」

 

 

 一撃必殺の策があるわけではない。

 不安材料が取り除かれているわけではない。

 

 しかし、彼女達の笑みはその程度では剥ぎ取れない。

 

 

 根拠は一つで十二分。

 

 二人で一人の悪役令嬢(ヴィレイネス)が、此処に揃っているのだから。



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一五二話:統括理事長、その真価 ①

「ははっ」

 

 

 レイシア=ブラックガードとシレン=ブラックガードの和解。

 その事実は、単なる戦力の増強以上の成果を齎していた。

 

 

「ははははははっ!! そりゃそうだよな、お前らは()()()()()()()だったよな!!」

 

「……まったく。レイシアとシレンはいっつもこうなんだから。せっかく手助けしようと思ったのに、自分たちでどうにかしちゃうんだもん」

 

「でも……これで構図は随分分かりやすくなったわ」

 

「黒幕力は、たった一つ。……注力すべき場所も明確になったわねぇ」

 

「チッ。だからこんな役回りは御免だったンだ。場違いったらありゃしねェ」

 

 

 シレンと協力していた少年少女達の雰囲気が、明らかに好転していく。

 たった一人味方が増えただけだ。相手は未だ謎の戦力を有するこの街の王。全く予断を許さない状況にも拘らず、彼らは単なる戦力増を超えたパフォーマンスの向上を見せる。

 

 

「まるで、既に勝ったみたいな物言いだな?」

 

 

 それに対し、アレイスターは銀色の杖を振るうことで応える。

 200、200、90、40、300、6、40、10、8。

 数字のイメージを伴った火花がまるで花火のように高速で連続した。そしてアレイスターがパントマイムによってその虚像を浮かび上がらせようとした、その瞬間。

 

 

数秘術(ゲマトリア)! 『くらすたーばくだん?』って意味かも!」

 

 

 インデックスの言葉に背中を押されるようにして、上条当麻が突貫する。

 そして、まだ爆発する前の幻影に右拳を叩きつけ、アレイスターのことを真正面から見据えた。

 

 

「……既に勝ったみたいな物言い? 可愛い後輩が、こんな見事な逆転劇を見せてくれたんだ。それに応えられなきゃ、嘘ってもんだろうが」

 

 

 上条当麻が。

 インデックスが。

 御坂美琴が。

 食蜂操祈が。

 一方通行(アクセラレータ)が。

 

 『正史』を彩ってきた掛け値なしの英雄(しゅじんこう)たちが、レイシアとシレンの二人を囲むようにして、最後の巨悪(アレイスター)と対峙する。

 右拳を握り締め、その筆頭たるツンツン頭の少年はこう断言した。

 

 

「覚悟しろよ。この先テメェには何一つ──俺の後輩の幻想は殺させねえ!!」

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一五二話:統括理事長、その真価 ① The_Fallen.

 

 

 


 

 

 

「この先何一つ、と来たか」

 

 

 上条の啖呵に対しアレイスターは何一つ動揺せず、軽く杖を振るう。霊的けたぐり──先ほどと同様に数字から相手の攻撃を先読みする為に上条がインデックスの言葉に意識を集中する横で、一方通行が動いた。

 

 

「敵の動きに対処していくンじゃ、じり貧だろォが。この手のアホは何もさせず潰すに限る」

 

 

 無造作に振るった右腕が生み出した気流が、透明な四本の槍となってアレイスターへ突き出される。

 アレイスターはそれに対し、指揮でもするように右手を振って応じた。

  火花として散るイメージは、8、6、90、50、9、10、2、200、300。

 

 

「……? 『指揮棒』……?」

 

 

 その数字の意味を解析したインデックスの眉が、怪訝そうに顰められる。

 霊的けたぐりは、アレイスターのパントマイムに応じて相手に『パントマイムのイメージ』を押し付ける術式だ。アレイスターの場合はこのパントマイムの精度が常軌を逸している為、クラスター爆弾のような現代兵器や、果ては存在しない空想上の兵器に至るまで再現が可能だが──それゆえに、『指揮棒』という一見すると何の攻撃性も持たないイメージの意図は不明だった。

 しかし次の瞬間、インデックスはその『意味』を理解することになる。

 

 ゴバァッ!!!! と。

 

 突如虚空が爆裂し、一方通行が展開していた空気の槍がまとめてなぎ倒されたからだ。

 

 

「な…………ッ!?」

 

「チッ……! よくよくびっくり箱のネタが尽きねェラスボス様だな!!」

 

 

 

 舌打ちした一方通行はそのまま爆撃の狙い撃ちを嫌って空中の高速移動戦法に舵を切ったが、目を丸くしたのはインデックスだった。

 何が起こったのか分からなかったから──ではない。何が起こったのか分かったからこそ、理解ができなかった。

 

 

「アレイスターの使う術式は、何となくだけど分かるんだよ。あの人は自らが行ったパントマイムで武装のイメージを()()()()()()()()()()()、その攻撃力を相手に直接与える術式を使っている。類感魔術の要領で」

 

「プラシーボ効果みたいなもんか……?」

 

 

 首を傾げる上条だったが、恐ろしいのはそこではなかった。

 

 

「でも、この術式は『存在しない武器の幻影を作り出す』ものじゃない。あくまでも実態は存在しなくて、ダメージは自分のイメージとリンクさせた対象にしか発生しないんだよ。……つまり、()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 だが、アレイスターはその制約を解除して一方通行の攻撃を『爆撃』によって相殺した。おそらくは、霊的けたぐりの制約を無視する『何か』を介した攻撃によって。

 そしてその術式の核となるのは、おそらく──

 

 

「……あの白黒のモヤ。アレが何かしているはずなんだけど……」

 

 

 インデックスの知識を以てしても未だに正体の特定ができない謎のモヤは、未だにアレイスターを守るようにかの『人間』の周辺を漂っていた。

 

 

「……厄介ですわね。前触れもなしに空間を爆破できるとなると、アナタの右手でも失敗のタイミングが掴みづらいでしょうし」

 

「というか、アレイスターもそれを念頭に置いてアレを運用している気がしますわね……」

 

 

 レイシアとシレンは、互いにそう話し合う。

 普段は一心同体の二人が個別に会話をしている姿は、当たり前の光景のはずなのにどこか奇妙だったが──しかし二人はそれが昔から続けてきたことだったかのように滑らかなコミュニケーションを発揮する。

 

 

「わたくしが前に出ます。頭を破壊されなければ三発くらいは耐えられるでしょう」

 

「はぁ!? もう……無茶すぎましてよ!」

 

 

 叫ぶシレンを背に、レイシアは走り出した。AIM拡散力場によって構成された肉体は、通常の人体ではありえない猛獣並みの敏捷性を与える。純粋に狙いを定めることすら難しい機敏な動きは、それだけで一定の防御力を備えていた。

 しかし──レイシアの頼みはそこにはない。

 

 

「その程度で私の攻撃を搔い潜れると?」

 

「もちろん、思っていませんわ」

 

 

 ()()()、と。

 レイシアのことを援護するように、甲高い柏手の音が響き渡った。

 

 

「──レイシアちゃん! ()()ですわ!! 音の残響が残っている間、アレイスターは魔術を使えません! そのうちに!!」

 

「生憎、離れていてもわたくし達は一心同体! アナタがどれほどの伏せ札を備えていようが、関係なく此処で叩き潰しますわッ!!」

 

 

 アレイスターの首を刈り取るようなハイキック。

 これ自体は読んでいたのか屈むようにして回避するアレイスターだったが──行動のスピードが違いすぎる。屈んだアレイスターが次の行動に移る前に、レイシアはハイキックから身体を一回転させてダァン!! と大地を踏みしめて態勢を立て直した。

 そしてそのまま右手を振りかぶり──アレイスターの顔面を掴み、そのまま思い切り地面に叩きつける。

 

 

「…………うわ、あれは酷いわねぇ」

 

 

 遠巻きに見ていた食蜂が、思わず呟いてしまう。

 顔面への殴打はもちろん感覚器全般へのダメージが大きいが、言ってしまえばダメージを与える瞬間は一瞬だ。その点、『頭を掴んで地面に叩きつける』のはその膂力を余すことなく後頭部にぶつけることができる。殺傷力で言えば、下手に顔面を殴るよりも圧倒的に高い。……分かりやすすぎる『殺す気の一撃』であった。

 いや、レイシアも一応は表の人間なので、『このくらいやらないとダメージすら与えられなさそう』という警戒の賜物ではあるはずなのだが。

 

 

「…………チィ、しくじりましたわね」

 

 

 そして実際、その判断は正しかった。いや、()()()()()()()()()()()()と言うべきか。

 見ると、レイシアの右腕は肩口のところで切断され──アレイスターの方は、後頭部をモロに地面に叩きつけられ大地に真っ赤な花を咲かせるということもなく、普通に倒れこんだだけだった。

 

 

「レイシアちゃん!?」

 

「直前に地面を踏みしめる音で残響が掻き消されていなければ……私にトドメを刺せていただろうな。実際惜しかったよ、レイシア=ブラックガード」

 

 

 ──至近距離。

 必殺の刹那、レイシアを救う為にもう一度奇想外し(リザルトツイスター)を使おうとしたシレンの右手を、那由他が抑えた。

 

 

「那由他さん!? 一体……」

 

白黒鋸刃(ジャギドエッジ)のお姉さんは大丈夫。一方通行のお兄さんが助けに行ったから。それよりもそろそろ──」

 

「アレイスターの手に『指揮棒』が!! 次が来るよ!!」

 

 

 ゴヒュ!! と突如発生した暴風によってレイシアの身体が上空数十メートルまでフッ飛ばされた直後、周辺一帯を巻き込む大爆発が発生する。

 

 

 上条の右手と、一方通行の能力。それと那由他や美琴の尽力もあり、その大爆発ではさしたる被害も発生しなかったものの、アレイスターは一定の距離と時間を稼ぐことに成功してしまっていた。

 そしてこの『人間』にとって、僅かであっても時間を与えるのは厄介この上ない。

 

 

「レイシアちゃん、大丈夫!?」

 

「腕が飛んだくらいなんてことありませんわ。ほら、この通り。修復可能でしてよ」

 

 

 合流してすぐにレイシアの身を案じるシレンに、レイシアは逆再生のように元通りに戻っていく右腕をひらひらと動かして答える。心臓に悪い光景だったが、レイシアは自分の身を大事にしていないとかではなく純粋に『自分という駒』を便利に扱えるだけ扱っているだけなので、きちんとリカバリーまで計算に入れているのであった。

 まぁ、ただの中学生の少女がそんなあっさりと自分を計算に入れられている時点でおかしいのだが……。

 

 

「ところで」

 

 

 そして。

 暴風によって巻き上げられた戦塵が散った後、戦場にはとある変化が生まれていた。

 

 

「…………なんか補充されてるんだけど」

 

「しかも、何やら面倒くさい連中ですわね……」

 

 

 ──Five_Over.OutSider Modelcase"MENTALOUT"。

 丸い大きな頭に、タコやイカのような機械の触腕を備えた、人造第五位のもう一つのカタチ。

 どこに準備していたのか、霊的けたぐりによる幻影ではなく実体を持った兵器として、アレイスターによって戦場に導入されていた。

 『正史』によって導入された形式では人体が『纏う』形で運用されていたが、異なる歴史を歩んだせいか、アレイスターが導入した兵器の中には人間らしい姿はない。

 

 そしてその真価は、即座に発揮されることとなる。

 

 ザア──と。

 アレイスターの姿が、まるでテレビ画面に走ったノイズのように掻き消されてしまう。

 磁性制御モニター。

 簡単に言えばプロジェクションマッピングを恐ろしく高精度にしたもので、本来はこれによって人の心の外部を徹底的に作り替えることで『自分の認識が間違っているのではないか』と思わせ精神操作を行う『異なる方式の超能力(アウトサイダー)』なのだが──今この状況でアレイスターの目的を果たすならば、そこまで仰々しい現象は必要ない。

 

 アレイスターの手札には、座標を問わない爆撃攻撃が存在している。現在地さえ隠すことができれば、シレン達はアレイスターのことを攻撃できないが、アレイスターからは一方的にリスクを冒すことなく攻撃を仕掛けることができるという無敵の状態を維持することができる。

 

 

「美琴さん!!」

 

「ダメ……! アイツ、妨害電波も同時に流してるみたい。お陰で電磁波から相手の位置を探知しようとしても、全然分からない……!」

 

 

 即座に美琴に呼びかけるシレンだったが、アレイスターがその程度の探査に対して何の対策もしていないはずもなく。

 力なく首を振る美琴を見て一刻の猶予もないと判断したシレンは、とりあえずアレイスターへの牽制として奇想外し(リザルトツイスター)を発動しようとするが──

 

 

 ドォン!! と、その機先を制するようにデタラメな場所で爆発が発生する。

 それを意味するところを悟り、シレンは思わず息を呑んだ。

 

 

(しまった──!! 『音』で先手を打たれた! あの爆音が生きている間は、奇想外し(リザルトツイスター)が使えない……!)

 

 

 不可視。

 不可避。

 

 二つの不可能が迫りくる瞬間──シレン達の窮地を救ったのは、四原色の竜巻だった。

 

 

「!? この術式は……!」

 

「間に合ってよかった……みんな! 一旦撤退するよ!」

 

 

 そこにいたのは、『原典』を纏った状態のオリアナ=トムソンだった。

 

 

「今は()使()()()()()()()()()()()()アレイスターの爆撃は来ない。ほら、早く!」

 

 

 オリアナに呼びかけられ、シレン達は互いに頷き合ってその場から離れる。

 アレイスターとの第一ラウンドは、互いに痛み分けという形で終わった。

 

 

 


 

 

 

「オリアナ、もう大丈夫なのか?」

 

 

 追跡封じ(ルートディスターブ)の面目躍如というべきか。

 あっさりとアレイスターとの戦場から退避することに成功した一行は、放棄されたハンバーガーショップに一旦身を寄せていた。

 そこには、木原の書やステイル、神裂といった面々も揃っている。いずれもある程度は消耗しているようだったが、既に動ける程度には回復しているようだった。

 オリアナ=トムソン自身も、炎の戦場によって酸欠の症状で極度に消耗していたはずだが──

 

 

「まぁね。そこの赤髪の坊やに治療してもらって」

 

「坊や呼ばわりはやめろ焼き殺すぞ。……炎による酸欠なら、治療術式くらいは備えている。僕の専門分野が何か忘れたか?」

 

 

 皮肉げに言うステイルだが、ステイルの尽力がなければアレイスターの爆撃をモロに受けていただろう。そういう点ではMVPの一翼を担っているのはステイルということになる。

 それよりもシレンが気になっていたのは、あの一幕だった。オリアナは四原色の竜巻で周囲を遮ることで『爆撃を防いでいる』と言っていたが、あの言い方だと『防ぎ方』を知っているということになる。

 

 

「それより、オリアナさん……」

 

「ああ、アレイスターの扱っている術式の正体ね。それなら──あのコに聞いてみるのがいいんじゃないかしら?」

 

 

 問いかけようとしたシレンに対し、オリアナは店内奥へ視線を向ける。

 息を荒くして床に座り込んでいる金髪の男──木原の書は、視線を受けて口を開く。

 

 

「……ま、元々は俺の機構を通して実現しようとしていた機能だからな。心当たりくらいはある」

 

 

 木原の書は肩を竦めて言って、

 

 

光を掲げる者(ルシフェル)の再現だよ」

 

 

 そう、端的に言った。

 

 

「テメェら、光を掲げる者(ルシフェル)ってのは知ってるか?」

 

「…………えーと……」

 

 

 当然、明確に知る者などインデックスを除いていない。

 『正史』の知識を知るシレンとレイシアですら、光を掲げる者(ルシフェル)については堕天使としか情報を持っていない。ゆえに、答えたのは必然的にインデックスだった。

 

 

「……かつて神の右席に座していた存在。やがて『誤作動』を起こし、それによって天界の戦力の三割が引きずられるように誤作動を起こしたっていう…………あ」

 

「そう。ヤツが再現したのは()()だ」

 

 

 堕天。それによって引き起こされる、大きな場の混乱。

 あの白黒のモヤが引き起こしているのは、それ。たとえば戦闘の影響によって撒き散らされた天使の力(テレズマ)の残滓にこれを適用すれば、『堕天』した天使の力(テレズマ)は暴走し──爆発を引き起こす。

 虚空が突然爆発したように見えたのは、目に見えない天使の力(テレズマ)に干渉していたことが原因だったのだ。オリアナの四原色の竜巻でこれを遮ることができたのも、天使の力(テレズマ)に干渉することで『堕天』による爆発を阻止したからだろう。

 

 

「場に残る天使の力(テレズマ)を堕天させることによる暴走──そして誘爆。それが、アレイスターが操る術式の正体。…………でも、ちょっと腑に落ちないところがあるかも」

 

「…………腑に落ちないところ?」

 

「いかに現在の魔術基盤を開発したアレイスター張本人といえど、私の一〇万三〇〇〇冊は伊達じゃないかも。その私が何回も術式を見ても原理を看破できなかったということは……()()()()のパーツが埋め込まれている可能性があるんだよ。それが、私対策のデコイというだけならまだいいけど……」

 

「科学サイド由来の『隠された能力』がある。……そういうことですの?」

 

 

 問いかけたレイシアの言葉に、インデックスは黙って頷く。

 いかにも考えられる可能性だった。あのアレイスターが生み出した術式だ。この程度の悪辣さで終わるとも思えない。

 

 

「……だが、相手がどんな隠された能力を用意していようが、問題はねぇよ」

 

 

 言って、木原の書はゆったりとした動きで立ち上がる。

 

 

「さっきも言ったろ。元々は俺の機構を通して実現しようとしていた機能だ。つまり俺の機能をフルに使えば、機能に対してジャミングだって可能なはずだ。……だから

アレイスターの野郎もあの場で俺のことを始末する予定だったんだろうが、生憎俺の肉体を整備できる魔術師がこっちにいたから、死に損なっちまった」

 

 

 オリアナ=トムソン。

 木原の書と同系の『原典』を制作し、今となっては纏う形で運用することすらできている『魔導師』ともなれば──応急処置くらいは問題なく行えるといったところか。

 木原の書は、やはり悪辣な笑みを浮かべながら、しかし今までとは違った温かさを纏って言う。

 

 

「『堕天術式』の無力化は俺に任せろ。テメェらは、虎の子の術式を潰されてお得意の暴走を始める前にアレイスターにトドメを刺しちまえよ」



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一五三話:統括理事長、その真価 ②

 それから数分後。

 上条、シレン、レイシア、木原の書の四人は、潜伏していたファーストフード店から出てアレイスターのもとへと向かっていた。

 

 

「でも、ちょっと怖いというか予測できない部分はありますわよね……」

 

 

 その道すがら。

 後方を走るシレンの口から、弱気な言葉が漏れた。

 

 

「しょうがないことではありますが、相手はアレイスターですもの。準備する時間を与えたら、戦力が数倍になっていました──なんてことも全然あるのではないかと」

 

 

 ただ、シレンの懸念は真っ当な懸念でもあった。

 何せ今まであれだけ不屈の精神で策を練っては戦力を補充してきた相手だ。ちょっと目を離したすきに何をしでかすかなんて分かったものではない。

 今から気が重くなってくるというのが、正直な感想だった。

 

 しかしそんな懸念を笑い飛ばすように、

 

 

「それに関しては、問題ありませんわ」

 

 

 先頭を走る木原の書の、その後ろを走っていたレイシアが答える。

 

 

「アレイスター=クロウリーは、別に化け物ではありませんからね」

 

 

 それは、アレイスターと実際に行動を共にするというこの世でもごく少数しか得られない経験をしたレイシアだからこそ発見できた事実だった。

 

 

「アレイスター=クロウリーは、本質はどうあれ本人の自認としては策謀家なんですのよ。つまり、立てた計画に従ってことを進めたがるタイプです」

 

「…………確かに」

 

 

 そしてそれは、シレンも頷けるところだった。

 だからこそ『計画(プラン)』なんてものを標榜して世界を掌の上で転がしていたのだ。むしろ、今日のようなイレギュラー祭が異常値であって、アレイスターの平常値はどこかに引っ込んで他者を動かしていくような方向性になる。

 

 

「木原の書だって、アレイスターは結局シレンを動かすことで対処しようとしたでしょう? そのシレンにしたって、対処するのはわたくしをぶつけることで賄おうとした。根本的にアイツは、『自分が矢面に出る』展開は避けたがる男なんですのよ」 

 

 

 では、そんなアレイスター=クロウリーが実際に自分しか動かせる駒がなくなった状態で、目下の襲撃のリスクがなくなったとなれば──次にとる行動はなんだ?

 

 

「アレイスターは、十中八九手駒を増やそうとします」

 

 

 レイシアは、迷いなく断言した。

 

 

「ファイブオーバーか、別の暗部か。ただ、わたくしや木原の書といった鳴り物入りの手駒を軒並み失った今、アレイスターとしても手駒を増やす『タネ』が空っぽなのですわ。だから正確には、アレイスターは手駒を増やす『準備』をするはず。何かこの事件で起きた悲劇を拾い上げて誰かに都合のいい情報を吹き込むとか、そういう手管で、ですわ」

 

 

 実際に似たような手口で手駒にされかけただけに、レイシアの言葉には重い説得力がある。

 確かに、アレイスターの今までの行動を考えればその可能性は大いにあった。

 ならば。

 

 

「だから、今なら間に合いますわ。アレイスターが悲劇を利用して誰かを操るその前に、わたくし達が強襲を仕掛ければ、ヤツはまた自分自身を駒にして戦わざるを得なくなる。例の白黒のモヤの隠された新機能とかですわね。そしてアレイスターがリカバリーを完遂する前に、叩き潰すのですわ!」

 

 

 力強く言うレイシアの言葉は、シレンの懸念を払拭するには十分すぎる力を持っていた。

 走るシレンは、静かに口元に笑みを浮かべる。

 

 

(……ああ、やっぱりいいな。俺はどこかで弱気になっちゃうけど、こうしてレイシアちゃんがいればすぐに気持ちを立て直せる。なんだか、今日初めて息を吸ったような気分だ)

 

 

 そしてそれは、単なる安堵だけではない。

 レイシアの指摘を通じて、『正しい歴史』を知るシレンだからこそ思い出せる事実もある。

 

 

「……アレイスターが他者を動かす方向性で盤面を支配しているというのは、確かに思い当たる節がありますわね。だとするならば──現状のアレイスターが真っ先に手を伸ばすのはおそらく……『木原脳幹』。あのゴールデンレトリバーですわね」

 

 

 木原脳幹。

 アレイスター=クロウリーの旧友にして、彼の理解者。正史においては上里翔流に敗北させ木原唯一を動かすのに利用したが、しかし蠢動や魔神にも差し向けていたことを考えると、『新約』以降の動かせる手駒が少ないアレイスターの数少ない手札だったのは間違いない。

 そこから察するアレイスターの打ち手としての傾向は、『困ったときは木原脳幹を起用する』である。

 

 

「……ああ? お前、脳幹の野郎のこと知ってたか?」

 

「ええ、少し。手札は知っていますわ」

 

 

 もちろん、レイシア=ブラックガードが本来知り得る情報の中に、木原脳幹に関する情報はない。こんな言動をとれば、シレンの持つ『正しい歴史』についての知識は遅かれ早かれ公開せざるを得なくなるし、そうなればシレンの情報アドバンテージも失われるだろう。

 ただ、シレンももうこの期に及んでそんな展開を恐れることはなかった。というか、アレイスターが好き勝手暴れている上に右席が全滅してるのである。もうロシア編もあるかも分からないし、一〇月中にオティヌスとバトルする羽目になる可能性すらもシレンは考えていた。ならば、こんなところで出し惜しみをする意味はない。

 

 

対魔術式駆動鎧(アンチアートアタッチメント)。色々な兵装はありますが……真の機能はアレイスター=クロウリーの力を遠隔地で行使する『端末』ですわね」

 

「ああ……『俺』を殺したヤツか」

 

 

 シレンの説明に、木原の書は呑気に返した。

 目を丸くしたのは、説明したシレンの方だ。

 

 

「ええ!? 木原の書さん……既にアレを見て……!? っていうか、脳幹さんが出てくるレベルなんですのね……あの事件……」

 

「そりゃな。臨神契約(ニアデスプロミス)を鹵獲しようとしたどころか、メインプランをぶっ潰そうとしたんだ。軽めに言っても逆鱗をおろし金でこすりつけたレベルだろ」

 

「まぁ自業自得ですわね」

 

 

 驚愕するシレンとは裏腹に、テキトーそうな表情で首肯するレイシア。落差がひどかった。

 しかし実際にA.A,A.と相対したことがある人員というのは貴重である。シレンも知識はあるが、それと実際にぶつかった経験であれば当然経験の方が有用に決まっている。

 

 

「……さて、そろそろインデックス達が調べてくれたクロウリーの居場所に辿り着くぞ」

 

 

 走りながら、上条がガラケーに表示した地図を見て言う。

 アレイスターの現在地は、魔力を感知できるインデックスや魔術師の戦略に詳しいステイル、神裂、オリアナのサポートで既に割り出しが完了している。

 

 ──場所は、第七学区の大通り。

 四車線が並ぶ車道の真ん中で、アレイスターは意外にもどこかに隠れるとかいったことなくそこで待機していた。

 

 

「……意外ですわね。てっきりまた例のファイブオーバーで隠れて奇襲をしかけるものと思っていたのですが」

 

「ああ、必要がなくなったのでね。そちらが態勢を整えている間に、こちらの準備も完了している」

 

 

 そう言って、手術衣を纏う『人間』は手に銀色の杖を呼び出す。そして瞬時に視線を走らせ、

 

 

「……いない超能力者(レベル5)達と木原那由他は別動隊、か。大方私が用意したファイブオーバー軍団にぶつけているのだろうな。魔術師達は……あの深手だし、戦闘不能といったところか」

 

 

 アレイスターは冷静に、一つ一つ戦場を読み解いていく。

 実際、アレイスターの手駒としてファイブオーバーを大量に運用してくる可能性はシレン達も考えていた。それを先ほど俎上にも上げていなかったのは、それに対して既に手を打っていたからである。

 

 

「だが、分かっているのか? これでそちらの手札の『魔術サイド』は木原の書一人。つまり……魔術に対する防御が圧倒的に甘くなるということを」

 

「アナタこそ、忘れているのではありませんの?」

 

 

 しかし。

 シレンはそんなアレイスターに対し、あくまでも挑戦的に笑いかける。

 その裏側では────

 

 

 


 

 

 

 同時刻。

 学園都市、某所。

 

 とある倉庫の屋根が、ガパッという音を立てて呆気なく開かれる。

 倉庫の中にいたのは、夥しい数の昆虫を模した兵器だった。

 その一つ一つが、出力だけでいえば超能力者(レベル5)に伍するかこれを上回るほどの化け物。一機が一個師団を超えるという化け物じみたスペックを持つ、叡智の結晶──『ファイブオーバー』であった。

 

 それに対し。

 

 ()!! ()()()()()()()()()()()

 

 

「……やれやれ。あの女、相変わらず無茶ぶりをしてくれる。このボロボロの身体をおして、能力者の頂点を超える出力を持つ機械の群れを叩き潰してくれ、だと?」

 

「ですが、シレンはこうも言っていましたよ。科学は『常識の外』には脆い。同じ土俵に立たなければ勝つのは容易だ、と」

 

「信頼されているって素晴らしいわよねぇ。お姉さんってばガラにもなく張り切っちゃうな」

 

「まったく……せっかく今回もとうまと一緒に思う存分戦えると思ったのに」

 

 

 そこにいたのは、四人の魔術師。

 いずれも浅くない傷を負い、それでもなお科学サイドの最高峰と相まみえるという厳しい戦況に放り込まれているが──しかし彼らは、その程度ではブレない。

 

 

「だから三人とも!! 私が指示するから、さっさとこんな機械の群れは倒してとうま達のところに合流するんだよ!!」

 

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………、」

 

「ステイル。ステイル。顔、顔ですよ」

 

「うふふ☆ 青春って素晴らしいわよねぇ!」

 

 

 ヒーローが、守るべきものの為に戦うときに一番強くなるというのなら──

 

 

献身的な子羊は強者の知識を助ける(Dedicatus545)っ!!」

 

礎を担いし者(Basis104)

 

「……救われぬものに救いの手を(Salvare000)

 

我が名が最強である理由をここに証明する(Fortis931)──!!」

 

 

 ──魔術師達(かれら)は、紛れもなくヒーローだった。

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一五三話:統括理事長、その真価 ② The_Fallen.

 

 

 


 

 

 

 

「──魔術師達(かれら)は、あの程度で戦線を離れるほど弱くはありませんわ」

 

 

 シレンの宣言の直後、だった。

 

 ズドガガガガガガガ!!!! と、天空から大量の『雷』が降り注いでいく。

 否、それは雷ではなかった。正確には、それを起点にして物質化したAIM。即ち──

 

 

「そして電磁掌握(フェーズ=ネクスト)。手元に美琴さんと食蜂さんが揃っているのであれば、当然出てきますわよ!!」

 

 

 それに対し、アレイスターは指揮棒を振るい虚空を爆発させることで対応していく。

 しかし当然、それだけでは終わらない。

 

 

「よォ理事長サマ。第三位程度にその体たらくじゃ、この先が思いやられるンじゃねェか?」

 

 

 背に気流の翼を背負いながら、一方通行は嗤う。

 虚空で生じる爆発も、一方通行を捉えることはできないようだった。──当然だ。狙いを定めているのがアレイスターならば、その認知を超えればいい。

 指揮棒を振るうアレイスターの認知を超え、一方通行はいともたやすく『人間』へと肉薄する。

 

 

「なァ、神経電流と血流、どっちを逆流してほしい?」

 

 

 右の毒手と、左の苦手。

 まるで悪魔のような禍々しさで構えた一方通行は、しかし問いかけながらも答えは待たなかった。

 そのどちらも回避するように咄嗟に屈んだアレイスターに対し、

 

 

「どっちも使うか馬ァ鹿!! オマエなンざ足で十分だってンだよ!!」

 

 

 ゴッ!!!! と、屈んだアレイスターの腹に勢いよく蹴りを叩き込む。

 まるでゴルフのボールのように空へと吹っ飛んでいったアレイスターを見送る一方通行の背後に、ひょこりと顔を出す少女が一人。

 

 

「……さっすが一方通行のお兄さん。ちゃーんと、風紀委員の協力者らしく『殺さない解決』を選んでくれたね」

 

「……関係ねェよ。俺はただあの野郎を虚仮にしてやりたかっただけだ」

 

 

 憮然として言う一方通行だが、那由他は変わらず嬉しそうに笑っていた。

 それに対し、一方通行は鼻を鳴らして言う。

 

 

「…………それに、あの程度じゃダメージにもなってねェ。蹴りの感触的に、何かでガードされたみてェだったからな」

 

 

 その言葉を証明するように。

 蹴り飛ばされたアレイスターは空中で動きを整えると、そのままゆっくりと地面へと降り立つ。

 その身体には白黒のモヤが纏わりつくように寄り添っていたが、それはやがてあっさりと空中へと戻っていく。

 

 

「全く、本格稼働の前に随分と好き勝手やってくれたな」

 

 

 アレイスターは、自らの傍に漂う白黒のモヤを横目で見ながら、呆れたように溜息を吐く。

 その瞬間、バヂヂ!! と白黒のモヤが、青白い火花を散らしたのを、その場の全員が見た。

 

 

「……あぁ?」

 

 

 首を傾げたのは、木原の書だった。

 木原の書は、アレイスターに『堕天術式』の核として利用されかけた経験から、白黒のモヤによる『堕天』の仕様を理解していた。

 天使の堕天──即ち暴走を人為的に引き起こし、天使の力(テレズマ)を暴走させ、虚空で爆発を引き起こす術式。それが、アレイスターが操る術式の正体だったはずだ。

 だが。

 

 

「何を呆けている。この私が、科学の街の王が操る術式が、オシリスの権威の凋落程度で留まるはずもないだろう」

 

 

 その木原の書を以てしても、目の前の現象は理解ができなかった。

 

 

 青白い火花を伴った白黒のモヤが、まるで粘土をこねるみたいにして『人型』へと変化していくこの現象は。

 

 

「堕天とは即ち、プログラムされた指令が混線し、本来用意された座から天使が脱落し暴走することを言う。これを縮小再生産するのが、オシリスの劫の限界だ」

 

 

 アレイスターは、なおも虚空の爆破で美琴の攻撃を相殺しつつ言う。

 

 

 

「十字教基盤で発生する大規模な命令系統の混線を、他の法則に適用したらどうなるか。単一の宗教法則ではなく、包括的な『世界』全体の動きで理を見つめ直すこと。それが、魔術の奥義と知り給え」

 

 

 学者のように深淵な表情で。

 しかし子供のように無邪気な声色で。

 

 

 男のようにも女のようにも、聖人のようにも罪人のようにも、化け物のようにも人間のようにも見える『そいつ』は言った。

 

 

「──たとえば。AIM拡散力場において『堕天』を引き起こしたらどうなるかな?」

 

 

 バヂバヂバヂバヂ!!!! と。

 

 火花の嵐と共に──『その少年』は立ち上がる。

 白と黒に包まれたその少年の姿は、どこか真っ白な少年にも似ていて──

 

 

()()()()()

 

 

 産声のように、笑みを浮かべた。

 

 

「答えは簡単。()()()()()()()()。かつて光を掲げる者(ルシフェル)がそうだったようにな」

 

「なッ────」

 

 

 一方通行の動きが、鈍る。

 否、鈍ったのではない。『止まった』のだ。まるで──能力に逆らわれたかのように。

 

 

「このッ……馬鹿野郎!!!!」

 

 

 次の瞬間に一方通行が死ななかったのは、美琴が寸でのところで白黒の少年が放った衝撃波を相殺したのと──那由他が一方通行を担いで安全圏に移動したからに他ならない。

 逆に言えば、そのどちらかが失われていれば、一方通行は死んでいた。

 かつてメインプランとしてアレイスターの遠大な『計画(プラン)』の中核を担っていたはずの存在が、あっさりと。

 

 

「これの素晴らしいところは、離反した能力自体は解除されるまでは独立しているという点だ。これまでは人格に支配されていた能力自体が、独立した存在になって行動してくれる」

 

 

 それはまるで──かつて『正しい歴史』において、『新約』の最後に立ちはだかったとある少年のような現象。

 能力の、反逆。

 それによって第一位があっさりと無力化したという状況で、アレイスターは尚も絶望的な事実を突きつける。

 

 

「……さて、第一位の無力化は完了したな。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ──つまり、対象は一人とは限らない。

 

 

「なぁ、上条当麻」

 

 

 アレイスター=クロウリーは、戦慄しているツンツン頭の少年を一瞥して言う。

 あるいは、残酷な現実を突きつけるかのように。

 

 

「教えてくれないか。私にこの先何一つ──()()()()()()()()()?」

 

 

 学園都市、統括理事長。

 

 

 その真価が、今改めて牙を剥く。




奇想外しなんですが、虚空の爆破と美琴の迎撃で音が散らされちゃって何もできない状況です。


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一五四話:混色の未来

 勝ち誇ったアレイスターの宣言。

 奪われた第一位の能力。

 戦慄する一行を相手に、統括理事長が次なる矛先に選んだのは──御坂美琴だった。

 

 

「────ッ!!」

 

「次は超電磁砲(レールガン)。君を奪って王手(チェック)と行こうか」

 

 

 アレイスターは、一行の後方に陣取っている美琴をゆっくりと指差す。

 最早幾何の猶予もないそんな瞬間で──上条当麻は一人駆け出していた。まるで、美琴とアレイスターの間に割って入るように。

 

 

()()()()

 

「間に、合え!!」

 

 

 バギン、と。

 アレイスターがトドメの一言を告げたのと同じタイミングで、何かがひび割れるような音が響き渡る。

 ──白黒の御坂美琴は、現れない。アレイスターが術式を発動したにも拘らず。

 

 

「…………魔術ってのは、突然何もないところから発生するような太刀打ちできない不思議な力ってわけじゃねえ」

 

 

 右手で何かを殺した上条は、静かに言う。

 きっと、彼はアレイスターが操る『堕天術式』の正体なんて知らない。ましてや、突破法など想定すらできないだろう。

 だが、彼は知っている。これまでの彼の旅路で、『魔術』というものがどういうものなのかを知っている。

 

 

「術者がいて、そこから魔術は生まれる。その大前提から外れるんなら、ルーンカードとか、七面倒くさい神殿とか、()()()()()()()()()()()()とか……とにかく、そういうのを作らなくっちゃあダメなんだ」

 

 

 ならば、アレイスターの場合は?

 何の脈絡もなく唐突に現れた()()()()()()あの白黒の人影の場合は、どうだったのだろうか。

 

 

「……答えはさっき、お前自身が言っていたな」

 

「…………、」

 

「能力者から発せられる目に見えない力場! お前の術式はそこを媒介にして能力者の自分だけの現実(パーソナルリアリティ)本体に干渉して、能力を暴走させていたんだ!! まるで大きな紙の全体から一部を引きちぎるようにして!!」

 

 

 上条は知らない知識だが、AIM拡散力場を探知する能力追跡(AIMストーカー)はたとえ対象が銀河系の果てにいようが位置を特定することができる。

 つまり、AIM拡散力場とはそのくらい遠くまで広がる力場というわけなのだ。そうした広がる力場をとっかかりにして発動する術式であれば、傍から見れば『何の脈絡もなく発動した』ように見えることだろう。

 ならば、その連続性を断ち切ることができたなら?

 

 AIM拡散力場は、微弱ではあれど異能の力。幻想殺し(イマジンブレイカー)は知らず知らずのうちにこの力場を打ち消し続けている。

 つまり、能力者とアレイスターの間に上条が割って入れば──『堕天術式』は媒介となるAIM拡散力場を打ち消されることになる。

 

 

「伊達に魔術師との戦闘経験を重ねていないというわけか。……いや、科学と魔術、私が区切った二つの世界の異能とぶつかった経験があるからこそ、異能の共通ルールに知悉し始めているというべきか……」

 

 

 アレイスターは忌々しそうにも楽しそうにも見える表情で笑いながら、

 

 

「だが、それは発動前の『堕天術式』を阻止できるというだけに過ぎない。君のたとえを借りるなら、一度大きな紙の全体から引きちぎった後の一部は、直接触れることでしか殺すことはできないのだからな。それに、常に超電磁砲(レールガン)心理掌握(メンタルアウト)を守る為に射線上に立っていれば、常にフレンドリーファイアのリスクが上がるが?」

 

「…………!」

 

 

 一つの手を阻止した程度では、突破口にすらなり得ない。

 ただし、この戦場は上条当麻によってのみ賄われている訳ではなかった。

 

 

「五分、時間をちょうだい!!」

 

 

 ──声を上げたのは、木原那由他だった。

 

 

「……能力の暴走。それなら、私の能力開錠(AIMバイオレータ)と通ずるものがある。『堕天』の機能を持たされた魔道書と、AIMの暴走を司る能力者……二つの『木原』を使えば、禁書目録のお姉ちゃんがいなくても突破口は開けるはず!!」

 

「それを聞いて──私が黙って見過ごすとでも?」

 

「それは、『害意』でして?」

 

 

 スッ、と。

 滑り込むような自然さで、レイシアがアレイスターに問い返す。その一言を受けて、アレイスターの言葉が僅かに止まった。

 今もまだ、散発的な天使の力(テレズマ)の爆破は続いている。この轟音の中では、奇想外し(リザルトツイスター)は大して機能しないどころか、味方の行動を阻害するデメリットの方が大きくなりかねないだろう。

 だから、実質的な効果は薄い。にも拘らず、アレイスターは止まってしまう。

 

 

(……やっぱりだ。アレイスター=クロウリーは俺の右手をとても警戒している)

 

 

 実際の効力の高さ云々ではない。

 そもそも、アレイスターがこれまで策していたものだって、レイシアを差し向けてシレンを倒す作戦だったり、木原の書に狙いを逸らして自分からは遠ざけたり、徹底して奇想外し(リザルトツイスター)を避けてきた。

 あるいは、彼の計画の根幹をなす幻想殺し(イマジンブレイカー)よりも徹底的に。

 

 

(アレイスターにとって、この右手は未知なんだ。臨神契約(ニアデスプロミス)については前々から計画に組み込んでいた節があるけど、この右手は今日になって突然現れたもの。自分の計画にどの程度まで組み込んで良いか分からない。だから、実像よりも警戒しているんだ)

 

 

 実際には、他者への無理解と敵対心が強い人格が『害意』に対して、これまでの人生が『失敗』に対して、過剰の警戒を生んでいる節もあるにはあるが──シレンの分析はおおむね正確だった。

 臨神契約(ニアデスプロミス)と違って、奇想外し(リザルトツイスター)は真価が見えていない。

 『害意を失敗させる』というのは、本質的ではない簡潔な説明だ。根幹プロセスである『時系列を乱し、そして均す作用』は、アレイスターの『必ず失敗する体質』とどう作用するのか分からないのである。

 アレイスターの失敗体質すらも均して無効化するのか。

 あるいは、均した結果にアレイスターの失敗が生じるのか。

 それをアレイスター自身が見定め切れていないからこそ、アレイスターは今までシレンのことを遠ざけ続けてきた。しかし、いよいよ手駒がなくなり、アレイスター本人がシレンのことを相手せざるを得なくなった。これは、シレンが思っているよりも実はアレイスターが追い詰められているということだ。

 

 

「──ならばそちらから対処するか」

 

 

 アレイスターの思いつきめいた呟きとともに、轟!! と暴風が吹き荒れた。

 一方通行(アクセラレータ)を模した白黒の少年から放たれた暴風は時間と共に収束していき──そして、キィンという甲高い音が響くのみとなる。

 現象だけを見れば、ただのこけおどしか何かにしか見えない能力の発露。しかし、大気を操った経験を持つシレンとレイシアにはすぐに分かった。

 

 

「これは……!」

 

「……やられましたわね。まさか第一位の異能を使って音波を操るとは」

 

「第四位にできることなんだ。第一位にできない道理はないだろう」

 

 

 彼女達の経験は、アレイスター=クロウリーが爆音に加えて超音波を駆使することで奇想外し(リザルトツイスター)を媒介しかねない音を全て封殺したことを理解した。

 その上で。

 

 

「その程度で封殺できると思っているのは──甘いのではありませんこと?」

 

 

 ブワッッッッ!! と。

 

 それまでの前提を無視するように。

 

 シレンの背中から長大な白黒の翼が発現した。

 

 

「…………え!?」

 

 

 これに最も驚いたのは、今まさに翼──即ちフルパワーの『亀裂』を発現させたシレンの方だった。

 当然だ。そもそも、シレンとレイシアは二人で一人の超能力者(レベル5)。レイシアが体外に出ている時点で二つの魂を共鳴させる人格励起(メイクアップ)が使えないのだから、今までのスペックを発揮できる道理がないのだ。

 

 

「おーおー、できましたわ。まぁわたくしの身体ですし当然ですか……」

 

 

 しかし。

 シレンの両肩に手を当てたレイシアは、割合あっさりとしていた。

 

 

「……能力を生み出す源は、あくまでわたくし。であれば、接触した状態であればシレンの肉体を通して人格励起(メイクアップ)からの能力行使ができると踏んだのですが……やはりでしたわね」

 

「えっえっ、レイシアちゃん、今わたくしの後ろどうなっていますの!?」

 

「いつも通り『亀裂』が出てますわ。あっ、何発か誤射ってわたくしの脇腹が切り出されてますが、気にしないでくださいまし」

 

「気にしますわよぉっっっ!?!?!?!?」

 

 

 ともあれ、『亀裂』である。

 その最大の応用は、超音波による物質の移動すらも可能にするほどの精密な気流操作。これがあれば、『堕天術式』による超音波の妨害を無視して奇想外し(リザルトツイスター)を通すことができるかもしれない。

 

 

「だが、その気流操作は精密な『亀裂』の解除によるもの。ならばその前に圧倒的な破壊力で『亀裂』を破壊してしまえばいい」

 

 

 だが、アレイスターの手札は別に『堕天術式』だけではない。天使の力(テレズマ)の爆破を『亀裂』に当てれば、異なる位相からの攻撃はさしもの白黒鋸刃(ジャギドエッジ)であっても破壊することができるだろう。

 それに。

 

 

「──別にそうでなくとも、右手を無力化する方法なら()()()()()()

 

 

 そんなことを嘯くアレイスターの背後に、数字のイメージを伴う火花と共に機械の蟷螂が現れる。

 鎌のような銃器を両手に備えた無人兵器──ファイブオーバー。Modelcase_"RAILGUN"の名を冠したその威容が、シレンを──より正確には、その右手を狙う。

 

 

「考えてみれば、上条当麻と違いレイシア=ブラックガードに右手の『奥』はない。ならその右手を吹き飛ばしてしまえばいいだけの話だ」

 

 

 アレイスターが求めているのは、あくまでも臨神契約(ニアデスプロミス)。ならば右手に宿るその結晶自体は破棄してしまっても構わないのは当然の流れ。

 その結果奇想外し(リザルトツイスター)が霧散して消滅するならよし、残り続けたとしても、吹き飛ばしてしまえば最低でも『音を出す』という機能は潰すことができる。

 ゆえに。

 

 一寸の躊躇もなく、凶弾の嵐がシレンの右手を突き破った。

 

 

 ──()()()()()

 

 

「…………?」

 

 

 怪訝な表情を浮かべたのは、全てを策したアレイスター自身だった。

 確かに『霊的けたぐり』は発動し、シレンの右手は肘あたりまでファイブオーダーの銃弾の嵐によって消し飛ぶはず。──にも拘らず、シレンの右手は今も健在だった。

 

 

「…………おかしいと、思っていたのよねぇ」

 

 

 ぼんやりと溢すように呟いた少女が、一人いた。

 蜂蜜色の髪の、人の心を操る極致に立つ少女──食蜂操祈は、得意満面な笑みを浮かべて言う。

 

 

「あれほど派手な攻撃だっていうのに、振り返ってみれば()()()()へのダメージ力が一切ないのは、何故なのかしらぁ? 学園都市を守る為の配慮? それなら爆破の方がド派手な破壊力を生んでいるのと噛み合わないわよねぇ」

 

 

 霊的けたぐりは、そもそも相手の認識に作用した思い込みをトリガーに発動する魔術だ。

 つまり、最初の認識にはたらきかける部分は、魔術でもなんでもないただの『技術』。

 

 

「……アナタの使っている『現象』は、攻撃対象の認識を媒介にして発動している。なら、そもそもその認識自体を書き換えてしまえば?」

 

 

 そして──単なる正常な脳機能の働きの領域ならば、それは心理掌握(メンタルアウト)の面目躍如だ。

 つまり。

 

 

「もう、アナタのその妙な『現象』は通用しないわよぉ……!」

 

 

 同時に、ボバババババ!!!! という爆撃音が連続した。

 

 

「……アイツがやった手が能力の暴走に対して有効なら、えーと、テレズマ?っていうのにも同じことが言えるわよね」

 

 

 雷雲をまるでソファのように従えた美琴は、アレイスターの周辺を物質化したAIMで攻撃しながら続ける。

 

 

「アンタと、テレズマってやつの間。そこに攻撃をぶちまけてしまえば、接続が切れて爆撃も満足に使えなくなるんじゃないかしら?」

 

 

 飛車角落ち。

 天使の力(テレズマ)の爆破と霊的けたぐりを同時に封殺されたアレイスターの脳裏に、その言葉がよぎる。

 頼みの綱の『堕天術式』にしても、上条当麻は二人の異能を守るようにしっかりと射線上に陣取っている。もはや手札は、白黒の一方通行(アクセラレータ)しか残っていないような状況。

 

 

「抜かりましたわね、アレイスター=クロウリー! シレンが能力を使えないからと『堕天術式』の対象にしてこなかったのはミスでしてよ! アナタの敗因は、シレンの右手と私の能力の相性の良さを甘く見たことですわッ!!」

 

 

 その間隙を貫くタイミングで、『亀裂』の解放によって放たれた暴風の槍が、超音波の幕を貫く。

 ──そもそも、一方通行(アクセラレータ)は気流操作において、演算を外部取得した白黒鋸刃(ジャギドエッジ)には劣ることは過去の事件にて証明されている。たとえ万全の状態でもそうなのだ。暴走という形で無理やりに引き剝がした能力であれば、当然ながら白黒鋸刃(ジャギドエッジ)が大きく上回る。

 

 

「…………なるほど、確かに相性がいいのは間違いないらしいな」

 

 

 ()()()()()()()()()()

 

 

 

()()()()()()()()()使()()()()()()()()

 

 

 ──アレイスターの傍らには、白黒の令嬢が佇んでいた。

 

 

「『堕天術式』は、『その時点での強度(レベル)の能力を暴走させる』という性質があってね。まぁ、このあたりは外部演算で能力を補助している一方通行(アクセラレータ)の暴走がこの規模なことからも分かると思うが」

 

 

 白黒の令嬢の背後から、白黒の『亀裂』が伸びていく。

 それを見ながら、アレイスターは続けて、

 

 

「私が君達を『堕天術式』の対象にしてこなかったのは、警戒を解いていたからではない。逆だよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 害意を失敗させる音に、気流操作を極め音を操るに至った能力。

 その二つが組み合わされば、この世のあらゆる害意は簡単に失敗させられてしまう。アレイスターが、それを警戒しないはずがないのだ。だって彼は、この世で最も失敗に近しい『人間』なのだから。

 

 

「だから、君達が能力を発動した瞬間に『堕天術式』を起動できるように準備をしていた。確実に白黒鋸刃(ジャギドエッジ)を堕天させる為にな」

 

 

 全て、掌の上。

 これこそが、統括理事長。最悪の魔術師にして、最高の科学者──アレイスター=クロウリー。

 

 大量の『亀裂』が、空いっぱいを覆い尽くす。完璧に害意を失敗させる右手を封殺し、白黒の一方通行(アクセラレータ)が地面を踏みしめそのベクトルでシレンを足元から吹っ飛ばそうとしたタイミングで──

 

 

 パァン!! と。

 白黒の一方通行(アクセラレータ)白黒鋸刃(ジャギドエッジ)が、風船でも割れるみたいに弾け飛ぶ。

 

 その立役者は、一仕事終えたあとのような清々しさで言った。

 

 

「……お待たせ。どうやら間に合ったみたいだね」

 

「ったく、もったいねぇなあ。どうせなら鹵獲して研究に回してェところだったんだがよ」

 

 

 二人の『木原』が、並び立つ。──時間は、既に五分を経過していた。

 確かに、アレイスターはその言葉通り、シレンとレイシアの協調に対して最大限の警戒を敷いていた。だからこそ、その策略は完璧に実を結び、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)を奪うに至った。

 

 だからこそ──彼女達が刃を通す隙が、生まれた。

 能力の暴走。堕天の系譜。二つのエッセンスを持つ『木原』は──見事、アレイスターの、世界最悪の魔術師の虎の子の術式を打ち破った。つまり。

 

 

「──ああ。確かに、()()()()()ようだな」

 

 

 ズゴドガガギギギンガガガガガガガガガガガガ!!!!!!!!!! と、鉄の暴風が吹き荒れた。

 

 

 那由他と木原の書は一瞬早く能力を取り戻していた一方通行(アクセラレータ)のお陰で無事だったが、それがなければ三人とも今頃は血煙と化していただろう。

 それほど、圧倒的な破壊だった。──第一位の異能がなければ、と戦慄してしまうほどに。

 

 

『やぁ、待たせたかね。アレイスター』

 

「いいや、ジャストタイミングだ。わが友よ」

 

 

 そこにいたのは。

 戦闘機のようなシルエットの兵器を背負った、ゴールデンレトリーバー。

 木原、脳幹。

 

 ()()()()()()

 

 彼が指揮をする、数千にも及ぶ機械の群れ。

 それがまるで、蝗害を成す飛蝗の群れのように大量に空を埋め尽くしている。

 

 

「なるほど、どうやら『堕天術式』は失敗だったらしい。認めよう、君達の連携は私の策謀を上回り、私の最後の手札は崩壊した」

 

 

 アレイスター=クロウリーは己の最後の頼みすらも失った状態で、しかしなおも不敵に笑う。

 まるで、世界全てを敵に回すような笑みで。

 

 

「だが、こうは考えなかったのか? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──と」

 

 

 だって、レイシア自身が言っていたではないか。

 アレイスター=クロウリーは自分で戦うのを避ける。次に行うのは手札の準備。だからこそ、それが完了する前に叩かなくてはならない──と。

 

 

「こんなの、私がまとめて操って……!!」

 

「いけませんわ!!」

 

 

 そこで、先走りかけた美琴のことをシレンが制止する。

 

 

「……この局面で、アレイスターが美琴さんの能力を警戒していない訳がありません。ハッキングで操作しようものなら、魔術を並列起動してしまい美琴さんにダメージが及ぶ……そのくらいの悪辣さは用意しているはずですわ」

 

 

 それは、『正しい歴史』において脳幹が操っていたA.A.A.が実のところは魔術によるものであった──という知識を知っているシレンだからこそ辿り着けた推理だ。

 言われて、美琴もその危険性が高いと判断したのか、ハッキング自体は一旦中止する。

 

 

「でも、じゃあどうすんの!? あの量相手じゃ、私や第一位はまぁいいとしても……アンタやあの馬鹿はどうしようもないじゃない!?」

 

「ちょっとぉ御坂さぁん、何気にMVP候補な私の方にも心配力を向けてほしいんだゾ?」

 

「それについては、わたくしに用意がありますわ。……時にアレイスター」

 

 

 シレンがそう宥めたのと同時、だった。

 

 キュガッッッ!!!! と地上から放たれた絶滅を帯びた極光が、上空を舞う機械の群れの一部を消し飛ばしたのは。

 

 

「おーおー楽しそうなことやってるわねぇ。ちょうど暇だったし、私らも混ぜてくんないかしらァ!?」

 

 

 超能力者(レベル5)、第四位。

 ──麦野沈利。

 

 それだけではない。彼女を中心として、『アイテム』が。

 

 

「……さて、此処でようやく合流だ。ところでアレイスター、直接交渉権の件は忘れてねえよな? ま、此処で殺しちまいそうな勢いだがよ」

 

 

 垣根帝督率いる『スクール』が。

 

 

「シレンさん、レイシアさぁん! よ~やく雑務が終わって合流できましたよ~!」

 

「あ、あの……ひょっとしてこれ、私みたいなのがいたらマズイ局面では……?」「今更だな『私』。もう今更レールを外れるのは不可能だから腹を括れ」

 

 

 木原相似が、操歯涼子とドッペルゲンガーが。

 

 

「間に合ったっ!! アレイスター=クロウリーは『黄金』の魔術師。私達だって、力になるんだよ!!」

 

「…………………………………………………………………………、」

 

「ステイル。だから顔、顔ですよ」

 

「ん~~、タマらないわねえ、青春☆」

 

 

 インデックスをはじめとした魔術師達が。

 

 

「……女王が前線に出ているのです。もちろん、我々も協力しますよ」

 

 

 紫電を迸らせる帆風順子と共に、『最大派閥』の面々が。

 

 

「さて、此処からが大一番だ。準備はいいか? お嬢様がた」

 

『ええ! もちろんですよ! シレンさん、レイシアさん、演算関係は我々に任せやがってください!!』

 

『安心しろ、シレン、レイシア。こちらの手札とあちらの手札で勝率の試算は済んでいる。勝てる戦いだよ、これは』

 

 

 メイド服姿のショチトルの通信に答えるように、『GMDW』の面々と馬場の激励。

 その陰に隠れるように、『メンバー』の正規人員──査楽や『博士』が暗躍する。

 

 

 それは、二人で一人の少女がこれまで紡いできた物語の結晶たち。

 『正しい歴史』では、殺し殺された関係もあった。顔を合わせる間もなくこの世を去った関係もあった。救いきれず、再びまみえる機会も失われた関係もあった。

 別に、此処までをシレンが求めた訳ではない。だが自然と、彼らはシレンの状況を鑑みて、自ら此処にやってきてくれた。

 それこそ、シレンという鎹がなければ次の瞬間には争いを始めかねない、そんな不確かな勢力。まさに、これまでの軌跡が象徴するようなごちゃまぜの仲間達を背にして、シレン=ブラックガードは笑いかける。

 

 

「助勢の用意は、本当にそれで充分ですの?」

 

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一五四話:混色の未来 Last_Battle_Started.

 

 

 


 

 

 

 そして、両軍が衝突する刹那。

 

 ──最後の難題が、『亀裂』の形を伴って世界に顕現した。



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一五五話:色彩なき未来

 それは、世界が壊れる前兆のようだった。

 

 上空に浮かび上がった『亀裂』は、白黒の断面──なんてものではなく、その亀裂の奥に『真っ黒な何か』を覗かせる本当の意味での亀裂だった。

 まるで、世界そのものに亀裂が走っているかのような。

 

 

「アレイスター……!! まさかこんなモノまで仕込んでいたなんて……!」

 

 

 シレンの横に立つレイシアが、静かに戦慄する。

 水心の枷によるシレンの誘導。レイシアの召喚。木原の書を利用した『堕天』の計画。それらが頓挫しても発動した『堕天術式』。すべての手札を失った後に現れた木原脳幹と『ファイブオーバー』の大群。

 ここまで多種多様な戦略を見せてきて、挙句の果てのこれである。こちらに多数の戦力が集まっている状況とはいえ、予断は許されないという現実を痛感させられる。

 改めて敵の強大さに打ち震えるレイシアに対し、アレイスターは静かに笑い──

 

 

「…………アレはなんだ?」

 

 

 と、冷や汗をかきながらぶっちゃけた。

 

 

「はぁ???」

 

 

 束の間、空気が凍った。

 ややあって、シレンが半ばキレながらアレイスターに突っかかる。

 

 

「なんだって……、アレはアナタが仕込んだ策なんじゃありませんの!? 木原の書とか! レイシアちゃんとか! 色々利用して時間を稼ぎまくって、ようやく出てきた最後の手札がアレなんじゃありませんの!?」

 

「いや、私にも何のことだかさっぱり分からない。というか、アレは君達が覚醒して得た新たな能力とかではなかったのか? 『亀裂』だろう」

 

 

 今まで、シレンは最悪の事態というのを『アレイスターがこちらの打開不能な策を発動すること』と無意識に定義していた。

 だが、実はそうではない。

 本当に最悪の事態とは──『誰も正体の分からない現象が突然発生すること』なのだ。

 

 アレは一体何なのか。

 アレイスターに利するものなのか? シレン達に利するものなのか? 放置していていいものなのか? 放置すれば学園都市に被害をもたらすものなのか? そもそも、破壊したりできるものなのか? ──何一つ、分からない。

 それは、アレイスター側からしても同じだ。だからこそ、分からない。アレイスターが不安要素を嫌ってあの亀裂の消滅を優先するか、あるいはそれを無視して目下の敵対者を攻撃するのか。それゆえに、シレン達の方も亀裂の方にかかりきりになるわけにはいかない。明らかに、不穏な気配を感じる異変であるにも拘らず。

 

 シレンが動きあぐねていた、その瞬間──

 

 

「あー、いよいよもって余裕がなくなってきたわねぇ」

 

 

 やけにクリアな声が、すぐそばから聞こえてきた。

 

 

「!?」

 

 

 反射的に振り返ると、そこにいたのは見慣れたウェーブがかったブロンドヘアの女──『魔女』の姿が見える。

 ただし、今朝シレンが会った時とは様相が大幅に変わっていた。

 その服装は常盤台中学の制服ではなく、グレーとダークグレーが入り混じった混沌のようなマーブル模様のナイトドレス。手足は白と黒のドレスグローブとタイツで覆われているが、それも四肢の付け根に行くにつれてナイトドレスと同様のマーブル模様に呑まれている。

 洒落のように被っていた魔女のようなトンガリ帽子は既になく、年のころも二〇代中盤くらいにまで変化していた。

 

 

「そ、その恰好──」

 

 

 そこまで言いかけて、シレンは気付く。

 自分以外の世界の時間が、停止していることに。

 

 

「言ったでしょう? アナタにとって一番に気にすべき凶兆は、レイシアちゃんの不在じゃない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 『魔女』は今や、鏡の中なんて不確かな場所にではなく、現実世界に顕現するほどにまで至っていた。

 まるで、空の向こうにうっすらと見える巨大隕石のように──その姿は、遥かな破滅を象徴しているような不気味さを伴っている。

 

 

「この状況は……一体何なんですの?」

 

「ああ、あの亀裂? いやいや、見たままよ。『世界の亀裂』。要するに──世界が壊れかけてるってことねぇ。もちろん、このままいけば亀裂は進行して、世界は崩壊する。放置なんてできないわよ?」

 

 

 あっさりと、『魔女』は最悪のカタストロフを告げる。

 最悪の強敵・アレイスター=クロウリーなど、危機の本質ではなかった。

 かの『人間』は確かにすべての黒幕であり、レイシアとシレンを引き離し、臨神契約(ニアデスプロミス)を暴走させる起点となったが──これまでの推移からも分かる通り、世界は何も全てアレイスターの掌の上というわけではない。

 その動きはむしろ、暴走した臨神契約(ニアデスプロミス)によって歪められた未来の流れに乗る一つの要素と言ってもいい。

 

 

「………………、」

 

 

 必死に脳内で状況を整理しているシレンに対し、『魔女』は悲し気な視線を向ける。

 

 

「……もう、無理よ。わたしが現実世界に顕現できてしまったということは、本当にタイムリミットが間近ってことなの。今はまだ、停止した時間という『異界』を介しているけど……ここまで来たら、もう『わたし』になるしかないわ。だから、アナタには決断をしてもらいたい。きちんと、レイシアちゃんとお別れをする時間を作ってほしい。わたしは、それを告げに来たの」

 

「いいえ……いいえ! まだ時間は残されていますわ! アレはどうやれば消滅させられますの!? この場には当麻さんも、頼もしい仲間達もいます。この際、アレイスターは彼らに任せましょう! レイシアちゃんとわたくしで『亀裂』の方に対処すれば、まだ間に合います! わたくしは最後まで諦めません!!」

 

 

 悲痛な響きを持つ『魔女』の最後通告に、シレンはコンマ一秒の逡巡もなく答えた。

 それに対し、『魔女』は泣きそうな顔で笑う。

 

 

「……そうね、そうねぇ。きっとアナタならそう言うって思ってた。分かったわ。それなら、わたしの中に残る『シレン』の後悔に従って……一つだけ、手助けしてあげる。わたしはアナタの『可能性』の一つでしかないから、アナタにしか干渉できないけれど……」 

 

 

 すい、と。

 『魔女』はそっと指先で空間を撫で、シレンと『亀裂』の間をなぞる。

 するとふわりとシレンの身体が浮かび上がり、『亀裂』の方へと吸い寄せられ始めた。

 

 

「な……、」

 

「『亀裂』の奥底。そこへ運んであげるわ。……あの『亀裂』を潰す方法自体は、きっとアナタは既に想像がついているはずよ。()()()()()()()()()()。アナタにとってはその方が都合がいいでしょ?」

 

 

 その瞬間、『魔女』の姿が消失し。

 止まっていた時が、動き始めた。

 

 

「ちょっ!? お待ちを、レイシアちゃんがまだ向こう側に……!」

 

 

 咄嗟に言うシレンだが、既に『魔女』の姿がない。

 必死に伸ばした手は、同じく手を伸ばしたレイシアの指先を僅かに掠り────

 

 

 そのまま、シレンは『亀裂』の中へと呑み込まれていった。

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一五五話:色彩なき未来 Monochrome_World's_End.

 

 

 


 

 

 

 ──そこは、モノクロの世界だった。

 

 見た目は、学園都市の第七学区の街並みとそう変わらない。

 学生用マンションに、街路樹が立ち並ぶ歩道。二車線の車道に、横断歩道。遠くに見える高層ビル。どこまでも見覚えのある日常の世界は──ただし、『色彩がない』という一点によって完全なる異界と化していた。

 

 

「此処は……どこだ?」

 

 

 思わずお嬢様口調で話すのも忘れて、シレンは呟く。

 何気ない一言だったが──これが既に、異常の発露でもあった。

 

 心理掌握(メンタルアウト)で精神が解読不能である例を見ても分かるように、転生者の言語や思考は『この世界』とは()()()()()()

 画像ファイルを無理やりテキストエディタで開いたときのような無理やりな文字化けが発生してしまう為、『この世界』の見方では解読できないのだ。

 シレンの言葉にしてもその例に漏れず──何だかんだいってボロを出すことが多いシレンがこれまでお嬢様的な挙動を全うすることができていたのも、実はこの()()()()()()による文字化けが臨神契約(ニアデスプロミス)によって()()()()()()という事情がある。

 もっとも、シレンはそんなことにはまったく気が付かないのだが。

 

 

「『魔女』の話によると……此処はあの『亀裂』の中ってことらしいけど」

 

 

 辺りを見渡すが、『世界の崩壊』なんて物騒な前振りの割に、この世界は穏やかだった。──いや、穏やかすぎた。

 シレン以外の存在が何一つ存在していないのか、生物の気配は一切ない。それだけでなく、風も吹いていないのか葉が擦れ合う音すらも発生していなかった。

 

 『魔女』は──シレン達が迎えた一つのバッドエンドは言った。『あの「亀裂」を潰す方法自体は、きっとアナタは既に想像がついているはず』と。

 今のシレンには心当たりはないが、つまりそれはシレンにどうにかできる材料があるということで、手助けしたということは『亀裂』の中に入るのがその解決への近道ということで間違いないだろう。

 

 

(……流石に、この期に及んで『魔女』の罠を疑ってもしょうがないしな。これまでだって助けられているし、『魔女』だって俺達の成れの果てなら、ハッピーエンドの為に協力してくれているだろう)

 

 

 とりあえず思考のリソースを無駄な方向へ割くことはやめ、シレンは『世界の崩壊』を止めることについて考え始める。

 そもそも、『魔女』の言う『世界の崩壊』はいったい何故起きているのか。そこからしてシレンには分からない。おそらく、『魔女』の口ぶりからして臨神契約(ニアデスプロミス)が関係していそうなことは分かるのだが──

 

 ──と、そこまで考えたところで、シレンは違和感に気付いた。

 

 

臨神契約(ニアデスプロミス)……歴史の歪みを絶えず発生させ、そしてその僅かな歴史の歪みを他の歪みごと均す体質」

 

 

 木原数多によって指摘され、そしてシレン自身も思い当たる節があった為に勢いでそのまま呑み込んでいたが……考えてみれば、違和感があった。

 その性質上、臨神契約(ニアデスプロミス)は──シレンの行いは、歴史を大きく左右するような事件に発展することはない。きっと、アレイスターがこれまでシレンを野放しにしていたのも、そうした性質の為に放置していても『プラン』への影響は少ないと判断されていた為だろう。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 神の右席の襲来。

 シレンは今まで『回避してきたイベントが一気に押し寄せてきた』という理解でいたが、よくよく考えてみればこれはおかしい。確かに、前方のヴェントや後方のアックアの襲来といったイベント自体は変わらないが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 しかも、襲撃の結果引き起こされる世界への影響は、明らかにイコールとはならない。というか、決定的に歪む。ローマ正教が『ブリテン・ザ・ハロウィン』の前にここまで消耗すれば、あの事件の推移も大きく変わるし、欧州を取り巻く情勢が変化すれば当然第三次世界大戦の展開も全く違うものになるだろう。そうなれば『グレムリン』の動き方も変わるし──それ以前に、アレイスターがここまで表に出た以上、コロンゾンだって『正しい歴史』通りの動きをするはずがない。

 挙句の果てに、上条当麻とアレイスターは既に激突してしまった。こうなれば、もう歴史はどう足掻いても特大の乖離を生み出すに決まっている。

 

 歴史は、最早取り返しがつかないくらいに変貌していた。

 

 僅かな乖離と最終的な収束を齎す今までの臨神契約(ニアデスプロミス)のルールでは、この盤面の変化は説明できない。そもそも、『魔女』の話していた『世界の理に焼き付いた』というシレンとレイシアのバッドエンド自体、そこから背いた結末ではないのか。

 

 

(…………もしも)

 

 

 そこで、シレンの脳裏にとある推論が成り立つ。

 それは、認めたくない推論だった。

 

 

(もしも、この事態は臨神契約(ニアデスプロミス)なんて関係ない『別の何か』によって引き起こされたものなのだとしたら?)

 

 

 ──『真なる外』。

 シレンがやってきたのは、『とある魔術の禁書目録(インデックス)』ではない、組紐の理論で説明されるこの世界の時間論とは異なる『別世界』である。

 この事態に、シレンが『真なる外』から転生してきたこと自体が関わっているとしたら、どうだろうか。

 

 

「……考えてみれば、俺が転生してきた時点で、この世界と『世界の外』は繋がっていたはずだ。そして、その二つの世界は俺の魂が通って来れるような『通り道』があった。でないと、そもそも俺はこの世界に転生することすらできずに世界の外で彷徨っていなければおかしい」

 

 

 『通り道』──あるいは、『穴』か。

 ともかく、シレンが実際にこの世界に転生で来た以上、この世界にはシレンの魂が入って来れるだけの『穴』があったはずだ。

 しかし、今までそのことに誰も気付かなかった。もしも──もしもだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 生物の傷跡が徐々にふさがっていくように、世界の穴も自然と修繕されるのならまだいい。だがしかし──そこを起点にして、まるでヒビ割れていくみたいに破壊が広がっていくような性質のものだとしたら。

 

 

臨神契約(ニアデスプロミス)が働いていたにも拘らず発生した歴史のブレ。アレが、その影響だった……? それなら……世界そのものが、外壁にできた小さな穴から波及して断裂してしまう可能性だってあるんじゃないか!?」

 

 

 それが、あの『亀裂』か。

 そして『魔女』が此処に送り込んだのも、その『穴』をどうにかしろということなのかもしれない。

 

 

 そこまで考えが至ったシレンは、自ずと解決策にも辿り着いていた。

 

 

「……簡単な話だ。穴が空いていてそのせいで世界が壊れてしまいそうなら……()()()()()()()()()()()()()

 

 

 まるで、風船に空いた小さな穴をテープで修復するみたいに。

 世界そのものに空いた穴を何かで覆ってしまえば、ひとまず世界崩壊の危機については回避できるだろう。

 そして、ヒントもまた用意されていた。

 

 いたではないか。

 異界の理として、世界に焼き付いたとある少女が。

 

 

「『魔女』は……このカタストロフを回避する為にあえて『異界の理』となって世界に焼き付いたんだ」

 

 

 自然と、シレンはその答えに辿り着いていた。

 臨神契約(ニアデスプロミス)が暴走した結果──というのも、あながち間違いではないだろう。『魔女』化は臨神契約(ニアデスプロミス)を暴走させることによって引き起こされる。だが、彼女の目的はそこにではなく、副次的に得られる『世界に焼き付く』という作用の方だったのだ。

 そうやって世界の理となって世界に焼き付けば、世界に空いた穴を埋めることができるのだから。

 

 

「……なるほどな」

 

 

 そしてシレンは納得していた。

 『この事件が起きたならば、確実に「魔女」になる』というのは、そういうことだったのだ。

 おそらく、世界の崩壊のトリガーは臨神契約(ニアデスプロミス)の暴走。だからこの事件が起きれば、確実に世界の崩壊が始まる。そしてそれを収束させるには、臨神契約(ニアデスプロミス)を暴走させきって異界の理として世界に焼き付くしかない。

 結局どう転んでも最終的な世界への影響はプラスマイナスゼロになるあたり、正しく『臨神契約(ニアデスプロミス)らしい』カタストロフというのは皮肉だが──。

 『魔女』は、臨神契約(ニアデスプロミス)を暴走させずに世界の崩壊を防ぐ答えを見つけられないままタイムリミットを迎えてしまった為に──『魔女』となった。

 

 その答えに辿り着いたシレンは、『魔女』の言っていた『アナタにとってはその方が都合がいいでしょ?』という発言の意味も理解していた。

 

 

「そして…………この結末に、レイシアちゃんの犠牲は必要ない」

 

 

 臨神契約(ニアデスプロミス)の暴走と、世界の修繕。

 確かにそれを実行すれば、シレンは自分の本質の暴走によって今までのシレンではいられなくなるかもしれない。だが、それは何もレイシアを巻き込む必要がないものだ。

 これまでのシレンはレイシアとの合流を並行で実行していたせいで、『魔女』化にレイシアを巻き込んでしまった。だが、今回は『魔女』の計らいによってシレン一人で行動している為、『魔女』化にレイシアを巻き込む心配がない。『魔女』となるのは、シレンだけで済む。

 もちろん、今シレンはレイシアの肉体を使っているので、そこは道連れになってしまうことになるが──学園都市の科学力ならば、肉体の問題は必ずしも取り返しがつかない訳ではない。だが、『魔女』化は取り返しがつかない。どちらを優先するべきかは、明白だった。

 

 

(……きっと、こんな決断はレイシアちゃんは認めない)

 

 

 シレンは、静かに考える。

 

 『シレン一人で臨神契約(ニアデスプロミス)を暴走させ、世界の穴を埋める。それと引き換えに、シレンという存在自体は全くの別物に変質する』。

 

 その選択肢は、どこまでも独りよがりな自己犠牲は、これまでのシレンとレイシアの歩みからは明確に逆行するものだろう。

 ──だが、世界の為を想えばこれが最善だ。

 

 

(レイシアちゃんに、事前に相談できないのが……ちょっと申し訳ないけれど)

 

 

 レイシアを巻き込めば、きっと最後の最後まで『自分たちは消えず、世界も救える』方法を探すだろう。それはシレンにとって魅力的な未来だったが──そんなことをすれば、最悪の場合は異界の理として世界に焼き付くことにすら失敗し、世界を滅亡させてしまうかもしれない。

 それに、犠牲なしに世界の滅亡を回避する方法は、今のシレンには皆目見当もつかない。

 達成できるかも分からない、可能性の低い未来の為に、世界の存亡を天秤にかける──そんな我儘な行為、最低最悪に決まっている。

 

 だから。

 

 だから。

 

 

 

「…………ごめん、レイシアちゃん」

 

 

 

 シレンは、一つの決断をした。



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一五六話:差し伸べた手は

 そもそもが、分不相応な未来だった。

 

 シレンの境遇だけじゃない。

 レイシア=ブラックガードが享受している現状こそ、道理にそぐわない未来だと言えるかもしれない。

 本来は歴史の表舞台にすら存在していなかった人物が、厚かましくも歴史上にのさばり、あるべき歴史の姿を捻じ曲げて、勝手自儘に本来のレールから外れた形で歴史を運行する。あまつさえ本来結ばれるべき縁を軽視して、自分の利益の為にその席を奪わんとする。それは、ある面から見れば許しがたい大罪だろう。

 『正しい』歴史。

 彼女の道行きは、どう足掻いてもそこから逸れていくしかないのだから。

 

 そういう意味では、この展開はある意味ではこの上なく慈悲深い。

 歪みに加担したレイシア=ブラックガードではなく、その根本原因であるシレンのみを消去して、歪みが存在していなかった場合の未来へと緩やかに軌道修正していく運命の流れは、レイシアを巻き込んだ抹消よりはよほど優しい。

 それだけでも、シレンが必死になって戦ってきた意味がある。

 きっと、シレンが失われればレイシアも歴史の表舞台からは遠ざかっていくだろうけれど。

 それでも、シレンが遺した縁は、レイシアを強くする。歴史は穏やかな形へと修正されるけれど、レイシアの幸せも認められる。そんな未来は、『魔女』なんてものに変貌するバッドエンドに比べれば、ずっと幸せな未来と言えるのだから。

 

 

 ………………………………。

 

 

 ──なんて。

 

 

()()()()()()()()()()

 

 

 静かに。

 しかし激しく、シレンは怒りを露わにした。

 

 

 本来存在しない席に座って、歴史の脚光を浴びる。そんなものは許されていないから、歴史は『レイシア=ブラックガードが歴史の表舞台に立たない未来』へと自然と収束されていく。それがあるべき形なのだと、そういう風にルールが決まっているのだとして。

 

 ──そんなルールがあったからといって、それがなんだというのだ?

 

 

「偉そうに上から目線で設定されたお行儀のいい『お約束』に、『正しい歴史』なんかに……俺達が従わなければならない理由なんて、一ミリも存在しない。たとえそれがあるべき姿だったとしても、そんなもの知ったことか!!」

 

 

 きっと此処で自ら犠牲になるのが世界の為の最適解なのだろう。レイシアもこの世界で出来た親しい人たちも、確実に救うのならこの選択が一番正しい。

 そう自覚した上で、シレンはその在り方に反逆する。

 そんな『正しい』だけの未来よりも、自分もレイシアも歴史の表舞台に立ち続け、世界を謳歌する──そんな未来の方が『最善』だと信じているから。

 

 良識に、善徳に、倫理に、道義に。

 そうした『良きもの』に反逆して、どこまでも自分勝手に己の望むものに手を伸ばす。それが──

 

 

「それが、俺の知っている『悪役令嬢』なんだから!!!!」

 

 

 シレンには、このカタストロフに対抗するような才能も、技術も、経験も存在しない。

 歴史を均す臨神契約(ニアデスプロミス)やその応用による害意を失敗させる奇想外し(リザルトツイスター)はあるが、それだけだ。世界に空いた穴をふさぐことなんてできはしない。

 でも、向こうの世界にはたくさんの仲間達がいる。その仲間達の力を借りても──本当にこのカタストロフは克服できないのだろうか。

 

 

「なぁ、『魔女』」

 

「無理よ」

 

 

 呼びかけると、気付けば濁灰の装いをした『魔女』はシレンの後ろに佇んでいた。

 

 

「わたし達だって、最後まで諦めなかった。二人で頑張った! でも……だからこそ()()なってしまった! ええそうよ、余計なお世話だったとは思っているわ。でも! アナタだってレイシアちゃんを自分の失敗に巻き込みたくはないでしょう!? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!!!」

 

 

 『魔女』は、真実引き留めるようにシレンに呼びかけた。

 

 

「ただでさえ、まだ向こうにはアレイスターが健在でいるのよ!? 一番上手くいった可能性ではアレイスターの撃退には成功していたけど、結局は『わたし』になった。まして、今回はそれすらできていない! 分かっているかしら。最善の状況を構築しなくちゃいけない状況だっていうのに……この未来は、最善ですらないのよ!」

 

「いいや、最善だよ」

 

 

 『魔女』の言葉に、シレンは即座に答えた。

 

 

「……最善、()()()()()()()()()()

 

 

 この選択は次善なんかじゃなかった。失敗も失点も、全てが最善の未来に連なっているのだと──胸を張れる未来なんだと言い切る。その為に成すべきことを考えればいい。

 シレンには、答えが見えていた。

 

 

「だから俺は諦めない。『魔女』にならず、世界も滅ぼさせない──そんな未来を掴んで見せる!!」

 

 

 シレンは握った右拳に視線を落とす。

 

 

 まず、シレンが今いるこの空間。

 この『とある魔術の禁書目録(インデックス)』の世界に、本当の意味での『異世界』という区分は存在しない。それは位相というフィルタを一枚隔てて『見え方(ジャンル)』を調整しただけの世界であったり、あるいは引き延ばした時間の狭間に存在する余剰領域だったりする。

 一見すると異世界のような事態も実際には異能によって拡張されただけで、実際には本物の世界とは地続きになっている。だとすると、この異世界のような空間も、何らかの概念によって()()()()()()()()()()()()だけ。

 で、あるならば。

 

 材料は、既に揃っている。

 

 

「この右手──奇想外し(リザルトツイスター)。これが、教えてくれた」

 

 

 奇想外し(リザルトツイスター)は、生れつきの体質なんかではない。臨神契約(ニアデスプロミス)という性質を元にして編み出した、言うなれば『加工物』のようなスキルである。

 であるならば、応用次第では『害意を失敗させる右手』として以外にも運用できるのが道理だ。

 そもそも、シレンはもともと『可能性の収束を選ぶ』という形で、既に臨神契約(ニアデスプロミス)を利用していたことがある。全く不可能な話では、ない。

 

 

(右手に収束した因果を、解く)

 

 

 右手に意識を集中しながら、シレンは考える。

 

 この世界がいかなる概念によって元の世界と分かたれたものだとしても──此処が『とある魔術の禁書目録(インデックス)』の世界である以上、元の世界とは地続きだ。

 ならば、引き寄せてしまえばいい。

 望んだ可能性を。レイシア=ブラックガードが隣にいるという未来を。

 世界を隔てていようが引き寄せられるだけの(よすが)があれば、たとえ何によって隔てられていたとしても引き寄せられるはずだ。

 

 たとえば、理想送り(ワールドリジェクター)によって『新天地』に追放された場合でも、A.A.A.やネフテュスの残滓といった要素を足掛かりにすることで、追放された上里翔流を『召喚』し、引き戻すことができていた。

 

 これは、シレンの知らない物語。

 

 それでも、シレンは辿り着ける。

 

 確かにこれまでの道筋は最善ではなかったかもしれない。だが、これまでにあったピースは無駄でないと信じるからこそ、シレンはそのすべてを利用し尽くせる。己が望む最高の未来へと、繋げることができる!!

 

 

「……召喚には、ラインが必要だ。だからアレイスターはAIM拡散力場を使った入れ物を用意して、レイシアちゃんの魂をそこに招来した」

 

 

 本来は、シレンの魂を引き込む想定だったのだろう。

 だが、AIM拡散力場は世界の外からやってきたシレンは持たないものだ。だからシレンを引き込むつもりが、レイシアの方が先に引っ張られてしまいアレイスターの計画は失敗した。

 ならば、シレンもまた同じことをしてやればいい。

 

 

「ラインは、既にある」

 

 

 それは、シレンの魂が宿っているこの肉体。

 そもそもこれはレイシア=ブラックガードという少女の肉体だ。魂と肉体の間には深い関係性があるから、当然この肉体はレイシアとの強い繋がりとなる。今回は──その縁をラインとする。

 

 ──シレンは気付かない。

 数多在る可能性の中から、望む未来を引き出すチカラ。それこそが、学園都市で開発されている『超能力』と呼ばれる異能の根幹であることを。

 歴史というマクロな事象を歪めることで、望むミクロな事象を引き寄せるその技術体系が、『全体論の超能力』と呼ばれていることを。

 

 

「あとは解きほぐした因果を使って──レイシアちゃんを、引き寄せる!!」

 

 

 右目の奥が赤熱するような感覚が、シレンを襲う。

 まるで火花が散るかのような視界の明滅と共に、シレンは頭蓋を後方へと貫くような軸をイメージする。その軸に垂直に差し込まれた無数の歯車たちがギチギチと周り──そして、噛み合う。そんな感覚が、シレンの中に芽生えた。

 その、直後だった。

 ピシリ、と世界に再び亀裂が走ったのは。

 

 

 シレンは、その亀裂の中に迷わず右手を突っ込む。

 亀裂の向こう側でも、その手は迷わず掴まれたようだった。

 

 そして改めて、シレンはその人物へと詫びる。

 

 

「…………ごめん、レイシアちゃん」

 

 

 いつしか──そこには、白黒のナイトドレスに身を包んだ金髪蒼眼の令嬢、レイシア=ブラックガードの姿があった。

 その無二の相棒に対し、シレンは苦笑を浮かべながら問いかけてみた。

 

 

「相談なしで喚んどいて悪いんだけど……俺のいない安全な未来よりも、俺と一緒の危険な未来を選んでくれない?」

 

「……わたくしがその問いに『NO』と言うとでも思いまして?」

 

 

 言葉を交わし終え、二人の悪役令嬢(ヴィレイネス)は手を繋いだまま並び立つ。

 一方は白黒のナイトドレスに身を包み。

 一方はボロボロの常盤台の制服を纏い。

 

 自らを一切疑わず、世界の摂理に反逆する。それは、見様によっては愚かにも映るだろう。自らの欲望の為に道理も良識も無視して勝手自儘に振舞い、挙句の果てに世界すらも危険に晒す在り方は、ある意味ではやがて破滅に向かう悪役令嬢と本質的には同じ、エゴの塊ともいえる。

 ただし。

 その不敵さはどこか、かつて一人の少女を守るために神様の定めた奇跡に唾を吐いた少年の面影を感じさせた。

 

 

 無二の相棒と並び立ちながら、二人で一人の悪役令嬢(ヴィレイネス)は言う。

 

 

「なぁに、何も難しいことはないよ」

 

 

 まるで。

 

 

 

「──予定調和(セオリー)は、既に壊れている。俺達はただ、勝手自儘に世界を謳歌するだけでいい!!」

 

 

 

 世界全てを敵に回すような不敵さで。

 

 

 

【挿絵表示】

画:おてんさん

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

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一五六話:差し伸べた手は Already_Shaked.

 

 

 


 

 

 

「────で、この後どうするつもりなわけぇ?」

 

 

 ふと。

 気付くと、二人の横合いで魔女は亀裂に腰かけて、呆れの境地に到達していたようだった。

 

 

「うわっ、シレン。コイツなんなんですの?」

 

臨神契約(ニアデスプロミス)の暴走で俺達二人が融合しちゃった存在だよ。俺の可能性の一部として、今朝から顔を出してきたんだ。……っていうか、レイシアちゃんにも見えるんだ」

 

「まぁ、此処は世界の外郭だからねぇ。歴史をゴムの紐で例えるとしたら──この空間はゴム紐の『円周』にあたる場所。同じ時代でありながら明確にズレた座標に位置する未来。時間軸の『外郭領域』ってところかしら」

 

「うわー。言われてみれば、得意げな説明とかめっちゃシレンっぽいですわ」

 

「なんか『魔女』を介して俺のことをディスってきた!?」

 

 

 開口一番散々なレイシアへのツッコミはさておき、気を取り直したシレンは最初の『魔女』の問いかけに答える。

 

 

「……別に、俺達がこれ以上特別な働きかけをする必要もないさ」

 

 

 意外にも、シレンの回答はあっさりしたものだった。

 というか。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 シレンの言葉を待たずに、レイシアを引きずり出した『亀裂』が、人の背丈よりも大きく広がっていく。

 まるで、何者かによって押し広げられたかのように。

 

 亀裂から覗き見る向こう側の世界はまさに戦争状態だった。

 

 空を埋め尽くす機械の大群に対し、雷神と化した美琴が物質化したAIMの槍を叩きつけ、戦闘機のような機構を纏った木原脳幹の一撃を一方通行(アクセラレータ)と垣根帝督が二人がかりで相殺している。

 遠景に見える頂上決戦から視線をずらし──手前の方を見遣ると。

 

 

「……よかった成功した! レイシア、シレン、大丈夫だよね!?」

 

 

 意外と近くから、聞き覚えのあるシスターの声。

 『亀裂』の傍に立つ人影を見ると──そこには、冷や汗をかきながら何やら両手を掲げて構えるオリアナ=トムソンと、それに何かしらの指示をしていたらしいインデックスの姿があった。

 

 

「なんだか急に世界中亀裂まみれになってて、かなりひどいことになってるかも! とうまとアレイスターの戦いも全然決着がつかなさそうだし……!」

 

 世界中亀裂まみれ──と言われて視線を巡らすと、確かに空や地面、果ては虚空にまで謎の『亀裂』が発生し、一部の建造物はそれに巻き込まれて倒壊すらしている有様だった。

 

 

「………………」

 

 

 予想以上の終末世界っぷりに、シレンの顔がやや引き攣った。

 さらに、それだけではない。

 インデックスの言葉に視線を下に向けると──そこには、ツンツン頭の少年に押し倒されて胸倉を掴まれた銀髪緑眼の『人間』があった。

 おそらく、上条当麻相手に下手に術式に頼る戦い方では負ける可能性があると判断して、徒手空拳メインでの戦いに移行したのだろう。それでも案の定失敗して馬乗りになられているようだが。

 

 『コイツ、マジで何なんだ』──そう言いたい気持ちをグッとこらえ、今まさにいがみ合っている最中の二人に向けて、シレンは咳ばらいを一つする。

 

 

「お二人とも」

 

 

 シレンとレイシアが顔を出したことに気を取られていた隙を突かれてマウントポジションから跳ね飛ばされた上条と、さらにそこからマウントポジションを取り返したアレイスターに向けて。

 

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「ぶっ!?」

 

 

 突然の宣告。

 それを聞いて、シレンとレイシアにしか見えない『魔女』の吹き出す声がした。

 

 ──最善の未来、黒幕たるアレイスター=クロウリーを撃退した未来でも、バッドエンドは回避できなかった。『魔女』は、確かにそう言った。

 つまり『魔女』は、今まで一度もこの決断を選んで来なかった。そんなことなど考えもしなかったはずなのだ。

 

 

「じょ……冗談でしょ? 思いついても、普通やる? だって……だって、そいつは」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「確かに、実際問題どれだけ意気込みがあったとしても、『魔女(わたし)』と同じことをしているだけでは結末を変えることなんてできやしない。でも、だからといって! わたし達の破滅の原因になった黒幕野郎を味方に引き込む!? 普通!!」

 

 

 本当のことは──シレンの犠牲を許容すれば世界の滅亡は回避できるということは、あえて話さない。性悪な令嬢は、自分が望む未来を掴むためなら平気で真実を隠すのだ。

 これに対し、銀髪の『人間』とツンツン頭の少年は互いに顔を見合わせて、そして全く同じタイミングでこう答えた。

 

 

「「仕方がない。一時休戦にするか」」

 

 

 ──確かに、ヒーローならば目的の為とはいえ、最低の悪党と手を結ぶことなどできないかもしれない。

 

 だがこの物語は、ヒーローの物語なんかではない。

 これまでの失態も、失点も、全てを呑み込んで──自分たちが歩んできた道こそ正しかった()()()()()()()()

 

 この物語は。

 そんなどこまでもしぶとい悪役令嬢(ヴィレイネス)の、再起の物語なのだから!!



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一五七話:世界を救う為に

 

 

 そうして。

 『亀裂』の向こうで繰り広げられていた戦争が、あっさりと停止した。

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

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一五七話:世界を救う為に Best_Solution.

 

 

 


 

 

 数千を超えるファイブオーバーが一斉に待機状態に入り、それと相対していた能力者達も手を止める。

 機械に埋め尽くされた空の最前線を駆っていた木原脳幹は静かに葉巻を燻らせ始め、それと相対していた魔術師達も肩の力を抜く。

 それを見て、ツンツン頭の少年と今や表舞台に立った『人間』は互いに頷き合い、どちらともなく握手を交わす。

 

 やがてその場にいたすべての者達の視線が、『亀裂』の向こう側にいるシレン達に目を向けられた。

 

 

『シレンさん! レイシアさん! 無事でいやがったんですね!』

 

 

 『亀裂』を通して空間的に繋がったからか、無線越しに刺鹿の声が届いてくる。

 それ自体は喜ばしいことだが、シレンはそこで首を傾げた。

 

 

「……此処、歴史の『円周領域』とかって場所なんだよね? 『亀裂』のお陰で空間的に繋がったからって、ちゃんと通信が繋がるものなのかな? いやいや、電波が通らないとかそういう意味じゃなくって……なんだっけ、世界の拡張子とかなんとかで」

 

「ああ、もちろん通じてないわぁ」

 

 

 『魔女』はのほほんと言って、

 

 

「だからほら。お隣のレイシアちゃんはさっきからずっと首を傾げまくっているでしょう? アナタが通じているのは、臨神契約(ニアデスプロミス)があるからってことなのよ」

 

 

 言われてシレンがレイシアの方を見てみると、確かにレイシアは良く分からなさそうに首を傾げているばかりだった。

 

 

「あっごめんレイシアちゃん……。もう、肉体(なか)に入っちゃおうか。バラバラでいる意味もないんだし」

 

「いえ。せっかくですし、もう少しこのままで。──シレンの『横』に並び立って世界を救う機会なんて、この先滅多にないでしょうし」

 

「……はは、確かにそりゃそうだ」

 

 

 レイシアの言葉に笑って、シレンは頷いた。

 先ほどからお嬢様とはかけ離れた男性口調で話してしまっていたが──おそらくこれも、臨神契約(ニアデスプロミス)によって補正されているのだろう。思えば、シレンはそもそも一分の隙もなく自分を偽ることができるような器用な人間ではなかった。

 その彼女が今までボロを出していなかったということは、それだけ特殊な体質による補正があったと考えてしかるべきである。レイシアは人知れず、自分の察しの悪さに臍を噛んだ。

 

 

『……シレンさん?』

 

「ああ、いえ。わたくしも安心しましたわ。皆さん、ご心配おかけしましたわね」

 

 

 シレンが応じると、無線の先にいる『GMDW』の面々もほっと一息ついたようだった。

 その反応と入れ替わるようにして、通信の相手も変わる。

 

 

『こちら馬場。シレン、レイシア。無事なのは分かったが、そちらの状況を教えてくれないか? こっちの本部にもいくつか「亀裂」が出てきていて、……正直生きた心地がしない』

 

 

 馬場の声は聞いてすぐ分かる程度に震えていたが、しかしそれでも彼は逃げ出さずにGMDWを率いてくれているらしい。その事実に、シレンは暖かい気持ちになりつつ──ある意味でシレンとレイシアしか把握できていない状況を全体に共有する意味も込めて、声を張る。

 

 

「簡潔に説明するならば──現在、世界は崩壊の危機に直面しております! わたくしの『発生』と時を同じくして生じた『世界の穴』が徐々に広まっていることが、その原因です。このカタストロフを回避する為には、『世界の穴』をどうにかして修復するほかありませんわ!」

 

 

 そうして、その場の全員に事態が共有される。

 無線の先では、当然どよめきがあった。その内訳には、『世界の穴』がシレンの『発生』と同期しているという事実も関係しているだろう。正直なところ、そのあたりの事情は説明が難しいのであえて伏せておいた方がよかった部分もあるのだが──シレンとしては、そこまで赤裸々に語るのが此処まで道を共にしてきた仲間への礼儀だと思っていた。

 

 

「(……ハァ。バカ正直ですわねぇシレンは)」

 

「(そうでもないよ。俺だって都合の悪いところは黙って、アレイスターを誘導しているわけだし)」

 

「(そこに若干負い目を感じているところが特にバカですわ)」

 

 

 冷たく切り捨てるレイシアだったが、握られた手の力がぎゅっと強められたあたり、そこにある思いは言葉通りではないらしい。

 ──確かに、もう少しこのままでもいい。それどころではない状況なのは百も承知で、シレンはふいにそう思った。

 

 

「──結局、重要なのは『世界の穴』でしてよ」

 

 

 全員の注目を一身に背負ったシレンは、そう言って授業でも進めるみたいに話し始める。

 

 

「この事態──そして世界の滅亡は、『世界の外郭』に空いてしまった穴が放置され続けたことで徐々に広がってきたことによって起きています。逆説的に言えば、この穴さえどうにかすればカタストロフは終結する」

 

「……世界の穴なんてどうやって埋めるんですの? まさかホームセンターで世界の穴を埋める用の布でも売っている訳じゃあるまいし」

 

「そこは、創意工夫ですわよ」

 

「──そうか。()()()()()()を利用するのか」

 

 

 シレンが説明する前に、世界最悪の魔術師が同じ結論に辿り着いた。

 

 

「世界の穴は、この世界と『真なる外』の境界に発生している。この世界の物質では『真なる外』の拡張子に適合できないが、この世界の物質を『真なる外』の拡張子に変換してやれば『穴埋め』の素材としては十分になる」

 

「その通りですわ。この世界の物質の拡張子を、『真なる外』の拡張子に変換する。そうすれば理論上、世界の穴を埋める為の素材を用意することができるはずなのです」

 

 

 シレンはそう言って、ぴんと人差し指を立てる。

 

 

「策はありますわ」

 

 

 世界を救う為に、()()()()

 己が望む未来を掴み取る為に、結果的についでに世界を救うことを決めた悪女は、不敵に微笑み、

 

 

「この作戦には幾つかのフェーズがあります。まず、フェーズ1。『世界の穴』の位置を特定します。場所が分からなければ、穴を埋めることすら覚束ないですもの」

 

 

 『世界の穴』と言っても、それが三次元的な座標で説明できるとも限らない。

 今発生している『亀裂』は世界中で散発的に発生しているようだが、そこから算出できるかどうかも微妙である。とにかく、あらゆる可能性を考慮して『世界の穴』の座標を突き止める必要がある。

 

 

「次にフェーズ2。この段階で、『世界の穴』を埋める為のものの拡張子を変換し、『真なる外』の拡張子に合わせることで『栓』を作り出します」

 

 

 座標を特定し、拡張子を変換することで『世界の穴』を埋める『栓』を作り出す。

 ここまでが上手くいったとしても、まだ難題は残る。最大の難関は、次のフェーズ3だった。

 

 

「そしてフェーズ3。……そうして創り出した『栓』を、『世界の穴』へ移動させます。わたくしの考えが正しければ、これで『栓』は『世界の穴』と癒着し、現在発生しているカタストロフは収束するはず」

 

「──私も特に言うことはないな」

 

 

 シレンの提案(プレゼン)に、世界最悪の魔術師は腕を組みながら答えた。

 それは、シレンの提唱した作戦が大筋で問題ないことを証明していた。──しかし、肝心のシレンの表情は明るくない。

 

 

「ただし、問題が一つあります。それも、大きな問題が」

 

 

 シレンは悩み事を話す前みたいな調子で嘆息し、そして自分が直面している難題を素直に白状した。

 

 

「大体の方針が決まっているのはいいのですが…………具体的な実現方法が全く思いつかないのですわ」

 

「ダメダメではありませんのっ!?!?」

 

 

 即座に横にいたレイシアがツッコミを入れる。

 ──しかし、言ってしまえば当然の帰結である。シレンは転生者とはいえ、その本質は技術者でもなんでもないただの一般人。レイシア=ブラックガードの肉体の知識を参照する形で分子間力については専門家並の知識量を持つが、世界の成り立ちとかそういうものを解決できるような知恵者ではない。むしろ、大枠とはいえアレイスターも納得できるような作戦を考えることができただけでも立派なものだった。

 もっとも、この世界で『どこにでもいる平凡な学生』をやる為には、そのくらいやれないとどうしようもないのだが。

 

 しかしそこでシレンは開き直る。

 

 

「できないものはできないので仕方がありませんわ!! ですから、助けてくださいまし! この場にいるすべての皆さんの力を使って、『世界の穴』を塞ぐための具体的方法案を生み出してほしいのです!!」

 

 

 清々しいまでの丸投げ。

 ヒーローが聞いて呆れる暴挙。

 

 しかし、それを語るシレンの目に迷いはない。そして実際に、彼女の呼びかけに応じる形で一つの戦争は終結した。もちろんこの中には、腹に一物抱えた者もいるだろう。本当の意味で和解や平和が成り立ったわけではなく、それぞれの利害によって一時的に腰を落ち着けているだけの状況に過ぎない。

 だが、現実として彼らは争いの手を止め、互いに協力しあうことを決めた。一人一人が、それぞれ物語の主人公になってもおかしくないほどの傑物が、である。──これだけ状況が整っていて、それでも世界の一つも救えないなんてそんなバカな話があるわけがない。

 

 

「──なら、『世界の穴』の特定は一方通行(アクセラレータ)のお兄さんがやるしかないね」

 

 

 そこで真っ先に応じたのは、風紀委員(ジャッジメント)としてこの街を守る為にやってきた木原那由他だった。

 

 

「……オイ。役者なら十分揃ってるだろォが。っつか、世界を救うなンてのはガラじゃねェ。隕石が降ってくンならともかくな。ヒーロー様にでも任せてりゃイイだろ」

 

「この中で、お兄さん以外に世界全てを手中に収めるような演算が可能な人員がいると思う?」

 

「…………、」

 

「いるぜ? 此処にな」

 

 

 那由他の問いに一方通行(アクセラレータ)が答えに窮したと同時に、応じる声があった。

 ──声の主は、三対の白い翼を携えた少年。『スペアプラン』垣根帝督だった。

 

 

「異物を交えた世界全てを演算する性能。それがなきゃあ未元物質(ダークマター)は扱えねえ。()()()()()()()()()()()()()()って言ってる情けねえ第一位サマの代わりなんざ、いくらでもいるよ。この場にはな」

 

「……あァ?」

 

「なんだ、事実を言われてキレたか?」

 

 

 しばし、両者の間に無言の時間が続く。

 第二位──スペアプラン。所詮は『代替品』。それらの称号は、永く一人の少年にとっては呪いのような肩書だった。

 だが、それは同時に、『本物』の価値を脅かす競合相手としての資格を持っているということをも意味する。

 

 

「──面白いですねえ。足りないモノは僕が『代替』して差し上げますよぉ」

 

 

 不敵に笑う垣根の後ろで、薄っぺらな笑みを浮かべた木原が佇む。

 第一位と、それを支える『木原』。

 第二位と、それを支える『木原』。

 奇しくも同じ構図が相対したところで、無言を貫いていた一方通行(アクセラレータ)は軽く噴き出した。

 

「く、ひゃははは! 面白れェ。イイぜ第二位。その喧嘩ァ買ってやるよ」

 

 

 ただし、その対立は闘争には繋がらない。

 まるでそういう風にこの場のルールが整っているとでも言うかのように、二人の『科学の頂点』は矛を交えることなく『競い合う』。

 

 

未元物質(ダークマター)未元物質(ダークマター)の手札で」

 

一方通行(アクセラレータ)一方通行(アクセラレータ)の手札で」

 

 

 『最強』達は並び立って、シレンとレイシアに告げる。

 

 

「「世界を救う為の土台はこちらで用意してやる。美味しいところはきっちり決めろよ、ヒーロー共」」

 

 

 ──第一フェーズの問題は、此処に解決した。

 

 

「んじゃ、変換は俺に任せてもらおうかね」

 

 

 気軽にそう言い放ったのは、黒い衣装の上に白衣を纏ったチンピラのような科学者──『木原の書(プライマリーK)』だった。

 

 

「知っての通り、俺は善徳を悪徳に『変換』する機能を持った魔道書だ。なら、その機能の変数をいじっちまえば『世界の拡張子』を変換することだってできるんじゃねえか? ま、必要な変数情報は必要になるがよ」

 

「それじゃあ、変数関係の変更は私達魔術師の仕事だね」

 

 

 それに手を貸すのは、インデックスを筆頭にした魔術師達。

 

 

「『木原の書』の基礎は私が構築した原典のそれを踏襲しているものね。基本構造を知っている技術者がいれば大分作業もスムーズになるはずよ?」

 

「木原が有しているという知識の毒については、我々がフォローしましょう。これでもイギリスという国家から異端審問官を任ぜられているプロフェッショナルですから、我々は」

 

「……あの子がやると言っているんだ。僕達がそれに協力しないわけにはいかないね」

 

 

 魔術師達の協力はあれど──しかし、インデックスはさらなる懸念を提示する。

 

 

「でも、問題は『栓』の素体かも。いくら変換機を介するとはいえ、『世界の穴』を埋めるとなれば、素材は何でもいいわけじゃない。相応の記号を持っているものじゃないと……」

 

「……フム、それならちょうどいいものがある」

 

 

 そこで応えたのは、アレイスター=クロウリーだった。

 

 

「……ちょうどいいもの?」

 

「要は、世界の果てへと辿り着く為の記号が欲しいのだろう? 今ある場所を飛び立ち、そして遥か彼方へと辿り着く為のアイテム──即ち、スペースシャトルだ」

 

「……そんなもんどこにあるんだ? 第二三学区にはあるかもしれないけど……」

 

「あるだろう、すぐ傍に」

 

 

 怪訝な表情をする上条に対し、アレイスターはあっさりと答える。

 シレンもまた、そんなアレイスターの意図は理解できなかった。──それもそのはず。この事実は、彼女がかつて読んだ物語の『先』に位置する事実なのだから。

 アレイスターは平然と、かつての歴史では彼の陰謀の最終局面まで伏せられていた事実を語った。

 

 

「『窓のないビル』。アレはスペースシャトルとしての機能も有していてね。アレならば、『世界の穴』を埋める為の記号としては十分だろう」

 

 

 ──窓のないビル。即ち、この街の王の居城。

 それが最後のピースになると、アレイスターは宣言する。

 

 

「……? 窓のないビルが、スペースシャトル?」

 

「知らなかったか?」

 

「逆に何故知っていると思いましたの!?!?!?!?」

 

 

 声を上げたのはシレンだが、その場にいた者達も一様に絶句している。何故ならそれは──居城がロケットになっているということは、アレイスター=クロウリーはそのうち宇宙への突入すらも視野に入れていたことになる。

 どこまでも、スケールの大きすぎる『人間』だ。シレンは素直にそう思った。──ただし、この場においてはその荒唐無稽加減が力になるのも事実。

 

 

「さて、これでフェーズ2の問題点も解決したな。残るは、フェーズ3の実現策だが──」

 

「んなもん、考えるまでもないでしょうが」

 

 

 忌々しさを隠そうともしない女の声が、アレイスターの言葉を遮った。

 

 

「世界の外郭。まともな方法でやれば何光年分の距離があるんだか分からない場所まで『栓』を送り込む技術なんて、私はこれを除いては思いつかないわね」

 

 

 年齢に似合わない大人びた雰囲気を持つ少女。

 第四位、原子崩し(メルトダウナー)の能力を持つ超能力者(レベル5)

 ──麦野沈利。

 

 

「……それって」

 

「分かんねェのか? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 応じるシレンに、麦野は鼻白んだ様子でつづける。

 

 ──〇次元の極点、という技術があった。

 一次元の点を『切断』することによって発生する『極点』は、その一点で世界全てをあらわす。この『極点』を介せば、世界のどこからでも好きなものを取り寄せられるし、世界のどこへでも好きなものを送り付けることができる。

 たとえそれが──『世界の外郭』であったとしても。

 

 

臨神契約(ニアデスプロミス)なんてモンはどうでもいい。私にとって『お前ら』は白黒鋸刃(ジャギドエッジ)。重要なのはそこだ」

 

 

 『とある歴史』と違い、木原数多の調整を受けていない麦野沈利に独力による〇次元の掌握は不可能だ。

 そして白黒鋸刃(ジャギドエッジ)にしても、一次元の点を切断して『〇次元の極点』を生み出すことはできても、それを持続させることはできない。だが、二つの第四位が力を合わせれば──その実現は可能となる。

 『栓』を『世界の穴』へと飛ばすことも。

 

 

「……感謝しろよ。私がテメェらに手を貸すのなんざ、これが最初で最後だからな」

 

「ええ、分かっておりますわ」

 

 

 忌々しそうに言い切る麦野に、シレンは優し気に微笑んで、

 

 

「照れ隠しにツッコミを入れるほど、わたくし野暮ではありませんわよ」

 

「いっちばん最低のほじくり方しやがってこの性悪女ァ!!!!」

 

 

 ──ともあれ、これでフェーズ3の懸念も解消された。

 

 材料は全て揃った。

 あとは全員で、世界の危機を救うのみ。

 

 

「さぁ、作りましょう」

 

 

 その場に集った数多のヒーローを眺めながら、シレンは言う。

 

 

「わたくしたちにしかできない、最高のハッピーエンドを!!!!」




『亀裂』の向こう側の人物の発言は、後ろにいる『魔女』がレイシアに通訳してくれています。


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一五八話:追儺されるべきモノ ①

 ヴン、とその場に集まった面々を取り囲むように、地面に光り輝く紋様が出現する。

 いざ演算を開始しようというところだった一方通行と垣根が怪訝な表情を浮かべる。

 

 

「これは……儀式魔術?」

 

「流石は魔道図書館。鋭いな」

 

 

 首を傾げつつも速やかに言い当てるインデックスに、アレイスターは特に悪びれた様子もなく頷いた。

 

 

「『窓のないビル』の『世界の拡張子』を変換して『世界の穴』を埋める。この事業は既存のどの神話体系にも該当しないが、しかし根幹に位置する技術自体は魔術サイドのそれだ」

 

 

 アレイスターはそう言って、地面に展開された紋様を一瞥する。

 

 

「ゆえに、今から準備をしているというわけだな」

 

「……なるほどね。つまり、この紋様は……」

 

「効果としては、儀式の効率化といったところか」

 

 

 語られるのは、端的な説明。

 

 

「魔術結社による儀式魔術の多くは、複数人が作業を分担して術式を構成するものだ。『黄金』においてもそれは変わらない。そしてその時に用いられるのが『思考リソースの共有』」

 

「つまり、どォいうことだ?」

 

「君と第二位の思考リソースを共有する陣だ。競争心があるのは良いことだが、全く同じ作業を並列で実行するのは演算能力の無駄遣いだからな。互いの思考リソースを共有できた方が効率的だろう?」

 

「チッ。余計なことしやがって……」

 

 

 一方通行は忌々し気に舌打ちするが、しかし思考リソースの共有が重要であるということは分かっているのか、それ以上に文句は言わなかった。 

 『世界の穴』を探す──と言えば簡単な作業のように感じるが、これは一大事業だ。何せ、世界をくまなく演算しきって一一次元では説明のできない綻びを検出しようというのだ。実際に『世界の穴』があるという前提情報がなければ、たとえ第一位と第二位の二人がかりでも気付けなかったに違いない。

 

 

「それに、第一位と第二位が最大スペックを以て『世界の穴』の座標を導き出したとして、それをきちんと第四位の頭脳で把握させるのも一苦労だ。その伝達を簡易化する役割もある」

 

 

 言外に頭脳が格下と言われた麦野がぴくりと眉をひくつかせたが、これについては傍らについていた絹旗が宥めることによって事なきを得る。

 そんな微妙なピリつきには気づかないツンツン頭は、のんきに首を傾げた。

 

 

「……大丈夫なのか? 能力者に魔術のバフなんて、危険な気がするけど。ほら、土御門みたいに……」

 

「能力者がダメージを負うのはあくまで自分で魔術を行使したときですから、心配は要りませんわよ」

 

「シレン詳しいな……」

 

 

 ぼんやりとした疑問に答えるシレンに、上条は感心した様子で呟く。

 実際、現時点ではこのあたりの関係性を把握している科学サイドの人員はそう多くはないだろう。ただしそれを『正史』の知識によって得ているシレンは少しバツが悪そうな表情を浮かべる。

 

 

「ま、まぁ慣れてますので……。科学サイドのわたくしが魔術サイドの知識を得るのは良し悪しかもしれませんが」

 

「どっちにせよ問題はねえよ。思考リソースの共有なんざあってもなくても、俺がとっとと演算を終了させちまえばいいだけの話だ」

 

「ほォ、吠えるじゃねェか第二位。オマエの仕事がなくなっちまっても怒るなよ?」

 

「大言壮語は不発に終わった後が辛いぞ、第一位」

 

 

 言葉の応酬があった後に。

 ガッ!! と、一方通行と垣根はほぼ同時に虚空に発生した『世界の亀裂』に掴みかかる。ここから、『世界の穴』の座標を逆算していくのだ。

 そしてその後ろで。

 

 ズッ、と地面から伸びるようにして、菌糸の『脳』が立ち上がっていく。

 

 

「さぁて、垣根さん。こちらの準備はできましたよぉ。『代替物』でも本命を超越できるってことを証明してやりましょう!!」

 

「……構成技術はほぼ私のものだというのに我が物顔でいやがって」「ま、まぁインスピレーションの面では相似さんの力が大きいからさ……」

 

「これは……外装代脳(エクステリア)……!?」

 

 

 これに真っ先に反応したのは、類似の技術を知っている食蜂だ。

 ──ドッペルゲンガーの操る菌糸によって生成した巨大な脳に、機能を代替する木原相似の『科学』が組み合わさったことによって実現した、簡易『外装代脳(エクステリア)』。これが、垣根の頭脳に接続されているのだ。つまるところ──機能の底上げ。

 

 ただし。

 

 

「さっすが相似お兄さん。でも、こっちだって一方通行のお兄さん一人に全部をこなさせている訳じゃないよ!」

 

 

 ヂヂヂ、と那由他の指先から紫電が迸り、その直後一方通行の首筋から天に向かって黒い稲妻が放たれる。

 

 

「一方通行のお兄さんはミサカネットワークに既に接続しているからね。幻生おじいさんのようにわざわざ不正アクセスしなくていい分、より自由度の高い形でその演算領域を利用できる。……ミサカのお姉さん達も、世界の危機だからってことで快諾してくれたよ」

 

 

 此処に至り、第一位と第二位の実力は伯仲。

 互いに競い合うようにしながら、二人の演算は最終局面へと到達していた──。

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一五八話:追儺されるべきモノ ① Misfortune.

 

 

 


 

 

 

 一方その頃、窓のないビル。

 今回の『世界の穴』を塞ぐ作戦において、『世界の穴』を塞ぐための直接的なファクターとして選出されたこの窓のないビルだが──そこに、二人の男女の姿があった。

 

 

「……んで、毎度毎度だがこういう細けえ作業は俺達に割り振られるんだよな」

 

「仕方がないでしょ。魔術サイド? とかいう連中は『変換』にかかりきりだし、結局木原だの超能力者だのは向こうで仕事があるんだし」

 

「仕事なさげだったツンツン頭の大将くらいはこっち来てもよくねえか?」

 

「アレイスターのヤツに『君は此処にいろ』ってじきじきに使命されてたじゃん」

 

 

 ぶつくさ言いながら、男女──フレンダと浜面は窓のないビルの内部へと入っていく。

 もちろん、通常であれば窓のないビルのセキュリティは二人にはどうしようもない堅牢さを誇っている。彼らが侵入できているのは、アレイスターがあらかじめそうしたセキュリティを一時的に停止しているからである。

 

 そして、彼らがそうしてまで窓のないビルに潜入した理由は──。

 

 

「……確かに『窓のないビル』は世界の果てへと飛ばす『記号』を有している。ただし、そのままでは儀式に転用するには心もとない……だっけ?」

 

「相変わらず良く分かんねえ理屈だな、『魔術サイド』の話って」

 

「まぁ、そもそもこれがロケットっていうのがピンと来ない事実だしねえ。結局、儀式とやらに使えるようにするにはロケットモードに変形させとかないとダメってのは筋は通ってると思う訳よ」

 

 

 窓のないビルの地下。

 特殊なコンクリートで覆われたその空間は、常に一定の角度を保つ下りのスロープだった。広大な空間。ドーム球場が比較対象として思いつくようなだだっ広い空間には、しかし支柱の一本も立っていない。

 代わりにあるのは、鍾乳洞やつららのように天井から伸びた金属製の大きな筒。それを見上げ、フレンダは呻くように言った。

 

 

「ほんとにロケットだよ……」

 

「あの統括理事長、最終的には宇宙に学園都市を移設する気だったのか?」

 

「あるいは、この事態を最初から想定していたのかもしれないけどね」

 

 

 アレイスター=クロウリーの真意は分からない。ただ、現実としてこの『窓のないビル』は本当に大気圏を突破して宇宙航行をする機能を有しているらしい。

 その事実を改めて確認したフレンダと浜面は、続いて事前に指示を受けていた通りの手順で渡されていた端末を操作し、窓のないビルに干渉していく。

 

 

「しっかし」

 

 

 フレンダが端末を操作している横で、浜面は()()()()()()()()()()に視線を落としながら言う。

 

 

「これだけ科学的なガジェットの塊みてえなとこなのに、それでもこんな古臭いオカルトっぽいものが転がってるあたり、やっぱ統括理事長も『魔術サイド』なんだなぁ」

 

 

 ──それは、問答型思考補助式人工知能(リーディングトート78)と呼ばれる『窓のないビル』に備え付けられた機能、その中枢であった。

 『窓のないビル』それ自体はプランの推移に応じていくらでも使い潰せる代物でしかないが、しかし一方でこの問答型思考補助式人工知能(リーディングトート78)については替えが効かない。

 『儀式』に先立っての下準備という意味ももちろんあるが、今回フレンダと浜面が『窓のないビル』に遣わされた理由の幾分かはこの機能の回収も含まれている。

 なお、二人は気付いていないが、上条がこの場に選出されていなかったのは彼の右手が『タロットカードの集まり』という問答型思考補助式人工知能(リーディングトート78)と相性が悪かった為である。

 

 

「まぁでも、ある意味気楽だよな。こうやってやることが明確な仕事をこなすだけで、俺達も世界を救った英雄たちの仲間入りだ。核ミサイルのボタンを握る仕事より栄誉で気楽だぜ」

 

「全く同意って訳よ。いい加減神様とやらも私達の苦労っぷりに同情して割のいい仕事を振ってくれたんじゃないの?」

 

 

 適当なことを言いながら、フレンダと浜面は作業を進めていく。

 ただし。

 そんな彼女達は気付いていなかった。

 

 アレイスター=クロウリーを取り巻く『失敗』の運命について。

 そして、そんな『人間』が出した指示に、一片の不具合もないことなどありえない──ということについて。

 

 

 作業開始から十数分。

 だだっ広い空間で端末を操作し『窓のないビル』を儀式に使用できる状態に調整していたフレンダと浜面だったが、その作業自体は特に妨害もなく恙なく完了することとなる。

 問題は、その『後』だった。

 

 

「設定完了、と。これで『窓のないビル』はいつでもロケットとして稼働できるような状態になったって訳よ」

 

「へへっ、どうやら俺達は歴史に名を残すことになっちまったようだな……。英雄なんてガラじゃねえがよ」

 

 

「────ああ、そうだなぁ」

 

 

 声が。

 広大ゆえに反響する地下空間で、明らかにフレンダと浜面以外の声がしていた。

 反響する声の主は、一人の男だった。──フレンダも、浜面も、その人物に心当たりはない。それどころかきっと、シレンだってレイシアだって彼が何者かなんて分からないだろう。

 

 だが、よくよく事件を紐解いていけば、一つ未解決の要因があることが分かる。

 事の発端を思い出せ。

 アレイスター=クロウリーがシレンの臨神契約(ニアデスプロミス)を確保しようとしたことを端に発する一連の事件とは別のレーンで、上条当麻はとある事件に巻き込まれていた。

 食蜂操祈を拿捕した蜜蟻愛愉が囚われのヒロインとなった、とある事件。その事件の黒幕は、『ブロック』と蠢動剛三と迎電部隊(スパークシグナル)が手を結んだ集団だった。

 このうち、『ブロック』の中枢たる山手と佐久、そして蠢動は『木原の書』によって始末されてしまい、組織の頭脳が失われたことで彼ら自身の脅威も実質的に無力化された。

 ただし。

 頭脳が失われたとしても、迎電部隊(スパークシグナル)や『ブロック』の下部組織といった集団自体は、多少の損耗はあれど残り続けている。その後は戦場が先鋭化するにつれて、彼らは事件の表舞台から外れていたが──それでも『学園都市の王位の簒奪』という彼らの目的自体が頓挫した訳ではない。

 

 

 たとえば。

 

 

 フレンダと浜面が侵入する為にセキュリティ強度が一時的に弱まった『窓のないビル』に潜入し、アレイスターの居城にして権力の象徴である『窓のないビル』を勝手に撃ちあげて地球上から消してしまえば?

 

 アレイスターを知る者であればそんな程度でヤツの陰謀が終わるわけがないと断言できるだろう。

 しかし、アレイスター=クロウリーを知らない者であれば、それがアレイスター体制に対して一定のダメージを与えるものと考えてもおかしくはない。

 

 

「……テメェ、何者だ?」

 

「あ!? 何これ、急に『打ち上げシークエンス』とか表示され始めたんだけど!?」

 

「ハハッ、迎電部隊(スパークシグナル)は電子戦を主とする組織だぞ。セキュリティ強度を下げたのは明確なミスだったな、アレイスターの狗ども。一瞬でも時間があれば、このビルの機能を一時的にハッキングすることくらいは容易いぞ」

 

 

 つまり。

 

 ハッキングされた『窓のないビル』は、間もなく勝手に打ち上げられる。

 それ自体は、計画の大筋には影響はない。そもそも『窓のないビル』は〇次元の極点によってテレポートさせるのだからどこにいようが儀式に支障はないし、アレイスターによって『窓のないビル』から切り離された問答型思考補助式人工知能(リーディングトート78)は『原典』でもある為ロケットブースターの直撃を浴びても燃え尽きない。

 ただ一つ問題があるとするならば、今まさにロケットブースターの真下にいる浜面とフレンダが絶賛丸焼き予定ということである。

 

 

「ば……おい馬鹿野郎!! 余計なことしてくれやがってこのままだと新妻の失敗料理みてえな有様になっちまうぞ!?」

 

「別にこちらはこちらでそれでも一向に構わない。『窓のないビル』に直接細工を施すほどの人員だ。此処で道連れにして殺せば、それだけでアレイスター体制にダメージを与えられるだろう」

 

「壮絶な勘違いをされてるって訳よ……!!」

 

 

 そこで、フレンダと浜面は気付く。

 広大な空間の中に、いつの間にか自分達と下手人の男以外の気配が大量に発生していることに。

 

 

「…………!!」

 

「障害物はない。この人数差だ。無事に抜けられるとは思うなよ、アレイスター=クロウリーの狗が」

 

 

 ガチャチャチャチャ!!!! と銃器を構える音が響き渡る。

 逃走は不可能。そもそも数秒後に発生するであろう銃撃を生き延びる術すら覚束ない極限状況下で、フレンダと浜面は思わず息を呑む。

 そして、その次の瞬間。

 

 

 ゴガッッッッ!!!! と、馬鹿二人を取り囲んでいた集団がボウリングのピンのように冗談みたいな勢いでフッ飛ばされた。

 

 

『……やれやれ。よくよく彼の仕事は詰めが甘い。まぁ、だからこそ私がいるのだが』

 

 

 そこにいたのは、ガチャガチャと種々のガジェットを操る──長毛のゴールデンレトリバー。

 木原脳幹。──アレイスター=クロウリーの『狗』である。

 

 

『ともあれ、だ。助けに来たぞ、お若い二人。さっさと此処を脱出してしまおう』

 

 

 颯爽と登場した脳幹がそう言うと、背に負ったA.A.A.がひとりでに動き出し、マニピュレータがフレンダと浜面を確保する。

 間一髪で命を救われた馬鹿二人は半べそをかきながら、

 

 

「うわーんお犬様大好きぃ!!」

 

「チクショウ、登場がカッコ良すぎてなんで犬が喋ってんだとかそういうツッコミをする段階じゃなくなってやがる!!」

 

『……一つ忠告しておくが、私はお若いレディならともかくムサイ野郎に自慢の毛並みをもふもふされる趣味はない。途中で落とされたくなければそれ以上はやめておけ』

 

 

 凄まれては仕方がないので、すごすごともふもふを断念する浜面。フレンダはこういうときに全然許されるのだから美少女は得だよなぁ、とどこか納得いかない気持ちが残る浜面なのであった。

 

 

「……まぁ助かったけどよ。アンタ、確かアレイスター側の人員だったろ? なんで俺達のフォローに回ってくれたんだよ?」

 

『少し誤解があるな。確かに私はアレイスターの部下という立ち位置ではあるが、一挙手一投足を彼の指示通りにこなす程自由のない立場というわけでもない。相応の裁量は任されている』

 

 

 脳幹はダンディに葉巻を燻らせながら言って、

 

 

『今回の場合、アレイスターはシレンへの対応にかかりきりで、宙ぶらりんとなった迎電部隊(スパークシグナル)の始末に手が回っていないことを思い出してな。万一の場合も考えてサポートに向かったわけだ。案の定だったな』

 

 

 こうした機転の利き具合も、脳幹がアレイスターの力を行使する武装──A.A.A.を保有することを許されている要因である。

 速やかに二人を回収した脳幹は、A.A.A.のロケットエンジンを吹かしながら最後にこう付け加えた。

 

 

『それよりも、だ。君達の仕事の結果を受けて、向こうの方でも事態が進展しているぞ』

 

 

 ──フェーズ1はほぼほぼ完了し。

 作戦は、フェーズ2に差し掛かろうとしていた。



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一五九話:追儺されるべきモノ ②

 作戦開始から、十数分が経過した頃のことだった。

 

 それぞれ『亀裂』に手をかけて解析作業を行っていた二人の超能力者(レベル5)達が、ややあって手を止める。

 垣根と一方通行(アクセラレータ)は、それぞれが同時に顔を上げて言った。

 

 

「「解析完了だ」」

 

 

 と同時に、その場に展開されているモニターに何やら球状の3Dモデルが展開され、その球の表面上に一つのポイントがマーキングされる。

 この球状モデルこそが、今のこの世界の全域を表現する図であり──マーキングされた『点』が、今回の原因である『世界の穴』なのだった。

 

 おそらくアレイスターが行っていた『思考リソースの共有』を応用して演算結果を反映したのだろうが、最早科学も魔術もない有様だった。もっとも、その分断を引き起こした張本人が此処にいるのだから、そうなるのも仕方がないのだが。

 

 ものの十数分で作戦の根幹を成立させた一方通行(アクセラレータ)と垣根は互いに不満げにしながら、

 

 

「イージーモードすぎんだよ。やっぱ第一位(コイツ)、要らなかったんじゃねぇの?」

 

「あァそォだな。モニタ上の進捗率だと俺の貢献度の方が上みてェだが」

 

「お? ほんの数%の誤差を勝ち誇るたぁ第一位サマは随分と泥臭せえ性分みたいだな」

 

「その数%を『ほンの』なンて捉えているから、オマエはいつまでも第二位なンじゃねェか」

 

 

 無言で火花が散りだしたところで、二人の間に那由他と相似が割って入る。

 

 

「一方通行のお兄さん、喧嘩してる場合じゃないんだよ! ミサカネットワークの集中演算協力体制を停止しないといけないんだから、そっちの手を動かす!」

 

「こちらとしても接続した外装代脳(エクステリア)の権限関連を処理しないといけませんからねぇ、喧嘩を始められちゃうとかなり困るんですよぉ」

 

 

 仲裁に入られた二人の超能力者(レベル5)は互いに顔を見合わせる。世界を救う礎を築いた英雄たちとは思えないくらい、締まらない表情だった。

 

 

「……で、弾の方はどうなった? 確かウチの連中が下ごしらえをしに行っていたはずだけど」

 

『それならば心配要らない』

 

 

 ビル壁に背を預けながらの麦野の言葉に応じたのは、通信越しの木原脳幹だ。

 風を切る音を通信に紛れさせながら、脳幹は答える。

 

 

『二人なら無事に確保した。危うくロケットブースターで火葬されるところだったがね』

 

「はぁ? 何でただのお遣いでそんなことになってんだあの馬鹿ども……」

 

 

 麦野は首を傾げつつ呆れるが、これは致し方なかった。この世に楽な英雄のなり方なんてないのだ。

 ともあれ、フェーズ1は完了し、フェーズ2の下準備も整った。次は、下準備をした『窓のないビル』の『世界の拡張子』を変換する工程だが──

 

 

「こっちも、問題ないんだよ!」

 

 

 迎電部隊(スパークシグナル)の介入によって射出シークエンスが始まっている『窓のないビル』であったが、その程度で狂うほど魔道図書館の計算はやわではなかったらしい。

 木原の書やステイル、神裂、オリアナ、ショチトルといった魔術サイドの面々を従えて何やら魔法陣のようなものをこしらえていたインデックスは、明るい顔でそう言い切った。

 

 

「『世界の拡張子』の変換……っていうと仰々しいものだけど、要するに認識の切り替えなんだよ。向かい合う二人の横顔と壺の騙し絵みたいに、ものの見え方を切り替える錯覚が基本。そのパラメータを、木原の書に渡してあげればいいかも」

 

「あとは、その認識を『思考リソースの共有』で作業メンバーに伝達してやりゃあ解決って訳だ。……皮肉だよなぁ、『木原』の『認識』を共有することが、世界を救う近道になるってんだからよ」

 

「……広義の意味では魔道書の知識に当てはまるし、『木原』のこともあるからきちんと無毒化してあげないとダメなんだけどね。まぁ、そのあたりは私達はプロフェッショナルだから!」

 

 

 そう言って、インデックスは胸を張る。

 脇に侍る神裂とステイルも同様に誇らしげなあたり、対策が万全というのは疑いようのない事実のようだった。

 

 その横で。

 

 

「俺はやることないなぁ」

 

 

 バカ学生こと上条当麻は、錚々たる面々が力の限りを尽くしている様をぼけーっと眺めていた。

 異能を殺す右手を持っていようと、学園都市最強の能力者を倒そうと、上条当麻の価値が変わるわけではない。変わらずどこにでもいる平凡な高校生である上条には、世界を救う一大事業に関われるような特殊なスキルなどなかった。

 ただ、

 

 

「私達は疲れたわー……」

 

「御坂さんはミサカネットワーク関連の調整で、私は外装代脳(エクステリア)関連の補助で、それぞれてんてこまいだったものねぇ……。……っていうか相似とかいう木原、アイツなんなの? 此処で潰しておかないと色々危険力が高すぎる気がするんですけどぉ」

 

「アイツはシレン達の仲間らしいしそのへんは大丈夫だろ」

 

 

 暇そうにしている上条に寄ってきた疲労困憊の少女二人に、上条は気楽そうに答える。

 それから『亀裂』の向こう側、モノクロの世界の中にいるシレンとレイシアに視線を向けて、

 

 

「それに、暴走しそうになってもシレン達がなんとかしてくれるよな?」

 

「そうですわね。……正式にわたくしの指揮系統に取り込むとなると、それはそれで準備が必要そうではありますけど。うーん……『メンバー』の枠組みをそのまま青少年更生組織として再構成できないかしら?」

 

『勘弁してくれよ。確かに、暗部を消滅させていく関係上僕達の身の振り方についても考えなくてはいけないのはその通りだが……』

 

 

 シレンの呑気な台詞に、馬場から呆れたような色の通信が帰ってくる。

 シレンがそうして『今後』の展望についてあーでもないこーでもないと思い描いていると、

 

 

 ビシィ!! と、その場の全員の脳裏にとあるイメージが叩き込まれる。

 目の前のものに何か透明なフィルターが重ねられたような、そんな不可思議な感覚だった。上条が反射的に右手を頭にやろうとしたところで、

 

 

「待て。今君の右手で頭に触れると、全員分の『思考リソースの共有』が解除されて『拡張子』の変換も失敗するぞ」

 

「うおっあぶねえ!?」

 

 

 アレイスターに声をかけられて、上条は慌てて右手を頭から離した。

 あともう少しで、全員の足を引っ張る大戦犯になるところだった──上条は静かに胸を撫で下ろす。

 

 

「……っていうか、俺を共有の対象外にしとけばよかったんじゃないか?」

 

「仲間外れは嫌だろう、君」

 

「…………、」

 

 

 図星であった。

 というよりは、アレイスター=クロウリーという『人間』に少年が抱えるそのへんの機微を理解できたのが意外だった、という沈黙でもあるかもしれないが。

 

 

「諸々の準備は整ったみたいね」

 

 

 ひと悶着は起こりかけたが──なんにせよ、これにてフェーズ2も完遂であった。

 残るは、計画の最終段階、フェーズ3のみだ。

 

 

「さて」

 

 

 その事実を認めて、ビル壁に背を預けていた麦野は歩き始め、『亀裂』の向こう側のモノクロの世界にいるシレン・レイシアと視線を交わす。

 

 

「準備はいいか、裏第四位(アナザーフォー)。……世界を救う時が来たわよ」

 

 

 


 

 

 

 フェーズ3の所要時間は、文字通り一瞬だ。

 フルパワーの白黒鋸刃(ジャギドエッジ)によって一次元の点が切断され、〇次元の極点が発生したタイミングで、麦野がそれを掌握する。以前の戦いで実施したその流れを、今度は二人が協力して実施する形だ。

 そして〇次元の極点を掌握し終えたら、今度はそれを使って『窓のないビル』を指定された座標へと吹っ飛ばす。そうすれば拡張子が変換された『窓のないビル』は、勝手に『世界の穴』と癒着して穴を埋めてくれるという寸法である。

 

 

「……じゃあ、レイシアちゃん。始めようか」

 

 

 モノクロの世界の中にいるシレンは、そう言って傍らのレイシアに呼びかける。

 

 

「ええ。では、行きますわよ」

 

 

 レイシアはシレンの合図に頷くと、シレンの手を握った左手をすっと前に掲げる。

 その、握られた手の先から。

 

 ビシィ!! と。

 

 世界の崩壊を象徴する不吉なそれとは違う、白黒の『亀裂』が展開された。

 白黒の『亀裂』はそのまま虚空を走ると、麦野の眼前まで一目散に伸び──

 

 

「ご苦労。極点は『収穫』したわよ」

 

 

 それを掴み取るようにして腕を振った麦野の手の中には、煌々と輝く真っ白い『何か』があった。

 ──とある歴史において、麦野はこの光を使って世界全体をミクロの大きさに圧縮するという壮大な『自殺』を敢行したことがある。だが、この歴史においてはその未来は訪れないだろう。

 そもそも木原数多によって演算方式を改造されていない麦野では恒常的に〇次元の極点を掌握し続けることができないというのもあるが──それ以前の問題として、彼女がそれを許さない。たとえ〇次元の極点を真の意味で掌握したとしても、麦野はとある歴史と同じ選択肢は選ばない。

 『自殺』から這い上がって再起した好敵手を前にして、自分が世界に絶望して自殺するなど──そんな『負け』を認めるにも等しい選択肢は、彼女のプライドが許すはずがないのだから。

 

 

「これにて、作戦完了だ」

 

 

 直後。

 ドウッッッ!!!! と、第七学区に聳え立っていた白亜の巨塔が『消失』した。

 

 それは、単なる位置関係だけの話ではない。形而上学的な観点で観測して初めて確認できる存在となった『窓のないビル』は、光速をも超えた『瞬間移動』で世界の果てへと到達し──そして、『世界の穴』へと突き刺さる。

 その様子は、『窓のないビル』の消失という形以外でもシレン達に観測できた。

 

 

「こ、れは……亀裂から光が……!?」

 

 

 美琴が驚く声が、最初だった。

 見ると、そこら中に生まれていた『世界の亀裂』の全てが、まるで木漏れ日のようにその奥から光を放っている。

 それだけではない。徐々にだが、『亀裂』自体も小さくなっているようだった。

 

 

「や、やりましたわ! これって、『世界の穴』がふさがりつつあるっていうことですわよね!?」

 

「ああ。どうやらサイコロの出目が良い方向に出てくれたらしい」

 

「ちょっと待ってくださいましなんで万全の準備だったのに運が良かったみたいな総括になっていますの???」

 

 

 ほっと胸を撫で下ろしているような雰囲気のアレイスターに青筋を立てながら首を傾げるシレン。

 ともあれ、『世界の穴』についてはこれで修復される──とシレンも一息ついた。この時期に『窓のないビル』が消失してアレイスターが放逐されるという異常事態こそ発生しているものの、世界崩壊の危機が回避できたこと自体は喜ばしい。

 もう『正史』の知識とかは粉々になって使い物にならなくなってしまっているだろうが、そのことはもう明日考えよう──と気楽な心持になっていた。

 

 ただし。

 

 シレンは知らなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 アレイスター=クロウリーは、何を成そうと確実に『失敗』する。遠い昔に、我が子の復讐の結果そうなる呪いを背負っている。

 で、あるならば。

 アレイスター=クロウリーを味方に引き入れた時点で、『それ』は必然だった。

 

 

 ミシ──と。

 上空全体が、まるでたわんだ下敷きのように歪む。

 

 

「な、あれ……は!?」

 

「──余波、みたいね」

 

 

 思わず声を上げるシレンの背後で、『魔女』が答えた。

 

 

「大元の『世界の崩壊』に比べたら、まだまだ可愛いものじゃないかしら? 精々第七学区を吹っ飛ばす程度よ、アレじゃ。…………まぁ、外にいるみんなはひとたまりもないでしょうけど」

 

「なん、で!? どうしてこんな事態に!? 世界の崩壊は無事に食い止められたではありませんの! 今更こんな……」

 

「それが、アレイスター=クロウリーだからよ」

 

 

 当惑するシレンに、『魔女』は答える。

 

 

「……んーまー、()()()()だけど……いっか。アレイスター=クロウリーには、娘がいたの。この娘さんは病気で死んじゃったんだけど……その原因は、遍く魔術の副作用として発生する小さな『運命の歪み』。そしてその発生を容認していた主犯である『黄金』を、アレイスターは呪ったの」

 

 

 それこそ、アレイスターが背負う『失敗』の呪い。

 だからアレイスターが為すことは妨害され失敗するし、アレイスターは失敗しようが成功しようが前へと進むように計画を構築している。

 

 

「『黄金』──そう、当時はその一員だったアレイスター本人をも巻き込む形でね」

 

「な……!?」

 

 

 確かに、この状況はアレイスター=クロウリーの協力なしには構築できなかっただろう。

 『世界の果て』の記号を持つ『窓のないビル』の調達もそうだし、その下準備にもアレイスターの協力が要った。儀式全体の進行を助ける『思考リソースの共有』に関しても、アレイスターの手によるものだ。

 ただ、だからこそ──運命は最後に牙を剥いてくる。

 

 

「ですが、第七学区全域が吹っ飛ぶ程度なら、まだ大丈夫でしてよ! 超能力者(レベル5)の力を集結させれば対抗は十分にできるはずですわ!」

 

「……アナタ達が直面しているのは、『世界の崩壊の余波』じゃないの。『失敗』という結果自体よ。もし余波を相殺したとしても、『失敗』自体は動かないから、別の何かが発生するわ」

 

 

 レイシアが勝気に返すが、『魔女』から告げられるのはさらなる絶望だった。

 まるで、奇想外し(リザルトツイスター)。『失敗』という結果そのものを押し付けてくる、最悪の必殺兵器。──今更になって、シレンは本当の意味で理解した。どうして、アレイスターがシレンの右手に対してあれほどの警戒を抱いていたのか。

 ずっと前から、アレイスターは知っていたのだ。『失敗(それ)』がどれほど己にとって脅威となるのかを。

 

 そして。

 

 

「──なら、作戦が一つありますわ!」

 

 

 アレイスターが抱える『呪い』が、全ての元凶であるというのならば──シレンには一つ、現状を打破する心当たりがあった。

 

 

「当麻さん!」

 

 

 ──それは。

 この作戦においては役立たずでしかなかった右手だった。

 『世界の穴』の位置を演算することはできないし、『世界の拡張子』を変換することもできなければ、世界の果てまで『栓』を送り付けることもできない。あまつさえ、あわや作戦全体を無に帰しかねないような──そんな役立たずの右手だった。

 

 ただし。

 その右手はかつて、『黄金』という世界最大の結社にてこう呼ばれていた。

 

 とある聖者の右手を素材に製造された究極の追儺霊装。

 位相同士の衝突が生み出す運命の火花から人を守る傘。

 ブライスロードの秘宝。

 

 ──幻想殺し(イマジンブレイカー)

 

 

「あの歪みを。……いいえ、このクソったれな運命を!!」

 

 

 静かに右拳を握り締めているツンツン頭の少年に向けて、シレンは騎士に命ずる女王のように、あるいは助けを求める少女のように、言った。

 

 

「その右手で、ぶち殺してくださいまし!!!!」

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

一五九話:追儺されるべきモノ ② Misfortune.

 

 

 


 

 

 

『準備ならば、既に済ませて各員配置についていやがります!!』

 

 

 女王の号令に対して答えたのは、通信越しの刺鹿だった。

 見れば──第七学区の街並みに、先ほどまでいた食蜂の『最大派閥』の姿がない。──いや違う。ないのではない。各所に散っているのだ。

 

 

『食蜂さんの派閥の人員に我々の方で指示を出しました。彼女達の能力で、上条当麻──アナタを空へと送り届けます!!』

 

「……勝手なことを……と言いたいところだけど、緊急力の高い事態だし見逃しておいてあげるわぁ」

 

 

 呆れたように言う食蜂の横で、トッと足音を立てて着地する影があった。

 食蜂派閥──ナンバー2、帆風順子。

 紫電を迸らせた彼女は柔らかな笑みを浮かべて、

 

 

「途中まではわたくしがお運びします。さ、どうぞ」

 

 

 そう言って、帆風は何やらカゴのようなものを差し出してくる。どうやら、上条を運ぶことを想定して幻想殺し(イマジンブレイカー)対策の乗り物をあらかじめ準備していたらしい。

 

 食蜂派閥。

 GMDW。

 

 いずれも、彼女達の力量自体はこの場に集まる一線級の実力者には劣るだろう。窓のないビルを使い潰すことを決断する権限も、世界全てを演算し尽くす頭脳も、世界の外を計算にいれた秘法を編み出すことも、銀河の果てまで物質を吹っ飛ばすことも──彼女達には、そんな世界全てを揺るがすようなことはできない。

 世界を救うなんて英雄の所業は、成し遂げられない。

 でも。

 別に、そんなことができなくても。

 みんなで助け合うという当たり前のお題目を当たり前に積み重ねることで、誰かを守ることができる。

 

 

「ああ。……せっかくここまで皆で頑張ったんだ。最後の最後まで、ノーミスクリアのハッピーエンドを掴み取ってやろうぜ!」

 

 

 世界が──とまではいかずとも、第七学区が、そこに住むすべての人々が滅ぶかどうかの瀬戸際だというのに、不思議と上条の顔には笑みが浮かんでいた。

 

 右手は、役立たずだ。

 テストで良い点をとることもできなければ、喧嘩に勝つこともできず、女の子にモテる力だって存在しない。

 ただ、右手は便利だ。

 

 みんなの夢を、この手で守ることができるのだから。

 

 

「……終わらせるんだ。俺達の手で」

 

 

 ドウ!! と。

 上条を乗せたカゴが、急速に上空へと動き出す。電磁力によって空中へと飛び立った帆風の移動によるものだ。

 急速な移動の慣性についていけず、上条はカゴの中で思わずもんどりをうつ。カゴの外の景色は急速に後ろへと流れていくが、やがてその速度も少しずつ落ち着いていく。

 電磁力によって加速していた帆風の跳躍の勢いが止まり、少しずつ重力に囚われ始めているのだ。

 しかし、当然手はそれだけでは終わらない。

 おそらく能力によって撃ち出しているのだろう。ビルの物陰から、帆風の足場になりそうな瓦礫が次々と飛び出してくる。帆風はその上をまるで踊るように飛び跳ね、上条を運び、そして──

 

 

『──っ、帆風様っ、ここまでがあたくし達のサポートの限界ですっ』

 

 

 上空一〇〇メートルに届くかという高所。

 流石にここまでくると建物の屋上もそうそうなく、いかに高位能力者といえども能力の射程が届かない。ただし──

 

 

「ここまでありがとうございました! ──上条様、ご準備はよろしいでしょうか」

 

「ああ、問題ない」

 

 

 上条の答えを受けて、帆風はカゴを構える。

 明らかに人間が持ち運びするようにはできていない大きさのそれをまるで投球フォームのように構えると、そのまま空中で電磁力による空中制御で留まりながら、

 ドギュ!! と。

 カゴごと、まるでメジャーリーガーが放り投げる速球のような勢いで上空の『歪み』へと投げつけた。

 

 

 ──かつては、姿勢を保つだけで精いっぱいだったこの作戦。

 今回は準備が整っていることもあり、ツンツン頭の少年はしっかりと眼前の歪みに視線を合わせ、右手を構えることができていた。

 

 

 友人の体質から端を発した世界滅亡の危機の末に発生した、この歪み。

 最終的に仲間達の協力を受けて、たった一人で右手を構える上条当麻の心には──

 

 ──静かな、怒りがあった。

 

 だって、そうだろう。

 皆が、本当に皆が──街の奥に鎮座する黒幕さえも協力して、世界を守る為に戦ったのだ。

 なのに。そうやって無事に世界を救うことができたのに、こんな形で頑張った者達に追い打ちをかけるなんて──そんな現実、あんまりじゃないか。

 だから。

 

 

「もしも──この物語(せかい)が、」

 

 

 上条当麻は、怒るように願う。

 

 

神様(アンタ)の作った奇跡(システム)の通りに動いているっていうんなら!!」

 

 

 上条当麻は、祈るように叫ぶ。

 

 

 

 


 

 

 

「ねぇ、シレン」

 

 

 その時。

 純白のシスターは、空で神に啖呵を切る思い人を見上げながら、シレンに呼びかけていた。

 

 

「……ええ」

 

 

 そして、シレンもまた、言われずとも分かっていた。

 

 世界の歪みの『余波』の威力は、第七学区をまるごと吹き飛ばすほど強大だ。

 そして、街を更地にしてしまうような威力の『異能』は、いくら幻想殺し(イマジンブレイカー)といえども打ち消しきれるものではない。アレイスターの『失敗』そのものは打ち消すことができただろうが──あの現象そのものをその身に受ける上条当麻の無事を保障するものでは、ないのだ。

 

 二人の脳裏に、かつての夜が思い起こされる。

 

 それは、一人の少年の死。一つの物語の、望まれない結末(バッドエンド)

 二人にとっては──苦い敗戦の記憶。

 

 

「わたくしは、あの失敗を悔やむつもりはございません」

 

 

 シレンはそう言って、前を見据えた。

 

 

「あの出来事があったからこそ、今の当麻さんがいて、その後の歩みがあり、わたくし達がいる。──あの記憶を乗り越え前向きに未来を歩む為に、わたくしは過去を悔やみません」

 

 

 ですが、と。

 そこでシレンは、反逆に繋がる言葉を紡ぐ。

 

 

「それは、同じ結末を容認するわけではありませんわ。ねえ、そうでしょう? インデックス!!」

 

 

 シレンの叫びに応じて、大量のファイブオーバーが、一斉に空へと銃口を向ける。

 

 シレンはかつて、美琴に警告した。

 アレイスターがこの局面で盤上に並べた以上、ファイブオーバーには魔術的な細工がされている可能性がある、と。もし仮に動かそうものなら、それによって美琴は『魔術を使った』ことになってしまい、ダメージを受ける可能性がある、と。

 で、あるならば。

 ()()()()()()()()()()()

 

 一〇万三〇〇〇冊を所蔵する魔道図書館の少女は、それすら操ることができるのではないか。

 

 

「ちょろーっと。そんな玩具の電磁力だけじゃ、力が足りないんじゃない?」

 

「救うんでしょぉ? 当麻さんを。なら、私達にも介入力を発揮させなさいよぉ」

 

 

 そこに、美琴と食蜂の声がかかる。

 電磁掌握(フェーズ=ネクスト)

 雷神のように紫電を迸らせた美琴は、無数に展開されたファイブオーバーの銃口それぞれに電磁レールの補助をしていく。

 超能力者を超えた機体(ファイブオーバー)とは言っても、それはあくまで超能力者(レベル5)を比較対象にした場合。次の領域に足を踏み入れた美琴たちの力量の方が、遥かに高い。

 

 

「…………そう、ですわね。やるのならば、一緒に」

 

 

 直後、だった。

 

 ズガゴガガガガガガガギギギギギギギギギギ!!!!!! と。

 無数のファイブオーバー達が、天に向かって強化された無数の銃弾を放っていく。

 

 その銃撃の嵐は、余波だけでも守るべき上条の身を削りかねないほどの威力だっただろう。だが、空中で歪みに右手を伸ばす上条には、銃弾はおろかその余波によるダメージすら届かない。

 何故か?

 ──その余波からツンツン頭の少年を守る、白黒の『亀裂』が浮かび上がっているからだ。

 

 

 その立役者たるシレンは、傍らに立つレイシアと強く手を握り合いながら言う。

 

 

「今度は、一緒に。完全に完璧なハッピーエンドを掴み取ってこそ、わたくし達の再起(リベンジ)も完了するというものですわ!」

 

 

 高らかに歌うように、シレンは宣言する。

 そして、上空で神様の奇跡に立ち向かっている少年の右手が、上空の『歪み』と衝突した。

 

 

「────まずは、そのふざけた幻想をぶち殺す!!!!」

 

 

 


 

 

 

 

 そうして、正真正銘世界は救われた。

 

 

 一人の少年の『死』。

 そんなものなど、必要としないまま。

 

 

 


 

 

 

 ただ、ここに語られていない問題が一つあった。

 

 

「さて……『世界の穴』の問題が収まったことで、必然的に臨神契約(ニアデスプロミス)の暴走も収まってきたわけなんだけど……」

 

 

 ぽつりと、呟くようにシレンが呼びかけるのは、傍らに立つレイシア。

 レイシアは照れくさそうにしながら、

 

 

「これ、閉じちゃいますわねぇ」

 

 

 目の前の閉じかけた『亀裂』を見ていた。

 元々の時点で少々無理をしないと潜り抜けられない程度には狭かったのだが、『世界の穴』がふさがった後も余波や上条の安全な着地などでフォローをしていた関係上、向こう側に脱出するタイミングがなかったのである。

 その結果、これだ。

 

 

『いやいやいやいや!? 何でそんなに落ち着いているのよ!? 世界の穴の問題が解決してしまったら、「亀裂」だって自然と消えてしまう。そうなったらアナタ達は世界の外郭であるこの拡張領域に取り残されてしまうのよ!?』

 

 

 背後で慌てる『魔女』も、もはや先ほどまでと同じように確かな存在感のある姿ではなくなっていた。

 まるで潮が引くようにゆっくりと存在感が薄らいでいるあたり、本当にカタストロフは回避されたらしい。

 もっとも、そのせいで別の問題が浮上しているのだが。

 

 ただ、狼狽する『魔女』とは裏腹に、シレンとレイシアはあまり慌てた様子も見せなかった。

 

 

「大丈夫ですわ。アナタも既に見ているはずですわよ?」

 

 

 そう言って、レイシアは肩の力を抜く。

 まるで、何かを待っているかのように。

 

 

「俺は、臨神契約(ニアデスプロミス)の可能性を手繰り寄せる能力を使って、縁を辿ってレイシアちゃんを召喚した。まぁ俺にはこの体質に対しての知識がそんなにないから、レイシアちゃんを引っ張り寄せるのが精一杯だったんだけどさ」

 

 

 シレンは真実種明かしをするように、

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 『亀裂』の向こう側にいる仲間達。

 いずれもシレンやレイシアと浅からぬ『縁』があり、そしてシレンとは比べ物にならないほど魔術に対する知識も持ち合わせている。

 体質からくる異能で無理やり魔術の真似事をするしかなかったシレンと違って、きちんと異界の法則を管理して、望む結果を導き出せるプロがあちらには大勢いる。

 ということは。

 

 

「此処までやりきったんだ。最後のハッピーエンドに俺達だけ不在なんて、そんな間の抜けた展開は考えていないよ」

 

 

 ──うっすらと。

 シレンとレイシアの存在が希薄になっていく。

 より正確には、二人の存在が、『拡張領域』から元の歴史のスケールへと戻っていく。

 

 

『…………ああ、そうだったわね。あんまり長い時が経ってしまったから、忘れていたわ』

 

 

 それを見て、『魔女』はうっすらと微笑む。それは、どこか寂し気な笑みでもあった。

 思えばこの『魔女』とは、奇妙な関係性だった。シレンとレイシアの存在が融合し、そして一つになった規格外の存在。シレンの可能性だから、なんて理由だけで因果を無視してシレンの前に現れた彼女がいなければ、きっとシレンは成す術もなく失敗していただろう。

 だから。

 シレンは『魔女』に伝える。

 

 

「ありがとう。どこかの未来の俺達」

 

「……そうですわね。今回は、本当にアナタに助けられたようですし……。わたくしも、お礼を言っておきますわ」

 

『ふふ、いいのよ~。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。わたしにとっては未来、アナタ達にとっては過去の時間軸で』

 

「「…………???」」

 

 

 突如出てきた謎の証言に首を傾げてしまうが、元々この『魔女』はシレン達が迎えることのなかった未来の存在である。

 時系列も、その認知も、シレン達の常識では理解できない領域にあるのだろう。そう考えて、深く考えることをやめる。

 そんな二人の様子に、『魔女』はふっと笑ってから、

 

 

『じゃあね。いやいや、またわたしが出てくるような大ピンチには、襲われないでよ?』

 

 

 ──その発言は、ある種のフラグなのではないか。

 

 そんな指摘をする間もなく、二人の視界が歪み──シレンは咄嗟に、レイシアを抱き寄せる。

 そして、次の瞬間。

 

 


 

 

 

「──あ! 無事に成功したみたいだよ!」

 

 

 意識がはっきりとして最初に耳にしたのは、そんな天真爛漫なシスターの明るい声だった。

 ……こうして目を瞑っていると、なんだか長い長い夢を見ていたような気さえしてくる。でもこの身体に蓄積された痛みや疲れは錯覚なんかではなく、やっぱり今日一日の激闘が現実だったことを()()に伝えてくる。

 

 

「まったく。最後の最後で詰めが甘いかも。私達がいなかったらどうするの?」

 

「……ふふ。そんな未来(IF)、考えたことありませんでしたわ。だってわたくしには、現にアナタ達がいるんですもの」

 

 

 目を開けば、そこには純白のシスターがいる。

 それだけじゃない。

 ツンツン頭の少年も、自らが率いる派閥の面々も、同学の友人達も、魔術師の仲間達もいる。

 出会いは敵同士だった人達も、態度はどうあれ俺達のことを出迎えてくれていた。

 

 それらの仲間達を代表して、当麻さんが言う。

 

 

「おかえり。シレン、レイシア」

 

「ただいま戻りましたわ、皆さん」

 

 

 一緒に答えて──それから俺は、胸に手を当てて、その中に確かに感じる自らの半身に呼びかけた。

 

 

《おかえり、レイシアちゃん》

 

《おかえりなさいませ、シレン》

 

 

 長く激しかった一日を締めくくるように、穏やかに。

 

 

 

《ただいま》



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最終話:行く先は波乱万丈

 まず、何から説明したらいいものか──。

 あの事件から半月ほどが経ち、学園都市は大きく変わった。

 

 一番大きかったのは、暗部の弱体化だ。

 『神の右席』全員襲撃事件及び『窓のないビル』消失事件と、それに伴う学園都市での散発的な戦闘の数々は、この街の『裏』を白日の下に晒すには十分で──ええと、なんだっけ? 『嫌普性』とかいうカテゴリの悪人たちが、大量に検挙されたんだとか。

 もちろん、暗部の全部がこれでなくなった訳ではないし、『木原』もそうだし、言ってしまえば『スクール』とか『アイテム』とか『メンバー』みたいな組織だって究極的には過去にやってきたことを清算しないといけないわけではあるんだけど、少なくともこう……『この街の闇はそんなハッピーエンド許さないんだよォ!! ぎゃはははは!!』みたいな感じにはなりにくくなったというか。

 いやいや、このへんは今後も課題にはなり続けていくんだろうけど、結果的に良い感じにまとまってよかったと思う。

 

 それから、俺達自身に関することでいえば──

 

 

「わたくしとしては、学生参政権は時期尚早と考えておりますわ」

 

「……と、言いますと?」

 

 

 ──なんだか、学園都市のお偉方とお話する機会がとても増えました。

 

 

「まず第一に、置き去り(チャイルドエラー)問題です。……先日、少年院の脱獄トライアルのキャンペーンのお仕事をしている最中に、他組織からのスパイ目的で『置き去り』として学園都市に送り込まれた学生と対峙する機会がありました」

 

 

 今お話しているのは、学園都市統括理事会の一人でもある親船最中さん。

 学生が人口の大半を占める学園都市だけど、実はこの街の学生の殆どは選挙権がないのだ。親船さんはそのために子どもの街なのに大人向けの政策ばかりが行われていることを懸念していて、ざっくり言うと子どもにも参政権を持たせられるようにしようという運動をしている人である。

 『正史』にも出てきていたけど、本当にすごい人なんだよね。俺もこの世界に来てから一応最低限社会の成り立ちのこととかは勉強しているわけなんだけど、本当によく名前が出てくる人だもの。

 

 

「学生参政権を確立させるとなると、そうした問題にも直面します。なら置き去りに参政権を与えないのか? となると、それはそれで今よりもさらに置き去り差別が加速することでしょうし。学生参政権の意義には賛同しますわ。しかし……」

 

「……『答えが出ない問題』に直面する、と」

 

「ええ」

 

 

 で、俺達はというと、この街のトップであり、学園都市の広告塔でもあり、そしてゆくゆくはこの街の上層部になっていく──と期待されている立場にいるわけなので、『学生視点からの意見交換』という形で、親船さんをはじめとした、比較的学生よりのお偉方とお話をする機会が増えたというわけなのだった。

 まぁ、大部分は『あの話題の超能力者(レベル5)とも対等な立場で話をする学生目線のクリーンな私』を演出する為の道具にしてるだけだと思うけどね。

 

 

「それだけではありません。学生というのは親の影響が強いですわ。たとえばわたくしにしても、ブラックガード財閥とは切っても切れない関係にあります。平安日本の外戚政治を紐解くまでもなく、外部組織の学園都市への影響力を強める懸念もあるでしょうし……それがなくとも、学園都市内だけで政治目的の犯行が増えることは間違いないでしょう」

 

 

 そういうわけで、学園都市の政治系ニュースサイト向けの対談として親船さんと今何かと学園都市でホットな学生参政権について一問一答みたいなインタビューをした、その後。

 個人的に時間を作ってお話がしたいという親船さんたってのご要望で、俺達はもうちょっと込み入った話をしていた。

 

 

「なるほど。それは道理ですね」

 

「重ねて言いますが、学生の意志を今よりもっと政治に反映させるべきとは思いますわ。しかし参政権という形ではあまりにも弊害が大きすぎる……少なくとも、現状はその為の土台作りをすべきなのではなくて?」

 

「……素晴らしい」

 

 

 親船さんは、静かに呟くように言って、

 

 

「これだけ学生参政権の弊害を指摘できるということは、ブラックガードさんはかねてより学生の社会参画について考えられてきたのですか?」

 

「……まぁ、ゆくゆくは関係してくることだから、という程度ですけれども……」

 

 

 ただ、レイシアちゃんと脳内で意見交換をしていたこともあって、ある程度考え方としては煮詰まってはいる。こういうとき二乗人格(スクエアフェイス)って便利だよね。

 親船さんはそんな俺達を見て嬉しそうに微笑むと、

 

 

「ただ、この学生参政権の提案自体は幾つもの弊害を抱えるものであっていいのですよ」

 

 

 と、あっけらかんと言った。

 

 

「重要なのは、『学生が政治に参加することができるという道があること』を提示することにあるんです。……そして、実際にそのことについて真剣に考えて下さったブラックガードさんは、『学生がこの街の政治に参加するのに乗り越えなければならないハードル』を自分で考えて提示しました」

 

「……あ、」

 

 

 親船さんに指摘されて、ようやく俺は自分たちが親船さんに見定められていたことに気付いた。

 この人は、こうやってあえて突っつかれる隙を見せて、こっちがどれだけその問題に対して深い理解度を持っているかっていうのを観察していたんだ。……うわぁこえぇ……。これが大人の世界かぁ……。

 

 

「もしも威圧されたような印象を受けてしまったのなら、ごめんなさいね」

 

 

 そんな俺の戦慄すらも先回りするように、親船さんは申し訳なさそうに笑う。

 

 

「でも、孫娘くらいの女の子が同じ志を持って自分と向き合ってくれているんですもの。おばあちゃんだって、年甲斐もなくはしゃいじゃいますよ」

 

「……怖い話ですが、上等でしてよ」

 

 

 レイシアちゃんもまた、若干気圧されつつも勝ち気に言い返す。これからは、こういう場にも立っていかないといけないんだ。精々、安全にやり合えるうちに経験値を貯めさせてもらおう。

 

 まぁ、何はともあれ。

 俺達の周辺は、確かに変わってきていたのだった。

 

 

 


 

 

 

 そんなこんなで、一〇月三〇日である。

 『第二少年院』という最新鋭の少年院の開設に先駆けてその堅牢さをアピールする為の『脱獄トライアル』なるものが開催されたり、その宣伝キャラクターに俺達が任命されたり、お勤めをこなしたと思ったら囚人達が暴れたり、その主犯格が何故か当麻さんの竜王の顎(ドラゴンストライク)を操ってたり(なんでやねん!!!!!!!!)、本当に色々あったのだが──無事に月末目前である。

 ただし、俺達の心は月末を目前にしても休まることはなかった。

 

 まず、世界はしっちゃかめっちゃかとなってしまった。

 ローマ正教の最暗部である『神の右席』が四人全員学園都市に乗り込んで四人全員叩き返されたという事件が魔術サイドに与えた衝撃は凄まじかった──というのもあるし、そのドタバタで世界最悪の魔術師アレイスター=クロウリーの生存が全世界に広まってしまったのもあるし、そのアレイスターの居城である『窓のないビル』が影も形もなくなってしまったというのもあるし。

 魔術サイドにしてみれば、自分達の中でも相当の実力者が完敗してしまったが、代わりに向こうのウィークポイントも見えたし色々ガタガタになってる!! 今がチャンス!! ──という感じなのである。

 

 つまり。

 

 第三次世界大戦が、始まりそうです。

 

 というのも、昨日の夜にイギリスとフランスを繋ぐユーロトンネルが爆破されまして。

 ……流石に『神の右席』もあれだけダメージを負っていればしばらくはおとなしくしているだろう、とタカをくくっていたんだけど、考えてみればヴェントさんもテッラさんもアックアさんもフィアンマさんも、全員健在といえば健在な訳で。

 そう考えると、『正史』で『神の右席』が裏で糸を引いていたユーロトンネル爆破事件も同様に起きてしかるべきではあるし、そうなってくると連鎖的にイギリスのクーデターも起きそうだし、最終的に第三次世界大戦が起きない保証は何一つない。

 

 ちなみに、なんで俺がそんな情報を知っているかというと、もちろん『正史』の知識があるから──というのもそうなんだけれど。

 それにプラスして、最近できたツテが頼んでもいないのにペラペラとその手の推測を垂れ流してくれるからで、お陰で当麻さんやインデックスが弾丸ツアーを敢行する前から準備をする余地ができていたりするんだけど、どうにもあやつに感謝はしたくないんだよなー……。

 

 

「なぁ」

 

 

 あと、俺達の周辺で目に見えた変化と言えば……、

 

 

「なぁ、いい加減無視はやめてくれないか?」

 

 

 言えば…………、

 

 

「せっかく同室なんだ。会話が成り立たないのは寂しいな」

 

「うるっさいですわねぇ!!!! アナタの存在を認識するとツッコミどころが渋滞するんですのよ!!!!!!!!」

 

 

 新しく、同室の子ができたってことかな。

 名前、アレイスター=クロウリーって言うんだけどさ。

 

 ………………………………。

 

 

「なんで平然と常盤台に編入してますのなんで女体化してますのどの面下げてわたくしの前に現れることができたんですの!! アレイスター=クロウリーィィいいいいいいいいいいいいいいいっっっ!!!!!!!!」

 

「はっはっは。年の功だよ」(説明する気がない)

 

 

 そいつは、さらりとした銀色の髪を腰くらいまで伸ばした、中学生くらいの『少女』だった。

 緑色の瞳はにんまりと笑みの形に持ち上げられ、俺達のことを楽しそうに見据えている。──そう。どういうわけか、我らが統括理事長アレイスター=クロウリーは──少女になって、常盤台中学に編入してきたのだった。

 何を隠そうコイツこそが最近できたツテであり、頼んでもいないのに魔術サイドの動向予測をベラベラ垂れ流してくれる情報源なのだった。

 

 コイツのお陰で俺達もイギリス行きに同行できる感じになっている訳なんだけど、実はコイツのせいで美琴さんや食蜂さんもイギリス行きに同行することが決まっているわけで……端的に言って、状況をカオスにしかしない野郎なのであった。お得意の『計画(プラン)』はどうしたんだよホントに。

 

 

「まぁ冗談はさておき、『窓のないビル』は使い潰してしまったからな」

 

 

 アレイスターは一転真顔になって、そんなことを言い始めた。

 

 

「中枢機能についてはギリギリで外部に持ち出せたが、私が滞在する場所はなくなってしまったんだ。新たな居城としてあそこを超える水準はこの街には存在しない。……となると、いっそのこと特大のイレギュラーと行動を共にすることで、リスクその他諸々をうやむやにするのが最も合理的とは思わないかね?」

 

 

 一から十まで手前勝手な理屈だった。

 しかもその手前勝手な理屈で、実際に諸々の手続きをぶっ飛ばして俺達の同室の座を正式に獲得しているからやってられない。まさか自室が一人部屋だったのがアレイスターと同居するハメになる伏線だったなんて……。

 

 それはまだいい。

 いや、全然よくないのだが、直近で最大の問題は、アレイスターが同室になったことではなく、むしろ──。

 

 

「それで。準備はもういいのか? おそらくイギリス行きは今日か明日だろう。私の方は既に準備を終えているが」

 

 

 コイツも、どさくさに紛れてイギリス行きが確定しているってことなんだよ!!!!

 

 ほんとになんというかこう……。

 …………どうしてこうなった。

 

 ──気付けば、俺達の周辺事情はすっかり跡形もなく変わってしまっていた。

 

 

 


 

 

 

《……ついに自室からも平穏がなくなっちゃったねえ》

 

 

 その後。

 アレイスターのいる自室から逃げてきた俺達は、()()()()()の通りに第七学区の公園脇にあるベンチに腰かけて空を見上げていた。

 

 

《『正史』も何もかも壊れちゃって、もう本格的に何も分からないし》

 

《それは今更ではありませんこと?》

 

《…………確かに…………》

 

 

 言われてみれば、大覇星祭のあたりでもう既に『正史』なんて何のあてにもなってなかった気がする。上条さん出てくるし……。『ドラゴン』出てくるし……。マジで何だったんだよ、あれ……。

 

 

《それより問題は、アレイスターですわよ》

 

 

 レイシアちゃんは、そう言って心の裡で嘆息する。

 

 

《女になったということは、どう考えてもヒロイン化狙いでしょう? どうするんですの。また敵が増えましたわよ》

 

《当麻さんがアレイスターと添い遂げる未来だけは何がどう転んでも絶対にありえないでしょ》

 

 

 だって中身変態オヤジだぞ。

 

 

《最終結果は問題ではないのですわ。ようは、ヤツの目論見が危険なのです。どうせアイツは『色々な基盤が崩れ去ってしまったので、女の形をしている存在なら何でも救い上げる上条当麻の性質を利用しよう』みたいな発想で女になったんだと思いますけど、あの野郎が恋愛模様に混ざるだけで……すっごいノイズ!! 端的に言ってしまうと邪魔なんですのよ!!》

 

《それはまぁ》

 

 

 レイシアちゃんが文句を言いたくなる気持ちも分かる。

 ただ、こうなってしまった以上言っても仕方がないわけで、やっぱり俺達にできるのは切り替えて最善を尽くしていくことしかないよな、と。

 

 

《最終的に『アレイスターが近くにいたからこそ、最高の未来を掴めた』って言えるように頑張ろうよ。こないだみたいにさ》

 

《あの件は前例にするにはちょっと特殊すぎませんこと?》

 

《ともかく。気持ちを切り替えよう。なんていったって今日は──》

 

 

 そこまで言って、俺は前を見据える。

 視線の先、公園の入り口辺りには、ちょうど俺達の待ち人でもある一人の人影が現れたところだった。

 

 

《当麻さんとデートなんだし》

 

 

 ツンツン頭の待ち人が元気に手を振っているのを見ながら、俺達はゆっくりとベンチから立ち上がる。

 

 そう。

 俺達の周辺事情は、少しずつ変わろうとしている。

 

 

 


 

 

 

「よう、久しぶり」

 

 

 軽い感じで手を振りながら、当麻さんが挨拶してくる。

 俺もそれに応じて、ぺこりと軽く会釈をした。

 

 

「お久しぶりですわ。なんだかんだで、ちゃんと会うのは例の事件以来でしょうか」

 

「まぁ中学生と高校生じゃなかなか会う機会もないしなぁ」

 

「その節は、ありがとうございました」

 

 

 横に並んで微笑みかけると、当麻さんは照れくさそうに苦笑して、

 

 

「別に、お礼を言われるようなことじゃないだろ。ぶっちゃけ仕事してたのは俺以外の連中だったし。俺は最後の方にちょっと手伝っただけだよ」

 

「貢献度の話をするなら、実利の他に心理の面も勘案するべきではなくて?」

 

 

 無粋なことを言う当麻さんを窘めるような響きで俺は言って、

 

 

「恩義に順位をつける気は毛頭ありませんが、アナタがいてくれたことで、わたくしの心がどれだけ軽くなったことか。当麻さんは少し自覚するべきだと思いますわ」

 

「……そんなもんかね」

 

 

 要領を得ない感じで、当麻さんは頬を掻く。まぁ、この人にそのへんを自覚しろなんてのは土台無茶な話なのでこれ以上はよかろう。あんまり詰めすぎると当麻さんヘコんじゃうからね。

 

 

「さて、時間は有限です。早いところ、始めてしまいましょうか」

 

 デート──と言っても、別に男女が恋仲に発展していく中でするお出かけを、今回しているわけではない。というかデートというのもレイシアちゃんの言であって、ぶっちゃけ実像に則しているわけではないからね。

 今回当麻さんを連れ立ってお出かけしている理由──それは、今日明日にもかかるであろうイギリス清教からの招集に向けて、旅支度を整える為なのであった。

 当麻さんは英語ができない。なのでイギリスに行くに向けて、イギリス旅行用の英語の本が欲しいとのことなのであった。

 

 

「しかし、凄いよなぁ──『ここではない歴史の知識』だったっけ?」

 

 

 で。

 イギリスのクーデターやら何やらの予測に基づいた情報を上条さんに連携したということは即ち、ちょっと前から既に隠す気すらなかった俺の『正史の知識』の存在を隠しきれなくなるということでもあった。

 そういうわけなので、当麻さん、インデックス、美琴さん、食蜂さんには、俺が『正史の知識』を持っていることは既に伝えてあった。説明がかなり大変だったので、ちゃんとしっかり伝わっているかどうかは自信がないんだけども……。

 

 

「……あまり、誇れはしませんけどね」

 

 

 俯きがちになりながら、俺は言う。

 実際、既に殆ど隠す気がなかったとはいえ──改めて話すかどうかについては、けっこう悩んだ。言われた相手からしてみれば、『自分は出会う前からお前達のことを知っていて、自分が君達と仲良くなるという選択肢を選んだのは君たちの人となりを知っていたからだ』と言われているようなものだし。

 それってかなり不義理なことだと思うし、嫌われる心配はしていなかったけど、やっぱり申し訳なさみたいなものは感じる訳で。

 

 

「わたくしがいない世界。……『正しい歴史』」

 

 

 それは、ある種俺にとってはイデアのようなものだった。

 上条当麻が歴史の中心で多くの事件に首を突っ込み、傷つき悩みながらもその右手で道を切り開いていった世界。俺は、そんな歴史にも負けないような幸せな未来を掴む為に戦っている。

 でも。

 

 

「…………正直なところ、あまりにも大きいですわ」

 

 

 その軌跡は、途方もなく偉大だ。

 イギリスのクーデターを食い止め、第三次世界大戦を終結させ、無限の地獄に囚われていた魔神を救い──そんな輝かしい未来。

 もちろん、そんな未来と比べても見劣りしない『幸せな未来』を掴み取るっていう決意に翳りはない。でも、だからといって目標の大きさは変わらないわけで……。これはもう、()()()()()()()()()くらいの覚悟を以て挑まなくちゃいけないんだよな……。

 

 

「……お前が見てきた『本来の歴史』の俺が、どれだけ凄かったのかは知らないけどさ」

 

 

 と。

 そんな俺の様子を見ていた当麻さんが、横を歩きながらそんなことを言った。

 

 

「『そいつ』が俺の知っている上条当麻なら、それは違うって言うと思う」

 

 

 上条当麻だからこそ、言える言葉を。

 

 

「今までだって、悩みながらなんとか駆け抜けてきた。記憶がない中で、誰かが助けを求めて泣いているのが許せなかったから拳を握って……結果的に上手くいって。そんなことをやっていくうちに自分が積み重なっていくような気がして……その繰り返しだよ、『俺』は。……お前が知る『上条当麻』も、そうだったんじゃないのか」

 

「…………、」

 

「なら絶対に、『そいつ』は自分が作った歴史を『理想』だなんて思っちゃいない。いや違うな。そもそも、自分が作ったとすら思ってなんかいない。歴史が自分の影響で作られたなんて、そんな傲慢なことを考えるヤツは、どこかで何かが捻じれてしまっているってな」

 

 

 気付けば俺達は足を止めていて、当麻さんはじっと俺のことを見下ろしていた。

 

 

「そもそも、お前が知る歴史が──『正しい歴史』が正しいだなんて誰が決めた。お前が知る歴史の俺だって、悩んで悔やんで、それでも自分が歩いてきた結果に胸を張っているだけだ。それを見たお前がその歴史を好ましく思ってくれたことは、きっと『そいつ』にとっては嬉しいとは思うけど」

 

 

 こつん、と。

 当麻さんの右拳が、優しく俺の頭の上に載せられた。

 

 

「『正しい』なんて言葉で、『そいつ』の歩いてきた道筋を勝手に物差しに使わないでやってくれ。きっと『そいつ』も、そんなものの為に死に物狂いで頑張ってきたわけじゃないんだから」

 

「…………はい」

 

 

 頷いて顔を上げると、当麻さんは優しく微笑むようにしてこう続けた。

 

 

「どうだ。自信不足のお嬢様の幻想も、これで少しは殺されたか?」

 

「……ええ、お陰様で!」「まぁ、シレンのことなので自信不足は一生モノでしょうけれども。その時はよろしくお願いしますわね」「ちょ、レイシアちゃん……!」

 

 

 そんな俺のことをいつまでも似たようなことで悩むメンヘラみたいに……!

 ……いや、実際そう、なのか? でも俺だって少しは成長しているというか、悩んでいる内容もちゃんと進展しているっていうか……!!

 

 

《……ちょっとシレン。何をしていますの。今良い雰囲気でしょうが。当麻もちょっと無言の時間に照れていますわよ。今モーションをかければ童貞の当麻ならころっといきますわよ》

 

《急に余韻を台無しにしてきたなぁ!?》

 

 

 レイシアちゃん、こういうとこデリカシーないよね。俺よくないと思うよ。

 

 

《そもそもだね、俺も恋愛関係(こういうの)を少しずつ分かろうと努力しようとは思っているけど、やっぱりこう……相手に意識させる為にナントカして~みたいなのは好みじゃないんだよ! 純粋に! やるにしたってもっとゆったりとしたペースで、緩やかな日常の中でじっくりやっていきたい!》

 

《そんな日常を差し挟むタイミングがこの先どれだけあるか考えてみなさいこの童貞ロマンスお花畑野郎!! 基本的に!! スケジュールが!! 過密なんですのよ!!!! そんなことで生き馬の目を抜くこのラブコメ修羅道を生き抜けると思っておりまして!? バウムクーヘンを主食にしますわよ!!》

 

《うわーん用語レベルでレイシアちゃんと恋愛観が噛み合わない!!》

 

 

 バウムクーヘンエンド(想い人の結婚式で引き出物のバウムクーヘンをもらうような失恋ビターエンド)呼ばわりはいいとして、なんでバウムクーヘンを主食にされなくちゃいけないんだよ!?

 

 

《……だから勇気を出してイギリス行きを口実に当麻さんを買い物に連れ出したじゃんか。たとえ『正史』の知識があったって、それをデートの口実に使うバカなんて俺達くらいのものだよ》

 

《甘いですわね。わたくし達が辿り着いた回答に別解がない保証なんてありません。『正史』の知識なんてなくったって、泥臭く答えに辿り着いてくる連中はどこにだっているんですのよ。たとえば……、》

 

 

「見・つ・け・た・わぁ…………」

 

「なぁ~にを抜け駆けしてくれちゃってるのかしら、アンタ達」

 

「ちょっと! イギリス行きには私だって関わってくるんだから私を抜きにするのは筋が通らないかも!!」

 

 

《…………恋に恋する乙女、とか》

 

 

 振り返れば、息を切らした二人の同級生と、純白のシスター。

 

 

「この抜け駆け女は、隙を与えれば抜け駆けしかしないわね……!」

 

「まぁ? この程度の策略は私にとっては可愛げ力のあるイタズラでしかなかったんだゾ」

 

「っていうか、旅行の買い物に行くなら私達も普通に混ぜてほしいかも! のけ者にされたみたいでちょっと悲しかったんだよ!」

 

「あ、その点についてはすみませんでした……」

 

 

 そんなこんなしているうちに。

 

 

「だぁーもう!! せっかく裏で見守っていたのに案の定ゴタゴタにされやがりましたね! じゃあもう我々が黙って見ている義理もありません行きますよGMDW!!」

 

「プライベートの監視をしていたと白状するのはっ、それはそれでリスキーではありませんかっ……?」

 

「……チッ。言っておくが僕は反対したぞ。ただ女所帯で男の意見がどれほど聞き入れられるかという話で……」

 

「馬場。残念ながらもう誰もお前の言い訳は聞いていないぞ」

 

 

 GMDWに、『メンバー』。いつもの面々が、ぞろぞろと顔を出していく。……っていうか、一体どれだけ見られてたんだ俺達。やっぱ気流探知はプライベートからやってないとダメだねこれ……。

 頭痛がしてきた気がして額に手をやっていると、喧騒の中でこんな声まで聞こえてくる。

 

 

「まぁまぁ落ち着け。一対一になるまで戦い続けるから問題が起きるんだ。学園都市の法制度を変えて一夫多妻制を導入してみるとか、私ならできるがどうかね?」

 

「黙りなさい腐れ統括理事長ッッッ!!!!」

 

 

 ノータイムで飛び蹴りを敢行した俺は、きっと間違っていなかったと思う。人が参政権の話で必死に色々調整してるっていうのにこのクソ野郎は…………!

 

 

「(……ねぇ。ひょっとして統括理事長もライバルになるのぉ?)」

 

「(いよいよ以てバリエーションが豊富すぎというか……)」

 

「(とうまのことだし、もうあんまり驚かないかも)」

 

「なんかいつの間にか知らない女の子が増えてるけど、やっぱ中学生はエネルギーがあるなぁ。高校生の上条さんはついていけませんよ」

 

「そいつの中身、アレイスターですわよ」

 

「ヴェ!?」

 

 

 あ、当麻さんがひっくり返った。

 

 倒れたツンツン頭の少年に銀髪の統括理事長が肉体的に迫り、それを電撃ビリビリ少女と洗脳ピコピコ少女が威嚇し、何故か暴食シスターが被害者のツンツン頭の少年をガブガブする。

 そんなカオスな光景を見ながら、俺は内心で溜息を吐く。

 

 

《……はぁ、結局こうなるんだね》

 

 

 一心同体の相棒は、そんな俺に対して笑いかけて、

 

 

《あら? こんな感じはお嫌かしら?》

 

 

 歌うように、そう問いかけた。

 

 

《どうです? わたくし達と共に歩んでいるこの未来は。この世界は。この可能性は。波乱万丈もいいところでしょうけど──》

 

《そんなの、答えは決まっているでしょ》

 

 

 楽しそうに笑う少女と一緒に笑いながら。

 俺達は目の前で繰り広げられている幸せな喧騒、相変わらずの周辺事情の、その中へと飛び込んでいく。

 

 

 


 

 

 

最終章 予定調和なんて知らない 

Theory_"was"_Broken.   

 

最終話:行く先は波乱万丈 Best_Future.

 

 

 


 

 

 

とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス)

了 




本当に長らくご愛読ありがとうございました!
あとがきは活動報告に投稿しておきますので、気になった方はぜひ。

完結祝いイラスト

【挿絵表示】
画:Yoshihiroさん(@Ghost_Weekend

【挿絵表示】

【静止画MAD】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス)【とある二次創作】
動画はこちらから
画:柴猫侍さん(@Shibaneko_SS



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