旅の演者はかく語りき (澪加 江)
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エンリ将軍と英雄ガゼフ

 町と村との中間のような、ここら辺では少し人口が多いだけのそんな田舎の集落。

 普段だったら朝から晩まで畑仕事に家畜の世話、織物に編み物。そういった、日々を少しでも楽に生きようとせっせと働く人々は、男も女も年寄りも幼子も、村の真ん中にある広場に集まりわいわいがやがやと話に花が咲く。

 

「何年ぶりの興行人だろうか」「最後に見たのはロレンツォん所の息子がまだ小さかった頃だ」「ここら辺はモンスターも結構出るというのに、良く来てくれたものじゃ」「それもすこぶる腕がいいらしい」「それはそれは楽しみじゃ」

 

 話し声はどんどん大きくなり最高潮に達している。

 特にこれといった資源があるわけでも、地理的に重要な訳でもないここでは、他所から旅人が来るというだけで大騒ぎなのだ。

 

 パンパンパン。

 

 高く響く拍手の音に村人達は視線を広場の中央へ向ける。

 そこには旅の装備である皮鎧を外し、派手な色の飾り立てられた服に着替えた男が居た。

 平凡な顔に平凡な体格。ここら辺には珍しい色の髪と目という以外の特徴が無い男だ。

 

「皆々様、本日は私の為にお集まりいただきありがとうございます!」

 

 パッとしない見た目に反してその立ち居振る舞いは、見慣れない村人達の目にも洗練されて見えた。

 

「本日私が語りますのは遥か過去の光。歴史に名を残す輝かしき時代、それを築きし名君と、その僕達の栄光の物語でございます!」

 

 紡がれる言葉は低く高く、絶妙な抑揚と身振りによって引き込まれる。

 

「歴史に栄光の名を刻みし魔導国! そして不死の大君主、アインズ・ウール・ゴウン様のお話。不滅の人気を誇る物語であるが故に、全てをお話しすることは出来ませんが、楽しんでいただけると幸いでございます」

 

 ほう、と。何人もの人が満足のため息をつく。

 それはもっとも新しい神話にして、彼ら人間種のもっとも栄えた時代の話。

 親から子へ、子から孫へと語り継がれる、全ての種族が平等だった時代の物語だ。

 

「さてはて、それでは何処を切り取りましょうか? 定番はそう! 漆黒の英雄・モモンの冒険と、かの王との因縁の出会いまででしょうか! しかしそれでは些か定番に過ぎるでしょう」

 

「それではここは人間の身で将軍としての才を見出され、後にカルネ要塞の最初の主となったエンリ将軍と、魔導国の礎となった英雄ガゼフ、そして魔導王として君臨される前の大君主、アインズ・ウール・ゴウン様の出会いと建国を語らせていただきましょう!」

 

 おおと空気がどよめく。

 それはこういった人間種の農村では、ありふれた冒険譚よりも人気がある物語だ。勿論、漆黒の英雄の方も人気は高いが、些か手垢がつきすぎているだろう。それよりは、と示されたのはもう二つの英雄譚。

 ある農夫の娘とアインズ・ウール・ゴウン王の邂逅と、そこから続く苦難と栄光に満ちた物語。

 もしくは、誇り高く忠義に厚い人類最強と謳われた者の、その死を描く物語。

 

「舞台はかつてあった、人間種による三つの国家の境目。その近くにあった長閑な村落、カルネ村からはじまりますーー」

 

 

 

 エンリ・エモットは死に瀕していた。

 それは村を突然襲った兵士のせいであり、妹を庇った時に背中に受けた剣の傷のせいであった。

 

 ――ああ、わたしはここで惨めに死んでいくのか。大切な妹一人救えずに、あっさりと。

 

 斬りつけられどくりどくりと痛みのある傷を受けながらも、せめて妹だけでもと彼女は生きることを諦めない。

 故に、彼女の死は死の支配者たる御方に否定された。

 死の都よりこの世に降り立たれた御方は、生きようとする憐れなものに心動かされ、救うことを決意なされた。

 古き友の言葉と共に。

 御方は彼女を襲った者を僕へと変え、村を襲った兵士達を追い払うよう指示を出された。

 

 ――ああ、慈悲深くお優しい方。なんと御礼を言ったらいいか。どうかお名前をお教え下さい。

 ――ああ、愛らしくも生き足掻く私の庇護物よ。もう恐れることは無い。私の名は、アインズ・ウール・ゴウン。この世に君臨した死の支配者である。

 

 優しき御方は自らの姿に怯える姉妹を哀れに思い、姿を変えられた。高貴なるかんばせを仮面に隠し美しき腕には甲手を嵌められた。

 

 今でこそ知性あるスケルトンは一定の敬意を持たれるが、当時は生者を憎む死者と恐れられていたのだ。

 

 ――小さき者よこれを渡そう。君にある才覚が目覚める時、これは君を護る至高の逸品となるであろう。

 

 御方は幾つかの庇護をエンリ・エモットに与え、更にその財の中からもっとも彼女に相応しいものを与えられた。

 それは小さな角笛であった。

 そう、かの角笛だ。

 

 僕を使い兵士を追い払い、村の死者を悼み死の国での安息を約束された御方は、村を助ける為に立ち寄った英雄、ガゼフ・ストロノーフと邂逅される。

 

 ――我が国の民を助けて頂き感謝の言葉もありません。

 

 英雄ガゼフは同時に人間国家の一つ、王国の戦士であった。

 元は農夫でありながらも王に武を買われ取り立てられた者であり、王の戦士として十二分の人格者である。

 英雄・ガゼフは王の命を受け、辺境の村々を巡視に来ていたのだ。

 

 ――気にする事は無い。古き盟友の意を汲んだだけである。

 ――それでは貴君と盟友殿に感謝の言葉を。本来は我らの役目、いずこの兵の仕業かはわかりませぬが、貴君のお陰で彼らは助かった。せめて感謝の言葉だけでも受け取ってはもらえぬだろうか。

 ――そういう事ならば受け取ろう。

 

 こうして村は救われ一先ずの危機は去った。

 

 しかし時を経ずしてカルネ村は二度目の危機に晒される。それも本来なら庇護するべき王国の手によって。

 

 

 忌まわしい出来事からおおよそ半年。村人の多くが殺されたカルネ村は、アインズ・ウール・ゴウン様の慈悲の下再建されていた。

 攻められにくいよう木の塀を巡らせ、村人達は愛しい者を喪った事で立ち上がった。子供が、女が弓の稽古をし、情け深い恩人に信頼を寄せていた。

 

 その頃、王国と帝国という二つの人間国家は戦争の準備に追われていた。帝国は国を大きくする為に。王国は自らの土地を守る為に。その戦火はカルネ村にまで及んだ。先立って村を襲ったのは帝国の兵だったのだ。

 戦争の直前に英雄ガゼフは自らの王に進言した。

 

 ――我が王よ。この王国のカルネ村という所に慈悲深く、義に厚い御方がおられる。此度の戦いは例年よりひどく激しいものになりましょう。お力を貸していただけるよう頼みたいと存じます。

 ――おお、我が戦士ガゼフよ。それは良き考えだ。我が息子にその任を任せようぞ。

 

 王国の国王には三人の子が居た。

 一人は武に優れた第一王子。

 一人は知に明るい第二王子。

 一人は策に優れた第一王女。

 王はこの中から武に優れた第一王子を選んだ。

 戦場以外の地で任に当たらせ、死から遠ざけようとしたのだ。

 しかしながら、――

 

 ――父上は俺が邪魔なのだ! 武勲をあげれぬ地に遣わされた! 下の王子に位を譲られる気なのだ!

 

 父の想いは子に伝わらず、怒りのままに遣わされた王子は凶行をなす。

 一軍を率いてやって来た王子は、村とは思えぬほど強固となったカルネ村の塀に驚き、王子の訪問に困惑する民草に苛立ちを露わにする。

 

 ――こちらは王子の軍勢ぞ! 疾く門扉を開くがよい。

 

 ――少々お待ちを王子様。この門は村の外の森への備え、開くに少々時間がかかります。

 

 ――そも、王国民が勝手に砦を作るとは何事か! 反逆の罪に問われるぞ!

 

 ――この砦は先立って行われた他国の侵略に対するもの。助けていただいた慈悲深い方の厚意でございます。

 

 既に才覚を表していたエンリ・エモットは村を治め、王子に対して弁を振るう。

 

 ――その人物に会いに来た! ゴウンというものを疾く差し出せ。そうで無ければ村を焼き討つ!

 ――なんと恐ろしく、残忍な方でしょう! そのような方にはとてもご恩のある方を会わせる訳にはいきません!

 

 決別はなり村を兵士が攻める。

 エンリ・エモットは策を練り、せめて子供だけでもと逃がす段取りをつける。

 村の正面に兵士を集め注意を引き、その間に裏から森へ逃がすというものだ。

 

 大人達の決死の行ないによって策は当たり、子供達は村から逃げる。

 

 しかし敵は兵士として訓練されたもの。裏には隠された王子の兵士が多数。

 子供らが森に逃げ込むより早く、彼らの命は慈悲無き兵士らの手で刈り取られてしまう。

 いよいよこの村も終わりかという時に、エンリ・エモットは最後の望みをかけて御方より授けられた角笛を吹く。

 

 ぼおおおおぉぉ

 

 見た目に反して低く響く笛の音。

 そしてどこからか聞こえる大勢の足音。

 

 ――我らエンリ将軍に仕えし一団なり。

 ――我らエンリ将軍を守りし一団なり。

 ――我らエンリ将軍の敵を打ち払いし一団なり。

 

 轟く合唱、蠢く一団。

 姿を現したるは美麗な装備を携えたゴブリンの大隊。角笛より現れ敵を追い払う。

 

 ――ああ、なんという事でしょうか! あの御方は、なんと素晴らしいものを授けてくれたのでしょうか!

 

 村人とゴブリン兵の勝利の声と逃げる王子の悲鳴。

 夜迫るカルネ村は、新たな仲間を快く迎え入れ、死者の弔いと勝利の歓喜に夜遅くまで沸いた。

 

 

 

 さて、その翌日の昼過ぎ、カルネ村に大慌てでやって来たのは我らが未来の魔導王。塀は焼け焦げ真新しく掘り返された墓地を見て怒りを見せた。

 

 ――なんという愚か者が居たことか! 私の庇護厚きこの村に攻め込むとは!

 

 普段は冷静で思慮深い御方の荒ぶる姿に全てのものが慄いた。

 しかし事の経緯を聞かれた御方は冷静になると村の人々に謝意を示された。

 

 ――私の配慮が不十分であった。すまなかった。平穏に生きてもらうつもりであったが、悲しきことに裏目にでたようだ。

 ――ああ、そんな。貴方様は何も悪くはございません! 許されぬのは王国の方。どうかご自分を責められないでください。

 ――いいや、いいや。この度の出来事は深く受け止めよう。私の居城にも最近無粋な輩がやって来るようになったのだ。

 

 この地に力あるものがやって来た、それを知った諸国は恐れ多い事にアインズ・ウール・ゴウン様の居城に踏み入ったのだ。

 少しの思案の後、聡明で智謀に長けた御方はこう仰った。

 

 ――全てのものの為の国を私が作ろう。種族による争いを無くし皆が微笑んで暮らせる国を!

 

 全てを考えもっとも良き手段にでる。

 御方の望みとこの地の平和、全てを御する一手がこうして考えられた。

 平和を築くとエンリ・エモットと約束をされ、御方は早速準備をされた。近日近くの平原で行われる、王国と帝国の戦いの場で正式に建国を宣言される準備を。

 

 あっという間にその日になり。王国軍と帝国軍は平原にて睨み合う。戦端はまさに開かれようとしていた。

 

 

 帝国軍、王国軍は互いに最後通告をしあい、進軍の合図とともに兵士が駆ける。迎え撃つ王国軍は槍を構え槍襖をつくる。

 両軍の距離は縮み、まさに会敵せんとした時。

 

 最初に両軍の間に影ができた。

 突然雲が湧き出したかの様なそれに兵士達が顔を上げる。

 

 灯り届かぬ夜の闇のような靄がそこにはあった。

 皆戦いも忘れてそれを見上げる。

 するとその靄は大きな音で偉大なる御方の言葉を紡いだ。

 

 

 ――我が主はおっしゃられた。人は脆弱だが無闇に殺すべきではない生き物だと。

 

 ――我が主はおっしゃられた。しかし互いに滅ぼしあうのは見過ごせぬと。

 

 ――我が主はおっしゃられた。全てのものが死の前では平等である。故に全ての、生あるものも死せるものすらもを導く王になると。

 

 どのような仕組みかはわからないがそれは揺らめきながらも音を紡ぐ。

 

 ――まず最初に死を贈ろう。ここにいるもの達に死を。我が主の姿を焼き付けながら、愚かなる人の子は自らの幸運に歓喜しながら果てるがよい。

 

 靄はぐんぐんと小さくなり、見えなくなった。代わりにそこだけ黒く切り取った闇から、勇壮な骨の竜に乗った御方が現れた。地上に降り立たれた御方は周囲を見渡し言葉を贈られた。

 

 ――私はこの世において静かに生の営みを見る予定であった。故に近くにあった村を救いそのもの達に生の祝福を贈った。

 

 御方は豪奢な闇のローブを纏い、手に黄金の輝かしい錫杖を持たれていた。その貌は白く、ローブから覗く手も白い。

 生あるものの行き着く姿の一つ。髑髏の主がそこにおられた。その恐ろしくも力ある死の支配者を見て皆震え、戦場は巨大な広場になり、ただ御方の言葉を待った。

 

 ――しかし私は甘かったのだ。その村は同胞によって襲われた。理由は私であった。生は尊いが容易に奪われる。死は私の領分であるが些か見飽きた。

 

 ――故に導く事とした。

 

 錫杖を持たぬ方の手を翳すと、御方の周りに光が満ちた。光が弾けると、それに相反するかのように王国軍の頭上から、地獄の底から湧き出た闇が滑り落ちる。

 一瞬のうちに王国軍の大半が失われ、それを見た帝国軍も混乱のうちに逃げようと、互いに押し潰しあい命が奪われた。

 

 

 ――しからば、ここに居るもの達には等しく死を贈ろう。一人の例外なく平等に。自らの種の栄光への一助となってもらおう。

 

 ――我が名はアインズ・ウール・ゴウン! 死を支配し、生を賛美し、この地とこの世界に生死を超越した国を――魔導国を築くものなり!

 

 

 兵士も将軍も、皆がその力に恐れ慄き膝を屈する。その中で一人だけその場に立つものが居た。

 

 ――どうか慈悲を頂きたいアインズ・ウール・ゴウン殿。覚えておられるだろうか。王国の戦士、ガゼフだ。

 

 戦士は前へと歩を進めると御方の前へ出られた。

 身には力の込められた武器と防具。かつてカルネ村でまみえた時と変わらぬ眼差し。勇壮なその姿はしかし、御方の前では余りにも心許ない。

 

 ――覚えているとも心優しく正しく生きる英雄よ。お前が慈悲をこうのならば、王国の民は見逃しても良い。

 ――いいや違うのだ。貴方の機嫌を損ねたのは、もとを正せば我が身の不徳。で、あるならば。私が請うのはこの地全ての人の命だ。我が身をもってこの地における礎としたいのだ。

 

 ――なんたる傲慢、なんたる不遜か。その身にいかほどの価値があろう?

 

 御方は言葉とは裏腹に肯定的な態度を取られる。

 まるでこの男ならばそう来るだろうと知っているという返しだった。

 

 ――しかし充分。その身をもって、私は怒りをおさめよう。

 

 戦士としての死を望んだ英雄に死の支配者たる御方は許しを与えられた。

 平原にいる全ての人に見守られながら、剣を構える英雄・ガゼフ。試合形式で行われたそれは、開始の合図とともに唐突に終わった。

 英雄・ガゼフ・ストロノーフは命を奪われ、その地は魔導国となった。

 

 ――得難いものを失った。私も、お前達人間も。しかし彼との約束は守ろう。この地の我が国をつくる。その為の土地をもらおう。

 

 ――ああ、偉大なる死の支配者よ。王国は土地を差し出そう。どうか怒りをおさめていただきたい。

 

 ――ならば帝国は人類最高の魔術師を捧げよう。これをもってこの度の非礼不問としていただきたい。

 

 国王と皇帝の宣誓のもと、その地は魔導国となり、永久の繁栄が約束されたのだった。

 

 

 

 

「――こうして英雄ガゼフは死に至り、人間種の繁栄の礎となり、村娘エンリは将軍となり、人間種の平和の礎となりました」

 

 男は最後にそう言うと、大袈裟で優雅な一礼をした。

 村人はそれに歓声と拍手で返す。

 それに微笑みを浮かべ手を振り返し、もう一度礼をすると人垣が崩れ、村人達はそれぞれの日常へと帰るのだった。

 時刻は既に夕方。

 彼らはこれから家で夕飯を作らなければいけないだろう。

 

 

「興行人殿ありがとうございます。村のもの達もとても喜んでおりました」

 

 村長は無理なお願いを快く引き受けてくれた男に感謝の言葉と僅かながらの金銭を渡す。

 これだけの腕を持った者には端金かもしれないが、村にとってはそれなりの金額である。男は気にしてないという風に、小さな皮袋のそれを懐にしまう。

 

「しかしその衣装といい、あの語り口といい。さぞ名のある方とお見受けします。よろしければお名前を聞いても?」

 

「おや。そういえばまだでしたか」

 

 これは失礼を、と職業病なのかも知れない派手な反応と共に返される。いえいえこちらこそ順序が逆になってしまって。苦笑いを返しながら軽く謝罪をする。興行人が村に来ると言うことで舞い上がり過ぎていた。

 

「どうぞ私の事はモモンガとお呼び下さい。偉大なる父から受け継いだ、自慢の通り名です」

「通り名、ですか?」

「ええ! この道に入る時に名乗ることを許されました。とても名誉な事に!」

 

 胸に手をあて陶酔するモモンガに、村長は怪訝な顔をする。

 しかししばらく考えた後でストンと胸に落ちた。

 きっと偉大なる父とは彼の師匠の事で、"モモンガ"とは代々受け継がれている、謂わば芸名に違いないと。

 

「ははあ。それはそれは。お父上はさぞや高名な方なのでしょうな」

「まさに! まさに! まさに!! 知らぬ者は居ない程優れた方です。そのお姿を見た全てのものがその優れた姿を、明晰な頭脳を、慈悲深い心を褒め称えました!」

 

 どうやら当たっていたようだ。熱くなり饒舌に語り出そうとする彼の声を遮り、改めて今日のお礼をいう。

 もうすぐ夕飯の時間だ。昼間の姿から見るに話し出すと止まらない種類の人間だろう。

 

「本日は本当にありがとうございました。後ほど夕飯を届けさせますので、もうしばらくお待ちください」

「ああ、これはまた失礼を。わかりました」

 

 ごくたまにやって来る商人や旅人の為に村の外れに掘っ建て小屋があり、モモンガにはそこで過ごしてもらう事になっている。

 雨風が凌げるだけの何も無い小屋だが、馬をつなぎ身を休められるだけでもと、村の者が作ったのだ。豊作の時の予備倉庫としても使っているが、今は綺麗に片付けられている。

 本来なら村長である自分の家に招くべきなのだろうが、重要な客人が来るわけでもない平凡な村なので彼が寝る場所はどの家にも無いのだ。

 

 案内が終わり、小屋を後にする。

 もう殆ど日は落ちている。これは急いで帰った方が良いと足早に家に向かう。都市部では兎も角こんな田舎の村では夜の灯りは貴重だ。できればまだなんとか外が見渡せる内に食事を届けたい。

 ふと、今日の演題である魔導国の話を思い出す。

 

 伝説にある魔導国の都は、魔法の光が煌々と照らす不夜の都と言われる。

 屈強で礼儀正しいアンデッドの門番と衛兵は、様々な種族が混じり争いが絶えない街の治安を守り、女子供だけで出かけても安全だったという。

 三重の城壁の中央には、禍々しさと神々しさの合わさった王城。一晩で築かれたという其れは、一夜城の愛称で親しまれたそうだ。

 民の暮らしはそれまでと比べるまでも豊かで、どんな寒村であろうと月に一回の巡視が行われ、モンスターや野盗なぞは出ることも稀であった。

 王都のみならず大きな町に行けば劇場があり観劇が手頃な値段で楽しめた。

 

 今の人類の暮らしからするとまるで夢物語だ。父や、その父からの昔話として聞かされていなかったらとても信じられない話だ。

 いや、この村が昔あったとされる魔導国と親しい土地では無かったら、昔の人の与太話と言い伝えにすらならなかっただろう。

 村の近くにある森の中に"魔導王"を象ったとされる像がある。

 魔導国を滅ぼした"破滅を呼ぶ英雄達"が見過ごした、伝説の証拠であるそれは、この世界の何処にも無い強固な金属で出来ている。

 

(明日にでもモモンガさんに紹介するか)

 

 興行人として色んな村を行く彼はきっと興味を持つだろう。

 

(それにしても今日の演目は素晴らしかった)

 

 この村で生まれ育ち、幾度も幾度も旅の興行人に昔語りや物語を聞いたがここまで真に迫るものは無かった。彼の予定が許すのならば、また明日も話をしてほしいものだ。

 

 家に着いた彼は、大きめの木のお盆にパンと野菜炒め、そして細かい肉の入ったスープを乗せると、一番下の娘に持たせる。

 モモンガさん今日はありがとうございました、という感謝と、いつ村をたつのか、そして最後に、できればもう一度、皆に話をしてもらいたいと言伝た。

 娘は呆れと納得、そして少しばかりの期待の顔を見せ、はいはいと言うとでて行った。

 少し気恥ずかしく思うが仕方が無い。モモンガがなんと答えるのかを不安と期待が混じり合った思いでまつ。

 その日の夕食は酷く味気なかった。

 

 

 

 



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二つの"漆黒”

いつの時代でも、夜の酒場は人気がある。

騒がしく飲み食いするのは一日の労働を終えて自らを労う商人や職人、そして冒険者達だ。

そして、それはこの街ブロートでも同じだ。

かつてこの地は、かの魔王ヤルダバオトの支配から“漆黒”に救われた。そんな経緯があってか、この街には“破滅の英雄”の破壊から逃れた歴史的な建物が点在している。

 

そんな伝説の証拠の一つがこの“漆黒の双剣亭”である。

外装は流石に何十回もの建て直しをしているが、創建当時から受け継がれているオリハルコンで作られた看板は、今もピカピカに磨き上げられて店内に飾られている。

魔法の光で照らされた店の中は主に冒険者、そして一部の旅人と吟遊詩人がおり、今日もまた伝説の英雄の話に花を咲かせていた。

 

「やっぱりこの街って言ったらよ、“漆黒”だよな、でもよー、なーんか聞き飽きちまったっていうの? 少し変わった話無いかな、どうよ? あったら話してくんねぇか?」

 

そう言いながら旅人や吟遊詩人に、冒険者以外に絡んでいく酔っ払いがいた。

それなりの年の男なのだが、すっかり出来上がっており、その口からはアルコールの強い臭いがしている。

そんな男に、冒険者達はまたかと呆れ顔、絡まれた旅人達はあたふたと愛想笑いをしている。

男はこの酒場では有名な――いや、この街で有名な“漆黒”信者だ。旅人とみるとこうして絡み、自分の知らない“漆黒”の英雄の話をせがむ。大抵は断られるのだが、たまに同じく酔った吟遊詩人が即興で話を作ってくれるのを、至福の表情で聞く。この男はそういう者だった。

 

そんな酒場に新しく客が入ってきた。上等な外套に皮の上着、少し草臥れた帽子を被り大きな荷物を背負っている。店の中を見回し、空いている席に適当に座ると幾つかの品を注文する。

その姿は旅なれた旅人そのものといってよかった。

次の獲物を見つけたといった顔をした男は、配膳された料理を食べている旅人に近づくと、勝手に空いている正面の席に座る。手には自分用の酒をもっており、何も知らないものが見たら、二人は知り合いなのだろうと思う程の馴れ馴れしさだ。

 

「よう、あんちゃん。あんた旅人みてーだけど何しにこの街に来たんだ?」

「はて、どちら様でしょうか?」

 

話しかけるまで見事な所作で食べていた手を止め、旅人は男の顔を視界におさめると、芝居がかった仕草で首を傾げる。

 

「ただの暇な酔っ払いだよ! ははあ、あんちゃん見た感じいいところの生まれだろ? なんかいい話を知らないか? ありふれた英雄譚じゃなくてよぉ」

「ふむ、それは私に即興で語ることをお望みということでよろしいですか?」

「おっ、話が早くて嬉しいね。せっかく“漆黒”と縁深い土地なんだから、“漆黒”の話でなんかあるかい」

 

育ちのいい奴だったら変わった話を知っているんじゃないかとあたりをつけた男は、自分の勘が当たっていたことに破顔する。

英雄譚は男の生きがいだった。すっかり歳をとった今でも胸躍る話を待っているのだ。特にこの街で生まれ育った男にとっては“漆黒”の話には詳しい幼い頃より耳にタコができるほど聞いている。それでもなお、自分の知らない何かがあるのではと求めてしまう。それが作り話だろうと構わない。

男にとって新たに知る“漆黒”の話こそ生きがいなのだ。

 

「そういうことでしたらこれを食べた後で一つ。少々騒がしくしてしまいますが、店の方には……」

「俺から言っとくさ! さあさあ、そうと決まれば早く食ってくれ、是非とも聞きたいんだ」

 

意気揚々と店の厨房に向かう男に一瞥すると、旅人は再び優雅な所作で食べ始める。先ほどよりペースを早めたそれは、どこか楽しげであった。

店にいた人々は興味津々。冒険者などは今日この店を選んだ自分の幸運に感謝している。

それだけこの街に娯楽がなく、この話に人気があるということだ。

そうこうしているうちにテーブルが寄せられ簡単な舞台が整えられる。厨房にいるもの達も手を止めて、店主は本日貸切の札を店先にかける。

いよいよ準備は整った。

 

 

 

「さてさて急ではありますが、今夜はこのような席を設けていただきありがとうございます」

 

食事の時とたがわぬ見事な礼をした旅人はそう言うとキザったらしく舞台に上がる。

 

「まさかこの“漆黒”と縁深いブロートの街で、“漆黒”にまつわる話をできるとは嬉しい限りでございます!」

 

朗々と酒場の即席舞台とは思えぬ程仰々しい身振り手振りは、ここが一流の劇場ではないのだろうかと見間違う程だ。

 

「“漆黒”の英雄。魔導国の黎明を築き人類に希望を与え、魔導王に深い影響を与えた彼の一生は様々な物語として色々な者達に語られてまいりました」

 

「しかしながら、はてさて。歴史に残らなかった、“漆黒”の英雄譚に謳われないもう一つの“漆黒”の話は皆様ご存知でしょうか?」

 

どより。

酒場の空気が動く。

 

舞台のしたでは観客達がお互いに、もう一つの“漆黒”を知っているかと顔を見合わせている。

 

「なるほど、なるほど。ああ、恥じ入る必要は無いのです。有名な話ではありません。彼らを語るものは居なくて当たり前なのです。もう一つの“漆黒”――チーム“漆黒の剣”はただの銀級冒険者に過ぎません。本来なら人類の大英雄モモンと、そんな彼らを並べるなど恐れ多いことなのです」

 

「しかしながらこれから私が語る話を聞いて、余りにも見合わないと言うものはおりますまい。それ程彼らは素晴らしい冒険者だったのです」

 

「始まりは後に魔導国の王都となった、城塞都市エ・ランテル。そこで冒険者として経験を積んでいた4人から話を始めましょう」

 

 

冒険者チーム“漆黒の剣”は仲の良いチームだった。

リーダー・ペテルは義に厚い親切な男で、優秀な前衛であったし、野伏のルクルットは軽薄な男ではあったが、チームに明るい雰囲気をもたらす者であった。

森祭司のダインは落ち着いた用心深い男で、些か先走りそうになるチームの重し。

タレントを持つ才能溢れる魔法詠唱者、ニニャは最年少ながらも深い知識を持っていた。

 

そんなどこにでもある仲の良い冒険者チーム。

そして、これまた冒険者としては珍しくなく、彼らはお金に困っていた。

 

――そろそろ所持金が心許ない。しかしクラスに合う依頼も、メンバーに合う依頼も無し。

――これは本当に困ったのである。

――んなに悲観する事はないだろペテルにダイン。

――そうですよ、偉大なる賢王女、ラナー様に感謝です。

 

今ではすっかり冒険者に根付いた制度であるモンスターの討伐報酬。その制度をもたらした彼女のお陰で、冒険者は今も糊口を凌いでいける。

偉大なる叡智を持ったかの賢王女ラナーと、それを見出し制度を広めた魔導王アインズ・ウール・ゴウンに乾杯!

 

 

そこかしこで「乾杯!」という威勢のいい声が上がる。それに気分をよくした旅人は更に饒舌に、力を込めて語り出す。

 

 

そうと決まれば彼らの行動は早かった。討伐の日程を組み、必要な品を揃え、道程を話し合う。

その中で彼らは気になる者たちを見つけた。

いや、目が釘付けとなった。

 

美しい漆黒の鎧を着た、双剣の偉丈夫。その横には魂が抜けそうなほど美しい女性。

 

いずれは魔王を倒し、千年の王国を築く王と友誼を交わす存在、“漆黒の英雄”モモンとその従者、“美姫”ナーベ。

しかし彼らも今は無名。その首元に光るプレートの輝きは酷く粗末な銅のものだった。

そんな彼等は冒険者組合の受付で押し問答。

 

――ぜひこの依頼を受けさせてほしい。

――申し訳ありませんがこちらは上級者用の依頼、今の貴方がたでは受けられぬものなのです。私たちの規則がそれを許しません。

――規則ならば仕方が無い。では私たちが受けられるもので最上級の難易度のものを頼めるでしょうか。

 

結果は礼を知るモモンが折れ、新人に相応しい依頼を見繕ってもらうことになった。しかしそこで動いたのは“漆黒の剣”リーダーのペテル。彼のもつ親切心がこの出会いをうんだのだ。

 

――もし、貴方がたがよろしいのであれば、私達と共に依頼をしませんか?

 

首に下げられたプレートと顔を交互にみて、親切な先達へと感謝を述べる。

 

――おおそれはありがたい、しかし貴方がたの報酬が減るのでは?

――ああ、いえ。依頼といっても出来高払い、各自でやるモンスター討伐ですので気にする事はありません。それに実際に戦いを経験することで、自分の実力を見るのも大切だと思ったのです。もし腕が良いのでしたら、私の方からも組合に昇格試験をはやめるように進言しましょう。

――なるほど、それならば是非お願いします。

 

受付嬢もこの提案に彼等を明るく送り出す。

 

 

――私達は“漆黒の剣”。リーダーのペテルです。他の仲間はあちらに。

――私はモモンそしてこちらが仲間のナーベ。よろしくお願いします。

 

挨拶を交わし友好を深める。

こうして共に依頼に出ることになった二つの漆黒。

向かうはトブの大森林。

森を出て人を襲うモンスター達を倒し、街道を行く人々に安全をもたらす大切な仕事である。

 

討伐は至って順調であった。“漆黒の剣”はその力をいかんなく発揮し、モモンもその力を見せつけた。オーガにゴブリン、一刀両断に斬り伏せる姿はまさに英雄。“漆黒の剣”はすっかりその姿に魅せられてしまった。モモンの方も勝手がわからぬ冒険者稼業、その常識を教えてくれる“漆黒の剣”への尊敬がうまれた。

 

 

――モモンさん。昼間は素晴らしい勇姿でした。

――いえいえ、私の方こそ貴方がたのチームの連携に見入ってしまいました。

――目標を同じくする仲間ですからね。未だランクは低いですが、より上を目指しています。

――ほう、目標を同じくする、ですか? それは一体どのような?

 

夜営のための火を囲んでの和やかな会話。

そしてペテル達の語る伝説の英雄の話。

 

――私達はかの13英雄の一人が持ったと言われる漆黒の剣、その武器を仲間と共に見つけることが目標なのです。

――そうそう、見つけるまではこれが俺たちの“漆黒の剣”だ。

 

4人それぞれが手にしたのは、全長が手のひらほどの黒塗りの剣。誓いの剣だと彼らは笑う。

 

――やはり仲間とは良いものですね。

――モモンさんにも仲間がおられたのですか?

ーーええ、冒険者とは違いますが、共に苦楽を共にした大切なもの達がいました。

 

ヘルムを外した顔に浮かぶものは失ったものに対する郷愁。彼は遥彼方、思い出の淵を彷徨っているのだろう。

――湿っぽくなってしまいましたね。

――いいえ、素晴らしいお仲間だったのですね。

――それはもう。

 

哀しく微笑むその顔は、くしゃりと歪められた悲しいものだった。

 

 

討伐の旅も過半が過ぎ、折返しの村で簡単な頼みを引き受けた彼らは、深い森へと入り込む。

 

――ありがとうございます。冒険者さん達。薬草はこの村の生命線、きちんとした護衛をして頂ける事はこの上ない幸いです。

――いいって事よ!

――代わりといってはなんであるが、もし、困った事があった時に我らを指名してもらえたら嬉しいである。

 

生い茂る葉に遮られた薄暗い視界に踏み締められた草の臭い。森司祭のダインは、そんな村人を手伝い薬草を採り、他のものは辺りを警戒する。

 

――ここいらは森の賢王の縄張りですので頻繁にはモンスターは出ないのです。けれど全くないというわけでは無いのでとても助かります。

――いえいえお気になさらずに。きちんと見返りはいただくのですから。

 

報酬は村で出される温かい食事と寝床。野宿が常の冒険者とはいえ、体が資本であることに違いはない。

幾つかの薬草をとり、もう少し奥へ進もうとしたその時! どこからともなく聞こえてくるは何かがかける地響きの音。

 

――ああ、そんな! きっとこれこそ森の賢王! 急いで村まで戻らねば!

――わかりました急ぎましょう。みんな隊列を組んで戻りましょう!!

 

モモンに殿を任せ、駆ける一行。

しかしながら凄まじい速度で追いかける地響きはすぐそこまで迫っていた。

 

――このままでは追いつかれます。ここは私が時間を稼ぎます。皆さんは村まで彼を送り届けてください!ナーベ、お前も彼らと共に!

 

言うや否や抜き放たれた刀身に鋭い金属音。

丸太のような何かがモモンの剣とぶつかったのだ。

 

――時間を稼いでください。必ず戻ります!

 

ペテルはモモンの言葉通り、村まで急ぐ。

途中にあったゴブリンを切り捨てながら、心にあるのはモモンの姿。生きて再び会えることを祈りながら、彼は足を必死に動かす。

 

 

一方モモンは森の賢王と対峙していた。

蛇の尾っぽに銀の体毛、知性を宿した目に鋭い歯。

 

――某はこの森の支配者なり。無断で踏み込むものは皆殺さねばならぬ。

 

言葉を解し話す賢王、獰猛な尾を揺らめかせながらモモンを油断なく見る。

 

――無断で踏み込んだ事は謝罪しよう、森の賢王よ。しかし我らは殺される訳にはいかぬ。ここはひとつ、見逃してはくれまいか?

――笑止。これより先は己が爪にて話をしようではないか。某を強さにて服従させずして生きて帰ることあたわず!

――それならば致し方ない。私の刃にて道を切り開かせてもらおう。

 

これから始まるは物語の一編。

“漆黒の英雄”と“森の賢王”の存亡をかけた死合。

その後長くともにある、一人の人間と一匹の獣の最初で最後の戦いでございます。

 

 

さて、一方その頃“漆黒の剣”は村まで戻り、村人を残して再び森へと向かおうと踵を返す。

それに驚いたのは助けられた村人の方、なぜ助かった命を投げ打つのかとペテルにつめよる。

 

――何故戻られる、森の賢王に遭えばその命、すぐに尽きてしまうのに。

――戻らないという選択は無いのです。我ら冒険者はそういうもの。ともに来た仲間を見捨てるなんてできません。

――それにモモンさんは強いお方、我らが加勢すればきっと森の賢王から逃げることはできるでしょう。

 

“漆黒の剣”一同にそう言われ、村人の方が口を噤む。元はと言えば彼の依頼で、森に入ったのだからその心は罪悪感でいっぱいだ。

 

――わかりました、無事帰ってくるのを待っています。

 

そう言って送り出した村人は、彼等が無事に帰ることを祈ったのだった。

 

 

その頃熾烈を極めたるは“漆黒”と賢王の闘い。二本の剣を素早く振るい、賢王の攻撃を弾くモモン。

自らと実力を同じとするものに愉快になる心を抑えきれない賢王。

 

――これはこれは、ここまで某と渡り合うとは。一角の人物とお見受けする。

――いやいや、流石は賢王と言ったところか、勝負の行く末が全くわからん。

 

一合二合と切り結び、お互いを称賛し間合いを測る双方に、飛び込んできたのは先ほど別れた冒険者達の声。

 

――加勢にきましたモモンさん! 貴方に比べると微力ではありますが、どうか一緒に戦わせていただきたい。

 

そういいモモンの横に並ぶはペテル。ヘルムのしたで軽く笑うと、モモンは賢王へと向きなおる。

 

――さて賢王よ、これで力の均衡は崩れた。改めて聞こう、私達を見逃してはもらえぬか。

 

自らの不利を悟った賢王ではあったが、モモンと“漆黒の剣”とを見比べてこういった。

 

ーー某も命は惜しいゆえやぶさかではないが、しかしどうして人間とは不思議なものよ。ここまでの強さを持つものが、他人に頼り生きて行くのか。

――人とはそういうものだからだ、森の賢王よ。一人一人の弱さを補って余りあるほどの強さを、助けあうことで手に入れる。事実こうして彼等が戻り、私は生きて帰れるではないか。

――なるほどなるほど、それはとても興味深い。それは某には無い強さである。

 

感心したと言うように、深く頷く賢王は、何かに気がついたとばかりに目を輝かせる。

 

――その強さとても興味深い。某にも分けてはくれぬだろうか。

――ほう。というと?

――お主を“主”と認めよう。どうか某もお主の仲間の末席に加えてはもらえぬだろうか。

 

予想外の賢王の言葉に皆驚き、一人と一匹を交互にみる。

 

――不快な。獣ごときが偉大なるモモンさんと轡を並べようとは!

 

苛烈にまくし立てたるはモモンの相棒“美姫”ナーベ。

納得がいかない、と憤る彼女を落ち着けたのはモモンだった。

 

――落ち着けナーベ、私は構わぬ。それに我らの目的を考えるに、仲間は居て困るものではあるまいよ。

 

モモンの言葉に冷静になったナーベは、その美しい顔から不機嫌さを消さないままに、一応の納得を見せたのだった。

 

こうしてモモンは賢王という仲間を得て、エ・ランテルへと帰還した。

心配した村人からもたらされた村でのひと時は、この上ないものであったという。

 

 

さて。

街に戻り冒険者組合で報酬を貰い、二つの“漆黒”は別れを告げる。

 

――今回は本当にお世話になりました。

――いえ、こちらこそ。

 

礼儀正しく別れを惜しむ両者にかけられたのは助けを求める衛兵の声。バタバタバタと余裕なく、冒険者組合へと駆け込んだ。

 

――共同墓地にてアンデッドが大量に出た! 手の空いている冒険者には来てほしい!!

 

驚く彼等の中において、もっとも早く行動したのはペテルであった。彼は仲間に声をかけ、連れ立って墓地へとかける。

少し遅れて後を追うモモンはペテルに詳しい事態を聞いた。

 

――一体何が起きたのです?

 

奇しくもモモンはこの街にやって来たばかり。その滞在時間はたった二日、街を知らぬモモンにはこの事態がわからなかった。

 

――三重の防壁のその外側、その壁のうち4分の1は墓地なのです。

――今まで適度に間引きをして強力なアンデッドがでないように気をつけていたのであるが……

 

――それはいけない、すぐに行きましょう!

 

“漆黒”のモモンの英雄譚、余りにも有名なこの話は皆さんもご存知の通りの終局を迎えます。

広い墓地に斬り込んで、たった一人で首魁を叩く。悪の秘密結社を倒し街の平穏を取り戻したモモンは街に英雄として迎えられたのです。

 

しかし、彼を祝う人の中に見知った4人の姿はない。

 

無言で朝日が昇り闇が晴れた墓地へと、無言で向かうは二人と一匹。

そこで見たるは見覚えのある黒い短剣と、見覚えのある4つの骸。

 

――ああ冒険者よ、親愛なる先達よ。

 

モモンは四人の骸を葬り、その漆黒の短剣を墓前へ手向けた。

 

――貴方がたの事は忘れない。森での恩を返せぬ無力な私を許して欲しい。

 

肩を並べた冒険者の死顔は、とても安らかなものであったという。

 

――いつかこの街が危機に陥ったのならば、貴方がたに代わり必ず救いましょう。私のこの双剣にかけて!

 

二つの剣を天にかざし、従者しかいない場で宣誓はなされた。

 

 

そしておおよそ半年後、彼はこの約束を守り、王と出会う。

守るべきこの街で人類の守護者となり、長い付き合いとなる魔導王、アインズ・ウール・ゴウンと対峙した時彼の胸にあったものとは。

 

 

 

――何故私を拒む冒険者よ。全ての生は死の前では同じ。この地を私が支配して、平等なる楽園を築こうではないか。

 

――死の王が笑わせる。お前が“死”からこの地を支配するというのならば、私は“生”からこの地を守ろう。

 

 

その生涯の中で、良き友となった魔導王と共に築いた始まりの地が魔導国、エ・ランテルであるとするのなら、おそらくこの地ブロートはかの強敵、ヤルバダオトとの終焉の地。

この地に住むものが悪しきものの手から逃れ、正しきものの祝福があらんことを――――。

 

 

 

余韻を残して終わりを告げた彼の話に、あるものは涙を流し、あるものは興奮に顔を赤らめて拍手を送った。

すっかり夜もふけ、賑わいを見せていた他の店は灯りが落ちて暗闇の中。しかしながらそんな遅い時間、酒も入っているというのに店内には誰一人として眠っているものなどいなかった。

 

拍手の中ステージをおりた旅人に真っ先に声をかけたのはすっかり酔いが醒めた様子の男。両の手を握りブンブンと振り回す。

 

「良かった! あんた最高だ! こんなに凄いの初めてだ!!」

「喜んでいただけたのならば良かった」

 

「さて皆様すっかり夜もふけてしまいました。帰りの夜道には十分に気をつけてください。それでは良い夜を」

 

旅人は素早く支払いを済ませて荷物を持ち立ち去ろうとする。その背中に追いすがる男は声を張り上げる。

 

「俺はニュクス! あんたは?」

「……私はモモンガ。しばらくはこの街で滞在しようと思っておりますので、また縁があったらお会いいたしましょう」

 

「じゃあ!」

 

さらりさらりとニュクスをかわし、何処かに消えようとするモモンガにニュクスは必死になる。また縁があったらなんて不確定なものにすがりたくはなかった。

 

「明日、昼にここで会おう。この街を案内するぜ。いや、案内させてくれ」

「お言葉は嬉しいですがご迷惑では?」

「んなこたねぇ! 明日の昼! 約束だからな!!」

 

半ば押し付けるように約束をして自分から距離を離す。モモンガは自分を追うことはなくそのまま街の中へ消えてしまった。

ドキドキと胸がなる。

こんなにワクワクしたのは一体いつぶりだろうか。返事はなかったが、きっと来てくれる。そう確信がある。

明日はどこを案内しようか。

あれだけ素晴らしい“漆黒”の話をするくらいだからやっぱり“漆黒”にまつわる建物は外せないだろう。

ニュクスはピンと思いつく。

自分の素晴らしい考えに顔をにやけさせながら、ニュクスは自分の家へと帰っていった。

 

 

 

モモンガは夜空を見渡せる、この街で一番高い建物の屋根に登って寝そべっていた。

本来は飲食不要で疲労も無効化するアイテムも持っているのだが、至高にして偉大なる父の言葉を思い出し、こうしてたまに食事をとる。

今日は興がのって随分と愉快に話ができた。内容が“漆黒”ではなく魔導王のものだったならば……きっともっと素晴らしい気持ちになれたであろう。

 

「明日の昼ですか……」

 

随分と馴れ馴れしい個体の人間であったが、モモンに対する尊敬の念は本物であった。ついついそれで受け答えをしてしまったが、まさか明日の予定まで約束をしてしまうとは。

実際には口に出して了承したわけでも無いので素知らぬふりをして無視しても良いのだが、モモンガは行く気でいた。

 

魔導国が滅び長い年月がたった。魔導国の黎明期に存在した英雄に憧れ、尊敬するあの男に、柄にもなく嬉しい気持ちと興味が湧いてしまったのだ。

 

「たまには、きっと許してくださるはずだ」

 

偉大なる父も“ゆうきゅうきゅうか”や“しゅうきゅうふつか”などと休みをとることを推奨していた。そう、だからこれはモモンガにとっての休日なのだ。

 

「明日は一日楽しんで、そして任務に戻る。いまだ目的が達成できずにいる情けない被造物ですが、どうかお許しくださいモモンガ様」

 

立ち上がり夜空に一礼。

彼の黒い瞳は、全ての光を飲み込むほどに黒く暗い色をしていた。

 

 



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幕間 休日

正午を知らせる鐘の音。

 

ブロートの街に響くそれを、そわそわと聞きながらニュクスは辺りを見回した。

ニュクスの現在の格好は白いシャツによれたベスト、使い古された外套。首にはネクタイをしめてそわそわと落ち着きなく立っていた。その服装はこの街では少し気取った小綺麗なもので、道ゆく人の視線を浴びている。

 

ブロートの街は歴史的な遺産を多く残した街ということで旅人が多い。魔導国の治世では、その成り立ちによって観光都市として有名だったのだが、再び人類の生存競争が苛烈になった今では昔ほどの人通りはない。それでもこれだけ旅人が多いのは、それだけ人類全体に“漆黒”の英雄モモンが広まっているということだ。

更に季節は夏の終わり。

実りの季節を前にしたこの街の一大行事も控えている。街の喧騒には、明るい空気が漂っていた。

 

 

「少し遅れてしまいましたか?」

 

唐突にかけられた声に振り返ると、そこには昨日会うことを約束したモモンガが立っていた。

 

「いや、俺が早く来ただけだから気にしなくていい、です」

 

軽く頭を下げる所作ですらも気品がある。そんなモモンガに、とってつけたような敬語を使う。

モモンガの服装は昨日とは違った随分と派手なものである。本当に彼の生まれは貴族かもしれない。

彼は明るい色の服についた沢山のブローチを鳴らしながら近づいてきた。外套は右腕にだけ袖を通した変わった着方であり、街中ではなく舞台にこそ映えそうな、見事な仕立てのものに見えた。

 

「そうですか。では、今からどうするのですか? 話ではこの街を案内していただけるということでしたが」

「ああ、そりゃもちろん! ところでモモンガさんはひょっとして吟遊詩人かなにかなんですかね?」

「いいえ。残念ながら私はそのような職業をとってはいません」

 

残念な事に、と肩を竦め眉を上げる。

 

「そうですね、私の職業が何かと聞かれたら……独演家、そう、独演家のモモンガと覚えていただけると嬉しいです」

 

カツリとかかとを鳴らし、胸をはる。そして片方の手を胸にあてて微笑む。

穏やかな笑顔につい微笑み返してしまった。芝居がかったモモンガではあるが、きっと職業病というやつなのだろう。顔はよくないのにどうしてこんなに様になるのだろうか。

 

「独演家? なかなか聞きなれない職だな」

「それは仕方がないでしょう。何せ勝手に名乗っているだけなのですから!」

「独演家ねぇ?」

「やっていることは昨日の夜やった一人舞台です! 小さな村や町、たまにはこういう大きな都市に来て話を語り、日銭を稼ぐ。そういう生活です」

「いやいや、昨日は本当にありがとうよ! あんな見事な舞台は中々見れないからさ! でもそれなら今日案内しようと思ったところに興味をもってもらえそうだ」

 

ニュクスはモモンガの前を歩いて案内する。行き先は街の中心地、それのやや富裕層寄りの場所であった。石の敷かれた通りを歩きながら、モモンガは珍しげに辺りを見回す。

 

「ここなんだけどさ」

「おお、これは!」

 

モモンガのこぼす感嘆のため息にニヤリと顔が歪んでしまう。

それほどこの劇場はこの街に住むものにとっての自慢なのだ。

 

街の中でも目を引く白亜の城。白い大理石で整えられた外観に、雨風にさらされながらも美しさを失わない見事な彫刻はかの“漆黒”をかたどったもの。

広くとられた入り口から覗けば、魔法の光に煌々とてらされ、中の様子がまるで陽の光の下のようにわかる。

 

「ささ、中へ入ってくれよ」

 

入り口へ続く階段を登り、建物の中へと入る。

踏み込んだ先の床は赤い絨毯が敷かれ、柱や壁には色とりどりの石を使ったモザイク画がキラキラと光っている。

モザイク画の内容はどれも“漆黒”にまつわる英雄譚のようで、黒い見事な鎧に身を包んだ人物が強大な敵に向かう姿が多く描かれている。

その中でも入り口の正面、もっとも大きい空間に描かれているものが強く目を引く。

 

それは“漆黒”のモモンと、向かい合うように立つ黒いローブに身を包んだ人物だ。

モモンの鎧に負けず黒であらわされたその人物の顔は骨。手には金の杖を持ち顔と同じ骨の指には色とりどりの指輪を嵌めている。

かの魔導王アインズ・ウール・ゴウンの姿である。

 

「――――」

 

感動ゆえだろう。モモンガの頬を一筋の涙が流れた。

それだけではなく体を震わせ、その場に跪く勢いのそれに、ニュクスは遠慮がちに声をかける。

 

「これがこの劇場でもっとも有名なモザイク画、“漆黒”の英雄モモンと魔導王アインズ・ウール・ゴウン。すごいだろ?」

 

「ーーええ! ええ! ええ!! まさかこれが残っているとは……! 全てあの冒涜者達に壊されているものだと思っておりました!!」

 

興奮が伝わる声は申し訳程度にひそめられているが、広いエントランスホールにはよく響いた。わなわなと震える手を握ったり伸ばしたり、その感動具合がよく窺えた。

 

「この地の先人達が必死に“破滅を呼ぶ英雄”達の手から守ったらしくてさ。今唯一残る魔導王を描いたものじゃないかって言われてるんだ」

「ええ! ええ! そうでしょう!! 長く旅を続けてきましたが、このように完全な姿で残されているものはみたことがありません!」

 

ばっと振り向いたモモンガの顔は大の男が涙を流し目を腫れさせるという、とても見られたものではなかったが、何処か超然とした空気のあった彼がここまで感動するのかとニュクスはただただ驚くだけだった。

 

「ありがとう。ありがとうございますニュクスさん! ああ、ああ本当に素晴らしい!」

 

両手を掴まれ強く握られる。万力のようなそれに少し痛みを感じるが、ここまで喜ばれるとニュクスとしても嬉しかった。

 

「この壁画も素晴らしいけどさ、モモンガさんには特別にもう一つ、もっと素晴らしいものを見てもらいたいんだよ」

 

ニュクスはモモンガを連れて劇場の貴賓席へと続く階段を上り、劇場長の部屋の扉口に立った。

不思議な顔をしながら着いてきてくれたモモンガへと振り返り、いたずらな顔を向ける。

 

「実は俺の親友がここの劇場長でさ。なんとか頼み倒して見せてもらえることになったんだ」

 

コンコンとノックを二回。

どうぞと返された部屋の主の声は、厚い扉のおかげで随分とくぐもっていた。

そのままノブをひねりモモンガを案内する。扉の内には高級な調度品で飾られた趣のある部屋。自分もスルリと体をもぐり込ませて扉を閉める。

部屋の奥にある執務机には一人の男が座っていた。

 

「初めまして。わたくし、ここ、ブロート劇場の劇場長をしているアランと申します」

「こちらこそ初めまして。私は旅の独演家モモンガ。昨晩ニュクスさんと知りあってここに案内させていただいた者です」

 

執務机から立ち上がり、二人を出迎えたのはニュクスとそう変わらない年齢の男。

上等な生地と仕立ての服を違和感なく着込んだアランはモモンガと軽く握手を交わす。

 

「ニュクスから話は聞いております。なんでも素晴らしい腕の語り部だとか。是非とも一度、当劇場で演じてもらいたいものです」

「機会が許すのならばやぶさかではございませんが、これほど格調高い劇場ですと、向こうひと月の予定は詰まっていますでしょう?」

「ええ、残念ながら。この耳でニュクスを魅了したという話が聞けないのが残念です」

 

極めて紳士的なやりとりが続き、それに慣れないニュクスはそわそわと落ち着きなく部屋の中を見回す。アランが劇場長になった際に招かれた時と変わりない調度品の出来を見た時はものすごく感動したものだった。

その時に感動し尽くしたものだと思っていたが、今日改めて見て新鮮な驚きがあった。もっとも、多くの調度品のモチーフは“漆黒”のものであり、ニュクスにとっては一日見ていても飽きないものである。

 

「しかし……この部屋も魔導王の時代とほぼ同じように見受けられますが」

「モモンガ殿は目敏いですね。そうなのです。<保存>の魔法が込められている事が大きいですが、この街に住む全てのものの総意として、当時と変わらない姿を再現しているのです」

 

先ほどからのモモンガの目利き具合には驚きの連続だ。どうして見ただけでこうも魔導王時代の品などとわかるのだろうか。

アランも同じ思いなのだろう、ニュクスにたまに驚きの視線を送ってくる。

 

「モモンガ殿は大変な慧眼をお持ちのようだ。一体何処のお生まれですか?」

 

「はて、私の生まれですか……」

 

少し困ったように首を傾げる。顔も、どう答えたものかと思案している。

しかしその姿も仕草も、芝居がかって見えるものであった。

 

「……遥かなる遠い地。今は無き安息の黄金郷――などというのはいかがでしょうか」

 

微笑の乗った顔にはこれ以上の詮索をためらわせるものがあった。

一旦言葉が途切れ、沈黙が支配する。

やっとの思いで口を開けたニュクスは、ここに来た本来の目的を口にする。

 

「モモンガさんの生まれが黄金郷とは! これは今から見せるものに満足していただけるか不安になっちまうな」

「ああ。そうだな。いえ、素晴らしいものというのは保証しますが、いやはや不安になってしまいます」

 

 

こちらへどうぞ。

そう言ってアランが案内したのは執務机の奥の

扉。そこを開けた先にあったのは下へと続く階段だった。

 

「この先です。足元にお気をつけください」

 

入口にかけられたランタンをとり、魔法の光をつけると、アランはゆっくりと下へと向かう。

それに続くモモンガの顔は腑に落ちないというものだった。

既に一階分は下り終えたにもかかわらず、階段はまだ先へと続く。

 

「ここが作られたのは“破滅を呼ぶ英雄”が魔導王を滅ぼした後なのですよ。当時魔導王に携わる全てのものが壊され、焼かれる中でこの街の者たちが協力して作ったのがこの地下室です」

「そう、なのですか……」

「ええ。魔導王を否定するということは“漆黒”の英雄モモンを否定するということです。救われた我々からすれば、それは許されるものではない」

「だから当時の劇場長達が必死でこの地下室を作ったんだってさ、この街に昔からいる連中のなかじゃあ有名な話なんだぜ?」

「探知系の魔法のせいで、たいしたものは残せなかったと代々の劇場長は言っていましたが………とんでもない」

 

階段が終わった先には一つの鉄の扉があった。

 

「ここにあるものこそ全ての生き物の理想郷、魔導国は確かにあったのだという証拠なんですから」

 

開かれた扉の先にあったのは本棚だった。

魔法の光をつけられた室内は、本が傷まないように薄暗い。

本棚の中身はどれもこれも相当な年季の入ったもので、盗難防止や劣化防止など何重にも厳重に魔法がかけられていた。

アランはポケットから白く清潔な手袋を取り出すと、おもむろに一冊の本を取り出す。

赤い装丁に金の刺繍。

複雑なその模様はモモンガにとってとても見覚えのあるものであった。

 

「それはアインズ・ウール・ゴウンの紋章ではありませんか!!」

 

両の目を見開き手をわなわなと震わせてアランに詰め寄ったモモンガは、その本の表紙を見て更に叫びを上げる。

 

「ブロートの街に捧げられた歌劇!! “漆黒の英雄は魔王をうち滅ぼせり”! まさか現存していたとは!!」

 

一目でそこまで見抜いたことにも、その剣幕にもおどろいたアランは危うく本を落としそうになる。

凄まじい視線でそれを咎めるモモンガに軽く謝ると、傷まないように布の張られた机の上に置き中身をめくる。

外装こそ本の形をとってはいるが、中身は蛇腹に畳まれた一枚の長い紙である。

それをアランが広げるとモモンガはすぐさま体を割り込ませて内容に目を通しはじめる。熱心に読むモモンガの表情は恍惚としたものであった。

素晴らしい、素晴らしいと熱に浮かされたように言葉を漏らし、まるで焼きつけるように見入っている。

 

びっしりと書かれた本を読み終え、満足したモモンガは、ふうとため息をつくと丁寧にニュクスとアランに礼を述べた。

 

「とても有意義な時間でした」

 

満足したモモンガの様子にニュクスも満足した。

昨日は酔ったままの勢いで無茶な願いを聞いてもらったのだ。恩返しでは無いが、そのまま礼をいっただけではあまりにも気分が悪かった。

そんな気持ちも随分と晴れ、足取り軽く階段を上る。

行きとは見間違える程上機嫌な様子のモモンガは先ほどから夢見心地のようだった。

 

元の劇場長室に戻ってきた彼らは、いつの間にか部屋に入っていた青年に会う。ニュクスはその青年の顔に見覚えがあり、どうしたことかと首をひねった。

 

「劇場長! とニュクスさんに、……?」

「今日ニュクスが連れてこられたお客様だ。何かあったのか?」

 

ちらりとアランはニュクスとモモンガの方を窺う。とっさに部外者に聞かせる話題では無いと思っての目配せだったのだが、青年はその視線に気付かずにさっさと本題にはいってしまった。

 

「今晩の演目の前座がまだ到着してないんです! どうしましょう? このままだと今晩の舞台に穴が……普段だったら一部の料金を払い戻したりすればいいんでしょうけど、今日は何人もの貴族様が観劇に来ていて………」

「前座の到着が遅れている? 遅くても昨日には街に入っている予定だっただろう」

「そのはずだったんですけれど! 今、護衛をしていたであろう冒険者のことを、組合に人を送って聞いています……」

「どうするよアラン。貴族は面子大事にするからよ、前座無しとか今から下手な腕の奴呼ぶなんてことやったら、きっと厳しいお咎めがあるぜ?」

 

「いや、大丈夫だきっと予定より遅れているだけだろう………」

 

事態の深刻さにアランは焦りだす。

このままでは伝統あるこの劇場に泥を塗ってしまうことにもなる。

どうしたものかと考えを巡らせているさなかに邪魔が入った。

 

コンコン。

ノックの音とともに、そのままドアは開けられた。

普段であれば咎められる事ではあるが、入ってきた人物の顔色の悪さを見て皆口を閉じる。

 

「前座の“歌うコマドリ”一座が! モンスターに襲われて! 死傷者がでたそうです!」

 

よほど急いで来たのだろう。大きな汗を浮かべ、息も絶え絶えにそう言うと冒険者組合に行っていた男はその場に崩れ落ちた。

 

「今朝一番で! 生き残りの人達と! ブロートに入ったんですけど!! 今夜の前座は無理だ! っそうですっ!!」

 

「どうしましょう!?」

「劇場長……!!」

 

すがるような目線を受けたアランの方もどんどん顔色が悪くなる。不安で目が泳ぐのを止められずキョロキョロと彷徨わせる。

今この街にある劇団は“ブロート劇団”のみ。しかも今夜のメイン演目を担当していて前座に回せる頭数は居ないのだ。

だからこそ前座を別の劇団に依頼したというのに。

解決の糸口が掴めずに頭を悩ませるアラン。

 

その思考に揺れていた視線が一箇所で止まる。

 

視線の先には興味深そうにこちらを見ているモモンガがいた。

 

「モモンガ殿」

 

喘ぐように、助けを求めるようにアランはモモンガへ助けを求めた。

 

「はい、なんでしょうか。アランさん」

 

「断っていただいても大丈夫です。いえ、大丈夫では無いのですが、無理強いするつもりはありません。ですが、どうか、力を貸して頂けませんか?」

 

祈るような数拍の後、モモンガはにこりと笑った。

 

「報酬は少し高くなってしまいますが、よろしいですか?」

「もちろんです!!」

 

ポカンとした劇場員をよそに、ニュクスとアランは喜び跳びはね、モモンガに礼を述べた。

 

 

 

 

「今日の演目は“漆黒と魔王”。ブロートの街でおこった史実を元にした物語です。モモンガさんにはこの演目に関わりのある小話をお願いしたいと思っています」

「幸い演目欄には前座とだけしか書いていなかったので、よほど外れた内容で無い限りは大丈夫だと思います」

 

前座を引き受けたモモンガは、そのまま流れるように詳しい内容の打ち合わせを劇場員と、ブロート劇団の劇団長とともに詰める。

交わされる言葉に、何度も深く頷きを返すモモンガはピン、と人差し指を立てる。

 

「“漆黒と魔王”。ブロートの街で起こった英雄と魔王との戦いを描いた戯曲。成立は魔導国の治世の円熟期! “漆黒”と魔王にのみ焦点を当てることで少ない人数でも上演が可能な演目であり、地方都市の上演でよく選ばれたものですね」

 

淀みなくスラスラと淀みなく話す彼は一流の知者でも知らない事を言った。

今この世界に残っている戯曲や歌劇は多くが文化の円熟期をむかえた魔導国時代のものである。しかしながら“破滅を呼ぶ英雄”により戯曲や歌劇の成立の歴史などは断絶されている。そのはずだ。にも拘らず、この男は知っていて当然の知識を述べる口調である。

そのことに劇団長は目を見張り、劇場員は首を傾げる。

 

「ならば前座も二人に焦点を当てたものが良いでしょう。魔王と“漆黒”に縁が深いもう一つの都市――王都リ・エスティーゼを舞台にした“炎の壁”などは如何でしょうか?」

 

聞きなれない演目に再び目を見張る。

もしこの場が急遽開かれた今夜の演目を話し合う場で無かったのならば、深い知識をもつ独演家を名乗る彼にその知識の一端を授けてもらいたいところだ。

 

「“炎の壁”?」

「おや? こちらではもう途絶えてしまいましたか。漆黒の英雄モモンと魔王ヤルダバオトの初邂逅を歌った短い歌劇、とでも申しましょうか。いい前座になると思いますよ?」

 

はじめて聞く演目名に、演劇や歌劇に携わる者としての好奇心がむくむくと湧く。

どういった内容なのかを聞いた限りでは前座として問題が無いように思える。

 

「ではそれでお願いします」

 

 

 

 

舞台合わせが終わった頃には既に夕刻。

白亜の劇場には次々に観客が訪れはじめていた。

 

 

 



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炎の壁

伝統があり、格式高いブロートの街唯一の劇場。

劇場へと続く街一番の大きな道も、劇場の周りも、その日の夜は大変賑わっていた。

それもそのはず、周辺国の主な貴族が訪れているのだ。それに伴い劇場の演目も、普段では目にかけられない程豪華なものとなっている。それを目当てに訪れる人、さらに人が集まれば商売が成り立つと集まる人、様々な人々が劇場を取り巻く様はさながらお祭りといったところか。

着飾った貴族、正装の商人、はてはおめかしした町娘まで飲み込む白亜の劇場。

今の世では珍しい娯楽施設には、忙しくなる秋を前の前に心の潤いを求め、色んな人々が集まっていた。

 

劇場内は広いながらも音響を考えられた作りになっており、声を拡張するマジックアイテムが少数ながらも劇場自体に組み込まれている。今では考えられない程希少な作りが、このブロートの街から観劇という文化が廃れなかった一因だろう。

客席の正面、舞台に下ろされた赤い幕に金の刺繍がされた垂れ幕は、白と赤に統一された劇場内でもより一層目立つもので、この劇場固有の印が縫い付けられている。

 

ざわつく客席は満員御礼。

後ろの席のさらに後方には立ち見をするものまでおり、いつも以上の熱気が渦巻いている。

 

 

 

カツン、カツン、カツン。

 

 

計算されたように甲高く響く足音。

それを合図に、今まで雑談をしていたもの達が話をやめ静まり返る。

 

舞台の上にはいつの間にか一人の男が立っていた。

 

中肉中背に珍しい黒髪。

スポットライトに照らされて金色に輝く見慣れぬ衣装。

室内だというのに、頭には不思議な形の帽子をかぶっている。

外套の袖は右手のみに通され、外套の合わせ目から出された左手を胸に当てて、男は完璧な一礼をする。

 

 

「本日は当ブロート劇場にお越し頂きありがとうございます。私、今日の前座を務めさせていただくモモンガと申します」

 

帽子に手をやり角度を整える。かと思えば大袈裟な動きでステップを踏み、独特の、なんとも言えない姿で止まる。

 

「今宵の演目は英雄が魔王を倒すというありふれたものではありますが、どうぞ皆様ご安心を!」

 

「前座の私も真打ちの彼らも、演者としては超一流でございます! されば、確かな満足を感じていただけることでしょう!」

 

バサリと外套を広げ不敵に笑うその姿は、この豪華な舞台にはよく映えた。

揺らめかせるように手を踊らせて、足どりも軽く彼は再び舞台の真ん中に立つ。

 

「前座となります演目は“炎の壁”、真打ちとなりますは“漆黒と魔王”どちらもかの英雄モモンにまつわる話。そう、この街ブロートと縁の深い二人の話でございます」

 

そう言ったモモンガは深いお辞儀をする。と共に灯りが落とされ真っ暗になる。

すぐさま聞こえてきたのは楽団が鳴らす軽快な笛の音。

そして続く重厚な音楽であった。

 

 

「因縁の対決。運命が定めた宿敵。世によく言われるそれはロマン溢れる甘美な響き。そして彼らもまた、その甘美さに酔ったのでありましょう」

 

舞台の直ぐ手前にある楽団の音にも負けず、モモンガの声は朗々と響き渡る。

 

「かたや並ぶものの居ない強大な魔王。かたや並ぶものの居ない勇壮な英雄。彼らの出会いは必然だと、誰もが皆、そう思うでしょう」

 

 

 

 

 

真っ赤に燃え上がる幻影の炎は、空に高く、同じ種族で争う人間を嗤うかのように。

 

時は魔導国が興る少し前。人のつくった王国の、その王都での略奪劇。

炎の壁にて囲まれ囚われた、愚かで脆い人の王国。

 

これは魔王ヤルダバオトと名のる彼の、歴史に現れる最初の記録。

 

 

 

――人間なんぞは家畜と同じ。餌を与え、飼い太らせ、最後に美味しくペロリといただく。そのために存在を許されたもの。

 

――人間なんて道具と同じ。使えるうちはこき使い、邪魔になったら首をスッパリ。そのためだけの存在のもの。

 

炎獄の中で歌うは魔王。

腕の一振りで人を攫い、眼差しの一つで人を殺める。

その姿は炎獄の、主の体によく似合う、赤い装束に包まれて。

その姿は炎獄の、主の顔によく馴染む、不思議な仮面に包まれて。

 

――私に及ぶ存在など存在せず。故に私は全てを許されている。

 

天を突かんばかりの炎は明るく、夜の都を照らすばかり。

 

――しかし敵が居ないのは少し悲しい。この身を削る闘いを、いつかはいつかはしたいものだ。

 

 

なんとふてぶてしい魔王だろうか。

人を脅かし、人を虐げ、かの魔王は楽しげに歌う。

その歌には魔法が込められ、忠実なる魔王の配下は命じられるままに人を攫う。

さながら指揮者。

まさに支配者。

この場のもので彼に抗うものなど居なかった。

 

しかし強者は引かれ合う。

されば二人は合間見える。

この地この時炎の中に、やって来たるものがただ一人。

強く正しく力を振るう、救世主がやって来た。

 

――おやおやこれはなんという事か? 配下の悪魔が倒されて行く。まさかこんなに素晴らしい存在が、人間の中に居るとは。

 

と、彼は楽しげに嗤う笑う。

 

――我が炎のうちに入りて、無事に帰す道理はなし。

――我が炎のうちにありて、配下の仇をとらぬ私ではなし。

 

駆けるは魔王、強者の下へ。

走るは魔王、侵犯者の下へ。

 

その先にある邂逅へと、踊る胸を押さえながら。

 

 

 

駆ける魔王を待ち構えるは、一人の“漆黒”そこにあり。

人を攫う魔王の手から、人を救おうと待ち居たり。

 

 

――これはこれは漆黒の君、このような場所にいかなる用事かな? 我が配下を倒し進み、一体何が目的だろうか。

――とぼける姿すらも邪悪なものよ、私は人の為に立ち上がった。お前を滅ぼしこの地に平和を。この地を守りお前に滅びを。

 

漆黒の鎧を炎の赤に染め、我らが英雄は魔王と対峙せり。

英雄の両手には漆黒の双剣。

魔王の手には長い鉤爪。

一合、二合、と切り結び、火花を散らし拮抗せり。

 

――なんとなんと嬉しい事か! 我が宿敵を見出せり!

 

――なんとなんと悩ましい事か! 我が宿敵を見出せり!

 

競りあう二人のその姿、見たものはなく、見えぬ程速く、打ち合いへし合い切り結ぶ。

炎の壁を幕がわりにして、舞台は続く。

彼らは踊る。

 

――名を聞きましょう漆黒の君。私と同等のその力に敬意を表して。貴方の墓石に刻む名を聞きましょう。

――ならば名を聞くのはこちらの方だ。赤く邪悪な悪魔よ名前を聞こう。

 

スポットライトは赤い炎。

舞台音楽はぶつかり合う刃。

主役は踊る赤と黒。

 

お互いにあい入れぬと分かりながらも、惹かれ合う二人の時間は長く続く。

終わらねば良いと切り結ぶ。

 

それを破ったのは明らむ東の空。

 

悪魔の時間は終わりを告げて、英雄の時間がやってくる。

 

――これで終わりだ名もなき悪魔。お前の時間はとうに終わり、私に屠られる名もない一匹として死ぬがいい。

 

漆黒の剣を魔王にかざし、朝焼けを背負い英雄は言う。

 

――それはごめんこうむろう漆黒の英雄よ。私はお前と並ぶものとして歴史に名を刻む魔王なのだから。

 

甲高く鳴る音とともに距離をとりたる両雄の片割れは、暗き夜空に透けていく。

赤き魔王は霞みゆく。

 

――さらばしばしの別れとしましょう。我が名は魔王ヤルダバオト! いずれどこかいずこの地かで相対することを望みます。

 

――私はモモン、“漆黒”のモモン! 此度はこうして見送るが、必ず次はその首をもらう。

 

 

双方が抱いたるは確かな共感、確かな満足。

 

そして確かな敵意。

 

並ぶものなど居ないと言われた、漆黒の英雄の唯一の好敵手。

 

魔王と英雄の出会いの物語。

 

 

 

 

「こうして英雄は魔王と相対し、魔王は英雄と敵対した」

 

「それから二人は何処へと至るのか……。それを語るは私にあらず。前座はこのくらいで引くとしましょう。」

 

 

パッと、舞台に灯りがつく。

 

観客は突然明るくなったことで少し目が眩むが、続く声はどよどよと驚いたものだった。

灯りが消えている間に下がっていた垂れ幕は上がり、舞台の上には様々な大道具が並んでいる。

 

「次なるはいよいよ真打! このブロートの街で起きた相反する二人の戦いを描く大作でございます。皆様何とぞお楽しみくださいませ!」

 

一礼をして舞台袖へと去る男に惜しみない拍手が贈られる。

どの顔も興奮と期待を前面にだし、喝采は空気がひび割れんばかりだ。

 

それすらも凌駕する金管楽器の鋭い音。

 

いよいよ始まる今日の目玉は、赤い衣をまとった仮面の男の登場から始まった。

 

 

 

 

 

「今日の公演の成功を祝して、乾杯!!」

 

アランの一声と共に各々が酒の入った器をかかげる。

そして軽くぶつけ合うとそれを口に運び一気に飲み干した。

 

「今日の公演はいい出来だった。本当に助かりました、モモンガさん!」

 

いつもは厳しい顔を崩さない劇団長のコーリンもぎこちなく唇を持ち上げてモモンガにお礼の言葉を贈っている。

 

「いえいえ。私は正当な報酬によって雇われただけです。そのように感謝されると恥ずかしいです」

 

酒を一口飲んだだけで顔を染めながら、モモンガは謙虚に手を振る。

 

「モモンガ殿には是非、その知識の一端を分けて欲しいものだ。このブロートの街でも長い月日の間に幾つもの魔道国時代の演目が失われてしまった」

「うんうん。近くの街に行ってもほとんど残ってないしな」

「文化の円熟期とも言える魔導国の文化が失われるのはかなしいものだ。モモンガ殿さえ良ければだが幾つかだけでもいい、我が劇団に授けては貰えぬだろうか?」

 

コーリンの真摯な願いにモモンガは少しの間考える。

その後、結局構わないという結論に達して快諾した。

 

「私の記憶する限りにはなりますが、いいでしょう。その仕事、引き受けさせてもらいましょう」

「それは助かります!」

 

がっちりとコーリンと握手をかわし、モモンガはにこやかに微笑む。その笑顔はどこか得意げだった。

その光景をみたアランがそうだ、と一つ提案をする。

 

「良ければモモンガさんしばらく――そうですね、1ヶ月ほどこの街に滞在しませんか?」

「ひと月、ですか?」

「ええ。実は2週間後有名な冒険者がこの街に来られるのです」

「冒険者がですか? それで一体?」

 

話が見えないと首を傾げるモモンガを他所に、劇場の関係者たちはそれは名案だ! とばかりに明るい顔をしている。

 

「実はその冒険者のリーダーは吟遊詩人で、この劇場でも二日ほど演目をしていただく手はずになっているのです」

「ほう。それは確かに興味深いですね」

「そうでしょう、そうでしょう! 彼は魔導国が滅んだ後の出来事に精通した御仁でして、是非ともお二人に会って議論をしてもらいたいと思いまして」

 

「滅んだ後に精通した御仁、ですか?」

 

一瞬。

 

対面して座るモモンガの方から背筋が凍るような風が通り過ぎた。

しっかりとしたつくりの店内であるので、隙間風では無いはずだ。

アランは自分の腕をさすりながら周りを見渡す。しかし周りは至って普通の様子で、きっと気のせいだろうと自分を無理やり納得させた。

 

「ええ。“破滅を呼ぶ英雄達”の話を主に話される方です。何度か過去にも劇場へお呼びしましたが、そのどれも“破滅を呼ぶ英雄達”の顛末を語ったものでした」

「――ああ、そうでしたか。それは確かに大変興味深いものですね。かの英雄達のその後は多くが闇の中ですから」

 

300年前に突如現れ、人類に救いという名の破滅をもたらし、魔導国に終焉をもたらした、いく人もの英雄、英傑達。

不自然なほど突然現れた彼らは、魔導国を滅ぼすという大事を成し遂げた後に急速に力を失い滅んだという。

 

「死の支配者、アンデッドに支配された生者の国。様々な言葉で魔導国を非難して民衆を扇動し魔導国を滅ぼした者達。そこまではまだ英雄のような描かれかたもできましょうが、彼らはそこで終わりましたからね。魔導国の後を引継ぎ国を治めることもせず、彼らはただ混乱と破滅をもたらしただけです」

「ええ。まったくもってモモンガさんのおっしゃる通りです。もっとも、魔導国なき後に彼らが国を作っていたのならばこの劇場も、亡国の遺産として完全に壊されていたでしょう」

「ええそうでしょうとも。そう考えますと、運命とは全く不可思議なものです」

 

肩をすくめ、おどけるモモンガは酒のせいもあるだろうがとても愛嬌があった。

しかし、彼の言動の端々にみられる魔導国への想いは些か強いように感じた。

そう。まるで実際に魔導国を知るかのような。

 

「モモンガさんは魔導国へ並々ならぬ想いをお持ちのようだ」

 

昼間は軽く流されてしまったモモンガの過去、出自に関する話題を別の角度から試してみる。

この男の過去にたいする興味は尽きることがなく、少し無理をしてでも聞きたい衝動に駆られる。

 

「――――。永くこういう仕事をしていると、自分の扱う題材に常以上の愛着を覚えるのです」

「かなり長く独演家として活動されているのですね」

「ええ……。それはそれは長い時を。父と離れ一人となってから随分と長い時が経ちました」

 

ここではない遥か遠い過去を見るモモンガの顔は、胸が締め付けられる程に儚いものだった。

こくりと喉を鳴らし手に持つ酒を呷る。

流石にこれ以上は相手を不快にさせてしまうだろう。

 

「それでどうですかモモンガさん。後ひと月だけこの街に居てくれませんか?」

 

話をやっと元に戻す。

彼の過去はしばらく滞在してもらううちにでも時間をかけて知れば良いのだ。

幾つかのモモンガに有利な条件を提示し、モモンガを引きとめようとアランは話を進める。

モモンガは相槌をうちながら聞いていたが、話の区切りを見つけると口を開いた。

 

「残念ながら。この街に居るのは5日間とみておりまして、次の訪問先には既に先ぶれを出してしまっているのです」

「それは……そうとは知らずに長々とすみません」

「いえ、こちらもつい言いそびれておりました。先に言っていた演目の事はお任せ下さい。明後日までに書き上げましょう」

 

複雑な顔で笑うモモンガにアランは恐縮しきりであった。

 

「よろしくお願いします」

 

お互いに頭を下げあい、その夜は楽しく過ぎていった。

 

 

 

 

 

モモンガはその日宿をとった。

 

本来ならば今夜のうちに街を出ていく予定だったので、打ち上げから解放された後に少し慌ててしまった。

流石に何日も宿を取らないのは“人間”として奇怪に見られるだろう。そういうことで、平凡な宿を劇団員から紹介してもらい、モモンガは久々にベッドの上に寝転んだ。

 

「“破滅を呼ぶ英雄達”の語り部ですか……」

 

小さな声で呟くと、ゆっくりと起き上がり宿に備え付けられたテーブルに向かう。

一人部屋とはいえ流石に常通りの声量で喋ると、時間帯もあり迷惑だろうと抑えられたそれは深い闇に溶けるように消えた。

そもそも独り言であるので大きな声を出すのはおかしいのだが、造物主に“そうあれ”と作られた彼は、主人が望んだ通りのものであるだけだ。

 

椅子に座りペンを取り出す。

劇場の者から渡された上質な紙に記憶にある演目を片端から書きつける。

時間はあるようで無い。約束を違えるのはこの名前を名乗っている以上考えられない。

何よりも、こうしてアインズ・ウール・ゴウンの名を残すことこそ、彼の使命であった。

 

サラサラと手を動かしながら、今日もっとも重大な情報を思い出す。

――“破滅を呼ぶ英雄達”。

 

「これは接触しておくべきなのでしょうが」

 

ここブロートの街ではモモンガに不利だろう。

万が一相手がプレイヤーだった場合太刀打ちできない。自分の力は造物主であり父でもある至高の御方から授けられたものであるが、その父がNPCではプレイヤーに太刀打ちできないだろうと言ったのだ。

 

「ナザリックがかつて侵入してきた不届きもの達を相手にできたのは、至高の御方々の力と、その御方々が造ったナザリック地下大墳墓という空間があったからこそ。まともにぶつかればいつかのシャルティア様のように……」

 

ペンを握る手がいつの間にか枯れ枝のように細長く、節くれだったものに変わっていた。

はっとそれに気がつき、モモンガは手を顔に添える。

そこには目、鼻などの凹凸は無く、つるりとした感触があった。

 

「少し感傷的になりすぎましたか」

 

ぐにゃりと輪郭が歪み再び安定する。傍目から見れば異様なそれは、モモンガにとっては生まれたその時から慣れ親しんだ己の力だった。

いつもの、すっかり板についた人間の姿を形どると、モモンガはペンを進める。

“二重の影”である彼にとって姿を知らずの内に変える失態を演じてしまった。

しかし咎める存在は今は居ない。

 

「栄光は遥遠くに。今はその残滓を風化させない為だけの規定作業。――――かつてモモンガ様はどのような気持ちであったのでしょうか?」

 

インクが乾くまでの僅かな時間を思索に使う。

今日の彼はひどく感傷的になっていた。

 

「御方々の往来が途絶え、栄光の地を去った後で、唯一残られた我が神」

 

少し考えてはペンを進め、また考えに耽る。

それは日が昇り、そして沈み、街を出る日の朝まで続いた。

 

 

 

 

 

 

大の大人が持てるギリギリの量の羊皮紙を抱え、モモンガがブロート劇場にやって来たのは出立する日の昼前だった。

昼食に誘うと丁寧に断られ、それぞれ別れを惜しみながら街から出る彼を見送った。

 

彼の記した演目はどれも素晴らしく、手分けをして読み進めていた一同の感動は大きかった。

ある程度の検分が終わると、再現できそうなものだけ写しを取り、残りは全て秘密の部屋に仕舞われた。

機会を見て複製と配布をすることで、話はモモンガとついていた。

 

秋の収穫の時期が迫り、いよいよ待ちに待った冒険者の一団が街に到着するだろうという頃。劇場をニュクスが訪ねてきた。

 

 

手には見るからに高級な封筒。

差出人の名前はモモンガだった。

 

 



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破滅を呼ぶ英雄

シュルンシャーナ・ペスニン・アイ・インダルンにとって、人間は唾棄するべき種族であった。

 

シュルンシャーナの祖先は広大な森を支配していた。

かつての魔導国の首都に近いその森ーートブの大森林の支配権を偉大なる魔導王から認められ、一族は繁栄した。

それを打ち壊したのが人間であった。

“魔王からの解放”という旗を掲げ、その強大な力にものを言わせて、かつて無い繁栄をもたらした魔導王の治世を壊した。そしてシュルンシャーナの祖父達を森から追い出し、人間の為に森は切り開かれてしまった。

 

そうして、土地を奪われた祖父達は厳しい生存競争に参加することになったのだ。

 

シュルンシャーナは自らの身体を見る。

肉感的な唇、美しく膨らんだ胸、長くツヤのある髪。

人間のような上半身に蛇の下半身。ナーガであるシュルンシャーナは自らを飾る幾つかの装飾品を撫で、満足した。

もし冒険者などが彼女を見たならば、身につけた装飾品の素晴らしさにため息をつくだろう。シュルンシャーナの家に伝わるマジックアイテムはどれも驚くほど価値のあるものなのだ。シュルンシャーナの祖父はかなりの力を持ったナーガだった。特に胸飾りは魔導王その人から下賜された素晴らしいものだ。

効果は毒への完全耐性。

このアイテムのおかげで、シュルンシャーナは少なくとも2度命を救われていた。

 

このように魔導王と魔導国の素晴らしさを身近に感じているシュルンシャーナは、それを壊した人間を憎んだ。

だから、猛威を振るったと言われる人間達は既に死に絶えて長く経ち、そして迫害された異形種や亜人種も随分と力を取り戻してきた今、もう直ぐ、再び我らの時代が訪れるだろう。そんな事を戯れに縄張りを接する蜥蜴人とも話をするのだ。

 

ガサリ

 

シュルンシャーナの回想を遮るように遠くで物音がした。どうやらナーガの縄張りとも知らずに愚かな旅人が迷い込んだようだ。

シューシューという笑い声が喉から漏れる。

食事、という一点のみで言えば人間は好きだ。鋭い爪も牙も持たず、力の弱い人間は絶好の獲物と言える。太った食べる所の多いものがかかれば文句なしだ。

 

息を殺して物音を立てないように注意しながら音の発生源に近づく。

何頭もの馬が引く馬車が見える。大方幻術に騙されここへ迷い込んだのだろう。オロオロと立ち往生する何人もの人間に、顔が歪む。

 

今日は大漁だ。

 

弱い種族とはいえ、シュルンシャーナは油断しない。獲物に気づいた同族達が周りを固めるまで我慢をし、いよいよ襲撃の時が来た。

現在の族長の一声で一斉に飛びかかる。

その際に不可視化の魔法を忘れない。それが万全を期すという事だとシュルンシャーナは小さい頃から言い聞かされていたのだ。

はたして、狩りは成功した。

部族全員で分けても腹いっぱいになる程の収穫に皆の顔は一様に明るい。

シュルンシャーナも同様に、明るい顔で食事をとった。

 

 

 

 

その日の夜。シュルンシャーナはどうしても眠れずに一人寝床を這いだして月の光にうたれていた。

シュルンシャーナの瑞々しい白い肌、溢れんばかりの乳房が月光に浮き上がる。身につけた装飾品はキラキラと輝く。

一枚の絵画のようなそれは酷く幻想的で、怖気の走る美しさがあった。

 

「人間が居なくなったら、魔導王陛下は戻ってきて下さるのだろうか」

 

素晴らしい絶対支配者。

地上の楽園の主人。

慈悲深く、聡明で、全てを見透かす智謀の魔法詠唱者。

 

幼い頃から聞いてきたその死の支配者の話はシュルンシャーナにとって憧れであった。

自分もその時代に生きて、一目だけでも良いから姿を見たい。治めた国に生き、その恩寵に与り、存在を賛美したい。

何より冒険者として未知を求めて旅に出たい。

かつての話を聞くたびに冒険者に憧れたシュルンシャーナは惨めな気持ちになったものだ。どうして自分は今の時代に生まれてしまったのだろうか、と幾度も思った。

シュルンシャーナはこの目で見たいのだ。

炎あげる岩山も、湖よりも広い海を、砂で作られた丘を、――――。

全てが叶わない夢だとしても、シュルンシャーナはこの目で見たいと強く思っている。

 

「偉大なる魔導王陛下が戻られる事はありません。二度と、そう、二度と無いのです」

 

独り言に返事をするように、突然聞こえた声にシュルンシャーナは飛び退く。

辺りは見晴らしが良いとは言えないが開けた場所である。そこにシュルンシャーナに気づかれずに近寄るなどただ者ではない。

 

「初めまして、ナーガの姫君」

 

するり、と影がおどりでる。

月明かりに照らされたその姿は、意外な事に人間のものであった。

 

「昼間の人間の残りか?」

 

シュルンシャーナは慎重に間合いを計りながら人間を注視する。

ぼろ布に覆われ肉体は殆ど見えないが、屈強な冒険者という訳でもない。どちらかというと弱そうな見た目の男だった。それに装備も一見したところたいしたものでは無いように思える。

しかし、その気配は強者のそれであった。油断はできないとシュルンシャーナは気を張る。

 

「そうとも言えますし、そうではないとも言えますね。魔導王、という言葉についついこうして姿を現してしまいました」

「お前は何者だ?」

「私ですか? 私はモモンガ。ただの旅の独演家でございます」

 

ナーガであるシュルンシャーナを前に警戒すらしない男に、やはりただ者ではないと確信する。

この男に自分達の住処を知られるのはまずいだろう。モンスターを狩る冒険者には見えないが、一人で自分の前に姿を現すほどの強さの人間。どんな思惑でここに居るのかはわからないが、危害を加えられないとも限らない。

 

「ああ、そのように緊張なさらずに」

「それは無理だ。ここから今すぐに立ち去るのならば、深追いはしない」

「これは面白い事をおっしゃるのですね。一体貴女達が私に対してなにが出来るというのでしょう?」

 

沈黙。

 

傲慢とも言える男の言葉には揶揄いなどはなく、純粋な疑問だけがあった。

それは、男がいかに強いかを物語っていた。

 

(おそろしい。この男は、とても恐ろしい)

 

シュルンシャーナにできる事は出来るだけ穏便に男に帰ってもらうことだろう。

必死に頭を回転させる。

この男の望みとはなんだろうか。

その望みが達成されれば、きっと立ち去ってくれるだろうか――。

 

「失礼。些か配慮を忘れた物言いでございました。しかしながら、私もたまたま心を同じくする相手に出会い舞い上がっていたのです! ご容赦ください、では――」

「少し待て!」

 

言うだけ言って立ち去ろうとする男を思わず呼び止めてしまった。

どう考えても悪手である。

しかしシュルンシャーナには聞き捨てならない事を言ったのだ。

 

「“心を同じくする”? 魔導王陛下を殺したのはお前達人間だろう!」

 

その存在が、そんな奴らが、何故死を嘆く?

 

「…………」

 

ピタリ、と男は立ち止まる。その背を向けたまま朗々と男は語り出した。

 

「魔導王アインズ・ウール・ゴウン陛下を失脚させ、魔導国を滅ぼしたのは人間であって人間では無いもの達です」

「なんだそれは? 亜人種だったとでもいうのか?」

 

「亜人種などはおりませんでしたね……人間、エルフ、ドワーフ。それに幾人かの獣人。総勢100人近い許されざる者達は至高の御方々とおなじ“ぷれいやー”でした」

 

「“ぷれいやー”?」

 

男は手を口元に持って行き何事かを考えているようだった。細かく動く唇は、何か言葉を紡いでいる様だったが、ここまでは聞こえては来ない。

一方、シュルンシャーナは聞いた事のない言葉と話に興味が強くそそられた。シュルンシャーナの好奇心はとても強いのだ。男はシュルンシャーナの知識欲を強く刺激した。

 

「100年に一度降臨する、絶対者の事でございますよ。――――よろしければ、ほんの短い話ではありますが、御付き合いいただけませんか?」

「いいだろう!」

 

シュルンシャーナは即答した。

こんなにワクワクするのは長老達に話をねだっていた子供の頃以来だ。閉鎖された小さな集落では目新しいものはすぐになくなってしまう。

シュルンシャーナの興味を満たすものとはもう長い間あっていなかった。

 

「それはとても助かります。誰かに聞いてほしくて堪らない。そんな気分だったのでございます!」

 

そんな様子を察したのだろう男は薄っすらと微笑みを浮かべた。

 

「さて、――――今宵の話はある帰郷を望む男の話。望み叶わず無惨な最期を迎える憐れな男の話でございます」

 

 

男は絶望の世界に生まれた。

ただのか弱い人間に生まれた男には生きにくい世界だった。

酸の大気。毒の海。木も草も無い灰色にくすんだ世界。

絶対的不平等を押しつける身分制度。

絶望郷とはまさにこの世界の事だろうと、男は長い間思っていた。

 

しかし、ある日男は別の世界へと行く力を手に入れた。

 

目を閉じ、目を開けると、世界は一変した。

そこは緑と光に満ちた冒険の地だった。

夢のようにつかの間しか存在できぬ場所ではあったが、男にとっては大切な場所になっていた。

 

男は強くなった。

男は仲間を手に入れた。

仮初めの場所での仮初めの関係ではあるが、男にとっては確かな繋がりであった。

 

その世界が終わるという瞬間ですらも、男は仲間たちと共に過ごした。

 

そして、――ここに来た。

決してありうべからざる事に仮初めの世界の姿でこの世界へと降臨した。

 

しかし、男も男の仲間たちも皆、元いた絶望の世界に帰りたく思った。

ここでは強い力と上等なアイテムはあるが、家族も仕事も、本当に大切なものは無いのだと、自分の居るべき世界では無いのだと、皆の意見が一つにまとまった。

 

「勇者の冒険はいつだって魔王を倒せば終わる」

 

男達は魔王を探した。

そして見つけた。

髑髏の外見をもつ悪名名高き魔王を。

 

名君と名高き魔導王。

しかしその名は仮初めの世界においてあまりにも“悪”であった。

“悪”を倒すという一つの目標のために、男達は策を使い魔王を陥れ城を落とし、そして――――魔王を倒した。

 

 

しかし帰る事は出来なかった。

“勇者の冒険”は終わらなかった。

 

男の仲間の内幾人かは、それを受け入れる事が出来ずに自ら命を絶った。

男は全てどうでもよくなっていた。

思えばそんなに必死に帰るような場所でもない。元の世界は絶望郷。仮初めの世界は滅び、そのどちらにも帰れぬこの身がここで朽ちようとなんの不都合があるだろうか。

 

帰れぬのならばそれで良いと、男は全てを諦めた。

男は自堕落の極致に至った。働きもせず、救いもせず魔王から奪った宝を肴に酒を呷る日々を過ごした。

その姿は男達に煽動され、夢を見た者達に絶望を与えた。

理想郷を壊し、魔導国と魔導王を滅ぼした男達は、その後“破滅を呼ぶ英雄達”と呼ばれる事となる。

 

 

そんな男の前に、ある日化け物が現れた。

山羊の頭を持つ悪魔が、魔導王から奪った宝を返せと詰め寄ってきた。

男は悪魔をせせら笑いながら自慢の剣を抜いた。

年をとろうと強さは変わらない。圧倒的な力を以って悪魔を切り捨てようと剣を振るう。

 

しかし、悪魔との戦いはたった一言の呪文で決した。

強大な力を宿した攻撃魔法は男の体を炭化させ、激痛は理性を容易く焼き切った。

 

 

男の思考は纏まらぬ罵倒で埋まる。

 

こちらの技よりも早く相手の技が決まった。

くそ。

魔法職最強の職業が相手だとは分が悪い。

くそ。

こんな所で終わってたまるか。

くそ。

くそ。

くそ。

 

 

「――男の気は遠のき、魔導国を滅ぼした者の一人はこうして死んでいきました。悲しきかな哀しきかな」

 

「愚かしき者は消え、偉大なる方も消え。世界は暗黒の時代に逆戻り。残された者達は過去の光を思い胸を痛めるのみ。破滅を呼ぶ英雄達のもたらす破滅の最後の被害者は自分であったという、皮肉な皮肉な話でございます」

 

「…………」

 

訳のわからない話だ。

シュルンシャーナの最初の感想はそれだった。

それは理解の追いつかない高度な話であったからだ。シュルンシャーナには世界というものが想像できなかった。それは産まれてから今まで、この森の中でしか生きてこなかったためであろう。

しかし。

意味のわからない世界観ながらも、シュルンシャーナは自分の胸がドキドキと高鳴っているのがわかった。自分が確かに魔導国の滅びの一端に触れたのだという実感。それが男の声から、表情から、動きから、確かに伝わってきたのだ。

お礼を言わねば。

脈打つ胸に手を当て陶然としていたシュルンシャーナの耳にモモンガの小さな声が聞こえた。

 

「ああ――――。やはりダメですね。私にはまだこれを語る事は出来ません。すみませんね、ナーガの姫君。このような無様なものをお聞かせしてしまいました」

 

シュルンシャーナに影がさす。

驚き見上げるとそこに居たのは、さっきまで話をしていた人間の男ではなかった。

 

水死体のようなふやけた体は青白く、横の瞳孔は生者を恨んでいるようだった。

いく本もの触手が頭らしき所から伸びたその姿は、蛸を無理やり人型にしたような化け物だった。

驚きに呼吸が止まるシュルンシャーナに、水かきのついた手が伸ばされる。

くちゃり。

粘液の分泌されている皮膚が頭に置かれる。

しかし、シュルンシャーナは逃げる事は出来ない。圧倒的強者の気配にガタガタと震える体が止まらない。

 

「ご心配なく。今宵の記憶を吸い出すだけです。お時間を頂きありがとうございました。少し頭が晴れたようでございます。このお礼はいずれ、別の形でしたいと思っております」

 

聞き取りづらい粘つく音。

全く違う姿にも拘らず、その口調は先ほどまで話をしていた男のものに聞こえた。

 

「お礼はいらない。お前の話はとても良かった」

 

ガタガタと震える声でなんとかそれだけを伝える。異形の顔が、ぐにゃりと形を変えた。それはわかりにくいながらも、笑顔だったのかも知れない。

くらりと視界がまわる。

化け物から発される恐怖に耐え切れず、シュルンシャーナは気を失った。

 

 

 

 

 

モモンガは気を失ったナーガを近くの草むらに横たえた。

おそらく起きた時には自分との記憶は残っておらず、記憶の無い一夜の出来事に、首を捻りながらも些細な事だと忘れるだろう。

モモンガは深いため息をついて空を見上げる。月の明かりに隠され、今日見える星はいつもより少ない。

 

かつて、――かつて父はこの空を宝石箱に例えた。

 

「ああ。ああ。愚かで未熟な息子だと、きっと嘆いておられるに違いない」

 

魔導国を襲った災厄。

ユグドラシルプレイヤーの襲来はそれまでは大きな問題も無く処理できていたのだ。あの者達が来るまでは。

 

「終わりを語れない語り部など半人前だというのに、私は一体どれ程の時を過ごせば一人前になれるのでしょうか」

 

今夜のように、幾度も幾度も終わりを語った事はあった。しかし、そのどれも自らすら納得のいかない粗末な出来であった。

ぎゅっと、決して落とさないように体に括り付けた背負い袋の紐を握る。

あるいは、この袋の中に入っているものの持ち主達が来られたのならば、自分はこの苦く重くくるしい心をねじ伏せ、託された使命を全うできる一人前の語り部となれるのかも知れない。

 

「いいえ、それでは駄目です。私は今! そう、今! 対峙せねばならないのです!」

 

モモンガは魔導国と魔導王、そして、アインズ・ウール・ゴウンの滅びと対峙する決心を固めて前を向く。

そうと決まれば次の町からブロートへ向けて手紙を出さなければならないだろう。

準備は入念に。我が父に恥じぬよう周到に。

 

月明かりに照らされた広場から暗く茂る森の中へモモンガは歩みを進める。

乗り越えなければならない過去が、そこにあるのだから。

 

語り部は、こうして一人が夜を往く。

 

 



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ツアレニーニャ 第一幕

――ツアレニーニャ、ツアレニーニャ。

美しき娘よ。

 

――ツアレニーニャ、ツアレニーニャ。

哀しき娘よ。

 

 

広く豪華な劇場には満員の人。

立ち見席では足りずに、手すりや通路に座り込むものまででる大盛況。

この日この劇場では人気の演目である歌劇“ツアレニーニャ”が公演されていた。

この演目の始まりは、ある男が集めた魔導国時代以前から魔導国の黎明時代の英雄譚の中の一編、“セバスチャン”が元であると言われている。

内容はありふれた悲劇から始まり、運命の相手と結ばれるところで終わる簡単なものである。

しかし、その魅力的な登場人物は人々に愛され、長く愛される演目として現在まで語り継がれている。

 

今回この“ツアレニーニャ”を主題にした歌劇は驚くほどの手間と費用がかけられていた。

書割が作られ、背景の垂れ幕が用意され、何よりも幾人もの役者を使って話が再現される大掛かりなものとなっている。

当然、それに伴い観劇に必要な値段は跳ね上がっている。だがそれでも見たいという人々が詰め寄せていた。劇場の方もこれに伴い上演数を増やし、上演日数を増やすなど急な対応を迫られた程だ。それでもこの混みようは一向に改善される様子は無い。公演予定は一週間だというのに開始から既に5日が経つ今、さらに上演日数を延ばせないかと劇場関係者が方々を説得しに回っている程である。

 

 

赤い幕が上がり、客席側の照明が落とされる。かわりに徐々に明るくなる舞台。

“ツアレニーニャ”の幕開けである。

 

――ある寂れた村にその娘はいた。美しくなびく金糸は整った顔を飾り、娘に華をそえる。

 

後ろの垂れ幕には牧歌的な村の絵が書かれ、語り部である男の声に合わせて娘役が現れる。

粗末ながらも清潔な服を着た娘。長い金の髪を靡かせて十分な広さの舞台を歩き、今日の主役は幸の薄そうな笑顔を観客へと振りまいた。

 

今回の劇に目玉となる役者は三人いる。

一人はツアレニーニャ役のマリエ。

彼女は普通の顔立ちをした女である。しかし、その演技力は国内随一であり、溌剌とした少女の役から、鄙びた老婆の役まで声と所作を使い分ける。今回の主演もトントン拍子に決まった程だ。

そして二人目は旅の独演家を自称する男、モモンガ。彼を連れてきたのは今回の劇の脚本を書いたフェルナンドであった。

道端で子供相手に話を聞かせている姿を見ての大抜擢。しかし、そんな事はおくびにも出さずに堂々舞台に立つモモンガは彼の語り部としての才能を発揮している。事実、今こうして多くの者が彼の声に引き込まれていた。

 

語り部は舞台の左端に立ち、弱い光を当てられている。“ツアレニーニャ”の冒頭は場面の転換が多く舞台上がめまぐるしく変わる。そのつなぎの役目ももつ彼は十分にその役割を全うしている。

時に声を張り上げ、声を潜め、大袈裟な身振りで観客の注目を集めていた。

 

 

――それに目を留めたるは横暴で名高いその地の領主。娘の両親に端た金を握らせて、妾として迎えるという口実のもと、家族と娘は引き離された。

 

領主役の煌びやかな衣装に身を包んだ男が現れ、小ぶりな袋を放る。袋は軽い音をたて床にぶつかると、中身から銅貨が溢れた。

そしてそれには目もくれず、領主は娘の腕を引き寄せて舞台袖へと消えていく。

 

――可哀想なツアレニーニャ。領主に弄ばれ虐げられる。

 

再び現れた娘はひどく汚れてほつれたボロ切れを巻きつけ、その体にはいくつもの痣が作られていた。

 

ーー不運で不幸なツアレニーニャ。領主に飽きられ捨てられる。

 

舞台袖から再び現れた領主に追い立てられ、娘は反対側の袖へと消えていく。

 

――捨てられた先では畜生にも劣る扱いを受け、ツアレニーニャは人の持つ尊厳を捨ててしまった。

 

首輪と手枷、そして足枷をつけた娘は貧相な見た目の男の前で這い蹲り、家畜のように食事をする。男はそんな娘を踏みつけると蹴り倒し、高笑いをして去っていく。

娘は蹴られたお腹を押さえながら再び餌としか言えない食事を再開する。

 

――尊厳を捨てたツアレニーニャ。抵抗を止め。

――抵抗を止めたツアレニーニャ。思考を止め。

――思考を止めたツアレニーニャ。生きることを止め。

 

髪を振り乱し暴れ回っていた娘が徐々に静かになり、とうとう倒れ伏せたまま動かなくなった。

そんな娘の狂演を背景に、語り部は粛々と話を進める。

 

――そうしてゴミのように扱われたツアレニーニャはゴミのように捨てられた。

 

 

 

バチン。

 

 

劇場内が完全に真っ暗になる。

ガタガタという音が響き舞台の衣替えが行われる。

その時、――――。

 

 

「ただいま戻りました我が君! お探しのスクロールが見つかりましてございます」

 

張りのあるバリトンと共に、劇場の一番後ろ、その扉を開けて煌びやかな執事服に身を包んだ男が現れた。

当てられたスポットライトに浮かぶのはプラチナブロンドの髪に彫りの深い顔の持ち主。皺が幾つか刻まれた顔は歳よりも威厳を感じさせるものであったが、スラリと伸びた背筋は男を若々しく見せた。

“ツアレニーニャ”におけるもう一人の主役にして最後の目玉役者、執事セバスチャンことアルフレッドの登場であった。

アルフレッドは長いキャリアを持つ美丈夫であり、その見た目から若い頃はあの“漆黒”すら演じた事のある一流の役者である。40に近い今では年嵩のある役を危なげなく演じる大御所である。

 

そんなアルフレッドの演じるセバスチャンは観客の上を歩く。

劇場に備え付けられている“見えざる床”の上だ。この床は不可視化の魔法がかけられており全く見えない、慣れた者でも歩くのを躊躇うほどである。その床をセバスチャンは武人の身のこなしで優雅に歩き舞台まで進む。そして暗いままの舞台の中央で膝をつくと、手に持っていた羊皮紙を捧げ持った。

徐々に舞台の明るさが戻り、そこにあったのは貴族の館と見まごうばかりの空間であった。

そしてその中央に背を向けて立っている人物。セバスチャンの主人であるサトゥール卿。近隣の国の大商人にして貴族位を持ち、魔法を修めた大人物。

 

「礼を言おうセバスチャン。さてはて、この地のスクロールはどのような内容かな?」

 

黒いローブを翻し、明らかになった姿は酷く怪しいものであった。

ローブのフードを深く下げ、銀に輝く仮面を被り、手には白の手袋。

その手を差し出しセバスチャンからスクロールを受け取ると興味深く広げ読む。

 

「ふむ。ふむ。これはとても興味深い!」

 

パチンと指を鳴らしてばさりとローブを広げると舞台に置かれた豪華な椅子に座り机の上にスクロールを放る。

 

「大儀であったセバスチャン。この地の魔法も実に興味深い! 私の知識欲を存分に満たしてくれる」

「勿体なきお言葉でございます」

「はてさて。素晴らしい働きをしたお前には褒美を与えねばなるまい? このスンズキィ・イア・マー・サトゥールに言ってみよ」

 

セバスチャンは顎を上げて促すサトゥール卿に一層頭を下げた。

 

「おお、慈悲深く優しき我が主。お気持ちだけで大変嬉しく存じます。貴方様へ仕えさせて頂けること、それが私の望みでございます!」

 

サトゥール卿は思案げに仮面で隠されて口元へと手を持っていく。数度頷くと椅子から立ち上がりセバスチャンの肩へと手を置いた。

 

「勿論だともセバスチャン。お前の願いは聞き届けよう。しかしいつも心を砕いて私に仕えるお前に私も主人として相応の対価を返さねばなるまい」

「ありがたきお言葉でございます……!」

「うむ。それでは今日は十分に働いてくれた。日が暮れるまでの時間好きにして良い」

「はい。失礼いたします」

 

そう言うとセバスチャンは立ち上がり舞台袖へと歩き去る。

 

 

残されたサトゥール卿は何度も頷きながら立ち上がる。そして舞台の中央まで来ると大きく腕を広げた。

 

 

「さて。今宵この屋敷に迷い込んだ者たちよ、私は君達を歓迎しよう。私の忠実なる従者、セバスチャンとその伴侶を祝いに来たのだろう?」

 

それまでの何処か気安い上位者の声色から一変、歌うような言い回しで言葉を紡ぐ。そして舞台の上で大きく回る。体の後に続く布地はばさりばさりと音たて、それを軽くいなしながら仮面越しでも分かるほど喜色に彩られた声をだす。

 

「――ツアレニーニャ、その姿は美しく」

 

奏でる声に静かな伴奏が響く。

 

「――ツアレニーニャ、その姿は醜く」

 

“ツアレニーニャ”は歌劇である。

当然多くの劇中歌があるが、その一番最初を飾るのはサトゥール卿が歌う、外なる視点からのアリアである。

劇中においても、サトゥール卿は外なる視点を持つ者として描かれる。それは観客であり役者であり脚本家の代弁者という事だ。そう言った狂言回しの立ち位置に立ちながらも、その歌声は魅力的な高さをもって流れる。

 

「――美しき髪は泥に塗れ。美しきかんばせは紫に染まる」

 

「ツアレニーニャ、運無きありふれた女よ。ツアレニーニャ、希望掴みし意志強き女よ」

 

曲調が変わる。それまでの悲しき音色では無く、軽快で愉快なものへと。そしてそれに合わせ、サトゥール卿もローブを少し引き上げてステップを踏む。

 

――かつての世界は悪夢の世界? 弱きを挫き強きを助け、私腹を肥やす豚のいる世界。

 

――かつての世界は悲しき世界? 強きは驕り弱きは奴隷、終わりを迎えるにふさわしい時代。

 

――ツアレニーニャ、王国の田舎に産まれた可憐な娘。

――ツアレニーニャ、領主に召し上げられ、捨てられた憐れな娘。

 

 

「しかしそんな彼女にも転機が訪れる」

 

 

――ああ! 腐り落ちる前の果実のような熟しきった王国。熟した果実が実を柔らかくし、その芳香が人を誘うように、王国という果実はその芳香で邪なものを誘う。

 

――――ツアレニーニャ

 

――ツアレニーニャ

 

ツアレニーニャ

 

 

――邪な者たちの手に堕ちた憐れなツアレニーニャ。

――自ら命を絶つこともできない可哀想なツアレニーニャ。

 

 

ふっ。

ロウソクの火を吹き消すように舞台の灯りが落とされた。

 

 

 

「もしその偶然が無ければ。彼女の命は汚辱の下に終え、名もない数多の女性の一人としてこうして語り継がれる事も無く忘れ去られていたでしょう」

 

スポットライトが語り部を照らす。

 

「しかしそうはならなかった。彼女は少しの幸運と、確かな意志によって彼女自身の未来を勝ち取るのです」

 

 

再び舞台に灯りがともる。

夕暮れの光に設定された紫色の間接照明は薄汚れた路地裏の書割を怪しく照らす。

 

「ここは美しい街だ。歴史のある街だ」

 

セバスチャンはゆったりと歩きながら呟く。

勿論役者が舞台上でする呟きであるから、それは劇場中に十分に響く声量だ。

 

「強い光によって影が暗くなるように、長く続いた繁栄はこの国を蝕んでいるようだ」

 

「そして、光が陰り始めた今でも影がの力は変わらず強く。……そこが歪みを生んでいる」

 

くるりと一周舞台を歩いたセバスチャンの行く手に大きな麻袋が投げ捨てられる。

中からは人の手。

怪訝な表情のままに近寄る。そしてそのまま通りすぎるようとする時にセバスチャンは麻袋から飛び出していたその手に足を掴まれた。

 

セバスチャンは静かな表情でその手を見下ろした。そして微かなため息をついたところにダミ声が投げかけられる。

そこには筋肉のよくついた厳つい男が立っていた。

 

「あぁん? 何見てんだよおっさん! 通りすがりならさっさと消えな」

「何を見ているか、ですか」

「あ? あ。あははは! おいおい! 変な正義感なんてだすもんじゃねぇぞおっさん!」

 

――オレはしがない娼館の下男さ!でも!

――違法? 不届き? そんなのオレらにゃ関係ないのさ!

 

――この国この街はオレらのシマ! 好き勝手の仕放題。クスリを売ろうと女を抱こうと、咎める奴なんてねぇのさ!

――衛兵も貴族もオレらの味方! 好き勝手の仕放題! 娼婦を潰そうとその後棄てようと、咎める奴なんてねぇのさ!

 

――訴えたところで意味はねぇ! お前を助けるものは誰もいねぇ!

――さあさあその仕立てのいい服を自分の血で濡らす前に。さあさあさっさとお家に帰りな他所者の執事殿!

 

「ってなわけだからよ。わかったんだったらさっさと行けよ。今だったら見逃してやるぜ」

 

ニヤニヤを下卑た笑いを顔に浮かべながら男は軽やかに歌い上げる。

 

「そうですね。ただ助けられるのを待つ者に差し出す手はございません」

「はははは! だろうよ! いかつい見た目の割にはなんだ、大したことねぇな! はははは」

「ですが――」

「?」

 

「ですが、貴女がもし救いを求め行動するのならば、私はそれを助けましょう。私の、私の名前にかけて」

 

静かに語りかけられた言葉に促されるように、手の持ち主はゆっくりと麻袋から這い出る。その手の持ち主は変わり果てた姿のツアレニーニャ。ぼろ切れの布をまとっただけの粗末な格好であった。

そして彼女はことさらゆっくりと顔を持ち上げ、確かな、されどかすれた声で一言言葉をつむぐ。

 

――助けて。

 

と。

セバスチャンは満足そうに頷くと驚いた顔の下男に対峙する。

 

「こういう事になりましたので、残念ですが失礼させていただきましょう」

 

歩くように自然に下男と間合を詰めたセバスチャンはその拳を的確に急所である鳩尾に叩き込む。

崩れ落ちる下男を尻目に、横抱きにしたツアレニーニャを抱えるとその場を後にした。

 

 

「――巨悪に磨り減らされた娘と、その巨悪の対峙せねばならなくなった男。二人が向かったのはサトゥール卿の屋敷でした」

「奇しくもそれは日が落ちる時間。セバスチャンが許された余暇の終わりの出来事でした」

 

「――我が主! 偉大で慈悲深きご主人様!」

「――我が主! 貴方様の忠実な僕セバスチャン只今戻りましてございます!」

 

語り部の声を裂くように、張りのあるバリトンへとスポットライトが当てられる。

ツアレニーニャを抱えながら暗闇を歩くセバスチャンは何度も何度も主を呼ぶ。

 

「聞こえているぞ。して? 何事だ。セバスチャン」

 

舞台セットの二階部分、しっかりとした作りの階段の上にサトゥール卿は姿を見せた。

 

――ああ! 慈愛に溢れた我が主。どうぞそのお力をお貸しください。

 

――おお! 忠実なる我が僕よ。お前の話を聞こうではないか!

 

「我が君。貴方様から頂いた時間で街を歩いているとこの娘が助けを求めて来たのです!」

「ほう?」

「どうやら非道な娼館で働かせれて居りましたようで、身も心もボロボロ。私に助けを求めたそれきり、動かなくなってしまいました。どうぞ、貴方様の僕に助けられたこの憐れな娘に祝福を!」

 

――なるほど、なるほど、セバスチャン。

――お前の話はよくわかった。

 

――主よ!

 

――しかしその娘を助ける事に何の意味がある? 私にどのような利益がある? 私に不利益はないのか?

 

――それは!

 

――娼館から許可は取ったのか? いや、それは助ける上では些細な事だな。しかしその後報復があるのでは無いか?

 

――ぐぅ!

 

――まあ、この街の破落戸共の報復などどうでも良いのだ。私が知りたいのはただ一つ。

――さあセバスチャン、我が忠実なる僕よ。答えるのだ。私にどのような利益がある? 私に不利益はないのか?

 

歌い上げる両者。

一人は片膝をつき深く頭を下げ、もう一人は悠然と構え立つ。

 

「我が主に利益など! この娘はあの娼館との諍いの原因になる事はあるだろうが利益をもたらす事ができるのだろうか?」

 

「いや、違う! 偉大なる主は報復など些細な事だと仰られた! ここは助ける事で得られる利益があると示すのだ! それが娘を助けた私の使命!」

 

――我が主よ!

 

俯きながら考えを口にしたセバスチャンは、決意を固めて顔を上げ、サトゥール卿へと訴えた。

 

「従順で決して私を裏切ることのない従者の願いの一つなど簡単に叶えることができる。しかし私はこの者に見せてほしいのだ、主人に意見するという、主人を諌めるという形の忠誠のありかたを……!」

 

「それに、ああ、セバスチャン、お前の心根はお前の父に似ている。その善意溢れる心のまま、私を説得してほしい。他の誰でもない、私の為に!」

 

対するサトゥール卿の心情も切々と語られる。

緊張感は高まり、両者は目と目を合わせたまま数瞬の時間がすぎる。

 

――確かに今は何の価値もありません。しかし今後は必ず貴方様のお役に立ててみせます!

 

――ほう。私の役に?

 

――メイドとして一流になるように教育いたします! 命を救われた貴方様に対するこの娘の忠誠心は強いでしょう! 貴方様の為に掃除をし、貴方様の為に湯を沸かし、貴方様の為に日々を過ごす。

 

「そのように私が確かに育てます。巣立ちを助ける親鳥のように!」

 

 

 

神の信託をまつ巫女のように、深く礼をし頭を垂れたセバスチャン。

それを見下ろすサトゥール卿。

 

ピンと張り詰めた糸のような緊張感が劇場を支配し誰もが固唾をのんで見守る。

 

 

「――――よかろう」

 

静かで厳かな声。

 

「その娘の生を私は認めよう」

 

「感謝致します、我が唯一の主よ……!」

 

 

「その娘を私の部屋へ。大魔法によりこの者の治療にあたる」

 

重たく翻るローブ。

その後を追うように、セバスチャンはツアレニーニャを抱きかかえて階段を上る。

ゆっくりと舞台が暗くなり、そして舞台の幕も閉じられた。

 

 

 

 



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ツアレニーニャ 第二幕

カランカランと第二幕が始まる事を知らせる鐘が響く。

ざわついていた観客達の声はやみ、その中で少しずつ小さくなっていく涼やかな響きだけが印象的に耳に残った。

そのまま幕が上がる。

舞台の上は未だ暗く、一体どのような場面なのか判断がつかなかった。

そこへ黒いローブに包まれた者がスポットライトを浴びながら現れる。

 

「遅クナッタ」

 

軋むような、不快な声。低い事からその者が男だという事が分かった。

そしてその男は舞台の半分も行かないうちに立ち止まり腰を下ろす。

すっとライトが広くを照らす。

半円の卓。座る5人の男女。一人だけ立ち、観客達に背中を見せる屈強な男。

 

「さて。些細な。しかし見過ごせぬ問題が起きた」

「それは?」

「娼館から娼婦が連れ去られた。なんでも身なりの良い執事が捨てるところを見咎めそのまま、だそうだ」

「はぁん? それは間抜けな事だこと」

 

「そこで、“八本指”から“六腕”へと依頼が来た。その不届き者を殺してくれ、だそうだ」

 

話を主導するのは屈強な、巌のような男。体の至る所に描かれた刺青が印象的だ。

後の者は面白そうな笑みを顔に浮かべて大人しく話を聞いている。

 

「ソンナニ強イノカ?」

「店一番の力持ちが一瞬だったそうだ。何よりもーー」

 

 

「「舐められる訳にはいかない」」

 

 

耳障りな不協和音。

異口同音に告げられたその答えに満足したかのように男は客席へと振り返る。

 

「その通りだ! “八本指”は、“六腕”は――何よりも俺は舐められるのが嫌いだ。愚か者にはその体でもって対価を支払ってもらわねばな」

 

渇いた笑い声、それは徐々に暗くなる舞台の上によく馴染んだ。

 

 

 

「“六腕”。とてつもない力を持った闇社会の掃除屋。親組織である“八本指”最高の戦力であり

単純な武力のみで言えば組織内最強」

 

「そんな者に目をつけられたツアレニーニャとセバスチャン。一体二人は――」

 

――ああ。温もりを感じるわ。

 

「――……。一体二人の運命はどうなってしまうのだろうか」

 

語り部を遮る美しい女性の声。

そそくさと舞台から去る語り部と入れ替わるように、その声は辺りに満ちる。

 

――ああ。心地よい温もりを感じるの。

――もう二度と感じる事は出来ないと思っていたのに。心が安らぐの。

 

――もう二度と戻ってこられないと思っていた場所にいる気がするの。

 

――ここは何処なのかしら。

――ここは何処なのかしら?

 

コンコン。

控えめなノックの男。

暗いままの舞台に浮かび上がるのは皿を持ったセバスチャンの姿だった。

 

「失礼。入りますよ」

 

かちゃりと音をたて中に入ると、舞台照明が一気につく。

そこは広く、簡素ではあったが客間として十分な内装の部屋であった。

 

――ああ。貴方は。

――ええ。私は。

 

美しい協和音。

それに驚くように照れるように、お互い顔をそらす。

 

――さあさあ。今まで頑張りましたね。辛かったでしょう。

――さあさあ。どうぞこれを食べて下さい。とっておきの料理、麦と野菜、それに肉を入れた粥です!

 

手に持った皿をすっと差し出し、セバスチャンは笑みを浮かべる。それを受け取るとツアレニーニャはひとすくい、そしてもうひとすくい口に運び、残りは流し込むようにお腹へと収めた。

 

――ああ、ああ。そんなに慌てる必要はございません。ご安心なさい。貴女は私と、そして私の偉大なる主人の下に保護されたのですから。

 

背中をさすり労わりながら言葉をかける。それにツアレニーニャは過剰に反応した。

 

「主人! 私はまた貴族に囲われたのですか?」

 

空になった器を取り落とし、布団に包まりカタカタ震える。その姿はひどく哀れを誘った。

 

「ご安心なさい。貴女がどのような半生を生きたのかはわかりません。しかし、私の主人は慈悲深いお方。貴女を害する事など万に一つも無いでしょう」

「…………」

 

――心配する事は無いのです。意志の強いお嬢さん。貴女は正当な対価を支払いました。

 

――いいえ。私は何も支払ってなどおりません。誰かと取り違えをされているのだわ。

 

――そのような事はありません。助かりたいという思い。それを行動で示し、口に出して請われれば助ける理由としては十分です。

――“困っている者を助ける事は当然である”。我が敬愛する方の言葉でございます!

――さあさあお嬢さん、布団から出て顔をあげなさい。

――陽はこんなにも明るく、世界は悪い事ばかりではございません。

 

――悪い事ばかりではない?

――本当に悪い事ばかりではないのかしら?

 

「ええ、勿論ですとも。それに、貴女とは話をしなければ。貴女の今後を決める話を」

「私の今後を……」

「ええ」

 

セバスチャンはニコリと笑い、布団に包まるツアレニーニャの手を取りベッドから連れ出す。

 

――さあ立てますか? 歩けますか? 身体の調子はいかがでしょう? 我が主人の偉大なる魔法の効果の程はいかがでしょう?

 

――うそ、立ってるわ! うそ、歩けるわ! 身体の調子はとってもいいわ! こんなに身体が軽いだなんて、一体どんな魔法なのでしょう!

 

セバスチャンにひかれるままにベッドから立ち上がり、白い寝巻きをはためかせながら、踊るようにツアレニーニャは舞う。

その手をとってリードするセバスチャンは微笑みを絶やさず、舞台は明るい雰囲気に包まれた。

 

――ああ、良かったです。ああ良かったです。貴女の心は晴れたようですね。さあ着替えましょう、こちらをどうぞ、我が主人からの下賜品です。

 

くるりくるりと回るツアレニーニャに合わせながら、セバスチャンは部屋の箪笥から一着のメイド服を取り出す。

 

「取り敢えずはこちらを。貴女さえ良ければ貴女を雇いたい、そう主人は考えておられます」

「そんな……! そこまでして頂く訳には!」

「大丈夫。ああ、大丈夫ですお嬢さん。我が主人は慈悲深いお方。貴女に良いように計らってくれるでしょう!」

 

それでは、と言い残しセバスチャンは部屋を出る。

ツアレニーニャは取り残された部屋で一人天井を見上げて途方にくれる。

 

――これは夢なのかしら?

――ああ、こんな事があって良いのかしら?

 

――地獄から救い出してもらっただけではなく、こんなに慈悲をかけて頂けるだなんて。それに……

 

――ああ。なんて素敵な方なの! ドキドキと高鳴る鼓動で胸が張り裂けそうよ。

――ああ。なんて魅力的な方なの! あの眼差しを向けられるだけで身体が熱くなってしまうわ!

 

――でも。

 

――私はどうなってしまうのだろう。あの方の主人は確かに慈悲深いお方。縁もゆかりもない私にこんなに良くしてくださるだなんて。でもだからと言って……

 

 

俯いて渡されたメイド服を見る。落ち着いた意匠のそれは、ただのメイド服のように見えた。

 

――いいえ。大丈夫よツアレニーニャ。

――大丈夫よツアレニーニャ。

――幸運が巡ってきただけよ、きっとそう。

 

――大丈夫よツアレニーニャ。きっと大丈夫。

―大丈夫。そう大丈夫に決まっているわ。

 

徐々に小さくなる歌声。それに合わせて暗くなる舞台。

 

 

 

再び灯りがともされた時には、場面は変わり、豪華な執務室と応接間が一緒になったようなセットになっていた。

豪華な机にはサトゥール卿。優雅に深く腰掛け、カリカリと紙にペンを走らせていた。

 

コンコン

 

ノックの後に続く声はセバスチャンのもの。

それに返事を返すと、ペンをペン立てに置き顔をあげた。

深く礼をして入るセバスチャンに続くように、セバスチャンの真似をしてぎこちなく礼をするツアレニーニャも入ってくる。

それに満足したように頷くと、サトゥール卿は声を上げる。

 

「よく来たセバスチャンそれで? 後ろの娘がそうなのか?」

 

身体を傾け覗き見るサトゥール卿。

セバスチャンは肯定の返事を返しツアレニーニャを前へと誘う。

 

――御機嫌よう閣下。私の名はツアレニーニャ、助けていただいてありがとうございます。

 

――気にするな娘。私の名はスンズキィ・イア・マー・サトゥール。礼は私よりセバスチャンに言うべきだろう。

――さて、

 

椅子から立ち上がりツアレニーニャに近寄ったサトゥール卿は上から見下ろすように立つとツアレニーニャに問いかける。

 

――さて、ツアレニーニャ。お前はこれからどうするのだ? 私のセバスチャンが自らの信念にかけて助けた娘だ、望むのならば長閑な村に住わせよう。

――望むのならば、この王都で職を探してやってもよい。

 

――さて、ツアレニーニャ。

 

 

――……サトゥール様、私は貴方様にお願いがございます。

――私をここに置いてほしいのです。

――受けた恩を返す機会を与えて下さい。

 

――ふむ?

 

――私に行く場所などありません。故郷に戻ってもまた連れ戻されるだけでしょう。ですからどうか、サトゥール様、憐れみをお与えくださいますよう。

 

深く深く頭を下げたツアレニーニャに、白い手袋のままサトゥール卿は触れる。

 

――お前の全てを許そう、ツアレニーニャ。さて、そうと決まれば忙しくなるぞ!

――セバスチャン。お前に彼女の教育を任せよう。

――さあ面をあげるがいいツアレニーニャ。お前の全てを私に捧げるのならば、お前の全てを私は守ろう。

 

深く礼をするセバスチャンとツアレニーニャを見て満足したように頷く。そして二人を下がらせた後、サトゥール卿はゆったりとした歩調で部屋を歩く。

それに合わせて強いコントラストが出るように舞台は暗くなり、ライトに照らされたサトゥール卿は浮かび上がる。

 

 

「さて、その後のツアレニーニャの話をする前に、いくつか確認をしておかねばなるまい? 観客の諸君」

 

「諸君は知らぬだろうが、この度敵対する事となった連中は強い」

 

「正確無比な突きに込められた凶悪無比な毒により命を奪う剣士」

「神速の速さを以って鞭のようにしならせた剣で遥か遠くを切り裂く重戦士」

「数多の剣を操り敵を追い詰める女暗殺者」

「幻影を以って敵を翻弄する魔法剣士」

「異形種にして不死者、第三位階の魔法を操る魔法詠唱者」

 

サトゥール卿の言葉と共に舞台セットの二階部分に現れる“六腕”の者達。暗闇の中に浮かぶ彼等はしかし、その誰も、同じく現れたセバスチャンと数度の攻防をするだけで倒されていく。

 

「もっとも、そのような有象無象などセバスチャンの敵ではない」

 

ド派手な魔法の演出が終わり、術者がその骸骨の姿を晒すと共に一旦その殺陣は終わった。

 

「しかし、最大の障害であり最強を目指す男は一筋縄ではいかない」

 

 

巌のような屈強な男。

その残忍な顔には酷薄な笑みが浮かび、舞台を見下ろしていた。

 

「私とセバスチャンの不在をついたその男は、ツアレニーニャを連れ去った。そしてツアレニーニャを人質としてセバスチャンに決闘を申し込んだ」

 

男が暗闇に手を伸ばすと、メイド服を着たツアレニーニャがライトの中へと引き込まれる。

そのまま、嫌がる彼女をいなしながら、男は舞台を後にした。

 

 

目の前が白むほどの光量に観客が目をつぶった一瞬のうちに舞台は元のサトゥール卿の執務室に戻っていた。

頭を垂れたセバスチャンとウロウロと普段とは違う様子のサトゥール卿は、その荒れた執務室を気にすること無くそこにいた。

 

 

「なんと腹立たしい事だ」

 

バンと叩かれた机の音に反比例して、その声は冷たく落ち着いていた。

 

「私が、この私が直々に。直々に守ると言った娘を拐かすなど許される事ではない」

 

サトゥール卿の言葉に深く頭を下げたまま、セバスチャンは感情を抑えた声で進言する。

 

「まさか外出時を狙われるとは迂闊でございました」

 

苦味走った声色のセバスチャンはガバリと音がしそうなほどの勢いで顔を上げると叫ぶように言った。

 

「ツアレニーニャを攫った愚か者は私との一騎打ちを申し込んできています。どうか我が主人よ、私にこの闘いに赴く許しを!」

 

「だめだ。この私を蔑ろにしたのだ、私が直々に滅ぼしてくれる。愚かな男め、部下を殺されたところで手を引いていればよかったものを」

 

ローブと仮面に覆われた姿から本心は見えない。しかし、その言葉には確かに怒りが見えた。

 

「しかし、お前の気持ちを汲んでやるのも主人の度量ではあるか……。明日の日の出まで時間をやろう、セバスチャン。もしもその間にツアレニーニャを取り戻せなければ私がでる。私はこれから用事があるが、供は不要だ」

 

言葉を区切り、窓の側に立つ。

 

「お前はお前のなすべき事をするがいい」

 

そういうとサトゥール卿の体が浮く。

そのまま部屋の窓を開き外に出ると、残されたセバスチャンにもう一度念をおした。

 

「いいかセバスチャン。夜明けまでだ。それまではお前を信じてまとう」

 

そしてそのまま舞台袖へと消えていく。

許しを得たセバスチャンはゆっくりと立ち上がると、寄った服のしわを伸ばすようにはたき身だしなみを整える。

 

 

「行ってしまわれた。我が主人の、あそこまでの怒りは久しぶりだ」

 

――ああ、ツアレニーニャ。貴女は今どこにいるのか。息災であってほしい。

――ああ、ツアレニーニャ。貴女と過ごしたこの半月がどれほど私の心を満たしたか。

 

 

――ああ、セバスチャン様。貴方は今もきっとあのお屋敷にいらっしゃるのね。

――ああ、セバスチャン様。貴方と過ごした半月がどれほど私の心を満たしたことでしょう。

 

どこからともなく聞こえてくるツアレニーニャの声。それは悲しみに彩られていた。

 

――やっと掃除の勝手がわかってきたのに。

――――やっとこの屋敷に慣れてきたようだった。

 

――ようやくサトゥール様に褒めていただけたのに。

――――我が主人もツアレニーニャを気に入ってきていたようだった。

 

――それなのに。

 

――なんと酷いことなのだろう!

――なんと酷いことだろうか!

 

 

セバスチャンは懐に入れていた本を取り出すとその表紙を観客にも見えるように掲げた。

 

「“今宵例の場所で待つ”! よりによって我が主人の書物にこのような落書きなど、あって良いはずがありません!」

 

「そもそも神聖なこの屋敷に立ち入る事すらも、この私が許さない!」

 

「ツアレニーニャの事も含めて、この事はきっちり償ってもらいましょう!」

 

決意を新たにしたセバスチャンは部屋を出て速足でさる。

それからは焦燥に駆られながらも毅然とした佇まいでいようとするセバスチャンの強さが窺えた。

 

 

 

暗く落とされた照明。

重く不気味な楽器の音。

ジャラリジャラリと聞こえる金属音。

青い光に照らされた円の中に両手を鎖で繋がれたツアレニーニャの姿が浮かぶ。

よれてくしゃりとしわの寄ったメイド服。金色の髪から覗く顔色は、青い光の中でより一層やつれて見えた。

 

「そろそろ時間だ」

 

暗闇の中から男が出る。

それは巌のような男であった。

 

「……」

「俺としちゃあきても来なくてもいいんだがな。来れば殺せばいいし、来なけりゃそもそも相手するまでもないってことなんだからよ」

「…………」

「ふん。こんな愛想のねぇ女のどこがいいんだかな」

 

――俺の名前はゼロ。

 

――この国の裏側で最強の男。

 

――俺の名前はゼロ。

 

――そして何れこの国最強となる男。

 

「チンケな依頼だと思っていたら、あのセバスチャンとかいう男は中々に手強い」

「自慢の部下だったんだがな……。まあ、死んだんならそれまでの奴らだったってことだ」

 

巌のような男――ゼロはそう言いあげると歩きだす。

それにつられて、ゼロを照らすライトも移動する。ライトに照らされ、全身の刺青が生きているかのように蠢く。

 

――俺の名前はゼロ。

――ではゼロ殿、メイドのツアレニーニャは返してもらいましょう。

 

予想外の方向から割り込む声にゼロは緊張感を持って振り向く。

そこには、セバスチャンが立っていた。

 

「泥棒の真似事かい? 執事殿」

「気がつかなかった己の間抜けさを人のせいにするのは感心いたしませんね」

 

ニ、三言の応酬で空気が張り詰める。

 

「俺は言葉で言うのは不得意なんだ」

「奇遇ですね。私もです」

「ここは一つの、拳と拳で話をしようか!」

 

ゼロは大ぶりな拳を繰り出す。

それを迎え撃つようにセバスチャンもまた拳を打ち出す。

ガキン。

肉と肉とがぶつかったとは思えない音が響き、空気が凍る。

 

「あんたもモンクって訳か!」

「ぬう!」

 

二人の体が勢いよく離れる。

ゼロはニヤリと笑みを浮かべ、セバスチャンは顰めっ面をしている。

 

「裏社会に名の知れた武人とは聞き及んでいましたが、まさかこれほどまでとは!」

「はっは! なるほどな! これはあいつらじゃあ倒せねぇ訳だ!」

 

右、左、下、左。

次々と繰り出される拳をいなしながらゆっくりと後退するセバスチャン。

 

「セバスチャン様!!」

 

ツアレニーニャの必死な声援を受けながら反撃の機会をまつ。

 

「どうだい爺さん! こちとらあんたのせいで人材不足だ。俺の下につく気はねぇか?」

「笑止!」

 

声とともに大きく弾きとばし、攻守が入れ替わる。ジリジリと押し返しはじめるセバスチャンに観客も手に汗握りながら見守る。

 

「交渉決裂か。じゃあ俺が最強だって事の証明に死んでもらおう!」

 

ゼロの体の刺青が光る。

これは特殊な魔法の塗料で描かれたもので、任意のタイミングで光らせる事ができるといったものだ。舞台の小道具としては一般的で、魔法の発動を演出する時によく使われるものである。

腕と脚、身体中が光に包まれ、劇場内が悲壮な興奮に包まれる。

 

「“猛撃一襲打”!!」

 

ビリビリと痺れるような破裂音。

それとともに吹き飛ぶセバスチャンの体。

高い悲鳴はツアレニーニャと観客の声が混じり耳障りに響いた。

 

「セバスチャン様!」

 

鎖で繋がれたままながらも吹き飛ばされたセバスチャンに寄るツアレニーニャ。

セバスチャンは赤い血糊に染まった手でそんな彼女の頬を撫でる。

 

――ああ、ツアレニーニャ。泣くことは無いのです。泣くことは無いのです。

 

――ああ、セバスチャン様! セバスチャン様!! 私なぞ見捨てても構わなかったのに。

 

――“愛する人には――”

 

綺麗なハーモニー。

 

――愛する人には生きていてほしいのです。

――愛する人には笑顔でいてほしいのです。

 

音のずれた協和音。

 

――ああツアレニーニャ。もしもこの年寄りの願いが叶うのなら。ああツアレニーニャ。笑顔でいてください。

 

――ああ神様。もしも愚かな私の願いが叶うのならば。ああ神様。この悲しく消えゆく命をお救いください。

 

思いを告げ合う二人の姿に興味を無くしたゼロが後ろを向き、立ち去ろうとした時、その声は響いた。

 

「私の命を忘れたのかセバスチャン。私は言ったぞ? 確かに言ったぞ?」

「“お前のなすべき事をしろ”と、確かに言ったぞ」

 

それはサトゥール卿の声であった。

 

「さあ、セバスチャン許可をやろう。お前の真の姿を見せる許可をやろう」

 

――目覚めるがいい竜人よ。私の忠実なる僕よ。“お前のなすべきこと”のため、お前の枷を私が外そう!

 

 

チカチカチカ。

 

明滅するライトの中で煙が噴き出す。それがセバスチャンを包んだかと思うと、そこに立っていたのは見間違えるような化け物だった。

 

――鋭い牙、硬い鱗。熱を孕む息に目の覚めるような赤い瞳。丘のような体躯。

 

――お前の全力でもってこの者を蹂躙するがいい。

 

竜に似た姿形。

さっきまでの冷えた空気はなく、今はただただ劇場内は熱かった。

玉の汗を浮かべながら、観客は只々その姿に見惚れる。

伝説の再現が今目の前にあった。

 

「聞いてない!! 聞いてないぞ! この化け物め!! 俺が目指すのは人類最強! お前のような化け物は勘定外だっ!」

 

ゼロはその姿に恐れ慄き、へたり込む。そしてジリジリと後ずさりながら逃げ出す。戦意を失ったゼロに対して、化け物はその大樹のような脚を振り下ろす。

 

肉の潰れる音と赤い照明。

 

それと対比されるかのように、ツアレニーニャは未だ真っ青なライトに照らされていた。

 

「恐ろしい」

 

歯の根が噛み合わない程震えるツアレニーニャ。

 

「恐ろしいモノがここにいる」

 

――ああ、ツアレニーニャ。

 

轟くような、低くしかし思いやりに満ちた声。それは未だその場を支配している巨大なモノから聞こえてくる。

 

――ああ、ツアレニーニャ。やはり貴女には耐えられないでしょう? こんな化け物と暮らすことなど。

 

――サトゥール卿。やはりツアレニーニャは人の国で暮らすべきです。どうかこの娘に今一度の温情を。

 

「そんな!」

 

――人の世に帰り幸せにおなりなさい。

 

 

俯き、何かに耐えるようなツアレニーニャ。しかし彼女は毅然と頭をあげる。そして睨むように、挑むように、その怪物を見据えた。

 

――人の世に私の幸せなどありはしません。

――ただ。

――ただ、貴方の隣にのみ私の幸せはあるのです。

 

「だから」

 

――どうか美しく恐ろしく、そして優しく思いやりに満ちたヒト。私を拒絶するのならば。

――どうか勇猛で勇壮で、そして私を思いやる慈愛に満ちたヒト。私を拒絶するのならば。

 

――その鋭い爪で、巨大な脚で、私の命を刈り取ってください。

 

その姿は祈りを捧げる女神のように、断罪を待つ咎人のように、その姿は見るものの心を動かす。

 

――ツアレニーニャ。

 

セバスチャンの声には覇気は無く。化け物の姿は幻のように薄らぎ消えた。

残されたのは許されたような、救われたような、そんな情けない顔の男だけだった。

 

――ツアレニーニャ。

 

二人の顔は近づき、その唇と唇が重なろうとした時――――。

 

幕は閉じられ舞台は終わった。

 

 

 

 



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ツアレニーニャ 余幕

 

幕がさがりその素晴らしさに劇場が沸く。気の早いものは劇の感想を隣のものと言い合っている。

未だ劇場内は暗く、千秋楽を迎えた“ツアレニーニャ”の余韻に陶然と浸っているものもいた。

 

ライトがつく。

 

それは幕が下がった舞台の出っ張り部分、語り部や舞台の挨拶などがされる狭い所である。

そこに姿を現したのはサトゥール卿。未だその仮面と手袋をつけたままの、ライトが無ければ背景に溶け込んでしまうほど暗い漆黒のローブ姿である。

それに気づいた人々は静かになっていく。劇の終わりにはこうして挨拶や話がされることも珍しく無い。なのでそれだと思ったのだ。

 

「さて。邪魔者は全て始末した」

 

幕が上がる。

そこには八つの椅子と七人の男女の姿。そのどれも糸の切れた人形のようにぐったりとしている。

 

「八本指など所詮は時代に踊らされる道化。それが私に逆らったのだ、当然の報いだ」

 

観客に背を向けると、サトゥール卿はその男女の頭を掴み、椅子から転がしていく。

 

「しかし。全てを許そう。死は平等に罪を洗い流す」

 

「諸君らも、私と共に二人の新き門出を祝ってはくれないか。そして二人を守護する私にも祈りを捧げる許可を出そう」

 

ゆっくりと、サトゥール卿の腕が上がり、その見事な細工の仮面に手がかかる。

 

「我らに永遠の繁栄を!」

 

現れたのは白磁の顔。

赤い瞳。

 

不死者にして絶対者。

超越者たる者がそこにいた。

 

 

 

どよめきが広がりきる前にライトが落とされ、会場が明るくなる。

先ほどまで確かにかの超越者がいた場所には何度も劇中で出てきた語り部がいた。

 

「――ご機嫌よう皆様! 夢は夢の中に、物語は記憶の中に戻る時間でございます」

 

まるで何事も無かったように言葉を紡ぐ語り部によって、観客達は我に返る。

そう、観劇の時は終わり、日常が戻ったのだ。これからまた代わり映えの無いいつもが待っている。名残惜しい気持ちのまま、語り部の言葉を聞き流す。

 

「三度に渡る追加公演の、その最終日までこうして多くの方々に愛されるとは、この公演に出演した一人として大変嬉しく思います!」

 

「さてはて、大変名残惜しくはございますが、今宵もついに終演の時。皆様におかれましてはお気をつけてお帰りいただきますよう。さらばでございます」

 

優雅な一礼。

愛想のいい微笑みを浮かべたその語り部は、そのまま気障ったらしく足音を響かせて舞台を後にした。

 

 

 

 

その日の夜、ブルムラシュールの街の酒場は“ツアレニーニャ”の話題で持ちきりだった。

昔からあり、耳に馴染んだ物語“ツアレニーニャ”。その大人気の歌劇が最終日を迎えたのだ、当然の事である。

しかしその話題の中身は人により千差万別。新しい解釈や現在の舞台技術の粋を集めた素晴らしい歌劇に対する賞賛。起用された人気役者に関する話題、なかには脚本に対する批評もあった。

その脚本に対する批評で最も多かったのが最終日最後の公演でされたサトゥール卿の一幕だった。

 

「おりゃあよ、自分の目じゃあ見れなかったんで詳しくはしらねぇけどよぉ。それってありかよぉ! 最後だけ特別なんてよぉ、納得いかねぇぜ!」

 

街に数多ある酒場。その中でも酒が少し安いだけの特徴の無い店。そこでは働き盛りといった丈夫そうな体の男達で賑わっていた。

その中で大声でクダをまく酔っ払いと、まあまあと宥めるその連れ。この光景は現在この街のそこらじゅうで見られる珍しくないものだ。

 

「確かに最後だけ特別って聞くともやもやするけどさ、そんなに荒れる事は無いだろ? 最後以外にも少しずつ演出が違ってたらしいしさ?」

「……なんだぁそりゃあ?」

 

それまで安酒をチビチビと飲んでいた男が顔をあげる。周りにいた者達も面白そうな話題に聞き耳を立てていた。

 

「いやなに、今日その特別な事の愚痴でさ、お前と見に行った時の事、他の日に見に行った奴と話してたんだよ。そうしたらさ――」

 

曰く、ゼロは炎の息で殺された。

いいや、一睨みされたらぶっ倒れて死んだ。

いやいや、セバスチャンはそもそも人のまま勝っていた。

などなどなど。その場にいた者だけでもこれだけの意見が分かれた。

 

「するってぇとあれだってのか? 毎回微妙に内容が違ったのか?」

「みたいだぜ。最後のツアレニーニャとセバスチャンのキスだって口と口だの手の甲だのツアレニーニャが抱きついて終わりだの、色々あったみたいだし」

 

へぇと、酔っ払った男が感心した風に相槌を打つ。そして気がつくと、周りを興味津々といった者たちに囲まれていた。

 

「その話本当なのか?」「やっぱりフェルナンドは天才かよ!」「え? 本当に!? え?」

 

雪崩のようにかけられる声に驚く。他人にこうして興味を持たれた事は滅多に無い。

そもそも諍いはあってもこうして機嫌良く話しかけられるなんて事はこの酒場では滅多にない。そんな珍しい状況に酔っ払った男は何処か楽しそうに得意そうな顔をする。共通の話題で知らない人々と盛り上がる。それはひどく楽しい事のように思えたのだ。ふわふわとした意識のまま、男は自らを囲む会話の輪のなかに入っていった。

 

 

 

高級酒場“白金の鱗”。

その中でも一部の者のみが使える特別室にその者達はいた。

現在巷を騒がせている“ツアレニーニャ”のメインキャスト達、そして脚本家の4人だ。

 

ツアレニーニャ役であったマリエは短く切られた銀髪の溌剌とした女性で、ニコニコと愛想のいい笑顔を浮かべていた。着ているドレスは髪の色を引き立てる群青で、年相応の落ち着いたデザインが良く似合っていた。

セバスチャン役のアルフレッドは役のイメージに近い薄い金髪の男性。店の雰囲気に合わせたしっかりとした服は、親睦の意味が強いこの席を考慮した堅くなりすぎない者である。

そんな見た目にも気を使う二人と対照的なのが語り部のモモンガと脚本のフェルナンドだ。

モモンガはまだしっかりとした服装と言えるだろう。上質な生地のジャケットとズボンはその南国風の容貌にあうものだ。しかしそれは一般的な酒場の場合であり、この場からすると垢抜けない印象になってしまう。

壊滅的なのがフェルナンドであった。舞台稽古の時に使う汚れてもいい動きやすい服装。彼はその格好で来ていたのだ。

 

テーブルには透き通るグラス。満たされた琥珀色の液体は上等な酒であろう。見るからに美味しそうな料理が並び、鼻腔を擽るいい匂いが立ち込めていた。

話しがしやすいように広さは無いが、4人で座るには十分な程の大きさを持つソファー。壁紙も調度品も品良くまとめられており、常人であれば部屋に入った瞬間からため息しかもれないだろう。

そんな場にチグハグな4人は揃い、グラスを掲げ持っていた。

 

「今回の公演の成功を祝して!」

 

脚本家のフェルナンドの音頭に合わせて上品な乾杯の声が上がる。それぞれ思い思いにグラスに口をつけ、コロリと氷が奏でる音を皮切りに談笑が始まった。

初めは今回の公演のことだったが、話はすぐに特別ゲストとも言えるモモンガに移る。

どこの出身か、どこでこんなに素晴らしい技術を身につけたのか、年は、今後の予定は。

そのどれもサラリとかわされるものだから、質問者であるツアレニーニャ役のマリエは拗ねてしまった。

 

「あーあ。マリエは拗ねたら面倒なんだぞ、モモンガ。少しは真面目に答えてやっても良いんじゃ無いのか?」

「はて? 私は至って真面目でございますよ?」

「お前なぁ……」

「ははは。では黄金卿から来られた遥永くを生きるモモンガ殿、もう一杯如何です?」

 

苦い顔つきのフェルナンドとは違い、アルフレッドはとて愉快そうだ。彼の勧めるままに杯を重ねたモモンガは、少しの間を置いてから顔つきを改める。

 

「しかしそうですね、今後の予定でしたら……」

「やっと真面目に答える気になったのね!」

 

その声にさっきまでの不機嫌などなかったかのように食いつくマリエ。勢い良く向けられた顔に仰け反りながら、ええまあとモモンガは返す。

 

「カルネ砦まで行こうかと思っております」

「カルネ砦に?」

「あそこって今何かあったけ?」

「いえ、公演がある訳ではないのです。ただ、人と約束があるのです。このブルムラシュールには思った以上に長居してしまいましたから少々急ぐ旅になってしまいますね」

「それって前々から手紙のやり取りをしてる人?」

「……ええ、まあ。その方です」

 

歯切れ悪く肯定するモモンガ。モモンガが誰かと頻繁に手紙のやり取りをしているのは、今回の演目の関係者には知れ渡った話題だ。何せモモンガは重要な役どころ。追加公演のために必死に頼んだのは記憶に新しい。

マリエはつまらなそうに言う。

 

「嫌そうな顔しちゃって。会いたくないんだったら会わなくても良いんじゃない? というか! ずっとここにいなよ! 謙遜するけどさ、凄いよ本当! 語り部とサトゥール卿の二役なんて!」

「確かに。モモンガ殿がここに居てくださるのであれば嬉しい限りです。皆の芸の道にも張り合いが出てきましょう」

「うんうん! 知り合いの駆け出しの子も“モモンガさん凄い”ってずっと言ってるし。ね、モモンガ」

 

「それはできません」

 

盛り上がる二人の声に冷水のように浴びせられたのはモモンガの声だった。確固たる意志をもった声にアルフレッドもマリエも口を噤む。辛そうな声色には恐れと、ほんの小匙程度の不安があった。

黙ってしまった3人の空気を察したのがフェルナンドであった。

 

「まあまあ二人とも。公演中何度も言ったし知ってるだろうけどさ、モモンガには無理して追加公演やってもらってたんだよ」

「それは知ってるけど……」

「マリエ。“一つの所には居着かない旅の独演家”、君の旅路に幸の多からん事を。ってね。気持ち良く送り出してあげるのがこの会の目的の一つだからね」

 

「感謝いたしますフェルナンド。あなた達にも幸運が多く訪れますように」

 

疲れたような笑顔を見せるモモンガ。それは本人の言うように永くを生きた者だけが見せる笑顔のようだった。

 

 

夜も随分と更け、4人が居た部屋には現在モモンガとフェルナンドの二人だけとなっていた。そのフェルナンドも酒と疲れの為に重たい瞼を擦っていた。フェルナンドは今回の公演で脚本だけではなく演出などまで手がけたやり手の傑物なのだ。その仕事量は多く、期間中は寝る間を惜しんで四方を飛び回っていた。

 

「今日はこれでお開きにいたしますか?」

 

空になったグラスや食器をまとめ、テーブルの邪魔にならない所には置いたモモンガはフェルナンドにたずねる。

 

「んー? いや、もうちょっと。もーちょっとだけ付き合ってよ」

 

先ほどから十何回と繰り返される問答にモモンガは少しだけ飽き飽きしていた。

幾ら疲労無効のマジックアイテムを持っているとはいえ、気疲れはする。それが人の観察に長けた者相手ならば尚更だ。それに――。

 

「だってさぁ。お前、朝一で次んとこ行くんだろ? このはくじょーもの! 俺はぁもっとお互いの教養を深めるためにだなぁ……」

「はいはい。それでしたら何度も何度もお伺いいたしましたとも。それで? 次は何についての話題ですか?」

 

名残惜しく思う気持ちがあるのだ。しかもモモンガは自分でもわかる程度にはこの男に深入りしている。

それもこれも、このだらしなく机に突っ伏している男の才能が本物である為だ。

そして何よりも気があう。長い時間を生きているがこのような存在に会う事は殆ど無かった。だからこそこうして言葉を交わして笑いあっていたいという気持ちが強い。

しかしそれは大事な使命があるモモンガにとって、甘い毒のようなものだ。モモンガには自らの命よりも優先するべき使命があるのだから。

 

「今日の最後。あれどう思った?」

 

フェルナンドは天才と呼ばれる人種だ。だから彼はこういう鋭い質問をしてくる。

モモンガはたまらなく思う。阿吽の呼吸では無いが、お互いがお互いを察しあう事ができる。それだけでも素晴らしいが、この男はモモンガが熱く語っても気にしない。むしろ興味深げに話をきいてくれるという殊勝な面もあった。それがモモンガにとっては心地よく、ついつい深入りしてしまう原因でもあった。

 

「大変素晴らしい、素晴らしかった。そう思いますよ」

 

今この街で持ちきりの話題。歌劇“ツアレニーニャ”の最終公演の最後に行われた衝撃の追加シーン。

主人公二人の主人であるサトゥール卿が実はアンデッドであったというそのシーンは既に広く波紋を呼んでいる。

しかしモモンガにとってはそうではない。

スンズキィ・イア・マー・サトゥール卿。

黒いローブを着て仮面と手袋で肌を隠した超級の魔法詠唱者。魔導国時代の演劇に登場する架空の、しかし有名な人物。それはひとえに、かのアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下が名をつけられ、更に演じられた人物である事が理由だ。

だから過去の演劇の題目でサトゥール卿と魔導王を同一視する演出はとても多かった。それだけで一大ジャンルがあった程だ。しかしそれも国が滅びて何十年も経つ頃には忘れ去られた。当たり前だ。明日の食事にも困るもの達が、どうして娯楽を楽しめるだろうか?

 

「サトゥール卿は魔導王陛下の暗喩である事はこの世界に身を置く者としては基本! まあ世情を考えると仕方がありませんが、些かかの御仁の名前を知る者が少なくなった、そう感じます。更に一般の観客ともなると絶望的でございます。それを考えると最後にああしてサトゥール卿の正体を明かすのは衝撃的な展開で強く記憶に焼きつくことでしょう」

「うんうん。流石モモンガ。そんな事まで知っているとは君の博学には本当に驚くよ!」

 

少し熱くなりすぎたかとフェルナンドの顔色を見る。彼は満足気に頷き続きを促しているようだった。

 

「過去には魔導王陛下と同等の扱いを受けていた役柄ですので演者としての重圧は重かったですね。しかし、大変やり甲斐のある配役でございました」

「いやぁ。そう言ってもらえると嬉しいなぁ。脚本冥利につきるな!」

 

酒の為ではない頬の赤み。フェルナンドは少し酒が抜けてきたのか水を飲む。

 

「でも俺はこんな事じゃ終わらない! 夢は大きく持つものさ!」

「ほう? その心は?」

「“魔導王国物語”を現代に! ってね。真・魔導国物語を書き上げる事が目標さ! 一大叙事詩の焼き直しと言われようとなんと言われようと、始まりから最期まできっちり華麗に楽しく悲しく書いてやるさ! で、俺が書いた"真・魔導国物語"の公演で大陸をまわる。壮大だろ?」

「――…それはそれは」

「主演はお前だぞ? モモンガ。カルネ砦の用事が終わったら戻ってこいよ。最高の舞台を用意してるからさ」

 

かなりの年嵩にも拘らず少年のような笑み。目尻に皺を刻みながら向けられたそれをモモンガは正面から見る事が出来ない。

その顔が眩しいだけではない。嫉妬、怒り、悲しみ、期待、喜び。清濁が交わらずマーブル模様を描く心。その心がフェルナンドの笑みを見る事を拒否していた。

 

「約束はできません。私には私の目的がきちんとあり、それはこの命よりも大切なものなのです」

「いーんだよモモンガ。戻ってきたい気持ちはあるんだろう? それで十分さ。俺はお前を待ってる。お前の演じるサトゥール卿をな。だからお前は気が向いた時にふらりと立ち寄って、そしてライトの中で好き勝手に自分をだしゃいーんだよ。それがお前に俺が求めてる姿さ。ド派手に過剰に、喜怒哀楽を表現する姿こそもっとも似合う。お前は生来の役者なんだからさ」

 

カラカラと笑い、そしてその後フェルナンドは糸が切れたように眠った。

この街に来てから幾度となく見た光景にモモンガは鼻から長く息を吐く。

 

「貴方に会うのが後1000年早かったならば、二つ返事でその提案を受けていました」

 

壁に掛けられていたフェルナンドの外套をその体の上に被せる。暖房の利いた室内では意味は薄いだろうがこれは気持ちの問題だ。

 

「去らばです。親愛なるフェルナンド。全てが終わり、それでも私が生きていて、貴方もまた生きているのならば、また出会う事もあるでしょう」

 

自らの外套を羽織ったモモンガは颯爽と部屋を後にする。部屋の扉の外で船を漕いでいた衛士に後を任せると店をでる。

そしてそのまま街の外へと続く道を行く。

 

 

日が昇り切らない朝靄の中ブルムラシュールを後にしたモモンガは考える。

フェルナンドの願いと主人の命令、どちらが優先されるべきなのか。

考えるまでもない。それは主人であり父でもある至高の御方の命令に決まっている。

ではその命令と願いが近い場合は?

いや、そもそも――――。

 

(私が今から行おうとしている事は主人に対する反目も同義でしょう。子供でもわかるほど単純明解で理に沿わない裏切り行為そのものです)

 

しかし。

しかし、とモモンガは思う。

もし同じ立場に置かれたナザリックのNPCがいたら、自分と同じ行動をしない者は居ないだろう。

肩から下げた袋を握る。こうしてその存在を確かめている時、モモンガは落ち着く。それは中身がモモンガの愛する貴重なアイテムだというばかりではない。自らの個人的な目標――欲望とも言える――を思い出させるものだからだ。

 

「後は玉体に輝ける赤き至宝の玉のみ。その手がかりがようやく掴めるというのに、引き下がれる筈がございません」

 

御身を縁取る艶やかな漆黒のローブ。白磁の指を彩る数々の指輪。御身の為だけに設えられた神器に等しい装備の数々。

その中で唯一足りないもの。

モモンガは全てを取り戻すつもりだ。だってそれは愛する父の遺品なのだから。

 

 

「薄汚い盗人の手から必ずや取り返してみせましょう! 我が神がそれを望まずとも!いいえ! それを貴方様が望まぬ筈はありません! ナザリックの! 至高の御方々の物は全て私が保管し管理し、正統なる持ち主に渡してみせます!」

 

 

――――それが我が神の思し召しであるはずなのですから。

 

 

朝露を弾きながらその男は進む。静かな草原、道なき道を。

彼の旅路を表すように、その日の空は高く高く。果てが無いまでに高かった。

 

 



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手紙

ベンベンベン。

 

広い舞台上には色とりどりの薄布が垂らされている。中央には赤地に金の模様が浮かぶ見慣れぬ服の女性。豊かな黒髪を流した後ろ姿で舞台に座る。彼女の下には草で編まれた敷物が敷かれ、すっかり異世界のような様相である。

 

ベン。ベン。べべベン。

 

リュートよりも硬質な、竪琴よりも勇ましい弦の音色。

 

――今は昔の話。

――西の果ての山の麓の鬱蒼と茂る森の中。

――28の力過ぎたる者達おりたてり。

 

べべベン。

 

――野にわけいり市井に交じりつ見聞を広め、一つの決意をかためり。

 

――“この地を統べる王は悪虐なり。人の身にあらず人を統べ、獣の身にあらず獣を統べ、死者の身にして生ける者を統べる矛盾の輩なり”

――“必ずやその力罪なき者にふるわれ、偽りの浄土は血に染まるであろう。しからば我らの力をもちかの者ら打ち倒さん”

 

はじき出される音色は固く激しく、いくつか旋律を変えて紡がれる。

 

――彼らが目指すは遥かなる故郷への帰参。それを遮る王を倒し愛しき故郷へと帰らんと。

――団結せし28人策をめぐらし決行せり。

 

――かの者の国力は甚大なり。しからば飢餓をもたらし衰えさせん。妖術師は禁忌を唱え、飢饉を呼び込まんとす。

――かの者の統治は盤石なり。しからば内応者をつのり内側から崩さん。武具師は貢物を作り、腐敗を呼び込まんとす。

 

――餓えは人から寛容さを奪い、腐敗は格差を生み平穏を奪うなり。種を越えた繁栄の影に押し込められた負の感情は噴き出し国を覆わんとした。

――然れどこの地の王、いち早くこの変化に気付き使者を遣わし、28のならず者と対話の場を築けり。

 

穏やかな音色。しかしそれはすぐに激しい音に飲み込まれた。

 

――ならず者等が通されしは絢爛豪華な城郭の都市。その中央に座するは禍々しいほどに美しい城。丁寧なもてなし、輝ける料理、贅を尽くされたその数々に、ならず者等に燃え上がるのは嫉妬の炎なり。

 

――“遠き地からの旅人よ。私はこの地の王。魔導王を名乗り平和を築くものなり”

――“勿論知っているとも魔導王。その悪名も高きアインズ・ウール・ゴウン。遠き世界で悪を成し、そしてこの地でもそれをなす者よ”

――“悪を成したのも今は昔、この地この場所でそのような事をするはずもなし。同郷者よ、共に歩んではくれまいか”

――“共に歩むなど笑止。我らの願いはただ一つ。生まれた土地へと戻る事”

 

――対話は決裂。剣技は裂空。

――聖騎士の剣は王に達し、巨大な都市一つを巻き込む争い巻き起これり。

 

――堅牢な城塞は瓦礫と化し。優美を誇った街並みは石塊と化す。

 

ベンべべン。ベンべべベン。

吟ずる声すらも強固さを増しその光景は歌い上げられる。

 

――王の側近も多くが敗れ、28人のならず者の内半数がその命を消せり。世界の終わりかと思われた激しい争いは一刻足らずで決着す。

――犠牲の多くが都市に住む罪もなき人々。そして王を守り戦った者達なり。勝利を収めた者達ですら、その多くが命を落とし別れに涙を流せり。

 

――誰が呼び始めたか“破滅を呼ぶ英雄達”。国を乱れさせ王を滅ぼし、民を絶望へと突き落とせし愚かなる英雄達よ。

 

――願わくば。

――願わくば君よ、対話と望む相手には対話をもって報いん事を。

 

 

――王を失って十の夏が来る前に彼らは討ち滅ぼされり。

――ある者は王を偲んだ義勇兵に。ある者は故郷に帰る術がわからず自ら命を絶った。

――ある者はその非情な行いが己に返ったかのような死を遂げた。

 

 

「――かくして、“破滅の英雄達”と呼ばれた者達世を去りて、世界は再び元に戻れり」

「人間は人間、亜人は亜人、異形は異形の世界に分かれ、今に至ることと相成った」

 

ベンベンベンと最後に吟遊詩人の持つ楽器が音を立てる。

最後にひとかきかき鳴らし、特徴的なその楽器の弦を鳴らす扇型の撥を引き上げた。

後ろ姿のまま異国の服に身を包んだ女は立ち上がる。そして正面を向き優雅に一礼をすると舞台袖へと去っていった。

 

 

出番が終わり舞台裏から控え室に続く廊下を歩いていたところに男性の声がかけられた。

 

「一日目の午前中お疲れ様。さっきの演奏はとても良かったよ、ヒカリ。全く以って素晴らしい。彼にも聞かせたかった!」

 

振り返ったヒカリはきっちりと時間をかけた丁寧な礼をする。そんな礼を受けた劇場長のアランが親しげな笑みを浮かべて軽く手を上げて答える。

遠い街から噂を聞いてヒカリを招待したアランは最初にヒカリの姿を見た時にとても驚いていた。どうやら自分の事を男だと勘違いしていたらしい。

「“響き渡る巨木のような声が素敵な吟遊詩人”と聞いていたものだから……」

と、顔を真っ赤にして自らの非を詫びる姿に、ヒカリは好感を抱きすぐに彼を許した。そもそも森妖精は中性的な種族だ。ヒカリ自身も自らの性別に特段こだわりは無い。間違えられたところで不快には思わない。

ヒカリ・マルコ・フランシス。

彼女はキモノと呼ばれる民族衣装に身を包んだ森妖精である。特徴的な長い耳を隠すように黒い髪を長く伸ばし、先の方で緩く結んだその後ろ姿は異国情緒に溢れている。このブルートの街でもその姿は高い人気があり、演奏中は後ろ姿で行うようにと頼まれるほどだ。

そんな彼女は先ほどまで弾いていた琵琶を胸に抱き、何かと目をかけてくれるアランに笑顔を送る。

 

「ありがとうございます劇場長。私も劇場長がおっしゃる方に一目でいいのでお会いしたかったです」

 

鈴が転がるような声。舞台上での低く響くような声を聞いた後であるとその差に驚くだろう。

 

「ははは。そう言われるともっと真剣に引き止めておけば良かったと思うよ。次の予定が決まってると言われては流石に無理強いはできなかったけれど」

「腕がいい方なのですね。この世界で他の街から声がかかるなんて素晴らしいですもの」

「そこはもう保証するよ。あとは引き出しがとても多いのも良かった。急な出演依頼にも対応のできる程手慣れていたし、幾つか話を書き出してもらったけれど、どれも歴史的な価値がつきそうな程素晴らしいものだったよ」

「幾つか書き出してもらったとはどういうことなのですか?」

 

長話になりそうな気配にヒカリはそれとなく廊下の端による。アランもそれに気がつき少し端に寄った。

アランは劇場長。忙しい立場の筈だがこうして自分に時間を割いてくれる。遠い土地から来た身としてはとても嬉しい気づかいだとヒカリは思う。

 

「そのままの意味だよ。全部で23編だったかな、書いてくれたんだよ。脚本に起こしてこの街での公演が終わった後、他の街にも広める約束でね」

「自分の知識を人に託すだなんて不思議な方なのですね」

「ああ、不思議な男だったよ。もしも他の街で会ったら是非よろしく言っておいてくれないかい? 名前は独演家モモンガ。君と同じ黒髪の、君と違って冴えない顔つきの男なんだがね。舞台に上がるとそれはもう別人さ。いや、言動は特に変わらないんだけどさ、それはもう……。ヒカリ?」

 

調子良く喋り続けるアランは真剣な顔で黙りこくってしまったヒカリを不思議な顔でみる。今まで見たことがない、舞台に上がる時よりも真剣な表情だ。

 

「失礼ですが劇場長、もう一度その方の名前を聞いても?」

「ああ、もちろんだとも。モモンガ。旅の独演家のモモンガと名乗っていた。ひょっとして知り合いかい?」

「いえ。直接あったことは……相手は忘れていますね、多分」

「君のような美人を忘れるなんてありえないだろう! 」

「お上手ですね」

 

その後幾つか言葉を交わした後、午後もよろしく頼むよとアランから激励され二人は別れた。

 

 

宿の部屋に戻った後、顔に施していた化粧を落としながらヒカリは考えていた。午後の出番は夕方からなので時間がかなり空く。今のうちにこの街に来るまで使ったアイテムの補充と、本業の冒険者としての依頼書の選別をしなければいけない。

考えれば簡単に湧き出す今後の予定に頭が痛くなる。自分があまり思索を巡らすのは得意ではない事を思い出して考えるのをやめた。

眦にも引いていた紅を落とし、控え室に用意されていた姿見を見て見逃しが無いかを確認する。

満足したヒカリは服を着替えて髪の毛を高い位置で結び直す。吟遊詩人の師匠からもらったあの豪華な服は、実を言うとヒカリの美的感覚でいえば派手すぎた。それに特に魔法を込められている訳でも無いのだ。普段使いしている母のお下がりを着込むと、そこに居たのは“異国の吟遊詩人ヒカリ”ではなく“冒険者ヒカリ”。明日の演目の事を考えつつ、無限の背負い袋を持ち仲間の下へと向かった。

 

 

 

彼女がブルートの街で公演の初日が終わったその日、簡素なだがしっかりとした作りの手紙が届いた。

届けてくれたのはブルート劇場の劇場長、アラン。正しくは劇場長の友人宛に届けられた中に彼女宛のものがあったのだった。

送り主の欄には簡素にモモンガよりと書かれており、高級紙を使われている以外に特別な点は無かった。

しかし送り主の名前を見た彼女は一もニも無く手紙を読んだ。

それこそ届けた劇場長であるアランも、打ち上げをしようと共にいた冒険者チームの仲間も驚く程の勢いだった。

 

 

 

~はじめまして。私はモモンガ。旅の独演家のモモンガと申します。この度は突然ながらもあなたの噂を聞き、こうして筆をとらせていただきました。

 

なんでもあなたは“破滅を呼ぶ英雄達”に詳しいとブロートの劇場長にお聞きいたしました。そしてこうして手紙を差し上げました。

私も共に芸能の道を行くもの。よろしければ何か一つ、返信と共に物語を書き送っては頂けないでしょうか?

 

評判高き吟遊詩人殿へ~

 

 

 

美しい書体で書かれた手紙。

彼女は何度も読み返した後手紙をひっくり返したり封筒を覗き込んだりした。その奇行に心配した冒険者仲間の一人が声をかけるとやっと我に返りオドオドとした様子を見せた。

 

「どうしたんだリーダー。大丈夫か? 顔色が悪いぜ」

「あ。ごめんなさいみんな返信の宛先が無いかなって探しちゃって」

「そんなに気になるんだ?」

「返信先のだったら友人のニュクスが知ってるかもしれないから聞いておこうか?」

「お願いします!」

 

間髪容れない返答に劇場長が一歩後退する。ヒカリはそんな事に気づく余裕も無いのか、またしばらく黙りこむ。視線はじっと手紙の一点にあり瞬きすらしていない。

 

十分すぎる沈黙の後、ごめんなさいと彼女は静かに謝罪をした。

そして仲間達に爆弾発言をした。

 

「突然ですが、……チームを解散したいと思います」

 

突然の発言に同じチームの仲間達が色めき立つ。必死に思いとどまらせるように言う声の中、ヒカリは退室の挨拶をしてそのまま駈け出す。見送ることしかできなかった一同は何度も目を瞬かせた。

 

 

ヒカリは返事を書くのに必要な道具を買い込むと宿に篭った。買ったばかりの羽根ペンを馴染ませるようにインクにひたし、ゆっくりと書き出す。

その手は酷く震えていた。

 

 

 

〜お手紙を頂きありがとうございます。

アラン劇場長から話は聞いています。随分と素晴らしい腕の御仁だそうですね。

 

ところで、あなたはプレイヤーなのですか?〜

 

 

 

書いた一文を線で消し、ぐしゃぐしゃと紙を丸める。

 

手の震えは止まらず、そのせいで歪んで滲んだ惨めな文字。グルグルと頭の中の考えがまとまらないままに、それでもヒカリは手を動かした。

 

〜あなたはユグドラシルを知っていますか〜

〜あなたは“破滅を呼ぶ英雄達”を恨んでいますか〜

〜あなたは私を知っていますか〜

 

〜あなたは本当にモモンガさんなのですか〜

 

ぐちゃぐちゃぐちゃ。

便箋の文字を塗りつぶす。

人違いかもしれない。そうじゃないかもしれない。

恨まれてないかもしれない。恨まれてるかもしれない。

そう。だってあれから長い年月が経っている。人は死に、人は生まれ、命をつなぐ。

エルフの自分もすっかり年を重ねて大きく育った。

だから、だから――。

 

インクで真っ黒になった紙を捨て、新しい紙を引っ張り出す。

普段使いしないので帰りがけに買ったそれは淡い色がつけられた洒落たものだった。

それにできるだけそぐう様に丁寧にインクを滑らせる。何度も深呼吸をして心を落ち着かせながら簡潔に、できるだけ自然になるように返信を書く。

 

 

〜お手紙ありがとうございます、モモンガさん。

私の名前はヒカリ。ヒカリ・マルコ・フランシス。冒険者をしながら吟遊詩人として歌い歩いているものです。

貴方のことはブロートの劇場長から聞いております。

 

もしよろしかったら手紙ではなく、直接会ってお話ししませんか?

 

ヒカリ〜

 

 

――だからその名を名乗る者が本人である可能性があるのだ。

 

三度読み返して不備が無いかを確認する。

この手紙はとても大事なものなのだ。失礼があってはいけない。警戒されてはいけない。

自分はその為にここに居る。

 

「これで良し!」

 

出来に納得して三つ折りにする。そして封筒に入れて封をした。後は劇場長の友人だという人に送り先を聞くだけだ。

緊張していたのだろう、そう思った瞬間に眠気が襲ってくる。

顔でも洗おうと宿共同の洗面所へ向かうため部屋を出ようとしたところでやっと、ヒカリは自分が随分と勝手な行動をしていた事に気づく。

自分と共に歩んでくれた仲間達に一方的に別れを告げてしまった。いくら焦っていたとはいえ、あれは余りにも酷い。

すっかり陽の落ちた宿屋の中は時間がわかるものなど何も無く、仲間達が今起きているのかすらわからなかった。

 

 

 

 

翌朝、ヒカリは朝一番に冒険者組合へと足を向けた。

伝説の英雄・モモンに縁のあるこの地の冒険者組合はその影響が色濃く、モモンのレリーフがその建物の壁の一面に彫られていた。

その見事な彫刻に見向きもせず建物の中に入ると、そこは少しでも良い依頼書を探そうと群れを成す同業者でいっぱいであった。ヒカリは入り口近くの掲示板をなんとか抜けると、まだ人口密度がましな奥の方へと移動する。背の高くない女性であるヒカリは簡単に人混みに埋もれてしまう。この中で仲間を探すのは至難の技だろう。

 

「何か依頼をお探しですか?」

 

ヒカリは身なりのいい女性に声をかけられる。その姿は冒険に出るものでは無く、見た目に気を使った町娘と言った出で立ちーーつまりは組合の受付嬢のものだった。

 

「いいえ。仲間を探していて。今日ここにチーム“アールヴヘイム”は来ていませんか?」

「ああ! 彼らでしたら彼方に」

 

そう言って手で示されたのは二階部分にある会議室の一つだった。

 

「あら、ヒカリ様こんにちは」

 

別の受付嬢に声をかけられた。顔を見るとどこかで見た顔だった。おそらく昨日街に着いたその時に対応した人だろう。

 

「何やら皆さん深刻な顔でしたけれど、何か問題でもありましたか?」

「あ、いえ。大丈夫です。ありがとうございます」

 

そそくさと仲間達が居るだろう会議室へと向かう。気まずさで顔はあげれない。

問題なんて言葉で済ませられるものではない。

何よりも、その原因は自分にあるのだ。

逃げ出したいほどの気まずさ。しかしここで逃げ出してはいけないという意地で、ヒカリは足を進める。

意を決して扉を開いたその先には、驚いた顔でこちらを見上げる仲間達が居た。

 

 

 

「昨日はごめんなさい。でも決心は変わりません」

 

席についたヒカリを待っていたのは沈黙。

それを破った彼女の声は力に満ちていた。

冒険者チーム“アールヴヘイム”。

最高ランクはアダマンタイト。現在はミスリルであるこのチームは結成以来20年の長い時が経っている。その間幾つものメンバーの出入りがあった。その中で唯一、結成以来共にいる魔法詠唱者である老女がゆっくりと口を開く。

 

「そうかい。寂しいけれど、仕方無いね」

「ババ様! そんなあっさりといいんですか!?」

「ヒカリさんも考え直して下さい! 俺らに良くないところがあったのならば直します!」

「そうだね。せめて理由くらいは話して欲しいかな、リーダー」

 

戦士、神官。最後に聖騎士。

仲間達の顔を見回したヒカリはその顔に自分に対する非難が無い事に少し安堵した。そして自分の小ささに悲しい気持ちになる。自分はこの素晴らしい仲間達を捨てるのだ。自らの目的の為に。

 

「詳しい事は話せないわ。みんなを巻き込みたくは無いの。でもそうね、最後の餞別に一曲、聞いてもらえるかしら?」

 

背中に背負っていた琵琶を取り出しベンベンと鳴らす。弦の調子を確かめている途中で、高齢の魔法詠唱者――マリーはゆっくりと手で遮った。

 

「馬鹿な事をおやりでないよヒカリ。歌で誤魔化そうだなんて幼子でもあるまいし」

「誤魔化すつもりなんてないわ。本当よ」

「あんたに無くてもあたし達はそう受け取ると言っているんだよ。できる限りで良いから理由を言いな。あんたは昔から抱え込みすぎる」

 

マリーの、その皺くちゃになった手に包まれてヒカリは撥を膝に落とす。

もう一度拾い上げる気にはならなかった。

 

「話せないわ。巻き込んでしまうもの」

「じゃあ離れられないね。親友を見捨てるなんてできやしないんだから。たとえリーダーを止めてもついていくからね。嘘じゃないよ」

 

それはあんたがよく知ってるだろう? と、マリーはくしゃりと笑顔を作る。

その笑顔にヒカリは長い長い溜息をつく。昔からこの年下の親友には勝てないのだ。

 

「マリーはいつもずるいわ。孫ができたんだからチームを抜けても良いって言った時もそうやって言ってたもの」

「可愛い妹分も大事だからね。あんたをおいて行けるわけないだろう」

「私の方が年上なんだけどなぁ」

 

深い皺が刻まれた顔の中で、そこだけが変わらない緑の瞳。

マリーのその瞳を見る。マリーは目をそらさなかった。

 

「さあさあ話してごらん。あんたは一人じゃないんだし、こうして力になりたいっていう奴らがいっぱい居るんだから」

 

 

ヒカリは琵琶を置いてポツリポツリと語りはじめる。

自らの過去と、手紙の送り主に関する話を。

 

全てを話し終えてヒカリは背負い袋の中に手を伸ばし、水入れを取り出す。一緒に取り出したグラスを人数分用意して水を注いでまわった。最後に自分のグラスに注ぐと、ゆっくりと飲み干す。

飲み干したタイミングでマリーはゆっくりと喋り出す。

 

「……話してくれて嬉しいよ。ヒカリ。今まで頑張ったね」

 

「そういうことならば、まあ、チーム“アールヴヘイム”は解散だね」

「ババ様! そんな……!」

「一旦、ね。解散ってより活動を一時やめるって方がいいかね」

 

「え」

 

「終わったら戻って来な。冒険者まではやめないんだろう? なーに、二月ほどあればカタがつくだろうさ。それまでは長めの休暇って事で、決まりだね」

 

パン。

 

マリーの手を打ち合わせる音を合図にするように話は終わった。マリーとヒカリは連れ立って組合にチームの一時的な活動停止を告げにいく。

組合の方は驚いたようだが、詳しく事情を聞くことはなかった。

 

「それじゃあ待ってるからね。必ず戻ってくるんだよ。それと、今日の公演もしっかりとね」

「ありがとうマリー。頑張るわ」

 

 

 

その後。

ヒカリは幾度かの手紙のやり取りを“モモンガ”とおこなった。

“モモンガ”は最初はつれない態度であった。しかしいく度にも渡るヒカリの手紙に根負けしたのかついこの間、待ち合わせの場所を指定した手紙が届いた。

 

 

 

〜優秀なる吟遊詩人殿へ

 

あなたのその根気には負けました。

わかりました。少し遠いですが旧魔導国にて栄し不夜の砦、カルネにて待ちましょう。

 

あなたの旅路に幸あらんことを。

 

モモンガ〜

 

 

 

その日のうちにヒカリは旅支度を整えて旅立った。

次の街までの水と食料と野宿用の装備を馬にのせ、曇り空をみあげながら先の事を考える。

 

「最後にもう一度、マリーに会いに行けばよかったなぁ……」

 

かつての口調に戻ったことに気がつき指で唇に触れる。

300年以上昔の、まだ少女よりも幼い時分に母の友人やその子供たちと過ごした頃に使っていた言葉だ。今ではマリーの前で話す時にときどき出るくらいだったのだけれど。

 

「ああ、怖いなぁ。“モモンガ”さん怖い人じゃなければ良いけれど」

 

 

 

 

それから三週間の後、彼らはカルネ砦にて相見える。

 




とうとう本文中に原作キャラが居ない話になってしまいました。
次回から多分最終章です。


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魔導国の終わり1




「モモンガさん! 実は相談があるんだけど良いかな?」
「なんですか、やまいこさん改まって」
「実はボクの妹の明美のギルドがさ、拠点手に入れたんだって!」
「ああ! 明美さんですね。そうですか! おめでとうございます」
「それでさ、むこうのギルマスの好意でNPC作るらしいんだけど、外装をボクの作ったユリとお揃いにしたいんだって!」
「それは……なんというか、本当に明美さんはやまいこさんが好きなんですね」
「えへへ、なんかモモンガさんにそう言われると照れちゃうなぁ。で、本題なんですけど!」
「私は良いと思いますよ。明美さんとは親しくさせてもらってますし、何より外装データだけなら悪用の仕方が思いつきませんし」
「やった!」
「でも一応ギルドメンバー全員に聞いて多数決とりましょうか。公認の方がやまいこさんも明美さんも良いでしょう?」
「モモンガさんが味方なら百人力だよ! プレゼンのときのフォローよろしくね!」
「百人力って……メンバー41人しかいないですよって……行っちゃった。うーん。プレゼンの時のフォローなんてやった事無いんだけどなぁ……。でも、なんとかするか」


これより数日後、本人の知らないところでユリ・アルファに一人の妹が増えた。



ヒカリがカルネ砦に一番近い村に着いたのは夕暮れ時だった。

西へ沈む太陽が作る長くのびた影を追いかけるように進み続けたヒカリは夕食の準備に忙しい村人達に宿を乞うた。珍しい旅人を幸い村人達は快く向かい入れてくれた。その日は村の道具入れとして使っている小屋に泊まらせてもらえる事になった。

 

「森妖精のお姉さんはこれからどこに行くの?」

 

そう尋ねたのは井戸の場所を教えてくれた7歳程の少女だった。

ヒカリは素直に今から行く場所の事を話すと、その少女は不思議そうな顔をした。

 

「カルネ砦に行くの? だってあそこはなんにも無いよ? ただ草原が広がっているだけだし、夜にはこわーいモンスターが出るんだよ?」

 

ここの近くの人達は絶対に近寄らないのに。と、不満顔で言ってくる。

人と会う約束があるからと告げても少女は首を振るだけだ。

 

ここ最近近くの村にも誰も来ていない。一体誰に会いに行くのかと。

 

「手紙で約束しただけだから、どんなヒトなのかわからないの。でもすごく良いヒトだと思う。文面も字も、とてもきれいだったから」

 

少女との会話はそこで終わってしまった。すっかり陽が沈んだ村は、年端もいかない子供が出歩いていいところではない。

ヒカリは案内の礼に家まで送り届けると、今夜の寝場所へと戻り体を横にする。

明日は陽が昇ったら村を出よう。お礼に幾らかの金子と食べ物も渡そう。

うつらうつらと揺らめく意識の中で、何者かに見られているような、そんな気がした。

 

 

 

翌朝。朝霧の中をカルネ砦へと歩いていく。

冬の早朝は四肢まで凍てつく寒さで、膝まである外套をすっぽり被ったヒカリはフードの隙間から辺りをみる。

昨日泊めてもらった村の少女が言った通り、カルネ砦はほとんどが草原であった。伸び放題に伸びた草の中にぽつりぽつりと石が転がっていた。

ヒカリは足元に転がる城壁の欠片に足をとられないように注意しながら歩いていく。

かつては巨大すぎて終わりが見えないと言われた城壁があったそうだ。そこに何万人もの兵士が駐留し、日々鍛錬に明け暮れたという。今から何百年も昔の話だ。

ヒカリは遥か過去の光景に思いを馳せながら歩く。

 

 

一体何時間歩いただろうか?

地平線近くにあった陽はすっかり高くなり、歩き続けているおかげで冬だというのに汗が滲む。

丘になっているてっぺんまで行ったら、モモンガさんが見つかるだろうか?

首をまわしながら探すが、未だ人影が見えない。

 

「ヒカリさん、ですね?」

 

突然かけられた声に勢いよく顔を上げる。

被っていた外套のフードがずれ、その隙間から覗く。いつの間にか目指していた丘の上にこちらを見下ろす影があった。

残念ながら逆光になっているせいで姿はよく見えないが、人型な事だけはわかる。

 

「お待ちしておりました。さあさあ、どうぞこちらへ」

 

派手な手振りで服の裾が広がる。その輪郭からローブだという事がわかった。どうやらモモンガさんは魔法詠唱者のようだ。

聞いていた話と少し違う服装に首を傾げつつ、でもまあいいや、とその黒い後ろ姿を追って歩いていく。

丘の上までのぼり見渡すとモモンガさんが向かう方向には小屋が建っていた。その小屋を何故か懐かしく思いながら歩いていくと、モモンガさんは扉を開けたまま待っていた。

漆黒の高級なローブ。顔には鈍色の仮面。手には黒い皮手袋。

一見すると怪しい魔法詠唱者だが行動はとても紳士的だ。

この格好はよく知っている。魔導国時代の舞台に度々登場するスンズキィ・イア・マー・サトゥールを真似たものだろう。

途中立ち寄ったブルムラシュールの街でモモンガさんが演じた役だと聞いた。

ひょっとしたらその時の衣装なのかもしれない。

 

「中へどうぞ、お嬢さん」

 

勧められるままに扉をくぐると中は豪華さは無いが高級品とわかる品々で揃えられた趣味のいい一室になっていた。

椅子を引かれるままに腰を下ろしくるりと内装をみて、やっぱり自分がこれを見たことがあると思い出す。

それは悲しく、楽しかった思い出だった。

 

「さて、こんな所まで呼び立ててしまい申し訳ありません」

 

思考の海に沈んでいたらいつの間に用意したのか机の上にティーカップが二つ並んでいた。その横には角砂糖とミルクまで用意されていた。

冷める前にどうぞと勧められるままに一口口にする。

 

「おいしい」

 

思わず口に出してしまい恥ずかしくなる。

 

「それは良かった」

 

笑いの滲む声にバカにされなかったと胸を撫でおろして気を引き締める。

すっかり相手のペースになってしまったが今日ここへは様々な決心のもとやってきたのだ。

 

「私の方こそ無理を言ってこうして会う時間を作っていただきありがとうございます」

 

深々と頭を下げて礼を言う。

 

「挨拶もこれくらいにして……、本題にはいってもよろしいですか? お嬢さん」

「もちろん。今日私はその為にここにきました」

 

背負っていた袋をティーカップをどけて机の上に置く。ゆっくりと慎重に、そこから取り出したのは両手のひらに乗る大きさの脈動する赤い玉だった。

 

「おそらく、これが貴方の探しているものだと思います。かつて同じ場所に身を置いた者に渡された、かの魔導王陛下の形見でございます」

 

モモンガさんの時間が止まったように静止する。

数拍の後、恐る恐る伸ばされたモモンガさんの手にその玉をそっと載せる。すると、まるで喜ぶかのようにその玉は強く3回脈動した。

 

「た、確かに頂戴いたしました。それで、これを貴方に渡した人物は?」

「死にました」

 

硬い声を意識して作る。

そう、これを渡した人はとてもひどい人だった。けれど死んでしまったのだ。

 

「……いつです?」

「300年程前に、不治の病に倒れました」

「不治の病に?」

「ええ。病の名は後悔。酷く傲慢な人物だったのですが、私にこれを渡した後に自らの行いを悔いて命を絶ちました」

「そうでしたか……」

 

モモンガさんは沈んだ声をだす。

 

「彼に復讐をするつもりだったんですか?」

「いえ、……はい。いや、どうでしょうか? 今となっては分かりません。私はこれを、この至宝を探し求めた。確かなことはそれだけです」

 

静かな沈黙。草の騒めきすら聞こえない室内は陽の光に照らされて明るいのに寒々しい。

 

「貴方は、“モモンガ”さんなのですか?」

 

「……」

 

未だ確認していなかった相手の名前を改めて確認する。正直、彼が本当に“モモンガ”さんだとは思えなかった。

 

「貴女がもし、もし、手紙の人物にして魔導国の話を語り歩く人物について聞かれているのでしたら、それは私です」

 

「ですが、もし、至高の御方のまとめ役、偉大なる支配者たる我が主人について聞かれているのでしたら――」

 

モモンガさんは立ち上がりくるりと一回転する。

するとみるみるモモンガさんの輪郭がぼやけ、新しい輪郭が形作られる。

 

「それは私ではありません」

 

現れたのは煌びやかな色の舞台衣装の様に飾り付けられた服を着たモノだった。

まるで主役は衣装であり、着ている存在はおまけだと言わんばかりの簡単な作り。

 

「NPC……?」

「ええ、そうですともお嬢さん。私は貴女と同じNPC。さて、どうしますか? 主人の仇をとりますか?でしたら不肖この私が御相手を引き受けましょう」

 

ジャラジャラと、動くたびに衣装に縫われた金属達が音を立てる。それを気にすることなく大袈裟な動きで彼はヒカリの手を取った。

 

「なに、私のほうも貴女と争うのは本意では無いですが受け入れますよ? 同僚の不始末を片付けるのも仲間として大切なことでございますから」

「私は既に覚悟はできております。貴方に命を奪われても仕方が無い。自らの無罪を訴えるほど厚顔無恥ではございません」

 

「しかし、しかし、今しばらく猶予をもらえるというのならば、この顔と私の命を嘆願してくれた師匠に免じて少しの間時間をいただけませんでしょうか?」

 

ヒカリは今まで被ったままだったフードをとる。

遥かな過去、師匠と二人閉じ込められた暗い地下牢に現れた赤いスーツの悪魔。その悪魔はこの顔を見て、師匠の話を聞いて、私を生かしてくれた。

命は惜しくない。ただ、私を生かすと決めた時の悪魔の、その邪悪ないでたちとは不釣り合いなほどの安堵の表情が強く思い浮かぶ。

 

「その、顔は……? 何故?」

 

 

「――私の本当の名前は光。母は偉大なる森妖精、明美。どうか私に真実を知る機会をいただけないでしょうか?」

 

 

 

フードから現れた顔は絶世の美女。長い黒髪と怜悧で知的な顔の作り。

その中にスプーンひと掬い分の甘さを含んだ顔は、モモンガの記憶を強く刺激する。

この世界に来たと主人から告げられた時に主人が伴っていたうちの一人。

ユリ・アルファ。

その顔そのものと言えた。

 

 

長い沈黙。張り詰めた緊張の中でモモンガはゆっくりと肯定の答えを返した。

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ第十回現実帰還会議を行いまーす」

 

快晴の空の下、ギルドマスターの声はよく響いた。

場所はギルド“常緑の国”のホームポイントである“喜びの都”。

巨大な城塞都市の内側に造られたこのギルド拠点は朽ち果てた建物以外はただの草原であり、このホームポイントもただ石が不規則に飛び出している所に適当に名前をつけただけの代物だ。

 

「……では、早速始めさせてもらいます」

「おー参謀役たのむぜ」

 

集まった者たちはどれも人間種。どの人物の顔も整っており、背景と相まって神話の一場面のようだった。

ホームポイントの石に座っているのは60人程。その中の何人かに付き従うように20人程が立っている。

中央で主に意見を交わすのはギルドマスターである人間の少年と、参謀役と呼ばれたドワーフの女性。そして深めにフードを被った魔法使いだった。

 

「この世界の調査結果は現在皆さんに配っている配布資料を見てもらえれば分かると思います。簡潔に言うと“アインズ・ウール・ゴウン”を名のるプレイヤーによってこの世界は統治されているようです」

 

パラリと紙をめくる音があがる。しばらくした後、一人の青年が手を挙げた。

進行役であるらしいギルドマスターの少年は青年の名前を呼ぶ。それに応えた彼は自らの疑問をぶつけた。

 

「“アインズ・ウール・ゴウン”ってあのアインズ・ウール・ゴウンですか!」

 

「……現在情報収集能力に長けたギルドメンバーによって情報の精査がなされています。が、十中八九は”あの”アインズ・ウール・ゴウンで間違いないと思われます」

 

参謀の返す言葉にどこからとも無くため息がつかれる。

それも仕方が無いだろう。こうなる前。ユグドラシルのプレイヤーでその名前を知らない者の方が少数だ。

ギルドバトルの強さを売りにしていたこのギルドにとって、41人で1500人を撃退したという伝説は余りにも眩しい。

 

「じゃあ“アインズ・ウール・ゴウン”も帰る方法を探してんのか?」

「……発言は挙手をしてからおこなうように」

「はいはい」

 

手を挙げた髭面のドワーフはもう一度自分が言ったことを繰り返した。自分たちよりも前にここに来て色々情報を集めている者がいるのならば心強い。そのくらいの軽い気持ちから出た質問だった。

 

「その可能性は低いでしょう。幾つかの筋から彼の統治期間は1000年を遥かに超えると考えられます。そこから考えるとむしろ彼がこの事態の原因であると考えるのが妥当でしょう」

 

ざわざわざわ。

人々の驚きや動揺の声が聞こえる。その話は色々な意味で信じ難かった。

 

「ちょっと待てよ! おかしいだろそんなの! そいつは今何歳になるんだよ!?」

「発言は挙手をしておこなうように。……信じられないことに前年、統治1000年を祝う祭りが行われたそうです」

「1000年!?」

 

一同は絶句した。そんなものは考えられない。とてもじゃ無いが人の所業とは思えない。

それともこの世界の人間は不死の存在しか居ないとでもいうのか。

 

「……アインズ・ウールゴウン魔導王と名のる彼の姿はリッチ――おそらく種族はオーバーロードだと思われます。その姿から種族による精神の変容が考えられます。プレイヤーの皆様は全員元は人間という事でしたが、この世界では外見の種族に性質が引きずられるようです。よって、件のプレイヤーと共に手を取り合うには些か以上に危険であると考えます」

 

「――そこでだ、みんな」

 

参謀の長い台詞を引き継ぐように、彼らのギルドマスターは言った。

 

「昔からよくあるだろう。異世界から来た勇者たちが魔王を倒して元の世界に戻れるっていう空想物語。折角魔王がいることだしさ――」

 

「――勇者になって大手を振って、帰ろうぜ! リアルへさ!!」

 

ギルドメンバーの声が一つになる。それを見守るNPC達からは拍手がおこる。

 

それを冷ややかに見る者に気づくものはおらず、こうして目標は定められ、開戦の火蓋は静かに切り落とされた。

 

 

 

 

 

 

「作戦プランは大きく分けて2種類考えてあります」

「ふーん?」

 

ギルド拠点の地下に造られた部屋の一室。各人のアイテム整理の為に造られたそこはお世辞にも居心地が良いとは言えない。

洞窟にある小さな横穴の牢獄を無理矢理部屋として使っているのだ。それはギルドマスターの部屋も同じなのだが、無理矢理にソファーと低いテーブルが運びこまれ、少しでも居心地を改善しようという痕跡が見て取れた。ソファーに座るのは人間の少年。側には参謀役と呼ばれていたドワーフの女性。

ギルドマスターの少年――ザルツベルグは気の無い返事を返した。

少年にとっては作戦なんて勝てればどうでも良いのだ。

勝ち続ける為。その為にこのギルドに入ったし、その為にギルドマスターになって戦いの場を設け続けたのだ。それは今回も変わらない。

 

“伝説をもつギルドに勝ちたい”

 

己の強さを示したいただの欲だ。なんと人間らしい純粋な欲望だろうか!

参謀――NPCであるカリンにはみんなを煽る形に話を持っていくよう言いつけてあった。そしてそれは成功したのだ。これからの事を考えるだけで顔がニヤつく。

ギルド、アインズ・ウール・ゴウンのギルド拠点。ユグドラシルではフリーの時に幾度か挑み、敗れた。ギルドに入ってからは確実に勝てる様になる為にギルドメンバーを募り機会を窺った。

毎日のように攻略情報を仕入れて最適なビルドを考えた。努力は実を結んでいたのだ。

クソ運営からの爆弾が投げ込まれるまでは。

 

爆弾――サービス終了のお知らせにザルツベルグは焦った。しかし結局、どんなになりふり構わず準備をしても、サービス終了までに間に合うことはできなかった。

しかし、それが今、こうして機会が巡ってきた。

 

「……一つは短期決戦を重視した釣り出し作戦。もう一つが長期戦を意識した漸減作戦。お好みのものを次回の作戦会議に議題としてあげたいと思います」

「とりあえずは短期決戦だな。最初から長期戦狙いなんて士気を下げるだろ? まあ、本命は長期戦の潰し合いだな。楽しむ時間は長いに越した事は無い。誰も攻略したことの無いものを一番に攻略できる。最高の気分だ」

「……ではそのように手配いたします。詳しい作戦内容ですが――」

「任せる任せる。ああ、サブマスの奴がこの開戦に否定的なんだけどさ、あれ、適当に始末出来ない?」

 

ヒラヒラと手を振りながら軽薄に味方を殺すことを持ちかける。それに眉ひとつ動かす事なくカリンは言葉を返す。

 

「一度外に出した後に敵に洗脳された、という体裁を取れば可能かと思います。しかし、危険では?」

「いーんだいーんだ。サブマスって俺より、前のギルマスの事好きみたいだし、正直ギルド方針変わったのにそれについてグチグチ言われるのたるかったんだよね。見張りのNPCを山ほどつけてその方法で始末しよう。ついでに蘇生魔法の実験台とかにもしたいしね。いやー。持つべきものは優秀な捨て駒だね」

 

ザルツベルグはカリンの肩を抱くとそのまま胸元へ手を滑り込ませる。

カリンはなんの反応も示さず当然のようにそれを受け入れた。

 

「煽っておいてあれだけどさ、ほんと、帰りたいって言ってる奴らは馬鹿じゃないのかって思っちまうよ。こんなに好き勝手できるなんて、リアルじゃあ絶対考えられない」

 

喉の奥で笑った彼は更に手を下の方へと伸ばした。

 

「ぜーんぶ終わったらハーレム作るってのもありだよねぇ。こっちの奴弱いけど見た目は良いし。前のギルマス達ももっとNPCの見た目はこだわってほしかったよなー」

 

乱暴に弄りながらザルツベルグは独りごちる。

どのNPCも悪くは無い。だが良くも無い。

だが、まあ。ザルツベルグは思う。こうしてすぐに発散させたい時には良いかもしれない。

 

そんな身勝手な事を考えつつ、カリンをソファーの上へ押し倒す。

手を軽く振ると、灯りは消えた。

 

真っ暗な小部屋の中、肌と肌がぶつかる音だけが響いていた。

 

 





「近々僕はザルツベルグに殺される。ただ君が。彼女の遺した君だけが心配だ」
「そんなこわいお顔してどうしたの、ししょー?」

個人にあてがわれた狭い部屋。その中に魔法の道具で作られたログハウスが建っていた。
そのログハウスの中にはフードを深く被った男。そして幼く可愛らしい黒髪のエルフが居た。

「大丈夫だよ、光。僕の生きる希望。彼女が引退した時にギルマスに頼んで名前を消してもらっていて正解だった。名前が空白ではあのザルツベルグも気づくのが難しいからね。でも君から名前を奪ってしまって本当にごめんよ」

男は優しく幼女をなでる。滑らかな黒髪の感触。彼女に託されたこのNPCに愛おしさが溢れる。そして申し訳なさも。

「よくわからないけど、だいじょーぶだよししょー。おかあさまがね、きっと助けてくれるから。げんきになるように、いい子いい子いっぱいしてあげる!」

柔らかい子供の手。
まだこのギルドが小さく、この拠点を半ば偶然に手に入れた時にいた彼女の忘形見。折角いい拠点を手に入れたのだから、と他のNPCがガチビルドで作られた事による端数で造られたマスコットのような存在。それがこの子だった。

「ありがとう光。君だけは何があっても守り抜いてみせるよ」

たかだかゲームで恋愛なんて。そう思っていた自分が惹かれた彼女。
結局想いを告げる事はなかったけれど。

「明美のお姉さんがいるかもしれないのに殺し合いなんてできるわけが無いじゃないか」

ギルド”常緑の国”サブマスター、マルコ・フランシスは想いを固める。
何があってもこの子を守ってみせると。


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魔導国の終わり2

 

ナザリック地下大墳墓第九階層。その中のアインズの私室に守護者達は集められていた。

広さを持った豪華な内装は、集まった者達によって狭く感じてしまう。

 

「――アインズ様。全階層守護者、御身の前に」

 

アルベドの声によって全員がより一層深く傅く。

それに鷹揚に応えて、アインズはすぐさま本題へと移った。

 

「新しいプレイヤーの動向はどうなっている?」

 

魔導国の統治はすっかり落ち着き、今ではこうして一同を集めて話をする機会はほとんどない。もっとも、レクリエーションとしてだったらあるのだが、そういった場合は幾人かの都合が合わない時が多いのだ。

しかし今回は国の進退を決める大切な話し合い。100年に一度現れる者達への対策を決める場である。

 

「ニグレドの報告では敵のギルド規模と在籍人数、転移場所までは調べがついております」

「詳しく聞こう」

「ギルド規模は過去最大。魔導国の外れ、旧竜王国の山脈を抜けた先の荒野が大規模な草原になっているという報告をうけました。在籍人数は50人と少し。構成員は人間種のみです。また、かなりの数の支援型NPCの存在を確認しております」

 

その報告を聞いてアインズは深いため息をつく。これは困った。

ナザリックの防衛力を考えない場合、とてもではないが太刀打ち出来ない。そして守るべき国はナザリックの外に広がっている。1000年をかけて豊かにした国が荒れる姿を想像してしまいじくじくとした不快な気持ちが広がる。

さらに厳しい戦いを連想させる状況についつい弱音が出てしまう。

 

(みんなが居ればなんの心配もなかったんだけどなぁ)

 

今はいないギルドメンバー。彼らがいてくれたらその程度のギルドなど片手で捻り潰せただろう。

 

「支援型NPC? ギルド名はなんと言うんだ?」

「はい。ギルド名は“常緑の国”。ワールドアイテム他、拠点の情報隠蔽の為これ以上の事は危険を冒さなければわからないとニグレドが言っていました」

「十分だ。しかしかなり面倒な相手だな。……お前達もより一層気を引き締めて今回の侵犯者にはあたる事を肝に銘じよ」

 

守護者達から息のあった声が上がる。

それに満足しつつアインズはより一層厳しくなった戦況に頭を悩ませる。

 

(サービス終了間近の時に悪名がついてまわっていたGvGギルドかよ……)

 

他のギルドメンバーがログインしなくなってからはあまり見てはいなかったユグドラシルの掲示板。その中で散々叩かれていたギルドこそこの“常緑の国”である。

ゲームの内外を問わない嫌がらせ。

プレイヤーの間で暗黙の了解としてされていなかった数々の非道な行い。

正直アインズ達の行っていたPPKなど可愛いと感じるレベルでその悪行が書き連ねられていた。

 

「現時点の被害から考える敵の戦略はなんだと思う? コキュートス」

 

この1000年で武人としてだけではなく指揮官として努力をしてきたコキュートスへ簡単な課題を出す。

コキュートスは口から白い冷気を吐きながらゆっくりと口を開いた。

 

「恐ラクハ、コチラノ戦力ヲ測ルト同時ニ国民ノ離反ヲ狙ッテイルモノト思ワレマス。ソレハ全テ今後ノ戦イヲ有利ニスルタメ。敵ノ狙イハ長期戦ヘノ布石ダト思ワレマス」

「なっ! なんと不届きな奴らでありんしょう!」

「ぜ、絶対に許せない、です!」

 

シャルティアとマーレの口から非難の声が上がる。

それを手で押し止めつつアインズはデミウルゴスへと水をむける。

 

「デミウルゴス。他に考えられる事はあるか?」

「いいえ。現時点では十分な観察かと。付け加えさせていただけるのでしたら、それと同時に自らの力を示して我々に対して挑発しているのでは、と」

 

悪魔は含みをもつ笑みのまま簡潔に告げた。その場で唯一、未だ発言をしていない者の名前をアインズは呼ぶ。

 

「アウラ」

「えーっと。私も長期戦を考えてるのかなって思いました。だって食べ物がなくなったら税収取れないですし。農民への補償まで考えるとむしろ国益はマイナスになると思います」

 

「素晴らしい!」

 

アインズは声を大にして言う。

 

「素晴らしいぞ、我が守護者達!」

 

アインズとデミウルゴス、そしてアルベドは事前にこの事について話し合いを行っていた。

その場で出た結論を、他の守護者達も持つことができるのか。レベルの成長しない彼らにとっての成長要素――思考力の成長は十二分のその成果を結んでいる。

 

「ならばそれに対抗して早急に策を考え、実行せねばならん。これ以上の被害は私の築いた名声を傷つけ、私の戴くアインズ・ウール・ゴウンの名前さえ踏みにじる事に繋がる」

 

「守護者達よ! 奴らに我らの国を踏みにじった事を後悔させてやるぞ!」

 

重なり合う返答の声はどれも喜色をたたえ、アインズはこれがいつも通りの結末になるだろうと予感する。

いつも通りの、この1000年繰り返したプレイヤーとの小競り合いだ。

 

(しっかり準備をして情報を集めて、作戦を考えて実行する。今の俺にはこんなに沢山のみんなの残した子供達が居るんだ。みんなが帰ってくるまでは絶対にこのギルドを守る)

 

「それでは献策を許す。自由に意見し最良の作戦をもって、奴らに死よりも残酷な後悔をさせてやろう」

 

墳墓の主はその赤い眼を光らせる。

その心には既に人間だった頃の残滓など無く、その姿と同様の、ひどく偏執的な執着を見せていた。

 

 

 

 

 

 

 

「ギルドマスター。我々の勝利です」

 

そう言って駆け込んできた人間は手に一つの羊皮紙を携えていた。人間の名前はメーア。ザルツベルグにとってはどうでもいい、この世界で出会った人類の一人だ。どうでもいい存在であるため、捨て石のように存分に使える。それだけの存在だった。

 

「どうしたんだよ、メーア。そんなに慌ててさ!」

「魔導王からの手紙です! とうとう我々は魔導王を動かしたんです!」

 

メーアはこの地で生きる人類である。つまりは魔導国の国民だ。

しかしメーアは魔導国に少なからぬ不満を持っていた。どこの時代の、どんな場所にもいる。自分の不幸を他人のせいにして、自分は悪くないと言う種類の人間。それがメーアだった。

メーアは魔導王と敵対するというザルツベルグ達に好意的であった。この地の人類はあまりに弱く、一般的なユグドラシルプレイヤーにすら勝てない。そんな彼女らは内なる不満をただ溜め込むだけで発散させることなどできなかったのだ。

彼らが来るまでは。

 

「ふーん? で? なんて書いてあるの?」

「それが見たこともない文字で書いてあるんですよ! 使者の奴はただ“魔導王陛下からの書簡です”ってしか言わないし!」

 

プンスカと怒る彼女からその羊皮紙を受け取り目を通す。

なんのことはない。ただの日本語で書かれた手紙だった。

 

「普通の手紙じゃん。字が読めないならそう言いなよ」

 

内容はなんでもない、国民を虐げる行いをやめて王城へ来るようにという内容だった。面白味の欠けるそれにザルツベルグは一気に興味をなくす。

 

「あーあ。魔導王なんて大層な名前だし、“アインズ・ウール・ゴウン”なんて名乗ってるから期待したけど、この分じゃただの凡人じゃん。簡単に決着がつきそうでがっかりかな」

「えっ!? 魔導王陛下は強いんですよ!? だって伝説だったら10万もの人の命をたった一つの魔法で奪ったって言われるし!」

 

字ぐらい読めますよーと憤慨していたメーアはザルツベルグの言葉に目を丸くする。ザルツベルグ達の力は十分以上に見せてきた筈だが、未だにこのメーアはこちらの強さを理解していないようだった。

 

「そのぐらいの腕の魔法詠唱者なら俺のギルドに20人はいるね。どうせ広範囲の超位魔法をうっただけだろうし。むしろワールド・ディザスター5人いるこっちの方が優勢だよ」

「よくわからないけれど、すごいんですねギルドマスターは! それなら本当に魔導王を倒せちゃいますよ!!」

 

ザルツベルグは得意になる。自分が強くしたギルドを褒められて嬉しくないわけがない。

ただ最近ギルドメンバーの何人かに問題が起こった。その事を思い出し、ザルツベルグは機嫌を悪くする。

 

(全く。勝つための犠牲だって伝えたのに罪悪感で自殺するなんてやっぱり古参メンバーは邪魔だな)

 

対アインズ・ウール・ゴウンの最初の策として行った作戦に罪悪感を覚えた幾人かのメンバーが自殺したのだ。しかも何故かどれだけ蘇生魔法をかけても生き返らない。

戦力的にはそうでも無いが、士気はガタ落ち。今後の作戦にも支障がでる勢いだ。

 

「とりあえずは相手の話に乗って王城へ向かうぞ。全ギルドメンバーとNPCに通達を。やる気が無い奴らは置いていく。いても邪魔なだけだしな」

「義勇隊もついていくよ! 私たちの為に魔導王に挑んで、そのの配下に返り討ちにされた君らだけに相手させるなんて、そんな薄情な事は出来ないしね!」

「……ふーん。好きにすれば?」

 

(馬鹿なやつら)

 

相次ぐ自殺を誤魔化すために適当にでっち上げた嘘を純粋に信じるメーア。本当に信じさせたいギルドメンバーは誰一人として信じていないのに、彼女は驚くほど愚かだ。

ともあれ、舞台は整った。当初予定していた長期戦は考えなくてもいいだろう。相手が凡人である以上、今回の王都決戦で決着がつく。

 

(マルコとそのNPCには感謝してもしきれないな)

 

ギルドバトルをする上での、この世界での幾つかの気になるシステム。それの実験に付き合ってくれたサブマスターと、そのサブマスターに囲われていたNPC。秘密裏に行った実験はとても有意義なもので今回の決戦においても重要な要因となった。

(たとえ相手が100レベルの廃人プレイヤーでも20回も殺せば相手はほぼ無力化できる。NPCは金さえあればいくらでも復活できる、か)

ザルツベルグの口角が上がる。なんて自分に有利な条件なのだろう。

アインズ・ウール・ゴウンが強かったのはそのギルド拠点がチートだっただけ。それが無い王城での話し合いなんて殺してくれと言わんばかりだ。

影武者を立ててくる可能性もあるが、その可能性は低いだろう。

影武者を立てるということは己の行いにやましい事があるということなのだから。

話し合いの場ではそう言った嘘が信用を失う原因となる。大丈夫。確実に仕留められる。

 

「まあ、ギルド拠点を攻略したいっていう思いもあったんだけどね」

 

だがまず何よりも大切なのは勝つことだ。

勝利以外に意味はないのだから。

 

何か言いましたか、と聞くメーアに適当に返す。ザルツベルグは<伝言>を使うとカリンと今後についての話を固める。

 

長く続く争いの、最初の戦いが始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

「それではアインズ様、行ってまいります」

「ああ。お前に私の祝福を」

 

慇懃な一礼をしてアインズの執務室を去るのは今回の作戦の要となるデミウルゴス。その歩調は死地へと赴くも同然なのに揺るぎが無い。

今回ナザリックがとる作戦はそういったものだ。

犠牲はでる。しかしそれは被害を最小限にとどめるために必要な事なのだ。アインズはぎゅっと手を握りしめる。

 

既に手は打ってある。あとはなるようになるだけだ。

 

「アインズ様」

 

思考の空白に割り込むのは天上の調べのように甘くとろけるような声音。

純白のドレスに身を包んだ絶世の美女。その頭と腰に見受けられる異形の付属品を除けば人間の美の完成形、その一つと言っていい存在。

 

「アルベド」

 

愛しいヒトに名前を呼ばれて白百合がほころぶような笑みを浮かべる。しかしその目にあるのは暗い色であり、それは今回の作戦に最後まで反対したものが浮かべるに相応しいものであった。

アルベドはゆっくりとアインズの前に跪き頭を垂れる。

アインズはアルベドのとるその行動に記憶が揺さぶられる。ずっと前に、ずっとずっと前にも見たことがある。

美しい黒髪を見下ろしながらアインズは動けずにいた。

 

「遥かな昔もこうして貴方様にすがり、戦さ場へ行くのをお引き留めいたしました」

「……ああ。あれは確かシャルティアがワールドアイテムに洗脳された時だったか」

「今回もまた、私は貴方様をお引き留めいたしたいと思います」

「……」

 

「どうか行かないでください。ここに居て、常に私達をお導きください。何処にも行かないで、何時までも私どもの上に君臨なさいますようお願いいたします!」

 

遥かな昔を思い出すアルベドの声色にアインズは無言を通す。

今回は生きて帰ってくるなど簡単に約束は出来ない。

それほどに厳しい戦いが魔導国を襲っているのだ。

 

「面を上げよ、アルベド」

 

だからこそ、ここで行かないということは確実な滅びに向かうということなのだ。

それをこの聡明な守護者統括がわからないはずは無い。

全ては。全てはアインズがユグドラシル最後の時に施した軽い戯れのせいだ。そのせいで彼女の目はこんなにも曇ってしまった。

 

「今回も生きて帰るなど、無傷で済むなど言うつもりは無い」

 

そう。今回の相手はまずい。ギルドバトルに精通したプレイヤーが50人以上。それに更に拠点NPCまで加わっている。

更に現状後手に回っている。

それを全てなかったことにして、更にこちらに有利な条件に整える。

そのためにはアインズの命すら賭け金として積む必要があるのだ。

 

「だがしかし、私はお前達を遺して死ぬつもりは無い。もしも私が滅びるとしたら、それはナザリックのどの僕よりも最も遅い――」

 

「――それを約束しよう」

 

「私は、私どもは、貴方様のために死ねるのですね」

「勿論だ。全てのナザリックのものは私よりも先に滅びる。そしてナザリック最固の盾よ。お前に私の身を守る許可をやろう」

 

アルベドはとても美しい涙を流した。

それは愛するもののために死ぬことができる幸運に流したものであるのか、それとも愛するものに必要とされている事に対するものなのか。

どちらか判別などできるはずもなく、アインズは執務室を出る。

 

目指すは謁見の間。

度し難い愚か者どもが待つ決戦の地である。

 

 

 

 

 

 

「ギルマス。マジでここで戦うのか?」

 

そう耳打ちした戦士にザルツベルグは笑顔で肯定を返す。

今更何を言っているんだろうかこいつは。

 

「目的を忘れたの? あんたはリアルに帰りたくないわけ?」

 

ザルツベルグの横にいた踊り子は詰問するように戦士に詰め寄り、戦士は口をつぐむ。

帰りたいに決まっているじゃないか、と。

 

「だってこの城に来る前に街の中見たけどさ、化け物共だけじゃなくて人間も居たんだぜ? それも小さい子供だ」

「確かにアインズ・ウール・ゴウンは馬鹿だな。今から決戦の地になるのになんで王都の民を逃さない? まさか本当に話し合いで全てが終わって、仲良し子良しにおさまるとでも思っているのか?」

「やりあうのは仕方ないにしてもさ、せめて街に被害は出さないようにしようぜ、ギルマス。街の奴らには罪は無いって」

「おい、良い加減にーー」

 

控え場所として通された部屋には探知や盗聴防止の魔法を何重にもかけてあるとはいえ、その明け透けな物言いにザルツベルグの眉は跳ね上がる。

充分以上の対策をしているので聞かれているとは思わないが、警戒心がなさすぎる。

何よりもこれから戦うというのにその弱気な態度がいけない。何人かの穏健派の目が泳ぎ始めた。このままでは空中分解してしまうだろう。

 

「まあ待ってよみんな。確かに、この街の人達に罪が無いっていうのもわかるよ。言いたいことはね」

 

「でも考えてみてほしい。誰が、彼らを、ここまで強大にしたんだろうか?」

 

ザルツベルグはゆっくりと含ませるように静かに言う。

 

「それは彼らだよ。この地に住む人や化け物やーーこの国にいる全てのもの達だ。だからこれは必要な事なんだ」

 

「一つの強大な存在に依存した平和なんてものはまやかしだって教えてあげる良い機会なんだよ。だから絶対に僕たちは止まれないよ! 元の世界に戻る為にもね!」

 

熱弁をふるい説得を試みる。

こういった頭がお花畑な連中は、理想と正義を砂糖でコーティングした上にチョコレートをぶっかけたような言葉に心を動かされる。

ほら、不安に揺れていた目がもう決意を固めた英雄の目になった。

ザルツベルグがその様子に薄暗い笑みを浮かべると、2回、ノックの音が響いた。

扉を開けて入ってきたのは美しいメイド。凝ったデザインのメイド服を着た、それだけとっても秀麗な外装の持ち主だった。

メイドは、それを着る者として恥ずかしくないほど美しい所作で謁見の間への案内を務めた。

 

 

 

ザルツベルグは先導するメイドに続きながら改めて城をみまわす。

あまりに複雑な内部の構造に自分でマッピングする事は諦め、ただただその内装を見る。

見事な作りに見事な装飾。

リアルどころかユグドラシルの中ですらもお目にかかれないほどの凝った作りのそれは、ザルツベルグの中の暗い炎を更に燃え上がらせた。

これを全て一人のプレイヤーが、それも凡愚な者が独占している。

それを考えただけでイライラが後から後から湧いてくる。

もしここが衆人の前でなかったら、NPCにあたり散らしていたかもしれない。

 

長い廊下をしばらく歩いていると、メイドが立ち止まり脇によけた。目の前には巨大な扉。白く塗られた上に金と銀で複雑な模様が描かれたそれは、見上げるものの心を呑むほど美しい。

メイドが深くお辞儀をすると、それを合図にしたように扉がゆっくりと開かれる。

 

 

扉の中に広がるのは白と赤の綺麗なコントラスト。

そしてひしめく骸骨の衛兵。

その更に奥に設えられた黄金の玉座。

 

しかし今、王座は空席であった。

 

ザルツベルグは気を引き締め直して足を進める。こんなところで雰囲気に呑まれるなど相手に負けたようで悔しいからだ。

いっそ無礼なほどに乱暴な足音を響かせて鮮血より赤い絨毯を進む。本来なら鎧や甲冑から出る靴音すらもその絨毯は受け止める。

ただただがしゃんがしゃんと鎧同士、甲冑同士がぶつかる音が響くだけの空間に、ザルツベルグの機嫌は更に悪くなる。

 

苛立ち一つ、不機嫌一つすらも表す事が出来ない!

 

上座にあたる玉座とは5段の段差で分けられており、それが立場の差を表しているようで腹立たしかった。

だからその立場の差を無くそうと、ザルツベルグはその一段目に足をかけようとした。

しかし、それを拒むようにファンファーレが響く。

それはこの城に似つかわしい輝ける装備に身を包んだ、この城に似つかわしくない骸骨の金管隊であった。

 

「魔導王陛下がおこしです。皆様、礼を欠かす事が無いように」

 

麗しい女性の声を出したのは全身を黒の甲冑に身を包んだ騎士であった。その騎士もまた片膝をつけて頭を垂れる。

ギルド“常緑の国”のメンバーもそれに合わせて見よう見まねで続く。義勇兵を名乗ったメーア一行などは早々にガタガタと震えながら土下座する勢いで頭を下げていた。

 

その中でザルツベルグだけが不動の姿勢をとる。ザルツベルグにとってここで頭をさげるというのは勝負に負ける事よりも腹立たしい。

相手もおそらくギルドマスター、そして自分もギルドマスター。立場は同じなのだ。自分が下に見られるのは不愉快だった。

ザルツベルグはそんな思いのまま睨みつけるように玉座をみる。空の玉座を。

どこから出てくるつもりなのかと緊張した空気が支配する中、その門は開かれた。

<異界門>

黒い穴がぽっかりと口を広げた中から、更に暗い存在が滑るように出てくる。

それは紛れもなく集めた情報のなかの、魔導王の姿だった。

 

何故、それを。

 

まずザルツベルグが思ったのはそれだった。ここには何重もの転移阻害魔法を秘密裏の内に仕掛けていたはずだ。なのに何故!

嫌な汗を背中にびっしょりとかく。とんでもなく嫌な予感が胸の内から湧いて仕方がなかった。

 

「招待に応じていただいたこと、まずは感謝しよう。私はアインズ・ウール・ゴウン魔導国王」

 

低く響く声は支配者に相応しい厚みを持っていた。そしてその極端に抑揚のない、平坦な声色は人間の生理的嫌悪感を逆なでする。

気持ち悪い。

思いやりに満ちた台詞と裏腹なその声色のアンバランスさ。それはとても気持ちの悪いものだった。

 

「ザルツベルグだ。口上なんて無視してズバリ本題に行くぞ。お前、ユグドラシルプレイヤーだろ?」

 

不遜な物言い。それに最も激しく反応したのは暗い色の鎧を着た麗しい声の主。

いつの間に取り出したのか、バルディッシュをその手に持っている。

 

「よい、アルベド。……いかにも。そういうお前達もプレイヤーだろう? そうでなければお前達が我が国に与えた損害を命をもって払ってもらうことになる。だいたい――」

 

その後に続くのは今回の前哨戦で与えた損害についての苦言であった。

一通り言い終えたのだろう。しばらくするとその声は止み、沈黙が訪れた。

 

「――お前達が謝罪をするというのならば、今回の一件は不問にしよう。なに、不幸な行き違いとして大目にみるということだ。事実、こうしてやってきたのは君たちだけではなかった。その中にはこうした不幸な行き違いも何度かあったものだよ」

「不幸な行き違いねぇ……」

 

ザルツベルグは思い切り踵を鳴らしてギルドメンバーに合図を送る。

やはりこのプレイヤーは凡人だ。畳み掛ける絶好の機会は今だろう。

 

「寝ぼけてんじゃねぇぞこの腐れ骸骨!! 不幸な行き違いなんかじゃねぇ! お前が俺らをここに引きずり込んだんだろうがっ!」

 

メンバーの中でもっとも血気盛んな前衛の聖騎士が踊りだす。

光属性に煌めく剣を振り上げながら魔導国へと肉薄する。

いくつものスキルに底上げされたそれはそのまま魔導王の首に吸い込まれるはずだった。

 

――ガキィン。

 

響いたのは金属同士が激しくぶつかり合う音。聖騎士の前には黒い甲冑を着た、バルディッシュを構えた女。

 

「よくやった、アルベド」

 

「さて、最終確認なのだが、交渉は決裂という事で間違いは無いな?」

「答えるまでもねぇよっ!」

 

ギルド一の前衛を簡単にいなす存在にギルメンの中でざわめきが広がる。

いったん距離を離して対峙した隙にザルツベルグは自分の本来の位置である中衛と後衛の間へと避難する。

 

「そうか、残念だ。<あらゆる生ある者の目指すところは死である>」

 

不吉な時計盤がアインズの背後に現れる。優美でありながら死者を送る鐘の音に似た響きとともに、その針は時計盤を刻んでいく。

アインズは己の持つ初見殺しの切札を切る。

 

「灰塵となるがいい。<嘆き妖精の絶叫>」

 

精神をかき乱す女の叫び声が辺り一面に響く。広範囲に即死効果を撒くそれはアインズ・ウール・ゴウンのギルドマスターが使う魔法の一つだ。

 

「やっぱりあいつモモンガだ! アインズ・ウール・ゴウンのギルドマスター、数々のPKを繰り返したモモンガだぜ!」

「うちのギルマスはマジ優秀。即死耐性なんて普段あげてねーもんな!」

「効かねーよばーか!」

 

完全耐性を装備で得ていた者たちは勝ち誇ったように喚きちらす。そんな楽観的な空気を、ザルツベルグの叫び声が切り裂く。

 

「超位魔法でもなんでもいい! あいつを吹き飛ばせっ!!」

 

ザルツベルグは攻略wikiで見た情報を思い出し青くなる。

あれは即死強化スキル。いや、即死効果を押し通すスキルだ。どんな防御魔法も耐性も食い破るそれは、一つの結果以外を残さない。

まさか初手でこれが来るとは思っていなかっただけに焦る。

 

「っ!! <大災厄>!!」

 

一人のワールド・ディザスターが悲鳴のようにそれを発動する。

超位魔法をしのぐ威力と、最大MPの6割という法外な代償を元に行われる大規模破壊。

一時期のギルドバトルではこれを相手拠点の近くで打てるようにする事がギルドバトルの全てと言われたほど決定的な破壊力である。

これを受けたら流石にスキルキャンセルが入るだろう。

そんな思いを打ち砕く事が起きた。

 

漆黒の鎧の女がアインズとの間に入る。

それだけならばなんでも無い。前衛としての正しい役割だ。アインズは魔法詠唱者。防御力などは紙同然だろう。

しかし間に入ったからといってなんになるのか。

 

ワールド・ディザスター最高の破壊力を持つ攻撃魔法が炸裂した。

 

凄まじい破壊のエネルギーを近距離で受けた事によって、味方にも被害がでる。なんとか防御魔法や防御スキルを組み合わせて戦闘不能を回避する。

そんな一撃の直撃を受けた相手が生きているはずが無い。誰しもそう思った。しかし目に映ったのは攻撃を受ける直前に間に割り込んだ女の鎧が砕け散った光景だった。

それは仲間のダメージを肩代わりするスキル。さらにそれを鎧に肩代わりさせたのだろう。

鎧の中から現れた肉感的な美女に目を奪われる。流石に鎧だけではダメージを負いきれなかったのだろう、深い傷がその体に刻まれていた。

 

魔導王を中心としてごっそりと大地がえぐれている。大災厄の範囲は数キロにも及んだ。

そんな辺り一面の変わり果てた光景の中で、ローブに埃一つつくことなく、その超越者は立っていた。

 

「大儀であった」

 

平坦な声。

その声にうっそりと美しく笑む白皙の美女。

その背後にたつ魔導王の、背中に浮かぶ時計盤が12を指す。

 

 

 

瞬間。

世界に死が振りまかれた。

 

 

 

全てが灰となり、全てが塵となる。

 

それがザルツベルグが死ぬ前に見た光景だった。

 

 



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魔導国の終わり3


今まであげていた最終章の新規投稿分です。
今まで投稿していた分は削除・再編集して1、2に統合しました。



 

 

ワールドアイテムの一つに“ホーリーグレイル”というものがある。

 

ホーリーグレイル。即ち聖杯。現実世界において多くの伝説に登場するそのあまりに有名なそれは、ゲームであるユグドラシルの世界にも実装されている。

それを手にした者こそ、初代“常緑の国”のギルドマスターだった。そのワールドアイテムがあったからこそ、彼女達はギルド“常緑の国”を設立したのだ。

所有者の死を否定し、あらゆる異常状態を無効化する逸品。

数々の英雄が求めた伝説の品に相応しいその効果。

それはゲームが終わるその瞬間まで奪われること無く、そしてそれは現在のギルドマスターに受け継がれている。

 

 

 

 

 

「いきなり切り札ブッパなんてびっくりしちゃったじゃないか」

 

ザルツベルグはぼやきながらふらりと立ち上がる。自身の持つワールドアイテムが無かったらあの瞬間に勝負が決していただろう。

一度死んだことによるレベルダウンはホーリーグレイルのおかげでない。しかし生き残ったのは自分だけ。

蘇生アイテムを念のため装備させておけば良かったと、ザルツベルグは己の甘さを反省する。だがまさか初っ端から奥の手を使われるなど誰が予想できただろう。それに蘇生アイテムは有限なのだ。負けて奪われたら目も当てられない。

そう自分を慰めながら、この後の行動を考える。

相手が切り札を使ってきたのだ。自分も切り札を切るのが礼儀だろう。

 

「蘇生アイテムか」

「いいや。ワールドアイテムだよ」

 

無感情に魔導王は言う。アインズは当然相手が何らかの対策をしているだろうと思っていた。ワールドアイテムを持ち出したことは驚きだったが、生き残りがいたこと自体には驚きは無かった。

 

「ワールドアイテムを持ち出していたか……。しかし一人では何もできないだろう。降参するか?」

 

「まさか。したからと言ってあんたが許してくれるとは思えないしね」

 

戯けた表情で肩をすくめる。

それに返答のかわりに低い笑い声が響く。不気味なそれは骸骨の口から漏れていた。

 

「ははははは。当然だ。俺が! 仲間の為に! 作り上げた国に!! ……こうして泥を塗っておいてタダで済むわけがないだろうが」

 

激昂と冷静。

その不自然さにザルツベルグは鳥肌が止まらない。なんなんだこれは。なんなんだこいつは。

自然と、ザルツベルグの口角は上がる。

動かない骸骨の顔でも分かる程その怒りは激しかった。それが一瞬にして無くなる。ひどく不気味なそれがザルツベルグの胸を掻き立てる。

なんて、なんて面白い。なんて面白い化け物だろう。自分が求めた強敵が、こんなにも面白い存在だったなんて。

 

「本性を現したな! くははは! 化け物め!」

 

何と愉快な事だろうか! 何と不思議な事だろうか! これがプレイヤー? これが人間なのか! 元人間なのに、選んだ種族の違いがここまで在り方を歪めるとは! ザルツベルグは己の好奇心が湧き出るのが止まらない。

エルフやドワーフになった奴らにも似た変化が起きているのだろうか?

様々な考えがよぎるなか、それでもザルツベルグの口は幾度も繰り返した流れをたどる。

 

「スキル! <エインヘリヤルの目覚め>!!」

 

響くのは雄鶏の鳴き声。心を震わせるそれは聞いた者に高揚感を与える。

響きわたるそれに魔導王は辺りを見回す。

そしてその残響が無くなってしばらくした後に辺り一帯に変化が起きた。

大地から湧き出る光の玉。

それも一つではない。何十もの光の玉が溢れ、そして一つ一つが人型に変化する。

 

 

 

ザルツベルグはヒーラーである。それも蘇生魔法に特化したビルドのヒーラーである。

正直、蘇生特化などのビルドはよっぽどの物好き以外はしないだろう。それよりは順当に回復魔法と両立した方が遊ぶ上では何倍も活躍できる。通常のプレイの場合は、だが。

しかしザルツベルグは己がGvGをするギルドのギルドマスターをするにあたってレベルダウンを繰り返してリビルドした。回復役は探せばいるが、この振り切った育成をする者は殆ど居ない。

ギルドに人を呼び込む一つの目玉としてとった数々の職業。それは一つのユニーク職業という形でザルツベルグに恩寵をもたらした。

 

全てはギルドバトルで勝つ為に。

全ては“アインズ・ウール・ゴウン”に勝つために。

 

 

 

「なんだ? これは」

 

「綺麗だろう? 俺の自慢のスキルなんだ! ははははは! さあ、モモンガ! 続きやろうぜ、続き! 殺されるのはあんた、殺すのは俺ら。魔王はやっぱり一人寂しく死ななきゃだよな!」

 

人型は徐々にその光量を減らして人になる。

それは先ほどのモモンガのスキルで死んだはずのプレイヤー達。その全てが、死に絶えた大地に再び立っていた。

 

広範囲蘇生スキル、<エインヘリヤルの目覚め>

運営のキチガイ設定。モモンガのもつ“エクリプス”と同じ隠し職業、それを極めた者のみが使える強力なスキル。

 

 

「初めて見るスキルだ」

「あったり前だろ! どんだけピーキーなビルドにしてると思ってんだよ! そうそう居てもらっちゃ困るさ!」

「成る程。……全く。クソ運営は相変わらずキチガイだな」

「はは。そこは全くもって同意するさ!」

 

呆れとも諦めともとれるため息。

ザルツベルグは自らが一度死ぬ前までの不機嫌さなんてものは一切忘れて、上機嫌にアインズと会話する。今この瞬間、既に場の上位者はアインズから自分に移っている。それの実感と、また、アンデッドになり長い年月を生きた相手をやり込めたという達成感で舞い上がっているのだ。

 

「これで俺たちは元どおり。さあ、どれくらいまで持ちこたえられるかな?」

「ふん。なるほど。これがお前らの必勝法というわけか」

「まあ、そんなところかな。冷却時間は長いけれど、ペナルティ無しでの復活はやっぱりよく死ぬプレイヤーとしては嬉しいじゃん?」

 

会話の間にも復活したザルツベルグのギルドメンバー達はゆっくりと陣形を変える。

ザルツベルグを守るように幾重にも防御魔法をかけて、アインズへとにじり寄る。

 

「ふむ。確認するが、お前達が私と敵対する理由は“現実世界へ戻るため”で間違いないな?」

「ああ。魔王を倒した勇者一行は願いを聞き届けられるもんだろ?」

「……ありもしない希望に縋るのは勝手だが、巻き込まないでほしかったな。参考までに、何がお前達をそこまでかきたてる? 私を倒しても戻れなかったらどうするのだ?」

 

「ごちゃごちゃとウルセェ! 命乞いならもう聞かねぇぜ!」

 

三人の戦士がタイミングを僅かにずらして斬りかかる。

盾となるモンスターも仲間も居ないアインズにあっさりと剣は届き、苦悶の声と骨が削れる音がする。距離をとろうとしたところにもう一度、次は棍棒で殴られる。

アインズは自らのHPがこそぎ取られる激痛を感じながら、それでも言葉を続ける。

 

「っう。お前達と似た考えの者がこの1000年幾度もいた。だがしかし、誰一人として帰れたものは居ない。くっ」

 

鋭い一撃がアインズの右半身を襲う。右腕に力は入らず、無詠唱化した攻撃魔法で時間を稼ぐのがアインズができる唯一の抵抗となっていた。

 

「そもそも、プレイヤーがやってきていたのは私からではない。私が来る600年前には既にプレイヤーは来ていた。それでも元凶が私だと言うのか?」

 

「うるさい! うるさい、うるさい!! そんなことお前のでまかせに決まってる! お前さえ死ねば! またリアルに戻れるんだっ!」

 

碌な反撃もできないうちにHPはとうとう4分の1をきる。アインズはそれでも言葉を続けた。

彼らは狂っている。とても理性ある人間が出した結論ではない。だから、無駄とは思いながら最後通告として、この後は一切の対話をしないつもりで言葉を発し続けた。

 

「帰れるはずがない。この世界のありとあらゆるマジックアイテムでも、ユグドラシルのワールドアイテムでも叶わなかった。それが、たかだかプレイヤーを一人殺したくらいで帰れるはずが無い」

 

あと一撃でも受ければ死ぬだろう。

全身の骨は罅が入り、顔は崩れ、とうとう立っている事も出来なくなったアインズはその場に崩れ落ちる。足は既に砕けていた。それでも立って入られたのは<飛行>の魔法があったからだ。しかし、それも切れた。

 

「気狂い共め。お前は私を殺した事を後悔するぞ。必ず、それもすぐに」

「それは無いわ。あたしらはこれでリアルに帰るんだから」

「叶わぬ願いだと言っている」

 

黒い眼窩に浮かぶ赤い光が明滅する。

表情もなく、声に抑揚も無い。そんなこの骸骨の、もっとも雄弁な部分はひょっとしたらこの目の光では無いだろうか。

 

重戦士が振り上げたメイスが振り下ろされる。

 

その一撃で頭蓋は砕け、頭部は消失した。

頭部の消失とともにガラガラと骨が崩れる。

 

今まで動いていたのは悪い冗談だったとでも言うように、崩れる落ちた骨は微動だにしない。

<生命の精髄>でモモンガのHPを見ていた者から撃破と喜びの声が上がる。

それに触発されてザルツベルクの周りは歓喜の声であふれ帰る。

 

その中でザルツベルクが見ていたのは残された骨と黒いローブ。

千年を生きた超越者が残したのはそれだけ。

 

ただそれだけであった。

 

 

 

「意外とあっけなかったなぁ」

 

ポツリと零された声には感情の色は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アインズはゆっくりと体を起こす。

黒曜石でできた巨大な円卓。それを時間をかけて見回す。

前にここでこうして復活した時とは違った、誰も居ない空間。

自分の死に場所はここだと、自分が異世界に来たのだと突きつけられた気分だった。誰も居ない円卓に寂寥感を抱きながらため息をつく。

 

この世界に来て初めての死からの目覚めは思ったよりも穏やかなものだった。

 

「おかえりなさいませ、アインズ様」

 

静謐な空間に相応しい静かな声がかかる。

 

「出迎えご苦労、セバス。フールーダはどこにいる?」

「玉座の間にてアインズ様の仰せの通り、かのもの共の監視をしております」

 

そうか。

そう返しながら自らの指を見る。嵌めた指輪の一つがその形を崩し、完全に姿を消した。

 

(とうとうこれもなくなっちゃったか……)

 

アインズの持つ装備品は1000年で大幅に変わった。既に”流星の指輪”は無く、かわりにこちらの世界で手に入れた貴重なアイテムを嵌めている。装備品の変更ーー消費型アイテムは100年毎のプレイヤーの来襲で多くが無くなり、代わりにこの世界独自の装備品が増えた。

 

「今から玉座の間にいく。セバス、伴をせよ」

「仰せのままに」

 

感傷を振り払い腰をあげる。

大きな円卓は静かに、去りゆくものを見送った。

 

 

 

 

「おかえりなさいませ、偉大なる師よ!」

 

巨大な扉を開けて玉座の間に入ったアインズを待ち受けていたのはかつて人間であった大魔法使い、フールーダ・パラダイン。その果ての姿であるエルダーリッチであった。

フールーダはアインズの靴に頭をつけることで敬意を表す。最初の頃は煩わしく思っていたそれも、今ではすっかり慣れ、当たり前の事になっていた。

 

「おお! お戻りになられたのですね! 我が主! アインズ様っ!」

「う、うむ」

 

高い天井に反響する程大袈裟な声。その発生源に目を向ければ想像した通りの人物がいた。

パンドラズ・アクター。アインズ自らが作ったNPCであり、若気のいたりを思い出させてくれる存在だ。

実務能力さえ無かったら封印しておきたい。

幾度もその感情を抱きながら、何かと使い勝手が良いのでそれに至らない、アインズが手がけた唯一のNPCだ。

事実、今もこうしてアルベドとデミウルゴスの代わりにナザリック全体の指揮を委任している。能力だけを考えれば素晴らしい以上に素晴らしい存在だ。能力だけを考えれば。

 

「エ・ランテルとデミウルゴスの様子はどうなっている?」

 

フールーダとパンドラズ・アクターそれぞれに任せていた仕事の報告を求める。

場合によってはこれからすぐに次の手を打たねばならない。

 

「デミウルゴス様は順調に任務を遂行されています。ニグレドの援護もありますが、じきに敵ギルド武器を手に入れるでしょう」

「エ・ランテルは師と敵の魔法がぶつかりあったことで王城を初め都市の心臓部に致命的な被害が出ております。それに先ほどから錯乱した敵の何人かが仲間割れを起こしたようで、このままいけば完全にエ・ランテルは人の住めない死の都となるでしょう」

 

報告はおおよそアインズの予想した通りだった。デミウルゴスもしっかりと仕事をしている。それでこそ自分が死んだ甲斐があったというものだ。

軽く息を吐いてフールーダに命じる。

 

「フールーダよ。原始魔法の使用準備をせよ。エ・ランテル共々奴らを葬る」

「よろしいのですか、師よ」

「仕方がなかろう。プレイヤーに殺されるのも原始魔法の発動に使われるのも、餓死で死ぬのも同じ死だ。それならば王の為に死ぬのが王民の義務だろう」

「かしこまりました。すぐに準備を始めます」

 

フールーダはそう言うと王座の間から出ていく。

その後ろ姿を見送った後、顔を前に戻すとそこには三つの黒い穴があった。

 

「うわぁっ!?」

 

もんどりうってバランスを崩す。

それを冷静に受け止めたのはセバス。そして元凶である黒歴史は、その近すぎる距離に疑問を持つこと無く話し始める。

 

「宝物庫の領域守護者として、アインズ様にはお伝えしなければならない事がございます」

「わかった。話を聞こう。もう少し下がれ、流石にこの距離では話をしづらいだろう」

「いいえ! そのような事はございません! そのように遠慮などなされずに」

(遠慮じゃない! 遠慮じゃない!!)

 

肩に手を置きつっかえ棒のように距離を稼ぐが、正直近い。もっと距離を離してほしい。

 

(誰に似たんだよ! この距離感! 俺ってこんなに話す時距離詰めてないよな? ないよな?!)

 

人生いや、骨生初めてのリアルな死に少しナーバスになっていたアインズは、転げ回りたい気持ちを必死に抑える。何年経ってもこの息子はこちらの精神を削る行動をする。無いはずの心臓が激しく弾む感覚に胸を押さえてうずくまりたい気分になった。

 

「さて! 本題でございますが、アインズ様。ナザリックの運営についてでございます」

 

こちらの内心など構わずに向けられた話題は、とても重要なものであった。

普段のナザリックの運営は守護者統括であるアルベドが、財務の責任者であるパンドラズ・アクターと行っている。極めて重大な事態にならない限り、アインズの所にナザリックの運営についての議題など上ってはこない。

 

「話をきこう。パンドラズ・アクターよ」

「ありがとうございます!」

 

軍服の外套をたなびかせての一礼。

その一挙一動がアインズの後悔をくすぐるが、ぐっと堪える。

こんな事では今からの大切な話に集中ができない。そしてそれはとてもまずい。

 

「今回アインズ様自らが囮になられた事で大きく敵の戦力を削る事ができました。敵の仲間割れによって、既に実働部隊の2割は戦闘不能といっていいでしょう」

「そんなに効果が出たとは嬉しい誤算だな。ギルドマスターの口先三寸で丸めこまれていた者たちとしては妥当か……」

「しかしながら彼らは既に我がナザリックと魔導国に十分すぎる打撃を与えております」

「……そうだな。この戦いが落ち着いたら一次産業の見直しと地方高官の更迭を第一に着手しなければならないだろう」

 

イナゴと疫病の流行で魔導国の中でも特に農業地帯に被害が出た。

その事で今年は税収が減るどころか赤字になるだろう。地味に地方の役人の賄賂の問題もある。こんな事ならばやはり高官は全てアンデッドにしていた方が良かった。今更な後悔の念をアインズは抱く。

しかしそれだけではないとパンドラズ・アクターは言う。

 

「何よりも! 偉大なるアインズ様が一度死亡された事により多くの僕が居なくなりました。近日中に大都市では衛兵の消失で大混乱が起きるでしょう」

「……。そうだったな。厄介だ」

 

死体を使って召喚した僕でも召喚者の死亡とともに消失する。

600年前のプレイヤーとの戦いの時、パンドラズ・アクターが死亡した。パンドラズ・アクターがスキルで召喚していたデスナイト他、多くの僕が死んだ。あの時は割合あっさりと和解ができ、相手からの賠償金でパンドラズ・アクターを復活できた。しかし衛兵や護衛、農地の開墾にと従事していた僕は一から作り直しの憂き目にあったのだ。

 

「私が作っております予備を考えましても完全なる補完は無理でしょう。国民のうち1割は今年の冬を越せない計算でございます。また、これによりナザリックの強化計画に50年単位での遅れがでる予定です」

「そうか。それは厄介だな。……はやくみんなと会いたいものだ」

 

思わず口をついて出たのは支配者には相応しくない弱音だった。

しかし、こうしてプレイヤーが来るたびにアインズは思っていた。

次こそ、次こそ懐かしきアインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーが来てくれないか、と。

何年経とうと色褪せない輝かしき思い出。アインズの青春。初めての友達、初めての仲間。

もし40人のうち誰か一人でも一緒にここに来ていたのなら、ここでの生活は今以上に喜びに満ちた幸せなものとなっていただろう。

 

「アインズ様……」

「独り言だ、忘れろ」

 

居心地の悪いものになった場の空気は戻ってきたフールーダによって霧散した。

今から行使するのは多くの国民の命を犠牲にする禁術。

こちらに来て間もない頃、ある女王から国を援助するという約束の交換条件として手に入れたタレント。その力を何百年ぶりかに使う事になったアインズは己に気合をいれる。

ナザリックには属さないが自らの国民である。かつてのカッツェ平原で使った超位魔法の時はただその威力と仕掛けに酔っていたが、今回は違う。その命の犠牲に形容しがたい感情を覚える。

あるいはそれは憐憫と言われるものかもしれなかった。

 

「一撃で100レベルのプレイヤーを殺し得ることは既に立証済みだ。問題は敵のギルマスが持っていたワールドアイテムだな。何とか回収できないものか……」

「ワールドアイテム!! 一体それはどのようなものでございましょうか!」

「即時回復と即時蘇生。復活時の経験値の消費を無くす、だったか。まあ、やつ個人に戦う力は殆ど無い様子だったからな。周りのプレイヤーさえ無力化できれば怖くはない」

 

既に切り札も切らせているしな。

赤く光る目を爛々と輝かせてアインズは先導するフールーダの後を追う。セバスはアインズの後を歩き、パンドラズ・アクターは三人を見送った。

 

 

それから一時間もしないうちにエ・ランテルはその歴史上何度目かの消失をする。

焦土と化した一帯。その場所で動くのは28の人影だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

その日のデミウルゴスはひどく上機嫌だった。

至高の御方から下された勅命に従い軍を率い、そして拍子抜けな程順当に局所的勝利を積み重ねた。

今や敵ギルドの拠点はデミウルゴス配下の悪魔、そしてワールドアイテムによって召喚された悪魔で溢れかえっていた。

 

「拠点を守るにしてはプレイヤー達に生気が見られない。余程前座が効いたとみえます」

 

うっそりと加虐心を隠す事なく赤い悪魔は顔を歪める。

デミウルゴスがこの拠点を攻める時、最初から配下のもの達を使った訳ではない。

最初は森妖精や人間、魔導国に属する人間種のもの達を選んで攻め込ませた。

『よくも畑を焼いたな』『よくも家族を殺したな』

自分たちの起こした行動によって仕事を失い、家族を喪い、更には自分の命まで失おうとする人々。身も心もボロボロな同族に、彼らは言葉も無く立ち尽くしていた。

圧倒的レベル差にもかかわらず、誰一人抵抗らしい抵抗をしないまま彼ら彼女らは死んでいった。

 

その時の光景を思い出しにやけそうになる顔を必死に押さえる。勝利に酔うにはまだ早すぎる。そもそも、ここにはプレイヤーを殺すためではなくギルド武器を奪いにきたのだから。

さて、戦況は、と辺りを見回すと伝令が駆けつける。何でも一人、抵抗するプレイヤーがいるらしい。それも至高の御方の名前を叫びながら交渉をしたいと言っているらしい。

デミウルゴスはそれに眉をしかめる。

 

(下等な人間ごときが……)

 

しかしある意味でそれは願ってもない事ではあった。デミウルゴス達は未だにギルド武器の在処を探せていない。もし、本当に交渉が目的ならば、その手間が省けるのだから。

 

「パンドラズ・アクターですか? デミウルゴスです」

 

<伝言>を使い守護者統括代理に連絡をとる。作戦は順調であり、交渉を持ちかけてきた敵と会う事を告げる。

 

「交渉はデミウルゴス様が任された権限の範囲であれば確認を取らずに進めていただいて結構です」

「勿論そのつもりです。アインズ様は?」

「先ほどナザリックにお戻りになられました」

「それは良かった! 私もナザリックにふさわしい働きをしなければなりませんね」

「デミウルゴス殿からの良い知らせを待っております。それではご武運を!」

 

そんな言葉とともに<伝言>は切られる。

 

「さてと。それではいざ」

 

ネクタイの位置を調整して服のしわを伸ばすように引っ張る。交渉ごとにおいて身嗜みを整えるのは基本だ。何よりもナザリックのモノとして不恰好な姿などしているわけにはいかない。

一通り確認終えたデミウルゴスは伝令にプレイヤーのもとへと案内させた。一体どのような人物が悪魔との取引を望むのだろうか。

喉の奥で笑いながら、ゆっくりと目的の場所へと歩いていく。

穏やかな草原を抜け、石でできた入り口をくぐり、穴の中へと足を踏み入れた。

暗い暗い地下への穴の。

不気味に響く足音を響かせ、飲み込まれるようにデミウルゴスは降りていった。

 



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それでも旅路は続いていく

「そういやうちのギルドってあんまりギルドバトルしませんよね」

その日のギルド、アインズ・ウール・ゴウンの話題はその言葉からはじまった。

「ほうほう、ギルドバトルに興味がおありで?」
「あ、ぷにっと萌えさんこんばんわー」
「こんばんわです」
「いやいやどうもこんばんわ。それで、ギルドバトルに本格参戦する相談ですか?」
「いえ、そういうのではなくてですね、こう、そう言えばしないなーって」
「PKしたプレイヤーが乗り込んで来ることはあるけどね」
「ギルドバトルするには絶対的な人数が足りないってのはありますよね。拠点も守りは硬いですけどーー」
「攻め込むのは考えてませんからね。攻め手と守り手に分かれるには厳しいものがありますよね」
「確かにー」
「この人数でも十分可能ですよ? ギルドバトルの基本はこの私がしっかりとお教えします。これで必勝間違いなしです」
「ぷにっと萌えさんが言うと冗談にならないんで勘弁して下さい」
「これ以上ユグドラシルで悪名広げるとそのうち討伐隊きますよ」
「PKKやってる時点でアレですけどね」
「向こうがやって来て返り討ちにするのが良いんですよ。こちらから攻めるなんて美学に反します」
「まあ、魔王はどっしり構えてるイメージですよね」
「浪漫ですねぇ」
「フットワーク軽い魔王もそれはそれでありじゃない?」
「却下で」
「いけずー」
「それじゃあ、今度の多数決の議題に上げてみましょうか? GVGを積極的にやっていくかどうか」
「それなら、まあ。でも、ほんと、軽いノリなんで間に受けないで下さいね」
「了解了解。提案することに意義があるのさ」
「たまには違うことにも手を出してはってことで」
「一応メモしておきますね」
「お願いしますギルド長」
「俺たちのギルド長がこんなに頼もしい」
「ははは。褒めても何も出せませんよ。それじゃあとりあえず、今いるメンバーで今日何をするのか決めちゃいましょうか。何か案がある人は挙手をお願いしますーー」




「ああ、モモンガさん丁度良かった」
「あ、ぷにっと萌えさん。この時間にログインされるなんて珍しいですね」
「はは、モモンガさんに内密に渡したいものがあったものですから」
「渡したいものですか?」
「はい。……もしもの時の“誰でも簡単GVG必勝マニアル”です」
「え。GVGだったらこの間否決されたじゃ無いですか。“プレイスタイルかなり変えないといけないのは嫌だから”って」
「ですからもしもの時の為ですよ。争いはこちらの都合とは関係無くやってくるんですから」
「……そう言う事でしたら頂きます。でも、使わない事を祈るのみです」
「そうですね。……これ一応モモンガさん専用なんで、他の人には内緒で。また変なこと吹き込んだって言われちゃうんで」
「そんな変なことだなんて! PK術もそうでしたけれど、とても参考になってます」
「そう言ってもらえると嬉しいです。あ、では渡したいものは渡せたので一旦落ちますね。モモンガさんまた後で!」
「はい! また後で待っています」



 

エ・ランテルでの戦いの後、簡単な事後処理を終えたアインズは自室の書斎で読書に勤しんでいた。

まだ争いが終わったわけではないが、気分転換は大切だ。今読んでいるのは魔導国の国境付近を舞台にした紀行文。転移直後は全く読めなかったこちらの文字も今ではスラスラと読める。文字を目で追っている時のアインズは、確かにこの戦いの重圧から解放されていた。

 

『お休みのところ失礼しますアインズ様、早急にしなければいけない報告がございます』

 

硬質なパンドラズ・アクターの声にアインズは読んでいた本に栞を挟み<伝言>に返答する。

今回のプレイヤーの出現に関わるいざこざもいよいよ大詰め、余程重要な進展がない限りは定時連絡のみの筈だ。それがこの時間に緊急の報告ということは、何か良くない事が起きたのだろう。

一呼吸をおいてぐっと体に力をこめる。

 

「話せ」

『はい。第七階層守護者デミウルゴス様の死亡を確認いたしました。また敵ギルドのギルド武器の破損を確認いたしました。また、デミウルゴス様が所持していたワールドアイテムの回収に失敗いたしました』

 

がつんと殴られるような衝撃。

アインズが予想していた最悪の結果をパンドラズ・アクターが告げる。

 

「……そうか。すぐに王座の間へ向かう。デミウルゴスの復活に必要なものを揃えておけ」

『かしこまりました。お待ちしております』

 

<伝言>が切れたのを確認した後にアインズは机に拳を振り下ろす。

口汚く罵りの言葉を吐きながら拳を幾度も振り下ろす。しかし親友の子供を殺された怒りはすぐに精神の安定により抑えつけられる。そしてぐずぐずとした不快感のみが残った。

ぎちりとアインズの歯が鳴る。

デミウルゴスの死は腹立たしい。が、予想された事だ。覚悟はしていた。これから考えなければいけないのはこれから先のプレイヤーとの戦いだ。それは今まで以上に激しいものとなるだろう。

今回の騒動の落とし所は敵ギルドのギルド武器を確保した後での和平交渉を想定していた。ギルドバトルは基本的にどちらかのギルド武器を取られたところで停戦、勝敗が決する。それはユグドラシルのGVGの暗黙のルールだ。

マナーと言っても良いだろう。

そうでなければGVGを主軸にしたギルドなど成立しようがない。負けるたびにギルド拠点から作り直していたのではいくら時間があっても足りないのだ。

全てはギルドメンバーのひとり、ぷにっと萌えさんの残したマニュアルからの受け売りだが、彼の残したものに間違いがある訳がない。

だから、ナザリックはこの戦いを終わらせる為に敵ギルドのギルド武器を手に入れなければならなかったのだ。この1000年繰り返してきたプレイヤーとの諍い。そのいくつかはこの方法で切り抜けてこられた。だから今回も同じ方法をとった。

今は居ないギルドメンバーの策を使う事は、それだけでアインズに安らぎを与える。まるでぷにっと萌えさんがここに居て、一緒に戦っている気分になるのだ。

しかし、今回は――

 

(最悪だ。やけになったプレイヤーの相手なんて考えるだけで頭が痛い。理性的な相手だと良いんだが――)

 

敵ギルドマスターを思い出す限り絶望的だ。

あの無鉄砲さ、あの無責任さ。アインズとは相入れない刹那的な快感を追う性格だろう。なのに何故か人を扇動する厄介な人物だ。

思い出す途中で、ふと、あのギルドマスターがギルド武器の破壊を仕組んだのではないか、という考えがよぎる。奴は戦いを望んでいた。中途半端な結末ではなく決定的な結末の為に全てを壊したとしても納得できる。

兎も角、今回のプレイヤーとの戦いはまだまだ終わりそうにない。

気合をいれる意味で自分の顔を思いっきり叩く。人間であった時にもよくやった気持ちを切り替える動作だ。

ぐるぐると行き詰まっていた暗い気持ちがいくらかましになった。

もう一度気合を入れて王座の間に向かう。

ここで独りで考えるよりもデミウルゴスやアルベドと相談した方がいい案も出る筈だ。

書斎の扉を開け応接室に出ると、今日のアインズ当番のメイドが寄り添う。

 

「王座の間へ向かう。供をせよ」

 

メイドが開く扉をくぐり、アインズは泥沼の戦いへと歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――以上が、私の語る真実でございます」

 

モモンガが話し始めた時には高かった太陽。それははるか前に西の空へ落ち、夜がきた。

そしてその夜も今明けようと少しずつ白んで来ている。

モモンガの昔話は長い時間をかけて語られた。

ヒカリはモモンガの語る全てを聴き終えて深い息をはく。

どうしてこんなことになってしまったのだろう。

それが偽らざるヒカリの本音だった。

 

もしも、……と。そんな考えが何通りも頭をよぎる。はるか過去の、動かせない出来事なのに。

 

「ありがとうございました。モモンガさん。もう思い残すことはありません。私のことは好きになさってください」

 

ヒカリは深く頭を下げる。それは首を差し出しているように見えた。

長い髪がサラリと音をたてた。モモンガはそれを黙って見ている。ただ、じっと見ている。

十分すぎる程の時間が過ぎた後、モモンガはゆっくりと首を振った。

 

「私は、貴女に何もすることは出来ません。父もそれを望まないでしょう」

 

「貴女は自由ですよ、お嬢さん。貴女の母君、明美様の望んだ通りに生きてください。それこそを我が父も望むでしょう」

 

その言葉を残し立ち去ろうとするモモンガの服をヒカリは掴む。

このまま何も返すことなく別れることは嫌だった。

 

「十分な報酬はいただいておりますとも。我が父の名前を冠した秘宝を受けとっております。これ以上の物を受け取ることなどありません」

 

にべもなく言葉を返され二の句をつげられなくなる。それでも彼が立ち去らないのはヒカリが彼の服を掴んでいるからだろう。紳士的な人物だ。無理に振りほどこうと思えばできる筈なのに。

何かないだろうか。

空回りする思考をなんとか働かせて必死に考える。

何かないだろうか。

 

そっと、服を掴んでいる手にモモンガの手が重ねられる。

そこでヒカリは自分がはめている指輪の存在を思い出した。

 

「お別れです。どうぞお元気で」

「あ、あの!」

 

パッと服から手を離し、その手の指にはめていた指輪を外しモモンガの手に押しつける。

 

「これは! 母のお姉さんのやまいこ様から頂いた指輪です! その、使いかけですが、あの、受け取ってください!」

 

顔に血が集まるのを感じる。

なぜだかとても恥ずかしい気持ちで一杯だが精一杯の言葉を言う。

とても大事な指輪だけれど、自分よりも彼の方が持つのに相応しい。そう思ったのだ。

 

「これは――“流れ星の指輪”ですか?」

「はい! すごく貴重なものだから大切にしてって。でも、モモンガさんに貰ってほしいです」

「それは、なんと言うか、いえ! そこまで言われてはお返しする方が非礼ですね。確かに頂戴いたしました」

 

モモンガはそっと受け取った指輪をしまう。

ヒカリに握られた服はしわになってしまったが、気にする程ではない。父が用意した最上の衣装はこの程度のしわなど軽くはたくだけで無くなるだろう。

 

「それでは良い人生を、お嬢さん。縁がありましたらまたお会いいたしましょう」

「はい、良い旅路をモモンガさん。またお会いできる日が来ると嬉しいです」

 

朝焼けの中での別れ。

冴えない男の風貌に戻ったモモンガは、これからまた何処かの街で人々に魔導国のあった日々を語るのだろう。

ヒカリは自分のこれからを考える。

この場に来る前にあった重い気持ちはなく、体も軽く感じる。

モモンガが見えなくなるまで手を振り見送った後にヒカリは冒険者の仲間がいるであろう街を目指す。

良い人生を、と送り出されたのだ。贖罪の為に生きようと思っていたが、これまで通りに自分のできることをして生きていくのが彼の望みらしい。

 

「ああ、でも恥ずかしい。仲間には死ぬかもしれないって言って出てきたのに、怪我の一つもしないで戻るなんて」

 

そんな軽口が口をつく。

草原に這うように影が伸びる。

新しい一日の始まり。

 

今日はいい天気になりそうだった。

 





「お姉ちゃん本当に引退するんだね」
「うん。まあね。と言うことで僕の可愛い妹にはこれをあげよう。モモンガさんーーうちのギルド長には内緒だよ。使い切ったってことにするから」
「え、……え! 悪いよ。だってこれ“流れ星の指輪”でしょ! お姉ちゃんが使いなよ! 最後なんだし!」
「うーん。そんなこと言っても勿体無い気がするんだよねぇ。じゃあこうしよう。この指輪は光ちゃんにあげます」
「え、あ、ちょっとまって! それ卑怯だよ。光へのプレゼントなんて断れないじゃん!」
「断らなければ良いのです」
「ぐう。本当にこう言うとこ強引だよね」
「ふふふ。まあたまにはお姉ちゃんのわがままに付き合ってよ。……じゃあ、こっちの世界で会うことはもうないだろうけど体に気をつけながらプレイするんだよ」
「廃人のお姉ちゃんにそんな言葉を言われる日が来るとは……」
「ん。じゃあ明美、次はリアルでね」
「うん。ありがとうお姉ちゃん」
「光ちゃんも元気でね」


ずっとずっと昔の記憶。
大切な大切な彼女の宝物。


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永き夢から醒めた男


一歩。
また、一歩。

恐ろしく鈍い足取りで漆黒の闇を纏った者は歩く。
少し歩いてはその広い空間を見回し、また少し歩いてはその伽藍の堂に目を細める。
いや、目を細めるというのは正しく無い。何故ならば彼の顔には瞳も瞼も筋肉も、皮膚さえもない。
服を着て歩く人骨こそ、彼の今の体なのだから。
しかし眼窩に浮かぶ二つの赤い光を弱め、ここではない何処かを見る様子は目を細めると言っていいだろう。

髑髏の顔を巡らせて、彼は過去に思いを向ける。
遠い過去は今でも当時の煌めきを残している。

大切な仲間達とここを作ったこと。
幾つもの冒険を共にして、ここに黄金の山を築いたこと。
整理できない品々を、それでも傷がつかないようにと黄金の山に入れるようになる迄に、時間がかからなかったこと。
一山から二山、そして山脈をなす宝の山に動かないアバターに笑顔のアイコンをつけ、お互いに喜びあったこと。

ーーーーひとり、また、ひとりと、去っていく仲間達がここに自分の持ち物を持ち込んだこと。

宝物殿たるこの場所を"墓"だと、そう思うようになったこと。
そうして何時しかここに独り取り残されたこと。

世界ーーユグドラシルから切り離されたこと。
仲間達の残したNPC達が意志を持ち、自分に忠誠を誓ったこと。
混乱のうちにありながらも、目減りして行く黄金に頭を悩ませたこと。

異世界で国を作り、税をとり、黄金の減りが無くなったこと。

そしてーー。


「楽しかった」

死の支配者の力無い声が何も無い部屋に響く。

「本当に楽しかったんだ」

夢から覚める時がきたのだ。
目まぐるしく思い起こされる回想は、何百もの年を重ねた果てにあった自らの滅びに迄簡単にたどり着く。





DMMO-RPG YGGDRASIL
かつて一世を風靡したのオンラインゲームの最終日。ギルド、アインズ・ウール・ゴウンのギルド長、モモンガは一人で静かにサーバーダウンを待っていた。
サーバーダウン予定時刻を過ぎても強制ログアウトがされない。その異変に気付いた彼を待っていたのは、現実となったギルド拠点と人格を持ち行動するNPC、そして知らないようで知っている異世界だった。

他のプレイヤーへの指標としてギルド名を名乗り、名を広め、その過程で自らの国ーー魔導国を建国。かつてのギルドメンバーが来ていないかと情報を集めながら異世界人とも良好な関係を築いた。
しかしギルド名を名乗り、広めた事が仇になるとは………。
何回もユグドラシルプレイヤーに会い、その度に友好関係を築いてきた。
だからと言って今回も油断はしていなかった筈だ。細心の注意持って接触を果たした筈だった。
しかし、最後に出会ったプレイヤー達はアインズ・ウール・ゴウンに敵対した。
"悪のギルド"アインズ・ウール・ゴウン。
魔王を倒せば世界に平和が訪れると盲信する勇者のように、アインズ・ウール・ゴウンを倒せば元のリアルに戻れると思った彼ら。
そして国を潰され、国を追われ、ギルド拠点であるナザリックは現在進行形で蹂躙されている。
愛した仲間のNPCは戦いに倒れ、もはや復活させる手段は無い。

財政の一切を任せていたパンドラズ・アクターは、切り崩されるだけの金貨の山を、一体どんな気持ちで見ていたのだろうか。

しかし、金貨の一枚も見当たらない宝物殿でも、アインズの脳裏にはかつての輝きが残っている。
それに、この奥にあるものに比べれば、ここにあったものなど土塊も同じだ。
牛歩の歩みで進む彼は、全ての光をのむ、のっぺりとした黒い壁に突き当たる。


ーーかくて汝、全世界の栄光を我がものとし、暗きものは全て汝より離れ去るだろうーー


凝り性のギルドメンバーが残したギミックにすら愛おしさが溢れる。同時に、彼が作ったNPC達は今、自分の時間を稼ぐ為に戦っている。
仲間との思い出の地がもうすぐ失われるものだということに、ぶつけようの無い怒りと悲しみが湧き上がり、ーーかき消える。強い感情は抑制される。すっかり慣れてしまったそれに軽く息をつくと、足を進める。

長く続く空の展示棚。飾られていたものはとうの昔に換金されている。
仲間との冒険の思い出がただの金貨の山になることに抵抗を覚えなくなる程、長い時間の経過はアインズにとってNPC達を大切な存在にした。

そして、ーー

この先こそ彼のもっとも神聖な空間。
何にかえても侵させる訳にはいかない聖域だ。



「そろそろ来られる頃かと思っておりました」

カツンと踵を鳴らして手を胸に添えて大仰に礼をとる。
宝物殿の領域守護者であるパンドラズ・アクターは軍服姿で自らの創造主を迎えた。
いつもなら黒歴史を突きつけられ、頭を抱え、精神の抑制が働く程羞恥を感じる所だが、今のアインズは落ち着いた返事を返すのみだった。

「私の準備は既に整っております、父上。貴方様に作られたNPCとして最期の瞬間まで貴方様に従います」

直立から流れるように跪き、主の命令を待つために顔を上げる。つるりとした凹凸の無い頭部にある三つの丸からは造物主に対する全幅の信頼が感じられた。

「お前ならそう言ってくれると思っていたぞ、パンドラズ・アクターよ」

主人からの言葉に深い礼で返すと、パンドラズ・アクターはそのまま続けられるであろう言葉を待つ。
それをみるアインズの眼差しは温かく穏やかなものだった。
元は人間とはいえ、既に人間として過ごした何十、何百倍もアンデッドとして生きている者が浮かべるには、その身にまとう空気は余りにも不釣り合いなものだ。彼を知らぬ者からすれば、人を騙す演技だとか、目の錯覚だというだろうが、彼の被造物は知っている。
自分の主人の慈悲深さと優しさを。
だから自分はこの方の為に死ぬ、そこには喜びがあると疑わない。

だから続く言葉の意味を理解できなかった。

「ナザリック地下大墳墓、宝物殿の領域守護者パンドラズ・アクターよ。これよりお前の守護者の任を解き、新しい任務を与える」

「我が盟友達の装備、並びに保存されているワールドアイテム、そしてーー、これをお前に託そう」

パンドラズ・アクターの伏せた視界の隅に黄金の杖が映る。
素早く顔を上げ、視線を向けるとそこにはギルド武器を差し出す創造主が居た。

「僭越ながら、父上! これはスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンではありませんか! それは至高の御方々の盟主たる父上にのみ許されたものでございます!! 私などが手を触れる事すら恐れ多い!」
「そうだ。これこそはナザリックの主たる我ギルド、その象徴たるギルド武器。私のために仲間と力を合わせて作り上げた最高の逸品だ」

アインズはそこまで一息に言い切ると少し間をあける。小さくその骸骨の顎が動く。しかし言葉は無く、更に数瞬その間は続いた。

「ーー……ナザリックは滅びの運命にある。しかし我が盟友達の姿は見えないまま。ここで"アインズ・ウール・ゴウン"を無くす訳にはいかん。ギルド武器の破壊はギルドの終わりでもある」
「父上……!」
「そんな声を出すな。……辛い役目をさせるが、私の子であるお前にしか託せぬ。引き受けてくれるな?」

問いかけの形で有りながらそこに否定という選択肢は無い。
それがどういった意味なのかは、与えられた頭脳が正確に読みとるのに、感情の方が否を訴える。
なんと残酷で、なんと優しい御方だろうか!
パンドラズ・アクターは身が引き裂かれる思いで、震える声と心で、「承ります」と短く返すのが精一杯だった。

「パンドラズ・アクターよ、では支度をしろ。ああ、その前にお前にこれを渡しておかねばな」

アインズが取り出したのは二つの無限の背負い袋。霊廟へ向かうパンドラズ・アクターに差し出すと恭しく受けとられた。

これで恐らく37人分の装備とワールドアイテム、ギルド武器は安心だ。アインズはひどく安心をした。これで大丈夫だ、と。

モモンガには譲れぬものが幾つもある。
それはここ、友と作り上げたナザリックであり、友の子供ともいえるNPC達。
自らの命。
しかし何よりも、アインズ・ウール・ゴウン。モモンガの青春であり捨てられぬもの。喪うと思うだけで心が引き裂かれそうになる自らの全て。
これは自らの命が無くなるとしても、失うわけにはいかない。
アインズ・ウール・ゴウンは世界にその名を残し、誰も知らぬものが居ぬよう知らしめねばならない。
自分はここに居たのだと、いずれ現れるかも知れない仲間達の為に!!

その為にここに来て、その為に我が子に指示を出す。
やって来る友達の為にも、ワールドアイテムと各人の最高装備は持ち出さねば。
暗く濁る心の奥には、例えかつての仲間達が一人として戻らないとしても、ナザリックを穢した者達に与えるのは業腹だという想いもある。自らの輝かしい思い出の一片にすらも、その手をかけさせるものか!

なんだかんだとはいっても、パンドラズ・アクターは優秀なNPCだ。立ち振る舞いに些か以上のーーモモンガの黒歴史という意味でーー難点はあるが、きちんとこちらの考えを汲み、実行してくれるだろう。

用意をするパンドラズ・アクターを待っている内に、第九階層から侵入者の知らせが届いた。
今まで侵入者に踏み込まれる事の無かった地まで汚された。
終わりはもう目前まで迫っている。

「準備が整いました」

もう長い間聞いていなかったその声にはっとする。脳が一瞬働かない程に、その声はアインズを揺さぶった。

弐式炎雷がそこに居た。

勿論本物ではない。口調はパンドラズ・アクターのままだし装備だって所々違う。でもかつての仲間が居るのだ。もしアンデッドでは無かったら、涙を流して謝って居たかもしれない。
ナザリックを守ることのできなかった、不甲斐ないギルド長ですみませんでした、と。

「ーーああ。弐式炎雷さんであれば、プレイヤーに気づかれずにナザリックからの脱出ができるだろう」

アインズ・ウール・ゴウンでもっとも速さに特化したビルドと装備の弐式炎雷。その姿を借りてパンドラズ・アクターは第一関門であるこの大墳墓からの脱出にあたる。けして落とさないようにとしっかりと固定された無限の背負い袋は二つとも膨らみ、中に確かにギルドメンバーの武器があることがうかがえる。

「では、ここで別れるか」

霊廟とその奥へ入るため外していた指輪をはめるのを見守ったアインズは、パンドラズ・アクターに声をかける。
自分はナザリックと共に滅び、子にその後を託す。
アンデッドのこの身でそんな普通の親子のような、と、なんとも言えない思いがせり上がる。

「ーーーー父上が」

思いをかき消し背を向け歩き出すと、引き攣るような声がかかる。

「父上が行かれる必要が本当にあるでしょうか。身代わりでしたら私がなります。貴方様こそ生きてここを出るべきではないかと。愚かな被造物の身では有りますが、そう思考いたします」

一度堰を切ったような濁流のように言葉は次から次へと出てくる。それはパンドラズ・アクター自身にも止めることはできずにいた。

「父上。創造主を亡くし、それでもなお生きていく。その様な被造物になるなど私には耐えられません。最期まで供をせよと、私の盾となって死ねと、そう仰って下さい」

父上。どうかお考え直し下さい、と。

捨てられる事が生きることよりも辛いと、そういっていたのは誰であったか。
その気持ちは、モモンガには良くわかる。ユグドラシル最後の日に、独り玉座の間で抱いた思いだからだ。
モモンガであったのならば、共に逝こうと言っていただろう。
しかし俺はもうモモンガではない。

「それはできぬ。パンドラズ・アクター。お前は私に代わりアインズ・ウール・ゴウンの名を永遠にするのだ」

モモンガの名を捨てアインズ・ウール・ゴウンを名のる以上この決定は揺るがない。
しかしこれだけは否定せねばなるまい。

「私はナザリックを、NPCを、アインズ・ウール・ゴウンに連なる全てを愛している。」

「前に、そう、お前を私の子供のように思っていると言った時に、確か私はこう言ったな。"お前の優先順位を低く設定する"と」

「確かに、そうおっしゃいました」

「だからだ。愚かで身勝手な親だと思うなら思え。お前には私と共に滅ぶ喜びでは無く、私を置いて生きる悲しみを与える」

「アインズ様は愚かでも身勝手な御方でもありません! どうか御自分を卑下されるのはおやめください!」

「そうか。そうだな……」

遥か昔から抜けない癖。大きく息を吸い吐き出す演技。

「ではパンドラズ・アクター。お前に私の祝福を」

そう言うと、今度こそ部屋を後にする。
転移制限区域から出ると、自分の装備を確認する。神器級のローブ。プレイヤーとの戦いで幾つか取り替えた指輪。その他全身の神器級アイテム。
そして最後に仲間に持つことを許された、自らの名前を冠した世界級アイテムを確かめる。
アインズ・ウール・ゴウンのギルド長、モモンガの今の最高装備だ。
確認が終わるとリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを起動させ玉座の間へと転移する。

残された我が子の顔に浮かぶものは、怖くて見れなかった。



遺されたパンドラズ・アクターは主人の気配が消えるまで礼を崩さなかった。
そして訪れる静寂。主人に任され、長い月日を共にした部屋とももう別れの時だ。
主人は恐らく玉座の間に行かれた筈だ。
遠い昔、ナザリック地下大墳墓への侵入者がもしも第八階層を突破したら。そうしたら玉座の間で侵入者を迎えると、そう仰っていた。その事を教えてくれたのは一足先に死んでいったNPCだった。

「そろそろ、私も行かねばなりませんね……」

至高の御方の装備を借り、そして自分の主人から託された使命がある。これで脱出出来なかったなどとは決して許される事では無い。
幾つもの情報隠蔽スキルを起動し身体能力を上げるバフを発動させる。

伽藍堂の宝物殿。

もうここに帰ってくることは叶わないだろう。

万感の想いを込めて礼をする。
創造主に望まれたように、それは舞台役者が観客にするような大仰で派手で、無闇にきざったらしいものだった。




そして。
死の支配者は墳墓に散り、その最後の愛子は一陣の風になった。







 

 

 

 

 

暗闇から意識が浮き上がる感覚。

ゆっくりとしたそれは光と音を感じた瞬間に確かなものへと変わった。

 

「あ、モモンガさん大丈夫ですか?」

 

「あ、へ? あれ?」

 

モモンガこと鈴木悟の目に飛び込んできたのは慣れ親しんだユグドラシルのゲーム画面だった。

 

「あれ、ひょっとして寝落ちてました?」

「少しだけ。いきなり消えた時にはびっくりしましたよ!」

「きつかったら遠慮なく落ちてくださいね、無理は良くないですから」

「あ、いえ、大丈夫です。……あれ、おかしいな……」

 

昨日もログインしていた、その前も、そしてその前も。

小学校を卒業して以来働き詰めで、余裕ができたからと初めて手を出した娯楽であるこのゲーム。ほぼ毎日ログインしているはずなのにとても懐かしい感覚に戸惑う。

頰に伝う冷たい感覚に、そこで自分が涙を流している事を自覚した。

 

「本当に大丈夫? モモンガお兄ちゃん」

 

ぶくぶく茶釜の甘ったるい声色に更に目から液体が溢れる。

これ以上はさすがに声が震えて他のメンバーに心配されてしまう。

なんとか繕わなければと、あーとかうーとか意味のない音が口から漏れる。

 

「すみません。なんか夢見が悪かったみたいで。本当に大丈夫ですから。ちょっとすれば落ち着くはずです」

「はは。たまにはしっかりと休養を取らなきゃ駄目ですよ」

「どんな夢だったんですか?」

「いやー。よくは覚えてないんですよ。覚えてるのは一人でここにいた気がするくらいで」

「それって別に珍しくない気がするけどなぁ。俺もたまにログインする時に誰もいない事あるし」

「そうなんですけど、長い間一人で居た気がするんです。とても、長い間。なんか、サービス終了を一人で過ごしてるみたいな、そんな寂しさがありました」

 

本当によくは覚えていないが、あれは予知夢だったのだろうか? 胸を締め付けられる苦しさは現実のもののようだった。

 

あー。

 

なんとも言えない声色の重なり。

仲間達の声に感じるその納得するような感情になんとも言えない気持ちになる。

 

「なんですか、皆さん声を揃えて」

「いやー。モモンガさんなら納得かなーって」

「うん。モモンガお兄ちゃんはそういうとこあるもんね」

「それでも、俺は時間の都合がつく限り来ますよ、この世界に!」

「そういう人に限ってすっぱりと止めるものですよ、ウルベルトさん」

「……喧嘩だったら買いますよ、たっちさん」

 

わからないままに険悪になるたっち・みーとウルベルトを慌てて仲裁する。

 

「あ、じゃあボクが議題を提案します! もしもユグドラシルの最終日がきたら、みんなでまたここに集まろうよ!」

「おおー」

「え、いや、そんないつ来るかわからないですし、皆さん忙しいかもしれないですから……」

「さんせー」

「異議なしです」

「それは良さそうですね」

 

次々と上がる賛成の声。

それに鈴木悟の胸が張り裂けそうに痛んだ。

 

「ーーと、いう事でいつかある最終日はみんなでこの円卓に集合って事で! モモンガさんもいいですよね!」

 

「皆さんがそれでいいのでしたら。とても、とてもとても嬉しいです」

 

涙声を隠すことができない。

 

「でも、まだまだユグドラシルは終わらないんですから、とりあえず今日の予定を立てましょう!」

 

努めて明るい声をだす。

楽しい日々はまだ続く。まだまだ、ずっと続くのだ。

 

今日の予定を話し合うなかで、ふと、モモンガはやまいこの指にはめられた指輪に目がいった。

 

「あれ? やまいこさんもう“流れ星の指輪”使ったんですか?」

「え? あれ? ……おかしいな。なんで減ってるんだろう。使った記憶ないんだけどなぁ」

「運営のバグですかね」

「そうかも。あとでDM送ってみるよ」

 

鈴木悟にとっての幸せな日々はまだまだ続く。

それはユグドラシル最後の日をこえても続いていくのだろう。

 

 

 









朝焼けに染まる空にうっすらと流れ星が流れる。
それを見上げて男は指輪のはめられた手を掲げる。

『ああ流れ星よ、我が願いを叶えたまえ。我が主人、我が父、我が偉大なる造物主に幸あらんことを!』

一際大きな星が流れた。
ゆっくりと太陽に向かって進む男は清々しい笑みをつくった顔でそれを見上げる。
きっとこの行為に意味はないのだろう。だからと言ってなんだというのか。何も恐れることはないのだ。
彼の旅はまだ半ば。いつか彼が死ぬその時まで、彼はこの空の下に生きていくのだ。



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